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民法第762条
0
4725
206447
143181
2022-08-12T03:27:23Z
Tomzo
248
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)]]
==条文==
([[w:夫婦|夫婦]]間における財産の帰属)
;第762条
# 夫婦の一方が[[w:婚姻|婚姻]]前から有する財産及び婚姻中'''自己の名で得た財産'''は、その'''特有財産'''(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
# 夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その[[w:共有|共有]]に属するものと[[w:推定|推定]]する。
==解説==
:夫婦の財産のあり方を法定した規定(法定財産制度)の一つである。
:夫婦であるといっても、それぞれが独立した個人であるから、婚姻前から有する財産や、婚姻中であっても'''自己の名で得た財産'''は、それぞれの単独名義の財産(特有財産)となる。しかし、夫婦は共通した生計のもと共同生活を営む([[民法第752条]])ため、ある財産がどちらに属するか判明しない場合もある。その場合は、夫婦の共有に属するものと推定されることになる。
:明治民法においても、[[民法第807条#参考|第807条]]において、「妻又ハ入夫カ婚姻前ヨリ有セル財産及ヒ婚姻中自己ノ名ニ於テ得タル財産ハ其特有財産トス」と定められ、単独で所有する「特有財産」とされた。なお、帰属の不分明な財産は家に属するものとされた。
:「自己の名で得た財産」の解釈については、以下の判例等を参考。
==参照条文==
*[[民法第761条]](日常の家事に関する債務の連帯責任)
==関連判例==
*[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56218&hanreiKbn=02 土地所有権移転登記手続請求](最高裁判決 昭和34年07月14日)
*:夫婦間の合意で、夫の買い入れた土地の登記簿上の所有名義人を妻としただけでは、土地を妻の特有財産と解すべきではない。
==参考==
明治民法において、本条には以下の規定があった。戸主制廃止に伴い削除廃止。
#新ニ家ヲ立テタル者ハ其家ヲ廃シテ他家ニ入ルコトヲ得
#家督相続ニ因リテ戸主ト為リタル者ハ其家ヲ廃スルコトヲ得ス但本家ノ相続又ハ再興其他正当ノ事由ニ因リ裁判所ノ許可ヲ得タルトキハ此限ニ在ラス
----
{{前後
|[[コンメンタール民法|民法]]
|[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br>
[[第4編 親族 (コンメンタール民法)#2|第2章 婚姻]]<br>
[[第4編 親族 (コンメンタール民法)#2-3|第3節 夫婦財産制]]
|[[民法第761条]]<br>(日常の家事に関する債務の連帯責任)
|[[民法第763条]]<br>(協議上の離婚)
}}
{{stub}}
[[category:民法|762]]
q2diz6ln5hmka0juki02043t7k8ks1u
民法第807条
0
12094
206453
198822
2022-08-12T04:15:06Z
Tomzo
248
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]
==条文==
(養子が未成年者である場合の無許可縁組の取消し)
;第807条
: [[民法第798条|第798条]]の規定に違反した縁組は、養子、その実方の親族又は養子に代わって縁組の承諾をした者から、その取消しを家庭裁判所に請求することができる。ただし、養子が、成年に達した後6箇月を経過し、又は追認をしたときは、この限りでない。
==解説==
:未成年者を養子とする縁組については、裁判所の許可を要する([[民法第798条|第798条]])が、これを欠いて受理された場合や家庭裁判所の許可審判謄本などが偽造されて届出がなされた場合、①養子本人、②養子の実方の'''親族'''、③養子に代わって縁組の承諾をした者のいずれかから、縁組の取り消しを請求できる。明治民法においては、[[民法第857条#参考|第857条]]に取り消しうべき縁組の取り消しについての手続きについて定めていた。
:ただし、<u>養子が成年に達した後</u>、6ヶ月を経過した時又は6ヶ月経過前に追認をした場合、取り消しができなくなる。
:反対解釈をすると、養子が成年に達するまでは、取り消しが可能であり、追認は効果を有さない。
==参照条文==
==参考==
明治民法において、本条には以下の規定があった。[[民法第762条|現行第762条]]に「夫婦間における財産の帰属」として継承されたが、帰属不分明な財産については夫婦の共有となった。
#妻又ハ入夫カ婚姻前ヨリ有セル財産及ヒ婚姻中自己ノ名ニ於テ得タル財産ハ其特有財産トス
#夫婦ノ孰レニ属スルカ分明ナラサル財産ハ夫又ハ女戸主ノ財産ト推定ス
----
{{前後
|[[コンメンタール民法|民法]]
|[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br>
[[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3|第3章 親子]]<br>
[[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3-2|第2節 養子]]
[[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3-2-2|第2款 縁組の無効及び取消し]]
|[[民法第806条の3]]<br>(子の監護をすべき者の同意のない縁組等の取消し)
|[[民法第808条]]<br>(婚姻の取消し等の規定の準用)
}}
{{stub}}
[[category:民法|807]]
2ewh8pxe2yq0bi245t51tfoqvvmnl9f
中学校社会 歴史/古代のギリシャ文明とローマ文明
0
19187
206445
204813
2022-08-11T23:36:50Z
240F:B0:3CF5:1:6492:FA9E:7260:87C3
wikitext
text/x-wiki
俺の担任ゴミカスうんちっちくさすぎわろたんばりんしゃんしゃん
スパルタなどの、他のポリスでも、似たような市民や兵士という特権階級による民主政治が行われた。
* 発展項目: スパルタ
スパルタは、周辺のポリスを侵略したりするので、スパルタでは兵士を育てるための軍事訓練がきびしい。スパルタではスパルタ人の男子は、少年期から兵士として育てられ、少年の受ける軍事訓練(ぐんじ くんれん)では、きびしい規律(きりつ)によって集団訓練をさせられた。現在の「極めて厳格な様子」を表すスパルタの語源となっている。
なお、スパルタ人以外の征服された地域の人は、軍事や政治からは切り離されて、農業や商工業などをさせられた。スパルタ人は、征服された人々の反乱をおそれて、征服された人々が武器を手にしないよう、征服された人々を軍事や政治の仕事には関わらせなかったのである。
また、スパルタは、鎖国的な政策をとり、スパルタは、ほかのポリスとの貿易(ぼうえき)を禁止したので、スパルタでは商工業はあまり発達しなかった。
* 文化
ギリシャでは、ギリシャ文字が使われていた。ギリシャ文字は、フェニキア文字(オリエント地方で使われてた文字の一つ)が元になっている。
ギリシャでは、演劇や建築、物語などが発達した。ギリシャ神話もつくられた。議論もさかんになり、哲学や数学などの学問もさかんになった。哲学者の '''アリストテレス''' や ソクラテス 、 歴史学者の ヘロドトス など、多くの学者がギリシャ文明から出てきた。
==== ヘレニズム文化 ====
[[ファイル:Napoli BW 2013-05-16 16-24-01.jpg|thumb|愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス (拡大図)。 生 紀元前356年 ~ 没 323年。]]
[[ファイル:Alexander and Aristotle.jpg|250px|thumb|アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス]]
紀元前4世紀ごろにギリシャ各地のポリスが統一される。北方のマケドニアの '''アレクサンドロス'''大王 によって、ギリシャは統一され支配された。
アレクサンドロスは、さらに領土を拡大しようとし、エジプト、ペルシャなどオリエント各地にも遠征した。
[[画像:Greek Phalanx.jpg|thumb|left|340px|マケドニア国の重装歩兵(じゅうそう ほへい)による陣形(じんけい)の想像図。]]
{{-}}
同じころ、オリエントの文化が、ギリシャにも伝わってきた。これによって、ギリシャでは、オリエントの文化とギリシャの文化がまじわった新しい文化の'''ヘレニズム文化'''が生まれてきた。ヘレニズムの語源になった「ヘレネス」とは、「ギリシャ人」という意味。
ギリシャの学問では、科学がさかんになり、数学者の エウクレイデス(ユークリッドのこと) や、 物理学者・機械工学者の アルキメデスが出た。
アレクサンドロス自身は、ペルシャ征服後のインドへの遠征からの、バビロンへの帰還中に病没し、満32歳で死亡した。アレクサンドロスの死後、彼の帝国は分裂した。
{{コラム|(※ たぶん範囲外: ) ゴルディオンの結び目|
:※ むかし、中学世界史の資料集で、この話を紹介してたらしい。
伝説では、アレクサンドロスが東方への遠征中、ゴルディオンという地方に立ち寄ったとき、ゴルディオンのゼウス神殿には、絶対にほどくことのできない結び目があると言われていました。その神殿にある、伝説の車にとりつけられた結び目です。
そして、その結び目をほどいたものは、世界の王になれるという言い伝えがありました。
アレクサンドロスが立ち寄るずっと前にも、多くのものが、この結び目をほどいてやろうと挑戦しましたが、誰一人として、ほどけませんでした。
アレクサンドロスは、自分こそ結び目をほどいて王になってやろうと挑戦しましたが、それでも結び目はほどけませんでした。
そこでアレクサンドロスは剣を持ち出して、結び目を一刀両断に切って、無理矢理、ほどいてしましました。
結び目の言い伝えが影響したのかどうか知りませんが、アレクサンドロスは東方の遠征に成功し、大きな領土を獲得しましたとさ。 おしまい。
}}
{{clear}}
=== ローマ ===
[[ファイル:Panoramic photograph of interior of Colosseum.jpg|thumb|left|ローマの'''コロッセオ'''(闘技場)の内部。コロッセウムともいう。地下にあった施設が現在ではむき出しになっている。世界遺産。]]
[[Image:Pont du gard.jpg|right|thumb|250px|ローマ時代の水道。この水道は現在のフランスにある。当時のローマ帝国は、今で言うフランス(当時は「ガリア」という国名)あたりの地にまで支配を広げていた。この水道建造物はポン・デュ・ガールとフランスでは呼ばれている。世界遺産。]]
紀元前6世紀ごろには、イタリア半島でいくつかの都市国家ができていた。紀元前1世紀ごろに、都市国家の一つの'''ローマ'''は周辺の都市国家を征服し、ローマ帝国ができた。さらに、紀元前30年ごろにはローマ帝国が地中海を囲む、ヨーロッパ南部および中央部、西アジアの地中海沿岸部、アフリカの地中海沿岸分の一帯まで、支配を広げた。
ローマによるヨーロッパの支配は、今で言うフランス(当時はガリア)の地をほぼ全て支配し、今で言うスペイン(当時はイスパニア)の地まで、ほぼ全土を支配した。
ギリシャ文字のアルファベットをもとにした、ローマ独自の文字のラテン文字(ローマ字)を持っていた。
ローマには、奴隷がいた。
広い領土をおさめる必要性から、実用的な文化が発達した。
暦(こよみ)では、エジプトの太陽暦をもとに、ユリウス暦(ユリウスれき)を作った。道路を整備した。法律も整備された。水道も整備された。
[[Category:中学校歴史|古代のギリシャ文明]]
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206446
206445
2022-08-12T03:05:27Z
2001:268:9BBA:595A:9F77:A10E:3C18:1F67
[[Special:Contributions/240F:B0:3CF5:1:6492:FA9E:7260:87C3|240F:B0:3CF5:1:6492:FA9E:7260:87C3]] ([[User talk:240F:B0:3CF5:1:6492:FA9E:7260:87C3|トーク]]) による版 206445 を取り消し
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text/x-wiki
== ギリシャとローマの古代文明 ==
四大文明(メソポタミア文明など)からしばらく遅れて、紀元前8世紀頃から地中海近くにあるギリシャ・ローマで文明が発達してくる。
=== ギリシャ ===
[[File:Venus_de_Milo_Louvre_Ma399-02b.jpg|thumb|100px|left|'''ミロのビーナス'''。ギリシャの文化。 ヘレニズム文化の影響を受けている。]]
[[File:The Parthenon in Athens.jpg|thumb|300px|ギリシャの<span style="font-size: large;">パルテノン神殿</span>。世界遺産。]]
ギリシャでは紀元前8世紀頃から、ギリシャ各地に、いくつもの独立した都市国家('''ポリス''')が出来た。なかでも、'''アテネ'''という都市国家 と、 '''スパルタ''' という都市国家の、この2つの都市国家(ポリス)が、とても有力であった。
ギリシャでは商工業が発達して、平民や兵士の力が強くなった。
* アテネ
[[画像:Phalanx.png|thumb|440px|right|古代ギリシアでの重装歩兵(じゅうそうほへい)による戦闘の想像図]]
都市国家(ポリス)のうちの一つである'''アテネ'''では、18歳以上の男子の市民による直接民主政治(デモクラチア)が行われた。
いっぽう、ギリシャには、奴隷が多くいた。奴隷は、民主政治には参加できなかった。奴隷は人口の3分の1もいた。民主政治に参加できたのは、市民や兵士などの特権階級だけであった。
スパルタなどの、他のポリスでも、似たような市民や兵士という特権階級による民主政治が行われた。
* 発展項目: スパルタ
スパルタは、周辺のポリスを侵略したりするので、スパルタでは兵士を育てるための軍事訓練がきびしい。スパルタではスパルタ人の男子は、少年期から兵士として育てられ、少年の受ける軍事訓練(ぐんじ くんれん)では、きびしい規律(きりつ)によって集団訓練をさせられた。現在の「極めて厳格な様子」を表すスパルタの語源となっている。
なお、スパルタ人以外の征服された地域の人は、軍事や政治からは切り離されて、農業や商工業などをさせられた。スパルタ人は、征服された人々の反乱をおそれて、征服された人々が武器を手にしないよう、征服された人々を軍事や政治の仕事には関わらせなかったのである。
また、スパルタは、鎖国的な政策をとり、スパルタは、ほかのポリスとの貿易(ぼうえき)を禁止したので、スパルタでは商工業はあまり発達しなかった。
* 文化
ギリシャでは、ギリシャ文字が使われていた。ギリシャ文字は、フェニキア文字(オリエント地方で使われてた文字の一つ)が元になっている。
ギリシャでは、演劇や建築、物語などが発達した。ギリシャ神話もつくられた。議論もさかんになり、哲学や数学などの学問もさかんになった。哲学者の '''アリストテレス''' や ソクラテス 、 歴史学者の ヘロドトス など、多くの学者がギリシャ文明から出てきた。
==== ヘレニズム文化 ====
[[ファイル:Napoli BW 2013-05-16 16-24-01.jpg|thumb|愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス (拡大図)。 生 紀元前356年 ~ 没 323年。]]
[[ファイル:Alexander and Aristotle.jpg|250px|thumb|アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス]]
紀元前4世紀ごろにギリシャ各地のポリスが統一される。北方のマケドニアの '''アレクサンドロス'''大王 によって、ギリシャは統一され支配された。
アレクサンドロスは、さらに領土を拡大しようとし、エジプト、ペルシャなどオリエント各地にも遠征した。
[[画像:Greek Phalanx.jpg|thumb|left|340px|マケドニア国の重装歩兵(じゅうそう ほへい)による陣形(じんけい)の想像図。]]
{{-}}
同じころ、オリエントの文化が、ギリシャにも伝わってきた。これによって、ギリシャでは、オリエントの文化とギリシャの文化がまじわった新しい文化の'''ヘレニズム文化'''が生まれてきた。ヘレニズムの語源になった「ヘレネス」とは、「ギリシャ人」という意味。
ギリシャの学問では、科学がさかんになり、数学者の エウクレイデス(ユークリッドのこと) や、 物理学者・機械工学者の アルキメデスが出た。
アレクサンドロス自身は、ペルシャ征服後のインドへの遠征からの、バビロンへの帰還中に病没し、満32歳で死亡した。アレクサンドロスの死後、彼の帝国は分裂した。
{{コラム|(※ たぶん範囲外: ) ゴルディオンの結び目|
:※ むかし、中学世界史の資料集で、この話を紹介してたらしい。
伝説では、アレクサンドロスが東方への遠征中、ゴルディオンという地方に立ち寄ったとき、ゴルディオンのゼウス神殿には、絶対にほどくことのできない結び目があると言われていました。その神殿にある、伝説の車にとりつけられた結び目です。
そして、その結び目をほどいたものは、世界の王になれるという言い伝えがありました。
アレクサンドロスが立ち寄るずっと前にも、多くのものが、この結び目をほどいてやろうと挑戦しましたが、誰一人として、ほどけませんでした。
アレクサンドロスは、自分こそ結び目をほどいて王になってやろうと挑戦しましたが、それでも結び目はほどけませんでした。
そこでアレクサンドロスは剣を持ち出して、結び目を一刀両断に切って、無理矢理、ほどいてしましました。
結び目の言い伝えが影響したのかどうか知りませんが、アレクサンドロスは東方の遠征に成功し、大きな領土を獲得しましたとさ。 おしまい。
}}
{{clear}}
=== ローマ ===
[[ファイル:Panoramic photograph of interior of Colosseum.jpg|thumb|left|ローマの'''コロッセオ'''(闘技場)の内部。コロッセウムともいう。地下にあった施設が現在ではむき出しになっている。世界遺産。]]
[[Image:Pont du gard.jpg|right|thumb|250px|ローマ時代の水道。この水道は現在のフランスにある。当時のローマ帝国は、今で言うフランス(当時は「ガリア」という国名)あたりの地にまで支配を広げていた。この水道建造物はポン・デュ・ガールとフランスでは呼ばれている。世界遺産。]]
紀元前6世紀ごろには、イタリア半島でいくつかの都市国家ができていた。紀元前1世紀ごろに、都市国家の一つの'''ローマ'''は周辺の都市国家を征服し、ローマ帝国ができた。さらに、紀元前30年ごろにはローマ帝国が地中海を囲む、ヨーロッパ南部および中央部、西アジアの地中海沿岸部、アフリカの地中海沿岸分の一帯まで、支配を広げた。
ローマによるヨーロッパの支配は、今で言うフランス(当時はガリア)の地をほぼ全て支配し、今で言うスペイン(当時はイスパニア)の地まで、ほぼ全土を支配した。
ギリシャ文字のアルファベットをもとにした、ローマ独自の文字のラテン文字(ローマ字)を持っていた。
ローマには、奴隷がいた。
広い領土をおさめる必要性から、実用的な文化が発達した。
暦(こよみ)では、エジプトの太陽暦をもとに、ユリウス暦(ユリウスれき)を作った。道路を整備した。法律も整備された。水道も整備された。
[[Category:中学校歴史|古代のギリシャ文明]]
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線型代数学/行列と行列式/第三類/外積
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206483
205879
2022-08-12T10:30:21Z
198.54.128.78
wikitext
text/x-wiki
内積があるのなら外積があってもいいのでは,と思っている人もいることだろう.
単に「外積」と呼ばれることもある,3次元実数ベクトルについての外積,すなわち「ベクトル積」を紹介する.
<!-- def:003:start -->
<strong>定義3</strong>
<strong>外積</strong>
<math>R^3</math>のベクトル <math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math>
に関して、<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> を次で定める.
<math>\vec{a} \times \vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)
</math>
[[File:Example.jpg|border|]]
ベクトル積は 3 次元ベクトルの場合のみについて定義される演算である。
定義のとおりだが、実際の計算は図に示したように第 1 成分を下に付け加え,
×の形に積を取り,使っていない成分に押し込むという感じで技化しておくとよい.
ベクトル積に関して次の計算法則が成り立つ.
交換法則が成り立たないことに注意する.
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> で <math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> を入れ替えると,符号が逆になる.
<!-- th:004:start -->
<strong>定理4</strong>
<strong>ベクトル積の計算法則</strong>
(1) <math> \vec{a} \times \vec{b} = -(\vec{b} \times \vec{a})</math>
(2) <math>k(\vec{a} \times \vec{b}) = (k\vec{a}) \times \vec{b} = \vec{a} \times (k\vec{b})</math>
(3) <math>\vec{a} \times (\vec{b} + \vec{c}) = \vec{a} \times \vec{b} + \vec{a} \times \vec{c}</math>
(4) <math>(\vec{a} + \vec{b}) \times \vec{c} = \vec{a} \times \vec{c} + \vec{b} \times \vec{c}</math>
<strong>証明</strong>
(1)
<math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math> にて <math>\vec{b} \times \vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
yc-zb \\
za-xc \\
xb-ya
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-(bz-cy) \\
-(cx-az) \\
-(ay-bx)
\end{array}
\right)
= -
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)
= -\vec{a} \times \vec{b}</math>.
(2)
<math>k(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
k(bz-cy) \\
k(cx-az) \\
k(ay-bx)
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
kbz-kcy \\
kcx-kaz \\
kay-kbx
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
(kb)z-(kc)y \\
(kc)x-(ka)z \\
(ka)y-(kb)x
\end{array}
\right)
=
(k\vec{a}) \times \vec{b}</math>.
同様に
<math>k(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
kbz-kcy \\
kcx-kaz \\
kay-kbx
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
b(kz)-c(ky) \\
c(kx)-a(kz) \\
a(ky)-b(kx)
\end{array}
\right)
= \vec{a} \times (k\vec{b})</math>.
(3)
<math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a_1 \\
a_2 \\
a_3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
b_1 \\
b_2 \\
b_3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
c_1 \\
c_2 \\
c_3
\end{array}
\right)
</math> にて
<math>\vec{a} \times (\vec{b} + \vec{c}) =
\left(
\begin{array}{c}
a_1 \\
a_2 \\
a_3
\end{array}
\right)
\times
\left(
\begin{array}{c}
b_1 + c_1 \\
b_2 + c_2 \\
b_3 + c_3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2(b_3 + c_3) - a_3(b_2 + c_2) \\
a_3(b_1 + c_1) - a_1(b_3 + c_3) \\
a_1(b_2 + c_2) - a_2(b_1 + c_1)
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 + a_2c_3 - a_3b_2 - a_3c_2 \\
a_3b_1 + a_3c_1 - a_1b_3 - a_1c_3 \\
a_1b_2 + a_1c_2 - a_2b_1 - a_2c_1
\end{array}
\right)</math>
<math>=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 - a_3b_2 + a_2c_3 - a_3c_2 \\
a_3b_1 - a_1b_3 + a_3c_1 - a_1c_3 \\
a_1b_2 - a_2b_1 + a_1c_2 - a_2c_1
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 - a_3b_2 \\
a_3b_1 - a_1b_3 \\
a_1b_2 - a_2b_1
\end{array}
\right)
+
\left(
\begin{array}{c}
a_2c_3 - a_3c_2 \\
a_3c_1 - a_1c_3 \\
a_1c_2 - a_2c_1
\end{array}
\right)
= \vec{a} \times \vec{b} + \vec{a} \times \vec{c}</math>.
(4)
<math>
(\vec{a} + \vec{b}) \times \vec{c}
= - \vec{c} \times (\vec{a} + \vec{b})
= - (\vec{c} \times \vec{a} + \vec{c} \times \vec{b})
= - ( -\vec{a} \times \vec{c} - \vec{b} \times \vec{c} )
= \vec{a} \times \vec{c} + \vec{b} \times \vec{c}
</math>
<math>\blacksquare</math>
<!-- th:004:end -->
2次元ベクトル,3次元ベクトルの内積は,図形的な解釈が可能であった.
ベクトル積が図形的には何を表しているかを紹介する.
<!-- th:005:start -->
<strong>定理5</strong>
<strong>ベクトル積の意味</strong>
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は,<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> の両方と直交する.
(2)
<math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> が張る平行四辺形の面積 <math>S</math> は,<math>S = |\vec{a} \times \vec{b}|</math>
(3)
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math>,<math>\vec{c}</math> が張る平行六面体の体積 <math>V</math> は,<math>V = |(\vec{a} \times \vec{b})\cdot \vec{c}|</math>
<strong>証明</strong>
<math>\vec{a} = \vec{OA} =
\left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>,
<math>\vec{b} = \vec{OB} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math>
とする.
(1)
<math>\vec{a}</math> と <math>\vec{a} \times \vec{b}</math> の内積をとる.
<math>\vec{a} \cdot (\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right)
= a(bz - cy) + b(cx - az) + c(ay - bx)
= abz -acy + bcx -abz +acy - bcx</math><br />
<math>= {\cancel{\color{red}abz}} - {\cancel{\color{blue} acy}} + \cancel{\color{green} bcx} - {\cancel{\color{red}abz}} + {\cancel{\color{blue}acy}} - \cancel{\color{green}bcx}
= 0</math>.
同様に
<math>\vec{b} \cdot (\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right)
= x(bz - cy) + y(cx - az) + z(ay - bx) = bxz - cxy + cxy - ayz + ayz - bxz</math><br />
<math>= \cancel{\color{red}bxz} - \cancel{\color{blue}cxy} + \cancel{\color{blue}cxy} - \cancel{\color{green}ayz} + \cancel{\color{green}ayz} - \cancel{\color{red}bxz}
= 0</math>.
よって,<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> の両方と直交する.
(2)
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> のなす角を <math>\theta</math> とすると,内積の性質より,
<math>|\vec{a}||\vec{b}|\cos\theta = \vec{a}\cdot\vec{b} = ax + by + cz</math>
<math>\mathrm{OA}</math> を底辺としたときの <math>\mathrm{B}</math> の高さを <math>h</math> とすると,
<math>S = \mathrm{OA} \times h = |\vec{a}||\vec{b}|\sin\theta(\because h = |\vec{b}|\sin\theta)</math>
と表されるので,
<math>S^2 = |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \sin^2 \theta = |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 (1 - \cos^2 \theta)
= |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 - |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \cos^2 \theta</math>
<math>|\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \cos^2 \theta = (\vec{a}\cdot\vec{b})^2 = (ax + by + cz)^2</math>,また <math>|\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 = (a^2 + b^2 + c^2)(x^2 + y^2 + z^2)</math> だから,
<math>S^2 = (a^2 + b^2 + c^2)(x^2 + y^2 + z^2) - (ax + by + cz)^2</math>
<math>= a^2x^2 + a^2y^2 + a^2z^2 + b^2x^2 + b^2y^2 + b^2z^2 + c^2x^2 + c^2y^2 + c^2z^2 - ( a^2x^2 + abxy + acxz + abxy + b^2y^2 + bcyz + acxz + bcyz + c^2z^2)</math><br />
<math>= {\cancel{\color{red}a^2x^2}} + a^2y^2 + a^2z^2 + b^2x^2 + {\cancel{\color{blue}b^2y^2}} + b^2z^2 + c^2x^2 + c^2y^2 + {\cancel{\color{green}c^2z^2}} - ( {\cancel{\color{red}a^2x^2}} + abxy + acxz + abxy + {\cancel{\color{blue}b^2y^2}} + bcyz + acxz + bcyz + {\cancel{\color{green}c^2z^2}})</math><br />
<math>= {\color{red}a^2y^2} + {\color{blue}a^2z^2} + {\color{red}b^2x^2} + {\color{green}b^2z^2} + {\color{blue}c^2x^2} + {\color{green}c^2y^2} - ({\color{red}abxy} + {\color{blue}acxz} + {\color{red}abxy} + {\color{green}bcyz} + {\color{blue}acxz} + {\color{green}bcyz})</math><br />
<math>= (b^2z^2 -2bcyz + c^2y^2) + (c^2x^2 - 2acxz + a^2z^2) + (a^2y^2 -2abxy + b^2x^2)</math>
<math>=(bz-cy)^2 + (cx - az)^2 + (ay - bx)^2</math>
<math>=|\vec{a} \times \vec{b}|^2</math>
なぜならば <math>|\vec{a} \times \vec{b}|^2 = (\vec{a} \times \vec{b})\cdot(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right) = (bz-cy)^2 + (cx - az)^2 + (ay - bx)^2
</math>
よって,<math>S = |\vec{a} \times \vec{b}|</math>
(3)
<math>\vec{c} = \mathrm{OC}</math> とする.
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> が張る平面を平行四辺形の底面としてみたときの
<math>\mathrm{C}</math> の高さを <math>l</math>,
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> と <math>\vec{c}</math> のなす角を <math>\varphi</math>
とすると,
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> が張る平行四辺形に垂直なので,
<math>l = |\mathrm{OC} \cos \varphi | = |\vec{c}| \cdot |\cos \varphi|</math> だから,
<math>V = Sl = |\vec{a} \times \vec{b}| \cdot |\vec{c}| \cdot |\cos \varphi|
= \left | |\vec{a} \times \vec{b}| \cdot |\vec{c}| \cdot \cos \varphi \right |
= \left |(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} \right | </math>.
<math>\blacksquare</math>
<!-- th:005:end -->
<!-- ex:001:start-->
<div id="ex:1">
<strong>演習1.</strong><math>\quad</math>
<math>\vec{a} =
\left(
\begin{array}{c}
1 \\
-3 \\
2
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
2 \\
-2 \\
3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
-1 \\
-1 \\
0
\end{array}
\right)
</math>
のとき,
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b}, (\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c}</math> を求めよ.
(2)
<math>\vec{a}, \vec{b}</math> の両方と直交する単位ベクトルを求めよ.
(3)
<math>\vec{\mathrm{OA}} = \vec{a}, \vec{\mathrm{OB}} = \vec{b}, \vec{\mathrm{OC}} = \vec{c}</math> とするとき,三角錐 <math>\mathrm{O-ABC}</math> の体積を求めよ.
<strong>解答例</strong>
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
1 \\
-3 \\
2
\end{array}
\right)
\times
\left(
\begin{array}{c}
2 \\
-2 \\
3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
(-3) \cdot 3 - 2 \cdot (-2) \\
2 \cdot 2 - 1 \cdot 3 \\
1 \cdot(-2) - (-3) \cdot 2
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
</math>.
<math>(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
-1 \\
-1 \\
0
\end{array}
\right)
= -5\cdot(-1) + 1 \cdot (-1) + 4 \cdot 0
= 4
</math>.
(2)
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> に垂直なので,<math>\vec{d} = \vec{a} \times \vec{b}</math> を単位化する.
<math>\pm \frac{1}{|\vec{d}|} \vec{d} = \pm \frac{1}{\sqrt{(-5)^2 + 1^2 + 4^2}}</math>
<math>
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
= \pm \frac{1}{\sqrt{42}}
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
</math>.(解となるベクトルは二つ)
(3)
<math>\vec{a}, \vec{b}, \vec{c}</math> が張る平行六面体の体積 <math>V</math> は,
<math>V = |(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} = |4| = 4</math>
<math>\vec{a}, \vec{b}</math> が張る平行四辺形の面積を <math>S</math>,<math>\vec{a}, \vec{b}</math> が張る平行四辺形を底面として見たときの平行六面体の高さを <math>h</math> とすると <math>V = Sh</math> であり,
(三角錐 <math>\mathrm{O-ABC}</math> の体積)<math> = \frac{1}{3} \left ( \frac{1}{2} S \right) h = \frac{1}{6}V = \frac{4}{6} = \frac{2}{3}</math>.
<!-- ex:001:end-->
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206484
206483
2022-08-12T10:35:26Z
198.54.128.78
wikitext
text/x-wiki
内積があるのなら外積があってもいいのでは,と思っている人もいることだろう.
単に「外積」と呼ばれることもある,3次元実数ベクトルについての外積,すなわち「ベクトル積」を紹介する.
<!-- def:003:start -->
<strong>定義3</strong>
<strong>外積</strong>
<math>R^3</math>のベクトル <math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math>
に関して、<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> を次で定める.
<math>\vec{a} \times \vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)
</math>
[[File:Example.jpg|border|]]
ベクトル積は 3 次元ベクトルの場合のみについて定義される演算である。
定義のとおりだが、実際の計算は図に示したように第 1 成分を下に付け加え,
×の形に積を取り,使っていない成分に押し込むという感じで技化しておくとよい.
ベクトル積に関して次の計算法則が成り立つ.
交換法則が成り立たないことに注意する.
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> で <math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> を入れ替えると,符号が逆になる.
<!-- th:004:start -->
<strong>定理4</strong>
<strong>ベクトル積の計算法則</strong>
(1) <math> \vec{a} \times \vec{b} = -(\vec{b} \times \vec{a})</math>
(2) <math>k(\vec{a} \times \vec{b}) = (k\vec{a}) \times \vec{b} = \vec{a} \times (k\vec{b})</math>
(3) <math>\vec{a} \times (\vec{b} + \vec{c}) = \vec{a} \times \vec{b} + \vec{a} \times \vec{c}</math>
(4) <math>(\vec{a} + \vec{b}) \times \vec{c} = \vec{a} \times \vec{c} + \vec{b} \times \vec{c}</math>
<strong>証明</strong>
(1)
<math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math> にて <math>\vec{b} \times \vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
yc-zb \\
za-xc \\
xb-ya
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-(bz-cy) \\
-(cx-az) \\
-(ay-bx)
\end{array}
\right)
= -
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)
= -\vec{a} \times \vec{b}</math>.
(2)
<math>k(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
k(bz-cy) \\
k(cx-az) \\
k(ay-bx)
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
kbz-kcy \\
kcx-kaz \\
kay-kbx
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
(kb)z-(kc)y \\
(kc)x-(ka)z \\
(ka)y-(kb)x
\end{array}
\right)
=
(k\vec{a}) \times \vec{b}</math>.
同様に
<math>k(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
kbz-kcy \\
kcx-kaz \\
kay-kbx
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
b(kz)-c(ky) \\
c(kx)-a(kz) \\
a(ky)-b(kx)
\end{array}
\right)
= \vec{a} \times (k\vec{b})</math>.
(3)
<math>\vec{a} = \left(
\begin{array}{c}
a_1 \\
a_2 \\
a_3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
b_1 \\
b_2 \\
b_3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
c_1 \\
c_2 \\
c_3
\end{array}
\right)
</math> にて
<math>\vec{a} \times (\vec{b} + \vec{c}) =
\left(
\begin{array}{c}
a_1 \\
a_2 \\
a_3
\end{array}
\right)
\times
\left(
\begin{array}{c}
b_1 + c_1 \\
b_2 + c_2 \\
b_3 + c_3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2(b_3 + c_3) - a_3(b_2 + c_2) \\
a_3(b_1 + c_1) - a_1(b_3 + c_3) \\
a_1(b_2 + c_2) - a_2(b_1 + c_1)
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 + a_2c_3 - a_3b_2 - a_3c_2 \\
a_3b_1 + a_3c_1 - a_1b_3 - a_1c_3 \\
a_1b_2 + a_1c_2 - a_2b_1 - a_2c_1
\end{array}
\right)</math>
<math>=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 - a_3b_2 + a_2c_3 - a_3c_2 \\
a_3b_1 - a_1b_3 + a_3c_1 - a_1c_3 \\
a_1b_2 - a_2b_1 + a_1c_2 - a_2c_1
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
a_2b_3 - a_3b_2 \\
a_3b_1 - a_1b_3 \\
a_1b_2 - a_2b_1
\end{array}
\right)
+
\left(
\begin{array}{c}
a_2c_3 - a_3c_2 \\
a_3c_1 - a_1c_3 \\
a_1c_2 - a_2c_1
\end{array}
\right)
= \vec{a} \times \vec{b} + \vec{a} \times \vec{c}</math>.
(4)
<math>
(\vec{a} + \vec{b}) \times \vec{c}
= - \vec{c} \times (\vec{a} + \vec{b})
= - (\vec{c} \times \vec{a} + \vec{c} \times \vec{b})
= - ( -\vec{a} \times \vec{c} - \vec{b} \times \vec{c} )
= \vec{a} \times \vec{c} + \vec{b} \times \vec{c}
</math>
<math>\blacksquare</math>
<!-- th:004:end -->
2次元ベクトル,3次元ベクトルの内積は,図形的な解釈が可能であった.
ベクトル積が図形的には何を表しているかを紹介する.
<!-- th:005:start -->
<strong>定理5</strong>
<strong>ベクトル積の意味</strong>
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は,<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> の両方と直交する.
(2)
<math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> が張る平行四辺形の面積 <math>S</math> は,<math>S = |\vec{a} \times \vec{b}|</math>
(3)
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math>,<math>\vec{c}</math> が張る平行六面体の体積 <math>V</math> は,<math>V = |(\vec{a} \times \vec{b})\cdot \vec{c}|</math>
<strong>証明</strong>
<math>\vec{a} = \vec{OA} =
\left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)
</math>,
<math>\vec{b} = \vec{OB} =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)
</math>
とする.
(1)
<math>\vec{a}</math> と <math>\vec{a} \times \vec{b}</math> の内積をとる.
<math>\vec{a} \cdot (\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
a \\
b \\
c
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right)
= a(bz - cy) + b(cx - az) + c(ay - bx)
= abz -acy + bcx -abz +acy - bcx</math><br />
<math>= {\cancel{\color{red}abz}} - {\cancel{\color{blue} acy}} + \cancel{\color{green} bcx} - {\cancel{\color{red}abz}} + {\cancel{\color{blue}acy}} - \cancel{\color{green}bcx}
= 0</math>.
同様に
<math>\vec{b} \cdot (\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
x \\
y \\
z
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right)
= x(bz - cy) + y(cx - az) + z(ay - bx) = bxz - cxy + cxy - ayz + ayz - bxz</math><br />
<math>= \cancel{\color{red}bxz} - \cancel{\color{blue}cxy} + \cancel{\color{blue}cxy} - \cancel{\color{green}ayz} + \cancel{\color{green}ayz} - \cancel{\color{red}bxz}
= 0</math>.
よって,<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> の両方と直交する.
(2)
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> のなす角を <math>\theta</math> とすると,内積の性質より,
<math>|\vec{a}||\vec{b}|\cos\theta = \vec{a}\cdot\vec{b} = ax + by + cz</math>
<math>\mathrm{OA}</math> を底辺としたときの <math>\mathrm{B}</math> の高さを <math>h</math> とすると,
<math>S = \mathrm{OA} \times h = |\vec{a}||\vec{b}|\sin\theta(\because h = |\vec{b}|\sin\theta)</math>
と表されるので,
<math>S^2 = |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \sin^2 \theta = |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 (1 - \cos^2 \theta)
= |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 - |\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \cos^2 \theta</math>
<math>|\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 \cos^2 \theta = (\vec{a}\cdot\vec{b})^2 = (ax + by + cz)^2</math>,また <math>|\vec{a}|^2 |\vec{b}|^2 = (a^2 + b^2 + c^2)(x^2 + y^2 + z^2)</math> だから,
<math>S^2 = (a^2 + b^2 + c^2)(x^2 + y^2 + z^2) - (ax + by + cz)^2</math>
<math>= a^2x^2 + a^2y^2 + a^2z^2 + b^2x^2 + b^2y^2 + b^2z^2 + c^2x^2 + c^2y^2 + c^2z^2 - ( a^2x^2 + abxy + acxz + abxy + b^2y^2 + bcyz + acxz + bcyz + c^2z^2)</math><br />
<math>= {\cancel{\color{red}a^2x^2}} + a^2y^2 + a^2z^2 + b^2x^2 + {\cancel{\color{blue}b^2y^2}} + b^2z^2 + c^2x^2 + c^2y^2 + {\cancel{\color{green}c^2z^2}} - ( {\cancel{\color{red}a^2x^2}} + abxy + acxz + abxy + {\cancel{\color{blue}b^2y^2}} + bcyz + acxz + bcyz + {\cancel{\color{green}c^2z^2}})</math><br />
<math>= {\color{red}a^2y^2} + {\color{blue}a^2z^2} + {\color{red}b^2x^2} + {\color{green}b^2z^2} + {\color{blue}c^2x^2} + {\color{green}c^2y^2} - ({\color{red}abxy} + {\color{blue}acxz} + {\color{red}abxy} + {\color{green}bcyz} + {\color{blue}acxz} + {\color{green}bcyz})</math><br />
<math>= (b^2z^2 -2bcyz + c^2y^2) + (c^2x^2 - 2acxz + a^2z^2) + (a^2y^2 -2abxy + b^2x^2)</math>
<math>=(bz-cy)^2 + (cx - az)^2 + (ay - bx)^2</math>
<math>=|\vec{a} \times \vec{b}|^2</math>
なぜならば <math>|\vec{a} \times \vec{b}|^2 = (\vec{a} \times \vec{b})\cdot(\vec{a} \times \vec{b}) =
\left(
\begin{array}{c}
bz-cy \\
cx-az \\
ay-bx
\end{array}
\right)\cdot
\left(
\begin{array}{c}
bz - cy \\
cx - az \\
ay - bx
\end{array}
\right) = (bz-cy)^2 + (cx - az)^2 + (ay - bx)^2
</math>
よって,<math>S = |\vec{a} \times \vec{b}|</math>
(3)
<math>\vec{c} = \mathrm{OC}</math> とする.
<math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> が張る平面を平行四辺形の底面としてみたときの
<math>\mathrm{C}</math> の高さを <math>l</math>,
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> と <math>\vec{c}</math> のなす角を <math>\varphi</math>
とすると,
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math>,<math>\vec{b}</math> が張る平行四辺形に垂直なので,
<math>l = |\mathrm{OC} \cos \varphi | = |\vec{c}| \cdot |\cos \varphi|</math> だから,
<math>V = Sl = |\vec{a} \times \vec{b}| \cdot |\vec{c}| \cdot |\cos \varphi|
= \left | |\vec{a} \times \vec{b}| \cdot |\vec{c}| \cdot \cos \varphi \right |
= \left |(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} \right | </math>.
<math>\blacksquare</math>
<!-- th:005:end -->
<!-- ex:001:start-->
<div id="ex:1">
<strong>演習1.</strong><math>\quad</math>
<math>\vec{a} =
\left(
\begin{array}{c}
1 \\
-3 \\
2
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
2 \\
-2 \\
3
\end{array}
\right)
</math>
,
<math>\vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
-1 \\
-1 \\
0
\end{array}
\right)
</math>
のとき,
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b}, (\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c}</math> を求めよ.
(2)
<math>\vec{a}, \vec{b}</math> の両方と直交する単位ベクトルを求めよ.
(3)
<math>\vec{\mathrm{OA}} = \vec{a}, \vec{\mathrm{OB}} = \vec{b}, \vec{\mathrm{OC}} = \vec{c}</math> とするとき,三角錐 <math>\mathrm{O-ABC}</math> の体積を求めよ.
<strong>解答例</strong>
(1)
<math>\vec{a} \times \vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
1 \\
-3 \\
2
\end{array}
\right)
\times
\left(
\begin{array}{c}
2 \\
-2 \\
3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
(-3) \cdot 3 - 2 \cdot (-2) \\
2 \cdot 2 - 1 \cdot 3 \\
1 \cdot(-2) - (-3) \cdot 2
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
</math>.
<math>(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} =
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
-1 \\
-1 \\
0
\end{array}
\right)
= -5\cdot(-1) + 1 \cdot (-1) + 4 \cdot 0
= 4
</math>.
(2)
<math>\vec{a} \times \vec{b}</math> は <math>\vec{a}</math> と <math>\vec{b}</math> に垂直なので,<math>\vec{d} = \vec{a} \times \vec{b}</math> を単位化する.
<math>\pm \frac{1}{|\vec{d}|} \vec{d} = \pm \frac{1}{\sqrt{(-5)^2 + 1^2 + 4^2}}</math>
<math>
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
= \pm \frac{1}{\sqrt{42}}
\left(
\begin{array}{c}
-5 \\
1 \\
4
\end{array}
\right)
</math>.(解となるベクトルは二つ)
(3)
<math>\vec{a}, \vec{b}, \vec{c}</math> が張る平行六面体の体積 <math>V</math> は,
<math>V = |(\vec{a} \times \vec{b}) \cdot \vec{c} = |4| = 4</math>
<math>\vec{a}, \vec{b}</math> が張る平行四辺形の面積を <math>S</math>,<math>\vec{a}, \vec{b}</math> が張る平行四辺形を底面として見たときの平行六面体の高さを <math>h</math> とすると <math>V = Sh</math> であり,
(三角錐 <math>\mathrm{O-ABC}</math> の体積)<math> = \frac{1}{3} \left ( \frac{1}{2} S \right) h = \frac{1}{6}V = \frac{4}{6} = \frac{2}{3}</math>.
<math>\blacksquare</math>
<!-- ex:001:end-->
iyhq9epzgtr6onaq4kmutjb9t6t9cj1
線型代数学/行列と行列式/第三類/直線・平面
0
24917
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198.54.128.78
wikitext
text/x-wiki
まず,ベクトルによって平面上の直線を表す方法を確認する.
<!-- def:003:start -->
<strong>定義3</strong>
<strong>直線の方程式(パラメータ表示)</strong>
平面上の点 <math>\mathrm{A}(\vec{a})</math> を通り,<math>\vec{u}</math> に平行な直線を <math>l</math> とする.
この <math>l</math> 上の点を <math>\mathrm{P}</math> とし,<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{x}</math> とする.
すると <math>\vec{\mathrm{AP}} = t\vec{u}</math> を満たす実数 <math>t</math> があって,
<math>\vec{x} = \vec{a} + t \vec{u}</math>
<math>(\vec{\mathrm{OP}} = \vec{\mathrm{OA}} + \vec{\mathrm{AP}})</math>
と表される.
これを直線 <math>l</math> の<strong>ベクトル方程式</strong>という.
<!-- def:003:end -->
<math>t</math> は媒介変数,または <strong>パラメータ</strong> と呼ばれる.
これは平面上の直線を表しているが,空間内の直線を表す場合でも同じ要領であらわすことができる.
上で「平面上の」を「空間内の」に読み替えれば済むからである.
<!-- ex:002:start-->
<div id="ex:2">
<strong>演習2.</strong><math>\quad</math>
座標平面上の点 <math>\mathrm{A}(-4, 5)</math> を通り,<math>\vec{u} = (-1, 3)</math> に平行な直線 <math>l</math> を、
<math>ax + by + c = 0</math> の形で表せ.
<strong>解答例1</strong>
<math>l</math> 上の点 <math>\mathrm{P}</math> について,ある実数 <math>t</math> があって,
:<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{\mathrm{OA}} + \vec{\mathrm{AP}} =
\left(
\begin{array}{c}
-4 \\
5
\end{array}
\right)
+ t
\left(
\begin{array}{c}
-1 \\
3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-t - 3 \\
3t + 5
\end{array}
\right)
</math>
<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y)</math> とすれば,
<math>x = -t -4, y = 3t + 5</math>.
これから t を消去する.<math>3x + y</math> を考えると <math>t</math> が消えることが容易に予想されるので,このまま <math>3x + y</math> を計算すると,
:<math>3x + y = 3(-t -4) + (3t + 5)</math>
:<math>= -3t - 12 + 3t + 5</math>
:<math> = -7</math>
すなわち
:<math>3x + y + 7 = 0</math>
<math>\blacksquare</math>
<!-- ex:002-1:end-->
<strong>解答例2</strong>
パラメータ <math>t</math> を用いない方法を示す.
問題の直線 <math>l</math> は <math>\vec{u} =
\left(
\begin{array}{c}
-1\\
3
\end{array}
\right)
</math>
に平行であったが,これに垂直なベクトル <math>\vec{h} =
\left(
\begin{array}{c}
3\\
1
\end{array}
\right)
</math>
(成分を逆さにして片方にマイナスをつけた.すると <math>\vec{u}\cdot\vec{h} = 0</math><ref>
ベクトル <math>\vec{a} =
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y
\end{array}
\right)
</math>
に対してベクトル <math>\vec{b}</math> を,<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
y\\
-x
\end{array}
\right)
</math>
とすると <math>\vec{a}\cdot \vec{b} =
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y
\end{array}
\right)
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
y\\
-x
\end{array}
\right)
= xy + y(-x) = 0</math>.
あるいは
<math>\vec{b} =
\left(
\begin{array}{c}
-y\\
x
\end{array}
\right)
</math>
としても
<math>\vec{a}\cdot \vec{b} =
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y
\end{array}
\right)
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
-y\\
x
\end{array}
\right)
= x(-y) + yx = 0</math>で同様となる.
</ref>.)
を用いれば次のように表現できる.
<math>l</math> は <math>\mathrm{A}(\vec{a})</math> を通り <math>h</math> に垂直だから,この <math>l</math> 上に <math>\mathrm{P}</math> をとり,
<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{x}</math> とすると,<math>\mathrm{P}</math> が <math>l</math> 上にある.
<math>\Leftrightarrow \vec{\mathrm{AP}} \bot \vec{h}</math>
<math>\Leftrightarrow (\vec{x} - \vec{a})\cdot \vec{h} = 0</math> …①
<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y)</math> とすれば,<math>\vec{x} =
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y
\end{array}
\right)
, \vec{a} =
\left(
\begin{array}{c}
-4\\
5
\end{array}
\right)
, \vec{h} =
\left(
\begin{array}{c}
3\\
1
\end{array}
\right)
</math>
なので,①より
:<math>\left \{
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y
\end{array}
\right)
-
\left(
\begin{array}{c}
-4\\
5
\end{array}
\right)
\right \}
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
3\\
1
\end{array}
\right)
= 0</math>
<math>\therefore
\left(
\begin{array}{c}
x + 4\\
y - 5
\end{array}
\right)
\cdot
\left(
\begin{array}{c}
3\\
1
\end{array}
\right)
= 0</math>
<math>\therefore
3(x + 4) + y - 5 = 0
</math>
<math>
\therefore
3x + y + 7 = 0
</math>
となり,同じ直線の式が得られた.
<math>\blacksquare</math>
<!-- ex:002-2:end-->
①のように、平面上の直線をベクトルで表す方法にはパラメータを用いない方法もある.
<!-- def:004:start -->
<strong>定義4</strong>
<strong>直線の方程式(<math>ax + by + c = 0</math>)</strong>
平面上の点 <math>\mathrm{A}(\vec{a})</math> を通り,<math>\vec{h}</math> に垂直な直線を <math>l</math> とする.
この <math>l</math> 上に点 <math>\mathrm{P}</math> をとり,<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{x}</math> とすると,
<math>\vec{x}</math> は
<math>(\vec{x} - \vec{a}) \cdot\vec{h} = 0</math>
を満たす.<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y)</math> として成分を計算すると.
<math>ax + by + c = 0</math>
の形をしている.
<!-- th:004:end -->
次に,問題を解きながら空間内の平面の表し方を解説してゆく.
<!-- ex:003:start-->
<div id="ex:3">
<strong>演習3.</strong><math>\quad</math>
座標空間の点 <math>\mathrm{A}(0, 2, 1)</math> を通り,
<math>
\left(
\begin{array}{c}
1\\
-2\\
1
\end{array}
\right)
</math>,<math>
\left(
\begin{array}{c}
2\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
</math>
に平行な平面を <math>\pi</math> とする.
<math>\pi</math> 上の点 <math>\mathrm{P}</math> について,
<math>\vec{\mathrm{OP}}</math> をパラメータ <math>s, t</math> を用いて表せ.
また,<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y, z)</math> をするとき,
<math>x, y, z</math> が満たす等式を求めよ.
<strong>解答</strong>
<math>\vec{u} =
\left(
\begin{array}{c}
1\\
-2\\
1
\end{array}
\right)
, \vec{v} =
\left(
\begin{array}{c}
2\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
</math> とおく.<math>\vec{\mathrm{AP}}</math> は <math>\pi</math> に含まれるベクトルだから,ある実数 <math>s, t</math> を用いて <math>\vec{\mathrm{AP}} = s\vec{u} + t\vec{v}</math> と表すことができる<ref>ただし <math>\vec{u}, \vec{v}</math> が線形独立である必要がある.ここでは <math>\vec{u}, \vec{v}</math> の向きは平行ではなく,これを満たす</ref>.
<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{\mathrm{OA}} + \vec{\mathrm{AP}}</math>
:<math> = \vec{\mathrm{OA}} + s\vec{u} + t\vec{v}</math>
:<math> =
\left(
\begin{array}{c}
0\\
2\\
1
\end{array}
\right)
+s
\left(
\begin{array}{c}
1\\
-2\\
1
\end{array}
\right)
+t
\left(
\begin{array}{c}
2\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
</math>
すなわち <math>\mathrm{P} (x, y, z)</math> として
<math>
\begin{cases}
x = s + 2t \\
y = 2 -2s -t \\
z = 1 + s + 3t
\end{cases}
</math>
これらからパラメータ <math>s, t</math> を消去する.
<math>x+2y = s+2t+2(2-2s-t)= -3s+4</math><br />
<math>\therefore s = \frac{4-x-2y}{3}</math><br />
<math>2x+y=s(s + 2t) + 2-2s-t = 3t + 2</math><br />
<math>\therefore t = \frac{2x+y-2}{3}</math><br />
これを <math>z = 1 + s + 3t</math> に代入して<br />
<math>z = 1 + \frac{4-x-2y}{3} + 3\cdot \frac{2x+y-2}{3}</math><br />
<math>3z=3+4-x-2y + 3(2x+y-2)</math><br />
<math>\therefore 5x+y-3z = -1</math>
次に <math>\pi</math> に垂直なベクトル(法線ベクトルという)を用いて,関係式を求める.
<math>\pi</math> に垂直なベクトル <math>\vec{h}</math> は <math>\vec{u}, \vec{v}</math> のそれぞれに垂直だから,<math>\vec{h}</math> は <math>\vec{u} \times \vec{v}</math> に平行である<ref>
[[線型代数学/行列と行列式/第三類/外積#th:005|定理5 ]](1) <math>\vec {a} \times \vec {b}</math> は, <math>\vec {a}</math>,<math>\vec {b}</math> の両方と直交する.
</ref>.
だから,
<math>\vec{h} = \vec{u} \times \vec{v} =
\left(
\begin{array}{c}
1\\
-2\\
1
\end{array}
\right)
\times
\left(
\begin{array}{c}
2\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-5\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
</math>
とおくことができる.
<math>\vec{\mathrm{OP}} = \vec{x}, \vec{\mathrm{OA}} = \vec{a}</math> とする.すると,
:<math>\mathrm{P}</math> が <math>\pi</math> 上にある
:<math>\iff \vec{\mathrm{AP}} \bot \vec{h}</math>
:<math>\iff (\vec{x} - \vec{a})\cdot \vec{h} = 0</math>
<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y, z)</math> とすれば,
<math>\vec{x} =
\left(
\begin{array}{c}
x\\
y\\
z
\end{array}
\right)
, \vec{a} =
\left(
\begin{array}{c}
0\\
2\\
1
\end{array}
\right)
</math>,
<math>
\left(
\begin{array}{c}
x - 0\\
y - 2\\
z - 1
\end{array}
\right)
\left(
\begin{array}{c}
-5\\
-1\\
3
\end{array}
\right)
= -5x -(y - 2) + 3(z - 1) = 0</math>
<math>\therefore 5x + y -3z = -1</math>
これが平面 <math>\pi</math> の方程式である.平面の方程式の係数 <math>(5, 1, -3)</math> を並べると平面の法線ベクトルになっている.
<!-- ex:003:end-->
一般の形でまとめておく.
<!-- def:005:start -->
<strong>定義5</strong>
<strong>平面の方程式(パラメータ表示)</strong>
空間内の点 <math>\mathrm{A}(\vec{a})</math> を通り,<math>\vec{u}, \vec{v}</math> に平行な平面を <math>\pi</math> とする.
この <math>\pi</math> 上の点を <math>\mathrm{P}</math> とし,<math>\vec{\mathrm{OP}}=\vec{x}</math> とすると,
<math>\vec{\mathrm{AP}} = s\vec{u}+t\vec{u}</math> を満たす実数 <math>s, t</math> があって,
<math>\vec{x}</math> は,
:<math>\vec{x} = \vec{a} + s\vec{u} + t\vec{v} \quad (\vec{\mathrm{OP}} = \vec{\mathrm{OA}} + \vec{\mathrm{AP}})</math>
と表される.
<!-- def:005:end -->
<!-- def:006:start -->
<strong>定義6</strong>
<strong>平面の方程式(<math>ax+by+cz+d=0</math>)</strong>
空間上の点 <math>\mathrm{A}(\vec{a})</math> を通り,<math>\vec{h}</math> に垂直な平面を <math>\pi</math> とする.
この <math>\pi</math> 上に点 <math>\mathrm{P}</math> をとり,<math>\vec{\mathrm{OP}}=\vec{x}</math> とする.
<math>\vec{x}</math> は,
:<math>(\vec{x} - \vec{a})\cdot \vec{h} = 0 \quad (\vec{\mathrm{AP}} \bot \vec{h})</math>
を満たす.<math>\mathrm{P}</math> の座標を <math>(x, y, z)</math> として,成分を計算すると
:<math>ax + by + cz + d = 0</math>
の形になり,ベクトル <math>(a, b, c)</math> は <math>\vec{h}</math> に平行である.
<!-- def:006:end -->
<references />
2fgvelmpkv7mwyohvvot0e6n5albt5x
高等学校日本史B/鎌倉幕府の滅亡
0
25117
206439
206382
2022-08-11T13:57:12Z
椎楽
32225
wikitext
text/x-wiki
{{Nav}}
== 両統迭立 ==
北条泰時の後押しを受けて即位した{{ruby|後嵯峨|ごさが}}天皇は、1246年に後深草天皇に譲位して院政をしいた。しかし、1259年には後嵯峨上皇の指示で後深草天皇の皇子ではなく、弟が即位して亀山天皇となった。1268年に後嵯峨法皇は死去するが、そのときに次の治天の君を定めなかった。そのため、天皇家は後深草上皇系の皇統{{ruby|'''持明院統'''|じみょういんとう}}と亀山天皇系の皇統{{ruby|'''大覚寺統'''|だいかくじとう}}に分裂した。両統は皇位継承や院政権、皇室荘園領の相続などをめぐって対立した<ref>大覚寺統は'''八条院領'''とよばれる220の荘園群を、持明院統は'''長講堂領'''とよばれる180もの荘園群を獲得した。こうした多くの荘園の相続も両統の対立の原因でもあった。</ref>。両統とも鎌倉幕府に働きかけて次代の天皇を自統から出そうとした。幕府は両統が交代して皇位を継承する{{ruby|'''両統迭立'''|りょうとうてつりつ}}を提案し、1317年には幕府の提起によって両統の協議がなされた(文保の和談)。そして、幕府はそれ以降、皇位継承には関与しないとした。
文保の和談の後に、大覚寺統から即位した{{ruby|'''後醍醐天皇'''|ごだいごてんのう}}は父の後宇多上皇の院政を排して親政を敷いた。後醍醐天皇は平安時代の延喜・天暦の時代を天皇による親政が行われた理想的な時代と考えていた。そして、当時の最新学説であった宋学(朱子学)を学んでいたこともあって、天皇は幕府政治に不満を抱いていた。
== 御内人の専横 ==
元寇や貨幣経済の浸透は御家人たちの窮乏を加速させた。これに対して、幕府は得宗専制を強化して幕府の指導力を高めることで対処しようとした。しかし、これによって御家人たちは幕政から排除されてしまったた。
また、若くして死去する得宗が相次ぎ<ref>7代時宗は32歳、8代時貞は39歳で没した。</ref>、若年で得宗になる者も多くなった。そのため、得宗被官にすぎなかった御内人が幕府政務の処理にも大きくかかわるようになる。また、得宗家以外の北条一族の発言力も大きくなり、得宗の地位さえも形骸化しつつあった。
9代目得宗(14代執権)の{{ruby|北条高時|ほうじょうたかとき}}の頃には、政治を内管領の長崎{{ruby|高資|たかすけ}}とその父・長崎高綱(円喜)が担っていた。長崎親子を中心とする御内人の権勢は絶大なものとなり、御家人らの不満が高まっていた。
== 後醍醐天皇の挙兵 ==
== 鎌倉炎上 ==
== 注 ==
<references/>
[[category:高等学校日本史|かまくらはくふのめつほう]]
l1fgdd42pyxhenvakm0mu4xhbapcgzg
線型代数学/行列と行列式/第三類/行列の定義・和・差
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wikitext
text/x-wiki
線形代数では、行列と呼ばれるものを扱う.
数字を長方形の形に並べて括弧で括ったものを行列という.
横に並んだ数の並びを行と呼び,上から第 1 行,第 2 行,<math>\cdots</math>,
縦に並んだ数の並びを列と呼び,左から第 1 列,第 2 列,<math>\cdots</math> と数える.
<math>m</math> × <math>n</math> の長方形に並んだものを,<math>m</math> 行 <math>n</math> 列の行列,
または <math>(m, n)</math> 型行列という.
<math>n</math> 元列ベクトルは <math>(n, 1)</math> 型行列,
<math>n</math> 元行ベクトルは <math>(1, n)</math> 型行列とみなすことができる.
例えば <math>(3, 4)</math> 型行列があって、その第 2 行、第 3 列に書かれている数が <math>4</math> であるとき、
これを <math>(2, 3)</math> 成分が <math>4</math> であると表現する.
縦と横に並んだ数の個数が等しいとき,つまり正方形の形に並ぶとき,正方行列という.
<math>(n, n)</math> 型の正方行列を <strong><math>n</math> 次正方行列</strong> という.
正方行列において,<math>(1, 1), (2, 2), (3, 3), \cdots</math> の成分を<strong>対角成分</strong>という.
対角成分以外の成分が <math>0</math> である行列を <strong>対角行列</strong> という.
成分が <math>0</math> のところは書かないで済ます場合もある.
ベクトルを一つの文字で置いたように,行列も一つの文字で置いて表す.
<math>A, B</math> など大文字で置かれるのが通例である.
同じ型の行列に対して,和,差を計算することができる.
たとえば,
<math>A =
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right)
,
B=
\left(
\begin{array}{c}
1 & -2 \\
-3 & 5
\end{array}
\right)
</math> のとき,
<math>A + B =
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right)
+
\left(
\begin{array}{c}
1 & -2 \\
-3 & 5
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-4 + 1 & 3 + (-2) \\
2 + (-3) & -1 + 5
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-3 & 1 \\
-1 & 4
\end{array}
\right)
</math>
<math>A - B =
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right)
-
\left(
\begin{array}{c}
1 & -2 \\
-3 & 5
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-4 - 1 & 3 - (-2) \\
2 - (-3) & -1 - 5
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-5 & 5 \\
5 & -6
\end{array}
\right)
</math>
というように,成分ごとに和,差を取る.また行列の実数倍は,
<math>3A = 3
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
3\cdot(-4) & 3\cdot3 \\
3\cdot2 & 3\cdot(-1)
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
-12 & 9 \\
6 & -3
\end{array}
\right)
</math>
というように,各成分を定数倍して求める.
行列の和,差,実数倍はベクトルと同じようにして計算するわけである.
すべての成分が <math>0</math> の行列を<strong>零行列</strong> といい <strong><math>O</math></strong> で表す.
この行列の演算(和,差,実数倍)について,行列を文字で表すと次のような計算法則が成り立つ.
<!-- th:006:start -->
<strong>定理6</strong>
<strong>行列の計算法則</strong>
<math>A, B, C</math> を同じ型の行列,<math>k, l</math> を実数とすると次が成り立つ.
(1) <math>(A + B) + C = A + (B + C)</math><br />
(2) <math>A + B = B + A</math><br />
(3) <math>k(A + B) = kA + kB</math><br />
(4) <math>(k + l)A = kA + lA</math><br />
(5) <math>(kl)A = k(lA)</math><br />
これらが成り立つことは,ベクトルの計算法則から容易に想像がつくだろう.
ベクトルであっても行列であっても,和は成分どうしの和,実数倍は成分ごとの実数倍だからである.
<math>\blacksquare</math>
<!-- th:006end -->
計算問題をしてみよう.
<!-- ex:004:start-->
<div id="ex:4">
<strong>演習4.</strong><math>\quad</math>
<math>A=
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right), B=
\left(
\begin{array}{c}
1 & -2 \\
-3 & 5
\end{array}
\right)
</math> のとき,<math>2A-B-(3A-2B)</math> を求めよ.
<strong>解答例</strong>
与式に直接代入してもかまわないが,せっかく計算法則があるのだから,同類項をまとめてから代入する.
<math>2A-B-(3A-2B) = 2A - B - 3A + 2B = -A + B</math><br />
<math>=-
\left(
\begin{array}{c}
-4 & 3 \\
2 & -1
\end{array}
\right)
+
\left(
\begin{array}{c}
1 & -2 \\
-3 & 5
\end{array}
\right)
</math><br />
<math>=
\left(
\begin{array}{c}
-(-4) + 1 & 3 - 2 \\
-2-3 & -(-1)+5
\end{array}
\right)
=
\left(
\begin{array}{c}
5 & 1 \\
-5 & 6
\end{array}
\right)
</math>
<math>\blacksquare</math>
<!-- ex:004:end-->
stj0h8rxjwnis3bbduhivfsgcmuoxxm
ゲームプログラミング/バランス調整
0
27004
206442
206408
2022-08-11T20:19:32Z
Honooo
14373
/* No title. */ コラム2つ目まで再編集。4/12。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}
現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。
==本ページの目的==
本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。
従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。
プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。
……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど…
気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^?
==バランス調整==
ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。
より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。
英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。
難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。
そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。
===詰み、を避けたい===
製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。
これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。
まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。
ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。
つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。
そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。
ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。
===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^===
……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。
一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。
ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^
===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている===
プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。
時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。
たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと??
一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。
だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。
2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。
「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」
しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。
つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。
===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?===
『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。
ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!!
この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。
「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。
この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。
しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。
全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。
だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。
「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。
ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。
{{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^|
80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^
カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。
小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。
エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。
確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^
}}
{{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。|
商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。
しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。
ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。
ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。
ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。
すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの?
ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。
あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ?
}}
===チュートリアル===
ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。
ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。
そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。
『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。
とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。
ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。
===技能の習得としてのゲーム===
====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?====
まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。
ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。
すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど…
ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。
前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。
ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。
そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ?
ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない?
{{コラム|ゲーミフィケーション|
どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。
2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。
2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。
岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの?
40年前(※1980頃?)、
:「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」
ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ?
:「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」
何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。
:「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」
まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね?
: (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」
思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か?
: 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」
お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。
しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの?
まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。
}}
{{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。|
1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。
岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。
しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。
ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。
岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る?
なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい?
いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね?
}}
{{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。|
ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。
1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。
少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。
98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。
「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。
良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。
岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある?
別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。
}}
{{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty|
少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。
全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。
つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。
;デスルーラ
全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。
全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。
全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな?
どちらにしろこの議論、意味ある?
ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。
}}
{{コラム|Roblox,Among_Us|
現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。
そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。
その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。
だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^
後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。
}}
{{コラム|デスペナルティ関連|
このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。
;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。
サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。
ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。
ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。
古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。
しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。
このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。
}}
さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。
だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。
イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。
『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、
シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。
しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。
グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。
そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。
1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。
昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。
漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。
{{コラム|オタキングアノマリー論|
オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。
都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか?
これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。
そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか?
そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。
↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。
ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。
つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。
では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの?
大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。
}}
====本文====
さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。
結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。
地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。
まずアクションゲームの調整。
敵が飛び道具で来るならどうする?
もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。
(しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。)
基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。
とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。
基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど…
とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない?
とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。
まあしかしまとめ編集を続けるかね…
大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。
前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。
確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。
これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。
とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。
このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。
;やはり何事も制限はあるか?
例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。
所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;;
敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。
(たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。
↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。
だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。
だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。
だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。
まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。
;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!!
スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。
====ゲームと漫画、アニメーション====
非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。
ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。
そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、
というのは明らかにある、そしてその話なんですが…
1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。
しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。
まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。
具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。
漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。
==== 「廃人」 ====
基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。
例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。
後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。
まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか?
だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。
===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。===
あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか?
====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい====
やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。
プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。
サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。
そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。
====レベル上げを楽しむ?====
一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。
一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。
つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。
しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。
前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。
漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。
「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」
少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。
しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。
少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。
====No title.====
ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。
;雑誌「ゲーム批評」による指摘
1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。
例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか?
マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。
そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。
ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。
高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。
「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」
「ほう」
「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」
「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」
ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。
少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^
さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか?
まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。
そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。
この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります?
だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。
しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。
しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか?
ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。
とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。
{{コラム|マリオメーカー、他|
マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。
このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。
そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。
実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。
そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。
さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。
つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか?
辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど…
また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。
これはさらによくわからん(?_?)?????
マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き?
要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。
まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど…
}}
{{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい|
確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。
まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。
漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。
とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。
そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない?
ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。
それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。
新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。
とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。
YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。
まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。
ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。
結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。
}}
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、アナログゲーム(カードゲームやボードゲームなど)の設計の例ですが、ネット上の意見ではなく実際の目の前のテストプレイヤーの意見であっても、気を使ったりして本音を言わないことも多いので、意見や感想よりも実際のプレイを観察して、「プレイヤーがルールを勘違いしてないか?」など色々と観察するのが良いといわれています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。
{{コラム|イナズマイレブンの人気投票呼びかけ事件|
イナズマイレブンという、男子小中学生くらいの子供をターゲットにした、サッカーのゲームおよびそのアニメ化作品があります。実際、ゲームなどでも平仮名を多用しているし、アニメなどでも振り仮名が多いですので、常識的に小学生くらいの子供がターゲットでしょう。
さて、このイナヅマイレブンの公式サイトが、ネット上での登場キャラクターの人気投票を行いました。
作品中で、「五条」(ごじょう)というマイナーな中学生キャラで、おっさんぽい顔のメガネで目が隠れて何を考えて分からない不気味な雰囲気の悪役っぽいキャラがいるのですが、ある有名な匿名掲示板のスレッドで、このキャラクターへの組織票の投票を呼びかけました。
その掲示板は、どう考えても子供が見ないような掲示板なのですが、しかし投票の結果、五条が一位になりました。
もし「ターゲット層の小学生の子供達が実は五条が一番好きだった」という理由ならそれでも構わないのですが、しかし投票の前後で「五条が子供に一番人気」という現象は特に観測されませんでした。「五条も子供に人気」という現象はあるかもしれません。ですが、「五条が子供に人気」という現象は結局は起きていないでしょう。
ネットの投票では、このような不合理な亊がたびたび起きます。
まず、年齢制限などをすることが不可能な場合が多いです。
また、本来なら「一人一票」などとしたくても、技術的な理由で不可能な場合もあります。
例えば、一人一票のために例えばツイッターなど外部サイトのアカウントを要求しようにも、しかし子供だとネット上のアカウント持つこと自体が不可能な場合もあります。たとえばツイッターの場合、年齢制限として13歳以下は利用不可能ですので、結果的に、小学生むけのアニメの人気投票をツイッターからの投票を呼びかけようとしても、技術的に不可能です。
アイドルグループのAKBなどでは、発売するCDに投票券などをつけることで、本当にカネを出して商品を購入したターゲット層だけが投票できるように工夫する場合もあります。ただし、AKB方式はこれで別の問題があり、一人の熱心なマニアが何票も投票したくて一人で何枚も同じ曲のCDを買うなどする、一般人とはかけ離れた購入行動をする事例があります。
また、アカウントなどを要求しない投票の場合、一日ごとに追加投票できてしまう場合があります。だから暇な人ほど、多くの投票をしてしまいます。
;「美人投票」
経済学で、「ケインズの美人投票」という理論があります。これは、金融における株の購入行動では、人々は自分が良いと思っている株を買うのではなく、世間が「この株は上がるだろう」と思っているだろうと予想した株を買うというものです。
ですが、この五条の投票の場合はもはや美人投票ですらありません。ネットのある集団が、自分たちのコミュニティをアピールするために、意図的に、子供からは美男子・美形・好印象だと思われないであろうと予想したキャラに投票しているわけです。まるで逆美人投票です。
;ノイジー・マイノリティ
世の中には、「口数は多い割には、人数は少ない」という集団があるのです。そのような集団を称して ノイジー・マイノリティ と言い、「うるさい少数派」という意味です。
しかし、うるさいだけの人に限って、企業などからは嫌われるので仕事がなかったりして、ネット上では口数が多いのです。
よく仕事や学生でも学校や家の軽作業などで、「口ばっかり動かしてないで、手を動かせ」などと年上から注意される事があると思いますが、まるでその逆の集団です。手を動かさない人は、口数でしかアピールできないのです。投票とは、そういう人にすら投票権を与えるという意味でもあります。
アニメやマンガなどの投票に関わらず、現実の政治の国会議員などへの投票でも、ある政治家へのネット掲示板などでの賛同は多いが、しかし実際に選挙をしてみると支持票がそれほど多くないという事例もよくあります。
また、暴力団などでは「総会屋」と言って、企業の株を少数でいいので購入し、株主総会での意見をよそおって、難癖をつけるぞとおどすことで、金品を要求するという手口も平成初期までは、よくありました(現在は規制されており、総会屋しづらくなっています)。一株など少数の株でも発言できてしまうので、こういう悪事が出来てしまったのです。
}}
文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。
現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。
{{コラム|一人で何でもできるか?|
「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。
大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。
もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。
アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。
}}
{{コラム|可処分時間|
21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。
もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、
「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、
残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。
実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。
さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。
可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。
1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。
こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。
クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。
}}
=== クリア保証と戦術性のジレンマ ===
==== クリア保証 ====
ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。
たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。
その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。
要するに、
:* クリア保証、
:* 難易度の自動調整機能、
の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。
リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。
ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。
RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。
=== 自由度 ===
文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。
=== 勉強の方法論 ===
※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。
==== 共通言語 ====
ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。
商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。
とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
==== 前後比較 ====
ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。
なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。
ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。
岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。
工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。
(wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。)
実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。
{{コラム|失敗とスポーツの例え話|
ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。
でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。
失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。
よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。
逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。
だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです
「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。
塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。
さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。
塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。
その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。
ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。
}}
=== 異業種の立場を想像しよう ===
ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。
内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。)
なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。
特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。
ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。
ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。
実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。
{{コラム|作者は答えを知ってしまっている|
バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。
これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。
ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。
}}
;ティッシュテスター
さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。
このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。
かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。
単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。
=== 要素の相互関係 ===
==== 概要 ====
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。
このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。
しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。
具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。
もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。
==== マップと敵の相互関係 ====
ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。
宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。
しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。
マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。
だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、
:マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、
:それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、
:あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、
などなどです。
ご自身の作品にあった方式をお選びください。
===== 始めよければ全てよし =====
さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。
書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。
:※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。
とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。
商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。
たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。)
:※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。
また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。
そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。
さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。
{{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム|
日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように)
ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。
中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。
(20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。
さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。
ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。
経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。
一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。
}}
=== 各論(デザイン的なこと) ===
どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。
== RPGのダメージ計算式 ==
=== 特化型が有利になりやすい ===
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。
なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。
では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。
たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。)
説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。
つまり、たとえば下記のようになります。
;作成キャラの能力例
:(※ 合計100)
ちから: 10
たいりょく: 30
しゅびりょく: 10
すばやさ: 40
きようさ: 10
さて、別の作成キャラ例を考えます。
;平均型キャラA
ちから: 20
たいりょく:20
しゅびりょく: 20
すばやさ: 20
きようさ: 20
:(※ 合計100)
のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと
合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした
;特化型キャラB
ちから: 40
たいりょく:20
しゅびりょく: 30
すばやさ: 5
きようさ: 5
:(※ 合計100)
のようなキャラクターを、
コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、
ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。
さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。)
なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。)
裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。
パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。
理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、
:・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。
:・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。
:・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。
などの理由があるでしょうか。
命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。
このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。
命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。
=== ダメージ計算式 ===
さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、
攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
という計算式です。
ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。
アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
というような感じの計算式である作品も多いです。
せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。
なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。
バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。
そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、
:攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。
一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。
また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。
このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。
また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。
つまり、
自分の攻撃力 > 敵の守備力
でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。
一方、
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
のように係数を掛けた計算式の場合、
守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。)
いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。
このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。
=== DPS (Damage Per Second) の概念 ===
:※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。
最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。
スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。
たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。
この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。
なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。
つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で
:1+1=2
より、2ターンぶんのダメージです。
いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、
:0+2=2
で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。
計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。
このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。
もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。
このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。
では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、
: 0 + x > 2
を満たす変数xを設計するだけの問題です。
なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。
では、次に応用問題を考えましょう。
「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。
たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、
変数xについての
:0 + 0 + x > 3
を満たさないといけません。
つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。
== KPI ==
Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。
;DAU(Daily Active User)
:デイリー・アクティブ・ユーザー
DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。
;MAU(Mathly Active User)
:マンスリー・アクティブ・ユーザー
MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。
;WAU(Weekly Active User)
:ウィークリー・アクティブ・ユーザー
WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。
;PU(Paying User)
:ペイング・ユーザー
課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
;課金率
たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、
一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う)
;継続率
前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、
継続率といいます。
(以上)
このほかにも、色々な指標があります。
== 参考文献・脚注など ==
94k2s9yrnbf33814poujgez9un4210k
206488
206442
2022-08-12T11:55:01Z
Honooo
14373
/* No title. */ 3番目のコラムまで修正。8/11。
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}
現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。
==本ページの目的==
本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。
従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。
プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。
……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど…
気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^?
==バランス調整==
ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。
より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。
英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。
難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。
そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。
===詰み、を避けたい===
製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。
これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。
まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。
ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。
つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。
そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。
ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。
===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^===
……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。
一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。
ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^
===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている===
プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。
時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。
たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと??
一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。
だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。
2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。
「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」
しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。
つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。
===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?===
『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。
ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!!
この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。
「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。
この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。
しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。
全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。
だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。
「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。
ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。
{{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^|
80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^
カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。
小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。
エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。
確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^
}}
{{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。|
商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。
しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。
ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。
ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。
ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。
すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの?
ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。
あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ?
}}
===チュートリアル===
ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。
ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。
そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。
『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。
とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。
ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。
===技能の習得としてのゲーム===
====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?====
まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。
ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。
すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど…
ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。
前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。
ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。
そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ?
ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない?
{{コラム|ゲーミフィケーション|
どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。
2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。
2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。
岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの?
40年前(※1980頃?)、
:「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」
ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ?
:「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」
何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。
:「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」
まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね?
: (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」
思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か?
: 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」
お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。
しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの?
まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。
}}
{{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。|
1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。
岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。
しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。
ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。
岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る?
なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい?
いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね?
}}
{{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。|
ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。
1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。
少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。
98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。
「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。
良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。
岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある?
別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。
}}
{{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty|
少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。
全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。
つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。
;デスルーラ
全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。
全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。
全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな?
どちらにしろこの議論、意味ある?
ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。
}}
{{コラム|Roblox,Among_Us|
現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。
そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。
その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。
だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^
後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。
}}
{{コラム|デスペナルティ関連|
このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。
;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。
サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。
ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。
ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。
古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。
しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。
このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。
}}
さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。
だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。
イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。
『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、
シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。
しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。
グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。
そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。
1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。
昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。
漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。
{{コラム|オタキングアノマリー論|
オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。
都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか?
これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。
そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか?
そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。
↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。
ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。
つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。
では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの?
大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。
}}
====本文====
さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。
結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。
地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。
まずアクションゲームの調整。
敵が飛び道具で来るならどうする?
もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。
(しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。)
基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。
とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。
あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。
基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど…
とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない?
とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。
まあしかしまとめ編集を続けるかね…
大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。
前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。
確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。
これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。
とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。
このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。
;やはり何事も制限はあるか?
例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。
所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;;
敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。
(たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。
↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。
だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。
だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。
だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。
まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。
;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!!
スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。
====ゲームと漫画、アニメーション====
非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。
ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。
そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、
というのは明らかにある、そしてその話なんですが…
1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。
しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。
まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。
具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。
漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。
==== 「廃人」 ====
基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。
例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。
後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。
まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか?
だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。
===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。===
あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか?
====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい====
やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。
プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。
RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。
サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。
そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。
====レベル上げを楽しむ?====
一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。
一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。
つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。
しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。
前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。
漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。
「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」
少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。
しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。
少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。
====No title.====
ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。
;雑誌「ゲーム批評」による指摘
1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。
例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか?
マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。
そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。
ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。
高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。
「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」
「ほう」
「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」
「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」
ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。
少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^
さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか?
まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。
そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。
この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります?
だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。
しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。
しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか?
ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。
とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。
{{コラム|マリオメーカー、他|
マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。
このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。
そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。
実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。
そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。
さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。
つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか?
辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど…
また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。
これはさらによくわからん(?_?)?????
マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き?
要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。
まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど…
}}
{{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい|
確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。
まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。
漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。
とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。
そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない?
ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。
それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。
新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。
とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。
YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。
まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。
ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。
結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。
}}
アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。
{{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。|
イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。
この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。
作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。
ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。
はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。
まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。
まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。
公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か?
購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。
しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。
AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。
勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある?
;美人投票
経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。
前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。
;ノイジー・マイノリティ
ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。
基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。
なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。
そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。
そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。
衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。
}}
文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか封印する必要があることを説いています。たとえば会社で自らの希望によってグラフィッカーからプランナーに役職が変わったら、グラフィッカー時代のスキルは封印する必要があります<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。(参考文献では「デザイナー」と言ってますが、デザイナーは多義語でありイラストレーターの他にも開発リーダーなどの事を言う場合もあるので、本セクションでは「グラフィッカー」に言い換えた。)プランナーがグラフィッカーの仕事まで掛け持ちしたら、過労死してしまいます。
現実世界の仕事では時間が限られているので、そういうスキル封印が必要なのです。
{{コラム|一人で何でもできるか?|
「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。
大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。
もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。
アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。
}}
{{コラム|可処分時間|
21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。
もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、
「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、
残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。
実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。
さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。
可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。
1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。
こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。
クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。
}}
=== クリア保証と戦術性のジレンマ ===
==== クリア保証 ====
ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。
たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。
その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。
要するに、
:* クリア保証、
:* 難易度の自動調整機能、
の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。
リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。
ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。
RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。
=== 自由度 ===
文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。
=== 勉強の方法論 ===
※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。
==== 共通言語 ====
ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。
商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。
とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。
==== 前後比較 ====
ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。
なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。
ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。
岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。
工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。
(wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。)
実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。
{{コラム|失敗とスポーツの例え話|
ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。
でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。
失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。
よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。
逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。
だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです
「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。
塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。
さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。
塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。
その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。
ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。
}}
=== 異業種の立場を想像しよう ===
ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。
内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。)
なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。
特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。
ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。
ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。
実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。
{{コラム|作者は答えを知ってしまっている|
バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。
これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。
ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。
}}
;ティッシュテスター
さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。
このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。
かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。
単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。
=== 要素の相互関係 ===
==== 概要 ====
文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。
このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。
しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。
具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。
もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。
==== マップと敵の相互関係 ====
ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。
宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。
しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。
マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。
だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、
:マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、
:それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、
:あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、
などなどです。
ご自身の作品にあった方式をお選びください。
===== 始めよければ全てよし =====
さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。
書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。
:※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。
とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。
商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。
たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。)
:※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。
また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。
そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。
さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。
{{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム|
日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように)
ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。
中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。
(20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。
さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。
ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。
経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。
一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。
}}
=== 各論(デザイン的なこと) ===
どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。
== RPGのダメージ計算式 ==
=== 特化型が有利になりやすい ===
文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。
なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。
では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。
たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。)
説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。
つまり、たとえば下記のようになります。
;作成キャラの能力例
:(※ 合計100)
ちから: 10
たいりょく: 30
しゅびりょく: 10
すばやさ: 40
きようさ: 10
さて、別の作成キャラ例を考えます。
;平均型キャラA
ちから: 20
たいりょく:20
しゅびりょく: 20
すばやさ: 20
きようさ: 20
:(※ 合計100)
のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと
合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした
;特化型キャラB
ちから: 40
たいりょく:20
しゅびりょく: 30
すばやさ: 5
きようさ: 5
:(※ 合計100)
のようなキャラクターを、
コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、
ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。
さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。)
なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。)
裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。
パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。
理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、
:・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。
:・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。
:・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。
などの理由があるでしょうか。
命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。
このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。
命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。
=== ダメージ計算式 ===
さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、
攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
という計算式です。
ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。
アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
というような感じの計算式である作品も多いです。
せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。
なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。
バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。
そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、
:攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。
一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。
また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。
このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。
また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。
つまり、
自分の攻撃力 > 敵の守備力
でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。
一方、
:1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ
のように係数を掛けた計算式の場合、
守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。)
いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。
このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。
=== DPS (Damage Per Second) の概念 ===
:※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。
最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。
スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。
たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。
この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。
なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。
つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で
:1+1=2
より、2ターンぶんのダメージです。
いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、
:0+2=2
で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。
計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。
このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。
もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。
このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。
では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、
: 0 + x > 2
を満たす変数xを設計するだけの問題です。
なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。
では、次に応用問題を考えましょう。
「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。
たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、
変数xについての
:0 + 0 + x > 3
を満たさないといけません。
つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。
== KPI ==
Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。
;DAU(Daily Active User)
:デイリー・アクティブ・ユーザー
DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。
;MAU(Mathly Active User)
:マンスリー・アクティブ・ユーザー
MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。
;WAU(Weekly Active User)
:ウィークリー・アクティブ・ユーザー
WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。
;PU(Paying User)
:ペイング・ユーザー
課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
;課金率
たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、
一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。
あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う)
;継続率
前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、
継続率といいます。
(以上)
このほかにも、色々な指標があります。
== 参考文献・脚注など ==
gcygthl9kinsn47q7ut8mwplw1lal4z
ゲームプログラミング/書類/集団作業の場合の書類と書き方
0
27227
206440
206433
2022-08-11T15:43:35Z
Honooo
14373
/* ゲーム業界での技術職 */
wikitext
text/x-wiki
{{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。
2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。
このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。
== 本書の目的 ==
本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。
メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。
ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。
==「仕様書」==
ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。
ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。
ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。
職業的なゲーム開発では、一般に
:発注 → 実装 → 調整
というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。
ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。
==集団ゲーム制作での解説文==
発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。
劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。
対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。
おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。
21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。
== 集団作業に必要な書類 ==
===設計図===
IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。
そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。
もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。
さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。
IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、
:作業者用の具体的な「完成予想図」
です。
しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。
なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。)
===ゲーム業界での技術職===
言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。
この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「技術職」でない製作スタッフが企画職です。
ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな?
===企画書===
*PREP法
基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。
PREP法とは、
:Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。
ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。
しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。
*ゲームのルール
常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。
ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。
ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。
企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。
どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。
*プレイ人数
企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。
ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。
<!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;-->
さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。
出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。
もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。
また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。
もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。
もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか?
ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。
一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。
また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。
===「仕様書」、「企画書」===
商業的なゲーム制作では、一般に、
発注 → 実装 → 調整
の過程を辿ります。
そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。
企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。
仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。
さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。
まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。
「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。
試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。
『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。
『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。
こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。
さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。
さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。
また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。
イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。
そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。
アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。
もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。
しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。
RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。
企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。
ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。
業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。
また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。
アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。
参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。
上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。
物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^
{{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書|
商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。
たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。
因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。
一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。
業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。
とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。
背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。
}}
{{コラム|キャラクター重視の物語論|
アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。
また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。
これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。
1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。
現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。
アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。
ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。
また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。
これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。
また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。
}}
{{コラム|ゲームにおけるキャラクター|
ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。
ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。
今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。
ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。
今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。
2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。
しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。
}}
{{コラム|企画が実制作に移ること|
1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。
扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。
主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。
機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。
阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。
しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。
一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。
企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。
しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。
}}
{{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』|
企画書にもいろいろな段階があります。
#本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?)
#企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度)
#パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」
多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。
1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか?
さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。
因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。
企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。
「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。
また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。
企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。
}}
{{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演|
どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。
テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。
アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。
日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。
}}
さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。
;検品、検収
さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。)
しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。
そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。
納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。
つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。
商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。
外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P9</ref>。
バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。
つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。
開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。
==作成工程==
===完成予想図===
仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。
一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。
しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。
ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。
とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。
それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら?
===各機能の予想図の決定===
ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。
結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。
<pre>
△△モードの××画面
Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする
Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする
</pre>
とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。
ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。
ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。
これは完成予想図でもある。
一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。
商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。
そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。
ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。
==※例==
一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。
ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。
一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。
ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。
本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。
まずサンプルゲームのメニュー画面、
:相談
:アイテム
:特殊技能
:装備
:システム
:セーブ
と、6つのコマンドがある。
上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。
さて、これを仕様書に書くと…
【'''装備キャラクター選択画面'''】
'''遷移直後の変化'''
メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。
キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。
'''ボタン押の反応'''
キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。
決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。
キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。
'''画像リソース'''
○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像
△△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像
という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。
上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。
『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。
仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。
そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。
例えば…
'''装備フロー仕様'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
とかね。
フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。
例えば装備部分の選択画面は、
:右手
:左手
:身体
:装飾1
:装飾2
これがこう変更されると…
:武器
:盾
:頭
:身体
:腕
:装飾
書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。
そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。
『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。
「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。
例えば装備関係のフローを描くときは、
:マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面
と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。
'''メニュー選択フロー'''
【 マップ画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 メニュー画面 】
'''装備関係フロー'''
【 メニュー画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 キャラクター選択画面 】
決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン
【 装備品 選択画面 】
こういう2分割でしょうか。
意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。
かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。
そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。
【メニュー画面仕様】
'''表示項目リスト'''
決定ボタンで下記の項目を選択できる。
・相談 :決定すればメニュー相談フローに移行
・アイテム :決定すればメニューアイテムフローに移行
・特殊技能 :決定すればメニュー特殊技能フローに移行
・装備 :決定すればメニュー装備フローに移行
・システム :決定すればメニューシステムフローに移行
・セーブ :決定すればメニューセーブフローに移行
'''非表示項目'''
・キャンセルボタンでマップ画面に戻る
とか?
なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。
参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;;
;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^
というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
同じ一枚の図面なら、これで良い。
「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ、</ref>。
;その他
画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。
たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は
:「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。
例えば
「画面1」、「画面2」、「画面3」、…
とか、
「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、…
にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。
====要求事項書====
IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。
商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。
個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。
基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。
ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>。
==== データ暫定値 ====
ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。
CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル?
【剣データ暫定値】
銅の剣: 攻撃力 7
鉄の剣: 攻撃力 18
ハガネの剣: 攻撃力 37
ミスリルの剣: 攻撃力 70
ほのおの剣: 攻撃力 57
(※ 剣ではランク5は欠番とする)
デスブリンガー: 攻撃力 150
備前長船: 攻撃力 250
聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450
魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450
具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。
====データ仕様書====
データ仕様書とは、たとえばRPGなら
:攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する
のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。
書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。
一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、
各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。
;攻略本と仕様書
ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。
プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。
しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。
==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう==
ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ
┃
┣━ グラフィッカー
┃
┣━ デバッガー
</pre>
</div>
ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。
このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。
アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。
「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。
==ゲームに取り込むイラスト、音楽==
商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。
音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。
様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。
===他者に委ねる場合===
商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。
例えば他者にイラストをお願いするときは…
:構図、
:希望のポーズ、
:塗り方、
:テイスト、
この辺を相手に伝えておきたいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。
特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。
そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。
あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>、というのも意義がありますね。
ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。
ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。
;アダルトゲーム
アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか?
ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;;
;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ?
基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。
そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。
例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。
前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。
{{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?|
さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ?
しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。
そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。
この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね?
何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。
2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。
しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ?
あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど…
しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない?
まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある?
}}
===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。===
事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄
でしょう。
その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。
で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。
;アニメーション、漫画、CGイラストレーション
上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。
しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。
特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。
しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。
;後日修正
手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。
基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。
===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品===
さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。
まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが…
そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。
そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref>
『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008 -ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日 初版発行、P.198</ref>(らしい)。
====芸術と商業漫画====
漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。
{{コラム|竹熊と相原のサル漫|
一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。
相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」
竹熊「どうした相原?」
相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」
竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」
相原「な、何をする…」
竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」
相原「そんなことない…」
竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」
相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」
竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」
相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」
竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」
……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。
例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。
しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。
少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。
そこでの編集者が採用を断る時の言葉。
「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」
つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです…
}}
====私小説====
{{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う|
前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。
このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。
特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。
1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。
やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。
さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、
:倉田百三『出家とその弟子』、
:島田清次郎『地上』、
:賀川豊彦『死線を越えて』、
三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。
現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。
しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。
現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。
島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。
}}
=== ローポリ関連の作画 ===
単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。
==レポートは結論だけを読んでも分かるように書く==
レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書きたい。
別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに他者が読まなくても、
レポート全体の内容を把握できるように書くのが推奨です。
==書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい==
書類の言葉選択は、「中学生の知識でも理解できる言葉を使う」、のが望ましいですね。言いやすいフレーズ、理解しやすいフレーズ、こういう言語選択も重要です。<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref>
基本的にゲーム界に限らず、あらゆる場所で、わかり易い言葉を使うことが重要ですし、相手の理解に配慮することは必要でしょう。E.Suj.のように自分が理解できなければ全て相手のせいにし、相手が理解できないのもすべて相手のせいにするのは、一番有り得ない最低の態度でしょう。
== 脚注・参考文献 ==
7w00h2hiodq0hiccsd7u915y8cpsp77
トランプ/大富豪
0
28382
206485
201675
2022-08-12T10:36:05Z
203.78.237.135
/* 手順 */
wikitext
text/x-wiki
{{Pathnav|メインページ|ゲーム|トランプ|frame=1}}
{{Wikipedia|大富豪}}
{{Ruby|[[{{FULLPAGENAME}}|大富豪]]|だいふごう|'''(大富豪・大貧民)'''}}はトランプゲームの1つです。一昔前に人気になり、現在では日本の定番トランプゲームだ。
== 基本的なルール ==
=== 所要 ===
* プレイ人数
** 3~8人ほど
*** おすすめは4~5人ほど
* 使用カード
** 52枚のカード+ジョーカー1枚(ジョーカーの枚数はルールにより変動します)
* カードの強さ
** 強い順に ジョーカー > 2 > A > K > Q > J > 10 … 3です。2はAより強いことに注意してください。なお、マークは関係ありません。
=== 手順 ===
# 親はすべてのカードを均等に配ります。
# 最初にカードを出す人を決めます。ただし、「あるマーク(基本的に♦)の3」を持っている人から始めることもあります。
# 最初にカードを出す人は、同じ数字のカードの組を1~4枚(ジョーカーを含めると5枚以上となることもあります)、手札から場に出します。
# 次に、次の人は同じ枚数で、より強い同じ数字のカードの組を出します。ジョーカーはどのカードの代わりとしても使えます。
# 出せるカードがないときや、戦略上の理由がありカードを出したくない場合は「パス」をします。パスの回数に制限はありません。
# あるターンにおいて、自分以外全員がパスをしたとき、場にあるカードが流れます。
# 次は、その人が同じ要領でカードを出すことができます。
# こうして、カードを出し続け、最初に手札がなくなってあがりとなった人が「'''大富豪'''」です。以降あがった順に「'''富豪'''」「'''平民'''」「'''貧民'''」「'''大貧民'''」となります。人数によっては、平民の数を増減しましょう(「王様」「奴隷」などを増やす場合もあります)。
# 2回目以降を行うときは、カードの交換を行います。大貧民は手札の中で最も強いカード2枚を大富豪に渡し、大富豪はいらないカード2枚を大貧民に渡します。貧民は手札の中で最も強いカード1枚を富豪に渡し、富豪はいらないカード1枚を大貧民に渡します。また、2回目以降は大貧民から始める場合があります。
叫ばない
== ローカルルールについて ==
このゲームには多数のローカルルールが存在し、地域などによって大きくルールが異なることもしばしばです。そのため、ゲーム開始前にローカルルールについて確認しておきましょう。なお、'''太字'''は[http://daifugojapan.com/rules/ 日本大富豪連盟の基本ルールまたはローカルルール]として定められたものです。
=== ローカルルール ===
* '''階段 同じマークで数字が連続している3枚以上のカード(シークエンス)をまとめて出すことができます。ただし、KとAはつながっているものと考えますが、2と3はつながっているものとは考えません。次の人は、同じ枚数でより強い同じ数字のカードを出します。'''
* '''スート(マーク)しばり 同じマークのカードが2回連続で出されると、その場が流れるまでそのマークのカードしか出せなくなります。複数枚の場合はそのマークの組となります。'''
** (しばりの派生)
*** 色しばり 同じ色のカードが2回連続で出されると、その場が流れるまでその色のカードしか出せなくなります。
*** 階段しばり(数字縛り) 連続する数字のカードが出されると、それ以降、1大きい数(革命時は1小さい数)しか出せなくなります。例えば、10とJが連続で出されたときはQしか出せず、次はKしか出せなくなります。
*** 激しばり 同じマークで、連続する数字のカードが出されると、それ以降、同じマークで1大きい数(革命時は1小さい数)しか出せなくなります。例えば、♥4と♥5が連続で出されたときは♥6しか出せず、次は♥7しか出せなくなります。
*** 片しばり 直前に2枚以上場に出されたカードに対して、どれかのマークを「しばる」ことができます。例えば、♠5・♣5と♠9・♦9が連続して出されると、以降は2枚ペアのどちらか1枚に♠のカードを含めなければならなくなります。
* '''革命 同じ数字のカードを4枚以上出すと、カードの強さが逆転(基本的にジョーカーは除く)し、2が最弱、3が最強になります。重ねてより強い数字のカードが出したり(革命返し)、再び革命を起こしたり、1ゲームが終わったりすると元に戻ります。'''
** (革命の派生)
*** 階段革命 「階段」を適用しているとき、4枚の階段(シークエンス)で革命が発生します。
*** 飛び連番革命 同じ数だけ離れた同じスートのカードを4枚以上場に出すことで革命が発生します。[例:♠︎3,♠︎5,♠︎7,♠︎9] 通常の状態ではこの組み合わせで出す事が出来ませんが、この革命ルールを採用し、革命を起こせる状況で、場に何もない時自分の番である場合のみ行うことができます。ただし、飛び連番革命に対する革命返しの時であれば、スートの共通する、革命に使われたカードと同じ枚数で同じ数だけ離れた強いカードを重ねて出す事ができる。(例えば、♠︎4♠︎7♠︎10♠︎Kで飛び連番革命をおこされた時、♦︎3♦︎6♦︎9♦︎Qであれば重ねて革命返しをする事ができる)
*** エンペラー マークがすべて異なる4枚の階段(シークエンス)[例:♣9,♥10,♠J,♦Q]で革命が発生します。
*** サザンクロス 3396の数の組み合わせでカードを出すと革命が発生します。
*** 死の宣告 4で革命を起こした時、一人を指定して大貧民にし、これ以降指定した人物をそのゲーム中参加できなくする。
*** オーメン 6を3枚出すと革命が発生します。この革命以降革命(返し)が起こせなくなるというルールである場合もあります。単に、6を3枚出すとそのゲーム中革命が発生しなくなるというルールである場合もあります。
*** ナナサン革命 7を3枚出すと革命が発生します。
*** ラッキーセブン 7で革命を起こした後、それがそのまま残り自分の手番を迎えて流れると勝利する。
*** クーデター 9を3枚出すと革命が発生します。
*** 宗教革命 Kを3枚出すとKを最強とした強さ順になります。(K>Q>J>……>2>1) 以降、革命を起こせなくなるというルールの場合と、革命をした場合逆順になる(1>2>3>……>Q>K)という場合と、通常の並びに戻る場合と、通常の革命をした後の状態になる場合があります。同時に、この方法で革命したプレイヤーが偶数を出すと次のそのプレイヤーの番が来るまで偶数のカードしか出せず、奇数を出すと同様のタイミングまで奇数しか出せなくなるというルールが追加される場合もあります。
*** 大革命 2で革命を起こすとその時点で勝利する。
*** ジョーカー革命 ジョーカーを2枚以上使用するルールを適応しているとき、ジョーカーを2枚以上出すと革命が発生します。
*** 超革命 5枚以上のカードを使って革命を起こすと、そのゲームでは革命(返し)ができなくなります。
*** 絶対革命 5枚以上のカードを使って革命を起こすと、そのゲームではそのカードを最強のカードとした並びになります。(例えば、6を5枚で絶対革命を起こした場合、6>5>4>3>2>……>7のような強さ順になる) 以降、革命は起こせなくなります。
*** 核爆弾 6枚以上にカードで革命を起こした時、革命返しを含め、以降革命が起こせなくなります。
*** 革命選択 4枚以上のカードを出した時、革命を起こせるかどうか選択できます。
*** 融合革命 前の順のプレイヤーが出したカードと自分の手札のカードを組み合わせて革命が起こせる組み合わせが作れる場合、自分の手札の必要なカードを出すことで革命を起こして場を流す事ができる。(例えば、前のプレイヤーがジョーカーと♠︎2を出した時、自分がジョーカーと2を出すことで革命を起こせる) その後、前のプレイヤーの番を2回飛ばす自分の番を1回飛ばす、という場合もある。
*** ジョーカー最弱 革命の時ジョーカーを強さの逆転に含める場合、ジョーカーは色とスートを持たない革命を起こされた状態での2より弱いカードとして扱い、他のカードの代用としては使えなくなります。
*** 6切り 通常と強さが逆順になっている時のみ、6を出すと強制的に場が流れ、次のカードはその6を出した人が出すことができます。
*** 7切り 通常と強さが逆順になっている時のみ、7を出すと強制的に場が流れ、次のカードはその7を出した人が出すことができます。
*** 黒い7(ブラックセブン) 通常と強さが逆順になっている時のみ、♣︎7と♠︎7が全ての数字カードの中で最強になります。通常時は普通の7として扱います。
*** 赤い7(レッドセブン) 通常時、♦︎7と❤︎7が全ての数字カードで最強になります。通常と強さが逆順の時は、普通の7として扱います。
*** 8切りなし 通常と強さが逆順になっている時のみ、8切りの効果が消えます。
* 禁止上がり 特定のカードで上がることを禁止します。上がってしまった場合、そのから順に最下位となります。
** 禁止カード 2(革命時は3),ジョーカー,8(8切り適用時)など
* '''都落ち 大富豪が1位であがれなかった場合、大富豪は大貧民となり、大富豪はそれ以降このゲームに参加できなくなります。'''
** 賠償金 都落ちしたプレイヤーにも参加の継続を認め、次のゲームでは都落ちしたプレイヤーより先に上がったプレイヤー全員が1枚ずつ大貧民とカードを交換してもらえます。
* 都民ファースト 都落ちが発生した場合、次のゲームは貧民から始めます。都落ちしたプレイヤーは最初の親になれません。
* 仇討ち禁止令 都落ちしたプレイヤーは、自分を都落ちさせた相手を都落ちさせて上がってはいけません。これを行おうとした場合は大貧民になります。
* 下剋上 大貧民が1位であがった場合、そのゲームは強制的に終了し、大貧民は大富豪となり、全員の順位が逆転します。
* 取引 平民が2人以上いるときは、同じ数字の異なるマークのカードを平民同士で交換できます。
* モノポリー 4人でプレイする場合に、手札の中にA~Kが1枚ずつあれば、この時点で自動的に大富豪となります。
* テポドン 4枚の同じ数字のカードとジョーカー2枚以上を組み合わせて出した場合、その時点で自分の上りとなる。
* '''スペ3返し 単独のジョーカーに対してスペードの3を出すことができ、次の場はスペードの3を出した人が最初にカードを出せます。'''革命時はスペードの2とすることもあります。
* サルベージ 自分が3を出した場が流れた時、このゲーム中に流れた全てのカードの中から1枚手札に加える。
* 砂嵐 どんな状況でも3を3枚出すと場が流れ、次の場は3枚の3を出した人が最初にカードを出せます。「スペ3返し」と同じ扱いになることもあります。
* ゾンビ 3を3枚出すと、流されたカードから任意のカードを1枚選んで他プレイヤーに押しつける事ができます。
* 4切り 4を出すと強制的に場が流れ、次のカードはその4を出した人が出すことができます。
* シーフ 4を3枚出した時、自分の利き手側の隣のプレイヤーのカードを強い方から貰う。自分が大貧民の場合は2枚貰え、大富豪の場合は貰えず、それ以外の場合は1枚もらえます。
* DEATH(デス) 4を3枚出した時、自分以外のプレイヤーは最強のカードを捨てます。
* 終焉のカウントダウン 大貧民が4を一枚出した時、任意の数字を決めます。パスするたびにその数字は減っていき、0の時にパスしたプレイヤーはその時点で敗北します。0の時にパスをした一人が敗北してこのルールが終わる場合と、このゲーム中0になってからそれ以降パスすると敗北する場合があります。
* 5スキップ 5を出すと出した人数分を飛ばす(出せなくする)。
* 赤い5 ❤︎か♦︎の5を出した時、好きなプレイヤーを一人選んで自分のものと手札を合わせて配り直します。奇数になる場合、合わせる前少なかった方に少ない手札を渡します。
* 5縛り 出した5と同じスートのカードしか出せなくなります。同じ色のカードであれば良い場合もあります。
* ろくろ首 6を2枚出すと強制的に場が流れ、次のカードはその8を出した人が出すことができます。
* サタン 6を3枚出すとこのゲーム中に流れた全てのカードの中から1枚手札に加えます。
* 7渡し 7を出すと出した枚数分だけ次の人に不要なカードを渡せます。
* 7付け 7を出すと出した枚数分だけ手札のカードを捨てます。好きなカードを捨てられる場合と、7よりも強いカードしか捨てられない場合があります。
* 黒7 ♠7または♣7が含まれたカードを出すと、流されたカードから任意のカードを1枚選んで他プレイヤーに押しつける事ができます。
* ラッキー7 3枚の7を出した時、それがそのまま上にカードを重ねられる事なく出したプレイヤーの番まで戻ってきて場が流れた場合、そのプレイヤーはその時点で上りとなる。
* '''8切り 8を出すと強制的に場が流れ、次のカードはその8を出した人が出すことができます。'''
**(8切り派生)
*** 4止め 8切りされたとき、出された8の2倍の枚数の4を出すことで対抗でき、次の場は4を出した人が最初にカードを出せます
*** 7カウンター 8切りされた時、♦︎7をターンに関わらず出す事ができ、8を出したプレイヤーの次の順の人からその場を続行する。
* 9リバース 9を出すと順番が反対回りになります。奇数枚の場合のみ反対回りになる場合と、9を含んでいると枚数に関係なく反対回りになる場合があります。
* 救急車 9を2枚出すと強制的に場が流れ、次のカードはその2枚の9を出した人が出すことができます。
*銀河鉄道 9を3枚出すと自分の手札の2枚とこのゲーム中に流れた全てのカードの中の2枚を交換する。
* 9シャッフル 9を2枚出すと自由に席順を変更できます。
* 9クイック 9を1枚出すともう一度連続で手札を出せるようになる
* 9拾い 9を出した枚数と同じだけ、このゲーム中に流れた全てのカードの中から手札に加える。
* 10捨て 10を出したとき、出した枚数分だけ不要なカードを捨てられます。
* 10スキップ 10を出すと出した人数分を飛ばす(カードを出せなくする)。
* J(11)バック Jを出すとその場が流れるまで一時的に「革命」状態となり、10以下のカードしか出せなくなり、小さい数字ほど強くなります(ジョーカーは最強のままで、革命のときはQ,K,A,2の順となる)。
**(Jバックの派生)
*** 6戻し Jバック中に6を出すと、場が流れずとも通常の状態に戻ります。
* Qボンバー Qを出した枚数分だけ数字を宣言し、その数字のカードを持っている人はそのカードを捨てます。次の手番の人はそのQを出した次の人となります。
* ブラッディ・メアリー Qを3枚出すと出したプレイヤー以外のプレイヤーは手札から最も強い2枚を捨てなければなりません。また、Qを2枚以上でそのゲーム中は革命が起こせなくなるというルールもあります。
* Kスキップ Kを出すと次の人を飛ばす(出せなくする)ことができます。
* A税収 Aのカードを出すと、前のプレイヤーが出したカードを自分の手札に加えることができます。
* 暗殺(3返し) 2に対して3を出す事ができる、出した後は8切りと同じように場を流す、革命時は3に対し2を出す事ができる。ゲームで2を持つ者が有利になる事を崩す為のルール。
* 暴君 2を出すと発動、使用者を除く全てのプレイヤーは捨て札の中からランダムに1枚選び手札に加える、革命中に使用した場合、相手プレイヤーではなく自分に効果が返ってくる、捨て札が足りない場合効果は不発になる。
* ホットミルク 3が場に出た直後に9を出すと、場が流れるまで赤色のスート(ダイヤとハート)しか出せなくなる。
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薬理学/新薬の開発手順など
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2022-08-11T16:46:51Z
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text/x-wiki
=== 新薬の開発手順 ===
:※ 『シンプル薬理学』、『NEW薬理学』、『標準薬理学』にある話題。
新薬の開発のための投与実験では、最初は動物(マウスやイヌなど)に実験をする。
マウスなどの動物実験が終わったら、次に人間を対象にした治験(ちけん)の段階に移る。
:※ 生物学ではヒトも哺乳類ヒト科の動物であるが、しかし薬理学では便宜上、「動物実験」といったらマウスやイヌなどヒト以外での実験の事を言う。
新薬を開発するために、実際の人間に投薬の試験をする事を治験という。
つまり、
:動物実験→治験
の順番。
なお、薬剤開発に限らず、医療系の新製品や新技術や新理論を検証するために、実際に病院などで実験をしたり、ヒト対象の試験をする事<ref>『標準薬理学』</ref>などを'''臨床試験'''という。
治験とは、新薬開発のための臨床試験であるとも言える。
=== 治験のステップ ===
新薬の開発では、認可前の段階で、第1相試験、第2相試験、第3相試験を、この順番で行う。
第4相以降は、認可後・発売後の調査・試験であるので、第4相については説明を後回しにする。
==== 第1相試験 ====
'''第1相試験'''は、健常者に行う。普通、さらに若い成人男性という条件をつける<ref>『シンプル薬理学』</ref>。ただし例外的に、抗癌剤など強い毒性のある薬の場合、患者で試験を行う<ref>『NEW薬理学』</ref>。
この試験の目的は、主に候補薬の安全性の確認である。合わせて、吸収や排泄などといった薬物体内動態についても調査をする。
試験の最初の投与量は少なめにしておき、少しずつ用量を上げていって、試験をしていく<ref>『シンプル薬理学』</ref>。
:※ この時点では原則、健常者を相手にしており、そもそも疾患が無いので、候補薬の治療効果はまだ不明である。
==== 第2相試験 ====
'''第2相試験'''は、少数の患者に投与を行う試験。
この試験の目的は主に、治療効果の検証である。
あわせて、患者の体内での薬物動態についても調査する。
==== 第3相試験 ====
第3相試験では、さらに多くの患者を対象に、用法や用量を決定する目的のための試験を行う。
=== プラセボ効果 ===
本来、薬としての効果のない物質なのに、患者によっては先入観によって、
その物質を投与されると、元気になったり、落ち込んだりする場合もある。
たとえば、単なる乳糖を「これは新薬です」とか「よく效く薬です」とか医師に言われて患者が飲まされたら、
患者のなかには、あたかも元気になったりする場合もある。
:※ よく例に出されるのは「乳糖」。『NEW薬理学』、改訂第6版、P565。および、『シンプル薬理学』、P45の練習問題および解答P317。
あるいは逆に、単なる乳糖を飲んだだけなのに、気分が悪くなったり、落ち込んだりする患者もでてくる。
このように、本来、薬効のないものを「薬」と偽って投与された物質のことを'''偽薬'''('''プラセボ''')という。
プラセボを比較として用いることで、対照実験が出来るので、候補薬の本当の効果を知ることができる。
:※ 対照実験については、『[[高等学校生物/生物I/細胞の構造とはたらき#自然発生室の否定]]』(リンク先は、パスツールのフラスコ実験のアレ)を参照せよ。
しかし、「病気で苦しんでいる患者に偽薬を用いて、治療を放置していいのか?」という倫理的な問題もあるので<ref>『シンプル薬理学』</ref>、
プラセボを試験できる状況は比較的に限られてしまう。
なお、プラセボの実験は、後述する盲験(blind test)の一種である<ref>『NEW薬理学』、P565</ref>。
=== ヘルシンキ宣言 ===
治験に限ったことではないが、医学の人体実験では、倫理が求められる。
医学における人体実験で医者が守らなければならない倫理規定として世界的なものに、ヘルシンキ宣言がある。
ヘルシンキ宣言は、第二次大戦中の人体実験の反省にもとづき、戦後の1965年に世界医師会によって採択されたものである。
ヘルシンキ宣言の骨子は大まかに、
:* 患者・被験者に治験内容を充分に説明する。その上で、被験者に自発的に実験に参加してもらう<ref>『標準薬理学』</ref>。
:* 第三者的に治験の内容を倫理的・科学的に妥当かどうかを審査する委員会を設ける。
などである。
第三者委員会には、医学的な判断のできる専門性に加えて、スポンサーや実験参加医師からの独立性も求められる。
ヘルシンキ宣言は、人体実験そのものは禁止していない<ref>『標準薬理学』</ref>。一般に、医学の発展のためには、医薬品のヒトでの副作用などを確認するためにも<ref>『NEW薬理学』</ref>、人体実験が必要であるとされる<ref>『標準薬理学』</ref>。
:※ たとえば、治験も人体実験である。
ヘルシンキ宣言は、人体実験が必要であると認めた上で、被験者の福祉を、人体実験による社会的利益よりも上位に置いているのである<ref>『標準薬理学』</ref>。
さて、ヘルシンキ宣言のその後、さらに医学者などの世界的組織により、さらなる別の倫理宣言もされた。
;GCP
比較的に新しい宣言として、1996年の Good clinucal Practice (GCP) (直訳:『よき臨床上の基準』)が宣言された。
GCPの主な内容は、ヘルシンキ宣言の同様の充分な説明や第三者委員会の内容に加えて、
さらに
:* 患者に充分な説明をした上、患者との実験への同意契約は文書で行う。(インフォームド・コンセント) <ref>『NEW薬理学』</ref>
:* 実験データを一定期間、保管する。 <ref>『NEW薬理学』</ref>
のような、文書管理などの重要性を追加したものである。
:※ なお、製造業など一般産業の品質保証やISO国際規格の品質管理規定などでも、文書などの記録を残すことが重要とされている。GCP は実態では倫理宣言というよりも、人体実験をする場合の記録データなどの品質管理の手法のようになっている。
GCPなどの国際基準により、データ保管では生データを保管する事が義務づけられている<ref>『シンプル薬理学』</ref>。「生データ」とは、補正などの編集・加工をする前の、測定値そのものの最初のデータのことである。
:※ 「生データ」という用語は、医学だけでなく、多くの学問の研究や測定現場でも使うので(理科系だけでなく文化系でも使う)、学生は今ここで覚えておこう。
;まとめ
ヘルシンキ宣言やGCPなどの国際基準をまとめると、結局のところ、人体実験では次の倫理基準および品質管理基準が求められる。
:* 被験者には、文書でも充分に実験内容を説明し、被験者の理解できる言葉で説明する。
:* その上で、実験への参加協力の同意を文書で行う。(インフォームド・コンセント)
:* また、被験者の実験参加は、自発的なものでなければならない。
:* 実験データは、文書として記録に残し、一定期間の保管をし、生データを必ず保管する。
:* 実験の科学的妥当性および倫理的妥当性を審査するための、第三者委員会を設置しなければならない。また、その第三者委員会には、専門性と独立性が、もとめられる。ここでいう専門性とは、医学的な判断のできる専門性と、倫理的な判断のできる能力が必要である。また、独立性とは、スポンサーおよび実験参加医師からの独立性のこと。
また、上記の倫理規定を確実に実行させるため、責任者を定める必要があり、治験責任医師や記録保存担当者などを、それぞれ定める<ref>『NEW薬理学』、P33</ref>。
{{コラム||
;品質管理との関係
記録の重要性は医学だけでなく、製造業などのISO国際規格にもとづく品質管理でも、記録保存担当者などを定める事が求められます。品質管理を確実に実行させるために、責任のがれを防ぐための手法として、責任者の設置規定は、よく用いられている規定です。
英語のコトワザで「共同責任は無責任」とかありますが、それを防ぐことのできる手法でしょう。同調圧力の暴走を防ぐ、とも言えます。
もし「同調圧力」と聞いても読者が何のことだか分かならければ、大学生(またはそれ以上の学歴)としての人文系の教養が不足してますので、山本七平『空気の研究』でも読んで勉強しなおしてください。
;貿易上の背景
日本の厚生労働省などがヘルシンキ宣言やGCPなどを遵守している理由のひとつとして、倫理的な事情もあるが、もうひとつ貿易上の理由もある(と「シンプル病理学」が指摘している)。日本が外国の治験データなどを受け入れなかったため貿易摩擦になった事が、過去にあった。
『シンプル薬理学』では専門外の製造業などは言及していないが、実は医療や厚生行政だけでなく、製造業やサービス業における経済産業省の行政などでISO国際規格などが導入されるようになったのも、同じ背景です。詳しくは「[[w:貿易の技術的障害に関する協定]](TBT協定)」。「TBT協定」は聞きなれない読者も多いでしょうから手短かに説明すると、[[w:ウルグアイ・ラウンド]]あたりの時代の貿易交渉での主要な採決結果のひとつです。
貿易上の理由もあるが、もうひとつ、国際的なシステムの共通化により、データの相互国際比較が可能になるので、データなどの信頼性が増す<ref>『シンプル病理学』</ref>、という利点もある。
}}
このほか、一般に実験による研究をする場合、実験計画書を作成することが求められる。
特に人体実験を行う場合、実験計画者には倫理的な配慮も求められる。
:※ 『標準薬理学』には、ヘルシンキ宣言の項目で実験計画書のハナシをしてるが、そもそも実験計画書は実験研究をする際の常識なので、本wikiでは上のように説明した。
=== 承認後・発売後 ===
医薬品の承認後にも、試験が必要である。
医薬品の承認後、発売後における調査・試験のことを、第4相試験という<ref>『シンプル薬理学』</ref><ref>『NEW薬理学』</ref>。日本だけでなくアメリカでも同様に、承認後・発売後の試験や調査を「第4相試験」という<ref>Bertram G.Katzung 著『カッツング薬理学 原書第10版』、柳澤輝行 ほか監訳、丸善株式会社、平成21年3月25日 発行、P72 </ref>。少なくともアメリカの場合、第4相試験には期限は無い<ref>Bertram G.Katzung 著『カッツング薬理学 原書第10版』、柳澤輝行 ほか監訳、丸善株式会社、P72 </ref>。
また、医薬品などの製造において守るべき国際基準として、good manufacturing practice (GMP)があり<ref>『シンプル薬理学』</ref><ref>『NEW薬理学』</ref>、製造管理や品質管理の原則が定められている。
=== 盲検法 ===
盲検法とは、新薬と従来薬のどちらが使われてるか、分からないようにして、試験をする事。これは、対照実験のためである。
:※ 表記は「盲検」(『標準薬理学』、『シンプル薬理学』)でも「盲験」(『NEW薬理学』)でも、どちらもでいい。
患者だけが、投与薬が、新薬なのか従来薬なのかのどちらかを分からない場合を'''単盲検'''<ref>『標準薬理学』</ref>または'''一重盲検'''<ref>『NEW薬理学』改訂 第6版,P565</ref>(single blind test<ref>『NEW薬理学』改訂 第6版,P565</ref>)という。
:※ 『NEW薬理学』では、ここらの単元は後半(565ページ目あたりから)のほうに記載がある。
患者と医師の両者とも、新薬なのか従来薬なのかのどちらかを分からない場合を'''二重盲検'''(double blind test<ref>『NEW薬理学』改訂 第6版,P565</ref>、略称: DBT<ref>『パートナー薬理学』、改訂第3版、2019年 3月31日 第3版 第2刷 発行、28ページ</ref>)という<ref>『標準薬理学』</ref><ref>『シンプル薬理学』</ref>。
新薬の開発の第3相試験では、原則として<ref>『シンプル薬理学』、P34</ref>二重盲検試験で行われるとされている<ref>『パートナー薬理学』、改訂第3版、2019年 3月31日 第3版 第2刷 発行、28ページ</ref><ref>『NEW薬理学』、P34、※ 『シンプル薬理学』とページが同じなのは偶然の一致.</ref>。
:※ 単盲検・二重盲検のどちらの場合とも、患者にとっては、新薬か従来薬かは、不明である。
== 脚注 ==
2dcoe43qe1onq2dd6wxjfz9orbii66q
民法第466条の5
0
30184
206443
173078
2022-08-11T20:26:37Z
Rhkmk
66092
/* 条文 */
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第3編 債権 (コンメンタール民法)]]
==条文==
(預金債権又は貯金債権に係る譲渡制限の意思表示の効力)
;第466条の5
#預金口座又は貯金口座に係る預金又は貯金に係る債権(以下「預貯金債権」という。)について当事者がした譲渡制限の意思表示は、[[民法第466条|第466条]]第2項の規定にかかわらず、その譲渡制限の意思表示がされたことを知り、又は重大な過失によって知らなかった譲受人その他の第三者に対抗することができる。
#前項の規定は、譲渡制限の意思表示がされた預貯金債権に対する強制執行をした差押債権者に対しては、適用しない。
==解説==
2017年改正にて新設。
==参照条文==
==判例==
----
{{前後
|[[コンメンタール民法|民法]]
|[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br>
[[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1|第1章 総則]]<br>
[[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1-4|第4節 債権の譲渡]]
|[[民法第466条の4]]<br>(譲渡制限の意思表示がされた債権の差押え)
|[[民法第466条の6]]<br>(将来債権の譲渡性)
}}
{{stub}}
[[category:民法|466の5]]
[[category:民法 2017年改正|466の5]]
muvbsm9pzd9jamkgnwx4l11uz0b4fcg
民法第466条の6
0
30185
206444
193071
2022-08-11T20:29:28Z
Rhkmk
66092
/* 条文 */
wikitext
text/x-wiki
[[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第3編 債権 (コンメンタール民法)]]
==条文==
(将来債権の譲渡性)
;第466条の6
#債権の譲渡は、その意思表示の時に債権が現に発生していることを要しない。
#債権が譲渡された場合において、その意思表示の時に債権が現に発生していないときは、譲受人は、発生した債権を当然に取得する。
#前項に規定する場合において、譲渡人が[[民法第466条|次条]]の規定による通知をし、又は債務者が同条の規定による承諾をした時(以下「対抗要件具備時」という。)までに譲渡制限の意思表示がされたときは、譲受人その他の第三者がそのことを知っていたものとみなして、[[民法第466条|第466条]]第3項(譲渡制限の意思表示がされた債権が預貯金債権の場合にあっては、[[民法第466条の5|前条]]第1項)の規定を適用する。
==解説==
2017年改正にて新設。
==参照条文==
==判例==
----
{{前後
|[[コンメンタール民法|民法]]
|[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br>
[[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1|第1章 総則]]<br>
[[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1-4|第4節 債権の譲渡]]
|[[民法第466条の5]]<br>(預金債権又は貯金債権に係る譲渡制限の意思表示の効力)
|[[民法第467条]]<br>(債権の譲渡の対抗要件)
}}
{{stub}}
[[category:民法|466の6]]
[[category:民法 2017年改正|466の6]]
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