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利用者・トーク:Hideokun
3
8027
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232111
2026-04-28T18:34:00Z
MediaWiki message delivery
7566
/* You may be an eligible candidate for the U4C election */ 新しい節
241878
wikitext
text/x-wiki
== Deletion ==
Hello,
Could you take a look at [[Wikisource:削除依頼]]? (I'm a sysop on multiple wikisources but as I said, I don't know the rules on ja.ws so I'd like to have a insider point of view please).
Cdlt, [[利用者:VIGNERON|VIGNERON]] ([[利用者・トーク:VIGNERON|トーク]]) 2017年1月12日 (木) 15:21 (UTC)
:暫く活動していなかったので今更ながらのお返事ですいません。私が見る前に解決していたようです。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2017年4月30日 (日) 07:55 (UTC)
== Share your experience and feedback as a Wikimedian in this global survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
こんにちは。ウィキメディア財団ではこの調査で、あなたのご意見を伺いたいと思っています。この調査を通じて、どうすればあなたのウィキ上での、あるいはウィキ外での活動を支援できるのか、将来にむけて改善をしていけるのか考えようとしています。<ref group=survey>この調査では、ウィキメディア財団の現在の問題についてのご意見をお伺いするためのもので、長期的な戦略について論じるものではありません。</ref> いただきましたご意見は直接、今後のウィキメディア財団の活動に影響を与えるものとなります。あなたがこの調査の対象として無作為に選ばれたのは、私たちがあなたのいるウィキメディアコミュニティからの生のご意見をお聞きしたいと考えているためです。お時間を割いていただくことへのお礼として、調査に参加された方の中から抽選で20名様にウィキメディアTシャツをプレゼントいたします。<ref group=survey>法的事項: 購入の必要はありません。未成年者は参加できません。ウィキメディア財団 (149 New Montgomery, San Francisco, CA, USA, 94105) により後援されています。2017年1月31日に終了します。但し、禁止されている場所では無効。[[m:Community Engagement Insights/2016 contest rules|コンテストルールを参照するにはこちらをクリック]]。</ref> この調査は様々な言語で提供されており、所要時間は20分から40分の間です。
<big>'''[https://wikimedia.qualtrics.com/SE/?SID=SV_6mTVlPf6O06r3mt&Aud=AE&Src=19AEOP 調査に参加します。]'''</big>
[[m:Community_Engagement_Insights/About_CE_Insights|本プロジェクトのさらなる情報]]をご覧いただけます。 この調査は第三者機関が運営しており、[[:foundation:Community_Engagement_Insights_2016_Survey_Privacy_Statement|個人情報に関する宣言]]に準拠します。 この調査に関するさらなる情報は、私たちの[[m:Community_Engagement_Insights/Frequently_asked_questions|よくある質問についてのページ]]をご覧ください。. さらにお手伝いを必要とする場合、または本調査に関する今後のご連絡の停止 (オプトアウト) をご希望の場合は、surveys@wikimedia.orgまで電子メールをご送信ください。.
皆さまのご協力に心から感謝いたします。
--[[:m:User:EGalvez (WMF)|EGalvez (WMF)]] ([[:m:User talk:EGalvez (WMF)|talk]]) 2017年1月13日 (金) 21:26 (UTC)
</div>
<!-- User:EGalvez (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Community_Engagement_Insights/MassMessages/Lists/2016/19-AEOP&oldid=16205365 のリストを使用して送信したメッセージ -->
<references group=survey />
== Your feedback matters: Final reminder to take the global Wikimedia survey ==
(''Sorry to write in Engilsh'')
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
こんにちは。ウィキメディア財団の実施する調査が'''2017年2月28日 (23:59 UTC)'''をもって終了するという最後のお知らせをしに来ました。 この調査は様々な言語で実施されており、所要時間は20分から40分の間です。 '''[https://wikimedia.qualtrics.com/SE/?SID=SV_6mTVlPf6O06r3mt&Aud=AE&Src=19AEOP 調査に参加してくださるようお願いします。]'''
もしすでに本調査にご回答をお済ませでしたら、入れ違いをご容赦ください。ご協力、まことにありがとうございました。
'''本アンケートについて''' 本プロジェクトについてのさらに詳しい情報は、「[[m:Community_Engagement_Insights/About_CE_Insights|このプロジェクトについて]]」でご覧いただけます。また、「[[m:Community_Engagement_Insights/Frequently_asked_questions|よくあるご質問]]」もお読みください。 この調査は第三者機関が運営しており、[[:foundation:Community_Engagement_Insights_2016_Survey_Privacy_Statement|個人情報に関する宣言]]に準拠します。 さらにお手伝いを必要とする場合、または本調査に関する今後のご連絡の停止 (オプトアウト) をご希望の場合は、利用者にメールを送る機能を通じて、 [[:m:Special:EmailUser/EGalvez_(WMF)| User:EGalvez (WMF)]] まで電子メールをご送信ください、またはsurveys@wikimedia.org。 '''ウィキメディア財団について''' [[:wmf:Home|ウィキメディア財団]]はこのサイトを速く、安全で、アクセス可能にするよう、ソフトウェアと技術の両面で取り組むことで、あなたを支援しています。また、ウィキメディアのプログラムと構想は世界中で、アクセスを広げており、自由な知識をサポートしています。 皆さまのご協力に心から感謝いたします。 --[[:m:User:EGalvez (WMF)|EGalvez (WMF)]] ([[:m:User talk:EGalvez (WMF)|talk]]) 2017年2月24日 (金) 08:23 (UTC)
</div>
<!-- User:EGalvez (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Community_Engagement_Insights/MassMessages/Lists/2016/19-AEOP&oldid=16205365 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ごぶさたしてます。 ==
[[利用者:Vigorous action|Vigorous action]] [[利用者‐会話:Vigorous action|<small>(会話</small>]]<small>/</small>[[特別:Contributions/Vigorous action|<small>履歴)</small>]]です。版指定削除された[https://ja.wikisource.org/w/index.php?oldid=97933 このページ]ですが、判断にもよりますが特に削除しなくっても問題は発生しないと私は感じます。安全に倒して削除するという事を否定はしませんが、愉快犯を楽しませるだけの気がします。ご検討下さい。--[[利用者:Vigorous action|Vigorous action]] [[利用者‐会話:Vigorous action|<small>(会話</small>]]<small>/</small>[[特別:Contributions/Vigorous action|<small>履歴)</small>]] 2018年2月7日 (水) 01:18 (UTC)
:お久し振りでございます。今回の判断ですが、私としてはリバート荒らしは過去版になんらかの形でコメント、もしくは自らの信条、思想を残そうとしていると考えて居り、そのためには不可視化することで彼らの目標を封じることになるのではないかという風に考えています。特に今迄のリバート荒らしは一定の政治的信条を持っていたと考えています。ただ、今回のケースはリバートしてはいますが、内容に政治的信条が含まれているとは判断できないのでVigorous actionさんの云う通りかもしれません(ただ、私の行動確認をしているようには感じています)。今後の権限行使の際にはさらに注意して気をつけるようにしようと思います。ご忠告ありがとうございました。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2018年2月7日 (水) 02:09 (UTC)
::こう言うのって、誰からも相手されないから相手して貰えて喜んでるんですよ。それが証拠にこのIPとか前にでたたのいくつか見たけどx-wikiでやってるようです。相手しすぎると喜んで回数増えたりするし、対処者が疲れるだけでしょう。過去の投稿IP調べてガッツリレンジブロックって方法もありかも知れませんね。--[[利用者:Vigorous action|Vigorous action]] [[利用者‐会話:Vigorous action|<small>(会話</small>]]<small>/</small>[[特別:Contributions/Vigorous action|<small>履歴)</small>]] 2018年2月7日 (水) 13:01 (UTC)
::なるほど、了解しました。対処に関しては少し考えます。また、餘にもひどいようでしたらレンジブロックも視野に入れた方がいいかもしれませんね。ありがとうございます。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2018年2月8日 (木) 10:06 (UTC)
== Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
このたびウィキメディア財団では{{SITENAME}}とウィキメディアについて、ぜひあなたの経験をアンケート調査でフィードバックしていただけないかと考え、ご連絡しました。 この調査は、ウィキメディア財団が皆さんのウィキの作業をどの程度まで支援できているか、また将来的な改善点や修正すべき点を知ることを目的としています。 皆さんからお寄せいただいたご意見は、現状ならびに将来にわたり、ウィキメディア財団の仕事に直接、反映されます。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act4) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月9日 (月) 14:32 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act4)&oldid=19352860 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
1、2週間ほど前にコミュニティの意見調査について、ご連絡を差し上げました。 本件は、ウィキメディア財団がグローバルなコミュニティを対象に行う、毎年恒例の調査です。 ウィキであなたが取り組まれる作業に、財団がどの程度、お役に立っているかどうか、ぜひお聞かせください。 実は、現在までに皆さんからお寄せいただいた回答は、目標値達成まであと 10% となりました。 もしこれから回答しようとお考えでしたら、どうかご協力をお願いいたします! '''あなたの声をぜひお聞かせいただきたいのです。'''
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act4) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月20日 (金) 19:13 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act4)&oldid=19397758 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
コミュニティの意見調査終了まで、いよいよ残り時間が数週間となりました! おかげさまで目標回答率まで 30% を残すのみとなりました。 もしアンケートに未回答の方がおられたら、ぜひ目標達成にご協力ください。
今回の投票は、皆さんがご利用のウィキで進める作業をウィキメディア財団がどれほど支援できているか、フィードバックを募集しています。 回答にかかる時間はおよそ15分から25分で済みですが、財団がどんな支援を提供できるか、直接、影響を与えることになります。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act4) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年10月4日 (金) 17:03 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act4)&oldid=19433605 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== How we will see unregistered users ==
<section begin=content/>
こんにちは、
ウィキメディアのウィキ管理者の皆さんにこのメッセージをお届けしています。
ログインしていない人がウィキメディアのウィキを編集すると、今日現在はその人の IP アドレスを開示します。すでにお聞きかもしれませんが、この方法は近々、採用できなくなります。オンラインの個人情報保護の規範と規約の変更によりウィキメディア財団法務部が決定しました。
IP アドレスの代わりに秘匿した特定情報を示すことになります。管理者の皆さんには'''引き続きIPアドレスへのアクセスは可能です'''。管理者ではない皆さんには荒らしや嫌がらせ、スパム行為に対策するためアカウント非登録の利用者のIPアドレス全文字の閲覧が必要な場合、新規の利用者権限を設けます。 巡回者の皆さんには、左記の権限がなくても IP の一部が閲覧可能です。同時に支援策として[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation/Improving tools|より良いツール]]の準備を進めています。
これを初めて見る皆さんは、[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|メタで詳細を参照]]してください。ウィキメディアのウィキにおける技術的な変更の情報を見落としたくないとご希望なら、[[m:Tech/News/ja|週刊技術ニュース ]]の[[m:Global message delivery/Targets/Tech ambassadors|購読]]をお勧めします。
この個人特定情報に関しては[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation#IP Masking Implementation Approaches (FAQ)|提案が2案あります]]。皆さんの使いやすさと皆さんのコミュニティての適性について、直近ならびに将来を見通し、'''ぜひご意見をお聞かせ願えないでしょうか'''。[[m:Talk:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|トークページにて投稿をお待ちしています]]。ご自分の言語でお書きください。2案の提案は10月に掲出しており、 結論は1月17日以降にまとめる所存です。
よろしくお願いします。
/[[m:User:Johan (WMF)|Johan (WMF)]]<section end=content/>
2022年1月4日 (火) 18:17 (UTC)
<!-- User:Johan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Johan_(WMF)/Target_lists/Admins2022(5)&oldid=22532651 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ブロック反対票のお願い ==
@[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さん、@[[利用者:CES1596|CES1596]]さん、「[[Wikisource:井戸端#ブロック依頼:User:P9iKC7B1SaKk氏]]」で私に対して出されているブロック依頼に反対票を投じてもらえないでしょうか。2024年2月現在、ウィキソースの井戸端は書き込むユーザーに偏りがあり、排外な意見が多数決で通りやすくなっています。私がなにかに反論すればマナー違反や針小棒大であるとして批判されてしまう状況なのです。今にここに至って危険を覚悟で彼らと戦わなければならないと決意しました。ご協力をお願いいたします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月4日 (日) 10:51 (UTC)
:ご訪問いただき恐縮です。P9iKC7B1SaKkさんの活動量につきましては私も感嘆しております、このレベルで活動できるのはWikisourceに対しての思いがあると思っております。私自身は利用者をただ切り捨てるのではなく、良い方向に導きWikisourceに貢献していただくのが正しいとは思っています。ただ、このようなお願い行為をされた上で投じられた反対票はコミュニティより有効性に疑念を持たれると思います。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 11:48 (UTC)
::@[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さん、回答ありがとうございます。私はどのようにすべきでしょうか。助言などありましたらお願いします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 14:42 (UTC)
:::お返事遅くなりまして申し訳ありません。Wikisourceは世界にある著作権に触れない作品を集めるのが目的でその参加者にはいろいろな考え方があります。そのため、Wikipediaほどではないのですが、意見の相違というのはどうしても発生するものです。今後のことについては何とも申し上げることはできないのですが、他者の意見を取り入れて同じ目線で活動するというのは大事だと思います。目立つというのはどうしても衆人環視にさらされるため、ミスも目立ちやすくなり、活動量が多いとどうしても比例してしまいます。また、活動量が多いことや古参であるということは他者に対して優位な立場にあると誤解することが多いです。管理関係やいろいろな作業において、自分の意見、やり方が正しいではなく、相手の意見、やり方を受け入れてそれを咀嚼した上で公約数的なものを導き出す、つまりは相手の意見を否定せず、互いの意見を含有してお互いが少しでもやりやすいものを見つけるというようなマネジメントが必要と思います。ネットというのは顔が見えません、ですので相手を攻撃し高圧的にものを言いがちですが、それは相手に悪印象を与えてしまうだけで協力を得ることはできなくなります。現実世界ならスムーズに行くような案件もそれが故、ネットではうまく行かないこともあります。Wikisourceは相手を言い負かしたら勝ちではありません、相手の意見を取り入れて自らも向上していく場だと思っています。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2024年2月10日 (土) 07:42 (UTC)
== 井戸端の過去ログ化のこと ==
こんにちは、お疲れ様です。井戸端の過去ログ化についての連絡をしたいと思い、伺いました。
[[Wikisource:管理者伝言板#宣伝屋対策の設定について]]に未対応があるようなので、 archive 9と10の間の話題に抜けが生じてしまいます。お手数ですが、対処をお願いしたく思います。差分は[[Special:Permalink/226339|この版]]の次版になります。
用件のみでのメッセージ、失礼いたしました。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2025年10月2日 (木) 10:34 (UTC)
::ご連絡ありがとうございます、対応させていただきました。一応、確認はいたしましたが、何かございましたらまた、よろしくお願いいたします。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2025年10月4日 (土) 06:56 (UTC)
::: {{Reply to|温厚知新}} 私の編集でしたのにわざわざありがとうございました。{{Reply to|Hideokun}} ご対応ありがとうございました。
::: 如何せん放置してしまうことが多々ありますので、また何か抜けがありましたらお二方ともご遠慮なく連絡いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2025年10月5日 (日) 03:31 (UTC)
::::お疲れ様です。ここは協力し合っていく場所だと思っております。ご協力できるところは協力させていただきますのでお気になさらずにしてください。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2025年10月7日 (火) 21:44 (UTC)
== You may be an eligible candidate for the U4C election ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
Greetings,
The [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee|Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C)]] seeks candidates for the 2026 election. The U4C is the global committee responsible for overseeing enforcement of the [[foundation:Special:MyLanguage/Policy:Universal Code of Conduct|Universal Code of Conduct]]. Elections are held annually, if elected a committee member serves for two years.
This year the U4C requires candidates to hold administrator rights on at least one wiki, which is why you are being contacted as you appear to hold this right. There are other requirements, such as candidates must be at least 18 years old and may not be employed by the Wikimedia Foundation or other related chapters and affiliates. You can find more information in the [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2026#Call_for_Candidates|call for candidates on Meta-wiki]]. Additionally, the committee's working language is English; some ability to communicate in English is required.
The election opens on 18 May, if you are eligible and interested you have until 10 May to submit your candidacy. There will week between for candidates to answer questions from the community. Voting takes place privately in [[m:Special:MyLanguage/SecurePoll|SecurePoll]], successful candidates must receive at least 60% support. More information is available on [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2026|the 2026 Elections page]], including timelines and other candidacy information. If you read over the material and consider yourself qualified, please consider submitting your name to run for the committee. If you think someone else in your community might be interested and qualified, please encourage them to run.
In partnership with the U4C -- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] ([[m:User_talk:Keegan (WMF)|talk]]) 2026年4月28日 (火) 18:34 (UTC) </div>
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Keegan_(WMF)/test&oldid=30471754 のリストを使用して送信したメッセージ -->
r5p81835w394usvs09hl2jq998zfsl0
利用者・トーク:Sakoppi
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2026-04-28T18:34:00Z
MediaWiki message delivery
7566
/* You may be an eligible candidate for the U4C election */ 新しい節
241877
wikitext
text/x-wiki
== GFDLテンプレートについて ==
はじめまして。[[Template:GFDL]]の整備ありがとうございます。ところで、ウィキメディア・プロジェクト全体のライセンス更新により、GFDL単独での文書の受入れはできなくなっており、CC-BY-SAとのデュアルライセンスが必要とされているところです([http://wikimediafoundation.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%A6%8F%E7%B4%84 利用規約]、[[w:Wikipedia:ライセンス更新]]参照)。そうすると、今後のためにはGFDL単体のテンプレートの使用は望ましくないのではないかと思っています。デュアルライセンスのテンプレートを作成し、それを使用するようにする必要はないでしょうか。この点、私も十分な知識があるわけではありませんが、ご意見をいただけると幸いです。--[[利用者:ゴーヤーズ|ゴーヤーズ]] 2011年2月17日 (木) 12:57 (UTC)
:初めまして、ライセンステンプレートの整備などいつもご苦労様です。私もあまりこの分野に関しては十分な知識があるわけではありませんが分かる範囲でお答えさせていただきたいと思います。まず、GFDLでライセンスされているもののうち[[w:Wikipedia:ライセンス更新]]のライセンス更新基準に該当しないものはライセンスの自動更新ができない=CC-BY-SAとのデュアルライセンスには出来ないので、更新によってデュアルライセンスに出来ないものは従来通り{{tl|GFDL}}を貼り付ける必要があるようです(因みに[[en:Template:GFDL]]には[[w:Template:GFDL]]のように新規利用ができないなどの注意書きは特にないようです)。ただし、ライセンス更新基準に該当するものでデュアルライセンスに出来るものであっても現在CC-BY-SAのテンプレートは無いので微力ながらも今後も暇を見て英語版からCC-BY-SAなどのテンプレートを徐々に移入してこようかなと考えております。--[[User:Sakoppi|Sakoppi]]([[User talk:Sakoppi|talk]]・[[:w:ja:User:Sakoppi|jawp]]) 2011年2月17日 (木) 13:50 (UTC)
::早速御回答いただき、ありがとうございます。認識を共有できたように思います。私としては、ウィキペディアのTemplate:GFDLと同様、新規利用はできない旨の注意書きは入れたほうがよいのではないかと思っています。時間のある時に更に検討してテンプレートの整備などに関与できればと思います。その折はよろしくお願いします。--[[利用者:ゴーヤーズ|ゴーヤーズ]] 2011年2月17日 (木) 14:48 (UTC)
== ようこそメッセージに ==
コメントありがとうございます。wikipediaで一次資料の記述方法を調べていてwikisourceにたどりつきました。初心者ですがよろしくお願いします。--[[利用者:Higa4|Higa4]] ([[利用者・トーク:Higa4|トーク]]) 2016年1月4日 (月) 11:30 (UTC)
== こんばんは ==
えーと、[[mw:Manual:Interface/Sitenotice|マニュアル]]をどうぞ。--[[利用者:Vigorous action|Vigorous action]] [[利用者‐会話:Vigorous action|<small>(会話</small>]]<small>/</small>[[特別:Contributions/Vigorous action|<small>履歴)</small>]] 2016年2月15日 (月) 14:00 (UTC)
:こんばんは、ありがとうございます。慣れないものでご迷惑をおかけしてすみません。--[[User:Sakoppi|Sakoppi]]([[User talk:Sakoppi|talk]]・[[:w:ja:User:Sakoppi|jawp]]) 2016年2月15日 (月) 14:11 (UTC)
== 没後50年を経過した著者の著作物に関して ==
日本国において没後50年を経過した著者の著作物をWikisourceに転載する場合、一般にどの著作権タグを利用しますか?--[[利用者:Krebelord|Krebelord]] ([[利用者・トーク:Krebelord|トーク]]) 2016年9月29日 (木) 15:35 (UTC)
:ウィキソースでは、日本の著作権法とアメリカの著作権法を適用しているため、基本的に1945年以前に死没している作者の著作物を投稿することができます(経緯等は[[Wikisource:著作権]]をご覧ください)。著作権タグは<nowiki>{{PD-old-auto-1996|deathyear=xxxx}}</nowiki>(xxxxは没年を入力)をご利用ください。このテンプレートに没年を入力してタグが何も表示されない場合はウィキソースでは受け入れることができない著作物になります。但し、没後50年で、かつ1922年以前に公表された著作物の場合は、また別の著作権タグを使用することになります。具体的にその著者名を教えていただければ更に詳細なアドバイスができるかと思われますので宜しくお願いいたします。--[[User:Sakoppi|Sakoppi]]([[User talk:Sakoppi|talk]]・[[:w:ja:User:Sakoppi|jawp]]) 2016年9月29日 (木) 15:56 (UTC)
::ライセンスの種類が沢山あって混乱していました。発行は26年、没年は28年です。それから、現在メインにのみ著作権タグを記している状態ですが全てのサブページにもつける必要がありますか?--[[利用者:Krebelord|Krebelord]] ([[利用者・トーク:Krebelord|トーク]]) 2016年9月30日 (金) 04:56 (UTC)
:::解決しました--[[利用者:Krebelord|Krebelord]] ([[利用者・トーク:Krebelord|トーク]]) 2016年9月30日 (金) 05:14 (UTC)
::::解決できたようで何よりです。このあたりが分かりずらいとは感じておりましたので、わかりやすい改善策を考えていきたいと思います。またわからないことがありましたら遠慮なくご相談ください。--[[User:Sakoppi|Sakoppi]]([[User talk:Sakoppi|talk]]・[[:w:ja:User:Sakoppi|jawp]]) 2016年9月30日 (金) 13:18 (UTC)
== Share your experience and feedback as a Wikimedian in this global survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
こんにちは。ウィキメディア財団ではこの調査で、あなたのご意見を伺いたいと思っています。この調査を通じて、どうすればあなたのウィキ上での、あるいはウィキ外での活動を支援できるのか、将来にむけて改善をしていけるのか考えようとしています。<ref>この調査では、ウィキメディア財団の現在の問題についてのご意見をお伺いするためのもので、長期的な戦略について論じるものではありません。</ref> いただきましたご意見は直接、今後のウィキメディア財団の活動に影響を与えるものとなります。あなたがこの調査の対象として無作為に選ばれたのは、私たちがあなたのいるウィキメディアコミュニティからの生のご意見をお聞きしたいと考えているためです。お時間を割いていただくことへのお礼として、調査に参加された方の中から抽選で20名様にウィキメディアTシャツをプレゼントいたします。<ref>法的事項: 購入の必要はありません。未成年者は参加できません。ウィキメディア財団 (149 New Montgomery, San Francisco, CA, USA, 94105) により後援されています。2017年1月31日に終了します。但し、禁止されている場所では無効。[[m:Community Engagement Insights/2016 contest rules|コンテストルールを参照するにはこちらをクリック]]。</ref> この調査は様々な言語で提供されており、所要時間は20分から40分の間です。
<big>'''[https://wikimedia.qualtrics.com/SE/?SID=SV_6mTVlPf6O06r3mt&Aud=VAE&Src=57VAEOP 調査に参加します。]'''</big>
[[m:Community_Engagement_Insights/About_CE_Insights|本プロジェクトのさらなる情報]]をご覧いただけます。 この調査は第三者機関が運営しており、[[:foundation:Community_Engagement_Insights_2016_Survey_Privacy_Statement|個人情報に関する宣言]]に準拠します。 この調査に関するさらなる情報は、私たちの[[m:Community_Engagement_Insights/Frequently_asked_questions|よくある質問についてのページ]]をご覧ください。. さらにお手伝いを必要とする場合、または本調査に関する今後のご連絡の停止 (オプトアウト) をご希望の場合は、surveys@wikimedia.orgまで電子メールをご送信ください。.
皆さまのご協力に心から感謝いたします。
--[[:m:User:EGalvez (WMF)|EGalvez (WMF)]] ([[:m:User talk:EGalvez (WMF)|talk]]) 2017年1月13日 (金) 22:26 (UTC)
</div>
<!-- User:EGalvez (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Community_Engagement_Insights/MassMessages/Lists/2016/57-VAEOP&oldid=16205400 のリストを使用して送信したメッセージ -->
<references />
== 利用者:Sakoppi/LTag.jsについて ==
はじめまして。Mirinanoと申します。
さて、表題の[[利用者:Sakoppi/LTag.js]]件ですが、<code><div /></code>や<code><table /></code>等の自己完結しないHTMLタグが含まれているため、[[:Category:Pages using invalid self-closed HTML tags]]に含まれてしまっているようです。このようなタグは、2017年後半に行われるアップデートで機能しなくなり、予期せぬバグが発生してしまう恐れがあります(参考:[[:m:Tech/News/2017/06/ja]]、[[:mw:Parsing/Replacing Tidy]])。まだシステムの変更までには期間がありますが、他の方も使用しているスクリプトのようなので早めに修正されることをお勧めします。--[[利用者:Mirinano|Mirinano]] ([[利用者・トーク:Mirinano|トーク]]) 2017年2月9日 (木) 14:51 (UTC)
: <code>"<a />"</code>を<code>'<a />'</code>と変更する事でカテゴリから外せると思います。エラーのあるページとして扱われています。修正のご検討をお願いします。--[[利用者:Mirinano|Mirinano]] ([[利用者・トーク:Mirinano|トーク]]) 2017年2月25日 (土) 07:24 (UTC)
== ESEAP Conference 2018 ==
[[File:ESEAP_2018_logo.svg|right|350px|link=ESEAP Conference 2018]]
Hello,
I’m Punchalee, a member of the Communication Committee of the ESEAP Conference. [[:meta:ESEAP Conference 2018|ESEAP Conference 2018]] is a regional conference for Wikimedia communities throughout the ESEAP region: ESEAP stands for East, Southeast Asia, and Pacific. Taking place in Bali, Indonesia on 5–6 May 2018, this is the first regional conference for these Wikimedia communities.
East and Southeast Asia and the Pacific are the most under-represented regions within the Wikimedia community. There is a significant number of Wikimedia contributors in our regions, yet we continue to struggle in establishing a well-managed community. This conference will bring participants from various ESEAP communities together in order to better understand the issues and to look for solutions. It also aims to connect people of the Wikimedia movement within ESEAP regions, to share ideas, and to build regional collaborations that are impossible to achieve through online communication.
We’ve got a lot of participation from several countries, but we’re lacking from your country. As we need more participants from your country, we believe that your contribution and participation would be a valuable asset to the success of this event. If you would like to participate in the conference, please do fill the [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScedLPDBCZG6C6v1x_a3xiTh7BTO0j2odFRx5bU4QMzI9lk0Q/viewform form] as soon as possible (by April 5, 2018) and we’ll inform you if you get selected for the conference.
Thank you and we hope to see you soon.
--[[利用者:Pilarbini|Pilarbini]] ([[利用者・トーク:Pilarbini|トーク]]) 2018年3月30日 (金) 09:01 (UTC)
== 編集フィルターにて ==
こんにちは、お久し振りです。編集フィルターの方なのですが、最近、宣伝系の荒らしが多いため、Sakoppiさん作成のフィルターをコピーして新たに作成させていただきました。また、Sakoppiさんが作成されていた編集フィルターをこれまで勝手に触っていたことをよくよく考えたら不躾なことをしていたと思い、お詫びもさせていただきたいと思います。あわせて、事後報告となりましたことと共に、大変、失礼いたしました。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2018年4月6日 (金) 08:01 (UTC)
== bot flag request ==
Could you, please, take a decision concerning [[Wikisource:井戸端#Bot_rights_for_User:Wikisource-bot|this bot flag request]]? [[利用者:Ankry|Ankry]] ([[利用者・トーク:Ankry|トーク]]) 2018年8月8日 (水) 07:03 (UTC)
== Gadget-Mathjax loading external resources ==
Hello Sakoppi,
Sorry for writing in English. I would like to bring to your attention that the gadget Gadget-Mathjax [https://phabricator.wikimedia.org/T275754 appears to load] third party resources.
Since those external parties do not have the same Privacy Policy as Wikimedia platform, I would request that you, or the author if it's not you, disclose clearly that your widget loads resources from third parties. You can see an example of how this was done by another widget author here: [[:w:en:Special:Diff/551052101]]
Please let me know once you get the chance to add this on-wiki heads up.
Best regards,
[[利用者:Samuel (WMF)|Samuel (WMF)]] ([[利用者・トーク:Samuel (WMF)|トーク]]) 2021年4月23日 (金) 16:35 (UTC)
== MediaWiki:Prefs-rcについて質問します ==
[[MediaWiki:Prefs-rc]]というページのことですが、他プロジェクト日本語版の表記と異なっていることに気づいて調べたら出てきました。履歴を見る限り、MediaWiki defaultというボットが未翻訳版を同期していただけで、私には特別な意味が見つかりません。ただ、Wikisource:削除の方針を確認したところ、適切な処置がない気がしますので管理者であるSakoppiさんに直接質問しに来ました。[[:w:RC|RC]]という言葉は最近の更新の意味だけではなく、他の意味もたくさんあります(Wikisourceにおいてはほぼ確定かもしれませんが)。加えて、日本語版ウィキソースなので、日本語話者が親しみのない言葉を避けるべきだとおもいます。このページは削除できますか?--<span style="font-variant: small-caps;">[[User:LaMagiaaa|LaMagiaaa]]</span> ([[User talk:LaMagiaaa|会話]] - [[:m:User:LaMagiaaa/1#htrm|返信するとき]]) 2021年5月19日 (水) 17:17 (UTC)
* {{Ping|LaMagiaaa}} こんにちは。ご覧いただいたWikisource:削除の方針の通り、ルール上管理者の独断で削除できないので、念のため"[[Wikisource:削除依頼]]"でご依頼いただいてもよろしいでしょうか?--[[User:Sakoppi|Sakoppi]]([[User talk:Sakoppi|talk]]・[[:w:ja:User:Sakoppi|jawp]]) 2021年5月19日 (水) 21:45 (UTC)
*:{{ping|Sakoppi}} [[Wikisource:削除依頼]]には「依頼したページの先頭には<nowiki>{{subst:Sakujo}}</nowiki>を貼って削除依頼に出ていることを'''必ず'''表示してください。」とは言っています。しかし、わたしにはMediaWiki名前空間を編集できません。この削除依頼はSakoppiさんが私の代わりに出してもらえないでしょうか。
*:もし代わりに出すときは、<<nowiki></nowiki>noinclude>などを使って他のページに影響を及ぼさないようにご注意ください。--<span style="font-variant: small-caps;">[[User:LaMagiaaa|LaMagiaaa]]</span> ([[User talk:LaMagiaaa|会話]] - [[:m:User:LaMagiaaa/1#htrm|返信するとき]]) 2021年5月20日 (木) 04:17 (UTC)
== How we will see unregistered users ==
<section begin=content/>
こんにちは、
ウィキメディアのウィキ管理者の皆さんにこのメッセージをお届けしています。
ログインしていない人がウィキメディアのウィキを編集すると、今日現在はその人の IP アドレスを開示します。すでにお聞きかもしれませんが、この方法は近々、採用できなくなります。オンラインの個人情報保護の規範と規約の変更によりウィキメディア財団法務部が決定しました。
IP アドレスの代わりに秘匿した特定情報を示すことになります。管理者の皆さんには'''引き続きIPアドレスへのアクセスは可能です'''。管理者ではない皆さんには荒らしや嫌がらせ、スパム行為に対策するためアカウント非登録の利用者のIPアドレス全文字の閲覧が必要な場合、新規の利用者権限を設けます。 巡回者の皆さんには、左記の権限がなくても IP の一部が閲覧可能です。同時に支援策として[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation/Improving tools|より良いツール]]の準備を進めています。
これを初めて見る皆さんは、[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|メタで詳細を参照]]してください。ウィキメディアのウィキにおける技術的な変更の情報を見落としたくないとご希望なら、[[m:Tech/News/ja|週刊技術ニュース ]]の[[m:Global message delivery/Targets/Tech ambassadors|購読]]をお勧めします。
この個人特定情報に関しては[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation#IP Masking Implementation Approaches (FAQ)|提案が2案あります]]。皆さんの使いやすさと皆さんのコミュニティての適性について、直近ならびに将来を見通し、'''ぜひご意見をお聞かせ願えないでしょうか'''。[[m:Talk:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|トークページにて投稿をお待ちしています]]。ご自分の言語でお書きください。2案の提案は10月に掲出しており、 結論は1月17日以降にまとめる所存です。
よろしくお願いします。
/[[m:User:Johan (WMF)|Johan (WMF)]]<section end=content/>
2022年1月4日 (火) 18:17 (UTC)
<!-- User:Johan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Johan_(WMF)/Target_lists/Admins2022(5)&oldid=22532651 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 対処の依頼 ==
お忙しいところ恐縮ですが、[[Wikisource:管理者権限依頼/ギャラクシーライナー/20221008]]のクローズと[[:Category:即時削除]]の確認・対処をお願いできますでしょうか。よろしくお願いいたします。 [[利用者:MathXplore|MathXplore]] ([[利用者・トーク:MathXplore|トーク]]) 2023年1月4日 (水) 05:44 (UTC)
== [[Wikisource:井戸端#日本語版独自ロゴへの変更提案(再)|ロゴ変更議論]]のご参加への感謝 ==
[[File:Wikisource-logo-ja.svg|thumb|100px|新ロゴ]]
こんにちは。TKsdik8900です。この度、Sakoppiさんのご参加くださいました日本語版ウィキソースのロゴ変更に関する議論([[Wikisource:井戸端#日本語版独自ロゴへの変更提案(再)]])が完了しましたので、こちらをお知らせに参りました。新たなロゴは[[:File:Wikisource-logo-ja.svg|右の案]]、モバイル版のワードマークは新ロゴの[[:File:Wikisource-wordmark-ja.svg|文字部分]]となります。実際の変更は[[phabricator:T326488|Phabricator]]のタスク処理後になります。議論ができましたのは、Sakoppiさんの投票等ご参加あってのことです。ここに御礼を申し上げます。又、ウィキソースにおいては私の活動はまだまだ未熟ですので、今後とも、何かの折にはどうぞ宜しくお願い申し上げます。--[[利用者:TKsdik8900|TKsdik8900]] ([[利用者・トーク:TKsdik8900|トーク]]) 2023年1月8日 (日) 06:17 (UTC)
== 管理者伝言板の長期積み残し案件対応願い ==
お疲れ様です。管理者伝言板において、以下の2件が年単位で放置されているようですので、対応お願いします。
*[[Wikisource:管理者伝言板#ダイナミックレイアウト機能のデフォルト化]]
*[[Wikisource:管理者伝言板#ガジェットの提案について]]
また、長期積み残しではありませんが、以下の対応もお願いします。
*[[Wikisource:管理者伝言板#宣伝屋対策の設定について]]において、未処理2件
*新ロゴの議論が終わったので、[[MediaWiki:Sitenotice]]の除去
*私の[[Wikisource:管理者伝言板#複数の保護ページ編集依頼]]の返信依頼分
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。--[[利用者:Likibp|Likibp]] ([[利用者・トーク:Likibp|トーク]]) 2023年1月21日 (土) 16:17 (UTC)
== Need your input on a policy impacting gadgets and UserJS ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
Dear interface administrator,
This is Samuel from the Security team and I hope my message finds you well.
There is an [[m:Talk:Third-party resources policy|ongoing discussion]] on a proposed policy governing the use of external resources in gadgets and UserJS. The proposed [[m:Special:MyLanguage/Third-party resources policy|Third-party resources policy]] aims at making the UserJS and Gadgets landscape a bit safer by encouraging best practices around external resources. After an initial non-public conversation with a small number of interface admins and staff, we've launched a much larger, public consultation to get a wider pool of feedback for improving the policy proposal. Based on the ideas received so far, the proposed policy now includes some of the risks related to user scripts and gadgets loading third-party resources, best practices for gadgets and UserJS developers, and exemptions requirements such as code transparency and inspectability.
As an interface administrator, your feedback and suggestions are warmly welcome until July 17, 2023 on the [[m:Talk:Third-party resources policy|policy talk page]].
Have a great day!</div>
<bdi lang="en" dir="ltr">[[m:User:Samuel (WMF)|Samuel (WMF)]], on behalf of the Foundation's Security team</bdi> 2023年7月10日 (月) 12:08 (UTC)
<!-- User:Samuel (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Samuel_(WMF)/IAdmins_MassMessage_list_2&oldid=25272792 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== [[Wikisource:削除依頼/アーカイブ/2016年#今上天皇のおことばに関するページ類]]のページにある削除テンプレートについて ==
こんにちは。偶然その中にあるページを見かけて、2016年に削除テンプレートを貼られていて、該当討論はアーカイブ化にされていても関わらず、
* [[昭和天皇斂葬の儀・葬場殿の儀の御誄]]
* [[香淳皇后斂葬の儀・葬場殿の儀の御誄]]
の両ページでは削除提案のテンプレートが貼れ続けています。
本来であればアーカイブ化されていますので該当テンプレートを除去するほうがいいのですが、こちらのページではまだ依頼理由が消失しておりません。
Sakoppiさんがテンプレートを貼りましたのでこちらまでお知らせをしてきました。--<span style="font-variant: small-caps;">[[User:LaMagiaaa|LaMagiaaa]]</span> ([[User talk:LaMagiaaa|会話]]) 2023年11月9日 (木) 13:56 (UTC)
== You may be an eligible candidate for the U4C election ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
Greetings,
The [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee|Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C)]] seeks candidates for the 2026 election. The U4C is the global committee responsible for overseeing enforcement of the [[foundation:Special:MyLanguage/Policy:Universal Code of Conduct|Universal Code of Conduct]]. Elections are held annually, if elected a committee member serves for two years.
This year the U4C requires candidates to hold administrator rights on at least one wiki, which is why you are being contacted as you appear to hold this right. There are other requirements, such as candidates must be at least 18 years old and may not be employed by the Wikimedia Foundation or other related chapters and affiliates. You can find more information in the [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2026#Call_for_Candidates|call for candidates on Meta-wiki]]. Additionally, the committee's working language is English; some ability to communicate in English is required.
The election opens on 18 May, if you are eligible and interested you have until 10 May to submit your candidacy. There will week between for candidates to answer questions from the community. Voting takes place privately in [[m:Special:MyLanguage/SecurePoll|SecurePoll]], successful candidates must receive at least 60% support. More information is available on [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2026|the 2026 Elections page]], including timelines and other candidacy information. If you read over the material and consider yourself qualified, please consider submitting your name to run for the committee. If you think someone else in your community might be interested and qualified, please encourage them to run.
In partnership with the U4C -- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] ([[m:User_talk:Keegan (WMF)|talk]]) 2026年4月28日 (火) 18:34 (UTC) </div>
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Keegan_(WMF)/test&oldid=30471754 のリストを使用して送信したメッセージ -->
k9qf78k9cnvczyv5vdhl4td5w0z3pjq
北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令等の一部を改正する政令
0
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241891
238400
2026-04-29T03:20:59Z
Sakoppi
2334
241891
wikitext
text/x-wiki
{{Header
|title=北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令等の一部を改正する政令
|year=1952
|notes=
* 昭和27年政令第8号
* 公布日:昭和27年2月1日
* 施行日:昭和27年2月1日
* 底本:{{NDLJP|2964071/1}}
* 註:原文は縦書きである。
* 要旨:吐噶喇列島の区域が日本に返還されたことに伴う改正
* 被改正法令:
** [[北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令]](昭和25年政令第227号)
** [[旅券法]](昭和26年法律第267号)
** [[入国管理庁設置令]](昭和26年政令第320号)
** [[外務省設置法 (昭和26年法律第283号)|外務省設置法]](昭和26年法律第283号)
* 関連法令:
** [[鹿兒島県大島郡十島村に関する渡航及び出入国関係諸法令の適用に関する政令]](昭和27年政令第9号)
{{デフォルトソート:ほくいさんしゆうといなんのせいなんしよとうにほんせきをゆうするもののとこうせいけんにかんするりんしそちれいとうのいちふをかいせいするせいれい}}
[[Category:昭和27年の政令]]
[[Category:トカラ列島の本土復帰]]
}}
北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令等の一部を改正する政令をここに公布する。
{{御名御璽}}
{{Left|昭和二十七年二月一日|4em}}
{{Right|[[:w:内閣総理大臣|内閣総理大臣]] [[:w:吉田茂|吉田 茂]]}}
'''政令第八号'''
<div style="text-indent:1em;">北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令等の一部を改正する政令</div>
内閣は、[[「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件|ポツダム宣言の受諾に伴い、発する命令に関する件]](昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、この政令を制定する。
(北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令の一部改正)
'''第一條''' [[北緯三十度以南の南西諸島に本籍を有する者の渡航制限に関する臨時措置令]](昭和二十五年政令第二百二十七号)の一部を次のように改正する。
: 題名中「北緯三十度」を「北緯二十九度」に改める。
: 第一條中「北緯三十度以南の南西諸島([[:w:口之島|口之島]]を含む。)」を「北緯二十九度以南の南西諸島」に改める。
(旅券法の一部改正)
'''第二條''' [[旅券法]](昭和二十六年法律第二百六十七号)の一部を次のように改正する。
: 附則第七項中「北緯三十度」を「北緯二十九度」に改める。
(入国管理庁設置令の一部改正)
'''第三條''' [[入国管理庁設置令]](昭和二十六年政令第三百二十号)の一部を次のように改正する。
: 第三條第一項、第四條第十七号及び第八條第五号(七)中「北緯三十度」を「北緯二十九度」に改める。
{{附則}}
1.この政令は公布の日から施行する。
2.[[外務省設置法 (昭和26年法律第283号)|外務省設置法]](昭和二十六年法律第二百八十三号)の一部を次のように改正する。
: 第四條第二十号中「北緯三十度」を「北緯二十九度」に改める。
{{Right|外務大臣 [[:w:吉田茂|吉田 茂]]}}
{{Right|内閣総理大臣 [[:w:吉田茂|吉田 茂]]}}
{{PD-JapanGov-old}}
fdf3v80q6d98ka4jfwdrbgqfhk358d4
調理師法
0
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2026-04-29T05:56:33Z
HTDFPC
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241894
wikitext
text/x-wiki
{{header
| title = {{PAGENAME}}
| year = 1958
|notes =
<[[Wikisource:日本の法律]]
{{-}}
[[カテゴリ:昭和33年の法律]]
{{現行法令掲載}}
{{法令情報の箇条書き}}
}}
{{デフォルトソート:ちようりしほう}}
== 本則 ==
(目的)
;第一条
:この法律は、調理師の資格等を定めて調理の業務に従事する者の資質を向上させることにより調理技術の合理的な発達を図り、もつて国民の食生活の向上に資することを目的とする。
(定義)
;第二条
:この法律で「調理師」とは、調理師の名称を用いて調理の業務に従事することができる者として都道府県知事の免許を受けた者をいう。
(調理師の免許)
;第三条
:調理師の免許は、次の各号のいずれかに該当する者に対し、その申請に基づいて都道府県知事が与える。
::一 [[学校教育法]](昭和二十二年法律第二十六号)第五十七条(高等学校の入学資格)に規定する者で、都道府県知事の指定する調理師養成施設において、一年以上、調理、栄養及び衛生に関して調理師たるに必要な知識及び技能を修得したもの
::二 学校教育法第五十七条に規定する者で、多数人に対して飲食物を調理して供与する施設又は営業で厚生労働省令の定めるものにおいて二年以上調理の業務に従事した後、調理師試験に合格したもの
(調理師試験)
;第三条の二
:調理師試験は、厚生労働大臣の定める基準により、調理、栄養及び衛生に関して必要な知識及び技能について、都道府県知事が行う。
:2 都道府県知事は、厚生労働省令で定めるところにより、一般社団法人又は一般財団法人であつて、調理師試験の実施に関する事務(以下「試験事務」という。)を適正かつ確実に実施することができると認められるものとして厚生労働大臣があらかじめ指定する者(以下「指定試験機関」という。)に試験事務の全部又は一部を行わせることができる。
:3 指定試験機関の役員若しくは職員又はこれらの職にあつた者は、試験事務に関して知り得た秘密を漏らしてはならない。
:4 試験事務に従事する指定試験機関の役員又は職員は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。
:5 都道府県は、[[地方自治法]](昭和二十二年法律第六十七号)第二百二十七条の規定に基づき調理師試験に係る手数料を徴収する場合においては、第二項の規定により指定試験機関が行う調理師試験を受けようとする者に、条例で定めるところにより、当該手数料を当該指定試験機関へ納めさせ、その収入とすることができる。
(絶対的欠格事由)
;第四条
:第六条第二号に該当し、同条の規定により免許の取消処分を受けた後一年を経過しない者には、第三条の免許を与えない。
(相対的欠格事由)
;第四条の二
:次の各号のいずれかに該当する者には、第三条の免許を与えないことがある。
::一 麻薬、あへん、大麻又は覚せい剤の中毒者
::二 罰金以上の刑に処せられた者
(調理師名簿、登録及び免許証の交付)
;第五条
:都道府県に調理師名簿を備え、免許に関する事項を登録する。
:2 免許は、調理師名簿に登録することによつて行う。
:3 都道府県知事は、免許を与えたときは、調理師免許証を交付する。
(届出)
;第五条の二
:多数人に対して飲食物を調理して供与する施設又は営業で厚生労働省令の定めるものにおいて調理の業務に従事する調理師は、厚生労働省令で定める二年ごとの年の十二月三十一日現在における氏名、住所その他厚生労働省令で定める事項を、当該年の翌年一月十五日までに、その就業地の都道府県知事に届け出なければならない。
:2 都道府県知事は、厚生労働省令で定めるところにより、一般社団法人又は一般財団法人であつて、前項の規定による届出の受理に係る事務(以下「届出受理事務」という。)を適正かつ確実に実施することができると認められるものとして当該都道府県知事があらかじめ指定する者(以下「指定届出受理機関」という。)に届出受理事務の全部又は一部を行わせることができる。
:3 指定届出受理機関の役員若しくは職員又はこれらの職にあつた者は、届出受理事務に関して知り得た第一項の規定による届出に係る事項を漏らしてはならない。
(免許の取消し)
;第六条
:都道府県知事は、調理師が次の各号のいずれかに該当するときは、その免許を取り消すことができる。
::一 第四条の二各号のいずれかに該当するに至つたとき。
::二 その責めに帰すべき事由により、調理の業務に関し食中毒その他衛生上重大な事故を発生させたとき。
(政令への委任)
;第七条
:この法律に定めるもののほか、調理師の免許、登録、調理師養成施設、指定試験機関及びその行う試験事務並びに指定届出受理機関に関して必要な事項は、政令で定める。
(名称の使用制限)
;第八条
:調理師でなければ、調理師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない。
(調理師の設置)
;第八条の二
:多数人に対して飲食物を調理して供与する施設又は営業で厚生労働省令の定めるものの設置者又は営業者は、当該施設又は営業における調理の業務を行わせるため、当該施設又は営業の施設ごとに、調理師を置くように努めなければならない。
(調理技術の審査)
;第八条の三
:厚生労働大臣は、調理師の資質の向上に資するため、調理技術に関する審査を行うことができる。
:2 厚生労働大臣は、前項の調理技術に関する審査の事務で厚生労働省令の定めるものをその指定する団体に委託することができる。
:3 第一項の調理技術に関する審査に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。
(調理師会)
;第九条
:調理師は、調理師の資質の向上及び合理的な調理技術の発達に寄与することを目的として、調理師会を組織することができる。
:2 調理師会は、調理師の指導及び連絡、調理技術の研究、調理師の福祉の増進その他前項の目的を達するために必要な事業を行う。
:3 二以上の調理師会は、相互の連絡及び事業の調整を行うため、連合会を組織することができる。
(権限の委任)
;第九条の二
:この法律に規定する厚生労働大臣の権限は、厚生労働省令で定めるところにより、地方厚生局長に委任することができる。
:2 前項の規定により地方厚生局長に委任された権限は、厚生労働省令で定めるところにより、地方厚生支局長に委任することができる。
(罰則)
;第十条
:第三条の二第三項の規定に違反した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
;第十一条
:第八条の規定に違反した者は、三十万円以下の罰金に処する。
== 附 則 ==
(施行期日)
:1 この法律は、公布の日から起算して六月をこえない範囲内で政令で定める日から施行する。
(経過規定)
:2 この法律の施行の際、現に都道府県知事の免許による調理士又は調理師である者は、この法律の施行後三年に限り、第三条第一項の免許を受けた者とみなす。
:3 旧国民学校令(昭和十六年勅令第百四十八号)による国民学校の高等科を修了した者、旧中等学校令(昭和十八年勅令第三十六号)による中等学校の二年の課程を終つた者又は厚生労働省令で定めるところによりこれらの者と同等以上の学力があると認められる者は、当分の間、第三条の規定の適用については、学校教育法第五十七条に規定する者とみなす。
=== 附 則 (昭和五六年六月二〇日法律第八九号) ===
:この法律は、公布の日から施行する。
=== 附 則 (昭和六一年一二月二六日法律第一〇九号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、公布の日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、それぞれ当該各号に定める日から施行する。
::一及び二 略
::三 第八条の規定並びに附則第三条の規定、附則第十条の規定(厚生省設置法第六条第五十六号の改正規定を除く。)及び附則第十四条の規定 昭和六十二年十月一日
(調理師法の一部改正に伴う経過措置)
;第三条
:都道府県知事は、第八条の規定の施行の際現に同条の規定による改正前の調理師法(以下この条において「旧法」という。)第三条第一項第二号に該当する者又は旧法附則第三項に規定する者に対しては、第八条の規定による改正後の調理師法(以下この条において「新法」という。)第三条第一項の規定にかかわらず、同項の免許を与えることができる。
:2 第八条の規定の施行前に旧法第三条第一項第三号に規定する試験に合格した者は、新法第三条第一項第二号の調理師試験に合格した者とみなす。
(その他の処分、申請等に係る経過措置)
;第六条
:この法律(附則第一条各号に掲げる規定については、当該各規定。以下この条及び附則第八条において同じ。)の施行前に改正前のそれぞれの法律の規定によりされた許可等の処分その他の行為(以下この条において「処分等の行為」という。)又はこの法律の施行の際現に改正前のそれぞれの法律の規定によりされている許可等の申請その他の行為(以下この条において「申請等の行為」という。)でこの法律の施行の日においてこれらの行為に係る行政事務を行うべき者が異なることとなるものは、附則第二条から前条までの規定又は改正後のそれぞれの法律(これに基づく命令を含む。)の経過措置に関する規定に定めるものを除き、この法律の施行の日以後における改正後のそれぞれの法律の適用については、改正後のそれぞれの法律の相当規定によりされた処分等の行為又は申請等の行為とみなす。
(罰則に関する経過措置)
;第八条
:この法律の施行前にした行為及び附則第二条第一項の規定により従前の例によることとされる場合における第四条の規定の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
=== 附 則 (平成五年六月一四日法律第六〇号) ===
:この法律は、公布の日から施行する。
=== 附 則 (平成五年六月一八日法律第七四号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、公布の日から起算して一年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。
=== 附 則 (平成五年一一月一二日法律第八九号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、[[行政手続法]](平成五年法律第八十八号)の施行の日から施行する。
(諮問等がされた不利益処分に関する経過措置)
;第二条
:この法律の施行前に法令に基づき審議会その他の合議制の機関に対し行政手続法第十三条に規定する聴聞又は弁明の機会の付与の手続その他の意見陳述のための手続に相当する手続を執るべきことの諮問その他の求めがされた場合においては、当該諮問その他の求めに係る不利益処分の手続に関しては、この法律による改正後の関係法律の規定にかかわらず、なお従前の例による。
(罰則に関する経過措置)
;第十三条
:この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(聴聞に関する規定の整理に伴う経過措置)
;第十四条
:この法律の施行前に法律の規定により行われた聴聞、聴問若しくは聴聞会(不利益処分に係るものを除く。)又はこれらのための手続は、この法律による改正後の関係法律の相当規定により行われたものとみなす。
(政令への委任)
;第十五条
:附則第二条から前条までに定めるもののほか、この法律の施行に関して必要な経過措置は、政令で定める。
=== 附 則 (平成一一年七月一六日法律第八七号) 抄 ==-
(施行期日)
;第一条
:この法律は、平成十二年四月一日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。
::一 第一条中地方自治法第二百五十条の次に五条、節名並びに二款及び款名を加える改正規定(同法第二百五十条の九第一項に係る部分(両議院の同意を得ることに係る部分に限る。)に限る。)、第四十条中自然公園法附則第九項及び第十項の改正規定(同法附則第十項に係る部分に限る。)、第二百四十四条の規定(農業改良助長法第十四条の三の改正規定に係る部分を除く。)並びに第四百七十二条の規定(市町村の合併の特例に関する法律第六条、第八条及び第十七条の改正規定に係る部分を除く。)並びに附則第七条、第十条、第十二条、第五十九条ただし書、第六十条第四項及び第五項、第七十三条、第七十七条、第百五十七条第四項から第六項まで、第百六十条、第百六十三条、第百六十四条並びに第二百二条の規定 公布の日
(国等の事務)
;第百五十九条
:この法律による改正前のそれぞれの法律に規定するもののほか、この法律の施行前において、地方公共団体の機関が法律又はこれに基づく政令により管理し又は執行する国、他の地方公共団体その他公共団体の事務(附則第百六十一条において「国等の事務」という。)は、この法律の施行後は、地方公共団体が法律又はこれに基づく政令により当該地方公共団体の事務として処理するものとする。
(処分、申請等に関する経過措置)
;第百六十条
:この法律(附則第一条各号に掲げる規定については、当該各規定。以下この条及び附則第百六十三条において同じ。)の施行前に改正前のそれぞれの法律の規定によりされた許可等の処分その他の行為(以下この条において「処分等の行為」という。)又はこの法律の施行の際現に改正前のそれぞれの法律の規定によりされている許可等の申請その他の行為(以下この条において「申請等の行為」という。)で、この法律の施行の日においてこれらの行為に係る行政事務を行うべき者が異なることとなるものは、附則第二条から前条までの規定又は改正後のそれぞれの法律(これに基づく命令を含む。)の経過措置に関する規定に定めるものを除き、この法律の施行の日以後における改正後のそれぞれの法律の適用については、改正後のそれぞれの法律の相当規定によりされた処分等の行為又は申請等の行為とみなす。
:2 この法律の施行前に改正前のそれぞれの法律の規定により国又は地方公共団体の機関に対し報告、届出、提出その他の手続をしなければならない事項で、この法律の施行の日前にその手続がされていないものについては、この法律及びこれに基づく政令に別段の定めがあるもののほか、これを、改正後のそれぞれの法律の相当規定により国又は地方公共団体の相当の機関に対して報告、届出、提出その他の手続をしなければならない事項についてその手続がされていないものとみなして、この法律による改正後のそれぞれの法律の規定を適用する。
(不服申立てに関する経過措置)
;第百六十一条
:施行日前にされた国等の事務に係る処分であって、当該処分をした行政庁(以下この条において「処分庁」という。)に施行日前に行政不服審査法に規定する上級行政庁(以下この条において「上級行政庁」という。)があったものについての同法による不服申立てについては、施行日以後においても、当該処分庁に引き続き上級行政庁があるものとみなして、行政不服審査法の規定を適用する。この場合において、当該処分庁の上級行政庁とみなされる行政庁は、施行日前に当該処分庁の上級行政庁であった行政庁とする。
:2 前項の場合において、上級行政庁とみなされる行政庁が地方公共団体の機関であるときは、当該機関が行政不服審査法の規定により処理することとされる事務は、新地方自治法第二条第九項第一号に規定する第一号法定受託事務とする。
(手数料に関する経過措置)
;第百六十二条
:施行日前においてこの法律による改正前のそれぞれの法律(これに基づく命令を含む。)の規定により納付すべきであった手数料については、この法律及びこれに基づく政令に別段の定めがあるもののほか、なお従前の例による。
(罰則に関する経過措置)
;第百六十三条
:この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(その他の経過措置の政令への委任)
;第百六十四条
:この附則に規定するもののほか、この法律の施行に伴い必要な経過措置(罰則に関する経過措置を含む。)は、政令で定める。
(検討)
;第二百五十条
:新地方自治法第二条第九項第一号に規定する第一号法定受託事務については、できる限り新たに設けることのないようにするとともに、新地方自治法別表第一に掲げるもの及び新地方自治法に基づく政令に示すものについては、地方分権を推進する観点から検討を加え、適宜、適切な見直しを行うものとする。
;第二百五十一条
:政府は、地方公共団体が事務及び事業を自主的かつ自立的に執行できるよう、国と地方公共団体との役割分担に応じた地方税財源の充実確保の方途について、経済情勢の推移等を勘案しつつ検討し、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
=== 附 則 (平成一一年一二月二二日法律第一六〇号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律(第二条及び第三条を除く。)は、平成十三年一月六日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。
::一 第九百九十五条(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の一部を改正する法律附則の改正規定に係る部分に限る。)、第千三百五条、第千三百六条、第千三百二十四条第二項、第千三百二十六条第二項及び第千三百四十四条の規定 公布の日
=== 附 則 (平成一三年六月二九日法律第八七号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、公布の日から起算して一月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。
(検討)
;第二条
:政府は、この法律の施行後五年を目途として、この法律による改正後のそれぞれの法律における障害者に係る欠格事由の在り方について、当該欠格事由に関する規定の施行の状況を勘案して検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
(再免許に係る経過措置)
;第三条
:この法律による改正前のそれぞれの法律に規定する免許の取消事由により免許を取り消された者に係る当該取消事由がこの法律による改正後のそれぞれの法律により再免許を与えることができる取消事由(以下この条において「再免許が与えられる免許の取消事由」という。)に相当するものであるときは、その者を再免許が与えられる免許の取消事由により免許が取り消された者とみなして、この法律による改正後のそれぞれの法律の再免許に関する規定を適用する。
(罰則に係る経過措置)
;第四条
:この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
=== 附 則 (平成一八年六月二日法律第五〇号) 抄 ===
:この法律は、一般社団・財団法人法の施行の日から施行する。
=== 附 則 (平成一九年六月二七日法律第九六号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、公布の日から起算して六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。
=== 附 則 (平成二三年六月二四日法律第七四号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。
=== 附 則 (平成二六年六月四日法律第五一号) 抄 ===
(施行期日)
;第一条
:この法律は、平成二十七年四月一日から施行する。
(処分、申請等に関する経過措置)
;第七条
:この法律(附則第一条各号に掲げる規定については、当該各規定。以下この条及び次条において同じ。)の施行前にこの法律による改正前のそれぞれの法律の規定によりされた許可等の処分その他の行為(以下この項において「処分等の行為」という。)又はこの法律の施行の際現にこの法律による改正前のそれぞれの法律の規定によりされている許可等の申請その他の行為(以下この項において「申請等の行為」という。)で、この法律の施行の日においてこれらの行為に係る行政事務を行うべき者が異なることとなるものは、附則第二条から前条までの規定又はこの法律による改正後のそれぞれの法律(これに基づく命令を含む。)の経過措置に関する規定に定めるものを除き、この法律の施行の日以後におけるこの法律による改正後のそれぞれの法律の適用については、この法律による改正後のそれぞれの法律の相当規定によりされた処分等の行為又は申請等の行為とみなす。
:2 この法律の施行前にこの法律による改正前のそれぞれの法律の規定により国又は地方公共団体の機関に対し報告、届出、提出その他の手続をしなければならない事項で、この法律の施行の日前にその手続がされていないものについては、この法律及びこれに基づく政令に別段の定めがあるもののほか、これを、この法律による改正後のそれぞれの法律の相当規定により国又は地方公共団体の相当の機関に対して報告、届出、提出その他の手続をしなければならない事項についてその手続がされていないものとみなして、この法律による改正後のそれぞれの法律の規定を適用する。
(罰則に関する経過措置)
;第八条
:この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(政令への委任)
;第九条
:附則第二条から前条までに規定するもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置(罰則に関する経過措置を含む。)は、政令で定める。
=== 附 則 (令和四年六月一七日法律第六八号) 抄 ===
(施行期日)
:1 この法律は、刑法等一部改正法施行日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。
::一 第五百九条の規定 公布の日
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第1巻/エウセビオスの教会史/第3巻/第25章
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume I/Church History of Eusebius/Book III/Chapter 25|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume I/Church History of Eusebius/Book III/Chapter 25]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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==第25章==
<< 受け入れられている聖書と受け入れられていない聖書<ref>この章は、エウセビオスが正典を体系的に扱おうとした唯一の箇所であり、批評家としてではなく、純粋に歴史家として語っている。彼は、当時の正統派教会の聖書の数と名前に関する一般的な意見を正確に述べようとしている。彼はこの箇所で、さまざまな作品に、正統派教会によって正典として受け入れられているという以上の正典性の基準を適用していない。彼は単に正典の状態を記録しているだけで、正典を形成しようとはしていない。したがって、教会が受け入れている書籍の性質と起源には何の関係もない。ヴァイスが指摘しているように ( Einleitung in das NT、 p. 96)、正典の形成におけるエウセビオスの影響は、非常に一般的に過大評価されている。彼自身の貢献は非常に少なく、彼の役割は当時の教会の慣習を記録することであり、それを形作ることではなかった。彼が判断を下す教会は、主に東方教会であり、当時のその教会では、現在正典と呼んでいるすべての作品(そしてそれらだけ)がすでに広く受け入れられていたか、またはますます広く受け入れられつつありました。したがって、正典性の観点から、エウセビオスはこの章で言及する作品を2つのクラスに分類しました。正典(ホモロゴメナとアンチレゴメナを含む)と非正典(νόθοι非合法 と ἀναπλ€σματα αὶρετικῶν ἀνδρῶν異端者の複製 を含む)です。しかし、彼はνόθοι(不法な)を、実際には他のすべての作品から切り離され、独自のクラスに置かれている異端の作品よりも、ホモロゴメナと アンチレゴメナにはるかに密接に結び付けています。それでは、エウセビオスが分類しているように、ホモロゴメナ、アンチレゴメナ、 νόθοι(非合法) は互いにどのような関係にあるのでしょうか。重要な点は、νόθοι(非合法) とἀντιλεγόμενα (矛盾した) の関係です。リュッケ(エウセビオスの旧約聖書のカノンについて、 11ページ以下)は両者を同一視しましたが、この箇所ではそのような同一視は不可能です。彼が自分の見解を裏付けるために引用している箇所は、アンチレゴメナという言葉がエウセビオスによって一般的な意味で一般的に使用され、論争の的となっているすべての作品、したがって当然νόθοιも含まれることを証明しているだけです。つまり、アンチレゴメナという用語は通常、νόθοιと同一ではなく、それを含むものとして使用されています。しかし、これは、エウセビオスがこの文章で厳密に区別しようと努めている言葉の専門的な使用については何も証明しない。リュッケの時代以来、この関係におけるこれらの用語の相互関係についてはさまざまな見解が示されてきたが、少なくとも私にはどれも満足のいくものではないようで、私は次のような簡単な説明を採用するに至った。アンチレゴメナ、この要約に特有の狭い意味では、エウセビオスの時代には東方教会で正典として一般に受け入れられていた作品であるが、エウセビオスがよく知っていたように、常に正典として受け入れられていたわけではなく、実際、当時でさえ普遍的に正典として受け入れられていたわけではない。しかしながら、その傾向は明らかにますます広く受け入れられる方向にあった。一方、νόθοιは、教父によって使用され、教父の一部によってγραφὴ(著作) として引用されていたものの、当時は正典として認められていなかった作品である。正典から普遍的に拒否されたわけではないかもしれないが、一般的に拒否されており、その傾向は明らかにますます広く拒否される方向にあった。その価値がどうであれ、その古さや真正性に対する主張がどうであれ、エウセビオスはそれを正典の中に位置づけることはできなかった。したがって、この文章における νόθοι という用語は、一般にそうであるように、偽造または非正統的という意味ではなく、非正統的という意味にとらえるべきである。エウセビオスは、正統的なホモロゴメナとアンチレゴメナに対抗する意味でこの意味でこの言葉を使用しており、この意味での使用は完全に正当である。この言葉の使用において、彼は言及されている作品の正統性について判断を下していない。それは、今回の場合、彼の関心事ではない。歴史家として、彼は傾向を観察し、それに応じて判断した。彼は、アンチレゴメナの権威が高まり、 νόθοι の権威が低下していることを見て取り、すでに両者をはっきりと区別することができた。これは、1 世紀前にはアレクサンドリアのクレメンスができなかったことである。この区別は、2 つの種類の作品の正統性や本来の権威とは関係がなく、エウセビオスが執筆した当時のそれらの正統性または非正統性とのみ関係している。この解釈は、エウセビオスが黙示録を扱う独特の方法を理解するのに役立ち、したがって彼の黙示録の扱いは、その解釈を支持する議論となる。彼は黙示録をまずεἴγε φανείη でホモロゴメナの中に置き、次に εἴ φανείη で νόθοι の中に置いた。私が知る限り、なぜ黙示録をホモロゴメナの代わりに νόθοι の中に置いたのか、それともアンチレゴメナの中に置いたのかを説明した人は誰もいない。アンチレゴメナは、クラスの関係についての一般的な解釈では当然予想されることである。提示された見解が正しいとすれば、その理由は明らかである。反レゴメナそれらは、論争の的となっていたが、正典としてますます広く受け入れられつつある作品であった。黙示録はいかなる状況下でもこの部類に入ることはあり得ない。なぜなら、正統派教会で黙示録に対して提起された疑問は最近のものであったからである。黙示録は実際、特異な位置を占めていた。なぜなら、正典として受け入れられていながら、過去よりも現在の方が疑問視されている作品は他にないからである。したがって、エウセビオスは黙示録を特別な部類に入れるか、彼がしているように、条件付きで二つの部類に入れるかのどちらかである。疑問があまりにも広まって正典性が損なわれるようなことがあれば、黙示録は自然に νόθοι に入るだろう。なぜなら、その場合黙示録は、その部類の他の作品と同じ位置を占めるからである。歴史家として、エウセビオスはその傾向を見て、黙示録が、同種の他のキリスト教の著作(『羊飼い』、『ペテロの黙示録』など)と同様に、最終的には νόθοι の一つ、つまり以前は受け入れられていたものの、最終的には正典であることが一般的に否定される著作の一つになるかもしれないという考えを疑いなく持っていた。そこで、歴史家として、彼は代替案を提示している。黙示録は、疑問の余地がある唯一の著作であった。エウセビオスがこの箇所でヘブライ人への手紙について明示的に言及しなかったことは、かなりの誤解を招いた。提示された見解を採用するならば、説明は簡単である。エウセビオスは、それをパウロの手紙の中に含め、特に言及しなかったのは、単にその正典性について争いがなかったからであると私は思う。エウセビオスが他の箇所で述べているように、それがパウロの著作であるかどうかは広く議論されており、それを説明するさまざまな理論が提案されていた。しかし、正統派教会ではその正典性が疑われていなかったため、その著者に関する疑いは、 ここで技術的な意味で使用されているホモロゴメナの中でのその位置を少しも危険にさらすものではありませんでした。また、エウセビオスは各クラスの作品を単に述べていただけで、それらの作品の性質と起源については議論していなかったため、公平を期して、彼はそれについて何の議論もせずに、それをパウロの手紙(彼自身はそれが属すると信じていた)に含めることができました。もう1つの注目すべき省略は、コリントの信徒へのクレメンスの手紙です。これに対する納得のいく理由を見つけようとするすべての努力は無駄でした。エウセビオスが他の箇所でそれを扱っているように、それはバルナバの手紙などと一緒にνόθοιの中に置かれるべきでした。ホルツマンと同様に、それを省略したのは単なる見落としに過ぎなかったと想定する必要があります。エウセビオスは、この章で言及されている作品を、2つの原則に基づいて分類しています。第一に、正典性に関して、正典と非正典に分類します。第二に、性格に関して、正統派(正典であるホモロゴメナ、アンチレゴメナ、非正典であるνόθοι)と異端派(正典ではない、そしてこれまで正典であったことはなく、使用や権威として受け入れられたこともない)に分類します。 したがって、ホモロゴメナとアンチレゴメナは正典かつ正統であるが、ἀναπλ€σματα αἱρετικῶν ἀνδρῶν は正典でも正統でもないが、νόθοιは正統だが正典ではないという特殊な位置を占めている。後者は異端の作品よりも正典とより密接に関連している。なぜなら、正典が最終的にそうなったほど具体的で正確なものではなかった時代には、それらは他の正統の作品と同様に啓発と教育に役立つものとしてそれらと関連付けられていたからである。それらは異端の作品とは決して関連付けられておらず、それらと共通していたのは非正典性という否定的な特徴だけであった。エウセビオスは当然それらを前者と密接に結び付け、後者から完全に切り離している。後者について言及する唯一の理由は、使徒の名前が付けられており、キリスト教徒だけでなく非信者からも、他の書物と同様に聖なる書物であるとしばしば考えられていたためである。正典の記述は、エウセビオスに読者にそれらに対して警告する機会を与えている。エウセビオスの新約聖書正典については、特に上記のリュッケの著作、またウェストコットの『新約聖書正典』第 5 版の 414 ページ以下、ハルナックの『使徒行伝』 6 ページ以下、ホルツマンの『新約聖書入門』 154 ページ以下、およびヴァイスの『入門』 92 ページ以下を参照。本注釈の大部分は、1888 年 12 月にアメリカ教会史協会で発表され、第 10 巻に印刷されている。その協会の文書の第 I 巻、ニューヨーク、1889 年、251 ページ以下。</ref>>>
1.この主題を扱っている以上、すでに述べた新約聖書の内容を要約するのが適切でしょう。まず、福音書の聖なる四部作<ref>マタイについては前章の注釈5を参照。マルコについては第2巻第15章の注釈4を参照。ルカについては第3巻第4章の注釈12と15を参照。ヨハネについては前章の注釈1を参照。</ref>、それに続いて使徒言行録<ref>上記第4章注14を参照。</ref>を挙げなければなりません。
2. これに続いてパウロの手紙が数えられなければならない<ref> 第3章、注釈16を参照。エウセビオスは明らかにこの時点でヘブライ人への手紙をパウロの手紙の中に含めるつもりだった。なぜなら彼はこの章の他のどこにもそれについて言及していないからである(上記注釈1を参照)。</ref>。次に、現存するヨハネの以前の手紙<ref> 前章の注18を参照。</ref>とペテロの手紙<ref>第3章注1を参照。</ref>が維持されなければならない<ref> κυρωτέον キュロテオン</ref>。その後に、本当に適切と思われるなら、ヨハネの黙示録が置かれる<ref>前章の注20を参照。この章におけるエウセビオスの黙示録の正典性に関する扱いについては、上記注1を参照。</ref>。 これについては、適切な時期に異なる意見を述べることにする<ref> 前の章の注21と比較してください。</ref>。したがって、これらは受け入れられた書物に属する<ref> ἐν ὁμολογουμένοις 告白者の間で</ref>。
3. 論争の的となっている書物の中には<ref> τῶν ἀντιλεγομένων 対戦相手の</ref>、しかしながら多くの人々に<ref> γνωρίμων 知人</ref>認められているものがあり、いわゆるヤコブの手紙<ref> 第2巻第23章46節の注釈を参照。</ref>とユダの手紙<ref>同書注47を 参照 。</ref>、またペテロの第二の手紙<ref> 上記第3章の注4を参照。</ref>、そしてヨハネの第二と第三の手紙<ref>前章の注19を参照。</ref>と呼ばれるものがあり、これらは福音伝道者のものなのか、それとも同名の別の人物のものなのかは不明である。
4. 拒否された書物の中には<ref>悪行者の中に。</ref>『パウロの行伝』<ref>上記第3章、注20を参照。</ref>、いわゆる『牧者』<ref> 同上、注23。</ref>、『ペテロの黙示録』<ref> 同上、注9。</ref>、そしてこれらに加えて現存する『バルナバの手紙』<ref>いわゆる『バルナバの手紙』の著者は不明である。手紙自体には名前は登場せず、既知の著者に帰属できるようなヒントも示されていない。異論のない外部の証言では、パウロの仲間であるバルナバが書いたとされている。しかし、この証言は全員一致ではあるものの、あまり強力でも広範囲でもない。この手紙を最初に引用したのはアレクサンドリアのクレメンスで、彼はこれをパウロの仲間であるバルナバが書いたと明確にかつ頻繁に述べている。オリゲネスはこの手紙を2度引用し、バルナバの手紙と呼んでいるが、その信憑性について判断を下すことはなく、著者をより詳しく定義することもない。ヒエロニムス(de vir. ill. 6)は明らかにその信憑性を疑っていなかったが、それでも外典の中に入れており、彼の意見は17世紀まで支配的であった。エウセビオスがその著者についてどう考えていたかを判断するのは難しい。ここで彼がそれを νόθοι の中に入れたことは、彼がそれを非正典とみなしていたことを証明するものではない (上記注 1 を参照)。また、その一方で、彼がそれを すぐ下のAntilegomenaの中に分類したことは、一部の人が主張するように、彼がそれを正典ではあるが非使徒的であるとみなしていたことを証明するものではない。したがって、私たちが持っている直接的な外部証言は、使徒バルナバがその著者であると主張するものであるが、エウセビオスの時代以前にそれが正典から完全に排除された原因となった最初の 3 世紀の間、その真正性に関して広範な疑いが存在していたに違いないことに留意する必要がある。この排除が、バルナバ自身が 12 使徒の一人ではなかったという事実から生じたということはあり得ない。使徒による著者であることは正典性の唯一の基準ではなく、バルナバは使徒と十分近い関係にあったため、その真正性が疑われなかったとしても、その作品が徐々に形成される時期に正典の中にその場所を確保できたはずである。したがって、この推論を、バルナバの著者であるという直接的な外部証言と対比して考えることができる。内部証言について言えば、この手紙の著者が「レビ人バルナバ」ではないという議論は決定的である。これらの議論は、ドナルドソンの『 キリスト教文学史』第 1 巻 204 ページ以下でよく述べられている。ミリガンは、スミスとウェイスの『キリスト伝記辞典』の中で、彼はこれらの議論の力を打ち破ろうと努め、この書簡の信憑性は極めて高いと結論付けているが、彼の立場は決定的とは程遠く、現代の学者の中ではほぼ唯一の立場にあると言える。特にここ数年、この書簡の信憑性に反対する判決はほぼ全員一致となっている。著者はバルナバという名の無名の人物だったと考える者もいるが、これは単なる推測に過ぎない。著者がアレクサンドリアに住んでいたというのが支配的な意見のようで、かなりあり得る。この書簡がエルサレムの破壊 (紀元後70 年) からアレクサンドリアのクレメンスの時代までの間に書かれたことは確かであり、エリア・カピトリナの建設前に書かれたことはほぼ確実であり、紀元 100 年から 120 年の間に書かれた可能性もあるが、ウェスパシアヌス帝の治世の初めからハドリアヌス帝の終わりまで、さまざまな年代が有能な学者によって擁護されてきたし、今も擁護されている。この手紙は、ギリシャ語の原文が不完全なまま、また古代ラテン語訳が今も残っています。使徒教父のすべての版に収録されています (特に、ゲブハルトとハルナックの第 2 版 (1876 年) とヒルゲンフェルトの 1877 年版を参照)。英語訳は、アンテニケア教父集成第 1 巻、133 ページ以降に掲載されています。最も重要な文献については、Schaff著、第 2 章、671 ページ以降、およびゲブハルトとハルナックの版、41 ページ以降を参照。</ref>、いわゆる『使徒の教え』<ref>十二使徒の教え (Διδαχαί ディダケー). 十二使徒の教え( Διδαχὴ τῶν δώδεκα ἀποστόλων Teaching of the Twelve Apostles)は、16章からなる短い文書で、ニコメディアの大主教フィロテオス・ブリエンニオスが1873年にコンスタンティノープルのエルサレム修道院で発見した写本から1884年に出版しました。この発見は神学界全体を興奮状態に陥れ、アメリカやヨーロッパのあらゆる国からこの主題に関する書籍や記事が何百冊も出版されました。これほど重要な発見は長年ありませんでした。この小さな文書が初期の教会史に投げかけた光は非常に大きいですが、同時にそれが開いた疑問も数多く重大です。その起源と性質については未だに多くの点が未だに決まっていないが、以下の一般的な立場は事実上確立したものとして受け入れられるであろう。それは2つの部分から成り、そのうち前者(第1章から第6章)は、おそらくユダヤ起源の独立した道徳論文『二つの道』の編集版である。この論文はアレクサンドリアで知られ、使用されており、当初は「教え」自体に基づいていると考えられていた他の著作(例えば、バルナバの手紙、第18章から第21章、教会法典)の基礎となった。(ブリエンニオス、ハルナック、その他は『教え』はバルナバに基づいていると考えたが、この見解は広く受け入れられたことはない。)この(ユダヤの)『二つの道』は、1世紀末より前には確かに存在していたが(どれくらい前かは不明)、2世紀初頭(それ以前でなければ)初期の教会マニュアル、すなわち現在の十二使徒の教えの一部となった。『二つの道』は、教えに組み込まれる前と(おそらくは組み込まれた後)の両方で、部分的にキリスト教的な性格を持つ重要な追加を受けました。完成した教えはシリアで作られたものですが、多くの著者(たとえばハルナック)はこれを否定しています。彼らは、私には不十分な根拠に基づいて、エジプトが執筆場所であると考えています。完成した教えは、4世紀にシリアで始まった使徒憲章の第7巻の一部の基礎となりました。最も完全で有用な版は、シャフの版(十二使徒の教え、 第3版、ニューヨーク、1889年)で、ギリシャ語のテキストと英語の翻訳、および作品自体とその発見に影響されたさまざまな質問に関する非常に詳細な議論が含まれています。ハルナックの重要な版であるDie Lehre der zwölff Apostel(Texte und Untersuchungen zur Gesch. der altchrist. Lit.、シャフの『ユダヤ教の教え』(1884年)は、今でもこの主題に関する標準的なドイツ語の著作であるが、著作の起源と歴史に関して多くの立場を示しているが、それらはその後誤りであることが証明され、シャフ自身もそれを放棄している。したがって、ヘルツォークの第2版、XVII. 656 sqq. に掲載された彼の論文と、 1886年の『使徒的指導とユダヤ教の道』は、彼の原著と比較されるべきである。シャフの本には、1888年末までの文献の非常に完全な要約が含まれている。『教え』が正典の中で占めていた位置については、初期の教父たちがそれを非常に控えめに使用していたため、ほとんど知られていない。アレクサンドリアのクレメンスは、これを聖書 (γραφή 著作) として一度引用していますが、エウセビオス以前の他の著述家はこれを同じように扱っていません。しかし、エウセビオスがこれを νόθοι の中に挙げていることは、この書物がかつて広く流布し、少なくとも教会の一部では礼拝で読むに値する書物として受け入れられ、したがってある意味では正典の一部であったことを示しています。しかし、エウセビオスの時代には、その正典性は否定されていました (アタナシウス, Fest. Ep. 39 によると、これは依然として教理教育では使用されていました)。そのため、エウセビオスはこれを νόθοι の中に位置付けざるを得ませんでした。エウセビオスが διδαχαί ディダケー の複数形を使用したことに関しては、1886 年 4 月のAndover Reviewの 439 ページ以降の記事を参照してください。</ref>、そして私が言ったように、適切と思われるならば『ヨハネの黙示録』も含まれます。私が言ったように、ヨハネの黙示録は一部の人々が拒否しますが<ref> ἀθετοῦσιν 不従順な。前章の注20を参照。</ref>、他の人々はこれを受け入れられた書物に分類します<ref> τοῖς ὁμολογουμένοις. 告白者たちへ。上記の注 1 を参照してください。</ref>。
5. そして、これらの中に『ヘブライ人による福音書』も含める人もいます<ref>この福音書は、おそらくヘブライ語(アラム語)で書かれ、現存していませんが、Grabe, Spic. I. 15–31 と Hilgenfeld, NT Extra Can. rec. II によって収集されたギリシャ語とラテン語の断片がいくつか残っています。失われた福音書の性質と正典福音書との関係について判断を下すための現存する資料は非常に限られています。しかし、その元の形が(多くの人が考えているように)正典のマタイの手直しであったことはあり得ないことは確かです。そのような推測をするには、ギリシャ語のマタイと比較して、この福音書には独創的な点があまりにも多く含まれています。一方、これがギリシャ語のマタイの翻訳の元になったものであることも不可能です。この断片をマタイと比較すれば、これを十分に証明できます。これがマタイとルカの共通の資料の元の情報源であったことは可能ですが、それ以上は言えません。リプシウス Lipsius(『キリスト教辞典』第二巻709~712ページ)とウェストコット(『教会史』 515ページ以下)は、そこから引用されたと思われるさまざまな引用を挙げている。出典がはっきりしないため、実際にどれだけがそこから遡れるのかは不明である。パピアスがそれを見た可能性はあるが確実ではない(第39章、注釈28参照)。イグナティウスが見た可能性もあるが、その事実を証明するために依拠した箇所はそれを証明していない(第36章、注釈14参照)。この福音書は、おそらくユスティノス(ウェストコット、同書、 516 ページ、およびリプシウス、同書、 712 ページを参照)によって使用され、間違いなくヘゲシッポス(下記、第 4 巻、22 章を参照)によって使用され、おそらくパンタイノス(下記、第 5 巻、10 章、注 8 を参照)にも知られていたであろう。アレクサンドリアのクレメンス(ストロマテイス、 II、9)とオリゲネス(ヨハネ、 II、6 および何度も)は、このような福音書の存在を明確に証言した最初の人物である。エウセビオスもまた、III、39、IV、22 での言及、およびIV での(シリア語版の)Theophanyの引用から、この福音書を個人的に知っていたことが分かる。 13 (リー訳 p. 234)、およびギリシャ語の Theophany、 §22 (Migne、VI. 685) にも記載されています。後者も、彼がこの著作を高く評価していたことを示しています。ヒエロニムスのこの著作に関する証言は非常に重要ですが、ヒエロニムスの時代以前に福音書は大幅な変更と追加が行われており、彼の知る限りでは原典とは大きく異なっていた (リプシウス、同書p. 711 参照) ことを念頭に置く必要があります。したがって、彼がこの著作について述べていることは、原典に無制限に適用できるものではありません。エピファニオスはこの著作について多くのことを語っていますが、明らかに彼自身はそれを見たことがなく、彼の報告は非常に混乱していて誤解を招くものです。エウセビオスによれば、この福音書は、多くの聖職者によって、Homologoumenaは誤りである。ἐν τούτοις はむしろ νόθοι を指し、これは教会の大部分によって以前は受け入れられていたが、現在は非正典であるため、正当に位置付けられている。イレナイオスは、正典となる福音書は 4 つしかないと明確に述べており ( Adv. Hær. III. 2, 8)、テルトゥリアヌスも同様である ( Adv. Marc. IV. 5)。一方、アレクサンドリアのクレメンスは、聖書一般に対して使用するのと同じ表現でこの福音書を引用しており、完全にではないにしても、少なくともほぼ、他の 4 つの福音書と同等と見なしていたことは明らかである。一方、オリゲネスは ( Johann. II. 6、Hom. in Jer. XV. 4、および頻繁に)、明らかにこの福音書を正典となる 4 つの福音書よりも低い地位に置いている。エビオン派による福音書の使用と、それがヘブライ語のマタイによる福音書との関係については、第 27 章の注 8 を参照。ヘブライ人への福音書に関する文献は非常に広範囲にわたる。最近の議論の中で最も重要なのは、ヒルゲンフェルド著『Evangelien nach ihrer Entstehung』(1854 年)、『Zeitschrift f. wiss. Theol.』( 1863 年、345 ページ以下)、『NT extra Canon. rec.』 (第 2 版、1884 年)、『Einleitung z. NT』(1875 年)である。ニコルソン著『The Gospel according to the Hebrews』(1879 年)そして最後に、この主題についての非常に徹底した議論が、上記のメモを書いた後に私の手元に届いた、ハンドマンの『ヘブライ福音書』(ゲブハルトとハルナックの『テキストと研究』、第 5巻第 3 号、ライプツィヒ、1888 年)である。この著作は、この主題に関する古い文献を非常に充実したものにしている。さらに最近では、レッシュの『アグラファ』(同書、第 4 巻、ライプツィヒ、1889 年)が手に入った。これは、322 ページ以降で福音書について議論している。</ref>。キリストを受け入れたヘブライ人たちは、特にこれに喜びを感じています。そして、これらすべては、論争の的となっている書物の中に数えられるかもしれません<ref>τῶν ἀντιλεγομένων 対戦相手の</ref>。
6. しかし、私たちは、教会の伝統によれば真実で本物で一般に受け入れられている作品<ref> ἀνωμολογημένας 承認された</ref>と、正典ではなく議論の余地があるものの<ref>οὐκ ἐνδιαθήκους μὲν, ἀλλὰ καὶ ἀντιλεγομένας. (相互条件的ではなく、矛盾しています)。 エウセビオスはこの節で、νόθοιについて言及しているが、これはもちろん正典的な アンチレゴメナとは区別されているが、それらと同様に議論があり、したがって真にアンチレゴメナのより一般的な部類に属するものである。もちろん、これは、彼の歴史の非常に多くの場所で、どのようにして νόθοι と ἀντιλεγόμενα という言葉を同じ意味で使用できるのかを説明しています (たとえば、第 31 章、§6 など)。この箇所では、非正典的かつ議論の余地のあるνόθοιが、普遍的に受け入れられているものも議論の余地のあるものも含めた正典の書物と区別されており、ここでは区別なく一緒にされている。強調すべき点は、彼がここで分離しているということである。正典に属する個々の著作の性格に関係なく、非正典を正典から区別する。</ref>、ほとんどの教会の著述家には知られている他の作品とを区別して、これらの作品と、異端者が使徒の名で引用している作品の両方を知ることができるようにするために、この目録を作成せざるを得ないと感じました。これには、たとえば、ペテロの福音書<ref>第3章の注5を参照。</ref>、トマスの福音書<ref>トマスによる福音書はグノーシス主義に起源を持ち、完全にドケティズム的である。おそらく2世紀に書かれた。元のグノーシス主義の形式は現存していないが、ラテン語とギリシャ語の両方で書かれた断片的なカトリックの改訂版があり、そこから異端的な特徴は多かれ少なかれ注意深く削除されている。この福音書には、イエスの幼少期に関する非常に伝説的な物語が数多く含まれている。オリゲネス以降の教父たちによって頻繁に言及されているが、常に異端の著作としてである。ギリシャ語のテキストはティッシェンドルフの36ページ以降に示されており、英語の翻訳はアンテニケア教父のVIII. 395–405に含まれている。リプシウスの『キリストの辞典』バイオグIIの703–705ページを参照。</ref>、マティアスの福音書<ref>この福音書はオリゲネス(ルカム書 I の Hom.)、ヒエロニムス(マタイ伝 Præf.)、および後代の著者によって言及されています。この福音書は現存していませんが、アレクサンドリアのクレメンスによっていくつかの断片が保存されています。たとえば、Strom. II. 9、Strom. III. 4(第 30 章で引用)、Strom. VII. 13 には、この福音書が道徳的な色彩を帯び、禁欲主義を強調していたことがわかります。この福音書についてはほとんどわかっていませんが、リプシウスは「グノーシス派、特にバシレイオス派で高く評価されていた παραδόσεις Ματθίου と同一のもの」であると推測しています。リプシウス、同書、 p. 716 を参照。</ref>、 またはそれ以外の福音書、アンデレの行伝<ref>我々の知る限り、エウセビオスがこれらの言行録に言及した最初の著者である。しかし、エピファニオスの後、フィラストリウス、アウグスティヌスもこの使徒行伝に言及している(ティッシェンドルフのActa Apost. Apoc. p. xl. を参照)。アンデレの行伝(Acta Andrææ)はグノーシス主義に由来し、その宗派の間で数多くの版が流通していた。現存する最古の部分(ギリシャ語で多少断片的)は、 アンデレとマタイの行伝(アンテニケア教父、 VIII. 517–525に翻訳)とペテロとアンデレの行伝(同書、 526–527)である。聖使徒アンデレの行為と殉教(同書511–516)、またはいわゆる「アカイアの長老と助祭のアンデレの受難に関する手紙」は、後の著作であり、ギリシャ語とラテン語の両方でカトリックの校訂版が現存しています。これら 3 つの断片は、ティッシェンドルフのActa Apost. Apoc.の 105 ページ以下と 132 ページ以下、およびApocal. Apoc.の 161 ページ以下に掲載されています。Lipsius のDict. of Christ. Biog. I. の 30 ページを参照してください 。</ref>、ヨハネの行伝<ref>同様に、エウセビオスは、私たちが知る限り、これらの使徒行伝に言及した最初の著述家です。しかし、それらはその後、エピファニオス、フォティオス、アウグスティヌス、フィラストリウスなどによって言及されています。(ティッシェンドルフ、同書、 p. lxxiii. を参照)。これらはまた、グノーシス主義に由来し、いくつかの断片として現存しています(ティロによって収集された、Fragmenta Actum S. Johannis a Leucio Charino conscriptorum、ハレ、1847年)。大幅に短縮されていますが、明らかにグノーシス主義の特徴を含むカトリックの抜粋が現在も存在しており、ティッシェンドルフによって提供されています。Acta Apost. Apoc. p. 266 sq.( Ante-Nicene Fathers、 VIII. 560–564に翻訳されています )。最後に挙げた 2 つの作品は、グノーシス文学のこの類の全体の伝説的な著者として知られている架空の人物、レウキウスに一般に帰せられた外典の使徒行伝集に属しています。4 世紀以降、さまざまなグノーシスの使徒行伝が頻繁に言及され、その数は膨大であったに違いありません。エウセビオスの時代以前には直接言及されていませんが、アレクサンドリアのクレメンス、テルトゥリアヌス、オリゲネスなどの著作に明らかな痕跡が見つかり、これらの著者がそれらを知っていた可能性が高く、少なくともその多くが 3 世紀、一部は 2 世紀のものであることは確立されていると想定できます。サルモンの『キリスト伝記』第 3 巻 703 ~ 707 節のレウキウスに関する記事、および同じ著作の第 1 巻 28 節のリプシウスの記事を参照してください。</ref>、およびその他の使徒行伝などが含まれますが、教会の著述家の継承者の中で、これらの作品を自分の著作の中で言及する価値があるとみなした人は誰もいません。
7. さらに、その文体の性格は使徒の慣習とは相容れず、そこに述べられている事柄の思想と目的は真の正統派とはまったく一致しないため、明らかに異端者の作り話であることが分かります<ref> αἱρετικῶν ἀνδρῶν ἀναπλ€σματα 異端者たちの反省</ref>。したがって、それらは拒絶された<ref> ἐν νόθοις. 間違いです。</ref>書物 の中にさえ入れられるべきではなく、すべて不合理で不敬虔なものとして捨て去られるべきです。
それでは、私たちの歴史についてお話ししましょう。
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==脚注==
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume I/Church History of Eusebius/Book IV/Chapter 11|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume I/Church History of Eusebius/Book IV/Chapter 11]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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第4巻
==第11章==
<< その時代における異端の指導者たち>>
1. 「ウァレンティヌスはヒュギヌスのもとでローマに来て、ピウスのもとで活躍し、アニケトゥスまで留まりました<ref>ウァレンティヌスはグノーシス派の中で最もよく知られている。エピファニオス ( Hær. XXXI. 2) によれば、彼はエジプトの海岸で生まれ、アレクサンドリアでギリシア文学と科学を学んだ。同じ筆者は、ヒッポリュトスの失われたシンタグマを根拠に、彼がキプロスで教えたと伝えており、これは彼がローマに行く前のことだったに違いない。イレナイオスがキプロスで活動した日付を直接述べていることは、テルトゥリアヌス、そしておそらくアレクサンドリアのクレメンスによって確認されており、疑う余地はない。ヒュギヌスはおそらく 137年から141年まで、アニケトゥスは 154年または 155年から 166年または 167年まで職に就いていたため、ウァレンティヌスは少なくとも 13年間はローマにいたに違いない。彼がバシレイデスとマルキオンの間に位置していることから(アレクサンドリアのクレメンスが『ストロマテイス』第 7 巻 17 節で述べているように)、彼はアントニヌスの治世の初期にローマに来て、その治世のすべてまたは大半をローマに滞在したが、それより長くは滞在しなかった可能性が高い。ヴァレンティヌスの信奉者は、東方派とイタリア派の 2 つの学派に分かれ、圧倒的に数が多く影響力のあるグノーシス派を構成した。彼の体系は、グノーシス派の体系の中で最も深遠かつ芸術的であり、精神の深遠さと力強さを示している。ウァレンティヌスとウァレンティヌス派に関する優れた説明については、リプシウスの『 キリスト伝記』第 4 巻の記事を参照のこと。ウァレンティヌスは、グノーシス主義に関するすべての著作で重要な位置を占めている。</ref>。また、マルキオン<ref>マルキオンについては、下記注24を参照。</ref>の前任者であるケルドン<ref>ケルドンはマルキオンの教師として最もよく知られている。エピファニオス ( Hær . XLI.) とフィラストリウス ( Hær . XLIV.) は彼をシリア出身者と呼んでいる。エピファニオスはケルドン派の宗派について語っているが、そのような宗派は存在しなかったようで、彼の弟子たちはおそらく早くからマルキオンの信奉者となり、マルキオンはローマに到着してすぐにケルドンに加わった。彼の教えを弟子のマルキオンの教えと区別することは不可能である。ヒッポリュトス (X. 15) はケルドンとマルキオンを一緒に扱っており、彼らの教義を区別しようとはしていない。引用した箇所のエイレナイオスと、ヒッポリュトスの失われたシンタグマ(偽テルトゥリアヌスのAdv. Hær.とエピファニオスによって代表される) は両者を区別し、ケルドンを別々に扱っているが、非常に簡潔である。しかし、彼らが説いたケルドンの教義は、マルキオンの既知の見解と同一、あるいは少なくとも非常に類似している。もしそれが本当にマルキオンがケルドンのもとに来る前の彼の立場であったなら、マルキオンに対する彼の影響力は極めて決定的なものであった。</ref>は、第9代<ref>ここでのイレネウスのラテン語テキストは「第九」ではなく「第八」と書かれています。下記、注 7 を参照してください。</ref>司教ヒュギヌスの時代に教会に入り、告解を行い、このやり方を続け、時には秘密裏に教え、時には再び告解し、時には腐敗した教義を非難して兄弟会から 脱退しました<ref> ἐφιστ€μενος。これはケルドンが破門されたことを意味すると一般的に解釈されている。しかし、ヴァレシウスが指摘するように、分詞は厳密には中動詞であり、受動態ではない。しかし、このケースではその区別を主張することはできないため、ケルドンが会衆によって排除されたのか、それとも彼自身が排除したのかを決定的に判断することはできない。</ref>。」
2. これらの言葉は『異端反駁』の第3巻にあります。また、第1巻でもケルドンについて次のように述べています<ref>エイレナイオス、異端反駁 Adv. Hær. I. 27. 1–2.</ref>。「ケルドンという人物が、シモンの追随者たちから自分の体系を受け継ぎ、使徒たちから9代目の司教ヒュギヌスのもとでローマにやって来て<ref>ヒュギヌスはここでは第 9 司教と呼ばれており、この読み方はキプリアヌスがポンペイウスに宛てた手紙 (ニケア前教父のEp . LXXIII. 2 ) の一節やエピファニオス ( Hær . LXI. 1) によっても確認されている。しかし、先ほど引用した『イレネウス』第 3 巻の一節では、エウセビオスはヒュギヌスを「第 9 」と呼んでいるが、イレネウスのラテン語本文では「第 8 」としており、サルモンの『キリストの辞典』によれば、 「写本は、ここで [上記 III. 4. 3 から引用した一節で] イレネウスがヒュギヌスを第 8 司教と表現していることを決定的に証明しており、これは前の章で挙げたローマ司教の一覧 ( Adv. Hær「第 9 番目」という数え方については、ペテロが最初の司教として数えられたリストなのか、それともクレトゥスとアナクレトゥスが別個に数えられたリストなのかは断言できない。」エウセビオス自身のこの章までの数え方によれば、ヒュギヌスは使徒から数えて 9 番目ではなく 8 番目である。というのは、第 1 章で、ヒュギヌスは使徒から数えて 9 番目ではなく 8 番目であるからである。 5 節で、彼は第 1 章でテレスフォロス (ヒュギノスの前任者) を第 7 代と呼び、第 1 章ではアレクサンドロス (テレスフォロスの前任者、クシュトスの前任者) を第 5 代と呼び、以下同様にしている。この章の冒頭で引用した箇所で、彼が計算方法を変えてヒュギノスを第 9 代と呼んでいるのは、彼が引用した第 8 代イレナイオスの元のリストがわかりにくいからである。彼がこの変更を行ったのは、この箇所の「第 9 代」の影響による可能性があり、この「第 9 代」は確かに元のテキストにあった。引用箇所の順序が逆であれば、このことは考えやすくなるだろうが、エウセビオスは最初の引用をする際にこの引用を念頭に置いていたか、後で戻って対応するように修正したのかもしれない。彼がその箇所でイレナイオスのテキストを変更することを敢えてしたのであれば、矛盾が非常に明白な転写の間違いであると仮定して、誠意を持って行ったに違いない。しかし、なぜ彼が最初の節の「第 8」を「第 9」に変える代わりに、2 番目の節の「第 9」を「第 8」にしなかったのかは、いまだに私には理解できません。そうすれば、矛盾がすべてなくなり、一貫性が保たれたはずです。実際、私は、エウセビオスが引用した両方の節の原文で「第 9」を見つけ、見つけたものをそのまま書き写したのだと信じたくなります。同時に、リプシウスとサルモンがイレナイオスの原文について述べていることに直面して、イレナイオス自身がその時点で「第 9」と書いたと主張する気にはなれません。</ref>、律法と預言者によって宣言された神は私たちの主イエス・キリストの父ではないと教えました。なぜなら、前者は知られていたが、後者は知られていなかったからです。また、前者は公正であったが、後者は善であったからです<ref>マルキオンも旧約聖書の厳格に公正な神と新約聖書の善良で慈悲深い神との間に同様の区別をしており、この区別は彼の体系の根本的なものであった。偽テルトゥリアヌス(Adv. Omnes Hær 。第 6 章)が、ケルドンが 2 人の神、1 つは善良な神、もう 1 つは残酷な神 ( sævum )を教えたと述べていることは注目に値する。善良な神はより優れた神であり、後者の残酷な神は世界の創造主である。</ref>。 ポントスのマルキオンがケルドンの後を継ぎ、恥知らずな冒涜の言葉を吐きながら彼の教義を展開しました。」
3. 同じイレナイオスは、物質に関するウァレンティヌスの誤りの計り知れない深淵を最大の力で解き明かし、巣に潜む蛇のように秘密に隠された彼の邪悪さを明らかにしています。
4. そして、これらの人々に加えて、彼はまた、その時代に生きていた別の人物、マルクス<ref>エイレナイオスは I. 13–21 でマルクスとマルクス派について述べている。マルクスはウァレンティヌス派のグノーシス主義者であった。ヒエロニムスは彼をバシレイオス派と呼んでいる ( Ep . LXXV. 3) が、これは間違いである。ヒッポリュトスとエピファニオス ( Hær . 34) はエイレナイオスから記述を写しているが、マルクスの著作やその一派については直接知らなかったと思われる。しかし、アレクサンドリアのクレメンスは彼の著作を知っており、それを利用していた。おそらく小アジアが彼の活動の場であったと思われる。エイレナイオスはマルクスについて現在形で語っており、したがって彼が書いた当時、つまり 2 世紀後半には生きていたと思われる。彼がウァレンティヌス派に加えた点は、主に、おそらく唯一、無価値な魔術儀式の導入であった。彼は、ウァレンティヌスの哲学的グノーシス主義のトーンをかなり低くしたようです。『キリストの辞典』のサルモンの記事を参照してください。</ref>が、魔術に非常に長けていたと述べています。そして、彼はまた、彼らの不浄な入門儀式と忌まわしい秘儀を次の言葉で描写しています:<ref> Irenæus, Adv. Hær. I. 21. 3.</ref>
5. 「彼らの中には、結婚の床を用意し、入信する者に向けて、ある表現形式で神秘的な儀式を行う者もいる。そして、それは自分たちが行う霊的な結婚であり、天上の結婚に似ていると言う。しかし、他の者は、彼らを水辺に導き、洗礼を授けながら、次の言葉を繰り返し唱える。宇宙の知られざる父の名に、真理に、万物の母に、イエスに降臨した者の名に<ref> εἰς τὸν κατελθόντα εἰς τὸν ᾽Ιησοῦν。ギリシャ語をそのままとると、当然、2 番目の εἰς の前にコンマを付け、「降りてきた者、イエスのなかに」と翻訳し、「降りてきた者」をイエスと同一視することになります。しかし、グノーシス派は一般的に、イエスは単なる人間であり、その上にアイオン、つまりより高次の霊的力の 1 つが降りてきたと教えており、したがって、この場合、「イエスの上に [または文字通り「降りてきた者」]」がここでは洗礼の三位一体の 3 番目の位格として言及されていることは明らかです。</ref>。 また他の者は、入信する者を混乱させるために、 ヘブライ語の名前を繰り返し唱える<ref>この時点で、イレナイオスのギリシャ語とラテン語のテキストには、これらの単語のさまざまなリストが追加されていますが、どちらのリストでも単語はまったく意味がありません。</ref>。」
6. しかし、ヒュギヌス<ref> ヒュギヌスについては、前章の注3を参照。</ref>は司教職4年目の終わりに死去し、ピウス<ref>エウセビオスは、すぐ下でピウスが15年間在任したと述べており、彼の年代記でも同じ数字を挙げている。その作品(アルメニア版)では、彼は彼の即位をアントニヌス・ピウスの治世元年としているが、ヒエロニムス版では5年目としており、エウセビオスは彼の歴史でこれに同意している。前の章で、彼はヒュギヌスの即位をアントニヌス・ピウスの治世元年としており、ここでヒュギヌスの在位期間は4年であると述べている。リプシウスは、ピウスの司教職を139年から154年までとしており、これは最も早い終点であり、141年から156年までが最も遅いとしている。しかし、第 14 章で、ポリカルポスはアニケトゥスの司教職時代にローマにいたことがわかり、他の資料 (第 15 章の注釈 2 を参照) から、彼が 155 年か 156 年に小アジアで殉教したことがわかっているので、ピウスが 156 年までその職に就いていたはずがないと推測できます。したがって、彼の死のより早い日付 (154 年) の方がより確からしいと考えられます。リベリアとフェリキアのカタログでは、アニケトゥスはヒュギヌスとピウスの間に位置付けられていますが、これは間違いなく誤りです。なぜなら、ここでエウセビオスが示した順序を裏付ける証言として、第 22 章で引用されているヘゲシッポスと、イレネウス (III. 3) の両方の証言があるからです。ピウスは、厳密な意味で最初の君主制司教と一般にみなされており、彼の時代以前のいわゆる司教は、単にローマ教会の指導的長老または長老司教に過ぎなかった(第 11 章、注釈 14 を参照)。ムラトリオ断片とリベリア目録によると、ピウスは『ヘルマスの牧者』の著者ヘルマスの兄弟であった。この関係については、第 3 巻第 3 章、注釈 23 を参照。</ref>がローマ教会の統治を継承した。アレクサンドリアでは、エウメネス<ref>エウメネスについては、上記第5章の注14を参照。</ref>が合計13年間その職を務めた後、マルクス<ref>マルクスについては、エウセビオスがここで語っていることしかわかっていない。つまり、マルクスはエウメネスが13年間司教を務めた後に後を継ぎ、さらに10年間その職に就いたということだ。エウメネスが132年か133年に司教になったとすれば(上記第5章、注16を参照)、マルクスは145年か146年に後を継いだに違いなく、これはエウセビオスのアルメニア年代記と一致する。同書ではマルクスの即位については触れられていないが、後継者セラディオンの即位はアントニヌス・ピウスの治世18年としており、セラディオン自身の司教職の始まりは同君の治世8年目となる。 しかし、ヒエロニムスの年代記では6年目としている。最初の2世紀のアレクサンドリア司教の日付はほとんど信用できない。</ref>が牧師に任命された。そして、マルクスが10年間その職を務めた後に死去し、アレクサンドリア教会の統治は セラディオン<ref>セラディオンについては、エウセビオスがここで述べていることと、第 19 章で彼が司教職の期間を 14 年としていることしかわかっていません。前の注釈で述べたように、エウセビオスのアルメニア年代記では、彼の即位はアントニヌス・ピウスの治世第 18 年、つまり 155 年または 156 年となっていますが、ヒエロニムスの版では 16 年となっています。</ref>が継承した。
7. そしてローマではピウスが司教職に就いて15年目に亡くなり、アニケトゥス<ref>エウセビオスの アルメニア年代記によると、アニケトゥスはアントニヌス・ピウスの治世第15年にピウスの後を継いだ。ヒエロニムスの版では第18年(すなわち155年か156年)で、こちらの方が正確に近い。リプシウスは彼の即位を154年から156年の間としている(上記注14を参照)。下記の第19章によると、両方の年代記版はこれと一致しており、アニケトゥスは11年間、すなわち165年から167年まで在任し、その後ソテルが後を継いだ。エウセビオスが第5巻第24章で引用しているイレネウスは、ポリカルポスがアニケトゥスの時代にローマにいて、復活祭を祝うクワトデシマンの慣習を採用するよう説得しようとしたことを伝えている。しかし、二人が互いに完全に友好的な関係を保っていた間、アニケトゥスはローマ教会の慣習を変えなかった(参照された章の注釈を参照)。注釈13で述べたように、リベリアとフェリキアのカタログでは、アニケトゥスの名前がヒュギヌスとピウスの名前の間に誤って挿入されている。</ref>が そこでキリスト教徒の指導権を引き継いだ。ヘゲシッポスは、彼自身もこの時期にローマにいて、エレウテロスの司教職に就くまでそこに留まったと記録している<ref>エウセビオスは明らかにここで間違いを犯している。ヘゲシッポスがそれほど長くローマに留まった(アニケトスは154年から168年(?)まで、エレウテロスは177年から190年まで統治)ということは、一見すると非常にありそうにない。そしてこの場合、エウセビオスがどのように間違いを犯したかがはっきりとわかる。第22章で、彼はローマ滞在に関するヘゲシッポスの一節を引用しており、エウセビオスが結論を導き出したのもおそらくこの一節だった。しかしヘゲシッポスはそこで「アニケトスの時代までローマに留まった」などと述べている。したがって、アニケトスの司教職時代に東方に戻った可能性が高い。彼はエレウテロスの治世までローマに留まっていたとは表現していないが、エウセビオスは急いで読んだだけで、その考えを容易に理解できたかもしれない。第23章のヘゲシッポスの記述によれば、 22によれば、彼はアニケトゥスより前、すなわちピウスの治世中にローマに来たに違いなく、エウセビウスはここでこれに矛盾していないが、リーディングは彼が矛盾していると主張している。リーディングはギリシャ語の単語 ἐπιδημῆσαι τῇ ῾Ρώμῃ を「都に来た」(Closs、Stigloher、Crusè も同様)と訳している。しかし、この単語は正確には「ローマにいる」という意味であり、「ローマに来る」という意味ではない。そうであれば、上記の§2でケルドンについて使われているように、ἐπιδημῆσαι εἰς τὴν ῾Ρώμην となる。確かにヒエロニムスは(de vir. ill . 22)、ヘゲシッポスがローマに来たのはアニケトゥスの時代であると述べている。しかし、彼の記述は、彼が誤訳したエウセビオスにのみ基づいている。したがって、ヘゲシッポスがアニケトゥスの時代にローマに来たという伝承は根拠がない。彼はすでにローマにいた、と彼自身が第 22 章で述べている。第 22 章のこの節の注釈を参照。</ref>。
8. しかし、ユスティノス<ref>エウセビオスはここでユスティノスをアントニヌス・ピウスの時代に位置づけている。彼の生年月日は不明だが、2世紀初頭からそう遠くないはずだ。彼はサマリアの古代シケムの遺跡の近くに建てられたローマの町、フラビア・ネアポリスで生まれた。彼は異教徒の両親の元に生まれ、徹底的にギリシャ式の教育を受けた。彼は熱心な哲学者となり、真理を求めてさまざまな体系を調べたあと、ついにキリスト教に改宗し、そこで探し求めていたものを見つけた。そして彼のキリスト教観は、彼がキリスト教を受け入れた方法の影響を示している。改宗の日付は不明だが、少なくともバルコクバ戦争(紀元135年)の終結前にはあったと思われる( 『対話』Dial . I. 1より) 。彼はローマで殉教した。彼の死の日付を特定するのは困難だが、おそらくマルクス・アウレリウス帝の治世下、163年以降に起きたと思われる。ユスティノスの死については、下記第 16 章の注 4 を参照。ユスティノスについては、セミッヒの『殉教者ユスティノス』 、オットーの『ギリシャ弁証家』、ヘルツォーク第 2 版のエンゲルハルトの記事、スミスとヴァスの『キリスト伝記辞典』のホランドの記事、そして最後に、最も重要な文献が言及されているシャフの 『教会史』第 II 巻 110 ページ以降を参照。ユスティノスの神学については、特にエンゲルハルトの傑作モノグラフ『殉教者ユスティノス』 (エアランゲン、1878 年)を参照。ユスティノスによる初期キリスト教の証言に関する最近の興味深い議論は、その主題に関するパーヴェスの著作(ニューヨーク、1889 年)に見られる。</ref>は当時特に目立っていました。哲学者<ref>ἐν σχήματι φιλοσόφου. ここで言及されているのは、 パリウム と呼ばれたギリシャ哲学者の特徴的な外套またはマントであり、ユスティノスは『対話篇』c. トリフォン、§1でこれについて言及しています。マントの着用は哲学者にとって有利でした。なぜなら、哲学者は外套を着用することで、路上や市場、その他の公共の場で哲学的な談話をする特別な機会を得ることができたからです。そうでなければ、そのような機会は得られませんでした。おそらく、この事実がユスティノスに外套を着用し続けさせたのでしょう。また、彼の『対話篇』の序文から、彼がトリフォンや友人たちと会話する直接のきっかけとなったのも、外套を着用していたことだったことがわかります。オリゲネスの友人ヘラクレスも、改宗後も哲学者の外套を着用し続けたことが、第6巻第19章からわかります。</ref>の姿をして彼は神の言葉を説き、その著作の中で信仰を主張しました。彼はまた、マルキオン<ref>マルキオンを批判するこの著作は、エイレナイオスも言及しており、彼は『異端反駁』Adv. Hær. IV. 16. 2(下記、第18章を参照)でこれを引用している。また、フォティオスのCod. 125にも引用されている。この著作は失われており、エイレナイオスが保存した短い断片が1つだけ残っている。これは、ユスティノスが 弁明 Apol. I. 26(下記を参照)で言及している、より大規模なSyntagma contra omnes Hæresesの一部であった可能性があり、この可能性を支持するために、エイレナイオスがユスティノスのApol. I. 26(下記を参照)で言及している、より大規模なSyntagma contra omnes Hæresesの一部であったと主張されてきた。しかし、彼がそのような著作を利用した可能性は非常に高い(リプシウスのQuellen der ältesten Ketzergesch .およびハルナックのZur Quellenkritik des Gnosticismusを参照)にもかかわらず、エイレナイオスがユスティノスのApol . I. 26の著作についてどこにも言及していないことがこの可能性を裏付けている。エイレナイオスがSyntagma contra Marcionemに言及しているとき、彼はこの著作に言及しているように思われる。一方、フォティオスはマルキオンに対する著作とすべての異端に対する著作を 2 つの別々の著作として言及している。しかし、彼はそれらの著作を個人的に知っていたようには見えず、おそらくエウセビオスを繰り返しているだけである (ハルナックは、彼が確かにそうしていると述べている、Ueberlieferung d. griech. Apol . p. 150。しかし、彼がエウセビオスによって言及された 2 つの著作を省略しているという事実を考えると、これはいくぶん疑わしいように思われる)。もしそうであれば、彼の報告を信頼すべきではない。なぜなら、エウセビオス自身が 2 つの著作のどちらも知らなかったことは明らかであり、したがって彼がそれらを区別しているという事実は意味がないからである。したがって、ユスティノスが異端者に対する 2 つの別々の著作を書いたかどうかは確定できないが、書いていなかった可能性は十分にある。この点でのエウセビオスの行為は非常に奇妙である。マルキオンを非難する著作に言及した後、彼はすぐに引用をしており、その引用はマルキオンを非難する著作から取られたかのような印象を与えるが、実際には最初の『弁明』から取られている。このことから、彼がマルキオンを非難する著作を見ていなかった可能性が非常に高い。この結論は、第 18 章に挙げられているユスティノスの著作のリストからその著作が省かれていることによって裏付けられる。多くの人は、エウセビオスはここで少しごまかしを働いており、自分が知らない本を知っているという印象を与えたいと考えていると主張している。これは彼の通常の行動とは一致しない (彼はどんな事柄についても自分が知らないことを告白することをめったにためらわない) し、この件を判断する際には、彼の率直で正直な性格を考慮に入れなければならない。彼は、引用がマルキオンを非難する著作から取られていると直接は述べておらず、その出典に言及しているように見えるのは彼の見落としだった可能性がある。しかし、もしそうだとすれば、彼が引用をする際に非常に不注意であったことを認めなければならない。</ref>を批判する著作も書き、その中で、彼が書いた当時マルキオンは生きていたと述べています。
9. 彼は次のように語っています<ref>ユスティノス、『弁明』I. 26。</ref>。 「ポントスにマルキオン<ref>マルキオンは厳密な意味でのグノーシス主義者とは言えない。むしろ反ユダヤ主義の改革者だった。グノーシス主義者と共通点が多かったが、知識よりも信仰を重視した。極端で歪んだパウロ主義のように完全な体系を発展させず、パウロを唯一の真の使徒とみなし、他の者をユダヤ教化教師として拒絶した。彼は福音書をその歴史的つながりから切り離し、旧約聖書と新約聖書のすべてを否定したが、ルカによる福音書とパウロの手紙は一部切り離し、旧約聖書の神が至高の神と同一であること、イエスが約束されたユダヤ人の救世主と同一であることを否定した。彼は創造を犠牲にして救済する神の慈悲を誇張したが、創造はデミウルゴスによるものであり、そこに何の善も見出せなかった。彼は極端な反形而上学者であり、最初の聖書批評家であった。彼はポントスで司教の息子として生まれ、紀元135 年頃にローマに行き、そこで改革を実行しようとしたが失敗し、すぐに教会との関係を断った。彼は広範囲に旅をし、その教義を広く広めた。この宗派は中世まで存続し、彼の意見のいくつかは完全には根絶されていない。ローマではグノーシス派のケルドンが彼に多大な影響を与え、マルキオンのグノーシス主義的特徴の多くは間違いなく彼に由来している。彼がグノーシス派と共通に持っていた二元論は、思索的というよりはむしろ実際的な考慮から生じたものであるが、4世紀と5世紀の彼の追随者たちは、彼の実際的な宗教的精神を失いながらも二元論を保持していたため、ごく自然にマニ教に移行した。彼は、ユスティノス、エイレナイオス、テルトゥリアヌス、そして初期教会のあらゆる反異端論の著者から攻撃され、最も危険な異端者の一人とみなされました。マルキオンに関する完全なモノグラフは今でも望まれていますが、グノーシス主義の一般的な説明のすべてでマルキオンについて論じられています。特に、ハルナックの簡潔ながらも優れた説明である 『教義史』I. 197-214 を参照してください。</ref>という者がいるが<ref>ポントスは黒海に面した小アジア北東部の属州であった。</ref>、彼は今でも信者たちに、創造主よりも偉大な神がいると信じるように教えている。そして、悪魔の力を借りて<ref>ここでユスティノスは、エウセビオスの超越論的異端理論に同意し、異端を内部からの自然な成長ではなく、悪魔の介在を通じて外部から教会に及ぼされる影響と見なしています。実際、これは初期の教会で支配的な考えでした。</ref>、あらゆる人種の多くの人々を説得して<ref>ここで言及されているマルキオンの影響範囲は非常に重要である。グノーシス主義は一般の人々を対象としたものではなく、大衆に広まることもなかったが、逆に哲学者や思索的な思想家たちに限定されていた。この点で、あらゆる階級の人々を宗派に含むマルキオンは彼らと最も明確に区別されており、彼の宗派の人気ゆえに、彼の異端は初期の教会にとって非常に危険に見えたのである。</ref>、冒涜的な言葉を吐かせ、この宇宙の創造主がキリストの父であることを否定させ、自分よりも偉大な誰かが創造主であったと告白させた<ref>しかし、そうではなく、これよりも偉大であると彼らは信じていると公言しています。このままでは文を解釈するのが非常に困難です。創造という意味では、目的語なしで最後の動詞をとらざるを得なくなるからです。殉教者ユスティノスの私たちの写本は、 ὡσὄντα מיזונא の後に τὰ מיזונא という単語が挿入され、その文は「彼よりも偉大な誰かが、より偉大な功績を残した」と書かれています。これが文の本来の形式であり、エウセビオスに見られる厳しい構造は書き写しの欠陥の結果であることは明らかです。写本家にとって、2番目の"μείζονα"を落とすのは非常に簡単でした。</ref>。 そして、彼らに従った人々は皆、すでに述べたように<ref>ユスティノスはここで、『弁明』1, 7 に言及している。ユスティノスは、キリスト教徒を自称する者すべてが本当にキリスト教徒であるとは限らないことを明確にしたいと考えている。26章から29章を見ると、ユスティノスの時代にはキリスト教徒が大きな不道徳行為で告発されていたことがわかる。そしてこの同じ章(26章)で、彼はむしろ異端者に罪をなすりつけようとしているが、明確に彼らを告発しているわけではない(「彼らがこれらの恥ずべき行為を犯しているかどうかは、私たちには分からない」)。上記を参照。ここで哲学者の皇帝に訴える中で哲学者に言及しているのは、非常に抜け目がない。</ref>、キリスト教徒と呼ばれている。哲学者には哲学という名前が与えられているのと同様である。たとえ共通の教義がなくても。」
10. 彼はこう付け加えています<ref> 同上、I. 26。</ref>。「そして私たちは、これまで存在したすべての異端に反対する著作も書きました<ref>エウセビオスは、第18章で挙げているユスティノスの著作リストの中にこの作品は記載されていない。したがって、彼がこの作品を見たことはなかったことは間違いない。イレナイオスは、この作品をこのタイトルで言及している箇所はないが、広範囲に利用していたようで、ここ で言及されている作品と同一視される可能性が高い『マルキオン反駁』という作品に言及している(ハルナックの『グノーシス主義批判』を参照)。現在は失われているこの作品は、フォティオス(Cod. 125)によって言及されているが、彼は明らかにこの作品を見たことはなく、おそらくエウセビオスの以前のリストを単に書き写しているだけである。したがって、彼のこの作品に関する証言はわずかである。上記注22と比較。</ref>。 あなたがそれを読みたいのであれば、それをあなたに渡します。」
11. しかし、このユスティノスはギリシャ人との闘争に非常に成功し、ピウスと呼ばれたアントニヌス皇帝とローマ元老院に、私たちの信仰を弁明する演説をしました<ref>ユスティノスの『弁明』と著書『ギリシア人に対する反論』については、下記第 18 章の注釈 3 と 4 を参照。その章の注釈 3 に示されているように、彼は実際には『弁明』を1 冊しか書いていない。</ref>。彼はローマに住んでいました。しかし、彼が誰で、どこから来たのかは、彼の弁明の中で次の言葉で示されています<ref>ユスティノス、弁明、I. 1.</ref>。
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==脚注==
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume I/Church History of Eusebius/Book IV/Chapter 11" を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス
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村田ラジオ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ヒエロニムス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
==内容==
*[[/序文|序文]]
*[[/人物一覧|人物一覧]]
#[[/第1章 シモン・ペテロ|第1章 シモン・ペテロ]]
#[[/第2章 主の兄弟ヤコブ|第2章 主の兄弟ヤコブ]]
#[[/第3章 マタイ、姓はレビ|第3章 マタイ、姓はレビ]]
#[[/第4章 ヤコブの兄弟ユダ|第4章 ヤコブの兄弟ユダ]]
#[[/第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた|第5章 パウロ、以前はサウロと呼ばれていた]]
#[[/第6章 バルナバ、姓はヨセフ|第6章 バルナバ、姓はヨセフ]]
#[[/第7章 福音伝道者ルカ|第7章 福音伝道者ルカ]]
#[[/第8章 福音伝道者マルコ|第8章 福音伝道者マルコ]]
#[[/第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ|第9章 使徒であり伝道者でもあるヨハネ]]
#[[/第10章 ヘルマス|第10章 ヘルマス]]
#[[/第11章 ユダヤ人のフィロン|第11章 ユダヤ人のフィロン]]
#[[/第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ|第12章 ルキウス・アンナエウス・セネカ]]
#[[/第13章 マティアスの息子ヨセフス|第13章 マティアスの息子ヨセフス]]
#[[/第14章 ティベリアのユストゥス|第14章 ティベリアのユストゥス]]
#[[/第15章 司教クレメンス|第15章 司教クレメンス]] {{註|第4代ローマ司教}}
#[[/第16章 司教イグナティオス|第16章 司教イグナティオス]] {{註|アンティオキア}}
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス#内容|トップに戻る]]
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*ウィキソースによる日本語訳
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==内容==
*[[/序文|序文]]
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#[[/第1章 シモン・ペテロ|第1章 シモン・ペテロ]]
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#[[/第97章 司教フォルトゥナティアヌス|第97章 司教フォルトゥナティアヌス]]
#[[/第98章 司教アカキオス|第98章 司教アカキオス]] {{註|パレスチナのカイサリア}}
#[[/第99章 司教セラピオン|第99章 司教セラピオン]] {{註|エジプト}}
#[[/第100章 司教ヒラリウス|第100章 司教ヒラリウス]] {{註|ポワティエ}}
#[[/第101章 弁論学者ウィクトリヌス|第101章 弁論学者ウィクトリヌス]] {{註|ガイウス・マリウス・ウィクトリヌス}}
#[[/第102章 司教ティトゥス|第102章 司教ティトゥス]]
#[[/第103章 司教ダマスス|第103章 司教ダマスス]] {{註|ローマ教皇}}
#[[/第104章 司教アポリナリオス|第104章 司教アポリナリオス]] {{註|ラオディキア}}
#[[/第105章 司教グレゴリウス|第105章 司教グレゴリウス]] {{註|バエティカ}}
#[[/第106章 司教パキアヌス|第106章 司教パキアヌス]]
#[[/第107章 異端の指導者フォティノス|第107章 異端の指導者フォティノス]]
#[[/第108章 司教フェバディウス|第108章 司教フェバディウス]]
#[[/第109章 盲目のディデュモス|第109章 盲目のディデュモス]] {{註|アレクサンドリア}}
#[[/第110章 司教オプタトゥス|第110章 司教オプタトゥス]] {{註|北アフリカのヌミディア}}
#[[/第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス|第111章 元老院議員アキリウス・セウェルス]]
#[[/第112章 司教キュリロス|第112章 司教キュリロス]] {{註|エルサレム}}
#[[/第113章 司教エウゾイオス|第113章 司教エウゾイオス]]
#[[/第114章 司教エピファニオス|第114章 司教エピファニオス]] {{註|キプロスのサラミス}}
#[[/第115章 輔祭エフレム|第115章 輔祭エフレム]]
#[[/第116章 バシレイオス、もう一人の司教|第116章 バシレイオス、もう一人の司教]] {{註|大ワシリイ}}
#[[/第117章 グレゴリオス、もう一人の司教|第117章 グレゴリオス、もう一人の司教]] {{註|ナジアンゾス}}
#[[/第118章 司教ルキウス|第118章 司教ルキウス]]
#[[/第119章 司教ディオドロス|第119章 司教ディオドロス]] {{註|タルソス}}
#[[/第120章 異端の指導者エウノミオス|第120章 異端の指導者エウノミオス]]
#[[/第121章 司教プリスキリアヌス|第121章 司教プリスキリアヌス]]
#[[/第122章 ラトロニアヌス|第122章 ラトロニアヌス]]
#[[/第123章 ティベリアヌス|第123章 ティベリアヌス]]
#[[/第124章 司教アンブロシウス|第124章 司教アンブロシウス]] {{註|ミラノ}}
#[[/第125章 司教エヴァグリオス|第125章 司教エヴァグリオス]] {{註|アンティオキア}}
#[[/第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス|第126章 ディデュモスの弟子アンブロシウス]]
#[[/第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教|第127章 マクシモス、最初は哲学者、その後司教]]
#[[/第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある|第128章 もう一人のグレゴリオス、司教でもある]] {{註|ニュッサ}}
#[[/第129章 長老ヨハネ|第129章 長老ヨハネ]] {{註|アンティオキア時代のヨハネス・クリュソストモス}}
#[[/第130章 司教ゲラシオス|第130章 司教ゲラシオス]]
#[[/第131章 司教テオティモス|第131章 司教テオティモス]]
#[[/第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官|第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官]]
#[[/第133章 司教アンフィロキオス|第133章 司教アンフィロキオス]]
#[[/第134章 ソフロニオス|第134章 ソフロニオス]]
#[[/第135章 長老ヒエロニムス|第135章 長老ヒエロニムス]]
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス#内容|トップに戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ゲンナディウス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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==内容==
*ゲンナディウスが追加した著者のリスト
#[[/第1章 賢者と呼ばれるヤコブ|第1章 賢者と呼ばれるヤコブ]]{{註|ニシビスのヤコブ}}
#[[/第2章 ローマ司教ユリウス|第2章 ローマ司教ユリウス]]
#[[/第3章 長老パウロナス|第3章 長老パウロナス]]
#[[/第4章 アフリカのヴィテリウス|第4章 アフリカのヴィテリウス]]
#[[/第5章 司祭マクロビウス|第5章 司祭マクロビウス]]
#[[/第6章 司祭ヘリオドロス|第6章 司祭ヘリオドロス]]
#[[/第7章 長老修道士パコミオス|第7章 長老修道士パコミオス]]
#[[/第8章 テオドロス、彼の後継者|第8章 テオドロス、彼の後継者]]
#[[/第9章 修道士オレシエシス|第9章 修道士オレシエシス]]
#[[/第10章 修道士マカリオス|第10章 修道士マカリオス]]{{註|エジプトのマカリオス}}
#[[/第11章 修道士エヴァグリオス|第11章 修道士エヴァグリオス]]{{註|エヴァグリオス・ポンティコス}}
#[[/第12章 司祭テオドロス|第12章 司祭テオドロス]]{{註|モプスエスティアのテオドロス(?)}}
#[[/第13章 プルデンティウス|第13章 プルデンティウス]]
#[[/第14章 司教アウデンティウス|第14章 司教アウデンティウス]]
#[[/第15章 コンモディアヌス|第15章 コンモディアヌス]]
#[[/第16章 司祭ファウスティヌス|第16章 司祭ファウスティヌス]]
#[[/第17章 司祭ルフィヌス|第17章 司祭ルフィヌス]] {{註|アクイレイアのルフィヌス}}
#[[/第18章 アフリカのティコニウス|第18章 アフリカのティコニウス]]
#[[/第19章 司祭セウェルス|第19章 司祭セウェルス]] {{註|スルピキウス・セウェルス}}
#[[/第20章 司教アンティオコス|第20章 司教アンティオコス]]
#[[/第21章 司教セヴェリアヌス|第21章 司教セヴェリアヌス]]
#[[/第22章 司教ニケタス|第22章 司教ニケタス]] {{註|レメシアナのニケタス}}
#[[/第23章 司教オリンピウス|第23章 司教オリンピウス]]
#[[/第24章 バキアリウス|第24章 バキアリウス]]
#[[/第25章 司教サバティウス|第25章 司教サバティウス]]
#[[/第26章 イサアク|第26章 イサアク]]
#[[/第27章 ウルシヌス|第27章 ウルシヌス]]
#[[/第28章 もう一人のマカリオス|第28章 もう一人のマカリオス]]
#[[/第29章 司祭ヘリオドロス|第29章 司祭ヘリオドロス]]
#[[/第30章 コンスタンティノープル司教ヨハネ|第30章 コンスタンティノープル司教ヨハネ]] {{註|ヨハネ・クリュソストモス}}
#[[/第31章 もう一人の司教、ヨハネ|第31章 もう一人の司教、ヨハネ]] {{註|エルサレム}}
#[[/第32章 司教パウロス|第32章 司教パウロス]]
#[[/第33章 ヘルヴィディウス|第33章 ヘルヴィディウス]]
#[[/第34章 司教テオフィロス|第34章 司教テオフィロス]] {{註|アレクサンドリア}}
#[[/第35章 司教エウセビオス|第35章 司教エウセビオス]] {{註|ミラノ}}
#[[/第36章 司祭ヴィギランティウス|第36章 司祭ヴィギランティウス]]
#[[/第37章 司教シンプリキアヌス|第37章 司教シンプリキアヌス]]
#[[/第38章 司教ヴィギリウス|第38章 司教ヴィギリウス]]
#[[/第39章 司教アウグスティヌス|第39章 司教アウグスティヌス]]
#[[/第40章 司祭オロシウス|第40章 司祭オロシウス]]
#[[/第41章 司教マクシモス|第41章 司教マクシモス]]
#[[/第42章 司教ペトロニウス|第42章 司教ペトロニウス]]
#[[/第43章 異端の指導者ペラギウス|第43章 異端の指導者ペラギウス]]
#[[/第44章 司教インノケンティウス|第44章 司教インノケンティウス]]
#[[/第45章 カエレスティウス、ペラギウスの信奉者|第45章 カエレスティウス、ペラギウスの信奉者]]
#[[/第46章 司教ユリアヌス|第46章 司教ユリアヌス]]{{註|エクラヌムのユリアヌス}}
#[[/第47章 司祭ルキアノス|第47章 司祭ルキアノス]]
#[[/第48章 司祭アヴィトゥス|第48章 司祭アヴィトゥス]]{{註|ブラガのアヴィトゥス}}
#[[/第49章 司教パウリヌス|第49章 司教パウリヌス]] {{註|ノラのパウリヌス}}
#[[/第50章 司祭エウトロピウス|第50章 司祭エウトロピウス]]
#[[/第51章 もう一人のエヴァグリウス|第51章 もう一人のエヴァグリウス]]{{註|修道士エヴァグリウス}}
#[[/第52章 助祭ヴィギリウス|第52章 助祭ヴィギリウス]]
#[[/第53章 聖なる司教アッティコス|第53章 聖なる司教アッティコス]]{{註|コンスタンティノープル大主教}}
#[[/第54章 異端のネストリオス|第54章 異端のネストリオス]]
#[[/第55章 司教カエレスティヌス|第55章 司教カエレスティヌス]]
#[[/第56章 司教テオドトス|第56章 司教テオドトス]]
#[[/第57章 司教ファスティディウス|第57章 司教ファスティディウス]]
#[[/第58章 司教キュリロス|第58章 司教キュリロス]] {{註|アレクサンドリアのキュリロス}}
#[[/第59章 司教ティモテウス|第59章 司教ティモテウス]]
#[[/第60章 司祭レポリウス|第60章 司祭レポリウス]]
#[[/第61章 弁論学者ヴィクトリウス|第61章 弁論学者ヴィクトリウス]]{{註|クラウディウス・マリウス・ヴィクトリウス(マルセイユ)}}
#[[/第62章 助祭カッシアヌス|第62章 助祭カッシアヌス]]{{註|ヨハネス・カッシアヌス}}
#[[/第63章 司祭フィリップス|第63章 司祭フィリップス]]
#[[/第64章 司教エウケリウス|第64章 司教エウケリウス]]{{註|リヨンのエウケリウス}}
#[[/第65章 ガリア人のウィンケンティウス|第65章 ガリア人のウィンケンティウス]]{{註|レランスのウィンケンティウス}}
#[[/第66章 シアグリウス|第66章 シアグリウス]]
#[[/第67章 長老イサアク|第67章 長老イサアク]]
#[[/第68章 司祭サルヴィアヌス|第68章 司祭サルヴィアヌス]] {{註|マルセイユ}}
#[[/第69章 司教パウリヌス|第69章 司教パウリヌス]] {{註|もう一人の司教パウリヌス}}
#[[/第70章 司教ヒラリウス|第70章 司教ヒラリウス]] {{註|アルルのヒラリウス}}
#[[/第71章 司教レオ|第71章 司教レオ]] {{註|ローマ教皇レオ}}
#[[/第72章 司祭モキムス|第72章 司祭モキムス]]
#[[/第73章 司教ティモテオス|第73章 司教ティモテオス]]
#[[/第74章 司教アスクレピオス|第74章 司教アスクレピオス]]
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#[[/第81章 司祭ヴィンケンティウス|第81章 司祭ヴィンケンティウス]]
#[[/第82章 修道士キュロス|第82章 修道士キュロス]]
#[[/第83章 司祭サムエル|第83章 司祭サムエル]] {{註|エデッサ教会の長老サムエル}}
#[[/第84章 司祭クラウディアヌス|第84章 司祭クラウディアヌス]]
#[[/第85章 プロスペル|第85章 プロスペル]]
#[[/第86章 司教ファウストゥス|第86章 司教ファウストゥス]] {{註|リエのファウストゥス}}
#[[/第87章 司教セルヴス・デイ|第87章 司教セルヴス・デイ]]
#[[/第88章 ヴィクトリウス|第88章 ヴィクトリウス]] {{註|アキテーヌのヴィクトリウス}}
#[[/第89章 司教テオドリトス|第89章 司教テオドリトス]]
#[[/第90章 司教ゲンナディウス|第90章 司教ゲンナディウス]]
#[[/第91章 司祭テオドロス|第91章 司祭テオドロス]]
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#[[/第95章 司教ホノラトス|第95章 司教ホノラトス]] {{註|ホノラトス・アントニヌス(アフリカ)}}
#[[/第96章 司教ケレアリス|第96章 司教ケレアリス]]
#[[/第97章 司教エウゲニウス|第97章 司教エウゲニウス]]
#[[/第98章 司教ポメリウス|第98章 司教ポメリウス]] {{註|司祭ユリアヌス・ポメリウス}}
#[[/第99章 ゲンナディウス|第99章 ゲンナディウス]] {{註|マルセイユの長老ゲンナディウス}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス#内容|トップに戻る]]
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作者:ジェームス・フィッツジェームス・スティーヴン
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== 作品 ==
* ''The Indian Evidence Act: With an Introduction on the Principles of Judicial Evidence.'' (1872年) [https://archive.org/details/cu31924017196027/page/n5/mode/2up?view=theater Internet Archive]
** [[斯丁文氏 英国証拠法|英国証拠法]] (1884年) - 岸小三郎訳 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2938069/1/17 NDL]
** [[インド証拠法 (Wikisource)|インド証拠法]]
* ''Liberty, Equality, Fraternity'' (1873年 - 1874年)
* ''A Digest of the Law of Evidence'' (1887年) [https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up Internet Archive]
** [[証拠法要約]](1950年、検察研究所資料第22号)
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== 作品 ==
* ''The Indian Evidence Act: With an Introduction on the Principles of Judicial Evidence.'' (1872年) [https://archive.org/details/cu31924017196027/page/n5/mode/2up?view=theater Internet Archive]
** [[斯丁文氏 英国証拠法|英国証拠法]] (1884年) - 岸小三郎訳 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2938069/1/17 NDL]
** [[インド証拠法 (Wikisource)|インド証拠法]]
* ''Liberty, Equality, Fraternity'' (1873年 - 1874年)
* ''A Digest of the Law of Evidence'' (1887年) [https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up Internet Archive]
** [[証拠法要約 (検察研究所)]](1950年、検察研究所資料第22号)
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== 作品 ==
* ''The Indian Evidence Act: With an Introduction on the Principles of Judicial Evidence.'' (1872年) [https://archive.org/details/cu31924017196027/page/n5/mode/2up?view=theater Internet Archive]
** [[斯丁文氏 英国証拠法|英国証拠法]] (1884年) - 岸小三郎訳 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2938069/1/17 NDL]
** [[インド証拠法 (Wikisource)|インド証拠法]]
* ''Liberty, Equality, Fraternity'' (1873年 - 1874年)
* ''A Digest of the Law of Evidence'' (1887年) [https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up Internet Archive]
** [[証拠法要約 (検察研究所)]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第109章 盲目のディデュモス
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Didymus the Blind]]".
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第109章==
<< 盲目のディデュモス >>
アレクサンドリアのディデュモス<ref>311年頃に生まれ、315年頃に活躍し、396年に亡くなった。</ref>は、非常に若い頃に失明し、そのため学問の基礎を知らなかったにもかかわらず、特に視力を必要とする学問である弁証法や幾何学を完璧に習得するという、驚くべき知性を示した。彼は多くの素晴らしい著作を残した。詩篇全篇の注釈、マタイとヨハネの福音書の注釈、教義に関する著作、またアリウス派に対する2巻の書、私がラテン語に翻訳した聖霊に関する1巻の書、イザヤ書に関する18巻の書、私に宛てられたホセア書に関する3巻の注釈、私の依頼で書かれたゼカリヤ書に関する5巻の書、またヨブ記に関する注釈、その他多くの著作があり、それらすべてを説明するにはそれだけで一冊の本になるだろう<ref>それ自体「そのタイトルはよく知られている。」マトゥグ(Benoist de Matougues)。</ref>。彼は今も存命で、すでに83歳を超えている。
==脚注==
{{Reflist}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第109章 盲目のディデュモス#第109章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第107章 異端の指導者フォティノス
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Photinus the heresiarch|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Photinus the heresiarch]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教の歴史]]
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第107章==
<< 異端の指導者フォティノス >>
ガログラエキア出身のフォティノス<ref>347年頃に司教となり、351年に罷免され、376年頃に死去した。</ref>は、マルケロスの弟子であり、シルミウムの司教に叙任されたが、エビオン派の異端を導入しようと試み、その後、皇帝ヴァレンティニアヌスによって教会から追放された。彼は多くの著作を残し、その中でも最も有名なのは『諸国民に対する論駁』と『ヴァレンティニアヌスへの書簡』である。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第107章 異端の指導者フォティノス#第107章|トップに戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第108章 司教フェバディウス
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村田ラジオ
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*ウィキソースによる日本語訳
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2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第108章==
<< 司教フェバディウス >>
ガリアのアジャンの司教であったフェバディウス<ref>司教 358年、392年頃死去。</ref>は、『アリウス派駁論』という本を出版した。他にも彼の著作があると言われているが、私はまだ読んでいない。彼は高齢で病弱だが、今も存命である。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第108章 司教フェバディウス#第108章|トップに戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第129章 長老ヨハネ
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村田ラジオ
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2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第129章==
<< 長老ヨハネ >>
アンティオキア教会の長老であり、エメサのエウセビオスとディオドロスの弟子であったヨハネ<ref>ヨハネス・クリュソストモスは、347年頃にアンティオキアで生まれ、398年にコンスタンティノープルで叙任、403年に廃位され、407年に亡くなった。</ref>は多くの著作を残したと言われているが、私が読んだのは彼の『司祭職について』だけである。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第129章 長老ヨハネ#第129章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第130章 司教ゲラシオス
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村田ラジオ
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2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第130章==
<< 司教ゲラシオス >>
エウゾイオスの後を継いでパレスチナのカイサリアの司教となったゲラシオス<ref>司教 379年、394~395年没。</ref>は、かなり丁寧に磨き上げられた文体で執筆したと言われているが、そ>の著作を出版することはなかった。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第130章 司教ゲラシオス#第130章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第131章 司教テオティモス
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村田ラジオ
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第131章==
<< 司教テオティモス >>
スキタイのトミの司教テオティモス<ref>トメスの司教? 392–403年。</ref>は、対話形式で、古風な文体で簡潔かつ格言的な論文を発表した。彼は現在、他の作品を執筆中だと聞いている。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第131章 司教テオティモス#第131章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官
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村田ラジオ
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Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Dexter, son of Pacianus, now praetorian prefect]] を翻訳
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第132章==
<< パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官 >>
私が上で述べたパキアヌスの息子であるデクステル<ref>フラウィウス・ルキウス・デクステルは395年に活躍した。</ref>は、同世代で傑出した人物であり、キリスト教信仰に献身していたが、私がまだ読んでいない『世界史(Universal History)』を著したと聞いている。
==脚注==
{{Reflist}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第132章 パキアヌスの息子デクステル、現在はプラエトリアニ長官#第132章|先頭に戻る]]
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Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Dexter, son of Pacianus, now praetorian prefect]] を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第133章 司教アンフィロキオス
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村田ラジオ
14210
Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Amphilochius the bishop]] を翻訳
241870
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Amphilochius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Amphilochius the bishop]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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}}
2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第133章==
<< 司教アンフィロキオス >>
イコニウムの司教アンフィロキウス<ref>カッパドキアのアンフィロキオス、375年司教、400年頃死去。</ref>は最近私に聖霊に関する本を読んで聞かせ、聖霊は神であり、崇拝されるべき存在であり、全能であると主張した。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第133章 司教アンフィロキオス#第133章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第134章 ソフロニオス
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村田ラジオ
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Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Sophronius]] を翻訳
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Sophronius|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Sophronius]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
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[[Category:ヒエロニムス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第134章==
<< ソフロニオス >>
ソフロニオス<ref>392年に活躍。ヒエロニムスの『著名人伝(De viris illustribus)』のギリシャ語訳の著者でもあるか?</ref>は、卓越した学識の持ち主で、まだ少年だった頃に『ベツレヘムを讃えて』を著し、最近では『セラピスの打倒について』という注目すべき著作を著した。また、エウスタキオスには『貞潔について』と『修道士ヒラリオンの生涯』を贈った。彼は私の短い著作を非常に完成度の高い文体でギリシャ語に翻訳し、詩篇や預言書も翻訳してくれた。預言書は私がヘブライ語からラテン語に翻訳したものである。
==脚注==
{{Reflist}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第134章 ソフロニオス#第134章|先頭に戻る]]
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Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Sophronius]] を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第135章 長老ヒエロニムス
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2026-04-28T15:37:38Z
村田ラジオ
14210
Philip Schaff, [[en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Jerome the presbyter]] を翻訳
241872
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| title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス
| section = 第135章 長老ヒエロニムス
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Jerome the presbyter|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Jerome/Jerome the presbyter]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ヒエロニムス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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2. ヒエロニムス
高名な人々について
————————————
==第135章==
<< 長老ヒエロニムス >>
私、エウセビオスの息子ヒエロニムス<ref>331年生まれ、420年没。</ref>は、ダルマチアとパンノニアの境界にあり、ゴート族に征服されたストリド市の出身で、テオドシウス帝の治世14年である今日まで、以下の著作を執筆しました。『修道士パウロの生涯』、『様々な人への手紙』1巻、『ヘリオドロスへの勧告』、『ルキフェリアヌスとオルソドクスの論争』、『世界史の年代記』、私がギリシャ語からラテン語に翻訳したオリゲネスのエレミヤ書とエゼキエル書に関する28の説教、『セラフィムについて』、『オサンナについて』、『賢明な息子と放蕩息子について』、『古代法の3つの問題について』、『雅歌に関する説教』2巻、『ヘルウィディウスに対する論駁』、『マリアの永遠の処女について』、『エウストキオスへ』、『貞潔の維持について』、『マルケラへの書簡』1巻、『慰めの手紙パウラへ 娘の死について』、パウロの『ガラテヤ人への手紙』の注釈書3巻、同様に『エフェソ人への手紙』の注釈書3巻、『テトスへの手紙についての書』1巻、『フィレモンへの手紙についての書』1巻、『伝道の書』の注釈書、『創世記に関するヘブライ語の質問についての書』1巻、『ユダヤの地名についての書』1巻、『ヘブライ語の名前についての書』1巻、『聖霊について』のディデュモスの書(これをラテン語に翻訳した)1巻、『ルカによる福音書についての説教39篇』<ref>39の説教、 T 25 30 Her.; オリゲネスの39の説教 AH 31 ea など。</ref>、『詩篇10篇から16篇についての書』7巻、『捕虜の修道士についての書』、『祝福されたヒラリオンの生涯』。私はギリシャ語から新約聖書を、ヘブライ語から旧約聖書を翻訳した<ref>ヘブライ語の旧約聖書 AH 30 31 ae; T 25 Her を省略。</ref>。パウラとエウストキウスに何通の手紙を書いたかは知らない。毎日書いているからだ。さらに、『ミカ書に関する解説書』を2巻、『ナホム書に関する解説書』を1巻、『ハバクク書に関する解説書』を2巻、『ゼパニヤ書に関する解説書』を1巻、『ハガイ書に関する解説書』を1巻、その他にも預言者に関する多くの著作を執筆したが、それらはまだ完成しておらず、現在も執筆中である<ref>ヒエロニムス自身に関する章には多くの短い補足があり、最も一般的なもの(BCDISVWXYZ 1 2 4 5 6 7 9 11 12 14 15 17 19 20 21 26 27 28 33 42 moprtuvyz)は「 ヨウィニアヌスに対する2巻の書とパンマコスへの弁明」である。また、「墓碑銘」を加えるものもある。Aとkはヒエロニムスに関する長い補足説明を与えている。</ref>。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ヒエロニムス/第135章 長老ヒエロニムス#第135章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第19章 司祭セウェルス
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*ウィキソースによる日本語訳
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==第19章==
<< 司祭セウェルス >>
アクイタニア地方の長老セウェルス<ref>スルピキウス・セウェルスは353年以降に生まれ、410年頃に亡くなった。</ref>(通称スルピティウス)は、生まれ、優れた文学作品、清貧への献身、謙遜さで名高い人物であり、トゥールの司教マルティヌスやノラのパウリヌスといった聖人たちにも愛された。彼は、決して軽蔑されることのない小冊子を著した。彼は妹に、神への愛と世俗への軽蔑を勧める手紙を多数書いた。これらはよく知られている。彼は前述のパウリヌス・ノラヌスに2通、その他に何人かに手紙を書いたが、中には家族の事柄が含まれているものもあるため、出版のためにまとめられていない。彼はまた年代記を著し、また多くの人々の利益のために、しるしと奇跡と徳で有名な修道士で司教の聖マルティヌスの生涯を著した<ref>美徳か奇跡か</ref>。彼はまた、ポストゥミアヌスとガルスの会談を著し、その中で彼自身が議論の仲介者および裁判官を務めた。主題は東方修道士と聖マルティヌスの生活様式であり、二部構成の対話形式になっている。第一部では、彼自身の時代のアレクサンドリア教会会議における司教たちの布告に言及している。その布告とは、オリゲネスは、その中に善なるものがあるゆえに、賢明な者によって注意深く読まれるべきであり、悪なるものがあるゆえに、能力の劣る者によって拒絶されるべきであるというものだった。晩年、彼はペラギウス派に惑わされ、多くを語ったことの罪を自覚し、悔い改めの沈黙によって、語ったことによって負った罪を償うために、死ぬまで沈黙を守った。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第19章 司祭セウェルス#第19章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第20章 司教アンティオコス
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*ウィキソースによる日本語訳
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==第20章==
<< 司教アンティオコス >>
司教アンティオコス<ref>プトレマイス(アッコ)の司教。400年頃、408年頃死去。</ref>は、貪欲に対する長大な書物<ref>長い。a 25 30 31; 素晴らしい AT e。</ref>を著し、また、『救世主によって視力を回復された盲人の癒しについて』、『敬虔な悔い改めと謙遜に満ちた説教<ref>A 25 30 31 ae に満ちた T 21 Her について</ref>』を著した。彼はアルカディウス帝の治世中に亡くなった。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第20章 司教アンティオコス#第20章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第21章 司教セヴェリアヌス
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*ウィキソースによる日本語訳
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==第21章==
<< 司教セヴェリアヌス >>
ガバラ教会の司教セヴェリアヌス<ref>エメサのセヴェリアヌス。400~403年司教、408年以降に死去。</ref>は、聖書に精通し、素晴らしい説教者でした。そのため、彼はしばしば司教ヨハネと皇帝アルカディウスに招かれ、コンスタンティノープルで説教を行いました。私は彼の『ガラテヤ人への手紙の解説』と、洗礼と公現祭に関する非常に魅力的な小著を読みました。彼は洗礼によって息子となったテオドシウスの治世に亡くなりました。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第21章 司教セヴェリアヌス#第21章|先頭に戻る]]
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==第21章==
<< 司教セヴェリアヌス >>
ガバラ教会の司教セヴェリアヌス<ref>エメサのセヴェリアヌス。400~403年司教、408年以降に死去。</ref>は、聖書に精通し、素晴らしい説教者でした。そのため、彼はしばしば司教ヨハネと皇帝アルカディウスに招かれ、コンスタンティノープルで説教を行いました。私は彼の『ガラテヤ人への手紙の解説』と、洗礼と公現祭に関する非常に魅力的な小著を読みました。彼は洗礼によって息子となったテオドシウスの治世に亡くなりました。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第21章 司教セヴェリアヌス#第21章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第22章 司教ニケタス
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*ウィキソースによる日本語訳
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==第22章==
<< 司教ニケタス >>
ロマティア市の司教ニカイア(ニケタス)<ref>ニケタス 392年以前にダキアの「レメシアネン」またはロマキアナまたはレメティアナの司教を務め、414年以降に死去。</ref><ref>T と 31 はNicetaまたはNicetasと読みますが、他の写本では Niceasと Fabricius および Her. となっています。</ref>は、『新改宗者のための教訓書』6冊を簡潔明瞭な言葉で著した。その最初の書には、洗礼の恵みを得ようとする候補者がどのように行動すべきかが記されており、2番目の書には、血縁関係の誤りについて記されている。この中でニカイアは、彼自身の時代からそう遠くない昔、ある家族の父であるメロディウスと、農民であるガラディウス<ref>Garadius A T 31 a e; Gadarius 25 30 Her.</ref>が、その勇敢さゆえに異教徒によって神々の列に加えられたことを述べている。3番目の書は、『唯一の主権者への信仰について』、4番目の書は、『系図に対する反論』<ref>Genealogy(系図) T 25 30 21; genethlogiam 31 a e.</ref>、5番目の書は『信条について』、6番目の書は『過越の小羊の犠牲について』である。彼はまた、『堕落した乙女への書』も著しており、これは堕落したすべての人々への改心を促すものである。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第22章 司教ニケタス#第22章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第25章 司教サバティウス
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
==第25章==
<< 司教サバティウス >>
ガリア属州の司教サバティウス(Sabbatius)<ref>聖セルヴェ、トングレの司教 338年、マーストリヒトで死去384年。マーストリヒトの守護聖人。一部の人々からは、アジャンの司教フェバディウス (Faegadius、Phaebadius、Segatius、Sabadius Phitadius (ガスコーニュでは Fiari と呼ばれる)) と同一人物であると考えられている。440 年頃に活躍 (Cave)。</ref>は、セクンダという名の貞潔でキリストに献身する処女の依頼により、マルキオンとその師ウァレンティヌス、またエウノミオスとその師アエティウスに反論する『信仰について』という書物を著し、理性と聖書の証言の両方によって、神の起源は一つであり、永遠の創造主と無から大地を創造した創造主は同一人物であり、同様にキリストについても、幻影として人間として現れたのではなく、食べたり飲んだり、疲れたり泣いたり、苦しんだり、死んだり、復活したりすることで、真に人間であることが証明された実体を持っていたことを示した。マルキオンとウァレンティヌスは、神の起源は二重であり、キリストは幻影として現れたと主張して、これらの意見に反対していた。彼は、アエティウスとその弟子エウノミオスに対して、父と子は二つの性質を持ち、神性において等しいのではなく、一つの本質を持ち、一方が他方から生じた、すなわち子は父から生じたものであり、一方が他方と永遠に共存するということを示した。アエティウスとエウノミオスはこの考えに反対した。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第25章 司教サバティウス#第25章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第31章 もう一人の司教、ヨハネ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/John, another bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/John, another bishop]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ゲンナディウス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
==第31章==
<< もう一人の司教、ヨハネ >>
もう一人のヨハネ<ref>司教叙任386年、没年417年。</ref><ref>ヨハネ A 25 30 31 ae; 別のヨハネ [T ?] 21。</ref>はエルサレムの司教で、彼の研究を軽蔑する人々に対して本を書き、その中で彼はオリゲネスの信条ではなく、彼の天才に従っていることを示している。
==脚注==
{{Reflist}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第31章 もう一人の司教、ヨハネ#第31章|トップに戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第32章 司教パウロス
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村田ラジオ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Paulus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Paulus the bishop]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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==第32章==
<< 司教パウロス >>
司教パウロは『悔悛について』という短い著作の中で、悔悛する者に対して次のような律法を定めている。すなわち、彼らは絶望的な悲しみに過度に打ちひしがれることのないように、罪を悔い改めるべきだということである。
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第33章 ヘルヴィディウス
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村田ラジオ
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*ウィキソースによる日本語訳
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==第33章==
<< ヘルヴィディウス >>
ヘルヴィディウス<ref>4世紀。</ref>は、アウクセンティウスの弟子であり、シュンマクスの模倣者であったが、確かに宗教への熱意はあったものの、知識に基づいてではなく、言語的にも論理的にも洗練されていない書物を著した。その中で彼は、聖書の意味を自分の歪曲に合わせてねじ曲げようと試み、聖書の証言に基づいて、主の誕生後、ヨセフとマリアには主の兄弟と呼ばれる子供がいたと主張した。彼の歪曲に対して、ヒエロニムスは聖書の証拠を豊富に盛り込んだ反論書を出版した<ref>返信で…証拠 AT 25 30 21; e 31 a を省略します。</ref>。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第33章 ヘルヴィディウス#第33章|先頭に戻る]]
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<noinclude><pagequality level="3" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude><div class="rubric">
兩肩ノ間等ニ十字形ヲ{{ruby|印|シル}}ス、
額(及ビ兩目鼻口)ニ{{ruby|印|シル}}ス時誦シテ曰ク、
</div>
神ノ僕<span class="rubric">某</span>喜ノ油ヲ傅ケラル、父ト子ト聖神ノ名ニ因リテナリ、今モ何時モ世世ニ、「アミン」
<span class="rubric">胷ト脊ノ兩肩ノ間トニ印ス時ニ曰ク、</span>靈ト體トヲ痊スガ爲、
<span class="rubric">兩耳ニ、</span>敎ヲ聽クガ爲、
<span class="rubric">兩手ニ、</span>爾ノ手我ヲ造リ、我ヲ設ケリ、
<span class="rubric">兩足ニ、</span>爾ガ誠ノ路ヲ履ムガ爲ナリ、
<span class="rubric">全體ニ傅ケ畢リテ、司祭彼ニ洗ヲ授ケテ曰ク、</span>
神ノ僕<span class="rubric">某</span>ハ洗ヲ領ク、父、「アミン」及ビ子、「アミン」及ビ聖神ノ名ニ因リテナリ、「アミン」今モ何時モ世世ニ、「アミン」
<span class="rubric">父・子・聖神ヲ誦スル每ニ、司祭彼ヲ直クシテ水中ニ降升ス、但<noinclude></noinclude>
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Page:聖事経(再版).pdf/58
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Kuroyuki-pupa
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<noinclude><pagequality level="3" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude><div class="rubric">
シ洗ヲ領クル者ノ面ヲ東ニ向ハシムベシ、
洗シ畢リテ、司祭手ヲ{{ruby|盥|アラ}}ヒ、衆ト偕ニ第三十一聖詠ヲ歌フ、
</div>
不法ヲ赦サレ罪ヲ蔽ハルヽ人ハ福ナリ{{resize|x-small|<sup>云</sup><sub>云</sub>}}
<span class="rubric">{{resize|small|三次}}</span>
<p class="rubric">司祭衣ヲ以テ洗ヲ領ケシ者ニ衣セ、誦シテ曰ク、</p>
神ノ僕<span class="rubric">某</span>義ノ衣ヲ衣セラル、父ト子ト聖神ノ名ニ因リテナリ、今モ何時モ世世ニ「アミン」
<p class="rubric">次ギテ左ノ{{ruby|讃詞|トロパリ}}ヲ歌フ、第八ノ調、</p>
光ヲ{{ruby|袍|コロモ}}ノ如ク衣ル大仁慈ナル<u>ハリストス</u>我ガ神ヤ、我ニ光明ノ衣ヲ予ヘ給ヘ、
<p class="rubric">衣セ畢リテ、司祭左ノ祝文ヲ誦ス、</p>
崇メ讃メラルヽ哉、主・神・全能者、萬善ノ源、義ノ日ナル者ヤ、爾ハ其獨生子、我等ノ神ノ顯ルヽヲ以テ、{{ruby|幽暗|クラヤミ}}ニ居ル者ニ救ノ<noinclude></noinclude>
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Page:聖事経(再版).pdf/59
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Kuroyuki-pupa
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/* 未校正 */ ページの作成:「光ヲ照ラシ、及ビ不當ナル我等ニ、聖水ニ於ケル福タル淨ト 生命ヲ施ス傅膏ニ於ケル神妙ナル成聖トヲ賜ヒ、今モ、水ト 聖神トヲ以テ、新ニ光照セラレシ爾ノ僕ヲ再生ムヲ喜ビ、並 ニ彼ニ、自由ト不自由トノ罪ノ赦ヲ賜ヘリ、主宰慈深キ萬有 ノ王ヤ、爾親ラ、亦彼ニ、爾ノ全能ナル、伏拜セラルヽ聖神ノ恩 賜ノ印、及ビ爾ノハリストスノ聖體尊血…」
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>光ヲ照ラシ、及ビ不當ナル我等ニ、聖水ニ於ケル福タル淨ト
生命ヲ施ス傅膏ニ於ケル神妙ナル成聖トヲ賜ヒ、今モ、水ト
聖神トヲ以テ、新ニ光照セラレシ爾ノ僕ヲ再生ムヲ喜ビ、並
ニ彼ニ、自由ト不自由トノ罪ノ赦ヲ賜ヘリ、主宰慈深キ萬有
ノ王ヤ、爾親ラ、亦彼ニ、爾ノ全能ナル、伏拜セラルヽ聖神ノ恩
賜ノ印、及ビ爾ノハリストスノ聖體尊血ヲ領クルコトヲ賜
ヘ、彼ヲ爾ノ成聖ニ護リ、正教ニ堅メ、凶惡者ト其悉クノ所爲
ヨリ援ケ、爾ニ於ケル救ノ畏ヲ以テ、彼ノ靈ヲ潔淨ト義トニ
護リ給ヘ、彼ガ凡ノ行ト言トニ於テ爾ノ喜ブ所ト爲リテ、爾
ガ天國ノ子及ビ嗣ト爲ランガ爲ナリ、
第四十四葢爾ハ我等ノ神、憐ミ且救フ神ナリ、我等光榮ヲ爾父ト
子ト聖神ニ獻ズ、今モ何時モ世世ニ「アミン」<noinclude></noinclude>
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第34章 司教テオフィロス
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村田ラジオ
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Philip Schaff, [[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Theophilus the bishop]] を翻訳
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Theophilus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Theophilus the bishop]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ゲンナディウス]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
==第34章==
<< 司教テオフィロス >>
アレクサンドリア教会<ref>教会 T 21; 都市 A 25 30 31 a.</ref>の司教テオフィロス<ref>司教 385 年、412 年没。</ref>は、大著『オリゲネス駁論』を著し、その中でオリゲネスのほぼ全ての言説と自身を非難し、同時にオリゲネスの見解は独創的なものではなく、古代の教父、特にヘラクラスから受け継いだものであり、長老職を追われ<ref>25 31 ae? を追放; A を選出 30; T を剥奪。</ref>、教会から追放され、都市から逃亡せざるを得なかったと述べている。また、神は人間の形と肢体を持つと主張する異端者、人形主義者に対する反論も著し、長い議論で反駁し、聖書の証言によって論証し、説得力をもって論駁している。彼は、教父たちの信仰によれば、神は非物質的であり、いかなる部分も示唆することなく形作られており、したがって、被造物の中に実体的に神に似たものは存在せず、また、神の不朽性、不変性、非物質性は誰にも与えられておらず、すべての知性は物質的であり、すべて腐敗し、すべて変化するものであり、不死と生命を持つ神だけが腐敗や変化に服さないことを示している。同様に、ニカイアの大公会議で発見された復活祭の再来は、90年後に同じ時期、同じ月、同じ日に行われるとされ、彼はテオドシウス皇帝に与えた祭りに関するいくつかの考察と説明を付け加えた。私はまた、彼の名前を冠した信仰に関する3冊の本を読んだが、その言語は彼の言語とは似ていないので、それらが彼によるものだとはあまり思わない。
==脚注==
{{Reflist}}
:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第34章 司教テオフィロス#第34章|先頭に戻る]]
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婦人補導院法
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ページの作成:「{{header | title = {{PAGENAME}} | year = 1958 | notes = < [[Wikisource:日本の法律]] '''婦人補導院法'''(ふじんほどういんほう) * 昭和33年法律第17号公布時の原始条文である。 * 公布:昭和33年3月25日 * 廃止:令和6年4月1日 * 廃止法令:[[困難な問題を抱える女性への支援に関する法律]](令和4年法律第52号)附則第10条 * 底本:[https://www.digital.archives.go.jp/file/679314…」
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text/x-wiki
{{header
| title = {{PAGENAME}}
| year = 1958
| notes =
< [[Wikisource:日本の法律]]
'''婦人補導院法'''(ふじんほどういんほう)
* 昭和33年法律第17号公布時の原始条文である。
* 公布:昭和33年3月25日
* 廃止:令和6年4月1日
* 廃止法令:[[困難な問題を抱える女性への支援に関する法律]](令和4年法律第52号)附則第10条
* 底本:[https://www.digital.archives.go.jp/file/679314 御署名原本]
----
}}
__NOTOC__
:婦人補導院法をここに公布する。
{{御名御璽}}
昭和三十三年三月二十五日
{{Right|[[:w:内閣総理大臣|内閣総理大臣]] [[w:岸信介|岸 信介]]|1em}}
'''法律第五十五号'''
<div style="margin-left:3em;">
婦人補導院法
</div>
<span id="a1">(婦人補導院)</span></br>
'''第一条''' 婦人補導院は、[[売春防止法]](昭和三十一年法律第百十八号)第十七条の規定により補導処分に付された者を収容して、これを更生させるために必要な補導を行う施設とする。</br>
2 婦人補導院は、国立とする。
<span id="a2">(補導)</span></br>
'''第二条''' 婦人補導院で行う補導は、規律ある生活のもとで、在院者を社会生活に適応させるために必要な生活指導及び職業の補導を行い、並びにその更生の妨げとなる心身の障害に対する医療を行うものとする。</br>
2 在院者に対する生活指導は、相談、助言その他の方法により、婦人の自由と尊厳とを自覚させ、家事その他の基礎的教養を授け、その情操を豊かにさせるとともに、在院者が勤労の精神を身につけ、その他自主自立の精神を体得するように、これを指導するものとする。</br>
3 補導は、在院者の個性、心身の状況、家庭その他の環境等を考慮して、その者に最もふさわしい方法で行わなければならない。
<span id="a3">(分類処遇)</span></br>
'''第三条''' 在院者の処遇は、本人の性格、医療の要否その他法務省令で定める基準により、在院者を適当な級に分類して行うものとする。
<span id="a4">(賞与金)</span></br>
'''第四条''' 職業の補導を受けた者に対しては、法務省令の定めるところにより、賞与金を与えることができる。
<span id="a5">(自己労作)</span></br>
'''第五条''' 婦人補導院の長は、在院者が自己の収支において労作をすることを願い出たときは、これを行わせることができる。
<span id="a6">(給養)</span></br>
'''第六条''' 在院者には、婦人にふさわしい一定の被服及び寝具を貸与し、並びに糧食及び飲料を給与する。</br>
2 婦人補導院の長は、婦人補導院の規律上及び衛生上支障がないと認めるときは、被服、寝具、糧食又は飲料の自弁を許すことができる。
<span id="a7">(健康診断)</span></br>
'''第七条''' 婦人補導院の長は、婦人補導院の医師に、入院時及びその後少くとも一箇月に一回、在院者の健康診断を行わせるものとする。</br>
2 前項の健康診断にあたつては、婦人補導院の医師は、その診断に必要な限度において、採血その他の医学的処置をとることができる。
<span id="a8">(面会及び通信)</span></br>
'''第八条''' 婦人補導院の長は、在院者の更生が妨げられ、又は婦人補導院の保安上支障が生ずると認めるときは、在院者の面会について、これを制限し、又は禁止し、及び通信について、その更生の妨げとなり、又は保安上の支障となる箇所を削除することができる。</br>
2 婦人補導院の長は、在院者の発受する通信によつてその更生が妨げられ、又は婦人補導院の保安上支障が生ずるおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある場合でなければ、当該通信の内容を検査してはならない。
<span id="a9">(臨時外出)</span></br>
'''第九条''' 婦人補導院の長は、在院者に特別な理由がある場合において、補導上支障がないときは、在院者を臨時に外出させることができる。
<span id="a10">(章)</span></br>
'''第十条''' 婦人補導院の長は、在院者が善行をし、その補導の成績を著しく向上し、又は一定の技能を修得した場合には、法務省令の定めるところにより、賞を与えることができる。
<span id="a11">(懲戒)</span></br>
'''第十一条''' 婦人補導院の長は、在院者が婦人補導院において遵守すべき事項に違反したときは、次の各号に掲げる懲戒を行うことができる。
:一 厳重な訓戒をすること。
:二 十日をこえない期間謹慎室で反省させること。
2 前項第二号の懲戒は、情状により、その執行を猶予し、停止し、又は免除することができる。
<span id="a12">(手当金)</span></br>
'''第十二条''' 在院者が職業の補導を受けるに際して、負傷し、又は疾病にかかつた場合において、これによつて死亡したとき、身体に障害が残つたとき、又は退院時若しくは仮退院時までになおらないときは、法務省令の定めるところにより、手当金を与えることができる。
2 前項の手当金のうち、死亡の場合の手当金は、本人の遺族に支給し、その他の場合の手当金は、退院又は仮退院の際本人に支給する。
<span id="a13">(領置)</span></br>
'''第十三条''' 婦人補導院の長は、在院者が所持し、又は在院者にあてて送付された金銭、被服その他の物を領置して、これを安全に保管しなければならない。ただし、保存の価値のない物又は保管に適しない物は、この限りでない。</br>
2 前項ただし書に規定する物について、在院者が相当の処分をしないときは、これを売却してその代金を領置し、又は廃棄することができる。
<span id="a14">(学校等の援助)</span></br>
'''第十四条''' 婦人補導院の長は、その婦人補導院の所在地を管轄する矯正管区の長の承認を経て、学校、病院、事業所、宗教団体、婦人団体又は学識経験のある者に委嘱して、在院者に対する補導に関する援助を求めることができる。</br>
2 前項の場合において、婦人補導院の長は、在院者を事業所等にかよわせ、その他婦人補導院外で職業の補導を行うことができる。</br>
3 婦人補導院の長は、矯正職員、警察官その他の公務員に対し、必要な援助を求めることができる。
<span id="a15">(保護具)</span></br>
'''第十五条''' 在院者が暴行又は自殺をするおそれがある場合において、これを防止するためやむを得ないときは、法務省令の定めるところにより、保護具を使用することができる。</br>
2 保護具の使用は、婦人補導院の長の許可を受けなければ行つてはならない。ただし、緊急を要する状態にあつて、その許可を受けるいとまのないときは、この限りでない</br>
3 保護具は、被使用者の両手を腰部に抑止する構造のものとし、その製式は、法務省令で定める。
<span id="a">(連戻し)</span></br>
'''第十六条''' 在院者が逃走したときは、婦人補導院の職員は、逃走後四十八時間内に限り、これを連れ戻すことができる。婦人補導院の職員による連戻しが困難である場合において、婦人補導院の長から連戻しについて援助を求められた警察官も、同様とする。</br>
2 在院者の逃走後四十八時間を経過したときは、検察官は、連戻収容状を発することができる。</br>
3 前項の連戻収容状については、売春防止法第二十二条第三項から第五項まで及び第二十七条第五項の規定を準用する。この場合において、同法第二十七条第五項中「仮退院を取り消された者」とあるのは、「婦人補導院から逃走した者」と読み替えるものとする。
<span id="a">(子の保育)</span></br>
'''第十七条''' 婦人補導院の長は、在院者の子で一歳に満たないものについて、やむを得ない理由があるときは、これを適当な保護者又は児童福祉施設に引き渡すまでの間、婦人補導院内で保育させることができる。</br>
2 前項の子は、特に必要があると認めるときは、満一歳に至つた後も、その者に保育させることができる。
<span id="a">(旅費及び衣類の給与)</span></br>
'''第十八条''' 婦人補導院から退院し、又は仮退院する者が帰住旅費又は相当の衣類を持たないときは、予算の範囲内において、これに旅費又は衣類を給与することができる。
<span id="a19">(死亡者等の遺留金品)</span></br>
'''第十九条''' 婦人補導院の長は、在院中に死亡した者の遺留金品について、その者の遺族から請求があつたときは、請求者にこれを交付するものとする。</br>
2 前項の遺留金品は、死亡の日から一年以内に同項の請求がないときは、国庫に帰属する。</br>
3 婦人補導院に収容中に逃走した者の遺留金品は、逃走の日から一年以内に本人の居所が分明しないときは、国庫に帰属する。
<span id="a20">(実地監査)</span></br>
'''第二十条''' 法務大臣は、少くとも一年に一回、その職員を指定して、婦人補導院の実地監査を行わせなければならない。
<span id="a21">(処遇に関する事項)</span></br>
'''第二十一条''' この法律で定めるもののほか、在院者の処遇に関し必要な事項は、法務省令で定める。
2 婦人補導院の長は、法務大臣の認可を受けて、在院者の処遇に関する細則を定めることができる。
{{附則}}
<span id="b1">(施行期日)</span></br>
1 この法律は、昭和三十三年四月一日から施行する。
<span id="b2">(国家公務員共済組合法の一部改正)</span></br>
2 [[国家公務員共済組合法]](昭和二十三年法律第六十九号)の一部を次のように改正する。</br>
第二条第二項第三号中「少年鑑別所」の下に「、婦人補導院」を加える。
<span id="b3">(公職選挙法の一部改正)</span></br>
3 [[公職選挙法]](昭和二十五年法律第百号)の一部を次のように改正する。</br>
第四十九条第三号中「監獄若しくは少年院」を「監獄、少年院若しくは婦人補導院」に改める。
<span id="b4">(精神衛生法の一部改正)</span></br>
4 [[精神衛生法]](昭和二十五年法律第百二十三号)の一部を次のように改正する。</br>
第二十六条中「及び少年鑑別所」を「、少年鑑別所及び婦人補導院」に改める。
<span id="b4">(出入国管理令の一部改正)</span></br>
5 [[出入国管理令]](昭和二十六年政令第三百十九号)の一部を次のように改正する。</br>
第六十二条第三項中「少年法第二十四条第一項第三号」の下に「若しくは売春防止法(昭和三十一年法律第百十八号)第十七条」を加え、同条第四項中「少年法第二十四条第一項第三号の処分を受けて少年院に在院している場合」の下に「若しくは売春防止法第十七条の処分を受けて婦人補導院に在院している場合」を加える。
第六十三条第一項及び第二項中「少年院在院者」を「少年院若しくは婦人補導院の在院者」に改める。
<div style="text-align:right;">
内閣総理大臣 岸 信介</br>
法務大臣 [[w:唐沢俊樹|唐沢 俊樹]]</br>
</div>
{{PD-JapanGov-old}}
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[[カテゴリ:昭和33年の法律]]
[[カテゴリ:行政組織法]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第35章 司教エウセビオス
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村田ラジオ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Eusebius the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Eusebius the bishop]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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==第35章==
<< 司教エウセビオス >>
エウセビオス<ref>451年にミラノ司教となり、462年に死去。</ref>は、「主の十字架の神秘と、十字架の力によって得られた使徒たち、特にペトロの忠実さについて」という書物を書いた。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第35章 司教エウセビオス#第35章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第36章 司祭ヴィギランティウス
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2026-04-29T05:58:35Z
村田ラジオ
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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==第36章==
<< 司祭ヴィギランティウス >>
ヴィギランティウス<ref>エルサレムにて394年、異端者となるのは404年頃。</ref>はガリアの市民で、バルセロナの教会を所有していた。彼は宗教に対する熱意をもって著作も書いたが、人からの称賛を求める気持ちに負け、自分の能力を過信し、洗練された言葉遣いはできたものの聖書の意味を理解していなかったため、ダニエルの幻を歪んだ解釈で述べ、異端者のリストに必ず記載されるような軽薄なことを言った。[祝福された長老ヒエロニムスも彼に反論した。]<ref>彼に対して…と A Her. は答えた。T 25 30 31 a e. を省略。</ref>
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第36章 司祭ヴィギランティウス#第36章|先頭に戻る]]
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第37章 司教シンプリキアヌス
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2026-04-29T06:21:01Z
村田ラジオ
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Philip Schaff, [[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Simplicianus the bishop]] を翻訳
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Simplicianus the bishop|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series II/Volume III/Lives of Illustrious Men/Gennadius/Simplicianus the bishop]]".
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==第37章==
<< 司教シンプリキアヌス >>
司教シンプリキアヌス<ref>397年にミラノ司教となり、400年に死去。</ref>は、当時長老であったアウグスティヌスに多くの手紙で、彼の才能を発揮し、聖書の解説に時間を費やすよう勧めた。それは、いわばオリゲネスの追跡者であった新しいアンブロシウスが現れるためであった。そのため、彼はアウグスティヌスに多くの聖書研究を送った。また、彼の質問集の書簡もあり、そこでは、まるで学びたいかのように質問することで教えを説いている。
==脚注==
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:::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第37章 司教シンプリキアヌス#第37章|先頭に戻る]]
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町村の廃置分合 (昭和24年総理府告示第112号)
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ページの作成:「{{Header |title=町村の廃置分合 |year=1949 |notes= {{ウィキペディア|長岡京市}} * 昭和27年総理府告示第112号 * 告示日:昭和24年10月28日 * 底本:{{NDLJP|2963382}} * 註:底本にある原文は全て縦書きである。 }} <section begin="number"/> <div style="margin-left:1em;text-indent:-1em;"> '''◎総理府告示第百十二号''' </div> <section end="number"/> 町村の廃置分合 [[地方自治法]]第七條…」
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* 昭和27年総理府告示第112号
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'''◎総理府告示第百十二号'''
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町村の廃置分合
[[地方自治法]]第七條第一項の規定により、昭和二十四年十月一日から、京都府乙訓郡新神足村、海印寺村及び乙訓村を廃し、その区域をもつて長岡町を置く旨、京都府知事から届出があつた。
昭和二十四年十月二十八日
<div style="margin-right:1em;text-align:right;">
内閣総理大臣 [[w:吉田茂|吉田 茂]]
</div>
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[[Category:昭和24年の総理府告示]]
[[カテゴリ:京都府]]
[[Category:市町村の廃置分合]]
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証拠法 (曖昧さ回避)
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* 参考
::[[Wikisource:翻訳の仕方]]
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== ==
* ''A Digest of the Law of Evidence''([[作者:ジェームス・フィッツジェームス・スティーヴン|ジェームス・フィッツジェームス・スティーヴン]]、ロンドン、1887年第5版)[https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up I.A.]
** [[証拠法要約 (検察研究所)]] (1950年、検察研究所資料第22号 )
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[[Category:訴訟法]]
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証拠法要約 (検察研究所)
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*原語版1
:''A Digest of the Law of Evidence''(ロンドン・マクシミリアン、第5版)[https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up I.A.]
__TOC__
}}
{{center|{{resize|150%|ジェー・エフ・スチヴン 証拠法要約}} }}
{{center|{{resize|125%|目 次}}}}
=== 序説 ===
: 一、本書成立の由來
: 二、本書の特質
: 三、証拠法の構成
: 四、本書の内容
: 五、除外した題目
: 六、体系化の問題
: 七、制定法の取扱
: 八、本書の效用
=== 第一部 適切性 ===
第一節 総則
:: 第一條
第二節 争点たる事実及び争点に適切な事実について
:: 第二條——第九條
第三節 争点たる事実に類似するがこれに関連しない出来事、一定の場合を除き不適切である
:: 第十條——第十三條
第四節 伝聞、一定の場合を除き不適切である
第十四條
:第一目 伝聞が適切な場合
:: 第十五條——第三十二條
:第二目 帳簿、書類及び記錄に於ける陳述が適切な場合・
:: 第三十三條——第四十七條
第五節 意見、その適切な場合とらざる場合
:: 第四十八條——第五十四條
第六節 性格、その適切と看做される場合と然らざる場合
:: 第五十五條——第五十七條
=== 第二部 立証について ===
第七節 証拠に依らずして立証される事実職権認知
:: 第五十八條——第六十條
第八節 口頭証拠について
:: 第六十一條——第六十二條
第九節 書面証拠について—— 一次的書面、二次的書面及び認証ある書面
:: 第六十三條——第七十二條
第十節 公文書の立証
:: 第七十三條——第八十四條の二
第十一節 書面に関する推定
:: 第八十五條——第八十九條
第十二節 書面証拠に依る口頭証拠の排除について、並に口頭証拠に依る書面証拠の修正及び解釈について
:: 第九十條——第九十二條
=== 第三部 証拠の提出及び效果 ===
第十三節 立証責任
:: 第九十三條——第九十七條の二
第十四節 推定及び禁反言について
:: 第九十八條——第百五條
第十五節 証人の適格性について
:: 第百六條——第百二十二條
第十六節 口頭証拠の取調について、及び証人の尋問について
:: 第百二十三條——第百三十九條
第十七節 供述調書について
:: 第百四十條——第百四十二條
第十八節 証拠の不当な許容と排斥について
::第百四十三條
訳語表
{{notelist}}
{{PD-Japan}}
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[[Category:訴訟法]]
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*原語版1
:''A Digest of the Law of Evidence''(ロンドン・マクシミリアン、第5版)[https://archive.org/details/digestoflawofevi00stepuoft/page/xxiv/mode/2up I.A.]
__TOC__
}}
{{center|{{resize|150%|ジェー・エフ・スチヴン 証拠法要約}} }}
{{center|{{resize|125%|目 次}}}}
=== 序説 ===
: 一、本書成立の由來
: 二、本書の特質
: 三、証拠法の構成
: 四、本書の内容
: 五、除外した題目
: 六、体系化の問題
: 七、制定法の取扱
: 八、本書の效用
=== 第一部 適切性 ===
第一節 総則
:: 第一條
第二節 争点たる事実及び争点に適切な事実について
:: 第二條——第九條
第三節 争点たる事実に類似するがこれに関連しない出来事、一定の場合を除き不適切である
:: 第十條——第十三條
第四節 伝聞、一定の場合を除き不適切である
第十四條
:第一目 伝聞が適切な場合
:: 第十五條——第三十二條
:第二目 帳簿、書類及び記錄に於ける陳述が適切な場合・
:: 第三十三條——第四十七條
第五節 意見、その適切な場合とらざる場合
:: 第四十八條——第五十四條
第六節 性格、その適切と看做される場合と然らざる場合
:: 第五十五條——第五十七條
=== 第二部 立証について ===
第七節 証拠に依らずして立証される事実職権認知
:: 第五十八條——第六十條
第八節 口頭証拠について
:: 第六十一條——第六十二條
第九節 書面証拠について—— 一次的書面、二次的書面及び認証ある書面
:: 第六十三條——第七十二條
第十節 公文書の立証
:: 第七十三條——第八十四條の二
第十一節 書面に関する推定
:: 第八十五條——第八十九條
第十二節 書面証拠に依る口頭証拠の排除について、並に口頭証拠に依る書面証拠の修正及び解釈について
:: 第九十條——第九十二條
=== 第三部 証拠の提出及び效果 ===
第十三節 立証責任
:: 第九十三條——第九十七條の二
第十四節 推定及び禁反言について
:: 第九十八條——第百五條
第十五節 証人の適格性について
:: 第百六條——第百二十二條
第十六節 口頭証拠の取調について、及び証人の尋問について
:: 第百二十三條——第百三十九條
第十七節 供述調書について
:: 第百四十條——第百四十二條
第十八節 証拠の不当な許容と排斥について
::第百四十三條
訳語表
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