Wikisource jawikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.46.0-wmf.24 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikisource Wikisource・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク 作者 作者・トーク Page Page talk Index Index talk TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Event Event talk ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス 0 50135 241739 241284 2026-04-26T22:17:37Z 村田ラジオ 14210 校正 241739 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について | section = ヒエロニムス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/導入|導入]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス|ゲンナディウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3}} <!-- [[Category:キリスト教]]--> [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} ==内容== *[[/序文|序文]] *[[/人物一覧|人物一覧]] #[[/第1章 シモン・ペテロ|第1章 シモン・ペテロ]] #[[/第2章 主の兄弟ヤコブ|第2章 主の兄弟ヤコブ]] #[[/第3章 マタイ、姓はレビ|第3章 マタイ、姓はレビ]] #[[/第4章 ヤコブの兄弟ユダ|第4章 ヤコブの兄弟ユダ]] #[[/第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた|第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた]] #[[/第6章 バルナバ、姓はヨセフ|第6章 バルナバ、姓はヨセフ]] #[[/第7章 福音伝道者ルカ|第7章 福音伝道者ルカ]] #[[/第8章 福音伝道者マルコ|第8章 福音伝道者マルコ]] #[[/第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ|第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ]] #[[/第10章 ヘルマス|第10章 ヘルマス]] #[[/第11章 ユダヤ人のフィロン|第11章 ユダヤ人のフィロン]] #[[/第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ|第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ]] #[[/第13章 マティアスの息子ヨセフス|第13章 マティアスの息子ヨセフス]] #[[/第14章 ティベリアのユストゥス|第14章 ティベリアのユストゥス]] #[[/第15章 司教クレメンス|第15章 司教クレメンス]] {{註|第4代ローマ司教}} #[[/第16章 司教イグナティオス|第16章 司教イグナティオス]] {{註|アンティオキア}} #[[/第17章 司教ポリュカルポス|第17章 司教ポリュカルポス]] {{註|スミルナ}} #[[/第18章 司教パピアス|第18章 司教パピアス]] {{註|ヒエラポリス}} #[[/第19章 司教クアドラトゥス|第19章 司教クアドラトゥス]] {{註|アテネ}} #[[/第20章 哲学者アリスティデス|第20章 哲学者アリスティデス]] {{註|アテネ}} #[[/第21章 アグリッパ・カストル|第21章 アグリッパ・カストル]] #[[/第22章 歴史家ヘゲシッポス|第22章 歴史家ヘゲシッポス]] #[[/第23章 哲学者ユスティノス|第23章 哲学者ユスティノス]] #[[/第24章 司教メリトン|第24章 司教メリトン]] {{註|サルディス}} #[[/第25章 司教テオフィロス|第25章 司教テオフィロス]] {{註|アンティオキア}} #[[/第26章 司教アポリナリオス|第26章 司教アポリナリオス]] {{註|ヒエラポリス}} #[[/第27章 司教ディオニュシオス|第27章 司教ディオニュシオス]] {{註|コリントス}} #[[/第28章 司教ピニュトス|第28章 司教ピニュトス]] {{註|クレタ島グノソス}} #[[/第29章 異端の指導者タティアノス|第29章 異端の指導者タティアノス]] #[[/第30章 司教フィリッポ|第30章 司教フィリッポ]] {{註|クレタ島ゴルティナ}} #[[/第31章 ムサヌス|第31章 ムサヌス]] #[[/第32章 モデストス|第32章 モデストス]] #[[/第33章 異端の指導者バルダイサン|第33章 異端の指導者バルダイサン]] #[[/第34章 司教ウィクトル|第34章 司教ウィクトル]] {{註|ローマの第13代司教}} #[[/第35章 司教エイレナイオス|第35章 司教エイレナイオス]] {{註|リヨン}} #[[/第36章 哲学者パンタイノス|第36章 哲学者パンタイノス]] #[[/第37章 ロドン、タティアノスの弟子|第37章 ロドン、タティアノスの弟子]] #[[/第38章 長老クレメンス|第38章 長老クレメンス]] {{註|アレクサンドリア}} #[[/第39章 ミルティアデス|第39章 ミルティアデス]] #[[/第40章 アポロニウス|第40章 アポロニウス]] #[[/第41章 司教セラピオン|第41章 司教セラピオン]] {{註|アンティオキア}} #[[/第42章 元老院議員アポロニウス|第42章 元老院議員アポロニウス]] #[[/第43章 もう一人の司教テオフィロス|第43章 もう一人の司教テオフィロス]] {{註|パレスチナのカエサレア}} #[[/第44章 司教バキュロス|第44章 司教バキュロス]] #[[/第45章 司教ポリュクラテス|第45章 司教ポリュクラテス]] {{註|エフェソス}} #[[/第46章 ヘラクレイトス|第46章 ヘラクレイトス]] #[[/第47章 マクシモス|第47章 マクシモス]] #[[/第48章 カンディドゥス|第48章 カンディドゥス]] #[[/第49章 アピオン|第49章 アピオン]] #[[/第50章 セクストス|第50章 セクストス]] #[[/第51章 アラビアヌス|第51章 アラビアヌス]] #[[/第52章 ユダ|第52章 ユダ]] #[[/第53章 長老テルトゥリアヌス|第53章 長老テルトゥリアヌス]] {{註|カルタゴ}} #[[/第54章 オリゲネス、姓アダマンティウス|第54章 オリゲネス、姓アダマンティウス]] #[[/第55章 アンモニオス|第55章 アンモニオス]] #[[/第56章 助祭アンブロシオス|第56章 助祭アンブロシオス]] #[[/第57章 オリゲネスの弟子トリフォン|第57章 オリゲネスの弟子トリフォン]] #[[/第58章 ミヌキウス・フェリクス|第58章 ミヌキウス・フェリクス]] #[[/第59章 司教ガイウス|第59章 司教ガイウス]] {{註|ローマ司教}} #[[/第60章 司教ベリロス|第60章 司教ベリロス]] {{註|アラビアのボストラ}} #[[/第61章 司教ヒッポリュトス|第61章 司教ヒッポリュトス]] {{註|教区不明}} #[[/第62章 司教アレクサンデル|第62章 司教アレクサンデル]] {{註|エルサレム司教}} #[[/第63章 ユリウス・アフリカヌス|第63章 ユリウス・アフリカヌス]] #[[/第64章 司祭ゲミヌス|第64章 司祭ゲミヌス]] #[[/第65章 テオドロス、通称司教グレゴリオス|第65章 テオドロス、通称司教グレゴリオス]] 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II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome" を翻訳 --> bcsdhf6wfmoh6dx74kgik0yf128i0l3 241795 241794 2026-04-27T08:34:08Z 村田ラジオ 14210 校正 241795 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について | section = ヒエロニムス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/導入|導入]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス|ゲンナディウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3}} <!-- [[Category:キリスト教]]--> [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} ==内容== *[[/序文|序文]] *[[/人物一覧|人物一覧]] #[[/第1章 シモン・ペテロ|第1章 シモン・ペテロ]] #[[/第2章 主の兄弟ヤコブ|第2章 主の兄弟ヤコブ]] #[[/第3章 マタイ、姓はレビ|第3章 マタイ、姓はレビ]] #[[/第4章 ヤコブの兄弟ユダ|第4章 ヤコブの兄弟ユダ]] #[[/第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた|第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた]] #[[/第6章 バルナバ、姓はヨセフ|第6章 バルナバ、姓はヨセフ]] #[[/第7章 福音伝道者ルカ|第7章 福音伝道者ルカ]] #[[/第8章 福音伝道者マルコ|第8章 福音伝道者マルコ]] #[[/第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ|第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ]] #[[/第10章 ヘルマス|第10章 ヘルマス]] #[[/第11章 ユダヤ人のフィロン|第11章 ユダヤ人のフィロン]] #[[/第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ|第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ]] #[[/第13章 マティアスの息子ヨセフス|第13章 マティアスの息子ヨセフス]] #[[/第14章 ティベリアのユストゥス|第14章 ティベリアのユストゥス]] #[[/第15章 司教クレメンス|第15章 司教クレメンス]] {{註|第4代ローマ司教}} #[[/第16章 司教イグナティオス|第16章 司教イグナティオス]] {{註|アンティオキア}} #[[/第17章 司教ポリュカルポス|第17章 司教ポリュカルポス]] {{註|スミルナ}} #[[/第18章 司教パピアス|第18章 司教パピアス]] {{註|ヒエラポリス}} #[[/第19章 司教クアドラトゥス|第19章 司教クアドラトゥス]] {{註|アテネ}} #[[/第20章 哲学者アリスティデス|第20章 哲学者アリスティデス]] {{註|アテネ}} #[[/第21章 アグリッパ・カストル|第21章 アグリッパ・カストル]] #[[/第22章 歴史家ヘゲシッポス|第22章 歴史家ヘゲシッポス]] #[[/第23章 哲学者ユスティノス|第23章 哲学者ユスティノス]] #[[/第24章 司教メリトン|第24章 司教メリトン]] 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司教プリスキリアヌス]] #[[/第122章 ラトロニアヌス|第122章 ラトロニアヌス]] #[[/第123章 ティベリアヌス|第123章 ティベリアヌス]] #[[/第124章 司教アンブロシウス|第124章 司教アンブロシウス]] {{註|ミラノ}} #[[/第125章 司教エヴァグリオス|第125章 司教エヴァグリオス]] {{註|アンティオキア}} #[[/第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス|第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス]] #[[/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教|第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教]] #[[/第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある|第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある]] {{註|ニュッサ}} #[[/第129章 長老ヨハネ|第129章 長老ヨハネ]] {{註|アンティオキア}} #[[/第130章 司教ゲラシオス|第130章 司教ゲラシオス]] #[[/第131章 司教テオティモス|第131章 司教テオティモス]] #[[/第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官|第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官]] #[[/第133章 司教アンフィロキオス|第133章 司教アンフィロキオス]] #[[/第134章 ソフロニオス|第134章 ソフロニオス]] #[[/第135章 長老ヒエロニムス|第135章 長老ヒエロニムス]] :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス#内容|トップに戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome" を翻訳 --> or9fogi6qs3tdzr742rtovgrdn282pc 聖パスハの奉事 0 51010 241737 228903 2026-04-26T21:07:57Z 村田ラジオ 14210 第5歌頌 241737 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|wikisource:宗教|hide=1}} {{header |title = 聖パスハの主日及び全光明週間の{{r|規定|カノン}}<br>(聖パスハの奉事) | 年 = 1909 | override_author = ハリストス正教会本会 | override_translator = | noauthor = | previous = | next = | notes = *底本: ハリストス正教会本会 訳『連接歌集』,ハリストス正教会本会,明42.1. {{NDLJP|825416/1/160}}(p.310より) *原文の「ヘルワィム」は「ヘルヴィム」に改めた。 }} {{Textquality|25%}} {{resize|140%|<b>聖パスハの主日及び全光明週間の{{r|規定|カノン}}</b>}} {{resize|85%|{{r|讃詞|トロパリ}}}}、<u>ハリストス</u>死より復活し、死を以て死を{{r|滅|ほろぼ}}し、墓に在る者に{{r|生命|いのち}}を{{r|賜|たま}}へり。{{resize|85%|其他定則の如し。}} ::{{resize|85%|聖務長規定を始む、<u>ダマスクのイオアン</u>師の作。イルモス四段に、{{r|讃詞|トロパリ}}十二段に。後詠隊{{r|各|おのおの}}{{r|復|また}}イルモスを歌ふ。{{r|畢|おわ}}りて両詠隊共に{{r|共頌|カタワシャ}}として同イルモス}}「復活の日」。 ::{{resize|85%|其後{{r|讃詞|トロパリ}}}}「<u>ハリストス</u>死より復活し」、{{resize|85%|三次。(他の日には其定則に遵ふ)。}} {{resize|110%|{{r|規定|カノン}}。第一調。}} ::{{resize|120%|第一歌頌}} ::{{resize|120%|第二歌頌}} ::{{resize|120%|第三歌頌}} {{resize|85%|イルモス、}}{{r|来|きた}}りて、新しき{{r|飲料|のみもの}}を飲むべし、{{r|生|う}}まざる石より奇蹟にて{{r|出|い}}ださるるに非ずして、我等の{{r|固|かため}}なる<u>ハリストス</u>の、不朽の{{r|泉|いづみ}}を{{r|涌|わ}}かしし墓より{{r|出|いだ}}さるる者を。 {{r|今|いま}}天と地と地獄とは{{r|皆|みな}}光に{{r|満|み}}たされたり、{{r|故|ゆえ}}に{{r|萬物|ばんぶつ}}は{{r|其|その}}{{r|固|かため}}なる<u>ハリストス</u>の{{r|起|お}}くるを{{r|祝|いわ}}ふべし。 <u>ハリストス</u>よ、{{r|我|われ}}{{r|昨日|きのう}}{{r|爾|なんぢ}}と{{r|偕|とも}}に{{r|葬|ほうむ}}られ、{{r|今日|きょう}}{{r|爾|なんぢ}}復活せし者と{{r|偕|とも}}に{{r|起|お}}く。{{r|昨日|きのう}}爾と{{r|偕|とも}}に十字架に{{r|釘|くぎ}}うたれたり、救世主よ、{{r|爾|なんぢ}}の国に{{r|於|おい}}て、{{r|親|みづか}}ら我に{{r|爾|なんぢ}}と{{r|偕|とも}}に光栄を受けさせ給へ。 {{r|潔|いさぎよ}}き{{r|者|もの}}よ、{{r|爾|なんぢ}}より生れて、{{r|四|し}}{{r|極|きょく}}に光を{{r|輝|かがや}}かしし{{r|主|しゅ}}の{{r|仁|じん}}{{r|慈|じ}}に{{r|由|よ}}りて{{r|我|われ}}{{r|今日|こんにち}}{{r|不朽|ふきゅう}}の{{r|生命|いのち}}に{{r|至|いた}}る。 {{r|純潔|じゅんけつ}}{{r|無玷|むてん}}なる{{r|童貞女|どうていじょ}}よ、{{r|爾|なんぢ}}が身にて生みし神の、{{r|其|その}}{{r|言|い}}ひし如く、死より起きたるを見て楽しめ、彼を神として{{r|崇|あが}}め{{r|讃|ほ}}めよ。 ::{{resize|85%|{{r|連祷|れんとう}}。}} ::{{resize|85%|{{r|応答歌|イパコイ}}、第四調。}} <u>マリヤ</u>と{{r|偕|とも}}に{{r|在|あ}}りし{{r|女等|おんなたち}}は{{r|黎明|よあけ}}より{{r|墓|はか}}に{{r|来|きた}}り、{{r|石|いし}}の{{r|移|うつ}}されたるを{{r|見|み}}て、{{r|天使|てんし}}より{{r|聞|き}}けり、{{r|永遠|えいえん}}の{{r|光|ひかり}}に{{r|居|お}}る{{r|者|もの}}を{{r|何|なん}}ぞ{{r|人|ひと}}の{{r|如|ごと}}く{{r|死|し}}{{r|者|しゃ}}の{{r|中|うち}}に{{r|尋|たづ}}ぬる、{{r|斂葬|ほうむり}}の{{r|衣|ころも}}を{{r|見|み}}て、{{r|急|いそ}}ぎて{{r|世界|せかい}}に{{r|傳|つた}}へよ、{{r|主|しゅ}}は{{r|死|し}}を{{r|滅|ほろぼ}}して{{r|復活|ふくかつ}}せり、{{r|人類|じんるい}}を{{r|救|すく}}ふ神の子なればなり。 ::{{resize|120%|第四歌頌}} {{resize|85%|イルモス、}}神の{{r|預言者|よげんしゃ}}<u>アウワクム</u>は我等と偕に神聖なる{{r|守望|ものみ}}に{{r|立|た}}ちて{{r|示|しめ}}すべし、光を{{r|放|はな}}つ{{r|天|てん}}{{r|子|し}}、{{r|明|あきらか}}に{{r|言|い}}ふ{{r|者|もの}}を、{{r|今|いま}}{{r|救|すくい}}は世界に{{r|臨|のぞ}}めり、<u>ハリストス</u>は全能者として復活せしに{{r|因|よ}}る。 我が「パスハ」<u>ハリストス</u>は、{{r|童貞女|どうていじょ}}の{{r|胎|たい}}を{{r|開|ひら}}きし子として男性と現れ、{{r|食|くら}}ふべき者として{{r|羔|こひつじ}}と名づけられ、{{r|汚|けがれ}}に{{r|與|あづか}}らざる者として{{r|玷|きず}}なき者と呼ばれ、{{r|真|まこと}}の{{r|神|かみ}}として{{r|純全|じゅんぜん}}なる{{r|者|もの}}と{{r|称|とな}}へられたり。 我等に{{r|崇|あが}}め{{r|讃|ほ}}めらるる栄冠たる<u>ハリストス</u>は{{r|期年|ひととし}}の{{r|羔|こひつじ}}の{{r|如|ごと}}く、{{r|衆人|しゅうじん}}の{{r|為|ため}}に{{r|潔浄|きよめ}}の「パスハ」として{{r|甘|あまん}}じて{{r|屠|ほふ}}られ、{{r|又|また}}{{r|美|うるわ}}しき{{r|義|ぎ}}の{{r|日|ひ}}として{{r|墓|はか}}より我等に{{r|輝|かがや}}き{{r|給|たま}}へり。 神の先祖<u>ダヴィド</u>は、{{r|喜|よろこび}}に{{r|堪|た}}へずして、{{r|影|かげ}}なる{{r|約櫃|やくひつ}}の前に{{r|躍|おど}}れり、我等神の聖なる民は、{{r|預|よ}}{{r|象|しょう}}の{{r|應|かな}}へるを見て、神聖に楽しむべし、<u>ハリストス</u>は全能者として{{r|復活|ふくかつ}}せしに{{r|因|よ}}る。 {{r|潔|いさぎよ}}き{{r|者|もの}}よ、{{r|爾|なんぢ}}の{{r|原|げん}}{{r|祖|そ}}<u>アダム</u>を{{r|造|つく}}りし{{r|主|しゅ}}は{{r|爾|なんぢ}}に{{r|由|よ}}りて造られ、{{r|己|おのれ}}の死を以て{{r|今日|こんにち}}{{r|死|し}}の{{r|棲処|すまい}}を{{r|壊|やぶ}}りて、復活の神聖なる光にて万有を{{r|照|てら}}し給へり。 {{r|女|おんな}}の{{r|中|うち}}に{{r|純潔|じゅんけつ}}{{r|無玷|むてん}}にして{{r|最|いと}}{{r|美|うるわ}}しき{{r|者|もの}}よ、{{r|爾|なんぢ}}が{{r|生|う}}みし<u>ハリストス</u>の{{r|今日|こんにち}}衆人の{{r|救|すくい}}の為に{{r|死|し}}より{{r|美|うるわ}}しく輝きしを{{r|視|み}}て、{{r|使徒|しと}}と{{r|偕|とも}}に喜びて、彼を{{r|讃栄|さんえい}}せよ。 ::{{resize|120%|第五歌頌}} {{resize|85%|イルモス、}}{{r|我等|われら}}{{r|黎明|よあけ}}より{{r|起|お}}き、{{r|香料|こうりょう}}の{{r|代|かわり}}に{{r|讃歌|ほめうた}}を{{r|主宰|しゅさい}}に{{r|奉|たてまつ}}りて、義の日たる<u>ハリストス</u>、衆人に{{r|生命|いのち}}を輝かす者を見るべし。 <u>ハリストス</u>よ、地獄の{{r|縛|なわめ}}に{{r|罹|かか}}れる者は{{r|爾|なんぢ}}の{{r|量|はか}}り{{r|難|がた}}き{{r|慈|じ}}{{r|憐|れん}}を{{r|見|み}}、{{r|喜|よろこ}}ばしく光に進みて、{{r|永遠|えいえん}}の「パスハ」を{{r|讃栄|さんえい}}せり。 {{r|我等|われら}}{{r|燭|ともしび}}を{{r|執|と}}りて、{{r|新郎|はなむこ}}の{{r|如|ごと}}く{{r|墓|はか}}より{{r|出|い}}づる<u>ハリストス</u>を{{r|迎|むか}}へ、{{r|歓|よろこ}}び{{r|慶|いは}}ふ{{r|天軍|てんぐん}}と{{r|偕|とも}}に、{{r|神|かみ}}の{{r|救|すくひ}}の「パスハ」を{{r|祝|いは}}ふべし。 {{r|至|し}}{{r|浄|じょう}}なる{{r|神|かみ}}の{{r|母|はは}}よ、{{r|敬虔|けいけん}}の{{r|者|もの}}の{{r|会|かい}}は{{r|爾|なんぢ}}の子の{{r|復活|ふくかつ}}の{{r|神聖|しんせい}}にして{{r|生命|いのち}}を{{r|施|ほどこ}}す{{r|光線|こうせん}}に{{r|照|てら}}されて、{{r|喜|よろこび}}に{{r|盈|み}}てらる。 {{r|萬有|ばんゆう}}の{{r|王|おう}}よ、{{r|爾|なんぢ}}は身を取る時にも童貞の門を{{r|啓|ひら}}かざりき、{{r|起|お}}くる時に墓の封印を{{r|破|やぶ}}らざりき、母は{{r|爾|なんぢ}}が{{r|彼処|かしこ}}より{{r|復活|ふくかつ}}せしを{{r|見|み}}て{{r|喜|よろこ}}べり。 ::{{resize|120%|第六歌頌}} ::{{resize|120%|第七歌頌}} ::{{resize|120%|第八歌頌}} ::{{resize|120%|第九歌頌}} ::{{resize|85%|イルモス、}}新なるイエルサリムよ、{{r|光|ひか}}り{{r|光|ひか}}れよ、主の光栄は{{r|爾|なんぢ}}に輝けばなり、シオンよ、今{{r|祝|いわ}}ひて楽しめ、{{r|爾|なんぢ}}{{r|潔|いさぎよ}}き{{r|生神女|しょうしんじょ}}よ、爾が生みし主の復活を喜び給へ。 {{r|嗚呼|あゝ}}<u>ハリストス</u>よ、{{r|爾|なんぢ}}の{{r|言|ことば}}は何ぞ神聖にして愛すべく、{{r|最|いと}}{{r|甘|あま}}き、{{r|蓋|けだし}}{{r|爾|なんぢ}}は{{r|謊|いつわり}}なく我等と{{r|偕|とも}}に世の{{r|終末|おわり}}まで{{r|在|いま}}すを約し給へり、我等信者は{{r|此|これ}}を{{r|希望|きぼう}}の{{r|固|かため}}として喜ぶ。 {{r|嗚呼|あゝ}}{{r|大|おおい}}にして{{r|至|し}}{{r|聖|せい}}なる「パスハ」<u>ハリストス</u>よ、{{r|嗚呼|あゝ}}{{r|智慧|ちえ}}と{{r|神|かみ}}の{{r|言|ことば}}と{{r|能力|ちから}}よ、{{r|爾|なんぢ}}の{{r|国|くに}}の{{r|暮|く}}れざる{{r|日|ひ}}に{{r|於|おい}}て、{{r|我等|われら}}を{{r|猶|なお}}{{r|親|した}}しく{{r|爾|なんぢ}}に{{r|与|あづか}}らしめ{{r|給|たま}}へ。 {{r|童貞女|どうていじょ}}よ、{{r|我等|われら}}{{r|信者|しんじゃ}}は{{r|同心|どうしん}}に{{r|爾|なんぢ}}を{{r|讃揚|さんよう}}す、{{r|主|しゅ}}の{{r|門|もん}}よ、{{r|慶|よろこ}}べ、{{r|活|い}}ける{{r|城邑|まち}}の者よ、{{r|慶|よろこ}}べ、{{r|今|いま}}我等に{{r|爾|なんぢ}}より{{r|生|うま}}れし者の死よりの復活の光の輝きし{{r|縁由|ゆえん}}の者よ、{{r|慶|よろこ}}べ。 {{r|神|かみ}}の{{r|恩寵|おんちょう}}を{{r|蒙|こうむ}}れる{{r|女宰|じょさい}}、光の神聖なる門よ、{{r|歓|よろこ}}びて楽しめ、{{r|蓋|けだし}}{{r|墓|はか}}に{{r|入|い}}りし<u>ハリストス</u>は{{r|出|い}}でて、{{r|日|ひ}}よりも{{r|明|あきらか}}に輝きて、{{r|衆|しゅう}}{{r|信者|しんじゃ}}を{{r|照|てら}}し{{r|給|たま}}へり。 ::{{resize|85%|差遣詞、自調。}} {{r|王|おう}}{{r|及|およ}}び{{r|主|しゅ}}よ、{{r|爾|なんぢ}}は{{r|身|み}}にて死者の如く{{r|寝|い}}ねて、{{r|三日|みつか}}{{r|目|め}}に{{r|復活|ふくかつ}}し、<u>アダム</u>を{{r|朽滅|ほろび}}より{{r|起|おこ}}し、{{r|死|し}}を{{r|虚|むな}}しくせり、{{r|不|ふ}}{{r|朽|きゅう}}の「パスハ」、{{r|世|よ}}の{{r|救|すくい}}なり。{{resize|85%|三次。}} ::{{resize|85%|讃揚歌の復活の{{r|讃頌|スティヒラ}}の後に「パスハ」の{{r|讃頌|スティヒラ}}を歌う、第五調。}} 句、{{r|神|かみ}}は{{r|興|お}}き、{{r|其|その}}{{r|仇|あだ}}は{{r|散|ち}}るべし。 {{r|聖|せい}}なる「パスハ」は今我等に{{r|現|あらわ}}れたり、{{r|新|あらた}}なる「パスハ」、{{r|秘密|ひみつ}}の「パスハ」、{{r|最|いと}}{{r|尊|とうと}}き「パスハ」、「パスハ」<u>ハリストス</u>{{r|救世主|きゅうせいしゅ}}、{{r|玷|きず}}なき「パスハ」、{{r|大|おおい}}なる「パスハ」、{{r|信者|しんじゃ}}の「パスハ」、{{r|天堂|てんどう}}の{{r|門|もん}}を我等の為に{{r|啓|ひら}}く「パスハ」、{{r|凡|すべ}}ての{{r|信者|しんじゃ}}を{{r|聖|せい}}にする「パスハ」なり。 句、煙の散るが如く、{{r|爾|なんぢ}}彼等を散らし{{r|給|たま}}へ。 福音を{{r|傳|つた}}ふる{{r|婦女|おんな}}{{r|等|たち}}、{{r|来|きた}}りて{{r|視|み}}たる事を{{二重線|シオン}}に{{r|告|つ}}ぐべし、<u>ハリストス</u>の復活の喜ばしき福音を我等より受けよ、{{二重線|イエルサリム}}よ、<u>ハリストス</u>{{r|王|おう}}が{{r|新郎|はなむこ}}の{{r|如|ごと}}く{{r|墓|はか}}より{{r|出|い}}づるを見て、喜び祝い、楽しめよ。 句、{{r|斯|か}}く{{r|悪人|あくにん}}{{r|等|ら}}は{{r|神|かみ}}の{{r|顔|かんばせ}}に{{r|因|よ}}りて{{r|亡|ほろ}}び、{{r|惟|ただ}}{{r|義|ぎ}}{{r|人|じん}}{{r|等|ら}}は楽しむべし。 {{r|香料|こうりょう}}を{{r|携|たづさ}}ふる{{r|婦女|おんな}}{{r|等|たち}}朝早く{{r|生命|いのち}}を{{r|賜|たま}}ふ{{r|者|もの}}の{{r|墓|はか}}に{{r|来|きた}}りて、石に{{r|坐|ざ}}せる{{r|天使|てんし}}に{{r|遇|あ}}へり、彼は斯く之に{{r|語|つ}}げて{{r|曰|い}}へり、{{r|何|なん}}ぞ生ける者を{{r|死|し}}{{r|者|しゃ}}の{{r|中|うち}}に{{r|尋|たづ}}ぬる、{{r|何|なん}}ぞ{{r|朽|く}}ちざる者を{{r|朽|く}}つる者として{{r|哀|かな}}しむ、{{r|往|ゆ}}きて{{r|其|その}}{{r|門|もん}}{{r|徒|と}}に{{r|傳|つた}}へよ。 句、主は此の日を作れり、我等之を以て{{r|歓|よろこ}}び楽しまん。 {{r|楽|たの}}しき「パスハ」、「パスハ」は主の「パスハ」、{{r|最|いと}}{{r|尊|とうと}}き「パスハ」は{{r|我等|われら}}に{{r|輝|かがや}}けり、「パスハ」に因りて喜びて{{r|互|たがい}}に{{r|相|あい}}{{r|抱|いだ}}くべし。{{r|嗚呼|あゝ}}「パスハ」、{{r|憂患|うれい}}より{{r|拯|すく}}ふ{{r|者|もの}}や、{{r|蓋|けだし}}{{r|今|いま}}<u>ハリストス</u>は{{r|宮|みや}}よりする如く墓より{{r|光|ひか}}り{{r|出|い}}で、{{r|婦女|おんな}}{{r|等|たち}}を{{r|欣喜|よろこび}}に{{r|満|み}}てて{{r|云|い}}へり、{{r|使徒等|しとら}}に{{r|傳|つた}}へよ。 ::{{resize|85%|光栄今も。}} {{r|復活|ふくかつ}}の日、{{r|我等|われら}}{{r|祝慶|いわい}}に{{r|照|てら}}されて、{{r|互|たがい}}に{{r|相|あい}}{{r|抱|いだ}}くべし、我等を{{r|嫉|ねた}}む者にも{{r|曰|い}}ふべし、{{r|兄弟|きょうだい}}よ、復活に{{r|縁|よ}}りて{{r|皆|みな}}{{r|互|たがい}}に{{r|恕|ゆる}}して、斯く{{r|歌|うた}}はん、<u>ハリストス</u>死より復活し、死を以て死を{{r|滅|ほろぼ}}し、墓に在る者に{{r|生命|いのち}}を{{r|賜|たま}}へり。 ::{{resize|85%|次に「<u>ハリストス</u>死より復活し」三次。}} ::{{resize|85%|且多次之を歌ひ、衆相接吻して{{r|畢|おわ}}るに至る。}} ::{{resize|85%|次に聖務長は聖<u>イオアン</u>金口の説教を読む。}} ::{{resize|85%|{{r|畢|おわ}}りて後{{r|讃詞|トロパリ}}を歌ふ、第八調}}「爾が口の恩寵は火の光の如く輝きて」。{{resize|85%|次に連祷、高声、その他。}}「神よ、我が今上皇帝」。{{resize|85%|並びに聖務長十字架を執りて、「<u>ハリストス</u>神よ、光栄は爾に帰す」に代へて歌ふ。}} <u>ハリストス</u>死より復活し、死を以て死を{{r|滅|ほろぼ}}し、 {{resize|85%|歌隊、}}墓に在る者に{{r|生命|いのち}}を賜へり。 ::{{resize|85%|是に於て発放詞を誦す。後十字架を挙げて曰く、}}<u>ハリストス</u>復活せり。{{resize|75%|之を為すこと三次}} ::{{resize|85%|衆毎次答へて曰く、}}実に復活せり。{{resize|85%|次に歌ふ、}}「<u>ハリストス</u>死より復活し」 ::{{resize|85%|全讃詞三次。{{r|畢|おわ}}りて後左の結句を歌ふ、}}我等にも永遠の{{r|生命|いのち}}を賜へり、主の三日目の復活を拝む。 {{DEFAULTSORT:せいはすはのほうし}} [[Category:キリスト教]] [[Category:祈祷]] [[Category:正教会]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{PD-old}} }} osutv8hgd3lg1g02jghp3fu0salwz41 オウム真理教事件・麻原彰晃に対する判決文/chapter twelve 0 51624 241729 231094 2026-04-26T15:22:48Z Route 2025 43454 241729 wikitext text/x-wiki {{header |title = XII B22事件(逮捕監禁致死、死体損壊) |previous = [[../chapter_eleven|XI VX3事件]] |next = [[../chapter_thirteen|XIII 地下鉄サリン事件(殺人、殺人未遂)]]}} ⅩⅡ B22事件(逮捕監禁致死,死体損壊) (平成7年9月4日付け追起訴状記載公訴事実) [第1(逮捕監禁致死)の犯行に至る経緯]  1 B22(大正15年10月22日生)は,平成7年2月当時,東京都江東区内の自宅に居住し,東京都品川区w1号所在の目黒公証役場(以下「公証役場」という。)に事務長として勤めていた。  B22の実妹であるD11は,昭和62年,公証役場が1階にある建物及びその敷地(以下「D11方土地建物」という。)等を夫から相続により取得し,同建物の2階に居住していた。  2 D11は,平成5年10月ころ,ヨーガ教室で知り合った教団信者であるヨーガ指導者に誘われ,健康のためにヨーガ修行をすることとし,教団の在家信徒となり,教団東京総本部道場に通うようになった。D11は,東信徒庁長官のA16,教団信者のA48やA49らから教団への布施を勧められ,平成7年1月20日ころまでに教団に合計約6000万円の布施をし,そのうち4000万円は同月20日ころ直接被告人に現金で手渡し,その際,被告人から,早く出家するよう言われた。  A16やA49は,被告人の意を受け,D11を出家させてD11方土地建物を含む資産すべてを布施として教団に拠出させるため,D11に対し執ように出家を勧め,薬物を使用したイニシエーションを施すなどして,出家することを同年2月中旬ころ承諾させ,その後は,D11を出家前の信者として東京総本部道場に寝泊まりさせ,信徒対応の上手なA22にD11と面談させるなどして全財産を教団に拠出するよう働き掛けた。D11は,B22やその家族らに譲るつもりであったD11方土地建物を含めすべての財産を教団に取り上げられてしまうことを危ぐするなどしていたところ,同月24日,友人を入信させるためにx1に行くと言い置いて東京総本部道場を出,教団に連絡することなくその日は知人方に,同月25日及び翌26日は実兄のB22方に,同月27日は別の知人方に泊まり,その間B22や知人らと話合いをするなどして悩んだ末,後記のとおり,同月28日午後5時ころ,東京総本部道場に電話を掛け,A49に対し,教団に出家するのをやめる旨伝えた。  3 A49は,同月26日,D11が2日間も東京総本部道場に戻らず連絡もないことから,A22やA16にそのことを報告した。A22及びA16は,D11から従前D11方土地建物を実兄ら親族に譲渡する約束があると聞いていたことから,D11の親族がD11方土地建物を布施されるのを阻止するためにD11をらちした可能性があると考え,諜報省大臣のA28にD11を捜す手伝いを頼んでA28の配下のA48やA45をよこしてもらい,同日から翌27日にかけての深夜,D11方の様子を見にいくなどしたがD11の所在を突き止めることができず,被告人に電話でその旨を連絡した。  A22,A16及びA49らは,同月27日昼ころ,公証役場付近まで車で行き,A49が一人で公証役場に様子を探りにいった。A49は,公証役場から戻ってきて,A22やA16に「おかしいですよ。『D11さんはいますか。』と聞くと,『D11の兄だけど。』と名乗る人が出てきて『ここにはD11はいません。随分前から帰っていない。何の用ですか。』と言って,とても不審がるような感じで話をしてきました。その人の態度は不自然でした。」などと報告した。A22及びA16は,それを聞いて,B22がD11と接触し,あるいは,その居場所を知っている可能性が高いと考え,B22の動きを見張っていたところ,B22がボディガードらしい男性と共に公証役場から出てきたのを見てこれを尾行したが,JR目黒駅で見失っ た。  A22及びA16は,B22を見張っている際にA28に応援を求めていたが,B22の尾行に失敗した後,A28と合流し,同人に,D11が行方不明になった経緯やB22を尾行した状況等について説明をした上,B22の様子からしてB22がD11を監禁している可能性が高いなどと訴え,さらに,B22からD11の居場所を聞き出すためにどうしたらいいかなど今後の対応について協議をした。A28は,「もう少し様子をみた方がいい。この時点では決められない。」などと言い,A22らにD11方を案内された後,A22をA28の車で東京総本部道場に送ったが,遅くともそれまでに,A22は,A28との間で,B22をらちしてD11の居場所を聞き出すしかないのではないかという話をした。  4(1) 被告人は,同月27日から翌28日にかけての深夜,第2サティアン3階の第2瞑想室において,A6,A7,A28,A22,A16や各支部の支部長ら数十名を集めて信徒対応責任者会議を開いた。A16及びA22は,その会議が終了した直後,同所において,被告人に対し,D11の居場所は分からなかった旨伝え,B22を尾行した状況やその際のB22の不審な行動,すなわち,A49が公証役場に行った際D11の兄と名乗るB22が出てきてD11はいないと言うなど不自然な態度であったこと,その後B22は銀行や喫茶店に立ち寄ったが喫茶店では何も注文をせず電話をしただけで店から出るなど不自然な行動をとっていたこと,B22は公証役場から帰る際女性とボディガードらしい暴力団員風の男性を連れていたこと,B22がD11を監禁している可能性があることなどについて説明した後,D11の居場所を聞き出すためB22をらちして聞き出す方法もあると思う旨 報告した。被告人は,D11が出家して多額の布施をすることになっていたのに同人がいなくなりそれが難しくなったことから怒り,A16に対し,「おまえがたるんでいるんだからこんなことになるんじゃないか。東信徒庁の活動も落ちているじゃないか。」と言ってしっ責し,さらに「そんなに悪業を積んでいるんだったらポアするしかないんじゃないか。」などと言ってA16らの言うB22のらちだけでは済まされず,同人を殺害しなければならないほどの重大な問題であることを指摘した。被告人は,その際,A6から耳打ちされるなどして,これまで違法行為に関与したことのない信者も周りにいたことに気付き,「ポア」という言葉を撤回する趣旨で「じゃ,おまえたちの言うようにらちするしかないんじゃないか。」と言い,さらに「らち」という言葉も適当でないと直ちに思い直して「ほかしておこうか。」などとぼやくように言って部屋を出ていき,関係者だけでD11の件について話を続けるため,隣の尊師の部屋に移動し,A6,A28,A22及びA16らも被告人に続いて尊師の部屋に入った。  (2) 被告人は,B22をらちし,麻酔薬を投与して半覚せい状態にし潜在意識に働き掛けて会話をする「ナルコ」をB22に実施してD11の居場所を聞き出そうと考え,尊師の部屋において,A28及びA22に対し,B22をらちしてナルコを実施しD11の居場所を聞き出すよう命じた上,更に具体的に,武道の得意なA22及びA50が中心となってB22をらちすること,B22のボディガードにはA6の開発したレーザー銃を使って目をくらませることとし,その役は以前レーザー銃を使ったことのあるA51にさせること,そのほか諜報省の信者にも手伝わせること,医師資格のあるA14がB22に麻酔薬を注射して眠らせe1村まで連れてくることなどを指示し,A28及びA22はこれを承諾した。  5 その後,A22は,電話でA51を呼び,A6やA28を交えて上記らち計画について話をし,レーザー銃のバッテリーの充電に時間がかかることから,A51はそれを終えて東京で合流することとした。また,A22は,A50がA8の部下で自分で運転のできるA52の運転手をしていることを知り,被告人にその旨報告したところ,被告人はA8を呼び,A52に運転手を付けたことをしかり,A50を早く戻してA22に渡すよう指示した。  A28は,第6サティアン2階で被告人の指示に基づき修行に入っていたA14に対し,上記らち計画を説明し,東京でらちを実行する際相手を麻酔で眠らせてくれるよう頼んだ。A14はこれを承諾して,全身麻酔薬である筋肉注射用のケタラールと静脈注射用のチオペンタールナトリウムのほか,注射器,注射針,点滴セット等を工具箱とキャリーバッグに入れて用意し,東京に向かった。  6 A28,A22,A14及びA51のほか,上記らち計画について説明を受けてこれを承諾した諜報省所属のA45,A47及びA48は,同月28日午前11時ころ,ワゴン車(デリカ)及び普通乗用自動車(ギャラン)の2台のレンタカーに分乗して公証役場付近に到着し,しばらくしてA50も合流し,上記らち計画について説明を受けてこれを承諾した。  その後,A28は,A51にレーザー銃を操作させ,通行人にレーザーを照射してレーザー銃の効果を実験したが,目くらましの効果がないことが判明したため,らち計画を練り直すこととし,A28及びA22が中心となり実行メンバー全員で話合いをした結果,B22が公証役場から出てJR目黒駅に向かって歩いているところを襲うこととし,B22が二人で出てきた場合は状況によっては中止し,3人で出てきた場合は中止すること,A48がワゴン車を運転して左に入る路地に差し掛かったときに左折してB22の進路を塞ぎ,A22,A50及びA47が後ろからB22を抱き込むようにしてサイドドアからワゴン車内に押し込み,A45がワゴン車内からB22を引っ張り込み,A14がB22に麻酔薬を注射して眠らせること,その後,A48がそのままワゴン車を,A51はギャランを運転して現場から逃走し,A28は現場指揮をとることなどのらちの方法と各自の役割分担が決められ,実行メンバー8名は,B22が公証役場から出てくるのを待った。  7 A22は,同日午後4時30分ころ,B22が公証役場から一人で出てきたのを発見し,A50及びA47と共に,JR目黒駅に歩いて向かうB22に近づいた。 [罪となるべき事実第1(逮捕監禁致死)]  被告人は,教団への出家を案じ身を隠した信徒D11の所在を聞き出すため,同人の実兄B22(当時68歳)をらちすることを企て,A28,A14及びA22らと共謀の上,平成7年2月28日午後4時30分ころ,東京都品川区w2付近路上において,同所を歩行中のB22に対し,A22がその背後からB22の身体に抱きついて転倒させ,大声で助けを求める同人の身体をA50及びA47と共に抱えるなどして,同所付近に停車させていた普通乗用自動車(ワゴン車デリカ)の後部座席にB22を押し込むと同時に,同車内からA45がB22の身体を引っ張り込むなどしてB22を逮捕した上,直ちにA48が同車を発進させて,B22を自らの支配下に置き,同車内において,A14がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態に陥らせ,その後A16から電話で,D11から出家を取りやめるとの連絡が入った旨知らされたものの,D11の居場所が分からないままであったし,被告人から新たな指示がない限り自分たちの判断で勝手にB22を解放することもできなかったことから,A28らにおいて,B22をe1村の教団施設に連れていきD11の居場所を聞き出すしかないと考えた上このまま計画を続行することとし,さらに,同日午後8時ころ,東京都世田谷区y1所在の都立芦花公園付近路上において,意識喪失状態のままのB22の身体をA22らが別の普通乗用自動車(マークⅡ)に移し替えた上,A47が同車を運転しA14及びA45がこれに乗車してB22をe1村の教団施設まで運ぶこととし,同車内において,A14がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させながら,同日午後10時ころ,山梨県西八代郡e1村i5所在の第2サティアンに同人を連れ込み,そのころから同年3月1日午前11時ころまでの間,同サティアン1階の瞑想室(以下「1階瞑想室」という。)において,A14及びA33がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させるなどしてB22を同所から脱出不能な状態に置き,もって,同人を不法に逮捕監禁し,同日午前11時ころ,同所において,大量投与した全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制,循環抑制等による心不全により同人を死亡させたものである。 [第2(死体損壊)の犯行に至る経緯]  1 A14は,上記監禁中である同年2月28日午後10時ころ,第2サティアンに着いた後,第6サティアン3階に行き,A33に対し,「尊師が『X12に手伝ってもらえ。』と言われたので,一緒にやってください。」と言ってナルコへの協力を依頼した。A33は,これを承諾して第2サティアンに行き,A14及びA45からB22が同所に連れてこられた事情や状況,それまでの全身麻酔薬の投与状況等について説明を受けた後,医療器具等を用意し,同サティアン1階瞑想室で,B22を診察した上,点滴を始めるなどしてその呼吸,循環等の管理に当たった。  2 A33は,同年3月1日午前3時ころ,第2サティアンに現れたA28から,「D11から出家しない旨の電話がA16にあったが,それでもD11の居場所を聞き出してくれ。」と言われたことから,A14と共に,1階瞑想室で,B22に対しナルコを実施したが,D11の居場所は聞き出せなかった。その間,A28は,A22と共に,B22の所持品を調べるなどし,D11の居場所の手掛かりをつかむことができなかったが,B22の手帳の住所録欄に記載されている知人らしき人物がD11をかくまっているのではないかと考え,自らも加わり,再度B22に対しナルコを実施したが,結局,D11の居場所を聞き出すことができなかった。そこで,A28及びA22は,今後のB22の処置について被告人の指示を仰ぐために,被告 人のいる東京に向かったが,e1村に戻る被告人と行き違いになり,会うことができなかった。  3 A6は,同日午前4時ころ,第2サティアンにきて,A14らから,B22にナルコを実施した結果D11の居場所を聞き出すことができなかったことや,頭部に電気刺激を与えて記憶を消すニューナルコでは,教団にらちされたというB22の記憶を消すことができないことなどを聞いた上,「そうか,帰せないかな。塩化カリウムでも打つか。」などとB22を殺害する趣旨のことをほのめかし,A14に,らちを実行した際に着用していた衣服を早く焼却するよう指示し,さらに被告人は昼近くまで帰ってこないなどと言って帰っていった。  4 その後,A6は,被告人に対し,A14らから聞いた話の内容を報告し,今後のB22の処置について指示を仰いだところ,被告人から,口封じのためにB22を殺害して従前と同様に証拠隠滅のためにその死体をマイクロ波焼却装置で焼却し,B22の殺害に当たってはA50にB22の首を絞めさせるという旨の指示を受けた。  5 A14は,同日午前6時30分ころから,らちを実行した際に着用していた衣服を焼却するなどした後,同日午前9時30分ころ,それまでB22を意識喪失状態で管理していたA33からその引き継ぎを受け,以後,第2サティアンの1階瞑想室で,B22の意識喪失状態を保持したままその管理を続けた。  その後,A6は,同日午前10時ころ,第2サティアンを訪れ,A14に対し,「やっぱりポア。A50に首を絞めさせろ。A50にポアさせることによって徳を積ませる。A50を今後ヴァジラヤーナで使うから。」などと言い,自分の言ったとおりB22を殺害することになったという趣旨の発言をした上,塩化カリウムの注射ではなく,首を絞めることによってB22を殺害し,しかも,A50を今後教団の違法行為に関与させるために,実行役をA50にさせる旨の指示をした。そこで,A14は,まだ都内にいたA28に電話をし,A50を連れてくるように頼んだ。  A14は,その後も,B22の様子をみていたが,部屋の外にいたA45に上記の被告人からA6を介して指示された内容を伝えるために1階瞑想室から出てB22から目を離した同日午前11時ころ,前記のとおり,B22は死亡した。  A28及びA22は,A14からの上記依頼を受けて,そのころ,都内のファミリーレストランの駐車場でA50を乗せてe1村の教団施設に向かい,同日昼過ぎころ,第2サティアンに到着し,その際,A14から,B22が死亡したことや上記の被告人からA6を介して指示された内容について聞いた。  A14らは,被告人の指示に従い,A50にB22の死亡を知らせないまま,既に死亡していたB22の首を絞めさせた。その後,A14やA22らは,B22の死体を焼却するためにこれをマイクロ波焼却装置のある第2サティアン地下室に移動した。  6 その後,後記のとおり,B22の死体がマイクロ波焼却装置のドラム缶の中に入れられ,その焼却が開始された後,A28,A14及びA22は,二,三日間を要する死体焼却の監視にだれが立ち会うかについて被告人に指示を仰ぐため,同日夕方ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。すると,被告人は,それまでにA16から「B22さんが車で連れ去られたことで,大崎警察署からあなたがたは知らないかという電話が入りました。」などと報告を受け,レーザー銃をうまく使わなかったために通行人に現場を目撃され警察に通報されてしまったと思い込んでいたことから,A28ら3人に対し,「なぜ,無理してやったんだ。警察が動いてるじゃないか。レーザーを使わなかったんだろう。」としっ責し,これに対し,A28が,「レーザーは実験しましたが,使えませんでした。」などと弁明した。その後,A14が,被告人に,B22の死体の焼却にはだれが立ち会えばいいか尋ねると,被告人は,「おまえたちでやるしかないんじゃないか。」と言って,B22のらちを実行した者で責任を持って遺体を処理するよう指示した。  7 そこで,A28やA14らは,A22,A14,A50及びA47の4人が交替でB22の死体の焼却作業の監視に当たることにした。 [罪となるべき事実第2(死体損壊)]  被告人は,A28,A14及びA22らと共謀の上,同年3月1日ころから同月4日ころまでの間,第2サティアン地下室において,B22の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊したものである。 {{PD-JapanGov}} {{Inheritcat}} 5jeqjw40qcro47bkuy0bci4xeluu1pm 241730 241729 2026-04-26T15:23:24Z Route 2025 43454 241730 wikitext text/x-wiki {{header |title = XII B22事件(逮捕監禁致死、死体損壊) |previous = [[../chapter_eleven|XI VX3事件]] |next = [[../chapter_thirteen|XIII 地下鉄サリン事件(殺人、殺人未遂)]]}} ⅩⅡ B22事件(逮捕監禁致死,死体損壊) (平成7年9月4日付け追起訴状記載公訴事実) [第1(逮捕監禁致死)の犯行に至る経緯]  1 B22(大正15年10月22日生)は,平成7年2月当時,東京都江東区内の自宅に居住し,東京都品川区w1号所在の目黒公証役場(以下「公証役場」という。)に事務長として勤めていた。  B22の実妹であるD11は,昭和62年,公証役場が1階にある建物及びその敷地(以下「D11方土地建物」という。)等を夫から相続により取得し,同建物の2階に居住していた。  2 D11は,平成5年10月ころ,ヨーガ教室で知り合った教団信者であるヨーガ指導者に誘われ,健康のためにヨーガ修行をすることとし,教団の在家信徒となり,教団東京総本部道場に通うようになった。D11は,東信徒庁長官のA16,教団信者のA48やA49らから教団への布施を勧められ,平成7年1月20日ころまでに教団に合計約6000万円の布施をし,そのうち4000万円は同月20日ころ直接被告人に現金で手渡し,その際,被告人から,早く出家するよう言われた。  A16やA49は,被告人の意を受け,D11を出家させてD11方土地建物を含む資産すべてを布施として教団に拠出させるため,D11に対し執ように出家を勧め,薬物を使用したイニシエーションを施すなどして,出家することを同年2月中旬ころ承諾させ,その後は,D11を出家前の信者として東京総本部道場に寝泊まりさせ,信徒対応の上手なA22にD11と面談させるなどして全財産を教団に拠出するよう働き掛けた。D11は,B22やその家族らに譲るつもりであったD11方土地建物を含めすべての財産を教団に取り上げられてしまうことを危ぐするなどしていたところ,同月24日,友人を入信させるためにx1に行くと言い置いて東京総本部道場を出,教団に連絡することなくその日は知人方に,同月25日及び翌26日は実兄のB22方に,同月27日は別の知人方に泊まり,その間B22や知人らと話合いをするなどして悩んだ末,後記のとおり,同月28日午後5時ころ,東京総本部道場に電話を掛け,A49に対し,教団に出家するのをやめる旨伝えた。  3 A49は,同月26日,D11が2日間も東京総本部道場に戻らず連絡もないことから,A22やA16にそのことを報告した。A22及びA16は,D11から従前D11方土地建物を実兄ら親族に譲渡する約束があると聞いていたことから,D11の親族がD11方土地建物を布施されるのを阻止するためにD11をらちした可能性があると考え,諜報省大臣のA28にD11を捜す手伝いを頼んでA28の配下のA48やA45をよこしてもらい,同日から翌27日にかけての深夜,D11方の様子を見にいくなどしたがD11の所在を突き止めることができず,被告人に電話でその旨を連絡した。  A22,A16及びA49らは,同月27日昼ころ,公証役場付近まで車で行き,A49が一人で公証役場に様子を探りにいった。A49は,公証役場から戻ってきて,A22やA16に「おかしいですよ。『D11さんはいますか。』と聞くと,『D11の兄だけど。』と名乗る人が出てきて『ここにはD11はいません。随分前から帰っていない。何の用ですか。』と言って,とても不審がるような感じで話をしてきました。その人の態度は不自然でした。」などと報告した。A22及びA16は,それを聞いて,B22がD11と接触し,あるいは,その居場所を知っている可能性が高いと考え,B22の動きを見張っていたところ,B22がボディガードらしい男性と共に公証役場から出てきたのを見てこれを尾行したが,JR目黒駅で見失った。  A22及びA16は,B22を見張っている際にA28に応援を求めていたが,B22の尾行に失敗した後,A28と合流し,同人に,D11が行方不明になった経緯やB22を尾行した状況等について説明をした上,B22の様子からしてB22がD11を監禁している可能性が高いなどと訴え,さらに,B22からD11の居場所を聞き出すためにどうしたらいいかなど今後の対応について協議をした。A28は,「もう少し様子をみた方がいい。この時点では決められない。」などと言い,A22らにD11方を案内された後,A22をA28の車で東京総本部道場に送ったが,遅くともそれまでに,A22は,A28との間で,B22をらちしてD11の居場所を聞き出すしかないのではないかという話をした。  4(1) 被告人は,同月27日から翌28日にかけての深夜,第2サティアン3階の第2瞑想室において,A6,A7,A28,A22,A16や各支部の支部長ら数十名を集めて信徒対応責任者会議を開いた。A16及びA22は,その会議が終了した直後,同所において,被告人に対し,D11の居場所は分からなかった旨伝え,B22を尾行した状況やその際のB22の不審な行動,すなわち,A49が公証役場に行った際D11の兄と名乗るB22が出てきてD11はいないと言うなど不自然な態度であったこと,その後B22は銀行や喫茶店に立ち寄ったが喫茶店では何も注文をせず電話をしただけで店から出るなど不自然な行動をとっていたこと,B22は公証役場から帰る際女性とボディガードらしい暴力団員風の男性を連れていたこと,B22がD11を監禁している可能性があることなどについて説明した後,D11の居場所を聞き出すためB22をらちして聞き出す方法もあると思う旨 報告した。被告人は,D11が出家して多額の布施をすることになっていたのに同人がいなくなりそれが難しくなったことから怒り,A16に対し,「おまえがたるんでいるんだからこんなことになるんじゃないか。東信徒庁の活動も落ちているじゃないか。」と言ってしっ責し,さらに「そんなに悪業を積んでいるんだったらポアするしかないんじゃないか。」などと言ってA16らの言うB22のらちだけでは済まされず,同人を殺害しなければならないほどの重大な問題であることを指摘した。被告人は,その際,A6から耳打ちされるなどして,これまで違法行為に関与したことのない信者も周りにいたことに気付き,「ポア」という言葉を撤回する趣旨で「じゃ,おまえたちの言うようにらちするしかないんじゃないか。」と言い,さらに「らち」という言葉も適当でないと直ちに思い直して「ほかしておこうか。」などとぼやくように言って部屋を出ていき,関係者だけでD11の件について話を続けるため,隣の尊師の部屋に移動し,A6,A28,A22及びA16らも被告人に続いて尊師の部屋に入った。  (2) 被告人は,B22をらちし,麻酔薬を投与して半覚せい状態にし潜在意識に働き掛けて会話をする「ナルコ」をB22に実施してD11の居場所を聞き出そうと考え,尊師の部屋において,A28及びA22に対し,B22をらちしてナルコを実施しD11の居場所を聞き出すよう命じた上,更に具体的に,武道の得意なA22及びA50が中心となってB22をらちすること,B22のボディガードにはA6の開発したレーザー銃を使って目をくらませることとし,その役は以前レーザー銃を使ったことのあるA51にさせること,そのほか諜報省の信者にも手伝わせること,医師資格のあるA14がB22に麻酔薬を注射して眠らせe1村まで連れてくることなどを指示し,A28及びA22はこれを承諾した。  5 その後,A22は,電話でA51を呼び,A6やA28を交えて上記らち計画について話をし,レーザー銃のバッテリーの充電に時間がかかることから,A51はそれを終えて東京で合流することとした。また,A22は,A50がA8の部下で自分で運転のできるA52の運転手をしていることを知り,被告人にその旨報告したところ,被告人はA8を呼び,A52に運転手を付けたことをしかり,A50を早く戻してA22に渡すよう指示した。  A28は,第6サティアン2階で被告人の指示に基づき修行に入っていたA14に対し,上記らち計画を説明し,東京でらちを実行する際相手を麻酔で眠らせてくれるよう頼んだ。A14はこれを承諾して,全身麻酔薬である筋肉注射用のケタラールと静脈注射用のチオペンタールナトリウムのほか,注射器,注射針,点滴セット等を工具箱とキャリーバッグに入れて用意し,東京に向かった。  6 A28,A22,A14及びA51のほか,上記らち計画について説明を受けてこれを承諾した諜報省所属のA45,A47及びA48は,同月28日午前11時ころ,ワゴン車(デリカ)及び普通乗用自動車(ギャラン)の2台のレンタカーに分乗して公証役場付近に到着し,しばらくしてA50も合流し,上記らち計画について説明を受けてこれを承諾した。  その後,A28は,A51にレーザー銃を操作させ,通行人にレーザーを照射してレーザー銃の効果を実験したが,目くらましの効果がないことが判明したため,らち計画を練り直すこととし,A28及びA22が中心となり実行メンバー全員で話合いをした結果,B22が公証役場から出てJR目黒駅に向かって歩いているところを襲うこととし,B22が二人で出てきた場合は状況によっては中止し,3人で出てきた場合は中止すること,A48がワゴン車を運転して左に入る路地に差し掛かったときに左折してB22の進路を塞ぎ,A22,A50及びA47が後ろからB22を抱き込むようにしてサイドドアからワゴン車内に押し込み,A45がワゴン車内からB22を引っ張り込み,A14がB22に麻酔薬を注射して眠らせること,その後,A48がそのままワゴン車を,A51はギャランを運転して現場から逃走し,A28は現場指揮をとることなどのらちの方法と各自の役割分担が決められ,実行メンバー8名は,B22が公証役場から出てくるのを待った。  7 A22は,同日午後4時30分ころ,B22が公証役場から一人で出てきたのを発見し,A50及びA47と共に,JR目黒駅に歩いて向かうB22に近づいた。 [罪となるべき事実第1(逮捕監禁致死)]  被告人は,教団への出家を案じ身を隠した信徒D11の所在を聞き出すため,同人の実兄B22(当時68歳)をらちすることを企て,A28,A14及びA22らと共謀の上,平成7年2月28日午後4時30分ころ,東京都品川区w2付近路上において,同所を歩行中のB22に対し,A22がその背後からB22の身体に抱きついて転倒させ,大声で助けを求める同人の身体をA50及びA47と共に抱えるなどして,同所付近に停車させていた普通乗用自動車(ワゴン車デリカ)の後部座席にB22を押し込むと同時に,同車内からA45がB22の身体を引っ張り込むなどしてB22を逮捕した上,直ちにA48が同車を発進させて,B22を自らの支配下に置き,同車内において,A14がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態に陥らせ,その後A16から電話で,D11から出家を取りやめるとの連絡が入った旨知らされたものの,D11の居場所が分からないままであったし,被告人から新たな指示がない限り自分たちの判断で勝手にB22を解放することもできなかったことから,A28らにおいて,B22をe1村の教団施設に連れていきD11の居場所を聞き出すしかないと考えた上このまま計画を続行することとし,さらに,同日午後8時ころ,東京都世田谷区y1所在の都立芦花公園付近路上において,意識喪失状態のままのB22の身体をA22らが別の普通乗用自動車(マークⅡ)に移し替えた上,A47が同車を運転しA14及びA45がこれに乗車してB22をe1村の教団施設まで運ぶこととし,同車内において,A14がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させながら,同日午後10時ころ,山梨県西八代郡e1村i5所在の第2サティアンに同人を連れ込み,そのころから同年3月1日午前11時ころまでの間,同サティアン1階の瞑想室(以下「1階瞑想室」という。)において,A14及びA33がB22に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させるなどしてB22を同所から脱出不能な状態に置き,もって,同人を不法に逮捕監禁し,同日午前11時ころ,同所において,大量投与した全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制,循環抑制等による心不全により同人を死亡させたものである。 [第2(死体損壊)の犯行に至る経緯]  1 A14は,上記監禁中である同年2月28日午後10時ころ,第2サティアンに着いた後,第6サティアン3階に行き,A33に対し,「尊師が『X12に手伝ってもらえ。』と言われたので,一緒にやってください。」と言ってナルコへの協力を依頼した。A33は,これを承諾して第2サティアンに行き,A14及びA45からB22が同所に連れてこられた事情や状況,それまでの全身麻酔薬の投与状況等について説明を受けた後,医療器具等を用意し,同サティアン1階瞑想室で,B22を診察した上,点滴を始めるなどしてその呼吸,循環等の管理に当たった。  2 A33は,同年3月1日午前3時ころ,第2サティアンに現れたA28から,「D11から出家しない旨の電話がA16にあったが,それでもD11の居場所を聞き出してくれ。」と言われたことから,A14と共に,1階瞑想室で,B22に対しナルコを実施したが,D11の居場所は聞き出せなかった。その間,A28は,A22と共に,B22の所持品を調べるなどし,D11の居場所の手掛かりをつかむことができなかったが,B22の手帳の住所録欄に記載されている知人らしき人物がD11をかくまっているのではないかと考え,自らも加わり,再度B22に対しナルコを実施したが,結局,D11の居場所を聞き出すことができなかった。そこで,A28及びA22は,今後のB22の処置について被告人の指示を仰ぐために,被告 人のいる東京に向かったが,e1村に戻る被告人と行き違いになり,会うことができなかった。  3 A6は,同日午前4時ころ,第2サティアンにきて,A14らから,B22にナルコを実施した結果D11の居場所を聞き出すことができなかったことや,頭部に電気刺激を与えて記憶を消すニューナルコでは,教団にらちされたというB22の記憶を消すことができないことなどを聞いた上,「そうか,帰せないかな。塩化カリウムでも打つか。」などとB22を殺害する趣旨のことをほのめかし,A14に,らちを実行した際に着用していた衣服を早く焼却するよう指示し,さらに被告人は昼近くまで帰ってこないなどと言って帰っていった。  4 その後,A6は,被告人に対し,A14らから聞いた話の内容を報告し,今後のB22の処置について指示を仰いだところ,被告人から,口封じのためにB22を殺害して従前と同様に証拠隠滅のためにその死体をマイクロ波焼却装置で焼却し,B22の殺害に当たってはA50にB22の首を絞めさせるという旨の指示を受けた。  5 A14は,同日午前6時30分ころから,らちを実行した際に着用していた衣服を焼却するなどした後,同日午前9時30分ころ,それまでB22を意識喪失状態で管理していたA33からその引き継ぎを受け,以後,第2サティアンの1階瞑想室で,B22の意識喪失状態を保持したままその管理を続けた。  その後,A6は,同日午前10時ころ,第2サティアンを訪れ,A14に対し,「やっぱりポア。A50に首を絞めさせろ。A50にポアさせることによって徳を積ませる。A50を今後ヴァジラヤーナで使うから。」などと言い,自分の言ったとおりB22を殺害することになったという趣旨の発言をした上,塩化カリウムの注射ではなく,首を絞めることによってB22を殺害し,しかも,A50を今後教団の違法行為に関与させるために,実行役をA50にさせる旨の指示をした。そこで,A14は,まだ都内にいたA28に電話をし,A50を連れてくるように頼んだ。  A14は,その後も,B22の様子をみていたが,部屋の外にいたA45に上記の被告人からA6を介して指示された内容を伝えるために1階瞑想室から出てB22から目を離した同日午前11時ころ,前記のとおり,B22は死亡した。  A28及びA22は,A14からの上記依頼を受けて,そのころ,都内のファミリーレストランの駐車場でA50を乗せてe1村の教団施設に向かい,同日昼過ぎころ,第2サティアンに到着し,その際,A14から,B22が死亡したことや上記の被告人からA6を介して指示された内容について聞いた。  A14らは,被告人の指示に従い,A50にB22の死亡を知らせないまま,既に死亡していたB22の首を絞めさせた。その後,A14やA22らは,B22の死体を焼却するためにこれをマイクロ波焼却装置のある第2サティアン地下室に移動した。  6 その後,後記のとおり,B22の死体がマイクロ波焼却装置のドラム缶の中に入れられ,その焼却が開始された後,A28,A14及びA22は,二,三日間を要する死体焼却の監視にだれが立ち会うかについて被告人に指示を仰ぐため,同日夕方ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。すると,被告人は,それまでにA16から「B22さんが車で連れ去られたことで,大崎警察署からあなたがたは知らないかという電話が入りました。」などと報告を受け,レーザー銃をうまく使わなかったために通行人に現場を目撃され警察に通報されてしまったと思い込んでいたことから,A28ら3人に対し,「なぜ,無理してやったんだ。警察が動いてるじゃないか。レーザーを使わなかったんだろう。」としっ責し,これに対し,A28が,「レーザーは実験しましたが,使えませんでした。」などと弁明した。その後,A14が,被告人に,B22の死体の焼却にはだれが立ち会えばいいか尋ねると,被告人は,「おまえたちでやるしかないんじゃないか。」と言って,B22のらちを実行した者で責任を持って遺体を処理するよう指示した。  7 そこで,A28やA14らは,A22,A14,A50及びA47の4人が交替でB22の死体の焼却作業の監視に当たることにした。 [罪となるべき事実第2(死体損壊)]  被告人は,A28,A14及びA22らと共謀の上,同年3月1日ころから同月4日ころまでの間,第2サティアン地下室において,B22の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊したものである。 {{PD-JapanGov}} {{Inheritcat}} redf4jc71jhm6nbplq3mdzmh09h069t オウム真理教事件・麻原彰晃に対する判決文/chapter thirteen 0 51625 241728 231095 2026-04-26T15:04:49Z Route 2025 43454 241728 wikitext text/x-wiki {{header |title = XIII 地下鉄サリン事件(殺人、殺人未遂) |previous = [[../chapter_twelve|XII B22事件(逮捕監禁致死、死体損壊)]] |next = [[../chapter_fourteen|II B1事件について]]}} ⅩⅢ 地下鉄サリン事件(殺人,殺人未遂) (平成7年6月6日付け起訴状記載公訴事実・同年9月20日付け訴因変更請求書・平成9年12月2日付け訴因変更請求書) [犯行に至る経緯]  1(1) 平成7年1月1日,読売新聞朝刊に,「e1村で平成6年7月9日に悪臭騒ぎがあった際に現場から採取された土壌からサリンの残留物である有機リン系化合物が検出され,警察当局は,この悪臭騒動が松本サリン事件のほぼ12日後に起きている上,現場が隣接県にあることを重視し,山梨,長野県警合同で両事件の関連などについての解明に当たることになり,両県警では,全国警察の協力を求め,サリン生成に使う薬品の購入ルートを中心に捜査を急いでいる。」旨の記事が掲載された。被告人は,教団施設に対する捜索が近々行われるのではないかと考え,これに備えるため,A6らに対し,サリンプラントを停止して神殿化などの偽装工作をし,保管中のサリンやその中間生成物等を処分又は隠匿するよう指示した。  (2) A24は,その指示を受けて,X1棟において,残っていた青色サリン溶液等の中和処理作業をしていたが,サリン中毒になったため,A14がこれを引き継ぎ,サリン等の中和処理作業を進めた。A14は,その作業の途中,処理すべき化学物質のうちサリン生成の前段階の物質であるジフロについて,これを造るには手間がかかり,サリンプラントも使用できない状態になるとサリンを造ることができなくなることを慮り,ジフロの入った容器を持ち出して教団施設内に隠匿保管し,その後,A6やA28にジフロないしサリンの原料を隠していることを話した。  2(1) 被告人は,間近と思われた強制捜査が平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の影響により立ち消えになったものと考えていたが,A28らに実行させたB22事件がその事件直後から教団による犯行と疑われるに至り,警視庁による強制捜査の可能性がにわかに現実味を帯びてきたことから,これを避けるため,警視庁に近い帝都高速度交通営団(以下「営団」という。)地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそうと企て,A28らに指示して,同年3月15日に同駅にアタッシュケース型噴霧装置を置いてボツリヌストキシン様の液体を噴霧させたが,人を殺傷させることができず,その計画は失敗に終わった(以下,この事件を「アタッシュケース事件」という。)。  (2) 同月16日には,読売新聞に「B22事件に使われたワゴン車が押収され,車体から事件関係者のものとみられる指紋も検出された。」旨の記事が掲載されたため,被告人やA6,A28ら教団幹部は,捜査の進展に危機感を抱き,教団施設に対する大規模な強制捜査に備え,自動小銃の部品等を隠したり,B22事件にかかわった信者に対し,その記憶を消去するためにニューナルコを実施したりするなどした。  3(1) 被告人は,同月18日午前零時過ぎころから,東京都杉並区z1にある教団経営の飲食店Pにおいて,新たに正悟師に昇格したA28やA34ら教団幹部ら約20名を集めて祝いの食事会を開いた。被告人は,その際,A28やA10らに対し,「エックス・デーが来るみたいだぞ。」「なあ,X4(A10),さっきマスコミの動きがf1村の強制捜査のときと一緒だって言ったよな。」などと間近に迫ったと思われる警視庁による教団施設に対する強制捜査を話題にしていたが,同日午前2時過ぎに食事会を終え,同所からe1村の教団施設への帰途その強制捜査への対応について検討しようと考え,A6,A10,A28,A19及びA34に対し,被告人専用のリムジンに乗るよう指示した。  (2) e1村に向かうリムジン車内において,被告人が,A6らに,間近に迫っている強制捜査にどのように対応すればいいかについて意見を求めると,A6が,阪神大震災が起きたから強制捜査が来なかったと以前被告人が話していたことに言及し,これに相当するほどの事件を引き起こす必要があることを示唆するとともに,アタッシュケース事件が失敗した原因は,噴霧口が目立たないようにメッシュを付けたために噴霧されたボツリヌストキシ ンがこれに当たって噴霧されなかったことにあるのではないかなどと言った。被告人が,A28に何かないのかと聞いたところ,A28は,ボツリヌス菌ではなくてサリンであれば失敗しなかったということなんでしょうかという趣旨の意見を述べ,A6も,これに呼応して地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないかと発言し,地下鉄電車内にサリンを散布することを提案した。被告人は,首都の地下を走る密閉空間である電車内にサリンを散布するという無差別テロを実行すれば阪神大震災に匹敵する大惨事となり,間近に迫った教団に対する強制捜査もなくなるであろうと考え,「それはパニックになるかもしれないなあ。」と言ってその提案を容れ,A6に総指揮を執るよう命じ,A6もこれを承諾した。  続いて,A6が,被告人に,地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として,近く正悟師になるA53,A23,A26及びA25を使うことを提案すると,被告人は,これを了承するとともにA33も実行役に加えるよう指示した。  さらに,地下鉄電車内に散布するサリンを生成することができるか否かについても話がされ,被告人が,A19に対し,「サリン造れるか。」と聞くと,A19は「条件が整えば造れると思います。」と答え,サリンの生成に携わることを承諾した。  (3) リムジン車内では,そのほかに,地下鉄電車内におけるサリンの散布が教団によるものであることが発覚するのを防ぐために,教団が,敵対勢力に攻撃されたように見せ掛けてテロの被害者を装い,世間の同情を買うことなどについても話合いがされ,その自作自演の具体案として,A10が,教団に好意的な学者の自宅に爆弾を仕掛けることを,A28が,より直截に教団東京総本部道場を爆破することをそれぞれ提案したところ,被告人は,その双方を採用し,学者の自宅に爆弾を仕掛け,東京総本部道場には火炎瓶を投げるよう指示した。  (4) また,被告人は,e1村の教団施設に向かうリムジン車内において,A28に対しても,東京における現場指揮を命じてその承諾を得,このようにして,被告人は,東京の地下鉄電車内にサリンを散布する無差別殺りく計画について,A6には総指揮を,A19にはサリンの生成を,A28には現場指揮をそれぞれ指示してその承諾を得,同人ら3名との間でその共謀を遂げた(以下,この共謀を「リムジン謀議」という。)。  4 被告人らを乗せたリムジンは,同月18日午前4時ころ,e1村の教団施設に到着した。  A6は,同日午前8時か9時ころ,第6サティアン3階のA6の部屋に呼び集めたA53,A33,A23及びA26に対し,「君たちにやってもらいたいことがある。これは…」と言って顔や視線を上に向けた後,「からだからね。」と言いながら顔及び視線を元に戻す仕草をして,上の者,すなわち,被告人からの指示であることを示した上で,「近く強制捜査がある。騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく。嫌だったら断ってもいいんだよ。」と言うと,4名共それが被告人の指示によるものであることを認識した上でその実行役となることを承諾した。  A6は,引き続き,「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は,公安警察,検察,裁判所に勤務する者であり,これらの者は霞ヶ関駅で降りる。実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば,密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう。」と言い,さらに,A53らに対し,サリン散布の方法について,被告人の案であると断った上で,ジュース等の容器にサリンを入れてふたをし,散布するときにふたを開けて転がしてサリンを流出させるという方法を挙げ,他にいい考えがあれば考えておくように言った。また,A6は,実行役はかつらで変装する旨の被告人の指示や,実行役一人当たりのサリン散布量が約200ミリリットルであること,A25も実行役の一員であり,A28もこの計画に加わることなどを伝え,A53に対しA28との連絡役を務めるよう指示した。  5(1) A6は,同月18日夕方ころ,第6サティアン3階のA6の部屋に集まったA23,A26,A28及びA53と共に,営団地下鉄千代田線(以下「千代田線」という。),同丸ノ内線(以下「丸ノ内線」という。),同日比谷線(以下「日比谷線」という。)の各霞ヶ関駅について駅付近の略図,各駅からの所要時間,出口に近い車両等を示した図等が記載されているA28の持参した「地下鉄最新ガイドマップ」等を見ながら,サリンを散布する地下鉄の路線や散布する時刻等について検討し,日比谷線,丸ノ内線及び千代田線の3路線5方面の電車内で,同月20日の乗客の多い時間帯である午前8時に一斉にサリンを散布することなどを決めた。  その際,A28は,A6らに対し,実行役らが都内で集まる場所として諜報省の部屋を使うことができる旨申し出たほか,実行役の乗車駅までの搬送及び降車駅からの逃走のために自動車5台及び運転手5人が必要であることを説明し,A6も納得してその件は被告人に聞いてみる旨述べた。  (2) A28は,A6の部屋での話合いが終わった後,A53に対し,準備ができ次第,実行役並びに運転手役候補者のA20,A36及びA51を連れて,諜報省が東京における拠点の一つとして使用しているs1の家に行くよう指示した。  (3) A6は,同月18日夜,第6サティアン3階のA6の部屋で,A25に対し,地下鉄にサリンを散布する仕事をすること及びA28や他の実行役と連絡して行動することを指示し,A25はこれを承諾した。  6(1) ところで,A6は,リムジン謀議後,第6サティアン2階のA14の部屋に行き,A14に対し,「できるだけ早くサリンを造ってくれ。造れるだけ造ってくれ。地下鉄でサリンを使うんだ。」などと言って,A14の隠匿しているジフロを使ってA19らと共にサリンを生成するよう指示していたが,A14はこれを承諾し,同月18日夕方までに,隠匿していたジフロをX5棟に持参し,A19に渡した。A19は,青色サリン溶液をはじめこれまで教団で造ったサリンは最終工程においてジフロとジクロにイソプロピルアルコールを反応させて生成していたが今回はジクロがないことからジクロを使わないでジフロからサリンを生成せざるを得ず,そのためにはジフロにイソプロピルアルコールを加えればよいとされているものの,具体的な生成方法をも含めて検討する必要があると考え,A24に対し,ジフロからサリンを生成する方法について尋ねるとともに,A14から渡されたジフロが本当にジフロであるかどうかについて分析を依頼した。  (2) A19は,同日午後11時ころ,A6に連れられて第6サティアン1階の被告人の部屋を訪れた。その際,被告人は,A19に対し,「X5,サリン造れよ。」などと言い,責任を持ってサリンの生成に取り組むよう念を押した。  (3) A19は,その後,A14を呼び出して,A24から教わった生成方法に基づき,さらに具体的に議論を交わし,A24に相談するなどした上で,ヘキサンを溶媒として,NNジエチルアニリンを反応促進剤としてそれぞれ使いジフロにイソプロピルアルコールを滴下するという方法でサリンを生成することを決め,A24に対し,ジフロからサリンを生成するために必要な薬品等の量に関する物質収支メモを作成するよう依頼した。  7 A53は,同月19日午前8時ころ,A6から,皆で東京に行くように言われ,A23,A25,A26,A20,A36及びA51と共に自動車2台に分乗して出発し,同日午前11時ころs1の家に着き,待機していた。しかし,A28が来ないことから,A53が中心になって,実行役がサリンを電車内に散布する担当路線等について話合いがされ,その結果,A53が日比谷線中目黒方面行き,A25が同線北千住方面行き,A23が丸ノ内線荻窪方面行き,A26が同線池袋方面行き,A33が千代田線代々木上原方面行きの各電車内でサリンを散布することが決められ,さらに,乗降車駅や乗車時刻等についても話合いがされ,引き続き,下見や買い物等に行くことになった。  A53ら7名は,同日午後1時30分ころ,新宿に出て食事をしたり,ワイシャツやネクタイ,変装用のかつらや眼鏡等を購入したりした後,二手に分かれ,A53,A25及びA51はそのまま新宿でサリンを入れるのに適当な容器に入っている食料品を買うなどし,A23,A26,A20及びA36は,降車駅となる丸ノ内線四ッ谷駅や同線御茶ノ水駅を下見するなどして,7名は,同日午後7時ころまでに,s1の家に戻った。  8 前日の夜責任を持ってサリンの生成に取り組むよう念を押されたA19は,同月19日正午前ころ,A6に連れられて第6サティアン1階の被告人の部屋を訪れた際,被告人から,「まだ,やっていないんだろう。」と言われて早くサリンの生成に着手するよう暗に指示され,部屋を出た後,A6からも「早くやってくれ。今日中にやってくれ。」などと督促された。  9 一方,A6及びA28は,同日午後1時過ぎころ,被告人に運転手役の人選や実行役との組合せ等について指示を仰ぐため,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。被告人は,サリンの生成など犯行の準備が進んでいないことにいら立ち,A6及びA28に対し,同人らの覚悟を確かめるため,「おまえら,やる気ないみたいだから,今回はやめにしようか。」と言い,同人らが黙っていると,被告人は,さらに「X13(A28),どうだ。」と聞いた。これに対し,A28は,「尊師の指示に従います。」と答え,A6も「X2師(A23)たちもやる気満々で,みんな下見に出掛けています。」などと答え,計画を実行する意思の強いことを示したので,被告人は,「じゃ,おまえたちに任せる。」と言った。  その後,A6が,被告人に対し,実行役の搬送及び逃走用の車の運転手役等について指示を仰いだところ,被告人は,A7,A20,A54,A43及びA47を運転手役として人選した上,A33とA7,A53とA20,A26とA54,A23とA43,A25とA47をそれぞれ組み合わせて実行するよう指示した。  10 A6及びA28は,被告人の部屋を出た後,今後の段取りについて相談の上,二人で手分けして実行役及び運転手役に連絡して,実行役及び運転手役全員を,同日午後8時ころ,諜報省の東京における活動拠点の一つである東京都渋谷区a2所在のQに集めることや,A28が都内ナンバーの自動車を5台用意することなどを決めた。  11 A28は,同日午後3時半過ぎにe1村の教団施設を出発して同日午後7時ころs1の家に到着し,待機していたA53らに対し,被告人の指示により運転手役がA7,A20,A54,A43及びA47の5名に決まったことなどを告げ,実行役及び運転手役に対しQに移動するよう指示し,A47に対し地下鉄にサリンを散布する計画を打ち明けその運転手役を務めるよう伝えた。  その後,A28は,リムジン謀議に基づき,2件の自作自演事件を実行するために,配下の信者らと共に,同日午後7時25分ころ,前記学者宅の前に時限爆弾を仕掛けて実際に爆発させ,続いて,教団の東京総本部道場に火炎瓶を投げ込むなどして騒ぎを起こし,いずれについても,現場に教団を誹謗する犯行声明文を置き,教団の敵対勢力による教団を対象としたテロであるように装った。  12 A6やA28の指示を受けた実行役のA53,A25,A23,A26及びA33並びに運転手役のA20,A47,A43,A54及びA7にA28を加えた合計11名は,同日午後9時過ぎころまでに,Qに集結した。  A28は,同日午後10時ころまでの間に,同所において,実行役及び運転手役計10名に対し,散布するサリンの量が実行役1人につき1リットルになったことを伝えたほか,日比谷線中目黒方面行きはA53とA20,同線北千住方面行きはA25とA47,丸ノ内線荻窪方面行きはA23とA43,同線池袋方面行きはA26とA54,千代田線代々木上原方面行きはA33とA7がそれぞれ担当すること,サリン散布後降車する駅については,A53が秋葉原駅,A25が恵比寿駅,A23が御茶ノ水駅,A26が四ッ谷駅,A33が新御茶ノ水駅であること,サリンを散布する時刻はいずれの路線も同月20日午前8時とし,降車駅で降車する直前に電車内でサリンを散布すること,実行役は降車駅の二つか三つ手前の駅で乗車することとするが,午前8時にサリンを散布してその直後に降車駅で降車できるような電車を選び,しかも,霞ヶ関駅において警視庁への出口に近い車両に乗車するこ となどを指示した。  その後,実行役及び運転手役らは,同日午後10時ころ,数台の自動車に分乗して,それぞれの担当する路線の乗降駅に行って下見をし,乗車駅で乗車すべき電車の発車時刻や,サリン散布後の降車駅における待ち合わせ場所等を確認するなどし,Qに戻った。  13(1) 一方,被告人やA6から早くサリンを生成するよう言われたA19は,A14らと共に,A24の作成した前記物質収支メモ等に基づき,必要な薬品や器具等を準備し,同月19日夕方ころ,強制排気装置が残されているX5棟内のドラフトルームで,ジフロ,ヘキサン,NNジエチルアニリンの溶液にイソプロピルアルコールの滴下を始めてサリンの生成を開始し,A24の協力を得てその溶液を加熱するなどしてこれを反応させ,同日午後 8時ころ,ヘキサン,NNジエチルアニリンのほかサリンを約30%含有する約5ないし6リットルの溶液(以下「サリン混合液」という。)を生成した。サリン混合液は上下2層に分かれたが,A24がGC/MSにより分析した結果,いずれもサリンを含有することを確認した。  (2) A19は,サリン混合液からサリンだけを分留することを考えたが,A24から1日くらいかかると言われたことから,被告人の指示を仰ぐため,同日午後10時30分ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行き,被告人に対し,「できたみたいです。ただし,まだ純粋な形ではなく,混合物です。」と報告すると,被告人は,「X5,いいよ,それで。それ以上やらなくていいから。」と,サリンを分留することなくそのまま使って構わない旨答えた。  (3) 被告人は,そのころまでに,サリンの散布方法について,A6と検討した上,サリンを袋詰めにし,これを先のとがった傘で突き刺してサリンを流出させ,気化させる方法を採用することにし,その意を受けたA6の指示により,A14は,既に約20㎝四方の四角形の密閉ナイロン・ポリエチレン袋(以下,単に「ビニール袋」という。)の一角が切り取られ注入口となっている五角形のビニール袋を作っていた。  (4) A19及びA14は,サリンの分留が不要になったことから,A6の指示に基づき,その五角形のビニール袋に,1袋当たりサリン混合液を約500gないし約600gずつ注入した上注入口をシーラーで圧着するなどして,サリン混合液入りのビニール袋(以下「サリン入りビニール袋」という。)を11個作り,さらに,A6の指示を受け,実行時までのサリンの漏出に備え,いずれも新たに作った一回り大きいビニール袋に入れてビニール袋を二重にした後,段ボール箱に入れた。  14(1) A28は,同月20日午前零時ころ,まだサリンがQに届けられていなかったことから,サリンを受け取るためにe1村の教団施設に向かった。  (2) 被告人は,実行役にサリン散布方法について練習をさせておくことが必要であると考え,A6にその旨指示した。A6は,A28に連絡して実行役全員をe1村の教団施設に呼び戻させようとしたが,A28となかなか連絡がとれなかったため,A53に直接,実行役5名全員で第7サティアンに戻ってくるよう指示した。A53ら実行役5名は,同日午前2時ころ,A20及びA54の運転で普通乗用自動車2台に分乗してQを出発して第7サティアンに向かった。  (3) A28は,同日午前2時ころ,e1村の教団施設に到着し,第6サティアン1階の被告人の部屋に行き,被告人に自作自演事件を実行したことを報告した。被告人は,A6からA28がe1村の教団施設に向かっていて連絡がとれないことを聞いていたため,A28に対し,「何でおまえは勝手に動くんだ。」と怒った。そのとき,A6が同所にきて被告人に対し,1時間余りで実行役が第7サティアンにやってくることや,まだ傘を買っていないようであることを伝えた。  (4) その後,A19が前記サリン入りビニール袋11個を入れた段ボール箱を持って同所に来て,被告人に対し,中にサリンが入っていることを説明し,被告人のエネルギーを注入することによってその物の効果を高める儀式である修法を求めてきたことから,被告人は,A19にそれを持たせたまま,段ボール箱の下に手を触れて瞑想をし修法を終えた。  15(1) A6は,被告人の部屋から出た後,A28に指示し,同日午前2時30分ころ,コンビニエンスストアーでビニール傘7本を購入させた上,A21に指示して傘の先をグラインダーで削って鋭くさせた。  (2) A53ら実行役5名は,同日午前3時ころ,第7サティアンに到着した。A6は,第7サティアン1階で,実行役5名に対し,先をとがらせた傘の先端でサリン入りビニール袋を突き刺してサリンを流出させ,気化させる方法でサリンを散布することを説明した上,サリン入りビニール袋はビニール袋が二重になっているので,実行前に外側のビニール袋を取り外すこと,傘の先端に付いたサリンは水で洗い流し,傘は持ち帰ることなどを注意した。そして,実行役5名は,A6の指示でA19が作った水入りビニール袋を使い,これをビニール傘の先端で突き刺す練習をした。その結果,乗客に不審を抱かれないようサリン入りビニール袋は新聞紙で包み,それを傘の先端で突き刺すことになった。  (3) 続いて,実行役5名は,A6から,サリン入りビニール袋が11個ある旨の説明を受け,A53が3個,他の4名の実行役が2個ずつを引き受けることになり,A6から,サリン入りビニール袋11個及び前記ビニール傘5本を受け取った。  また,A19は,A14から受け取っていた予防薬のメスチノンの錠剤を実行役5名に1錠ずつ配り,サリンを散布する2時間前にこの錠剤を飲むように言った。  さらに,A6は,料金所の係員に目撃されないよう,A53らに対し,被告人の指示として,東京への帰り道では河口湖インターチェンジを通行しないように伝えた。  (4) A53ら実行役5名は,普通乗用自動車2台に分乗して,同日午前5時ころ,Qに戻った。  16(1) 実行役5名は,Qで,サリン入りビニール袋を先に決めたとおり分配してA53がそのうち内側のビニール袋からサリン混合液が漏れているもの1個を含む3個を,他の実行役4名は2個ずつを持ち,メスチノンを服用し,着替えをするなどした。また,A33が,他の実行役4名に対し,サリン中毒にかかったと思ったらこれを注射をするようにと言って,あらかじめ用意していた硫酸アトロピン入りの注射器を配った。  なお,A28は,A47やA53らに指示するなどして,同日午前6時ころまでに,在家信徒や出家信者から普通乗用自動車5台を借り受けてこれを用意していた。  (2) 実行役5名は,同日午前6時前後ころ,サリン入りビニール袋及びビニール傘等を用意するなど準備を終えた者から相前後して,それぞれの運転手役と共に,普通乗用自動車5台に分乗し,Qを出発した。  17(1) A53は,A20の運転する普通乗用自動車で,日比谷線上野駅まで送られる途中,新聞等を購入してサリン入りビニール袋3個を新聞紙で包むなどし,上野駅到着後,その新聞包みとビニール傘を入れた手提げ紙袋を持って自動車から降り,時間調整をするなどした後,上野駅かあるいは仲御徒町駅において,北千住始発中目黒行き日比谷線A720S電車に乗車し,次の秋葉原駅に到着するまでの間に,同電車の第3車両において,上記新聞包みを車両床上に落とし,ビニール傘を取り出した。  (2) A25は,A47の運転する普通乗用自動車で,日比谷線中目黒駅まで送られる途中,新聞を購入してサリン入りビニール袋2個を新聞紙で包むなどし,中目黒駅到着後,その新聞包みを入れたかばんとビニール傘を持って自動車から降り,時間調整をするなどした後,午前7時59分ころ発の同駅始発東武動物公園行き日比谷線B711T電車の第1車両に乗車し,次の恵比寿駅に到着するまでに,上記新聞包みを車両床上に置いた。  (3) A23は,A43の運転する普通乗用自動車で,丸ノ内線四ッ谷駅まで送られた後,サリン入りビニール袋2個を入れたかばんやビニール傘等を持って,丸ノ内線,JR線で池袋駅に行き,新聞を購入してサリン入りビニール袋2個を新聞紙で包むなどし,時間調整をした後,午前7時47分ころ発の同駅始発荻窪行き丸ノ内線A777電車に乗車し,御茶ノ水駅に到着するまでに,その第3車両において,かばんから上記新聞包みを取り出そうとしてむき出しになったサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。  (4) A33は,A7の運転する普通乗用自動車で,千代田線千駄木駅まで送られる途中,購入した新聞紙でサリン入りビニール袋2個を包むなどし,同駅到着後,その新聞包みを入れたショルダーバッグとビニール傘を持って自動車から降り,時間調整をするなどした後,同線北千住駅から,同駅午前7時48分ころ発の我孫子始発代々木上原行き千代田線A725K電車の第1車両に乗車し,新御茶ノ水駅に到着するまでに,上記新聞包みを車両床上に落とした。  (5) A26は,A54の運転する普通乗用自動車で送られ,サリン入りビニール袋2個を新聞紙で包むなどし,時間調整をした後,その新聞包み及びビニール傘を持って,荻窪始発池袋行き丸ノ内線B701電車に四ッ谷駅手前の駅で乗車し,四ッ谷駅に到着するまでに,その第5車両において,上記新聞包みを車両床上に移動した。 [罪となるべき事実]  被告人は,A6,A28,A19,A24,A14,A53,A25,A23,A33,A26,A20,A47,A43,A7,A54と共謀の上,いずれも東京都千代田区b2所在の営団地下鉄霞ヶ関駅に停車する日比谷線,千代田線及び丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客等を殺害しようと企て, 第1 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都千代田区c2所在の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住始発中目黒行き電車(A720S)内において,A53が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋3個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記秋葉原駅から東京都中央区d2所在の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において,後記の表1番号1ないし8記載のとおり,B23(当時33歳)ほか7人をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前8時2分ころないし同日午前8時30分ころから平成8年6月11日午前10時40分ころまでの間,同区e2所在の同線小伝馬町駅構内又はその付近ほか7か所において,同表番号1ないし7記載のB23ほか6人をサリン中毒により,同表番号8記載のB30(当時51歳)をサリン中毒に起因する敗血症により,それぞれ死亡させて殺害するとともに,後記の表2-1記載のとおり,B35(当時35歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった 第2 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都渋谷区f2所在の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒始発東武動物公園行き電車(B711T)内において,A25が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記恵比寿駅から前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内又は東京都港区g2所在の同線神谷町駅構内において,表1番号9記載のとおり,B31(当時92歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前8時11分ころないし同日午前8時43分ころ,上記神谷町駅構内において,同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2-2記載のとおり,B38(当時61歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった 第3 同日午前7時59分ころ,東京都文京区h2所在の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋始発荻窪行き電車(A777)内において,A23が,サリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記御茶ノ水駅から東京都中野区j2所在の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は上記中野坂上駅構内において,表1番号10記載のとおり,B32(当時54歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同月21日午前6時35分ころ,東京都新宿区所在のE22病院において,同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2-3記載のとおり,B40(当時31歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった 第4 同月20日午前8時ころ,東京都千代田区k2先所在の千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子始発代々木上原行き電車(A725K)内において,A33が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記新御茶ノ水駅から同区l2所在の同線国会議事堂前駅に至る間の同電車内又は前記の同線霞ヶ関駅構内において,表1番号11及び12記載のとおり,B33(当時50歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前9時23分ころから同月21日午前4時46分ころまでの間,同区所在のE30病院ほか1か所において,B33ほか1人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2-4記載のとおり,B43(当時25歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中 毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった 第5 同月20日午前8時ころ,東京都新宿区n2所在の丸ノ内線四ッ谷駅直前付近を走行中の荻窪始発池袋行き電車(B701)内において,A26が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記四ッ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記の同線霞ヶ関駅に至る間の同電車内において,後記の表2-5記載のとおり,B45(当時37歳)ほか3人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかったものである。                記 表1 │ │被害者氏名(年齢) │ B23 (当時33歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前8時2分ころないし同│ │ │ │日午前8時30分ころ │ │ │死亡場所 │ 小伝馬町駅構内又はその付近 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B24 (当時29歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前10時2分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 中央区o2 E23クリニック │ │ │被害者氏名(年齢) │ B25 (当時50歳) │ │3│吸入等の場所(東京都)│ 第1記載の電車内又は中央区p2所在の日比谷│ │ │ │線八丁堀駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前10時30分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 新宿区所在のE24病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B26 (当時42歳) │ │4│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は築地駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前10時30分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 渋谷区所在のE25病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B27 (当時64歳) │ │5│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は築地駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月22日午前7時10分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 千代田区所在のE26病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B28 (当時53歳) │ │6│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年4月1日午後10時52分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 千代田区q2 E27病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B29 (当時21歳) │ │7│吸入等の場所(東京都)│ 第1記載の電車内又は小伝馬町駅,中央区r2│ │ │ │所在の日比谷線人形町駅若しくは茅場町駅のいず│ │ │ │れかの駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年4月16日午後2時16分ころ │ │ │死亡場所(東京都) │ 中央区所在のE28病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B30 (当時51歳) │ │8│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は築地駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成8年6月11日午前10時40分ころ │ │ │死亡場所(千葉県) │ 松戸市s2 E29病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B31 (当時92歳) │ │9│吸入等の場所 │ 第2記載の電車内又は神谷町駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前8時11分ころないし│ │ │ │同日午前8時43分ころ │ │ │死亡場所 │ 神谷町駅構内 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B32 (当時54歳) │ │10│吸入等の場所 │ 第3記載の電車内又は中野坂上駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月21日午前6時35分ころ │ │ │死亡場所 │ 第3記載のE22病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B33 (当時50歳) │ │11│吸入等の場所 │ 千代田線霞ヶ関駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月20日午前9時23分ころ │ │ │死亡場所 │ 第4記載のE30病院 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B34 (当時51歳) │ │12│吸入等の場所 │ 千代田線霞ヶ関駅構内 │ │ │死亡日時 │ 平成7年3月21日午前4時46分ころ │ │ │死亡場所 │ 前記E26病院 │ │ │ │ │ 表2-1 │ │被害者氏名(年齢) │ B35 (当時35歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内又は築地駅構内 │ │ │加療等期間 │ 不 詳 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B36 (当時51歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第1記載の小伝馬町駅構内 │ │ │加療等期間 │ 104日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B37 (当時59歳) │ │3│吸入等の場所 │ 第1記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 103日間 │ 表2-2 │ │被害者氏名(年齢) │ B38 (当時61歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第2記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 58日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B39 (当時23歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第2記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 36日間 │ 表2-3 │ │被害者氏名(年齢) │ B40 (当時31歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第3記載の電車内又は中野坂上駅構内 │ │ │加療等期間 │ 不 詳 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B41 (当時53歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第3記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 67日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B42 (当時60歳) │ │3│吸入等の場所 │ 第3記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 61日間 │ 表2-4 │ │被害者氏名(年齢) │ B43 (当時25歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第4記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 73日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B44 (当時23歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第4記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 73日間 │ 表2-5 │ │被害者氏名(年齢) │ B45 (当時37歳) │ │1│吸入等の場所 │ 第5記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 60日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B46 (当時51歳) │ │2│吸入等の場所 │ 第5記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 43日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B47 (当時25歳) │ │3│吸入等の場所 │ 第5記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 37日間 │ │ │被害者氏名(年齢) │ B48 (当時25歳) │ │4│吸入等の場所 │ 第5記載の電車内 │ │ │加療等期間 │ 37日間 │ {{PD-JapanGov}} {{Inheritcat}} s3mcer7x52st2nm00hqkg0gj8f17ft4 利用者:AntiquatedMan2025/國譯大藏經昭和新纂 2 55247 241740 239564 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司教ルキフェルス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第94章 哲学者アステリオス|第94章 哲学者アステリオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第96章 エウセビウス、もう一人の司教|第96章 エウセビウス、もう一人の司教]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Lucifer the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Lucifer the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 095}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第95章== << 司教ルキフェルス >> カリアリ(Cagliari) の司教ルキフェルス<ref>司教 353年、370年没。</ref>は、ローマ教会の聖職者であるパンクラティウスとヒラリウスと共に、司教リベリウスによって信仰の使節としてコンスタンティウス皇帝のもとへ派遣された。アタナシオスが代表するニカイア信仰を非難することを拒否したルキフェルスは、再びパレスチナへ派遣され、驚くべき不屈の精神と殉教を覚悟して、コンスタンティウス皇帝に対する書物を書いて皇帝に読ませ、その後まもなくユリアヌス皇帝の治世にカリアリに戻り、ヴァレンティニアヌス帝の治世に亡くなった。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第95章 司教ルキフェルス#第95章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Lucifer the bishop]] を翻訳 --> 8wv8692bsgnc3ho30i54fk4jjgbqn1f ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第96章 エウセビウス、もう一人の司教 0 56211 241725 2026-04-26T13:31:57Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius another bishop]] を翻訳 241725 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第96章 エウセビウス、もう一人の司教 | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第95章 司教ルキフェルス|第95章 司教ルキフェルス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第97章 司教フォルトゥナティアヌス|第97章 司教フォルトゥナティアヌス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius another bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius another bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 096}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第96章== << エウセビウス、もう一人の司教 >> サルデーニャ出身のエウセビウス<ref>315年頃生まれ、340年頃司教、355年から362年にかけて追放され、371年から375年にかけて死去。</ref>は、最初はローマで朗読教師を務め、その後ヴェルチェッリの司教となり、コンスタンティウス帝によってスキトポリス、そして後にカッパドキアに派遣された。信仰告白のため、ユリアヌス帝の時代に教会に戻り、ギリシャ語からラテン語に翻訳したカイサリアのエウセビオスの詩篇注解を出版し、ヴァレンティアヌス帝とヴァレンス帝の治世中に亡くなった。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第96章 エウセビウス、もう一人の司教#第96章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius another bishop]] を翻訳 --> o1y2or3xaqzmf01xdqqb9r78mm6iern ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第97章 司教フォルトゥナティアヌス 0 56212 241726 2026-04-26T14:02:03Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Fortunatianus the bishop]] を翻訳 241726 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第97章 司教フォルトゥナティアヌス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第96章 エウセビウス、もう一人の司教|第96章 エウセビウス、もう一人の司教]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第98章 司教アカキオス|第98章 司教アカキオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Fortunatianus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Fortunatianus the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 097}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第97章== << 司教フォルトゥナティアヌス >> フォルトゥナティアヌス<ref>343~355年に活躍した。</ref>はアフリカ生まれで、コンスタンティウス帝の治世中にアクイレイア(Aquilia) の司教を務め、福音書を章ごとに整理した簡潔な注釈書を素朴な文体で著したが、ローマの司教リベリウスが信仰のために追放された際、フォルトゥナティアヌスの切迫した主張によって異端に加担させられたため、忌み嫌われている。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第97章 司教フォルトゥナティアヌス#第97章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Fortunatianus the bishop]] を翻訳 --> ac9m4sbv8dpml73kthyitxo5yusa9yz ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第98章 司教アカキオス 0 56213 241727 2026-04-26T14:14:12Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acacius the bishop]] を翻訳 241727 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第98章 司教アカキオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第97章 司教フォルトゥナティアヌス|第97章 司教フォルトゥナティアヌス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ 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{{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acacius the bishop]] を翻訳 --> 3yfpbt3fro6e4916zgh47onosqu2rbf ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第99章 司教セラピオン 0 56214 241731 2026-04-26T16:21:14Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Serapion the bishop]] を翻訳 241731 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第99章 司教セラピオン | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第98章 司教アカキオス|第98章 司教アカキオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第100章 司教ヒラリウス|第100章 司教ヒラリウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip 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the bishop]] を翻訳 --> kv9a5ai845l3te09asg467stusqxc8l ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第100章 司教ヒラリウス 0 56215 241732 2026-04-26T17:30:42Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Hilary the bishop]] を翻訳 241732 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第100章 司教ヒラリウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第99章 司教セラピオン|第99章 司教セラピオン]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第101章 弁論学者ウィクトリヌス|第101章 弁論学者ウィクトリヌス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Hilary the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Hilary the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 100}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第100章== << 司教ヒラリウス >> アクイタニアのポワティエの司教ヒラリウス<ref>司教在位350~355年、追放356~360年、ポワティエで死去367~368年。</ref>は、アルルの司教サトゥルニヌスの派に属していた。ベジエ(Béziers) の教会会議によってフリギアに追放された彼は、12巻からなる『アリウス派駁論』と、ガリアの司教たちに宛てた『教会会議論』、そして詩篇の注釈書(第1篇と第2篇、第51篇から第62篇まで、第118篇から詩篇の終わりまで)を著した。この著作ではオリゲネスを模倣したが、独自の内容も加えている。彼がコンスタンティノープルに住んでいた時に皇帝に献上した『コンスタンティウスへ』という小冊子、彼の死後に書いた『コンスタンティウスについて』、アリミヌム教会会議とセレウキア教会会議の歴史を収録した『ヴァレンスとウルサキウスへの反論』、総督サッルスティウスへ、あるいは『ディオスクロスへの反論』、賛歌と秘儀の書、マタイによる福音書の注釈、オリゲネスのギリシア語から自由に翻訳した『ヨブ記』、そして『アウクセンティウスへの反論』という優雅な小冊子、そして様々な人物への書簡などがある。彼は『雅歌について』を書いたと言われているが、この作品は知られていない。彼はヴァレンティニアヌスとヴァレンスの治世中にポワティエで亡くなった。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第100章 司教ヒラリウス#第100章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Hilary the bishop]] を翻訳 --> crxqra0eh7aedwp2c2qpfesfbz8wquj ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第109章 盲目のディデュモス 0 56216 241733 2026-04-26T18:30:43Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind]] を翻訳 241733 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第109章 盲目のディデュモス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第108章 司教フォエバディウス|第108章 司教フォエバディウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第110章 司教オプタトゥス|第110章 司教オプタトゥス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 109}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第109章== << 盲目のディデュモス >> アレクサンドリアのディデュモス<ref>311年頃に生まれ、315年頃に活躍し、396年に亡くなった。</ref>は、非常に若い頃に失明し、そのため学問の基礎を知らなかったにもかかわらず、特に視力を必要とする学問である弁証法や幾何学を完璧に習得するという、驚くべき知性を示した。彼は多くの素晴らしい著作を残した。詩篇全篇の注釈、マタイとヨハネの福音書の注釈、教義に関する著作、またアリウス派に対する2巻の書、私がラテン語に翻訳した聖霊に関する1巻の書、イザヤ書に関する18巻の書、私に宛てられたホセア書に関する3巻の注釈、私の依頼で書かれたゼカリヤ書に関する5巻の書、またヨブ記に関する注釈、その他多くの著作があり、それらすべてを説明するにはそれだけで一冊の本になるだろう<ref>それ自体「そのタイトルはよく知られている。」マトゥグ(Benoist de Matougues)。</ref>。彼は今も存命で、すでに83歳を超えている。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第109章 盲目のディデュモス#第109章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind]] を翻訳 --> f8dq5jp74pryx5m71g1rlc4wa4g9u00 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第110章 司教オプタトゥス 0 56217 241734 2026-04-26T18:40:02Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Optatus the bishop]] を翻訳 241734 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第110章 司教オプタトゥス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第109章 盲目のディデュモス|第109章 盲目のディデュモス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス|第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 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Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Optatus the bishop]] を翻訳 --> gnr1wgdojgenzi1uabkcyx0e0s5aor2 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス 0 56218 241735 2026-04-26T18:53:39Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acilius Severus the senator]] を翻訳 241735 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第110章 司教オプタトゥス|第110章 司教オプタトゥス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第112章 司教キュリロス|第112章 司教キュリロス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acilius Severus the senator|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acilius Severus the senator]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 111}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第111章== << 元老院議員アキリウス・セウェルス >> ラクタンティウスの2巻の書簡集が宛てられているセウェルス家の出身であるスペインのアキリウス・セウェルス<ref>376年以前に死去。ファブリキウスとミーニュはアクィルスと読み、ホノリウスはアキリウスとしているが、写本は上記のように読む。これが唯一の情報源であり、作品は失われている。</ref>は、詩と散文を混ぜ合わせた、彼の生涯の手引き書のような書物を著した。彼はこれを『災難』または『試練』と呼んだ<ref>試練「変遷か証明か」マトゥグ(Benoist de Matougues)。</ref>。彼はヴァレンティニアヌス帝の治世に亡くなった。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス#第111章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Acilius Severus the senator]] を翻訳 --> rwp2srunvwkjalef2iltfw52whisfij ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第112章 司教キュリロス 0 56219 241736 2026-04-26T19:04:49Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop]] を翻訳 241736 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第112章 司教キュリロス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス|第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第113章 司教エウゾイウス|第113章 司教エウゾイウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 112}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第112章== << 司教キュリロス >> エルサレムの司教キュリロス<ref>エルサレムのキュリロス、315年頃生まれ、350~357年、359~360年、362~367年、378年から386年に死去するまで司教を務めた。</ref>は、教会からしばしば追放され、最終的に受け入れられ、テオドシウス帝の治世中に8年間連続して司教職を務めた。彼が若い頃に書いたいくつかの『教理講話』が現存している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第112章 司教キュリロス#第112章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop]] を翻訳 --> l99a87voi1v0powa2f7xkn8lxhq2r7e 241738 241736 2026-04-26T22:07:51Z 村田ラジオ 14210 ヘッダー:next 241738 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第112章 司教キュリロス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス|第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第113章 司教エウゾイオス|第113章 司教エウゾイオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 112}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第112章== << 司教キュリロス >> エルサレムの司教キュリロス<ref>エルサレムのキュリロス、315年頃生まれ、350~357年、359~360年、362~367年、378年から386年に死去するまで司教を務めた。</ref>は、教会からしばしば追放され、最終的に受け入れられ、テオドシウス帝の治世中に8年間連続して司教職を務めた。彼が若い頃に書いたいくつかの『教理講話』が現存している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第112章 司教キュリロス#第112章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Cyril the bishop]] を翻訳 --> duwm3c633ie4pum8ycz2ntqdiz2x1ld 天文学ニュース/第46巻/バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について 0 56220 241741 2026-04-26T22:50:49Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241741 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | 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がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することです。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信しています。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能でしょう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分でしょう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられます。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されています。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械ですが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行しました。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができます。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定です。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられます。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができます。この方法により、個々の転写は完璧なものとなります。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいています。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られています。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能です。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるでしょう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことです。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} hpoaecdn4vgg36vpmbu2o7srf8p0j7f 241745 241741 2026-04-26T22:53:30Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241745 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | 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がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することです。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信しています。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能でしょう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分でしょう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられます。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されています。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械ですが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行しました。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができます。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定です。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられます。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができます。この方法により、個々の転写は完璧なものとなります。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいています。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られています。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能です。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるでしょう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことです。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられます。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表です。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表があります。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれます。これらを順に説明します。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明しています。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いありません。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれています。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷されました。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれています。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼しました。これらは指示に従って印刷されました。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでM.クレレによって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大です。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからです。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいきます。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版されました。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張されました。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約されます。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続けます。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つです。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算しています。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約されます。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからです。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用しました。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずです。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表しています。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できます。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につきコンピュータで約 10 分かかるでしょう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいでしょう。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} trxaewtepd6plbej15ncu4y5fqboo4j 241746 241745 2026-04-26T22:55:05Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241746 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = 階差機関 | commons = | commonscat = Difference engines | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == バベッジ氏が開発した、数学表や天文表の計算と印刷を行うための新しい機械について == <br/>F. ベイリー <br/>ロンドン、1823年11月28日 バベッジ氏の この発明は、部品の配置に見られる創意工夫と技術、そしてその結果の大きな有用性と重要性のいずれを考慮しても、現代において最も興味深く重要な発明の一つと言えるでしょう。この発明が最も促進するのに適した特定の科学分野に及ぼすであろう影響は、蒸気機関の導入後に起こった技術の急速な進歩に匹敵するものであり、その進歩はあまりにも有名なのでここでは言及しません。 バベッジ氏 がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することです。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信しています。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能でしょう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分でしょう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられます。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されています。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械ですが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行しました。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができます。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定です。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられます。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができます。この方法により、個々の転写は完璧なものとなります。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいています。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られています。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能です。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるでしょう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことです。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられます。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表です。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表があります。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれます。これらを順に説明します。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明しています。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いありません。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれています。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷されました。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれています。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼しました。これらは指示に従って印刷されました。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでM.クレレによって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大です。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからです。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいきます。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版されました。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張されました。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約されます。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続けます。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つです。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算しています。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約されます。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからです。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用しました。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずです。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表しています。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できます。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につきコンピュータで約 10 分かかるでしょう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいでしょう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供しています。後者の著者は差分を用いて表を作成しましたが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できます。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立ちます。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になります。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければなりません。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものです。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できます。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定します。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになります。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけです。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成されます。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要があります。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になります。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはありません。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分です。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまります。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減されます。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立ちますが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれています。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくありません。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようです。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} fl86jvafov462vi5adjb31i8c6q9207 241750 241746 2026-04-26T22:58:39Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241750 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = 階差機関 | commons = | commonscat = Difference engines | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == バベッジ氏が開発した、数学表や天文表の計算と印刷を行うための新しい機械について == <br/>F. ベイリー <br/>ロンドン、1823年11月28日 バベッジ氏の この発明は、部品の配置に見られる創意工夫と技術、そしてその結果の大きな有用性と重要性のいずれを考慮しても、現代において最も興味深く重要な発明の一つと言えるでしょう。この発明が最も促進するのに適した特定の科学分野に及ぼすであろう影響は、蒸気機関の導入後に起こった技術の急速な進歩に匹敵するものであり、その進歩はあまりにも有名なのでここでは言及しません。 バベッジ氏 がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することです。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信しています。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能でしょう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分でしょう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられます。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されています。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械ですが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行しました。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができます。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定です。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられます。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができます。この方法により、個々の転写は完璧なものとなります。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいています。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られています。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能です。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるでしょう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことです。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられます。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表です。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表があります。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれます。これらを順に説明します。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明しています。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いありません。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれています。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷されました。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれています。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼しました。これらは指示に従って印刷されました。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでM.クレレによって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大です。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからです。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいきます。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版されました。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張されました。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約されます。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続けます。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つです。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算しています。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約されます。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからです。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用しました。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずです。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表しています。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できます。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につきコンピュータで約 10 分かかるでしょう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいでしょう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供しています。後者の著者は差分を用いて表を作成しましたが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できます。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立ちます。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になります。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければなりません。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものです。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できます。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定します。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになります。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけです。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成されます。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要があります。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になります。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはありません。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分です。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまります。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減されます。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立ちますが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれています。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくありません。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようです。 11<sup>o</sup>. 2つの量の和または差の対数を求めるための表。それぞれの対数が与えられている場合。この表は、最初にガウス氏によって提案され、少なくとも 3つの異なる方法で印刷されている。形式。多くの類似した操作が必要な場合に非常に便利です。その全体は差分法によって計算され、その結果、機械の助けを借りてほぼすべての労力を節約できます。 12<sup>o</sup>.他にも、さまざまな数学的研究で大いに役立ち、さまざまな著者によって計算され印刷された一般的な表があります。たとえば、1 乗、2 乗、3 乗などの表、自然正弦、余弦、正接などの二乗の表、図形数と多角形の数の表、円弧の長さの表、3 次方程式の既約ケースを決定するための表、双曲線関数、すなわち双曲線正弦、余弦など、および対数双曲線正弦、余弦などの表です。これらの表や、ここで言及する必要がないその他のさまざまな表は、ほとんど精神的労力をかけずに、非常に高い精度で機械によって計算できます。 上で触れた一般的な表の他に、特定の主題にのみ適用される表が多数あります。その中で最も重要なのは、天文学と航海に関連するものです。— 船乗りが自分の船の位置をいかに容易かつ迅速に決定し、地球の最も遠い場所に自信を持って船を導くかを考えると、おそらく私たちは、ほぼ彼らの使用のためだけに作成された膨大な種類の表に気づいていないでしょう。そして、それらの助けなしには、彼は果てしない大海原に冒険に出る勇気はありません。太陽と月の一般的な表を、それらの見かけの位置を決定するためのさまざまな方程式とともに最初に計算する必要があるだけでなく、それらの位置も、1 年のすべての日について、そして同じ日の異なる時間についても、彼らの使用のためだけに作成されています。特定の星の位置も同様に与えられなければなりません。そして、これらは歳差、光行差、章動に依存するため、この種の表も各星について作成する必要があります。次に、1 日の 3 時間ごとに計算される月までの距離があります。そして、これらもまた、さまざまな複雑な表に依存している。これらの後には、経度委員会の命令により発行された必要表と、計算を容易にするための通常の対数表が続くが、どちらも、そこから導き出されたりコピーされたりした他の表に依存している。さて、これらの多種多様な表のいずれかに誤りがあると、最終結果に影響を及ぼし、航海士を危険とは言わないまでも困難に陥れる可能性があることを考えると、これらの表はすべて、あらゆる場合において信頼できるほど完璧な方法で計算され、印刷されることが非常に重要であることを認めざるを得ない。しかし、現在の表の作成方法では、これはほとんど不可能である。私自身、太陽と月の表を収録した著作に500以上の誤りを発見しました。この表は(つい最近まで)航海暦の年鑑の計算に用いられていました。また、ある著名な著者は、経度委員会の命令で発行された必要表の初版には1000以上の誤りがあったと主張しています。上記で触れた補助表の多くは、初版以来計算されていません。なぜなら、それらを計算するには精神的、あるいは肉体的な労力が非常に大きいため、世界は当初の計算結果に満足せざるを得なかったからです。そのため、それらはその後の版や複製から生じるあらゆる誤りの影響を受けています。 天文表の計算において、この機械は非常に大きな助けとなるだろう。太陽、月、惑星、さらには恒星の位置を決定するために膨大な種類の補助表が必要となるだけでなく、それらの表が導き出される要素に頻繁に変更を加える必要が生じるためでもある。そして、これらの要素は物理天文学の進歩や発見の進展に応じて、時折変化するのである。 過去20年の間に、太陽系に関連するほぼすべての表を改訂する必要が生じ、すでにその多くが現代天文学の高度な目的には不十分であることが判明しました。しかし、この分野の科学の進歩を阻む主な障害は、時間、労力、そして資金の莫大な負担でした。なぜなら、改訂のたびに新しい方程式が導入され、それに伴い新しい表が必要となるからです。そして今日に至るまで、現在の中心座標系が始まって以来発見された4つの新惑星のうち3つについては、全く表が作成されていません。また、数千もの恒星の位置も、その目的に必要な補助表がないため、容易に特定することができません。 おそらく、すべての天文表(ごくわずかな例外を除いて)は次の2つの方法で導出されていると述べるのが適切でしょう。1 .特定の定数を加算することによって、物体の平均運動が決定されます。2 .(それらの運動の)特定の補正によって、正弦または余弦に依存します。与えられた弧:これらは平均運動の方程式と呼ばれます。天体の平均運動は、事前の計算なしに機械によって計算できます。また、正弦と余弦に依存する量は、ほとんどの場合、それほど長くも手間もかからない2回の事前計算によって、ほとんどの場合は1回の事前計算によって、機械によって計算できます。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} pqbqzgyanodevjblqgbbbbgti3uc5c4 241751 241750 2026-04-26T22:59:21Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241751 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | 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次までの差の数を計算するだけの機械ですが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行しました。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができます。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定です。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられます。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができます。この方法により、個々の転写は完璧なものとなります。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいています。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られています。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能です。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるでしょう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことです。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられます。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表です。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表があります。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれます。これらを順に説明します。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明しています。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いありません。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれています。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷されました。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれています。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼しました。これらは指示に従って印刷されました。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでM.クレレによって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大です。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからです。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいきます。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版されました。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張されました。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約されます。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続けます。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つです。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算しています。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約されます。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからです。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用しました。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずです。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表しています。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できます。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につきコンピュータで約 10 分かかるでしょう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいでしょう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供しています。後者の著者は差分を用いて表を作成しましたが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できます。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立ちます。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になります。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければなりません。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものです。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できます。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定します。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになります。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけです。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成されます。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要があります。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になります。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはありません。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分です。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまります。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減されます。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立ちますが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれています。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくありません。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようです。 11<sup>o</sup>. 2つの量の和または差の対数を求めるための表。それぞれの対数が与えられている場合。この表は、最初にガウス氏によって提案され、少なくとも 3つの異なる方法で印刷されている。形式。多くの類似した操作が必要な場合に非常に便利です。その全体は差分法によって計算され、その結果、機械の助けを借りてほぼすべての労力を節約できます。 12<sup>o</sup>.他にも、さまざまな数学的研究で大いに役立ち、さまざまな著者によって計算され印刷された一般的な表があります。たとえば、1 乗、2 乗、3 乗などの表、自然正弦、余弦、正接などの二乗の表、図形数と多角形の数の表、円弧の長さの表、3 次方程式の既約ケースを決定するための表、双曲線関数、すなわち双曲線正弦、余弦など、および対数双曲線正弦、余弦などの表です。これらの表や、ここで言及する必要がないその他のさまざまな表は、ほとんど精神的労力をかけずに、非常に高い精度で機械によって計算できます。 上で触れた一般的な表の他に、特定の主題にのみ適用される表が多数あります。その中で最も重要なのは、天文学と航海に関連するものです。— 船乗りが自分の船の位置をいかに容易かつ迅速に決定し、地球の最も遠い場所に自信を持って船を導くかを考えると、おそらく私たちは、ほぼ彼らの使用のためだけに作成された膨大な種類の表に気づいていないでしょう。そして、それらの助けなしには、彼は果てしない大海原に冒険に出る勇気はありません。太陽と月の一般的な表を、それらの見かけの位置を決定するためのさまざまな方程式とともに最初に計算する必要があるだけでなく、それらの位置も、1 年のすべての日について、そして同じ日の異なる時間についても、彼らの使用のためだけに作成されています。特定の星の位置も同様に与えられなければなりません。そして、これらは歳差、光行差、章動に依存するため、この種の表も各星について作成する必要があります。次に、1 日の 3 時間ごとに計算される月までの距離があります。そして、これらもまた、さまざまな複雑な表に依存している。これらの後には、経度委員会の命令により発行された必要表と、計算を容易にするための通常の対数表が続くが、どちらも、そこから導き出されたりコピーされたりした他の表に依存している。さて、これらの多種多様な表のいずれかに誤りがあると、最終結果に影響を及ぼし、航海士を危険とは言わないまでも困難に陥れる可能性があることを考えると、これらの表はすべて、あらゆる場合において信頼できるほど完璧な方法で計算され、印刷されることが非常に重要であることを認めざるを得ない。しかし、現在の表の作成方法では、これはほとんど不可能である。私自身、太陽と月の表を収録した著作に500以上の誤りを発見しました。この表は(つい最近まで)航海暦の年鑑の計算に用いられていました。また、ある著名な著者は、経度委員会の命令で発行された必要表の初版には1000以上の誤りがあったと主張しています。上記で触れた補助表の多くは、初版以来計算されていません。なぜなら、それらを計算するには精神的、あるいは肉体的な労力が非常に大きいため、世界は当初の計算結果に満足せざるを得なかったからです。そのため、それらはその後の版や複製から生じるあらゆる誤りの影響を受けています。 天文表の計算において、この機械は非常に大きな助けとなるだろう。太陽、月、惑星、さらには恒星の位置を決定するために膨大な種類の補助表が必要となるだけでなく、それらの表が導き出される要素に頻繁に変更を加える必要が生じるためでもある。そして、これらの要素は物理天文学の進歩や発見の進展に応じて、時折変化するのである。 過去20年の間に、太陽系に関連するほぼすべての表を改訂する必要が生じ、すでにその多くが現代天文学の高度な目的には不十分であることが判明しました。しかし、この分野の科学の進歩を阻む主な障害は、時間、労力、そして資金の莫大な負担でした。なぜなら、改訂のたびに新しい方程式が導入され、それに伴い新しい表が必要となるからです。そして今日に至るまで、現在の中心座標系が始まって以来発見された4つの新惑星のうち3つについては、全く表が作成されていません。また、数千もの恒星の位置も、その目的に必要な補助表がないため、容易に特定することができません。 おそらく、すべての天文表(ごくわずかな例外を除いて)は次の2つの方法で導出されていると述べるのが適切でしょう。1 .特定の定数を加算することによって、物体の平均運動が決定されます。2 .(それらの運動の)特定の補正によって、正弦または余弦に依存します。与えられた弧:これらは平均運動の方程式と呼ばれます。天体の平均運動は、事前の計算なしに機械によって計算できます。また、正弦と余弦に依存する量は、ほとんどの場合、それほど長くも手間もかからない2回の事前計算によって、ほとんどの場合は1回の事前計算によって、機械によって計算できます。 1804年、ザック男爵は『太陽表』を出版し、その2年後にはドランブル氏 も同様の表を出版した。1810年にはカルリーニ氏 が新たな構成で『太陽表』を出版した。このように、わずか6年の間に、著名な天文学者たちはこれら3つの興味深く非常に有用な著作を出版する必要があると判断したのである。 1806 年 、ブルグ氏は非常に貴重な月表を出版しました。この著作はメイソンの表に取って代わり、フランス政府から二重の賞を授与されました。各国の科学者から感謝をもって迎えられ、天文学と航海の歴史に新たな時代を切り開きました。これに続いて1812年にはブルクハルトの表が出版されました。これはブルグの表よりもさらに正確です。そして現在、ダモワゾー氏によっていくつかの新しい表の要素が導き出されています。しかし、導き出されたのは要素のみです。 なぜなら、深遠な数学者の注意を引くのは要素だけだからです。とはいえ、骨の折れる、しかし有用な計算作業を、能力の劣る者に任せるのは安全ではありません。しかし、それぞれの功績は世界によって非常に不均等に評価されています。 オイラーは要素の提供のためにイギリス政府から300ポンドの助成金を受け、マイヤーは月の表の実際の計算のために3000ポンドの助成金を受け、これらの表は1770年に経度委員会によって出版された。 ダモワゾー氏 の要素は既に2年前から一般に公開されていますが、そこから表を計算するのに必要な時間と労力が膨大であるため、まだ公表されていません。これらの要素から月の位置を導き出すには、さまざまな弧の正弦または余弦に依存する116もの異なる方程式が必要です。ペンを使って各方程式を計算する労力は膨大で、無数の誤りが生じる可能性がありますが、機械の助けを借りれば、事前の計算をほとんど必要とせずに、同様に容易かつ安全に導き出すことができます。 1808年、ブーヴァール 氏は木星と土星の表を出版しましたが、1821年には発見の進歩と物理天文学の発展により、要素を改訂する必要が生じ、この著名な天文学者によって全く新しい表が出版されました。これらの惑星の地球中心位置を推測するためには、特定の弧の正弦または余弦に基づいて、少なくとも116の表を計算する必要があります。 他の惑星の表については、いずれも同様の観測が可能なため、これ以上読者の皆様の時間を無駄にするつもりはありません。しかし、恒星の見かけ上の位置を決定するために時折発表される、非常に有用な表について、読者の皆様の注意を喚起したいと思います。これらの表は一般に「光行差と章動の表」という名称で呼ばれています。このような表は、観測データの処理において多くの時間と労力を節約できるため、実務的な天文学者にとって非常に重要です。そして、このような便利な表がないために、多くの貴重な観測データが未処理のままになっていると考えられています。 この種の最初の一般的な表は、 1778年にマンハイムのメツガー氏 によって出版され、352個の星の補正が含まれていました。1807年にカニョーリ氏はこれらの表を501個の星の補正に拡張し、同年、ザック男爵はゴータで「Tabulae speciales Aberrationis et Nutationis」を出版し、494個の黄道星の補正が含まれていました。しかし、これらの表はすでにその有用性をほぼ失っています。その範囲が非常に限られていることとは別に、それらが導き出された要素は、実際の観測により適合する他の要素に取って代わられており、太陽の章動や、現在の天文学の状況では安全に無視できないその他の微量な量が除外されていることと相まって、これらの表は実用的な天文学者にとって疑わしい有用性となっています。 黄道星の数(極小星を除く)は1000個をはるかに超え、それぞれの星は昇交点と降交点の周回中に月による掩蔽を受ける可能性がある。これらの掩蔽は、帆走中の船の不安定な甲板からでも海上で観測できることが確認されており、星の位置を正確に特定できれば、経度を決定する最も確実な手段となる。各星の補正値を求めるには、与えられた角度の正弦と余弦に基づいて10個の式が必要となるため、1万を超える計算が必要となる。必要な修正を行うために補助表を作成する必要があり、これは膨大な作業であり、手作業で成し遂げることは到底不可能である。しかし、機械の助けを借りれば、手作業は不要となり、精神作業もごくわずかな量にまで軽減される。なぜなら、既に述べたように、あらゆる種類の天文表は、同じ一般的な計算方法に帰着するからである。すなわち、一定の量を継続的に加算することで、物体の平均運動を無限に決定し、さらに、その補正のために一定の円関数を数値的に計算する。これらの円関数に依存する量は、それがどのような源泉から生じたものであろうと、どのような法則に依存していようと、機械の助けを借りれば、同様に容易かつ迅速に、そして正確に導き出すことができる。したがって、あらゆる種類の天文表の計算において、機械の適用範囲には事実上限界はないのである。 ここで、この機械が適用可能な、特定の性質を持つ他の主題、例えば利子表や年金表などにも注目していただきたいと思います。これらはすべて同じ一般原理に還元でき、この機械によって同様に容易かつ安全に計算できることがお分かりいただけるでしょう。しかしながら、この発明の有用性と重要性、そして現代において他に類を見ない優れた発明であることを示すには、すでに十分な説明がなされたと信じております。そして、現在開発中のより大型の機械(それによってのみ、その力と価値が正当に評価されるでしょう)が完成すれば、科学の進歩に大きく貢献し、この卓越した発明者の名声をさらに高めることになるでしょう。 この機械は、どのような数値であっても、常に最も近い桁数に計算するという点を述べ忘れていました。つまり、必要な桁数の計算が完了した後、次の桁が5以上であれば、最後の桁は自動的に1ずつ増加され、オペレーターは何も注意を払う必要がありません。 しかし、機械の美しさや有用性は、こうした機械的な仕掛けだけにあるのではない。数学界で当然ながら高い評価を得ているバベッジ氏は 、これらを二次的なものと考えており、科学の進歩に最終的に繋がるであろう、数々の興味深い発見をしてきた。彼が現在製作中の機械は、方程式を表にまとめるものである。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} elyhs3wkrpp74dcm280ijek4jl67kut 241754 241751 2026-04-26T23:22:33Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 46/On Mr. Babbage's new machine for calculating and printing mathematical and astronomical tables]] 241754 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = 階差機関 | commons = | commonscat = Difference engines | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == バベッジ氏が開発した、数学表や天文表の計算と印刷を行うための新しい機械について == <br/>F. ベイリー <br/>ロンドン、1823年11月28日 バベッジ氏の この発明は、部品の配置に見られる創意工夫と技術、そしてその結果の大きな有用性と重要性のいずれを考慮しても、現代において最も興味深く重要な発明の一つと言えるだろう。この発明が最も促進するのに適した特定の科学分野に及ぼすであろう影響は、蒸気機関の導入後に起こった技術の急速な進歩に匹敵するものであり、その進歩はあまりにも有名なのでここでは言及しない。 バベッジ氏 がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することである。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信している。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能だろう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分だろう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられる。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されている。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械であるが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行した。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができる。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定である。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられる。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができる。この方法により、個々の転写は完璧なものとなる。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいている。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られている。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能である。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、コンピュータの注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきました。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるだろう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、さまざまなエラーの発生を防ぐことである。計算。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられる。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表である。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表がある。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれる。これらを順に説明する。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明している。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いない。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれている。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷されました。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれている。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼した。これらは指示に従って印刷されました。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでM.クレレによって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大である。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからである。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいく。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版されました。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張されました。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約される。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続ける。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つである。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算している。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約される。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからである。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用した。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずである。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表している。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できる。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につきコンピュータで約 10 分かかるだろう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいだろう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供している。後者の著者は差分を用いて表を作成したが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できる。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立つ。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になる。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければなりません。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものである。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できる。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定する。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになる。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけである。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成される。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要がある。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になる。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはない。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分である。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまる。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減される。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立つが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれている。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくない。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようである。 11<sup>o</sup>. 2つの量の和または差の対数を求めるための表。それぞれの対数が与えられている場合。この表は、最初にガウス氏によって提案され、少なくとも 3つの異なる方法で印刷されている。形式。多くの類似した操作が必要な場合に非常に便利である。その全体は差分法によって計算され、その結果、機械の助けを借りてほぼすべての労力を節約できる。 12<sup>o</sup>.他にも、さまざまな数学的研究で大いに役立ち、さまざまな著者によって計算され印刷された一般的な表がある。たとえば、1 乗、2 乗、3 乗などの表、自然正弦、余弦、正接などの二乗の表、図形数と多角形の数の表、円弧の長さの表、3 次方程式の既約ケースを決定するための表、双曲線関数、すなわち双曲線正弦、余弦など、および対数双曲線正弦、余弦などの表である。これらの表や、ここで言及する必要がないその他のさまざまな表は、ほとんど精神的労力をかけずに、非常に高い精度で機械によって計算できる。 上で触れた一般的な表の他に、特定の主題にのみ適用される表が多数ある。その中で最も重要なのは、天文学と航海に関連するものである。— 船乗りが自分の船の位置をいかに容易かつ迅速に決定し、地球の最も遠い場所に自信を持って船を導くかを考えると、おそらく私たちは、ほぼ彼らの使用のためだけに作成された膨大な種類の表に気づいていないだろう。そして、それらの助けなしには、彼は果てしない大海原に冒険に出る勇気はない。太陽と月の一般的な表を、それらの見かけの位置を決定するためのさまざまな方程式とともに最初に計算する必要があるだけでなく、それらの位置も、1 年のすべての日について、そして同じ日の異なる時間についても、彼らの使用のためだけに作成されている。特定の星の位置も同様に与えられなければなりません。そして、これらは歳差、光行差、章動に依存するため、この種の表も各星について作成する必要がある。次に、1 日の 3 時間ごとに計算される月までの距離がある。そして、これらもまた、さまざまな複雑な表に依存している。これらの後には、経度委員会の命令により発行された必要表と、計算を容易にするための通常の対数表が続くが、どちらも、そこから導き出されたりコピーされたりした他の表に依存している。さて、これらの多種多様な表のいずれかに誤りがあると、最終結果に影響を及ぼし、航海士を危険とは言わないまでも困難に陥れる可能性があることを考えると、これらの表はすべて、あらゆる場合において信頼できるほど完璧な方法で計算され、印刷されることが非常に重要であることを認めざるを得ない。しかし、現在の表の作成方法では、これはほとんど不可能である。私自身、太陽と月の表を収録した著作に500以上の誤りを発見した。この表は(つい最近まで)航海暦の年鑑の計算に用いられていた。また、ある著名な著者は、経度委員会の命令で発行された必要表の初版には1000以上の誤りがあったと主張している。上記で触れた補助表の多くは、初版以来計算されていません。なぜなら、それらを計算するには精神的、あるいは肉体的な労力が非常に大きいため、世界は当初の計算結果に満足せざるを得なかったからである。そのため、それらはその後の版や複製から生じるあらゆる誤りの影響を受けている。 天文表の計算において、この機械は非常に大きな助けとなるだろう。太陽、月、惑星、さらには恒星の位置を決定するために膨大な種類の補助表が必要となるだけでなく、それらの表が導き出される要素に頻繁に変更を加える必要が生じるためでもある。そして、これらの要素は物理天文学の進歩や発見の進展に応じて、時折変化するのである。 過去20年の間に、太陽系に関連するほぼすべての表を改訂する必要が生じ、すでにその多くが現代天文学の高度な目的には不十分であることが判明した。しかし、この分野の科学の進歩を阻む主な障害は、時間、労力、そして資金の莫大な負担でした。なぜなら、改訂のたびに新しい方程式が導入され、それに伴い新しい表が必要となるからである。そして今日に至るまで、現在の中心座標系が始まって以来発見された4つの新惑星のうち3つについては、全く表が作成されていません。また、数千もの恒星の位置も、その目的に必要な補助表がないため、容易に特定することができません。 おそらく、すべての天文表(ごくわずかな例外を除いて)は次の2つの方法で導出されていると述べるのが適切だろう。1 .特定の定数を加算することによって、物体の平均運動が決定される。2 .(それらの運動の)特定の補正によって、正弦または余弦に依存する。与えられた弧:これらは平均運動の方程式と呼ばれる。天体の平均運動は、事前の計算なしに機械によって計算できる。また、正弦と余弦に依存する量は、ほとんどの場合、それほど長くも手間もかからない2回の事前計算によって、ほとんどの場合は1回の事前計算によって、機械によって計算できる。 1804年、ザック男爵は『太陽表』を出版し、その2年後にはドランブル氏 も同様の表を出版した。1810年にはカルリーニ氏 が新たな構成で『太陽表』を出版した。このように、わずか6年の間に、著名な天文学者たちはこれら3つの興味深く非常に有用な著作を出版する必要があると判断したのである。 1806 年 、ブルグ氏は非常に貴重な月表を出版した。この著作はメイソンの表に取って代わり、フランス政府から二重の賞を授与されました。各国の科学者から感謝をもって迎えられ、天文学と航海の歴史に新たな時代を切り開きました。これに続いて1812年にはブルクハルトの表が出版されました。これはブルグの表よりもさらに正確である。そして現在、ダモワゾー氏によっていくつかの新しい表の要素が導き出されている。しかし、導き出されたのは要素のみである。 なぜなら、深遠な数学者の注意を引くのは要素だけだからである。とはいえ、骨の折れる、しかし有用な計算作業を、能力の劣る者に任せるのは安全ではない。しかし、それぞれの功績は世界によって非常に不均等に評価されている。 オイラーは要素の提供のためにイギリス政府から300ポンドの助成金を受け、マイヤーは月の表の実際の計算のために3000ポンドの助成金を受け、これらの表は1770年に経度委員会によって出版された。 ダモワゾー氏 の要素は既に2年前から一般に公開されているが、そこから表を計算するのに必要な時間と労力が膨大であるため、まだ公表されていません。これらの要素から月の位置を導き出すには、さまざまな弧の正弦または余弦に依存する116もの異なる方程式が必要である。ペンを使って各方程式を計算する労力は膨大で、無数の誤りが生じる可能性があるが、機械の助けを借りれば、事前の計算をほとんど必要とせずに、同様に容易かつ安全に導き出すことができる。 1808年、ブーヴァール 氏は木星と土星の表を出版したが、1821年には発見の進歩と物理天文学の発展により、要素を改訂する必要が生じ、この著名な天文学者によって全く新しい表が出版されました。これらの惑星の地球中心位置を推測するためには、特定の弧の正弦または余弦に基づいて、少なくとも116の表を計算する必要がある。 他の惑星の表については、いずれも同様の観測が可能なため、これ以上読者の皆様の時間を無駄にするつもりはない。しかし、恒星の見かけ上の位置を決定するために時折発表される、非常に有用な表について、読者の皆様の注意を喚起したいと思う。これらの表は一般に「光行差と章動の表」という名称で呼ばれている。このような表は、観測データの処理において多くの時間と労力を節約できるため、実務的な天文学者にとって非常に重要である。そして、このような便利な表がないために、多くの貴重な観測データが未処理のままになっていると考えられている。 この種の最初の一般的な表は、 1778年にマンハイムのメツガー氏 によって出版され、352個の星の補正が含まれていた。1807年にカニョーリ氏はこれらの表を501個の星の補正に拡張し、同年、ザック男爵はゴータで「Tabulae speciales Aberrationis et Nutationis」を出版し、494個の黄道星の補正が含まれていた。しかし、これらの表はすでにその有用性をほぼ失っている。その範囲が非常に限られていることとは別に、それらが導き出された要素は、実際の観測により適合する他の要素に取って代わられており、太陽の章動や、現在の天文学の状況では安全に無視できないその他の微量な量が除外されていることと相まって、これらの表は実用的な天文学者にとって疑わしい有用性となっている。 黄道星の数(極小星を除く)は1000個をはるかに超え、それぞれの星は昇交点と降交点の周回中に月による掩蔽を受ける可能性がある。これらの掩蔽は、帆走中の船の不安定な甲板からでも海上で観測できることが確認されており、星の位置を正確に特定できれば、経度を決定する最も確実な手段となる。各星の補正値を求めるには、与えられた角度の正弦と余弦に基づいて10個の式が必要となるため、1万を超える計算が必要となる。必要な修正を行うために補助表を作成する必要があり、これは膨大な作業であり、手作業で成し遂げることは到底不可能である。しかし、機械の助けを借りれば、手作業は不要となり、精神作業もごくわずかな量にまで軽減される。なぜなら、既に述べたように、あらゆる種類の天文表は、同じ一般的な計算方法に帰着するからである。すなわち、一定の量を継続的に加算することで、物体の平均運動を無限に決定し、さらに、その補正のために一定の円関数を数値的に計算する。これらの円関数に依存する量は、それがどのような源泉から生じたものであろうと、どのような法則に依存していようと、機械の助けを借りれば、同様に容易かつ迅速に、そして正確に導き出すことができる。したがって、あらゆる種類の天文表の計算において、機械の適用範囲には事実上限界はないのである。 ここで、この機械が適用可能な、特定の性質を持つ他の主題、例えば利子表や年金表などにも注目していただきたいと思う。これらはすべて同じ一般原理に還元でき、この機械によって同様に容易かつ安全に計算できることがお分かりいただけるだろう。しかしながら、この発明の有用性と重要性、そして現代において他に類を見ない優れた発明であることを示すには、すでに十分な説明がなされたと信じている。そして、現在開発中のより大型の機械(それによってのみ、その力と価値が正当に評価されるだろう)が完成すれば、科学の進歩に大きく貢献し、この卓越した発明者の名声をさらに高めることになるだろう。 この機械は、どのような数値であっても、常に最も近い桁数に計算するという点を述べ忘れていた。つまり、必要な桁数の計算が完了した後、次の桁が5以上であれば、最後の桁は自動的に1ずつ増加され、計算手は何も注意を払う必要がない。 しかし、機械の美しさや有用性は、こうした機械的な仕掛けだけにあるのではない。数学界で当然ながら高い評価を得ているバベッジ氏は 、これらを二次的なものと考えており、科学の進歩に最終的に繋がるであろう、数々の興味深い発見をしてきた。彼が現在製作中の機械は、方程式を表にまとめるものである。<math>\bigtriangleup^4u_3 = c</math>:したがって、与えられた定数cと、積分で導入された 4 つの任意定数を表す手段が必要となる。この機械には 5 つの軸があり、それぞれの軸にこれらの定数のいずれかを配置できる。任意定数は数値で与えられなければならないことは明らかであるが、その要素はどのようなものでも構いません。乗算は、私が知っている他の機械の乗算、つまり繰り返し加算とは異なり、実際の乗算である。乗数と被乗数はどちらも小数である。5 つの軸を持つ機械 (現在製作中のものと同様) は、特殊な配置に従って、次のいずれかの方程式を表にまとめる。 {| width="100%" |- | width="50%" |<math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+1}</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+2}</math> |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = au_3 + \bigtriangleup ^4u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = a \bigtriangleup ^2u_{3+1} + \bigtriangleup ^4u_3</math> |} 機械が3軸しか持たない場合、以下のような系列が表にまとめられる可能性がある。 {| width="100%" |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^2u_{3+1} = a \bigtriangleup u_3 + \bigtriangleup ^2u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^3u_3 = au_3</math> |} 軸が2つしかない場合は、表にまとめることができる。 {{center|<math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>}} これらの式は制約があるように見えるが、確かにその通りである。しかし、それほど複雑な機械で計算して印刷することができ、また(最初に機械を設定した後は)計器のハンドルを回す以外に何もする必要がないため、表の計算方法を上記のような形式に簡略化することは、ある程度重要な意味を持つ。 対数表は次の式で計算できる。<math>\bigtriangleup ^4u_3 = c</math>:しかしこの場合、間隔は数百項を超えてはなりません。さて、上記のような方程式に似た、そのような表のより広範囲、おそらく数千項を表す方程式を見つけることができるかもしれない。そして、そのような方程式から生じる重要性は、数学者全般の注目に値するものである。 正弦表は、その一部については、次の式で表されることがある。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = c</math>: しかし、それはその全体像を方程式で表すことができる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>さて、これはまさに上記の式の一つである。適切な機械が作られれば(大きな機械である必要はない)、一度設定するだけで、象限の一端からもう一端まで、任意の間隔(分でも秒でも)で式 A sin θを表にまとめることができる。そのような機械を3台並べて設置するのはそれほど複雑ではない。そして、それらの結果を共通の軸に転送させ、その軸に印刷装置を接続する。このような機械は、他の表に加えて、次の式から表を計算するだろう。 :''A'' sin θ + ''B'' sin 2 θ + ''C'' sin 3 θ その有用性は天文学においてよく知られている。実際、バベッジ 氏は、ほぼあらゆる差分方程式を表にまとめる機械を作ることは不可能ではないと考えている。 機械に小さな改良を加えることで生み出される、特異で興味深い能力の中には、次の式で表される数列を表にまとめる可能性も含まれる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = </math>単位の数値 <math>u^3</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 2x^3</math> 十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 4x</math> 一の位と十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> その他にも同様の事例が多数存在する。 繰り返するが、機械が任意の数列を表にまとめている最中に、ある特定の数字(例えば6)が一の位に現れるたびに、その数字とそれに続くすべての項に別の数字(例えば23)を加算する部分を付加することができる。そして、その結果として一の位に再び6が現れた場合は、その数字とそれに続くすべての項にさらに23を加算する。あるいは、より好ましい方法として、加算する数字は6で終わる項にのみ加算され、それに続くすべての項には加算されないようにすることもできる。 これらの見解は、人によっては有用というよりむしろ奇妙に映るかもしれない。しかしながら、これらの見解は、そのような数列が従う法則を解明する上で、非常に特異で困難な考察へと導く。そして、それらは想像されるほど実用性からかけ離れているわけではない。この機械が示すことのできる他の多くの興味深い特性については、この機械自体が世間に広く知られるようになるまでは理解し難いだろうから、ここでは触れない。実際、この長い手紙で既にあなたの忍耐を限界まで試してしまったのではないかと危惧している。 フランシス・ベイリー == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} 0raaz0aeiwnepigeeqrlj52jxloya0h 241755 241754 2026-04-26T23:40:13Z 塔屋 45631 241755 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = 階差機関 | commons = | commonscat = Difference engines | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == バベッジ氏が開発した、数学表や天文表の計算と印刷を行うための新しい機械について == <br/>F. ベイリー <br/>ロンドン、1823年11月28日 バベッジ氏の この発明は、部品の配置に見られる創意工夫と技術、そしてその結果の大きな有用性と重要性のいずれを考慮しても、現代において最も興味深く重要な発明の一つと言えるだろう。この発明が最も促進するのに適した特定の科学分野に及ぼすであろう影響は、蒸気機関の導入後に起こった技術の急速な進歩に匹敵するものであり、その進歩はあまりにも有名なのでここでは言及しない。 バベッジ氏 がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することである。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信している。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能だろう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分だろう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられる。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されている。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械であるが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行した。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができる。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定である。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられる。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができる。この方法により、個々の転写は完璧なものとなる。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいている。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られている。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能である。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、演算の注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきた。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるだろう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、計算におけるさまざまなエラーの発生を防ぐことである。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられる。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表である。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表がある。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれる。これらを順に説明する。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明している。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いない。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれている。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷された。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれている。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼した。これらは指示に従って印刷された。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでクレレ氏によって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大である。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからである。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいく。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版された。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張された。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させました。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約される。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続ける。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つである。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算している。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約される。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからである。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用した。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずである。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表している。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できる。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につき演算で約 10 分かかるだろう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいだろう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供している。後者の著者は差分を用いて表を作成したが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できる。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立つ。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になる。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければならない。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものである。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できる。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定する。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになる。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけである。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成される。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要がある。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になる。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはない。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分である。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまる。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減される。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立つが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれている。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくない。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようである。 11<sup>o</sup>. 2つの量の和または差の対数を求めるための表。それぞれの対数が与えられている場合。この表は、最初にガウス氏によって提案され、少なくとも 3つの異なる方法で印刷されている。形式。多くの類似した操作が必要な場合に非常に便利である。その全体は差分法によって計算され、その結果、機械の助けを借りてほぼすべての労力を節約できる。 12<sup>o</sup>.他にも、さまざまな数学的研究で大いに役立ち、さまざまな著者によって計算され印刷された一般的な表がある。たとえば、1 乗、2 乗、3 乗などの表、自然正弦、余弦、正接などの二乗の表、図形数と多角形の数の表、円弧の長さの表、3 次方程式の既約ケースを決定するための表、双曲線関数、すなわち双曲線正弦、余弦など、および対数双曲線正弦、余弦などの表である。これらの表や、ここで言及する必要がないその他のさまざまな表は、ほとんど精神的労力をかけずに、非常に高い精度で機械によって計算できる。 上で触れた一般的な表の他に、特定の主題にのみ適用される表が多数ある。その中で最も重要なのは、天文学と航海に関連するものである。— 船乗りが自分の船の位置をいかに容易かつ迅速に決定し、地球の最も遠い場所に自信を持って船を導くかを考えると、おそらく私たちは、ほぼ彼らの使用のためだけに作成された膨大な種類の表に気づいていないだろう。そして、それらの助けなしには、彼は果てしない大海原に冒険に出る勇気はない。太陽と月の一般的な表を、それらの見かけの位置を決定するためのさまざまな方程式とともに最初に計算する必要があるだけでなく、それらの位置も、1 年のすべての日について、そして同じ日の異なる時間についても、彼らの使用のためだけに作成されている。特定の星の位置も同様に与えられなければならない。そして、これらは歳差、光行差、章動に依存するため、この種の表も各星について作成する必要がある。次に、1 日の 3 時間ごとに計算される月までの距離がある。そして、これらもまた、さまざまな複雑な表に依存している。これらの後には、経度委員会の命令により発行された必要表と、計算を容易にするための通常の対数表が続くが、どちらも、そこから導き出されたりコピーされたりした他の表に依存している。さて、これらの多種多様な表のいずれかに誤りがあると、最終結果に影響を及ぼし、航海士を危険とは言わないまでも困難に陥れる可能性があることを考えると、これらの表はすべて、あらゆる場合において信頼できるほど完璧な方法で計算され、印刷されることが非常に重要であることを認めざるを得ない。しかし、現在の表の作成方法では、これはほとんど不可能である。私自身、太陽と月の表を収録した著作に500以上の誤りを発見した。この表は(つい最近まで)航海暦の年鑑の計算に用いられていた。また、ある著名な著者は、経度委員会の命令で発行された必要表の初版には1000以上の誤りがあったと主張している。上記で触れた補助表の多くは、初版以来計算されていない。なぜなら、それらを計算するには精神的、あるいは肉体的な労力が非常に大きいため、世界は当初の計算結果に満足せざるを得なかったからである。そのため、それらはその後の版や複製から生じるあらゆる誤りの影響を受けている。 天文表の計算において、この機械は非常に大きな助けとなるだろう。太陽、月、惑星、さらには恒星の位置を決定するために膨大な種類の補助表が必要となるだけでなく、それらの表が導き出される要素に頻繁に変更を加える必要が生じるためでもある。そして、これらの要素は物理天文学の進歩や発見の進展に応じて、時折変化するのである。 過去20年の間に、太陽系に関連するほぼすべての表を改訂する必要が生じ、すでにその多くが現代天文学の高度な目的には不十分であることが判明した。しかし、この分野の科学の進歩を阻む主な障害は、時間、労力、そして資金の莫大な負担でした。なぜなら、改訂のたびに新しい方程式が導入され、それに伴い新しい表が必要となるからである。そして今日に至るまで、現在の中心座標系が始まって以来発見された4つの新惑星のうち3つについては、全く表が作成されていない。また、数千もの恒星の位置も、その目的に必要な補助表がないため、容易に特定することができない。 おそらく、すべての天文表(ごくわずかな例外を除いて)は次の2つの方法で導出されていると述べるのが適切だろう。1 .特定の定数を加算することによって、物体の平均運動が決定される。2 .(それらの運動の)特定の補正によって、正弦または余弦に依存する。与えられた弧:これらは平均運動の方程式と呼ばれる。天体の平均運動は、事前の計算なしに機械によって計算できる。また、正弦と余弦に依存する量は、ほとんどの場合、それほど長くも手間もかからない2回の事前計算によって、ほとんどの場合は1回の事前計算によって、機械によって計算できる。 1804年、ザック男爵は『太陽表』を出版し、その2年後にはドランブル氏 も同様の表を出版した。1810年にはカルリーニ氏 が新たな構成で『太陽表』を出版した。このように、わずか6年の間に、著名な天文学者たちはこれら3つの興味深く非常に有用な著作を出版する必要があると判断したのである。 1806 年 、ブルグ氏は非常に貴重な月表を出版した。この著作はメイソンの表に取って代わり、フランス政府から二重の賞を授与された。各国の科学者から感謝をもって迎えられ、天文学と航海の歴史に新たな時代を切り開きた。これに続いて1812年にはブルクハルトの表が出版された。これはブルグの表よりもさらに正確である。そして現在、ダモワゾー氏によっていくつかの新しい表の要素が導き出されている。しかし、導き出されたのは要素のみである。 なぜなら、深遠な数学者の注意を引くのは要素だけだからである。とはいえ、骨の折れる、しかし有用な計算作業を、能力の劣る者に任せるのは安全ではない。しかし、それぞれの功績は世界によって非常に不均等に評価されている。 オイラーは要素の提供のためにイギリス政府から300ポンドの助成金を受け、マイヤーは月の表の実際の計算のために3000ポンドの助成金を受け、これらの表は1770年に経度委員会によって出版された。 ダモワゾー氏 の要素は既に2年前から一般に公開されているが、そこから表を計算するのに必要な時間と労力が膨大であるため、まだ公表されていない。これらの要素から月の位置を導き出すには、さまざまな弧の正弦または余弦に依存する116もの異なる方程式が必要である。ペンを使って各方程式を計算する労力は膨大で、無数の誤りが生じる可能性があるが、機械の助けを借りれば、事前の計算をほとんど必要とせずに、同様に容易かつ安全に導き出すことができる。 1808年、ブーヴァール 氏は木星と土星の表を出版したが、1821年には発見の進歩と物理天文学の発展により、要素を改訂する必要が生じ、この著名な天文学者によって全く新しい表が出版された。これらの惑星の地球中心位置を推測するためには、特定の弧の正弦または余弦に基づいて、少なくとも116の表を計算する必要がある。 他の惑星の表については、いずれも同様の観測が可能なため、これ以上読者の皆様の時間を無駄にするつもりはない。しかし、恒星の見かけ上の位置を決定するために時折発表される、非常に有用な表について、読者の皆様の注意を喚起したいと思う。これらの表は一般に「光行差と章動の表」という名称で呼ばれている。このような表は、観測データの処理において多くの時間と労力を節約できるため、実務的な天文学者にとって非常に重要である。そして、このような便利な表がないために、多くの貴重な観測データが未処理のままになっていると考えられている。 この種の最初の一般的な表は、 1778年にマンハイムのメツガー氏 によって出版され、352個の星の補正が含まれていた。1807年にカニョーリ氏はこれらの表を501個の星の補正に拡張し、同年、ザック男爵はゴータで「Tabulae speciales Aberrationis et Nutationis」を出版し、494個の黄道星の補正が含まれていた。しかし、これらの表はすでにその有用性をほぼ失っている。その範囲が非常に限られていることとは別に、それらが導き出された要素は、実際の観測により適合する他の要素に取って代わられており、太陽の章動や、現在の天文学の状況では安全に無視できないその他の微量な量が除外されていることと相まって、これらの表は実用的な天文学者にとって疑わしい有用性となっている。 黄道星の数(極小星を除く)は1000個をはるかに超え、それぞれの星は昇交点と降交点の周回中に月による掩蔽を受ける可能性がある。これらの掩蔽は、帆走中の船の不安定な甲板からでも海上で観測できることが確認されており、星の位置を正確に特定できれば、経度を決定する最も確実な手段となる。各星の補正値を求めるには、与えられた角度の正弦と余弦に基づいて10個の式が必要となるため、1万を超える計算が必要となる。必要な修正を行うために補助表を作成する必要があり、これは膨大な作業であり、手作業で成し遂げることは到底不可能である。しかし、機械の助けを借りれば、手作業は不要となり、精神作業もごくわずかな量にまで軽減される。なぜなら、既に述べたように、あらゆる種類の天文表は、同じ一般的な計算方法に帰着するからである。すなわち、一定の量を継続的に加算することで、物体の平均運動を無限に決定し、さらに、その補正のために一定の円関数を数値的に計算する。これらの円関数に依存する量は、それがどのような源泉から生じたものであろうと、どのような法則に依存していようと、機械の助けを借りれば、同様に容易かつ迅速に、そして正確に導き出すことができる。したがって、あらゆる種類の天文表の計算において、機械の適用範囲には事実上限界はないのである。 ここで、この機械が適用可能な、特定の性質を持つ他の主題、例えば利子表や年金表などにも注目していただきたいと思う。これらはすべて同じ一般原理に還元でき、この機械によって同様に容易かつ安全に計算できることがお分かりいただけるだろう。しかしながら、この発明の有用性と重要性、そして現代において他に類を見ない優れた発明であることを示すには、すでに十分な説明がなされたと信じている。そして、現在開発中のより大型の機械(それによってのみ、その力と価値が正当に評価されるだろう)が完成すれば、科学の進歩に大きく貢献し、この卓越した発明者の名声をさらに高めることになるだろう。 この機械は、どのような数値であっても、常に最も近い桁数に計算するという点を述べ忘れていた。つまり、必要な桁数の計算が完了した後、次の桁が5以上であれば、最後の桁は自動的に1ずつ増加され、計算手は何も注意を払う必要がない。 しかし、機械の美しさや有用性は、こうした機械的な仕掛けだけにあるのではない。数学界で当然ながら高い評価を得ているバベッジ氏は 、これらを二次的なものと考えており、科学の進歩に最終的に繋がるであろう、数々の興味深い発見をしてきた。彼が現在製作中の機械は、方程式を表にまとめるものである。<math>\bigtriangleup^4u_3 = c</math>:したがって、与えられた定数cと、積分で導入された 4 つの任意定数を表す手段が必要となる。この機械には 5 つの軸があり、それぞれの軸にこれらの定数のいずれかを配置できる。任意定数は数値で与えられなければならないことは明らかであるが、その要素はどのようなものでも構いない。乗算は、私が知っている他の機械の乗算、つまり繰り返し加算とは異なり、実際の乗算である。乗数と被乗数はどちらも小数である。5 つの軸を持つ機械 (現在製作中のものと同様) は、特殊な配置に従って、次のいずれかの方程式を表にまとめる。 {| width="100%" |- | width="50%" |<math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+1}</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+2}</math> |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = au_3 + \bigtriangleup ^4u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = a \bigtriangleup ^2u_{3+1} + \bigtriangleup ^4u_3</math> |} 機械が3軸しか持たない場合、以下のような系列が表にまとめられる可能性がある。 {| width="100%" |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^2u_{3+1} = a \bigtriangleup u_3 + \bigtriangleup ^2u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^3u_3 = au_3</math> |} 軸が2つしかない場合は、表にまとめることができる。 {{center|<math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>}} これらの式は制約があるように見えるが、確かにその通りである。しかし、それほど複雑な機械で計算して印刷することができ、また(最初に機械を設定した後は)計器のハンドルを回す以外に何もする必要がないため、表の計算方法を上記のような形式に簡略化することは、ある程度重要な意味を持つ。 対数表は次の式で計算できる。<math>\bigtriangleup ^4u_3 = c</math>:しかしこの場合、間隔は数百項を超えてはならない。さて、上記のような方程式に似た、そのような表のより広範囲、おそらく数千項を表す方程式を見つけることができるかもしれない。そして、そのような方程式から生じる重要性は、数学者全般の注目に値するものである。 正弦表は、その一部については、次の式で表されることがある。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = c</math>: しかし、それはその全体像を方程式で表すことができる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>さて、これはまさに上記の式の一つである。適切な機械が作られれば(大きな機械である必要はない)、一度設定するだけで、象限の一端からもう一端まで、任意の間隔(分でも秒でも)で式 A sin θを表にまとめることができる。そのような機械を3台並べて設置するのはそれほど複雑ではない。そして、それらの結果を共通の軸に転送させ、その軸に印刷装置を接続する。このような機械は、他の表に加えて、次の式から表を計算するだろう。 :''A'' sin θ + ''B'' sin 2 θ + ''C'' sin 3 θ その有用性は天文学においてよく知られている。実際、バベッジ 氏は、ほぼあらゆる差分方程式を表にまとめる機械を作ることは不可能ではないと考えている。 機械に小さな改良を加えることで生み出される、特異で興味深い能力の中には、次の式で表される数列を表にまとめる可能性も含まれる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = </math>単位の数値 <math>u^3</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 2x^3</math> 十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 4x</math> 一の位と十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> その他にも同様の事例が多数存在する。 繰り返するが、機械が任意の数列を表にまとめている最中に、ある特定の数字(例えば6)が一の位に現れるたびに、その数字とそれに続くすべての項に別の数字(例えば23)を加算する部分を付加することができる。そして、その結果として一の位に再び6が現れた場合は、その数字とそれに続くすべての項にさらに23を加算する。あるいは、より好ましい方法として、加算する数字は6で終わる項にのみ加算され、それに続くすべての項には加算されないようにすることもできる。 これらの見解は、人によっては有用というよりむしろ奇妙に映るかもしれない。しかしながら、これらの見解は、そのような数列が従う法則を解明する上で、非常に特異で困難な考察へと導く。そして、それらは想像されるほど実用性からかけ離れているわけではない。この機械が示すことのできる他の多くの興味深い特性については、この機械自体が世間に広く知られるようになるまでは理解し難いだろうから、ここでは触れない。実際、この長い手紙で既にあなたの忍耐を限界まで試してしまったのではないかと危惧している。 フランシス・ベイリー == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} 8igbemv9brmltpnx4c927gawih6ana3 241756 241755 2026-04-26T23:48:17Z 塔屋 45631 241756 wikitext text/x-wiki {{header | title =バベッジ氏の数学表および天文学表の計算と印刷のための新機械について | defaultsort = はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて | year =1823 | month =11 | day = | date = | author =Francis Baily | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = 階差機関 | commons = | commonscat = Difference engines | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == バベッジ氏が開発した、数学表や天文表の計算と印刷を行うための新しい機械について == <br/>F. ベイリー <br/>ロンドン、1823年11月28日 バベッジ氏の この発明は、部品の配置に見られる創意工夫と技術、そしてその結果の大きな有用性と重要性のいずれを考慮しても、現代において最も興味深く重要な発明の一つと言えるだろう。この発明が最も促進するのに適した特定の科学分野に及ぼすであろう影響は、蒸気機関の導入後に起こった技術の急速な進歩に匹敵するものであり、その進歩はあまりにも有名なのでここでは言及しない。 バベッジ氏 がこの機械を製作するにあたって目指しているのは、あらゆる種類の数表を、個々のコピーに全く誤りのない状態で作成し印刷することである。そして、私がこの装置の機構を見た限りでは、彼の努力が必ず成功すると確信している。様々な図版を用い、貴誌の性質にそぐわないほど詳細な説明をしなければ、この機械の形状や構成、あるいは動作原理を正確にお伝えすることは不可能だろう。しかし、構造が非常に単純で、ごく微弱な機械動力で全ての動作を行うとだけ述べておけば十分だろう。その設計は、機械部分と数学部分の2つに分けられる。 機械的な部分は、この種の機械の実際の製作によって既に達成されている。それは、2 次までの差の数を計算するだけの機械であるが、私が目にした限りでは、意図されたすべての動作を、完璧な精度で、しかも私がペンで同じ演算を行うよりもはるかに速く実行した。採用されている機構の単純さから、同じ原理を応用すれば、多数の歯車を使用することによる故障の可能性もなく、任意の次数の差に基づく表を計算する、はるかに大きな機械を製作することができる。我が国政府の寛大さ(常に真の科学と真に価値のある業績を奨励する姿勢)により、バベッジ氏は、4 次までの差の数を計算できるこの種の機械を製作することができ、まもなく完成する予定である。この機械には、機械によって計算された数値を柔らかい素材に転写する装置が取り付けられる。この転写された数値は、後でステレオタイプ印刷したり、他の処理を施したりして、永続性を確保することができる。この方法により、個々の転写は完璧なものとなる。 数学的な部分は、先に述べた差分法に基づいている。この原理は、その性質上、単純かつ正確であり、応用範囲がほぼ無限であることから、表の作成において非常に広く用いられていることがよく知られている。フランスでは既に大規模な対数表の計算に成功裏に適用されており、あらゆる種類の天文表だけでなく、現在使用されているほとんどの数学表の作成にも同様に適用可能である。 しかし、表の作成において、この原理、そして実際には他のすべての原理を完全に適用することは、これまで、演算の注意を何千回もの連続した加算と減算、あるいはその他の適切な数値演算の単調で退屈な繰り返しに限定することが不可能であったために、非常に妨げられてきた。しかし、この骨の折れる不確実な精神活動を機械の不変の動作に置き換えることで、差分法は、これまでそれが生み出してきたものの中で比類のないほどの実用的な力と有用性を獲得し、様々な形で科学の発展に貢献することになるだろう。 すべての表の最大の目的は、時間と労力を節約し、計算におけるさまざまなエラーの発生を防ぐことである。その有用性と利便性の最良の証拠は、印刷の起源以来生み出されてきた膨大な種類のもの、そして毎年印刷所から発行されるものの多様性である。 計算を補助するために作成された一般的な表は、2つの種類に分けられる。1つ目は自然​​数からなる表、2つ目は対数からなる表である。前者の類には、数の積とべき乗、数の逆数、自然正弦、自然余弦などの表がある。後者の類には、その有用性と重要性がよく知られ、正当に評価されている通常の対数表だけでなく、数学や物理学の研究で常に必要とされるさまざまな計算を容易にするためのさまざまな表も含まれる。これらを順に説明する。 1<sup>o</sup>.数の積の表。さまざまな時代、さまざまな国で出版されたこの種の表は数多くあり、その有用性と重要性を十分に証明している。そして、その正確さが疑いようのないものであれば、その使用頻度ははるかに高くなることは間違いない。この種の表の最初のものの1つは「ドッドソンの計算機」に掲載され、1から1000までのすべての数の最初の9つの倍数の表が含まれている。1775年にこの表は大幅に拡張され、八つ折り判で印刷された。1から10000までのすべての数の最初の9つの倍数が含まれている。これらの表や他の同種の表にもかかわらず、経度委員会は、さらに拡張された表が科学に役立つ可能性があると考え、故ハットン博士に1から1000までのすべての数と100未満のすべての数を掛け合わせた乗算表を作成するよう依頼した。これらは指示に従って印刷された。そして、それらを正確にするために費用を惜しまなかったことは推測されるが、それらの表のたった1ページ(20ページ)に40以上の誤りがあり、印刷された正誤表リストにはその1つも記載されていない。フランス政府も同様に、そのような表の有用性を認識し、いくつかの部門で使用するためにさらに広範なセットを作成するよう命じた。これらは1冊の四つ折り判に収められており、1×1から500×500までの乗算を網羅している。そして1812年には、これらの表の第2版を印刷させた。しかし、この種の表の中で最も便利なものは、最近ベルリンでクレレ氏によって出版されたもので、1冊の八つ折り判に収められており、フランスの表の2倍の量が含まれている。同じ著者によって発表された同じサイズの別の巻は、その正確さが信頼できるならば、この種の表の中で群を抜いて最も価値のあるものとなるだろう。このような表を作成する際に、機械の助けを借りることで節約できる精神的労力は文字通り無限大である。なぜなら、実際には事前の計算は一切必要なく、2ページごとに、倍数を求める数値を機械に入力するだけで済むからである。この数値は、1、2、3…と500まで順に並んでいく。 2<sup>o</sup>.平方数の表。1000 までのすべての数の平方数は、ずっと以前にランバート氏によって大陸で出版された。その後、ウーリッジの王立陸軍士官学校のバーロウ氏によって 、10000 の平方数まで拡張された。経度委員会は、故ハットン博士に 25400 の平方数までの同様の表を計算させた。この種の表を機械で計算する場合、たとえ最も遠い点まで拡張したとしても、すべての精神的労力が節約される。そして、1、1、2 という数字を一度入力すれば、途切れることなくすべての平方数を連続して生成し続ける。これは実際、既に作成された機械が限られた数の歯車で計算できる表の 1 つである。 3<sup>o</sup>.立方数の表。この種の表は、ランバート 氏とバーロウ氏 によって既に計算されており、また、故ハットン博士も経度委員会の命令により計算している。このような表を機械で計算する場合、この場合もすべての精神的労力が節約される。なぜなら、機械に 1、7、6、6 という数字を入力するだけで、すべての立方数が順に生成されるからである。 4<sup>o</sup>.数の高次のべき乗の表。経度委員会は、この種の限定的な表を作成するためにハットン博士も雇用した。この表には、1 から 100 までのすべての数の最初の 10 乗が含まれるはずである。また 、バーロウ氏は、100 から 1000 までの数の 4 乗と 5 乗の表を自身のコレクションで発表している。これらの表を再計算または拡張することが望ましいと思われる場合、最初に入力する必要のある少数の数値を除いて、すべての作業は機械の助けを借りて実行できる。そして、その少数の数値は、おそらく各べき乗につき演算で約 10 分かかるだろう。実際、これらの少数の基本数値の計算は、通常の方法に従って表の数値の 1 つを計算するほど時間もかからず、エラーも発生しにくいだろう。 5<sup>o</sup>.数の平方根と立方根の表。最初の種類の表はランバート氏によって提供されており、より 拡張された表はバーロウ氏が著書『コレクション』の中で提供している。後者の著者は差分を用いて表を作成したが、この次数の差分の収束性が高いため、立方根の表にはこの利点をより効果的に適用できる。 6<sup>o</sup>.数の逆数の表。これらは最も単純でありながら最も有用な算術表の一つであり、様々な数列を数値に変換する際に特に役立つ。これにより、差分の計算が容易になり、他の表の作成も容易になる。ただし、このような操作に用いるためには、これらの表が絶対に間違いのないものでなければならない。この種の表はいくつか出版されており、その中でも最も新しく、最も包括的なものは、バーロウ氏と グッドウィン氏のものである。 7<sup>o</sup>.自然正弦、余弦、正接などの表。この種の表の有用性は、これまで様々な形式で印刷されてきたことから明らかであり、今日ではその重要性を改めて強調する必要はない。なぜなら、船乗りは皆、その使い方を知らずに陸地から遠く離れることを敢えてしないからである。しかし、実際に役立つためには、正確で、定期的に入念に改訂されなければならない。そうでなければ、役に立たないどころか、むしろ害になる可能性がある。この種の表を計算する労力は、結果に含まれる数字の数によって異なる。この種の大きな表は、他の表を作成したり、科学に役立つ様々な数学的演算を実行したりするために、以前よりもはるかに多くの桁の差とともに印刷されることが望ましいと思われる。この種の表を作成する際に機械によってどれだけの精神的労力が節約されるかを正確に述べることは難しいが、全体の2千分の1にまで容易に減らすことができると私は考えている。 8<sup>o</sup>.数の対数の表。このような表は、数値調査に従事するすべての人の手元にあり、その有用性と重要性について詳しく述べる必要はない。1 から 108000 までの数の対数は、桁数が多い場合も少ない場合も既に計算されているが、これはさまざまな著者が長年にわたって行ってきた作業であり、その労力は膨大であるため、人間が全体を請け負おうとはしなかった。現在存在する表は、主にこれらの元の部分的な計算からの複製である。しかし、機械の助けを借りれば、この膨大な労力は不要となり、新しい表は容易に計算でき、必要に応じて何度でも再計算できる。現在の表を 108000 から 1000000 まで拡張すれば、現在の表を桁数を増やすよりも有用性が高まるだろう。機械によって節約される精神的労力の量は、次のように推定できる。5 次までの差分を計算できる機械が構築されたと仮定する。この場合、1000 万ごとの対数についてのみ差分を計算すればよいことになる。したがって、表が 10000 から 1000000 まで拡張されている場合、計算すべき差分のセットは 90 組だけである。これらのセットのいずれかを、最初の 5 つの差分とともに機械に入力すると、その前の 500 個の対数と次の 500 個の対数も出力され、1000 個の対数が生成される。この項の最後に、別の差分のセットを代入する必要がある。5 次までの差分を使用すれば、対数表を 8 桁まで計算でき、最後の桁まで正確になる。また、各差分のセットを計算するのに 30 分以上かかることはない。特に、大きな数では労力はほとんど必要なく、数列の 2 項または 3 項で十分である。 9<sup>o</sup>.対数正弦、余弦、正接、余接の表。前の記事で述べたことは、ここで言及する表にもほぼ同様に当てはまる。機械による作成に必要な精神的労力は、通常の方法で用いられる膨大な労力と比較すると、非常に微々たるものにまで軽減される。 10<sup>o</sup>.双曲線対数の表。この種の小さな表はいくつかの著作に掲載されており、さまざまな積分計算に役立つが、最も包括的な表はバーロウ氏によって計算されたもので、 1から 10000 までのすべての数の双曲線対数が含まれている。これらの表を計算するのに非常に多くの労力がかかるため、表の規模がそれほど大きくない。この主題を少し調べてみると、この場合、機械によって精神的労力を以前必要だった量の約 200 分の 1 にまで減らすことができるようである。 11<sup>o</sup>. 2つの量の和または差の対数を求めるための表。それぞれの対数が与えられている場合。この表は、最初にガウス氏によって提案され、少なくとも 3つの異なる方法で印刷されている。形式。多くの類似した操作が必要な場合に非常に便利である。その全体は差分法によって計算され、その結果、機械の助けを借りてほぼすべての労力を節約できる。 12<sup>o</sup>.他にも、さまざまな数学的研究で大いに役立ち、さまざまな著者によって計算され印刷された一般的な表がある。たとえば、1 乗、2 乗、3 乗などの表、自然正弦、余弦、正接などの二乗の表、図形数と多角形の数の表、円弧の長さの表、3 次方程式の既約ケースを決定するための表、双曲線関数、すなわち双曲線正弦、余弦など、および対数双曲線正弦、余弦などの表である。これらの表や、ここで言及する必要がないその他のさまざまな表は、ほとんど精神的労力をかけずに、非常に高い精度で機械によって計算できる。 上で触れた一般的な表の他に、特定の主題にのみ適用される表が多数ある。その中で最も重要なのは、天文学と航海に関連するものである。— 船乗りが自分の船の位置をいかに容易かつ迅速に決定し、地球の最も遠い場所に自信を持って船を導くかを考えると、おそらく私たちは、ほぼ彼らの使用のためだけに作成された膨大な種類の表に気づいていないだろう。そして、それらの助けなしには、彼は果てしない大海原に冒険に出る勇気はない。太陽と月の一般的な表を、それらの見かけの位置を決定するためのさまざまな方程式とともに最初に計算する必要があるだけでなく、それらの位置も、1 年のすべての日について、そして同じ日の異なる時間についても、彼らの使用のためだけに作成されている。特定の星の位置も同様に与えられなければならない。そして、これらは歳差、光行差、章動に依存するため、この種の表も各星について作成する必要がある。次に、1 日の 3 時間ごとに計算される月までの距離がある。そして、これらもまた、さまざまな複雑な表に依存している。これらの後には、経度委員会の命令により発行された必要表と、計算を容易にするための通常の対数表が続くが、どちらも、そこから導き出されたりコピーされたりした他の表に依存している。さて、これらの多種多様な表のいずれかに誤りがあると、最終結果に影響を及ぼし、航海士を危険とは言わないまでも困難に陥れる可能性があることを考えると、これらの表はすべて、あらゆる場合において信頼できるほど完璧な方法で計算され、印刷されることが非常に重要であることを認めざるを得ない。しかし、現在の表の作成方法では、これはほとんど不可能である。私自身、太陽と月の表を収録した著作に500以上の誤りを発見した。この表は(つい最近まで)航海暦の年鑑の計算に用いられていた。また、ある著名な著者は、経度委員会の命令で発行された必要表の初版には1000以上の誤りがあったと主張している。上記で触れた補助表の多くは、初版以来計算されていない。なぜなら、それらを計算するには精神的、あるいは肉体的な労力が非常に大きいため、世界は当初の計算結果に満足せざるを得なかったからである。そのため、それらはその後の版や複製から生じるあらゆる誤りの影響を受けている。 天文表の計算において、この機械は非常に大きな助けとなるだろう。太陽、月、惑星、さらには恒星の位置を決定するために膨大な種類の補助表が必要となるだけでなく、それらの表が導き出される要素に頻繁に変更を加える必要が生じるためでもある。そして、これらの要素は物理天文学の進歩や発見の進展に応じて、時折変化するのである。 過去20年の間に、太陽系に関連するほぼすべての表を改訂する必要が生じ、すでにその多くが現代天文学の高度な目的には不十分であることが判明した。しかし、この分野の科学の進歩を阻む主な障害は、時間、労力、そして資金の莫大な負担だった。なぜなら、改訂のたびに新しい方程式が導入され、それに伴い新しい表が必要となるからである。そして今日に至るまで、現在の中心座標系が始まって以来発見された4つの新惑星のうち3つについては、全く表が作成されていない。また、数千もの恒星の位置も、その目的に必要な補助表がないため、容易に特定することができない。 おそらく、すべての天文表(ごくわずかな例外を除いて)は次の2つの方法で導出されていると述べるのが適切だろう。1 .特定の定数を加算することによって、物体の平均運動が決定される。2 .(それらの運動の)特定の補正によって、正弦または余弦に依存する。与えられた弧:これらは平均運動の方程式と呼ばれる。天体の平均運動は、事前の計算なしに機械によって計算できる。また、正弦と余弦に依存する量は、ほとんどの場合、それほど長くも手間もかからない2回の事前計算によって、ほとんどの場合は1回の事前計算によって、機械によって計算できる。 1804年、ザック男爵は『太陽表』を出版し、その2年後にはドランブル氏 も同様の表を出版した。1810年にはカルリーニ氏 が新たな構成で『太陽表』を出版した。このように、わずか6年の間に、著名な天文学者たちはこれら3つの興味深く非常に有用な著作を出版する必要があると判断したのである。 1806 年 、ブルグ氏は非常に貴重な月表を出版した。この著作はメイソンの表に取って代わり、フランス政府から二重の賞を授与された。各国の科学者から感謝をもって迎えられ、天文学と航海の歴史に新たな時代を切り開きた。これに続いて1812年にはブルクハルトの表が出版された。これはブルグの表よりもさらに正確である。そして現在、ダモワゾー氏によっていくつかの新しい表の要素が導き出されている。しかし、導き出されたのは要素のみである。 なぜなら、深遠な数学者の注意を引くのは要素だけだからである。とはいえ、骨の折れる、しかし有用な計算作業を、能力の劣る者に任せるのは安全ではない。しかし、それぞれの功績は世界によって非常に不均等に評価されている。 オイラーは要素の提供のためにイギリス政府から300ポンドの助成金を受け、マイヤーは月の表の実際の計算のために3000ポンドの助成金を受け、これらの表は1770年に経度委員会によって出版された。 ダモワゾー氏 の要素は既に2年前から一般に公開されているが、そこから表を計算するのに必要な時間と労力が膨大であるため、まだ公表されていない。これらの要素から月の位置を導き出すには、さまざまな弧の正弦または余弦に依存する116もの異なる方程式が必要である。ペンを使って各方程式を計算する労力は膨大で、無数の誤りが生じる可能性があるが、機械の助けを借りれば、事前の計算をほとんど必要とせずに、同様に容易かつ安全に導き出すことができる。 1808年、ブーヴァール 氏は木星と土星の表を出版したが、1821年には発見の進歩と物理天文学の発展により、要素を改訂する必要が生じ、この著名な天文学者によって全く新しい表が出版された。これらの惑星の地球中心位置を推測するためには、特定の弧の正弦または余弦に基づいて、少なくとも116の表を計算する必要がある。 他の惑星の表については、いずれも同様の観測が可能なため、これ以上読者の皆様の時間を無駄にするつもりはない。しかし、恒星の見かけ上の位置を決定するために時折発表される、非常に有用な表について、読者の皆様の注意を喚起したいと思う。これらの表は一般に「光行差と章動の表」という名称で呼ばれている。このような表は、観測データの処理において多くの時間と労力を節約できるため、実務的な天文学者にとって非常に重要である。そして、このような便利な表がないために、多くの貴重な観測データが未処理のままになっていると考えられている。 この種の最初の一般的な表は、 1778年にマンハイムのメツガー氏 によって出版され、352個の星の補正が含まれていた。1807年にカニョーリ氏はこれらの表を501個の星の補正に拡張し、同年、ザック男爵はゴータで「Tabulae speciales Aberrationis et Nutationis」を出版し、494個の黄道星の補正が含まれていた。しかし、これらの表はすでにその有用性をほぼ失っている。その範囲が非常に限られていることとは別に、それらが導き出された要素は、実際の観測により適合する他の要素に取って代わられており、太陽の章動や、現在の天文学の状況では安全に無視できないその他の微量な量が除外されていることと相まって、これらの表は実用的な天文学者にとって疑わしい有用性となっている。 黄道星の数(極小星を除く)は1000個をはるかに超え、それぞれの星は昇交点と降交点の周回中に月による掩蔽を受ける可能性がある。これらの掩蔽は、帆走中の船の不安定な甲板からでも海上で観測できることが確認されており、星の位置を正確に特定できれば、経度を決定する最も確実な手段となる。各星の補正値を求めるには、与えられた角度の正弦と余弦に基づいて10個の式が必要となるため、1万を超える計算が必要となる。必要な修正を行うために補助表を作成する必要があり、これは膨大な作業であり、手作業で成し遂げることは到底不可能である。しかし、機械の助けを借りれば、手作業は不要となり、精神作業もごくわずかな量にまで軽減される。なぜなら、既に述べたように、あらゆる種類の天文表は、同じ一般的な計算方法に帰着するからである。すなわち、一定の量を継続的に加算することで、物体の平均運動を無限に決定し、さらに、その補正のために一定の円関数を数値的に計算する。これらの円関数に依存する量は、それがどのような源泉から生じたものであろうと、どのような法則に依存していようと、機械の助けを借りれば、同様に容易かつ迅速に、そして正確に導き出すことができる。したがって、あらゆる種類の天文表の計算において、機械の適用範囲には事実上限界はないのである。 ここで、この機械が適用可能な、特定の性質を持つ他の主題、例えば利子表や年金表などにも注目していただきたいと思う。これらはすべて同じ一般原理に還元でき、この機械によって同様に容易かつ安全に計算できることがお分かりいただけるだろう。しかしながら、この発明の有用性と重要性、そして現代において他に類を見ない優れた発明であることを示すには、すでに十分な説明がなされたと信じている。そして、現在開発中のより大型の機械(それによってのみ、その力と価値が正当に評価されるだろう)が完成すれば、科学の進歩に大きく貢献し、この卓越した発明者の名声をさらに高めることになるだろう。 この機械は、どのような数値であっても、常に最も近い桁数に計算するという点を述べ忘れていた。つまり、必要な桁数の計算が完了した後、次の桁が5以上であれば、最後の桁は自動的に1ずつ増加され、計算手は何も注意を払う必要がない。 しかし、機械の美しさや有用性は、こうした機械的な仕掛けだけにあるのではない。数学界で当然ながら高い評価を得ているバベッジ氏は 、これらを二次的なものと考えており、科学の進歩に最終的に繋がるであろう、数々の興味深い発見をしてきた。彼が現在製作中の機械は、方程式を表にまとめるものである。<math>\bigtriangleup^4u_3 = c</math>:したがって、与えられた定数cと、積分で導入された 4 つの任意定数を表す手段が必要となる。この機械には 5 つの軸があり、それぞれの軸にこれらの定数のいずれかを配置できる。任意定数は数値で与えられなければならないことは明らかであるが、その要素はどのようなものでも構いない。乗算は、私が知っている他の機械の乗算、つまり繰り返し加算とは異なり、実際の乗算である。乗数と被乗数はどちらも小数である。5 つの軸を持つ機械 (現在製作中のものと同様) は、特殊な配置に従って、次のいずれかの方程式を表にまとめる。 {| width="100%" |- | width="50%" |<math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+1}</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_3 = au_{3+2}</math> |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = au_3 + \bigtriangleup ^4u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^5u_{3+1} = a \bigtriangleup ^2u_{3+1} + \bigtriangleup ^4u_3</math> |} 機械が3軸しか持たない場合、以下のような系列が表にまとめられる可能性がある。 {| width="100%" |- | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^2u_{3+1} = a \bigtriangleup u_3 + \bigtriangleup ^2u_3</math> | width="50%" | <math>\bigtriangleup ^3u_3 = au_3</math> |} 軸が2つしかない場合は、表にまとめることができる。 {{center|<math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>}} これらの式は制約があるように見えるが、確かにその通りである。しかし、それほど複雑な機械で計算して印刷することができ、また(最初に機械を設定した後は)計器のハンドルを回す以外に何もする必要がないため、表の計算方法を上記のような形式に簡略化することは、ある程度重要な意味を持つ。 対数表は次の式で計算できる。<math>\bigtriangleup ^4u_3 = c</math>:しかしこの場合、間隔は数百項を超えてはならない。さて、上記のような方程式に似た、そのような表のより広範囲、おそらく数千項を表す方程式を見つけることができるかもしれない。そして、そのような方程式から生じる重要性は、数学者全般の注目に値するものである。 正弦表は、その一部については、次の式で表されることがある。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = c</math>: しかし、それはその全体像を方程式で表すことができる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = au_{3+1}</math>さて、これはまさに上記の式の一つである。適切な機械が作られれば(大きな機械である必要はない)、一度設定するだけで、象限の一端からもう一端まで、任意の間隔(分でも秒でも)で式 A sin θを表にまとめることができる。そのような機械を3台並べて設置するのはそれほど複雑ではない。そして、それらの結果を共通の軸に転送させ、その軸に印刷装置を接続する。このような機械は、他の表に加えて、次の式から表を計算するだろう。 :''A'' sin θ + ''B'' sin 2 θ + ''C'' sin 3 θ その有用性は天文学においてよく知られている。実際、バベッジ 氏は、ほぼあらゆる差分方程式を表にまとめる機械を作ることは不可能ではないと考えている。 機械に小さな改良を加えることで生み出される、特異で興味深い能力の中には、次の式で表される数列を表にまとめる可能性も含まれる。 <math>\bigtriangleup ^2u_3 = </math>単位の数値 <math>u^3</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 2x^3</math> 十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> <math>\bigtriangleup ^3u_3 = 4x</math> 一の位と十の位に見られる数字 <math>u_{3+x}</math> その他にも同様の事例が多数存在する。 繰り返するが、機械が任意の数列を表にまとめている最中に、ある特定の数字(例えば6)が一の位に現れるたびに、その数字とそれに続くすべての項に別の数字(例えば23)を加算する部分を付加することができる。そして、その結果として一の位に再び6が現れた場合は、その数字とそれに続くすべての項にさらに23を加算する。あるいは、より好ましい方法として、加算する数字は6で終わる項にのみ加算され、それに続くすべての項には加算されないようにすることもできる。 これらの見解は、人によっては有用というよりむしろ奇妙に映るかもしれない。しかしながら、これらの見解は、そのような数列が従う法則を解明する上で、非常に特異で困難な考察へと導く。そして、それらは想像されるほど実用性からかけ離れているわけではない。この機械が示すことのできる他の多くの興味深い特性については、この機械自体が世間に広く知られるようになるまでは理解し難いだろうから、ここでは触れない。実際、この長い手紙で既にあなたの忍耐を限界まで試してしまったのではないかと危惧している。 フランシス・ベイリー == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:はへつししのすうかくひようおよひてんもんかくひようのけいさんといんさつのためのしんきかいについて}} [[Category:雑誌記事]] [[カテゴリ:コンピュータ]] {{PD-old}} {{新訳}} 4zl6bjbpgzbalkl0g5ii9ynqiupive4 Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/31 250 56221 241742 2026-04-26T22:51:49Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「一遍上人語錄 卷上<br/> <br/>  別願和讃<br/> <br/> 身を觀ずれば水の泡    消ぬる後は人もなし<br/> 命をおもへば月の影    出入息にぞとどまらぬ<br/> 人天善所の質をば     をしめどもみなたもたれず<br/> 地獄鬼畜のくるしみは   いとへども又受けやすし<br/> 眼のまへのかたちは    盲て見ゆる色もなし<br/> 耳のほとりの言の…」 241742 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>一遍上人語錄 卷上<br/> <br/>  別願和讃<br/> <br/> 身を觀ずれば水の泡    消ぬる後は人もなし<br/> 命をおもへば月の影    出入息にぞとどまらぬ<br/> 人天善所の質をば     をしめどもみなたもたれず<br/> 地獄鬼畜のくるしみは   いとへども又受けやすし<br/> 眼のまへのかたちは    盲て見ゆる色もなし<br/> 耳のほとりの言の葉は   聾てきく聲ぞなき<br/> 香をかぎ味なむること   只しばらくのほどぞかし<br/> 息のあやつり絕ぬれば   この身に殘る功能なし<br/> 過去遠遠のむかしより   今日今時にいたるまで<br/> おもひと思ふ事はみな   叶はねばこそかなしけれ<br/> 聖道淨土の法門を     悟りとさとる人はみな<br/> 生死の妄念つきずして   輪廻の業とぞなりにける<br/> 善惡不二の道理には    そむきはてたる心にて<br/><noinclude></noinclude> l8kuu23l9297i1lpsext9vvovg5jjq7 Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/32 250 56222 241743 2026-04-26T22:52:32Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「邪正一如とおもひなす   冥の知見ぞはづかしき<br/> 煩惱すなはち菩提ぞと   聞きて罪をばつくれども<br/> 生死すなはち涅槃とは   いへども命ををしむかな<br/> 自性淸淨法身は      如如常住の佛なり<br/> 迷ひも悟りもなきゆゑに  しるもしらぬも益ぞなき<br/> 萬行圓備の報身は     理智冥合の佛なり<br/> 境智ふたつもな…」 241743 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>邪正一如とおもひなす   冥の知見ぞはづかしき<br/> 煩惱すなはち菩提ぞと   聞きて罪をばつくれども<br/> 生死すなはち涅槃とは   いへども命ををしむかな<br/> 自性淸淨法身は      如如常住の佛なり<br/> 迷ひも悟りもなきゆゑに  しるもしらぬも益ぞなき<br/> 萬行圓備の報身は     理智冥合の佛なり<br/> 境智ふたつもなき故に   心念口稱に益ぞなき<br/> 斷惡修善の應身は     隨緣治病の佛なり<br/> 十惡五逆の罪人に     無緣出離の益ぞなき<br/> 名號酬因の報身は     凡夫出離の佛なり<br/> 十方衆生の願なれば    獨ももるる過ぞなき<br/> 別願超世の名號は     他力不思議の力にて<br/> 口にまかせてとなふれば  聲に生死の罪きえぬ<br/> 始の一念よりほかに    最後の十念なけれども<br/> 念をかさねて始とし    念のつくるを終とす<br/> おもひ盡きなん其後に   はじめをはりはなけれども<br/> 佛も衆生もひとつにて   南無阿彌陀佛とぞ申すべき<br/><noinclude></noinclude> 172alsp838rk6lolznz7aku21b09rgg 241747 241743 2026-04-26T22:55:19Z AntiquatedMan2025 44229 241747 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>邪正一如とおもひなす   冥の知見ぞはづかしき<br/> 煩惱すなはち菩提ぞと   聞きて罪をばつくれども<br/> 生死すなはち涅槃とは   いへども命ををしむかな<br/> 自性淸淨法身は      如如常住の佛なり<br/> 迷ひも悟りもなきゆゑに  しるもしらぬも益ぞなき<br/> 萬行圓備の報身は     理智冥合の佛なり<br/> 境智ふたつもなき故に   心念口稱に益ぞなき<br/> 斷惡修善の應身は     隨緣治病の佛なり<br/> 十惡五逆の罪人に     無緣出離の益ぞなき<br/> 名號酬因の報身は     凡夫出離の佛なり<br/> 十方衆生の願なれば    獨ももるる過ぞなき<br/> 別願超世の名號は     他力不思議の力にて<br/> 口にまかせてとなふれば  聲に生死の罪きえぬ<br/> 始の一念よりほかに    最後の十念なけれども<br/> 念をかさねて始とし    念のつくるを終とす<br/> おもひ盡きなん其後に   はじめをはりはなけれども<br/> 佛も衆生もひとつにて   南無阿彌陀佛とぞ申すべき<br/> はやく萬事をなげ捨てて  一心に彌陀を憑つつ<br/> 南無阿彌陀佛と息たゆる  是ぞおもひの限りなる<br/> 此時極樂世界より     彌陀觀音大勢至<br/> 無數恒沙の大聖衆     行者の前に顯現し<br/> 一時に御手を授つつ    來迎引接たれたまふ<br/> 即ち金蓮臺にのり     佛の後にしたがひて<br/> 須臾の間に經る程に    安養淨土に往生す<br/> 行者蓮臺よりおりて    五體を地になげ頂禮し<br/> すなはち菩薩に從ひて   漸く佛所に到らしむ<br/> 大寶宮殿に詣でては    佛の說法聽聞し<br/> 玉樹樓にのぼりては    遙に他方界をみる<br/> 安養界に到りては     穢國に還て濟度せん<br/> 慈悲誓願かぎりなく    長時に慈恩を報ずべし<br/> <br/>  百利口語<br/> <br/> 六道輪廻の間には     ともなふ人もなかりけり<br/> 獨むまれて獨死す     生死の道こそかなしけれ<br/><noinclude></noinclude> of2ilasg3zxf7h192c48jygg7cn71it Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/33 250 56223 241744 2026-04-26T22:53:11Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「はやく萬事をなげ捨てて  一心に彌陀を憑つつ<br/> 南無阿彌陀佛と息たゆる  是ぞおもひの限りなる<br/> 此時極樂世界より     彌陀觀音大勢至<br/> 無數恒沙の大聖衆     行者の前に顯現し<br/> 一時に御手を授つつ    來迎引接たれたまふ<br/> 即ち金蓮臺にのり     佛の後にしたがひて<br/> 須臾の間に經る程に    安…」 241744 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>はやく萬事をなげ捨てて  一心に彌陀を憑つつ<br/> 南無阿彌陀佛と息たゆる  是ぞおもひの限りなる<br/> 此時極樂世界より     彌陀觀音大勢至<br/> 無數恒沙の大聖衆     行者の前に顯現し<br/> 一時に御手を授つつ    來迎引接たれたまふ<br/> 即ち金蓮臺にのり     佛の後にしたがひて<br/> 須臾の間に經る程に    安養淨土に往生す<br/> 行者蓮臺よりおりて    五體を地になげ頂禮し<br/> すなはち菩薩に從ひて   漸く佛所に到らしむ<br/> 大寶宮殿に詣でては    佛の說法聽聞し<br/> 玉樹樓にのぼりては    遙に他方界をみる<br/> 安養界に到りては     穢國に還て濟度せん<br/> 慈悲誓願かぎりなく    長時に慈恩を報ずべし<br/> <br/>  百利口語<br/> <br/> 六道輪廻の間には     ともなふ人もなかりけり<br/> 獨むまれて獨死す     生死の道こそかなしけれ<br/><noinclude></noinclude> 8ukus87bufhhepv8l9m7yvapzpj1xby 241748 241744 2026-04-26T22:56:28Z AntiquatedMan2025 44229 241748 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>或は有頂の雲の上     或は無間の獄の下<br/> 善惡ふたつの業により   いたらぬ栖はなかりけり<br/> 然に人天善所には     生をうること有がたし<br/> 常に三途の惡道を     栖としてのみ出やらず<br/> 黑繩衆合に骨をやき    刀山劍樹に肝をさく<br/> 餓鬼となりては食にうゑ  畜生愚癡の報もうし<br/> かかる苦惱を受けし身の  しばらく三途をまぬかれて<br/> たまたま人身得たる時   などか生死をいとはざる<br/> 人の形に成たれど     世間の希望たえずして<br/> 身心苦惱することは    地獄を出でたるかひぞなき<br/> 物をほしがる心根は    餓鬼の果報にたがはざる<br/> 迭に害心おこすこと    ただ畜生にことならず<br/> 此等の妄念おこしつつ   明け暮ぬといそぐ身の<br/> 五欲の絆につながれて   火宅を出ずは憂かるべし<br/> 千秋萬歲おくれども    ただ電のあひだなり<br/> つながぬ月日過行は    死の期きたるは程もなし<br/> 生老病死のくるしみは   人をきらはぬ事なれば<br/> 貴賤高下の隔てなく    貧富共にのがれなし<br/> 露の命のあるほどぞ    瑶の臺もみがくべき<br/> 一度無常の風ふけば    花のすがたも散はてぬ<br/> 父母と妻子を始とし    財寶所住にいたるまで<br/> 百千萬億皆ながら     我身のためとおもひつつ<br/> 惜み育みかなしみし    此身をだにも打すてて<br/> たましひ獨りさらん時   たれか冥途へおくるべき<br/> 親類眷屬あつまりて    屍を抱きてさけべども<br/> 業にひかれて迷ゆく    生死の夢はよもさめじ<br/> かかることはり聞しより  身命財もをしからず<br/> 妄境既にふりすてて    獨ある身となり果てぬ<br/> 曠劫多生の間には     父母にあらざる者もなし<br/> 萬の衆生を伴なひて    はやく淨土にいたるべし<br/> 無爲の境にいらんため   すつるぞ實の報恩よ<br/> 口にとなふる念佛を    普く衆生に施して<br/> これこそ常の栖とて    いづくに宿を定めねど<br/> さすがに家の多ければ   雨にうたるる事もなし<br/><noinclude></noinclude> rd5wsl03t5rfn1d4jrkzd3v4l5o061s Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/34 250 56224 241749 2026-04-26T22:57:07Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「此身をやどす其程は    あるじも我も同じこと<br/> 終にうち捨てゆかんには  主がほしてなにかせん<br/> もとより家宅と知りぬれば 燒けうすれども騷がれず<br/> 荒たる處みゆれども    つくらふ心さらになし<br/> 疊一疊しきぬれば     狹とおもふ事もなし<br/> 念佛まをす起きふしは   妄念おこらぬ住居かな<br/> 道場すべて無…」 241749 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>此身をやどす其程は    あるじも我も同じこと<br/> 終にうち捨てゆかんには  主がほしてなにかせん<br/> もとより家宅と知りぬれば 燒けうすれども騷がれず<br/> 荒たる處みゆれども    つくらふ心さらになし<br/> 疊一疊しきぬれば     狹とおもふ事もなし<br/> 念佛まをす起きふしは   妄念おこらぬ住居かな<br/> 道場すべて無用なり    行住坐臥にたもちたる<br/> 南無阿彌陀佛の名號は   過たる此身の本尊なり<br/> 利欲の心すすまねば    勸進聖もしたからず<br/> 五種の不淨を離ねば    說法せしとちかひてき<br/> 法主軌則をこのまねば   弟子の法師もほしからず<br/> 誰を旦那と賴まねば    人にへつらふ事もなし<br/> 暫く此身のある程ぞ    さすがに衣食は離れねど<br/> それも前世の果報ぞと   いとなむ事も更になし<br/> 詞をつくし乞あるき    へつらひもとめ願はねど<br/> 僅に命をつぐほどは    さすがに人こそ供養すれ<br/> それもあたらずなり果は  飢死こそはせんずらめ<br/> 死して淨土に生れなば   殊勝の事こそ有べけれ<br/> 世間の出世もこのまねば  衣も常に定めなし<br/> 人の著するにまかせつつ  わづらひなきを本とする<br/> 小袖帷子紙のきぬ     ふりたる筵蓑のきれ<br/> 寒さふせがん爲なれば   有に任せて身にまとふ<br/> 命をささふる食物は    あたりつきたる其ままに<br/> 死するを歎く身ならねば  病のためともきらはれず<br/> よはるを痛む身ならねば  力のためとも願はれず<br/> 色の爲ともおもはねば   味たしむ事もなし<br/> 善惡ともに皆ながら    輪廻生死の業なれば<br/> すべて三界六道に     羨ましき事さらになし<br/> 阿彌陀佛に歸命して    南無阿彌陀佛と唱ふれば<br/> 攝取の光に照されて    眞の奉事となるときは<br/> 觀音勢至の勝友あり    同朋もとめて何かせん<br/> 諸佛護念したまへば    一切橫難おそれなし<br/> かかることわりしる事も  偏に佛の恩德と<br/> 思へば歡喜せられつつ   いよいよ念佛まをさるる<br/><noinclude></noinclude> joaswb6z8ckwdrf5jlx70pjwkv0k79g Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/35 250 56225 241752 2026-04-26T23:05:44Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「一切衆生のためならで   世をめぐりての詮もなし<br/> 一年熊野にまうでつつ   證誠殿にまうせしに<br/> あらたに夢想の告有りて  それに任せて過る身の<br/> 後生の爲に依怙もなし   平等利益の爲ぞかし<br/> 但し不淨をまろくして   終には土とすつる身を<br/> 信ぜん人も益あらじ    謗せん人も罪あらじ<br/> 口にとなふる名號…」 241752 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>一切衆生のためならで   世をめぐりての詮もなし<br/> 一年熊野にまうでつつ   證誠殿にまうせしに<br/> あらたに夢想の告有りて  それに任せて過る身の<br/> 後生の爲に依怙もなし   平等利益の爲ぞかし<br/> 但し不淨をまろくして   終には土とすつる身を<br/> 信ぜん人も益あらじ    謗せん人も罪あらじ<br/> 口にとなふる名號は    不可思議功德なる故に<br/> 見聞覺知の人もみな    生死の夢をさますべし<br/> 信謗共に利益せむ     他力不思議の名號は<br/> 無始本有の行體ぞ     始めて修するとおもふなよ<br/> 本來佛性一如にて     迷悟の差別なきものを<br/> そぞろに妄念おこしつつ  迷とおもふぞ不思議なる<br/> 然に彌陀の本誓は     まよひの衆生に施して<br/> 鈍根無智の爲なれば    智慧弁才もねがはれず<br/> 布施持戒をも願はれず   比丘の破戒もなげかれず<br/> 定散共に攝すれば     行住坐臥に障りなし<br/> 善惡ともに隔ねば     惡業人もすてられず<br/> 雜善すべて生ぜねば    善根ほしともはげまれず<br/> 身の振舞にいろはねば   人目をかざる事もなし<br/> 心はからひたのまねば   さとるこころも絕果てぬ<br/> 諸佛の光明およばざる   無量壽佛の名號は<br/> 迷悟の法にあらざれば   難思光佛とほめたまふ<br/> 此法信樂する時に     佛も衆生も隔なく<br/> 彼此の三業捨離せねば   無礙光佛と申すなり<br/> すべて思量をとどめつつ  仰いで佛に身をまかせ<br/> 出入息をかぎりにて    南無阿彌陀佛と申すべし。<br/> <br/> 誓願偈文<br/> <br/> 我弟子等、願くば今身從り<br/> 未來際を盡して、身命を惜まず<br/> 本願に歸入し、畢命を期と爲して<br/> 一向に稱名し、善惡を說かず<br/> 善惡を行ぜざれ、此の如きの行人は<br/> 本願に依るが故に、阿彌陀佛<br/><noinclude></noinclude> or5ovtroliaonmx2v5h6l0ktgjapdhi Page:NDL1172327 国訳大蔵経 - 昭和新纂 宗典部 第8巻 part2.pdf/36 250 56226 241753 2026-04-26T23:18:10Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「觀音勢至、五五の菩薩<br/> 無數の聖衆、六方の恒沙<br/> 證誠の諸佛、晝夜六時に<br/> 相續して間なく、影の形に隨ふが如く<br/> 暫も離るる時無く、慈悲護念したまはん<br/> 心をして亂れざらしめば、橫病を受けず<br/> 橫死に遇はず、身に苦痛なし<br/> 心錯亂せず、身心安樂にして<br/> 禪定に入るが如し、命を斷てば須臾にして<br/> 聖衆來迎す、佛の…」 241753 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>觀音勢至、五五の菩薩<br/> 無數の聖衆、六方の恒沙<br/> 證誠の諸佛、晝夜六時に<br/> 相續して間なく、影の形に隨ふが如く<br/> 暫も離るる時無く、慈悲護念したまはん<br/> 心をして亂れざらしめば、橫病を受けず<br/> 橫死に遇はず、身に苦痛なし<br/> 心錯亂せず、身心安樂にして<br/> 禪定に入るが如し、命を斷てば須臾にして<br/> 聖衆來迎す、佛の願力に乘じて<br/> 極樂に往生せん<br/> <br/> 時衆制誡<br/> <br/> 專ら神明の威を仰ぎて、本地の德を輕ずること莫れ。<br/> 專ら佛法僧を念じて、感應の力を忘ずること莫れ。<br/> 專ら稱名の行を修して、餘の雜行を勤むること莫れ。<br/> 專ら所愛の法を信じて、他人の法を破すること莫れ。<br/> 專ら平等の心を起して、差別の思を作すこと莫れ。<br/> 專ら慈悲の心を發して、他人の愁を忘ずること莫れ。<br/> 專ら柔和の面を備へて、瞋恚の相を現ずること莫れ。<br/> 專ら卑下の觀に住して、驕慢の心を發すこと莫れ。<br/> 專ら不淨の源を觀じて、愛執の心を起すこと莫れ。<br/> 專ら無常の理を觀じて、貪欲の心を發すこと莫れ。<br/> 專ら自身の過を制して、他人の非を謗ずること莫れ。<br/> 專ら化他の門に遊んで、自利の行を怠こと莫れ。<br/> 專ら三惡道を恐れて、犯罪の業を恣にすること莫れ。<br/> 專ら安養の樂を願じて、三途の苦を忘ずること莫れ。<br/> 專ら往生の想に住して、稱名の行を怠ること莫れ。<br/> 專ら西方を持念して、心を九域に分つこと莫れ。<br/> 專ら菩提の行を修して、遊戲の友に交はこと莫れ。<br/> 專ら知識の教を守りて、我意を恣任すること莫れ。<br/> 我が遺弟等末代に至りて、須く此旨を守るべし。努力て怠こと勿れ、三業の行體なり。<br/> 南無阿彌陀佛     一遍<br/><noinclude></noinclude> kzj3gtmw9nbu95htk6ljunanqi6bsrq 天文ニュース/第42巻/ベイリー氏から編集者への手紙からの抜粋 0 56227 241757 2026-04-26T23:55:59Z 塔屋 45631 訳出 [[en:Astronomische Nachrichten/Volume 42/Auszug aus einem Briefe des Herrn Baily an den Herausgeber]] 241757 wikitext text/x-wiki {{header | title =ベイリー氏から編集者宛の手紙からの抜粋 | defaultsort = へいりいしからへんしゆうしやあてのてかみからのはつすい | year =1823 | month =10 | day =17 | date = | author =フランシス・ベイリー | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == ベイリー氏から編集者宛の手紙からの抜粋 == 第42号 グレイズ、1823年6月、10月17日 ウルシン博士が、貴紙で言及されていた大変有用な対数表を出版される予定であることを知り、大変嬉しく思います。私自身のために3部購読を申し込ませていただきます。きっと他にも多くの方が購読を希望されると思いますが、残念ながらこの国には購読を受け付けている書店がありません。しかしながら、この書籍は必ず多くの読者に受け入れられるでしょう。 編集者注:ハンセン氏とニッセン氏はそれぞれ1部ずつ購読を申し込まれました。私は10部購読を申し込むことにし、ご連絡いただいた購読者の方々全員をご紹介いたします。ウルシン博士は英語版の購読受付も手配してくださいます。 S. この話題を終える前に、多くの方々が抱いているであろう願いを述べさせてください。それは、月の弧長の差の観測を、満月期以降も継続することです。そうすることで、月の東西両縁からの観測距離を十分な数だけ得ることができ、結果の確実性を高めることができるでしょう。そのためには、各月の周期の後半数日間にわたって、カタログを検討する必要があります。 編集者注:ベイリー氏の手紙とほぼ同時期に、尊敬する友人であるベッセル教授(騎士)から手紙(10月12日付)を受け取りました。その中で、彼は私を第二月の縁の南中観測に招待しています。彼が指摘するように、縁の推定値の不一致に関する疑念は、子午線差を歪めるものではないはずです。こうした観測は、月が中央ヨーロッパ夏時間午後5時から9時の間に南中する午前中にしかできない、と彼は続ける。夜遅くには天文学者は眠らなければならないため不可能であり、また、惑星の衝のために真夜中過ぎまでの時間を逃すことは通常ないからである。しかし、日中は、比較に使えるのはより大きな星だけであり、それも強力な観測機器を備えた天文台に限られる。そのような天文台では、赤緯が8°から10°異なる2つの星の赤経の差を目立った誤差なく観測できるように機器が常に正確に設定されているため、比較星は必ず見つかる。今後数ヶ月間のこれらの星のリストを、もし可能であれば、貴誌に掲載していただければ幸いです。これらの観測結果は、以前のものと同様の形式で提出する必要がありますが、赤緯の差が小さいため、今回はそれほど厳密な形式は必要ありません。すなわち、月と星の観測結果は、赤緯に正しく換算する必要があり、その際、換算要素の均一性のみが重要となります。この点において、ベイリー氏が手紙の別の箇所で述べた希望は、ベッセル氏の希望とも一致しています。 バベッジ氏が計算機の完成に向けて大きな進展を遂げていることをお伝えできることを嬉しく思います。政府は彼に1500ポンドの助成金を惜しみなく提供し、必要に応じてさらなる支援を約束しています。ご存じのとおり、この機械は表を計算すると同時に印刷用の活字も作成するように設計されているため、将来的には、どのコピーにも一切の誤りがない、計算から印刷まで完璧な数表を入手できると確信しています。 フランシス・ベイリー laf7rmwwqz1om1yh8uc0md31b1lha0d 241758 241757 2026-04-26T23:57:42Z 塔屋 45631 241758 wikitext text/x-wiki {{header | title =ベイリー氏から編集者宛の手紙からの抜粋 | defaultsort = へいりいしからへんしゆうしやあてのてかみからのはつすい | year =1823 | month =10 | day =17 | date = | author =フランシス・ベイリー | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} == ベイリー氏から編集者宛の手紙からの抜粋 == 第42号 グレイズ、1823年10月17日 ウルシン博士が、貴紙で言及されていた大変有用な対数表を出版される予定であることを知り、大変嬉しく思います。私自身のために3部購読を申し込ませていただきます。きっと他にも多くの方が購読を希望されると思いますが、残念ながらこの国には購読を受け付けている書店がありません。しかしながら、この書籍は必ず多くの読者に受け入れられるでしょう。 編集者注:ハンセン氏とニッセン氏はそれぞれ1部ずつ購読を申し込まれました。私は10部購読を申し込むことにし、ご連絡いただいた購読者の方々全員をご紹介いたします。ウルシン博士は英語版の購読受付も手配してくださいます。 S. この話題を終える前に、多くの方々が抱いているであろう願いを述べさせてください。それは、月の弧長の差の観測を、満月期以降も継続することです。そうすることで、月の東西両縁からの観測距離を十分な数だけ得ることができ、結果の確実性を高めることができるでしょう。そのためには、各月の周期の後半数日間にわたって、カタログを検討する必要があります。 編集者注:ベイリー氏の手紙とほぼ同時期に、尊敬する友人であるベッセル教授(騎士)から手紙(10月12日付)を受け取りました。その中で、彼は私を第二月の縁の南中観測に招待しています。彼が指摘するように、縁の推定値の不一致に関する疑念は、子午線差を歪めるものではないはずです。こうした観測は、月が中央ヨーロッパ夏時間午後5時から9時の間に南中する午前中にしかできない、と彼は続ける。夜遅くには天文学者は眠らなければならないため不可能であり、また、惑星の衝のために真夜中過ぎまでの時間を逃すことは通常ないからである。しかし、日中は、比較に使えるのはより大きな星だけであり、それも強力な観測機器を備えた天文台に限られる。そのような天文台では、赤緯が8°から10°異なる2つの星の赤経の差を目立った誤差なく観測できるように機器が常に正確に設定されているため、比較星は必ず見つかる。今後数ヶ月間のこれらの星のリストを、もし可能であれば、貴誌に掲載していただければ幸いです。これらの観測結果は、以前のものと同様の形式で提出する必要がありますが、赤緯の差が小さいため、今回はそれほど厳密な形式は必要ありません。すなわち、月と星の観測結果は、赤緯に正しく換算する必要があり、その際、換算要素の均一性のみが重要となります。この点において、ベイリー氏が手紙の別の箇所で述べた希望は、ベッセル氏の希望とも一致しています。 バベッジ氏が計算機の完成に向けて大きな進展を遂げていることをお伝えできることを嬉しく思います。政府は彼に1500ポンドの助成金を惜しみなく提供し、必要に応じてさらなる支援を約束しています。ご存じのとおり、この機械は表を計算すると同時に印刷用の活字も作成するように設計されているため、将来的には、どのコピーにも一切の誤りがない、計算から印刷まで完璧な数表を入手できると確信しています。 フランシス・ベイリー 56glfqq83z817041rq2bc96lo7c8z1h タイムズ紙/1871年/訃報/故チャールズ・バベッジ氏(王立協会フェロー) 0 56228 241759 2026-04-27T00:50:23Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Times/1871/Obituary/The Late Mr. Charles Babbage, F.R.S.]] 241759 wikitext text/x-wiki {{header | title =故チャールズ・バベッジ氏、FRS(1871年) | defaultsort = こちゃあるすはへつしし | year =1871 | month =10 | day =23 | date = | author = | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =新聞記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:1871年10月23日(月曜日)付 タイムズ紙。 == 故チャールズ・バベッジ氏(王立協会フェロー) == 土曜日の訃報欄には、最も精力的に活動し、独創的な思想家の一人であり、実用的な数学者として半世紀近くにわたり英国全土にその名を知られてきた人物、チャールズ・バベッジ氏の名前が掲載されました。彼は先週、マリルボーンのドーセット・ストリートにある自宅で、オルガン弾きの迫害者たちの妨害にもかかわらず、80歳を少し過ぎたところで亡くなりました。 バベッジ氏の両親や幼少期については、1792年12月26日に生まれ、私立学校で教育を受けたこと以外、ほとんど知られていない。彼は長い生涯を通じて、名声と評判を得た後も、そのことについては常に極めて口を閉ざし、質問者に対しては、存命人物の伝記は、少なくとも出版された著作のリストの中に見出されるべきだと、一貫して述べていた。バベッジ氏の場合、このリストは80以上の著作に及んでいたため、伝記作家にとって資料に事欠くことはないはずだった。しかし実際には、約7年前に『哲学者の生涯の一場面』という自伝を世に出したにもかかわらず、これらの資料は乏しいのである。 バベッジ氏は通常の年齢でケンブリッジ大学に入学し、1814年にピーターハウス・カレッジで学士号を取得した者のリストに名前が載っています。しかし、数学トライポスには名前が載っていません。彼は、ハーシェルが確信していた上級評議員の地位以外のいかなる栄誉よりも、投票のキャプテンになることを好んだからです。しかし、ケンブリッジ在学中、彼は故ジョン・ハーシェル卿やピーコック学部長とともに、大陸で長らく主流であった洗練された解析的数学的推論の知識を大学、ひいては国内の科学者全体に広めようと尽力したことで知られています。一方、島国である私たちは、ほとんどの場合、「古代の総合主義の窮屈な領域」と呼ばれるものに満足していました。若き三巨頭は、当時蔓延していた偏見や先入観を打ち破ることに成功したことは認めざるを得ない。彼らはこの目標を常に念頭に置き、まずラクロワの微積分に関する小著を翻訳・編集し、独自の注釈と、(ほぼ全てではないにしても、ジョン・ハーシェル卿の手による)有限差分に関する付録を付け加えた。次に、彼らは微積分学の全分野に関する演習問題の解答集を出版した。この書物は、同様の目的を持つより新しい著作があるにもかかわらず、今なお数学を学ぶ学生にとって非常に役立つものである。この出版物には、バベッジ氏が当時全く新しいテーマであった関数方程式の解法に関する独立した論文を寄稿している。 我々の手元にある記録は乏しいものの、段階を経て、これらの研究は徐々にバベッジ氏を、彼の科学的業績の頂点と正当に評価されるべき数学研究の実践的応用へと導いた。もちろん、ここで言う応用とは、世界が彼の名と結びつけている有名な計算機の発明と部分的な構築のことである。世界人名辞典のある著者は次のように述べている。 「数値に対して特定の演算を実行できる機構を構築する可能性は、決して新しいものではありません。パスカルや幾何学者たちが考えていたものであり、近年ではフランスのコルマールのトーマス氏やスウェーデンのシュッツ氏らがそれを実用化しました。しかし、バベッジ氏の構想ほど壮大な計画は、それ以前にも以後にも、どこにも想像されたことはありません。」 ここでの彼の功績は二つあった。彼は差分機関と呼ばれるものを構築し、解析機関の実現可能性も計画し実証した。おそらく、このような難解な発明の性質を一般の非専門家読者に明確に伝えることは難しいだろう。なぜなら、機械の説明に長けたラードナー博士でさえ、エジンバラ・レビュー誌の25ページを費やしてその動作を部分的にしか説明しておらず、多くの図の助けなしには効果的に説明できない特徴が多数あることを認めているからである。ここでこの機械について言えることは、自動的に行われる加算処理がその根底にあるということだけだ。ほぼすべての数値表には、各数値と次の数値との差に秩序の法則が存在する。例えば、9、16、25、36、49、64、81などの平方数の列では、連続する差は7、9、11、13、15、17などとなります。これらは1次差です。これらの差に対して差分計算を繰り返すと、2、2、2、2などの非常に単純な数列が得られます。そして、ほとんどの表は、差分の次数に分解すると、このような単純な数列に収束します。いわば、要素、つまり原子のようなものが得られ、そこから一定の加算によって表の数値を構成できます。バベッジ氏の機械の機能は、事前の調整によって決定された順序で互いに作用する歯車の組み合わせによって、この差分の加算を実行することでした。この差分による動作から、この機械は「差分機関」と呼ばれるようになりました。この機械の建造が突然中断されたこと、そしてその中断の理由が一切明らかにされなかったことは、これまで繰り返し述べられてきた。しかし、先に引用した辞書の著者は、これまでこの件を覆っていた謎を次のように解き明かしている。 6yhumndef37bkytf92j5ul2ggapsrnp 241760 241759 2026-04-27T00:51:10Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Times/1871/Obituary/The Late Mr. Charles Babbage, F.R.S.]] 241760 wikitext text/x-wiki {{header | title =故チャールズ・バベッジ氏、FRS(1871年) | defaultsort = こちゃあるすはへつしし | year =1871 | month =10 | day =23 | date = | author = | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =新聞記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:1871年10月23日(月曜日)付 タイムズ紙。 == 故チャールズ・バベッジ氏(王立協会フェロー) == 土曜日の訃報欄には、最も精力的に活動し、独創的な思想家の一人であり、実用的な数学者として半世紀近くにわたり英国全土にその名を知られてきた人物、チャールズ・バベッジ氏の名前が掲載されました。彼は先週、マリルボーンのドーセット・ストリートにある自宅で、オルガン弾きの迫害者たちの妨害にもかかわらず、80歳を少し過ぎたところで亡くなりました。 バベッジ氏の両親や幼少期については、1792年12月26日に生まれ、私立学校で教育を受けたこと以外、ほとんど知られていない。彼は長い生涯を通じて、名声と評判を得た後も、そのことについては常に極めて口を閉ざし、質問者に対しては、存命人物の伝記は、少なくとも出版された著作のリストの中に見出されるべきだと、一貫して述べていた。バベッジ氏の場合、このリストは80以上の著作に及んでいたため、伝記作家にとって資料に事欠くことはないはずだった。しかし実際には、約7年前に『哲学者の生涯の一場面』という自伝を世に出したにもかかわらず、これらの資料は乏しいのである。 バベッジ氏は通常の年齢でケンブリッジ大学に入学し、1814年にピーターハウス・カレッジで学士号を取得した者のリストに名前が載っています。しかし、数学トライポスには名前が載っていません。彼は、ハーシェルが確信していた上級評議員の地位以外のいかなる栄誉よりも、投票のキャプテンになることを好んだからです。しかし、ケンブリッジ在学中、彼は故ジョン・ハーシェル卿やピーコック学部長とともに、大陸で長らく主流であった洗練された解析的数学的推論の知識を大学、ひいては国内の科学者全体に広めようと尽力したことで知られています。一方、島国である私たちは、ほとんどの場合、「古代の総合主義の窮屈な領域」と呼ばれるものに満足していました。若き三巨頭は、当時蔓延していた偏見や先入観を打ち破ることに成功したことは認めざるを得ない。彼らはこの目標を常に念頭に置き、まずラクロワの微積分に関する小著を翻訳・編集し、独自の注釈と、(ほぼ全てではないにしても、ジョン・ハーシェル卿の手による)有限差分に関する付録を付け加えた。次に、彼らは微積分学の全分野に関する演習問題の解答集を出版した。この書物は、同様の目的を持つより新しい著作があるにもかかわらず、今なお数学を学ぶ学生にとって非常に役立つものである。この出版物には、バベッジ氏が当時全く新しいテーマであった関数方程式の解法に関する独立した論文を寄稿している。 我々の手元にある記録は乏しいものの、段階を経て、これらの研究は徐々にバベッジ氏を、彼の科学的業績の頂点と正当に評価されるべき数学研究の実践的応用へと導いた。もちろん、ここで言う応用とは、世界が彼の名と結びつけている有名な計算機の発明と部分的な構築のことである。世界人名辞典のある著者は次のように述べている。 「数値に対して特定の演算を実行できる機構を構築する可能性は、決して新しいものではありません。パスカルや幾何学者たちが考えていたものであり、近年ではフランスのコルマールのトーマス氏やスウェーデンのシュッツ氏らがそれを実用化しました。しかし、バベッジ氏の構想ほど壮大な計画は、それ以前にも以後にも、どこにも想像されたことはありません。」 ここでの彼の功績は二つあった。彼は差分機関と呼ばれるものを構築し、解析機関の実現可能性も計画し実証した。おそらく、このような難解な発明の性質を一般の非専門家読者に明確に伝えることは難しいだろう。なぜなら、機械の説明に長けたラードナー博士でさえ、エジンバラ・レビュー誌の25ページを費やしてその動作を部分的にしか説明しておらず、多くの図の助けなしには効果的に説明できない特徴が多数あることを認めているからである。ここでこの機械について言えることは、自動的に行われる加算処理がその根底にあるということだけだ。ほぼすべての数値表には、各数値と次の数値との差に秩序の法則が存在する。例えば、9、16、25、36、49、64、81などの平方数の列では、連続する差は7、9、11、13、15、17などとなります。これらは1次差です。これらの差に対して差分計算を繰り返すと、2、2、2、2などの非常に単純な数列が得られます。そして、ほとんどの表は、差分の次数に分解すると、このような単純な数列に収束します。いわば、要素、つまり原子のようなものが得られ、そこから一定の加算によって表の数値を構成できます。バベッジ氏の機械の機能は、事前の調整によって決定された順序で互いに作用する歯車の組み合わせによって、この差分の加算を実行することでした。この差分による動作から、この機械は「差分機関」と呼ばれるようになりました。この機械の建造が突然中断されたこと、そしてその中断の理由が一切明らかにされなかったことは、これまで繰り返し述べられてきた。しかし、先に引用した辞書の著者は、これまでこの件を覆っていた謎を次のように解き明かしている。 「この件を調査するために任命された委員会の好意的な報告にもかかわらず、政府は二つの事情から、それ以上の進展をためらうに至った。第一に、協力者として雇われていた技師または機械工のクレメンツ氏が、突然、熟練した職人全員を工事現場から引き上げ、さらに悪いことに、工事に使用されていた貴重な工具類をすべて持ち去ってしまった。」 ―この行為は、ウェルド氏が王立協会の歴史の中で厳密には合法であると正当化しているが、常識のある世間一般の人であれば、その公平性に疑問を抱くかもしれない。なぜなら、その道具自体はバベッジ氏と財務省の共同出費で作られたからである。「第二に」と、同じ権威者は言う。「差分機関をその一部として吸収し内包する解析機関の構想が、バベッジ氏より先に浮かんだ」。もちろん、このような問題では「幾重にも重なる困難」が生じるのは避けられず、一つの大きな勝利を収めたとしても、さらに大きな戦いが残されているのは当然のことだった。しかし、バベッジ氏が正直な人らしく、この事実を政府に伝えるやいなや、当時の大臣たち、特に財務省のトップにいたロバート・ピール卿とH・ゴールバーン氏は警戒し、これからかかる莫大な費用を恐れて、この事業を断念することに決めた。バベッジ氏は、公的資金からの援助を一切受けずに、趣味として機械に私財のかなりの部分を費やしており、その額は6,000ポンドから17,000ポンドと様々に見積もられている。そこで、これ以上この件に深入りしないことに決めた彼らは、補償として、完成した差分機関をバベッジ氏自身の所有物として残すことを提案したが、発明家は当然のことながらこの申し出を断った。この機関は、製作されたものと製作されなかった機械の図面、およびそれに関連するその他多くの装置とともに、400枚から500枚にも及ぶと言われている図面や設計図とともに、1843年にロンドンのキングス・カレッジに寄贈された。それらは現在、同大学の博物館に展示されており、打ち砕かれた大きな希望、あるいは少なくともその実現の無期限延期を静かに物語っている。 バベッジ氏の有名な機械についてこれほど長々と語っていると、出来事の順序を少し先取りしてしまい、彼の人生の主要な事実の記録に戻らなければなりません。1828年、彼は母校の大学でルーカス数学教授に指名され、かつてアイザック・ニュートン卿が務めた教授職に就きました。彼はこの教授職を11年間務めました。この教授職に就いていたとき、つまり、最初の改革法案の可決に続く1832年11月の総選挙で、彼は新しく設立されたフィンズベリー自治区の代表候補として、進歩的な自由党の利益のために、議会、財政、および財政改革だけでなく、「バロット、3年ごとの議会、およびすべての閑職と官職の廃止」の支持者として擁立されました。しかし、選挙人は哲学者を選ぶことを気にしませんでした。そのため彼は成功せず、その後二度とその選挙区、あるいは他の選挙区の票を獲得しようとはしなかったと我々は考えている。 バベッジ氏が約80巻もの著作を出版したことは既に述べました。しかし、これらの著作の全リストは一般読者の興味を引くものでも啓発的なものでもないでしょう。著作名を調べたい方は、大英博物館の新しい図書館目録に詳細が記載されていますのでご覧ください。さらに詳しい情報は、既に引用したウェルド氏の『王立協会の歴史』第12章に記載されています。ただし、そのうちの1、2冊については、ここで具体的に述べておきましょう。おそらく最もよく知られているのは、彼の『ブリッジウォーター論文集第9巻』でしょう。この著作は、数学研究への熱烈な傾倒は真の信仰にそぐわないという、同書の第1巻で暗示され奨励されているとされる見解を反駁するとともに、キリスト教の証拠が、適切な精神で研究された数学からどのような防御的支援を受けられるかを示すために書かれたものです。 彼の著作の中で、独自の評価を得ているものの一つに『科学の衰退』という本がある。そのタイトルと内容から、著者が現代の科学的成果をやや悲観的に見ていたことがうかがえる。この見解は、バベッジ氏がわずか20年前に出版した第1回ロンドン万国博覧会に関する著書でもさらに詳しく述べられている。ここで言及する価値のある彼の著作としては、『製造業の経済』がある。これは、対数表を作成するための機械的原理を求めて、彼がイギリスとヨーロッパ大陸を視察旅行した成果の一つである。 バベッジ氏が1から10万8000までの対数表を著してから約40年が経ちました。彼はこの著作に膨大な労力を費やし、出版にあたっては、計算者が長時間そのページを見つめなければならないことをよく理解していたため、計算者の利便性に細心の注意を払いました。彼の功績は、自国だけでなく海外の計算者からも高く評価され、報われました。実際、いくつかの国では、この対数表の版から序文の翻訳付きで版が出版されました。その後、数多くの対数表が出版されましたが、バベッジ氏の対数表は、天文学や数学における骨の折れる計算を担うすべての人々から、今なお高く評価されています。 バベッジ氏は亡くなる当時、王立協会の最古参会員の一人でした。また、50年以上前に天文学会の創設者の一人でもあり、ジョン・ハーシェル卿とともに同協会の最後の生き残りでした。彼はロンドンとエディンバラの主要な学術団体の多くの会員としても精力的に活動し、少なくとも以前はそれらの団体の機関誌である『トランザクションズ』に数多くの論文を寄稿していました。彼の最後の重要な著作は、すでに触れたように、ユーモラスで彼らしい自伝的作品『哲学者の生涯』です。 rfs56d2pyd46r329vheuxpg9cyaj0ro エーテル 0 56229 241761 2026-04-27T01:23:46Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Aether]] 241761 wikitext text/x-wiki {{header | title =エーテル | defaultsort =ええてる | year =1909 | month =10 | day =23 | date = | author =ノーマン・キャンベル | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:『フィロソフィカル・マガジン』19巻、181-191頁。<ref>著者本人より提供された情報</ref> == ノーマン・ロバート・キャンベル著 『エーテル』 (1909年)<ref>ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ研究員</ref> == § 1.現代物理学における「エーテル」概念の位置づけは、異例かつ不十分である。一部の著述家の著作からは、この概念がかつてないほど根本的に重要であり、疑いようのない妥当性を持っていた時代があったかのように思えるかもしれないが、一方で、この概念を全く用いず、進歩の妨げになると考える者もいる。そして、この意見の対立は、これまで科学者たちを分裂させてきたほとんどすべての意見の相違とは、やや性質が異なる。ここで問題となっているのは、実験的証拠の価値や、その解釈の主要な特徴に関するものではない。確かに、「エーテル」に対する不満の多くは、近年の原子論に基づいている。放射線の性質や相対性原理が電磁気理論の十分な基礎であることの証明については議論があるが、そのような理論は概念を放棄する十分な理由も必要条件も提供しないことは明らかである。最も初期かつ最も広範な放射原子理論の著者であるJJトムソン卿は、英国科学振興協会での会長講演の大部分をエーテルの性質の説明に費やしたが、一方で私は、静電気学の要素ほど新しい考えを考察するだけで、その概念の有用性について重大な疑問が生じる可能性があることを示したい。両者がそれぞれの見解を詳細に表明するよう促されれば、両者の相違は、より特殊な観察や直観の問題ではなく、科学的知識の根本原理に関するものであることがわかるだろう。科学者が研究の本質的な基礎について議論することにかなりの臆病さを示すため、エーテルの概念に対する直接的な攻撃や擁護がほとんどなかったのかもしれない。以下の考察は、この重要な問題全体を徹底的に検討する上で、ある程度役立つかもしれない<ref>「注記」―議論の要点は、『現代電気理論』(ケンブリッジ、1907年)の第14章、および『ニュー・クォータリー・レビュー』第3号の記事に含まれていることを指摘しておくかもしれない。</ref>。 § 2. まず、「エーテル」とは何を意味するのか、そしてなぜそれが発明されたのかを問わなければならない。私が知っている限り、この概念の定義は故ソールズベリー卿によるもので、彼はそれを「動詞『波打つ』の主語」と表現した。なぜその動詞が特別な主語を必要とするのかはすぐには明らかではないが、少し考えれば、少なくとも「一見」もっともらしい事例が浮かび上がるだろう。エネルギー保存の法則は、おそらくすべての物理学者が自らの科学の必要条件として受け入れている唯一の命題であり、その法則を維持するには、一見するとエーテルのような概念が必要であるように思われる。ある物体が、有限の距離だけ離れた低温の別の物体にエネルギーを放射しているとき、最初の物体がエネルギーを失い、2番目の物体がエネルギーを得ていない有限の時間間隔が存在する。そのエネルギーがその期間に完全に失われたとは考えられないのであれば、発生源でも受信源でもない第三の物体によってエネルギーが獲得されたと考えるべきだろう。この物体、すなわち光の波動エネルギーの媒体となる物体こそがエーテルである。 光の電磁気理論の発展(p.|183)は、放射エネルギーは、静止状態または運動状態にある帯電体の周囲に局在するエネルギーと本質的に同じ性質を持つという考えに至った。エーテルは、放射エネルギーだけでなく、あらゆる形態の電磁エネルギーの媒体とみなされており、簡単に言えば「電磁エネルギーが局在する物体」と定義できる。 このような大まかな定義は、必ずしもすべての人にとって満足のいくものではないだろうが、一般に理解されているエーテルの概念の特徴を明確に示しているため、本稿の目的には十分である。そして、まさにそのエーテルの概念について、これから論じることが私の目的である。 § 3. もちろん、定義は命題ではなく、真偽のどちらかであるということはあり得ません。科学的概念の定義がどのようなものであっても、それに関する命題を適切に構成することで、観察結果に合致する理論を構築することは常に可能です。しかし実際には、科学においても他の学問においても、命題は論理的には定義に続くものの、歴史的には定義に先行するのが一般的です。命題は、その単純さ、数学的展開への適合性、あるいはその他の理由から選択され、命題に関わる概念の定義の第一の要件は、これらの命題を真にするような定義でなければならないということです。(このような手順の明白な例として、「完全気体」という概念が挙げられる。) エーテルの場合、真でなければならない命題はマクスウェルの6つの方程式によって表される。基準軸が「エーテルに固定されている」場合に、これらの命題が真となるように、エーテルの定義を選択する必要があります。採用した定義の下で、基準軸が「エーテルに固定されている」場合にこれらの式が成り立たないことが判明した場合、厳密には式自体に誤りがあるものの、おおまかに言えば定義が偽であると言えるでしょう。議論の便宜上、一連の式を、そこから導き出される単一の単純な演繹、すなわち、基準軸に対して速度 u で運動する電荷 e は、電荷の経路と方向が一致する、強さ eu の電流要素に等しいという命題に置き換えても、一般性は損なわれません。 6gcmepux0yz6jz7i3own7xem8332k5z 241762 241761 2026-04-27T01:25:09Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Aether]] 241762 wikitext text/x-wiki {{header | title =エーテル | defaultsort =ええてる | year =1909 | month =10 | day =23 | date = | author =ノーマン・キャンベル | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:『フィロソフィカル・マガジン』19巻、181-191頁。<ref>著者本人より提供された情報</ref> == ノーマン・ロバート・キャンベル著 『エーテル』 (1909年)<ref>ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ研究員</ref> == § 1.現代物理学における「エーテル」概念の位置づけは、異例かつ不十分である。一部の著述家の著作からは、この概念がかつてないほど根本的に重要であり、疑いようのない妥当性を持っていた時代があったかのように思えるかもしれないが、一方で、この概念を全く用いず、進歩の妨げになると考える者もいる。そして、この意見の対立は、これまで科学者たちを分裂させてきたほとんどすべての意見の相違とは、やや性質が異なる。ここで問題となっているのは、実験的証拠の価値や、その解釈の主要な特徴に関するものではない。確かに、「エーテル」に対する不満の多くは、近年の原子論に基づいている。放射線の性質や相対性原理が電磁気理論の十分な基礎であることの証明については議論があるが、そのような理論は概念を放棄する十分な理由も必要条件も提供しないことは明らかである。最も初期かつ最も広範な放射原子理論の著者であるJJトムソン卿は、英国科学振興協会での会長講演の大部分をエーテルの性質の説明に費やしたが、一方で私は、静電気学の要素ほど新しい考えを考察するだけで、その概念の有用性について重大な疑問が生じる可能性があることを示したい。両者がそれぞれの見解を詳細に表明するよう促されれば、両者の相違は、より特殊な観察や直観の問題ではなく、科学的知識の根本原理に関するものであることがわかるだろう。科学者が研究の本質的な基礎について議論することにかなりの臆病さを示すため、エーテルの概念に対する直接的な攻撃や擁護がほとんどなかったのかもしれない。以下の考察は、この重要な問題全体を徹底的に検討する上で、ある程度役立つかもしれない<ref>「注記」―議論の要点は、『現代電気理論』(ケンブリッジ、1907年)の第14章、および『ニュー・クォータリー・レビュー』第3号の記事に含まれていることを指摘しておくかもしれない。</ref>。 § 2. まず、「エーテル」とは何を意味するのか、そしてなぜそれが発明されたのかを問わなければならない。私が知っている限り、この概念の定義は故ソールズベリー卿によるもので、彼はそれを「動詞『波打つ』の主語」と表現した。なぜその動詞が特別な主語を必要とするのかはすぐには明らかではないが、少し考えれば、少なくとも「一見」もっともらしい事例が浮かび上がるだろう。エネルギー保存の法則は、おそらくすべての物理学者が自らの科学の必要条件として受け入れている唯一の命題であり、その法則を維持するには、一見するとエーテルのような概念が必要であるように思われる。ある物体が、有限の距離だけ離れた低温の別の物体にエネルギーを放射しているとき、最初の物体がエネルギーを失い、2番目の物体がエネルギーを得ていない有限の時間間隔が存在する。そのエネルギーがその期間に完全に失われたとは考えられないのであれば、発生源でも受信源でもない第三の物体によってエネルギーが獲得されたと考えるべきだろう。この物体、すなわち光の波動エネルギーの媒体となる物体こそがエーテルである。 光の電磁気理論の発展(p.|183)は、放射エネルギーは、静止状態または運動状態にある帯電体の周囲に局在するエネルギーと本質的に同じ性質を持つという考えに至った。エーテルは、放射エネルギーだけでなく、あらゆる形態の電磁エネルギーの媒体とみなされており、簡単に言えば「電磁エネルギーが局在する物体」と定義できる。 このような大まかな定義は、必ずしもすべての人にとって満足のいくものではないだろうが、一般に理解されているエーテルの概念の特徴を明確に示しているため、本稿の目的には十分である。そして、まさにそのエーテルの概念について、これから論じることが私の目的である。 § 3. もちろん、定義は命題ではなく、真偽のどちらかであるということはあり得ません。科学的概念の定義がどのようなものであっても、それに関する命題を適切に構成することで、観察結果に合致する理論を構築することは常に可能です。しかし実際には、科学においても他の学問においても、命題は論理的には定義に続くものの、歴史的には定義に先行するのが一般的です。命題は、その単純さ、数学的展開への適合性、あるいはその他の理由から選択され、命題に関わる概念の定義の第一の要件は、これらの命題を真にするような定義でなければならないということです。(このような手順の明白な例として、「完全気体」という概念が挙げられる。) エーテルの場合、真でなければならない命題はマクスウェルの6つの方程式によって表される。基準軸が「エーテルに固定されている」場合に、これらの命題が真となるように、エーテルの定義を選択する必要があります。採用した定義の下で、基準軸が「エーテルに固定されている」場合にこれらの式が成り立たないことが判明した場合、厳密には式自体に誤りがあるものの、おおまかに言えば定義が偽であると言えるでしょう。議論の便宜上、一連の式を、そこから導き出される単一の単純な演繹、すなわち、基準軸に対して速度 u で運動する電荷 e は、電荷の経路と方向が一致する、強さ eu の電流要素に等しいという命題に置き換えても、一般性は損なわれません。 § 4. 一見すると、与えられたエーテルの定義では、そのような命題を否定することは不可能に思えるかもしれないが、定義の最初の言葉「物体」と、命題の但し書きである「基準軸はエーテルに固定されている」という点に注意を払う必要がある。エーテルが「物体…」であるという記述は、エーテルがその部分の相対運動に関して言えば、何らかの固体の塊に似ていることを示唆しており、また一般的にそのように解釈されてきた。つまり、エーテルが伝達する振動によって乱される場合を除き、その部分は相対運動を持たず、エーテルに対する物体の運動は一意に決定され、一般に、いかなる物質系に対するその物体の運動とは無関係であるということである。ごく最近まで、運動する電荷の磁気効果が比例する速度は、何らかの物質系に対する速度ではなく、すべての物質体から独立した、宇宙全体に広がり、その構成要素間に相対運動のない何らかの系に対する速度であると、ほぼ普遍的に想定されていたようです。このような命題が疑わしいことは、明示的に述べれば異論はないでしょう。私がここで示したいのは、もし「エーテル」という魅力的な言葉が不運にも発明されていなかったら、この考えはそもそもあり得ないことであり、一瞬たりとも受け入れられることはなかっただろうということです。もし「エーテル」が複数形の単語に置き換えられていたら、あるいは上記の定義に「または物体」という言葉が加えられていたら、現代物理学における最も難解な問題の一つは決して提起されなかっただろうと私は確信しています。 § 5. 「エーテルに固定された」軸は、エーテルに対する物質系の運動、あるいは逆に、物質体に対するエーテルの運動という概念を含んでいます。このようなエーテルの速度が何を意味するのかを調べてみよう。物質体Aの物体Bに対する速度について話すとき、物体が固体か流体かによって、「速度」という言葉の2つの定義のうちの1つが暗黙のうちに含まれています。前者の場合、速度は、隣接する点と区別する何らかの特性によって識別されるA上の点から、同様に識別されるB上の点までの距離の変化率です<ref>論文末尾の注記を参照</ref>。後者の場合、速度は、単位断面積を横切る物体(体積で測定)の移動率を意味する。後者の定義(準固体分子に対する私たちの信念によってのみ前者の基本的な定義と結びついている)はエーテルの場合には関係がないことはおそらく認められるでしょうが、前者は適用可能であるように思われる。ある観測者に対して異なる一定速度で運動する2つ以上の帯電物体という単純なケースを考えてみよう。物体はエーテルに局在する静電エネルギーを分布させており、特定の量のエネルギーを含むエーテルの部分(同一の物体に属する)の位置は、互いに対して、または帯電した原子核に対して、運動によって変化しない。エーテルが電気エネルギーが局在する物体であるならば、速度の定義で要求されるように、エーテル内の点を、それらに含まれるエネルギー量によって識別することは明白かつ簡単であるように思われる。すると、観測者に対するエーテルの速度は、どちらの帯電物体を考慮するかによって異なり、いずれの場合も、対応する帯電物体の観測者に対する速度と同じになる。 § 6. これは、単純明快な見解であり、相対性原理に直接つながるものだと私は考えます。単数形の「エーテル」という言葉が使われていなければ、この見解は疑いなく受け入れられていたでしょう。「もしエーテルが一つしかないならば、それはどの観測者に対しても複数の速度を持つことはできない。したがって、エーテルの部分は、それが含むエネルギーによって識別されるべきではなく、エネルギーはエーテルの中を移動し、ある部分から別の部分へと伝達されるが、その速度はエーテル自体の速度とは何の関係もないと考える必要がある」と述べられています。この見解は、エーテルについて論じる人々によって支持されていると私は思います。では、それが私たちをどこへ導くのか見ていきこう。 § 7. エーテル内の点を、そこに局在するエネルギーによって識別することが許されない場合、他の識別手段で代替することはできないことは、すぐに明らかである。あらゆる光学的現象は、エーテル(物質体の外側)が、エネルギーを保持する能力に関して完全に均質であることを証明している。放射の速度は、それが伝播するどの方向にも直線的で均一である。実験が知る限り、同じ量のエネルギーを含むエーテルのすべての部分は完全に類似しており、それらを区別する手段は存在しない。また、エーテルの境界が存在するとしても、これまで到達したことはない。物質体の速度に関するすべての記述に暗黙のうちに含まれている速度の定義をエーテルに適用するための第一の要件は満たされない。エーテルに適用できる別の速度の定義が提示されるまで、エーテルの速度またはエーテルに対する速度に関するすべての命題は無意味である。エーテルの構成要素をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するエーテル観においては、エーテルの速度について最初に述べられることは、定義であるか、あるいは全く意味をなさないかのどちらかである。もしある人が私に自分の腕時計の重さが100グラムだと言った場合、その発言は私にとって意味のある命題となる。なぜなら、「重さ」の通常の定義を腕時計に適用できるからである。しかし、もしその人が腕時計の色が100グラムの重さだと言って、色の重さの測り方を説明しようとしない場合、私はその人が意味のないナンセンスを言っているとしか結論づけることができない。あるいは、もしその人が博識な教授であるという事実によってこの説明が除外されるならば、彼は何らかの正当な理由で、「100グラムの重さのもの」と言うときに「腕時計の色」という意味で言っているのだと私に理解させようとしているのかもしれない。 したがって、相対性原理を拒否する者が、マクスウェル方程式、または上記の方程式からの単純な推論を書き記す際に、「エーテルに固定された」軸と(他の速度を測定できる)何らかの物質系との間の相対速度が何であるかを明確に述べなければ、彼が伝えることのできる唯一の意味は、任意の観測者によって測定された磁気効果が強度<math>eu</math>の電流要素に相当する電荷<math>e</math>を持つ物体の運動状態を「エーテルに対する速度<math>u</math>」という用語で呼ぼうとしているということである。さらに、彼が自身の基本的な仮説から命題を導き出し、その結果を実験と比較した場合、彼が努力によって得ることのできる唯一の有効な情報は、彼が観察する物体の1つまたは複数が(彼の定義に従って)エーテルに対してどのような速度で動いているかということである。彼は、仮説を立てる際に用いたいかなる仮定も、肯定も否定もできない。彼は、一つ以上の未知変数を含む方程式を扱う数学者の立場にある。彼にできるのは、それらの変数の値を求めることだけであり、元の方程式が真か偽かを証明するような、恒等式または非恒等式に到達することはできない。 lo85ckn9j2j83ygrlw4tivghjl5esbo 241763 241762 2026-04-27T01:26:01Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Aether]] 241763 wikitext text/x-wiki {{header | title =エーテル | defaultsort =ええてる | year =1909 | month =10 | day =23 | date = | author =ノーマン・キャンベル | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | 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1.現代物理学における「エーテル」概念の位置づけは、異例かつ不十分である。一部の著述家の著作からは、この概念がかつてないほど根本的に重要であり、疑いようのない妥当性を持っていた時代があったかのように思えるかもしれないが、一方で、この概念を全く用いず、進歩の妨げになると考える者もいる。そして、この意見の対立は、これまで科学者たちを分裂させてきたほとんどすべての意見の相違とは、やや性質が異なる。ここで問題となっているのは、実験的証拠の価値や、その解釈の主要な特徴に関するものではない。確かに、「エーテル」に対する不満の多くは、近年の原子論に基づいている。放射線の性質や相対性原理が電磁気理論の十分な基礎であることの証明については議論があるが、そのような理論は概念を放棄する十分な理由も必要条件も提供しないことは明らかである。最も初期かつ最も広範な放射原子理論の著者であるJJトムソン卿は、英国科学振興協会での会長講演の大部分をエーテルの性質の説明に費やしたが、一方で私は、静電気学の要素ほど新しい考えを考察するだけで、その概念の有用性について重大な疑問が生じる可能性があることを示したい。両者がそれぞれの見解を詳細に表明するよう促されれば、両者の相違は、より特殊な観察や直観の問題ではなく、科学的知識の根本原理に関するものであることがわかるだろう。科学者が研究の本質的な基礎について議論することにかなりの臆病さを示すため、エーテルの概念に対する直接的な攻撃や擁護がほとんどなかったのかもしれない。以下の考察は、この重要な問題全体を徹底的に検討する上で、ある程度役立つかもしれない<ref>「注記」―議論の要点は、『現代電気理論』(ケンブリッジ、1907年)の第14章、および『ニュー・クォータリー・レビュー』第3号の記事に含まれていることを指摘しておくかもしれない。</ref>。 § 2. まず、「エーテル」とは何を意味するのか、そしてなぜそれが発明されたのかを問わなければならない。私が知っている限り、この概念の定義は故ソールズベリー卿によるもので、彼はそれを「動詞『波打つ』の主語」と表現した。なぜその動詞が特別な主語を必要とするのかはすぐには明らかではないが、少し考えれば、少なくとも「一見」もっともらしい事例が浮かび上がるだろう。エネルギー保存の法則は、おそらくすべての物理学者が自らの科学の必要条件として受け入れている唯一の命題であり、その法則を維持するには、一見するとエーテルのような概念が必要であるように思われる。ある物体が、有限の距離だけ離れた低温の別の物体にエネルギーを放射しているとき、最初の物体がエネルギーを失い、2番目の物体がエネルギーを得ていない有限の時間間隔が存在する。そのエネルギーがその期間に完全に失われたとは考えられないのであれば、発生源でも受信源でもない第三の物体によってエネルギーが獲得されたと考えるべきだろう。この物体、すなわち光の波動エネルギーの媒体となる物体こそがエーテルである。 光の電磁気理論の発展(p.|183)は、放射エネルギーは、静止状態または運動状態にある帯電体の周囲に局在するエネルギーと本質的に同じ性質を持つという考えに至った。エーテルは、放射エネルギーだけでなく、あらゆる形態の電磁エネルギーの媒体とみなされており、簡単に言えば「電磁エネルギーが局在する物体」と定義できる。 このような大まかな定義は、必ずしもすべての人にとって満足のいくものではないだろうが、一般に理解されているエーテルの概念の特徴を明確に示しているため、本稿の目的には十分である。そして、まさにそのエーテルの概念について、これから論じることが私の目的である。 § 3. もちろん、定義は命題ではなく、真偽のどちらかであるということはあり得ません。科学的概念の定義がどのようなものであっても、それに関する命題を適切に構成することで、観察結果に合致する理論を構築することは常に可能です。しかし実際には、科学においても他の学問においても、命題は論理的には定義に続くものの、歴史的には定義に先行するのが一般的です。命題は、その単純さ、数学的展開への適合性、あるいはその他の理由から選択され、命題に関わる概念の定義の第一の要件は、これらの命題を真にするような定義でなければならないということです。(このような手順の明白な例として、「完全気体」という概念が挙げられる。) エーテルの場合、真でなければならない命題はマクスウェルの6つの方程式によって表される。基準軸が「エーテルに固定されている」場合に、これらの命題が真となるように、エーテルの定義を選択する必要があります。採用した定義の下で、基準軸が「エーテルに固定されている」場合にこれらの式が成り立たないことが判明した場合、厳密には式自体に誤りがあるものの、おおまかに言えば定義が偽であると言えるでしょう。議論の便宜上、一連の式を、そこから導き出される単一の単純な演繹、すなわち、基準軸に対して速度 u で運動する電荷 e は、電荷の経路と方向が一致する、強さ eu の電流要素に等しいという命題に置き換えても、一般性は損なわれません。 § 4. 一見すると、与えられたエーテルの定義では、そのような命題を否定することは不可能に思えるかもしれないが、定義の最初の言葉「物体」と、命題の但し書きである「基準軸はエーテルに固定されている」という点に注意を払う必要がある。エーテルが「物体…」であるという記述は、エーテルがその部分の相対運動に関して言えば、何らかの固体の塊に似ていることを示唆しており、また一般的にそのように解釈されてきた。つまり、エーテルが伝達する振動によって乱される場合を除き、その部分は相対運動を持たず、エーテルに対する物体の運動は一意に決定され、一般に、いかなる物質系に対するその物体の運動とは無関係であるということである。ごく最近まで、運動する電荷の磁気効果が比例する速度は、何らかの物質系に対する速度ではなく、すべての物質体から独立した、宇宙全体に広がり、その構成要素間に相対運動のない何らかの系に対する速度であると、ほぼ普遍的に想定されていたようです。このような命題が疑わしいことは、明示的に述べれば異論はないでしょう。私がここで示したいのは、もし「エーテル」という魅力的な言葉が不運にも発明されていなかったら、この考えはそもそもあり得ないことであり、一瞬たりとも受け入れられることはなかっただろうということです。もし「エーテル」が複数形の単語に置き換えられていたら、あるいは上記の定義に「または物体」という言葉が加えられていたら、現代物理学における最も難解な問題の一つは決して提起されなかっただろうと私は確信しています。 § 5. 「エーテルに固定された」軸は、エーテルに対する物質系の運動、あるいは逆に、物質体に対するエーテルの運動という概念を含んでいます。このようなエーテルの速度が何を意味するのかを調べてみよう。物質体Aの物体Bに対する速度について話すとき、物体が固体か流体かによって、「速度」という言葉の2つの定義のうちの1つが暗黙のうちに含まれています。前者の場合、速度は、隣接する点と区別する何らかの特性によって識別されるA上の点から、同様に識別されるB上の点までの距離の変化率です<ref>論文末尾の注記を参照</ref>。後者の場合、速度は、単位断面積を横切る物体(体積で測定)の移動率を意味する。後者の定義(準固体分子に対する私たちの信念によってのみ前者の基本的な定義と結びついている)はエーテルの場合には関係がないことはおそらく認められるでしょうが、前者は適用可能であるように思われる。ある観測者に対して異なる一定速度で運動する2つ以上の帯電物体という単純なケースを考えてみよう。物体はエーテルに局在する静電エネルギーを分布させており、特定の量のエネルギーを含むエーテルの部分(同一の物体に属する)の位置は、互いに対して、または帯電した原子核に対して、運動によって変化しない。エーテルが電気エネルギーが局在する物体であるならば、速度の定義で要求されるように、エーテル内の点を、それらに含まれるエネルギー量によって識別することは明白かつ簡単であるように思われる。すると、観測者に対するエーテルの速度は、どちらの帯電物体を考慮するかによって異なり、いずれの場合も、対応する帯電物体の観測者に対する速度と同じになる。 § 6. これは、単純明快な見解であり、相対性原理に直接つながるものだと私は考えます。単数形の「エーテル」という言葉が使われていなければ、この見解は疑いなく受け入れられていたでしょう。「もしエーテルが一つしかないならば、それはどの観測者に対しても複数の速度を持つことはできない。したがって、エーテルの部分は、それが含むエネルギーによって識別されるべきではなく、エネルギーはエーテルの中を移動し、ある部分から別の部分へと伝達されるが、その速度はエーテル自体の速度とは何の関係もないと考える必要がある」と述べられています。この見解は、エーテルについて論じる人々によって支持されていると私は思います。では、それが私たちをどこへ導くのか見ていきこう。 § 7. エーテル内の点を、そこに局在するエネルギーによって識別することが許されない場合、他の識別手段で代替することはできないことは、すぐに明らかである。あらゆる光学的現象は、エーテル(物質体の外側)が、エネルギーを保持する能力に関して完全に均質であることを証明している。放射の速度は、それが伝播するどの方向にも直線的で均一である。実験が知る限り、同じ量のエネルギーを含むエーテルのすべての部分は完全に類似しており、それらを区別する手段は存在しない。また、エーテルの境界が存在するとしても、これまで到達したことはない。物質体の速度に関するすべての記述に暗黙のうちに含まれている速度の定義をエーテルに適用するための第一の要件は満たされない。エーテルに適用できる別の速度の定義が提示されるまで、エーテルの速度またはエーテルに対する速度に関するすべての命題は無意味である。エーテルの構成要素をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するエーテル観においては、エーテルの速度について最初に述べられることは、定義であるか、あるいは全く意味をなさないかのどちらかである。もしある人が私に自分の腕時計の重さが100グラムだと言った場合、その発言は私にとって意味のある命題となる。なぜなら、「重さ」の通常の定義を腕時計に適用できるからである。しかし、もしその人が腕時計の色が100グラムの重さだと言って、色の重さの測り方を説明しようとしない場合、私はその人が意味のないナンセンスを言っているとしか結論づけることができない。あるいは、もしその人が博識な教授であるという事実によってこの説明が除外されるならば、彼は何らかの正当な理由で、「100グラムの重さのもの」と言うときに「腕時計の色」という意味で言っているのだと私に理解させようとしているのかもしれない。 したがって、相対性原理を拒否する者が、マクスウェル方程式、または上記の方程式からの単純な推論を書き記す際に、「エーテルに固定された」軸と(他の速度を測定できる)何らかの物質系との間の相対速度が何であるかを明確に述べなければ、彼が伝えることのできる唯一の意味は、任意の観測者によって測定された磁気効果が強度<math>eu</math>の電流要素に相当する電荷<math>e</math>を持つ物体の運動状態を「エーテルに対する速度<math>u</math>」という用語で呼ぼうとしているということである。さらに、彼が自身の基本的な仮説から命題を導き出し、その結果を実験と比較した場合、彼が努力によって得ることのできる唯一の有効な情報は、彼が観察する物体の1つまたは複数が(彼の定義に従って)エーテルに対してどのような速度で動いているかということである。彼は、仮説を立てる際に用いたいかなる仮定も、肯定も否定もできない。彼は、一つ以上の未知変数を含む方程式を扱う数学者の立場にある。彼にできるのは、それらの変数の値を求めることだけであり、元の方程式が真か偽かを証明するような、恒等式または非恒等式に到達することはできない。 § 8. 電磁気学の命題とは独立に定義できる「速度」の別の意味を見落としているのではないか、という指摘があるかもしれない。力学では「絶対速度」と呼ばれる量が導入されており、帯電体のエーテルに対する相対速度をその「絶対速度」と主張できるのではないかと思われるかもしれない。そのような主張は可能であり、前段落で提起した反論は解消されるだろうが、はるかに深刻な問題を引き起こす。本誌掲載の「力学の原理」に関する論文で示されているように、「絶対速度」(あるいはむしろ絶対速度)は、力学の基本命題(P.187)が真であると仮定しない限り、無意味です。これらの命題は、物体の質量はその運動状態に依存しないと述べています。電磁気学の方程式から、帯電体の質量はその運動によって変化すると導かれると、力学の命題は真ではないことになり、したがって「絶対運動」という用語は一切意味を失います。論理的に、(1)エーテルに固定された軸は絶対速度がゼロである軸であり、(2)物体の質量はこれらの軸に対する相対速度とともに増加する、という2つの命題を同時に主張することは不可能です。どちらか一方の命題が真であると仮定すると、もう一方は偽ではなく、無意味になります。 したがって、エーテルの信奉者は、「エーテルに対する相対速度」は、通常の方法で測定される速度でも絶対速度でもないと考えていると仮定しなければならない。そして、この2つの「速度」の意味は、電磁気学以外の物理学で用いられる唯一の2つの意味であるため、電磁気学における速度は新しい概念であり、それが最初に現れる命題によって定義されると結論づけざるを得ない。この結論がもたらす結果を考察してみよう。 §9. ある物体のエーテルに対する速度を決定するために用いられる、よく知られた観測には2つの種類があります。その1つ目、そして最も直接的な例は、ローランドによる運動する電荷の磁気効果に関する実験です。ローランドは、電荷<math>e</math>が観測用磁石系に対して速度<math>u</math>で運動している場合、その電荷は電流要素<math>eu</math>に相当することを示しました。したがって、そしてこれが唯一可能な推論ですが、エーテルに対する電荷の速度は、観測用磁石系に対する電荷の速度に等しいのである。 2つ目の観測は、光行差とマイケルソン・モーリーの実験に関するものである。電磁気学の基本命題から、観測者のエーテルに対する速度が<math>u</math>だけ変化すると、観測者が見る光線の見かけの方向は角度<math>\tfrac{u\sin\theta}{V}</math>だけ変化することが推論できる。ここで、<math>\theta</math>は光線の方向と<math>u</math>の方向との間の角度である。恒星の観測では、<math>u</math>は地球が太陽の周りを公転する速度であり、<math>\theta</math>はその速度と恒星の方向との間の角度であることが示されている。一方、地上の光源の観測では、<math>u</math>はゼロであることが示されている。したがって、我々は、恒星を考慮した場合、観測者のエーテルに対する速度は地球の軌道上の速度であり、地上の源を考慮した場合はゼロであると結論づけざるを得ない。そして、これが唯一可能な結論である。我々の観測は、静電気学の単純な事実を考察することで「先験的に」示唆されたように、電磁現象における実効速度は、作用系と「観測」系との間の相対速度であることを証明している。「エーテルに固定されている」という言葉は、任意の観測者にとって、「彼が観測している作用の系に固定されている」ことを意味する。たとえ「エーテル主義者」の立場から出発したとしても、観測は相対性原理を受け入れざるを得ない。 § 10. しかし、エーテルを信じる者たちは、自分たちの結論の論理を受け入れることを拒否した。彼らは、エーテルという言葉を常に使用することから生じる考えにあまりにも囚われていたため、観測者が同時にエーテルに対して複数の異なる速度を持つことができるという考えを受け入れようとしなかった。彼らは、光行差とマイケルソン実験の結果を「調和」させることについて話したが、実際には「調和」は必要なかった。結果は、矛盾の痕跡もなく、完全に論理的な全体を形成していた。確かに、速度を固体物質の場合と同じように定義すると、ある物体が別の物体に対して複数の異なる速度を持つという結論は、議論に何らかの誤謬があったことを証明する。しかし、彼らは速度をまったく異なる方法で定義しており、新しい速度の定義が古い定義と同じ制約を持つと考える理由はなかった。実数しか知らなかった数学者が、二次方程式の解法体系を確立したとしても、初めて虚数根に遭遇した際に「調和」が必要だと考えるのは当然だろう。 しかし、実現された「和解」は、実際には革命であり、極めて悲惨な革命であった。「エーテル主義者」たちは、古い定義を捨てて新しい定義に置き換えると宣言した。この決定が賢明であることは誰もが同意するだろうが、彼らの新しい選択の賢明さについては意見が一致しないだろう。今や、任意の2つの物体のエーテルに対する速度の差はそれらの相対速度に等しいが、任意の物体のエーテルに対する速度は定数の程度まで不確実であるとされた。そして彼らは、我々の装置が別のレベルの完成度に達するまで、我々が実行できると期待できるいかなる実験も、その定数の値に関する情報を我々に与えることはできないことを非常に注意深く示した。しかし、そのような実験がいつか実行できるようになったとしても、一定であると仮定された量が実際に一定であると考える理由はない。そして彼らは、エーテルに関連するすべての困難の解決策が、エーテルに関連するすべての困難の解決策であるという幸福な確信に満足のため息をついて落ち着いた。エーテルが発見され、それは普遍的な支持を得るだろう。 § 11. しかし、この考え方は普遍的に受け入れられたわけではない。ポアンカレ氏は、測定機器の精度が向上するたびに新たな前提が必要になるという点で、この考え方を批判した。また、多くの人々は、科学の基本方程式に、直接的にも、あるいは方程式を用いても実験的に測定できない量を導入することには、非常に不都合な点があると考えている。 r1566fg8y5l8l950pvmomks20akankw 241764 241763 2026-04-27T01:26:28Z 塔屋 45631 訳出 [[en:The Aether]] 241764 wikitext text/x-wiki {{header | title =エーテル | defaultsort =ええてる | year =1909 | month =10 | day =23 | date = | author =ノーマン・キャンベル | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 = | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:『フィロソフィカル・マガジン』19巻、181-191頁。<ref>著者本人より提供された情報</ref> == ノーマン・ロバート・キャンベル著 『エーテル』 (1909年)<ref>ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ研究員</ref> == § 1.現代物理学における「エーテル」概念の位置づけは、異例かつ不十分である。一部の著述家の著作からは、この概念がかつてないほど根本的に重要であり、疑いようのない妥当性を持っていた時代があったかのように思えるかもしれないが、一方で、この概念を全く用いず、進歩の妨げになると考える者もいる。そして、この意見の対立は、これまで科学者たちを分裂させてきたほとんどすべての意見の相違とは、やや性質が異なる。ここで問題となっているのは、実験的証拠の価値や、その解釈の主要な特徴に関するものではない。確かに、「エーテル」に対する不満の多くは、近年の原子論に基づいている。放射線の性質や相対性原理が電磁気理論の十分な基礎であることの証明については議論があるが、そのような理論は概念を放棄する十分な理由も必要条件も提供しないことは明らかである。最も初期かつ最も広範な放射原子理論の著者であるJJトムソン卿は、英国科学振興協会での会長講演の大部分をエーテルの性質の説明に費やしたが、一方で私は、静電気学の要素ほど新しい考えを考察するだけで、その概念の有用性について重大な疑問が生じる可能性があることを示したい。両者がそれぞれの見解を詳細に表明するよう促されれば、両者の相違は、より特殊な観察や直観の問題ではなく、科学的知識の根本原理に関するものであることがわかるだろう。科学者が研究の本質的な基礎について議論することにかなりの臆病さを示すため、エーテルの概念に対する直接的な攻撃や擁護がほとんどなかったのかもしれない。以下の考察は、この重要な問題全体を徹底的に検討する上で、ある程度役立つかもしれない<ref>「注記」―議論の要点は、『現代電気理論』(ケンブリッジ、1907年)の第14章、および『ニュー・クォータリー・レビュー』第3号の記事に含まれていることを指摘しておくかもしれない。</ref>。 § 2. まず、「エーテル」とは何を意味するのか、そしてなぜそれが発明されたのかを問わなければならない。私が知っている限り、この概念の定義は故ソールズベリー卿によるもので、彼はそれを「動詞『波打つ』の主語」と表現した。なぜその動詞が特別な主語を必要とするのかはすぐには明らかではないが、少し考えれば、少なくとも「一見」もっともらしい事例が浮かび上がるだろう。エネルギー保存の法則は、おそらくすべての物理学者が自らの科学の必要条件として受け入れている唯一の命題であり、その法則を維持するには、一見するとエーテルのような概念が必要であるように思われる。ある物体が、有限の距離だけ離れた低温の別の物体にエネルギーを放射しているとき、最初の物体がエネルギーを失い、2番目の物体がエネルギーを得ていない有限の時間間隔が存在する。そのエネルギーがその期間に完全に失われたとは考えられないのであれば、発生源でも受信源でもない第三の物体によってエネルギーが獲得されたと考えるべきだろう。この物体、すなわち光の波動エネルギーの媒体となる物体こそがエーテルである。 光の電磁気理論の発展(p.|183)は、放射エネルギーは、静止状態または運動状態にある帯電体の周囲に局在するエネルギーと本質的に同じ性質を持つという考えに至った。エーテルは、放射エネルギーだけでなく、あらゆる形態の電磁エネルギーの媒体とみなされており、簡単に言えば「電磁エネルギーが局在する物体」と定義できる。 このような大まかな定義は、必ずしもすべての人にとって満足のいくものではないだろうが、一般に理解されているエーテルの概念の特徴を明確に示しているため、本稿の目的には十分である。そして、まさにそのエーテルの概念について、これから論じることが私の目的である。 § 3. もちろん、定義は命題ではなく、真偽のどちらかであるということはあり得ません。科学的概念の定義がどのようなものであっても、それに関する命題を適切に構成することで、観察結果に合致する理論を構築することは常に可能です。しかし実際には、科学においても他の学問においても、命題は論理的には定義に続くものの、歴史的には定義に先行するのが一般的です。命題は、その単純さ、数学的展開への適合性、あるいはその他の理由から選択され、命題に関わる概念の定義の第一の要件は、これらの命題を真にするような定義でなければならないということです。(このような手順の明白な例として、「完全気体」という概念が挙げられる。) エーテルの場合、真でなければならない命題はマクスウェルの6つの方程式によって表される。基準軸が「エーテルに固定されている」場合に、これらの命題が真となるように、エーテルの定義を選択する必要があります。採用した定義の下で、基準軸が「エーテルに固定されている」場合にこれらの式が成り立たないことが判明した場合、厳密には式自体に誤りがあるものの、おおまかに言えば定義が偽であると言えるでしょう。議論の便宜上、一連の式を、そこから導き出される単一の単純な演繹、すなわち、基準軸に対して速度 u で運動する電荷 e は、電荷の経路と方向が一致する、強さ eu の電流要素に等しいという命題に置き換えても、一般性は損なわれません。 § 4. 一見すると、与えられたエーテルの定義では、そのような命題を否定することは不可能に思えるかもしれないが、定義の最初の言葉「物体」と、命題の但し書きである「基準軸はエーテルに固定されている」という点に注意を払う必要がある。エーテルが「物体…」であるという記述は、エーテルがその部分の相対運動に関して言えば、何らかの固体の塊に似ていることを示唆しており、また一般的にそのように解釈されてきた。つまり、エーテルが伝達する振動によって乱される場合を除き、その部分は相対運動を持たず、エーテルに対する物体の運動は一意に決定され、一般に、いかなる物質系に対するその物体の運動とは無関係であるということである。ごく最近まで、運動する電荷の磁気効果が比例する速度は、何らかの物質系に対する速度ではなく、すべての物質体から独立した、宇宙全体に広がり、その構成要素間に相対運動のない何らかの系に対する速度であると、ほぼ普遍的に想定されていたようです。このような命題が疑わしいことは、明示的に述べれば異論はないでしょう。私がここで示したいのは、もし「エーテル」という魅力的な言葉が不運にも発明されていなかったら、この考えはそもそもあり得ないことであり、一瞬たりとも受け入れられることはなかっただろうということです。もし「エーテル」が複数形の単語に置き換えられていたら、あるいは上記の定義に「または物体」という言葉が加えられていたら、現代物理学における最も難解な問題の一つは決して提起されなかっただろうと私は確信しています。 § 5. 「エーテルに固定された」軸は、エーテルに対する物質系の運動、あるいは逆に、物質体に対するエーテルの運動という概念を含んでいます。このようなエーテルの速度が何を意味するのかを調べてみよう。物質体Aの物体Bに対する速度について話すとき、物体が固体か流体かによって、「速度」という言葉の2つの定義のうちの1つが暗黙のうちに含まれています。前者の場合、速度は、隣接する点と区別する何らかの特性によって識別されるA上の点から、同様に識別されるB上の点までの距離の変化率です<ref>論文末尾の注記を参照</ref>。後者の場合、速度は、単位断面積を横切る物体(体積で測定)の移動率を意味する。後者の定義(準固体分子に対する私たちの信念によってのみ前者の基本的な定義と結びついている)はエーテルの場合には関係がないことはおそらく認められるでしょうが、前者は適用可能であるように思われる。ある観測者に対して異なる一定速度で運動する2つ以上の帯電物体という単純なケースを考えてみよう。物体はエーテルに局在する静電エネルギーを分布させており、特定の量のエネルギーを含むエーテルの部分(同一の物体に属する)の位置は、互いに対して、または帯電した原子核に対して、運動によって変化しない。エーテルが電気エネルギーが局在する物体であるならば、速度の定義で要求されるように、エーテル内の点を、それらに含まれるエネルギー量によって識別することは明白かつ簡単であるように思われる。すると、観測者に対するエーテルの速度は、どちらの帯電物体を考慮するかによって異なり、いずれの場合も、対応する帯電物体の観測者に対する速度と同じになる。 § 6. これは、単純明快な見解であり、相対性原理に直接つながるものだと私は考えます。単数形の「エーテル」という言葉が使われていなければ、この見解は疑いなく受け入れられていたでしょう。「もしエーテルが一つしかないならば、それはどの観測者に対しても複数の速度を持つことはできない。したがって、エーテルの部分は、それが含むエネルギーによって識別されるべきではなく、エネルギーはエーテルの中を移動し、ある部分から別の部分へと伝達されるが、その速度はエーテル自体の速度とは何の関係もないと考える必要がある」と述べられています。この見解は、エーテルについて論じる人々によって支持されていると私は思います。では、それが私たちをどこへ導くのか見ていきこう。 § 7. エーテル内の点を、そこに局在するエネルギーによって識別することが許されない場合、他の識別手段で代替することはできないことは、すぐに明らかである。あらゆる光学的現象は、エーテル(物質体の外側)が、エネルギーを保持する能力に関して完全に均質であることを証明している。放射の速度は、それが伝播するどの方向にも直線的で均一である。実験が知る限り、同じ量のエネルギーを含むエーテルのすべての部分は完全に類似しており、それらを区別する手段は存在しない。また、エーテルの境界が存在するとしても、これまで到達したことはない。物質体の速度に関するすべての記述に暗黙のうちに含まれている速度の定義をエーテルに適用するための第一の要件は満たされない。エーテルに適用できる別の速度の定義が提示されるまで、エーテルの速度またはエーテルに対する速度に関するすべての命題は無意味である。エーテルの構成要素をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するエーテル観においては、エーテルの速度について最初に述べられることは、定義であるか、あるいは全く意味をなさないかのどちらかである。もしある人が私に自分の腕時計の重さが100グラムだと言った場合、その発言は私にとって意味のある命題となる。なぜなら、「重さ」の通常の定義を腕時計に適用できるからである。しかし、もしその人が腕時計の色が100グラムの重さだと言って、色の重さの測り方を説明しようとしない場合、私はその人が意味のないナンセンスを言っているとしか結論づけることができない。あるいは、もしその人が博識な教授であるという事実によってこの説明が除外されるならば、彼は何らかの正当な理由で、「100グラムの重さのもの」と言うときに「腕時計の色」という意味で言っているのだと私に理解させようとしているのかもしれない。 したがって、相対性原理を拒否する者が、マクスウェル方程式、または上記の方程式からの単純な推論を書き記す際に、「エーテルに固定された」軸と(他の速度を測定できる)何らかの物質系との間の相対速度が何であるかを明確に述べなければ、彼が伝えることのできる唯一の意味は、任意の観測者によって測定された磁気効果が強度<math>eu</math>の電流要素に相当する電荷<math>e</math>を持つ物体の運動状態を「エーテルに対する速度<math>u</math>」という用語で呼ぼうとしているということである。さらに、彼が自身の基本的な仮説から命題を導き出し、その結果を実験と比較した場合、彼が努力によって得ることのできる唯一の有効な情報は、彼が観察する物体の1つまたは複数が(彼の定義に従って)エーテルに対してどのような速度で動いているかということである。彼は、仮説を立てる際に用いたいかなる仮定も、肯定も否定もできない。彼は、一つ以上の未知変数を含む方程式を扱う数学者の立場にある。彼にできるのは、それらの変数の値を求めることだけであり、元の方程式が真か偽かを証明するような、恒等式または非恒等式に到達することはできない。 § 8. 電磁気学の命題とは独立に定義できる「速度」の別の意味を見落としているのではないか、という指摘があるかもしれない。力学では「絶対速度」と呼ばれる量が導入されており、帯電体のエーテルに対する相対速度をその「絶対速度」と主張できるのではないかと思われるかもしれない。そのような主張は可能であり、前段落で提起した反論は解消されるだろうが、はるかに深刻な問題を引き起こす。本誌掲載の「力学の原理」に関する論文で示されているように、「絶対速度」(あるいはむしろ絶対速度)は、力学の基本命題(P.187)が真であると仮定しない限り、無意味です。これらの命題は、物体の質量はその運動状態に依存しないと述べています。電磁気学の方程式から、帯電体の質量はその運動によって変化すると導かれると、力学の命題は真ではないことになり、したがって「絶対運動」という用語は一切意味を失います。論理的に、(1)エーテルに固定された軸は絶対速度がゼロである軸であり、(2)物体の質量はこれらの軸に対する相対速度とともに増加する、という2つの命題を同時に主張することは不可能です。どちらか一方の命題が真であると仮定すると、もう一方は偽ではなく、無意味になります。 したがって、エーテルの信奉者は、「エーテルに対する相対速度」は、通常の方法で測定される速度でも絶対速度でもないと考えていると仮定しなければならない。そして、この2つの「速度」の意味は、電磁気学以外の物理学で用いられる唯一の2つの意味であるため、電磁気学における速度は新しい概念であり、それが最初に現れる命題によって定義されると結論づけざるを得ない。この結論がもたらす結果を考察してみよう。 §9. ある物体のエーテルに対する速度を決定するために用いられる、よく知られた観測には2つの種類があります。その1つ目、そして最も直接的な例は、ローランドによる運動する電荷の磁気効果に関する実験です。ローランドは、電荷<math>e</math>が観測用磁石系に対して速度<math>u</math>で運動している場合、その電荷は電流要素<math>eu</math>に相当することを示しました。したがって、そしてこれが唯一可能な推論ですが、エーテルに対する電荷の速度は、観測用磁石系に対する電荷の速度に等しいのである。 2つ目の観測は、光行差とマイケルソン・モーリーの実験に関するものである。電磁気学の基本命題から、観測者のエーテルに対する速度が<math>u</math>だけ変化すると、観測者が見る光線の見かけの方向は角度<math>\tfrac{u\sin\theta}{V}</math>だけ変化することが推論できる。ここで、<math>\theta</math>は光線の方向と<math>u</math>の方向との間の角度である。恒星の観測では、<math>u</math>は地球が太陽の周りを公転する速度であり、<math>\theta</math>はその速度と恒星の方向との間の角度であることが示されている。一方、地上の光源の観測では、<math>u</math>はゼロであることが示されている。したがって、我々は、恒星を考慮した場合、観測者のエーテルに対する速度は地球の軌道上の速度であり、地上の源を考慮した場合はゼロであると結論づけざるを得ない。そして、これが唯一可能な結論である。我々の観測は、静電気学の単純な事実を考察することで「先験的に」示唆されたように、電磁現象における実効速度は、作用系と「観測」系との間の相対速度であることを証明している。「エーテルに固定されている」という言葉は、任意の観測者にとって、「彼が観測している作用の系に固定されている」ことを意味する。たとえ「エーテル主義者」の立場から出発したとしても、観測は相対性原理を受け入れざるを得ない。 § 10. しかし、エーテルを信じる者たちは、自分たちの結論の論理を受け入れることを拒否した。彼らは、エーテルという言葉を常に使用することから生じる考えにあまりにも囚われていたため、観測者が同時にエーテルに対して複数の異なる速度を持つことができるという考えを受け入れようとしなかった。彼らは、光行差とマイケルソン実験の結果を「調和」させることについて話したが、実際には「調和」は必要なかった。結果は、矛盾の痕跡もなく、完全に論理的な全体を形成していた。確かに、速度を固体物質の場合と同じように定義すると、ある物体が別の物体に対して複数の異なる速度を持つという結論は、議論に何らかの誤謬があったことを証明する。しかし、彼らは速度をまったく異なる方法で定義しており、新しい速度の定義が古い定義と同じ制約を持つと考える理由はなかった。実数しか知らなかった数学者が、二次方程式の解法体系を確立したとしても、初めて虚数根に遭遇した際に「調和」が必要だと考えるのは当然だろう。 しかし、実現された「和解」は、実際には革命であり、極めて悲惨な革命であった。「エーテル主義者」たちは、古い定義を捨てて新しい定義に置き換えると宣言した。この決定が賢明であることは誰もが同意するだろうが、彼らの新しい選択の賢明さについては意見が一致しないだろう。今や、任意の2つの物体のエーテルに対する速度の差はそれらの相対速度に等しいが、任意の物体のエーテルに対する速度は定数の程度まで不確実であるとされた。そして彼らは、我々の装置が別のレベルの完成度に達するまで、我々が実行できると期待できるいかなる実験も、その定数の値に関する情報を我々に与えることはできないことを非常に注意深く示した。しかし、そのような実験がいつか実行できるようになったとしても、一定であると仮定された量が実際に一定であると考える理由はない。そして彼らは、エーテルに関連するすべての困難の解決策が、エーテルに関連するすべての困難の解決策であるという幸福な確信に満足のため息をついて落ち着いた。エーテルが発見され、それは普遍的な支持を得るだろう。 § 11. しかし、この考え方は普遍的に受け入れられたわけではない。ポアンカレ氏は、測定機器の精度が向上するたびに新たな前提が必要になるという点で、この考え方を批判した。また、多くの人々は、科学の基本方程式に、直接的にも、あるいは方程式を用いても実験的に測定できない量を導入することには、非常に不都合な点があると考えている。 将来の物理学史家は、物理学者の大多数が、エーテルという言葉の使用にのみ由来すると思われる考えを放棄し、多くの思考の流れが強く示唆する考えを拒否するよりも、これほどまでに複雑で妥当性が危うい体系を受け入れていることに、おそらく驚愕するだろう。ある観測システムに対する「エーテルの速度」の値について完全に恣意的な仮定を置かない限り、観測は相対性原理の採用、すなわち、マクスウェル方程式が参照しなければならない「エーテルに固定された」軸は、変換が調査されるエネルギー源である荷電系に固定された軸であるという信念を私たちに強いる。このような考えは、単一のエーテルの概念に基づくものよりも実際にはさらに不十分であると主張されている。なぜなら、「エーテルに非常に複雑な構造を要求する」からである。しかし、「エーテル」という言葉の使用をやめれば、その本質的な単純さが明らかになる。電磁エネルギーが局在するシステムは、すべての物質から独立した単一の物体ではなくなり、個別に運動するすべての帯電物体の一部とみなされるべき部分の集合体となる。帯電物体が観測者に対して等速運動をしている場合、そのエネルギーが局在するエーテルの部分も、その観測者に対して同じ速度で運動する。相対性原理は、電気現象の解釈を複雑にするものではなく、考慮に入れなければならない物体の数を一つ減らすことで、解釈を単純化するのである。 § 12. 「エーテル」という概念の使用によって生じた他の混乱についても同様の方法で攻撃し、その密度、剛性、さらには原子量を推定しようとした多くの、そして互いに矛盾する試みを分析することは容易であろう。私の目的は、この概念の使用に反対するあらゆる議論を網羅することではなく、現時点で特に破壊的であると思われる議論のみを取り上げることである。ブヘラーの最近の研究と、J.J.トムソンの原子論がその例である。そしてプランク(後者は最近スターク<ref>J. Stark, ''Phys. Zeit.'' Sept. 1909, p. 570.</ref>によって前者に非常によく似た形で開発された)は、エーテルの信奉者にとって同化したり説明したりすることが非常に難しいことがわかるだろう。もし彼らがそうしようとするならば、それは間違いなくエーテルの概念を保持する価値があるという信念に基づいているだろう。エーテルの主張が最も強いと考えられていたところで、エーテルの根拠が滑稽なほど弱いこと、この概念が誤謬と思考の混乱以外の何物でも生み出したことがないことを示すことは、「フロギストン」や「カロリック」が今や朽ち果てている塵芥の山にエーテルを追いやるのに役立つかもしれない。 {{center|注記}} 本稿と、同じ号に掲載されている「力学の原理」という論文との関係について、いくつか補足説明をしておくことが望ましい。というのも、本稿で述べたいくつかの記述が、他の箇所で述べた記述と矛盾しているように見えるかもしれないからである。その一つが、184ページの脚注に付記されている記述である。「力学の原理」では、物理学で議論される速度はほぼ常に「速度」であり、距離と時間で直接定義できるものではないと指摘されている。(本注釈で使用されている記号は、参照論文で使用されているものと同じである。) 私は、かなり後に書かれた「力学の原理」で用いられている用語を採用することで、これらの明らかな矛盾を解消しようとはしなかった。なぜなら、ここで述べた議論は、形式的には問題があるものの、そうでない場合よりも説得力があり、より少ない思考の複雑さで済むように思われるからである。しかし、本稿では、後期の考え方の観点から見ると、それがどのように見えるかを指摘したい。 科学的な議論において「速度」という言葉に与えられる唯一の意味は、科学理論の真偽を前提とせずに述べることができるもので、それは ∫∫dr/dt である。ここで、∫∫r と ∫∫t は距離と時間であり、距離と時間の間に関係 A が存在する。絶対速度など、相対速度とある特定の関係にあるため速度と呼ばれる他の量は、その関係を方程式の形で示すことによってのみ定義できる。そして、この方程式こそが、実際には科学理論の表現なのである。エーテル粒子をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するならば、そのような粒子と他の粒子との距離を測定する可能性、ひいては関係式Aを用いてそのような粒子の相対速度を定義する可能性を否定することになる。この可能性を否定する人々が定義する「エーテルの速度」は、それが最初に言及された理論(マクスウェル方程式)の真偽を前提としなければ無意味である。ちょうど、量「b」がファンデルワールス方程式の真偽を前提としなければ無意味であるのと同様である。 「エーテルの速度」を定義する方程式を解くと、あらゆる粒子について、場合によってこの速度の異なる値が得られることがわかる。この結論は、この「速度」が相対速度とは異なる性質を持つことを示している。量「b」が負の値または虚数であることが判明した場合も同様であり、これは「b」が定義によって体積に帰属される性質とは異なる性質を持つことを示している。最後のケースでは、2つの選択肢が考えられる。結論を受け入れるか、あるいは異なる結論を導く新たな理論を提示するかです。「エーテル」の場合、結論を否定し、新たな理論を提示すべきであるという点で全員が一致しています。相対性原理の支持者は、「エーテルの速度」のような量を一切必要としない新たな理論を提示できると指摘する。それは、関係式Aのみによって測定値と結び付けられる量を用いて表現できるからである。一方、「エーテル論者」は、以前と同じ性質の量を再び導入する新たな理論を提案するが、その量に関する新たな望ましくない結論が生じる可能性を回避するため、その量の値は、今後実施される可能性のあるいかなる実験によっても求められないように理論​​を構築する。 私の主張は、前者の方法の方がより適切であるというものである。そして、私が述べたことに加えて、力学の類推から導き出される一つの議論だけを付け加えたいと思います。物理学者たちは、方程式を複雑化して数学的に扱いにくくすることなく、力学を相対運動のみで表現できるのであれば、その方針を採用すべきであるという点に同意するだろうと私は想像する。「絶対運動」は、我々の数学的処理能力の不十分さによって強いられた、不愉快な必然である。「エーテルの速度」に対する反論は、絶対運動に対する反論よりも強力である。なぜなら、絶対速度は、それを定義する方程式が真であると仮定すれば値を求めることができるが、「エーテルの速度」は、それらの方程式が真であると仮定しても値を求めることができないからである。一方、相対性原理に基づく方程式はエーテルの概念に基づく方程式と同じくらい単純であるため、数学の必然性から「エーテルの速度」を支持する議論はない。 1909年9月 {{rule}} <references /> nk3w10r1jt1h6t9bjiu2clkqlkhkr9v 241765 241764 2026-04-27T01:36:18Z 塔屋 45631 241765 wikitext text/x-wiki {{header | title =エーテル | defaultsort =ええてる | year =1909 | month =10 | day =23 | date = | author =ノーマン・キャンベル | author2 = | author3 = | author4 = | author5 = | override_author = | noauthor = | editor = | override_editor = | noeditor = | translator = | translator2 = | translator3 = | override_translator = | notranslator = | section = | previous = | next = | category =雑誌記事 | category2 =相対性理論 | category3 = | category4 = | category5 = | edition = | portal = | related_author = | wikipedia = | commons = | commonscat = | wikiquote = | wikinews = | wiktionary = | wikibooks = | wikiversity = | wikispecies = | wikivoyage = | wikidata = | wikilivres = | meta = | notes = }} 出典:『フィロソフィカル・マガジン』19巻、181-191頁。<ref>著者本人より提供された情報</ref> == ノーマン・ロバート・キャンベル著 『エーテル』 (1909年)<ref>ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ研究員</ref> == § 1.現代物理学における「エーテル」概念の位置づけは、異例かつ不十分である。一部の著述家の著作からは、この概念がかつてないほど根本的に重要であり、疑いようのない妥当性を持っていた時代があったかのように思えるかもしれないが、一方で、この概念を全く用いず、進歩の妨げになると考える者もいる。そして、この意見の対立は、これまで科学者たちを分裂させてきたほとんどすべての意見の相違とは、やや性質が異なる。ここで問題となっているのは、実験的証拠の価値や、その解釈の主要な特徴に関するものではない。確かに、「エーテル」に対する不満の多くは、近年の原子論に基づいている。放射線の性質や相対性原理が電磁気理論の十分な基礎であることの証明については議論があるが、そのような理論は概念を放棄する十分な理由も必要条件も提供しないことは明らかである。最も初期かつ最も広範な放射原子理論の著者であるJJトムソン卿は、英国科学振興協会での会長講演の大部分をエーテルの性質の説明に費やしたが、一方で私は、静電気学の要素ほど新しい考えを考察するだけで、その概念の有用性について重大な疑問が生じる可能性があることを示したい。両者がそれぞれの見解を詳細に表明するよう促されれば、両者の相違は、より特殊な観察や直観の問題ではなく、科学的知識の根本原理に関するものであることがわかるだろう。科学者が研究の本質的な基礎について議論することにかなりの臆病さを示すため、エーテルの概念に対する直接的な攻撃や擁護がほとんどなかったのかもしれない。以下の考察は、この重要な問題全体を徹底的に検討する上で、ある程度役立つかもしれない<ref>「注記」―議論の要点は、『現代電気理論』(ケンブリッジ、1907年)の第14章、および『ニュー・クォータリー・レビュー』第3号の記事に含まれていることを指摘しておくかもしれない。</ref>。 § 2. まず、「エーテル」とは何を意味するのか、そしてなぜそれが発明されたのかを問わなければならない。私が知っている限り、この概念の定義は故ソールズベリー卿によるもので、彼はそれを「動詞『波打つ』の主語」と表現した。なぜその動詞が特別な主語を必要とするのかはすぐには明らかではないが、少し考えれば、少なくとも「一見」もっともらしい事例が浮かび上がるだろう。エネルギー保存の法則は、おそらくすべての物理学者が自らの科学の必要条件として受け入れている唯一の命題であり、その法則を維持するには、一見するとエーテルのような概念が必要であるように思われる。ある物体が、有限の距離だけ離れた低温の別の物体にエネルギーを放射しているとき、最初の物体がエネルギーを失い、2番目の物体がエネルギーを得ていない有限の時間間隔が存在する。そのエネルギーがその期間に完全に失われたとは考えられないのであれば、発生源でも受信源でもない第三の物体によってエネルギーが獲得されたと考えるべきだろう。この物体、すなわち光の波動エネルギーの媒体となる物体こそがエーテルである。 光の電磁気理論の発展(p.183)は、放射エネルギーは、静止状態または運動状態にある帯電体の周囲に局在するエネルギーと本質的に同じ性質を持つという考えに至った。エーテルは、放射エネルギーだけでなく、あらゆる形態の電磁エネルギーの媒体とみなされており、簡単に言えば「電磁エネルギーが局在する物体」と定義できる。 このような大まかな定義は、必ずしもすべての人にとって満足のいくものではないだろうが、一般に理解されているエーテルの概念の特徴を明確に示しているため、本稿の目的には十分である。そして、まさにそのエーテルの概念について、これから論じることが私の目的である。 § 3. もちろん、定義は命題ではなく、真偽のどちらかであるということはあり得ない。科学的概念の定義がどのようなものであっても、それに関する命題を適切に構成することで、観察結果に合致する理論を構築することは常に可能である。しかし実際には、科学においても他の学問においても、命題は論理的には定義に続くものの、歴史的には定義に先行するのが一般的である。命題は、その単純さ、数学的展開への適合性、あるいはその他の理由から選択され、命題に関わる概念の定義の第一の要件は、これらの命題を真にするような定義でなければならないということである。(このような手順の明白な例として、「完全気体」という概念が挙げられる。) エーテルの場合、真でなければならない命題はマクスウェルの6つの方程式によって表される。基準軸が「エーテルに固定されている」場合に、これらの命題が真となるように、エーテルの定義を選択する必要があります。採用した定義の下で、基準軸が「エーテルに固定されている」場合にこれらの式が成り立たないことが判明した場合、厳密には式自体に誤りがあるものの、おおまかに言えば定義が偽であると言えるでしょう。議論の便宜上、一連の式を、そこから導き出される単一の単純な演繹、すなわち、基準軸に対して速度 u で運動する電荷 e は、電荷の経路と方向が一致する、強さ eu の電流要素に等しいという命題に置き換えても、一般性は損なわれない。 § 4. 一見すると、与えられたエーテルの定義では、そのような命題を否定することは不可能に思えるかもしれないが、定義の最初の言葉「物体」と、命題の但し書きである「基準軸はエーテルに固定されている」という点に注意を払う必要がある。エーテルが「物体…」であるという記述は、エーテルがその部分の相対運動に関して言えば、何らかの固体の塊に似ていることを示唆しており、また一般的にそのように解釈されてきた。つまり、エーテルが伝達する振動によって乱される場合を除き、その部分は相対運動を持たず、エーテルに対する物体の運動は一意に決定され、一般に、いかなる物質系に対するその物体の運動とは無関係であるということである。ごく最近まで、運動する電荷の磁気効果が比例する速度は、何らかの物質系に対する速度ではなく、すべての物質体から独立した、宇宙全体に広がり、その構成要素間に相対運動のない何らかの系に対する速度であると、ほぼ普遍的に想定されていたようである。このような命題が疑わしいことは、明示的に述べれば異論はないでしょう。私がここで示したいのは、もし「エーテル」という魅力的な言葉が不運にも発明されていなかったら、この考えはそもそもあり得ないことであり、一瞬たりとも受け入れられることはなかっただろうということである。もし「エーテル」が複数形の単語に置き換えられていたら、あるいは上記の定義に「または物体」という言葉が加えられていたら、現代物理学における最も難解な問題の一つは決して提起されなかっただろうと私は確信しています。 § 5. 「エーテルに固定された」軸は、エーテルに対する物質系の運動、あるいは逆に、物質体に対するエーテルの運動という概念を含んでいます。このようなエーテルの速度が何を意味するのかを調べてみよう。物質体Aの物体Bに対する速度について話すとき、物体が固体か流体かによって、「速度」という言葉の2つの定義のうちの1つが暗黙のうちに含まれています。前者の場合、速度は、隣接する点と区別する何らかの特性によって識別されるA上の点から、同様に識別されるB上の点までの距離の変化率である<ref>論文末尾の注記を参照</ref>。後者の場合、速度は、単位断面積を横切る物体(体積で測定)の移動率を意味する。後者の定義(準固体分子に対する私たちの信念によってのみ前者の基本的な定義と結びついている)はエーテルの場合には関係がないことはおそらく認められるでしょうが、前者は適用可能であるように思われる。ある観測者に対して異なる一定速度で運動する2つ以上の帯電物体という単純なケースを考えてみよう。物体はエーテルに局在する静電エネルギーを分布させており、特定の量のエネルギーを含むエーテルの部分(同一の物体に属する)の位置は、互いに対して、または帯電した原子核に対して、運動によって変化しない。エーテルが電気エネルギーが局在する物体であるならば、速度の定義で要求されるように、エーテル内の点を、それらに含まれるエネルギー量によって識別することは明白かつ簡単であるように思われる。すると、観測者に対するエーテルの速度は、どちらの帯電物体を考慮するかによって異なり、いずれの場合も、対応する帯電物体の観測者に対する速度と同じになる。 § 6. これは、単純明快な見解であり、相対性原理に直接つながるものだと私は考えます。単数形の「エーテル」という言葉が使われていなければ、この見解は疑いなく受け入れられていたでしょう。「もしエーテルが一つしかないならば、それはどの観測者に対しても複数の速度を持つことはできない。したがって、エーテルの部分は、それが含むエネルギーによって識別されるべきではなく、エネルギーはエーテルの中を移動し、ある部分から別の部分へと伝達されるが、その速度はエーテル自体の速度とは何の関係もないと考える必要がある」と述べられています。この見解は、エーテルについて論じる人々によって支持されていると私は思います。では、それが私たちをどこへ導くのか見ていきこう。 § 7. エーテル内の点を、そこに局在するエネルギーによって識別することが許されない場合、他の識別手段で代替することはできないことは、すぐに明らかである。あらゆる光学的現象は、エーテル(物質体の外側)が、エネルギーを保持する能力に関して完全に均質であることを証明している。放射の速度は、それが伝播するどの方向にも直線的で均一である。実験が知る限り、同じ量のエネルギーを含むエーテルのすべての部分は完全に類似しており、それらを区別する手段は存在しない。また、エーテルの境界が存在するとしても、これまで到達したことはない。物質体の速度に関するすべての記述に暗黙のうちに含まれている速度の定義をエーテルに適用するための第一の要件は満たされない。エーテルに適用できる別の速度の定義が提示されるまで、エーテルの速度またはエーテルに対する速度に関するすべての命題は無意味である。エーテルの構成要素をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するエーテル観においては、エーテルの速度について最初に述べられることは、定義であるか、あるいは全く意味をなさないかのどちらかである。もしある人が私に自分の腕時計の重さが100グラムだと言った場合、その発言は私にとって意味のある命題となる。なぜなら、「重さ」の通常の定義を腕時計に適用できるからである。しかし、もしその人が腕時計の色が100グラムの重さだと言って、色の重さの測り方を説明しようとしない場合、私はその人が意味のないナンセンスを言っているとしか結論づけることができない。あるいは、もしその人が博識な教授であるという事実によってこの説明が除外されるならば、彼は何らかの正当な理由で、「100グラムの重さのもの」と言うときに「腕時計の色」という意味で言っているのだと私に理解させようとしているのかもしれない。 したがって、相対性原理を拒否する者が、マクスウェル方程式、または上記の方程式からの単純な推論を書き記す際に、「エーテルに固定された」軸と(他の速度を測定できる)何らかの物質系との間の相対速度が何であるかを明確に述べなければ、彼が伝えることのできる唯一の意味は、任意の観測者によって測定された磁気効果が強度<math>eu</math>の電流要素に相当する電荷<math>e</math>を持つ物体の運動状態を「エーテルに対する速度<math>u</math>」という用語で呼ぼうとしているということである。さらに、彼が自身の基本的な仮説から命題を導き出し、その結果を実験と比較した場合、彼が努力によって得ることのできる唯一の有効な情報は、彼が観察する物体の1つまたは複数が(彼の定義に従って)エーテルに対してどのような速度で動いているかということである。彼は、仮説を立てる際に用いたいかなる仮定も、肯定も否定もできない。彼は、一つ以上の未知変数を含む方程式を扱う数学者の立場にある。彼にできるのは、それらの変数の値を求めることだけであり、元の方程式が真か偽かを証明するような、恒等式または非恒等式に到達することはできない。 § 8. 電磁気学の命題とは独立に定義できる「速度」の別の意味を見落としているのではないか、という指摘があるかもしれない。力学では「絶対速度」と呼ばれる量が導入されており、帯電体のエーテルに対する相対速度をその「絶対速度」と主張できるのではないかと思われるかもしれない。そのような主張は可能であり、前段落で提起した反論は解消されるだろうが、はるかに深刻な問題を引き起こす。本誌掲載の「力学の原理」に関する論文で示されているように、「絶対速度」(あるいはむしろ絶対速度)は、力学の基本命題(P.187)が真であると仮定しない限り、無意味である。これらの命題は、物体の質量はその運動状態に依存しないと述べています。電磁気学の方程式から、帯電体の質量はその運動によって変化すると導かれると、力学の命題は真ではないことになり、したがって「絶対運動」という用語は一切意味を失います。論理的に、(1)エーテルに固定された軸は絶対速度がゼロである軸であり、(2)物体の質量はこれらの軸に対する相対速度とともに増加する、という2つの命題を同時に主張することは不可能である。どちらか一方の命題が真であると仮定すると、もう一方は偽ではなく、無意味になる。 したがって、エーテルの信奉者は、「エーテルに対する相対速度」は、通常の方法で測定される速度でも絶対速度でもないと考えていると仮定しなければならない。そして、この2つの「速度」の意味は、電磁気学以外の物理学で用いられる唯一の2つの意味であるため、電磁気学における速度は新しい概念であり、それが最初に現れる命題によって定義されると結論づけざるを得ない。この結論がもたらす結果を考察してみよう。 §9. ある物体のエーテルに対する速度を決定するために用いられる、よく知られた観測には2つの種類があります。その1つ目、そして最も直接的な例は、ローランドによる運動する電荷の磁気効果に関する実験である。ローランドは、電荷<math>e</math>が観測用磁石系に対して速度<math>u</math>で運動している場合、その電荷は電流要素<math>eu</math>に相当することを示しました。したがって、そしてこれが唯一可能な推論であるが、エーテルに対する電荷の速度は、観測用磁石系に対する電荷の速度に等しいのである。 2つ目の観測は、光行差とマイケルソン・モーリーの実験に関するものである。電磁気学の基本命題から、観測者のエーテルに対する速度が<math>u</math>だけ変化すると、観測者が見る光線の見かけの方向は角度<math>\tfrac{u\sin\theta}{V}</math>だけ変化することが推論できる。ここで、<math>\theta</math>は光線の方向と<math>u</math>の方向との間の角度である。恒星の観測では、<math>u</math>は地球が太陽の周りを公転する速度であり、<math>\theta</math>はその速度と恒星の方向との間の角度であることが示されている。一方、地上の光源の観測では、<math>u</math>はゼロであることが示されている。したがって、我々は、恒星を考慮した場合、観測者のエーテルに対する速度は地球の軌道上の速度であり、地上の源を考慮した場合はゼロであると結論づけざるを得ない。そして、これが唯一可能な結論である。我々の観測は、静電気学の単純な事実を考察することで「先験的に」示唆されたように、電磁現象における実効速度は、作用系と「観測」系との間の相対速度であることを証明している。「エーテルに固定されている」という言葉は、任意の観測者にとって、「彼が観測している作用の系に固定されている」ことを意味する。たとえ「エーテル主義者」の立場から出発したとしても、観測は相対性原理を受け入れざるを得ない。 § 10. しかし、エーテルを信じる者たちは、自分たちの結論の論理を受け入れることを拒否した。彼らは、エーテルという言葉を常に使用することから生じる考えにあまりにも囚われていたため、観測者が同時にエーテルに対して複数の異なる速度を持つことができるという考えを受け入れようとしなかった。彼らは、光行差とマイケルソン実験の結果を「調和」させることについて話したが、実際には「調和」は必要なかった。結果は、矛盾の痕跡もなく、完全に論理的な全体を形成していた。確かに、速度を固体物質の場合と同じように定義すると、ある物体が別の物体に対して複数の異なる速度を持つという結論は、議論に何らかの誤謬があったことを証明する。しかし、彼らは速度をまったく異なる方法で定義しており、新しい速度の定義が古い定義と同じ制約を持つと考える理由はなかった。実数しか知らなかった数学者が、二次方程式の解法体系を確立したとしても、初めて虚数根に遭遇した際に「調和」が必要だと考えるのは当然だろう。 しかし、実現された「和解」は、実際には革命であり、極めて悲惨な革命であった。「エーテル主義者」たちは、古い定義を捨てて新しい定義に置き換えると宣言した。この決定が賢明であることは誰もが同意するだろうが、彼らの新しい選択の賢明さについては意見が一致しないだろう。今や、任意の2つの物体のエーテルに対する速度の差はそれらの相対速度に等しいが、任意の物体のエーテルに対する速度は定数の程度まで不確実であるとされた。そして彼らは、我々の装置が別のレベルの完成度に達するまで、我々が実行できると期待できるいかなる実験も、その定数の値に関する情報を我々に与えることはできないことを非常に注意深く示した。しかし、そのような実験がいつか実行できるようになったとしても、一定であると仮定された量が実際に一定であると考える理由はない。そして彼らは、エーテルに関連するすべての困難の解決策が、エーテルに関連するすべての困難の解決策であるという幸福な確信に満足のため息をついて落ち着いた。エーテルが発見され、それは普遍的な支持を得るだろう。 § 11. しかし、この考え方は普遍的に受け入れられたわけではない。ポアンカレ氏は、測定機器の精度が向上するたびに新たな前提が必要になるという点で、この考え方を批判した。また、多くの人々は、科学の基本方程式に、直接的にも、あるいは方程式を用いても実験的に測定できない量を導入することには、非常に不都合な点があると考えている。 将来の物理学史家は、物理学者の大多数が、エーテルという言葉の使用にのみ由来すると思われる考えを放棄し、多くの思考の流れが強く示唆する考えを拒否するよりも、これほどまでに複雑で妥当性が危うい体系を受け入れていることに、おそらく驚愕するだろう。ある観測システムに対する「エーテルの速度」の値について完全に恣意的な仮定を置かない限り、観測は相対性原理の採用、すなわち、マクスウェル方程式が参照しなければならない「エーテルに固定された」軸は、変換が調査されるエネルギー源である荷電系に固定された軸であるという信念を私たちに強いる。このような考えは、単一のエーテルの概念に基づくものよりも実際にはさらに不十分であると主張されている。なぜなら、「エーテルに非常に複雑な構造を要求する」からである。しかし、「エーテル」という言葉の使用をやめれば、その本質的な単純さが明らかになる。電磁エネルギーが局在するシステムは、すべての物質から独立した単一の物体ではなくなり、個別に運動するすべての帯電物体の一部とみなされるべき部分の集合体となる。帯電物体が観測者に対して等速運動をしている場合、そのエネルギーが局在するエーテルの部分も、その観測者に対して同じ速度で運動する。相対性原理は、電気現象の解釈を複雑にするものではなく、考慮に入れなければならない物体の数を一つ減らすことで、解釈を単純化するのである。 § 12. 「エーテル」という概念の使用によって生じた他の混乱についても同様の方法で攻撃し、その密度、剛性、さらには原子量を推定しようとした多くの、そして互いに矛盾する試みを分析することは容易であろう。私の目的は、この概念の使用に反対するあらゆる議論を網羅することではなく、現時点で特に破壊的であると思われる議論のみを取り上げることである。ブヘラーの最近の研究と、J.J.トムソンの原子論がその例である。そしてプランク(後者は最近スターク<ref>J. Stark, ''Phys. Zeit.'' Sept. 1909, p. 570.</ref>によって前者に非常によく似た形で開発された)は、エーテルの信奉者にとって同化したり説明したりすることが非常に難しいことがわかるだろう。もし彼らがそうしようとするならば、それは間違いなくエーテルの概念を保持する価値があるという信念に基づいているだろう。エーテルの主張が最も強いと考えられていたところで、エーテルの根拠が滑稽なほど弱いこと、この概念が誤謬と思考の混乱以外の何物でも生み出したことがないことを示すことは、「フロギストン」や「カロリック」が今や朽ち果てている塵芥の山にエーテルを追いやるのに役立つかもしれない。 {{center|注記}} 本稿と、同じ号に掲載されている「力学の原理」という論文との関係について、いくつか補足説明をしておくことが望ましい。というのも、本稿で述べたいくつかの記述が、他の箇所で述べた記述と矛盾しているように見えるかもしれないからである。その一つが、184ページの脚注に付記されている記述である。「力学の原理」では、物理学で議論される速度はほぼ常に「速度」であり、距離と時間で直接定義できるものではないと指摘されている。(本注釈で使用されている記号は、参照論文で使用されているものと同じである。) 私は、かなり後に書かれた「力学の原理」で用いられている用語を採用することで、これらの明らかな矛盾を解消しようとはしなかった。なぜなら、ここで述べた議論は、形式的には問題があるものの、そうでない場合よりも説得力があり、より少ない思考の複雑さで済むように思われるからである。しかし、本稿では、後期の考え方の観点から見ると、それがどのように見えるかを指摘したい。 科学的な議論において「速度」という言葉に与えられる唯一の意味は、科学理論の真偽を前提とせずに述べることができるもので、それは ∫∫dr/dt である。ここで、∫∫r と ∫∫t は距離と時間であり、距離と時間の間に関係 A が存在する。絶対速度など、相対速度とある特定の関係にあるため速度と呼ばれる他の量は、その関係を方程式の形で示すことによってのみ定義できる。そして、この方程式こそが、実際には科学理論の表現なのである。エーテル粒子をそのエネルギー含有量によって識別することを否定するならば、そのような粒子と他の粒子との距離を測定する可能性、ひいては関係式Aを用いてそのような粒子の相対速度を定義する可能性を否定することになる。この可能性を否定する人々が定義する「エーテルの速度」は、それが最初に言及された理論(マクスウェル方程式)の真偽を前提としなければ無意味である。ちょうど、量「b」がファンデルワールス方程式の真偽を前提としなければ無意味であるのと同様である。 「エーテルの速度」を定義する方程式を解くと、あらゆる粒子について、場合によってこの速度の異なる値が得られることがわかる。この結論は、この「速度」が相対速度とは異なる性質を持つことを示している。量「b」が負の値または虚数であることが判明した場合も同様であり、これは「b」が定義によって体積に帰属される性質とは異なる性質を持つことを示している。最後の事例では、2つの選択肢が考えられる。結論を受け入れるか、あるいは異なる結論を導く新たな理論を提示するかである。「エーテル」の場合、結論を否定し、新たな理論を提示すべきであるという点で全員が一致しています。相対性原理の支持者は、「エーテルの速度」のような量を一切必要としない新たな理論を提示できると指摘する。それは、関係式Aのみによって測定値と結び付けられる量を用いて表現できるからである。一方、「エーテル論者」は、以前と同じ性質の量を再び導入する新たな理論を提案するが、その量に関する新たな望ましくない結論が生じる可能性を回避するため、その量の値は、今後実施される可能性のあるいかなる実験によっても求められないように理論​​を構築する。 私の主張は、前者の方法の方がより適切であるというものである。そして、私が述べたことに加えて、力学の類推から導き出される一つの議論だけを付け加えたいと思います。物理学者たちは、方程式を複雑化して数学的に扱いにくくすることなく、力学を相対運動のみで表現できるのであれば、その方針を採用すべきであるという点に同意するだろうと私は想像する。「絶対運動」は、我々の数学的処理能力の不十分さによって強いられた、不愉快な必然である。「エーテルの速度」に対する反論は、絶対運動に対する反論よりも強力である。なぜなら、絶対速度は、それを定義する方程式が真であると仮定すれば値を求めることができるが、「エーテルの速度」は、それらの方程式が真であると仮定しても値を求めることができないからである。一方、相対性原理に基づく方程式はエーテルの概念に基づく方程式と同じくらい単純であるため、数学の必然性から「エーテルの速度」を支持する議論はない。 1909年9月 {{rule}} <references /> gx35iuz1gb0uy30kyyj588nx3evuxfu ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第119章 司教ディオドロス 0 56230 241766 2026-04-27T02:53:50Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Diodorus the bishop]] を翻訳 241766 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第119章 司教ディオドロス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第118章 司教ルキウス|第118章 司教ルキウス]] | next = 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II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第119章 司教ディオドロス#第119章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Diodorus the bishop]] を翻訳 --> 5haxtruiz5njch12b6906ntg9cwnvst ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第120章 異端の指導者エウノミオス 0 56231 241767 2026-04-27T03:08:01Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eunomius the heresiarch]] を翻訳 241767 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第120章 異端の指導者エウノミオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第119章 司教ディオドロス|第119章 司教ディオドロス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第121章 司教プリスキリアヌス|第121章 司教プリスキリアヌス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eunomius the heresiarch|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eunomius the heresiarch]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 120}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第120章== << 異端の指導者エウノミオス >> キュジコスの司教でアリウス派の一員であったエウノミオス<ref>司教 360年、396年以前に死去。</ref>は、異端において公然と冒涜行為に走り、他の人々が隠していたことを公然と宣言した。彼は今もカッパドキアに住んでおり、教会に対して多くの批判的な著作を書いていると言われている。アポリナリオス、ディデュモス、カイサリアのバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオスらが彼に反論している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第120章 異端の指導者エウノミオス#第120章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eunomius the heresiarch]] を翻訳 --> huc3nw5s4ficge9huiucob0q6216gd3 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第121章 司教プリスキリアヌス 0 56232 241768 2026-04-27T03:23:20Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Priscillianus the bishop]] を翻訳 241768 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第121章 司教プリスキリアヌス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第120章 異端の指導者エウノミオス|第120章 異端の指導者エウノミオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第122章 ラトロニアヌス|第122章 ラトロニアヌス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Priscillianus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Priscillianus the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 121}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第121章== << 司教プリスキリアヌス >> アビラの司教プリスキリアヌス<ref>379年に活躍し、380年に死刑を宣告され、385年に死去した。</ref>はヒュダティウスとイタキウスの派に属し、暴君マクシムスによってトリーアで処刑された。彼は多くの短い著作を発表し、その一部は現代まで伝わっている。彼は今でも一部の人々からグノーシス主義、すなわちエイレナイオスが記述しているバシリデスまたはマルコの異端に染まっていると非難されているが、彼の擁護者たちは彼がそのような考え方を全く持っていなかったと主張している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第121章 司教プリスキリアヌス#第121章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Priscillianus the bishop]] を翻訳 --> mwwy1xikeiuff31w5jzcj29mcec4pez Index:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf 252 56233 241770 2026-04-27T03:47:15Z AntiquatedMan2025 44229 ページの作成:「」 241770 proofread-index text/x-wiki {{:MediaWiki:Proofreadpage_index_template |タイプ=図書 |書名=漱石全集 |言語=jpn |巻号=第9巻 (心・道草) |著者=夏目, 漱石, 1867-1916 |訳者= |編者= |挿絵= |教育機関= |出版者=漱石全集刊行会 |所在地=JP |年=1928 |Key= |ISBN= |OCLC= |LCCN= |BNF_ARK= |ARC= |底本=pdf |画像= |進捗=MS |ページ=<pagelist /> |分冊= |注釈= |Width= |Css= |Header= |Footer= }} ski1r8pakyxhg4cyrn8ln9cjy44e64a 利用者:AntiquatedMan2025/夏目漱石/道草 2 56234 241771 2026-04-27T03:47:57Z AntiquatedMan2025 44229 ページの作成:「[[../|Up]] ---- <pages index="NDL1193042_漱石全集_第9巻_(心・道草)_part2.pdf" from="31" to="100"/>」 241771 wikitext text/x-wiki [[../|Up]] ---- <pages index="NDL1193042_漱石全集_第9巻_(心・道草)_part2.pdf" from="31" to="100"/> adwyjxrg1z7q3ifnssmuodiat1syfg4 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/31 250 56235 241772 2026-04-27T03:48:28Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「道草<br/>  四、六、三――四、九、一四<br/> <br/>」 241772 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>道草<br/>  四、六、三――四、九、一四<br/> <br/><noinclude></noinclude> mm7mukaro79849aaar3de3kxmpc81w6 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/32 250 56236 241773 2026-04-27T03:49:37Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「 一<br/> <br/>  {{r|健三|けんぞう}}が遠い所から歸つて來て{{r|駒込|こまごめ}}の奧に{{r|世帶|しよたい}}を持つたのは東京を出てから何年目になるだらう。彼は故鄉の土を踏む珍らしさのうちに一種の{{r|淋|さび}}し{{r|味|み}}さへ感じた。<br/>  彼の{{r|身體|からだ}}には新しく{{r|後|あと}}に見捨てた遠い國の{{r|臭|にほひ}}がまだ付着してゐた。彼はそ…」 241773 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude> 一<br/> <br/>  {{r|健三|けんぞう}}が遠い所から歸つて來て{{r|駒込|こまごめ}}の奧に{{r|世帶|しよたい}}を持つたのは東京を出てから何年目になるだらう。彼は故鄉の土を踏む珍らしさのうちに一種の{{r|淋|さび}}し{{r|味|み}}さへ感じた。<br/>  彼の{{r|身體|からだ}}には新しく{{r|後|あと}}に見捨てた遠い國の{{r|臭|にほひ}}がまだ付着してゐた。彼はそれを{{r|忌|い}}んだ。一日も早くその臭を{{r|振|ふる}}ひ落さなければならないと思つた。さうして其臭のうちに潛んでゐる彼の誇りと滿足には却つて氣が付かなかつた。<br/>  彼は斯うした氣分を{{r|有|も}}つた人に有勝な{{r|落付|おちつき}}のない態度で、{{r|千駄木|せんだぎ}}から{{r|追分|おひわけ}}へ出る通りを日に二返づゝ規則のやうに往來した。<br/>  ある日{{r|小雨|こさめ}}が降つた。其時彼は{{r|外套\|ぐわいたう}}も雨具も着けずに、たゝ傘を差した丈で、何時もの通りを{{r|本鄉|ほんがう}}の方へ例刻に步いて行つた。すると車屋の少しさきで思ひ懸けない人にはたりと出會つた。其人は{{r|根津權現|ねづごんげん}}の裏門の坂を{{r|上|あが}}つて、彼と反對に北へ向いて步いて來たものと見えて、健三が行手を何氣なく眺めた時、十{{r|間|けん}}位先から既に彼の視線に入つたのである。さうして思はず彼の{{r|眼|め}}をわきへ{{r|外|そら}}させたのである。<br/>  彼は知らん顏をして其人の{{r|傍|そば}}を通り拔けようとした。けれども彼にはもう一遍この男の眼鼻立を確かめる必要があつた。それで御互が二三間の距離に近づいた頃又{{r|眸|ひとみ}}を其人の方角に向けた。すると先方ではもう{{r|疾|と}}<noinclude></noinclude> een97bn9mt81ghq492fruj6n217pqr1 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/33 250 56237 241774 2026-04-27T03:50:42Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「くに彼の姿を{{r|凝|ぢつ}}と見詰めてゐた。<br/>  往來は{{r|靜|しづか}}であつた。二人の間にはたゞ細い雨の絲が絕間なく落ちてゐる丈なので、御互が御互の顏を認めるには何の困難もなかつた。健三はすぐ眼をそらして又眞正面を向いた儘步き出した。けれども相手は道端に立ち留まつたなり、少しも足を運ぶ{{r|氣色|けしき}}なく、ぢつと彼の通…」 241774 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>くに彼の姿を{{r|凝|ぢつ}}と見詰めてゐた。<br/>  往來は{{r|靜|しづか}}であつた。二人の間にはたゞ細い雨の絲が絕間なく落ちてゐる丈なので、御互が御互の顏を認めるには何の困難もなかつた。健三はすぐ眼をそらして又眞正面を向いた儘步き出した。けれども相手は道端に立ち留まつたなり、少しも足を運ぶ{{r|氣色|けしき}}なく、ぢつと彼の通り過ぎるのを見送つてゐた。健三は其男の顏が彼の步調につれて、少しづゝ動いて回るのに氣が着いた位であつた。<br/>  彼は此男に何年會はなかつたらう。彼が此男と緣を切つたのは、彼がまだ{{r|廿歲|はたち}}になるかならない昔の事であつた。それから{{r|今日|こんにち}}迄に十五六年の月日が經つてゐるが、その間彼らはつひぞ一度も顏を合せた事がなかつたのである。<br/>  彼の位地も境遇もその時分から見ると丸で變つてゐた。黑い{{r|髭|ひげ}}を{{r|生|はや}}して山高帽を{{r|被|かぶ}}つた今の姿と坊主頭の昔の{{r|面影|おもかげ}}とを比べて見ると、自分でさへ隔世の感が起らないとも限らなかつた。然しそれにしては相手の方があまりに變らな過ぎた。彼は何う勘定しても六十五六であるべき筈の其人の髮の毛が、{{r|何故|なぜ}}今でも元の通り黑いのだらうと思つて、心のうちで怪しんだ。帽子なしで外出する昔ながらの癖を今でも押通してゐる其人の特色も、彼には異な氣分を與へる{{r|媒介|なかだち}}となつた。<br/>  彼は{{r|固|もと}}より其人に出會ふ事を好まなかつた。萬一出會つても其人が自分より立派な{{r|服裝|なり}}でもしてゐて吳れゝば{{r|好|い}}いと思つてゐた。然し今{{r|目前|まのあたり}}見た其人は、あまり裕福な境遇にゐるとは誰が見ても決して思へなかつた。帽子を被らないのは當人の自由としても、{{r|羽織|はおり}}なり着物なりに就いて判斷したところ、どうしても中流以下の活計を營んでゐる{{r|町家|ちやうか}}の年寄としか受取れなかつた。彼は其人の差してゐた{{r|洋傘|かうもり}}が、重さうな{{r|毛繻子|けじゆす}}であつた事に迄氣が付いてゐた。<br/>  其日彼は家へ歸つても途中で會つた男の事を忘れ得なかつた。折々は道端へ立ち止まつて凝と彼を見送つてゐた其人の眼付に惱まされた。然し細君には何にも打ち明けなかつた。機嫌のよくない時は、いくら話したい事があつても、細君に話さないのが彼の癖であつた。細君も默つてゐる夫に對しては、用事の{{r|外|ほか}}決して口を利かない女であつた。<br/> <br/>  二<br/> <br/>  次の日健三は又同じ時刻に同じ所を通つた。其次の日も通つた。けれども帽子を{{r|被|かぶ}}らない男はもうどこからも出て來なかつた。彼は器械のやうに又義務のやうに何時もの道を{{r|往|い}}つたり來たりした。<br/>  斯うした無事の日が五日續いた{{r|後|あと}}、六日目の朝になつて帽子を被らない男は突然又根津權現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。それが此前と略同じ場所で、時間も{{r|殆|ほとん}}ど此前と違はなかつた。<br/>  其時健三は相手の自分に近付くのを意識しつゝ、何時もの通り器械のやうに又義務のやうに步かうとした。けれども先方の態度は正反對であつた。{{r|何人|なんびと}}をも不安にしなければ已まない程な注意を{{r|雙眼|そうがん}}に集めて彼を凝視した。{{r|隙|すき}}さへあれば彼に近付かうとする其人の心が{{r|曇|どん}}よりした{{r|眸|ひとみ}}のうちにあり〱と讀まれた。出來るだけ容赦なく其{{r|傍|そば}}を通り拔けた健三の胸には變な豫覺が起つた。<br/> 「とても是丈では濟むまい」<br/>  然し其日{{r|家|うち}}へ歸つた時も、彼はつひに帽子を被らない男の事を細君に話さずにしまつた。<br/><noinclude></noinclude> hn0ginqu7xhkjjdym8gqy00ed4ft6yu Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/34 250 56238 241775 2026-04-27T03:53:51Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「 彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もう其時分には此男との關係がとくの昔に切れてゐたし、其上結婚地が故鄉の東京でなかつたので、細君の方ではぢかに其人を知る筈がなかつた。然し{{r|噂|うはさ}}として丈なら或は健三自身の口から既に話してゐたかも知れず、又彼の親類のものから聞いて知つてゐないとも限らなかつた。それは…」 241775 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude> 彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もう其時分には此男との關係がとくの昔に切れてゐたし、其上結婚地が故鄉の東京でなかつたので、細君の方ではぢかに其人を知る筈がなかつた。然し{{r|噂|うはさ}}として丈なら或は健三自身の口から既に話してゐたかも知れず、又彼の親類のものから聞いて知つてゐないとも限らなかつた。それは何れにしても健三にとつて問題にはならなかつた。<br/>  たゞ此事件に關して今でも時々彼の胸に浮んでくる結婚後の事實が一つあつた。五六年前彼がまだ地方にゐる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。其時彼は變な顏をして其手紙を讀んだ。然しいくら讀んでも〱讀み切れなかつた。半紙廿枚ばかりへ隙間なく{{r|細字|さいじ}}で書いたものの、五分の一ほど眼を通した{{r|後|あと}}、彼はつひにそれを細君の手に渡してしまつた。<br/>  其時の彼には自分{{r|宛|あて}}で斯んな長い手紙をかいた女の素性を細君に說明する必要があつた。それから其女に{{r|關聯|くわんれん}}して、是非とも此帽子を被らない男を引合に出す必要もあつた。健三はさうした必要にせまられた過去の自分を記憶してゐる。然し{{r|機嫌買|きげんかひ}}な彼がどの位綿密な程度で細君に說明してやつたか、その點になると彼はもう忘れてゐた。細君は女の事だからまだ{{r|判然|はつきり}}覺えてゐるだらうが、今の彼にはそんな事を改めて彼女に問ひ{{r|訊|ただ}}して見る氣も起らなかつた。彼は此長い手紙を書いた女と、此帽子を被らない男とを一所に竝べて考へるのが{{r|大嫌|だいきらひ}}だつた。それは彼の不幸な過去を遠くから呼び起す{{r|媒介|なかだち}}となるからであつた。<br/>  幸ひ彼の目下の狀態はそんな事に{{r|屈托|くつたく}}してゐる餘裕を彼に與へなかつた。彼は{{r|家|うち}}へ歸つて衣服を着換へると、すぐ自分の書齋へ{{r|這入|はい}}つた。彼は始終その六疊敷の狹い疊の上に自分のする事が山のやうに積んであるやうな氣持でゐるのである。けれども實際から云ふと、仕事をするよりも、しなければならないといふ{{r|刺戟|しげき}}の方が、遙かに強く彼を支配してゐた。自然彼はいら〱しなければならなかつた。<br/>  彼が遠い所から持つて來た書物の箱を此六疊の中で開けた時、彼は山のやうな洋書の{{r|裡|うち}}に{{r|胡坐|あぐら}}をかいて、一週間も二週間も暮らしてゐた。さうして何でも手に觸れるものを{{r|片端|かたはし}}から取り上げては二三{{r|頁|ページ}}づゝ讀んだ。それがため肝心の書齋の整理は何時迄經つても片付かなかつた。しまひに此{{r|體|てい}}たらくを見るに見かねた{{r|或|ある}}友人が來て、順序にも冊數にも{{r|頓着|とんぢやく}}なく、ある丈の書物をさつさと書棚の上に竝べてしまつた。彼を知つてゐる多數の人は彼を神經衰弱だと評した。彼自身はそれを自分の性質だと信じてゐた。<br/> <br/>  三<br/> <br/>  健三は實際其日々々の仕事に追はれてゐた。{{r|家|うち}}へ歸つてからも氣樂に使へる時間は少しもなかつた。其上彼は自分の讀みたいものを讀んだり、書きたい事を書いたり、考へたい問題を考へたりしたかつた。それで彼の心は{{r|殆|ほとん}}ど餘裕といふものを知らなかつた。彼は始終机の前にこびり着いてゐた。<br/>  娯樂の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙がしがつてゐる彼が、ある時友達から{{r|謠|うたひ}}の{{r|稽古|けいこ}}を勸められて、{{r|體|てい}}よくそれを斷わつたが、彼は心のうちで、{{r|他人|ひと}}にはどうしてそんな暇があるのだらうと驚いた。さうして自分の時間に對する態度が、恰も守錢奴のそれに似通つてゐる事には、丸で氣がつかなかつた。<br/>  自然の勢ひ彼は社交を避けなければならなかつた。人間をも避けなければならなかつた。彼の頭と活字との交涉が複雜になればなる程、人としての彼は孤獨に陷らなければならなかつた。彼は{{r|朧氣|おぼろげ}}にその{{r|淋|さび}}しさを感ずる場合さへあつた。けれども一方ではまた心の底に異樣の熱塊があるといふ自信を持つてゐた。<noinclude></noinclude> 2ftze0a4y0z2r4elh1ivh4feh7vicf0 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/35 250 56239 241776 2026-04-27T03:54:35Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「だから{{r|索寞|さくばく}}たる{{r|曠野|あらの}}の方角へ向けて生活の{{r|路|みち}}を步いて行きながら、それが却つて本來だとばかり心得てゐた。溫かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思はなかつた。<br/>  彼は親類から變人扱いにされてゐた。然しそれは彼に取つて大した苦痛にもならなかつた。<br/> 「教育が違ふんだから仕方がない」<br/>…」 241776 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>だから{{r|索寞|さくばく}}たる{{r|曠野|あらの}}の方角へ向けて生活の{{r|路|みち}}を步いて行きながら、それが却つて本來だとばかり心得てゐた。溫かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思はなかつた。<br/>  彼は親類から變人扱いにされてゐた。然しそれは彼に取つて大した苦痛にもならなかつた。<br/> 「教育が違ふんだから仕方がない」<br/>  彼の腹の中には常に斯ういふ答辯があつた。<br/> 「矢つ張り{{r|手前味噌|てまへみそ}}よ」<br/>  是は何時でも細君の解釋であつた。<br/>  氣の毒な事に健三は斯うした細君の批評を超越する事が出來なかつた。さう云はれる{{r|度|たび}}に{{r|氣不味|きまづ}}い顏をした。ある時は自分を理解しない細君を{{r|心|しん}}から{{r|忌々|いまいま}}しく思つた。ある時は{{r|叱|しか}}り付けた。又ある時は頭ごなしに{{r|遣|や}}り込めた。すると彼の{{r|癇癪|かんしやく}}が細君の耳に{{r|空威張|からゐばり}}をする人の言葉のやうに響いた。細君は「手前味噌」の四字を「{{r|大風呂敷|おほぶろしき}}」の四字に訂正するに過ぎなかつた。<br/>  彼には一人の{{r|腹違|はらちがひ}}の姊と一人の兄があるぎりであつた。親類といつた所で此二軒より外に持たない彼は、不幸にして其二軒ともとあまり親しく{{r|往來|ゆきき}}をしてゐなかつた。自分の姊や兄と疎遠になるといふ變な事實は、彼に取つても餘り氣持の{{r|好|い}}いものではなかつた。然し親類づきあひよりも自分の仕事の方が彼には大事に見えた。それから東京へ歸つて以後既に三四回彼らと顏を合せたといふ記憶も、彼には多少の言譯になつた。もし帽子を{{r|被|かぶ}}らない男が突然彼の行手を遮らなかつたなら、彼は何時もの通り{{r|千駄木|せんだぎ}}の町を每日二{{r|返|へん}}規則正しく往來するだけで、當分外の方角へは足を向けずにしまつたらう。もし其{{r|間|あいだ}}に{{r|身體|からだ}}の樂に出來る日曜が來たなら、ぐたりと疲れ切つた四{{r|肢|し}}を疊の上に橫たへて半日の安息を{{r|貪|むさぼ}}るに過ぎなかつたらう。<br/>  然し次の日曜が來たとき、彼は不圖途中で二度會つた男の事を思ひ出した。さうして急に思ひ立つたやうに姊の{{r|宅|うち}}へ出掛けた。姊の宅は{{r|四|よ}}ツ{{r|谷|や}}の{{r|津|つ}}の{{r|守坂|かみざか}}の橫で、大通りから一町ばかり奧へ引込んだ所にあつた。彼女の夫といふのは健三の{{r|從兄|いとこ}}にあたる男だから、つまり姊にも從兄であつた。然し{{r|年齡|とし}}は{{r|同年|おないどし}}か一つ違で、健三から見ると雙方とも、一廻りも上であつた。此夫がもと四ツ谷の區役所へ勤めた緣故で、彼が{{r|其所|そこ}}をやめた{{r|今日|こんにち}}でも、まだ{{r|馴染|なじみ}}の多い土地を離れるのが{{r|厭|いや}}だといつて、姊は今の勤先に不便なのも構はず、矢つ張り元の古ぼけた家に住んでゐるのである。<br/> <br/>  四<br/> <br/>  此姊は{{r|喘息持|ぜんそくもち}}であつた。年が年中ぜい〱云つてゐた。それでも生れ付が非常な{{r|癇性|かんしよう}}なので、餘程苦しくないと決して{{r|凝|ぢつ}}としてゐなかつた。何か用を{{r|拵|こしら}}へて狹い{{r|家|うち}}の中を始終ぐる〱廻つて步かないと承知しなかつた。その{{r|落付|おちつき}}のないがさつな態度が健三の眼には{{r|如何|いか}}にも氣の毒に見えた。<br/>  姊は又非常に{{r|饒舌|しやべ}}る事の{{r|好|すき}}な女であつた。さうして其喋舌り方に少しも品位といふものがなかつた。彼女と{{r|對坐|たいざ}}する健三は屹度苦い顏をして默らなければならなかつた。<br/> 「これが{{r|己|おれ}}の姊なんだからなあ」<br/>  彼女と話をした{{r|後|あと}}の健三の胸には何時でも斯ういふ述懷が起つた。<br/>  其日健三は例の如く{{r|襷|たすき}}を掛けて戶棚の中を{{r|搔|か}}きまはしてゐる此姊を見出した。<br/><noinclude></noinclude> 4ouhyei3jz5i1uoatvui88z75xbbr5i Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/36 250 56240 241777 2026-04-27T03:55:51Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「「まあ珍しく{{r|能|よ}}く來て吳れたこと。さあ御敷きなさい」<br/>  姊は健三に{{r|座蒲團|ざぶとん}}を勸めて緣側へ手を洗ひに行つた。<br/>  健三は其留守に座敷のなかを見廻した。{{r|欄間|らんま}}には彼が子供の時から見覺えのある古ぼけた額が懸つてゐた。其{{r|落款|らつくわん}}に書いてある{{r|筒井憲|つゝゐけん}}といふ名は、たしか{{r|旗…」 241777 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>「まあ珍しく{{r|能|よ}}く來て吳れたこと。さあ御敷きなさい」<br/>  姊は健三に{{r|座蒲團|ざぶとん}}を勸めて緣側へ手を洗ひに行つた。<br/>  健三は其留守に座敷のなかを見廻した。{{r|欄間|らんま}}には彼が子供の時から見覺えのある古ぼけた額が懸つてゐた。其{{r|落款|らつくわん}}に書いてある{{r|筒井憲|つゝゐけん}}といふ名は、たしか{{r|旗本|はたもと}}の書家か{{r|何|なに}}かで、大變字が上手なんだと、十五、六の昔{{r|此處|こゝ}}の主人から教へられた事を思ひ出した。彼はその主人をその頃は兄さん兄さんと呼んで始終遊びに行つたものである。さうして年から云へば{{r|叔父|おじ}}{{r|甥|おい}}程の相違があるのに、二人して能く座敷の中で{{r|相撲|すまふ}}をとつては姊から{{r|怒|おこ}}られたり、屋根へ登つて{{r|無花果|いちじく}}を{{r|挘|も}}いで食つて、其皮を隣の庭へ投げたため、{{r|尻|しり}}を持ち込まれたりした。主人が箱入りのコンパスを買つて{{r|遣|や}}るといつて彼を{{r|騙|だま}}したなり何時まで經つても買つてくれなかつたのを非常に恨めしく思つた事もあつた。姊と{{r|喧嘩|けんくわ}}をして、もう向うから{{r|謝罪|あやま}}つて來ても勘忍してやらないと覺悟を{{r|極|き}}めたが、いくら待つていても、姊が{{r|詫|あや}}まらないので、仕方なしに此方からのこ〱出掛けて行つた癖に、{{r|手持無沙汰|てもちぶさた}}なので、向うで{{r|御這入|おはひ}}りといふまで、默つて{{r|門口|かどぐち}}に立つてゐた{{r|滑稽|こつけい}}もあつた。……<br/>  古い額を眺めた健三は、子供の時の自分に明かな記憶の探照燈を向けた。さうして夫程世話になつた姊夫婦に、今は大した好意を{{r|有|も}}つ事が出來にくゝなつた自分を不快に感じた。<br/> 「近頃は{{r|身體|からだ}}の具合はどうです。あんまり{{r|非道|ひど}}く起る事もありませんか」<br/>  彼は自分の前に{{r|坐|すわ}}つた姊の顏を見ながら斯う{{r|訊|たず}}ねた。<br/> 「えゝ有難う。御蔭さまで陽氣が{{r|好|い}}いもんだから、まあ何うか斯うか家の事丈は遣つてるんだけれども、――でも矢つ張り年が年だからね。とても昔しのやうにがせいに働く事は出來ないのさ。昔健ちやんの{{r|遊|あす}}びに來てくれた時分にや、隨分{{r|尻|しり}}ツ{{r|端折|ぱしよ}}りで、夫こそ{{r|御釜|おかま}}の御尻まで洗つたもんだが、今ぢやとてもそんな元氣はありやしない。だけど御蔭樣で斯う遣つて每日牛乳も飲んでるし……」<br/>  健三は{{r|些少|させう}}ながら月々いくらかの小遣を姊に{{r|遣|や}}る事を忘れなかつたのである。<br/> 「少し{{r|瘦|や}}せた樣ですね」<br/> 「なに是や{{r|私|あたし}}の{{r|持前|もちまへ}}だから仕方がない。昔から{{r|肥|ふと}}つた事のない女なんだから。矢張つり{{r|癇|かん}}が強いもんだからね。癇で肥る事が出來ないんだよ」<br/>  姊は肉のない細い腕を{{r|捲|まく}}つて健三の前に出して見せた。大きな落ち込んだ彼女の眼の下を薄黑い半圓形の{{r|暈|かさ}}が、{{r|怠|だる}}さうな皮で{{r|物憂|ものう}}げに染めてゐた。健三は默つてそのぱさ〱した手の平を見詰めた。<br/> 「でも健ちやんは立派になつて本當に結構だ。御前さんが外國へ行く時なんか、もう二度と生きて會ふ事は{{r|六|む}}づかしからうと思つてたのに、それでもよくまあ達者で歸つて來られたのね。{{r|御父|おとつ}}さんや{{r|御母|おつか}}さんが生きて御出だつたらさぞ御喜びだらう」<br/>  姊の眼にはいつか淚が{{r|溜|たま}}つてゐた。姊は健三の子供の時分、「今に姊さんに御金が出來たら、健ちやんに何でも好なものを買つて上げるよ」と{{r|口癖|くちくせ}}のやうに云つてゐた。さうかと思ふと、「斯んな{{r|偏窟|へんくつ}}ぢや此子はとても物にやならない」とも云つた。健三は姊の昔の言葉やら語氣やらを思ひ浮べて、心の中で苦笑した。<br/> <br/><noinclude></noinclude> 16ga4tlst142h6ubuzikz2049gt43h1 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/37 250 56241 241778 2026-04-27T03:56:28Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「 五<br/> <br/>  そんな古い記憶を{{r|喚|よ}}び起すにつけても、久しく會はなかつた姊の老けた樣子が{{r|一層|ひとしお}}健三の眼についた。<br/> 「時に姊さんは幾何でしたかね」<br/> 「もう{{r|御婆|おばあ}}さんさ。取つて{{r|一|いち}}だもの御前さん」<br/>  姊は黃色い{{r|疎|まば}}らな齒を出して笑つて見せた。實際五十一とは健三にも意外であつた…」 241778 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude> 五<br/> <br/>  そんな古い記憶を{{r|喚|よ}}び起すにつけても、久しく會はなかつた姊の老けた樣子が{{r|一層|ひとしお}}健三の眼についた。<br/> 「時に姊さんは幾何でしたかね」<br/> 「もう{{r|御婆|おばあ}}さんさ。取つて{{r|一|いち}}だもの御前さん」<br/>  姊は黃色い{{r|疎|まば}}らな齒を出して笑つて見せた。實際五十一とは健三にも意外であつた。<br/> 「すると{{r|私|わたし}}とは{{r|一廻|ひとまはり}}以上違ふんだね。私やまた精々違つて{{r|十|とを}}か十一だと思つてゐた」<br/> 「どうして一廻どころか。健ちやんとは十六違ふんだよ、姊さんは。{{r|良人|うち}}が羊の{{r|三碧|さんぺき}}で姊さんが{{r|四綠|しろく}}なんだから。健ちやんは{{r|慥|たし}}か{{r|七赤|しちせき}}だつたね」<br/> 「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」<br/> 「繰つて見て御覽、屹度七赤だから」<br/>  健三はどうして自分の星を繰るのか、それさへ知らなかつた。{{r|年齡|とし}}の話はそれぎり已めてしまつた。<br/> 「今日は御留守なんですか」と{{r|比田|ひだ}}の事を{{r|訊|き}}いて見た。<br/> 「{{r|昨夕|ゆうべ}}も{{r|宿直|とまり}}でね。なに自分の分だけなら月に三度か{{r|四度|よど}}で濟むんだけれども、{{r|他|ひと}}に賴まれるもんだからね。それに一晚でも餘計泊りさえすればやつぱり若干かになるだらう、それでつい{{r|他|ひと}}の分まで引受ける氣にもなるのさ。この頃ぢや彼方へ{{r|寐|ね}}るのと此方へ歸るのと、まあ半々位なものだらう。ことによると、{{r|向|むか}}うへ泊る方が却つて多いかも知れないよ」<br/>  健三は默つて障子の{{r|傍|そば}}に据ゑてある比田の机を眺めた。{{r|硯箱|すゝりばこ}}や{{r|狀袋|じようぶくろ}}や卷紙がきちりと行儀よく竝んでゐる傍に、簿記用の帳面が赤い{{r|脊皮|せがわ}}を此方へ向けて、二三冊立て懸けてあつた。それから{{r|綺麗|きれい}}に光つた小さい{{r|算盤|そろばん}}も其下に置いてあつた。<br/>  {{r|噂|うはさ}}によると比田は此頃變な女に關係をつけて、それを自分の勤め先のつい近くに圍つてゐるといふ{{r|評番|ひやうばん}}であつた。{{r|宿直|とまり}}だ宿直だといつて{{r|宅|うち}}へ歸らないのは、或はその所爲ぢやなからうかと健三には思へた。<br/> 「比田さんは近頃どうです。{{r|大分|だいぶ}}年を取つたから元とは違つて{{r|眞面目|まじめ}}になつたでせう」<br/> 「なに矢つ張り相變らずさ。ありや一人で遊ぶために生れて來た男なんだから仕方がないよ。やれ{{r|寄席|よせ}}だ、やれ{{r|芝居|しばゐ}}だ、やれ相撲だつて、御金さへありや年が年中飛んで步いてるんだからね。でも奇體なもんで、年のせいだか何だか知らないが、昔に比べると、少しは{{r|優|やさ}}しくなつたやうだよ。もとは健ちやんも知つてる通りの始末で、隨分{{r|烈|はげ}}しかつたもんだがね。{{r|蹴|け}}つたり、{{r|敲|たゝ}}いたり、髮の毛を持つて座敷中{{r|引摺|ひつずり}}廻したり……」<br/> 「其代り姊さんも負けてる方ぢやなかつたんだからな」<br/> 「なに{{r|妾|あたし}}や手出しなんかした事あ、ついの一度だつてありやしない」<br/>  健三は勝氣な姊の昔を考へ出してつい{{r|可笑|おか}}しくなつた。二人の立ち廻りは今姊の自白するやうに受身のものばかりでは決してなかつた。ことに口は姊の方が比田に比べると十倍も達者だつた。それにしても此利かぬ氣の姊が、夫に{{r|騙|だま}}されて、彼が宅へ歸らない以上、屹度會社へ泊つてゐるに違いないと信じ切つてゐるのが妙に{{r|不憫|ふびん}}に思はれて來た。<br/><noinclude></noinclude> 8981oz2b2xwqsed0rtv0v22jisngs38 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/38 250 56242 241779 2026-04-27T03:57:09Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「「久しぶりに何か{{r|奢|おご}}りませうか」と姊の顏を眺めながら云つた。<br/> 「ありがと、今{{r|御鮨|おすし}}をさういつたから、珍らしくもあるまいけれども、食べてつて御吳れ」<br/>  姊は客の顏さへ見れば、時間に關係なく、何か食はせなければ承知しない女であつた。健三は仕方がないから{{r|尻|しり}}を{{r|落付|おちつ}}けてゆつくり腹の中…」 241779 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>「久しぶりに何か{{r|奢|おご}}りませうか」と姊の顏を眺めながら云つた。<br/> 「ありがと、今{{r|御鮨|おすし}}をさういつたから、珍らしくもあるまいけれども、食べてつて御吳れ」<br/>  姊は客の顏さへ見れば、時間に關係なく、何か食はせなければ承知しない女であつた。健三は仕方がないから{{r|尻|しり}}を{{r|落付|おちつ}}けてゆつくり腹の中に持つて來た話を姊に切り出す氣になつた。<br/> <br/>  六<br/> <br/>  近頃の健三は頭を餘計{{r|遣|つか}}ひ過ぎる所爲か、どうも胃の具合が好くなかつた。時々思ひ出したやうに運動して見ると、胸も腹も却つて重くなる丈であつた。彼は要心して三度の食事以外には成るべく物を口へ入れないやうに心掛てゐた。それでも姊の{{r|惡強|わるじひ}}には{{r|敵|かな}}はなかつた。<br/> 「{{r|海苔卷|のりまき}}なら{{r|身體|からだ}}に{{r|障|さは}}りやしないよ。折角姊さんが健ちやんに{{r|御馳走|ごちそう}}しようと思つて取つたんだから、是非食べて御吳れな。{{r|厭|いや}}かい」<br/>  健三は仕方なしに{{r|旨|うま}}くもない海苔卷を{{r|頬張|ほゝば}}つて、{{r|好|い}}い加減{{r|烟草|タバコ}}で荒らされた口のうちをもぐ〱させた。<br/>  姊が餘り{{r|饒舌|しやべ}}るので、彼は何時までも自分の云ひたい事が云へなかつた。{{r|訊|き}}きたい問題を持つてゐながら、斯う受身な會話ばかりしてゐるのが、彼には段々むづ{{r|痒|がゆ}}くなつて來た。然し姊にはそれが一向通じないらしかつた。<br/>  {{r|他|ひと}}に物を食はせる事の好きなのと同時に、物を{{r|遣|や}}る事の好きな彼女は、健三が此前{{r|賞|ほ}}めた古ぼけた{{r|達磨|だるま}}の掛物を彼に遣ろうかと云ひ出した。<br/> 「あんなものあ、{{r|宅|うち}}にあつたつて仕方がないんだから、持つて御出でよ。なに{{r|比田|ひだ}}だつて{{r|要|い}}りやしないやね、汚ない達磨なんか」<br/>  健三は{{r|貰|もら}}ふとも貰はないとも云はずにたゞ苦笑してゐた。すると姊は何か祕密話でもするやうに急に調子を低くした。<br/> 「實は健ちやん、御前さんが歸つて來たら、話さう〱と思つて、つい{{r|今日|けふ}}まで默つてたんだがね。健ちやんも歸りたてゞさぞ忙がしからうし、それに姊さんが出掛けて行くにしたところで、お{{r|住|すみ}}さんが居ちや、少し話し{{r|惡|にく}}い事だしね。さうかつて、手紙を書かうにも御存じの無筆だらう……」<br/>  姊の{{r|前置|まへおき}}は長たらしくもあり、又{{r|滑稽|こつけい}}でもあつた。小さい時分いくら手習をさせても{{r|記憶|おぼえ}}が惡くつて、どんなに{{r|平易|やさ}}しい字も、とう〱頭へ{{r|這入|はい}}らず仕舞に、五十の{{r|今日|こんにち}}まで生きて來た女だと思ふと、健三にはわが姊ながら氣の毒でもあり又うら恥づかしくもあつた。<br/> 「それで姊さんの話つてえな、一體どんな話なんです。實は{{r|私|わたし}}も今日は少し姊さんに話があつて來たんだが」<br/> 「さうかいそれぢや御前さんの方のから先へ聽くのが順だつたね。{{r|何故|なぜ}}早く話さなかつたの」<br/> 「だつて話せないんだもの」<br/> 「そんなに遠慮しないでもいゝやね。{{r|姊弟|きやうだい}}の間ぢやないか、御前さん」<br/>  姊は自分の多辯が相手の口を{{r|塞|ふさ}}いでゐるのだといふ明白な事實には{{r|毫|がう}}も氣が付いてゐなかつた。<br/> 「まあ姊さんの方から先へ片付けませう。何ですか、あなたの話つていふのは」<br/><noinclude></noinclude> c7n2525zncmbl4v12kyst64bir28d5v Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/39 250 56243 241780 2026-04-27T03:57:57Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「「實は健ちやんにはまことに氣の毒で、云ひ惡いんだけれども、あたしも段々年を取つて身體は弱くなるし、それに{{r|良人|うち}}があの通りの男で、自分一人さえ好けりや女房なんか何うなつたつて、{{r|己|おれ}}の知つた事ぢやないつて顏をしてゐるんだから。――{{r|尤|もつと}}も月々の{{r|取高|とりだか}}が少ない上に、{{r|交際|つきあひ}}もある…」 241780 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>「實は健ちやんにはまことに氣の毒で、云ひ惡いんだけれども、あたしも段々年を取つて身體は弱くなるし、それに{{r|良人|うち}}があの通りの男で、自分一人さえ好けりや女房なんか何うなつたつて、{{r|己|おれ}}の知つた事ぢやないつて顏をしてゐるんだから。――{{r|尤|もつと}}も月々の{{r|取高|とりだか}}が少ない上に、{{r|交際|つきあひ}}もあるんだから、仕方がないと云へば夫迄だけれどもね……」<br/>  姊の云ふ事は女丈に隨分曲りくねつてゐた。中々か容易な事で目的地へ達しさうになかつたけれども、其主意は健三によく解つた。つまり月々遣る{{r|小遣|こづかひ}}をもう少し{{r|增|ま}}してくれといふのだらうと思つた。今でさへそれをよく夫から借りられてしまふといふ話を耳にしてゐる彼には、此請求が{{r|憐|あわ}}れでもあり、又腹立たしくもあつた。<br/> 「どうか姊さんを助けると思つてね。姊さんだつて此身體ぢやどうせ長い事もあるまいから」<br/>  これが姊の口から出た最後の言葉であつた。健三はそれでも{{r|厭|いや}}だとは云ひかねた。<br/> <br/>  七<br/> <br/>  彼はこれから{{r|宅|うち}}へ歸つて今夜中に片付けなければならない{{r|明日|あした}}の仕事を{{r|有|も}}つてゐた。時間の價値といふものを少しも認めない此姊と{{r|對坐|たいざ}}して、{{r|何時|いつ}}までも、べん〱と{{r|喋舌|しやべ}}つてゐるのは、彼にとつて多少の苦痛に違なかつた。彼は{{r|好加減|いゝかげん}}に歸らうとした。さうして歸る間際になつてやつと帽子を{{r|被|かぶ}}らない男の事を云ひ出した。<br/> 「實は此間島田に會つたんですがね」<br/> 「へえ何處で」<br/>  姊は{{r|吃驚|びつくり}}したやうな聲を出した。姊は無教育な東京ものによく見るわざとらしい仰山な表情をしたがる女であつた。<br/> 「{{r|太田|おほた}}の{{r|原|はら}}の{{r|傍|そば}}です」<br/> 「ぢや御前さんのぢき近所ぢやないか。どうしたい、何か言葉でも掛けたかい」<br/> 「掛けるつて、別に言葉の掛けやうもないんだから」<br/> 「そうさね。健ちやんの方から何とか云はなきや、{{r|向|むか}}うで口なんぞ{{r|利|き}}けた義理でもないんだから」<br/>  姊の言葉は出來るだけ健三の意を迎へるやうな調子であつた。彼女は健三に「どんな{{r|服裝|なり}}をしてゐたい」と{{r|訊|き}}き足した後で、「ぢや矢つ張り樂でもないんだね」と云つた。{{r|其所|そこ}}には多少の同情も{{r|籠|こも}}つてゐるやうに見えた。然し男の昔を話し出した時にはさも〱{{r|惡|にく}}らしさうな語氣を用ひ始めた。<br/> 「なんぼ{{r|因業|いんごふ}}だつて、あんな因業な人つたらありやしないよ。今日が期限だから、是が非でも取つて行くつて、いくら言譯を云つても、{{r|坐|すわ}}り込んで{{r|動|いご}}かないんだもの。仕舞にこつちも腹が立つたから、お氣の毒さま、御金はありませんが、品物で好ければ、{{r|御鍋|おなべ}}でも{{r|御釜|おかま}}でも持つてつて下さいつて云つたらね、ぢや釜を持つてくつて云ふんだよ。あきれるぢやないか」<br/> 「釜を持つて行くつたつて、重くつてとても持てやしないでせう」<br/> 「ところがあの{{r|業突張|ごふつくばり}}の事だから、どんな事をして持つてかないとも限らないのさ。そら其日の御飯をあたしに{{r|炊|た}}かせまいと思つて、さういふ意地の惡い事をする人なんだからね。どうせ先へ寄つて{{r|好|い}}い事あ<noinclude></noinclude> f2j1paz2lv70g336xh32zuyheq6rekt Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/40 250 56244 241781 2026-04-27T03:58:35Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「ない筈だあね」<br/>  健三の耳には此話がたゞの{{r|滑稽|こつけい}}としては聞こえなかつた。其人と姊との間に起つた斯んな交涉のなかに{{r|引絡|ひつから}}まつてゐる古い自分の影法師は、彼に取つて{{r|可笑|おか}}しいといふよりも寧ろ悲しいものであつた。<br/> 「{{r|私|わたし}}や島田に二度會つたんですよ、姊さん。是から先又何時會ふか分ら…」 241781 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>ない筈だあね」<br/>  健三の耳には此話がたゞの{{r|滑稽|こつけい}}としては聞こえなかつた。其人と姊との間に起つた斯んな交涉のなかに{{r|引絡|ひつから}}まつてゐる古い自分の影法師は、彼に取つて{{r|可笑|おか}}しいといふよりも寧ろ悲しいものであつた。<br/> 「{{r|私|わたし}}や島田に二度會つたんですよ、姊さん。是から先又何時會ふか分らないんだ」<br/> 「いゝから知らん顏をして御出でよ。何度會つたつて構はないぢやないか」<br/> 「然し、わざ〱{{r|彼所|あすこ}}いらを通つて、私の{{r|宅|うち}}でも探してゐるんだか、また用があつて通りがゝりに偶然出つくはしたんだか、それが分らないんでね」<br/>  此疑問は姊にも解けなかつた。彼女はたゞ健三に都合の好ささうな言葉を無意味に使つた。それが健三には{{r|空御世辭|からおせじ}}のごとく響いた。<br/> 「此方へは其後丸で來ないんですか」<br/> 「あゝこの二三年は丸つきり來ないよ」<br/> 「其前は?」<br/> 「其前はね、ちよく〱つてほどでもないが、それでも時々は來たのさ。それが又可笑しいんだよ。來ると何時でも十一時頃でね。{{r|鰻飯|うなぎめし}}かなにか食べさせないと決して歸らないんだからね。三度の御まんまを{{r|一|ひと}}かたけでも{{r|好|い}}いから{{r|他|ひと}}の{{r|家|うち}}で食べようつて云ふのがつまりあの人の腹なんだよ。其癖{{r|服裝|なり}}なんか可なりなものを着てゐるんだがね。……」<br/>  姊のいふ事は脫線しがちであつたけれども、それを聽いてゐる健三には、矢張り金錢上の問題で、自分が東京を去つたあとも、なほ多少の交際が二人の間に持續されてゐたのだといふ見當はついた。然しそれ以上何も知る事は出來なかつた。目下の島田に就いては全く分らなかつた。<br/> <br/>  八<br/> <br/> 「島田は今でも元の處に住んでゐるんだらうか」<br/>  斯んな簡單な質問さへ姊には{{r|判然|はつきり}}答へられなかつた。健三は少し{{r|的|あて}}が外れた。けれども自分の方から進んで島田の現在の{{r|居所|ゐどころ}}を突き留めようと迄は思つてゐなかつたので、大した失望も感じなかつた。彼は此場合まだ夫程の{{r|手數|てかず}}を盡す必要がないと信じてゐた。たとひ盡すにした所で、一種の好奇心を滿足するに過ぎないとも考へてゐた。其上今の彼は斯ういふ好奇心を{{r|輕蔑|けいべつ}}しなければならなかつた。彼の時間はそんな事に使用するには餘りに高價すぎた。<br/>  彼はたゞ想像の眼で、子供の時分見た其人の家と、其家の周圍とを、心のうちに思ひ浮べた。<br/>  {{r|其所|そこ}}には往來の片側に幅の廣い大きな堀が一丁も續いてゐた。水の變らない其堀の中は腐つた泥で不快に濁つてゐた。所々に{{r|蒼|あを}}い色が{{r|湧|わ}}いて{{r|厭|いや}}な{{r|臭|にほひ}}さえ彼の鼻を襲つた。彼はその{{r|汚|きた}}ならしい{{r|一廓|いつくわく}}を――{{r|樣|さま}}の御屋敷といふ名で覺えてゐた。<br/>  堀の向う側には長屋がずつと竝んでゐた。其長屋には一軒に一つ位の割で四角な暗い窓が開けてあつた。石垣とすれ〱に建てられた此長屋が何處迄も續いてゐるので、御屋敷のなかは丸で見えなかつた。<br/>  此お屋敷と反對の側には小さな{{r|平家|ひらや}}が{{r|疎|まば}}らに竝んでゐた。古いのも新しいのもごちや〱に{{r|交|まじ}}つてゐた<noinclude></noinclude> pw9onjfncnall5qu0whyyz2x2qvce36 Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/41 250 56245 241782 2026-04-27T03:59:25Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「其町並は無論{{r|不揃|ぶそろ}}であつた。老人の齒のやうに所々が空いてゐた。その空いてゐる所を少し許り買つて島田は彼の{{r|住居|すまひ}}を{{r|拵|こしら}}へたのである。<br/>  健三はそれが何時出來上つたか知らなかつた。然し彼が始めてそこへ行つたのは新築後まだ間もないうちであつた。{{r|四間|よま}}しかない狹い家だつたけれども、{{r|木…」 241782 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude>其町並は無論{{r|不揃|ぶそろ}}であつた。老人の齒のやうに所々が空いてゐた。その空いてゐる所を少し許り買つて島田は彼の{{r|住居|すまひ}}を{{r|拵|こしら}}へたのである。<br/>  健三はそれが何時出來上つたか知らなかつた。然し彼が始めてそこへ行つたのは新築後まだ間もないうちであつた。{{r|四間|よま}}しかない狹い家だつたけれども、{{r|木口|きぐち}}抔は可成吟味してあるらしく子供の眼にも見えた。間取にも工夫があつた。六疊の座敷は東向で、松葉を敷き詰めた狹い庭に、大き過ぎるほど立派な{{r|御影|みかげ}}の{{r|石燈籠|いしどうろう}}が据ゑてあつた。<br/>  {{r|綺麗好|きれいず}}きな島田は、自分で{{r|尻端折|しりはしを}}りをして、絕えず{{r|濡雜巾|ぬれざふきん}}を緣側や柱へ掛けた。それから{{r|跣足|はだし}}になつて、南向の居間の{{r|前栽|せんざい}}へ出て、{{r|草毟|くさむし}}りをした。あるときは{{r|鍬|くは}}を使つて、{{r|門口|かどぐち}}の{{r|泥溝|どぶ}}も{{r|浚|さら}}つた。其泥溝には長さ四尺ばかりの木の橋が懸つてゐた。<br/>  島田はまた此{{r|住居|すまひ}}以外に粗末な貸家を一軒建てた。さうして雙方の家の間を通り拔けて裏へ出られるやうに三尺ほどの{{r|路|みち}}を付けた。裏は野とも{{r|畠|はた}}とも片のつかない溼地であつた。草を踏むとじく〱水が出た。一番{{r|凹|へこ}}んだ所などは{{r|始終|しよつちゆう}}淺い池のやうになつてゐた。島田は追々其所へも小さな貸家を建てる積でゐるらしかつた。然し其企ては何時までも實現されなかつた。冬になると{{r|鴨|かも}}が{{r|下|お}}りるから、今度は一つ捕つてやろうなどと云つてゐた。……<br/>  健三は斯ういふ昔の記憶をそれからそれへと繰り返した。今其所へ行つて見たら定めし驚くほど變つてゐるだらうと思ひながら、彼はなほ二十年前の光景を{{r|今日|こんにち}}の事のやうに考へた。<br/> 「ことによると、{{r|良人|うち}}では年始狀位まだ出してゐるかも知れないよ」<br/>  健三の歸る時、姊は斯んな事を云つて、{{r|暗|あん}}に{{r|比田|ひだ}}の戾る迄話して行けと勸めたが、彼にはそれ程の必要もなかつた。<br/>  彼は其日{{r|無沙汰|ぶさた}}見舞かた〲{{r|市ヶ谷|いちがや}}の{{r|藥王寺|やくわうじ}}前にゐる兄の{{r|宅|うち}}へも寄つて、島田の事を{{r|訊|き}}いて見ようかと考へてゐたが、時間の遲くなつたのと、どうせ訊いたつて仕方がないといふ氣が次第に強くなつたのとで、それなり{{r|駒込|こまごめ}}へ歸つた。其晚は又{{r|翌日|あくるひ}}の仕事に{{r|忙殺|ばうさつ}}されなければならなかつた。さうして島田の事は丸で忘れてしまつた。<br/> <br/>  九<br/> <br/>  彼はまた{{r|平生|へいぜい}}の我に歸つた。活力の大部分を舉げて自分の職業に使う事が出來た。彼の時間は靜かに流れた。然し其靜かなうちには始終いら〱するものがあつて、絕えず彼を苦しめた。遠くから彼を眺めてゐなければならなかつた細君は、別に手の出しやうもないので、澄ましてゐた。それが健三には妻にあるまじき冷淡としか思へなかつた。細君はまた心の{{r|中|うち}}で彼と同じ非難を夫の上に投げ掛けた。夫の書齋で暮らす時間が多くなればなる程、夫婦間の交涉は、用事以外に少くならなければならない筈だと云ふのが細君の方の理窟であつた。<br/>  彼女は自然の勢ひ健三を一人書齋に遺して置いて、子供丈を相手にした。其子供たちはまた滅多に書齋へ{{r|這入|はい}}らなかつた。たまに這入ると、屹度何か{{r|惡戲|いたづら}}をして健三に{{r|叱|しか}}られた。彼は子供を叱る癖に、自分の{{r|傍|そば}}へ寄り付かない彼らに對して、やはり一種の物足りない心持を{{r|抱|いだ}}いてゐた。<br/><noinclude></noinclude> lxt6sgiox7sjhdikj8f5uthp5nn1yab Page:NDL1193042 漱石全集 第9巻 (心・道草) part2.pdf/42 250 56246 241783 2026-04-27T04:00:00Z AntiquatedMan2025 44229 /* 未校正 */ ページの作成:「 一週間後の日曜が來た時、彼は丸で外出しなかつた。氣分を變へるため四時頃{{r|風呂|ふろ}}へ行つて歸つたら、急にうつとりした{{r|好|い}}い氣持に襲はれたので、彼は手足を疊の上へ伸ばしたまゝ、つい{{r|假寐|うたゝね}}をした。さうして{{r|晚食|ばんめし}}の時刻になつて、細君から起される迄は、首を切られた人のやうに何事も知らなかつた…」 241783 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="1" user="AntiquatedMan2025" /></noinclude> 一週間後の日曜が來た時、彼は丸で外出しなかつた。氣分を變へるため四時頃{{r|風呂|ふろ}}へ行つて歸つたら、急にうつとりした{{r|好|い}}い氣持に襲はれたので、彼は手足を疊の上へ伸ばしたまゝ、つい{{r|假寐|うたゝね}}をした。さうして{{r|晚食|ばんめし}}の時刻になつて、細君から起される迄は、首を切られた人のやうに何事も知らなかつた。然し起きて{{r|膳|ぜん}}に向つた時、彼には{{r|微|かす}}かな寒氣が{{r|脊筋|せすぢ}}を上から下へ傳はつて行くような感じがあつた。その後で{{r|烈|はげ}}しい{{r|嚏|くさみ}}が二つ程出た。傍にゐる細君は默つてゐた。健三も何も云はなかつたが、腹の中では斯うした同情に乏しい細君に對する{{r|厭|いや}}な心持を意識しつゝ{{r|箸|はし}}を取つた。細君の方ではまた夫が{{r|何故|なぜ}}自分に何もかも隔意なく話して、{{r|能働的|のうどうてき}}に細君らしく振舞はせないのかと、その方を却つて不愉快に思つた。<br/>  其晚彼は明かに多少{{r|風邪|かぜ}}氣味であるといふ事に氣が付いた。用心して早く{{r|寐|ね}}ようと思つたが、ついしかけた仕事に妨げられて、十二時過迄起きてゐた。彼の床に入る時には家內のものはもう皆寐てゐた。熱い{{r|葛湯|くずゆ}}でも飲んで、發汗したい希望をもつてゐた健三は、已むを得ず其儘冷い夜具の{{r|裏|うち}}に{{r|潛|もぐ}}り込んだ。彼は例にない寒さを感じて、寐付が大變惡かつた。然し頭腦の疲勞は程なく彼を深い眠の境に誘つた。<br/>  {{r|翌日|あくるひ}}眼を覺した時は存外安靜であつた。彼は床の中で、風邪はもう{{r|癒|なほ}}つたものと考へた。然し愈起きて顏を洗ふ段になると、何時もの冷水摩擦が退儀な位{{r|身體|からだ}}が{{r|倦怠|だる}}くなつてきた。勇氣を{{r|鼓|こ}}して食卓に着いて見たが、{{r|朝食|あさめし}}は少しも{{r|旨|うま}}くなかつた。いつもは規定として三膳食べる所を、其日は一膳で濟ました{{r|後|あと}}、梅干を熱い茶の中に入れてふう〱吹いて{{r|呑|の}}んだ。然し其意味は彼自身にも解らなかつた。此時も細君は健三の傍に坐つて給仕をしてゐたが、別に何も云はなかつた。彼には其態度がわざと冷淡に構へてゐる技巧の如く見えて多少腹が立つた。彼はことさらな{{r|咳|せき}}を二度も三度もして見せた。夫でも細君は依然として取り合はなかつた。<br/>  健三はさつさと頭から{{r|白襯衣|ワイシヤツ}}を{{r|被|かぶ}}つて洋服に着換へたなり例刻に{{r|宅|うち}}を出た。細君は何時もの通り帽子を持つて夫を玄關まで送つて來たが、此時の彼には、それがたゞ形式丈を重んずる女としか受取れなかつたので、彼は猶厭な心持がした。<br/>  外ではしきりに{{r|惡感|をかん}}がした。舌が重々しくぱさついて、熱のある人のやうに身體全體が{{r|倦怠|けだる}}かつた。彼は自分の脈を取つて見て、其早いのに驚いた。{{r|指頭|しとう}}に觸れるピン〱いふ音が、秒を刻む{{r|袂時計|たもとどけい}}の音と{{r|錯綜|さくそう}}して、彼の耳に異樣な節奏を傳へた。それでも彼は我慢して、爲る丈の仕事を外でした。<br/> <br/>  十<br/> <br/>  彼は例刻に{{r|宅|うち}}へ歸つた。洋服を着換へる時、細君は何時もの通り、彼の{{r|不斷着|ふだんぎ}}を持つた儘、彼の{{r|傍|そば}}に立つてゐた。彼は不快な顏をして其方を向いた。<br/> 「床を取つて吳れ。{{r|寐|ね}}るんだ」<br/> 「はい」<br/>  細君は彼のいふが儘に床を延べた。彼はすぐ其中に入つて寐た。彼は自分の{{r|風邪氣|かぜけ}}の事を一口も細君に云はなかつた。細君の方でも一向{{r|其所|そこ}}に注意してゐない樣子を見せた。それで雙方とも腹の中には不平があつた。<br/>  健三が眼を{{r|塞|ふさ}}いでうつら〱してゐると、細君が枕元へ來て彼の名を呼んだ。<br/><noinclude></noinclude> 4qjrw5ftilzs13l5pljurwm3pypa6g7 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第122章 ラトロニアヌス 0 56247 241784 2026-04-27T05:59:27Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Latronianus]] を翻訳 241784 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第122章 ラトロニアヌス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第121章 司教プリスキリアヌス|第121章 司教プリスキリアヌス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第123章 ティベリアヌス|第123章 ティベリアヌス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Latronianus|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Latronianus]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 122}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第122章== << ラトロニアヌス >> スペイン出身のラトロニアヌス<ref>385年に死去。</ref>は、博識で、詩作においては古代の詩人たちに匹敵するほどの才能の持ち主であったが、プリスキリアヌス、フェリキッシムス、ユリアヌス、エウクロティアらと共に、分裂の共謀者としてトリーアで処刑された。彼の才能の結晶である様々な韻律の詩が現存している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第122章 ラトロニアヌス#第122章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Latronianus]] を翻訳 --> jiby3hphml2mdxspeh64hngvg7644ck ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第123章 ティベリアヌス 0 56248 241785 2026-04-27T06:09:20Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Tiberianus]] を翻訳 241785 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第123章 ティベリアヌス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第122章 ラトロニアヌス|第122章 ラトロニアヌス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第124章 司教アンブロシウス|第124章 司教アンブロシウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Tiberianus|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Tiberianus]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 123}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第123章== << ティベリアヌス >> ティベリアヌス<ref>4世紀末。</ref>は、プリスキリアヌスの異端説に賛同しているという示唆に対し、大げさで雑多な言葉で弁明書を書いた。しかし、友人たちの死後、流刑生活の退屈さに耐えかねた彼は、聖書に「犬が自分の吐いた物に戻る」とあるように考えを変え、キリストに献身した処女の修道女と結婚した。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第123章 ティベリアヌス#第123章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Tiberianus]] を翻訳 --> 7a6u8ekqq25cb0n6l8zbve8xkf838fp ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第124章 司教アンブロシウス 0 56249 241786 2026-04-27T06:22:02Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the bishop]] を翻訳 241786 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第124章 司教アンブロシウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第123章 ティベリアヌス|第123章 ティベリアヌス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第125章 司教エヴァグリオス|第125章 司教エヴァグリオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 124}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第124章== << 司教アンブロシウス >> ミラノの司教アンブロシウス<ref>340年頃生まれ、374年に洗礼を受け、397年に死去。</ref>は、現在も執筆活動を続けている。私は彼に対する判断を保留する。なぜなら、彼がまだ生きているため、褒めたり非難したりすれば、一方ではお世辞を言っていると非難され、他方では真実を語ったと非難される恐れがあるからだ。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第124章 司教アンブロシウス#第124章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the bishop]] を翻訳 --> 5y9ro4w68brx5p8czg4itwo6gjrgw6y ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第125章 司教エヴァグリオス 0 56250 241787 2026-04-27T06:34:18Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Evagrius the bishop]] を翻訳 241787 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第125章 司教エヴァグリオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第124章 司教アンブロシウス|第124章 司教アンブロシウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス|第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Evagrius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Evagrius the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 125}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第125章== << 司教エヴァグリオス >> アンティオキアの司教エヴァグリオス<ref>388年にアンティオキアの司教、393年没。</ref>は、非常に鋭い知性の持ち主で、まだ司祭であった頃、未発表の様々なテーマに関する論文を私に読んで聞かせてくれた。また、アタナシオスのギリシャ語の『聖アントニオスの生涯』を私たちの言語に翻訳してくれた。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第125章 司教エヴァグリオス#第125章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Evagrius the bishop]] を翻訳 --> t1qyjfbk391f1g9u8iu5eltiqjmhyze ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス 0 56251 241788 2026-04-27T06:48:35Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the disciple of Didymus]] を翻訳 241788 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第125章 司教エヴァグリオス|第125章 司教エヴァグリオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教|第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the disciple of Didymus|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the disciple of Didymus]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 126}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第126章== << ディデュモスの弟子アンブロシウス >> ディディモスの弟子であるアレクサンドリアのアンブロシウス<ref>392年以後に死去。</ref>は、『アポリナリオスに対する教義論』という長編の著作を著し、最近誰かが私に教えてくれたところによると、『ヨブ記注解』も著した。彼はまだ存命である。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス#第126章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Ambrose the disciple of Didymus]] を翻訳 --> 2c46gysxz92sjvondtmxdf37iev9m6s 241790 241788 2026-04-27T07:06:28Z 村田ラジオ 14210 校正 241790 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第125章 司教エヴァグリオス|第125章 司教エヴァグリオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教|第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 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notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Maximus, first philosopher, then bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Maximus, first philosopher, then bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 127}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第127章== << マクシモス、最初は哲学者、その後司教 >> アレクサンドリア生まれの哲学者マクシモス<ref>シニック派(犬儒学派)、379年に司教。</ref>は、コンスタンティノープルで司教に叙任され、その後罷免されたが、『アリウス派に反対する信仰論』という注目すべき著作を著し、ミラノでグラティアヌス皇帝に献上した。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教#第127章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Maximus, first philosopher, then bishop]] を翻訳 --> 9rcr6eyp2qasg6f05lhr93k65g742kd ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある 0 56253 241791 2026-04-27T07:19:20Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Another Gregory, also a bishop]] を翻訳 241791 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教|第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第129章 長老ヨハネ|第129章 長老ヨハネ]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Another Gregory, also a bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Another Gregory, also a bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 128}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第128章== << もう一人のグレゴリオス、司教でもある >> ニュッサの司教グレゴリオス<ref>339~342年に生まれ、372年に司教となり、376年に罷免され、378年に復位し、394年以降に死去。</ref>は、カイサリアのバシレイオスの兄弟であり、数年前にグレゴリオス・ナジアンゼンと私にエウノミオスに反対する著作を読み聞かせた。彼は他にも多くの著作を書いており、今も執筆活動を続けていると言われている。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある#第128章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Another Gregory, also a bishop]] を翻訳 --> 4bqun0fb4tppnmgeg7dfbiqmmu461zf ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス 0 56254 241792 2026-04-27T07:42:25Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Firmianus the rhetorician, surnamed Lactantius]] を翻訳 241792 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第79章 弁論学者アルノビウス|第79章 弁論学者アルノビウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第81章 司教エウセビオス|第81章 司教エウセビオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Firmianus the rhetorician, surnamed Lactantius|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Firmianus the rhetorician, surnamed Lactantius]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 080}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第80章== << 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス >> アルノビウスの弟子で、ラクタンティウスとしても知られるフィルミアヌス<ref>325年に死去。</ref>は、ディオクレティアヌス帝の治世中に、詩「医学について」が現存する文法学者フラウィウスと共にニコメディアに召喚され、そこで修辞学を教えたが、生徒がいなかったため(そこはギリシャの都市であったため)、自ら執筆活動を行った。我々の手元には、彼が若い頃にアフリカで書いた『宴会』、アフリカからニコメディアへの旅程を六歩格で書いた『旅程』、そして『文法家』と呼ばれる別の本、さらに『神の怒りと諸国民に対する神の制度について』という非常に美しい本、7巻、そして同じ作品の要約が1巻にまとめられ、タイトルはありません<ref>タイトルなし「最後の3巻だけをまとめたもの」とケイブは説明する。スミスとW.のフォークス。しかし、そうではない。</ref>、また『アスクレピアデスへ』 2巻、『迫害について』 1巻、プロブスへの書簡 4巻、セウェルスへの書簡 2巻、弟子のデメトリオスへの書簡 2巻<ref>2巻の本…セウェルス…デメトリウス e a H 10 21 Val.; T 25 30 31 Her を省略。</ref>、そして同じく弟子のデメトリオスへの『神の仕事または人間の創造について』 1巻があります。晩年、彼はガリアでコンスタンティヌスの息子クリスプス・カエサルの家庭教師を務めましたが、クリスプス・カエサルは後に父親によって処刑されました。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス#第80章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Firmianus the rhetorician, surnamed Lactantius]] を翻訳 --> m98zac2fb44a4fky5jqdranwq7f30l1 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第81章 司教エウセビオス 0 56255 241793 2026-04-27T07:58:18Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius the bishop]] を翻訳 241793 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第81章 司教エウセビオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス|第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第82章 司教レティクス|第82章 司教レティクス]] | year = 1885 | 年 = | 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Her.; omit A H 25 30 a? e.</ref>5巻、『教会史』10巻、世界史の『年代記』、そしてこの最後の要約。また、『福音書間の矛盾について』、『イザヤ書について』10巻、また、同時期にシチリアで執筆していたと思われる『ポルフィリオスに対する反駁』25巻、『様々な話題』1巻、『オリゲネスの弁明』6巻、『パンフィロスの生涯について』3巻、殉教者に関するその他の短い著作、150篇の詩篇に対する非常に博識な注釈、その他多数。彼は主にコンスタンティヌス大帝とコンスタンティウス帝の治世に活躍した。彼の姓であるパンフィロスは、殉教者パンフィロスとの友情に由来する。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第81章 司教エウセビオス#第81章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius the bishop]] を翻訳 --> ny357bifhmj6t63zgj2bu2u1zo3ub0u 241796 241793 2026-04-27T08:35:09Z 村田ラジオ 14210 ヘッダー:next 241796 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第81章 司教エウセビオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス|第80章 弁論学者フィルミアヌス、姓はラクタンティウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第82章 司教レティキウス|第82章 司教レティキウス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 081}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第81章== << 司教エウセビオス >> パレスチナのカイサリアの司教エウセビオス<ref>267年生まれ、315年頃に司教となり、338年頃に死去。</ref>は、聖書の研究に熱心で、殉教者パンフィロスとともに聖書の最も熱心な研究者でした。彼は多数の著作を出版し、その中には次のようなものがあります。『福音の証明』20巻、『福音の準備』15巻、『神の顕現』<ref>Theophany T 31 Val. Her.; omit A H 25 30 a? e.</ref>5巻、『教会史』10巻、世界史の『年代記』、そしてこの最後の要約。また、『福音書間の矛盾について』、『イザヤ書について』10巻、また、同時期にシチリアで執筆していたと思われる『ポルフィリオスに対する反駁』25巻、『様々な話題』1巻、『オリゲネスの弁明』6巻、『パンフィロスの生涯について』3巻、殉教者に関するその他の短い著作、150篇の詩篇に対する非常に博識な注釈、その他多数。彼は主にコンスタンティヌス大帝とコンスタンティウス帝の治世に活躍した。彼の姓であるパンフィロスは、殉教者パンフィロスとの友情に由来する。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第81章 司教エウセビオス#第81章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eusebius the bishop]] を翻訳 --> kvgy3xbowbu496n64tvnaf41qrpcfx9 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第82章 司教レティキウス 0 56256 241797 2026-04-27T08:40:53Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Reticus the bishop]] を翻訳 241797 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第82章 司教レティキウス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第81章 司教エウセビオス|第81章 司教エウセビオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第83章 司教メトディオス|第83章 司教メトディオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Reticus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Reticus the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 082}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第82章== << 司教レティキウス >> アエドゥイ族のオータンの司教レティキウス<ref>司教 313年、334年没。</ref>は、コンスタンティヌス帝の治世にガリアで高い評価を得ていました。私は彼の『雅歌』の注釈書と、もう一つの大著である『ノヴァティアヌス駁論』を読みましたが、これら以外に彼の著作は見つかりませんでした。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第82章 司教レティキウス#第82章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Reticus the bishop]] を翻訳 --> 7ydhpusps308ycz0rndrmzlhyna46w8 ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第83章 司教メトディオス 0 56257 241798 2026-04-27T08:54:08Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Methodius the bishop]] を翻訳 241798 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第83章 司教メトディオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第82章 司教レティキウス|第82章 司教レティキウス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第84章 司祭ユベンクス|第84章 司祭ユベンクス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Methodius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Methodius the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 083}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第83章== << 司教メトディオス >> メトディオス<ref>311年または312年に死去。</ref>は、リュキアのオリンポス、後にティルスの司教となり、洗練された論理的な文体で書かれた『ポルフィリオス駁論』、優れた著作である『十人の乙女の宴』、オリゲネス駁論『復活論』、『ピュティニッサ論』、そして同じくオリゲネス駁論『自由意志論』などを著した。また、『創世記』や『雅歌』などの注釈書も書き、これらは広く読まれている。近年の迫害の終結時、あるいは他の説によればデキウス帝とヴァレリアヌス帝の治世中に、ギリシャのカルキスで殉教の栄冠を授けられた。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第83章 司教メトディオス#第83章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Methodius the bishop]] を翻訳 --> 3bz0dei12qi9zdr576q7j58tzluzz9b ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第84章 司祭ユベンクス 0 56258 241799 2026-04-27T09:09:39Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Juvencus the presbyter]] を翻訳 241799 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第84章 司祭ユベンクス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第83章 司教メトディオス|第83章 司教メトディオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第85章 司教エウスタティオス|第85章 司教エウスタティオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 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Illustrious Men/Jerome/Juvencus the presbyter]] を翻訳 --> 96m2110anexjy913191n6u95bj8kv6y ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第85章 司教エウスタティオス 0 56259 241800 2026-04-27T09:24:05Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eustathius the bishop]] を翻訳 241800 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第85章 司教エウスタティオス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第84章 司祭ユベンクス|第84章 司祭ユベンクス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第86章 司教マルケロス|第86章 司教マルケロス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eustathius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eustathius the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 085}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第85章== << 司教エウスタティオス >> パンフィリア出身でシデ出身のエウスタティオス<ref>337年に死去(あるいは他の説によれば370~82年)。この章でヒエロニムスは、現代の一般的な見解が間違っていなければ、アンティオキアのエウスタティオスとセバステのエウセビオスを混同しているように思われる。</ref>は、最初はシリアのベレア、次にアンティオキアの司教<ref>Bishop A HT 25 30 Her; 31 32 a eVal を省略。</ref>を務め、教会を統治し、アリウス派の教義に反対する多くの著作を著したため、コンスタンティウス帝<ref>コンスタンティウス。これはコンスタンティヌスの明らかな誤りであると考えられている(スミスとウェイスの辞書第5巻第2章383ページにあるヴェナブルズを参照)。しかし、上記のようにセバステのエウスタティオスと混同されている場合は、後者のコンスタンティウスによる廃位について言及されている可能性がある。しかし、難しさは依然としてほとんど変わらない。</ref>の治世下でトラキアのトラヤノポリスに追放され、今日までそこにいる。彼の著作には、『魂について』、『腹話術について オリゲネス反駁』、そして数えきれないほどの書簡がある。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第85章 司教エウスタティオス#第85章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Eustathius the bishop]] を翻訳 --> r0diztjt2s2utoqi6jf0nqr4x2nm3os ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第86章 司教マルケロス 0 56260 241801 2026-04-27T09:35:00Z 村田ラジオ 14210 Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Marcellus the bishop]] を翻訳 241801 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikisource:宗教|ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II|hide=1}} {{header | title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス | section = 第86章 司教マルケロス | previous = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第85章 司教エウスタティオス|第85章 司教エウスタティオス]] | next = [[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第87章 司教アタナシオス|第87章 司教アタナシオス]] | year = 1885 | 年 = | override_author = [[s:en:Author:Jerome (c. 345-c. 420)|ヒエロニムス (c. 345-c. 420)]] | override_translator = | override_editor = [[s:en:Author:Philip Schaff|フィリップ・シャフ]] 他 | noauthor = | notes = *底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Marcellus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Marcellus the bishop]]". *ウィキソースによる日本語訳 {{DEFAULTSORT:にかいあきようふとにかいあこきようふ 203 4 3 086}} [[Category:キリスト教]] [[Category:キリスト教の歴史]] [[Category:教父]] [[Category:ヒエロニムス]] [[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]] }} 2. ヒエロニムス 高名な人々について ———————————— ==第86章== << 司教マルケロス >> アンキュラの司教マルケルス<ref>372年または374年に死去(Ffoulkes)。</ref>は、コンスタンティヌスとコンスタンティウスの治世に活躍し、さまざまな命題、特にアリウス派に反駁する多くの著作を著した。アステリウスとアポリナリオスによる彼に対する著作は現存しており、サベリウス主義の疑いをかけている。ヒラリウスも、著書『アリウス派に対する反駁』の第7巻で彼を異端者として挙げているが、ローマとアレクサンドリアの司教ユリウスとアタナシオスが彼と交わりを持っていたという事実によって、彼はその非難に反論している。 ==脚注== {{Reflist}} :::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第86章 司教マルケロス#第86章|先頭に戻る]] {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{新訳}} }} <!-- Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Marcellus the bishop]] を翻訳 --> 72bmydf3hyzl2bcwt0tg3bje38g68j7