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ゲームプログラミング
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206004
2022-07-31T07:53:12Z
Honooo
14373
出典整理終了。しかし…こんなに本の名前を連呼する必要有る^^;? やっぱり先輩、業界からお金もらってない^^;;??
wikitext
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<div class="pathnavbox">
* {{Pathnav|ゲーム}}
* {{Pathnav|工学|情報技術|プログラミング}}
</div>
== 概観 ==
このWiki参考書では、コンピュータを用いた[[w:ゲーム]]のプログラミングを扱います。つまり、いわゆる「テレビゲーム」や、[[w:コンピュータゲーム|コンピュータゲーム]]に関する記述についてです。
ここでは家庭用のパーソナルコンピュータで扱える範囲の事柄、それらのゲームソフトをつくるためのプログラミングについて議論します。必要に応じて家庭用ゲーム機の話題にも触れますが、あくまで派生的なものです。本書はプログラミングの教材であるので、大多数の読者が最初にプログラミングで触れるであろうパーソナルコンピュータでのプログラミングを、特にことわらないかぎりは想定しています。
用語に関して、コンピューターゲームの世界独自なものもあるでしょうから、適宜『[[ゲームプログラミング/コンピュータゲームの種類]]』などを参照してください。
== 本書の目的 ==
この教科書『ゲームプログラミング』の目的は、題名にもあるとおり、プログラミングによってゲームを作るための技術の参考資料を目的としています。
ゲームクリエイターやゲームデザイナー(絵描きではなくゲームの設計者のこと)のためではなく、プログラマーのための教科書です。
したがって本書では、ゲームとは関係の少ない一般IT企業での仕事のしかたについての記述もあれば、製造業系の組込ソフトなどに関する概要的な記述もあります。
なぜなら本書はゲームクリエイターではなく、たまたま何らかの理由でゲームを作っているプログラマーのための教科書だからです。たとえゲーム会社を退職しても、他の一般IT企業に転職してもプログラマーとして応用できることなども目指して本書は書かれています。
従って、紹介する話題が、かなりIT系、テクノロジー系の話題に片寄っています。本書で紹介するクリエイター論やデザイン論は、派生的なものにすぎません。
;本書を扱う上での注意点
特にことわりのないかぎり、本書ではC言語でのプログラミングによってゲームを作りたい読書を念頭に説明しています。
だから、ゲームの生産効率性を無視してでも、本来ならRPGツクールのような開発ツールを使ったほうが早いシンプルなゲームの場合ですら、本書ではC言語または他のプログラミング言語での開発にこだわった方法を説明している場合もあります。
;その他、本書について
このページとそのサブページだけを見ていると本書は「ゲームクリエイトの教科書かな?」と捉えられるかもしれませんが、
しかしこのページとは別に本wikibooksには「[[プログラミング]]」というページがあり、そこではC言語やJavaなど代表的なプログラム言語のwiki教科書にリンクしています。ゲーム限定の話題ではないですが、プログラミングのコードについても、そちら『[[C言語]]』や『[[Java]]』やなどの教科書のほうが(実際に動作するコードの量が)充実しています。また、Visual C++ での画面出力については『[[Windows API]]』に入門的な説明があります。
本書『ゲームプログラミング』はそういったプログラミング教科書一覧の一部でもあります。C言語やWindows API の教科書では、これをどうやってゲームのプログラミングに応用すればいいか説明できないので(本wiki『[[C言語]]』はけっしてゲーム目的のページではないので)、ゲームの実際としてプログラミングの話題を切り離すために本書『ゲームプログラミング』は存在しています。
なので本書にゲームデザイン論やクリエイター論などの内容の充実は期待できません。
本書『ゲームプログラミング』は現状、プログラマー目的以外には対応できないかもしれません。もしプログラマー目的以外の無料のwiki教科書が欲しい方は、現状では、自分で本wikiに加筆するか、あるいは本書『ゲームプログラミング』とは別に新規Wiki執筆を検討していただきたい。
== ゲームを作りたいな、よし、ゲームを作ろう。でも… ==
===しかし自分の本当の目的ってゲーム作り?===
「ゲームを作りたい」と思ったのなら、まずはあまり細かい難しいことは考えず、実際に作り始めてみるのが一番いいと思います。もちろんプログラミングについてほとんど何も知らないのなら、ある程度の勉強は必要ですが、ある程度の知識があるのなら、プログラミングの技量や知識の充実を気にするよりは、実際にゲームの完成を目指してプログラムを書いてみるのが一番いいようですよ。その過程でプログラミングの学習や経験は積んでいけますしね。JavaScriptやPython、無料でプログラミングに取り組める環境も、今現在では充実しています。
しかし、ゲームをプレイするのが好きだからと言って、ゲームを作る、までが本当に自分が好きかどうか、試しに少し作ってみたら、少し考えてみるといいですね。
例えば読者の中には、「私はRPGがすき」という人も多いでしょう。
RPG が好きという事はおそらく、よくRPGの題材になる西洋ファンタジーのストーリーや世界も好きという場合が多いでしょう。そして一方で現実のコンピューターRPGで魅力的に提供される、イラストや音楽が好きという場合もあります。
実際のゲーム業界の人々も、ゲームを彩るイラストレーションや音楽がいかに重要な要素かを語っています<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P85</ref>。
さて、ここで問題なのですが、「ゲームを作りたい」と貴方が思っていたとして、あなたが本当に作りたいのはゲームなのか?あるいは本当はイラストが描きたかったり、音楽を作りたいのではないか?
…というのは、ゲームというのは総合的な分野ですから、イラストや音楽はその要素として確実にありますが、それ以外、プログラミングやシナリオなど、様々な創作や創造が必要で、全ての作業量はかなり多いものになるでしょう。
そしてゲーム、コンピューターゲームにはゲーム独自の世界観があって、現実や小説や映画とは違う、独特の法則に支配された世界を作る必要があります。ある意味リアリティを持たない、リアリティから外れた世界です。だから、小説のようなリアリティにこだわるなら、ゲームは不向きかもしれません。
ゲーム作り始めの時点では、これらの判断は明確でなくても勉強目的でも構いませんが、しかその内「自分は本当にゲームを作りたいのか? Yes or no?」という疑問への答えが必要になるときがくるかもしれません。
試しにゲームを作ってみて、もし自分の本当の目的がゲームでないと分かったなら、それ以外の活動に移るのも、取る道の選択肢でしょう。
;給料は安い
職業として、商売としてゲームを作る場合、ゲームプログラマーの給料は洋の東西を問わず、安い事が知られており、書籍などでも言及されています。たとえば『CAREER SKILLS ソフトウェア開発者の完全キャリアガイド』(ジョン・ソンメズ 著)という欧米人のプログラマーの書いた本には、アメリカのゲーム業界ですらハードワークの割に賃金が低い事が記載されており、もし給料の高い仕事につきたいならウォールストリート(※米国の金融ウォール街のこと)のための仕事をするべきだと書籍中で指摘しています。
日本でも同様にゲーム業界の報酬が低いことは知られており、多くのゲーム会社の伝記漫画でも、よく語られています。
アニメーション業界と比べたら、ゲーム業界のほうが報酬が高いことは事実かもしれませんが、これは実は恐ろしいことに、アニメーション業界の報酬が異常に低いだけで、アニメーション業界よりはましだけど、結局は…というのが現状でしょう。
=== 同人ゲーム以外の発表の場 ===
2001年ごろの日本はネットを活用した同人ゲーム黎明期、フリーゲーム黎明期で、実験的な時代でもあり、多くのイラスト愛好、創作者や音楽創作者がゲーム制作に手を染めていたようです。この頃、まだイラスト投稿サイトや小説投稿サイトといったものは無かったか、あったとしても小規模でマイナーなものでした。
しかし2010年のあたりから各種の投稿サイトが普及したことにより状況は変わり、むしろ現在では、小説やイラストを発表したい人はそのジャンルの投稿サイトに直接アクセスしたほうが早く、そのためゲームを通して発表するのは人によっては廻り道かもしれません。
それをわかったうえで、それでもゲーム制作に身を投じるかを考えた上で、「よし、自分はゲーム制作をしよう」と思えるなら、ゲーム制作をするのが良いでしょう。
実際、今現在の作曲家やイラストレーターは、ゲームに関わったとしても、専門家として楽曲やイラストを提供するという立場に過ぎない場合もあり、自分自身が主体になってゲーム制作をする人は、プロアマ問わず少数派のように見えます。
同人ゲームの世界でも現在は(2021年頃に記述)、プログラマー系の作者が圧倒的に多い様です。
しかし、専門外の人だからこそ、メディアミックス的な意外な視点で新しいものが作れる可能性もあるかもしれません。コピーライター、作家の糸井重里が、マザー2の企画にたずさわった例もあります。しかし、あくまで「可能性」であり、成功はけっして保証されてはいないので、読者の自己責任でお願いします。
今現在のゲーム専門学校のカリキュラムはプログラミングが主体です。CGの授業は、週に2時間程の様。一方でゲームCG、或いは、一般CGに特化した学科もある様です。
あるWikibooks編集者Aは、もしイラストを描きたいなら、イラストの世界で描くのが安全、と考えています。ゲームプログラミングについては、プログラムを書ける人は絵コンテも描けそうだし、基本的にある程度の作図的なイラストを描ける人は多いだろうから、別にプログラミングに専念しろとは思っていません。
さて、読者がゲーム制作を職業として目指すのかどうかはともかく、とりあえず、ゲーム業界の状況を知っておくのが有用でしょう。
結局商業界の状況が権威をもってその分野を支配しているのがこの社会の基本なので、趣味でも職業でも、業界周辺のことを知っておくのは得ることが多いはずです。
文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか忘れる必要があることを説いています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日初版第1刷発行、P81</ref>。著者は、最初はグラフィッカーでしたが、しかしプランナーに転職したので、グラフィック関係の技能は仕事では「忘れて」しまった、という内容を述べています。ただし、比喩的に「忘れる」とは言っていますが、実際には忘却し無くなってしまったわけではなく、仕事では時間の都合により両立できないので、グラフィック関係の技能は例え話で「忘れた」、のであり、現実にはグラフィッカー時代に培った観察眼をプランナー時代の現在でも活用している、と、書籍中では述べられています。
このことは職業、あるいは技能とは一般的にそういうもの、と考えることができるでしょう。
{{コラム|漫画家大塚志郎のアドバイス|
同人ゲーム界では、ゲーム制作と、イラストまたは作曲などを一人で兼ねている作者も、ある程度は居ます。一方ネットの世界には様々な簡単に利用できるフリー素材もあるので、イラスト作画や作曲をしなくてもゲーム制作は可能ですよね。
一人でイラスト作画や作曲をしながらゲーム制作をするのはある意味マルチタレントだとも言えますが、現実にその創作をしている人たちは、かなり年長のこの分野の熟練者が多いようです。若い19歳ぐらいの頃に、それらマルチジャンルを両立するのは、一般にかなり困難なことだと思われます。
漫画家の大塚志郎は、漫画家を漫画創作の手本にするならデビュー時代を手本にするのが良い、と、漫画家向けの技法の教育漫画で語っています。
大塚は、漫画家の人生のうちで、これからデビューを目指している新人に近い境遇にあるのは、ヒット後の漫画家の生活状況ではなく、まだ無名・マイナーな時代の態度・生活だ、と描いています。成功後の熟練した漫画家より、若いデビュー直後の作家をお手本にするのがいいだろう、という主張ですよね。
さて、それでもデビュー時代から複数ジャンルの同人活動を均等に兼業する意思が硬いなら、それはそれでひとつの考え方ですが、上述のリスクを知っておく必要があるでしょう。
}}
===ゲーム業界は産業のエンジン役?===
かつてはゲーム産業が、日本のIT産業やデジタル家電産業の中心的・牽引(けんいん)役であった時代がありました。しかし、2010年以降、この考えは当てはまらなくなっています。
PlayStation2あたりまでの時代は、経済評論誌の未来予想でも、「もしかしたら今後、家庭用の据え置きゲーム機がパソコンの代替品として、家庭のリビング家電の標準品になるかもしれない」という予想があった。ゲーム産業がそのような牽引役として、経済界から期待されていました。ソニーが国産CPUをプレステ2〜3に搭載したり、WindwosのマイクロソフトがXBOXでゲーム機に参入したり、そういう時代です。
しかし2020年代の今は違います。結局、2020年代のゲーム機に使われてる技術や部品は、パソコン用の部品や技術の流用、ゲーム機のCPUも、今やインテルなどのパソコン用CPUをゲーム機でも使っています。
もはや現代は、ゲーム業界は、産業のエンジンではないようです。
ですから今現在、新しい技術に興味ある人は、ゲームにこだわらず、直接的にその技術を勉強し改良したほうが近道です。
たとえば、インターネット技術を使って何か新しい事をしたいなら、ゲームを作るよりもwebアプリやサーバーwebサービスを作るべきだし、目的のネットワーク用ソフトウェアをそのまま制作したほうが早いし確実です。
古い経済知識の先入観にとらわれず、無理にゲーム制作にこだわらないほうが、自分自身の技能やキャリアも開けていくでしょう。
2010年に出版された商学書籍『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』には、「しかしながら、ファミリーコンピュータで世界に攻勢をかけ、その後圧倒的な強さを誇っていた日本の家庭用ゲーム産業も、90年代末からはその競争力にかげりがみえはじめた。日本の国内市場は伸び悩み、成長率は鈍化傾向にある(図表7-3)。」とあります<ref>青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.263</ref>。
その「図表7-3」の統計値によると、
:ファミコン発売の1993年には2268億円、
:スーファミ発売の1990年には2430億円、
:プレステ1発売の1994年には3882億円、
:1995年には急成長して4769億円、
:1997年には4795億円で、ほぼこの頃がピークであり、
:2000年には3768億円にまで低下(プレステ2の発売年)、
:2005年には3151億円まで低下(XBOXの発売年)、
である。(青島らが『レジャー白書』、『情報メディア白書』、『月刊トイジャーナル』、『CESAゲーム白書』などをもとに作成した図表の統計値です。)
<!-- ところで前編集者Sさん,これって正確には何の数字,金額なの?それを後で書き足しておいてほしいんだけど…。あれかな?一年のこの国のゲーム産業の売上高? -->
また、2010年の時点の商学研究では、1997年を境に、ゲームソフト市場で競争する企業数が増加傾向から減少傾向に転じた<ref name="m289">青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.289</ref>、とも言われています。
書籍『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』にも、引用文「家庭用ゲームは日本がその本格的立ち上げを主導し」<ref name="m91">青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.91 </ref>と書かれているぐらいで、1990年代は日本のインパクトが強かったようです。
なお、携帯電話の分野で、日本は国際的な地位を喪失したのに対し、デジタルカメラとゲームは「現代」(参考文献の著作時2010年ごろ)でも日本が主要な地位にある<ref name="m91" />。
{{コラム|ゲームが産業の牽引役だと語った人物|
1998年頃、アニメ評論家の岡田斗司夫が、未来予想の一貫として、「これからゲーム機が、(パソコンではなく)家電の中枢になるだろう」というような内容の未来予想をしていました。たしか、岡田の著書『東大オタキングゼミ』(自由国民社、1998年)で、このような未来予想が読めます。岡田の東大での講義を加筆修正してまとめた書籍なので、実際の講義はその数年前に行われていたのだろうと思います。
岡田の東大での講義は東大生のその後の進路、官僚や大企業のビジネスマン達に大きな影響を与えただろうし、若手新進評論家として、この国の政治・経済人達も、その言論を参考にしただろう。
実際、2008年(リーマンショックあたり)くらいまでの日本の家電業界の投資は、ソニーがゲーム機のCPUを作ったりと、岡田の予想を参考にしているような面もありました。
ですが実際の2001年以降の家電業界の結果は予想とは少し外れました。まず
:* そもそも、冷蔵庫もエアコンも全然デジタル化(IoT化)されず、家電のほとんどが外部からのコンピュータ制御を必要としない状況。
:* 個々人が持ち歩いているデジタル家電は、携帯ゲーム機ではなくスマホになった。
:* パソコンは多くの家庭にいまだにインターネット用端末などとして残り続けている。
一方岡田は東大オタキングゼミで、98年当時の時点で任天堂が莫大な現金資産(たしか数千億円ほど)を持っていることに注目しています。
一般の大企業は、現金ではなく株券や不動産などの形で資産を蓄えています。しかし任天堂は、銀行口座の現金だけで数千億円という、非常に資金力の高い企業でした。今や日本を代表する世界的なゲーム大企業になっています。
また、日本だけでなくマイクロソフトのXBOXなど、実際に欧米の企業も昔はコンピュータゲームが産業の牽引役だと思って、先をこぞってゲーム機に参入していたわけでもある。岡田の未来予想は、決して根拠の無いものではなかったのです。
}}
{{コラム|読書について|
ゲーム業界と関連のない文献も、この教科書では出典として書かれていますが、これはこの頁の主要執筆者Sが、多量の市販本を読む以外に知的活動の方法を知らないことと、自分自身の文章の権威と信頼性を、著名人の威を借りて確立したいからでしょう。
ゲーム業界を志望するなら、ゲーム業界人の書いた本は少なくとも何冊かは読んでおくといいでしょう。
ネット上では、業界人ではないのにもっともらしく書かれた文章も多いですし、おそらく本Wikiの執筆者にも本格的なゲーム業界関係者は一人もいないでしょう。
業界人達のSNS発言ではなく、現代では書籍があるので、実際に書籍を手に入れて読むのがいいですね。書店で販売される書籍というのは、けっして著者だけの意見でなく、編集者や校正者、周辺の職業人達が査読をして、内容の信憑性を確認しています。
<!-- ニュース解説者の池上彰(いけがみ あきら)が、たしか2011年くらいのテレビ番組で言っていたことだと、編集者Sは言っている。 -->
何十冊も本を読むよりはプログラミングを書く実践のほうが重要でしょう。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』著者であるFGOクリエイターも、ゲーム開発の書籍は読んでおくべきだと忠告しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P234</ref>。また、ゲームデザイン本で学んだ知識は、ゲーム業界以外でも仕事術として活用できます。たとえば上司への業務報告の報告・連絡・相談(ホウ・レン・ソウ)などの考え方は、ゲーム業界でなくても活用できます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P332</ref>。
いっぽう、もし最新IT技術を勉強したいなら、読むべきは、ゲーム制作の解説本ではなく、そのIT技術の解説本など、そのものの書籍を読むほうが近道でしょう。
}}
===ゲームプログラミングは面白い。しかし、そんな楽な事ではない。===
ここでいう「プログラミング」とは、C言語などのプログラム言語による開発のことです。RPGツクールなど開発ツールによるゲーム制作の話は原則していません(本書『ゲームプログラミング』はあくまでプログラミングのための教科書です)。
さて、よくネットや、あるいは日常でも(C言語などによる)「ゲームプログラミングは簡単だよ。イラストやシナリオのほうが難しい。」、などという人がいますが、この発言の心は、「俺はプログラミングもイラストもシナリオも出来る凄い男だぜ。しかもプログラミングなんて簡単だし、むしろクリエイティブなイラストやシナリオの方に精力を費やす偉い奴だぜ^^」という、世間に良くいる武勇伝、自慢を語りたがる、インチキ親父が吹かしているだけなので、あまり真面目に取り合わないのが正解だと思います。
まず第一に、不当にプログラミングの価値を貶めている言説ですよね。
Visual C++またはVC# 、あるいは Direct Xなどを使ってプログラミングすることは、そんなに簡単なことではないでしょう。
ゲームプログラミングの入門書などには、初心者でも理解できそうな比較的簡単ないくつかのサンプルコードがありますが、それは初心者でも簡単に書けそうな技術だけを抜粋してるという、あくまで例外です。
RPGならたとえば、ドラクエ3のような戦争画面の行動順を処理するソート機能をつくるだけでも一苦労ですし、ほかにも道具・アイテムなどの自動整理をはじめとする標準機能を作るだけでも一苦労です。
決して上手い人のサンプルコードをコピーアンドペーストをして終わりという訳にはいかず(そもそも現状そのようなサンプルコードがネット上に無いですが)、もし仮にサンプルコードがネットに公開されていても、自作品に組み込む際にさらにそれをデバッグ(決してテストプレイの意味ではなく、実際にコード修正が必要になります)しなければならず、プログラミング言語の理解が必要です。
ゲームのプログラミングは決して楽ではないし、仮にもし楽だとしたら、じゃあゲーム会社のプログラマー職の人の仕事は何なんだ・・・という疑問につながりますよね(デマを言ってる人は、この疑問を脳内に都合よく無視しますが)。
ツクールやエディタのような制作ツールを使えば、C言語的なプログラミングは不要ですが、それはそのツクールなどのツールを開発している人達にプログラミングを肩代わりしてもらっているだけなので、決して「ゲームプログラミングが楽」、ではないでしょう。楽だというなら、じゃあツクール開発元の角川書店およびその発注先ソフトメーカーのプログラミングが楽だとでも言うのか・・・(デマを言ってる人はこの疑問を無視します)。
そもそもコンピューターゲームというのはプログラミングがなければ成立しないのですから、そのプログラミングの価値を貶めて平気な人は、コンピューターゲームにかかわる資格はないでしょう。
== ゲーム制作に関する留意点 ==
=== IT的な留意点 ===
====プログラミングなしでも同人ゲームを作れる====
自分でゲームを作る際、必ずしも、C言語などプログラム言語で記述する必要はありません。
プログラミングをせずに、ほぼマウス操作と会話メッセージなどの文章のキーボード入力だけでゲーム開発をできるようにするソフトウェアが、有料または無料で発表されています。
たとえば、RPGを作りたいなら、日本で発表されているソフトでは、『[[w:RPGツクール]]』や『[[w:WOLF RPGエディター]]』などのように、RPG製作に特化された開発ソフトがあり、大幅に開発の手間を減らせます。なお、『RPGツクール』は有料製品です。『WOLF RPGエディター』は無料ソフトです。
アクションゲームを作りたいなら、『[[w:アクションゲームツクール]]』があります。これらツクール製品は有料製品です。(なお、かつて『[[w: 2D格闘ツクール2nd.]]』というのがありましたが、しかし現在ではサポート切れのため、今現在の市販の十字キーコントローラーが初期設定では動かない、一部のボタンしか使えないなど問題点があります。)
また、ノベルゲームを作りたいなら、フリーソフトの『[[w:吉里吉里Z]]』などがあります。吉里吉里Zはソースコードが公開されており、オープンソースになっています。
:なお、とりあえず「ゲーム開発ツール」と呼びましたが、じつは呼び方は特に決まってはいません。「ゲーム制作ツール」と呼ぶ場合もあります。ゲーム開発ツールのことを「ゲームエンジン」と言う場合もありますが、開発ツール以外のゲーム用ランタイムのことも「ゲームエンジン」という場合があります。
:本Wikibooksでは、とりあえず、ツクールや吉里吉里シリーズやウディタ(WOLF RPGエディター)などのソフトの呼び方は、まとめて「ゲーム開発ツール」または「ゲーム開発ソフト」と呼ぶことにします。
C言語などによるプログラムは、上記のゲーム開発ツールを使わない場合の選択肢になるでしょう。
既存のゲーム開発ツールの仕様に不満を感じる場合に、「じゃあ自分でプログラムして作ろう」となり、プログラミングが必要になるわけです。
なお、上記の開発ツールはほとんどがWindows用のソフトです。MacやLinuxでは動きません。MacやLinuxで動作するゲームを作りたい場合は、別のソフトウエアを使う必要があります。
既存のゲーム開発ソフトを使わずにプログラムを組んでゲームを自作する場合、必ずしも既存のツールのような、ゲーム作品と開発ツールが分離された仕組みを再現する必要はありません。
一般的に初心者が、ゲーム開発ツールを作ることはほぼ不可能です。初心者は開発ツールを作ることは考えずに、まず1本、とりあえずゲーム自体を完成させてみましょう。開発ツールを自作したいのなら、まず先にゲーム1本を完成させたあとに、あとから開発ツールとゲーム作品の分離などに取り掛かるのが推奨です。
==== 商業ゲームの開発言語 ====
基本的に、現代の商業ゲームは、C言語で開発をする。
ただし、ファミコンの古いゲームは、アセンブラで開発されていた。ファミリーコンピューターからスーパーファミコンに至るまで、OSは搭載されていない<ref name="m289" />。
ではいつからC言語がゲーム開発に使われるようになったかというと、商学の学説では、プレイステーション(※ おそらくプレステ1?)の頃からだろう、と考えられている<ref name="m289" />。ただしこの時代でも、処理速度の高速化のためにアセンブラにアクセスする開発チームも少なくなかった<ref name="m289" />。
また、プレイステーションのOSは独自仕様である<ref name="m289" />。
カプコンなど一部の企業は、OSによる開発ではなく、移植性を高めるために自社製の内製フレームワークを用いて開発する。カプコンの場合、2010年頃は「MTフレームワーク」という自社製フレームワークを用いて開発を行っていた<ref name="m289" />。
{{コラム|ゲーム用のメーカー独自プログラミング言語について|
ゲーム開発ソフトには、ゲーム開発用の独自のプログラミング言語を持っている場合があります。このような機能の実現方法は、原理的には、ファイル入出力の関数を使い、テキストファイルの文字列を読み取って、文ごとにプログラム動作を設定・実行している、と、考えられます。インタプリタは、このような方法で作られています。
ゲーム製作ソフトでの独自のプログラミング言語はたいてい、コンパイル作業を必要としないので、おそらくインタプリタ方式でしょう。
基本的にWindowsの場合、実行ファイルに変換するには、Visual Studio というマイクロソフト社の配布している開発環境が必要です。
Visual Studio が開発環境を提供していない独自言語は、たいてい、インタプリタ方式となると思われます。
コンパイラ方式に比べて、インタプリタは処理速度が不利なので、適用できるジャンルや用途が限られます。たとえば3Dアクションゲームには、インタプリタ方式は不向きでしょう。
これらの独自言語を使うにしても、自分自身で独自言語を作りたいと思うとしても、この教本ではまず、既存のプログラミング言語を使ってゲーム制作を開始することを推奨します。
}}
====ゲームのプログラム言語の歴史====
ゲームを書くために利用される言語は多岐にわたっています。歴史的にはゲーム業界でも、[[C言語]]や、特に計算機のスピードが重要になる場面では[[w:アセンブリ言語|アセンブラ]]を利用してプログラミングを行うことが普通に行われていました。<!-- (文献)→-->そのため、ゲームプログラミングは通常のプログラミングと違った技能が必要であるように思われていました。
現在では計算機がある程度速くなったことや、ゲームプログラムの開発を複数人で行うことでテクニカルなプログラミングが避けられるようになったことにより、ゲームプログラミングは他の一般のプログラミングと同じような課題だと見なされています。
しかし、特にアクションゲームなどのリアルタイムでの画面書き換えが必要なゲームで、プログラムのスピードが重視されることは変わっていません。また、コンピュータの性能があがるにつれ、それらの性能を全て引き出すように表現手段が変化してきたため([[w:3次元コンピュータグラフィックス|3D]]、[[w:ポリゴン|ポリゴン]]などを参照)、状況によっては複雑で特殊なプログラミングが必要になることもあります。
===== 初心者が使えるプログラミング言語 =====
ゲーム開発において、一般にゲームショップなどで流通している商業ゲーム作品において、現在よく利用されているプログラミング言語として、[[C言語]]、[[CPlusPlus|C++]]、[[Java]]があげられます。
Windowsの3DエンジンのDirectXは、主にC++を想定しています。なので負荷の高いアクションゲームを作りたい場合、Visual C++での開発が安全でしょう。
しかし、ネット上のフリーゲームでは、C++以外の言語が使われることも、よくあります。
さいきんゲームエンジンとして有名なUnityは、言語としてはC#の文法を採用しています。
[[w:携帯電話|携帯電話]]向けのゲームでは[[Java]]が利用されましたが、これは携帯電話を提供する各社がJavaをアプリケーションの言語として選んだことによります([[w:iアプリ|iアプリ]]、[[w:EZアプリ (Java)|EZアプリ]]、[[w:S!アプリ|S!アプリ]]などを参照)。現在でもAndroidなどのスマートフォン向けでは、Javaが使われています。
市販の書籍では、Pythonによるゲーム開発を紹介した出版物もあります。ただし Python は原理的にインタプリタ方式であるために処理速度がC++に劣り、アクションゲームなど負荷の高いゲームを作る事を目指している場合は、将来的にはPythonからC++への装備変更が必要になるかもしれません。
===== ゲームに適さない(だろう)言語 =====
;Flash関係
例えば、かつて Adobe の Flash が、ブラウザで動かせるゲームを作る際に、よく使われていました。このようなwebブラウザ上で動くゲームのことを一般に、「ブラウザゲーム」と言います。ただし、現在ではFlashは廃止の方向です、すでにほぼ廃止されているといっていいでしょう。また、現状では、ローカルPC環境でのゲームをJavaScriptで作るのは、アマチュア段階では困難です。JavaScriptのアマチュアゲームと言う事例を聞きません。
;JavaScript
なお、JavaScript はクロスプラットフォームですが、しかし、セキュリティ上の理由などから、いくつかの機能(たとえばファイル入出力)がwebブラウザ上では使えないようになっており、そのため、JavaScript だけでゲームを作るのは、初歩的なゲームを除くと、かなり困難です。(おそらく、オンラインゲームでは、サーバー側でPHPやサーバサイドJavaScriptなどの別プログラムが走っていると思われます。)
セーブ機能の必要なゲームを作る場合は、JavaScriptでの開発は選択肢にない(セーブの実装には、JavaScript国際規格にはない非標準仕様を使いこなす必要があり、かなりの技術力を要するでしょう)。
=====ブラウザゲームの初歩的な原理=====
商品として流通するようなゲームや、高度な機能を持つブラウザゲームを作ることはとても難しく、このページでは手に負えません。そこで、このページでは、初心者が練習用につくるゲームを例に記述します。
webブラウザだけで動くのがブラウザゲームです。ブラウザゲームを作るのに使う言語の第一選択肢はJavaScriptです。サーバー側の処理が必要ならPHP,Python,Perl,Javaなどの言語の出番でしょう。
「ネットワークゲーム」は「ブラウザゲーム」とは意味が違います。
「ブラウザゲーム」は、パソコンにwebブラウザさえあれば、ネットワークに接続していなくてもゲームプレイできて、最後、クリアまでプレイできる作品もあります。
しかしネットゲームは、ネットワークに接続しないと、ゲームを開始することさえ不可能です。つまり、サーバの提供するゲームが「ネットワークゲーム」「ネトゲ」です。
もしPHPやPerlなどでゲームを作る場合、普通はネットゲームになる筈なので、作者がサーバを構築して提供する必要がありますし、プレイヤーにはゲーム中にサーバに接続する環境が必要になります。提供者は、サーバを用意したり、保守管理する必要がありますよね。サーバーがダウンしてしまうと、プレイヤーがゲームをできなくなります。
「PHP ゲーム」などの単語でネット検索したり、あるいは書店でプログラム言語の書籍や解説サイトを見ると、ときどきPHP・Perlなどの言語でゲーム開発しているものもありますが、一般的なダウンロード型のゲームとは違う筈なので、気をつけてください。
{{コラム|ソケット通信、ほか|
コンピュータプログラムからインターネットに通信するには、いくつかの方法がある。
C言語の場合はOSの提供するソケット通信といわれる機能を使う方法、
JavaScriptにあるHTTP通信の機能を使う方法、
などがあるだろう。
ただし、JavaScriptでゲームを制作するのは、セキュリティ上の制約などからセーブロードが標準的方法では困難など、とても制作が難しい。
よって本セクションでは、C言語にソケット通信を組み込むことの概要を説明する。
ゲーム制作初心者がソケット通信までする必要はないが、将来的には知る必要があるかもしれない。
本wikiではWindowsの場合については 教科書『[[WinSock]]』、
macやLinux / Unix や BSD の場合は 教科書『[[Unixソケットプログラミング]]』 で説明している。
Windowsとそれ以外のOSとで、ソケット通信の仕様が微妙に異なる。
ソケット通信では文字コードの問題がある。手元のパソコンの文字コード設定は、通信相手方の端末には反映されない。
Windowsの日本語版では、伝統的に Shift-JIS といわれる文字コードが使われてきたが、海外のWindows端末は日本の文字コードにあわせてくれないし、macやLinuxやBSDも同様に日本には合わせてくれない。
簡単な対処法として、ゲーム中では日本語を送受信しない、つまり半角の英数字と記号だけを送受信する、という道はある。
会員登録などのためにどうしても氏名や住所などの日本語を使う必要がある場合、PHP・Pythonなどサーバ言語に対応した「フレームワーク」があり、そのフレームワークが最初から日本語に対応、もしくは設定を少しいじるだけで日本語対応するので、それを利用すれば効率的かもしれない。
ゲームとは別途、サーバー側にフレームワークをインストールして、会員登録時にサーバー側でそれを使うようにすればいいだろう。
しかしゲーム内では日本語の扱いは非常に難しい、限定されるという事になるだろう。
C言語のプログラムにサーバサイドの言語・システムを組み込むのは難しいから、ネットゲームではどこかでソケット通信に頼ることになるだろう。
市販の本を探しても、そもそもソケット通信の書籍自体がめったに見当たらないし(ほんの少しだけ出版されている)、もし見つけても全く文字コードの問題の解決方法は紹介されていない(2021年現在)。
}}
====プラットフォ-ム====
;ライセンス料
一般に、プレイステーションや任天堂のゲームを開発するには、専用の機材が必要であり、そのため、ソニーや任天堂とライセンス契約しなければいけない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.107 </ref>。
その契約に際して、ライセンス費用または料金と呼ばれるものを、ゲーム機開発会社の任天堂、ソニーに支払う必要があります。
現在でもソニーや任天堂のゲーム機用のソフト開発・販売には、ライセンス料が必要です。少なくともPS4やニンテンドースイッチのパッケージソフト開発には、「ライセンス費」が必要<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.120</ref>。
なお、書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』によると任天堂やソニーのようにゲーム機を作っている会社のことをハードメーカーと言います。つまり、ゲーム機のハードメーカーにライセンス料を支払うという仕組みになっています<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P20</ref>。
また、スマートフォン向けアプリは、プラットフォーム使用料が掛かります。
書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると AppleStore, GooglePlayともに売上げの30%とのこと<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.121</ref>。その他のプラットフォームも、大体同じとのことです(参考文献の著作の時点では)。
Google やAppleのようにプラットフォームを提供している企業のことをプラットフォーマーと言います<ref name="gp244">吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P244</ref>。
昔からゲーム機のライセンス料は有料で高額であり、ソニーや任天堂の収益源のひとつになっている<ref>青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.267 </ref>。一方、パソコンゲームにはライセンス料が無いのが普通です<ref>青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.283 </ref>。
なお、ハードメーカーでなければプラットフォーマーでもないゲーム会社のうち、製造から販売までを手がける会社のことをパブリッシャーといい、たとえばカプコンやコナミやセガやスクウェア・エニックスやバンダイナムコなどがパブリッシャーです<ref name="gp244" />。
実は、必ずしもパブリッシャーが開発を手がけるとは限らず、スマホ向けアプリなどではディベロッパーといわれる開発専門の会社に委託している場合もあります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P245</ref>。
;ポリコレ規制
Apple社のAppStore向けのスマートフォンアプリでは、アップロード後に、公開前にAppleによる審査があり<ref name="g139">川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.139</ref>。、審査は欧米基準です。
GooglePlayは、公開前の審査はないが公開開始後に海外基準で審査されるので、それに違反していると配信停止になります<ref name="g139" />。
海外プラットフォームで販売・配布したい場合、「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な正しさ)といわれる、海外の公序良俗の基準に配慮する必要があります<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書のつくりかた』、P.235</ref>。
欧米の判断基準が、アジア諸国やアフリカの生活習俗に合致しない場合も多いのですが、欧米のIT大企業はその欧米基準での規制が政治的に正しいと考えているでしょう。「日本では、少し考え方が違う」と言っても、通用せず規制される場合も多い。
ゲームだけでなくテレビアニメでも、漫画ワンピースの海外アニメ版では、主人公側の若者がタバコを吸っているシーンをアメ玉に作画を変えられたり、ドラゴンボールに出てくるミスターポポという肌の真っ黒なキャラクターの肌を青く書き換えたり、色々な例があります。
ポリコレとは関係ない事例ですが、TVアニメーションのポケットモンスターで主人公のサトシ達がお握りを食べているシーンで、アメリカ版ではドーナツになっていたことがあります。これは、国による食文化の違いを示していますよね。
===プロトタイプ===
ゲームでは、曲や絵が良くても、ゲームとしては今ひとつ面白くない、という事は起こり得ますよね。
ですからむしろ、商業的なゲーム制作では、イラストは簡略なものを使ったうえで、プログラム中心の試作品(プロトタイプ)をいくつか作り、その中でゲームとしての面白さがあるものを、取捨選択したうえで商品化を考え、その後イラストや楽曲を詰めて完成度を高めていく、と、いう制作過程を取るようです。
書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、商業ゲーム界では、企画書に書かれたゲームが本当に面白いかどうか確認するために、「プロトタイプ」が作られます。プロトタイプの段階では、プログラマーと、企画の意図を考慮するためプランナーも関わります。<ref name="gp17">吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P17</ref>
イラストレーターは、プロトタイプの前段階あたりでイメージイラストを提供し、スタッフ間の共有イメージを作ります<ref name="gp18">吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P18</ref>。そしてプロトタイプ進行中は、グラフィック案の提案をしていきます<ref name="gcw56">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P56</ref>。サウンドも同様、プロトタイプでは、曲調を固めていく段階です<ref name="gcw56" />。
:※時々あるトラブルとして、マイナーな同人ゲームや零細メーカーのゲームで、背景イラストや脇役キャラクターなど目立たない部分で他社のイラストが使われていることがあるようです。おそらく試作用に流用したイラストが、そのまま製品に混入したのでしょう。こういうトラブルがあるので、他社イラストの使用は試作であっても避けるべきです。
;実装検証
プログラマーは、そのゲームでコアになるプログラムやシステムやミドルウェアについて、プロトタイプ段階で実装検証を済ませておく必要があります。プロトタイプより前の原案の段階では、利用するミドルウェアの洗い出しをして、出来る範囲での基礎実験をしておきます<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P54</ref>。
ミドルウェアによっては使用料が発生するので、その点を事前に調べておく<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P55</ref>。
プロトタイプのうち、張りぼての例えば画面だけの物等を、「モックアップ」といいます。一方である程度遊べる状態まで作っているものを、「プレアブル」といいます<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日初版第2刷、P251の図</ref>。
ゲームデザイン本ではよく「プロトタイプ」という表現が用いられるので、本ページではこの言葉を使うことにします。
{{コラム|商標権等|
知的財産権には著作権・商標権・意匠権などがありますが、商標権は特に強い権利であり、気を配る必要があります。
意匠権とは、建物や工業製品の外観に関する権利なので、ゲーム制作ではあまり気にする必要はないようです<ref name="gpd135">川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.135</ref>。
「特許権・実用新案権」と「商標権」は、事業者によって国に登録されている権利で、かなり強力な権利なので、気をつける必要があります。
特許権や実用新案権とは、大まかに言えば、技術的な発明に関する権利です。商標が登録されているかどうかは、特許庁の『特許情報プラットフォーム』というwebサイト<ref name="gpd134">川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.134</ref>で確認できます。
商標をトリッキーな意図で登録する人も多く、自社でビジネス展開をする気がなかったり、他社の商品などでまだ登録されていない物を申請したり、そういうやや不正な登録申請でも認可されてしまう場合も多いです。
また、商標は業種のジャンルごとに分かれているので、たとえば携帯電話のジャンルが新たに追加された時代に、過去のゲームの商標を登録した人がいました。そのため携帯ゲームを出せなかったり、商標を買い戻したり、取り戻すための裁判をするのに時間とお金がかかってしまったり、様々な問題が発生します。<ref name="gpd134" />
著作権は、登録の必要がなく、著作をした時点で発生する権利です。
『ゲームプランとデザインの教科書』によると、こういう事柄にまだ慣れていない人によくあることなのですが、他人の個人サイトやSNSで公開されていた絵や曲などを、許可なく勝手に使う事例があるようです<ref name="gpd135" />。
二次利用を許可されてない著作物は素材として使えません。
そして見落としがちなのが、フォントの著作権です<ref name="gpd135" />。フォントにも著作権があります。
フリー素材と書かれていても、商用販売が禁止されている配布形態のものもありますので、気をつけましょう。
}}
{{コラム|アイデアの権利。アイデアとは盗まれるのか、盗むのか?|
商業ゲーム作家たちの、2022/1時点でのSNS発言によると、業界全体でみられることですが、会社外部の人がアイデアを一方的に投稿してきて、会社で作った作品にそのアイデアと類似点があったら、アイデア使用料を要求してくる、そのような問題に悩まされているようです。
そこでゲーム会社側では原則、
:送られてきたハガキやメールは、まずクリエイター以外の事務系の人間が読む。
:もしハガキなどにアイデアがあった場合、そのハガキを処分。
などの方策を取ると言われています。
また、偶然や何らかの理由でアイデアが一致してしまった場合に備えてのリスク回避として、事前に会社のウェブサイトなどで「弊社にアイデアが送られてきた場合、そのアイデアは弊社のものになります」のような宣言をしている会社も多くあると言われています。<!-- (以上、作家のSNS発言やそれを紹介したサイトの取材などのまとめ.)←出典を消すなってS氏はやたら云うんだけど,そんな重要な事かね?もちろん全くなくて,いい加減な事書いていいと言ってるわけではないけど… -->
ここで前編集者は娯楽産業の世界には厄介な消費者がいると言及しているけど、この前編集者自身がこのWikibooks で異常なまでに厄介な参加者なんだが、そろそろ人のふり見て自分を返り見るべきだと思うな。
法学的には、著作権法はアイデアを保護しません(『アイデア・表現の二分論』と言います)。
そして前編集者はアイデアに関して権利をどうこう言う人間を無知だと書いているけど、自分は至上の賢人だと思ってるようだね。
そしてこの人物は他者を愚弄する時は必ず自分の意見ではなく、権威ある人がそう書いたから、出典だからと宣う。
出典は岡田斗司夫氏の著作『東大オタク学講座』や『マジメな話』だそうだ。
まあ岡田氏ならかなり過激なことを書くのは事実だろうが,この前編集者S はその悪徳をさらに10倍に高めてこのWikibooks に記述する地獄のように厄介で無知で馬鹿な人間だ。
}}
任天堂『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は、プロトタイプの段階ではイラストや音楽を組み込まずに(イラストは、代わりに大きなドットの塊などで代用する)作られている事がゲーム業界見本市イベント CEDEC 2017 で公開されています<ref>https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1078888.html 2020年11月25日に閲覧して確認</ref>。
プロトタイプの段階では、画像や音楽は発注せず、骨組み的なプログラムだけで、そのゲームのアイデアが「はたして本当に面白いか?」を、実際に社内の関係者にプレイさせてみて確認します。
因みにプロトタイプに関しては『[[高等学校情報/その他の技術的な話題#プロトタイプ開発]]』の記述も参考になる。
ここでいう「プロトタイプ」(試作品)とは、コンピュータプログラムのゲームとして動作するのが前提です。映画製作でいう絵コンテ試写のように、ゲームの試作では、なるべく早期に第三者が試作ゲームを遊べるように作っていく必要があります。
プロトタイプという言葉を使用すること自体が妥当かどうか。まず、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』で使われている<ref name="gpd350">川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.350</ref>。
ニコニコ動画の経営者、川上量生が使っています<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P.38</ref>。川上は角川書店も買収したので、おそらくそこ(カドカワ・RPGツクール販売元)でも使っているでしょう。
ゲームのプロトタイプの基本姿勢は、「汚く作って、やりなおす」です<ref name="gpd350" />。もちろん最低限のプログラムの知識、勉強は必要ですが、あまり知識収集や理解充実を気にするより、実際に作ってみることを優先したほうがいいようです。チーム制作をしている場合はプロタイプは赤ん坊であり、そのチームで育てていこう、我々の子供だという意識で接しているようです<ref name="gpd350" />。
勉強に関しては、汚くてもいいからまず工夫して作ってみると、何を勉強すればいいかが見えてきます。
英語では「quick and dirty prototype」という言葉があります<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.349</ref>。
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書のつくりかた』によると、シナリオライター志望者が企画書やシナリオ案をメーカーに送りつけても、あまり効果的ではないようです。
それよりゲーム形式でシナリオを書いてしまうのがいいようで、「CHR:ヒロインA(私服)、表示」のような文章を織り交ぜて構成していくのが推奨<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書のつくりかた』、P.140</ref>。
参考文献のその章では、シナリオライター志望者に向けて語られていますが、プログラマーを目指すならどうすればいいでしょうかね。
プログラマー志望なら、サンプルゲーム、サンプルプログラムを作ってしまうのがいいかもしれません。
1990年代、週刊少年マガジンに不定期掲載していた読みきり漫画『ゲームクリエイター列伝』では、カプコン社のゲーム『バイオハザード』を扱った『バイオハザードを創った男達』の際、制作過程でゲームデザイナーが大幅な作り直しを判断して進行させた、という描写があります。(ただしWikiboooks一編集者の記憶、詳細はあいまい)。
のちの、ゲーム評論家の阿部広樹の評によると、むしろそれは劇的な大きな決断ではなく、ゲームデザイナーの日常の普通の仕事ではないか、と語られています。
どんな肩書の人間だろうと、すでに決まって進行していた方針をひっくり返すのは、かなりのストレスのある判断で指摘になりますが、一般に漫画や映画、あるいはNHKの仕事に関するドキュメンタリーでもそうですが、職業や職業者の物語では、過剰に対象を美化し、劇的な演出によって関係者を称賛し、英雄視する傾向があるように思います。
{{コラム|アイデアはアイデアで価値がある。でも、せっかくなら、それを試作して、形にしてみよう。|
ゲーム業界人広井王子は書籍のインタビューで、自分の社長としての人材評価は「0点」から始まる「加点法」だと語っていたようです。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』著者も、文脈は違いますが「加点方式で物事を考える」と述べています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P224</ref>。
正直インチキなゲーム業界人の点数勘定などには全く興味ないが、そんな話とは全く別に、ゲーム制作の上で、実際に動く簡単なプロトタイプを作ってみることは間違いなく有意義な事でしょう。
アイデアはアイデアとして、思考や思想の展開としてありますが、それを具体的な形にしてみることは非常に楽しくエキサイティングで、意味ある活動ですよね。
}}
仕様書や設定資料を超えて、誰もが遊べる試作品は、意味のある企画行為でしょう。前編集者は、時間軸・動きの制作意図の明確化、という言葉を使っています。もちろん短くまとめること自体もなかなか難しいのですが、工夫を凝らして、ゲームプログラムを完成させることが重要な経験であり、思考の具体化でもあると思います。
===アルファ版===
アルファ版はプロトタイプとは違うもので、その後段階で、ゲームの全体像が分かる一部分を、商品に準じた形で作ることです<ref name="gp17" />。
アルファ版でもそのゲームが本当に面白いかどうか検証がなされます。サウンドやビジュアルは商品に近いほぼ完成化された形で取り込みます。
アルファ版の使用の結果、プロジェクト中止の決定がなされる場合もあります<ref name="gp18" />。
ベータ版とは、会社によって意味が多少違いますが(たとえば『ゲームデザインプロフェッショナル』と『ゲームプランナ-入門』とでも微妙に違う)、おおむね、とりあえずのゲーム、最初からエンディングまでのほぼ完成状態をひととおり遊べる制作物です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P170</ref>。
細かいバグ修正はこれらの段階では後回しにします。
基本的に
:プロトタイプ→アルファ版→ベータ版→調整→デバッグ
の流れですね。
===プロトタイプ制作に必要な予備知識===
====数学は後回し====
ゲーム制作の作り始めにおいて、必要な数学や物理の予備知識は、それほど多くありません。
文献『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』によれば、数学や物理の習熟に拘って、それに多くの時間と精力を費やして勉強するよりは、3Dの勉強などで必要を感じたら、そのつど、その分野の数学や物理を学ぶのが効率的だと述べており、また可能なら実際にプログラミングでその理論を試してみると具体的に理解をしやすいと述べています<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P88</ref>。
====C言語の予備知識は入門書1冊+αで十分====
C言語を使ったゲームは、予備知識はそれほど多くないので、あまり難しいことは考えず、まず実際にプログラムを書いて作ってしまう事優先にするのが正解なようです。
市販のC言語入門書で、配列や関数などの一般的な機能を一通り習得したら、あとはVisual C++ で映像出力とキーボ-ド入力のみを、1~2週間ほど勉強、そしてVisual Studioを起動してゲームを作り始める。
うまくいけば数か月以内に、パソコン用の非ネット通信のゲームを作ることができるでしょう。
ただ、ゲームプログラミングを試みる人は、必ずしもゲーム制作のみが絶対的な唯一の目標ではない可能性もあるので、それぞれの立場に応じて、座学を取り入れてみるのもいいと思います。
== 作業リストを作る ==
===作業リストの制作開始の方法===
さて、ゲームを作る時は、アイデアを頭の中だけに置いておくのではなく、文章に書きだしてみましょう。
そして、壮大な長大なアイデアではなく、1週間~1ヶ月ていどで成果の確認できそうなアイデアだけを書いてみましょう。
次にそのアイデアを、実際に動作するプログラム、ソフトウェア(つまりプロトタイプ)にするために、具体的などんな機能を持ったプログラム(簡単なものでよい)を制作しなければいけないか、自分のやるべきことのリストを、箇条書きで作ります。<ref>https://www.youtube.com/watch?v=J5FCZG7dfEY 2020年3月17日に閲覧</ref>
IT界ではこういうリストを「ToDoリスト」(読み: トゥードゥーリスト)とか「タスクリスト」といいます。このページではむしろ日本語で、「作業リスト」と呼んでみましょう。
さて、このリストを作るときは、作業項目は具体的かつ単純な目標に分割します。ですから例えば RPG の戦闘システムを作るときは、
*「戦闘システムを作る。」
と、あいまいに総体的に書くのではなく、具体的に、
*戦闘画面のメッセージ表示欄および標準メッセージを作る。
*「戦う」コマンド選択欄を作る。(動作するコマンドはまだ「戦う」だけ。「逃げる」「魔法」などは後回し。)
*主人公1人用の「戦う」コマンド用のダメージ計算システムを作る。
*主人公以外の味方キャラのぶんの表示欄も戦闘画面に追加する。
*味方キャラが素早さ順に行動する処理を作る。
という風に、作業項目を細かく分割していきます。
こうすることで、作業がひとつずつ比較的に簡単な要素に分解されていくので、楽になります。また、バージョン管理ソフトを使って管理している場合も、上記のような作業リストの分解をしておけば、各バージョンの概要を書く際にも作業リストの項目が転用できるので、一石二鳥です。
予定日は書かないほうがいいように思われます。スケジュールを管理したい場合は、別にファイルを作るといいですね。
そして書き出した項目を優先順位で並べたら、最初の作業リストは完成です。
===作業リストの更新===
プログラミングする前に作業リストを眺めて、そして上の項目から実際に作業を開始しましょう。
そして一つの項目を完成させましょう。
そして作業項目がひとつ終わったら、「【完了!】」等、そういう情報を、項目の前または後ろにつけます。備忘のための記録ですね。
たとえば、
*【完了!】戦闘画面のメッセージ表示欄および標準メッセージを作る。
*【完了!】「闘う」コマンド選択欄を作る。(動作するコマンドはまだ「戦う」だけ。「逃げる」「魔法」などは音回し。)
*主人公1人用の「戦う」コマンド用のダメージ計算システムを作る。
*主人公以外の味方キャラのぶんの表示欄も戦闘画面に追加する。
*味方キャラが素早さ順に行動する処理を作る。
こうします。
以前の記述を残したまま、その作業が終了したことを示しておくわけですね。
また、もし追加の作業が必要になったら、たとえばダメージ計算システムを作るために、ランダム計算が必要になって、自分がそのプログラム言語でのランダム計算に詳しくないなら、たとえば
*【完了!】戦闘画面のメッセージ表示欄および標準メッセージを作る。
*【完了!】「闘う」コマンド選択欄を作る。(動作するコマンドはまだ「戦う」だけ。「逃げる」「魔法」などは音回し。)
*Visual C++ でのランダム計算のとりあえず出来る方法について調べる。
*主人公1人用の「戦う」コマンド用のダメージ計算システムを作る。
*主人公以外の味方キャラのぶんの表示欄も戦闘画面に追加する。
*味方キャラが素早さ順に行動する処理を作る。
::※3行目に追加されています。
と、必要に応じて項目を追加します。
さて、これから行う作業を検索しやすくするため、たとえば
'''やることリスト'''
*Visual C++ でのランダム計算のとりあえず出来る方法について調べる。
*主人公1人用の「戦う」コマンド用のダメージ計算システムを作る。
*主人公以外の味方キャラのぶんの表示欄も戦闘画面に追加する。
*味方キャラが素早さ順に行動する処理を作る。
'''完了した作業'''
*【完了!】戦闘画面のメッセージ表示欄および標準メッセージを作る。
*【完了!】「闘う」コマンド選択欄を作る。(動作するコマンドはまだ「戦う」だけ。「逃げる」「魔法」などは音回し。)
の様に完了した項目を後回しにしたり、或いは
*【完了!】戦闘画面のメッセージ表示欄および標準メッセージを作る。
*【完了!】「闘う」コマンド選択欄を作る。(動作するコマンドはまだ「戦う」だけ。「逃げる」「魔法」などは音回し。)
*(現在→) Visual C++ でのランダム計算のとりあえず出来る方法について調べる。
*主人公1人用の「戦う」コマンド用のダメージ計算システムを作る。
*主人公以外の味方キャラのぶんの表示欄も戦闘画面に追加する。
*味方キャラが素早さ順に行動する処理を作る。
のように、(現在→)、を追加するのも良いでしょう。
つまり作業の記述をそのままに、どこまで進展しているかが分かる等に書き足していくわけですね。
==プロトタイプ制作における創作面の検討事項==
===ゲーム性===
「ゲーム性」という概念があって、これがあるからこそゲームは面白く、魅力的だと考えられています。
プレイステーション開発元のソニーもこれを重視していますし、一般的に多くのゲーム愛好者、関係者たちもその考えに同意するでしょう。
ではゲーム性とは何か?
ゲームのジャンルにもよりますが、「駆け引き」や「戦術」、これが「ゲーム性」だとよく言われます。
『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ゲーム性とは、シューティングやアクションでは「対戦の駆け引き」、RPGでは「戦闘と物語の介入」、シミュレーションゲームなら「戦略性」だそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P152</ref>。
ただし上述の書籍によると、1990年代は今よりもゲーム性とシステムが重視されていたとの説明があるので、裏を返せば2010年以降の現代では、ゲーム業界ではゲーム性の重視の比率は1990年代よりも減っているかもしれません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P302</ref>。
『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)では、ゲーム性とは「課題や挑戦の仕組み」であると結論づけています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P36</ref>。そして、この達成感こそが「ゲームならではの面白さ」だと述べています。
;アクションパズルゲーム「I.Q」
メディアクリエイターの佐藤 雅彦氏(「だんご3兄弟」や「ピタゴラスイッチ」等を手掛けている)が、初めてかかわるコンピュータゲームで、ソニー・コンピュータ・エンターテインメントとの共同企画で、のちに「I.Q」(1997年にシリーズ第一弾を発売)と呼ばれるシリーズに携わった時、プロトタイプが全くゲーム性のないものになってしまい、それをプレイしたソニーの幹部陣の顔色が非常に曇ってしまったようです<ref name="br67">川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P.67</ref>。
ここでの悪い反応、薄い反応の理由がわからなかった佐藤氏が、階段の踊り場でソニーの新人に尋ねてみると、「それが、あの、ゲーム性がないっていうか・・・」と言われたと出典の対談集に書かれています<ref name="br67" />。
基本的に佐藤氏は、プロトタイプの企画を提案しただけですが、ソニーにはプロトタイプを作るための部署があるらしく、1~2ヶ月かけてそこでプロトタイプが作られたようです。
この問題の責任が誰にあるかは、大した重要な事ではありませんが、商業作品としてプロトタイプを作る以上は、どこかの段階でゲーム性を意識して、プログラムに盛り込む工夫が必要になるでしょう。
===ゲームの見た目とは?===
ふつうゲームのプレイヤーは、まず最初にそのゲームの「見た目」を判断し感受するでしょう。ですからその見た目のインパクト、興味を呼び起こす構成が必要になります。
例えばスーパーファミコンRPG『新桃太郎伝説』では、開発当初はドラゴンクエスト5 のようなマップ画面のトップビューUIでしたが、開発中にクォータービューの他社製RPGが発売されて高い評価を得たので、マップUIを(トップビューではなく)クォータービューに作り直したようです。このことは攻略本『新桃太郎伝説 究極本』に開発裏話として書かれています。
一方現在でもこの方向の試みは重要なようで、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』の著者は、他企業の製品の画面と、自社の製品を目で見比べる分析方法で、自分たちの製品のUI の問題を見出しています<ref name="gdp199">『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P199</ref>。
割と素朴で単純で即物的な見た目、「かっこいい」とか、「ぱっと見派手」等の要素が非常に重要なようです<ref name="gdp199" />。
商業としてゲームを作る以上は、ペイしなければ企業も事業の継続も維持できませんから、考慮せざるを得ない問題ではあります。
== ゲーム開発ツールを使う場合 ==
====開発ツールのライセンス条件====
ゲーム開発ツールのなかには、そのツールで開発したゲームソフトに義務として「この開発ツールで開発したソフトウェアは、ソースコードを必ず公開しなければならない」などの条件をつけている場合があり、このような条件を「開示義務」(かいじ ぎむ)または「ソース開示義務」などといいます。
ソース開示が嫌な場合は、開示義務のあるツールは使わないのが正解ですね。
ゲームに限らず、ソース開示を義務としている開発ツールは多くあるので、ライセンスには気を配る必要があります。
「有料ソフトの販売を禁止」とか「アダルト作品の開発は禁止」などの条件をつけている場合も、ありえます。
ですからゲーム開発において、ツールのライセンス条件の確認は、非常に重要です。
{{コラム|GPLライセンス違反|
GPL(ジーピーエル)というライセンスがあって、Linuxなどのオープンソースで使われています。このGPLを組み込んだプログラムは、ソースを公開しなければいけません。
ですから、ソース公開したくないプログラムには、GPLソフトウェアは組み込めません。
ゲーム業界でも、GPLライセンスのソフトウェアを組み込んでしまったために、呼出し元ソフトウェアでのソースコードの一部を公開することになったゲームがあります。2005年頃、『ToHeart2』という美少女ゲームが、xvidというGPLソフトを取り込んだ疑惑によって、GPL違反の疑いでソース公開になりました。([[w:ToHeart2#GPL違反とソース公開]])
GPLでも、たとえばLinuxサーバ上でソース非公開のアプリを動かすように、GPLのソフトウェアを非公開ソフトとは独立した状態で使う場合は、ソース公開の必要はない、と、考えられています。(これが必要有りとなると、オンラインのプログラムやネットゲームは全てソース公開しなければならなくなり、非合理な結果になる。)
特定のプログラム自体に、GPLソフトウェアのコードを取り込んだ時、ソースコード公開が必要になります。
}}
{{コラム|BSDライセンス他|
オープンソースの中には、どのような利用法であっても、利用者にソース公開を求めないライセンスもあります。BSDライセンスとMITライセンスはソース非公開で利用できます。
ゲーム制作ツールの吉里吉里Zは、修正BSDライセンスで公開されています。
もしライセンスのことがよくわからない、またはライセンスの学習に時間をかけたくないなら、オープンソースのツールを使うなら、BSDライセンスを使うのが安全です。
}}
[[w:DXライブラリ]]は、GPLでもBSDライセンスでもありません(DXライブラリ説明書「DxLib.txt」には、どこにも「GPL」とも「BSD」とも書いていない)。DXライブラリは単にソースコードが公開されていて、著作権者の「山田 巧」氏が著作権を保持しているオープンソースなライブラリです。
このように、ネット上でソース公開されているソフトウェアには、ライセンスの複雑な解釈を嫌ってか、「BSD」や「MIT」などのライセンス条件を名乗らないオープンソースソフトウェアもあります。
{{コラム|自作ソフトでソース開示|
昨今ではオープンソースやフリーソフトウエアの発展などの背景もあり、「自作ゲームのソースコードやソースファイルも開示しよう」と思うゲーム作者もいるかもしれません。
然しソースコードを開示していることが原因で、トラブルに巻き込まれる場合もあるかもしれません。自分の作ったゲームのコードが悪用され、トリッキーないたずらや嫌がらせ、誹謗中傷などを受ける可能性も全くないわけではありません。
そこでライセンスに、利用による損害に対する保証が無いことを明示するのは、ある程度有効でしょう。大抵の著名なフリーソフトウェアライセンスには、この条項があります。他者の悪意を完全に防ぎ失くすることは難しいのですが、ある程度の対策は見出されていますし、自身でも見出していく必要があるでしょう。
}}
====開発ツールを使用しないという事====
下記の理由(機能制限および移植性の悪さ)の問題から、あまり大規模な作品は開発ツールでは作らないでおくのが安全です。
大規模な作品の場合、Visual C++ などでコードを書いて開発することを推奨します。
=====機能制限=====
ゲーム開発ツールを使う場合、そのツールにもよりますが、「○○ができない」、つまり特定の目的を果たすための機能を持っていない場合があります。
Visual Basic や Visual C++ には普通にある関数でも、開発ツールには無い場合も多い。
また、もし、いったんはゲーム開発ツールを使って目的の機能を持ったシステムを作ったとして、さらなる機能をそのシステムに追加しようとするときに、大幅な作り直しが必要になる場合があります(拡張性の悪さ)。
システムがモジュール化されていても、そのモジュール部分では大きく改変する必要がある場合もあるでしょう。
ですからゲーム開発ツールによるゲーム制作では、あまり大作を作ろうとしないほうが安全です。開発ツールで作る作品は、比較的に小規模な作品に、とどめておくことを推奨します。
Windowsの場合、本来なら Visual C++ などを使って、プログラム文法のいろいろな事に留意しながらプログラムを書きますよね。開発ツールを使う場合、 Visual C++ のコードを書かずに、ほぼマウス操作だけでプログラムを作ろうとしているわけですから、何かしらの制限があります。拡張性の悪さは、プログラム文法などの学習の負担を減らすためのトレード・オフのようなものですね。
=====移植性の悪さ=====
また、もうひとつの問題点として、C言語への移植性の悪さがあります。
ソースコードが公開されていない開発ツールの場合、異なる開発環境にゲームのソースファイルを移植するのは、ほぼ不可能です(仮に、開発ツールのランタイムを模倣できたとしても、著作権などの法的な懸念が生じる可能性あり)。
ゲーム開発ツールで作ったソースを、Visual C++のソースに置き換えるのは、簡単にはできないし、ほぼ全面的に新たに書くことになるでしょう。
==イラストレーター、デザイナー==
ゲーム制作、業界において、イラストや音楽を作る部署、人物は、まとめて、"アーティスト"と呼んでいるようです。
ゲーム界の場合デザイナーというのは、プランナーやディレクターのことであり、管理職的な設計者のことで、美術的なクリエイターではない。design という英語には、機械建築の設計という意味もあります。
映像関係、画像系のアーティストはグラフィッカーと呼ばれることもあります。ムービー担当者、特にゲーム界では3D-CGの制作者をアニメーターと呼ぶことが多いようです。アニメーション業界では主に、手描きの原画、動画マンをアニメーターと呼びますが、最近は3D-CGアニメーション映画も多いので、すこし状況が変わっているかもしれません。
ゲーム業界とアニメーション業界、各会社企業、過去と現在で、「原画」「仕上げ」「絵コンテ」等、一般的な作業に関する言葉が、それぞれの状況で微妙に違った意味で使われることも多いですね。
…ところで前編集者はわざわざこの項目を作ったうえで、色々な場所での言葉の意味の違いを、クドクドと自分勝手な分かりづらい説明で長々述べた後、「混同しないように気をつけましょう。」なんて馬鹿馬鹿しい言葉で締めているんだけど、この人物の意図はどこにあるのだろう?
例えばデザイナーというのは一般的に、造形作品、図案、意匠を考案する人のことを言うのだから、ゲーム界の外の人間が多少その業界内での意味を取り違えても、それほど致命的なミスでもないし、罵倒、愚弄されるいわれもなければ、好き放題にその相手を罵倒、愚弄していいわけでもない。間違えて使っている人を見たら、その都度やんわりと教えてあげればいいだけじゃあない? だいたいその世界に現実に身を置いたら、そこでの言葉の意味、使い方なんて自然に覚えるものだし…。
それを得意げにこれが違うあれが間違いといちいち理屈書いて、いい気になって威張っているこの人物は何者なのだろう?
現編集者が思うには、この人物は、学問、知識、知恵、科学とは何かという事を、根源的に取り違えている、のだろう。
==操作性==
操作性について、親指と人差し指<!-- ←ここ,中指って書いてあったけど,こっちだよね? -->だけでボタンプッシュなどの操作ができるように作成するのが基本です。中指、小指、薬指はコントローラのホールドに使うぐらいです。人間工学的に、小指や薬指は力が弱いので、微妙な操作には向かないことが知られています<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.48</ref>。
一般的にゲームプログラミングでは、
# プレイヤーからの入力を扱うことができる。
# ゲームが提示する内容を表示することができる。
入力と出力、この2点が機能として必要になります。
プログラミング言語とプレイヤーからの入力については歴史的にも、あまり変化がありません。言語では主に[[C言語]]、[[C++]]が用いられる。[[w:携帯電話|携帯電話]]向けのゲームでは[[Java]]が利用されましたが、これは携帯電話を提供する各社がJavaをアプリケーションの言語として選んだことによります([[w:iアプリ|iアプリ]]、[[w:EZアプリ (Java)|EZアプリ]]、[[w:S!アプリ|S!アプリ]]などを参照)。現在でもAndroidなどのスマートフォン向けでは、Javaが使われています。
パソコンゲームでは、プレイヤーからの入力には通常、キーボードかマウスを利用します。他に[[w:ジョイスティック|ジョイスティック]]や[[w:ゲームパッド|ゲームパッド]]が利用される場合もあります。家庭用ゲーム機では[[w:コントローラ|コントローラ]]が利用されることが多いのですが、[[w:ニンテンドーDS|ニンテンドーDS]]や[[w:Wii U|Wii U]]では[[w:タッチパネル|タッチパネル]]、[[w:Wii|Wii]]では複数の入力機器が提供されることが発表されています。各種入力機器をプログラムから扱う手法自体は、普遍性があり、入力機器ごとに大きく変化しない、と、考えられています。[[w:デバイスドライバ|デバイスドライバ]]、[[高等学校情報B]]には、プログラムから周辺機器を扱う方法について多少の記述があります。
画面表示のうち、3Dの表現は割合難しく、ある程度の数学(高校、あるいは場合によってはそれ以上)の理解が必要でしょう。2Dに関してはプログラムの面では、さほど難しい部分はありません。
==処理速度の問題==
基本的にプログラミングでは、関数を使って、処理をコンパクトにまとめ、定数ではなく変数で柔軟性のある操作をすることが求められますが、ゲームの場合は、この構造のせいで処理速度が低下することがあります。
現在のCPUの性能、速さはかなり高くなってはいますが、プログラム処理は無限に煩雑化できますから、やはり高度な処理を短時間でなすことが求められます。特にゲームは、リアルタイムの反応のタイミングが非常に重要ですからね。数学の指数計算についての雑学で、「新聞紙を42回おりたたむと、月に届く距離になる」というものがあります。(新聞紙の厚さ)*2^42、ですね。もっとも新聞紙の物性から言って、ほぼ不可能な操作ですけど^^;;。コードの内容、組み合わせによっては、このように計算量が指数関数的に膨大になってしまい、処理速度が非常に遅くなってしまう場合があります。
ですが、このセクションで後述するように、関数を用いる場合の解決策(※概要:あとでdefineやinlineに置き換え)があるので、プログラミングの初期のほうは、とりあえずバグを未然防止するために関数を活用するべきでしょう。
1980年代頃のファミコンなど古い時代のゲームでは、ストレージ容量(ハードディスク容量のこと)が、ボトルネックでした。「容量不足でイベントをいくつか削りました」と、当時のRPGなどのゲーム作家が述べるのは、ストレージ容量の不足のことですね。ただ当時のファミコンはROMカセットでハードディスクは無いので、まさにストレージ容量という言葉が適切でしょう。
しかし2010年以降の現代では、ボトルネックになっている要因は、ストレージ容量不足よりも処理速度です。
ゲームプログラミングに要求されるコード特性は、科学計算ソフトウェアや金融プログラミングなどの手法とは異なります。情報工学・情報科学で適切とされる「構造化プログラミング」などの歴史的に発展してきたプログラミング・パラダイムの理念とは反するようなコード開発方針になる場合もあります。しかしゲームプログラミングに限らず、限定されたハードウェアで特定の結果を速く得るためには、様々なトリッキーな手管が必要になるでしょう。
;ツクール等制作ツール
RPGツクールの制作元のカドカワ(アスキー社→エンターブレイン社→カドカワ(かつての「角川書店」) )では、PRGツクールでのアクションゲーム開発は推奨していません。アクションゲームの場合は、同じカドカワの「アクションゲームツクール」で制作するよう、薦めています。
アクションゲームとターン制RPG では要求される特性が大きく異なり、なかには、ほぼ対立しているような性質もあります。
ツクールやウディタでも、万能にあらゆることがスタマイズできるわけではなく、その制作ツールの特性に依存しますし、主に処理速度の低下しない部分についてユーザが創作できるようになっているでしょう。
多くのRPG制作ツールはマップ操作や戦闘画面の基本システムのルーチンそのものは、あまりカスタマイズできません。画像や音楽は挿入できますが、例えば戦闘プログラムなら、「コマンド」の命令文など一部の派生的な部分だけが独自に作れる程度でしょう。
ですから、ツクールでどうしてもアクションRPGを作りたい場合、基本システムの改造はかなり困難だろうし、別途、アクションRPGのような動作をするマップイベントを作成する・・・ぐらいでしょうね。
ツクールやウディタでターン制RPG以外のジャンルを制作するのには、実質的には限界があり、さまざまな制約が生じます。
;具体的な手法
初期段階では関数や変数を活用してプログラミングし、処理速度を高める必要がある箇所にだけdefineマクロ等を用い別の方法に置き換える。C++ならinline関数という前処理命令もあります。
通常の関数で記述していったソースコードを、あとから一括変換などでdefineマクロやinline関数などに置き換えることは比較的に容易です。
また、関数を経由しているので、マクロを使った場合でも比較的にバグが混入しづらくなっているかもしれません。(defineなどの前処理命令マクロは、用いるとバグを発見しづらいので、なるべくマクロの利用を避けるべきなのが、ゲームプログラミングに限らないプログラミングの定石です。)
一方、まったく関数を使ってないコードを、あとからdefineマクロなどに手作業で置き換えるのは、なかなか面倒です。
最終的には一括変換で置き換えることが出来ますから、途中の段階では、処理速度を気にせず関数を使うのがいいでしょう。
なお、defineマクロは、値の置換以外には用いないのが、プログラミングの定石です。このため、たとえば黒色RGB値の<code>10,10,10</code>といった配列にdefineマクロを使うべきかどうか悩みますが、とりあえずなるべく値周辺にだけdefineマクロを適用するようにするようにするのが良いでしょう。いっぽう、一般の命令文をdefineマクロで置き換えるのは、避けるべきでしょう。
たとえば、処理に0.5秒ほどの時間の掛かってもかまわないような場所は、どんどん、関数に置き換えていっても良いかもしれません。
アクション性のないゲームなら、関数をぞんぶんに活用できます。
ターン制RPGやシミュレーションゲーム、アドベンチャーゲームなど、関数を活用しやすいでしょう。
一方、アクションゲームなどでキャラクター操作中のコードのように頻繁に使って、しかもそのゲームの中心的なコードなら、そこは最終的には関数にしないほうが良いかもしれません。
このように、ゲームのジャンルによって処理速度に対する必要な水準が異なりますので、プログラミング時における関数などの利用の方針も異なります。
以上のように、何でも関数にすることは避けるべきです。関数は処理速度の問題がありますので、必要性のある部分だけ関数にするべき。関数を使わなくても、for文やif文などのブロックの構成を適切に組み合わせることで、コード中のmain関数以降の部分でコード共通化できることは色々とあります。
「共通性のあるコードだから」といって、大して長いわけでもないコードを関数に置き換える事は、速度維持には寄与せず、ゲーム制作のプログラミングとしては、悪手となるでしょう。
===2Dの画面出力===
画面出力の場合も入力機器の場合と同じで、これらを操作する方法はOSごとに異なっています。先ほどあげた GTK+, Qt, SDLなどのライブラリはクロスプラットフォームの画面出力を提供しているため、これらを利用することで全てのプラットフォームで動くプログラムを作ることができます。<!--画面出力を扱うためには近年の[[w:ビデオカード|ビデオカード]]の発展についても見る必要があります。しかし、ビデオカードの機能は2次元の描画に関してはあまりあらわには見えないので、この話題は3次元の描画を行うときに再び戻ってきます。-->
*[[ゲームプログラミング/ブロック崩し]]
*[[ゲームプログラミング/画面出力]]
==目次==
=== ジャンル別のプログラミング手法 ===
==== 3Dグラフィック ====
* [[ゲームプログラミング/3Dグラフィック]]
* [[XNAを使用したシンプルな3Dゲームの作成]]
==== RPG ====
* [[ゲームプログラミング/RPG]]
==== アクション ====
※未作成
==== パズル ====
※未作成
==== シミュレーション ====
※未作成
=== ゲームのデバッグ ===
* [[ゲームプログラミング/デバッグ]]
=== 入力 ===
OSの種類によって、キーボード入力やマウス入力の受け付けのさいのプログラムの書き方は違う。
Windows API での具体的な手順は『[[ゲームプログラミング/入力]]』で説明する。
=== ゲームエンジン ※未完成 ===
* [[ゲームプログラミング/Unity]] ※リンク先ページの編集者が現状ではUnityの著作・調査を放棄中なので、調べ物としては役立ちません(2021年12月19日に本文を記述)。
=== 非プログラミングのゲーム製作の関連作業 ===
==== バランス調整 ====
*[[ゲームプログラミング/バランス調整]]
厳密にはプログラミングの話題ではないが、ゲーム製作では必要な知識なので、サブページで説明する。
:※ゲームデザインに関する記述をここに集積し分離したい、という編集者の意図もある。
==== ゲーム用の書類の書き方 ====
説明書や仕様書(しようしょ)の書き方については、『[[ゲームプログラミング/書類]]』で解説する。
== 未分類 ==
===Visual C++プログラムによる文字画像の出力===
Visual Studio付属のフォームデザイナ(VSの用意するGUI自動作成ソフト)によるGUIオブジェクト作成では、RPG用には使いづらい。いや、ひょっとしたら上手に使う方法はあるのかもしれないが、様々な理由で難易度は高い。
そこでまず、Visual C++で、フォームデザイナをなるべく使わずに文字や映像を出力する方法を考える。
選択肢は、幾つかある。
1.フォームデザイナを1つも使わない方式
*Windows APIで入力していく方法。(Wikibooksに『[[Windows API]]』の入門書があります。)
*DirectXで入力していく方法。DirectX自体はWindowsAPIを利用している。
2.1つだけフォームデザイナのパネルを使う方式
*フォームデザイナで「パネル」という画像表示機能のコンポーネントを一つ用意して、そのパネルで表示する画像をゲーム内のストーリーなどに応じて切り替えるだけで、すべての画像表示を行う。
フリーソフトでゲーム用ライブラリの『HSP』はWindows API を呼び出す仕組みになっています(HSP関連のサイトを見ると、Win APIプログラミングの解説をしている場合もある)。
フリーソフトでゲーム用ライブラリの『DXライブラリ』は Direct X を呼び出す仕組みになっています。そして、ゲーム開発ツールのひとつであるウディタのソースコードは、DXライブラリとVisual C++ を使って書かれていると、作者が公表しています(ただしソースコードは非公開)。しかし、ウディタを用いたRPGプログラミングでは DXライブラリによるコーディングはしない。ウディタにはコード入力の機能は無く、マウス操作や、キーボード操作、キャラ名称や会話文などのテキスト文字や数値の入力のみに対応している。
===乱数===
そもそも乱数とは何かという問題があるが、それは高度な数学的な議論になるだろうから、我々はその問題には深入りできない。
ゲームにおける乱数的な処理では、事実上ランダムな値にならず、演出や調整のためにアルゴリズムが介入している場合も多い。例えばゲーム中のくじで「外れ」続くと、当たり確率が変動し、次からは当たりやすくなるアルゴリズムなども良く使われる。<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P232</ref>。
ゲームは娯楽であり、実用目的のシミュレータではないし、アルゴリズム介入で、確率的にもいんちきが多いので、あまり厳密なランダム性が問題になることは少ないだろう<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P231</ref>。
例えばさいころというのは典型的な乱数器だし、ゲームにもよく使う物だろう。
無印C言語には標準的乱数関数 rand()があるが、これを乱数発生に使うことに批判的な意見もあるし、機能もやや不足していると見れる。
Windows64bit では int rand(void) の出力は 32bit 整数だろう。まず stand関数で初期化してから rand()を呼ぶごとに疑似乱数が帰ってくる。これの複数回の連なりが乱数列だね。帰ってくる値は0 以上 定数RAND_MAX の値以下。
例えばさいころの数値が欲しいなら、rand の返り値を6で割った後、余りに1足せば、とりあえずそれらしいものはできる。
RAND_MAXは rand()の属性として定数が与えられているだけだから(Windowsで0x7FFF)、この値の変更はできない。
まあこれでもそこそこいい加減な乱数として機能するだろうが、最近ではもう少し改良された、質の高い乱数関数もある。
また、改良された乱数関数は、乱数の範囲も指定できるから何かと使い勝手が良いし、バグを防ぐ効果もあるのだろう。
<syntaxhighlight lang="cpp">
Random^ saikoro1=gcnew Random();// Random^ でRandomクラスの変数を作っている。gcnewはインスタンスをつくるための演算子。
int detame; detame=saikoro1->Next(1, 7);// Next メソッドで「〇〇以上△△未満」の乱数を指定できる。「->」はメンバーアクセス演算子。
MessageBox::Show("目"+detame.ToString()+"が出ました。");
</syntaxhighlight>
↑例えば上述のコードは前編集者が示したものだが、これは .NETプログラミングですね。.NET のSystem::Randomクラスを使っている。.NETのクラスは普通、C#かVisual Basic で利用するので、Visual C++で使えるようにするには結構面倒な手管がいるが、その辺は読者諸兄、ヘルプやネット情報を参照して、適宜辿り付いてほしい。
C++ の場合はむしろ、 #include <random> を宣言してそこで使える関数を使用するほうが簡単でしょうね。この場合でも、乱数としての精度も高いし、帰り値の範囲指定もできる。
===画像のちらつき===
画像がひんぱんに変化するアプリでは、画面が、ちらつく事がある。画面のちらつきは、ゲームのように、画像を凝視するアプリでは、かなり利便性を損なう。
キャラクターが1歩移動するだけで、画面全体がちらついたりする場合もあり、かなり、プレイヤーの不満になる。
これは、ダブルバッファ(「裏画面」と、良く言われる)という技術で、解決を図る。
Direct Xの用語では「スワップ チェーン」と呼んでいる。
.NET Framework開発環境の C++や C#でもダブルバッファの機能があると解説されている。いくつかのGUIオブジェクトのプロパティで、ダブルバッファの設定項目がある。
しかし前編集者が実験したところ、この機能を有効に使って確認することはできなかったとの指摘がある。ひょっとしたら何らかのマイクロソフトの解説に間違いがあって、工夫次第では利用できるかもしれないが、少なくとも今現在のこのページでは、その問題に関するリファレンスは提供できない。
そこでやはり、以前の項目と同様、Win32 API または DirextX の利用をこのページでは考えたい。
前編集者は、.NET Framework のフォームデザイナでは、ちらつき自体は解決できそうだが、グローバル変数の共有が困難だったり、アプリ内から終了コマンドが使えない、などの難点があると指摘している。
ただ現編集者はこの2点に関しては、解決策はあると思うが、しかし特に調査はしない。
前編集者は、.NETプログラムでゲームを作る難点をいくつも上げているが、おそらくどれも、.NET の仕様や全貌に精通すれば解決できるように思えるが、そもそもその全貌がかなり広大なので、解決の道のりは長いだろう。
そこで少なくともこのページでのWindowsゲームプログラミングは、Win32 API を利用したものになるだろう。
==セーブ、ロード、データベース==
===セーブ機能とロード機能の作り方===
ゲームでもシリアライズ機能が必要なことは多いだろう。数値(HPなどの各種パラメータ現在値)や文字列(例えば、プレイヤーの作成したキャラクターの名前)や現在地やフラグ状況などなど、セーブの機能は欲しい。一番簡単な方法は、C言語の fopen 関数のテキストファイル書き込み機能で、テキストファイルとしてセーブすることだろう。
Windows API には CreateFile関数 があるが、テキストファイルでの素朴なセーブは一番簡単で単純なセーブ法だろう。そしてテキストファイルを読み込んでプログラムに各種変数を配置して、ロードとする。
書き込みとしては、一番単純なC言語記法では、fprintf ですかね。C++としての書き込みをしてもいいし、読み込むのも、一番基本的な方法で。基本Cだとしたら fscanf で、この関数でテキストの数値も変数として読み込めるはずですよ。場合によっては atoi関数 で文字列→数値の変換をすることもありますかね。
基本的にデータファイルは、OS もアプリケーションも、テキストファイルとバイナリファイルの2分類で考えるでしょう。でもテキストファイルだってバイナリの集まりなんですが、テキストを扱うファイルだけ特別視していると考えていい。
そして多少それらしいデータを作りたいときは、バイナリファイルで作るという事になるでしょう。
バイナリファイルでもデータとしてのファイルと、OS が機械語または何らかの仮想的な機械語として扱う実行ファイルがある。それらのバイナリは種類に応じて多くは冒頭にファイル識別子の情報があるだろうし、OS や アプリケーション側で工夫を凝らして、特定の条件を満たす場合しか動作しないようにしているだろう。そしてバイナリファイルを扱うときは、セキュリティの安全性も考慮するだろう。
基本的にプログラム側は何でもありだが、識別子の判別その他、ある程度様々な考慮をしないと、困った事態が起こり、プログラマーが責任を問われることも起こるかもしれない。
まあその時はいつものように口先だけで謝り、それでも許してくれなかったら、腹をかっ割いて死んでお詫びすれば、世間の人たちは美事な武士道精神と言って、口々に褒め称えてくれるだろう^^。←もちろんこれは冗談^^;;;。
市販のパソコン用ゲームや同人ゲームでは、テキストファイルではなくバイナリでデータ保存するゲームの方が圧倒的に多いだろう。その方がそれらしいしかっこがつく。ゲーム開発ツール側自体も、そうなっている場合が多い。RPGツクールもウディタも、セーブデータの形式はバイナリ。
テキストデータは基本エディタで開けるが、バイナリデータも内容によっては結構ぐちゃぐちゃの状態で開ける。バイナリデータはバイナリエディタで開ける。バイナリエディタのリードオンリーモードやバイナリビューアみたいなものがあれば、データーを壊さないで結構安全にデータ調査できる。
データ内容を秘匿したければ、バイナリ化だけではなく、暗号化も必要になるかもしれない。
===機能の整備===
セーブ&ロード機能の実装時には、まずセーブ機能から作るのがやりやすいという。
しかし最終的には関係関数の整備は、ロード機能が基盤となるだろう。
データや変数を、一定のスタイルでセーブして、一方で正しいスタイルでロードする、この機能が必要なわけですよね。
シリアライズされたデータを、型を決めたうえで配置しなければいけないから、ロードのプログラムの方が複雑に、面倒になる。
結局データのシリアライズは、ロード機能が基盤となり、その機能の作りやすさが、セーブ機能の作りやすさも支配するようだ。
== ゲーム中の特殊イベント ==
*[[ゲームプログラミング/特殊イベント]]
RPGやシミュレーションゲームで、1回しか起きない特殊イベントを作りたい場合もありますね。例えば日本の中世の戦国シミュレーションゲームで、「桶狭間の戦い」が3回も起きたら困りますよね。まあ起きるなら起きてもいいけどね^^。信長君には敦盛を3回舞ってもらいましょう^^。
さて、リンク先ではその話題についての叩き台、「こうプログラミングしたら、いいんじゃない?」、という事を説明しています。
==スケジュール管理==
[[File:Tokai Hairo.jpg|thumb|500px|ガントチャートの例:東海発電所の廃止解体工程]]
個人でゲームを作る時にはあまり考慮しなくていいのですが、シビアな仕事の世界では、スケジュール管理表が良く使われます。
「作業責任分担表」(TRM:Task Responcibility Matrix)といわれるスケジュール表から、それをグラフ的に図示したガントチャートといわれる表を作って、その表を見て作業計画を判断する<ref name="gpd65">川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.65</ref>。
{|class="wikitable" style="float:left"
| 仕事
| 担当
| 状態
| 開始
| 終了予定
| 終了日
|-
| 仕事1
| 田中
| 済
| 2021/10/03
| 2021/10/10
| 2021/10/10
|-
| 仕事2
| 田中
| 仕掛
| 2021/10/11
| 2021/10/13
|
|-
| 仕事3
| 鈴木
| 済
| 2021/10/05
| 2021/10/08
| 2021/10/08
|-
| 仕事4
| 山田
| 未着手
| 2021/10/13
| 2021/10/17
|
|-
|}
{{-}}
ガントチャートでは普通、横軸に日程をとります。
商業ゲーム界でもガントチャートの横軸は日程です<ref name="gpd65" />。
ガントチャートとして図示することで、ボトルネック、リスク要素、直感的にスケジュールの詳細や全体像が理解しやすくなります<ref name="gpd65" />。
スケジュール管理のための、現実的、習慣的な工夫ですね。
このTRMとガントチャートは、IT業界だけでなく建築工事でも使われ、これを利用したボトルネックの洗い出しも、建築学の教科書に記述があります。
住宅の新築やリフォームをする時、建築業者がこの表を提示して、見せてくれることもあるでしょう。
業界人ではなくとも、こういう慣習を知っておくと、得るものがありますよね。
==ストーリー制作、そして順序==
ゲーム界、特に商業ゲーム界では、ストーリーもゲームも全体から作っていくようです。アトラス社(ペルソナシリーズ、女神転生シリーズ、などを手掛ける)では、「ゲーム全体に血を回すのが先」、という言葉が良く言われていました<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/191030a/2]2020年12月1日に閲覧して確認.</ref>。
プレーヤーが見たいのは、物語の細部ではなく、ゲーム全体のストーリーやテンポ、総合像である、とは限らないのだが、しかし物語を含む創作物では、全体を見て重視し、そこから作っていくのはある意味王道、常套手段ではあります。
ちなみにやや雑談的ですが、日本の週刊漫画は、その週その週での勢いや読者の興味の引き付けも大事なので、全体がないのに、その場その場で場当たり的に作られた事も多かったようです。
現編集者が聞いたことのある話では、週刊少年ジャンプで連載していた本宮ひろ志氏が、不良少年物の漫画で、敵の不良少年グループと1対1000の喧嘩になり、さあいよいよ対決場に着いて勝負だってところで以下次号にし、そして実は本宮氏はその続きを全く考えていなくて、考えてみたけどどう考えてもどう描いていいかわからない^^;;;、そこで仕方ないのでイライラして近所の酒場に飲みに行き、そしてイライラしたままそこの常連達とあり得ない大ゲンカして^^;;、そのままボロボロになって家に帰って、2時間で次の号の漫画を描き終えた、と、本宮氏自身がメディアで語っていたのを聞いたことがあります。
さて、コンピューターゲームである以上、ゲームのストーリーはシステムと連携、調和したものになるでしょう。
そこで、ゲーム作家として、システムを先に決めた後ストーリー、そういう方法論の作者も多いようです<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.306</ref>。
とにかく商業ゲーム界では常識的に、全体像から攻めていく。
例えばドラマ脚本では、「ハコ書き」という方法がある。全体像に当たる「大ハコ」を記述してから、「大ハコ」→「中ハコ」→「小ハコ」と記述していく<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.184</ref>。
しかし、本当にすべてのゲーム制作は全体から作る必要があるのか、という疑問はありますが、その方法論に従うとすると、
:*エンディングを大まかに先に作る
:*機能の実験を簡易でいいので事前にしておく(※プロトタイプの項目を参照)
:*使用頻度の高い部分から作る
などの工夫を凝らして、常識的な方法を遂行していくことになるでしょう。
或いは、アルファ版(α版)を中盤から作り始めるとか…<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P17</ref>。α版の製作目的の一つとして、そのゲームが本当に面白いかの検証がある。面白くないと判断したら、制作中止もある。最初からではなく中盤から作ると、ゲームの全体像が見えるので、検証、判断がしやすい。
つまり全体から攻めて、細部やゲームが作られていくわけですから、必ずしも冒頭部から作り始める必要はないわけです。
;エンディングやラスボス戦闘を早めに作る場合
ゲーム作者にもよりますが、商業ゲームシナリオでは、エンディングを早い時期に作る人も多い<ref name="tiomg166">畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P166</ref>。
システム面についても、先にゲーム全体のクリア条件を決めてから、あとから各ステージの条件を決めていくことが多いようです<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.253</ref>。
エンディングの仮の、おおざっぱなシナリオ、そしてキャラクターの性格付けを先に決めておくと、ゲームの方向性と主人公達が目指すもの、ゲームの全世界像が作者やスタッフに明快になっていきます<ref name="tiomg166" />。
基本的に商業ゲーム界では、全体→部分と細部、の構成を進めていきます。
ゲームは必ず最後にラスボスと戦う訳では無いでしょうが、その戦いはゲーム中で最も高負荷になるでしょうし、全てのシステムが集積する場面でもあるので、エンディングを先に作ると、ゲームの最大負荷の検証ができます<ref name="yth">[https://www.youtube.com/watch?v=kAUkSNhH410] 2020年8月30日</ref>。
3Dゲームでは、RPGなら戦闘シーン、アクションゲームならアクションシーンが、一般的に最も高負荷<ref>ntny著『ローポリスーパーテクニック』、ソフトバンククリエイティブ、2010年2月16日初版第5刷、P28</ref>。
負荷が高くて処理が落ちないかどうかも、この方法で確認できます。
まあ全ての物語は最後の最後が一番の見せ場ですからね。
中盤は重要性が低い…訳では無いが、少し手を抜いておこうという事か^^;;;。
最後は見せ場を盛り込むから、物語を削る必要があるとすれば、それ以外の部分、という事になりますよね<ref name="yth" />。
つまりラスボス戦(必ずゲームってこれで終わるの? ^^;;;)は最重要なので削らない。後の部分は削る可能性あり。だから最後を先に作って作りこんでおけば、制作過程で不測の事態が起こっても、重要部分はできているので、早く、上手にリリースできる。
{{コラム|イラスト制作でも順番を考え直すと打開できる場合あり。|
イラスト雑誌『コミッカーズ』(1995年季刊夏号)(唯 登詩樹 表紙)での藤島康介のインタビュー
藤島(談):よく若い漫画家さんから相談で、「先生みたいに女性の長い髪を書くとき、毛先を書くのが難しいです。根元は書けるのに」との相談を受けるのですが、
僕(藤島)は髪を描くときは毛先から始めて根元に向かって描いてます。
つまりイラスト初心者は、根元から髪の毛を描きたくなるのですが、ここで長い髪の毛を描く場合はむしろ毛先を先に書いて位置決めして、長い毛を描くと割とうまく描ける。
きれいな女性の髪の毛は、毛先の奇麗さが大事ですからね。
ストーリーを作る時に全体を考えたうえで、必ずしも最初から書くことにこだわらない方がいいように、絵を描く時にも同じ発想が有効になる。例えば機械製図でも、正確に奇麗に書くためあるいは実際の製作のため?、位置決めの優先指示の記法がある。
}}
*目標
世の中では目的や目標を明確化せよ、と主張する人は結構多い。現編集者は懐疑的。むしろ他人を自分の都合いいように動かしたいから、その方向を明示したいのだろう。それより、我々の本当の目的と目標は何か、歩みを止めてちょっと考えてみろよ、と、言いたい。
しかし結局世の人たちは目標をはっきり、言語化したがる。ゲームでもそれをすると、プレイヤーがゲームに引き込まれる、と言うが、実際にはそれはゲーム業界のカモになっている、インチキゲーマーだけだろう。
とにかくカモたちは目的を欲しがる。目標や課題がゲーム中で明確になっていないと、疑問だらけになり、ゲームをやめて、業界にお金を落としてくれない。そこで設計の際、各ステージやエリアなどの冒頭で、そのステージの課題や目標などを明示する必要があるという<ref>『ゲームプランナー入門』、P39</ref>。
ファミコンなどの古いアクションゲームではゲーム本編では目標は語られていませんが、しかし説明書などではきちんとそれが語られており、実際にスーパーマリオブラザーズの第1作目の説明書では、目的はクッパを倒してピーチ姫を救出することだと語られています<ref>『ゲームプランナー入門』、P54</ref>。
===チュートリアル、製作順序===
RGBやシミュレーションゲームでは、初めの方は、操作説明のためのチュートリアルイベントになることも多いのですが、ここにも製作順序のポイントは指摘できますね。
基本的にはチュートリアルの細部は後回しにしたい。と、いうのはゲーム本体の仕様変更が、製作過程で頻繁に起こるので、チュートリアルもそれに合わせて後回しにせざるを得ない。
最初の段階でチュートリアルを作りこんでも、仕様変更になれば、その記述自体が不適になる。
当初のチュートリアルイベントがそもそも必要かどうか。説明書、マニュアルに任せてもいいですよね。
基本的にゲーム本体の仕様がかなり変更を含み場当たり的なので、チュートリアルは後回し、ゲーム本編の完成間近の時期になるか、もしくは本編完成後になるでしょう。
==昔のコンピューターゲームと技術の発達、変遷==
ゲーム制作の時は、自分が昔プレイして楽しかったゲームを思い浮かべるし、参考にもしますよね。
ただ、コンピューターゲームは明らかに、周辺技術が時間とともに、かなりの速度で発達、変遷していきますし、過去のゲームを参考にすると言っても、精神面、思想面での参考で、技術面ではやはり、最新の情報技術を取り入れたいと、誰もが思うでしょう。
前編集者は得意げに、古典技芸の世界では、『師を見るな、 師が見ているものを見よ』と、いう言葉があると宣っていますが、そもそもこの国のゲーム業界では、基本的に金と目先の安易な欲望と私欲しか顧みられないし、そこを支配する知性と教養は、善意や誠意や真理とはかけ離れた、歪んだ論理と無駄に衒学的な詳細しか持たないし、権力をもって威張っている連中は、善性や美などとはかけ離れた安易な偏向した物理主義的な議論に明け暮れている連中なので、師などと呼べる人物に出会うことさえ、至難な事でしょう。
=== スプライト ===
ファミコン時代の昔のゲーム機には、一画面に表示できるキャラチップ数(敵チップも含める)に上限がありました。
一画面中に表示できる限界は、だいたい、マリオが一画面中に数十人ぶんです。
このように、ビデオゲームで小さなキャラクタを、高速表示する仕組みを、「スプライト」と呼んでいました。マリオのキャラクター表示は小単位のスプライトを複数合成していたようです。
このキャラクター数の制限が、当時はゲームの設計にも大きな影響を及ぼしていたわけですね。
例えばシューティングゲームで、100体の敵機を表示することはできない。
しかしそれなりの工夫はあった。表示のタイミングを変えることで、なんとなく、多量のスプライトがあるように見せることはできた。
つまり、
:1タイミング目では0~10体目までのAグループを表示、
:2タイミング目では11~20体目までのBグループを表示、
して、切り替える、うまく、素早くとか?
上手にプログラムを作ればそこそこ上手くいったようですね。それでも、キャラクターが多いと、一瞬、消えたりしている。
ファミコン上における実際の技術限界の正確な数値は、別の資料を参照していただくとして、あまりあてにならない数字として例えば、横1列上には 8体目までしか表示できなかったようです。マリオは一人で2*2=チップ使っていた。だから横一列では 4体までしか表示できませんね。
例えばシューティングでは、敵機の他に、弾丸などもスプライトでしょう。
マリオが4チップなように、巨大ボスなんかチップ数をかなり使っているでしょうね。
そしてチップ数が多いから、速度が遅くなるのでしょうか、何か我々の昔のゲームをプレイした記憶では、巨大ボスの動きは緩慢でしたよね。
しかしやや脱線しますが、巨大なキャラクターは何となく動きが遅いという我々の固定観念がある一方で、レスラーやヘビー級ボクサーはかなり動きが速い。相手の体が大きい上動きが早ければ、もう勝てないね。座して死を待つしかないか^^;;;。
<!-- すじ肉先輩さー、「ウドの大木」みたいな言葉を得意げに書いてる時点で、あんたは性格悪いし、このサイトでの不適切編集者である証拠なんだよね。-->
===画面描き換えと背景===
ファミコンのマリオの横スクロールでは、例えば地上ステージの空は、青一色で描き換えを行わない。低地の地面の障害物周辺だけを動かしていたようですね。動かす部分はプログラムでの描き換えが必要だし、動かない部分は背景として、描き換える必要がない。
書き換える必要のない背景表示は当然プログラムの負荷も少ないですよね。
ですから昔のレトロゲームの雰囲気や映像、仕様は、当時の技術の制限、影響を受けた上でその形態になっていたという事で、今は技術が発達したので、様々な斬新な映像表現や、演出を駆使できる。
一方で最新の技術を駆使したうえで、過去のレトロな雰囲気を再現、表現するという道もあるでしょうね。
===アナログテレビのドットのにじみ===
昔のブラウン管テレビのドットは、にじみが大きいとみていいようですね。これは画面の性質なので、ゲームでも映画でもバラエティでもドキュメンタリーでも、解像度画面としてのにじみは同じように大きい。
だから、ファミコンからプレイステーション1時代ぐらいまで、ゲームのグラフィッカーは、そういうにじみの大きい映像を意識して、ドット絵を描いていたでしょうね。
今の液晶画面が完全ににじみがないかどうかは怪しいですが、ブラウン管よりは少ない。
ただ滲みが大きいから、解像度が低くても何となく、自然に見えるという事はあったでしょう。
色に関してもにじみの重なりで、何となく豊かな色に見える。
前編集者は、同じドットの黄色の単色でも、そのドットの幅が1ドットか2ドットかで、テレビ上で表示される色が違う、実際にブラウン管のディスプレイ上で色が違うと書いていますが、どうでしょうね、要するに電子線が蛍光物質を刺激する量が割とあいまいですからね、そういう事を言いたいのか。
まあとにかく、昔のゲームはそういうあいまいでアナログな技術で、一種独特の画面を作り出していたわけですね。
ですからプログラムとしては当時の仕様をそのまま再現したとしても、今現在の機材では、昔のゲームの独特の雰囲気そのものまで再現するのは難しいですよね。
パソコン市場では、1999年ごろからノートパソコンが普及し、液晶ディスプレイも安価で出回ってきた。そこでにじみの少ないくっきりした映像が主流になってきますね。
基本的にディスプレイはブラウン管→液晶と変わり、解像度は大きくなる一方ですね。
プレイステーション2あたりからはもはやブラウン管でのプレイ自体考えなくなる。
この辺から家庭用ディプレイの切り替えが起こっていましたよね。
アナログ放送は2010年ぐらいまで続いたでしょうか。しかし家庭ではゲームをするにしても、普通に放送を見るにしても、DVDを見るにしても、ブラウン管から液晶や、プラズマというのもありましたよね、画面の解像度自体も高くなっていく。
そして画像のドットはにじみの少ないくっきりしたものへ、ゲームの映像の考え方自体変わっていきますよね。
最近はパソコン画面でも、TVでもドットの縦横は等しい正方形ですが、ブラウン管はそうではなかった。
だから、当時はドットで絵を描く時も、長方形ドットですね。
しかも、ゲーム機やパソコンの種類、さらにはアーケードゲームの基盤といったハードウェアの種類ごとに、コンピュータ側でのドットの縦横比の管理は違っている(らしい)。このため、移植のたびに、ドットは書き直しになったようだ。
昔は、というか実はいまでも、CGや画像の縦横比が正確ではない映像を見る事はありますよね。
現在のパソコン用のドットエディタ(という画像制作ツールがある)は1ドットが正方形だが、ファミコン時代は1ドットが(ドット用紙の時点で)少しだけ長方形。(なお、画像制作ツールの作り方については、『[[ゲームプログラミング/画像ファイルの作成プログラム]]』というコンテンツがこのサイトにある。)
ファミコンの色数制限は52色から4色×4パレット(1パレットあたり4色)を使えると言われている<ref>[https://mynavi-creator.jp/blog/article/history-of-2dcg-designer] 2021年12月30日に確認.</ref>。しかし実際には、4色のうち1色は透明色として利用される色であり、全パレット共通の色になる(だから3×4=12色が使える)。
スプライトのパレットとは別に背景のパレットがあるので実際にはもっと多くの色数が一画面内で使えるが、しかしその他さまざまな制限があるので、合計で一画面内で25色が使えると言われる(12+13=25)。
論理的には25色だが、ブラウン管のドットの滲みやテレビのアナログな仕様から、結局はなかなか豊かな映像が当時も見れたと言っていいのではないだろうか。
しかしレトロなゲーム機では、さらにメモリ容量やストレージ容量などの制限もあり、けっして仕様上の最大色数を気軽に利用できたわけではないかもしれない。こういう制限もあったからか、ネットではファミコンの色数が「4色」や「8色」、スーパーファミコンの色数が「16色」や「256色」、とも言われることがある。
{{コラム|ドット絵|
ファミコンのギザギザのキャラクターの絵は、良く、ドット絵と言われますよね。
ただ、プレーステーション以降、ゲーム機が進化しても、コンピュータの画像は、ドットのラスターグラフィックだから、ドット単位で絵を描くことは多い。
特に小さい絵、キャラクターやアイコンはドット単位でデザインします。
しかし言葉の使い方では、ドット絵と言えば昔の、ファミコンキャラクター風のギザギザの解像度の低い絵を指すことが多いでしょう。
現在のドットエディタで絵を描く場合でも、解像度の低い絵が多いですね。ラスターグラフィックも結局ドット単位で解像度が高いだけですが、解像度が高い、アンチエイリアスを駆使した絵は、もはや、ドットというよりはアナログの手描きの絵と言いたくなる。
前編集者はこのドット絵という言葉にこだわって、なんかグダグダ理屈書いていたけど、現編集者にとって何がしたいのか、何を言いたいのかただただ謎ですね。
とにかくドット絵にレトロな意味を持たせても全然問題ないと思うけど…。
子供時代の思い出は大事だぜ^^。
1990年代後半に、岡田斗司夫氏の対談でこういうものがあったそうです。出典はおそらく『マジメな話』。
「アニメの黄金期っていつだろう?」
「70年代かな~。」
「いや、80年代だろう。」
「そうかな~。」
「むしろ…」
「むしろ?」
「…12歳だね^^」
12歳万歳!(^^)/
}}
===テレビとディスプレイの焼き付き===
ゲームというのは色数も少ないし、静止画も多い。
ファミコン時代から、同じ色長時間の表示は、ディスプレイの焼き付きを起こすので、常にそれなりの工夫がされていたかもしれませんね。
静止画を避ける、時々背景を変える、背景色を光のエネルギーを持たない黒にするとか…
パソコンでは昔からその工夫がありましたね。スクリーンセイバーという機能もある。
とにかく一つのドットに同じ色が長時間表示されると…ちょっと危ない。
焼き付きの問題は昔も今もありますよ。昔のブラウン管は焼き付かないという主張が時々あるようですが、事実ではないでしょう。
現代のテレビ受像機には、焼きつき防止のために「ピクセルシフト」という機能がある。これは画面上の映像の表示位置をタイミングごとに微妙にずらす機能です。こういう機能がすでに搭載されているので、ゲームソフト側で焼き付き防止を必要以上に考慮しなくてもいいらしい。液晶モニターは、焼きつきが起きにくいという。ただし有機ELはどうか。知りませんね。現編集者も前編集者も知らない^^;;;。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[ゲームプログラミング/コンピュータゲームの種類]]
* [[XNAを使用したシンプルな3Dゲームの作成]]
* [[プログラミング]]
* [[w:ゲームプログラミング]]
{{DEFAULTSORT:けえむふろくらみんく}}
[[Category:ゲーム]]
[[Category:情報技術]]
{{NDC|007.64}}
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高等学校倫理
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205742
2022-07-31T11:50:44Z
椎楽
32225
/* 現代に生きる人間の倫理と思想 */
wikitext
text/x-wiki
{{進捗状況}}
<small> [[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校倫理]] </small><br>
<small> [[哲学・思想]] > [[高等学校倫理]] </small>
高等学校公民の科目である「倫理」の教科書です。<br>
本教科書は高等学校学習指導要領に基づいて執筆されます。<br>
学習指導要領に定められた標準単位数は2単位です。
== 目次 ==
=== はじめに ===
[[高等学校倫理/倫理を学ぶ目的]]{{進捗|100%|2007-01-19}}
=== 青年期の課題と人間としての在り方生き方 ===
ア [[高等学校倫理/青年期の課題]]{{進捗|00%|2007-01-19}}<br>
イ [[高等学校倫理/自己の確立を目指して]]{{進捗|00%|2007-01-19}}<br>
===人間としての自覚===
ア [[高等学校倫理/古代ギリシアの哲学|哲学の誕生――自然哲学者・ソフィスト]]{{進捗|75%|2019-03-23}}<br>
:-タレス
:-ピタゴラス
:-ヘラクレイトス
:-デモクリトス
イ 哲学の発展――ソクラテス以降のギリシャ哲学{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
:-[[高等学校倫理/ソクラテス|ソクラテス]]
:-[[高等学校倫理/プラトン|プラトン]]
:-[[高等学校倫理/アリストテレス|アリストテレス]]
:-[[高等学校倫理/ヘレニズムの思想|ヘレニズムの思想]]
ウ 諸子百家の思想{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
:-[[高等学校倫理/儒家の思想|儒家の思想]]
:-[[高等学校倫理/道家の思想|道家の思想]]
:-[[高等学校倫理/諸子百家の思想|諸子百家の思想]]
エ 宗教と人間{{進捗|25%|2018-03-23}}
:-[[高等学校倫理/三大宗教の始まり]]
===国際社会に生きる日本人としての自覚===
ア 日本人の精神と風土{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
イ 日本での仏教の受容と発展{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
ウ 儒教の受容と発展{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
エ 日本独自の思想の発展――国学と庶民の思想{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
オ 日本の近代化と西洋思想の受容{{進捗|00%|2013-07-05}}
===現代に生きる人間の倫理と思想===
ア 人間性の尊重{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
イ 宗教改革{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
ウ モラリストの思想{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
エ [[高等学校倫理/近代の合理的・科学的な思考と方法]]{{進捗|50%|2019-04-08}}<br>
オ ドイツ観念論哲学{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
カ 民主主義社会の倫理と思想{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
キ 新しい知性と人間のあり方について{{進捗|00%|2013-07-05}}<br>
ク 自然観の再考と人間の未来{{進捗|00%|2013-07-05}}
=== 現代と倫理 ===
ア [[高等学校倫理/現代の特質と倫理的課題]]{{進捗|00%|2007-01-19}}<br>
イ [[高等学校倫理/現代に生きる人間の倫理]]{{進捗|00%|2007-01-19}}<br>
ウ [[高等学校倫理/現代の諸課題と倫理]]{{進捗|00%|2007-01-19}}<br>
=== 資料 ===
ア [[高等学校倫理/先人たちの言葉]]{{進捗|00%|2019-03-27}}
イ [[高等学校倫理/参考文献]]
[[Category:高等学校教育|りんり]]
[[Category:社会科教育|高りんり]]
[[Category:高等学校倫理|*]]
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ガリア戦記 第3巻
0
6151
206013
205955
2022-07-30T15:47:04Z
Linguae
449
/* 14節 */ 画像
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつかの<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi</u> intellexit frustra tantum laborem sumi
**カエサルはこれほどの労苦が徒労になると知り、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡を妨げられず、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害を与えることもできない<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|(ローマ)艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決定した。
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔艦隊〕</span>が集まって敵により目撃されるや否や、
*circiter CCXX{ducentae viginti} naves eorum paratissimae
**約220の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器が装備され、
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して我が方と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]にはまったく(知られてい)なかった。
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**これらの各々の船を割り当てられていた軍団次官([[w:トリブヌス・ミリトゥム|トリブヌス・ミリトゥム]])や[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]にさえ、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうか、どんな戦法を採用するか、知られていなかった。
*Rostro enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、[[w:衝角|衝角]]で(敵に)損害を与えることができないことを知っていたからだ。
*turribus autem excitatis tamen has altitudo puppium ex barbaris navibus superabat,
**しかし、[[w:櫓|櫓]]を築いたけれども、その高さを[[w:野蛮|蛮族]]の船の[[w:船尾|船尾]]が上回っていた。
*ut neque ex inferiore loco satis commode tela adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く飛び道具を投げ込むことができず、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガリア人により放られたものがより激しく降ってきた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札「コルウス」
[[画像:Corvus.svg|thumb|right|250px|鉤竿に似たローマの兵器「[[w:コルウス|コルウス]]」]]
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**我が方により準備されていた大いに役立つ事が一つあった。
*falces praeacutae insertae adfixaeque longuriis, non absimili forma muralium falcium.
**先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもの、[[w:破城槌|破城槌]]に良く似た形のものである。
*His cum funes qui antemnas ad malos destinabant, comprehensi adductique erant,
**これを、[[w:帆桁|帆桁]]を帆柱([[w:マスト|マスト]])に結びつけていた[[w:ロープ|綱]](帆綱)にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これ(帆綱)が切れて、帆桁は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方(ローマ)の兵士がはるかに上回った。
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、(ローマの)軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
gan20b32yqa0fdbpv6r95mz52r41xb3
206022
206013
2022-07-31T00:29:40Z
Linguae
449
/* 14節 */ 画像・訳注等
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつかの<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi intellexit</u> frustra tantum laborem sumi
**カエサルは、これほどの労苦が徒労になること(を知り)、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡が妨げられないし、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害が与えられることも不可能である<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|(ローマの)艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決定した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船がリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕で建造されていることが[[#9節|9節]]で述べられた。)</span>
<br>
; ローマ艦隊が来航すると、約220隻のウェネティー船団が迎え撃とうとする
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔艦隊〕</span>が集まって敵により目撃されるや否や、
*circiter CCXX(ducentae viginti) naves eorum paratissimae
**約220の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器が装備された状態で
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して我が方と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]にはまったく(明らかでは)なかった。
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**これらの各々の船を割り当てられていた軍団次官([[w:トリブヌス・ミリトゥム|トリブヌス・ミリトゥム]])や[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]にさえ、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうか、どんな戦法を採用するか、明らかではなかった。
*Rostro enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、[[w:衝角|衝角]]で(敵に)損害を与えることができないことを知っていたからだ。
*turribus autem excitatis tamen has altitudo puppium ex barbaris navibus superabat,
**しかし、[[w:櫓|櫓]]を築いたけれども、その高さを[[w:野蛮|蛮族]]の船の[[w:船尾|船尾]]が上回っていた。
*ut neque ex inferiore loco satis commode tela adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く飛び道具を投げ込むことができず、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガリア人により放られたものがより激しく降ってきた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札コルウス
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**我が方により準備されていた大いに役立つ事が一つあった。
*falces praeacutae insertae adfixaeque longuriis, non absimili forma muralium falcium.
**先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもの、[[w:破城槌|破城槌]]に良く似た形のものである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Corvus.svg|thumb|right|300px|鉤竿に似たローマの兵器「[[w:コルウス|コルウス]]」]]
|[[画像:Ulysse bateau.jpg|thumb|right|320px|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])]]
|}
</div>
*His cum [[wikt:en:funis#Latin|funes]] qui [[wikt:en:antemna#Latin|antemnas]] ad [[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malos]] destinabant, comprehensi adductique erant,
**これにより、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> を <ruby><rb>[[w:マスト|帆 柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マールス</rt><rp>)</rp></ruby> に結びつけていた <ruby><rb>綱具</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby> にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これら<span style="color:#009900;">〔帆綱〕</span>が切れると、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ勢〕</span>の兵士がはるかに上回った。
<br>
; 沿岸はカエサルとローマ軍によって占領されていた
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、<span style="color:#009900;">(ローマ人の)</span>軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
0cjuoq9tnwx894ourxdjm9dyr8a4pjw
206027
206022
2022-07-31T03:16:38Z
Linguae
449
/* 14節 */
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつかの<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi intellexit</u> frustra tantum laborem sumi
**カエサルは、これほどの労苦が徒労になること(を知り)、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡が妨げられないし、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害が与えられることも不可能である<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|(ローマの)艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決定した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船がリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕で建造されていることが[[#9節|9節]]で述べられた。)</span>
<br>
; ローマ艦隊が来航すると、約220隻のウェネティー船団が迎え撃とうとする
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔艦隊〕</span>が集まって敵方により目撃されるや否や、
*circiter CCXX(ducentae viginti) naves eorum paratissimae
**約220の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器が装備された状態で
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して、我が方と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[wikt:en:Brutus#Latin|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]には十分(明らか)ではなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デキムス・ブルートゥス [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Brutus]] に艦隊を指揮させることが[[#11節|11節]]で述べられた。)</span>
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**これらの各々の船を割り当てられていた<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>にさえ、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうか、どんな戦法を採用するか、明らかではなかった。
*[[wikt:en:rostrum#Latin|Rostro]] enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>により<span style="color:#009900;">(敵船に)</span>損害を与えることができないことを知っていたからだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#13節|前節]]で、ウェネティー族の船体が頑丈であるため、と述べられた。)</span>
*turribus autem excitatis tamen has altitudo puppium ex barbaris navibus superabat,
**しかし、[[w:櫓|櫓]]を築いたけれども、その高さを蛮族の船の<ruby><rb>[[w:船尾|船尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>が上回っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船の甲板上には、投槍などの飛道具を投げるために櫓が設けられていた。)</span>
*ut neque ex inferiore loco satis commode tela adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く飛び道具を投げ込むことができず、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガッリア人により放られたものがより激しく降ってきた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**我が方により準備されていた大いに役立つ事が一つあった。
*falces praeacutae insertae adfixaeque longuriis, non absimili forma muralium falcium.
**先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもの、破城鎌に良く似た形のものである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Corvus.svg|thumb|right|300px|鉤竿に似たローマの兵器「[[w:コルウス|コルウス]]」]]
|[[画像:Ulysse bateau.jpg|thumb|right|320px|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])]]
|}
</div>
*His cum [[wikt:en:funis#Latin|funes]] qui [[wikt:en:antemna#Latin|antemnas]] ad [[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malos]] destinabant, comprehensi adductique erant,
**これにより、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> を <ruby><rb>[[w:マスト|帆 柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マールス</rt><rp>)</rp></ruby> に結びつけていた <ruby><rb>綱具</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby> にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これら<span style="color:#009900;">〔帆綱〕</span>が切れると、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ勢〕</span>の兵士がはるかに上回った。
<br>
; 沿岸はカエサルとローマ軍によって占領されていた
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、<span style="color:#009900;">(ローマ人の)</span>軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
8y6f2v6qiz7z7igx2kdu5bokhfzbumq
206031
206027
2022-07-31T06:38:01Z
Linguae
449
/* 14節 */ 画像変更、訳注ほか
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''カエサル待望のブルートゥスの艦隊が来航し、ウェネティー族との海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつかの<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の)</span><ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi intellexit</u> frustra tantum laborem sumi
**カエサルは、これほどの労苦が徒労になること(を知り)、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡が妨げられないし、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害が与えられることも不可能である<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決定した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船がリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕で建造されていることが[[#9節|9節]]で述べられた。)</span>
<br>
; ローマ艦隊が来航すると、約220隻のウェネティー船団が迎え撃とうとする
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>が集結して敵方により目撃されるや否や、
*circiter CCXX(ducentae viginti) naves eorum paratissimae
**約220の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器がよく装備された状態で
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して、我が方と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[wikt:en:Brutus#Latin|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]には十分(明らか)ではなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デキムス・ブルートゥス [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Brutus]] に艦隊を指揮させることが[[#11節|11節]]で述べられた。)</span>
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**これらの各々の船を割り当てられていた<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>にさえ、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうか、どんな戦法を採用するか、明らかではなかった。
*[[wikt:en:rostrum#Latin|Rostro]] enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>により<span style="color:#009900;">(敵船に)</span>損害を与えることができないことを知っていたからだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#13節|前節]]で、ウェネティー族の船体が頑丈であるため、と述べられた。)</span>
*turribus autem excitatis tamen has altitudo puppium ex barbaris navibus superabat,
**しかし、[[w:櫓|櫓]]を築いたけれども、その高さを蛮族の船の<ruby><rb>[[w:船尾|船尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>が上回っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船の甲板上には、投槍などの飛道具を投げるために櫓が設けられていた。)</span>
*ut neque ex inferiore loco satis commode tela adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く飛び道具を投げ込むことができず、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガッリア人により放られたものがより激しく降ってきた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**我が方により準備されていた大いに役立つ物がただ一つあった。
*[[wikt:en:falx#Latin|falces]] praeacutae insertae adfixaeque longuriis,
*先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもので、
*non absimili forma muralium falcium.
**<ruby><rb>破 城 の 鎌</rb><rp>(</rp><rt>ファルクス・ムーラーリス</rt><rp>)</rp></ruby>に良く似た形のものである。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:攻城用の「破城鎌」'''[[古代ローマの攻城兵器#falx_muralis_(siege_hook)|falx muralis]]''' に似たもので、'''[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/古代ローマの攻城兵器#falx_navalis|falx navalis]]''' とも呼ばれている。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Adamclisi falx.jpg|thumb|right|200px|鎌状の兵器]]
|[[画像:Ulysse bateau.jpg|thumb|right|320px|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])]]
|}
</div>
*His cum [[wikt:en:funis#Latin|funes]] qui [[wikt:en:antemna#Latin|antemnas]] ad [[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malos]] destinabant, comprehensi adductique erant,
**これにより、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> を <ruby><rb>[[w:マスト|帆 柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マールス</rt><rp>)</rp></ruby> に結びつけていた <ruby><rb>綱具</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby> にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これら<span style="color:#009900;">〔帆綱〕</span>が切れると、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ勢〕</span>の兵士がはるかに上回った。
<br>
; 沿岸はカエサルとローマ軍によって占領されていた
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、<span style="color:#009900;">(ローマ人の)</span>軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
kexxqqayh070omihi0bbtbyclqt3y0s
206034
206031
2022-07-31T07:08:14Z
Linguae
449
/* 14節 */ 画像変更
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''カエサル待望のブルートゥスの艦隊が来航し、ウェネティー族との海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつかの<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の)</span><ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi intellexit</u> frustra tantum laborem sumi
**カエサルは、これほどの労苦が徒労になること(を知り)、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡が妨げられないし、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害が与えられることも不可能である<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決定した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船がリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕で建造されていることが[[#9節|9節]]で述べられた。)</span>
<br>
; ローマ艦隊が来航すると、約220隻のウェネティー船団が迎え撃とうとする
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>が集結して敵方により目撃されるや否や、
*circiter CCXX(ducentae viginti) naves eorum paratissimae
**約220の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器がよく装備された状態で
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して、我が方と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[wikt:en:Brutus#Latin|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]には十分(明らか)ではなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デキムス・ブルートゥス [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Brutus]] に艦隊を指揮させることが[[#11節|11節]]で述べられた。)</span>
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**これらの各々の船を割り当てられていた<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>にさえ、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうか、どんな戦法を採用するか、明らかではなかった。
*[[wikt:en:rostrum#Latin|Rostro]] enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>により<span style="color:#009900;">(敵船に)</span>損害を与えることができないことを知っていたからだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#13節|前節]]で、ウェネティー族の船体が頑丈であるため、と述べられた。)</span>
*turribus autem excitatis tamen has altitudo puppium ex barbaris navibus superabat,
**しかし、[[w:櫓|櫓]]を築いたけれども、その高さを蛮族の船の<ruby><rb>[[w:船尾|船尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>が上回っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船の甲板上には、投槍などの飛道具を投げるために櫓が設けられていた。)</span>
*ut neque ex inferiore loco satis commode tela adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く飛び道具を投げ込むことができず、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガッリア人により放られたものがより激しく降ってきた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**我が方により準備されていた大いに役立つ物がただ一つあった。
*[[wikt:en:falx#Latin|falces]] praeacutae insertae adfixaeque longuriis,
*先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもので、
*non absimili forma muralium falcium.
**<ruby><rb>破 城 の 鎌</rb><rp>(</rp><rt>ファルクス・ムーラーリス</rt><rp>)</rp></ruby>に良く似た形のものである。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:攻城用の「破城鎌」'''[[古代ローマの攻城兵器#falx_muralis_(siege_hook)|falx muralis]]''' に似たもので、'''[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/古代ローマの攻城兵器#falx_navalis|falx navalis]]''' とも呼ばれている。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381)(cropped).jpg|thumb|right|300px|破城鎌の復元画の例]]
|[[画像:Ulysse bateau.jpg|thumb|right|320px|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])]]
|}
</div>
*His cum [[wikt:en:funis#Latin|funes]] qui [[wikt:en:antemna#Latin|antemnas]] ad [[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malos]] destinabant, comprehensi adductique erant,
**これにより、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> を <ruby><rb>[[w:マスト|帆 柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マールス</rt><rp>)</rp></ruby> に結びつけていた <ruby><rb>綱具</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby> にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これら<span style="color:#009900;">〔帆綱〕</span>が切れると、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ勢〕</span>の兵士がはるかに上回った。
<br>
; 沿岸はカエサルとローマ軍によって占領されていた
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、<span style="color:#009900;">(ローマ人の)</span>軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
p38qujuyjvb6bc9cx57eiznxvko4kvn
206042
206034
2022-07-31T11:20:59Z
Linguae
449
/* 14節 */ 修正
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|3]]
[[ガリア戦記]]> '''第3巻''' >[[ガリア戦記 第3巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER TERTIVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -56.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第3巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い|アルプス・オクトードゥールスの戦い]]''':<br />
'''[[#大西洋岸ウェネティー族の造反|大西洋岸ウェネティー族の造反]]''':<br />
<br />
'''[[#大西洋岸ウネッリ族の造反|大西洋岸ウネッリ族の造反]]''':<br />
'''[[#クラッススのアクィタニア遠征|クラッススのアクィタニア遠征]]''':<br />
<br />
'''[[#モリニ族・メナピイ族への遠征|モリニ族・メナピイ族への遠征]]''':<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] <br />
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] |
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] <br />
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] <br />
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] <br />
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]]
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==<span style="color:#009900;">はじめに</span>==
:<div style="color:#009900;width:85%;">前巻([[ガリア戦記 第2巻|ガリア戦記 第2巻]])の終わりで述べられたように、カエサルによってガッリアはほぼ平定されたと思われて、首都ローマで感謝祭が催されたほどであった。このため、本巻(第3巻)ではカエサル自身の遠征として記す内容はとても少ない。<br><br>本巻の[[#1節]]~[[#6節]]で言及される[[#アルプス・オクトードゥールスの戦い]]は、[[w:紀元前57年|BC57年]]秋頃に起こったと考えられるので、本来なら第2巻に含められるべきであるが、そうなると第3巻が20節ほどの非常に短い巻になってしまうので、第3巻の冒頭に置いたとも考えられる。<br><br>本巻(第3巻)の年([[w:紀元前56年|BC56年]])の春には、ガッリア遠征の遂行上きわめて重要な'''ルカ会談'''があったので、以下に補足する。</div>
<div style="background-color:#eee;width:75%;">
===コラム「ルカ会談」===
:::<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Luca Conference|Luca Conference]]''</span>(英語記事)などを参照。
:<span style="color:#009900;">伝記作家[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス]]によれば<ref>[[ガリア戦記/注解編#プルータルコス『対比列伝』|プルータルコス『対比列伝』]]の「カエサル」20,21</ref>、カエサルはベルガエ人との戦いを成し遂げると、前年に続いて'''パドゥス川'''〔[[w:la:Padus|Padus]] [[w:ポー川|ポー川]]〕流域で越冬しながら、ローマ政界への政治工作を続けた。例えば、カエサルを後援者とする選挙の立候補者たちが有権者を買収するための金銭をばらまいていた。ガッリア人捕虜を奴隷商人に売り払って得た莫大な金銭で。その結果、カエサルの金銭で当選した者たちの尽力で、属州総督カエサルへの新たな資金の支給が可決されるという具合であった。<br><br>そのうち、多くの名門貴族たちがカエサルに面会するために[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の街へやって来た。<br>こうした中、[[w:紀元前56年|BC56年]]の4月に、カエサルと非公式の盟約([[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]])を結んでいた[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]と[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]もルカを訪れて、三者による会談が行われた。<br><br>首都ローマでは、三頭政治を後ろ盾とする[[w:ポプラレス|平民派]]の[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Publius Clodius Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]</span>)が民衆に暴動をけしかけ、[[w:オプティマテス|門閥派]]のミロ(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Titus Annius Milo|Titus Annius Milo]]</span>)と激しく抗争するなど、騒然としていた。このクロディウスの暴力的な手法は、クラッススとポンペイウスの関係を傷つけた。また、カエサルのガッリアでの輝かしい勝利に、二人とも不満を感じていた。このように三頭政治は綻び出していたのだ。<br><br>三人は三頭政治を延長することで合意した。カエサルは、クラッススとポンペイウスが翌年([[w:紀元前55年|BC55年]])の執政官に立候補すること、3属州の総督であるカエサルの任期がさらに5年間延長されること、などを求めた。<br><br>会談の結果、任期が大幅に延長されたカエサルの野望は、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススがシリア総督になることを決めるが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。
</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アルプス・オクトードゥールスの戦い==
:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Battle of Octodurus|Battle of Octodurus]]''</span>(英語記事)<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:fr:Bataille d'Octodure|Bataille d'Octodure]]''</span>(仏語記事)などを参照。
===1節===
[[画像:Historische Karte CH Rome 1.png|thumb|right|300px|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。]]
[[画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|thumb|right|300px|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2022-04-23}}</span>
'''ガルバとローマ第12軍団が、ロダヌス川渓谷のオクトードゥールスにて冬営する'''
<br>
; カエサルが、ガルバと軍団・騎兵をアルプス地方へ派兵
*Cum in Italiam proficisceretur Caesar,
**カエサルは、イタリア〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に出発していたときに、
*[[wikt:en:Servium|Servium]] Galbam cum [[w:en:Legio XII Fulminata|legione duodecima(XII.)]] et parte equitatus
**[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・ガルバ]]を第12軍団および騎兵隊の一部とともに、
*in [[wikt:fr:Nantuates#Latin|Nantuates]], [[wikt:en:Veragri#Latin|Veragros]] Sedunosque misit,
**ナントゥアーテース族・ウェラーグリー族・セドゥーニー族(の領土)に派遣した。
*qui a finibus [[wikt:en:Allobroges#Latin|Allobrogum]] et lacu [[wikt:fr:Lemannus|Lemanno]] et flumine [[wikt:en:Rhodanus#Latin|Rhodano]] ad summas [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpes]] pertinent.
**彼らはアッロブロゲース族の領土、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕およびロダヌス川〔[[w:ローヌ川|ローヌ川]]〕から[[w:アルプス山脈|アルプス]]の頂きに及んでいる。
*Causa mittendi fuit,
**派遣の理由は(以下のこと)であった:
*quod iter per Alpes,
**アルプスを通る道は、
*quo magno cum periculo magnisque cum [[wikt:en:portorium|portoriis]] mercatores ire consuerant,
**大きな危険と多額の関税を伴って商人たちが旅することが常であったので、
*patefieri volebat.
**(カエサルは道が)開かれることを望んでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]を通ってスイスとイタリアを結ぶ道のことで、<br> 帝制初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]によって街道が敷設された。<br> かつて[[w:ハンニバル|ハンニバル]]が越えたのは諸説あるが、この道であった可能性もある。<br> ローマ人がこの地に移入・育成した軍用犬は現在の[[w:セント・バーナード|セント・バーナード犬]]。)</span>
*Huic permisit, si opus esse arbitraretur, uti in his locis legionem hiemandi causa conlocaret.
**彼〔ガルバ〕に、もし必要と思われるならば、この地に軍団を[[w:冬営|冬営]]するために宿営させることを許可した。
[[画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|thumb|right|300px|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。]]
<br>
; ガルバが、諸部族を攻略して、軍団の冬営を決める
*Galba, secundis aliquot proeliis factis
**ガルバは、いくつかの優勢な戦いをして、
*castellisque compluribus eorum expugnatis,
**彼ら〔ガッリア諸部族〕の多くの砦が攻略されると、
*missis ad eum undique legatis
**彼〔ガルバ〕のもとへ四方八方から(諸部族の)使節たちが遣わされ、
*obsidibusque datis et pace facta,
**人質が供出されて、講和がなされたので、
*constituit
**(ガルバは、以下のことを)決めた。
*cohortes duas in Nantuatibus conlocare
**2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>をナントゥアーテース族(の領土)に宿営させること、
*et ipse cum reliquis eius legionis cohortibus
**(ガルバ)自身はその軍団の残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに、
*in vico Veragrorum, qui appellatur [[wikt:en:Octodurus|Octodurus]], hiemare;
**オクトードゥールスと呼ばれているウェラーグリー族の村に冬営することを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:オクトードゥールス([[wikt:en:Octodurus|Octodurus]])は現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]。)</span>
<br>
; ウェラーグリー族のオクトードゥールス村
*qui vicus positus in valle, non magna adiecta planitie,
**その村は、さほど大きくない平地に付随した渓谷の中に位置し、
*altissimis montibus undique continetur.
**とても高い山々で四方八方を囲まれている。
*Cum hic in duas partes flumine divideretur,
**これ〔村〕は川によって二つの部分に分け隔てられているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:マルティニー|マルティニー]]の街中を、[[w:ローヌ川|ローヌ川]]の支流であるドランス川(''[[w:en:Drance|Drance]])が貫流している。)</span>
*alteram partem eius vici Gallis [ad hiemandum] concessit,
**その村の一方の部分をガッリア人に [越冬するために] 譲った。
*alteram vacuam ab his relictam cohortibus attribuit.
**もう一方の彼ら〔ガッリア人〕により空にされた方を、残りの<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>に割り当てた。
*Eum locum vallo fossaque munivit.
**その地を堡塁と塹壕で守りを固めた。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Martigny_1600.jpg|thumb|right|600px|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。]]
|}
</div>
<div style="background-color:#eee;width:77%;">
===コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」===
:::関連記事:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Catilinae coniuratio|Catilinae coniuratio]], ''[[w:en:Second Catilinarian conspiracy|Second Catilinarian conspiracy]]''</span>
:<span style="color:#009900;"> [[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・'''ガルバ''']]にアルプス派兵を指揮させた理由について、カエサルは記していない。<br><br> [[w:紀元前63年|BC63年]]~[[w:紀元前62年|BC62年]]に、ローマの高官だった[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|ルーキウス・セルギウス・'''カティリーナ''']]([[w:la:Lucius Sergius Catilina|Lucius Sergius Catilina]])がクーデタを企てるという大事件があった。'''[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]'''が『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]』で糾弾し、カエサルが事件の黒幕ではないかと取り沙汰された(スエートニウス<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XIV.]], [[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_divi_Iuli#XVII.|#XVII.]] を参照。</ref>)。<br> BC63年の[[w:プラエトル|法務官]][[w:ガイウス・ポンプティヌス|ガーイウス・'''ポンプティーヌス''']]がキケローを助けて事件を捜査し、アッロブロゲース族からカティリーナへ宛てた手紙を調べた。BC62年にポンプティーヌスは前法務官としてガッリア総督となり、事件に関与していたアッロブロゲース族を平定した。このとき、[[w:トリブヌス|副官]]としてポンプティーヌスを助けてアッロブロゲース族を攻めたのが'''ガルバ'''であった。総督がカエサルに替わっても、ガルバは副官として留任し、アッロブロゲース族の近隣部族の鎮定に努めていたわけである。<br> ポンプティーヌスは、一部の元老院議員の反対で、戦勝将軍の権利である[[w:凱旋式|凱旋式]]ができなかった。これを不満に思っていたガルバは、[[w:紀元前54年|BC54年]]に法務官になると尽力して、その年にポンプティーヌスの凱旋式を行なうことに成功した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。]]
|[[画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|thumb|right|320px|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。]]
|}
</div>
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2022-05-05}}</span>
'''ガッリア人が再び挙兵して周囲の高峰を押さえ、第12軍団の冬営地を包囲'''
*Cum dies hibernorum complures transissent frumentumque eo comportari iussisset,
**冬営の多くの日々が過ぎ去って、穀物がそこに運び集められることを([[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|ガルバ]]が)命じていたときに、
*subito per exploratores certior factus est
**突然に(以下のことが)[[w:偵察|偵察隊]]により報告された。
*ex ea parte vici, quam Gallis concesserat, omnes noctu discessisse
**ガッリア人たちに譲っていた村の一部から、皆が夜に立ち退いており、
*montesque, qui [[wikt:en:impendeo#Latin|impenderent]], a maxima multitudine Sedunorum et [[wikt:en:Veragri|Veragrorum]] teneri.
**そそり立つ山々がセドゥーニー族とウェラーグリー族のかなりの大勢により占拠されたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウェラーグリー族は既述のようにオクトードゥールス村 [[w:la:Octodurus|Octodurus]]〔現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]〕を、<br>セドゥーニー族 [[w:la:Seduni|Seduni]] はより上流のセドゥヌム [[w:la:Sedunum|Sedunum]]〔現在の[[w:シオン (スイス)|シオン市]]〕を首邑としていた。)</span>
*Id aliquot de causis acciderat,
**いくつかの理由から、起こっていたことには、
*ut subito Galli belli renovandi legionisque opprimendae consilium caperent:
**突如としてガッリア人が、戦争を再開して(ローマ人の)軍団を急襲する作戦計画を立てたのだ。
<br>
; 第1の理由:ガルバの第12軍団は、兵が割かれていて寡勢である
*primum, quod legionem neque eam plenissimam detractis cohortibus duabus
**というのも、第一に、総員がそろっていない軍団を ──2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が引き抜かれていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で既述のように、2個歩兵大隊をナントゥアーテース族のところに宿営させていたが、これはレマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕に近いより下流の地域で、離れていたようだ。)</span>
*et compluribus singillatim, qui commeatus petendi causa missi erant, absentibus,
**多くの者たちが一人ずつ、糧食を求めるために派遣されていて不在である、──
*propter paucitatem despiciebant;
**(その第12軍団を)少数であるゆえに、見下していたからだ。
<br>
; 第2の理由:渓谷にいるローマ人は、山から攻め降りて来るガッリア人の飛道具を受け止められまい
*tum etiam, quod propter iniquitatem loci,
**それからさらに(ローマ勢が冬営している渓谷の)地の利の無さゆえ、
*cum ipsi ex montibus in vallem decurrerent et tela conicerent,
**(ガッリア勢)自身が山々から谷間に駆け下りて飛道具を投じたときに、
*ne primum quidem impetum suum posse sustineri existimabant.
**自分たちの最初の襲撃を(ローマ勢が)持ちこたえることができない、と判断していたので。
<br>
; 第3の理由:人質を取られて、属州に併合される前にローマ人を討て
*Accedebat, quod suos ab se liberos abstractos obsidum nomine dolebant,
**加えて、人質の名目で自分たちから引き離されている自分の子供たちのことを嘆き悲しんでいたので、
*et Romanos non solum itinerum causa, sed etiam perpetuae possessionis
**かつ、ローマ人たちは道(の開通)のためだけでなく、永続的な領有のためにさえも
*culmina Alpium occupare <u>conari</u>
**アルプスの頂上を占領すること、
*et ea loca finitimae provinciae adiungere
**および(ローマの)属州に隣接する当地を併合することを<u>企てている</u>、
*sibi persuasum habebant.
**と(ガッリア人たちは)確信していたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2022-05-12}}</span>
'''ガルバが軍議を召集し、策を募る'''
*His nuntiis acceptis Galba,
**ガルバは、これらの報告を受け取ると、
*<u>cum</u> neque opus hibernorum munitionesque plene essent perfectae
**冬営の普請や防塁構築も十分に完成していなかったし、
*neque de frumento reliquoque commeatu satis esset provisum,
**穀物や他の糧秣も十分に調達されていなかった<u>ので</u>、
*quod deditione facta obsidibusque acceptis
**── というのも、降伏がなされて、人質が受け取られ、
*nihil de bello timendum existimaverat,
**戦争について恐れるべきことは何もない、と判断していたためであるが、──
*consilio celeriter convocato sententias exquirere coepit.
**軍議を速やかに召集して、意見を求め始めた。
<br>
;軍議
*Quo in consilio,
**その軍議において、
*<u>cum</u> tantum repentini periculi praeter opinionem accidisset
**これほどの不意の危険が、予想に反して起こっていたので、
*ac iam omnia fere superiora loca multitudine armatorum completa conspicerentur
**かつ、すでにほぼすべてのより高い場所が、武装した大勢の者たちで満たされていることが、見られていたので、
*neque subsidio veniri
**救援のために(援軍が)来られることもなかったし、
*neque commeatus supportari interclusis itineribus possent,
**糧秣が運び込まれることも、道が遮断されているので、できなかった<u>ので</u>、
*prope iam desperata salute non nullae eius modi sententiae dicebantur,
**すでにほぼ身の安全に絶望していた幾人かの者たちの'''以下のような'''意見が述べられていた。
*ut impedimentis relictis eruptione facta
**輜重を残して、出撃して、
*isdem itineribus quibus eo pervenissent ad salutem contenderent.
**そこへやって来たのと同じ道によって、安全なところへ急ぐように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:レマンヌス〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕湖畔を通ってアッロブロゲース族領へ撤収することであろう。)</span>
*Maiori tamen parti placuit,
**しかしながら、大部分の者が賛成したのは、
*hoc reservato ad extremum consilio
**この考え(計画)を最後まで保持しておいて、
*interim rei eventum experiri et castra defendere.
**その間に、事の結果を吟味して、陣営を守備すること、であった。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===4節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2022-05-16}}</span>
'''ガッリア勢がガルバの陣営を急襲し、寡兵のローマ勢は劣勢に陥る'''
*Brevi spatio interiecto,
**(敵の来襲まで)短い間が介在しただけだったので、
*vix ut iis rebus quas constituissent conlocandis atque administrandis tempus daretur,
**決めておいた物事を配置したり遂行するための時間が、ほとんど与えられないほどであった。
*hostes ex omnibus partibus signo dato decurrere,
**敵方〔ガッリア勢〕があらゆる方向から、号令が出されて、駆け下りて来て、
*lapides [[wikt:en:gaesum|gaesa]]que in vallum conicere.
**石や投槍を堡塁の中に投げ込んだ。
*Nostri primo integris viribus fortiter propugnare
**我が方〔ローマ勢〕は、当初、体力が損なわれていないうちは勇敢に応戦して、
*neque ullum frustra telum ex loco superiore mittere,
**高所から、いかなる飛道具も無駄に投げることはなかった。
*et quaecumque<!--ut quaeque--> pars castrorum nudata defensoribus premi videbatur,
**陣営のどの部分であれ、防戦者たちがはがされて押され気味であることと思われれば、
*eo occurrere et auxilium ferre,
**(ローマ勢が)そこへ駆け付けて、支援した。
<br>
; 兵の多寡が、ローマ勢を追い込む
*sed hoc superari
**しかし、以下のことにより(ローマ勢は)打ち破られた。
*quod diuturnitate pugnae hostes defessi proelio excedebant,
**──戦いが長引いたことにより、疲れ切った敵たちは戦闘から離脱して、
*alii integris viribus succedebant;
**体力が損なわれていない他の者たちが交代していたのだ。──
*quarum rerum a nostris propter paucitatem fieri nihil poterat,
**我が方〔ローマ勢〕は少数であるゆえに、このような事〔兵の交代〕は何らなされ得なかった。
*ac non modo defesso ex pugna excedendi,
**疲弊した者にとっての戦いから離脱することの(機会)のみならず、
*sed ne saucio quidem eius loci ubi constiterat relinquendi ac sui recipiendi facultas dabatur.
**負傷した者にとってさえも、その持ち場を放棄することや(体力を)回復することの機会も与えられなかったのだ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2022-05-29}}</span>
'''最後の土壇場で説得されたガルバが、疲労回復後の突撃に命運を賭ける'''
*<u>Cum</u> iam amplius horis sex continenter pugnaretur,
**すでに6時間より多く引き続いて戦われており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[古代ローマの不定時法]]では、冬の日中の半日ほどである)</span>
*ac non solum vires sed etiam tela nostros deficerent,
**活力だけでなく飛道具さえも我が方〔ローマ勢〕には不足していたし、
*atque hostes acrius instarent
**敵方〔ガッリア勢〕はより激しく攻め立てていて、
*languidioribusque nostris
**我が方〔ローマ勢〕が弱り切っており、
*vallum scindere et fossas complere coepissent,
**(ガッリア勢は)防柵を破却したり、塹壕を埋め立てたりし始めていたし、
*resque esset iam ad extremum perducta casum,
**戦況はすでに最後の土壇場に陥っていた<u>ので</u>、
<br>
; 二人の軍団首脳バクルスとウォルセーヌスが、ガルバに敵中突破を説く
*[[wikt:en:P.|P.]] Sextius Baculus, primi pili centurio,
**<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリームス・ピールス</rt><rp>)</rp></ruby>プーブリウス・セクスティウス・バクルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span>
*quem Nervico proelio compluribus confectum vulneribus diximus,
**──その者が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]との戦いで多くの負傷で消耗したと前述した──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]]を参照。なお、[[ガリア戦記 第6巻#38節|第6巻38節]] でも言及される。)</span>
*et item [[wikt:en:C.#Latin|C.]] Volusenus, tribunus militum, vir et consilii magni et virtutis,
**および、[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]ガーイウス・ウォルセーヌス ──卓越した判断力と武勇を持つ男──(の2人)は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' などの記事を参照せよ。)</span>
*ad Galbam accurrunt
**ガルバのもとへ急いで来て、
*atque unam esse spem salutis docent, si eruptione facta extremum auxilium experirentur.
**身の安全のただ一つの希望は、出撃をして最後の救済策を試みるかどうかだ、と説く。
*Itaque convocatis centurionibus
**こうして、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たちが召集されて、
*celeriter milites certiores facit,
**(ガルバが以下のことを)速やかに兵士たちに通達する。
*paulisper intermitterent proelium
**しばらく戦いを中断して
*ac tantummodo tela missa exciperent seque ex labore reficerent,
**ただ投げられた飛道具を遮るだけとし、疲労から(体力を)回復するようにと、
*post dato signo ex castris erumperent,
**与えられた号令の後に陣営から出撃するように、
*atque omnem spem salutis in virtute ponerent.
**身の安全のすべての希望を武勇に賭けるように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2022-06-05}}</span>
'''第12軍団がガッリア勢を破るが、ガルバはオクトードゥールスでの冬営を断念する'''
*Quod iussi sunt faciunt,
**(ローマ兵たちは)命じられたことをなして、
*ac subito omnibus portis eruptione facta
**突然に(陣営の)すべての門から出撃がなされ、
*neque cognoscendi quid fieret
**何が生じたのかを知ることの(機会)も
*neque sui colligendi hostibus facultatem relinquunt.
**(自軍の兵力を)集中することの機会も、敵方に残さない。
*Ita commutata fortuna
**こうして武運が変転して、
*eos qui in spem potiundorum castrorum venerant undique circumventos intercipiunt,
**(ローマ人の)陣営を占領することを期待してやって来ていた者たちを、至る所で包囲して<ruby><rb>屠</rb><rp>(</rp><rt>ほふ</rt><rp>)</rp></ruby>る。
*et ex hominum milibus amplius XXX{triginta},
**3万より多い人間が
*quem numerum barbarorum ad castra venisse constabat,
**それだけの数の蛮族が(ローマ)陣営のところへ来ていたのは、確実であったが、
*plus tertia parte interfecta
**3分の1より多く(の者)が<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>されて、
*reliquos perterritos in fugam coiciunt
**(ローマ勢は)残りの者たちを怖気づかせて敗走に追いやり、
*ac ne in locis quidem superioribus consistere patiuntur.
**(ガッリア勢は)より高い場所にさえ留まることさえ許されない。
*Sic omnibus hostium copiis fusis armisque exutis
**そのように敵方の全軍勢が撃破されて、武器が放棄されて、
*se intra munitiones suas recipiunt.
**(ローマ勢は)自分たちの防塁の内側に撤収する。
<br>
; ガルバがオクトードゥールスでの冬営を断念して、同盟部族領に撤退する
*Quo proelio facto,
**この戦いが果たされると、
*quod saepius fortunam temptare Galba nolebat
**──ガルバは、よりたびたび武運を試すことを欲していなかったし、
*atque alio se in hiberna consilio venisse meminerat,
**冬営に他の計画のために来ていたことを思い出していたが、
*aliis occurrisse rebus videbat,
**別の事態に遭遇したのを見ていたので、──
*maxime frumenti commeatusque inopia permotus
**とりわけ穀物や糧秣の欠乏に揺り動かされて、
*postero die omnibus eius vici aedificiis incensis
**翌日にその村のすべての建物が焼き討ちされて、
*in provinciam reverti contendit,
**(ガルバは)属州〔[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]〕に引き返すことを急ぐ。
*ac nullo hoste prohibente aut iter demorante
**いかなる敵によって妨げられることも、あるいは行軍が遅滞させられることもなく、
*incolumem legionem in Nantuates,
**軍団を無傷なままでナントゥアーテース族(の領土)に(連れて行き)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナントゥアーテース族 ''[[w:en:Nantuates|Nantuates]]'' は、レマンヌス湖〔[[w:レマン湖|レマン湖]]〕の南東を領有していた部族。<br> [[#1節]]で、軍団のうち2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を宿営させたことが述べられた。)</span>
*inde in Allobroges perduxit ibique hiemavit.
**そこから、アッロブロゲース族(の領土)に連れて行き、そこで冬営した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|thumb|right|500px|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==大西洋岸ウェネティー族の造反==
:::<span style="background-color:#ffd;">関連記事:[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]、''[[w:fr:Guerre des Vénètes|fr:Guerre des Vénètes]]'' 等を参照せよ。</span>
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2022-06-12}}</span>
'''新たな戦争の勃発'''
*His rebus gestis
**これらの戦役が遂げられて、
*cum omnibus de causis Caesar pacatam Galliam existimaret,
**カエサルが、あらゆる状況についてガッリアは平定された、と判断していたときに、
*superatis Belgis,
**(すなわち)[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]は征服され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第2巻で述べられたこと)</span>
*expulsis Germanis,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人は駆逐され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で述べられた[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]との戦役のこと)</span>
*victis in [[wikt:en:Alpibus|Alpibus]] Sedunis,
**アルペース〔[[w:アルプス山脈|アルプス]]〕においてセドゥーニー族は打ち負かされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#1節]]~[[#6節]]で述べられたこと)</span>
*atque ita inita hieme in [[wikt:en:Illyricum#Latin|Illyricum]] profectus esset,
**こうして冬の初めに(カエサルが)[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]に出発していたときに、
*quod eas quoque nationes adire et regiones cognoscere volebat,
**──というのは、これら各部族を訪れて諸地方を知ることを欲していたからであるが、──
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州総督の職務として、巡回裁判を行う必要があったためであろう)</span>
*subitum bellum in Gallia coortum est.
**突然の戦争がガッリアで勃発したのである。
<br>
; 戦争の背景
*Eius belli haec fuit causa:
**その戦争の原因は、以下の通りであった。
*[[wikt:en:P.|P.]] Crassus adulescens cum legione septima(VII.)
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス青年]]は、第7軍団とともに
**:<span style="color:#009900;">(訳注:三頭政治家[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|M. クラッスス]]の息子で、第1巻[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_I#52|52節]]では騎兵隊の指揮官だった。<br> [[ガリア戦記_第2巻#34節|第2巻34節]]では、1個軍団とともに大西洋沿岸地方に派遣されたと述べられた。)</span>
*proximus mare Oceanum in Andibus hiemarat.
**<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に最も近いアンデース族(の領土)で冬営していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンデース族 Andes は、'''アンデカーウィー族''' [[w:la:Andecavi|Andecavi]], ''[[wikt:en:Andecavi|Andecavi]]'' と呼ばれることが多い。<br> 実際には大西洋岸から内陸側に寄っていたと考えられている。)</span>
*Is, quod in his locis inopia frumenti erat,
**彼〔クラッスス〕は、これらの場所においては穀物の欠乏があったので、
*praefectos tribunosque militum complures in finitimas civitates
**([[w:アウクシリア|支援軍]]の)<ruby><rb>[[w:プラエフェクトゥス|指揮官]]</rb><rp>(</rp><rt>プラエフェクトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちや[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たちのかなりの数を、近隣諸部族のところへ
*frumenti (commeatusque petendi) causa dimisit;
**穀物や糧食を求めるために送り出した。
*quo in numero est [[wikt:en:T.#Latin|T.]] Terrasidius missus in Esuvios<!--/ Unellos Essuviosque-->,
**その人員のうち、ティトゥス・テッラシディウスは、エスウィイー族<!--ウネッリー族やエスウィイ族-->のところに遣わされ、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:テッラシディウスは騎士階級の将校。''[[w:en:Terrasidius|Terrasidius]]'' 参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:エスウィイー族 ''[[w:en:Esuvii|Esuvii]]'' は、現在の[[w:オルヌ川|オルヌ川]]盆地の[[w:オルヌ県|オルヌ県]][[w:セー (オルヌ県)|セー]]~[[w:fr:Exmes|エム]]の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:M.#Latin|M.]] [[wikt:en:Trebius#Latin|Trebius]] Gallus in Coriosolităs,
**マールクス・トレビウス・ガッルスは、コリオソリテース族のところに(遣わされ)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Marco Trebio Gallo|it:Marco Trebio Gallo]]'' 等参照)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:コリオソリテース族 ''[[w:en:Coriosolites|Coriosolites]]'' は、クーリオソリーテース ''[[wikt:en:Curiosolites|Curiosolites]]'' などとも呼ばれ、<br> 現在の[[w:コート=ダルモール県|コート=ダルモール県]]コルスール([[w:en:Corseul|Corseul]])の辺りにいたらしい。)</span>
*[[wikt:en:Q.|Q.]] [[wikt:en:Velanius#Latin|Velanius]] cum T. Sillio in Venetos.
**クゥイーントゥス・ウェラーニウスはティトゥス・シーッリウスとともに、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]のところに(遣わされた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:it:Quinto Velanio|it:Quinto Velanio]], [[w:it:Tito Silio|it:Tito Silio]]'' 等参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]] ''[[w:en:Veneti (Gaul)|Veneti (Gaul)]]'' は、[[w:アルモリカ|アルモリカ]]南西部、現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]辺りにいた。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2022-06-13}}</span>
'''ウェネティー族らの動き'''
<br>
; 沿海地方を主導するウェネティー族
*Huius est civitatis longe amplissima auctoritas omnis orae maritimae regionum earum,
**この部族〔ウェネティー族〕の<ruby><rb>影響力</rb><rp>(</rp><rt>アウクトーリタース</rt><rp>)</rp></ruby>は、海岸のその全地方の中でずば抜けて大きい。
*quod et naves habent Veneti plurimas,
**── というのは、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]は、最も多くの船舶を持っており、
*quibus in Britanniam navigare consuerunt,
**それら〔船団〕によって[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]に航海するのが常であり、
*et scientia atque usu rerum nauticarum ceteros antecedunt
**かつ[[w:海事|海事]]の知識と経験において他の者たち〔諸部族〕をしのいでおり、
*et in magno impetu maris atque aperto <Oceano>
**かつ海のたいへんな荒々しさと開けた<<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>>において、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<Oceano> は写本になく、挿入提案された修正読み)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:大陸棚|大陸棚]]が広がる[[w:ビスケー湾|ビスケー湾]]は、世界最大12mの大きな[[w:潮汐|干満差]]と、<br> 北西風による激しい嵐で知られる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%B9%BE-119819 ビスケー湾とは - コトバンク]</ref>。)</span>
*paucis portibus interiectis,
**わずかの港が介在していて、
*quos tenent ipsi,
**彼ら自身〔ウェネティー族〕がそれら〔港湾〕を制していて、
*omnes fere qui eo mari uti consuerunt, habent vectigales.
**その海を利用するのが常であった者たち〔部族〕ほぼすべてを、貢税者としていたのだ。──
<br>
; ウェネティー族が、クラッススの使節たちを抑留する
*Ab his fit initium retinendi Sillii atque Velanii,
**彼ら〔ウェネティー族〕によって、シーッリウスとウェラーニウスを拘束することが皮切りとなる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:2人は、前節([[#7節]])でウェネティー族への派遣が述べられた使節)</span>
*<u>et si quos intercipere potuerunt</u>
**何らかの者たちを捕えることができたのではないか、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本だけの記述で、α系写本にはない。)</span>
*quod per eos suos se obsides, quos Crasso dedissent, recuperaturos existimabant.
**というのは、彼らを介して、[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]に差し出されていた己の人質たちを取り戻すことができると考えていたのである。
<br>
*Horum auctoritate finitimi adducti,
**彼ら〔ウェネティー族〕の影響力によって、近隣の者たち〔諸部族〕が動かされて、
*ut sunt Gallorum subita et repentina consilia,
**──ガッリア人の判断力というものは、思いがけなく性急なものであるが、──
*eadem de causa Trebium Terrasidiumque retinent
**同じ理由によりトレビウスとテッラシディウスを拘束する。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:トレビウスは、前節でコリオソリテース族に派遣された。<br> テッラシディウスは、前節でエスウィイー族に派遣された。)</span>
*et celeriter missis legatis
**そして速やかに使節が遣わされて、
*per suos principes inter se coniurant
**自分らの領袖たちを通して互いに誓約する。
*nihil nisi communi consilio acturos eundemque omnes fortunae exitum esse laturos,
**合同の軍議なしには何も実施しないであろうし、皆が命運の同じ結果に耐えるであろう、と。
*reliquasque civitates sollicitant,
**残りの諸部族を扇動する。
*ut in ea libertate quam a maioribus acceperint, permanere quam Romanorum servitutem perferre malint.
**ローマ人への隷属を辛抱することより、むしろ先祖から引き継いでいた自由に留まることを欲すべし、と。
<br>
*Omni ora maritima celeriter ad suam sententiam perducta
**すべての海岸(の諸部族)が速やかに自分たち〔ウェネティー族〕の見解に引き込まれると、
*communem legationem ad [[wikt:en:Publium|Publium]] Crassum mittunt,
**共同の使節を[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]のもとへ遣わす。
*si velit suos recuperare, obsides sibi remittat.
**もし味方の者たち〔ローマ人〕を取り戻すことを望むならば、自分たち〔諸部族〕の人質たちを返すように、と。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2022-06-19}}</span>
{{Wikipedia|la:Liger| Liger }}
'''カエサル到着、ウェネティー族らの作戦と開戦準備'''
; カエサルが、海戦の準備を手配してから、沿岸地域に急ぐ
*Quibus de rebus Caesar a Crasso certior factus,
**以上の事について、カエサルは[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]により報知されると、
*quod ipse aberat longius,
**(カエサル)自身は非常に遠くに離れていたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#コラム「ルカ会談」|#ルカ会談]]などローマへの政界工作のために属州にいたと考えられている。)</span>
*naves interim longas aedificari in flumine [[wikt:la:Liger#Latine|Ligeri]], quod influit in Oceanum,
**その間に<u>軍船</u>が<ruby><rb>大洋〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に流れ込むリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕にて建造されること、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:艦隊 [[w:la:Classis Romana|classis]] の主力として戦う[[w:ガレー船|ガレー船]]は「長船」[[w:la:Navis longa|navis longa]] と呼ばれていた。<br> これに対して、軍需物資を運搬する輸送船は [[w:la:Navis actuaria|navis actuaria]] と呼ばれていた。)</span>
*remiges ex provincia institui,
**<ruby><rb>漕ぎ手</rb><rp>(</rp><rt>レーメクス</rt><rp>)</rp></ruby>が属州〔[[w:ガリア・トランサルピナ|ガッリア・トランサルピーナ]]〕から採用されること、
*nautas gubernatoresque comparari iubet.
**<ruby><rb>[[w:船員|水夫]]</rb><rp>(</rp><rt>ナウタ</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>操舵手</rb><rp>(</rp><rt>グベルナートル</rt><rp>)</rp></ruby>が徴募されること、を命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:船尾の「<ruby><rb>[[w:舵|舵]]</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>」が発明されたのは[[w:漢|漢代]]の中国であって、古代西洋の船に<ruby><rb>舵</rb><rp>(</rp><rt>かじ</rt><rp>)</rp></ruby>はない。<br> 船の操舵手は「<ruby><rb>舵櫂</rb><rp>(</rp><rt>かじかい</rt><rp>)</rp></ruby>」(''[[w:en:Steering oar|steering oar]]'') という[[w:櫂|櫂]]の一種を用いて操船したらしい。)</span>
<br>
*His rebus celeriter administratis ipse,
**これらの事柄が速やかに処理されると、(カエサル)自身は
*cum primum per anni tempus potuit, ad exercitum contendit.
**年のできるだけ早い時季に、軍隊のもとへ急いだ。
<br>
; ウェネティー族らが、使節団拘留の重大さを勘案して、海戦の準備を進める
*Veneti reliquaeque item civitates cognito Caesaris adventu
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と残りの部族もまた、カエサルの到着を知り、
*<span style="color:#009900;"><</span>et de recipiendis obsidibus spem se fefellise<span style="color:#009900;">></span> certiores facti,
**<span style="color:#009900;"><</span>かつ人質を取り戻すという希望に惑わされたことを<span style="color:#009900;">></span> 知らされて、
*simul quod quantum in se facinus admisissent intellegebant,
**同時に、どれほど大それた行為を自分たちが侵していたかを判断していたので、
*<span style="color:#009900;">[</span>legatos, quod nomen ad omnes nationes sanctum inviolatumque semper fuisset,
**──(すなわち)あらゆる種族のもとでその名が神聖かつ不可侵の、使節たちが
*retentos ab se et in vincula coniectos,<span style="color:#009900;">]</span>
**自分たちによって拘束され、鎖につながれていたわけだが、──
*pro magnitudine periculi bellum parare
**危機の重大さに見合う戦争を準備すること、
*et maxime ea quae ad usum navium pertinent providere instituunt,
**とりわけ船団を運用するために役立つところのものを調達すること、を着手する。
*hoc maiore spe quod multum natura loci confidebant.
**地勢を大いに信じていた点に大きな期待をして。
<br>
*Pedestria esse itinera concisa aestuariis,
**(ローマ勢の)歩兵の行軍路は入江で遮断されるし、
*navigationem impeditam propter inscientiam locorum paucitatemque portuum sciebant,
**土地の不案内と港の少なさのゆえに航行が妨げられることを(ウェネティー族らは)知っていた。
*neque nostros exercitus propter inopiam frumenti diutius apud se morari posse confidebant;
**穀物の欠乏のゆえに、我が軍〔ローマ軍〕がより長く彼らのもとに留まることができないと(ウェネティー族らは)信じ切っていた。
<br>
*ac iam ut omnia contra opinionem acciderent,
**やがて、すべてのことが予想に反して生じたとしても、
*tamen se plurimum navibus posse, quam Romanos neque ullam facultatem habere navium,
**けれども自分たち〔ウェネティー族ら〕は艦船において、艦船の備えを何ら持たないローマ人よりも大いに優勢であり、
*neque eorum locorum, ubi bellum gesturi essent, vada, portus, insulas novisse;
**戦争を遂行しようとしているところの浅瀬・港・島に(ローマ人は)不案内であった(と信じ切っていた)。
<br>
*ac longe aliam esse navigationem in concluso mari atque in vastissimo atque apertissimo Oceano perspiciebant.
**閉ざされた海〔[[w:地中海|地中海]]〕と非常に広大で開けた大洋における航行はまったく別物であると見通していた。
<br>
*His initis consiliis
**この作戦計画が決められると、
*oppida muniunt,
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の防備を固め、
*frumenta ex agris in oppida comportant,
**穀物を耕地から<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に運び込み、
*naves in [[wikt:en:Venetia#Latin|Venetiam]], ubi Caesarem primum (esse) bellum gesturum constabat, quam plurimas possunt, cogunt.
**カエサルが最初の戦争を遂行するであろうことが明白であったところの[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]領に、ありったけの艦船を集める。
<br>
*Socios sibi ad id bellum
**この戦争のために(ウェネティー族は)自分たちのもとへ同盟者として
*[[wikt:en:Osismi#Latin|Osismos]], [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]], [[wikt:en:Namnetes#Latin|Namnetes]], Ambiliatos, [[wikt:en:Morini#Latin|Morinos]], [[w:en:Diablintes|Diablintes]], [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] adsciscunt;
**<span style="font-size:10pt;">オスィスミー族・レクソウィイー族・ナムネーテース族・アンビリアーティー族・モリニー族・ディアブリンテース族・メナピイー族</span> を引き入れる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アンビリアーティー族 ➡ [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]は「アンビラトリー族」 [[wikt:en:Ambilatri#Latin|Ambilatri]] と記す。<br> ディアブリンテース族 ➡ プリニウスは「ディアブリンティー族」 [[wikt:en:Diablinti#Latin|Diablinti]] と記す。<br> この部族は、アウレルキー族 ''[[w:en:Aulerci|Aulerci]]'' の支族。)</span>
*auxilia ex Britannia, quae contra eas regiones posita est, arcessunt.
**援軍を、この地域の向かい側に位置する[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]から呼び寄せた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:援軍を出したという口実のもと、翌年カエサルがブリタンニアに侵攻することになる。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|thumb|right|600px|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
]]
|}
</div>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2022-07-02}}</span>
'''カエサルの開戦への大義名分'''
*Erant hae difficultates belli gerendi, quas supra ostendimus,
**上で指摘したような、戦争を遂行することの困難さがあった。
*sed tamen multa Caesarem ad id bellum incitabant:
**にもかかわらず、多くのことがカエサルをその戦争へと駆り立てていたのだ。
*iniuria retentorum equitum Romanorum,
**①ローマ人の[[w:エクィテス|騎士]]〔騎士階級の者〕たちが拘束されることの無法さ、
*rebellio facta post deditionem,
**②降伏の後でなされた造反、
*defectio datis obsidibus,
**③人質を供出しての謀反、
*tot civitatum coniuratio,
**④これほど多くの部族の共謀、
*in primis ne hac parte neglecta reliquae nationes sibi idem licere arbitrarentur.
**⑤何よりも第一に、この地方をなおざりにして、残りの種族が自分たちも同じことを許容されると思い込まないように。
*Itaque cum intellegeret
**そこで、(カエサルは以下のように)認識していたので、
*omnes fere Gallos novis rebus studere et ad bellum mobiliter celeriterque excitari,
**①ほぼすべてのガリア人が政変を熱望して、戦争へ簡単に速やかに奮い立たせられていること、
*omnes autem homines natura libertati studere incitari et condicionem servitutis odisse,
**②他方ですべての人間は本来的に自由を熱望することに扇動され、隷属の状態を嫌っていること、
*prius quam plures civitates conspirarent,
**多くの部族が共謀するより前に、
*partiendum sibi ac latius distribuendum exercitum putavit.
**(カエサルは)自分にとって軍隊が分けられるべき、より広範に割り振られるべきであると考えた。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2022-07-03}}</span>
'''ラビエーヌス、クラッスス、サビーヌス、ブルートゥスを前線へ派兵する'''
<br><br>
; 副官ラビエーヌスをトレウェリー族のもとへ遣わす
*Itaque [[wikt:en:Titum|T.]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] legatum in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]], qui proximi flumini Rheno sunt, cum equitatu mittit.
**こうして、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]をレーヌス川〔[[w:ライン川|ライン川]]〕に最も近いトレーウェリー族に、騎兵隊とともに派遣する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Titus Labienus|Titus Labienus]] は、『ガリア戦記』におけるカエサルの片腕。<br> ''[[w:en:Treveri|Treveri]]'' はローマの同盟部族だが、[[ガリア戦記_第5巻|第5巻]]・[[ガリア戦記_第6巻|第6巻]]で挙兵する。)</span>
*Huic mandat,
**彼に(以下のように)命じる。
*[[wikt:en:Remi#Latin|Remos]] reliquosque [[wikt:en:Belgas|Belgas]] adeat atque in officio contineat
**①レーミー族やほかの[[w:ベルガエ|ベルガエ人]]を訪れて、<ruby><rb>忠実さ</rb><rp>(</rp><rt>オッフィキウム</rt><rp>)</rp></ruby>に留めるように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Remi|Remi]]'' は、ローマの同盟部族で、[[ガリア戦記_第2巻#3節|第2巻3節]]以降で言及された。)</span>
*[[wikt:en:Germanos|Germanos]]que, qui auxilio a Gallis arcessiti dicebantur,
**②ガッリア人により援兵として呼び寄せられたといわれていた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第1巻で言及された[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]の軍勢のこと。)</span>
*si per vim navibus flumen transire conentur, prohibeat.
**(彼らが)もし力ずくで船で川を渡ることを試みるならば、防ぐように、と。
<br>
; クラッスス青年をアクィーターニアに派遣する
*[[wikt:en:Publium|P.]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crassum]] cum cohortibus legionariis XII(duodecim) et magno numero equitatus in Aquitaniam proficisci iubet,
**[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プーブリウス・クラッスス]]には、軍団の12個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>と多数の騎兵隊とともに、[[w:アクィタニア|アクィーターニア]]に出発することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Publius Licinius Crassus|Publius Licinius Crassus]]、[[#7節]]から既述。)</span>
*ne ex his nationibus auxilia in Galliam mittantur ac tantae nationes coniungantur.
**これらの種族から援兵がガッリアに派遣され、これほど多くの諸部族が結託することがないように。
<br>
; 副官サビーヌスを3個軍団とともに[[w:アルモリカ|アルモリカ]]北部へ派兵する
*[[wikt:en:Quintum#Latin|Q.]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurium]] Sabinum legatum cum legionibus tribus
**副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス]]を3個軍団とともに
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Quintus Titurius Sabinus|Quintus Titurius Sabinus]]'' は[[ガリア戦記_第2巻#5節|第2巻5節]]から言及されている『ガリア戦記』前半で活躍する副官。)</span>
*in [[wikt:en:Unelli#Latin|Unellos]](Venellos), Coriosolităs [[wikt:en:Lexovii#Latin|Lexovios]]que mittit, qui eam manum distinendam curet.
**ウネッリー族・コリオソリテース族・レクソウィイー族に派遣して、彼らの手勢を分散させるべく配慮するように。
<br>
; ブルートゥス青年をウェネティー族領へ派兵する
*[[wikt:en:Decimus#Latin|D.]] [[wikt:en:Brutum|Brutum]] adulescentem classi Gallicisque navibus,
**[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス青年]]に、(ローマの)艦隊とガッリア人の船団を、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]] は、カエサルの副官として活躍するが、後に暗殺に加わる。)</span>
*quas ex [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictonibus]] et [[wikt:en:Santoni#Latin|Santonis]] reliquisque pacatis regionibus convenire iusserat,
**──これら(船団)はピクトネース族・サントニー族やほかの平定された地方から集まるように命じていたものであるが、──
*praeficit et, cum primum possit, in [[wikt:en:Veneti#Latin|Venetos]] proficisci iubet.
**(ブルートゥスに船団を)指揮させて、できるだけ早く[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領土)に出発することを命じる。
<br>
*Ipse eo pedestribus copiis contendit.
**(カエサル)自身は、そこへ歩兵の軍勢とともに急ぐ。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2022-07-09}}</span>
'''ウェネティー族の城塞都市の地勢、海洋民の機動性'''
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|thumb|right|350px|ウェネティー族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形]]
|}
</div>
*Erant [[wikt:en:eiusmodi|eiusmodi]] fere situs oppidorum,
**([[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の地勢はほぼ以下のようであった。
*ut posita in extremis [[wikt:en:lingula#Latin|lingulis]] [[wikt:en:promunturium#Latin|promunturiis]]que
**<ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>リングラ</rt><rp>)</rp></ruby>や[[w:岬|岬]]の先端部に位置しているので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:lingula#Latin|lingula]] ⇒ [[w:la:Lingua terrae|lingua terrae]] (舌状地) ≒ <ruby><rb>[[w:砂嘴|砂嘴]]</rb><rp>(</rp><rt>さし</rt><rp>)</rp></ruby>(くちばし状の砂地)。)</span>
*neque pedibus aditum haberent, cum ex alto se [[wikt:en:aestus#Latin|aestus]] incitavisset,
**沖合から<ruby><rb>[[w:潮汐|潮 汐]]</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が押し寄せて来たとき<span style="color:#009900;">〔満潮〕</span>に、徒歩での<ruby><rb>接近路</rb><rp>(</rp><rt>アプローチ</rt><rp>)</rp></ruby>を持っていなかった。
*quod bis accidit semper horarum XII(duodenarum) spatio,
**というのは<span style="color:#009900;">(満潮が毎日)</span>2度、常に12時間の間隔で起こるためである。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|thumb|right|600px|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。]]
|}
</div>
*neque navibus,
**船で(のアプローチ)もなく、
*quod rursus minuente aestu naves in vadis adflictarentur.
**というのは、潮が再び減ると<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>、船団が[[w:浅瀬|浅瀬]]で損傷してしまうためである。
*Ita utraque re oppidorum oppugnatio impediebatur;
**このように<span style="color:#009900;">(陸路・海路)</span>どちらの状況においても、<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の攻略は妨げられていた。
<br><br>
*ac si quando magnitudine operis forte superati,
**あるとき、期せずして<span style="color:#009900;">(ウェネティー族がローマ人の)</span><ruby><rb>構造物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>の大きさに圧倒されて、
*extruso mari aggere ac molibus
**<span style="color:#009900;">(ローマ人が建造した)</span><ruby><rb>土手</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:防波堤|防波堤]]</rb><rp>(</rp><rt>モーレース</rt><rp>)</rp></ruby>により海水が押し出され、
*atque his oppidi moenibus adaequatis,
**これら<span style="color:#009900;">〔堡塁〕</span>が<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁と<span style="color:#009900;">(高さにおいて)</span>等しくされ、
*suis fortunis desperare coeperant,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族らが)</span>自分たちの命運に絶望し始めていたとしても、
*magno numero navium adpulso,
**船の多数を接岸して、
*cuius rei summam facultatem habebant,
**それら〔船〕の供給に最大の備えを持っていたので、
*omnia sua deportabant seque in proxima oppida recipiebant;
**自分たちの<ruby><rb>一切合財</rb><rp>(</rp><rt>オムニア</rt><rp>)</rp></ruby>を運び去って、最も近い<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>に撤収していた。
*ibi se rursus isdem opportunitatibus loci defendebant.
**そこにおいて再び同じような地の利によって防戦していたのだ。
<br><br>
*Haec [[wikt:en:eo#Latin|eo]] facilius magnam partem aestatis faciebant,
**以上のことが、夏の大部分を<span style="color:#009900;">(ウェネティー族にとって)</span>より容易にしていた。
*quod nostrae naves [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatibus]] detinebantur,
**なぜなら、我が方〔ローマ人〕の船団は嵐により<span style="color:#009900;">(航行を)</span>阻まれており、
*summaque erat
**<span style="color:#009900;">(航行することの困難さが)</span>非常に大きかった。
*vasto atque aperto mari,
**海は広大で開けており、
*magnis aestibus,
**<ruby><rb>潮流</rb><rp>(</rp><rt>アエトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>が激しく、
*raris ac prope nullis portibus
**港は<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>まば</rt><rp>)</rp></ruby>らでほとんどないので、
*difficultas navigandi.
**航行することの困難さが<span style="color:#009900;">(非常に大きかった)</span>。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2022-07-10}}</span>
'''ウェネティー族の帆船の特徴'''
<div style="background-color:#ededed; width:90%; text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)
| rowspan="2" style="background-color:#fff;" |
| rowspan="2" style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navis longa ja.JPG|thumb|right|350px|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成]]
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete.svg|thumb|right|200px|一つの帆をもつ帆船の例]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Navire venete 2.svg|thumb|right|200px|二つの帆をもつ帆船の例]]
|}
</div>
*Namque ipsorum naves ad hunc modum factae armataeque erant:
**これに対して彼ら<span style="color:#009900;">〔[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]〕</span>自身の[[w:帆船|船]]は、以下のやり方で建造され、<ruby><rb>[[w:艤装|艤装]]</rb><rp>(</rp><rt>ぎそう</rt><rp>)</rp></ruby>されていた。
; 竜骨
*[[wikt:en:carina#Latin|carinae]] [[wikt:en:aliquanto|aliquanto]] planiores quam nostrarum navium,
**<ruby><rb>[[w:竜骨 (船)|竜 骨]]</rb><rp>(</rp><rt>カリーナ</rt><rp>)</rp></ruby>は、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ人〕</span>の船のものよりも、いくらか平らで、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:竜骨 (船)|竜骨]]は、船底に突き出た背骨部分で、[[w:帆船|帆船]]が風で横滑りしないように造られていた。)</span>
*quo facilius vada ac decessum aestus excipere possent;
**それによって、より容易に[[w:浅瀬|浅瀬]] や [[w:潮汐|潮]]が退くこと<span style="color:#009900;">〔干潮〕</span>を持ち応えることができた。
; 船首と船尾
*[[wikt:en:prora#Latin|prorae]] admodum erectae atque item [[wikt:en:puppis|puppes]],
**<ruby><rb>[[w:船首|船 首]]</rb><rp>(</rp><rt>プローラ</rt><rp>)</rp></ruby>はまったく直立しており、<ruby><rb>[[w:船尾|船 尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby>も同様で、
*ad magnitudinem fluctuum tempestatumque adcommodatae;
**<ruby><rb>[[w:波#波浪(風浪とうねり)|波 浪]]</rb><rp>(</rp><rt>フルークトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:嵐|暴風雨]]</rb><rp>(</rp><rt>テンペスタース</rt><rp>)</rp></ruby> の激しさに適応していた。
; 船体の材質
*naves totae factae ex [[wikt:en:robur#Latin|robore]] ad quamvis vim et contumeliam perferendam;
**船は、どんな力や衝撃にも耐えるために、全体として[[w:オーク|オーク材]]で造られていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:la:robur|robur]] は ''[[wikt:en:oak#English|oak]]'' と英訳され、[[w:樫#Japanese|樫]]と訳されることが多いが、<br> 「<ruby><rb>[[w:カシ|樫]]</rb><rp>(</rp><rt>カシ</rt><rp>)</rp></ruby>」は常緑樹であり、西洋では落葉樹である「<ruby><rb>[[w:ナラ|楢]]</rb><rp>(</rp><rt>ナラ</rt><rp>)</rp></ruby>」が多い。<br> 学名 [[w:la:Quercus robur|Quercus robur]] は「[[w:ヨーロッパナラ|ヨーロッパナラ]]」と訳される。)</span>
; 横梁
*[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] ex pedalibus in altitudinem [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]], confixa [[wikt:en:clavus#Latin|clavis]] [[wikt:en:ferreus#Latin|ferreis]] digiti [[wikt:en:pollex#Latin|pollicis]] crassitudine;
**<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>トラーンストルム</rt><rp>)</rp></ruby>は、1ペースの幅の<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>からなり、親指の太さほどの鉄製の[[w:釘|釘]]で固定されていた。
**:<span style="font-family:Times New Roman;color:#009900;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cm。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:transtrum#Latin|transtra]] は、<ruby><rb>[[w:マスト|帆柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マスト</rt><rp>)</rp></ruby>([[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malus]])を船に固定するための<ruby><rb>横梁(横木)</rb><rp>(</rp><rt>クロスビーム</rt><rp>)</rp></ruby>とも考えられる。)</span>
; 錨(いかり)の索具
*[[wikt:en:ancora#Latin|ancorae]] pro [[wikt:en:funis#Latin|funibus]] ferreis catenis revinctae;
**<ruby><rb>[[w:錨|錨]]</rb><rp>(</rp><rt>アンコラ</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>[[w:ロープ|縄 索]]</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに鉄製の[[w:鎖|鎖]]でつながれていた。
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|thumb|right|180px|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Cordage en chanvre.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Old chain.jpg|thumb|right|150px|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])]]
|}
</div>
<br>
; 帆の材質
*[[wikt:en:pellis#Latin|pelles]] pro [[wikt:en:velum#Latin|velis]] [[wikt:en:aluta#Latin|alutae]]que tenuiter confectae,
**<ruby><rb>[[w:帆布|帆 布]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>の代わりに<ruby><rb>[[w:毛皮|毛皮]]</rb><rp>(</rp><rt>ペッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や、薄く作製された<ruby><rb>なめし皮</rb><rp>(</rp><rt>アルータ</rt><rp>)</rp></ruby>が(用いられた)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pellis#Latin|pellis]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>していない生皮、[[wikt:en:aluta#Latin|aluta]] は<ruby><rb>鞣</rb><rp>(</rp><rt>なめ</rt><rp>)</rp></ruby>した[[w:皮革|皮革]] [[wikt:en:corium#Latin|corium]] のこと。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:600px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Linen canvas.jpg|thumb|right|150px|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]] ]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|thumb|right|100px|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])]]
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|thumb|right|200px|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])]]
|}
</div>
*[hae] sive propter inopiam [[wikt:en:linum#Latin|lini]] atque eius usus inscientiam,
**[これは] あるいは、<ruby><rb>[[w:アマ (植物)|亜麻]]</rb><rp>(</rp><rt>リーヌム</rt><rp>)</rp></ruby>の不足ゆえや、その利用に無知であるゆえか、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人には、[[w:リネン|亜麻布 (リネン)]]で帆を作る慣習があった。)</span>
*sive eo, quod est magis [[wikt:en:verisimilis#Latin|veri simile]],
**あるいは、この方がより真実に近いのだろうが、
*quod tantas tempestates Oceani tantosque impetus ventorum sustineri
**<ruby><rb>[[w:オーケアノス|大洋]]〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>のあれほどの嵐や、風のあれほどの激しさに持ち応えること、
*ac tanta onera navium regi
**船のあれほどの重さを制御することは、
*[[wikt:en:velum#Latin|velis]] non satis commode posse arbitrabantur.
**<ruby><rb>帆 布</rb><rp>(</rp><rt>ウェールム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって十分に具合良くできないと、<span style="color:#009900;">(ウェネティー族は)</span>考えていたためであろう。
<br><br>
; ウェネティー船団とローマ艦隊の優劣
*Cum his navibus nostrae classi eiusmodi congressus erat,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団と、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ軍〕</span>の艦隊は、以下のように交戦していた。
*ut una celeritate et pulsu remorum praestaret,
**迅速さと<ruby><rb>[[w:櫂|櫂]](かい)</rb><rp>(</rp><rt>レームス</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>漕</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐのだけは<span style="color:#009900;">(ローマ艦隊が)</span>よりまさっていたのだが、
*reliqua pro loci natura, pro vi tempestatum
**そのほかのことは、地勢や嵐の勢いを考慮すると、
*illis essent aptiora et adcommodatiora.
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>にとってより適しており、より好都合であった。
*Neque enim his nostrae rostro nocere poterant
**なぜなら、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>の<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>によって彼ら<span style="color:#009900;">(の船)</span>に対して損壊することができず、
*── tanta in iis erat firmitudo ──,
**──それら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族の船〕</span>においては<span style="color:#009900;">(船体の)</span>それほどの頑丈さがあったのだが──
*neque propter altitudinem facile telum adigebatur,
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船体の)</span>高さのゆえに、飛道具がたやすく投げ込まれなかったし、
*et eadem de causa minus commode <u>[[wikt:en:copula#Latin|copulis]]</u> continebantur.
**同じ理由から、あまり都合よく <ruby><rb><u>[[w:鉤縄|鉤縄]]</u></rb><rp>(</rp><rt>かぎなわ</rt><rp>)</rp></ruby> で<span style="color:#009900;">(敵船が)</span>つなぎ止められなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、古い写本では [[wikt:en:scopulus#Latin|scopulis]]「岩礁」だが、<br> 後代の写本で修正され「[[w:鉤縄|鉤縄]]」と解釈されている。下図参照。)</span>
<div style="background-color:#eee; width:350px; text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:bottom;" |[[画像:Grappling hook 2 (PSF).png|thumb|right|410px|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。]]
|}
</div>
*Accedebat ut,
**さらに加えて、
*cum <span style="color:#009900;">[</span>saevire ventus coepisset et<span style="color:#009900;">]</span> se vento dedissent,
**<span style="color:#009900;">[</span>風が荒々しく吹き始めて<span style="color:#009900;">]</span> 風に身を委ねて<span style="color:#009900;">(航行して)</span>いたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:β系写本では [ ] 部分を欠く。)</span>
*et tempestatem ferrent facilius
**<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の船団は)</span>嵐により容易に耐えていたし、
*et in vadis consisterent tutius
**浅瀬により安全に停留して、
*et ab aestu relictae
**潮に取り残されても、
*nihil saxa et [[wikt:en:cautes#Latin|cautes]] timerent;
**岩石やごつごつした石を何ら恐れることがなかった。
*quarum rerum omnium nostris navibus casus erant extimescendi.
**それらのすべての事が、我が<span style="color:#009900;">〔ローマ人の〕</span>船団にとっては、恐怖すべき危険であったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェネティー族の船は[[w:竜骨 (船)|竜骨]]がローマ人の船より平たいため、<br> 浅瀬や引き潮を容易に持ち応えられた。本節の冒頭を参照。)</span>
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2022-07-17}}</span>
'''カエサル待望のブルートゥスの艦隊が来航し、ウェネティー族との海戦が始まる'''
*Compluribus expugnatis oppidis
**いくつもの<span style="color:#009900;">(ウェネティー族の)</span><ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が攻略されると、
*Caesar <u>ubi intellexit</u> frustra tantum laborem sumi
**カエサルは、これほどの労苦が徒労になること(を知り)、
*neque hostium fugam captis oppidis reprimi
**(すなわち)<ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>が占領されても、敵の逃亡が妨げられないし、
*neque iis noceri posse,
**彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>に損害が与えられることも不可能である<u>と知るや否や</u>、
*statuit exspectandam classem.
**[[w:ローマ海軍|艦隊]]<span style="color:#009900;">(の到着)</span>を待つことを決意した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船がリゲル川〔[[w:ロワール川|ロワール川]]〕で建造されていることが[[#9節|9節]]で述べられた。)</span>
<br>
; ローマ艦隊が来航すると、約220隻のウェネティー船団が迎え撃とうとする
*Quae ubi convenit ac primum ab hostibus visa est,
**これら<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>が集結して敵方により目撃されるや否や、
*circiter CCXX(ducentae viginti) naves eorum paratissimae
**約220隻の彼ら<span style="color:#009900;">〔ウェネティー族〕</span>の船団が準備を整え、
*atque omni genere armorum ornatissimae
**あらゆる種類の武器が完備された状態で
*ex portu profectae nostris adversae constiterunt;
**港から出航して、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>と向かい合って布陣した。
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bataille Morbihan -56.png|thumb|right|600px|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。]]
|}
</div>
*neque satis [[wikt:en:Brutus#Latin|Bruto]], qui classi praeerat,
**艦隊を指揮していた[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|ブルートゥス]]には十分(明らか)ではなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デキムス・ブルートゥス [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Decimus Brutus]] に艦隊を指揮させることが[[#11節|11節]]で述べられた。)</span>
*vel tribunis militum centurionibusque, quibus singulae naves erant attributae,
**あるいは、個々の船が割り当てられていた <ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> や <ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby> にとってさえも、
*constabat quid agerent aut quam rationem pugnae insisterent.
**何を行なうべきなのか、どのような戦法を採用するべきなのか、明らかではなかった。
*[[wikt:en:rostrum#Latin|Rostro]] enim noceri non posse cognoverant;
**なぜなら、<ruby><rb>[[w:衝角|衝 角]]</rb><rp>(</rp><rt>ローストルム</rt><rp>)</rp></ruby>にとって<span style="color:#009900;">(敵船に)</span>損害を与えることができないことを知っていたからだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#13節|前節]]で、ウェネティー族の船体が頑丈であるため、と述べられた。)</span>
*turribus autem excitatis tamen has altitudo [[wikt:en:puppis#Latin|puppium]] ex barbaris navibus superabat,
**他方で、[[w:櫓|櫓]]が築かれたけれども、それら(の高さ)を蛮族の船の <ruby><rb>[[w:船尾|船尾]]</rb><rp>(</rp><rt>プッピス</rt><rp>)</rp></ruby> の高さが上回っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマの軍船の甲板上には、投槍などの飛道具を投げるために櫓が設けられていた。)</span>
*ut neque ex inferiore loco satis commode [[wikt:en:telum#Latin|tela]] adigi possent
**その結果、より低い場所から十分に具合良く<span style="color:#009900;">(敵船に)</span><ruby><rb>[[w:飛び道具|飛道具]]</rb><rp>(</rp><rt>テールム</rt><rp>)</rp></ruby>が投げ込まれることは不可能で、
*et missa a Gallis gravius acciderent.
**ガッリア人により放られたものがより激しく降ってきていた。
<br>
; ローマ艦隊の切り札
*Una erat magno usui res praeparata a nostris,
**ただ一つの大いに役立つ物が、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ艦隊〕</span>によって準備されていた。
*[[wikt:en:falx#Latin|falces]] praeacutae insertae adfixaeque longuriis,
**先の尖った[[w:鎌|鎌]]が挿入されて長い竿に固定されたもので、
*non absimili forma muralium falcium.
**<ruby><rb>破 城 の 鎌</rb><rp>(</rp><rt>ファルクス・ムーラーリス</rt><rp>)</rp></ruby>に良く似た形のものである。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:攻城用の「破城鎌」'''[[古代ローマの攻城兵器#falx_muralis_(siege_hook)|falx muralis]]''' に似たもので、'''[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/古代ローマの攻城兵器#falx_navalis|falx navalis]]''' とも呼ばれている。)</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381)(cropped).jpg|thumb|right|300px|破城鎌の復元画の例]]
|[[画像:Ulysse bateau.jpg|thumb|right|320px|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])]]
|}
</div>
*His cum [[wikt:en:funis#Latin|funes]] qui [[wikt:en:antemna#Latin|antemnas]] ad [[wikt:en:malus#Etymology_3_2|malos]] destinabant, comprehensi adductique erant,
**これにより、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> を <ruby><rb>[[w:マスト|帆 柱]]</rb><rp>(</rp><rt>マールス</rt><rp>)</rp></ruby> に結びつけていた <ruby><rb>綱具</rb><rp>(</rp><rt>フーニス</rt><rp>)</rp></ruby> にひっかけて引っ張るたびに、
*navigio remis incitato praerumpebantur.
**[[w:櫂|櫂]]によってすばやく航行すると、(帆綱は)引きちぎられた。
*Quibus abscisis antemnae necessario concidebant,
**これら<span style="color:#009900;">〔帆綱〕</span>が切れると、<ruby><rb>帆 桁</rb><rp>(</rp><rt>アンテムナ</rt><rp>)</rp></ruby> は必然的に倒れて、
*ut, cum omnis Gallicis navibus spes in velis armamentisque consisteret,
**その結果、ガリア人のすべての船にとって、期待は帆と[[w:索具|索具]]に基づいていたので、
*his ereptis omnis usus navium uno tempore eriperetur.
**これをちぎり取られて、船の運用(能力)も奪い取られた。
*Reliquum erat certamen positum in virtute, qua nostri milites facile superabant,
**残りの争闘は武勇いかんにかかっており、我が方<span style="color:#009900;">〔ローマ勢〕</span>の兵士がはるかに上回った。
<br>
; 沿岸はカエサルとローマ軍によって占領されていた
*atque eo magis quod in conspectu Caesaris atque omnis exercitus res gerebatur,
**カエサルと全軍の眺望の中で、それだけ大きく、事(戦闘)が遂行されたので、
*ut nullum paulo fortius factum latere posset;
**どんな力強い動作も知られずにいることができないほどであった。
*omnes enim colles ac loca superiora, unde erat propinquus despectus in mare, ab exercitu tenebantur.
**なぜなら、そこから間近に海を見下ろすすべての丘とより高い場所は、<span style="color:#009900;">(ローマ人の)</span>軍隊によって占領されていたのである。
<!--
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
'''海戦が終わる'''
*Deiectis, ut diximus, antemnis,
**上述したように帆桁がぶっ倒れて、
*cum singulas binae ac ternae naves circumsteterant,
**(ウェネティー族の船)1艘ずつを(ローマの)2艘ずつや3艘ずつの船が攻囲して、
*milites summa vi transcendere in hostium naves contendebant.
**(ローマの)兵士たちは最高の力で敵の船に乗り移ることに努めた。
*Quod postquam barbari fieri animadverterunt,
**そのことが行なわれていると蛮族が気づいた後で、
*expugnatis compluribus navibus,
**いくつもの(ウェネティー族の)船が攻略されて、
*cum ei rei nullum reperiretur auxilium,
**この事態に対して何ら助けを見出せなかったので、
*fuga salutem petere contenderunt.
**逃亡に身の安全を求めることに努めた。
*Ac iam conversis in eam partem navibus quo ventus ferebat,
**ちょうど風が運んでいた方角へ船の向きを変えたが、
*tanta subito malacia ac tranquillitas exstitit,
**突然に大きく[[w:凪|凪]]や静けさが生じて、
*ut se ex loco movere non possent.
**(ウェネティー族が)その場所から動くことができないほどであった。
*Quae quidem res ad negotium conficiendum maximae fuit oportunitati:
**このような事態はまさに仕事(軍務)を遂行するのに最大の機会であった。
*nam singulas nostri consectati expugnaverunt,
**というのも(敵船)1つずつを我が方が追跡して攻略して、
*ut perpaucae ex omni numero noctis interventu ad terram pervenirent,
**その結果、総勢のうちから非常にわずかな数の者たちが、夜のとばりに包まれて、陸地に達したのだ。
*cum ab hora fere IIII{quarta}. usque ad solis occasum pugnaretur.
**なぜなら(海戦が)ほぼ第四時から日が没するまで絶えず戦われたからだ。
**:(訳注:第四時は、古代ローマの不定時法で、午前9時~10時頃と思われる。)
===16節===
'''ウェネティー族の行末'''
*Quo proelio bellum Venetorum totiusque orae maritimae confectum est.
**以上の戦闘で、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]およびすべての沿岸住民との戦争が完遂された。
*Nam cum omnis iuventus, omnes etiam gravioris aetatis,
**なぜなら、すべての青年とすべての年嵩の者さえも、
*in quibus aliquid consilii aut dignitatis fuit eo convenerant,
**何らかの見識や品位のあった者たちは、そこ(戦場)へ集まっていたからだ。
*tum navium quod ubique fuerat in unum locum coegerant;
**そのとき、至る所にあった船が一つの場所に集められていたのだ。
*quibus amissis reliqui neque quo se reciperent neque quemadmodum oppida defenderent habebant.
**以上のものを喪失して、残存者たちは、どこへ退くかも、どんな方法で城市を防衛するかもわからなかった。
*Itaque se suaque omnia Caesari dediderunt.
**こうして、彼らとそのすべてのものをカエサルに委ねた(降伏した)。
*In quos eo gravius Caesar vindicandum statuit
**これらのものを、カエサルはより厳重に処罰すると決定した。
*quo diligentius in reliquum tempus a barbaris ius legatorum conservaretur.
**将来、蛮族により(ローマの)使節の権利をいっそう保たせるように。
*Itaque omni senatu necato reliquos sub corona vendidit.
**こうして、すべての長老を殺害して、残りの者たちを奴隷として売却した。
**(訳注:sub corona vendere;葉冠のもとに売る=奴隷として売る)
==大西洋岸ウネッリ族の造反==
===17節===
[[画像:Campagne Unelles -56.png|thumb|right|200px|ウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。]]
'''ウネッリ族の反乱とサビヌスの作戦'''
*Dum haec in Venetis geruntur,
**以上のことが[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]](の領国)で行なわれていた間に、
*Q. Titurius Sabinus cum iis copiis, quas a Caesare acceperat
**[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス]]は、カエサルから受け取った軍勢とともに
*in fines Unellorum{Venellorum} pervenit.
**[[w:ウネッリ族|ウネッリ族]]の領土に到着した。
*His praeerat Viridovix ac summam imperii tenebat earum omnium civitatum, quae defecerant,
**彼ら(ウネッリ族)を指揮していたのは[[w:ウィリドウィクス|ウィリドウィクス]]で、背反した全部族の最高指揮権を保持していた。
*ex quibus exercitum [magnasque copias] coegerat;
**(彼は)これら(の部族)から大軍勢を徴集した。
*atque his paucis diebus Aulerci Eburovices Lexoviique,
**それから数日内に、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:エブロウィケス族|エブロウィケス族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]は、
*senatu suo interfecto, quod auctores belli esse nolebant,
**自分たちの長老たちを、戦争の首謀者になることを欲しなかったという理由で殺害し、
*portas clauserunt seseque cum Viridovice coniunxerunt;
**(城市の)門を閉じて、彼らはウィリドウィクスと結託した。
*magnaque praeterea multitudo undique ex Gallia perditorum hominum latronumque convenerat,
**そのうえにガリアの至る所から大勢の無頼漢や略奪者が集まっていた。
*quos spes praedandi studiumque bellandi ab agri cultura et cotidiano labore revocabat.
**これらの者たちを、略奪への期待と戦争への熱望が、農耕や毎日の仕事から呼び戻したのだ。
*Sabinus idoneo omnibus rebus loco castris se tenebat,
**サビヌスはすべての事柄において適切な場所で、陣営を保持した。
*cum Viridovix contra eum duorum milium spatio consedisset
**ウィリドウィクスは彼に対抗して2[[w:ローママイル|ローママイル]](約3km)の間隔で陣取って、
*cotidieque productis copiis pugnandi potestatem faceret,
**毎日、軍勢を連れ出して戦闘の機会を作った。
*ut iam non solum hostibus in contemptionem Sabinus veniret,
**その結果ついに、敵からサビヌスが軽蔑されるに至ったのみならず、
*sed etiam nostrorum militum vocibus nonnihil carperetur;
**我が方(ローマ)の兵士からも若干の者が声に出して嘲弄するに至った。
*tantamque opinionem timoris praebuit,
**これほどの恐れの評判を呈したので、
*ut iam ad vallum castrorum hostes accedere auderent.
**ついに陣営の堡塁のところにまで敵が敢えて近づいて来るほどであった。
*Id ea de causa faciebat
**(サビヌスは)以上のことを以下の理由でしたのである。
*quod cum tanta multitudine hostium,
**というのも、このような大がかりな敵とともに、
*praesertim eo absente qui summam imperii teneret,
**とりわけ、(ローマ側の)最高指揮権を保持する者(=カエサル)がおらずに、
*nisi aequo loco aut opportunitate aliqua data
**有利な場所か何らかの機会が与えられなければ、
*legato dimicandum non existimabat.
**総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])にとって戦うべきとは考えなかったのである。
===18節===
'''サビヌスの計略'''
*Hac confirmata opinione timoris
**このような恐れの評判が強められて、
*idoneum quendam hominem et callidum delegit Gallum,
**(サビヌスは)適切で明敏なガリア人のある男を選び出した。
*ex iis quos auxilii causa secum habebat.
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])のために保持していた者たちの内から。
*Huic magnis praemiis pollicitationibusque persuadet uti ad hostes transeat,
**この者を、多大なほうびを約束して、敵側に渡るように説得して、
*et quid fieri velit edocet.
**(サビヌスが)なされんと欲することを説き教えた。
*Qui ubi pro perfuga ad eos venit, timorem Romanorum proponit,
**その者は、逃亡兵として彼ら(ウネッリ族)のところへ来るや否や、ローマ人の恐れを申し述べた。
*quibus angustiis ipse Caesar a Venetis prematur docet,
**いかなる困窮で、カエサル自身が[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]により苦戦させられているかを教えた。
*neque longius abesse, quin proxima nocte
**遠からず、明晩には
*Sabinus clam ex castris exercitum educat
**サビヌスはひそかに陣営から軍隊を導き出して、
*et ad Caesarem auxilii ferendi causa proficiscatur.
**カエサルのところへ支援をもたらすために出発するであろう(とその男は教えた)。
*Quod ubi auditum est, conclamant
**このことが聞かれるや否や、(ウネッリ族の者たちは)叫び声を上げて、
*omnes occasionem negotii bene gerendi amittendam non esse: ad castra iri oportere.
**うまく仕事をするすべての機会を失うべきではない、(ローマの)陣営へ行かねばならぬ(と叫んだ)。
*Multae res ad hoc consilium Gallos hortabantur:
**多くの事柄が、この計画へとガリア人を励ました。
**(それらの事柄とは、以下のことである。)
*superiorum dierum Sabini cunctatio,
**最近の日々のサビヌスのためらい、
*perfugae confirmatio,
**脱走兵の確証、
*inopia cibariorum, cui rei parum diligenter ab iis erat provisum,
**彼ら(ガリア人)によって充分に入念に調達されなかった糧食の欠乏、
*spes Venetici belli,
**[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]の戦争への希望、
*et quod fere libenter homines id quod volunt credunt.
**というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
*His rebus adducti non prius Viridovicem reliquosque duces ex concilio dimittunt,
**これらの事態に引かれて、(ウネッリ族は)ウィリドウィクスや他の指導者を会議から解散させなかった。
*quam ab his sit concessum arma uti capiant et ad castra contendant.
**彼らによって、武器を取って(ローマ)陣営へ急行するように容認されるまでは。
*Qua re concessa laeti, ut explorata victoria,
**この事が容認されて、勝利が得られたかのように喜んで、
*sarmentis virgultisque collectis, quibus fossas Romanorum compleant, ad castra pergunt.
**柴や薮を集めて、これでもってローマ人の堀を埋めるべく、(ローマの)陣営のところへ出発した。
===19節===
'''ウネッリ族らとの決戦'''
*Locus erat castrorum editus et paulatim ab imo acclivis circiter passus mille.
**ローマ陣営の位置は高く、最も下(麓)から緩やかな上り坂で約1000[[w:パッスス|パッスス]](約1.5km)のところにあった。
*Huc magno cursu contenderunt,
ここへ、大いに駆けて急いで、
*ut quam minimum spatii ad se colligendos armandosque Romanis daretur,
**ローマ人にとって集結して武装するための時間ができるだけ与えられないようにして、
*exanimatique pervenerunt.
**息を切らして到着した。
*Sabinus suos hortatus cupientibus signum dat.
**サビヌスは、自分の部下たちを励まして、はやる者たちに合図を与える。
*Impeditis hostibus propter ea quae ferebant onera,
**敵は、彼らが担いでいた重荷のために妨げられていて、
*subito duabus portis eruptionem fieri iubet.
**(サビヌスは)突然に(左右の)二つの門から出撃することを命じた。
*Factum est
**(ut以下のことが)なされた。
*opportunitate loci, hostium inscientia ac defatigatione,
**場所の有利さ、敵の(武具や戦術の)不案内と疲労や、
*virtute militum et superiorum pugnarum exercitatione,
**兵士の武勇とかつての戦闘の熟練によって
*ut ne primum quidem nostrorum impetum ferrent ac statim terga verterent.
**我が方(ローマ)の最初の襲撃さえ持ちこたえることなく、(敵は)すぐに背を向けた。
*Quos impeditos integris viribus milites nostri consecuti
**これらの妨げられている者たちを、健全な力で我が方の兵士たちが追跡して、
*magnum numerum eorum occiderunt;
**彼らの大多数を殺戮した。
*reliquos equites consectati paucos, qui ex fuga evaserant, reliquerunt.
**残りの者たちは、(ローマの)騎兵が追跡したが、逃亡によって逃れたので、見逃した。
*Sic uno tempore et de navali pugna Sabinus et de Sabini victoria Caesar est certior factus,
**このようにして一度に、海戦についてサビヌスが、サビヌスの勝利についてカエサルが、報告を受けて、
*civitatesque omnes se statim Titurio dediderunt.
**(敵の)全部族がすぐにティトゥリウス(・サビヌス)に降伏した。
*Nam ut ad bella suscipienda Gallorum alacer ac promptus est animus,
**こうなったのは、ガリア人は戦争を実行することについては性急で、心は敏捷であるが、
*sic mollis ac minime resistens ad calamitates ferendas mens eorum est.
**と同様に柔弱で、災難に耐えるには彼らの心はあまり抵抗しないためである。
==クラッススのアクィタニア遠征==
===20節===
[[画像:Campagne Aquitains -56.png|thumb|right|200px|クラッススのアウィタニア遠征の経路。]]
'''クラッススのアクィタニア遠征、ソティアテス族'''
*Eodem fere tempore P. Crassus, cum in Aquitaniam pervenisset,
**ほぼ同じ時期に[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|プブリウス・クラッスス]]が[[w:アクィタニア|アクィタニア]]に達したときに、
*quae pars, ut ante dictum est, et regionum latitudine et multitudine hominum
**この方面は、前述のように、領域の広さと人間の多さで
*ex tertia parte Galliae est aestimanda,
**[[w:ガリア|ガリア]]の第三の部分であると考えられるべきであるが、
*cum intellegeret in illis locis sibi bellum gerendum,
**(クラッススは)かの場所で自らにとって戦争がなされるべきであると考えたので、
*ubi paucis ante annis L. Valerius Praeconinus legatus exercitu pulso interfectus esset
**そこでほんの数年前に[[w:ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス|ルキウス・ウァレリウス・プラエコニヌス]]総督副官([[w:レガトゥス|レガトゥス]])が軍隊を撃退されて殺害されており、
*atque unde L. Manlius proconsul impedimentis amissis profugisset,
**かつここから[[w:ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス|ルキウス・マンリウス]]執政官代理([[w:プロコンスル|プロコンスル]])が輜重を失って敗走しており、
*non mediocrem sibi diligentiam adhibendam intellegebat.
**己にとって尋常ならざる注意深さが適用されるべきだと考えたのだ。
*Itaque re frumentaria provisa, auxiliis equitatuque comparato,
**こうして糧食が調達され、支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])や[[w:騎兵|騎兵隊]]が整備され、
*multis praeterea viris fortibus Tolosa et Carcasone et Narbone,
**そのうえ多くの屈強な男たちが、[[w:トロサ|トロサ]]や[[w:カルカソ|カルカソ]]や[[w:ナルボ|ナルボ]]から
*- quae sunt civitates Galliae provinciae finitimae, ex his regionibus-
**<それらは、この地域に隣接する(ローマの)ガリア属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])の都市であるが、>
*nominatim evocatis, in Sotiatium fines exercitum introduxit.
**名指しで徴集されて、(クラッススは)[[w:ソティアテス族|ソティアテス族]]の領土に軍隊を導き入れた。
*Cuius adventu cognito Sotiates magnis copiis coactis,
**彼(クラッスス)の到着を知ると、ソティアテス族は大軍勢を集めて、
*equitatuque, quo plurimum valebant, in itinere agmen nostrum adorti
**それにより彼らが大いに力があったところの騎兵隊で、行軍中の我が(ローマの)隊列を襲って、
*primum equestre proelium commiserunt,
**はじめに騎兵戦を戦った。
*deinde equitatu suo pulso atque insequentibus nostris
**それから、その(敵の)騎兵隊が撃退され、我が方が追跡したが、
*subito pedestres copias, quas in convalle in insidiis conlocaverant, ostenderunt.
**突然に歩兵の軍勢 <[[w:峡谷|峡谷]]の中で[[w:伏兵|伏兵]]として配置していた者たち> が現われた。
*Iis nostros disiectos adorti proelium renovarunt.
**これらによって追い散らされた我が方(ローマ軍)に襲いかかり、戦いを再び始めた。
===21節===
'''ソティアテス族の敗勢'''
*Pugnatum est diu atque acriter,
**長く激しく戦われた。
*cum Sotiates superioribus victoriis freti
**というのもソティアテス族は、かつての(ローマ軍に対する)勝利を信頼しており、
*in sua virtute totius Aquitaniae salutem positam putarent,
**自分たちの武勇の中に全アクィタニアの安全が立脚していると、みなしていたからだ。
*nostri autem,
**我が方(ローマ軍)はそれに対して
*quid sine imperatore et sine reliquis legionibus adulescentulo duce efficere possent,
**最高司令官([[w:インペラトル|インペラトル]])なし、他の[[w:ローマ軍団|軍団]]もなしに、この若造(クラッスス)が指揮官として何をなしうるかが
*perspici cuperent;
**注視(吟味)されることを欲していたのだ。
*tandem confecti vulneribus hostes terga verterunt.
**ついに傷を負って、敵は背を向けた。
*Quorum magno numero interfecto
**これらの者の大多数を殺戮し、
*Crassus ex itinere oppidum Sotiatium oppugnare coepit.
**クラッススは行軍からただちにソティアテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]を攻撃し始めた。
*Quibus fortiter resistentibus vineas turresque egit.
**これらの者たちが勇敢に抵抗したので、(ローマ勢は)工作小屋([[w:ウィネア|ウィネア]])や[[w:櫓|櫓]]を(城の方に)導いた。
*Illi alias eruptione temptata, alias cuniculis ad aggerem vineasque actis
**彼ら(アクィタニア人)は、あるときは突撃を試みて、あるときは[[w:坑道|坑道]]を[[w:土塁|土塁]]や工作小屋のところへ導いた。
*- cuius rei sunt longe peritissimi Aquitani,
**<こういった事柄(坑道の技術)に、アクィタニア人は長らく非常に熟練している。
*propterea quod multis locis apud eos aerariae secturaeque sunt -,
**これは、彼らのもとの多くの場所に[[w:銅山|銅山]]や[[w:採石所|採石所]]があることのためである。>
*ubi diligentia nostrorum nihil his rebus profici posse intellexerunt,
**我が方の注意深さによってこのような事柄によっても何ら得られぬと考えるや否や、
*legatos ad Crassum mittunt, seque in deditionem ut recipiat petunt.
**(ソティアテス族は)使節をクラッススのところへ送って、自分たちを降伏へと受け入れるように求める。
*Qua re impetrata arma tradere iussi faciunt.
**この事が達せられ、武器の引渡しが命じられ、実行された。
===22節===
'''アディアトゥアヌスと従僕たちの突撃'''
*Atque in ea re omnium nostrorum intentis animis
**この事柄に我が方(ローマ勢)の皆が心から没頭しており、
*alia ex parte oppidi Adiatuanus, qui summam imperii tenebat,
**城市の他の方面から、最高指揮権を保持していた[[w:アディアトゥアヌス|アディアトゥアヌス]]が
*cum DC{sescentis} devotis, quos illi{Galli} soldurios appellant,
**ガリア人がソルドゥリイ(従僕)と呼んでいる600名の忠実な者とともに(突撃を試みた)。
'''アディアトゥアヌスの従僕たち'''
*- quorum haec est condicio,
**< これらの者たちの状況は以下の通りであった。
*uti omnibus in vita commodis una cum iis fruantur quorum se amicitiae dediderint,
**人生におけるあらゆる恩恵を、忠心に身を捧げる者たちと一緒に享受する。
*si quid his per vim accidat, aut eundem casum una ferant aut sibi mortem consciscant;
**もし彼らに何か暴力沙汰が起こったら、同じ運命に一緒に耐えるか、自らに死を引き受ける(自殺する)。
*neque adhuc hominum memoria repertus est quisquam qui,
**これまで、次のような人の記憶は見出されていない。
*eo interfecto, cuius se amicitiae devovisset, mortem recusaret -
**忠心に身を捧げる者が殺されても死を拒む(ような者) >
*cum his Adiatuanus eruptionem facere conatus
**これらの者(従僕)とともにアディアトゥアヌスは突撃することを試みた。
'''アディアトゥアヌスの敗退'''
*clamore ab ea parte munitionis sublato
**堡塁のその方面から叫び声が上げられて、
*cum ad arma milites concurrissent vehementerque ibi pugnatum esset,
**武器のところへ(ローマの)兵士たちが急ぎ集まった後に、そこで激しく戦われた。
*repulsus in oppidum
**(アディアトゥアヌスたちは)城市の中に撃退され、
*tamen uti eadem deditionis condicione uteretur a Crasso impetravit.
**しかし(前と)同じ降伏条件を用いるように、クラッススを説得した。
===23節===
'''ウォカテス族・タルサテス族対クラッスス'''
*Armis obsidibusque acceptis, Crassus in fines Vocatium et Tarusatium profectus est.
**武器と人質を受け取って、クラッススは[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]と[[w:タルサテス族|タルサテス族]]の領土に出発した。
*Tum vero barbari commoti,
**そのとき確かに蛮族たちは動揺させられて、
*quod oppidum et natura loci et manu munitum
**というのも、地勢と部隊で防備された(ソティアテス族の)城市が
*paucis diebus quibus eo ventum erat, expugnatum cognoverant,
**(ローマ人が)そこへ来てからわずかな日数で攻め落とされたことを知っていたためであるが、
*legatos quoque versus dimittere,
**使節たちをあらゆる方面に向けて送り出し、
*coniurare, obsides inter se dare, copias parare coeperunt.
**共謀して、互いに人質を与え合って、軍勢を準備し始めた。
*Mittuntur etiam ad eas civitates legati quae sunt citerioris Hispaniae finitimae Aquitaniae:
**アクィタニアに隣接する[[w:上ヒスパニア|上ヒスパニア]]([[w:en:Hispania Citerior|Hispania Citerior]])にいる部族たちにさえ、使節が派遣された。
[[画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|thumb|250px|right|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア]]
[[画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|thumb|right|250px|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。]]
*inde auxilia ducesque arcessuntur.
**そこから援兵と指揮官が呼び寄せられた。
*Quorum adventu
**これらの者が到着して、
*magna cum auctoritate et magna [cum] hominum multitudine
**大きな権威と大勢の人間とともに、
*bellum gerere conantur.
**戦争遂行を企てた。
*Duces vero ii deliguntur
**指揮官には確かに(以下の者たちが)選ばれた。
*qui una cum Q. Sertorio omnes annos fuerant
**皆が多年の間、[[w:クィントゥス・セルトリウス|クィントゥス・セルトリウス]]([[w:la:Quintus Sertorius|Quintus Sertorius]])と一緒にいて、
*summamque scientiam rei militaris habere existimabantur.
**軍事の最高の知識を有すると考えられていた(者たちである)。
**(訳注:セルトリウスは、[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の独裁に抵抗したローマ人の武将である。[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]の住民にローマ軍の戦術を教えて共和政ローマに対して反乱を起こしたが、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]によって鎮圧された。)
*Hi consuetudine populi Romani loca capere,
**これらの者たちは、ローマ人民の習慣によって、場所を占領し、
*castra munire,
**[[w:カストラ|陣営]]を防壁で守り、
*commeatibus nostros intercludere instituunt.
**我が方(ローマ勢)の物資をさえぎることに決めたのだ。
*Quod ubi Crassus animadvertit,
**クラッススは(以下の諸事情に)気づくや否や、(すなわち)
*suas copias propter exiguitatem non facile diduci,
**己の軍勢が寡兵であるために、展開するのが容易でないこと、
*hostem et vagari et vias obsidere et castris satis praesidii relinquere,
**敵はうろつき回って道を遮断して、陣営に十分な守備兵を残していること、
*ob eam causam minus commode frumentum commeatumque sibi supportari,
**その理由のために糧食や軍需品を都合良く自陣に持ち運べていないこと、
*in dies hostium numerum augeri,
**日々に敵の数が増していること、(これらの諸事情に気づいたので)
*non cunctandum existimavit quin pugna decertaret.
**(クラッススは)戦闘で雌雄を決することをためらうべきではないと考えたのだ。
*Hac re ad consilium delata, ubi omnes idem sentire intellexit,
**この事が会議に報告されて、皆が同じく考えていることを知るや否や、
*posterum diem pugnae constituit.
**戦闘を翌日に決めた。
===24節===
'''両軍の開戦準備'''
*Prima luce productis omnibus copiis,
**(クラッススは)夜明けに全軍勢を連れ出して、
*duplici acie instituta,
**二重の戦列を整列し、
*auxiliis in mediam aciem coniectis,
**支援軍([[w:アウクシリア|アウクシリア]])を戦列の中央部に集結し、
*quid hostes consilii caperent exspectabat.
**敵がいかなる計略をとるのかを待った。
*Illi,
**彼ら(アクィタニア人)は、
*etsi propter multitudinem et veterem belli gloriam paucitatemque nostrorum se tuto dimicaturos existimabant,
**(自らの)多勢、昔の戦争の名誉、我が方(ローマ勢)の寡勢のために、安全に闘えると考えたにも拘らず、
*tamen tutius esse arbitrabantur obsessis viis commeatu intercluso sine ullo vulnere victoria potiri,
**それでもより安全と思われるのは、道を包囲して[[w:兵站|兵站]]を遮断し、何ら傷なしに勝利をものにすることであり、
*et si propter inopiam rei frumentariae Romani se recipere coepissent,
**もし糧食の欠乏のためにローマ人が退却し始めたならば、
*impeditos in agmine et sub sarcinis infirmiores
**(ローマ人が)隊列において[[w:背嚢|背嚢]]を背負って妨げられて臆病になっているところを、
*aequo animo adoriri cogitabant.
**平常心をもって襲いかかれると考えたのだ。
*Hoc consilio probato ab ducibus, productis Romanorum copiis, sese castris tenebant.
**この計略が指揮官により承認されて、ローマ人の軍勢が進撃しても、彼らは陣営に留まった。
*Hac re perspecta Crassus,
**この事を見通してクラッススは、
*cum sua cunctatione atque opinione timidiores hostes
**(敵)自身のためらいや、評判より臆病な敵が
*nostros milites alacriores ad pugnandum effecissent
**我が方(ローマ)の兵士たちを戦うことにおいてやる気にさせたので、
*atque omnium voces audirentur exspectari diutius non oportere quin ad castra iretur,
**かつ(敵の)陣営へ向かうことをこれ以上待つべきではないという皆の声が聞かれたので、
*cohortatus suos omnibus cupientibus ad hostium castra contendit.
**部下を励まして、(戦いを)欲する皆で、敵の陣営へ急行した。
===25節===
'''クラッスス、敵陣へ攻めかかる'''
*Ibi cum alii fossas complerent, alii multis telis coniectis
**そこで、ある者は堀を埋め、ある者は多くの飛道具を投げて、
*defensores vallo munitionibusque depellerent,
**守備兵たちを[[w:防柵|防柵]]や[[w:防壁|防壁]]から駆逐した。
*auxiliaresque, quibus ad pugnam non multum Crassus confidebat,
**[[w:アウクシリア|支援軍]]の者たちといえば、クラッススは彼らの戦いを大して信頼していなかったが、
*lapidibus telisque subministrandis et ad aggerem caespitibus comportandis
**石や飛道具を供給したり、[[w:土塁|土塁]]のために[[w:芝|芝草]]を運んだり、
*speciem atque opinionem pugnantium praeberent,
**戦っている様子や印象を示した。
*cum item ab hostibus constanter ac non timide pugnaretur
**敵もまたしっかりと臆せずに戦って、
*telaque ex loco superiore missa non frustra acciderent,
**より高い所から放られた飛道具は無駄なく落ちてきたので、
*equites circumitis hostium castris Crasso renuntiaverunt
**[[w:騎兵|騎兵]]は、敵の陣営を巡察してクラッススに報告した。
*non eadem esse diligentia ab decumana porta castra munita
**(敵の)陣営の後門(porta decumana)は(他の部分と)同じほどの入念さで防備されておらず、
*facilemque aditum habere.
**容易に接近できると。
===26節===
'''クラッスス、総攻撃をかける'''
*Crassus equitum praefectos cohortatus,
**クラッススは[[w:騎兵|騎兵]]の指揮官たちに促した。
*ut magnis praemiis pollicitationibusque suos excitarent, quid fieri velit ostendit.
**大きな恩賞の約束で部下たちを駆り立てて、何がなされることを欲しているかを示すようにと。
*Illi, ut erat imperatum,
**この者らは命じられたように、
*eductis iis cohortibus quae praesidio castris relictae intritae ab labore erant,
**守備兵として陣営に残されていて、働きによって疲弊していなかった歩兵大隊([[w:コホルス|コホルス]])を連れ出して、
*et longiore itinere circumductis, ne ex hostium castris conspici possent,
**敵の陣営から視認できないように、遠回りの道程をめぐらせて、
*omnium oculis mentibusque ad pugnam intentis
**(彼我の)皆の目と意識が戦闘に没頭している間に
*celeriter ad eas quas diximus munitiones pervenerunt atque his prorutis
**速やかに前述した(後門の)防壁に至って、それを崩壊させて、
*prius in hostium castris constiterunt,
**敵の陣営に拠点を築いた。
*quam plane ab his videri aut quid rei gereretur cognosci posset.
**彼ら(敵)によりまったく見られ、あるいはいかなる事が遂行されているかを知られるよりも早くのことだった。
*Tum vero clamore ab ea parte audito
**そのときまさにこの方面から雄叫びが聞こえて、
*nostri redintegratis viribus,
**我が方(ローマ勢)は活力を回復し、
*quod plerumque in spe victoriae accidere consuevit,
**勝利の希望の中にたいてい起こるのが常であったように
*acrius impugnare coeperunt.
**より激烈に攻め立て始めたのであった。
*Hostes undique circumventi desperatis omnibus rebus
**敵は至る所から攻囲されて、すべての事態に絶望し、
*se per munitiones deicere et fuga salutem petere intenderunt.
**壁を越えて飛び降りて、逃亡によって身の安全を求めることに懸命になった。
*Quos equitatus apertissimis campis consectatus
**この者たちを(ローマの)騎兵隊が非常に開けた平原で追撃し、
*ex milium L{quinquaginta} numero, quae ex Aquitania Cantabrisque convenisse constabat,
**[[w:アクィタニア|アクィタニア]]と[[w:カンタブリ族|カンタブリ族]]([[w:en:Cantabri|Cantabri]])から集まっていた(敵の総勢の)数は5万名が確認されたが、
*vix quarta parte relicta,
**やっとその四分の一が生き残り、
*multa nocte se in castra recepit.
**夜も更けて(ローマ勢は)陣営に退却した。
===27節===
'''アクィタニア諸部族の降伏'''
*Hac audita pugna
**この戦闘(の勝敗)を聞いて、
*maxima pars Aquitaniae sese Crasso dedidit obsidesque ultro misit;
**[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の大部分がクラッススに降伏して、すすんで[[w:人質|人質]]を送った。
*quo in numero fuerunt
**その数の中には以下の部族がいた。
*Tarbelli, Bigerriones, Ptianii, Vocates, Tarusates, Elusates,
**[[w:タルベッリ族|タルベッリ族]]、[[w:ビゲッリオネス族|ビゲッリオネス族]]、[[w:プティアニー族|プティアニイ族]]、[[w:ウォカテス族|ウォカテス族]]、[[w:タルサテス族|タルサテス族]]、[[w:エルサテス族|エルサテス族]]、
*Gates, Ausci, Garunni, Sibulates, Cocosates:
**[[w:ガテス族|ガテス族]]、[[w:アウスキ族|アウスキ族]]、[[w:ガルンニ族|ガルンニ族]]、[[w:シブラテス族|シブラテス族]]、[[w:ココサテス族|ココサテス族]]、である。
*paucae ultimae nationes
**わずかな遠方の部族たちは、
*anni tempore confisae, quod hiems suberat,
**時季を頼りにして、というのも冬が近づいていたためであるが、
*id facere neglexerunt.
**そのこと(降伏と人質)をなおざりにした。
==モリニ族・メナピイ族への遠征==
===28節===
'''カエサル、モリニ族・メナピイ族へ遠征'''
*Eodem fere tempore Caesar,
**(前節までに述べたクラッススのアクィタニア遠征と)ほぼ同じ時期にカエサルは、
*etsi prope exacta iam aestas erat,
**すでに夏はほとんど過ぎ去っていたのであるが、
*tamen quod omni Gallia pacata
**全ガリアが平定されていたにもかかわらず、
*Morini Menapiique supererant,
**[[w:モリニ族|モリニ族]]と[[w:メナピー族|メナピイ族]]は生き残って
*qui in armis essent, neque ad eum umquam legatos de pace misissent,
**武装した状態で、彼(カエサル)のところへ決して和平の使節を派遣しようとしなかったので、
*arbitratus id bellum celeriter confici posse, eo exercitum duxit;
**この戦争は速やかに完遂されると思って、そこへ軍隊を率いて行った。
*qui longe alia ratione ac reliqui Galli bellum gerere instituerunt.
**これら(の部族)は、他のガリア人とはまったく別の方法で戦争遂行することを決めた。
*Nam
**なぜなら
*quod intellegebant maximas nationes, quae proelio contendissent, pulsas superatasque esse,
**というのも、戦闘を戦った非常に多くの部族が撃退され、征服されていることを(彼らは)知っており、
*continentesque silvas ac paludes habebant,
**かつ、絶え間ない[[w:森林|森]]と[[w:沼地|沼地]]を(彼らは)持っていたので
*eo se suaque omnia contulerunt.
**そこへ自分たちとそのすべての物を運び集めたのだ。
*Ad quarum initium silvarum cum Caesar pervenisset castraque munire instituisset
**かかる森の入口のところへカエサルが到着して陣営の防備にとりかかったときに、
*neque hostis interim visus esset,
**敵はその間に現れることはなく、
*dispersis in opere nostris
**工事において分散されている我が方(ローマ勢)を
*subito ex omnibus partibus silvae evolaverunt et in nostros impetum fecerunt.
**突然に(敵が)森のあらゆる方面から飛び出してきて、我が方に襲撃をしかけたのだ。
*Nostri celeriter arma ceperunt
**我が方は速やかに武器を取って
*eosque in silvas reppulerunt et compluribus interfectis
**彼らを森の中に押し戻して、かなり(の敵)を殺傷して
*longius impeditioribus locis secuti
**非常に通りにくい場所を追跡したが、
*paucos ex suis deperdiderunt.
**我が方の部下で損傷を負ったのは少数であった。
===29節===
'''カエサル、むなしく撤兵する'''
*Reliquis deinceps diebus Caesar silvas caedere instituit,
**続いて(冬が近づくまでの)残りの何日かで、カエサルは森を[[w:伐採|伐採]]することに決めた。
*et ne quis inermibus imprudentibusque militibus ab latere impetus fieri posset,
**(これは)非武装で不注意な兵士たちが側面からいかなる襲撃もなされないように(ということであり)、
*omnem eam materiam quae erat caesa conversam ad hostem conlocabat
**伐採されたすべての[[w:木材|材木]]を敵の方へ向きを変えて配置して、
*et pro vallo ad utrumque latus exstruebat.
**[[w:防柵|防柵]]の代わりに両方の側面に築いた。
*Incredibili celeritate magno spatio paucis diebus confecto,
**信じがたいほどの迅速さで大きな空間がわずかな日数で完遂されて、
*cum iam pecus atque extrema impedimenta a nostris tenerentur,
**すでに[[w:家畜|家畜]]や[[w:輜重|輜重]]の最も端が我が方(ローマ軍)により捕捉された。
*ipsi densiores silvas peterent,
**(敵)自身は密生した森を行くし、
*eiusmodi sunt tempestates consecutae, uti opus necessario intermitteretur
**[[w:嵐|嵐]]が続いたので、工事はやむを得ずに中断された。
*et continuatione imbrium diutius sub pellibus milites contineri non possent.
**雨が続いて、これ以上は皮([[w:天幕|天幕]])の下に兵士たちを留めることはできなかった。
*Itaque vastatis omnibus eorum agris, vicis aedificiisque incensis,
**こうして、彼らのすべての畑を荒らして、村々や建物に火をつけて、
*Caesar exercitum reduxit
**カエサルは軍隊を連れ戻して、
*et in Aulercis Lexoviisque, reliquis item civitatibus quae proxime bellum fecerant,
**[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]と[[w:レクソウィー族|レクソウィイ族]]や、他の同様に最近に戦争をしていた部族たちのところに
*in hibernis conlocavit.
**[[w:冬営|冬営]]を設置した。
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第3巻」了。「[[ガリア戦記 第4巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
[[Category:ガリア戦記 第3巻|*]]
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利用者・トーク:Tomzo
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text/x-wiki
==管理者==
こんばんは。お世話になっております。早速ですが、管理者に立候補していただけないか伺いにあがりました。ウィキブックスの現状については私よりもよく把握されているのではないかと思います。管理者がもう少し必要です。Tomzoさんはウィキブックスでの実績がありますし、管理者にふさわしいのではないかと思います。気が重い様でしたら臨時ということでも結構です。ご一考くださいませ。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月1日 (火) 16:35 (UTC)
:あくまでもアカデミックな雰囲気は失わせたくないと願う執筆者には、嫌な雰囲気になってきましたね。基本的に、「削除」と「ブロック」のみでしたら、皆様のご支持をいただければお手伝いできると思います(ただ、前提として「booksの趣旨にふさわしくない記事」とはを整理する必要はあるかとは思いますが)。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月2日 (水) 05:20 (UTC)
::お返事おくれましてすみません。お受けいただきありがとうございます。よろしくおねがいします。推薦の方がよろしければご遠慮なくおっしゃってください。
:: アクティブな管理者が増えることは、雰囲気の悪化を抑え、改善へ持っていくための底力になります。あとやはり自分で関わったことの削除やブロックをするのは、普段よりも説明責任の負担が大きくなりますし、対外的にも好ましくありませんので、2人になるのは非常に心強いです。
:: 状況改善は短期間でどうにかなるものではなく、じっくり取り組むしかないと思っています。私はアカデミックな雰囲気にはこだわっていませんが、ただ、最低限の質(これについても結構許容範囲は広いつもりですが)を保っていくことは必要かなと思っています。ウィキブックスにふさわしい内容かどうかは線引きが難しいところもあると思いますので、これも議論を積み重ねながらじっくり取り組むしかないかと思います。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月7日 (月) 12:00 (UTC)
:::御説に賛同いたします。立候補については、特に裏工作をしているわけでもなく、経緯もこのようにオープンになっているので、自分でやっておきます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月9日 (水) 09:38 (UTC)
信任されたと見なしまして管理者権限を付与しました。どこから手を付けたものか、というところですが、たぶん、管理者としてバリバリがんばるというよりは、完成形の見える教科書を作る方から行うのが良いのかなと思ったりしています。今後ともよろしくお願いします。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月16日 (水) 14:36 (UTC)
:いろいろ、お手間をとっていただき、ありがとうございました。
:当面は、方向性を見守ることにし、都度、荒らし的な書き込みや教科書としての体系をなさない書き込みの削除あたりの対応からと考えています。そのうち、参加者が増え、まとまりがつかなくなってきたら、交通整理が必要とも思いますが、まあしばらくは大丈夫でしょうか。キーは、体系的叙述たり得るか否かということかと思いますが、そのあたりはまとめて、後日相談します。
:今後ともよろしくお願いします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月16日 (水) 16:13 (UTC)
==削除の際の確認について==
悪戯の対処として即時削除された[[Wikibooks:スタブ]]ですが、履歴をもっていたので復帰しました。まあ、削除に関して取り返しのつかない間違いはそうありませんが、今後は履歴の有無についてご注意ください。[[Wikibooks‐ノート:スタブ]]も参照してください。ご連絡まで。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年6月3日 (日) 08:09 (UTC)
p.s. ご存知かもしれませんが、履歴のリンクをクリックせずとも alt-h (Mac なら ctrl-h) のショートカットで確認できます(ブラウザにもよるかもしれません)。あと削除のときは whatlinkshere (alt-j) も確認しておくと、特にリダイレクトなどに関して参考になる場合もあります。[[利用者:Electric goat|e-Goat]]
:ご迷惑をおかけしました。以後気をつけます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年6月3日 (日) 10:16 (UTC)
==依頼事項?==
本人希望の永久ブロックを依頼しているのにまだブロックがなされていないので早く、管理者なら職務を果たされたい。怠けるようなら、管理者を辞退されたい。時間がもったいない。--[[特別:Contributions/210.172.74.142|210.172.74.142]] 2008年1月12日 (土) 08:07 (UTC)
:管理者としてあなたのリクエストにこたえる義務はない。何か微罪を犯せば、それを以てブロックの契機とする。まあ、ごく普通の人ならば「書かない」というビヘイビアで十分なのだが。そんなに相手にしてほしいのですか?--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月12日 (土) 08:10 (UTC)
:加えて、こういう独立した事項はwikiの書式を使って節を分けてくださいね。読みにくくてしょうがありません。と言っても絶対聞かないんでしょうが。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月12日 (土) 08:26 (UTC)
==なぜそう思うのですか==
:ついでにいえば、wiktにおける[[wikt:利用者:So|利用者:So]]さんとも同一人物のようですね。小学生といわれて怒っていたようですが、図星だったか、せいぜい、中学1年生位でしょう(それより上だと、これからの人生大変ですねと同情いたします)。とりあえず、[[w:Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]も熟読してください。wikiプロジェクトに共通した若い人たち向けの注意点が書いてあります。このまま同様の行動をとり続けると、どのプロジェクトからも、しかるべき対処を受けることになります。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月18日 (金) 13:43 (UTC)
と、投稿し覚えはありませんか。なぜそう思ったのですか?--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月19日 (土) 03:45 (UTC)--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月19日 (土) 03:45 (UTC)
:投稿時期、フォーマット、投稿傾向(内容及び言葉遣いの幼さ)からです。大人にはわかりますよ。ついでに「アカウントする」というのは、熟した日本語とはいえません。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月19日 (土) 04:14 (UTC)
::指摘を受けて逆上してしまったりする時点で幼さを感じるというのは事実です。確実な証拠がないので同一人物であるとまではいいませんが、疑われても仕方ないと思います。投稿者の会話ページにまで、反論しにやってくるというのは逆に事実(図星)だったからなのでしょうか。...という風にそういう行動を取る度にもっと不利になっていくんじゃないかと思います。 --[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年1月19日 (土) 14:15 (UTC)
== 回答 ==
:すっかり忘れていましたが、このメッセージと、上の[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]]さんのメッセージは、あなたが誰かを当てようしているわけではありません。そんな下らないことはどうでも良いことです。ちゃんと読んでください。あなたが、プロジェクトにおいて、まじめな参加者に迷惑な行為をしていることについて注意をしているのですよ。その点については、何とも思っていないと言うことなのですね。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月20日 (日) 16:05 (UTC)
→そういうことはありません。警告をうけているユーザーいるでしょ? [[w:利用者:JKO|JKO]]とか[[wikt:利用者:So|So]]とか決め付けられると。--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月27日 (日) 09:35 (UTC)
:別に彼らが別のプロジェクトで何をしようとここでは関係ありません。ただ、他のプロジェクトによく似た行動により警告を受けている共通の性質があるので、例示されているだけだと思いますよ。共通する性質とは「'''ウィキプロジェクトは『子供の遊び場』ではない'''」ということです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月27日 (日) 09:41 (UTC)
== なぜ嫌がらせ? ==
[[利用者:海獺2|海獺2]]さんと同一人物ではありませんが、なぜ嫌がらせに妥当するのですか?ご本人さんは[[w:ラッコ|海獺]]が好きとおっしゃっているのですけど。--[[特別:Contributions/125.199.179.138|125.199.179.138]] 2008年2月11日 (月) 14:57 (UTC)
:理由は、[[Wikibooks:投稿ブロック依頼#利用者:城南、利用者:海獺2]]にあなた向け(どうせ自作自演でしょう?)のメッセージとして書いてあります。そこにも書いてありますが、直接証拠がないから、同一性は証明できないというのは子供の言訳に過ぎません。「状況証拠(意味を調べましたか?)」から見て、これら一連の行動が同一の人物よりなされ、繰り返しの警告に対して何らの反省も見られないということは、関係者において心証を形成しています(それを、強めるためにCUまで行なわれていますが)。言い分があれば、ブロック依頼にどうぞ、いまなら[[user:城南]]のブロックは解けているはずなので書き込みができると思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年2月11日 (月) 15:26 (UTC)
::取り敢えず、一言。文句あるならそれなりの行動をしてからいって下さい。ルールを無視した行動を起こしてそれに対して注意しても聞き入れず、逆ギレして更に荒らしまくる・注意した人の会話ページにきてさんざん文句いいまくるなどもってのほかです(こういった編集傾向だけで同一人物であると疑わざるを得ないです)。なお、編集傾向として、単独で考えても十分にブロック相当であると思います。どこの世界にも(遊びでさえ)守らなければいけないルールがあります(最低限のルールを守って初めて自由が認められます)。そのルールを無視すればそのコミュニティからは排除されたりそれなりの厳罰が科せられるのは当然です。あなたの行動は既に現実世界において<del>は</del><ins title="訂正">考えれば</ins>死刑<ins title="追加">(または無期懲役)</ins>に相当してもおかしくない<del>レベルに達しています</del><ins title="訂正">くらいの重罪を犯しているのと同等といっても過言ではありません</ins>。一旦冷静になって何が問題なのかを考えて、何が問題なのかが分からなければまだコミュニティに参加するのは早いと思って下さい(というより既に回答に近いコメントしてますが)。理解できるようになるまでは参加を自粛お願いします。って、一言でなくなってしまった。 <del>--[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年2月11日 (月) 19:02 (UTC)</del> <small>訂正。すみません、少々口が悪かったです。表現を変えてみました。 --[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年2月11日 (月) 23:09 (UTC)</small>
== あの・・・ ==
すみません。反省しています。Windows入門の件ですが、どのOSを参考にすればいいのか分かりませんでした。--[[利用者:Syun814|Syun814]] 2009年2月2日 (月) 05:40 (UTC)
== 報告 ==
[[w:LTA:GRIMM]]に書いておきましたが、GRIMMについてOCNへ報告を行ったのでお知らせ致します。jawikiに関しては管理者MLで報告を行い、他の方にはメールを送ったんですが、Tomzoさんはメールを受け取られていないようなのでこちらへ。内容について深く突っ込みたいときはメールをお願いします。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]] <small>[ [[User talk:Marine-Blue|会話]] [[Special:Contributions/Marine-Blue|履歴]] [[Special:Emailuser/Marine-Blue|電信]] ]</small> 2009年3月4日 (水) 01:52 (UTC)
:お疲れ様です。ご対応ありがとうございます。メールは先ほど確認したところ受け取っておりましたのでご報告いたします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年3月4日 (水) 03:15 (UTC)
::ウィキメールの画面が正しく開けました。昨日試したときは上手く行かなかったのだけど何故だろう。…まぁ、そんなことを考えても仕方ないのですが、次回から連絡の際にはメールを送信することにします。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]] <small>[ [[User talk:Marine-Blue|会話]] [[Special:Contributions/Marine-Blue|履歴]] [[Special:Emailuser/Marine-Blue|電信]] ]</small> 2009年3月5日 (木) 10:47 (UTC)
==大東亜戦争の削除について==
なぜ削除したのか理由をご説明ください。虚偽編集はしていないはずですが。--[[特別:投稿記録/114.48.58.236|114.48.58.236]] 2009年6月21日 (日) 13:20 (UTC)
:あの内容では、何の教科書であるかがわからないため、wikibooksの趣旨に沿っていないと判断しました。
:なお、同内容を例えば、「日本史」の一部として再掲した場合、やはり削除すると思います。これは、現在の「[[第二次世界大戦]]」においても言えることですが、タイトルに比べ、内容が貧弱すぎることに起因します。
:教科書とはある知識を体系付けて伝えることであり、記事は、「どの知識」の「どの内容」かを明確にして書かれるべきです。このとき、その外縁が示されていなければ、そこには何が書かれるべきかが共通の了解事項として認識されず、共同プロジェクトとしてのWMPを統御することはできません。例えば「中学社会歴史」というのであれば、学校指導要領という枠があり、何も書かなくても自ずと制限があり、その制限内で記述をするという共同作業ができます。しかし、単に日本史の中の「第二次世界大戦(これは、日本史という観点からだけの記事とはならないためタイトルの変更が必要ですが)」とだけ書かれても、この事項自体大変大きなテーマですから、今のレベルの記述では、今後どのような体系で何が記述されるべきかが共通の理解とはなりえません。WBはWPではないので、散発的な知識の記述は求めていません(どうしてもしたければWPでやれば済む話です)。WPに記述しようとするのであれば、既存の体系化された記事の一部として記述するか、知識体系を記述しそれにふさわしい記事が記載されるべきと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月21日 (日) 13:54 (UTC)
:内容がしょぼいのは[[大東亜戦争]]も[[第二次世界大戦]]も以前から思っていました。じゃあ充実した記事とは何か?ウィキペディアから転載するのが一番楽で手っ取り早いですが教科書とはいえない量でしょう。となるとどの程度が適量なのか?それをハッキリさせて下さい。--[[特別:投稿記録/114.48.153.164|114.48.153.164]] 2009年6月21日 (日) 14:24 (UTC)
::それは記述をしたい人の役割だと考えますが、まあ、手っ取り早い方法としてはこれから何を書こうとするのかを示す'''目次'''を作られることをお勧めします。それを議論するだけでも見通しはかなりよくなります。ちなみに、「教科書とはいえない量」とは多寡どっちのことを言ってますか?これが、「日本史」とか無限定なレベルだと、WPの記述はかなり少ない量だと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月21日 (日) 14:32
(UTC)
==記述の削除について==
どこの項目がどこにどういう風に逸脱しているのかご指摘ください。これでは「充実した」歴史教科書の編修は無理ですよ。--[[特別:投稿記録/114.48.142.70|114.48.142.70]] 2009年6月23日 (火) 10:01 (UTC)
:[[ノート:中学校社会 歴史]]に「中学社会」の学習指導要領を添付しています。知識の伝達には、その伝達対象を意識した知識の取捨選択がありその枠内で書かれるべきであり、それを超える場合には適切なガイドがあるべきです。戻した前のものは中学生に伝える内容としては詳細すぎる用語、事件名、人名が見られます。一般的な歴史概説ならまだしも学習指導要領の枠のある記述であれば、それを配慮すべきと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月23日 (火) 10:09 (UTC)
::了解しました。ウィキペディアではないですからね。今後は他方とも相談しながら追記していこうかと考えております。「詳細すぎる用語」とありましたが私が記述したのは全て扶桑社の「新しい歴史教科書」と同様の内容ですので「詳細すぎる」との発言は少々ご配慮が足らないものかと違和感を感じております。--[[特別:投稿記録/114.48.142.70|114.48.142.70]] 2009年6月23日 (火) 10:21 (UTC)
:::まず、本節が「概要」であることを認識ください。学校教育用の教科書では、そこに登場させる「用語」「人名」「事件名」については、「それを記憶しなければいけないのか」それとも「とりあえず流していいものなのか」を明確にしておく必要があります。「概説」のレベルなら、それは覚えておかなければならないレベルであると解釈されても仕方ないと思います。ここに、「関東軍」「石原莞爾」「1931年9月18日奉天郊外の柳条湖で」「この満州国は五族協和、王道楽動をスローガンにし」「援蒋ルート」などの言葉を並べられても、中学生として必要とされる学習レベルを逸脱しているといわざるを得ないのではないでしょうか。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月23日 (火) 10:45 (UTC)
==大学入試対策について==
こんばんは。貴方の仰る削除・修正基準が現状のままではいまいちわかりません。関関同立の他3大学の対策の記事を見ても、関関同立の一つで難関私大という語句がありますが、3項目とも削除等の編集はされずそのままになっています。当該記事のこの部分を削除するのであれば、同志社・立命館・関西大学のそれに相当する部分も削除していただかないと、判断基準が公平には思われません。
私個人としては、貴方の編集された青山学院大対策と比較しても、関関同立の一つで難関私大という文言くらいはあってしかるべきと思われます。いずれにしても、公平で慎重な処置を期待しています。--[[特別:投稿記録/218.129.22.227|218.129.22.227]] 2009年7月27日 (月) 16:23 (UTC)
:[[日本の大学受験ガイド#本項記載における注意事項]]をご覧ください。
:*記載においては、客観的・検証可能な内容を記述するよう努め、特に以下の表現は原則として使用しないよう、配慮してください。
::*「名門」「重鎮」「'''難関'''」「優秀」「逸材を輩出」「……期待を集める」「……とされている」「……といわれている」「……と称されている」「有名大学」「難易度が高い」
:と記載があります(これは、WPの「[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学#大学記事の表現について]]」をもとに合意の上、定立されたルールです。「関関同立」の表現は「『○○大学と同レベルである』『○○大学とランクは変わらない』などと行った他の大学と対比させる表現」のひとつとして修正しました。MARCHなどの表現も同様見つけ次第削りたいと思います。
:そもそも、「○○大学の●●の出題傾向」等を記載するのに、他大学との比較は不要(「××大学の出題傾向と似ている」との表記でもあれば根拠を求めたいと思います)でしょうし、大学紹介自体はWBの任とするところではありません。
:基本的にRCにあがるたびチェックし(全部をサーベイするほど執着しているわけではないので)、このような表現を削っています。もしも、「○○大学のでは、この表現が許されているのに、××大学のは削りすぎだ」と仰るなら、それは「○○大学」の削りようが徹底していないだけなので、そうご指摘ください。早急に「○○大学」の該当部分を削ります(ということで、ご指摘の3校分も修正しておきましょう)。
:「大学受験ガイド」については、[[Wikibooks:談話室#大学受験ガイドの存在について]]などで議論しているとおり、教科書(私は、これを「知識を体系だてて記述したもの」と定義していますが)とするには、特に正確性という観点からボーダーラインのところがあります。それでも、各科目の出題傾向などについては貴重な経験等の反映もあるでしょうから、譲っているところですが、大学をランキング・カテゴライズする行為については、ルールを厳格に適用するつもりです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年7月27日 (月) 17:05 (UTC)
早速の対応ありがとうございました。--[[特別:投稿記録/218.129.22.227|218.129.22.227]] 2009年7月28日 (火) 16:34 (UTC)
:ご理解いただけ幸いです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年7月28日 (火) 17:30 (UTC)
あなたの私怨による迷惑行為を止めてください。--M 2012年3月21日 (水) 08:33 (UTC)
機敏なあなたはもちろん見てますよね?逃げないで下さい。--M 2012年3月21日 (水) 11:54 (UTC)
現在もなお逃亡中w職権乱用・職場放棄でお馴染みのTomzoくんwww--M 2012年3月22日 (木) 03:48 (UTC)
==こんばんは==
どうもこんばんは。私の会話であなたは[[:en:w:Tungchow Mutiny]]にあったとんでもない記述として、
:Mention of the Tungchow Mutiny appears very rarely in Chinese sources, as Chinese historians believe that the right-wing organizations in Japan use this incident to downplay the atrocities committed by the Imperial Japanese Army in the Nanjing Massacre upon Chinese citizens.
をあげられてますがこれはどんな感じの意味になるのでしょう?翻訳してみましたがいまひとつなのでお教えください。--[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]] 2009年8月25日 (火) 15:30 (UTC)
::あの~対話拒否でしょうか?それともそのぐらい自分で調べろ、という事なのでしょうか?大体の大枠で結構ですので教えてください。--[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]] 2009年8月26日 (水) 13:05 (UTC)
:::対話の拒否といわれると、そうですとお答えします。「こう訳してみたんですが間違っていませんか」ならわかります、「訳してください」といわれると「私は、ボランティアの通訳ではありません」とお答えします。こういうのは、非常に失礼な依頼の方法であるということを覚えてください。また、たかだか、40語程度で、かつ比喩比較や仮定法といった修辞もまったく無い、非常に素直な英文です、一語一語辞書で調べて並べても、大体の想像はつきます。[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]]さんは、思うに中学生ですか、それなら仕方ありませんが、もし高校生ならば、悪いことは言いません、しばらく、PCから離れてまじめに学校の英語の勉強をしてください。例え高1だとしても、現状では大学に行くのは相当に苦労します。まあ、行く気がなければ関係ありませんが。大学生以上ならば......何もいいますまい。最後に繰り返します、人に物を頼むとき、自分で少しも努力をしないのは、少なくともWMPのように知識を扱う世界では非常に失礼な態度なのですよ。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年8月26日 (水) 13:47 (UTC)
== ビューロクラット ==
Tomzo さん、こんにちは Kanjy です。ウィキブックス日本語版のビューロクラットになって頂けないかとお願いに上がりました。同じお願いを Tomzo さんと Marine-Blue さんに同時に申し上げております。
今のところアクティブなビューロクラットは二人おり、しかもビューロクラットとしての作業量は管理者と比べ微小ですので、人手は足りています。しかし、利用者名収用 (usurpation) 等の速やかな対処、そして、将来的にプロジェクトの安定運用、といったことを考えれば、二人では心許ないと感じます。あと一人でも二人でも、信頼できる方が加勢してくだされば有難いと思っております。
ベテランのウィキブッキアンとして、管理者として、すでに様々な貢献をなさっている Tomzo さんに対し、雑用の負担を増やすお願いは心苦しい限りですが、ご一考頂けませんでしょうか。立候補頂ければ有難いと思いますし、また、私で宜しければ喜んで推薦させて頂きます。どうぞ宜しくお願いいたします。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2009年12月27日 (日) 10:48 (UTC)
:本件了解いたしました。
:牽制としては分権が理想ですが、まだ、WBはそのレベルでもないのは否めません。近々に立候補の手続きをとりたいと思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年12月27日 (日) 18:26 (UTC)
恐縮です。どうぞ宜しくお願いいたします。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2010年1月15日 (金) 11:48 (UTC)
:[[Wikibooks:管理者への立候補/Tomzo_20100116]] に質問を一つ書かせて頂きました。所信の中で「管理者としての再信任をこの機会に」と述べられた意図についてお尋ねしております。どうか、お手すきのときにでも、ご回答を頂ければ幸いです。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2010年2月13日 (土) 00:51 (UTC)
== なぜ削除するのか ==
[[日本の都道府県の調査 地理 いろいろな角度からの調査]]ですが、なぜ削除するのですか。削除の方針に沿っていない。よく考えてから削除願います。また、復帰願います!--[[利用者:شيوعية|شيوعية]] 2010年5月4日 (火) 23:06 (UTC)
:あの内容では、何の教科書であるかがわからないため、wikibooksの趣旨に沿っていないと判断しました。
:wikibooksは教科書のプロジェクトです。教科書とは、ある特定のグループに対して、(そのグループにおいて理解されるべき)知識を伝達するために、それを体系化して記述したものであるということができます。あなたの記述したものは、「何の教科書の一部であるか」という最低レベルの記述がなされておらず、ルールに即したものではなかったので即時に削除しました。少なくとも、「自分の記述するものは、この分野の知識について、この階層の読者に対して理解させるために記述したものの、この部分の記載である」ということは、ページの冒頭に付される必要があります。
:さて、それがあったとしても、その内容があまりにお粗末なものである(例えば、学校指導要領の求めるレベルに達していない)としたら、「内容が即していない」として削除対象となることがあります。これは、いわゆる「[[w:Wikipedia:児童・生徒の方々へ|児童・生徒]]」といわれる世代がwikibooksに参加するときに往々に生ずる現象です。念のため申し添えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月4日 (火) 23:47 (UTC)
::しかし、地理の本物の教科書を見ればわかります。愛知県、中部地方、東京、関東、近畿・・・など地域を細かく習います。私はまず先に愛知県を書いただけなんです。その後加筆しようと思った矢先に削除されていました。ですから、単に愛知県の紹介をしているのではないのですよ。 --[[利用者:شيوعية|驕譣轉鐵辯]] 2010年5月5日 (水) 22:24 (UTC)
::内容が粗末なため、児童生徒が立ち往生するとおっしゃいましたが、粗末な項目はいくらでもあります。私が書いたのだけを削除しないでください。--[[利用者:شيوعية|驕譣轉鐵辯]] 2010年5月5日 (水) 22:26 (UTC)
:::少なくとも書き出しにおいて、WBの備えるべき内容を備えていないので即時削除としています。その程度は「プロジェクト文書を読む」「他の作品を読む」というWMPに参加するための最低限の行動を踏まえれば回避できます。それもできないで、参加しようというのは荒らしにも等しい行為です。
:::「粗末な項目はいくらでもあります」たしかに、そうかもしれません。どの記事か、ご指摘いただければ、改善ないし削除を検討いたします。まあ、少なくとも、地の文に方言を交えるような文章は国語学習の基礎ができていないものとして即時に差し戻しでしょうが。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月5日 (水) 22:52 (UTC)
:::今気づいたので、一点申し添えます。「いわゆる「児童・生徒」といわれる世代がwikibooksに参加するときに往々に生ずる」とは申しましたが、それは、「児童生徒が立ち往生する」という意味ではありません。「往々に」を国語辞典で、よくお調べください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月5日 (水) 22:57 (UTC)
==ページの移動について==
マイページから公のページへの移動をTomzoさんは私に勧めましたが、付属ページもまとめて移動されるのだと期待してページの移動を試みたところそうではないようだということに気が付きました。
移動の取り消しも全く不完全でした。
そしてTomzoさんは”移動時に「移動元にリダイレクトを作成する」をチェックオフするようにしてください”と仰いましたが、私の見る限りではそのようなチェックボックスは無いようです。
私にはまだよく分かっていない問題が多いのでもっとよく理解してからページの移動をするつもりなのですが、このまま利用者ページに記載しておくのでは問題が発生するのでしょうか(そのページには外部からのリンクは張ってあります)。ご教授願えたら嬉しいです。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年5月31日 (月) 00:39 (UTC)
:やり方について、ちょっと整理しますので少々お待ちください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月31日 (月) 15:46 (UTC)
::ありがとうございます。お願いします。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年6月14日 (月) 12:08 (UTC)
:::待つつもりでお願いをしておいて申し訳ないのですが、少し必要な事情が出来ましたのでページを手動で公のものへと移行しました。ページの移動についての知識は今のところは必要ないので、まだ整理できていないのでしたら結構ですが、既に整理してくだすったのでしたらご教授下さるとやはり嬉しいです。失礼しました。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年6月16日 (水) 15:21 (UTC)
::::放置したままで申し訳ありませんでした。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年6月17日 (木) 04:06 (UTC)
== RfAのコメント ==
[{{fullurl:Wikibooks:管理者への立候補/Vigorous action 20111211|diff=67979&oldid=67972}} このコメント]ですが、ちょっと意図が分かりづらいです。[[Wikipedia:管理者への立候補#管理者・ビューロクラットへの立候補|管理者・ビューロクラットへの立候補]]の意味の取り違えでしょうか。或いはVigorous actionさんには是非ビューロクラットもやってくれと言う意味でしょうか。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]]<sup>[[User talk:Marine-Blue|talk]]✿[[Special:Contributions/Marine-Blue|contribs]]✿[[Special:EmailUser/Marine-Blue|mail]]</sup> 2011年12月12日 (月) 16:07 (UTC)
:すいません。筆が滑ってしまいました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2011年12月13日 (火) 02:52 (UTC)
== お礼 ==
即時削除の対応、ありがとうございました。--[[利用者:Akaniji|Akaniji]] 2011年12月31日 (土) 05:02 (UTC)
== Username rename request: White Cat -> とある白い猫 ==
I'd like to request a username rename per SUL. --<small> [[User:White Cat|Cat]]</small> <sup>[[User talk:White Cat|chi?]]</sup> 2012年2月19日 (日) 12:21 (UTC)
== アカウントシステム変更に関するお知らせ ==
かげろんです。こんばんは。談話室に掲載されている,[[Wikibooks:談話室]]の[en] Change to wiki account system and account renamingの節の件なのですが,ビューロクラットの方は利用者名変更依頼の件が絡んでくるので,ぜひご確認の方をお願いします。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2013年5月3日 (金) 13:27 (UTC)
== [[m:Special:MyLanguage/Single User Login finalisation announcement|Forced user renames coming soon for SUL]] ==
<div class="mw-content-ltr">
Hi, sorry for writing in English. I'm writing to ask you, as a bureaucrat of this wiki, to [//meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-Single+User+Login+finalisation+announcement%2FPersonal+announcement&filter=&action=page translate and review the notification] that will be sent to all users, also on this wiki, who will be forced to change their user name on May 27 and will probably need your help with renames.
You may also want to help with the pages [[m:Rename practices]] and [[m:Global rename policy]].
Thank you, [[m:User:Nemo_bis|Nemo]] 2013年5月3日 (金) 16:45 (UTC)
</div>
<!-- EdwardsBot 0441 -->
== ウィキメール送信のお知らせ ==
Tomzoさん,かげろんです。お世話になっております。1点ご相談がありますので,ウィキメールを送信させていただきましたので,お手数をおかけしますが,ご確認の方,よろしくお願いいたします。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2013年7月10日 (水) 07:23 (UTC)
== 利用者名変更について ==
はじめまして。Smolldoraと申します。突然押しかけて申し訳ありません。
先般[[Wikibooks:管理者伝言板]]にて利用者名変更依頼を出させていただきました。jawbでのアカウントをSULに移行させるためです。しかし、すでにSULシステムに移行される期限が迫っているため、[[Wikibooks:談話室#.5Ben.5D Change to wiki account system and account renaming|談話室での議論]]を読ませていただいた限りでは、こちらで変更していただくのにはすでにリスクが伴うのではないかと思います。ですので、可能であればこちらで変更していただきたいのですが、リスクが高く不可能であればその旨おっしゃっていただけませんでしょうか。その場合は移行後に再度メタで依頼しようと思います。
ご回答のほどよろしくお願いします。 --[[利用者:Smolldora|Smolldora]] ([[利用者・トーク:Smolldora|トーク]]) 2013年7月30日 (火) 15:52 (UTC)
== An important message about renaming users ==
<div class="mw-content-ltr">
Dear Tomzo,
''My aplogies for writing in English. Please translate or have this translated for you if it will help.''
I am cross-posting this message to many places to make sure everyone who is a Wikimedia Foundation project bureaucrat receives a copy. If you are a bureaucrat on more than one wiki, you will receive this message on each wiki where you are a bureaucrat.
As you may have seen, work to perform the Wikimedia cluster-wide [[mw:SUL finalisation|single-user login finalisation]] (SUL finalisation) is taking place. This may potentially effect your work as a local bureaucrat, so please read this message carefully.
Why is this happening? As currently stated at [[m:Global rename policy|the global rename policy]], a global account is a name linked to a single user across all Wikimedia wikis, with local accounts unified into a global collection. Previously, the only way to rename a unified user was to individually rename every local account. This was an extremely difficult and time-consuming task, both for stewards and for the users who had to initiate discussions with local bureaucrats (who perform local renames to date) on every wiki with available bureaucrats. The process took a very long time, since it's difficult to coordinate crosswiki renames among the projects and bureaucrats involved in individual projects.
The SUL finalisation will be taking place in stages, and one of the first stages will be to turn off Special:RenameUser locally. This needs to be done as soon as possible, on advice and input from Stewards and engineers for the project, so that no more accounts that are unified globally are broken by a local rename to usurp the global account name. Once this is done, the process of global name unification can begin. The date that has been chosen to turn off local renaming and shift over to entirely global renaming is 15 September 2014, or three weeks time from now. In place of local renames is a new tool, hosted on Meta, that allows for global renames on all wikis where the name is not registered will be deployed.
Your help is greatly needed during this process and going forward in the future if, as a bureaucrat, renaming users is something that you do or have an interest in participating in. The Wikimedia Stewards have set up, and are in charge of, a new community usergroup on Meta in order to share knowledge and work together on renaming accounts globally, called [[m:Global renamers|Global renamers]]. Stewards are in the process of creating documentation to help global renamers to get used to and learn more about global accounts and tools and Meta in general as well as the application format. As transparency is a valuable thing in our movement, the Stewards would like to have at least a brief public application period. If you are an experienced renamer as a local bureaucrat, the process of becoming a part of this group could take as little as 24 hours to complete. You, as a bureaucrat, should be able to apply for the global renamer right on Meta by the [[m:SRGP|requests for global permissions]] page on 1 September, a week from now.
In the meantime please update your local page where users request renames to reflect this move to global renaming, and if there is a rename request and the user has edited more than one wiki with the name, please send them to [[:m:SRUC|the request page for a global rename]].
Stewards greatly appreciate the trust local communities have in you and want to make this transition as easy as possible so that the two groups can start working together to ensure everyone has a unique login identity across Wikimedia projects. Completing this project will allow for long-desired universal tools like a global watchlist, global notifications and many, many more features to make work easier.
If you have any questions, comments or concerns about the SUL finalisation, read over the [[m:SUL|Help:Unified login]] page on Meta and leave a note on the talk page there, or on the talk page for [[m:Talk:Global renamers|global renamers]]. You can also contact me on [[m:User talk:Keegan (WMF)|my talk page on meta]] if you would like. I'm working as a bridge between Wikimedia Foundation Engineering and Product Development, Wikimedia Stewards, and you to assure that SUL finalisation goes as smoothly as possible; this is a community-driven process and I encourage you to work with the Stewards for our communities.
Thank you for your time.
-- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] [[m:User talk:Keegan (WMF)|talk]] 2014年8月25日 (月) 18:24 (UTC)
<small>--This message was sent using [[m:MassMessage|MassMessage]]. Was there an error? [[m:Talk:MassMessage|Report it!]]</small>
</div>
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Keegan_(WMF)/MassMessage/Crats&oldid=9637985 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 暴君の件 ==
Tomzoさんが即時削除された暴君の件ですが,おそらくこちらで復帰する必要はないと思います。jawpの[[w:暴君]]をIPの人がリダイレクトだったものを記事化したところ,複数の利用者によってリダイレクトに差し戻されているという状況です([https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9A%B4%E5%90%9B&action=history 履歴])。たしかにjawpでは,かつて暴君などの削除依頼が出され削除されています([[w:Wikipedia:削除依頼/暗君]])。今回書かれていた内容がかつてjawpで削除された内容と同一であるかどうかは不明ですが,jawpで暴君を記事化した同じIPの人が同じ内容をWikibooksにも作成していったというところになりますので,こちらとしてはjawpの余波を受けているといったところだと思います。とりあえず,ご連絡まで。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2014年10月20日 (月) 15:46 (UTC)
:ご連絡ありがとうございます。事情は理解いたしました。
:まあ、そんなところだとは思っていましたが、一応、wikibooksのルールに則って、「教科書又はそれの一部」でないと'''内容に関わらず'''掲載しませんよということを忠告したところです。このような方は原則書き逃げなので、リプライがあるとは思っていませんが、念のためということで。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2014年10月21日 (火) 01:28 (UTC)
== テンプレート==
こんにちは、とこに頼めばわからなくて、できたら、私の代わりにこの テンプレートの作りを頼んでください。https://en.wikibooks.org/wiki/Persian/Lesson_1
{{Persian/exercises-top|Distinguishing '''a''' and '''â'''}}
| Decide whether the ‹a'''lef'''› in the following words stands for (short) ‹a› or (long) ‹â›. You do not need to be able to read the whole word at this stage.
|-
|{{Persian/Question-answer|question-fa= آبی |answer= (long) ‹â› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= اب |answer= (short) ‹a› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= آلمان |answer= (long) ‹â› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= اکبر |answer= (short) ‹a› }}
|}
お願いいたします。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月27日 (水) 05:47 (UTC)
:とりあえず移植してみましたが、今一うまくいきませんね。もう少しチャレンジしてみます。
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Persian/exercises-top
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Dynamic_navigation
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Persian/Question-answer
fa.wikibooks では最近このように作ってくれました。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 11:12 (UTC)
[[:en:Template:Persian/Question-answer]]で読み込んでいる
: Template:Question, Template:Answer
のコピーも必要のように思いましたが、いかがでしょうか。 --[[利用者:Kyube|kyube]] ([[利用者・トーク:Kyube|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 12:41 (UTC)
すみません、作り方や要のようなTemplate が分かりません。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 13:24 (UTC)
== 2018年8月17日の権利侵害案件について質問 ==
Tomzo さん、お疲れ様です。数時間前に対処くださいました[{{fullurl:Special:RevisionDelete|&type=revision&ids=127739,105975,85853,55966,55742,53815,53799,53722}}]について質問です。 ご承知の通り、その機能は権利侵害(著作権、名誉棄損、個人情報、プライバシー等)の虞が濃厚な場合に使い、単純な落書きや宣伝には使わない機能です。 Tomzo さんの目には「権利侵害の虞が濃厚」と映った、と理解して宜しいでしょうか。 私の目には落書き・演説・プロパガンダといった類にしか見えず、権利侵害を見抜けませんでした。お手数ですが、宜しければ権利侵害の具体的な箇所を、その内容を開示しないような形でお教えいただければ有難く存じます。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2018年8月17日 (金) 14:22 (UTC)
:回答が遅れ申し訳ありません。今回の措置につき説明いたしますと、本件不可視化は、権利侵害等を隠したものではなく「荒らし」対策であると申し上げておきます。まず、不可視化した部分の投稿者は、直近の1個を除き、「[[:w:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Grimm]]」と判断され、こちらは、10年以上WMP全体にわたって活動する、即ち、各プロジェクトにおけるルールを知悉した「荒らし」です。彼は、自分の加筆したものが除去されることは承知の上で、「偏執的」な編集活動を継続しています。個々の投稿については、必ずしも不可視化を要する有害記述とまでは言えなくても、それが繰り返しなされることは、有害記述である「[[:w:Category:長期荒らしの編集傾向 (虚偽投稿)|虚偽記述]]」同様プロジェクトに対する攻撃であり、これを不可視化することは、投稿者に対して「爪痕は残せない」事を示す対策と考えます。最初の1個につきましては、Grimmほど長期の活動ではありませんが、ウィキペディア、ウィクショナリーで、色彩関係の記事を中心に多くの執筆をし、その他論旨不明な記述をするために対話を求めるも、全く応じず、ブロックに対しては繰り返しブロック逃れで記述を続ける投稿者(「[[:w:特別:投稿記録/203.181.243.0/22]]」参照)と考えられます。これらの傾向の記述については履歴の残る除去措置だけでは、彼等の承認欲求を満たすことになるため、荒らしに応じた処置として実施した次第です。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2018年8月24日 (金) 19:10 (UTC)
::[[user:Kanjy|Kanjy]]です。ご回答いただき有難うございます。わかりやすく詳しくご説明いただき、背景および状況が理解できました。
::このような Tomzo さんの反応は、ウィキメディアの初心者を卒業しつつある初級者によくある過ちであるように、私Kanjyには感じられます。端的に言えば「大騒ぎし過ぎ」です。わざわざ御身を削って、重い重い[[wikipedia:WP:5P5|第5の柱]]を背負ってまで[[wikipedia:WP:DNFT|給餌]]なさっている Tomzo さんのご姿勢には賛同いたしません。過去版に落書きの履歴が残ろうが当ウィキブックスにとって痛くも痒くもありませんよね。今後はこのような管理者権限濫用は、どうか謹んでいただければ有難く存じます。
::一般論として、ブロック破り行為は許されません。それはプロジェクトにとっての脅威であり、プロジェクトを守るためにさらなるブロックが必要となり得ます。その一方、ブロック破り行為による投稿は、必ずしも常に削除対象として認められるとは限りません。削除すべきかどうかは内容に依ります。
::Tomzo さんのような働き者は、私にとって、当ウィキブックス日本語版の貴重な財産であり、失いたくありません。我が身を賭してでも犯すべき罪と Tomzo さんはお考えかもしれませんが、私の考えは異なります。この私の危機感をどうかお察しください。日頃の感謝を添えつつ衷心よりお願い申し上げます。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2018年8月25日 (土) 05:24 (UTC)
== お汲み取りください ==
ダーフレです。先ほど[https://ja.wikibooks.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tomzo&curid=5567&diff=135645&oldid=132322&diffmode=source このような荒らし]が発生したため、勝手ながらTomzoさんの利用者ページを編集させていただきました。なにとぞ、お汲み取りくださいますようお願いいたします。--{{利用者:ダーフレ/English}}2019年4月24日 (水) 08:20 (UTC)
:正当な対応であると理解いたします。対応感謝いたします。
:ついでなので、書き込み者に向けここに書いておきます。わかっているとは思いますが、私は、日本語版のウィクショナリー管理者である[[:wikt:Mtodo]]と同一人物です。あなたの、身の回りの事象はもとより(個人情報の不当開示)、'''正当な対話の拒否'''を続ける音楽や色彩に関する記述は、ウィクショナリーとここウィキブックスに残ることはないという事を宣言しておきます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2019年4月24日 (水) 14:05 (UTC)
== ご連絡 ==
中国IPの広域ブロックの件ですが,Tomzoさんが/48で設定して解除したレンジの件ですが,<s>広域設定最大限の範囲となる</s>/32で1か月ブロックをかけ直しましたので,とりあえずご連絡まで。漏れがあったり,もう少しレンジを狭められそうであれば,随時かけ直していただけると助かります(とはいえ,レンジを狭めると荒らしがすり抜けてきそうですが……)。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2019年7月28日 (日) 23:21 (UTC)
:(追記)今後も荒らし行為が収束しないようであれば,件のISPのIPv6の範囲をWhoisの情報通り/20のレンジで長期間・広域ブロックするしかないかもしれませんね(なるべくそういう事態は避けなければならないのでしょうけど,今の状況だと選択肢に入れざるを得ないのが現状です……)。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2019年7月28日 (日) 23:38 (UTC)
::お手間をおかけします。IPv6の広域ブロックの情報が少なく、適当な範囲の判断できなかったため/48で設定したところです。中国のプロバイダは、おそらくかなり広い範囲を押さえているため広域ブロックの効果がどの程度あるかはよくわからないところです。貢献はあまり期待できないんですがね。--[[利用者:Mtodo|Mtodo]] ([[利用者・トーク:Mtodo|トーク]]) 2019年7月29日 (月) 03:12 (UTC)
== Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
このたびウィキメディア財団では{{SITENAME}}とウィキメディアについて、ぜひあなたの経験をアンケート調査でフィードバックしていただけないかと考え、ご連絡しました。 この調査は、ウィキメディア財団が皆さんのウィキの作業をどの程度まで支援できているか、また将来的な改善点や修正すべき点を知ることを目的としています。 皆さんからお寄せいただいたご意見は、現状ならびに将来にわたり、ウィキメディア財団の仕事に直接、反映されます。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月9日 (月) 14:31 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19352826 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
1、2週間ほど前にコミュニティの意見調査について、ご連絡を差し上げました。 本件は、ウィキメディア財団がグローバルなコミュニティを対象に行う、毎年恒例の調査です。 ウィキであなたが取り組まれる作業に、財団がどの程度、お役に立っているかどうか、ぜひお聞かせください。 実は、現在までに皆さんからお寄せいただいた回答は、目標値達成まであと 10% となりました。 もしこれから回答しようとお考えでしたら、どうかご協力をお願いいたします! '''あなたの声をぜひお聞かせいただきたいのです。'''
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月20日 (金) 19:12 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19397751 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
コミュニティの意見調査終了まで、いよいよ残り時間が数週間となりました! おかげさまで目標回答率まで 30% を残すのみとなりました。 もしアンケートに未回答の方がおられたら、ぜひ目標達成にご協力ください。
今回の投票は、皆さんがご利用のウィキで進める作業をウィキメディア財団がどれほど支援できているか、フィードバックを募集しています。 回答にかかる時間はおよそ15分から25分で済みですが、財団がどんな支援を提供できるか、直接、影響を与えることになります。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年10月4日 (金) 17:02 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19430537 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== [[:%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%8D%B3%E6%99%82%E5%89%8A%E9%99%A4]] needs attention ==
I see that you are one of the active admins on Japanese Wikibooks. I just wanted to draw your attention to [[:%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%8D%B3%E6%99%82%E5%89%8A%E9%99%A4]] speedy deletion category. Some of the pages listed there has been sitting for a month or so. A [[m:Global sysop|global sysop]] unfortunately had to [[Special:Log/block|act]] and [[Special:Log/delete|clean up]] some spam pages from there. Could you take care of the other pages please? [[利用者:Masumrezarock100|Masumrezarock100]] ([[利用者・トーク:Masumrezarock100|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 17:41 (UTC)
:Thank you for your advice. I had missed that there were articles to delete. I have deleted all those items.--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 18:19 (UTC)
::No, I should be the one thanking you for your quick response. Arigatogozaimashita! [[利用者:Masumrezarock100|Masumrezarock100]] ([[利用者・トーク:Masumrezarock100|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 18:32 (UTC)
:::2 IPs are creating out of scope pages. Do kindly block and nuke. [[利用者:Minorax|Minorax]] ([[利用者・トーク:Minorax|トーク]]) 2020年1月29日 (水) 03:37 (UTC)
== 【緊急】荒らし対応について ==
現在、[[特別:投稿記録/Girlssenna die]]氏による荒らしが発生しています。これが[[Wikibooks:管理者伝言板]]、[[テンプレート:メインページメニュー]]まで行われており、バイト数が大きすぎ、開けないので一括削除をお願いします。早急な対応をお願いします。--{{利用者:雪津風明石/署名}}2020年5月3日 (日) 15:57 (UTC)
:連投失礼しました。別の管理者様により対応されましたことを報告させて頂きます。--{{利用者:雪津風明石/署名}}2020年5月3日 (日) 16:02 (UTC)
== 差し戻し ==
あなたのトークページが[[特別:投稿記録/122.130.226.148]]という、[[w:LTA:YELLOW]]と強く疑われる人物によって荒らされていたため差し戻しました。--[[利用者:ゆにこーど|ゆにこーど]] ([[利用者・トーク:ゆにこーど|トーク]]) 2020年5月18日 (月) 03:04 (UTC)
== 作成ログの不可視化もお願いします ==
お世話になっております。表題の件ですが、[[Special:Log/create]]に作成ログが残り、本文の一部が作成ログの要約に残ることがありますので削除ログの不可視化の際には作成ログについても不可視化をお願いできますでしょうか。削除と作成で何回もの操作に分けるではなく、[[Special:Log]]から一括で不可視化することもできるかと思います。要件のみとなってしまいましたが、よろしくお願いいたします。--[[User:Mirinano|<span style="color:#7e6ca8;">mirinano</span>]] ([[user talk:Mirinano|<span style="color:#7e6ca8;">talk</span>]]) 2020年7月6日 (月) 07:31 (UTC)
:ご指摘ありがとうございます。対応いたしました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2020年7月6日 (月) 08:19 (UTC)
== 「テンプレート:Ambox」等の即時削除(インポート違反)について ==
お疲れ様です。以下の各テンプレートを「他プロジェクトからの正しい手続きによらないコピー」との理由で即時削除なさったかと思います。しかし、本当に削除すべきだったか疑問を持っております。ウィキ間移動(トランスウィキ)にはインポートが義務付けられていますが、これらはウィキ間移動ではなくウィキ間コピーでしょう。ウィキ間コピーなら、インポートは必須でなく、要約欄で出所表示すればコピー可能と考えます。
*[[テンプレート:Ambox]]
*[[テンプレート:Ambox/doc]]
*[[テンプレート:Copyrights]]
*[[テンプレート:現在編集中]]
*[[テンプレート:現在編集中/doc]]
*[[テンプレート:出典の明記]]
*[[テンプレート:出典の明記/doc]]
*[[テンプレート:分割提案]]
以上、いかがでしょうか。お手数ですが、ご確認の上、ご説明いただければ助かります。ご説明に基づき、その後の扱い<small>(復帰すべきかインポートすべきか等)</small>を考えたいと思います。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2020年8月9日 (日) 12:06 (UTC)
== 最高裁判例 ==
Kyubeと申します。リンク切れ(以前は、リダイレクトが働いていたのですが、どうやら、最近(ルック&フィールをスマートフォン向けに変えてから?)働かなくなったようです)ということで最高裁判例を削除されておられますが、同じ内容ページを探されていますか?[[民法第130条]]では私が気付いて編集を加えていますが、ほとんどは後継ページが存在します。このような編集を続けられますと、迷惑としか言いようがありません。再考をお願いします。 --[[利用者:Kyube|kyube]] ([[利用者・トーク:Kyube|トーク]]) 2020年9月29日 (火) 01:43 (UTC)
== テンプレート ==
こんにちは、とこに頼めばわからなくて、できたら、私の代わりにこの テンプレートの作りを頼んでください。
この ようなテンプレート [https://en.wikibooks.org/wiki/Template:Dutch/Translation] と [https://en.wikibooks.org/wiki/MediaWiki:Common.js/CollapseElements.js] が必要です。テンプレートを作ってくれませんか?--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2021年7月26日 (月) 10:20 (UTC)
このテンプレート[https://www.mediawiki.org/wiki/Extension:Quiz] を作るのは許可が必要ですか?--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2021年7月27日 (火) 10:27 (UTC)
:テンプレートの類は依頼により誰かが作ってくれると言う性質のものではないので、[[Wikibooks:談話室]]ででも呼びかけて、誰か協力者を募るしかないですね。私も、お手伝いしたいところですが、ちょっと手が回ってませんし、それが、私に作れるものかどうかもわかりません。テンプレートの作成に許可は必要ではないので、ご自分でチャレンジされて良いかと思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年7月27日 (火) 10:37 (UTC)
== 京大対策wikibooksの議論ページにおける削除差し戻し対応について ==
失礼します。
前日9/10に二回不要投稿の削除の差し戻しをされているようですが、私は差し戻しは妥当ではないと判断しています。
私が議論の投稿において削除した該当箇所を確認していただければ分かるかと思いますが、削除箇所はHonoooという投稿者が再三にわたって攻撃性をむき出しに複数人に対して無関係な個人攻撃をくり返しているだけです。建設的な記事の修正案の議論の本筋と無関係どころか、円滑な議論の進行を妨害しているだけで悪質です。
Honoo氏は高校生を「自分が賢くてすごい人間と思い込んでる」、「お前らとはちがったまともな人間も、東大京大に進学するだろう」、「国が滅ぶ」などしつこく罵倒しているだけです。議論にとってなんら益のある投稿ではないばかりか、匿名掲示板と誤解した使い方をしているだけで、残す意義をまるで感じません。
特に自分が著しく悪質だと感じるのは、高校生の記事感想の書きこみに対するHonoo氏の口ぎたない個人攻撃の投稿文です(本議論と全く関係のない内容ですし、高校生の方の人間性を無根拠に著しく貶めるだけの内容で有害以外の言葉が出てきません)。
Tomzo氏は「削除は不適切」という指摘のもとで、二度にわたって差し戻しをなされたようですので、今一度、私が削除した箇所のHonoo氏と高校生の投稿のやりとりに目を通されてください。
またTomzo氏の1回目の差し戻し直後から、Honoo氏が再び水を得た魚のようにすぐ個人攻撃の投稿を再開しており(こちらも目を通してご確認ください)、これも議論が進まずハッキリと申しまして迷惑でしかありません。
投稿制限対応等で対応されない以上、削除の差し戻しを改めて撤回していただきたいです。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 05:26 (UTC)
:まあ…TomzoさんはTomzoさんで何らかの返信をなされるかもしれないけど…。ようするに,俺があの受験生に打った弾が,貴方にも当たってたってことでしょうね…。要するにあの周辺の言葉が不愉快で,不愉快ででたまらないってことでしょ?俺だって,[[特別:アカウント統一管理/卓球は陰キャの根暗なスポーツ]]なんて文字列は不愉快だからね…。まあ俺自身はあのトークページがどうなってもかまわないけど,かなり重要なここの原則として,トークページはいじらない,編集しないでそのまま残すっていうのがあるんだよね。その原則をひっくり返すには,相当な正当性ある理由が必要だし,貴方のその主張じゃあひっくり返らないと思うな…。だから,俺が発した不愉快な言葉を乗り越えて,あなたがあそこで編集したいなら,あのページで,俺が作った文脈に基づいて,何らかの妥当な主張,議論を発する必要があるだろうね。個人攻撃攻撃性無関係建設的な記事罵倒匿名掲示板人間性著しく貶める有害水を得た魚の迷惑投稿制限対応,程度の浅い言葉をここで並べた程度では,あなたの希望は通らないんじゃあないかなー。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 06:17 (UTC)
ここにも現れるわけですか‥。
私自身も、京大対策の議論ページの該当箇所の削除再申請が通ることは、必ずしも期待していませんが、このままでは本当に本題と無関係な投稿であのページが今後ますます膨れ上がる一方な気がしましたので、あの対応に対して申し立てを言い添えたというだけです。
そしてここでのあなたの上記投稿においてあるように、
>>「俺が発した不愉快な言葉を乗り越えて,あなたがあそこで編集したいなら,あのページで,俺が作った文脈に基づいて,何らかの妥当な主張,議論を発する必要があるだろう」
これは今後もあの議論ページに居座り続け、何かにつけて横ヤリを入れ続けるから覚悟しておけ、という宣言にしか私には聞こえないのですが……。
あの京大対策の議論ページは、京大対策wikibooksの記事の修正の建設的な案を持ち寄って議論を目的とした交流を行う場であって、「ほら、俺の投稿を論破してみろ」というあなた個人主導の趣味かゲームめいたものを行う場ではないと少なくとも私は思います。
あなたの連投が始まってから、修正の発起人でもあった2404氏もずいぶんと離席してしまっていますし、今後も誰かの投稿のたびにあなたを相手にすることは体力的にも精神的にもこたえるものがあります。その都度、話を腰を折られるのも勘弁していただきたいです。もう一週間もこんな調子だと思うのですが…。
そもそもご自分で「俺は京大にも京大対策wikibooksにも実は興味がない」と発言されていたのに、なぜいつまでも居座り続けていらっしゃるのでしょうか?
もう来なければいいし、閲覧しなければよいだけの話では……。
誰かが投稿するとすぐに横から話を脱線させて毒を吐いているのはあなたの方だと感じるのですが。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:28 (UTC)
:いやーもうあらゆることがめんどくさいから,あなたの論点には一切答えないけど,とりあえず京大入試のトークページにポストとして,事態を収束させるための文章を今書いていたところで,もう少しで書き終えるから,まずそれを読んでくれよ。その後,あなたたちが好きにすればいいと思うな…--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:40 (UTC)
そもそもあなたが京大対策の議論ページでの書きこみをやめれば、その時点で鎮静化します。
これ以上、あなたの気分ひとつで人を罵倒する書き込みをくりかえしたり、あなた発案の「謎の新しい項目」を設置することはおやめになってください。
京大対策の議論とますます無関係な事柄を増やすだけです。
もう一度強調しますが、あの議論ページは京大対策の記事の是非について議論を交わすための場所です。
それ以上でもそれ以下でもありません、
項目の新説は不要ですし、結構です。
やめてください。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:53 (UTC)
:いやーあんたが自由にすると同様に,俺も自由にするよ。まあはっきり言って,お前みたいな奴がこの人間界で,一番いけ好かないな(^^)凸--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:59 (UTC)
議論ページの投稿を拝読しました。
Honoo氏の主張の骨子は理解させていただきました。
また受験生の最初の発言に兆発めいたニュアンスがあったこと、180の独断専行性の二点がそもそもの問題であったということは私も同意できる部分です。
また京大対策議論ページの存続そのものに否定的な立場ではないということも理解させていただきました。
この部分におけるHonooo氏の主張から悪意をもってしての書きこみの意図はなかったという言い分も自分なりに理解させていただきました。
議論を仕切り直すという提案も合意するところです。
私も熱くなっていたところがありますので、これをもってお互いに「和解」という形で締めさせていただいてよろしいでしょうか。
Honoo氏も納得していただけるようでしたら、冒頭のTomzo氏への提言も取り下げいたします。
私もここ数日はいらだっていたところがあったかと思うので、熱くなったという意味では申し訳なかったです。
もちろん議論ページにおけるHonoo氏の過激な発言すべてを容認することはできませんが、私の方も言い過ぎました。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 08:38 (UTC)
:いいですよ^^。和解しましょう^^。昔ルパン三世カリオストロの城で,銭形がルパンの握手を拒否しましたが,私は相手が何者であっても和解を持ちかけられて,和解できると思ったらうけいれますよ。ただこれは,なんとなく思い出したから書いただけで,もちろんあなたがルパンであり,泥棒であると言っているわけではありませんよ。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 09:05 (UTC)
ありがとうございます。
それではお互いの合意をもって、Honoooさんとは和解という形で落ち着かせていただきます。
またこれをもちまして、Tomzo氏への冒頭の提言は取り下げという形でお願い致します。
結果として流れ弾の形になったTomzo氏にご迷惑をおかけしてしまったことを含めてこの場を借りてお詫び申し上げます。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 09:22 (UTC)
::本件収束したものと認識します。お二人向けに、一応念のため。
::*WikiMediaProjectにおいては、議論の経過は非常に大事です。履歴がたどれる「除去」とは言え、その正否が追えなくなる事態は避けるべきで、反論等は同一の空間で行われるべきです。
::その上で、議論の不要な発散を避けるため、以下の点については配慮するようお願いいたします。
::*[[w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]
::*[[w:Wikipedia:エチケット]]
::--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年9月12日 (日) 06:05 (UTC)
:投稿で指摘された議論の進め方については理解いたしました。
その点については反省しつつ、調整に励ませていただきます。
しかしながら、新しい訪問者によって意見が投稿されるたびに、Honooo氏が敵意をあらわにする傾向は、こちらが9月に注意喚起をくり返してからも一向に改善が認められません。
発言内容以前に、言葉が攻撃的すぎますし、蔑視的な内容も目立ちます。
萎縮して彼以外に誰も発言しなくなっており、悪循環です。
特に今回のような新規参加者が開口一番に彼からあのような言葉を8回連続で投稿されては、彼の大量のコメントで議論経過が寸断され、非常に全体の展開を読みづらくさせます。
また、彼が絵文字でたびたび使用する「中指を突き立てるポーズ」は、「他人に対する最大級の侮辱行為」に当たるファックサインであり、目に入るたびに大変に不愉快です。
とくに塾講師という彼の職業などを貶める発言は、議論以前に人としてのマナーを著しく欠くでしょう。
今回の塾講師にとどまらず、そもそも議論版にいない京大関係者に対して、口汚い言葉を発する文面も目立ちすぎます。
どうにも、言論を暴力とはき違えている節があります。
これは上記9月から続いており、一度は和解をしたかに見えて改善を期待しましたが、裏切られた思いです。
ただ、今後もこういう状況が続くことが予見される以上は、やはり一旦削除させていただきます。
あの投稿が残っている限り、新規参加者の参入を著しく阻んでいると感じます。彼自身が最後の投稿でおっしゃっていましたが、ツイッターなど他媒体のSNSで議論版での彼の発言が取り沙汰されているようで、残しておくのは議論版への新規参入をためらう要因を野放しにするようなものでしょう。
合意が必要とのことでしたので、「削除措置を戻すべき」という意見が誰かから上がれば、そのときはこちらで差し戻させていただきます。
彼の言葉づかいと威圧的な投稿さえ改善されれば、彼があの議論版で何を発言しても、私は問題はないと考えています。
私は彼がふるまいを改めることをまだ信じたい立場ですので、彼に対してペナルティを課したり、利用制限を設ける必要はないと感じています。
ですが、とりあえず上記の方針と理由にもとづき「暫定的に」削除だけはさせていただきます。
--[[利用者:Evgrem2|Evgrem2]] ([[利用者・トーク:Evgrem2|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 14:50 (UTC)
:たとえ、あなたが消したものが掲載に不適当に見えようとも、あなたの行動は、側から見ると、あなたの独断による行動にしか見えないのですよ。そう言う意味ではどっこいどっこいです。あと、WMPにおいて『削除・不可視化』と『除去』は異なります。議論の場においては『除去』は、誤記の修正や議論終了後の履歴への移動など限定的にしか利用されません。修正・取り下げは打ち消し線が推奨されます。議会議事録等と同等と考えてください。
:議論の進め方については、「[[w:Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う]]」などを参照してください。今回については、「論点を明確にする」からスタートしてください。
:記述について不適当な表現がある場合は、記述者に対して、具体的箇所を示し修正・訂正(それに伴う不可視化の承認など)を要求してください。それに理由なく応じない場合は、「対話の拒否」を問うことができます。
:以上は「議論の内容」の問題ではなく、WMPに共通の「議論のやり方」の問題であることをご理解ください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 17:15 (UTC)
お早いお返事ありがとうございます。
WMPの作法に疎かったため、独断専行が過ぎた点は深く反省します。
以後においては、「除去、削除に当たる行為全般」は行わないよう徹底いたしますが、議論の経過があまりにも読みづらいため、Honooo氏本人からの合意が得られれば、議論経過の文脈上関連性の薄いと思われる彼の投稿について、部分的に新設した自由発言スペースへと移行してもWMPの作法上としても問題無いと判断してよろしいでしょうか?
その場合、議論のどの箇所からカット&ペーストで移行したかについて記載はするようにします。(新設スペースにて)
--[[利用者:Evgrem2|Evgrem2]] ([[利用者・トーク:Evgrem2|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 17:34 (UTC)
:議論の当事者で納得し、議論の経過をきちんと追えると言うのであれば、それに伴う改変は止めるものではありませんが、おそらく、その改変に向けての議論はあまり生産性のある議論とは思えません。
:それよりも、過去の記載はそのままにし、それを元に、「論点」を明確にするため、各々の主張(やりやすいのは、一方の主張をまずまとめ、それについての賛否を述べるやり方。そうでないと、空中戦になります)を要約して箇条書き等にして、それに対する賛否を整理する方法で進めることをお勧めします。
:その上で、過去に不適当な記述(過度の誹謗中傷など)があるのならば、当該箇所を明確化して、合意(「[[w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]」「[[w:Wikipedia:エチケット]]」から、大きく逸脱しているなど合理的な除去等の提案は認められるでしょうし、それに応じないことは「対話の拒否」等に該当することがあります)の上の除去や記述の不可視化の依頼等を行なうことで、対処が可能です。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 23:52 (UTC)
== How we will see unregistered users ==
<section begin=content/>
こんにちは、
ウィキメディアのウィキ管理者の皆さんにこのメッセージをお届けしています。
ログインしていない人がウィキメディアのウィキを編集すると、今日現在はその人の IP アドレスを開示します。すでにお聞きかもしれませんが、この方法は近々、採用できなくなります。オンラインの個人情報保護の規範と規約の変更によりウィキメディア財団法務部が決定しました。
IP アドレスの代わりに秘匿した特定情報を示すことになります。管理者の皆さんには'''引き続きIPアドレスへのアクセスは可能です'''。管理者ではない皆さんには荒らしや嫌がらせ、スパム行為に対策するためアカウント非登録の利用者のIPアドレス全文字の閲覧が必要な場合、新規の利用者権限を設けます。 巡回者の皆さんには、左記の権限がなくても IP の一部が閲覧可能です。同時に支援策として[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation/Improving tools|より良いツール]]の準備を進めています。
これを初めて見る皆さんは、[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|メタで詳細を参照]]してください。ウィキメディアのウィキにおける技術的な変更の情報を見落としたくないとご希望なら、[[m:Tech/News/ja|週刊技術ニュース ]]の[[m:Global message delivery/Targets/Tech ambassadors|購読]]をお勧めします。
この個人特定情報に関しては[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation#IP Masking Implementation Approaches (FAQ)|提案が2案あります]]。皆さんの使いやすさと皆さんのコミュニティての適性について、直近ならびに将来を見通し、'''ぜひご意見をお聞かせ願えないでしょうか'''。[[m:Talk:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|トークページにて投稿をお待ちしています]]。ご自分の言語でお書きください。2案の提案は10月に掲出しており、 結論は1月17日以降にまとめる所存です。
よろしくお願いします。
/[[m:User:Johan (WMF)|Johan (WMF)]]<section end=content/>
2022年1月4日 (火) 18:17 (UTC)
<!-- User:Johan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Johan_(WMF)/Target_lists/Admins2022(5)&oldid=22532651 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wiki投稿ブロック依頼における投稿者honoooの書き込みについて ==
昨日はお手数をおかけいたしました。
今朝方、公共のwikiboooksブロック投稿依頼スペースにて、ユーザーhonooo名義で、「私を殺せ」と他ユーザーに募る書き込みがなされております。
到底穏当な書き込みとは思えないので、不可視化など対処をお願いできますでしょうか。
以下に該当の投稿記録を添付します。
でもよく考えたらすじにく氏も管理者の悪口書いていたし,管理者も一人ではない。ウィキメディア財団という大元もあるんだろう…。結局何がどうなってるか,全く分からんよ^^;;;。さー殺せっ!!!^^;;;--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2022年3月1日 (火) 19:09 (UTC)
https://ja.m.wikibooks.org/wiki/特別:携帯機器差分/194932
—[[利用者:Mauzie683794|Mauzie683794]] ([[利用者・トーク:Mauzie683794|トーク]]) 2022年3月1日 (火) 23:51 (UTC)
:私には、「殺せるものなら殺してみろ」という言に読める、というか、日本の芝居をはじめとする言語習慣でのこの言い回し(「'''さあ'''殺せ」)の用法はそれです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 00:30 (UTC)
そう思わせられないのは、平素の本人の言葉づかいによるところが大きいでしょうね。
人は字面だけを撫でて文を解釈するものではないでしょう。
管理者の解釈として中立を守った公正な判断と受け止めます。
ただ彼があなたのその姿勢を、管理者に加勢されたと安易に曲解していないことを願います。
これ以上は深入りを避けますが、参加人数の規模の問題もあるとはいえ、下品な吐き捨ての言葉が更新一覧で目立つのは、wikibooksの治安として非常に残念な気持ちになりました。
もっとも私も昨日はそれに加担してしまいましたので、今となっては言える資格もありませんが。
失礼いたしました。 [[利用者:Mauzie683794|Mauzie683794]] ([[利用者・トーク:Mauzie683794|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 01:02 (UTC)
:曲解もなにも,物事と言葉を正しく解釈して生きてる奴なんてこの世に一人もいないよ。あんた(Mau~)もすじ肉や京大の連中と同様に,自分が賢いと思い過ぎ。もうちょっと自省せよ。因みにこのさー殺せの映像イメージは,あらゆることがにっちもさっちもいかなくてやけくそになって,道の真ん中で大の字になって宣ってるイメージ^^;;;
:ウィキペは治安を維持するために早々にすじ肉を追放した。ここは小さい規模なこともあって彼を受け入れている。もっとも俺はもう拒絶してるけど…。そしてこういう人間がいると日常的に場は当然荒れるよ。あなた(Mau~)も結局はすじ肉と同じような人間だね。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 12:09 (UTC)
== LTA:SUMOSONG ==
私の会話ページや管理者伝言板などに現れている[[w:LTA:SUMOSONG]]ですが、替え歌転載を含むので投稿内容の不可視化が必須です。アクティブな管理者の方が貴殿のみですので,不躾ですがお願い申し上げます。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月12日 (木) 23:19 (UTC)
:不可視化が必要なのは著作権違反の場合等なのですが、書かれたものの著作物との一致が確認できないんです。替え歌の歌詞自体はオリジナルに対して著作権を侵していないので違法ではありません。侵害されるオリジナルをご教示いただければ対応いたします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月13日 (金) 03:17 (UTC)
::返答が遅れて申し訳ございません。{{User2|ガントルガ・ガンエルデネ}}の追加した内容は山口百恵の「いい日旅立ち」の替え歌です。ちなみにJAWPでは不可視化されています。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月20日 (金) 23:21 (UTC)
:::JAWPでの不可視化の判断基準は存じませんが、替え歌の場合、音声ファイルならまだしも、歌詞の羅列だけであるとオリジナルの著作物に相当するため著作権の観点からの不可視化は失当と考えます。---[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月23日 (月) 06:38 (UTC)
::::了解いたしました。これからもよろしくお願いします。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月26日 (木) 02:19 (UTC)
== 利用者:nnhの会話ページについて ==
私こと[[利用者:Nnh|nnh]] ([[利用者・トーク:Nnh|トーク]])の利用者ページとトークページの白紙半保護をお願い致します。--[[利用者:Nnh|nnh]] ([[利用者・トーク:Nnh|トーク]]) 2022年5月26日 (木) 02:15 (UTC)
:本件対処いたしました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月26日 (木) 03:12 (UTC)
== [[:カテゴリ:即時削除]] ==
Hi, could you please take a look at the deletion requests in the above category?--'''[[User:Rschen7754|Rs]][[User talk:Rschen7754|chen]][[Special:Contributions/Rschen7754|7754]]''' 2022年7月30日 (土) 18:55 (UTC)
rmtf4owxwxkmo9thp71g21gu0xob9ly
206017
206015
2022-07-30T20:01:38Z
Tomzo
248
/* カテゴリ:即時削除 */
wikitext
text/x-wiki
==管理者==
こんばんは。お世話になっております。早速ですが、管理者に立候補していただけないか伺いにあがりました。ウィキブックスの現状については私よりもよく把握されているのではないかと思います。管理者がもう少し必要です。Tomzoさんはウィキブックスでの実績がありますし、管理者にふさわしいのではないかと思います。気が重い様でしたら臨時ということでも結構です。ご一考くださいませ。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月1日 (火) 16:35 (UTC)
:あくまでもアカデミックな雰囲気は失わせたくないと願う執筆者には、嫌な雰囲気になってきましたね。基本的に、「削除」と「ブロック」のみでしたら、皆様のご支持をいただければお手伝いできると思います(ただ、前提として「booksの趣旨にふさわしくない記事」とはを整理する必要はあるかとは思いますが)。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月2日 (水) 05:20 (UTC)
::お返事おくれましてすみません。お受けいただきありがとうございます。よろしくおねがいします。推薦の方がよろしければご遠慮なくおっしゃってください。
:: アクティブな管理者が増えることは、雰囲気の悪化を抑え、改善へ持っていくための底力になります。あとやはり自分で関わったことの削除やブロックをするのは、普段よりも説明責任の負担が大きくなりますし、対外的にも好ましくありませんので、2人になるのは非常に心強いです。
:: 状況改善は短期間でどうにかなるものではなく、じっくり取り組むしかないと思っています。私はアカデミックな雰囲気にはこだわっていませんが、ただ、最低限の質(これについても結構許容範囲は広いつもりですが)を保っていくことは必要かなと思っています。ウィキブックスにふさわしい内容かどうかは線引きが難しいところもあると思いますので、これも議論を積み重ねながらじっくり取り組むしかないかと思います。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月7日 (月) 12:00 (UTC)
:::御説に賛同いたします。立候補については、特に裏工作をしているわけでもなく、経緯もこのようにオープンになっているので、自分でやっておきます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月9日 (水) 09:38 (UTC)
信任されたと見なしまして管理者権限を付与しました。どこから手を付けたものか、というところですが、たぶん、管理者としてバリバリがんばるというよりは、完成形の見える教科書を作る方から行うのが良いのかなと思ったりしています。今後ともよろしくお願いします。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年5月16日 (水) 14:36 (UTC)
:いろいろ、お手間をとっていただき、ありがとうございました。
:当面は、方向性を見守ることにし、都度、荒らし的な書き込みや教科書としての体系をなさない書き込みの削除あたりの対応からと考えています。そのうち、参加者が増え、まとまりがつかなくなってきたら、交通整理が必要とも思いますが、まあしばらくは大丈夫でしょうか。キーは、体系的叙述たり得るか否かということかと思いますが、そのあたりはまとめて、後日相談します。
:今後ともよろしくお願いします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年5月16日 (水) 16:13 (UTC)
==削除の際の確認について==
悪戯の対処として即時削除された[[Wikibooks:スタブ]]ですが、履歴をもっていたので復帰しました。まあ、削除に関して取り返しのつかない間違いはそうありませんが、今後は履歴の有無についてご注意ください。[[Wikibooks‐ノート:スタブ]]も参照してください。ご連絡まで。[[利用者:Electric goat|e-Goat]] 2007年6月3日 (日) 08:09 (UTC)
p.s. ご存知かもしれませんが、履歴のリンクをクリックせずとも alt-h (Mac なら ctrl-h) のショートカットで確認できます(ブラウザにもよるかもしれません)。あと削除のときは whatlinkshere (alt-j) も確認しておくと、特にリダイレクトなどに関して参考になる場合もあります。[[利用者:Electric goat|e-Goat]]
:ご迷惑をおかけしました。以後気をつけます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2007年6月3日 (日) 10:16 (UTC)
==依頼事項?==
本人希望の永久ブロックを依頼しているのにまだブロックがなされていないので早く、管理者なら職務を果たされたい。怠けるようなら、管理者を辞退されたい。時間がもったいない。--[[特別:Contributions/210.172.74.142|210.172.74.142]] 2008年1月12日 (土) 08:07 (UTC)
:管理者としてあなたのリクエストにこたえる義務はない。何か微罪を犯せば、それを以てブロックの契機とする。まあ、ごく普通の人ならば「書かない」というビヘイビアで十分なのだが。そんなに相手にしてほしいのですか?--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月12日 (土) 08:10 (UTC)
:加えて、こういう独立した事項はwikiの書式を使って節を分けてくださいね。読みにくくてしょうがありません。と言っても絶対聞かないんでしょうが。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月12日 (土) 08:26 (UTC)
==なぜそう思うのですか==
:ついでにいえば、wiktにおける[[wikt:利用者:So|利用者:So]]さんとも同一人物のようですね。小学生といわれて怒っていたようですが、図星だったか、せいぜい、中学1年生位でしょう(それより上だと、これからの人生大変ですねと同情いたします)。とりあえず、[[w:Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]も熟読してください。wikiプロジェクトに共通した若い人たち向けの注意点が書いてあります。このまま同様の行動をとり続けると、どのプロジェクトからも、しかるべき対処を受けることになります。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月18日 (金) 13:43 (UTC)
と、投稿し覚えはありませんか。なぜそう思ったのですか?--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月19日 (土) 03:45 (UTC)--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月19日 (土) 03:45 (UTC)
:投稿時期、フォーマット、投稿傾向(内容及び言葉遣いの幼さ)からです。大人にはわかりますよ。ついでに「アカウントする」というのは、熟した日本語とはいえません。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月19日 (土) 04:14 (UTC)
::指摘を受けて逆上してしまったりする時点で幼さを感じるというのは事実です。確実な証拠がないので同一人物であるとまではいいませんが、疑われても仕方ないと思います。投稿者の会話ページにまで、反論しにやってくるというのは逆に事実(図星)だったからなのでしょうか。...という風にそういう行動を取る度にもっと不利になっていくんじゃないかと思います。 --[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年1月19日 (土) 14:15 (UTC)
== 回答 ==
:すっかり忘れていましたが、このメッセージと、上の[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]]さんのメッセージは、あなたが誰かを当てようしているわけではありません。そんな下らないことはどうでも良いことです。ちゃんと読んでください。あなたが、プロジェクトにおいて、まじめな参加者に迷惑な行為をしていることについて注意をしているのですよ。その点については、何とも思っていないと言うことなのですね。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月20日 (日) 16:05 (UTC)
→そういうことはありません。警告をうけているユーザーいるでしょ? [[w:利用者:JKO|JKO]]とか[[wikt:利用者:So|So]]とか決め付けられると。--[[利用者:城南|城南]] 2008年1月27日 (日) 09:35 (UTC)
:別に彼らが別のプロジェクトで何をしようとここでは関係ありません。ただ、他のプロジェクトによく似た行動により警告を受けている共通の性質があるので、例示されているだけだと思いますよ。共通する性質とは「'''ウィキプロジェクトは『子供の遊び場』ではない'''」ということです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年1月27日 (日) 09:41 (UTC)
== なぜ嫌がらせ? ==
[[利用者:海獺2|海獺2]]さんと同一人物ではありませんが、なぜ嫌がらせに妥当するのですか?ご本人さんは[[w:ラッコ|海獺]]が好きとおっしゃっているのですけど。--[[特別:Contributions/125.199.179.138|125.199.179.138]] 2008年2月11日 (月) 14:57 (UTC)
:理由は、[[Wikibooks:投稿ブロック依頼#利用者:城南、利用者:海獺2]]にあなた向け(どうせ自作自演でしょう?)のメッセージとして書いてあります。そこにも書いてありますが、直接証拠がないから、同一性は証明できないというのは子供の言訳に過ぎません。「状況証拠(意味を調べましたか?)」から見て、これら一連の行動が同一の人物よりなされ、繰り返しの警告に対して何らの反省も見られないということは、関係者において心証を形成しています(それを、強めるためにCUまで行なわれていますが)。言い分があれば、ブロック依頼にどうぞ、いまなら[[user:城南]]のブロックは解けているはずなので書き込みができると思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2008年2月11日 (月) 15:26 (UTC)
::取り敢えず、一言。文句あるならそれなりの行動をしてからいって下さい。ルールを無視した行動を起こしてそれに対して注意しても聞き入れず、逆ギレして更に荒らしまくる・注意した人の会話ページにきてさんざん文句いいまくるなどもってのほかです(こういった編集傾向だけで同一人物であると疑わざるを得ないです)。なお、編集傾向として、単独で考えても十分にブロック相当であると思います。どこの世界にも(遊びでさえ)守らなければいけないルールがあります(最低限のルールを守って初めて自由が認められます)。そのルールを無視すればそのコミュニティからは排除されたりそれなりの厳罰が科せられるのは当然です。あなたの行動は既に現実世界において<del>は</del><ins title="訂正">考えれば</ins>死刑<ins title="追加">(または無期懲役)</ins>に相当してもおかしくない<del>レベルに達しています</del><ins title="訂正">くらいの重罪を犯しているのと同等といっても過言ではありません</ins>。一旦冷静になって何が問題なのかを考えて、何が問題なのかが分からなければまだコミュニティに参加するのは早いと思って下さい(というより既に回答に近いコメントしてますが)。理解できるようになるまでは参加を自粛お願いします。って、一言でなくなってしまった。 <del>--[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年2月11日 (月) 19:02 (UTC)</del> <small>訂正。すみません、少々口が悪かったです。表現を変えてみました。 --[[利用者:Mzm5zbC3|Mzm5zbC3]] 2008年2月11日 (月) 23:09 (UTC)</small>
== あの・・・ ==
すみません。反省しています。Windows入門の件ですが、どのOSを参考にすればいいのか分かりませんでした。--[[利用者:Syun814|Syun814]] 2009年2月2日 (月) 05:40 (UTC)
== 報告 ==
[[w:LTA:GRIMM]]に書いておきましたが、GRIMMについてOCNへ報告を行ったのでお知らせ致します。jawikiに関しては管理者MLで報告を行い、他の方にはメールを送ったんですが、Tomzoさんはメールを受け取られていないようなのでこちらへ。内容について深く突っ込みたいときはメールをお願いします。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]] <small>[ [[User talk:Marine-Blue|会話]] [[Special:Contributions/Marine-Blue|履歴]] [[Special:Emailuser/Marine-Blue|電信]] ]</small> 2009年3月4日 (水) 01:52 (UTC)
:お疲れ様です。ご対応ありがとうございます。メールは先ほど確認したところ受け取っておりましたのでご報告いたします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年3月4日 (水) 03:15 (UTC)
::ウィキメールの画面が正しく開けました。昨日試したときは上手く行かなかったのだけど何故だろう。…まぁ、そんなことを考えても仕方ないのですが、次回から連絡の際にはメールを送信することにします。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]] <small>[ [[User talk:Marine-Blue|会話]] [[Special:Contributions/Marine-Blue|履歴]] [[Special:Emailuser/Marine-Blue|電信]] ]</small> 2009年3月5日 (木) 10:47 (UTC)
==大東亜戦争の削除について==
なぜ削除したのか理由をご説明ください。虚偽編集はしていないはずですが。--[[特別:投稿記録/114.48.58.236|114.48.58.236]] 2009年6月21日 (日) 13:20 (UTC)
:あの内容では、何の教科書であるかがわからないため、wikibooksの趣旨に沿っていないと判断しました。
:なお、同内容を例えば、「日本史」の一部として再掲した場合、やはり削除すると思います。これは、現在の「[[第二次世界大戦]]」においても言えることですが、タイトルに比べ、内容が貧弱すぎることに起因します。
:教科書とはある知識を体系付けて伝えることであり、記事は、「どの知識」の「どの内容」かを明確にして書かれるべきです。このとき、その外縁が示されていなければ、そこには何が書かれるべきかが共通の了解事項として認識されず、共同プロジェクトとしてのWMPを統御することはできません。例えば「中学社会歴史」というのであれば、学校指導要領という枠があり、何も書かなくても自ずと制限があり、その制限内で記述をするという共同作業ができます。しかし、単に日本史の中の「第二次世界大戦(これは、日本史という観点からだけの記事とはならないためタイトルの変更が必要ですが)」とだけ書かれても、この事項自体大変大きなテーマですから、今のレベルの記述では、今後どのような体系で何が記述されるべきかが共通の理解とはなりえません。WBはWPではないので、散発的な知識の記述は求めていません(どうしてもしたければWPでやれば済む話です)。WPに記述しようとするのであれば、既存の体系化された記事の一部として記述するか、知識体系を記述しそれにふさわしい記事が記載されるべきと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月21日 (日) 13:54 (UTC)
:内容がしょぼいのは[[大東亜戦争]]も[[第二次世界大戦]]も以前から思っていました。じゃあ充実した記事とは何か?ウィキペディアから転載するのが一番楽で手っ取り早いですが教科書とはいえない量でしょう。となるとどの程度が適量なのか?それをハッキリさせて下さい。--[[特別:投稿記録/114.48.153.164|114.48.153.164]] 2009年6月21日 (日) 14:24 (UTC)
::それは記述をしたい人の役割だと考えますが、まあ、手っ取り早い方法としてはこれから何を書こうとするのかを示す'''目次'''を作られることをお勧めします。それを議論するだけでも見通しはかなりよくなります。ちなみに、「教科書とはいえない量」とは多寡どっちのことを言ってますか?これが、「日本史」とか無限定なレベルだと、WPの記述はかなり少ない量だと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月21日 (日) 14:32
(UTC)
==記述の削除について==
どこの項目がどこにどういう風に逸脱しているのかご指摘ください。これでは「充実した」歴史教科書の編修は無理ですよ。--[[特別:投稿記録/114.48.142.70|114.48.142.70]] 2009年6月23日 (火) 10:01 (UTC)
:[[ノート:中学校社会 歴史]]に「中学社会」の学習指導要領を添付しています。知識の伝達には、その伝達対象を意識した知識の取捨選択がありその枠内で書かれるべきであり、それを超える場合には適切なガイドがあるべきです。戻した前のものは中学生に伝える内容としては詳細すぎる用語、事件名、人名が見られます。一般的な歴史概説ならまだしも学習指導要領の枠のある記述であれば、それを配慮すべきと考えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月23日 (火) 10:09 (UTC)
::了解しました。ウィキペディアではないですからね。今後は他方とも相談しながら追記していこうかと考えております。「詳細すぎる用語」とありましたが私が記述したのは全て扶桑社の「新しい歴史教科書」と同様の内容ですので「詳細すぎる」との発言は少々ご配慮が足らないものかと違和感を感じております。--[[特別:投稿記録/114.48.142.70|114.48.142.70]] 2009年6月23日 (火) 10:21 (UTC)
:::まず、本節が「概要」であることを認識ください。学校教育用の教科書では、そこに登場させる「用語」「人名」「事件名」については、「それを記憶しなければいけないのか」それとも「とりあえず流していいものなのか」を明確にしておく必要があります。「概説」のレベルなら、それは覚えておかなければならないレベルであると解釈されても仕方ないと思います。ここに、「関東軍」「石原莞爾」「1931年9月18日奉天郊外の柳条湖で」「この満州国は五族協和、王道楽動をスローガンにし」「援蒋ルート」などの言葉を並べられても、中学生として必要とされる学習レベルを逸脱しているといわざるを得ないのではないでしょうか。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年6月23日 (火) 10:45 (UTC)
==大学入試対策について==
こんばんは。貴方の仰る削除・修正基準が現状のままではいまいちわかりません。関関同立の他3大学の対策の記事を見ても、関関同立の一つで難関私大という語句がありますが、3項目とも削除等の編集はされずそのままになっています。当該記事のこの部分を削除するのであれば、同志社・立命館・関西大学のそれに相当する部分も削除していただかないと、判断基準が公平には思われません。
私個人としては、貴方の編集された青山学院大対策と比較しても、関関同立の一つで難関私大という文言くらいはあってしかるべきと思われます。いずれにしても、公平で慎重な処置を期待しています。--[[特別:投稿記録/218.129.22.227|218.129.22.227]] 2009年7月27日 (月) 16:23 (UTC)
:[[日本の大学受験ガイド#本項記載における注意事項]]をご覧ください。
:*記載においては、客観的・検証可能な内容を記述するよう努め、特に以下の表現は原則として使用しないよう、配慮してください。
::*「名門」「重鎮」「'''難関'''」「優秀」「逸材を輩出」「……期待を集める」「……とされている」「……といわれている」「……と称されている」「有名大学」「難易度が高い」
:と記載があります(これは、WPの「[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学#大学記事の表現について]]」をもとに合意の上、定立されたルールです。「関関同立」の表現は「『○○大学と同レベルである』『○○大学とランクは変わらない』などと行った他の大学と対比させる表現」のひとつとして修正しました。MARCHなどの表現も同様見つけ次第削りたいと思います。
:そもそも、「○○大学の●●の出題傾向」等を記載するのに、他大学との比較は不要(「××大学の出題傾向と似ている」との表記でもあれば根拠を求めたいと思います)でしょうし、大学紹介自体はWBの任とするところではありません。
:基本的にRCにあがるたびチェックし(全部をサーベイするほど執着しているわけではないので)、このような表現を削っています。もしも、「○○大学のでは、この表現が許されているのに、××大学のは削りすぎだ」と仰るなら、それは「○○大学」の削りようが徹底していないだけなので、そうご指摘ください。早急に「○○大学」の該当部分を削ります(ということで、ご指摘の3校分も修正しておきましょう)。
:「大学受験ガイド」については、[[Wikibooks:談話室#大学受験ガイドの存在について]]などで議論しているとおり、教科書(私は、これを「知識を体系だてて記述したもの」と定義していますが)とするには、特に正確性という観点からボーダーラインのところがあります。それでも、各科目の出題傾向などについては貴重な経験等の反映もあるでしょうから、譲っているところですが、大学をランキング・カテゴライズする行為については、ルールを厳格に適用するつもりです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年7月27日 (月) 17:05 (UTC)
早速の対応ありがとうございました。--[[特別:投稿記録/218.129.22.227|218.129.22.227]] 2009年7月28日 (火) 16:34 (UTC)
:ご理解いただけ幸いです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年7月28日 (火) 17:30 (UTC)
あなたの私怨による迷惑行為を止めてください。--M 2012年3月21日 (水) 08:33 (UTC)
機敏なあなたはもちろん見てますよね?逃げないで下さい。--M 2012年3月21日 (水) 11:54 (UTC)
現在もなお逃亡中w職権乱用・職場放棄でお馴染みのTomzoくんwww--M 2012年3月22日 (木) 03:48 (UTC)
==こんばんは==
どうもこんばんは。私の会話であなたは[[:en:w:Tungchow Mutiny]]にあったとんでもない記述として、
:Mention of the Tungchow Mutiny appears very rarely in Chinese sources, as Chinese historians believe that the right-wing organizations in Japan use this incident to downplay the atrocities committed by the Imperial Japanese Army in the Nanjing Massacre upon Chinese citizens.
をあげられてますがこれはどんな感じの意味になるのでしょう?翻訳してみましたがいまひとつなのでお教えください。--[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]] 2009年8月25日 (火) 15:30 (UTC)
::あの~対話拒否でしょうか?それともそのぐらい自分で調べろ、という事なのでしょうか?大体の大枠で結構ですので教えてください。--[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]] 2009年8月26日 (水) 13:05 (UTC)
:::対話の拒否といわれると、そうですとお答えします。「こう訳してみたんですが間違っていませんか」ならわかります、「訳してください」といわれると「私は、ボランティアの通訳ではありません」とお答えします。こういうのは、非常に失礼な依頼の方法であるということを覚えてください。また、たかだか、40語程度で、かつ比喩比較や仮定法といった修辞もまったく無い、非常に素直な英文です、一語一語辞書で調べて並べても、大体の想像はつきます。[[利用者:Luna Lovegood|Luna Lovegood]]さんは、思うに中学生ですか、それなら仕方ありませんが、もし高校生ならば、悪いことは言いません、しばらく、PCから離れてまじめに学校の英語の勉強をしてください。例え高1だとしても、現状では大学に行くのは相当に苦労します。まあ、行く気がなければ関係ありませんが。大学生以上ならば......何もいいますまい。最後に繰り返します、人に物を頼むとき、自分で少しも努力をしないのは、少なくともWMPのように知識を扱う世界では非常に失礼な態度なのですよ。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年8月26日 (水) 13:47 (UTC)
== ビューロクラット ==
Tomzo さん、こんにちは Kanjy です。ウィキブックス日本語版のビューロクラットになって頂けないかとお願いに上がりました。同じお願いを Tomzo さんと Marine-Blue さんに同時に申し上げております。
今のところアクティブなビューロクラットは二人おり、しかもビューロクラットとしての作業量は管理者と比べ微小ですので、人手は足りています。しかし、利用者名収用 (usurpation) 等の速やかな対処、そして、将来的にプロジェクトの安定運用、といったことを考えれば、二人では心許ないと感じます。あと一人でも二人でも、信頼できる方が加勢してくだされば有難いと思っております。
ベテランのウィキブッキアンとして、管理者として、すでに様々な貢献をなさっている Tomzo さんに対し、雑用の負担を増やすお願いは心苦しい限りですが、ご一考頂けませんでしょうか。立候補頂ければ有難いと思いますし、また、私で宜しければ喜んで推薦させて頂きます。どうぞ宜しくお願いいたします。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2009年12月27日 (日) 10:48 (UTC)
:本件了解いたしました。
:牽制としては分権が理想ですが、まだ、WBはそのレベルでもないのは否めません。近々に立候補の手続きをとりたいと思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2009年12月27日 (日) 18:26 (UTC)
恐縮です。どうぞ宜しくお願いいたします。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2010年1月15日 (金) 11:48 (UTC)
:[[Wikibooks:管理者への立候補/Tomzo_20100116]] に質問を一つ書かせて頂きました。所信の中で「管理者としての再信任をこの機会に」と述べられた意図についてお尋ねしております。どうか、お手すきのときにでも、ご回答を頂ければ幸いです。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2010年2月13日 (土) 00:51 (UTC)
== なぜ削除するのか ==
[[日本の都道府県の調査 地理 いろいろな角度からの調査]]ですが、なぜ削除するのですか。削除の方針に沿っていない。よく考えてから削除願います。また、復帰願います!--[[利用者:شيوعية|شيوعية]] 2010年5月4日 (火) 23:06 (UTC)
:あの内容では、何の教科書であるかがわからないため、wikibooksの趣旨に沿っていないと判断しました。
:wikibooksは教科書のプロジェクトです。教科書とは、ある特定のグループに対して、(そのグループにおいて理解されるべき)知識を伝達するために、それを体系化して記述したものであるということができます。あなたの記述したものは、「何の教科書の一部であるか」という最低レベルの記述がなされておらず、ルールに即したものではなかったので即時に削除しました。少なくとも、「自分の記述するものは、この分野の知識について、この階層の読者に対して理解させるために記述したものの、この部分の記載である」ということは、ページの冒頭に付される必要があります。
:さて、それがあったとしても、その内容があまりにお粗末なものである(例えば、学校指導要領の求めるレベルに達していない)としたら、「内容が即していない」として削除対象となることがあります。これは、いわゆる「[[w:Wikipedia:児童・生徒の方々へ|児童・生徒]]」といわれる世代がwikibooksに参加するときに往々に生ずる現象です。念のため申し添えます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月4日 (火) 23:47 (UTC)
::しかし、地理の本物の教科書を見ればわかります。愛知県、中部地方、東京、関東、近畿・・・など地域を細かく習います。私はまず先に愛知県を書いただけなんです。その後加筆しようと思った矢先に削除されていました。ですから、単に愛知県の紹介をしているのではないのですよ。 --[[利用者:شيوعية|驕譣轉鐵辯]] 2010年5月5日 (水) 22:24 (UTC)
::内容が粗末なため、児童生徒が立ち往生するとおっしゃいましたが、粗末な項目はいくらでもあります。私が書いたのだけを削除しないでください。--[[利用者:شيوعية|驕譣轉鐵辯]] 2010年5月5日 (水) 22:26 (UTC)
:::少なくとも書き出しにおいて、WBの備えるべき内容を備えていないので即時削除としています。その程度は「プロジェクト文書を読む」「他の作品を読む」というWMPに参加するための最低限の行動を踏まえれば回避できます。それもできないで、参加しようというのは荒らしにも等しい行為です。
:::「粗末な項目はいくらでもあります」たしかに、そうかもしれません。どの記事か、ご指摘いただければ、改善ないし削除を検討いたします。まあ、少なくとも、地の文に方言を交えるような文章は国語学習の基礎ができていないものとして即時に差し戻しでしょうが。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月5日 (水) 22:52 (UTC)
:::今気づいたので、一点申し添えます。「いわゆる「児童・生徒」といわれる世代がwikibooksに参加するときに往々に生ずる」とは申しましたが、それは、「児童生徒が立ち往生する」という意味ではありません。「往々に」を国語辞典で、よくお調べください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月5日 (水) 22:57 (UTC)
==ページの移動について==
マイページから公のページへの移動をTomzoさんは私に勧めましたが、付属ページもまとめて移動されるのだと期待してページの移動を試みたところそうではないようだということに気が付きました。
移動の取り消しも全く不完全でした。
そしてTomzoさんは”移動時に「移動元にリダイレクトを作成する」をチェックオフするようにしてください”と仰いましたが、私の見る限りではそのようなチェックボックスは無いようです。
私にはまだよく分かっていない問題が多いのでもっとよく理解してからページの移動をするつもりなのですが、このまま利用者ページに記載しておくのでは問題が発生するのでしょうか(そのページには外部からのリンクは張ってあります)。ご教授願えたら嬉しいです。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年5月31日 (月) 00:39 (UTC)
:やり方について、ちょっと整理しますので少々お待ちください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年5月31日 (月) 15:46 (UTC)
::ありがとうございます。お願いします。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年6月14日 (月) 12:08 (UTC)
:::待つつもりでお願いをしておいて申し訳ないのですが、少し必要な事情が出来ましたのでページを手動で公のものへと移行しました。ページの移動についての知識は今のところは必要ないので、まだ整理できていないのでしたら結構ですが、既に整理してくだすったのでしたらご教授下さるとやはり嬉しいです。失礼しました。--[[利用者:Muk|Muk]] 2010年6月16日 (水) 15:21 (UTC)
::::放置したままで申し訳ありませんでした。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2010年6月17日 (木) 04:06 (UTC)
== RfAのコメント ==
[{{fullurl:Wikibooks:管理者への立候補/Vigorous action 20111211|diff=67979&oldid=67972}} このコメント]ですが、ちょっと意図が分かりづらいです。[[Wikipedia:管理者への立候補#管理者・ビューロクラットへの立候補|管理者・ビューロクラットへの立候補]]の意味の取り違えでしょうか。或いはVigorous actionさんには是非ビューロクラットもやってくれと言う意味でしょうか。--[[User:Marine-Blue|Marine-Blue]]<sup>[[User talk:Marine-Blue|talk]]✿[[Special:Contributions/Marine-Blue|contribs]]✿[[Special:EmailUser/Marine-Blue|mail]]</sup> 2011年12月12日 (月) 16:07 (UTC)
:すいません。筆が滑ってしまいました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] 2011年12月13日 (火) 02:52 (UTC)
== お礼 ==
即時削除の対応、ありがとうございました。--[[利用者:Akaniji|Akaniji]] 2011年12月31日 (土) 05:02 (UTC)
== Username rename request: White Cat -> とある白い猫 ==
I'd like to request a username rename per SUL. --<small> [[User:White Cat|Cat]]</small> <sup>[[User talk:White Cat|chi?]]</sup> 2012年2月19日 (日) 12:21 (UTC)
== アカウントシステム変更に関するお知らせ ==
かげろんです。こんばんは。談話室に掲載されている,[[Wikibooks:談話室]]の[en] Change to wiki account system and account renamingの節の件なのですが,ビューロクラットの方は利用者名変更依頼の件が絡んでくるので,ぜひご確認の方をお願いします。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2013年5月3日 (金) 13:27 (UTC)
== [[m:Special:MyLanguage/Single User Login finalisation announcement|Forced user renames coming soon for SUL]] ==
<div class="mw-content-ltr">
Hi, sorry for writing in English. I'm writing to ask you, as a bureaucrat of this wiki, to [//meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-Single+User+Login+finalisation+announcement%2FPersonal+announcement&filter=&action=page translate and review the notification] that will be sent to all users, also on this wiki, who will be forced to change their user name on May 27 and will probably need your help with renames.
You may also want to help with the pages [[m:Rename practices]] and [[m:Global rename policy]].
Thank you, [[m:User:Nemo_bis|Nemo]] 2013年5月3日 (金) 16:45 (UTC)
</div>
<!-- EdwardsBot 0441 -->
== ウィキメール送信のお知らせ ==
Tomzoさん,かげろんです。お世話になっております。1点ご相談がありますので,ウィキメールを送信させていただきましたので,お手数をおかけしますが,ご確認の方,よろしくお願いいたします。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2013年7月10日 (水) 07:23 (UTC)
== 利用者名変更について ==
はじめまして。Smolldoraと申します。突然押しかけて申し訳ありません。
先般[[Wikibooks:管理者伝言板]]にて利用者名変更依頼を出させていただきました。jawbでのアカウントをSULに移行させるためです。しかし、すでにSULシステムに移行される期限が迫っているため、[[Wikibooks:談話室#.5Ben.5D Change to wiki account system and account renaming|談話室での議論]]を読ませていただいた限りでは、こちらで変更していただくのにはすでにリスクが伴うのではないかと思います。ですので、可能であればこちらで変更していただきたいのですが、リスクが高く不可能であればその旨おっしゃっていただけませんでしょうか。その場合は移行後に再度メタで依頼しようと思います。
ご回答のほどよろしくお願いします。 --[[利用者:Smolldora|Smolldora]] ([[利用者・トーク:Smolldora|トーク]]) 2013年7月30日 (火) 15:52 (UTC)
== An important message about renaming users ==
<div class="mw-content-ltr">
Dear Tomzo,
''My aplogies for writing in English. Please translate or have this translated for you if it will help.''
I am cross-posting this message to many places to make sure everyone who is a Wikimedia Foundation project bureaucrat receives a copy. If you are a bureaucrat on more than one wiki, you will receive this message on each wiki where you are a bureaucrat.
As you may have seen, work to perform the Wikimedia cluster-wide [[mw:SUL finalisation|single-user login finalisation]] (SUL finalisation) is taking place. This may potentially effect your work as a local bureaucrat, so please read this message carefully.
Why is this happening? As currently stated at [[m:Global rename policy|the global rename policy]], a global account is a name linked to a single user across all Wikimedia wikis, with local accounts unified into a global collection. Previously, the only way to rename a unified user was to individually rename every local account. This was an extremely difficult and time-consuming task, both for stewards and for the users who had to initiate discussions with local bureaucrats (who perform local renames to date) on every wiki with available bureaucrats. The process took a very long time, since it's difficult to coordinate crosswiki renames among the projects and bureaucrats involved in individual projects.
The SUL finalisation will be taking place in stages, and one of the first stages will be to turn off Special:RenameUser locally. This needs to be done as soon as possible, on advice and input from Stewards and engineers for the project, so that no more accounts that are unified globally are broken by a local rename to usurp the global account name. Once this is done, the process of global name unification can begin. The date that has been chosen to turn off local renaming and shift over to entirely global renaming is 15 September 2014, or three weeks time from now. In place of local renames is a new tool, hosted on Meta, that allows for global renames on all wikis where the name is not registered will be deployed.
Your help is greatly needed during this process and going forward in the future if, as a bureaucrat, renaming users is something that you do or have an interest in participating in. The Wikimedia Stewards have set up, and are in charge of, a new community usergroup on Meta in order to share knowledge and work together on renaming accounts globally, called [[m:Global renamers|Global renamers]]. Stewards are in the process of creating documentation to help global renamers to get used to and learn more about global accounts and tools and Meta in general as well as the application format. As transparency is a valuable thing in our movement, the Stewards would like to have at least a brief public application period. If you are an experienced renamer as a local bureaucrat, the process of becoming a part of this group could take as little as 24 hours to complete. You, as a bureaucrat, should be able to apply for the global renamer right on Meta by the [[m:SRGP|requests for global permissions]] page on 1 September, a week from now.
In the meantime please update your local page where users request renames to reflect this move to global renaming, and if there is a rename request and the user has edited more than one wiki with the name, please send them to [[:m:SRUC|the request page for a global rename]].
Stewards greatly appreciate the trust local communities have in you and want to make this transition as easy as possible so that the two groups can start working together to ensure everyone has a unique login identity across Wikimedia projects. Completing this project will allow for long-desired universal tools like a global watchlist, global notifications and many, many more features to make work easier.
If you have any questions, comments or concerns about the SUL finalisation, read over the [[m:SUL|Help:Unified login]] page on Meta and leave a note on the talk page there, or on the talk page for [[m:Talk:Global renamers|global renamers]]. You can also contact me on [[m:User talk:Keegan (WMF)|my talk page on meta]] if you would like. I'm working as a bridge between Wikimedia Foundation Engineering and Product Development, Wikimedia Stewards, and you to assure that SUL finalisation goes as smoothly as possible; this is a community-driven process and I encourage you to work with the Stewards for our communities.
Thank you for your time.
-- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] [[m:User talk:Keegan (WMF)|talk]] 2014年8月25日 (月) 18:24 (UTC)
<small>--This message was sent using [[m:MassMessage|MassMessage]]. Was there an error? [[m:Talk:MassMessage|Report it!]]</small>
</div>
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Keegan_(WMF)/MassMessage/Crats&oldid=9637985 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 暴君の件 ==
Tomzoさんが即時削除された暴君の件ですが,おそらくこちらで復帰する必要はないと思います。jawpの[[w:暴君]]をIPの人がリダイレクトだったものを記事化したところ,複数の利用者によってリダイレクトに差し戻されているという状況です([https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9A%B4%E5%90%9B&action=history 履歴])。たしかにjawpでは,かつて暴君などの削除依頼が出され削除されています([[w:Wikipedia:削除依頼/暗君]])。今回書かれていた内容がかつてjawpで削除された内容と同一であるかどうかは不明ですが,jawpで暴君を記事化した同じIPの人が同じ内容をWikibooksにも作成していったというところになりますので,こちらとしてはjawpの余波を受けているといったところだと思います。とりあえず,ご連絡まで。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2014年10月20日 (月) 15:46 (UTC)
:ご連絡ありがとうございます。事情は理解いたしました。
:まあ、そんなところだとは思っていましたが、一応、wikibooksのルールに則って、「教科書又はそれの一部」でないと'''内容に関わらず'''掲載しませんよということを忠告したところです。このような方は原則書き逃げなので、リプライがあるとは思っていませんが、念のためということで。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2014年10月21日 (火) 01:28 (UTC)
== テンプレート==
こんにちは、とこに頼めばわからなくて、できたら、私の代わりにこの テンプレートの作りを頼んでください。https://en.wikibooks.org/wiki/Persian/Lesson_1
{{Persian/exercises-top|Distinguishing '''a''' and '''â'''}}
| Decide whether the ‹a'''lef'''› in the following words stands for (short) ‹a› or (long) ‹â›. You do not need to be able to read the whole word at this stage.
|-
|{{Persian/Question-answer|question-fa= آبی |answer= (long) ‹â› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= اب |answer= (short) ‹a› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= آلمان |answer= (long) ‹â› }}
{{Persian/Question-answer|question-fa= اکبر |answer= (short) ‹a› }}
|}
お願いいたします。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月27日 (水) 05:47 (UTC)
:とりあえず移植してみましたが、今一うまくいきませんね。もう少しチャレンジしてみます。
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Persian/exercises-top
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Dynamic_navigation
https://fa.wikibooks.org/wiki/%D8%A7%D9%84%DA%AF%D9%88:Persian/Question-answer
fa.wikibooks では最近このように作ってくれました。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 11:12 (UTC)
[[:en:Template:Persian/Question-answer]]で読み込んでいる
: Template:Question, Template:Answer
のコピーも必要のように思いましたが、いかがでしょうか。 --[[利用者:Kyube|kyube]] ([[利用者・トーク:Kyube|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 12:41 (UTC)
すみません、作り方や要のようなTemplate が分かりません。--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2015年5月30日 (土) 13:24 (UTC)
== 2018年8月17日の権利侵害案件について質問 ==
Tomzo さん、お疲れ様です。数時間前に対処くださいました[{{fullurl:Special:RevisionDelete|&type=revision&ids=127739,105975,85853,55966,55742,53815,53799,53722}}]について質問です。 ご承知の通り、その機能は権利侵害(著作権、名誉棄損、個人情報、プライバシー等)の虞が濃厚な場合に使い、単純な落書きや宣伝には使わない機能です。 Tomzo さんの目には「権利侵害の虞が濃厚」と映った、と理解して宜しいでしょうか。 私の目には落書き・演説・プロパガンダといった類にしか見えず、権利侵害を見抜けませんでした。お手数ですが、宜しければ権利侵害の具体的な箇所を、その内容を開示しないような形でお教えいただければ有難く存じます。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2018年8月17日 (金) 14:22 (UTC)
:回答が遅れ申し訳ありません。今回の措置につき説明いたしますと、本件不可視化は、権利侵害等を隠したものではなく「荒らし」対策であると申し上げておきます。まず、不可視化した部分の投稿者は、直近の1個を除き、「[[:w:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Grimm]]」と判断され、こちらは、10年以上WMP全体にわたって活動する、即ち、各プロジェクトにおけるルールを知悉した「荒らし」です。彼は、自分の加筆したものが除去されることは承知の上で、「偏執的」な編集活動を継続しています。個々の投稿については、必ずしも不可視化を要する有害記述とまでは言えなくても、それが繰り返しなされることは、有害記述である「[[:w:Category:長期荒らしの編集傾向 (虚偽投稿)|虚偽記述]]」同様プロジェクトに対する攻撃であり、これを不可視化することは、投稿者に対して「爪痕は残せない」事を示す対策と考えます。最初の1個につきましては、Grimmほど長期の活動ではありませんが、ウィキペディア、ウィクショナリーで、色彩関係の記事を中心に多くの執筆をし、その他論旨不明な記述をするために対話を求めるも、全く応じず、ブロックに対しては繰り返しブロック逃れで記述を続ける投稿者(「[[:w:特別:投稿記録/203.181.243.0/22]]」参照)と考えられます。これらの傾向の記述については履歴の残る除去措置だけでは、彼等の承認欲求を満たすことになるため、荒らしに応じた処置として実施した次第です。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2018年8月24日 (金) 19:10 (UTC)
::[[user:Kanjy|Kanjy]]です。ご回答いただき有難うございます。わかりやすく詳しくご説明いただき、背景および状況が理解できました。
::このような Tomzo さんの反応は、ウィキメディアの初心者を卒業しつつある初級者によくある過ちであるように、私Kanjyには感じられます。端的に言えば「大騒ぎし過ぎ」です。わざわざ御身を削って、重い重い[[wikipedia:WP:5P5|第5の柱]]を背負ってまで[[wikipedia:WP:DNFT|給餌]]なさっている Tomzo さんのご姿勢には賛同いたしません。過去版に落書きの履歴が残ろうが当ウィキブックスにとって痛くも痒くもありませんよね。今後はこのような管理者権限濫用は、どうか謹んでいただければ有難く存じます。
::一般論として、ブロック破り行為は許されません。それはプロジェクトにとっての脅威であり、プロジェクトを守るためにさらなるブロックが必要となり得ます。その一方、ブロック破り行為による投稿は、必ずしも常に削除対象として認められるとは限りません。削除すべきかどうかは内容に依ります。
::Tomzo さんのような働き者は、私にとって、当ウィキブックス日本語版の貴重な財産であり、失いたくありません。我が身を賭してでも犯すべき罪と Tomzo さんはお考えかもしれませんが、私の考えは異なります。この私の危機感をどうかお察しください。日頃の感謝を添えつつ衷心よりお願い申し上げます。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2018年8月25日 (土) 05:24 (UTC)
== お汲み取りください ==
ダーフレです。先ほど[https://ja.wikibooks.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tomzo&curid=5567&diff=135645&oldid=132322&diffmode=source このような荒らし]が発生したため、勝手ながらTomzoさんの利用者ページを編集させていただきました。なにとぞ、お汲み取りくださいますようお願いいたします。--{{利用者:ダーフレ/English}}2019年4月24日 (水) 08:20 (UTC)
:正当な対応であると理解いたします。対応感謝いたします。
:ついでなので、書き込み者に向けここに書いておきます。わかっているとは思いますが、私は、日本語版のウィクショナリー管理者である[[:wikt:Mtodo]]と同一人物です。あなたの、身の回りの事象はもとより(個人情報の不当開示)、'''正当な対話の拒否'''を続ける音楽や色彩に関する記述は、ウィクショナリーとここウィキブックスに残ることはないという事を宣言しておきます。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2019年4月24日 (水) 14:05 (UTC)
== ご連絡 ==
中国IPの広域ブロックの件ですが,Tomzoさんが/48で設定して解除したレンジの件ですが,<s>広域設定最大限の範囲となる</s>/32で1か月ブロックをかけ直しましたので,とりあえずご連絡まで。漏れがあったり,もう少しレンジを狭められそうであれば,随時かけ直していただけると助かります(とはいえ,レンジを狭めると荒らしがすり抜けてきそうですが……)。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2019年7月28日 (日) 23:21 (UTC)
:(追記)今後も荒らし行為が収束しないようであれば,件のISPのIPv6の範囲をWhoisの情報通り/20のレンジで長期間・広域ブロックするしかないかもしれませんね(なるべくそういう事態は避けなければならないのでしょうけど,今の状況だと選択肢に入れざるを得ないのが現状です……)。--[[利用者:かげろん|かげろん]] ([[利用者・トーク:かげろん|トーク]]) 2019年7月28日 (日) 23:38 (UTC)
::お手間をおかけします。IPv6の広域ブロックの情報が少なく、適当な範囲の判断できなかったため/48で設定したところです。中国のプロバイダは、おそらくかなり広い範囲を押さえているため広域ブロックの効果がどの程度あるかはよくわからないところです。貢献はあまり期待できないんですがね。--[[利用者:Mtodo|Mtodo]] ([[利用者・トーク:Mtodo|トーク]]) 2019年7月29日 (月) 03:12 (UTC)
== Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
このたびウィキメディア財団では{{SITENAME}}とウィキメディアについて、ぜひあなたの経験をアンケート調査でフィードバックしていただけないかと考え、ご連絡しました。 この調査は、ウィキメディア財団が皆さんのウィキの作業をどの程度まで支援できているか、また将来的な改善点や修正すべき点を知ることを目的としています。 皆さんからお寄せいただいたご意見は、現状ならびに将来にわたり、ウィキメディア財団の仕事に直接、反映されます。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月9日 (月) 14:31 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19352826 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
1、2週間ほど前にコミュニティの意見調査について、ご連絡を差し上げました。 本件は、ウィキメディア財団がグローバルなコミュニティを対象に行う、毎年恒例の調査です。 ウィキであなたが取り組まれる作業に、財団がどの程度、お役に立っているかどうか、ぜひお聞かせください。 実は、現在までに皆さんからお寄せいただいた回答は、目標値達成まであと 10% となりました。 もしこれから回答しようとお考えでしたら、どうかご協力をお願いいたします! '''あなたの声をぜひお聞かせいただきたいのです。'''
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年9月20日 (金) 19:12 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19397751 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reminder: Community Insights Survey ==
<div class="plainlinks mw-content-ltr" lang="ja" dir="ltr">
'''このアンケート調査で皆さんの経験を共有してください'''
{{PAGENAME}}様
コミュニティの意見調査終了まで、いよいよ残り時間が数週間となりました! おかげさまで目標回答率まで 30% を残すのみとなりました。 もしアンケートに未回答の方がおられたら、ぜひ目標達成にご協力ください。
今回の投票は、皆さんがご利用のウィキで進める作業をウィキメディア財団がどれほど支援できているか、フィードバックを募集しています。 回答にかかる時間はおよそ15分から25分で済みですが、財団がどんな支援を提供できるか、直接、影響を与えることになります。
どうか'''[https://wikimedia.qualtrics.com/jfe/form/SV_0pSrrkJAKVRXPpj?Target=CI2019List(other,act3) このアンケートに回答して]'''ご意見をお寄せください。所要時間は15分から25分ほどの見込みです。
アンケート調査は第三者に委託しており[https://foundation.wikimedia.org/wiki/Community_Insights_2019_Survey_Privacy_Statement このリンク先に示した個人情報保護方針に基づいて扱われます]。(英語)
このプロジェクトの[[m:Community Insights/Frequent questions|詳細はこちらをご参照ください]]。 ご質問ないしは今後、この調査に関する連絡がご不要の場合は、[mailto:surveys@wikimedia.org 電子メールでご連絡]いただけませんでしょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
</div> [[User:RMaung (WMF)|RMaung (WMF)]] 2019年10月4日 (金) 17:02 (UTC)
<!-- User:RMaung (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=CI2019List(other,act3)&oldid=19430537 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== [[:%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%8D%B3%E6%99%82%E5%89%8A%E9%99%A4]] needs attention ==
I see that you are one of the active admins on Japanese Wikibooks. I just wanted to draw your attention to [[:%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E5%8D%B3%E6%99%82%E5%89%8A%E9%99%A4]] speedy deletion category. Some of the pages listed there has been sitting for a month or so. A [[m:Global sysop|global sysop]] unfortunately had to [[Special:Log/block|act]] and [[Special:Log/delete|clean up]] some spam pages from there. Could you take care of the other pages please? [[利用者:Masumrezarock100|Masumrezarock100]] ([[利用者・トーク:Masumrezarock100|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 17:41 (UTC)
:Thank you for your advice. I had missed that there were articles to delete. I have deleted all those items.--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 18:19 (UTC)
::No, I should be the one thanking you for your quick response. Arigatogozaimashita! [[利用者:Masumrezarock100|Masumrezarock100]] ([[利用者・トーク:Masumrezarock100|トーク]]) 2020年1月27日 (月) 18:32 (UTC)
:::2 IPs are creating out of scope pages. Do kindly block and nuke. [[利用者:Minorax|Minorax]] ([[利用者・トーク:Minorax|トーク]]) 2020年1月29日 (水) 03:37 (UTC)
== 【緊急】荒らし対応について ==
現在、[[特別:投稿記録/Girlssenna die]]氏による荒らしが発生しています。これが[[Wikibooks:管理者伝言板]]、[[テンプレート:メインページメニュー]]まで行われており、バイト数が大きすぎ、開けないので一括削除をお願いします。早急な対応をお願いします。--{{利用者:雪津風明石/署名}}2020年5月3日 (日) 15:57 (UTC)
:連投失礼しました。別の管理者様により対応されましたことを報告させて頂きます。--{{利用者:雪津風明石/署名}}2020年5月3日 (日) 16:02 (UTC)
== 差し戻し ==
あなたのトークページが[[特別:投稿記録/122.130.226.148]]という、[[w:LTA:YELLOW]]と強く疑われる人物によって荒らされていたため差し戻しました。--[[利用者:ゆにこーど|ゆにこーど]] ([[利用者・トーク:ゆにこーど|トーク]]) 2020年5月18日 (月) 03:04 (UTC)
== 作成ログの不可視化もお願いします ==
お世話になっております。表題の件ですが、[[Special:Log/create]]に作成ログが残り、本文の一部が作成ログの要約に残ることがありますので削除ログの不可視化の際には作成ログについても不可視化をお願いできますでしょうか。削除と作成で何回もの操作に分けるではなく、[[Special:Log]]から一括で不可視化することもできるかと思います。要件のみとなってしまいましたが、よろしくお願いいたします。--[[User:Mirinano|<span style="color:#7e6ca8;">mirinano</span>]] ([[user talk:Mirinano|<span style="color:#7e6ca8;">talk</span>]]) 2020年7月6日 (月) 07:31 (UTC)
:ご指摘ありがとうございます。対応いたしました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2020年7月6日 (月) 08:19 (UTC)
== 「テンプレート:Ambox」等の即時削除(インポート違反)について ==
お疲れ様です。以下の各テンプレートを「他プロジェクトからの正しい手続きによらないコピー」との理由で即時削除なさったかと思います。しかし、本当に削除すべきだったか疑問を持っております。ウィキ間移動(トランスウィキ)にはインポートが義務付けられていますが、これらはウィキ間移動ではなくウィキ間コピーでしょう。ウィキ間コピーなら、インポートは必須でなく、要約欄で出所表示すればコピー可能と考えます。
*[[テンプレート:Ambox]]
*[[テンプレート:Ambox/doc]]
*[[テンプレート:Copyrights]]
*[[テンプレート:現在編集中]]
*[[テンプレート:現在編集中/doc]]
*[[テンプレート:出典の明記]]
*[[テンプレート:出典の明記/doc]]
*[[テンプレート:分割提案]]
以上、いかがでしょうか。お手数ですが、ご確認の上、ご説明いただければ助かります。ご説明に基づき、その後の扱い<small>(復帰すべきかインポートすべきか等)</small>を考えたいと思います。 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] ([[利用者・トーク:Kanjy|トーク]]) 2020年8月9日 (日) 12:06 (UTC)
== 最高裁判例 ==
Kyubeと申します。リンク切れ(以前は、リダイレクトが働いていたのですが、どうやら、最近(ルック&フィールをスマートフォン向けに変えてから?)働かなくなったようです)ということで最高裁判例を削除されておられますが、同じ内容ページを探されていますか?[[民法第130条]]では私が気付いて編集を加えていますが、ほとんどは後継ページが存在します。このような編集を続けられますと、迷惑としか言いようがありません。再考をお願いします。 --[[利用者:Kyube|kyube]] ([[利用者・トーク:Kyube|トーク]]) 2020年9月29日 (火) 01:43 (UTC)
== テンプレート ==
こんにちは、とこに頼めばわからなくて、できたら、私の代わりにこの テンプレートの作りを頼んでください。
この ようなテンプレート [https://en.wikibooks.org/wiki/Template:Dutch/Translation] と [https://en.wikibooks.org/wiki/MediaWiki:Common.js/CollapseElements.js] が必要です。テンプレートを作ってくれませんか?--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2021年7月26日 (月) 10:20 (UTC)
このテンプレート[https://www.mediawiki.org/wiki/Extension:Quiz] を作るのは許可が必要ですか?--[[利用者:Roozitaa|Roozitaa]] ([[利用者・トーク:Roozitaa|トーク]]) 2021年7月27日 (火) 10:27 (UTC)
:テンプレートの類は依頼により誰かが作ってくれると言う性質のものではないので、[[Wikibooks:談話室]]ででも呼びかけて、誰か協力者を募るしかないですね。私も、お手伝いしたいところですが、ちょっと手が回ってませんし、それが、私に作れるものかどうかもわかりません。テンプレートの作成に許可は必要ではないので、ご自分でチャレンジされて良いかと思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年7月27日 (火) 10:37 (UTC)
== 京大対策wikibooksの議論ページにおける削除差し戻し対応について ==
失礼します。
前日9/10に二回不要投稿の削除の差し戻しをされているようですが、私は差し戻しは妥当ではないと判断しています。
私が議論の投稿において削除した該当箇所を確認していただければ分かるかと思いますが、削除箇所はHonoooという投稿者が再三にわたって攻撃性をむき出しに複数人に対して無関係な個人攻撃をくり返しているだけです。建設的な記事の修正案の議論の本筋と無関係どころか、円滑な議論の進行を妨害しているだけで悪質です。
Honoo氏は高校生を「自分が賢くてすごい人間と思い込んでる」、「お前らとはちがったまともな人間も、東大京大に進学するだろう」、「国が滅ぶ」などしつこく罵倒しているだけです。議論にとってなんら益のある投稿ではないばかりか、匿名掲示板と誤解した使い方をしているだけで、残す意義をまるで感じません。
特に自分が著しく悪質だと感じるのは、高校生の記事感想の書きこみに対するHonoo氏の口ぎたない個人攻撃の投稿文です(本議論と全く関係のない内容ですし、高校生の方の人間性を無根拠に著しく貶めるだけの内容で有害以外の言葉が出てきません)。
Tomzo氏は「削除は不適切」という指摘のもとで、二度にわたって差し戻しをなされたようですので、今一度、私が削除した箇所のHonoo氏と高校生の投稿のやりとりに目を通されてください。
またTomzo氏の1回目の差し戻し直後から、Honoo氏が再び水を得た魚のようにすぐ個人攻撃の投稿を再開しており(こちらも目を通してご確認ください)、これも議論が進まずハッキリと申しまして迷惑でしかありません。
投稿制限対応等で対応されない以上、削除の差し戻しを改めて撤回していただきたいです。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 05:26 (UTC)
:まあ…TomzoさんはTomzoさんで何らかの返信をなされるかもしれないけど…。ようするに,俺があの受験生に打った弾が,貴方にも当たってたってことでしょうね…。要するにあの周辺の言葉が不愉快で,不愉快ででたまらないってことでしょ?俺だって,[[特別:アカウント統一管理/卓球は陰キャの根暗なスポーツ]]なんて文字列は不愉快だからね…。まあ俺自身はあのトークページがどうなってもかまわないけど,かなり重要なここの原則として,トークページはいじらない,編集しないでそのまま残すっていうのがあるんだよね。その原則をひっくり返すには,相当な正当性ある理由が必要だし,貴方のその主張じゃあひっくり返らないと思うな…。だから,俺が発した不愉快な言葉を乗り越えて,あなたがあそこで編集したいなら,あのページで,俺が作った文脈に基づいて,何らかの妥当な主張,議論を発する必要があるだろうね。個人攻撃攻撃性無関係建設的な記事罵倒匿名掲示板人間性著しく貶める有害水を得た魚の迷惑投稿制限対応,程度の浅い言葉をここで並べた程度では,あなたの希望は通らないんじゃあないかなー。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 06:17 (UTC)
ここにも現れるわけですか‥。
私自身も、京大対策の議論ページの該当箇所の削除再申請が通ることは、必ずしも期待していませんが、このままでは本当に本題と無関係な投稿であのページが今後ますます膨れ上がる一方な気がしましたので、あの対応に対して申し立てを言い添えたというだけです。
そしてここでのあなたの上記投稿においてあるように、
>>「俺が発した不愉快な言葉を乗り越えて,あなたがあそこで編集したいなら,あのページで,俺が作った文脈に基づいて,何らかの妥当な主張,議論を発する必要があるだろう」
これは今後もあの議論ページに居座り続け、何かにつけて横ヤリを入れ続けるから覚悟しておけ、という宣言にしか私には聞こえないのですが……。
あの京大対策の議論ページは、京大対策wikibooksの記事の修正の建設的な案を持ち寄って議論を目的とした交流を行う場であって、「ほら、俺の投稿を論破してみろ」というあなた個人主導の趣味かゲームめいたものを行う場ではないと少なくとも私は思います。
あなたの連投が始まってから、修正の発起人でもあった2404氏もずいぶんと離席してしまっていますし、今後も誰かの投稿のたびにあなたを相手にすることは体力的にも精神的にもこたえるものがあります。その都度、話を腰を折られるのも勘弁していただきたいです。もう一週間もこんな調子だと思うのですが…。
そもそもご自分で「俺は京大にも京大対策wikibooksにも実は興味がない」と発言されていたのに、なぜいつまでも居座り続けていらっしゃるのでしょうか?
もう来なければいいし、閲覧しなければよいだけの話では……。
誰かが投稿するとすぐに横から話を脱線させて毒を吐いているのはあなたの方だと感じるのですが。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:28 (UTC)
:いやーもうあらゆることがめんどくさいから,あなたの論点には一切答えないけど,とりあえず京大入試のトークページにポストとして,事態を収束させるための文章を今書いていたところで,もう少しで書き終えるから,まずそれを読んでくれよ。その後,あなたたちが好きにすればいいと思うな…--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:40 (UTC)
そもそもあなたが京大対策の議論ページでの書きこみをやめれば、その時点で鎮静化します。
これ以上、あなたの気分ひとつで人を罵倒する書き込みをくりかえしたり、あなた発案の「謎の新しい項目」を設置することはおやめになってください。
京大対策の議論とますます無関係な事柄を増やすだけです。
もう一度強調しますが、あの議論ページは京大対策の記事の是非について議論を交わすための場所です。
それ以上でもそれ以下でもありません、
項目の新説は不要ですし、結構です。
やめてください。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:53 (UTC)
:いやーあんたが自由にすると同様に,俺も自由にするよ。まあはっきり言って,お前みたいな奴がこの人間界で,一番いけ好かないな(^^)凸--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 07:59 (UTC)
議論ページの投稿を拝読しました。
Honoo氏の主張の骨子は理解させていただきました。
また受験生の最初の発言に兆発めいたニュアンスがあったこと、180の独断専行性の二点がそもそもの問題であったということは私も同意できる部分です。
また京大対策議論ページの存続そのものに否定的な立場ではないということも理解させていただきました。
この部分におけるHonooo氏の主張から悪意をもってしての書きこみの意図はなかったという言い分も自分なりに理解させていただきました。
議論を仕切り直すという提案も合意するところです。
私も熱くなっていたところがありますので、これをもってお互いに「和解」という形で締めさせていただいてよろしいでしょうか。
Honoo氏も納得していただけるようでしたら、冒頭のTomzo氏への提言も取り下げいたします。
私もここ数日はいらだっていたところがあったかと思うので、熱くなったという意味では申し訳なかったです。
もちろん議論ページにおけるHonoo氏の過激な発言すべてを容認することはできませんが、私の方も言い過ぎました。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 08:38 (UTC)
:いいですよ^^。和解しましょう^^。昔ルパン三世カリオストロの城で,銭形がルパンの握手を拒否しましたが,私は相手が何者であっても和解を持ちかけられて,和解できると思ったらうけいれますよ。ただこれは,なんとなく思い出したから書いただけで,もちろんあなたがルパンであり,泥棒であると言っているわけではありませんよ。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 09:05 (UTC)
ありがとうございます。
それではお互いの合意をもって、Honoooさんとは和解という形で落ち着かせていただきます。
またこれをもちまして、Tomzo氏への冒頭の提言は取り下げという形でお願い致します。
結果として流れ弾の形になったTomzo氏にご迷惑をおかけしてしまったことを含めてこの場を借りてお詫び申し上げます。
--[[利用者:Elesqo313|Elesqo313]] ([[利用者・トーク:Elesqo313|トーク]]) 2021年9月11日 (土) 09:22 (UTC)
::本件収束したものと認識します。お二人向けに、一応念のため。
::*WikiMediaProjectにおいては、議論の経過は非常に大事です。履歴がたどれる「除去」とは言え、その正否が追えなくなる事態は避けるべきで、反論等は同一の空間で行われるべきです。
::その上で、議論の不要な発散を避けるため、以下の点については配慮するようお願いいたします。
::*[[w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]
::*[[w:Wikipedia:エチケット]]
::--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年9月12日 (日) 06:05 (UTC)
:投稿で指摘された議論の進め方については理解いたしました。
その点については反省しつつ、調整に励ませていただきます。
しかしながら、新しい訪問者によって意見が投稿されるたびに、Honooo氏が敵意をあらわにする傾向は、こちらが9月に注意喚起をくり返してからも一向に改善が認められません。
発言内容以前に、言葉が攻撃的すぎますし、蔑視的な内容も目立ちます。
萎縮して彼以外に誰も発言しなくなっており、悪循環です。
特に今回のような新規参加者が開口一番に彼からあのような言葉を8回連続で投稿されては、彼の大量のコメントで議論経過が寸断され、非常に全体の展開を読みづらくさせます。
また、彼が絵文字でたびたび使用する「中指を突き立てるポーズ」は、「他人に対する最大級の侮辱行為」に当たるファックサインであり、目に入るたびに大変に不愉快です。
とくに塾講師という彼の職業などを貶める発言は、議論以前に人としてのマナーを著しく欠くでしょう。
今回の塾講師にとどまらず、そもそも議論版にいない京大関係者に対して、口汚い言葉を発する文面も目立ちすぎます。
どうにも、言論を暴力とはき違えている節があります。
これは上記9月から続いており、一度は和解をしたかに見えて改善を期待しましたが、裏切られた思いです。
ただ、今後もこういう状況が続くことが予見される以上は、やはり一旦削除させていただきます。
あの投稿が残っている限り、新規参加者の参入を著しく阻んでいると感じます。彼自身が最後の投稿でおっしゃっていましたが、ツイッターなど他媒体のSNSで議論版での彼の発言が取り沙汰されているようで、残しておくのは議論版への新規参入をためらう要因を野放しにするようなものでしょう。
合意が必要とのことでしたので、「削除措置を戻すべき」という意見が誰かから上がれば、そのときはこちらで差し戻させていただきます。
彼の言葉づかいと威圧的な投稿さえ改善されれば、彼があの議論版で何を発言しても、私は問題はないと考えています。
私は彼がふるまいを改めることをまだ信じたい立場ですので、彼に対してペナルティを課したり、利用制限を設ける必要はないと感じています。
ですが、とりあえず上記の方針と理由にもとづき「暫定的に」削除だけはさせていただきます。
--[[利用者:Evgrem2|Evgrem2]] ([[利用者・トーク:Evgrem2|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 14:50 (UTC)
:たとえ、あなたが消したものが掲載に不適当に見えようとも、あなたの行動は、側から見ると、あなたの独断による行動にしか見えないのですよ。そう言う意味ではどっこいどっこいです。あと、WMPにおいて『削除・不可視化』と『除去』は異なります。議論の場においては『除去』は、誤記の修正や議論終了後の履歴への移動など限定的にしか利用されません。修正・取り下げは打ち消し線が推奨されます。議会議事録等と同等と考えてください。
:議論の進め方については、「[[w:Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う]]」などを参照してください。今回については、「論点を明確にする」からスタートしてください。
:記述について不適当な表現がある場合は、記述者に対して、具体的箇所を示し修正・訂正(それに伴う不可視化の承認など)を要求してください。それに理由なく応じない場合は、「対話の拒否」を問うことができます。
:以上は「議論の内容」の問題ではなく、WMPに共通の「議論のやり方」の問題であることをご理解ください。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 17:15 (UTC)
お早いお返事ありがとうございます。
WMPの作法に疎かったため、独断専行が過ぎた点は深く反省します。
以後においては、「除去、削除に当たる行為全般」は行わないよう徹底いたしますが、議論の経過があまりにも読みづらいため、Honooo氏本人からの合意が得られれば、議論経過の文脈上関連性の薄いと思われる彼の投稿について、部分的に新設した自由発言スペースへと移行してもWMPの作法上としても問題無いと判断してよろしいでしょうか?
その場合、議論のどの箇所からカット&ペーストで移行したかについて記載はするようにします。(新設スペースにて)
--[[利用者:Evgrem2|Evgrem2]] ([[利用者・トーク:Evgrem2|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 17:34 (UTC)
:議論の当事者で納得し、議論の経過をきちんと追えると言うのであれば、それに伴う改変は止めるものではありませんが、おそらく、その改変に向けての議論はあまり生産性のある議論とは思えません。
:それよりも、過去の記載はそのままにし、それを元に、「論点」を明確にするため、各々の主張(やりやすいのは、一方の主張をまずまとめ、それについての賛否を述べるやり方。そうでないと、空中戦になります)を要約して箇条書き等にして、それに対する賛否を整理する方法で進めることをお勧めします。
:その上で、過去に不適当な記述(過度の誹謗中傷など)があるのならば、当該箇所を明確化して、合意(「[[w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]」「[[w:Wikipedia:エチケット]]」から、大きく逸脱しているなど合理的な除去等の提案は認められるでしょうし、それに応じないことは「対話の拒否」等に該当することがあります)の上の除去や記述の不可視化の依頼等を行なうことで、対処が可能です。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2021年11月4日 (木) 23:52 (UTC)
== How we will see unregistered users ==
<section begin=content/>
こんにちは、
ウィキメディアのウィキ管理者の皆さんにこのメッセージをお届けしています。
ログインしていない人がウィキメディアのウィキを編集すると、今日現在はその人の IP アドレスを開示します。すでにお聞きかもしれませんが、この方法は近々、採用できなくなります。オンラインの個人情報保護の規範と規約の変更によりウィキメディア財団法務部が決定しました。
IP アドレスの代わりに秘匿した特定情報を示すことになります。管理者の皆さんには'''引き続きIPアドレスへのアクセスは可能です'''。管理者ではない皆さんには荒らしや嫌がらせ、スパム行為に対策するためアカウント非登録の利用者のIPアドレス全文字の閲覧が必要な場合、新規の利用者権限を設けます。 巡回者の皆さんには、左記の権限がなくても IP の一部が閲覧可能です。同時に支援策として[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation/Improving tools|より良いツール]]の準備を進めています。
これを初めて見る皆さんは、[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|メタで詳細を参照]]してください。ウィキメディアのウィキにおける技術的な変更の情報を見落としたくないとご希望なら、[[m:Tech/News/ja|週刊技術ニュース ]]の[[m:Global message delivery/Targets/Tech ambassadors|購読]]をお勧めします。
この個人特定情報に関しては[[m:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation#IP Masking Implementation Approaches (FAQ)|提案が2案あります]]。皆さんの使いやすさと皆さんのコミュニティての適性について、直近ならびに将来を見通し、'''ぜひご意見をお聞かせ願えないでしょうか'''。[[m:Talk:IP Editing: Privacy Enhancement and Abuse Mitigation|トークページにて投稿をお待ちしています]]。ご自分の言語でお書きください。2案の提案は10月に掲出しており、 結論は1月17日以降にまとめる所存です。
よろしくお願いします。
/[[m:User:Johan (WMF)|Johan (WMF)]]<section end=content/>
2022年1月4日 (火) 18:17 (UTC)
<!-- User:Johan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Johan_(WMF)/Target_lists/Admins2022(5)&oldid=22532651 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wiki投稿ブロック依頼における投稿者honoooの書き込みについて ==
昨日はお手数をおかけいたしました。
今朝方、公共のwikiboooksブロック投稿依頼スペースにて、ユーザーhonooo名義で、「私を殺せ」と他ユーザーに募る書き込みがなされております。
到底穏当な書き込みとは思えないので、不可視化など対処をお願いできますでしょうか。
以下に該当の投稿記録を添付します。
でもよく考えたらすじにく氏も管理者の悪口書いていたし,管理者も一人ではない。ウィキメディア財団という大元もあるんだろう…。結局何がどうなってるか,全く分からんよ^^;;;。さー殺せっ!!!^^;;;--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2022年3月1日 (火) 19:09 (UTC)
https://ja.m.wikibooks.org/wiki/特別:携帯機器差分/194932
—[[利用者:Mauzie683794|Mauzie683794]] ([[利用者・トーク:Mauzie683794|トーク]]) 2022年3月1日 (火) 23:51 (UTC)
:私には、「殺せるものなら殺してみろ」という言に読める、というか、日本の芝居をはじめとする言語習慣でのこの言い回し(「'''さあ'''殺せ」)の用法はそれです。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 00:30 (UTC)
そう思わせられないのは、平素の本人の言葉づかいによるところが大きいでしょうね。
人は字面だけを撫でて文を解釈するものではないでしょう。
管理者の解釈として中立を守った公正な判断と受け止めます。
ただ彼があなたのその姿勢を、管理者に加勢されたと安易に曲解していないことを願います。
これ以上は深入りを避けますが、参加人数の規模の問題もあるとはいえ、下品な吐き捨ての言葉が更新一覧で目立つのは、wikibooksの治安として非常に残念な気持ちになりました。
もっとも私も昨日はそれに加担してしまいましたので、今となっては言える資格もありませんが。
失礼いたしました。 [[利用者:Mauzie683794|Mauzie683794]] ([[利用者・トーク:Mauzie683794|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 01:02 (UTC)
:曲解もなにも,物事と言葉を正しく解釈して生きてる奴なんてこの世に一人もいないよ。あんた(Mau~)もすじ肉や京大の連中と同様に,自分が賢いと思い過ぎ。もうちょっと自省せよ。因みにこのさー殺せの映像イメージは,あらゆることがにっちもさっちもいかなくてやけくそになって,道の真ん中で大の字になって宣ってるイメージ^^;;;
:ウィキペは治安を維持するために早々にすじ肉を追放した。ここは小さい規模なこともあって彼を受け入れている。もっとも俺はもう拒絶してるけど…。そしてこういう人間がいると日常的に場は当然荒れるよ。あなた(Mau~)も結局はすじ肉と同じような人間だね。--[[利用者:Honooo|Honooo]] ([[利用者・トーク:Honooo|トーク]]) 2022年3月2日 (水) 12:09 (UTC)
== LTA:SUMOSONG ==
私の会話ページや管理者伝言板などに現れている[[w:LTA:SUMOSONG]]ですが、替え歌転載を含むので投稿内容の不可視化が必須です。アクティブな管理者の方が貴殿のみですので,不躾ですがお願い申し上げます。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月12日 (木) 23:19 (UTC)
:不可視化が必要なのは著作権違反の場合等なのですが、書かれたものの著作物との一致が確認できないんです。替え歌の歌詞自体はオリジナルに対して著作権を侵していないので違法ではありません。侵害されるオリジナルをご教示いただければ対応いたします。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月13日 (金) 03:17 (UTC)
::返答が遅れて申し訳ございません。{{User2|ガントルガ・ガンエルデネ}}の追加した内容は山口百恵の「いい日旅立ち」の替え歌です。ちなみにJAWPでは不可視化されています。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月20日 (金) 23:21 (UTC)
:::JAWPでの不可視化の判断基準は存じませんが、替え歌の場合、音声ファイルならまだしも、歌詞の羅列だけであるとオリジナルの著作物に相当するため著作権の観点からの不可視化は失当と考えます。---[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月23日 (月) 06:38 (UTC)
::::了解いたしました。これからもよろしくお願いします。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]] <span style="font-family:Times"><small>([[利用者・トーク:スタリオン箕浦|会話]]/[[特別:投稿記録/スタリオン箕浦|投稿記録]]/[[特別:Log/スタリオン箕浦|ログ]]/[[特別:メール送信/スタリオン箕浦|メール]])</small></span> 2022年5月26日 (木) 02:19 (UTC)
== 利用者:nnhの会話ページについて ==
私こと[[利用者:Nnh|nnh]] ([[利用者・トーク:Nnh|トーク]])の利用者ページとトークページの白紙半保護をお願い致します。--[[利用者:Nnh|nnh]] ([[利用者・トーク:Nnh|トーク]]) 2022年5月26日 (木) 02:15 (UTC)
:本件対処いたしました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年5月26日 (木) 03:12 (UTC)
== [[:カテゴリ:即時削除]] ==
Hi, could you please take a look at the deletion requests in the above category?--'''[[User:Rschen7754|Rs]][[User talk:Rschen7754|chen]][[Special:Contributions/Rschen7754|7754]]''' 2022年7月30日 (土) 18:55 (UTC)
:Sure, I have checked and deleted them all. Thank you.--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2022年7月30日 (土) 20:01 (UTC)
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ガリア戦記/参照画像一覧
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2022-07-30T15:49:21Z
Linguae
449
/* 第3巻 */ 海戦図
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|さんしようかそういちらん]]
『ガリア戦記』対訳本文中で参照した画像の一覧。
==全般==
{{Commons|Category:Gallic_War|ガリア戦争}}
<gallery>
画像:Commentarii_de_Bello_Gallico.jpg|1783年刊行の『ガリア戦記』と『内乱記』
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|カエサル(右)と対面するウェルキンゲトリクス(左)(1899年、Lionel-Noël Royer画)
</gallery>
==第1巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第1巻]] ; [[ガリア戦記 第1巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -58.png|ガリア戦記 第1巻の情勢図(BC58年)。黄色の領域がローマ領。
画像:Divico und Caesar.jpg|カエサル <small>(左側中央)</small>がアラル川 (<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Arar|Arar]]</span>、[[w:ソーヌ川|ソーヌ川]]) でヘルウェーティイー族 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Helvetii|Helvetii]]</span> を破った後、その使節ディーウィコー <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:en:Divico|Divico]]</span> <small>(右側中央)</small> と会見した場面 (第1巻13節~14節)。<br>19世紀スイスの画家 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Karl Jauslin|Karl Jauslin]]'' (1842-1904)</span>による歴史画。ヘルウェーティイー族はスイス人のルーツとみなされるため、ディーウィコーも歴史的英雄として凛々しい姿で描写されている。
</gallery>
==第2巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第2巻]] ; [[ガリア戦記 第2巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule_-57.png|ガリア戦記 第2巻の情勢図(BC57年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【第2巻1節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路。
<!--【第2巻3節】-->
画像:Porte de Mars.jpg|フランスの[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]([[w:fr:Reims|Reims]])に残る、帝制ローマ期(3世紀)の軍神マルスの凱旋門([[w:fr:Porte de Mars|Porte de Mars]])。<hr>レーミー族 Rēmī(仏 [[w:fr:Rèmes|Rèmes]])は、[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス]]([[w:fr:Reims|Reims]])近辺にいた部族で、都市名 Reims も部族名に由来する。同市のラテン語名は [[w:la:Durocortorum|Durocortorum]] だが、これは彼らの首邑のラテン語名 [[w:fr:Durocortorum|Durocortorum]] である。
画像:Tête 1er siècle Musée Saint-Remi 100208.jpg|後1世紀頃のレーミー族市民のポートレート。[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]のサン=レミ博物館([[w:fr:Musée Saint-Remi de Reims|Musée Saint-Remi de Reims]])所蔵。
<!--【第2巻4節】-->
画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]]の遠征路。<br>ベルガエ人は、両部族の侵攻を撃退した。
画像:England Celtic tribes - South.png|ローマ人に支配される前の[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]島南部の部族分布図。Belgae, Atrebates などの名がある。
画像:Gaule Belgique.png|ベルガエまたはガッリア・ベルギカ([[wikt:en:Gallia_Belgica#Latin|Gallia Belgica]])の部族と首邑の配置図。
<!--【第2巻5節】-->
画像:Aisne Berry-au-Bac 150808 1.jpg|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])。<br>戦場と考えられている、現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])にて。
画像:Bassin de l'Aisne.png|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])は、[[w:アルゴンヌ森|アルゴンヌ森]]を源流とし、[[w:オワーズ川|オワーズ川]]に合流し、さらにパリの北方で[[w:セーヌ川|セーヌ川]]に合流する。
画像:108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(''British Library HMNTS 9041.h.7.'')<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもので<ref name="近山">[[w:近山金次|近山金次]]訳『ガリア戦記』等を参照。</ref><ref name="uchicago">[https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Journals/CJ/36/6/Caesars_Camp_on_the_Aisne*.html Caesar's Camp on the Aisne — Classical Journal 36:337‑345 (1941)]等を参照。</ref>、これが有力な説となっている。<hr>図中の [[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]], [[w:fr:Condé-sur-Suippe|Condé-sur-Suippe]], [[w:fr:Guignicourt|Guignicourt]], [[w:fr:Pontavert|Pontavert]](以上[[w:エーヌ県|エーヌ県]])並びに [[w:fr:Gernicourt|Gernicourt]]([[w:マルヌ県|マルヌ県]])は、近現代の自治体名。
画像:02073-Berry-au-Bac-Sols.png|アクソナ河畔においてローマ・ベルガエ両軍が布陣したと考えられている現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])の地図。左図の中央部に対応する([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202190+%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF/@49.4075981,3.8771459,5732m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9a4719a9b40b5:0x40af13e8169fa00!8m2!3d49.403069!4d3.899594?hl=ja Google Map])。<hr>当地は、レーミー族の首邑があった[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]の市街地から北西へ約19km、徒歩4時間ほど、自動車で20分強<ref>Google Mapsによる。</ref>。
<!--【第2巻6節】-->
画像:Camp de st Thomas 35143.jpg|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])の遺構と考えられている「ラン旧市街(Vieux-Laon)」の復元図。
画像:Saint-Erme-Outre-et-Ramecourt (Aisne) chemin du vieux Laon menant au Camp des Romains.JPG|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])と考えられている古代ローマ時代の遺構「ラン旧市街(Vieux-Laon)」が残る仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]の村落サン=トマ([[w:fr:Saint-Thomas (Aisne)|Saint-Thomas]])の郊外([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202820+%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%88%E3%83%9E/@49.5019503,3.801481,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9b079ab27dfff:0x548dad124cac49dc!8m2!3d49.497623!4d3.820453?hl=ja Google Map])。<hr>エーヌ県[[w:ラン (フランス)|ラン市]]([[w:fr:Laon|Laon]])から東南東へ約19km、徒歩約4時間、車で30分ほど。レーミー族の首邑があったマルヌ県[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]から北西へ約32km、徒歩約7時間、車で約40分。戦場と考えられる自治体ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])から北西へ13km前後、徒歩3時間弱、車で約14分。カエサルの記述とおおむね合致する。
画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|ローマ軍の[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集隊形)による攻城戦の想像画(17世紀)。この隊形は、ローマ軍の頑丈な[[w:スクトゥム|方形の長盾]]が可能にしたものであるが、ガッリア人の小さな丸い盾でも可能であるのかは不祥。
画像:Bender - Testudo.JPG|テストゥド(亀甲車)と呼ばれるローマ軍の攻城兵器の一つの復元画。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられている。
<!--【第2巻8節】-->
画像:047 Conrad Cichorius, Die Reliefs der Traianssäule, Tafel XLVII (Ausschnitt 02).jpg|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌスの記念柱]](113年)に描写されたローマ軍の兵器バリスタ(またはスコルピオ)。
画像:Balliste fireing.jpg|ローマ軍の巻揚げ式射出機バリスタ(またはスコルピオ)の復元例。
画像:Croped from 108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(前掲 ''British Library HMNTS 9041.h.7.'' の拡大図)<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもの<ref name="近山"/><ref name="uchicago"/>。<hr> 現在モシャン(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Mauchamp</span>)と呼ばれている集落(図中の右上)のある小高い丘陵にカエサル麾下ローマ軍の陣営(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman camp</span>)が築かれて、その両隅から突き出した堀の両端にそれぞれ小さい砦(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Fort</span>)が置かれ、アクソナ川の支流(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">[[w:fr:Miette (rivière)|Miette R.]]</span>)の北岸に野営するベルガエ人の軍勢(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Belgic Host</span>)に対してローマ軍(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman Army</span>)6個軍団が布陣している。その南方にある橋をカエサルの副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]率いる6個歩兵大隊が守備する(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Camp of Sabinus</span>)([[#5節]])。
<!--【第2巻9節】-->
画像:Juvincourt-et-Damary (Aisne) La Miette avec lavoir.JPG|ミエット川([[w:fr:Miette (rivière)|la Miette]])
画像:Berry-au-Bac OSM 02.png|戦場となったベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])は現在も沼地(水色の部分)が多い。
画像:Aisne à Pontavert 08309.JPG|現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ポンタヴェール([[w:fr:Pontavert|Pontavert]])の辺りを流れるアクソナ川〔現[[w:エーヌ川|エーヌ川]]〕。
画像:Map commune FR insee code 02613.png|ベルガエ勢が渡河をめざしたのは、現在のポンタヴェール([[w:la:Pontavert|Pontavert]])の辺りと思われる。
<!--【第2巻10節】-->
画像:Bataille_l'Aisne -57.png|[[w:アクソナ川の戦い|アクソナ川の戦い]]における両軍の布陣図。
<!--【第2巻11節】-->
画像:Soupir 1917.jpg|[[w:第一次世界大戦|第一次大戦]]の第二次エーヌの戦い<ref>[[w:en:Second Battle of the Aisne]]</ref>またはシュマン=デ=ダムの戦い<ref>[[w:fr:Bataille du Chemin des Dames]]</ref>で戦場となった[[w:エーヌ県|エーヌ県]]スピール村<ref>[[w:fr:Soupir (Aisne)]]</ref>の荒廃。<hr>本節のベルガエ人の撤退戦・カエサルによる追撃戦の場所は不詳だが、仏独の激戦地にもなった界隈である。
画像:Friedhof Soupir.jpg|同じくスピール村に設立された第一次大戦の戦死者のための国立戦没者墓苑。
<!--【第2巻12節】-->
画像:Remparts romains de Soissons 52.jpg|スエッスィオーネース族 [[w:la:Suessiones|Suessiones]] の名が訛った[[w:ソワソン|ソワソン市]]([[w:fr:Soissons|Soissons]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''アウグスタ・スエッスィオーヌム'''([[w:fr:Augusta Suessionum (ville romaine)|Augusta Suessionum]])が建設され、やがて[[w:ソワソン管区|ソワソン王国]]の都として栄えて今日に至る。
画像:Pommiers (Aisne) city limit sign.JPG|[[w:ソワソン|ソワソン市街]]から北西へ4kmの高台にあるポミエ([[w:fr:Pommiers (Aisne)|Pommiers]])。'''ノウィオドゥーヌム'''があったされる有力な候補地の一つである。
画像:Bender - Vinea.JPG|[[wikt:en:vinea|vinea]] の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。
画像:Avaricum westpoint july 2006.jpg|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。
<!--【第2巻13節】-->
画像:2018-02-20 15-17-12 rempart-beauvais.jpg|ベッロウァキー族([[w:la:Bellovaci|Bellovaci]])の名を伝える[[w:ボーヴェ|ボーヴェ市]]([[w:fr:Beauvais|Beauvais]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''カエサロマグス'''([[w:la:Caesaromagus (discretiva)|Caesaromagus]])が建設され、「ベッロウァキー族の都市」を意味する別名'''キーウィタース・ベッロウァコールム'''(civitas Bellovacorum)または'''ベッロウァクム'''([[w:la:Bellovacum|Bellovacum]])とも呼ばれ、その名が訛って今日のボーヴェに至る。<hr>ベッロウァキー族は、ローマ人の軍門に降った後、彼らの本拠'''ブラトゥスパンティウム'''からカエサロマグスに移住させられたため、ブラトゥスパンティウムがどこにあったのか、([[w:ボーヴェ|ボーヴェ]]の近くと思われるが)正確な位置は不明である。
<!--【第2巻15節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路図。アンビアーニー族とネルウィイー族の領土は離れているように見える。
<!--【第2巻16節】-->
画像:Civitas of the Viromandui.svg|ウィロマンドゥイー族([[w:en:Viromandui|Viromandui]])の帝制ローマ期の推定される版図。現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]のヴェルマン([[w:fr:Vermand|Vermand]])、[[w:サン=カンタン|サン=カンタン]]([[w:fr:Saint-Quentin|St-Quentin]])、さらに[[w:オワーズ県|オワーズ県]]の[[w:ノワイヨン|ノワイヨン]]([[w:fr:Noyon|Noyon]])などに及んでいたと考えられている。<hr>本節の記述のようにネルウィイー族([[w:en:Nervii|Nervii]])やアトレバテース族([[w:en:Atrebates|Atrebates]])の領域に隣接していた。が、[[#15節|15節]]で述べられた、アンビアーニー族([[w:en:Ambiani|Ambiani]])がネルウィイー族に隣接していたという記述には疑問が残る。
<!--【第2巻18節】-->
画像:Battle of the Sabis (Selle).png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]をめぐる戦場の概略図。<br>19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説ではなく、20世紀半ばに出て来た[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]の支流セル川([[w:fr:Selle (affluent de l'Escaut)|Selle]])岸のソルゾワール([[w:fr:Saulzoir|Saulzoir]])説<ref>[[w:en:Saulzoir]], [[w:fr:Saulzoir#Histoire]] 等を参照。</ref>に基づく<ref>[https://www.livius.org/pictures/france/selle-sabis/battlefield-of-the-sabis-satellite-photo/ Sabis battlefield, Satellite photo - Livius] の戦場の布陣図等を参照。</ref>。<hr>カエサルとローマ軍は、サビス川(図の水色部分)を渡河してグレー部分の道を右上方向に向かっていたが、川の手前の丘(下の黄色部分)に陣営を置くことにした。本節では、ローマ側の丘と、川を隔てて相対する丘の森の中にネルウィイー族らが陣取っていることに言及している。
<!--【第2巻19節】-->
画像:Bataille_laSambre -57.png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]における布陣図(左)と戦況図(右)。
<!--【第2巻20節】-->
画像:Cornicen 1-cropped.jpg|古代ローマ時代のラッパ([[:c:Category:Roman tuba|Roman tuba]])
<!--【第2巻21節】-->
画像:Legio-V-Caesar-PAX-Augusta.jpg|thumb|right|300px|カエサルから激励を受ける軍団兵。
<!--【第2巻23節】-->
画像:Pilum heavy.jpg|ローマ軍の[[w:ピルム|ピールム(投槍)]]。
画像:The Gladius Sword.jpg|[[w:グラディウス (武器)|グラディウス (長剣)]]を構えるローマ兵。
画像:Bodwognat, de oudste held van België.gif|[[w:ベルギー|ベルギー]]史の本(1845年)の挿絵に郷土の英雄として描かれたボドゥオーグナートゥス(''[[:c:Category:Buduognat|Buduognat]]'')。
画像:SambreBattle.gif|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]の布陣図。19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説によるもの。<hr>本節の記述に従って、ローマ軍左翼の[[w:第9軍団ヒスパナ|第9軍団]]・[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]はアトレバテース族に、中央の[[w:第11軍団クラウディア|第11軍団]]・[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]が、ウィロマンドゥイー族に、ローマ軍右翼の[[w:第12軍団ウィクトリクス|第12軍団]]・[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]に向き合っている。
<!--【第2巻24節】-->
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Roman collared slaves - Ashmolean Museum.jpg|古代ローマ時代の、首根っこを互いにつながれて苦役に従事させられる奴隷たち。
<!--【第2巻29節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|カエサルの'''アトゥアトゥキー族攻囲戦''' の概略図。<br>[[w:ナミュール|ナミュール]]が戦場だったとする説による。[[:ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|⇒詳しく]]
画像:Namur JPG07.jpg|[[w:ナミュール|ナミュール]]の<ruby><rb>城塞</rb><rp>(</rp><rt>シタデル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Citadel of Namur|Citadel of Namur]]'')。<br>その起源はローマ時代にさかのぼるとされ、改築を繰り返して現在に至る。
画像:The_defeat_of_the_Cimbri.jpg|ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。<br>フランスの画家[[w:アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン|アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]]による『キンブリ族の敗北』(«''La défaite des Cimbres''» par [[w:fr:Alexandre-Gabriel Decamps|Alexandre-Gabriel Decamps]] )
<!--【第2巻31節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の上り坂を登り切って城壁に近づいた<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>(再掲)。
画像:Taranis Jupiter with wheel and thunderbolt Le Chatelet Gourzon Haute Marne.jpg|雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の像。<br>[[w:ケルト神話|ケルト神話]]の天空神で、右手に稲妻を、左手に車輪を持っている。<br>戦争や死をも司る。
<!--【第2巻33節】-->
画像:Camp des Pictes (93).JPG|盾や槍などで武装したガッリア人の再現例。
画像:Les Aduatiques Vendus à l'Encan (détail).jpg|『'''競売で売られたアドゥアトゥキー族'''』(<span style="font-family:Times New Roman;fons-size:15pt;">''Les Aduatiques Vendus à l'Encan''</span>)<br> [[w:ベルギー|ベルギー]]出身の画家[[w:レミー・コッヘ|レミー・コッヘ]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:Rémy Cogghe|Rémy Cogghe (1854–1935)]]</span>)による1880年の作品(複製・部分)。
<!--【第2巻35節】-->
画像:Armorica.png|[[w:アルモリカ|アルモリカ]]([[w:en:Armorica|Armorica]])と呼ばれる大西洋沿岸諸部族の分布図。[[#34節|前節]]でローマに帰服したと報告された地域であるが、本節で言及された[[w:ロワール川|ロワール川]]沿いの諸部族 <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Carnutes|Carnutes]], [[w:la:Andecavi|Andes]], [[w:la:Turones (populus)|Turones]]</span> の名が見える。本節の軍団の配置は、翌年の沿岸部での戦争を見越して、戦地に近い土地で冬営させたものと考えられる。
</gallery>
==第3巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第3巻]] ; [[ガリア戦記 第3巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -56.png|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【ルカ会談】-->
画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。
<!--【第3巻1節】-->
画像:Historische Karte CH Rome 1.png|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。
画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>
画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。
画像:Martigny_1600.jpg|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。
<!--【コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」】-->
画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。
画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。
<!--【第3巻6節】-->
画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)
<!--【第3巻9節】-->
画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
<!--【第3巻12節】-->
画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|ウェネティ族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形
画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。
<!--【第3巻13節】-->
画像:Navire venete.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)一つの帆をもつ帆船の例
画像:Navire venete 2.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)二つの帆をもつ帆船の例
画像:Navis longa ja.JPG|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成
画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)
画像:Cordage en chanvre.jpg|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])
画像:Old chain.jpg|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])
画像:Linen canvas.jpg|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]]
画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])
画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])
画像:Grappling hook 2 (PSF).png|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。
<!--【第3巻14節】-->
画像:Bataille Morbihan -56.png|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。
画像:Corvus.svg|鉤竿に似たローマの兵器「[[w:コルウス|コルウス]]」
<!--【第3巻●節】-->
画像:Campagne Unelles -56.png|[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]のウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。
画像:Campagne Aquitains -56.png|[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]のアウィタニア遠征の経路。
画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア
画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。
</gallery>
<!--【第3巻●節】-->
==第4巻==
<gallery>
画像:Gaule -55.png|ガリア戦記 第4巻の情勢図(BC55年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Ancient Germania - New York, Harper and Brothers 1849.jpg|古代の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]。
画像:Germanen_50_n._Chr.png|1世紀頃の古代ゲルマニアの部族分布。オレンジ色の部分がスエビ族の居住地。
画像:GallischeHoeve.jpg|メナピイ族の復元住居(ベルギーの[[w:en:Destelbergen|Destelbergen]])
画像:Maas.jpg|現在のモサ川([[:w:la:Mosa|Mosa]] [[w:マース川|ムーズ川]])
画像:Rhine canyon.JPG|現在のレヌス川([[:w:la:Rhenus|Rhenus]] [[w:ライン川|ライン川]])
画像:Rivieren 4.46933E 51.88083N.jpg|ライン川河口の衛星写真
画像:Panorama Koblenz.jpg|モッセラ川(現在の[[w:モーゼル川|モーゼル川]])とレヌス川(現在の[[w:ライン川|ライン川]])の合流点[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[:w:la:Confluentes|Confluentes]])こそが、15節の殺戮地であったかも知れない。
画像:Roman_Pile_Driver,_Festung_Ehrenbreitstein,_Koblenz,_Germany.jpg|カエサルがレヌス架橋工事に用いた[[w:杭打ち機|杭打ち機]]の復元模型
画像:Il ponte di Cesare sul Reno.jpg|レヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家[[w:ジョン・ソーン|ジョン・ソーン]](John Soane)による想像画。
画像:Romanbritain.jpg|ローマ時代のブリタンニア島
画像:015-Caesar-crossing-the-channel.jpg|ドーバー海峡を航海中のカエサルを描いた後世の戯画。
画像:White cliffs of dover 09 2004.jpg|ブリタンニアの軍勢がカエサルの遠征軍を待ち構えていた、[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]の[[w:en:White cliffs of Dover|白い断崖]]。[[w:石灰岩|石灰質]]で形成された切り立った白い崖は、当地のラテン語名「[[w:アルビオン|アルビオン]]」(Albion)の語源となった。
画像:Trireme 1.jpg|古代ローマの軍船(再現模型)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍において[[w:ローマ軍団|軍団]]の象徴であった金色の<br>'''鷲の徽章'''([[:w:en:Aquila (Roman)|aquila]])
画像:The_Standard-Bearer_of_the_Tenth_Legion.jpg|ローマ軍の上陸を鼓舞する鷲の徽章の旗手(想像画)
画像:Julius Caesar memorial 001.jpg|イギリス・ケント州のディール([[w:en:Deal, Kent|Deal, Kent]])にある、カエサルのローマ軍が最初に上陸したことを記す後世の記念碑。「THE FIRST ROMAN INVASION OF BRITAIN LED BY JULIUS CAESAR; LANDED NEAR HEAR LV BC(ユリウス・カエサルに率いられたローマ人の最初のブリタンニア侵攻、BC55年にここの近くに上陸した)」と記されている。
画像:Hallein_Keltenmuseum_-_Streitwagen_1.jpg|ケルト系諸部族が用いていた戦車=二頭立て二輪馬車の再現([[w:オーストリア|オーストリア]]・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]の[[w:ハライン郡|ハライン郡]]ケルト博物館)
画像:Parisii_coin_2_-_The_Met.png|ガリア人(パリスィイ族)の金貨に彫られた戦車
</gallery>
==第5巻==
<gallery>
画像:Gaule -54.png|ガリア戦記 第5巻の情勢図(BC54年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Illyrians (English).svg|[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]における部族の分布図。右下に、Pirustae(ピルスタエ族)の名が見える。
画像:Boulogne-sur-mer - Nausicaa.jpg|イティウス港があったと推定される有力な候補地、フランスの[[w:ブローニュ=シュル=メール|ブーローニュ]]港
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(Altburg)
画像:Botassart - Le Tombeau du Géant 1.jpg|アルドゥエンナ(アルデンヌ)の森林地帯
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡([[w:ルクセンブルク|ルクセンブルク]]の[[w:en:Titelberg|Titelberg]])
画像:Panorama Wissant.jpg|イティウス港の所在地として、ブーローニュとともに有力な候補であるウィサント([[w:en:Wissant|Wissant]])
画像:Dover AST 2001073_lrg.jpg|[[w:ドーバー海峡|ドーバー海峡]]の衛星写真。右がガリア(フランス)、左がカエサルらが上陸した[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]付近の海岸。
画像:France manche vue dover.JPG|大陸側から見えるブリタンニアの海岸
画像:Campagne Bretagne -54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路
画像:Canterbury_-_Kloster_der_Blackfriars_und_Stour.jpg|ストゥール川([[w:en:River Stour, Kent|Stour]])の支流の一つ
画像:Testudo lg.jpg|ローマ軍の亀甲陣形([[w:テストゥド|テストゥド]])
画像:River Thames_at_Pangbourne_-_The Meadow_-_National_Trust.JPG|タメスィス川、すなわち現在の[[w:テムズ川|テムズ川]]。
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|古代ブリタンニア南部の部族分布。大陸と同じ部族名が見られる。
画像:ParisiiCoins.jpg|ケルト人の金貨(パリシイ族の例)
画像:CassiteriteUSGOV.jpg|ブリテン島南西部の[[w:コーンウォール|コーンウォール]]地方は[[w:錫石|錫石]]の産地として有名。
画像:Grib skov.jpg|[[w:ブナ|ブナ]]の森林
画像:Domestic Greylag.jpg|[[w:ガチョウ|ガチョウ]]
画像:Map_of_Europe_according_to_Strabo.jpg|ほぼ同時代のギリシア人地理学者[[w:ストラボン|ストラボン]]の記述に基づくヨーロッパの地図。中央に三角形のブリタンニア島(Brettania)が見える。ヒベルニア島=イエルネ(Ierne)の位置が北方へずれていることなどを除けば、本節の記述とおおむね合致する。
画像:British_Isles_Isle_of_Man.svg|モナ島(マン島)は、ブリタンニア島(右)とヒベルニア島(左)の間に位置する。
画像:Earth-lighting-winter-solstice_LA.jpg|[[w:冬至|冬至]]のラテン語による説明図
画像:Clepsydra.jpg|水時計の例
画像:United_Kingdom_satellite_image_bright.png|ブリテン諸島の衛星写真
画像:KentBrit5.PNG|現在のケント州の位置
画像:Isatis_tinctoria02.JPG|[[w:アイ (植物)#.E3.82.A6.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.89|ホソバタイセイ]](学名 [[w:en:Isatis_tinctoria|Isatis tinctoria]])の花。染料として重用されていた。
画像:River_Thames_at_Kingston.JPG|現在のキングストン([[w:en:Kingston_upon_Thames|Kingston]])を流れる[[w:テムズ川|テムズ川]]。カエサルとローマ軍が渡河したのはこれよりやや上流のハリフォード([[w:en:Upper_Halliford|Halliford]])辺りと推定されている。
画像:Boxhill_surrey_viewfromtop.jpg|テムズ川上流地域に広がる森林と平原
画像:North_downs_way_seen_from_puttenham.jpg|同じくテムズ川上流地域の森林から平原を眺める
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|ブリタンニア南部沿岸の部族分布(再掲)。右端(東端)に Trinovantes の名がある。
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_sign.jpg|カエサルがカッスィウェッラウヌスを打ち負かしたと推定されている城砦跡の記念碑。イングランド南部[[w:ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]]のホイートハムステッド([[w:en:Wheathampstead|Wheathampstead]])の近くにある遺跡([[w:en:Devil's Dyke, Hertfordshire|Devil's Dyke]])
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_(2).jpg|上と同じカッスィウェッラウヌス城砦跡の一部分
画像:Campagne_Bretagne_-54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路(再掲)。左上の赤い×印の地でカエサルと戦っている間に、カンティウム勢が右下の赤い■印の地を急襲した。
画像:Seascape_Calm_Weather.jpg|凪の海に浮かぶ船の光景<br>([[w:エドゥアール・マネ|エドゥアール・マネ]]画)
画像:Plancus-Statue.jpg|スイスの[[w:バーゼル|バーゼル市]]にあるプランクスの像
画像:LocationPoRiver.PNG|パドゥス川(現在のポー川)
画像:Chartres_1987.jpg|カルヌテス族(Carnutes)の名を残す仏[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)市街の原野からの眺望
画像:Rathaus_Basel_2008_(18).jpg|プランクスの像。前掲と同じもの。
画像:Tongeren_Antiekmarkt_wallen_2.jpg|サビヌスとコッタの冬営があったと推定される古代のアドゥアトゥカ、すなわち現在の[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市内に残る古代の城壁跡
画像:Ambiorix.jpg|アンビオリクスの銅像。[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]](Tongeren)市街に建つ。ローマ軍の侵略と闘って撃破した郷土の英雄として、同市が彫刻家ジュール・ベルタン(Jules Bertin)に依頼し1866年に建立した。[http://www.tongeren.be/main.html 同市のサイト]も象徴として本像を掲げる。
画像:Centurion_2_Boulogne_Luc_Viatour.jpg|百人隊長(ケントゥリオ)の再演。
画像:Jeker3.JPG|[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市街の南を流れる川(Jeker)。本節の峡谷に相当すると思われるもの。
画像:Girolamo_da_Carpi_001.jpg|[[W:ローマ神話|ローマ神話]]の女神[[w:フォルトゥーナ|フォルトゥーナ]](16世紀ルネサンス期のイタリア、[[w:ジローラモ・ダ・カルピ|ジローラモ・ダ・カルピ]]画)。気まぐれな運命の女神とも解釈される。
画像:Basilika-tongeren-and-ambiorix.jpg|[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]の教会堂の前に立つアンビオリクス像(前掲と同じもの)。ヨーロッパ近代のナショナリズムの高揚とともに、彼はカエサルのローマ軍を一敗地にまみれさせた[[w:ケルト人|ケルト人]]の武将、「[[w:ベルギー|ベルギー]]の英雄」として大いに祀り上げられた。
画像:Roman_soldiers_with_aquilifer_signifer_centurio_70_aC.jpg|鷲の徽章の旗手([[w:アクィリフェル|アクィリフェル]])を先頭に行進するローマ兵たちの再演(帝政期のAD70年頃のもの)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍団の鷲の徽章(再掲)
画像:Campagne Ambiorix_-54.png|アンビオリクスがローマ軍に勝利した[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]直後の情勢図
画像:Pilum_murale_01.jpg|ローマ軍が籠城戦に用いた防壁槍(pilum muralis)の再現。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|ローマ軍の防備の再現。3基の櫓(turris)と、その間に凹凸形に編み込まれた柴の壁(pinnae loricaeque ex cratibus)が見える。
画像:AlesiaFortifications.JPG|古代ローマ式の堡塁と堀の再現。[[w:アレシアの戦い|アレスィア攻囲戦]]のもの(フランスのアリーズ=サント=レーヌ)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画
画像:Roman_siege_machines.gif|ローマ軍の攻城機械。右上に攻城櫓(tower)、左上に亀甲車(testudo)が見える。
画像:Grose-Francis-Pavisors-and-Moveable-Tower-Assaulting-Castle-1812.jpg|[[w:攻城塔|攻城櫓]](turris)の例。絵は中世イギリスの物だが、古代ローマの物とあまり違わないと思われる。
画像:Pilum light - cropped.jpg|ローマ軍の投槍([[w:ピルム|ピルム]])と長盾([[w:スクトゥム|スクトゥム]])
画像:Gladius_2.jpg|長剣([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]])を右腰の鞘(ウァギナ)から引き抜いたローマ兵士の再演。左肩から右腰にかけて剣帯(バルテウス)が下げられ、鞘を固定している。バルテウス([[w:en:Balteus (sword belt)|balteus]])は[[w:ベルト (服飾)|ベルト]]([[w:en:Belt (clothing)|belt]])の語源。
画像:Campagne_Gaule-54.PNG|キケロを支援するカエサルと軍団の情勢図。カエサルは、サマロブリウァをクラッススに委ね、ファビウスとトレボニウスの軍団とともに東進。ラビエヌスはトレウェリ族を迎撃。
画像:Gallo-Romeinse_cavalerist26-09-2008_16-07-55.JPG|投槍(tragula)を持ったガリア人騎兵を復元した人形
画像:Armorica.png|アレモリカ(Aremorica)またはアルモリカ(Armorica)と呼ばれる大西洋岸地域。ここの諸部族は2年前(BC56年)にカエサルやサビヌスが率いるローマ軍と戦った。
</gallery>
==第6巻==
<gallery>
画像:Gaule -53.png|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Hw-pompey.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。
画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)
画像:GallischeHoeve.jpg|復元されたメナピイ族の住居(再掲)
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡(再掲)
画像:Pilensalve.jpg|[[w:ピルム|ピルム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(再掲)
画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|トレウェリ族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡
|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)から2000周年を記念した[[w:ドイツ|ドイツ]]の切手(2009年発行)。右はケルスキ族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]、左下は[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の胸像、左上はローマ軍が遺した仮面。<br>アルミニウスが率いるケルスキ族・カッティ族らゲルマニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。
画像:Two_Druids.PNG|二人の[[w:ドルイド|ドルイド]]。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。
画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち
画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|ギリシア文字で刻まれたガリアの碑文
画像:Dying_gaul.jpg|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])
画像:Universum.jpg|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。
画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。
画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)
画像:WickerManIllustration.jpg|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた。1973年にはイギリスで映画化され、2006年にはアメリカなどでも映画化された。
画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)
画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|ガリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。
画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|ガリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。
画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|ガリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。
画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。
画像:Celts.svg|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。
画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。
画像:Hallstatt_LaTene.png|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)
画像:Rentier fws 1.jpg|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。
画像:Bigbullmoose.jpg|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。
画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG_1824.JPG|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。
画像:Wisent.jpg|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。
画像:Muybridge_Buffalo_galloping.gif|疾走するバイソン
画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。
画像:Taxus baccata MHNT.jpg|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。
画像:Locatie-Maas-3.png|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。
画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。
画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Wedge-diagram.svg|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。
画像:Porte_Mars_01.jpg|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。
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==第7巻==
===ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起===
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画像:Gaule_-52.png|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Maccari-Cicero.jpg|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵であったキケロを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケロの友人ミロの配下によって殺害された。
画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。
画像:Brennus_mg_9724.jpg|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀頃に、アッコと同じ[[w:セノネス族|セノネス族]]の族長だったとされている。
画像:Chartres_1.jpg|[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]](Carnutes)の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌテス族の土地はガリアの中心・聖地と見なされていた。ガリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。
画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]で、ガリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。
画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガリア起源説]])、ガリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])
画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。
画像:Maps_of_Eduens_people-fr.svg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]を軸とするガリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイ族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲス族(Bituriges)と赤いハエドゥイ族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲス族とアルウェルニ族の勢力圏になっている。
画像:Warsaw_Royal_Castle_GM_(12).JPG|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。
画像:Narbonne_panorama.jpg|'''ナルボ'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボ・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。
画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。
画像:Carte-cevennes-france.png|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:Col_de_legal.jpeg|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arverni)に由来する。
画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖
画像:France_Massif_central.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。
画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。
画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色
画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボ]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。
画像:Aqueduc2.jpg|アゲディンクム、すなわちセノネス族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡
画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。
画像:Orleans.jpg|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。
画像:Sancerre.jpg|ビトゥリゲス族の城市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。
画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。
画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。
画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。
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===アウァリクム攻略戦===
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画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|'''アウァリクム'''(Avaricum)すなわち[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]](Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。
画像:Bourges.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲス族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲス・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァリクム周辺にいた'''ビトゥリゲス・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲス・クビ族の方である。
画像:Bourges_2.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガリア時代からこの街を囲んでいる。
画像:Carte_du_Cher.svg|アウァリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった。
画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|アウァリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリクスが移動させた陣営。
画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)
画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。
画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。
画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|ガリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガリア壁)」と呼ばれるが、ガリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。
画像:Keltenmauer.gif|ガリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。
画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])
画像:Balliste_fireing.jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。
画像:Vercingetorix_stater_CdM.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
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===ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反===
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画像:FR-58-Decize29.JPG|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。
画像:Brioude pont.JPEG|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイ族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。
画像:FR-63-Gergovie.JPG|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。
画像:Siège_GergovieI_-52.png|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。
画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。
画像:La_Roche_Blanche.JPG|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵
画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。
画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)
画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。
画像:Monument_gergovie_fr.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。
画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->
画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|ノウィオドゥヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観
画像:Bibracte333_crop.JPG|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城市]]跡に整備された城壁の遺構
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===アレスィア攻囲戦===
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画像:Alésia.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。
画像:Alise2.jpg|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。
<br>
画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。
画像:Napoleon3.PNG|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。
画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:AlesiaFortifications.JPG|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。
画像:Trous.de.loup.png|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。
画像:Aiguillon.png|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。
<br>
画像:Die_Gartenlaube_(1892)_b_397.jpg|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。(作品そのものはカラー)
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。
画像:Coin_Vercingetorix.jpg|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。
画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。
画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。
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==第8巻==
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画像:Gaule -51.png|ガリア戦記 第8巻の情勢図(BC51年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
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==題字==
[[画像:Blue_square_A.PNG|30px]]
[[画像:Blue_square_B.PNG|30px]]
[[画像:Blue_square_C.PNG|30px]]
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[[画像:Blue_square_X.PNG|30px]]
[[画像:Solid_blue.svg|30px]]
==その他・未使用画像==
*'''全般'''
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画像:Gaule -59.png|ガリア戦争 直前のガリア情勢図(BC59年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Gaule -50.png|ガリア戦争 直後のガリア情勢図(BC50年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare prima Gallia 58 a.C.jpg|[[w:ガリア戦争|ガリア戦争]]直前のローマ周辺図(BC58年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare dopo Gallia 50 a.C..jpg|ガリア戦争直後のローマ周辺図(BC50年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Map Gallia Tribes Towns-la.svg|ガッリアの地図(SVG)
画像:La2-demis-france.png|ガッリアの現代の地形図
画像:Gaul.svg|ガッリアの地形図
画像:Bust_of_Gaius_Iulius_Caesar_in_Naples.jpg|カエサルの胸像
画像:Caesar-Altes-Museum-Berlin.jpg|カエサルの胸像
画像:Kastell Niederbieber, Modell, 2007.jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:DevaMinervaPlan(bq).jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:Ambleside Roman Fort_-_Project_Gutenberg_eText_19115.png|[[w:イングランド|イングランド]]北西部の[[w:カンブリア (イングランド)|カンブリア州]]アンブルサイド(<small>[[w:en:Ambleside|Ambleside]], Cumbria</small>)に残る帝政ローマ前期(1世紀頃)のガラヴァ城砦([[w:en:Galava|Galava]])の図面。
画像:Castrum La Crucca.JPG|ローマ軍の塁壁の再現例
画像:Castellum Matilo entreetoren Romeinse soldaten op wacht 20170806 fotoCThunnissen.jpg|櫓の再現例
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*'''第1巻'''
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画像:Ager Helvetium.png|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Maxima Sequanorum.jpg|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Schweiz-Französischer-Jura.png|ヘルウェーティイー族の領土
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*'''第2巻'''
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画像:Aisne.png|エーヌ県の地図
</gallery>
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画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ族|キンブリ族]]と[[w:テウトネス族|テウトニ族]]がローマ領へ侵攻して勃発した[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](BC113-101年)の要図。『ガリア戦記』では第1巻33節・40節と第2巻4節・29節と第7巻77節で言及されている。
画像:Marius_Glyptothek_Munich_319.jpg|[[w:ガイウス・マリウス|ガイウス・マリウス]]の胸像。[[w:マリウスの軍制改革|軍制改革]]を断行し、[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族とテウトニ族の侵攻]]を撃滅した。(第1巻40節)
画像:Tiepolo_Vercellae.jpg|キンブリ族を撃退する[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]とローマ軍([[w:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ|ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]画)(第1巻40節)
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*'''第3巻'''
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画像:Sambuke-gelo4.jpg|[[w:en:Sambuca (siege engine)]]
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*'''各4巻'''
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画像:Jochbrücke Skizze.jpg|[[:c:Category:Pile yoke bridges|Pile yoke bridge]]
画像:Leipzig - Gustav-Esche-Straße - Auensee 09 ies.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
画像:13734-Colditz-1912-Muldenpartie am Muldenschößchen-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
</gallery>
*'''各5巻'''
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画像:Karel de Kesel 35019.jpg|Ambiorix tendant une embuscade à la XIVe slégion romaine.
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*'''各6巻'''
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</gallery>
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画像:Bibracte Dumnorix.jpg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のドゥムノリクス
画像:Blaeu - Atlas of Scotland 1654 - INSULÆ ALBION et HIBERNIA cum minoribus adjacentibus - British Isles.jpg|ラテン語で記述されたブリタンニアとヒベルニア周辺の地図(17世紀)
画像:Day length.jpeg|緯度と日付(ユリウス日)による日中の長さの図示。
画像:Jupiter_Musée_d'Evreux_210209_1.jpg|ユピテル神像(仏エヴルー博物館)
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森([[w:en:Hercynian_Forest|Hercynian Forest]])
</gallery>
*'''第7巻'''
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画像:Via Domitia (Narbonne).jpg|現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]に残る[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の遺構
画像:MC_cevenes.jpg|[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)におけるセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:VercingetorixSurrenders.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
画像:Vercingétorix se rend à César 1886 HPMotte.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
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*'''第8巻など'''
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画像:Correus.jpg|ベッロウァキ族の指導者コッレウス。第8巻でローマ軍と戦って戦死した。絵は19世紀フランスの画家ディオジェーヌ・マイヤール(Diogène Maillart)作『コッレウスの死』(La mort de Correus)。
画像:Hermann warrior.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
画像:Otto_Albert_Koch_Varusschlacht 1909.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
</gallery>
*'''その他'''
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画像:Karl_Ludwig_Nipperdey.jpg|『ガリア戦記』の最初の近代的な校訂版(1847年)を著わしたカール・ニッペルダイ([[w:de:Carl Nipperdey|Carl Nipperdey]]:1821-1875)の肖像写真(1858年撮影)。
画像:Theodor_Mommsen_02.jpg|『ガリア戦記』などローマ史を研究し、1902年にノーベル文学賞を受賞した[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]([[w:de:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]]:1817-1903)の肖像画(1863年)。
</gallery>
==脚注==
<references />
==参考リンク==
===ウィキペディア===
*ラテン語版(la)
**[[w:la:Categoria:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:la:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争
**[[w:la:De bello Gallico]] - ガリア戦記
*ドイツ語版(de)
**[[w:de:Portal:Rom und Römisches Reich]] - 古代ローマのポータル
**ガリア戦記の研究者
***[[w:de:Carl Nipperdey]] - カール・ニッペルダイ(1821-1875):1847年に初めて近代的な校訂版を著わした。
***[[w:de:Theodor Mommsen]] - [[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]](1817-1903):ノーベル文学賞を受賞したローマ史家。
***Heinrich Meusel - ハインリヒ・モイゼル:β系写本の評価を高め、写本の系図を提案した校訂者。
***[[w:de:Alfred Klotz]] - アルフレート・クロッツ(1874-1956):β系写本の優位を主張した校訂者。
***[[w:de:Otto Seel]] - オットー・ゼール(1907-1975):1961年に校訂版を著わした。
***[[w:de:Wolfgang Hering]] - ヴォルフガング・ヘーリンク(1987-?):1987年に校訂版を著わした。
*英語版(en)
**[[w:en:Portal:Ancient Rome]] - 古代ローマのポータル
**[[w:en:Template:Ancient Rome topics]] - 古代ローマ関係の記事テンプレート
***[[w:en:Roman military personal equipment]] - 古代ローマ軍の個人装備
***[[w:en:Military of ancient Rome]] - 古代ローマ軍
*フランス語版(fr)
**[[w:fr:Portail:Rome antique]] - 古代ローマのポータル
**[[w:fr:Portail:Monde celtique]] - '''ケルト世界'''のポータル
**[[w:fr:Catégorie:Cité gallo-romaine]] - ガッロ=ローマン都市
***'''[[w:fr:Liste des noms latins des villes françaises]]''' - フランスの都市のラテン語名の一覧
****[[w:fr:Nemetacum (ville romaine)]] -
**[[w:fr:Liste des peuples_gaulois en France]] - フランスにおけるガリア人(部族)の一覧
**[[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise]] - ガリアの人物カテゴリ
*'''イタリア語版'''(it)- 参考になる画像が多い
**[[w:it:Conquista della Gallia]] - '''ガリア戦争''':画像が豊富。
**[[w:it:Esercito romano]] - ローマ軍
**[[w:it:Portale:Antica Roma]] - 古代ローマのポータル
**[[w:it:Portale:Celti]] - '''ケルト'''のポータル
*日本語版(ja)
**[[w:ja:Category:ガリア戦争]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:ja:ガリア戦争]]
**[[w:ja:ガリアの部族一覧]]
<br>
===ウィキソース===
*フランス語版
**[[s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc]] : フランスの建築家 [[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク]](<small>[[w:fr:Eugène Viollet-le-Duc|Eugène Viollet-le-Duc]]</small>;1814-1879)の著作集
***[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle]] : 『中世フランス建築体系辞典(11~16世紀)』(1856年発行)
***<u>[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé]]</u> : 同書の第5巻「堀」([[w:アレシアの戦い|アレスィア]]の攻囲陣地について記述がある)
****[[:commons:Category:Viollet-le-Duc]]:上掲書の図版のカテゴリ
****:[[:commons:Category:Fortification (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (城砦)
****:[[:commons:Category:Weaponry (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (兵器)
<br>
===ウィキコモンズ===
*ウィキコモンズのカテゴリ
**[[:commons:Category:Agedincum]](アゲディンクム);セノネス族の主邑で、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]]
**'''[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]]'''(アリーズ=サント=レーヌ);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の古戦場
***[[:commons:Category:Statue de Vercingétorix (Alise-Sainte-Reine)]](アリーズ=サント=レーヌにあるウェルキンゲトリクス像)
**'''[[:commons:Category:Ambiorix]]'''('''アンビオリクス''')
**[[:commons:Category:Ancient Germanic history and culture]](古代ゲルマニアの歴史と文化)
**'''[[:commons:Category:Ancient Rome]]'''('''古代ローマ''')
**[[:commons:Category:Ancient Roman archaeological sites]](古代ローマの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Ancient Roman architecture]](古代ローマの建築)
**[[:commons:Category:Ancient Roman battles]](古代ローマの戦闘)
**[[:commons:Category:Ancient Roman castra]](古代ローマの陣営)
**[[:commons:Category:Ancient Roman enemies and allies]](古代ローマの敵と同盟者)
**[[:commons:Category:Ancient Roman forts]](古代ローマの城砦)
**[[:commons:Category:Ancient Roman gentes]](古代ローマの氏族)
**[[:commons:Category:Ancient Roman machines]](古代ローマの機械)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military equipment]](古代ローマの軍事装備)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military people]](古代ローマの軍人)
**[[:commons:Category:Ancient Roman people]](古代ローマの人々)
**[[:commons:Category:Ancient Roman provinces]](古代ローマの属州)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages]](古代ローマ時代の都市や村)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages in France by Latin name]](古代ローマ時代の都市や村、フランスにあるラテン名のもの)
**[[:commons:Category:Ancient Roman wars]](古代ローマの戦争)
**[[:commons:Category:Ancient weapons]](古代の兵器)
**[[:commons:Category:Archaeology of Europe]](ヨーロッパの考古学)
**[[:commons:Category:Archaeological sites in England]](イングランドの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Aquila (Roman)]](アクィラ、鷲の徽章);ローマ軍団の象徴
**[[:commons:Category:Archery]](アーチェリー、弓矢)
**[[:commons:Category:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Category:Auvergne]]([[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ地域圏]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠地だった地方
**[[:commons:Category:Avaricum]](アウァリクム);ビトゥリゲス族の主邑で、現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]
**[[:commons:Category:Ballista]](バリスタ);投擲兵器、弩砲
**'''[[:commons:Category:Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')
**:[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]](アリーズ=サント=レーヌ);アレスィアの戦いの古戦場
**:[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);アレスィアの戦いの遺跡
**'''[[:commons:Category:Battle of Bibracte]]'''('''ビブラクテの戦い''')
**'''[[:commons:Category:Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')<[[:commons:Category:Gergovie|Category:Gergovie]]
**[[:commons:Category:Bibracte]](ビブラクテ);ハエドゥイ族の城市
**'''[[:commons:Category:Caesar's invasions of Britain]]'''('''[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]''')
**'''[[:commons:Category:Caesar's Rhine bridges]]'''('''カエサルのライン川架橋''')
**[[:commons:Category:Catapults]](カタパルト);投石器
**[[:commons:Category:Celtic_culture]](ケルト文化)
**[[:commons:Category:Celtic languages]](ケルト諸語)
**[[:commons:Category:Celtic mythology]](ケルトの神話)
**[[:commons:Category:Celtic reenactments and reconstructions]](ケルトの再演と復元)
**[[:commons:Category:Celtic symbols]](ケルトのシンボル)
**[[:commons:Category:Celtic walls]](ケルト人の防壁)
**[[:commons:Category:Celtism]](ケルト主義);現代のケルト運動
**'''[[:commons:Category:Celts]]'''('''ケルト人''')
**[[:commons:Category:Cévennes]](セヴェンヌ山地);[[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]]南東部の山脈。ラテン名ケウェンナ Cevenna
**[[:commons:Category:Coins]](貨幣)
**[[:commons:Category:Crossbows]](クロスボウ);石弓、弩(おおゆみ)
**[[:commons:Category:Defensive dykes in England]](イングランドの守備堤防)
**[[:commons:Category:Druidism]](ドルイド教)
**[[:commons:Category:Forts in England]](イングランドの砦)
**[[:commons:Category:Fortification]](要塞)
**'''[[:commons:Category:Caesar's Gallic war (1898)]]'''(『ガリア戦記』1898)
**'''[[:commons:Category:Gallic War]]'''('''ガリア戦争''')
**'''[[:commons:Category:Gauls]]'''('''ガリア人''')
**[[:commons:Category:Gergovie]](ゲルゴウィア);[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]があった古代の城市(現在の[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン]]近郊)>[[:commons:Category:Battle of Gergovia|Category:Battle of Gergovia]]
**'''[[:commons:Category:Gladii]]'''([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]]);古代ローマ軍の長剣
**[[:commons:Category:Category:Gnaeus Pompeius Magnus]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])
**[[:commons:Category:Hallein - Keltenmuseum]]([[w:ハライン郡|ハライン]]・ケルト博物館);オーストリア・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]にあるケルト博物館
**[[:commons:Category:Hallstatt_culture]]([[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]);中央ヨーロッパの前期ケルト文化
**[[:commons:Category:Henri-Paul Motte]]([[w:アンリ=ポール・モット|アンリ=ポ-ル・モット]] [[w:fr:Henri-Paul Motte|Henri-Paul Motte]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
**[[:commons:Category:Iron Age Britain]](鉄器時代のブリテン)
**'''[[:commons:Category:Iulius Caesar]]'''('''ユリウス・カエサル''')
**[[:commons:Category:La Tène culture]](ラ・テーヌ文化);中央ヨーロッパの後期ケルト文化
**'''[[:commons:Category:Latin]]'''('''ラテン語''')
**[[:commons:Category:Lionel-Noël Royer]]([[w:リオネル=ノエル・ロワイエ|リオネル=ノエル・ロワイエ]] [[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
**[[:commons:Category:Loire River]]([[w:ロワール川|ロワール川]]);ローマ時代のリゲル川 [[w:la:Liger|la:Liger]]
**[[:commons:Category:Maps of ancient Rome]](古代ローマの地図)
**[[:commons:Category:Maps of ethnic groups]](民族集団の地図)
**'''[[:commons:Category:Maps of Gauls]]'''('''ガリア人の地図''')
**[[:commons:Category:Maps of the British Isles]](ブリテン諸島の地図)
**[[:commons:Category:Maps of the history of Europe]](ヨーロッパ史の地図)
**[[:commons:Category:Maps of the history of France]](フランス史の地図)
**[[:commons:Category:Maps of Roman Gaul]](ローマ支配下のガリアの地図)
**[[:commons:Category:Maps of the Roman Republic]](共和政ローマの地図)
**[[:commons:Category:Maps relating to Celts]](ケルト人に関連する地図)
**[[:commons:Category:Maps showing 1st-century BCE history]](BC1世紀の地図)
**[[:commons:Category:Massif Central]]([[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏だった高地
**[[:commons:Category:Medieval weapons]](中世の兵器)
**'''[[:commons:Category:Military equipment of Ancient Rome (reconstructed)]]'''(復元された古代ローマの軍事装備)
**[[:commons:Category:Military of Ancient Rome]](古代ローマの軍事)
**'''[[:commons:Category:Murus gallicus]]'''(ガリア式城壁);ビブラクテの城壁など
**[[:commons:Category:Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]);古代ローマの植民市ナルボ [[w:la:Narbo|la:Narbo]]
**[[:commons:Category:Navy of ancient Rome]](古代ローマ海軍)
**[[:commons:Category:Old maps of Europe]](ヨーロッパの古地図)
**[[:commons:Category:Oppidum]](オッピドゥム);ガリアなどの城市
**[[:commons:Category:Prehistoric Britain]](先史時代のブリテン)
**[[:commons:Category:Religion in ancient Rome]](古代ローマの宗教)
**[[:commons:Category:Roman deities]](ローマの神々)
**[[:commons:Category:Roman Empire]](帝政ローマ)
**[[:commons:Category:Roman Gaul]](ローマ支配下のガリア)
**[[:commons:Category:Roman Germania]](ローマ領ゲルマニア)
**[[:commons:Category:Roman legion]](ローマ軍団)
**[[:commons:Category:Roman Legions Reenactment]](ローマ軍団の再演)
**[[:commons:Category:Roman mythology]](ローマ神話)
**[[:commons:Category:Roman Republic]](共和政ローマ)
**[[:commons:Category:Roman weapons]](ローマの兵器)
**[[:commons:Category:Siege equipment]](攻城の道具)
**[[:commons:Category:Siege towers]](攻城櫓)
**[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の遺跡
**[[:commons:Category:The Comic History of Rome]](「漫画ローマ史」)
**[[:commons:Category:Tongeren]]([[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市)=古代の城市アドゥアトゥカ
**'''[[:commons:Category:Vercingetorix]]'''('''ウェルキンゲトリクス''')
***[[:commons:Category:Statue de Vercingétorix (Alise-Sainte-Reine)]](アリーズ=サント=レーヌにあるウェルキンゲトリクス像)
***[[:commons:Category:Statue of Vercingetorix in Clermont-Ferrand]](クレルモン=フェランにあるウェルキンゲトリクス像)
**[[:commons:Category:1st century BC]](BC1世紀)
**[[:commons: ] ]
*ウィキコモンズの記事ページ
**[[:commons:Atlas of the United Kingdom]](イギリスの地図集)
**[[:commons:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Atlas of France]](フランスの地図集)
**[[:commons:Celts]](ケルト人)
**[[:commons: ] ]
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206023
206014
2022-07-31T00:33:46Z
Linguae
449
/* 第3巻 */ モザイク画
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|さんしようかそういちらん]]
『ガリア戦記』対訳本文中で参照した画像の一覧。
==全般==
{{Commons|Category:Gallic_War|ガリア戦争}}
<gallery>
画像:Commentarii_de_Bello_Gallico.jpg|1783年刊行の『ガリア戦記』と『内乱記』
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|カエサル(右)と対面するウェルキンゲトリクス(左)(1899年、Lionel-Noël Royer画)
</gallery>
==第1巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第1巻]] ; [[ガリア戦記 第1巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -58.png|ガリア戦記 第1巻の情勢図(BC58年)。黄色の領域がローマ領。
画像:Divico und Caesar.jpg|カエサル <small>(左側中央)</small>がアラル川 (<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Arar|Arar]]</span>、[[w:ソーヌ川|ソーヌ川]]) でヘルウェーティイー族 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Helvetii|Helvetii]]</span> を破った後、その使節ディーウィコー <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:en:Divico|Divico]]</span> <small>(右側中央)</small> と会見した場面 (第1巻13節~14節)。<br>19世紀スイスの画家 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Karl Jauslin|Karl Jauslin]]'' (1842-1904)</span>による歴史画。ヘルウェーティイー族はスイス人のルーツとみなされるため、ディーウィコーも歴史的英雄として凛々しい姿で描写されている。
</gallery>
==第2巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第2巻]] ; [[ガリア戦記 第2巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule_-57.png|ガリア戦記 第2巻の情勢図(BC57年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【第2巻1節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路。
<!--【第2巻3節】-->
画像:Porte de Mars.jpg|フランスの[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]([[w:fr:Reims|Reims]])に残る、帝制ローマ期(3世紀)の軍神マルスの凱旋門([[w:fr:Porte de Mars|Porte de Mars]])。<hr>レーミー族 Rēmī(仏 [[w:fr:Rèmes|Rèmes]])は、[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス]]([[w:fr:Reims|Reims]])近辺にいた部族で、都市名 Reims も部族名に由来する。同市のラテン語名は [[w:la:Durocortorum|Durocortorum]] だが、これは彼らの首邑のラテン語名 [[w:fr:Durocortorum|Durocortorum]] である。
画像:Tête 1er siècle Musée Saint-Remi 100208.jpg|後1世紀頃のレーミー族市民のポートレート。[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]のサン=レミ博物館([[w:fr:Musée Saint-Remi de Reims|Musée Saint-Remi de Reims]])所蔵。
<!--【第2巻4節】-->
画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]]の遠征路。<br>ベルガエ人は、両部族の侵攻を撃退した。
画像:England Celtic tribes - South.png|ローマ人に支配される前の[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]島南部の部族分布図。Belgae, Atrebates などの名がある。
画像:Gaule Belgique.png|ベルガエまたはガッリア・ベルギカ([[wikt:en:Gallia_Belgica#Latin|Gallia Belgica]])の部族と首邑の配置図。
<!--【第2巻5節】-->
画像:Aisne Berry-au-Bac 150808 1.jpg|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])。<br>戦場と考えられている、現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])にて。
画像:Bassin de l'Aisne.png|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])は、[[w:アルゴンヌ森|アルゴンヌ森]]を源流とし、[[w:オワーズ川|オワーズ川]]に合流し、さらにパリの北方で[[w:セーヌ川|セーヌ川]]に合流する。
画像:108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(''British Library HMNTS 9041.h.7.'')<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもので<ref name="近山">[[w:近山金次|近山金次]]訳『ガリア戦記』等を参照。</ref><ref name="uchicago">[https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Journals/CJ/36/6/Caesars_Camp_on_the_Aisne*.html Caesar's Camp on the Aisne — Classical Journal 36:337‑345 (1941)]等を参照。</ref>、これが有力な説となっている。<hr>図中の [[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]], [[w:fr:Condé-sur-Suippe|Condé-sur-Suippe]], [[w:fr:Guignicourt|Guignicourt]], [[w:fr:Pontavert|Pontavert]](以上[[w:エーヌ県|エーヌ県]])並びに [[w:fr:Gernicourt|Gernicourt]]([[w:マルヌ県|マルヌ県]])は、近現代の自治体名。
画像:02073-Berry-au-Bac-Sols.png|アクソナ河畔においてローマ・ベルガエ両軍が布陣したと考えられている現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])の地図。左図の中央部に対応する([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202190+%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF/@49.4075981,3.8771459,5732m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9a4719a9b40b5:0x40af13e8169fa00!8m2!3d49.403069!4d3.899594?hl=ja Google Map])。<hr>当地は、レーミー族の首邑があった[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]の市街地から北西へ約19km、徒歩4時間ほど、自動車で20分強<ref>Google Mapsによる。</ref>。
<!--【第2巻6節】-->
画像:Camp de st Thomas 35143.jpg|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])の遺構と考えられている「ラン旧市街(Vieux-Laon)」の復元図。
画像:Saint-Erme-Outre-et-Ramecourt (Aisne) chemin du vieux Laon menant au Camp des Romains.JPG|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])と考えられている古代ローマ時代の遺構「ラン旧市街(Vieux-Laon)」が残る仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]の村落サン=トマ([[w:fr:Saint-Thomas (Aisne)|Saint-Thomas]])の郊外([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202820+%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%88%E3%83%9E/@49.5019503,3.801481,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9b079ab27dfff:0x548dad124cac49dc!8m2!3d49.497623!4d3.820453?hl=ja Google Map])。<hr>エーヌ県[[w:ラン (フランス)|ラン市]]([[w:fr:Laon|Laon]])から東南東へ約19km、徒歩約4時間、車で30分ほど。レーミー族の首邑があったマルヌ県[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]から北西へ約32km、徒歩約7時間、車で約40分。戦場と考えられる自治体ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])から北西へ13km前後、徒歩3時間弱、車で約14分。カエサルの記述とおおむね合致する。
画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|ローマ軍の[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集隊形)による攻城戦の想像画(17世紀)。この隊形は、ローマ軍の頑丈な[[w:スクトゥム|方形の長盾]]が可能にしたものであるが、ガッリア人の小さな丸い盾でも可能であるのかは不祥。
画像:Bender - Testudo.JPG|テストゥド(亀甲車)と呼ばれるローマ軍の攻城兵器の一つの復元画。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられている。
<!--【第2巻8節】-->
画像:047 Conrad Cichorius, Die Reliefs der Traianssäule, Tafel XLVII (Ausschnitt 02).jpg|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌスの記念柱]](113年)に描写されたローマ軍の兵器バリスタ(またはスコルピオ)。
画像:Balliste fireing.jpg|ローマ軍の巻揚げ式射出機バリスタ(またはスコルピオ)の復元例。
画像:Croped from 108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(前掲 ''British Library HMNTS 9041.h.7.'' の拡大図)<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもの<ref name="近山"/><ref name="uchicago"/>。<hr> 現在モシャン(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Mauchamp</span>)と呼ばれている集落(図中の右上)のある小高い丘陵にカエサル麾下ローマ軍の陣営(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman camp</span>)が築かれて、その両隅から突き出した堀の両端にそれぞれ小さい砦(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Fort</span>)が置かれ、アクソナ川の支流(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">[[w:fr:Miette (rivière)|Miette R.]]</span>)の北岸に野営するベルガエ人の軍勢(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Belgic Host</span>)に対してローマ軍(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman Army</span>)6個軍団が布陣している。その南方にある橋をカエサルの副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]率いる6個歩兵大隊が守備する(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Camp of Sabinus</span>)([[#5節]])。
<!--【第2巻9節】-->
画像:Juvincourt-et-Damary (Aisne) La Miette avec lavoir.JPG|ミエット川([[w:fr:Miette (rivière)|la Miette]])
画像:Berry-au-Bac OSM 02.png|戦場となったベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])は現在も沼地(水色の部分)が多い。
画像:Aisne à Pontavert 08309.JPG|現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ポンタヴェール([[w:fr:Pontavert|Pontavert]])の辺りを流れるアクソナ川〔現[[w:エーヌ川|エーヌ川]]〕。
画像:Map commune FR insee code 02613.png|ベルガエ勢が渡河をめざしたのは、現在のポンタヴェール([[w:la:Pontavert|Pontavert]])の辺りと思われる。
<!--【第2巻10節】-->
画像:Bataille_l'Aisne -57.png|[[w:アクソナ川の戦い|アクソナ川の戦い]]における両軍の布陣図。
<!--【第2巻11節】-->
画像:Soupir 1917.jpg|[[w:第一次世界大戦|第一次大戦]]の第二次エーヌの戦い<ref>[[w:en:Second Battle of the Aisne]]</ref>またはシュマン=デ=ダムの戦い<ref>[[w:fr:Bataille du Chemin des Dames]]</ref>で戦場となった[[w:エーヌ県|エーヌ県]]スピール村<ref>[[w:fr:Soupir (Aisne)]]</ref>の荒廃。<hr>本節のベルガエ人の撤退戦・カエサルによる追撃戦の場所は不詳だが、仏独の激戦地にもなった界隈である。
画像:Friedhof Soupir.jpg|同じくスピール村に設立された第一次大戦の戦死者のための国立戦没者墓苑。
<!--【第2巻12節】-->
画像:Remparts romains de Soissons 52.jpg|スエッスィオーネース族 [[w:la:Suessiones|Suessiones]] の名が訛った[[w:ソワソン|ソワソン市]]([[w:fr:Soissons|Soissons]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''アウグスタ・スエッスィオーヌム'''([[w:fr:Augusta Suessionum (ville romaine)|Augusta Suessionum]])が建設され、やがて[[w:ソワソン管区|ソワソン王国]]の都として栄えて今日に至る。
画像:Pommiers (Aisne) city limit sign.JPG|[[w:ソワソン|ソワソン市街]]から北西へ4kmの高台にあるポミエ([[w:fr:Pommiers (Aisne)|Pommiers]])。'''ノウィオドゥーヌム'''があったされる有力な候補地の一つである。
画像:Bender - Vinea.JPG|[[wikt:en:vinea|vinea]] の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。
画像:Avaricum westpoint july 2006.jpg|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。
<!--【第2巻13節】-->
画像:2018-02-20 15-17-12 rempart-beauvais.jpg|ベッロウァキー族([[w:la:Bellovaci|Bellovaci]])の名を伝える[[w:ボーヴェ|ボーヴェ市]]([[w:fr:Beauvais|Beauvais]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''カエサロマグス'''([[w:la:Caesaromagus (discretiva)|Caesaromagus]])が建設され、「ベッロウァキー族の都市」を意味する別名'''キーウィタース・ベッロウァコールム'''(civitas Bellovacorum)または'''ベッロウァクム'''([[w:la:Bellovacum|Bellovacum]])とも呼ばれ、その名が訛って今日のボーヴェに至る。<hr>ベッロウァキー族は、ローマ人の軍門に降った後、彼らの本拠'''ブラトゥスパンティウム'''からカエサロマグスに移住させられたため、ブラトゥスパンティウムがどこにあったのか、([[w:ボーヴェ|ボーヴェ]]の近くと思われるが)正確な位置は不明である。
<!--【第2巻15節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路図。アンビアーニー族とネルウィイー族の領土は離れているように見える。
<!--【第2巻16節】-->
画像:Civitas of the Viromandui.svg|ウィロマンドゥイー族([[w:en:Viromandui|Viromandui]])の帝制ローマ期の推定される版図。現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]のヴェルマン([[w:fr:Vermand|Vermand]])、[[w:サン=カンタン|サン=カンタン]]([[w:fr:Saint-Quentin|St-Quentin]])、さらに[[w:オワーズ県|オワーズ県]]の[[w:ノワイヨン|ノワイヨン]]([[w:fr:Noyon|Noyon]])などに及んでいたと考えられている。<hr>本節の記述のようにネルウィイー族([[w:en:Nervii|Nervii]])やアトレバテース族([[w:en:Atrebates|Atrebates]])の領域に隣接していた。が、[[#15節|15節]]で述べられた、アンビアーニー族([[w:en:Ambiani|Ambiani]])がネルウィイー族に隣接していたという記述には疑問が残る。
<!--【第2巻18節】-->
画像:Battle of the Sabis (Selle).png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]をめぐる戦場の概略図。<br>19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説ではなく、20世紀半ばに出て来た[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]の支流セル川([[w:fr:Selle (affluent de l'Escaut)|Selle]])岸のソルゾワール([[w:fr:Saulzoir|Saulzoir]])説<ref>[[w:en:Saulzoir]], [[w:fr:Saulzoir#Histoire]] 等を参照。</ref>に基づく<ref>[https://www.livius.org/pictures/france/selle-sabis/battlefield-of-the-sabis-satellite-photo/ Sabis battlefield, Satellite photo - Livius] の戦場の布陣図等を参照。</ref>。<hr>カエサルとローマ軍は、サビス川(図の水色部分)を渡河してグレー部分の道を右上方向に向かっていたが、川の手前の丘(下の黄色部分)に陣営を置くことにした。本節では、ローマ側の丘と、川を隔てて相対する丘の森の中にネルウィイー族らが陣取っていることに言及している。
<!--【第2巻19節】-->
画像:Bataille_laSambre -57.png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]における布陣図(左)と戦況図(右)。
<!--【第2巻20節】-->
画像:Cornicen 1-cropped.jpg|古代ローマ時代のラッパ([[:c:Category:Roman tuba|Roman tuba]])
<!--【第2巻21節】-->
画像:Legio-V-Caesar-PAX-Augusta.jpg|thumb|right|300px|カエサルから激励を受ける軍団兵。
<!--【第2巻23節】-->
画像:Pilum heavy.jpg|ローマ軍の[[w:ピルム|ピールム(投槍)]]。
画像:The Gladius Sword.jpg|[[w:グラディウス (武器)|グラディウス (長剣)]]を構えるローマ兵。
画像:Bodwognat, de oudste held van België.gif|[[w:ベルギー|ベルギー]]史の本(1845年)の挿絵に郷土の英雄として描かれたボドゥオーグナートゥス(''[[:c:Category:Buduognat|Buduognat]]'')。
画像:SambreBattle.gif|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]の布陣図。19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説によるもの。<hr>本節の記述に従って、ローマ軍左翼の[[w:第9軍団ヒスパナ|第9軍団]]・[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]はアトレバテース族に、中央の[[w:第11軍団クラウディア|第11軍団]]・[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]が、ウィロマンドゥイー族に、ローマ軍右翼の[[w:第12軍団ウィクトリクス|第12軍団]]・[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]に向き合っている。
<!--【第2巻24節】-->
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Roman collared slaves - Ashmolean Museum.jpg|古代ローマ時代の、首根っこを互いにつながれて苦役に従事させられる奴隷たち。
<!--【第2巻29節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|カエサルの'''アトゥアトゥキー族攻囲戦''' の概略図。<br>[[w:ナミュール|ナミュール]]が戦場だったとする説による。[[:ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|⇒詳しく]]
画像:Namur JPG07.jpg|[[w:ナミュール|ナミュール]]の<ruby><rb>城塞</rb><rp>(</rp><rt>シタデル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Citadel of Namur|Citadel of Namur]]'')。<br>その起源はローマ時代にさかのぼるとされ、改築を繰り返して現在に至る。
画像:The_defeat_of_the_Cimbri.jpg|ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。<br>フランスの画家[[w:アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン|アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]]による『キンブリ族の敗北』(«''La défaite des Cimbres''» par [[w:fr:Alexandre-Gabriel Decamps|Alexandre-Gabriel Decamps]] )
<!--【第2巻31節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の上り坂を登り切って城壁に近づいた<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>(再掲)。
画像:Taranis Jupiter with wheel and thunderbolt Le Chatelet Gourzon Haute Marne.jpg|雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の像。<br>[[w:ケルト神話|ケルト神話]]の天空神で、右手に稲妻を、左手に車輪を持っている。<br>戦争や死をも司る。
<!--【第2巻33節】-->
画像:Camp des Pictes (93).JPG|盾や槍などで武装したガッリア人の再現例。
画像:Les Aduatiques Vendus à l'Encan (détail).jpg|『'''競売で売られたアドゥアトゥキー族'''』(<span style="font-family:Times New Roman;fons-size:15pt;">''Les Aduatiques Vendus à l'Encan''</span>)<br> [[w:ベルギー|ベルギー]]出身の画家[[w:レミー・コッヘ|レミー・コッヘ]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:Rémy Cogghe|Rémy Cogghe (1854–1935)]]</span>)による1880年の作品(複製・部分)。
<!--【第2巻35節】-->
画像:Armorica.png|[[w:アルモリカ|アルモリカ]]([[w:en:Armorica|Armorica]])と呼ばれる大西洋沿岸諸部族の分布図。[[#34節|前節]]でローマに帰服したと報告された地域であるが、本節で言及された[[w:ロワール川|ロワール川]]沿いの諸部族 <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Carnutes|Carnutes]], [[w:la:Andecavi|Andes]], [[w:la:Turones (populus)|Turones]]</span> の名が見える。本節の軍団の配置は、翌年の沿岸部での戦争を見越して、戦地に近い土地で冬営させたものと考えられる。
</gallery>
==第3巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第3巻]] ; [[ガリア戦記 第3巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -56.png|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【ルカ会談】-->
画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。
<!--【第3巻1節】-->
画像:Historische Karte CH Rome 1.png|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。
画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>
画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。
画像:Martigny_1600.jpg|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。
<!--【コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」】-->
画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。
画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。
<!--【第3巻6節】-->
画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)
<!--【第3巻9節】-->
画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
<!--【第3巻12節】-->
画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|ウェネティ族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形
画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。
<!--【第3巻13節】-->
画像:Navire venete.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)一つの帆をもつ帆船の例
画像:Navire venete 2.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)二つの帆をもつ帆船の例
画像:Navis longa ja.JPG|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成
画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)
画像:Cordage en chanvre.jpg|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])
画像:Old chain.jpg|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])
画像:Linen canvas.jpg|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]]
画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])
画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])
画像:Grappling hook 2 (PSF).png|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。
<!--【第3巻14節】-->
画像:Bataille Morbihan -56.png|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。
画像:Corvus.svg|鉤竿に似たローマの兵器「[[w:コルウス|コルウス]]」
画像:Ulysse bateau.jpg|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])
<!--【第3巻●節】-->
画像:Campagne Unelles -56.png|[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]のウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。
画像:Campagne Aquitains -56.png|[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]のアウィタニア遠征の経路。
画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア
画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。
</gallery>
<!--【第3巻●節】-->
==第4巻==
<gallery>
画像:Gaule -55.png|ガリア戦記 第4巻の情勢図(BC55年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Ancient Germania - New York, Harper and Brothers 1849.jpg|古代の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]。
画像:Germanen_50_n._Chr.png|1世紀頃の古代ゲルマニアの部族分布。オレンジ色の部分がスエビ族の居住地。
画像:GallischeHoeve.jpg|メナピイ族の復元住居(ベルギーの[[w:en:Destelbergen|Destelbergen]])
画像:Maas.jpg|現在のモサ川([[:w:la:Mosa|Mosa]] [[w:マース川|ムーズ川]])
画像:Rhine canyon.JPG|現在のレヌス川([[:w:la:Rhenus|Rhenus]] [[w:ライン川|ライン川]])
画像:Rivieren 4.46933E 51.88083N.jpg|ライン川河口の衛星写真
画像:Panorama Koblenz.jpg|モッセラ川(現在の[[w:モーゼル川|モーゼル川]])とレヌス川(現在の[[w:ライン川|ライン川]])の合流点[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[:w:la:Confluentes|Confluentes]])こそが、15節の殺戮地であったかも知れない。
画像:Roman_Pile_Driver,_Festung_Ehrenbreitstein,_Koblenz,_Germany.jpg|カエサルがレヌス架橋工事に用いた[[w:杭打ち機|杭打ち機]]の復元模型
画像:Il ponte di Cesare sul Reno.jpg|レヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家[[w:ジョン・ソーン|ジョン・ソーン]](John Soane)による想像画。
画像:Romanbritain.jpg|ローマ時代のブリタンニア島
画像:015-Caesar-crossing-the-channel.jpg|ドーバー海峡を航海中のカエサルを描いた後世の戯画。
画像:White cliffs of dover 09 2004.jpg|ブリタンニアの軍勢がカエサルの遠征軍を待ち構えていた、[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]の[[w:en:White cliffs of Dover|白い断崖]]。[[w:石灰岩|石灰質]]で形成された切り立った白い崖は、当地のラテン語名「[[w:アルビオン|アルビオン]]」(Albion)の語源となった。
画像:Trireme 1.jpg|古代ローマの軍船(再現模型)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍において[[w:ローマ軍団|軍団]]の象徴であった金色の<br>'''鷲の徽章'''([[:w:en:Aquila (Roman)|aquila]])
画像:The_Standard-Bearer_of_the_Tenth_Legion.jpg|ローマ軍の上陸を鼓舞する鷲の徽章の旗手(想像画)
画像:Julius Caesar memorial 001.jpg|イギリス・ケント州のディール([[w:en:Deal, Kent|Deal, Kent]])にある、カエサルのローマ軍が最初に上陸したことを記す後世の記念碑。「THE FIRST ROMAN INVASION OF BRITAIN LED BY JULIUS CAESAR; LANDED NEAR HEAR LV BC(ユリウス・カエサルに率いられたローマ人の最初のブリタンニア侵攻、BC55年にここの近くに上陸した)」と記されている。
画像:Hallein_Keltenmuseum_-_Streitwagen_1.jpg|ケルト系諸部族が用いていた戦車=二頭立て二輪馬車の再現([[w:オーストリア|オーストリア]]・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]の[[w:ハライン郡|ハライン郡]]ケルト博物館)
画像:Parisii_coin_2_-_The_Met.png|ガリア人(パリスィイ族)の金貨に彫られた戦車
</gallery>
==第5巻==
<gallery>
画像:Gaule -54.png|ガリア戦記 第5巻の情勢図(BC54年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Illyrians (English).svg|[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]における部族の分布図。右下に、Pirustae(ピルスタエ族)の名が見える。
画像:Boulogne-sur-mer - Nausicaa.jpg|イティウス港があったと推定される有力な候補地、フランスの[[w:ブローニュ=シュル=メール|ブーローニュ]]港
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(Altburg)
画像:Botassart - Le Tombeau du Géant 1.jpg|アルドゥエンナ(アルデンヌ)の森林地帯
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡([[w:ルクセンブルク|ルクセンブルク]]の[[w:en:Titelberg|Titelberg]])
画像:Panorama Wissant.jpg|イティウス港の所在地として、ブーローニュとともに有力な候補であるウィサント([[w:en:Wissant|Wissant]])
画像:Dover AST 2001073_lrg.jpg|[[w:ドーバー海峡|ドーバー海峡]]の衛星写真。右がガリア(フランス)、左がカエサルらが上陸した[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]付近の海岸。
画像:France manche vue dover.JPG|大陸側から見えるブリタンニアの海岸
画像:Campagne Bretagne -54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路
画像:Canterbury_-_Kloster_der_Blackfriars_und_Stour.jpg|ストゥール川([[w:en:River Stour, Kent|Stour]])の支流の一つ
画像:Testudo lg.jpg|ローマ軍の亀甲陣形([[w:テストゥド|テストゥド]])
画像:River Thames_at_Pangbourne_-_The Meadow_-_National_Trust.JPG|タメスィス川、すなわち現在の[[w:テムズ川|テムズ川]]。
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|古代ブリタンニア南部の部族分布。大陸と同じ部族名が見られる。
画像:ParisiiCoins.jpg|ケルト人の金貨(パリシイ族の例)
画像:CassiteriteUSGOV.jpg|ブリテン島南西部の[[w:コーンウォール|コーンウォール]]地方は[[w:錫石|錫石]]の産地として有名。
画像:Grib skov.jpg|[[w:ブナ|ブナ]]の森林
画像:Domestic Greylag.jpg|[[w:ガチョウ|ガチョウ]]
画像:Map_of_Europe_according_to_Strabo.jpg|ほぼ同時代のギリシア人地理学者[[w:ストラボン|ストラボン]]の記述に基づくヨーロッパの地図。中央に三角形のブリタンニア島(Brettania)が見える。ヒベルニア島=イエルネ(Ierne)の位置が北方へずれていることなどを除けば、本節の記述とおおむね合致する。
画像:British_Isles_Isle_of_Man.svg|モナ島(マン島)は、ブリタンニア島(右)とヒベルニア島(左)の間に位置する。
画像:Earth-lighting-winter-solstice_LA.jpg|[[w:冬至|冬至]]のラテン語による説明図
画像:Clepsydra.jpg|水時計の例
画像:United_Kingdom_satellite_image_bright.png|ブリテン諸島の衛星写真
画像:KentBrit5.PNG|現在のケント州の位置
画像:Isatis_tinctoria02.JPG|[[w:アイ (植物)#.E3.82.A6.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.89|ホソバタイセイ]](学名 [[w:en:Isatis_tinctoria|Isatis tinctoria]])の花。染料として重用されていた。
画像:River_Thames_at_Kingston.JPG|現在のキングストン([[w:en:Kingston_upon_Thames|Kingston]])を流れる[[w:テムズ川|テムズ川]]。カエサルとローマ軍が渡河したのはこれよりやや上流のハリフォード([[w:en:Upper_Halliford|Halliford]])辺りと推定されている。
画像:Boxhill_surrey_viewfromtop.jpg|テムズ川上流地域に広がる森林と平原
画像:North_downs_way_seen_from_puttenham.jpg|同じくテムズ川上流地域の森林から平原を眺める
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|ブリタンニア南部沿岸の部族分布(再掲)。右端(東端)に Trinovantes の名がある。
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_sign.jpg|カエサルがカッスィウェッラウヌスを打ち負かしたと推定されている城砦跡の記念碑。イングランド南部[[w:ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]]のホイートハムステッド([[w:en:Wheathampstead|Wheathampstead]])の近くにある遺跡([[w:en:Devil's Dyke, Hertfordshire|Devil's Dyke]])
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_(2).jpg|上と同じカッスィウェッラウヌス城砦跡の一部分
画像:Campagne_Bretagne_-54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路(再掲)。左上の赤い×印の地でカエサルと戦っている間に、カンティウム勢が右下の赤い■印の地を急襲した。
画像:Seascape_Calm_Weather.jpg|凪の海に浮かぶ船の光景<br>([[w:エドゥアール・マネ|エドゥアール・マネ]]画)
画像:Plancus-Statue.jpg|スイスの[[w:バーゼル|バーゼル市]]にあるプランクスの像
画像:LocationPoRiver.PNG|パドゥス川(現在のポー川)
画像:Chartres_1987.jpg|カルヌテス族(Carnutes)の名を残す仏[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)市街の原野からの眺望
画像:Rathaus_Basel_2008_(18).jpg|プランクスの像。前掲と同じもの。
画像:Tongeren_Antiekmarkt_wallen_2.jpg|サビヌスとコッタの冬営があったと推定される古代のアドゥアトゥカ、すなわち現在の[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市内に残る古代の城壁跡
画像:Ambiorix.jpg|アンビオリクスの銅像。[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]](Tongeren)市街に建つ。ローマ軍の侵略と闘って撃破した郷土の英雄として、同市が彫刻家ジュール・ベルタン(Jules Bertin)に依頼し1866年に建立した。[http://www.tongeren.be/main.html 同市のサイト]も象徴として本像を掲げる。
画像:Centurion_2_Boulogne_Luc_Viatour.jpg|百人隊長(ケントゥリオ)の再演。
画像:Jeker3.JPG|[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市街の南を流れる川(Jeker)。本節の峡谷に相当すると思われるもの。
画像:Girolamo_da_Carpi_001.jpg|[[W:ローマ神話|ローマ神話]]の女神[[w:フォルトゥーナ|フォルトゥーナ]](16世紀ルネサンス期のイタリア、[[w:ジローラモ・ダ・カルピ|ジローラモ・ダ・カルピ]]画)。気まぐれな運命の女神とも解釈される。
画像:Basilika-tongeren-and-ambiorix.jpg|[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]の教会堂の前に立つアンビオリクス像(前掲と同じもの)。ヨーロッパ近代のナショナリズムの高揚とともに、彼はカエサルのローマ軍を一敗地にまみれさせた[[w:ケルト人|ケルト人]]の武将、「[[w:ベルギー|ベルギー]]の英雄」として大いに祀り上げられた。
画像:Roman_soldiers_with_aquilifer_signifer_centurio_70_aC.jpg|鷲の徽章の旗手([[w:アクィリフェル|アクィリフェル]])を先頭に行進するローマ兵たちの再演(帝政期のAD70年頃のもの)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍団の鷲の徽章(再掲)
画像:Campagne Ambiorix_-54.png|アンビオリクスがローマ軍に勝利した[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]直後の情勢図
画像:Pilum_murale_01.jpg|ローマ軍が籠城戦に用いた防壁槍(pilum muralis)の再現。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|ローマ軍の防備の再現。3基の櫓(turris)と、その間に凹凸形に編み込まれた柴の壁(pinnae loricaeque ex cratibus)が見える。
画像:AlesiaFortifications.JPG|古代ローマ式の堡塁と堀の再現。[[w:アレシアの戦い|アレスィア攻囲戦]]のもの(フランスのアリーズ=サント=レーヌ)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画
画像:Roman_siege_machines.gif|ローマ軍の攻城機械。右上に攻城櫓(tower)、左上に亀甲車(testudo)が見える。
画像:Grose-Francis-Pavisors-and-Moveable-Tower-Assaulting-Castle-1812.jpg|[[w:攻城塔|攻城櫓]](turris)の例。絵は中世イギリスの物だが、古代ローマの物とあまり違わないと思われる。
画像:Pilum light - cropped.jpg|ローマ軍の投槍([[w:ピルム|ピルム]])と長盾([[w:スクトゥム|スクトゥム]])
画像:Gladius_2.jpg|長剣([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]])を右腰の鞘(ウァギナ)から引き抜いたローマ兵士の再演。左肩から右腰にかけて剣帯(バルテウス)が下げられ、鞘を固定している。バルテウス([[w:en:Balteus (sword belt)|balteus]])は[[w:ベルト (服飾)|ベルト]]([[w:en:Belt (clothing)|belt]])の語源。
画像:Campagne_Gaule-54.PNG|キケロを支援するカエサルと軍団の情勢図。カエサルは、サマロブリウァをクラッススに委ね、ファビウスとトレボニウスの軍団とともに東進。ラビエヌスはトレウェリ族を迎撃。
画像:Gallo-Romeinse_cavalerist26-09-2008_16-07-55.JPG|投槍(tragula)を持ったガリア人騎兵を復元した人形
画像:Armorica.png|アレモリカ(Aremorica)またはアルモリカ(Armorica)と呼ばれる大西洋岸地域。ここの諸部族は2年前(BC56年)にカエサルやサビヌスが率いるローマ軍と戦った。
</gallery>
==第6巻==
<gallery>
画像:Gaule -53.png|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Hw-pompey.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。
画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)
画像:GallischeHoeve.jpg|復元されたメナピイ族の住居(再掲)
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡(再掲)
画像:Pilensalve.jpg|[[w:ピルム|ピルム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(再掲)
画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|トレウェリ族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡
|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)から2000周年を記念した[[w:ドイツ|ドイツ]]の切手(2009年発行)。右はケルスキ族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]、左下は[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の胸像、左上はローマ軍が遺した仮面。<br>アルミニウスが率いるケルスキ族・カッティ族らゲルマニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。
画像:Two_Druids.PNG|二人の[[w:ドルイド|ドルイド]]。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。
画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち
画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|ギリシア文字で刻まれたガリアの碑文
画像:Dying_gaul.jpg|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])
画像:Universum.jpg|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。
画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。
画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)
画像:WickerManIllustration.jpg|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた。1973年にはイギリスで映画化され、2006年にはアメリカなどでも映画化された。
画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)
画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|ガリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。
画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|ガリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。
画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|ガリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。
画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。
画像:Celts.svg|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。
画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。
画像:Hallstatt_LaTene.png|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)
画像:Rentier fws 1.jpg|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。
画像:Bigbullmoose.jpg|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。
画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG_1824.JPG|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。
画像:Wisent.jpg|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。
画像:Muybridge_Buffalo_galloping.gif|疾走するバイソン
画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。
画像:Taxus baccata MHNT.jpg|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。
画像:Locatie-Maas-3.png|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。
画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。
画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Wedge-diagram.svg|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。
画像:Porte_Mars_01.jpg|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。
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==第7巻==
===ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起===
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画像:Gaule_-52.png|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Maccari-Cicero.jpg|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵であったキケロを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケロの友人ミロの配下によって殺害された。
画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。
画像:Brennus_mg_9724.jpg|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀頃に、アッコと同じ[[w:セノネス族|セノネス族]]の族長だったとされている。
画像:Chartres_1.jpg|[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]](Carnutes)の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌテス族の土地はガリアの中心・聖地と見なされていた。ガリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。
画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]で、ガリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。
画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガリア起源説]])、ガリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])
画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。
画像:Maps_of_Eduens_people-fr.svg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]を軸とするガリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイ族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲス族(Bituriges)と赤いハエドゥイ族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲス族とアルウェルニ族の勢力圏になっている。
画像:Warsaw_Royal_Castle_GM_(12).JPG|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。
画像:Narbonne_panorama.jpg|'''ナルボ'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボ・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。
画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。
画像:Carte-cevennes-france.png|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:Col_de_legal.jpeg|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arverni)に由来する。
画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖
画像:France_Massif_central.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。
画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。
画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色
画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボ]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。
画像:Aqueduc2.jpg|アゲディンクム、すなわちセノネス族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡
画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。
画像:Orleans.jpg|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。
画像:Sancerre.jpg|ビトゥリゲス族の城市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。
画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。
画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。
画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。
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===アウァリクム攻略戦===
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画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|'''アウァリクム'''(Avaricum)すなわち[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]](Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。
画像:Bourges.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲス族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲス・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァリクム周辺にいた'''ビトゥリゲス・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲス・クビ族の方である。
画像:Bourges_2.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガリア時代からこの街を囲んでいる。
画像:Carte_du_Cher.svg|アウァリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった。
画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|アウァリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリクスが移動させた陣営。
画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)
画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。
画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。
画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|ガリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガリア壁)」と呼ばれるが、ガリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。
画像:Keltenmauer.gif|ガリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。
画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])
画像:Balliste_fireing.jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。
画像:Vercingetorix_stater_CdM.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
</gallery>
===ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反===
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画像:FR-58-Decize29.JPG|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。
画像:Brioude pont.JPEG|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイ族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。
画像:FR-63-Gergovie.JPG|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。
画像:Siège_GergovieI_-52.png|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。
画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。
画像:La_Roche_Blanche.JPG|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵
画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。
画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)
画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。
画像:Monument_gergovie_fr.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。
画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->
画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|ノウィオドゥヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観
画像:Bibracte333_crop.JPG|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城市]]跡に整備された城壁の遺構
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===アレスィア攻囲戦===
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画像:Alésia.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。
画像:Alise2.jpg|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。
<br>
画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。
画像:Napoleon3.PNG|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。
画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:AlesiaFortifications.JPG|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。
画像:Trous.de.loup.png|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。
画像:Aiguillon.png|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。
<br>
画像:Die_Gartenlaube_(1892)_b_397.jpg|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。(作品そのものはカラー)
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。
画像:Coin_Vercingetorix.jpg|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。
画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。
画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。
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==第8巻==
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画像:Gaule -51.png|ガリア戦記 第8巻の情勢図(BC51年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
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==題字==
[[画像:Blue_square_A.PNG|30px]]
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[[画像:Blue_square_X.PNG|30px]]
[[画像:Solid_blue.svg|30px]]
==その他・未使用画像==
*'''全般'''
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画像:Gaule -59.png|ガリア戦争 直前のガリア情勢図(BC59年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Gaule -50.png|ガリア戦争 直後のガリア情勢図(BC50年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare prima Gallia 58 a.C.jpg|[[w:ガリア戦争|ガリア戦争]]直前のローマ周辺図(BC58年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare dopo Gallia 50 a.C..jpg|ガリア戦争直後のローマ周辺図(BC50年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Map Gallia Tribes Towns-la.svg|ガッリアの地図(SVG)
画像:La2-demis-france.png|ガッリアの現代の地形図
画像:Gaul.svg|ガッリアの地形図
画像:Bust_of_Gaius_Iulius_Caesar_in_Naples.jpg|カエサルの胸像
画像:Caesar-Altes-Museum-Berlin.jpg|カエサルの胸像
画像:Kastell Niederbieber, Modell, 2007.jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:DevaMinervaPlan(bq).jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:Ambleside Roman Fort_-_Project_Gutenberg_eText_19115.png|[[w:イングランド|イングランド]]北西部の[[w:カンブリア (イングランド)|カンブリア州]]アンブルサイド(<small>[[w:en:Ambleside|Ambleside]], Cumbria</small>)に残る帝政ローマ前期(1世紀頃)のガラヴァ城砦([[w:en:Galava|Galava]])の図面。
画像:Castrum La Crucca.JPG|ローマ軍の塁壁の再現例
画像:Castellum Matilo entreetoren Romeinse soldaten op wacht 20170806 fotoCThunnissen.jpg|櫓の再現例
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*'''第1巻'''
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画像:Ager Helvetium.png|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Maxima Sequanorum.jpg|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Schweiz-Französischer-Jura.png|ヘルウェーティイー族の領土
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*'''第2巻'''
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画像:Aisne.png|エーヌ県の地図
</gallery>
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画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ族|キンブリ族]]と[[w:テウトネス族|テウトニ族]]がローマ領へ侵攻して勃発した[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](BC113-101年)の要図。『ガリア戦記』では第1巻33節・40節と第2巻4節・29節と第7巻77節で言及されている。
画像:Marius_Glyptothek_Munich_319.jpg|[[w:ガイウス・マリウス|ガイウス・マリウス]]の胸像。[[w:マリウスの軍制改革|軍制改革]]を断行し、[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族とテウトニ族の侵攻]]を撃滅した。(第1巻40節)
画像:Tiepolo_Vercellae.jpg|キンブリ族を撃退する[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]とローマ軍([[w:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ|ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]画)(第1巻40節)
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*'''第3巻'''
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画像:Sambuke-gelo4.jpg|[[w:en:Sambuca (siege engine)]]
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*'''各4巻'''
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画像:Jochbrücke Skizze.jpg|[[:c:Category:Pile yoke bridges|Pile yoke bridge]]
画像:Leipzig - Gustav-Esche-Straße - Auensee 09 ies.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
画像:13734-Colditz-1912-Muldenpartie am Muldenschößchen-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
</gallery>
*'''各5巻'''
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画像:Karel de Kesel 35019.jpg|Ambiorix tendant une embuscade à la XIVe slégion romaine.
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*'''各6巻'''
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</gallery>
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画像:Bibracte Dumnorix.jpg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のドゥムノリクス
画像:Blaeu - Atlas of Scotland 1654 - INSULÆ ALBION et HIBERNIA cum minoribus adjacentibus - British Isles.jpg|ラテン語で記述されたブリタンニアとヒベルニア周辺の地図(17世紀)
画像:Day length.jpeg|緯度と日付(ユリウス日)による日中の長さの図示。
画像:Jupiter_Musée_d'Evreux_210209_1.jpg|ユピテル神像(仏エヴルー博物館)
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森([[w:en:Hercynian_Forest|Hercynian Forest]])
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*'''第7巻'''
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画像:Via Domitia (Narbonne).jpg|現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]に残る[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の遺構
画像:MC_cevenes.jpg|[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)におけるセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:VercingetorixSurrenders.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
画像:Vercingétorix se rend à César 1886 HPMotte.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
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*'''第8巻など'''
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画像:Correus.jpg|ベッロウァキ族の指導者コッレウス。第8巻でローマ軍と戦って戦死した。絵は19世紀フランスの画家ディオジェーヌ・マイヤール(Diogène Maillart)作『コッレウスの死』(La mort de Correus)。
画像:Hermann warrior.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
画像:Otto_Albert_Koch_Varusschlacht 1909.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
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*'''その他'''
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画像:Karl_Ludwig_Nipperdey.jpg|『ガリア戦記』の最初の近代的な校訂版(1847年)を著わしたカール・ニッペルダイ([[w:de:Carl Nipperdey|Carl Nipperdey]]:1821-1875)の肖像写真(1858年撮影)。
画像:Theodor_Mommsen_02.jpg|『ガリア戦記』などローマ史を研究し、1902年にノーベル文学賞を受賞した[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]([[w:de:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]]:1817-1903)の肖像画(1863年)。
</gallery>
==脚注==
<references />
==参考リンク==
===ウィキペディア===
*ラテン語版(la)
**[[w:la:Categoria:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:la:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争
**[[w:la:De bello Gallico]] - ガリア戦記
*ドイツ語版(de)
**[[w:de:Portal:Rom und Römisches Reich]] - 古代ローマのポータル
**ガリア戦記の研究者
***[[w:de:Carl Nipperdey]] - カール・ニッペルダイ(1821-1875):1847年に初めて近代的な校訂版を著わした。
***[[w:de:Theodor Mommsen]] - [[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]](1817-1903):ノーベル文学賞を受賞したローマ史家。
***Heinrich Meusel - ハインリヒ・モイゼル:β系写本の評価を高め、写本の系図を提案した校訂者。
***[[w:de:Alfred Klotz]] - アルフレート・クロッツ(1874-1956):β系写本の優位を主張した校訂者。
***[[w:de:Otto Seel]] - オットー・ゼール(1907-1975):1961年に校訂版を著わした。
***[[w:de:Wolfgang Hering]] - ヴォルフガング・ヘーリンク(1987-?):1987年に校訂版を著わした。
*英語版(en)
**[[w:en:Portal:Ancient Rome]] - 古代ローマのポータル
**[[w:en:Template:Ancient Rome topics]] - 古代ローマ関係の記事テンプレート
***[[w:en:Roman military personal equipment]] - 古代ローマ軍の個人装備
***[[w:en:Military of ancient Rome]] - 古代ローマ軍
*フランス語版(fr)
**[[w:fr:Portail:Rome antique]] - 古代ローマのポータル
**[[w:fr:Portail:Monde celtique]] - '''ケルト世界'''のポータル
**[[w:fr:Catégorie:Cité gallo-romaine]] - ガッロ=ローマン都市
***'''[[w:fr:Liste des noms latins des villes françaises]]''' - フランスの都市のラテン語名の一覧
****[[w:fr:Nemetacum (ville romaine)]] -
**[[w:fr:Liste des peuples_gaulois en France]] - フランスにおけるガリア人(部族)の一覧
**[[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise]] - ガリアの人物カテゴリ
*'''イタリア語版'''(it)- 参考になる画像が多い
**[[w:it:Conquista della Gallia]] - '''ガリア戦争''':画像が豊富。
**[[w:it:Esercito romano]] - ローマ軍
**[[w:it:Portale:Antica Roma]] - 古代ローマのポータル
**[[w:it:Portale:Celti]] - '''ケルト'''のポータル
*日本語版(ja)
**[[w:ja:Category:ガリア戦争]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:ja:ガリア戦争]]
**[[w:ja:ガリアの部族一覧]]
<br>
===ウィキソース===
*フランス語版
**[[s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc]] : フランスの建築家 [[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク]](<small>[[w:fr:Eugène Viollet-le-Duc|Eugène Viollet-le-Duc]]</small>;1814-1879)の著作集
***[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle]] : 『中世フランス建築体系辞典(11~16世紀)』(1856年発行)
***<u>[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé]]</u> : 同書の第5巻「堀」([[w:アレシアの戦い|アレスィア]]の攻囲陣地について記述がある)
****[[:commons:Category:Viollet-le-Duc]]:上掲書の図版のカテゴリ
****:[[:commons:Category:Fortification (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (城砦)
****:[[:commons:Category:Weaponry (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (兵器)
<br>
===ウィキコモンズ===
*ウィキコモンズのカテゴリ
**[[:commons:Category:Agedincum]](アゲディンクム);セノネス族の主邑で、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]]
**'''[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]]'''(アリーズ=サント=レーヌ);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の古戦場
***[[:commons:Category:Statue de Vercingétorix (Alise-Sainte-Reine)]](アリーズ=サント=レーヌにあるウェルキンゲトリクス像)
**'''[[:commons:Category:Ambiorix]]'''('''アンビオリクス''')
**[[:commons:Category:Ancient Germanic history and culture]](古代ゲルマニアの歴史と文化)
**'''[[:commons:Category:Ancient Rome]]'''('''古代ローマ''')
**[[:commons:Category:Ancient Roman archaeological sites]](古代ローマの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Ancient Roman architecture]](古代ローマの建築)
**[[:commons:Category:Ancient Roman battles]](古代ローマの戦闘)
**[[:commons:Category:Ancient Roman castra]](古代ローマの陣営)
**[[:commons:Category:Ancient Roman enemies and allies]](古代ローマの敵と同盟者)
**[[:commons:Category:Ancient Roman forts]](古代ローマの城砦)
**[[:commons:Category:Ancient Roman gentes]](古代ローマの氏族)
**[[:commons:Category:Ancient Roman machines]](古代ローマの機械)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military equipment]](古代ローマの軍事装備)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military people]](古代ローマの軍人)
**[[:commons:Category:Ancient Roman people]](古代ローマの人々)
**[[:commons:Category:Ancient Roman provinces]](古代ローマの属州)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages]](古代ローマ時代の都市や村)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages in France by Latin name]](古代ローマ時代の都市や村、フランスにあるラテン名のもの)
**[[:commons:Category:Ancient Roman wars]](古代ローマの戦争)
**[[:commons:Category:Ancient weapons]](古代の兵器)
**[[:commons:Category:Archaeology of Europe]](ヨーロッパの考古学)
**[[:commons:Category:Archaeological sites in England]](イングランドの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Aquila (Roman)]](アクィラ、鷲の徽章);ローマ軍団の象徴
**[[:commons:Category:Archery]](アーチェリー、弓矢)
**[[:commons:Category:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Category:Auvergne]]([[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ地域圏]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠地だった地方
**[[:commons:Category:Avaricum]](アウァリクム);ビトゥリゲス族の主邑で、現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]
**[[:commons:Category:Ballista]](バリスタ);投擲兵器、弩砲
**'''[[:commons:Category:Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')
**:[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]](アリーズ=サント=レーヌ);アレスィアの戦いの古戦場
**:[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);アレスィアの戦いの遺跡
**'''[[:commons:Category:Battle of Bibracte]]'''('''ビブラクテの戦い''')
**'''[[:commons:Category:Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')<[[:commons:Category:Gergovie|Category:Gergovie]]
**[[:commons:Category:Bibracte]](ビブラクテ);ハエドゥイ族の城市
**'''[[:commons:Category:Caesar's invasions of Britain]]'''('''[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]''')
**'''[[:commons:Category:Caesar's Rhine bridges]]'''('''カエサルのライン川架橋''')
**[[:commons:Category:Catapults]](カタパルト);投石器
**[[:commons:Category:Celtic_culture]](ケルト文化)
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**[[:commons:Category:Celtic mythology]](ケルトの神話)
**[[:commons:Category:Celtic reenactments and reconstructions]](ケルトの再演と復元)
**[[:commons:Category:Celtic symbols]](ケルトのシンボル)
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**[[:commons:Category:Celtism]](ケルト主義);現代のケルト運動
**'''[[:commons:Category:Celts]]'''('''ケルト人''')
**[[:commons:Category:Cévennes]](セヴェンヌ山地);[[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]]南東部の山脈。ラテン名ケウェンナ Cevenna
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**[[:commons:Category:Crossbows]](クロスボウ);石弓、弩(おおゆみ)
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**[[:commons:Category:Fortification]](要塞)
**'''[[:commons:Category:Caesar's Gallic war (1898)]]'''(『ガリア戦記』1898)
**'''[[:commons:Category:Gallic War]]'''('''ガリア戦争''')
**'''[[:commons:Category:Gauls]]'''('''ガリア人''')
**[[:commons:Category:Gergovie]](ゲルゴウィア);[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]があった古代の城市(現在の[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン]]近郊)>[[:commons:Category:Battle of Gergovia|Category:Battle of Gergovia]]
**'''[[:commons:Category:Gladii]]'''([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]]);古代ローマ軍の長剣
**[[:commons:Category:Category:Gnaeus Pompeius Magnus]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])
**[[:commons:Category:Hallein - Keltenmuseum]]([[w:ハライン郡|ハライン]]・ケルト博物館);オーストリア・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]にあるケルト博物館
**[[:commons:Category:Hallstatt_culture]]([[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]);中央ヨーロッパの前期ケルト文化
**[[:commons:Category:Henri-Paul Motte]]([[w:アンリ=ポール・モット|アンリ=ポ-ル・モット]] [[w:fr:Henri-Paul Motte|Henri-Paul Motte]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
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**'''[[:commons:Category:Iulius Caesar]]'''('''ユリウス・カエサル''')
**[[:commons:Category:La Tène culture]](ラ・テーヌ文化);中央ヨーロッパの後期ケルト文化
**'''[[:commons:Category:Latin]]'''('''ラテン語''')
**[[:commons:Category:Lionel-Noël Royer]]([[w:リオネル=ノエル・ロワイエ|リオネル=ノエル・ロワイエ]] [[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
**[[:commons:Category:Loire River]]([[w:ロワール川|ロワール川]]);ローマ時代のリゲル川 [[w:la:Liger|la:Liger]]
**[[:commons:Category:Maps of ancient Rome]](古代ローマの地図)
**[[:commons:Category:Maps of ethnic groups]](民族集団の地図)
**'''[[:commons:Category:Maps of Gauls]]'''('''ガリア人の地図''')
**[[:commons:Category:Maps of the British Isles]](ブリテン諸島の地図)
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**[[:commons:Category:Maps of Roman Gaul]](ローマ支配下のガリアの地図)
**[[:commons:Category:Maps of the Roman Republic]](共和政ローマの地図)
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**[[:commons:Category:Maps showing 1st-century BCE history]](BC1世紀の地図)
**[[:commons:Category:Massif Central]]([[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏だった高地
**[[:commons:Category:Medieval weapons]](中世の兵器)
**'''[[:commons:Category:Military equipment of Ancient Rome (reconstructed)]]'''(復元された古代ローマの軍事装備)
**[[:commons:Category:Military of Ancient Rome]](古代ローマの軍事)
**'''[[:commons:Category:Murus gallicus]]'''(ガリア式城壁);ビブラクテの城壁など
**[[:commons:Category:Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]);古代ローマの植民市ナルボ [[w:la:Narbo|la:Narbo]]
**[[:commons:Category:Navy of ancient Rome]](古代ローマ海軍)
**[[:commons:Category:Old maps of Europe]](ヨーロッパの古地図)
**[[:commons:Category:Oppidum]](オッピドゥム);ガリアなどの城市
**[[:commons:Category:Prehistoric Britain]](先史時代のブリテン)
**[[:commons:Category:Religion in ancient Rome]](古代ローマの宗教)
**[[:commons:Category:Roman deities]](ローマの神々)
**[[:commons:Category:Roman Empire]](帝政ローマ)
**[[:commons:Category:Roman Gaul]](ローマ支配下のガリア)
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**[[:commons:Category:Roman Legions Reenactment]](ローマ軍団の再演)
**[[:commons:Category:Roman mythology]](ローマ神話)
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**[[:commons:Category:Roman weapons]](ローマの兵器)
**[[:commons:Category:Siege equipment]](攻城の道具)
**[[:commons:Category:Siege towers]](攻城櫓)
**[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の遺跡
**[[:commons:Category:The Comic History of Rome]](「漫画ローマ史」)
**[[:commons:Category:Tongeren]]([[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市)=古代の城市アドゥアトゥカ
**'''[[:commons:Category:Vercingetorix]]'''('''ウェルキンゲトリクス''')
***[[:commons:Category:Statue de Vercingétorix (Alise-Sainte-Reine)]](アリーズ=サント=レーヌにあるウェルキンゲトリクス像)
***[[:commons:Category:Statue of Vercingetorix in Clermont-Ferrand]](クレルモン=フェランにあるウェルキンゲトリクス像)
**[[:commons:Category:1st century BC]](BC1世紀)
**[[:commons: ] ]
*ウィキコモンズの記事ページ
**[[:commons:Atlas of the United Kingdom]](イギリスの地図集)
**[[:commons:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Atlas of France]](フランスの地図集)
**[[:commons:Celts]](ケルト人)
**[[:commons: ] ]
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206043
206023
2022-07-31T11:23:31Z
Linguae
449
/* 第3巻 */ 破城鎌の復元画の例
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|さんしようかそういちらん]]
『ガリア戦記』対訳本文中で参照した画像の一覧。
==全般==
{{Commons|Category:Gallic_War|ガリア戦争}}
<gallery>
画像:Commentarii_de_Bello_Gallico.jpg|1783年刊行の『ガリア戦記』と『内乱記』
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|カエサル(右)と対面するウェルキンゲトリクス(左)(1899年、Lionel-Noël Royer画)
</gallery>
==第1巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第1巻]] ; [[ガリア戦記 第1巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -58.png|ガリア戦記 第1巻の情勢図(BC58年)。黄色の領域がローマ領。
画像:Divico und Caesar.jpg|カエサル <small>(左側中央)</small>がアラル川 (<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Arar|Arar]]</span>、[[w:ソーヌ川|ソーヌ川]]) でヘルウェーティイー族 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:la:Helvetii|Helvetii]]</span> を破った後、その使節ディーウィコー <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:en:Divico|Divico]]</span> <small>(右側中央)</small> と会見した場面 (第1巻13節~14節)。<br>19世紀スイスの画家 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Karl Jauslin|Karl Jauslin]]'' (1842-1904)</span>による歴史画。ヘルウェーティイー族はスイス人のルーツとみなされるため、ディーウィコーも歴史的英雄として凛々しい姿で描写されている。
</gallery>
==第2巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第2巻]] ; [[ガリア戦記 第2巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule_-57.png|ガリア戦記 第2巻の情勢図(BC57年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【第2巻1節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路。
<!--【第2巻3節】-->
画像:Porte de Mars.jpg|フランスの[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]([[w:fr:Reims|Reims]])に残る、帝制ローマ期(3世紀)の軍神マルスの凱旋門([[w:fr:Porte de Mars|Porte de Mars]])。<hr>レーミー族 Rēmī(仏 [[w:fr:Rèmes|Rèmes]])は、[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス]]([[w:fr:Reims|Reims]])近辺にいた部族で、都市名 Reims も部族名に由来する。同市のラテン語名は [[w:la:Durocortorum|Durocortorum]] だが、これは彼らの首邑のラテン語名 [[w:fr:Durocortorum|Durocortorum]] である。
画像:Tête 1er siècle Musée Saint-Remi 100208.jpg|後1世紀頃のレーミー族市民のポートレート。[[w:ランス (マルヌ県)|ラーンス市]]のサン=レミ博物館([[w:fr:Musée Saint-Remi de Reims|Musée Saint-Remi de Reims]])所蔵。
<!--【第2巻4節】-->
画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]]の遠征路。<br>ベルガエ人は、両部族の侵攻を撃退した。
画像:England Celtic tribes - South.png|ローマ人に支配される前の[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]島南部の部族分布図。Belgae, Atrebates などの名がある。
画像:Gaule Belgique.png|ベルガエまたはガッリア・ベルギカ([[wikt:en:Gallia_Belgica#Latin|Gallia Belgica]])の部族と首邑の配置図。
<!--【第2巻5節】-->
画像:Aisne Berry-au-Bac 150808 1.jpg|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])。<br>戦場と考えられている、現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])にて。
画像:Bassin de l'Aisne.png|アクソナ川、すなわち現在の[[w:エーヌ川|エーヌ川]]([[w:fr:Aisne (affluent de l'Oise)|l'Aisne]])は、[[w:アルゴンヌ森|アルゴンヌ森]]を源流とし、[[w:オワーズ川|オワーズ川]]に合流し、さらにパリの北方で[[w:セーヌ川|セーヌ川]]に合流する。
画像:108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(''British Library HMNTS 9041.h.7.'')<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもので<ref name="近山">[[w:近山金次|近山金次]]訳『ガリア戦記』等を参照。</ref><ref name="uchicago">[https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Journals/CJ/36/6/Caesars_Camp_on_the_Aisne*.html Caesar's Camp on the Aisne — Classical Journal 36:337‑345 (1941)]等を参照。</ref>、これが有力な説となっている。<hr>図中の [[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]], [[w:fr:Condé-sur-Suippe|Condé-sur-Suippe]], [[w:fr:Guignicourt|Guignicourt]], [[w:fr:Pontavert|Pontavert]](以上[[w:エーヌ県|エーヌ県]])並びに [[w:fr:Gernicourt|Gernicourt]]([[w:マルヌ県|マルヌ県]])は、近現代の自治体名。
画像:02073-Berry-au-Bac-Sols.png|アクソナ河畔においてローマ・ベルガエ両軍が布陣したと考えられている現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])の地図。左図の中央部に対応する([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202190+%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF/@49.4075981,3.8771459,5732m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9a4719a9b40b5:0x40af13e8169fa00!8m2!3d49.403069!4d3.899594?hl=ja Google Map])。<hr>当地は、レーミー族の首邑があった[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]の市街地から北西へ約19km、徒歩4時間ほど、自動車で20分強<ref>Google Mapsによる。</ref>。
<!--【第2巻6節】-->
画像:Camp de st Thomas 35143.jpg|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])の遺構と考えられている「ラン旧市街(Vieux-Laon)」の復元図。
画像:Saint-Erme-Outre-et-Ramecourt (Aisne) chemin du vieux Laon menant au Camp des Romains.JPG|ビブラクス([[w:fr:Bibrax|Bibrax]])と考えられている古代ローマ時代の遺構「ラン旧市街(Vieux-Laon)」が残る仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]の村落サン=トマ([[w:fr:Saint-Thomas (Aisne)|Saint-Thomas]])の郊外([https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9202820+%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%88%E3%83%9E/@49.5019503,3.801481,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x47e9b079ab27dfff:0x548dad124cac49dc!8m2!3d49.497623!4d3.820453?hl=ja Google Map])。<hr>エーヌ県[[w:ラン (フランス)|ラン市]]([[w:fr:Laon|Laon]])から東南東へ約19km、徒歩約4時間、車で30分ほど。レーミー族の首邑があったマルヌ県[[w:ランス (マルヌ県)|ランス市]]から北西へ約32km、徒歩約7時間、車で約40分。戦場と考えられる自治体ベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])から北西へ13km前後、徒歩3時間弱、車で約14分。カエサルの記述とおおむね合致する。
画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|ローマ軍の[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集隊形)による攻城戦の想像画(17世紀)。この隊形は、ローマ軍の頑丈な[[w:スクトゥム|方形の長盾]]が可能にしたものであるが、ガッリア人の小さな丸い盾でも可能であるのかは不祥。
画像:Bender - Testudo.JPG|テストゥド(亀甲車)と呼ばれるローマ軍の攻城兵器の一つの復元画。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられている。
<!--【第2巻8節】-->
画像:047 Conrad Cichorius, Die Reliefs der Traianssäule, Tafel XLVII (Ausschnitt 02).jpg|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌスの記念柱]](113年)に描写されたローマ軍の兵器バリスタ(またはスコルピオ)。
画像:Balliste fireing.jpg|ローマ軍の巻揚げ式射出機バリスタ(またはスコルピオ)の復元例。
画像:Croped from 108 of 'Cæsar's Conquest of Gaul' (11253491253).jpg|アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図<br>(前掲 ''British Library HMNTS 9041.h.7.'' の拡大図)<hr>※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐([[w:fr:Eugène Stoffel|Eugène Stoffel]]:1821-1907)の説によるもの<ref name="近山"/><ref name="uchicago"/>。<hr> 現在モシャン(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Mauchamp</span>)と呼ばれている集落(図中の右上)のある小高い丘陵にカエサル麾下ローマ軍の陣営(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman camp</span>)が築かれて、その両隅から突き出した堀の両端にそれぞれ小さい砦(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Fort</span>)が置かれ、アクソナ川の支流(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">[[w:fr:Miette (rivière)|Miette R.]]</span>)の北岸に野営するベルガエ人の軍勢(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Belgic Host</span>)に対してローマ軍(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Roman Army</span>)6個軍団が布陣している。その南方にある橋をカエサルの副官[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]率いる6個歩兵大隊が守備する(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:13pt;">Camp of Sabinus</span>)([[#5節]])。
<!--【第2巻9節】-->
画像:Juvincourt-et-Damary (Aisne) La Miette avec lavoir.JPG|ミエット川([[w:fr:Miette (rivière)|la Miette]])
画像:Berry-au-Bac OSM 02.png|戦場となったベリ=オ=バク([[w:fr:Berry-au-Bac|Berry-au-Bac]])は現在も沼地(水色の部分)が多い。
画像:Aisne à Pontavert 08309.JPG|現在の[[w:エーヌ県|エーヌ県]]ポンタヴェール([[w:fr:Pontavert|Pontavert]])の辺りを流れるアクソナ川〔現[[w:エーヌ川|エーヌ川]]〕。
画像:Map commune FR insee code 02613.png|ベルガエ勢が渡河をめざしたのは、現在のポンタヴェール([[w:la:Pontavert|Pontavert]])の辺りと思われる。
<!--【第2巻10節】-->
画像:Bataille_l'Aisne -57.png|[[w:アクソナ川の戦い|アクソナ川の戦い]]における両軍の布陣図。
<!--【第2巻11節】-->
画像:Soupir 1917.jpg|[[w:第一次世界大戦|第一次大戦]]の第二次エーヌの戦い<ref>[[w:en:Second Battle of the Aisne]]</ref>またはシュマン=デ=ダムの戦い<ref>[[w:fr:Bataille du Chemin des Dames]]</ref>で戦場となった[[w:エーヌ県|エーヌ県]]スピール村<ref>[[w:fr:Soupir (Aisne)]]</ref>の荒廃。<hr>本節のベルガエ人の撤退戦・カエサルによる追撃戦の場所は不詳だが、仏独の激戦地にもなった界隈である。
画像:Friedhof Soupir.jpg|同じくスピール村に設立された第一次大戦の戦死者のための国立戦没者墓苑。
<!--【第2巻12節】-->
画像:Remparts romains de Soissons 52.jpg|スエッスィオーネース族 [[w:la:Suessiones|Suessiones]] の名が訛った[[w:ソワソン|ソワソン市]]([[w:fr:Soissons|Soissons]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''アウグスタ・スエッスィオーヌム'''([[w:fr:Augusta Suessionum (ville romaine)|Augusta Suessionum]])が建設され、やがて[[w:ソワソン管区|ソワソン王国]]の都として栄えて今日に至る。
画像:Pommiers (Aisne) city limit sign.JPG|[[w:ソワソン|ソワソン市街]]から北西へ4kmの高台にあるポミエ([[w:fr:Pommiers (Aisne)|Pommiers]])。'''ノウィオドゥーヌム'''があったされる有力な候補地の一つである。
画像:Bender - Vinea.JPG|[[wikt:en:vinea|vinea]] の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。
画像:Avaricum westpoint july 2006.jpg|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。
<!--【第2巻13節】-->
画像:2018-02-20 15-17-12 rempart-beauvais.jpg|ベッロウァキー族([[w:la:Bellovaci|Bellovaci]])の名を伝える[[w:ボーヴェ|ボーヴェ市]]([[w:fr:Beauvais|Beauvais]])に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市'''カエサロマグス'''([[w:la:Caesaromagus (discretiva)|Caesaromagus]])が建設され、「ベッロウァキー族の都市」を意味する別名'''キーウィタース・ベッロウァコールム'''(civitas Bellovacorum)または'''ベッロウァクム'''([[w:la:Bellovacum|Bellovacum]])とも呼ばれ、その名が訛って今日のボーヴェに至る。<hr>ベッロウァキー族は、ローマ人の軍門に降った後、彼らの本拠'''ブラトゥスパンティウム'''からカエサロマグスに移住させられたため、ブラトゥスパンティウムがどこにあったのか、([[w:ボーヴェ|ボーヴェ]]の近くと思われるが)正確な位置は不明である。
<!--【第2巻15節】-->
画像:Campagne_Belges -57.png|ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路図。アンビアーニー族とネルウィイー族の領土は離れているように見える。
<!--【第2巻16節】-->
画像:Civitas of the Viromandui.svg|ウィロマンドゥイー族([[w:en:Viromandui|Viromandui]])の帝制ローマ期の推定される版図。現在の仏[[w:エーヌ県|エーヌ県]]のヴェルマン([[w:fr:Vermand|Vermand]])、[[w:サン=カンタン|サン=カンタン]]([[w:fr:Saint-Quentin|St-Quentin]])、さらに[[w:オワーズ県|オワーズ県]]の[[w:ノワイヨン|ノワイヨン]]([[w:fr:Noyon|Noyon]])などに及んでいたと考えられている。<hr>本節の記述のようにネルウィイー族([[w:en:Nervii|Nervii]])やアトレバテース族([[w:en:Atrebates|Atrebates]])の領域に隣接していた。が、[[#15節|15節]]で述べられた、アンビアーニー族([[w:en:Ambiani|Ambiani]])がネルウィイー族に隣接していたという記述には疑問が残る。
<!--【第2巻18節】-->
画像:Battle of the Sabis (Selle).png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]をめぐる戦場の概略図。<br>19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説ではなく、20世紀半ばに出て来た[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]の支流セル川([[w:fr:Selle (affluent de l'Escaut)|Selle]])岸のソルゾワール([[w:fr:Saulzoir|Saulzoir]])説<ref>[[w:en:Saulzoir]], [[w:fr:Saulzoir#Histoire]] 等を参照。</ref>に基づく<ref>[https://www.livius.org/pictures/france/selle-sabis/battlefield-of-the-sabis-satellite-photo/ Sabis battlefield, Satellite photo - Livius] の戦場の布陣図等を参照。</ref>。<hr>カエサルとローマ軍は、サビス川(図の水色部分)を渡河してグレー部分の道を右上方向に向かっていたが、川の手前の丘(下の黄色部分)に陣営を置くことにした。本節では、ローマ側の丘と、川を隔てて相対する丘の森の中にネルウィイー族らが陣取っていることに言及している。
<!--【第2巻19節】-->
画像:Bataille_laSambre -57.png|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]における布陣図(左)と戦況図(右)。
<!--【第2巻20節】-->
画像:Cornicen 1-cropped.jpg|古代ローマ時代のラッパ([[:c:Category:Roman tuba|Roman tuba]])
<!--【第2巻21節】-->
画像:Legio-V-Caesar-PAX-Augusta.jpg|thumb|right|300px|カエサルから激励を受ける軍団兵。
<!--【第2巻23節】-->
画像:Pilum heavy.jpg|ローマ軍の[[w:ピルム|ピールム(投槍)]]。
画像:The Gladius Sword.jpg|[[w:グラディウス (武器)|グラディウス (長剣)]]を構えるローマ兵。
画像:Bodwognat, de oudste held van België.gif|[[w:ベルギー|ベルギー]]史の本(1845年)の挿絵に郷土の英雄として描かれたボドゥオーグナートゥス(''[[:c:Category:Buduognat|Buduognat]]'')。
画像:SambreBattle.gif|[[w:サビス川の戦い|サビス川の戦い]]の布陣図。19世紀以来の[[w:サンブル川|サンブル川]]岸説によるもの。<hr>本節の記述に従って、ローマ軍左翼の[[w:第9軍団ヒスパナ|第9軍団]]・[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]はアトレバテース族に、中央の[[w:第11軍団クラウディア|第11軍団]]・[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]が、ウィロマンドゥイー族に、ローマ軍右翼の[[w:第12軍団ウィクトリクス|第12軍団]]・[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]に向き合っている。
<!--【第2巻24節】-->
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Roman collared slaves - Ashmolean Museum.jpg|古代ローマ時代の、首根っこを互いにつながれて苦役に従事させられる奴隷たち。
<!--【第2巻29節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|カエサルの'''アトゥアトゥキー族攻囲戦''' の概略図。<br>[[w:ナミュール|ナミュール]]が戦場だったとする説による。[[:ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14594676898).jpg|⇒詳しく]]
画像:Namur JPG07.jpg|[[w:ナミュール|ナミュール]]の<ruby><rb>城塞</rb><rp>(</rp><rt>シタデル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Citadel of Namur|Citadel of Namur]]'')。<br>その起源はローマ時代にさかのぼるとされ、改築を繰り返して現在に至る。
画像:The_defeat_of_the_Cimbri.jpg|ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。<br>フランスの画家[[w:アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン|アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]]による『キンブリ族の敗北』(«''La défaite des Cimbres''» par [[w:fr:Alexandre-Gabriel Decamps|Alexandre-Gabriel Decamps]] )
<!--【第2巻31節】-->
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の上り坂を登り切って城壁に近づいた<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>(再掲)。
画像:Taranis Jupiter with wheel and thunderbolt Le Chatelet Gourzon Haute Marne.jpg|雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の像。<br>[[w:ケルト神話|ケルト神話]]の天空神で、右手に稲妻を、左手に車輪を持っている。<br>戦争や死をも司る。
<!--【第2巻33節】-->
画像:Camp des Pictes (93).JPG|盾や槍などで武装したガッリア人の再現例。
画像:Les Aduatiques Vendus à l'Encan (détail).jpg|『'''競売で売られたアドゥアトゥキー族'''』(<span style="font-family:Times New Roman;fons-size:15pt;">''Les Aduatiques Vendus à l'Encan''</span>)<br> [[w:ベルギー|ベルギー]]出身の画家[[w:レミー・コッヘ|レミー・コッヘ]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:Rémy Cogghe|Rémy Cogghe (1854–1935)]]</span>)による1880年の作品(複製・部分)。
<!--【第2巻35節】-->
画像:Armorica.png|[[w:アルモリカ|アルモリカ]]([[w:en:Armorica|Armorica]])と呼ばれる大西洋沿岸諸部族の分布図。[[#34節|前節]]でローマに帰服したと報告された地域であるが、本節で言及された[[w:ロワール川|ロワール川]]沿いの諸部族 <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Carnutes|Carnutes]], [[w:la:Andecavi|Andes]], [[w:la:Turones (populus)|Turones]]</span> の名が見える。本節の軍団の配置は、翌年の沿岸部での戦争を見越して、戦地に近い土地で冬営させたものと考えられる。
</gallery>
==第3巻==
*<span style="background-color:#ddd;">[[ガリア戦記 第3巻]] ; [[ガリア戦記 第3巻/注解]]</span>
<gallery>
画像:Gaule -56.png|ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
<!--【ルカ会談】-->
画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人は、第3巻の戦いが始まる前に、ルカ会談で三頭政治の延長を決めた。
<!--【第3巻1節】-->
画像:Historische Karte CH Rome 1.png|現在の[[w:スイス|スイス]]の帝制ローマ時代の地図。左下の三日月形の[[w:レマン湖|レマン湖]]の下方に、<span style="font-family:Times New Roman;">ALLOBROGES, NANTUATES, VERAGRI, SEDUNI</span> の部族名が見える。
画像:Afdaling vd San Bernardino - panoramio.jpg|現在の[[w:グラン・サン・ベルナール峠|グラン・サン・ベルナール峠]]。ラテン語では <span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Porta Magni Sancti Bernardi|Porta Magni Sancti Bernardi]] という。<br>スイスを縦断する[[w:欧州自動車道路|欧州自動車道路]] [[w:en:European route E27|E27]] が[[w:レマン湖|レマン湖]]からこの峠を通ってイタリアの[[w:アオスタ|アオスタ]]へ至る。</span>
画像:Servius Sulpicius Galba.jpg|[[w:セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)|セルウィウス・スルピキウス・ガルバ]]の横顔が刻まれた貨幣。ガルバは[[w:紀元前54年|BC54年]]([[ガリア戦記 第5巻|ガリア戦記 第5巻]]の年)に[[w:プラエトル|法務官]]に任官。内戦期もカエサルに従うが、暗殺計画に参画する。<br>[[w:ネロ|ネロ帝]]とともにユリウス家の王朝が途絶えると、ガルバの曽孫が[[w:ローマ内戦_(68年-70年)#四皇帝|四皇帝]]の一人目の[[w:ガルバ|ガルバ帝]]となった。このため[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]]『ローマ皇帝伝』の「ガルバ伝」にガルバへの言及がある<ref>[[s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.]]</ref>。
画像:Martigny_1600.jpg|かつてウェラーグリー族のオクトードゥールス村([[w:la:Octodurus|Octodurus]])があった所は、現在では[[w:スイス|スイス]]の[[w:マルティニー|マルティニー]]([[w:en:Martigny|Martigny]])市となっている。[[w:ローヌ川|ローヌ川]]が屈曲して流れる[[w:谷|渓谷]]地帯にある。
<!--【コラム「ガルバの派遣とカティリーナ事件」】-->
画像:Joseph-Marie Vien - The Oath of Catiline.jpg|'''カティリーナの誓い'''(''Le Serment de Catiline'')<br>[[w:ジョゼフ=マリー・ヴィアン|ジョゼフ=マリー・ヴィアン]]画(1809年)。<hr>カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。
画像:The Discovery of the Body of Catiline.jpg|'''カティリーナの遺骸の発見'''<br>(''Il ritrovamento del corpo di Catilina'')<br>''[[w:en:Alcide Segoni|Alcide Segoni]]'' 画(1871年)<hr>アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、[[w:ピストイア|ピストリア]]([[w:la:Pistorium|Pistoria]])の戦い(''[[w:en:Battle of Pistoia|Battle of Pistoia]]'')で戦死した。
<!--【第3巻6節】-->
画像:Amphitheaterforumclaudiival1.jpg|オクトードゥールス(<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Octodurus|Octodurus]]</span>)、すなわち現在の[[w:マルティニー|マルティニー市]]に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、<span style="font-family:Times New Roman;">Forum Claudii Vallensium</span> と改称され、[[w: クラウディウス|クラウディウス帝]]によって円形競技場が建てられた。<br>(<span style="font-family:Times New Roman;">''[[w:fr:Amphithéâtre de Martigny|Amphithéâtre de Martigny]]''</span> 等の記事を参照。)
<!--【第3巻9節】-->
画像:Map of Aremorican tribes (Latin).svg|[[w:アルモリカ|アルモリカ]](<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Armorica|Armorica]]''</span> )の部族分布図。
<!--【第3巻12節】-->
画像:Bretagne Finistere PointeduRaz15119.jpg|ウェネティ族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]があった[[w:ブルターニュ半島|ブルターニュ半島]]の突き出た地形
画像:Astronomical tide IJmuiden 21 January 2012.png|ある日(24時間)の'''[[w:潮位|潮位]]'''予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。<br>満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。
<!--【第3巻13節】-->
画像:Navire venete.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)一つの帆をもつ帆船の例
画像:Navire venete 2.svg|ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)二つの帆をもつ帆船の例
画像:Navis longa ja.JPG|古代ローマの軍船([[w:ガレー船|ガレー船]])の構成
画像:Nemi 060 museo delle Navi.jpg|[[w:la:Ancora|ancora]] ([[w:錨|錨]])(古代ローマ)
画像:Cordage en chanvre.jpg|[[w:la:Funis|funis]] (綱の[[w:ロープ|ロープ]])
画像:Old chain.jpg|[[w:la:Catena|catena]] ([[w:鎖|鎖]])
画像:Linen canvas.jpg|<ruby><rb>[[w:リネン|亜麻布]]</rb><rp>(</rp><rt>リネン</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:帆布|帆布]]
画像:Kissen aus indischem Antilopenfell 2013.jpg|[[w:la:Pellis|pellis]] ([[w:毛皮|毛皮]])
画像:Natural Bridge State Park (30337351644).jpg|aluta ([[w:en:Tanning (leather)|なめし皮]])
画像:Grappling hook 2 (PSF).png|[[w:海戦|海戦]]において敵船に[[w:移乗攻撃|接舷]]するために用いられていた、多数の<ruby><rb>[[w:鉤|鉤]]</rb><rp>(</rp><rt>かぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を備えた<ruby><rb>[[w:銛|銛]]</rb><rp>(</rp><rt>もり</rt><rp>)</rp></ruby>の一種(<small>英語 [[wikt:en:grappling hook|grappling hook]]</small>)。<hr>[[内乱記_第1巻#57節|『内乱記』第1巻57節]]、[[内乱記_第2巻#6節|第2巻6節]]においても、[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D.ブルートゥス]]による'''[[内乱記/マッシリアについて|マッシリア攻囲]]'''の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。
<!--【第3巻14節】-->
画像:Bataille Morbihan -56.png|[[w:紀元前56年|BC56年]]に現在の[[w:モルビアン県|モルビアン県]]沿いの[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で戦われたと考えられている、[[w:ウェネティ族 (ガリア)|ウェネティー族]]と[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|D. ブルートゥス]]率いる艦隊との海戦、いわゆる「[[w:モルビアン湾の海戦|モルビアン湾の海戦]]」の海戦図。<hr>上図の説では、<span style="color:green;">ウェネティー族の帆船(緑色/約220隻)</span>と<span style="color:red;">ブルートゥス率いるローマのガレー船(赤色/約100隻)</span>が[[w:キブロン湾|キブロン湾]]で対峙し、<span style="color:red;">カエサルと1個軍団(赤色)</span>が沿岸を占領している。
画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381)(cropped).jpg|破城鎌の復元画の例
画像:Ulysse bateau.jpg|帆柱・帆桁や帆・綱具などが描かれたローマ時代の[[w:モザイク|モザイク画]]<ref>[[w:en:Roman mosaic]]</ref>《[[w:オデュッセウス|オデュッセウス]]と[[w:セイレーン|セイレーン]]》<br>([[w:チュニス|チュニス]]の[[w:バルド国立博物館|バルド国立博物館]])
<!--【第3巻●節】-->
画像:Campagne Unelles -56.png|[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]のウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。
画像:Campagne Aquitains -56.png|[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]のアウィタニア遠征の経路。
画像:Hispania_1a_division_provincial.PNG|BC197年頃のヒスパニア。オレンジ色の地域が当時の上ヒスパニア
画像:Ethnographic Iberia 200 BCE.PNG|BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分に[[w:アクィタニア人|アクィタニア人]]の諸部族が居住していた。
</gallery>
<!--【第3巻●節】-->
==第4巻==
<gallery>
画像:Gaule -55.png|ガリア戦記 第4巻の情勢図(BC55年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Ancient Germania - New York, Harper and Brothers 1849.jpg|古代の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]。
画像:Germanen_50_n._Chr.png|1世紀頃の古代ゲルマニアの部族分布。オレンジ色の部分がスエビ族の居住地。
画像:GallischeHoeve.jpg|メナピイ族の復元住居(ベルギーの[[w:en:Destelbergen|Destelbergen]])
画像:Maas.jpg|現在のモサ川([[:w:la:Mosa|Mosa]] [[w:マース川|ムーズ川]])
画像:Rhine canyon.JPG|現在のレヌス川([[:w:la:Rhenus|Rhenus]] [[w:ライン川|ライン川]])
画像:Rivieren 4.46933E 51.88083N.jpg|ライン川河口の衛星写真
画像:Panorama Koblenz.jpg|モッセラ川(現在の[[w:モーゼル川|モーゼル川]])とレヌス川(現在の[[w:ライン川|ライン川]])の合流点[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[:w:la:Confluentes|Confluentes]])こそが、15節の殺戮地であったかも知れない。
画像:Roman_Pile_Driver,_Festung_Ehrenbreitstein,_Koblenz,_Germany.jpg|カエサルがレヌス架橋工事に用いた[[w:杭打ち機|杭打ち機]]の復元模型
画像:Il ponte di Cesare sul Reno.jpg|レヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家[[w:ジョン・ソーン|ジョン・ソーン]](John Soane)による想像画。
画像:Romanbritain.jpg|ローマ時代のブリタンニア島
画像:015-Caesar-crossing-the-channel.jpg|ドーバー海峡を航海中のカエサルを描いた後世の戯画。
画像:White cliffs of dover 09 2004.jpg|ブリタンニアの軍勢がカエサルの遠征軍を待ち構えていた、[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]の[[w:en:White cliffs of Dover|白い断崖]]。[[w:石灰岩|石灰質]]で形成された切り立った白い崖は、当地のラテン語名「[[w:アルビオン|アルビオン]]」(Albion)の語源となった。
画像:Trireme 1.jpg|古代ローマの軍船(再現模型)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍において[[w:ローマ軍団|軍団]]の象徴であった金色の<br>'''鷲の徽章'''([[:w:en:Aquila (Roman)|aquila]])
画像:The_Standard-Bearer_of_the_Tenth_Legion.jpg|ローマ軍の上陸を鼓舞する鷲の徽章の旗手(想像画)
画像:Julius Caesar memorial 001.jpg|イギリス・ケント州のディール([[w:en:Deal, Kent|Deal, Kent]])にある、カエサルのローマ軍が最初に上陸したことを記す後世の記念碑。「THE FIRST ROMAN INVASION OF BRITAIN LED BY JULIUS CAESAR; LANDED NEAR HEAR LV BC(ユリウス・カエサルに率いられたローマ人の最初のブリタンニア侵攻、BC55年にここの近くに上陸した)」と記されている。
画像:Hallein_Keltenmuseum_-_Streitwagen_1.jpg|ケルト系諸部族が用いていた戦車=二頭立て二輪馬車の再現([[w:オーストリア|オーストリア]]・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]の[[w:ハライン郡|ハライン郡]]ケルト博物館)
画像:Parisii_coin_2_-_The_Met.png|ガリア人(パリスィイ族)の金貨に彫られた戦車
</gallery>
==第5巻==
<gallery>
画像:Gaule -54.png|ガリア戦記 第5巻の情勢図(BC54年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Illyrians (English).svg|[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]における部族の分布図。右下に、Pirustae(ピルスタエ族)の名が見える。
画像:Boulogne-sur-mer - Nausicaa.jpg|イティウス港があったと推定される有力な候補地、フランスの[[w:ブローニュ=シュル=メール|ブーローニュ]]港
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(Altburg)
画像:Botassart - Le Tombeau du Géant 1.jpg|アルドゥエンナ(アルデンヌ)の森林地帯
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡([[w:ルクセンブルク|ルクセンブルク]]の[[w:en:Titelberg|Titelberg]])
画像:Panorama Wissant.jpg|イティウス港の所在地として、ブーローニュとともに有力な候補であるウィサント([[w:en:Wissant|Wissant]])
画像:Dover AST 2001073_lrg.jpg|[[w:ドーバー海峡|ドーバー海峡]]の衛星写真。右がガリア(フランス)、左がカエサルらが上陸した[[w:ドーバー (イギリス)|ドーバー]]付近の海岸。
画像:France manche vue dover.JPG|大陸側から見えるブリタンニアの海岸
画像:Campagne Bretagne -54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路
画像:Canterbury_-_Kloster_der_Blackfriars_und_Stour.jpg|ストゥール川([[w:en:River Stour, Kent|Stour]])の支流の一つ
画像:Testudo lg.jpg|ローマ軍の亀甲陣形([[w:テストゥド|テストゥド]])
画像:River Thames_at_Pangbourne_-_The Meadow_-_National_Trust.JPG|タメスィス川、すなわち現在の[[w:テムズ川|テムズ川]]。
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|古代ブリタンニア南部の部族分布。大陸と同じ部族名が見られる。
画像:ParisiiCoins.jpg|ケルト人の金貨(パリシイ族の例)
画像:CassiteriteUSGOV.jpg|ブリテン島南西部の[[w:コーンウォール|コーンウォール]]地方は[[w:錫石|錫石]]の産地として有名。
画像:Grib skov.jpg|[[w:ブナ|ブナ]]の森林
画像:Domestic Greylag.jpg|[[w:ガチョウ|ガチョウ]]
画像:Map_of_Europe_according_to_Strabo.jpg|ほぼ同時代のギリシア人地理学者[[w:ストラボン|ストラボン]]の記述に基づくヨーロッパの地図。中央に三角形のブリタンニア島(Brettania)が見える。ヒベルニア島=イエルネ(Ierne)の位置が北方へずれていることなどを除けば、本節の記述とおおむね合致する。
画像:British_Isles_Isle_of_Man.svg|モナ島(マン島)は、ブリタンニア島(右)とヒベルニア島(左)の間に位置する。
画像:Earth-lighting-winter-solstice_LA.jpg|[[w:冬至|冬至]]のラテン語による説明図
画像:Clepsydra.jpg|水時計の例
画像:United_Kingdom_satellite_image_bright.png|ブリテン諸島の衛星写真
画像:KentBrit5.PNG|現在のケント州の位置
画像:Isatis_tinctoria02.JPG|[[w:アイ (植物)#.E3.82.A6.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.89|ホソバタイセイ]](学名 [[w:en:Isatis_tinctoria|Isatis tinctoria]])の花。染料として重用されていた。
画像:River_Thames_at_Kingston.JPG|現在のキングストン([[w:en:Kingston_upon_Thames|Kingston]])を流れる[[w:テムズ川|テムズ川]]。カエサルとローマ軍が渡河したのはこれよりやや上流のハリフォード([[w:en:Upper_Halliford|Halliford]])辺りと推定されている。
画像:Boxhill_surrey_viewfromtop.jpg|テムズ川上流地域に広がる森林と平原
画像:North_downs_way_seen_from_puttenham.jpg|同じくテムズ川上流地域の森林から平原を眺める
画像:England_Celtic_tribes_-_South.png|ブリタンニア南部沿岸の部族分布(再掲)。右端(東端)に Trinovantes の名がある。
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_sign.jpg|カエサルがカッスィウェッラウヌスを打ち負かしたと推定されている城砦跡の記念碑。イングランド南部[[w:ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]]のホイートハムステッド([[w:en:Wheathampstead|Wheathampstead]])の近くにある遺跡([[w:en:Devil's Dyke, Hertfordshire|Devil's Dyke]])
画像:Devil's_Dyke_Hertfordshire_(2).jpg|上と同じカッスィウェッラウヌス城砦跡の一部分
画像:Campagne_Bretagne_-54.png|カエサルの第2次ブリタンニア遠征の経路(再掲)。左上の赤い×印の地でカエサルと戦っている間に、カンティウム勢が右下の赤い■印の地を急襲した。
画像:Seascape_Calm_Weather.jpg|凪の海に浮かぶ船の光景<br>([[w:エドゥアール・マネ|エドゥアール・マネ]]画)
画像:Plancus-Statue.jpg|スイスの[[w:バーゼル|バーゼル市]]にあるプランクスの像
画像:LocationPoRiver.PNG|パドゥス川(現在のポー川)
画像:Chartres_1987.jpg|カルヌテス族(Carnutes)の名を残す仏[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)市街の原野からの眺望
画像:Rathaus_Basel_2008_(18).jpg|プランクスの像。前掲と同じもの。
画像:Tongeren_Antiekmarkt_wallen_2.jpg|サビヌスとコッタの冬営があったと推定される古代のアドゥアトゥカ、すなわち現在の[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市内に残る古代の城壁跡
画像:Ambiorix.jpg|アンビオリクスの銅像。[[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]](Tongeren)市街に建つ。ローマ軍の侵略と闘って撃破した郷土の英雄として、同市が彫刻家ジュール・ベルタン(Jules Bertin)に依頼し1866年に建立した。[http://www.tongeren.be/main.html 同市のサイト]も象徴として本像を掲げる。
画像:Centurion_2_Boulogne_Luc_Viatour.jpg|百人隊長(ケントゥリオ)の再演。
画像:Jeker3.JPG|[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市街の南を流れる川(Jeker)。本節の峡谷に相当すると思われるもの。
画像:Girolamo_da_Carpi_001.jpg|[[W:ローマ神話|ローマ神話]]の女神[[w:フォルトゥーナ|フォルトゥーナ]](16世紀ルネサンス期のイタリア、[[w:ジローラモ・ダ・カルピ|ジローラモ・ダ・カルピ]]画)。気まぐれな運命の女神とも解釈される。
画像:Basilika-tongeren-and-ambiorix.jpg|[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]の教会堂の前に立つアンビオリクス像(前掲と同じもの)。ヨーロッパ近代のナショナリズムの高揚とともに、彼はカエサルのローマ軍を一敗地にまみれさせた[[w:ケルト人|ケルト人]]の武将、「[[w:ベルギー|ベルギー]]の英雄」として大いに祀り上げられた。
画像:Roman_soldiers_with_aquilifer_signifer_centurio_70_aC.jpg|鷲の徽章の旗手([[w:アクィリフェル|アクィリフェル]])を先頭に行進するローマ兵たちの再演(帝政期のAD70年頃のもの)
画像:Roman aquila.jpg|ローマ軍団の鷲の徽章(再掲)
画像:Campagne Ambiorix_-54.png|アンビオリクスがローマ軍に勝利した[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]直後の情勢図
画像:Pilum_murale_01.jpg|ローマ軍が籠城戦に用いた防壁槍(pilum muralis)の再現。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|ローマ軍の防備の再現。3基の櫓(turris)と、その間に凹凸形に編み込まれた柴の壁(pinnae loricaeque ex cratibus)が見える。
画像:AlesiaFortifications.JPG|古代ローマ式の堡塁と堀の再現。[[w:アレシアの戦い|アレスィア攻囲戦]]のもの(フランスのアリーズ=サント=レーヌ)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画
画像:Roman_siege_machines.gif|ローマ軍の攻城機械。右上に攻城櫓(tower)、左上に亀甲車(testudo)が見える。
画像:Grose-Francis-Pavisors-and-Moveable-Tower-Assaulting-Castle-1812.jpg|[[w:攻城塔|攻城櫓]](turris)の例。絵は中世イギリスの物だが、古代ローマの物とあまり違わないと思われる。
画像:Pilum light - cropped.jpg|ローマ軍の投槍([[w:ピルム|ピルム]])と長盾([[w:スクトゥム|スクトゥム]])
画像:Gladius_2.jpg|長剣([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]])を右腰の鞘(ウァギナ)から引き抜いたローマ兵士の再演。左肩から右腰にかけて剣帯(バルテウス)が下げられ、鞘を固定している。バルテウス([[w:en:Balteus (sword belt)|balteus]])は[[w:ベルト (服飾)|ベルト]]([[w:en:Belt (clothing)|belt]])の語源。
画像:Campagne_Gaule-54.PNG|キケロを支援するカエサルと軍団の情勢図。カエサルは、サマロブリウァをクラッススに委ね、ファビウスとトレボニウスの軍団とともに東進。ラビエヌスはトレウェリ族を迎撃。
画像:Gallo-Romeinse_cavalerist26-09-2008_16-07-55.JPG|投槍(tragula)を持ったガリア人騎兵を復元した人形
画像:Armorica.png|アレモリカ(Aremorica)またはアルモリカ(Armorica)と呼ばれる大西洋岸地域。ここの諸部族は2年前(BC56年)にカエサルやサビヌスが率いるローマ軍と戦った。
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==第6巻==
<gallery>
画像:Gaule -53.png|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Hw-pompey.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。
画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)
画像:GallischeHoeve.jpg|復元されたメナピイ族の住居(再掲)
画像:Titelberg_01.jpg|トレウェリ族の城砦跡(再掲)
画像:Pilensalve.jpg|[[w:ピルム|ピルム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演
画像:Bund-ro-altburg.jpg|トレウェリ族の再現された住居(再掲)
画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|トレウェリ族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡
|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)から2000周年を記念した[[w:ドイツ|ドイツ]]の切手(2009年発行)。右はケルスキ族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]、左下は[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の胸像、左上はローマ軍が遺した仮面。<br>アルミニウスが率いるケルスキ族・カッティ族らゲルマニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。
画像:Two_Druids.PNG|二人の[[w:ドルイド|ドルイド]]。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。
画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち
画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|ギリシア文字で刻まれたガリアの碑文
画像:Dying_gaul.jpg|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])
画像:Universum.jpg|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。
画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。
画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)
画像:WickerManIllustration.jpg|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた。1973年にはイギリスで映画化され、2006年にはアメリカなどでも映画化された。
画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)
画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|ガリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。
画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|ガリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。
画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|ガリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。
画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。
画像:Celts.svg|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。
画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。
画像:Hallstatt_LaTene.png|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)
画像:Rentier fws 1.jpg|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。
画像:Bigbullmoose.jpg|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。
画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG_1824.JPG|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。
画像:Wisent.jpg|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。
画像:Muybridge_Buffalo_galloping.gif|疾走するバイソン
画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。
画像:Taxus baccata MHNT.jpg|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。
画像:Locatie-Maas-3.png|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。
画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。
画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。
画像:Castra1.png|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
画像:Wedge-diagram.svg|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。
画像:Porte_Mars_01.jpg|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。
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==第7巻==
===ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起===
<gallery>
画像:Gaule_-52.png|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
画像:Maccari-Cicero.jpg|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵であったキケロを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケロの友人ミロの配下によって殺害された。
画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。
画像:Brennus_mg_9724.jpg|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀頃に、アッコと同じ[[w:セノネス族|セノネス族]]の族長だったとされている。
画像:Chartres_1.jpg|[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]](Carnutes)の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌテス族の土地はガリアの中心・聖地と見なされていた。ガリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。
画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]で、ガリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。
画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガリア起源説]])、ガリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])
画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。
画像:Maps_of_Eduens_people-fr.svg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]を軸とするガリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイ族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲス族(Bituriges)と赤いハエドゥイ族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲス族とアルウェルニ族の勢力圏になっている。
画像:Warsaw_Royal_Castle_GM_(12).JPG|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。
画像:Narbonne_panorama.jpg|'''ナルボ'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボ・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。
画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。
画像:Carte-cevennes-france.png|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:Col_de_legal.jpeg|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arverni)に由来する。
画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖
画像:France_Massif_central.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。
画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。
画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色
画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボ]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。
画像:Aqueduc2.jpg|アゲディンクム、すなわちセノネス族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡
画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。
画像:Orleans.jpg|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。
画像:Sancerre.jpg|ビトゥリゲス族の城市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。
画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。
画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。
画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。
</gallery>
===アウァリクム攻略戦===
<gallery>
画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|'''アウァリクム'''(Avaricum)すなわち[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]](Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。
画像:Bourges.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲス族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲス・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァリクム周辺にいた'''ビトゥリゲス・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲス・クビ族の方である。
画像:Bourges_2.JPG|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガリア時代からこの街を囲んでいる。
画像:Carte_du_Cher.svg|アウァリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった。
画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|アウァリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリクスが移動させた陣営。
画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
画像:Falx_bgiu.png|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)
画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。
画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。
画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|ガリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガリア壁)」と呼ばれるが、ガリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。
画像:Keltenmauer.gif|ガリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。
画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])
画像:Balliste_fireing.jpg|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元
画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。
画像:Vercingetorix_stater_CdM.jpg|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)
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===ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反===
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画像:FR-58-Decize29.JPG|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。
画像:Brioude pont.JPEG|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイ族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。
画像:FR-63-Gergovie.JPG|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。
画像:Siège_GergovieI_-52.png|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。
画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。
画像:La_Roche_Blanche.JPG|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵
画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。
画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)
画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。
画像:Monument_gergovie_fr.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。
画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->
画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|ノウィオドゥヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観
画像:Bibracte333_crop.JPG|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城市]]跡に整備された城壁の遺構
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===アレスィア攻囲戦===
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画像:Alésia.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。
画像:Alise2.jpg|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。
<br>
画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。
画像:Napoleon3.PNG|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。
画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:AlesiaFortifications.JPG|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。
画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。
画像:Trous.de.loup.png|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。
画像:Aiguillon.png|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。
画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。
<br>
画像:Die_Gartenlaube_(1892)_b_397.jpg|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。(作品そのものはカラー)
画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。
画像:Coin_Vercingetorix.jpg|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。
画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。
画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。
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==第8巻==
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画像:Gaule -51.png|ガリア戦記 第8巻の情勢図(BC51年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
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==題字==
[[画像:Blue_square_A.PNG|30px]]
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[[画像:Blue_square_X.PNG|30px]]
[[画像:Solid_blue.svg|30px]]
==その他・未使用画像==
*'''全般'''
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画像:Gaule -59.png|ガリア戦争 直前のガリア情勢図(BC59年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Gaule -50.png|ガリア戦争 直後のガリア情勢図(BC50年)。<br>黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare prima Gallia 58 a.C.jpg|[[w:ガリア戦争|ガリア戦争]]直前のローマ周辺図(BC58年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Cesare dopo Gallia 50 a.C..jpg|ガリア戦争直後のローマ周辺図(BC50年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
画像:Map Gallia Tribes Towns-la.svg|ガッリアの地図(SVG)
画像:La2-demis-france.png|ガッリアの現代の地形図
画像:Gaul.svg|ガッリアの地形図
画像:Bust_of_Gaius_Iulius_Caesar_in_Naples.jpg|カエサルの胸像
画像:Caesar-Altes-Museum-Berlin.jpg|カエサルの胸像
画像:Kastell Niederbieber, Modell, 2007.jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:DevaMinervaPlan(bq).jpg|ローマ軍の陣営の模型
画像:Ambleside Roman Fort_-_Project_Gutenberg_eText_19115.png|[[w:イングランド|イングランド]]北西部の[[w:カンブリア (イングランド)|カンブリア州]]アンブルサイド(<small>[[w:en:Ambleside|Ambleside]], Cumbria</small>)に残る帝政ローマ前期(1世紀頃)のガラヴァ城砦([[w:en:Galava|Galava]])の図面。
画像:Castrum La Crucca.JPG|ローマ軍の塁壁の再現例
画像:Castellum Matilo entreetoren Romeinse soldaten op wacht 20170806 fotoCThunnissen.jpg|櫓の再現例
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*'''第1巻'''
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画像:Ager Helvetium.png|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Maxima Sequanorum.jpg|ヘルウェーティイー族の領土
画像:Schweiz-Französischer-Jura.png|ヘルウェーティイー族の領土
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*'''第2巻'''
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画像:Aisne.png|エーヌ県の地図
</gallery>
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画像:Cimbrians and Teutons invasions.svg|[[w:キンブリ族|キンブリ族]]と[[w:テウトネス族|テウトニ族]]がローマ領へ侵攻して勃発した[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](BC113-101年)の要図。『ガリア戦記』では第1巻33節・40節と第2巻4節・29節と第7巻77節で言及されている。
画像:Marius_Glyptothek_Munich_319.jpg|[[w:ガイウス・マリウス|ガイウス・マリウス]]の胸像。[[w:マリウスの軍制改革|軍制改革]]を断行し、[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族とテウトニ族の侵攻]]を撃滅した。(第1巻40節)
画像:Tiepolo_Vercellae.jpg|キンブリ族を撃退する[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]とローマ軍([[w:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ|ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]画)(第1巻40節)
</gallery>
*'''第3巻'''
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画像:Sambuke-gelo4.jpg|[[w:en:Sambuca (siege engine)]]
</gallery>
*'''各4巻'''
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画像:Jochbrücke Skizze.jpg|[[:c:Category:Pile yoke bridges|Pile yoke bridge]]
画像:Leipzig - Gustav-Esche-Straße - Auensee 09 ies.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
画像:13734-Colditz-1912-Muldenpartie am Muldenschößchen-Brück & Sohn Kunstverlag.jpg|[[:c:Category:Wooden pile yoke bridges in Germany|Wooden pile yoke bridges]]の例
</gallery>
*'''各5巻'''
<gallery>
画像:Karel de Kesel 35019.jpg|Ambiorix tendant une embuscade à la XIVe slégion romaine.
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*'''各6巻'''
<gallery>
</gallery>
<gallery>
画像:Bibracte Dumnorix.jpg|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のドゥムノリクス
画像:Blaeu - Atlas of Scotland 1654 - INSULÆ ALBION et HIBERNIA cum minoribus adjacentibus - British Isles.jpg|ラテン語で記述されたブリタンニアとヒベルニア周辺の地図(17世紀)
画像:Day length.jpeg|緯度と日付(ユリウス日)による日中の長さの図示。
画像:Jupiter_Musée_d'Evreux_210209_1.jpg|ユピテル神像(仏エヴルー博物館)
画像:FeldbergPanorama.jpg|ヘルキュニアの森([[w:en:Hercynian_Forest|Hercynian Forest]])
</gallery>
*'''第7巻'''
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画像:Via Domitia (Narbonne).jpg|現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]に残る[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の遺構
画像:MC_cevenes.jpg|[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)におけるセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
画像:VercingetorixSurrenders.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
画像:Vercingétorix se rend à César 1886 HPMotte.jpg|ウェルキンゲトリクスの降伏
</gallery>
*'''第8巻など'''
<gallery>
画像:Correus.jpg|ベッロウァキ族の指導者コッレウス。第8巻でローマ軍と戦って戦死した。絵は19世紀フランスの画家ディオジェーヌ・マイヤール(Diogène Maillart)作『コッレウスの死』(La mort de Correus)。
画像:Hermann warrior.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
画像:Otto_Albert_Koch_Varusschlacht 1909.jpg|[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]でローマ人を圧倒するゲルマニア人
</gallery>
*'''その他'''
<gallery>
画像:Karl_Ludwig_Nipperdey.jpg|『ガリア戦記』の最初の近代的な校訂版(1847年)を著わしたカール・ニッペルダイ([[w:de:Carl Nipperdey|Carl Nipperdey]]:1821-1875)の肖像写真(1858年撮影)。
画像:Theodor_Mommsen_02.jpg|『ガリア戦記』などローマ史を研究し、1902年にノーベル文学賞を受賞した[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]([[w:de:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]]:1817-1903)の肖像画(1863年)。
</gallery>
==脚注==
<references />
==参考リンク==
===ウィキペディア===
*ラテン語版(la)
**[[w:la:Categoria:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:la:Bellum Gallicum]] - ガリア戦争
**[[w:la:De bello Gallico]] - ガリア戦記
*ドイツ語版(de)
**[[w:de:Portal:Rom und Römisches Reich]] - 古代ローマのポータル
**ガリア戦記の研究者
***[[w:de:Carl Nipperdey]] - カール・ニッペルダイ(1821-1875):1847年に初めて近代的な校訂版を著わした。
***[[w:de:Theodor Mommsen]] - [[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]](1817-1903):ノーベル文学賞を受賞したローマ史家。
***Heinrich Meusel - ハインリヒ・モイゼル:β系写本の評価を高め、写本の系図を提案した校訂者。
***[[w:de:Alfred Klotz]] - アルフレート・クロッツ(1874-1956):β系写本の優位を主張した校訂者。
***[[w:de:Otto Seel]] - オットー・ゼール(1907-1975):1961年に校訂版を著わした。
***[[w:de:Wolfgang Hering]] - ヴォルフガング・ヘーリンク(1987-?):1987年に校訂版を著わした。
*英語版(en)
**[[w:en:Portal:Ancient Rome]] - 古代ローマのポータル
**[[w:en:Template:Ancient Rome topics]] - 古代ローマ関係の記事テンプレート
***[[w:en:Roman military personal equipment]] - 古代ローマ軍の個人装備
***[[w:en:Military of ancient Rome]] - 古代ローマ軍
*フランス語版(fr)
**[[w:fr:Portail:Rome antique]] - 古代ローマのポータル
**[[w:fr:Portail:Monde celtique]] - '''ケルト世界'''のポータル
**[[w:fr:Catégorie:Cité gallo-romaine]] - ガッロ=ローマン都市
***'''[[w:fr:Liste des noms latins des villes françaises]]''' - フランスの都市のラテン語名の一覧
****[[w:fr:Nemetacum (ville romaine)]] -
**[[w:fr:Liste des peuples_gaulois en France]] - フランスにおけるガリア人(部族)の一覧
**[[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise]] - ガリアの人物カテゴリ
*'''イタリア語版'''(it)- 参考になる画像が多い
**[[w:it:Conquista della Gallia]] - '''ガリア戦争''':画像が豊富。
**[[w:it:Esercito romano]] - ローマ軍
**[[w:it:Portale:Antica Roma]] - 古代ローマのポータル
**[[w:it:Portale:Celti]] - '''ケルト'''のポータル
*日本語版(ja)
**[[w:ja:Category:ガリア戦争]] - ガリア戦争のカテゴリ
**[[w:ja:ガリア戦争]]
**[[w:ja:ガリアの部族一覧]]
<br>
===ウィキソース===
*フランス語版
**[[s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc]] : フランスの建築家 [[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク]](<small>[[w:fr:Eugène Viollet-le-Duc|Eugène Viollet-le-Duc]]</small>;1814-1879)の著作集
***[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle]] : 『中世フランス建築体系辞典(11~16世紀)』(1856年発行)
***<u>[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé]]</u> : 同書の第5巻「堀」([[w:アレシアの戦い|アレスィア]]の攻囲陣地について記述がある)
****[[:commons:Category:Viollet-le-Duc]]:上掲書の図版のカテゴリ
****:[[:commons:Category:Fortification (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (城砦)
****:[[:commons:Category:Weaponry (Viollet-le-Duc)]]: 〃 (兵器)
<br>
===ウィキコモンズ===
*ウィキコモンズのカテゴリ
**[[:commons:Category:Agedincum]](アゲディンクム);セノネス族の主邑で、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]]
**'''[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]]'''(アリーズ=サント=レーヌ);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の古戦場
***[[:commons:Category:Statue de Vercingétorix (Alise-Sainte-Reine)]](アリーズ=サント=レーヌにあるウェルキンゲトリクス像)
**'''[[:commons:Category:Ambiorix]]'''('''アンビオリクス''')
**[[:commons:Category:Ancient Germanic history and culture]](古代ゲルマニアの歴史と文化)
**'''[[:commons:Category:Ancient Rome]]'''('''古代ローマ''')
**[[:commons:Category:Ancient Roman archaeological sites]](古代ローマの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Ancient Roman architecture]](古代ローマの建築)
**[[:commons:Category:Ancient Roman battles]](古代ローマの戦闘)
**[[:commons:Category:Ancient Roman castra]](古代ローマの陣営)
**[[:commons:Category:Ancient Roman enemies and allies]](古代ローマの敵と同盟者)
**[[:commons:Category:Ancient Roman forts]](古代ローマの城砦)
**[[:commons:Category:Ancient Roman gentes]](古代ローマの氏族)
**[[:commons:Category:Ancient Roman machines]](古代ローマの機械)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military equipment]](古代ローマの軍事装備)
**[[:commons:Category:Ancient Roman military people]](古代ローマの軍人)
**[[:commons:Category:Ancient Roman people]](古代ローマの人々)
**[[:commons:Category:Ancient Roman provinces]](古代ローマの属州)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages]](古代ローマ時代の都市や村)
**[[:commons:Category:Ancient Roman cities and villages in France by Latin name]](古代ローマ時代の都市や村、フランスにあるラテン名のもの)
**[[:commons:Category:Ancient Roman wars]](古代ローマの戦争)
**[[:commons:Category:Ancient weapons]](古代の兵器)
**[[:commons:Category:Archaeology of Europe]](ヨーロッパの考古学)
**[[:commons:Category:Archaeological sites in England]](イングランドの考古学遺跡)
**[[:commons:Category:Aquila (Roman)]](アクィラ、鷲の徽章);ローマ軍団の象徴
**[[:commons:Category:Archery]](アーチェリー、弓矢)
**[[:commons:Category:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Category:Auvergne]]([[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ地域圏]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠地だった地方
**[[:commons:Category:Avaricum]](アウァリクム);ビトゥリゲス族の主邑で、現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]
**[[:commons:Category:Ballista]](バリスタ);投擲兵器、弩砲
**'''[[:commons:Category:Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')
**:[[:commons:Category:Alise-Sainte-Reine]](アリーズ=サント=レーヌ);アレスィアの戦いの古戦場
**:[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);アレスィアの戦いの遺跡
**'''[[:commons:Category:Battle of Bibracte]]'''('''ビブラクテの戦い''')
**'''[[:commons:Category:Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')<[[:commons:Category:Gergovie|Category:Gergovie]]
**[[:commons:Category:Bibracte]](ビブラクテ);ハエドゥイ族の城市
**'''[[:commons:Category:Caesar's invasions of Britain]]'''('''[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]''')
**'''[[:commons:Category:Caesar's Rhine bridges]]'''('''カエサルのライン川架橋''')
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**[[:commons:Category:Celtic_culture]](ケルト文化)
**[[:commons:Category:Celtic languages]](ケルト諸語)
**[[:commons:Category:Celtic mythology]](ケルトの神話)
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**'''[[:commons:Category:Gallic War]]'''('''ガリア戦争''')
**'''[[:commons:Category:Gauls]]'''('''ガリア人''')
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**'''[[:commons:Category:Gladii]]'''([[w:グラディウス (武器)|グラディウス]]);古代ローマ軍の長剣
**[[:commons:Category:Category:Gnaeus Pompeius Magnus]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])
**[[:commons:Category:Hallein - Keltenmuseum]]([[w:ハライン郡|ハライン]]・ケルト博物館);オーストリア・[[w:ザルツブルク州|ザルツブルク州]]にあるケルト博物館
**[[:commons:Category:Hallstatt_culture]]([[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]);中央ヨーロッパの前期ケルト文化
**[[:commons:Category:Henri-Paul Motte]]([[w:アンリ=ポール・モット|アンリ=ポ-ル・モット]] [[w:fr:Henri-Paul Motte|Henri-Paul Motte]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
**[[:commons:Category:Iron Age Britain]](鉄器時代のブリテン)
**'''[[:commons:Category:Iulius Caesar]]'''('''ユリウス・カエサル''')
**[[:commons:Category:La Tène culture]](ラ・テーヌ文化);中央ヨーロッパの後期ケルト文化
**'''[[:commons:Category:Latin]]'''('''ラテン語''')
**[[:commons:Category:Lionel-Noël Royer]]([[w:リオネル=ノエル・ロワイエ|リオネル=ノエル・ロワイエ]] [[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]]はウェルキンゲトリクスを描いたフランスの画家)
**[[:commons:Category:Loire River]]([[w:ロワール川|ロワール川]]);ローマ時代のリゲル川 [[w:la:Liger|la:Liger]]
**[[:commons:Category:Maps of ancient Rome]](古代ローマの地図)
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**[[:commons:Category:Massif Central]]([[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]]);[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏だった高地
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**'''[[:commons:Category:Military equipment of Ancient Rome (reconstructed)]]'''(復元された古代ローマの軍事装備)
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**'''[[:commons:Category:Murus gallicus]]'''(ガリア式城壁);ビブラクテの城壁など
**[[:commons:Category:Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]);古代ローマの植民市ナルボ [[w:la:Narbo|la:Narbo]]
**[[:commons:Category:Navy of ancient Rome]](古代ローマ海軍)
**[[:commons:Category:Old maps of Europe]](ヨーロッパの古地図)
**[[:commons:Category:Oppidum]](オッピドゥム);ガリアなどの城市
**[[:commons:Category:Prehistoric Britain]](先史時代のブリテン)
**[[:commons:Category:Religion in ancient Rome]](古代ローマの宗教)
**[[:commons:Category:Roman deities]](ローマの神々)
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**[[:commons:Category:Roman Gaul]](ローマ支配下のガリア)
**[[:commons:Category:Roman Germania]](ローマ領ゲルマニア)
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**[[:commons:Category:Roman Legions Reenactment]](ローマ軍団の再演)
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**[[:commons:Category:Roman Republic]](共和政ローマ)
**[[:commons:Category:Roman weapons]](ローマの兵器)
**[[:commons:Category:Siege equipment]](攻城の道具)
**[[:commons:Category:Siege towers]](攻城櫓)
**[[:commons:Category:Site d'Alésia]](アレスィア遺跡);[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]の遺跡
**[[:commons:Category:The Comic History of Rome]](「漫画ローマ史」)
**[[:commons:Category:Tongeren]]([[w:ベルギー|ベルギー]]の[[w:トンゲレン|トンゲレン]]市)=古代の城市アドゥアトゥカ
**'''[[:commons:Category:Vercingetorix]]'''('''ウェルキンゲトリクス''')
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**[[:commons:Category:1st century BC]](BC1世紀)
**[[:commons: ] ]
*ウィキコモンズの記事ページ
**[[:commons:Atlas of the United Kingdom]](イギリスの地図集)
**[[:commons:Atlas of Europe]](ヨーロッパの地図集)
**[[:commons:Atlas of France]](フランスの地図集)
**[[:commons:Celts]](ケルト人)
**[[:commons: ] ]
eksh6sm99p7qgf7fe5ffrpx9dybokyh
C言語/基本的なプログラム
0
10444
206045
183412
2022-07-31T11:51:17Z
Imoyokan-scratch
65675
/* Hello, World!を実行する */
wikitext
text/x-wiki
{{Nav}}
== Hello, World!を実行する ==
次のプログラムは ''Hello world'' と呼ばれ、多くのプログラミングの入門書などで使われる伝統的なプログラムです<ref>{{cite book
| url = https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/ctut.pdf
| title = Programming in C -- A Tutorial
| author = Brian W. Kernighan
| publisher = Bell Laboratories, Murray Hill, N. J}}</ref><ref>B.W.カーニハン/D.M.リッチー『プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠』p.7のhello, worldプログラムを一部改変</ref>。
画面に「hello, world(改行)」と表示した後、ただちに終了します。
; [https://paiza.io/projects/GxtZmK9st0SI9jqNMvga_Q?language=c hello.c]:<syntaxhighlight lang="C" line>
#include <stdio.h>
int main(void)
{
printf("hello, world\n");
return 0;
}
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
hello, world
</syntaxhighlight>
;解説
# <code>#include <stdio.h></code>は、[[C言語/標準ライブラリ/入出力|標準入出力ライブラリ]]を使うための準備で、上の例の場合は printf() 関数の使用のために必要です。
# この何も書いていない行は、読みやすくする目的で入れました。
# ここから、7行目までは 関数 <code>main</code> の定義です。 1つのプログラムに必ず1つの関数 <code>main</code> を定義します。プログラムを実行するとき、まず関数 <code>main</code>から処理が始まります。<br>関数本体は、'{' で始まり、 '}' でおわります。
# ここから7行目までは関数<code>main</code> の内容が書かれています。ここではprintf関数の呼び出しの文とreturn文の2つの文が、関数<code>main</code> の処理としてまとめられています。それぞれの文の終わりには、「; (セミコロン)」が必要です。セミコロンがあることにより、C言語のコンパイラが、その文の終わりであることを認識します。
# '''標準ライブラリ関数'''の内の1つである'''[[C言語/標準ライブラリ/入出力#printf関数|printf関数]]'''の呼び出しです。<br>標準ライブラリとは、プログラミングでよく使われる処理がまとめられたもので、代表的なものには、[[C言語/標準ライブラリ/入出力|入出力<stdio.h>]]、[[C言語/標準ライブラリ/文字列操作|文字列操作<string.h>]]、[[C言語/標準ライブラリ/数学|数学<math.h>]]などがあります。<br>printf関数は、標準出力に対して書式付で文字列を書き出す関数です。標準出力のデフォルトはコンソールです。ここでは "hello, world\n" が標準出力に書き出される文字列です。\nはエスケープシーケンスの内の一つで改行を意味します。
# '''[[C言語/制御文#return文|return文]]'''です。<br>return文とは、実行中の関数の実行を終了し、制御をその呼び出し元に返します。ここでは関数mainの終わりを意味しています。<code>return 0;</code>」の <code>0</code> は返値(戻値)と呼び、関数の呼び出し元に返す値で、ここでは、このプログラムを実行するオペレーティングシステムに対して返され、0はプログラムの成功を表しています(エラーがあった場合は、 0 以外の値を返します)。
{{See also|C言語/中級者向けの話題#プログラムの開始||C言語/中級者向けの話題#プログラム終了処理}}
{{コラム|うまくコンパイルできない場合|
コンパイルエラーが発生した場合、エラーメッセージをメモし、ヘルプ機能などを使って調べてみてください。
* エラーの原因は、エラーが報告された行、あるいはそれ以前の行にあります。
* エラーが複数報告された場合、最初のエラーから順に解消しましょう。
また以下の項目も確認してみてください。
* ソースコードを正しく入力したか。
** スペルミスはないか。
** 大文字と小文字を間違えていないか。
** ';'(セミコロン)を書き忘れていないか、または ':'(コロン)と間違えていないか。
** 「{ } (中括弧)」を書き忘れていないか。
** 最後の行の改行を省いていないか。<!--???-->
* ファイルの保存形式は使用するコンパイラに適合しているか。
** エンコードが摘房しているか?UTF-8、ASCIIまたはシフトJISかEU-JPかもしれない。
** ファイルの種類がテキスト形式以外、たとえばdocxなどになっていないか。
** ファイル名やディレクトリ名が長すぎないか。(環境によっては、255文字や8.3文字などと制約がついている場合がある)
* 環境変数を正しく設定したか。
** コンパイラのディレクトリがPATHに設定されているか。
** libやincludeのディレクトリがPATHに設定されているか。
<!--
* すぐに終了してしまう。<br>正しい動作です。もし、画面の表示を確認できないほど高速に終了してしまうなら、『コマンドプロンプト<ref>Windows XP, Vista, 7, 8.1, 10, 11ではcmd.exe</ref>』で実行すれば文字列が表示されているのを確認できると思います。またはgetch関数を用いてキー入力の後に終了するようにするとよい(conio.hのインクルードが必要)。
** Visual Studio Express 2012を使用する場合、以下の手順で「続行するには何かキーを押してください」を表示できる。
*** 「プロジェクト」→「(プロジェクト名)のプロパティ」→「構成プロパティ」→「リンカー」→「システム」→「サブシステム」を「コンソール」に変更し、「デバッグなしで開始」で開始します。
-->
}}
== ソースコードの整形 ==
:<syntaxhighlight lang="C" line>
#include <stdio.h>
int main(void){printf("hello, world\n");return 0;}
</syntaxhighlight>
これはプログラムとしては正しく問題なく動作します。
しかし、人間にとって読みづらく修正も困難です。
; 整形例
:<syntaxhighlight lang="C" line>
#include <stdio.h>
int main(void) {
printf("hello, world\n");
return 0;
}
</syntaxhighlight>
この例は、clang-format で機械的に整形しました。
== 注釈、コメント ==
<syntaxhighlight lang="C">
/* 文字列の表示 */
#include <stdio.h>
int main(void)
{
printf("hello, world\n");
return 0;
}
</syntaxhighlight>
「/* 変数の宣言と代入 */」のように、「/*」と「*/」によって、プログラム内容の説明を追記できる。このような追記を'''注釈'''(ちゅうしゃく)または'''コメント'''という。注釈はコンパイルされた結果には影響を与えません。
注釈があると、他の人が読むときに、そのプログラムの内容が分かりやすくなので、必要に応じて注釈をつけましょう。
コメントには他にも、「//」というコメント方法もあります(C99以降)。
:<syntaxhighlight lang="C">
// 文字列の表示
#include <stdio.h>
int main(void)
{
printf("hello, world\n");
return 0;
}
</syntaxhighlight>
のように、「//」以降から行末までがコメントになります。
{{コラム|Visual Studio で、デバッグ セッションの終了時にコンソールが閉じてしまう場合|
Visual Studio で、デバッグ セッションの終了時にコンソールが閉じてしまう場合は、
: [ツール] -> [オプション] -> [デバッグ] -> [デバッグの停止時に自動的にコンソールを閉じる]
を無効にします。
}}
== 脚註 ==
<references/>
== 参考文献 ==
* 国際標準化機構/国際電気標準会議 [https://www.iso.org/obp/ui/#iso:std:iso-iec:9899:ed-4:v1:en ISO/IEC 9899:2018(en) Information technology — Programming languages — C](2018-07-05)
* 日本工業標準調査会(当時、現:日本産業標準調査会)『JISX3010 プログラム言語C』2003年12月20日改正
== 外部リンク ==
* [https://www.jisc.go.jp/ 日本産業標準調査会](利用者登録必須)
**『JISX3010:2003 プログラム言語C』は「JIS検索」→「JIS規格番号からJISを検索」で「X3010」と入力し「一覧表示」→「JISX3010」→「規格の閲覧」で閲覧可能。
*** ただし、PDFファイルの内容は'''画像'''なので検索やコピーアンドペーストは不可能。
* {{cite book
| url = http://www.open-std.org/jtc1/sc22/wg14/www/docs/n1570.pdf
| title = WG14/N1570 Committee Draft — April 12, 2011 ISO/IEC 9899:201x
| publisher=ISO/IEC
| date = 2011-04-12}} -- ISO/IEC 9899:2011(C11)リリース直前のドラフト
[[Category:C言語|きほんてきなふろくらむ]]
r7lgwuevfk2q53pru8q5d8k9f8xwxsu
平家物語 祇園精舎
0
17362
206026
205923
2022-07-31T02:35:08Z
Nermer314
62933
[[Special:Contributions/218.220.56.61|218.220.56.61]] ([[User talk:218.220.56.61|トーク]]) による版 205923 を取り消し
wikitext
text/x-wiki
[[文学]]>[[古典文学]]>[[日本の古典]]>[[平家物語]]
[[Category:平家物語|きおんしようしや]]
==本文==
[[w:祇園精舍|祇園精舍]]の鐘の声、[[w:諸行無常|諸行無常]]の響きあり。[[w:娑羅双樹|娑羅双樹]]の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く[[w:中国の歴史|異朝]]をとぶらへば、[[w:秦|秦]]の[[w:趙高|趙高]]、[[w:漢|漢]]の[[w:王莽|王莽]]、[[w:梁 (南朝) |梁]]の[[w:朱イ|朱忌]]、[[w:唐|唐]]の[[w:安禄山|祿山]]、これらは皆[[w:君主|舊主]][[w:皇帝|先皇]]の[[w:政治|政]]にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、[[w:天下|天下]]の亂れん事を悟らずして、[[w:民間|民間]]の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く[[w:日本の歴史|本朝]]をうかがふに、[[w:承平(日本)|承平]]の[[w:平将門|將門]]、[[w:天慶|天慶]]の[[w:藤原純友|純友]]、[[w:康和|康和]]の[[w:源義親|義親]]、[[w:平治|平治]]の[[w:藤原信頼|信賴]]、これらはおごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは[[w:六波羅|六波羅]]の[[w:入道|入道]]、[[w:太政大臣|前太政大臣]][[w:平清盛|平朝臣清盛公]]と申しし人のありさま、傳へ承るこそ心もことばも及ばれね。
その[[w:先祖|先祖]]を尋ぬれば[[w:桓武天皇|桓武天皇]]第五の皇子、[[w:一品|一品]][[w:式部省|式部卿]][[w:葛原親王|葛原親王]]九代の後胤、[[w:讃岐|讃岐守]][[w:平正盛|正盛]]が孫、[[w:刑部省|刑部卿]][[w:平忠盛|忠盛]]朝臣の[[w:嫡男|嫡男]]なり。かの[[w:親王|親王]]の[[w:王 (皇族) |御子]]、[[w:高見王|高見王]]、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、[[w:高望王|高望王]]の時、初めて平の姓を賜はつて、[[w:上総|上総介]]に成り給ひしより、たちまちに王氏を出でて人臣に列なる、その子[[w:鎮守府将軍|鎮守府将軍]][[w:平国香|良望、後]]には[[w:平国香|國香]]と改む。國香より[[w:平正盛|正盛]]に至る六代は、諸国の[[w:受領|受領]]たりしかども、[[w:昇殿|殿上]]の仙籍をば未だ赦されず。
----
==本文の読み方==
[[w:祇園精舎|ぎおんしょうじゃ]]のかねのこえ、[[w:諸行無常|しょぎょうむじょう]]のひびきあり。
[[w:沙羅双樹|しゃらそうじゅ]]のはなのいろ、
じょうしゃひっすいのことわりをあらわす。
おごれるひともひさしからず、
ただはるのよのゆめのごとし。
たけきものもついにはほろびぬ、
ひとえにかぜのまえのちりにおなじ。
とおく[[w:異朝|いちょう]]をとぶらえば、
しんのちょうこう、かんのおうもう、りょうのしゅうい、とうのろくさん、
これらはみな、きゅうしゅせんこうのまつりごとにもしたがわず、
たのしみをきわめ、いさめをもおもいいれず、
てんかのみだれんことをさとらずして、
みんかんのうれうるところをしらざつしかば、
ひさしからずしてぼうじにしものどもなり。
ちかくほんちょうをうかがうに、
じょうへいのまさかど、てんぎょうのすみとも、こうわのぎしん、へいじののぶより、
これらはおごれるこころも、たけきこともみなとりどりにこそありしかども、まぢかくは、
ろくはらのにゅうどう、さきのだいじょうだいじん、たいらのあそんきよもりこうともうししひとのありさま、
つたえうけたまわるこそ、こころもことばもおよばれね。
そのせんぞをたずぬればかんむてんのうだいごのおうじ、
いっぽんしきぶきょうかずらはらしんのうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがまご、
ぎょうぶきょうただもりのあそんのちゃくなんなり。
かのしんのうのみこ、たかみのおう、むかんむいにしてうせたまいぬ。
そのみこ、たかもちのおうのとき、はじめてへいのしょうをたまわって、
かずさのすけになりたまいしより、たちまちにおうしをいでてじんしんにつらなる。
そのこちんじゅふのしょうぐんよしもち、のちにはくにかとあらたむ。
くにかよりまさもりにいたるまでろくだいは、しょこくのずりょうたりしかども、
てんじょうのせんせきをばいまだゆるされず。
==現代語訳==
[[w:祇園精舍|祇園精舍]]の鐘の音には、[[w:諸行無常|諸行無常]]すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。[[w:娑羅双樹|娑羅双樹]]の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
遠い[[w:中国の歴史|外国]] (の例) を見ると、[[w:秦|秦]]の[[w:趙高|趙高]]、[[w:漢|漢]]の[[w:王莽|王莽]]、[[w:梁 (南朝) |梁]]の[[w:朱イ|朱忌]]、[[w:唐|唐]]の[[w:安禄山|安禄山]]、これらはみな元の[[w:君主|君主]]や先代[[w:皇帝|皇帝]]の政治に従わず、(栄華の)楽しみを極め、忠告にも深く考えようとはせず、[[w:天下|天下]]が乱れることもわからずに、人々の苦労するところとなるものも知らなかったので、長続きせずに滅びた者たちである。
身近な[[w:日本の歴史|日本]] (の例) を見ると、[[w:承平 (日本) |承平]]の[[w:平将門|平将門]]、[[w:天慶|天慶]]の[[w:藤原純友|藤原純友]]、[[w:康和|康和]]の[[w:源義親|源義親]]、[[w:平治|平治]]の[[w:藤原信頼|藤原信頼]]、(これらの人は)得意になる心も猛々しい心も、みなそれぞれ持っていたが、最近では[[w:六波羅|六波羅]]の[[w:入道|入道]]、[[w:太政大臣|前太政大臣]][[w:平清盛|平朝臣清盛公]]と申した人の様子は伝え聞いても想像することも形容することもできない(ほどである)。
その清盛の[[w:先祖|先祖]]を調べると、[[w:桓武天皇|桓武天皇]]の第五皇子、一品式部卿葛原親王から数えて九代目の子孫、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛の嫡男である。葛原親王の御子、高見王は、官職も官位もないままなくなられた。その御子の高望王のとき、初めて平の姓を賜わって、上総介になられてから、ただちに皇籍を離れて臣下の列に連なる。その子・鎮守府将軍良望は、後には国香と名を改めた国香から正盛に至るまでの六代は、諸国の国守ではあったが、殿上人として昇殿することは、まだ許されなかった。
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[[File:平家物語・祇園精舎サンプル3.png|thumb|left|祇園精舎 原文]]
[[File:平家物語・祇園精舎 現代語訳.png|thumb|none|祇園精舎 現代語訳]]
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中学校社会 地理/世界と比べてみた日本 地形
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2022-07-31T02:32:22Z
210.170.15.198
/* プレートと地震 */
wikitext
text/x-wiki
== 造山帯! ==
* 環太平洋造山帯
(注:東京書籍では、「造山帯」という用語が「'''変動帯'''」に改められ、環太平洋造山帯、アルプス・ヒマラヤ造山帯という語句が削除されました。なお、造山帯と変動帯の違いについては、[[w:変動帯|Wikipedia]]を参照ください。)
[[File:Pacific Ring of Fire.svg|thumb|350px|環太平洋火山帯。なお、青線は海溝(かいこう)。]]
日本列島は、太平洋をとりまく<span style="font-size: large;">環太平洋造山帯</span>(かんたいへいよう ぞうざんたい、英:circum-Pacific belt または Ring of Fire)という地帯に含まれています。
北アメリカ大陸のロッキー山脈(英語:Rocky Mountains)や、南アメリカ大陸のアンデス山脈(英:Andes)、東南アジア州のフィリピン諸島や、オセアニア州のニューギニア島も、環太平洋造山帯に含まれています。
「環太平洋造山帯」という名前のとおり、太平洋をとりまく位置にある造山帯です。
* アルプス=ヒマラヤ造山帯
[[File:Alpiner Gebirgsgürtel.png|thumb|350px|アルプス・ヒマラヤ造山帯]]
[[File:Everest North Face toward Base Camp Tibet Luca Galuzzi 2006 edit 1.jpg|thumb|left|300px|ヒマラヤ山脈の一部。]]
いっぽう、ヨーロッパ州のアルプス山脈から、アジア州にあるヒマラヤ山脈(ヒマラヤさんみゃく、Himalayan Range)まで伸びている造山帯が、<span style="font-size: large;">アルプス=ヒマラヤ造山帯</span>(英:Alpide belt)です。このアルプス=ヒマラヤ造山帯は、インドネシアまで続いています。
一般に、これら2つの造山帯(環太平洋造山帯およびアルプス=ヒマラヤ造山帯)では、地震や火山が多いです。地球の歴史の中で、比較的、新しく出来た造山帯であり、現在も活動がさかんであるからです。
また、地震や火山が多い一方、温泉なども多い特徴があります。
{{clear}}
<ref></ref>== プレートと地震 ==うんこまんだよー^」^
[[ファイル:Oceanic-continental convergence Fig21oceancont.gif|thumb|300px|プレート。大陸プレートと海洋プレート。]]
:(結論: 地震とはプレートや地盤、岩盤にずれが生じることで起こる現象。)
実は、地面はとてもゆっくりにですが、動いているのです。これを <span style="font-size: large;">大陸移動説</span>(たいりく いどうせつ) と言い、現代では証明されています。
ハワイ諸島も、日本に向かって年間で約9cmずつ、日本に近づいていることが分かっています。
地面は、'''プレート'''(英: plate) という物の上に乗っかっていて、そのプレートが動いているのです。地球上には、いくつものプレートがあります。プレートと、他のプレートがまじわることろでは、プレートどうしが押しあう場合もあります。プレートどうしが押し合う場合、プレートの上に地面があれば、その地面も押しつけられるので、地面がもりあがります。
地球の歴史では、膨大な時間、プレートが押し合って地面が盛り上がり、山脈が出来る場合があります。
なお、地震の原因も、じつはプレートの力です。プレートが地球の中にもどる場所の近くで、プレートは反対側の地中には戻らないほうの岩盤(がんばん)にも、引きずりこむような力を加えるので、プレートは岩盤をひずませます。岩盤に力がかかり続けると、ある時期に岩盤の一部がこわれます。このときの揺れ(ゆれ)が、地震です。
このため、プレートの境界では、地震や火山が多いのです。<-- コメント:現象という意味では火山よりは噴火のほうが収まりがよいのではないか。もっとも、なぜ噴火(火山)が多くなるのかの説明がない。 -->
理科の用語ですが、海中にあるプレートを 海洋プレート(かいようプレート) と言います。陸地の下にあるプレートを 大陸プレート(たいりくプレート) と言います。
プレートとプレートとが交わるところでは、地震が起きやすいです。日本列島の周囲でも、いくつかのプレートが交わっているので、日本は地震が多いです。日本では、ユーラシアプレートと北アメリカプレートと太平洋プレートとフィリピン海プレートの、あわせて4つのプレートが、日本の下で、押し合っています。
== 発展的分野: 大陸移動説 ==
[[Image:Pangaea continents.svg|thumb|left|250px|パンゲア大陸]]
[[Image:Alfred Wegener ca.1924-30.jpg|thumb|200px|アルフレート・ウェゲナー]]
[[Image:Alfred Wegener Die Entstehung der Kontinente und Ozeane 1929.jpg|thumb|250px|『大陸と海洋の起源』第4版(1929)より]]
[[Image:Pangea animation 03.gif|thumb|left|200px|パンゲア大陸の分裂]]
:(※ 発展的分野)
いま、地球上にある、いくつかの大陸は、むかしは、ひとつの大きな大陸だったことがわかっています。そのひとつの大きな大陸のなまえを <big>'''パンゲア'''</big>(Pangea) といいます。
ドイツの気象学者の'''ウェゲナー'''(Wegener)は大西洋をはさんだ両岸の大陸の形状(特にアフリカと南アメリカ)が、ほぼ一致することから、大昔は、このアフリカと南アメリカはおなじ大陸だったのが分裂したのではないか、と考えました。
また、アフリカと南アメリカは、地質や生物の分布も、にていることから、ますます、おなじ大陸と考えるようになりました。
ウェゲナーは、このようなアフリカと南アメリカは、昔はおなじ大陸だったという説を1912年に発表しました。
この「実は、大陸は移動している」という説を、<span style="font-size: large;">大陸移動説</span>(たいりくいどうせつ、英: continental drift theory, theory of continental drift)と言います。
しかし、当時の人々の理解は得られませんでした。また、ウェゲナー本人も、どのような力で、大陸が動いているのかは、わかりませんでした。
ウェゲナーは大陸が動いていることの証拠を探す探検のためグリーンランドを探検している最中の1930年に、50才でウェゲナーは死んでしまいます。
ウェゲナーの唱えた大陸移動説は、彼の生存中は学会の多数からは、みとめられることはありませんでした。
{{clear}}
* 海嶺(かいれい)と海溝(かいこう)
[[File:Mid-ocean ridge topography.gif|thumb|left|350px|海嶺(かいれい)]]
[[File:World Distribution of Mid-Oceanic Ridges.gif|right|300px|thumb|海れいの場所。]]
ウェゲナーの時代から、それから数十年がたってから、技術の進歩により、海底の研究が進みました。すると、どうやら海底の奥ふかくから、溶岩が次々と、わき出している場所がある、ということが発見されます。これは 海嶺(かいれい) の発見です。大西洋の中央や、太平洋のチリ沖のイースター島の付近など、地球上のいくつかの海底に、海れいは、あります。
[[ファイル:Izu-Ogasawara trench topographic.png|thumb|right|300px|伊豆・小笠原海溝の位置(赤線)]]
また、海底の奥深くで、地面が地中に引きこまれている場所も見つかります。これが 海溝(かいこう) です。
太平洋のマリアナ諸島の近くのマリアナ海溝や、伊豆・小笠原海溝など、いくつかの海溝が、あります。
海嶺や海溝の研究から、地中や海中のプレートとよばれる岩ばんが動いていることがわかります。
ウェゲナーの大陸移動説は、プレートにのっかった大陸が、プレートごと動くという考え方で説明できるようになりました。
溶岩(ようがん)が、かたまるとき、地磁気の方向で、溶岩がかたまり、溶岩にほんの少しだけ、磁気が のこります。この 古い地質の磁気の方向をしらべることで、大陸移動説は 証明(しょうめい)されました。
* プレート テクトニクス
[[ファイル:Oceanic-continental convergence Fig21oceancont.gif|thumb|left|300px|プレート。大陸プレートと海洋プレート。]]
現在では、地震の原因はプレートのひずみによって起きることが分かっています。大陸プレートと海洋プレートの押し合いでひずんだプレートが、ひずみに耐え切れなくなって、こわれて、元にもどるときに、地震が発生します。
そしてプレートをひずませる力の原因は、プレートが地中に引き込まれる力です。
このように、「プレートの運動によって、地震がおきる」という考え方を '''プレート テクトニクス'''(英: plate tectonics) と言います。
{{clear}}
== 安定陸塊 ==
先カンブリア時代に激しい運動を受けた後は、長い間地殻運動を受けずに侵食が進んだ、安定した陸塊。 長期間の侵食により、平原 大地が多い。
== 日本の山 ==
[[ファイル:Tectonic map of southwest Japan.png|thumb|right|400px|<div style="background:#ffddcc; border:1px solid #000000; float: left;"> </div> うすい赤色の地域がフォッサマグナ<br /><br />
左側の青線が糸魚川−静岡構造線
]]
日本は環太平洋造山帯に属することもあって、日本は山がちであり、国土のおよそ75%が山地でしめられている。
日本の本州の中部あたりの、新潟県 糸魚川(いといがわ)と 静岡県 静岡市 とを結んだ線の周辺地域あたりに、幅100kmぐらいもある窪地(くぼち)がある。この窪地を<span style="font-size: large;">'''フォッサ マグナ'''</span>(Fossa Magna)という。
フォッサマグナのことを<span style="font-size: large;">大地溝帯</span>(だい ちこうたい)とも言う。
なお、糸魚川と静岡市を結んだ線のあたりにある断層(だんそう)を、<span style="font-size: large;">糸魚川−静岡 構造線</span>(いといがわ しずおか こうぞうせん)と言う。
(断層とは、地震などで地面の一部がくいちがって、地面の左右の高さに急な違いがある場所のこと。)
フォッサマグナは、線では無く、幅(はば)をもった面である。糸魚川-静岡構造線は、フォッサマグナそのものでは無い。
フォッサマグナは、2つのプレートの交わる境界であることが現在では分かっており、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当する。
このため、フォッサマグナの周辺では地震や火山活動が活発であり、たとえば活火山(active volcano<ref>高等学校英語 検定教科書『FACTBOOK English Logic and Expression I』、令和3年5月 文部科学省検定済、令和4年2月25日発行、P184 </ref>)である富士山もフォッサマグナの周辺地帯にある。
フォッサマグナを境にして日本の地形の特徴が東西で異なるので、フォッサマグナを境に東日本と西日本に分ける事が出来る。
東日本は、だいだい山地が南北方向に伸びています。いっぽう西日本は、山地が東西方向に伸びています。
{| style="width:100%"
|valign=top style="width:60%;text-indent:1em"|
このフォッサマグナの西側に、<span style="font-size: large;">飛騨山脈</span>(ひだ さんみゃく)、<span style="font-size: large;">赤石山脈</span>(あかいし さんみゃく)、<span style="font-size: large;">木曽山脈</span>(きそ さんみゃく)という標高3000mもの山々がある。この飛騨山脈、赤石山脈、木曽山脈を<span style="font-size: large;">日本アルプス</span>(にほんアルプス)と言う。
フォッサマグナの窪地は、周辺の山々から崩れ落ちた土砂からなる新しい地層によって、埋もれていることが地質調査によって分かっている。仮に周辺の土砂を取り除いた場合、フォッサマグナの深さは、実は 6000mもの深さであることが分かっている。
この日本アルプスを除けば、西日本の山は、あまり標高が高くない。
|valign=top style="width:5%;text-indent:1em"|
|valign=top style="width:35%;text-indent:1em"|
用語
* 山地(さんち)
山が、いくつもまとまっているところを山地(さんち)という。
* 山脈(さんみゃく)
山地のうち、山々のいただきが、ほぼ、つながって、連なっている山々のことを山脈(さんみゃく)という。
|}
== 陸地の地形 ==
[[ファイル:Kanto plain.png|thumb|300px|<span style="font-size: large;">関東平野</span>(かんとうへいや)のCG画像]]
*平地(へいち)
平らな場所を<span style="font-size: large;">平地</span>という。国土の4分の1が平地である。(のこりの4分の3は山地である。)
*平野(へいや)
平地のうち、海に面している場所を<span style="font-size: large;">平野</span>(へいや)という。
*盆地(ぼんち)
内陸の平地で、まわりを山で囲まれている平地を、<span style="font-size: large;">盆地</span>(ぼんち)という。
山梨県の<span style="font-size: large;">甲府盆地</span>(こうふ ぼんち)が有名。
日本の人口は、平野や盆地などの平らな場所に集中している。
*台地(だいち)
まわりの平野などよりも高い場所にある平地を<span style="font-size: large;">台地</span>(だいち)という。農業を行う場合は畑に利用する事が多い。
*高原(こうげん)
山地のいただきが平らなもの。
*丘陵(きゅうりょう)
低い山地がつらなっているもの。
== 日本の川 ==
[[file:FujiTonegawa.jpg|thumb|200px|利根川(とねがわ)の上流(群馬県 前橋(まえばし)市)]]
[[File:Shinano river.JPG|thumb|280px|新潟市街を流れる信濃川]]
日本の川は、世界の多くの川と比べると、日本の川は <span style="font-size: large;">急流</span> であり、<span style="font-size: large;">短い</span>です。理由は、日本は国土面積の割に山が多く、標高の高い所から低いところへ川が流れるためです。
明治時代に日本に来ていたオランダ人 デ・レーケ(de Rijke) は、彼の生まれたオランダは低地国であるため、ゆったりとした川しか見たことがなく、日本の川を見て「これは滝だ」と言ったらしいです。)
日本は川が急なため、上流で大雨が降った場合には、下流では <span style="font-size: large;">洪水が起こりやすい</span> です。
このような特徴のため、世界の多くの川に比べて、日本の川は<span style="font-size: large;">流域面積</span>(りゅういき めんせき)がせまいです。
また、山などから川が流れるため、ダムを作って水をためやすいです。また、ダムを作りやすいため、水力発電にも便利です。
=== 川の中流や下流 ===
[[File:Odakyu Tama River Bridge.jpg|thumb|多摩川(たまがわ)]]
流れる川の水は、地面から土や砂をけずり取り、下流に土砂を運んでいきます。
*川の中流
[[Image:Alluvial fan 01.JPG|thumb|left|扇状地]]
川が山地から平地に出た麓(ふもと)の地域( 山麓(さんろく)という。 )の周辺では、土砂などが山側を中心にして、扇状(おうぎ じょう)に平地側へ川が広がって、ふもとでは流れがゆるやかになるので運ばれた土砂が積もりはじめ、中流や下流には <span style="font-size: large;">扇状地</span>(せんじょうち) という地形ができやすいです。
扇状地の根もとの中央部には、つぶの大きい砂や石が多くて、そのため水が地下に抜けやすい(水はけが良い)ので、果樹園などの畑に利用される。
盆地のまわりの山のふもとには、扇状地が出来ることが多い。そのため、扇状地の周囲が畑に利用される。山梨県の甲府盆地の扇状地の、果樹園の地帯が、このような扇状地の畑作の例として有名である。
*川の下流
[[ファイル:Karasu,mie.jpg|right|thumb|300px|雲出川(くもずがわ)の三角州。<br >( 三重県 津(つ)市 香良洲町(からすちょう) )]]
下流では、流れが遅くなり、したがって、積もる作用が強まります。また下流での石は、小さく丸い石が多いです。下流に近づくほど、水量は多くなり、川幅(かわはば)もひろくなります。
地形として、川の下流の周辺では、<span style="font-size: large;">三角州</span>(さんかくす、英:river delta)という地形ができやすい。三角州のことを<span style="font-size: large;">デルタ</span>とも言う。三角州には、つぶの小さい砂や石が多く、水が地下に抜けにくいので、水田として利用されやすい。
{{clear}}
== 海 ==
=== 海底 ===
日本のまわりの海底には、水深があさく200mていどで、傾斜のゆるい平らな<span style="font-size: large;">大陸棚</span>(たいりくだな、英:Continental shelf)が、ひろがっている。
また太平洋側の、日本の東に、水深が8000mをこえる<span style="font-size: large;">海溝</span>(かいこう、trench)がある。
大陸棚は、東シナ海にとても広く、みられる。
この大陸棚には天然ガスや石油などの資源があると考えられている。
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=== 海流 ===
[[Image:Japan's ocean currents.PNG|thumb|300px|right|'''日本列島近海の海流'''<br /><span style="font-size: large;">1. 黒潮</span> 2.黒潮続流 3.黒潮再循環流 <span style="font-size: large;"><br />
4.対馬暖流</span> 5.津軽暖流 6.宗谷暖流 <br />
<span style="font-size: large;">7.親潮</span> 8.リマン寒流]]
<span style="font-size: large;">暖流</span>(だんりゅう)の<span style="font-size: large;">黒潮</span>(くろしお)と<span style="font-size: large;">対馬海流</span>(つしまかいりゅう)は、日本の南の赤道付近から北上して流れてきている。
黒潮は太平洋側の海流で、赤道付近から北上してきている。黒潮のことを<span style="font-size: large;">日本海流</span>(にほん かいりゅう)とも言う。
対馬海流も、赤道付近から北上してきているが、日本海側に流れる海流である。
いっぽう、日本の北からは<span style="font-size: large;">寒流</span>(かんりゅう)が流れてきている。日本に来ている寒流の<span style="font-size: large;">親潮</span>(おやしお)は、千島列島(ちしま れっとう)から南下している。親潮のことを<span style="font-size: large;">千島海流</span>(ちしま かいりゅう)とも言う。
:(※注意 対馬海流と千島海流の発音が似ているが、まちがえないように。)
日本の近海は、暖流と寒流がぶつかる海域であり、良い漁場になっている。
=== 海岸 ===
[[画像:Maizuru bay.jpg|300px|thumb|left|リアス海岸。京都府の舞鶴湾(まいづるわん)の。]]
[[画像:Kujyūkuri-Beach01.JPG|thumb|260px|right|九十九里浜(くじゅうくりはま)。2004年8月。(千葉県)。 砂浜海岸である。]]
[[画像:Japan Tojinbo01n4592.jpg|thumb|left|220px|岩石海岸の例。福井県 坂井市(さかいし)の東尋坊(とうじんぼう)。]]
[[ファイル:Tottori-Sakyu Tottori Japan.JPG|thumb|300px|鳥取砂丘(とっとり さきゅう)]]
海岸で、岬(みさき)と湾(わん)が くりかえし、海岸線が のこぎり の刃のように、ギザギザと入り組んでいる海岸のことを、<span style="font-size: large;">リアス海岸</span>(リアスかいがん、英: ria coast)と言います。リアス式海岸(リアスしき かいがん)とも言う。スペイン語の入江(いりえ)を意味するria(リア)に由来する。
東北地方にある岩手県の <span style="font-size: large;">'''三陸海岸'''</span>(さんりく かいがん) が、リアス海岸の例として有名である。
リアス海岸の出来方は、もともと山地であったところに、谷に、海水が流れこんでできていったものです。このためリアス海岸のちかくには山地がある。
リアス海岸では、多くの入り江や湾があり、また、波が低く水深が深いため、港として利用されやすい。また、波がおだやかなこともあり、貝や わかめ などの養殖(ようしょく)も行われることがある。
海岸には、岩石が切り立っている急な岩場の岩石海岸(がんせき かいがん)と、砂が広がってる砂浜海岸(すなはま かいがん)があります。砂浜海岸の例には、千葉県の <span style="font-size: large;">九十九里浜</span> や、<span style="font-size: large;">'''鳥取砂丘'''</span>(とっとり さきゅう)などがあります。
なお、砂丘とは風によって砂が運ばれて出来上がった丘(おか)である。
{{clear}}
*さんご礁
[[File:Minna Island,Motobu,Okinawa.jpg|thumb|left|300px|水納島(みんなじま)。沖縄県。<br />さんご礁で島の周りが囲まれている。]]
さんご礁(さんごしょう)は、浅い海底で成長し、温かい海で成長する。沖縄県の島には、まわりの海にさんご礁のある島が多い。
*干潟
[[File:Tidal flats.jpg|thumb|right|220px|干潟の一例。(※ 写真の場所は日本では無い)]]
[[File:Watt1.jpg|thumb|right|220px|干潟での歩行跡。(※ 写真の場所は日本では無い))]]
九州の有明海の海岸には、海岸部に発達する泥により形成された干潟(ひがた)があります。有明海だけでなく、東京や千葉など関東にも干潟はあり、北海道や東北地方や愛知県やなど、日本の各地に干潟はあります。
干潟は、渡り鳥の生息地になっていたり、貝などの生息地になっています。
現在では、干潟は、自然保護の観点から、環境保護をされていますが、昔は干潟はたんなるドロの多い場所と考えられており、多くの干潟が埋めたてられたり干拓などで無くなってしまいました。
{{clear}}
* 干拓(かんたく)
浅い海や、浅い湖に、堤防(ていぼう)をきずいて、その土地に水が入りこむのをとめて、土地を乾かして陸地を広げることを <big>干拓</big>(かんたく) といいます。干拓によって作られた陸地を土地を 干拓地(かんたくち)といいます。
<gallery widths=150px heights=150px>
File:Reclamation works-01.png|干拓前の状態
File:Reclamation works-02.png|水門の建設
File:Reclamation works-03.png|排水(干潮のため'''a.'''の方向に排水される)
File:Reclamation works-04.png|水門の閉鎖
File:Reclamation works-05.png|干拓後
</gallery>
[[File:Historic reclamation works traces Ariake sea coast Aerial Photograph.jpg|thumb|240px|left|有明海(ありあけかい)沿岸の佐賀市(旧・川副町の付近)の空中写真<br/>整理はされているが、上空から見ると干拓の痕跡が海へ向かって同心円状に残っているのが分かる。<br/>航空写真(1974年,撮影)]]
[[画像:Ariake sea coastline.png|thumb|right|有明海の海岸線の変遷]]
北九州にある有明海(ありあけかい)の海沿い(うみぞい)にも、江戸時代の古くからの干拓地があります。岡山県の児島湾(こじまわん)にも江戸時代からの干拓地があります。
秋田県の八郎潟(はちろうがた)にある大潟村(おおがたむら)は、1964年につくられた干拓地です。
[[Category:中学校地理|せかいとくらへてみたにほん ちけい]]
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206025
206024
2022-07-31T02:33:37Z
210.170.15.198
/* 造山帯! */
wikitext
text/x-wiki
== 造山帯! ==
* 環太平洋造山帯
(注:東京書籍では、「造山帯」という用語が「'''変動帯'''」に改められ、環太平洋造山帯、アルプス・ヒマラヤ造山帯という語句が削除されました。なお、造山帯と変動帯の違いについては、[[w:変動帯|Wikipedia]]を参照ください。)
[[File:Pacific Ring of Fire.svg|thumb|350px|環太平洋火山帯。なお、青線は海溝(かいこう)。]]
日本列島は、太平洋をとりまく<span style="font-size: large;">環太平洋造山帯</span>(かんたいへいよう ぞうざんたい、英:circum-Pacific belt または Ring of Fire)という地帯に含まれています。
北アメリカ大陸のロッキー山脈(英語:Rocky Mountains)や、南アメリカ大陸のアンデス山脈(英:Andes)、東南アジア州のフィリピン諸島や、オセアニア州のニューギニア島も、環太平洋造山帯に含まれています。
「環太平洋造山帯」という名前のとおり、太平洋をとりまく位置にある造山帯です。
* アルプス=ヒマラヤ造山帯
[[File:Alpiner Gebirgsgürtel.png|thumb|350px|アルプス・ヒマラヤ造山帯]]
[[File:Everest North Face toward Base Camp Tibet Luca Galuzzi 2006 edit 1.jpg|thumb|left|300px|ヒマラヤ山脈の一部。]]
いっぽう、ヨーロッパ州のアルプス山脈から、アジア州にあるヒマラヤ山脈(ヒマラヤさんみゃく、Himalayan Range)まで伸びている造山帯が、<span style="font-size: large;">アルプス=ヒマラヤ造山帯</span>(英:Alpide belt)です。このアルプス=ヒマラヤ造山帯は、インドネシアまで続いています。
一般に、これら2つの造山帯(環太平洋造山帯およびアルプス=ヒマラヤ造山帯)では、地震や火山が多いです。地球の歴史の中で、比較的、新しく出来た造山帯であり、現在も活動がさかんであるからです。
また、地震や火山が多い一方、温泉なども多い特徴があります。
{{clear}}
== プレートと地震 ==
[[ファイル:Oceanic-continental convergence Fig21oceancont.gif|thumb|300px|プレート。大陸プレートと海洋プレート。]]
:(結論: 地震とはプレートや地盤、岩盤にずれが生じることで起こる現象。)
実は、地面はとてもゆっくりにですが、動いているのです。これを <span style="font-size: large;">大陸移動説</span>(たいりく いどうせつ) と言い、現代では証明されています。
ハワイ諸島も、日本に向かって年間で約9cmずつ、日本に近づいていることが分かっています。
地面は、'''プレート'''(英: plate) という物の上に乗っかっていて、そのプレートが動いているのです。地球上には、いくつものプレートがあります。プレートと、他のプレートがまじわることろでは、プレートどうしが押しあう場合もあります。プレートどうしが押し合う場合、プレートの上に地面があれば、その地面も押しつけられるので、地面がもりあがります。
地球の歴史では、膨大な時間、プレートが押し合って地面が盛り上がり、山脈が出来る場合があります。
なお、地震の原因も、じつはプレートの力です。プレートが地球の中にもどる場所の近くで、プレートは反対側の地中には戻らないほうの岩盤(がんばん)にも、引きずりこむような力を加えるので、プレートは岩盤をひずませます。岩盤に力がかかり続けると、ある時期に岩盤の一部がこわれます。このときの揺れ(ゆれ)が、地震です。
このため、プレートの境界では、地震や火山が多いのです。<-- コメント:現象という意味では火山よりは噴火のほうが収まりがよいのではないか。もっとも、なぜ噴火(火山)が多くなるのかの説明がない。 -->
理科の用語ですが、海中にあるプレートを 海洋プレート(かいようプレート) と言います。陸地の下にあるプレートを 大陸プレート(たいりくプレート) と言います。
プレートとプレートとが交わるところでは、地震が起きやすいです。日本列島の周囲でも、いくつかのプレートが交わっているので、日本は地震が多いです。日本では、ユーラシアプレートと北アメリカプレートと太平洋プレートとフィリピン海プレートの、あわせて4つのプレートが、日本の下で、押し合っています。
== 発展的分野: 大陸移動説 ==
[[Image:Pangaea continents.svg|thumb|left|250px|パンゲア大陸]]
[[Image:Alfred Wegener ca.1924-30.jpg|thumb|200px|アルフレート・ウェゲナー]]
[[Image:Alfred Wegener Die Entstehung der Kontinente und Ozeane 1929.jpg|thumb|250px|『大陸と海洋の起源』第4版(1929)より]]
[[Image:Pangea animation 03.gif|thumb|left|200px|パンゲア大陸の分裂]]
:(※ 発展的分野)
いま、地球上にある、いくつかの大陸は、むかしは、ひとつの大きな大陸だったことがわかっています。そのひとつの大きな大陸のなまえを <big>'''パンゲア'''</big>(Pangea) といいます。
ドイツの気象学者の'''ウェゲナー'''(Wegener)は大西洋をはさんだ両岸の大陸の形状(特にアフリカと南アメリカ)が、ほぼ一致することから、大昔は、このアフリカと南アメリカはおなじ大陸だったのが分裂したのではないか、と考えました。
また、アフリカと南アメリカは、地質や生物の分布も、にていることから、ますます、おなじ大陸と考えるようになりました。
ウェゲナーは、このようなアフリカと南アメリカは、昔はおなじ大陸だったという説を1912年に発表しました。
この「実は、大陸は移動している」という説を、<span style="font-size: large;">大陸移動説</span>(たいりくいどうせつ、英: continental drift theory, theory of continental drift)と言います。
しかし、当時の人々の理解は得られませんでした。また、ウェゲナー本人も、どのような力で、大陸が動いているのかは、わかりませんでした。
ウェゲナーは大陸が動いていることの証拠を探す探検のためグリーンランドを探検している最中の1930年に、50才でウェゲナーは死んでしまいます。
ウェゲナーの唱えた大陸移動説は、彼の生存中は学会の多数からは、みとめられることはありませんでした。
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* 海嶺(かいれい)と海溝(かいこう)
[[File:Mid-ocean ridge topography.gif|thumb|left|350px|海嶺(かいれい)]]
[[File:World Distribution of Mid-Oceanic Ridges.gif|right|300px|thumb|海れいの場所。]]
ウェゲナーの時代から、それから数十年がたってから、技術の進歩により、海底の研究が進みました。すると、どうやら海底の奥ふかくから、溶岩が次々と、わき出している場所がある、ということが発見されます。これは 海嶺(かいれい) の発見です。大西洋の中央や、太平洋のチリ沖のイースター島の付近など、地球上のいくつかの海底に、海れいは、あります。
[[ファイル:Izu-Ogasawara trench topographic.png|thumb|right|300px|伊豆・小笠原海溝の位置(赤線)]]
また、海底の奥深くで、地面が地中に引きこまれている場所も見つかります。これが 海溝(かいこう) です。
太平洋のマリアナ諸島の近くのマリアナ海溝や、伊豆・小笠原海溝など、いくつかの海溝が、あります。
海嶺や海溝の研究から、地中や海中のプレートとよばれる岩ばんが動いていることがわかります。
ウェゲナーの大陸移動説は、プレートにのっかった大陸が、プレートごと動くという考え方で説明できるようになりました。
溶岩(ようがん)が、かたまるとき、地磁気の方向で、溶岩がかたまり、溶岩にほんの少しだけ、磁気が のこります。この 古い地質の磁気の方向をしらべることで、大陸移動説は 証明(しょうめい)されました。
* プレート テクトニクス
[[ファイル:Oceanic-continental convergence Fig21oceancont.gif|thumb|left|300px|プレート。大陸プレートと海洋プレート。]]
現在では、地震の原因はプレートのひずみによって起きることが分かっています。大陸プレートと海洋プレートの押し合いでひずんだプレートが、ひずみに耐え切れなくなって、こわれて、元にもどるときに、地震が発生します。
そしてプレートをひずませる力の原因は、プレートが地中に引き込まれる力です。
このように、「プレートの運動によって、地震がおきる」という考え方を '''プレート テクトニクス'''(英: plate tectonics) と言います。
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== 安定陸塊 ==
先カンブリア時代に激しい運動を受けた後は、長い間地殻運動を受けずに侵食が進んだ、安定した陸塊。 長期間の侵食により、平原 大地が多い。
== 日本の山 ==
[[ファイル:Tectonic map of southwest Japan.png|thumb|right|400px|<div style="background:#ffddcc; border:1px solid #000000; float: left;"> </div> うすい赤色の地域がフォッサマグナ<br /><br />
左側の青線が糸魚川−静岡構造線
]]
日本は環太平洋造山帯に属することもあって、日本は山がちであり、国土のおよそ75%が山地でしめられている。
日本の本州の中部あたりの、新潟県 糸魚川(いといがわ)と 静岡県 静岡市 とを結んだ線の周辺地域あたりに、幅100kmぐらいもある窪地(くぼち)がある。この窪地を<span style="font-size: large;">'''フォッサ マグナ'''</span>(Fossa Magna)という。
フォッサマグナのことを<span style="font-size: large;">大地溝帯</span>(だい ちこうたい)とも言う。
なお、糸魚川と静岡市を結んだ線のあたりにある断層(だんそう)を、<span style="font-size: large;">糸魚川−静岡 構造線</span>(いといがわ しずおか こうぞうせん)と言う。
(断層とは、地震などで地面の一部がくいちがって、地面の左右の高さに急な違いがある場所のこと。)
フォッサマグナは、線では無く、幅(はば)をもった面である。糸魚川-静岡構造線は、フォッサマグナそのものでは無い。
フォッサマグナは、2つのプレートの交わる境界であることが現在では分かっており、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当する。
このため、フォッサマグナの周辺では地震や火山活動が活発であり、たとえば活火山(active volcano<ref>高等学校英語 検定教科書『FACTBOOK English Logic and Expression I』、令和3年5月 文部科学省検定済、令和4年2月25日発行、P184 </ref>)である富士山もフォッサマグナの周辺地帯にある。
フォッサマグナを境にして日本の地形の特徴が東西で異なるので、フォッサマグナを境に東日本と西日本に分ける事が出来る。
東日本は、だいだい山地が南北方向に伸びています。いっぽう西日本は、山地が東西方向に伸びています。
{| style="width:100%"
|valign=top style="width:60%;text-indent:1em"|
このフォッサマグナの西側に、<span style="font-size: large;">飛騨山脈</span>(ひだ さんみゃく)、<span style="font-size: large;">赤石山脈</span>(あかいし さんみゃく)、<span style="font-size: large;">木曽山脈</span>(きそ さんみゃく)という標高3000mもの山々がある。この飛騨山脈、赤石山脈、木曽山脈を<span style="font-size: large;">日本アルプス</span>(にほんアルプス)と言う。
フォッサマグナの窪地は、周辺の山々から崩れ落ちた土砂からなる新しい地層によって、埋もれていることが地質調査によって分かっている。仮に周辺の土砂を取り除いた場合、フォッサマグナの深さは、実は 6000mもの深さであることが分かっている。
この日本アルプスを除けば、西日本の山は、あまり標高が高くない。
|valign=top style="width:5%;text-indent:1em"|
|valign=top style="width:35%;text-indent:1em"|
用語
* 山地(さんち)
山が、いくつもまとまっているところを山地(さんち)という。
* 山脈(さんみゃく)
山地のうち、山々のいただきが、ほぼ、つながって、連なっている山々のことを山脈(さんみゃく)という。
|}
== 陸地の地形 ==
[[ファイル:Kanto plain.png|thumb|300px|<span style="font-size: large;">関東平野</span>(かんとうへいや)のCG画像]]
*平地(へいち)
平らな場所を<span style="font-size: large;">平地</span>という。国土の4分の1が平地である。(のこりの4分の3は山地である。)
*平野(へいや)
平地のうち、海に面している場所を<span style="font-size: large;">平野</span>(へいや)という。
*盆地(ぼんち)
内陸の平地で、まわりを山で囲まれている平地を、<span style="font-size: large;">盆地</span>(ぼんち)という。
山梨県の<span style="font-size: large;">甲府盆地</span>(こうふ ぼんち)が有名。
日本の人口は、平野や盆地などの平らな場所に集中している。
*台地(だいち)
まわりの平野などよりも高い場所にある平地を<span style="font-size: large;">台地</span>(だいち)という。農業を行う場合は畑に利用する事が多い。
*高原(こうげん)
山地のいただきが平らなもの。
*丘陵(きゅうりょう)
低い山地がつらなっているもの。
== 日本の川 ==
[[file:FujiTonegawa.jpg|thumb|200px|利根川(とねがわ)の上流(群馬県 前橋(まえばし)市)]]
[[File:Shinano river.JPG|thumb|280px|新潟市街を流れる信濃川]]
日本の川は、世界の多くの川と比べると、日本の川は <span style="font-size: large;">急流</span> であり、<span style="font-size: large;">短い</span>です。理由は、日本は国土面積の割に山が多く、標高の高い所から低いところへ川が流れるためです。
明治時代に日本に来ていたオランダ人 デ・レーケ(de Rijke) は、彼の生まれたオランダは低地国であるため、ゆったりとした川しか見たことがなく、日本の川を見て「これは滝だ」と言ったらしいです。)
日本は川が急なため、上流で大雨が降った場合には、下流では <span style="font-size: large;">洪水が起こりやすい</span> です。
このような特徴のため、世界の多くの川に比べて、日本の川は<span style="font-size: large;">流域面積</span>(りゅういき めんせき)がせまいです。
また、山などから川が流れるため、ダムを作って水をためやすいです。また、ダムを作りやすいため、水力発電にも便利です。
=== 川の中流や下流 ===
[[File:Odakyu Tama River Bridge.jpg|thumb|多摩川(たまがわ)]]
流れる川の水は、地面から土や砂をけずり取り、下流に土砂を運んでいきます。
*川の中流
[[Image:Alluvial fan 01.JPG|thumb|left|扇状地]]
川が山地から平地に出た麓(ふもと)の地域( 山麓(さんろく)という。 )の周辺では、土砂などが山側を中心にして、扇状(おうぎ じょう)に平地側へ川が広がって、ふもとでは流れがゆるやかになるので運ばれた土砂が積もりはじめ、中流や下流には <span style="font-size: large;">扇状地</span>(せんじょうち) という地形ができやすいです。
扇状地の根もとの中央部には、つぶの大きい砂や石が多くて、そのため水が地下に抜けやすい(水はけが良い)ので、果樹園などの畑に利用される。
盆地のまわりの山のふもとには、扇状地が出来ることが多い。そのため、扇状地の周囲が畑に利用される。山梨県の甲府盆地の扇状地の、果樹園の地帯が、このような扇状地の畑作の例として有名である。
*川の下流
[[ファイル:Karasu,mie.jpg|right|thumb|300px|雲出川(くもずがわ)の三角州。<br >( 三重県 津(つ)市 香良洲町(からすちょう) )]]
下流では、流れが遅くなり、したがって、積もる作用が強まります。また下流での石は、小さく丸い石が多いです。下流に近づくほど、水量は多くなり、川幅(かわはば)もひろくなります。
地形として、川の下流の周辺では、<span style="font-size: large;">三角州</span>(さんかくす、英:river delta)という地形ができやすい。三角州のことを<span style="font-size: large;">デルタ</span>とも言う。三角州には、つぶの小さい砂や石が多く、水が地下に抜けにくいので、水田として利用されやすい。
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== 海 ==
=== 海底 ===
日本のまわりの海底には、水深があさく200mていどで、傾斜のゆるい平らな<span style="font-size: large;">大陸棚</span>(たいりくだな、英:Continental shelf)が、ひろがっている。
また太平洋側の、日本の東に、水深が8000mをこえる<span style="font-size: large;">海溝</span>(かいこう、trench)がある。
大陸棚は、東シナ海にとても広く、みられる。
この大陸棚には天然ガスや石油などの資源があると考えられている。
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=== 海流 ===
[[Image:Japan's ocean currents.PNG|thumb|300px|right|'''日本列島近海の海流'''<br /><span style="font-size: large;">1. 黒潮</span> 2.黒潮続流 3.黒潮再循環流 <span style="font-size: large;"><br />
4.対馬暖流</span> 5.津軽暖流 6.宗谷暖流 <br />
<span style="font-size: large;">7.親潮</span> 8.リマン寒流]]
<span style="font-size: large;">暖流</span>(だんりゅう)の<span style="font-size: large;">黒潮</span>(くろしお)と<span style="font-size: large;">対馬海流</span>(つしまかいりゅう)は、日本の南の赤道付近から北上して流れてきている。
黒潮は太平洋側の海流で、赤道付近から北上してきている。黒潮のことを<span style="font-size: large;">日本海流</span>(にほん かいりゅう)とも言う。
対馬海流も、赤道付近から北上してきているが、日本海側に流れる海流である。
いっぽう、日本の北からは<span style="font-size: large;">寒流</span>(かんりゅう)が流れてきている。日本に来ている寒流の<span style="font-size: large;">親潮</span>(おやしお)は、千島列島(ちしま れっとう)から南下している。親潮のことを<span style="font-size: large;">千島海流</span>(ちしま かいりゅう)とも言う。
:(※注意 対馬海流と千島海流の発音が似ているが、まちがえないように。)
日本の近海は、暖流と寒流がぶつかる海域であり、良い漁場になっている。
=== 海岸 ===
[[画像:Maizuru bay.jpg|300px|thumb|left|リアス海岸。京都府の舞鶴湾(まいづるわん)の。]]
[[画像:Kujyūkuri-Beach01.JPG|thumb|260px|right|九十九里浜(くじゅうくりはま)。2004年8月。(千葉県)。 砂浜海岸である。]]
[[画像:Japan Tojinbo01n4592.jpg|thumb|left|220px|岩石海岸の例。福井県 坂井市(さかいし)の東尋坊(とうじんぼう)。]]
[[ファイル:Tottori-Sakyu Tottori Japan.JPG|thumb|300px|鳥取砂丘(とっとり さきゅう)]]
海岸で、岬(みさき)と湾(わん)が くりかえし、海岸線が のこぎり の刃のように、ギザギザと入り組んでいる海岸のことを、<span style="font-size: large;">リアス海岸</span>(リアスかいがん、英: ria coast)と言います。リアス式海岸(リアスしき かいがん)とも言う。スペイン語の入江(いりえ)を意味するria(リア)に由来する。
東北地方にある岩手県の <span style="font-size: large;">'''三陸海岸'''</span>(さんりく かいがん) が、リアス海岸の例として有名である。
リアス海岸の出来方は、もともと山地であったところに、谷に、海水が流れこんでできていったものです。このためリアス海岸のちかくには山地がある。
リアス海岸では、多くの入り江や湾があり、また、波が低く水深が深いため、港として利用されやすい。また、波がおだやかなこともあり、貝や わかめ などの養殖(ようしょく)も行われることがある。
海岸には、岩石が切り立っている急な岩場の岩石海岸(がんせき かいがん)と、砂が広がってる砂浜海岸(すなはま かいがん)があります。砂浜海岸の例には、千葉県の <span style="font-size: large;">九十九里浜</span> や、<span style="font-size: large;">'''鳥取砂丘'''</span>(とっとり さきゅう)などがあります。
なお、砂丘とは風によって砂が運ばれて出来上がった丘(おか)である。
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*さんご礁
[[File:Minna Island,Motobu,Okinawa.jpg|thumb|left|300px|水納島(みんなじま)。沖縄県。<br />さんご礁で島の周りが囲まれている。]]
さんご礁(さんごしょう)は、浅い海底で成長し、温かい海で成長する。沖縄県の島には、まわりの海にさんご礁のある島が多い。
*干潟
[[File:Tidal flats.jpg|thumb|right|220px|干潟の一例。(※ 写真の場所は日本では無い)]]
[[File:Watt1.jpg|thumb|right|220px|干潟での歩行跡。(※ 写真の場所は日本では無い))]]
九州の有明海の海岸には、海岸部に発達する泥により形成された干潟(ひがた)があります。有明海だけでなく、東京や千葉など関東にも干潟はあり、北海道や東北地方や愛知県やなど、日本の各地に干潟はあります。
干潟は、渡り鳥の生息地になっていたり、貝などの生息地になっています。
現在では、干潟は、自然保護の観点から、環境保護をされていますが、昔は干潟はたんなるドロの多い場所と考えられており、多くの干潟が埋めたてられたり干拓などで無くなってしまいました。
{{clear}}
* 干拓(かんたく)
浅い海や、浅い湖に、堤防(ていぼう)をきずいて、その土地に水が入りこむのをとめて、土地を乾かして陸地を広げることを <big>干拓</big>(かんたく) といいます。干拓によって作られた陸地を土地を 干拓地(かんたくち)といいます。
<gallery widths=150px heights=150px>
File:Reclamation works-01.png|干拓前の状態
File:Reclamation works-02.png|水門の建設
File:Reclamation works-03.png|排水(干潮のため'''a.'''の方向に排水される)
File:Reclamation works-04.png|水門の閉鎖
File:Reclamation works-05.png|干拓後
</gallery>
[[File:Historic reclamation works traces Ariake sea coast Aerial Photograph.jpg|thumb|240px|left|有明海(ありあけかい)沿岸の佐賀市(旧・川副町の付近)の空中写真<br/>整理はされているが、上空から見ると干拓の痕跡が海へ向かって同心円状に残っているのが分かる。<br/>航空写真(1974年,撮影)]]
[[画像:Ariake sea coastline.png|thumb|right|有明海の海岸線の変遷]]
北九州にある有明海(ありあけかい)の海沿い(うみぞい)にも、江戸時代の古くからの干拓地があります。岡山県の児島湾(こじまわん)にも江戸時代からの干拓地があります。
秋田県の八郎潟(はちろうがた)にある大潟村(おおがたむら)は、1964年につくられた干拓地です。
[[Category:中学校地理|せかいとくらへてみたにほん ちけい]]
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ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/古代ローマの攻城兵器
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2022-07-31T05:50:53Z
Linguae
449
/* aries (battering ram) */ falx muralis (siege hook)、falx navalis
wikitext
text/x-wiki
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[ファイル:Roman siege machines.gif|thumb|right|400px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。<hr>中央に<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Agger (ancient Rome)|RAMP]]'' )と<ruby><rb>障壁車</rb><rp>(</rp><rt>プルテウス</rt><rp>)</rp></ruby>、右上に[[w:攻城塔|攻城櫓]](''TOWER'' )、右下に<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(''GALLERY'' )、左上に<ruby><rb>亀甲車</rb><rp>(</rp><rt>テストゥド</rt><rp>)</rp></ruby>(''TESTUDO'' )、下方に<ruby><rb>[[w:バリスタ (兵器)|弩砲]]</rb><rp>(</rp><rt>バリスタ</rt><rp>)</rp></ruby>(''BALLISTA'' )、<ruby><rb>[[w:オナガー (投石機)|投石機]]</rb><rp>(</rp><rt>オナゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Onager (weapon)|ONAGER]]'' )、
<ruby><rb>[[w:カタパルト (投石機)|投石機]]</rb><rp>(</rp><rt>カタプルタ</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Catapult|CATAPULT]]'' )が見える。]]
|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ([[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻囲戦]])。<br>城壁に向かって上り坂の'''土塁'''が築かれ、その周囲に屋根でおおわれた細長い'''歩廊'''が平行して延びている。城壁の手前には'''[[w:攻城塔|攻城櫓]]'''や'''工兵小屋'''などが見える。]]
|}
</div>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381).jpg|thumb|right|600px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。]]
|}
</div>
==おもなローマ軍の攻城兵器==
===agger===
;[[w:la:Agger|la:Agger]], [[w:en:Agger (ancient Rome)|en:Agger]], [[w:fr:Agger|fr:Agger]]
<div style="text-align:center;">
{|
|-
|[[ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|thumb|right|400px|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。]]
|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ(再掲)。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。]]
|}
</div>
===vallum===
;[[w:en:Vallum|en:Vallum]]
===Turris===
====Siege tower====
;[[w:la:Belfredus (machina bellica)|la:Belfredus]], [[w:en:Siege tower|en:Siege tower]], [[w:fr:Tour de siège|fr:Tour de siège]], [[w:攻城塔|攻城塔]]
===pluteus===
;[[wikt:en:pluteus#Latin|wikt:en:pluteus]], [[wikt:fr:pluteus#Latin|wikt:fr:pluteus]]
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Mantelets.defensifs.png|thumb|right|350px|障壁車の復元画。]]
|[[画像:Mantelet01.jpg|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> 障壁車の復元例。]]
|}
</div>
===aries (battering ram)===
;[[w:en:Battering ram|en:Battering ram]], [[w:fr:Bélier (machine de guerre)|fr:Bélier]], [[w:破城槌|破城槌]]; [[c: Category:Battering rams]]
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Aries.PNG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|[[画像:Roman Testudo construction.JPG|thumb|right|350px|ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|-
| colspan="2" |[[画像:0869-Attack-on-the-walls-of-a-besieged-town-q75-500x412.jpg|thumb|left|350px|破城槌による城壁への攻撃の再現画。]]
|}
</div>
===falx muralis (siege hook)===
*<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''[[wikt:en:falx#Latin|falx]]''' : </span> ラテン語で「[[w:鎌|鎌]]」<br> あるいは軍事用語で <u>城壁を引き崩すために用いられる鉤</u>(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">''[[wikt:en:falx#Latin|a hook used to pull down walls]]''</span>)
**<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''falx [[wikt:en:muralis#Latin|mūrālis]]''' : </span>「城壁の鎌(破城の鎌)」
:: <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''''[[w:en:Siege hook|Siege hook]]'''''</span>(破城鉤) とは、攻城戦において、城壁を崩すための兵器。まず城壁に突っ込んで貫通させ、次に引き抜いて、石を<ruby><rb>掻</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>き出して城壁の一部を崩す。ギリシア人史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]は著書『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の中で、執政官[[w:マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)|マールクス・フルウィウス]]率いるローマ人がギリシア人の植民市[[w:アンブラキア|アンブラキア]]を攻囲したときに([[w:紀元前189年|BC189年]])このような兵器を使用したことについて言及している。「執政官マールクス・フルウィウスに攻囲された[[w:アイトーリア|アイトーリア人]]は、勇敢に抗戦した。(中略)[[w:破城槌|破城槌]]が勢いよく城壁を打ち壊し、<u>鉄の鎌を持った長い棒</u>が城壁を引き裂いた。(以下略)」
<br> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">Falx muralis</span>(破城の鎌)は、ローマ人が攻城戦のときに、城壁を破壊するために用いたも。長い棒の先端に、三日月状に湾曲した鉄を付けたものである<ref name="de-falx">[[w:de:Falx#Römische_Waffen]] (ドイツ語記事)を参照。</ref><ref name="nl-falx">[[w:nl:Falx#Romeinse falx]] (オランダ語記事)を参照。</ref>。
====falx navalis====
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">Falx [[wikt:en:navalis#Latin|nāvālis]]</span>(海事の鎌)は、長い棒に鋭い刃物を付けたもので、敵の艦船の[[w:帆|帆]]や綱を切るために用いることができる。この兵器と使用法については、カエサルが『ガリア戦記』の中で、周知の「破城の鎌」にふれて説明している([[ガリア戦記_第3巻#14節|『ガリア戦記』第3巻14節]])<ref name="de-falx"/><ref name="nl-falx"/>
<div style="text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |[[画像:Hungry falcon cart wjzy.jpg|thumb|left|300px|[[w:北宋|宋代]]の戦術書『[[w:武経総要|武經總要]]』''[[w:en:Wujing Zongyao|Wujing Zongyao]]'' に記載された攻城兵器 ''Hungry falcon cart'' 。<hr> 上記の <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">''Siege hook''</span> も同様のものと考えられている。]]
|-
| style="vertical-align:top;" |[[画像:AdamclisiMetope36.jpg|thumb|right|300px|鎌を持つ[[w:ダキア人|ダキア人]](右上)と闘うローマ軍団兵(左)の[[w:レリーフ|レリーフ]]。<br>([[w:ダキア戦争|対ダキア戦勝]]を記念した、[[w:トラヤヌス|トラヤヌス]]の戦勝記念碑 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Tropaeum Traiani|Tropaeum Traiani]]''</span>、現[[w:ルーマニア|ルーマニア]] [[w:コンスタンツァ県|コンスタンツァ県]]アダムクリシ <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Adamclisi|Adamclisi]]''</span>)]]
| style="vertical-align:top;" |[[画像:Adamclisi falx.jpg|thumb|right|250px|[[w:ダキア|ダキア]]の鎌(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">[[wikt:en:falx#Latin|falx]] [[wikt:en:dacica|dācica]]</span>)の復元画。<br>[[w:ダキア戦争|対ダキア戦争]]でこの鋭利な武器を知ったローマ人は、攻城兵器として取り入れたとされている。]]
|}
</div>
===vinea===
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bender - Vinea.JPG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">[[wikt:en:vinea|vinea]]</span> の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。]]
|[[画像:Katze Belagerungsmaschine.jpg|thumb|right|350px|これもウィネアの類いの描写と思われる。]]
|}
</div>
===testudo (1)===
;[[w:nl:Testudo (belegeringswerktuig)]](ノルウェー語)
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Lipsius - Testudo - Testudo Arietaria.JPG|thumb|right|330px|三種類の testudo の復元画。<br>(上段) Testudo Simplex<br>(中段) Testudo Rostrata<br>(下段) Testudo Arietaria。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられる。]]
|[[画像:Bender - Testudo.JPG|thumb|right|350px|testudo の復元画。]]<br>[[画像:Winea.jpg|thumb|right|350px|testudoまたはvineaを復元したものと思われる。]]
|}
</div>
===testudo (2)===
;[[w:la:Testudo (res militaris)|la:Testudo]], [[w:en:Testudo formation|en:Testudo formation]] ;
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Testudo formations]]</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Colonne trajane 1-57 (cropped).jpg|thumb|right|330px|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]](2世紀、ローマ)に見られる、城壁を攻める[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)。]]
|[[画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|thumb|right|330px|17世紀のボヘミア出身の画家 [[w:en:Wenceslaus Hollar|Wenceslaus Hollar]] による testudo(亀甲形密集陣形) の想像画。]]
|-
|[[画像:Testudo (TurtleTortoise).jpg|thumb|right|350px|[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)の再演。]]
|[[画像:2008-08 archeon testudo.JPG|thumb|right|350px|テストゥド(亀甲形密集陣形)の再演。]]
|}
</div>
===ballista & scorpio===
====ballista====
;[[w:en:Ballista|en:Ballista]]
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Ballista]]</span>
====scorpio====
;[[w:en:Scorpio (weapon)|en:Scorpio]], [[w:fr:Scorpion (arme de siège)|fr:Scorpion]]
===onager===
;[[w:en:Onager (weapon)|en:onager]]
===catapulta===
;[[w:la:Catapulta|la:Catapulta]], [[w:en:Catapult|en:Catapult]], [[w:fr:Catapulte|fr:Catapulte]], [[w:カタパルト (投石機)|カタパルト (投石機)]]
<!--
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:|thumb|right|330px|。]]
|[[画像:|thumb|right|350px|。]]
|}
</div>
-->
<gallery>
画像:
</gallery>
==関連記事==
{{Commons|Category:Ancient Roman weapons|Ancient Roman weapons}}
{{Commons|Category:Siege equipment|Siege equipment}}
*[[w:en:Roman engineering]](ローマの工学)
**[[w:en:Roman military engineering]](ローマの軍事工学)
***'''[[w:en:Roman siege engines]]'''(ローマの攻城兵器)
***[[w:en:Torsion siege engine]](ねじり式の攻城兵器)
***[[w:en:Roman military personal equipment]](ローマの個人的武具)
***[[w:en:Roman infantry tactics]]
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span>
[[Category:ガイウス・ユリウス・カエサルの著作|こたいろまのこしうしようへいき]]
[[Category:ガリア戦記|こたいろまのこしうしようへいき]]
[[Category:内乱記|こたいろまのこしうしようへいき]]
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206032
206029
2022-07-31T06:41:02Z
Linguae
449
/* falx navalis */
wikitext
text/x-wiki
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[ファイル:Roman siege machines.gif|thumb|right|400px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。<hr>中央に<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Agger (ancient Rome)|RAMP]]'' )と<ruby><rb>障壁車</rb><rp>(</rp><rt>プルテウス</rt><rp>)</rp></ruby>、右上に[[w:攻城塔|攻城櫓]](''TOWER'' )、右下に<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(''GALLERY'' )、左上に<ruby><rb>亀甲車</rb><rp>(</rp><rt>テストゥド</rt><rp>)</rp></ruby>(''TESTUDO'' )、下方に<ruby><rb>[[w:バリスタ (兵器)|弩砲]]</rb><rp>(</rp><rt>バリスタ</rt><rp>)</rp></ruby>(''BALLISTA'' )、<ruby><rb>[[w:オナガー (投石機)|投石機]]</rb><rp>(</rp><rt>オナゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Onager (weapon)|ONAGER]]'' )、
<ruby><rb>[[w:カタパルト (投石機)|投石機]]</rb><rp>(</rp><rt>カタプルタ</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Catapult|CATAPULT]]'' )が見える。]]
|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ([[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻囲戦]])。<br>城壁に向かって上り坂の'''土塁'''が築かれ、その周囲に屋根でおおわれた細長い'''歩廊'''が平行して延びている。城壁の手前には'''[[w:攻城塔|攻城櫓]]'''や'''工兵小屋'''などが見える。]]
|}
</div>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381).jpg|thumb|right|600px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。]]
|}
</div>
==おもなローマ軍の攻城兵器==
===agger===
;[[w:la:Agger|la:Agger]], [[w:en:Agger (ancient Rome)|en:Agger]], [[w:fr:Agger|fr:Agger]]
<div style="text-align:center;">
{|
|-
|[[ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|thumb|right|400px|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。]]
|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ(再掲)。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。]]
|}
</div>
===vallum===
;[[w:en:Vallum|en:Vallum]]
===Turris===
====Siege tower====
;[[w:la:Belfredus (machina bellica)|la:Belfredus]], [[w:en:Siege tower|en:Siege tower]], [[w:fr:Tour de siège|fr:Tour de siège]], [[w:攻城塔|攻城塔]]
===pluteus===
;[[wikt:en:pluteus#Latin|wikt:en:pluteus]], [[wikt:fr:pluteus#Latin|wikt:fr:pluteus]]
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Mantelets.defensifs.png|thumb|right|350px|障壁車の復元画。]]
|[[画像:Mantelet01.jpg|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> 障壁車の復元例。]]
|}
</div>
===aries (battering ram)===
;[[w:en:Battering ram|en:Battering ram]], [[w:fr:Bélier (machine de guerre)|fr:Bélier]], [[w:破城槌|破城槌]]; [[c: Category:Battering rams]]
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Aries.PNG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|[[画像:Roman Testudo construction.JPG|thumb|right|350px|ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|-
| colspan="2" |[[画像:0869-Attack-on-the-walls-of-a-besieged-town-q75-500x412.jpg|thumb|left|350px|破城槌による城壁への攻撃の再現画。]]
|}
</div>
===falx muralis (siege hook)===
*<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''[[wikt:en:falx#Latin|falx]]''' : </span> ラテン語で「[[w:鎌|鎌]]」<br> あるいは軍事用語で <u>城壁を引き崩すために用いられる鉤</u>(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">''[[wikt:en:falx#Latin|a hook used to pull down walls]]''</span>)
**<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''falx [[wikt:en:muralis#Latin|mūrālis]]''' : </span>「城壁の鎌(破城の鎌)」
:: <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''''[[w:en:Siege hook|Siege hook]]'''''</span>(破城鉤) とは、攻城戦において、城壁を崩すための兵器。まず城壁に突っ込んで貫通させ、次に引き抜いて、石を<ruby><rb>掻</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>き出して城壁の一部を崩す。ギリシア人史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]は著書『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の中で、執政官[[w:マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)|マールクス・フルウィウス]]率いるローマ人がギリシア人の植民市[[w:アンブラキア|アンブラキア]]を攻囲したときに([[w:紀元前189年|BC189年]])このような兵器を使用したことについて言及している。「執政官マールクス・フルウィウスに攻囲された[[w:アイトーリア|アイトーリア人]]は、勇敢に抗戦した。(中略)[[w:破城槌|破城槌]]が勢いよく城壁を打ち壊し、<u>鉄の鎌を持った長い棒</u>が城壁を引き裂いた。(以下略)」
<br> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">Falx muralis</span>(破城の鎌)は、ローマ人が攻城戦のときに、城壁を破壊するために用いたも。長い棒の先端に、三日月状に湾曲した鉄を付けたものである<ref name="de-falx">[[w:de:Falx#Römische_Waffen]] (ドイツ語記事)を参照。</ref><ref name="nl-falx">[[w:nl:Falx#Romeinse falx]] (オランダ語記事)を参照。</ref>。
<div style="background-color:#ddf;width:75%;">
====falx navalis====
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">Falx [[wikt:en:navalis#Latin|nāvālis]]</span>(海事の鎌)は、長い棒に鋭い刃物を付けたもので、敵の艦船の[[w:帆|帆]]や綱を切るために用いることができる。この兵器と使用法については、カエサルが『ガリア戦記』の中で、周知の「破城の鎌」にふれて説明している([[ガリア戦記_第3巻#14節|『ガリア戦記』第3巻14節]])<ref name="de-falx"/><ref name="nl-falx"/>
</div>
<div style="text-align:center">
{|
|-
| colspan="2" |[[画像:Hungry falcon cart wjzy.jpg|thumb|left|300px|[[w:北宋|宋代]]の戦術書『[[w:武経総要|武經總要]]』''[[w:en:Wujing Zongyao|Wujing Zongyao]]'' に記載された攻城兵器 ''Hungry falcon cart'' 。<hr> 上記の <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">''Siege hook''</span> も同様のものと考えられている。]]
|-
| style="vertical-align:top;" |[[画像:AdamclisiMetope36.jpg|thumb|right|300px|鎌を持つ[[w:ダキア人|ダキア人]](右上)と闘うローマ軍団兵(左)の[[w:レリーフ|レリーフ]]。<br>([[w:ダキア戦争|対ダキア戦勝]]を記念した、[[w:トラヤヌス|トラヤヌス]]の戦勝記念碑 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Tropaeum Traiani|Tropaeum Traiani]]''</span>、現[[w:ルーマニア|ルーマニア]] [[w:コンスタンツァ県|コンスタンツァ県]]アダムクリシ <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Adamclisi|Adamclisi]]''</span>)]]
| style="vertical-align:top;" |[[画像:Adamclisi falx.jpg|thumb|right|250px|[[w:ダキア|ダキア]]の鎌(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">[[wikt:en:falx#Latin|falx]] [[wikt:en:dacica|dācica]]</span>)の復元画。<br>[[w:ダキア戦争|対ダキア戦争]]でこの鋭利な武器を知ったローマ人は、攻城兵器として取り入れたとされている。]]
|}
</div>
===vinea===
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bender - Vinea.JPG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">[[wikt:en:vinea|vinea]]</span> の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。]]
|[[画像:Katze Belagerungsmaschine.jpg|thumb|right|350px|これもウィネアの類いの描写と思われる。]]
|}
</div>
===testudo (1)===
;[[w:nl:Testudo (belegeringswerktuig)]](ノルウェー語)
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Lipsius - Testudo - Testudo Arietaria.JPG|thumb|right|330px|三種類の testudo の復元画。<br>(上段) Testudo Simplex<br>(中段) Testudo Rostrata<br>(下段) Testudo Arietaria。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられる。]]
|[[画像:Bender - Testudo.JPG|thumb|right|350px|testudo の復元画。]]<br>[[画像:Winea.jpg|thumb|right|350px|testudoまたはvineaを復元したものと思われる。]]
|}
</div>
===testudo (2)===
;[[w:la:Testudo (res militaris)|la:Testudo]], [[w:en:Testudo formation|en:Testudo formation]] ;
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Testudo formations]]</span>
<div style="text-align:center">
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|[[画像:Colonne trajane 1-57 (cropped).jpg|thumb|right|330px|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]](2世紀、ローマ)に見られる、城壁を攻める[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)。]]
|[[画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|thumb|right|330px|17世紀のボヘミア出身の画家 [[w:en:Wenceslaus Hollar|Wenceslaus Hollar]] による testudo(亀甲形密集陣形) の想像画。]]
|-
|[[画像:Testudo (TurtleTortoise).jpg|thumb|right|350px|[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)の再演。]]
|[[画像:2008-08 archeon testudo.JPG|thumb|right|350px|テストゥド(亀甲形密集陣形)の再演。]]
|}
</div>
===ballista & scorpio===
====ballista====
;[[w:en:Ballista|en:Ballista]]
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Ballista]]</span>
====scorpio====
;[[w:en:Scorpio (weapon)|en:Scorpio]], [[w:fr:Scorpion (arme de siège)|fr:Scorpion]]
===onager===
;[[w:en:Onager (weapon)|en:onager]]
===catapulta===
;[[w:la:Catapulta|la:Catapulta]], [[w:en:Catapult|en:Catapult]], [[w:fr:Catapulte|fr:Catapulte]], [[w:カタパルト (投石機)|カタパルト (投石機)]]
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|[[画像:|thumb|right|330px|。]]
|[[画像:|thumb|right|350px|。]]
|}
</div>
-->
<gallery>
画像:
</gallery>
==関連記事==
{{Commons|Category:Ancient Roman weapons|Ancient Roman weapons}}
{{Commons|Category:Siege equipment|Siege equipment}}
*[[w:en:Roman engineering]](ローマの工学)
**[[w:en:Roman military engineering]](ローマの軍事工学)
***'''[[w:en:Roman siege engines]]'''(ローマの攻城兵器)
***[[w:en:Torsion siege engine]](ねじり式の攻城兵器)
***[[w:en:Roman military personal equipment]](ローマの個人的武具)
***[[w:en:Roman infantry tactics]]
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span>
[[Category:ガイウス・ユリウス・カエサルの著作|こたいろまのこしうしようへいき]]
[[Category:ガリア戦記|こたいろまのこしうしようへいき]]
[[Category:内乱記|こたいろまのこしうしようへいき]]
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206035
206032
2022-07-31T07:21:20Z
Linguae
449
/* falx muralis (siege hook) */ +破城鎌の復元画の例
wikitext
text/x-wiki
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[ファイル:Roman siege machines.gif|thumb|right|400px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。<hr>中央に<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Agger (ancient Rome)|RAMP]]'' )と<ruby><rb>障壁車</rb><rp>(</rp><rt>プルテウス</rt><rp>)</rp></ruby>、右上に[[w:攻城塔|攻城櫓]](''TOWER'' )、右下に<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(''GALLERY'' )、左上に<ruby><rb>亀甲車</rb><rp>(</rp><rt>テストゥド</rt><rp>)</rp></ruby>(''TESTUDO'' )、下方に<ruby><rb>[[w:バリスタ (兵器)|弩砲]]</rb><rp>(</rp><rt>バリスタ</rt><rp>)</rp></ruby>(''BALLISTA'' )、<ruby><rb>[[w:オナガー (投石機)|投石機]]</rb><rp>(</rp><rt>オナゲル</rt><rp>)</rp></ruby>(''[[w:en:Onager (weapon)|ONAGER]]'' )、
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|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ([[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻囲戦]])。<br>城壁に向かって上り坂の'''土塁'''が築かれ、その周囲に屋根でおおわれた細長い'''歩廊'''が平行して延びている。城壁の手前には'''[[w:攻城塔|攻城櫓]]'''や'''工兵小屋'''などが見える。]]
|}
</div>
<div style="text-align:center">
{|
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|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381).jpg|thumb|right|600px|古代ローマ軍の[[w:攻城兵器|攻城兵器]](''[[w:en:Roman siege engines|Roman siege engines]]'' )の例。]]
|}
</div>
==おもなローマ軍の攻城兵器==
===agger===
;[[w:la:Agger|la:Agger]], [[w:en:Agger (ancient Rome)|en:Agger]], [[w:fr:Agger|fr:Agger]]
<div style="text-align:center;">
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|[[ファイル:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|thumb|right|400px|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。]]
|[[ファイル:Avaricum westpoint july 2006.jpg|thumb|right|400px|ローマ軍による攻囲戦のジオラマ(再掲)。<br>城壁に向かって上り坂の<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が築かれ、城壁の手前には<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>工兵小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>などが見える。]]
|}
</div>
===vallum===
;[[w:en:Vallum|en:Vallum]]
===Turris===
====Siege tower====
;[[w:la:Belfredus (machina bellica)|la:Belfredus]], [[w:en:Siege tower|en:Siege tower]], [[w:fr:Tour de siège|fr:Tour de siège]], [[w:攻城塔|攻城塔]]
===pluteus===
;[[wikt:en:pluteus#Latin|wikt:en:pluteus]], [[wikt:fr:pluteus#Latin|wikt:fr:pluteus]]
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Mantelets.defensifs.png|thumb|right|350px|障壁車の復元画。]]
|[[画像:Mantelet01.jpg|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> 障壁車の復元例。]]
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</div>
===aries (battering ram)===
;[[w:en:Battering ram|en:Battering ram]], [[w:fr:Bélier (machine de guerre)|fr:Bélier]], [[w:破城槌|破城槌]]; [[c: Category:Battering rams]]
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|[[画像:Aries.PNG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|[[画像:Roman Testudo construction.JPG|thumb|right|350px|ローマ軍の破城槌の復元画の例。]]
|-
| colspan="2" |[[画像:0869-Attack-on-the-walls-of-a-besieged-town-q75-500x412.jpg|thumb|left|350px|破城槌による城壁への攻撃の再現画。]]
|}
</div>
===falx muralis (siege hook)===
*<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''[[wikt:en:falx#Latin|falx]]''' : </span> ラテン語で「[[w:鎌|鎌]]」<br> あるいは軍事用語で <u>城壁を引き崩すために用いられる鉤</u>(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">''[[wikt:en:falx#Latin|a hook used to pull down walls]]''</span>)
**<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''falx [[wikt:en:muralis#Latin|mūrālis]]''' : </span>「破城の鎌(城壁の鎌)」
::: <div style="background-color:#dfd;width:80%;"><span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">'''''[[w:en:Siege hook|Siege hook]]'''''</span>(破城鉤) とは、攻城戦において、城壁を崩すための兵器。まず城壁に突っ込んで貫通させ、次に引き抜いて、石を<ruby><rb>掻</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>き出して城壁の一部を崩す。ギリシア人史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]は著書『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の中で、執政官[[w:マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)|マールクス・フルウィウス]]率いるローマ人がギリシア人の植民市[[w:アンブラキア|アンブラキア]]を攻囲したときに([[w:紀元前189年|BC189年]])このような兵器を使用したことについて言及している。「執政官マールクス・フルウィウスに攻囲された[[w:アイトーリア|アイトーリア人]]は、勇敢に抗戦した。(中略)[[w:破城槌|破城槌]]が勢いよく城壁を打ち壊し、<u>鉄の鎌を持った長い棒</u>が城壁を引き裂いた。(以下略)」
: <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">Falx muralis</span>(破城の鎌)は、ローマ人が攻城戦のときに、城壁を破壊するために用いたも。長い棒の先端に、三日月状に湾曲した鉄を付けたものである<ref name="de-falx">[[w:de:Falx#Römische_Waffen]] (ドイツ語記事)を参照。</ref><ref name="nl-falx">[[w:nl:Falx#Romeinse falx]] (オランダ語記事)を参照。</ref>。</div>
<br>
<div style="background-color:#ccf;width:75%;">
====falx navalis====
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">falx [[wikt:en:navalis#Latin|nāvālis]]</span>(海事の鎌)は、長い棒に鋭い刃物を付けたもので、敵の艦船の[[w:帆|帆]]や綱を切るために用いることができる。この兵器と使用法については、カエサルが『ガリア戦記』の中で、周知の「破城の鎌」にふれて説明している([[ガリア戦記_第3巻#14節|『ガリア戦記』第3巻14節]])<ref name="de-falx"/><ref name="nl-falx"/>
</div>
<div style="text-align:center">
{|
|-
| style="vertical-align:top;" |[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14778300381)(cropped).jpg|thumb|right|300px|破城鎌/破城鉤(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''[[w:en:Siege hook|Siege hook]]''</span>)の復元画の例]]
| style="vertical-align:top;" |[[画像:Hungry falcon cart wjzy.jpg|thumb|left|250px|[[w:北宋|宋代]]の戦術書『[[w:武経総要|武經總要]]』''[[w:en:Wujing Zongyao|Wujing Zongyao]]'' に記載された攻城兵器 ''Hungry falcon cart'' 。<hr> 上記の <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">''Siege hook''</span> も同様のものと考えられている。]]
|-
| style="vertical-align:top;" |[[画像:AdamclisiMetope36.jpg|thumb|right|300px|鎌を持つ[[w:ダキア人|ダキア人]](右上)と闘うローマ軍団兵(左)の[[w:レリーフ|レリーフ]]。<br>([[w:ダキア戦争|対ダキア戦勝]]を記念した、[[w:トラヤヌス|トラヤヌス]]の戦勝記念碑 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Tropaeum Traiani|Tropaeum Traiani]]''</span>、現[[w:ルーマニア|ルーマニア]] [[w:コンスタンツァ県|コンスタンツァ県]]アダムクリシ <span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">''[[w:en:Adamclisi|Adamclisi]]''</span>)]]
| style="vertical-align:top;" |[[画像:Adamclisi falx.jpg|thumb|right|250px|[[w:ダキア|ダキア]]の鎌(<span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">[[wikt:en:falx#Latin|falx]] [[wikt:en:dacica|dācica]]</span>)の復元画。<br>[[w:ダキア戦争|対ダキア戦争]]でこの鋭利な武器を知ったローマ人は、攻城兵器として取り入れたとされている。]]
|}
</div>
===vinea===
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Bender - Vinea.JPG|thumb|right|350px|<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">[[wikt:en:vinea|vinea]]</span> の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。]]
|[[画像:Katze Belagerungsmaschine.jpg|thumb|right|350px|これもウィネアの類いの描写と思われる。]]
|}
</div>
===testudo (1)===
;[[w:nl:Testudo (belegeringswerktuig)]](ノルウェー語)
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Lipsius - Testudo - Testudo Arietaria.JPG|thumb|right|330px|三種類の testudo の復元画。<br>(上段) Testudo Simplex<br>(中段) Testudo Rostrata<br>(下段) Testudo Arietaria。城壁・城門を突き破るための[[w:破城槌|破城槌]]([[wikt:en:aries#Latin|aries]])を防護するものと考えられる。]]
|[[画像:Bender - Testudo.JPG|thumb|right|350px|testudo の復元画。]]<br>[[画像:Winea.jpg|thumb|right|350px|testudoまたはvineaを復元したものと思われる。]]
|}
</div>
===testudo (2)===
;[[w:la:Testudo (res militaris)|la:Testudo]], [[w:en:Testudo formation|en:Testudo formation]] ;
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Testudo formations]]</span>
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:Colonne trajane 1-57 (cropped).jpg|thumb|right|330px|[[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]](2世紀、ローマ)に見られる、城壁を攻める[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)。]]
|[[画像:Wenceslas Hollar - A testudo.jpg|thumb|right|330px|17世紀のボヘミア出身の画家 [[w:en:Wenceslaus Hollar|Wenceslaus Hollar]] による testudo(亀甲形密集陣形) の想像画。]]
|-
|[[画像:Testudo (TurtleTortoise).jpg|thumb|right|350px|[[w:テストゥド|テストゥド]](亀甲形密集陣形)の再演。]]
|[[画像:2008-08 archeon testudo.JPG|thumb|right|350px|テストゥド(亀甲形密集陣形)の再演。]]
|}
</div>
===ballista & scorpio===
====ballista====
;[[w:en:Ballista|en:Ballista]]
:<span style="background-color:#ffc;">[[c:Category:Ballista]]</span>
====scorpio====
;[[w:en:Scorpio (weapon)|en:Scorpio]], [[w:fr:Scorpion (arme de siège)|fr:Scorpion]]
===onager===
;[[w:en:Onager (weapon)|en:onager]]
===catapulta===
;[[w:la:Catapulta|la:Catapulta]], [[w:en:Catapult|en:Catapult]], [[w:fr:Catapulte|fr:Catapulte]], [[w:カタパルト (投石機)|カタパルト (投石機)]]
<!--
<div style="text-align:center">
{|
|-
|[[画像:|thumb|right|330px|。]]
|[[画像:|thumb|right|350px|。]]
|}
</div>
-->
<gallery>
画像:
</gallery>
==関連記事==
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**[[w:en:Roman military engineering]](ローマの軍事工学)
***'''[[w:en:Roman siege engines]]'''(ローマの攻城兵器)
***[[w:en:Torsion siege engine]](ねじり式の攻城兵器)
***[[w:en:Roman military personal equipment]](ローマの個人的武具)
***[[w:en:Roman infantry tactics]]
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
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ゲームプログラミング/バランス調整
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206038
205781
2022-07-31T09:25:38Z
Honooo
14373
ではいよいよここに至りますか…。まずは前文のみ。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}
現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。
== 本ページの目的 ==
本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。
従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。
プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。
== バランス調整 ==
バランス調整とは、そのゲームの易しさ・難しさを決めるために、具体的に敵の強さなどを決めたり、あるいは主人公の強さを決めたり、あるいはそれらの要因の調査のためのテストプレイなどである。
なお、難易度の調整に限らず、バグ修正ではないが操作性の改善のために仕様および実装を更新するなど、そのゲームをさらに面白くするために様々な改善をすることをまとめて、ゲーム業界用語では「チューニング」という。「バランス調整」は、「チューニング」の項目のうちの一つである。
英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。しかし英語の「レベルデザイン」のレベルとは、けっして日本のRPG的な経験値稼ぎによる「レベル上げ」などのレベルのことではなく、欧米で過去に流行した3Dゲームにおいてそのマップエディタではマップの高低差(※wiki注: これが英語の「レベル」の意味)を調整していたのだが、そのマップエディタのことを欧米では「レベルエディタ」と英語では言っていたのが経緯である。それらの3Dゲームでは、マップのデザインによって難易度が大きく変わるので、しだいにレベルデザインが難易度デザインのような意味になっていった、と考えられている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.57</ref>。
書籍『ゲームプランとデザインの教科書』では、図中だが「難易度デザイン」という表現を用いている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。
また、レベルデザインにはマップの処理もあるので、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、3Dゲームにおける「レベルデザイン」担当者には、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能が要求されることもあるとのことです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。
=== 「詰み」防止の確認 ===
商業ゲームでは、クリア不能な状況にてプレイヤーがセーブしてしまい、ゲームを最初からプレイしなおす状況にプレイヤーが追い込まれること(いわゆる「詰み」(つみ) )を絶対に防がなければなりません。
文献『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』によれば、このためバランス調整でも、プレイヤーがそういう「詰み」に追い込まれないようにする必要があります<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日 初版 第1刷 発行、P78</ref>。
まず前提として、平均的なプレイヤーなら普通にクリアできる調整をしておく必要があります。
その上で、詰みを防止するためには、ゲームがとてもうまいプレイヤーでよいので、最低でも1人が、そのゲーム中で想定できる理論的に最もクリア困難な状況からですらも挽回してクリアできるという、クリア実績が必要です。
時間の制約などもあるからか、文献によれば、非常に上手い人が一度でもクリアしたという実績があれば良いという調整になるようです<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日 初版 第1刷 発行、P78</ref>。
もちろん、前提として平均的なプレイヤーの多くが平均的な練習でクリアできるようになっているという環境の上です。
=== プレイヤーの面倒くさがること ===
『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ゲーム中で一般的なプレイヤーの面倒くさがることとして、
覚えること、計算すること、配ることを面倒だと感じると言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。
=== 消費者の趣向の変化 ===
家庭用ゲーム黎明期の1980年ごろと比べて西暦2000年以降では、消費者に好まれるゲームの難易度バランスが違っています。
;用語「難しい」の変化
ファミコン時代の昔と21世紀の今とで、ゲーム消費者の感じる「難しい」という言葉そのものの程度や意味が、昔と今で、やや違います。
文献『ゲームプランナーの新しい教科書』によると、たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、21世紀の現代では「難しい」に分類される場合もあります<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。
一方、同文献によると「やさしい」とは、「平均プレイヤーならゲームオーバーにならない」という程度の意味です。
「難しいゲームの○○が人気!」などのニュースを目にしても、もしかしたら、そのジャンルのターゲット層の考える「難しい」の意味が、ファミコン的な昔の意味とは違うかもしれません。気をつけましょう。
その他、文献の情報ではないですがテレビ番組ですが(番組名は忘れた)、2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組があったのですが(番組名は忘れました。たしか夜中の番組でした。)、
ゲーム会社だかゲーム業界の人がインタビューで
:「 昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」という話をしています。当時、アニメ業界やゲーム業界などを取材した番組がいくつかあったのです。
=== どの程度の難易度を狙うべきか ===
『ナナのリテラシー』というビジネスノウハウ系の漫画があるのですが、これの2巻がゲーム会社勤務回です。また、著者の漫画家もゲーム雑誌で漫画を掲載していた経験もあります。
さて、その漫画『ナナのリテラシー』によると、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」のがコツだと、作中のゲーム会社の老人経営者は言います。あくまで創作中の人物であり、また、作品の主張ではないですが。
この漫画の取材の程度として、
「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界なんで どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない 会話も音楽も全部ね」
という情報を入手できている程度には取材のされている作品です。
高難易度(むずかしめ)ゲームや低難易度(やさしめ)ゲームを作るにしても、まず基準がこうであることを知っておきましょう。
ただし、すべての人に丁度いいバランスに調整することは、非常に難しいです。なので書籍『ゲームプランとデザインの教科書』では、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要があると述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。
ほかの書籍でも、塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、やや文脈が違いますが、「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」と記述があります<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。(ただし、これはターゲット層の限定のほかにも、テストプレイヤーの意見に振り回されないように、という意味もあるので、文脈が少し違う。)
ターゲット層の設定で重要なことは、少なくとも、実在する最低1人の人間を、想定することです。「20代社会人男性が」とかではなく、自分の知人・友人・家族とか、そこまで具体的なレベルで想定するべきだと、塩川氏の著書では述べられています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。
{{コラム|カラケオ音楽の難易度も似ている|
なお、ゲームではなく音楽文化ですが、80年代~90年代にカラオケが流行しましたが、実は当時の歌謡曲も似たようなカラオケでの難易度を意識して作曲されています。練習しないと歌うのが難しいが、素人でも練習すれば上手く歌える歌になるように、メロディが作曲されています。
たしか90年代後半、岡田斗司夫などが、こういったことを評論していました。
よく、音楽評論などでは、作曲家の小室哲也の曲が典型的にそうだと言われています。
なお例外もあります。
カラオケブームにより、90年代前半には、アニメソングでも子供が気軽に歌える歌が減ってしまったので、1995年のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌の作曲では、監督やスポンサーのレコードー会社プロデューサーは、子供でも歌いやすいように作曲してくださいと作曲家に依頼しています。90年代後半の何かの書籍のインタビューで、スポンサーのレコード会社のキングレコードのプロデューサー(当時)大月俊倫がそう答えていました。
}}
{{コラム|作者ではなく購入客たちによって是非が決まる|
商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まるわけですので、ゲーム産業なら間接的には購入プレイヤー/課金プレーヤーが作品の是非を決めることになります。
決して作家が是非を決められることではないのです。
文脈は違いますが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』でも、「味の善し悪しはプレイヤーが決める」と記述があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。(ただしその参考文献では、ターゲット層を決めるべきだという文脈で味の善し悪しをプレイヤーが決めるという話をしていますので、本wiki本ページのニュアンスとは違います。)
ゲームに限らずアニメ産業でも同じであり、作者や監督でも決められないことが多くあります。
ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。
しかし実際には、視聴者からファンレターで、子持ちの母親からのファンレターで、「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」みたいな感謝のメッセージが来たりと、つまり、肝心の「アニメばかり見ないで外で遊べ」というメッセージが伝わりませんでした。
ガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話がアニメ評論ではありますが、説明を省略します。
}}
=== チュートリアルの分離などの検討 ===
文献『ゲームプランとデザインの教科書』では、チュートリアルは別モードにすると良い場合もあると薦めています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。
伝統的な難易度デザインの書籍では、「段階的に難易度をステップアップ」のような設計論が語られている書籍もありますが、しかしそれだと長編ゲームなどでは中後半のゲーム性の本筋に入る前に長々と本筋でない部分をプレイさせられてしまいかねません。そこで、チュートリアルを別モードに分けることで、あまりにも中盤の難易度から掛け離れた部分を、ゲームの本編からは切り離すことができる場合もあるとの事です。
商業ゲームの実例としては『不思議のダンジョン2 風来のシレン』というゲームが、このようなチュートリアル分離の手法を活用しているとのことです。
=== 教育的視点でのバランス調整 ===
==== バランスを通じた教育 ====
バランス調整を成功させるための対策はいくつかあります。一つ例を挙げると、プレイヤーに習得してもらうプレイ技法をある程度想定しておくことです。
プレイヤーがそういうプレイ技法を習得し、実践できるようになったら、敵キャラを簡単に倒せるようにするのが良いでしょう。
文献『ゲームプランナー集中講座』(吉沢秀雄 著)でも、ニュアンスはやや違いますが「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、225ページ</ref>。
:※ ただし、この文献でいう「教育的難易度」とは、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作を要求する敵は、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろという意味です。なので、本wikiでいう「教育的視点」とはニュアンスが若干(じゃっかん)、違います。
教育と言葉を使いましたが、プレイヤー視点では「学習」です。文脈は違いますが参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』では、「学習」という言葉を用いています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。
ただし、このように教育的な視点が有効な場面は、あくまでバランス調整だけでしょう。企画などのアイデア出しは、教育的視点ではなく、もっと大衆娯楽エンタメ視点で行うのが定石です。(なお一般的に、ゲーム業界にかぎらず企画手法の定石として、面白い事どうしの組み合わせ、というのがあります。)
また、少なくない多くのプレイヤーたちが、ゲームを通じて自身の思考力が磨かれて成長したかのような感覚を味わうのが好きだという統計・アンケート結果があります<ref>[https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf [[w:遠藤雅伸]] 『ゲーム道に通じるユーザーの振る舞いとゲームデザインへの応用』66ページ、3.3.3. 面白さに関する考察 ]</ref>。
なお、コンピュータ的なゲーム産業と、教育との関係性にすでに気付いて注目しているゲーム作家もいます。ナムコ出身の岸本好弘がそうです。また、学問的にも、ゲーム設計技術の教育への応用として『ゲーミフィケーション』などと言う概念が提唱されています。
ゲームフィケーションに関する説明は長くなるのでコラム化します。
{{コラム|ゲーミフィケーションに関すること|
野球ゲームの『ファミスタ』シリーズで有名なナムコ出身の岸本好弘などが、ゲーミフィケーションをゲーム作家の立場から推奨している。<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a ファミスタの父が「日本ゲーミフィケーション協会」発足──ゲームの力で世の中はもっと面白くなる
2019年7月31日 14:41 公開]</ref>
2019年に岸本がゲーミフィケーション学会を設立したが、なにもこの時点で概念が産まれたわけではなく、既に2013年あたりの時代には、たとえばテレビの夜中の経済ニュース番組などで、ゲーミフィケーションを企業の新人研修に応用する事例などが報道されていた亊もある(ただし、これに岸本氏が関わっているかは知らない)。
岸本が言うには「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」である<ref>[https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16 『“遊び”と“学び”はまったく同じ!?
ゲームと教育の専門家二人が語るゲーミフィケーション教育(前編)』 2021.07.08 UP] </ref>。
岸本が言うには、今から40年前(※1980頃 ?)を振り返り、すでにゲームセンター用のアーケードゲーム業界では、
:「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」
:「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」
と言われている<ref>[https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16 『“遊び”と“学び”はまったく同じ!?
ゲームと教育の専門家二人が語るゲーミフィケーション教育(前編)』 藤本 徹氏・岸本 好弘氏, 2021.07.08 UP] </ref>。
岸本「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。間違っても、ストレートに「Aの洞窟に宝物があるなどという看板を立ててはいけません(笑)。」
(抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」
「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」<ref>[https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview17 『“遊び”と“学び”はまったく同じ!?
ゲームと教育の専門家二人が語るゲーミフィケーション教育(後編)』藤本 徹氏・岸本 好弘氏, 2021.07.15 UP] </ref>
必ずしも現代のゲームが上述のように教育的配慮にもとづいて設計してもヒットするかは不明である。21世紀の現代と20世紀のファミコン黎明期とでは消費者ニーズも違っているから、もしかしたら今後は教育的配慮ある作品が全く売れないのかもしれない。
だが、とりあえず1980年代前後のゲーム文化の根底には、このような教育的な発想が色濃く存在していたのもまた事実であろう。
}}
{{コラム|オタキング岡田はこういった|
また、ゲーム業界人だけでなくアニメ業界人からも、1998年までの時点で似たようなことが指摘されています。
既に1990年代後半の時点で、アニメ評論家の岡田斗司夫により著書などで、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘されている。
たしか岡田の著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』に、そういった話題が書かれており、マリオカートが例に出されている。
岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。たとえばスポーツとか、絵画とか、何でもいいが、たしかに練習を多くしても必ずしも上達に結びつくとは限らない。
しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームはそうではなく、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、彼の著書では述べられている。
岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、というような感じのことを著書で述べていた。
}}
{{コラム|岡田斗司夫はゲーム会社社長でもあった|
なお、岡田らの創業したアニメ会社の「ガイナックス」は、現在では『新世紀エヴァンゲリオン』をつくったアニメ会社として語り継がれていますが、実はゲームソフトも開発していました。
多くは美少女ゲームだったりしたのですが、その中に、1991年に開発した『プリンセスメーカー』という当時としては斬新な育成シミュレーションゲームがありました。(少女を育成するゲームとしては、おそらくプリンセスメーカーが世界初。なお、競馬の競走馬を育成するゲーム(ダービースタリオン)1991年12月発売よりもプリンセスメーカー(1991年5月24日)のほうが発売が早い。)
文献『ゲームプランナーの新しい教科書』でも、美少女や少年などのキャラクターを1人または少人数のキャラクターを育成するジャンルを確立したゲーム作品が、このプリンセスメーカーであると述べられています<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。
さて、1998年ごろにゲーム評論家の阿部広樹(あべひろき)が言うには、
98年当時はコナミ社『ときめきメモリアル』という、美少女と恋愛するための男主人公を育成する育成ゲームがほぼ社会現象のような流行だったのですが(たとえばジャンプ漫画の こち亀(略称。長いので) にも、
明らかに『ときめきモリアル』(略称:「ときメモ」)のようなゲームを話題にした作品が、
社会現象作品として登場しています)。
阿部が言うには、ときメモのような育成SLGは、ゲーム業界での系譜としては、まずプリンセスメーカーが娘の育成ゲームとして登場し、
おそらくは、それを参考にしてPCゲーム会社「エルフ」が美少女アダルトゲーム「同級生」(ゲーム中に男主人公の育成がある)を開発し、
さらにそれを参考にしてコナミ社がときメモを開発したという流れになる、と阿部は著書などで述べています。
あくまで阿部氏が著書でそう思っている旨を述べていただけなので、
もしかしたらエルフ社やコナミ社の当時の関係者からすれば元ネタが違う点もあるのかもしれませんが、
少なくとも他社やマニア消費者からはそう思われている(プリメ→同級生→ときメモ という流れを思われている)というワケです。
さて、ときメモの話をしたいのではなく、岡田の話をしたいのです。
岡田は当時はゲーム社長だったので、常識的に考えて、プリンセスメーカーの開発に関する情報は、ある程度は耳に入っていると思われます。(ただし、岡田本人はゲームファンではなく、アニメファンかどうかも怪しく、どちらかというとSFファンでした。)
いくら岡田がゲームに詳しくないといっても、信頼できる部下にゲーム開発指揮を任せているとしても、岡田が社長である以上、最低限の開発工程の概要や全体像に関する情報が岡田の耳には入っているハズです。
そういう経験のある岡田が「ゲームはプレイ時間に応じて、上達するように設計されている」と具体的に言うわけですから、岡田のマリオカート評論当時の意見を、過去のゲーム業界人の意見としても、それなりに意見を参考に聞き入れるべきでしょう。
だから「岡田はアニメ評論家じゃねえか」とか言って意見を無視するのは、不見識です。
また、プリメ→同級生→ときメモ という流れから分かるように、一般にゲーム会社は他社の人気コンテンツを真似ています。
攻略本やゲーム雑誌などには一切書かれていませんが、大人の事情で書かれていないだけですので、大人の事情を真に受けないようにしましょう。当然、ときメモ以降の他社の育成ゲームや美少女ゲームも、社会現象になった「ときメモ」を真似しています。誤解のないように再度書きますが、上記で紹介したゲーム郡のうち、岡田経営のガイナックスのゲームは『プリンセスメーカー』だけです。ほかのゲームは他社コンテンツですので、誤解なきよう。
}}
{{コラム|プリメとデスペナ|
プリンセスメーカーには育成システムのほかにも比較的に画期的なところがあって、それは戦闘での全滅時の損失の軽さです。プリメのしリーズでは、戦闘で全滅しても、拠点に戻されることと、育成パートでのターンが1ターン経過するだけです(1ヶ月が1ターンに相当する)。この指摘は別にwikiのオリジナルではなく、1990年代の後半に雑誌『ゲーム批評』で指摘されていたことである。
1年に12ターンしか行動できないので、シミュレーションゲームの視点で考えると損失は大きいかもしれませんが、RPGの視点だけで見ると損失は軽い、というわけです。
日本の現代的なゲーム評論では、全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage というらしいです(DDと略すようです)。英語ではデスペナルティ death penalty とは「死刑」の意味です。
つまりプリンセスメーカーは、デスペネルティが軽くても面白いRPGを作れることを実証したかもしれない可能性があります。
;デスルーラ
なお、全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使えますが、これを和製英語で「デスルーラ」といいます。ルーラとはドラクエの移動魔法のルーラのことです。
さて、全滅したときに拠点に戻るゲームでは、標準的な方法では、決してイベントなどで拠点に戻らないようにするのは不可能です。
なぜなら、たとえば拠点の町に戻る橋を通せんぼしているボス敵がいたとして、ボス敵が「この橋を通りたければ、私を倒すが良い」とか言われてボス戦になったとしても、そのボス戦闘で全滅するとパーティは拠点の町に戻るので、そもそも通せんぼイベントの意味がありません。
ただし、もしイベント用の特殊なプログラムとして、全滅時には他の町に戻るなどの戦闘の処理を組めば可能ですが。
}}
{{コラム|デスペナ関連の話題|
<!-- この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。 -->
;帰り道の通せんぼイベントと詰みのリスク
そもそも、拠点への通せんぼ系のイベント自体、クリア保証の観点からは難しい点もあります。サガのようにどこでもセーブできるゲームの場合は、帰り道の通せんぼイベントを上手に設計しないと、クリア不能につながるおそれがあります(いわゆる「詰み」(つみ))。
だから実際、ファミコン~スーファミ時代のドラクエやファイナルファンタジーやGB版サガやロマサガなどでは、このような帰り道の通せんぼイベントを見かけないか、あったとしてもスグには思い出せません。
どこでもセーブできるロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいますが、しかし会話選択肢などによりボス戦を回避可能ですので、詰みにはなりません。
なお、古い時代のサガ系やロマサガなどでは、基本的に、ダンジョン奥まで探検したあとの帰り道には、帰り道の短縮のためにダンジョン最深部に出口への一方通行をマップ側で用意済みというダンジョン設計もよく見られました。このダンジョン設計は、テンポ感向上の基本手法である「プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないこと」にもつながりますので、一石二鳥です。
ただし、一方通行出口がないダンジョンがあれば、「帰り道でボス戦があるんだな」とプレイヤーに予感させてしまい、プレイヤーへのネタバレになります。だから、ドラクエがそのような一方通行出口をまず用意しないのも一理あります。
このように、ゲームのルールの設計により、実装可能なイベントやマップなどがある程度は限定されてしまいます。
}}
さて上記のデスペナルティのコラムで説明したように、ゲームのシリーズ作品は、そのシリーズを通してルールがおおむね一緒です。
このことと、「ゲームのルールによって搭載されるイベントがある程度は決まる」という事を合わせて考えると、どうなるでしょうか。
そう、シリーズ作品によって、搭載されるイベントの傾向が決まってしまうのです。
問題は、これがマンネリ化につながるおそれがあること、少なくともビジネス書ではそう見られていることです。
これは別にwikiのオリジナル意見ではなく、文脈は違いますが、商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍で、
シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られています。
さらにその書籍によれば、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代あたりから以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、というふうに見られています。
ただし、書籍は2010年ごろの出版物なので、もしかしたらスマホゲームやソシャゲの流行している2020年代の現代なら、分析結果は違うのかもしれません。
もっともゲーム会社からすれば反論もあるかもしれませんし、たとえば、
「でも消費者が、新シリーズや新ジャンルを出してもロクに買わねえじゃねえか・・・」とか
「グラフィックよりゲーム性とか口先では消費者は言うけど、でもそういうグラ軽視のゲームを消費者は買ってくれないんだよね」とか
「素人はみなそう言うんだよね。でも自分じゃ作ってくんないし少しでも試作品の手本すら見せてくんない」とか思うかもしれませんが、
とりあえず、世間にはそういう意見があります。
けっしてゲームオタクだけがそういうマンネリ化の意見を言ってるのではなく、外部の商学あたりからもそう見られています。ただし書籍の商学者の分析が正しいかどうかは知りませんが。
1980年代のような家庭用ゲーム黎明期や1995年頃のソフト容量が飛躍的に伸びたプレステ1時代ならともかく、そうそう新しくて画期的かつリアリティと説得力ありそうなルールなんて、思いつくものではありません。難しい問題です。また、マンガ産業やアニメ産業は黎明期をとっくに過ぎてしまいましたが、それでもマンガもアニメも産業は続いています。2010年台のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソシャゲ黎明期なのかもしれません。2010年以降の現代のゲーム産業については、当wikiは中立性の立場上、これ以上は解説しません。
{{コラム|岡田斗司夫のアノマリー理論|
古典的な理論を言うと、アニメ評論家の岡田斗司夫が「アノマリー」(「片寄り」という意味の用語)で言ってる例ですが(『東大オタク学講座』にある理論)、ゲームのバランス調整にはそもそも、岡田の理屈によると普遍性はなく、どうしても作者の世界観が反映されます。
たとえば、『シムシティ』というアメリカ人の作った都市運営シミュレーションのゲームでは、原発が効果的な投資であるのですが、そして火力発電所よりも原子力発電所が効果的なのですが、岡田はこれを作者のアメリカ的な都市政策観の反映だとしています。
そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。
作家の「個性」というのは、一般人から見れば「異常性」でもあるわけです(ただし、法律を守る程度の最低限の一般性は作家だろうが必要ですが)。個性というのは長所ではなく、欠点の裏返しでもあるわけであり、その欠点すら大人はうまく自分で活用しなければならないのでしょう。
}}
==== 本文 ====
もちろん作品によっては例外もあるでしょうが、しかし上述で紹介したような様々な視点の異なる複数のゲームクリエイターなどゲーム業界人が、「教育」や「成長」などあたかも学習的な用語を使っている事は、念頭に置くと良いかと思います。
ゲームにおける教育的な要素はもちろん擬似的なものです(ゲームに限らず一般のアニメや漫画も同様です。もし本格的に世間一般で通用する意味での「学習」をしたいなら高校~大学レベルの国語・数学・英語・理科・社会科などの参考書などを読もう)。
さて調整の話題に戻ります。
たとえば、アクションゲームの調整なら、
もし敵が飛び道具を使ってくるなら、まずプレイヤーは物陰に隠れて移動して近づくとか、あるいはプレイヤーも飛び道具で応戦するとか、そういうプレイ技法が必要でしょう。
文献『ゲームプランナー集中講座』(吉沢秀雄 著)でも、飛び道具を使ってくる敵には、ゲーム序盤では、まず物陰にかくれて敵の攻撃を避けるなどのプレイ技法をプレイヤーに習得できればよいというくらいまで、(序盤の)難易度を簡単にすべきだと、その文献『ゲームプランナー集中講座』では主張されています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、226ページ</ref>。
まず、序盤の飛び道具つかいの敵なら、プレイヤーが上述のような物陰に隠れる技法を実践できていたら、その敵を簡単に倒せるように難易度を調整します。
このため、序盤ではけっして、敵の攻撃をさけるための物陰の部分には、ゲーム作者はワナなどを仕掛けないでおき、物影には敵も配置しないようにするくらいで、良いのです<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、226ページ</ref>。
たとえば、飛び道具を使ってくる敵は、そいつに攻撃を当てるまでは難しいが、しかし敵の防御力を低くしておいて、もし敵が(プレイヤーからの)攻撃を受けたら、敵はすぐに倒されてしまう・・・のような強さの敵としてパラメータ調整しておくのが良いでしょう。
つまり、プレイヤーに教えたいスキルとして、そのアクションゲームを通して、飛び道具を使ってくる敵の対処法を教えるのです。
ゲーム後半で難易度を上げる場合は、けっして敵を単にやたらと頑丈にするのではなくて、
敵の強さはそこそこでいいので、
たとえば
ステージのギミックや敵の行動などを今までの敵と複合化させたりする等の設計により、過去にプレイヤーの習得したプレイ技法の組み合わせの練習・習得をプレイヤーに要求したりとかして、プレイヤーに今まで習得した単一のプレイ技法の複合の習得を要求するようにすると、プレイヤーも成長できますし、あきづらくなるし、いいことづくめです<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。
(ただし、あまりにも膨大なプレイ技法どうしを組み合わせるような過大な技法をプレイヤーに要求しないように、(作者がプレイヤーに)要求する技法の数にも限度は必要でしょう。)
なお、余談だが、「難易度」の「高い」「低い」の意味は、
:「むずかしい」=「難易度が高い」
:「やさしい」=「難易度が低い」
である。
ゲームを難しくする目的は、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためです。創意工夫を呼び起こさない難しさは不要かもしれません。
書籍『ゲームプランナー入門』によれば、ボス戦などの難しいエリアの目的は、プレイヤーが自らのプレイスキルの程度を試したり、あるいはRPGなどならキャラクターユニットの成長を試すためのものです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。また、「歯ごたえ」などの表現の意味も、こういった意味であると書籍では述べています。
;制限の必要性
制限の必要性とは、たとえば、ゲーム中での主人公が丈夫で死にづらいのは構いませんが、しかしどんなに敵の攻撃を食らっても死なずに倒れずに不死身なのは駄目です。
また、主人公の所持金が多いのは構いませんが、しかし所持金が無限大なのは駄目なのです。
また、敵の動きが少し単純なのは構いませんが、しかし、プレイヤーが油断しすぎているのにプレイヤーが負けないのは駄目です(たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。
このような駄目な例のゲームのままでは、プレイヤーが創意工夫をしなくなってしまいます。
このため、そのゲームでのゲームオーバー条件を、作者は早めに決めておきます。ゲームオーバーが用意されていないと、スリルが出ないのです<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.254</ref>。
あまり気が乗らないでしょうが、しかし、ゲームにはゲームオーバーや敗北の条件が必要ですし、プレイヤーには敗北を回避するように努力してもらわなければなりません。
;解法を1つに限らない
書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、たとえばスーパーマリオ1のステージ1-1の最初の敵のクリボーの対処でも、クリボーを踏んでやっつけるか、それともジャンプして飛び越えて次に進んでしまうか、マリオがブロックの上に乗ってクリボーが通り過ぎるのをやりすごすか、などなど幾つもの選択肢があると、例を挙げています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P55</ref>。けっして、「たった一つの正解」ではないと述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P55</ref>。
このように解法を複数用意することで、プレイヤーに創意工夫を呼び起こしやすくなります。
==== 他メディアとの違い ====
===== マンガ・アニメのバランス調整との違い =====
マンガやアニメのバランス調整というか、物語での敵の強さの見せ方と、ゲームでの敵の強さのありかたは、少し差異があります。
マンガ・アニメだと、たいてい強敵は、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さになっています。たしか1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』(1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』)の時点で、すでに、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、そういうふうに設計されていることが説明されています。
しかしゲームでは普通、このようなギリギリの強敵にしてないほうが安全です。
マンガやアニメの強敵よりも、やや弱めにしておく必要があります。そうしないと、プレイヤーに創意工夫が生まれません。
具体例を考えるなら、分かりやすい例が、先ほど漫画家の鳥山明さんを例にあげましたが、その鳥山さんのドラゴンボールの原作マンガとゲーム版でのボス敵の強さの違いです。ゲーム版『激神フリーザ』だと、たとえばクリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっています(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。別に鳥山さんの作品だけでなく、ほかの多くの作家のマンガやアニメのゲーム版も、大体、同様に、原作マンガや原作アニメでは倒せなかったボス強敵がゲーム版では頑張れば倒せるようになっています。
理論的に考察するなら、マンガやアニメでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでマンガやアニメでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良いのしょう。
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要があります。
==== 「廃人」 ====
ゲーム用語で「廃人」(はいじん)という表現があります。「廃人」とは、たとえば通信機能のあるネトゲRPGなどで、普通の社会人だとレベル上げが引きこもりプレイヤー追いつかずに(社会人が)クリアできないようなゲームにおいて、高レベルプレイヤーである引きこもりプレイヤーや無職プレイヤーなどを揶揄する意味です。
2010年以降の近年は課金ゲームなどにも「廃人」という言葉が使われます。一般の市販ゲームは高くても1万円程度ですが、それと比較して多額すぎる数十万円や数百万円の金額をゲームに課金するプレイヤーのことです。
書籍『ゲームプランとデザインの教科書』でも、この問題をサラっとですが、きちんと紹介しています。書籍中では「廃課金ユーザー」という表現を使っています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。書籍『ゲームデザインとぼくらの教科書』でも、廃課金ユーザーが社会問題化したことに触れられています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。
アニメーターだってゲームをする暇があるなら絵を描いていたからアニメーターとして通用しているわけです。アニメーターの就職前の第一趣味はゲーマーではないでしょう(イラスト制作やアニメ制作のはずです)。
=== ゲーム作家の体感の難易度はズレやすい ===
プログラミングというよりゲームデザインの話題かもしれないが、そのゲームの簡単さ・難しさといった難易のバランス調整も、コツがいろいろとある。
==== 具体的な方法 ====
結論から言うと、多くのゲームデザインの文献で、やや簡単めに調整されたバランスでゲームを作るのが安全であると主張されている。
たとえば書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN 著、翔泳社)でも、作者がやや簡単だと思うくらいに作ると良くなる場合が多いという経験則が語られている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー集中講座』(吉沢秀雄、SBクリエイティブ)でも同様に、調整で迷って、プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い、と主張しています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、235ページ</ref>。
難しいほうの案Bは、クリアに不要なサブ・ステージとか、そういうステージに流用すればいいのです<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
ちなみに、文献『ゲームプランナーの新しい教科書』によれば、RPGにおいて、クリアに不要なイベントのことを「任意イベント」と言います。一方、クリアに絶対な必要なイベントのことは「強制イベント」といいます<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。
つまり、サブ・ステージや任意イベントの難易度については、本編の強制イベントの難易度よりも少し難しくしても構わないのです。文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、むしろ、多様なプレイヤーに対応するためにサブ・ステージや任意イベントの難易度の設計は、本編強制イベントとは難易度を変えるほうが望ましいというか、そういう設計テクニックとしてサブ・ステージや任意イベントが用意されているような側面もあるようです<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、P208</ref>。
書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)でも、基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しいという現象がよくあることを述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。
==== 例外 ====
例外的なプレイヤーもいます。プレイヤーの中には、たとえばRPGなら、レベル上げそのものが好きな人もいます。
また、たとえばゲーマーでない一般人でも、たとえば電卓で「+1」を押しまくって計算結果をカウントアップしていく暇つぶしをしたことある人も多いでしょう。
ですが、レベル上げが好きなRPGゲーマーでも、彼らがプレイしたがるゲームの多くは、なぜか、レベル上げがそれほど好きでない種類のゲーマーも楽しめるゲームばかりです。
ドラクエ、ファイナルファンタジー、女神転生、テイルズ、・・・などなどのシリーズは、どれも商業の人気ゲームは、レベル上げがそれほど好きでなくても、ストーリーや戦術性などでも楽しめるようになっています。
本当にレベル上げだけが好きなら、ストーリー一切無しのレベル上げだけのゲームをプレイすれば充分ですし、フリーゲームなどでそれに近いゲームはあります。しかし、商業の世界では、そういうストーリー無し、あるいは戦術性が無しのゲームの話を聞きません。
これはどういうことでしょうか。
ゲームでなくマンガ業界の例で考えて見ましょう。
たとえば、少年ジャンプの読者には、メインの読者層は若い男の子ですが、
しかし実際には成人男性の読者もいますし、それどころか女性読者もいます。
しかし少年ジャンプは、あくまでも、メインの読者層が男の子であることを貫く編集姿勢であることが、
ジャンプ漫画の裏側を描いたマンガ『バクマン』では描かれています。
バクマンによると、たとえ少女の読者がいても、その少女は、
「男の子が読んでるマンガを自分も読んでみたい」と思うような女の子なので、
だからジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで男の子向けを貫かないといけない、
といった内容が説かれています。
ゲームも同様でしょう。
==== 背景事情 ====
一般的にゲーム作家の側は、自作のゲームをプレイしたときの体感の難易度(なんいど)が、(他のプレイヤーよりも)自作ゲームを「やさしめ」に感じてしまいまちである。
つまり、本当は難しいゲームなのに、作家自身は「やさしい」と錯覚しやすい傾向がある。なお、この現象を俗に(ぞくに)「作者バイアス」と日本では言う。
;歴史
まず、1990年代のゲーム雑誌『ゲーム批評』にもある歴史的事実として、下記のような事例がすでに1990年代から知られています。
すでに1990年代の時点でゲーム評論雑誌『ゲーム批評』において、新人のゲームプランナーは企画提案の際に既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだという報告がありました。
雑誌『ゲーム批評』によると、たしか、たとえばもし自社がスーパーマリオのようなゲームを作ろうとしている場合、新人はよく、「マリオのこの部分が簡単すぎるから、わが社はここを難しくしましょう」という提案をしがちだということです。
たとえば、スーパーファミコン版マリオ(スーパーマリオワールド)では、地上ステージでは多くのステージで、マリオに空を飛ばせれば、敵に遭遇せずにステージのゴールまで行けるように設計されています。
それを新人は「飛んでしまうと簡単なので、つまらない」と考えがちらしく、なので「空中に敵キャラを多く配置しましょう」という感じの案を提出しがちだということです。
たとえば
「空中に狼(オオカミ)を配置するのはどうでしょう? アメリカの昔のSFドラマに『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』という作品もありますので、パロディにもなって大人にもウケます」みたいな提案を出したりしがち、らしいです。(このほか、ゴルフゲームでウルフを空飛ばせる駄洒落(ゴルフでウルフ)アイデアなどの披露もあるとかゲーム批評では書かれていた気がするが(というか元々ゴルフゲームの提案で、上司役からのダメだしの根拠にマリオを例にする批評記事だったかもしれないが、本wiki本ページの文脈にあまり関係ないので、ゴルフの話は割愛させてもらう。)
ですが、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは既に途中まで攻略したけどミスでステージ冒頭に戻されたあとの再チャレンジなどで興味ない体験済みステージ前半を無視するための工夫だったりするので、よって空中の安全性は必要な要素でしょう。
しかし、エアーウルフ的な提案では、そういう分析が抜け落ちています。
ともかく、このように、バランス調整では「予備知識が無いと、多くのゲーム製作者は、ゲームを難しく設計しがち」だというゲーム業界の経験則がもう1990年代からあります。私たちは、歴史にも学びましょう。
:※ ある編集者Aがなんとなく印象でゲームデザイン本などに「ゲーム作家はあまりネットの批評を参考にしない。ゲームを作った事のない人の批評なので、トンチンカンな批評も多いからだ」といったような情報があったような気がしたのですが、
:しかしあらためて書籍を確認してみると、少なくとも『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』や『ゲームプランとデザインの教科書』や『レベルデザイン指南書』では、そのような記述は確認されませんでした。
:下記のコラムは、その情報も背景にしています。
:どうやら、もしそういう記述の文献があっても、必ずしも商業ゲーム業界の多数意見とは限らないようです。
:あるいはその情報は、もしかしたら書籍による情報ではなく、ゲーム雑誌などのwebサイトの意見だったかもしれません(※ 読者に出典などをご存知の方がいたら、情報提供の編集をしていただけると、さいわいです)。よくゲーム雑誌の会社がwebサイトなどに商業ゲーム作家へのインタビュー文など掲載しています。
:一応、『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、書籍後半のセクションの題名で大きく「一次情報以外、個性には役立たない」と銘打って、
:「インターネットやSNS」などについて、「そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません」と説明している<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>。
{{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか|
マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、
マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。
このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。
実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。
改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。
しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。
社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。
また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、
アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、
世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。
まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。
マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。
おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。
}}
{{コラム|ネット民の感性は信用できるか?|
インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。
それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。
しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。
マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。
本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。
だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。
たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。)
ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。
塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。
つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。
イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。
しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。
さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。
これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、
実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。
実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、
そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。
}}
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。
{{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件|
イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。
さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。
作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。
その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。
もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。
ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。
まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。
また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。
例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。
アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。
また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。
;「美人投票」
経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。
ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。
;ノイジー・マイノリティ
世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。
しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。
よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。
アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。
また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。
}}
文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。
現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。
{{コラム|一人で何でもできるか?|
「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。
大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。
もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。
アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。
}}
{{コラム|可処分時間|
21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。
もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、
「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、
残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。
実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。
さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。
可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。
1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。
こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。
クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。
}}
=== クリア保証と戦術性のジレンマ ===
==== クリア保証 ====
ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。
たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。
その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。
要するに、
:* クリア保証、
:* 難易度の自動調整機能、
の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。
リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。
ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。
RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。
=== 自由度 ===
文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。
=== 勉強の方法論 ===
※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。
==== 共通言語 ====
ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。
商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。
とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
==== 前後比較 ====
ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。
なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。
ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。
岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。
工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。
(wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。)
実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。
{{コラム|失敗とスポーツの例え話|
ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。
でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。
失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。
よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。
逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。
だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです
「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。
塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。
さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。
塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。
その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。
ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。
}}
=== 異業種の立場を想像しよう ===
ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。
内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。)
なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。
特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。
ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。
ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。
実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。
{{コラム|作者は答えを知ってしまっている|
バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。
これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。
ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。
}}
;ティッシュテスター
さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。
このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。
かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。
単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。
=== 要素の相互関係 ===
==== 概要 ====
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。
このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。
しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。
具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。
もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。
==== マップと敵の相互関係 ====
ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。
宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。
しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。
マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。
だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、
:マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、
:それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、
:あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、
などなどです。
ご自身の作品にあった方式をお選びください。
===== 始めよければ全てよし =====
さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。
書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。
:※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。
とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。
商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。
たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。)
:※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。
また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。
そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。
さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。
{{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム|
日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように)
ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。
中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。
(20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。
さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。
ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。
経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。
一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。
}}
=== 各論(デザイン的なこと) ===
どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。
== RPGのダメージ計算式 ==
=== 特化型が有利になりやすい ===
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。
なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。
では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。
たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。)
説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。
つまり、たとえば下記のようになります。
;作成キャラの能力例
:(※ 合計100)
ちから: 10
たいりょく: 30
しゅびりょく: 10
すばやさ: 40
きようさ: 10
さて、別の作成キャラ例を考えます。
;平均型キャラA
ちから: 20
たいりょく:20
しゅびりょく: 20
すばやさ: 20
きようさ: 20
:(※ 合計100)
のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと
合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした
;特化型キャラB
ちから: 40
たいりょく:20
しゅびりょく: 30
すばやさ: 5
きようさ: 5
:(※ 合計100)
のようなキャラクターを、
コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、
ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。
さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。)
なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。)
裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。
パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。
理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、
:・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。
:・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。
:・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。
などの理由があるでしょうか。
命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。
このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。
命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。
=== ダメージ計算式 ===
さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、
攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
という計算式です。
ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。
アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
というような感じの計算式である作品も多いです。
せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。
なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。
バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。
そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、
:攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。
一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。
また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。
このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。
また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。
つまり、
自分の攻撃力 > 敵の守備力
でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。
一方、
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
のように係数を掛けた計算式の場合、
守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。)
いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。
このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。
=== DPS (Damage Per Second) の概念 ===
:※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。
最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。
スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。
たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。
この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。
なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。
つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で
:1+1=2
より、2ターンぶんのダメージです。
いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、
:0+2=2
で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。
計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。
このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。
もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。
このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。
では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、
: 0 + x > 2
を満たす変数xを設計するだけの問題です。
なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。
では、次に応用問題を考えましょう。
「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。
たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、
変数xについての
:0 + 0 + x > 3
を満たさないといけません。
つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。
== KPI ==
Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。
;DAU(Daily Active User)
:デイリー・アクティブ・ユーザー
DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。
;MAU(Mathly Active User)
:マンスリー・アクティブ・ユーザー
MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。
;WAU(Weekly Active User)
:ウィークリー・アクティブ・ユーザー
WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。
;PU(Paying User)
:ペイング・ユーザー
課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
;課金率
たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、
一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う)
;継続率
前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、
継続率といいます。
(以上)
このほかにも、色々な指標があります。
== 参考文献・脚注など ==
020x4rd339zd74oq7jizguw22iaf23t
古典ラテン語/副詞
0
27081
206041
205379
2022-07-31T11:08:06Z
Linguae
449
/* 副詞の規則的変化 */ +graviter
wikitext
text/x-wiki
古典ラテン語の '''副詞''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:adverbium#Latin|Adverbium]]</span>) は多様で、比較級・最上級などに形が変化するものと、変化しないものがある。
== 変化しない副詞 ==
'''変化しない副詞'''(indeclinable adverbs, [[wikt:en:Category:Latin uncomparable adverbs|uncomparable adverbs]])は、比較級や最上級を持たない副詞のことで、[[#数副詞|数副詞]]、[[#前置詞としても用いられる副詞|前置詞としても用いられるもの]]がある。
:関連:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">[[wikt:en:Category:Latin uncomparable adverbs]]</span>
=== 一覧表 ===
{| class="wikitable"
|-
!
! 副 詞
! 意 味
! 備 考
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:20pt;" |<!--【adeō】-->[[wikt:en:adeo#Etymology_1|adeō]]
| style="background-color:#cfb;" |(場所)そこまで、(時間)その時点まで。<br>それほど、etc.
|[語源] 前置詞[[wikt:en:ad-#Latin|ad]]+場所の副詞[[wikt:en:eo#Etymology_2_2|eō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:20pt;" |<!--【adhūc】-->[[wikt:en:adhuc|adhūc]]
| style="background-color:#cfb;" |(場所)ここまで、(時間)今まで、etc.
|[語源] 前置詞[[wikt:en:ad-#Latin|ad]]+場所の副詞[[wikt:en:huc#Latin|hūc]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd;" |<!--【admodum】-->[[wikt:en:admodum|admodum]]
| style="background-color:#efd;" |非常に、大いに<br>完全に、まったく
|[語源] 前置詞[[wikt:en:ad-#Latin|ad]]+場所の副詞
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;" |<!--【adversus】-->[[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]],<br>[[wikt:en:adversum#Latin|adversum]]
| style="background-color:#dfc;" |向かって、面して、反対して<br>[類義語] [[wikt:en:contra#Adverb_5|contrā]]
|'''[[#前置詞としても用いる副詞]]''' を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd;" |<!--【aliquam】-->[[wikt:en:aliquam#Latin|aliquam]]
| style="background-color:#efd;" |大いに
|※「'''[[#副詞的対格]]、[[/代名副詞]]'''」を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【aliquamdiū】-->[[wikt:en:aliquamdiu#Latin|aliquamdiū]]
| style="background-color:#efd;" |(時間)いくらかの間
|[語源] 副詞[[wikt:en:aliquam#Latin|aliquam]]+[[wikt:en:diu#Latin|diū]]<br>[別形] <span style="font-size:15pt;">[[wikt:en:aliquandiu#Latin|aliquandiū]]</span>
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:aliquando#Latin|aliquandō]]
| style="background-color:#dfc;" |(時間)ときどき、<br>あるとき、かつて、いつか、ついに
|[語源] 代名詞的形容詞[[wikt:en:alius#Latin|alius]]+副詞[[wikt:en:quando#Latin|quandō]]<br>[類義表現] <span style="font-size:14pt;">[[wikt:la:aliquando|aliquō tempore]], [[wikt:en:nonnumquam|nōnnumquam]]</span><br>※「[[/代名副詞]]、[[古典ラテン語/相関詞|相関詞]]」を見よ</span>
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#fff;" |<!--【aliquantō】-->[[wikt:en:aliquanto|aliquantō]]
| style="background-color:#fff;" |ある程度、かなり
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#fff;" |<!--【aliquantulum】-->[[wikt:en:aliquantulum#Latin|aliquantulum]]
| style="background-color:#fff;" |少し、少量<br>多少、ある程度
|[[#副詞的対格]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:aliquo#Adverb|aliquō]]
| style="background-color:#dfc;" |(場所)どこかへ
|※「[[/代名副詞]]、[[古典ラテン語/相関詞|相関詞]]」を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:aliter#Latin|aliter]]
| style="background-color:#dfc;" |別の方法で、違う風に
|[類義表現] <span style="font-size:14pt;">[[wikt:la:aliter#Latine|aliō modō]]</span><br>※「[[/代名副詞]]、[[古典ラテン語/相関詞|相関詞]]」を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:ante#Adverb_2|ante]]
| style="background-color:#dfc;" |前に、前方に、以前に
|[[#前置詞としても用いる副詞]] を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-37-frozen-compounds">[[#Barron's (2011)]]のp.37 "FROZEN" COMPOUNDS WITH A PREPOSITION AS ADVERBS を参照。</ref>
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:antea#Latin|anteā]]
| style="background-color:#efd;" |(時間)前に、以前に、かつて<br>(場所)前方に
|[語源] [[wikt:en:ante#Latin|ante]]+代名詞の奪格 [[wikt:en:ea#Latin|eā]]<br>[対義語] [[wikt:en:postea#Latin|posteā]] (後で)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:bis#Latin|bis]]
| style="background-color:#efd;" |二度、再び;二倍
|※「'''[[#数副詞]]'''」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd;" |<!--【】-->cētera
| style="background-color:#efd;" |その他については
|[語源] 形容詞 [[wikt:en:ceterus#Latin|cēterus]]の中性・複数・対格
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-Acc-Sing-Neuter">[[#Barron's (2011)]]のp.36 ACC. SING. NEUTER OF THE ADJECTIVE AS ADVERBS を参照。</ref>
| style="background-color:#dfc;" |<!--【】-->[[wikt:en:ceterum#Adverb|cēterum]]
| style="background-color:#dfc;" |その他については、<br>そのうえ、さらに
|※「[[#副詞的対格]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:circa#Latin|circā]]
| style="background-color:#dfc;" |まわりに、近くに
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:circiter#Adverb|circiter]]
|まわりに、およそ
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:circum#Latin|circum]]
| style="background-color:#dfc;" |まわりに
|[[#前置詞としても用いる副詞]]、<br>[[#副詞的対格]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:citra#Latin|citrā]]
|こちら側に [対義語] [[wikt:en:ultra#Latin|ultrā]]
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-37-frozen-Case-Accsatives">[[#Barron's (2011)]]のp.37 "FROZEN" CASE FORMS OF NOUNS AS ADVERBS > ACCUSATIVES を参照。</ref>
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:clam#Adverb|clam]]
|隠れて、こっそり<br> [対義語] [[wikt:en:coram#Adverb|cōram]]
|[[#前置詞としても用いる副詞]]、<br>[[#副詞的対格]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:contra#Adverb_5|contrā]]
|逆らって、敵対して、<br>相対して、対して
|[[#前置詞としても用いる副詞]]<br>[類義語] [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]], [[wikt:en:adversum#Latin|adversum]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:coram#Adverb|cōram]]
|面と向かって、<br>公然と [対義語] [[wikt:en:clam#Adverb|clam]]
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-frozen-Case-Ablatives">[[#Barron's (2011)]]のp.36 "FROZEN" CASE FORMS OF NOUNS AS ADVERBS > ABLATIVES を参照。</ref>
| style="background-color:#efd; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:cotidie#Latin|cotīdiē]]
| style="background-color:#efd;" |毎日、日々
|※「[[#副詞的奪格]]」<br>[語源] [[wikt:en:quot#Latin|quot]]+[[wikt:en:dies#Latin|diēs]]<br>[別形] <span style="font-size:15pt;">[[wikt:en:cottidie#Latin|cottīdiē]], [[wikt:en:quotidie#Latin|quotīdiē]]</span>
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:cras#Latin|crās]]
| style="background-color:#efd;" |明日
|[関連語] [[wikt:en:crastinus#Latin|crāstinus, -a, -um]] (昨日の)<br>[類義表現] posterō diē (翌日に),<br>[[wikt:en:die#Latin|diē]] [[wikt:en:post#Latin|post]] [[wikt:en:hodiernum#Latin|hodiernum]] [[wikt:en:diem#Latin|diem]](今日の次の日)<br>[対義語] [[wikt:en:heri#Latin|herī]] (昨日)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:cur#Latin|cūr]]
| style="background-color:#cfb;" |なぜ、どうして
|※疑問副詞<br>[古形] [[wikt:en:quor|quōr]], [[wikt:en:quur|quūr]] [別形] cor (まれ)<br>[類義語] [[wikt:en:quare#Latin|quārē]] (quā rē)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:endeinceps#Adverb|deinceps]]
| style="background-color:#efd;" |続いて
|※「[[#副詞的対格]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:deinde#Latin|deinde]]
| style="background-color:#dfc;" |次に、それから、その後
|[語源] 前置詞 [[wikt:en:de#Latin|dē]]+副詞 [[wikt:en:inde#Latin|inde]]<br>[短縮形] <span style="font-size:20pt;">[[wikt:en:dein#Latin|dein]]</span><br>[類義語] [[wikt:en:tum#Latin|tum]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-Acc-Sing-Neuter"/>
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:demum#Latin|dēmum]]
| style="background-color:#efd;" |ついに、最後に
|※「[[#副詞的対格]]」<br>[類義語] [[wikt:en:denique#Latin|dēnique]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:denique#Latin|dēnique]]
| style="background-color:#dfc;" |ついに、最後に
|[語源] 前置詞 [[wikt:en:de#Latin|dē]]+接尾辞 [[wikt:en:-que#Latin|-que]]<br>[類義語] [[wikt:en:demum#Latin|dēmum]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#fff; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:la:enim#Latin|enim]]
| style="background-color:#fff;" |確かに、もちろん、<br>実際
|[[#接続詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:eo#Etymology_2_2|eō]]
| style="background-color:#cfb;" |(場所) '''そこに、その場所へ'''、<br>(時間) その時まで、<br>(理由) それゆえに、<br>(程度) その程度
|※「[[/代名副詞]]、[[古典ラテン語/相関詞|相関詞]]」を見よ<br>[類義表現] in eō locō, in eum locum,<br>eō tempore, eā rē<br>[派生語] [[wikt:en:adeo#Etymology_1|adeō]], [[wikt:en:ideo#Latin|ideō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#fff; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:et#Latin|et]]
| style="background-color:#fff;" |~もまた、同様に
|[[#接続詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:etiam#Latin|etiam]]
| style="background-color:#dfc;" |~もまた、<br>~でさえ、~ですら
|[[#接続詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:extra#Latin|extrā]]
| style="background-color:#dfc;" |外側に
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:fere#Latin|ferē]]
| style="background-color:#dfc;" |ほとんど、ほぼ、<br>全く、完全に、<br>一般に、普通は
|[類義語]<br> (ほとんど、ほぼ) [[wikt:en:ferme#Latin|fermē]], '''[[wikt:en:paene#Latin|paene]], [[wikt:en:prope#Latin|prope]]''',<br> (全く、完全に) [[wikt:en:omnino#Latin|omnīnō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-frozen-Case-Ablatives"/>
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:forte#Latin|forte]]
|偶然に、たまたま、<br>おそらく
|※「[[#副詞的奪格]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-frozen-Case-Ablatives"/>
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:frustra#Latin|frūstrā]]
|むなしく、無駄に
|※「[[#副詞的奪格]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#bfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:haud#Latin|haud]]
| style="background-color:#bfc;" |~ない
|[別形] [[wikt:en:haut#Latin|haut]], [[wikt:en:hau#Latin|hau]]<br>[類義語] [[wikt:en:non#Latin|nōn]], [[wikt:en:minime#Latin|minimē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:heri#Latin|herī]]
| style="background-color:#efd;" |昨日
|[派生語] [[wikt:en:hesternus#Latin|hesternus, -a, -um]] (昨日の)<br>[類義語] [[wikt:en:pridie#Latin|prīdiē]] (前日に)<br>[対義語] [[wikt:en:cras#Latin|crās]] (明日)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:hic#Etymology_2_2|hīc]]
| style="background-color:#dfc|ここに
|※「[[/代名副詞]]」<br>[類義表現] [[wikt:la:hic#hīc|in hōc locō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:hinc#Latin|hinc]]
| style="background-color:#dfc;" |ここから
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-frozen-Case-Ablatives"/>
| style="background-color:#efd; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:hodie#Latin|hodiē]]
| style="background-color:#efd;" |今日
|※「[[#副詞的奪格]]」<br>[類義語] [[wikt:en:hoc#Determiner_2|hōc]] [[wikt:en:die#Latin|diē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:huc#Latin|hūc]]
| style="background-color:#dfc;" |こちらへ
|※「[[/代名副詞]]」<br>[派生語] [[wikt:en:adhuc#Latin|adhūc]] (ここまで)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:iam#Latin|iam]]
| style="background-color:#cfb;" |すでに、もう、<br>今、このときに、<br>まもなく
|[別表記] <span style="font-size:20pt;">[[wikt:en:jam#Latin|jam]]</span><br>[類義語] ad hoc [[wikt:en:tempus#Latin|tempus]]; hōc [[wikt:en:tempore#Latin|tempore]]; [[wikt:en:nunc#Latin|nunc]]<br>[派生語] [[wikt:en:etiam#Latin|etiam]], [[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:ibi#Latin|ibi]]
| style="background-color:#dfc;" |そこに、そのときに
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:ideo#Latin|ideō]]
| style="background-color:#dfc;" |それゆえに、<br>そしてそのように
|[語源] [[wikt:en:id#Latin|id]]+[[wikt:en:eo#Latin|eō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:igitur#Latin|igitur]]
| style="background-color:#dfc;" | そしてそのように
|[類義語] [[wikt:en:itaque#Latin|itaque]]<br>[[#接続詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-37-frozen-compounds"/>
| style="background-color:#fff; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:ilico#Latin|īlicō]]
| style="background-color:#fff;" |その場所に、<br>ただちに
|※「[[/代名副詞]]」<br>[語源] [[wikt:en:in#Latin|in]]+[[wikt:en:locus#Latin|locō]]、[別形] illicō
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:illac#Latin|illāc]]
| style="background-color:#efd;" |あそこを通って、<br>あのように
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:illic#Etymology_2|illīc]]
| style="background-color:#dfc;" |あの場所に、<br>あそこに、あちら側に
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#fff; font-size:15pt;" |<!--【】-->illicō
| style="background-color:#fff;" |その場所に、<br>ただちに
|※「[[/代名副詞]]」<br>[語源] [[wikt:en:in#Latin|in]]+[[wikt:en:locus#Latin|locō]]、[別形] [[wikt:en:ilico#Latin|īlicō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:illinc#Latin|illinc]]
| style="background-color:#efd;" |あそこから、あちら側から
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:illuc#Latin|illūc]]
| style="background-color:#efd;" |あそこへ、あちら側へ
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:inde#Latin|inde]]
| style="background-color:#dfc;" |そこから
|※「[[/代名副詞]]」 派生語多し<br>[類義表現] [[wikt:la:inde|ab hoc loco]]<br> [[wikt:la:inde|ex aliquo temporis puncto]]<br> (編集中)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:interdiu#Latin|interdiū]]
| style="background-color:#efd;" |(時間) 日中に、昼間に
|[語源] [[wikt:en:inter#Latin|inter]]+ [[wikt:en:diu#Latin|diū]]<br>[対義語] [[wikt:en:nocte#Latin|nocte]], [[wikt:en:noctu#Latin|noctū]] 夜間に
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:interdum#Latin|interdum]]
| style="background-color:#efd;" |(時間) ときどき、時に
|[語源] [[wikt:en:inter#Latin|inter]]+ [[wikt:en:dum#Latin|dum]]<br>[類義語] [[wikt:en:interim#Latin|interim]] (ときどき)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-37-frozen-compounds"/>
| style="background-color:#dfc; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:interea#Latin|intereā]]
| style="background-color:#dfc;" |(時間) その間に
|[語源] [[wikt:en:inter#Latin|inter]]+代名詞の奪格 [[wikt:en:ea#Latin|eā]]<br>[類義語] [[wikt:en:interim#Latin|interim]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:interim#Latin|interim]]
| style="background-color:#dfc;" |(時間) その間に
|[語源] ''[[wikt:fr:inter#la|inter]]''+副詞的接尾辞 ''[[wikt:fr:-im#Latin|-im]]''<br>[類義語] [[wikt:en:interea#Latin|intereā]]
<!--【●編集中】-->
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:18pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:intra#Latin|intrā]]
| style="background-color:#dfc;" |内側に
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:ita#Latin|ita]]
| style="background-color:#dfc;" | そのように、<br>こうして
|[派生語] [[wikt:en:itaque#Latin|itaque]]<br>※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:itaque#Latin|itaque]]
| style="background-color:#dfc;" | そしてそのように
|[類義語] [[wikt:en:igitur#Latin|igitur]]<br>[[#接続詞としても用いる副詞]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:20pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:item#Latin|item]]
| style="background-color:#dfc;" |同じく、同じように、同様に
|※「[[/代名副詞]]」
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efe; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:iterum#Latin|iterum]]
| style="background-color:#efe;" |再び、再度
|[類義語] [[wikt:en:denuo#Latin|dēnuō]], [[wikt:en:rursum#Latin|rursum]], [[wikt:en:rursus#Latin|rūrsus]]
<!--【●編集中】-->
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| colspan="3" | <span style="font-size:20pt;">[[wikt:en:jam#Latin|jam]]</span> ⇒ <span style="font-size:20pt;">[[wikt:en:iam#Latin|iam]]</span> を見よ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:mane#Latin|māne]]
| style="background-color:#efd;" |朝に
|
<!--【●編集中】-->
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->
| style="background-color:#efd;" |
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->
| style="background-color:#efd;" |
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#efd; font-size:15pt;" |<!--【】-->
| style="background-color:#efd;" |
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#cfb; font-size:15pt;" |<!--【】-->
| style="background-color:#cfb;" |
|
|}
<!--
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:15pt;" |<!--【】-->
|
|[[#前置詞としても用いる副詞]]
-->
*<span style="font-size:13pt;">[[wikt:en:inde#Latin|inde]]</span> そこから →deinde
*<span style="font-size:13pt;">[[wikt:en:nocte#Latin|nocte]], [[wikt:en:noctu#Latin|noctū]]</span>
*<span style="font-size:13pt;">[[wikt:en:quoque#Etymology_2|quoque]]</span> もまた、同様に
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;">[[wikt:en:statim#Latin|statim]]</span> すぐに
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*<span style="font-size:13pt;"></span>
*[[wikt:en:utcumque#Latin|utcumque]] (非限定関係副詞)
=== 代名副詞 ===
*<span style="background-color:#ffc;">[[/代名副詞]] {{進捗|25%|2020-03-04}} </span> <!-- 2020-04-05 -->
=== 数副詞 ===
*<span style="background-color:#ffffcc;">[[/数副詞]] {{進捗|25%|2020-02-16}} <!-- 2020-02-16 --></span>
:関連:[[wikt:en:Category:Category:Latin frequency adverbs]]
=== 副詞的対格 ===
副詞的対格 ([[wikt:en:adverbial accusative|adverbial accusative]]) は、名詞・形容詞の対格形を副詞的に用いる用法。
*<span style="background-color:#ffffcc;">[[/副詞的対格]] {{進捗|00%|2020-02-22}} </span>
:関連:[[:wikt:en:Category:Latin adverbial accusatives|Category:Latin adverbial accusatives]]
=== 副詞的奪格 ===
名詞の奪格形は、副詞的対格ど同様に、副詞的に用いられることがある。
*<span style="background-color:#ffffcc;">[[/副詞的奪格]] {{進捗|00%|2020-04-03}} </span>
=== 前置詞としても用いる副詞 ===
{| class="wikitable"
|-
!
! 副 詞
! 意味(副詞)
! 備 考
! 前置詞
! 意味(前置詞)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]],<br>[[wikt:en:adversum#Latin|adversum]]
| style="background-color:#dfc;" |向かって、面して<br>反対して<br>[類義語] [[wikt:en:contra#Adverb_5|contrā]]
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]],<br>adversum
| style="background-color:#fef;" |(方向)~に向かって、<br>~に反対して<br>[類義語] [[wikt:en:contra#Preposition_6|contrā]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:ante#Adverb_2|ante]]
| style="background-color:#dfc;" |前に、前方に、以前に
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:ante#Preposition_5|ante]]
| style="background-color:#fef;" |(場所)の前に、の前面に、に面して、<br>(時)の以前に
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circa#Latin|circā]]
| style="background-color:#dfc;" |まわりに、近くに
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:circa#Latin|circā]]
| style="background-color:#fef;" |~のまわりに、~の近くに、<br>およそ~、~頃
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circiter#Adverb|circiter]]
| style="background-color:#dfc;" |まわりに、<br>およそ
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:circiter#Preposition|circiter]]
| style="background-color:#fef;" |~のまわりに、<br>およそ~
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circum#Latin|circum]]
| style="background-color:#dfc;" |まわりに
|[[#副詞的対格|副詞的対格]]
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:circum#Latin|circum]]
| style="background-color:#fef;" |~のまわりに
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:citra#Latin|citrā]]
| style="background-color:#dfc;" |こちら側に<br>[対義語] [[wikt:en:ultra#Latin|ultrā]]
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:citra#Latin|citrā]]
| style="background-color:#fef;" |~のこちら側に<br>[対義語] [[wikt:en:ultra#Latin|ultrā]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:clam#Adverb|clam]]
| style="background-color:#dfc;" |隠れて、こっそり<br>[対義語] [[wikt:en:coram#Adverb|cōram]]
|[[#副詞的対格|副詞的対格]]
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:clam#Preposition|clam]]
| style="background-color:#fef;" |~に隠れて、~に知られずに<br>[対義語] [[wikt:en:coram#Preposition|cōram]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:contra#Adverb_5|contrā]]
| style="background-color:#dfc;" |逆らって、敵対して、<br>相対して、対して<br>[類義語] [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]], [[wikt:en:adversum#Latin|adversum]]
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:contra#Preposition_6|contrā]]
| style="background-color:#fef;" |~に逆らって、~に敵対して、<br>~に対して、~に向かって<br>[類義語] [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]], adversum
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:coram#Adverb|cōram]]
| style="background-color:#dfc;" |面と向かって、<br>公然と [対義語] [[wikt:en:clam#Adverb|clam]]
|
| style="background-color:#ffebd8; font-size:14pt;" |[[wikt:en:coram#Preposition|cōram]]
| style="background-color:#ffebd8;" |[[wikt:en:coram#Latin|cōram]] ~の面前に<br>[対義語] [[wikt:en:clam#Preposition|clam]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:extra#Latin|extrā]]
| style="background-color:#dfc;" |外側に [対義語] [[wikt:en:intra#Latin|intrā]]
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:extra#Latin|extrā]]
| style="background-color:#fef;" |~の外側に [対義語] [[wikt:en:intra#Latin|intrā]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:intra#Latin|intrā]]
| style="background-color:#dfc;" |内側に [対義語] [[wikt:en:extra#Latin|extrā]]
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |[[wikt:en:intra#Latin|intrā]]
| style="background-color:#fef;" |~の内側に [対義語] [[wikt:en:extra#Latin|extrā]]
<!--【●編集中●】-->
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |
| style="background-color:#dfc;" |
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |
| style="background-color:#fef;" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |
| style="background-color:#dfc;" |
|
| style="background-color:#fef; font-size:14pt;" |
| style="background-color:#fef;" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |
| style="background-color:#dfc;" |
|
| style="background-color:#ffebd8; font-size:14pt;" |
| style="background-color:#ffebd8;" |
|}
*[[wikt:en:supra#Adverb_2|suprā]] [[wikt:en:supra#Preposition|suprā]]
=== 接続詞としても用いる副詞 ===
{| class="wikitable"
|-
!
! 副 詞
! 意味(副詞)
! 備 考
! 接続詞
! 意味(接続詞)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |[[wikt:la:enim#Latin|enim]]
| style="background-color:#dfc;" |確かに、もちろん、<br>疑いなく;実際<br>[類義語] [[wikt:en:certe#Latin|certē]], <br>[[wikt:en:sine#Latin|sine]] [[wikt:en:ullo#Latin|ūllō]] [[wikt:en:dubium#Latin|dubiō]];<br>[[wikt:en:vero#Latin|vērō]]
| style="font-size:8pt;" |※接続詞とされたり、<br>副詞とされたりする<ref>教材・辞書によって、接続詞に分類されたり、副詞に分類されたりするが、ここでは接続詞・副詞とする。例えば、[[wikt:la:enim|la:enim]] では副詞・接続詞、[[wikt:fr:enim#Latin|fr:enim]] では副詞、[[wikt:en:enim#Latin|en:enim]] では接続詞、としている。</ref>
| style="background-color:#ffa; font-size:25pt;" |[[wikt:en:enim#Latin|enim]]
| style="background-color:#ffc;" |実際、<br>なぜなら、というのは
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |[[wikt:en:et#Latin|et]]
| style="background-color:#dfc;" |~もまた、同様に
|
| style="background-color:#ffa; font-size:25pt;" |[[wikt:en:et#Latin|et]]
| style="background-color:#ffc;" |~と・・・、そして<br>[類義語] [[wikt:en:atque#Latin|atque]], [[wikt:en:ac#Latin|ac]],<br>[[wikt:en:-que#Latin|-que]]</span>(後置詞)
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:25pt;" |[[wikt:en:etiam#Latin|etiam]]
| style="background-color:#dfc;" |~もまた、<br>~でさえ、~ですら<br>[類義語] [[wikt:en:quoque#Etymology_2|quoque]]
| style="font-size:8pt;" |※接続詞とされたり、<br>副詞とされたりする<ref>教材・辞書によって、接続詞に分類されたり、副詞に分類されたりするが、ここでは接続詞・副詞とする。例えば、[[wikt:la:etiam#Latine|la:etiam]] や [[wikt:fr:etiam#Latin|fr:etiam]] や [[wikt:de:etiam|de:etiam]] では接続詞、[[wikt:en:etiam#Latin|en:etiam]] では副詞としている。</ref>
| style="background-color:#ffa; font-size:25pt;" |[[wikt:fr:etiam#Latin|etiam]]
| style="background-color:#ffc;" |さらに、そのうえ
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:en:igitur#Latin|igitur]]
| style="background-color:#dfc;" |そしてそのように<br>[類義語] et ita
|
| style="background-color:#ffa; font-size:14pt;" |[[wikt:en:igitur#Latin|igitur]]
| style="background-color:#ffc;" |したがって、<br>それゆえに
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |[[wikt:la:itaque#Latine|itaque]]
| style="background-color:#dfc;" |そしてそのように<br>[類義語] et ita
|
| style="background-color:#ffa; font-size:14pt;" |[[wikt:la:itaque#Latine|itaque]]
| style="background-color:#ffc;" |したがって、<br>それゆえに
<!--【●編集中●】-->
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |
| style="background-color:#dfc;" |
|
| style="background-color:#ffa; font-size:14pt;" |
| style="background-color:#ffc;" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc; font-size:15pt;" |
| style="background-color:#dfc;" |
|
| style="background-color:#ffa; font-size:14pt;" |
| style="background-color:#ffc;" |
|}
*[[wikt:en:nec#Latin|nec]]: (副詞・接続詞)<!-- et ne...pas -->
*[[wikt:en:neque#Latin|neque]]: (副詞・接続詞)
*<span style="font-size:13pt;">[[wikt:en:quoque#Etymology_2|quoque]]</span> もまた、同様に <!-- aussi -->
== 変化する副詞 ==
'''変化する副詞'''(declinable adverbs)は、さらに[[#副詞の規則的変化|規則的変化]]と[[#副詞の不規則的変化|不規則的変化]]に分けられる。
=== 副詞の規則的変化 ===
形容詞の語幹に語尾 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;">[[wikt:en:-e#Latin|-ē]], [[wikt:en:-iter#Latin|-iter]] ([[wikt:en:-ter#Latin|-ter]]), [[wikt:en:-o#Latin-adverb|-ō]]</span> などを付したものなどがある。
語尾は、比較級では<span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;">[[wikt:en:-ius#Etymology_3|-ius]]</span> に、最上級では<span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;">[[wikt:en:-issime#Latin|-issimē]]</span> に換えることが多い。
{| class="wikitable"
|-
!
! 原 級
! 比較級
! 最上級
! 意 味
! 備 考
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:acriter|ācriter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:acrius|ācrius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:acerrime#Latin|ācerrimē]]
| 激しく
|形容詞[[wikt:en:acer#Latin|ācer]]の語幹ācr+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:aegre|aegrē]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:aegrius|aegrius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:aegrissime|aegrissimē]]
| 辛うじて
|形容詞[[wikt:en:aeger#Latin|aeger]]の語幹aegr+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]<br>[類義語] [[wikt:en:vix#Latin|vix]], [対義語] [[wikt:en:facile#Latin|facile]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:alte#Etymology_1|altē]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:altius#Adverb|altius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:altissime#Latin|altissimē]]
| 高く
|形容詞[[wikt:en:altus#Etymology_1|altus]]の語幹alt+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
| rowspan="2" |
| rowspan="2" style="font-size:21pt; background:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:audacter#Latin|audācter]]
| rowspan="2" style="font-size:14pt;" |audācius
| rowspan="2" style="font-size:14pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:audacissime|audācissimē]]
| rowspan="2" |大胆に
|形容詞[[wikt:en:audax#Latin|audāx]]の語幹audāc+語尾[[wikt:en:-ter#Latin|-ter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
| style="background:#efd;" |【別形】 <span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:audaciter#Latin|audāciter]]</span>
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:beate#Latin|beātē]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:beatius|beātius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:beatissime|beātissimē]]
|幸福に
|形容詞[[wikt:en:beatus#Latin|beātus]]の語幹beātu+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:breviter#Latin|breviter]]
| style="font-size:14pt;" |brevius
| style="font-size:14pt;" |brevissimē
|短く
|形容詞[[wikt:en:brevis#Latin|brevis]]の語幹+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background:#efd" |<!--【】-->[[wikt:en:celeriter#Latin|celeriter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:celerius#Latin|celerius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:celerrime#Latin|celerrimē]]
|速く
|形容詞[[wikt:en:celer#Latin|celer]]+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:certe#Latin|certē]]
| style="font-size:14pt;" |certius
| style="font-size:14pt;" |certissimē
|確かに、<br>もちろん、<br>疑いなく。<br>とにかく
|形容詞[[wikt:en:certus#Latin|certus]]の語幹cert+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]<br>[類義語] [[wikt:en:certo#Etymology_2|certō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:certo#Etymology_2|certō]]
| style="font-size:14pt;" |certius
| style="font-size:14pt;" |certissimē
|確かに、<br>もちろん、<br>疑いなく
|形容詞[[wikt:en:certus#Latin|certus]]の語幹cert+語尾[[wikt:en:-o#Latin-adverb|-ō]]<br>[類義語] [[wikt:en:certe#Latin|certē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:cito#Latin|citō]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:citius#Latin|citius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:citissime#Latin|citissimē]]
|速く、<br>迅速に
|形容詞[[wikt:en:citus#Latin|citus]]の語幹cit+語尾[[wikt:en:-o#Latin-adverb|-ō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:continuo#Etymology_2_3|continuō]]
| style="font-size:14pt;" |continuius
| style="font-size:14pt;" |continuissimē
|ただちに
|形容詞[[wikt:en:continuus#Latin|continuus]]の語幹continu+語尾[[wikt:en:-o#Latin-adverb|-ō]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:crebro#Latin|crēbrō]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:crebrius#Latin|crēbrius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:crebrissime#Latin|crēbrissimē]]
|しばしば
|形容詞[[wikt:en:creber#Latin|crēber]]の語幹crēbr+語尾[[wikt:en:-o#Latin-adverb|-ō]]<br>[類義語] [[wikt:en:frequenter#Latin|frequenter]], [[wikt:en:saepe#Latin|saepe]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:crudeliter#Latin|crūdēliter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:crudelius#Latin|crūdēlius]]
| style="font-size:14pt;" |crūdēlissimē
|残酷に
|形容詞[[wikt:en:crudelis#Latin|crūdēlis]]の語幹crūdēl+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]<br>[別形] <span style="font-size:20pt;">[[wikt:en:crudele#Latin|crūdēl-ē]], -ius, -issimē</span>
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-frozen-Case-Ablatives"/>
| style="font-size:21pt; background:#cfb;" |<!--【】-->[[wikt:en:diu#Latin|diū]]
| style="font-size:14pt; background:#efd;" |[[wikt:en:diutius#Latin|diūtius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:diutissime#Latin|diūtissimē]]
|長い間
|[語源的関連語] [[wikt:en:dies#Latin|diēs]]<br>[派生語] [[wikt:en:aliquamdiu#Latin|aliquamdiū]], [[wikt:en:interdiu#Latin|interdiū]], [[wikt:en:quamdiu#Latin|quamdiū]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|<ref name="Barrons-36-Acc-Sing-Neuter"/>
| style="font-size:21pt; background:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:facile#Latin|facile]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:facilius#Latin|facilius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:facillime#Latin|facillimē]]
|容易に
|「'''[[古典ラテン語/副詞/副詞的対格|副詞的対格]]'''」を参照。
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:feliciter#Latin|fēlīciter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:felicius#Latin|fēlīcius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:felicissime#Latin|fēlīcissimē]]
|幸福に
|形容詞[[wikt:en:felix#Latin|fēlīx]]の語幹fēlīc+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->[[wikt:en:fortiter#Latin|fortiter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:fortius|fortius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:fortissime#Latin|fortissimē]]
|強く、<br>勇敢に、<br>勇気を持って
|形容詞[[wikt:en:fortis#Latin|fortis]]の語幹fort+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background-color:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:frequenter#Latin|frequenter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:frequentius#Latin|frequentius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:frequentissime#Latin|frequentissimē]]
|しばしば
|[語源] 現在分詞 [[wikt:en:frequens#Latin|frequēns]]より+語尾[[wikt:en:-ter#Latin|-ter]]<br>[類義語] [[wikt:en:crebro#Latin|crēbrō]], [[wikt:en:saepe#Latin|saepe]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【graviter】-->[[wikt:en:graviter#Latin|graviter]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:gravius#Adverb|gravius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:gravissime#Adverb|gravissimē]]
|重く、<br>激しく
|[語源] 形容詞 [[wikt:en:gravis#Latin|gravis]]の語幹grav+語尾[[wikt:en:-iter#Latin|-iter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->''[[wikt:la:Latine#Latine|Latīnē]]''
| style="font-size:14pt;" |Latīnius
| style="font-size:14pt;" |Latīnissime
| ラテン語で
|[語源] 形容詞 [[wikt:la:Latinus#Latine|Latīnus, -a, -um]]の語幹Latīn+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background-color:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:libenter#Latin|libenter]]
| style="font-size:14pt;" |libentius
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:libentissime#Latin|libentissimē]]
|喜んで
|[語源] 現在分詞 [[wikt:en:libens#Latin|libēns]]より+語尾[[wikt:en:-ter#Latin|-ter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background-color:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:longe#Latin|longē]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:longius#Latin|longius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:longissime#Latin|longissimē]]
|(空間)遠くに、<br>(時間)長く
|[語源] 形容詞 [[wikt:en:longus#Latin|longus]]の語幹long+語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->
| style="font-size:14pt;" |
| style="font-size:14pt;" |
|
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->
| style="font-size:14pt;" |
| style="font-size:14pt;" |
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|
|- style="font-family:Times New Roman;"
| rowspan="2" |
| style="font-size:21pt;" rowspan="2" |<!--【】-->[[wikt:en:prope|prope]]
| style="font-size:14pt;" rowspan="2" |[[wikt:en:propius|propius]]
| style="font-size:14pt;" rowspan="2" |[[wikt:en:proxime#Latin|proximē]]
|(空間)近くに、<br>(時間)近く<br>
|[類義語] [[wikt:en:propter|propter]], [[wikt:en:iuxta|iuxtā]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|ほとんど、ほぼ
|[類義語] [[wikt:en:fere#Latin|fere]], [[wikt:en:ferme#Latin|fermē]], [[wikt:en:paene|paene]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt; background-color:#efd;" |<!--【】-->[[wikt:en:saepe#Latin|saepe]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:saepius#Latin|saepius]]
| style="font-size:14pt;" |[[wikt:en:saepissime#Latin|saepissimē]]
|しばしば
|[類義語] [[wikt:en:crebro#Latin|crēbrō]], [[wikt:en:frequenter#Latin|frequenter]]
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->
| style="font-size:14pt;" |
| style="font-size:14pt;" |
|
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="font-size:21pt;" |<!--【】-->
| style="font-size:14pt;" |
| style="font-size:14pt;" |
|
|
|}
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
;関連
*[[wikt:en:Category:Latin words suffixed with -o (adverb)|wikt:Category:Latin words suffixed with -o (adverb)]]
*[[wikt:en:Category:Latin words suffixed with -ter|wikt:Category:Latin words suffixed with -ter]]
=== 副詞の不規則的変化 ===
副詞の不規則的な変化(原級・比較級・最上級)は、それぞれ不規則に変化する形容詞の原級・比較級・最上級からつくられ、互いに類似性のない形をしているので、個別に覚えなければならない。
{| class="wikitable"
|-
!
! style="background-color:#dfc;" |原 級
! style="background-color:#dfc;" |比較級
! style="background-color:#dfc;" |最上級
! style="background-color:#efe;" |意 味
! style="background-color:#efe;" |備 考
|- style="font-family:Times New Roman;"
| style="font-size:8pt;" |形容詞
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:bonus#Latin|bonus]]
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:melior#Latin|melior]]
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:optimus#Latin|optimus]]
|良い
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#bfb;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:bene#Latin|bene]]</span><br>良く
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:melius#Latin|melius]]</span> <ref>形容詞bonusの不規則的比較級[[wikt:en:melior#Latin|melior]]の中性・単数・主格/対格/呼格と同形。</ref><br>より良く
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:optime#Latin|optimē]]</span> <ref>形容詞bonusの不規則的最上級[[wikt:en:optimus#Latin|optimus]]の語幹optimに語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]を付した形。</ref><br>最も良く
| style="background-color:#efe;" |良く
| style="background-color:#efe;" |
|-
| colspan="6" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
| style="font-size:8pt;" |形容詞
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:magnus#Latin|magnus]]
| style="font-size:13pt;" |([[wikt:en:maior#Latin|maior]])
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:maximus#Latin|maximus]]
|大きい
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:15pt;">[[wikt:en:magnopere#Latin|magnopere]]</span><br>大いに、非常に
| style="background-color:#bfa;" |<span style="font-size:25pt;">[[wikt:en:magis#Latin|magis]]</span><br><span style="font-size:8pt;">より多く、より以上に</span>
| style="background-color:#bfa;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:maxime#Latin|maximē]]</span><br><span style="font-size:8pt;">最も、最大に、特に</span>
| style="background-color:#efe;" |大いに
| style="background-color:#efe;" |
|-
| colspan="6" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
| style="font-size:8pt;" |形容詞
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:parvus#Latin|parvus]]
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:minor#Latin|minor]]
| style="font-size:13pt;" |[[wikt:en:minimus#Latin|minimus]]
|少ない
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:15pt;">[[wikt:en:parum#Latin|parum]]</span><br>少なく
| style="background-color:#bfa;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:minus#Latin|minus]]</span> <ref>形容詞[[wikt:en:parvus#Latin|parvus]]の不規則的比較級[[wikt:en:minor#Latin|minor]]の中性・単数・対格と同形。</ref><br><span style="font-size:8pt;">より少なく</span>
| style="background-color:#bfa;" |<span style="font-size:21pt;">[[wikt:en:minime#Latin|minimē]]</span> <ref>形容詞[[wikt:en:parvus#Latin|parvus]]の不規則的最上級[[wikt:en:minimus#Latin|minimus]]の語幹minimに語尾[[wikt:en:-e#Latin|-ē]]を付した形。</ref><br><span style="font-size:8pt;">最も少なく、決して~ない</span>
| style="background-color:#efe;" |少なく
| style="background-color:#efe;" |
|-
| colspan="6" |
|-
| colspan="6" |
|- style="font-family:Times New Roman;"
| style="font-size:8pt;" |<!--形容詞-->
| style="font-size:13pt;" |
| style="font-size:13pt;" |
| style="font-size:13pt;" |
|
|
|- style="font-family:Times New Roman;"
|
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:21pt;"></span>
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:15pt;"></span>
| style="background-color:#dfc;" |<span style="font-size:15pt;"></span>
| style="background-color:#efe;" |
| style="background-color:#efe;" |
|-
| colspan="6" |
|}
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
<span style="font-size:13pt;"></span>
== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
===Barron's (2011)===
*<span style="font-family:Times New Roman;"><span style="font-size:15pt;">[[古典ラテン語/参考文献#Barron's Latin Grammar (2011)|Barron's Latin Grammar (2011)]]</span></span>
**<span style="font-family:Times New Roman;">p.35-39 6 Adverbs</span>
**:<span style="font-family:Times New Roman;">p.36 ACC. SING. NEUTER OF THE ADJECTIVE AS ADVERBS</span>
**:<span style="font-family:Times New Roman;">p.36 "FROZEN" CASE FORMS OF NOUNS AS ADVERBS > ABLATIVES</span>
**:<span style="font-family:Times New Roman;">p.37 "FROZEN" CASE FORMS OF NOUNS AS ADVERBS > ACCUSATIVES</span>
**:<span style="font-family:Times New Roman;">p.37 "FROZEN" COMPOUNDS WITH A PREPOSITION AS ADVERBS</span>
<span style="font-family:Times New Roman;"></span>
== 関連項目 ==
*[[古典ラテン語/前置詞]]
*[[古典ラテン語/接続詞]]
== 関連記事 ==
*[[w:la:Adverbium]]
;英語版ウィクショナリー
*[[wikt:en:Category:Latin adverbs]] (ラテン語の副詞のカテゴリ)
**[[wikt:en:Category:Latin adverb forms]]
***[[wikt:en:Category:Latin comparative adverbs]]
****[[wikt:en:Category:Latin words suffixed with -o (adverb)|wikt:Category:Latin words suffixed with -o (adverb)]]
****[[wikt:en:Category:Latin words suffixed with -ter|wikt:Category:Latin words suffixed with -ter]]
**[[wikt:en:Category:Latin uncomparable adverbs]]
**[[wikt:en:Category:Latin adverbial accusatives]] (副詞的対格)
**[[wikt:en:Category:Category:Latin frequency adverbs]] (数副詞のカテゴリ)
**[[wikt:en:Category:Latin interrogative adverbs]] (疑問副詞)
;仏語版ウィクショナリー
*[[wikt:fr:Catégorie:Adverbes en latin]] (ラテン語の副詞のカテゴリ)
**[[wikt:fr:Catégorie:Adverbes relatifs en latin]] (関係副詞)
**[[wikt:fr:Catégorie:Adverbes interrogatifs en latin]] (疑問副詞)
**[[wikt:fr:Catégorie:Adverbes comparatifs en latin]] (副詞の比較級)
**[[wikt:fr:Catégorie:Adverbes superlatifs en latin]] (副詞の最上級)
;仏語版ウィキブックス
*'''[[b:fr:Latin/Vocabulaire/Adverbes]]'''
;独語版ウィクショナリー
*[[wikt:de:Kategorie:Adverb (Latein)]] (ラテン語の副詞のカテゴリ)
[[Category:古典ラテン語|副詞]]
n3fvjuh7smn5mygwwi44b0yc2vs2ff1
ゲームプログラミング/書類/集団作業の場合の書類と書き方
0
27227
206016
205518
2022-07-30T19:40:27Z
Honooo
14373
/*ゲーム業界での技術職*/
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
=== 企画書 ===
* PREP法
文献『ゲームプランナー入門』でも、企画書に限らず仕事の書類の文章構成として、なるべく結論を先に書いてほしいと述べられています。文献では、その例としてPREP法という文章構成法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)
という構成の文章法です。
文献では、そのほかにもホールパート法やSDS法などもあると伝えているものの、これらの手法の共通点として、まず結論を冒頭で伝えて、続いて詳細を伝えるという方法であると紹介しています<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
ゲーム業界だけでなく一般の業界でもよく使われる手法なので、覚えて置きましょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
* ゲームのルール
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ゲームの企画書には、かならずそのゲームのルールが必要です。なぜならゲーム性を決める中心的な要因は、そのゲームのルールだからです。よって、ルールの説明がない書類は、たとえどんなにキャラクター設定や世界観の設定があっても、ゲームの企画書とは言えません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
業界志望者などの「企画書」でルールの説明が無いものも多いようですが、しかし企画書にはルールを書くべきだと文献では述べられています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
* プレイ人数
文献『ゲームプランナー入門』によると、新人や志望者がゲームの企画書を書く際、sのゲームの想定プレイ人数を書き忘れる人が多いようです。きちんとプレイ人数を書きましょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。ファミコン時代とは異なり、現代ゲームではRPGであっても1人プレイ用とは限りません。
:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。
企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
=== 「仕様書」、「企画書」 ===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 『鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話』2016年4月4日12:00 公開]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
9ef32kim3uaw6dnxzkywwofnx03dz4s
206018
206016
2022-07-30T20:53:42Z
Honooo
14373
/* 企画書 */ 第1段落のみ修正。1/4。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
* ゲームのルール
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ゲームの企画書には、かならずそのゲームのルールが必要です。なぜならゲーム性を決める中心的な要因は、そのゲームのルールだからです。よって、ルールの説明がない書類は、たとえどんなにキャラクター設定や世界観の設定があっても、ゲームの企画書とは言えません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
業界志望者などの「企画書」でルールの説明が無いものも多いようですが、しかし企画書にはルールを書くべきだと文献では述べられています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
* プレイ人数
文献『ゲームプランナー入門』によると、新人や志望者がゲームの企画書を書く際、sのゲームの想定プレイ人数を書き忘れる人が多いようです。きちんとプレイ人数を書きましょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。ファミコン時代とは異なり、現代ゲームではRPGであっても1人プレイ用とは限りません。
:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。
企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
=== 「仕様書」、「企画書」 ===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 『鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話』2016年4月4日12:00 公開]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
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{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
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==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
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=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
kqbaigvrbvjmthuuci2nw6ae2uluzdm
206020
206018
2022-07-30T21:54:37Z
Honooo
14373
/* 企画書 */ 第2段落まで修正。2/4。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
* ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
* プレイ人数
文献『ゲームプランナー入門』によると、新人や志望者がゲームの企画書を書く際、sのゲームの想定プレイ人数を書き忘れる人が多いようです。きちんとプレイ人数を書きましょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。ファミコン時代とは異なり、現代ゲームではRPGであっても1人プレイ用とは限りません。
:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。
企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
=== 「仕様書」、「企画書」 ===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 『鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話』2016年4月4日12:00 公開]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
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{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
jiyd4gjpp927xwl2m7izgke66t3qdfl
206021
206020
2022-07-30T23:56:36Z
Honooo
14373
/* 企画書 */ 第3段落まで修正。3/4。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。
企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
=== 「仕様書」、「企画書」 ===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 『鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話』2016年4月4日12:00 公開]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
0fjaj7wft0hi8arniygf7n9g8q550k4
206030
206021
2022-07-31T06:07:55Z
Honooo
14373
/* 企画書 */ 5/5。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
=== 「仕様書」、「企画書」 ===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 『鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話』2016年4月4日12:00 公開]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
cvkk3rmzht5foox9vgpp9dbzeaqwp23
206037
206030
2022-07-31T08:08:09Z
Honooo
14373
/* 「仕様書」、「企画書」 */ コラム前まで整理。1/9。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
:1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男か女か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社外ゲスト講演会の例|
別のコラムで自動車会社の例が出たので、ついでに話します。
自動車会社の日産自動車では、過去に製造業とはまったく関係ない異業種のベテランなどをまねいて、
ニッサン社内の営業マンや企画担当などに対して講演をしてもらうことをしていたことがあります。その講演会で、アニメ会社の人を招いて日産社内で講演してもらった事例もあります。
テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産がそのアニメに取材協力などで協力していたので、CG雑誌などで日産の講演会の例が紹介されていました。
アニメ業界では、実在しない物体のイメージを、勘に頼るなく絵コンテなどで安定的に設計してイメージ共有するので、
ほかの業界でも企画などの参考になることもあります。
実際、日産の社員はそのように考え、なので、アニメ会社のお偉いさんに講演してもらったあと、「もっと話を聞かせてほしい」とアニメ業界の人に要望し、
それによって「では、この会社(のちにラグランジェ制作するアニメ制作会社)を紹介しますね」という感じで紹介してもらったアニメ会社との講演が背景となって、
のちにアニメ『輪廻のラグランジェ』が制作される際には取材にも快く(こころよく)協力させていただくことになった、という経緯があります。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、出典不足により現状2022/01月では不明です。)
ただし検品自体はゲーム業界でも当然ながら行われており、協力会社などから納品されたプログラムなどが仕様を満たしているかを検品します。
そして、納品された成果物が検査に合格したら、それを合格物として認めたうえで発注者が(協力会社などからの)納品物を受け取ります。
発注者が、協力会社などから送られてきた納品物を検査(受け入れ検査)して、合格していることを認めたうえで受け取ることを「検収」(けんしゅう)といいます。
ゲーム業界でも『検収』という用語を用います<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲーム業界の仕様書を書く場合も、こういった検収のことを考えて書くべきでしょう。
ゲーム業界の場合ですが、もし、納品される品物が仕様を満たしてない場合、けっして合格品としてはいけず(つまり「検収」してはいけず)、(発注者は)協力会社に作り直しを要求します<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日 初版第1刷発行、76ページ</ref>。
なお余談ですが、営業マンなどが見積もりをする場合、ゲーム業界では仕様書をもとに見積もりをする<ref name="creator_work:77" />ようです。
ただし、外注テストなどは別でしょう。書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、最近はテストを外注に出す場合も多いので、その場合、テスト用の資料を作成する必要が生じます<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
なお書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、バグチェックであっても、(※カッコ内wiki補: 外注でない場合などは)「仕様書」がバグチェックのための判断基準としての資料になります<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
原則、「仕様書」に書かれてある仕様こそが「正しい」仕様です<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P199</ref>。
また前提として、開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえなければなりません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。
== そもそも知能労働の現場での作成工程は ==
=== まず完成予想図を示す ===
仕様書はゲームの設計図です。仕様書のとおりにプログラマーやグラフィッカーは作業をすすめます。ただしゲームの場合、いきなりは完成図を決めるのが困難な場合があります。その場合、段階的に、決められることを先に大まかに決めていくようです。実際、文献『ゲームデザイン プロフェショナル』によるとゲーム業界でも会社によっては、大まかな「企画概要書」と、より詳細な「仕様書」により、段階的に仕様を決めていったりするようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
なお、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム業界でも、(設計図ではなく指示・発注ですが)あいまいな指示や発注は事故のもとだと、認識されており、たとえば「とにかく、かっこいい感じでお願いします」といった指示は事故のもとだと認識されています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。
もちろん後述のゲーム業界での「裁量」のように例外もあります(なお国語的には「原則」「の対義語は「例外」)。しかし、あくまで技術系の仕事での「設計図」というものの原則は、極力、あいまいさがない事が必要なのです。
例外的にゲームの場合、ある程度は発注では、発注相手の裁量にゆだねたほうが良い場合もあります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのかを具体的に依頼する必要があります。これについてはwikiでは短い文章では引用できず、長い文章を引用すると著作権的に問題あるので、裁量の発注について詳しく知りたい人は書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買って読んでください。
=== 各機能の完成予想図の決定稿 ===
ゲームソフトにかぎらず、なにかのソフトウェアの完成予想図を描くとき、それぞれの画面を基準にして書くと、相手に伝わりやすいようです。
おそらく、人の目で画面は見えるので、集団内で確認を取りやすいのでしょう。
たとえば、
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
のような、それぞれの画面・モードでの機能の満たすべき情報の一覧の書類を作業者に伝えると、良いかもしれません。
IT用語では、このように、ソフトウェアをユーザー視点でも見たときに製品がどういう条件を満たしているべきかを指定した仕様のことを(IT用語では)「外部仕様」と言います。
なので、ソフトウェア設計者は、すべてのモードについて、こういった(画面仕様などの外部仕様を中心とした)一覧を用意する必要があります。
これが、プログラマーにとっての完成予想図になります。
なお、(外部仕様でなく)「内部仕様」とは、ソースコードがどうなってるか、という仕様です。
ゲーム業界では原則的に、内部仕様については、書かないようです。
ただし、実際は程度問題であり、設計しようとしている項目がプロトタイプのどのファイルや変数に相当するかがゲーム『仕様書』に書かれるのが通例だと、ネットでは言われています。
さて、外部仕様について、「画面仕様」のほかにも「外部仕様」があります。ゲームの場合、アクションゲームのモンスターの動き方のパターンも「外部仕様」であり、あるいはRPGのダメージ計算式も「外部仕様」であり、なぜ外部仕様かというとプレイヤーから見たら確認できるので(つまり外部仕様であるので)、ゲーム仕様書では、それらの仕様(敵の動き方、ダメージ計算式など)も指定することになるでしょうか。
ゲームの仕様書はけっこうな割合が画面仕様が中心的になりますが、しかし画面仕様の他の外部仕様もゲームの仕様書では指定する必要があるので、そこは気をつけてください。
== ※ 例 ==
完成予想図どうしでは、説明はあまり重複しないようにする必要があります。
なぜなら、もし重複させて他の書類の参照をすると、もしその参照された側の予想図Aで設計内容の変更が起きたときに、参照する側の予想図Bにも設計変更が必要になってしまいます<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
なので、完成予想図では、説明のための重複は不要です。これは、製造業の製図でも同様です。製造業でも、ひとつの末端部品の図面では、他の図面は参照しないようにします。
さてゲーム業界の話題に戻りますが、学生にはこのような完成予想図の考えかたは、ちょっと分かりづらいと思いますので、たとえばウディタのサンプルゲームを具体例をあげて、説明します。
仮に、このウディタのサンプルゲームを、新たに仕様書として書き起こすとしましょう(仮にですよ。すでにソフトはあるので実用的には、もうサンプルゲームに仕様書は不要です)。
たとえば、ウディタのサンプルゲームは、メニュー画面で、上から順に
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
というふうに6つのコマンドがあります。
上から4つめに「装備」というのがあって、それにカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移ります。
さて、もしこれを仕様書にする場合、たとえば装備キャラクター選択の仕様での説明の文章では、あえて、
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じの、その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル等しか、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い、というワケです。
:※ 実際はもっと多くの変化がウディタのサンプルゲームであるだろうが、説明のため単純化している。
:※ 上記の仕様書の書式の参考文献として、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式を参考にした。
ついつい学生さんとかだと、
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明も続けて書いてしまいがちです。しかし、そういうのは別途、たとえば『装備フロー仕様書』みたいな仕様書を作成せよ、と考えるのが良いでしょうか。
なぜ別途に分かるべきかというと、もし仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったりしたら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまいます。
そういう修正時の書類の作り直しの手間を省くため、あえて書類をモジュール化するのです。当然、そのままでは全体像は把握しづらくなりますが、しかし全体像の把握については、さらに別の全体像把握のための専用フローチャートなどを書類に設けるなどして補うことによって、修正の手間がなるべく波及しないようにします。
さて、「装備フロー仕様書」みたいなのを作るときは、たとえば
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
のようになるでしょうか。
::なお、フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能です。
::またなお、フローチャートの描き方はJISで決まってるので、ソレを参考に。というか中学校の技術家庭科でも習う。
また、ウディタのサンプルゲームの装備部位の選択画面では、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
と5つの項目があります。
もし仮に仕様変更で、部位の名称が変更され、
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
とかに名称の仕様が変更したりすると、「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」とか書いた書類は、すべて作り直しです。
なので、『メニュー画面』とか『キャラクター選択画面』とかでは、そういう他画面である装備部位選択画面についての個別具体的な項目の名称(「右手」とか「左手」とか)や移り方の詳細は書かないで、キャラクター選択画面の仕様では単に「選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。」と遷移先の画面名だけを書くべきか、あるいは「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」とか、どこかの仕様書に書いておいて、あとはその説明を今回も引用するかすればいいだけです。
また、装備コマンドのフローを書くときは、
あまり、
:マップ画面 → キャンセルボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と設計図の段階では、続けて書くべきではないでしょう。
こういうのは、意味のある内容ごとにいくつかにフローを分解し
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
というメニュー画面を選択するためのフロー仕様書と、
もうひとつのフロー図面は、
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
という装備関係のフローとに2分割するのが良いでしょうか。
このように、意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割するのが良いでしょう。
かといって、階層を5分割とか10分割とかすると、まるでゼネコン多重下請けみたいになって、かえって見通しが悪くなりますので、なるべく2分割までにするのが良いと思います。(せいぜい3分割まで)
さて、フロー同士の関係の記述では、別途、
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とでも書いておけば済むでしょうか。
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複していますが、これは実務でも構いません。
参考文献の 吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。
;一枚の図面の中では内容重複はオッケー
なお、一枚の仕様書の中では、内容の重複はオッケーです。
たとえば、機能の似たモノを2個つくるとき、
2個目の説明では、「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明できるから、です<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
なぜなら、この場合なら、他の図面を参照する必要が無いので、一枚のその図面の中で完結するからです。
しかし、この場合でも、なるべく二回目以降の説明では「○○については△△と同じ」のように、「~~~と同じ」というふうに説明すべきです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
あまり、具体的な仕様の文は、二度目からは掲載しないほうが良いのです。
なぜなら、もし参照先である一度目の説明の仕様に設計変更があると、もし具体的な仕様の文を2度目以降にも掲載した場合には、修正のさいに二度目・三度目の説明も修正することになってしまいます。
で、よくミスとして、二個目以降の修正をし忘れるミスがあります。
;その他
暗黙の前提ですが、画面名やファイル名などの名前を決める際には、具体的な名前をつけましょう<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面をもしアナタが命名するなら
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」などのように、です。
当然のことのように思えますが、しかし、おそらく新人にこういう図面を書かせる仕事を依頼すると、新人によっては、「画面1」、「画面2」、「画面3」、…のような具体的でない名前をつける場合があります。
あるいは、「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…というパターンも考えられます。
しかし、そのような抽象的な命名は他人に伝わりにくいためやめましょう。
===== 要求事項書はゲーム業界では書かない場合もある =====
IT業界でいう「要求事項」とは、顧客などから、完成品の満たすべき要件を聞き取ったりしたりして、完成品の満たすべき要件をまとめた書類のことです。
しかしゲーム業界では、ゲームプランニングの書籍を読んでも要求事項書は紹介されてない状態です。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
個人製作のゲームでは、要求事項書は、まず不要です(自分で作ればいいので)。
個人製作では要求事項は不要ですが、比較のために下記に概要を記載しておきます。
まず、要求事項書は、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって書きます。
なおゲーム業界でも、(要求事項書ではなく)発注書ですので立場は逆の種類ですが、その発注の成果物が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝えるのが良い<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>とされています。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中の、たとえばRPG武器の「攻撃力」などのデータの数値は、あらかじめ作者が、すべての項目の想定値を具体値で設計図に記述します
<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 【ゲーム企画】 ゲーム仕様書の書き方 - YouTube] ゲームのしくみチャンネル、2015/12/11、 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルなどでエクセルなどで記述しておきます。
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
みたいに、暫定値でいいので、とりあえずの具体的指示も必要です。
ただし、これはあくまで暫定的な値でありますので、今後の調整で変更する可能性があります。
==== データ仕様書 ====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、92ページ</ref>。
どうもアイテム(「やくそう」とか「毒消し」などのアイテム)価格などの「100」(100ゴールド)とか「200」(200ゴールド)とかの具体値のあるデータ表のことをSTUDIO SHIN 氏は「仕様書」と言っている<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日 初版第2刷発行、261ページ</ref>。本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合、「仕様書」で簡単に確認できるとSTUDIO SHIN 氏は言っている。)
一般に、RPGの仕様書は、すごく分厚くなるといわれています。(アニメ評論家の岡田斗司夫が1990年代のむかし、彼の言うには、彼の伝聞によると、ある有名RPGの仕様書は、その書類の量の表現として(ページ数ではなく)キログラム単位で表現されるくらいだと言われています。岡田さんは彼の著書『オタク学講座』などの書籍で、そういった伝聞を述べています。有名作の仕様書だと、ちょっとした電話帳みたいに分厚くて重い書類が、場合によっては何冊かあるらしいです。おそらく、データ台帳に、攻撃力などのデータだけでなく、さらに設計の背景となる要求事項などもマトメて書いた上での重量でしょう。)
;攻略本と『仕様書』
ゲームの攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値などといった数値の一覧などは、おそらく、そのゲームのデータ台帳から、転記されていると思われます。
よく、「仕様書をもとに攻略本が作られる」と言いますが、しかし攻略本の制作に必要なのは、プログラム部分の設計図などではなく、実際に入力された各データを記載したデータ台帳のハズです。
ただし、実際には市販の攻略本には、記載ミスなどもあります。
また、制作側が情報を隠していたりして、攻略本に記載された情報と、実際のゲームプログラム内の数値とが違っている場合もあります。
== 他部署との連絡の仕事をするのは誰なのか ==
ゲーム業界では、プランナーと言われる役職の人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
のような感じです。(ディレクターの上に、さらにプロデューサー、プロデューサーの上には社長などがいるが、省略する。)
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職のような権限もあって、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)とディレクター(監督みたいな役職)のあいだのやりとりもします。
:※ 一般の企業での連絡網の場合については、企業ごとの差異が大きいので、説明を省略する。
「プランナー」というと、てっきりプラン「計画」を練る仕事化のように思いがちですが、しかし、どっちかというと、計画を練るというより、たとえばテレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません。
実際、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、プランナ-にはTV業界でいう「AD」のような側面があると述べています<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。
== イラスト・音楽などの外注や打ち合わせ ==
イラスト・音楽に限った話ではないですが、文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注フォーマットに業界共通のルールは存在しないので、だから開発する作品に適したフォーマットを考える必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
また、発注の際には、発注の目的まで、発注相手には説明できることが望ましいとのことです。
何らかの発注をする際、事前にチェック項目リストを作る必要があります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
=== 外注する場合 ===
自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。
打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。
イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。)
なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
:ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、
というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、
:なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、
という事が重要です。
『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。
発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。
このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。
そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。
つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。
たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。
;その他
書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。
;発注されるイラストレーター側からの視点
これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。
だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。
たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、
もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、
もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、
どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。
イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。
裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。
イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。
{{コラム|絵の仕事は自由業ではない|
根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、
世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。
どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。
さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。
だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。
漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。
漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。
昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。
それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
5eztb5w710pvxe9xioznvp6acvvk8hf
D言語/インストールおよび実行方法
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D言語の処理系には、2022年7月現在以下の3つがあります。 # '''DMD''' - ''Digital Mars D compiler'' は、Walter Bright 氏によるの D コンパイラーのリファレンス実装で、[[w:Boost Software License]] の下でオープンソース化されています。 DMD フロントエンドは GCC と LDC で共有されており、コンパイラー間の互換性を高めるために使用されています。かつてはC++で記述されていましたが、現在はフルセルフホスト化されています。 #:公式サイト - https://dlang.org/ #:公式リポジトリー - https://github.com/dlang/dmd # '''GCC''' - ''The GNU Compiler Collection'' は、Free Software foundation により、GNU General Public Licenseの下でオープンソースで公開されるマルチプラットフォーム多言語処理系で、2018年10月29日にGDCがGCC 9にマージされました
wikitext
text/x-wiki
D言語の処理系には、2022年7月現在以下の3つがあります。
# '''DMD''' - ''Digital Mars D compiler'' は、Walter Bright 氏によるの D コンパイラーのリファレンス実装で、[[w:Boost Software License]] の下でオープンソース化されています。 DMD フロントエンドは GCC と LDC で共有されており、コンパイラー間の互換性を高めるために使用されています。かつてはC++で記述されていましたが、現在はフルセルフホスト化されています。
#:公式サイト - https://dlang.org/
#:公式リポジトリー - https://github.com/dlang/dmd
# '''GCC''' - ''The GNU Compiler Collection'' は、Free Software foundation により、GNU General Public Licenseの下でオープンソースで公開されるマルチプラットフォーム多言語処理系で、2018年10月29日にGDCがGCC 9にマージされました。
#:公式サイト - https://gcc.gnu.org/
#:公式リポジトリー - https://gcc.gnu.org/git/gcc.git
# '''LDC''' - ''The LLVM-based D Compiler'' は、DMDフロントエンドをベースにしたコンパイラーで、コンパイラーインフラストラクチャーとバックエンドとしてLLVMを使用します。最初のリリース品質のバージョンは2009年1月9日に公開されました。
#:公式サイト - http://wiki.dlang.org/LDC
#:公式リポジトリー - https://github.com/ldc-developers/ldc
== インストール方法 ==
Winowsでは、D言語の開発元のDigitalMarsが配布しているコンパイラであるDMDをインストールするのがラクです。
Linuxでは、もしGnome系のデスクトップ環境を使っているなら、GCC(GNU Compiler Collection)を D言語用に拡張したコンパイラである gcc-gdc をインストールするのがラクです。
gcc-gdc は略して「gdc」とも呼びます。GNUとは、主にオープンソース関連のアプリケーションを開発しているコミュニティのひとつです。
gcc および gdc は、DMDとは別のコンパイラですので、混同しないように。gcc の開発元である GNU は、D言語以外の他の多くのプログラム言語のコンパイラも開発しています。
=== DMDのダウンロード/インストール ===
D言語の[https://dlang.org/download.html 公式ホームページ]から環境に合わせてインストーラ、あるいはzipファイル等をダウンロードしてください。
Windows版もLinux版も存在します。
ですが、Windows版の場合、日本語対応が不十分で、文字化けが起こります。
なので、英語だけでWindows版D言語を使うか、あるいは日本語を表示したいならLinux版を使うと良いでしょう。
Windows版の場合、コマンドプロンプトからD言語を使えるようにするため、D言語インストーラーに出てくる「DMC」にもチェックを入れて、DMCを追加インストールしてください。
インストールの設定時、DMD動作環境として MinGWを使うか、Visual Studio を使うかを聞かれます。初心者には MinGW のほうが設定がラクでしょう。(Visual Stuido は設定が複雑だったり、アカウント登録が必要だったりと、なにかとメンドウです。)
さて、DMDがインストールが出来たら
rdmd -v
でバージョン確認します。
<pre>
rdmd build 20200611
Usage: rdmd [RDMD AND DMD OPTIONS]... program [PROGRAM OPTIONS]...
Builds (with dependents) and runs a D program.
Example: rdmd -release myprog --myprogparm 5
</pre>
:(後略)
のように、表示されます。
=== gdcをインストールする場合 ===
OS が Fedora Linux の場合なら、コマンド
sudo dnf install gcc-gdc
または
sudo dnf install gdc
でインストールできます。
;バージョン確認
インストールに成功したと思ったら、動作確認を兼ねてバージョン表示をしてみましょう。コマンド
gdc --version
を実行すれば
<pre>
gdc (GCC) 11.2.1 20210728 (Red Hat 11.2.1-1)
Copyright (C) 2021 Free Software Foundation, Inc.
This is free software; see the source for copying conditions. There is NO
warranty; not even for MERCHANTABILITY or FITNESS FOR A PARTICULAR PURPOSE.
</pre>
のように表示されます。
=== ldc と dlang-tools ===
ldcは、LLVMをベースに開発されたD言語処理系です<ref>[https://github.com/ldc-developers/ldc The LLVM-based D Compiler.]</ref>。
dlang-toolsは、DMDとともに再配布されるツールや、様々なビルドタスクで内部的に使用される様々なツールで、単体でもリリースされています<ref>[https://github.com/dlang/tools Ancillary tools for the D programming language compiler]</ref>。
両方ともFreeBSDのPort Collectionに lang/ldc と lang/dlang-tools の名前でエントリーがあるので
;pkg:<syntaxhighlight lang=console>
# pkg install lang/ldc lang/dlang-tools
</syntaxhighlight>
;ports:<syntaxhighlight lang=console>
# make -C /usr/ports/lang/ldc all install clean
# make -C /usr/ports/lang/dlang-tools all install clean
</syntaxhighlight>
でインストールできます。
ldc のコマンド名は ldc2 です。バージョンを確認確認してみます(サポートターゲットの数が多すぎるので head で割愛しました)。
;バージョン確認:<syntaxhighlight lang=console>
% ldc2 --version | head
LDC - the LLVM D compiler (1.23.0):
based on DMD v2.093.1 and LLVM 10.0.1
built with LDC - the LLVM D compiler (0.17.6)
Default target: x86_64-portbld-freebsd13.0
Host CPU: cascadelake
http://dlang.org - http://wiki.dlang.org/LDC
Registered Targets:
aarch64 - AArch64 (little endian)
aarch64_32 - AArch64 (little endian ILP32)
</syntaxhighlight>
<!--9日前にLDC 1.30.0がリリースされたので対応必要か?2022-07-30-->
dlang-toolsには、rdmdなどが含まれているので
;バージョン確認:<syntaxhighlight lang=console>
% rdmd -v | head
rdmd build 20220408
Usage: rdmd [RDMD AND DMD OPTIONS]... program [PROGRAM OPTIONS]...
Builds (with dependents) and runs a D program.
Example: rdmd -release myprog --myprogparm 5
Any option to be passed to the compiler must occur before the program name. In
addition to compiler options, rdmd recognizes the following options:
--build-only just build the executable, don't run it
--chatty write compiler commands to stdout before executing them
--compiler=comp use the specified compiler (e.g. gdmd) instead of ldmd2
% cat hello.d
import std.stdio;
void main(){
writeln("Hello world!");
}
$ rdmd hello
Hello world!
</syntaxhighlight>
この様に、DMDを使っているのと変わらないコンパイル環境が用意できます。
== 実行の仕方 ==
DMDで実行する場合と、gdcでインストールする場合とで、実行の方法が違います。
=== DMDの場合 ===
コマンドプロンプトでカレントディレクトリを合わせた後
dmd ''対象ファイル名.d''
''対象ファイル名.exe''
でコンパイルと実行。もしくは
rdmd ''対象ファイル名''
の一行でコンパイルと同時に実行できます。
DMDとは、D言語の公式コンパイラです。
=== gdcの場合 ===
コマンド
gdc ファイル名.d
です。
ファイル名を保存する際、ファイルの末尾に拡張子 d がついてないとエラーになりますので、コンパイルできません。なので、ファイル名はたとえば「test.d」や「hello.d」のような名称になります。
Linux の場合、特に出力ファイル名などを命名しなければ、「a.out」というファイル名になるので
./a.out
で実行できます。
== ※ 参考: Hello World ==
;hello.d:<syntaxhighlight lang="D">
import std.stdio;
void main()
{
writeln("Hello World!");
}
</syntaxhighlight>
:※ 文法の解説については省略します(別ページで解説しています)。ファイル実行のチェックの際、実行するコードとして活用してください。
== 脚註 ==
<references />
[[カテゴリ:D言語]]
1bmopkgrepubm9n6vf17vdvfkloczpt
民法第264条の3
0
32134
206019
193377
2022-07-30T21:42:48Z
Rhkmk
66092
/* 条文 */
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第2編 物権 (コンメンタール民法)]]
==条文==
(所有者不明土地管理人の権限)
;第264条の3
# [[民法第264条の2|前条]]第4項の規定により所有者不明土地管理人が選任された場合には、所有者不明土地管理命令の対象とされた土地又は共有持分及び所有者不明土地管理命令の効力が及ぶ動産並びにその管理、処分その他の事由により所有者不明土地管理人が得た財産(以下「'''所有者不明土地等'''」という。) の管理及び処分をする権利は、所有者不明土地管理人に専属する。
# 所有者不明土地管理人が次に掲げる行為の範囲を超える行為をするには、裁判所の許可を得なければならない。ただし、この許可がないことをもって善意の第三者に対抗することはできない。
#:一 [[保存行為]]
#:二 所有者不明土地等の性質を変えない範囲内において、その利用又は改良を目的とする行為
== 解説 ==
2021年改正において新設。
==参照条文==
----
{{前後
|[[コンメンタール民法|民法]]
|[[第2編 物権 (コンメンタール民法)|第2編 物権]]<br>
[[第2編 物権 (コンメンタール民法)#3|第3章 所有権]]<br>
[[第2編 物権 (コンメンタール民法)#3-4|第4節 所有者不明土地管理命令及び所有者不明建物管理命令]]
|[[民法第264条の2]]<br>(所有者不明土地管理命令)
|[[民法第264条の4]]<br>(所有者不明土地等に関する訴えの取扱い)
}}
{{stub}}
[[category:民法|264の03]]
[[category:民法 2021年改正|264の03]]
eotunupuusumoc31k2ixqfbqf1m1m6f
Crystal
0
35227
206033
206007
2022-07-31T07:04:05Z
Ef3
694
/*Setは組込みクラス */ Crystalでは、Set(集合)は組込みクラスなので、<code>require "set"</code>は不要です。
wikitext
text/x-wiki
{{Pathnav|メインページ|工学|情報技術|プログラミング|frame=1}}
{{Wikipedia|Crystal (プログラミング言語)}}
本書は、[[w:Crystal (プログラミング言語)|Crystal]]のチュートリアルです。
'''Crystal'''は、Ary Borenszweig、Juan Wajnerman、Brian Cardiffと300人以上の貢献者によって設計・開発された汎用オブジェクト指向プログラミング言語です<ref>{{Cite web
|url=https://github.com/crystal-lang/crystal/graphs/contributors
|title=Contributors
|accessdate=2022-07-18
|website=github.com
}}</ref>。[[Ruby]] にヒントを得た構文を持ち、[[W:静的型付け|静的型付け]]な[[w:コンパイル型言語|コンパイル型言語]]ですが、変数やメソッドの引数の型は一般には不要です。型は高度なグローバル[[型推論]]アルゴリズムによって解決されます。<ref>{{Cite web
|url=http://crystal-lang.org/2013/09/23/type-inference-part-1.html
|title=Type inference part 1
|last=Brian J.
|first=Cardiff
|date=2013-09-09
|accessdate=2022-07-18
|website=crystal-lang.org
}}</ref>Crystalは[[W:Apache License|Apache License]]バージョン2.0のもと、[[W:FOSS|FOSS]]としてリリースされています。
__TOC__
== Hello, World! ==
お約束の[[W:Hello world|Hello_world]]ですが、ここではRubyとの比較も兼ねて、[[Ruby#Hello, World!]]をそのまま実行してみます。
''hello.cr''を用意します<ref>Crystalのソースファイルの拡張子は''.cr'' です</ref>。
;hello.cr:<syntaxhighlight lang=Crystal>
puts 'Hello, World!'
</syntaxhighlight>
;コマンドラインでの操作:<syntaxhighlight lang="console">
% cat hello.cr
puts 'Hello, World!'
% crystal hello.cr
In hello.cr:1:6
1 | puts 'Hello, World!'
^
Error: unterminated char literal, use double quotes for strings
% sed -i -e "s@'@Q@g" -e 's@Q@"@g' hello.cr
% cat hello.cr
puts "Hello, World!"
% crystal hello.cr
Hello, World!
</syntaxhighlight>
: Crystalでは、文字列の場合は二重引用符(")を使用するので、' を " に sed で置換えました。
:: 修正後の hello.cr も問題なく ruby で実行できます。
== プログラミング環境 ==
Crystalのプログラムを作り、コンパイル・実装するには、「オンライン実行環境を使う」・「エディト・コンパイル・実行環境を用意してそれを使う」の2通りの方法があります。
=== オンライン実行環境 ===
公式のオンライン実行環境、 https://play.crystal-lang.org/ があります。
まずは、これを使って本書に例示されているコードを実行してみることをお勧めします。
=== エディト・コンパイル・実行環境 ===
エディタについては本書では触れませんが、プログラミング時間の大半はエディタの操作に費やされるため、良いエディタを選択することが重要です。
Crystal の言語処理系は、 https://crystal-lang.org/install/ から入手します。
自分の、OSやGNU/Linuxであればディストリビューションに合わせてインストールしてください。
また、FreeBSDのように crystal と shards が別パッケージとなっていることもあるので、その場合は shards も追加インストールします。
=== ソースコードからのビルド ===
多くの場合、インストールされた crystal はスタティック リンクされているので、ダイナミック リンク版の crystal を入手するには、ソースコードからビルドします。
また、interactive Crystalを有効にするためにも、ソースコードからのビルドが必要です。
crystal は、ソースコードが Github の https://github.com/crystal-lang/crystal.git で公開されているので、必要に応じてソースコードからビルドすることができます。
crystalは、[[W:セルフホスティング|セルフホスティング]]<ref>crystalコンパイラーを始めとする、crystalの言語処理系(標準ライブラリーを含む)とツールチェインやユーティリティーなどは、crystal自身で書かれています。</ref>なので、最初にバイナリーを入手してブートストラップするか、クロスビルドしたバイナリーを持込むか、パッケージシステムからインストールし、ターゲットでセルフコンパイル出来る状態を作る方法があります。
ビルドには、Chromebook(メモリー4GB, Celeron N4020, OS Version: octopus-release/R103-14816.131.0, Chromebrew version: `1.24.0`, llvm-14.0.6)で約30分かかりました。
=== crystal コマンド ===
crystal コマンドは Crystal のコンパイラであると同時に、ビルドツールなどを含んだツールチェインです(プログラミング言語のCrystalは、先頭を大文字、コマンドのcrystalは、先頭を小文字にして区別します)。
[TODO: コマンドラインツール crystal の解説。 crystal ファイル名 は crystal run ファイル名 の短縮形で、インタープリタ的な実行…ではなく、内部ビルドツールでコンパイル・実行を行う]
== Ruby との違い ==
Crystalは、Rubyに触発された構文を持つものの、Rubyとの互換性をゴールに定めては'''いません'''。
このため、細部を見ると仕様に差異があり、Rubyのソースコードをcrystalに掛けても前節の 'Hello World' の様にコンパイルに失敗することがあります。
また、コンパイルできても実行結果に違いが出ることがあります。
ここでは、Ruby との違いについて実際のコードと双方の結果を比較することで、差異についての理解を深めていきます。
=== 整数型の特性 ===
;大きな整数:<syntaxhighlight lang=Crystal>
p 2 ** 999
p (2 ** 999).class
</syntaxhighlight>
;rubyの実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
5357543035931336604742125245300009052807024058527668037218751941851755255624680612465991894078479290637973364587765734125935726428461570217992288787349287401967283887412115492710537302531185570938977091076523237491790970633699383779582771973038531457285598238843271083830214915826312193418602834034688
Integer
</syntaxhighlight>
;crystalの実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
Unhandled exception: Arithmetic overflow (OverflowError)
from /usr/local/share/crystal/share/crystal/src/int.cr:295:9 in '**'
from pow.cr:1:1 in '__crystal_main'
from /usr/local/share/crystal/share/crystal/src/crystal/main.cr:115:5 in 'main_user_code'
from /usr/local/share/crystal/share/crystal/src/crystal/main.cr:101:7 in 'main'
from /usr/local/share/crystal/share/crystal/src/crystal/main.cr:127:3 in 'main'
from /usr/local/lib64/libc.so.6 in '__libc_start_main'
from /usr/local/.cache/crystal/crystal-run-pow.tmp in '_start'
from ???
</syntaxhighlight>
: Ruby の整数は、桁あふれが起こると自動的に多倍長整数に型変換されるので、継ぎ目なしに大きな数を扱うアルゴルズムが使えます。
: Crystal の整数は、固定長です(大きさについては[[#リテラルと型|後述]])。なので大きな答えになる式を評価すると桁あふれが生じます。桁あふれが生じますが、C言語のように寡黙に処理を続けるのではなく、実行時に例外(OverflowError)が上がるので、例外を捕捉し然るべき処置を施すことが可能です。
==== BigInt ====
<code>big</code> を <code>require</code> すると <code>BigInt</code> が使えるようになります。
;BigInt:<syntaxhighlight lang=Crystal>
require "big"
p BigInt.new(2) ** 999
p (BigInt.new(2) ** 999).class
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
5357543035931336604742125245300009052807024058527668037218751941851755255624680612465991894078479290637973364587765734125935726428461570217992288787349287401967283887412115492710537302531185570938977091076523237491790970633699383779582771973038531457285598238843271083830214915826312193418602834034688
BigInt
</syntaxhighlight>
: BigIntはプリミティブではなので、リテラル表現はありません。また、
::<syntaxhighlight lang=Crystal>
n : BigInt = 2
</syntaxhighlight>
::<syntaxhighlight lang=console>
Error: type must be BigInt, not Int32
</syntaxhighlight>
:: のように型アノテーションすることも出来ません。
=== リテラルと型 ===
;様々なリテラルと型:<syntaxhighlight lang=Crystal>
[nil, false, true, 42, 2.73, 'Q', "string", [1,2,3], {a:1, b:2}].each{|x|
p [x, x.class]
}
</syntaxhighlight>
;rubyの実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
[nil, NilClass]
[false, FalseClass]
[true, TrueClass]
[42, Integer]
[2.73, Float]
["Q", String]
["string", String]
[[1, 2, 3], Array]
[{:a=>1, :b=>2}, Hash]
</syntaxhighlight>
;crystalの実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
[nil, Nil]
[false, Bool]
[true, Bool]
[42, Int32]
[2.73, Float64]
['Q', Char]
["string", String]
[[1, 2, 3], Array(Int32)]
[{a: 1, b: 2}, NamedTuple(a: Int32, b: Int32)]
</syntaxhighlight>
: Crystal の整数は Int32、浮動小数点数は Float64 です。
;サイズを指定した数リテラル:<syntaxhighlight lang=Crystal>
[1_i64, 2_u32, 3_u64, 4_i32, 5_i16, 6_u8, 7_i128, 8_u128, 3.14_f32, 1.44_f64].each{|x|
p [x, x.class]
}
</syntaxhighlight>
;ruby:Rubyでは、サーフィックスの付いた数値リテラルは無効
;crystalの実行結果:<syntaxhighlight lang="console">
[1, Int64]
[2, UInt32]
[3, UInt64]
[4, Int32]
[5, Int16]
[6, UInt8]
[7, Int128]
[8, UInt128]
[3.14, Float32]
[1.44, Float64]
</syntaxhighlight>
: Crystal では、数値リテラルに _ で始まるサーフィックスを付け { i:符号付き整数, u:符号なし整数, f:浮動小数点数 } と { 8,16,32,64,128 } のビット幅の組合せです<ref>[https://crystal-lang.org/reference/1.5/syntax_and_semantics/literals/ Literals]</ref>。
=== Setは組込みクラス ===
Crystalでは、Set(集合)は組込みクラスなので、<code>require "set"</code>は不要です。
;集合の例:<syntaxhighlight lang=crystal>
a = Set.new(10.times)
b = Set.new(5.times.map{|i|2*i})
p! a,
b,
a + b,
a - b,
a & b,
a | b
a ^ b
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
a # => Set{0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9}
b # => Set{0, 2, 4, 6, 8}
a + b # => Set{0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9}
a - b # => Set{1, 3, 5, 7, 9}
a & b # => Set{0, 2, 4, 6, 8}
a | b # => Set{0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9}
</syntaxhighlight>
=== for式がない ===
Crystal には、Ruby にはある for式がありません。
;Rubyのfor式の構文:<syntaxhighlight lang="ruby">
for 変数 in コレクション
文
end
</syntaxhighlight>
:コレクションは Range, Array, Hash など内部構造を持つオブジェクトです。
:for式は、最後に評価した値を返すので、for'''式'''です。
;for式のeachメソッドによる置換え:<syntaxhighlight lang="ruby">
for x in [ 2, 3, 5, 7, 11 ] do
p x
end
# ↓
[ 2, 3, 5, 7, 11 ].each do | x |
p x
end
</syntaxhighlight>
: の様にコレクションの each メソッドで置換え可能なので、Rubyからの移植でも小規模な書換えで済みます<ref>[https://github.com/crystal-lang/crystal/issues/830 "For" Loop support #830]</ref>(後述のマクロで実装できないかと思いましたが、いまのところ無理のようです)。
また loop 式もありませんが while true; … end で間に合います。Ruby では while 式の条件の次に do が置けますが、Crystal では置けません。
==== 自作のforメソッド ====
Rubyのforに似せるという縛りがなければ、(マクロを使うまでもなく)簡単に実装できます。
偶然ですが、[[Scala]]のforメソッドに似てしまいました(あれも、イテレーション メソッドに展開されるのである程度は必然)。Scalaと同じ様にジェネレターと組合わせて多次元に拡張することもできそうです。
;自作のforメソッド:<syntaxhighlight lang=crystal>
def for(collection)
collection.each do |elm|
yield(elm)
end
end
for [1,2,3,4] do |x|
p! x * x
end
for ({3,4,5,6}) do |x|
p! x + x
end
for (1...999) do |x|
p! x - 1
break if x > 5
end
for (9999.times) do |x|
p! x ** 3
break if x > 7
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
x * x # => 1
x * x # => 4
x * x # => 9
x * x # => 16
x + x # => 6
x + x # => 8
x + x # => 10
x + x # => 12
x - 1 # => 0
x - 1 # => 1
x - 1 # => 2
x - 1 # => 3
x - 1 # => 4
x - 1 # => 5
x ** 3 # => 0
x ** 3 # => 1
x ** 3 # => 8
x ** 3 # => 27
x ** 3 # => 64
x ** 3 # => 125
x ** 3 # => 216
x ** 3 # => 343
x ** 3 # => 512
</syntaxhighlight>
=== eval()がない ===
Crystal には eval() はありません。
Crystalはコンパイル型言語ですので、無理もないことです。
もし、Crystal で eval() を実装しようとすると、Common Lisp の様にインタープリターを丸ごとランタイムに含む必要があります。
これはリーズナブルな選択ではありません。
Crystal では、eval() が必要なケースに(限定的ですが)マクロを使うことで実現出来る可能性があります。
=== マクロ ===
Crystalには、Rubyにはないマクロがあります<ref>[https://crystal-lang.org/reference/1.5/syntax_and_semantics/macros/ Macros - Crystal]</ref>。Rubyは実行時にすべてのオブジェクトにアクセス出来て、メソッド生やし放題なのでマクロは必要ありませんが、Crystalはコンパイル時に型やメソッドを確定する必要があり、特にメソッドジェネレターとしてのマクロにニーズがあります。また、テンプレート言語的なマクロなので、環境変数による条件分岐や、コンテナを渡し繰返し処理する構文もあります(面白いことにマクロには for 文があり、反対にマクロの中では、eachメソッドは使えません)。マクロには <code><nowiki>{{</nowiki>attr.id}}</code> の様にASTへのアクセス手順が用意されており、半ば言語を拡張するようなアプローチを取ることも出来ます。
[TODO:ASTについての解説;コラム向き?]
;マクロを使ったattr_accessorのイミュレーション:<syntaxhighlight lang=crystal>
class Point
def initialize(@x : Int32, @y : Int32)
end
# macro定義
macro attr_accessor(*attrs)
{% for attr in attrs %}
def {{attr.id}}() @{{attr.id}} end
def {{attr.id}}=(var) @{{attr.id}} = var end
{% end %}
end
# macro呼出し
attr_accessor :x, :y
end
pt = Point.new(20, 30)
p [pt.x, pt.y]
t = pt.x
pt.x = pt.y
pt.y = t
p [pt.x, pt.y]
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
[20, 30]
[30, 20]
</syntaxhighlight>
: Ruby には、attr_accessor と言う「クラスのメンバーのアクセサーを自動生成するメソッド」がありますが、Crystalにはないようなので、マクロで実装しました。
:: attr_accessor :name からは
::<syntaxhighlight lang=ruby>
def name() @name end
def name=(val) @name = val end
</syntaxhighlight>相当のコードが生成されます。
[TODO:マクロの機能と構文の説明 *の付いた引数、 <nowiki>{{</nowiki>引数}}、{% … %} 構文]
==== マクロ p! ====
メソッド p は、与えられた「式」の inspaect() の返す値を puts しますが、マクロ p! は、それに先んじて(評価前の)「式」を表示します<ref>[https://crystal-lang.org/api/1.5.0/Crystal/Macros.html#p%21%28%2Aexpressions%29%3ANop-instance-method def p!(*expressions) : Nop]</ref>。
;p!の例:<syntaxhighlight lang=crystal>
x, y = true, false
p! x,y,x && y, x || y, x ^ y, !x, x != y, x == y
ary = [ 1, 2, 3 ]
p! ary
p! ary.map(&. << 1)
p! ary.map(&.to_f)
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
x # => true
y # => false
x && y # => false
x || y # => true
x ^ y # => true
!x # => false
x != y # => true
x == y # => false
ary # => [1, 2, 3]
ary.map(&.<<(1)) # => [2, 4, 6]
ary.map(&.to_f) # => [1.0, 2.0, 3.0]
</syntaxhighlight>
===== 入れ子のp! =====
マクロ p! は入れ子に出来ます。また、一旦ASTに変換してから再度ソースコードに変換するので、等価な別の構文に変換されることがあります。
;入れ子のp!:<syntaxhighlight lang=crystal>
p! (
100.times{|i|
p! i
break i if i > 12
}
)
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
(100.times do |i|
p!(i)
if i > 12
break i
end
end) # => i
# => 0
i # => 1
i # => 2
i # => 3
i # => 4
i # => 5
i # => 6
i # => 7
i # => 8
i # => 9
i # => 10
i # => 11
i # => 12
i # => 13
13
</syntaxhighlight>
=== クラス ===
==== シンプルなクラス ====
;シンプルなクラス:<syntaxhighlight lang=crystal highlight="2" line>
class Hello
def initialize(@name : String = "World")
end
def greeting
puts "Hello #{@name}!"
end
end
hello = Hello.new()
hello.greeting
universe = Hello.new("Universe")
universe.greeting
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
Hello World!
Hello Universe!
</syntaxhighlight>
:;初期化メソッド
:: <syntaxhighlight lang=crystal line start=4>
def initialize(@name : String = "World")
end
</syntaxhighlight>
::Rubyであれば
:: <syntaxhighlight lang=ruby line start=4>
def initialize(name = "World")
@name = name
end
</syntaxhighlight>
::とするところですが、Crystalでは、型アノテーション <code> : String</code> を使い、引数の型を限定しました。
::また、(@ 付きの)アトリビュート名を仮引数にすると、そのままアトリビュート(a.k.a. インスタンス変数)に仮引数が代入されます。
::これは、C++のコンストラクターのメンバー初期化リストと同じアイディアですが、Crystalではインスタンス変数に @ が前置されるので、仮引数に @ が出現すればインスタンス変数の初期値だと自明で、聡明な選択です。
==== 都市間の大圏距離 ====
[[Ruby#ユーザー定義クラス]]の都市間の大圏距離を求めるメソッドを追加した例を、Crystalに移植しました。
;都市間の大圏距離:<syntaxhighlight lang=crystal highlight=”2,7,12” line>
class GeoCoord
getter :longitude, :latitude
def initialize(@longitude : Float64, @latitude : Float64)
end
def to_s(io)
ew, ns = "東経", "北緯"
long, lat = @longitude, @latitude
ew, long = "西経", -long if long < 0.0
ns, lat = "南緯", -lat if lat < 0.0
io << "(#{ew}: #{long}, #{ns}: #{lat})"
end # https://github.com/crystal-lang/crystal/issues/259
def distance(other)
i, r = Math::PI / 180, 6371.008
Math.acos(Math.sin(@latitude*i) * Math.sin(other.latitude * i) +
Math.cos(@latitude*i) * Math.cos(other.latitude * i) * Math.cos(@longitude * i - other.longitude * i)) * r
end
end
# メソッドの先頭を大文字に出来ないのでクラス名のメソッドは作ることが出来ない
# def GeoCoord(lng : Float64, lat : Float64)
# GeoCoord.new(lng, lat)
# end
Sites = {
"東京駅": GeoCoord.new(139.7673068, 35.6809591),
"シドニー・オペラハウス": GeoCoord.new(151.215278, -33.856778),
"グリニッジ天文台": GeoCoord.new(-0.0014, 51.4778),
}
Sites.each { |name, gc|
puts "#{name}: #{gc}"
}
puts ""
keys, len = Sites.keys, Sites.size
keys.each_with_index { |x, i|
y = keys[(i + 1) % len]
puts "#{x} ⇔ #{y}: #{Sites[x].distance(Sites[y])} [km]"
}
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
東京駅: (東経: 139.7673068, 北緯: 35.6809591)
シドニー・オペラハウス: (東経: 151.215278, 南緯: 33.856778)
グリニッジ天文台: (西経: 0.0014, 北緯: 51.4778)
東京駅 ⇔ シドニー・オペラハウス: 7823.269299386704 [km]
シドニー・オペラハウス ⇔ グリニッジ天文台: 16987.2708377249 [km]
グリニッジ天文台 ⇔ 東京駅: 9560.546566490015 [km]
</syntaxhighlight>
:Crystal には、<syntaxhighlight lang=ruby inline> attr_accessor </syntaxhighlight> はありませんが、標準ライブラリーのマクロに <syntaxhighlight lang=crystal inline> getter </syntaxhighlight>があるので
:: <syntaxhighlight lang=crystal line start=2>
getter :longitude, :latitude
</syntaxhighlight>
::としました。
::将来、<syntaxhighlight lang=ruby inline> attr_accessor </syntaxhighlight> が実装される可能性はありますが、姉妹品の<syntaxhighlight lang=crystal inline> setter </syntaxhighlight> との併用が下位互換性を考えると確実です。
: to_s は、Ruby ならば
:: <syntaxhighlight lang=ruby line start=7>
def to_s()
</syntaxhighlight>
:: <syntaxhighlight lang=ruby line start=12>
"(#{ew}: #{long}, #{ns}: #{lat})"
</syntaxhighlight>
:: ですが、Crystalでは追加の引数 <var>io</var> が必要で
:: <syntaxhighlight lang=ruby line start=7>
def to_s(io)
</syntaxhighlight>
:: <syntaxhighlight lang=ruby line start=12>
io << "(#{ew}: #{long}, #{ns}: #{lat})"
</syntaxhighlight>
: Ruby にはクラス名と同じ名前のメソッドで .new を呼出す文化があるのですが、Crystalはメソッドの先頭を大文字に出来ないので、これは見送りました。
==== 包含と継承 ====
[[JavaScript/クラス#包含と継承]]を、Rubyに移植した[[Ruby#包含と継承]]を、Crystalに移植しました。
;包含と継承の例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
class Point
def initialize(@x = 0, @y = 0)
end
def inspect(io)
io << "x:#{@x}, y:#{@y}"
end
def move(dx = 0, dy = 0)
@x, @y = @x + dx, @y + dy
self
end
end
class Shape
def initialize(x = 0, y = 0)
@location = Point.new(x, y)
end
def inspect(io)
@location.inspect(io)
end
def move(x, y)
@location.move(x, y)
self
end
end
class Rectangle < Shape
def initialize(x = 0, y = 0, @width = 0, @height = 0)
super(x, y)
end
def inspect(io)
super(io)
io << ", width:#{@width}, height:#{@height}"
end
end
rct = Rectangle.new(12, 32, 100, 50)
p! rct,
rct.is_a?(Rectangle),
rct.is_a?(Shape),
rct.is_a?(Point),
rct.move(11, 21)
(END)</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
rct # => x:12, y:32, width:100, height:50
rct.is_a?(Rectangle) # => true
rct.is_a?(Shape) # => true
rct.is_a?(Point) # => false
rct.move(11, 21) # => x:23, y:53, width:100, height:50
</syntaxhighlight>
;crystal tool hierarchy:<syntaxhighlight lang=console>
% crystal tool hierarchy inclusion-and-inheritance.cr -e Shape
- class Object (4 bytes)
|
+- class Reference (4 bytes)
|
+- class Shape (16 bytes)
. @location : Point (8 bytes)
|
+- class Rectangle (24 bytes)
@width : Int32 (4 bytes)
@height : Int32 (4 bytes)
</syntaxhighlight>
: crystal の tool hierarchy サブコマンドで、クラスの継承関係がわかります。
===== superclass と subclasses =====
Crystal には、RubyのClassにあるメソッド superclass と subclasses がないので、マクロで実装しました。
;superclass と subclasses:<syntaxhighlight lang=crystal line>
class Class
def self.superclass
{{ @type.superclass }}
end
def self.subclasses : Array(self.class)
{{ @type.subclasses }}.map(&.as(self.class))
end
def self.all_subclasses : Array(self.class)
{% begin %}
[{{ @type.all_subclasses.join(",").id }}] of self.class
{% end %}
end
end
class A end
class AA < A end
class AAA < AA end
class AAB < AA end
class AB < A end
p! A,
A.subclasses,
A.all_subclasses,
AAA.superclass,
A.superclass
c = AAA
while !c.is_a? Nil
p! c.superclass
c = c.superclass
end</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
A # => A
A.subclasses # => [AA, AB]
A.all_subclasses # => [AA, AAA, AAB, AB]
AAA.superclass # => AA
A.superclass # => Reference
c.superclass # => AA
c.superclass # => A
c.superclass # => Reference
c.superclass # => Object
c.superclass # => nil
</syntaxhighlight>
==== 抽象クラス ====
[[Java/抽象クラス]]を、Crystalに移植しました。
;抽象クラスの宣言:<syntaxhighlight lang=Java>
abstract class クラス名
#
end
</syntaxhighlight>
: このクラス名は、 .new でインスタンス化出来ません。
:: Error: can't instantiate abstract class クラス名
: となります。
:インスタンス化することは出来ませんが、抽象クラスを別のクラスが継承する事は出来ます。
:また、抽象クラスを <code>super()</code> を使うことでメソッドを呼び出せるので、抽象メソッドではないメソッド(具象メソッド)を持つことも、インスタンス変数も持つことも出来ます。
:'''抽象クラスの例'''では、Shapeのinitializeメソッドが抽象クラスの具象メソッドとなっています。
;抽象メソッドの宣言:<syntaxhighlight lang=Java>
abstract def メソッド名
</syntaxhighlight>
: 派生先のクラスで、「メソッド名」を定義(def)し忘れると
:: Error: abstract `def クラス名#メソッド名()` must be implemented by クラス名
: となります
;抽象クラスの例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
abstract class Shape
def initialize(@x = 0.0, @y = 0.0)
end
abstract def to_s(io)
abstract def area
end
class Square < Shape
def initialize(x, y, @wh = 0.0)
super(x, y)
end
def to_s(io)
io << "Square(#{@x}, #{@y}, #{@wh})"
end
def area
@wh * @wh
end
end
abstract class Shape
def initialize(@x = 0.0, @y = 0.0)
end
abstract def to_s(io)
abstract def area
end
class Square < Shape
def initialize(x, y, @wh = 0.0)
super(x, y)
end
def to_s(io)
io << "Square(#{@x}, #{@y}, #{@wh})"
end
def area
@wh * @wh
end
end
class Recrangle < Shape
def initialize(x, y, @w = 0.0, @h = 0.0)
super(x, y)
end
def to_s(io)
io << "Rectanle(#{@x}, #{@y}, #{@w}, #{@h})"
end
def area
@w * @h
end
end
class Circle < Shape
def initialize(x, y, @r = 0.0)
super(x, y)
end
def to_s(io)
io << "Circle(#{@x}, #{@y}, #{@r})"
end
def area
3.1425926536 * @r * @r
end
end
shapes = [
Square.new(5.0, 10.0, 15.0),
Recrangle.new(13.0, 23.0, 20.0, 10.0),
Circle.new(3.0, 2.0, 20.0),
] of Shape
shapes.each do |shape|
puts("#{shape}: #{shape.area}")
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang=text>
Square(5.0, 10.0, 15.0): 225.0
Rectanle(13.0, 23.0, 20.0, 10.0): 200.0
Circle(3.0, 2.0, 20.0): 1257.03706144
</syntaxhighlight>
;crystal tool hierarchy:<syntaxhighlight lang=console>
% crystal tool hierarchy abstract.cr -e Shape
- class Object (4 bytes)
|
+- class Reference (4 bytes)
|
+- class Shape (24 bytes)
. @x : Float64 (8 bytes)
. @y : Float64 (8 bytes)
|
+- class Circle (32 bytes)
| @r : Float64 (8 bytes)
|
+- class Recrangle (40 bytes)
| @w : Float64 (8 bytes)
| @h : Float64 (8 bytes)
|
+- class Square (32 bytes)
@wh : Float64 (8 bytes)
</syntaxhighlight>
: crystal の tool hierarchy サブコマンドで、クラスの継承関係がわかります。
: 「包含と継承の例」と比べると、ShapeとRectangleが同じ階層にあることがわかると思います。
[TODO:virtual class::いい例がない]
== キーワード ==
Crystalのキーワード( ''keywords'' ) は、以下の通り。
<code>abstract</code> <code>alias</code> <code>as</code> <code>asm</code> <code>begin</code> <code>break</code> <code>case</code> <code>class</code> <code>def</code> <code>do</code> <code>else</code> <code>elsif</code> <code>end</code> <code>ensure</code> <code>enum</code> <code>extend</code> <code>for</code> <code>fun</code> <code>if</code> <code>include</code> <code>instance_sizeof</code> <code>lib</code> <code>macro</code> <code>module</code> <code>next</code> <code>of</code> <code>out</code> <code>pointerof</code> <code>private</code> <code>protected</code> <code>rescue</code> <code>return</code> <code>require</code> <code>select</code> <code>sizeof</code> <code>struct</code> <code>super</code> <code>then</code> <code>type</code> <code>typeof</code> <code>uninitialized</code> <code>union</code> <code>unless</code> <code>until</code> <code>when</code> <code>while</code> <code>with</code> <code>yield</code>
<!--
<code>__DIR__</code> <code>__END_LINE__</code> <code>__FILE__</code> <code>__LINE__</code>
-->
== 演算子 ==
Crystalは、1つ、2つ、または3つのオペランドを持つ数多くの演算子をサポートしています<ref>[https://crystal-lang.org/reference/1.5/syntax_and_semantics/operators.html Operators]access-date:2022-07-22</ref>。
演算子式は、実際にはメソッド呼び出しとしてパースされます。例えば、<code>a + b</code> は <code>a.+(b)</code> と意味的に同じで、引数 b を持つ a のメソッド + を呼び出すことになります。
{| class="wikitable"
|+ 演算子の優先度
!種類
!演算子
|-
|インデックス アクセサー
|<code>[]</code>, <code>[]?</code>
|-
|単項
|<code>+</code>, <code>&+</code>, <code>-</code>, <code>&-</code>, <code>!</code>, <code>~</code>
|-
|指数
|<code>**</code>, <code>&**</code>
|-
|乗除
|<code>*</code>, <code>&*</code>, <code>/</code>, <code>//</code>, <code>%</code>
|-
|加減
|<code>+</code>, <code>&+</code>, <code>-</code>, <code>&-</code>
|-
|シフト
|<code><<</code>, <code>>></code>
|-
|ビット間 AND
|<code>&</code>
|-
|ビット間 OR/XOR
|<code><nowiki>|</nowiki></code>,<code>^</code>
|-
|等値
|<code>==</code>, <code>!=</code>, <code>=~</code>, <code>!~</code>, <code>===</code>
|-
|比較
|<code><</code>, <code><=</code>, <code>></code>, <code>>=</code>, <code><=></code>
|-
|論理 AND
|<code>&&</code>
|-
|論理 OR
|<code><nowiki>||</nowiki></code>
|-
|Range
|<code>..</code>, <code>...</code>
|-
|条件
|<code>?:</code>
|-
|代入
|<code>=</code>, <code>[]=</code>, <code>+=</code>, <code>&+=</code>, <code>-=</code>, <code>&-=</code>, <code>*=</code>, <code>&*=</code>, <code>/=</code>, <code>//=</code>, <code>%=</code>, <code><nowiki>|=</nowiki></code>, <code>&=</code>,<code>^=</code>,<code>**=</code>,<code><<=</code>,<code>>>=</code>, <code><nowiki>||=</nowiki></code>, <code>&&=</code>
|-
|スプラット
|<code>*</code>, <code>**</code>
|}
== 制御構造 ==
'''[[w:制御構造|制御構造]]'''(せいぎょこうぞう、''control flow'')とは、「順次」「分岐」「反復」という基本的な処理のことを言います。
{{コラム|Crystalの真理値|2=
制御構造は「条件式」が真であるか偽であるかによって分岐や反復の振る舞いが変わります。
では「条件式」が真・偽はどの様に決まるのでしょう?
Crystalでは <code>false</code> あるいは <code>nil</code> であると偽、それ以外が真です。
なので <code>0</code> も <code>[]</code>(空のArray) も <code>{}</code>(空のNamedTuple)も真です。
}}
=== 条件分岐 ===
Crystalの条件分岐には、[[#if|if]], [[#until|until]] と [[#case|case]]の3つの構文があります。
==== if ====
'''[[w:if|if]]'''は条件式によって実行・否を切り替える構造構文で、評価した式の値を返すので条件演算子でもあります。
;ifの例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
a = 0.0 / 0.0
if a < 0
puts "minus"
elsif a > 0
puts "plus"
elsif a == 0
puts "zero"
else
puts a
end
p! (
if a < 0
"minus"
elsif a > 0
"plus"
elsif a == 0
"zero"
else
a
end
)
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
NaN
(if a < 0
"minus"
else
if a > 0
"plus"
else
if a == 0
"zero"
else
a
end
end
end) # => NaN
</syntaxhighlight>
:; elsif節:ifは、オプショナルな elsif 節を設け、条件式が偽であった時に別の条件に合致した処理を実行させることが出来ます。
:; else節:ifは、オプショナルな else 節を設け、条件式が偽であった時に処理を実行させることが出来ます。
: ifは値を返すので、メソッドの実引数に使うことが出来ますし、代入演算の右辺にも使えます。
==== 後置のif ====
Crystalには、RubyやPerlのような後置のifがあります。
;後置のifの例:<syntaxhighlight lang=crystal>
n = 0
puts "nは0" if n == 0
puts "nは1" if n == 1
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
nは0
</syntaxhighlight>
==== unless====
'''unless'''(アンレス)は条件式によって実行・否を切り替える構造構文ですが、ifとは条件式に対する挙動が逆です。
;unless文の例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
a = 0.0 / 0.0
unless a == 0
puts "Non-zero"
else
puts a
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Non-zero
</syntaxhighlight>
:; else節 : unless文は、オプショナルな else 節を設け、条件式が真であった時に処理を実行させることが出来ます。
::また、unless文は elsif 節は持てません。
==== 後置のunless ====
Crystalには、RubyやPerlのような後置のunlessがあります。
;後置のunlessの例:<syntaxhighlight lang=crystal>
n = 0
puts "nは0" unless n == 0
puts "nは1" unless n == 1
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
nは1ではない
</syntaxhighlight>
==== case ====
caseは、複数の条件式によって処理を降る分ける用途の為に用意されています。
;caseの例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
n = 2
case n
when 1
puts "one"
when 2
puts "two"
when 3
puts "three"
else
puts "other"
end
p! (
case n
when 1
"one"
when 2
"two"
when 3
"three"
else
"other"
end
)
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
two
(case n
when 1
"one"
when 2
"two"
when 3
"three"
else
"other"
end) # => "two"</syntaxhighlight>
:C言語系のswitch文に慣れた人はbreakがないことに気がつくと思います。Crystalのcaseはfall throughしませんし、fall throughさせる方法もありません。
===== when節が定数でなく式を受付けます =====
[[#if|if]]を使ったコードをcaseに書き換えてみましょう。
;case の式の省略:<syntaxhighlight lang=crystal line>
a = 0.0 / 0.0
case
when a < 0
puts "minus"
when a > 0
puts "plus"
when a == 0
puts "zero"
else
puts a
end
p! (
case true
when a < 0
"minus"
when a > 0
"plus"
when a == 0
"zero"
else
a
end
)
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
NaN
(case true
when a < 0
"minus"
when a > 0
"plus"
when a == 0
"zero"
else
a
end) # => NaN
</syntaxhighlight>
このコードは when 節の式の値とcaseの式を <code>===</code> で比較し、最初に一致した when に対応する式が実行される事を利用しています。
===== 型による分岐 =====
when 節が式ではなく型であった場合、caseの式を <code>is_a?</code> で評価し、最初に一致した when に対応する式が実行されます。
;型による分岐:<syntaxhighlight lang=crystal line>
p! 0.class,
0.is_a?(Object),
0.is_a?(Int32),
0.is_a?(Number),
0.is_a?(String)
case 0
when String
puts "String"
when Number
puts "Number"
when Int32
puts "Int32"
when Object
puts "Object"
else
puts "Unknown"
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
0.class # => Int32
0.is_a?(Object) # => true
0.is_a?(Int32) # => true
0.is_a?(Number) # => true
0.is_a?(String) # => false
Number
</syntaxhighlight>
暗黙のオブジェクト構文を使うと
:<syntaxhighlight lang=crystal line>
case 0
when .is_a?(String)
puts "String"
when .is_a?(Number)
puts "Number"
when .is_a(Int32)
puts "Int32"
when .is_a(Object)
puts "Object"
else
puts "Unknown"
end
</syntaxhighlight>
:と書くことが出来ます。
:: メソッドは、.is_a? に限定しないので、 .odd? .even? .include? など Bool を返すメソッドなら何でも使えます。
when に対応する式は、1つのことが珍しくないので、その場合は省略可能な then を補うと、1行で書けます。
:<syntaxhighlight lang=crystal line>
case 0
when String then puts "String"
when Number then puts "Number"
when Int32 then puts "Int32"
when Object then puts "Object"
else puts "Unknown"
end
</syntaxhighlight>
[TODO:タプルとダミー識別子 _ ]
===== 網羅性の検査 =====
when の代わりに in を使用すると、exhaustive case 式が作成されます。exhaustive case では、必要な in 条件を省略するとコンパイル時にエラーとなります。exhaustive case 式では、when 節と else 節を含むことはできません。
;Enumの網羅性チェック(網羅不完全):<syntaxhighlight lang=crystal line highlight=11>
enum Colours
Red
Green
Blue
end
colour : Colours = Colours::Red
q = case colour
in Colours::Red then "赤"
in .green? then "緑"
# in .blue? then "青"
end
p q
</syntaxhighlight>
;コンパイルエラー:<syntaxhighlight lang="text">
Showing last frame. Use --error-trace for full trace.
In enumcase.cr:8:5
8 | q = case colour
^
Error: case is not exhaustive for enum Colours.
Missing members:
- Blue
</syntaxhighlight>
: case - in 式の in が列挙型の要素を網羅していないと、コンパイル時にこの様にエラーになります。
:: Colours::Red と .red? は同義です(enum では、要素名を小文字にし最後に ? が付いたメソッドが生えてきます)。
;Enumの網羅性チェック(網羅完全):<syntaxhighlight lang=crystal line highlight=11>
enum Colours
Red
Green
Blue
end
colour : Colours = Colours::Red
q = case colour
in Colours::Red then "赤"
in .green? then "緑"
in .blue? then "青"
end
p q
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
"赤"
</syntaxhighlight>
[TODO:短絡評価 && || ]
=== 繰返し ===
Crystalには、他のプログラミング言語のような[[#繰返し構文|繰返し構文]]と、[[#イテレーターメソッド|イテレーターメソッド]]があります。
==== 繰返し構文 ====
Crystalの繰返し構文には、while と untilの2つがあります<ref>for も do-while も loop もありません。</ref>。
===== while =====
while(ホワイル)は条件が'''真'''である間、式を実行しつづけます。
;構文:<syntaxhighlight lang=crystal>
while 条件式
式1
式2
:
式n
end
</syntaxhighlight>
: Rubyと違い、条件式の後ろに <code>do</code> をつけることは出来ません。
;while文のコード例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
i = 0
p! (
while i < 10
p! i
i += 1
break i if i > 5
end
)
</syntaxhighlight>
: 2行目の <code>i < 5</code>が真の間、次の2行を繰返します。
: 4行目の <code>i += 1</code> は <code>i = i + 1</code> の構文糖
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
(while i < 10
p!(i)
i = i + 1
if i > 5
break i
end
end)# =>
i # => 0
i # => 1
i # => 2
i # => 3
i # => 4
i # => 5
6
</syntaxhighlight>
===== until =====
until(アンティル)は条件が'''偽'''である間、式を実行しつづけます。whileとは条件に対する挙動が逆です。
;構文:<syntaxhighlight lang=crystal>
until 条件式 [ do ]
文1
文2
:
文n
end
</syntaxhighlight>
: <code>do</code> は省略できます。
;untilのコード例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
i = 0
until i == 3
puts i
i += 1
end
</syntaxhighlight>
: 2行目の <code>i == 3</code>が偽の間、次の2行を繰返します。
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
0
1
2
</syntaxhighlight>
===== for =====
Crystalにはforがありませんが、コレクションのイテレーションメソッドを使うことで繰返しを簡素に実現出来ます。
==== Rangeオブジェクト ====
Rangeオブジェクトは、整数の区間を表し範囲演算子 <code>開始 .. 終了</code> や <code>開始 ... 終了</code> で生成します。
範囲演算子の終了は省略でき、その場合は数学の半開区間(半閉区間)となり、例えば、<code>1 ..</code>は自然数となります(ただし、日本的な0を自然数に含まない場合)。
;コード:<syntaxhighlight lang=crystal>
rng = 1..3
puts rng.class
rng.each do | n |
puts "#{n}番";
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Range(Int32, Int32)
1番
2番
3番
</syntaxhighlight>
==== Arrayオブジェクト ====
Arrayオブジェクトは、任意の Crystal オブジェクトを要素として持つことができます。
配列式<code>[ 要素1, 要素2, … 要素n ]</code> で生成します。
;コード:<syntaxhighlight lang=crystal>
animals = [ "ネコ", "金魚", "ハムスター" ]
puts animals.class
animals.each do | animal |
puts "動物 #{animal}"
end
p! ([ "イヌ", *animals , "イグアナ" ])
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Array(String)
動物 ネコ
動物 金魚
動物 ハムスター
(["イヌ", *animals, "イグアナ"]) # => ["イヌ", "ネコ", "金魚", "ハムスター", "イグアナ"]
</syntaxhighlight>
==== Tupleオブジェクト ====
Tupleオブジェクトは、任意の Crystal オブジェクトを要素として持つことができます。
配列式<code>{ 要素1, 要素2, … 要素n }</code> で生成します。
;コード:<syntaxhighlight lang=crystal>
animals = { "ネコ", "金魚", "ハムスター" }
puts animals.class
animals.each do | animal |
puts "動物 #{animal}"
end
p! ({ "イヌ", *animals , "イグアナ" })
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Tuple(String, String, String)
動物 ネコ
動物 金魚
動物 ハムスター
({"イヌ", *animals, "イグアナ"}) # => {"イヌ", "ネコ", "金魚", "ハムスター", "イグアナ"}
</syntaxhighlight>
==== Setオブジェクト ====
Setオブジェクトは集合です。任意の Crystal オブジェクトを要素として持つことができますが、1つの値は重複して持てません。
Set.newに配列式<code>{ 要素1, 要素2, … 要素n }</code> などを渡し初期化します。
;コード:<syntaxhighlight lang=crystal>
animals = Set.new({ "ネコ", "金魚", "ハムスター" })
puts animals.class
animals.each do | animal |
puts "動物 #{animal}"
end
p! animals,
animals.includes?("ネコ"),
animals.includes?("イヌ")
animals.delete "ネコ"
animals.add "イヌ"
p! animals,
animals.includes?("ネコ"),
animals.includes?("イヌ")
animals = Set.new({ "ネコ", "イヌ", "金魚", "ハムスター", "カナリヤ", "クサガメ" })
mammals = Set.new({ "ネコ", "イヌ", "ハムスター" })
p! animals , mammals,
animals & mammals,
animals | mammals,
animals + mammals,
animals ^ mammals,
animals - mammals,
mammals - animals
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Set(String)
動物 ネコ
動物 金魚
動物 ハムスター
animals # => Set{"ネコ", "金魚", "ハムスター"}
animals.includes?("ネコ") # => true
animals.includes?("イヌ") # => false
animals # => Set{"金魚", "ハムスター", "イヌ"}
animals.includes?("ネコ") # => false
animals.includes?("イヌ") # => true
animals # => Set{"ネコ", "イヌ", "金魚", "ハムスター", "カナリヤ", "クサガメ"}
mammals # => Set{"ネコ", "イヌ", "ハムスター"}
animals & mammals # => Set{"ネコ", "イヌ", "ハムスター"}
animals | mammals # => Set{"ネコ", "イヌ", "金魚", "ハムスター", "カナリヤ", "クサガメ"}
animals + mammals # => Set{"ネコ", "イヌ", "金魚", "ハムスター", "カナリヤ", "クサガメ"}
animals ^ mammals # => Set{"金魚", "カナリヤ", "クサガメ"}
animals - mammals # => Set{"金魚", "カナリヤ", "クサガメ"}
mammals - animals # => Set{}
</syntaxhighlight>
==== NamedTupleオブジェクト ====
NamedTupleオブジェクトは、任意の Crystal オブジェクトをキーに、任意の Crystal オブジェクトを値に持つことができる連想配列です。
NamedTuple式<code>{キー1 => 値1, キー2 => 値2, キーn => 値n}</code> で生成します。
また、キーが Symbol の場合
NamedTuple式<code>{キー1: 値1, キー2: 値2, キーn: 値n}</code> で生成することが出来ます。
;コード:<syntaxhighlight lang=crystal>
animals = {cat: "ネコ", gold_fish: "金魚", hamster: "ハムスター"}
puts animals.class
animals.each do | en, animal |
puts "動物 #{en}: #{animal}"
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
NamedTuple(cat: String, gold_fish: String, hamster: String)
動物 cat: ネコ
動物 gold_fish: 金魚
動物 hamster: ハムスター
</syntaxhighlight>
このように、Crystalではforがなくてもコレクションのメソッドで同様の処理を実現できます。
==== loop ====
loop ありません。
while true で代用します。
;loopの代用コード例:<syntaxhighlight lang=crystal line>
i = 1
while true
puts "0b%b" % i
i <<= 1
break if i > 2**8
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
0b1
0b10
0b100
0b1000
0b10000
0b100000
0b1000000
0b10000000
0b100000000
</syntaxhighlight>
:5行目の、<code>break if i > 2**8</code>でループを脱出するようにしています。この様に break や return あるいは例外が上がらないとループは永久に終わりません。
:このコードは、Crystalにはない do-while文を模倣する例にもなっています。
==== イテレーターメソッド ====
===== Integer#times =====
Integer#timesは与えられたブロックをオブジェクトの示す整数値回くりかえします。
:コード<syntaxhighlight lang=crystal>
3.times{ puts "Hello, world!" }
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Hello, world!
Hello, world!
Hello, world!
</syntaxhighlight>
;ループ変数を使た例:<syntaxhighlight lang=crystal>
3.times do |i|
puts "#{i}の倍は#{2 * i}"
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
0の倍は0
1の倍は2
2の倍は4
</syntaxhighlight>
;ブロックを伴わないtimesメソッド:<syntaxhighlight lang=crystal>
iter = 3.times
puts iter.class
p! iter.next
p! iter.next
p! iter.next
p! iter.next
p! iter.next
p! iter.next
# puts iter.next # `next': StopIteration: iteration reached an end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text">
Int::TimesIterator(Int32)
iter.next # => 0
iter.next # => 1
iter.next # => 2
iter.next # => #<Iterator::Stop:0x7fb5bedd7fe0>
iter.next # => #<Iterator::Stop:0x7fb5bedd7fe0>
iter.next # => #<Iterator::Stop:0x7fb5bedd7fe0>
</syntaxhighlight>
: Integer#times にブロックを渡さないと、Int::TimesIterator([T])オブジェクトが返ります。
: Int::TimesIterator([T])オブジェクトは外部イテレーターと呼ばれnextメソッドで反復を行えます。
== オブジェクト ==
Crystal では、全てがオブジェクトです。
=== オブジェクトのリテラルとクラス ===
;オブジェクトのリテラルとクラス:<syntaxhighlight lang=crystal>
[nil, false, true, 1, 3.14, "abc", :abc, 1..10, 1...10, 1..,
[1, 2_u8, 3_i128],
[1, 2, 3], [1, "abc"],
{1, 2, 3}, {1, "abc"},
{"a" => 1, "b" => 2},
{a: 1, b: 2},
Set.new([:a, :bc, :def]),
->(x : Int32) { 2 * x },
100.times,
(1..).each,
[1, 2, 3].each,
{1, 2, 3}.each,
{"a" => 1, "b" => 2}.each,
# {a:1, b:2}.each, # Error: 'NamedTuple(a: Int32, b: Int32)#each' is expected to be invoked with a block, but no block was given
].each do |obj|
p [obj, obj.class]
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text" style="overflow: scroll;height:12em">
[nil, Nil]
[false, Bool]
[true, Bool]
[1, Int32]
[3.14, Float64]
["abc", String]
[:abc, Symbol]
[1..10, Range(Int32, Int32)]
[1...10, Range(Int32, Int32)]
[1.., Range(Int32, Nil)]
[[1, 2, 3], Array(Int128 | Int32 | UInt8)]
[[1, 2, 3], Array(Int32)]
[[1, "abc"], Array(Int32 | String)]
[{1, 2, 3}, Tuple(Int32, Int32, Int32)]
[{1, "abc"}, Tuple(Int32, String)]
[{"a" => 1, "b" => 2}, Hash(String, Int32)]
[{a: 1, b: 2}, NamedTuple(a: Int32, b: Int32)]
[Set{:a, :bc, :def}, Set(Symbol)]
[#<Proc(Int32, Int32):0x5a6c0ffabcf0>, Proc(Int32, Int32)]
[#<Int::TimesIterator(Int32):0x7e2b4be59e80 @n=100, @index=0>, Int::TimesIterator(Int32)]
[#<Range::ItemIterator(Int32, Nil):0x7e2b4be5dfc0 @range=1.., @current=1, @reached_end=false>, Range::ItemIterator(Int32, Nil)]
[#<Indexable::ItemIterator(Array(Int32), Int32):0x7e2b4be58da0 @array=[1, 2, 3], @index=0>, Indexable::ItemIterator(Array(Int32), Int32)]
[#<Indexable::ItemIterator(Tuple(Int32, Int32, Int32), Int32):0x7e2b4be5dfa0 @array={1, 2, 3}, @index=0>, Indexable::ItemIterator(Tuple(Int32, Int32, Int32), Int32)]
[#<Hash::EntryIterator(String, Int32):0x7e2b4be58d80 @hash={"a" => 1, "b" => 2}, @index=0>, Hash::EntryIterator(String, Int32)]
</syntaxhighlight>
=== Rubyのオブジェクトのリテラルとクラス ===
;Rubyのオブジェクトのリテラルとクラス:<syntaxhighlight lang=ruby>
require 'set'
[nil, false, true, 1, 3.14, "abc", :abc, 1..10, 1...10, 1..,
# [1, 2_u8, 3_i128],
[1, 2, 3], [1, "abc"],
# {1, 2, 3}, {1, "abc"},
{"a" => 1, "b" => 2},
{a: 1, b: 2},
Set.new([:a, :bc, :def]),
->(x) { 2 * x },
100.times,
(1..).each,
[1, 2, 3].each,
# {1, 2, 3}.each,
{"a" => 1, "b" => 2}.each,
# {a:1, b:2}.each, # Error: 'NamedTuple(a: Int32, b: Int32)#each' is expected to be invoked with a block, but no block was given
].each do |obj|
p [obj, obj.class]
end
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text" style="overflow: scroll;height:12em">
[nil, NilClass]
[false, FalseClass]
[true, TrueClass]
[1, Integer]
[3.14, Float]
["abc", String]
[:abc, Symbol]
[1..10, Range]
[1...10, Range]
[1.., Range]
[[1, 2, 3], Array]
[[1, "abc"], Array]
[{"a"=>1, "b"=>2}, Hash]
[{:a=>1, :b=>2}, Hash]
[#<Set: {:a, :bc, :def}>, Set]
[#<Proc:0x000014af26147eb0 Main.rb:10 (lambda)>, Proc]
[#<Enumerator: 100:times>, Enumerator]
[#<Enumerator: 1..:each>, Enumerator]
[#<Enumerator: [1, 2, 3]:each>, Enumerator]
[#<Enumerator: {"a"=>1, "b"=>2}:each>, Enumerator]
</syntaxhighlight>
== メソッド ==
オブジェクトの値や機能を呼び出すためには、メソッドを使います(多くの演算子もメソッドです)。
=== クラスのメソッド一覧 ===
Crystal には、Objectクラスにmethodsメソッドがないので、マクロで実装しました。
;RubyのObject#methods:<syntaxhighlight lang=crystal>
p Object.methods.sort,
Integer.methods.sort,
Float.methods.sort,
Array.methods.sort,
Range.methods.sort
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text" style="overflow: scroll;height:12em">
[:!, :!=, :!~, :<, :<=, :<=>, :==, :===, :=~, :>, :>=, :__id__, :__send__, :alias_method, :allocate, :ancestors, :attr, :attr_accessor, :attr_reader, :attr_writer, :autoload, :autoload?, :class, :class_eval, :class_exec, :class_variable_defined?, :class_variable_get, :class_variable_set, :class_variables, :clone, :const_defined?, :const_get, :const_missing, :const_set, :const_source_location, :constants, :define_method, :define_singleton_method, :deprecate_constant, :display, :dup, :enum_for, :eql?, :equal?, :extend, :freeze, :frozen?, :hash, :include, :include?, :included_modules, :inspect, :instance_eval, :instance_exec, :instance_method, :instance_methods, :instance_of?, :instance_variable_defined?, :instance_variable_get, :instance_variable_set, :instance_variables, :is_a?, :itself, :kind_of?, :method, :method_defined?, :methods, :module_eval, :module_exec, :name, :new, :nil?, :object_id, :prepend, :private_class_method, :private_constant, :private_instance_methods, :private_method_defined?, :private_methods, :protected_instance_methods, :protected_method_defined?, :protected_methods, :public_class_method, :public_constant, :public_instance_method, :public_instance_methods, :public_method, :public_method_defined?, :public_methods, :public_send, :remove_class_variable, :remove_instance_variable, :remove_method, :respond_to?, :send, :singleton_class, :singleton_class?, :singleton_method, :singleton_methods, :subclasses, :superclass, :taint, :tainted?, :tap, :then, :to_enum, :to_s, :trust, :undef_method, :untaint, :untrust, :untrusted?, :yield_self]
[:!, :!=, :!~, :<, :<=, :<=>, :==, :===, :=~, :>, :>=, :__id__, :__send__, :alias_method, :allocate, :ancestors, :attr, :attr_accessor, :attr_reader, :attr_writer, :autoload, :autoload?, :class, :class_eval, :class_exec, :class_variable_defined?, :class_variable_get, :class_variable_set, :class_variables, :clone, :const_defined?, :const_get, :const_missing, :const_set, :const_source_location, :constants, :define_method, :define_singleton_method, :deprecate_constant, :display, :dup, :enum_for, :eql?, :equal?, :extend, :freeze, :frozen?, :hash, :include, :include?, :included_modules, :inspect, :instance_eval, :instance_exec, :instance_method, :instance_methods, :instance_of?, :instance_variable_defined?, :instance_variable_get, :instance_variable_set, :instance_variables, :is_a?, :itself, :kind_of?, :method, :method_defined?, :methods, :module_eval, :module_exec, :name, :nil?, :object_id, :prepend, :private_class_method, :private_constant, :private_instance_methods, :private_method_defined?, :private_methods, :protected_instance_methods, :protected_method_defined?, :protected_methods, :public_class_method, :public_constant, :public_instance_method, :public_instance_methods, :public_method, :public_method_defined?, :public_methods, :public_send, :remove_class_variable, :remove_instance_variable, :remove_method, :respond_to?, :send, :singleton_class, :singleton_class?, :singleton_method, :singleton_methods, :sqrt, :subclasses, :superclass, :taint, :tainted?, :tap, :then, :to_enum, :to_s, :trust, :try_convert, :undef_method, :untaint, :untrust, :untrusted?, :yield_self]
[:!, :!=, :!~, :<, :<=, :<=>, :==, :===, :=~, :>, :>=, :__id__, :__send__, :alias_method, :allocate, :ancestors, :attr, :attr_accessor, :attr_reader, :attr_writer, :autoload, :autoload?, :class, :class_eval, :class_exec, :class_variable_defined?, :class_variable_get, :class_variable_set, :class_variables, :clone, :const_defined?, :const_get, :const_missing, :const_set, :const_source_location, :constants, :define_method, :define_singleton_method, :deprecate_constant, :display, :dup, :enum_for, :eql?, :equal?, :extend, :freeze, :frozen?, :hash, :include, :include?, :included_modules, :inspect, :instance_eval, :instance_exec, :instance_method, :instance_methods, :instance_of?, :instance_variable_defined?, :instance_variable_get, :instance_variable_set, :instance_variables, :is_a?, :itself, :kind_of?, :method, :method_defined?, :methods, :module_eval, :module_exec, :name, :nil?, :object_id, :prepend, :private_class_method, :private_constant, :private_instance_methods, :private_method_defined?, :private_methods, :protected_instance_methods, :protected_method_defined?, :protected_methods, :public_class_method, :public_constant, :public_instance_method, :public_instance_methods, :public_method, :public_method_defined?, :public_methods, :public_send, :remove_class_variable, :remove_instance_variable, :remove_method, :respond_to?, :send, :singleton_class, :singleton_class?, :singleton_method, :singleton_methods, :subclasses, :superclass, :taint, :tainted?, :tap, :then, :to_enum, :to_s, :trust, :undef_method, :untaint, :untrust, :untrusted?, :yield_self]
[:!, :!=, :!~, :<, :<=, :<=>, :==, :===, :=~, :>, :>=, :[], :__id__, :__send__, :alias_method, :allocate, :ancestors, :attr, :attr_accessor, :attr_reader, :attr_writer, :autoload, :autoload?, :class, :class_eval, :class_exec, :class_variable_defined?, :class_variable_get, :class_variable_set, :class_variables, :clone, :const_defined?, :const_get, :const_missing, :const_set, :const_source_location, :constants, :define_method, :define_singleton_method, :deprecate_constant, :display, :dup, :enum_for, :eql?, :equal?, :extend, :freeze, :frozen?, :hash, :include, :include?, :included_modules, :inspect, :instance_eval, :instance_exec, :instance_method, :instance_methods, :instance_of?, :instance_variable_defined?, :instance_variable_get, :instance_variable_set, :instance_variables, :is_a?, :itself, :kind_of?, :method, :method_defined?, :methods, :module_eval, :module_exec, :name, :new, :nil?, :object_id, :prepend, :private_class_method, :private_constant, :private_instance_methods, :private_method_defined?, :private_methods, :protected_instance_methods, :protected_method_defined?, :protected_methods, :public_class_method, :public_constant, :public_instance_method, :public_instance_methods, :public_method, :public_method_defined?, :public_methods, :public_send, :remove_class_variable, :remove_instance_variable, :remove_method, :respond_to?, :send, :singleton_class, :singleton_class?, :singleton_method, :singleton_methods, :subclasses, :superclass, :taint, :tainted?, :tap, :then, :to_enum, :to_s, :trust, :try_convert, :undef_method, :untaint, :untrust, :untrusted?, :yield_self]
[:!, :!=, :!~, :<, :<=, :<=>, :==, :===, :=~, :>, :>=, :__id__, :__send__, :alias_method, :allocate, :ancestors, :attr, :attr_accessor, :attr_reader, :attr_writer, :autoload, :autoload?, :class, :class_eval, :class_exec, :class_variable_defined?, :class_variable_get, :class_variable_set, :class_variables, :clone, :const_defined?, :const_get, :const_missing, :const_set, :const_source_location, :constants, :define_method, :define_singleton_method, :deprecate_constant, :display, :dup, :enum_for, :eql?, :equal?, :extend, :freeze, :frozen?, :hash, :include, :include?, :included_modules, :inspect, :instance_eval, :instance_exec, :instance_method, :instance_methods, :instance_of?, :instance_variable_defined?, :instance_variable_get, :instance_variable_set, :instance_variables, :is_a?, :itself, :kind_of?, :method, :method_defined?, :methods, :module_eval, :module_exec, :name, :new, :nil?, :object_id, :prepend, :private_class_method, :private_constant, :private_instance_methods, :private_method_defined?, :private_methods, :protected_instance_methods, :protected_method_defined?, :protected_methods, :public_class_method, :public_constant, :public_instance_method, :public_instance_methods, :public_method, :public_method_defined?, :public_methods, :public_send, :remove_class_variable, :remove_instance_variable, :remove_method, :respond_to?, :send, :singleton_class, :singleton_class?, :singleton_method, :singleton_methods, :subclasses, :superclass, :taint, :tainted?, :tap, :then, :to_enum, :to_s, :trust, :undef_method, :untaint, :untrust, :untrusted?, :yield_self]
</syntaxhighlight>
;Crystalに実装したmethodsマクロ:<syntaxhighlight lang=crystal>
class Object
macro methods
{{ @type.methods.map(&.name.stringify).sort.uniq }}
end
end
p! Object.methods,
Reference.methods,
Array.methods,
Box.methods,
Channel.methods,
Deque.methods,
Dir.methods,
Exception.methods,
ArgumentError.methods,
DivisionByZeroError.methods,
IndexError.methods,
InvalidByteSequenceError.methods,
Fiber.methods,
Hash.methods,
IO.methods,
File.methods,
Mutex.methods,
PrettyPrint.methods,
Process.methods,
Regex.methods,
String.methods,
Thread.methods,
Bool.methods,
Int32.methods,
Float64.methods,
Proc.methods
</syntaxhighlight>
;実行結果:<syntaxhighlight lang="text" style="overflow: scroll;height:12em">
Object.methods # => ["!=", "!~", "==", "===", "=~", "class", "crystal_type_id", "dup", "hash", "in?", "inspect", "itself", "not_nil!", "pretty_inspect", "pretty_print", "tap", "to_s", "try", "unsafe_as"]
Reference.methods # => ["==", "dup", "exec_recursive", "exec_recursive_clone", "hash", "inspect", "object_id", "pretty_print", "same?", "to_s"]
Array.methods # => ["&", "*", "+", "-", "<<", "<=>", "==", "[]", "[]=", "[]?", "calculate_new_capacity", "check_needs_resize", "check_needs_resize_for_unshift", "clear", "clone", "compact", "compact!", "concat", "delete", "delete_at", "dup", "each_repeated_permutation", "fill", "first", "flatten", "increase_capacity", "increase_capacity_for_unshift", "index", "initialize", "insert", "inspect", "internal_delete", "last", "map", "map_with_index", "needs_resize?", "pop", "pop?", "pretty_print", "product", "push", "reject!", "remaining_capacity", "repeated_permutations", "replace", "reset_buffer_to_root_buffer", "resize_if_cant_insert", "resize_to_capacity", "resize_to_capacity_for_unshift", "reverse", "root_buffer", "rotate", "rotate!", "select!", "shift", "shift?", "shift_buffer_by", "shift_when_not_empty", "shuffle", "size", "size=", "skip", "sort", "sort!", "sort_by", "sort_by!", "to_a", "to_lookup_hash", "to_s", "to_unsafe", "to_unsafe_slice", "transpose", "truncate", "uniq", "uniq!", "unsafe_fetch", "unsafe_put", "unshift", "unstable_sort", "unstable_sort!", "unstable_sort_by", "unstable_sort_by!", "|"]
Box.methods # => ["initialize", "object"]
Channel.methods # => ["close", "closed?", "dequeue_receiver", "dequeue_sender", "initialize", "inspect", "pretty_print", "receive", "receive?", "receive_impl", "receive_internal", "receive_select_action", "receive_select_action?", "send", "send_internal", "send_select_action"]
Deque.methods # => ["+", "<<", "==", "buffer", "clear", "clone", "concat", "delete", "delete_at", "dup", "each", "halfs", "increase_capacity", "initialize", "insert", "inspect", "internal_delete", "pop", "pop?", "pretty_print", "push", "reject!", "rotate!", "select!", "shift", "shift?", "size", "size=", "to_s", "unsafe_fetch", "unsafe_put", "unshift"]
Dir.methods # => ["children", "close", "each", "each_child", "entries", "initialize", "inspect", "path", "pretty_print", "read", "rewind", "to_s"]
Exception.methods # => ["backtrace", "backtrace?", "callstack", "callstack=", "cause", "initialize", "inspect", "inspect_with_backtrace", "message", "to_s"]
ArgumentError.methods # => ["initialize"]
DivisionByZeroError.methods # => ["initialize"]
IndexError.methods # => ["initialize"]
InvalidByteSequenceError.methods # => ["initialize"]
Fiber.methods # => ["cancel_timeout", "dead?", "enqueue", "initialize", "inspect", "makecontext", "name", "name=", "next", "next=", "previous", "previous=", "push_gc_roots", "resumable?", "resume", "resume_event", "run", "running?", "stack_bottom", "stack_bottom=", "timeout", "timeout_event", "timeout_select_action", "timeout_select_action=", "to_s"]
Hash.methods # => ["==", "[]", "[]=", "[]?", "add_entry_and_increment_size", "clear", "clear_entries", "clear_impl", "clear_indices", "clone", "compact", "compact!", "compare_by_identity", "compare_by_identity?", "compute_indices_bytesize", "delete", "delete_entry", "delete_entry_and_update_counts", "delete_impl", "delete_linear_scan", "dig", "dig?", "do_compaction", "double_indices_size", "dup", "each", "each_entry_with_index", "each_key", "each_value", "empty?", "entries", "entries_capacity", "entries_full?", "entries_size", "entry_matches?", "fetch", "find_entry", "find_entry_with_index", "find_entry_with_index_linear_scan", "first_entry?", "first_key", "first_key?", "first_value", "first_value?", "fit_in_indices", "get_entry", "get_index", "has_key?", "has_value?", "hash", "indices_malloc_size", "indices_size", "initialize", "initialize_clone", "initialize_clone_entries", "initialize_compare_by_identity", "initialize_copy_non_entries_vars", "initialize_default_block", "initialize_dup", "initialize_dup_entries", "inspect", "invert", "key_for", "key_for?", "key_hash", "keys", "last_entry?", "last_key", "last_key?", "last_value", "last_value?", "malloc_entries", "malloc_indices", "merge", "merge!", "merge_into!", "next_index", "pretty_print", "proper_subset_of?", "proper_superset_of?", "put", "realloc_entries", "realloc_indices", "rehash", "reject", "reject!", "resize", "select", "select!", "set_entry", "set_index", "shift", "shift?", "size", "subset_of?", "superset_of?", "to_a", "to_a_impl", "to_h", "to_s", "transform_keys", "transform_values", "transform_values!", "update", "update_linear_scan", "upsert", "values", "values_at"]
IO.methods # => ["<<", "check_open", "close", "closed?", "decoder", "each_byte", "each_char", "each_line", "encoder", "encoding", "flush", "getb_to_end", "gets", "gets_peek", "gets_slow", "gets_to_end", "has_non_utf8_encoding?", "peek", "peek_or_read_utf8", "peek_or_read_utf8_masked", "pos", "pos=", "print", "printf", "puts", "read", "read_at", "read_byte", "read_bytes", "read_char", "read_char_with_bytesize", "read_fully", "read_fully?", "read_line", "read_string", "read_utf8", "read_utf8_byte", "rewind", "seek", "set_encoding", "skip", "skip_to_end", "tell", "tty?", "utf8_encoding?", "write", "write_byte", "write_bytes", "write_string", "write_utf8"]
File.methods # => ["delete", "initialize", "inspect", "path", "read_at", "size", "truncate"]
Mutex.methods # => ["initialize", "lock", "lock_slow", "synchronize", "try_lock", "unlock"]
PrettyPrint.methods # => ["break_outmost_groups", "breakable", "comma", "current_group", "fill_breakable", "flush", "group", "group_queue", "group_sub", "indent", "initialize", "list", "nest", "newline", "surround", "text"]
Process.methods # => ["channel", "close", "close_io", "copy_io", "ensure_channel", "error", "error?", "exists?", "finalize", "initialize", "input", "input?", "output", "output?", "pid", "signal", "stdio_to_fd", "terminate", "terminated?", "wait"]
Regex.methods # => ["+", "==", "===", "=~", "capture_count", "clone", "dup", "finalize", "hash", "initialize", "inspect", "internal_matches?", "match", "match_at_byte_index", "matches?", "matches_at_byte_index?", "name_table", "options", "source", "to_s"]
String.methods # => ["%", "*", "+", "<=>", "==", "=~", "[]", "[]?", "ascii_only?", "blank?", "byte_at", "byte_at?", "byte_delete_at", "byte_index", "byte_index_to_char_index", "byte_slice", "byte_slice?", "bytes", "bytesize", "calc_excess_left", "calc_excess_right", "camelcase", "capitalize", "center", "char_at", "char_bytesize_at", "char_index_to_byte_index", "chars", "check_no_null_byte", "chomp", "clone", "codepoint_at", "codepoints", "compare", "count", "delete", "delete_at", "downcase", "dump", "dump_char", "dump_hex", "dump_or_inspect", "dump_or_inspect_char", "dump_or_inspect_unquoted", "dump_unquoted", "dup", "each_byte", "each_byte_index_and_char_index", "each_char", "each_char_with_index", "each_codepoint", "each_grapheme", "each_grapheme_boundary", "each_line", "empty?", "encode", "ends_with?", "find_start_and_end", "grapheme_size", "graphemes", "gsub", "gsub_append", "gsub_ascii_char", "has_back_references?", "hash", "hexbytes", "hexbytes?", "includes?", "index", "insert", "insert_impl", "inspect", "inspect_char", "inspect_unquoted", "just", "lchop", "lchop?", "lines", "ljust", "lstrip", "match", "matches?", "partition", "presence", "pretty_print", "rchop", "rchop?", "remove_excess", "remove_excess_left", "remove_excess_right", "reverse", "rindex", "rjust", "rpartition", "rstrip", "scan", "scan_backreferences", "scrub", "single_byte_optimizable?", "size", "size_known?", "split", "split_by_empty_separator", "split_single_byte", "squeeze", "starts_with?", "strip", "sub", "sub_append", "sub_index", "sub_range", "succ", "titleize", "to_f", "to_f32", "to_f32?", "to_f64", "to_f64?", "to_f?", "to_f_impl", "to_i", "to_i128", "to_i128?", "to_i16", "to_i16?", "to_i32", "to_i32?", "to_i64", "to_i64?", "to_i8", "to_i8?", "to_i?", "to_s", "to_slice", "to_u128", "to_u128?", "to_u16", "to_u16?", "to_u32", "to_u32?", "to_u64", "to_u64?", "to_u8", "to_u8?", "to_unsafe", "to_unsigned_info", "to_utf16", "tr", "underscore", "unicode_delete_at", "unsafe_byte_at", "unsafe_byte_slice", "unsafe_byte_slice_string", "upcase", "valid_encoding?"]
Thread.methods # => ["detach", "event_base", "gc_thread_handler", "gc_thread_handler=", "initialize", "join", "main_fiber", "next", "next=", "previous", "previous=", "scheduler", "stack_address", "start", "to_unsafe"]
Bool.methods # => ["!=", "&", "==", "^", "clone", "hash", "to_s", "to_unsafe", "|"]
Int32.methods # => ["!=", "&", "&*", "&+", "&-", "*", "+", "-", "/", "<", "<=", "==", ">", ">=", "^", "clone", "leading_zeros_count", "popcount", "to_f", "to_f!", "to_f32", "to_f32!", "to_f64", "to_f64!", "to_i", "to_i!", "to_i128", "to_i128!", "to_i16", "to_i16!", "to_i32", "to_i32!", "to_i64", "to_i64!", "to_i8", "to_i8!", "to_u", "to_u!", "to_u128", "to_u128!", "to_u16", "to_u16!", "to_u32", "to_u32!", "to_u64", "to_u64!", "to_u8", "to_u8!", "trailing_zeros_count", "unsafe_chr", "unsafe_div", "unsafe_mod", "unsafe_shl", "unsafe_shr", "|"]
Float64.methods # => ["!=", "*", "**", "+", "-", "/", "<", "<=", "==", ">", ">=", "ceil", "clone", "fdiv", "floor", "next_float", "prev_float", "round_away", "round_even", "to_f", "to_f!", "to_f32", "to_f32!", "to_f64", "to_f64!", "to_i", "to_i!", "to_i128", "to_i128!", "to_i16", "to_i16!", "to_i32", "to_i32!", "to_i64", "to_i64!", "to_i8", "to_i8!", "to_s", "to_u", "to_u!", "to_u128", "to_u128!", "to_u16", "to_u16!", "to_u32", "to_u32!", "to_u64", "to_u64!", "to_u8", "to_u8!", "trunc"]
Proc.methods # => ["==", "===", "arity", "call", "clone", "closure?", "closure_data", "hash", "internal_representation", "partial", "pointer", "to_s"]</syntaxhighlight>
== 脚註 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [https://crystal-lang.org/ The Crystal Programming Language] {{---}} 公式サイト
** [https://crystal-lang.org/reference/1.5/ ドキュメント]
*** [https://crystal-lang.org/api/1.5.0/ APIマニュアル]
** [https://play.crystal-lang.org/#/cr Compile & run code in Crystal] {{---}} playground
[[Category:Crystal|*]]
[[Category:プログラミング言語]]
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