사용자:Toktoki94/작업장/역사적 가나 표기법

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역사적 가나 표기법 (일본어: 歴史的仮名遣 れきしてきかなづかい[*])는 일본어가나로 표기하는 방법의 하나이다. 구식 가나 표기법(일본어: 旧仮名遣), 정 가나 표기법((일본어: 正仮名遣)이라고도 한다.

역사적 가나 표기법은 메이지 시대부터 제2차 세계 대전 종전 이후 제정된 국어국자문제(일본어: 国語国字問題)에 의한 현대 가나 표기법이 발표되기까지 일본어에서 사실상의 표준 표기법으로 사용되었다. 그 내용은 주로 헤이안 시대의 발음과 표기법에 기초하여 나라 시대까지 소급하는 것에 더하여 고대의 표기·발음을 더한 것으로, 현대 가나 표기법이 발음을 중시하는 반면 역사적 가나 표기법은 어원과 문법을 중시한다고 할 수 있다.

목차

[편집] 내용

현대 가나 표기법과 비교했을 때 다음과 같은 특징이 있다.

  • ゐ/ヰゑ/ヱ가 사용된다.
  • 연탁(連濁)·복합어[1] 이외의 ぢ와 づ가 사용된다.
  • 조사 이외에도 を가 사용된다.
  • 외래어를 제외한 요음·촉음은 작은 글자를 쓰지 않는다.[2]
  • 어중·어미의 はひふへほワイウエオ로 발음한다. (ja:ハ行転呼 참조) 하지만 역사적 가나 표기법에서는 발음의 변화에 영향을 받지 않고 はひふへほ로 발음한다.
  • 다음의 발음은 3가지로 표기된다.
    イ → い/ひ/ゐ
    エ → え/へ/ゑ
    オ → お/ほ/を
  • 장음 표기에 독자적 규칙을 사용한다.
  • 활용어의 활용 어미에서는 발음보다 문법이 우선이다.
예: 笑(ワラ)オー (笑(ワラ)ウの未然形+助詞ウ)を現代仮名遣では「笑おう」とするが、歴史的仮名遣では「笑はう」とする。現代仮名遣では「笑おう」の表記に合せて「笑う」の未然形を「笑わ/笑お」の二種類とし、歴史的仮名遣では「笑ふ」の未然形は「笑は」との文法規則に合せて「笑オー」を「笑はう」と表記するのである。
  • 発音に対する仮名遣の候補が複数ある場合、どれを選択するかは語源や古くからの慣例によって決められる。語源研究の進歩により、正しいとされる仮名遣が変る事もある。
例:山路は「やまぢ」。小路は「こうぢ」。道のチと同根だから。
例:紫陽花は「あぢさゐ」。語源は諸説あって不明だが、「あぢさゐ」の表記を用いる。
  • 歴史的仮名遣の中にも揺れのあるものが存在し、これを疑問仮名遣とする事がある。
現在では訓点語学や上代語研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。ただし誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣とすることがある。
예: 或いは/或ひは/或ゐは → 或いは
用ゐる/用ひる → 用ゐる
つくえ/つくゑ → つくえ(책상)
  • 「泥鰌」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは、歴史的仮名遣ではなく、江戸時代の俗用表記法であり、特にその根拠はない。


[편집] 字音仮名遣など

漢字音の古い発音を表記するためにつくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼び、広義の歴史的仮名遣にはこれも含む。ただし字音仮名遣は時代によってその乱れがはげしく、定見を得ないものも多いうえ、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから、同列に論ずることはできない。

歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長がこれを集大成するまで、正しい表記の定められないものが多かった。明治以降現代仮名遣の施行まで行われた仮名遣では、もっぱらこれによっている。

以上のような成りたちから、歴史的仮名遣の正当性を主張する論者にも、字音仮名遣を含める人(三島由紀夫)と含めない人(福田恒存・丸谷才一)とがいる。

  • くわ/ぐわ→カ/ガ
  • ア단+う/ふ→オー
  • イ단+う/ふ→ユー
  • エ단+う/ふ→ヨー[3]
  • エ단+い →エー/エイ
  • オ단+う/ふ→オー
  • 明治以降、外来語の特殊表記として以下の方法が考え出された。
    うぃ/うぇ→ウヰ/ウヱ
    うぃ/うぇ→ヰヱ
    ヴァ →ワ゛(ワ+탁점)

[편집] 歴史

現在は歴史的仮名遣と呼ばれる表記法は、だいたい平安時代中期の発音を基準にした表記法であったと推測される。

時代が下るに従って、日本語の発音は変化した。そのため、語の表記と発音とにはしばしばずれが生じ、同音でも異なる表記がありうる様になった。その時、ある一つの表記を正しいものと看做し、それとは別の表記を誤りと決定する必要が生じ、仮名遣が出現する事になった。

鎌倉時代初期には、発音と表記とにずれが生じ、既に表記が混乱した状態にあった。そのため、藤原定家は、古い文献を渉猟した上で「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」の区別に就いて論じた。これに行阿が補正・増補を行って定家仮名遣が成立した。江戸時代まで、定家仮名遣は正式なものとして、歌人の間などに普及した。しかし、定家らの調べた文献は十分古いものではなく、すでに仮名遣の混乱を含んだものであった。また、いくつかの語に就いては、アクセントに基づいて表記が決定されたため、上代のものと異なる仮名遣が「正しい」とされた場合があった。

江戸時代になって、契沖は、万葉集(萬葉集)などのより古い文献を調べ、定家仮名遣とは異なる用法が多く見られる事を発見し、それを改訂して復古仮名遣を創始した。その後、本居宣長らに依り理論的な改訂がなされ、更に明治以降の研究によって近代的な表記法として整備され、太平洋戦争敗戦直後まで一般に使用された。この復古仮名遣を普通、歴史的仮名遣と呼ぶ。

明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは、漢字を廃止してアルファベット(ローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りにフランス語を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的仮名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきである、と表音主義者は主張した。これに対して、森鴎外や芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。

敗戦直後、GHQの民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により、政府は表記の簡易化を決定、国語審議会の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して、歴史的仮名遣は旧仮名遣(旧かな)と呼ばれる様になった。なお、漢字制限も同時に為され、当用漢字(現常用漢字)人名用漢字の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。

この国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が『私の國語教室』を書いて、現代仮名遣の論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣は、表音的であるとするが、一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」や、「ず・づ」の区別は歴史的仮名遣の規則そのままであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。

また、福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。その結果、昭和61年に内閣から告示された「現代仮名遣い」では、「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。不完全な現代仮名遣の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する人は今も残る。

[편집] 歴史的仮名遣を使用する人々

戦後の国語教育は「現代かなづかい」でなされたため、歴史的仮名遣を使用する日本人は少数派となった。

しかし、元来現代仮名遣は内閣告示によって示されたもので国民に対する強制力はなく、また布告自身は「この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」と断った上に、当時の国語改革に対しては根強い反対意見があったために、現代仮名遣が広く使用される様になって以降も、歴史的仮名遣を使用する人々も居る。現存の作家では阿川弘之、丸谷才一、大岡信、高森明勅等がそれであり、井上ひさしや山崎正和にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。

また現代仮名遣は原則として口語文に就いてのみ使用されるものであるので、文語文法によって作品を書く俳句や短歌の世界においては歴史的仮名遣の方が一般的である。

[편집] 같이 보기

[편집] 外部リンク

[편집] 출처 및 각주

  1. 예: かなづかい = かな + つかい
  2. きよう→きょう
  3. 예: けふ→きょう