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ヘルマン・ゲーリング
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/* ニュルンベルク裁判関連 */
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'''ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング'''(Hermann Wilhelm Göring、1893年‐1946年)は、[[ドイツ]]の政治家、軍人。[[:w:ナチス・ドイツ|ナチ党政権下のドイツ]]において、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。[[:w:国会 (ドイツ)|国会議長]]、[[:w:プロイセン州|プロイセン州首相]]、[[:w:ドイツ航空省|航空相]]、[[:w:ドイツ空軍|ドイツ空軍総司令官]]、[[:w:四ヵ年計画|四ヵ年計画全権責任者]]、ドイツ経済相などを歴任。軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の[[:w:元帥 (ドイツ)#国家元帥|国家元帥]] (Reichsmarschall) である。
== ゲーリング自身の発言 ==
[[File:Bundesarchiv Bild 183-2004-1202-504, Berlin, Adolf Hitler und Hermann Göring.jpg|thumb|180px|ヒトラーとゲーリング。1938年3月16日。]][[File:Bundesarchiv Bild 183-2007-0316-500, Adolf Hitler und Hermann Göring.jpg|thumb|180px|ヒトラーとゲーリング。1940年]]
==== ヒトラーについて ====
*「彼(ヒトラー)の姿を見、声を聞いた最初の瞬間から、私はぞっこん参ってしまった。」(1924年)<ref name="クノップ上92">クノップ、上巻92頁</ref>
*「私に良心などない。私の良心は、その名をアドルフ・ヒトラーという。」<ref name="クノップ上79">クノップ、上巻79頁</ref>
*「恐ろしいことだ…。ヒトラーは気が狂った。」(1939年9月、[[:w:ポーランド侵攻|ポーランド侵攻]]を起こして英仏と再度戦争状態になってしまったことについて。友人パウル・ピリ・ケルナーに語った言葉)<ref name="クノップ上120">クノップ上巻、120頁</ref>
*「私も(ヒトラーに言うべきことを言うことを)ずいぶん努力してはいるのだが、ヒトラーの前に出るといつも、私はすっかりおじけづいてしまう…。」([[:w:ヒャルマル・シャハト|ヒャルマル・シャハト]]に語った言葉)<ref name="クノップ上101">クノップ、上巻101頁</ref>
*「1938年の自動車事故でヒトラーが死んでいたらずっとよかったんだが…。そうすれば偉大なドイツ人として最期を迎えられただろうに…。」(大戦末期、後妻エミーに漏らした言葉)<ref name="パーシコ下134">パーシコ、下巻134頁</ref>
*「ヒトラーは死んだよ。エミー。これでもう私は最後まで忠実だったと彼に伝えることはできなくなったのだ。」(ヒトラーの自殺後、後妻エミーに漏らした言葉)<ref name="クノップ上91">クノップ、上巻91頁</ref>
*「総統に対する私の敬愛の念をことさら強調したいわけではないんだが、総統が最後に私をどう処遇されたかはキミも知っての通りだ。だが、彼は死ぬ前の一年間ほど、すべてを[[ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]に任せっきりにしてしまったんだと私は考えているんだ。」(ニュルンベルク裁判の際、心理分析官グスタフ・ギルバートに対して)<ref name="パーシコ上246">パーシコ、上巻246頁</ref>
*「ヒトラーが射殺命令を出したとは思っていませんよ。あの薄汚い豚野郎の[[:w:マルティン・ボルマン|ボルマン]]の仕業なんです。妻が私に影響を与えられることは色々とあるだろうが、私の基本的な行動規範まではどうかね。何があっても私は変わらんよ。男の世界の話だからな。女にはわからんさ。」(「貴方の奥さんは娘エッダにまで射殺命令を出したヒトラーへ忠誠を誓うのを止めさせたいと言っていましたが。」と述べたギルバートに対して)<ref name="パーシコ上134">パーシコ、上巻134頁</ref>
*「忠誠の誓いをたてたからには、それを破ることはできない。(中略)一度試してみたまえ。12年間皇太子の役を演じることを。常に王に忠誠を捧げ、王の進める政治活動の多くに同意できないままに、しかし反対することもできず、その状況から最善のことをしなければならないということを。」(グスタフ・ギルバートに語った言葉)<ref name="クノップ上83">クノップ、上巻83頁</ref>
*「たしかに、長い年月の間には、(ヒトラーの方針に)色々と承服できないこともあった。しかし1941年以降、ヒトラーには公の場以外ではほとんど会わなくなった。残虐行為があったとすれば、命じたのはヒムラーとゲッベルスに違いない。言っておくが、私は残虐行為が技術的に不可能だと思うし、可能だとしても、命じたのがヒトラーだとは思わない。ヒトラーの最期で一つだけ笑わせるのは、[[:w:エヴァ・ブラウン|エヴァ・ブラウン]]との感傷的な結婚式だ。御涙頂戴で芝居がかっており、いささかやり過ぎだ。あんなことは、やらずに済ませられただろうに。」(1946年5月27日、「ヒトラーに何か賛成できなかった点は?」という質問の答え)<ref name="ゴールデンソーン上109">ゴールデンソーン、上巻109頁</ref>
*「ドイツ国民はヒトラーのことを『我が総統』と呼び、私のことは『ヘルマン』と呼んだ。私は常にヒトラーより国民の心に近かったのだが、ヒトラーは偉大な指導者であるから、私は全面的に彼の計画に賛同した。ヒトラーは偉大な男ではあるが、ゲッベルスのような一部の部下に裏切られて、しまいには本当の友と偽りの友の区別がつかなくなってしまった。このことを私はキミに、そして世界に知らせたい。」(1946年5月28日)<ref name="ゴールデンソーン上115">ゴールデンソーン、上巻115頁</ref>
==== ユダヤ人について ====
*「私はウィーン市に直言したい。今日ウィーン市はドイツ人の都市と呼ぶに値しない。三十万人のユダヤ人が住んでいる都市がどうしてドイツ人の都市と言えようか。この都市は経済並びに文化の面で重要なドイツとしての使命を負っている。我々はこの二つの分野において、ユダヤ人の手を借りることは許されないのだ。ユダヤ人は一つのことをはっきりと理解すべきである。それは国外に退去しなければならないということである。」([[:w:オーストリア併合|オーストリア併合]]後の1938年3月23日、[[:w:ウィーン|ウィーン]]での演説)<ref name="モズレー下38">モズレー、下巻38頁</ref>
*「ドイツのユダヤ人全体には、醜悪な犯罪の罰として十億マルクの負担金が課される。遅滞があってはならない。ユダヤの豚どもに二度目の殺人(“一度目”は[[:w:エルンスト・フォム・ラート|エルンスト・フォム・ラート]]殺害のこと)をやらせてはならない。私はふたたび断言する。ドイツには一人のユダヤ人もいてほしくないと!」(1938年11月12日、[[:w:水晶の夜|水晶の夜]]事件の事件処理のための会議の席上での発言)<ref name="金森138">金森、138頁</ref>
*「私としては貴重な品物を壊されるぐらいなら、ユダヤ人を200人ほど殺してくれた方が良かったのだが。」(同上)<ref name="金森140">金森、140頁</ref><ref name="モズレー下48">モズレー、下巻48頁</ref><ref name="ヒルバーグ上36">ヒルバーグ、上巻36頁</ref>
*「先の1939年1月24日の指令で貴官に、移住と疎開という形で、時局に即した最も有利なユダヤ人問題の解決を図る任務をゆだねたが、これに追加して、私はここにヨーロッパのドイツ勢力圏におけるユダヤ人問題の全体的解決のため、必要なあらゆる組織的・実際的・物質的準備を行うことを、貴官に委任する。他の行政機関の権限に触れるときには、これらと協議しなければならない。さらに貴官に対して、ユダヤ人問題の最終解決を実行するための組織的・実際的・物質的措置に関する全体的計画を、早急に私のところに送るよう要請する。」(1941年7月31日、[[:w:ラインハルト・ハイドリヒ|ラインハルト・ハイドリヒ]]に「[[:w:ユダヤ人問題の最終的解決|ユダヤ人問題の最終的解決]]」を委任した文書の文章。ハイドリヒがユダヤ人絶滅にリーダーシップを取る根拠となった。ただしこの文書の文言はハイドリヒの[[:w:国家保安本部|国家保安本部]]で作成され、ゲーリングは署名しただけであるという。)<ref name="ヒルバーグ上304">ヒルバーグ、上巻304頁</ref>
*「ドイツ支配地域にユダヤ人がもはや居場所を見出してはならない。」(1941年8月)<ref name="クノップ上132">クノップ、上巻132頁</ref>
[[File:Hermann Goering - Nuremberg2.jpg|thumb|180px|ニュルンベルク裁判の際のゲーリング]]
*「ユダヤ人大虐殺について、私は実際に何も知らなかった。1943年以降、ユダヤ人に多くの犠牲者が出たことは報告されたが、私は報告者にあまり外国のプロパガンダ報道を聞くなと注意していた。200人とか2000人が殺されたという報道なら、私も場合によっては信じたかもしれない。だが数百万人が殺されたなどという報道は、私には全くあり得ないことのように思えた。」(1946年1月、ニュルンベルク裁判での拘禁中に)<ref name="金森134">金森、134頁</ref>
*「その演説(ニュルンベルク裁判で取り上げられたゲーリングの反ユダヤ演説)をしたのはゲッベルスと会話した後のことだ。閣僚が7、8人いる中でゲッベルスがヒトラーにあの男はユダヤ人をかばっていると讒言して私を挑発してきたのだ。その後私は様々な反ユダヤ計画を実行するよう命じられた。私の演説はそういう流れで出てきたものだ。それに法廷で読み上げられる箇所は私にとって不利なものだけだ。良い個所はすべて削除されていた。たとえば、ユダヤ人を餓死させるわけにはいかないと言ってる部分だ。この部分は法廷で読み上げられなかった。漠然とした反ユダヤ感情は全ドイツ国民が持たねばならなかった。ヒトラーの命令だった。」(1946年5月24日、法廷で取り上げられた反ユダヤ演説について聞かれて)<ref name="ゴールデンソーン上107">ゴールデンソーン、上巻107頁</ref>
*「1933年以前ユダヤ人にも非難されるべき点があった。一例をあげれば彼らは私個人に対してかなり無礼な言葉を使った。私の演説などユダヤ人が我々について言った言葉に比べればおとなしいものだ。連中はとてつもない嘘を吐き、汚い言葉を吐き、他人を誹謗中傷する。最初私はユダヤ系の新聞に書かれていた反ナチ運動を深刻には受け止めていなかったが、その運動が拡大して過激になっていくのを見て、こちらも対抗してそれまでより激しい表現を使うことを余儀なくされたのだ。しかし人を拷問するとか、絶滅させるとかは私の性に合わない。」(1946年5月24日)<ref>ゴールデンソーン、上巻107-108頁</ref>
*「私が反ユダヤ主義者だったことは一度もない。私の人生は反ユダヤ主義とは無縁だ。ナチ党が反ユダヤ主義だけの政党だったら、私は関心を持たなかっただろう。私がナチ党に惹かれたのは、強大なドイツを作り、ヴェルサイユ条約を打破するという主張だ。もちろん入党すれば、反ユダヤ主義も含めて党の綱領すべてに従わねばならなかった。なぜ私が反ユダヤ主義に反対しなかったのか、その答えは単純ではない。当時のドイツでは一般に、ヒトラーが成功するためには反ユダヤ的綱領を遂行する必要があると考えられていたからだ。ただ彼があれほど稚拙に反ユダヤ主義を遂行しなければ、我々の外交政策の多くはもっと成功していただろう。それは私も認めよう。彼にはこのことをたびたび注意した。こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるのは分かっている。反ユダヤ主義演説を行い、500万人のユダヤ人を虐殺した政権のナンバーツーが、どうして今になって自分は反ユダヤ主義者ではないなどと言えるのか、と。だが、これは本当のことだ。私だったらあのような政策はとらず、もっと穏便だったはずだ。このことの証明書類が二つある。しかしその書類を法廷に持ち込んでも、取り立てて効果はないだろう。検察側の手元には、反ユダヤ主義と解釈できる文書がいくらでもあるのだから。」(1946年5月24日)<ref name="ゴールデンソーン上109"/>
*「ヒトラーは天才で、強い性格だったにもかかわらず、暗示にかかりやすかった。ゲッベルスとヒムラーはそこに付け込んで、何百万人もの人を殺戮するためのガス室などという馬鹿げた計画を進めさせたに違いない。一つの人種を絶滅させることに、良心の痛みを感じないとしても、国内外から多くの批判を集めることぐらいは分かるだろうに。私は自分をモラリストだとは思わないが、騎士道精神は持っているつもりだ。ユダヤ人を殺して戦争に勝てるなら私はあまり思い悩まないだろう。だが、あれは本当に無意味だし、誰の利益にもならず、ただドイツの名を汚しただけだ。女性や子供の殺害は紳士のやることではないと思う。彼らはたまたまゲッベルスのヒステリックなプロパガンダの犠牲になっただけなのだ。私は死後に天国に行くとも地獄に行くとも思っていない。敬虔な者が信じているような事を私は信じない。だが、私は女性を尊敬しているし、子供の殺害はスポーツマンらしくないと思う。これが私がユダヤ人虐殺について思い悩んでいることだ。」(1946年5月28日)<ref name="ゴールデンソーン上131">ゴールデンソーン、上巻131頁</ref>
==== 妻カリンについて ====
*「私が威張り散らすのも、一生懸命働くのも、壮大なものにとり憑かれたようになっているのも、みんな根は一つなんだ。カリンが私のために捨てた生活を、彼女に取り戻してもらおうと、私は決意していたんだ。」(1931年に最初の妻カリンが死去した際に涙ながらに姪に語った言葉)<ref name="パーシコ下130">パーシコ、下巻130ページ</ref>
==== プロイセン州内相として ====
*「警察は国家に敵対する組織の活動に対し、もっとも痛烈な手段を持って戦い、必要とあれば、躊躇なくピストルを使用する。現在、警察官のピストルから発射される弾丸は、どれも私の弾丸だ。」(1933年3月5日、プロイセン州警察のナチ化を完成させたことへの意気込み)<ref name="クノップ上79"/>
==== 空軍総司令官として ====
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1979-089-22, Hermann Göring und Paul Conrath.jpg|thumb|180px|1942年。ゲーリングと[[パウル・コンラート]]少将 ([[:de:Paul Conrath|Paul Conrath]])]]
*「私は名目上、航空委員長だが、実際には戦後最初の航空相なのだ。私は1918年に(リヒトーホーフェン大隊の)みんなと別れた時の約束を必ず実行してみせる。ドイツ空軍を再び持つのだ。今のところはまだ軍用機は駄目だ。理由は分かっているだろう。ヴェルサイユ条約が今でも効力を有しているからだ。しかし総統があの条約を破棄する政治的な準備ができ次第、私は用意を整えておきたいのだ。私には一緒に仕事をしてくれる信頼のおける友人が必要だ。もう一度私の副官となってくれないか?」(リヒトーホーフェン大隊でゲーリングの副官を務めていたカール・ボーデンシャッツを1933年に、副官に改めて勧誘した時の言葉。ボーデンシャッツはこの言葉に感動し、即座に承諾した。)<ref name="モズレー下206">モズレー、下巻206頁</ref>
*「国民の自由を達成し、国家の力を確保するためなら、多少の快適さをあきらめてもたいして大きな犠牲ではない。軍備を増強すればするほど、我々の安全は保障され、攻撃される可能性も減少する。総統はじめ我々指導者は自分でできないことをあなたがた国民に要求したりはしない。脂肪の取りすぎは、太りすぎの腹を作る。私自身バターの量を減らして10キロやせた。」(1935年)<ref name="パーシコ上97">パーシコ(1996年版)、上巻97頁</ref>
*「航空省で誰がユダヤ人かは私が決める。」(1933年。ユダヤ人とのうわさがあった部下[[:w:エアハルト・ミルヒ|エアハルト・ミルヒ]]をかばった言葉)<ref name="図説ドイツ空軍全史138">『歴史群像 第2次大戦欧州戦史シリーズ Vol. 26 図説ドイツ空軍全史』138ページ</ref>
*「もし敵の爆撃機がドイツの国境を超えるような事があれば、私のことを『ヘルマン(旦那)』ではなく『丁稚小僧』と呼んでくれ。」(ルール地方とライン地方を視察した際に)<ref>パーシコ(1996年版)、上巻76・250頁</ref>
*「この戦争が終わって、ドイツが1933年の国境線を維持できていれば、我々は喜ばねばならないだろう…。」(1942年終わり。この頃にはドイツの敗戦を予期していたと思われる)<ref name="クノップ上82">クノップ、上巻82頁</ref>
*「我が総統!スターリングラードの第6軍に対する空輸作戦は、私が個人的に保証いたします。信用下さって結構です。」(1942年11月)<ref name="クノップ上137">クノップ、上巻137ページ</ref>
==== ジョーク ====
*「ドイツ人は一人なら、立派な人間だ。ところが二人寄ると同盟 (bund) を作り、三人寄れば戦争を始める。イギリス人は一人なら阿呆な人間だ。二人寄るとクラブを作り、三人寄れば帝国を作り上げる。イタリア人は一人ならテノールだ。二人寄ると二重奏をはじめ、三人寄れば退却する。日本人についていえば、一人の日本人は神秘だ。二人寄っても神秘だし、三人寄っても…やっぱり日本人は神秘そのものだ!」(1945年10月29日、ニュルンベルク裁判での拘禁中にアメリカ軍精神分析官[[:w:ダグラス・ケリー|ダグラス・ケリー]]少佐に)<ref name="モズレー下169">モズレー、下巻169頁</ref>
==== ニュルンベルク裁判関連 ====
*「他国には独立国の政府を裁く権利はないと思う。しかも被告は寄せ集めの、政権の代表とは言えない者ばかりだ。私が初めて聞いたような取るに足らない者までいる。ドイツを動かしていたナチの大物の中に私を含めたのは正しいと認めよう。しかしなぜ[[:w:ハンス・フリッチェ|フリッチェ]]がいるのだ? 彼は宣伝省内に何人もいた局長の一人に過ぎない。それに何の罪も犯していない[[:w:ヴァルター・フンク|フンク]]のような者まで含まれている。彼は命令に従っただけであり、命令を下したのはこの私だ。さらには[[:w:ヴィルヘルム・カイテル|カイテル]]も裁判を受けている。彼は陸軍元帥と呼ばれているが、ヒトラーの命令には何でも従う小物に過ぎない。被告の中で裁判にかけられるに値する大物がいるとすれば、私、[[:w:ヒャルマル・シャハト|シャハト]]、それからヒトラーの非力な追随者に過ぎないが、たぶん[[:w:ヨアヒム・フォン・リッベントロップ|リッベントロップ]]、また[[:w:ニュルンベルク法|ニュルンベルク法]]を提案した[[:w:ヴィルヘルム・フリック|フリック]]ぐらいだ。ひょっとすると他の数名、たとえば[[:w:アルフレート・ローゼンベルク|ローゼンベルク]]と[[:w:アルトゥル・ザイス=インクヴァルト|ザイス=インクヴァルト]]も含めてもよいかもしれない。残りは全て手下であって自分の意思で行動することなどなかった。参謀本部の起訴もお笑い草だ。あの軍人たちは戦争遂行の謀議に加わっておらずドイツ軍人なら誰でもそうするように命令に従っただけだ。謀議が存在したとすれば、それに関与したのはすでに死んだり行方不明になった者たちばかりだ。[[:w:ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]、[[:w:ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]、[[:w:マルティン・ボルマン|ボルマン]]、それからもちろんヒトラーだ。私は常々ボルマンを粗野なやくざ者と思っていたし、ヒムラーも信用したことがない。私なら二人とも解雇していただろう。
:……共同謀議に対する告発は、笑止千万だ。すべての出発点は[[w:ヴェルサイユ条約|ヴェルサイユ条約]]にあり、ドイツが国家としての尊厳を回復するための行動をとらざるを得なくなったという事実にある。[[w:ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]は失敗だったし、私はいわゆる[[w:民主主義|民主主義]]にうんざりした。あの政治形態はアメリカではうまく機能するのかもしれない。しかしドイツには向かない。我々ドイツ人は政治に無関心だし非常に単純なので、選挙を行えばその時々で好きな方向へ揺り動く可能性がある。そういうわけで私は[[:w:指導者原理|指導者原理]]が正しいと思っている。ドイツ人はこれまでも強力な指導者を求め続けてきたし、同様にこれからもそういう指導者を必要とするだろう。」(1946年5月28日)<ref>ゴールデンソーン、上巻129-130頁</ref><ref name="ゴールデンソーン上134">ゴールデンソーン、上巻134頁</ref>
*――判決が出るまでたっぷり話す時間がありますな
:「“死刑判決が出る前に”かね? 死ぬことなど何でもない。私が気にかけているのは、歴史における私の評価だ。だから私はね、[[w:カール・デーニッツ|デーニッツ]]が降伏文書に署名することになったのを喜んでいるんだよ。敗北を受け入れた指導者を国民が高く評価することはあり得ないからな。死についてどう思うかって? ふん、私は12歳の頃から死を恐れたことはないんだよ。」(アメリカ陸軍心理分析官[[w:グスタフ・ギルバート|グスタフ・ギルバート]]大尉に対して)<ref name="パーシコ上252">パーシコ(1996年版)、上巻252頁</ref>
*「もちろん、一般市民は[[w:戦争|戦争]]を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に曝したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それは分かっている。しかし、結局、政策を決定するのは[[w:政府|国の指導者達]]であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、[[w:ファシズム|ファシスト的独裁制]]だろうと、[[w:議会制|議会制]]だろうと[[w:スターリニズム|共産主義的独裁制]]だろうと、常に簡単なことだ。」
:――一つだけ違いがある。民主主義体制では国民は代表を通じて意見出来るしアメリカでは[[w:アメリカ合衆国議会#権限|議会だけが宣戦する権利がある]]
:「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、[[w:平和主義|平和主義]]者については、彼らは[[w:愛国心|愛国心]]がなく[[w:売国奴|国家を危険に曝す人々]]だと[[w:プロパガンダ#戦争遂行のためのプロパガンダ|公然と非難]]すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」(同じくギルバート心理分析官に対して、1946年4月18日)<ref name="Gilbert 270">Gilbert、270ページ</ref>
*「いったん政権についてからはいかなる状況の下でもこの政権を守り通そうと決意しました。選挙や議会内で多数を占められるか、などにいちいち左右されたくなかったのです。」(裁判において)<ref name="1996年版ニュルンベルク軍事裁判下94">『ニュルンベルク軍事裁判 下』(1996年版)94ページ</ref>
*「ある人種が他の人種に対して支配民族と自称する事に対し、私が同意を表明したことは一度もありません。そうではなくて、私は人種の相違を強調しただけです。」(裁判において)<ref name="クノップ上83"/>
*「人は誰でも死ななければならない。だが殉教者として死ぬということは不死になるということだ。キミたちは我らの遺骨を、いつの日か大理石の柩に納めることになるだろう。」(通訳の一人に対して)<ref name="クノップ上148">クノップ、上巻148ページ</ref>
*「私には、アメリカ合衆国が自らの戦時動員計画を事前に出版したという記憶はありませんね。」(法廷で、主任検事[[:w:ロバート・ジャクソン (法律家)|ロバート・ジャクソン]]の尋問「[[w:ラインラント進駐|ラインラントの再武装計画]]を外国に隠していたのではないか」に対して。この供述にジャクソンは激しく狼狽した)<ref>パーシコ(1996年版)、下巻106頁</ref>
*――ドイツ軍は[[w:交戦規定|交戦規定]]を守っていたか
:「[[w:ジュネーブ協定|ジュネーブ協定]]や[[:w:ハーグ陸戦条約|ハーグ協定]]と言った条約は、近代戦争によって踏みにじられました。私は、ここで、我々にとって最大かつ最強で、もっとも重要な敵対者の言葉を引きたいと思います。イギリスの[[:w:ウィンストン・チャーチル|ウィンストン・チャーチル]]首相はこういいました――『生死を懸けた戦いでは、結局のところ、法律は存在しない』。」(裁判で。この供述に焦った[[w:ジェフリー・ローレンス (初代オークシー男爵)|ジェフリー・ローレンス]]裁判長は休廷を宣言した)<ref name="パーシコ下98">パーシコ(1996年版)、下巻98頁</ref>
*「検察側は、上位者への黙従を強制する階層構造が、[[:w:アウシュヴィッツ強制収容所|アウシュヴィッツ]]や[[:w:マウトハウゼン強制収容所|マウトハウゼン]]などの[[:w:絶滅収容所|絶滅収容所]]を産み出したと主張しています。しかし『[[:w:指導者原理|指導者原理]](フューラープリンツイプ)』は手堅い管理手法であるに過ぎません。権限は上から下へ渡され、責任は下から上へと至るのです。こうした考え方はナチ党だけのものでしょうか。同様の例を挙げたいと思います。指導者原理は、[[:w:カトリック教会|カトリック教会]]と[[:w:ソビエト連邦人民委員会議|ソ連政府]]が基盤においている原則と同じものなのであります。」(裁判で。ゲーリングはこの供述と共にソ連検察の方を向いてうなずいた)<ref name="パーシコ下98"/>
*「[[:w:元帥 (ドイツ)#国家元帥|ドイツ国家元帥]]が[[w:絞首刑|絞首刑]]になるわけにはいかない。そんなことはドイツの為に許すことは出来ない。故に私は偉大なる[[:w:カルタゴ|カルタゴ]]の勇将[[:w:ハンニバル|ハンニバル]]のやり方で、死を選ぶ。(中略)私の身体検査にあたった者を責めるべきではない。なぜならカプセルは事実上発見不可能だったからだ。もし発見されたとしてもそれは単なる偶然だっただろう。追伸、ギルバート博士こそ処刑方法を[[w:銃殺刑#概要|銃殺刑]]にしてくれという私の嘆願が却下されたとわざわざ伝えに来てくれた人である」(遺書より)<ref name="クノップ上148"/>
=== 人物評 ===
==== 身近な人物から ====
*「この子は将来偉大な人物か大犯罪者になるだろう。」(少年期のヘルマンについて。母フランツィスカ)<ref name="クノップ上88">クノップ、上巻88ページ</ref>
*「ゲーリングは模範的な生徒である。そして彼は将来を大いに期待させる素質を発展させている。彼は危険を冒す事を恐れない。」(カールスルーエ幼年士官学校の最後の成績表に書かれている記述)<ref name="モズレー上30">モズレー、上巻30ページ</ref>
*「ヘルマンについて確実に言えることが一つある。一度彼が自分のヒーローを選んだら、どのような逆境にあろうとも、そのヒーローを支持することだ。」(ヘルマン・フォン・エーペンシュタインの名付け子ハンス・ティリング教授)<ref name="モズレー上29">モズレー、上巻29頁</ref>
*「初めて見たときから私は彼が好きになった。そうなるのは難しいことではなかった。彼が子供には慣れていないことはすぐにわかったし、初め彼は遠慮がちだった。しかし彼は(当時子供だった)私を他の大人と同じように一人前に扱ってくれ、私がしゃべっている間も真剣に耳を傾けてくれた。彼は私たちを大いに笑わせ、ことに飛行機での冒険をふざけて語るときにはそれが著しかった事を覚えている。私には父が彼をすっかり気に入ってしまったことが分かった。母はどうかと言うと彼女は片時も彼から目を離さないことが分かった。当時私はその事を言葉で表現できなかったが、彼女が彼を愛していることを感じとっていた。」(ゲーリングの前妻カリンの子トーマス・フォン・カンツォフ)<ref name="モズレー上82">モズレー、上巻82頁</ref>
==== 他のナチ党幹部から ====
*「すばらしい!勲功章(プール・ル・メリット勲章)を受章した戦場の英雄とは。想像してみたまえ!これ以上はないほどの宣伝だ!そのうえ彼は金持ちで、私には一文の金の心配も無くなるのだ。」(アドルフ・ヒトラー。1922年。ゲーリングに初めて出会った際に語った言葉)<ref name="クノップ上92">上巻92ページ</ref>
*「ゲーリングと話をしていると温泉につかっているような気分になる。その後には元気回復だ。彼は物事を伝える際に、心躍らせる方法を心得ているのだ。」(1940年、ヒトラー。アルベルト・シュペーアに対して語った言葉)<ref name="クノップ上124">クノップ、上巻124頁</ref>
*「ゲーリング! 空軍は何の役にも立たん。貴官の責任だ。貴官が怠けているからだ!」(1943年、ヒトラー)
*「私にはわかっていた。ゲーリングは信用できない。奴は空軍をめちゃくちゃにした。奴は腐っている。奴が率先して我が国を腐らせた。それに加えて奴は何年も前からモルヒネ中毒だ。私にはとっくにわかっていた。」(1945年、ゲーリングの『裏切り』に激怒したヒトラー)<ref name="クノップ上145">クノップ、上巻145ページ</ref>
[[File:Bundesarchiv Bild 102-10547, Berlin, Goebbels und Göring.jpg|thumb|250px|国会へ向かう[[:w:ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]とゲーリング。1930年10月]]
*「ゲーリングと激しくやりあった。あの胸糞悪い男は、ますます党を分裂させていく。まったく頭に麦わらがつまっているように愚鈍だし、おまけにヒキガエルのように怠惰だ。奴はいままで他の人間を軽蔑的に扱っていた。昨日は私にまでそんな態度を取ろうとした。」(1929年のヨーゼフ・ゲッベルスの日記。)<ref name="クノップ上97">クノップ、上巻97ページ</ref>
*「最も厳しい戦いの最中に彼の手から愛する妻を引き裂かれた時、彼の表情は石となった。しかし彼は一瞬たりとも揺らぎはしなかった。真剣にしっかりと、総統の盾持ちである彼は自分の道をさらに進んだ。子供の心を持つこの断固たる兵士…。」(1933年1月29日付けのゲッベルスの日記。カリン死去後のゲーリングの働きについて)<ref name="ジークムント60">ジークムント、60頁</ref>
*「胸のすくような果断さを持って、ゲーリングはプロイセンを片づけた。彼は実に過激なことをやってのける力と熾烈な闘いに耐え抜くだけの神経を備えている。」(1933年のゲッベルスの日記。ゲーリングのプロイセン統治への評価)<ref name="クノップ上98">クノップ、上巻98頁</ref>
*「ゲーリングが来た。胸糞悪い老いぼれ。将軍になりたいのだ。すぐにでも元帥にしてやればいい。遠大な計画を抱いているのか。奴は厚かましくも偉そうな態度で、皆をないがしろにする。デブめ、さっさと立ち去ってくれ。」(1933年のゲッベルスの日記)<ref name="クノップ上82">クノップ、上巻82ページ</ref>
*「航空戦における我が国の劣勢は壊滅的だ。総統はそのことで大層悩んでおられる。特に直接的にも間接的にもその責任がゲーリングにあるという点で。それでも総統はゲーリングに対して不利なことを企てる術がない。なぜならそれによって国家と党の権威が、ひどく損なわれることになりかねないからだ。」(1944年6月6日、ゲッベルスの日記)<ref name="クノップ上143">クノップ、上巻143頁</ref>
*「あちこちで提案されていることだが、空軍の指揮権を海軍に移して、[[:w:カール・デーニッツ|デーニッツ]]に任せてはどうだろう。」(1945年のゲッベルスの日記)<ref name="クノップ上357">クノップ、上巻357頁</ref>
*「残念なことだが、デーニッツのような男が党を代表するのではなく、党はゲーリングに代表されているのだ。この男と党のかかわりと来たら、雌牛と放射線研究のかかわりと同レベルだというのに。」(1945年のゲッベルスの日記)<ref name="クノップ上122">クノップ、上巻122頁</ref>
*「ヒトラーと同じく、ゲーリングにも私は弱かった、と認めねばなるまい。私が彼と知り合った時、彼は魅力的で高い知性の持ち主だった。その後も私はずっと、彼はただの個人主義者とか、奇人とかではないと思っていたし、病気だとか邪悪な男だとも思わなかった。」(1979年、[[:w:アルベルト・シュペーア|アルベルト・シュペーア]])<ref name="クノップ上91"/>
*「ゲッベルスとゲーリングは、もちろん陰謀もめぐらしてはいたが、粗暴ではなかった。この二人は非常に知的だった。ただゲーリングは墜落していた。けれどもそれはもしかしたら病気のせい、モルヒネ中毒のせいかもしれなかった。もう知るすべもないが。ゲッベルスは腐っていなかった。ただ恐ろしいほどに危険な男だった。」(1979年、アルベルト・シュペーア)<ref name="クノップ上90">クノップ、上巻90頁</ref>
==== 空軍の部下達から ====
*「1934年・1935年のゲーリングと1942年・1943年のゲーリングは、非常に異なった現象である。30年代にはエネルギーにあふれ、自覚を持った闘争的な人格であったが、40年代には疲れて怒りっぽい男になり、祖国の使命から遠く逃げ出し、もはや意志を貫徹することができなかった。」(空軍元帥[[:w:アルベルト・ケッセルリンク|アルベルト・ケッセルリンク]])
*「ドイツ空軍総司令官として、誰よりもゲーリングは、西部において当時失われていた制空権を現有の勢力で回復することは不可能であることを明確に理解しておくべきだった。ドイツ空軍は対ソ作戦によってその能力の限界以上まで酷使されていたからである。この時点以降になされたことは、いわゆる『元金に手をつける』という状態になっていた。ドイツの航空産業はこれほどの大規模戦争に対処できなかったし、失われた搭乗員の補充能力もなかった。」(空軍中将[[:w:アドルフ・ガーランド|アドルフ・ガーランド]])<ref name="モズレー下113">モズレー、下巻113頁</ref>
==== 外国人から ====
*「彼は、稚気を帯びた人好きのする人物である一方、いまだに血気盛んな[[w:エース・パイロット|エースパイロット]]の雰囲気を漂わせている。彼にはおびただしい数の画家や彫刻家の友人がいる。この点でゲーリングは、ルネサンス時代のイタリアの王子を思わせる。」(1938年に駐独アメリカ大使が本国にあてて書いたゲーリング評)<ref name="パーシコ上148">パーシコ(1996年版)、上巻148頁</ref>
*「ゲーリングは敏感で、傷つきやすかった。そんなとき彼は[[:w:ギリシア神話|ギリシア神話]]の[[:w:アキレウス|アキレウス]]のように自分の屋敷に引き上げてしまった。けれどもヒトラーが彼を呼び戻し、肩を叩きながら『私の善良なゲーリング』とでも言おうものなら、喜びの余り彼の顔を紅潮して、そしてすべては忘れ去られた…。」(駐独フランス大使アンドレ・フランソワ=ポンセ([[:en:André François-Poncet|en]]))<ref name="クノップ上116">クノップ、上巻116頁</ref>
*「周りの者を支配し、攻撃的で冷酷である反面、時として優しい面も見せるなど、陽気で社交的なところもあり、被告の中ではただ一人、真に指導者的な人物。」(ニュルンベルク裁判の際にゲーリングの精神分析をしたアメリカ軍精神分析医ダグラス・ケリー少佐)<ref name="パーシコ上238">パーシコ(1996年版)、上巻238頁</ref>
*「ゲーリングの独善的で古臭い価値観はあらゆる事に及び、女性に対する騎士的な態度にまで表れている。おもてむきは、ことさら腰を低くして、保護者のようにふるまい、寛大なところを見せながら、その裏には利己的な目的が隠されており、その目的の妨げとなる、めめしい人道主義的な価値など認めていないのだ。」(ニュルンベルク裁判の際にゲーリングの精神分析をしたアメリカ軍心理分析官グスタフ・ギルバート中尉)<ref name="パーシコ下134">パーシコ(1996年版)、134頁</ref>
== 参考文献 ==
*[[レナード・モズレー]]著、[[伊藤哲]]訳、『第三帝国の演出者 <small>ヘルマン・ゲーリング伝</small> 上』、1977年、[[早川書房]]
**レナード・モズレー著、伊藤哲訳、『ゲーリング <small>第三帝国の演出者</small> 上』、1980年、[[ハヤカワ文庫]](文庫版)
*レナード・モズレー著、伊藤哲訳、『第三帝国の演出者 <small>ヘルマン・ゲーリング伝</small> 下』、1977年、早川書房
**レナード・モズレー著、伊藤哲訳、『ゲーリング <small>第三帝国の演出者</small> 下』、1980年、ハヤカワ文庫(文庫版)
*[[ジョセフ・E・パーシコ]]著、[[白幡憲之]]訳『ニュルンベルク軍事裁判 上』、1996年、[[原書房]]、ISBN 978-4562028641
**ジョセフ・E・パーシコ著、白幡憲之訳『ニュルンベルク軍事裁判 上』、2003年、原書房(新装版)、ISBN 978-4562036523
*ジョセフ・E・パーシコ著、白幡憲之訳『ニュルンベルク軍事裁判 下』、1996年、原書房、ISBN 978-4562028658
**ジョセフ・E・パーシコ著、白幡憲之訳『ニュルンベルク軍事裁判 下』、2003年、原書房(新装版)、ISBN 978-4562036530
*[[ラウル・ヒルバーグ]]著、[[望田幸男]]・[[原田一美]]・[[井上茂子]]訳、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 上巻』、[[1997年]]、[[柏書房]]、ISBN 978-4760115167
*ラウル・ヒルバーグ著、望田幸男・原田一美・井上茂子訳、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 下巻』、1997年、柏書房、ISBN 978-4760115174
*[[グイド・クノップ]]著、[[高木玲]]訳、『ヒトラーの共犯者 上 <small>12人の側近たち</small>』、2001年、原書房、ISBN 978-4562034178
*[[金森誠也]]著、『ゲーリング言行録 <small>ナチ空軍元帥おおいに語る</small>』、2002年、[[荒地出版社]]、ISBN 978-4752101284
*[[レオン・ゴールデンソーン]]著、[[小林等]]・[[高橋早苗]]・[[浅岡政子]]訳、『ニュルンベルク・インタビュー 上』、2005年、[[河出書房新社]]、ISBN 978-4309224404
*『歴史群像 第2次大戦欧州戦史シリーズ Vol. 26 図説ドイツ空軍全史』、2007年、[[学研]]、ISBN 978-4056047899
*[[アンナ・マリア・ジークムント]]著、[[平島直一郎]]・[[西上潔]]訳、『ナチスの女たち 秘められた愛』、2009年、[[東洋書林]]、ISBN 978-4887217614
*Gustave M. Gilbert著、『Nürnberger Tagebuch: Ehemaliger Gerichts-Psychologe beim Nürnberger Prozeß gegen die Hauptkriegsverbrecher』、2009年、Fischer、ISBN 978-3596218851(ドイツ語=英語原版、Gustave Mark Gilbert著、『Nuremberg Diary』(1947) Farrar, Straus and Company: New York からの翻訳)
== 出典 ==
{{reflist}}
{{Wikipedia|ヘルマン・ゲーリング}}
{{DEFAULTSORT:けえりんくへるまん}}
[[カテゴリ:ドイツの政治家]]
[[カテゴリ:ドイツの軍人]]
[[Category:犯罪者]]
[[Category:1890年代生]]
[[カテゴリ:1946年没]]
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橋下徹
0
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wikitext
text/x-wiki
{{Sakujo|主題の存命人物ひとりの語録を主な内容とする記事であり、著作権侵害の疑い濃厚}}
[[File:Tōru Hashimoto.jpg|thumb|橋下徹|橋下徹 (2011)]]
[[w:橋下徹|橋下徹]](1969年(昭和44年)6月29日 - )は、日本のタレント、弁護士(大阪弁護士会所属 登録番号25196)。日本維新の会創設者。同党法律政策顧問(2022年3月まで)。第19代大阪市長、民選第17代大阪府知事。
{{-}}
==主な発言==
*国が事前に危険な奴を隔離できないなら、親が責任を持って危険な我が子を社会から隔離すればいいんだ。他人様の子どもの命を奪うほどの危険性がある奴に対しては、そいつの親が責任を持って、事前に世の中から抹殺せよ!(中略)苦渋の決断で我が子を殺した親に対しては、世の中は拍手を送ってもいいだろ。国に代わって、世の中に代わって、異常・危険分子を排除したんだからね。(中略)「親に、子どもの命を処分してもいい権利を与えよ」というと、『親の虐待を助長することに繋がる』と反論する人が出てくるだろうね。だけど、親に究極の権利を与えると、かえって虐待も防ぎやすくなるんだよ
**自著「まっとう勝負!」95ページ
*なんで「国民のために、お国のために」なんてケツの穴が痒くなるようなことばかりいうんだ! 政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。(中略)別に政治家を志す動機付けが権力欲、名誉欲でもいいじゃないか! だって人間、他人のために自分を犠牲にできる奴などなかなかいないよ。(中略)海千山千の相手をねじ伏せる仕事を、真実一路のお坊ちゃま君でやっていけるか! ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ! ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!
**同上、181ページ
*交渉の途中で自分の発言の不当性や矛盾に気づくことがたまにある。運悪く相手に気づかれてしまったら仕方がない。このとき私が多く使うテクニックがある。相手に無益で感情的な論争をわざと吹っかけるのだ。散々話し合いを荒らしまくって最後に決めゼリフに持っていく。「こんな無益な議論はもうやめましょうよ。こんなことやってても先に進みませんから」自分が悪いのにこうやって終わらせてしまうのである。これは有効だと思う。
**自著「最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術―かけひきで絶対負けない実戦テクニック72」(改版で「図説 心理戦で絶対負けない交渉術」)中の記述
*私は、交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。自身のミスから窮地に陥ってしまった状況では特にそうだ。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない。
**同上
*オーケーしたことは反故にしていくし、責任転嫁も徹底的にする。「今回の問題でまとまらないのは、まあ、結局はおたくのせいなんだよ」ということをあらゆる手段を講じながら相手に見せていく
**同上
*(僕を気に入らない・僕が間違っている・僕に文句がある)なら次の選挙で落とせばいい
**事ある毎に
*東京を飛び越えてニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、バンコク、そういうところに並んでいく大阪というものを目指そうとする。これが大阪都構想賛成派。
**タウンミーティングなどで
*刑罰をもって愛国心の醸成。なんたるグロテスク政党。維新は完全に中国化、北朝鮮化してきたな。それでもって中国や北朝鮮を批判。笑えない笑い話や。
**2026年6月、「国旗損壊罪」法案を維新議員が「愛国心醸成の為」と発言したことについて。なお、維新を立ち上げ、“卒業・入学式で3回「君が代」を歌わなかったら免職”という府条例を制定させたのは自身でもある。
*お前みたいな学者が日本を滅ぼすんや!! 何の役に立っているかの評価も受けない税金のタダ飯食らいが!! なんで学者ってこうも偉そうなんや。何の役に立つかも分からん研究をいかにも意味があるように装って研究費を引っ張る学者が世の中に多数。こういう輩も立派な詐欺師や。
**2024年7月13日ツイート。石丸伸二の選挙戦術を評した藤井聡の「詐欺と同じ」「その国は滅びるしかない」に対して
*蓮舫議員「ボーナス300万円」確保して都知事選へ…支給日をめぐる「意外な真相」とは➡︎僕は2011年12月に大阪府知事から大阪市長に転じる際、あと数日でボーナスが支給されると聞いて、慌てて辞職した。もちろんボーナスは受け取らず。蓮舫さん、悪しき慣行をリセットしてや
**2024年6月1日ツイート。橋下が選挙出馬の為に辞職したのは11月でボーナス支給の一月も前。蓮舫への批判には全くなっていない。
*クルマって言いますけど、陸送しているクルマがそのまま飛ぶわけじゃない。中国の技術でも無理。これはドローンなんですよ。はっきりと有人ドローン、人乗りドローンですと言わないと、おそらく空飛ぶクルマって言うと、クルマ走れないじゃん、ウソやんかって、言う人が出てくる。……お金は大阪府と大阪市でたっぷりある。金は大阪で出すと明確に言えば、全国の人は納得できる
**2024年4月21日、フジテレビ系「[[w:日曜報道 THE PRIME|日曜報道 THE PRIME]]」で
*戦争指導こそが政治家にとって最も重要な能力。合理性のない威勢だけの政治は国を滅亡に導く。やらないよりましだが、日本のこの程度の支援ではウクライナの勝利を導くことは不可能。本質的問題を避けてピックアップトラック20台の提供をことさらアピールするのは、一有権者からすると一番やって欲しくない政治。政治家のやっている感での自己満足政治に感じる
**2024年2月24日ツイート
*岸田さんは1400万円をもらっても、全然そこには配慮しないって言うんですけど、いやそんな人間、信用できますか?むしろ。普通は1400万円をもらったら、ちょっとは“ありがとうございます”って気持ちになるじゃないですか。道徳心あるんですかね、逆に。(政党交付金があるにも関わらず)それでも政治家は、未だにこうやって企業・団体から献金を受け取ってる。ただ、これね、野党は追及、なかなかやりにくいんです。というのは、野党も企業団体献金もらってるからなんです。日本維新の会は企業団体献金を禁止するというのをやっているので……だから、質問できるんですね。
**2023年11月27日、フジテレビ「めざまし8」で。日本共産党も野党で、企業献金・団体献金を一切受け取っておらず、これは明らかな虚偽。翌日、小室瑛莉子アナウンサーが放送法に基づき[[w:お詫び放送|訂正・謝罪放送]]をする事態に発展した
*「無駄遣い」って経済学者や政治家が言うんですけど、これ350億円のうち、誰かが不当に利益を得てるんだったら、そこは追及すべきなんです。基本は木材の材料費、それから工賃。ということは森林事業者にお金がまず行くんですよ。それから建設費ということで、資材高騰費だけじゃなく人工(にんく)費といって人員数を増やさないと、賃金を上げないといけない。だからまさにみんな国会議員が言ってた、財政出動による賃金アップの具体的政策がこれなんです。木材費でお金が流れたり、建設費で工賃として行くんだったら、まさに経済政策やんかって。これ一般式で弾き出したトータルの経済効果は、2兆5000億円なんです。外国から国内から来られた方が消費するのが大体1兆円。2850億とか3000億円で、3兆円の経済効果を出す経済政策ってもう日本にないんですよ。これに対して「無駄だ、無駄だ」って言うんだけど、何か経済効果を生むには投資が必要なわけだから。投資額による効果額の倍数を見てよと。これ以上の経済政策はない。僕は2年後答え合わせしたらいいと思う。今、反対してる人、名前全部リストアップしてるから。
**2023年11月18日、ABEMA TV「News BAR橋下」で、関西万博の大屋根が批判されていることについて
*これは武力を使わない、ガチンコの政治戦争だから。情報戦争。日本も勝ちに行かなくてはならない。……出入国審査のときに入国条件で「ホタテを食え」と。ホタテ10個。それで「ホタテおいしいおいしい!」っていう映像を撮って。「無料でどんどん食べてください」って映像撮って。ガンガンネットやら何かで流させよう。外国人観光客で中国の人がたくさん来られるから、やっぱり福島のことを見てもらいたいし、それから海産物も食してもらいたいし、それがいちばんだと思う、まずは。
**2023年8月26日、ABEMA TV「News BAR 橋下」で。福島第一原発の汚染水が希釈された上で三陸沖に放出され、これに反発した中国や太平洋諸国で日本の海産物が忌避されている件について
*民間の会社について当事者に対するヒアリングや確認もせずに一方的に批判する立憲民主党を批判するのは納税者として、コメンテーターとして当然。あんたらの生活費、政党交付金は我々民間が納税して支えてるねんで。勘違いしたらあかん。
**2023年7月17日ツイート
*ウクライナ、外国人部隊編成へ 国外から志願募集(ロイター)ゼレンスキー大統領「これが、あなたがたのわが国への支持の重要な証になる」と述べた。➡︎私はウクライナとともにある!ウクライナは徹底抗戦せよ!と言っていた者はウクライナに行って戦え。日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まってもクソの役にも立たない。ウクライナとともにあると威勢よく言っていた国会議員は直ちにウクライナに行って戦え。それが本当に日本人を守るのか口だけなのかのリトマス試験紙。おそらく日本の国会議員のほとんどは行かないだろう。俺はウクライナに行く勇気はない。だからロシアに譲歩することになろうがNATOの指導者に政治的妥結を求める。もちろん今後のロシアの暴挙には国連憲章51条の集団的自衛権の行使が前提。ウクライナを支援する日本政府はウクライナに行く日本人の渡航費用を予算化せよ。威勢のいいことを言う資格がある者は志願兵になる者だけだ。志願兵になれないのならNATOの指導者に政治的妥結を促せ。日本の国会議員は何人が志願兵になるのだろうか。
**2022年2月27日ツイート
*新自由主義的か福祉国家的かと基本的政治スタンスを二者択一で決めることは愚か。現実はそんな単純ではない。既得権打破の改革・切磋琢磨の強調と教育格差の是正・現役世代への重点投資を両建てでやってきた結果、大阪では自民党に対峙できる維新が存在するようになった。謙虚に維新政治を勉強すべき。ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度。まあ今回は弁舌の巧みさということでお褒めの言葉と受けっておくが。それよりも強い野党を本気で作る気があるなら、大阪では自民に圧勝している維新政治を謙虚に研究すべき
**菅直人の「(維新の政治家達は)橋下氏を始め弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」に対して。2022年1月26日
*変な言い訳をしない。これが維新。
**2021年11月15日、吉村洋文の「僕自身、6年前に国会議員の身分を捨て、橋下市長の後を受けて、大阪市長選挙に挑戦しました。その際、議員辞職日が10月1日だったので、記憶が曖昧ですが、文通費を受けています。今回の文通費のおかしさを僕自身が取り上げています。ケジメがつきませんから、6年前のことですが、満額寄付を致します。」をリツイートして。
*もうこういう非生産的な政治批判コメントからメディアも変わるべき。やったことに関して是々非々でしっかり論評すべき。メディアが変わらなければ政治も変わらない
**2021年9月30日、池上彰が番組で岸田文雄について「誰の話を聞くのかという話」と述べたのに対して
*錦織(圭)さんも今、日本換算で2万人の感染者がいるイタリアで普通にテニスをして、普通に生活をしているんですよ。感染者が出ないところでオリンピックをやるべきだと言うけど、じゃあ、イタリアはどうなの?って。少ない情報源の中からいろいろ聞くと、イタリアはこんな連日、連日、コロナの報道をしていないんですね。多分、錦織さん、今、イタリアが2万人規模の感染者数って分かってないんじゃないかと思います。結局、日本の連日の報道が悪いこととは言いませんけど、この感染者数を軽く扱ってはいけないんだけど、もっと耐えられる国にならなきゃいけないし、もっと、耐えられるんじゃないかって。最終的には医療状況の逼迫でみんなが危ないよね、抑えなきゃいけないよねってなっているけど、イタリアはどうですか? 実数で1万人、日本の国の規模にして2万人の感染者数でも何にも問題になっていない。何かがおかしいと思うんですよ
**2021年5月11日、「ゴゴスマ」で
*僕は去年から “一斉検査して陽性者が出たら隔離しろ” と言い続けてきた
**2021年5月2日、出演した番組で。2020年3月、「全員検査なんか本当に重症化する様な人以外は必要無い。若年層・壮年層は家で寝てればいいんだ」と言った事はなかったことにしている
*ワクチンは化学兵器テロに対する対応策として開発された経緯もあり、日本学術会議が軍事研究の禁止などをやっている国で早急に開発なんてできない
**2021年4月13日、BS-TBS「報道1930」で
*万博が実現したのは松井(一郎)さんの政治力。[[安倍晋三|安倍]]さんのおちょこに酒をついで「必要ですよね総理」と口説いた。お酒をつぎ倒して実現した
**2020年11月29日、松井一郎や吉村洋文も出席したフォーラム「万博2025 どうなる日本? どうする大阪!」で
*これから事実がドンドン明らかになってくると思うが、住民の判断を惑わす報道が住民投票直前になされた疑いがあるならば、3回目の住民投票をやらざるを得ないだろう。疑いを晴らせ!といつも強く言っている毎日新聞が、今回は疑いを晴らす番だ。
**2020年11月19日ツイート。2週間前には「3度目はないと思う」と報道各社に語っていた。
*僕のことはキライでもいい。でも、大阪が一つになるラストチャンスなんです。――大阪都に不安を感じるかもしれません。でも、課題があれば改善していけばいいんです。72年前、東京府と東京市が東京都になってから今に至るまで、幾度も改善を重ねてきたように、重要なことは、一歩を踏み出すこと。大阪都となって、みんなで力を合わせて、この街をどんどん良いかたちにしていきましょう。――
**“大阪都住民投票”の宣伝ポスター
*投票率も高齢者の方が高いので、今の選挙制度では高齢者の方に目を向けるようになってしまいます。僕の持論は、産まれてからの子供達にも一票を与える。その子供達が選挙権が行使出来ないので、親が行使する
**2020年11月2日、TBSテレビ「グッとラック!」で発言。選挙権・被選挙権の代理行使は認められておらず公選法違反にもなる
*日本学術会議はまず学者の会費で運営すべき。政治から口を出されることは一切なくなる。そしてしょうもない団体なら会費が集まらず終了になるし、意義のある団体なら会費も寄付も集まる。今は当事者の学者や一部インテリたちだけが、「学術会議には意義がある!」と叫んでいるだけ
**2020年10月7日ツイート
*学者がよく口にするアメリカとイギリス。両国の学者団体には税金は投入されていないようだ。学問の自由や独立を叫ぶ前に、まずは金の面で自立しろ。年1500円ほどの会費で今の予算は確保できる。学士院の終身年金も時代にそぐわない。文科省は何をやってきた!前川喜平が次官になるようなダメダメ役所だ
**2020年10月6日ツイート 実際にはアメリカ・ナショナルアカデミーオブサイエンス、イギリス王立協会始め、各国のアカデミー全て政府補助金が出ている。また学術会議は会員と連携会員合わせて2500人しかおらず、これでは300万円にしかならない
*10万円は生活保障。給料、ボーナスがびた一文減らないことが確実な人には給付する必要はありません。生活保護受給権者も。スピード実務のために全世帯に申請用紙を配布するにしても、受給禁止とルール設定するのが政治の役割。高額所得者には税で事後的に回収すればいい。
**2020年4月21日、音喜多駿のツイートをリツイートして
*インフルエンザは 日本国内で1,000万人の感染者。そして1万人が亡くなっている。亡くなった方には申し訳ないがインフルエンザは報道されない。社会で暮らそうと思えばリスクはある。 交通事故、震災、感染症、インフルもある。今、1人感染者が出たら大騒ぎしているが大騒ぎする必要はない。感染症に強くなるためには、みんなが免疫を持つこと。元気な人たちが感染して抗体を持てば、集団免疫を持って落ち着く。重症化する人は守らなきゃいけないけど、元気な人は皆感染してもいいんじゃないの?
**2020年3月5日、「直撃!シンソウ坂上」で
*PCRは本当に重症化する様な人には必要だけど一般の人には必要無い。10~40位の人は普通の風邪のような感じで家で寝とけって政府がバシッと言えばいい。全員検査なんてやらなくていいのに煽るから。やってどうする? 家で寝とけ!
**2020年3月、COVID-19蔓延に関して。ところが自身は喉の違和感だけで診療所に掛かった
*まずいなと思ったことの記録を廃棄したり書き換えたりする、安倍政権、自民党、国会議員の悪い癖はもう止めよう。時代が変わったので、桜を見る会はもう止めます、これまですみませんでした、で十分。民主党もやっていたのだから、とにかく来年から止めると決めることで十分。
**2019年11月、「[[w:桜を見る会|桜を見る会]]」が総理大臣後援会のパーティーと化していた疑惑が浮上したことについてツイート
*絶対に沖縄。僕はもう政治家をやるつもりはないけど、仮にやれと言われたら、国会議員でも都知事でもなく、沖縄県知事だね(笑)。
**文藝春秋2019年2月号で[[w:三浦瑠麗|三浦瑠麗]]に“沖縄と東京、やるならどっちの知事?”と問われて
*僕、もう、辻元清美のクソババアだけは許せないですよ
**2018年12月、ABEMA TV「news BAR 橋下」にて発言 辻元は自分の事務所で架空の秘書を雇ったことにして給与資金を詐取、刑事処分を受けている
*先ほど[[w:松井一郎|松井]]さんと話しまして、日本維新の会の法律顧問を辞しました。大阪での大阪維新の活動を理解することなく、ふざけた物言いをする[[w:丸山穂高|丸山]]のボケ国会議員がいるところと付き合うと精神衛生上良くないので。僕はちっちゃい人間ですから、こういう国会議員が一番嫌いなんです。
**2017年10月26日のツイート
*米国が核戦争を覚悟しているか、尖閣という小さな島のために米兵の血を流す覚悟をしてくれているかについては疑問に思っている。米国から剛速球を投げ、自立を求め、在日米軍の撤退を言えば日本人、在日米軍基地に反対といっていた朝日新聞や毎日新聞は大慌てだ。米国が日本のために血を流し、日本は米国のために血を流すのが本来の日米同盟の基礎だ。日米同盟の深化に「普通の民間人、普通の国民」として取り組む。
**2017年3月27日、アメリカ・戦略国際問題研究所で
*豊洲問題。これから豊洲の安全性がどんどん証明されてくるだろう。地下水管理システムが稼働する前に、すでに地下に溜まっている水が飲めるほどの水とは、凄すぎる。さあ、バカ騒ぎしたメディアがどう収めるか。都庁の意思決定の問題、説明不足の問題、環境アセスの手続きの問題にすり替えるだろうね。
**2016年9月24日のツイート
*私人のときの出馬するかしないかや、政治家が引退した後の人生について、こんなこといちいち国民に約束する話ではないし公約でもない。嫌なら選挙で落とせばいいだけ。政治家は公約には完全に縛られる。公約を実行するためにありとあらゆる手段を執る。僕は人の良い道徳家ではないが、公約は実行する。
**2015年9月7日にツイート
*だってそれはもう、政治ですから。負けは負け。ここは公務員と違うところです。昨日の街頭演説では戦を仕掛けたわけですから。「叩き潰す」と言って叩き潰された。民主主義、大変素晴らしいですよ。メディアも含めて徹底議論した。負けたのに命を取られない政治体制は、日本はすばらしい。僕はこのまま生きて別の人生を歩めるわけですから。絶対に民主主義は是が非でも守らなくてはいけない。そのためには報道ですよ。報道の自由は絶対に守らないといけない。僕もメディアにはやいのやいの言ってるけど、報道の自由が民主主義を支える根幹ですから。メディアの皆さんにも頑張ってもらいたいし、素晴らしい政治体制だと思いますね。
**“[[w:大阪都構想|大阪都構想]]”が住民投票で否決された事を受けての政治家引退声明を「悔いはないか」と問われて
*こんな最高の終わり方、ないじゃないですか。ボロカスにやられたらシュンとするけど、こんなありがたいことないですよ。本当に悔いがないし、総力戦でやってくれて、最後結論がこうなって、これはトップとしてありがたい話はないです。本当に納得できる。
**“大阪都構想”が住民投票で否決されて
*本当に残念で仕方ない。パワハラは反省すべきだとは思うが、府教委職員は全く指示に従わなかったと聞いている。とんでもない話だ。第三者調査チームの報告はでたらめだ。中原氏の証言が一切採用されていない。名誉に関わるので思う存分言った方が良い。2年間で改革の道筋を付けてくれた。
**2015年3月11日、[[w:中原徹|中原徹]]・府教育長がパワハラで辞職した件について
*温かい汁物やカレーなども出している。僕の子供が「餌だ」と言ったら大激怒する。飽食時代を象徴しており、国の崩壊につながりかねない。食育をして、教育しなおすべきだ。(中略)僕は、ご飯一粒残したら、親に怒られていた。農家の人にどれだけ失礼なことなのか。(中略)アフリカや北朝鮮の子供たちに比べ、感謝の気持ちを持たないとだめだ。(中略)福田先生もこんなこと言われたらガツンと怒らないとだめだと思いますよ。
**2015年2月27日市議会で、中学校の学校給食(業者の仕出形式)が生徒に不評であることを福田賢治に問われて。福田は視察した際、生徒達から「これは食事じゃない、餌だ」とまで意見されたという
*[[w:押し付け憲法論|憲法改正は絶対必要だ]]。もう[[安倍晋三|安倍総理]]しかできないと思う。・・・・・・その予行練習ですよ、[[w:大阪都構想|大阪都構想]]は。
**2015年1月15日、記者会見で
*政党機関紙で集めたお金も、ある意味[[w:政党助成金|政党助成金]]と同じようなもん。反対っていうなら、「[[w:しんぶん赤旗|赤旗]]」廃止してください。
**2014年11月28日の会見で、[[w:日本共産党|日本共産党]]が政党助成金の廃止を訴えていることについて問われ
*大阪の財界人は大阪で金を稼いで、住むのは西宮、芦屋だ。大阪に戻ってきてもらわないと駄目だ。高層ビルはレジデンスをオーケーにした。皆さん、愛人の2~3人も住まわせて新しい船場にしてもらいたい。愛人専用の宝石店やブティックが周辺に出来る。
**2014年4月7日、大阪市内で企業経営者を相手に講演した中で<ref>[http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014040701002309.html 「愛人かこって」と橋下氏 高層マンション建設なら] 共同通信</ref>。発言が報じられて批判されたために「僕流のジョークだ」と釈明。
*国会議員には自民党に対抗する政党を作ってもらいたい。・・・・・・維新だけで過半数というのは非現実的だ。
**2013年10月12日、都内で行なわれた党国会議員団政策研修会にて。
*そこに朝日新聞記者がいるけど、朝日や毎日の新聞や、その他のテレビが“大誤報”をやってくれたおかげだ。そのバス停にいる人が、名前は言わないけど朝日新聞の記者。
**2013年7月15日、寝屋川駅前での街頭演説で。
*コメンテーターは何の責任も負わない。言いっ放しで済む。判断の誤り、見立ての誤りについて何の責任も負わない。何を言っても批判される厳しい状況では、見解を述べることを回避できる。逃げれる。しかし政治家は常に、あらゆることに責任を負う。逃げは許されない。これが決定的な違いだ。
**2013年6月17日ツイート。しかし政治家引退後は自身がその“言いっ放しで何の責任も負わずに済むコメンテーター”と化している。
*こういうところで人間性というのが一番表れてくるんでね。選挙のことしか考えていない。
**2013年5月20日夜。渡辺喜美・みんなの党代表が参議院議員選挙での協力解消を決めた事に対し。
*[[w:日本の慰安婦|慰安婦]]を容認したことは一度もない。日本がやっていたことは悪い。でも世界各国がやっていた。日本だけを「性奴隷」として責任を押しつけるのは違うでしょ、一緒に反省しましょう、ということだ。・・・・・・米国が「日本が性奴隷を使っている」という言葉を改めた。国務省全体に嫌われて非常に光栄だ。ボクは米国が好きだが。・・・・・・日本国民は「橋下出ていけ」と言うから、日本国民と握手できるか分からない
**2013年5月18日、TBS「みのもんたのサタデーずばッと」で<ref>[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130518/plt1305181429002-n1.htm “逆ギレ”橋下氏、卑屈発言を連発!「日本国民と握手できるか…」 (1/2ページ)] 夕刊フジ2013年5月18日</ref>
*日本人の読解力不足が原因だ。今回は大誤報をやられた。朝日新聞なんか最低だ。毎日新聞も最低だ。(朝日記者「新聞記者は言葉の定義にこだわる」)一言一句を全部チェックしろというなら明日から囲みを止める。
**2013年5月17日夜、大阪市役所で<ref>[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130518/plt1305181429002-n2.htm “逆ギレ”橋下氏、卑屈発言を連発!「日本国民と握手できるか…」 (2/2ページ)] 夕刊フジ2013年5月18日</ref>
*銃弾が雨嵐の如く飛び交う中で命を懸けて走って行く時に、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる。日本軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度を活用していた。韓国とかいろんなところの宣伝の効果があって、レイプ国家だと見られてしまっているところが一番問題。謝るところは謝って、いわれなき評価については、言うべきことは言わなきゃいけない。
**2013年5月13日、大阪市役所で<ref>[http://archive.is/20130702224736/mainichi.jp/select/news/20130513k0000e010170000c.html 維新・橋下共同代表:「慰安婦制度は必要だった」] 毎日新聞、その他報道各社</ref> この後、「普天間に行った時に、沖縄の海兵隊の司令官にもっと風俗業を活用して欲しいと言った」。
*護憲派ほどうさんくさいものはない。[[w:日本国憲法|今の憲法]]が絶対的に正しいと思っている。国民がどのような価値観を持っていてもよいというのが、憲法の一番の根幹だ。分からないから国民投票で決める。
**2013年5月9日、記者会見で<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/652946/ 橋下氏「護憲派はうさんくさい」 発議要件緩和の必要性重ねて訴え] 産経新聞2013年5月9日</ref>
*そもそも竹島問題も、李承晩ラインを引かれ、その後韓国が竹島に建造物を設置し、着実に実効支配を積み重ねたときにそれを阻止できなかったのも自民党。それを全部棚に上げて、「国防軍」という名称が重要だって?しかも連立相手の公明党は反対。もうむちゃくちゃ。
**2012年11月24日ツイート。自民党の結党は1955年で、この当時は吉田自由党内閣。
*もみ上げつまんで引き上げる位はいい。胸ぐらつかまれたら放り投げる位はオッケー。蹴られた痛さ・腹をどつかれた痛さが分かれば歯止めになる
**2012年10月、大阪市の教育振興基本計画に関する有識者会議で、何を禁止されている体罰とし、何が容認されるかについて
*竹中さんの考え方に僕は大賛成ですから。竹中さんは言われなき批判を受けたり、事実誤認の批判を受けて来た。基本的には竹中さんの価値感、哲学と僕らの価値感、哲学は全く一緒。
**2012年9月27日、竹中平蔵が日本維新の会の総選挙候補者選定委員長に就いたことについて
*市長の顔色を窺わなくて誰の顔色を窺うんですか
**2012年4月13日、市議会財政総務委員会で
*市の交通局のバス運転手が、今までとち狂ったような給料で生活していた。給与を民間並みに引き下げるべき
**2012年2月
*政治に無関心なら税金は回ってこない。票になるところに税金が回っている
**2012年1月9日 大阪市の成人式にて新成人に対して発した発言
*政治は夢がなければ。夢に向かってみなさんと歩みたい
**2011年11月20日 大阪市長選の街頭演説での発言
*運転手、看護師、保育士、給食調理員、警備員……ここが民間と比べて物凄く高い。大阪市では、ここの組合に応援を受けていた平松前市長まで、全く改革できず。僕が市長になってから、現業職の給与見直しをやっているが民間ときちんと比較できる物差しがない。これは国を挙げてやる問題だ。
**2012年11月12日ツイート 8年後の2020年、大阪市は人員削減が禍いして、COVID-19の蔓延により医療崩壊の危機に瀕している
*まずは大阪のかたちを変える。今までの体制ではお先真っ暗。大阪府庁と大阪市役所と言う巨大な行政機構を再編する。これくらいのことができずに道州制など実現できるわけがない。
**2011年11月09日 自身のツイッター上での発言。府知事選で倉田候補の「まず国が方針を決めなければ大阪都構想など無理」を受けて
*すなわち政治を鍛えるのは当然のこととして、メディアの質が国の政治の質を左右することを知事の経験から確信した。
**2011年11月09日 メディアと政治の関係について 自身のツイッター上での発言 「――新聞の社説一本、有名キャスターのコメント一つが、日本の政治・行政を動かす現場を見てきた。政権中枢ですら新聞の社説一本で動く。知事がどんなに騒いでも何にも動かないのに」と続けた。
*大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る。
*日本の政治の中で一番重要なのは独裁ですよ。独裁といわれる位の力、これが日本の政治に一番求められる
*大阪は日本の副首都を目指す。 そのために今、絶対にやらなければいけないのは、“大阪都”をつくることだ
**2011年6月29日、大阪市内のホテルで行われた政治資金パーティーで、府知事・市長のダブル選挙に関して<ref>「独裁者の橋下です」[https://www.sankei.com/column/news/150519/clm1505190007-n1.html 1/2] 産経新聞論説副委員長・別府育郎コラム「風を読む」、2015年5月19日</ref>。大阪都構想に反対する大阪市を抵抗勢力だとして「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と締めくくった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110630-OYT1T00014.htm 橋下知事、市の「権限、力、お金をむしり取る」]読売新聞(2011年07月05日再閲覧)</ref><ref>[http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110630-OYO1T00187.htm「ダブル選、トリプルスコアで」 橋下・大阪府知事が気勢]読売新聞(2011年07月05日再閲覧)</ref>。
**尚、橋下は「独裁ではないか」という指摘に対して「こんなキュートな独裁者いますか?」と言い返すことがある<ref>http://datazoo.jp/tv/ビートたけしのTVタックル/549374 TVでた蔵 2012年3月5日放送 21:00 - 21:54テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』</ref>。しかし、独裁者は常に強面とは限らない。社会民主党のCM案にもあったように、「本当に怖い事は、最初、人気者の顔をしてやって来る」。
*政治活動に公務員が首をつっこんでくるのはおかしい。負けたときは一族郎党どうなるか。我々が勝ったときには覚悟しとけよ。闘いの掟だ。
**2010年12月
*ギャンブルを遠ざけてお坊ちゃまの国になっている。ちっちゃいころからギャンブルを積み重ね、勝負師にならないと世界に勝てない。猥雑なものやエンターテインメントは全て大阪が引き受ける。政治判断もある種のギャンブル。先進国こそギャンブルが必要で、国民全員を勝負師にする必要がある
**2010年10月28日、ギャンブリング・ゲーミング学会総会で
*こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持って来て、どんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける。
**2009年10月26日、大阪市内で企業経営者ら750人を前にして講演
*口で言って聞かないなら手を出さなきゃしょうがない。どこまでを教育と見るかは家庭と地域のコンセンサス。
**2008年10月26日、大阪府と大阪府教育委員会が主催した討論会で
*今の日本は自己責任が原則ですよ。誰も救ってくれない。この自己責任を求められる。おかしいというならこの国を変えるか出るしかない
**2008年10月23日、大阪の高校生達との討論会で、「大阪の財政をよくすることは、私達が苦しむことなんですか?」と涙ながらに質されて
*口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる
**2008年10月18日 陸上自衛隊伊丹駐屯地で行われた陸上自衛隊中部方面創隊48周年記念行事の祝辞にて
**同年10月03日付の「橋下TV発言 弁護士資格を返上しては」という朝日新聞の社説への批判だったと橋下は説明している<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081019-00000545-san-soci 橋下知事「朝日新聞のような大人増えれば日本はだめになる」 2008年10月19日21時29分配信 同年10月30日閲覧 産経新聞]</ref>
*汗をかかない方は去って下さってかまいません
**2008年2月の大阪府知事選の街頭演説での発言
*僕は育児に家事、何もしないですよ。子供は単に玩具感覚の可愛さです。(中略)何もしない。完全にキム・ジョンイル体制。将軍様ですもん。(中略)僕は子供をつくるまでが好きなのかなあ。
**「女性自身」2006年10月17日号インタビュー
==出典==
===脚註===
<references/>
===その他参照===
アプリケーション『大阪市長 橋下徹の名言』(Wmapps)
==関連項目==
{{wikipedia}}
*[[安倍晋三]]
*[[石原慎太郎]]
{{DEFAULTSORT:はしもと とおる}}
[[カテゴリ:市長|はしもととおる]]
[[Category:1960年代生|はしもととおる]]
[[カテゴリ:日本維新の会の政治家]]
[[カテゴリ:都道府県知事]]
[[カテゴリ:存命人物]]
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利用者:配合比全额更好(说说而已)
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