Wikibooks jawikibooks https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.39.0-wmf.23 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikibooks Wikibooks・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク Transwiki Transwiki‐ノート TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Gadget Gadget talk Gadget definition Gadget definition talk 民法第1024条 0 5217 206498 75301 2022-08-12T17:42:46Z Tomzo 248 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第5編 相続 (コンメンタール民法)]] ==条文== ([[遺言書]]又は[[遺贈]]の目的物の破棄) ;第1024条 : 遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなす。遺言者が故意に遺贈の目的物を破棄したときも、同様とする。 ==解説== :相続開始前に、遺言者が遺言書の全部又は一部を破棄した場合、及び遺贈の目的物を遺言者が<u>故意に</u>目的物を破棄した場合の取り扱いについて定める。[[民法第1126条|明治民法第1126条]]を継承。 :#遺言者による、遺言書の全部又は一部の破棄は、遺言が撤回されたものと擬制される。 :#遺言者が故意(狭義の故意ではなく、過失を含んだ遺言者に責任が認められる場合)により遺贈の目的物を破棄した場合も、遺言が撤回されたものと擬制される。そもそもこの場合、相続財産にも含まれないので、遺留分計算の基礎からも除かれる。反対解釈をすると、遺言者の責任によらず目的物が破壊された場合、当該目的物は、例えば損害賠償請求権等の形で相続財産に含まれ、遺留分計算の基礎にも含まれる。 ==参照条文== ==参考== 明治民法において、本条には以下の規定があった。[[民法第921条|現行第921条]]に相続人の単純承認の擬制として継承された。 :左ニ掲ケタル場合ニ於テハ相続人ハ単純承認ヲ為シタルモノト看做ス :#相続人カ相続財産ノ全部又ハ一部ヲ処分シタルトキ但保存行為及ヒ第六百二条ニ定メタル期間ヲ超エサル賃貸ヲ為スハ此限ニ在ラス :#相続人カ[[民法第1017条#参考|第千十七条第一項]]ノ期間内ニ限定承認又ハ放棄ヲ為ササリシトキ :#相続人カ限定承認又ハ放棄ヲ為シタル後ト雖モ相続財産ノ全部若クハ一部ヲ隠匿シ、私ニ之ヲ消費シ又ハ悪意ヲ以テ之ヲ財産目録中ニ記載セサリシトキ但其相続人カ放棄ヲ為シタルニ因リテ相続人ト為リタル者カ承認ヲ為シタル後ハ此限ニ在ラス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第5編 相続 (コンメンタール民法)|第5編 相続]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#7|第7章 遺言]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#7-5|第5節 遺言の撤回及び取消し]] |[[民法第1023条]]<br>(前の遺言と後の遺言との抵触等) |[[民法第1025条]]<br>(撤回された遺言の効力) }} {{stub|law}} [[category:民法|m1024]] hzfwp593xmln34hn9w8vj02feqtjlse 民法第921条 0 5379 206494 199499 2022-08-12T17:17:03Z Tomzo 248 wikitext text/x-wiki *[[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第5編 相続 (コンメンタール民法)|第5編 相続]] ==条文== (法定[[単純承認]]) ;第921条 : 次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。 :#相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び[[民法第602条|第602条]] に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない。 :#相続人が[[民法第915条|第915条第1項]]の期間内に[[限定承認]]又は[[相続放棄|相続の放棄]]をしなかったとき。 :#相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。 ==解説== :相続開始相続人が単純承認をしたとみなされる場合を定めた規定である。 :#相続財産につき、所有者としての振る舞いがあった場合 :#*除外事項 :#*#[[保存行為]] :#*#短期賃貸借([[民法第602条|第602条]] )の設定 :#[[民法第915条|第915条第1項]]所定の期間('''熟慮期間''')内に限定承認又は相続放棄の意思を表明しなかった場合 :#*相続の承認又は放棄をすべき期間([[民法第915条|第915条第1項]]) :#限定承認又は相続放棄の意思表明後に相続財産につき背信的行為があった場合 ==関連条文== *[[民法第918条]](相続財産の管理) ==判例== *[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52168&hanreiKbn=02 貸金等](最高裁判決 昭和59年04月27日)[[民法第915条]] *:熟慮期間について相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。 *::相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が法律上相続人となつた事実を知つた時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかつたのが、相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、[[民法第915条|第915条第1項]]所定の期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。 ==参考文献== *『民法(9)相続(第4版増補版)』(有斐閣双書)(有斐閣、2000年)141頁-168頁(石川利男執筆部分) *『民法Ⅴ(第2版補訂版)』(Sシリーズ)(有斐閣、2000年)150頁-153頁(伊藤昌司執筆部分 ==参考== 明治民法において、本条には以下の規定があった。[[民法第857条|現行第857条]]に未成年者後見人の権利義務として継承された。。 :未成年者ノ後見人ハ[[民法第879条#参考|第八百七十九条]]乃至[[民法第883条#参考|第八百八十三条]]及ヒ[[民法第885条#参考|第八百八十五条]]ニ定メタル事項ニ付キ親権ヲ行フ父又ハ母ト同一ノ権利義務ヲ有ス但親権ヲ行フ父又ハ母カ定メタル教育ノ方法及ヒ居所ヲ変更シ、未成年者ヲ懲戒場ニ入レ、営業ヲ許可シ、其許可ヲ取消シ又ハ之ヲ制限スルニハ親族会ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第5編 相続 (コンメンタール民法)|第5編 相続]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#4|第4章 相続の承認及び放棄]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#4-2|第2節 相続の承認]] |[[民法第920条]]<br>(単純承認の効力) |[[民法第922条]]<br>(限定承認) }} {{stub|law}} [[category:民法|921]] co6dn92ncm40y8ri2av5yoijc1652m9 206497 206494 2022-08-12T17:22:48Z Tomzo 248 /* 解説 */ wikitext text/x-wiki *[[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第5編 相続 (コンメンタール民法)|第5編 相続]] ==条文== (法定[[単純承認]]) ;第921条 : 次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。 :#相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び[[民法第602条|第602条]] に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない。 :#相続人が[[民法第915条|第915条第1項]]の期間内に[[限定承認]]又は[[相続放棄|相続の放棄]]をしなかったとき。 :#相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。 ==解説== :相続開始相続人が単純承認をしたとみなされる場合を定めた規定。[[民法第1024条#参考|明治民法第1024条]]を継承。 :#相続財産につき、所有者としての振る舞いがあった場合 :#*除外事項 :#*#[[保存行為]] :#*#短期賃貸借([[民法第602条|第602条]] )の設定 :#[[民法第915条|第915条第1項]]所定の期間('''熟慮期間''')内に限定承認又は相続放棄の意思を表明しなかった場合 :#*相続の承認又は放棄をすべき期間([[民法第915条|第915条第1項]]) :#限定承認又は相続放棄の意思表明後に相続財産につき背信的行為があった場合 ==関連条文== *[[民法第918条]](相続財産の管理) ==判例== *[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52168&hanreiKbn=02 貸金等](最高裁判決 昭和59年04月27日)[[民法第915条]] *:熟慮期間について相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。 *::相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が法律上相続人となつた事実を知つた時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかつたのが、相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、[[民法第915条|第915条第1項]]所定の期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。 ==参考文献== *『民法(9)相続(第4版増補版)』(有斐閣双書)(有斐閣、2000年)141頁-168頁(石川利男執筆部分) *『民法Ⅴ(第2版補訂版)』(Sシリーズ)(有斐閣、2000年)150頁-153頁(伊藤昌司執筆部分 ==参考== 明治民法において、本条には以下の規定があった。[[民法第857条|現行第857条]]に未成年者後見人の権利義務として継承された。。 :未成年者ノ後見人ハ[[民法第879条#参考|第八百七十九条]]乃至[[民法第883条#参考|第八百八十三条]]及ヒ[[民法第885条#参考|第八百八十五条]]ニ定メタル事項ニ付キ親権ヲ行フ父又ハ母ト同一ノ権利義務ヲ有ス但親権ヲ行フ父又ハ母カ定メタル教育ノ方法及ヒ居所ヲ変更シ、未成年者ヲ懲戒場ニ入レ、営業ヲ許可シ、其許可ヲ取消シ又ハ之ヲ制限スルニハ親族会ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第5編 相続 (コンメンタール民法)|第5編 相続]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#4|第4章 相続の承認及び放棄]]<br> [[第5編 相続 (コンメンタール民法)#4-2|第2節 相続の承認]] |[[民法第920条]]<br>(単純承認の効力) |[[民法第922条]]<br>(限定承認) }} {{stub|law}} [[category:民法|921]] tk6nmlpejwf3oyav2vomxxv5lch9iy1 民法第857条 0 5767 206493 75203 2022-08-12T16:57:51Z Tomzo 248 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)]] ==条文== (未成年被後見人の身上の監護に関する権利義務) ;第857条 : [[未成年後見人]]は、[[民法第820条|第820条]]から[[民法第823条|第823条]]までに規定する事項について、[[親権]]を行う者と同一の権利義務を有する。ただし、親権を行う者が定めた教育の方法及び居所を変更し、営業を許可し、その許可を取り消し、又はこれを制限するには、未成年後見監督人があるときは、その同意を得なければならない。 ===改正経緯=== :2011年(平成23年)改正によって、「未成年被後見人を懲戒場に入れ、」の文言が削除された。「懲戒場」に該当する施設が存在しなかったため実効性に乏しかったためである。[[民法第822条]]参照。 ==解説== :未成年者後見人の権利義務は、親権者に準ずる旨を定める。[[民法第921条#参考|明治民法第921条]]を継承。 :ただし、[[民法第849条|第849条]]により、'''未成年後見監督人'''が指定されている場合において、親権者が定めた教育方法等に変更を加えるには、未成年後見監督人の合意を要する。 ==参照条文== *[[民法第820条|第820条]](監護及び教育の権利義務) *[[民法第821条|第821条]](居所の指定) *[[民法第822条|第822条]](懲戒) *[[民法第823条|第823条]](職業の許可) ==判例== ==参考== 明治民法において、本条には以下の規定があった。[[民法第807条|現行第807条]]に養子縁組の取り消しとして継承された。。 #[[民法第844条#参考|第八百四十四条]]乃至[[民法第846条#参考|第八百四十六条]]ノ規定ニ違反シタル縁組ハ同意ヲ為ス権利ヲ有セシ者ヨリ其取消ヲ裁判所ニ請求スルコトヲ得同意カ詐欺又ハ強迫ニ因リタルトキ亦同シ #[[民法第784条#参考|第七百八十四条]]ノ規定ハ前項ノ場合ニ之ヲ準用ス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#5|第5章 後見]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#5-3|第3節 後見の事務]] |[[民法第856条]]<br>(被後見人が包括財産を取得した場合についての準用) |[[民法第857条の2]]<br>(未成年後見人が数人ある場合の権限の行使等) }} {{stub|law}} [[category:民法|857]] [[category:民法 2011年改正|857]] 2sn7iuuw34lmub1s0ezupf5q27wmhs3 中学校英語/2年/文法 0 6660 206526 205913 2022-08-13T03:31:02Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ 不定詞には、動詞になるような用法は無い。 wikitext text/x-wiki == be動詞の命令文 == be動詞の命令文は<'''Be 〜.'''>という形式になり、このように、動詞の原形で始まる。原形(げんけい)とは、もとの形である。 :<span style="color:green">'''Be'''</span> a good boy.(よい少年に<span style="color:green">'''なりなさい'''</span>。) 上記の英文は、意味の上では You must be a good boy.と同じ内容を表す。 Be(be,am,are,is)動詞では、「be」がもとの形であり、それ以外のamやareやisなどはbeが主語に合わせて変化したものである。amは原形'''ではない'''ので注意。 また、このように、原形が必ずしも 私「I」 のときの動詞の形とは、かぎらない。(とはいえ、命令文以外の多くの構文では、私「I」 のときの動詞の形と同じ場合が多い。なので、暗記の対象としては、例外的に私「I」のときの動詞が原形でない場合だけを覚えればいい。) 参考 ::You are a good boy.(あなたはよい少年です。) be動詞の否定の命令文は <Don't be 〜.> となる。 :<span style="color:green">'''Don't be'''</span> a bad boy.(悪い少年に<span style="color:green">'''なってはいけません'''</span>。) == be動詞の過去形 == === be動詞の過去形 === * be動詞の過去形について、 am,is の過去形は '''was''' になる。 are の過去形は '''were''' になる。 例文 * I am busy today. I <span style="color:green">'''was'''</span> busy yesterday.(私は今日忙しい。私は昨日忙し<span style="color:green">'''かった'''</span>。) * You are busy today. You <span style="color:green">'''were'''</span> busy yesterday.(あなたは今日忙しい。あなたは昨日忙し<span style="color:green">'''かった'''</span>。) === be動詞の過去の疑問文・否定文 === 例文 * He was busy.(彼は忙しかった。) * <span style="color:green">'''Was'''</span> he busy?(彼は忙し<span style="color:green">'''かったですか'''</span>。) * He <span style="color:green">'''was not'''</span> busy.(彼は忙しく<span style="color:green">'''なかった'''</span>。) * be動詞の過去の疑問文は、'''was, wereを主語の前に'''出し、Yes,~ was(were).かNo,~ was(were) notで答える。 * be動詞の過去の否定文は、'''was, wereのあとにnot'''を入れる。短縮形は'''wasn't, weren't'''となる。 == 感情をあらわす形容詞 == 感情をあらわす形容詞の中には、 :興奮した excited (エキサイテド) :おどろいた surprised (サプライズド) のように、ed が語尾につくものがあります。 しかし、いっぱんに、これらの感情をあらわす 〜ed の語は、形容詞として扱います。受け身としては、扱わないのが、日本での英語教育では普通です。 いっぽう、感情を引き起すもの(出来事や書籍や映像など)については、 :This movie is exciting. この映画、とっても面白いよ。 とか、 :This is surprising. (これは、びっくりすることだ) とかのように、〜ing の形になります。 語形的には、surprised は過去形 -ed と同じ形だし、surprising は進行形と同じ形ですが、しかし、surprised も surprising も形容詞として扱う(あつかう)のが普通です。 excited や exciting など、ほかの感情を表す語でも同様に、形容詞としてあつかうのが一般的。 == 天気 == 「晴れ」は英語で sunny (サニー)です。 太陽が英語で sun (サン)です。晴れの日には、太陽が見えるから、 sunny というわけです。 「今日は晴れです。」は英語で It is sunny today. (イット イズ サニー トゥデイ) と書きます。 このように、 It が形式的な主語になります。文法用語で、このような It の用法を「形式主語」などと言います。 日本語を和訳するとき、 It に当たる「それ」などの語は訳しません。入試などで、「それ」などの語をかくと、不正解になる場合があります。 「昨日は、晴れでしたよ」なら、 It was sunny yesterday. となります。 * 例題 たとえば、「(天気が)雨」は英語で、rainy (レイニー)です。「雨が降る」は英語で rain (レイン)です。レインコート raincoat のレインと同じです。 It is rainy today. (イット イズ レイニー トゥデイ) を和訳してみましょう。 * 例題のこたえ 「今日は、雨です。」などが、 「It is rainy today. 」の和訳になります。 参考 :くもり cloudy :雲(くも) cloud なお、「天気」は英語で weather (ウェザー)です。 気温の温暖・寒冷についても、 今日は暖かい(あたたかい) → It is warm today.(イット イズ ウォーム トゥデイ) 今日は暑い(あつい) → It is hot today.(イット イズ ホット トゥデイ) 今日はすずしい → It is cool today.(イット イズ クール トゥデイ) 今日は寒い、冷たい → It is cold today.(イット イズ コールド トゥデイ) warm と cool は、比較的、すごしやすい気候の場合です。いっぽう、 hot と warm は、比較的、きびしい気候です。 たとえば、真夏の炎天下などには、 hot を使うといいでしょう。冬の雪(snow スノウ)の日などには、cold を使うといいでしょう。 春ごろや秋ごろの気候で、 warm や cool を用いる事が多いでしょう。 == 過去進行形 == また、「 was 〜 ing 」「were 〜 ing」のようなのを過去進行形(かこ しんこうけい)といい、その名の通り、過去に進行中だった事を表現するのに過去進行形を使う場合があります。 例文 * When my father came home, I was watching TV. (父が帰ってきた時、私はテレビを見ていました。) * I was watching TV. (テレビを見ていました。) * We was waking along the river at that time. (そのとき、わたしは川沿いを歩いてました。) * I am studying Math at ten o'clock this morning. (今朝の10時、数学を勉強してました。) などになります。 疑問文は、 Were you walking along the river at that time? あなたはそのとき、川ぞいを歩いていましたか? What were you doing last night? (ホワット ワーユー ドゥーイング ラストナイト) 昨日の晩、なにをしてましたか? What were you doing at that time? (ホワット ワーユー ドゥーイング アットザットタイム) そのとき、あなたは何をしてましたか? のようになります。 疑問への回答は、「Were you 〜?」で聞かれたなら、 Yes, I was. No, I wasn't. のようになります。 「What ware you 〜ing 〜?」で聞かれたなら、たとえば、 :What were you doing at nine o'clock last night? (昨日の晩の9時、何をしてた?) と聞かれたら、 返事は、たとえば I was reading a book. (本を読んでいたよ。) I was watching TV. (テレビを見ていたよ。) I was sleeping. (寝てたよ。) I was taking a bath. (お風呂に入っていたよ。) I was studying. (勉強中だったよ。) などのようになります。 返事では、いちいち at 〜 o'clock とか、last night とか、くりかえしません。 どうしても時間を強調したい場合は、 at that time (アット ザット タイム)(意味:そのときには)などの語句をおぎなうとよいでしょう。 I was reading a book at that time. (そのときなら、本を読んでいたよ。) I was watching TV at that time. (そのときなら、テレビを見ていたよ。) I was sleeping at that time. (そのときなら、寝てたよ。) I was taking a bath at that time. (そのときなら、お風呂に入っていたよ。) I was studying at that time. (そのときなら、勉強中だったよ。) == 前置詞: along == He is walking along the river.(ヒー イズ ウォーキング アロング ザ リバー) 彼は、川ぞいを歩いています。 「along 〜」(アロング)で、「〜にそって」の意味があります。 もしトムが「ボブといっしょに、川沿いを歩いていたよ」と言うとしたら、 I was walking along the river with Bob. のように、言うことになります。 with(ウィズ) で「〜といっしょに」の意味があります。 == 前置詞 : during 〜 == 「春休み中、どうしてた?」を英語で聞くと、 What did you do during spring vacation? (ホワット ディド ユー ドゥー デュアリング スプリング・バケーション) になります 「during 〜」(デュアリング) で、「〜の最中に」「〜中に」の意味があります。 返答で、(春休み中なら、)「ハワイ(Hawaii)に行ってた」と答えるなら、 I went to Hawaii. となります。 ちなみに、ハワイのお土産(おみやげ、英:Souvenir (※ 範囲外?))でよくある品物は、アロハ・シャツ(aloha shirt)や、マカデミア・ナッツ(macadamia nuts)などです。 「aloha」(アロハ)は、ハワイ語で「こんにちは」にあたる挨拶の言葉ですが、「愛」を意味する単語でもあります。 == 過去形: いつ〜したか == 「留学生の女の子が、わたしたちの通う日本の学校にやってきた。」というようなシチュエーションだとしましょう。 * 例文 もし彼女が自己紹介で、「私達は、去年、日本に来ました。」と言うとしたら、 We came to Japan last year. になります。 この表現では、前置詞はつけません。英米の習慣的にそうなってるので、おぼえてください。 時間を表す時には、時間に at や in など前置詞をつけない場合があります。 * ago (アゴー) もし彼女が自己紹介で、「私達は、4週間前に、日本に来ました。」と言うとしたら、 We came to Japan four weeks ago. ago は、期間について「〜前」にという意味です。期間以外のものの前後については、ago は使えません。たとえば、 * ago と before の、ちがい なお、「食べる前に、手を洗え。」というのには、ago は使えません。「何かをする前に、べつの何かをする」というような場合の「前」を表現するには before (ビフォア)を使います。 ちなみに「食べる前に、手を洗え。」を英語で言うとしたら、たとえば Before eating, wash your hands. (ビフォア イーティング、ウォッシュ ユア ハンド) のようになるでしょう。 before は、出来事の前後関係での「あと」という意味です。 「手をあらったあとに、食べていい」なら、たとえば After washing your hands, you can eat. (アフター ウォッシング ユア ハンド、ユーキャン イート) のようになるでしょう。 after (アフター)は、出来事の前後関係での「あと」という意味です。つまり、 before と after とは、反対どうしの意味です。 == 〜したとき、 == When 〜 で、「〜したとき、」の意味をもつ接続詞になる。 つまり、 when には、「いつ、〜?」疑問詞の用法のほかにも、「〜したとき」という接続詞の意味もある。 例文 * <span style="color:green">'''When'''</span> I came home, my sister was watching TV.(私が帰宅した<span style="color:green">'''とき'''</span>、姉/妹はテレビを見ていた。) * whenの節は、'''主節のあと'''にも来れる。 例文 :My sister was watching TV <span style="color:green">'''when'''</span> I came home. == 助動詞 == === 未来をあらわす === ==== 未来をあらわす助動詞(will) ==== 助動詞 will (ウィル)を用いて、未来のことを表現できる。<'''will + 〜(動詞の原形)''' >で、 '''「~するでしょう、~する予定だ」''' の意味。 動詞は原形になることに注意。原形とはもとの形のこと。具体的には、主語が三人称単数ならば助動詞の文章では、動詞の語尾にはsまたはesなどのない形になっているはずである。 He <span style="color:green">'''will play'''</span> tennis tomorrow. 彼は、明日、テニスを<span style="color:green">'''するでしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy tomorrow. 私は、明日、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy next Friday. 私は、次の金曜日は、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy next week. 私は、来週は、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 It will be rainy tomorrow. 明日は雨が降るでしょう。 It will be hot tomorrow. 明日は暑くなるでしょう。 It will be sunny tomorrow. 明日は晴れるでしょう。 I will go to Canada. 私はカナダに行く予定だ。 He will come at four. 彼は4時に来るでしょう。 Tomorrow, it will be rainy. 明日は雨が降るでしょう。 Tomorrow, it will be sunny all day. 明日は一日中、晴れるでしょう。 Tomorrow, it will be hot. 明日は暑くなるでしょう。 * 短縮形: ::I will → I'll ::you will → you'll , ::he will → he'll など。 ::will not → won't 参考: He plays tennis every day. 彼は毎日テニスをします。 I will go shopping. 買い物に行く予定です。 ※ shopping は名詞である。よって、助動詞があっても、shopping の形はそのまま。 I will do my homework. 私は宿題をするでしょう/するつもりです/する予定です。 < I will 〜 >のように、自分(I)について will をつかうと、自分の予定や、自分の意志を伝える表現になる。 (※範囲外: )なお、ウィンドウ・ショッピングも window-shopping で通じる<ref>高等学校外国語科用『SELECT English Conversation』、三省堂、2012年3月1日 文部科学省検定済、2022年3月30日10刷発行、P15</ref>。 ※ 過去形では、たとえば look が looked になったりと動詞が変化したりのように動詞には「過去形」というのがあるが、しかし動詞に「未来形」というのは無い。 英語学に「未来時制」(みらいじせい)という考え方はあるが、それは上述の助動詞 will などのことである。動詞の変化との混同を嫌ってか「未来形」とはあまり言わずに、willなどのことを「未来表現」などと言う場合も多い。 基本的に、英語で動詞の時間を表す場合は、現在か過去か未来かの3つのうちのどれかか、それらいずれかの進行形(現在進行形か過去進行形か未来進行形)や完了形(現在完了や過去完了や未来完了)だけである。「完了形」を中学2年では習っていないかもしれないが、とにかく時間については英語では、現在・過去・未来の3つのうちのどれかしか存在しない。 よって、現在・過去・未来のほかの時間については、気にする必要は無い。 {{コラム|(※ 中学の範囲外) 助動詞と確信度| will を未来の「時制」のようなものと考える上述の見方とは別に、willを確信度の比較的に高い見通しである、と解釈する流儀もある。will には、未来予測の用法とは別に、現在の習慣または過去の習慣をあらわす用法や、意思をあらわす用法もあるから、である。また、遠く離れた場所について「今ごろは~だろう」などと予想する場合も will を使います<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P112、</ref>。また、未来のことであっても、話し手にあまり確実性の自信の無い場合は、will ではなく may など別の助動詞を使います。 上述のように will は比較的に確信度が高いし、一方で may は確信度が低い、または控えめな言い回しが may なので、とくに確信が高いわけでも低いわけでもないが、しかし断言ではない場合で あくまで予測や推測であることを言いたい場合、どうすれば良いかというと、単に I think that ~ 「私は~だと思います」などの簡単な言い回しで良い<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P47、</ref>。ここでの that は「~ということ」という意味の接続詞。 }} ==== 今夜や今晩は、未来か ==== 今夜や今晩や、その日の未来について場合や、数時間後について言う場合、will など未来形をつかうのが普通です。 例文 :It will be sunny in Tokyo tonight. 東京は今晩、晴れるでしょう。 tonight は「トゥナイト」と読む。tonight の意味は「今夜」、「今晩」などの意味。 「もうすぐ」(副詞:soon 、スーン)や、数分後についてすら、will をつかう場合があります。 たとえば、 「もうすぐ、彼は来るでしょう。」なら、 We will come soon. (ヒー ウィル カム スーン) です。 ==== willの疑問文 ==== 例文 Will it be hot tomorrow? 明日は雨が降るでしょうか? ー Yes, it will. (イエス、イット ウィル) はい、降るでしょう。 ー No, it will not. (ノー、 イット ウィル ノット) いいえ、降らないでしょう。 このように、 willの疑問文は、'''willを主語の前に'''出す。 返答は、「はい」なら Yes,~ will. で答え、 「いいえ」なら No,~ will not. あるいは No ~ won't. (ウォント) で答える。 「won't」は「ウォント」と読む。won't は will not の省略形。 例文 Will it be sunny on Sunday? 日曜日は晴れるかな? ー Yes, it will. はい、晴れるでしょう。 ー No, it will not. いいえ、晴れないでしょう。 (※ 範囲外 :)検定教科書では明言されてない文法規則だが、ひとつの文節中に、「助動詞はひとつまで」という規則がある。 そして、will も do も does も助動詞である。なので、will をつかった文では、絶対に do や does を使わない。なので、未来の動作をたずねる疑問文でも、冒頭には do や does は絶対に出てこない。疑問文の冒頭の Do や Does は助動詞である、と覚えれば、暗記の負担が軽減される。 ある動詞が助動詞かどうかを判別する大まかな方法は(be動詞などのように例外も多少あるかもしれないが)、否定形があるかどうか、である。will の否定形は will not や won't が存在する。do の否定形は do not や否定の短縮形 don't が存在する。 しかし eat や look など一般の動詞には、否定形やその否定の短縮形が存在しない。 ある動詞が、be 動詞でもないのに、その動詞に専用の否定形が存在していれば、それはおおむね助動詞であろう。 ==== be going to 〜 ==== be going to 〜 でも、未来をあらわせる。'''be(am,are,is) going to + 動詞の原形'''は'''「~するつもりだ、~する予定だ」'''の意味の熟語。 be going to は助動詞ではないが、will とまとめて勉強したほうが効率なので、助動詞の節で紹介する。検定教科書や参考書でも、will といっしょに紹介される。 例文 I am going to visit Tom's house tomorrow. 明日はトムの家に遊びに行く予定です。 I <span style="color:green">'''am going to play'''</span> tennis this afternoon.(私は今日の午後テニスを<span style="color:green">'''するつもりです'''</span>。) 予定をあらわすときに be going to を使う場合があるがwill との区別は明確で、be going to は既に決まっていた予定を、will はそれまでは未定でその場で確定した予定を表す。なので、たがいに交換可能'''ではない'''。 <!-- am は、略さない。つまり、I'm going to (×)とかにはしない。 根拠不明 --> 例文 I am going to visit Yokohama tomorrow. 私はあした、横浜に行く予定だ。 I am going to go to school. 私はあした、学校に行く予定だ。 この< going to go to 〜>のように、どこかに行く予定の場合なら、goを二回つかっても、構わない。 * 天気との組み合わせ 「雨が、ふりそうです。」は英語で、 It is going to rain. と書ける。 It は形式的な主語であり、和訳のさいは、itを「それ」とは訳さない。 ここでの「 to rain 」の rain は動詞で、「雨が降る」の意味。 * be going to ~ の疑問文 You are going to watch TV.(あなたはテレビを見るつもりです。) <span style="color:green">'''Are'''</span> you <span style="color:green">'''going to'''</span> watch TV?(あなたはテレビを見る<span style="color:green">'''つもりですか'''</span>。) be going to ~ の疑問文は、'''be動詞を主語の前に'''出す。答え方は、普通のbe動詞の文の場合と同様、be動詞を使って答える。 === Will を使った慣用表現 === <'''Will you ~?'''>は、依頼'''「~してくれませんか」'''の意味でも使われる場合もある。 <span style="color:green">'''Will you'''</span> help me?(私を手伝って<span style="color:green">'''くれませんか'''</span>。) 「Help me, please.」(私を手伝ってください。)というよりも 「<span style="color:green">'''Will you'''</span> help me?」 のほうが、すこしばかり、丁寧な言い方になる。 Will you open your bag? (あなたのかばんを開けてくれませんか。) Will you open the door? (ドアを開けてくれませんか。) もちろん、文章によっては「あなたは、(未来に)~するでしょうか」の意味で「Will you 〜?」が使われる場合もあるので、依頼か未来か、どちらの意味で使われてるかは、文脈から判断すること。 == 天気の表現 == * and 「あしたは晴れて、暑くなるでしょう。」なら、 :It will be sunny and hot tomorrow. となる。 このように、天気や気温についても、接続詞 and が使える。 * 進行形との組み合わせ :It is raining. 雨が降っています。 :It is snowing. 雪が降っています。 * 前置詞との組み合わせ 「東京は、あした、晴れるでしょう」なら、 :It will be sunny in Tokyo tomorrow. となる。ふつうに、場所を表す前置詞 in をつかって、 in Tokyo のように、場所を追加すれば済む。 * 今夜 tonight なら未来形 :It will be sunny in Tokyo tonight. 東京は今晩、晴れるでしょう。 tonight は「トゥナイト」と読む。tonight の意味は「今夜」、「今晩」などの意味。 :It will snow tonight. 今夜、雪が降るでしょう。 助動詞 will がつくので、動詞は、原形になる(is → be 、rains → rain など)ことを忘れないように。 * 過去形 was :It was sunny yesterday. きのうは晴れでした。 天気や気温について、過去のことをいいたいなら、be動詞を過去形にすれば済む。つまり、is の過去形 was を使う。 * 過去形の否定 :It was not sunny yesterday. きのうは晴れではありませんでした。 * 日付け、曜日を指定した表現 Will it be sunny on Sunday? 日曜日は晴れるかな? == もし〜なら: if == 「もし〜なら」を表すには、接続詞 if (イフ)を使います。 :If you are interested , please call us. もしあなたが興味がごありなら、私達に電話してください。 :If it is fine tomorrow, we will play softball. (イフ イット イズ ファイン トゥモロウ, ウィー ウィル プレイ ソフトボール) もし明日が晴れなら、私達はソフトボールをする予定です。 なお、未来の予定のことを言う場合でも、if の節の中の動詞は現在形にする。 この場合、「If it is fine tomorrow,」の is が現在形であることに、注目。 「we will play 〜」は、if の外の節なので、この節は未来形になるので助動詞 will がある。 == 助動詞 == === 〜しなければならない === ==== 助動詞 must ==== '''「〜しなければならない」'''の意味を表すのには、助動詞 must が使える。 例文 Wash the dishes.(皿を洗いなさい。) You <span style="color:green">'''must'''</span> wash the dishes.(あなたは皿を洗わ<span style="color:green">'''なければならない'''</span>。) 「You must ~. 」は命令文とほぼ同じ内容を表す。 :・ 主語が三人称単数でも must の形は変わらない。mustに続く動詞も原形のままである。 「You must not ~.」 で文を始めると、'''「〜してはいけない」'''という否定文を作ることが出来る。 '''「〜しなければなりませんか」'''と尋ねる疑問文は、 Must I ~? で文を始める。 ※ must に過去形は無い。過去の義務について「しなければならなかった」と言いたい場合、後述の had to を使う。だから、そもそも、義務や強制の用法での must の正確な意味は「'''現在'''~しなければならない」というような現在の圧力がさしせまっているというような意味である<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P104、</ref>(普通の参考書にはそう書かれてないが)。must自体が現在の意味を含むので、過去について言いたい場合は had to など別の表現になるのは当然である。 ※ must not の短縮形は mustn't であり、なお発音は「マスント」である。 mustn't の最初の t は読まない。 ==== have to 〜 ==== '''「have to + 動詞の原形」'''で、'''「〜しなければならない」'''の意味を表す。主語が'''3人称単数'''のときは、'''has to ~'''となる。 例文 You <span style="color:green">'''have to'''</span> wash the dishes.(あなたは皿を洗わ<span style="color:green">'''なければならない'''</span>。) have to は、助動詞 '''must''' とほぼ同じ内容を表す。 :You <span style="color:green">'''have to'''</span> wash the dishes. = You <span style="color:green">'''must'''</span> wash the dishes. :have to ~の否定文'''don't have to ~'''は'''「〜するには及ばない、〜する必要がない」'''の意味になる。 :「〜しなければならなかった」と過去形になるときは、 had to ~ を使う。 {{コラム|否定形の覚え方| must と have to の意味が大体同じなのに、一方で must not とdon't have to の意味は違います。 これを覚えるのは一見すると大変そうですが、しかし not の位置の違いに注目すると、丸暗記しなくて済みます<ref>『ジーニアス総合英語 第2版』大修館書店、2022年4月1日発行、P135</ref>。 must の否定形 must not には、must の直後に not がついていますし、短縮する場合も mustn't のように must につけます。 一方、義務をあらわす have to の否定形のdon't have to には、haveにも to にも、notがついていません。not をつけるという構造ではなく、別途 don't をつけるという構造です。そして don't の意味は、単に「~ではない」という 弱い否定の意味です。 なので、don't have to は単に「~する義務がない」つまり「~する必要が無い」といった弱い意味になります。このように、答えは英文に書いてあります。 }} 未来のある時点に「~しなければならない」と言いたい場合、will must (×)とか must will (×)とかは言えない。 英文法の規則により、「ひとつの英文中には、助動詞はひとつまで」という規則がある。 どうしても、「来週には ~ しなければならない」とか言いたい場合、 will have to ~ で表現する。 このように、 have to は形式的には助動詞ではない、として分類される(意味的には実質的には助動詞であるが)。 同様に、未来の動作を意味する be going to ~ も、形式的には助動詞ではない。 中2のここまで習ったのをまとめると、 形式的に助動詞であると分類されるものは、 do/ does/ did will must can などである。 いっぽう、 be going to ~ (未来の動作を意味する) have to ~ (「しなければならない」を意味する) は、形式的には助動詞ではない、とみなされる。 助動詞2個以上の問題の回避策として be going to や have to を使う場合、細かいニュアンスのちがいは無視される。 have to よりも must のほうが意味合いが強いが、しかし助動詞2個問題では、そのような意味合いは無視されるのである。 be going to には will が対応する。 have to には must が対応する。 なお、中3~高校の範囲の単語だが、be able to ~ という表現が、can に対応する。 able はエイブルと読む。「能力」のことを ablity (アビリティ)というのだが、それと関連づけて覚えてもらいたい。また、「能力」の意味から分かるように、能力を強調するニュアンスがある。 しかし、そういうニュアンスも、助動詞2個問題を回避する場合には、ニュアンスの違いが無視される。 === その他の助動詞 === ==== 助動詞 may ==== <'''May I ~?'''>は'''「~してもいいですか」'''と許可を求めるときに用いる。mayはcan,willと同じく助動詞であとは動詞の原形。 :May I use your pen? あなたのペンを使ってもいいですか。 ※ ペンを借りたいときの慣用表現。「ペンを貸してください」と同じ意味。 <span style="color:green">'''May I'''</span> see your passport?(パスポートを見ても<span style="color:green">'''いいですか'''</span>。) May I ~? できかれたら、返事は、もし相手に「してもいい」と許可を出すなら(ペンを貸してもいい、パスポートを見せてもいい)、 :'''Sure.''' / '''Yes,of course.''' / '''Yes,please.''' などで答える。 Can I 〜 ? でも、「〜してもいいですか」の意味がある。 Can I see your passport? (パスポートを見せてください。) 「私はあなたのパスポートを見てもいいですか?」→「あなたのパスポートを見てもいい?」→「パスポートを見せてください」というわけである。 ==== Shall I 〜? ==== <'''Shall I ~?'''>は'''「~しましょうか」'''と相手の意向をたずねる。 <span style="color:green">'''Shall I'''</span> open my bag?(私のかばんを開け<span style="color:green">'''ましょうか'''</span>。) == 接続詞 or : または == 接続詞 「or」(オア) で、「または」「〜か、それとも〜か」の意味があります。 :Did you go here by bus or by train? (ディドユー ゴー ヒアー バイ バス オア バイ トレイン) あなたはこちらにバスで来ましたか、電車で来ましたか? なお、 by (バイ)は、手段を表す前置詞です。by の意味は、手段について「〜によって」の意味です。 他の例文も見てみましょう。 :Did you go here by walk or by bike? (ディドユー ゴー ヒアー バイ ウォーク オア バイ バイク) あなたはこちらに徒歩で来ましたか、それとも自転車で来ましたか? のようになります。 or の位置は、 並列する 2つのものの間で、使います。 3つ以上のものを並列するときは、たとえば、 :Did you go here by bus, by train or by plane? (ディドユー ゴー ヒアー バイ バス 、バイ トレイン オア バイ プレイン) あなたはこちらにバスで来ましたか、電車で来ましたか、それとも飛行機で? のようになります。 「by bus」 と「by train」のあいだに or がありませんが、それは省略したからです。いっぽう、「train」「plane」のあいだの「or」は、最後に並列されたものなので、省略できません。 つまり、さいごの「or」以外は省略できます。 「or」の省略について、「bus」「train」「plane」の語順を入れ替えた例文で、説明すると、つまり :Did you go here by train, by plain or by bus? このように、さいごの「or」は省略できません。しかし、さいご以外の or は、省略できます。 == よく使う熟語 == === Be born in 〜 : 〜で生まれる === 「私は日本で生まれました。」 I was born in Japan. (アイ ワズ ボーン イン ジャパン) この 「born in 〜」は「〜で産まれた」という意味の、熟語です。 この文での「born」は、形容詞のような働きをしています。 例文を見てみましょう。 I was born in Osaka. 私は大阪で生まれた。 She was born in Japan. 彼女は日本で生まれた。 John was born in USA. ジョンはアメリカで生まれた。 などのように、born in は使います。 === looking for to 〜: 探す === 「わたしは、この本を探しています」 I am looking for to this book. 「looking for」で「探している」という意味です。 * to の省略 「わたしは、彼を探しています」なら、 I am looking for him. ともなり、探すものが代名詞などで表現できる場合、himなどのように目的格をつかうことで to を省略する場合があります。(省略しなくても良い。) == 「~がある、~がいる」 == === 「There is 〜.」 === '''There is(are) ~.'''は'''「~がある、~がいる」'''の意味である。there の単語そのものの意味は「そちら」などの意味だが、この用法の場合は、there は訳さない。 <There is(was)〜 >.は、主語が単数のばあいに用いる。 いっぽう、<There are(were) ~.>は、主語が複数のばあいに用いる。 ;主語が単数の場合の例文 <There is 単数名詞>の形になる。 * <span style="color:green">'''There is'''</span> a pen on the desk.(机の上にペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) * There is a clock on the desk. 机の上に、時計があります。 * There is a TV in my room. 私の部屋には、テレビがあります。 * There is a clock on the wall. 壁の上に、時計があります。 どこにあるかの場所を説明したい場合、 「on the desk」とか、「in my room」とか、「on the wall」のように、前置詞を用いた句などを追加して、場所を説明する。 * There is a picture on the wall. 壁の上に、絵(写真)があります。 * There is a Chinese restaurant in this town. この街には、中華料理店があります。 * There is a Chinese restaurant near here. この近くに、中華料理店があります。 * There is a bookstore near Bob's house. ボブの家の近くに、書店があります。 * There are a boy under the tree. その木の下に、男の子が1人、いる。 「その木の下に」は、under the tree になる。 * There is an apple on the table. テーブルの上に、リンゴが1個、あります。 apple の冠詞を an にすることを忘れないように。 ;主語が複数のばあいの例文 <There are 単数名詞>の形になる。 * <span style="color:green">'''There are'''</span> two pens on the table.(テーブルの上に2本のペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) * <span style="color:green">'''There are'''</span> some pens on the table.(テーブルの上に数本のペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) some で、「いくつかの」「数個の」という意味がある。また、「some + 名詞の複数形」のようになる。 * There are some apples on the table. テーブルの上に、数個のリンゴがある。 * There are two boys under the tree. その木の下に、男の子が2人、いる。 * There are an apple and an orange on the table. テーブルの上に、1個リンゴと1個のオレンジがあります。 an apple と an orange は、あわせて2個の物体が存在してるので、「an apple and an orange」をまとめて複数あつかいになる。 === There is(are) 〜. の疑問文・否定文 === There is(are) ~.の'''疑問文'''は、'''is,areをthereの前'''に出し、< Is(Are) there ~? > 。 <span style="color:green">'''Is there'''</span> a pen on the desk?(机の上にペンが<span style="color:green">'''ありますか'''</span>。) ー Yes, there is. はい、あります。 ー No, there isn't. いいえ、ありません。 例文 Is there a Chinese restaurant in this town? この町に、中華料理店はありますか? Is there a bookstore near Bob's house? ボブの家の近くに、本屋はありますか? There is(are) ~.の'''否定文'''は、'''is,areのあとにnot'''をおき、< there + is(are) + not + 〜 >。 <span style="color:green">'''There is not'''</span> a pen on the desk.(机の上にペンが<span style="color:green">'''ありません'''</span>。) == 接続詞 == === 接続詞 when === When 〜 で、「〜したとき、」の意味をもつ接続詞になる。 つまり、 when には、「いつ、〜?」疑問詞の用法のほかにも、「〜したとき」という接続詞の意味もある。 例文 * <span style="color:green">'''When'''</span> I came home, my sister was watching TV.(私が帰宅した<span style="color:green">'''とき'''</span>、姉はテレビを見ていた。) * whenの節は、'''主節のあと'''にも来れる。 例文 :My sister was watching TV <span style="color:green">'''when'''</span> I came home. === 接続詞 that === * Nancy likes music.(ナンシーは音楽が好きです。) * I know <span style="color:green">'''(that)'''</span> Nancy likes music.(私はナンシーが音楽が好きだ<span style="color:green">'''ということを'''</span>知っている。) * '''that'''は'''接続詞'''で、あとに〈主語+動詞〉を伴い、'''「〜ということ」'''の意味を表す。 * 接続詞 that は、よく'''省略'''される。 :I know Nancy likes music. * 主語の後に来る動詞で、think= 〜だと思う、hope= 〜を期待する、wish= 〜を望む 等の文も作ることができる。 == 動名詞 == * I like <span style="color:green">'''playing'''</span> baseball. (私は野球を<span style="color:green">'''すること'''</span>が好きです。) * I like playing tennis.(私はテニスをすることが好きです。) この「playing」のように、動詞ingで、進行形(×)ではなく、名詞のように扱うことができる。 '''〈動詞の原形+ing〉'''を'''動名詞'''(どうめいし)といい、'''「~すること」'''の意味で、名詞のようになる。そのため、主語になったり、あるいは like などの動詞の目的語になることがある。 動名詞の和訳は、「〜ing」を「〜すること」と訳す。 つぎの例文のように、動名詞は主語になっても、かまわない。 例文 :<span style="color:green">'''Playing'''</span> tennis is fun.(テニスを<span style="color:green">'''することは'''</span>おもしろい。) :Reading books is interesting. 読書は、おもしろい。 つぎの例文のように、前置詞のうしろに、名詞でなくて、動名詞がくる場合もある。 * I am good <span style="color:green">'''at playing'''</span> tennis.(私はテニスを<span style="color:green">'''するのが'''</span>得意です。) なお、この '''be good at 〜ing''' は「〜が得意です」という意味の熟語である。重要表現なので、この熟語を覚えよう。 == 不定詞 == === 不定詞の基本的な用法 === '''〈to+動詞の原形〉'''で'''、つぎのような意味になる場合がある。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~すること」'''の意味になる場合がある。これを不定詞の'''名詞的用法'''という。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~するために」'''の意味で、目的を表し、動詞を修飾することもある。これを不定詞の'''副詞的用法'''という。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~するための」'''の意味で、前にある名詞・代名詞に、目的を追加して修飾することもある。これを不定詞の'''形容詞的用法'''という。 これら3つの'''〈to+動詞の原形〉'''の用法を'''不定詞'''(ふていし)という。 不定詞に必ず「to」がつくので、「to 不定詞」(トゥーふていし)と呼ぶ場合もある。学習塾とか予備校などで、「to 不定詞」と表現する場合もある。 ※ 不定詞の基本的な用法は、上記の3つのみである。つまり、不定詞には、動詞になるような用法は無い。 ==== 不定詞の、名詞的な用法 ==== '''〈to+動詞の原形〉'''で'''「~すること」'''の意味になる場合がある。この'''〈to+動詞の原形〉'''の用法を'''不定詞'''(ふていし)という。 * I like <span style="color:green">'''to play'''</span> baseball.(私は野球を<span style="color:green">'''すること'''</span>が好きです。) 不定詞には、この他にも、いろいろな用法がある。とりあえず、この節で説明したような不定詞の「〜すること」の用法を、不定詞の'''名詞的用法'''という。 なお、 過去のことについては、不定詞を使わないのが普通である。 つまり、動詞 finish (フィニッシュ、意味: 終える、終わる)については、finish to eat (×)とか、 finish to play(×)とか、けっして言わない。 何かを終えた場合は、動名詞をつかって、 :finish eating とか :finish playing とかのように、言う。 つまり、基本的に to 不定詞は、未来のことを表現する場合に使う。 ※ ただし、だからといって「動名詞が未来のことではない」ことは意味しない。たとえば <nowiki>Let's</nowiki> go shopping! 「ショッピングに行きましょう!」は、~ingの形だが、直後の未来について述べている。 ==== 不定詞の、副詞的な用法 ==== '''〈to+動詞の原形〉'''は、'''「~するために」'''の意味で、目的を表し、そして動詞を修飾する、という場合もある。これを不定詞の'''副詞的用法'''という。 * I went to the store. (私はその店に行った。) * I went to the store <span style="color:green">'''to buy'''</span> some apples. (私はりんごを<span style="color:green">'''買うために'''</span>その店に行った。) 例文の went (ウェント、)は、動詞 go の過去形である。けっして、want(ウォント、意味: 欲しい)と混同しないように。 「to buy some apples」の部分が、不定詞を使ってる部分である。 「to buy some apples」で、副詞的に、「リンゴを買うために」という目的を表す。 いちいち「動詞を修飾」と覚えるよりも、「〜するために」という和訳を覚えたほうが、良い。入試で出題されるのも、和訳のほうである。修飾してるのが動詞かどうかは、入試に出づらい。 また、いちいち「動詞を修飾」と覚えるのではなく、「目的を表す」「副詞的な用法」と覚えたほうがよい。 ==== 不定詞の、形容詞的な用法 ==== * I want something. (私は何かほしい。) * I want something <span style="color:green">'''to drink'''</span>.(私は何か<span style="color:green">'''飲むもの'''</span>がほしい。) * '''〈to+動詞の原形〉'''は、'''「~するための」'''の意味で、前にある名詞・代名詞を修飾することもある。これを不定詞の'''形容詞的用法'''という。 「形容詞的用法」という語句を覚えるよりも、 <'''something to + 動詞の原形'''>で、「何か〜するための物」という熟語を覚えたほうが良い。 まず、 :She has something. 彼女は、何かを持っている。 のように、something が、不定詞つきではなく、単独で使われてる場合の和訳は、somethingを「何かを」などと訳すのがよい。 :something は名詞である。 :また、something に、冠詞(a や the)はつけない。 :複数形ーs の語尾もつけない。 この規則をいちいち覚えるのはメンドウなので、それよりも、さっさと「something to eat」とか「something to drink」とかを熟語の暗記のように覚えたほうが早い。 ここで、注意するべきか、和訳に「何」という文字があるからと言っても、べつに疑問文ではない。 また、うしろ3文字がingだからといって、べつに進行形でもなければ、動名詞でもない。 ともかく、さっさと「something to eat」とか「something to drink」とかを覚えたほうが早い。 例文 : I want to something to eat. 私は、何か食べる物が欲しい。 :something to eat = 食べるもの物 === 前置詞の目的語には、なれない === なお、 * I am good <span style="color:green">'''at playing'''</span> tennis.(私はテニスを<span style="color:green">'''するのが'''</span>得意です。) の「at 〜 ing」のように、前置詞の目的語になれるのは、名詞または名詞に相当する動名詞などだけである。不定詞が前置詞の目的語になることはない。 === 不定詞と未来 === ==== 基本的には、未来にむかう ==== to 不定詞は、基本的に、「未来にしようとする行為や目的をあらわすのに使う」と考えると、理解しやすい。 たとえば、 finish (終える)など、過去のことを表す動詞には、to不定詞ではなく、動名詞を使う。 なにかを終えた時、それは、けっして「これから(未来に)実行しようとする行為」ではなく、「すでに終わった行為」だから、である。 いっぽう、副詞的な用法「to buy some apples」(リンゴを買うために)も、ある時点に「これからリンゴを買おう」と、誰かが考え、その計画を実行しようとているわけである。 もとの例文は :I went to the store '''to buy''' some apples. だった。動詞 went はgoの過去形である。このように不定詞であらわされる目的は、過去を起点にしてもよい。 また形容詞的な用法の、something to drink (何か飲むもの)のような目的を追加した修飾も、誰かが「これから、飲もうとする」という計画を実行しようとしてるのである。 このように、to不定詞は、基本的に、ある時点を起点にして「未来にしようとする行為や計画などの目的」を表す。 もっと短く、まとめると、to不定詞は基本的に、「目的を表す」と覚えるとよい。 ただし、意味的に未来に向かうといっても、時制は、そのままである。 たとえば、 :I went to the store '''to buy''' some apples. で、「to buy some apples」(リンゴを買うために)と考えている時点は、過去のある時点である。 たとえ、「これから、リンゴを買おう」と考えても、動詞 went は過去形のまま、である。 ---- これは、前置詞toをつかった例文と比較すれば納得しやすい、たとえば go to school と比較すると、納得しやすいだろう。 たとえば、 :I go to school. 私は学校に行きます で、じっさいに学校に到着する時刻は、未来である。「I go to school」と主語の人物が主張した時点では、まだ出発したり通学中だったりして、まだ到着していない。 しかし、たとえ未来に到着するからといっても、けっして助動詞 will は使わない。 「I will go to school」(×)とかは言わない。 ==== 前置詞 to との関連 ==== よくある例文 go to school の「to」は、不定詞ではない。この go to school の「to」は前置詞である。 しかし、意味を考えると、この前置詞 to は、目的地を表している。 つまり、<go to + 目的地>という熟語である。 そして、主語の人物が、これから、「その目的地に行こう」という未来についての計画を実行している 最中(さいちゅう) なのである。 go to school の段階では、まだ、学校には到着していない。これから学校に到着しようとする時点なのである。 こうやって考えると、前置詞 to もまた、未来に向かっての目的を表している。 ;※ じっさいのテストでの注意 なお、じっさいに試験問題で「go to 目的地」の文章を和訳するときは、ここまで分析しなくても良い、 たとえば「go to school」を和訳するときは、たんに「学校に行く」などと訳すのがいい。 へたに、「学校に到着しようとして、出発して通学している」などと和訳すると、採点者から「進行形と混同してるのか?」などと誤解されて、減点をされるだろう。 == 動名詞から不定詞の書き換え == 動名詞をつかった文は、ほとんどの場合、 不定詞の名詞的用法の文章に書き換えることができる。たとえば、 : I like playing tennis. 私はテニスをすることが好きです。 : I like to play tennis. 私はテニスをすることが好きです。 は、両方の文とも、正しい文である。 ただし、want や finish など、いちぶの動詞では、例外がある。 * want < want to be 〜>で、「〜になりたい」という慣用表現になってるので、そのまま覚えよう。いっぽう、 want being (×)とは言わない。 たとえば、 :I want to be a doctor. 私は、お医者さんになりたい。 は文法的に正しい文である。 しかし、いっぽう、 :I want being a doctor. (△、×) とは、言わない。あまり want being とは言わない。テストで I want being 〜 とか書いたら、減点される場合もあるだろう。 * finish 何かを終えた場合は、動名詞をつかって、 :finish eating とか :finish playing とかのように、言う。 いっぽう、 finish to eat(×)とか finish to play (×)とかは、まちがい。 (※ 範囲外: )逆パターンで、不定詞から動名詞の書き換えは、かならずしもそうではない。start to ~ 「~し始める」や begin to ~ 「~し始める」は、意味的に、ほぼ確実に、不定詞の未来用法になる。これを start ~ing や begin ~ing と言い変えても構わない。ただし、対義語の stop はそうではない。このように、不定詞から動名詞の書き換えは、あまり規則的ではないので、中学レベルでは、深入りの必要は無い。高校の範囲。 === 不定詞の例題文 === * 本文 A: I [[wikt:want|want]] [[wikt:to|to]] [[wikt:take|take]] this suit of [[wikt:clothes|clothes]]. B: I [[wikt:think|think]] that is a [[wikt:bit|bit]] [[wikt:expensive|expensive]]. [[wikt:why|Why]] do you like this? A: [[wikt:because|Because]] it is [[wikt:cute|cute]] and [[wikt:elegant|elegant]]. B: I think this is the one to [[wikt:buy|buy]]. A: I think that is [[wikt:simply|simply]] [[wikt:bad|bad]]. The [[wikt:color|color]] of that is not good at [[wikt:all|all]]. B: Well, you have [[wikt:time|time]]. [[wikt:but|But]] [[wikt:if|if]] you don't take this, I want to buy [[wikt:nothing|nothing]] [[wikt:for|for]] you. * この課の単語 # take(動詞): # suit(名詞): # clothes(名詞): # think(動詞):思う # bit(名詞): # expensive(形容詞):高価な、高価である # why(副詞):なぜ # because(接続詞):なぜならば # cute(形容詞): # elegant(形容詞):優雅(ゆうが)な # buy(動詞):買う # simply(副詞): # bad(形容詞):よくない # color(名詞):色 # all(副詞):すべて # time(名詞):時間 # but(接続詞):しかし # if(接続詞):もし # nothing(名詞):〜ない。 # for(前置詞): * 文法 ''to+動詞の原形''で書かれる語を、不定詞(ふていし)と呼ぶ。上の文章中では I want to take this suit of clothes. I think this is the one to buy. の2つの文章中で不定詞が用いられている。他に最後の文でも不定詞が用いられているがその不定詞の用法は上の不定詞の用法と同じであるので繰り返さない。上の文で I want to take this suit of clothes. の中では''選ぶことを欲する''という意味で取ることができるので、to take は文章の中でwantの目的語の働きをしている。目的語になるのは名詞の働きであるので、不定詞の名詞的用法と呼ばれている。一般に多くの名詞的用法の不定詞は''〜すること''のように訳されることが多い。目的語になる他、不定詞の名詞的用法は文章中で主語になることも出来る。 一方、上の文のうち I think this is the one to buy. の方では''買うべきもの(服)''のように服を修飾していることからto buy がoneにかかる形容詞として用いられていることが分かる。この様な用法を不定詞の形容詞的用法と呼ぶ。一般に不定詞の形容詞的用法にはいくつかの意味がある。代表的な例として使われ方を表わす用法や義務を表す用法がある。例えば、 the TV to [[wikt:watch|watch]] (見るためのテレビ) などは対応する名詞の使われ方を表わす用法の例であり、 the dish to wash (洗うべき皿) [[wikt:homework|homework]] to [[wikt:submit|submit]] (提出するべき宿題) などは対応する名詞に対してするべき事を表す用法である。より詳しい使い分けは高等学校の範囲である。 次に疑問詞を用いた疑問文について説明する。上の文章では Why do you like this? の内でwhyという語は疑問詞と呼ばれる語の1つである。疑問詞は ''何を''、''なぜ''、''いつ''、''どこ''のように答えにyes,noではなく何らかの情報のある語を必要とする語のことである。このような語を用いるときには必ず疑問詞を文頭に持って来てそれ以外の語を通常の疑問文の語順に並べることで文を作ることが出来る。また、疑問詞は通常疑問文にしか用いられない。 ( * 注意 最も口語的には平叙文の語順で対応する部分だけを疑問詞に置き換えることで実質的な疑問文を作ることも行われるようである。) 動詞の種類は一般動詞であってもbe動詞であっても疑問文の語順に変化は現われない。 == 疑問詞 == よく用いられる疑問詞には what:何を why:なぜ [[wikt:when|when]]:いつ [[wikt:where|where]]:どこで [[wikt:which|which]]: どちらが [[wikt:how|how]]:どのように などがある。また、疑問詞と他の語をつなげて慣用的な意味を持たせた表現も存在する。この様な表現では疑問詞と他の語の組み合わせを1つの疑問詞と思って文を作ればよい。代表的な例として、 what time: 何時に how much: いくらで(値段を聞くとき) などがある。例えば、 What time is it (now)? How much is it? などが慣用的によく用いられる。また、特にhowについてはそれを形容詞と組み合わせることで''どれくらい〜か''という様な疑問詞を作ることが出来る。代表的な例は、 how long: どのくらい長く〜か how fast: どのくらい速く〜か how deep: どのくらい深く〜か などがある。疑問詞を用いた疑問文では、その文が疑問文であるにもかかわらず、最後の強勢は下げることが知られている。 次に上の文章中で、 I think this is the one to buy. の文について説明する。この文の主語はIであり、述語はthinkである。しかし、この文には更にもう1組thisとisという主語述語の組が含まれている。なお、このように主語と述語の組が複数含まれている文を複文(ふくぶん)という。いっぽう、主語と述語が1組だけ含まれている文を単文(たんぶん)と呼ぶ。 上の例では接続詞としてthatが用いられている。そのため、上の文は文法的には I think that this is the one to buy. と等しい。しかし実際には多くの場合thatは省略されるので、上ではthatを書いていない。ここで接続詞thatは、日本語でいう''〜ということ''に対応する 意味を持つ。つまりこの文章は''〜ということを思う''という様に訳せばよい。ここで、that以下の文はthinkの目的語となっていることからthat以下の文全体が名詞として働いていることが分かる。一般に文中の主語や述語以外の成分で主語と述語を含んでいる文の成分を[[w:節|節]]と呼ぶ。この用語を用いて、 ここで使われた接続詞thatの用法は''that節の名詞的用法''と呼ばれる。 他によく使われる接続詞として and: そして but: しかし [[wikt:before|before]]: 〜の前に [[wikt:after|after]]: 〜の後に because: 〜だから [[wikt:since|since]]: 〜だから when: 〜のときに if: もし〜としたら などがあげられる。 == 「なぜ」と「なぜならば」 == === 接続詞 because === '''「(なぜなら)~だから」'''と原因・理由などを表す接続詞には、'''because'''(ビコーズ)が使える。 * I was hungry <span style="color:green">'''because'''</span> I went swimming.(私は泳ぎに行った<span style="color:green">'''から'''</span>おなかがすいていた。) * becauseは、「なぜならば」の意味で文と文を結んだり、あるいは Why ~? に対する答えの文で用いられる。 == 比較表現 == === 比較級 === * This pencil is <span style="color:green">'''longer than'''</span> that one.(この鉛筆はあの鉛筆<span style="color:green">'''より長い'''</span>。) than は「ザン」と読み、「than 〜」 は「〜よりも」の意味になる。 2つのものを比べて'''「AはBより~だ」'''は'''〈A is + 比較級 + than B〉'''で表す。 比較級をつくるには、その形容詞・副詞の語尾に'''er(r)'''をつける。 :long→long<span style="color:green">'''er'''</span>,large→large<span style="color:green">'''r'''</span> :Bob is taller than Tom. (ボブ イズ トーラー ザン トム)ボブはトムよりも背が高い。 副詞にも比較変化があり、変化のしかたは形容詞と同じ。 :I can run <span style="color:green">'''faster than'''</span> Tom.(私はトム<span style="color:green">'''より速く'''</span>走れます。) * 「BよりもAのほうが好きだ」 たとえば「B'''よりも'''Aのほうが'''好きだ'''」は、「'''like''' A '''better than''' B」で表す。 better(ベター)は、副詞 well の'''比較級'''(ひかくきゅう)である。 I <span style="color:green">'''like'''</span> tennis <span style="color:green">'''better than'''</span> baseball.(私は野球<span style="color:green">'''より'''</span>テニス<span style="color:green">'''が好きです'''</span>。) * more 〜 の形になる比較級 :beautiful→<span style="color:green">'''more'''</span> beautiful,famous→<span style="color:green">'''more'''</span> famous 長い単語など、いくつかの単語の比較級では、 「more ○○ than ・・・」になる。more は「モア」と読む。 :This book is interesting. この本はおもしろい。 :This book is <span style="color:green">'''more interesting'''</span> than that one. (ディスブックイズ モア インタレスティング ザン ザットブック)この本はあの本より<span style="color:green">'''おもしろい'''</span>。 どの形容詞・副詞が more ◯◯ than 〜形式の比較級になるかは、おぼえる必要がある。検定教科書の巻末付録などに書いてあるので、書きとり練習で覚えよう。 * 不規則な変化 good や many などは、不規則な変化をする。 good の比較級は better (ベター) である。 :Which do you like better,dogs or cats? イヌのネコ、どっちが好き? === 最上級 === * Mt. Fuji is <span style="color:green">'''the highest'''</span> mountain in Japan.(富士山は日本で<span style="color:green">'''最も高い'''</span>山です。) 3つ以上のものを比べて「一番、~だ」「もっとも 〜だ」というときは、最上級を使って'''〈A is the + 最上級 + in〔of〕 ~〉'''で表す。'''最上級のあとに名詞'''がつくこともある。 最上級をつくるには、その形容詞・副詞の語尾に'''est(st)'''をつける。 :long→long<span style="color:green">'''est'''</span>,large→large<span style="color:green">'''st'''</span> 副詞にも形容詞と同様に比較級、最上級があり、変化のしかたは形容詞と同じ。 :I can run <span style="color:green">'''the fastest'''</span> in my class.(私はクラスで<span style="color:green">'''一番速く'''</span>走れます。) :Bob can run fast in my class. ボブは、私のクラスで、一番速く走れます。 * most ~の形になる形容詞・副詞 つづりの長い形容詞など、いくつかの単語の最上級は'''〈the most + 形容詞の原級〉'''の形になる。「原級」とは、形容詞のもとの形 のこと。 :Mt.Fuji is <span style="color:green">'''the most famous'''</span> mountain in Japan. 富士山は日本で<span style="color:green">'''最も有名な'''</span>山です。 most になる単語 :beautiful→<span style="color:green">'''most'''</span> beautiful,famous→<span style="color:green">'''most'''</span> famous * 「(主語)は、Aが一番好きだ」 「Aが'''一番好きだ'''」は'''like''' A '''the best'''で表す。 best は、副詞 well の'''最上級'''(さいじょうきゅう)である。 I <span style="color:green">'''like'''</span> tennis <span style="color:green">'''the best'''</span>.(私はテニスが<span style="color:green">'''一番好きです'''</span>。) === 原級、比較級、最上級の表 === 以下の変化パターンがある。 :・ そのまま ーer,ーestをつけるもの : new ー newer ー newest :・ 原級の語尾がeで終わるのでーr,ーst : large ー larger ー largest :・ 語尾のyをiに変えてーer,ーest : happy - happier - happiest :・ 子音を重ねてーer,ーest : big - bigger -biggest :・ more,most をつけるもの : famous - more famous - most famous :・ 不規則変化 : good -better - best 下記の表に、比較級、最上級のうち、初歩的なものを抜粋した。他の形容詞、副詞の最上級については、くわしくは、[[中学校英語/形容詞・副詞の比較変化 2年]]を参照のこと。 {| class="wikitable" |+ ーer,ーestをつけるもの ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | new ニュー || newer || the newest || 新しい |- | old オウルド || older || the oldest || 古い、年をとった、 |- | young ヤング || younger || the youngest || 若い |- | small || smaller || the smallest || 小さい |- | long || longer || the longest || 長い |- | high || higher || the highest || 高い |- | tall || taller || the tallest || 背が高い |- | short || shorter || the shortest || 短い |- |} {| class="wikitable" |+ 原形の語尾がeで終わるのでーr,ーst ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | large || larger || the largest || 大きい |- | nice || nicer || the nicest || すばらしい |- |} {| class="wikitable" |+ 語尾のyをiに変えてーer,ーest ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | happy || happier || the happiest || しあわせな |- | easy || easier || the easiest || 簡単な |- | early || earlier || the earliest || 早く (※ 副詞) |- |} {| class="wikitable" |+ 子音を重ねてーer,ーest ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | big || bigger || the biggest || 大きい |- | hot || hotter || the hottest || 熱い |- |} {| class="wikitable" |+ more、mostをつけるもの ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | famous || more famous || the most famous || 有名な |- | popular || more popular || the most popular || 人気のある |- | beautiful || more beautiful || the most beautiful || 美しい |- | important インポータント || more important || the most important || 重要な |- | difficult ディフィカルト || more difficult || the most difficult || 難しい |- |} {| class="wikitable" |+ 不規則変化の形容詞・副詞 ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | good || better || the best || よい |- | well || better || the best || うまく(※副詞) |- | bad || worse || the worst || わるい |- |} === as ~ as ... === AとBを比べて '''「同じくらい~だ」''' は <'''A is as 〜 as B.'''> で表す。 <as 〜 as> の「〜」の部分は、形容詞または副詞の、原形がくる。 例文 This dog is big.(この犬は大きい。) This dog is <span style="color:green">'''as big as'''</span> that one.(この犬はあの犬と<span style="color:green">'''同じくらい大きい'''</span>。) Bob is as tall as Tom. ボブはトムと同じくらいの背の高さです。 I am as tall as my mother. 私は、母と同じくらいの背の高さです。 Bob is as tall as him. ボブは、彼と同じくらいの背の高さです。 He is as old as me. 彼は私と同じくらいの年齢です。 「彼と同じくらい」「私と同じくらい」のように、人称代名詞を使う場合、 him や me などのような形になることに注意。 < is not as 〜 as ・・・> で、「・・・ほどは、〜ではない」の意味になる。 Bob is not as tall as Tom. ボブは、トムほど背が高くない。 Bob is not as tall as his father. ボブは、彼の父ほどは背が高くない。 == 受け身 == === 〜されています。(受け身の肯定文) === :English is used in many countries. (イングリッシュ イズ ユーズド イン メニー カントリーズ) 英語は、多くの国で使われています。 <主語 + be動詞 + 動詞の'''過去分詞'''>で、「〜が・・・されている」の意味になります。「'''過去分詞'''」は「かこぶんし」と読みます。 このような<主語 + be動詞 + 動詞の過去分詞>「〜が・・・されている」の表現を、「'''受け身'''」(うけみ)または「'''受動態'''」(じゅどうたい)といいます。 be動詞のあとにつづくのは、けっして過去形(×)ではなく、過去分詞形です。 {| class="wikitable" style="left" |+ 規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 |- | like || liked || liked |- | use || used || used |- |} 過去分詞は、規則動詞の場合は、過去形と同じ形である。だが、不規則動詞の場合は、そうとは、かぎらない。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 |- | see シー || saw ソウ || seen シーン |- | come カム || came ケイム || come カム |- | write ライト || wrote ロウト || written リトゥン |- | make メイク || made メイド || made メイド |- |} :The car is made in Japan. (ザ カー イズ メイド イン ジャパン) その車は、日本で作られました。 :Botchan was written by Natume Soseki. (ボッチャン ワズ リトゥン バイ ナツメ ソウセキ) 『坊ちゃん』は夏目漱石によって書かれました。 この『坊ちゃん』についての例文のように、受け身で過去にされた行為をあらわす場合は、be動詞を過去形にすれば済みます。 また、誰によって、その行為がされたかを表すには、 「by 〜」を使います。 例文 :The letter was written by Bob. その手紙はボブによって書かれました。 :The letter was written by her. その手紙は彼女によって書かれました。 :Kinkakuji was built in 1397. 金閣寺は1397年に建設されました。 :The picture was painted by Picasso. その絵はピカソによって描かれました。 :My bicycle was stolen. (マイ バイシクル ワズ ストールン) 私の自転車が盗まれました。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 !! 意味 |- | steal スティール || stole ストール || stolen ストールン || 盗む |- |} だれが盗んだかは分からないので、「by 〜」は書かれない。 * This room is cleaned every day.(この部屋は毎日掃除される。) * This room <span style="color:blue">'''was cleaned'''</span> yesterday.(この部屋は昨日<span style="color:blue">'''掃除された'''</span>。) === 受け身の疑問文と否定文 === :Is English used in this country? この国では、英語が使われていますか? ::ー Yes, it is. ::ー No, it isn't. :Is the car made in Japan? その車は、日本で作られたのですか? このように、受け身の疑問文は、be動詞を文の最初に置く。つまり、<Be動詞 + 主語 + 過去分詞 + 〜 ?> の形になる。 * 否定文 :Botchan was not written by Toyotomi Hideyoshi. 『坊ちゃん』は、豊臣秀吉によっては、書かれていません。 :This letter isn't written by her. この手紙は、 彼女によっては、書かれていません。 :The car is not made in Japan. その車は、日本では、つくられていません。 :English is not spoken in this country. この国では、英語は話されていません。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 !! 意味 |- | speak スピーク || spoke スポーク || spoken スポークン || (言語を)話す |- |} {{-}} *English is used in the United Nations.(英語は国際連合で使われている。) *<span style="color:blue">'''Is'''</span> French <span style="color:blue">'''used'''</span> in the United Nations?(フランス語は国際連合で<span style="color:blue">'''使われていますか'''</span>。) *Japanese <span style="color:blue">'''is not used'''</span> in the United Nations.(日本語は国際連合で<span style="color:blue">'''使われていません'''</span>。) ※ United Nations (ユナイテッド ネイションズ): 国際連合。 この United は、「合体した」「連合した」などの意味をあらわす、形容詞のようなもの。Nationとは、国家または民族のこと。 この united は、過去(×)の意味ではない。アメリカ合衆国「the United Nations of America 」の united と同じく、United Nations のunited は形容詞的な「合体した」「連合した」の意味。 === 「〜する」形から「〜されている」形への書き換え === *He closes his store at six.(彼は6時に店を閉める。) *His store <span style="color:blue">'''is closed'''</span> at six.(彼の店は6時に<span style="color:blue">'''閉められる'''</span>。) *My father uses this car.(私の父がこの車を使っている。) *This car <span style="color:blue">'''is used by'''</span> my father.(この車は私の父に<span style="color:blue">'''よって使われている'''</span>。) * 「〜する」形から受け身への書き換え # 「〜する」形の目的語を、受け身形では主語にする。 # 動詞部分は、受け身では'''〈be動詞+過去分詞〉'''に。 # 「〜する」形の主語を、<'''by '''+ 行為者 > の形にして文末などに置く。 == 文型 == === SVC === ==== 補語 ==== 文型 SVC は、「S は C だ」「S は C のようだ」のような意味になる。C は、Sの性質に関わる単語になる。Cを'''補語'''(ほご)という。 例文 * Tom is happy. トムはしあわせです。 :Tom = S、 :is = V、 :happy = C、 というように、対応している。 * She is a doctor. 彼女は医者です。 :She = S、 :is = V、 :a doctor = C、 と対応している。 Cの位置に、名詞がきても、かまわない。 このように、Cにくる品詞は一般的に、形容詞や名詞になることが多い。 例 :Tom is an American. トムはアメリカ人です。 (S=tom , V=is , C=an American,) ==== look,become ==== Vには、<look 〜>「〜に見える」や<become 〜>「〜になる」などの動詞がくる場合もある。 * look * Nancy <span style="color:green">'''looks'''</span> happy.(ナンシーはしあわせそうに<span style="color:green">'''見えます'''</span>。) She looks a doctor. 彼女は医者に見えます。 このように、「look 名詞」ときても、かまわない。 '''look'''は、あとに'''形容詞または名詞を補語'''にとって、SVCの文型で、「'''~に見える'''」の意味を表す。 * become He <span style="color:green">'''became'''</span> a teacher.(サムは先生です。彼は先生に<span style="color:green">'''なりました'''</span>。) '''become'''は、あとに補語をとって、「'''~になる'''」の意味を表す。becomeの補語 C は、形容詞または名詞になる。 === SVOO === 文型 SVO<sub>1</sub>O<sub>2</sub> は、「SはO<sub>1</sub>にO<sub>2</sub>をVする」の意味になる。 例文 * I gave him an apple. 私は彼に、リンゴを1個、あげた。 * He <span style="color:green">'''showed me'''</span> the picture.(彼は<span style="color:green">'''私に'''</span>その絵を<span style="color:green">'''見せた'''</span>。) * '''show'''は、'''「…(人)に」「~(物)を」'''の順に目的語を2つとる。 文型「SVOO」は、「SVO to O 」に変換できる場合が多い。(ただし動詞や文脈によっては to 以外の for(~のために)など別の前置詞のほうが適切な場合もある。) 例文 He showed the picture to me.(彼はその絵を私に見せた。) * '''lend'''(…に~を貸す)、'''tell'''(…に~を教える)、'''give'''(…に~を与える)も同じ文型。 == 現在完了形 == 現在の視点で過去の出来事を表す。'''have(has)+過去分詞'''で表し、継続、経験、完了、結果の4つの用法(使い方)がある。 === 継続 === * ずっと~している === 経験 === * ~したことがある === 完了 === * すでに~した * ちょうど~したところ === 結果=== * ~してしまった [[Category:中学校教育|えいこ2]] 2jokpvzi2nwsj2wey96wcp7ywuz8ijs 206527 206526 2022-08-13T03:34:39Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ wikitext text/x-wiki == be動詞の命令文 == be動詞の命令文は<'''Be 〜.'''>という形式になり、このように、動詞の原形で始まる。原形(げんけい)とは、もとの形である。 :<span style="color:green">'''Be'''</span> a good boy.(よい少年に<span style="color:green">'''なりなさい'''</span>。) 上記の英文は、意味の上では You must be a good boy.と同じ内容を表す。 Be(be,am,are,is)動詞では、「be」がもとの形であり、それ以外のamやareやisなどはbeが主語に合わせて変化したものである。amは原形'''ではない'''ので注意。 また、このように、原形が必ずしも 私「I」 のときの動詞の形とは、かぎらない。(とはいえ、命令文以外の多くの構文では、私「I」 のときの動詞の形と同じ場合が多い。なので、暗記の対象としては、例外的に私「I」のときの動詞が原形でない場合だけを覚えればいい。) 参考 ::You are a good boy.(あなたはよい少年です。) be動詞の否定の命令文は <Don't be 〜.> となる。 :<span style="color:green">'''Don't be'''</span> a bad boy.(悪い少年に<span style="color:green">'''なってはいけません'''</span>。) == be動詞の過去形 == === be動詞の過去形 === * be動詞の過去形について、 am,is の過去形は '''was''' になる。 are の過去形は '''were''' になる。 例文 * I am busy today. I <span style="color:green">'''was'''</span> busy yesterday.(私は今日忙しい。私は昨日忙し<span style="color:green">'''かった'''</span>。) * You are busy today. You <span style="color:green">'''were'''</span> busy yesterday.(あなたは今日忙しい。あなたは昨日忙し<span style="color:green">'''かった'''</span>。) === be動詞の過去の疑問文・否定文 === 例文 * He was busy.(彼は忙しかった。) * <span style="color:green">'''Was'''</span> he busy?(彼は忙し<span style="color:green">'''かったですか'''</span>。) * He <span style="color:green">'''was not'''</span> busy.(彼は忙しく<span style="color:green">'''なかった'''</span>。) * be動詞の過去の疑問文は、'''was, wereを主語の前に'''出し、Yes,~ was(were).かNo,~ was(were) notで答える。 * be動詞の過去の否定文は、'''was, wereのあとにnot'''を入れる。短縮形は'''wasn't, weren't'''となる。 == 感情をあらわす形容詞 == 感情をあらわす形容詞の中には、 :興奮した excited (エキサイテド) :おどろいた surprised (サプライズド) のように、ed が語尾につくものがあります。 しかし、いっぱんに、これらの感情をあらわす 〜ed の語は、形容詞として扱います。受け身としては、扱わないのが、日本での英語教育では普通です。 いっぽう、感情を引き起すもの(出来事や書籍や映像など)については、 :This movie is exciting. この映画、とっても面白いよ。 とか、 :This is surprising. (これは、びっくりすることだ) とかのように、〜ing の形になります。 語形的には、surprised は過去形 -ed と同じ形だし、surprising は進行形と同じ形ですが、しかし、surprised も surprising も形容詞として扱う(あつかう)のが普通です。 excited や exciting など、ほかの感情を表す語でも同様に、形容詞としてあつかうのが一般的。 == 天気 == 「晴れ」は英語で sunny (サニー)です。 太陽が英語で sun (サン)です。晴れの日には、太陽が見えるから、 sunny というわけです。 「今日は晴れです。」は英語で It is sunny today. (イット イズ サニー トゥデイ) と書きます。 このように、 It が形式的な主語になります。文法用語で、このような It の用法を「形式主語」などと言います。 日本語を和訳するとき、 It に当たる「それ」などの語は訳しません。入試などで、「それ」などの語をかくと、不正解になる場合があります。 「昨日は、晴れでしたよ」なら、 It was sunny yesterday. となります。 * 例題 たとえば、「(天気が)雨」は英語で、rainy (レイニー)です。「雨が降る」は英語で rain (レイン)です。レインコート raincoat のレインと同じです。 It is rainy today. (イット イズ レイニー トゥデイ) を和訳してみましょう。 * 例題のこたえ 「今日は、雨です。」などが、 「It is rainy today. 」の和訳になります。 参考 :くもり cloudy :雲(くも) cloud なお、「天気」は英語で weather (ウェザー)です。 気温の温暖・寒冷についても、 今日は暖かい(あたたかい) → It is warm today.(イット イズ ウォーム トゥデイ) 今日は暑い(あつい) → It is hot today.(イット イズ ホット トゥデイ) 今日はすずしい → It is cool today.(イット イズ クール トゥデイ) 今日は寒い、冷たい → It is cold today.(イット イズ コールド トゥデイ) warm と cool は、比較的、すごしやすい気候の場合です。いっぽう、 hot と warm は、比較的、きびしい気候です。 たとえば、真夏の炎天下などには、 hot を使うといいでしょう。冬の雪(snow スノウ)の日などには、cold を使うといいでしょう。 春ごろや秋ごろの気候で、 warm や cool を用いる事が多いでしょう。 == 過去進行形 == また、「 was 〜 ing 」「were 〜 ing」のようなのを過去進行形(かこ しんこうけい)といい、その名の通り、過去に進行中だった事を表現するのに過去進行形を使う場合があります。 例文 * When my father came home, I was watching TV. (父が帰ってきた時、私はテレビを見ていました。) * I was watching TV. (テレビを見ていました。) * We was waking along the river at that time. (そのとき、わたしは川沿いを歩いてました。) * I am studying Math at ten o'clock this morning. (今朝の10時、数学を勉強してました。) などになります。 疑問文は、 Were you walking along the river at that time? あなたはそのとき、川ぞいを歩いていましたか? What were you doing last night? (ホワット ワーユー ドゥーイング ラストナイト) 昨日の晩、なにをしてましたか? What were you doing at that time? (ホワット ワーユー ドゥーイング アットザットタイム) そのとき、あなたは何をしてましたか? のようになります。 疑問への回答は、「Were you 〜?」で聞かれたなら、 Yes, I was. No, I wasn't. のようになります。 「What ware you 〜ing 〜?」で聞かれたなら、たとえば、 :What were you doing at nine o'clock last night? (昨日の晩の9時、何をしてた?) と聞かれたら、 返事は、たとえば I was reading a book. (本を読んでいたよ。) I was watching TV. (テレビを見ていたよ。) I was sleeping. (寝てたよ。) I was taking a bath. (お風呂に入っていたよ。) I was studying. (勉強中だったよ。) などのようになります。 返事では、いちいち at 〜 o'clock とか、last night とか、くりかえしません。 どうしても時間を強調したい場合は、 at that time (アット ザット タイム)(意味:そのときには)などの語句をおぎなうとよいでしょう。 I was reading a book at that time. (そのときなら、本を読んでいたよ。) I was watching TV at that time. (そのときなら、テレビを見ていたよ。) I was sleeping at that time. (そのときなら、寝てたよ。) I was taking a bath at that time. (そのときなら、お風呂に入っていたよ。) I was studying at that time. (そのときなら、勉強中だったよ。) == 前置詞: along == He is walking along the river.(ヒー イズ ウォーキング アロング ザ リバー) 彼は、川ぞいを歩いています。 「along 〜」(アロング)で、「〜にそって」の意味があります。 もしトムが「ボブといっしょに、川沿いを歩いていたよ」と言うとしたら、 I was walking along the river with Bob. のように、言うことになります。 with(ウィズ) で「〜といっしょに」の意味があります。 == 前置詞 : during 〜 == 「春休み中、どうしてた?」を英語で聞くと、 What did you do during spring vacation? (ホワット ディド ユー ドゥー デュアリング スプリング・バケーション) になります 「during 〜」(デュアリング) で、「〜の最中に」「〜中に」の意味があります。 返答で、(春休み中なら、)「ハワイ(Hawaii)に行ってた」と答えるなら、 I went to Hawaii. となります。 ちなみに、ハワイのお土産(おみやげ、英:Souvenir (※ 範囲外?))でよくある品物は、アロハ・シャツ(aloha shirt)や、マカデミア・ナッツ(macadamia nuts)などです。 「aloha」(アロハ)は、ハワイ語で「こんにちは」にあたる挨拶の言葉ですが、「愛」を意味する単語でもあります。 == 過去形: いつ〜したか == 「留学生の女の子が、わたしたちの通う日本の学校にやってきた。」というようなシチュエーションだとしましょう。 * 例文 もし彼女が自己紹介で、「私達は、去年、日本に来ました。」と言うとしたら、 We came to Japan last year. になります。 この表現では、前置詞はつけません。英米の習慣的にそうなってるので、おぼえてください。 時間を表す時には、時間に at や in など前置詞をつけない場合があります。 * ago (アゴー) もし彼女が自己紹介で、「私達は、4週間前に、日本に来ました。」と言うとしたら、 We came to Japan four weeks ago. ago は、期間について「〜前」にという意味です。期間以外のものの前後については、ago は使えません。たとえば、 * ago と before の、ちがい なお、「食べる前に、手を洗え。」というのには、ago は使えません。「何かをする前に、べつの何かをする」というような場合の「前」を表現するには before (ビフォア)を使います。 ちなみに「食べる前に、手を洗え。」を英語で言うとしたら、たとえば Before eating, wash your hands. (ビフォア イーティング、ウォッシュ ユア ハンド) のようになるでしょう。 before は、出来事の前後関係での「あと」という意味です。 「手をあらったあとに、食べていい」なら、たとえば After washing your hands, you can eat. (アフター ウォッシング ユア ハンド、ユーキャン イート) のようになるでしょう。 after (アフター)は、出来事の前後関係での「あと」という意味です。つまり、 before と after とは、反対どうしの意味です。 == 〜したとき、 == When 〜 で、「〜したとき、」の意味をもつ接続詞になる。 つまり、 when には、「いつ、〜?」疑問詞の用法のほかにも、「〜したとき」という接続詞の意味もある。 例文 * <span style="color:green">'''When'''</span> I came home, my sister was watching TV.(私が帰宅した<span style="color:green">'''とき'''</span>、姉/妹はテレビを見ていた。) * whenの節は、'''主節のあと'''にも来れる。 例文 :My sister was watching TV <span style="color:green">'''when'''</span> I came home. == 助動詞 == === 未来をあらわす === ==== 未来をあらわす助動詞(will) ==== 助動詞 will (ウィル)を用いて、未来のことを表現できる。<'''will + 〜(動詞の原形)''' >で、 '''「~するでしょう、~する予定だ」''' の意味。 動詞は原形になることに注意。原形とはもとの形のこと。具体的には、主語が三人称単数ならば助動詞の文章では、動詞の語尾にはsまたはesなどのない形になっているはずである。 He <span style="color:green">'''will play'''</span> tennis tomorrow. 彼は、明日、テニスを<span style="color:green">'''するでしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy tomorrow. 私は、明日、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy next Friday. 私は、次の金曜日は、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 I <span style="color:green">'''will be'''</span> busy next week. 私は、来週は、忙しい<span style="color:green">'''でしょう'''</span>。 It will be rainy tomorrow. 明日は雨が降るでしょう。 It will be hot tomorrow. 明日は暑くなるでしょう。 It will be sunny tomorrow. 明日は晴れるでしょう。 I will go to Canada. 私はカナダに行く予定だ。 He will come at four. 彼は4時に来るでしょう。 Tomorrow, it will be rainy. 明日は雨が降るでしょう。 Tomorrow, it will be sunny all day. 明日は一日中、晴れるでしょう。 Tomorrow, it will be hot. 明日は暑くなるでしょう。 * 短縮形: ::I will → I'll ::you will → you'll , ::he will → he'll など。 ::will not → won't 参考: He plays tennis every day. 彼は毎日テニスをします。 I will go shopping. 買い物に行く予定です。 ※ shopping は名詞である。よって、助動詞があっても、shopping の形はそのまま。 I will do my homework. 私は宿題をするでしょう/するつもりです/する予定です。 < I will 〜 >のように、自分(I)について will をつかうと、自分の予定や、自分の意志を伝える表現になる。 (※範囲外: )なお、ウィンドウ・ショッピングも window-shopping で通じる<ref>高等学校外国語科用『SELECT English Conversation』、三省堂、2012年3月1日 文部科学省検定済、2022年3月30日10刷発行、P15</ref>。 ※ 過去形では、たとえば look が looked になったりと動詞が変化したりのように動詞には「過去形」というのがあるが、しかし動詞に「未来形」というのは無い。 英語学に「未来時制」(みらいじせい)という考え方はあるが、それは上述の助動詞 will などのことである。動詞の変化との混同を嫌ってか「未来形」とはあまり言わずに、willなどのことを「未来表現」などと言う場合も多い。 基本的に、英語で動詞の時間を表す場合は、現在か過去か未来かの3つのうちのどれかか、それらいずれかの進行形(現在進行形か過去進行形か未来進行形)や完了形(現在完了や過去完了や未来完了)だけである。「完了形」を中学2年では習っていないかもしれないが、とにかく時間については英語では、現在・過去・未来の3つのうちのどれかしか存在しない。 よって、現在・過去・未来のほかの時間については、気にする必要は無い。 {{コラム|(※ 中学の範囲外) 助動詞と確信度| will を未来の「時制」のようなものと考える上述の見方とは別に、willを確信度の比較的に高い見通しである、と解釈する流儀もある。will には、未来予測の用法とは別に、現在の習慣または過去の習慣をあらわす用法や、意思をあらわす用法もあるから、である。また、遠く離れた場所について「今ごろは~だろう」などと予想する場合も will を使います<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P112、</ref>。また、未来のことであっても、話し手にあまり確実性の自信の無い場合は、will ではなく may など別の助動詞を使います。 上述のように will は比較的に確信度が高いし、一方で may は確信度が低い、または控えめな言い回しが may なので、とくに確信が高いわけでも低いわけでもないが、しかし断言ではない場合で あくまで予測や推測であることを言いたい場合、どうすれば良いかというと、単に I think that ~ 「私は~だと思います」などの簡単な言い回しで良い<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P47、</ref>。ここでの that は「~ということ」という意味の接続詞。 }} ==== 今夜や今晩は、未来か ==== 今夜や今晩や、その日の未来について場合や、数時間後について言う場合、will など未来形をつかうのが普通です。 例文 :It will be sunny in Tokyo tonight. 東京は今晩、晴れるでしょう。 tonight は「トゥナイト」と読む。tonight の意味は「今夜」、「今晩」などの意味。 「もうすぐ」(副詞:soon 、スーン)や、数分後についてすら、will をつかう場合があります。 たとえば、 「もうすぐ、彼は来るでしょう。」なら、 We will come soon. (ヒー ウィル カム スーン) です。 ==== willの疑問文 ==== 例文 Will it be hot tomorrow? 明日は雨が降るでしょうか? ー Yes, it will. (イエス、イット ウィル) はい、降るでしょう。 ー No, it will not. (ノー、 イット ウィル ノット) いいえ、降らないでしょう。 このように、 willの疑問文は、'''willを主語の前に'''出す。 返答は、「はい」なら Yes,~ will. で答え、 「いいえ」なら No,~ will not. あるいは No ~ won't. (ウォント) で答える。 「won't」は「ウォント」と読む。won't は will not の省略形。 例文 Will it be sunny on Sunday? 日曜日は晴れるかな? ー Yes, it will. はい、晴れるでしょう。 ー No, it will not. いいえ、晴れないでしょう。 (※ 範囲外 :)検定教科書では明言されてない文法規則だが、ひとつの文節中に、「助動詞はひとつまで」という規則がある。 そして、will も do も does も助動詞である。なので、will をつかった文では、絶対に do や does を使わない。なので、未来の動作をたずねる疑問文でも、冒頭には do や does は絶対に出てこない。疑問文の冒頭の Do や Does は助動詞である、と覚えれば、暗記の負担が軽減される。 ある動詞が助動詞かどうかを判別する大まかな方法は(be動詞などのように例外も多少あるかもしれないが)、否定形があるかどうか、である。will の否定形は will not や won't が存在する。do の否定形は do not や否定の短縮形 don't が存在する。 しかし eat や look など一般の動詞には、否定形やその否定の短縮形が存在しない。 ある動詞が、be 動詞でもないのに、その動詞に専用の否定形が存在していれば、それはおおむね助動詞であろう。 ==== be going to 〜 ==== be going to 〜 でも、未来をあらわせる。'''be(am,are,is) going to + 動詞の原形'''は'''「~するつもりだ、~する予定だ」'''の意味の熟語。 be going to は助動詞ではないが、will とまとめて勉強したほうが効率なので、助動詞の節で紹介する。検定教科書や参考書でも、will といっしょに紹介される。 例文 I am going to visit Tom's house tomorrow. 明日はトムの家に遊びに行く予定です。 I <span style="color:green">'''am going to play'''</span> tennis this afternoon.(私は今日の午後テニスを<span style="color:green">'''するつもりです'''</span>。) 予定をあらわすときに be going to を使う場合があるがwill との区別は明確で、be going to は既に決まっていた予定を、will はそれまでは未定でその場で確定した予定を表す。なので、たがいに交換可能'''ではない'''。 <!-- am は、略さない。つまり、I'm going to (×)とかにはしない。 根拠不明 --> 例文 I am going to visit Yokohama tomorrow. 私はあした、横浜に行く予定だ。 I am going to go to school. 私はあした、学校に行く予定だ。 この< going to go to 〜>のように、どこかに行く予定の場合なら、goを二回つかっても、構わない。 * 天気との組み合わせ 「雨が、ふりそうです。」は英語で、 It is going to rain. と書ける。 It は形式的な主語であり、和訳のさいは、itを「それ」とは訳さない。 ここでの「 to rain 」の rain は動詞で、「雨が降る」の意味。 * be going to ~ の疑問文 You are going to watch TV.(あなたはテレビを見るつもりです。) <span style="color:green">'''Are'''</span> you <span style="color:green">'''going to'''</span> watch TV?(あなたはテレビを見る<span style="color:green">'''つもりですか'''</span>。) be going to ~ の疑問文は、'''be動詞を主語の前に'''出す。答え方は、普通のbe動詞の文の場合と同様、be動詞を使って答える。 === Will を使った慣用表現 === <'''Will you ~?'''>は、依頼'''「~してくれませんか」'''の意味でも使われる場合もある。 <span style="color:green">'''Will you'''</span> help me?(私を手伝って<span style="color:green">'''くれませんか'''</span>。) 「Help me, please.」(私を手伝ってください。)というよりも 「<span style="color:green">'''Will you'''</span> help me?」 のほうが、すこしばかり、丁寧な言い方になる。 Will you open your bag? (あなたのかばんを開けてくれませんか。) Will you open the door? (ドアを開けてくれませんか。) もちろん、文章によっては「あなたは、(未来に)~するでしょうか」の意味で「Will you 〜?」が使われる場合もあるので、依頼か未来か、どちらの意味で使われてるかは、文脈から判断すること。 == 天気の表現 == * and 「あしたは晴れて、暑くなるでしょう。」なら、 :It will be sunny and hot tomorrow. となる。 このように、天気や気温についても、接続詞 and が使える。 * 進行形との組み合わせ :It is raining. 雨が降っています。 :It is snowing. 雪が降っています。 * 前置詞との組み合わせ 「東京は、あした、晴れるでしょう」なら、 :It will be sunny in Tokyo tomorrow. となる。ふつうに、場所を表す前置詞 in をつかって、 in Tokyo のように、場所を追加すれば済む。 * 今夜 tonight なら未来形 :It will be sunny in Tokyo tonight. 東京は今晩、晴れるでしょう。 tonight は「トゥナイト」と読む。tonight の意味は「今夜」、「今晩」などの意味。 :It will snow tonight. 今夜、雪が降るでしょう。 助動詞 will がつくので、動詞は、原形になる(is → be 、rains → rain など)ことを忘れないように。 * 過去形 was :It was sunny yesterday. きのうは晴れでした。 天気や気温について、過去のことをいいたいなら、be動詞を過去形にすれば済む。つまり、is の過去形 was を使う。 * 過去形の否定 :It was not sunny yesterday. きのうは晴れではありませんでした。 * 日付け、曜日を指定した表現 Will it be sunny on Sunday? 日曜日は晴れるかな? == もし〜なら: if == 「もし〜なら」を表すには、接続詞 if (イフ)を使います。 :If you are interested , please call us. もしあなたが興味がごありなら、私達に電話してください。 :If it is fine tomorrow, we will play softball. (イフ イット イズ ファイン トゥモロウ, ウィー ウィル プレイ ソフトボール) もし明日が晴れなら、私達はソフトボールをする予定です。 なお、未来の予定のことを言う場合でも、if の節の中の動詞は現在形にする。 この場合、「If it is fine tomorrow,」の is が現在形であることに、注目。 「we will play 〜」は、if の外の節なので、この節は未来形になるので助動詞 will がある。 == 助動詞 == === 〜しなければならない === ==== 助動詞 must ==== '''「〜しなければならない」'''の意味を表すのには、助動詞 must が使える。 例文 Wash the dishes.(皿を洗いなさい。) You <span style="color:green">'''must'''</span> wash the dishes.(あなたは皿を洗わ<span style="color:green">'''なければならない'''</span>。) 「You must ~. 」は命令文とほぼ同じ内容を表す。 :・ 主語が三人称単数でも must の形は変わらない。mustに続く動詞も原形のままである。 「You must not ~.」 で文を始めると、'''「〜してはいけない」'''という否定文を作ることが出来る。 '''「〜しなければなりませんか」'''と尋ねる疑問文は、 Must I ~? で文を始める。 ※ must に過去形は無い。過去の義務について「しなければならなかった」と言いたい場合、後述の had to を使う。だから、そもそも、義務や強制の用法での must の正確な意味は「'''現在'''~しなければならない」というような現在の圧力がさしせまっているというような意味である<ref>大西泰斗 著『総合英語 FACTBOOK これからの英文法』、桐原書店、2022年1月20日 第2版 第1刷発行、P104、</ref>(普通の参考書にはそう書かれてないが)。must自体が現在の意味を含むので、過去について言いたい場合は had to など別の表現になるのは当然である。 ※ must not の短縮形は mustn't であり、なお発音は「マスント」である。 mustn't の最初の t は読まない。 ==== have to 〜 ==== '''「have to + 動詞の原形」'''で、'''「〜しなければならない」'''の意味を表す。主語が'''3人称単数'''のときは、'''has to ~'''となる。 例文 You <span style="color:green">'''have to'''</span> wash the dishes.(あなたは皿を洗わ<span style="color:green">'''なければならない'''</span>。) have to は、助動詞 '''must''' とほぼ同じ内容を表す。 :You <span style="color:green">'''have to'''</span> wash the dishes. = You <span style="color:green">'''must'''</span> wash the dishes. :have to ~の否定文'''don't have to ~'''は'''「〜するには及ばない、〜する必要がない」'''の意味になる。 :「〜しなければならなかった」と過去形になるときは、 had to ~ を使う。 {{コラム|否定形の覚え方| must と have to の意味が大体同じなのに、一方で must not とdon't have to の意味は違います。 これを覚えるのは一見すると大変そうですが、しかし not の位置の違いに注目すると、丸暗記しなくて済みます<ref>『ジーニアス総合英語 第2版』大修館書店、2022年4月1日発行、P135</ref>。 must の否定形 must not には、must の直後に not がついていますし、短縮する場合も mustn't のように must につけます。 一方、義務をあらわす have to の否定形のdon't have to には、haveにも to にも、notがついていません。not をつけるという構造ではなく、別途 don't をつけるという構造です。そして don't の意味は、単に「~ではない」という 弱い否定の意味です。 なので、don't have to は単に「~する義務がない」つまり「~する必要が無い」といった弱い意味になります。このように、答えは英文に書いてあります。 }} 未来のある時点に「~しなければならない」と言いたい場合、will must (×)とか must will (×)とかは言えない。 英文法の規則により、「ひとつの英文中には、助動詞はひとつまで」という規則がある。 どうしても、「来週には ~ しなければならない」とか言いたい場合、 will have to ~ で表現する。 このように、 have to は形式的には助動詞ではない、として分類される(意味的には実質的には助動詞であるが)。 同様に、未来の動作を意味する be going to ~ も、形式的には助動詞ではない。 中2のここまで習ったのをまとめると、 形式的に助動詞であると分類されるものは、 do/ does/ did will must can などである。 いっぽう、 be going to ~ (未来の動作を意味する) have to ~ (「しなければならない」を意味する) は、形式的には助動詞ではない、とみなされる。 助動詞2個以上の問題の回避策として be going to や have to を使う場合、細かいニュアンスのちがいは無視される。 have to よりも must のほうが意味合いが強いが、しかし助動詞2個問題では、そのような意味合いは無視されるのである。 be going to には will が対応する。 have to には must が対応する。 なお、中3~高校の範囲の単語だが、be able to ~ という表現が、can に対応する。 able はエイブルと読む。「能力」のことを ablity (アビリティ)というのだが、それと関連づけて覚えてもらいたい。また、「能力」の意味から分かるように、能力を強調するニュアンスがある。 しかし、そういうニュアンスも、助動詞2個問題を回避する場合には、ニュアンスの違いが無視される。 === その他の助動詞 === ==== 助動詞 may ==== <'''May I ~?'''>は'''「~してもいいですか」'''と許可を求めるときに用いる。mayはcan,willと同じく助動詞であとは動詞の原形。 :May I use your pen? あなたのペンを使ってもいいですか。 ※ ペンを借りたいときの慣用表現。「ペンを貸してください」と同じ意味。 <span style="color:green">'''May I'''</span> see your passport?(パスポートを見ても<span style="color:green">'''いいですか'''</span>。) May I ~? できかれたら、返事は、もし相手に「してもいい」と許可を出すなら(ペンを貸してもいい、パスポートを見せてもいい)、 :'''Sure.''' / '''Yes,of course.''' / '''Yes,please.''' などで答える。 Can I 〜 ? でも、「〜してもいいですか」の意味がある。 Can I see your passport? (パスポートを見せてください。) 「私はあなたのパスポートを見てもいいですか?」→「あなたのパスポートを見てもいい?」→「パスポートを見せてください」というわけである。 ==== Shall I 〜? ==== <'''Shall I ~?'''>は'''「~しましょうか」'''と相手の意向をたずねる。 <span style="color:green">'''Shall I'''</span> open my bag?(私のかばんを開け<span style="color:green">'''ましょうか'''</span>。) == 接続詞 or : または == 接続詞 「or」(オア) で、「または」「〜か、それとも〜か」の意味があります。 :Did you go here by bus or by train? (ディドユー ゴー ヒアー バイ バス オア バイ トレイン) あなたはこちらにバスで来ましたか、電車で来ましたか? なお、 by (バイ)は、手段を表す前置詞です。by の意味は、手段について「〜によって」の意味です。 他の例文も見てみましょう。 :Did you go here by walk or by bike? (ディドユー ゴー ヒアー バイ ウォーク オア バイ バイク) あなたはこちらに徒歩で来ましたか、それとも自転車で来ましたか? のようになります。 or の位置は、 並列する 2つのものの間で、使います。 3つ以上のものを並列するときは、たとえば、 :Did you go here by bus, by train or by plane? (ディドユー ゴー ヒアー バイ バス 、バイ トレイン オア バイ プレイン) あなたはこちらにバスで来ましたか、電車で来ましたか、それとも飛行機で? のようになります。 「by bus」 と「by train」のあいだに or がありませんが、それは省略したからです。いっぽう、「train」「plane」のあいだの「or」は、最後に並列されたものなので、省略できません。 つまり、さいごの「or」以外は省略できます。 「or」の省略について、「bus」「train」「plane」の語順を入れ替えた例文で、説明すると、つまり :Did you go here by train, by plain or by bus? このように、さいごの「or」は省略できません。しかし、さいご以外の or は、省略できます。 == よく使う熟語 == === Be born in 〜 : 〜で生まれる === 「私は日本で生まれました。」 I was born in Japan. (アイ ワズ ボーン イン ジャパン) この 「born in 〜」は「〜で産まれた」という意味の、熟語です。 この文での「born」は、形容詞のような働きをしています。 例文を見てみましょう。 I was born in Osaka. 私は大阪で生まれた。 She was born in Japan. 彼女は日本で生まれた。 John was born in USA. ジョンはアメリカで生まれた。 などのように、born in は使います。 === looking for to 〜: 探す === 「わたしは、この本を探しています」 I am looking for to this book. 「looking for」で「探している」という意味です。 * to の省略 「わたしは、彼を探しています」なら、 I am looking for him. ともなり、探すものが代名詞などで表現できる場合、himなどのように目的格をつかうことで to を省略する場合があります。(省略しなくても良い。) == 「~がある、~がいる」 == === 「There is 〜.」 === '''There is(are) ~.'''は'''「~がある、~がいる」'''の意味である。there の単語そのものの意味は「そちら」などの意味だが、この用法の場合は、there は訳さない。 <There is(was)〜 >.は、主語が単数のばあいに用いる。 いっぽう、<There are(were) ~.>は、主語が複数のばあいに用いる。 ;主語が単数の場合の例文 <There is 単数名詞>の形になる。 * <span style="color:green">'''There is'''</span> a pen on the desk.(机の上にペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) * There is a clock on the desk. 机の上に、時計があります。 * There is a TV in my room. 私の部屋には、テレビがあります。 * There is a clock on the wall. 壁の上に、時計があります。 どこにあるかの場所を説明したい場合、 「on the desk」とか、「in my room」とか、「on the wall」のように、前置詞を用いた句などを追加して、場所を説明する。 * There is a picture on the wall. 壁の上に、絵(写真)があります。 * There is a Chinese restaurant in this town. この街には、中華料理店があります。 * There is a Chinese restaurant near here. この近くに、中華料理店があります。 * There is a bookstore near Bob's house. ボブの家の近くに、書店があります。 * There are a boy under the tree. その木の下に、男の子が1人、いる。 「その木の下に」は、under the tree になる。 * There is an apple on the table. テーブルの上に、リンゴが1個、あります。 apple の冠詞を an にすることを忘れないように。 ;主語が複数のばあいの例文 <There are 単数名詞>の形になる。 * <span style="color:green">'''There are'''</span> two pens on the table.(テーブルの上に2本のペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) * <span style="color:green">'''There are'''</span> some pens on the table.(テーブルの上に数本のペンが<span style="color:green">'''あります'''</span>。) some で、「いくつかの」「数個の」という意味がある。また、「some + 名詞の複数形」のようになる。 * There are some apples on the table. テーブルの上に、数個のリンゴがある。 * There are two boys under the tree. その木の下に、男の子が2人、いる。 * There are an apple and an orange on the table. テーブルの上に、1個リンゴと1個のオレンジがあります。 an apple と an orange は、あわせて2個の物体が存在してるので、「an apple and an orange」をまとめて複数あつかいになる。 === There is(are) 〜. の疑問文・否定文 === There is(are) ~.の'''疑問文'''は、'''is,areをthereの前'''に出し、< Is(Are) there ~? > 。 <span style="color:green">'''Is there'''</span> a pen on the desk?(机の上にペンが<span style="color:green">'''ありますか'''</span>。) ー Yes, there is. はい、あります。 ー No, there isn't. いいえ、ありません。 例文 Is there a Chinese restaurant in this town? この町に、中華料理店はありますか? Is there a bookstore near Bob's house? ボブの家の近くに、本屋はありますか? There is(are) ~.の'''否定文'''は、'''is,areのあとにnot'''をおき、< there + is(are) + not + 〜 >。 <span style="color:green">'''There is not'''</span> a pen on the desk.(机の上にペンが<span style="color:green">'''ありません'''</span>。) == 接続詞 == === 接続詞 when === When 〜 で、「〜したとき、」の意味をもつ接続詞になる。 つまり、 when には、「いつ、〜?」疑問詞の用法のほかにも、「〜したとき」という接続詞の意味もある。 例文 * <span style="color:green">'''When'''</span> I came home, my sister was watching TV.(私が帰宅した<span style="color:green">'''とき'''</span>、姉はテレビを見ていた。) * whenの節は、'''主節のあと'''にも来れる。 例文 :My sister was watching TV <span style="color:green">'''when'''</span> I came home. === 接続詞 that === * Nancy likes music.(ナンシーは音楽が好きです。) * I know <span style="color:green">'''(that)'''</span> Nancy likes music.(私はナンシーが音楽が好きだ<span style="color:green">'''ということを'''</span>知っている。) * '''that'''は'''接続詞'''で、あとに〈主語+動詞〉を伴い、'''「〜ということ」'''の意味を表す。 * 接続詞 that は、よく'''省略'''される。 :I know Nancy likes music. * 主語の後に来る動詞で、think= 〜だと思う、hope= 〜を期待する、wish= 〜を望む 等の文も作ることができる。 == 動名詞 == * I like <span style="color:green">'''playing'''</span> baseball. (私は野球を<span style="color:green">'''すること'''</span>が好きです。) * I like playing tennis.(私はテニスをすることが好きです。) この「playing」のように、動詞ingで、進行形(×)ではなく、名詞のように扱うことができる。 '''〈動詞の原形+ing〉'''を'''動名詞'''(どうめいし)といい、'''「~すること」'''の意味で、名詞のようになる。そのため、主語になったり、あるいは like などの動詞の目的語になることがある。 動名詞の和訳は、「〜ing」を「〜すること」と訳す。 つぎの例文のように、動名詞は主語になっても、かまわない。 例文 :<span style="color:green">'''Playing'''</span> tennis is fun.(テニスを<span style="color:green">'''することは'''</span>おもしろい。) :Reading books is interesting. 読書は、おもしろい。 つぎの例文のように、前置詞のうしろに、名詞でなくて、動名詞がくる場合もある。 * I am good <span style="color:green">'''at playing'''</span> tennis.(私はテニスを<span style="color:green">'''するのが'''</span>得意です。) なお、この '''be good at 〜ing''' は「〜が得意です」という意味の熟語である。重要表現なので、この熟語を覚えよう。 == 不定詞 == * I like <span style="color:green">'''to play'''</span> baseball.(私は野球を<span style="color:green">'''すること'''</span>が好きです。) 名詞的用法 * I went to the store <span style="color:green">'''to buy'''</span> some apples. (私はりんごを<span style="color:green">'''買うために'''</span>その店に行った。)副詞的用法 * I want something <span style="color:green">'''to drink'''</span>.(私は何か<span style="color:green">'''飲むもの'''</span>がほしい。)形容詞的用法 詳しくは下記。 === 不定詞の基本的な用法 === '''〈to+動詞の原形〉'''で'''、つぎのような意味になる場合がある。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~すること」'''の意味になる場合がある。これを不定詞の'''名詞的用法'''という。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~するために」'''の意味で、目的を表し、動詞を修飾することもある。これを不定詞の'''副詞的用法'''という。 :'''〈to+動詞の原形〉'''で、'''「~するための」'''の意味で、前にある名詞・代名詞に、目的を追加して修飾することもある。これを不定詞の'''形容詞的用法'''という。 これら3つの'''〈to+動詞の原形〉'''の用法を'''不定詞'''(ふていし)という。 不定詞に必ず「to」がつくので、「to 不定詞」(トゥーふていし)と呼ぶ場合もある。学習塾とか予備校などで、「to 不定詞」と表現する場合もある。 ※ 不定詞の基本的な用法は、上記の3つのみである。つまり、不定詞には、動詞になるような用法は無い。 ==== 不定詞の、名詞的な用法 ==== '''〈to+動詞の原形〉'''で'''「~すること」'''の意味になる場合がある。この'''〈to+動詞の原形〉'''の用法を'''不定詞'''(ふていし)という。 * I like <span style="color:green">'''to play'''</span> baseball.(私は野球を<span style="color:green">'''すること'''</span>が好きです。) 不定詞には、この他にも、いろいろな用法がある。とりあえず、この節で説明したような不定詞の「〜すること」の用法を、不定詞の'''名詞的用法'''という。 なお、 過去のことについては、不定詞を使わないのが普通である。 つまり、動詞 finish (フィニッシュ、意味: 終える、終わる)については、finish to eat (×)とか、 finish to play(×)とか、けっして言わない。 何かを終えた場合は、動名詞をつかって、 :finish eating とか :finish playing とかのように、言う。 つまり、基本的に to 不定詞は、未来のことを表現する場合に使う。 ※ ただし、だからといって「動名詞が未来のことではない」ことは意味しない。たとえば <nowiki>Let's</nowiki> go shopping! 「ショッピングに行きましょう!」は、~ingの形だが、直後の未来について述べている。 ==== 不定詞の、副詞的な用法 ==== '''〈to+動詞の原形〉'''は、'''「~するために」'''の意味で、目的を表し、そして動詞を修飾する、という場合もある。これを不定詞の'''副詞的用法'''という。 * I went to the store. (私はその店に行った。) * I went to the store <span style="color:green">'''to buy'''</span> some apples. (私はりんごを<span style="color:green">'''買うために'''</span>その店に行った。) 例文の went (ウェント、)は、動詞 go の過去形である。けっして、want(ウォント、意味: 欲しい)と混同しないように。 「to buy some apples」の部分が、不定詞を使ってる部分である。 「to buy some apples」で、副詞的に、「リンゴを買うために」という目的を表す。 いちいち「動詞を修飾」と覚えるよりも、「〜するために」という和訳を覚えたほうが、良い。入試で出題されるのも、和訳のほうである。修飾してるのが動詞かどうかは、入試に出づらい。 また、いちいち「動詞を修飾」と覚えるのではなく、「目的を表す」「副詞的な用法」と覚えたほうがよい。 ==== 不定詞の、形容詞的な用法 ==== * I want something. (私は何かほしい。) * I want something <span style="color:green">'''to drink'''</span>.(私は何か<span style="color:green">'''飲むもの'''</span>がほしい。) * '''〈to+動詞の原形〉'''は、'''「~するための」'''の意味で、前にある名詞・代名詞を修飾することもある。これを不定詞の'''形容詞的用法'''という。 「形容詞的用法」という語句を覚えるよりも、 <'''something to + 動詞の原形'''>で、「何か〜するための物」という熟語を覚えたほうが良い。 まず、 :She has something. 彼女は、何かを持っている。 のように、something が、不定詞つきではなく、単独で使われてる場合の和訳は、somethingを「何かを」などと訳すのがよい。 :something は名詞である。 :また、something に、冠詞(a や the)はつけない。 :複数形ーs の語尾もつけない。 この規則をいちいち覚えるのはメンドウなので、それよりも、さっさと「something to eat」とか「something to drink」とかを熟語の暗記のように覚えたほうが早い。 ここで、注意するべきか、和訳に「何」という文字があるからと言っても、べつに疑問文ではない。 また、うしろ3文字がingだからといって、べつに進行形でもなければ、動名詞でもない。 ともかく、さっさと「something to eat」とか「something to drink」とかを覚えたほうが早い。 例文 : I want to something to eat. 私は、何か食べる物が欲しい。 :something to eat = 食べるもの物 === 前置詞の目的語には、なれない === なお、 * I am good <span style="color:green">'''at playing'''</span> tennis.(私はテニスを<span style="color:green">'''するのが'''</span>得意です。) の「at 〜 ing」のように、前置詞の目的語になれるのは、名詞または名詞に相当する動名詞などだけである。不定詞が前置詞の目的語になることはない。 === 不定詞と未来 === ==== 基本的には、未来にむかう ==== to 不定詞は、基本的に、「未来にしようとする行為や目的をあらわすのに使う」と考えると、理解しやすい。 たとえば、 finish (終える)など、過去のことを表す動詞には、to不定詞ではなく、動名詞を使う。 なにかを終えた時、それは、けっして「これから(未来に)実行しようとする行為」ではなく、「すでに終わった行為」だから、である。 いっぽう、副詞的な用法「to buy some apples」(リンゴを買うために)も、ある時点に「これからリンゴを買おう」と、誰かが考え、その計画を実行しようとているわけである。 もとの例文は :I went to the store '''to buy''' some apples. だった。動詞 went はgoの過去形である。このように不定詞であらわされる目的は、過去を起点にしてもよい。 また形容詞的な用法の、something to drink (何か飲むもの)のような目的を追加した修飾も、誰かが「これから、飲もうとする」という計画を実行しようとしてるのである。 このように、to不定詞は、基本的に、ある時点を起点にして「未来にしようとする行為や計画などの目的」を表す。 もっと短く、まとめると、to不定詞は基本的に、「目的を表す」と覚えるとよい。 ただし、意味的に未来に向かうといっても、時制は、そのままである。 たとえば、 :I went to the store '''to buy''' some apples. で、「to buy some apples」(リンゴを買うために)と考えている時点は、過去のある時点である。 たとえ、「これから、リンゴを買おう」と考えても、動詞 went は過去形のまま、である。 ---- これは、前置詞toをつかった例文と比較すれば納得しやすい、たとえば go to school と比較すると、納得しやすいだろう。 たとえば、 :I go to school. 私は学校に行きます で、じっさいに学校に到着する時刻は、未来である。「I go to school」と主語の人物が主張した時点では、まだ出発したり通学中だったりして、まだ到着していない。 しかし、たとえ未来に到着するからといっても、けっして助動詞 will は使わない。 「I will go to school」(×)とかは言わない。 ==== 前置詞 to との関連 ==== よくある例文 go to school の「to」は、不定詞ではない。この go to school の「to」は前置詞である。 しかし、意味を考えると、この前置詞 to は、目的地を表している。 つまり、<go to + 目的地>という熟語である。 そして、主語の人物が、これから、「その目的地に行こう」という未来についての計画を実行している 最中(さいちゅう) なのである。 go to school の段階では、まだ、学校には到着していない。これから学校に到着しようとする時点なのである。 こうやって考えると、前置詞 to もまた、未来に向かっての目的を表している。 ;※ じっさいのテストでの注意 なお、じっさいに試験問題で「go to 目的地」の文章を和訳するときは、ここまで分析しなくても良い、 たとえば「go to school」を和訳するときは、たんに「学校に行く」などと訳すのがいい。 へたに、「学校に到着しようとして、出発して通学している」などと和訳すると、採点者から「進行形と混同してるのか?」などと誤解されて、減点をされるだろう。 == 動名詞から不定詞の書き換え == 動名詞をつかった文は、ほとんどの場合、 不定詞の名詞的用法の文章に書き換えることができる。たとえば、 : I like playing tennis. 私はテニスをすることが好きです。 : I like to play tennis. 私はテニスをすることが好きです。 は、両方の文とも、正しい文である。 ただし、want や finish など、いちぶの動詞では、例外がある。 * want < want to be 〜>で、「〜になりたい」という慣用表現になってるので、そのまま覚えよう。いっぽう、 want being (×)とは言わない。 たとえば、 :I want to be a doctor. 私は、お医者さんになりたい。 は文法的に正しい文である。 しかし、いっぽう、 :I want being a doctor. (△、×) とは、言わない。あまり want being とは言わない。テストで I want being 〜 とか書いたら、減点される場合もあるだろう。 * finish 何かを終えた場合は、動名詞をつかって、 :finish eating とか :finish playing とかのように、言う。 いっぽう、 finish to eat(×)とか finish to play (×)とかは、まちがい。 (※ 範囲外: )逆パターンで、不定詞から動名詞の書き換えは、かならずしもそうではない。start to ~ 「~し始める」や begin to ~ 「~し始める」は、意味的に、ほぼ確実に、不定詞の未来用法になる。これを start ~ing や begin ~ing と言い変えても構わない。ただし、対義語の stop はそうではない。このように、不定詞から動名詞の書き換えは、あまり規則的ではないので、中学レベルでは、深入りの必要は無い。高校の範囲。 === 不定詞の例題文 === * 本文 A: I [[wikt:want|want]] [[wikt:to|to]] [[wikt:take|take]] this suit of [[wikt:clothes|clothes]]. B: I [[wikt:think|think]] that is a [[wikt:bit|bit]] [[wikt:expensive|expensive]]. [[wikt:why|Why]] do you like this? A: [[wikt:because|Because]] it is [[wikt:cute|cute]] and [[wikt:elegant|elegant]]. B: I think this is the one to [[wikt:buy|buy]]. A: I think that is [[wikt:simply|simply]] [[wikt:bad|bad]]. The [[wikt:color|color]] of that is not good at [[wikt:all|all]]. B: Well, you have [[wikt:time|time]]. [[wikt:but|But]] [[wikt:if|if]] you don't take this, I want to buy [[wikt:nothing|nothing]] [[wikt:for|for]] you. * この課の単語 # take(動詞): # suit(名詞): # clothes(名詞): # think(動詞):思う # bit(名詞): # expensive(形容詞):高価な、高価である # why(副詞):なぜ # because(接続詞):なぜならば # cute(形容詞): # elegant(形容詞):優雅(ゆうが)な # buy(動詞):買う # simply(副詞): # bad(形容詞):よくない # color(名詞):色 # all(副詞):すべて # time(名詞):時間 # but(接続詞):しかし # if(接続詞):もし # nothing(名詞):〜ない。 # for(前置詞): * 文法 ''to+動詞の原形''で書かれる語を、不定詞(ふていし)と呼ぶ。上の文章中では I want to take this suit of clothes. I think this is the one to buy. の2つの文章中で不定詞が用いられている。他に最後の文でも不定詞が用いられているがその不定詞の用法は上の不定詞の用法と同じであるので繰り返さない。上の文で I want to take this suit of clothes. の中では''選ぶことを欲する''という意味で取ることができるので、to take は文章の中でwantの目的語の働きをしている。目的語になるのは名詞の働きであるので、不定詞の名詞的用法と呼ばれている。一般に多くの名詞的用法の不定詞は''〜すること''のように訳されることが多い。目的語になる他、不定詞の名詞的用法は文章中で主語になることも出来る。 一方、上の文のうち I think this is the one to buy. の方では''買うべきもの(服)''のように服を修飾していることからto buy がoneにかかる形容詞として用いられていることが分かる。この様な用法を不定詞の形容詞的用法と呼ぶ。一般に不定詞の形容詞的用法にはいくつかの意味がある。代表的な例として使われ方を表わす用法や義務を表す用法がある。例えば、 the TV to [[wikt:watch|watch]] (見るためのテレビ) などは対応する名詞の使われ方を表わす用法の例であり、 the dish to wash (洗うべき皿) [[wikt:homework|homework]] to [[wikt:submit|submit]] (提出するべき宿題) などは対応する名詞に対してするべき事を表す用法である。より詳しい使い分けは高等学校の範囲である。 次に疑問詞を用いた疑問文について説明する。上の文章では Why do you like this? の内でwhyという語は疑問詞と呼ばれる語の1つである。疑問詞は ''何を''、''なぜ''、''いつ''、''どこ''のように答えにyes,noではなく何らかの情報のある語を必要とする語のことである。このような語を用いるときには必ず疑問詞を文頭に持って来てそれ以外の語を通常の疑問文の語順に並べることで文を作ることが出来る。また、疑問詞は通常疑問文にしか用いられない。 ( * 注意 最も口語的には平叙文の語順で対応する部分だけを疑問詞に置き換えることで実質的な疑問文を作ることも行われるようである。) 動詞の種類は一般動詞であってもbe動詞であっても疑問文の語順に変化は現われない。 == 疑問詞 == よく用いられる疑問詞には what:何を why:なぜ [[wikt:when|when]]:いつ [[wikt:where|where]]:どこで [[wikt:which|which]]: どちらが [[wikt:how|how]]:どのように などがある。また、疑問詞と他の語をつなげて慣用的な意味を持たせた表現も存在する。この様な表現では疑問詞と他の語の組み合わせを1つの疑問詞と思って文を作ればよい。代表的な例として、 what time: 何時に how much: いくらで(値段を聞くとき) などがある。例えば、 What time is it (now)? How much is it? などが慣用的によく用いられる。また、特にhowについてはそれを形容詞と組み合わせることで''どれくらい〜か''という様な疑問詞を作ることが出来る。代表的な例は、 how long: どのくらい長く〜か how fast: どのくらい速く〜か how deep: どのくらい深く〜か などがある。疑問詞を用いた疑問文では、その文が疑問文であるにもかかわらず、最後の強勢は下げることが知られている。 次に上の文章中で、 I think this is the one to buy. の文について説明する。この文の主語はIであり、述語はthinkである。しかし、この文には更にもう1組thisとisという主語述語の組が含まれている。なお、このように主語と述語の組が複数含まれている文を複文(ふくぶん)という。いっぽう、主語と述語が1組だけ含まれている文を単文(たんぶん)と呼ぶ。 上の例では接続詞としてthatが用いられている。そのため、上の文は文法的には I think that this is the one to buy. と等しい。しかし実際には多くの場合thatは省略されるので、上ではthatを書いていない。ここで接続詞thatは、日本語でいう''〜ということ''に対応する 意味を持つ。つまりこの文章は''〜ということを思う''という様に訳せばよい。ここで、that以下の文はthinkの目的語となっていることからthat以下の文全体が名詞として働いていることが分かる。一般に文中の主語や述語以外の成分で主語と述語を含んでいる文の成分を[[w:節|節]]と呼ぶ。この用語を用いて、 ここで使われた接続詞thatの用法は''that節の名詞的用法''と呼ばれる。 他によく使われる接続詞として and: そして but: しかし [[wikt:before|before]]: 〜の前に [[wikt:after|after]]: 〜の後に because: 〜だから [[wikt:since|since]]: 〜だから when: 〜のときに if: もし〜としたら などがあげられる。 == 「なぜ」と「なぜならば」 == === 接続詞 because === '''「(なぜなら)~だから」'''と原因・理由などを表す接続詞には、'''because'''(ビコーズ)が使える。 * I was hungry <span style="color:green">'''because'''</span> I went swimming.(私は泳ぎに行った<span style="color:green">'''から'''</span>おなかがすいていた。) * becauseは、「なぜならば」の意味で文と文を結んだり、あるいは Why ~? に対する答えの文で用いられる。 == 比較表現 == === 比較級 === * This pencil is <span style="color:green">'''longer than'''</span> that one.(この鉛筆はあの鉛筆<span style="color:green">'''より長い'''</span>。) than は「ザン」と読み、「than 〜」 は「〜よりも」の意味になる。 2つのものを比べて'''「AはBより~だ」'''は'''〈A is + 比較級 + than B〉'''で表す。 比較級をつくるには、その形容詞・副詞の語尾に'''er(r)'''をつける。 :long→long<span style="color:green">'''er'''</span>,large→large<span style="color:green">'''r'''</span> :Bob is taller than Tom. (ボブ イズ トーラー ザン トム)ボブはトムよりも背が高い。 副詞にも比較変化があり、変化のしかたは形容詞と同じ。 :I can run <span style="color:green">'''faster than'''</span> Tom.(私はトム<span style="color:green">'''より速く'''</span>走れます。) * 「BよりもAのほうが好きだ」 たとえば「B'''よりも'''Aのほうが'''好きだ'''」は、「'''like''' A '''better than''' B」で表す。 better(ベター)は、副詞 well の'''比較級'''(ひかくきゅう)である。 I <span style="color:green">'''like'''</span> tennis <span style="color:green">'''better than'''</span> baseball.(私は野球<span style="color:green">'''より'''</span>テニス<span style="color:green">'''が好きです'''</span>。) * more 〜 の形になる比較級 :beautiful→<span style="color:green">'''more'''</span> beautiful,famous→<span style="color:green">'''more'''</span> famous 長い単語など、いくつかの単語の比較級では、 「more ○○ than ・・・」になる。more は「モア」と読む。 :This book is interesting. この本はおもしろい。 :This book is <span style="color:green">'''more interesting'''</span> than that one. (ディスブックイズ モア インタレスティング ザン ザットブック)この本はあの本より<span style="color:green">'''おもしろい'''</span>。 どの形容詞・副詞が more ◯◯ than 〜形式の比較級になるかは、おぼえる必要がある。検定教科書の巻末付録などに書いてあるので、書きとり練習で覚えよう。 * 不規則な変化 good や many などは、不規則な変化をする。 good の比較級は better (ベター) である。 :Which do you like better,dogs or cats? イヌのネコ、どっちが好き? === 最上級 === * Mt. Fuji is <span style="color:green">'''the highest'''</span> mountain in Japan.(富士山は日本で<span style="color:green">'''最も高い'''</span>山です。) 3つ以上のものを比べて「一番、~だ」「もっとも 〜だ」というときは、最上級を使って'''〈A is the + 最上級 + in〔of〕 ~〉'''で表す。'''最上級のあとに名詞'''がつくこともある。 最上級をつくるには、その形容詞・副詞の語尾に'''est(st)'''をつける。 :long→long<span style="color:green">'''est'''</span>,large→large<span style="color:green">'''st'''</span> 副詞にも形容詞と同様に比較級、最上級があり、変化のしかたは形容詞と同じ。 :I can run <span style="color:green">'''the fastest'''</span> in my class.(私はクラスで<span style="color:green">'''一番速く'''</span>走れます。) :Bob can run fast in my class. ボブは、私のクラスで、一番速く走れます。 * most ~の形になる形容詞・副詞 つづりの長い形容詞など、いくつかの単語の最上級は'''〈the most + 形容詞の原級〉'''の形になる。「原級」とは、形容詞のもとの形 のこと。 :Mt.Fuji is <span style="color:green">'''the most famous'''</span> mountain in Japan. 富士山は日本で<span style="color:green">'''最も有名な'''</span>山です。 most になる単語 :beautiful→<span style="color:green">'''most'''</span> beautiful,famous→<span style="color:green">'''most'''</span> famous * 「(主語)は、Aが一番好きだ」 「Aが'''一番好きだ'''」は'''like''' A '''the best'''で表す。 best は、副詞 well の'''最上級'''(さいじょうきゅう)である。 I <span style="color:green">'''like'''</span> tennis <span style="color:green">'''the best'''</span>.(私はテニスが<span style="color:green">'''一番好きです'''</span>。) === 原級、比較級、最上級の表 === 以下の変化パターンがある。 :・ そのまま ーer,ーestをつけるもの : new ー newer ー newest :・ 原級の語尾がeで終わるのでーr,ーst : large ー larger ー largest :・ 語尾のyをiに変えてーer,ーest : happy - happier - happiest :・ 子音を重ねてーer,ーest : big - bigger -biggest :・ more,most をつけるもの : famous - more famous - most famous :・ 不規則変化 : good -better - best 下記の表に、比較級、最上級のうち、初歩的なものを抜粋した。他の形容詞、副詞の最上級については、くわしくは、[[中学校英語/形容詞・副詞の比較変化 2年]]を参照のこと。 {| class="wikitable" |+ ーer,ーestをつけるもの ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | new ニュー || newer || the newest || 新しい |- | old オウルド || older || the oldest || 古い、年をとった、 |- | young ヤング || younger || the youngest || 若い |- | small || smaller || the smallest || 小さい |- | long || longer || the longest || 長い |- | high || higher || the highest || 高い |- | tall || taller || the tallest || 背が高い |- | short || shorter || the shortest || 短い |- |} {| class="wikitable" |+ 原形の語尾がeで終わるのでーr,ーst ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | large || larger || the largest || 大きい |- | nice || nicer || the nicest || すばらしい |- |} {| class="wikitable" |+ 語尾のyをiに変えてーer,ーest ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | happy || happier || the happiest || しあわせな |- | easy || easier || the easiest || 簡単な |- | early || earlier || the earliest || 早く (※ 副詞) |- |} {| class="wikitable" |+ 子音を重ねてーer,ーest ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | big || bigger || the biggest || 大きい |- | hot || hotter || the hottest || 熱い |- |} {| class="wikitable" |+ more、mostをつけるもの ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | famous || more famous || the most famous || 有名な |- | popular || more popular || the most popular || 人気のある |- | beautiful || more beautiful || the most beautiful || 美しい |- | important インポータント || more important || the most important || 重要な |- | difficult ディフィカルト || more difficult || the most difficult || 難しい |- |} {| class="wikitable" |+ 不規則変化の形容詞・副詞 ! 原級 !! 比較級 !! 最上級 !! 原級の意味 |- | good || better || the best || よい |- | well || better || the best || うまく(※副詞) |- | bad || worse || the worst || わるい |- |} === as ~ as ... === AとBを比べて '''「同じくらい~だ」''' は <'''A is as 〜 as B.'''> で表す。 <as 〜 as> の「〜」の部分は、形容詞または副詞の、原形がくる。 例文 This dog is big.(この犬は大きい。) This dog is <span style="color:green">'''as big as'''</span> that one.(この犬はあの犬と<span style="color:green">'''同じくらい大きい'''</span>。) Bob is as tall as Tom. ボブはトムと同じくらいの背の高さです。 I am as tall as my mother. 私は、母と同じくらいの背の高さです。 Bob is as tall as him. ボブは、彼と同じくらいの背の高さです。 He is as old as me. 彼は私と同じくらいの年齢です。 「彼と同じくらい」「私と同じくらい」のように、人称代名詞を使う場合、 him や me などのような形になることに注意。 < is not as 〜 as ・・・> で、「・・・ほどは、〜ではない」の意味になる。 Bob is not as tall as Tom. ボブは、トムほど背が高くない。 Bob is not as tall as his father. ボブは、彼の父ほどは背が高くない。 == 受け身 == === 〜されています。(受け身の肯定文) === :English is used in many countries. (イングリッシュ イズ ユーズド イン メニー カントリーズ) 英語は、多くの国で使われています。 <主語 + be動詞 + 動詞の'''過去分詞'''>で、「〜が・・・されている」の意味になります。「'''過去分詞'''」は「かこぶんし」と読みます。 このような<主語 + be動詞 + 動詞の過去分詞>「〜が・・・されている」の表現を、「'''受け身'''」(うけみ)または「'''受動態'''」(じゅどうたい)といいます。 be動詞のあとにつづくのは、けっして過去形(×)ではなく、過去分詞形です。 {| class="wikitable" style="left" |+ 規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 |- | like || liked || liked |- | use || used || used |- |} 過去分詞は、規則動詞の場合は、過去形と同じ形である。だが、不規則動詞の場合は、そうとは、かぎらない。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 |- | see シー || saw ソウ || seen シーン |- | come カム || came ケイム || come カム |- | write ライト || wrote ロウト || written リトゥン |- | make メイク || made メイド || made メイド |- |} :The car is made in Japan. (ザ カー イズ メイド イン ジャパン) その車は、日本で作られました。 :Botchan was written by Natume Soseki. (ボッチャン ワズ リトゥン バイ ナツメ ソウセキ) 『坊ちゃん』は夏目漱石によって書かれました。 この『坊ちゃん』についての例文のように、受け身で過去にされた行為をあらわす場合は、be動詞を過去形にすれば済みます。 また、誰によって、その行為がされたかを表すには、 「by 〜」を使います。 例文 :The letter was written by Bob. その手紙はボブによって書かれました。 :The letter was written by her. その手紙は彼女によって書かれました。 :Kinkakuji was built in 1397. 金閣寺は1397年に建設されました。 :The picture was painted by Picasso. その絵はピカソによって描かれました。 :My bicycle was stolen. (マイ バイシクル ワズ ストールン) 私の自転車が盗まれました。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 !! 意味 |- | steal スティール || stole ストール || stolen ストールン || 盗む |- |} だれが盗んだかは分からないので、「by 〜」は書かれない。 * This room is cleaned every day.(この部屋は毎日掃除される。) * This room <span style="color:blue">'''was cleaned'''</span> yesterday.(この部屋は昨日<span style="color:blue">'''掃除された'''</span>。) === 受け身の疑問文と否定文 === :Is English used in this country? この国では、英語が使われていますか? ::ー Yes, it is. ::ー No, it isn't. :Is the car made in Japan? その車は、日本で作られたのですか? このように、受け身の疑問文は、be動詞を文の最初に置く。つまり、<Be動詞 + 主語 + 過去分詞 + 〜 ?> の形になる。 * 否定文 :Botchan was not written by Toyotomi Hideyoshi. 『坊ちゃん』は、豊臣秀吉によっては、書かれていません。 :This letter isn't written by her. この手紙は、 彼女によっては、書かれていません。 :The car is not made in Japan. その車は、日本では、つくられていません。 :English is not spoken in this country. この国では、英語は話されていません。 {| class="wikitable" style="left" |+ 不規則変化 ! 原形 !! 過去形 !! 過去分詞 !! 意味 |- | speak スピーク || spoke スポーク || spoken スポークン || (言語を)話す |- |} {{-}} *English is used in the United Nations.(英語は国際連合で使われている。) *<span style="color:blue">'''Is'''</span> French <span style="color:blue">'''used'''</span> in the United Nations?(フランス語は国際連合で<span style="color:blue">'''使われていますか'''</span>。) *Japanese <span style="color:blue">'''is not used'''</span> in the United Nations.(日本語は国際連合で<span style="color:blue">'''使われていません'''</span>。) ※ United Nations (ユナイテッド ネイションズ): 国際連合。 この United は、「合体した」「連合した」などの意味をあらわす、形容詞のようなもの。Nationとは、国家または民族のこと。 この united は、過去(×)の意味ではない。アメリカ合衆国「the United Nations of America 」の united と同じく、United Nations のunited は形容詞的な「合体した」「連合した」の意味。 === 「〜する」形から「〜されている」形への書き換え === *He closes his store at six.(彼は6時に店を閉める。) *His store <span style="color:blue">'''is closed'''</span> at six.(彼の店は6時に<span style="color:blue">'''閉められる'''</span>。) *My father uses this car.(私の父がこの車を使っている。) *This car <span style="color:blue">'''is used by'''</span> my father.(この車は私の父に<span style="color:blue">'''よって使われている'''</span>。) * 「〜する」形から受け身への書き換え # 「〜する」形の目的語を、受け身形では主語にする。 # 動詞部分は、受け身では'''〈be動詞+過去分詞〉'''に。 # 「〜する」形の主語を、<'''by '''+ 行為者 > の形にして文末などに置く。 == 文型 == === SVC === ==== 補語 ==== 文型 SVC は、「S は C だ」「S は C のようだ」のような意味になる。C は、Sの性質に関わる単語になる。Cを'''補語'''(ほご)という。 例文 * Tom is happy. トムはしあわせです。 :Tom = S、 :is = V、 :happy = C、 というように、対応している。 * She is a doctor. 彼女は医者です。 :She = S、 :is = V、 :a doctor = C、 と対応している。 Cの位置に、名詞がきても、かまわない。 このように、Cにくる品詞は一般的に、形容詞や名詞になることが多い。 例 :Tom is an American. トムはアメリカ人です。 (S=tom , V=is , C=an American,) ==== look,become ==== Vには、<look 〜>「〜に見える」や<become 〜>「〜になる」などの動詞がくる場合もある。 * look * Nancy <span style="color:green">'''looks'''</span> happy.(ナンシーはしあわせそうに<span style="color:green">'''見えます'''</span>。) She looks a doctor. 彼女は医者に見えます。 このように、「look 名詞」ときても、かまわない。 '''look'''は、あとに'''形容詞または名詞を補語'''にとって、SVCの文型で、「'''~に見える'''」の意味を表す。 * become He <span style="color:green">'''became'''</span> a teacher.(サムは先生です。彼は先生に<span style="color:green">'''なりました'''</span>。) '''become'''は、あとに補語をとって、「'''~になる'''」の意味を表す。becomeの補語 C は、形容詞または名詞になる。 === SVOO === 文型 SVO<sub>1</sub>O<sub>2</sub> は、「SはO<sub>1</sub>にO<sub>2</sub>をVする」の意味になる。 例文 * I gave him an apple. 私は彼に、リンゴを1個、あげた。 * He <span style="color:green">'''showed me'''</span> the picture.(彼は<span style="color:green">'''私に'''</span>その絵を<span style="color:green">'''見せた'''</span>。) * '''show'''は、'''「…(人)に」「~(物)を」'''の順に目的語を2つとる。 文型「SVOO」は、「SVO to O 」に変換できる場合が多い。(ただし動詞や文脈によっては to 以外の for(~のために)など別の前置詞のほうが適切な場合もある。) 例文 He showed the picture to me.(彼はその絵を私に見せた。) * '''lend'''(…に~を貸す)、'''tell'''(…に~を教える)、'''give'''(…に~を与える)も同じ文型。 == 現在完了形 == 現在の視点で過去の出来事を表す。'''have(has)+過去分詞'''で表し、継続、経験、完了、結果の4つの用法(使い方)がある。 === 継続 === * ずっと~している === 経験 === * ~したことがある === 完了 === * すでに~した * ちょうど~したところ === 結果=== * ~してしまった [[Category:中学校教育|えいこ2]] 8yqvpp3ikccdgp7jsuuc5tmhjtgyafa 高校英語の文法 0 21996 206521 206422 2022-08-12T22:46:41Z すじにくシチュー 12058 /* 慣用的表現 */ wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) 不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] qtqjyzbpq5t7gvdnyxd4ms6t1rbjcq4 206522 206521 2022-08-12T22:52:57Z すじにくシチュー 12058 /* 慣用的表現 */ prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] rtw25a8o702f015yhexp05ft1u2e1on 206523 206522 2022-08-12T23:07:31Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] kgm1u9js52wt69iqcj1j1uzbay26hnr 206524 206523 2022-08-13T00:03:45Z すじにくシチュー 12058 /* 慣用的表現 */ S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] okptx3flx4d425xlnvfogck1cmln4vo 206525 206524 2022-08-13T02:18:38Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞と動名詞 */ wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] 6rfgncxi67glg3no2rr8e3nfbs7k3tf 206528 206525 2022-08-13T03:47:11Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞と動名詞 */ 準動詞 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 不定詞や動名詞は、ともにほかの動詞にともなって使われるという共通点もあるので、それに注目した品詞の分類もある。「準動詞」という分類では、不定詞・動名詞・分詞の3つを'''準動詞'''であるとして分類している(青チャート、インスパ、ブレイク、エバーグリーン)。 「準動詞」は、大学入試には出ないが、比較的に参考書に良く書いてある知識。 いっぽう、SVOとかSVCなどでいうVのようなものを「述語動詞」という(エバ)。 準動詞は、述語動詞ではない。なぜなら、不定詞も動名詞も、それはSVOやSVCのVにはならないからである。なので、準動詞と述語動詞は別物であると区別しなければならない。 また、このこととも関連するが、準動詞には、主語の人称・数などによる活用形の変化が無いという共通点がある。 つまり、たとえば三人称単数などによる変化は不定詞には無い。末尾に、sはつかない。当然、~ingなどの動名詞や現在分詞、~edといった過去分詞の末尾などにはsはつかない。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] l34tpg3dku8g3l01x91vdxmbxspe2yf 線型代数学/行列と行列式/第三類/行列の積 0 26332 206489 151634 2022-08-12T13:09:13Z 198.54.128.78 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{jx}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{jx}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{jx}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj} = \left\{ (AB)C \right\}_{ij}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> hctqmy54j763k18zxtrq11dj0faipoz 206490 206489 2022-08-12T13:09:34Z 198.54.128.78 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{jx}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{jx}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{jx}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj} = \left\{ (AB)C \right\}_{ij}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> d2z6f1rg3zdql3dpcdd6rfcxquhodx5 206491 206490 2022-08-12T13:14:00Z 198.54.128.78 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{jx}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{jx}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{jx}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>=\sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>= \left\{ (AB)C \right\}_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math><br /> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> cnnban6e8gtxe1ybouk8f23kbbogpyw 206492 206491 2022-08-12T14:14:05Z 198.54.128.76 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{ix}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{ix}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>=\sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>= \left\{ (AB)C \right\}_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math><br /> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> cz7derz1mjdtoz4cmovbx7btln19zut 206530 206492 2022-08-13T10:13:51Z 198.54.128.78 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{ix}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{ix}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>=\sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>= \left\{ (AB)C \right\}_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math><br /> (2) 行列の積 <math>(A + B)C, AC, BC</math> が定義可能であると仮定する.<br /> <math>\left\{ (A+B)C \right\}_{ij} = \sum_k (A + B)_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k (a_{ik} + b_{ik} )c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k (a_{ik}c_{kj} + b_{ik}c_{kj})</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + \sum_k b_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= (AC)_{ij} + (BC)_{ij}</math><br /> <math>= (AC + BC)_{ij}</math><br /> <math>\therefore (A + B)C = AC + BC</math><br /> (3) 行列の積 <math>A(B + C), AB, AC</math> が定義可能であると仮定する.<br /> <math>\left\{ A(B + C) \right\}_{ij} = \sum_k a_{ik} (B + C)_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}(b_{kj} + c_{kj})</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + a_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + \sum_k a_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= (AB)_{ij} + (AC)_{ij}</math><br /> <math>= (AB + AC)_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(B + C) = AB + AC</math><br /> (4) <math>O</math> を零行列とし、行列の積 <math>AO</math> および <math>OA</math> のいずれも定義可能であると仮定する.<br /> <math>(AO)_{ij} = \sum_k a_{ik}o_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}\cdot 0 \ \ \ \because o_{kj} \equiv 0</math><br /> <math>= 0\ \ \ </math> (for all i, j)<br /> <math>\therefore AO = O</math><br /> <br /> <math>(OA)_{ij} = \sum_k o_{ik}a_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k 0\cdot a_{kj} \ \ \ \because o_{kj} \equiv 0</math><br /> <math>= 0\ \ \ </math> (for all i, j)<br /> <math>\therefore OA = O</math><br /> <math>\therefore AO = OA = O</math><br /> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> 7lwmdf7xdgr4zz5vluob6pw9idz07q6 206531 206530 2022-08-13T10:22:11Z 198.54.128.78 wikitext text/x-wiki 次に行列どうしの積について説明する. 行列の積は少々面倒である. 成分ごとに積というわけにはいかない. 行列の積の基本は,次のような1行からなる行列と1列からなる行列の計算のしかたである. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b &c \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 左の行列を列ベクトルとしてみれば,この計算はちょうど列ベクトルどうしの内積の値に等しくなる. :<math> \left( \begin{array}{c} a \\ b \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = ax + by \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a \\ b \\ c \end{array} \right) \cdot \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = ax + by + cz </math> 2 行の行列と 1 列の行列の積は次のようにして計算する. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by \\ cx + dy \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x \\ y \\ z \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz\\ dx + ey + fz \end{array} \right) </math> 左の行列を行にわけて計算するところがポイントである. 2 次の正方行列どうしの積,(2, 3) 型行列と (3, 2) 型行列の積はつぎのようになる. :<math> \left( \begin{array}{c} a & b \\ c & d \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & z\\ y & w \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by & az + bw \\ cx + dy & cz + dw \end{array} \right) \quad\quad\quad \left( \begin{array}{c} a & b & c\\ d & e & f \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} x & w \\ y & u \\ z & v \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} ax + by + cz & aw + bu + cv \\ dx + ey + fz & dw + eu + fv \end{array} \right) </math> 左の行列は行に分け,右の行列は列に分けて計算する. ここまでの例で一般の行列の積の計算の要領をわかっていただけたものと思う. 一般の行列の積に関してまとめると次のようになる. <!-- def:007:start --> <strong>定義7</strong> <strong>行列の積</strong> <math>A</math> を <math>(l, m)</math> 型行列,<math>B</math> を <math>(m, n)</math> 型行列とすると, <math>AB</math> は <math>(l, n)</math> 型行列であり,<math>(i, j)</math> 成分は <math>A</math> の第 <math>i</math> 行と <math>B</math> の第 <math>j</math> 列の積である. <math>\blacksquare</math> <!-- def:007:end --> 行列 <math>A, B</math> の積 <math>AB</math> が計算できるためには,<math>A</math> の列のサイズと <math>B</math> の行のサイズが一致しなければならないことに注意する. なお,この定義によると 1 列の行列と 1 行の行列の積は, :<math> \begin{pmatrix}a \\ b\end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay \\ bx & by\end{pmatrix}\quad\quad \begin{pmatrix}a \\ b \end{pmatrix} \begin{pmatrix}x & y & z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}ax & ay & az \\ bx & by & bz \end{pmatrix}\quad\quad </math> となる.左の行列の行で,右の行列を列に分けると1つずつの成分で行,列を構成することになってしまうのでこうなるわけである. 盲点になっている人がいるので念のため. こうして定義された行列の積について,次のような計算法則が成り立つ. <!-- th:007:start --> <strong>定理7</strong> <strong>行列の積の計算法則</strong> (1) <math>(AB)C = A(BC)\ \ \ </math>(結合則)<br /> (2a) <math>(A+B)C = AC + BC\ \ \ </math><br /> (2b) <math>A(B+C) = AB + AC\ \ \ </math>(分配則)<br /> (3) <math>AO = OA = O</math><br > <strong>証明</strong> 以下、行列 <math>M</math> の第 <math>i</math> 行第 <math>j</math> 列成分を <math>m_{ij}</math>, これと並行に成分の表示方法として,行列 <math>M</math> の各成分を <math>(M)_{ij}</math> と表示するものとする.<br /> (1) 行列の積 <math>AB, (AB)C, BC, A(BC)</math> のすべてが定義できるものと仮定する.<br /> 定理7 より、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_k a_{ik}b_{kj}</math><br /> よって、<br /> <math>(AB)_{ij} = \sum_x a_{ix}b_{xj}</math><br /> <math>\therefore \left\{ (AB)C \right\}_{ij} = \sum_y (AB)_{iy}c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \left( \sum_x a_{ix}b_{xy} \right)c_{yj}</math><br /> <math>= \sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because</math> <math>c</math> の添え字は内側の <math>\sum_x</math> の添え字<math>x</math>(従属変数)と関係ない。) <br /> 同様に、<br /> <math>\left\{A(BC)\right\}_{ij} = \sum_x a_{ix}\left(BC\right)_{xj}</math><br /> <math>=\sum_{x}a_{ix}\sum_y b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>=\sum_x \sum_y a_{ix}b_{xy}c_{yj}\ \ \ (\because a </math>の添え字は内側の<math>\sum_y</math> の添え字<math>y</math>(従属変数)と関係ない。)<br /> <math>=\sum_y \sum_x a_{ix}b_{xy}c_{yj}</math><br /> <math>= \left\{ (AB)C \right\}_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(BC) = (AB)C</math><br /> (2) 行列の積 <math>(A + B)C, AC, BC</math> が定義可能であると仮定する.<br /> <math>\left\{ (A+B)C \right\}_{ij} = \sum_k (A + B)_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k (a_{ik} + b_{ik} )c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k (a_{ik}c_{kj} + b_{ik}c_{kj})</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + \sum_k b_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= (AC)_{ij} + (BC)_{ij}</math><br /> <math>= (AC + BC)_{ij}</math><br /> <math>\therefore (A + B)C = AC + BC</math><br /> (3) 行列の積 <math>A(B + C), AB, AC</math> が定義可能であると仮定する.<br /> <math>\left\{ A(B + C) \right\}_{ij} = \sum_k a_{ik} (B + C)_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}(b_{kj} + c_{kj})</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + a_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}b_{kj} + \sum_k a_{ik}c_{kj}</math><br /> <math>= (AB)_{ij} + (AC)_{ij}</math><br /> <math>= (AB + AC)_{ij}</math><br /> <math>\therefore A(B + C) = AB + AC</math><br /> (4) <math>O</math> を零行列とし、行列の積 <math>AO</math> および <math>OA</math> のいずれも定義可能であると仮定する.<br /> <math>(AO)_{ij} = \sum_k a_{ik}o_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k a_{ik}\cdot 0 \ \ \ \because o_{kj} \equiv 0</math><br /> <math>= 0\ \ \ </math> (for all i, j)<br /> <math>\therefore AO = O</math><br /> <br /> <math>(OA)_{ij} = \sum_k o_{ik}a_{kj}</math><br /> <math>= \sum_k 0\cdot a_{kj} \ \ \ \because o_{kj} \equiv 0</math><br /> <math>= 0\ \ \ </math> (for all i, j)<br /> <math>\therefore OA = O</math><br /> <math>\therefore AO = OA = O</math><br /> <math>\blacksquare</math> <!-- th:007:end --> 行列の積の計算練習を行う. <!-- ex:005:start--> <div id="ex:5"> <strong>演習5.</strong><math>\quad</math> <strong>解答例</strong> <math>\blacksquare</math> <!-- ex:005:end--> i2p32v44aigxnqr5we6rbfl9k1yj22u ゲームプログラミング/バランス調整 0 27004 206496 206488 2022-08-12T17:20:34Z Honooo 14373 /* No title. */ 4番目のコラムの前まで修正。9/11。 wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカー、他| マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。 このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。 そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。 実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。 そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。 さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。 つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか? 辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど… また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 これはさらによくわからん(?_?)????? マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き? 要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。 まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど… }} {{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい| 確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。 まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。 漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。 とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。 そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない? ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。 それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。 新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。 とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。 YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。 まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。 ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。 結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。 }} アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。| イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。 この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。 作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。 ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。 はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。 まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。 まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。 公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か? 購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。 しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。 AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。 勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある? ;美人投票 経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。 前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。 ;ノイジー・マイノリティ ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。 基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。 なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。 そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。 そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。 衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。 }} さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。 E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。 勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。 そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。 具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか… その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。 {{コラム|一人で何でもできるか?| 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに言ってたのですが、どこかのマンガ出版社に対して、「と学会」のその人はマンガ原作者にネタ提供したことあるとの事です。 大衆は、漫画家を一人で何でもできる万能の人だと錯覚したいので、そういう大衆を喜ばせるために、アドバイザーが隠れて、漫画家の知らないネタでしかも読者にウケそうなネタのアイデアを提供をするのです。マンガ作品のクレジットには書かれませんが、そういうビジネスがあります。 もっとも、業界によってはアドバイザーがクレジットに記載される場合もあります。たとえばテレビドラマやアニメなどだと、「考証」や「監修」などで、関連するジャンルの専門家がアドバイスすることもあります。たとえばNHKの歴史大河ドラマなら、東大あたりの大学教授で歴史学教授といったプロの歴史学者が、監修についている場合もあります。 アニメではそこまで行かなくても、ミリタリー物のアニメなどで、実際に銃器を仕事であつかった経験のある人が監修をついていたり、軍事雑誌の記者などが監修についたりとか、そういうこともあります。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == i4afpfp29keuk4zc4pfchx74hkdzbwc 206502 206496 2022-08-12T18:25:24Z Honooo 14373 /* No title. */ 4番目のコラムまで終了。10/11。 wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカー、他| マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。 このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。 そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。 実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。 そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。 さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。 つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか? 辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど… また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 これはさらによくわからん(?_?)????? マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き? 要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。 まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど… }} {{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい| 確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。 まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。 漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。 とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。 そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない? ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。 それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。 新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。 とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。 YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。 まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。 ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。 結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。 }} アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。| イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。 この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。 作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。 ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。 はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。 まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。 まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。 公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か? 購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。 しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。 AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。 勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある? ;美人投票 経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。 前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。 ;ノイジー・マイノリティ ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。 基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。 なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。 そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。 そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。 衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。 }} さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。 E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。 勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。 そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。 具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか… その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。 {{コラム|一人で何でも出来るわけではない。しかし偏向した愚か者の集団より、一人の総合的な人間の方が、相対的にいいものを作り出すだろう。| 基本的に商業漫画、商業アニメーション、そしてほとんど多くの商業メディアはその根源的な創作部分でさえ、多人数の協業で作られています。一応全体を統括する指揮者はいますが、個々の秀逸な表現はその監督だけの手柄ではない。 これはこの手の物事についてある程度知っている人間にとっては、もちろんたまには例外もありますが、ほぼ当たり前のことで、得意げに語ることでも何でもない。 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに、この人物は、ある漫画原作者にネタ提供したと語ったという。しかしネタ提供といっても様々な形態があり、ピンからキリまであり、実際にその作品に貢献していない場合もあるし、単にこいつ、自慢話したかっただけだろ? 漫画家にしろ脚本家にしろ、色々な事柄にアイディアの元を頼っているだろう。有償無償に関わらず、アドバイザーも多いと思う。 ゴルゴ13なんかは明らかに協業で作られていたし、各種映画やテレビドラマも、様々な人間がその作品の質の向上に寄与している。 歴史ものや軍事物、その分野の専門家が強力に考証を加えているし、当然設定の信頼度も高くなる。 だから創作作品は協業関係が上手に機能して、それを統一した理念でまとめ上げれば、当然質はかなり高いものを作る事が出来る。 }} {{コラム|可処分時間| 21世紀のビジネス用語で「可処分時間」という概念があります。 もともと「可処分所得」という経理などの用語があり、 「可処分所得」とは労働者が給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、 残りの(法的には)自由に使えるぶんの金額です。 実際には、水道光熱費といった公共料金など自由といえるかどうか分かりませんが、この議論では本質的ではないので深入りしないでおきます。 さて、可処分時間とは、可処分所得になぞらえて、可処分時間とは、おおむね、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」という意味です。 可処分所得に限りがあるように、可処分時間にも限りがあります。だから、商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合いであると同時に、消費者の可処分時間の奪い合いでもあるのです。 1つの他人の作品に投じる可処分時間を増やしたら、当然ですが、他の作品への可処分時間の投入量が減ります。 こういう厳然たる事実があります。「可処分時間」という用語までクリエイターが覚える必要はないでしょうが、しかし消費者の時間に限りがあるという事実からは決して逃げることができないのです。しかもよく評論で「エンタメ界隈は、可処分時間の奪い合いの産業である」とも言われます。 クリエイターだって時間に限りがあります。たとえば、休日にもし自主制作の作品をつくっていたら、当然ですが、他人の作品を鑑賞する時間は減ります。 }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == 2yy51f48583c5pnyaioepearh5vdurc 206503 206502 2022-08-12T19:49:46Z Honooo 14373 /* No title. */ 11/11。 wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカー、他| マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。 このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。 そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。 実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。 そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。 さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。 つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか? 辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど… また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 これはさらによくわからん(?_?)????? マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き? 要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。 まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど… }} {{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい| 確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。 まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。 漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。 とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。 そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない? ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。 それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。 新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。 とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。 YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。 まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。 ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。 結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。 }} アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。| イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。 この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。 作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。 ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。 はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。 まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。 まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。 公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か? 購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。 しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。 AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。 勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある? ;美人投票 経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。 前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。 ;ノイジー・マイノリティ ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。 基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。 なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。 そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。 そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。 衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。 }} さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。 E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。 勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。 そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。 具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか… その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。 {{コラム|一人で何でも出来るわけではない。しかし偏向した愚か者の集団より、一人の総合的な人間の方が、相対的にいいものを作り出すだろう。| 基本的に商業漫画、商業アニメーション、そしてほとんど多くの商業メディアはその根源的な創作部分でさえ、多人数の協業で作られています。一応全体を統括する指揮者はいますが、個々の秀逸な表現はその監督だけの手柄ではない。 これはこの手の物事についてある程度知っている人間にとっては、もちろんたまには例外もありますが、ほぼ当たり前のことで、得意げに語ることでも何でもない。 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに、この人物は、ある漫画原作者にネタ提供したと語ったという。しかしネタ提供といっても様々な形態があり、ピンからキリまであり、実際にその作品に貢献していない場合もあるし、単にこいつ、自慢話したかっただけだろ? 漫画家にしろ脚本家にしろ、色々な事柄にアイディアの元を頼っているだろう。有償無償に関わらず、アドバイザーも多いと思う。 ゴルゴ13なんかは明らかに協業で作られていたし、各種映画やテレビドラマも、様々な人間がその作品の質の向上に寄与している。 歴史ものや軍事物、その分野の専門家が強力に考証を加えているし、当然設定の信頼度も高くなる。 だから創作作品は協業関係が上手に機能して、それを統一した理念でまとめ上げれば、当然質はかなり高いものを作る事が出来る。 }} {{コラム|可処分時間| 経理には「可処分所得」という用語があります。労働者の給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、残りの自由に使えるぶんの金額です。勿論その中から自分の生活費は支出しなければいけませんがね。 そこから類推して「可処分時間」。 前編集者の言葉では、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」。 だから、もし無職で何らかの理由で生活できるなら、100%が可処分時間でしょう。 で、E.Suj. はこのサイトで、こういう人間をひたすら愚弄するような文章を書き続けて来たのですが、 E.Suj. 自身の可処分時間は何%? 仮にこのサイトでインチキ書いてお金が入っても、それは可処分時間に入れろよ? そして…「商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合い」ということらしいけど…希少な可処分時間を奪われたうえ、そいつらに金払うの? 可処分時間って必ず金払って埋めなければいけないの? }} === クリア保証と戦術性のジレンマ === ==== クリア保証 ==== ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。 たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。 その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 ] 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。 要するに、 :* クリア保証、 :* 難易度の自動調整機能、 の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。 リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。 ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある<ref>[http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ] 2020年12月21日に閲覧して確認. </ref>。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == 64g9tdks40k04p5e2f6zdv8hy4nk3py 高等学校数学A 0 32724 206529 204118 2022-08-13T09:44:24Z 61.21.30.95 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|frame=1}} ;科目とその性格 :「数学I」の内容を補完するとともに、数学のよさを認識し、数学的に考える資質・能力を培う。 ;含まれる単元とその内容 :'''履修に当たっては、生徒の特性や学校の実態、単位数等に応じて、内容の1から3までの中から適宜、適切な内容を選択させる。''' #[[高等学校数学A/図形の性質|図形の性質]] #*平面図形 #**三角形の性質 #**円の性質 #**作図 #*空間図形 #[[高等学校数学A/場合の数と確率|場合の数と確率]] #*場合の数 #**数え上げの原則 #**順列・組合せ #*確率 #**確率とその基本的な法則 #***余事象、排反、期待値 #**独立な試行と確率 #**条件付き確率 #[[高等学校数学A/数学と人間の活動|数学と人間の活動]] #*数量や図形と人間の活動 #*遊びの中の数学 #**ユークリッドの互除法、n進法、平面や空間における点の位置 {{DEFAULTSORT:新こうとうかつこうすうかくA}} [[Category:数学]] [[Category:数学教育]] [[Category:学校教育]] [[Category:普通教育]] [[Category:後期中等教育]] [[Category:高等学校教育]] [[Category:高等学校数学A|*]] 2pg2zaxnnzh4e7fns97cw2v96rd13i0 単純承認 0 35318 206495 2022-08-12T17:17:30Z Tomzo 248 ページの作成:「#redirect[[w:{{subst:PAGENAME}}]]」 wikitext text/x-wiki #redirect[[w:単純承認]] ldjsljcf73g0n8iksbiv42151hkis7c 民法第1126条 0 35319 206499 2022-08-12T17:44:20Z Tomzo 248 [[民法第1024条]]への転送ページ wikitext text/x-wiki #転送 [[民法第1024条]] [[category:民法|m1126]] [[category:削除された条文|民m1126]] mwz5pzbzqd721a0kgaquxy02sm2n1uw 遺言書 0 35320 206500 2022-08-12T17:45:15Z Tomzo 248 ページの作成:「#redirect[[w:{{subst:PAGENAME}}]]」 wikitext text/x-wiki #redirect[[w:遺言書]] jmon9h55tiusfbz9awxpjers3l5lzl0 遺贈 0 35321 206501 2022-08-12T17:45:40Z Tomzo 248 ページの作成:「#redirect[[w:{{subst:PAGENAME}}]]」 wikitext text/x-wiki #redirect[[w:遺贈]] esiuqv4fdvicxxtmk6ty4hjkw596hkq