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教育勅語
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2022-08-10T12:59:59Z
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/* 教育勅語とは */
wikitext
text/x-wiki
本テキスト「教育勅語」は、教育勅語全般に関する教科書である。本wikibooksは教科書なので、教育的に重要度の高いと考えられる事を重点的に紹介する。
== 教育勅語とは ==
教育勅語(きょういく ちょくご)とは、正式には「教育ニ関スル勅語」といい、1890年(明治23年)に発表された、第2次世界大戦前の日本の道徳教育の根幹となった勅語(ちょくご)である。(経緯について詳しくは、ウィキペディア『[[w:教育ニ関スル勅語|教育勅語]]』を参照)教育勅語の中身は、大まかに言うと、道徳教育の主張である。いわゆる「親孝行」などの「道徳」を尊重するような意見を、天皇が国民に語りかけるという形式である。
「勅語」(ちょくご)とは、一般的な用法での意味は、[[w:天皇|天皇]]が政治・行政などについての意思表示として伝える、天皇のいわゆる「[[w:おことば|お言葉]]」を、文書などとして正式化し公表した物である。
なお、第二次大戦後、教育勅語は廃止された。(GHQによって廃止された)
=== 現代における、教育勅語への評価 ===
教育勅語について、現代日本では、たびたび論争になる。また、教育問題を扱っている政治家や学者などが、たびたび、教育勅語についての議論を行う。政治やニュースや雑誌などで、解釈や、意義の有無が、取り上げられる事もある。
そして、それらの論争で、教育勅語への批判的な評価と、いっぽう肯定的な評価も出てくる。
その論争での、主な意見は、おおむね次のとおり。
現状では教育勅語を廃止していることから、本wikibooksでは、まず批判的な意見から紹介する。
==== 批判的な評価 ====
:* 公開直後から組織的な命令によって過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している、という意見もある。
:* [[w:モーセの十戒|モーセの十戒]]・仏教の[[w:五戒|五戒]]と異なり、人倫を全く説いていない内容。
:* 軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる、という意見もある。
:::連合国軍最高司令官総司令部による占領統治時代に連合国軍によって教育勅語が廃止されたのは、この理由(軍国主義につながる)から
:* 根本的理念が「主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。」
:::1948年に衆議院によって決議された『[[w:「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」|教育勅語等排除に関する決議]]』より
:* 教育の根本に天皇中心の[[w:国体|国体]]思想を据えたこと自体が問題である、という意見もある。
:::教育学者で元国立教育研究所所員・日本大学文理学部教授の[[w:佐藤秀夫|佐藤秀夫]]は「教育勅語の基本的趣旨は、その冒頭における、天照大神に起源する(皇祖)歴代皇統(皇宗)の徳治と臣民全体のそれへの終始変わらぬ忠誠の関係、つまり皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理、すなわち『国体』にこそ、日本の教育の淵源が存すると規定したところにある。」と述べている<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、65頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。また、教育勅語に示されている徳目は「歴史的にこの国の民衆の間に形成されてきた通俗道徳項目に過ぎない」として、重要なのはそれらの徳目が「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて[[w:天皇制|天皇制]]の発展に寄与してこそ、はじめて意味を持つということになっていた」ことであると指摘している<ref>佐藤『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、66頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。
==== 肯定的な評価 ====
:* 現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないかと言う意見もある。
:* 多くの国や宗教で古くから普遍的にある道徳を、明治当時の日本の国情に合わせて記述したものにすぎない、というような意見もある。
:::[[w:桐蔭横浜大学|桐蔭横浜大学]]学長鵜川昇によれば「『カトリックの倫理綱領と同じ』であり、『日本人としての根本倫理』を表したものとして講義を続けた[[w:栄光学園|栄光学園]]のグスタフ・フォス校長(神父)」のような教育者も過去には存在したという。また、三重県伊勢市の[[w:皇學館高等学校|皇學館高等学校]]は教育勅語を教材の中に取り入れており、現代の社会において欠けているものが教育勅語にあるからこそ、生徒が暗唱をしている
== 原文 ==
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン<br>
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日<br>
御名御璽
== ふりがな付き ==
朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)<br>
我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(こころをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)<br>
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホシ學(がく)ヲ修(おさ)メ業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)テ公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)シ國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ<br>
是ノ如キハ(かくのごときは)獨リ(ひとり)朕(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン<br><br>
斯ノ(この)道(みち)ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ)<br>
之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)
明治二十三年十月三十日<br>
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)
== 現代語訳 ==
=== 文部省訳 ===
:(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章)
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印
== 語釈など ==
明治時代での単語の意味と、現代の意味では違うが、この節では主に現代での意味を記述する。
:・朕(ちん) - 皇帝の自称。ここでは明治天皇の自称。
:・皇祖(こうそ) - 皇室の先祖。または、それから派生して、天照大御神(あまてらす おおみかみ)や、神武天皇のこと。あるいは、天照大御神から神武天皇までの一連の神々・人物のこと。
:・精華(せいか) - 真髄。優れた点。真価。
:・恭倹(きょうけん) - つつしみ深く、控えめに振る舞うこと
:・「徳器」(とっき) - 「徳器」の意味は「徳と器量」などと、国語辞典などでは解説されることが多い。
:・天壌無窮(てんじょう むきゅう) - 天地が永遠に続く。「天壌」とは天と土壌のこと、つまり天地のこと。「無窮」とは、極まりない事。「窮」(きゅう)とは「究める」(きわめる)などの意味。
:・悖る(もとる) - 現代では「もとる」とは、道理にそむく、道理に反する、などの意味。(なお、古語では「もとる」とは、「ゆがむ」「ねじまがる」の意味で、法華経や霊異記(りょういき)などに見られる表現。古語では、「戻る」も「悖る」も同じ意味で、古語での意味は「ゆがむ」「ねじまがる」の意味。)
:・拳々服膺(けんけんふくよう) - 強く心に刻み込んで、忘れないようにする。漢文『中庸』由来の表現であり、「拳拳」とは、両手をつきだして、大事そうに、ささげ持つ様子のこと。「服膺」とは、身に付けること、胸につけること。つまり、現代風に言えば、「服膺」とは「胸中に刻む」的な意味。
:・扶翼(ふよく) - 「扶」とは古語では「たすく」と読み、「助ける」と同じ意味であるが、古語での「たすく」の意味は「救出する」(徒然草・89段)(たすけよや、猫また、よやよや)のほか、協力的な意味としての「支える」「補佐する」(源氏物語・帚木)(上は下に助けられ、下は上になびきて)、物理的に倒れたりしないように支える(源氏物語・蓬生(よもぎう))(男ども、たすけてとかく開け騒ぐ。)の意味もある。
== 文章解釈 ==
文章解釈については、各人・各時代により異なり、定訳は存在していない。日本では、「国定教科書」の解釈が有名で、修身の第2期国定教科書が発行される1910年から、修身の第5期国定教科書がGHQの指示で墨塗りされる1945年までの間、日本の全ての小学生がこの教育勅語の解釈を学んだ。
第二次大戦後の日本では、特に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分の解釈が問題となっている。まず、「戦争になったら天皇の国のために命を捧げる」と言うことを意味するのか、あるいはしないのか、と言う点に関して解釈が分かれており、また、仮に「戦争になったら天皇の国のために命を捧げる」と言うことを意味するとして、これは拒絶すべきことなのか、あるいは当然の務めなのか、と言うのも解釈が分かれている。
このほか、教育勅語の内容は儒教道徳だという意見もある。
=== 国定教科書 ===
これは文部省が編纂した修身の国定教科書に記載された、文部省による公式解釈である。
「初等科修身 4」では、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分が、「いったん國に事ある場合には、勇氣をふるひおこして、命をささげ、君國(きみくに)のためにつくさなければなりません」<ref>文部省 編『初等科修身 4』文部省、1941年、5頁</ref>と解釈されており、これが「私たち臣民のつとめである」としている。
=== 12の徳目 ===
以下のように、教育勅語から12個の項目を抜き出して列挙したものが、第二次世界大戦後の日本において、『12の徳目』と呼ばれている。
# 父母ニ孝ニ
# 兄弟ニ友ニ
# 夫婦相和シ
# 朋友相信シ
# 恭儉己レヲ持シ
# 博愛衆ニ及ホシ
# 學ヲ修メ業ヲ習ヒ
# 以テ智能ヲ啓發シ
# 德器ヲ成就シ
# 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
# 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
# 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
『12の徳目』などと呼ばれているが、文部省の公式名称ではなく、命名者は不明である。
また第二次世界大戦後の日本においては、自由民主党同志会専務理事・佐々木盛雄の作った「国民道徳協会」という団体の現代語訳が比較的有名であるが、当時の世相があまり反映されていないという指摘もある。(国民道徳協会による現代語訳については、著作権の問題があるため、外部サイトを参照のこと。)
* [http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html 国民道徳協会の口語訳] (明治神宮公式サイト内)
『12の徳目』への批判的意見として、教育学者で日本大学文理学部教授の佐藤秀夫は、国民道徳協会などによるこれらの現代語訳を「歪曲と誤訳の典型」と批判している<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、68頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。
== 教育勅語をめぐる歴史 ==
=== 年表 ===
* 1890年(明治23年) 10月30日に発布。
* 1891年(明治24年) 小学校祝日大祭日儀式規定制定。学校などで式典がある場合に朗読。
* 1900年(明治33年) 小学校令施行規則制定。
* 1946年(昭和21年) 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が朗読と神聖的な取りあつかいを禁止。
* 1948年(昭和23年) 6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
=== 教育勅語の起案 ===
井上毅と元田永孚によって起案されたが、井上毅は教育勅語が思想や宗教の自由を侵さないようにすることを重視し、対して元田永孚は国家神道的な教典とすることを重視していたとされている。このような対立や帝国議会の神道に対する配慮などにより、大日本帝国憲法第55条第2項で「凡(すべ)テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と定められていたが、この国務に関する詔勅に該当しないものとしてされた。そのため御名御璽のみで、国務大臣の副署がないまま、各学校へは文部省によって一斉に下賜(上から下に与えること)された。
=== 奉安所 ===
天皇皇后の真影(写真)や教育勅語を保管するために、学校に奉安庫若しくは[[W:奉安殿|奉安殿]]と呼ばれる保管庫が設けられた。学校の校舎内に設けられた保管所を奉安庫、学校の校舎とは独立して設けられたものを奉安殿という。奉安殿は、学校正門と校舎の間に設置された。
第2次世界大戦激化時には、登下校時において奉安殿への敬礼が命じられた。
=== 奉読 ===
文部省令などにより学校で行われる式典においては、教育勅語が奉読(朗読)されることになっていたが、後期は神聖化の影響もあってか、式典中の校長の動きは一挙一動までが明文で規定され、読み間違いなどを行えば校長の進退にも影響したともいわれる。
=== 排除・失効確認 ===
1948年6月19日に教育勅語について、衆議院では排除、参議院では失効確認がされた。決議文については、以下を参照。
* [[s:教育勅語等排除に関する決議|教育勅語等排除に関する決議]](ウィキソース)
* [[s:教育勅語等の失効確認に関する決議|教育勅語等の失効確認に関する決議]](ウィキソース)
決議文の内容を見ると両議院で微妙に見解が異なり、法学的な観点からは次のような議論がされることがある。
衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」を決議し、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。(第98条第1項)」という日本国憲法の本旨に従い、教育勅語等を排除することを宣言した。この決議については、教育勅語に国務大臣の副署がなく国務に関しない詔勅であったため、このようなものも排除できるのかという点で疑問とされる場合もあるが、日本国憲法が排除する詔勅を国務に関するものに限定する規定もまた存在していない。
参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、その決議文の中で、日本国憲法の人類普遍の原理に則って教育基本法を制定して、教育の誤りを徹底的に払拭して民主主義的教育理念をおごそかに宣明した結果として、教育勅語は、既に廃止せられその効力を失っているとした。ただし、日本国憲法にも教育基本法にも教育勅語を「廃止」する旨の規定が明文で定められていないことから疑問とされる場合もある一方、実質的に教育勅語が大日本帝国憲法と一対のものであったということから新憲法の制定によって実質的に廃止されたとされる場合もある。
なお、法学的な細部の観点はともかくとして、一般的に現代の教育において教育勅語を教育理念とされることはない。
== 教育基本法との関係 ==
初期の連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の教育勅語改訂構想もあり、教育勅語の廃止は元々決定されていたものではなかったが、その後GHQは、廃止の方針を決めた。また、教育基本法の起案者の一人で後に最高裁判所長官を務める田中耕太郎も、教育基本法では教育精神的な規定を設けずに、教育勅語を初めとする文書類との棲み分けを図ろうとしていた時期もあるが、後に田中は、自己の著書の中で、教育基本法が教育勅語の代わりとなったことを記した。
なお、教育勅語は、神聖的なとりあつかいや朗読が既に止められていたが、1948年6月19日に衆議院では排除、参議院では失効確認がされた。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[w:教育ニ関スル勅語|教育ニ関スル勅語]](ウィキペディア)
* [[s:教育ニ関スル勅語|教育ニ関スル勅語(原文)]](ウィキソース)
* [[s:教育勅語等排除に関する決議|教育勅語等排除に関する決議]](ウィキソース)
* [[s:教育勅語等の失効確認に関する決議|教育勅語等の失効確認に関する決議]](ウィキソース)
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{{stub}}
43196pc8omjjon4dhsrhbdtj94m1yn5
高等学校物理/物理II/原子と原子核
0
1946
206418
185051
2022-08-10T22:04:19Z
Ef3
694
/* 参考: 光の波長の測定 */ 1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。 ;メートルの定義 :真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。 :ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
wikitext
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=== ミリカンの実験 ===
ミリカンの実験とは、霧吹きなどで作成した油滴の微小な飛沫に、X線やラジウムなどで帯電させる。そして、外部から電場を引火する。すると、油滴の重力(下向き)のほかに、電場による静電気力(上向きになるように電極板を設置する)が働くので、釣り合って静止する状態になった時の電場から、電荷の値を確かめる実験である。
この実験で算出・測定される電荷の値が 1.6×10<sup>-6</sup> [C]の整数倍になったので、電子1個の電荷が 1.6×10<sup>-19</sup> [C]だと分かった。
なお、この 1.6×10<sup>-19</sup> [C]のことを'''電気素量'''(でんきそりょう)という。
{{コラム|(※ 範囲外:)ミリカン以前からも電子の電荷は測定されている|
化学の電気分解の実験で、金属の電気分解の実験の時に発生する気体が帯電していることは、ラボアジエなどによって古くから知られていた。実験物理学者タウンゼントは、発生した気体のモル数と、静電誘導などによって発生した電荷の合計を測定することにより、電子1個あたりの電荷を概算した。
精度は、現代の電子の電荷とケタが同じくらいの精度で、タウンゼントは電子の電荷の測定値を得た。
}}
{{コラム|(※ 範囲外:) ミリカンに不正の疑いあり|
世界各国の物理学の教育では、20世紀前半のミリカンの実験が、電子の質量を求める実験として、長らく紹介されてきた。
しかし20世紀後半ごろから、ミリカンの実験に対する疑念が科学界から提出されている。その疑惑の内容は、ミリカンは、自身の提唱する仮説に適合しない測定値を、測定誤差だとして断定してしまい、仮説にあわない測定値を排除してしまっているのかもしれない、という疑惑である。
この疑惑に反する反論もまた、科学界から提出されている。
どちらが正しいかについては、高校教科書では語るようなことではないので、それについては説明を省略する。
どちらにせよ、現代では、論文の投稿では、もし仮説にあわない測定値を読者にだまって排除してしまい、なのに、もとの実験データそのままのように論文発表してしまったら、データ改竄(かいざん)による不正行為とみなされるのが原則である。
もし例外的に、どうしても論文などで複数ある測定値のいくつかを抜粋せざるを得ないような事情のある場合には
:(たとえば実験データが大量にありすぎて、すべてを紹介しきれない場合。
:あるいは、仮説の内容を説明するために、複数回の実験をして、そのうち最も仮説に適合した回の実験データを公表する場合、など)、
そのような場合には、まず論文に、抜粋した部分的なデータであることを明記しなければならないだろうし、どういう基準で抜粋を行ったかも明記しなければならないだろう。
現代の科学論文では、実験結果のデータを書く際には、原則的に、実際の実験で得られたデータをそのまま記述するように努めて、論文を書かなかければならない。
:※ 現代でも、しばしば学生実験などで、悪気がなくても、仮説にあわない実験データを、「実験ミス」と断定してしまい、測定値を書き換えてしまったり、あるいは、仮説にあわない測定値を隠してしまう不正行為が起きることもある。このような不正行為をしないよう、気をつけなければならない。
このように、ミリカンの実験については、いろいろと問題点があるので、大学入試には、ミリカンの実験について、あまり瑣末(さまつ)なことは出題されないだろう。もし、ミリカンの実験の結果を暗記するような入試問題が出題されたとしたら、出題者の見識が疑われる。
また、そもそもミリカンの実験の方法は、あまり精度が良くない。精度が悪い実験方法だからこそ、上記のような疑惑が残ってしまうのであろう。
}}
== 電子と光 ==
=== 光の粒子性 ===
==== 光電効果 ====
:(※ 実験結果グラフを追加すること。)
[[File:Photoelectric effect diagram no label.svg|thumb|300px|電子の運動エネルギーの最大値と、光の振動数との関係]]
負の電荷に帯電させてある金属板に、紫外線を当てると、電子が飛び出してくることがある。また、放電実験用の負極に電子を当てると、電子が飛び出してくることがある。この現象を、'''光電効果'''(こうでん こうか、photoelectric effect)という。1887年、ヘルツによって、光電効果が発見された。レーナルトによって、光電効果の特徴が明らかになった。
当てる光の振動数が、一定の高さ以上だと、光電効果が起きる。この振動数を'''限界振動数'''(げんかい しんどうすう)といい、限界振動数より低い光では、光電効果が起こらない。また、限界振動数のときの波長を、'''限界波長'''(げんかい はちょう)という。
物質によって、限界振動数は異なる。亜鉛版では紫外線でないと光電効果が起きないが、セシウムでは可視光でも光電効果が起きる。
光電効果とは、物質中(主に金属)の電子が光のエネルギーを受け取って外部に飛び出す現象のことである。
この飛び出した電子を「光電子」(こうでんし、photoelectron)という。
光電効果には,次のような特徴的な性質がある。
:* 光電効果は、光の振動数がある振動数(限界振動数)以上でないと起こらない。
:* 光電子の運動エネルギーの最大値は、当てた光の振動数のみに依存し、光の強さには依存しない。
:* 単位時間あたりに飛び出す光電子数は、光の強さに比例する。
これらの性質のうち、1番めと2番めの性質は、古典物理学では説明できない。
つまり、光を、電磁波という波動の性質だけを捉えていては、つじつまが合わないのである。
なぜなら、仮に、電磁波の電界(電場)によって金属から電子が放出すると考えた場合、もし光の強さが大きくなれば、振幅が大きくなるので、電界(電場)も大きくなるはずである。
しかし、実験結果では、光電子の運動エネルギーは、光の強さには依存しない。
よって、古典力学では説明できない。
===== アインシュタインの 光量子仮説 =====
上述の矛盾(古典的な電磁波理論では、光電効果を説明できないこと)を解決するために、次のような'''光量子仮説'''がアインシュタインによって提唱された。
:* 光は、光子(こうし、photon)の流れである。光子を、光量子(こうりょうし)ともいう。
:* 光子1個のエネルギーEは、光の振動数 <math>\nu </math>[Hz]に比例する。
この2つめの条件を定式化すると、
:<math>E = h \nu </math>
となる。
この式における比例定数hは'''プランク定数'''とよばれる定数で、
:<math> h = 6.626 \times 10 ^{-34} </math>
[J・s] という値をとる。
'''仕事関数'''(しごと かんすう、work function)とは、光電効果を起こすのに必要な最小のエネルギーのことである。金属の種類ごとに、決まった値である。
仕事関数の値を W[J] とすると、光子の得る運動エネルギーの最大値 K<sub>0</sub> [J] について、次式が得られる。
:<math> K _0 = h \nu - W </math>
この式より、光電効果が起こる条件は hν≧W となる。これは K<sub>0</sub>≧0 に相当する。
これより、光電効果が起こる限界振動数 ν<sub>0</sub> について、hν<sub>0</sub>=W が成り立つ。
この光量子仮説により、光電効果の1番めと2番めの性質は、容易に、矛盾なく説明できるようになった。波動は粒子のように振舞うのである。
なお、光電効果の3番めの性質から、ある場所の光の強さは、
その場所の単位面積に単位時間、飛来する光子の数に比例することが分かる。
{{コラム|(※ 範囲外)じつは、説明の順序が逆|
高校で先に光電効果を習い、大学であとから、プランクの理論を習う。
しかし、実は、物理学者プランクが先に(アインシュタインよりも早く)、エネルギーのやりとりの単位が hν であることを発見した<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、94ページ</ref>。そもそも、だからこそ定数 h をプランク定数というのである。つまり、ある種の物理現象においてエネルギーのやりとりの単位がhνであることは、けっしてアインシュタインが提唱したのではない(プランクの提唱である)。
プランクは、高温物体における光の放射(「熱放射」や「熱輻射」などという)の研究から、そのような発見をした。
では、アインシュタインが何を発見したのかというと、
:・熱輻射だけでなく光電効果にもプランク定数が適用できるという学説、
:・光の粒子説の提唱、
である。
なお、光電効果の比例係数を測定する実験は、アインシュタインの提唱後に物理学者ミリカンが調べており、たしかにプランク定数とほぼ同じ数値である事を確認している<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、95ページ</ref>。
さて、プランクの実験を振り返ると、プランクはアインシュタインの研究とは別に、いろいろなことを調べていた。
じつは、20世紀前半の物理学者のウィーン(人名)やプランク(人名)などが高温の物体から出てくる光の波長と周波数を分析したところ、
次のような周波数fと周波数νの関係式が分かっている。
:<math>f(\lambda) = \frac{8\pi hc}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1}</math>
右辺の指数関数の分母にあるkがボルツマン定数である。
そして、右辺の指数関数の分母にあるh がプランク定数と言われる定数である。これは、高校『物理II』の原子物理の単元でのちに習う「光電効果」(こうでんこうか)に出てくるプランク定数 h と同じ定数である。
この式(および、この式のアイデアの元になったウィーンの公式)は、実験的に測定して確認できる式である。(ボロメーターと言われる測定器や、熱電対(ねつでんつい)とよばれる合金材料や、ホイットストーンブリッジと言われる電気回路を使う。)
:(※ けっして理論的な考察だけの式ではない。実験式でもある。)
:(※ しかし大学の教養課程では、熱電対とかボロメータなどの測定器を習わない。なので、大卒でも、ときどき勘違いしている人がいて、この式を測定根拠の無い理論だけの理論式だと誤解している人が、ときどきいる。)
そして、右辺の分母にある
:<math>~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1}</math>
に注目する。
さらに高校数学で習う等比数列の和の公式
:<math>a+ar+ar^2+\cdots+ar^{n-1}+\cdots = \frac{a}{1-r}</math> (ただし |r|<1)
を思い出して、これを参考に無限級数
:<math>S= 1+e^{- \frac{ 1 h \nu}{kT} } + e^{- \frac{ 2 h \nu}{kT} } + e^{- \frac{ 3 h \nu}{kT} } \cdots + e^{- \frac{n h \nu}{kT} }+ </math>
の和を求めてみると(指数部にマイナスがついているので、必ず収束する)、
:<math>e^{- \frac{ 1 h \nu}{kT} } S= e^{- \frac{ 1 h \nu}{kT} } + e^{- \frac{ 2 h \nu}{kT} } + e^{- \frac{ 3 h \nu}{kT} } \cdots + e^{- \frac{n h \nu}{kT} }+ </math>
となるので、(右辺どうし、左辺どうしを)辺々、引き算して
:<math>(1 - e^{- \frac{ 1 h \nu}{kT} }) S= 1 </math>
左辺の係数を移項して
:<math> S= \frac{1}{1 - e^{- \frac{ h \nu}{kT} } } </math>
という、似た式が出てくる。
ここで終わらせてしまうと、プランクの式の分母の指数の式とは、似て非なる式で終わってしまう。(ネットををググっても、ここで終わらせてしまっている、不勉強な人が多い。物理学ファンを名乗るなら、もっと勉強してほしい。) (なお、この数列Sは、量子統計力学における「分配関数」という。)
ところで、何かのエネルギーの値をEとしたとき、<math> e^{-\frac{E}{k T}} </math> のことを、'''ボルツマン因子'''という。いきなり天下り的に名前を出したが、ボルツマン因子はたとえるなら確率みたいなものである。
また、上記の数列 S の物理的な意味は、確率計算をするための、全確率を1とするための規格化のための係数である。
また、計算しやすいようにボルツマン因子を次のように <math> \beta = \frac{1}{kT} </math>を使って変形しよう。
すると、ボルツマン因子は、
<math> e^{-\beta E} </math>
となる。
また、分配係数 S の和を求める前の形の式を、βを使ったボルツマン因子の式で置き換えよう。
<math>S= 1+e^{- \beta h \nu} + e^{- 2 \beta h \nu} + e^{- 3 \beta h \nu} \cdots + e^{- n \beta h \nu} + </math>
となる。
さて、次の数列 P を求めよう。
:<math> P = (0 h \nu) \cdot 1 + (1 h \nu) \cdot e^{- \frac{ 1 h \nu}{kT} } + (2 h \nu) \cdot e^{- \frac{ 2 h \nu}{kT} } + (3 h \nu) \cdot e^{- \frac{ 3 h \nu}{kT} } \cdots + (n h \nu) \cdot e^{- \frac{n h \nu}{kT} }+ </math>
この数列Pの物理的な意味は、飛び飛びなエネルギー n hν (ただし n=1,2,3,4・・・・)があるとした場合の確率的な平均エネルギー値 <E> に比例する数である。
なお、エネルギーの平均値<E>の式は、PをSで割った値である。
:<math> \left \langle E \right \rangle = \frac{P}{S} </math>
計算しやすいように β で書き換えよう。
:<math> P = (0 h \nu) \cdot 1 + (1 h \nu) \cdot e^{- \beta h \nu } + (2 h \nu) \cdot e^{- 2 \beta h \nu } + (3 h \nu) \cdot e^{-3 \beta h \nu } \cdots + (n h \nu) \cdot e^{- n \beta h \nu }+ </math>
さて、数列PをよくよくSと比べてみよう。比べ安いように再掲しておく。読者は何か気づくことはないかな? (ヒント: 微分)
:<math>S= 1+e^{- \beta h \nu} + e^{- 2 \beta h \nu} + e^{- 3 \beta h \nu} \cdots + e^{- n \beta h \nu} + </math>
比べてみると、なんと数列Pの各項は数列Sの各項をβで微分したものにマイナスを掛けた値になっている!!
つまり
:<math> -\frac{\partial}{\partial \beta} S = P </math>
:※ <math> \partial </math> とは、多変数関数の微分(偏微分)の記号。大学で習う。「ラウンド ディー」などと読む。
ところで、数列Sは高校レベルの等比級数の和の公式により
:<math> S= \frac{1}{1 - e^{- \frac{ h \nu}{kT} } } </math>
とも書けるのであった。
計算しやすいようにβで置換して、
:<math> S= \frac{1}{1 - e^{- \frac{ h \nu}{kT} } } = \frac{1}{1 - e^{- \beta h \nu } } </math>
となる。
さらに微分しやすいように
:<math> S= \frac{1}{1 - e^{- \frac{ h \nu}{kT} } } = \frac{1}{1 - e^{- \beta h \nu } } = (1 - e^{- \beta h \nu } ) ^{-1} </math>
と書き換えよう。
この数列Sの和の公式と、先ほどのマイナス微分の式 <math> -\frac{\partial}{\partial \beta} S = P </math> とを連立させてみよう。
すると、
<math> P = -\frac{\partial}{\partial \beta} S = -\frac{\partial}{\partial \beta} (1 - e^{- \beta h \nu } ) ^{-1} = (-1) (1 - e^{- \beta h \nu } ) ^{-2} (-1) (-1)(-h \nu) = \frac{h \nu}{ (1 - e^{- \beta h \nu } ) ^{-2}} e^{- \beta h \nu } </math>
とPが求められる。
しかし、私たちが最終的に求めたいのは、Pでなくて、エネルギーの平均値<E>であった。
<E>の式を再掲すると、
:<math> \left \langle E \right \rangle = \frac{P}{S} </math>
であった。
そして、PもSも級数和の式が求められているので、それを代入すると、
:<math> \left \langle E \right \rangle = \frac{P}{S} = \frac{h \nu}{ (1 - e^{- \beta h \nu } ) ^{2}} \frac{1}{ \frac{1}
{ \frac{1}
{
1 - e^{- \beta h \nu }
}
}
}
e^{- \beta h \nu }
=
\frac{h \nu}{ (1 - e^{- \beta h \nu } ) }
e^{- \beta h \nu }
=
\frac{h \nu}{1- e^{- \beta h \nu } }
e^{- \beta h \nu }
</math>
となる。分子の指数関数を消すために、分母と分子にともに <math> e^{- \beta h \nu } </math> を掛け算して約分しよう。
すると、
:
:<math> \left \langle E \right \rangle = \frac{P}{S} =
\frac{h \nu}{1- e^{- \beta h \nu } }
e^{- \beta h \nu }
=
\frac{h \nu}{e^{ \beta h \nu }- 1 }
</math>
となるので、だいぶプランクの式に似てくる。
プランクの式を再掲すると、
:<math>f(\lambda) = \frac{8\pi hc}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1}</math>
であった。
ところで、高校物理で習う光の波長λと速度Cと周波数νの関係式 C=νλ を使えば、プランクの式は、
:<math>f(\lambda) = \frac{8\pi hc}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} = \frac{8\pi h \nu \lambda}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} = \frac{8\pi }{\lambda^4}~\frac{h \nu}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} </math>
である。
プランクは、この式を、式変形で、
:<math>f(\lambda) = \frac{8\pi hc}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} = \frac{8\pi h \nu \lambda}{\lambda^5}~\frac{1}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} = \frac{8\pi }{\lambda^4}~\frac{h \nu}{e^\frac{h \nu}{kT}-1} = \frac{8\pi }{\lambda^4}~ \sum_{n=0}^\infty (n h \nu )e^{- \beta n h \nu} </math>
というふうに、級数の和の形に書き換えられることに気づいた。
このことは、つまり、高温物体からの放射エネルギーを出す光のエネルギーが、放射現象のどこかで <math> h \nu </math> の整数倍だけに限られる機構のあることを意味する。
このような感じのプランクのひらめきにより、現代に「量子力学」と言われる分野が19世紀に花開いた。
アインシュタインの光電効果の光粒子説は、単に、プランクのこのような研究をもとに、光電効果にも当てはめて連想しただけである。
その後、アメリカ人の物理学者の測定などにより、光電効果の係数が、プランクが放射の研究で用いた定数 h と同じことが確認された。
プランク自身は、あくまで量子化されているのは、実験的に確認されているのは高温物体の放射における現象だと慎重だったようであり、
光が波か粒子かの発言にはプランクはあまり関わらなかった。
だが、その後、アインシュタインの光粒子説がノーベル賞をとってしまったことなどもあり、それが世界的に光の粒子性の学説が広まっていった。
なお、アインシュタインの光電効果のノーベル賞は、本当は相対性理論にノーベル賞をあげようとノーベル賞の審査員は考えたが、しかし当時の学会には相対性理論への反対意見も多かったので、当たり障りのなさそうな光電効果の研究でノーベル賞をアインシュタインに授与しただけである。
さて、光電効果の式 E=hν-W と、プランクの放射式を比べれば分かるが、どちらが簡単な式かというと、明らかに光電効果の式のほうが係数の種類も少なく単純な形である。
なので、「きっと、光電効果のほうが、より基本的な物理法則に近い現象なのだろう」と考えるのも妥当であろう。教育で先に光電効果を教えてから、あとからプランクの研究成果を教えるのも、合理的かもしれない。
ただし、その基本的な物理現象とやらが、はたして光の粒子説かどうかは、実験は何も保証してくれてない。単に、人間たちが、ノーベル賞などの人間社会の権威の都合にもとづいて勝手に「光の粒子説こそが、光電効果の式の形が簡単になっている理由だ」と思い込んでいるだけである。
}}
==== 参考: 光の波長の測定 ====
:(※ 範囲外)
そもそも、光の波長は、どうやって測定されたのだろうか。
現在では、たとえば原子の発光スペクトルの波長測定なら、回折格子をプリズムとして使うことによって、波長ごとに分け、波長が測定されている。(※ 参考文献: 培風館(ばいふうかん)『step-up 基礎化学』、梶本興亜 編集、石川春樹 ほか著、2015年初版、25ページ)
おおまかな原理を述べると、可視光ていどの光の波長の測定は、回折格子によって測定するわけだが、ではその回折格子の細かい数百ナノメートル〜数千ナノメートルていどの間隔の格子ミゾをどうやって作るのか、という問題に行き着いてしまう。
歴史的には、下記のように、可視光の波長が測定されていった。
まず、1805年ごろの「ヤングの実験」で有名なヤングらの研究により、可視光の波長は、おおむね 100nm(10<sup>-7</sup>m) 〜 1000nm の程度であることは、この頃から、すでに予想されていた。
その後、ドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが、すぐれた回折格子を開発し、可視光の波長を精密に測定する事に成功した。フラウンホーファーは回折格子を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。1821年にフラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。(要出典)
さらにこのころの時代、送りねじの潤滑のために水銀を使う水銀浮遊法が、研究開発で行われた。
より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
マイケルソンの制作した干渉計にも、水銀浮遊法の技術が取り入れられている、という<ref>クリス・エヴァンス 著、橋本洋・上野滋 共訳『精密の歴史』、大河出版、2001年11月28日 再版、185ページ</ref>。
さらに、ネジの技術革新で、マートン・ナット(「メルトン・ナット」とも訳す)という、弾力性のある材質でネジをつくることによって誤差がならされて平均化されるので、超絶的に高精度の送りねじを作る技術が、イギリスの物理学者トーマス・ラルフ・マートン(英:[[:en:w:Thomas Ralph Merton]] )などによって開発された。
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。(要出典) メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。
;メートルの定義
:真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
==== 光電効果の測定 ====
:(※ 未記述)
:(※ 回路図を追加すること。)
:(※ 実験結果グラフを追加すること。)
[[File:Cellule photoelectriqie.JPG|thumb|300px|光電効果の実験]]
[[File:Caracteristique courant tension (frequence fixe).JPG|thumb|300px|電位と光電流の関係]]
{{-}}
==== 備考 ====
太陽電池も、光電効果のような現象である、と考えられている。(※ 実教出版の教科書などで、扱っている話題。)
なお、太陽電池は一般的に半導体であり、ダイオード化したPN接合の部分に光を当てる必要がある。
(PN接合部分以外の場所に、光があたっても、生じた電力を、電流として取り出せない。電流として取り出せるようにするには、PN接合の部分に、光を当てる必要がある。このため、PN接合の片方の材質を、透明か、それに近い光透過率の材料にする必要があり、「透明電極」という。)
(※ 範囲外?: ) なお、発光ダイオード半導体は、この逆パターンとして考えられており、光電効果でいう「仕事関数」にあたるエネルギーをもった電流を流すことにより、その半導体物質の「仕事関数」にあたるエネルギーの光が、PN接合の接合面から放出される、という仕組みである。
なお、CCDカメラなどに使われるCCDは、太陽電池のような機能をもつ半導体を、電力源としてではなく、光のセンサーとして活用するという仕組みの半導体である。(※ 実教出版の教科書などで、扱っている話題。)
=== ※ 普通科の範囲外: 超伝導の磁束の量子化 ===
(※ 普通科高校の『物理』系科目では習わないが、)
物理現象の量子化として、光電効果や物質波のほかにも原子スケールの物理現象の量子化はあり、ある種類の超伝導物質では、それに通した磁束が量子化する現象が知られている。(※ 工業高校の科目『工業材料』下巻(または科目の後半)で習う。)
:※ 『工業材料』の教科書には書かれてない話題だが、磁束の量子化はジョセフソン素子などとして、電圧計測などの国家標準器として、日本をふくむ世界の工業国の各国で採用されている。
:※ アインシュタインの「光量子仮説」が呼び名のとおり、あくまで仮説な一方で、超伝導における磁束の量子化は(説ではなく)観測事実・実験事実である。実際に超伝導に通した磁束が誘導現象でつくる電圧を精密に測定すると、電圧カーブが階段状にギザギザになったりする。(厳密に言うと、観測されるのは磁束のつくる誘導電圧の量子化だが・・・)
:※ 工業高校では、教育の順序として、もしかしたら「光電効果」よりも「超伝導での磁束の量子化」を先に教えている可能性がある。(普通科の専門『物理』が3年生で教える一方、『工業材料』は1~2年生で教える場合もあるので) ひょっとしたら将来的に普通科高校でも「磁束の量子化」を先に教える可能性がありうる。
=== X線 ===
==== X線の発見 ====
[[File:Rotating anode x-ray tube (labeled).jpg|thumb|250px|X線管<br>陰極から出た陰極線を陽極にぶつけると、ぶつかった時にX線が出る。]]
[[File:Tube RX a fenetre laterale.png|thumb|X線管の原理]]
科学者レントゲンは、1895年、放電管をもちいて陰極線の実験をしていたとき、放電管のちかくに置いてあった写真乾板が感光している事に気付いた。
彼(レントゲン)は、陰極線がガラスに当たったとき、なにか未知のものが放射されてると考え、X線と名づけた。
やがて、さまざまな実験によって、X線は次の性質をもつことが明らかになった。
:性質: 磁場や電場で曲がらない。
この事から、X線は、荷電粒子ではない事が分かる。(結論をいうと、X線の正体は、波長の短い電磁波である。)
また、
:性質: X線を照射された物質はイオンに電離される。
:性質: 可視光線を通さない物質でも、X線なら透過できる場合がある。
などの性質がある。
なお現代では、医療用のX線を「レントゲン」ともいう。
==== X線のスペクトル ====
[[File:TubeSpectrum.jpg|thumb|240px|特性X線(K線)]]
:特性X線
:連続X線
{{-}}
==== X線の波動性 ====
1912年、物理学者ラウエは、X線を単結晶に当てると、写真フィルムに図のような斑点の模様にあることを発見した。これを'''ラウエ斑点'''(はんてん)といい、結晶中の原子が回折格子の役割をしたことで発生した干渉現象である。
[[File:Bragg diffraction 2.svg|thumb|400px|ブラッグの条件]]
1912年、物理学者ブラッグは、反射が強めあう条件式を発見した。
2d sinθ = n λ
これを'''ブラッグの条件'''という。
上式のdは格子面の間隔の幅である。
{{-}}
:(※ 範囲外:) いっぽう、ガラスなど非晶質の材料の場合、ブラッグ反射のような明確な回折は起きない。(※ 参考文献: 東京化学同人『無機化学 その現代的アプローチ 第2版』、平尾一之 など著、2013年第2版、2014年第2刷)
==== X線の粒子性 ====
* コンプトン効果
X線を炭素塊などの(金属とは限らない)物質に当て、その散乱されたあとのX線を調べると、もとのX線の波長よりも長いものが、散乱したX線に含まれる。
このように散乱X線の波長が伸びる現象は物理学者コンプトンによって解明されたので、'''コンプトン効果'''(またはコンプトン散乱)という。
[[File:Compton ex1.jpg||400px|thumb|right|コンプトンによる実験略図。なお、図中の「単結晶」は波長の測定用であり <ref>原島鮮『初等量子力学』(裳華房、2014年第40版、初版は1972年)</ref> 、「単結晶」の材質は方解石の結晶であり、散乱波長はブラッグ反射などを活用して測定する。(コンプトン本人の論文“The Spectrum of Scattered X-Rays”(May 9, 1923).に、方解石(calcite)を使っていることと、ブラッグ反射(Bragg ?)させている事が書かれている。)]]
この現象は、X線を波と考えたのでは説明がつかない。(もし仮に波と考えた場合、散乱光の波長は、入射X線と同じ波長になるはず。なぜなら、水面の波に例えるなら、もし水面を棒で4秒間に1回のペースで揺らしたら、水面の波も、4秒間に1回のペースで周期を迎えるのと、同じ理屈。)
さて、波動の理論でコンプトン効果を説明できないなら、粒子の理論で説明をすれば良いだろう。
この当時、アインシュタインは光量子仮説にもとづき、光子はエネルギーhνをもつだけでなく、さらに次の式で表される運動量pをもつことを発見している。
<math>p=\frac{h\nu}{c}(=\frac{h\nu}{\nu \lambda}=\frac{h}{\lambda})</math>
物理学者コンプトンは、この発見を利用し、波長λのX線を、運動量<math>\frac{h}{\lambda}</math>
とエネルギー<math>\frac{hc}{\lambda}</math>を持つ粒子(光子)の流れと考え、
X線の散乱を、この光子が物質中のある電子と完全弾性衝突をした結果と考えた。
:コンプトンはこの考えに基づき、光子と電子の衝突前の運動量和とエネルギー和が衝突後も保存されると仮定して計算して、実験結果と良く合うあう結果が得られることを発見した。
[[File:Compton effect illust.svg|thumb|400px|コンプトン効果<br>この図を見ると、あたかも真空中をただよう電子に電磁波を照射したように見えるが、そうではない。コンプトン効果の発見された1920年代の当時には、まだ、空中に電子をただよわせて精度よく電磁波を照射する技術など、無い。実際にコンプトンが行った実験は、石墨の炭素などの物質にX線を照射する実験である。図中の電子は、炭素などの分子が提供する電子である。<br>コンプトン本人の論文に、このような感じの図が書かれており、それでこのような図が普及したものと思われる。]]
解法は、下記のとおり。
:エネルギー保存の式を立てる。
:そして、運動量の保存の式を立てる。具体的には、x軸方向の運動量の保存の式と、y軸方向の運動量の保存の式を立てる。
----
エネルギー保存の式
:<math>\frac{hc}{\lambda} = \frac{hc}{\lambda '} + \frac{1}{2}mv^2 \qquad \qquad (1)</math>
運動量保存の式
:x軸: <math> \frac{h}{\lambda} =\frac{h}{\lambda '} \cos \theta + mv \cos \phi \qquad \qquad (2)</math>
:y軸: <math> 0 =\frac{h}{\lambda '} \sin \theta - mv \sin \phi \qquad \qquad (3)</math>
----
上記の3つの式を連立し、この連立方程式を解くためにvとφを連立計算で消去させていき、<math>\lambda \fallingdotseq \lambda '</math>のときに
<math>\lambda ' \fallingdotseq \lambda + \frac{h}{mc} (1 -\cos \theta )</math>
が得られる。
この式が実験式とよく一致するので、コンプトンの説の正しさは実証された。
----
* コンプトン効果の連立方程式の具体的な解法
(編集者へ: 記述してください。)(Gimyamma より。解法を書いてみました。)
----
式(1),(2),(3)から、<math>v</math>と<math>\phi</math>を消去して、
<math>\lambda,\lambda ',\theta</math>の関係式を求めればよい。
:ⅰ)まず、式(2),(3)から<math>\phi</math>を消去する。
:式(2)から、
:<math>(mv \cos \phi)^2 = (\frac{h}{\lambda}-\frac{h}{\lambda '} \cos \theta)^2
</math>
:式(3)から、
<math>(mv \sin \phi)^2 = (-\frac{h}{\lambda '} \sin \theta)^2</math>
:この両式を加えると、
<math>m^2 v^2 = (\frac{h}{\lambda}-\frac{h}{\lambda '} \cos \theta)^2+(-\frac{h}{\lambda '} \sin \theta)^2+\frac{h^2}{\lambda '^2}</math>
:この右辺を整頓すると、所望の
:<math>m^2 v^2 =\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta
+\frac{h^2}{\lambda '^2}\qquad (4)</math>
を得る。
:ⅱ)式(4)を式(5)に代入してvを消去する:
式(1)の右辺の第2項を変形して式(4)を代入する。
:<math>\frac{1}{2}mv^2 =\frac{1}{2m}m^2v^2 = \frac{1}{2m}\bigl(\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta\bigr)+\frac{h^2}{\lambda '^2}</math>
これを式(1)の右辺に代入すると
:<math>\frac{hc}{\lambda} = \frac{hc}{\lambda '} + \frac{1}{2m}\Bigl(\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{h^2}{\lambda '^2}\Bigr)</math>
:両辺を<math>hc</math>で割ると、
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{1}{\lambda '} + \frac{h}{2mc}\Bigl(\frac{1}{\lambda^2}-2\frac{1}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{1}{\lambda '^2}\Bigr)\qquad (5)</math>
を得る。
:この式の右辺の第2項の括弧内を次のように変形する。
:<math>\frac{1}{\lambda^2}-2\frac{1}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{1}{\lambda '^2}=\bigl(\frac{1}{\lambda}-\frac{1}{\lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)</math>
この式を式(5)の右辺第2項に代入すると、
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{1}{\lambda '} +
\frac{h}{2mc}\Bigl(
\bigl(\frac{1}{\lambda}-\frac{1}{\lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)
\Bigr)</math>
この式の右辺の第1項を移行し、式を変形すると
:<math>\frac{\lambda'-\lambda}{\lambda\lambda '}=
\frac{h}{2mc}\Bigl(
\bigl(\frac{\lambda'-\lambda}{\lambda \lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)
\Bigr)</math>
両辺に<math>\lambda \lambda'</math>を掛けると
:<math>\lambda'-\lambda=
\frac{h}{2mc}\Bigl(
\frac{(\lambda'-\lambda)^2}{\lambda \lambda'}+2(1-\cos \theta)
\Bigr)\qquad \qquad (6)</math>
X線の散乱では、<math>\lambda'\fallingdotseq \lambda</math>なので
:<math>\frac{(\lambda'-\lambda)^2}{\lambda \lambda'}</math>は、波長に比べて非常に小さい値になり無視できる。
故に式(6)から
:<math>\lambda'-\lambda \fallingdotseq
\frac{h}{mc}
(1-\cos \theta)
\qquad \qquad (7)</math>
これで、所望の式が導出された。
----
==== 範囲外: 光子の流体力学的解釈と運動量密度 ====
[[File:Photon-fluid-understanding jp.svg|thumb|400px|光子の流体力学的解釈]]
光の運動量 P[kg・m/s]=hν/c について、
まず cP=hν[J] と変形してみると、「速度に運動量をかけたものがエネルギーである」という内容の公式になっている。
これを理解するため、ひとまず、光を粒子であると同時に流体であると考えて、その電磁波が単位体積あたりの運動量pを持っているとして、その流体の運動量の密度(運動量密度)を p [(kg・m/s)/m<sup>3</sup>]としよう。この場合の電磁波は流体なので、運動量は、その密度で考える必要がある。
電磁波を物体に照射して、光が物体に吸収されたとしよう。反射はないとして、光のエネルギーはすべて物体に吸収されたとする。簡単のため、物体壁に垂直に光を照射したとする。物体への光の照射面積をA[m<sup>2</sup>]とする。
電磁波は光速 c[m/s] で進むのだから、壁からcの距離の間にあるすべての光子は、すべて単位時間後に吸収される事になる。単位時間に壁に吸収される光子の量は、その単位時間のあいだに壁に流れ込んだ光子の量であるので、
図のように、仮に底面をA[m<sup>2</sup>]として、高さhを c ( hの大きさはcに等しい。単位時間t=1をかけたとすれば h=c・1 である)[m]とする柱の体積 A×c[m<sup>3</sup>]中に含まれる光子の量の総和に等しい。
いっぽう、運動量密度は p[(kg・m/s)/m<sup>3</sup>]だったので、この柱 A×h に含まれる運動量の総和は、
A×h×p[kg・m/s]である。
光を吸収した物体の運動量は、単位時間にAhpの運動量が増加することになるが、h=cであったので、つまり、運動量が単位時間あたりに Acp[kg・m/s] だけ壁に流れこむことになる。
いっぽう、高校物理の力学の理論により、「運動量の時間あたりの変化は、力である」であったので、つまり物体は、Acp[N]の力を受ける。
力を受けるのは照射された面だから、力[N]を面積で割れば圧力の次元[N/m<sup>2</sup>]=[Pa]になる。
実際に面積で割る計算をすれば、圧力として cp[N/m<sup>2</sup>]=[Pa]=[J/m<sup>3</sup>] を受ける事が計算的に分かる。さらに、圧力の次元は[N/m<sup>2</sup>]=[Pa]=[J/m<sup>3</sup>]と変形できるので、「圧力は、単位体積あたりのエネルギーの密度(「エネルギー密度」という)である」と考えよう。
とすれば cp の次元は、[圧力]=[エネルギー密度] となる。
このエネルギー密度に、hνが対応していると考えれば、合理的である。
要するに、光のような、事実上は無限に圧縮できる波・流体では、
公式として、速度をv、運動量密度をp、エネルギー密度をεとして考えれば、
:vp=ε
という関係がなりたつ。
(なお、水や空気のような普通の流体では、無限には圧縮できないので、上記の公式は成り立たない。)
われわれがコンプトン効果の学習で分かった運動量の公式 <math>p=\frac{h\nu}{c}</math> は、運動量密度とエネルギー密度の関係式に、光速cと光電効果のエネルギーhνを代入したものになっている。
上記の考察は、光を流体として考えた電磁波の運動量だが、粒子として解釈された光子の運動量にも、
cP=hν という関係が成り立つと考えよう。
もし読者が、圧力をエネルギー密度と考えるのが分かりづらければ、たとえば熱力学の仕事の公式 W=P⊿V の類推をしてはどうか? なお、上記の運動量とエネルギーの関係式の導出は大まかな説明であり、正確な導出法は、(大学で習う)マクスウェルの方程式によらなければならない。
おそらく、 「光は、電子に作用するときに、光が粒子として振舞う(ふるまう)」 というのが正しいだろう。
いっぽう、やみくもに「光は粒子! 光は波動ではない!!」(×)とかいうのは、単なる馬鹿のひとつ覚えである。
マクスウェルの方程式では、光(電磁波)は波動として、あつかうのである。
しかし、光電効果で起きる現象では、放出電子のもつ運動エネルギーは、光の強度とは無関係である。単純な流体として考えるなら、(たとえば集光させたり光を重ねたりして、)光の強度が上がれば、運動量密度も上がるハズだし、その帰結の放出電子のエネルギー密度も上がるハズだろいうという予測が成り立ちそうだが、しかし実験結果はその予測とは異なり、光電効果は光の強度とは無関係に光の周波数によって放出電子のエネルギーが決まる、・・・というのが、実験事実である。
このような実験結果から、20世紀初頭の当時、勃興していた量子力学などと関連づけて、「光も波であると同時に粒子である」と断定したのがノーベル財団などであり、光電効果を光の粒子説の根拠のひとつとしたのがアインシュタインの仮説であり、アインシュタインのその仮説を定説として認定したのがノーベル財団であり、現在の物理学では、光電効果が光子説の根拠として通説になっている。
光電効果の実験結果そのものは、単に、光電効果における「光」を、単純な流体・波動としては考えられないだろう・・・というだけの事である。
結局、物理学は実験科学であり、実験結果にもとづき実験法則を覚えるしかない。「光子」というアイデアは、「光電効果の放出電子1個あたりのエネルギーは、入射光の強度に寄らず、光の波長(周波数)による」という事を覚えやすくするための手段にすぎず、アインシュタインとその支持者にとっては、「光の粒子説」というのが、覚えやすくするためのモデルだっただけである(粒子なのに波長(周波数)とは、意味不明だが)。そして運動量密度とエネルギー密度の関係 vp=ε という知識もまた、光電効果の公式 cP=hν を覚えやすくするための手段にすぎない。
じっさいの光は、単純な波でもなく、単純な粒子でもなく、ただ単に、光は光であり、光でしかない。
「光の粒子説」というのは、真空中で媒質(ばいしつ)がなくても光が伝わる、という程度の意味合いでしかないだろう。アインシュタインが特殊相対性理論を発表する前までは、(20中盤以降から現代では否定されているが、)かつて「エーテル」という光を伝える媒質の存在が信じられていた。しかしアインシュタインは相対性理論により、エーテルの存在を否定した。
「光の粒子説」を発表していた者も同じくアインシュタインだったので、ノーベル財団は、本来なら特相対性理論でノーベル賞を授けるかわりに、光子説でノーベル賞をアインシュタインに授けただけだろう
=== 粒子の波動性 ===
==== 物質波 ====
物理学者ド・ブロイは、波と考えられてた光が粒子の性質をもつならば、きっと電子も粒子としての性質だけでなく、電子も波動のように振舞うだろうと考えた。
そして、電子だけでなく、一般の粒子に対しても、その考えを適用し、次の公式を提唱した。
:質量m、速さvの粒子は波動性をもち、その波長は次式で与えられる。
:<math>\lambda = \frac h {mv} </math>
これはド・ブロイによる仮説であったが、現在では正しいと認められている。
この波は、'''物質波'''(material wave)と呼ばれる。'''ド・ブロイ波'''(de Broglie wave length)ともいう。
すなわち、光子や電子に限らず、あらゆる物質は粒子性と波動性をあわせ持つといえる。
この物質波という説によると、もしも電子線を物質に当てれば、回折などの現象が起きるはずである。
1927年〜1928年にかけて、デビッソンとガーマーは、ニッケルなどの物質に電子線を当てる実験を行い、X線回折と同様に電子線でも回折が起きることを実証した。日本でも1928年に菊池正士(きくち せいし)が雲母片に電子線を当てる実験により回折が起きることを確認した。
電子線の波長は、高電圧をかけて電子を加速して速度を高めれば、物質波の波長はかなり小さくできるので、可視光の波長よりも小さくなる。
そのため、可視光では観測できなかたった結晶構造が、電子波やX線などで観測できるようになった。生物学でウイルスが電子顕微鏡で観測できるようになったのも、電子の物質波が可視光よりも大幅に小さいからである。
=== 粒子と波動の二重性 ===
{{コラム|参考: 電子ビームによる波動性の干渉実験|
[[Image:Egun.jpg|thumb|250px|right|ブラウン管の電子銃]]
[[ファイル:double-slit.svg|thumb|right|350px|電子の二重スリットの干渉実験]]
[[ファイル:Doubleslitexperiment_results_Tanamura_1.gif|thumb|left|250px|二重スリット実験の結果]]
:(※ 検定教科書で習う範囲内です。)
電子銃(でんしじゅう)という実験装置がある。銃といっても、べつにSFのような兵器ではなく、電子銃とは単に電子を放出するだけの装置である。
さて、この電子銃をもちいて、1個づつ電子を当てる実験を、二重スリットを使って実験すると、図のように、波動のように、電子の多く当たった場所と電子の少なく当たる場所との縞模様ができる。
{{-}}
このように、電子にも粒子性と波動性があり、電子は粒子でありつつ、二重スリットに向かって電子を撃ち込むと干渉を起こすという波動性も持っている。
}}
上述のような、さまざまな実験の結果から、すべての物質には、原子ていどの大きさの世界(以降、単に「原子スケール」などと略記する)では、波動性と粒子性の両方の性質をもつと考えられている。
このことを'''粒子と波動の二重性'''という。
* 参考: 不確定性原理
[[File:Bundesarchiv Bild183-R57262, Werner Heisenberg.jpg|thumb|物理学者ハイゼンベルグ <br>不確定性原理の主要な提唱者である。]]
そして、原子スケールでは、ある一つの物質(主に電子のような粒子)について、その位置と運動量の両方を同時に決定する事はできない。このことを'''不確定性原理'''(ふかくていせい げんり)という。
{{-}}
== 原子と原子核 ==
=== 原子 ===
[[File:Geiger-Marsden experiment expectation and result (Japanese).svg|right|400px|thumb|]]
物理学者ガイガーと物理学者マースデンは、(ラジウムから出した)α粒子をうすい金ぱくに当てる実験を行い、α粒子の散乱の様子を調べた。(なお、α粒子の正体はヘリウムの原子核。)その結果、ほとんどのα粒子は金ぱくを素通りするが、金ぱく中の一部の場所の近くを通ったα粒子だけが大幅に散乱する現象を発見した。
この実験結果からラザフォードは、原子核の存在をつきとめた。
原子は、中心に原子核があり、そのまわりを電子が運動するというラザフォードモデルとよばれるモデルによって説明される。
原子(atom)は、全体としては電気的に中性であり、負の電荷を有する電子を電子殻に持つ。
ここで、ミリカンの実験 による結果などから、電子の質量は水素イオンの質量の約1/1840程度しかないことが分かっている。
すなわち、原子は電子と陽イオンとが含まれるが、質量の大部分は陽イオンがもつことが分かる。
原子核の大きさは原子全体の1/10000程度であるため、原子の大部分は真空である。
原子核は、正の電荷をもつZ個の陽子(proton)と、電気的に中性な(A−Z)個の中性子(neutron)からなる。
陽子と中性子の個数の合計を質量数(mass number)という。
陽子と中性子の質量はほぼ等しいため、原子核の質量は、質量数Aにほぼ比例する。
==== 水素原子のスペクトル ====
高温の物体から発光される光には、どの(可視光の)色の波長(周波数)もあり、このような連続的な波長の光を連続スペクトルという。
いっぽう、ナトリウムや水素などの、特定の物質に電圧がかけられ放電したときに発光する波長は、特定の数本の波長しか含まれておらず、このようなスペクトルを輝線(きせん)という。
パルマーは、水素原子の数本ある輝線の波長が、次の公式で表現できることに気づいた。
<math>\lambda = 3.65 \times 10^{-7} \mathrm{m} \times \left( {n^2 \over n^2 - 4} \right)</math> (ただし、n=3, 4 , 5 ,6 ,・・・)
上式中の「m」はメートル単位という意味。(上式のmは代数ではないので、間違えないように。)
その後、水素以外の原子や、可視光以外の領域についても、物理学者たちによって調べられ、次の公式へと、物理学者リュードベリによって、まとめられた。
{| style="width:100%"
|valign=top style="width:20%;text-indent:1em"|
<math>\frac{1}{\lambda} =R \left( \frac{1}{m^2} -\frac{1}{n^2} \right)</math>
|valign=top style="width:5%;text-indent:1em"|
|valign=top style="width:75%;text-indent:1em"|
(ただし、 m =1, 2 , 3 ,・・・
<br> n = m+1 , m+2 , m+3 ,・・・)
|}
上式のRはリュードベリ定数といい、<math>R=1.097 \times 10^7 /m </math>である。
==== 量子論と原子の構造 ====
[[File:Stationary wave Quantum rule in atom.svg|thumb|300px|原子内の定常波]]
ラザフォードの原子模型に従えば、電子は、まるで惑星の公転のように原子核を中心とする円軌道の上を一定の速度で運動する。
:円運動する質点は加速度をもつので、このモデルの電子は加速度運動を続けることになる。
:ところが古典電磁気学の分野で、加速度運動をおこなう電荷は電磁波を放出して、エネルギーを失うという法則が既に発見されていた。
:この法則によれば、原子核の周りをまわる電子は電磁波を放出し続け、エネルギーを絶えず減らしていく。それにつれて電子は原子核に向けて落下していくため、原子核との距離を小さくしながら原子核の周りを回転し、やがて原子核に衝突してしまう。円軌道の上を安定的に運動することは不可能なのである。
:物理学者ボーアはラザフォードの原子模型の深刻な矛盾を克服し、さらに水素原子の放出する線スペクトルについても説明できる原子模型を作るため、
:プランクの提唱したエネルギー量子化の考えとアインシュタインの光量子論を取り入れた大胆な仮説を立てた(1913年)。
*仮説1;量子条件
原子核を中心とする半径r[m]の円軌道を速さv[m/s]で回転する電子の角運動量<math>rp=rmv</math>は、<math>\frac{h}{2\pi}</math>の正整数倍にならなければならない(角運動量の量子化)。
:数式で書けば,次のボーアの式
:<math>rp=rmv=n\frac{h}{2\pi} \quad (n=1,2,3,,,,)\qquad \qquad (1)</math>
を満たさねばならない。
:ここで、m[kg]は電子の質量を、hは [[w:プランク定数 |プランク定数]]である。
:このボーアの式の正整数nを'''量子数'''(りょうしすう)という。
後年(1924年)、ド・ブロイは「物質粒子は波動性を持ち、
:その波(物質波)は、波長<math>\lambda=\frac{h}{p}</math>をもつ」と提唱した。
これに従えば、ボーアの量子条件の仮定は、「電子軌道の長さは、電子の物質波の波長の正整数倍である」と表現できる。
:これは、円軌道上に定常波ができるための条件と同じである。
:※ 検定教科書でも、ボーアの式の表記は、速度vをつかって表される表記である。
*仮説2;振動数条件
電子はあるきまったとびとびのエネルギーしか持たない。このとびとびのエネルギー値をエネルギー順位という。
:電子がエネルギー順位を<math>E'</math>から<math>E(<E')</math>に遷移する(エネルギーを失う)ときには、<math>E'-E=h\nu</math>できまる振動数<math>\nu</math>の一個の光子を放出し、
:逆にエネルギー順位Eの電子が外部からエネルギー<math>h\nu = E'-E</math>を得ると、エネルギー順位E'に遷移する。
==== エネルギー準位 ====
[[File:Circular-motion-electron-in-atom jp.svg|thumb|400px|水素原子内での電子の円運動]]
水素原子において、電子軌道上にある電子のエネルギーを求める計算をするが、まず、そのためには、原子の半径を求める必要がある。
* 半径
水素の電子が原子核<math>H^+</math>を中心とする半径rの円軌道上を一定の速度vで運動しているとすれば、運動方程式は
:<math> m \frac{v^2}{r} = k_0 \frac {e^2}{r^2} </math>
で表される。
一方、電子が定常波の条件を満たす必要があるので、前項の式(1)から、
:<math> v (= v_n) = \frac {nh}{2 \pi m r } \qquad \qquad (2)</math>
である。
このvをさきほどの円運動の式に代入して整頓すれば、
:<math> r(=r_n) = \frac {h^2}{4 \pi ^2 k_0 me^2} n^2\qquad \qquad (3)</math>
(ただし、n=1, 2 , 3 ,・・・)
になる。こうして、水素原子の電子の軌道半径が求まる。
さきほどの軌道半径の式でn=1のとき半径r<sub>1</sub>を「ボーア半径」という。
* エネルギー準位
原子の世界でも、運動エネルギーKと位置エネルギーUの和が、エネルギーである。
位置エネルギーUは、この水素の電子の場合なら、静電気エネルギーを求めれば充分であり、電位の式によって求められて、
:<math> U = - k_0 \frac {e^2}{r}</math>
となる。
運動エネルギーKは、<math> K = \frac{1}{2}mv^2</math>なので
:<math> E = K+U = \frac{1}{2}mv{}^2 - k_0 \frac {e^2}{r}</math>
上式の右辺第一項に、
:円運動の方程式<math> m \frac{v^2}{r} = k_0 \frac {e^2}{r^2} </math>の両辺にrを掛けた
<math> m v^2 = k_0 \frac {e^2}{r} </math>を代入すれば、
:<math>E(= E_n )= K+U = \frac{1}{2} k_0 \frac {e^2}{r}- k_0 \frac {e^2}{r} = - \frac{k_0e^2}{2r} </math>
となる。
さらに、これに電子の軌道半径<math>r=r_n</math>の式(3)を代入すれば、
:<math>E(=E_n) = -\frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {h^2} \frac{1}{n^2} \quad (n=1,2,3,,,) \qquad \qquad (4)</math>
となる。これが水素原子のエネルギー準位である。
エネルギー準位の公式をよく見ると、まず、エネルギーが、とびとびの値になることが分かる。また、エネルギーが負になる事がわかる。
n=1のときが、もっともエネルギーの低い状態であり、そのため、n=1のときが安定な状態である。よって、電子は通常、n=1の状態になる。
なお、
:<math> -\frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {h^2}</math>に諸定数の値を入れて計算すると
:<math> - \frac{13.6}{n^2} \ \ \mathrm{eV}</math>となるので、
:水素原子のエネルギー順位は
:<math>E(=E_n) = - \frac{13.6}{n^2} \ \ \mathrm{eV}</math>と書ける。
:<math>E_1</math>は、約 13.6 eV になるが、これは水素のイオン化エネルギーの値である。これは、実験値にも、よく一致する。
===== 水素原子のスペクトルの経験式の理論的導出 =====
水素原子の発する光のスペクトルの実測値を表すリュードベリの経験式については、既に「水素原子のスペクトル」の項でで説明した。
:ボーアの水素原子モデルに基づいて得られたエネルギー順位と振動数条件の仮説を用いれば、この式が以下のように理論的に導出できる。
:任意の正整数m、n(>m)を考える。
:すると、振動数条件の仮説により
電子がエネルギー順位<math>E_n</math>から、低いエネルギー順位<math>E_m</math>に遷移するときに、振動数
<math>\nu=\frac{E_n-E_m}{h}</math>
の光子を一個放出する。
:この光子の波長λは
<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{E_n-E_m}{ch}</math>
で与えられるので、右辺のエネルギー順位に式(4)を代入すると
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {ch^3}(\frac{1}{m^2}-\frac{1}{n^2}) \qquad \qquad (5)</math>
が得られる。
<math>{\bf R}\triangleq \frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {ch^3}</math>
で、リュードベリ定数Rを定義すると、式(5)は
:<math>\frac{1}{\lambda} = {\bf R}(\frac{1}{m^2}-\frac{1}{n^2}) \qquad \qquad (5')</math>
Rの定義式中の諸定数に値をいれて計算すると
:<math>{\bf R}=1.097\times 10^7 \ [1/m] \qquad \qquad \qquad (6)</math>
驚くべきことに、リュードベリの経験式が、見事に導出できたのである。
これは、ボーアの仮説の妥当性を示すものと言えよう。
{{コラム|通俗的な「光は粒子であり波である」という説明 (※ 範囲外)|
粒子と波動の二重性についての「光は粒子であり波である」という説明は、分かりやすいが意味を勘違いしやすい。
より正しくは、
「原子スケールていどの物理現象を扱うときは、古典物理のような(人間の肉眼でも観察できる程度の大きさの)巨視的な分野の「粒子」と「波」では、区別できない現象にも遭遇する。」とでも言うほうが、より正確である。
実験事実としての「光」は、巨視的な分野では基本的には「光」は波の性質をもつが、しかし巨視的でない原子などの微細な粒子への「光」の作用などを考える場合には、光電効果のように一定のエネルギーのかたまり毎に不連続に作用する現象もあるわけであるから、連続量である(古典的な)波とは性質が違う。
かといって、原子に当たる波は微視的だからといって、原子に当たった「波」がけっして質量をもつようになるわけでない。質量にはついては古典的な波と同様に、原子スケールの微視的な波でも、質量は持たない。
このように原子スケールの微視的な「波」でも、質量については、古典的な波と共通し、「波」そのものは質量をもたない。
このように、原子スケールの波においても、質量など いくつかの性質では、巨視スケールとひきつづき同様の性質をもっている要素もある。
同様に、電磁放射の問題のように「電子が波の性質をもつ」現象もあるが、しかし電子は質量をもつ。また、化学結合のさいには(化学1の授業でも習うように)「価電子」という電子の粒子1個ずつの単位を考えるのであるから、このように原子スケールであっても、電子は古典的な粒子と共通する性質も いくつか持っている。
そもそも原子からの電磁放射のないことから論理的に言えることは、単に、巨視的な分野と、原子のような微視的な分野では、「法則が違う」という事だけであり、その事だけでは、必ずしも「電子は波である」とは断定できないハズであるのだが、しかし人類は、物質波などその他の実験結果をもとに、人類は「電子は波である」と仮定して、20世紀初頭ごろに物理学の新理論(当時)を理論構築し、それが現代でも続いている。
}}
:(※ 範囲外: 大学の範囲) 実際の特性スペクトルの波長は、原子内部の電子の影響により、若干、ズレる。そういった内部電子の補正を考慮した、より精度の高い式として「モーズリーの公式」というのが知られている。なお歴史的な順序は、上述の説明の順序とは逆である。じつは先にモーズリーの式が発見され、あとから、モーズリーとは別に独立に研究されていた上述のようなボーアやラザフォードの理論を用いると、モーズリーの公式もうまく説明できるという事が物理学者コッセルによって発見された<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、140ページ</ref>。なおモーズリーの公式について調べたいなら、大学科学の量子化学などの科目名の教科書に記載があるだろう。
==== 基底状態と励起状態 ====
(※ 未記述)
=== 原子核 ===
==== 原子核の構造 ====
原子核は、陽子と中性子からできている。
陽子は正電荷をもち、中性子は電荷をもたない。
では、なぜプラスの電荷をもつ陽子どうしが、なぜクーロン力で反発してしまわないのだろうか?
この理由として、つまり陽子どうしがクーロン力で反発しないための理由として、次のような理由が考えられている。
まず、陽子に中性子が近づいて混合すると、「核力」という非常に強い結合力が発生し、
この核力が陽子同士のクーロン力による強い斥力に打ち勝つので、陽子と中性子は結合していると考えられている。(必ずしも、陽子と中性子の個数は同一でなくてもいい。実際に、周期表にあるいくつもの元素でも、陽子と中性子の個数は異なる。)
比喩的に言い換えば、中性子は、陽子と陽子を結びつける、ノリのような役割をしていると、考えられている。
:(※ 範囲外:) 原子番号の低い元素において、陽子と中性子の個数は、ほぼ同数である場合が多い。たとえば、酸素や窒素では、陽子と中性子は同数である。一方、元素番号の高い元素ほど(つまり周期表で下のほうの元素)、陽子よりも中性子が多く、たとえばウラン235は中性子数が陽子数の1.5倍である。このような、周期表における陽子数と中性子数の観測事実がある(周期表を調べれば、すぐに分かる)。これには核力の性質が関係していると考えられている<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、190ページ</ref>。
:(発展: )なお、20世紀後半以降の素粒子論では、陽子と中性子はさらに小さな物質から成り立っているとされる。だが、高校生はこの単元の学習では、原子核の構成要素としては、とりあえず陽子と中性子までを考えれば十分である。
なお、名称として、陽子と中性子をまとめて「核子」と呼ばれる。
ある元素の原子核の陽子の数は、周期表の'''原子番号'''と一致する。
また、陽子と中性子の数の和は'''質量数'''とよばれる。
質量数Aの原子核は非常に強い核力のために、小さな球体状の空間の中に固まっており、その半径rは、
<math>1.2</math>~<math>1.4\times 10^{-15}\times A^{\frac{1}{3}}</math>
であることが知られている。
==== 原子核の結合エネルギー と質量欠損 ====
任意の原子核は、それを構成する核子である陽子と中性子が自由であるときの質量(単体質量という)の和より、小さい質量をもつ。この減った質量を、質量欠損と呼ぶ。
質量数A、原子番号Zの原子核の質量欠損<math>\Delta m</math>を、式で書けば,
原子核の質量をm、陽子と中性子の単体質量をそれぞれ<math>m_p,\ m_n</math>としたとき、
:<math>\Delta m = m_{p}Z+m_{n}(A-Z)- m</math>である。
:(※ 範囲外: )原子にもよるが、一般に質量欠損の大きさは、もし欠損のない状態として仮定した場合の理論値の1%ていど<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%B3%AA%E9%87%8F%E6%AC%A0%E6%90%8D-74242 コトバンク『日本大百科全書(ニッポニカ)の解説』(坂東弘治、元場俊雄)など ]</ref>である。精密測定で1%というのは、けっこう大きい割合である。
:(※ 範囲外: )質量欠損の後でも、質量数(核子における陽子と中性子の個数の合計)は通常は保存されている<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、222ページ</ref>。つまり、質量数が保存されているのにもかかわらず、質量(キログラム)を測定すれば、その核子の質量(キログラム)がわずかに欠損しているのである。
{{コラム|原子レベルの質量の測定法|
[[File:Mass spectrometer schematics.png|thumb|right|質量分析器の模式図。試料導入部およびイオン源(左下)、分析部(左上、磁場偏向型)、イオン検出部(右上)、データ処理部(右中)からなる。]]
そもそも、どうやって原子や分子の質量を精度よく測定するか?
これは、「質量測定法」と言われる技術分野になり、高校レベルでは説明できない。(アインシュタインが果たして、そういった測定技術を知っていたかどうかも疑わしそうである。)
参考文献が未入手なので、断言はできないが、一般に原子レベルの質量測定法として精密科学でよく知られるものとして、右図のような、磁場によって荷電粒子を曲げる方式のものがある(※ 高校物理のローレンツ力の計算でも、似たような実験装置での円軌道の計算を習う)。
このような磁場とローレンツ力を用いた方式による質量測定は一般に、「磁場偏向型」といわれる。
このような装置により、磁場や電化の大きさは実験的に決定できるので、曲率が質量の関数になるので、つまり半径から質量が逆算できる。
測定対象の元素材料が中性の原子であっても、その原子が固体なら、それに電子ビームを当てて、電子によって弾き飛ばされた材料が帯電してイオン化しているので、それから、上記のような磁場による質量測定が可能になる。
:(※ しかし、参考文献が未入手なので、はたしてこの方法で質量欠損が測定できるかどうかは未確認。)
文献、
:西條敏美『測り方の科学史 II 原子から素粒子へ』、恒星社、2012年3月15日 初版発行、77ページ、
によると、1919年に科学者アストン(人名)によって質量分析器が発明されたので、質量欠損もそれを用いて測定された、とその文献では主張されている。
重要なこととして、こらら原子の質量は測定的に決定できる数値である。けっして、何らかの仮定にもとづく理論計算ではない。また、古典物理以上の知識(相対性理論や量子力学など)を必要としない、古典的な電磁気学などの古典物理学にもとづく実験装置で測定できる実験事実である。
なお、化学の同位体の存在やその質量も、このころ、このような装置で発見された。
なお(高校では習わないが)、原子質量がいくつもの元素で測定できるので、派生的に、まず
化学の理論で分かる原子番号Zと原子量Aと、測定された原子の質量の測定値Mをもとに、
Z,AからMを求める公式が作成された(ワイツゼッカーの公式。1935年)。
また、原子半径の予想値なども算出されていった(レインウォーター(人名)。1953年)。
}}
===== 質量欠損の原因 =====
測定実験の事実として、陽子単独や中性子単独の質量の倍数や和よりも、それらの結合した原子核のほうが質量が低いので、陽子や中性子が結合すると質量の一部が欠損するというのが、測定結果の事実である。
なので、質量欠損のとりあえずの原因として考えられているのは、陽子や中性子どうしの結合である<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%B3%AA%E9%87%8F%E6%AC%A0%E6%90%8D-74242 コトバンク『世界大百科事典 第2版の解説』など ]</ref>と考えられている。
だが、では、なぜ陽子や中性子が原子核として結合すると質量が欠損するかの理由としては、けっして「結合だから」という理由では説明がつかない。
なので、物理学者たちは、質量欠損の起きる根本的な原因となる物理法則して、アインシュタインの相対性理論を適用している。(検定教科書でも、相対性理論の結果であるとして説明する立場)
(アインシュタインの特殊)相対性理論から導かれる結果として(※ 備考: 相対論には一般相対論と特殊相対論の2種類がある)、質量mとエネルギーEには、
:<math>E=m c^2</math>
という関係式があるとされる。
なお、C とは光速の値である。
あるいは別の書式として、変化を表すデルタ記号Δを使て、
:<math>E= c^2 \cdot \Delta m </math>
などと書く場合もある。
つまり、もし何らかの理由で、真空から質量が発生または消失すれば、そのぶんの莫大なエネルギーが発生するというのが、相対性理論でのアインシュタインなどの主張である。
さて、自由な陽子と中性子は、核力により結合するとき、その結合エネルギーに相当する[[w:ガンマ線]]を放射することが知られている。
そして、ガンマ線にもエネルギーがある。
なので、陽子と中性子の結合したときのガンマ線のエネルギーは、質量欠損によって生じたと考えると、測定結果とツジツマが合う。(測定結果は、あくまで質量が欠損することまで。)
核子の結合において、質量欠損<math>\Delta m </math>が、ガンマ線などのエネルギーに転化した、と物理学者たちは考えている。
==== 放射能と放射線 ====
元素の中には、放射線(radiation)を出す性質をもつものがあり、この性質を放射能(radioactivity)という。
また、放射能をもつ物質は放射性物質といわれる。
放射線には3種類存在し、それぞれα線、β線、γ線という。
α崩壊は、親原子核からヘリウム原子核が放射される現象である。
このヘリウム原子核はα粒子とよばれる。
α崩壊後、親原子核の質量数は4小さくなり、原子番号は2小さくなる。
β崩壊は、親原子核の中性子が陽子と電子に変化することで、電子が放射される現象である。
(備考: このとき、反ニュートリノとよばれる微小な粒子も同時に放出されると、近年の学説では考えられている。)
なお、この電子(ベータ崩壊として放出された電子のこと)は「β粒子」ともよばれる。
β崩壊後、親原子核の質量数は変化しないが、原子番号は1増加する。
γ線は、α崩壊またはβ崩壊直後の高エネルギーの原子核が、低エネルギーの安定な状態に遷移するときに放射される。
γ線の正体は光子で、X線より波長の短い電磁波である。
α崩壊やβ崩壊によってもとの原子核の数は徐々に減っていくが、これらの崩壊は原子核の種類ごとに決まった一定の確率で起きるので、崩壊によってもとの原子核の数が減る速度は原子核の個数に比例して変化する。しかし、崩壊によってもとの原子核の数が半減するのにかかる時間は、原子核の種類だけによってきまる。そこで、この時間のことをその原子核の '''半減期'''(はんげんき、half life ) と呼ぶ。崩壊によって原子核の個数がどれだけになるかは、この半減期を用いて記述することができる。原子核の半減期をT、時刻tでの原子核の個数をN(t)とすると、
:<math>N(t)=N(0)(\frac{1}{2})^{\frac{t}{T}}</math>
が成り立つ。
===== 発展・公式の導出 =====
原子核の崩壊速度は、原子核の個数に比例すると述べた。実は、上に述べた公式はこの情報だけから純粋に数学的に導き出すことができるものである。高等学校では扱わない数学を用いるが、興味のある読者のためにその概要を記しておく。
原子核の個数と崩壊速度の間の比例定数は原子核の種類によって決まる。この定数をその原子核の崩壊定数という。崩壊定数がλの原子核の時刻tでの個数をN(t)とすると、その変化速度、すなわちN(t)の微分は、
:<math>\frac{d}{dt} N(t) = -\lambda N(t)</math>
で表される。このような、ある関数とその微分との関係を表した式を微分方程式といい、微分方程式を満たすような関数を求めることを、微分方程式を解くという。(詳しい解法は[[解析学基礎/常微分方程式]]で説明するが、)この微分方程式を解くと
:<math>N(t)= N(0) e^{-\lambda t}</math>
が得られる。(この式が確かに先ほどの微分方程式を満たしていることを確かめてみよ)
半減期Tとは、<math>N(t)=\frac{1}{2}N(0)</math>となるtのことなので、先ほどの式から
:<math>T=\frac{\log 2}{\lambda}</math>
が得られる。よって、
:<math>N(t)=N(0) e^{-\lambda t}=N(0) 2^{\frac{-\lambda t}{\log 2}}=N(0) (\frac{1}{2})^{\frac{t}{T}}</math>
が得られる。
{{コラム||
:(※ 範囲外: 科学思想における影響.) 上述の「半減期は原子核の種類によって決まる」という事は、言い換えれば「半減期は原子核の種類によって'''しか'''決まらない」という事でもある。これの意味する事は、やや天下り(あまくだり)的な説明だが、上述のような放射性壊変などの現象は「放射壊変は、確率論的に発生している物理現象である、という可能性が高い」という意味である。
:たとえば、ウラン鉱石から(発見当時の技術では無理だが)原子1個ぶんを取り出したあと、半減期の時間が経ったからって、そのウラン原子が、けっして「確実に放射壊変して別原子に変化している」とは'''言えない'''、のである。確率論的・統計数学的に「半減期の時間が経過したら、だいたいこのくらいの量や確率で放射壊変している」としか言えない、という意味である。
:(その他、分子数などでは決まらない事から、けっして古典的な熱力学のような、複数の分子間(あるいは複数の原子間)における相互作用の現象でもない、という事も意味する。また、温度によって半減期や放射壊変の結果が変化しない事から、化学反応ではないことも言える<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、154ページ</ref>。)
:「確率論」という用語に対して一方、「決定論」(けっていろん)という別の哲学的な用語がある。古典力学、いわゆるニュートン力学などのような初期値や初速度さえ決まれば原理的には、未来の現象を精度よく計算できるような現象あるいは世界観のことを、「決定論」という。
:かつて、ガリレオやニュートンなどの古い時代の物理学は、決定論的な世界観を前提としていた(ガリレオなどが『決定論』という用語を知っているかは、ともかく)。
:しかし、放射壊変などの現象が「確率論的である」という事の意味はつまり、とする「決定論」に対して、放射壊変などが反例のような現象になっているという意味である。これはつまり、それ以前の決定論的な世界観に対する、大変革を意味する。
:読者の高校生も、物理1(物理基礎)などの科目で、確率の方程式などを見たことが無いだろう。少なくとも高校物理の(物理1、物理基礎のような)力学の範囲では、少なくとも法則を記述する式としては、指数や対数の式も、読者は質点の学では見たことが無いハズだ。(熱力学の公式では、発展的(やや範囲外)な分野の法則に、指数を使う公式が若干ある。)
:なお、熱力学では統計的な考え方を用いるが、これは決定論的な世界観の時代の古い物理学者にとっては、「もし気体原子が1個だけなら、その運動は決定論的に記述できるが、しかし原子の個数が膨大すぎるので、人間が計算できないから、しかたなく統計的な考え方を使っているだけである」という風に、便宜的に統計を用いているだけであるという世界観であり、古典熱力学は決定論の破綻とは思われていなかった。
:実際、高校物理2の熱力学で習うような気体分子運動論も、理論の創始者であるマクスウェルやボルツマンなどは、決定論的な前提で、気体分子の運動を解析していた<ref>[http://www.ivis.co.jp/text/201205230606.pdf 科学哲学入門2 「理系人に役立つ科学哲学」を読む]、25ページ</ref>。
:しかし、原子物理における放射壊変はそうではなく、そもそも扱う物質(たとえばウラン鉱石など)が気体である必要は無いし、(ウラン鉱石などは固体なので静止しており)そもそも運動してないし、また、多数の原子の集団である必要すらもなく、つまり原理的には1個の原子または数個程度からなる結晶であっても良い。つまり気体熱力学のような多数の粒子からなる内部構造をもたないにも関わらず、放射改変はその法則を表す基本公式のそのもの自体4に、統計的な式が含まれている。
:しかも放射壊変は、物質を構成する原子そのものの現象である。
:だから、熱力学の場合とは違い、放射壊変は、(のちの物理学からの後知恵であるが)決定論的な世界観だけでは説明できない事であり、のちの量子力学(りょうしりきがく)などにつながる、いわゆる『現代物理学』といわれる、(放射壊変の分野が、後知恵だが)物理学の新しい世界観につながる分野の先駆けとなったという意義がある。
::(※ ・・・というような感じのことがよく、科学史などで語られるのだが、しかしネットで確認した範囲では裏づけになりそうな資料・論文などが得られなかった。)
::(たしか高校物理では、上述のような感じのことを物理科の教師が授業中に口頭で説明したりする場合がある。しかし科学思想などは高校物理の範囲外なので、検定教科書には記載されない。また、必然的に大学入試にも出題されないので、上述の科学史の歴史観については丸暗記は不要。
高校物理では、放射能の分野とは別に、原子の「物質波」とか、電子の「波動性」とかの現代物理的な波動の概念を、物理2(専門物理)科目で習い、そういった波動性に関する事も、ニュートン力学的な決定論の破綻になる。だが、その「波動性」うんぬんの理論を前提としなくても、放射壊変という実験事実だけでも、(質点や剛体の運動のような)ニュートン力学的な決定論的な世界観が、くつがえされるされるのである。
実際、コラム外の上記の本文の話題では、一切、電子や原子などに波動性があるかどうかの話題はしていない。
なお、高校物理の教育では、よく、放射破変の単元で、上述のようにニュートン力学の決定論が破綻している事を教えることにより、高校の頭を現代物理的な世界観にならしすことで、のちの単元の物質波や電子の波動性などの単元に導入しやすいようにするく・・・というような教育手法が行われたりする。
}}
==== 原子核反応 ====
[[File:Cloud chamber ani bionerd.gif|thumb|right|300px|霧箱(きりばこ)の実験。陽子は電荷(正電荷)をもっているため、霧箱でも観測することができる。 (※ この画像は、陽子の観測実験ではない。霧箱の原理説明のための画像である。)<br>霧箱(きりばこ)という、蒸気のつまった装置をつかうと、なんらの粒子が通過すると、その粒子の軌跡で、気体から液体から凝着が起きるので、軌跡が、目に見えるのである。(イメージ的には、飛行機雲のようなのを、イメージしてください。)
で、磁場を加えた場合の、軌跡の曲りぐあい等などから、比電荷までも予想できる。]]
* 陽子の発見
ラザフォードは、窒素ガスを密閉した箱にα線源があると、正電荷をもった粒子が発生することを発見した。
この正電荷の粒子が、陽子である。つまり、ラザフォードは陽子を発見した。
同時に、酸素も発生することを発見し、その理由は窒素が酸素に変換されたからであり、つまり、原子核が変わる反応も発見した。
これらのことを式にまとめると、
:<math>_{\ 7}^{14} \mathrm{N} + {}_{2}^{4} \mathrm{He} \rightarrow {}_{\ 8}^{17} \mathrm{O} + {}_{1}^{1} \mathrm{H} </math>
である。
このように、ある元素の原子が、別の元素の原子に変わる反応のことを '''原子核反応''' という。または、「核反応」という。
:(※ 範囲外: )霧箱は、種類にもよるが、普通、エタノールまたはアルゴンの気体が封入される<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷発行、P80</ref>。
:霧箱のような実験装置の用途として、陽子の実験の用途のほか、原子核反応の回数を観測する目的でも使うことが出来る。放射線の測定器のいわゆる「ガイガーカウンター」の原理も、霧箱と類似している。原理的な放射線測定器であるガイガー・ミュラー管には気体(アルゴンやエチレンガスなどの不活性な気体)が封入されている。霧箱のように気気体を封入した測定管に、高電圧をかけた電気極板を追加することで、放射線をとらえるようにしたものがガイガー管である[http://www.agc.a.u-tokyo.ac.jp/radioecology/pdf/190930_radioecology_supplement2.pdf ]。物理学者ガイガーは、このような測定器を開発し、さらに原子核反応によって生成されるヘリウム分子を集めて気体として封入し、(※ wiki補足: そのヘリウムに気体の状態方程式などを適用する事により、)当時としては最高水準の精度でアボガドロ定数を測定する事に成功した<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷発行、P81</ref>。当時知られていた、プランクの熱輻射の理論から算出されるアボガドロ定数の値や(ボルツマン定数 Na k と気体定数 k の比からアボガドロ定数 Na が求められる)物理学者ベランがブラウン運動から求めたアボガドロ定数に、ガイガーのアボガドロ定数の精度は匹敵する精度であった<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷発行、P82</ref>。
* 中性子の発見
{{-}}
== 脚注・参考文献など ==
[[Category:高等学校教育|物ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:物理学|高ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:物理学教育|高ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:高等学校理科 物理II|けんしとけんしかく]]
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小学校社会
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/* 教科書 */
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{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|frame=1}}{{進捗状況}}
<!-- 編集者へ 小学生が見ることも考えられますので、編集の際には、2020年新学習指導要領の学年別漢字配当表を参考にし、学年に応じた漢字を使う、振り仮名をふるなどの考慮をしていただきますようお願い致します。-->
小学校の社会科では、{{ruby|身|み}}のまわりの{{ruby|仕事|しごと}}や{{ruby|産業|さんぎょう}}、日本の国土・{{ruby|政治|せいじ}}・{{ruby|歴史|れきし}}、{{ruby|世界|せかい}}の国のかかわりなどについて{{ruby|学習|がくしゅう}}します。これらは社会で生きていくためにとても大切な{{ruby|内容|ないよう}}です。
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== 教科書 ==
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== 中学受験社会 ==
* [[中学受験社会]]
中学受験をすることを考えている小学生や、その保護者の方は、市販の中学受験用参考書などを使って、社会の場合は、おそくても小5の終わり~小6の1学期までに小学校(中学受験)の範囲の学習を終えておきましょう(小6で過去問をたくさん練習する必要があるため)。また、都立受験を考えている方は、あまり歴史の問題は解かなくても良いかと考えられます。
[[Category:小学校教育|しやかい]]
[[Category:社会|しようかつこう]]
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未遂犯論
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2022-08-10T16:07:13Z
Tomzo
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/* 不能犯の可罰性 */
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[刑事法]]>[[刑法]]>[[刑法総論]]>[[未遂犯論]]
{{wikipedia|未遂}}
== 未遂 ==
[[刑法第43条]]本文は、「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。」と定める。これが未遂犯の条文上の根拠である。条文に「減軽することができる」とある通り、未遂犯には任意的減軽が定められており、裁判官は、刑を減軽することも、しないこともできる。
==総説・類型==
===意義===
{| class="wikitable" style="width:100%"
| style="width:30%" |
| style="width:30%; text-align:center" | 近代刑法思想以前
| style="width:40%; text-align:center" | 近代刑法思想
|-
|可罰性の根拠
|行為の結果('''結果責任主義''')
|結果が発生するに至った行為者の心理(意思)⇒'''刑法の主観化'''<br> '''心理的責任主義'''→'''規範的責任主義'''
|-
|ある行為によって結果が発生した。
|行為者の意思に関わらず、発生した結果に従い処罰。
|【'''処罰範囲の限定'''】行為者の意思の範囲で処罰:'''故意論'''
|-
|犯意(「ある犯罪」を犯す意思)をもって行為を行ったが、犯意で想定した結果が発生しなかった。
|結果以上の処罰はできない。
|【'''処罰範囲の拡張'''】未遂・予備の処罰:'''未遂論'''<br> ↓<br>過度の主観化は、刑法の任務を逸脱し人権を侵害する恐れがある。<br>「ある犯罪」が発生する「危険」を評価する必要がある。
|}
===未遂犯の処罰根拠===
#'''主観説'''←近代学派(新派)
#:加害者の「意思の危険(法敵対的な意思:犯意)」に求める。
#::しかしながら、「犯意」の発生のみで可罰性を認めるわけではなく、その意思が多かれ少なかれ客観的な要素(犯意の徴表)に表現された時に初めて処罰される。
#::*未遂罪は個々の法律を要せず可罰的である。→[[刑法第44条|第44条]]に適合しない。
#::*予備・陰謀も一般的に可罰的である
#'''客観説'''←古典学派(旧派)
#::結果発生の「客観的な危険」が発生したことに処罰根拠を求める。即ち、未遂犯は'''[[危険犯]]'''の範疇に入る。
#::この場合において、「犯意」とは行為の客観的危険性の有無・程度を左右する一要素として評価される。
#::*未遂の処罰には個々の法律を要する。→[[刑法第44条|第44条]]に適合。
#::*既遂に比べ、必要的軽減であるべき。
===効果・類型===
#拡張的効果
#:発生した結果だけではなく、犯意に従った犯罪で処罰できる。
#::例.殺すつもりで襲ったが、怪我を負ったのみで死にいたらなかった。
#::*傷害罪の法定刑の上限15年であるが、殺人未遂を適用することにより法定刑の上限は死刑となる。
#拡張適用の制限
#:既遂犯に比べると減軽すべきである。この場合、未遂となった原因により、「'''障害未遂'''」と「'''中止未遂'''」に類別され、各々、軽減等の対応が異なる。
##'''障害未遂'''(第43条本文); 「狭義の未遂犯」
##:自己の意思によらず、未遂に至った場合。'''裁量的減軽'''が可能。
##'''中止未遂'''(第43条但書)
##:自己の意思により、結果が発生しなかった場合。障害未遂と比べると可罰性が低いと評価されるため、'''必要的減軽または刑の免除'''が求められる。「[[#中止犯|中止犯]]」にて詳述。
===未遂犯の成否が問題となる例===
#'''挙動犯'''
#:一定の行為があることで当然に成立し、外形的な結果の発生を要しない犯罪(↔︎結果犯)。偽証罪、公然わいせつ罪など。
#::*(通説)常に既遂であり、未遂罪を概念できない。
#::*(一部学説)未遂罪の成立余地あり、未遂罪が法定されていなければ不可罰。
#:【事例】偽証途中に翻意して真実を述べた。
#::*(通説)偽証罪の既遂。
#::*(一部学説)中止未遂と評価しうる。
#'''過失犯'''
#*従来の通説: 結果の発生が必須であり、概念できない。
#*近時の学説: 過失犯にも結果発生に先行する実行行為があり、障害等により発生しない場合は想定しうる。ただしこれらを罰する法がないため不可罰。
#'''結果的加重犯'''
#:未遂犯の成立を肯定。「故意の結果的加重犯」を認める立場からは当然。
#:しかしながら、強盗致死傷等など「故意の結果的加重犯」は一種の複合犯であり、傷害致死など本来的な結果的加重犯については認めるべきでない。
#:*強盗目的で暴行し障害を負わせたが、犯行途中で制止する者があり、盗取にいたらなかった。→強盗致傷未遂
== 実行の着手 ==
{{wikipedia|実行の着手}}
===意義===
「'''犯罪の実行に着手して'''これを遂げなかった者(第43条)」
:→可罰性を評価できるのは、どの時点かと言う問題。
{| class="wikitable" style="width:70%"
| style="width:14%; text-align:center" | 不可罰<br>又は「予備」
| style="width:14%; text-align:center" | → 「'''実行の着手'''」 →
| style="width:14%; text-align:center" | 未遂犯
| style="width:14%; text-align:center" | → 「既遂時期」 →
| style="width:14%; text-align:center" | 既遂
|}
===判断基準と学説===
#主観説(近代学派)
##元々の主観説
##:行為者の計画を基礎として一般人の目から見て法益侵害の危険がある行為がなされた。
##:*犯意が、その遂行行為により確定的に認められた時([[w:牧野英一|牧野]])
##:*犯意が、飛躍的に表動した時([[w:宮本英脩|宮本]])
##:*故意の存在が二義を許さず一義的に認められた時([[w:木村亀二|木村]])
##:(批判)基準が不明確であり、未遂罪を広く認める傾向にある。
##修正された主観説(折衷説)
##:主観のみならず客観面も評価。行為は主観と客観の全体構造を持つ統一体であるから、実行の着手も主観と客観の両側面から評価されるべき。
##:→ <u>行為者の計画を基礎として法益侵害の危険にいたる行為中に(客観面)</u>、<u>犯罪意思が明確に表現された(主観面)</u>時
##:(評価)後述の「形式的客観説」に近接。
#客観説(古典学派、現代日本の通説・判例)
#:犯罪につながる行為が、客観的にその犯罪を発生させる危険が生じた。
#:#'''形式的客観説'''(定型説 判例、通説)
#:#:未遂罪を一種の「'''抽象的危険犯'''」と捉える。
#:#:[[構成要件]]に該当する行為に着手→構成要件に密接に関係する行為に着手した時点で実行の着手があると考える。
#:#'''実質的客観説'''(一部学説、[[w:平野龍一|平野]])
#:#:未遂罪を一種の「'''具体的危険犯'''」と捉える。
#:#:法益侵害の危険性がある行為に着手した時点で実行の着手がある。
====諸説の比較====
事例:他人の家に侵入し窃盗を働く行為
{| class="wikitable" style="width:76%"
| style="width:12%; text-align:center" |
| style="width:15%; text-align:center" |住居侵入
| style="width:3%; text-align:center" |→
| style="width:15%; text-align:center" |住居内徘徊<br>盗取物への接近
| style="width:3%; text-align:center" |→
| style="width:15%; text-align:center" |物色・盗取物に接触
| style="width:3%; text-align:center" |→
| style="width:15%; text-align:center" |盗取・住居から退出
|-
|style="text-align:center" |未遂を認める時期
|style="text-align:center" |主観説
||
|style="text-align:center" |折衷説、形式的客観説
||
|style="text-align:center" |実質的客観説
||
||
|}
===判例===
#住居侵入窃盗
#:物色開始時
#:*物色をしようとたんすに手をかけた。(大判 昭9.10.19)
#窃盗目的で土蔵・倉庫に侵入
#:錠を破壊するなどして土蔵に侵入した時点。(名古屋高判 昭25.11.14)
#すり
#:財布を抜き取ろうとして、ポケットに手を入れた。
#::cf.財布の所在を確認するため服の上からさわる(あたり行為)-未遂にいたらず予備と評価される(不可罰)。
#強制性交等罪(旧強姦罪)
#:強姦の目的でダンプカーに引きずりこもうとした時。(最判 昭45.7.28)
===諸論===
#間接正犯
#:着手時期を「利用者」の行為に置くか、「被利用者」の行為に置くか。
##「利用者」基準説; 利用者が被利用者を犯罪行為に誘致する行為を始めた時(主観説、形式的客観説等多数の学説)
##「被利用者」基準説; 被利用者が犯罪行為に着手した時(判例、実質的客観説)
##折衷説; 一般的には利用者が被利用者を犯罪行為に誘致する行為を始めた時(上記1)とするが、被利用者が「故意ある道具」である場合、被利用者が犯罪行為に着手した時とする。
{| class="wikitable" " style="margin-left:100px"
| style="width:28%; text-align:center" |
| style="width:18%; text-align:center" | 「利用者」基準説
| style="width:18%; text-align:center" | 「被利用者」基準説
| style="width:18%; text-align:center" | 折衷説
|-
||医師(利用者)が、情を知らない看護師(被利用者)によって、毒物を注射させ患者を毒殺しようとした。
|| 医師が、注射の指示をした時
|| 看護師が、注射を打った時
|| 医師が、注射の指示をした時
|-
|| A(利用者)は、SNS上で女性Bの名前で「痴漢募集」の書き込みをして、それを見たC(被利用者)は、これに応じ、痴漢を募集していた女性と思われる女性Bに痴漢(強制わいせつ)をしようとした。
|| Aが、SNSに書き込んだ時
|| Cが痴漢行為に及ぼうとした時
|| Cが痴漢行為に及ぼうとした時
|}
{{Ol|start=2
|1=[[原因において自由な行為]]
:間接正犯と同様のアナロジーとなり、利用者を意識喪失前の行為、被利用者を意識喪失後の行為として当てはめる。
}}
{| class="wikitable" " style="margin-left:100px; width:54%; text-align:center"
| style="width:18%" | 「利用者」基準説<br>判例においては本説を採用。
| style="width:18%" | 「被利用者」基準説
| style="width:18%" | 折衷説
|-
|style="text-align:left"| 責任能力あるところで行われた原因設定(意識喪失等の)行為
|style="text-align:center"| 意識喪失等後の犯罪着手行為の時
|style="text-align:left"| 責任能力あるところで行われた原因設定(意識喪失等の)行為
|}
{{Ol|start=3
|1=離隔犯
:殺人の目的で毒物入りの飲料を送付した。
::被害者の元に到達した時 - 判例(大判 大7.11.16)、通説も支持。ただし、社会情勢から確実に届くものと判断されるのであれば、発送時と考えても良い。
}}
== 不能犯 ==
{{wikipedia|不能犯}}
===意義===
犯意をもって行為をしたものの結果が発生しなかった場合、何らかの障害によって発生しなかった場合を未遂罪とするが、そもそも、結果が発生する可能性がなかった場合を、'''不能犯'''という。
理解促進のため以下の類型に整理されている。
#方法の不能
#*殺そうと、ピストルの引金を引いたが弾が入ってなかった。
#*毒殺するつもりで、飲ませた薬が全く効き目のないものであった。
#客体の不能
#*ベッドで寝ているものと思って、銃で打ったが、そこに相手はいなかった。
#主体の不能
#*権限があるものと思って賄賂を受け取ったが、自分にはその権限がなかった。
===不能犯の可罰性===
「迷信犯」 - 丑の刻参りなど。どの学説によっても不可罰。
#主観説(近代学派)
##純粋主観説(戦前の少数説)
##:行為者が犯意を持って行なった限り、結果の発生の可能性は評価すべきではなく、全てが未遂犯となり、不能犯を概念する余地はない。
##抽象的危険説
##:行為の当時、行為者が犯意のとおり計画が進んでいれば犯罪が成立していたとするならば未遂犯であり、計画通り進んでも犯罪が成立しなければ不能犯。
#客観説(古典学派)
##相対的不能説(判例)
##:結果の発生が絶対的に実現しないのであれば不能犯('''絶対的不能''' 最判 昭和25.8.21)。
##:結果が偶然の事情によって発生しなかった('''相対的不能''')のであれば未遂犯。
##具体的危険説(多数説)
##:一般的に観察された事情と行為者が特に認知した事情について、事後的に評価し、犯罪発生の可能性があったか否かを評価する。
===判例===
不能犯認定
*導火線に欠陥があつたため、導火線に点火して投げつけるという方法では、絶対的に爆発しないものであつたのであるから、爆弾の導火線に点火して投げつけたことを、本件爆弾を爆発すべき状態においたものとはいえないとして、爆発物取締罰則第一条の爆発物使用罪の成立を否定(東京高判 昭和49年10月24日)
不能犯否定・未遂犯認定
*青酸カリを入れた炊いた米飯を食べさせて殺そうとしたが、炊いたものは黄色く変色し臭気を放っており、食すに耐えられなかった事案(最判 昭和24年1月20日)
*覚醒剤の製法は正しく了知されていたが、原材料の量が不足しており、覚醒剤は製造できなかったであろうとされる事例(最判 昭和35年10月18日)
== 中止犯 ==
{{wikipedia|中止犯}}
[[刑法第43条]]但書は、「ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。」と定める。これが中止犯の条文上の根拠である。条文にあるように、中止犯には必要的減免が定められており、中止犯が認められる限り、必ず刑を減軽、または免除しなければならない。
=== 中止犯の減免根拠 ===
中止犯の刑がなぜ減免されるのかについては、'''刑事政策説'''と'''法律説'''の2つの説明があり、さらに法律説の内部で'''違法減少説'''と'''責任減少説'''の対立がある。
'''刑事政策説'''は、中止犯の規定は犯罪者に結果発生の防止を促すために政策的に設けられた規定であると捉える。刑法学者のリストはこれを称して中止犯は「退却のための黄金の橋」であるという。
'''法律説'''は、中止犯には政策的な側面があることを認めながらも、中止犯が減免されるのは犯罪の成立要件の何かが減少しているからではないかと捉える。その「何か」をめぐって、違法減少説と責任減少説が対立する。
:'''責任減少説'''は、中止行為によって[[責任非難]]が減少すると考える。すなわち、責任要素である[[故意]]が放棄されることによって、行為者の非難可能性が減少すると考えるのがこの立場である。
:'''違法減少説'''は、中止行為によって[[違法性]]、すなわち行為者の法敵対性が減少すると考える。[[主観的違法要素]]を認める立場に立脚して、中止犯とは主観的違法要素としての[[故意]]の放棄であるとするのがこの考え方である。
=== 中止犯の要件 ===
====任意性====
43条但書「自己の意思により」という要件が、いわゆる任意性の要件である。この要件が、43条本文の障害未遂と但書の中止未遂とを区別している。
中止未遂が障害未遂と区別され、任意的減軽ではなく必要的減免を認めるためには、何らかの行為者独自の意思決定が介在して中止行為が行われなければならない。そこで、中止行為の契機となった事情が、任意性を認めるのに十分なものであることが必要とされる。そのための判断基準として、客観説と主観説の対立がある。
:'''客観説'''は、契機となった事情が、一般人を基準として、犯罪中止の意思決定に対して強制力を及ぼすような事情であれば、任意性を否定する。いいかえれば、一般通常人であれば当該事情の下で犯罪を続行しないであろうと思われるような場合には、任意性は否定される。
:'''主観説'''は、行為者自身を基準として、「犯罪の続行が可能であったが、中止した」場合には任意性を認める。逆に、犯罪の続行そのものが不可能であった場合には任意性を認めない。
====中止行為====
中止行為といえるためにはいかなる行為が必要とされるかは、着手未遂と実行未遂の場合で異なる。
着手未遂とは、実行に着手したが、実行行為が終了せず、結果が発生しなかった場合をいう。この場合は、ただ次の行為を実行しなければ中止といえる。
実行未遂とは、実行に着手し、まだ結果が発生していない場合をいう。この場合は「結果発生防止のための真摯な努力」がなされなければ中止行為とはいえない。判例の立場では、放火犯が建造物に火をつけたが、後悔して中止しようとする場合は、ただ消防車を呼ぶだけでは足りず、自ら消火活動に加わって積極的に努力する必要があるとされている。
====結果の不発生====
いかに中止のための真摯な努力をしても、結果が発生した場合は中止未遂は認められない。
====因果関係====
中止行為と結果の不発生の間に因果関係を必要とするかどうかについては争いがある。多数説は因果関係不要説をとる。
== 予備・陰謀 ==
{{wikipedia|予備}}
===意義===
;予備
:犯罪の実行を目的として準備を行い、実行に着手しなかった行為。
:*'''有形予備''':殺人に用いる凶器を購入するなど犯罪に使用する道具等を準備する行為
:*'''無形予備''':犯罪の計画にあたって、現場を下見するなどの行為。
;陰謀
:犯罪の実行を目的として、複数の者が謀議し、実行に着手しなかったもの。内乱、外患、私戦のみに認められる
:*実現可能性(発生した場合の危険性)のない単なる謀議は、一種の不能犯として不可罰。
===特徴===
未遂罪よりさらに限定的な犯罪類型であり、結果が重篤な犯罪のみ立法されている。「実行の着手」が認められた時点で、未遂罪または既遂罪に吸収される。
===類型===
#予備という行為を「実行行為」と観念しうるか否か。
##従属予備罪
##:ある犯罪の構成要件の拡張として概念されるもの。
##:*条文中に「〜の罪を犯す目的で」とあるもの
##独立予備罪
##:独立した構成要件「準備」を有するもの。
##:*現行法上、通貨偽造等準備のみがこの範疇となる。
#他人の呼び行為を幇助する場合も呼び行為と言えるか否か。
##自己予備罪
##:自分又は他人と共同して実行行為をする目的で予備を行なった場合に限り成立し、意思を通じない他人に実行させる目的で予備を行なった場合は成立しないもの。
##他人予備罪
##:自分のみならず、意思を通じない他人が実行する可能性も含め予備を行なった場合に成立するもの。
##:*現行法上、通貨偽造等準備のみがこの範疇となる。
===判例===
*殺人の目的を有する者から、これに使用する毒物の入手を依頼され、その使途を認識しながら、毒物を入手して依頼者に手交した者は、本殺人が予備に終つた場合に、殺人予備罪の共同正犯としての責任を負う。(最判 昭和36年11月27日)
[[Category:刑法総論|みすいはんろん]]
[[category:未遂罪|*]]
[[Category:予備・陰謀罪|*]]
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地学II
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/* 光の波長の測定方法 */ 1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。 ;メートルの定義 :真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。 :ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
wikitext
text/x-wiki
{{Pathnav|高等学校の学習|[[高等学校理科|理科]]|[[高等学校地学|地学]]|frame=1}}
単元
#[[地学II#地球と環境|地球と環境]]
#[[地学II#プレートと日本列島の成り立ち|プレートと日本列島の成り立ち]]
#[[地学II#宇宙の探求|宇宙の探求]]
----
== 地球と環境 ==
南極の春にオゾンが減少することを[[w:オゾンホール|オゾンホール]]という。酸性が強まった雨のことを[[w:酸性雨|酸性雨]]という。
気象の観測データからその状態の変化をスーパーコンピュータで計算して行う天気予報を[[w:数値予報|数値予報]]という。
[[File:Jetstreamconfig.jpg|thumb|right|250px|ジェット気流の概略。ジェット気流は寒帯および亜熱帯で、蛇行しながら地球を取り巻いて吹いている]]
[[File:Atmospheric circulation ja.png|thumb|right|240px|地球の大気循環のモデル]]
[[w:高層天気図|高層天気図]]には等圧面天気図が用いられ、ある気圧面が等高線で表される。偏西風帯の特に強い部分は[[w:ジェット気流|ジェット気流]]と呼ばれている。極高気圧は放射冷却で低層だけ密度が低いので背の低い高気圧である。亜熱帯高気圧は下降流によるものなので背の高い高気圧である。偏西風の蛇行は[[w:偏西風波動|偏西風波動]]と呼ばれ、等高線が南に波打っている部分は[[w:気圧の谷|気圧の谷]]で、北に張り出している部分は[[w:気圧の尾根|気圧の尾根]]である。熱帯収束帯と亜熱帯高圧帯の対流を[[w:ハドレー循環|ハドレー循環]]といい、偏西風波動による熱の輸送を[[w:ロスビー波|ロスビー循環]]という。冬は[[w:シベリア高気圧|シベリア高気圧]]が発達する[[w:西高東低|西高東低]]の気圧配置で[[w:寒波|寒波]]が気圧の谷に向かって入ってくる。[[w:梅雨|梅雨]]になると[[w:オホーツク海高気圧|オホーツク海高気圧]]と北[[w:太平洋高気圧|太平洋高気圧]]の間で収束が起きる。
[[w:氷河|氷河]]は山地にある山岳氷河と、大陸を覆うような大陸氷河(氷床)に分類することができる。波には[[w:水面波|風浪とうねり]]があり、風浪はその場の風で起きる波で、うねりは遠くの風浪が伝わってくる波である。波しぶきが大気中で蒸発して残った小さな塩類の粒を海塩粒子といい、凝結核の元になる。
ペルー沖の海面水温が通常の年より高くなることを[[w:エルニーニョ現象|エルニーニョ現象]]といい、逆に平年より下がれば[[w:ラニーニャ現象|ラニーニャ現象]]と呼ばれる。偏西風と貿易風により環流が流れる。転向力が北半球では流れの向きに対して直角右に働くことで中央部の海面が高くなり圧力傾度力が生じる。両者のつり合いにより[[w:地衡流|地衡流]]が流れる。コリオリの力が弱い分、北太平洋海流よりも北赤道海流の方が強くなるので西岸強化が生ずる。周期的に海水面が上下することを[[w:潮汐|潮汐]]といい、最も高くなると満潮、最も低くなる時を干潮と呼ぶ。潮汐は[[w:起潮力|起潮力]]で起こり、干満の差が大きいと大潮、それが小さいと小潮とよばれる。
== プレートと日本列島の成り立ち ==
=== シュテファン=ボルツマンの法則 ===
[[FILE:Wiens law.svg|thumb|300px|各温度における黒体輻射のエネルギー密度の波長ごとのスペクトル]]
[[Image:MODIS ATM solar irradiance.jpg|thumb|400px|地表面と地球大気表面における太陽放射スペクトルの比較]]
数千℃にねっした鉄が赤く発光したりするように、物体は、温度がとても高くなると、発光する。
その発光の色は、温度が高くなるほど、発光のなかの光で波長が短い成分が多くなるので、赤から黄色をへて、しだいに青くなる。
(赤い光は、黄色い光よりも波長が長い。黄色い光は、青い光よりも波長が長い。)
光は電磁波であるので、つまり、熱した物体は、電磁波を放出するのである。
より詳しくいうと、熱していない物体からも電磁波は放出されているのだが、その電磁波の波長のほとんどが赤外線の領域なので、人間の目では見えないのである。
このような現象での温度と波長ごとのエネルギー量の関係をあらわした法則が、[[w:ウィーンの変位則|ウィーンの変位法則]]である。ウィーンの変位則は、黒体の温度が高いほど、放射エネルギーが最大になる波長が短くなっていることを表し、その波長をλ(μm)・温度を''T'' (K)としたとき以下の式で示せる。
:λ''T'' = 2900
ウィーンは、ウィーンの法則を確かめる測定実験をする際、熱エネルギーの測定器にはボロメーターという装置を用いた。
<ref>『20世紀の物理学』、丸善株式会社、編集:「20世紀の物理学」編集委員会、平成11年発行、参考ページ:P.25、 第1章『1900年当時の物理学』、参考文献記事の原著者:ブライアンピパード、参考文献記事の翻訳者:牧二郎および神吉健、</ref>
(※ ボロメーターについて、くわしくは、発展の節で説明する。)
[[w:シュテファン=ボルツマンの法則|シュテファン=ボルツマンの法則]]は、恒星の放射するエネルギー''E'' は絶対温度''T'' の4乗に比例するというもので、次の式で表される。
:''E'' = σ''T'' <sup>4</sup>
=== 発展:光のエネルギーと波長の測定方法 ===
:(※ 高校の範囲外)
==== 光のエネルギーの測定方法 ====
1900年ごろ、すでに天文学者のラングレーによって、熱エネルギーの測定器として[[w:ボロメータ|ボロメータ]]という測定器が実用化していた。ボロメータとは、金属が温度変化した際の電気抵抗の変化を利用して、電気抵抗の変化から温度変化を読みとり、その温度変化から熱エネルギーなどのエネルギーを測定する装置である。
このボロメータを用いて、光の放射エネルギーも測定できた。
ウィーンは、ウィーンの法則を確かめる測定実験をする際、光のエネルギー測定のために、ボロメーターを用いた。この当時のボロメーターの精度の例として、温度が10<sup>-5</sup>上昇すると、抵抗値の変化率の3×10<sup>-8</sup>を読み取れるという高精度であったと言う。
ラングレーやヴィーンが用いていた頃のボロメーターでの測温用の金属には、白金が用いられていた。
そして、ボロメーターの精度の向上のため、ホイートストン・ブリッジ回路の中に、この電気抵抗を組み込むことで、精度を得ていた。
なお、21世紀の現在でも、白金は、電気抵抗式の測温素子として、よく用いられている。また、ホイートストン・ブリッジも、アナログ電気式の測定器で精度を得るための手法として、よく用いられている。さらに、ホイットストーン・ブリッジと測温素子の組み合わせによる温度測定器や放射エネルギー測定器などすらも、現在でもよく用いられている。
==== 光の波長の測定方法 ====
この1900年ごろのウィーンの時代、光の波長測定の方法では、回折格子が用いられた。すでにローランドなどによって光の波長測定の手段として実用化していたローランド式などの回折格子が、よく用いられた。
そもそも、光の波長は、どうやって測定されたのだろうか。
1800年代のはじめごろ、ヤングの実験によって、ヤングらが、可視光の波長はおおむね数100nmのていどであろう、という予想を立てていた。
回折格子を用いて、より正確な測定が、のちの1821年にドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーによって行われた。フラウンホーファーは回折格子を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。フラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。
[[画像:Platinum-Iridium meter bar.jpg|thumb|right|300px|メートル原器]]
より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。
;メートルの定義
:真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
=== 原子とスペクトル ===
[[Image:Fraunhofer lines.jpg|thumb|right|500px|スペクトルとフラウンホーファー線]]
原子の種類によって、吸収される光の波長が違う。
プリズムなどをもちいて宇宙から来る光を波長ごとに分けると、虹のような帯にわかれる。この、虹のような光の帯を'''スペクトル'''という。そして、スペクトルのところどころ、暗くなってる線がある。このような暗い線を'''暗線'''(あんせん)という。
暗線は、なんらかの物質が光を吸収したため、生じている。
この暗線は、その宇宙からの光が、地球に来るまでの経路に多く存在していた物質の種類が分かる。
太陽光のスペクトルにある暗線の波長を分析することによって、太陽の暗線の波長が、水素による暗線と一致することから、太陽を構成する物質はおもに水素であることが分かった。
また、太陽光が、ウィーンの法則の6000Kの光と、ほぼ一致することから、太陽の表面温度は約6000Kであることが分かっている。
なお、太陽光のスペクトルにある暗線のことをフラウンホーファー線という。
== 宇宙背景放射 ==
1965年、宇宙のどの方向からも温度3K(3ケルビン)に相当する電磁波が来ていることが、ベンジアスとウィルソンによって発見された。
この宇宙のどこにもある約3K相当の電磁波を、'''宇宙背景放射'''(うちゅう はいけいほうしゃ)という。
== 宇宙の膨張 ==
現在の世界各国の科学の学会では「宇宙は膨張している」とする学説が有力である。
(※ 範囲外:) 一般に、「ビッグバン宇宙論」とか「膨張宇宙論」、あるいは(定説になっているので)単に「宇宙論」という。
=== 赤方偏移 ===
宇宙から来た光の波長を測定すると、地球から遠い天体から発された光であるほど、その波長が長いほうにずれている(つまり、赤色や赤外線の側に、ズレていく)。これを'''赤方偏移'''(せきほう へんい)という。
(膨張宇宙論では、)赤方偏移の原因は、宇宙が膨張しているため、地球から遠いほど、より大きな相対速度によって遠ざかっているので、ドップラー効果の影響が強くなるためである(としている)。
(※ 範囲外: ) 膨張宇宙論に反する、「つかれた光」仮説というのもあって、「ドップラー効果とは別に、未知の物理法則があて、その未知の法則によって、光は航行距離が長くなるほど、赤色にズレていく」という仮説にもとづいて、「宇宙は膨張していない」とする仮説(定常宇宙論)もあるが、しかし定常宇宙論は現在の世界主要国の科学の学会では支持されていない。日本の学校教育でも、定常宇宙論は支持されてないので、大学入試や大学理系の授業では、定常宇宙論を用いないように。定常宇宙論では「宇宙背景放射」という実験事実が、説明できないとされており、その理由のため定常宇宙論が支持されてない。
=== ハッブルの法則 ===
ハッブルは、赤方偏移について、その光の発信元となった天体の、地球から遠ざかる後退速度 v を計算したところ、地球からの距離 r と比例関係にある事を発見した。
つまり、Hを比例係数として、vを後退速度、rを距離とすれば、
:v = H・r
である。この法則を'''ハッブルの法則'''という。この式の比例定数 H を'''ハッブル定数'''という。
== ケプラーの法則 ==
[[File:Deuxième loi de Kepler.svg|thumb|ケプラーの第2法則(面積速度の一定)<br>惑星と太陽をむすぶ線分が一定時間に通過する面積は等しい。<br>(※ 図では、わかりやすくするために、軌道の楕円っぽさを誇張して書いている。)]]
地球は太陽のまわりを公転しており、公転の軌道は、ほぼ円の軌道であることが、中世には天文学者ケプラーなどの観測によって既に分かっていた。
しかし、中世の天文学者ケプラーがよく調べたところ、太陽の周囲を公転する地球の公転軌道は、わずかに楕円である事が分かった。
そして、さらに重要な事として、公転軌道上のどこに地球があっても、公転の面積速度は一定である事が分かった。惑星の公転の軌道に関する、これらの法則をまとめて'''ケプラーの法則'''という。
:※ なお、大学の理系学部などで習う物理学の力学により、ケプラーの法則を物理学でも理論的に裏付けることができる。歴史的には、近世の物理学者ニュートンの構築したニュートン力学により、裏付けされた。
地球だけでなく、火星などの太陽を中心に公転する他の惑星もまたケプラーの法則を満たしている事が観測されている。
歴史的には、ケプラーは地球と火星の軌道を細かく分析することにより、地球も火星も公転の軌道がそれぞれ楕円軌道である事を発見し、また、面積速度の一定の法則も発見した。
[[File:Perihelion and aphelion japanese.svg|thumb|300px|]]
なお、地球の公転軌道上で、地球が太陽から最も近い点を'''近日点'''(きんじつてん)という。いっぽう、地球の公転軌道上で、地球が太陽から最も遠い点を'''遠日点'''(えんじつてん)という。
== 惑星 ==
=== オーロラと磁場 ===
観測事実として、木星や土星にはオーロラが発生する。土星のオーロラはハッブル望遠鏡により確認されている(※ 参考文献: 啓林館の専門「地学」の検定教科書)。
オーロラが発生するには磁場が必要であると考えられている事から、木星や土星には磁場が存在すると考えられている。
他の木星型惑星にも磁場が存在すると考えらている。
いっぽう、地球型惑星については、磁場について、次のような事が分かっている。
(※ 根拠は範囲外: 検定教科書が惑星の性質の結果だけを羅列しており、解明の根拠が書かれておらず、理解の役に立たない。)
:1973年の宇宙探査船マリナー10号による観測の結果、水星には磁場がある事が分かっており、地球の磁場の強さの1%ほどの強さである。
:しかし、水星ではオーロラは観測されていない。これは、水星には大気がほぼ存在しない事が原因であると考えられている。
=== 色 ===
天王星と海王星はともに色が青い。これは、天王星や海王星にあるメタンが赤い色を吸収している結果であると考えられている。
<gallery widths=250px heights=250px>
File:Uranus2.jpg|1986年にボイジャー2号が撮影した天王星
File:Neptune - Voyager 2 (29347980845) flatten crop.jpg|ボイジャー2号が撮影した海王星
</gallery>
{{-}}
=== リングなど ===
土星のリングは、地球から見ると数本の輪にしか見えないが、探査船などの観測により数千個の輪から成り立っていることが分かっている。
いっぽう木星については、宇宙探査船ボイジャー1号により、木星にもリングがある事が発見された。
天王星のリングが1977年に発見された。これは、地球から見て天王星が恒星の前を通過する少し前に、恒星の明るさが減光したことにより、リングの存在が1977年に明らかになった。
その後、1980年代の探査船ボイジャー2号により、直接的に天王星のリングが観測された。
また、さまざまな観測により、天王星は自転軸が横倒しになっている事が分かっている。
ボイジャー2号の観測により、天王星には磁場がある事が分かっているが、磁場の中心は自転軸からは大きくずれている。
海王星についてはボイジャー2号の調査により、1989年にも海王星にもリングが発見されている。
結局、木星型惑星(木星、土星、天王星、海王星)すべてにリングが発見されている。
=== 渦の ある/なし ===
[[File:Great Red Spot From Voyager 1.jpg|thumb|ボイジャー1号から撮影された 木星の大赤斑]]
木星には、大気の渦が観測され、この渦は'''大赤斑'''(だいせきはん)という。
また、木星には、赤色と白色の縞(しま)模様がみられる。
木星のこの渦(大赤斑)は、大気の流れによって出来た雲の模様だと考えられている。(※ 範囲外: )なお、木星の渦は地球からでも望遠鏡により観測でき、中世の後半には既に木星の渦が発見されていた。
{{-}}
[[File:Neptune Full.jpg|thumb|海王星の黒い斑点]]
いっぽう、天王星は大気があるのに、渦が見られない。
海王星は、大気の組成は天王星と同じでメタンが主成分なのに、海王星には渦のようなものが見られ、海王星のこの渦は黒っぽいので、この渦は黒斑(こくはん)または暗斑(あんはん)などという(※ 検定教科書の出版社により用語が違う)。
{{-}}
=== 各論 ===
==== 水星 ====
[[File:Mariner 10 image 0027325.gif|thumb|水星の表面]]
水星は探査船などによる観測の結果、表面に多くのクレーターや大きな崖(がけ)が見られる。
この事から、水星には大気と水が無いと考えられている(もし水や大気があったら、クレーターが流されて平坦になってしまたり、風化して平坦になってしまうので)。なお、オーロラの発生しない事実とも、水星に大気の無いことは合致する。
水星は大気が無いため、昼と夜との温度差が激しく、水星の昼の気温は約400℃、夜は約 −180℃ にも達する。(水星は自転の速度も、とても遅く、その事も昼夜の温度差に関係していると考えられている。 ※ 啓林館の見解)
==== 金星 ====
金星は、1970年代からのソ連のベネラ探査機やアメリカのパイオニアビーナス探査機などの調査により、磁場や気圧などが解明されている。水星の大気の気圧は地球の90倍くらいであり、また水星の大気の主成分は二酸化炭素である。
そして、これら二酸化炭素の温室効果により、金星の気温はとても高く、数百℃に達する。
金星の雲は硫酸で出きている。
[[ファイル:Venus - 3D Perspective View of Maat Mons.jpg|300px|thumb|金星探査機マゼランが観測したデータを基に作成されたマアト山の三次元斜視図]]
金星については、探査船などの写真の結果、火山活動のあとによるものと見られる地形が見られるので、金星には火山活動があると考えられている。
==== 木星 ====
※ 未記述
==== 火星 ====
火星については、1970年代にバイキング探査機が火星に降り立っている。
火星には、二酸化炭素を主成分とする大気があるが、気圧は地球の100分の1以下である。
(大気があるためか)火星では、砂嵐や雲などの気象現象が確認されている。
火星の気温は寒めであり、20℃くらいになる場合もあるが、−100℃になる場合もある。これらの気温の事実もあり、二酸化炭素の温室効果については、火星には大気の量が少ないので温室効果が弱いと考えられている。
現在の火星の表面には海は見えないが、しかし、あたかも過去に水の流れていたような地形があり、そのため、大昔の火星には海や湖のような水が存在していたとする説も有力である。
なお、火星の表面の赤くみえる地面は、酸化鉄の赤鉄鉱(せきてっこう)であるとされる。このことから、火星には大昔は酸素があったとする説もある(※ 数研出版の『地学基礎』で紹介)。
==== 太陽系外縁天体 ====
冥王星は、かつて大きな星だと考えられていたので惑星として扱われていたが、冥王星が月よりも小さいことが近年分かり、また冥王星の同程度の大きさの非惑星がいくつも発見された事などから、2006年頃から冥王星は惑星でないとして扱われるようになった。
こうしたことなどから現在では、海王星の外側の、冥王星などの天体をまとめて'''太陽系外縁天体'''(たいようけい がいえんてんたい)と呼ぶようになった。
==== 珍しい性質の衛星 ====
* イオ
木星の衛星イオについては、探査船など(ボイジャー)の撮影によって写真によって火山のような地形がある事が分かっており、各種の探査機による撮影の結果、火山の噴火のような光の写真も撮影されているので。イオには活火山があると考えられている。
* タイタン
土星の衛星タイタンは、太陽系の衛星のなかで唯一、大気をもつ。
タイタンについては探査機カッシーニによって性質が観測された。
== 参考文献、脚注など ==
[[Category:高等学校教育|地*ちかく2]]
[[Category:理科教育|高ちかく2]]
[[Category:地球科学|高*ちかく2]]
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ウィキペディアの書き方/入門編/翻訳入門
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/* 履歴継承 */づつ -> ずつ
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翻訳はWikipediaを豊かにするために重要なものです。外国の物事についてはやはりその国の言語版が詳しいですし、特に日本に資料がないものについては、翻訳が記事にするほぼ唯一の手段という事もあります。ですから、外国語ウィキペディアからの翻訳者は歓迎されます。
ただ、単に外国語版ウィキペディアの記事を右から左に訳せば日本語版の記事ができるというものではありません。この章ではそういった決まりごとについても触れながら、外国語版ウィキペディアの記事を翻訳するための方法を述べていきます。
== 概要 ==
まず、ウィキペディアの記事を翻訳する際には文章を訳すほかに'''「履歴の継承」'''、'''「加工処理」'''という作業を行う必要があります。
'''「履歴の継承」'''とは一言でいうと、「ウィキペディアの文章を転載・翻訳する際には文章の出所を明記する」ということです。紙面の関係上、ここではあまり詳しく触れませんが、著作権上の問題や文責をはっきりさせるといった目的で行います。詳しい方法は下に明記します。'''「加工処理」'''は日本語版では使えない画像、テンプレートなどを外して見やすくすることです。
さて、具体的な翻訳記事の作り方は大きく分けて2つあります。
;サンドボックスから移動して作る
いったん外国語のまま取り込んで翻訳する方法です。初心者にはこちらの方が確実かもしれません。
# 「個人用サンドボックス」にいったん外国語の記事をまるごと転載する。このとき履歴の継承を行う。
# 翻訳や加工処理を行う。
# 最後に目的のページに「移動」させて記事を作る。この際にも履歴を継承。
;どこかで文章を作り、そのまま投稿する
投稿する際に履歴の継承を行う以外は、普通に記事を作るのと変わりありません。部分的に翻訳する場合や記事の移動が出来ない場合などにはこちらが便利です。
# どこか(例えば「メモ帳」など)で記事を翻訳する。
# 作った文章をそのまま投稿する。この際に履歴の継承を行う。
== 利用者サンドボックス ==
''「[[w:Help:利用者サンドボックス|Help:利用者サンドボックス]]」も参照''
「利用者サンドボックス」は利用者に割り振られた下書き用ページです。上部にある'''「下書き」'''ボタンから入ることができます。利用者サンドボックスから記事を作る場合は、まず、利用者サンドボックスにこれから訳す外国語版の記事をまるごとコピペします。その際、履歴の継承を行う事が必要になります。次の章で見ていきましょう。
== 履歴継承 ==
先ほど述べたように、ウィキペディアの記事を訳したり、転載する場合には出どころを明記することになっています。具体的には、「編集内容の要約」欄に'''「翻訳元」'''と'''「その版」'''を明記します。一つずつ見ていきましょう。
=== 翻訳元 ===
簡単に言うと「<nowiki>[[言語:記事名]]</nowiki>」です。
左側にある符号は何語であるかを表す符号(ISO 639といいます)で、例えば日本語ならja、英語はen、ドイツ語はde、中国語はzhといった具合です。アドレスを見ると「<nowiki>https://</nowiki>」と「wikipedia」の間に書いてあります。例えば日本語版なら「https://'''ja'''.wikipedia.org/…」といった具合です。
=== 版 ===
[[File:Revision history screenshot jawb.png|thumb|オレンジ色で囲んだ部分が最新の版]]
ウィキペディアの内容は日々変化するため、履歴を継承する際にはどの時点のものを翻訳したのか明記する必要があります。このある時点の状態をウィキペディアでは「版」とし、ある日時の版を指定することを「版指定」といいます。
こちらは「(版の作成された日時 標準時間)」となります。一つづつ見ていきましょう。
まず、版に関する情報は上部右側の履歴ボタン(日本語版なら「履歴表示」、英語版なら「View History」など)をクリックすると得られます。クリックすると版のリスト(右画像参照)が出てきます。オレンジ色で囲った部分が最新の版が作成された日時です。これを控えておきましょう。
そして標準時間も明記します。英語版、日本語版、ロシア語版などでは標準時間がUTC(国際標準時、日本時間から-9時間)に設定されていますが、ドイツ語版やフランス語版、韓国語版など、現地時間に設定されている言語版も多くあります。標準時が世界標準時の場合は最後に「UTC」、西ヨーロッパ時間なら「CET」「CEST」といったように明記します。
各言語版の標準時間については[[w:Wikipedia:各言語版の標準時|Wikipedia:各言語版の標準時]]で調べる事ができます。以下に主なものを列挙します。
;UTCを標準時間としていない主な言語版
*スウェーデン語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ポーランド語、カタロニア語、ノルウェー語など…[[w:中央ヨーロッパ時間|中央ヨーロッパ時間]](CET)、サマータイム期間中は[[w:中央ヨーロッパ夏時間 |中央ヨーロッパ夏時間]](CEST)。
*フィンランド語、ルーマニア語、クロアチア語、スロベニア語など…[[w:東ヨーロッパ時間|東ヨーロッパ時間]](EET)。サマータイム期間中は[[w:東ヨーロッパ夏時間|東ヨーロッパ夏時間]](EEST)
*ヘブライ語…イスラエル標準時(IST)、サマータイム期間中はイスラエル夏時間(IDT)
*タイ語…インドシナ時間(ICT)
*朝鮮語…韓国標準時(KST)
=== 実際の使用例 ===
[[File:Copying from other language version of Wikipedia 07.png|thumb|表記の一例]]
では、実際の使用例を見てみましょう。例えば英語版の「Hogehoge」という記事の2004年12月23日13:59の版を訳す場合は、
<nowiki>「[[en:Hogehoge]] (13:59, 23 December 2004 UTC) を翻訳」</nowiki> <br />
<nowiki>「'''from [[en:Hogehoge]] 13:59, 23 December 2004UTC'''</nowiki> 」といった感じです。
とりあえずサンドボックスに丸写しするような場合は<br />
「<nowiki>[[en:Hogehoge]] 13:59, 23 December 2004 UTC から翻訳準備のためコピー</nowiki>」といった表記もよいでしょう。
細かい表記は人によっても異なりますが、いずれにしても翻訳元・版の2点を押さえていれば大丈夫です。
== 翻訳・加工処理 ==
まず、日本語版で使えない画像やテンプレートは削っていきます。日本語版にないカテゴリは、もし必要と思うならとっておきましょう。そして日本語版の似たような主題の記事を参照するなどして、日本語版で同種の記事に使われているテンプレートやカテゴリに付け直しましょう。画像はウィキメディア・コモンズの中に日本語版でも使える画像があるかもしれません。
文章内の赤いリンクについては[[w:Template:仮リンク|仮リンク]]を設定しておくのも一手です。便利ですし、誰かが翻訳を始めるきっかけになることもあります。
== 移動 ==
''「[[w:Help:ページの移動|Help:ページの移動]]」も参照''
私的なページから「標準名前空間」(普通の記事のあるところ)に移動して記事を作ります。いわばウィキペディアの裏側にあるものを表に公開するということになります。
まず移動元のページ(サンドボックスなど)を開き、上部右側の「その他」にカーソルを合わせると「移動」という文字が出てきます。それをクリックします(画像1)。そこをクリックすると移動画面が現れます(画像2)。
「新しいページ」欄では移動先を指定します。左側の欄は「(標準)」と設定し、右側の欄には新たに作る記事の名前を入力します。「理由」の欄には適当な理由を書き込みます。ここでは「新規ページの作成」などでよいでしょう。ミスがないかもう一度確認し、済んだら「ページの移動」をクリックします。これで完成です。
<gallery>
How to move article in JAWP 1.png|画像1
How to move article in JAWB 1.png|画像2
</gallery>
== その他 ==
=== 部分的に訳す場合 ===
節だけ訳すこともできます。たとえば、「Hogehoge」という記事の「History」という節を訳した場合は、<nowiki>「[[en:Hogehoge#History]] (13:59, 23 December 2004 UTC) </nowiki>」<br />
というふうに書きます。
ところどころ訳す(抄訳する)こともできます。この場合は<nowiki>「[[en:Hogehoge]] (13:59, 23 December 2004 UTC) を抄訳</nowiki>」というふうに書きます。
翻訳が途中の場合は「[[w:Template:翻訳中途|翻訳中途]]」のテンプレートを貼っておくという手もあります。
=== 他言語版で見つけた画像を日本語版で取り込むには ===
見つけた画像をクリックしてみましょう。すると、画像の情報が書いてあります。そのページは外国語なのでもしかすると読めないかもしれませんが、絵を見るだけで、どういう画像か簡単にわかります。
ページを見ていて、このマーク(※1)が出ていたらコモンズに載っている画像ということです。その場合は[[ウィキペディアの書き方 入門編-書いてみよう (加筆編)|こちら]]の方法と同じです。
よその言語版Wikipediaの画像の場合、一度画像を取り込んでからアップロードすると使えるようになります。具体的には、画像を右クリックして「名前を付けて画像を保存」してから、自分で撮った画像と同じようにコモンズにアップロードします。ただし、'''名前、出典、作者、作成日'''は元の画像のものを使いましょう。<br />
次に相手のノートにそれ用のテンプレートを貼って、コモンズにアップロードした事を知らせます。日本語Wikipediaからの場合は{{subst:コモンズへの移動通知|元のファイルの名前|コモンズの名前}}を貼って知らせます。<br />
最後に即時削除のテンプレートを貼ります。
著作権法などの違いから、英語版だけしかダメな画像というのもあります。赤い丸の中にCが書いてあるもの(※2)がそうです。これは「著作権がフリーでないので、英語版しか使えません」という意味で、この画像は使えないようです。
<gallery>
Image:Commons-logo-en.svg|※1
Image:NotCommons-emblem-copyrighted.svg|※2
</gallery>
== よくあるミス・気を付けること ==
;ウィキペディア内のコピペにも履歴継承
日本語版の内部でも文章を転載する際には履歴継承が必要です。特に他者が書いた文章を触るときには気をつけましょう。
;外国語をそのまま転載
外国語版の記事を日本語版にそのまま記事として投稿する(投稿した上で翻訳する)ことは理屈の上では可能ですが、[[w:Wikipedia:削除の方針#ケース_G:_他言語・翻訳についての問題がある場合]]により削除されるリスクも高い方法です。
== こちらも参照 ==
これらの文書も読んで知識を深めておきましょう。
;翻訳自体に関する文書
*[[w:Wikipedia:翻訳のガイドライン|Wikipedia:翻訳のガイドライン]]
*[[w:Wikipedia:FAQ 翻訳|Wikipedia:FAQ 翻訳]]
;翻訳作業に関連する文書
*[[w:Wikipedia:外来語表記法|Wikipedia:外来語表記法]]
*[[w:Wikipedia:記事名の付け方|Wikipedia:記事名の付け方]]
;翻訳する記事を探す
*[[w:Wikipedia:翻訳依頼|Wikipedia:翻訳依頼]]
*[[w:Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事|Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事]]
{{Stub}}
[[Category:ウィキペディアの書き方|にゅうもん05]]
ip1hp5axktejgfw0w4v0mipign8xl97
PHP/入門/変数の種類
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2022-08-11T00:37:12Z
はいかぐら
45848
wikitext
text/x-wiki
変数には種類がある。
そのことを、変数の型と呼ぶ。
== 具体的な種類 ==
変数の種類というのは、変数に入っている値の種類の事である。
今までみてきたものを挙げると、
:整数型
:文字列
の二つである。
PHPでは、この2つ以外も、
:浮動小数点数型
がある。
また、PHP の文字列は、整数型あるいは浮動小数点数型として解釈できる場合は数値とみなされ、この事が意外な結果を生むことがある。
{{stub}}
[[Category:PHP|にゆうもん へんすうのしゆるい]]
ivd3e37j5tol1hhjeo2hq6p9jrdcpq4
高等学校理科/物理IB/波
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206417
93030
2022-08-10T22:02:04Z
Ef3
694
/* 発展: 光の波長の測定 */ 1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。 ;メートルの定義 :真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。 :ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
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text/x-wiki
==波==
後に[[高等学校理科 物理I]]では[[w:力学]]の法則を扱う。力学とはある物体に何らかの力をかけたときに、その物体がどのように動作するかを記述する方法である。力学の法則は物体の動作を具体的に記述する方法として有用であるが、実際にはその法則だけを用いて身の回りの現象を説明することは困難である。例えば、水面に物を投げ込んだときに[[w:波]](なみ)が水面を伝搬していく様子は、基本的には力学の法則に従って記述されるものである。これは、このときに実際に動作しているものが水の分子であり、これは力学で扱われる物体([[w:質点]])として扱うことができるからである。しかし、後に扱うことだが、力学で扱う法則は個々の水分子の相互作用に対して適用できるものであり、それらが非常にたくさん集まった場合に粒子全体の運動を見るために、適用できるものではない。実際に気体のように比較的密度の小さい物質であっても、それらは1リットルあたりに[[w:アボガドロ数]]程度の粒子を含むのである。このように多くの粒子を扱うことは、例え個々の粒子の運動の様子が知られていたとしても実際には困難である。
*注意
正確には常温常圧で、22.4リットルにつき1[[w:モル]]の気体分子が含まれる。[[高等学校化学]]を参照。
幸いにも、極めて多くの質点を含む運動の様子が、少数のパラメータを用いて記述できる場合がある。ここで扱う波の運動はそのような例の一つであり、多くの粒子の運動を近似的に記述する方法として有効である。もちろん実際には非常に多くの自由度を含む運動が少数のパラメータで表されるのは特別な場合に限られ、実際に波として運動を記述することが可能であるかを議論することは大切である。
===いろいろな波===
ここでは実際に日常生活において見られる波の例をあげる。まず、波を"性質の似た物体が数多く集まっているときに、お互いの間の力学的な相互作用を通じて、互いの位置を大きく動かすこと無く、本来個々の物体がある位置からの[[w:変移]]を伝搬させていく現象"と定める。例えば、一般的な[[w:固体]]は何らかの分子がお互いに結合することで固体としての形を保っているが、これは波を伝搬させるための状況を満たしている。つまり、固体を作る分子は互いに似た性質を持っていると期待され、それらの分子が固体を成している相互作用自体を、波の伝搬に使われる相互作用として用いることができるからである。実際に例えば金属はある一点で起こった振動を広く伝える性質があり、その伝搬はまさに波の現象そのものである。
*実験
金属の棒を持って来て片方を軽く叩いてみる。このとき、反対側に振動が伝わってくることを確かめる。
[[File:Wanderwelle-Animation.gif|thumb|right|横波の伝わり方。]]
[[File:Longitudinalwelle Transversalwelle.png|thumb|right|縦波のイメージ。上図が縦波で、下図は疎密をグラフ化したもの。]]
実際には、この振動には2種類が存在する。まず一方は、振動が伝搬する方向と各点の変移が垂直である場合である。もう一方は、振動が伝搬する方向と各点の粒子の変移の方向が一致している場合である。
これらの波は、変移の波の伝搬方向に対する向きから区別され、伝搬方向と振動方向とが垂直の波を'''横波'''(よこなみ、transverse wave)と呼び、もういっぽうの伝搬方向と振動方向とが同じ波を'''縦波'''(たてなみ、longitudinal wave)と呼ぶ。一般には固体中を伝搬する縦波と横波の速度は、互いに異なっている。
固体を伝搬する波の例として地震]より生じる振動伝搬があげられる。地震の波は地震波(じしんは)と呼ばれ、その伝搬は固体としての地面そのものだけではなく、地面の上にある建造物などにも激しいゆれを与える。地震波にも縦波と横波があり、それらはそれぞれ'''P波'''と'''S波'''と呼ばれる。一般に、P波はS波よりも速度が大きいが、地面の上に大して大きな振動を与えるのはS波の方であるので、P波と思われる波を感じたら後に来る振動に備えて対処するのがよい。
実際には固体中の振動伝搬以外にも、波が関わる現象はいくつかある。例えば水の中で振動を起こしても、その振動はある程度水中を伝わっていく。これは、水や一般的な液体を構成する分子も、固体の場合程ではないにせよ、お互いに相互作用を持っているからである。実際には気体のように固体や液体と比べて密度が非常に低い物体でも、それを構成する各分子はお互いに相互作用を持っており、その振動は気体分子間の相互作用を通じて伝搬していく。この振動は音]]となって我々の耳に届く。実際には我々が耳にする音は、気体の振動を通して伝搬して来た波として解釈できる。気体中を伝搬する音は縦波であることが知られている。これは相互作用の性質上、音は気体中の各点に生じる密度の揺らぎの伝搬として解釈されるからである。また、このような密度のゆらぎが縦波として伝わっていく波を疎密波(そみつは、compression wave)という。
音が気体の振動として我々の耳に届いているなら、固体を介して振動が伝搬して来たときには、その振動は気体の振動を介して伝搬してきた振動よりも明瞭であると考えられる。糸電話はその例であり、話者の声は糸を通して伝搬するため、遠距離でも割合よく音を聞き取ることができる。また、音を媒介する気体が少ない宇宙空間では通常の方法で会話を行うことはできず、ヘルメットとヘルメットの振動を介して会話を行う必要がある。(実際の例 )
我々がよく見る波として、水面に生じる波があるが、この波はこれまでにあげた水中の振動伝搬とは異なる例である。実際には水面に生じる波は重力波と呼ばれ、([[w:重力波(流体力学)]]を参照)その速度は波が伝搬する水の深さに関連する。実際には水が浅くなるほど波の速度は下がり、波高は増すことが知られている。[[w:津波]]は典型的な重力波であり、その高さは海岸近くでは遠方にあるときと比べて、非常に大きくなり得る。(実際の例 )そのため、海の近くにいるときに地震にあったときには、すぐに高いところに避難することが重要である。
身近な波の例として、最後にあげるのが光である。すでに[[中学校理科]]で光と音については似た性質があることが説明された。音と同様、光もまた波としての性質を持つ。これは、例えば後で述べる回折や、干渉などの現象が、光に対しても観察されることから明らかである。
:光の干渉の図
一方、光はここまでにあげた波と異なった性質を持つことが知られている。実は、いままでの波と違って、光はこれを媒介する物質を持たない。例えば、音は気体を媒介として伝搬されるので、真空の宇宙を通過することはできない。一方、光は真空の宇宙ですら自由に通過することができる。これは、例えば太陽からの光が地球に届いて来ることから、確かである。光の性質についてより詳しくは、下の発展の項を参照。
*発展 光の性質:波と粒子の二重性
既に述べたが、光は波の性質を持ちながら、それを媒介する物質を持たないという性質を持つ。これは一見矛盾して見える。実際にはこのことは光だけでなく、粒子の一般的な性質を知る上で、重要な事柄である。この矛盾の現代的な解釈は、光は波であると同時に一つの粒子としての性質を持っている(粒子としての性質を強調するとき、特に[[w:光子]]と呼ばれることがある)という事である。つまり、波であるから光が波の性質を持つのは当然であり、同時に粒子でもあるので媒介する物質を持たないことも当然であるというのが矛盾に対する答えである。この性質は波と粒子の[[w:二重性]]と呼ばれ、光子だけでなくあらゆる粒子に関して成立する事柄である。ここではこの性質について詳しく述べることはできない。詳細は、[[高等学校理科 物理II]]、[[量子力学]]などを参照。
====波の性質====
ここでは、波の性質とその記述法について一般的に扱う。これらは波を伝える物質がどんなものであっても、それが波である限り成立する性質である。
例えば海の波のように、ある物体を媒介にして遠くにエネルギーに伝えて行く現象を'''波'''(なみ、wave)という。波を伝える物質を'''媒質'''(ばいしつ、medium)という。海の波の例では、媒質は海水である。また、振動が伝わる元となった点を'''波源'''(はげん)という。媒質や媒質の上にある物体は波と共に進行することは無い。波の上にある物体を観察してみる(例えば水面にボールを浮かべて波を起こし、ボールを観察してみる)と、周期的な上下運動をしているはずである。
=====正弦波=====
[[ファイル:Sine_Cosine_Graph.png|thumb|right|300px|正弦波(赤色)と余弦波(青色)の関数グラフ]]
一般に波は様々な形を取る。これは、波がある時刻にある地点で起こった振動を伝搬する現象であり、その地点で起こる現象の複雑さ次第で、波は様々な形となり得るからである。しかし、波の性質を議論する上では、波の形をある程度限った方が都合がいい。ここでは、波の形として正弦波(せいげんは、sinusoidal wave)を考える。
正弦波に関わらず、周期的な波を与えるには媒介物質の1点に周期的な振動を与える必要がある。このときこの振動は物質間の相互作用を通じて、周りの物体に伝搬される。このとき波の形は周期的運動の種類で決まる。正弦波を発生させたいときには、周期的運動として正弦関数で与えられる振動を与えればよい。正弦関数は周期的な運動であるので、これは周期的な振動の一種である。ここでは簡単のため、媒介物質は1次元方向に広がっているものと仮定する。
:周期的な振動の図
このとき正弦波について成り立つ事柄について述べる。実際にはここで扱う事柄は周期的な波には常に当てはまるが、ここでは正弦波しか扱わない。周期的な波を考えるときには、波が媒介されて来るいずれかの点で振動の様子を観察すると、その点での振動はある時間が経過するごとに、同じ値に至ることがわかるはずである。ここで、同じ値が現れるまでの時間を'''周期'''(しゅうき、period)と呼ぶ。周期は時間経過であるので、単位は [sec] である。また、周期は、しばしば記号にTを用いて書かれる。
"T秒ごとに正弦波中の1点が現れる"が周期の定義であった。ここで、"1秒間にf回正弦波中の1点が現れる"によって'''振動数'''(しんどうすう、frequency)を定義する。振動数は、しばしば記号に f を用いて書かれる。上の例では、T秒間に点が1度現れるのだから、1秒間には 1/T回の点が現れる。このことから、一般に正弦波については、
:<math>
f = \frac 1 T
</math>
が成り立つ。振動数の単位はHz(ヘルツ)が用いられるが、この単位は1/secと等しい。
ここで、物質中を振動が伝わる速度をvと置く。物質の性質によって異なる定数であり、振動の性質にはよらない。例えば、音が空気中を伝わる速度は音の高低に関わらず一定である。波が伝わる速度と波の周期が与えられたとき、波が1周期のうちに進む距離を計算することができる。これは、例えば正弦波では波のある1点(例えば最も振動が正の向きに大きいとき)間の距離に対応する。この距離を波の'''波長'''(はちょう、wavelength)と呼ぶ。
:波長の図
[[File:wave.png|thumb|right|300px|変位量の最大値 ''y'' が波の振幅である(λは波長)。]]
波長は通常<math>\lambda</math>で表される。波長<math>\lambda</math>は振動が1周期内に進む距離なので、波の速度vと周期Tを用いて計算できる。一般に
:<math>
v = \frac \lambda T
</math>
が成り立つ。
最後に、(減衰が無ければ)波が与える振動の大きさは波源で起きた振動の大きさと等しい。ここで、振動の大きさを波の'''振幅'''(しんぷく、amplitude)と呼ぶ。振幅は、しばしば記号がAで書かれる。
ここまでである1点で生じた周期的な振動が持つ性質を見て来た。ここまでを用いて、振動が始まってからt秒後の波源からの距離xでの振動について記述することができる。位置x=0のとき、その振動は
:<math>
A \sin (2\pi \frac t T)
</math>
である。これは振動が周期Tの正弦振動であるので当然である。更に、この振動が速度vで広がることを考えると、点xでの式は
:<math>
A \sin (2\pi \frac 1 T(t - \frac x v))
</math>
となる。この式は地点xでは、振動が(x/v)だけ遅れて来ることを表している。この式は正弦波に関する一般的な式だが、<math>v = \frac \lambda T</math>の関係を用いると、この式は
:<math>
A \sin (2\pi (\frac t T - \frac x \lambda))
</math>
となる。また、上の式では時刻t=0で点x=0では振動が0だったと仮定しているが、実際にはその地点でちょうど正弦運動の最も高い部分や最も低い部分にいてもその波は正弦波となる。この分を取り入れるため、上の式に
:<math>
A \sin (2\pi(\frac t T - \frac x \lambda) + \delta)
</math>
のように定数(ここでは<math>\delta</math>)を入れることもある。ここで<math>\delta</math>は位相(いそう、phase)と呼ばれる。<math>\delta = \frac \pi 2</math>では、振動は正弦運動の最も高い部分から始まり、<math>\delta = \frac {3\pi} 2</math>や、<math>\delta = - \frac \pi 2</math>では最も低い位置から始まる。
*問題例
**問題
振幅2[m], 周期2[s], 波長0.5[m]で与えられる正弦波の式を述べよ。ただし位相は0としてよい。
**解答
:<math>
A \sin (2\pi (\frac t T - \frac x \lambda))
</math>
を使えばよい。答えは
:<math>
2 \sin (2\pi (\frac t 2 - \frac x {0.5}))
</math>
となる。
===== 干渉 =====
====== 重ね合わせの原理 ======
複数の波が重なりあったとき、そこで得られる波の振幅はそれらの波の振幅を足しあわせたものになる。これを'''重ね合わせの原理'''(principle of superposition)という。このことは、波の振幅が小さいとき(例えば波の幅と比べて)にしか成り立たない。しかし、このことが成り立つときには、個々の波の性質から波の性質が得られるため、この結果は重要である。
例えば、同じ振動数を持つ正弦波で振幅が<math>A _1</math>,<math>A _2</math>である場合、2つの波の和によって得られる波の振幅は<math>|A _1-A _2|</math>から<math>A _1+A _2</math>となる。このとき、2つの波の位相が<math>0, 2\pi, 4\pi ... </math>だけずれているときにはこの波の振幅は<math>A _1+A _2</math>となる。一方位相が<math>\pi, 3\pi, 5\pi ... </math>だけずれているときには、波の振幅は<math>|A _1-A _2|</math>となる。
===== ホイヘンスの原理 =====
波の位相が等しい点をつないだ面を、'''波面'''(はめん)と呼ぶ。波面についての実験を紹介する。
*実験
ある1点から伝わる波(例えば水面に何かを落とした場合)を作り、その様子を観察する。
この場合、生じる波は波が生じた1点(波源)を中心として、円になるはずである。これは、波源からの距離が等しい点は、同じ時刻に等しい位相を持つからである。
上の例は波がある1点から始まる場合である。波が複数の点から始まる場合には生じる波は既に述べた重ね合わせの原理から、これらの重ね合わせになるはずである。このことは例えば、波面が直線になる場合('''平面波''')のように、波源が連続的に存在する場合にも同様である。
しかし、波源が連続的に存在する場合には、得られる波面が簡単な形になることがある。波面の各点が波源と考えると、その波源からの距離が等しい点は[[w:包絡線]](ほうらくせん)を持つことがある。この場合には、この線が新たな波面と考えることができる。'''包絡線'''については[[w:包絡線]]などを参照。また、このことを[[w:ホイヘンスの原理]](Huygens' principle)と呼ぶ。
ホイヘンスの原理を用いると波面の進行についていくつかの事柄を述べることができる。これらは個別に実験的に確認できる。
======平面波の直進======
平面波(へいめんは、plane wave)の各点を波源とした場合、平面波の波面上の各点から等距離にある包絡線は、波面に平行な直線となる。このことから、平面波は直進することがわかる。
:作図
====== 反射 ======
平面波が壁などにぶつかったとき、壁の各点を波源とした包絡線は、壁と平面波の波面の角度を保って、方向を反対にした平面となる。これは、反射(はんしゃ、reflection)の法則を表す結果である。
:作図
:[[画像:Reflection angles.svg|200px|反射]]
====== 屈折 ======
平面波が[屈折率(くっせつりつ、refractive index)の異なる2つの物質の間を通過したとき、その波面は物質の屈折率の比に応じて屈折(refraction)する。このことも反射の場合と同様の理由で示される。ただし、屈折率の違いに応じて、物質中の波の速度が異なることを用いる。
:作図
また、屈折率に応じてある反射角に対する屈折角は変化するが、その大きさを表す式を[[w:スネルの法則]](Snell's law)と呼ぶ。
:<math>
n _i \sin \theta _i = n _r \sin \theta _ r
</math>
ここで、
<math>\theta _i,\theta _r,n _i,n _r</math>はそれぞれ入射角、屈折角、入射する側の物質の屈折率、入射される側の物質の屈折率に対応する。
<!--
また、屈折が起こるときには同時に反射も起こっている。反射される波と屈折する波の割合は各々の物質の屈折率によって決まる。
-->
*全反射
屈折率が大きい媒質から小さい媒質に光が入るときに、入射光が境界面を透過せず、すべて反射する現象が起きる。これを全反射(ぜんはんしゃ、total reflection)という。全反射は、入射角が大きくなると起こる。
[[Image:RefractionReflextion.svg|thumb|center|650px|屈折(左図)と全反射(右図)。]]
全反射が起こる限界の角度を'''臨界角'''(りんかいかく、critical angle)という。
臨界角よりも入射角が大きいと全反射が起こる。
臨界角 ''θ<sub>c</sub>'' は以下のように表される。
:<math>\sin \theta_c = \left( \frac{n_2}{n_1} \right) </math>
:{|
|''n<sub>1</sub>''
|:
|入射元の物質の屈折率
|-
|''n<sub>2</sub>''
|:
|入射先の物質の屈折率
|}
====== 回折 ======
[[File:Wavelength=slitwidthspectrum.gif|thumb|回折]]
平面波が細いスリットを通過したとき、通過した後の波は円状になる。これは、波源が1点に収縮されたためである。
==== ドップラー効果 ====
[[画像:Doppler_effect_diagrammatic.png|right|500px|ドップラー効果の図]]
波源や観測者が動くと、振動数が変化する現象が見られる。これを、'''ドップラー効果'''(Doppler effect)という。
以下、波の速さを''V''[m/s]、波の振動数を''f''[Hz]、波源の速さを''v<sub>s</sub>''[m/s]、観測者の速さを''v<sub>o</sub>''[m/s]、観測される振動数を''f' ''[Hz]として考える。
まず、静止している観測者に波源が近づく場合を考える。
時刻0[s]には波源も波も0[m]の位置にある。
時刻''T''[s]になると、波は''VT''[m]、波源は''v<sub>s</sub>T''[m]の位置に来る。
ここで、波源から波の到達点までの距離は''VT-v<sub>s</sub>T''[m]である。
この距離を時間''T''[s]で割ると、''V-v<sub>s</sub>''[m/s]になるが、観測者はこの速さを波の速さと観測する。
すると、観測される波長''λ' ''[m]は
<math>\lambda'=\frac{V-v_s}{f}</math>
であり、
<math>f'=\frac{V}{\lambda'}=\frac{V}{V-v_s}f</math>
となる。
=== 音 ===
==== 音の伝わり方 ====
音はどの方向にもおおよそ
同じ速さで伝わる。
音の速さは有限であり、
速度は常温付近では気温<math>t</math>[℃]にほぼ比例しており<math>0.6t+331.5</math>で表される。15℃の時はおよそ、340[m/s]である。
==== 音の干渉と共鳴 ====
空気中の音については、通常は'''重ね合わせの原理'''が成り立つ。このことを用いて波の重ね合わせの様子を調べてみる。
*実験
2つの同じ振動数の正弦波を用意し、位相の差が<math>\pi</math>の奇数倍の場合と<math>\pi</math>の偶数倍の場合を観察してみよ。実際には各音源からの距離の差が、<math>\lambda/2</math>の奇数倍と偶数倍に対応する。
この場合距離の差が<math>\lambda/2</math>の奇数倍の時には、音の大きさは2倍になり、偶数倍の時には音はほとんど聞こえなくなるはずである。これは同じ形の波が符号が同じで足された場合と、符号が反対で足された場合に対応するからである。
同じ事柄に基づいた話題だが、ある周波数の音と、それと少しだけちがう周波数の音を重ねて聞くと、音が大きくなったり小さくなったりするように聞こえる。
:[[media:Physics_wave_interference_unari.ogg|"うなり"の音声ファイル(440Hz正弦波と442Hz正弦波)]]
これを"うなり"と呼ぶ。この時音の大きさが変化する周波数は2つの波の振動数の差に等しい。
"うなり"は上の例と同様三角関数の計算によって見ることができる。詳しい解説は次の発展を参照。
*発展 うなりの計算
うなりの計算は三角関数の計算に帰着する。このとき、波の振幅の式が振動数が2つの波の振動数の差となる三角関数となればよい。
まず、2つの波を
:<math>
A\sin (\omega t + \delta), B \sin (\omega t + \Delta \omega t)
</math>
とおく。ここで、<math>\delta,\omega,\Delta \omega,A,B</math>はそれぞれ2つの波の位相差、片方の波の角振動数、2つの波の角振動数の差、各波の振幅に対応する。
2つを足しあわせて、三角関数の加法定理([[高等学校数学II]])などを用いると、
:<math>
A\sin (\omega t + \delta)+ B \sin (\omega t + \Delta \omega t)
</math>
:<math>
= A (\sin \omega t \cos \delta + \sin \delta \cos \omega t)
+ B (\sin \omega t \cos \Delta \omega t + \sin \Delta \omega t \cos \omega t)
</math>
:<math>
= (A\cos \delta + B \cos \Delta \omega t ) \sin \omega t
+ (A\sin \delta + B \sin \Delta \omega t ) \cos \omega t
</math>
:<math>
= \sqrt{A^2 + B^2 + 2AB (\cos \delta \cos \Delta \omega t + \sin \delta \sin \Delta \omega t)}
\sin (\omega t + \gamma)
</math>
:<math>
= \sqrt{A^2 + B^2 + 2AB \cos (\Delta \omega t - \delta )}
\sin (\omega t + \gamma)
</math>
となる。ただし、<math>\gamma </math>は条件を満たす位相である。
最後の式は、角振動数<math>\omega</math>の振動の式と、時間的に変化する振幅の積になっており、確かに'うなり'の現象を説明する。
=== 光 ===
==== 光の伝わり方 ====
光も音と同様、ある一点から光を出すとあらゆる方向に同じ速度ですすむ。
光はある一方から入射した場合、直進する。
実際には音も同じ性質を持っており、音を上手くスリットなどで分離すると直進することが知られている。
光の速度は極めて速いが有限であり、その速さは、
2.99792458 × 10<sup>8</sup> [m/s]
である。
<!-- 光速の測定の 実験はかなり難しく、歴史的には 木星(?)の動きを観測することで最初に得られた。 -->
==== 光の回折と干渉 ====
光はせまいスリットを通すと、広がって行くように伝搬することがある。これを'''回折'''(かいせつ、diffraction)と呼ぶ。
[[File:Two-Slit_Diffraction.png|thumb|300px|二重スリットの実験。]]
また、光はスリットを上手く使うことで、強めあったり弱めあったりすることがある。
(:ヤングの実験?)
光は実際には空間の中を伝搬する波動である。波動には振動数があるが、振動数によって光の色が変わることが分る。
:(プリズムの説明?)
[[File:Light dispersion of a mercury-vapor lamp with a flint glass prism IPNr°0125.jpg|thumb|left|200px|プリズムによる光の分散]]
振動数が低いものから光の色は赤から紫へと変わって行く。これ以上に振動数が大きくなると、光は人間の目には見えなくなる。このように振動数が可視領域より高くなった光のことを紫外線(しがいせん、ultraviolet)と呼ぶ。
さらに振動数が高いものをX線(エックスせん、X-ray)、 γ線(ガンマせん、Gamma ray)と呼ぶ。いっぽう、赤い光よりもさらに振動数が少ない光も、また同様に、人間の目では見ることが出来ない。このような可視領域よりも振動数の低い光を赤外線(せきがいせん、infrared)と呼ぶ。
== 波に関する探求活動 ==
== 発展: 光の波長の測定 ==
:(※ 高校の範囲外)
そもそも、光の波長は、どうやって測定されたのだろうか。
ドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが、回折格子を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。1821年にフラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。
より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。
;メートルの定義
:真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
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8jmrwwe5d95kczyq81n36ufvmymbxfj
高等学校理科/地学基礎/宇宙の構成
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206416
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2022-08-10T22:00:56Z
Ef3
694
/* 光の波長の測定方法 */ 1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。 ;メートルの定義 :真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。 :ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
wikitext
text/x-wiki
== スペクトル ==
[[ファイル:Light dispersion of a mercury-vapor lamp with a flint glass prism IPNr°0125.jpg|thumb|left|プリズムにより、光は曲がる。このとき光の波長ごとに曲がる大きさが違うので、虹(にじ)のような色の帯ができる。]]
プリズムを通った光は、赤から紫までの波長の光に分かれる。このような光の帯を'''スペクトル'''という。
光は、電磁波という波の一つである。光の色の違いは、波長の違いである。電磁波のうち、私たちが色や明るさとして見ることができる電磁波を、'''可視光'''(かしこう)または'''可視光線'''という。私たちヒトが見ている光は、可視光である。
可視光の波長は、おおむね380nm〜770nmである。( nm は長さの単位 ナノメートル のこと。)
:1nm = 10<sup>-9</sup>m である。
[[Image:Linear visible spectrum.svg]]
:光の波長の測定方法については、のちの節で発展項目として、ローランドの回折格子などについて解説するので、それを参照せよ。
また、光の速度は常に一定であることが物理学によって分かっている。
光には、私たちヒトの目に見えない光もある。赤外線や紫外線なども電磁波であるが、赤外線や紫外線は、私たちヒトの目には見えない。
[[Image:Spectral lines continuous.png|thumb|連続スペクトル]]
[[Image:Spectral lines emission.png|thumb|輝線スペクトル]]
[[Image:Spectral lines absorption.png|thumb|吸収線スペクトル]]
[[Image:Fraunhofer lines.jpg|thumb|right|500px|フラウンホーファー線]]
水素を発光させたものやナトリウム灯のスペクトルを調べると、特定の波長だけが線上に表れる輝線スペクトル(きせんスペクトル)になる。どの波長が表れれるかは元素の種類によって異なる。ちなみにナトリウム灯のスペクトルは、オレンジ色の線が2本ほど表れる。(※ ウィキに図が無いので、参考書などで各自、調べてください。)
逆に、太陽光のスペクトルを調べると、特定の波長が、いくつか抜けていて、その波長の部分だけ黒い線になっているスペクトルが表れる。これは、太陽大気などの物質に、その波長の光が吸収されたためである。よって、この抜けているスペクトルの波長と、知られている元素のスペクトルの波長とを、比べることで、太陽大気の元素の組成を調べることができる。
なおスペクトルで、物質に吸収されたため、暗くなって抜けていて黒い線の部分を、'''吸収線'''(きゅうしゅうせん)あるいは'''暗線'''(あんせん)という。
こうして太陽の元素の組成を調べたところ、太陽の元素のほとんどは水素であり、水素が92%ちかくある。残りのほとんどはヘリウムで、ヘリウムが約7%ある。
なお、太陽の吸収線のことを'''フラウンホーファー線'''という。
[[Image:Hot metalwork.jpg|thumb|left|熱く熱された鉄から出る光。]]
また、恒星のスペクトルでの各色の光の強さを調べることで、その恒星の温度が分かる。その理由は、つぎのような理由である。
まず、近代のヨーロッパの科学者たちの調査で、製鉄所などで加熱されて造られている金属などのように、とても高温の物から出てくる光に含まれる色を調べたところ、温度が1000度や2000度くらいの時は、赤い光が多いが、もっと温度を上げていくと、だんだん白い光が多くなってくることが分かってきた。
さらに、もっともっと、温度を上げていくと、物体から出る光は、青白い光が多くなってくることが分かってきた。
近代の科学者は考えた。「地上の物体では、温度が高いほど、赤い光から青白い光になるという法則があるんだから、夜空にうかぶ星の色も、地上と同じように、青い星は、きっと温度が高いにちがいない」と、近代の科学者は考えた。
実際に、この考えが正しいことが、さまざまな研究から、確かめられている。
このようにして、太陽のスペクトルから求めた太陽表面の温度は、およそ6000℃である。温度の数値の根拠は、以降の「シュテファン=ボルツマンの法則」の章の解説を参照せよ。
== シュテファン=ボルツマンの法則 ==
[[FILE:Wiens law.svg|thumb|300px|各温度における黒体輻射のエネルギー密度の波長ごとのスペクトル]]
[[Image:MODIS ATM solar irradiance.jpg|thumb|400px|地表面と地球大気表面における太陽放射スペクトルの比較]]
[[w:ウィーンの変位則|ウィーンの変位法則]]は、黒体の温度が高いほど、放射エネルギーが最大になる波長が短くなっていることを表し、その波長をλ(μm)・温度を''T'' (K)としたとき以下の式で示せる。
:λ''T'' = 2900
ウィーンは、ウィーンの法則を確かめる測定実験をする際、熱エネルギーの測定器にはボロメーターという装置を用いた。
<ref>『20世紀の物理学』、丸善株式会社、編集:「20世紀の物理学」編集委員会、平成11年発行、参考ページ:P.25、 第1章『1900年当時の物理学』、参考文献記事の原著者:ブライアンピパード、参考文献記事の翻訳者:牧二郎および神吉健、</ref>
(※ ボロメーターについて、くわしくは、発展の節で説明する。)
[[w:シュテファン=ボルツマンの法則|シュテファン=ボルツマンの法則]]は、恒星の放射するエネルギー''E'' は絶対温度''T'' の4乗に比例するというもので、次の式で表される。
:''E'' = σ''T'' <sup>4</sup>
=== 発展:光のエネルギーと波長の測定方法 ===
:(※ 高校の範囲外)
==== 光のエネルギーの測定方法 ====
1900年ごろ、すでに天文学者のラングレーによって、熱エネルギーの測定器として[[w:ボロメータ|ボロメータ]]という測定器が実用化していた。ボロメータとは、金属が温度変化した際の電気抵抗の変化を利用して、電気抵抗の変化から温度変化を読みとり、その温度変化から熱エネルギーなどのエネルギーを測定する装置である。
このボロメータを用いて、光の放射エネルギーも測定できた。
ウィーンは、ウィーンの法則を確かめる測定実験をする際、光のエネルギー測定のために、ボロメーターを用いた。この当時のボロメーターの精度の例として、温度が10<sup>-5</sup>上昇すると、抵抗値の変化率の3×10<sup>-8</sup>を読み取れるという高精度であったと言う。
ラングレーやヴィーンが用いていた頃のボロメーターでの測温用の金属には、白金が用いられていた。
そして、ボロメーターの精度の向上のため、ホイートストン・ブリッジ回路の中に、この電気抵抗を組み込むことで、精度を得ていた。
なお、21世紀の現在でも、白金は、電気抵抗式の測温素子として、よく用いられている。また、ホイートストン・ブリッジも、アナログ電気式の測定器で精度を得るための手法として、よく用いられている。さらに、ホイットストーン・ブリッジと測温素子の組み合わせによる温度測定器や放射エネルギー測定器などすらも、現在でもよく用いられている。
==== 光の波長の測定方法 ====
この1900年ごろのウィーンの時代、光の波長測定の方法では、回折格子が用いられた。すでにローランドなどによって光の波長測定の手段として実用化していたローランド式などの回折格子が、よく用いられた。
そもそも、光の波長は、どうやって測定されたのだろうか。
1821年にドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが、回折格子を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。フラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。
[[画像:Platinum-Iridium meter bar.jpg|thumb|right|300px|メートル原器]]
より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、1983年以降はメートル原器は長さの標準には用いられていない。現在のメートル定義は以下の通り。
;メートルの定義
:真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される。
== 宇宙のすがた ==
=== ハッブルの法則 ===
[[Image:Doppler effect diagrammatic.png|right|300px|thumb|音源が左手に向かって等速で動いている場合。物体の運動方向の前方の波長は短くなり、反対側の波長は長くなる。]]
宇宙は膨張している。1929年、天文学者のハッブルは、つぎのような観測事実をもとに、銀河が遠ざかっていることを発見した。
ハッブルは観測によって、恒星から地球にとどく光のスペクトルが、地球から遠い星ほど、'''ドップラー効果'''によって、赤くなっていることを発見した。
地上で測定された各元素の輝線スペクトルよりも、星の光から観測したスペクトルのほうが距離に比例して赤く偏位しているのである。
この、遠い星ほど光が赤いという事実を、'''赤方偏移'''(せきほう へんい)という。
:ドップラー効果については、物理科目で高校では習うはずなので、物理の参考書を読め。
サイレンを鳴らした車が自分の近くを通りすぎるとき、通りすぎる前と通り過ぎたあとで、音の高さが違って聴こえるのもドップラー効果である。
光にもドップラー効果はあり、私たちが作ったような自動車などが運動するような速度では速度が低すぎて光のドップラー効果は観測できないが、宇宙の規模での速度だと、もっと高い速度なので、光のドップラー効果も観測できる。
ドップラー効果では、波の発生源が遠ざかるほど、波長は長くなり、つまり振動数が低くなる。
青い光と比べて、赤い光は、波長が長く、振動数が低い。つまり、赤くなるほど、波長が長くなっている。
そして、地球から遠い恒星ほど、赤い光になっているのだから、遠い星ほど、より速く遠ざかっていることになる。
つまり、遠ざかる速度 v が、観測地点である地球からの距離 r に比例している。比例定数を H とすれば、式は
:v = Hr
で表される。
この比例定数Hを、発見者のハッブルの名前にちなんで、'''ハッブル定数'''という。
そして、このような事実から、宇宙は膨張している事がわかる。
このような宇宙の膨張の法則を'''ハッブルの法則'''という。
:(※ ここに、ハッブルの測定結果のグラフを追加。)
さて、このように、宇宙にある星どうしは、おたがいに、どんどん遠ざかっている。つまり、宇宙は、膨張している。
裏をかえせば、過去にさかのぼると、昔は今よりも、星どうしの距離が近かったのである。ならば、宇宙が誕生した瞬間は、すべての星が、一点に集まっているはずである。
膨張の速度から逆算すると、宇宙が誕生した時期が分かる。宇宙は約137億年前に誕生した。
宇宙の始まりの瞬間は、以上の論理から、物質の密度がとても高かったことが考えられている。現在の宇宙にある物質すべてが、一点に集まっていたからである。
また、宇宙の始まりのときの温度については、宇宙での元素の種類や割合などの理由から、宇宙の始まりの温度は、とても高温であったと考えられている。
=== ビッグバン ===
[[File:History of the Universe.svg|thumb|right|475px|]]
宇宙の始まりの瞬間は、きわめて高温・高密度であったと考えられている。そして、それが急激に膨張していったと考えられている。このような説を'''ビッグバン'''といい、1948年に物理学者のガモフによって提唱された。
== 太陽と恒星 ==
=== 太陽 ===
* フレア
皆既日食のときに光球の外側にピンク色っぽい大気の層が見え、この層を'''彩層'''(さいそう)という。このピンク色の光の原因は、水素のスペクトル光であるHα線(エイチ・アルファーせん)の赤色である。また、彩層の外側にうすく広がる気体の部分を'''コロナ'''という。彩層の一部が突然明くなることがあり、この現象を'''フレア'''という。
フレアのときに、強いX線や紫外線が放出されることで、地球では通信障害を起こすことがあり、この通信障害の現象を'''デリンジャー現象'''という。
* 太陽風
太陽からは、水素や電子などの粒子が、数百km/s の速さで、大量に流れだしてる。これを'''太陽風'''(たいようふう、solar wind)という。太陽風は電離しており、電気を帯びている。これは、太陽の内部はとても高温のため、水素やヘリウムなどの原子核から電子が電離してしまうためである。
* オーロラ
[[ファイル:Polarlicht 2.jpg|thumb|300px|アラスカでのオーロラ]]
太陽風が地球に打ちつけられた時、北極・南極の極付近では、発光現象を起こすことが知られており、この極付近での発光現象を'''オーロラ'''という。
{{-}}
=== 太陽の誕生と進化 ===
太陽の光かがやく原動力は、水素の核融合であると考えられている。そして太陽での水素の核融合の結果、ヘリウムが生成していると考えられている。
太陽にかぎらず、このように天体の中心部で水素の核融合が起き続けている状態の恒星のことを'''主系列星'''(しゅけいれつ せい)という。
現在の太陽は主系列星である。
いっぽう、宇宙には観測事実として、赤くて巨大(と考えられている)な恒星が存在する。おうし座のアルデバラン、さそり座のアンタレスなどが、そのような赤くて巨大な星である。
これらの赤くて巨大な星は、主系列星が中心部の水素を核融合で使い果たした状態だろうと考えられている。
太陽も、中心部の水素を核融合で使い果たすと、主系列星ではなくなり、赤くて巨大な星になると考えられている。
主系列星は星の一生のうちの比較的に前半であり、赤くて巨大な星は星の一生うちの比較的に後半である。
(※ 範囲外 :)赤くて巨大な星がなぜ星の一生の後半であるかが分かったかというと、参考文献 [https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2011_05/2011-05-01.pdf 『星の進化論とHR図表』、小暮智一(元 京都大学教授) 著 、天文教育 2011年5月号]によると、(20世紀前半の科学者が?)地球から観測できる数万光年は離れた複数の赤くて巨大な星どうしを比べたところ、性質がどれも似ており、そのことから、数万光年ぶんの時間よりも遥かに長い時代(つまり数億年)を過ごした星の寿命の後半であると20世紀当時の人は判断したようである。
現在は主系列星の太陽の水素は核融合で消耗しつづけており、その水素が尽きるであろう約50億年後に、太陽はヘリウムを中心核にもつ星へと変化するだろうと考えられている。
そして、ヘリウムを中心核にもつ結果、重力によってヘリウムは中心に集まり収縮していく。
いっぽう、その頃には太陽を囲む外側で水素による核融合が起き、その結果、太陽は膨張し、太陽は赤く見える星になると考えられている。
太陽にかぎらず、このような状態(中心部の水素が尽きて、周辺部の水素で核融合している状態)の恒星のことを'''赤色巨星'''(せきしょく きょせい)という。
おうし座のアルデバラン、さそり座のアンタレスなどが赤色巨星である。
* ヘリウムの核融合
赤色巨星になったあとの星では、ヘリウムは当初は核融合しないで、核融合しないので重力によって中心部に ヘリウム が収縮していく。
しかし、収縮によって温度も上昇するので、約1億℃になり、ヘリウムが核融合するようになる。
このヘリウムの核融合により、酸素と炭素が作られる。
そして、太陽は巨星になる。
* 星の死
太陽はどうだか知らないが、歴史上、実際に上空で消滅した星があり、平安時代の『明月紀』などの古文書などにも記載されている(同時期に中国や中東などの文献にも同類の天文学の記録があり、史実だろうと思われている)。
このように、恒星は寿命を迎える。
太陽の場合、水素もヘリウムも使い果たして巨星になったあと、ガスが散逸していき、小さくなり(とはいっても、地球よりかは遥かに大きいが)中心部の密度の高い白色矮星(はくしょくわいせい)という状態になると考えられ、ガスを放出して、しだいに冷却していく。残った酸素や炭素は、核融合を起こさないと考えられている。
太陽よりも質量が8~10倍以上はある恒星の場合、水素を中心部も周辺部もすべて水素を使い果たすと爆発を起こすと考えられており、この現象を'''超新星'''(ちょうしんせい)または超新星爆発という。
(※ 範囲外 :)近年にも、2006年にペルセウス座の超新星が観測されている。歴史的にも、1604年にケプラーがヘビ使い座で超新星を観測しており、1885年にアンドロメダ銀河で超新星爆発が観測されている。また、平安時代の『明月紀』にある記述もおうし座の超新星だろうと考えられている。
== 銀河系 ==
=== ブラックホール ===
宇宙には、どんな波長の電磁波も吸収してしまう'''ブラックホール'''という場所がいくつもある事が分かっている。
ブラックホールは、ある天体の密度が大きすぎて重力が大きくなりすぎた結果、光すらも外に出ない結果、ブラックホールが発生すると考えられている。(※ 高校の範囲外だが、物理学におけるアインシュタインなどの相対性理論によると、重力によって光は曲がる。なので、重力が強すぎると、光は外に出ていないと考えられている。)
ブラックホールの種類にもよるが、一般にブラックホールの密度は、太陽の数百万倍ほどであると考えらている。
ブラックホールは、寿命の尽きた恒星のうち、密度が比較的に大きめだった天体が超新星爆発を経ての変化の結果だという説もある。(※ 啓林館や第一学習社の検定教科書が紹介している。)
地球から見ると、天の川 の いて座 の方向にブラックホールだと思われている場所がある。
=== ダークマター ===
曲線運動をしている銀河は、その曲線運動の中心あたりに、円運動の中心になるような重力の発生源があると考えられている。
このように、運動の形状や速度などを分析することにより、銀河での重力の分布を算出することができる。
そのようにして算出した重力分布をみると、電磁波では何も観測されていない場所にも強い重力をもつものが分布している場所も多くある。なので宇宙には、電磁波では観測できないが重力を発生させる事のできる物質のような何かが存在すると考えられており、そのような重力発生を引き起こしているのに見えない宇宙の物質のことを'''暗黒物質'''あるいは英語で'''ダークマター'''という。
ダークマターの正体は、まだ不明である。
== 参考文献 ==
2thb1icar392r9p3w46yr0kn2b7grwr
高等学校物理/物理I/運動とエネルギー/物体の運動
0
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Ef3
694
/* 速さ */ 計量法上は、「メーター」の表記は用いることはできない(計量法第8条第1項)。
wikitext
text/x-wiki
==物体の運動==
物体が時間とともに、その位置を変えるとき、その物体は運動(うんどう、motion)をしている、という。
例えば、ボールを平らな机の上で転がすと、ボールは動いていく。このように、物体は動かすことが出来る。ボールを転がし始めた瞬間には、人間が手で物体に力(ちから、force)をかけて物体の運動のようすを変えたものと解釈することが出来る。この章では、特に物体がどのような力を受けたときにどのような運動の変化を受けるかを考察する。
===運動の表し方===
物体の運動は、物体の位置の変化と、時間との関係で、書き表すことが出来る。
1つの物体は、同時に2箇所には存在できない。よって物体の位置は、ある時刻を取ると、その時刻に対して、一つの位置だけに決まる。よって、式では、位置を''x''として、時間を''t''として、この2つの変数 ''x'' と ''t'' で、物体の運動を記述できる。
=== 速度 ===
====速さ====
速さ(はやさ、speed)とは、単位時間あたりの移動距離の大きさである。式で書くなら、速さを ''v'' とし、移動距離を''x'' とし、時間変化を''t''とした場合、
:<math>v= \frac{x}{t}</math>
となる。運動の種類によらず、この式( ''v'' = ''x''/''t'' 、ただし ''x'' は移動距離であり ''t'' は時間変化.) が「速さ」の定義である。
運動の種類には、等速直線運動や等加速度直線運動など色々とあるが、この式( v = x/t )は等速直線運動に限らず、あらゆる運動についての速さの定義である。
速さの単位は、距離と時間の単位の取り方によって異なる。距離の単位は、物理では普通、m(メートル) や km(キロメートル) を使う。特に理由が無いかぎり、km や cm(センチメートル) や mm(ミリメートル) などの接頭辞のある単位よりも、それらの基準である m(メートル) を優先して使う。高校では普通、m を距離の使う。
このメートルを優先して使う規則は、日本の高校だけでなく、メートル法を採用している世界の多くの国で、そうしている。
よって、物理での速さの単位には、普通、 m/s (メートル毎秒)を使う。日常生活では、自動車の時速などで km/h (キロメートル毎時)が使われる事もあるが、物理では特別な理由が無いかぎり、 m/s を使う。
理工学一般では「m/s」を「メーター・パーセカンド」(Metre per second)などと英語風に読む場合もある。教科書では、「メートル毎秒」が、m/s の公式の読みかたである。また、計量法上は、「メーター」の表記は用いることはできない(計量法第8条第1項)。
他にも「メーター・パー・セック」と読む場合もあるが、天文学の単位の「パーセク」と紛らわしいので、この読み方(「メーター・パー・セック」)は、あまり用いないほうが安全だろう。
なお、数式で「速さ」を表すための文字記号には、後述する速度(そくど、velocity)を文字記号をあわせるのが一般的だという理由により、速さの文字記号には ''v'' を用いるのが一般である。
*例題 単位の変換
72 km/h は、何m/sか?
解法:
:72 km = 72 × 1000 m = 72000 m
:1 h = 3600 s
したがって、72 km/h = 72000 m / (3600 s) = (720/36) m/s =20 m/s
よって、20 m/s (答え)
====速度====
速さが同じだからといって、全く同じ運動をしているわけではない。
たとえば、新幹線同士がすれちがうとき、普通速さは同じであるが、向きは全く逆である。
速さと向きを組み合わせた量を、'''速度'''(そくど、velocity)という。
一般に速度のように大きさと向きを持つ量を'''ベクトル'''(vector)という。これに対して、「速さ」のように、大きさだけを持つ量を'''スカラー'''(scalar)という。
物理で運動を考える際には、「速さ」よりも、「速度」を使うことを優先するのが一般である。
<div style="border:1px solid #000000;">
:数学でのベクトルの表記を説明するなら、 <math>\overrightarrow{v}</math> のように量を表す記号の上に矢印をつけるか、または <math>\overrightarrow{AB}</math> のように始めの位置と終わりの位置を表す記号の上に矢印をつけて表すのが規則である。
:<math>\overrightarrow{AB}</math> は AからBの向きを表し、<math>\overrightarrow{BA}</math> はBからAの向きを表すので、大きさは同じだが、向きは全く逆である。
:ベクトルの矢印は量を表す数字の上に直接付けてはいけない(<math>\overrightarrow{0}</math>を除く)。
:ベクトルについては[[高等学校数学B_ベクトル|数学B]]で詳しく学ぶ。
:高校の物理では、記述の簡略化のため矢印を省略することも多いので、単に v と書いてあっても速度のベクトルとして扱う場合も多い。
</div>
[[ファイル:高校物理I 等速直線運動 平均の速度.svg|frame|変位]]
ある時刻<math>t_1</math>に<math>x_1</math>の位置にあった物体が、それより後のある時刻<math>t_2</math>に<math>x_2</math>の位置に移動した。説明の簡単化のため、<math>x_1 \le x_2</math> および <math>t_1 \le t_2</math> とする。
この場合、<math>t_1</math>から<math>t_2</math>までの時間は<math>t_2 - t_1</math>であり、
<math>x_1</math>から<math>x_2</math>までの位置の変化は、<math>x_2 - x_1</math>である。
<math>x_2 - x_1</math>のような、位置の変化量を '''変位'''(へんい、displacement)という。
変位を''Δ''xのように表すこともあり、「''Δ''x」の読みかたは「デルタ・エックス」と読む。''Δ''は変位を表す記号として、よく用いられる。「''Δ''」の読みは「デルタ」であり、ギリシャ文字の大文字のデルタのことである。(小文字ではない。小文字のデルタは δ である。)
つまり、
:<math>\mathit{\Delta} x = x_2 - x_1</math>
である。
時間についても同様に、
:<math>\mathit{\Delta} t = t_2 - t_1</math>
というに表記してよく、また「時間の変位」などと呼ぶ場合もある。
==== 平均の速度 ====
[[File:平均の速度.svg|thumb|400px|x-tグラフと平均の速度]]
ここで速度について
:<math>\bar v= \frac{x_2-x_1}{t_2-t_1}= \frac{\mathit{\Delta} x}{\mathit{\Delta} t}</math> [m/s]
という式が考えられる。
<math>\bar v</math>をこの間の'''平均の速度'''という。<math>\bar v</math>は「ブイ・バー」と読む、 ̄は平均を表す。
{{-}}
==== 瞬間の速度 ====
[[File:平均速度と瞬間速度.svg|thumb|400px|平均速度と瞬間速度]]
平均の速度の式において、<math>t_2</math>を<math>t_1</math>に限りなく近づけていく場合、つまり ''Δ''t を極めて小くしていく場合、これをこれを'''瞬間の速度'''という。つまり、x-tグラフでは、瞬間の速度は、その時刻における接線の傾きとして表される。
数学的な表記では、瞬間の速度を
:<math>v= \lim_{\mathit{\Delta} t \to 0} \frac{\mathit{\Delta} x}{\mathit{\Delta} t}=\frac{dx}{dt}</math> [m/s]
と書く。(詳しくは[[高等学校数学II_微分・積分の考え|数学II]]や[[高等学校数学III_微分法|数学III]]で習う)
物理学で、単に「速度」と書かれている場合は、瞬間の速度を指すことが多い。
自動車のスピードメーターに出ている速度は普通、瞬間の速度です。
{{-}}
====等速直線運動====
<gallery widths=300px heights=250px>
File:等速直線運動 x-t.svg|等速直線運動 x-t グラフ
File:等速直線運動 v-t.svg|等速直線運動 v-t グラフ
</gallery>
一直線上を一定の速度で同じ向きに進む運動を'''等速直線運動'''(とうそくちょくせんうんどう、linear uniform motion)あるいは 等速度運動(とうそくど うんどう) という。
等速直線運動における物体の位置''x''を時刻''t''の関数で表すと、<math>x=vt</math> となる。(''v''は定数)
この''v''が速さである。
*問題例
**問題
時刻<math>t _0</math>に速度<math>v</math>で位置<math>x _0</math>から
<math>x</math>方向に移動し始めた物体は、
時刻<math>t(>t _0)</math>には、どの位置に移動することになるか。
**解答
速度が<math>v</math>で一定であるような等速直線運動の式は、
:<math>
x = v(t - t _0) + x _0
</math>
で与えられる。この式に直接代入すると、
時刻<math>t</math>で、この物体は
:<math>
x = v(t - t _0) + x _0
</math>
に現れることがわかる。
====相対速度====
*例1
動く物体Aから観測した他の物体Bの速度のことを、'''Aに対するBの相対速度'''という。(相対速度は「そうたいそくど」と読む。 相対速度:relative velocity)
このとき、観測者の速度が基準となる。
例えば一直線の道路をトラックAと自動車Bが同じ向き(正とする)にそれぞれトラックAが40 km/h 、 自動車Bが60 km/h の速さで走行している場合を考える。説明の簡単化のため、最初から自動車Bのほうが前にあるとして、トラックAはその後ろの位置にあるとする。
この場合、トラックAの中から見ると、自動車Bが 速さ 20 km/h で前方へ進んで遠ざかっていくように見え、
逆に自動車Bから見るとトラックAは 速さ 20 km/h で後方へ(、つまり 速度 ー20 km/h で)遠ざかっていくように見える。
このような相対的な速度を式にしよう。
Aの速度を<math>v_\text{A}</math>、Bの速度を<math>v_\text{B}</math>とすると、Aに対するBの相対速度<math>v_\text{AB}</math>は
:<math>
v_\text{AB} = v_\text{B} - v_\text{A}
</math>
で表される。すなわち物体の速度から基準の速度を引く。
*例2
[[File:相対速度 電車の中から見た場合.svg|thumb|400px|相対速度 電車の中から見た場合]]
動いている電車の中に観測者がいて、外は雨が振っているとする。電車の中の観測者から見て、雨の速度は、どう見えるか?
雨の方向と、電車の動く方向とが違うので、ベクトルで考える必要がある。
電車の速度を <math>\overrightarrow{v_\text{A}}</math> として、雨の速度(つまり雨の落下速度)を <math>\overrightarrow{v_\text{B}}</math> とする。
この関係をベクトルで表記すると、
:<math>
\overrightarrow{v_\text{AB}} = \overrightarrow{v_\text{B}} - \overrightarrow{v_\text{A}}
</math>
となる。
{{-}}
==== 速度の合成 ====
*例1
図のように、動く歩道の上を歩いてる人 A がいるとする。(※ 編集者へ 図を描いてください。)
歩道は速度 <math>v_1</math> で動いている。歩く人 A の速度は、一般の歩道では、 <math>v_2</math> とする。
動く歩道の上でも、一般の歩道の場合と同じように歩くとする。
歩行者 A 本人から見た場合の、歩行者 A 本人の速度は、一般の歩道の場合と同じように歩いているので、速度 <math>v_2</math> である。
しかし、このとき、外から見ている静止した人 B にとって、歩道上を歩いている人 A の速度 <math>v</math> は、
:<math>v = v_1 + v_2</math>
である。(動く歩道の出力は充分に大きく安定しているとして、歩行者からの反作用を考えないとした。)
このように、速度を合成できる問題の場合、このような <math>v</math> を合成速度という。
*例2
[[File:速度の合成 川を横切る船.svg|thumb|400px|速度の合成]]
川が流れており、その川の上を横切ろうとする船を考える。
川の流れを <math>\overrightarrow{v_2}</math> として、静水中での船の速度を <math>\overrightarrow{v_1}</math> とすると、
実際の速度は
:<math>
\overrightarrow{v} = \overrightarrow{v_1} + \overrightarrow{v_2}
</math>
となる。
ただし計算の簡単化のため、流水中でも、静水中と同じ出力で、船が動くとした。
右の図のように、川の流れの速さのぶんだけ、船は下流に流される。よって、合成速度は、図のように斜めの方向になる。
{{-}}
===加速度===
==== 加速度 ====
[[Image:Falling ball.jpg|right|thumb|180px|自由落下は等加速度直線運動である。]]
動いている自転車がブレーキを掛けて止まったり、止まっていた自動車が発進するときのように、速度 <math>\overrightarrow{v}</math> も時刻 <math>t</math> によって変化する。
よって、速さのときと同じように速度の変化を表すベクトルが考えられ、これを'''加速度'''(かそくど、acceleration)という。
加速度は、'''単位時間あたりの速度の変化量'''を用いて定義される。
加速度の記号は <math>a</math> で表すのが一般的である。
時刻 <math>t_1</math>での速度を <math>v_1</math>として、時刻 <math>t_2</math>での速度を <math>v_2</math>とした場合、加速度 <math>a</math>は、次式で表される。
:<math>a= \frac{v_2-v_1}{t_2-t_1}= \frac{\mathit{\Delta} v}{\mathit{\Delta} t}</math>
加速度の単位は [m/s<sup>2</sup>] である。「m/s<sup>2</sup>」の読み方は、'''メートル毎秒毎秒'''(メートルまいびょうまいびょう)と読むのが高校の検定教科書では公式である。
加速度の単位を考えよう。加速度は単位時間(ここでは1 秒とする)あたりに速度(ここではm/sで表すとする)が、どのくらい変化するかという割合なので、加速度の単位は m/s を s で割った単位になり、よってm/s<sup>2</sup>である。
m/s<sup>2</sup>の読み方を、日本の理工学の実務一般では「メーター・パーセカンド二乗」(振り仮名:メーターパーセカンドじじょう)などと読む場合も多い(「二乗」は「じじょう」と読む)。英語風の読み方と、「二乗」という日本語風の読み方が混ざっているが、理工系では、この読み(「メーター・パーセカンド二乗」)で通用してるので、高校生は、あまり気にしないで良い。
==== 加速度の向き ====
加速度も、速度と同じように向きがある。
よって、加速度も、大きさと向きを持つので、加速度はベクトルである。
また、速度のプラス符号とマイナス符号と同じように、加速度にもプラスとマイナスがある。
ある物体が東向きに運動している場合、加速度の向きは、東向きに取る場合もあれば、西向きに取る場合もある。
また、ある物体が落下している場合、加速度の向きは、下向きに取る場合もあれば、上向きに取る場合もある。
このように、加速度の向きの正負は、問題によって違うので、試験などでは、きちんと問題文を読むこと。
*発展: 円運動の加速度
[[File:円運動の加速度の方向.svg|thumb|400px|円運動の加速度の方向]]
円運動をする場合、加速度の向きは、速度の向きに対して、垂直である。
円運動や遠心力については、詳しくは物理IIの範囲である。
{{-}}
==== 平均の加速度と、瞬間の加速度 ====
[[File:瞬間の加速度.svg|thumb|400px|瞬間の加速度]]
加速度にも、速度と同様、'''平均の加速度'''と、'''瞬間の加速度'''がある。
普通、単に「加速度」と言った場合、瞬間の加速度を意味する。(検定教科書でも、そう記述している。)
====等加速度直線運動====
一直線上を進む加速度が一定の物体の運動を'''等加速度直線運動'''(とうかそくど ちょくせん うんどう、linear motion of uniform acceleration)という。
* 公式
一定の加速度 <math>a</math> で運動する物体について、考える。基準となる時刻 0 での速度を<math>v_0</math>(この時刻 0 での速度を'''初速度'''という)とする。時刻<math>t</math> には、速度は <math>at</math> だけ増加している。よって、次の公式が成り立つ。
:<math>
v = v_0 + at
</math>
となる。
上の公式が、等加速度直線運動での、基本的な式である。
*変位
[[File:透加速度直線運動 v-tグラフ.svg|thumb|300px|等加速度直線運動 v-tグラフ]]
[[File:等加速度直線運動 v-tグラフ 距離の導出.svg|thumb|300px|等加速度直線運動 v-tグラフ 距離の導出]]
また、<math>v-t</math> グラフを元にして、等加速度直線運動での 変位<math>x</math>が求められる。
計算の簡単化のため、時刻0での位置を原点<math>O</math>とする。また、簡単化のため、<math>x</math>軸の向きを初速度の向きに取る。
以下の公式が成り立つ。
この場合、変位の式を求めると、
:<math>
x = v_0 t + \frac{1}{2} a t^2
</math>
となる。
上の2つの公式から、<math>t</math>を消去すると、次の式が導かれる。(積分を使うともっと簡潔かつ本質的に導出できる)
:<math>
v^2 - v_0^2 = 2 a x
</math>
:<math>
x = v_0 t + \frac{1}{2} a t^2 = v_0 \frac{v-v_0}{a} + \frac{1}{2} a { \frac{v-v_0}{a} }^2
</math>
::<math>
= \frac{v-v_0}{2a} \{2 v_0+(v-v_0) \}
</math>
::<math>
= \frac{(v-v_0)(v+v_0)}{2a}= \frac{v^2 - v_0^2}{2a}
</math>
よって
<math>
v^2 - v_0^2 = 2 a x
</math>
*問題例
**問題
時刻<math>t _0</math>に速さ0で位置<math>x _0</math>にあった物体にx方向に<math>a</math>だけの
一定の加速度を与えた。このとき、
<math>x</math>方向に移動し始めた物体は、時刻<math>t(>t _0)</math>には、どの位置に移動することになるか。
**解答
等加速度運動の式
:<math>
x = \frac 1 2 a (t - t _0)^2 + v _0 (t-t _0) + x _0
</math>
に代入すれば良い。
このときには、<math> v _0=0</math>が与えられているので、
上の式に<math> v _0=0</math>を代入すれば良い。答えは、
:<math>
x = \frac 1 2 a (t - t _0)^2 + x _0
</math>
となる。
====等加速度運動====
加速度が一定の運動を'''等加速度運動'''(とうかそくどうんどう)という。
等加速度運動の例に、落下運動がある。
空中に放った物体は、重力(gravity)により、加速度を持ち落下する。
この落下の加速度を'''重力加速度'''gravitational acceleration)といい、その大きさを<math>g</math>で表す。
地球上ではおよそ <math>g \fallingdotseq 9.8 </math> m/s<sup>2</sup> となる。
これにより、斜めに放った物体は放物線の軌道を描く。
{{clear}}
==== 重力による加速度が負の運動 ====
空気中の落下では、空気抵抗のため、物体の形や重量によって、落下の加速度が変わる。たとえば鳥の羽や、あるいは紙1枚を落下させると、空気抵抗によって、落下にやや時間が掛かる。
物理学では、空気抵抗を考える場合もある。
だが、とりあえず空気抵抗を考えない場合を計算してみよう。空気抵抗を無視できる場合として、普通のボールを落とした場合を考えよう。
===== 鉛直上向きに投げ上げた場合 =====
[[File:鉛直投げ上げのグラフ.svg|thumb|300px|鉛直投げ上げのグラフ]]
重力加速度の大きさは 約9.8 m/s<sup>2</sup> であり、記号 <math>g</math> で表す。
この問題では、鉛直上向きをy軸の正の向きに取るのが普通なので、加速度は負の向きになり <math>-g</math> となる。
初速度を <math>v_0</math>とすれば、時刻<math>t</math>での速度は、
:<math>
v = v_0 - gt
</math>
である。
これより、先ほどの節の公式によって、重力による投げ上げの運動について、次の公式が成り立つ。
:<math>
x = v_0 t - \frac{1}{2} g t^2
</math>
変位yについて<math>y-t</math>グラフを書くと、図のように、放物線になる。
===== 斜面で打ち出した場合 =====
:(※ 図を追加してください。)
図のように、斜面で小球を上向きに打ち出した場合を考える。
加速度の大きさを <math>a</math>とする。これは <math>g</math> ではない。小球は斜面からの反作用を受けているので、加速度の大きさが、投げ上げの場合とは違う。
座標の向きは、斜面を登る向きを、正の向きに取ると、計算しやすい。(検定教科書でも、そうしている。)
この、斜面を登る向きを、<math>x</math>軸の正の向きとする。
最終的に小球は斜面を転がり落ちるので、加速度は負の向きであり、加速度は <math>-a</math> である。
===== 斜めに投げ上げる場合 =====
[[File:斜方投射の運動.svg|thumb|500px|斜方投射]]
小球を、水平線から角度θ をなす向きで、投げ上げたとする。
この場合、軌道は、図のように上に凸(とつ)の放物線になる。
この場合の問題での座標系の取り方は、普通、水平方向をx軸にとり、鉛直上向きをy軸に取る。
初速度を <math>v_0</math> とすると、
まず、初速度のx軸方向の成分 <math>v_{0x}</math> は、
:<math>v_{0x} = v_0 \cos \theta</math>
であり、
初速度のy軸方向の成分 <math>v_{0y}</math> は、
:<math>v_{0y} = v_0 \sin \theta</math>
である。
水平方向であるx軸は、重力加速度の影響を受けないため、t秒後の速度のx軸方向の成分の式 <math>v_x</math> は、
:<math>v_x = v_0 \cos \theta</math>
である。
t秒後の速度のy軸方向の成分の式 <math>v_y</math> は、加速度 <math>-g</math> の影響を受けるので、
:<math>v_y = v_0 \sin \theta - gt</math>
である。
これらの速度の式をもとに、時刻<math>t</math>での位置を求められる。
位置の<math>x</math>軸成分(記号を<math>x</math>で表す)は、
:<math>x = v_0 (\cos \theta) t</math>
同様に位置の<math>y</math>成分は、
:<math>y = v_0 (\sin \theta) t - \frac{1}{2} gt^2</math>
である。
88d6bi6k2zxbxi5qmwvh7t9w1g5owi8
高等学校物理/物理I/運動とエネルギー/運動の法則
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21095
206419
206401
2022-08-10T22:19:31Z
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694
/* 力とは */ 国際的に取り決めた単位系を{{Ruby|'''国際単位系'''|こくさい たんいけい}}と言い、[[W:フランス語|仏]]: ''Système International d'unités'' 略して{{Ruby|'''SI単位'''|エスアイたんい}}と言う。
wikitext
text/x-wiki
== 力の性質 ==
=== 力とは ===
力(ちから、英語:force)とは、物体を動かしたり、変形させたりする原因である。
力はベクトルで表わされる量であり、単位には ニュートン (記号 N )を用いる。
1ニュートンの大きさの定義とは、質量 1kg の物体に力を加えた時に、1m/s<sup>2</sup>の加速度を生じさせる力の大きさを1ニュートンと定めている。質量の大きい物体ほど、速度を変化させるのに、より大きな力が必要である。つまり質量とは、加速度の変化のしにくさを表す量である。
中学では、「1ニュートンは、約100gの重さ」と習うが、高校では、後述するように力を正確に考えるため、高校では、重さによる力の定義は、用いない。なぜなら、月と地球では重力の大きさが違うので、もし「重さ」によって力を定義してしまうと、場所によって力の大きさの基準が違うので、不合理である。高校では、質量と加速度にもとづいて、「力」を定義する。
*質量とは何か
では、質量(しつりょう、mass)とは何か? 中学で習ったように「質量」を考えてよい。
月と地球では、重力の大きさが違うので、「重さ」(weight)と「質量」(mass)とは、異なる概念である。
しかし、分銅で測れば、月でも地球でも、同じ質量を測れる。
[[File:National prototype kilogram K20 replica.jpg|thumb|キログラム原器。アメリカで保管されているキログラム原器の画像。フランスの国際キログラム原器と共通化している。(ウィキにフランスの原器の写真が無いので、これで代用。)]]
<del>質量の単位の 1kg を決める基準は、フランスの国際度量衡局で保管されている国際キログラム原器の質量である。<br>たとえば 「3kg」 とは、キログラム原器の 3倍 の質量という意味である。
</del>
<ins>2019年にキログラムの定義が改定され、『キログラム (記号は kg) は質量のSI単位であり、プランク定数 ''h'' を単位 J s (kg m<sup>2</sup> s<sup>−1</sup> に等しい)で表したときに、その数値を{{val|6.62607015|e=-34}} と定めることによって定義される。ここで、メートル及び秒は、それぞれ ''c'' 及び''Δν''<sub>Cs</sub>を用いて定義される。』となり、国際キログラム原器は役目を終えた。</ins>
このニュートンという単位は、既に知られている[s],[kg],[m]を用いてかくことが出来る
単位である。実際には
:[N] = [kg] <math>\cdot</math> [m/s<math>{}^2</math>]
が得られる。この関係は以降の節で扱う[[w:ニュートン方程式|運動方程式]](うんどうほうていしき、equation of motion)に従う。
質量 m [kg] の物体に掛かる重力の大きさ W [N]は、次のように表される。
:<math>W=mg</math>
この式において、 g は重力加速度であり、単位は[m/s<sup>2</sup>]。
;(参考 単位系の国際標準化)
昔は、製造業の機械工業などでは、力の単位に、ニュートンの他にも、{{Ruby|グラム重|グラムじゅう}}やキログラム重といった重力と質量に基づく[[W:重力単位系|重力単位系]]が使われていた時代があった。
しかし、現在では、力の単位は、ニュートンを原則的に使用することが、国際的に推奨されている。読者が高校生・大学生なら、学校の試験などではニュートンを力の単位に用いるべきである。
力の単位をニュートン単位に統一した理由は、昔は国や業界ごとに物理量で用いる単位が別々であり、不便であったので、その不便を解消しようと国際的な取り決めがなされたからである。その国際的な取り決めによって、力の単位にはニュートンを用いることが決まり、質量の単位にはグラムまたはキログラムを用いることが決まり、重さと質量とを区別することが決まったのである。
また、この国際的に取り決めた単位系を{{Ruby|'''国際単位系'''|こくさい たんいけい}}と言い、[[W:フランス語|仏]]: ''Système International d'unités'' 略して{{Ruby|'''SI単位'''|エスアイたんい}}と言う。
また、国際単位系では、長さの単位にはメートルやミリメートル、センチメートルといったメートル法を用い、時間の単位には秒を用いる。
高校入学から先の、高校や大学での理科の学習では、物理量の単位系には、原則としてSI単位が用いられる。物理学の科目だけでなく、生物や化学や地学などでも、単位系は、特別な理由が無いかぎりはSI単位系を用いるのが普通である。
=== 力の測り方 ===
==== フックの法則 ====
<gallery widths=400px heights=380px>
File:ばねの自然長 縦.svg|フックの法則。<br>力は伸びに比例する。
File:ばねの自然長 横.svg|フックの法則。
</gallery>
----
ばね を考えれば分かると思うが、一般に物体は形を変えるような力が働いたとき、形を戻そうとする力を働かせる。
このように元の形に戻ろうとする性質を'''弾性'''(だんせい、elasticity)という。また弾性による復元力を'''弾性力'''(elastic force)と呼ぶ。弾性力の向きは、加えた力とは反対向きである。ばね の場合、弾性力の向きは、伸びの向きとは反対向きである。
なお、ばね に力がかかってないときの元々の長さのことを、「自然の長さ」あるいは'''自然長'''(しぜんちょう)という
多くの固体の物体は、物体に加える外力が小さい場合には弾性を示す。
弾性力の大きさは、伸び(または 縮み)の長さに比例する。この比例係数(伸びと弾性力の比例係数)は、物質によって異なる。
弾性力の式は、伸びを x[m] とすると、弾性力 F[N] の大きさは、次の式で表せる。
:<math>
F = k x
</math>
これを'''フックの法則'''(Hooke's law)と呼ぶ。
[[File:フックの法則 直線の範囲.svg|thumb|400px|left|フックの法則]]
物体が ばね であれば、比例定数 k [N/m] を '''ばね定数''' という。
高校の段階では、物体が ばね でなくとも、弾性力をしめす物体について、この係数 k を「ばね定数」と読んでも構わないだろう。(いくつかの検定教科書でも、そのように記述している。)
なお、単位 N/m は ニュートン毎メートル (ニュートンまいメートル)と読む。
{{-}}
*参考: 塑性(そせい)
いっぽう、粘土(ねんど)のように容易に形を変えることが出来る物質も存在する。このような形を変えられる性質を「塑性」(そせい,plastic)という。普通科高校の教科では「塑性」を扱わないので、塑性については説明を省略する。
このように、弾性力の有無および弾性力の強さは、物質によって大きく変わる物質の性質である。
=== 力のつりあい ===
==== 力の合成 ====
[[File:Vector parallelogram.PNG|right|250px|thumb|ある物体に向きのちがう力F1(青矢印)と力F2(青矢印)を加えると、物体に加わる合力は、図のような(F1とF2を辺とする、)平行四辺形の対角線の向きになる。]]
ここで、ある物体に対して、2つの力
<math>\vec {F_1}</math>
および
<math>\vec {F_2}</math>
が働くときに、その力は互いに足し合わされ、物体には合計で
:<math>
\vec {F_1} + \vec{F_2}
</math>
だけの力が働くとする。
このように力はベクトルとしての加法則を満たすのである。
2つ以上の力を足しあわせて1つの力と見なすとき、その足し合わせた結果の力を'''合力'''(ごうりょく、resultant force)という。
また、合力を求めるために力を足しあわせることを「力の合成」(composition force)などという。
特に大きさが等しく向きが反対向きであるとき2力の合計はベクトルとして
0になり、物体に力が働いていない状態と等しくなる。このような状態を
力がつりあっているという。
*3つ以上の力の合成
:(※ 図を追加してください。)
<math>
\vec {F_1} + \vec{F_2} + \vec{F_3}
</math>
についての作図は、まず<math>
\vec {F_1} + \vec{F_2}
</math>を作図し、
そして
<math>
(\vec {F_1} + \vec{F_2}) + \vec{F_3}
</math>
を作図すれば良い。
どの順番から作図しても答えは同じで、
<math>
\vec {F_1} + (\vec{F_2} + \vec{F_3})
</math>
を作図しても、答えは同じである。
*問題
ある物体に、(I)x方向に<math>f</math>[N]、y方向に<math>f</math>[N]の力が
それぞれ独立に働いているとする。
このとき、この物体には合計でどれだけの力がどの方向に働いているか計算せよ。
また、(II)それぞれの力の向きがどちらもx軸方向、
(III)片方がx軸方向でもう片方が(-x)軸 方向、
(IV)もしくは片方がx軸方向で、もう片方がx軸から測って反時計回りに
60<math>{}^\circ</math>の方向のときにどのような力を受けているかを計算せよ。
**解答
(I)
ベクトルの加法を用いると得られる力は
:<math>
(f,0) + (0,f)
</math>
:<math>
= (f,f) = \sqrt 2 f (1,1)
</math>
となる。これは、方向がx軸から測って反時計回りに45<math>{}^\circ</math>だけ回転した方向に
等しい力で大きさは
:<math>
\sqrt 2 f
</math>
に等しい力である。
(II)
同様にベクトルの加法を用いると、
:<math>
(f,0)+(f,0)
</math>
:<math>
= (2f,0)
</math>
となる。これは向きはx軸方向で大きさは2fの力である。
(III)
ベクトルの加法を用いると、
:<math>
(f,0)+(-f,0)
</math>
:<math>
= (0,0)
</math>
となる。これは力が働いていない状態である。
(IV)
ベクトルの加法を用いると、
:<math>
(f,0)+f(\frac 1 2,\frac {\sqrt 3} 2)
</math>
:<math>
= f ( \frac 3 2, \frac {\sqrt 3} 2)
</math>
:<math>
= f \sqrt 3 ( \frac {\sqrt 3} 2, \frac 1 2)
</math>
となる。これはx軸から見て30<math>{}^\circ</math>方向の力で、力の大きさは
:<math>
\sqrt 3 f
</math>
に等しい。
==== 力の分解 ====
[[File:2力の分解.svg|thumb|400px|2力の分解]]
力の合成の作業とは逆に、1つの力を2つの力に分解できる。分け方は無数にあるが、1つ目の力を決めると、平行四辺形の法則により、もう一方の力は自動的に決まる。
{{-}}
==== 力のつりあい ====
ある物体に いくつかの力が 同時に はたらいていて、その合力が 0 のとき、「これらの力は'''つりあっている'''」とか「'''つりあい'''の状態である」などという。
===== 2力のつりあい =====
[[File:2力のつりあい.svg|thumb|500px|2力のつりあい]]
2力がつりあうためには、同一作用線上で、逆向きで、力の大きさが等しい、という3つの条件が必要である。
この3つの条件が成り立つ時、静止していた物体はそのまま静止し続け、運動していた物体はそのまま同じ速度で運動しつづける。
「逆向きで、力が等しい」という条件を式で書けば、
:<math> \vec {F _1} = - \vec{F _2} </math>
となる。
F<sub>2</sub>を移項すれば、
:<math> \vec {F _1} + \vec{F _2} = \vec{0}</math>
である。
※ 数学について<br />
<math> \vec{0} </math>
は 零ベクトル(ゼロベクトル) といい、大きさがゼロのベクトルのことであり、向きは無い。
===== 3力のつりあい =====
[[File:3力のつりあい.svg|thumb|400px|3力のつりあい]]
関係式
:<math> \vec {F_1} + \vec{F_2} + \vec{F_3} = \vec{0}</math>
が成り立つ。
x成分、y成分、それぞれ、次の関係式が成り立つ。
:<math> F_{1x} + F_{2x} + F_{3x} = 0</math>
:<math> F_{1y} + F_{2y} + F_{3y} = 0</math>
===== 作用・反作用の法則 =====
[[File:Spring of action-reaction-law.svg|thumb|300px|作用・反作用の例]]
人が ばね を引いているとき、同時に ばね も人を引いている。
このように、物体Aに物体Bが力を加えるとき、相手の物体Bからも物体Aに同じ大きさの力が及んでいる。
このように、物体はお互いに力を及ぼしあっている。また、その及ぼしあう2つの力の向きは、逆向きである。また、それぞれの力は、同じ作用線の上にある。
このようなお互いに及ぼしあう2つの力のうち、一方の力を'''作用'''(さよう、action)といい、もう一方の力を'''反作用'''(はんさよう、reaction)という。
たとえば物体Aから物体Bに及ぼす力を「作用」とすれば、物体Bから物体Aに及ぼす力は「反作用」になる。
:物体Aから物体Bに力Fを及ぼしているとき、同時に、物体Bからも、大きさの等しい力で、反対方向の力が、同一作用線上で、及んでいる。
これを '''作用反作用の法則''' (運動の第三法則)という。(高校生は、「作用反作用の法則が、第何番目だったか?」は覚えなくてよい。)
== 運動の法則 ==
=== 慣性の法則 ===
物体は外部から力が働かない限り、その速度を変えることはない。静止していた物体は、外部から力が働かない限り、静止し続ける。(自由落下運動に関しては、重力が働いているので、物体には外部から力が掛かっている。)静止している物体の速度は速度v=0だと考える
運動している物体は、外部から力が掛からない限り、その速度を保ち続ける。(摩擦による速さの低下に関しては、摩擦力が物体に生じているので、これは外部から力が働いてることになる。)
物体が静止していたにせよ、動いていたにせよ、どちらにせよ、物体は外部から力が働かない限り、その速度を変えることはない。
これを'''運動の第一法則'''という。
物体の運動の、このような性質を'''慣性'''(かんせい、inertia)と言うので、この法則は'''慣性の法則'''(law of inertia)という。
===運動方程式===
==== 理論 ====
:<math>
m \vec a = \vec F
</math>
を'''運動方程式'''(うんどう ほうていしき)といい、物体に加わる力と、その力のよって生じる加速度の関係は、運動方程式で表される。
なお、2つ以上の力が加わるときは、たとえば2つの力の場合は、
:<math>
m \vec a = \vec F_1 + \vec F_2
</math>
である。
本節の以降の文で、運動方程式を証明する。
一般に、静止している物体が動きだすには、力を受けることが必要なことが知られている。
[[File:台車模型を引く実験.svg|thumb|900px|center|台車模型を引く実験]]
{{-}}
実験をするには、たとえば図のように、台車を ばねばかり で、一定の力で引っ張れば良い。それを、自動記録紙で記録する。
<gallery widths=350px| heights=250px>
File:台車実験v-tグラフ.svg|台車実験の実験結果をv-tグラフ化したもの。(模式図)
File:台車実験a-mグラフ.svg|台車実験の実験結果をa-mグラフ化したもの。(模式図)
</gallery>
{{-}}
実験の結果によると、全ての物体は
ある一定の力<math>F</math>[N]を受けたとき、加速度<math>a</math>[m/s<sup>2</sup>]の大きさは、物体の受けた力に比例し、また、物体の持っている質量<math>m</math>[kg]に反比例をする。
この法則を式で表せば、比例係数をk<sub>1</sub>として、
:<math>\vec a=k_1 \frac{\vec F}{m}</math>
これを'''運動の第二法則'''である。
この第二法則を力を基準に書き換えれば、比例係数をk<sub>2</sub>として、
:<math>\vec F=k_2 m \vec a</math>
と表わせる。
ここで、比例係数k<sub>2</sub>の大きさが1になるように、力の定めた単位が力の単位の N('''ニュートン''')である。ニュートン単位の記号は N である。
1N (1ニュートン) の力の大きさの定義とは、質量1kgの物体に力を加えた時に、1m/s<sup>2</sup>の加速度を生じさせる力の大きさを 1N と定めている。
Nと、m(メートル)、kg(キログラム)、s(秒)との関係は、
:N = kg ・m/s<sup>2</sup>
である。
ニュートン単位を用いた力と質量と加速度との関係の方程式
:<math>
m \vec a = \vec F
</math>
を'''運動方程式'''(うんどうほうていしき、equation of motion)と言う。
複数の力が加わっている場合は、たとえば2つの力の加わる場合は、単に力を合成すればいいだけなので
:<math>
m \vec a = \vec F_1 + \vec F_2
</math>
となる。
* 例1
例えば、ある一定の力fを一様に受けている
質量mの物体は、運動方程式に従うと、
加速度
:<math>
\vec a = \frac {\vec f} {m}
</math>
の等加速度直線運動をする。
* 例2。 重力
ある質量 m 物質が、重力 mg を受けて自由落下する場合、その物質の運動方程式を表そう。
空気抵抗を無視すれば
:ma = mg
である。
よって、両辺からmを割れば、
:a=g
であり、質量によらず、つねに自由落下する物体は、重力加速度 g で等加速度運動することが分かる。
空気抵抗がある場合は、おもに物理 II の範囲なので、説明を省略する。空気抵抗の場合の計算も簡単なので高校2年程度でも可能だが、物理Iでは他にも単元があり、他に勉強しないといけないことが多くあるので、空気抵抗のある場合を、物理 II に回そう。
==== おもりの引き上げ ====
[[File:おもりの引き上げ.svg|thumb|300px|おもりの引き上げをする際の、力と加速度の仕組み。]]
右の図のように質量mの おもり を加速度aで引き上げる場合、運動方程式は
:ma=T-mg
となる。ただし、それぞれの代数の向きは右図のように取った。
:(※ 未記述)
{{clear}}
==== 例題: 定滑車をふくむ運動 ====
[[File:糸でつながれた2物体.svg|thumb|400px|糸でつながれた2物体]]
水平で滑らかな机の上に、質量 M[kg] の台車がある。その台車に ひも がつながれ、滑車を介して、ひも の先に質量 m[kg] の おもり が釣り下げられている。
この場合の、加速度の式を求めよ。なお、重力加速度を g とする。
また、ひも が台車を引く力の大きさを求めよ。
なお、たるんでいない、軽い ひも による力の性質として、ひも による力は、ひも の 両端で、同じであるという性質がある。
なので、台車を引っ張るひもの力の大きさが T ならば、おもりを引き上げる ひも の力の大きさも同じく T になる。
また、このTのような、ひも が何かを引っ張る力のことを'''張力'''(ちょうりょく)という。
'''解法'''<br />
[[File:糸でつながれた2物体 解法.svg|thumb|400px|糸でつながれた2物体 解法]]
運動方程式は、台車の式 と おもりの式 を、それぞれ別に、式を立てる。
まず、台車については、加速度の向きは、物体の動く右向きを正とする。
球については、鉛直下向きを正とする。
ひも が台車を引く力大きさを T とする。
台車の水平方向の運動方程式は
:<math> Ma=T </math>
台車の鉛直方向の力の影響については、机からの垂直抗力で打ち消されるため、無視できる。また、滑らかな机を考えているので、摩擦の影響も無視できる。
おもりの鉛直方向の運動方程式は
:<math> ma=mg-T </math>
では、加速度 a を先に求めるとする。そのためには、式を連立して、張力 Tを消去すればよいので、おもりの式の T に Ma を代入すれば、
:<math> ma=mg-Ma </math>
となる。
移項して加速度aについて、まとめて、
:<math> ma+Ma=(m+M)a=mg </math>
よって、
:<math> a= \frac{mg}{m+M} </math> (答え)
また、ひも が引く力の大きさ T (張力)は、先ほど求めた加速度の結果の式を、台車の式 <math> Ma=T </math> に代入すればよく、
代入すると、
:<math> T = M\frac{mg}{m+M} </math>
となる。
よって、
:<math> T = \frac{mMg}{m+M} </math> (答え)
である。
{{clear}}
==== 例題: アトウッドの器械 ====
[[File:アトウッドの器械.svg|thumb|300px|アトウッドの器械]]
右図のように、ひもの両端に、質量mと質量M( 仮定: 不等式 m<M が成り立つとする)のおもりを、滑車を介して、図のように釣り下げたとする。そして、手で、 おもり の両方を支えながら、静止させとするとする。
反動をつけず、ゆっくりと手を離したとする。
このときの加速度 a と、張力 T を求めよ。
*解法
右図での、左側のおもりの運動方程式は
:ma=Tーmg
である。
右図での、右側のおもりの運動方程式は、
:Ma=MgーT
である。
加速度aおよび張力Tを求めるには、この運動方程式の2式を連立して解けばよい。
*答え
:<math> a = \frac{M-m}{M+m} g</math>
:<math> T = \frac{2Mm}{M+m} g</math>
{{clear}}
== さまざまな力 ==
=== 摩擦力 ===
[[File:静止摩擦の初等力学.svg|thumb|400px|静止摩擦力と抗力<br />図の場合、押す力 f と静止摩擦力 F とは、つり合っている。また、重力 W と 垂直抗力 N とは、つり合っている。]]
摩擦力(まさつりょく、friction force)も、力の一種でありベクトルで表わされる。一般に、摩擦力には静止摩擦力と動摩擦力の2通りがあることが知られている。
==== 静止摩擦力 ====
===== 静止摩擦力 =====
静止している物体を動かし始めるのに必要な力を'''静止摩擦力'''(せいしまさつりょく、static friction force)という。
水平な机の上に置いた物を、水平方向に動かそうとして水平方向に引いてみても、加える力が小さいうちは、動かない。
同様に、机の上に置いた物を水平方向に押してみても、やはり加える力が小さい内は、動かない。
これは、摩擦力(まさつりょく)が、机の面と平行な方向の動きをさまたげようとして、加えた力とは反対向きに、摩擦力が働いていて、つり合っているからである。
物体を引いて動かそうとして力を加えているときは、引く向きとは逆向きに、摩擦力が働く。
同様に、物体を押して動かそうとしているときは、押す向きとは逆向きに、摩擦力が働く。
このように静止している物体に対して働く力を'''静止摩擦力'''(static friction force)という。
静止している物体を動かすには、摩擦のため、力が余計に必要になる。
加える力が大きくしていくと、そのうち、加えた力の大きさが、摩擦力をこえて、動き始める。つまり、ある物体の静止摩擦力には、大きさに上限がある。
物体が動き出す直前の摩擦力を'''最大摩擦力'''(さいだい まさつりょく、maximum functional force)という。静止摩擦力を F として、最大摩擦力を F<sub>0</sub> とすれば、これらの関係を式で表わすと、
:<math>F \leqq \mu _0 N</math>
となる。
最大摩擦力 F<sub>0</sub> の大きさは、物体と面とが、互いに垂直に押しあう力、つまり垂直抗力(すいちょく こうりょく) の大きさに比例する。垂直抗力の記号は N で書くのが普通である。
最大摩擦 F<sub>0</sub> と垂直抗力 N の関係を式で書くと、
:<math>F_0 = \mu _0 N</math>
となる。
<math>\mu</math>は比例係数であり、定数であり、'''静止摩擦係数'''(せいしまさつけいすう、coefficient of static friction)と言う。
静止摩擦係数は物質ごとに決まる定数であり、実験によると、物質と面のそれぞれの材質によって決まり、接触面積にはあまり関係しない。
摩擦係数は、例えばゴムでは非常に大きい。靴の滑り止めなどにゴム製の素材が使われる理由の一つは、このような理由である。また、スケートリンクの氷の上で物体を滑らせると、滑らせた物体が静止すること無くいつまでも滑り続けている様子が観察される。これは、氷は摩擦係数が小さいからである。
物体が載っている床に物体が沈まないためには、床が物体を押し返す必要があるので、このような床からの反発力を考える必要がある。
このような床から物体に掛かる力は、床からの'''抗力'''(こうりょく、reaction)と呼ばれる。床の面の接線方向に対して、抗力の方向が垂直なので、'''垂直抗力'''(すいちょく こうりょく)とよばれる。
===== 摩擦角 =====
[[File:摩擦角の模式図.svg|thumb|400px|摩擦角]]
ある板に物体を乗せ、この板ごと傾けると、ある傾きをこえた段階で、物体が滑り始める。このときの角度を'''摩擦角'''(まさつかく、friction angle)という。この摩擦角の大きさ
<math>\theta</math>
は、物体の重力 mg の、板と平行方向の分力 <math>mg \sin \theta </math> が、最大摩擦力 μN (=μmg cos''θ'' )を越えたときの角度である。
なお、物体の質量を m とした。また、静止摩擦係数を <math>\mu</math> とした。
なぜ、摩擦角の大きさがこうなるかというと、まず、物体は重力を受けて、鉛直下方向に mg の力を受ける。
このうち、この力は斜面方向に
:<math>mg\sin \theta</math>
であり、面に対して垂直な方向に
:<math>mg \cos \theta</math>
の大きさを持っている。このとき静止摩擦力の最大値は
:<math>F = \mu N = \mu mg \cos \theta</math>
となるので、斜面方向に働く重力 <math>mg\sin \theta</math> が、摩擦力 <math>= \mu mg \cos \theta</math> よりも大きいとき、この物体は動きだすことになる。
よって、このような <math>\theta</math> の条件は、
:<math>\sin \theta \ge \mu \cos \theta</math>
よって
:<math>\tan \theta \ge \mu</math>
となる。
なお、「tan」とは三角関数のタンジェントであり、<math>\tan \theta = \frac{\sin \theta}{\cos \theta}</math> で定義される。
このように、摩擦角の大きさは質量によらない。
==== 動摩擦力 ====
[[File:動摩擦の模式図.svg|thumb|400px|動摩擦]]
あらい面の上を滑っている物体にも、摩擦力が掛かるので、外部から力を加えないでいると、やがて止まってしまう。このように、すべっている物体にかかる摩擦力を '''動摩擦力'''(どうまさつりょく、kinetic friction force) と呼ぶ。
動摩擦力の大きさ <math>F '</math> は、垂直抗力(N)に比例する。
:<math>F_0 = \mu ' N</math>
この係数 <math>\mu '</math> を '''動摩擦係数'''(coefficient of kinetic friction) という。
<math>\mu '</math>は、おもに材質によって決まり、物体の滑る速度には、ほとんど依存しない。また、<math>\mu '</math>は、物体の接触面積には、ほとんど依存しない。
一般に、動摩擦係数の大きさは、静止摩擦係数よりも小さい。すなわち、
:<math>\mu ' < \mu _0 </math>
である。
[[File:引っ張る動摩擦.svg|thumb|left|400px|引く力の大きさによらず、動摩擦の大きさは一定である。]]
{{-}}
[[File:引く力と動摩擦.svg|thumb|right|400px|物体を引く力と、摩擦力との関係]]
あらい水平面上で、物体に糸をつけて、水平方向に引くする。引く力を大きくしていくと、引く力の大きさと、摩擦力の大きさの関係は、右の図のようになる。
{{-}}
*参考: 転がり摩擦 (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい)
先ほどの節で学んだ、面上を滑る場合の摩擦力は、滑り摩擦(すべり まさつ)という種類の摩擦である。
一方、小球が転がったり、円筒が転がったりする場合の摩擦を、転がり摩擦(ころがり まさつ)という。(転がり摩擦も、検定教科書の範囲)
<gallery widths=150px heights=150px>
File:Ball bearing.jpg|ベアリング。玉軸受(たまじくうけ)。
ファイル:Angular-contact-ball-bearing single-row din628 type-b 120.png|玉軸受の断面
ファイル:Cylindrical-roller-bearing din5412-t1 type-n ex.png|ベアリング。ころ軸受(ころじくうけ)。
</gallery>
転がり摩擦力は、滑り摩擦力よりも、小さい。車輪やベアリング(軸受け)は、この転がり摩擦の原理を利用したものである。「軸受け」は「じくうけ」と読む。
高校の理科や、大学入試の理科では、転がり摩擦については、あまり扱わないので、普通科高校の読者はあまり転がり摩擦に深入りしないこと。
機械部品に使われているベアリングの場合、物体間に潤滑油(じゅんかつゆ)や、粘性(ねんせい)の高い油性のグリスを加えてあり、滑りやすくしているのが普通である。(※ 普通科高校の理科では範囲外だろう。普通科の生徒は、この文を気にしなくて良いだろう。)
{{-}}
*参考: ハイドロ プレーニング (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい)
[[File:hydroplaning.svg|thumb|250px|left|ハイドロプレーニングが発生している状態の概念図]]
[[Image:Tire tread.jpg|thumb|right|250px|タイヤの溝]]
物体間に水や油などの液体があると、滑りやすくなる。雨の日の濡れた路面では、滑りやすくなる。人間も、雨の日の道路で滑りやすくなるが、自動車や自転車なども滑りやすくなる。
また、滑るため、ブレーキが効かなくなり、この現象をハイドロ プレーニング()といい、とても危険である。
タイヤに溝があるのは、水を排出しやすくして、滑りにくくするためである。だが、それでも晴れの日の乾いた地面と比べれば、雨の日は滑りやすい。また、高速で走行すると排出が追い付かず、ハイドロプレーニングが起きやすくなる。なので、雨の日は、ゆっくり目に、車間距離を多めにして、安全に運転する必要がある。
{{-}}
* その他、自動車関連の摩擦の話題 (※ 計算問題にしづらいため、入試では出題されにくい)
市販の資料集を読むと、この他にも、自動車のブレーキと摩擦の関係、レーシングカーと垂直抗力の関係、自動車のABSの仕組みなど、いろいろな話題が書いてあったりする。(たとえば数研出版の資料集など) だが、始めて摩擦を習う諸君の場合、当面は、そこまで深入りしなくても良いだろう。実際に検定教科書や、多くの参考書でも、そこまでは説明されていないのが普通である。物理学的には、応用として興味深い話題だが、いかんせん読者の高校生には物理に使える学習時間が限られている。他の教科も勉強しなければならない。
=== 液体や気体に関する力 ===
==== 圧力 ====
[[File:Pressure schematic.svg|thumb|300px|圧力の説明図。スポンジの上にある おもり 。 <br />同じ重さの おもり でも、スポンジと接する部分の面積によって、めりこむ深さが違う。狭い面積で接するほど、その面積に重さの力が集中し、スポンジに深く、めりこむ。]]
'''圧力'''(あつりょく、pressure)とは、単位面積あたりに(たとえば 1m<sup>2</sup> あたりに)垂直に押す力の大きさである。体の一部分を指で押した場合と、とがった針のようなもので押した場合とでは、同じ力で押したとしても結果に違いが出る。前者では皮膚がへこむ程度で済むが、後者では皮膚が破れてしまうこともある。これは、後者の方が皮膚に働く圧力が強いことによる。
圧力は単位面積当たりに働く力のことであり、働く面積が小さいときには単位面積当たりに働く力は強くなる。そのため、鋭くとがった針に力をかけたときには、皮膚に対して強い圧力がかかったのである。
圧力の単位はN/m<sup>2</sup>(ニュートン毎平方メートル)である。これは、力の単位を(たとえば N ニュートン)、面積の単位で(たとえば m<sup>2</sup> で)割ったもので与えられる。このはN/m<sup>2</sup>の単位は、'''Pa'''('''パスカル''')と略される。「Pa」の 頭文字 P は、大文字で書くのが普通である。
[[File:山頂と海面の気圧.svg|thumb|500px|山頂と海面の気圧]]
大気中にある物質は、大気から圧力を受けている。この大気による圧力を'''大気圧'''(たいきあつ、atmospheric pressure)という。
大気にかぎらず、気体は、接する物質に圧力をおよぼす。気体による圧力を'''気圧'''(きあつ)という。
水中にある物質は、まわりの水から圧力を受けており、この水による圧力を'''水圧'''(すいあつ、fluid pressure)という。
この大気圧や水圧のように、液体や気体の中にある物質は、まわりにある液体または気体からの圧力を受ける。
液体や気体は、流れることができるので、液体と気体をまとめて'''流体'''(りゅうたい、fluid)ということもある。
*備考
大気圧について、1.013×10<sup>5</sup>Pa を、 1atmという。atmは「アトム」と読む。
また、ヘクトパスカル(hPa)を用いれば、 1.013×10<sup>5</sup>Pa = 1013hPa である。
hは10<sup>2</sup>を表す接頭辞(せっとうじ)である。
我々の住む地表は大気の海の海底にあると解釈することが出来て、我々自身も大気自身から強い圧力を受けている。このような圧力に耐えるため、我々の体は内側から大気圧とちょうど同じ程度の圧力になるように、大気圧を押し返している。このことによって大気圧に耐えることが出来ているのである。
このことはしかし、急激に回りの大気の圧力が下がったときに身体に変調をきたすことに通じてもいる。例としては、人間は生身で宇宙空間に出ることが出来ないことがあげられる。宇宙空間には酸素が無いことからヘルメットのようなものをつけて酸素を供給することが必要な事は確かである。しかし、宇宙空間のように極端に圧力が低いところでは、人間は、体に異常を感じると考えられる。そのため、全身を宇宙服でくまなく覆い身体の回りの圧力を地上での圧力と同じ程度に保つことが求められるのである。
==== 水圧と浮力 ====
===== 水圧 =====
[[File:Pressure distribution on an immersed cube.png|thumb|400px|水圧の説明図。水深が深くなるほど、比例して水圧が強くなる。水圧の方向は、物体の面に垂直方向に働く。]]
物体を水に沈めると、物体は水によって全体に圧力を受ける。このように水の中にある物体にかかる圧力を、'''水圧'''(fluid pressure)と呼ぶ。水圧は水の深さだけによって決まる性質があり、方向によらない。したがって、同じ深さでは、水圧の大きさは、どの方向でも同じである。また、水圧の大きさは、水の深さに比例する。
そして、水圧の力の大きさの値は、その上にある流体の重さによって決まる。その圧力の値は、流体の重さの作る力を、圧のかかる面積で割った値である。
水圧 p[Pa]の式は、つぎの式になる。
:<math>p = \rho g h</math>
なお、水圧を与える液体の密度を <math>\rho</math>[kg/m<sup>3</sup>] として、液体が存在する地点での重力加速度を <math>g</math> とした。
なぜこうなるかというと、深さ h[m] での力をF[N]とすると、
:<math>p=\frac{F}{S} = \frac{ \rho g h S}{S} = \rho g h</math>
(圧力の値は、流体の重さの作る力を、圧のかかる面積で割った値である。)
大気圧を考慮すると、大気圧をP0[Pa]とすれば、水圧p[Pa]は
:<math>p = \rho g h + p_0</math>
である。
*例
深海探査を行う船は、外壁に使う金属間の継ぎ目に大きな圧力がかかるため、その圧力に堪えられるだけの強度を持った細工をしないと、継ぎ目が砕けて船全体が水に浸かってしまう。
*例
空気圧も空気の深さだけによっている。そのため、高い山に登ることによって空気圧が低くなった情况を見ることが出来る。空気圧が低くなったことの代表的な現象として、袋詰めになっている食糧などがふくらんでしまうことがあげられる。これは、回りの空気圧が下がったのに対して、袋詰めになっているものの中の圧力は変化することが出来ないので、相対的に袋の中の圧力が外の圧力より高くなったことによる。また、高山では湯を沸かしたとき沸騰の温度が 100 <math>{}^\circ C</math> よりも低くなる現象も、空気圧が低くなっていることによる現象である。これは、物質の沸点がまわりの物質の圧力に依存していることによる。
===== 浮力 =====
[[File:浮力の式の求め方.svg|thumb|400px|浮力の式の求め方]]
水に軽い物体を沈めると、その物体はどこからか力を受けて水から浮き上がって来る。この力を'''浮力'''(ふりょく)と言う。
浮力は、物体の鉛直方向の上下面が液体から受ける、上向きの力と、下向きの力との差によって生じている。
水に浮かぶ物体が静止するときは、物体の重さと、浮力とが、釣り合っているときである。
[[Image:Principio di Archimede galleggiamento.png|thumb|水に浮かぶ物体は、物体の重さと浮力とが釣り合うときに、物体は静止する。<br>また、浮力の大きさは、水面から下で物体が排除した重さによる力の大きさに等しい。]]
液体中で静止している物体について、浮力の大きさの値は、水面から下にある物体体積が排除した重さによる力の大きさに等しい。これを'''アルキメデスの原理'''という。
よって、体積 V[m<sup>3</sup>] の物体にかかる、浮力 F[N] の大きさは
:<math>F = \rho V g </math>
である。
*証明
右図のような円柱状の物体が水中にあるとしよう。
そもそも、浮力の力は、物体の上下面の受ける、水圧による力(ちから)の差によるものである。
まず、水圧を求める必要があるので、上面および下面での水圧をそれぞれ求める。
大気圧を p0[Pa] とすれば、上面に掛かる水圧 p1[Pa]は、
:<math>p_1 = \rho g h_1 + p_0</math>
下面に掛かる水圧 p2[Pa]は
:<math>p_2 = \rho g h_2 = \rho g (h_1 + h) + p_0</math>
である。
水圧により、上面に掛かる力 F1[N] は、
:<math>F_1 = p_1 S = \rho g h_1 S + p_0 S</math>
である。
水圧により、下面に掛かる水圧 F2[N] は
:<math>F_2 = p_2 S = \rho g h_2 S = \rho g (h_1 + h) S + p_0 S</math>
である。
F1 と F2 は逆向きであり、F2 のほうが深い場所(h2 = h + h1 ) にあるので F1 よりも大きい。つまり、F1 > F2 である。
なので、差し引き、<math>F_2 - F_1</math> が、浮力として働く。
浮力を計算すると、
:<math>F_1 - F_2 = \{ \rho g h_1 S + p_0 S \} - \{ \rho g (h_1 + h) S + p_0 S \} = \rho g h S </math>
である。
よって、これまでの結果をまとめると、浮力 <math>F_2 - F_1</math> は
:<math>F_1 - F_2 = \rho g S h </math>
さて、体積 V は、
:<math>V=Sh </math>
である。これを浮力の式に代入して、
:<math>F_1 - F_2 = \rho g S h = \rho g V </math>
よって、物体にかかる浮力は、物体の体積に比例する。また、浮力が、液体の密度にも比例する。
これらの比例関係を合わせると、物体が受ける浮力は、物体が押しのけた液体の質量に比例することになる。
このとき、立方体に水圧によってかかる力は、物体の上の面より下の面の方がより深い位置にあることから、物体には上向きの力が働くことが予想される。このため、物体には上向きの力が働きこの力がちょうど浮力に対応するものになるのである。また、今のことから浮力は、物体の高さに比例する。また、圧力に圧力を受ける面の面積をかけたものが力によって生じる力になるので、浮力自身は物体が圧力を受ける面の面積にも比例する。さらに、より正確には物体にかかる浮力は物体が沈められている液体の密度にも比例することが知られている。そのため、これらを合わせると、物体が受ける浮力は物体が押しのけた液体の質量に比例することが分かるのである。
==== パスカルの原理 ====
[[File:Hydraulic Force svk.png|thumb|200px|ピストンの面積を変えると増力するのにつかうことができる。]]
:(※ 未記述)
{{-}}
fx53294wetzger1vpdnuym6jzk8rr89
高等学校化学I/発展項目
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21824
206414
206402
2022-08-10T21:52:28Z
Ef3
694
/* 参考: ナノメートルの測定の歴史 */ 註:2019年、単位諮問委員会 (CCU)はアボガドロ定数 '''''N'''''<sub>'''A'''</sub> の定義値を {{val|6.02214076|e=23}} 毎モル(mol<sup>−1</sup>) とし、これによりアボガドロ数に不正確さはなくなりました。
wikitext
text/x-wiki
== 参考: ナノメートルの測定の歴史 ==
:(※ 高校範囲外)
そもそも、ナノメートルなどの長さの測定方法は、どういうものだろうか。この節では、その歴史を話す。物理Iの回折格子(かいせつ こうし)などの知識が必要である。
ドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが、回折格子(かいせつ こうし)を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて、光の波長の測定をし始めたのが、研究の始まりである。1821年にフラウンホーファーは、1cmあたり格子を130本も並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年にはアメリカのラザフォードがスペキュラムという合金を用いた反射型の回折格子を製作し(このスペキュラム合金は光の反射性が高い)、これによって1mmあたり700本もの格子のある回折格子を製作した。
より高精度な波長測定が、のちの時代の物理学者マイケルソンによって、干渉計(かんしょうけい)というものを用いて(相対性理論の入門書によく出てくる装置である。高校生は、まだ相対性理論を習ってないので、気にしなくてよい。)、干渉計の反射鏡を精密ネジで細かく動かすことにより、高精度な波長測定器をつくり、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定し、結果の波長は643.84696nmだった。マイケルソンの測定方法は、赤色スペクトル光の波長を、当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソンの実験の当時は長さのおおもとの標準だったが、1960年に
クリプトン86原子のスペクトル線の波長を用いた定義に変更され、1983年に真空中の光の速さを用いた現在の定義に変更されました(2019年にも変更されましたが、実質的な定義は同じで基礎となる物理定数の位置づけに変化がありました)。
;メートルの定義
:真空中の光の速さ ''c'' を単位 [[W:メートル|m]] [[W:秒|s]]<sup>−1</sup> で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 ''∆ν''<sub>Cs</sub> によって定義される
近年の精密なアボガドロ定数の測定のさい、シリコン球の密度を測る必要があるが、そのさい、シリコン球の大きさの長さ(単位:メートル)を測る必要があり、そのシリコン球の大きさの測定精度をナノメートル精度で測る必要がある。そのさい、このような原理を応用したレーザー干渉計(レーザーかんしょうけい)が用いられている。
註:2019年、単位諮問委員会 (CCU)はアボガドロ定数 '''''N'''''<sub>'''A'''</sub> の定義値を {{val|6.02214076|e=23}} 毎モル(mol<sup>−1</sup>) とし、これによりアボガドロ数に不正確さはなくなりました。
== 電子雲 ==
[[File:Electron orbitals.svg|thumb|right|360px|電子の、さまざまな軌道のパターン]]
:(※ 電子雲そのものについては、検定教科書でも発展項目として扱われ、高校の範囲内。)
電子雲の形も、方向に、さまざまなパターンがある。市販の参考書や資料集などを見ても、s軌道とかp軌道とか、なんだか色々と掛かれている。物理っぽく言うと、これは、じつは、3次元の「振動」(しんどう)のパターンなのだ。
高校の物理で習う弦の振動は、1次元の波である。高校の原子物理で習う物質波の波も、円周として扱うので、1次元として扱える。
2次元の振動とは、太鼓の膜の振動のようなパターンである。膜は2次元なので、振動波形は360°ぶん1回転すると、波形が元に戻るという周期的な条件を持っている。
:(※ ウィキペディアに「膜振動」の画像が無いので、外部のサイトで画像を探して見てきてください。)
2次元の振動には、このような周期的な条件があるため、さまざまなパターンの波形がある。
電子雲の振動パターンに限らず、実は、肉眼で見られる太鼓の膜のような2次元の振動でも、さまざまな振動パターンがある。
[[File:Drum vibration mode12.gif|right|thumb|248px|周囲を固定した膜の振動の例。2次元の振動の例である。]]
高校の物理では、水面の波で、二次元の波をあつかうことは、あるかもしれない。
しかし高校物理で、二次元の「振動」(「波動」ではなく)をあつかうことは、まず無いはずだ。
そして、3次元の振動の具体例が、原子の周囲での電子の軌道なのだ。そして、その電子の振動のありかたを示す方程式が、理系の大学などで習うシュレーディンガーの方程式である。
1次元の弦では、固定端の弦では、端部は固定され、弦は束縛されていた。2次元の膜でも、太鼓の膜のように、膜の端は固定されて、膜は束縛されている。3次元の電子雲では、原子核の陽子による静電気力などの束縛が、固定端の代わりをして、電子雲を束縛する。
電気には、電気エネルギーというエネルギーがあった。ところで、電気は、電子雲というように、振動でもある。
そもそも弦の振動にも、当然ながらエネルギーは存在する。エネルギーとは、他のものを動かせる能力のことである。ギターの弦をかなでると音がするのも、弦の振動にはエネルギーがあって、その弦の振動が空気をふるわせるからである。
弦だって、運動している。ギターの弦などで、音をかなでれば、振動して動いている弦が目に見える。
振動だって、運動の一種である。しかし、弦の振動のもつ運動エネルギーの計算は、高校物理では扱わない。
高校生は、まだ2次元以上の「振動」を扱えるための数学を習ってない。大学で、そのような数学を習うことになる。そのような2次元以上の振動を扱える数学とは、偏微分・重積分や、直交座標から円柱座標・球座標への座標系への変換と、座標系を変換したときの物理学の微分方程式の変換、ついでに、そのように微分方程式を座標変換して導かれるベッセル関数やルシャンドル関数などといった数学である。
[[File:Japanese_top.jpg|260px|thumb|日本の独楽]]
そして高校生は、物理の学力も、これからも鍛えつづける必要がある。高校の物理では、コマの回転運動は、あつかえない。コマとは、民芸品の、あのコマである。
コマを回すと、手をはなしても、しばらく回りつづける。手元にコマがなければ、コインを回すなどして、代用しても良いだろう。
さて、このコマの回転のような実験事実があり、コマのように広く知られた民芸品になっていても、高校物理では、回転運動の保存法則は、あつかえない。
ちなみに、このような、回転運動の保存法則を、「角運動量保存の法則」(かくうんどうりょう ほぞん の ほうそく)という。当然、角運動量(かくうんどうりょう)という物理量も、存在している。
電子雲などのように、3次元の振動・波動では、角運動量の計算をおこなう必要がある。
そもそも、高校で習う波にも、たとえば水面波のような波にも、じつは運動量はある。くわしめの、大学受験用の物理参考書などを何冊か読み込めば、ふつうの波の運動量の計算についても書いてあるかもしれない。
このように、ふつうの波や振動にも、エネルギーや運動量があるのだから、当然、電子雲にも、エネルギーや運動量がある。
化学の仕事をめざす高校生は、高校物理も身につけるの必要がある。このように化学は、物理学とも密接に関わっている。化学であつかう物理は、けっして電気や原子や熱の分野だけではない。力学も、大学の化学では使うのだ。だから、けっして「力学は化学とは無関係」などとは勘違いしないようにいよう。
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高校英語の文法
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206329
2022-08-11T01:08:58Z
すじにくシチュー
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/* 不定詞 */ I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」
wikitext
text/x-wiki
<!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 -->
== 目次 ==
* [[高校英語の文法/文の種類]]
* [[高校英語の文法/動詞と文型]]
* [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定
* [[高校英語の文法/完了形]]
* [[高校英語の文法/助動詞]]
*
* [[高校英語の文法/比較]]
* [[高校英語の文法/関係詞]]
* [[高校英語の文法/仮定法]]
* [[高校英語の文法/名詞]]
* [[高校英語の文法/冠詞]]
*
* [[高校英語の文法/否定]]
* [[高校英語の文法/接続詞]]
* [[高校英語の文法/前置詞]]
== 文の構造 ==
=== 文の要素 ===
文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。
==== 主語と述語動詞 ====
# '''The old man''' ''is'' a famous singer.
# '''My sister''' ''studied'' math.
## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。
## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。
1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも
# 「…は」「…が」という主題の部分
# 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分
の二つが共通している。
この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。
そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|-
! || - || 主語 || 述語動詞 || -
|-
| -
| colspan="2" | 主部
| colspan="2" | 述部
|-
| 1.
| The old
| man
| is
| a famous singer.
|-
| 2.
| My
| sister
| studied
| math.
|}
主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。
==== 目的語 ====
# He ''has'' '''a personal computer'''.
# We ''played'' '''soccer'''.
# Everone ''likes'' '''Sushi'''.
## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。
## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。
## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。
いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|-
! || 主語 || 動詞 || 目的語
|-
| -
| colspan="1" | 主部
| colspan="2" | 述部
|-
| 1.
| He
| has
| a personal computer.
|-
| 2.
| We
| played
| soccer.
|-
| 3.
| Everone
| likes
| Sushi.
|}
このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。
==== 補語 ====
# Mary ''is'' '''happy'''.
# John ''became'' '''a doctor'''.
## 訳例:メアリーは幸せだ。
## 訳例:ジョンは医者になった。
これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|-
! || 主語 || 動詞 || 補語
|-
| -
| colspan="1" | 主部
| colspan="2" | 述部
|-
| 1.
| Mary
| is
| happy.
|-
| 2.
| John
| became
| a doctor.
|}
このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。
== 動詞の用法 ==
=== 助動詞 ===
=== 態 ===
==== 助動詞と組み合わさった受動態 ====
He could be seen by her.
受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。
この時には、例えば
He is seen by her.
という文が
He could be seen by her.
の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が
beで与えられることによる。同じ様に例えば、
might be
may be
must be
will be
なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では
He was seen by her.
He has been seen by her.
などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。
=== 不定詞 ===
I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」
I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」
would like のほか、want , desire などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。
==== 名詞的用法 ====
==== 形容詞的用法 ====
==== 副詞的用法 ====
==== 慣用的表現 ====
==== 原型不定詞 ====
使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。'''
My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。)
My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。)
使役動詞の意味
* make - 〜させる(強制)
* have - 〜してもらう(依頼)
* let - 〜させる(許可)
基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。
at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。
===== 原型不定詞も取る動詞 =====
動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。
I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。)
=== 分詞 ===
=== 動名詞 ===
== さまざまな構文 ==
=== 分詞構文 ===
分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、
Crying out something, he quickly runs away.
がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という
意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、
While he cries out something, he quickly runs away
接続詞を取る。
He cries out something, he quickly runs away.
主語を取る。
Cries out some thing, he guickly runs away.
動詞を現在分詞形にする。
Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!'''
などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって
得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は
while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに
よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は
省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。
主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、
His crying out something, ... のようになる。
一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。
分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、
because, since, as: 〜だから(理由)
when, as, while: 〜のとき(ある時点)
などがあげられる。
分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。
このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。
==== 分詞構文の受動態 ====
特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が
始まることも多い。
(Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた)
The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。)
このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。
=== 話法 ===
=== 会話表現 ===
== 品詞 ==
=== 代名詞 ===
==== 未分類 ====
中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。
もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。
たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。
このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。
なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。
こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。
ともかく例文は、たとえば
the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。
the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、
the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。
一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く
the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、
the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。
のように、
「the same ~ that ・・・(節)」
というのもある。
ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。
those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。
たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。
such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。
たとえば
He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス
He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート
のように such はよく as such などとして使われる。
==== some と any ====
{| class="wikitable" style="left"
|+ 複合不定代名詞
! !! some- !! any- !! no- !! every-
|-
! 人<br> -one<br> -body
| someone <br> somebody<br>(だれか) || anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) || everyone<br> everybody<br>(だれでも)
|-
! 物<br>-thing
| something || anything || nothing || everything
|-
|}
some にも any にも「いくつかの」という意味がある。
よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。
しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。
some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。
だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。
桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。
この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。
なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。
ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、
Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト)
Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート)
のようにsome を使う。
青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。
実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。
参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。
somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。
たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。
==== every とall の違い ====
「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。
every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。
また、every の後ろは単数形でなければならない。
every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。
each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。
なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。
every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。
たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。
なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。
たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。
なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。
{{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?|
桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、
he か she かが、時代とともに変わっていきました。
もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。
だから every child も he で受けていました。
しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。
「he / she 」はhe or she と読みます。
しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。
その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。
each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。
:※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは
「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。
細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。
この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。
つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。
もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。
どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。
まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。
}}
=== 形容詞・副詞 ===
;副詞の位置
副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。
通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。
しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。
== 名詞構文・無生物主語 ==
=== 名詞構文 ===
=== 無生物主語 ===
The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」
The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」
take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。
takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。
「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。
This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」
This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」
なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。
「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」
The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」
または
The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」
のように例文が参考書によくある。
enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。
The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」
ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。
== 疑問詞 ==
=== 前置詞と疑問詞 ===
Where are you from? 出身はどちらですか?
文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。
さて、前置詞 from に注目しよう。
もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。
なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。)
なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。
Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。
つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。
ただし、Whoの場合はやや例外的である。
たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、
With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」
のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。
なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる
Who do you ~ with?
Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。
ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。
しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば
Where do you go to? 「どこに行きますか?」
なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり
Where do you go?
でも許される(ジーニアス)。
このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。
=== 慣用的な疑問文 ===
How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」
How about ~? は勧誘を表す。
What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」
What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。
ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。
ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。
また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。
How come S + V ~?
How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。
How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」
※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。
許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。
Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。
== 参考文献についての注意 ==
サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。
[[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]]
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ゲームプログラミング/バランス調整
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206408
206386
2022-08-10T12:29:40Z
Honooo
14373
/* No title. */ 進展無し。typo。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}
現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。
==本ページの目的==
本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。
従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。
プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。
……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど…
気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^?
==バランス調整==
ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。
より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。
英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。
難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。
そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。
===詰み、を避けたい===
製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。
これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。
まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。
ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。
つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。
そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。
ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。
===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^===
……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。
一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。
ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^
===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている===
プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。
時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。
たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと??
一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。
だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。
2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。
「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」
しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。
つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。
===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?===
『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。
ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!!
この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。
「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。
この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。
しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。
全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。
だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。
「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。
ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。
{{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^|
80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^
カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。
小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。
エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。
確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^
}}
{{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。|
商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。
しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。
ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。
ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。
ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。
すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの?
ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。
あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ?
}}
===チュートリアル===
ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。
ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。
そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。
『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。
とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。
ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。
===技能の習得としてのゲーム===
====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?====
まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。
ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。
すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど…
ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。
前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。
ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。
そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ?
ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない?
{{コラム|ゲーミフィケーション|
どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。
2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。
2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。
岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの?
40年前(※1980頃?)、
:「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」
ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ?
:「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」
何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。
:「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」
まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね?
: (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」
思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か?
: 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」
お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。
しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの?
まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。
}}
{{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。|
1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。
岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。
しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。
ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。
岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る?
なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい?
いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね?
}}
{{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。|
ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。
1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。
少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。
98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。
「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。
良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。
岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある?
別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。
}}
{{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty|
少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。
全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。
つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。
;デスルーラ
全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。
全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。
全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな?
どちらにしろこの議論、意味ある?
ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。
}}
{{コラム|Roblox,Among_Us|
現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。
そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。
その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。
だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^
後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。
}}
{{コラム|デスペナルティ関連|
このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。
;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。
サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。
ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。
ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。
古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。
しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。
このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。
}}
さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。
だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。
イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。
『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、
シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。
しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。
グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。
そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。
1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。
昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。
漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。
{{コラム|オタキングアノマリー論|
オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。
都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか?
これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。
そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか?
そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。
↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。
ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。
つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。
では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの?
大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。
}}
====本文====
さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。
結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。
地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。
まずアクションゲームの調整。
敵が飛び道具で来るならどうする?
もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。
(しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。)
基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。
とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。
基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど…
とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない?
とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。
まあしかしまとめ編集を続けるかね…
大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。
前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。
確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。
これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。
とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。
このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。
;やはり何事も制限はあるか?
例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。
所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;;
敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。
(たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。
↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。
だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。
だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。
だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。
まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。
;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!!
スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。
====ゲームと漫画、アニメーション====
非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。
ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。
そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、
というのは明らかにある、そしてその話なんですが…
1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。
しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。
まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。
具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。
漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。
==== 「廃人」 ====
基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。
例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。
後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。
まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか?
だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。
===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。===
あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか?
====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい====
やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。
プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。
サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。
そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。
====レベル上げを楽しむ?====
一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。
一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。
つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。
しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。
前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。
漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。
「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」
少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。
しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。
少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。
====No title.====
ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。
;雑誌「ゲーム批評」による指摘
1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。
例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか?
マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。
そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。
ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。
高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。
「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」
「ほう」
「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」
「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」
ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。
少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^
さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか?
まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。
そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。
この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります?
だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。
しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。
しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか?
ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。
とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。
{{コラム|マリオメーカーのクリアチェック、ほか|
マリオついでに話すと、『マリオメーカー』という任天堂のつくった、マリオのゲームの素材を使って、
マリオメーカー購入者でも自分でマリオ風アクションゲームを作れるというゲームがあります。
このマリオメーカーというゲームでは、自作したゲームを任天堂のwebサイトに投稿・公開する際、クリアしてからでないと、投稿・保存できない仕組みになっています。
実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開などをする人たちがいました。
改造マリオはそもそも著作権侵害であり違法なのですが、その他にも問題点として、作成されたステージがやたらと難しすぎてクリア困難なステージばかりで溢れていた、という問題もありました。
しかしインターネット上では、そのようなクリア困難なゲームが、ネットのマニア達にはウケており、動画サイトなどではそのような超絶な高難度ステージが話題だったのです。
社会科学の格言で、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という有名な格言があります。つまり、実際には統計的には少ない事例のほうがニュースとして話題になりやすいという、社会の法則があります。
また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、
アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、
世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。
まさに改造マリオと本来の合法マリオの関係がそれです。
マリオメーカーでクリアチェックが必須なのは、せめて作者自身がクリアできるゲームをつくれ、常識的なプレイ時間で上達してクリアできるゲームをつくれ、というような任天堂の思いが伝わってきます。
おそらく任天堂の社内でも開発ゲームでは、各ステージのクリアチェックなどが行われているのでしょう。
}}
{{コラム|ネット民の感性は信用できるか?|
インターネット上には無料コンテンツがあふれておりますが、そのような無料コンテンツを楽しむ人たちのセンスは、一般の消費者のセンスとは異なりますし、もし仮に有料だとしても自分がカネを払うつもりもないものを平気で「面白い」と言える人たちも多く居ます。
それでも実際にプレイをした上での感想を言うならまだしも、しかしプレイヤーの人数よりも世界には無料動画の視聴だけをして感想を言うだけの人たちのほうが多いのです。
しかしそれすらも動画サイトでゲーム画面を長時間見ているので、まだしもマシなほうで、もっと酷いのになると、匿名掲示板で誰が言ったかも分からない批評や評論を真に受けて、あたかも実際にプレイしたかのように表面を装う人たちすらも多くいます。
マンガ業界も同じ問題に気づいてるようです。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をする自称ラーメンマニアに陰口で悪態をついています。これにリアリティを感じるマンガ出版社があるわけですから、つまりマンガ出版社の目からも、世間一般の人って多くがそういうネットの風評に左右される人達だよねと見られているわけです。
本wikiもネットの情報の一部なので、鵜呑みにしないでください。お金は掛かりますが、参考文献などとして記載されているゲーム関連に役立ちそうな書籍を、読者は実際に何冊か買って、書籍の実物を読むなどしてください。あるいは実際にゲーム制作やプログラミングをするなどして、確かめてください、
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、著者の塩川氏が言うには、口コミやレビュー、プレイ動画によって「知った気になる」ことを有害であると戒めています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>。
だからゲーム作品を調査するなら、実際にクリアするまでプレイするか、あるいは十分なプレイ時間を投じてプレイしてみなければ、ゲームデザイナーにはあまり役立たないと、塩川氏は忠告しています。
たとえ短時間のプレイでは楽しく感じても、長時間のプレイや繰り返しの演出をされた場合には楽しくないような場合もあるので、だから長時間のプレイをして確認してみる必要があるとのことです。(以上、『ゲームデザイン プロフェッショナル』を参考にした。著作権の事情のため、言い回しや文体は多少は変えてある。)
ただ、これは一見するとゲーム作家には、「偏見なく自作を最後までプレイをしてもらえそう」とか思えそうですが、しかしプロの作家は暇人ではないので、同人ゲームまで含めて何でもかんでもプレイすることはできません。
塩川氏は、著作の別のページでは。若者に進めるゲームプレイとして、とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いと言ってます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
これは裏を返すと、もし人気作や商業的な成功作でなければ、そもそもプレイすらしてもらえない、ということを意味します。塩川氏本人はそう言ってなくても、現実世界の時間は有限であるので、作品1つあたりのプレイ時間を延ばすことはつまり、1多くのプレイしてもらえない作品が生まれます。
つまり、塩川氏のプレイスタイルは、前提として、あるゲームについてプレイを開始するまでの条件が、めちゃくちゃ厳しいわけです。
イラスト業界でも類似の指南の事例があり、「アニメ私塾」といわれる有名イラストレーターは、YouTube動画などでプロのアニメ作品の模写の練習を進めていますが、しかし、おおむね発言内容「アニメ線画の模写ですら時間が何十分も掛かるので、練習に入る前にまず、その構図やデザインなどが自分にとって模写をする価値があるものかどうかを判定して、もし価値あると判定できた場合だけを模写しろ」と、判定にけっこう頭を使いなさい、と指南しています。
しかも「アニメ私塾」氏は、1枚の模写をどの程度まで模写すればいいかという質問に対しては「(模写先の手本に)似るまで模写しろ」とまで言っています。まるで、その1枚の手本を、模写のゲームクリアをするまで模写し続けるわけです。
さて、色々とゲームファンの問題点をいくつか前の段落で言いましたが、それでもゲームはアニメや漫画と比べるとまだしもマシであり、なぜならゲームではプレイヤーと、プレイしてない人たちの区別がしやすいからです。
これがアニメや漫画になると、もはや違法サイトで違法配布されたマンガを読んでるだけの人なのか、
実際に購入してプレイした人なのかの区別が困難になります。
実際、中国や韓国などでは、違法の無料配布されてしまったマンガがネットに溢れてしまった時期があり、
そのような事情もあり金融業界などはマンガ産業への投資を渋り、代わりに課金をしやすいオンラインゲームに投資をしたという経緯があります。
}}
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。
{{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件|
イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。
さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。
作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。
その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。
もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。
ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。
まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。
また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。
例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。
アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。
また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。
;「美人投票」
経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。
ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。
;ノイジー・マイノリティ
世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。
しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。
よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。
アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。
また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。
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文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。
現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。
{{コラム|一人で何でもできるか?|
「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。
大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。
もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。
アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。
}}
{{コラム|可処分時間|
21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。
もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、
「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、
残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。
実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。
さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。
可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。
1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。
こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。
クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。
}}
=== クリア保証と戦術性のジレンマ ===
==== クリア保証 ====
ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。
たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。
その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。
要するに、
:* クリア保証、
:* 難易度の自動調整機能、
の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。
リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。
ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。
RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。
=== 自由度 ===
文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。
=== 勉強の方法論 ===
※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。
==== 共通言語 ====
ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。
商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。
とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
==== 前後比較 ====
ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。
なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。
ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。
岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。
工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。
(wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。)
実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。
{{コラム|失敗とスポーツの例え話|
ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。
でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。
失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。
よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。
逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。
だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです
「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。
塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。
さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。
塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。
その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。
ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。
}}
=== 異業種の立場を想像しよう ===
ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。
内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。)
なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。
特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。
ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。
ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。
実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。
{{コラム|作者は答えを知ってしまっている|
バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。
これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。
ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。
}}
;ティッシュテスター
さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。
このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。
かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。
単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。
=== 要素の相互関係 ===
==== 概要 ====
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。
このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。
しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。
具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。
もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。
==== マップと敵の相互関係 ====
ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。
宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。
しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。
マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。
だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、
:マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、
:それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、
:あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、
などなどです。
ご自身の作品にあった方式をお選びください。
===== 始めよければ全てよし =====
さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。
書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。
:※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。
とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。
商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。
たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。)
:※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。
また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。
そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。
さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。
{{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム|
日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように)
ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。
中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。
(20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。
さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。
ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。
経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。
一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。
}}
=== 各論(デザイン的なこと) ===
どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。
== RPGのダメージ計算式 ==
=== 特化型が有利になりやすい ===
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。
なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。
では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。
たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。)
説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。
つまり、たとえば下記のようになります。
;作成キャラの能力例
:(※ 合計100)
ちから: 10
たいりょく: 30
しゅびりょく: 10
すばやさ: 40
きようさ: 10
さて、別の作成キャラ例を考えます。
;平均型キャラA
ちから: 20
たいりょく:20
しゅびりょく: 20
すばやさ: 20
きようさ: 20
:(※ 合計100)
のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと
合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした
;特化型キャラB
ちから: 40
たいりょく:20
しゅびりょく: 30
すばやさ: 5
きようさ: 5
:(※ 合計100)
のようなキャラクターを、
コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、
ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。
さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。)
なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。)
裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。
パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。
理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、
:・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。
:・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。
:・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。
などの理由があるでしょうか。
命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。
このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。
命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。
=== ダメージ計算式 ===
さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、
攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
という計算式です。
ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。
アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
というような感じの計算式である作品も多いです。
せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。
なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。
バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。
そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、
:攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。
一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。
また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。
このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。
また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。
つまり、
自分の攻撃力 > 敵の守備力
でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。
一方、
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
のように係数を掛けた計算式の場合、
守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。)
いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。
このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。
=== DPS (Damage Per Second) の概念 ===
:※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。
最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。
スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。
たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。
この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。
なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。
つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で
:1+1=2
より、2ターンぶんのダメージです。
いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、
:0+2=2
で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。
計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。
このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。
もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。
このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。
では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、
: 0 + x > 2
を満たす変数xを設計するだけの問題です。
なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。
では、次に応用問題を考えましょう。
「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。
たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、
変数xについての
:0 + 0 + x > 3
を満たさないといけません。
つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。
== KPI ==
Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。
;DAU(Daily Active User)
:デイリー・アクティブ・ユーザー
DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。
;MAU(Mathly Active User)
:マンスリー・アクティブ・ユーザー
MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。
;WAU(Weekly Active User)
:ウィークリー・アクティブ・ユーザー
WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。
;PU(Paying User)
:ペイング・ユーザー
課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
;課金率
たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、
一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う)
;継続率
前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、
継続率といいます。
(以上)
このほかにも、色々な指標があります。
== 参考文献・脚注など ==
prd5cft8kzd5jnqnozgx61ctft1borq
ゲームプログラミング/書類/集団作業の場合の書類と書き方
0
27227
206410
206385
2022-08-10T12:39:17Z
Honooo
14373
/*他者に委ねる場合*/ すじ肉先輩さー、結局あんたの世界観は、プロや玄人は圧倒的に偉くて、アマチュアや素人は圧倒的に愚かってだけだよね。まあある程度はこの手の階層はあるけど、あんたみたいにそれを異常に強調したところで、何もいいことは起こらないよ。だから今回はその辺の記述は削除したよ。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
=== 絵の「クオリティ」とは ===
何かのゲームデザイン本によると、「クオリティ」とは、イラスト発注などの言葉のようです。
その書籍では「クオリティ」の意味は説明していないのですが、ゲーム業界で言うクオリティと一般の英語のqualityは少々、意味が異なります。
ゲーム業界には、イラストや音楽などに対して「クオリティ」という言葉があります。英語ではqualityは「品質」という意味ですが、しかし日本のゲーム業界でいう「クオリティ」にもその意味はあるもののニュアンスはやや違います。
たとえばイラストの例なら、どんなに「ポーズと構図はこうしてください」とか「メインカラーはこうしてください」とかの発注要件を守ってイラストレーターが絵を描いて提出しても、しかしその絵の画風がターゲット層の消費者たちの好みの画風でなければ、ゲームが売れずにゲーム会社は商売になりません。
少なくとも2010年以降、ゲームファンの絵柄の好みは、素人では描けないような細密かつCG特有のグラデーションなどを活用した絵柄が消費者層の好みです。そういう求められた画風である細かい絵である素材を出せる能力のことも「絵のうまさ」と捉えて、ゲーム業界では「クオリティ」と呼んでいるようです。
逆に言うと、たとえばマンガ家の手塚治虫『鉄腕アトム』の原作のような簡素な絵でどんなに上手い絵をゲーム発注者に提出しても、おそらく「クオリティが高い」とは言われないでしょう。
絵の場合、昨今の消費者の好みが、細かく線を描きこまれたりグラデーションなどCG機能を多く使ったアニメ風イラストまたは細かいリアルCG風イラストといった絵柄なので、そういう絵がゲーム業界では「クオリティが高い」のように言われたりもします。
;業界によって要求される画風が異なる
ゲーム業界の絵を描く能力は、マンガ業界やアニメ業界で求められる能力とは異なります。
マンガ業界の場合、まず白黒印刷で表現できる絵柄でないといけませんし、印刷の解像度の問題もあるので、カラー表現は求められない場合も多いし、またグラデーションも利用が困難です。だからマンガ業界ではグラデーションではなく、スクリーントーンを使います。そもそも製作ソフトウェアからして、イラスト製作用ソフトではなく専用のマンガ製作用ソフト(『コミックスタジオ』など)を使ってマンガが描かれています。週刊マンガと月刊マンガでも、絵柄の傾向が違っています。試しに線画部分だけでいいので漫画を模写などをしてみれば分かると思いますが、週刊漫画の絵柄は比較的に短時間で模写できるような線の少ない絵柄になっている場合が多いえす。
アニメ業界の場合、動画マンが動画を何枚も描かないといけないので、原画ではなるべく1枚あたりの線を減らす必要があります。1枚イラストでは「撮影」と言ってCG処理などで光の表現などのためにフィルタ加工などもしますが、しかしゲーム業界と比較するとアニメ業界の手書きアニメ用イラストのCG処理は簡素な処理です。
ゲーム業界とアニメ業界では、人気の絵柄におけるCG加工の傾向が逆のことも多く、だからアニメ業界のような多くの人が真似して描けるようにデザインされた絵柄は、ゲーム消費者にはウケていません。
世間では美少女キャラの瞳が大きいだけで「アニメ絵」とか言いますが、しかし実際には瞳の大きい美少女キャラでも、アニメ業界とゲーム業界とマンガ業界とでは、求められているデザインがまったく違うのです。
アニメ業界とゲーム業界とで「原画」や「仕上げ」など共通の用語が使われる場合もありますが、内実、意味は違っています。
もっとも、近年ではアニメ業界もゲーム業界やライトノベル業界(雑誌媒体なら月刊誌である場合が多い)などの影響を受けて、細かい絵が増えてきました。アニメの原作がゲームやライトノベル作品である場合も多いので、そういう作品は当然、細かい絵が求められるわけです。
なお、アニメ業界の場合、細かい絵を描くことはクオリティとは呼ばずに「カロリー」と呼ぶことが多いです。どうやら栄養の「カロリー」由来の表現らしく、作画に求められる手間や負担というような感じらしいです。「作画カロリー」などといった表現もアニメ業界にあります。
細かい絵や、細かい動き、やたらと凝った動きや構図などを描く際、「この絵はカロリーが高い」のように表現するようです。
「クオリティ」という言葉を聴いているとあたかも「業界を越えて共通の絵のうまさがある」とでも錯覚するかもしれませんが、しかし上述のように要求される絵柄や画力は、業界ごとに違います。
;週間マンガ・アニメの後日修正
なお、実は週間漫画は、雑誌掲載時の絵柄と、単行本掲載時とで、絵柄が微妙に違う場合があります。雑誌掲載時だと、週間ペースの掲載に追いつかせるために、省略できそうな背景などの書き込みを減らしている場合もあります。なので、実はそういう省略された部分を、単行本化に向けて後で、アシスタントや、専門の会社などが、細部を仕上げているわけです。
単行本の話ではないのですが、2012年ぐらいにBSあたりで放映されたマンガ業界特集番組では、実はマンガのアシスタント専門の会社が存在することを紹介しています。細かな統計は忘れましたが、その番組によると、現代(ただし放映当時の2012年頃)の漫画家の多くは、実は連載作家ではなくアシスタントとのことです。今のマンガ産業は、実は分業制なのです(なおアニメ産業は昭和後期~平成初期からとっくに分業制)。
アニメも、実はテレビ放映時とブルーレイ・DVDなどの円盤メディアとで、絵柄が少しだけ微妙に違う場合などがあります。放映後に細部を直すのです。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
kpxqmzzbhjqmiut5duo05enten5qg57
206424
206410
2022-08-11T02:33:11Z
Honooo
14373
/*特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。*/
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
=== マンガ・アニメ業界での「芸術」・「自由」の裏の意味 ===
文献『ゲームプランナー集中講座』によれば、ゲーム作りに必要な資質としては、作家性<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>のほかにも「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>が必要です。
また、同文献によれば、ゲーム会社では自己表現は求められていません<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。もし本当に自己表現をした人は、ゲーム会社ではなく1人で芸術家を志望するべきだと文献『ゲームプランナー集中講座』では述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。
作家性は必要ですが<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、しかし自己表現は求められていないという、バランス感覚が問われます。
ゲーム業界への就職では自分の作品があるとアピールポイントになり多くのゲームプランナー入門書でもプロトタイプなどの作品づくりを推奨していますが、しかし自己表現は求められていないことに注意する必要があります。
さて、ゲーム会社だけでなくイラスト業界やマンガ業界も、似たような見解です。
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』によると依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、けっして「プロ」ではなく、それは「芸術家」だとのことです<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
mf0u4ijj0thbbtozdxzzjhinn8xhxcl
206425
206424
2022-08-11T03:33:13Z
Honooo
14373
/*芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品*/ 前文のみ修正。1/3。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
==== 「芸術」 ====
「芸術」といえば、漫画『サルでも描けるまんが教室』では、漫画家志望者が芸術かぶれになることを、とても戒めています。
{{コラム|サル漫の芸術かぶれ回|
サル漫の芸術かぶれ回では、作中の漫画家コンビのシナリオ担当の竹熊と作画担当の相原が、漫画の執筆中に、
芸術かぶれを煩った作画担当キャラの相原コージが、まず、おおむね「俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか」みたいなことをつぶやきます。
それに対して竹熊が心配したか「どうした相原?」とたずねると、
相原の細かなセイルフは忘れましたが、相原は「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?」とか
「資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないか」とか、
「俺たちは国や大企業におどらされていてはいけない」とか、
なんかそんな感じのことを言います。
すると、竹熊はまず相原をぶん殴ったあと、
竹熊は「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃいない!」と説教し、
相原が「そんなことない」というと、
竹熊が「じゃあ、お前のいう芸術とは何かと言ってみろ?」と問い詰めると、
相原が「それは、人間の内面の真実ってゆうか」とつぶやくと
竹熊はめっちゃあきれたような見下したような表情で、「にんげんのぉー、ないめんのしんじつぅ~」みたいにつぶやき返します。
そしてそのあと、竹熊はおおむね、
「お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないか!?」とか
:「お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているだけじゃないか」とか、
:「お前は芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前はカネが欲しいだけなのだ。」
なんかそんな感じのツッコミをします。
このあとも竹熊のツッコミは続きますが、続きを知りたい方はサル漫を購入してください(ネタバレになるので続きは省略)。
ともかく、マンガ業界やアニメ業界でいう『芸術』には、こういう隠れた意味があります。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督の人はサル漫の大ファンですし、総監督は竹熊とも対談したことあるので、つまりアニメ業界でも自称「芸術家」はまあ似たような扱いです。
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
d7tom6clcv0amd0dpfpncht6wicr0b2
206427
206425
2022-08-11T04:11:22Z
Honooo
14373
/*芸術と商業漫画*/
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
==芸術と商業漫画==
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家でではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
cuts9oiej6fq092g99bn7c2ygpb7eqa
206428
206427
2022-08-11T04:13:44Z
Honooo
14373
/* 芸術と商業漫画 */ 節構成の間違い
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家でではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
h39qu700z7kqq45tool8o7vgxvfu4wt
206429
206428
2022-08-11T04:15:39Z
Honooo
14373
/* 芸術と商業漫画 */ typo
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
==== 「私小説」 ====
{{コラム|売り上げと文化は違う|
文学史でいう「私小説」と、マンガ・アニメ業界でいう「私小説」とは、意味が異なります。
現代でもアニメ評論などでは、「私小説」というのを否定的な意味で、「頭でっかちのインテリが書いた、世の中に文句を言ってるだけのことを、さも深い洞察かのように装うとしてるだけの、売れない小説」のような意味で使っていたり、あるいは「世間知らずの漫画家やアニメ監督の書いた、世の中に文句を言ってるだけの(以下略)マンガやアニメ作品の脚本みたいなもの」のような意味で使われることもあります。
たとえば1998年の岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと対談相手の推理小説家・今野敏(こんの びん)が批判していたりしました。「クリエイターよ、メッセージはあるか」というタイトルの対談です。
なお、名前の漢字が似ているアニメーター・今敏(こん さとし)とは全くの別人ですので、混同しないように。そもそも今敏はエヴァンゲリオンの制作スタッフの一員です。アニメーター・今敏は、全く、岡田とは対談'''していない'''です。
さて、文学史でも、売上と、後世に語られる作品が異なることはあり、たとえば大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
が大正時代の三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れてない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルは実は売れていません。(もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のこと。このコラムでは、芥川の伝記については立ち入らない。)
食い違いの原因は、芥川が小説連載していた大阪毎日新聞による芥川をブランド化するイメージ戦略の成功や、あるいは第二次大戦後になって教育界隈の左翼運動家たちが文学史を左翼イデオロギーに都合よく書き替えたことなどが考えられますが、しかし新聞社や左翼ごときに書き換えられるぐらいに戦前の文学史が研究不足であったことが、そもそもの根本原因でしょうか。
ともかく、「私小説」というジャンルは、そもそも大正時代の当時は、大して売れていません。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
aghh9baebemkk9w2xng3jd6rr14jr3m
206430
206429
2022-08-11T04:52:45Z
Honooo
14373
/*私小説*/
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
====私小説====
{{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う|
前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。
このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。
特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。
1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。
やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。
さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。
しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。
現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。
島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
== レポートは結論だけを読んでも分かるように書く ==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書かなければなりません。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに上司が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書かなければならないでしょう。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
jv6trzd21rlc15dq3rdqlolnwspepcm
206431
206430
2022-08-11T05:11:46Z
Honooo
14373
/* レポートは結論だけを読んでも分かるように書く */
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
====私小説====
{{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う|
前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。
このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。
特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。
1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。
やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。
さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。
しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。
現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。
島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
==レポートは結論だけを読んでも分かるように書く==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書きたい。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに他者が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書くのが推奨です。
== 中卒でも分かるように書類を書く ==
ゲームに限らないのですが、企業でレポートなど種類を新人などに書かせると、時々、教科書などを丸写しするような人がいます。しかし、そういう丸写しは、多くの企業で、一般的な企業では不要です。コードの解説というより、企業で何かの解説レポートを書く際の基本ですが。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、ゲーム開発で必要なチーム内での言葉選びについては、「中学生の知識でも理解できる言葉を使うこと」とあります。そのほか、言いやすいフレーズを使うことも必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>。
ぶっちゃけ、このwikiのこの科目の教科書のようなのは、中学生レベルの知識で読解できないので、ダメでしょう。読者は、このwikiを反面教師にしてください。
書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』は特に述べてはいませんが、企業というのは、従業員の過去の学歴や経歴がバラバラなのです。普通科高校を卒業して就職する人もいれば、業界に近い専門学校に入った人もいますし、商業高校や工業高校などに進学していた人もいますし、大卒や院卒もいます。
日本では高校進学率が100%ですが、しかし高校は選択科目などが多いので、共通知識はどの選択科目を選んだかで差異が多いので、なかなか高校を基準に合わせるのは難しい業種も多いのです(ただし、製造業なら工業高校卒のように、一部の業界では学校の種類を絞って基準にすることがある)。
なので、一般の多くの企業では、従業員がどういった学歴でも情報伝達が上手く行くように、中学レベルでも分かるような物言いが、企業では原則必要になります。大卒社員であっても、そういうふうに言い回しを直すトレーニングをしたりします。
== 脚注・参考文献 ==
42acwxgkzrm7mrqzapgyj7py5m1wdiw
206432
206431
2022-08-11T05:21:15Z
Honooo
14373
/*書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい*/ 再編集一応の終了。ただ今後少し出典の整理をします。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
====私小説====
{{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う|
前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。
このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。
特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。
1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。
やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。
さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。
しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。
現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。
島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
==レポートは結論だけを読んでも分かるように書く==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書きたい。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに他者が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書くのが推奨です。
==書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい==
書類の言葉選択は、「中学生の知識でも理解できる言葉を使う」、のが望ましいですね。言いやすいフレーズ、理解しやすいフレーズ、こういう言語選択も重要です。<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>
基本的にゲーム界に限らす、あらゆる場所で、わかり易い言葉を使うことが重要ですし、相手の理解に配慮することは必要でしょう。E.Suj.のように自分が理解できなければ全て相手のせいにし、相手が理解できないのもすべて相手のせいにするのは、一番有り得ない最低の態度でしょう。
== 脚注・参考文献 ==
hwgwdzry03xc339pl79beb8egg1v2pm
206433
206432
2022-08-11T06:01:48Z
Honooo
14373
/* 書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい */ typo
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「企画職」でない製作スタッフが技術職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
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{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
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{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
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{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
====私小説====
{{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う|
前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。
このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。
特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。
1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。
やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。
さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。
しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。
現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。
島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
==レポートは結論だけを読んでも分かるように書く==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書きたい。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに他者が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書くのが推奨です。
==書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい==
書類の言葉選択は、「中学生の知識でも理解できる言葉を使う」、のが望ましいですね。言いやすいフレーズ、理解しやすいフレーズ、こういう言語選択も重要です。<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>
基本的にゲーム界に限らず、あらゆる場所で、わかり易い言葉を使うことが重要ですし、相手の理解に配慮することは必要でしょう。E.Suj.のように自分が理解できなければ全て相手のせいにし、相手が理解できないのもすべて相手のせいにするのは、一番有り得ない最低の態度でしょう。
== 脚注・参考文献 ==
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小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ
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Tomzo
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/* キリスト教の禁止と鎖国 */
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{| class="wikitable" style="width:100%"
|+ この章の概要
|<!--徳川幕府の成立、江戸時代初期(概ね島原の乱あたりまで)--><!--(キ) 江戸幕府の始まり,参勤交代や鎖国などの幕府の政策,身分制を手掛かりに,武士による政治が安定したことを理解すること。-->
★時代区分:江戸時代初期</br>
★取り扱う年代:1600年(関ヶ原の戦い)から1638年(島原の乱終結)まで
;江戸幕府の始まり
:秀吉死後、最も強力な大名'''徳川家康'''は、敵対する豊臣家家臣石田三成らと、東軍(家康側)と西軍(三成側)に分かれ関ヶ原で戦い('''関ヶ原の戦い''')、これに勝利します。政権は豊臣氏から徳川氏に移ります。
:関ヶ原の戦いに勝利した'''徳川家康'''は、1603年に征夷大将軍に就任し、'''江戸'''に幕府を開きます。これを「'''江戸幕府'''(または、徳川幕府)」といい、江戸に幕府があった時代を「'''江戸時代'''」と言います。家康は、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、これ以降、大名同士の合戦はなくなります。
:関ヶ原の戦いの後、家康は西軍の大名の領地と豊臣氏の領土を取り上げ、東軍の大名に分け与えました。この時、大名を家康の子孫による'''親藩'''、関ヶ原の戦い前から家来である'''{{ruby|譜代|ふだい}}大名'''、関ヶ原の戦い後に従った'''{{ruby|外様|とざま}}大名'''にわけてとりあつかいました。①親藩は、将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担った'''御三家'''・'''御三卿'''を含み、家格・官位などでは優遇されましたが、幕政に参加することはまれでした、②譜代大名は、比較的小さな石高の領土を認められ領地替えもよくありましたが、江戸や京大阪からは近くに位置したものでした。'''大老'''、'''老中'''、'''若年寄'''といった幕閣には譜代大名がつきました。③外様大名は、比較的大きな石高の領土を認められ、幕末まで領地替えはほとんどありませんでしたが、江戸や京大阪からは遠いところにありました。また、幕政に参加することはほとんどありませんでした。なお、江戸時代の大名とその家来を合わせた集団を、「'''{{ruby|藩|はん}}'''」と言っています。幕府は強力な力を持っていましたが、藩の中の政治に口を出すことはありませんでした。
;武士の政治の安定
:第3代将軍'''徳川家光'''は、大名は、妻子(正妻と後継となる子)を江戸に置き、領土との間を1年おきに行き来すること('''参勤交代''')を定めました。また、将軍の命令で、徳川氏が有する城や河川の改修などを務めなければならないこともありました。こうして、徳川将軍は大名が、戦国時代のように勝手に争うことができないようにし、安定した世の中を作り上げました。
:徳川幕府には、重要なことを決める大老、老中、若年寄の他、大名の監視を行う'''大目付'''、寺社を管理する'''寺社奉行'''、幕府の出納を管理する'''勘定奉行'''、江戸の行政や裁判を行う'''江戸町奉行'''などの役職があり、大名の他、将軍の直接の家臣である'''旗本'''がその任務につきました。
:秀吉の刀狩によって、武士の身分(士分)と民衆が明確に分けられましたが、江戸幕府はそれを引き継ぎ、「'''士農工商'''」という身分制を確立しました。<!--なお、以前は、身分がこの順にあったと言われていましたが、現在では「士分」とその他は身分差があるが、「農工商」には身分の差がなかったというのが定説となっています。-->また、人の移動は厳しく制限され、各地に関所がもうけられ、ここを通るのに通行手形が必要でした。
:キリスト教は秀吉の時代に禁じられましたが、江戸幕府においても禁じられました。一方で、ポルトガルなどとの貿易は港を限定しながらも続いており、そこで宣教師との行き来があったとされます。そんな中、九州の天草・島原で大規模なキリスト教徒による反乱('''島原の乱''')が起きました。これがきっかけとなって、幕府は、島原の乱の翌年に、貿易の相手を、キリスト教の布教には熱心でない'''オランダ'''だけに限って、さらに、長崎の'''出島'''だけでこれを認めることになりました。これを、'''{{ruby|鎖国|さこく}}'''と言います。
|}
=== 江戸幕府の始まり ===
==== 関ヶ原の戦い ====
:1598年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉|秀吉]]が死んだ時、後継の{{Ruby|秀頼|ひでより}}はまだ5歳でした。秀吉は、秀頼が成長するまで'''{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}'''・{{ruby|上杉景勝|うえすぎがげかつ}}他5人の有力な大名('''{{ruby|五大老|ごたいろう}}'''<ref>家康・景雄の他は{{ruby|前田利家|まえだとしいえ}}・{{ruby|毛利輝元|もうりてるもと}}・{{ruby|宇喜多秀家|うきたひでいえ}}です。</ref>)と秀吉が信頼する'''{{ruby|石田三成|いしだみつなり}}'''や{{ruby|浅野長政|あさのながまさ}}他5人の家臣('''{{ruby|五奉行|ごぶぎょう}}'''<ref>三成・長政の他は{{ruby|前田玄以|まえだげんい}}・{{ruby|増田長盛|ましたながもり}}・{{ruby|長束正家|なつかまさいえ}}です。</ref>)の10人で相談して政治を行うよう言い残しました。しかし、秀吉が死ぬと家康は他の大名との関係を深めるなどの動きを見せ、三成は家康が天下をねらっているのではないかとうたがいを持つようになりました。他方で、秀吉・秀頼の家臣の中で、石田三成を中心とする行政で秀吉をささえたグループと浅野長政や{{ruby|加藤清正|かとうきよまさ}}・{{ruby|福島正則|ふくしままさのり}}といった{{ruby|戦|いくさ}}で{{ruby|手柄|てがら}}を立ててきたグループの間に対立が生じてもいました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|200px|徳川家康]]
;{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}のこれまでの歩み<span id="徳川家康"/>
:徳川家康は、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の'''[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]'''では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、領地を北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっていました。
|}
;<span id="関ヶ原の戦い"/>{{Ruby|関ヶ原|せきがはら}}の戦い
:[[File:Sekigaharascreen.jpg|thumb|400px|関ヶ原の戦い<br>絵の右側にいるのが徳川軍。絵の左側にいるのが豊臣軍。]]
:1600年、五大老五奉行の{{ruby|仲違|なかたが}}いが深まり、家康は{{ruby|会津|あいづ}}の上杉景勝を攻める兵を挙げ東へ向かいます。
:三成は、家康に反対する大名たちに呼びかけ、家康を攻める兵をあげやはり東へ向かいました。これを知った家康は軍を西へ反転して、これをむかえうとうとしました。そして、{{Ruby|関ヶ原|せきがはら}}(今の岐阜県)で、家康が率いる軍(東軍)と、三成が率いる軍(西軍)がぶつかりました。これを '''関ヶ原の戦い''' といいます。これは、両軍合わせて約20万人と日本史上最大の合戦となりました。結果は、西軍の中での裏切りなどもあって東軍の勝利となりました。
:戦後、三成らは処刑され領土は没収されました。毛利氏など西軍についたもまた多くの領土を没収されました。豊臣氏も多くの領土を没収され、一地方の大名に過ぎないものとなって、家康の天下となりました。
{{-}}
==== 江戸幕府の誕生 ====
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から{{Ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}は [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命されました。
:家康は{{Ruby|江戸|えど}}(現在の東京)に'''{{Ruby|幕府|ばくふ}}'''を開きました。これが'''{{Ruby|江戸幕府|えどばくふ}}'''であり、この時から'''江戸時代'''が始まりました。
:将軍の権限は、武士に[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#石高制|石高で表した領地({{ruby|知行|ちぎょう}})を与えること({{ruby|石高制|こくだかせい}})]]であり、知行が1万石以上の者を'''{{ruby|大名|だいみょう}}'''、1万石未満で、将軍に直接会うこと<ref>これを「{{ruby|御目見得|おめみえ}}」と言います。</ref>ができる者を'''{{ruby|旗本|はたもと}}'''、できない者を'''{{ruby|御家人|ごけにん}}'''<ref>多くは、戦国時代、「足軽」と呼ばれていた階層の武士です。</ref>と言っていました。
:関ヶ原の戦いの後に、家康は領地を分け与えましたが、この時、大名を家康の子孫による'''{{ruby|親藩|しんぱん}}'''、関ヶ原の戦い前から家来である'''{{ruby|譜代|ふだい}}大名'''、関ヶ原の戦い後に従った'''{{ruby|外様|とざま}}大名'''にわけてとりあつかいました。なお、江戸時代の大名とその家来を合わせた集団を、「'''{{ruby|藩|はん}}'''」と言っています<ref>ただし、この言い方は明治以降の言い方で、当時は、「○○様{{ruby|御家中|ごかちゅう}}」などの言い方を使いました。</ref>。幕府は、藩をつぶしたり({{ruby|改易|かいえき}})、領土の一部を取り上げたり({{ruby|減封|げんぽう}})、大名同士の領土を交換させる({{ruby|国替|くにがえ}}・{{ruby|転封|てんぽう}}<span id="国替"/>)など、強力な力を持っていましたが、藩の中の政治に口を出すことはありませんでした。日本国内は、幕府と藩により統治されていたので、このような政治の仕組みを「'''{{ruby|幕藩体制|ばくはんたいせい}}'''」といいます。
::;親藩
:::将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割をになった'''{{ruby|御三家|ごさんけ}}'''<ref>{{ruby|尾張|おわり}}藩、{{ruby|紀州|きしゅう}}藩、{{ruby|水戸|みと}}藩の3家で、それぞれ領国をもっていました。家康のこどもで、第2代将軍{{ruby|秀忠|ひでただ}}の兄弟の子孫です。</ref>・'''御三卿'''<ref>{{ruby|田安|たやす}}家、{{ruby|一橋|ひとつばし}}家、{{ruby|清水|しみず}}家の3家で、御三家と違い領国を持っていません。江戸幕府の誕生から130年〜150年ほどのちにできた家で、第8代将軍{{ruby|吉宗|よしむね}}の子孫です。</ref>を含み、家格・官位などでは優遇されましたが、幕政に参加することはまれでした。
::;譜代大名
:::関ヶ原の戦いの前から徳川家の家来であった家系の大名です。比較的小さな石高の領土を認められ領地替えもよくありましたが、江戸や京大阪からは近くに位置したものでした。'''{{ruby|大老|たいろう}}'''、'''{{ruby|老中|ろうじゅう}}'''といった{{ruby|幕閣|ばっかく}}や'''{{ruby|若年寄|わかどしより}}'''、{{ruby|大阪城代|おおさかじょうだい}}、{{ruby|京都所司代|きょうとしょしだい}}、{{ruby|寺社奉行|じしゃぶぎょう}}といった重職には譜代大名がつきました。
::;外様大名
:::関ヶ原の戦い以降に徳川家の家来となった大名です。比較的大きな石高の領土を認められ、幕末まで領地替えはほとんどありませんでしたが、江戸や京大阪からは遠いところにありました。また、幕政に参加することはほとんどありませんでした。
:徳川幕府は、「'''{{ruby|天領|てんりょう}}'''」といって旗本などの知行とせずに直接支配する400万石に及ぶ領地ももっていました。天領には旗本や御家人から{{ruby|代官|だいかん}}を派遣し、これをおさめました。
;{{Ruby|武家諸法度|ぶけしょはっと}}
:1615年、第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}は、大名を取りしまるための法律を作りました。これを '''{{ruby|武家諸法度|ぶけしょはっと}}''' といいます。この法度に反すると、改易などの処分がなされました。
<div style="border:1px solid #000000;margin:0 2em 0 4em">
* '''武家諸法度'''(一部)
*: 一. (武士は)学問や武芸の道に、ひたすら{{Ruby|専念|せんねん}}すること。
*: 一. 新しく城を築くことは、かたく禁止する。修理する場合であっても、必ず幕府に申し出ること。
*: 一. 大名は、毎年、きめられた月に江戸に{{Ruby|参勤|さんきん}}すること([[#参勤交代|参勤交代]])。 (※)
*: 一. 大きな船を作ってはならない。(※)
*: 一. 大名は、幕府の許可なしに勝手に結婚をしてはならない。
:::::※:3代将軍 徳川家光が加えたものです。
</div>
==== 大阪の陣 ====
:このように、徳川家による支配が確立した時期にあっても、秀吉の子{{ruby|秀頼|ひでより}}は、徳川家にしたがう態度を見せませんでした。また、関ヶ原の戦い以降、領地を失った大名やその家来、主君から離れた武士などが大阪城に集まってきていました。1614年、家康<ref>この頃は、将軍ではありません。</ref>と将軍秀忠は、大阪城を攻めるのに、全国の大名に兵を出すように命じ、翌1615年豊臣氏はほろびます。これを'''{{ruby|大阪|おおさか}}の{{ruby|陣|じん}}'''<ref>詳しくは、1614年に起こった戦を「大坂冬の陣」、1615年豊臣氏がほろびた戦を「大坂夏の陣」といいます。また、この当時、大阪は「大'''坂'''」と書いていたので「大坂の陣」と書く場合もあります。</ref>と言います。
:大阪城は、徳川氏のものとなり、当時日本一商業が栄えていた大阪は幕府が直接おさめるようになります。
:戦国時代以来の、大名同士の争いはこれが最後となりました。
=== 武士の政治の安定 ===
==== 江戸幕府の仕組み ====
[[File:Iemitu Face.svg|thumb|180px|徳川家光]]
:1623年将軍となった第3代将軍'''徳川{{ruby|家光|いえみつ}}'''は、大名は、妻子(正妻と後継となる子)を江戸に置き、領土との間を1年おきに行き来すること('''{{ruby|参勤交代|さんきんこうたい}}''')<span id="参勤交代"/>を定めました。また、将軍の命令で、徳川氏が有する城や河川の改修などを務めなければならないこともありました。こうして、徳川将軍は大名が、戦国時代のように勝手に争うことができないようにし、安定した世の中を作り上げました。
:徳川幕府には、重要なことを決める大老、老中、若年寄の他、大名の監視を行う'''{{ruby|大目付|おおめつけ}}'''、寺社を管理する'''{{ruby|寺社奉行|じしゃぶぎょう}}'''、幕府の出納を管理する'''{{ruby|勘定奉行|かんじょうぶぎょう}}'''、江戸の行政や裁判を行う'''{{ruby|江戸町奉行|えどまちぶぎょう}}'''などの役職があり、大名の他、将軍の直接の家臣である'''旗本'''がその任務につきました。
<span id="江戸幕府"/><div style="font-size:100%;margin:0 2em 0 4em">
<pre style="line-height:1.5em;">
【江戸幕府の仕組み 主な役職のみ】
将軍 ━┳━ 大老(たいろう) : 将軍を補佐する最高職。臨時に置かれ、譜代大名の中でも石高の高い家の者のみなれた。
┃
┣━ 老中(ろうじゅう) : 複数による合議制で、大名の統制他、全国的なことがらについてとりあつかう。
┃ ┣━ 江戸町奉行 (えどまちぶぎょう) : 江戸の行政、治安、司法を担当する。
┃ ┣━ 勘定奉行 (かんじょうぶぎょう) : 幕府の会計な、天領の収税どを担当する。
┃ ┣━ 遠国奉行 (おんごくぶぎょう) : 大阪、京都、長崎など幕府の直轄地の行政、治安、司法を担当する。
┃ ┗━ 大目付 (おおめつけ) : 大名の動向を監視する。
┃
┣━ 側用人(そばようにん)・御側御用取次(おそばごようとりつぎ)
┃ : 将軍の側近で、将軍と老中の間をとりついだ。将軍の命令を直接受けるので、老中よりも権力があった場合もある。
┃
┣━ 若年寄(わかどしより) : 複数による合議制で、旗本・御家人の統制他、将軍家まわりのことがらについてとりあつかう。
┃ ┗━ 目付 (めつけ) : 旗本・御家人の動向を監視する。
┃
┣━ 寺社奉行 (じしゃぶぎょう) : 全国の寺と神社を統括する。
┣━ 京都所司代 (きょうとしょしだい) : 京都にいて、皇室や公家との取次と監視を行う。
┗━ 大坂城代 (おおさかじょうだい) : 将軍に代わって大阪城を預かる。
</pre>
</div>
==== 武士と庶民 ====
:秀吉の刀狩によって、武士の身分(士分)と民衆が明確に分けられましたが、江戸幕府はそれを引き継ぎ、「'''士農工商'''」という身分制を確立しました。「'''士'''」は武士、「'''農'''」は農民、「'''工'''」は大工や{{ruby|鍛冶屋|かじや}}などの職人、「'''商'''」は商人のことです。なお、以前は、身分がこの順にあったと言われていましたが、現在では「士分」とその他は身分差があるが、「農工商」の庶民には身分の差がなかったというのが定説となっています。すなわち、庶民は武士にはなれないけれども、「農工商」の間では比較的自由にその職業につけたということです。ただし、農民になるのは、農地を持たないといけませんが、それはむずかしかったので、職人や商人が農民になることはまれだったと考えられます。
:武士は、苗字を公式に名のることと刀を所持し外でさすこと(あわせて、'''{{ruby|苗字帯刀|みょうじたいとう}}'''といいます)、庶民が武士に対して失礼({{ruby|無礼|ぶれい}})な行為があったときには「{{ruby|無礼討|ぶれいう}}ち」と言ってその場で斬り殺しても良いこと({{ruby|切捨御免|きりすてごめん}}<ref>実際、そのようなことをすると、庶民の反発をまねくので、本当に「無礼」な行為があったかを証人などを呼んで裁判し、簡単に認められるものではありませんでした。</ref>)などの特権がありました。
:;農村の生活
::農村は、検地によって収穫高が明らかにされていたので、それにもとづいた{{ruby|年貢|ねんぐ}}をおさめました。年貢の割合は、収穫の4割から5割で、これを「{{ruby|四公六民|しこうろくみん}}・{{ruby|五公五民|ごこうごみん}}」と言って、各農民ではなく村を単位としておさめていました<ref>これを、{{ruby|村請|むらうけ}}といいます。</ref>。農民は、自分の土地を持った{{ruby|本百姓|ほんびゃくしょう}}と、自分の土地を持たず本百姓の農地をたがやすなどして生活する{{ruby|水呑百姓|みずのみびゃくしょう}}がありました。
::農地は、1643年{{ruby|田畑永代売買禁止令|でんぱたえいたいばいばいきんしれい}}が出され、売買が禁止され代々相続されるものとなりました。また、同年{{ruby|田畑勝手作禁止令|でんぱたかってづくりきんしれい}}が出され、米以外の作物は勝手に作ることはできませんでした。
:;町人の生活
::職人や商人は主にそこをおさめる大名やその代官の屋敷の周辺に町([[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|城下町|じょうかまち}}]])を作り住むようになっていました。商業は、市が開かれるたびに取引を行うのではなく、定住して「店」であきなうようになりました。
::職人は、{{ruby|親方|おやかた}}に{{ruby|弟子|でし}}入りし、仕事を手伝いながら、仕事を覚え、やがて一人前になり独立するという{{ruby|徒弟制|とていせい}}になっていました。商人は、まず、{{ruby|丁稚|でっち}}として店に入り、やがて、{{ruby|手代|てだい}}・{{ruby|番頭|ばんとう}}となって、{{ruby|暖簾分|のれんわ}}けで独立するというものでした。職人も商人も、弟子や丁稚のころは、給金とかもらえず住み込みで働く{{ruby|年季奉公|ねんきぼうこう}}という形が一般的でした。
:職業の選択はこのように自由にできるものではなく、また、人の移動は厳しく制限され、各地に関所がもうけられ、ここを通るのに通行手形が必要でした。
:江戸時代になって、戦国時代や安土桃山時代に比べて、庶民の生活は安定したのですが、一方で移動の自由や職業選択の自由が失われたものとなったとも言えます。
==== キリスト教の禁止と鎖国 ====
:[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#バテレン追放令|キリスト教は秀吉の時代に禁じられました]]が、江戸幕府においてもひきつづき禁じられていました。同様に、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#南蛮貿易|ポルトガルやスペインとの南蛮貿易]]は続けられており、そこで宣教師との行き来がありました。
:1600年{{ruby|豊後|ぶんご}}(現在の大分県)に'''オランダ'''の船リーフデ号が流れつきます。ポルトガル人とスペイン人以外の初めてのヨーロッパの人たちです。家康は、流れついた人の中からオランダ人の'''ヤン・ヨーステン'''とイギリス人の'''ウィリアム・アダムス'''<ref>後に、{{ruby|三浦按針|みうらあんじん}}と名を改めます。</ref>をめしだして、外国のことを聞くようになりました。これ以降、ポルトガル人たちに加えてオランダ人などが日本に来るようになりました。オランダ人たちはポルトガル人などに比べ、キリスト教の布教には熱心ではなく、また、そのことが幕府にも伝わりました。ポルトガル人やスペイン人を南蛮人と呼ぶのに対して、オランダ人やイギリス人は{{ruby|紅毛人|こうもうじん}}とよばれました。
:家康は、秀吉同様海外貿易に熱心で、東南アジアの国々<ref>{{ruby|安南|あんなん}}(現在のベトナム)、スペイン領であったフィリピンのマニラ、カンボジア、シャム(現在のタイ)、パタニ(マレー半島中部の国、現在のマレーシア)などに派遣しました。</ref>と交流を持って、{{ruby|朱印状|しゅいんじょう}}と呼ばれる貿易の許可証<ref>日本人には日本からの出国を外国人には日本への入国を認めるもので、もともとは秀吉が始めました。</ref>を発行して貿易を認めました。朱印状を持った船を{{ruby|朱印船|しゅいんせん}}と言い、この貿易を'''朱印船貿易'''と呼びます<ref>中国(明王朝)は、日本の入国を禁止していましたし、朝鮮は、対馬の大名{{ruby|宗|そう}}氏が代表していたので、朱印船貿易の相手ではありませんでした。</ref>。
:1612年南蛮貿易をめぐって幕府の役人に{{ruby|汚職|おしょく}}事件がおこり<span id="岡本大八事件"/>、この関係者がキリシタンであったことから、幕府は大名と幕臣、江戸、京都など幕府の直轄地でのキリスト教の信仰を禁じました。1614年にはこれを全国に広げ、各地の教会を破壊し、宣教師や主だったキリスト教徒を国外に追放しました。
:その後も幕府は、中国船を含めた外国船の入港を制限したり、宣教師や信者を見せしめに処刑したりしてキリスト教の禁止を徹底しようとしましたが、宣教師が密かに来日して布教する例があとをたちませんでした。
:そんな中、1637年、現在の長崎県にある{{Ruby|島原|しまばら}}半島(現在の長崎県)から海をへだてた{{Ruby|天草|あまくさ}}諸島(現在の熊本県)にかけての一帯で、農民3万人あまりによる、大きな[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一揆|{{Ruby|一揆|いっき}}]]が起きました。原因は、領主が領民に重い{{ruby|年貢|ねんぐ}}を課したこととキリシタンへの{{Ruby|弾圧|だんあつ}}でした。一揆の中心は、当時16才の{{Ruby|天草四郎|あまくさしろう}}という少年でした。幕府は12万人ほどの大軍を送り、4か月ほどかかってこれをしずめました。これを、「'''島原の乱'''」または「'''島原天草一揆'''」と言います。島原の乱は、戦死・処刑された農民などが2万人から3万人になり、幕府側も死傷者が8000人以上という江戸時代最大の百姓一揆で、これを最後に、これから、明治維新の戊辰戦争まで230年間、日本国内での争いことで100人をこえる死者が出ることがない、世界的にも珍しい平和な時代となりました。
[[ファイル:Plattegrond van Deshima.jpg|thumb|200px|出島を空から見た図]]
:これが決め手となって、1639年、幕府は、ポルトガルの来航を禁じ、貿易の相手を、中国以外は'''オランダ'''だけに限って、さらに、長崎の'''{{Ruby|出島|でじま}}'''だけでこれを認めることになりました。幕府は、出島に入ることのできる日本人は、幕府の役人や、許可を得た日本人のみに制限していました。これを、'''{{ruby|鎖国|さこく}}'''と言います。
:江戸幕府は長崎のオランダ{{Ruby|商館長|しょうかんちょう}}に、外国のようすを幕府に報告させるための報告書の提出を義務づけました。
:このように日本でのヨーロッパ人と日本人とのかかわりを制限していった結果、日本では、江戸幕府が貿易の利益と西洋についての情報を{{Ruby|独占|どくせん}}しました<ref>朱印状は、一部の大名にも発行されたため、その大名は直接海外との貿易ができたのですが、1631年にさらに、幕府が発行する「{{Ruby|奉書|ほうしょ}}」が必要となり、大名が海外と貿易をすることはできなくなっていました。</ref>。
{{-}}
[[Image:Jesus on cross to step on.jpg|thumb|180px|踏み絵]]
;{{ruby|宗門人別改帳|しゅうもんにんべつあらためちょう}}<span id="寺請制度"/>
:島原の乱のあと、キリスト教への取りしまりは、いっそう{{Ruby|厳|きび}}しくなりました。キリスト教をかくれて信じる人をとりしまるため、定期的に調査をして人々にイエス・キリストなどがえがかれた銅板の{{ruby|踏|ふ}}み絵を踏ませ、踏めなかった者はキリスト教徒であるとして{{Ruby|処罰|しょばつ}}しました。これを、{{ruby|宗門改|しゅうもんあらため}}といいます。
:また、寺にキリスト教徒でないことの証明書({{ruby|寺請証文|てらうけしょうもん}})を出させる代わりに、お葬式や{{ruby|供養|くよう}}をその寺だけでする{{ruby|寺請|てらうけ}}制度<ref>{{ruby|檀家|だんか}}制度とも言います。</ref>もできました。
:寺請の結果は一人一人、「{{ruby|宗門人別改帳|しゅうもんにんべつあらためちょう}}」という帳簿に残され、奉公や結婚で土地を離れる時には、寺から寺請証文を出してもらって、うつり住む土地で新たに帳簿に書き込むという習慣ができて、これが、現在の{{ruby|戸籍|こせき}}や住民基本台帳と同じ役割をはたすようになりました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="オランダ"/>オランダ
[[File:LocationNetherlands.png|thumb|250px|オランダの位置]]<small>
:オランダは、ヨーロッパ中西部、ライン川というスイス、フランス、ドイツを流れヨーロッパの水運で最も重要な川の河口にある国です。「オランダ」はその中の州の名前で、正式には'''ネーデルラント'''と言います<ref>ただ、日本人がネーデルラントを「オランダ」と呼ぶことは、オランダ人も認めています。英語で「日本」を「Japan」と呼んでいるようなものです。</ref>。
:このころ、オランダはスペインの王室の支配下にあって、独立を争って戦争をしていました(オランダ独立戦争 1568年〜1648年)。オランダは、ゲルマン系オランダ人の国で、言葉や習俗はドイツやイギリスに近く、一方、スペインはイタリア・フランス・ポルトガルといったラテン系の国です。また、当時のヨーロッパでは、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#宗教改革|カトリックとプロテスタントが対立]]していて、スペインはカトリックを支持していたのに対して、オランダ人の多くはプロテスタントでした。
:独立戦争は続いていましたが、1600年頃までにスペインからほとんど独立していたオランダは、当時、ヨーロッパで最高の造船技術<ref>この時代、オランダの造船技術が高かった理由の一つに、オランダの風車を利用して製材が盛んであったことが挙げられます。</ref>をいかして海洋貿易に進出します。
:1602年オランダは、アジア貿易のために、「'''東インド会社'''<ref>世界最初の、{{ruby|株式|かぶしき}}会社と言われています。なお、1600年イギリスにも同名の会社がつくられています。</ref>」という会社を作って、それまで、この地域の貿易の中心であったポルトガルの地位をうばいました。
:オランダは、幕府に近づいて、日本の海外に対する貿易の独占的な地位を得ました。オランダとの貿易品には以下のものがあります。
:*オランダからの輸入品のほとんどは、中国産の{{Ruby|生糸|きいと}}・{{Ruby|砂糖|さとう}}・毛織物でした。ときどき、ガラスや望遠鏡や時計などの、めずらしいものも輸入されました。
:*日本からの輸出品としては、金・銀・銅などの金属や{{Ruby|陶磁器|とうじき}}などでした。陶磁器が割れないようにつめた紙くずに浮世絵があり、それがヨーロッパに浮世絵が伝わるきっかけになりました。
</small>
|}</div>
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="日中貿易"/>中国との貿易<small>
:[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#南蛮貿易|南蛮貿易]]でもオランダ船による貿易であっても、日本が最も必要としたのは、生糸・絹織物<ref>この時代の、日本の絹は品質が悪く良いものは中国からの輸入品ばかりでした。</ref>、陶磁器といった中国で生産されるものと、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#永楽通宝|永楽通宝]]のような貨幣でした。では、中国商人が直接取引をすればよいではないかという話になりそうですが、それは、簡単な話ではありませんでした。
:明の王朝は14世紀から[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#倭寇|{{ruby|倭寇|わこう}}]]<ref>倭寇は、14世紀に[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#勘合貿易|足利義満が勘合貿易を始めた]]ことで一時収まりますが、その後、勘合貿易をまかされていた大内氏がほろびた1550年代以降、海賊がまた増え、これも倭寇と呼ばれました。ただし、16世紀になってからの倭寇は、ほとんどが中国人でした。</ref>になやまされて、海外貿易をしばしば禁止しました。
:1644年、明は国内の反乱によってほろび、その反乱軍も中国北部の国'''{{ruby|清|しん}}'''<span id="清"/>によってほろぼされます。
:清の建国に反抗して、明の家臣などが台湾にのこり{{ruby|抵抗|ていこう}}していました。清の王朝は、これを取り締まるため、清への[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#朝貢貿易|朝貢貿易]]以外は、明と同じように海外貿易を禁止しました。
:日本としては、中国の産品を手に入れにくくなったのですが、以下のとおり対応し輸入にたよらなくてもよくなりました。
:#生糸・絹織物については、江戸幕府や各藩が、改良に努め、江戸時代の中期には輸入を制限できるほど品質が上がりました。明治になると日本の代表的な輸出品になります。
:#陶磁器については、朝鮮出兵で多くの朝鮮人陶工を日本に連行し、{{ruby|有田焼|ありたやき}}・{{ruby|薩摩焼|さつまやき}}など、薄く固い陶磁器の技術を確立しました。
:#永楽通宝など貨幣については、1636年幕府は{{ruby|銭座|ぜにざ}}を開いて、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#寛永通宝|{{ruby|寛永通宝|かんえいつうほう}}]]'''を発行し国内の通貨だけで取引ができるようになりました。
:一方で、日本からの輸出品は、金や銀、人(奴隷、戦国時代敵国の領民をさらって売った)、海産物加工品({{ruby|干|ほ}}し{{ruby|鮑|あわび}}、干しナマコなど)でした。秀吉の天下統一以降は、奴隷の輸出はほとんどなくなり、金や銀ばかりになったのですが、日本国内でも商業が盛んになるなどして、金や銀を国外に持ち出すと貨幣が足りなくなり困るようになりました。
:こうして、江戸時代になると、中国との貿易の必要が少なくなって、江戸幕府は明が清になったのちも、朝貢貿易はやりませんでした。中国との取引は、金銀銅と言った貴金属を支払いなどに使わないようになり、長崎における、その他の取引も次第に重要なものではなくなっていきました。
</small>
|}</div>
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="鎖国"/>鎖国までの道のり<small>
:秀吉も家康もキリスト教の布教を禁止し、ポルトガル人やスペイン人の宣教師は国外へ追放しましたが、南蛮貿易は、大きな利益をもたらしていたため、そのまま継続し、それにかかわる宣教師以外のポルトガル人などの往来は自由になされていました。そのため、幕府などに隠れて布教は進み、キリシタンの数は増えていきました。
:1609年から1612年にかけて起こったポルトガルとの貿易に関するキリシタン大名{{ruby|有馬晴信|ありまはるのぶ}}をめぐる事件からは、家康側近{{ruby|本多正純|ほんだまさずみ}}の家臣でキリシタンである{{ruby|岡本大八|おかもとだいはち}}の高額な{{ruby|賄賂|わいろ}}の受け取りや、長崎奉行{{ruby|長谷川藤広|はせがわふじひろ}}暗殺陰謀など、数々の{{ruby|不祥事|ふしょうじ}}が発覚し、ヤン・ヨーステンなどの進言もあって、家康はポルトガルとの付き合いに不信感を持つようになりました。
:1616年幕府は、明船以外の外国船との貿易を{{Ruby|長崎|ながさき}}と{{Ruby|平戸|ひらど}}のみに制限しました。
:それでも、1620年商人といつわってスペイン人宣教師が日本に入国しようとした事件があり、それをきっかけに1622年長崎でとらわれていた宣教師とキリスト教徒55人を処刑するなど、幕府はキリスト教対策に追われ、1624年、まず、スペイン人の来航を禁止しました<ref>ポルトガルとの通商が認められたのは、ポルトガルはマカオを有しており、中国との間の取引が、オランダだけでは不安だったからです。</ref>。
:幕府は、その後も規制を強め、1631年朱印状以外に老中の奉書を必要とするようにし、大名や日本人商人の朱印船をなくし、1635年には外国船の入港を長崎のみに限定、東南アジア方面への日本人が国外に出ることと[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#日本人町|東南アジアに住んでいた日本人]]の帰国を禁止しました。
:また、南蛮貿易の最大の目的である中国は、1619年以降{{ruby|女真|じょしん}}族({{ruby|満州|まんしゅう}}族、のちの[[#清|清王朝]])の南下と国内の反乱で国内が混乱し、貿易品も少なくなっていました。
:島原の乱後1639年の鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、1641年オランダ商館を平戸から出島に移し、鎖国は完成しました。
</small>
|}</div>
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="島原の乱"/>島原の乱<small>
:この地域は、海をへだてて隣接しており、島原地方は{{ruby|有馬晴信|ありまはるのぶ}}、天草地方は{{ruby|小西行長|こにしゆきなが}}と、もともとともにキリシタン大名がおさめていたところでした。天草地方は、1600年、小西行長が関ヶ原の戦いで西軍について、やぶれて処刑されたので、唐津(現在に福岡県唐津市)をおさめる{{ruby|寺沢|てらさわ}}氏の領地になっていました。一方、島原地方は、有馬晴信は、[[#岡本大八事件|1612年の幕臣汚職事件]]で処罰されたため、子孫は[[#国替|国替]]となり、かわって、{{ruby|松倉|まつくら}}氏がおさめていました。
:島原では、松倉氏が、あらたに城を作るなどのために農民から非常に重い年貢をとりたてていました。また、キリスト教徒への迫害もはげしく、{{ruby|棄教|ききょう}}<ref>キリスト教を信仰することをやめること。</ref>をするように、きびしい{{ruby|拷問|ごうもん}}をしたり、棄教しない者は処刑したりしていました。天草でも、寺沢氏が同様に農民に重い年貢をかけ、キリスト教とを迫害していました。
:島原には有馬晴信に、天草には小西行長につかえていた元武士の庶民が数多く残っていて、この人たちが集まって反乱を起こすことをくわだてました。総大将には、キリシタンの間で人気のあった当時16歳の{{Ruby|天草四郎|あまくさしろう}}(小西行長の家臣の子)をむかえました。キリシタンを総大将にしたのは、ポルトガルが応援することを期待したのではないかと言われています。
:島原と天草で、ほぼ同時に兵をあげ、天草でもいくつかの城を落としましたが、ばらばらに戦うことは不利ということで、天草の一揆の人々は、島原にうつり、有馬氏の城であった原城にこもりました。この数は27000人から37000人にのぼると言われています。
:この一揆は、領主によるきびしい政治が主な原因で、一揆の農民はキリスト教徒ばかりではなかったのですが、幕府は禁止するキリスト教徒の反乱として、九州各地の大名に兵を出すように命じこれを鎮圧しようとしました。最初は、役職の軽い大名に指揮を取らせようとしましたが、九州の大名は大大名が多く、この指揮をとる大名に従わなかったため、うまくいかず、幕府側は多くの死傷者をだします。幕府はこれに替えて、将軍家光の側近であった老中{{ruby|松平信綱|まつだいらのぶつな}}を総大将に派遣し、12万人の軍勢によって、原城にこもった人々は皆殺しにされ、一揆は鎮圧されました。
</small>
|}</div>
==== 江戸時代の北海道と沖縄 ====
:現在の北海道と沖縄県は戦国時代まで、朝廷の支配に服することもなく、今まで学習してきた日本の歴史と違う歴史を歩んできました。戦国時代後期になって、日本本土でもこの2つの地域との関係がもたれるようになります。江戸時代になると、北海道には、 {{Ruby|松前藩|まつまえはん}}がおかれ、沖縄は、{{ruby|薩摩|さつま}}藩を通じて本土と深く関係するようになりました。
; {{Ruby|北海道|ほっかいどう}}<span id="北海道"/>
:北海道は、日本人(和人)には、古くからそこにあることは知られていましたが、稲作かできる北の限界より北にあって、税をはじめとした、日本の生活をおくるのはむずかしい土地でした。そこには、今はアイヌ民族と呼んでいる人々が住んでいました。日本本土ではこの人々を、「'''えみし'''<ref>平安時代ころまでは東北地方で、朝廷に反抗する人々の意味で、アイヌ民族だけをさしたものではありませんでした。この当時、この人々を征服するために作られた役職が「[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|征夷大将軍]]」です。</ref>」または「'''えぞ'''」(漢字はどちらも「蝦夷」という字を当てます)と呼んで、北海道のことは「{{ruby|蝦夷地|えぞち}}」と呼んでいました。
:平安時代の末期から、北海道の最南端に和人が住みはじめました。この人たちは主にアイヌの人たちと物々交換(交易)をしていました。アイヌからは、乾燥したサケ・ニシン・クマやキツネの皮・矢羽の原料とする鷹の羽・海草・木材を、和人はそれに替えて鉄製品・漆器・米・木綿などと交換していました。
:この、居住和人を取りまとめていた豪族の中から、{{ruby|蠣崎|かきざき}}氏が有力なものとなり、秀吉に領主としての地位を認められ、1599年居城の{{ruby|松前|まつまえ}}城から{{ruby|松前|まつまえ}}氏とあらため、家康によってアイヌとの交易は松前氏が独占することが認められました。松前氏はのちに大名としてあつかわれますが、大名で唯一、米の収穫高(石高)ではなく商品の取引量で大名の格が決まる藩でした。
:17世紀に入ると中国の北部から{{ruby|樺太|からふと}}島などをとおって中国の物品が入ってきて、アイヌの人々が和人に伝えましたが、交易の条件などで対立することもあり、17世紀の中ごろの'''シャクシャイン'''の反乱のように和人とアイヌの人々の間で争いが生ずることもありました。
;沖縄 - {{Ruby|琉球|りゅうきゅう}}王国<span id="琉球王国"/>
:現在の沖縄県にあたる地域は、歴史上ずっと日本民族が居住していたところですが、朝廷や幕府などの支配にはならない地域でした。
:14世紀頃から沖縄本島に小さな国が分立し明に朝貢していましたが、15世紀に統一され、{{Ruby|琉球|りゅうきゅう}}王国が誕生しました。
:江戸時代の初めごろ、{{ruby|薩摩|さつま}}の{{ruby|島津|しまづ}}氏が攻め入って、服従させました。ただし、国の形は琉球王国のままで、毎年、薩摩藩へ{{ruby|貢納|こうのう}}を強制しました<ref>薩摩藩は、琉球王国の石高を約9万石と見積もり、年に約1万石の貢納を要求しました。琉球王国の全ての生産の1/9ということです。また、沖縄は長い川や広い平野が少なく大規模な稲作ができなかったため、薩摩藩は、代わりにサトウキビを栽培させ、砂糖をおさめさせていました。</ref>。薩摩藩が琉球王国のままとしたのは、中国との[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#朝貢貿易|朝貢貿易]]を続けさせるためした。琉球王国は、明に続いて清にも朝貢し、中国の産物を手に入れ、それを薩摩藩が日本国内に売って利益を得ていました。
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>
<references/></small>
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{{前後
|type=章
|[[小学校社会/6学年/歴史編]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代|戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ|江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ]]
}}
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6]]
[[Category:小学校社会|6ねん]]
[[Category:小学校社会 歴史|#09]]
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小学校社会/6学年/歴史編/戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで
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2022-08-10T12:35:57Z
Tomzo
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|+ この章の概要
|<!--(サ)日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦,日本国憲法の制定,オリンピック・パラリンピックの開催などを手掛かりに,戦後我が国は民主的な国家として出発し,国民生活が向上し,国際社会の中で重要な役割を果たしてきたことを理解すること。-->
★時代区分:昭和時代、平成時代、令和</br>
★取り扱う年代:1926年(昭和改元)以降
; 戦争への道
: 1926年昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました。
: 日本経済は、第一次世界大戦終結後、長く低迷を続けていましたが、1929年に'''世界恐慌'''が起きるとさらに景気が悪くなりました。人々の一部は、中国東北部(満州)の開発で、これを解決しようとしました。こうして、'''中華民国'''との間に対立が生まれ、1931年から戦争状態となります。全世界を見ても、世界恐慌から回復しようと自国を優先した政策をとるようになります。こうして、世界は第一次世界大戦前のような状態になってきました。特に1919年ロシア革命で生まれた'''ソビエト連邦'''(ソ連)に対しては、日本はドイツ・イタリアと同盟するなど各国から警戒されました。こうした中、1939年ドイツはポーランドに侵攻し'''第二次世界大戦'''が始まりました。1940年、ドイツはフランスに侵攻、1941年にはソ連に侵攻するなど戦争が拡大しました。日本は、中国との戦争を非難するアメリカ合衆国との交渉がうまくいかず、1941年ドイツ側に参戦し、アメリカやイギリスと戦うことになりました。この戦争は、戦車や飛行機といった最新の強力な兵器が使われ、大量の犠牲者が出ました。日本も、中国をはじめとしたアジア各地で住民に損害を与えた一方で、戦争の後期には、日本各地で'''空襲'''を受け、沖縄は全土が戦場となり、そして、広島・長崎に'''原子爆弾'''が落とされるなど、歴史上見なかった被害を出して、戦争に敗れました。
; 民主国家日本の誕生と発展
: 日本は、戦勝国であるアメリカ合衆国の占領下に入り、その下で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三大原則とした'''日本国憲法'''が制定されるなどさまざまな民主化政策が行われます。そうして世の中が安定すると、日本は品質の高い工業製品を世界中に輸出することで、経済力を回復し('''高度経済成長''')、国民生活が向上すると同時に、国際社会の一員として復帰しました。その象徴が、1964年に開催された'''東京オリンピック'''と'''パラリンピック'''です。その後も、万国博覧会、2回の冬季オリンピックやサッカーワールドカップなど世界的な催し物を開催できるようになりました。2021年世界中が'''コロナ禍'''で沈む中、2回目の'''東京オリンピック・パラリンピック'''を開催したことは記憶に新しいところです<!--指導要領に「1964年に開催された東京オリンピックとパラリンピック」が強調されており、無視するわけにもいかず付言する。指導要領作成時にはこの事態は当然想定しておらず、成功する前提で話題としているに違いない-->。
|}
== 世界の変化4 ==
:この章では、1925年に日本が昭和となってからの歴史を述べます。
:しかし、この時代になると、日本も国際社会の登場人物の一人として振る舞わないといけないようになっていました。そして、世界中を巻き込んだ戦争が世界を大きく変えます。昭和以降の歴史は、その世界の歴史の一部です。
:'''この節は、[[#世界の変化3|前の節]]同様、小学校で学習する範囲を超えていますが、昭和以後の日本の歴史に大きく関わる第二次世界大戦がなぜ起きたのか、その後、「世界」はどうなったのかということを理解できていないと、昭和以降の日本の歴史を深く理解することはできません。また、別の機会に学ぶ、「我が国の政治の働き」について、日本国憲法の成り立ちや、そこで強調される国民主権、平和主義、国民としての基本的人権が、決められた経緯などは、まさに、この歴史的な動きの中で成立したものです。'''
:この節では、ここでは、「世界恐慌・大恐慌」「ファシズム」という言葉がキーワードになります。
[[File:Ford modelle 1924.jpg|thumb|200px|1924年、フォード車生産累計1000万台達成時の記念写真。ヘンリー・フォードの両側に、1896年の最初の試作車と、1000万台記念のモデルTが並ぶ。]]
[[File:Depression, Breadlines-long line of people waiting to be fed, New York City, in the absence of substantial government... - NARA - 195524.tif|thumb|200px|食料配給に並ぶ失業者たち。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1969-054-53A, Nürnberg, Reichsparteitag.jpg|thumb|200px|ヒトラー(前を歩くヒゲの人物)とナチス幹部]]
;第一次世界大戦後のアメリカの好景気
:第一次世界大戦後にあっても1920年代を通して、米国は、ヨーロッパにおける復興の需要などがあって景気を維持していました、そのため、米国においては、生産力を増大させるための工場などの投資が引き続きなされ、庶民の間ではローンを組んでの住宅投資などがなされました。また、'''ヘンリー・フォード'''は、1908年に大量生産によって価格を安くして一般人にもT型フォードという自動車を発売し、それが、1920年代の好景気を受け、急激に普及しました。戦争の間、通信の手段として一般に解放されていなかった無線技術を使った'''ラジオ放送'''が1920年解禁され放送局ができて、人々はラジオを買い求めました。また、人々は財産を貯めるために株式を購入し<ref>米国の人々は、お金を貯めるのに、日本と違って銀行へ預金するのではなく、株式を購入する傾向があります。それは、現在も同じです。</ref>、株式価格も{{ruby|高騰|こうとう}}<ref name="高騰暴落">「高騰」は「値段が上がる」こと、「暴落」は株式などの値段が、急激に下がることを言います</ref>する傾向にありました。
;世界恐慌
:しかし、第一次世界大戦終了後、10年も経過すると、ヨーロッパ各国も落ち着きを取り戻し、工場なども再建されて、米国での工業生産は余るようになっていました。一方で、好景気が続いたため物価が上がり('''インフレーション'''・インフレ)、中央銀行はこれを抑えようと金利を上げるなどの対策をとっていました。
:そのような状況の中、1929年(昭和4年)10月24日ニューヨーク株式市場で一部の株式が{{ruby|暴落|ぼうらく}}<ref name="高騰暴落"/>しました。株式市場で、値が下がり始めると、それから逃れようとして持株を売って現金にしようとする人が増えます。すると、ますます、株式の値が下がるという悪循環におちいります。こうして、1週間ほどで、米国の株式は半分ほどの価格になってしまいました。100万円あったと思っていた預金が50万円になったようなものです。
:この大暴落を機会に米国は急激に不景気となります。米国からの投資や米国への輸出で景気を保っていたヨーロッパもこれに巻き込まれます。こうして、世界中が深刻な不景気となりました。これを、'''{{ruby|世界恐慌|せかいきょうこう}}'''または'''{{ruby|大恐慌|だいきょうこう}}'''と言います。
;世界恐慌に対する各国の対応
:20世紀になって先進国各国において、工業化が進んで労働者の数が多くなったことや労働組合のやり方が広く知られるようになったことを受けて、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#労働運動|労働運動]]はますます激しいものになっていました。特に第一次世界大戦後は、徴兵されて戦場に向かった兵士に多く工場労働者が含まれるようになったことで、労働者の発言力が強まりました。また、ソ連の成立が、これらの労働運動を勢いづけたという面もあります。世界恐慌で企業の経営があやうくなると、雇用も不安定になるなど、労働者の立場は不利になりました。各国では、大規模なストライキを含んだ労働運動が展開され、また、あわせて社会主義者や共産主義者の活動が目立つようになりました。
:<span id="ファシズム">このような、社会主義者や共産主義者の動きについて、ほとんどの先進国の政府は警戒します。また、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#反社会主義|先進国の民族主義者たち]]は、政党を作って社会主義運動に対抗し、外国資本の進出に抵抗しました。イタリアでは、'''ベニート・ムッソリーニ'''が'''ファシスト党'''を、ドイツでは'''アドルフ・ヒトラー'''が'''ナチス党'''<ref>正式な名称は「国民社会主義ドイツ労働者党」で「ナチス」は{{ruby|軽蔑|けいべつ}}の意味も込めた略称です。しかし、広く使われている呼び名なので、以下、「ナチス党」で統一します。</ref>を結成し、社会主義運動と争いました。このような、政党を'''ファシズム'''の政党といいます。
:自国の景気を回復させるため、広い植民地を持つイギリスやフランスは、植民地との結びつきを強くし、その他の国との貿易を関税を高くするなどして制限しました。これを'''ブロック経済'''と言います。他の国も同様の制限をしたのですが、植民地がほとんどないドイツやイタリアには経済の後退をもたらしました。特にドイツは、第一次世界大戦の賠償金のをまだ支払っていたところであったので、国民経済の{{ruby|窮乏|きゅうぼう}}が激しく社会問題となっていました。この、窮乏に乗じてナチスなどは勢力を伸ばしました。また、ブロック経済は、世界的に見ると経済の循環を悪くさせかえって世界全体の景気回復には悪影響を与えました。
:景気を回復させる、もう一つの方法として、政府が公共事業などを行うことにより、仕事を作って失業者を減らす方法です。<span id=''ヨシフ・スターリン''/>'''ヨシフ・スターリン'''が独裁的な指導者となった、ソ連は計画経済といって、工業生産などを政府が指導して行い、世界恐慌の影響を受けませんでした。米国大統領'''フランクリン・ルーズベルト'''は、恐慌対策の一つとして、電力需要の増加に対応できることもあり、大規模なダムと水力発電所建設の事業などを行いました。イタリアではファシスト党が1922年に、ドイツではナチス党が1933年に政権を取りますが、ファシズムは政府に強い権限を持たせる思想であるため、公共事業などを次々に行い、景気を回復させようとしました。例として、ドイツの高速道路網(アウトバーン)の建設があげられます。こうして、ドイツなどは生産力を回復しましたが、ブロック経済などにより、国内の生産物を売る市場が十分ではなかったため、その政策には限界がありました。
== 戦争への道 ==
:1926年(大正15年)12月25日大正天皇が亡くなり、昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました<ref>昭和元年は12月25日から12月31日までの1週間だけでした。</ref>。
=== 日中戦争 ===
:1919年(大正8年)第一次世界大戦が終わると、翌年には景気が一気に冷え込み、多くの中小企業が倒産するなど不景気になっていました。その間に、首都圏が[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#関東大震災|関東大震災]]に襲われるなどして景気の回復はなかなか見られませんでした。社会不安は進み、社会主義・共産主義などの考えも伝わり、ストライキなどの{{ruby|労働争議|ろうどうそうぎ}}なども各地で見られるようになりました。政府は、それを取り締まるため'''<span id="治安維持法"/>{{ruby|治安維持法|ちあんいじほう}}'''を制定、労働運動を弾圧し、共産党員などを逮捕・収監<ref>刑務所に入れること。</ref>したりしていました。
:日本は、市場や資源を求め、日露戦争でロシアからゆずられた南満州鉄道沿線の開発を進めますが、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#辛亥革命|1911年辛亥革命によって成立した中華民国]]は内部の対立などが合って政府の力が弱く、治安の維持などが十分ではなかったこともあり、沿線の治安維持の名目で日本陸軍などが進駐しました({{ruby|関東軍|かんとうぐん}})。
[[File:Lytton Commission at railway.jpg|thumb|220px|南満州鉄道での爆発現場を調査しているリットン調査団。]]
:一方で、軍部は[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#軍縮|世界的な軍縮の傾向]]によって、軍隊の規模を縮小されたりしていたため政府に不満を持っていました<ref>軍縮によって、職を失った軍人などが社会主義運動などに走ることなども警戒されていました。</ref>。日本から離れた関東軍などは日本政府の命令もなく、要人を暗殺したり、現地の中国人などによる集団と衝突したりしていました。
:そして、1931年(昭和6年)、南満州鉄道での爆発事件をきっかけに、関東軍は軍を進め満州一帯を占領し('''満州事変'''<ref name="事変">「事変」というのは、「事件」・局地的なトラブル程度の軽い意味ですが、お互いの政府が「戦争」ととらえていないだけであって、実際は戦争と変わりありません。戦争というと、当事国以外の国との外交関係などにも影響を与えるため、政府としては大げさなものにしたくなかったものと考えられます。</ref>)、翌1932年(昭和7年)清王朝の最後の皇帝{{ruby|溥儀|ふぎ}}<ref>清朝は、もともと満州地域を本拠地とした女真族の国でした。</ref>を皇帝とした満洲国として独立させます。満洲国は独立国とは言っても、政府には多くの日本人が入り、日本の影響を強く受けた国でした<ref>このような国を{{ruby|傀儡|かいらい}}国家と呼びます。「傀儡」とは「あやつり人形」のことです。</ref>。中華民国政府は、これを抗議して国際連盟に訴えました。国際連盟は、調査団(リットン調査団)を満州に入れ詳細に調査した結果、中華民国の主張を受け入れ、満州地域を中華民国に返すように勧告しましたが、日本はこれを不満として1933年(昭和8年)国際連盟を脱退しました。
:日本国内でも、軍人の暴走が続きました。1932年(昭和7年)5月15日には武装した海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害する事件('''五・一五事件''')が起き、1936年(昭和11年)2月26日には、陸軍青年将校らが約1,500名の兵隊を率いて蜂起し、政府要人を襲撃・殺傷、首相官邸や霞ヶ関の役所街などの一帯を占領するというクーデター未遂事件('''二・二六事件''')が起こりました。どちらの事件も犯人の逮捕及び反乱の鎮圧で解決しましたが、軍部が国の政治に口を出す大きなきっかけとなりました。<span id="軍国主義"/>このように、軍部が国の政治を主導したことを'''{{ruby|軍国|ぐんこく}}主義'''といいます。
:中国では、中華民国政府と中国共産党などの勢力争いが続いており、満州国以外の上海などといった中国本土の都市で経済活動をする日本人は不安な生活を送っていました。関東軍などの中国に駐留する日本陸軍は、これらの人たちの保護のため、満洲国の外に出て、数千人の軍隊を駐留させました<ref>「居留民保護」といって、中国に在住者を持つ欧米各国でも数百人から千人程度の軍隊を駐留させていました。</ref>。1937年(昭和12年)7月7日北部中国の都市北平(現在の北京)の郊外で日本軍と中華民国軍が衝突し、そのまま、両国は戦争状態となりました('''日中戦争'''、ただし、当時の日本政府はこれを戦争ととらえず、「支那事変」「北支事変」「日華事変」<ref name="事変"/>といっていました)。
=== 第二次世界大戦・太平洋戦争 ===
:中華民国政府と敵対する日本は、中国に多くの権益をもつイギリスや、多くの中国人移民を受け入れ、また、中国を大きな市場として期待する米国との関係を悪くします。
:一方で、ソ連他共産主義を警戒するという共通の目的で、ヒトラーのドイツやムッソリーニのイタリアとの関係を強めます。1936年(昭和11年)にドイツとの間に、共産主義の流入を防止する{{ruby|防共協定|ぼうきょうきょうてい}}を締結し、翌年、イタリアもこれに加わります('''三国防共協定''')。
:ドイツは、東ヨーロッパのも領土を多く持っていましたが、第一次世界大戦でほとんど失いました。しかし、そこには、まだ多くのドイツ系の住民が残っていたため、ヒトラーは軍隊を進めるなどして、それらをドイツに取り戻し、欧米各国もこれに抵抗しませんでした({{ruby|宥和|ゆうわ}}政策)。
:[[画像:Second world war europe animation small.gif|thumb|350px|第二次世界大戦のヨーロッパ戦域の動画<br/>青色系がドイツなど枢軸国側、赤色系がイギリスなど連合国側です。ソ連は最初のうちは立場が不明確であったため緑色で表されています。]]
:1939年8月23日ドイツはソ連との間に、お互いを侵略しないことを約束する'''独ソ{{ruby|不可侵|ふかしん}}条約'''を結びます。これは、「防共」の趣旨に反するもので、日本をはじめとした各国を混乱させます<ref>当時の首相であった{{ruby|平沼騏一郎|ひらぬまきいちろう}}は「欧州の天地は複雑怪奇」との言葉を残し、8月28日内閣総辞職します。</ref>。
:そして、その直後の9月1日ドイツは東の隣国ポーランドに軍隊を進め、同月17日ソ連も東からポーランドに攻め込み、ポーランドは独ソに分割されました。イギリスとフランスはポーランドと相互援助協定があったため9月3日ドイツに宣戦布告しました。こうして、再びヨーロッパで世界的な戦争が起こります。これを、'''{{ruby|第二次世界大戦|だいにじせかいたいせん}}'''といいます。
:1940年になるとドイツ軍は、西側に戦力を投入しオランダ、ベルギー、フランスをせめ、6月までに各国を降伏させました。同年9月日本とドイツとイタリアは、まだ参戦していない米国を警戒して'''日独伊三国同盟'''を結びます。これ以降、日独伊側の国を'''{{ruby|枢軸|すうじく}}国'''<ref>「枢軸」とは、それを中心にして回るコマの軸のようなものを言います。ムッソリーニが、「ヨーロッパをローマ(イタリア)とベルリン(ドイツ)を軸にして回す」という発言が元になっています。</ref>といい、これに対応する国々を'''{{ruby|連合|れんごう}}国'''といいます。日本は、ドイツの支配下に入ったフランスの植民地である仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐し、フランスに代わって植民地経営を行います。
:1941年4月日本とソ連は'''日ソ中立条約'''を結びます。ところが、その直後である6月ドイツは不可侵条約を破棄し、ソ連に攻め込み、ドイツとソ連は戦争状態となり、連合国にソ連が加わりました。
:日中の争いに米国とイギリス、オランダ<ref>当時、オランダはジャワ島など現在のインドネシアを植民地としていて、日本はそこから原油を輸入していました。</ref>は中国を支援して貿易などを制限する立場を取りました。これを'''ABCD{{ruby|包囲網|ほういもう}}'''<ref>A(America アメリカ合衆国)、B(Britain;ブリテン、イギリスのことです)、C(China 中国)、D(Dutch;ダッチ、オランダ)の4国によるものです。</ref>といいます。日本は、米国とこの制限について解消するよう交渉を続けましたが、米国は、最終的に、日本の中国からの撤退を条件としてきたため交渉は決裂、日本の首相である'''{{ruby|東條英機|とうじょうひでき}}'''は、米国や英国との戦争を決意しました。
:1941年12月7日、日本は米国ハワイの真珠湾基地とマレー半島のイギリス軍基地を攻撃し、両国に対して宣戦を布告しました('''{{ruby|太平洋戦争|たいへいようせんそう}}'''<ref>戦後の呼び名です。当時は{{ruby|大東亜戦争|だいとうあせんそう}}(東亜=東アジア)と言っていました。</ref>)。このことで、日中戦争は第二次世界大戦のひとつとなり、中華民国が連合国の一国となりましたし、米国が連合国に加わって、日本に対するだけではなく、ヨーロッパの戦争にも参戦するようになります。
:日本は開戦当時、大量の航空機<ref>「ゼロ戦」などが有名です。</ref>を使った攻撃という今までに見られなかった戦い方などで、米英を圧倒し、米国の植民地であったフィリピン、イギリスの植民地であった香港やシンガポールを含むマレー半島やボルネオ島、オランダ<ref>この頃、オランダはドイツに占領されていて、イギリスに渡ったオランダ王室の配下の政府(「{{ruby|亡命政府|ぼうめいせいふ}}」と言います)が治めていました。</ref>の植民地であるジャワ島などインドネシア諸島を占領しました。また、タイ王国と同盟関係を結んで、英領ビルマ(現在のミャンマー)に軍を進め、さらに、北上して英領インドに進軍する勢いをしめしました。
:こうして、1942年年頃までに、世界は枢軸国側と連合国側に大きく分かれ、このころまでは、枢軸国側が、比較的有利に戦いを進めていました。
:なお、この頃からドイツ国内やドイツが占領したヨーロッパの地域では、ナチス党の民族主義にもとづく、<span id="ユダヤ人迫害"/>'''ユダヤ人<ref><span id="ユダヤ人"/>'''ユダヤ人'''とは、もともと、中東の地中海沿岸(現在のイスラエル)に住んでいた民族で、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#キリスト教|キリスト教]]の元になった'''ユダヤ教'''を信仰する人々です。紀元1世紀ごろ古代ローマ帝国の攻撃にあって、イスラエルの土地を追われ、ヨーロッパ各地に散らばりました。ユダヤ人は、自分たちの宗教を守りぬいて、キリスト教に改宗しませんでした。また、新約聖書によると、イエス・キリストはユダヤ教の宗教指導者が訴えたので十字架にかけられたとされているため、キリスト教徒とは敵対的な関係にありました(なお、イエス・キリストは民族的にはユダヤ人です)。多くのユダヤ人は、長い間差別され土地所有などできなかったので、ヨーロッパの地方では生きていけず、都市生活者となり、そこで生きていくために、商業や金融の能力を高めて成功した者も少なくありませんでした。こうしたことが、ねたまれて民族的差別(現在の言葉で言う「ヘイト」)の対象となっていました。</ref>の迫害'''が表立って行われるようになり、ユダヤ人の財産を奪って、強制収容所に送るということがなされていました。強制収容所では多くのユダヤ人が処刑されました。
:1942年8月、ドイツおよびイタリアなど枢軸国は、ソ連南部のスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)に攻め込みます。当初は、枢軸国軍の戦車など近代兵器を大量に投入する作戦により早期に枢軸国が占領することになりましたが、ソ連は、国力を上げて、この街を取り返そうとしました<ref>ドイツが、この街(スターリングラード)の占領にこだわって、ソ連も必死でとりもどそうとしたのかというと、この街の名前のためと言われています。「スターリングラード」は、ロシア語で「[[#スターリン|スターリン]]の街(グラード)」という意味です。</ref>。これはドイツとソ連との戦いの中で最も激しいものとなり、ドイツなど枢軸国は約100万人の軍隊を進め、ソ連は約170万人の兵士で守りましたが、戦死傷者は枢軸国約85万人、ソ連約120万人、住民の死者約20万人を数える悲惨なものになりました。結局、翌1943年2月ドイツが撤退し、それ以降、ヨーロッパの東部ではソ連が優勢になります。
:1943年に入ると、米国の参入が本格化します。北アフリカに上陸した米軍は、北アフリカのドイツ軍とイタリア軍を降伏させ、このまま北上しイタリアを攻撃。9月イタリアは降伏します。
:翌1944年アメリカ軍など連合国はフランスのノルマンディーに上陸し、フランスを回復、そのまま東に攻めていきます。また、東側からは、ソ連が勢いを盛り返して、西に進んでおり、ドイツは挟み撃ちの状態となって、1945年4月ヒトラーは自殺し、ヨーロッパでの大戦は終結します。
:日米は、開戦以来、南太平洋で[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#制海権|制海権]]を争っていましたが、1944年米国は初戦で失った艦船に倍増するほどの船を造船し、この年の末までに航空母艦<ref>戦闘機・爆撃機など軍用機を積んで発着させる軍艦。</ref>をはじめとした日本の軍艦をほとんど沈め、日本は制海権を失います。米国はこの地域に空港を作って、爆撃機を飛ばして、日本本土の各都市に爆弾を落として攻撃('''{{ruby|空襲|くうしゅう}}''')するようになります。
[[画像:Physical damage, blast effect, Hiroshima, 1946-03-13 ~ 1946-04-08, 342-USAF-11071.ogv|right|300px|thumb|thumbtime=5:55 |原爆投下の翌年1946年春、米軍映画撮影隊による爆心地周辺の被害状況映像。]]
:日本は海に囲まれているので、制海権を失うと各地での戦争の継続が難しくなる一方で、1945年に入ると米国の攻撃は激しさを増します。同年4月には沖縄本土に米軍が上陸、4月から7月にかけて東京や大阪といった大都市だけでなく、各地の地方都市も空襲を受け焼け野原になります。<span id="原子爆弾"/>そして8月6日広島に8月9日長崎に'''{{ruby|原子爆弾|げんしばくだん}}'''が落とされ、それぞれ、合わせて20万人以上の死者を出しました。また、ソ連が条約を破って満州などの日本軍を攻撃したことで、日本政府は戦争を継続することはできないと判断し、8月15日連合国に降伏しました。これで、第二次世界大戦は終結します。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#第一次世界大戦の犠牲者|第一次世界大戦は、協商国側・同盟国合わせて、約1000万人の戦死者、約2000万人の戦傷者、約800万人の行方不明者を出し、民間人も約780万人の死亡者を出すと言う悲惨な戦争でした]]が、第二次世界大戦はさらにひどいものとなりました。連合軍側の犠牲者は、軍人の戦死者数約1700万人、民間人の死亡者数3300万人、枢軸国側の軍人の戦死者数約800万人、民間人の死亡者数400万人といったものです。
:日本の場合、220万人程度の戦死者と50万から100万人の民間の死者を出しました。空襲で多くの家や財産が焼き尽くされました。また、満州や朝鮮に約250万人程度の日本人が住んでいましたが、その人たちはほぼ全ての財産を奪われ、約40万人が日本へ帰還の際に亡くなりました。多くの人たちが戦争に協力しようと、財産で{{ruby|国債|こくさい}}(国の借金)を買いました。しかし、その国債は戦後の極端なインフレーションのため400分の1の価値に落ちてしまいました。戦争はこうして人々の生活に大きなきずあとを残したのです。
== 民主国家日本の誕生と発展 ==
=== 戦後社会と冷戦 ===
==== 民主国家日本の誕生 ====
:降伏した日本は、米国の占領下に入りました。敗戦に伴って、以下にあげるとおり、日本は大きく変わりました。
:#日本国の領土は、明治維新当時のものとなりました。そのため、朝鮮半島は独立し、台湾は中華民国の支配に入り、その他南洋諸島なども日本の支配を離れました。サハリン島南部(南樺太)も放棄し、そこにはソ連が進駐しました。なお、{{ruby|択捉|えとろふ}}島・{{ruby|国後|くなしり}}島など北方4島は、明治維新には日本の国土であったため、支配放棄の対象ではありませんが、ソ連は不法にこれを占領し、それが、ロシアに引き継がれ、いまだに解決していません。また、沖縄県は、米国が琉球政府を建てて日本本土と別の政治をおこないました。
:#全ての兵器を差し押さえ、陸軍と海軍を解体しました。
:#米国は、日本が戦争に向かった原因は[[#軍国主義|軍国主義]]にあると考えて、日本の民主化を進めることとしました。
:##占領直後に、政治思想や活動を規制していた、[[#治安維持法|治安維持法]]を廃止し、刑務所に収監されていた労働運動家や共産党員を解放しました。そして、労働組合法が制定され、労働運動は合法的なものとなりました。
:##経済を一部の{{ruby|財閥|ざいばつ}}が独占していたことで、自由な経済活動ができなかったとして、三井、三菱、住友といった財閥は会社や資本の関係をバラバラにされました({{ruby|財閥解体|ざいばつかいたい}})。
:##戦前日本の農業は、農地の所有者である地主に、お金を払って農作物を作る{{ruby|小作|こさく}}制度が広く普及していましたが、実際に耕す人の所有になるべきとの考えから、地主の農地は小作人に分け与えられました({{ruby|農地改革|のうちかいかく}})。
:##これらの改革と同時に、国の政治の根本を見直すために、憲法を変えることになるました。1946年(昭和21年)4月10日、初めて、男女平等の普通選挙による衆議院選挙が行われ、その国会で新たな憲法が議論されて、'''日本国憲法'''として同年11月3日に公布、翌1947年(昭和22年)5月3日<ref>国民の祝日である憲法記念日です。</ref>施行されました。
;日本国憲法
:日本国憲法は、今、私たち日本人が生活するのに基本となっているルールです。社会科の他の単元でも詳しく学習するものですが、ここでは歴史の流れから憲法を考えてみましょう。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#明治憲法|前の章では、明治憲法の特徴について、簡単に説明しました]]。ここでは、新憲法を明治憲法と比較してみましょう。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%;"
|+
! style="width:7%;" |
! style="width:31%;" | 大日本帝国憲法(明治憲法)
! style="width:31%;" | 日本国憲法(新憲法)
! style="width:31%;" | 解説
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!天皇
|国の統治者。
|日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。<br/>天皇は、国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。<br/>天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする。
|一般に明治憲法においては、天皇を統治者(=主権者)とされます。一方、新憲法では国民に主権があると定め、その総意に基づいて天皇は日本国及び国民統合の「象徴」と定めました。
|-
!国会
|天皇に協賛して法律や予算を定める機関。<br/>選挙された議員による衆議院と世襲貴族などによる貴族院で構成される。<br/>改正まで女性に選挙権は与えられなかった。
|国権の最高機関。<br/>選挙された議員による衆議院と参議院で構成される。<br/>選挙権及び被選挙権は性別などで差別してはならない。
|国民から選挙で選ばれた、国会は国の権力を行使する最高機関です。明治憲法で認められていた勅令のような法律と同等の法令は新憲法では認められていません。
|-
!内閣
|国務大臣は天皇を{{ruby|輔弼|ほひつ}}(助言し助ける)する。<br/>内閣総理大臣は憲法に特に定めがなく、天皇が指名する。
|行政権は、内閣総理大臣が長である内閣に属する。<br/>内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名される。
|
|-
!地方自治
|(定めなし)
|その地方に住む住民の自治が尊重され、首長や議会の議員を選ぶことができる。
|地方自治は、明治憲法では特別の位置付けはありませんでした。そのため、都道府県の知事は政府の役人が派遣されていました。新憲法では、住民による自治が明記され、知事や議員は住民が選ぶこととなりました。
|-
!軍隊
|軍隊は天皇が直接まとめひきいる。したがって、内閣や国会は軍隊に口を出してはならない。<br/>国民には、{{ruby|兵役|へいえき}}の義務がある。
|国際紛争を解決する手段として、戦争は行ってはならない。<br/>戦争のための軍隊を持ってはならない。
|
|-
!人権
|法律によって制限できる。<br/> (例)<br/> ・治安維持法<br/> ・国家神道
|憲法に定められた人権は法律によっても制限できない(裁判所の{{ruby|違憲立法審査権|いけんりっぽうしんさけん}})<br/><br/>新たに認められた権利<br/> ・個人の尊重<br/> ・男女の本質的平等<br/> ・労働運動の権利<br/> ・生存権の保障<br/> ・厳格な刑事手続 など
|
|}
</div>
:日本は、新憲法のもと、民主的で自由な国づくりを目指して再出発しました。
==== 世界の変化5 新しい国際社会 - 東西対立と冷戦の社会・南北問題 ====
:第二次世界大戦が終わり、社会主義・共産主義を警戒したファシズムが敗北すると、米国やソ連といった連合国は、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#国際連盟|国際連盟]]が結局第二次世界大戦を防げなかったことを反省し、これを解消して'''国際連合'''がつくられます。米国は、今度は、これに積極的に取り組み、本部をニューヨークに置きました。
:[[ファイル:Cold War Map 1959.svg|thumb|300px|1959年の世界の様子(色分け)<br/>(ワインレッド = ワルシャワ条約加盟国<br/>朱色 = ソ連の他の同盟国(東側諸国)<br/>青紺色 = 北大西洋条約 (NATO) 加盟国<br/>水色 = 米国の他の同盟国(西側諸国)<br/>緑 = 植民地<br/>灰色 = 非同盟諸国)]]
:第二次世界大戦後、社会主義は世界中の政治に強い影響を与えるようになり、世界中で資本主義勢力と社会主義勢力の争いが見られるようになりました。
:戦後ソ連が占領した東ヨーロッパの国々には社会主義の政府が建てられました。ヨーロッパを基準とすると、米国、イギリス、フランスなど資本主義の諸国は西にあったので'''西側諸国'''、一方、ソ連など社会主義の国は東にあったので'''東側諸国'''といい、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を'''東西対立'''と言います。ドイツは、ソ連に占領されていた地域が東ドイツ、米国などに占領されていた地域が西ドイツと、国家が分裂しました。ドイツの首都であったベルリンは、東ドイツの中にあったのですが、米国などが占領していた地域があり、この部分は西ドイツになりました。西ベルリンは東ドイツに囲まれた{{ruby|飛地|とびち}}になりました。東ドイツ政府は、西ベルリンを囲んで壁を構築し、東ドイツの市民が西ベルリンを通過して西側諸国へ行けないようにしました。これが、<span id="ベルリンの壁">「'''ベルリンの壁'''」といって、東西対立の象徴となりました。また、東西の行き来は困難なものとなったため、西側から見て東側との間には「'''鉄のカーテン'''」が引かれているとも表現します。東側諸国は、ソ連を中心にワルシャワ条約機構という軍事同盟を結び、それに対抗して、西側諸国は北大西洋条約 (NATO) という軍事同盟を結んで対立しました。また、中国では、'''{{ruby|毛沢東|もうたくとう}}'''がひきいる中国共産党が、中華民国政府を攻めて、1947年社会主義の国である'''中華人民共和国'''を建国します<ref>中華民国政府は、台湾に逃げ込みます。</ref>。朝鮮半島には、1948年ソ連などの支持を受けた'''朝鮮民主主義人民共和国'''(北朝鮮)と米国などの支持を受けた'''大韓民国'''(韓国)が建国されましたが、1950年北朝鮮は韓国に攻め込み、南北各々米国とソ連・中国の支援を得て激しく戦い、1953年北緯38度線を境に休戦します('''朝鮮戦争''')。
:東西対立には、今までに見られなかった特徴があります。それは、'''核兵器'''の存在です。[[#原子爆弾|広島と長崎に落とされた'''原子爆弾''']]の威力は世界中に脅威を持って受け入れられました。米国はこの技術が自国だけで独占されるものと考えていたのですが、1949年ソ連が原子爆弾の実験に成功します。1952年米国はさらに強力な水素爆弾の実験に成功しますが、ソ連も、1955年水素爆弾の実験に成功します(下欄「[[#科学競争|米国とソ連の科学競争]]」参照)。その他、イギリスやフランス、中華人民共和国なども核兵器を保有するようになりました。もし、東西に本格的な軍事衝突が起こったならば、大げさではなく、人類が滅亡してしまうくらいの核兵器をもったため、大国同士の戦争はお互いに避けるようになりました。東西は、こうして大きな戦争を伴わないまま国際的に対立しました。これを、「冷たい戦争」、「'''{{ruby|冷戦|れいせん}}'''」といいます。
:一方で、第二次世界大戦で枢軸国はもちろん連合国にあったイギリスやフランスも国力を失い、植民地の独立を止めることができないようになりました。この結果、終戦後数年後には、中東諸国の他、インドやインドシナ半島諸国、インドネシアの諸国が独立し、少し遅れて1960年代にはアフリカの各国が独立しました。しかしながら、これらの国は、まだ国内の産業が十分に成長しておらず先進国に比べて、国民生活は全体的に貧しく、また、貧富の差も大きいものであり、各国は経済発展の政策に取り組みました。また、政策に不満を持つ集団が、政権を倒そうとするなど政治的にも不安定なものでした。このような国々を、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#先進国|先進国]]に対して「'''{{ruby|発展途上国|はってんとじょうこく}}'''」と言います。先進国は、欧米や日本をはじめとして北半球に多く、発展途上国は、赤道付近から南の国が多いため、先進国と発展途上国の格差の問題を'''南北問題'''と言います。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="科学競争"/>米国とソ連の科学競争<small>
[[File:Sputnik asm.jpg|thumb|180px|世界最初の人工衛星スプートニク1号]]
:現在でこそ、ロシア(旧ソ連)の科学力は、米国に遅れをとっているといえますが、1940年代から70年代位までは、国をあげての科学研究を行い、米国をはじめとする、西側諸国をおびやかしたものでした。上で述べたとおり、核兵器の開発はすぐに米国に追いつきましたし、ロケットを使った宇宙開発は、米国に先行していました。
:1957年ソ連は世界で最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。米国をはじめとする西側諸国は、衝撃を受け危機感を覚えました。なぜならば、この技術は、核爆弾を搭載したミサイルを飛行機を使わず、相手国に打ち込む技術があることを意味するからです。米国は、これに追いつくため翌年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA)を設立、研究開発体制を見直します。また、一般の教育体制までも見直しが行われました。しかし、ソ連は1961年世界で最初の有人宇宙飛行を成功させるなど、米国の先を行っていました。米国がソ連に追いついたと言えるのは、1971年アポロ11号で友人月面着陸を成功させた時といわれています。ソ連を引き継いだロシアも宇宙開発においては現在でも、世界でトップクラスの技術を有しています。
:一方で、ソ連の科学技術は、このような軍事目的などにばかり集中され、一般の人々の生活にはあまり貢献しませんでした。そのため、西側諸国で発展が見られた、自動車や家庭電化製品の発展は遅れました。このことは、半導体の開発の遅れにつながり、コンピューターなどの開発が遅れ、工業力が西側に遅れる原因となります。
</small>
|}</div>
==== 高度経済成長とその後の日本 ====
:終戦直後の日本は、多くのものを失ったところから始めなければなりませんでした。
:1951年(昭和26年)、日本は米国他と平和条約を締結し<ref>ソ連との間では、北方領土の問題などがあって平和条約が締結されず、戦争をしないという仮の約束として1956年(昭和31年)'''日ソ共同宣言'''が出されました。現在も、ソ連を継いだロシアとの間に平和条約は結ばれていません。</ref>独立を回復、1956年(昭和31年)には国際連合にも加盟しました。東西対立に危機感を覚えた、米国は日本を資本主義の国として復興させるためにさまざまな支援をします。1950年(昭和25年)朝鮮戦争がおこると、国防の必要が認識され戦闘力を有した警察予備隊が結成され、それが1954年(昭和29年)'''自衛隊'''となります。
:朝鮮戦争では、米軍などの支援物資の需要があり製造業が復興しました。その後、高品質低価格を特徴とする船舶や自動車、電化製品と知った日本製品は世界中に輸出され、日本経済は急激に拡大していきます。また、政府は産業界を指導して投資資金などを効率的に分配し、経済成長を助けました。1955年(昭和30年)頃から、急激な経済成長を見せ、これを'''高度経済成長'''といっています。
:[[File:Bundesarchiv Bild 183-C1012-0001-026, Tokio, XVIII. Olympiade, Gesamtdeutsche Mannschaft.jpg|thumb|200px|東京オリンピック開会式]]
:復興した日本は、国際的な催し物を開催し、国際社会に復帰したことを世界に示します。1964年(昭和39年)の'''東京オリンピック'''、1970年(昭和45年)の'''大阪万国博覧会'''、1972年(昭和42年)の'''札幌冬季オリンピック'''などが代表的なものです。
:1972年(昭和42年)、米国が統治していた沖縄が日本に返還され沖縄県となりました。
:経済成長にともない人々の生活は、だんだん豊かなものとなっていきました。1953年(昭和28年)'''テレビ放送'''が始まり、東京オリンピックをきっかけにカラーテレビが各家庭に普及しました。その他、電気冷蔵庫や電気掃除機、電気洗濯機が普及して家事が楽になるなど、家庭電化製品は人々の生活を大きく変えました。1955年(昭和30年)ころ100軒に1軒くらいしかなかった'''電話'''も、1975年(昭和50年)ころには70%家庭に引かれました。また、1960年(昭和35年)ころ自動車は平均して100軒に3軒ほどしか普及していなかったものが、1980年代には80軒の家は自家用車を持つようになりました。自動車の急激な増加を受け、高速道路網をはじめとした道路整備がなされました。
:1964年(昭和39年)には、'''東海道新幹線'''が開通し、日本各地で空港が整備され、飛行機による移動も一般的なものとなりました。
:1973年(昭和48年)、中東における中東戦争<ref>[[#ユダヤ人迫害|ナチス党などで迫害]]された[[#ユダヤ人|ユダヤ人]]は、自分たちの国を求めて、元々の出身地であるイェルサレム周辺にイスラエルという国を作ります。この時、もともと住んでいたイスラム教徒の住民(パレスチナ人)を追い出し、迫害したため、同じイスラム教徒が大多数を占めるエジプトやサウジアラビアといった国とイスラエルとの間で起こった戦争です。</ref>をきっかけに、サウジアラビアなど中東諸国の石油輸出国が共同で石油価格を2倍近くに上げたため物価が急に上がり('''オイル・ショック''')、高度経済成長はその勢いを失いますが、それから10年程度は、安定した経済成長を続け、1978年には、国の経済規模の尺度である<span id="GDP"/>'''国内総生産'''('''GDP''')<ref>当時は、「国民総生産(GNP)」という尺度を用いていました。GDPとGNPは、何点か違いはありますがだいたい同じものと考えても、ここでは問題ありません。</ref>は、米国に続いて世界第2位の規模になっていました。
:一方で、重工業化が急速に進められたため、'''公害'''などが社会問題となりました。
=== 冷戦終了後の世界 ===
:1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇が亡くなって、翌日から元号が'''平成'''と改められました。
:<span id="平成"/>元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありませんが、この1989年(昭和64年・平成元年)は、それまでの世界が大きく変わり、その後30年現在にいたるまで影響を与える重要な年となりました。
:;ソ連を中心とする東側諸国の崩壊と冷戦の終結
::1970年代から80年代にかけて、西側諸国と東側諸国の生活レベルは明らかに差がついていました。その原因は、いくつか考えられます。ひとつには、経済活動を政府が統制するため安定はしていますが競争はあまり起こらないところ、競争に伴う創意工夫がなされず、発展が遅れるというものです。これは、家庭電化製品や乗用車といった民生分野といわれるもので大きな差が出ました。また、これらの製造に不可欠な半導体の開発や工場の自動化などにも差が出ました。また、ソ連が主導した農業政策は、政府の指示が適当ではなかったため東側諸国全体で生産が低迷しました。また、東側諸国は選挙による政権交代がないため、新たなことをきらう役人の性質({{ruby|官僚|かんりょう}}主義)がはびこり、政治による改革も行き詰まっていました。ソ連では、'''ミハエル・ゴルバチョフ'''が書記長となって、'''ペレストロイカ'''(改革)、'''グラスノスチ'''(情報公開)という改革を進めていましたが、うまく進んでいませんでした。
::1980年代後半に入って、ポーランドでは政府に抗議する労働組合の運動がみられ、チェコスロバキアやハンガリーからは西側諸国へ移封に移民する人々が目立つようになりました。また、このころ、東欧諸国では衛星放送が普及するようになって、西側諸国の豊かな生活が東側諸国に知られるようになったと言われています。
::1989年には、東ドイツで西側への移動を求めた暴動が激しくなり、11月9日東ドイツ政府は自由な移動を認め、それを受け、翌日、民衆は[[#ベルリンの壁|ベルリンの壁]]を壊し東西の行き来が自由になりました。
::こうして、東欧諸国へのソ連の支配はなくなり、冷戦が終結しました。
::この後、東ヨーロッパの各国は、1990年に西ドイツと東ドイツが統一するなど、社会主義政府から自由主義の国となりました。また、1991年ソ連は崩壊し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど15の共和国に分かれました。
:;中華人民共和国
::世界的な社会主義の後退の傾向から、中華人民共和国でも民主化を求めた運動が起こりました。
::しかし、中華人民共和国政府は、資本主義的な政策を取り入れながらも、それは、政府が主導するものであって、自由な選挙など民主的な活動を認めないという態度を示して、6月4日民主化を求める民衆を弾圧しました('''{{ruby|天安門|てんあんもん}}事件''')。この後、中華人民共和国は、資本主義を取り入れた政策によって大きく経済成長を達成したのですが、現在においても、自由な政治活動は制限されています。
:;日本
::1980年代、国際経済において、米国の経済力が弱くなっていたことをうけ、西側諸国内で相談し調整が行われました。日本政府は、輸出産業が不利になることを防ぐため事業資金を大きく増やしました。そのため、それらの資金は最終的に不動産や株式投資に回って、不動産や株式の高騰<ref name="高騰暴落"/>となりました。これを「'''バブル景気'''<ref name="バブル">「バブル」は「泡」のことです。泡のように中身がないのに大きく膨らんで、ちょっとしたことではじけてしまうことをたとえています。</ref>」といいます。1989年バブル景気は最高潮となり、その年の株式取引の最終日の平均株価は史上最高値を記録しました。
::しかし、バブル景気の{{ruby|弊害|へいがい}}も見られるようになったため、翌年以降、政府は景気を引き締めます。そのため、バブル景気は終わり、反動で日本経済は不景気となります('''バブルの{{ruby|崩壊|ほうかい}}'''<ref name="バブル"/>)。日本政府は、その後、景気対策を続けますが、30年以上成功できずに今にいたっています<ref>景気が良いかどうかは、[[#GDP|GDP]]が前の年よりもどれだけ大きくなったかということで表します。これを、経済成長率といいます。これは、だいたい3%程度成長していれば、普通に成長しているとされます。高度成長時代の日本は10%程度の成長をしていました。しかし、バブル崩壊後、日本は30年間平均1%程度の成長しかしていません。欧米各国が3~5%成長しているのに比べると異常と言ってよいでしょう。</ref>。
;冷戦後の世界
:冷戦が終わり、対立するものがなくなった世界は平和になったかといえば、そうではありません。核兵器を持ったソ連などが、対立の当事者でなくなったため、核保有国以外では戦争が起こりやすくなった側面もあります。
:第一次世界大戦後争いの続いた[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#バルカン半島|バルカン半島]]は、第2次世界大戦後ユーゴスラビアとして統一され40年以上安定した状態が続いたのですが、冷戦終了後、各民族が分裂し、内戦状態となりました。
:中東では勢力争いが絶えず、また、イスラム過激派などは、米国などを敵視してテロリズムを起こしたりしました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロは、その代表です。
:アフリカも民族間の対立が各地で起きています。冷戦時代ならば、一方が西側につけば、他方は東側について、戦争になると米ソの争いとなるため、にらみあいで止まったものですが、冷戦後は、そのようなブレーキがなくなったのです。
:冷戦後、ソ連は崩壊し、それをついだロシアも冷戦当時ほどの力を失いましたが、それに代わって、中華人民共和国が、世界一の労働力を背景に世界中から工場を呼び込んで、経済力を伸ばしてきて、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位になりました。
:日本は、この間、二つの大きな自然災害にみまわれました。1995年(平成7年)の'''阪神淡路大震災'''と2011年(平成23年)の'''東日本大震災'''です。日本は、そのほかにも大規模な風水害などを経験しており、自然の脅威に対しての備えを怠ってはならないという教訓を残しています。
=== 今変わりつつある世界 ===
:2019年(平成31年)5月1日天皇明仁<ref>「平成天皇」という呼び方は正しくありません。</ref>が退位し上皇となり、現在の天皇が即位、元号が令和に変わりました。
:[[#平成]]でも述べたところですが、元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありません。しかし、偶然とは言っても、令和になって何年かで起こったことは、どんな年齢の人たちでも生まれて経験のないことでした。
:新型コロナの流行は、人間は、まだまだ、事前に簡単に立ち向かえないことを痛感させられました。一方で、素早いワクチンの出現に科学の可能性を感じさせられました。また、今までの技術でも可能であったのに、習慣から普及しなかったネットを使った勤務や学習が可能であることも理解できました。このような中で、開催された東京オリンピックとパラリンピックは人々に希望と感動を与えたことでしょう。
:一方で、ロシアのウクライナ侵攻を見ると、日本の満州侵攻とよく似ていることが理解されます。また、国際社会における中国の位置付けは、だんだんと冷戦の時のソ連に似てきている様子があります。
:歴史を学ぶことで、これから、何が起こるのか、何を変えれば、何が起こらないのかを予想し、悪い事態を避けることができるかもしれません。歴史を学ぶということは、そういうことだと理解してください。
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>
<references/></small>
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{{前後
|type=章
|[[小学校社会/6学年/歴史編]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]]
|-
}}
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6]]
[[Category:小学校社会|6ねん]]
[[Category:小学校社会 歴史|#13]]
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Tomzo
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|+ この章の概要
|<!--(サ)日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦,日本国憲法の制定,オリンピック・パラリンピックの開催などを手掛かりに,戦後我が国は民主的な国家として出発し,国民生活が向上し,国際社会の中で重要な役割を果たしてきたことを理解すること。-->
★時代区分:昭和時代、平成時代、令和</br>
★取り扱う年代:1926年(昭和改元)以降
; 戦争への道
: 1926年昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました。
: 日本経済は、第一次世界大戦終結後、長く低迷を続けていましたが、1929年に'''世界恐慌'''が起きるとさらに景気が悪くなりました。人々の一部は、中国東北部(満州)の開発で、これを解決しようとしました。こうして、'''中華民国'''との間に対立が生まれ、1931年から戦争状態となります。全世界を見ても、世界恐慌から回復しようと自国を優先した政策をとるようになります。こうして、世界は第一次世界大戦前のような状態になってきました。特に1919年ロシア革命で生まれた'''ソビエト連邦'''(ソ連)に対しては、日本はドイツ・イタリアと同盟するなど各国から警戒されました。こうした中、1939年ドイツはポーランドに侵攻し'''第二次世界大戦'''が始まりました。1940年、ドイツはフランスに侵攻、1941年にはソ連に侵攻するなど戦争が拡大しました。日本は、中国との戦争を非難するアメリカ合衆国との交渉がうまくいかず、1941年ドイツ側に参戦し、アメリカやイギリスと戦うことになりました。この戦争は、戦車や飛行機といった最新の強力な兵器が使われ、大量の犠牲者が出ました。日本も、中国をはじめとしたアジア各地で住民に損害を与えた一方で、戦争の後期には、日本各地で'''空襲'''を受け、沖縄は全土が戦場となり、そして、広島・長崎に'''原子爆弾'''が落とされるなど、歴史上見なかった被害を出して、戦争に敗れました。
; 民主国家日本の誕生と発展
: 日本は、戦勝国であるアメリカ合衆国の占領下に入り、その下で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三大原則とした'''日本国憲法'''が制定されるなどさまざまな民主化政策が行われます。そうして世の中が安定すると、日本は品質の高い工業製品を世界中に輸出することで、経済力を回復し('''高度経済成長''')、国民生活が向上すると同時に、国際社会の一員として復帰しました。その象徴が、1964年に開催された'''東京オリンピック'''と'''パラリンピック'''です。その後も、万国博覧会、2回の冬季オリンピックやサッカーワールドカップなど世界的な催し物を開催できるようになりました。2021年世界中が'''コロナ禍'''で沈む中、2回目の'''東京オリンピック・パラリンピック'''を開催したことは記憶に新しいところです<!--指導要領に「1964年に開催された東京オリンピックとパラリンピック」が強調されており、無視するわけにもいかず付言する。指導要領作成時にはこの事態は当然想定しておらず、成功する前提で話題としているに違いない-->。
|}
== 世界の変化4 ==
:この章では、1925年に日本が昭和となってからの歴史を述べます。
:しかし、この時代になると、日本も国際社会の登場人物の一人として振る舞わないといけないようになっていました。そして、世界中を巻き込んだ戦争が世界を大きく変えます。昭和以降の歴史は、その世界の歴史の一部です。
:'''この節は、[[#世界の変化3|前の節]]同様、小学校で学習する範囲を超えていますが、昭和以後の日本の歴史に大きく関わる第二次世界大戦がなぜ起きたのか、その後、「世界」はどうなったのかということを理解できていないと、昭和以降の日本の歴史を深く理解することはできません。また、別の機会に学ぶ、「我が国の政治の働き」について、日本国憲法の成り立ちや、そこで強調される国民主権、平和主義、国民としての基本的人権が、決められた経緯などは、まさに、この歴史的な動きの中で成立したものです。'''
:この節では、ここでは、「世界恐慌・大恐慌」「ファシズム」という言葉がキーワードになります。
[[File:Ford modelle 1924.jpg|thumb|200px|1924年、フォード車生産累計1000万台達成時の記念写真。ヘンリー・フォードの両側に、1896年の最初の試作車と、1000万台記念のモデルTが並ぶ。]]
[[File:Depression, Breadlines-long line of people waiting to be fed, New York City, in the absence of substantial government... - NARA - 195524.tif|thumb|200px|食料配給に並ぶ失業者たち。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1969-054-53A, Nürnberg, Reichsparteitag.jpg|thumb|200px|ヒトラー(前を歩くヒゲの人物)とナチス幹部]]
;第一次世界大戦後のアメリカの好景気
:第一次世界大戦後にあっても1920年代を通して、米国は、ヨーロッパにおける復興の需要などがあって景気を維持していました、そのため、米国においては、生産力を増大させるための工場などの投資が引き続きなされ、庶民の間ではローンを組んでの住宅投資などがなされました。また、'''ヘンリー・フォード'''は、1908年に大量生産によって価格を安くして一般人にもT型フォードという自動車を発売し、それが、1920年代の好景気を受け、急激に普及しました。戦争の間、通信の手段として一般に解放されていなかった無線技術を使った'''ラジオ放送'''が1920年解禁され放送局ができて、人々はラジオを買い求めました。また、人々は財産を貯めるために株式を購入し<ref>米国の人々は、お金を貯めるのに、日本と違って銀行へ預金するのではなく、株式を購入する傾向があります。それは、現在も同じです。</ref>、株式価格も{{ruby|高騰|こうとう}}<ref name="高騰暴落">「高騰」は「値段が上がる」こと、「暴落」は株式などの値段が、急激に下がることを言います</ref>する傾向にありました。
;世界恐慌
:しかし、第一次世界大戦終了後、10年も経過すると、ヨーロッパ各国も落ち着きを取り戻し、工場なども再建されて、米国での工業生産は余るようになっていました。一方で、好景気が続いたため物価が上がり('''インフレーション'''・インフレ)、中央銀行はこれを抑えようと金利を上げるなどの対策をとっていました。
:そのような状況の中、1929年(昭和4年)10月24日ニューヨーク株式市場で一部の株式が{{ruby|暴落|ぼうらく}}<ref name="高騰暴落"/>しました。株式市場で、値が下がり始めると、それから逃れようとして持株を売って現金にしようとする人が増えます。すると、ますます、株式の値が下がるという悪循環におちいります。こうして、1週間ほどで、米国の株式は半分ほどの価格になってしまいました。100万円あったと思っていた預金が50万円になったようなものです。
:この大暴落を機会に米国は急激に不景気となります。米国からの投資や米国への輸出で景気を保っていたヨーロッパもこれに巻き込まれます。こうして、世界中が深刻な不景気となりました。これを、'''{{ruby|世界恐慌|せかいきょうこう}}'''または'''{{ruby|大恐慌|だいきょうこう}}'''と言います。
;世界恐慌に対する各国の対応
:20世紀になって先進国各国において、工業化が進んで労働者の数が多くなったことや労働組合のやり方が広く知られるようになったことを受けて、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#労働運動|労働運動]]はますます激しいものになっていました。特に第一次世界大戦後は、徴兵されて戦場に向かった兵士に多く工場労働者が含まれるようになったことで、労働者の発言力が強まりました。また、ソ連の成立が、これらの労働運動を勢いづけたという面もあります。世界恐慌で企業の経営があやうくなると、雇用も不安定になるなど、労働者の立場は不利になりました。各国では、大規模なストライキを含んだ労働運動が展開され、また、あわせて社会主義者や共産主義者の活動が目立つようになりました。
:<span id="ファシズム">このような、社会主義者や共産主義者の動きについて、ほとんどの先進国の政府は警戒します。また、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#反社会主義|先進国の民族主義者たち]]は、政党を作って社会主義運動に対抗し、外国資本の進出に抵抗しました。イタリアでは、'''ベニート・ムッソリーニ'''が'''ファシスト党'''を、ドイツでは'''アドルフ・ヒトラー'''が'''ナチス党'''<ref>正式な名称は「国民社会主義ドイツ労働者党」で「ナチス」は{{ruby|軽蔑|けいべつ}}の意味も込めた略称です。しかし、広く使われている呼び名なので、以下、「ナチス党」で統一します。</ref>を結成し、社会主義運動と争いました。このような、政党を'''ファシズム'''の政党といいます。
:自国の景気を回復させるため、広い植民地を持つイギリスやフランスは、植民地との結びつきを強くし、その他の国との貿易を関税を高くするなどして制限しました。これを'''ブロック経済'''と言います。他の国も同様の制限をしたのですが、植民地がほとんどないドイツやイタリアには経済の後退をもたらしました。特にドイツは、第一次世界大戦の賠償金のをまだ支払っていたところであったので、国民経済の{{ruby|窮乏|きゅうぼう}}が激しく社会問題となっていました。この、窮乏に乗じてナチスなどは勢力を伸ばしました。また、ブロック経済は、世界的に見ると経済の循環を悪くさせかえって世界全体の景気回復には悪影響を与えました。
:景気を回復させる、もう一つの方法として、政府が公共事業などを行うことにより、仕事を作って失業者を減らす方法です。<span id=''ヨシフ・スターリン''/>'''ヨシフ・スターリン'''が独裁的な指導者となった、ソ連は計画経済といって、工業生産などを政府が指導して行い、世界恐慌の影響を受けませんでした。米国大統領'''フランクリン・ルーズベルト'''は、恐慌対策の一つとして、電力需要の増加に対応できることもあり、大規模なダムと水力発電所建設の事業などを行いました。イタリアではファシスト党が1922年に、ドイツではナチス党が1933年に政権を取りますが、ファシズムは政府に強い権限を持たせる思想であるため、公共事業などを次々に行い、景気を回復させようとしました。例として、ドイツの高速道路網(アウトバーン)の建設があげられます。こうして、ドイツなどは生産力を回復しましたが、ブロック経済などにより、国内の生産物を売る市場が十分ではなかったため、その政策には限界がありました。
== 戦争への道 ==
:1926年(大正15年)12月25日大正天皇が亡くなり、昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました<ref>昭和元年は12月25日から12月31日までの1週間だけでした。</ref>。
=== 日中戦争 ===
:1919年(大正8年)第一次世界大戦が終わると、翌年には景気が一気に冷え込み、多くの中小企業が倒産するなど不景気になっていました。その間に、首都圏が[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#関東大震災|関東大震災]]に襲われるなどして景気の回復はなかなか見られませんでした。社会不安は進み、社会主義・共産主義などの考えも伝わり、ストライキなどの{{ruby|労働争議|ろうどうそうぎ}}なども各地で見られるようになりました。政府は、それを取り締まるため'''<span id="治安維持法"/>{{ruby|治安維持法|ちあんいじほう}}'''を制定、労働運動を弾圧し、共産党員などを逮捕・収監<ref>刑務所に入れること。</ref>したりしていました。
:日本は、市場や資源を求め、日露戦争でロシアからゆずられた南満州鉄道沿線の開発を進めますが、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#辛亥革命|1911年辛亥革命によって成立した中華民国]]は内部の対立などが合って政府の力が弱く、治安の維持などが十分ではなかったこともあり、沿線の治安維持の名目で日本陸軍などが進駐しました({{ruby|関東軍|かんとうぐん}})。
[[File:Lytton Commission at railway.jpg|thumb|220px|南満州鉄道での爆発現場を調査しているリットン調査団。]]
:一方で、軍部は[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#軍縮|世界的な軍縮の傾向]]によって、軍隊の規模を縮小されたりしていたため政府に不満を持っていました<ref>軍縮によって、職を失った軍人などが社会主義運動などに走ることなども警戒されていました。</ref>。日本から離れた関東軍などは日本政府の命令もなく、要人を暗殺したり、現地の中国人などによる集団と衝突したりしていました。
:そして、1931年(昭和6年)、南満州鉄道での爆発事件をきっかけに、関東軍は軍を進め満州一帯を占領し('''満州事変'''<ref name="事変">「事変」というのは、「事件」・局地的なトラブル程度の軽い意味ですが、お互いの政府が「戦争」ととらえていないだけであって、実際は戦争と変わりありません。戦争というと、当事国以外の国との外交関係などにも影響を与えるため、政府としては大げさなものにしたくなかったものと考えられます。</ref>)、翌1932年(昭和7年)清王朝の最後の皇帝{{ruby|溥儀|ふぎ}}<ref>清朝は、もともと満州地域を本拠地とした女真族の国でした。</ref>を皇帝とした満洲国として独立させます。満洲国は独立国とは言っても、政府には多くの日本人が入り、日本の影響を強く受けた国でした<ref>このような国を{{ruby|傀儡|かいらい}}国家と呼びます。「傀儡」とは「あやつり人形」のことです。</ref>。中華民国政府は、これを抗議して国際連盟に訴えました。国際連盟は、調査団(リットン調査団)を満州に入れ詳細に調査した結果、中華民国の主張を受け入れ、満州地域を中華民国に返すように勧告しましたが、日本はこれを不満として1933年(昭和8年)国際連盟を脱退しました。
:日本国内でも、軍人の暴走が続きました。1932年(昭和7年)5月15日には武装した海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害する事件('''五・一五事件''')が起き、1936年(昭和11年)2月26日には、陸軍青年将校らが約1,500名の兵隊を率いて蜂起し、政府要人を襲撃・殺傷、首相官邸や霞ヶ関の役所街などの一帯を占領するというクーデター未遂事件('''二・二六事件''')が起こりました。どちらの事件も犯人の逮捕及び反乱の鎮圧で解決しましたが、軍部が国の政治に口を出す大きなきっかけとなりました。<span id="軍国主義"/>このように、軍部が国の政治を主導したことを'''{{ruby|軍国|ぐんこく}}主義'''といいます。
:中国では、中華民国政府と中国共産党などの勢力争いが続いており、満州国以外の上海などといった中国本土の都市で経済活動をする日本人は不安な生活を送っていました。関東軍などの中国に駐留する日本陸軍は、これらの人たちの保護のため、満洲国の外に出て、数千人の軍隊を駐留させました<ref>「居留民保護」といって、中国に在住者を持つ欧米各国でも数百人から千人程度の軍隊を駐留させていました。</ref>。1937年(昭和12年)7月7日北部中国の都市北平(現在の北京)の郊外で日本軍と中華民国軍が衝突し、そのまま、両国は戦争状態となりました('''日中戦争'''、ただし、当時の日本政府はこれを戦争ととらえず、「支那事変」「北支事変」「日華事変」<ref name="事変"/>といっていました)。
=== 第二次世界大戦・太平洋戦争 ===
:中華民国政府と敵対する日本は、中国に多くの権益をもつイギリスや、多くの中国人移民を受け入れ、また、中国を大きな市場として期待する米国との関係を悪くします。
:一方で、ソ連他共産主義を警戒するという共通の目的で、ヒトラーのドイツやムッソリーニのイタリアとの関係を強めます。1936年(昭和11年)にドイツとの間に、共産主義の流入を防止する{{ruby|防共協定|ぼうきょうきょうてい}}を締結し、翌年、イタリアもこれに加わります('''三国防共協定''')。
:ドイツは、東ヨーロッパのも領土を多く持っていましたが、第一次世界大戦でほとんど失いました。しかし、そこには、まだ多くのドイツ系の住民が残っていたため、ヒトラーは軍隊を進めるなどして、それらをドイツに取り戻し、欧米各国もこれに抵抗しませんでした({{ruby|宥和|ゆうわ}}政策)。
:[[画像:Second world war europe animation small.gif|thumb|350px|第二次世界大戦のヨーロッパ戦域の動画<br/>青色系がドイツなど枢軸国側、赤色系がイギリスなど連合国側です。ソ連は最初のうちは立場が不明確であったため緑色で表されています。]]
:1939年8月23日ドイツはソ連との間に、お互いを侵略しないことを約束する'''独ソ{{ruby|不可侵|ふかしん}}条約'''を結びます。これは、「防共」の趣旨に反するもので、日本をはじめとした各国を混乱させます<ref>当時の首相であった{{ruby|平沼騏一郎|ひらぬまきいちろう}}は「欧州の天地は複雑怪奇」との言葉を残し、8月28日内閣総辞職します。</ref>。
:そして、その直後の9月1日ドイツは東の隣国ポーランドに軍隊を進め、同月17日ソ連も東からポーランドに攻め込み、ポーランドは独ソに分割されました。イギリスとフランスはポーランドと相互援助協定があったため9月3日ドイツに宣戦布告しました。こうして、再びヨーロッパで世界的な戦争が起こります。これを、'''{{ruby|第二次世界大戦|だいにじせかいたいせん}}'''といいます。
:1940年になるとドイツ軍は、西側に戦力を投入しオランダ、ベルギー、フランスをせめ、6月までに各国を降伏させました。同年9月日本とドイツとイタリアは、まだ参戦していない米国を警戒して'''日独伊三国同盟'''を結びます。これ以降、日独伊側の国を'''{{ruby|枢軸|すうじく}}国'''<ref>「枢軸」とは、それを中心にして回るコマの軸のようなものを言います。ムッソリーニが、「ヨーロッパをローマ(イタリア)とベルリン(ドイツ)を軸にして回す」という発言が元になっています。</ref>といい、これに対応する国々を'''{{ruby|連合|れんごう}}国'''といいます。日本は、ドイツの支配下に入ったフランスの植民地である仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐し、フランスに代わって植民地経営を行います。
:1941年4月日本とソ連は'''日ソ中立条約'''を結びます。ところが、その直後である6月ドイツは不可侵条約を破棄し、ソ連に攻め込み、ドイツとソ連は戦争状態となり、連合国にソ連が加わりました。
:日中の争いに米国とイギリス、オランダ<ref>当時、オランダはジャワ島など現在のインドネシアを植民地としていて、日本はそこから原油を輸入していました。</ref>は中国を支援して貿易などを制限する立場を取りました。これを'''ABCD{{ruby|包囲網|ほういもう}}'''<ref>A(America アメリカ合衆国)、B(Britain;ブリテン、イギリスのことです)、C(China 中国)、D(Dutch;ダッチ、オランダ)の4国によるものです。</ref>といいます。日本は、米国とこの制限について解消するよう交渉を続けましたが、米国は、最終的に、日本の中国からの撤退を条件としてきたため交渉は決裂、日本の首相である'''{{ruby|東條英機|とうじょうひでき}}'''は、米国や英国との戦争を決意しました。
:1941年12月7日、日本は米国ハワイの真珠湾基地とマレー半島のイギリス軍基地を攻撃し、両国に対して宣戦を布告しました('''{{ruby|太平洋戦争|たいへいようせんそう}}'''<ref>戦後の呼び名です。当時は{{ruby|大東亜戦争|だいとうあせんそう}}(東亜=東アジア)と言っていました。</ref>)。このことで、日中戦争は第二次世界大戦のひとつとなり、中華民国が連合国の一国となりましたし、米国が連合国に加わって、日本に対するだけではなく、ヨーロッパの戦争にも参戦するようになります。
:日本は開戦当時、大量の航空機<ref>「ゼロ戦」などが有名です。</ref>を使った攻撃という今までに見られなかった戦い方などで、米英を圧倒し、米国の植民地であったフィリピン、イギリスの植民地であった香港やシンガポールを含むマレー半島やボルネオ島、オランダ<ref>この頃、オランダはドイツに占領されていて、イギリスに渡ったオランダ王室の配下の政府(「{{ruby|亡命政府|ぼうめいせいふ}}」と言います)が治めていました。</ref>の植民地であるジャワ島などインドネシア諸島を占領しました。また、タイ王国と同盟関係を結んで、英領ビルマ(現在のミャンマー)に軍を進め、さらに、北上して英領インドに進軍する勢いをしめしました。
:こうして、1942年年頃までに、世界は枢軸国側と連合国側に大きく分かれ、このころまでは、枢軸国側が、比較的有利に戦いを進めていました。
:なお、この頃からドイツ国内やドイツが占領したヨーロッパの地域では、ナチス党の民族主義にもとづく、<span id="ユダヤ人迫害"/>'''ユダヤ人<ref><span id="ユダヤ人"/>'''ユダヤ人'''とは、もともと、中東の地中海沿岸(現在のイスラエル)に住んでいた民族で、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#キリスト教|キリスト教]]の元になった'''ユダヤ教'''を信仰する人々です。紀元1世紀ごろ古代ローマ帝国の攻撃にあって、イスラエルの土地を追われ、ヨーロッパ各地に散らばりました。ユダヤ人は、自分たちの宗教を守りぬいて、キリスト教に改宗しませんでした。また、新約聖書によると、イエス・キリストはユダヤ教の宗教指導者が訴えたので十字架にかけられたとされているため、キリスト教徒とは敵対的な関係にありました(なお、イエス・キリストは民族的にはユダヤ人です)。多くのユダヤ人は、長い間差別され土地所有などできなかったので、ヨーロッパの地方では生きていけず、都市生活者となり、そこで生きていくために、商業や金融の能力を高めて成功した者も少なくありませんでした。こうしたことが、ねたまれて民族的差別(現在の言葉で言う「ヘイト」)の対象となっていました。</ref>の迫害'''が表立って行われるようになり、ユダヤ人の財産を奪って、強制収容所に送るということがなされていました。強制収容所では多くのユダヤ人が処刑されました。
:1942年8月、ドイツおよびイタリアなど枢軸国は、ソ連南部のスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)に攻め込みます。当初は、枢軸国軍の戦車など近代兵器を大量に投入する作戦により早期に枢軸国が占領することになりましたが、ソ連は、国力を上げて、この街を取り返そうとしました<ref>ドイツが、この街(スターリングラード)の占領にこだわって、ソ連も必死でとりもどそうとしたのかというと、この街の名前のためと言われています。「スターリングラード」は、ロシア語で「[[#スターリン|スターリン]]の街(グラード)」という意味です。</ref>。これはドイツとソ連との戦いの中で最も激しいものとなり、ドイツなど枢軸国は約100万人の軍隊を進め、ソ連は約170万人の兵士で守りましたが、戦死傷者は枢軸国約85万人、ソ連約120万人、住民の死者約20万人を数える悲惨なものになりました。結局、翌1943年2月ドイツが撤退し、それ以降、ヨーロッパの東部ではソ連が優勢になります。
:1943年に入ると、米国の参入が本格化します。北アフリカに上陸した米軍は、北アフリカのドイツ軍とイタリア軍を降伏させ、このまま北上しイタリアを攻撃。9月イタリアは降伏します。
:翌1944年アメリカ軍など連合国はフランスのノルマンディーに上陸し、フランスを回復、そのまま東に攻めていきます。また、東側からは、ソ連が勢いを盛り返して、西に進んでおり、ドイツは挟み撃ちの状態となって、1945年4月ヒトラーは自殺し、ヨーロッパでの大戦は終結します。
:日米は、開戦以来、南太平洋で[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#制海権|制海権]]を争っていましたが、1944年米国は初戦で失った艦船に倍増するほどの船を造船し、この年の末までに航空母艦<ref>戦闘機・爆撃機など軍用機を積んで発着させる軍艦。</ref>をはじめとした日本の軍艦をほとんど沈め、日本は制海権を失います。米国はこの地域に空港を作って、爆撃機を飛ばして、日本本土の各都市に爆弾を落として攻撃('''{{ruby|空襲|くうしゅう}}''')するようになります。
[[画像:Physical damage, blast effect, Hiroshima, 1946-03-13 ~ 1946-04-08, 342-USAF-11071.ogv|right|300px|thumb|thumbtime=5:55 |原爆投下の翌年1946年春、米軍映画撮影隊による爆心地周辺の被害状況映像。]]
:日本は海に囲まれているので、制海権を失うと各地での戦争の継続が難しくなる一方で、1945年に入ると米国の攻撃は激しさを増します。同年4月には沖縄本土に米軍が上陸、4月から7月にかけて東京や大阪といった大都市だけでなく、各地の地方都市も空襲を受け焼け野原になります。<span id="原子爆弾"/>そして8月6日広島に8月9日長崎に'''{{ruby|原子爆弾|げんしばくだん}}'''が落とされ、それぞれ、合わせて20万人以上の死者を出しました。また、ソ連が条約を破って満州などの日本軍を攻撃したことで、日本政府は戦争を継続することはできないと判断し、8月15日連合国に降伏しました。これで、第二次世界大戦は終結します。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#第一次世界大戦の犠牲者|第一次世界大戦は、協商国側・同盟国合わせて、約1000万人の戦死者、約2000万人の戦傷者、約800万人の行方不明者を出し、民間人も約780万人の死亡者を出すと言う悲惨な戦争でした]]が、第二次世界大戦はさらにひどいものとなりました。連合軍側の犠牲者は、軍人の戦死者数約1700万人、民間人の死亡者数3300万人、枢軸国側の軍人の戦死者数約800万人、民間人の死亡者数400万人といったものです。
:日本の場合、220万人程度の戦死者と50万から100万人の民間の死者を出しました。空襲で多くの家や財産が焼き尽くされました。また、満州や朝鮮に約250万人程度の日本人が住んでいましたが、その人たちはほぼ全ての財産を奪われ、約40万人が日本へ帰還の際に亡くなりました。多くの人たちが戦争に協力しようと、財産で{{ruby|国債|こくさい}}(国の借金)を買いました。しかし、その国債は戦後の極端なインフレーションのため400分の1の価値に落ちてしまいました。戦争はこうして人々の生活に大きなきずあとを残したのです。
== 民主国家日本の誕生と発展 ==
=== 戦後社会と冷戦 ===
==== 民主国家日本の誕生 ====
:降伏した日本は、米国の占領下に入りました。敗戦に伴って、以下にあげるとおり、日本は大きく変わりました。
:#日本国の領土は、明治維新当時のものとなりました。そのため、朝鮮半島は独立し、台湾は中華民国の支配に入り、その他南洋諸島なども日本の支配を離れました。サハリン島南部(南樺太)も放棄し、そこにはソ連が進駐しました。なお、{{ruby|択捉|えとろふ}}島・{{ruby|国後|くなしり}}島など北方4島は、明治維新には日本の国土であったため、支配放棄の対象ではありませんが、ソ連は不法にこれを占領し、それが、ロシアに引き継がれ、いまだに解決していません。また、沖縄県は、米国が琉球政府を建てて日本本土と別の政治をおこないました。
:#全ての兵器を差し押さえ、陸軍と海軍を解体しました。
:#米国は、日本が戦争に向かった原因は[[#軍国主義|軍国主義]]にあると考えて、日本の民主化を進めることとしました。
:##占領直後に、政治思想や活動を規制していた、[[#治安維持法|治安維持法]]を廃止し、刑務所に収監されていた労働運動家や共産党員を解放しました。そして、労働組合法が制定され、労働運動は合法的なものとなりました。
:##経済を一部の{{ruby|財閥|ざいばつ}}が独占していたことで、自由な経済活動ができなかったとして、三井、三菱、住友といった財閥は会社や資本の関係をバラバラにされました({{ruby|財閥解体|ざいばつかいたい}})。
:##戦前日本の農業は、農地の所有者である地主に、お金を払って農作物を作る{{ruby|小作|こさく}}制度が広く普及していましたが、実際に耕す人の所有になるべきとの考えから、地主の農地は小作人に分け与えられました({{ruby|農地改革|のうちかいかく}})。
:##これらの改革と同時に、国の政治の根本を見直すために、憲法を変えることになるました。1946年(昭和21年)4月10日、初めて、男女平等の普通選挙による衆議院選挙が行われ、その国会で新たな憲法が議論されて、'''日本国憲法'''として同年11月3日に公布、翌1947年(昭和22年)5月3日<ref>国民の祝日である憲法記念日です。</ref>施行されました。
;日本国憲法
:日本国憲法は、今、私たち日本人が生活するのに基本となっているルールです。社会科の他の単元でも詳しく学習するものですが、ここでは歴史の流れから憲法を考えてみましょう。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#明治憲法|前の章では、明治憲法の特徴について、簡単に説明しました]]。ここでは、新憲法を明治憲法と比較してみましょう。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%;"
|+
! style="width:7%;" |
! style="width:31%;" | 大日本帝国憲法(明治憲法)
! style="width:31%;" | 日本国憲法(新憲法)
! style="width:31%;" | 解説
|-
!天皇
|国の統治者。
|日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。<br/>天皇は、国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。<br/>天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする。
|一般に明治憲法においては、天皇を統治者(=主権者)とされます。一方、新憲法では国民に主権があると定め、その総意に基づいて天皇は日本国及び国民統合の「象徴」と定めました。
|-
!国会
|天皇に協賛して法律や予算を定める機関。<br/>選挙された議員による衆議院と世襲貴族などによる貴族院で構成される。<br/>改正まで女性に選挙権は与えられなかった。
|国権の最高機関。<br/>選挙された議員による衆議院と参議院で構成される。<br/>選挙権及び被選挙権は性別などで差別してはならない。
|国民から選挙で選ばれた、国会は国の権力を行使する最高機関です。明治憲法で認められていた勅令のような法律と同等の法令は新憲法では認められていません。
|-
!内閣
|国務大臣は天皇を{{ruby|輔弼|ほひつ}}(助言し助ける)する。<br/>内閣総理大臣は憲法に特に定めがなく、天皇が指名する。
|行政権は、内閣総理大臣が長である内閣に属する。<br/>内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名される。
|
|-
!地方自治
|(定めなし)
|その地方に住む住民の自治が尊重され、首長や議会の議員を選ぶことができる。
|地方自治は、明治憲法では特別の位置付けはありませんでした。そのため、都道府県の知事は政府の役人が派遣されていました。新憲法では、住民による自治が明記され、知事や議員は住民が選ぶこととなりました。
|-
!軍隊
|軍隊は天皇が直接まとめひきいる。したがって、内閣や国会は軍隊に口を出してはならない。<br/>国民には、{{ruby|兵役|へいえき}}の義務がある。
|国際紛争を解決する手段として、戦争は行ってはならない。<br/>戦争のための軍隊を持ってはならない。
|
|-
!人権
|法律によって制限できる。<br/> (例)<br/> ・治安維持法<br/> ・国家神道
|憲法に定められた人権は法律によっても制限できない(裁判所の{{ruby|違憲立法審査権|いけんりっぽうしんさけん}})<br/><br/>新たに認められた権利<br/> ・個人の尊重<br/> ・男女の本質的平等<br/> ・労働運動の権利<br/> ・生存権の保障<br/> ・厳格な刑事手続 など
|
|}
</div>
:日本は、新憲法のもと、民主的で自由な国づくりを目指して再出発しました。
==== 世界の変化5 新しい国際社会 - 東西対立と冷戦の社会・南北問題 ====
:第二次世界大戦が終わり、社会主義・共産主義を警戒したファシズムが敗北すると、米国やソ連といった連合国は、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#国際連盟|国際連盟]]が結局第二次世界大戦を防げなかったことを反省し、これを解消して'''国際連合'''がつくられます。米国は、今度は、これに積極的に取り組み、本部をニューヨークに置きました。
:[[ファイル:Cold War Map 1959.svg|thumb|300px|1959年の世界の様子(色分け)<br/>(ワインレッド = ワルシャワ条約加盟国<br/>朱色 = ソ連の他の同盟国(東側諸国)<br/>青紺色 = 北大西洋条約 (NATO) 加盟国<br/>水色 = 米国の他の同盟国(西側諸国)<br/>緑 = 植民地<br/>灰色 = 非同盟諸国)]]
:第二次世界大戦後、社会主義は世界中の政治に強い影響を与えるようになり、世界中で資本主義勢力と社会主義勢力の争いが見られるようになりました。
:戦後ソ連が占領した東ヨーロッパの国々には社会主義の政府が建てられました。ヨーロッパを基準とすると、米国、イギリス、フランスなど資本主義の諸国は西にあったので'''西側諸国'''、一方、ソ連など社会主義の国は東にあったので'''東側諸国'''といい、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を'''東西対立'''と言います。ドイツは、ソ連に占領されていた地域が東ドイツ、米国などに占領されていた地域が西ドイツと、国家が分裂しました。ドイツの首都であったベルリンは、東ドイツの中にあったのですが、米国などが占領していた地域があり、この部分は西ドイツになりました。西ベルリンは東ドイツに囲まれた{{ruby|飛地|とびち}}になりました。東ドイツ政府は、西ベルリンを囲んで壁を構築し、東ドイツの市民が西ベルリンを通過して西側諸国へ行けないようにしました。これが、<span id="ベルリンの壁">「'''ベルリンの壁'''」といって、東西対立の象徴となりました。また、東西の行き来は困難なものとなったため、西側から見て東側との間には「'''鉄のカーテン'''」が引かれているとも表現します。東側諸国は、ソ連を中心にワルシャワ条約機構という軍事同盟を結び、それに対抗して、西側諸国は北大西洋条約 (NATO) という軍事同盟を結んで対立しました。また、中国では、'''{{ruby|毛沢東|もうたくとう}}'''がひきいる中国共産党が、中華民国政府を攻めて、1947年社会主義の国である'''中華人民共和国'''を建国します<ref>中華民国政府は、台湾に逃げ込みます。</ref>。朝鮮半島には、1948年ソ連などの支持を受けた'''朝鮮民主主義人民共和国'''(北朝鮮)と米国などの支持を受けた'''大韓民国'''(韓国)が建国されましたが、1950年北朝鮮は韓国に攻め込み、南北各々米国とソ連・中国の支援を得て激しく戦い、1953年北緯38度線を境に休戦します('''朝鮮戦争''')。
:東西対立には、今までに見られなかった特徴があります。それは、'''核兵器'''の存在です。[[#原子爆弾|広島と長崎に落とされた'''原子爆弾''']]の威力は世界中に脅威を持って受け入れられました。米国はこの技術が自国だけで独占されるものと考えていたのですが、1949年ソ連が原子爆弾の実験に成功します。1952年米国はさらに強力な水素爆弾の実験に成功しますが、ソ連も、1955年水素爆弾の実験に成功します(下欄「[[#科学競争|米国とソ連の科学競争]]」参照)。その他、イギリスやフランス、中華人民共和国なども核兵器を保有するようになりました。もし、東西に本格的な軍事衝突が起こったならば、大げさではなく、人類が滅亡してしまうくらいの核兵器をもったため、大国同士の戦争はお互いに避けるようになりました。東西は、こうして大きな戦争を伴わないまま国際的に対立しました。これを、「冷たい戦争」、「'''{{ruby|冷戦|れいせん}}'''」といいます。
:一方で、第二次世界大戦で枢軸国はもちろん連合国にあったイギリスやフランスも国力を失い、植民地の独立を止めることができないようになりました。この結果、終戦後数年後には、中東諸国の他、インドやインドシナ半島諸国、インドネシアの諸国が独立し、少し遅れて1960年代にはアフリカの各国が独立しました。しかしながら、これらの国は、まだ国内の産業が十分に成長しておらず先進国に比べて、国民生活は全体的に貧しく、また、貧富の差も大きいものであり、各国は経済発展の政策に取り組みました。また、政策に不満を持つ集団が、政権を倒そうとするなど政治的にも不安定なものでした。このような国々を、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#先進国|先進国]]に対して「'''{{ruby|発展途上国|はってんとじょうこく}}'''」と言います。先進国は、欧米や日本をはじめとして北半球に多く、発展途上国は、赤道付近から南の国が多いため、先進国と発展途上国の格差の問題を'''南北問題'''と言います。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="科学競争"/>米国とソ連の科学競争<small>
[[File:Sputnik asm.jpg|thumb|180px|世界最初の人工衛星スプートニク1号]]
:現在でこそ、ロシア(旧ソ連)の科学力は、米国に遅れをとっているといえますが、1940年代から70年代位までは、国をあげての科学研究を行い、米国をはじめとする、西側諸国をおびやかしたものでした。上で述べたとおり、核兵器の開発はすぐに米国に追いつきましたし、ロケットを使った宇宙開発は、米国に先行していました。
:1957年ソ連は世界で最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。米国をはじめとする西側諸国は、衝撃を受け危機感を覚えました。なぜならば、この技術は、核爆弾を搭載したミサイルを飛行機を使わず、相手国に打ち込む技術があることを意味するからです。米国は、これに追いつくため翌年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA)を設立、研究開発体制を見直します。また、一般の教育体制までも見直しが行われました。しかし、ソ連は1961年世界で最初の有人宇宙飛行を成功させるなど、米国の先を行っていました。米国がソ連に追いついたと言えるのは、1971年アポロ11号で友人月面着陸を成功させた時といわれています。ソ連を引き継いだロシアも宇宙開発においては現在でも、世界でトップクラスの技術を有しています。
:一方で、ソ連の科学技術は、このような軍事目的などにばかり集中され、一般の人々の生活にはあまり貢献しませんでした。そのため、西側諸国で発展が見られた、自動車や家庭電化製品の発展は遅れました。このことは、半導体の開発の遅れにつながり、コンピューターなどの開発が遅れ、工業力が西側に遅れる原因となります。
</small>
|}</div>
==== 高度経済成長とその後の日本 ====
:終戦直後の日本は、多くのものを失ったところから始めなければなりませんでした。
:1951年(昭和26年)、日本は米国他と平和条約を締結し<ref>ソ連との間では、北方領土の問題などがあって平和条約が締結されず、戦争をしないという仮の約束として1956年(昭和31年)'''日ソ共同宣言'''が出されました。現在も、ソ連を継いだロシアとの間に平和条約は結ばれていません。</ref>独立を回復、1956年(昭和31年)には国際連合にも加盟しました。東西対立に危機感を覚えた、米国は日本を資本主義の国として復興させるためにさまざまな支援をします。1950年(昭和25年)朝鮮戦争がおこると、国防の必要が認識され戦闘力を有した警察予備隊が結成され、それが1954年(昭和29年)'''自衛隊'''となります。
:朝鮮戦争では、米軍などの支援物資の需要があり製造業が復興しました。その後、高品質低価格を特徴とする船舶や自動車、電化製品と知った日本製品は世界中に輸出され、日本経済は急激に拡大していきます。また、政府は産業界を指導して投資資金などを効率的に分配し、経済成長を助けました。1955年(昭和30年)頃から、急激な経済成長を見せ、これを'''高度経済成長'''といっています。
:[[File:Bundesarchiv Bild 183-C1012-0001-026, Tokio, XVIII. Olympiade, Gesamtdeutsche Mannschaft.jpg|thumb|200px|東京オリンピック開会式]]
:復興した日本は、国際的な催し物を開催し、国際社会に復帰したことを世界に示します。1964年(昭和39年)の'''東京オリンピック'''、1970年(昭和45年)の'''大阪万国博覧会'''、1972年(昭和42年)の'''札幌冬季オリンピック'''などが代表的なものです。
:1972年(昭和42年)、米国が統治していた沖縄が日本に返還され沖縄県となりました。
:経済成長にともない人々の生活は、だんだん豊かなものとなっていきました。1953年(昭和28年)'''テレビ放送'''が始まり、東京オリンピックをきっかけにカラーテレビが各家庭に普及しました。その他、電気冷蔵庫や電気掃除機、電気洗濯機が普及して家事が楽になるなど、家庭電化製品は人々の生活を大きく変えました。1955年(昭和30年)ころ100軒に1軒くらいしかなかった'''電話'''も、1975年(昭和50年)ころには70%家庭に引かれました。また、1960年(昭和35年)ころ自動車は平均して100軒に3軒ほどしか普及していなかったものが、1980年代には80軒の家は自家用車を持つようになりました。自動車の急激な増加を受け、高速道路網をはじめとした道路整備がなされました。
:1964年(昭和39年)には、'''東海道新幹線'''が開通し、日本各地で空港が整備され、飛行機による移動も一般的なものとなりました。
:1973年(昭和48年)、中東における中東戦争<ref>[[#ユダヤ人迫害|ナチス党などで迫害]]された[[#ユダヤ人|ユダヤ人]]は、自分たちの国を求めて、元々の出身地であるイェルサレム周辺にイスラエルという国を作ります。この時、もともと住んでいたイスラム教徒の住民(パレスチナ人)を追い出し、迫害したため、同じイスラム教徒が大多数を占めるエジプトやサウジアラビアといった国とイスラエルとの間で起こった戦争です。</ref>をきっかけに、サウジアラビアなど中東諸国の石油輸出国が共同で石油価格を2倍近くに上げたため物価が急に上がり('''オイル・ショック''')、高度経済成長はその勢いを失いますが、それから10年程度は、安定した経済成長を続け、1978年には、国の経済規模の尺度である<span id="GDP"/>'''国内総生産'''('''GDP''')<ref>当時は、「国民総生産(GNP)」という尺度を用いていました。GDPとGNPは、何点か違いはありますがだいたい同じものと考えても、ここでは問題ありません。</ref>は、米国に続いて世界第2位の規模になっていました。
:一方で、重工業化が急速に進められたため、'''公害'''などが社会問題となりました。
=== 冷戦終了後の世界 ===
:1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇が亡くなって、翌日から元号が'''平成'''と改められました。
:<span id="平成"/>元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありませんが、この1989年(昭和64年・平成元年)は、それまでの世界が大きく変わり、その後30年現在にいたるまで影響を与える重要な年となりました。
:;ソ連を中心とする東側諸国の崩壊と冷戦の終結
::1970年代から80年代にかけて、西側諸国と東側諸国の生活レベルは明らかに差がついていました。その原因は、いくつか考えられます。ひとつには、経済活動を政府が統制するため安定はしていますが競争はあまり起こらないところ、競争に伴う創意工夫がなされず、発展が遅れるというものです。これは、家庭電化製品や乗用車といった民生分野といわれるもので大きな差が出ました。また、これらの製造に不可欠な半導体の開発や工場の自動化などにも差が出ました。また、ソ連が主導した農業政策は、政府の指示が適当ではなかったため東側諸国全体で生産が低迷しました。また、東側諸国は選挙による政権交代がないため、新たなことをきらう役人の性質({{ruby|官僚|かんりょう}}主義)がはびこり、政治による改革も行き詰まっていました。ソ連では、'''ミハエル・ゴルバチョフ'''が書記長となって、'''ペレストロイカ'''(改革)、'''グラスノスチ'''(情報公開)という改革を進めていましたが、うまく進んでいませんでした。
::1980年代後半に入って、ポーランドでは政府に抗議する労働組合の運動がみられ、チェコスロバキアやハンガリーからは西側諸国へ移封に移民する人々が目立つようになりました。また、このころ、東欧諸国では衛星放送が普及するようになって、西側諸国の豊かな生活が東側諸国に知られるようになったと言われています。
::1989年には、東ドイツで西側への移動を求めた暴動が激しくなり、11月9日東ドイツ政府は自由な移動を認め、それを受け、翌日、民衆は[[#ベルリンの壁|ベルリンの壁]]を壊し東西の行き来が自由になりました。
::こうして、東欧諸国へのソ連の支配はなくなり、冷戦が終結しました。
::この後、東ヨーロッパの各国は、1990年に西ドイツと東ドイツが統一するなど、社会主義政府から自由主義の国となりました。また、1991年ソ連は崩壊し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど15の共和国に分かれました。
:;中華人民共和国
::世界的な社会主義の後退の傾向から、中華人民共和国でも民主化を求めた運動が起こりました。
::しかし、中華人民共和国政府は、資本主義的な政策を取り入れながらも、それは、政府が主導するものであって、自由な選挙など民主的な活動を認めないという態度を示して、6月4日民主化を求める民衆を弾圧しました('''{{ruby|天安門|てんあんもん}}事件''')。この後、中華人民共和国は、資本主義を取り入れた政策によって大きく経済成長を達成したのですが、現在においても、自由な政治活動は制限されています。
:;日本
::1980年代、国際経済において、米国の経済力が弱くなっていたことをうけ、西側諸国内で相談し、各国の通貨の交換水準などについて調整が行われました<ref>1985年(昭和60年)9月22日の'''プラザ合意'''と呼ばれるものです。それまで、日本の通貨である円と米国の通貨であるドルは、1ドルに対して240円前後で交換されていました。米国は、この交換水準が実際の経済的な実力よりも「ドルは高く、円は安く評価されている」と主張して、「円高ドル安」にするように、日本政府に求めたのです。この合意によって、その日のうちに1ドルは210円程度に、1年後には150円程度に、2年後には120円程度になってしまいました。これは、輸出産業に打撃を与えます。例えば、1ドルが240円の時、240万円で米国に輸出していた自動車は1万ドルを売ることができたのですが、1ドルが120円になると2万ドルで売らなければ損をすることになります。ところが、米国の消費者は、「1万ドルなら買えるけれども、2万ドルでは買えない」ということになって、この自動車は売れなくなります。こうして、日本の輸出産業は大打撃を受けることになりました。</ref>。日本政府は、輸出産業が不利になることを防ぐため事業資金を大きく増やしました。そのため、それらの資金は最終的に不動産や株式投資に回って、不動産や株式の高騰<ref name="高騰暴落"/>となりました。これを「'''バブル景気'''<ref name="バブル">「バブル」は「泡」のことです。泡のように中身がないのに大きく膨らんで、ちょっとしたことではじけてしまうことをたとえています。</ref>」といいます。1989年バブル景気は最高潮となり、その年の株式取引の最終日の平均株価は史上最高値を記録しました。
::しかし、バブル景気の{{ruby|弊害|へいがい}}も見られるようになったため、翌年以降、政府は景気を引き締めます。そのため、バブル景気は終わり、反動で日本経済は不景気となります('''バブルの{{ruby|崩壊|ほうかい}}'''<ref name="バブル"/>)。日本政府は、その後、景気対策を続けますが、30年以上成功できずに今にいたっています<ref>景気が良いかどうかは、[[#GDP|GDP]]が前の年よりもどれだけ大きくなったかということで表します。これを、経済成長率といいます。これは、だいたい3%程度成長していれば、普通に成長しているとされます。高度成長時代の日本は10%程度の成長をしていました。しかし、バブル崩壊後、日本は30年間平均1%程度の成長しかしていません。欧米各国が3~5%成長しているのに比べると異常と言ってよいでしょう。</ref>。
;冷戦後の世界
:冷戦が終わり、対立するものがなくなった世界は平和になったかといえば、そうではありません。核兵器を持ったソ連などが、対立の当事者でなくなったため、核保有国以外では戦争が起こりやすくなった側面もあります。
:第一次世界大戦後争いの続いた[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#バルカン半島|バルカン半島]]は、第2次世界大戦後ユーゴスラビアとして統一され40年以上安定した状態が続いたのですが、冷戦終了後、各民族が分裂し、内戦状態となりました。
:中東では勢力争いが絶えず、また、イスラム過激派などは、米国などを敵視してテロリズムを起こしたりしました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロは、その代表です。
:アフリカも民族間の対立が各地で起きています。冷戦時代ならば、一方が西側につけば、他方は東側について、戦争になると米ソの争いとなるため、にらみあいで止まったものですが、冷戦後は、そのようなブレーキがなくなったのです。
:冷戦後、ソ連は崩壊し、それをついだロシアも冷戦当時ほどの力を失いましたが、それに代わって、中華人民共和国が、世界一の労働力を背景に世界中から工場を呼び込んで、経済力を伸ばしてきて、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位になりました。
:日本は、この間、二つの大きな自然災害にみまわれました。1995年(平成7年)の'''阪神淡路大震災'''と2011年(平成23年)の'''東日本大震災'''です。日本は、そのほかにも大規模な風水害などを経験しており、自然の脅威に対しての備えを怠ってはならないという教訓を残しています。
=== 今変わりつつある世界 ===
:2019年(平成31年)5月1日天皇明仁<ref>「平成天皇」という呼び方は正しくありません。</ref>が退位し上皇となり、現在の天皇が即位、元号が令和に変わりました。
:[[#平成]]でも述べたところですが、元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありません。しかし、偶然とは言っても、令和になって何年かで起こったことは、どんな年齢の人たちでも生まれて経験のないことでした。
:新型コロナの流行は、人間は、まだまだ、事前に簡単に立ち向かえないことを痛感させられました。一方で、素早いワクチンの出現に科学の可能性を感じさせられました。また、今までの技術でも可能であったのに、習慣から普及しなかったネットを使った勤務や学習が可能であることも理解できました。このような中で、開催された東京オリンピックとパラリンピックは人々に希望と感動を与えたことでしょう。
:一方で、ロシアのウクライナ侵攻を見ると、日本の満州侵攻とよく似ていることが理解されます。また、国際社会における中国の位置付けは、だんだんと冷戦の時のソ連に似てきている様子があります。
:歴史を学ぶことで、これから、何が起こるのか、何を変えれば、何が起こらないのかを予想し、悪い事態を避けることができるかもしれません。歴史を学ぶということは、そういうことだと理解してください。
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>
<references/></small>
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{{前後
|type=章
|[[小学校社会/6学年/歴史編]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]]
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[[Category:社会|しようかつこうしやかい6]]
[[Category:小学校社会|6ねん]]
[[Category:小学校社会 歴史|#13]]
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Tomzo
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|+ この章の概要
|<!--(サ)日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦,日本国憲法の制定,オリンピック・パラリンピックの開催などを手掛かりに,戦後我が国は民主的な国家として出発し,国民生活が向上し,国際社会の中で重要な役割を果たしてきたことを理解すること。-->
★時代区分:昭和時代、平成時代、令和</br>
★取り扱う年代:1926年(昭和改元)以降
; 戦争への道
: 1926年昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました。
: 日本経済は、第一次世界大戦終結後、長く低迷を続けていましたが、1929年に'''世界恐慌'''が起きるとさらに景気が悪くなりました。人々の一部は、中国東北部(満州)の開発で、これを解決しようとしました。こうして、'''中華民国'''との間に対立が生まれ、1931年から戦争状態となります。全世界を見ても、世界恐慌から回復しようと自国を優先した政策をとるようになります。こうして、世界は第一次世界大戦前のような状態になってきました。特に1919年ロシア革命で生まれた'''ソビエト連邦'''(ソ連)に対しては、日本はドイツ・イタリアと同盟するなど各国から警戒されました。こうした中、1939年ドイツはポーランドに侵攻し'''第二次世界大戦'''が始まりました。1940年、ドイツはフランスに侵攻、1941年にはソ連に侵攻するなど戦争が拡大しました。日本は、中国との戦争を非難するアメリカ合衆国との交渉がうまくいかず、1941年ドイツ側に参戦し、アメリカやイギリスと戦うことになりました。この戦争は、戦車や飛行機といった最新の強力な兵器が使われ、大量の犠牲者が出ました。日本も、中国をはじめとしたアジア各地で住民に損害を与えた一方で、戦争の後期には、日本各地で'''空襲'''を受け、沖縄は全土が戦場となり、そして、広島・長崎に'''原子爆弾'''が落とされるなど、歴史上見なかった被害を出して、戦争に敗れました。
; 民主国家日本の誕生と発展
: 日本は、戦勝国であるアメリカ合衆国の占領下に入り、その下で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三大原則とした'''日本国憲法'''が制定されるなどさまざまな民主化政策が行われます。そうして世の中が安定すると、日本は品質の高い工業製品を世界中に輸出することで、経済力を回復し('''高度経済成長''')、国民生活が向上すると同時に、国際社会の一員として復帰しました。その象徴が、1964年に開催された'''東京オリンピック'''と'''パラリンピック'''です。その後も、万国博覧会、2回の冬季オリンピックやサッカーワールドカップなど世界的な催し物を開催できるようになりました。2021年世界中が'''コロナ禍'''で沈む中、2回目の'''東京オリンピック・パラリンピック'''を開催したことは記憶に新しいところです<!--指導要領に「1964年に開催された東京オリンピックとパラリンピック」が強調されており、無視するわけにもいかず付言する。指導要領作成時にはこの事態は当然想定しておらず、成功する前提で話題としているに違いない-->。
|}
== 世界の変化4 ==
:この章では、1925年に日本が昭和となってからの歴史を述べます。
:しかし、この時代になると、日本も国際社会の登場人物の一人として振る舞わないといけないようになっていました。そして、世界中を巻き込んだ戦争が世界を大きく変えます。昭和以降の歴史は、その世界の歴史の一部です。
:'''この節は、[[#世界の変化3|前の節]]同様、小学校で学習する範囲を超えていますが、昭和以後の日本の歴史に大きく関わる第二次世界大戦がなぜ起きたのか、その後、「世界」はどうなったのかということを理解できていないと、昭和以降の日本の歴史を深く理解することはできません。また、別の機会に学ぶ、「我が国の政治の働き」について、日本国憲法の成り立ちや、そこで強調される国民主権、平和主義、国民としての基本的人権が、決められた経緯などは、まさに、この歴史的な動きの中で成立したものです。'''
:この節では、ここでは、「世界恐慌・大恐慌」「ファシズム」という言葉がキーワードになります。
[[File:Ford modelle 1924.jpg|thumb|200px|1924年、フォード車生産累計1000万台達成時の記念写真。ヘンリー・フォードの両側に、1896年の最初の試作車と、1000万台記念のモデルTが並ぶ。]]
[[File:Depression, Breadlines-long line of people waiting to be fed, New York City, in the absence of substantial government... - NARA - 195524.tif|thumb|200px|食料配給に並ぶ失業者たち。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1969-054-53A, Nürnberg, Reichsparteitag.jpg|thumb|200px|ヒトラー(前を歩くヒゲの人物)とナチス幹部]]
;第一次世界大戦後のアメリカの好景気
:第一次世界大戦後にあっても1920年代を通して、米国は、ヨーロッパにおける復興の需要などがあって景気を維持していました、そのため、米国においては、生産力を増大させるための工場などの投資が引き続きなされ、庶民の間ではローンを組んでの住宅投資などがなされました。また、'''ヘンリー・フォード'''は、1908年に大量生産によって価格を安くして一般人にもT型フォードという自動車を発売し、それが、1920年代の好景気を受け、急激に普及しました。戦争の間、通信の手段として一般に解放されていなかった無線技術を使った'''ラジオ放送'''が1920年解禁され放送局ができて、人々はラジオを買い求めました。また、人々は財産を貯めるために株式を購入し<ref>米国の人々は、お金を貯めるのに、日本と違って銀行へ預金するのではなく、株式を購入する傾向があります。それは、現在も同じです。</ref>、株式価格も{{ruby|高騰|こうとう}}<ref name="高騰暴落">「高騰」は「値段が上がる」こと、「暴落」は株式などの値段が、急激に下がることを言います</ref>する傾向にありました。
;世界恐慌
:しかし、第一次世界大戦終了後、10年も経過すると、ヨーロッパ各国も落ち着きを取り戻し、工場なども再建されて、米国での工業生産は余るようになっていました。一方で、好景気が続いたため物価が上がり('''インフレーション'''・インフレ)、中央銀行はこれを抑えようと金利を上げるなどの対策をとっていました。
:そのような状況の中、1929年(昭和4年)10月24日ニューヨーク株式市場で一部の株式が{{ruby|暴落|ぼうらく}}<ref name="高騰暴落"/>しました。株式市場で、値が下がり始めると、それから逃れようとして持株を売って現金にしようとする人が増えます。すると、ますます、株式の値が下がるという悪循環におちいります。こうして、1週間ほどで、米国の株式は半分ほどの価格になってしまいました。100万円あったと思っていた預金が50万円になったようなものです。
:この大暴落を機会に米国は急激に不景気となります。米国からの投資や米国への輸出で景気を保っていたヨーロッパもこれに巻き込まれます。こうして、世界中が深刻な不景気となりました。これを、'''{{ruby|世界恐慌|せかいきょうこう}}'''または'''{{ruby|大恐慌|だいきょうこう}}'''と言います。
;世界恐慌に対する各国の対応
:20世紀になって先進国各国において、工業化が進んで労働者の数が多くなったことや労働組合のやり方が広く知られるようになったことを受けて、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#労働運動|労働運動]]はますます激しいものになっていました。特に第一次世界大戦後は、徴兵されて戦場に向かった兵士に多く工場労働者が含まれるようになったことで、労働者の発言力が強まりました。また、ソ連の成立が、これらの労働運動を勢いづけたという面もあります。世界恐慌で企業の経営があやうくなると、雇用も不安定になるなど、労働者の立場は不利になりました。各国では、大規模なストライキを含んだ労働運動が展開され、また、あわせて社会主義者や共産主義者の活動が目立つようになりました。
:<span id="ファシズム">このような、社会主義者や共産主義者の動きについて、ほとんどの先進国の政府は警戒します。また、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#反社会主義|先進国の民族主義者たち]]は、政党を作って社会主義運動に対抗し、外国資本の進出に抵抗しました。イタリアでは、'''ベニート・ムッソリーニ'''が'''ファシスト党'''を、ドイツでは'''アドルフ・ヒトラー'''が'''ナチス党'''<ref>正式な名称は「国民社会主義ドイツ労働者党」で「ナチス」は{{ruby|軽蔑|けいべつ}}の意味も込めた略称です。しかし、広く使われている呼び名なので、以下、「ナチス党」で統一します。</ref>を結成し、社会主義運動と争いました。このような、政党を'''ファシズム'''の政党といいます。
:自国の景気を回復させるため、広い植民地を持つイギリスやフランスは、植民地との結びつきを強くし、その他の国との貿易を関税を高くするなどして制限しました。これを'''ブロック経済'''と言います。他の国も同様の制限をしたのですが、植民地がほとんどないドイツやイタリアには経済の後退をもたらしました。特にドイツは、第一次世界大戦の賠償金のをまだ支払っていたところであったので、国民経済の{{ruby|窮乏|きゅうぼう}}が激しく社会問題となっていました。この、窮乏に乗じてナチスなどは勢力を伸ばしました。また、ブロック経済は、世界的に見ると経済の循環を悪くさせかえって世界全体の景気回復には悪影響を与えました。
:景気を回復させる、もう一つの方法として、政府が公共事業などを行うことにより、仕事を作って失業者を減らす方法です。<span id=''ヨシフ・スターリン''/>'''ヨシフ・スターリン'''が独裁的な指導者となった、ソ連は計画経済といって、工業生産などを政府が指導して行い、世界恐慌の影響を受けませんでした。米国大統領'''フランクリン・ルーズベルト'''は、恐慌対策の一つとして、電力需要の増加に対応できることもあり、大規模なダムと水力発電所建設の事業などを行いました。イタリアではファシスト党が1922年に、ドイツではナチス党が1933年に政権を取りますが、ファシズムは政府に強い権限を持たせる思想であるため、公共事業などを次々に行い、景気を回復させようとしました。例として、ドイツの高速道路網(アウトバーン)の建設があげられます。こうして、ドイツなどは生産力を回復しましたが、ブロック経済などにより、国内の生産物を売る市場が十分ではなかったため、その政策には限界がありました。
== 戦争への道 ==
:1926年(大正15年)12月25日大正天皇が亡くなり、昭和天皇が即位し、元号が「'''昭和'''」となりました<ref>昭和元年は12月25日から12月31日までの1週間だけでした。</ref>。
=== 日中戦争 ===
:1919年(大正8年)第一次世界大戦が終わると、翌年には景気が一気に冷え込み、多くの中小企業が倒産するなど不景気になっていました。その間に、首都圏が[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#関東大震災|関東大震災]]に襲われるなどして景気の回復はなかなか見られませんでした。社会不安は進み、社会主義・共産主義などの考えも伝わり、ストライキなどの{{ruby|労働争議|ろうどうそうぎ}}なども各地で見られるようになりました。政府は、それを取り締まるため'''<span id="治安維持法"/>{{ruby|治安維持法|ちあんいじほう}}'''を制定、労働運動を弾圧し、共産党員などを逮捕・収監<ref>刑務所に入れること。</ref>したりしていました。
:日本は、市場や資源を求め、日露戦争でロシアからゆずられた南満州鉄道沿線の開発を進めますが、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#辛亥革命|1911年辛亥革命によって成立した中華民国]]は内部の対立などが合って政府の力が弱く、治安の維持などが十分ではなかったこともあり、沿線の治安維持の名目で日本陸軍などが進駐しました({{ruby|関東軍|かんとうぐん}})。
[[File:Lytton Commission at railway.jpg|thumb|220px|南満州鉄道での爆発現場を調査しているリットン調査団。]]
:一方で、軍部は[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#軍縮|世界的な軍縮の傾向]]によって、軍隊の規模を縮小されたりしていたため政府に不満を持っていました<ref>軍縮によって、職を失った軍人などが社会主義運動などに走ることなども警戒されていました。</ref>。日本から離れた関東軍などは日本政府の命令もなく、要人を暗殺したり、現地の中国人などによる集団と衝突したりしていました。
:そして、1931年(昭和6年)、南満州鉄道での爆発事件をきっかけに、関東軍は軍を進め満州一帯を占領し('''満州事変'''<ref name="事変">「事変」というのは、「事件」・局地的なトラブル程度の軽い意味ですが、お互いの政府が「戦争」ととらえていないだけであって、実際は戦争と変わりありません。戦争というと、当事国以外の国との外交関係などにも影響を与えるため、政府としては大げさなものにしたくなかったものと考えられます。</ref>)、翌1932年(昭和7年)清王朝の最後の皇帝{{ruby|溥儀|ふぎ}}<ref>清朝は、もともと満州地域を本拠地とした女真族の国でした。</ref>を皇帝とした満洲国として独立させます。満洲国は独立国とは言っても、政府には多くの日本人が入り、日本の影響を強く受けた国でした<ref>このような国を{{ruby|傀儡|かいらい}}国家と呼びます。「傀儡」とは「あやつり人形」のことです。</ref>。中華民国政府は、これを抗議して国際連盟に訴えました。国際連盟は、調査団(リットン調査団)を満州に入れ詳細に調査した結果、中華民国の主張を受け入れ、満州地域を中華民国に返すように勧告しましたが、日本はこれを不満として1933年(昭和8年)国際連盟を脱退しました。
:日本国内でも、軍人の暴走が続きました。1932年(昭和7年)5月15日には武装した海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害する事件('''五・一五事件''')が起き、1936年(昭和11年)2月26日には、陸軍青年将校らが約1,500名の兵隊を率いて蜂起し、政府要人を襲撃・殺傷、首相官邸や霞ヶ関の役所街などの一帯を占領するというクーデター未遂事件('''二・二六事件''')が起こりました。どちらの事件も犯人の逮捕及び反乱の鎮圧で解決しましたが、軍部が国の政治に口を出す大きなきっかけとなりました。<span id="軍国主義"/>このように、軍部が国の政治を主導したことを'''{{ruby|軍国|ぐんこく}}主義'''といいます。
:中国では、中華民国政府と中国共産党などの勢力争いが続いており、満州国以外の上海などといった中国本土の都市で経済活動をする日本人は不安な生活を送っていました。関東軍などの中国に駐留する日本陸軍は、これらの人たちの保護のため、満洲国の外に出て、数千人の軍隊を駐留させました<ref>「居留民保護」といって、中国に在住者を持つ欧米各国でも数百人から千人程度の軍隊を駐留させていました。</ref>。1937年(昭和12年)7月7日北部中国の都市北平(現在の北京)の郊外で日本軍と中華民国軍が衝突し、そのまま、両国は戦争状態となりました('''日中戦争'''、ただし、当時の日本政府はこれを戦争ととらえず、「支那事変」「北支事変」「日華事変」<ref name="事変"/>といっていました)。
=== 第二次世界大戦・太平洋戦争 ===
:中華民国政府と敵対する日本は、中国に多くの権益をもつイギリスや、多くの中国人移民を受け入れ、また、中国を大きな市場として期待する米国との関係を悪くします。
:一方で、ソ連他共産主義を警戒するという共通の目的で、ヒトラーのドイツやムッソリーニのイタリアとの関係を強めます。1936年(昭和11年)にドイツとの間に、共産主義の流入を防止する{{ruby|防共協定|ぼうきょうきょうてい}}を締結し、翌年、イタリアもこれに加わります('''三国防共協定''')。
:ドイツは、東ヨーロッパのも領土を多く持っていましたが、第一次世界大戦でほとんど失いました。しかし、そこには、まだ多くのドイツ系の住民が残っていたため、ヒトラーは軍隊を進めるなどして、それらをドイツに取り戻し、欧米各国もこれに抵抗しませんでした({{ruby|宥和|ゆうわ}}政策)。
:[[画像:Second world war europe animation small.gif|thumb|350px|第二次世界大戦のヨーロッパ戦域の動画<br/>青色系がドイツなど枢軸国側、赤色系がイギリスなど連合国側です。ソ連は最初のうちは立場が不明確であったため緑色で表されています。]]
:1939年8月23日ドイツはソ連との間に、お互いを侵略しないことを約束する'''独ソ{{ruby|不可侵|ふかしん}}条約'''を結びます。これは、「防共」の趣旨に反するもので、日本をはじめとした各国を混乱させます<ref>当時の首相であった{{ruby|平沼騏一郎|ひらぬまきいちろう}}は「欧州の天地は複雑怪奇」との言葉を残し、8月28日内閣総辞職します。</ref>。
:そして、その直後の9月1日ドイツは東の隣国ポーランドに軍隊を進め、同月17日ソ連も東からポーランドに攻め込み、ポーランドは独ソに分割されました。イギリスとフランスはポーランドと相互援助協定があったため9月3日ドイツに宣戦布告しました。こうして、再びヨーロッパで世界的な戦争が起こります。これを、'''{{ruby|第二次世界大戦|だいにじせかいたいせん}}'''といいます。
:1940年になるとドイツ軍は、西側に戦力を投入しオランダ、ベルギー、フランスをせめ、6月までに各国を降伏させました。同年9月日本とドイツとイタリアは、まだ参戦していない米国を警戒して'''日独伊三国同盟'''を結びます。これ以降、日独伊側の国を'''{{ruby|枢軸|すうじく}}国'''<ref>「枢軸」とは、それを中心にして回るコマの軸のようなものを言います。ムッソリーニが、「ヨーロッパをローマ(イタリア)とベルリン(ドイツ)を軸にして回す」という発言が元になっています。</ref>といい、これに対応する国々を'''{{ruby|連合|れんごう}}国'''といいます。日本は、ドイツの支配下に入ったフランスの植民地である仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐し、フランスに代わって植民地経営を行います。
:1941年4月日本とソ連は'''日ソ中立条約'''を結びます。ところが、その直後である6月ドイツは不可侵条約を破棄し、ソ連に攻め込み、ドイツとソ連は戦争状態となり、連合国にソ連が加わりました。
:日中の争いに米国とイギリス、オランダ<ref>当時、オランダはジャワ島など現在のインドネシアを植民地としていて、日本はそこから原油を輸入していました。</ref>は中国を支援して貿易などを制限する立場を取りました。これを'''ABCD{{ruby|包囲網|ほういもう}}'''<ref>A(America アメリカ合衆国)、B(Britain;ブリテン、イギリスのことです)、C(China 中国)、D(Dutch;ダッチ、オランダ)の4国によるものです。</ref>といいます。日本は、米国とこの制限について解消するよう交渉を続けましたが、米国は、最終的に、日本の中国からの撤退を条件としてきたため交渉は決裂、日本の首相である'''{{ruby|東條英機|とうじょうひでき}}'''は、米国や英国との戦争を決意しました。
:1941年12月7日、日本は米国ハワイの真珠湾基地とマレー半島のイギリス軍基地を攻撃し、両国に対して宣戦を布告しました('''{{ruby|太平洋戦争|たいへいようせんそう}}'''<ref>戦後の呼び名です。当時は{{ruby|大東亜戦争|だいとうあせんそう}}(東亜=東アジア)と言っていました。</ref>)。このことで、日中戦争は第二次世界大戦のひとつとなり、中華民国が連合国の一国となりましたし、米国が連合国に加わって、日本に対するだけではなく、ヨーロッパの戦争にも参戦するようになります。
:日本は開戦当時、大量の航空機<ref>「ゼロ戦」などが有名です。</ref>を使った攻撃という今までに見られなかった戦い方などで、米英を圧倒し、米国の植民地であったフィリピン、イギリスの植民地であった香港やシンガポールを含むマレー半島やボルネオ島、オランダ<ref>この頃、オランダはドイツに占領されていて、イギリスに渡ったオランダ王室の配下の政府(「{{ruby|亡命政府|ぼうめいせいふ}}」と言います)が治めていました。</ref>の植民地であるジャワ島などインドネシア諸島を占領しました。また、タイ王国と同盟関係を結んで、英領ビルマ(現在のミャンマー)に軍を進め、さらに、北上して英領インドに進軍する勢いをしめしました。
:こうして、1942年年頃までに、世界は枢軸国側と連合国側に大きく分かれ、このころまでは、枢軸国側が、比較的有利に戦いを進めていました。
:なお、この頃からドイツ国内やドイツが占領したヨーロッパの地域では、ナチス党の民族主義にもとづく、<span id="ユダヤ人迫害"/>'''ユダヤ人<ref><span id="ユダヤ人"/>'''ユダヤ人'''とは、もともと、中東の地中海沿岸(現在のイスラエル)に住んでいた民族で、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#キリスト教|キリスト教]]の元になった'''ユダヤ教'''を信仰する人々です。紀元1世紀ごろ古代ローマ帝国の攻撃にあって、イスラエルの土地を追われ、ヨーロッパ各地に散らばりました。ユダヤ人は、自分たちの宗教を守りぬいて、キリスト教に改宗しませんでした。また、新約聖書によると、イエス・キリストはユダヤ教の宗教指導者が訴えたので十字架にかけられたとされているため、キリスト教徒とは敵対的な関係にありました(なお、イエス・キリストは民族的にはユダヤ人です)。多くのユダヤ人は、長い間差別され土地所有などできなかったので、ヨーロッパの地方では生きていけず、都市生活者となり、そこで生きていくために、商業や金融の能力を高めて成功した者も少なくありませんでした。こうしたことが、ねたまれて民族的差別(現在の言葉で言う「ヘイト」)の対象となっていました。</ref>の迫害'''が表立って行われるようになり、ユダヤ人の財産を奪って、強制収容所に送るということがなされていました。強制収容所では多くのユダヤ人が処刑されました。
:1942年8月、ドイツおよびイタリアなど枢軸国は、ソ連南部のスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)に攻め込みます。当初は、枢軸国軍の戦車など近代兵器を大量に投入する作戦により早期に枢軸国が占領することになりましたが、ソ連は、国力を上げて、この街を取り返そうとしました<ref>ドイツが、この街(スターリングラード)の占領にこだわって、ソ連も必死でとりもどそうとしたのかというと、この街の名前のためと言われています。「スターリングラード」は、ロシア語で「[[#スターリン|スターリン]]の街(グラード)」という意味です。</ref>。これはドイツとソ連との戦いの中で最も激しいものとなり、ドイツなど枢軸国は約100万人の軍隊を進め、ソ連は約170万人の兵士で守りましたが、戦死傷者は枢軸国約85万人、ソ連約120万人、住民の死者約20万人を数える悲惨なものになりました。結局、翌1943年2月ドイツが撤退し、それ以降、ヨーロッパの東部ではソ連が優勢になります。
:1943年に入ると、米国の参入が本格化します。北アフリカに上陸した米軍は、北アフリカのドイツ軍とイタリア軍を降伏させ、このまま北上しイタリアを攻撃。9月イタリアは降伏します。
:翌1944年アメリカ軍など連合国はフランスのノルマンディーに上陸し、フランスを回復、そのまま東に攻めていきます。また、東側からは、ソ連が勢いを盛り返して、西に進んでおり、ドイツは挟み撃ちの状態となって、1945年4月ヒトラーは自殺し、ヨーロッパでの大戦は終結します。
:日米は、開戦以来、南太平洋で[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#制海権|制海権]]を争っていましたが、1944年米国は初戦で失った艦船に倍増するほどの船を造船し、この年の末までに航空母艦<ref>戦闘機・爆撃機など軍用機を積んで発着させる軍艦。</ref>をはじめとした日本の軍艦をほとんど沈め、日本は制海権を失います。米国はこの地域に空港を作って、爆撃機を飛ばして、日本本土の各都市に爆弾を落として攻撃('''{{ruby|空襲|くうしゅう}}''')するようになります。
[[画像:Physical damage, blast effect, Hiroshima, 1946-03-13 ~ 1946-04-08, 342-USAF-11071.ogv|right|300px|thumb|thumbtime=5:55 |原爆投下の翌年1946年春、米軍映画撮影隊による爆心地周辺の被害状況映像。]]
:日本は海に囲まれているので、制海権を失うと各地での戦争の継続が難しくなる一方で、1945年に入ると米国の攻撃は激しさを増します。同年4月には沖縄本土に米軍が上陸、4月から7月にかけて東京や大阪といった大都市だけでなく、各地の地方都市も空襲を受け焼け野原になります。<span id="原子爆弾"/>そして8月6日広島に8月9日長崎に'''{{ruby|原子爆弾|げんしばくだん}}'''が落とされ、それぞれ、合わせて20万人以上の死者を出しました。また、ソ連が条約を破って満州などの日本軍を攻撃したことで、日本政府は戦争を継続することはできないと判断し、8月15日連合国に降伏しました。これで、第二次世界大戦は終結します。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#第一次世界大戦の犠牲者|第一次世界大戦は、協商国側・同盟国合わせて、約1000万人の戦死者、約2000万人の戦傷者、約800万人の行方不明者を出し、民間人も約780万人の死亡者を出すと言う悲惨な戦争でした]]が、第二次世界大戦はさらにひどいものとなりました。連合軍側の犠牲者は、軍人の戦死者数約1700万人、民間人の死亡者数3300万人、枢軸国側の軍人の戦死者数約800万人、民間人の死亡者数400万人といったものです。
:日本の場合、220万人程度の戦死者と50万から100万人の民間の死者を出しました。空襲で多くの家や財産が焼き尽くされました。また、満州や朝鮮に約250万人程度の日本人が住んでいましたが、その人たちはほぼ全ての財産を奪われ、約40万人が日本へ帰還の際に亡くなりました。多くの人たちが戦争に協力しようと、財産で{{ruby|国債|こくさい}}(国の借金)を買いました。しかし、その国債は戦後の極端なインフレーションのため400分の1の価値に落ちてしまいました。戦争はこうして人々の生活に大きなきずあとを残したのです。
== 民主国家日本の誕生と発展 ==
=== 戦後社会と冷戦 ===
==== 民主国家日本の誕生 ====
:降伏した日本は、米国の占領下に入りました。敗戦に伴って、以下にあげるとおり、日本は大きく変わりました。
:#日本国の領土は、明治維新当時のものとなりました。そのため、朝鮮半島は独立し、台湾は中華民国の支配に入り、その他南洋諸島なども日本の支配を離れました。サハリン島南部(南樺太)も放棄し、そこにはソ連が進駐しました。なお、{{ruby|択捉|えとろふ}}島・{{ruby|国後|くなしり}}島など北方4島は、明治維新には日本の国土であったため、支配放棄の対象ではありませんが、ソ連は不法にこれを占領し、それが、ロシアに引き継がれ、いまだに解決していません。また、沖縄県は、米国が琉球政府を建てて日本本土と別の政治をおこないました。
:#全ての兵器を差し押さえ、陸軍と海軍を解体しました。
:#米国は、日本が戦争に向かった原因は[[#軍国主義|軍国主義]]にあると考えて、日本の民主化を進めることとしました。
:##占領直後に、政治思想や活動を規制していた、[[#治安維持法|治安維持法]]を廃止し、刑務所に収監されていた労働運動家や共産党員を解放しました。そして、労働組合法が制定され、労働運動は合法的なものとなりました。
:##経済を一部の{{ruby|財閥|ざいばつ}}が独占していたことで、自由な経済活動ができなかったとして、三井、三菱、住友といった財閥は会社や資本の関係をバラバラにされました({{ruby|財閥解体|ざいばつかいたい}})。
:##戦前日本の農業は、農地の所有者である地主に、お金を払って農作物を作る{{ruby|小作|こさく}}制度が広く普及していましたが、実際に耕す人の所有になるべきとの考えから、地主の農地は小作人に分け与えられました({{ruby|農地改革|のうちかいかく}})。
:##これらの改革と同時に、国の政治の根本を見直すために、憲法を変えることになるました。1946年(昭和21年)4月10日、初めて、男女平等の普通選挙による衆議院選挙が行われ、その国会で新たな憲法が議論されて、'''日本国憲法'''として同年11月3日に公布、翌1947年(昭和22年)5月3日<ref>国民の祝日である憲法記念日です。</ref>施行されました。
;日本国憲法
:日本国憲法は、今、私たち日本人が生活するのに基本となっているルールです。社会科の他の単元でも詳しく学習するものですが、ここでは歴史の流れから憲法を考えてみましょう。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#明治憲法|前の章では、明治憲法の特徴について、簡単に説明しました]]。ここでは、新憲法を明治憲法と比較してみましょう。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%;"
|+
! style="width:7%;" |
! style="width:31%;" | 大日本帝国憲法(明治憲法)
! style="width:31%;" | 日本国憲法(新憲法)
! style="width:31%;" | 解説
|-
!天皇
|国の統治者。
|日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。<br/>天皇は、国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。<br/>天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする。
|一般に明治憲法においては、天皇を統治者(=主権者)とされます。一方、新憲法では国民に主権があると定め、その総意に基づいて天皇は日本国及び国民統合の「象徴」と定めました。
|-
!国会
|天皇に協賛して法律や予算を定める機関。<br/>選挙された議員による衆議院と世襲貴族などによる貴族院で構成される。<br/>改正まで女性に選挙権は与えられなかった。
|国権の最高機関。<br/>選挙された議員による衆議院と参議院で構成される。<br/>選挙権及び被選挙権は性別などで差別してはならない。
|国民から選挙で選ばれた、国会は国の権力を行使する最高機関です。明治憲法で認められていた勅令のような法律と同等の法令は新憲法では認められていません。
|-
!内閣
|国務大臣は天皇を{{ruby|輔弼|ほひつ}}(助言し助ける)する。<br/>内閣総理大臣は憲法に特に定めがなく、天皇が指名する。
|行政権は、内閣総理大臣が長である内閣に属する。<br/>内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名される。
|
|-
!地方自治
|(定めなし)
|その地方に住む住民の自治が尊重され、首長や議会の議員を選ぶことができる。
|地方自治は、明治憲法では特別の位置付けはありませんでした。そのため、都道府県の知事は政府の役人が派遣されていました。新憲法では、住民による自治が明記され、知事や議員は住民が選ぶこととなりました。
|-
!軍隊
|軍隊は天皇が直接まとめひきいる。したがって、内閣や国会は軍隊に口を出してはならない。<br/>国民には、{{ruby|兵役|へいえき}}の義務がある。
|国際紛争を解決する手段として、戦争は行ってはならない。<br/>戦争のための軍隊を持ってはならない。
|
|-
!人権
|法律によって制限できる。<br/> (例)<br/> ・治安維持法<br/> ・国家神道
|憲法に定められた人権は法律によっても制限できない(裁判所の{{ruby|違憲立法審査権|いけんりっぽうしんさけん}})<br/><br/>新たに認められた権利<br/> ・個人の尊重<br/> ・男女の本質的平等<br/> ・労働運動の権利<br/> ・生存権の保障<br/> ・厳格な刑事手続 など
|
|}
</div>
:日本は、新憲法のもと、民主的で自由な国づくりを目指して再出発しました。
==== 世界の変化5 新しい国際社会 - 東西対立と冷戦の社会・南北問題 ====
:第二次世界大戦が終わり、社会主義・共産主義を警戒したファシズムが敗北すると、米国やソ連といった連合国は、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#国際連盟|国際連盟]]が結局第二次世界大戦を防げなかったことを反省し、これを解消して'''国際連合'''がつくられます。米国は、今度は、これに積極的に取り組み、本部をニューヨークに置きました。
:[[ファイル:Cold War Map 1959.svg|thumb|300px|1959年の世界の様子(色分け)<br/>(ワインレッド = ワルシャワ条約加盟国<br/>朱色 = ソ連の他の同盟国(東側諸国)<br/>青紺色 = 北大西洋条約 (NATO) 加盟国<br/>水色 = 米国の他の同盟国(西側諸国)<br/>緑 = 植民地<br/>灰色 = 非同盟諸国)]]
:第二次世界大戦後、社会主義は世界中の政治に強い影響を与えるようになり、世界中で資本主義勢力と社会主義勢力の争いが見られるようになりました。
:戦後ソ連が占領した東ヨーロッパの国々には社会主義の政府が建てられました。ヨーロッパを基準とすると、米国、イギリス、フランスなど資本主義の諸国は西にあったので'''西側諸国'''、一方、ソ連など社会主義の国は東にあったので'''東側諸国'''といい、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を'''東西対立'''と言います。ドイツは、ソ連に占領されていた地域が東ドイツ、米国などに占領されていた地域が西ドイツと、国家が分裂しました。ドイツの首都であったベルリンは、東ドイツの中にあったのですが、米国などが占領していた地域があり、この部分は西ドイツになりました。西ベルリンは東ドイツに囲まれた{{ruby|飛地|とびち}}になりました。東ドイツ政府は、西ベルリンを囲んで壁を構築し、東ドイツの市民が西ベルリンを通過して西側諸国へ行けないようにしました。これが、<span id="ベルリンの壁">「'''ベルリンの壁'''」といって、東西対立の象徴となりました。また、東西の行き来は困難なものとなったため、西側から見て東側との間には「'''鉄のカーテン'''」が引かれているとも表現します。東側諸国は、ソ連を中心にワルシャワ条約機構という軍事同盟を結び、それに対抗して、西側諸国は北大西洋条約 (NATO) という軍事同盟を結んで対立しました。また、中国では、'''{{ruby|毛沢東|もうたくとう}}'''がひきいる中国共産党が、中華民国政府を攻めて、1947年社会主義の国である'''中華人民共和国'''を建国します<ref>中華民国政府は、台湾に逃げ込みます。</ref>。朝鮮半島には、1948年ソ連などの支持を受けた'''朝鮮民主主義人民共和国'''(北朝鮮)と米国などの支持を受けた'''大韓民国'''(韓国)が建国されましたが、1950年北朝鮮は韓国に攻め込み、南北各々米国とソ連・中国の支援を得て激しく戦い、1953年北緯38度線を境に休戦します('''朝鮮戦争''')。
:東西対立には、今までに見られなかった特徴があります。それは、'''核兵器'''の存在です。[[#原子爆弾|広島と長崎に落とされた'''原子爆弾''']]の威力は世界中に脅威を持って受け入れられました。米国はこの技術が自国だけで独占されるものと考えていたのですが、1949年ソ連が原子爆弾の実験に成功します。1952年米国はさらに強力な水素爆弾の実験に成功しますが、ソ連も、1955年水素爆弾の実験に成功します(下欄「[[#科学競争|米国とソ連の科学競争]]」参照)。その他、イギリスやフランス、中華人民共和国なども核兵器を保有するようになりました。もし、東西に本格的な軍事衝突が起こったならば、大げさではなく、人類が滅亡してしまうくらいの核兵器をもったため、大国同士の戦争はお互いに避けるようになりました。東西は、こうして大きな戦争を伴わないまま国際的に対立しました。これを、「冷たい戦争」、「'''{{ruby|冷戦|れいせん}}'''」といいます。
:一方で、第二次世界大戦で枢軸国はもちろん連合国にあったイギリスやフランスも国力を失い、植民地の独立を止めることができないようになりました。この結果、終戦後数年後には、中東諸国の他、インドやインドシナ半島諸国、インドネシアの諸国が独立し、少し遅れて1960年代にはアフリカの各国が独立しました。しかしながら、これらの国は、まだ国内の産業が十分に成長しておらず先進国に比べて、国民生活は全体的に貧しく、また、貧富の差も大きいものであり、各国は経済発展の政策に取り組みました。また、政策に不満を持つ集団が、政権を倒そうとするなど政治的にも不安定なものでした。このような国々を、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#先進国|先進国]]に対して「'''{{ruby|発展途上国|はってんとじょうこく}}'''」と言います。先進国は、欧米や日本をはじめとして北半球に多く、発展途上国は、赤道付近から南の国が多いため、先進国と発展途上国の格差の問題を'''南北問題'''と言います。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="科学競争"/>米国とソ連の科学競争<small>
[[File:Sputnik asm.jpg|thumb|180px|世界最初の人工衛星スプートニク1号]]
:現在でこそ、ロシア(旧ソ連)の科学力は、米国に遅れをとっているといえますが、1940年代から70年代位までは、国をあげての科学研究を行い、米国をはじめとする、西側諸国をおびやかしたものでした。上で述べたとおり、核兵器の開発はすぐに米国に追いつきましたし、ロケットを使った宇宙開発は、米国に先行していました。
:1957年ソ連は世界で最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。米国をはじめとする西側諸国は、衝撃を受け危機感を覚えました。なぜならば、この技術は、核爆弾を搭載したミサイルを飛行機を使わず、相手国に打ち込む技術があることを意味するからです。米国は、これに追いつくため翌年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA)を設立、研究開発体制を見直します。また、一般の教育体制までも見直しが行われました。しかし、ソ連は1961年世界で最初の有人宇宙飛行を成功させるなど、米国の先を行っていました。米国がソ連に追いついたと言えるのは、1971年アポロ11号で友人月面着陸を成功させた時といわれています。ソ連を引き継いだロシアも宇宙開発においては現在でも、世界でトップクラスの技術を有しています。
:一方で、ソ連の科学技術は、このような軍事目的などにばかり集中され、一般の人々の生活にはあまり貢献しませんでした。そのため、西側諸国で発展が見られた、自動車や家庭電化製品の発展は遅れました。このことは、半導体の開発の遅れにつながり、コンピューターなどの開発が遅れ、工業力が西側に遅れる原因となります。
</small>
|}</div>
==== 高度経済成長とその後の日本 ====
:終戦直後の日本は、多くのものを失ったところから始めなければなりませんでした。
:1951年(昭和26年)、日本は米国他と平和条約を締結し<ref>ソ連との間では、北方領土の問題などがあって平和条約が締結されず、戦争をしないという仮の約束として1956年(昭和31年)'''日ソ共同宣言'''が出されました。現在も、ソ連を継いだロシアとの間に平和条約は結ばれていません。</ref>独立を回復、1956年(昭和31年)には国際連合にも加盟しました。東西対立に危機感を覚えた、米国は日本を資本主義の国として復興させるためにさまざまな支援をします。1950年(昭和25年)朝鮮戦争がおこると、国防の必要が認識され戦闘力を有した警察予備隊が結成され、それが1954年(昭和29年)'''自衛隊'''となります。
:朝鮮戦争では、米軍などの支援物資の需要があり製造業が復興しました。その後、高品質低価格を特徴とする船舶や自動車、電化製品と知った日本製品は世界中に輸出され、日本経済は急激に拡大していきます。また、政府は産業界を指導して投資資金などを効率的に分配し、経済成長を助けました。1955年(昭和30年)頃から、急激な経済成長を見せ、これを'''高度経済成長'''といっています。
:[[File:Bundesarchiv Bild 183-C1012-0001-026, Tokio, XVIII. Olympiade, Gesamtdeutsche Mannschaft.jpg|thumb|200px|東京オリンピック開会式]]
:復興した日本は、国際的な催し物を開催し、国際社会に復帰したことを世界に示します。1964年(昭和39年)の'''東京オリンピック'''、1970年(昭和45年)の'''大阪万国博覧会'''、1972年(昭和42年)の'''札幌冬季オリンピック'''などが代表的なものです。
:1972年(昭和42年)、米国が統治していた沖縄が日本に返還され沖縄県となりました。
:経済成長にともない人々の生活は、だんだん豊かなものとなっていきました。1953年(昭和28年)'''テレビ放送'''が始まり、東京オリンピックをきっかけにカラーテレビが各家庭に普及しました。その他、電気冷蔵庫や電気掃除機、電気洗濯機が普及して家事が楽になるなど、家庭電化製品は人々の生活を大きく変えました。1955年(昭和30年)ころ100軒に1軒くらいしかなかった'''電話'''も、1975年(昭和50年)ころには70%家庭に引かれました。また、1960年(昭和35年)ころ自動車は平均して100軒に3軒ほどしか普及していなかったものが、1980年代には80軒の家は自家用車を持つようになりました。自動車の急激な増加を受け、高速道路網をはじめとした道路整備がなされました。
:1964年(昭和39年)には、'''東海道新幹線'''が開通し、日本各地で空港が整備され、飛行機による移動も一般的なものとなりました。
:1973年(昭和48年)、中東における中東戦争<ref>[[#ユダヤ人迫害|ナチス党などで迫害]]された[[#ユダヤ人|ユダヤ人]]は、自分たちの国を求めて、元々の出身地であるイェルサレム周辺にイスラエルという国を作ります。この時、もともと住んでいたイスラム教徒の住民(パレスチナ人)を追い出し、迫害したため、同じイスラム教徒が大多数を占めるエジプトやサウジアラビアといった国とイスラエルとの間で起こった戦争です。</ref>をきっかけに、サウジアラビアなど中東諸国の石油輸出国が共同で石油価格を2倍近くに上げたため物価が急に上がり('''オイル・ショック''')、高度経済成長はその勢いを失いますが、それから10年程度は、安定した経済成長を続け、1978年には、国の経済規模の尺度である<span id="GDP"/>'''国内総生産'''('''GDP''')<ref>当時は、「国民総生産(GNP)」という尺度を用いていました。GDPとGNPは、何点か違いはありますがだいたい同じものと考えても、ここでは問題ありません。</ref>は、米国に続いて世界第2位の規模になっていました。
:一方で、重工業化が急速に進められたため、'''公害'''などが社会問題となりました。
=== 冷戦終了後の世界 ===
:1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇が亡くなって、翌日から元号が'''平成'''と改められました。
:<span id="平成"/>元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありませんが、この1989年(昭和64年・平成元年)は、それまでの世界が大きく変わり、その後30年現在にいたるまで影響を与える重要な年となりました。
:;ソ連を中心とする東側諸国の崩壊と冷戦の終結
::1970年代から80年代にかけて、西側諸国と東側諸国の生活レベルは明らかに差がついていました。その原因は、いくつか考えられます。ひとつには、経済活動を政府が統制するため安定はしていますが競争はあまり起こらないところ、競争に伴う創意工夫がなされず、発展が遅れるというものです。これは、家庭電化製品や乗用車といった民生分野といわれるもので大きな差が出ました。また、これらの製造に不可欠な半導体の開発や工場の自動化などにも差が出ました。また、ソ連が主導した農業政策は、政府の指示が適当ではなかったため東側諸国全体で生産が低迷しました。また、東側諸国は選挙による政権交代がないため、新たなことをきらう役人の性質({{ruby|官僚|かんりょう}}主義)がはびこり、政治による改革も行き詰まっていました。ソ連では、'''ミハエル・ゴルバチョフ'''が書記長となって、'''ペレストロイカ'''(改革)、'''グラスノスチ'''(情報公開)という改革を進めていましたが、うまく進んでいませんでした。
::1980年代後半に入って、ポーランドでは政府に抗議する労働組合の運動がみられ、チェコスロバキアやハンガリーからは西側諸国へ移封に移民する人々が目立つようになりました。また、このころ、東欧諸国では衛星放送が普及するようになって、西側諸国の豊かな生活が東側諸国に知られるようになったと言われています。
::1989年には、東ドイツで西側への移動を求めた暴動が激しくなり、11月9日東ドイツ政府は自由な移動を認め、それを受け、翌日、民衆は[[#ベルリンの壁|ベルリンの壁]]を壊し東西の行き来が自由になりました。
::こうして、東欧諸国へのソ連の支配はなくなり、冷戦が終結しました。
::この後、東ヨーロッパの各国は、1990年に西ドイツと東ドイツが統一するなど、社会主義政府から自由主義の国となりました。また、1991年ソ連は崩壊し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど15の共和国に分かれました。
:;中華人民共和国
::世界的な社会主義の後退の傾向から、中華人民共和国でも民主化を求めた運動が起こりました。
::しかし、中華人民共和国政府は、資本主義的な政策を取り入れながらも、それは、政府が主導するものであって、自由な選挙など民主的な活動を認めないという態度を示して、6月4日民主化を求める民衆を弾圧しました('''{{ruby|天安門|てんあんもん}}事件''')。この後、中華人民共和国は、資本主義を取り入れた政策によって大きく経済成長を達成したのですが、現在においても、自由な政治活動は制限されています。
:;日本
::1980年代、国際経済において、米国の経済力が弱くなっていたことをうけ、西側諸国内で相談し、各国の通貨の交換水準などについて調整が行われました<ref>1985年(昭和60年)9月22日の'''プラザ合意'''と呼ばれるものです。それまで、日本の通貨である円と米国の通貨であるドルは、1ドルに対して240円前後で交換されていました。米国は、この交換水準が実際の経済的な実力よりも「ドルは高く、円は安く評価されている」と主張して、「円高ドル安」にするように、日本政府に求めたのです。この合意によって、その日のうちに1ドルは210円程度に、1年後には150円程度に、2年後には120円程度になってしまいました。これは、輸出産業に打撃を与えます。例えば、1ドルが240円の時、240万円で米国に輸出していた自動車は1万ドルを売ることができたのですが、1ドルが120円になると2万ドルで売らなければ損をすることになります。ところが、米国の消費者は、「1万ドルなら買えるけれども、2万ドルでは買えない」ということになって、この自動車は売れなくなります。こうして、日本の輸出産業は大打撃を受けることになりました。</ref>。日本政府は、輸出産業が不利になることを防ぐため事業資金を大きく増やしました。そのため、それらの資金は最終的に不動産や株式投資に回って、不動産や株式の高騰<ref name="高騰暴落"/>となりました。これを「'''バブル景気'''<ref name="バブル">「バブル」は「泡」のことです。泡のように中身がないのに大きく膨らんで、ちょっとしたことではじけてしまうことをたとえています。</ref>」といいます。1989年バブル景気は最高潮となり、その年の株式取引の最終日の平均株価は史上最高値を記録しました。
::しかし、バブル景気の{{ruby|弊害|へいがい}}も見られるようになったため、翌年以降、政府は景気を引き締めます。そのため、バブル景気は終わり、反動で日本経済は不景気となります('''バブルの{{ruby|崩壊|ほうかい}}'''<ref name="バブル"/>)。日本政府は、その後、景気対策を続けますが、30年以上成功できずに今にいたっています<ref>景気が良いかどうかは、[[#GDP|GDP]]が前の年よりもどれだけ大きくなったかということで表します。これを、経済成長率といいます。これは、だいたい3%程度成長していれば、普通に成長しているとされます。高度成長時代の日本は10%程度の成長をしていました。しかし、バブル崩壊後、日本は30年間平均1%程度の成長しかしていません。欧米各国が3~5%成長しているのに比べると異常と言ってよいでしょう。</ref>。
;冷戦後の世界
:冷戦が終わり、対立するものがなくなった世界は平和になったかといえば、そうではありません。核兵器を持ったソ連などが、対立の当事者でなくなったため、核保有国以外では戦争が起こりやすくなった側面もあります。
:第一次世界大戦後争いの続いた[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#バルカン半島|バルカン半島]]は、第2次世界大戦後ユーゴスラビアとして統一され40年以上安定した状態が続いたのですが、冷戦終了後、各民族が分裂し、内戦状態となりました。
:中東では勢力争いが絶えず、また、イスラム過激派などは、米国などを敵視してテロリズムを起こしたりしました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロは、その代表です。
:アフリカも民族間の対立が各地で起きています。冷戦時代ならば、一方が西側につけば、他方は東側について、戦争になると米ソの争いとなるため、にらみあいで止まったものですが、冷戦後は、そのようなブレーキがなくなったのです。
:冷戦後、ソ連は崩壊し、それをついだロシアも冷戦当時ほどの力を失いましたが、それに代わって、中華人民共和国が、世界一の労働力を背景に世界中から工場を呼び込んで、経済力を伸ばしてきて、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位になりました。
:日本は、この間、二つの大きな自然災害にみまわれました。1995年(平成7年)の'''阪神淡路大震災'''と2011年(平成23年)の'''東日本大震災'''です。日本は、そのほかにも大規模な風水害などを経験しており、自然の脅威に対しての備えを怠ってはならないという教訓を残しています。
=== 今変わりつつある世界 ===
:2019年(平成31年)5月1日天皇明仁<ref>「平成天皇」という呼び方は正しくありません。</ref>が退位し上皇となり、現在の天皇が即位、元号が令和に変わりました。
:[[#平成|前の節]]でも述べたところですが、元号が変わったからといって、世の中の動きが変わるわけではありません。しかし、偶然とは言っても、令和になって何年かで起こったことは、今日本に生きているどんな年齢の人たちでも生まれてから経験のないことでした。
:新型コロナの流行は、人間は、まだまだ、自然には簡単に立ち向かえないことを痛感させられました。一方で、素早いワクチンの出現に科学の可能性を感じさせられました。また、今までの技術でも可能であったのに、習慣から普及しなかったネットを使った勤務や学習が可能であることも理解できました。このような中で、開催された東京オリンピックとパラリンピックは人々に希望と感動を与えたことでしょう。
:一方で、ロシアのウクライナ侵攻を見ると、日本の満州侵攻とよく似ていることが理解されます。また、国際社会における中国の位置付けは、だんだんと冷戦の時のソ連に似てきている様子があります。
:歴史を学ぶことで、これから、何が起こるのか、何を変えれば、何が起こらないのかを予想し、悪い事態を避けることができるかもしれません。歴史を学ぶということは、そういうことだと理解してください。
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>
<references/></small>
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{{前後
|type=章
|[[小学校社会/6学年/歴史編]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]]
|-
}}
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6]]
[[Category:小学校社会|6ねん]]
[[Category:小学校社会 歴史|#13]]
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