Wikibooks jawikibooks https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.39.0-wmf.23 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikibooks Wikibooks・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク Transwiki Transwiki‐ノート TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Gadget Gadget talk Gadget definition Gadget definition talk 小学校社会/6学年/歴史編 0 6725 206407 204254 2022-08-10T10:54:41Z Tomzo 248 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|小学校社会/6学年|frame=1}} このページでは、日本の歴史について学びましょう。「政治と私たちの暮らし」(この項目|は[[小学校社会/6学年/政治・国際編#政治と私たちの暮らし|こちら]]です)→「日本の歴史」(このページ)→「世界の中の日本」(この項目は[[小学校社会/6学年/政治・国際編#世界の中の日本|こちら]]です)の順に学びましょう。 # [[/はじめに|はじめに]] - 歴史の勉強方法 # [[/歴史の流れをつかもう|歴史の流れをつかもう]] - 日本の歴史の全体をながめてみましょう。 # [[/歴史の始まり|歴史の始まり]]<!--先史時代(縄文時代、弥生時代)から古墳時代、大和政権成立期にかけて--> - 「むら」から「くに」への変化。 #:(注目ポイント)狩猟・採集や農耕の生活、古墳、大和朝廷(大和政権)による統一の様子 # [[/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代|天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代]]<!--飛鳥時代(聖徳太子の政策、遣隋使)から奈良時代にかけて--> - 天皇を中心とした政治の確立。 #:(注目ポイント)大陸文化の摂取、大化の改新、大仏造営 # [[/貴族の文化-平安時代|貴族の文化-平安時代]]<!--平安京遷都から概ね平安時代--> - 日本風の文化の誕生 #:(注目ポイント) 貴族の生活や文化 # [[/武家社会の始まり-鎌倉時代|武家社会の始まり-鎌倉時代]]<!--保元平治の乱あたりから元寇まで、鎌倉時代--> - 武士社会による政治の始まり #:(注目ポイント) 源平の戦い、鎌倉幕府の始まり、元との戦い # [[/室町文化の誕生-室町時代|室町文化の誕生-室町時代]]<!--室町時代−主題は文化史--> - 今日の生活文化につながる室町文化の誕生 #:(注目ポイント) 室町時代の代表的な建造物や絵画 # [[/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代|戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代]]<!--戦国時代末期から織豊時代--> - 戦国の世の統一 #:(注目ポイント) キリスト教の伝来、織田・豊臣の天下統一 # [[/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ|江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ]]<!--徳川幕府の成立、江戸時代初期(概ね島原の乱あたりまで)--> - 武士による政治の安定 #:(注目ポイント) 江戸幕府の始まり、参勤交代や鎖国などの幕府の政策、身分制 # [[/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ|江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ]]<!--江戸時代中期−主題は文化史(元禄文化、化政文化など)--> - 町人文化の繁栄と新しい学問の興隆 #:(注目ポイント) 歌舞伎や浮世絵、国学や蘭学 # [[/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代|明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代]]<!--黒船来航から倒幕、明治政府成立までー幕末から明治時代初期--> - 明治維新を機に欧米の文化を取り入れつつ近代化を進めた #:(注目ポイント) 黒船の来航、廃藩置県や四民平等などの改革、文明開化 # [[/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]]<!--1889年前後から「国際的地位が向上」(1920年国際連盟成立 常任理事国入り)まで--> - 日本の国力充実と国際的地位の向上 #:(注目ポイント) 大日本帝国憲法の発布、日清・日露の戦争、条約改正、科学の発展 # [[/戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで|戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで]] - 戦後、民主的な国家として出発し、国民生活が向上し、国際社会の中で重要な役割を果たす #:(注目ポイント) 日中戦争、第二次世界大戦、日本国憲法の制定、オリンピック・パラリンピックの開催 #付録 #*[[/人物事典|人物事典]] - 歴史学習に出てくる人物についてくわしく学びましょう。 == 旧版 == * [[/上巻|{{Ruby|上巻|じょうかん}}]] - {{Ruby|安土桃山|あづちももやま}}時代までについて学びましょう。 * [[/下巻|{{Ruby|下巻|げかん}}]] - {{Ruby|江戸|えど}}時代{{Ruby|以降|いこう}}を学びましょう。 [[Category:社会|しようかつこうしやかい6]] [[Category:小学校社会|6ねん]] ilse5jo7vkcigjz0pl4rckzofeh4ve0 高等学校日本史B 0 10189 206378 205992 2022-08-09T14:08:26Z 椎楽 32225 /* 武家政権の成立 */ タイトル変更 wikitext text/x-wiki * [[日本史]] > [[高等学校日本史]] > [[高等学校日本史B]] * [[高等学校の学習]] > [[高等学校地理歴史|地理歴史]] > [[高等学校日本史B|日本史B]] ---- 日本の高等学校課程における「日本史B」の教科書。 == 原始・古代の日本 == === 古代国家の形成 === * [[高等学校日本史B/日本文化のあけぼの]](人類の発生、旧石器時代、縄文時代) * [[高等学校日本史B/弥生時代]](弥生時代) * [[高等学校日本史B/古墳とヤマト王権]] === 律令国家の形成 === * [[高等学校日本史B/飛鳥の朝廷]] * [[高等学校日本史B/律令国家への道]](大化の改新 〜 大宝律令、租庸調など) * [[高等学校日本史B/奈良時代]] * [[高等学校日本史B/天平文化]] === 貴族政治と国風文化 === * [[高等学校日本史B/平安遷都と政治改革]] * [[高等学校日本史B/藤原氏の台頭]] * [[高等学校日本史B/平安時代の地方政治]] * [[高等学校日本史B/国風文化]] == 中世の日本 == === 院政期 === * [[高等学校日本史B/院政とその展開]] * [[高等学校日本史B/保元・平治の乱]] * [[高等学校日本史B/院政期の文化]] === 武家政権の成立 === * [[高等学校日本史B/鎌倉幕府の成立]] * [[高等学校日本史B/執権政治]] * [[高等学校日本史B/武家社会]] * [[高等学校日本史B/鎌倉時代の経済]] * [[高等学校日本史B/元寇と鎌倉幕府の動揺]] * [[高等学校日本史B/後醍醐天皇と建武の新政]] === 室町〜戦国時代 === * [[高等学校日本史B/室町幕府の成立と南北朝時代]] {{進捗|00%|2018-06-21}} * [[高等学校日本史B/室町幕府の展開]] * [[高等学校日本史B/室町幕府の衰退と下剋上の時代]] * [[高等学校日本史B/戦国大名の台頭]] * [[高等学校日本史B/室町文化と戦国時代の文化]] == 近世の日本 == === 戦国時代末~織豊政権 === * [[高等学校日本史B/ヨーロッパ人との交流]] * [[高等学校日本史B/織田信長・豊臣秀吉]] * [[高等学校日本史B/桃山文化]] === 幕藩体制の成立 === * [[高等学校日本史B/徳川幕府の成立]] {{進捗|00%|2018-06-06}} * [[高等学校日本史B/寛永文化]] === 幕藩体制の展開 === * [[高等学校日本史B/幕藩体制の展開]] * [[高等学校日本史B/江戸時代の経済の発展]] * [[高等学校日本史B/元禄文化と学問の発展]] === 幕藩体制の動揺 === * [[高等学校日本史B/幕藩体制の動揺]] * [[高等学校日本史B/幕藩体制の停滞と諸藩の改革]] * [[高等学校日本史B/江戸中・後期の文化]] {{進捗|00%|2018-06-06}} == 近代の日本 == === 近代への転換 === * [[高等学校日本史B/開国]] * [[高等学校日本史B/明治維新]] * [[高等学校日本史B/明治の近代化の改革]] * [[高等学校日本史B/明治初期の文化]] * [[高等学校日本史B/明治初期の外交]] === 日本の軍事的覇権 === * [[高等学校日本史B/立憲体制の確立]] * [[高等学校日本史B/日清・日露戦争]] * [[高等学校日本史B/第一次世界大戦と日本]] === ブロック経済の成立と崩壊 === * [[高等学校日本史B/経済恐慌と中国侵略]] * [[高等学校歴史総合/世界恐慌とブロック経済]] * [[高等学校歴史総合/満州事変]] * [[高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本]] == 現代の日本 == === 占領期と独立 === * [[高等学校日本史B/占領と改革]] * [[高等学校日本史B/冷戦の開始と講和]] === 平和と繁栄をめざして === * [[高等学校日本史B/安保闘争の時代]] :* 参考: [[高等学校政治経済/政治/右翼と左翼、保守と革新]] (※ 用語解説。分かっていれば、読み飛ばしても良い。) {{進捗|50%|2016-04-05}} * [[高等学校日本史B/高度経済成長の日本]] === 理想の挫折 === * [[高等学校日本史B/高度経済成長の終焉]] * [[高等学校日本史B/冷戦後の日本]] == テーマ史 == * [[高等学校日本史B/テーマ史別]] == 資料集 == * [[高等学校日本史B/史料集|史料集]] == 学習方法 == * [[学習方法/高校日本史]] {{DEFAULTSORT:にほんしB}} [[カテゴリ:高等学校教育]] [[カテゴリ:社会科教育]] [[カテゴリ:高等学校日本史|*]] nj5w2j3eu5bzr32psnpw7txnmw5pf68 206381 206378 2022-08-09T14:15:08Z 椎楽 32225 /* 中世の日本 */ タイトル変更 wikitext text/x-wiki * [[日本史]] > [[高等学校日本史]] > [[高等学校日本史B]] * [[高等学校の学習]] > [[高等学校地理歴史|地理歴史]] > [[高等学校日本史B|日本史B]] ---- 日本の高等学校課程における「日本史B」の教科書。 == 原始・古代の日本 == === 古代国家の形成 === * [[高等学校日本史B/日本文化のあけぼの]](人類の発生、旧石器時代、縄文時代) * [[高等学校日本史B/弥生時代]](弥生時代) * [[高等学校日本史B/古墳とヤマト王権]] === 律令国家の形成 === * [[高等学校日本史B/飛鳥の朝廷]] * [[高等学校日本史B/律令国家への道]](大化の改新 〜 大宝律令、租庸調など) * [[高等学校日本史B/奈良時代]] * [[高等学校日本史B/天平文化]] === 貴族政治と国風文化 === * [[高等学校日本史B/平安遷都と政治改革]] * [[高等学校日本史B/藤原氏の台頭]] * [[高等学校日本史B/平安時代の地方政治]] * [[高等学校日本史B/国風文化]] == 中世の日本 == === 院政期 === * [[高等学校日本史B/院政とその展開]] * [[高等学校日本史B/保元・平治の乱]] * [[高等学校日本史B/院政期の文化]] === 武家政権の成立 === * [[高等学校日本史B/鎌倉幕府の成立]] * [[高等学校日本史B/執権政治]] * [[高等学校日本史B/武家社会]] * [[高等学校日本史B/鎌倉時代の経済]] * [[高等学校日本史B/元寇と鎌倉幕府の動揺]] * [[高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡]] === 室町〜戦国時代 === * [[高等学校日本史B/建武の新政]] * [[高等学校日本史B/室町幕府の成立と南北朝時代]] {{進捗|00%|2018-06-21}} * [[高等学校日本史B/室町幕府の展開]] * [[高等学校日本史B/室町幕府の衰退と下剋上の時代]] * [[高等学校日本史B/戦国大名の台頭]] * [[高等学校日本史B/室町文化と戦国時代の文化]] == 近世の日本 == === 戦国時代末~織豊政権 === * [[高等学校日本史B/ヨーロッパ人との交流]] * [[高等学校日本史B/織田信長・豊臣秀吉]] * [[高等学校日本史B/桃山文化]] === 幕藩体制の成立 === * [[高等学校日本史B/徳川幕府の成立]] {{進捗|00%|2018-06-06}} * [[高等学校日本史B/寛永文化]] === 幕藩体制の展開 === * [[高等学校日本史B/幕藩体制の展開]] * [[高等学校日本史B/江戸時代の経済の発展]] * [[高等学校日本史B/元禄文化と学問の発展]] === 幕藩体制の動揺 === * [[高等学校日本史B/幕藩体制の動揺]] * [[高等学校日本史B/幕藩体制の停滞と諸藩の改革]] * [[高等学校日本史B/江戸中・後期の文化]] {{進捗|00%|2018-06-06}} == 近代の日本 == === 近代への転換 === * [[高等学校日本史B/開国]] * [[高等学校日本史B/明治維新]] * [[高等学校日本史B/明治の近代化の改革]] * [[高等学校日本史B/明治初期の文化]] * [[高等学校日本史B/明治初期の外交]] === 日本の軍事的覇権 === * [[高等学校日本史B/立憲体制の確立]] * [[高等学校日本史B/日清・日露戦争]] * [[高等学校日本史B/第一次世界大戦と日本]] === ブロック経済の成立と崩壊 === * [[高等学校日本史B/経済恐慌と中国侵略]] * [[高等学校歴史総合/世界恐慌とブロック経済]] * [[高等学校歴史総合/満州事変]] * [[高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本]] == 現代の日本 == === 占領期と独立 === * [[高等学校日本史B/占領と改革]] * [[高等学校日本史B/冷戦の開始と講和]] === 平和と繁栄をめざして === * [[高等学校日本史B/安保闘争の時代]] :* 参考: [[高等学校政治経済/政治/右翼と左翼、保守と革新]] (※ 用語解説。分かっていれば、読み飛ばしても良い。) {{進捗|50%|2016-04-05}} * [[高等学校日本史B/高度経済成長の日本]] === 理想の挫折 === * [[高等学校日本史B/高度経済成長の終焉]] * [[高等学校日本史B/冷戦後の日本]] == テーマ史 == * [[高等学校日本史B/テーマ史別]] == 資料集 == * [[高等学校日本史B/史料集|史料集]] == 学習方法 == * [[学習方法/高校日本史]] {{DEFAULTSORT:にほんしB}} [[カテゴリ:高等学校教育]] [[カテゴリ:社会科教育]] [[カテゴリ:高等学校日本史|*]] thdjbsxxl1h1svviozeyfn7lpwu8uen Wikijunior:大型ネコ/トラ 0 16814 206404 171170 2022-08-10T10:38:57Z Ef3 694 {{Ruby}} wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikijunior:メインページ|Wikijunior:大型ネコ}} [[Image:Panthera tigris tigris.jpg|thumb|right|ベンガル虎]] ハイイログマより小さいものの{{Ruby|敏捷|びんしょう}}(すばやい、という意味)であることから、肉食獣の王者としての称号を得ています。トラはネコ科の中でもっとも{{Ruby|剛力|ごうりき}}であり、人間の5倍の引く力を持ち、また長距離を走れて、泳げて、(得意ではありませんが)登れます。トラはヒョウ属です。ライオンや{{Ruby|豹|ひょう}}、ジャガーと同じヒョウ属です。トラの唸り声はライオンの{{Ruby|大音声|だいおんじょう}}とは違い、どなり声に近いです。 == 生息地 == [[Image:Tigers.png|thumb|right|虎の生息地]] トラは西アジアおよび南西アジアの森や草原に生息し、バングラデシュやブータン、中国、インド、ネパール、カンボジア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、タイ、ベトナム、インドネシアのスマトラ島、ロシア極東部などにいます。 == 外見 == [[Image:White_tigers_drinking.jpg|thumb|right|ホワイトタイガー]] 生まれたばかりのトラはネコのような体格ですが、次第に大きくなります。他の大型ネコ科も、生まれたばかりのころは、ネコのような体格です。 トラの体色は、ふつうは{{Ruby|橙色|だいだいい}}に{{Ruby|黒縞|くろしま}}で、足の{{Ruby|裏|うら}}や首から{{Ruby|腹|はら}}にかけては{{Ruby|体色|たいしょく}}が白くなっています。このシマは{{Ruby|個体|こたい}}により異なり、{{Ruby|密林|みつりん}}での{{Ruby|灌木|かんぼく}}に{{Ruby|紛|まぎ}}れる{{Ruby|[[迷彩]]|めいさい}}として役立ちます。 全長は、鼻先から尾端までを全長とすると、全長は大抵は 約6フィート(約180 センチメートル) から 9フィート(約270 センチメートル) で、最大級となると 全長3m にもなります。尾は約91cmです。体重は160kgから250kgです。 トラの口の力はとても強く、柔らかい足裏には鋭い爪が隠れ、短く厚い毛皮をまとい長い髭(ひげ)を生やしています。 ホワイトタイガーはアルビノとは違い、ある遺伝子欠損により皮膚や眼、毛皮の色素がなく、白地に薄い縞か縞がない体色で蒼い瞳です。 色素が無いので迷彩に役立たず、希少価値があることから動物園や興行の見世物として長く使うために、強制的に近親者と交配させられています。 これらの悪影響としては、近親婚の遺伝子による病の発症、不活発な精子や未熟児による妊娠の失敗、潜在精巣や心不全、口蓋裂や顔面の歪みなどの先天的欠陥の増加、出生時の体重の減少、免疫機能の不活性、寿命の低下、収縮した体長、精神後退、乳児死亡率の上昇などがあります。 == 獲物の種類と、つかまえかた == [[Image:Tigergebiss.jpg|thumb|right|虎の丈夫な顎]] トラの獲物は、ヘラジカ(ヘラ鹿)や野ブタ、水牛(すいぎゅう)などの草食動物です。トラは、草食動物を捕まえて食べます。トラは、ひとりで狩りをします。ちなみに、ほかのネコ科動物も、狩りは、ひとりで します。 トラは、獲物をみつけると、近くに隠れて、とびかかるチャンスを待ちます。獲物がいなければ、クジャクのオスですら捕食します。 トラのいる地域に住む人達は、後頭部に顔の面を被ることで、トラに おそわれないようにしています。虎は獲物の後方から接近し、襲う前に二回ほど様子を伺います。Jim Corbettはインドで多くの人喰い虎を殺した自然保護論者かつ狩猟家として有名です。 == 驚きの事実 == * トラの縞は毛だけでなく皮膚にもあります。 * 泳ぎが上手く、大抵は体温を冷ますために泳ぎます。 * 同じ縞模様の虎はいません。 * シベリア虎は現存する最大の猫科動物です。 * 記録上では14フィート(約4メートル)の虎がいました。 {{wikipedia|トラ|トラ}} [[de:Wikijunior Großkatzen/ Tiger]] [[en:Wikijunior:Big Cats/Tiger]] [[fr:Wikijunior:Les félins/Les tigres]] [[it:Wikijunior Grandi felini/Tigre]] [[zh:Wikijunior:大猫/老虎]] [[カテゴリ:大型ネコ(ウィキジュニア)|とおら]] 7yier8cd87akrzc4h8z2c8xvz9ruv3l 206406 206404 2022-08-10T10:54:31Z Ef3 694 /* 驚きの事実 */ * トラの亜種の[[w:アムールトラ|アムールトラ]]は現存する最大の猫科動物です。 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|Wikijunior:メインページ|Wikijunior:大型ネコ}} [[Image:Panthera tigris tigris.jpg|thumb|right|ベンガル虎]] ハイイログマより小さいものの{{Ruby|敏捷|びんしょう}}(すばやい、という意味)であることから、肉食獣の王者としての称号を得ています。トラはネコ科の中でもっとも{{Ruby|剛力|ごうりき}}であり、人間の5倍の引く力を持ち、また長距離を走れて、泳げて、(得意ではありませんが)登れます。トラはヒョウ属です。ライオンや{{Ruby|豹|ひょう}}、ジャガーと同じヒョウ属です。トラの唸り声はライオンの{{Ruby|大音声|だいおんじょう}}とは違い、どなり声に近いです。 == 生息地 == [[Image:Tigers.png|thumb|right|虎の生息地]] トラは西アジアおよび南西アジアの森や草原に生息し、バングラデシュやブータン、中国、インド、ネパール、カンボジア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、タイ、ベトナム、インドネシアのスマトラ島、ロシア極東部などにいます。 == 外見 == [[Image:White_tigers_drinking.jpg|thumb|right|ホワイトタイガー]] 生まれたばかりのトラはネコのような体格ですが、次第に大きくなります。他の大型ネコ科も、生まれたばかりのころは、ネコのような体格です。 トラの体色は、ふつうは{{Ruby|橙色|だいだいい}}に{{Ruby|黒縞|くろしま}}で、足の{{Ruby|裏|うら}}や首から{{Ruby|腹|はら}}にかけては{{Ruby|体色|たいしょく}}が白くなっています。このシマは{{Ruby|個体|こたい}}により異なり、{{Ruby|密林|みつりん}}での{{Ruby|灌木|かんぼく}}に{{Ruby|紛|まぎ}}れる{{Ruby|[[迷彩]]|めいさい}}として役立ちます。 全長は、鼻先から尾端までを全長とすると、全長は大抵は 約6フィート(約180 センチメートル) から 9フィート(約270 センチメートル) で、最大級となると 全長3m にもなります。尾は約91cmです。体重は160kgから250kgです。 トラの口の力はとても強く、柔らかい足裏には鋭い爪が隠れ、短く厚い毛皮をまとい長い髭(ひげ)を生やしています。 ホワイトタイガーはアルビノとは違い、ある遺伝子欠損により皮膚や眼、毛皮の色素がなく、白地に薄い縞か縞がない体色で蒼い瞳です。 色素が無いので迷彩に役立たず、希少価値があることから動物園や興行の見世物として長く使うために、強制的に近親者と交配させられています。 これらの悪影響としては、近親婚の遺伝子による病の発症、不活発な精子や未熟児による妊娠の失敗、潜在精巣や心不全、口蓋裂や顔面の歪みなどの先天的欠陥の増加、出生時の体重の減少、免疫機能の不活性、寿命の低下、収縮した体長、精神後退、乳児死亡率の上昇などがあります。 == 獲物の種類と、つかまえかた == [[Image:Tigergebiss.jpg|thumb|right|虎の丈夫な顎]] トラの獲物は、ヘラジカ(ヘラ鹿)や野ブタ、水牛(すいぎゅう)などの草食動物です。トラは、草食動物を捕まえて食べます。トラは、ひとりで狩りをします。ちなみに、ほかのネコ科動物も、狩りは、ひとりで します。 トラは、獲物をみつけると、近くに隠れて、とびかかるチャンスを待ちます。獲物がいなければ、クジャクのオスですら捕食します。 トラのいる地域に住む人達は、後頭部に顔の面を被ることで、トラに おそわれないようにしています。虎は獲物の後方から接近し、襲う前に二回ほど様子を伺います。Jim Corbettはインドで多くの人喰い虎を殺した自然保護論者かつ狩猟家として有名です。 == 驚きの事実 == {{wikipedia|トラ|トラ}} * トラの縞は毛だけでなく皮膚にもあります。 * 泳ぎが上手く、大抵は体温を冷ますために泳ぎます。 * 同じ縞模様の虎はいません。 * トラの亜種の[[w:アムールトラ|アムールトラ]]は現存する最大の猫科動物です。 [[カテゴリ:大型ネコ(ウィキジュニア)|とら]] 5ng5r1ctfr7dlo7vp5rrmjn5lxayans 学習方法/高校英語 0 19481 206384 205576 2022-08-09T15:53:10Z すじにくシチュー 12058 /* 一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全 */ ネット上では「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説が出回っており、英検2級が高校英語レベルを出題範囲として想定していることから、あたかも「高校を卒業したら TOEIC 600 点で当然」みたいな言説が出回っていますが、しかし2018年の統計などをもとに考えれば、この言説はデタラメです。 wikitext text/x-wiki == IPA(国際音声記号)を学ぼう == IPA(International Phonetic Alphabet, 国際音声記号)とは世界中の言語の発音を表記できるように開発された記号である。これが、英語の単語を発音する際、重要であることは明白であろう。日本には、「英語には日本語にはない音が存在する」「英語は発音が大事」などと声高に叫ぶが、どうやってその音を調音するかという肝要なことは教えていない高校も存在するようだ。しかし、調音方法を知らずに第一言語に存在しない音を発音しろというのは不可能と言っていい。IPAを学ぶ際には必然的に音声の調印方法を体系的に学ぶことになる。したがって、フィーリングではなく理論に基づいた音声の発音が可能となる。 * [http://www.coelang.tufs.ac.jp/ipa/index.php IPAモジュール] * [[w:子音|子音]] * [[w:調音部位|調音部位]] * [[w:調音方法|調音方法]] * [[w:母音|母音]] * [[w:国際音声記号|国際音声記号]] * [[wikipedia:IPA_vowel_chart_with_audio|母音のIPAとその発音]] * [[wikipedia:IPA_pulmonic_consonant_chart_with_audio|子音のIPAとその発音]] * [[w:英語学#%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E3%83%BB%E9%9F%B3%E9%9F%BB%E5%AD%A6|英語の音素]] == 参考書と単語集が基本 == 高校英語の検定教科書は独学用には作られておらず、授業で教師が解説するのを前提にして英語の教科書は作られています。 なので、予習復習や独学や受験準備などは教科書では無理です。なので、受験準備などのために教科書とは別に高校レベルの参考書や単語集が必要ですので、早めに購入しておきましょう。 たぶん、普通の高校なら、単語集なども購入させられると思います。もし学校で購入を指定されていなくても、まずは高校基礎と高校中級レベルの単語集を購入しましょう。 実際の検定教科書を見てみると、高校1年向けの検定教科書で、もう高校3年向けの4500語レベルの単語集にある単語が紹介されていることもあります。 とはいえ、さすがに高校1年で4,500語レベルまで習得するのは困難です。 そこで普段の家庭などでの勉強では3000語レベルまでを勉強しておいて、検定教科書を読んでて単語集で見当たらない語があれば、そこだけ辞書に頼るのがラクでしょう。 そうすれば、片端から辞書を使う手間を省けます。また、少しは辞書の使い方も練習すべきです。 ともかく、高校では単語集がないと、まともに英語を勉強できないだろうと思います 検定教科書は入試対策本ではないので、大学受験を考えている人は、英語の勉強では検定教科書ばかりに深入りしすぎてはいけません。 ともかく、大学受験対策は、あくまで市販の参考書と単語集などで行います。 == 辞書では不十分なわけ == 高校レベルの単語学習では、辞書よりも一般の単語帳を使ったほうがいいでしょう。 理由は、辞書は例文が長いこともあって、紹介できる例文のパターンが少なくなってしまいます。 このため、もし辞書だけで勉強しようとすると、ひとつの辞書を見ても意味を把握しきれず、複数の辞書を見るハメになってしまいます。 また、一般的な辞書は、多くの単語を紹介しているため、意外とひとつの単語あたりの説明は浅いのです。 むしろ、高校生・大学生むけの単語集のほうが、語によっては説明が細かい場合もあります。 == 大学入試に出づらい分野など == === 教科書の学習目標を真に受けないように === 高校英語の学習指導要領などが掲げている目標の中には、高校生には荷が重い目標もあります。 検定教科書の英語表現IIの実物を見比べると、どうも英語でのプレゼンテーションなどが指導要領などで目標に掲げられているようですが、しかし正直、高校生には英語プレゼンテーションは荷が重いでしょう。英語以外の教科の学習を考えると、高校段階では外国語でのプレゼンテーションの習得は非現実的です。 高校英語のプレゼンテーション単元も、中学英語の留学生との会話の単元などと同じで、実際の多くの高校の教育現場ではそれを実行できる場面はまずないかと思います。 2022年の時点では、文科省の英語教育の目標が、かなり高負担な内容ですので、大学入試の傾向とは検定教科書の傾向は、差が大きいかと思います。 昔から教科書と受験英語との間には差がありましたが、とくに近年、上述のように教育目標の負担増の理由で、入試との差異が大きくなっているだろうと思います。なので大学受験を考える人は、教科書の勉強だけでなく、うまく学習スケジュールを自己管理する必要があるでしょう。 === 自己意見の英作文は入試に出ないところもある === 足きりのある大学(たとえば国立大や医学部など)でないかぎり、採点の手間があるので一般入試では数十語もある英作文は出されない可能性が高い、実態があります。 さて、昨今の教科書では、日本のことを英語で説明する課題がよくあります。検定教科書にあるので、いちおうは新共通試験などの出題範囲ではあるわけですが、やはりこれも大学入試の出題傾向の兼ね合いを考える必要があります。 難関大学の入試で要求される単語は、抽象性の高い単語、または学術的な単語などです。 === スピーキング === 英語スピーキングは、大学入試では採点の手間があるので、一般入試ではスピーチの実施はされない。もし入試でスピーチングをやるとしたら、せいぜい、受験者数が比較的に少人数に限られる推薦入試でしょう。 また、英検3級以上ではスピーングの試験がある。英検などの英語系資格を取っておくと入試でいくらか優遇される場合があるので、そういったものを使いたい人にはスピーキングの勉強をする必要がある。 == 教科書ガイドを購入するほうがいい場合 == 教科書ガイドを買わなくても高校英語は勉強できるのですが、色々な理由により、教科書ガイドがあると効率的です。 英語教師のなかには低能な教員もいて、宿題などで、数学など他教科の予習復習の時間を無視して、毎週のように「辞書で教科書の英文の意味を調べてこい」などと、英語科目の事しか考えずに宿題を出す人がいます。 特に英語は、文系大学の志望でも理系大学の志望でも活用するため、教師がうぬぼれていて傲慢な場合があります。 このような英語教師の場合でも、もし教科書ガイドを生徒が購入してあれば、辞書で調べる時間を、大幅に減らせることができます。教科書ガイドによって、空いた時間を活用することができ、単語の練習などの、より本質的な勉強ができるようになります。 ただし、ガイドには、あまり細かい答えまで書いてありません。中学までの教科書ガイドとは違います。 なので、基本的には単語集や文法参考書などで家庭での勉強をする必要があります。 == 英語勉強法マニアにならないように == ここに描かれた勉強法を覚えるよりも、まずは、とにかく、3000語レベルまでは英単語の習得のほうが重要です。勉強法マニアになっても、語学では価値がありません。勉強法を調べるよりも、実際に勉強してください。 とくに英語教育についての評論では、多くの評論家が英語教育を評論したがるし、また市販の英語教材などでも英語教育のノウハウをうたっている商品も多いですし、中には英語が苦手なのにウサンくさい勉強法(自称)を掲げる人も多くいるので、あまり勉強法そのものに深入りしないようにしてください。 勉強法に迷ったときにだけ、市販の参考書などに書かれた信頼できる勉強法などを参考にしてください。 == 単語 == まず、単語数3000語あたりの中級レベルを謡っている英単語集を1冊買いましょう。 初級レベル 1700~1800あたりのものは、これは一応高校レベルの単語も紹介していますが、ほとんどの単語が中学レベルなので、当面は読む必要がありません。 また、初級レベルの単語集のうち、中学で習わない可能性の高い単語は、中級レベルの単語集にも書いてあるので、わざわざ初級レベルを買う必要がありません。 さて、単語集の使い方は、赤シートを使って英単語の和訳を隠して、英単語のイメージを思い浮かべてから、その英単語の和訳を見て自分が思い浮かべたイメージと合致するか確認してみたりして、もし合致していたら次の単語へ、一方もし合致していなかったらチェックをして次の単語のテストを行う。これを1~2回もすれば英単語を覚えています。 中学単語については、意味のほうで中学では習わなかった意味がある可能性があるかもしれないので、そちらに注目してください。参考書をつくっている会社は、そうなるように工夫して参考書を編集しています。 === 学習の優先順位 === もしかしたら、英語の単語を覚える作業は文法等の勉強をすることよりも大切なことかもしれません。 市販の学習ノウハウ本でも、高校英語および大学受験英語では、英単語力が決め手になると主張されています<ref>船登惟希 『改訂版 高校一冊目の参考書』、KADOKAWA、2019年3月18日120ページ</ref>。 文法など中学レベルの知識しかなくとも、単語の意味さえ分かればある程度の意味は取ることができます。逆に言うと、英文読解で、もし単語の意味が分からないと、せっかく文法の知識があっても、理解できない文も大学入試では多くあります。また大学入試では、暗記を要求される単語数が、ずいぶんと多くなります。 もっと言えば、単語という基礎があってこそ覚えた文の組み立て方が生きてくるのです 大学受験の標準(おおむね4500語レベル)~やや発展レベルまでの単語であれば、単語はいくら覚えても損はありません。学校で教えてもらう英単語だけで満足しないでください。近年では様々な出版社から英単語帳が出ています。 このため、読書感覚で、メインの単語集とは別にサブの単語集を2~3冊くらい買って、空き時間などに単語集を読むと良いでしょう。 === 英単語集の選び方 === ==== 基本の要求事項 ==== ===== セットになる別単語も必要 ===== 高校レベルでは、新しい単語の意味を覚えるときは、単語の日本語の訳の字面だけを覚えても不十分です。 いくつかの予備校の単語集には英単語の勉強法も書かれており、どれを見ても大抵、「新しい単語の学習では、一緒につかう単語とセットで覚えろ」といった内容が書かれています。 動詞も同様、セットになる名詞と一緒に練習するべきです。もっとも、普通の市販の単語集なら、そういうセットになる単語も書かれているので、市販の単語集で勉強すれば問題ありません。 進出単語がセットでなくても覚えられるのは、せいぜい中学の前半までです。高校ではもう、単語を1語ずつ単独でバラバラに勉強するのは、やめましょう。 しかし、ネット上の英語勉強サイトには、サイト作者・企業の手抜きからか、日本語の訳だけを羅列したような低品質なサイトもあります。まったくネットは参考になりません。きちんと市販の単語集を買いましょう。 ===== 類義語や対義語、例文など必須 ===== まず、単語の学習では、けっしてヤミクモに多くの単語を覚えるのではなく、類義語や対義語との違いなども把握しなければなりません。そのため、例文なども交えつつ把握しながら勉強する必要があります。 なので、例文などの少ない単語集は、少なくとも高校基礎レベルとしてはアウトです。 ==== 結局どうすればいいか ==== 高校生向けの参考書は、セット語彙や類義語・対義語の紹介の必要性など、そういう事をきちんと理解しているので、とりあえず高校生むけの単語集を買えばとくに問題はないのです。 しかし、高校生向けではない市販の英検対策やTOEFL対策本などの資格本の中には、単語を多く掲載したいあまりに、例文や類義語などを省略ぎみの単語集も(英検対策本などでは)多くあります。 なので高校生は、英検対策ではなく、まずは高校生向けの単語集を買いましょう。1社の単語集しか使わないと例文がどうしても不足するので、少なくとも4500語レベル付近では1社だけでなく2社以上が必要です。 ==== 英検などは後回し ==== 現代では、高校の教科書レベル自体、上がっています。昭和の後半や平成の初期は、今で言う3000語レベルが、高校卒業レベルでした。 しかし、令和の今では、4500語レベルが、高校卒業レベルです。 なので本来なら、時代が大きく違えば、英検の級の数値は比較の参考になりません。つまり、年月とともに資格試験で保証された知識は、少しずつ錆びていくのです。 英検などを受けたいなら、高校生向けの単語集を買って習得したあとなら、必要に応じて英検対策本などを買うのは構いませんが、しかしいきなり最初から英検対策本などを買うのは失敗の道です。 なお、もし英検を参考にするなら、準1級までを買えば十分でしょう。 なぜなら、難関大の過去問から構成される桐原5500と英検1級の単語集とを比べてみましたが、傾向がだいぶ違っています。 ==== 英単語集のパターン ==== 英単語集には、主に2パターンあって、 :・ パターン1: 単語を分野別にまとめているパターン(たとえば「旅行」の意味の単語なら、trip と tour と travel をひとつのページにまとめていたりする)の英単語集 と、 :・ パターン2: もうひとつのパターンとして、入試出題の頻度順に統計的に並べた英単語集 があります。 初めて高校英語を勉強する場合は、とりあえず、'''分野別に単語をまとめたパターンの参考書のほうが、使いやすい'''と思います。 なぜなら、分野別の単語集のほうが、類義語や対義語なども、まとめて勉強できるからです。 いっぽう、入試出題の頻度順に統計的に並べた単語集は、高校後半~高校3年からの仕上げなどで用いるのが効果的でしょう。 さて、分野別に単語をまとめたパターンの英単語集で勉強する場合は、レベルが「中学3年〜高校初期」「高校必修」「共通テスト」「二次試験」と何段階に分かれていたりしますが、とりあえず、高校1年の時点で、「高校必修」レベル(3000語レベル)と「共通テスト」レベル(4500語レベル付近)の2冊を買ってしまってください。 高校必修レベルの単語集を買えば、その単語集で中学レベルの復習もしますので、わざわざ中学レベルの復習をふくむ単語集を買う必要はないのです。 自分で単語集を予習する際は、次のペースで予習します。 :・ 高校1年: 「高校必修」レベル(3000語レベル)〜「センター試験」レベル(4500語レベル付近)の単語を高校1年の終わりまでに全部勉強する。 :・ 高校2年: 「センター試験」レベル(4500語レベル)の単語を高校2年の終わりまでに全部勉強する。 :・ 高校3年: 「二次試験」レベル(4500語レベル+アルファ)の単語を高校3年の2学期の終わりくらいまでに全部勉強する。 つまり、高校1年のあいだに、予習をして、「高校必修」(3000語レベル)およびレベルの単語集を、ひととおり書き写して、勉強してしまう必要があります。(覚えられるかどうかは別として。) 4500レベルまでいければ理想ですが、それが無理でも必ず高校1年のあいだに3000レベルを終わらせてください。これが終わらせられないと、大学受験の現役合格は難しいでしょう。一見するとハイペースですが、実は後述のように中学で習う単語が3000レベルには多いので、意外とラクです。 高校必修レベルには、中学校できちんと5教科を勉強していれば、読みがある程度は身についているハズの単語が、多いのです。 なので、さっさと高校必修レベルをひととおり練習して終わらせてしまい、次ステップの「センター試験」レベルに時間を掛けたほうが得です。 なお、高校によっては、高校3年になっても、「センター試験」レベルの単語集までしか、高校3年の英語の授業では扱わない場合があります。 なので、'''授業とは別に、自分で単語集を予習する必要があります'''。 では、なぜ、上記のスケジュール(「高校必修」レベルの単語を高校1年の終わりまでに全部勉強するスケジュール)のようにするのが合理的かいうと、最終的に高校卒業までに(つまり高校3年の終わりまでに)、「二次試験」レベルの単語集(4,500語+アルファ)を終わらせる必要があるので、そこから逆算して、高校2年の終わりまでに「センター試験」レベルの単語集を終わらせる必要があります。 そして、高校2年の終わりまでに、4500レベルつまり「センター試験」レベルの単語集を終わらせるためには、逆算すれば、高校1年の終わりまでに3000レベルの「高校必修」レベルの単語集を、勉強してしまう必要があることが分かります。 そうするためには、普段からの予習も必要です。 また、もし「今読んでいる章を完全に覚えてから、次の章に進む」などというふうに勉強していると、特定の分野の単語ばかりを覚えることになってしまい、入試に対応できません。特に、学校で、このような分野別にまとめられた英単語を用いている場合に、気をつけましょう。 また、現代の高校英語の単語の紹介順序は、もはや学年別になっていません。高校1年の検定教科書でも、すでに3000語レベルの単語や4500語レベルの単語も平気で紹介したりしています。 現代の検定教科書がそうだということは、現代の入試もそうだという可能性があるということです。なので、あまり単語集の最初のほうばかりに詳しくなっても、現代ではあまりメリットがありません。 また、予習をしないと、たとえば学習ペースの配分ミスを起かしやすく、たとえば高校3年の終わりごろになって、やっと桐原4500語・東京書籍4,500語レベルにしか到達できずに、そのため高校3年終わりの時点では「二次試験」レベルに対応したプラスアルファの単語集(旺文社や、予備校系の単語集)に到達できずに、志望校に不合格になってしまうような、ペース配分の失敗を起こしやすい原因にも、なります。 なので、とにかく、予習をして、単語集の先のほうへと進んでいくのが、合理的な勉強法なのです。 ==== 予備校系パターン ==== 単語集にはさらに、「論理性重視で解説が多めの単語集」と「単語が多めの単語集」があります。 で、桐原・東京書籍・旺文社は、実は単語が多めの単語集です。 高校単語の範囲は広いので、少なくとも4500語レベルについては、まずこの3冊のうちの2冊が、受験までに、ほぼ必須で必要です。 しかしこれだけだと、論理的な知識が不足します。桐原などの単語数が多めの単語集などでは、スペース不足などの都合で解説できない知識が、いくつもあるのです。 そういうのを、予備校などの補足的な単語集で補う必要があるのです。だからもう高校2年の半ばあたりから、予備校系の単語集も読み始めてしまうのも、良いかもしれません。 ですが、あくまで予備校単語集「も」です。基本はまず、桐原・東京書籍・旺文社のような、高校英語を一通りカバーしている単語集をベースにするべきでしょう。 === 単語の練習法 === かといって、いきなり高校1年で入試対策レベルの単語集を使っても効率が悪いので、まずは基礎レベルの単語から始めるのが良いでしょう。 読解練習や文法練習よりも先に、単語力を増やす練習が大事です。熟語集の暗記よりも先に単語集あるいは単語・熟語集の暗記を優先してください。 標準レベルの3000語レベルの単語が高校2年あたりでひととおり終わったあたりから、桐原・東京書籍の4,500語に加えて予備校など受験対応の単語集も買って練習します。まだ、平均レベルの単語集を覚え切れて無くても構わないので、受験レベル(4500~5500)の単語集を勉強します。 学生・受験生の勉強科目は、数学など、英語科目以外にもあるので、大変でしょう。ですが、うまくスケジュールを工夫して時間を作ってください。 さらに単語を定着させるためには、英文読解やリスニングなどの単語以外の他の練習もします。 === 単語集のレベル別の利用法 === ==== 初級レベル(1700~1800語)はまず不要 ==== 中学できちんと勉強してきた人なら、初級レベル(1800語)レベルの 単語集には、高校生には不要です。これは、どちらかというと中学3年~高校受験用のものです。 普通に受験勉強をしてきて偏差値48以上ぐらいの人なら、1800語レベルは買う必要はありません、。 本屋で表紙を見ると「高校基礎レベル」とか書いてあるかもしれませんが、ウソではないですが誤解を招く表現です。表紙の宣伝文句は信用しないでおくのが安全です。 この1700~1800語レベルは、おおむね英検3級レベルか、それに毛の生えた程度です。英検3級と英検準2級との間には、かなり難度の開きがあるので、このレベルの教材は英検教材コーナーにはないので、これはこれで1700~1800語レベルは出版・販売されてると便利です。 この1700~1800レベルの後半を見ると、中学で習わない単語も書いてありますが、しかしそれを買わなくても3000語レベルにも同様の単語が書いてあります。 たとえばある1700レベルの単語集で injure (けがをする)という単語を見つけましたが、同じ出版社の 3000語レベルでも同じ単語がありました。 わざわざ初級レベルの単語集で練習しなくても、中級(3000語レベル)の練習での例文の書き取りなどのついでに、自然と初級レベルの単語のスペルも身についていきます なお、初級レベル(1700~1800)の単語集の中に書いてある「高校1年 基礎レベル」みたいな難度の情報は、あまり信用してはいけません。(実際に買ってみて読んで確認しました。)ある単語集でそのレベルの単語を確認したら、いくつも中学レベルの単語がありました。 year (年)とか month (月)とかの中学で習ったはずの単語が、「高校1年 基礎レベル」になっていました。 どうしても1700~1800語レベルを活用するなら、どっちかというと単語練習よりも、高校受験のレベル確認用と言うか、「高校受験の終わり~遅くとも高校1年の1学期の終わりまでには、大体この程度の単語は出来るようになって欲しい」といった確認のためのツールでしょうか。 ==== 3000語レベル ==== ===== 基本 ===== 特別な事情がないかぎり、高校生は3000語レベルから単語集を勉強すると良いでしょう。 いきなり3000語を使うのは中学と高校の橋渡しに不安かもしれませんが、しかし出版社側が3000語レベル本の冒頭の第1章で、中学単語の復習およびそれを高校の視点で理解しなおす勉強をしてあります。桐原と東京書籍のどちらとも3000語レベルの本の第1章は、そういう中高の橋渡しのための単語の紹介です。 逆に、4500語レベルの本には、そういう橋渡しが書いてないので、高校1年では4500語レベルは不適切です。 * スペル暗記の対象について スペルの暗記について、実は中級の単語であっても、すべてを暗記する必要はないし、すべてのスペル暗記は面倒です。優先して覚えるべき単語は、知的レベルの高い単語です。 また、東京書籍『コーパス』シリーズの単語集の前書きを見てみると、実は3000語レベルは「受信語彙」としており、つまりリーディング用の語彙にすぎず、受験の英作文などでは高校新出単語の多くは基本的に用いないことを想定しています。 受験では短時間に英文を書かないといけないので、中学レベルに毛の生えた単語力に、若干の高校中級レベルの単語を加えて、それで英作文を完成させれば十分なのです。もちろんビジネスの仕事の英文とは違いますが、そういう実務の英作文はそういう専門家の大人にまかせればいいのであり、高校生には関係ないです。 東京書籍の意見ではないですが、具体的に単語例を挙げて説明するなら、たとえば respond「応答する」 と nod 「うなづく」だったら、respondのほうを優先してスペルを覚えなければなりません。 なぜなら、respond のほうが名詞形の response などもあり、応用が多く、意味も広範であり英作文などで使わざるを得ない可能性が高いからです。一方で nod のほうの用途は、誰かがうなづく場面どまりです。また、ノッドの名詞形や形容詞形はないと思います。 また、nod はビジネス英語などでも agree 「賛成する」で言い換え可能です。入試の英作文ですら、ほとんどの場合は agree で十分でしょう。 この nod のように、利用価値の低い単語は、スペル暗記は後回しです。せいぜいリーディング用に「そういう単語もあるんだなあ・・・」と知っていれば十分です。 実は中堅私大や地方国立の英文の単語は、学科によっては案外センター試験ほど難しくない場合もあります。 さて、残念なことに、高校の単語集あたりから、だんだんと英語教育の質が形骸化しており、単語集がやみくもに単語数を多く紹介したいあまりに説明不足になってきています。 たとえば中級単語で content (満足する)という形容詞があるのですが、じゃあ satisfied (満足する)とどう違うのかは、単語集には書いていません。なぜならcontent は中級レベル、satisfied は初級レベルの単語なので、本を別冊にまたいでしまうからです。こういう縦割り教育なのが現状です。 辞書で content を調べるような思慮深い人は、他の単語を覚える勉強時間が不足してしまうので入試では不利になってしまうわけです。ひどいもんです。 * 2冊買うべきかどうか 3000語レベルの単語集(桐原『データベース3000』や東京書籍『コーパス3000』)については、2冊そろえるべきか1冊に集中すべきか、判断が分かれるでしょう。実際に各自が単語集を読んでみて判断してください。べつに2冊あっても構いませんし便利ですが、他の教科の勉強などもあるので、難しいところです。 旺文社の『英単語ターゲット1200』も、中級レベルでしょう。 あるいは、2冊そろえれば例文の数が単純計算で2倍になるので、辞書でいちいち高校レベルの例文を探す手間が減りますので、2冊目の単語集にはそういう活用法もあるかもしれません。あるいは、問題練習とかの手間を2冊目の単語集で減らせるかもしれません。 このように2冊目の単語集は便利かもしれませんが、しかし目的が上級レベル(4500~5500語)と中級レベル(3000語)では違います。 まあ各自がどうするか判断してください。 なお、東京書籍『コーパス3000』は、数字だけ見れば桐原『データベース3000』と同じですが、しかし東京書籍のほうで3000語レベルのもの(たとえばinjure)が桐原の4500語レベルに書いてあったり、あるいは別の単語ではその逆で桐原3000レベルの単語が東京書籍4500語に書いてあったりと、あまり分類は明確ではありません。 ===== 3000語の語法は初めは深追いするな ===== 偏差値の低め~平均程度の大学のなかには、4500語レベルの単語をあまり出さない代わりに、3000語レベルの範囲の単語で、やたらと細かい語法を要求する問題もあります。 しかし、4500語レベルや5500語レベルも勉強する一方で、いつまでも3000語の語法ばかりを覚え続けるわけにもいきません。 だから勉強法としては、極端なことを言えば、3000語の語法を熱心に練習するよりも先に、まず4500語レベルの単語集で一通り、単語の和訳だけを丸暗記したほうがマシです。 実際、入試問題にも、そういう傾向もあります。 文系私大の偏差値50前後の平均的な大学が3000語レベルの細かい語法を4択問題などで聞いてくる一方で、文系私大の偏差値60くらいの大学のある出題が、4500語レベルで単語の和訳の丸暗記だけで4択問題が解けてしまう、といったような出題事例も少なからずあります。 ==== 上級レベル(4500~5500)の単語集について ==== ===== 原則 ===== もし大学受験を目指しているなら、高校3年くらいになったら、4500語+アルファの単語集にステップアップします。ここでいうアルファは、予備校などの出している、補足的な単語集です。 いっぽう、桐原の5500語レベルの単語集は、あれは志望校などの傾向の確認用などで、辞書的に使うものです。 桐原5500をメインにするべきではありません。桐原4500語または東京書籍4500語を一通りクリアしたのなら、メインの単語集としては旺文社1900または予備校系の単語集に入るべきです。 5500語レベルの単語集の使い方なのですが、かなり難しいです。ここでいう5500語レベルとは、桐原『データベース5500』を想定しています。 旺文社の(1200ではなく)『英単語ターゲット1900』は、実はやや高レベルです。東京書籍4500・桐原4500にはない単語でも、旺文社1900には記述されていることもあります。なお、それらの単語の元ネタは、受験過去問もありますが、じつは英検2級~準1級あたりです。 旺文社のは、数字の小ささにダマされてはいけません。桐原や東京書籍の数字とは、旺文社の数字は意味が違います。 桐原4500はその装丁の厳めしさなどに比べて、実はやや単語のレベルは控えめです。東京書籍も桐原のスタイルを踏襲しているような所があり、やや控えめのレベルです。 だから旺文社は、派生語などで、桐原・東京書籍が紹介してない単語をポンポンとたくさん紹介しています。 このため、現代でも勉強法としては、「まずは高校2年の終わりまでに東京書籍または桐原の出している高校用参考集をベースに勉強。高校3年あたりで旺文社のレベル高めの単語集を買い足して勉強する」といった感じになるでしょうか。 4500語レベル単語集では、桐原と東京書籍のどちらの単語集でも不足です。なぜなら、単語集1冊だけでは、例文不足かつ解説不足により、あまり役立ちません。なので少なくとも上級レベルだけ、出版社を変えて2冊、必要でしょう。東京書籍4500+旺文社1900にするか、それとも桐原4500+旺文社1900にするか、判断は読者に任せます。 具体的に単語をあげて説明すると、たとえば「限定する」という意味のrestrict と confine、ともに似たような意味ですが、単語集には意味の細かい違いは書いていないか、書かれていても強調されていません。 桐原の単語集だとこの2つが類義語だという情報はあるのですが、しかしニュアンスの違いが説明不測です。 一方、東京書籍および旺文社だと、restrict を「制限する」の意味で説明しているのでニュアンスの違いは分かりますが、しかしconfineと類義語である情報が欠落していました。 さてconfine のほうが、「地理的に制限する」=「閉じ込める」のような意味合いが強いのですが、旺文社の単語集だと「閉じ込める」の意味もあるのですが、しかし桐原の単語集にはそこまで書いていないのです。 かといって東京書籍のほうには、confine の「限定する」の意味が書かれていません。 また、restrictは(限度内に)「制限する」という意味もあります。むしろ、こっちの意味で紹介している単語集もあります。 どちらの単語集を使うにも、例文が不足しており、ひとつの単語集だけでは意味がまったく分かりません。困った教育状況です。本来なら入試に出題する単語を減らすなどして理解を深めさせるべきでしょうが、しかしそういった教育が出来ていないのが日本の現実です。 それでも、まだしも大学受験用の単語集は、なんとか教育効果を高めようとした形跡も見られるのでマシです。なので、単語集を2つ組み合わせると、なんとか役立ちます。一方、TOEIC 高得点用の教材とか英検の1級あたりの教材の単語集とか、やたらと単語数を多くしているばかりで、ひどいものです。(資格本の活用法については別セクションで述べる。要点:出題傾向を把握する目的だけに英語資格本を使う。) なお、桐原の場合、紹介する単語数そのものは旺文社などと比べて減りますが、その代わり、桐原の密度の高さが長所であり、桐原では他の単語集には無い語法などを紹介しているなど、単語1つあたりの情報量が桐原では増えています。なので、桐原の単語集も油断はできません。 一見すると、桐原の単語の項目のひとつずつの情報量は多くないように見えますが、しかし、桐原では別ページの紹介単語を用いた熟語をまとめたページなどがあるので、それを含めると桐原の単語ひとつあたりの情報量は多くなります。 かといって高校生としては、英単語集ばかりをそう何社も比較して勉強するのは無理でしょうから(数学など他教科の勉強も必要だし、英語の勉強も単語以外にも読解練習やリスニングなど多々あるので)、受験では結局、すべての単語は覚えきれない状態で挑むことになるでしょうか。 大学受験もその後の資格試験も、けっして満点はとる必要は無く、人生の目的に必要な志望校などの合格最低点を上回って合格さえ出来ればいいのです。 別に大学受験の英語に限った話ではないですが、大学受験において、平均以上の大学の入試では満点をとるのは基本的には困難であり、普通は満点は無理です。小中学校の校内テストと事情が異なります。 ===== 4500語以上のスペルは実は覚えなくていい ===== 実を言うと英語のスペルの暗記については、4500語レベルおよびそれ以上のレベルの単語のスペルは、まず覚える必要が低いです。 なぜなら英作文や和文英訳であまり使わないからです。 また、桐原5500や、東京書籍4500の後半部の単語などは、実はもうその1~2回のスペル練習すら、しないでも済むのです。おおよそのスペルと用法のイメージを頭に入れれば十分でしょう。 また、グローバル人材の育成などを目指す大学ならば、英作文などを要求してくると思いますが、だったら英作文で使うようなレベルの中級英語(4500)で十分なのです。むしろ、4500語レベルですらスペルミスなく習得していたら、かなりの勉強家です。 ましてや5500語レベルの単語については、読解問題で出題されたときに意味を把握できればいいのです。 仮に、桐原5500語レベルの単語のスペルを暗記させる問題を出す大学があっても、どうせ他の現役受験生の多くも解けない問題なので、実質的にスペル暗記は5500語レベルでは無視していいでしょう。 一部の浪人生で文系専願の人なら解けるかもしれませんが、難関大を目指して4浪だの8浪だのしている連中と、現役生は張り合ってはなりません。 TOEICなどの国際的な資格試験では普通、書き取りをしません。なぜなら採点の手間の都合で、TOEICでは選択問題ばかりです。大学側が入試で入学後のTOEIC対策などを考えた出題をしたとしても、スペル対策はもはや不要なのです。 英検でスペル暗記を使うかもしれませんが、しかし英検は日本でしか評価されません。 桐原5500は論外として、 正直、時間的に現役高校生が、桐原『データベース4500』と東京書籍『コーパス4500』または旺文社『英単語ターゲット1900』を使いこなすレベルにクリアするのですら、高校3年間では少しキツいと思います。たぶん多くの高校生は予想では3年生のときに「上級レベルの単語集の用法や用例を覚えている最中に、時間切れで、高校3年の卒業式を迎える」という結果になると思います。なぜなら、このレベルで、急に単語を覚えるのが難しくなるからです。かといって中級レベルまでしか勉強しないと、卒業後の実務のリーディングにも不便なので、上級レベルを高校3年で教えるのにも意義のあることなので、教育者には悩みどころなのでしょう。 なので勉強法としては、4500語レベルをクリアできなくてもいいので、ある程度の勉強をしたら、予備校などの出しているレベル高めの単語集をいくつか買います。 諸般の事情で、東京書籍・桐原・旺文社が紹介していないが、高校生に勉強してほしい定番の単語みたいなのがあって、そういうのが予備校系の単語集で紹介されています。 ==== 予備校の単語集は何をしているか ==== 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の1990年代ごろまでの高レベル単語集には書かれていた単語があります。 そういう単語が、難関大学で狙われるかもしれません。 旺文社1900や桐原・東京書籍4500語にない単語の正体のひとつは、そういう昔の課程の単語です。 で、それが予備校系の単語集の元ネタのひとつでもあります。 東京書籍・桐原の3000語レベルや4500語レベルで旅行会話のような実用英語が増えたりビジネス英単語などが増えたので、昔なら4500語レベルに書いてあった単語のいくつかが今は5500語レベルにハミ出ているのです。 なので、予備校などの出す、受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。そういうハミ出た単語だけ、あとは予備校系の単語集で抑えておけば十分なのです。 予備校の単語集を見てみましたが、実はそれほど特別な英単語はないのです。また、じつは、桐原4500などの学校向け単語集の単語すべてを均等に覚える必要はなく、やや傾向があります。 たとえば旅行英語で使う単語など、検定教科書にあるから桐原・東京書籍は紹介しているものの、あまり大学が重視してない項目もあります。 だから、桐原/東京書籍 に加えて、旺文社ターゲット、さらに別の予備校系などの高校3年レベルの単語集を何か1~2冊つかって知識の穴埋めをすれば、もう十分でしょう。 もしかしたら、高校2年からもう、予備校の出版している難関向けの単語集を使ってもいいかもしれません。 市販の予備校の単語集を見ても、けっして、桐原5500語レベルの単語を片っ端からは教えていません。桐原5500のアレは、高校生には習得が無理だと思われているのでしょう。 ==== 受験英語の特殊事情 ==== 大学受験英語の特殊な事情ですが、明らかに高校範囲外で実用的にもメッタに使われていない英単語が難関大学で出されており、当然に読めないのですが、しかしなぜか他の文章の単語から文脈にとって意味をとれるようになっています。 もちろん、現実ではそんな好都合なことは滅多に無いのですが、受験の英文はたいてい都合よくそうなっています。 また、万が一、他の英文の文脈から読めない単語が出ても、どうせ他の多くの受験生も解けないので、そういう問題は解けるようにしておく必要がありません。 ともかく、入試対策としては最低限、東京書籍4500・桐原4500をベースに、さらに旺文社1900で派生語を固める必要があります。 しかし、それとは別に、予備校などの出す、プラス・アルファ的な受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の高レベル単語集には書かれていた単語があって、4500語と旺文社1900をひととおりクリアしたあとは、そういう歴史的経緯のある単語だけ予備校単語集で攻略すればいいのです。 ==== 英単語集の読書計画 ==== 最初から高校在学中の読書計画に、英単語集の読書を想定して組み込んでおくと良いでしょう。また、桐原・東京書籍・旺文社あたりに基本の単語集とは別に、他社の少しだけ発展的な単語集を読書感覚で読むと良いでしょう。 高校必修の範囲を越えた単語や派生語などは、読書感覚でひととおり解説に目を通すだけの単語集の勉強でも十分に対応できる場合も多くあります。 しかし、いちども読んだこともない単語は、さすがに入試で対応できません。だから、一度でも解説に目を通してしまえば、済む単語も多くあるのです。 なので、広く浅くでいいので、読書しておく必要があります。 === 大学受験に必要な単語量について === 一般に、大学受験で、難関な学校の英語を読み解くには4000語程度を知っていることが望ましいといわれる。しかし、実際には近年センター試験でリスニングが導入されたことに代表される通り、英語の学習は、単に知識の量を問うよりも、より実践的な場面で言語能力を適用する方面の能力を重視するようになっている。 そのため、単純に単語数だけを増やすのではなく、単語の発音や用法を覚えることにも力を注ぐことが望ましい。 具体的には、まずは3000-4500語程度を使いこなせることを目指すのがよいだろう。 === 単語の小テストばかりを受けても、復習しなければ単語力は身に付かない === 学校や塾で、単語の小テストを受けさせられる場合もあるでしょう。「単語集の○○ページから△△ページまでを小テストで出すので、書き取り練習して覚えるように」という小テストです。 たいていの高校生の場合、予習はテスト前にしますが、いっぽうで復習をしているかどうかは、個人任せです。 ですが、小テストをいくら受けても、復習しなければ、単語力は増えません。 もし、単語の小テストを受けたままで、その後は復習せずに、ほったらかしにしてしまったら、何も単語力が伸びません。 単語テストは、テストを受けた後に、自分の未修得の単語を復習するために存在しているので、テスト後に復習をする必要があります。(もちろん、テスト前に予習も必要である。予習をしていれば、未修得の単語が減るので、復習の単語数が減る。) 要するに、小テストの使い方は、全国模試(ぜんこく もし)の使い方と同じです。 全国の高校や塾のうちの一部では、どうも、小テストの目的を忘れていて、「とにかく毎週、単語の小テストをすればいい」と安易に考えているような教育も、ある気がします。 この文を読んでいる読者高校生は、小テスト本来の目的を思い出して、小テスト後には復習と予習(次回の小テストのぶんも予習)をしましょう。 さて、たいていの高校や塾では、1週間に1回のペースで、単語20〜50語ほどの記憶をはかる小テストをしていると思います。 1週間ごとに50語ほどのペースで単語小テストをしていれば、充分にハイペースですので、それ以上は週あたりの単語数を増やす必要はありません。(英語が好きなら、さらに勝手に単語数のペースを増やせばいいが、それよりも数学などに力を入れたほうが良いだろう。) 裏を返せば、復習をしきれない量の単語小テストを毎回受けさせられても、非効率です。例えば、1週間ごとに300語の単語小テストを高校で受けたとしても(ただし高校1年の1学期だと、中学英語の復習で、そういう数百問のテストもありうる。しかしそれは期間限定)、そんなに英単語ばかり復習しきれないでしょう。(数学など他教科の勉強もありますし。) 万が一、そういう高校や塾の場合(1週間に300語の単語小テストの場合)、その高校や塾の小テストは後回しにして、自分で単語を予習・復習しましょう。 ただし、定期試験や期末試験などで、今までの単語小テストの合計の数百語のなかから単語が出題される場合は、多くあるので、その復習はしましょう。つまり、学期内の小テストは、その学期中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるだろうが・・・) 夏休み明けや、冬休み明けに、前の学期の小テストの範囲内の単語が出題されたりしますので、休み中にも、復習しましょう。(予習も忘れずに。小テストは最終目的ではなく、入試合格などが、より本質的な目的なので。) 同様に、3学期の年度末の期末テストなら、1年間の小テスト範囲の合計1000語ちかくがテスト範囲に含まれる場合も多いので、その復習はしましょう。つまり、年度内の小テストは、その年度中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるが。) == 文法 == === 参考書で勉強する === 高校英語の英文法の勉強は、検定教科書ではなく参考書で勉強するのが定石、基本です。 なので、まずは参考書を買い始めましょう。普通科高校なら、おそらく高校の入学時、検定教科書の購入と一緒に、参考書も買わされると思います。 もし大学受験を考えるなら、英文法の参考書を買わなければなりません。 とりあえず、下記に後述する網羅形式の本を持っていれば、ひとまずは安心でしょう。 === 高校英文法は例外も多い === 高校で習う英文法は、中学ほど論理的ではありません。中学の英文法の教育では、なるべく規則的・論理的な文法事項だけが取り上げられたのですが、しかし高校は違います。 このことからか、高校英語では英文法の参考書のスタンスがいくつか分かれています。 1. 例外的な事例にはあまり深入りせず、基本的な事項を重視したスタンス と 2. 辞書的に、英文法のあらゆるパターンを網羅的に掲載したスタンス があります。(実際にはこの中間の編集方針の参考書もあるが、説明の都合上、二極に単純化することにする。) 予備校系の講義形式をうたった参考書のいくつかや、高校英文法の入門書などの参考書のいくつかは、基礎的な重要事項を特に重視したスタンスです。(そのため、例外的な事項の説明は省かれているか、少なめです。) いっぽう、高校にもよりますが、高校で配布されるような昔からの、いかめしい感じのする参考書は(実際は改訂されたりして新しいですが)、辞書的・網羅的なスタンスの参考書です。 センター試験などを考えるなら、網羅的なスタンスの文法参考書を最終的には読んで覚えざるを得ません。 一応、網羅本だけでも受験対策は可能ですが、塾や予備校などに通ってない人や、高校の授業の質に不安のある人は、さらに基礎的な事項を重視したスタンスの文法参考書もあると良いかもしれません。 実は1990年代あたりの昔は、あまり例外的な文法事項は高校英語では教えていませんでした。このため、もしかしたら入試でも、私大などで大学によっては、例外的な文法事項をあまり重視していない可能性もあります。 例えば理系の中堅私大などで、あまり例外的な文法事項を要求するとは思えません。 ただし、これは私大の場合の話です。国公立の志望の場合は、一次試験である新共通試験(かつてのセンター試験に対応)を対策せざるを得ず、そのため二次試験がどうなっていようが、一次試験の対策のために辞書的・網羅的な参考書を読まざるを得ません。 役所的で官僚的かもしれませんが、そもそも官費で補助される国公立の機関というのはそういうものです。 私大の少ない地方とか不利かもしれませんが、しかし教育投資を怠ってきた地方の自己責任です。地方は地方交付税やら農業補助金がら製造業の工場誘致などで国から補助金をもらっているのですから、地方でどうにかしてください。自己責任です。 TOEICなどの資格試験が近年重視されており、大学でも私大などで推薦入試や自己推薦などでTOEICの成績を考慮する大学も多く、企業もTOEICを表向きには重視していますが、TOEICは文法教育における論理性や高校生の論理性の涵養に配慮する義務はありません。なので、この問題の逃げ場は、大学受験にはありません。TOEICが果たして本当に実用英語かどうかはともかく、世間一般で「実用英語」だろうとは言われています。実用重視ということは、相対的には論理を軽視するという意味です。論理と実用性が対立する例外事項では、論理を軽視せざるを得ません。「論理も実用性も重視する」なんていう文学的な言い訳は現実世界では通用しません。なぜなら人生の時間は有限であり、限られた時間を実用性に配分したら、そのぶん論理性に配分できる時間は減るのです。世間の大衆が「論理性」を軽視して「実用性」を重視した結果のリスクおよび自己責任ですので、現実を受け入れましょう。 === 網羅本でも全部の構文は紹介していない === 例えば比較級の構文「A is B no more than C is D」は、ある参考書(網羅本)には紹介されていますが、他社の網羅本の参考書には紹介されていませんでした。なお、どちらの参考書とも、 「A is no more than B 」は紹介していました。 高校英語で習う構文は多いので、複合的な構文などは、網羅本といえども一冊の参考書では紹介しきれないのです。 もし英語だけしか学習しないので済むのであれば(実際は違いますが)、英文法の網羅本の参考書を2冊や3冊も読み比べることで自分にあった参考書を選べばいいですが、しかし他教科の勉強もあるので、そうはいきません。 悩みどころです。各自、うまく対応してください。 また、大学生・社会人向けの厚めの文法参考書でも、すべての構文が書いてあるわけではないです。例えば『ロイヤル英文法』という大人向けのやや専門的かつ高度な英文法参考書がありますが、「all the +比較級」の構文は書いてありませんでしたし、巻末の索引を調べてもありません。 だから、大人向けの文法参考書を読んだところで、この問題「網羅本でも全部の構文は紹介していない」は解決しないのです。 === 時間配分 === 文法の学習は当然に必要ですし、入試にも良く出ます。しかし、文法の学習にばかり時間を掛けてはなりません。もっとも時間を掛けるべき学習対象は英単語です。 高校に入学すると、高校の範囲の文法事項を、おそらく学校や塾などで急に教わり始めるでしょう。それらの文法の新知識の学習も大事ですし、当然に学習するべき知識ですが、読者のみなさんは英単語の学習も欠かさないようにしてください。文法なんて覚えることも少ないし、大学受験をするなら最終的には大学受験のころにまで文法を覚えられれば良いのです。なので文法の難問を練習する時間があるなら、それよりも、まず先に単語を優先的に勉強して語彙(ごい)力を増やしたほうが効率的でしょう。 また、入試の文法問題も、文法の知識だけで解ける問題は少なく、単語の知識や語法の知識などと組み合わせないと解けない問題なども、入試では、よく出題されやすいです。なので、単語の知識が、大学受験対策では優先的に必要なのです。 2010年以降なら、中学校で、すでに大まかな文法の枠組みは習っています。2022年では、仮定法すら中学校で習っているはずです。もはや高校で習うのは、無生物主語など若干の単元と、あとは仮定法過去完了だとか、現在完了進行形とかくらいです。 そういった合わせ技は、それほど熱心に勉強しなくても、入門的な問題集などで問題練習すれば、普通に習得できます。 === 高校英文法は実は少しウソ知識 === 高校生用の文法参考書は、高校標準レベルの参考書は、基本的には、中学英語の復習も兼ねています。 このため、普通なら、高校1年生は復習のためにわざわざ中学参考書を買いなおす必要はないです。 それよりも重要なこととして、実は高校英語の文法参考書には、不正確な知識があるという事です。中学英語が理解重視のため少し不正確でかなりひどいカタコト英語が中学生用の参考書・教科書にあるので、同様に高校の英文法も少しだけ不正確なウソの知識があるのです。 さて、単語集では基礎レベルの単語集の前半が、中学英語の復習を兼ねているように、実は高校英文法の参考書も、少なくない割と多くの部分が中学の復習や、中学で習った分類など理解の再構成を兼ねています。 単語集ほどではありませんが、高校の文法参考書でも、あまり序盤にある中学文法の復習の部分には、高校でも深入りする必要がないことが、上述の考察・市場調査などから分かります。 また、このことに気づけば、つまり単語以外の知識で、一部の参考書にしか紹介されていない細かい文法の理論的な知識は、入試対策としては覚える必要が低いことが導かれます。単語集だと、細かい発展的な単語も入試に出ますが、しかし文法書については事情が違います。高校英文法には、深入りせずに、広く浅く学ぶのが安全でしょう。 文法参考書に書いてある知識がそもそも初学者の理解しやすさを重視したためのウソ知識なのですから、むしろ、けっして鵜吞みにして深入りしてはイケナイのです。 ほか、使用頻度の少ない表現など、参考書によって説明が微妙に食い違っています。たとえば接続詞 lest は、ある参考書では、「文語的であり、あまり使われない」と主張する一方、他社の参考書では「(for fear よりも)頻度は lest のほうが高い」(ジーニアス)と主張していたりします。 こういうふうに、細かい表現の英米での利用状況には諸説あるので、あまり参考書を鵜呑みにしすぎないようにしましょう。 === 大学生向けの参考書は例文不足 === 上述の、高校英文法が少しウソ知識の件と関連しますが、大学生向けの文法参考書は、実は例文が不足しています。 文法書の厚さを見れば、高校英文法の参考書も、大学英文法の参考書も、(書籍にも寄るが、一般に)厚さがあまり変わりません。 大学生向けの英文法参考書のほうでは、高校英語では省略された例外的な規則などを色々と紹介しています。なのでそのぶん、例文は減ります。合計ページが同じくらいなので、日本語による文法の解説が増えれば、そのぶん、英語の例文は減るのです。 また、高校生がよく誤解しやすい注意事項なども、大学生向けの文法書には全然ないのです。 つまり、大学生むけの参考書は、高校英語の上位互換の書籍ではありません。 これがもし、大学ではなく、中学英語の参考書と高校英語の参考書となら、高校英語の参考書のほうが中学のよりも上位互換かもしれません。 しかし、大学生むけの参考書は、用途がやや異なります。 大学生むけの文法書にはこういう弱点もあるので、なので高校生は、高校生向けをターゲット層にした一般の高校生向けの英文法参考書を中心に勉強しましょう。 === 細かなニュアンスの違いは覚えなくて良い === たとえば助動詞 must と have to はともに「~しなければならない」ですが、微妙にニュアンスが違います。しかし、あまり微妙なニュアンスの違いは、じつは入試対策としては覚える必要はありません。mustのほうが意味が強いのですが、しかし入試では「ニュアンスが微妙に違う」という事と、その解説が「一般的な大学受験レベルの参考書に書いてある」という事さえ覚えておけば、あとは入試の英訳問題などでもし「しなければならない」を英訳せよという問題が出たら、対策としては「まずmust で書くことを考えてみて、もし設問文などで語数が2語と指定されていたら have to に置き換える」といったぐらいの認識でも大丈夫です。その程度の記憶力でも、普通に大学受験で平均的な偏差値55~60ぐらいの私大にも合格します。 受験勉強では、細かなニュアンスの暗記よりも、英単語をたくさん覚えなければなりません。また英語以外の国語や数学などの勉強も必要です。 参考書で勉強をする際、あまり細かなニュアンスの違いの暗記に入り込まないように注意してください。 実際、ある検定教科書でも、文法事項の類似表現などは、たとえば Would you ~? と Could you ~? などの依頼表現としてのニュアンスの違いは説明していません。せいぜい、 「Please と比べたらWould You および Could you は丁寧な言い回しである」という程度のニュアンスさえ把握できていれば大学受験レベルでは十分です。 参考書にはもしかしたらもっと細かいニュアンスの違いなどが書いてあるかもしれませんが、そういう詳細な情報はせいぜい参考程度にしましょう。 実は参考書でも、もう細かいニュアンスの違いは教えていない書籍も多くあります。 つまり、大学受験用の英語参考書には2種類あり、 :ひとつは受験用に入試に出る最低限のことだけを教える参考書と、 :もうひとつは細かいニュアンスの違いなども教える参考書と、 そういう2種類があります。 なお、上記とは別に英語研究者用の文法参考書がありますが、大学受験には全く対応していないので間違えて購入しないでください。 最低限のことを教える文法参考書の例として、ジーニアス英和辞典を出している大修館書店は高校生向けの文法参考書(『ジーニアス総合英語』)も出していますが、しかし文法参考書のほうでは辞書ほど細かいニュアンスの違いを説明していないのが現状です。 特に新共通試験(旧制度のセンター試験に相当)などの公共機関の試験や、英検・TOEICなどの資格試験では、細かいニュアンスを問う問題はまず出題が難しいでしょう。西暦2000年以降、国公立人気などでセンター試験や新共通試験の影響がどんどん強まっている影響も考えれば、文法学習であまり深入りニュアンスに深入りするメリットは残念ながら少ないのが現状だろうと思います。 それが英語教育として良いかどうか不明ですが、現在の大学入試の対策として要求される文法教育とはそういうものです。 基本構文などの細かなニュアンスの違いは、英会話などではそれなりに重要ですが、しかし入試や画一的な資格試験では英会話をそこまで細かく採点できないので、したがってニュアンスの違いに基づく使い分けもそれらの試験では出題されづらいことになります。新共通試験にリスニング試験はありますが、しかし実際に会話をさせる試験はありません。 裏を返せば、細かいニュアンスに深入りした文法参考書は、高校卒業後の英会話などの英語学習などのステップアップで使うのが効果的かもしれません。 高校の文法参考書の題名は、「文法」と書いてあるものを選んでもいいですが、2022年の書店で確認したところ『総合英語』と書かれている参考書も文法事項が中心的です。 === 各社ごとの注意 === 参考書えらびの際に、高校1年生がたぶん勘違いしそうなことを、述べておく。 * 大修館「ジーニアス」と数研出版「チャート式」の細かさ 大修館「ジーニアス」ブランドは、辞書では昔から細かい説明で有名であり進学校などではジーニアスの辞書が進められるとの噂も昔からよくあります。ですが、しかし「ジーニアス」ブランドの文法参考書はあまり細かくありません。注意してください。 別に細かい文法参考書がいいだの悪いだのという話ではなく、ともかく、辞書のような細かさを「ジーニアス」文法参考書に期待してはいけません。用途が違います。 いっぽう、数研出版のチャート式の文法参考書のほうが、多くの構文が細かく網羅的・羅列的には書いてある傾向にあります。このため、1990年代の昔からよくチャート式の一番難しいバージョン(白・黄・青など色々バージョンがある)が進学校などでの参考書として配布されることもありました(かつては赤チャートが難しかったが、現代は赤が廃止され次点だった青チャートが一番難しいバージョンになっている)。 ただし、果たして2020年代の現代の入試にもチャート式が効果的かどうかは分かりません(会話重視・リスニング重視や単語重視など、入試の流行の変化もあるので)。 * 文英堂「インスパイア」と学研の参考書の入門者対応 なお、かつて文英堂『シグマベスト』というシリーズが、1990年代~2001年くらいは高校入門レベルの参考書として定番だったが、現代はそもそも英語のシグマベストが無いのと(英語は『インスパイア』に変更)、しかし同社・文英堂の『インスパイア』は、難しめです。 暗記科目なので、難しくても、とりあえず読めますが、しかし『インスパイア』のレベルはやや受験レベルを少し超えている記述もチラホラあります。 なお、例えば理科など他教科でも『シグマベスト』は実は2010年以降の現代はなかなか発展的であり難しくなってきていて、情報も細かく羅列的である。90年代の当時とは『シグマベスト』の中身の難しさが違うので、参考書選びのさいには、けっして90年代のままの世間の大人たちの評価を鵜吞みにしないように注意。 背景として、90年代の昔は、英数理の参考書選びのパターンとして、「シグマベストで入門レベルをカバーして、チャート式で高度な事項を勉強」という有名パターンがありました(なお、国語と社会科のチャート式は参考書としては無い)。あるいは、「その教科が苦手ならシグマベストを選ぶ。その教科が得意ならチャート式を選ぶ。」のようなパターンが90年代にありました。 しかし、現代では シグマ + チャート のパターンが、もはや上述の出版事情の変化で通用しなくなってるので注意。 2010年台の今だと例えば学研が高校入門レベルの初等的な参考書の立場だが、90年代の昔、学研がまだ高校参考書にあまり参入しておらず(昔の学研は小中学校むけの教材ばかりがメインだった)、当時は文英堂のシグマベストが今の学研の高校参考書に近い立場だったという背景事情がある。 === 文法参考書の選びかた === インターネットで参考書の形式やレベルなどを調べたり、または、教師や塾講師、チューター、同じ学生などからの評判なども参考にしながら、実際に書店で参考書の内容を閲覧するなどして選ぶといいだろう。 また、古本屋などで参考書を購入すると出費を抑えられる可能性がある。 中学英語は昔とカリキュラムが大幅に変わったので古本屋は論外だが、高校英語は昔から到達地点が同じままなので、文法学習はちょっとぐらい古い本でも特に問題ないかもしれないかもしれない。とりあえず、古本屋で英文法書を購入するなら、なるべく最近のものを購入したほうがいいだろう。 「大学英文法」とかそういうのは一般的には無い。文法は高校英語で、とりあえずゴールである。あとは単語や熟語を増やすのが、その後の道である。 英語教師などを目指す人のための細かい英文法理論書はあるが、高校生には必要ない。なお、書店によってはそういう教師向けの英文法理論書が高校英語コーナーに売っていたりするので、間違えて買わないように。わかった上で買うなら自己責任で。 === 高校の文法参考書はどういうものか === 「時事的な文法」とか無いので、もし改訂などあっても、あまり頻繁に買い換える必要は無い。 他のセクションでも言ってるかもしれないが、「大学英文法」と言うのはない。なので、文法において「大学教養レベルの先取り」とかは不要であるし、そもそも存在しないし、そういう教材もまず無い。 このことは、大学受験においては、つまり文法問題は、高校生向けのやや高レベルな参考書を習得できたら、それ以上は英語教師でも目指さないかぎりは、英文科向けのさらに高度な文法書には進む必要は無い、という事である。 英文科の学生などに向けた文法書は、あれは教師向けまたは研究者向けの参考書である。内容も、基本的には高校生向けの文法参考書に書いてある内容を、大学生または教師志望者などの視点やレベルに合わせて書き直した程度のものである。なのでともかく、受験生には不要である。 このことから、ゴールが明確に定まり、受験生向けのやや高度なレベルの参考書がゴールである。 そこから逆算すると、あまり多くの参考書を読み漁る必要はない。せいぜい、2冊読めば十分だろう。 高校1年レベルから分かりそうな易しめのレベルのものと、あとは少し難しめの感じのもう一冊で十分である。もしかしたらどちらか片方だけでも十分かもしれない。 また、説明を省略したが、前提として、高校の参考書は、学年別とかには売ってない(書店で実物を見れば分かると思うが)。 なので参考書での学習の際にも、いちいち学年ごとにペースを3等分とかして「私は1年生なので、参考書の前半の3分の1だけ読む」みたいなことはする必要は無いし、むしろ現代では3等分すべきでもない。 つまり、参考書は高校1年で購入したら、とりあえず、さっさと通読すべきである。現代の中学・高校のカリキュラムなら、文法参考書の通読は中学英文法の復習にもなるので、まずは通読しよう。 そして何回か通読したら、問題集などにチャレンジしたり、あるいは単語なども増やそう。 これがもし英語でなく数学の勉強法だったら、先の学年の内容を通読するよりも学校で習った単元の復習などを重視するのも手かもしれないが、しかし英語はあまりそういう単元ではない。 高校の授業や定期テストなどは、あれはあれで教育ノウハウが詰まっているので活用すればいいが、別にそれを活用したからといって文法参考書を通読できなくなるわけでもない。 それに塾などだと、参考書の後ろのほうにある無生物主語などを高校クラスでは1年で先に教える流儀もある。 参考書の最初のほうにある文型がどうのこうのと言った話は、どうせ塾の中学生クラスや中学参考書などでも既に教えている可能性があるので、塾の高校生クラスではそういうのはもう後回しにして、先に無生物主語や仮定法など参考書の後半の単元を教えるというパターンもある。家庭での自習などの際にはご参考に。 また、そもそも2年の終わりくらいから高校や塾などで全国模試などを次第に受け始めることを考えるなら、けっして高校3年間で学校の授業で文法を習うのを待つのではなく、自習によって高校2年の後半の段階までに一通り、高校生むけの単元である無生物主語やら仮定法過去完了やら分詞構文などを含めて、とりあえず文法参考書は全ページを通読は済ましておいて、加えて問題練習を軽くでいいのでしておくべきだろう。 そして、高校3年では模試なども活用して、問題練習で定着させていく、・・・という段取りである。 == 熟語 == 単語集の前半のほうにも、実務ではあまり使わないだろう熟語、つまり、より平易な表現に言い換えることの多い表現がよくあります(少なくともこのセクションのある編集者が、ネット上の海外英語では見たことない表現がいくつもありました)。 中学1~2年で習うレベルの単語の組み合わせで作れるマニアックな熟語がいくつかあるので、学習時に注意が必要です。単語集では編集の都合上、そういうマニアック熟語が前半のほうに書いてありますが、正直、後回しにすべき熟語です。 一方、 come true (実現する)のような、たとえば構成する単語と意味が近い場合なら、学習効果は高いです。たとえばtrue 「=真実」と「実現する」は比較的に意味が近いです。参考書でも、よくSVC文型の例としてcome true が出てくるので、こっちは重要事項です。 しかし残念ながら、単語集にある出題頻度の情報を見ると、come true は出題頻度が低いようです。 そのほか優先して覚えるべき熟語は、たとえば no longer ~「もはや~ない」のように構文的な熟語や、あるいはget over ~「克服する。回復する」(= overcome)のように中学レベルの単語には言い換えできなくてその熟語表現を使わざるを得ない可能性の高そうな熟語とか、そういうのです。 このような熟語の教育状況になってるのは、つまり残念なことですが、「英語教育での英作文などでは、実務的を想定した教育がされておらず、つまり形骸化している可能性がある」という事です。 「出題頻度順」の掲載をうたった単語集で前半のほうに、不便なマニアック熟語があるので、つまり入試では、実際には仕事などで英語を使うつもりのない人たちを想定した入試が行われているという証拠です。 英作文をする際、getで一語で説明できることを「come by ~」で表現する可能性は実用では低いでしょう。英会話でも、果たして米英人が、日本人相手に come by で説明するでしょうか。はなはだ疑問です。 なぜなら外国人は、もし英語が得意な日本人相手なら躊躇なくobtain のような非熟語を会話で使うだろうし、あるいは「英語が苦手な日本人かな」と思って気を使ってくれるなら get で表現してくれるでしょう。 come の基本的な意味は「来る」ですから、熟語come byの「入手」とは、かけ離れています。おそらく「手元に来る」的なニュアンスなのでしょうが、しかし「by」からそれを想像するのは、かなり前置詞「by」の基本の意味から離れています。そういう、基本単語の意味からの距離の大きい表現は、実務では学習コストが高いので、いろいろと不便なのです。 不便とはいえ、海外での利用の可能性がないとは言えないので日本の受験英語でも教えられていますが、なるべくなら後回しにしたいマニアック熟語表現です。 come true 「実現する」のようなSVC文型の例にもなるような教育的な熟語だと出題頻度が低いようですが、これはつまり、入試出題者が、高校生の学習効果を見る良問よりも「落とすための問題」「ヒッカケ問題」を21世紀の少子化の時代になっても未だに出題し続けているという証拠でしょうか。 == リスニング == まずは、前提となる単語力をつける必要がある。その上で、参考書で、音声CDつきの参考書などで聞き取り練習をするなどすればいいだろう。また、例えばYouTubeやTEDなどで自分の興味のある分野の英語を聞くなどしてもいいだろう。 テレビのNHK教育の英語番組ですら、一般の大学受験を目指す高校生には非効率です。なぜならNHK教育は、学校の授業用に作られており、けっして大学受験対策には作られていません。 == 読解 == 読解練習をしたい場合は、まずは学校でのリーディングの教科書などをきちんと読むのは当然ですが、そのほかにも参考書があると便利かもしれません。 書店の参考書コーナーに、高校生用の英文読解の参考書などが置いてあるはずですから、それら高校生用の参考書で勉強してください。 大学入試の英文では、平均以上の難度の大学になると、単語の知識がないと、まったく内容が把握できないでしょう。なので、読解練習だけでなく単語の勉強もしてください。とりあえず単語集などで4500語レベルまでの範囲の単語は最低限、ひととおり学習してください。 分からない単語がある場合、辞書を引く必要が生じますが、しかし辞書ばかり読んでも時間が掛かってしまい、他教科の学習時間をうばってしまいます。なので、読解練習よりも、できれば単語練習に時間を掛けてください。なので、英文読解よりも単語集などで単語の記憶量を増やす勉強が必要です。 学校や塾・予備校とかだと、過去問の英語長文などで、大量の英文読解の練習をさせられるかもしれません(1990年代、そういう教育が受験業界で流行していました)。学生が初級レベル~中堅レベルの、まだ英語長文を読みなれてない学生には有効な教育法でしょう。しかし、英語学科志望の学生ならともかく、他学部・他学科の志望者が、時間を英語学習ばかりに掛けられません。 なので、一通り、英文法と単語と読解スキルが脳内で結びついたら、勉強方法を切り替えて、単語中心の練習に変更する必要があります。、読解練習よりも単語力などを受験レベルにまで増やすほうが、受験には有効でしょう。英文の読解力の向上は英語教育の目的の一つですが、あまり英語学習の手段には、なりにくいです。英語の学習手段としては、長文読解よりも、まずは、とにかく単語力を、受験対策の参考書レベルまで増やしたほうが有効です。 * 試験での読解問題の時間配分について 出題英文を読むのに時間が掛かりますから、試験中の時間の配分にも気をつけてください。まずは単語力を増やすと読解スピードも上がるので、普段の勉強では単語力を増やしてください。 試験中の配分の対策として、実際の入試では、たとえば、長文読解問題よりも先に、短時間で解けそうな単語問題・文法問題などを先に解くとかして、時間配分の対策をしてください。あるいは、設問の問題文を先に読んでおいて、検討をつけてから長文を読むなどという方法もあります。ここらへんの対策は、じっさいに過去問や想定問題などを解いて練習してください。基本的に、入試国語での現代文などでの読解問題対策などの際の時間配分と似ていると思います。 ただし、時間配分のテクニックばかりを磨いてもダメであり、単語力などを増やさないと、読解スピードも上がりません。 * 学部と出題内容の関係 入試では、ときどき、志望先の学部の内容に関する記述が出る場合もあります。また、高校で習う教科に関する記述が出る場合もあります。もっとも、べつに必ずしも志望先学部と近い内容の英文が出題されるとは限らず、あまり関係のない内容の英文も出題される場合もあります。 どちらにせよ、合格後の人生も考えて、学生は、志望先学部に近い内容の高校教科の勉強もしておいたほうが安全でしょう。たとえば経済学部に進学志望なら高校政治経済などの参考書を読んでおくとか、あるいは理工学部に志望なら理科・数学の参考書を読んでおいたほうが安全でしょう。 == 発音・英会話など == 基本的には、標準的な参考書でカバーでき、あとは単語の記憶量を増やす練習とか、リスニングの練習とかの対策でよいです。あとは参考書などの英会話文例や発音問題を覚えておけば、入試での、だいたいの発音や英会話の試験もカバーできます。 * 入試の発音問題について 発音問題は、入試に英単語と発音記号を照らしあわせる問題は出ます。ですが、自分で発音することは、推薦入試などでの口答試験でもない限りは、入試には発音は出ません。 * 入試での英会話について 大学入試では文章題などで、英会話の空欄を埋める問題などが出されるかもしれません。いっぽう、大学側が、一人ひとりと会話をする試験は、一般入試では出ないでしょう。なぜなら、大学側の時間的にも、受験生の一人ひとりとの英会話試験は無理です。ただし推薦入試などでは、語学系の学部なら、口答試験として英会話が出る可能性もあるかもしれません。 英会話は、教科書・参考書などに書いてある、基本的なあいさつ文など、基本的な決まり文句を覚えたら、それ以上は、あまり英会話に深入りしないほうが安全です。 本格的な英会話の能力とは、俗語やら、ある程度の専門的な会話とか、ジョークとか、そういうのも含めてしまいます。しかし、学生の時間的に、そこまでの学習は無理です。それに大学入試でもジョークとかは出ません。 ただし、いくら一般入試に会話が出にくいといっても、基本的な会話くらいは、せっかく高校で習うのですから、きちんと練習してください。そもそも建前上は、高校で習うことは、高校生は学習するべきということになっています。そして大学側だってバカじゃないんだから、なるべくきちんと勉強している受験生を優先的に合格させたいのです。 == 英作文 == 英作文の練習よりも、まず先に単語の記憶量を増やす勉強を優先したほうが安全でしょう。単語の記憶量が増えて、文法や熟語なども覚えれば、英作文なども、自然と上達します。逆に言うと、英作文だけを勉強しようとしても、難しいです。なお、英作文の勉強では、あれこれ考えるよりも、文例を覚えたほうが良いでしょう。 == 問題集を信じすぎるな == 問題練習をする際には、必ずしも偏差値順にステップアップする必要は無い、という事です。 偏差値の低めの大学の過去問で、解説を見ても納得のいかない問題がある一方、偏差値のもっと高い大学の過去問でも、解説に納得のいく問題がある、という事例も少なからずあります。 また、日本人の高校生のレベルを越える難しすぎる問題は、そもそも解けるようになる必要もないでしょう。 選択問題では、高校レベルで習得できるレベルでの、初心者のよくやるミスをしない事のような、明らかに間違った言い回しを排除する事さえできれば、それでいいでしょう。 納得の行かない問題の対策はやりすぎないようにスキップして、他の勉強をすべきです。英語の勉強なら、もっと確実に偏差値アップの出来る勉強、たとえば単語力を増やすなどの勉強をしましょう。 == あきらめるべき事 == === 第二外国語は、あきらめるべき === ==== 入試に第二外国語は出ないのが普通 ==== 高校によっては、一部の私立高校などでは、フランス語やドイツ語など第二外国語の授業を用意している高校もあります。 共通テストや二次試験では英語以外の外国語を使えるところもあるが、特別な理由がないなら英語を選択したほうがいいだろう。 また、中国語を勉強しても、あまり国語の漢文の入試問題を解くのには役立ちません。 帰国子女とか、あるいは進路志望が語学関連の分野で無い限り、あまり第二外国語には手を伸ばさないほうが良いでしょう。 就職試験でも、あまり第二外国語は問われません。英語を就職試験に課す大企業は、いくつかありますが、ドイツ語やフランス語を課す企業は少ないでしょう。たとえ、企業で第二外国語の堪能な人材が必要になったとしても、その際には語学系の学部学科を卒業したような専門家を雇うでしょうから、だから他学部の人が第二外国語を熱心に勉強しても、あまり就職活動では報われません。 == 一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全 == 英語能力を測る国際的な試験のTOEFLやTOEICなどは、高校生の学習用には作られていません。そもそも日本人に内容を合わせていません。 それにTOEICとTOEFLのどちらとも、試験の目的が、日本の高校英語の教育目的とは違います。 TOEICとTOEFLのどちらも目的は、英米への留学や海外生活のためなどの語学が目的です。日本の大学入試や、日本の大学での英語論文読解などの目的には、TOEIC・TOEFLなどは合わせていません。TOEFLとかTOEICとかで、ハイスコアを目指すのは、大学受験対策とは目的がズレています。 なお、そもそもTOEICをつくったのは日本の通産省(当時)であり、通産省がアメリカの非営利テスト開発機関、ETS(Educational Testing Service)に依頼をして、日本がつくったテストです。 よって、TOEICの出題内容は、アメリカ国内での実用とは若干、ズレていますので、てっきり実用英語だとは勘違いしないようにしましょう。また、てっきりTOEICは(OECDあたりの)「国際機関のつくった試験である」などと勘違いしないようにしましょう。 さらに、TOEICの参考書などにある「高校生レベルは◯◯点」などの数値も、じゃっかん、疑わしいので、あまり鵜呑みにしないようにしましょう。 ;* 平均点 :なお、高校生のTOEICの平均点は、年度にもよりますが、2018年の時点では、高校生の平均点はおおよそ350~400点くらいです。なおTOEICの満点は990点です。 ネット上では「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説が出回っており、英検2級が高校英語レベルを出題範囲として想定していることから、あたかも「高校を卒業したら TOEIC 600 点で当然」みたいな言説が出回っていますが、しかし2018年の統計などをもとに考えれば、この言説はデタラメです。 また、「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説の根拠も、よくよく調べてみると、2001年くらいに英検2級保持者にTOEICの点数をアンケートしたところ TOEIC 400点~800点あたりに得点がバラついたという統計を、とりあえず平均値をとって600点としただけにすぎないのが実態です。 高校の数学で統計値の「分散」という概念を習います。分散を知らないと、統計詐欺にダマされてしまいます。 ;* TOEICは事実上は文系向けの試験である :世の中には、文系の大人が多く、その影響で、学生でも理系科目をサボってまで英語の勉強をして、英語の成績を上げる人がいます。TOEICの平均点も、そういう文系の人間を基準に算出されてしまいます。 :一般入試や国公立受験、理系の学部などを目指す人は、けっして、そういう文系の大人や、文系しかできない学生を多く含むTOEIC平均点を、参考にしてはいけません。 :* 4択問題と難易度 :TOEICの各問題は基本的に4択問題ですので、デタラメに選択しても、990点満点(約1000点)中のうちの4分の1である約250点を取れます。 : さらに、欧米で英米への留学希望者むけのテストなどとして知られている英語検定試験はTOEFLです。 TOEICは、日本と韓国で流行っている英語検定です。 また、英検は日本人用の試験ですが、しかし高校生用には試験が作られていません。中学生・高校生なども意識して英検は作られているでしょうが、しかし、中高生だけを意識してはいません。 英検を入試対策で使うなら、志望校合格などが保証されないかぎりは、なるべく英検'''準'''1級までに止めるのが無難です。 * 推薦入試などの評価事項になることも ただし、推薦入試ではTOEICやTOEFL、英検などの成績が考慮される場合もあります。 * 難関大学への対策用としての場合 大学によっては、入試で高校レベルを超えた、かなり難しい英語を出す場合もあります。そういう大学に対応する場合、市販の受験参考書では太刀打ちできないかもしれません。このような場合、しかたなくTOEFL対策や英検1級対策などの参考書が必要な場合もあるかもしれません。 * 就職活動でのTOEIC評価について ただし、大学生の就職活動では、企業にTOEICなどの点数を聞かれることもあります。就職活動時のエントリーシートに、最初からTOEICなど成績の記入欄がある場合もあります。また、外国大学への留学の際に、TOEICなどで一定以上の成績を修めることが必須の要件とされる場合も多いです。たとえ英語圏以外の国の大学への留学でも、TOEICやTOEFLなどの成績が必須要件として必要な場合があります。 なので高校生でも、TOEIC受験の機会があれば、受験をするのも良いでしょう。 ただし、TOEICの成績が良いからと言って、けっして、それだけで企業が「即・採用」をするなんて事はありません。 高校生の段階では、TOEICなどの語学検定については、もし受験できるなら、視野を広げるような目的で検定を受けるのが良いでしょう。 == 英語の検定教科書にある時事や古典文学の勉強は不要だし、危険 == 中学高校の英語の検定教科書には、他の教科では説明しづらい時事や古典文学、最近の日本のアニメやマンガの、海外での人気について、英文で紹介されたりするかもしれません。 そもそも、本来の目的は英語を学ぶということなので、これらの題材で得た知識がそのまま大学受験に役に立つということはありません。 1odzqc75e5fobuybx4ayumjjzkx383i ペルシア語/アルファベット 0 20919 206392 197507 2022-08-10T02:52:46Z CommonsDelinker 786 「WPS.gif」 を 「Weighted,_wide-grip_pullup_video.gif」 に差し替え([[commons:User:CommonsDelinker|CommonsDelinker]]による。理由:[[:c:COM:FR|File renamed]]: [[:c:COM:FR#FR2|Criterion 2]]) wikitext text/x-wiki {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" | ペルシア語 |- | style="text-align:left; font-size: 1em;"| [[ペルシア語/書き方と発音練習3|書き方と発音練習3]] | [[ペルシア語/アルファベット|アルファベット]] | [[ペルシア語/第1課|第1課]]| |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ *[https://www.youtube.com/watch?v=xwS8LOhmLdI&list=PL5hKR-SZGnxZHUzVvGhZUXhh6n5oNiFPq youtubeの動画を見てください。] *[https://www.youtube.com/watch?v=JbS-I1I6c0k youtube からペルシア語のアルファベット ] ==آ== <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''آ'''</font></span> </div> [[Image:Drinking water.jpg|110px|thumb|right|[[File:Āb.oga]]āb:水:<span style="color: blue"><font size="4">'''آب'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | alef | <span style="color: blue"><font size="6">'''آقا'''</font></span> ~さん(男性):āqā: | <span style="color: blue"><font size="6">''' کار'''</font></span> 用事:kār: | <span style="color: blue"><font size="6">'''اِمروز'''</font></span> 今日:emrūz: |} <gallery> 01c-Alif-Madda.png| 01-Alif.png| 1 ﺍ 'álif.gif| </gallery> {{-}} = ب = '''''<div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ب'''</font></span> </div>''''' [[Image:Leaves-scan.jpg|130px|thumb|right|barg:葉っぱ:<span style="color: blue"><font size="4">'''بَرگ'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | be | <span style="color: blue"><font size="6">'''شَب'''</font></span> 夜:shab: | <span style="color: blue"><font size="6">''' شَنبِه'''</font></span> 土曜日:shanbe: | <span style="color: blue"><font size="6">'''بُزُرگ'''</font></span> 大きい:bozorg: |} <gallery> 02-Ba.svg| Baa-finamezakomenca.svg| Lettre 2 ﺏ bâ'.gif| </gallery> {{-}} = پ = '''''<div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''پ'''</font></span> </div> [[Image:Lily's feet.JPG|130px|thumb|right|pā:<span style="color: blue"><font size="4">'''پا'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | pe | <span style="color: blue"><font size="6">'''چَپ'''</font></span> 左:chap: | <span style="color: blue"><font size="6">'''پاسپُورت'''</font></span> パスポート:pāsport: | <span style="color: blue"><font size="6">'''پِدَر'''</font></span> 父:pedar: |} <gallery> Animated persian glyphs-pe.gif| 02a-Pe.svg| </gallery> {{-}} = ت = '''''<div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ت'''</font></span> </div> [[Image:Generic football.png|150px|thumb|right|tūp:<span style="color: blue"><font size="4">'''توپ'''</font></span>]] </div> {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |te | <span style="color: blue"><font size="6">'''دَست'''</font></span> 手:dast: | <span style="color: blue"><font size="6">'''هَستَم'''</font></span> 私は~です:hastam: | <span style="color: blue"><font size="6">'''تازِه'''</font></span> 新しい、新鮮な:tāze: |} <gallery> 03-Ta.png| Taa-finamezakomenca.svg| Lettre 3 ﺕ tâ'.gif| </gallery> {{-}} = ث = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ث'''</font></span> </div> [[Image:5vor12.JPG|200px|thumb|right|秒:sāniye:<span style="color: blue"><font size="4">'''ثانیِه'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | se | <span style="color: blue"><font size="5">'''اَثاث'''</font></span> 家具:asās: | <span style="color: blue"><font size="5">''' مِثال'''</font></span> 例:mesāl: | <span style="color: blue"><font size="5">'''ثَبت'''</font></span> 登録:sabt: |} <gallery> 04-Tha.png| THaa-finamezakomenca.svg| Lettre 4 ṯâ'.gif| </gallery> {{-}} = ج = '''''<div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ج'''</font></span> </div> [[Image:Jooje Kebab.jpg|200px|thumb|right|jūjekabāb:イラン風の焼き鳥:<span style="color: blue"><font size="4"> '''جوجِه کَباب'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |jīm | <span style="color: blue"><font size="6">'''پَنج'''</font></span> 5:panj: | <span style="color: blue"><font size="6">'''اینجا'''</font></span> ここ:īnjā: | <span style="color: blue"><font size="6">'''جُملِه'''</font></span> 文:jomle: |} <gallery> 05-Jim.png| Jiim-finamezakomenca.svg| Lettre 5 jîm.gif| </gallery> {{-}} = چ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''چ'''</font></span> </div> [[Image:Belber Suitcase.jpg|200px|thumb|right|chamedān:<span style="color: blue"><font size="4">'''چَمِدان'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | che | <span style="color: blue"><font size="6">'''هیچ'''</font></span> ~も(ない):hīch: | <span style="color: blue"><font size="6">'''بَچّه'''</font></span> 子供:bachche: | <span style="color: blue"><font size="6">'''چَهار'''</font></span> 4:chahār: |} <gallery> Animated persian glyphs-che.gif 05a-Tsche.png| </gallery> {{-}} = ح = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ح'''</font></span> </div> [[Image:Modern Ofuro.jpg|180px|thumb|right|hammām:<span style="color: blue"><font size="4">'''حَمّام'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | he | <span style="color: blue"><font size="6">'''صُبح'''</font></span> 朝:sobh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''صَفحِه'''</font></span> ページ:safhe: | <span style="color: blue"><font size="6">'''حَرف'''</font></span> アルファベットの文字:harf: |} <gallery> 06-H.a.png| HHaa-finamezakomenca.svg| Lettre 6 ḥâ'.gif| </gallery> {{-}} = خ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''خ'''</font></span> </div> [[Image:Easterbunny 1.jpg|180px|thumb|right|khargūsh:うさぎ<span style="color: blue"><font size="4">'''خَرگوش'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | khe | <span style="color: blue"><font size="6">'''تاریخ'''</font></span> 日付、歴史:tārīkh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''سَخت'''</font></span> 難し、困難な:sakht: | <span style="color: blue"><font size="6">'''خُداحافِظ'''</font></span> さようなら:khodā hāfez |} <gallery> 07-Cha.png| KHaa-finamezakomenca.svg| Lettre 7 ḫâ'.gif| Khodahafez nastaliq.svg|さようなら:khodā hāfez </gallery> {{-}} = د = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''د'''</font></span> </div> [[Image:LeftHand 2.png|180px|thumb|right|dast:<span style="color: blue"><font size="4">'''دَست '''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | dāl | <span style="color: blue"><font size="6">'''صَد'''</font></span> 100:sad: | <span style="color: blue"><font size="6">'''زَردآلو '''</font></span> あんず:zard-ālū: | <span style="color: blue"><font size="6">'''دیر'''</font></span> 遅い:dīr: |} <gallery> 08-Dal.png| Lettre 8.gif| </gallery> {{-}} = ذ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ذ'''</font></span> </div> [[Image:YellowCorn.jpg|180px|thumb|right|とうもろこし:zorrat::<span style="color: blue"><font size="4">'''ذُرّت '''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | zāl | <span style="color: blue"><font size="6">'''کاغَذ'''</font></span> 紙:kāghaz: | <span style="color: blue"><font size="6">'''غَذا'''</font></span> 料理、食事:ghazā: | <span style="color: blue"><font size="6">'''ذَرّه'''</font></span> 分子、少量:zarre: |} <gallery> 09-Dhal.png| Lettre 9 ḏâl.gif| </gallery> {{-}} = ر = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ر'''</font></span> </div> [[Image:Nebula on river Bistrica.jpg|220px|thumb|right|rūdkhne:<span style="color: blue"><font size="4">'''رودخانِه '''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | re | <span style="color: blue"><font size="6">'''بَرادَر'''</font></span> 兄、弟:barādar: | <span style="color: blue"><font size="6">'''تَمرین'''</font></span> 練習:tamrīn: | <span style="color: blue"><font size="6">'''روز'''</font></span> 日、昼間:rūz |} <gallery> 10-Ra.png| Lettre 10 râ'.gif| </gallery> {{-}} = ز = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ز'''</font></span> </div> [[Image:Bee March 2008-4.jpg|180px|thumb|right|zanbūr:<span style="color: blue"><font size="4">'''زَنبور '''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | ze | <span style="color: blue"><font size="6">'''دیروز'''</font></span> 昨日:dīrūz: | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَنزِل'''</font></span> 家:manzel: | <span style="color: blue"><font size="6">'''زَبان'''</font></span> 語、舌:zabān: |} <gallery> 11-Zay.png| Lettre 11 zây.gif| </gallery> {{-}} = ژ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ژ'''</font></span> </div> [[Image:Japan sea map.png|180px|thumb|right|日本:zhāpon<span style="color: blue"><font size="4">'''ژاپُن'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | zhe | <span style="color: blue"><font size="6">'''ماساژ'''</font></span> マッサ-ジ:māsāzh: | <span style="color: blue"><font size="6">''' واژِه'''</font></span> 語、単語:vāzhe: | <span style="color: blue"><font size="6">'''ژاپُن'''</font></span> 日本:zhāpon: |} <gallery> Animated persian glyphs-zhe.gif Uyghur - Arabic script - isolated form - ژ (IPA ʒ).svg| </gallery> {{-}} = س = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''س'''</font></span> </div> [[Image:Apple 03.jpg|150px|thumb|right|sīb:<span style="color: blue"><font size="4">'''سیب'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | sīn | <span style="color: blue"><font size="6">'''دَرس'''</font></span> 勉強、課:dars: | <span style="color: blue"><font size="6">'''هَست'''</font></span> いる、~でāる(三人称単数):hast: | <span style="color: blue"><font size="6">'''ساعَت'''</font></span> 時計、時、時間:sāʿat: |} <gallery> 12-Sin.png| Siin-finamezakomenca.svg| Lettre 12 sīn.gif| </gallery> {{-}} = ش = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ش'''</font></span> </div> [[Image:Lille Meert2.JPG|200px|thumb|right|砂糖お菓子:shīrīnī:<span style="color: blue"><font size="4">'''شیرینی'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | shīn | <span style="color: blue"><font size="6">'''شِش'''</font></span> 6:shesh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''دانِشجو'''</font></span> 大学生:dāneshjū: | <span style="color: blue"><font size="6">'''شَب'''</font></span> 夜:shab: |} <gallery> 13-Schin.png| SHiin-finamezakomenca.svg| Lettre 13 šîn.gif| </gallery> {{-}} = ص = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ص'''</font></span> </div> [[Image:Twemoji 1f4af.svg|150px|thumb|right|sad:<span style="color: blue"><font size="4">'''صَد'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | sād | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَخصوص'''</font></span> 特別の:makhsūs: | <span style="color: blue"><font size="6">'''هَفتصَد'''</font></span> 700:haftsad: | <span style="color: blue"><font size="6">'''صِدا'''</font></span> 音、声、母音:sedā: |} <gallery> Animated persian glyphs-sad.gif 14-Sad.png| SSaad-finamezakomenca.svg| </gallery> {{-}} = ض = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ض'''</font></span> </div> [[Image:El coche es traccion 4x4.png|350px|thumb|right|zarb:<span style="color: blue"><font size="4">'''ضَرب'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | zād | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَریض'''</font></span> 病気な:marīz: | <span style="color: blue"><font size="6">''' اِمضا'''</font></span> サイン:emzā: | <span style="color: blue"><font size="6">'''ضَعیف'''</font></span> 弱い:zaʿīf: |} <gallery> Animated persian glyphs-zad.gif 15-Dad.png| DDaad-finamezakomenca.svg| </gallery> {{-}} = ط = '''''<div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ط'''</font></span> </div> {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | tā | <span style="color: blue"><font size="6">'''خطّ'''</font></span> 文字、筆跡:khatt: | <span style="color: blue"><font size="6">''' خَطَر'''</font></span> 危険:khatar: | <span style="color: blue"><font size="6">'''طَلا'''</font></span> 金:talā: |} <gallery> 16-Ta.png| TTaa-finamezakomenca.svg| Lettre 16 tâ'.gif| </gallery> {{-}} = ظ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ظ'''</font></span> </div> [[Image:2004 MujiWanoSyokki Masahiro-Mori.jpg|200px|thumb|right|zarf:<span style="color: blue"><font size="4">'''ظَرف'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | zā | <span style="color: blue"><font size="6">'''تَلفّظ'''</font></span> 発音:talaffoz: | <span style="color: blue"><font size="6">''' نَظَر'''</font></span> 考え、観点:nazar: | <span style="color: blue"><font size="6">'''ظَرف'''</font></span> 器:zarf: |} <gallery> 17-Za.png| ZZaa-finamezakomenca.svg| Lettre 17 zâ'.gif| </gallery> {{-}} = ع = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ع'''</font></span> </div> [[Image:Runny hunny.jpg|150px|thumb|right|aʿsal:<span style="color: blue"><font size="4">'''عَسَل'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | ein | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَمنوع'''</font></span> 禁止:mamnūʿ: | <span style="color: blue"><font size="6">'''رُبع'''</font></span> 15分、4分の1:robʿ: | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَعنی'''</font></span> 意味:maʿnī: | <span style="color: blue"><font size="6">''' عَکس'''</font></span> 写真:ʿaks: |} <gallery> 18-Ain.svg| Ain-finamezakomenca.svg| Lettre 18 'ayn.gif| </gallery> {{-}} = غ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''غ'''</font></span> </div> [[Image:Iran table.jpg|200px|thumb|right|ghazā:<span style="color: blue"><font size="4">'''غَذا'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | ghein | <span style="color: blue"><font size="6">'''دُروغ'''</font></span> 嘘:dorūgh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''تبلیغ'''</font></span> 宣伝、広告、布教:tablīgh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''شُغل'''</font></span> 業:shoghl: | <span style="color: blue"><font size="6">'''غَذا'''</font></span> 料理:ghazā: |} <gallery> 19-Ghain.png| GHain-finamezakomenca.svg| Lettre 19 ġayn.gif| </gallery> {{-}} = ف = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ف'''</font></span> </div> [[Image:Pepper spilled out of the holes in a pepper shaker.jpg|220px|thumb|right|felfel:<span style="color: blue"><font size="4">'''فِلفِل'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | fe | <span style="color: blue"><font size="6">'''کیف'''</font></span> カバン:kīf: | <span style="color: blue"><font size="6">'''تِلِفُن'''</font></span> 電話:telefon: | <span style="color: blue"><font size="6">'''فارسی'''</font></span> ペルシア語(語):fārsī: |} <gallery> 20-Fa.png| Faa-finamezakomenca.svg| Lettre 20 fâ.gif| </gallery> {{-}} = ق = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ق'''</font></span> </div> [[Image:Silver spoon.jpeg|200px|thumb|right|qāshoq:<span style="color: blue"><font size="4">'''قاشُق'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | qāf | <span style="color: blue"><font size="6">'''قاشُق'''</font></span> スプーン:qāshoq: | <span style="color: blue"><font size="6">''' دَقیقِه'''</font></span> 分:daqīqe: | <span style="color: blue"><font size="6">'''قَشَنگ'''</font></span> きれいな:qashang: |} <gallery> 21-Qaf.png| Qaaf-finamezakomenca.svg| Lettre 21 qâf.gif| </gallery> {{-}} = ک = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ک'''</font></span> </div> [[Image:Wide heel.jpg|200px|thumb|right|kafsh:<span style="color: blue"><font size="4">'''کَفش'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |kāf | <span style="color: blue"><font size="6">'''یِک'''</font></span> 1、一つ:yek: | <span style="color: blue"><font size="6">'''مُشکِل'''</font></span> 問題:moshkel: | <span style="color: blue"><font size="6">'''کَلَمِه'''</font></span> 語、語:kalame: |} <gallery> 22b-Persisches Kaf.png| Kahah-finamezakomenca.svg| </gallery> {{-}} = گ = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''گ'''</font></span> </div> [[Image:Right Ear of a Woman.JPG|180px|thumb|right|gūsh:<span style="color: blue"><font size="4">'''گوش'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |gāf | <span style="color: blue"><font size="6">'''سَگ'''</font></span> 犬:sag: | <span style="color: blue"><font size="6">''' دانِشگاه'''</font></span> 大学:dāneshgāh: | <span style="color: blue"><font size="6">'''گَرم'''</font></span> 暑い、温かい:garm: |} <gallery> Animated persian glyphs-gaf.gif| Gaaf-individua.svg| </gallery> {{-}} = ل = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ل'''</font></span> [[Image:Cup 1 2013-09-13.jpg|130px|thumb|right|līvān:<span style="color: blue"><font size="4">'''لیوان'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |lām | <span style="color: blue"><font size="6">'''تَعطیل'''</font></span> 休み:taʿtīl: | <span style="color: blue"><font size="6">'''سَلام'''</font></span> こんにちは:salām: | <span style="color: blue"><font size="6">'''لازِم'''</font></span> 必要な:lāzem: |} {{-}} <gallery> Lam alef 1.png| '''ل + ا''' Lam alef 2.png|'''ل + ا''' Lam alef 3.png|'''ل + ا''' Leyla nevit 057.svg| 女性の名前:leilā:لیلا Salam nastaliq.svg| こんにちは:salām:سَلام Lettre 23 lâm.gif| </gallery> {{-}} = م = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''م'''</font></span> </div> [[Image:Mixed fruit.jpg|220px|thumb|right|mīve:<span style="color: blue"><font size="4">'''میوه'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | mīm | <span style="color: blue"><font size="6">'''خانُم'''</font></span> さん(女性):khānom: | <span style="color: blue"><font size="6">''' جُملِه'''</font></span> 文:jomle: | <span style="color: blue"><font size="6">'''مِرسی'''</font></span> ありがとう:mersī: |} <gallery> Animated persian glyphs-mim.gif Miim-individua.svg| Miim-finamezakomenca.svg| </gallery> {{-}} = ن = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ن'''</font></span> </div> [[Image:Naan shiva.jpg|180px|thumb|right|nān:<span style="color: blue"><font size="4">'''نان'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | nūn | <span style="color: blue"><font size="6">'''مَن'''</font></span> 私:man: | <span style="color: blue"><font size="6">''' پَنج'''</font></span> 5:panj: | <span style="color: blue"><font size="6">'''نام'''</font></span> 名前:nām: |} <gallery> 25-Nun.png| Nuun-finamezakomenca.svg| Lettre 25 nūn.gif| </gallery> {{-}} = و = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''و'''</font></span> </div> [[Image:Weighted, wide-grip pullup video.gif|190px|thumb|right|varzesh:<span style="color: blue"><font size="4">'''وَرزِش'''</font></span>]] [[Image:Green towels on a shelf in a store in New Jersey.JPG|180px|thumb|right|([[W:二重母音|二重母音]] «و» ou/ow ) houle:<span style="color: blue"><font size="4">'''حولِه'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- |vāv | <span style="color: blue"><font size="6">'''مو'''</font></span> 髪の毛:mū: | <span style="color: blue"><font size="6">'''خانِوادِه'''</font></span> 家族:khānevāde: | <span style="color: blue"><font size="6">'''وَقت'''</font></span> 時間:vaqt: |} <gallery> و.svg| Lettre 27 wâw.gif| </gallery> {{-}} = ه = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ه'''</font></span> </div> [[Image:Air Berlin B737-700 Dreamliner D-ABBN.jpg|180px|thumb|right|hāvāpeima:<span style="color: blue"><font size="4">'''هَواپیما'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | he | <span style="color: blue"><font size="6">'''شُمارِه'''</font></span> 番号:shomāre: | <span style="color: blue"><font size="6">'''خانِه'''</font></span> khāne:家 | <span style="color: blue"><font size="6">'''آنها'''</font></span> 彼ら、それら:ānhā: | <span style="color: blue"><font size="6">'''هَوا'''</font></span> 天気:havā: |} <gallery> He naskh 1.png| He naskh 2.png| Haa-finamezakomenca.svg| Haa-individua.svg| Lettre 26 hâ'.gif| </gallery> {{-}} = ی = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ی'''</font></span> </div> [[Image:12-07-14-wikimania-wdc-by-RalfR-29.jpg|220px|thumb|right|yakh:<span style="color: blue"><font size="4">'''یَخ'''</font></span>]] [[Image:Small pair of blue scissors.jpg|200px|thumb|right|([[W:二重母音|二重母音]] «ی» ei/ey) qeichī:<span style="color: blue"><font size="4">'''قیچی'''</font></span>]] {| class="wikitable" |- ! 文字の名称 ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く |- | ye | <span style="color: blue"><font size="6">'''ایرانی'''</font></span> イラン人、イランの:īrānī: | <span style="color: blue"><font size="6">''' چیست'''</font></span> 何ですか:chīst: | <span style="color: blue"><font size="6">'''یِکشَنبِه'''</font></span> 日曜日:yekshanbe: |} <gallery> Animated persian glyphs-ye.gif 28a-Alif maqsura.png| Yaa-Persa-finamezakomenca.svg| Arabic yodh aleph.svg|yā ی + ا </gallery> {{-}} = هَمزِه = <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="45">'''ء'''</font></span> </div> {| class="wikitable" |-align="center" !rowspan="2"| 文字の名称 !colspan="4"|形 |- ! 語尾形 前の文字に続く ! 語中形前 前後の文字に続く ! 語頭形 後の文字に続く !単独形 |- align="center" | (همزه) |style="line-height:180%;padding:10px;"|<span style="font-size:250%;">{{Lang|fa|ـئ}} {{Lang|fa|ـأ‎}} {{Lang|fa|ـؤ}} </span> 質問:soʿāl:<span style="color: blue"><font size="4">'''سؤال'''</font></span> 役人、派遣された人:maʿmūr:<span style="color: blue"><font size="4">'''مأمور'''</font></span> | style="line-height:180%;padding:10px;"|<span style="font-size:250%;">{{Lang|fa|ـئـ‎}}</span> 責任者:masʿūl:<span style="color: blue"><font size="4">''' مَسئول'''</font></span> |style="line-height:180%;padding:10px;" |<span style="font-size:250%;">{{Lang|fa|ئـ‎}}</span> </span> 長、社帳:rʿīs:<span style="color: blue"><font size="4">'''رئیس'''</font></span> |style="line-height:180%;padding:10px;" |<span style="font-size:250%;">{{Lang|fa|ء}} {{Lang|fa|أ}}</span> |} <gallery> 01a-Alif-Hamza.png|<span style="color: blue"><font size="5"> '''hamze أ ''' </font></span> 27a-Waw-Hamza.png|<span style="color: blue"><font size="5"> '''hamze ؤ ''' </font></span> 0 ﺀ hamza.gif|<span style="color: blue"><font size="5"> '''hamze ﺀ ''' </font></span> </gallery> {{-}} [[ファイル:Persian alphabet.gif|900px|サムネイル|中央]] {{-}} [[ファイル:Farsi in 16 fonts 2020-03-22 213757.png|900px|サムネイル]] [[カテゴリ:ペルシア語]] [[Category:ペルシア語/アルファベット]] [[fa:راهنمای آموزش زبان فارسی به غیر فارسی زبانان/الفبا]] 2ecdbgy0kli4rb94mw8n4vgqrkyutry 高等学校物理/物理I/運動とエネルギー/運動の法則 0 21095 206401 159179 2022-08-10T08:47:47Z Ef3 694 /* 力とは */ 2019年の、キログラムの定義改定を反映。 wikitext text/x-wiki == 力の性質 == === 力とは === 力(ちから、英語:force)とは、物体を動かしたり、変形させたりする原因である。 力はベクトルで表わされる量であり、単位には ニュートン (記号 N )を用いる。 1ニュートンの大きさの定義とは、質量 1kg の物体に力を加えた時に、1m/s<sup>2</sup>の加速度を生じさせる力の大きさを1ニュートンと定めている。質量の大きい物体ほど、速度を変化させるのに、より大きな力が必要である。つまり質量とは、加速度の変化のしにくさを表す量である。 中学では、「1ニュートンは、約100gの重さ」と習うが、高校では、後述するように力を正確に考えるため、高校では、重さによる力の定義は、用いない。なぜなら、月と地球では重力の大きさが違うので、もし「重さ」によって力を定義してしまうと、場所によって力の大きさの基準が違うので、不合理である。高校では、質量と加速度にもとづいて、「力」を定義する。 *質量とは何か では、質量(しつりょう、mass)とは何か? 中学で習ったように「質量」を考えてよい。 月と地球では、重力の大きさが違うので、「重さ」(weight)と「質量」(mass)とは、異なる概念である。 しかし、分銅で測れば、月でも地球でも、同じ質量を測れる。 [[File:National prototype kilogram K20 replica.jpg|thumb|キログラム原器。アメリカで保管されているキログラム原器の画像。フランスの国際キログラム原器と共通化している。(ウィキにフランスの原器の写真が無いので、これで代用。)]] <del>質量の単位の 1kg を決める基準は、フランスの国際度量衡局で保管されている国際キログラム原器の質量である。<br>たとえば 「3kg」 とは、キログラム原器の 3倍 の質量という意味である。 </del> <ins>2019年にキログラムの定義が改定され、『キログラム (記号は kg)  は質量のSI単位であり、プランク定数 ''h'' を単位 J s (kg m<sup>2</sup> s<sup>−1</sup> に等しい)で表したときに、その数値を{{val|6.62607015|e=-34}} と定めることによって定義される。ここで、メートル及び秒は、それぞれ ''c'' 及び''Δν''<sub>Cs</sub>を用いて定義される。』となり、国際キログラム原器は役目を終えた。</ins> このニュートンという単位は、既に知られている[s],[kg],[m]を用いてかくことが出来る 単位である。実際には :[N] = [kg] <math>\cdot</math> [m/s<math>{}^2</math>] が得られる。この関係は以降の節で扱う[[w:ニュートン方程式|運動方程式]](うんどうほうていしき、equation of motion)に従う。 質量 m [kg] の物体に掛かる重力の大きさ W [N]は、次のように表される。 :<math>W=mg</math> この式において、 g は重力加速度であり、単位は[m/s<sup>2</sup>]。 ;(参考 単位系の国際標準化) 昔は、製造業の機械工業などでは、力の単位に、ニュートンの他にも、グラム重(グラムじゅう)やキログラム重といった単位が使われていた時代もあった。 しかし、現在では、力の単位は、ニュートンを原則的に使用することが、国際的に推奨されている。読者が高校生・大学生なら、学校の試験などではニュートンを力の単位に用いるべきである。 力の単位をニュートン単位に統一した理由は、昔は国や業界ごとに物理量で用いる単位が別々であり、不便であったので、その不便を解消しようと国際的な取り決めがなされたからである。その国際的な取り決めによって、力の単位にはニュートンを用いることが決まり、質量の単位にはグラムまたはキログラムを用いることが決まり、重さと質量とを区別することが決まったのである。 また、この国際的に取り決めた単位系を'''国際単位系'''(こくさい たんいけい)と言い、略称ではフランス語を語源として'''SI'''単位(エスアイたんい)とも言う。 また、国際単位系では、長さの単位にはメートルやミリメートル、センチメートルといったメートル法を用い、時間の単位には秒を用いるげん。 高校入学から先の、高校や大学での理科の学習では、物理量の単位系には、原則としてSI単位が用いられる。物理学の科目だけでなく、生物や化学や地学などでも、単位系は、特別な理由が無いかぎりはSI単位系を用いるのが普通である。 === 力の測り方 === ==== フックの法則 ==== <gallery widths=400px heights=380px> File:ばねの自然長 縦.svg|フックの法則。<br>力は伸びに比例する。 File:ばねの自然長 横.svg|フックの法則。 </gallery> ---- ばね を考えれば分かると思うが、一般に物体は形を変えるような力が働いたとき、形を戻そうとする力を働かせる。 このように元の形に戻ろうとする性質を'''弾性'''(だんせい、elasticity)という。また弾性による復元力を'''弾性力'''(elastic force)と呼ぶ。弾性力の向きは、加えた力とは反対向きである。ばね の場合、弾性力の向きは、伸びの向きとは反対向きである。 なお、ばね に力がかかってないときの元々の長さのことを、「自然の長さ」あるいは'''自然長'''(しぜんちょう)という 多くの固体の物体は、物体に加える外力が小さい場合には弾性を示す。 弾性力の大きさは、伸び(または 縮み)の長さに比例する。この比例係数(伸びと弾性力の比例係数)は、物質によって異なる。 弾性力の式は、伸びを x[m] とすると、弾性力 F[N] の大きさは、次の式で表せる。 :<math> F = k x </math> これを'''フックの法則'''(Hooke's law)と呼ぶ。 [[File:フックの法則 直線の範囲.svg|thumb|400px|left|フックの法則]] 物体が ばね であれば、比例定数 k [N/m] を '''ばね定数''' という。 高校の段階では、物体が ばね でなくとも、弾性力をしめす物体について、この係数 k を「ばね定数」と読んでも構わないだろう。(いくつかの検定教科書でも、そのように記述している。) なお、単位 N/m は ニュートン毎メートル (ニュートンまいメートル)と読む。 {{-}} *参考: 塑性(そせい) いっぽう、粘土(ねんど)のように容易に形を変えることが出来る物質も存在する。このような形を変えられる性質を「塑性」(そせい,plastic)という。普通科高校の教科では「塑性」を扱わないので、塑性については説明を省略する。 このように、弾性力の有無および弾性力の強さは、物質によって大きく変わる物質の性質である。 === 力のつりあい === ==== 力の合成 ==== [[File:Vector parallelogram.PNG|right|250px|thumb|ある物体に向きのちがう力F1(青矢印)と力F2(青矢印)を加えると、物体に加わる合力は、図のような(F1とF2を辺とする、)平行四辺形の対角線の向きになる。]] ここで、ある物体に対して、2つの力 <math>\vec {F_1}</math> および <math>\vec {F_2}</math> が働くときに、その力は互いに足し合わされ、物体には合計で :<math> \vec {F_1} + \vec{F_2} </math> だけの力が働くとする。 このように力はベクトルとしての加法則を満たすのである。 2つ以上の力を足しあわせて1つの力と見なすとき、その足し合わせた結果の力を'''合力'''(ごうりょく、resultant force)という。 また、合力を求めるために力を足しあわせることを「力の合成」(composition force)などという。 特に大きさが等しく向きが反対向きであるとき2力の合計はベクトルとして 0になり、物体に力が働いていない状態と等しくなる。このような状態を 力がつりあっているという。 *3つ以上の力の合成 :(※ 図を追加してください。) <math> \vec {F_1} + \vec{F_2} + \vec{F_3} </math> についての作図は、まず<math> \vec {F_1} + \vec{F_2} </math>を作図し、 そして <math> (\vec {F_1} + \vec{F_2}) + \vec{F_3} </math> を作図すれば良い。 どの順番から作図しても答えは同じで、 <math> \vec {F_1} + (\vec{F_2} + \vec{F_3}) </math> を作図しても、答えは同じである。 *問題 ある物体に、(I)x方向に<math>f</math>[N]、y方向に<math>f</math>[N]の力が それぞれ独立に働いているとする。 このとき、この物体には合計でどれだけの力がどの方向に働いているか計算せよ。 また、(II)それぞれの力の向きがどちらもx軸方向、 (III)片方がx軸方向でもう片方が(-x)軸 方向、 (IV)もしくは片方がx軸方向で、もう片方がx軸から測って反時計回りに 60<math>{}^\circ</math>の方向のときにどのような力を受けているかを計算せよ。 **解答 (I) ベクトルの加法を用いると得られる力は :<math> (f,0) + (0,f) </math> :<math> = (f,f) = \sqrt 2 f (1,1) </math> となる。これは、方向がx軸から測って反時計回りに45<math>{}^\circ</math>だけ回転した方向に 等しい力で大きさは :<math> \sqrt 2 f </math> に等しい力である。 (II) 同様にベクトルの加法を用いると、 :<math> (f,0)+(f,0) </math> :<math> = (2f,0) </math> となる。これは向きはx軸方向で大きさは2fの力である。 (III) ベクトルの加法を用いると、 :<math> (f,0)+(-f,0) </math> :<math> = (0,0) </math> となる。これは力が働いていない状態である。 (IV) ベクトルの加法を用いると、 :<math> (f,0)+f(\frac 1 2,\frac {\sqrt 3} 2) </math> :<math> = f ( \frac 3 2, \frac {\sqrt 3} 2) </math> :<math> = f \sqrt 3 ( \frac {\sqrt 3} 2, \frac 1 2) </math> となる。これはx軸から見て30<math>{}^\circ</math>方向の力で、力の大きさは :<math> \sqrt 3 f </math> に等しい。 ==== 力の分解 ==== [[File:2力の分解.svg|thumb|400px|2力の分解]] 力の合成の作業とは逆に、1つの力を2つの力に分解できる。分け方は無数にあるが、1つ目の力を決めると、平行四辺形の法則により、もう一方の力は自動的に決まる。 {{-}} ==== 力のつりあい ==== ある物体に いくつかの力が 同時に はたらいていて、その合力が 0 のとき、「これらの力は'''つりあっている'''」とか「'''つりあい'''の状態である」などという。 ===== 2力のつりあい ===== [[File:2力のつりあい.svg|thumb|500px|2力のつりあい]] 2力がつりあうためには、同一作用線上で、逆向きで、力の大きさが等しい、という3つの条件が必要である。 この3つの条件が成り立つ時、静止していた物体はそのまま静止し続け、運動していた物体はそのまま同じ速度で運動しつづける。 「逆向きで、力が等しい」という条件を式で書けば、 :<math> \vec {F _1} = - \vec{F _2} </math> となる。 F<sub>2</sub>を移項すれば、 :<math> \vec {F _1} + \vec{F _2} = \vec{0}</math> である。 ※ 数学について<br /> <math> \vec{0} </math> は 零ベクトル(ゼロベクトル) といい、大きさがゼロのベクトルのことであり、向きは無い。 ===== 3力のつりあい ===== [[File:3力のつりあい.svg|thumb|400px|3力のつりあい]] 関係式 :<math> \vec {F_1} + \vec{F_2} + \vec{F_3} = \vec{0}</math> が成り立つ。 x成分、y成分、それぞれ、次の関係式が成り立つ。 :<math> F_{1x} + F_{2x} + F_{3x} = 0</math> :<math> F_{1y} + F_{2y} + F_{3y} = 0</math> ===== 作用・反作用の法則 ===== [[File:Spring of action-reaction-law.svg|thumb|300px|作用・反作用の例]] 人が ばね を引いているとき、同時に ばね も人を引いている。 このように、物体Aに物体Bが力を加えるとき、相手の物体Bからも物体Aに同じ大きさの力が及んでいる。 このように、物体はお互いに力を及ぼしあっている。また、その及ぼしあう2つの力の向きは、逆向きである。また、それぞれの力は、同じ作用線の上にある。 このようなお互いに及ぼしあう2つの力のうち、一方の力を'''作用'''(さよう、action)といい、もう一方の力を'''反作用'''(はんさよう、reaction)という。 たとえば物体Aから物体Bに及ぼす力を「作用」とすれば、物体Bから物体Aに及ぼす力は「反作用」になる。 :物体Aから物体Bに力Fを及ぼしているとき、同時に、物体Bからも、大きさの等しい力で、反対方向の力が、同一作用線上で、及んでいる。 これを '''作用反作用の法則''' (運動の第三法則)という。(高校生は、「作用反作用の法則が、第何番目だったか?」は覚えなくてよい。) == 運動の法則 == === 慣性の法則 === 物体は外部から力が働かない限り、その速度を変えることはない。静止していた物体は、外部から力が働かない限り、静止し続ける。(自由落下運動に関しては、重力が働いているので、物体には外部から力が掛かっている。)静止している物体の速度は速度v=0だと考える 運動している物体は、外部から力が掛からない限り、その速度を保ち続ける。(摩擦による速さの低下に関しては、摩擦力が物体に生じているので、これは外部から力が働いてることになる。) 物体が静止していたにせよ、動いていたにせよ、どちらにせよ、物体は外部から力が働かない限り、その速度を変えることはない。 これを'''運動の第一法則'''という。 物体の運動の、このような性質を'''慣性'''(かんせい、inertia)と言うので、この法則は'''慣性の法則'''(law of inertia)という。 ===運動方程式=== ==== 理論 ==== :<math> m \vec a = \vec F </math> を'''運動方程式'''(うんどう ほうていしき)といい、物体に加わる力と、その力のよって生じる加速度の関係は、運動方程式で表される。 なお、2つ以上の力が加わるときは、たとえば2つの力の場合は、 :<math> m \vec a = \vec F_1 + \vec F_2 </math> である。 本節の以降の文で、運動方程式を証明する。 一般に、静止している物体が動きだすには、力を受けることが必要なことが知られている。 [[File:台車模型を引く実験.svg|thumb|900px|center|台車模型を引く実験]] {{-}} 実験をするには、たとえば図のように、台車を ばねばかり で、一定の力で引っ張れば良い。それを、自動記録紙で記録する。 <gallery widths=350px| heights=250px> File:台車実験v-tグラフ.svg|台車実験の実験結果をv-tグラフ化したもの。(模式図) File:台車実験a-mグラフ.svg|台車実験の実験結果をa-mグラフ化したもの。(模式図) </gallery> {{-}} 実験の結果によると、全ての物体は ある一定の力<math>F</math>[N]を受けたとき、加速度<math>a</math>[m/s<sup>2</sup>]の大きさは、物体の受けた力に比例し、また、物体の持っている質量<math>m</math>[kg]に反比例をする。 この法則を式で表せば、比例係数をk<sub>1</sub>として、 :<math>\vec a=k_1 \frac{\vec F}{m}</math> これを'''運動の第二法則'''である。 この第二法則を力を基準に書き換えれば、比例係数をk<sub>2</sub>として、 :<math>\vec F=k_2 m \vec a</math> と表わせる。 ここで、比例係数k<sub>2</sub>の大きさが1になるように、力の定めた単位が力の単位の N('''ニュートン''')である。ニュートン単位の記号は N である。 1N (1ニュートン) の力の大きさの定義とは、質量1kgの物体に力を加えた時に、1m/s<sup>2</sup>の加速度を生じさせる力の大きさを 1N と定めている。 Nと、m(メートル)、kg(キログラム)、s(秒)との関係は、 :N = kg ・m/s<sup>2</sup> である。 ニュートン単位を用いた力と質量と加速度との関係の方程式 :<math> m \vec a = \vec F </math> を'''運動方程式'''(うんどうほうていしき、equation of motion)と言う。 複数の力が加わっている場合は、たとえば2つの力の加わる場合は、単に力を合成すればいいだけなので :<math> m \vec a = \vec F_1 + \vec F_2 </math> となる。 * 例1 例えば、ある一定の力fを一様に受けている 質量mの物体は、運動方程式に従うと、 加速度 :<math> \vec a = \frac {\vec f} {m} </math> の等加速度直線運動をする。 * 例2。 重力 ある質量 m 物質が、重力 mg を受けて自由落下する場合、その物質の運動方程式を表そう。 空気抵抗を無視すれば :ma = mg である。 よって、両辺からmを割れば、 :a=g であり、質量によらず、つねに自由落下する物体は、重力加速度 g で等加速度運動することが分かる。 空気抵抗がある場合は、おもに物理 II の範囲なので、説明を省略する。空気抵抗の場合の計算も簡単なので高校2年程度でも可能だが、物理Iでは他にも単元があり、他に勉強しないといけないことが多くあるので、空気抵抗のある場合を、物理 II に回そう。 ==== おもりの引き上げ ==== [[File:おもりの引き上げ.svg|thumb|300px|おもりの引き上げをする際の、力と加速度の仕組み。]] 右の図のように質量mの おもり を加速度aで引き上げる場合、運動方程式は :ma=T-mg となる。ただし、それぞれの代数の向きは右図のように取った。 :(※ 未記述) {{clear}} ==== 例題: 定滑車をふくむ運動 ==== [[File:糸でつながれた2物体.svg|thumb|400px|糸でつながれた2物体]] 水平で滑らかな机の上に、質量 M[kg] の台車がある。その台車に ひも がつながれ、滑車を介して、ひも の先に質量 m[kg] の おもり が釣り下げられている。 この場合の、加速度の式を求めよ。なお、重力加速度を g とする。 また、ひも が台車を引く力の大きさを求めよ。 なお、たるんでいない、軽い ひも による力の性質として、ひも による力は、ひも の 両端で、同じであるという性質がある。 なので、台車を引っ張るひもの力の大きさが T ならば、おもりを引き上げる ひも の力の大きさも同じく T になる。 また、このTのような、ひも が何かを引っ張る力のことを'''張力'''(ちょうりょく)という。 '''解法'''<br /> [[File:糸でつながれた2物体 解法.svg|thumb|400px|糸でつながれた2物体 解法]] 運動方程式は、台車の式 と おもりの式 を、それぞれ別に、式を立てる。 まず、台車については、加速度の向きは、物体の動く右向きを正とする。 球については、鉛直下向きを正とする。 ひも が台車を引く力大きさを T とする。 台車の水平方向の運動方程式は :<math> Ma=T </math> 台車の鉛直方向の力の影響については、机からの垂直抗力で打ち消されるため、無視できる。また、滑らかな机を考えているので、摩擦の影響も無視できる。 おもりの鉛直方向の運動方程式は :<math> ma=mg-T </math> では、加速度 a を先に求めるとする。そのためには、式を連立して、張力 Tを消去すればよいので、おもりの式の T に Ma を代入すれば、 :<math> ma=mg-Ma </math> となる。 移項して加速度aについて、まとめて、 :<math> ma+Ma=(m+M)a=mg </math> よって、 :<math> a= \frac{mg}{m+M} </math> (答え) また、ひも が引く力の大きさ T (張力)は、先ほど求めた加速度の結果の式を、台車の式 <math> Ma=T </math> に代入すればよく、 代入すると、 :<math> T = M\frac{mg}{m+M} </math> となる。 よって、 :<math> T = \frac{mMg}{m+M} </math> (答え) である。 {{clear}} ==== 例題: アトウッドの器械 ==== [[File:アトウッドの器械.svg|thumb|300px|アトウッドの器械]] 右図のように、ひもの両端に、質量mと質量M( 仮定: 不等式 m<M が成り立つとする)のおもりを、滑車を介して、図のように釣り下げたとする。そして、手で、 おもり の両方を支えながら、静止させとするとする。 反動をつけず、ゆっくりと手を離したとする。 このときの加速度 a と、張力 T を求めよ。 *解法 右図での、左側のおもりの運動方程式は :ma=Tーmg である。 右図での、右側のおもりの運動方程式は、 :Ma=MgーT である。 加速度aおよび張力Tを求めるには、この運動方程式の2式を連立して解けばよい。 *答え :<math> a = \frac{M-m}{M+m} g</math> :<math> T = \frac{2Mm}{M+m} g</math> {{clear}} == さまざまな力 == === 摩擦力 === [[File:静止摩擦の初等力学.svg|thumb|400px|静止摩擦力と抗力<br />図の場合、押す力 f と静止摩擦力 F とは、つり合っている。また、重力 W と 垂直抗力 N とは、つり合っている。]] 摩擦力(まさつりょく、friction force)も、力の一種でありベクトルで表わされる。一般に、摩擦力には静止摩擦力と動摩擦力の2通りがあることが知られている。 ==== 静止摩擦力 ==== ===== 静止摩擦力 ===== 静止している物体を動かし始めるのに必要な力を'''静止摩擦力'''(せいしまさつりょく、static friction force)という。 水平な机の上に置いた物を、水平方向に動かそうとして水平方向に引いてみても、加える力が小さいうちは、動かない。 同様に、机の上に置いた物を水平方向に押してみても、やはり加える力が小さい内は、動かない。 これは、摩擦力(まさつりょく)が、机の面と平行な方向の動きをさまたげようとして、加えた力とは反対向きに、摩擦力が働いていて、つり合っているからである。 物体を引いて動かそうとして力を加えているときは、引く向きとは逆向きに、摩擦力が働く。 同様に、物体を押して動かそうとしているときは、押す向きとは逆向きに、摩擦力が働く。 このように静止している物体に対して働く力を'''静止摩擦力'''(static friction force)という。 静止している物体を動かすには、摩擦のため、力が余計に必要になる。 加える力が大きくしていくと、そのうち、加えた力の大きさが、摩擦力をこえて、動き始める。つまり、ある物体の静止摩擦力には、大きさに上限がある。 物体が動き出す直前の摩擦力を'''最大摩擦力'''(さいだい まさつりょく、maximum functional force)という。静止摩擦力を F として、最大摩擦力を F<sub>0</sub> とすれば、これらの関係を式で表わすと、 :<math>F \leqq \mu _0 N</math> となる。 最大摩擦力 F<sub>0</sub> の大きさは、物体と面とが、互いに垂直に押しあう力、つまり垂直抗力(すいちょく こうりょく) の大きさに比例する。垂直抗力の記号は N で書くのが普通である。 最大摩擦 F<sub>0</sub> と垂直抗力 N の関係を式で書くと、 :<math>F_0 = \mu _0 N</math> となる。 <math>\mu</math>は比例係数であり、定数であり、'''静止摩擦係数'''(せいしまさつけいすう、coefficient of static friction)と言う。 静止摩擦係数は物質ごとに決まる定数であり、実験によると、物質と面のそれぞれの材質によって決まり、接触面積にはあまり関係しない。 摩擦係数は、例えばゴムでは非常に大きい。靴の滑り止めなどにゴム製の素材が使われる理由の一つは、このような理由である。また、スケートリンクの氷の上で物体を滑らせると、滑らせた物体が静止すること無くいつまでも滑り続けている様子が観察される。これは、氷は摩擦係数が小さいからである。 物体が載っている床に物体が沈まないためには、床が物体を押し返す必要があるので、このような床からの反発力を考える必要がある。 このような床から物体に掛かる力は、床からの'''抗力'''(こうりょく、reaction)と呼ばれる。床の面の接線方向に対して、抗力の方向が垂直なので、'''垂直抗力'''(すいちょく こうりょく)とよばれる。 ===== 摩擦角 ===== [[File:摩擦角の模式図.svg|thumb|400px|摩擦角]] ある板に物体を乗せ、この板ごと傾けると、ある傾きをこえた段階で、物体が滑り始める。このときの角度を'''摩擦角'''(まさつかく、friction angle)という。この摩擦角の大きさ <math>\theta</math> は、物体の重力 mg の、板と平行方向の分力 <math>mg \sin \theta </math> が、最大摩擦力 μN (=μmg cos''θ'' )を越えたときの角度である。 なお、物体の質量を m とした。また、静止摩擦係数を <math>\mu</math> とした。 なぜ、摩擦角の大きさがこうなるかというと、まず、物体は重力を受けて、鉛直下方向に mg の力を受ける。 このうち、この力は斜面方向に :<math>mg\sin \theta</math> であり、面に対して垂直な方向に :<math>mg \cos \theta</math> の大きさを持っている。このとき静止摩擦力の最大値は :<math>F = \mu N = \mu mg \cos \theta</math> となるので、斜面方向に働く重力 <math>mg\sin \theta</math> が、摩擦力 <math>= \mu mg \cos \theta</math> よりも大きいとき、この物体は動きだすことになる。 よって、このような <math>\theta</math> の条件は、 :<math>\sin \theta \ge \mu \cos \theta</math> よって :<math>\tan \theta \ge \mu</math> となる。 なお、「tan」とは三角関数のタンジェントであり、<math>\tan \theta = \frac{\sin \theta}{\cos \theta}</math> で定義される。 このように、摩擦角の大きさは質量によらない。 ==== 動摩擦力 ==== [[File:動摩擦の模式図.svg|thumb|400px|動摩擦]] あらい面の上を滑っている物体にも、摩擦力が掛かるので、外部から力を加えないでいると、やがて止まってしまう。このように、すべっている物体にかかる摩擦力を '''動摩擦力'''(どうまさつりょく、kinetic friction force) と呼ぶ。 動摩擦力の大きさ <math>F '</math> は、垂直抗力(N)に比例する。 :<math>F_0 = \mu ' N</math> この係数 <math>\mu '</math> を '''動摩擦係数'''(coefficient of kinetic friction) という。 <math>\mu '</math>は、おもに材質によって決まり、物体の滑る速度には、ほとんど依存しない。また、<math>\mu '</math>は、物体の接触面積には、ほとんど依存しない。 一般に、動摩擦係数の大きさは、静止摩擦係数よりも小さい。すなわち、 :<math>\mu ' < \mu _0 </math> である。 [[File:引っ張る動摩擦.svg|thumb|left|400px|引く力の大きさによらず、動摩擦の大きさは一定である。]] {{-}} [[File:引く力と動摩擦.svg|thumb|right|400px|物体を引く力と、摩擦力との関係]] あらい水平面上で、物体に糸をつけて、水平方向に引くする。引く力を大きくしていくと、引く力の大きさと、摩擦力の大きさの関係は、右の図のようになる。 {{-}} *参考: 転がり摩擦 (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい) 先ほどの節で学んだ、面上を滑る場合の摩擦力は、滑り摩擦(すべり まさつ)という種類の摩擦である。 一方、小球が転がったり、円筒が転がったりする場合の摩擦を、転がり摩擦(ころがり まさつ)という。(転がり摩擦も、検定教科書の範囲) <gallery widths=150px heights=150px> File:Ball bearing.jpg|ベアリング。玉軸受(たまじくうけ)。 ファイル:Angular-contact-ball-bearing single-row din628 type-b 120.png|玉軸受の断面 ファイル:Cylindrical-roller-bearing din5412-t1 type-n ex.png|ベアリング。ころ軸受(ころじくうけ)。 </gallery> 転がり摩擦力は、滑り摩擦力よりも、小さい。車輪やベアリング(軸受け)は、この転がり摩擦の原理を利用したものである。「軸受け」は「じくうけ」と読む。 高校の理科や、大学入試の理科では、転がり摩擦については、あまり扱わないので、普通科高校の読者はあまり転がり摩擦に深入りしないこと。 機械部品に使われているベアリングの場合、物体間に潤滑油(じゅんかつゆ)や、粘性(ねんせい)の高い油性のグリスを加えてあり、滑りやすくしているのが普通である。(※ 普通科高校の理科では範囲外だろう。普通科の生徒は、この文を気にしなくて良いだろう。) {{-}} *参考: ハイドロ プレーニング (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい) [[File:hydroplaning.svg|thumb|250px|left|ハイドロプレーニングが発生している状態の概念図]] [[Image:Tire tread.jpg|thumb|right|250px|タイヤの溝]] 物体間に水や油などの液体があると、滑りやすくなる。雨の日の濡れた路面では、滑りやすくなる。人間も、雨の日の道路で滑りやすくなるが、自動車や自転車なども滑りやすくなる。 また、滑るため、ブレーキが効かなくなり、この現象をハイドロ プレーニング()といい、とても危険である。 タイヤに溝があるのは、水を排出しやすくして、滑りにくくするためである。だが、それでも晴れの日の乾いた地面と比べれば、雨の日は滑りやすい。また、高速で走行すると排出が追い付かず、ハイドロプレーニングが起きやすくなる。なので、雨の日は、ゆっくり目に、車間距離を多めにして、安全に運転する必要がある。 {{-}} * その他、自動車関連の摩擦の話題 (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい) 市販の資料集を読むと、この他にも、自動車のブレーキと摩擦の関係、レーシングカーと垂直抗力の関係、自動車のABSの仕組みなど、いろいろな話題が書いてあったりする。(たとえば数研出版の資料集など) だが、始めて摩擦を習う諸君の場合、当面は、そこまで深入りしなくても良いだろう。実際に検定教科書や、多くの参考書でも、そこまでは説明されていないのが普通である。物理学的には、応用として興味深い話題だが、いかんせん読者の高校生には物理に使える学習時間が限られている。他の教科も勉強しなければならない。 === 液体や気体に関する力 === ==== 圧力 ==== [[File:Pressure schematic.svg|thumb|300px|圧力の説明図。スポンジの上にある おもり 。 <br />同じ重さの おもり でも、スポンジと接する部分の面積によって、めりこむ深さが違う。狭い面積で接するほど、その面積に重さの力が集中し、スポンジに深く、めりこむ。]] '''圧力'''(あつりょく、pressure)とは、単位面積あたりに(たとえば 1m<sup>2</sup> あたりに)垂直に押す力の大きさである。体の一部分を指で押した場合と、とがった針のようなもので押した場合とでは、同じ力で押したとしても結果に違いが出る。前者では皮膚がへこむ程度で済むが、後者では皮膚が破れてしまうこともある。これは、後者の方が皮膚に働く圧力が強いことによる。 圧力は単位面積当たりに働く力のことであり、働く面積が小さいときには単位面積当たりに働く力は強くなる。そのため、鋭くとがった針に力をかけたときには、皮膚に対して強い圧力がかかったのである。 圧力の単位はN/m<sup>2</sup>(ニュートン毎平方メートル)である。これは、力の単位を(たとえば N ニュートン)、面積の単位で(たとえば m<sup>2</sup> で)割ったもので与えられる。このはN/m<sup>2</sup>の単位は、'''Pa'''('''パスカル''')と略される。「Pa」の 頭文字 P は、大文字で書くのが普通である。 [[File:山頂と海面の気圧.svg|thumb|500px|山頂と海面の気圧]] 大気中にある物質は、大気から圧力を受けている。この大気による圧力を'''大気圧'''(たいきあつ、atmospheric pressure)という。 大気にかぎらず、気体は、接する物質に圧力をおよぼす。気体による圧力を'''気圧'''(きあつ)という。 水中にある物質は、まわりの水から圧力を受けており、この水による圧力を'''水圧'''(すいあつ、fluid pressure)という。 この大気圧や水圧のように、液体や気体の中にある物質は、まわりにある液体または気体からの圧力を受ける。 液体や気体は、流れることができるので、液体と気体をまとめて'''流体'''(りゅうたい、fluid)ということもある。 *備考 大気圧について、1.013×10<sup>5</sup>Pa を、 1atmという。atmは「アトム」と読む。 また、ヘクトパスカル(hPa)を用いれば、 1.013×10<sup>5</sup>Pa = 1013hPa である。 hは10<sup>2</sup>を表す接頭辞(せっとうじ)である。 我々の住む地表は大気の海の海底にあると解釈することが出来て、我々自身も大気自身から強い圧力を受けている。このような圧力に耐えるため、我々の体は内側から大気圧とちょうど同じ程度の圧力になるように、大気圧を押し返している。このことによって大気圧に耐えることが出来ているのである。 このことはしかし、急激に回りの大気の圧力が下がったときに身体に変調をきたすことに通じてもいる。例としては、人間は生身で宇宙空間に出ることが出来ないことがあげられる。宇宙空間には酸素が無いことからヘルメットのようなものをつけて酸素を供給することが必要な事は確かである。しかし、宇宙空間のように極端に圧力が低いところでは、人間は、体に異常を感じると考えられる。そのため、全身を宇宙服でくまなく覆い身体の回りの圧力を地上での圧力と同じ程度に保つことが求められるのである。 ==== 水圧と浮力 ==== ===== 水圧 ===== [[File:Pressure distribution on an immersed cube.png|thumb|400px|水圧の説明図。水深が深くなるほど、比例して水圧が強くなる。水圧の方向は、物体の面に垂直方向に働く。]] 物体を水に沈めると、物体は水によって全体に圧力を受ける。このように水の中にある物体にかかる圧力を、'''水圧'''(fluid pressure)と呼ぶ。水圧は水の深さだけによって決まる性質があり、方向によらない。したがって、同じ深さでは、水圧の大きさは、どの方向でも同じである。また、水圧の大きさは、水の深さに比例する。 そして、水圧の力の大きさの値は、その上にある流体の重さによって決まる。その圧力の値は、流体の重さの作る力を、圧のかかる面積で割った値である。 水圧 p[Pa]の式は、つぎの式になる。 :<math>p = \rho g h</math> なお、水圧を与える液体の密度を <math>\rho</math>[kg/m<sup>3</sup>] として、液体が存在する地点での重力加速度を <math>g</math> とした。 なぜこうなるかというと、深さ h[m] での力をF[N]とすると、 :<math>p=\frac{F}{S} = \frac{ \rho g h S}{S} = \rho g h</math> (圧力の値は、流体の重さの作る力を、圧のかかる面積で割った値である。) 大気圧を考慮すると、大気圧をP0[Pa]とすれば、水圧p[Pa]は :<math>p = \rho g h + p_0</math> である。 *例 深海探査を行う船は、外壁に使う金属間の継ぎ目に大きな圧力がかかるため、その圧力に堪えられるだけの強度を持った細工をしないと、継ぎ目が砕けて船全体が水に浸かってしまう。 *例 空気圧も空気の深さだけによっている。そのため、高い山に登ることによって空気圧が低くなった情况を見ることが出来る。空気圧が低くなったことの代表的な現象として、袋詰めになっている食糧などがふくらんでしまうことがあげられる。これは、回りの空気圧が下がったのに対して、袋詰めになっているものの中の圧力は変化することが出来ないので、相対的に袋の中の圧力が外の圧力より高くなったことによる。また、高山では湯を沸かしたとき沸騰の温度が 100 <math>{}^\circ C</math> よりも低くなる現象も、空気圧が低くなっていることによる現象である。これは、物質の沸点がまわりの物質の圧力に依存していることによる。 ===== 浮力 ===== [[File:浮力の式の求め方.svg|thumb|400px|浮力の式の求め方]] 水に軽い物体を沈めると、その物体はどこからか力を受けて水から浮き上がって来る。この力を'''浮力'''(ふりょく)と言う。 浮力は、物体の鉛直方向の上下面が液体から受ける、上向きの力と、下向きの力との差によって生じている。 水に浮かぶ物体が静止するときは、物体の重さと、浮力とが、釣り合っているときである。 [[Image:Principio di Archimede galleggiamento.png|thumb|水に浮かぶ物体は、物体の重さと浮力とが釣り合うときに、物体は静止する。<br>また、浮力の大きさは、水面から下で物体が排除した重さによる力の大きさに等しい。]] 液体中で静止している物体について、浮力の大きさの値は、水面から下にある物体体積が排除した重さによる力の大きさに等しい。これを'''アルキメデスの原理'''という。 よって、体積 V[m<sup>3</sup>] の物体にかかる、浮力 F[N] の大きさは :<math>F = \rho V g </math> である。 *証明 右図のような円柱状の物体が水中にあるとしよう。 そもそも、浮力の力は、物体の上下面の受ける、水圧による力(ちから)の差によるものである。 まず、水圧を求める必要があるので、上面および下面での水圧をそれぞれ求める。 大気圧を p0[Pa] とすれば、上面に掛かる水圧 p1[Pa]は、 :<math>p_1 = \rho g h_1 + p_0</math> 下面に掛かる水圧 p2[Pa]は :<math>p_2 = \rho g h_2 = \rho g (h_1 + h) + p_0</math> である。 水圧により、上面に掛かる力 F1[N] は、 :<math>F_1 = p_1 S = \rho g h_1 S + p_0 S</math> である。 水圧により、下面に掛かる水圧 F2[N] は :<math>F_2 = p_2 S = \rho g h_2 S = \rho g (h_1 + h) S + p_0 S</math> である。 F1 と F2 は逆向きであり、F2 のほうが深い場所(h2 = h + h1 ) にあるので F1 よりも大きい。つまり、F1 > F2 である。 なので、差し引き、<math>F_2 - F_1</math> が、浮力として働く。 浮力を計算すると、 :<math>F_1 - F_2 = \{ \rho g h_1 S + p_0 S \} - \{ \rho g (h_1 + h) S + p_0 S \} = \rho g h S </math> である。 よって、これまでの結果をまとめると、浮力 <math>F_2 - F_1</math> は :<math>F_1 - F_2 = \rho g S h </math> さて、体積 V は、 :<math>V=Sh </math> である。これを浮力の式に代入して、 :<math>F_1 - F_2 = \rho g S h = \rho g V </math> よって、物体にかかる浮力は、物体の体積に比例する。また、浮力が、液体の密度にも比例する。 これらの比例関係を合わせると、物体が受ける浮力は、物体が押しのけた液体の質量に比例することになる。 このとき、立方体に水圧によってかかる力は、物体の上の面より下の面の方がより深い位置にあることから、物体には上向きの力が働くことが予想される。このため、物体には上向きの力が働きこの力がちょうど浮力に対応するものになるのである。また、今のことから浮力は、物体の高さに比例する。また、圧力に圧力を受ける面の面積をかけたものが力によって生じる力になるので、浮力自身は物体が圧力を受ける面の面積にも比例する。さらに、より正確には物体にかかる浮力は物体が沈められている液体の密度にも比例することが知られている。そのため、これらを合わせると、物体が受ける浮力は物体が押しのけた液体の質量に比例することが分かるのである。 ==== パスカルの原理 ==== [[File:Hydraulic Force svk.png|thumb|200px|ピストンの面積を変えると増力するのにつかうことができる。]] :(※ 未記述) {{-}} 1yaj3kbgyyh9s1gt0yvyl38byr12nl9 ペルシア語/アルファベット/و 0 21217 206393 188981 2022-08-10T02:53:10Z CommonsDelinker 786 「WPS.gif」 を 「Weighted,_wide-grip_pullup_video.gif」 に差し替え([[commons:User:CommonsDelinker|CommonsDelinker]]による。理由:[[:c:COM:FR|File renamed]]: [[:c:COM:FR#FR2|Criterion 2]]) wikitext text/x-wiki [[ファイル:30-vāv.ogg]] <div style="text-align: center;"> <span style="color: blue"><font size="20">'''و'''</font></span> </div> [[ファイル:Weighted, wide-grip pullup video.gif|190px|thumb|left|体育、運動、スポーツ:varzesh:<span style="color: blue; font-size:x-large;">'''وَرزِش'''</span>]] {| class="wikitable" |- ! 長母音 ! 短母音 ! 文字の名称 |- |<span style="font-size:xx-large;"> وا - وو - وی </span>|| <span style="font-size:xx-large;"> وَ -وِ - وُ</span>||<span style="color:red; font-size:x-large;">و</span> |- |<span style="color:blue; font-size:xx-large;">vī – vū – vā </span> ||<span style="color:blue; font-size:xx-large;">vo – ve – va </span>||<span style="color:red; font-size:x-large;">vāv</span> |} {| class="wikitable" style="font-family: Segoe UI, tahoma" |- ! 語尾形 ! 語中形 ! 語頭形 ! 文字の名称 |- |[[ファイル:mū.ogg]] <span style="color: blue; font-size:large;">'''مو'''</span> 髪の毛:mū: |[[ファイル:chetour.ogg]]<span style="color: blue; font-size:large;">[[W:二重母音|二重母音]]'''چِطور'''</span> いかがですか:chetour: [[ファイル:Khoshvaqt-am.ogg]]<span style="color: blue; font-size:large;">特別の発音'''خُوشوَقتَم'''</span> (私は)うれしい、幸運です:khoshvaqt-am: [[ファイル:khahar.ogg]]<span style="color: blue; font-size:large;">خواの特別の発音 '''خواهَر'''</span> 姉妹:khahar: | [[ファイル:vakīl.ogg]]<span style="color: blue; font-size:large;">'''وَکیل'''</span> 弁護士、代理人:vakīl: |<span style="color: red"> vāv (واو)</span> |} <gallery> و.svg| Lettre 27 wâw.gif| </gallery> {{ペルシア語/アルファベット}} == 外部リンク == *[https://www.youtube.com/watch?v=xwS8LOhmLdI&list=PL5hKR-SZGnxZHUzVvGhZUXhh6n5oNiFPq youtubeの動画を見てください。] *[https://www.youtube.com/watch?v=JbS-I1I6c0k youtube からペルシア語のアルファベット] [[Category:ペルシア語/アルファベット]] 3bpdee2kagt6vqln6ugdh2ut2xl3620 高等学校化学I/発展項目 0 21824 206402 145220 2022-08-10T09:05:12Z Ef3 694 /* 電子雲 */ 誤字 wikitext text/x-wiki == 参考: ナノメートルの測定の歴史 == :(※ 高校範囲外) そもそも、ナノメートルなどの長さの測定方法は、どういうものだろうか。この節では、その歴史を話す。物理Iの回折格子(かいせつ こうし)などの知識が必要である。 ドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが、回折格子(かいせつ こうし)を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。1821年にフラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref> また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。 より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref> なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、現在では、もはやメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在は、光を用いた測定器が長さの標準に用いられている。現代の長さの標準器の仕組みは、とても複雑であるので、説明を省略する。 :※ 高校の段階では、光の波長の測定方法は、すでに与えらているとして、気にしなくてよい。 近年の精密なアボガドロ定数の測定のさい、シリコン球の密度を測る必要があるが、そのさい、シリコン球の大きさの長さ(単位:メートル)を測る必要があり、そのシリコン球の大きさの測定精度をナノメートル精度で測る必要がある。そのさい、このような原理を応用したレーザー干渉計(レーザーかんしょうけい)が用いられている。 == 電子雲 == [[File:Electron orbitals.svg|thumb|right|360px|電子の、さまざまな軌道のパターン]] :(※ 電子雲そのものについては、検定教科書でも発展項目として扱われ、高校の範囲内。) 電子雲の形も、方向に、さまざまなパターンがある。市販の参考書や資料集などを見ても、s軌道とかp軌道とか、なんだか色々と掛かれている。物理っぽく言うと、これは、じつは、3次元の「振動」(しんどう)のパターンなのだ。 高校の物理で習う弦の振動は、1次元の波である。高校の原子物理で習う物質波の波も、円周として扱うので、1次元として扱える。 2次元の振動とは、太鼓の膜の振動のようなパターンである。膜は2次元なので、振動波形は360°ぶん1回転すると、波形が元に戻るという周期的な条件を持っている。 :(※ ウィキペディアに「膜振動」の画像が無いので、外部のサイトで画像を探して見てきてください。) 2次元の振動には、このような周期的な条件があるため、さまざまなパターンの波形がある。 電子雲の振動パターンに限らず、実は、肉眼で見られる太鼓の膜のような2次元の振動でも、さまざまな振動パターンがある。 [[File:Drum vibration mode12.gif|right|thumb|248px|周囲を固定した膜の振動の例。2次元の振動の例である。]] 高校の物理では、水面の波で、二次元の波をあつかうことは、あるかもしれない。 しかし高校物理で、二次元の「振動」(「波動」ではなく)をあつかうことは、まず無いはずだ。 そして、3次元の振動の具体例が、原子の周囲での電子の軌道なのだ。そして、その電子の振動のありかたを示す方程式が、理系の大学などで習うシュレーディンガーの方程式である。 1次元の弦では、固定端の弦では、端部は固定され、弦は束縛されていた。2次元の膜でも、太鼓の膜のように、膜の端は固定されて、膜は束縛されている。3次元の電子雲では、原子核の陽子による静電気力などの束縛が、固定端の代わりをして、電子雲を束縛する。 電気には、電気エネルギーというエネルギーがあった。ところで、電気は、電子雲というように、振動でもある。 そもそも弦の振動にも、当然ながらエネルギーは存在する。エネルギーとは、他のものを動かせる能力のことである。ギターの弦をかなでると音がするのも、弦の振動にはエネルギーがあって、その弦の振動が空気をふるわせるからである。 弦だって、運動している。ギターの弦などで、音をかなでれば、振動して動いている弦が目に見える。 振動だって、運動の一種である。しかし、弦の振動のもつ運動エネルギーの計算は、高校物理では扱わない。 高校生は、まだ2次元以上の「振動」を扱えるための数学を習ってない。大学で、そのような数学を習うことになる。そのような2次元以上の振動を扱える数学とは、偏微分・重積分や、直交座標から円柱座標・球座標への座標系への変換と、座標系を変換したときの物理学の微分方程式の変換、ついでに、そのように微分方程式を座標変換して導かれるベッセル関数やルシャンドル関数などといった数学である。 [[File:Japanese_top.jpg|260px|thumb|日本の独楽]] そして高校生は、物理の学力も、これからも鍛えつづける必要がある。高校の物理では、コマの回転運動は、あつかえない。コマとは、民芸品の、あのコマである。 コマを回すと、手をはなしても、しばらく回りつづける。手元にコマがなければ、コインを回すなどして、代用しても良いだろう。 さて、このコマの回転のような実験事実があり、コマのように広く知られた民芸品になっていても、高校物理では、回転運動の保存法則は、あつかえない。 ちなみに、このような、回転運動の保存法則を、「角運動量保存の法則」(かくうんどうりょう ほぞん の ほうそく)という。当然、角運動量(かくうんどうりょう)という物理量も、存在している。 電子雲などのように、3次元の振動・波動では、角運動量の計算をおこなう必要がある。 そもそも、高校で習う波にも、たとえば水面波のような波にも、じつは運動量はある。くわしめの、大学受験用の物理参考書などを何冊か読み込めば、ふつうの波の運動量の計算についても書いてあるかもしれない。 このように、ふつうの波や振動にも、エネルギーや運動量があるのだから、当然、電子雲にも、エネルギーや運動量がある。 化学の仕事をめざす高校生は、高校物理も身につけるの必要がある。このように化学は、物理学とも密接に関わっている。化学であつかう物理は、けっして電気や原子や熱の分野だけではない。力学も、大学の化学では使うのだ。だから、けっして「力学は化学とは無関係」などとは勘違いしないようにいよう。 2n9u47kvsmcsmr5jgiyok5598l9qs2u Python/基本事項 0 23149 206389 205093 2022-08-09T22:33:30Z Ef3 694 /* 開発環境 */ Bumpup Python 3.10.6 wikitext text/x-wiki {{Nav}} == 開発環境 == [[File:Fedora teminal.png|thumb|500px|「端末」を開いた場合のGNU/Linuxの画面 (Fedora 29)]] Python(パイソン)の処理系はUnix(ユニックス)、GNU/Linux(グニュー リナックス)のディストリビューションやmacOS(マックオーエス)には最初から付属していますが、他のオペレーティングシステムには、Pythonの処理系が最初はインストールされていない場合があります。 GNU/Linuxのデスクトップ環境の場合、コマンド端末を起動して、コマンド端末の内部でコマンド「python」を実行すると、次のように「コマンドライン インタプリタ」 が起動します。(コマンド端末の起動と終了のしかたについては、[[#参考: GNU/Linuxのコマンド端末の起動と終了のしかた|後述します]])。 : <syntaxhighlight lang="shell"> % python3 Python 3.10.6 (main, Aug 10 2022, 06:56:30) [Clang 15.0.0 ] on linux Type "help", "copyright", "credits" or "license" for more information. >>> </syntaxhighlight> 「>>> 」のあとに、キーボードによって文字を入力をします。「>>> 」をプロンプトといいます。 なお、pythonのこのような入力モードを、「インタラクティブ モード」といいます。 インタラクティブ モードを終了したい場合は、コマンド「exit()」を実行します。 === WindowsでのPythonのプログラミング === Windowsの場合、2通りのPythonのプログラミングの方法があります。 # Visual Studio にPythonサポート機能をインストールする<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/visualstudio/python/installing-python-support-in-visual-studio?view=vs-2022 Windows に Visual Studio の Python サポートをインストールする方法]</ref>。 # Miocrosoft Store からPythonのWindows版をインストールする。 #: この場合Visual Studioは必要ありません。 本書では、後者についての説明をします。 == pythonの実行方法 == Pythonプログラムの実行方法は、大きく分けると2種類あり、 # コマンド端末で<code>python3</code>または<code>python</code>とだけ入力してインタラクティブ モードになり、直接的にプログラムを1行ずつ入力する # あらかじめテキスト エディターでPythonプログラムを書いたソースファイルを作成しておき、そのファイルをコマンド <code>python ファイル名</code>で実行する という、2種類の実行方法があります。 なお、Windowsでは、Windowsでテキスト エディターにあるプログラムを「python3」コマンドなどで起動する場合、コマンド プロンプトあるいはWindows Terminalから起動します(python付属のコマンド端末ではありません)。 では、Pythonによるメッセージ表示を、それぞれの方法で、見ていきましょう。 === コマンド端末で直接的にプログラムを入力する実行方法 === (これはインタラクティブ モードです。) pythonインタプリタで、「ようこそ」とメッセージ表示をしたい場合は、次のようにコマンドを入力します。 >>> print("ようこそ") すると、 ようこそ のように、コマンド端末内に文字が表示されます。 * 文法の解説 文字列の出力は<code>print()</code>を使います。「()」の中に、出力したい文字列が入ります。 Python 2までは<code>print</code>は文でしたが、Python 3以降は組込み関数となったため、かっこが必須となります。 === テキスト エディターでPythonプログラムファイルを作成しておく方法 === いっぽう、pythonは、拡張子「.py」のファイル(たとえばファイル名「hello.py」など)を実行するという方法でも、プログラムを実行できます。 そのため、あらかじめ、テキスト エディターに、コードを記述して保存しておく必要があります。 けっして、Wordなどのワープロソフトには、保存しないでください。ワープロソフトに保存してしまうと、たとえ、あとで拡張子を「py」に書換えても、プログラムが動作しなかったり、あるいはプログラムの内容が変わってしまう場合があります。 なので、ワープロソフトではなく、かならず、テキスト エディターに、コードを保存する必要があります。 さて、プログラム実行の前に、まず、テキスト エディターを開きましょう。 : <syntaxhighlight lang="text"> # 「ようこそ」 と出力 print("ようこそ") </syntaxhighlight> というコードを入力しましょう。 そして、入力したコードを、ファイル名「hello.py」で保存しましょう。べつにファイル名は、拡張子がpyであれば、「sample.py」や 「test.py」でも良いのですが、とりあえず本書では、さきほどのコードのファイル名は「hello.py」とします。 すると、テキスト エディターの種類によっては、プログラム文である事を認識し、 : <syntaxhighlight lang="python"> # 「ようこそ」 と出力 print("ようこそ") </syntaxhighlight> のように、色がつく場合もあります。色のつかない種類のテキスト エディターもあるので、あまり気にしなくても構いません。 そして、コマンド端末で、 : <syntaxhighlight lang="console"> python3 hello.py </syntaxhighlight> と入力することで、実行できます。拡張子に「.py」をつけるのを忘れないでください。拡張子「.py」がないと、エラーになり、プログラムを実行できません。 とにかく、上記のコマンド(python3 hello.py)を実行して、コマンド端末画面に : <syntaxhighlight lang="console"> ようこそ </syntaxhighlight> と表示されれば成功です。 === 実行方法のまとめ === このように、pythonのプログラムの実行方法には2種類あり、 * コマンドラインに直接的に入力するという実行方法、 * あらかじめテキスト エディターでPythonプログラムを書いたソースファイルを作成しておき、そのファイルを実行するという実行方法、 という、2種類の実行方法があります。 そして、どちらの実行方法の場合でも、ほとんどのコマンドは共通です。 == ソースコードだけを書換えてみる == では、さきほどの「ようこそ」と表示するプログラムを実行してメッセージ表示させた直後に、 ソースコードだけを書換えてみると、どうなるのでしょうか。 さきほどの「ようこそ」と表示するプログラムを実行してメッセージ表示させた直後に、ソースコードのファイル「hello.py」に : <syntaxhighlight lang="python"> # 「12345ようこそ」 と出力 print("12345ようこそ") </syntaxhighlight> と入力して、さきほどのソースコードのファイル「hello.py」に上書き保存したら、どうなるでしょうか? 「hello.py」で保存した直後に、 コマンド端末で : <syntaxhighlight lang="console"> python3 hello.py </syntaxhighlight> を実行すると、「12345ようこそ」と表示されます。 つまり、pythonでは、コマンド <code>python3 hello.py</code>を実行するたびに、ソースコード(この場合は「hello.py」がソースコード)を解釈しなおします。 「pythonがインタプリタである」という事は、上記の例のように、「プログラムの実行開始時に、ソースコードをもとに、毎回、コードを解釈しなおす」という意味です。 == 数値の計算 == pythonでは、数値の四則演算(足し算、引き算、かけ算、割り算)ができます。 足し算には記号「+」を使用します。引き算には記号「-」を使用します。かけ算には記号「*」(アスタリスク)を使用します。割り算には記号「/」(スラッシュ)を使用します。 では、インタラクティブ モード(コマンド端末で1行ずつプログラムを入れるモード)で、計算をためしてみましょう。 コマンド端末で「python3」とだけ入力して実行すると、インタラクティブ モードになります。 では、計算をためしてみましょう。 >>> 2+3 5 >>> 2 + 3 5 なお、演算記号の前後に、スペースを入れても、かまいません。演算記号の前後にスペースを入れると、見やすくすることができます。 >>> 6+7 13 小数点の計算も行えます。 >>> 30.6 + 7.1 37.7 >>> 5-4 1 >>> 23.88 - 7.5 16.38 負数の計算もできます。 >>> 2-15 -13 >>> 2*4 8 >>> 4/2 2.0 >>> 4/3 1.3333333333333333 インタラクティブ モードを終了するには、「exit()」を入力します。 exit() % pythonで整数と小数を足したり引いたりすると、自動的に、小数に調節したりします。 2 + 1.1 3.1 割り算の商だけを求めたい場合、「//」を使います。 7//3 2 算数では「7÷3=2あまり1」なので、上記のような計算結果になります。 割り算の「あまり」を求めたい場合は、「%」を使います。 >>> 7 % 3 1 指数(べき乗)は「**」です。「^」ではありません。 >>> 2**3 8 数学では、「2×2×2=8」なので、上記のような計算結果になります。 == 3項以上の計算 == 3項以上の数の計算もできますが、計算の順序は、数学と同様に、足し算と引き算の順番よりも、かけ算および割り算の順番が、優先されます。 >>> 1+2*4 9 上の計算の場合、さきにかけ算を「2*4」(=8)を行い、それに1をたすので、答えは「9」になります。 足し算や引き算を先に行いたい場合は、カッコ「()」を使います。数学と同じように、先に計算させたい部分を、カッコ「()」で囲みます。 >>> (1+2)*4 12 1+2=3を先に行い、それに4をかけるので、答えは12になります。 == 参考: GNU/Linuxのコマンド端末の起動と終了のしかた == まず、GNU/Linuxの場合、ディストリビューションに何個もの種類があります。そのディストリビューションの種類により、中に入っているコマンド端末の名前が異なります。 しかし、たいてい、最近のディストリビューションには、アプリケーション検索のための画面が用意されているので、そこに「command」とか「コマンド」とか「terminal」(※ 「端末」という意味)とかを入力すれば、そのディストリビューションに入っているコマンド端末アプリが発見されるので、ディストリビューションの指示にしたがって、そのコマンド端末アプリを起動すればいいです。 「command」と最後まで入力しなくても、「comm」とか「コマ」あたりまで入力した時点で、目的のコマンド端末アプリが発見されることが多いです。このような機能をインクリメンタル サーチといいます。 また、ほとんどのディストリビューションには、コマンド端末が、最初からインストールされているので、わざわざ追加インストールしなくてもいいです。もし試してみて追加インストールを要求される場合、アプリケーションを間違えている場合があります。 たとえば、GNU/Linuxディストリビューションの一種「Fedora」を使っている場合なら、最初からコマンド端末がインストールされていて、「端末」というアプリケーション名のアプリが、コマンド端末アプリケーションです。 コマンド端末の起動方法は、普通のアプリケーションの起動と同じであり、アイコンをダブルクリックすればいいです。 なお、GNU/Linuxのコマンド端末を終了する場合は、右上(もしくは左上)にある「×」マークをクリックすることで、アプリケーションを終了できます。このほか、コマンド端末中に、「exit」と入力しても、コマンド端末を終了できます。 まちがって「exit()」(まちがい!)と入力してしまうと、そういう名前の特別な別コマンドだと解釈されてしまい、文字を追加入力する画面になってしまう。その場合、「aaaaaaa」などの無意味な文字を入力して終了させるか、アプリ右上の「×」バッテン印をクリックして終了させましょう。 == 「Hello, world!」と表示させよう == 「Hello, world」と表示させるプログラムが、世界のいろいろな国でいろいろなプログラミング言語の入門書で例文としてよく使われます。 pythonで「Hello, world!」を表示させる場合は次のようなプログラムになります。 ;hello.py:<syntaxhighlight lang=python3> print("Hello, world!") </syntaxhighlight> == 脚註 == <references /> tivonh6tl5t4cgydnoqp9rt0nzkiq81 高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡 0 25117 206379 133883 2022-08-09T14:13:10Z 椎楽 32225 椎楽 がページ「[[高等学校日本史B/後醍醐天皇と建武の新政]]」を「[[高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡]]」に移動しました: 建武の新政の話無しのため。実際、建武の新政の話は別ページの方が望ましいか。 wikitext text/x-wiki 後嵯峨法皇(ごさがほうおう)の死去後、朝廷は後深草上皇(ごふかくさじょうこう)系の皇統'''持明院統'''(じみょういんとう)と亀山天皇(かめやまてんのう)系の皇統'''大覚寺統'''(だいかくじとう)に分かれて皇位継承や院政権、皇室荘園領の相続などをめぐって対立した。両統とも鎌倉幕府に働きかけて対立を制しようとしたため、幕府は度々調停し、両統が交代して皇位を継承する'''両統迭立'''(りょうとうてつりつ)を提案した。 大覚寺統から即位した'''後醍醐天皇'''(ごだいごてんのう)は親政を敷いた。天皇はかねてから両統迭立を支持する幕府に不満を抱いていた。この頃幕府は執権北条高時(ほうじょうたかとき)が政治を内管領の長崎高資(ながさきたかすけ)に任せ、高資が権勢をふるっており、御家人らの不満が高まっていた。 41ef0amvqw0qvdpz600803hd53hehj5 206382 206379 2022-08-09T14:41:14Z 椎楽 32225 章立てと一部加筆 wikitext text/x-wiki {{Nav}} == 両統迭立 == 後嵯峨法皇(ごさがほうおう)の死去後、朝廷は後深草上皇(ごふかくさじょうこう)系の皇統'''持明院統'''(じみょういんとう)と亀山天皇(かめやまてんのう)系の皇統'''大覚寺統'''(だいかくじとう)に分かれて皇位継承や院政権、皇室荘園領の相続などをめぐって対立した。両統とも鎌倉幕府に働きかけて対立を制しようとしたため、幕府は度々調停し、両統が交代して皇位を継承する'''両統迭立'''(りょうとうてつりつ)を提案した。 大覚寺統から即位した'''後醍醐天皇'''(ごだいごてんのう)は親政を敷いた。天皇はかねてから両統迭立を支持する幕府に不満を抱いていた。 == 御内人の専横 == この頃、若くして死去する得宗が相次ぎ<ref>7代時宗は32歳、8代時貞は39歳で没した。</ref>、若年で得宗になる者も多くなった。そのため、得宗被官にすぎなかった御内人が幕府政務の処理にも大きくかかわるようになる。また、得宗家以外の北条一族の発言力も大きくなり、得宗の地位は形骸化しつつあった。 9代目得宗(14代執権)の北条高時(ほうじょうたかとき)の頃には、政治を内管領の長崎高資(たかすけ)とその父・長崎高綱(円喜)が担っていた。長崎親子を中心とする御内人の権勢は絶大なものとなり、御家人らの不満が高まっていた。 == 後醍醐天皇の挙兵 == == 鎌倉炎上 == == 注 == <references/> [[category:高等学校日本史|かまくらはくふのめつほう]] gtrozftfxqi9or9v8er0vlie2l9bf8m ゲームプログラミング/バランス調整 0 27004 206376 206345 2022-08-09T12:22:43Z Honooo 14373 /*作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい*/ wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ==== 例外 ==== 例外的なプレイヤーもいます。プレイヤーの中には、たとえばRPGなら、レベル上げそのものが好きな人もいます。 また、たとえばゲーマーでない一般人でも、たとえば電卓で「+1」を押しまくって計算結果をカウントアップしていく暇つぶしをしたことある人も多いでしょう。 ですが、レベル上げが好きなRPGゲーマーでも、彼らがプレイしたがるゲームの多くは、なぜか、レベル上げがそれほど好きでない種類のゲーマーも楽しめるゲームばかりです。 ドラクエ、ファイナルファンタジー、女神転生、テイルズ、・・・などなどのシリーズは、どれも商業の人気ゲームは、レベル上げがそれほど好きでなくても、ストーリーや戦術性などでも楽しめるようになっています。 本当にレベル上げだけが好きなら、ストーリー一切無しのレベル上げだけのゲームをプレイすれば充分ですし、フリーゲームなどでそれに近いゲームはあります。しかし、商業の世界では、そういうストーリー無し、あるいは戦術性が無しのゲームの話を聞きません。 これはどういうことでしょうか。 ゲームでなくマンガ業界の例で考えて見ましょう。 たとえば、少年ジャンプの読者には、メインの読者層は若い男の子ですが、 しかし実際には成人男性の読者もいますし、それどころか女性読者もいます。 しかし少年ジャンプは、あくまでも、メインの読者層が男の子であることを貫く編集姿勢であることが、 ジャンプ漫画の裏側を描いたマンガ『バクマン』では描かれています。 バクマンによると、たとえ少女の読者がいても、その少女は、 「男の子が読んでるマンガを自分も読んでみたい」と思うような女の子なので、 だからジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで男の子向けを貫かないといけない、 といった内容が説かれています。 ゲームも同様でしょう。 ==== 背景事情 ==== 一般的にゲーム作家の側は、自作のゲームをプレイしたときの体感の難易度(なんいど)が、(他のプレイヤーよりも)自作ゲームを「やさしめ」に感じてしまいまちである。 つまり、本当は難しいゲームなのに、作家自身は「やさしい」と錯覚しやすい傾向がある。なお、この現象を俗に(ぞくに)「作者バイアス」と日本では言う。 ;歴史 まず、1990年代のゲーム雑誌『ゲーム批評』にもある歴史的事実として、下記のような事例がすでに1990年代から知られています。 すでに1990年代の時点でゲーム評論雑誌『ゲーム批評』において、新人のゲームプランナーは企画提案の際に既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだという報告がありました。 雑誌『ゲーム批評』によると、たしか、たとえばもし自社がスーパーマリオのようなゲームを作ろうとしている場合、新人はよく、「マリオのこの部分が簡単すぎるから、わが社はここを難しくしましょう」という提案をしがちだということです。 たとえば、スーパーファミコン版マリオ(スーパーマリオワールド)では、地上ステージでは多くのステージで、マリオに空を飛ばせれば、敵に遭遇せずにステージのゴールまで行けるように設計されています。 それを新人は「飛んでしまうと簡単なので、つまらない」と考えがちらしく、なので「空中に敵キャラを多く配置しましょう」という感じの案を提出しがちだということです。 たとえば 「空中に狼(オオカミ)を配置するのはどうでしょう? アメリカの昔のSFドラマに『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』という作品もありますので、パロディにもなって大人にもウケます」みたいな提案を出したりしがち、らしいです。(このほか、ゴルフゲームでウルフを空飛ばせる駄洒落(ゴルフでウルフ)アイデアなどの披露もあるとかゲーム批評では書かれていた気がするが(というか元々ゴルフゲームの提案で、上司役からのダメだしの根拠にマリオを例にする批評記事だったかもしれないが、本wiki本ページの文脈にあまり関係ないので、ゴルフの話は割愛させてもらう。) ですが、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは既に途中まで攻略したけどミスでステージ冒頭に戻されたあとの再チャレンジなどで興味ない体験済みステージ前半を無視するための工夫だったりするので、よって空中の安全性は必要な要素でしょう。 しかし、エアーウルフ的な提案では、そういう分析が抜け落ちています。 ともかく、このように、バランス調整では「予備知識が無いと、多くのゲーム製作者は、ゲームを難しく設計しがち」だというゲーム業界の経験則がもう1990年代からあります。私たちは、歴史にも学びましょう。 :※ ある編集者Aがなんとなく印象でゲームデザイン本などに「ゲーム作家はあまりネットの批評を参考にしない。ゲームを作った事のない人の批評なので、トンチンカンな批評も多いからだ」といったような情報があったような気がしたのですが、 :しかしあらためて書籍を確認してみると、少なくとも『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』や『ゲームプランとデザインの教科書』や『レベルデザイン指南書』では、そのような記述は確認されませんでした。 :下記のコラムは、その情報も背景にしています。 :どうやら、もしそういう記述の文献があっても、必ずしも商業ゲーム業界の多数意見とは限らないようです。 :あるいはその情報は、もしかしたら書籍による情報ではなく、ゲーム雑誌などのwebサイトの意見だったかもしれません(※ 読者に出典などをご存知の方がいたら、情報提供の編集をしていただけると、さいわいです)。よくゲーム雑誌の会社がwebサイトなどに商業ゲーム作家へのインタビュー文など掲載しています。 :一応、『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、書籍後半のセクションの題名で大きく「一次情報以外、個性には役立たない」と銘打って、 :「インターネットやSNS」などについて、「そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません」と説明している<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>。 {{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか| マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、 マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。 このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。 実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。 改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。 しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。 社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。 また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、 アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、 世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。 マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。 おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。 }} {{コラム|ネット民の感性は信用できるか?| インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。 それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。 しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。 マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。 本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。 だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。 たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。) ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。 塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。 つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。 イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。 しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。 さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。 これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、 実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。 実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、 そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。 }} 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件| イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。 さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。 作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。 その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。 もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。 ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。 まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。 また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。 例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。 アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。 また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。 ;「美人投票」 経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。 ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。 ;ノイジー・マイノリティ 世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。 しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。 よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。 アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。 また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。 }} 文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。 現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。 {{コラム|一人で何でもできるか?| 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。 大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。 もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。 アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == rf5efh5e6eubehk3utqknka3qq1235k 206377 206376 2022-08-09T12:25:02Z Honooo 14373 /*レベル上げを楽しむ?*/ wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ==== 背景事情 ==== 一般的にゲーム作家の側は、自作のゲームをプレイしたときの体感の難易度(なんいど)が、(他のプレイヤーよりも)自作ゲームを「やさしめ」に感じてしまいまちである。 つまり、本当は難しいゲームなのに、作家自身は「やさしい」と錯覚しやすい傾向がある。なお、この現象を俗に(ぞくに)「作者バイアス」と日本では言う。 ;歴史 まず、1990年代のゲーム雑誌『ゲーム批評』にもある歴史的事実として、下記のような事例がすでに1990年代から知られています。 すでに1990年代の時点でゲーム評論雑誌『ゲーム批評』において、新人のゲームプランナーは企画提案の際に既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだという報告がありました。 雑誌『ゲーム批評』によると、たしか、たとえばもし自社がスーパーマリオのようなゲームを作ろうとしている場合、新人はよく、「マリオのこの部分が簡単すぎるから、わが社はここを難しくしましょう」という提案をしがちだということです。 たとえば、スーパーファミコン版マリオ(スーパーマリオワールド)では、地上ステージでは多くのステージで、マリオに空を飛ばせれば、敵に遭遇せずにステージのゴールまで行けるように設計されています。 それを新人は「飛んでしまうと簡単なので、つまらない」と考えがちらしく、なので「空中に敵キャラを多く配置しましょう」という感じの案を提出しがちだということです。 たとえば 「空中に狼(オオカミ)を配置するのはどうでしょう? アメリカの昔のSFドラマに『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』という作品もありますので、パロディにもなって大人にもウケます」みたいな提案を出したりしがち、らしいです。(このほか、ゴルフゲームでウルフを空飛ばせる駄洒落(ゴルフでウルフ)アイデアなどの披露もあるとかゲーム批評では書かれていた気がするが(というか元々ゴルフゲームの提案で、上司役からのダメだしの根拠にマリオを例にする批評記事だったかもしれないが、本wiki本ページの文脈にあまり関係ないので、ゴルフの話は割愛させてもらう。) ですが、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは既に途中まで攻略したけどミスでステージ冒頭に戻されたあとの再チャレンジなどで興味ない体験済みステージ前半を無視するための工夫だったりするので、よって空中の安全性は必要な要素でしょう。 しかし、エアーウルフ的な提案では、そういう分析が抜け落ちています。 ともかく、このように、バランス調整では「予備知識が無いと、多くのゲーム製作者は、ゲームを難しく設計しがち」だというゲーム業界の経験則がもう1990年代からあります。私たちは、歴史にも学びましょう。 :※ ある編集者Aがなんとなく印象でゲームデザイン本などに「ゲーム作家はあまりネットの批評を参考にしない。ゲームを作った事のない人の批評なので、トンチンカンな批評も多いからだ」といったような情報があったような気がしたのですが、 :しかしあらためて書籍を確認してみると、少なくとも『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』や『ゲームプランとデザインの教科書』や『レベルデザイン指南書』では、そのような記述は確認されませんでした。 :下記のコラムは、その情報も背景にしています。 :どうやら、もしそういう記述の文献があっても、必ずしも商業ゲーム業界の多数意見とは限らないようです。 :あるいはその情報は、もしかしたら書籍による情報ではなく、ゲーム雑誌などのwebサイトの意見だったかもしれません(※ 読者に出典などをご存知の方がいたら、情報提供の編集をしていただけると、さいわいです)。よくゲーム雑誌の会社がwebサイトなどに商業ゲーム作家へのインタビュー文など掲載しています。 :一応、『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、書籍後半のセクションの題名で大きく「一次情報以外、個性には役立たない」と銘打って、 :「インターネットやSNS」などについて、「そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません」と説明している<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>。 {{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか| マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、 マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。 このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。 実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。 改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。 しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。 社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。 また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、 アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、 世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。 マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。 おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。 }} {{コラム|ネット民の感性は信用できるか?| インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。 それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。 しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。 マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。 本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。 だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。 たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。) ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。 塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。 つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。 イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。 しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。 さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。 これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、 実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。 実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、 そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。 }} 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件| イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。 さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。 作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。 その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。 もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。 ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。 まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。 また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。 例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。 アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。 また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。 ;「美人投票」 経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。 ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。 ;ノイジー・マイノリティ 世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。 しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。 よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。 アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。 また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。 }} 文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。 現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。 {{コラム|一人で何でもできるか?| 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。 大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。 もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。 アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == 764vo2mya3ji0ymoyrhuysk3zmwyv62 206383 206377 2022-08-09T14:51:54Z Honooo 14373 /*No title.*/ 前文=第一段落のみ修正。1/12。 wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;歴史 まず、1990年代のゲーム雑誌『ゲーム批評』にもある歴史的事実として、下記のような事例がすでに1990年代から知られています。 すでに1990年代の時点でゲーム評論雑誌『ゲーム批評』において、新人のゲームプランナーは企画提案の際に既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだという報告がありました。 雑誌『ゲーム批評』によると、たしか、たとえばもし自社がスーパーマリオのようなゲームを作ろうとしている場合、新人はよく、「マリオのこの部分が簡単すぎるから、わが社はここを難しくしましょう」という提案をしがちだということです。 たとえば、スーパーファミコン版マリオ(スーパーマリオワールド)では、地上ステージでは多くのステージで、マリオに空を飛ばせれば、敵に遭遇せずにステージのゴールまで行けるように設計されています。 それを新人は「飛んでしまうと簡単なので、つまらない」と考えがちらしく、なので「空中に敵キャラを多く配置しましょう」という感じの案を提出しがちだということです。 たとえば 「空中に狼(オオカミ)を配置するのはどうでしょう? アメリカの昔のSFドラマに『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』という作品もありますので、パロディにもなって大人にもウケます」みたいな提案を出したりしがち、らしいです。(このほか、ゴルフゲームでウルフを空飛ばせる駄洒落(ゴルフでウルフ)アイデアなどの披露もあるとかゲーム批評では書かれていた気がするが(というか元々ゴルフゲームの提案で、上司役からのダメだしの根拠にマリオを例にする批評記事だったかもしれないが、本wiki本ページの文脈にあまり関係ないので、ゴルフの話は割愛させてもらう。) ですが、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは既に途中まで攻略したけどミスでステージ冒頭に戻されたあとの再チャレンジなどで興味ない体験済みステージ前半を無視するための工夫だったりするので、よって空中の安全性は必要な要素でしょう。 しかし、エアーウルフ的な提案では、そういう分析が抜け落ちています。 ともかく、このように、バランス調整では「予備知識が無いと、多くのゲーム製作者は、ゲームを難しく設計しがち」だというゲーム業界の経験則がもう1990年代からあります。私たちは、歴史にも学びましょう。 :※ ある編集者Aがなんとなく印象でゲームデザイン本などに「ゲーム作家はあまりネットの批評を参考にしない。ゲームを作った事のない人の批評なので、トンチンカンな批評も多いからだ」といったような情報があったような気がしたのですが、 :しかしあらためて書籍を確認してみると、少なくとも『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』や『ゲームプランとデザインの教科書』や『レベルデザイン指南書』では、そのような記述は確認されませんでした。 :下記のコラムは、その情報も背景にしています。 :どうやら、もしそういう記述の文献があっても、必ずしも商業ゲーム業界の多数意見とは限らないようです。 :あるいはその情報は、もしかしたら書籍による情報ではなく、ゲーム雑誌などのwebサイトの意見だったかもしれません(※ 読者に出典などをご存知の方がいたら、情報提供の編集をしていただけると、さいわいです)。よくゲーム雑誌の会社がwebサイトなどに商業ゲーム作家へのインタビュー文など掲載しています。 :一応、『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、書籍後半のセクションの題名で大きく「一次情報以外、個性には役立たない」と銘打って、 :「インターネットやSNS」などについて、「そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません」と説明している<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>。 {{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか| マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、 マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。 このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。 実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。 改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。 しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。 社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。 また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、 アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、 世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。 マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。 おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。 }} {{コラム|ネット民の感性は信用できるか?| インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。 それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。 しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。 マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。 本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。 だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。 たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。) ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。 塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。 つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。 イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。 しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。 さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。 これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、 実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。 実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、 そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。 }} 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件| イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。 さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。 作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。 その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。 もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。 ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。 まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。 また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。 例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。 アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。 また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。 ;「美人投票」 経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。 ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。 ;ノイジー・マイノリティ 世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。 しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。 よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。 アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。 また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。 }} 文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。 現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。 {{コラム|一人で何でもできるか?| 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。 大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。 もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。 アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == 18mk678dnp7o77vid5dni40a1yfbyxi 206386 206383 2022-08-09T20:35:47Z Honooo 14373 /* No title. */ 第2段落まで修正。3/12。 wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらが当った場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうの人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか| マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、 マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。 このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。 実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。 改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。 しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。 社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。 また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、 アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、 世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。 マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。 おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。 }} {{コラム|ネット民の感性は信用できるか?| インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。 それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。 しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。 マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。 本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。 だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。 たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。) ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。 塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。 つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。 イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。 しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。 さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。 これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、 実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。 実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、 そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。 }} 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件| イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。 さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。 作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。 その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。 もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。 ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。 まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。 また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。 例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。 アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。 また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。 ;「美人投票」 経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。 ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。 ;ノイジー・マイノリティ 世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。 しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。 よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。 アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。 また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。 }} 文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。 現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。 {{コラム|一人で何でもできるか?| 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。 大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。 もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。 アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == aw2cb2go9z6ddc83bthb2k6nplkmjna ゲームプログラミング/書類/集団作業の場合の書類と書き方 0 27227 206385 206311 2022-08-09T16:29:46Z Honooo 14373 /*ゲームに取り込むイラスト、音楽*/ 節前文のみ修正。1/5。 wikitext text/x-wiki {{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。 2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。 このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。 == 本書の目的 == 本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。 メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。 ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。 ==「仕様書」== ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。 ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。 ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。 職業的なゲーム開発では、一般に :発注 → 実装 → 調整 というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。 ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。 ==集団ゲーム制作での解説文== 発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。 劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。 対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。 おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。 21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。 == 集団作業に必要な書類 == ===設計図=== IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。 そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。 もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。 さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。 IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、 :作業者用の具体的な「完成予想図」 です。 しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。 なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。) ===ゲーム業界での技術職=== 言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。 この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。 ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな? ===企画書=== *PREP法 基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。 PREP法とは、 :Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。 ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。 しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。 *ゲームのルール 常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。 ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。 ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。 企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。 どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。 *プレイ人数 企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。 ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。 <!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;--> さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。 出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。 もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。 また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。 もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。 もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか? ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。 一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。 また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。 ===「仕様書」、「企画書」=== 商業的なゲーム制作では、一般に、 発注 → 実装 → 調整 の過程を辿ります。 そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。 企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。 仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。 さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。 まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。 「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。 試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。 『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。 『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。 こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。 さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。 さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。 また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。 イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。 そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。 アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。 もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。 しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。 RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。 企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。 ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。 業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。 また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。 アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。 参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。 上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。 物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^ {{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書| 商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。 たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。 因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。 一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。 業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。 とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。 背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。 }} {{コラム|キャラクター重視の物語論| アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。 また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。 これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。 1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。 現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。 アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。 ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。 また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。 これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。 また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。 }} {{コラム|ゲームにおけるキャラクター| ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。 ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。 今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。 ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。 今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。 2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。 しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。 }} {{コラム|企画が実制作に移ること| 1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。 扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。 主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。 機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。 阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。 しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。 一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。 企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。 しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。 }} {{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』| 企画書にもいろいろな段階があります。 #本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?) #企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度) #パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」 多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。 1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか? さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。 因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。 企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。 「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。 また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。 企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。 }} {{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演| どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。 テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。 アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。 日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。 }} さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。 ;検品、検収 さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。) しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。 そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。 納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。 つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。 商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。 外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。 バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。 つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。 開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。 ==作成工程== ===完成予想図=== 仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。 一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。 しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。 ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。 とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。 それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら? ===各機能の予想図の決定=== ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。 結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。 <pre> △△モードの××画面 Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする </pre> とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。 ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。 ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。 これは完成予想図でもある。 一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。 商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。 そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。 ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。 ==※例== 一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。 ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。 一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。 ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。 本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。 まずサンプルゲームのメニュー画面、 :相談 :アイテム :特殊技能 :装備 :システム :セーブ と、6つのコマンドがある。 上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。 さて、これを仕様書に書くと… 【'''装備キャラクター選択画面'''】 '''遷移直後の変化''' メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。 キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。 '''ボタン押の反応''' キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。 決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。 キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。 '''画像リソース''' ○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像 △△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像 という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。 上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。 『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。 仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。 そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。 例えば… '''装備フロー仕様''' 【 メニュー画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 キャラクター選択画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 装備品 選択画面 】 とかね。 フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。 例えば装備部分の選択画面は、 :右手 :左手 :身体 :装飾1 :装飾2 これがこう変更されると… :武器 :盾 :頭 :身体 :腕 :装飾 書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。 そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。 『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。 「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。 例えば装備関係のフローを描くときは、 :マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面 と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。 '''メニュー選択フロー''' 【 マップ画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 メニュー画面 】 '''装備関係フロー''' 【 メニュー画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 キャラクター選択画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 装備品 選択画面 】 こういう2分割でしょうか。 意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。 かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。 そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。 【メニュー画面仕様】 '''表示項目リスト''' 決定ボタンで下記の項目を選択できる。 ・相談      :決定すればメニュー相談フローに移行 ・アイテム    :決定すればメニューアイテムフローに移行 ・特殊技能    :決定すればメニュー特殊技能フローに移行 ・装備     :決定すればメニュー装備フローに移行 ・システム    :決定すればメニューシステムフローに移行 ・セーブ     :決定すればメニューセーブフローに移行 '''非表示項目''' ・キャンセルボタンでマップ画面に戻る とか? なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。 参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;; ;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^ というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。 同じ一枚の図面なら、これで良い。 「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。 ;その他 画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。 たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は :「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。 例えば 「画面1」、「画面2」、「画面3」、… とか、 「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、… にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。 ====要求事項書==== IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。 商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。 個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。 基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。 ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。 ==== データ暫定値 ==== ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。 CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル? 【剣データ暫定値】 銅の剣: 攻撃力 7 鉄の剣: 攻撃力 18 ハガネの剣: 攻撃力 37 ミスリルの剣: 攻撃力 70 ほのおの剣: 攻撃力 57 (※ 剣ではランク5は欠番とする) デスブリンガー: 攻撃力 150 備前長船: 攻撃力 250 聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450 魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450 具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。 ====データ仕様書==== データ仕様書とは、たとえばRPGなら :攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。 そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。 書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。 一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、 各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。 ;攻略本と仕様書 ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。 プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。 しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。 ==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう== ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。 <div style="font-size:120%;"> <pre> ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ                      ┃                      ┣━ グラフィッカー                      ┃                      ┣━ デバッガー </pre> </div> ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。 このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。 アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。 「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。 ==ゲームに取り込むイラスト、音楽== 商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。 音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。 様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。 === 外注する場合 === 自分にイラストや音楽をつくる能力が無い場合で、イラスト素材や音楽素材の調達をしたい際、イラストレーターなどの専門家に外注することになります。 打ち合わせをする際、たとえばイラストなら、発注元の画力にもよりますが、 :構図、 :希望のポーズ、 :塗り方、 :テイスト、 などの指示が必要です<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。 あと、絵を書かない人が勘違いしがちなことですが、「イラストレーター」を名乗っている人は、あくまでイラストだけが専門的であるので、一般に、イラストレーターは漫画を書けません<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。アニメも作れません。 イラストも漫画も両方とも作れる人のほうが、希少ケースなのです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。(たとえばアニメ業界のジブリの宮崎監督のような、イラストもアニメも漫画もかけるような人は、かなり例外的なケースです。) なので、イラスト、漫画、アニメ、などは、それぞれの専門家ごとに分けて注文なり依頼なりをすべきです<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。 ゲーム作家によっては、キャラクターイラストの発注をするときはモデルとなるアイドルや俳優などの情報を添えて発注するゲーム作家もいます<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。 :ラフ画などを用意してどんなシーンでどんなキャラのどんな構図を書いてほしいか等の大体の要望を具体的に伝える、 というのも重要ですが、もうひとつ必要になるかもしれない事として、 :なぜ、その構図が作中でどういう目的で使われるのかなどの意図・用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、 という事が重要です。 『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、発注の意図・用途を伝える際も、長いと意図説明が書類の場合は書類を読んでもらえないし、口頭でも相手の頭に入らないので、だから発注者は要点を短く的確な言葉であらわさなければあらないということです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。 個々から先は別に文献の内容ではないですが、そもそもなぜ用途を伝えるのが必要かというと、相手のほうがその分野ではプロだからですし、発注元は往々にしてイラストは素人だからです。 発注元が素人の場合、プロのイラストレーターに用途を伝えると、たとえば、当初に発注元の考えていた構図などが実は不適切である、という情報が返ってくる可能性もあります。 このようなフィードバックのある場合、発注元がデザインを再検討する必要になる可能性もあります。 そもそも発注元は、あまりイラストや音楽などの分野を知らないので、だからこそ事前の打ち合わせによる、デザイン意図の確認が必要なわけです。 つまり、たとえるなら「作業指示」と考えるよりも、どこかの営業マンとの事前の打ち合わせのようなものだと考えるのがイメージ的には適切かもしれません。 たとえば住宅をリフォームする場合なども、事前に何度もリフォーム会社の営業マンとの商談をして、イメージを共有するのが普通です。イメージ的には、これに近いのかもしれません。イメージ的には、イラストレーターとか作曲家などアーティストに対する外注・発注も、こんな感じでしょう。 ;その他 書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、アダルトゲームではシナリオも外注の場合が多くあるとのことです<ref>畑大典 著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P129</ref>。 ;発注されるイラストレーター側からの視点 これはイラスト-レーター側からの視点では、発注者の要求事項に従った絵を描かなければならないわけです。 だからもし、提出しようとする絵が、まったく要求事項に従えてなければ、ダメな絵となり、発注者は納品受け取りを拒否するので、絵はリテイク(書き直し)になります。 たとえば、アニメイラスト系絵描き向けの教本『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると、 もしイラスト発注の要求事項が「セーラー服の少女を描いてください」なのに、 もしイラストレーターがブレザー服の少女を描いて提出してきたら、 どんなに可愛く上手にブレザー少女が描けてようが、リテイクです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.208</ref>。 イラストレーター向けの教本などでもきちんと教育されているように、まともなイラストレーターは、こういう社会のルールがきちんと分かっています。 裏を返せば、こういう社会ルールが分かってない絵描きは、自称「イラストレーター」です。 イラストレーターにとっては当然の、社会のルールだと思いますよね。しかし世間には、イラストレーター業界に興味ない人は、この当然の社会ルールが分からない人が、少なくとも2005年より前の昔は世間に多くいました(下記コラムで説明する)。 {{コラム|絵の仕事は自由業ではない| 根本的な問題として、さすがに最近は無くなってきたと思いますが、ほんの2005~08年ぐらいまで、 世間には絵の仕事を、「自由に絵が描ける」と勘違いしている人がいました。また、「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」という類の、良く分からない勘違いもありました。 どうやら、勘違いの原因は、小学校の図工のお絵かきや、中学校・高校の美術の授業が、そういうなるべく自由なテーマで絵を描かせるので、どうもイラスト関係の仕事までそうかと勘違いをする人が、ほんの2008年くらいまで昔は少なからず居たのです。 さんざんマンガ評論やアニメ評論などで「漫画の打ち切り」だとか「アニメの放映打ち切り」とか言われても、あるいは評論誌など読まなくても友人どうしの雑談でそういう話をしても、しかしその「打ち切り」情報が脳内にある勘違い「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」という勘違いの修正に結びつかないようです。 だから漫画家の江川達也は苦言として、雑誌コラム(おそらく『SPA』)で2001~2005年ごろの意見ですが、当時のゆとり教育の賛成論者がなんだか漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」だと勘違いしているような言説が散見されたことに対し、江川は苦言でおおむね「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。ふざけたことを言うな」といったような感じの批判を雑誌コラムで述べていました。 漫画家はプロデビューするまでだって競争がありますし、デビューしてからも不人気だったら打ち切りですし、競争はとても厳しいです。 漫画に限らず、どうも世間にはイラストレーターや漫画家を、なぜか競争のない業界だと勘違いしている人が好くなからずいます。昭和の時代は、漫画家を終身雇用だと勘違いしている人もいました。 昭和時代にデビューした漫画家の小林よしのりは、自身が漫画家プロデビューするまでは、勘違いで、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」だと思っていたと、著書『ゴーマニズム宣言』で自身の勘違いを白状しています。 それでも昭和の時代なら、まだ漫画業界がよく知られていなかったので、世間一般の終身雇用の常識に照らし合わせて勘違いしてしまうのも、無理ありません。ですが、平成が10年以上も過ぎた2001年以降にこの手の勘違いをしている人もおり、もう手の施しようのない人です。 }} === 絵の「クオリティ」とは === 何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。 その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。 ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。 たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。 少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。 逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。 絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。 ;業界によって要求される画風が異なる ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。 マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。 アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。 ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。 世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。 アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。 もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。 なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。 細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。 「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。 ;週間マンガ・アニメの後日修正 なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。 単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。 アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。 === マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 === 文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。 また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。 作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。 ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。 さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。 『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。 ==== 「芸術」 ==== 「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。 {{コラム|サル漫の芸術かぶれ回| サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、 芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。 それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、 相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか 「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、 「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、 なんかそんな感じのことを言います。 すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、 竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、 相原が「そんなことない」というと、 竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、 相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと 竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。 そしてそのあと、竹熊はおおむね、 「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか :「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、 :「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」 なんかそんな感じのツッコミをします。 このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。 ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。 }} ==== 「私小説」 ==== {{コラム|売り上げと文化は違う| 文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。 現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。 たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。 なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。 さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、 :倉田百三『出家とその弟子』、 :島田清次郎『地上』、 :賀川豊彦『死線を越えて』、 が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。 現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。) 食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。 ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。 }} === ローポリ関連の作画 === 単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。 == レポートは結論だけを読んでも分かるように書く == レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。 別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、 レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。 == 中卒でも分かるように書類を書く == ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。 書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。 ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。 書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。 日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。 なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。 == 脚注・参考文献 == 6z2pg5no8v82po44n9zg24x0jkqq5kc Python/辞書 0 28517 206390 190024 2022-08-09T22:51:55Z Ef3 694 /* キーの重複 */ Pythonでは、辞書のキーの重複は許されず、最後の値で上書きされます。 これは辞書リテラルにも当てはまり、同じキーの最も右の値がリテラル内のキーの値となります。 wikitext text/x-wiki {{Nav}} = 辞書 = Pythonの辞書(''Dictionary'')は、任意個のキーとコレクションです。 == コンストラクタとリテラル == ;[https://paiza.io/projects/fnbjyIZnkWhfNcXQ82ufEA?language=python3 リストリテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> print(f"""\ { {}=} { dict()=} { dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=} { dict((i,2**i) for i in range(5))=} { {i:2**i for i in range(5)}=} { {10,"ABC", 20, "XYZ"}=} { {1:"one", 2:"two",3:"three"}=} { { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }=} """) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python"> {}={} dict()={} dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))={1: 1, 2: 4, 3: 9} dict((i,2**i) for i in range(5))={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {i:2**i for i in range(5)}={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {10,"ABC", 20, "XYZ"}={10, 'XYZ', 'ABC', 20} {1:"one", 2:"two",3:"three"}={1: 'one', 2: 'two', 3: 'three'} { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }={1: '壱', 2: '弐', 3: '参'} </syntaxhighlight> :空の辞書は、空の辞書リテラル {} あるいはコンストラクターである組込み関数dict()を引数無しで呼出し生成します。 :dict()の引数は、キーと値をを要素とするコレクションを要素とするコレクションです(文書だとややこしいですが、<code>dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=={1: 1, 2: 4, 3: 9}</code>です)。 :dict()には、ジェネレーション式などのイテレータを渡す事もできます(<code>dict((i,2**i) for i in range(5))=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>) :辞書にも内包表記があります(<code>{i:2**i for i in range(5)}=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>)。 :辞書リテラルは、キーと値を : で区切ったペアをカンマ , で区切り、全体を { } で囲みます(: を , と間違えると(エラーにならず)セット(集合)のリテラルになり、気が付き遅れがちです。逆に {} を空集合∅のつもりで書き、辞書であることに気づくかないケースもあります)。 ==== キーの重複 ==== Pythonでは、辞書のキーの重複は許されず、最後の値で上書きされます。 これは辞書リテラルにも当てはまり、同じキーの最も右の値がリテラル内のキーの値となります<ref>{{Cite web |url=https://docs.python.org/3/reference/expressions.html#dictionary-displays |title=Python 3.10.6 Documentation » The Python Language Reference » 6. Expressions » 6.2.7. Dictionary displays |accessdate=2022-08-10 |quote=If a comma-separated sequence of key/datum pairs is given, they are evaluated from left to right to define the entries of the dictionary: each key object is used as a key into the dictionary to store the corresponding datum. This means that you can specify the same key multiple times in the key/datum list, and the final dictionary’s value for that key will be the last one given. ---- カンマで区切られた一連のキー/データペアが与えられると、それらは左から右へと評価されて辞書のエントリーを定義します。各キーオブジェクトは、対応するデータを格納する辞書のキーとして使用されます。つまり、key/datumリストで同じキーを複数回指定しても、そのキーに対する最終的な辞書の値は、最後に指定されたものになります。 }}</ref>。 ;[https://paiza.io/projects/h1THUneTs4yTk-kzEwIEFQ?language=python3 キーが重複した辞書リテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> # 国語が重複している dic = {"国語": 80, "氏名": "山田タロウ", "国語": 70 } print(dic["国語"]) print(dic) </syntaxhighlight> ;実行結果 :<syntaxhighlight lang="python"> 70 {'国語': 70, '氏名': '山田タロウ'} </syntaxhighlight> :Pythinの辞書は順位を保存するので、重複したキーの効果の痕跡が順位に出ています。 ::意図的に辞書リテラル中でキーを重複させることは稀(ほぼほぼありえない)ので、(警告されない)キー重複はバグの原因になりがちです。 == 辞書のフィールド一覧 == ;[https://paiza.io/projects/OojNp1OYCq9Gou16EyIzqQ?language=python3 辞書のフィールド一覧]:<syntaxhighlight lang="python3"> obj = dict() for i in dir(obj): print(i, eval(f"type({obj}.{i})")) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python3"> __class__ <class 'type'> __contains__ <class 'builtin_function_or_method'> __delattr__ <class 'method-wrapper'> __delitem__ <class 'method-wrapper'> __dir__ <class 'builtin_function_or_method'> __doc__ <class 'str'> __eq__ <class 'method-wrapper'> __format__ <class 'builtin_function_or_method'> __ge__ <class 'method-wrapper'> __getattribute__ <class 'method-wrapper'> __getitem__ <class 'builtin_function_or_method'> __gt__ <class 'method-wrapper'> __hash__ <class 'NoneType'> __init__ <class 'method-wrapper'> __init_subclass__ <class 'builtin_function_or_method'> __iter__ <class 'method-wrapper'> __le__ <class 'method-wrapper'> __len__ <class 'method-wrapper'> __lt__ <class 'method-wrapper'> __ne__ <class 'method-wrapper'> __new__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce_ex__ <class 'builtin_function_or_method'> __repr__ <class 'method-wrapper'> __reversed__ <class 'builtin_function_or_method'> __setattr__ <class 'method-wrapper'> __setitem__ <class 'method-wrapper'> __sizeof__ <class 'builtin_function_or_method'> __str__ <class 'method-wrapper'> __subclasshook__ <class 'builtin_function_or_method'> clear <class 'builtin_function_or_method'> copy <class 'builtin_function_or_method'> fromkeys <class 'builtin_function_or_method'> get <class 'builtin_function_or_method'> items <class 'builtin_function_or_method'> keys <class 'builtin_function_or_method'> pop <class 'builtin_function_or_method'> popitem <class 'builtin_function_or_method'> setdefault <class 'builtin_function_or_method'> update <class 'builtin_function_or_method'> values <class 'builtin_function_or_method'> </syntaxhighlight> {{Nav}} t9s1pminio2qj72pfzlqa1mh27lvz3k 206391 206390 2022-08-09T22:52:52Z Ef3 694 /* 脚註*/ wikitext text/x-wiki {{Nav}} = 辞書 = Pythonの辞書(''Dictionary'')は、任意個のキーとコレクションです。 == コンストラクタとリテラル == ;[https://paiza.io/projects/fnbjyIZnkWhfNcXQ82ufEA?language=python3 リストリテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> print(f"""\ { {}=} { dict()=} { dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=} { dict((i,2**i) for i in range(5))=} { {i:2**i for i in range(5)}=} { {10,"ABC", 20, "XYZ"}=} { {1:"one", 2:"two",3:"three"}=} { { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }=} """) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python"> {}={} dict()={} dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))={1: 1, 2: 4, 3: 9} dict((i,2**i) for i in range(5))={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {i:2**i for i in range(5)}={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {10,"ABC", 20, "XYZ"}={10, 'XYZ', 'ABC', 20} {1:"one", 2:"two",3:"three"}={1: 'one', 2: 'two', 3: 'three'} { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }={1: '壱', 2: '弐', 3: '参'} </syntaxhighlight> :空の辞書は、空の辞書リテラル {} あるいはコンストラクターである組込み関数dict()を引数無しで呼出し生成します。 :dict()の引数は、キーと値をを要素とするコレクションを要素とするコレクションです(文書だとややこしいですが、<code>dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=={1: 1, 2: 4, 3: 9}</code>です)。 :dict()には、ジェネレーション式などのイテレータを渡す事もできます(<code>dict((i,2**i) for i in range(5))=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>) :辞書にも内包表記があります(<code>{i:2**i for i in range(5)}=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>)。 :辞書リテラルは、キーと値を : で区切ったペアをカンマ , で区切り、全体を { } で囲みます(: を , と間違えると(エラーにならず)セット(集合)のリテラルになり、気が付き遅れがちです。逆に {} を空集合∅のつもりで書き、辞書であることに気づくかないケースもあります)。 ==== キーの重複 ==== Pythonでは、辞書のキーの重複は許されず、最後の値で上書きされます。 これは辞書リテラルにも当てはまり、同じキーの最も右の値がリテラル内のキーの値となります<ref>{{Cite web |url=https://docs.python.org/3/reference/expressions.html#dictionary-displays |title=Python 3.10.6 Documentation » The Python Language Reference » 6. Expressions » 6.2.7. Dictionary displays |accessdate=2022-08-10 |quote=If a comma-separated sequence of key/datum pairs is given, they are evaluated from left to right to define the entries of the dictionary: each key object is used as a key into the dictionary to store the corresponding datum. This means that you can specify the same key multiple times in the key/datum list, and the final dictionary’s value for that key will be the last one given. ---- カンマで区切られた一連のキー/データペアが与えられると、それらは左から右へと評価されて辞書のエントリーを定義します。各キーオブジェクトは、対応するデータを格納する辞書のキーとして使用されます。つまり、key/datumリストで同じキーを複数回指定しても、そのキーに対する最終的な辞書の値は、最後に指定されたものになります。 }}</ref>。 ;[https://paiza.io/projects/h1THUneTs4yTk-kzEwIEFQ?language=python3 キーが重複した辞書リテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> # 国語が重複している dic = {"国語": 80, "氏名": "山田タロウ", "国語": 70 } print(dic["国語"]) print(dic) </syntaxhighlight> ;実行結果 :<syntaxhighlight lang="python"> 70 {'国語': 70, '氏名': '山田タロウ'} </syntaxhighlight> :Pythinの辞書は順位を保存するので、重複したキーの効果の痕跡が順位に出ています。 ::意図的に辞書リテラル中でキーを重複させることは稀(ほぼほぼありえない)ので、(警告されない)キー重複はバグの原因になりがちです。 == 辞書のフィールド一覧 == ;[https://paiza.io/projects/OojNp1OYCq9Gou16EyIzqQ?language=python3 辞書のフィールド一覧]:<syntaxhighlight lang="python3"> obj = dict() for i in dir(obj): print(i, eval(f"type({obj}.{i})")) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python3"> __class__ <class 'type'> __contains__ <class 'builtin_function_or_method'> __delattr__ <class 'method-wrapper'> __delitem__ <class 'method-wrapper'> __dir__ <class 'builtin_function_or_method'> __doc__ <class 'str'> __eq__ <class 'method-wrapper'> __format__ <class 'builtin_function_or_method'> __ge__ <class 'method-wrapper'> __getattribute__ <class 'method-wrapper'> __getitem__ <class 'builtin_function_or_method'> __gt__ <class 'method-wrapper'> __hash__ <class 'NoneType'> __init__ <class 'method-wrapper'> __init_subclass__ <class 'builtin_function_or_method'> __iter__ <class 'method-wrapper'> __le__ <class 'method-wrapper'> __len__ <class 'method-wrapper'> __lt__ <class 'method-wrapper'> __ne__ <class 'method-wrapper'> __new__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce_ex__ <class 'builtin_function_or_method'> __repr__ <class 'method-wrapper'> __reversed__ <class 'builtin_function_or_method'> __setattr__ <class 'method-wrapper'> __setitem__ <class 'method-wrapper'> __sizeof__ <class 'builtin_function_or_method'> __str__ <class 'method-wrapper'> __subclasshook__ <class 'builtin_function_or_method'> clear <class 'builtin_function_or_method'> copy <class 'builtin_function_or_method'> fromkeys <class 'builtin_function_or_method'> get <class 'builtin_function_or_method'> items <class 'builtin_function_or_method'> keys <class 'builtin_function_or_method'> pop <class 'builtin_function_or_method'> popitem <class 'builtin_function_or_method'> setdefault <class 'builtin_function_or_method'> update <class 'builtin_function_or_method'> values <class 'builtin_function_or_method'> </syntaxhighlight> == 脚註 == <references /> {{Nav}} 14s8k6y8okjz5hbktfoxz9c8ljlwjye 206403 206391 2022-08-10T10:25:30Z Ef3 694 cleanup wikitext text/x-wiki {{Nav}} = 辞書 = Pythonの辞書(''Dictionary'')は、任意個のキーとコレクションです。 == コンストラクターとリテラル == ;[https://paiza.io/projects/fnbjyIZnkWhfNcXQ82ufEA?language=python3 リストリテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> print(f"""\ { {}=} { dict()=} { dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=} { dict((i,2**i) for i in range(5))=} { {i:2**i for i in range(5)}=} { {10,"ABC", 20, "XYZ"}=} { {1:"one", 2:"two",3:"three"}=} { { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }=} """) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python"> {}={} dict()={} dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))={1: 1, 2: 4, 3: 9} dict((i,2**i) for i in range(5))={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {i:2**i for i in range(5)}={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16} {10,"ABC", 20, "XYZ"}={10, 'XYZ', 'ABC', 20} {1:"one", 2:"two",3:"three"}={1: 'one', 2: 'two', 3: 'three'} { 1: "壱", 2: "弐", 3: "参" }={1: '壱', 2: '弐', 3: '参'} </syntaxhighlight> :空の辞書は、空の辞書リテラル<code> {} </code>あるいはコンストラクターである組込み関数<code>dict()</code>を引数無しで呼出し生成します。 :dict()の引数は、キーと値をを要素とするコレクションを要素とするコレクションです(文章だとややこしいですが、<code>dict(((1, 1),(2, 4),(3,9)))=={1: 1, 2: 4, 3: 9}</code>です)。 :dict()には、ジェネレーション式などのイテレーターを渡す事もできます(<code>dict((i,2**i) for i in range(5))=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>) :辞書にも内包表記があります(<code>{i:2**i for i in range(5)}=={0: 1, 1: 2, 2: 4, 3: 8, 4: 16}</code>)。 :辞書リテラルは、キーと値を : で区切ったペアをカンマ , で区切り、全体を { } で囲みます(: を , と間違えると(エラーにならず)セット(集合)のリテラルになり、気が付き遅れがちです。逆に<code> {} </code>を空集合∅のつもりで書き、辞書であることに気づかないケースもあります)。 ==== キーの重複 ==== Pythonでは、辞書のキーの重複は許されず、最後の値で上書きされます。 これは辞書リテラルにも当てはまり、同じキーの最も右の値がリテラル内のキーの値となります<ref>{{Cite web |url=https://docs.python.org/3/reference/expressions.html#dictionary-displays |title=Python 3.10.6 Documentation » The Python Language Reference » 6. Expressions » 6.2.7. Dictionary displays |accessdate=2022-08-10 |quote=If a comma-separated sequence of key/datum pairs is given, they are evaluated from left to right to define the entries of the dictionary: each key object is used as a key into the dictionary to store the corresponding datum. This means that you can specify the same key multiple times in the key/datum list, and the final dictionary’s value for that key will be the last one given. ---- カンマで区切られた一連のキー/データペアが与えられると、それらは左から右へと評価されて辞書のエントリーを定義します。各キーオブジェクトは、対応するデータを格納する辞書のキーとして使用されます。つまり、key/datumリストで同じキーを複数回指定しても、そのキーに対する最終的な辞書の値は、最後に指定されたものになります。 }}</ref>。 ;[https://paiza.io/projects/h1THUneTs4yTk-kzEwIEFQ?language=python3 キーが重複した辞書リテラル]:<syntaxhighlight lang="python"> # 国語が重複している dic = {"国語": 80, "氏名": "山田タロウ", "国語": 70 } print(dic["国語"]) print(dic) </syntaxhighlight> ;実行結果 :<syntaxhighlight lang="python"> 70 {'国語': 70, '氏名': '山田タロウ'} </syntaxhighlight> :Pythinの辞書は順位を保存するので、重複したキーの効果の痕跡が順位に出ています。 == 辞書のフィールド一覧 == ;[https://paiza.io/projects/OojNp1OYCq9Gou16EyIzqQ?language=python3 辞書のフィールド一覧]:<syntaxhighlight lang="python3"> obj = dict() for i in dir(obj): print(i, eval(f"type({obj}.{i})")) </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang="python3"> __class__ <class 'type'> __contains__ <class 'builtin_function_or_method'> __delattr__ <class 'method-wrapper'> __delitem__ <class 'method-wrapper'> __dir__ <class 'builtin_function_or_method'> __doc__ <class 'str'> __eq__ <class 'method-wrapper'> __format__ <class 'builtin_function_or_method'> __ge__ <class 'method-wrapper'> __getattribute__ <class 'method-wrapper'> __getitem__ <class 'builtin_function_or_method'> __gt__ <class 'method-wrapper'> __hash__ <class 'NoneType'> __init__ <class 'method-wrapper'> __init_subclass__ <class 'builtin_function_or_method'> __iter__ <class 'method-wrapper'> __le__ <class 'method-wrapper'> __len__ <class 'method-wrapper'> __lt__ <class 'method-wrapper'> __ne__ <class 'method-wrapper'> __new__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce__ <class 'builtin_function_or_method'> __reduce_ex__ <class 'builtin_function_or_method'> __repr__ <class 'method-wrapper'> __reversed__ <class 'builtin_function_or_method'> __setattr__ <class 'method-wrapper'> __setitem__ <class 'method-wrapper'> __sizeof__ <class 'builtin_function_or_method'> __str__ <class 'method-wrapper'> __subclasshook__ <class 'builtin_function_or_method'> clear <class 'builtin_function_or_method'> copy <class 'builtin_function_or_method'> fromkeys <class 'builtin_function_or_method'> get <class 'builtin_function_or_method'> items <class 'builtin_function_or_method'> keys <class 'builtin_function_or_method'> pop <class 'builtin_function_or_method'> popitem <class 'builtin_function_or_method'> setdefault <class 'builtin_function_or_method'> update <class 'builtin_function_or_method'> values <class 'builtin_function_or_method'> </syntaxhighlight> == 脚註 == <references /> {{Nav}} qbj7lrmiwe0wn111xhggl65xaf53onp 音響学 0 33727 206394 206374 2022-08-10T03:23:28Z 片岡亜 69774 wikitext text/x-wiki {{Navi|[[音楽]] > 音楽学書 > '''音響学'''}} {{Substub}} 音響学は、音、特にその生成、伝達、効果について研究する学門です。音響学は、生成、伝達、制御される音の性質によって、多くの応用が可能です。 音楽のような好ましい音の場合、音響学の主な用途は、音楽をできるだけよく響かせることです。交通騒音のような好ましくない音の場合、音響学の主な用途は騒音の低減です。 音響学のもう一つの主要な分野は、ソナーシステムや非破壊材料検査などの検知に応用される超音波の分野です。本書では、音響学の基礎と主な応用例について説明していきます。 ※本書は、[https://en.m.wikibooks.org/wiki/Main_Page 英語版Wikibooks]の[https://en.m.wikibooks.org/wiki/Acoustics Acoustics]を翻訳したものです。一部翻訳ミスがあるかもしれません。ご了承ください。<br />また翻訳を修正・改善・加筆してくださる皆様のご協力を心からお待ちしています。 == 基礎 == #[[音響学の基礎]] {{進捗簡易|100%|2022-03-21}} #[[室内音響学の基礎]] {{進捗簡易|100%|2022-03-21}} #[[音響心理学の基礎]] {{進捗簡易|100%|2022-03-21}} #[[音速]] {{進捗簡易|100%|2022-03-21}} #[[フィルタの設計と実装]] {{進捗簡易|25%|2022-03-21}} #[[ヘルムホルツ共鳴器の流れによる発振]] {{進捗簡易|00%|2022-03-21}} #[[アクティブ制御]] {{進捗簡易|00%|2022-03-21}} == 応用 == ===運輸業界への応用 === #[[ローター・ステーター相互作用]] #[[カーマフラー]] #[[ソニックブーム]] #[[ソナー]] #[[車内音の伝達]] === 室内音響への応用 === #[[無響室・残響室]]{{進捗簡易|100%|2022-08-09}} #[[室内音響の基本的な処理]] === 音響心理学への応用 === #[[人間の声帯]] #[[聴覚の閾値/痛み]] === 音楽音響の応用 === #[[アコースティックギターの仕組み]] #[[マリンバの基本的な音響特性]] #[[ベッセル関数とティンパニ]] #[[ヴァイオリンの音響|バイオリンの音響]] #[[マイクの技術]] #[[マイクの設計と操作]] #[[音響拡声器]] #[[密閉型サブウーファーの設計]] === その他の応用 === #[[バスレフ型エンクロージャーの設計]] #[[高分子薄膜音響フィルター]] #[[油圧システムにおける騒音]] #[[冷却ファンの騒音]] #[[圧電振動子]] #[[雷の発生と伝搬]] {{NDC|424}} [[Category:音楽理論|おんがくりろん]] [[Category:物理学]] iqpye79p2vuukdj6upj7vdvoy9n7lha Wikibooks:GUS2Wiki 4 35248 206375 206160 2022-08-09T12:14:51Z Alexis Jazz 56315 Updating gadget usage statistics from [[Special:GadgetUsage]] ([[phab:T121049]]) wikitext text/x-wiki {{#ifexist:Project:GUS2Wiki/top|{{/top}}|This page provides a historical record of [[Special:GadgetUsage]] through its page history. 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に似た例文) のように使う。このように、権威・権力にもとづく可能性を表す表現でもある(ジーニアス)。だから、けっして「may = 丁寧」と機械的に覚えないほうが良いだろう。 == must == === 勧誘 must === must には、強い勧誘を意味する用法もある(インスパイア、桐原ファクトブック、ジーニアス)。 You must ~. 「ぜひ~してください」「ぜひ~したほうがいい」 のような意味。 青チャートには書いていない。(あまり重要視してないのだろう。) 欧米人は、この手の、外国人には分かりづらい、やや飛躍気味の表現をすることもよくある。 :※ 飛躍気味とは、たとえば最近の俗語の例では、英米人の近年の若者などの用法で、すばらしい絵や文芸を見たときに、「その絵を消してくれ」なんていう表現も最近の英語では良く使われるという。どうやら「素晴らしすぎて、魅了されて、頭がおかしくなってしまいそうだ」→「だから消してくれ」という意味らしいのだが、しかし事情が知らない外国人が聞くと、単にその絵や文芸に不満があるかと誤解されかねない。しかし、英語は世界の覇権言語なので、外国人からの誤解を気にする必要も無い。日本人からすれば、まったく、英米人はうらやましい限りである。 この 勧誘の must を紹介しているインスパイア、ジーニアスも、コラム的に紹介しているだけである。(桐原ファクトのみ、本文で紹介。) :※ 昔から教育評論でよく言われる、英語教育の隠れた目的のひとつとして、誤解の恐れの少ない論理的な文章の書き方の教育を教える、という目的がある。文科省や国立大学などは、中立性などの理由で、「論理的な日本語の書き方はこうあるべきし」とは宣言できないので、仕方なく英文法など外国語を使って論理的な文章の書き方を教えようとしている、などとは昔はよく評論されたものである(もっとも、最近の英語教育では会話重視などで、そういう論理性の教育目的は雲散霧消してしまったが)。そういう論理的な文章の書き方の教育としては、勧誘 must やら上記例の「消してくれ」のような飛躍気味の用法は、嫌われるだろうから、大学入試などに勧誘の must などが出る可能性は低いかもしれない。 == 確信「ちがいない」 must の否定 == 「~にちがいない」という強い確認の意味での must の否定は、 cannot 「~はずがない」である(ジーニアス、インスパイア、青チャート)。 なぜそうかといわれても、そうだと決まってる。英米人がそういう使い方をしているので、合わせるしかない。 :※ これまた、あまり論理的でないので、おそらく入試では問われづらいだろう。たとえば桐原ファクトでは、must の項目では、確信の否定 cannot を無視しており、非紹介である。なお、桐原でも can の側で cannot「~はずがない」を説明しており、可能性 can の否定として cannot「~はずがない」 という用法を説明するというのが桐原ファクトの理論構成である。 cannot や can't と言った場合、単に「~できない」という可能性を否定するだけの用法もあるが(インスパイア can側)、それとは別に「~のはずがない」という強めの感情的色彩をおびた「否定の確信」な意味の用法の場合もある(桐原ファクト、ジーニアス)。 == Can you ? == 英語では、相手に能力を直接聞くのは、失礼に当たると見なされている場合もある。 たとえば、 Can you speak Japanese? は、背景として、「あなたは日本語を話せないといけない」と思われることもある(インスパイア、ジーニアス)。このため、canを使わずに Do you speak Japanese? と聞くのが良いとされている(ジーニアス)。 一方、話し手が自分の語学の能力を「私は~できます」と言う場合は、なるべく be able to よりも canを使うほうが謙遜気味で礼儀正しいとされており、つまり I can のほうが良いとされている(ジーニアス)。I のあとに be able to を使うと、英米では能力自慢のように聞こえるらしい(ジーニアス)。 can youが無礼なのに I can が礼儀正しいのは意味不明だが、しかし覇権国家の英米人がそう使い分けているので、英語学ではそう合わせるしかない。うらやましい。所詮、語学は暗記科目であり、「理屈と膏薬はどこにでもつく」(日本のことわざ)である。 また、派生的にか、可能性のcanは疑問文では、強めの疑いや、おどろきや当惑などの意味をもつこともよくある(青チャート、インスパイア)。参考書によくある典型的な例文だが Can the rumor be true? 「そのウワサは本当だろうか?」 という疑問文では、そのような、強めの疑いや、おどろきなどの意味がある。・ さて、can は、今後も通用する能力や可能性について言うので、単に一回だけのことに「昨日は~できた」みたいに言う場合には can や could を使わない(ジーニアス、青チャート)。 1回だけ「~できた」場合には、 be able to や 「managed to不定詞」 や succeed in ~ing などを使う(青チャート、インスパイア)。 また、とくに能力などを強調するのでなければ、単に過去形だけを使って1回だけできたことを表現してもいい(ジーニアス)。 なお、否定文や疑問文の場合は could を使っても良く、つまり couldn't や wasn't(または weren't) able to でもいい(インスパイア)。 ただし、こういう細かい使い分けよりも、入試に出るのは、構文 cannot help ~ing 「~せざるを得ない」 cannot help but +動詞の原型 「~せざるを得ない」 cannot but +動詞の原型 などだろう(インスパイア、桐原ファクトブック)。 90年代、こういう二重否定的な構文が(中学範囲ではなく)高校範囲だった過去がある。 cannot ~ too ○○ 「いくら~しすぎても○○しすぎることはない」 という反語的な表現も、90年代の典型的な高校英文法の範囲であった。 そのほか、「ときに ~することがある」と好ましくない事を言う場合に can を使うことがある。ジーニアスいわく「風邪は時に重い病気につながることがある」とか、青チャートいわく「そういう事故はときどき起こりうるものだ」で can を使っている。 だが、これとは逆に思える用法もインスパイアにあり、「can はもともと備わっている能力を表す」として「be able to は一時的な能力を表す」などという用法もある。 ※ このように、助動詞まわりは、あまり規則的ではなく、またやや口語的であり、あまり日本の大学入試対策としては深入りする必要が無いだろう。上述したが cannot help ~ ing のような構文を覚えることを優先すべきである。 == 助動詞 need == 本動詞 need とは別に、助動詞 need というのがあり、 「need +動詞の原型」の形で使う。 助動詞 need は主にイギリス英語である。 参考書では平叙文に助動詞 need が使われることもあるが(ジーニアス)、しかし実際の英米では疑問文と否定文でのみ助動詞 need が使われるのが一般的である(青チャート、桐原ファクト)。 このような制限が助動詞 need にあるため、実のところ、あまり信用頻度は高くない、・・・というのが桐原ファクトの見解。 助動詞 need の否定形は need not または needn't であり(青チャ-ト)、つまり「 need not +動詞の原型」のような形になる。 また、助動詞 need に過去形は無い(青チャ、インスパ)。また、主語が三人称単数でも、助動詞 need には sはつかず、needのまま(青チャ)。 もし、過去の必要性について言いたい場合、単に、本動詞 「need to不定詞」を使えばいい(ジーニアス、青チャ、インスパイア)。 なお、本動詞 need の否定文や疑問文は、単に中学英文法と同様に I didn't need to 不定詞 や Did you need to 不定詞 ? を使えばいいだけである。 なお、完了形との組み合わせ「 need not have +過去分詞」だと、「~する必要はなかったのに」(+「しかし実際は~してしまった」)という後悔や非難などの意味になる(ジーニアス、インスパイア、桐原ファクト)。 ※ インスパイア・桐原ファクトに「実際は~してしまった」の説明あり。インスパイアに「非難」の意味あり。桐原は「後悔」のみ。ジーニアスは二次熟語では表現せず。 == dare == 助動詞としては、2つの慣用文がある。 How dare say ~? 「よくも~できたものだね」 という苛立ち(いらだち)をあらわす。 I dare say ~. 「たぶん~だろう」「おそらく~だろう」 sayのあとに接続詞 that は続かない(インスパイア)。 I daresay ~ という一語でdareとsayを縮めた言い回しもある(インスパイア、ブレイクスルー)。 dare の用法は、あまり論理的ではない。ほか、助動詞 dareに過去形 dared もあるとされているが、現代ではマレ(青チャート)。 そのほか、 Bod dare not propose to her. 「ボブは彼女にプロポーズする勇気がない」 のように、否定文や疑問文で dare が使われることがある。 だが、この場合の dare は「勇気のある」の意味なので、助動詞を使わずとも courage や brave などをつかった言い表すこともできて、むしろ英米では口語には courage などの言い回しのほうが多いのが実態とのこと(エバーグリーン)。 さて、助動詞以外にも、本動詞としての dare の用法があり、上記2つの「How dare」「I dare say(または daresay)」慣用表現以外の場合では、本動詞としてdareをつかうことのほうが一般的であり(ジーニアス)、 He dares(または dared) to ~ 「彼はずうずうしくも~する(した)」 のように使うこともある(青チャ)。 == ought to == ought to は、助動詞 should と同じような意味として紹介されることもある。だが、実際には should よりも、やや意味が強い。 ought to には、「~すべきである」という義務・当然の意味や、「~するはずだ」「~にちがいない」という強い推定・見込みの意味(インスパイア、青チャ)がある。 義務の強さは、 must > ought to > should である(ジーニアス)。 ought は助動詞であるが、to不定詞とともに使われる。 なお、ought to の否定形は ought not to ~ である(エバー、青)。 oughtn't to ~ という短縮形の否定もある(青)。 gimo疑問文は、たとえば「私は~すべきでしょうか?」なら Ought I to 不定詞 ~? の語順になる(青、ファクト)。 つまり、 Ought 主語 to 不定詞 ~? の語順。 == had better == had better 「~したほうがいい」は、字面だけなら「推奨」の意味だが、文脈によっては「命令」や「脅し」の意味に受け取られる場合がある。 had better には「そうしないと(or)、困った事になるぞ」という含みがあると感じられる場合があるから、である(桐原ファクト、)。 とくに、主語が you の場合、命令などの意味に受け取られやすいので、注意が必要(エバー)。 このため、 I think you had better ~ のように「I think 」や maybe などをつけて、意味をやわらげる場合もよくある。 had better の否定は 「had better not 動詞の原型」である(エバ、ジーニ)。 :※ 完了形と混同してか、had better なのに had の後ろに not を置くミスが学生に多い(エバ)。 「It would be better for you to 不定詞」でも、意味をやわらげられる(青チャート、インスパ、ブレイク)ので、目上の人にはこの言い回しが良いとされる(青チャ)。 青チャートいわく、「 It might be better for you to 不定詞」や「I would suggest (that)」 などでも「~するのが良いでしょう」の意味で言い換えできる、とのこと(青チャ)。 言い換え表現のほうでは、動詞の前にtoがついてto不定詞になっているのに注意。 なお、口語では You'd better や I'd better のように、よくhad を 'd と省略する(青チャ、ブレイク)。 疑問文の語順については、インスパイアと青チャート以外、言及していない。説明の簡単のため主語を I とすると、「~したほうが良いですか?」は Had I better ~? または Hadn't I better ~? とのこと(インスパイア)。 いっぽう、 Han I better not ~? 「~しないほうが良いですか?」 とのこと(インスパイア)。 青チャートいわく、英語では実際によく使われるのは、 Hadn't I better ~? 「~しないほうが良いですか?」 という言い回しとのこと(青チャ)。 sgrqtr06oohx20tepmspoh35b5apacz 206388 206387 2022-08-09T22:25:25Z すじにくシチュー 12058 /* May I と Can I */ wikitext text/x-wiki == May I と Can I == May には「許可」を意味する用法もある。 「May I ~?」(~してもいいですか?) は、目上の人に対して許可を求めるために用いられる。 「Can I ~?」は口語でよく使われ、とくに目上という関係は無い。 なお、 「You may ~. 」(あなたは~してもよい)は、目下の人間に対して使うので(桐原ファクト)、使用の際には注意が必要。 たとえば You may use your dictionary for this test. 「このテスト中は辞書を使ってもよろしい」(ジーニアス、桐原ファクト に似た例文) のように使う。このように、権威・権力にもとづく可能性を表す表現でもある(ジーニアス)。だから、けっして「may = 丁寧」と機械的に覚えないほうが良いだろう。 == must == === 勧誘 must === must には、強い勧誘を意味する用法もある(インスパイア、桐原ファクトブック、ジーニアス)。 You must ~. 「ぜひ~してください」「ぜひ~したほうがいい」 のような意味。 青チャートには書いていない。(あまり重要視してないのだろう。) 欧米人は、この手の、外国人には分かりづらい、やや飛躍気味の表現をすることもよくある。 :※ 飛躍気味とは、たとえば最近の俗語の例では、英米人の近年の若者などの用法で、すばらしい絵や文芸を見たときに、「その絵を消してくれ」なんていう表現も最近の英語では良く使われるという。どうやら「素晴らしすぎて、魅了されて、頭がおかしくなってしまいそうだ」→「だから消してくれ」という意味らしいのだが、しかし事情が知らない外国人が聞くと、単にその絵や文芸に不満があるかと誤解されかねない。しかし、英語は世界の覇権言語なので、外国人からの誤解を気にする必要も無い。日本人からすれば、まったく、英米人はうらやましい限りである。 この 勧誘の must を紹介しているインスパイア、ジーニアスも、コラム的に紹介しているだけである。(桐原ファクトのみ、本文で紹介。) :※ 昔から教育評論でよく言われる、英語教育の隠れた目的のひとつとして、誤解の恐れの少ない論理的な文章の書き方の教育を教える、という目的がある。文科省や国立大学などは、中立性などの理由で、「論理的な日本語の書き方はこうあるべきし」とは宣言できないので、仕方なく英文法など外国語を使って論理的な文章の書き方を教えようとしている、などとは昔はよく評論されたものである(もっとも、最近の英語教育では会話重視などで、そういう論理性の教育目的は雲散霧消してしまったが)。そういう論理的な文章の書き方の教育としては、勧誘 must やら上記例の「消してくれ」のような飛躍気味の用法は、嫌われるだろうから、大学入試などに勧誘の must などが出る可能性は低いかもしれない。 == 確信「ちがいない」 must の否定 == 「~にちがいない」という強い確認の意味での must の否定は、 cannot 「~はずがない」である(ジーニアス、インスパイア、青チャート)。 なぜそうかといわれても、そうだと決まってる。英米人がそういう使い方をしているので、合わせるしかない。 :※ これまた、あまり論理的でないので、おそらく入試では問われづらいだろう。たとえば桐原ファクトでは、must の項目では、確信の否定 cannot を無視しており、非紹介である。なお、桐原でも can の側で cannot「~はずがない」を説明しており、可能性 can の否定として cannot「~はずがない」 という用法を説明するというのが桐原ファクトの理論構成である。 cannot や can't と言った場合、単に「~できない」という可能性を否定するだけの用法もあるが(インスパイア can側)、それとは別に「~のはずがない」という強めの感情的色彩をおびた「否定の確信」な意味の用法の場合もある(桐原ファクト、ジーニアス)。 == Can you ? == 英語では、相手に能力を直接聞くのは、失礼に当たると見なされている場合もある。 たとえば、 Can you speak Japanese? は、背景として、「あなたは日本語を話せないといけない」と思われることもある(インスパイア、ジーニアス)。このため、canを使わずに Do you speak Japanese? と聞くのが良いとされている(ジーニアス)。 一方、話し手が自分の語学の能力を「私は~できます」と言う場合は、なるべく be able to よりも canを使うほうが謙遜気味で礼儀正しいとされており、つまり I can のほうが良いとされている(ジーニアス)。I のあとに be able to を使うと、英米では能力自慢のように聞こえるらしい(ジーニアス)。 can youが無礼なのに I can が礼儀正しいのは意味不明だが、しかし覇権国家の英米人がそう使い分けているので、英語学ではそう合わせるしかない。うらやましい。所詮、語学は暗記科目であり、「理屈と膏薬はどこにでもつく」(日本のことわざ)である。 また、派生的にか、可能性のcanは疑問文では、強めの疑いや、おどろきや当惑などの意味をもつこともよくある(青チャート、インスパイア)。参考書によくある典型的な例文だが Can the rumor be true? 「そのウワサは本当だろうか?」 という疑問文では、そのような、強めの疑いや、おどろきなどの意味がある。・ さて、can は、今後も通用する能力や可能性について言うので、単に一回だけのことに「昨日は~できた」みたいに言う場合には can や could を使わない(ジーニアス、青チャート)。 1回だけ「~できた」場合には、 be able to や 「managed to不定詞」 や succeed in ~ing などを使う(青チャート、インスパイア)。 また、とくに能力などを強調するのでなければ、単に過去形だけを使って1回だけできたことを表現してもいい(ジーニアス)。 なお、否定文や疑問文の場合は could を使っても良く、つまり couldn't や wasn't(または weren't) able to でもいい(インスパイア)。 ただし、こういう細かい使い分けよりも、入試に出るのは、構文 cannot help ~ing 「~せざるを得ない」 cannot help but +動詞の原型 「~せざるを得ない」 cannot but +動詞の原型 などだろう(インスパイア、桐原ファクトブック)。 90年代、こういう二重否定的な構文が(中学範囲ではなく)高校範囲だった過去がある。 cannot ~ too ○○ 「いくら~しすぎても○○しすぎることはない」 という反語的な表現も、90年代の典型的な高校英文法の範囲であった。 そのほか、「ときに ~することがある」と好ましくない事を言う場合に can を使うことがある。ジーニアスいわく「風邪は時に重い病気につながることがある」とか、青チャートいわく「そういう事故はときどき起こりうるものだ」で can を使っている。 だが、これとは逆に思える用法もインスパイアにあり、「can はもともと備わっている能力を表す」として「be able to は一時的な能力を表す」などという用法もある。 ※ このように、助動詞まわりは、あまり規則的ではなく、またやや口語的であり、あまり日本の大学入試対策としては深入りする必要が無いだろう。上述したが cannot help ~ ing のような構文を覚えることを優先すべきである。 == 助動詞 need == 本動詞 need とは別に、助動詞 need というのがあり、 「need +動詞の原型」の形で使う。 助動詞 need は主にイギリス英語である。 参考書では平叙文に助動詞 need が使われることもあるが(ジーニアス)、しかし実際の英米では疑問文と否定文でのみ助動詞 need が使われるのが一般的である(青チャート、桐原ファクト)。 このような制限が助動詞 need にあるため、実のところ、あまり信用頻度は高くない、・・・というのが桐原ファクトの見解。 助動詞 need の否定形は need not または needn't であり(青チャ-ト)、つまり「 need not +動詞の原型」のような形になる。 また、助動詞 need に過去形は無い(青チャ、インスパ)。また、主語が三人称単数でも、助動詞 need には sはつかず、needのまま(青チャ)。 もし、過去の必要性について言いたい場合、単に、本動詞 「need to不定詞」を使えばいい(ジーニアス、青チャ、インスパイア)。 なお、本動詞 need の否定文や疑問文は、単に中学英文法と同様に I didn't need to 不定詞 や Did you need to 不定詞 ? を使えばいいだけである。 なお、完了形との組み合わせ「 need not have +過去分詞」だと、「~する必要はなかったのに」(+「しかし実際は~してしまった」)という後悔や非難などの意味になる(ジーニアス、インスパイア、桐原ファクト)。 ※ インスパイア・桐原ファクトに「実際は~してしまった」の説明あり。インスパイアに「非難」の意味あり。桐原は「後悔」のみ。ジーニアスは二次熟語では表現せず。 == dare == 助動詞としては、2つの慣用文がある。 How dare say ~? 「よくも~できたものだね」 という苛立ち(いらだち)をあらわす。 I dare say ~. 「たぶん~だろう」「おそらく~だろう」 sayのあとに接続詞 that は続かない(インスパイア)。 I daresay ~ という一語でdareとsayを縮めた言い回しもある(インスパイア、ブレイクスルー)。 dare の用法は、あまり論理的ではない。ほか、助動詞 dareに過去形 dared もあるとされているが、現代ではマレ(青チャート)。 そのほか、 Bod dare not propose to her. 「ボブは彼女にプロポーズする勇気がない」 のように、否定文や疑問文で dare が使われることがある。 だが、この場合の dare は「勇気のある」の意味なので、助動詞を使わずとも courage や brave などをつかった言い表すこともできて、むしろ英米では口語には courage などの言い回しのほうが多いのが実態とのこと(エバーグリーン)。 さて、助動詞以外にも、本動詞としての dare の用法があり、上記2つの「How dare」「I dare say(または daresay)」慣用表現以外の場合では、本動詞としてdareをつかうことのほうが一般的であり(ジーニアス)、 He dares(または dared) to ~ 「彼はずうずうしくも~する(した)」 のように使うこともある(青チャ)。 == ought to == ought to は、助動詞 should と同じような意味として紹介されることもある。だが、実際には should よりも、やや意味が強い。 ought to には、「~すべきである」という義務・当然の意味や、「~するはずだ」「~にちがいない」という強い推定・見込みの意味(インスパイア、青チャ)がある。 義務の強さは、 must > ought to > should である(ジーニアス)。 ought は助動詞であるが、to不定詞とともに使われる。 なお、ought to の否定形は ought not to ~ である(エバー、青)。 oughtn't to ~ という短縮形の否定もある(青)。 gimo疑問文は、たとえば「私は~すべきでしょうか?」なら Ought I to 不定詞 ~? の語順になる(青、ファクト)。 つまり、 Ought 主語 to 不定詞 ~? の語順。 == had better == had better 「~したほうがいい」は、字面だけなら「推奨」の意味だが、文脈によっては「命令」や「脅し」の意味に受け取られる場合がある。 had better には「そうしないと(or)、困った事になるぞ」という含みがあると感じられる場合があるから、である(桐原ファクト、)。 とくに、主語が you の場合、命令などの意味に受け取られやすいので、注意が必要(エバー)。 このため、 I think you had better ~ のように「I think 」や maybe などをつけて、意味をやわらげる場合もよくある。 had better の否定は 「had better not 動詞の原型」である(エバ、ジーニ)。 :※ 完了形と混同してか、had better なのに had の後ろに not を置くミスが学生に多い(エバ)。 「It would be better for you to 不定詞」でも、意味をやわらげられる(青チャート、インスパ、ブレイク)ので、目上の人にはこの言い回しが良いとされる(青チャ)。 青チャートいわく、「 It might be better for you to 不定詞」や「I would suggest (that)」 などでも「~するのが良いでしょう」の意味で言い換えできる、とのこと(青チャ)。 言い換え表現のほうでは、動詞の前にtoがついてto不定詞になっているのに注意。 なお、口語では You'd better や I'd better のように、よくhad を 'd と省略する(青チャ、ブレイク)。 疑問文の語順については、インスパイアと青チャート以外、言及していない。説明の簡単のため主語を I とすると、「~したほうが良いですか?」は Had I better ~? または Hadn't I better ~? とのこと(インスパイア)。 いっぽう、 Han I better not ~? 「~しないほうが良いですか?」 とのこと(インスパイア)。 青チャートいわく、英語では実際によく使われるのは、 Hadn't I better ~? 「~しないほうが良いですか?」 という言い回しとのこと(青チャ)。 mdfbhe3jvcar5agdaqbdci3vcy3t6mu 高等学校日本史B/後醍醐天皇と建武の新政 0 35304 206380 2022-08-09T14:13:10Z 椎楽 32225 椎楽 がページ「[[高等学校日本史B/後醍醐天皇と建武の新政]]」を「[[高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡]]」に移動しました: 建武の新政の話無しのため。実際、建武の新政の話は別ページの方が望ましいか。 wikitext text/x-wiki #転送 [[高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡]] 8tgmmmhtsnq9r90vbdv7t40q6sue2wz 小学校社会/6学年/歴史編/戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで 0 35311 206405 2022-08-10T10:51:09Z Tomzo 248 新規作成 wikitext text/x-wiki {{Nav}} {{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|6学年|歴史編|frame=1}} {| class="wikitable" style="width:100%" |+ この章の概要 |<!--(サ)日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦,日本国憲法の制定,オリンピック・パラリンピックの開催などを手掛かりに,戦後我が国は民主的な国家として出発し,国民生活が向上し,国際社会の中で重要な役割を果たしてきたことを理解すること。--> ★時代区分:昭和時代、平成時代、令和</br> ★取り扱う年代:1926年(昭和改元)以降 ; 戦争への道 : 1926年昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました。 : 日本経済は、第一次世界大戦終結後、長く低迷を続けていましたが、1929年に'''世界恐慌'''が起きるとさらに景気が悪くなりました。人々の一部は、中国東北部(満州)の開発で、これを解決しようとしました。こうして、'''中華民国'''との間に対立が生まれ、1931年から戦争状態となります。全世界を見ても、世界恐慌から回復しようと自国を優先した政策をとるようになります。こうして、世界は第一次世界大戦前のような状態になってきました。特に1919年ロシア革命で生まれた'''ソビエト連邦'''(ソ連)に対しては、日本はドイツ・イタリアと同盟するなど各国から警戒されました。こうした中、1939年ドイツはポーランドに侵攻し'''第二次世界大戦'''が始まりました。1940年、ドイツはフランスに侵攻、1941年にはソ連に侵攻するなど戦争が拡大しました。日本は、中国との戦争を非難するアメリカ合衆国との交渉がうまくいかず、1941年ドイツ側に参戦し、アメリカやイギリスと戦うことになりました。この戦争は、戦車や飛行機といった最新の強力な兵器が使われ、大量の犠牲者が出ました。日本も、中国をはじめとしたアジア各地で住民に損害を与えた一方で、戦争の後期には、日本各地で'''空襲'''を受け、沖縄は全土が戦場となり、そして、広島・長崎に'''原子爆弾'''が落とされるなど、歴史上見なかった被害を出して、戦争に敗れました。 ; 民主国家日本の誕生と発展 : 日本は、戦勝国であるアメリカ合衆国の占領下に入り、その下で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三大原則とした'''日本国憲法'''が制定されるなどさまざまな民主化政策が行われます。そうして世の中が安定すると、日本は品質の高い工業製品を世界中に輸出することで、経済力を回復し('''高度経済成長''')、国民生活が向上すると同時に、国際社会の一員として復帰しました。その象徴が、1964年に開催された'''東京オリンピック'''と'''パラリンピック'''です。その後も、万国博覧会、2回の冬季オリンピックやサッカーワールドカップなど世界的な催し物を開催できるようになりました。2021年世界中が'''コロナ禍'''で沈む中、2回目の'''東京オリンピック・パラリンピック'''を開催したことは記憶に新しいところです<!--指導要領に「1964年に開催された東京オリンピックとパラリンピック」が強調されており、無視するわけにもいかず付言する。指導要領作成時にはこの事態は当然想定しておらず、成功する前提で話題としているに違いない-->。 |} == 世界の変化4 == :この章では、1925年に日本が昭和となってからの歴史を述べます。 :しかし、この時代になると、日本も国際社会の登場人物の一人として振る舞わないといけないようになっていました。そして、世界中を巻き込んだ戦争が世界を大きく変えます。昭和以降の歴史は、その世界の歴史の一部です。 :'''この節は、[[#世界の変化3|前の節]]同様、小学校で学習する範囲を超えていますが、昭和以後の日本の歴史に大きく関わる第二次世界大戦がなぜ起きたのか、その後、「世界」はどうなったのかということを理解できていないと、昭和以降の日本の歴史を深く理解することはできません。また、別の機会に学ぶ、「我が国の政治の働き」について、日本国憲法の成り立ちや、そこで強調される国民主権、平和主義、国民としての基本的人権が、決められた経緯などは、まさに、この歴史的な動きの中で成立したものです。''' :この節では、ここでは、「世界恐慌・大恐慌」「ファシズム」という言葉がキーワードになります。 [[File:Ford modelle 1924.jpg|thumb|200px|1924年、フォード車生産累計1000万台達成時の記念写真。ヘンリー・フォードの両側に、1896年の最初の試作車と、1000万台記念のモデルTが並ぶ。]] [[File:Depression, Breadlines-long line of people waiting to be fed, New York City, in the absence of substantial government... - NARA - 195524.tif|thumb|200px|食料配給に並ぶ失業者たち。]] [[File:Bundesarchiv Bild 146-1969-054-53A, Nürnberg, Reichsparteitag.jpg|thumb|200px|ヒトラー(前を歩くヒゲの人物)とナチス幹部]] ;第一次世界大戦後のアメリカの好景気 :第一次世界大戦後にあっても1920年代を通して、米国は、ヨーロッパにおける復興の需要などがあって景気を維持していました、そのため、米国においては、生産力を増大させるための工場などの投資が引き続きなされ、庶民の間ではローンを組んでの住宅投資などがなされました。また、'''ヘンリー・フォード'''は、1908年に大量生産によって価格を安くして一般人にもT型フォードという自動車を発売し、それが、1920年代の好景気を受け、急激に普及しました。戦争の間、通信の手段として一般に解放されていなかった無線技術を使った'''ラジオ放送'''が1920年解禁され放送局ができて、人々はラジオを買い求めました。また、人々は財産を貯めるために株式を購入し<ref>米国の人々は、お金を貯めるのに、日本と違って銀行へ預金するのではなく、株式を購入する傾向があります。それは、現在も同じです。</ref>、株式価格も{{ruby|高騰|こうとう}}<ref name="高騰暴落">「高騰」は「値段が上がる」こと、「暴落」は株式などの値段が、急激に下がることを言います</ref>する傾向にありました。 ;世界恐慌 :しかし、第一次世界大戦終了後、10年も経過すると、ヨーロッパ各国も落ち着きを取り戻し、工場なども再建されて、米国での工業生産は余るようになっていました。一方で、好景気が続いたため物価が上がり('''インフレーション'''・インフレ)、中央銀行はこれを抑えようと金利を上げるなどの対策をとっていました。 :そのような状況の中、1929年(昭和4年)10月24日ニューヨーク株式市場で一部の株式が{{ruby|暴落|ぼうらく}}<ref name="高騰暴落"/>しました。株式市場で、値が下がり始めると、それから逃れようとして持株を売って現金にしようとする人が増えます。すると、ますます、株式の値が下がるという悪循環におちいります。こうして、1週間ほどで、米国の株式は半分ほどの価格になってしまいました。100万円あったと思っていた預金が50万円になったようなものです。 :この大暴落を機会に米国は急激に不景気となります。米国からの投資や米国への輸出で景気を保っていたヨーロッパもこれに巻き込まれます。こうして、世界中が深刻な不景気となりました。これを、'''{{ruby|世界恐慌|せかいきょうこう}}'''または'''{{ruby|大恐慌|だいきょうこう}}'''と言います。 ;世界恐慌に対する各国の対応 :20世紀になって先進国各国において、工業化が進んで労働者の数が多くなったことや労働組合のやり方が広く知られるようになったことを受けて、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#労働運動|労働運動]]はますます激しいものになっていました。特に第一次世界大戦後は、徴兵されて戦場に向かった兵士に多く工場労働者が含まれるようになったことで、労働者の発言力が強まりました。また、ソ連の成立が、これらの労働運動を勢いづけたという面もあります。世界恐慌で企業の経営があやうくなると、雇用も不安定になるなど、労働者の立場は不利になりました。各国では、大規模なストライキを含んだ労働運動が展開され、また、あわせて社会主義者や共産主義者の活動が目立つようになりました。 :<span id="ファシズム">このような、社会主義者や共産主義者の動きについて、ほとんどの先進国の政府は警戒します。また、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#反社会主義|先進国の民族主義者たち]]は、政党を作って社会主義運動に対抗し、外国資本の進出に抵抗しました。イタリアでは、'''ベニート・ムッソリーニ'''が'''ファシスト党'''を、ドイツでは'''アドルフ・ヒトラー'''が'''ナチス党'''<ref>正式な名称は「国民社会主義ドイツ労働者党」で「ナチス」は{{ruby|軽蔑|けいべつ}}の意味も込めた略称です。しかし、広く使われている呼び名なので、以下、「ナチス党」で統一します。</ref>を結成し、社会主義運動と争いました。このような、政党を'''ファシズム'''の政党といいます。 :自国の景気を回復させるため、広い植民地を持つイギリスやフランスは、植民地との結びつきを強くし、その他の国との貿易を関税を高くするなどして制限しました。これを'''ブロック経済'''と言います。他の国も同様の制限をしたのですが、植民地がほとんどないドイツやイタリアには経済の後退をもたらしました。特にドイツは、第一次世界大戦の賠償金のをまだ支払っていたところであったので、国民経済の{{ruby|窮乏|きゅうぼう}}が激しく社会問題となっていました。この、窮乏に乗じてナチスなどは勢力を伸ばしました。また、ブロック経済は、世界的に見ると経済の循環を悪くさせかえって世界全体の景気回復には悪影響を与えました。 :景気を回復させる、もう一つの方法として、政府が公共事業などを行うことにより、仕事を作って失業者を減らす方法です。<span id=''ヨシフ・スターリン''/>'''ヨシフ・スターリン'''が独裁的な指導者となった、ソ連は計画経済といって、工業生産などを政府が指導して行い、世界恐慌の影響を受けませんでした。米国大統領'''フランクリン・ルーズベルト'''は、恐慌対策の一つとして、電力需要の増加に対応できることもあり、大規模なダムと水力発電所建設の事業などを行いました。イタリアではファシスト党が1922年に、ドイツではナチス党が1933年に政権を取りますが、ファシズムは政府に強い権限を持たせる思想であるため、公共事業などを次々に行い、景気を回復させようとしました。例として、ドイツの高速道路網(アウトバーン)の建設があげられます。こうして、ドイツなどは生産力を回復しましたが、ブロック経済などにより、国内の生産物を売る市場が十分ではなかったため、その政策には限界がありました。 == 戦争への道 == :1926年(大正15年)12月25日大正天皇が亡くなり、昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました<ref>昭和元年は12月25日から12月31日までの1週間だけでした。</ref>。 === 日中戦争 === :1919年(大正8年)第一次世界大戦が終わると、翌年には景気が一気に冷え込み、多くの中小企業が倒産するなど不景気になっていました。その間に、首都圏が[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#関東大震災|関東大震災]]に襲われるなどして景気の回復はなかなか見られませんでした。社会不安は進み、社会主義・共産主義などの考えも伝わり、ストライキなどの{{ruby|労働争議|ろうどうそうぎ}}なども各地で見られるようになりました。政府は、それを取り締まるため'''<span id="治安維持法"/>{{ruby|治安維持法|ちあんいじほう}}'''を制定、労働運動を弾圧し、共産党員などを逮捕・収監<ref>刑務所に入れること。</ref>したりしていました。 :日本は、市場や資源を求め、日露戦争でロシアからゆずられた南満州鉄道沿線の開発を進めますが、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#辛亥革命|1911年辛亥革命によって成立した中華民国]]は内部の対立などが合って政府の力が弱く、治安の維持などが十分ではなかったこともあり、沿線の治安維持の名目で日本陸軍などが進駐しました({{ruby|関東軍|かんとうぐん}})。 [[File:Lytton Commission at railway.jpg|thumb|220px|南満州鉄道での爆発現場を調査しているリットン調査団。]] :一方で、軍部は[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#軍縮|世界的な軍縮の傾向]]によって、軍隊の規模を縮小されたりしていたため政府に不満を持っていました<ref>軍縮によって、職を失った軍人などが社会主義運動などに走ることなども警戒されていました。</ref>。日本から離れた関東軍などは日本政府の命令もなく、要人を暗殺したり、現地の中国人などによる集団と衝突したりしていました。 :そして、1931年(昭和6年)、南満州鉄道での爆発事件をきっかけに、関東軍は軍を進め満州一帯を占領し('''満州事変'''<ref name="事変">「事変」というのは、「事件」・局地的なトラブル程度の軽い意味ですが、お互いの政府が「戦争」ととらえていないだけであって、実際は戦争と変わりありません。戦争というと、当事国以外の国との外交関係などにも影響を与えるため、政府としては大げさなものにしたくなかったものと考えられます。</ref>)、翌1932年(昭和7年)清王朝の最後の皇帝{{ruby|溥儀|ふぎ}}<ref>清朝は、もともと満州地域を本拠地とした女真族の国でした。</ref>を皇帝とした満洲国として独立させます。満洲国は独立国とは言っても、政府には多くの日本人が入り、日本の影響を強く受けた国でした<ref>このような国を{{ruby|傀儡|かいらい}}国家と呼びます。「傀儡」とは「あやつり人形」のことです。</ref>。中華民国政府は、これを抗議して国際連盟に訴えました。国際連盟は、調査団(リットン調査団)を満州に入れ詳細に調査した結果、中華民国の主張を受け入れ、満州地域を中華民国に返すように勧告しましたが、日本はこれを不満として1933年(昭和8年)国際連盟を脱退しました。 :日本国内でも、軍人の暴走が続きました。1932年(昭和7年)5月15日には武装した海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害する事件('''五・一五事件''')が起き、1936年(昭和11年)2月26日には、陸軍青年将校らが約1,500名の兵隊を率いて蜂起し、政府要人を襲撃・殺傷、首相官邸や霞ヶ関の役所街などの一帯を占領するというクーデター未遂事件('''二・二六事件''')が起こりました。どちらの事件も犯人の逮捕及び反乱の鎮圧で解決しましたが、軍部が国の政治に口を出す大きなきっかけとなりました。<span id="軍国主義"/>このように、軍部が国の政治を主導したことを'''{{ruby|軍国|ぐんこく}}主義'''といいます。 :中国では、中華民国政府と中国共産党などの勢力争いが続いており、満州国以外の上海などといった中国本土の都市で経済活動をする日本人は不安な生活を送っていました。関東軍などの中国に駐留する日本陸軍は、これらの人たちの保護のため、満洲国の外に出て、数千人の軍隊を駐留させました<ref>「居留民保護」といって、中国に在住者を持つ欧米各国でも数百人から千人程度の軍隊を駐留させていました。</ref>。1937年(昭和12年)7月7日北部中国の都市北平(現在の北京)の郊外で日本軍と中華民国軍が衝突し、そのまま、両国は戦争状態となりました('''日中戦争'''、ただし、当時の日本政府はこれを戦争ととらえず、「支那事変」「北支事変」「日華事変」<ref name="事変"/>といっていました)。 === 第二次世界大戦・太平洋戦争 === :中華民国政府と敵対する日本は、中国に多くの権益をもつイギリスや、多くの中国人移民を受け入れ、また、中国を大きな市場として期待する米国との関係を悪くします。 :一方で、ソ連他共産主義を警戒するという共通の目的で、ヒトラーのドイツやムッソリーニのイタリアとの関係を強めます。1936年(昭和11年)にドイツとの間に、共産主義の流入を防止する{{ruby|防共協定|ぼうきょうきょうてい}}を締結し、翌年、イタリアもこれに加わります('''三国防共協定''')。 :ドイツは、東ヨーロッパのも領土を多く持っていましたが、第一次世界大戦でほとんど失いました。しかし、そこには、まだ多くのドイツ系の住民が残っていたため、ヒトラーは軍隊を進めるなどして、それらをドイツに取り戻し、欧米各国もこれに抵抗しませんでした({{ruby|宥和|ゆうわ}}政策)。 :[[画像:Second world war europe animation small.gif|thumb|350px|第二次世界大戦のヨーロッパ戦域の動画<br/>青色系がドイツなど枢軸国側、赤色系がイギリスなど連合国側です。ソ連は最初のうちは立場が不明確であったため緑色で表されています。]] :1939年8月23日ドイツはソ連との間に、お互いを侵略しないことを約束する'''独ソ{{ruby|不可侵|ふかしん}}条約'''を結びます。これは、「防共」の趣旨に反するもので、日本をはじめとした各国を混乱させます<ref>当時の首相であった{{ruby|平沼騏一郎|ひらぬまきいちろう}}は「欧州の天地は複雑怪奇」との言葉を残し、8月28日内閣総辞職します。</ref>。 :そして、その直後の9月1日ドイツは東の隣国ポーランドに軍隊を進め、同月17日ソ連も東からポーランドに攻め込み、ポーランドは独ソに分割されました。イギリスとフランスはポーランドと相互援助協定があったため9月3日ドイツに宣戦布告しました。こうして、再びヨーロッパで世界的な戦争が起こります。これを、'''{{ruby|第二次世界大戦|だいにじせかいたいせん}}'''といいます。 :1940年になるとドイツ軍は、西側に戦力を投入しオランダ、ベルギー、フランスをせめ、6月までに各国を降伏させました。同年9月日本とドイツとイタリアは、まだ参戦していない米国を警戒して'''日独伊三国同盟'''を結びます。これ以降、日独伊側の国を'''{{ruby|枢軸|すうじく}}国'''<ref>「枢軸」とは、それを中心にして回るコマの軸のようなものを言います。ムッソリーニが、「ヨーロッパをローマ(イタリア)とベルリン(ドイツ)を軸にして回す」という発言が元になっています。</ref>といい、これに対応する国々を'''{{ruby|連合|れんごう}}国'''といいます。日本は、ドイツの支配下に入ったフランスの植民地である仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐し、フランスに代わって植民地経営を行います。 :1941年4月日本とソ連は'''日ソ中立条約'''を結びます。ところが、その直後である6月ドイツは不可侵条約を破棄し、ソ連に攻め込み、ドイツとソ連は戦争状態となり、連合国にソ連が加わりました。 :日中の争いに米国とイギリス、オランダ<ref>当時、オランダはジャワ島など現在のインドネシアを植民地としていて、日本はそこから原油を輸入していました。</ref>は中国を支援して貿易などを制限する立場を取りました。これを'''ABCD{{ruby|包囲網|ほういもう}}'''<ref>A(America アメリカ合衆国)、B(Britain;ブリテン、イギリスのことです)、C(China 中国)、D(Dutch;ダッチ、オランダ)の4国によるものです。</ref>といいます。日本は、米国とこの制限について解消するよう交渉を続けましたが、米国は、最終的に、日本の中国からの撤退を条件としてきたため交渉は決裂、日本の首相である'''{{ruby|東條英機|とうじょうひでき}}'''は、米国や英国との戦争を決意しました。 :1941年12月7日、日本は米国ハワイの真珠湾基地とマレー半島のイギリス軍基地を攻撃し、両国に対して宣戦を布告しました('''{{ruby|太平洋戦争|たいへいようせんそう}}'''<ref>戦後の呼び名です。当時は{{ruby|大東亜戦争|だいとうあせんそう}}(東亜=東アジア)と言っていました。</ref>)。このことで、日中戦争は第二次世界大戦のひとつとなり、中華民国が連合国の一国となりましたし、米国が連合国に加わって、日本に対するだけではなく、ヨーロッパの戦争にも参戦するようになります。 :日本は開戦当時、大量の航空機<ref>「ゼロ戦」などが有名です。</ref>を使った攻撃という今までに見られなかった戦い方などで、米英を圧倒し、米国の植民地であったフィリピン、イギリスの植民地であった香港やシンガポールを含むマレー半島やボルネオ島、オランダ<ref>この頃、オランダはドイツに占領されていて、イギリスに渡ったオランダ王室の配下の政府(「{{ruby|亡命政府|ぼうめいせいふ}}」と言います)が治めていました。</ref>の植民地であるジャワ島などインドネシア諸島を占領しました。また、タイ王国と同盟関係を結んで、英領ビルマ(現在のミャンマー)に軍を進め、さらに、北上して英領インドに進軍する勢いをしめしました。 :こうして、1942年年頃までに、世界は枢軸国側と連合国側に大きく分かれ、このころまでは、枢軸国側が、比較的有利に戦いを進めていました。 :なお、この頃からドイツ国内やドイツが占領したヨーロッパの地域では、ナチス党の民族主義にもとづく、<span id="ユダヤ人迫害"/>'''ユダヤ人<ref><span id="ユダヤ人"/>'''ユダヤ人'''とは、もともと、中東の地中海沿岸(現在のイスラエル)に住んでいた民族で、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#キリスト教|キリスト教]]の元になった'''ユダヤ教'''を信仰する人々です。紀元1世紀ごろ古代ローマ帝国の攻撃にあって、イスラエルの土地を追われ、ヨーロッパ各地に散らばりました。ユダヤ人は、自分たちの宗教を守りぬいて、キリスト教に改宗しませんでした。また、新約聖書によると、イエス・キリストはユダヤ教の宗教指導者が訴えたので十字架にかけられたとされているため、キリスト教徒とは敵対的な関係にありました(なお、イエス・キリストは民族的にはユダヤ人です)。多くのユダヤ人は、長い間差別され土地所有などできなかったので、ヨーロッパの地方では生きていけず、都市生活者となり、そこで生きていくために、商業や金融の能力を高めて成功した者も少なくありませんでした。こうしたことが、ねたまれて民族的差別(現在の言葉で言う「ヘイト」)の対象となっていました。</ref>の迫害'''が表立って行われるようになり、ユダヤ人の財産を奪って、強制収容所に送るということがなされていました。強制収容所では多くのユダヤ人が処刑されました。 :1942年8月、ドイツおよびイタリアなど枢軸国は、ソ連南部のスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)に攻め込みます。当初は、枢軸国軍の戦車など近代兵器を大量に投入する作戦により早期に枢軸国が占領することになりましたが、ソ連は、国力を上げて、この街を取り返そうとしました<ref>ドイツが、この街(スターリングラード)の占領にこだわって、ソ連も必死でとりもどそうとしたのかというと、この街の名前のためと言われています。「スターリングラード」は、ロシア語で「[[#スターリン|スターリン]]の街(グラード)」という意味です。</ref>。これはドイツとソ連との戦いの中で最も激しいものとなり、ドイツなど枢軸国は約100万人の軍隊を進め、ソ連は約170万人の兵士で守りましたが、戦死傷者は枢軸国約85万人、ソ連約120万人、住民の死者約20万人を数える悲惨なものになりました。結局、翌1943年2月ドイツが撤退し、それ以降、ヨーロッパの東部ではソ連が優勢になります。 :1943年に入ると、米国の参入が本格化します。北アフリカに上陸した米軍は、北アフリカのドイツ軍とイタリア軍を降伏させ、このまま北上しイタリアを攻撃。9月イタリアは降伏します。 :翌1944年アメリカ軍など連合国はフランスのノルマンディーに上陸し、フランスを回復、そのまま東に攻めていきます。また、東側からは、ソ連が勢いを盛り返して、西に進んでおり、ドイツは挟み撃ちの状態となって、1945年4月ヒトラーは自殺し、ヨーロッパでの大戦は終結します。 :日米は、開戦以来、南太平洋で[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#制海権|制海権]]を争っていましたが、1944年米国は初戦で失った艦船に倍増するほどの船を造船し、この年の末までに航空母艦<ref>戦闘機・爆撃機など軍用機を積んで発着させる軍艦。</ref>をはじめとした日本の軍艦をほとんど沈め、日本は制海権を失います。米国はこの地域に空港を作って、爆撃機を飛ばして、日本本土の各都市に爆弾を落として攻撃('''{{ruby|空襲|くうしゅう}}''')するようになります。 [[画像:Physical damage, blast effect, Hiroshima, 1946-03-13 ~ 1946-04-08, 342-USAF-11071.ogv|right|300px|thumb|thumbtime=5:55 |原爆投下の翌年1946年春、米軍映画撮影隊による爆心地周辺の被害状況映像。]] :日本は海に囲まれているので、制海権を失うと各地での戦争の継続が難しくなる一方で、1945年に入ると米国の攻撃は激しさを増します。同年4月には沖縄本土に米軍が上陸、4月から7月にかけて東京や大阪といった大都市だけでなく、各地の地方都市も空襲を受け焼け野原になります。<span id="原子爆弾"/>そして8月6日広島に8月9日長崎に'''{{ruby|原子爆弾|げんしばくだん}}'''が落とされ、それぞれ、合わせて20万人以上の死者を出しました。また、ソ連が条約を破って満州などの日本軍を攻撃したことで、日本政府は戦争を継続することはできないと判断し、8月15日連合国に降伏しました。これで、第二次世界大戦は終結します。 :[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#第一次世界大戦の犠牲者|第一次世界大戦は、協商国側・同盟国合わせて、約1000万人の戦死者、約2000万人の戦傷者、約800万人の行方不明者を出し、民間人も約780万人の死亡者を出すと言う悲惨な戦争でした]]が、第二次世界大戦はさらにひどいものとなりました。連合軍側の犠牲者は、軍人の戦死者数約1700万人、民間人の死亡者数3300万人、枢軸国側の軍人の戦死者数約800万人、民間人の死亡者数400万人といったものです。 :日本の場合、220万人程度の戦死者と50万から100万人の民間の死者を出しました。空襲で多くの家や財産が焼き尽くされました。また、満州や朝鮮に約250万人程度の日本人が住んでいましたが、その人たちはほぼ全ての財産を奪われ、約40万人が日本へ帰還の際に亡くなりました。多くの人たちが戦争に協力しようと、財産で{{ruby|国債|こくさい}}(国の借金)を買いました。しかし、その国債は戦後の極端なインフレーションのため400分の1の価値に落ちてしまいました。戦争はこうして人々の生活に大きなきずあとを残したのです。 == 民主国家日本の誕生と発展 == === 戦後社会と冷戦 === ==== 民主国家日本の誕生 ==== :降伏した日本は、米国の占領下に入りました。敗戦に伴って、以下にあげるとおり、日本は大きく変わりました。 :#日本国の領土は、明治維新当時のものとなりました。そのため、朝鮮半島は独立し、台湾は中華民国の支配に入り、その他南洋諸島なども日本の支配を離れました。サハリン島南部(南樺太)も放棄し、そこにはソ連が進駐しました。なお、{{ruby|択捉|えとろふ}}島・{{ruby|国後|くなしり}}島など北方4島は、明治維新には日本の国土であったため、支配放棄の対象ではありませんが、ソ連は不法にこれを占領し、それが、ロシアに引き継がれ、いまだに解決していません。また、沖縄県は、米国が琉球政府を建てて日本本土と別の政治をおこないました。 :#全ての兵器を差し押さえ、陸軍と海軍を解体しました。 :#米国は、日本が戦争に向かった原因は[[#軍国主義|軍国主義]]にあると考えて、日本の民主化を進めることとしました。 :##占領直後に、政治思想や活動を規制していた、[[#治安維持法|治安維持法]]を廃止し、刑務所に収監されていた労働運動家や共産党員を解放しました。そして、労働組合法が制定され、労働運動は合法的なものとなりました。 :##経済を一部の{{ruby|財閥|ざいばつ}}が独占していたことで、自由な経済活動ができなかったとして、三井、三菱、住友といった財閥は会社や資本の関係をバラバラにされました({{ruby|財閥解体|ざいばつかいたい}})。 :##戦前日本の農業は、農地の所有者である地主に、お金を払って農作物を作る{{ruby|小作|こさく}}制度が広く普及していましたが、実際に耕す人の所有になるべきとの考えから、地主の農地は小作人に分け与えられました({{ruby|農地改革|のうちかいかく}})。 :##これらの改革と同時に、国の政治の根本を見直すために、憲法を変えることになるました。1946年(昭和21年)4月10日、初めて、男女平等の普通選挙による衆議院選挙が行われ、その国会で新たな憲法が議論されて、'''日本国憲法'''として同年11月3日に公布、翌1947年(昭和22年)5月3日<ref>国民の祝日である憲法記念日です。</ref>施行されました。 ;日本国憲法 :日本国憲法は、今、私たち日本人が生活するのに基本となっているルールです。社会科の他の単元でも詳しく学習するものですが、ここでは歴史の流れから憲法を考えてみましょう。 :[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#明治憲法|前の章では、明治憲法の特徴について、簡単に説明しました]]。ここでは、新憲法を明治憲法と比較してみましょう。 <div style="margin:0 2em 0 4em"> {| class="wikitable" style="width:100%;" |+ ! style="width:7%;" | ! style="width:31%;" | 大日本帝国憲法(明治憲法) ! style="width:31%;" | 日本国憲法(新憲法) ! style="width:31%;" | 解説 |- !天皇 |国の統治者。 |日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。<br/>天皇は、国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。<br/>天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする。 |一般に明治憲法においては、天皇を統治者(=主権者)とされます。一方、新憲法では国民に主権があると定め、その総意に基づいて天皇は日本国及び国民統合の「象徴」と定めました。 |- !国会 |天皇に協賛して法律や予算を定める機関。<br/>選挙された議員による衆議院と世襲貴族などによる貴族院で構成される。<br/>改正まで女性に選挙権は与えられなかった。 |国権の最高機関。<br/>選挙された議員による衆議院と参議院で構成される。<br/>選挙権及び被選挙権は性別などで差別してはならない。 |国民から選挙で選ばれた、国会は国の権力を行使する最高機関です。明治憲法で認められていた勅令のような法律と同等の法令は新憲法では認められていません。 |- !内閣 |国務大臣は天皇を{{ruby|輔弼|ほひつ}}(助言し助ける)する。<br/>内閣総理大臣は憲法に特に定めがなく、天皇が指名する。 |行政権は、内閣総理大臣が長である内閣に属する。<br/>内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名される。 | |- !地方自治 |(定めなし) |その地方に住む住民の自治が尊重され、首長や議会の議員を選ぶことができる。 |地方自治は、明治憲法では特別の位置付けはありませんでした。そのため、都道府県の知事は政府の役人が派遣されていました。新憲法では、住民による自治が明記され、知事や議員は住民が選ぶこととなりました。 |- !軍隊 |軍隊は天皇が直接まとめひきいる。したがって、内閣や国会は軍隊に口を出してはならない。<br/>国民には、{{ruby|兵役|へいえき}}の義務がある。 |国際紛争を解決する手段として、戦争は行ってはならない。<br/>戦争のための軍隊を持ってはならない。 | |- !人権 |法律によって制限できる。<br/> (例)<br/> ・治安維持法<br/> ・国家神道 |憲法に定められた人権は法律によっても制限できない(裁判所の{{ruby|違憲立法審査権|いけんりっぽうしんさけん}})<br/><br/>新たに認められた権利<br/> ・個人の尊重<br/> ・男女の本質的平等<br/> ・労働運動の権利<br/> ・生存権の保障<br/> ・厳格な刑事手続 など | |} </div> :日本は、新憲法のもと、民主的で自由な国づくりを目指して再出発しました。 ==== 世界の変化5 新しい国際社会 - 東西対立と冷戦の社会・南北問題 ==== :第二次世界大戦が終わり、社会主義・共産主義を警戒したファシズムが敗北すると、米国やソ連といった連合国は、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#国際連盟|国際連盟]]が結局第二次世界大戦を防げなかったことを反省し、これを解消して'''国際連合'''がつくられます。米国は、今度は、これに積極的に取り組み、本部をニューヨークに置きました。 :[[ファイル:Cold War Map 1959.svg|thumb|300px|1959年の世界の様子(色分け)<br/>(ワインレッド = ワルシャワ条約加盟国<br/>朱色 = ソ連の他の同盟国(東側諸国)<br/>青紺色 = 北大西洋条約 (NATO) 加盟国<br/>水色 = 米国の他の同盟国(西側諸国)<br/>緑 = 植民地<br/>灰色 = 非同盟諸国)]] :第二次世界大戦後、社会主義は世界中の政治に強い影響を与えるようになり、世界中で資本主義勢力と社会主義勢力の争いが見られるようになりました。 ;戦後ソ連が占領した東ヨーロッパの国々には社会主義の政府が建てられました。ヨーロッパを基準とすると、米国、イギリス、フランスなど資本主義の諸国は西にあったので'''西側諸国'''、一方、ソ連など社会主義の国は東にあったので'''東側諸国'''といい、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を'''東西対立'''と言います。ドイツは、ソ連に占領されていた地域が東ドイツ、米国などに占領されていた地域が西ドイツと、国家が分裂しました。ドイツの首都であったベルリンは、東ドイツの中にあったのですが、米国などが占領していた地域があり、この部分は西ドイツになりました。西ベルリンは東ドイツに囲まれた{{ruby|飛地|とびち}}になりました。東ドイツ政府は、西ベルリンを囲んで壁を構築し、東ドイツの市民が西ベルリンを通過して西側諸国へ行けないようにしました。これが、<span id="ベルリンの壁">「'''ベルリンの壁'''」といって、東西対立の象徴となりました。また、東西の行き来は困難なものとなったため、西側から見て東側との間には「'''鉄のカーテン'''」が引かれているとも表現します。東側諸国は、ソ連を中心にワルシャワ条約機構という軍事同盟を結び、それに対抗して、西側諸国は北大西洋条約 (NATO) という軍事同盟を結んで対立しました。 また、中国では、'''{{ruby|毛沢東|もうたくとう}}'''がひきいる中国共産党が、中華民国政府を攻めて、1947年社会主義の国である'''中華人民共和国'''を建国します<ref>中華民国政府は、台湾に逃げ込みます。</ref>。朝鮮半島には、1948年ソ連などの支持を受けた'''朝鮮民主主義人民共和国'''(北朝鮮)と米国などの支持を受けた'''大韓民国'''(韓国)が建国されましたが、1950年北朝鮮は韓国に攻め込み、南北各々米国とソ連・中国の支援を得て激しく戦い、1953年北緯38度線を境に休戦します('''朝鮮戦争''')。 :東西対立には、今までに見られなかった特徴があります。それは、'''核兵器'''の存在です。[[#原子爆弾|広島と長崎に落とされた'''原子爆弾''']]の威力は世界中に脅威を持って受け入れられました。米国はこの技術が自国だけで独占されるものと考えていたのですが、1949年ソ連が原子爆弾の実験に成功します。1952年米国はさらに強力な水素爆弾の実験に成功しますが、ソ連も、1955年水素爆弾の実験に成功します(下欄「[[#科学競争|米国とソ連の科学競争]]」参照)。その他、イギリスやフランス、中華人民共和国なども核兵器を保有するようになりました。もし、東西に本格的な軍事衝突が起こったならば、大げさではなく、人類が滅亡してしまうくらいの核兵器をもったため、大国同士の戦争はお互いに避けるようになりました。東西は、こうして大きな戦争を伴わないまま国際的に対立しました。これを、「冷たい戦争」、「'''{{ruby|冷戦|れいせん}}'''」といいます。 :一方で、第二次世界大戦で枢軸国はもちろん連合国にあったイギリスやフランスも国力を失い、植民地の独立を止めることができないようになりました。この結果、終戦後数年後には、中東諸国の他、インドやインドシナ半島諸国、インドネシアの諸国が独立し、少し遅れて1960年代にはアフリカの各国が独立しました。しかしながら、これらの国は、まだ国内の産業が十分に成長しておらず先進国に比べて、国民生活は全体的に貧しく、また、貧富の差も大きいものであり、各国は経済発展の政策に取り組みました。また、政策に不満を持つ集団が、政権を倒そうとするなど政治的にも不安定なものでした。このような国々を、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#先進国|先進国]]に対して「'''{{ruby|発展途上国|はってんとじょうこく}}'''」と言います。先進国は、欧米や日本をはじめとして北半球に多く、発展途上国は、赤道付近から南の国が多いため、先進国と発展途上国の格差の問題を'''南北問題'''と言います。 <div style="margin:0 2em 0 4em"> {| class="wikitable" style="width:100%" |'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="科学競争"/>米国とソ連の科学競争<small> [[File:Sputnik asm.jpg|thumb|180px|世界最初の人工衛星スプートニク1号]] :現在でこそ、ロシア(旧ソ連)の科学力は、米国に遅れをとっているといえますが、1940年代から70年代位までは、国をあげての科学研究を行い、米国をはじめとする、西側諸国をおびやかしたものでした。上で述べたとおり、核兵器の開発はすぐに米国に追いつきましたし、ロケットを使った宇宙開発は、米国に先行していました。 :1957年ソ連は世界で最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。米国をはじめとする西側諸国は、衝撃を受け危機感を覚えました。なぜならば、この技術は、核爆弾を搭載したミサイルを飛行機を使わず、相手国に打ち込む技術があることを意味するからです。米国は、これに追いつくため翌年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA)を設立、研究開発体制を見直します。また、一般の教育体制までも見直しが行われました。しかし、ソ連は1961年世界で最初の有人宇宙飛行を成功させるなど、米国の先を行っていました。米国がソ連に追いついたと言えるのは、1971年アポロ11号で友人月面着陸を成功させた時といわれています。ソ連を引き継いだロシアも宇宙開発においては現在でも、世界でトップクラスの技術を有しています。 :一方で、ソ連の科学技術は、このような軍事目的などにばかり集中され、一般の人々の生活にはあまり貢献しませんでした。そのため、西側諸国で発展が見られた、自動車や家庭電化製品の発展は遅れました。このことは、半導体の開発の遅れにつながり、コンピューターなどの開発が遅れ、工業力が西側に遅れる原因となります。 </small> |}</div> ==== 高度経済成長とその後の日本 ==== :終戦直後の日本は、多くのものを失ったところから始めなければなりませんでした。 :1951年(昭和26年)、日本は米国他と平和条約を締結し<ref>ソ連との間では、北方領土の問題などがあって平和条約が締結されず、戦争をしないという仮の約束として1956年(昭和31年)'''日ソ共同宣言'''が出されました。現在も、ソ連を継いだロシアとの間に平和条約は結ばれていません。</ref>独立を回復、1956年(昭和31年)には国際連合にも加盟しました。東西対立に危機感を覚えた、米国は日本を資本主義の国として復興させるためにさまざまな支援をします。1950年(昭和25年)朝鮮戦争がおこると、国防の必要が認識され戦闘力を有した警察予備隊が結成され、それが1954年(昭和29年)'''自衛隊'''となります。 :朝鮮戦争では、米軍などの支援物資の需要があり製造業が復興しました。その後、高品質低価格を特徴とする船舶や自動車、電化製品と知った日本製品は世界中に輸出され、日本経済は急激に拡大していきます。また、政府は産業界を指導して投資資金などを効率的に分配し、経済成長を助けました。1955年(昭和30年)頃から、急激な経済成長を見せ、これを'''高度経済成長'''といっています。 :[[File:Bundesarchiv Bild 183-C1012-0001-026, Tokio, XVIII. Olympiade, Gesamtdeutsche Mannschaft.jpg|thumb|200px|東京オリンピック開会式]] :復興した日本は、国際的な催し物を開催し、国際社会に復帰したことを世界に示します。1964年(昭和39年)の'''東京オリンピック'''、1970年(昭和45年)の'''大阪万国博覧会'''、1972年(昭和42年)の'''札幌冬季オリンピック'''などが代表的なものです。 :1972年(昭和42年)、米国が統治していた沖縄が日本に返還され沖縄県となりました。 :経済成長にともない人々の生活は、だんだん豊かなものとなっていきました。1953年(昭和28年)'''テレビ放送'''が始まり、東京オリンピックをきっかけにカラーテレビが各家庭に普及しました。その他、電気冷蔵庫や電気掃除機、電気洗濯機が普及して家事が楽になるなど、家庭電化製品は人々の生活を大きく変えました。1955年(昭和30年)ころ100軒に1軒くらいしかなかった'''電話'''も、1975年(昭和50年)ころには70%家庭に引かれました。また、1960年(昭和35年)ころ自動車は平均して100軒に3軒ほどしか普及していなかったものが、1980年代には80軒の家は自家用車を持つようになりました。自動車の急激な増加を受け、高速道路網をはじめとした道路整備がなされました。 :1964年(昭和39年)には、'''東海道新幹線'''が開通し、日本各地で空港が整備され、飛行機による移動も一般的なものとなりました。 :1973年(昭和48年)、中東における中東戦争<ref>[[#ユダヤ人迫害|ナチス党などで迫害]]された[[#ユダヤ人|ユダヤ人]]は、自分たちの国を求めて、元々の出身地であるイェルサレム周辺にイスラエルという国を作ります。この時、もともと住んでいたイスラム教徒の住民(パレスチナ人)を追い出し、迫害したため、同じイスラム教徒が大多数を占めるエジプトやサウジアラビアといった国とイスラエルとの間で起こった戦争です。</ref>をきっかけに、サウジアラビアなど中東諸国の石油輸出国が共同で石油価格を2倍近くに上げたため物価が急に上がり('''オイル・ショック''')、高度経済成長はその勢いを失いますが、それから10年程度は、安定した経済成長を続け、1978年には、国の経済規模の尺度である<span id="GDP"/>'''国内総生産'''('''GDP''')<ref>当時は、「国民総生産(GNP)」という尺度を用いていました。GDPとGNPは、何点か違いはありますがだいたい同じものと考えても、ここでは問題ありません。</ref>は、米国に続いて世界第2位の規模になっていました。 :一方で、重工業化が急速に進められたため、'''公害'''などが社会問題となりました。 === 冷戦終了後の世界 === :1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇が亡くなって、翌日から元号が'''平成'''と改められました。 :<span id="平成"/>元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありませんが、この1989年(昭和64年・平成元年)は、それまでの世界が大きく変わり、その後30年現在にいたるまで影響を与える重要な年となりました。 :;ソ連を中心とする東側諸国の崩壊と冷戦の終結 ::1970年代から80年代にかけて、西側諸国と東側諸国の生活レベルは明らかに差がついていました。その原因は、いくつか考えられます。ひとつには、経済活動を政府が統制するため安定はしていますが競争はあまり起こらないところ、競争に伴う創意工夫がなされず、発展が遅れるというものです。これは、家庭電化製品や乗用車といった民生分野といわれるもので大きな差が出ました。また、これらの製造に不可欠な半導体の開発や工場の自動化などにも差が出ました。また、ソ連が主導した農業政策は、政府の指示が適当ではなかったため東側諸国全体で生産が低迷しました。また、東側諸国は選挙による政権交代がないため、新たなことをきらう役人の性質({{ruby|官僚|かんりょう}}主義)がはびこり、政治による改革も行き詰まっていました。ソ連では、'''ミハエル・ゴルバチョフ'''が書記長となって、'''ペレストロイカ'''(改革)、'''グラスノスチ'''(情報公開)という改革を進めていましたが、うまく進んでいませんでした。 ::1980年代後半に入って、ポーランドでは政府に抗議する労働組合の運動がみられ、チェコスロバキアやハンガリーからは西側諸国へ移封に移民する人々が目立つようになりました。また、このころ、東欧諸国では衛星放送が普及するようになって、西側諸国の豊かな生活が東側諸国に知られるようになったと言われています。 ::1989年には、東ドイツで西側への移動を求めた暴動が激しくなり、11月9日東ドイツ政府は自由な移動を認め、それを受け、翌日、民衆は[[#ベルリンの壁|ベルリンの壁]]を壊し東西の行き来が自由になりました。 ::こうして、東欧諸国へのソ連の支配はなくなり、冷戦が終結しました。 ::この後、東ヨーロッパの各国は、1990年に西ドイツと東ドイツが統一するなど、社会主義政府から自由主義の国となりました。また、1991年ソ連は崩壊し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど15の共和国に分かれました。 :;中華人民共和国 ::世界的な社会主義の後退の傾向から、中華人民共和国でも民主化を求めた運動が起こりました。 ::しかし、中華人民共和国政府は、資本主義的な政策を取り入れながらも、それは、政府が主導するものであって、自由な選挙など民主的な活動を認めないという態度を示して、6月4日民主化を求める民衆を弾圧しました('''{{ruby|天安門|てんあんもん}}事件''')。この後、中華人民共和国は、資本主義を取り入れた政策によって大きく経済成長を達成したのですが、現在においても、自由な政治活動は制限されています。 :;日本 ::1980年代、国際経済において、米国の経済力が弱くなっていたことをうけ、西側諸国内で相談し調整が行われました。日本政府は、輸出産業が不利になることを防ぐため事業資金を大きく増やしました。そのため、それらの資金は最終的に不動産や株式投資に回って、不動産や株式の高騰<ref name="高騰暴落"/>となりました。これを「'''バブル景気'''<ref name="バブル">「バブル」は「泡」のことです。泡のように中身がないのに大きく膨らんで、ちょっとしたことではじけてしまうことをたとえています。</ref>」といいます。1989年バブル景気は最高潮となり、その年の株式取引の最終日の平均株価は史上最高値を記録しました。 ::しかし、バブル景気の{{ruby|弊害|へいがい}}も見られるようになったため、翌年以降、政府は景気を引き締めます。そのため、バブル景気は終わり、反動で日本経済は不景気となります('''バブルの{{ruby|崩壊|ほうかい}}'''<ref name="バブル"/>)。日本政府は、その後、景気対策を続けますが、30年以上成功できずに今にいたっています<ref>景気が良いかどうかは、[[#GDP|GDP]]が前の年よりもどれだけ大きくなったかということで表します。これを、経済成長率といいます。これは、だいたい3%程度成長していれば、普通に成長しているとされます。高度成長時代の日本は10%程度の成長をしていました。しかし、バブル崩壊後、日本は30年間平均1%程度の成長しかしていません。欧米各国が3~5%成長しているのに比べると異常と言ってよいでしょう。</ref>。 ;冷戦後の世界 :冷戦が終わり、対立するものがなくなった世界は平和になったかといえば、そうではありません。核兵器を持ったソ連などが、対立の当事者でなくなったため、核保有国以外では戦争が起こりやすくなった側面もあります。 :第一次世界大戦後争いの続いた[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#バルカン半島|バルカン半島]]は、第2次世界大戦後ユーゴスラビアとして統一され40年以上安定した状態が続いたのですが、冷戦終了後、各民族が分裂し、内戦状態となりました。 :中東では勢力争いが絶えず、また、イスラム過激派などは、米国などを敵視してテロリズムを起こしたりしました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロは、その代表です。 :アフリカも民族間の対立が各地で起きています。冷戦時代ならば、一方が西側につけば、他方は東側について、戦争になると米ソの争いとなるため、にらみあいで止まったものですが、冷戦後は、そのようなブレーキがなくなったのです。 :冷戦後、ソ連は崩壊し、それをついだロシアも冷戦当時ほどの力を失いましたが、それに代わって、中華人民共和国が、世界一の労働力を背景に世界中から工場を呼び込んで、経済力を伸ばしてきて、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位になりました。 :日本は、この間、二つの大きな自然災害にみまわれました。1995年(平成7年)の'''阪神淡路大震災'''と2011年(平成23年)の'''東日本大震災'''です。日本は、そのほかにも大規模な風水害などを経験しており、自然の脅威に対しての備えを怠ってはならないという教訓を残しています。 === 今変わりつつある世界 === :2019年(平成31年)5月1日天皇明仁<ref>「平成天皇」という呼び方は正しくありません。</ref>が退位し上皇となり、現在の天皇が即位、元号が令和に変わりました。 :[[#平成]]でも述べたところですが、元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありません。しかし、偶然とは言っても、令和になって何年かで起こったことは、どんな年齢の人たちでも生まれて経験のないことでした。 :新型コロナの流行は、人間は、まだまだ、事前に簡単に立ち向かえないことを痛感させられました。一方で、素早いワクチンの出現に科学の可能性を感じさせられました。また、今までの技術でも可能であったのに、習慣から普及しなかったネットを使った勤務や学習が可能であることも理解できました。このような中で、開催された東京オリンピックとパラリンピックは人々に希望と感動を与えたことでしょう。 :一方で、ロシアのウクライナ侵攻を見ると、日本の満州侵攻とよく似ていることが理解されます。また、国際社会における中国の位置付けは、だんだんと冷戦の時のソ連に似てきている様子があります。 :歴史を学ぶことで、これから、何が起こるのか、何を変えれば、何が起こらないのかを予想し、悪い事態を避けることができるかもしれません。歴史を学ぶということは、そういうことだと理解してください。 == 脚注 == 以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small> <references/></small> ---- {{前後 |type=章 |[[小学校社会/6学年/歴史編]] |[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]] |[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]] |- }} [[Category:社会|しようかつこうしやかい6]] [[Category:小学校社会|6ねん]] [[Category:小学校社会 歴史|#13]] olnrsjqfinganuzr4xof7eheepfxqgr