Wikibooks jawikibooks https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.39.0-wmf.23 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikibooks Wikibooks・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク Transwiki Transwiki‐ノート TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Gadget Gadget talk Gadget definition Gadget definition talk 高等学校政治経済 0 590 206544 177187 2022-08-14T04:01:30Z Honooo 14373 /* 経済 */ wikitext text/x-wiki :* [[高等学校の学習]] > 高等学校政治経済 ---- 高等学校の科目「政治経済」は、高等学校など(普通科高校の他、中等教育学校の後期課程、盲学校・聾学校・養護学校の高等部などがある)における普通教科の一科目であり、「公民」分野の一科目であり、政治・経済の内容に関する解説をする科目である。 == 教科書 == === 政治 === ==== 民主政治の基本原理 ==== :* [[高等学校政治経済/政治/近代民主政治の歴史]] {{進捗|50%|2016-04-05}} :* [[高等学校政治経済/政治/世界のおもな政治体制]] {{進捗|50%|2016-04-05}} :* [[高等学校政治経済/政治/政治と法]] :* [[高等学校政治経済/政治/憲法の基本原理]] {{進捗|50%|2016-04-05}} ==== 国際法と国際社会 ==== :* [[高等学校政治経済/政治/国際法と国際社会]] {{進捗|50%|2016-04-05}} ==== 日本国憲法と人権保障 ==== :* [[高等学校政治経済/大日本帝国憲法と日本国憲法]] :* [[高等学校政治経済/日本国憲法と人権保障]] {{進捗|25%|2015-09-26}} :* [[高等学校政治経済/政治/日本の安全保障と憲法問題]] {{進捗|25%|2017-07-06}} ==== 現在日本の政治機構 ==== :* [[高等学校政治経済/政治/55年体制]] {{進捗|00%|2016-04-05}} ==== 国際政治 ==== :* [[高等学校政治経済/政治/国際政治]] {{進捗|25%|2016-04-05}} :* 高等学校政治経済/政治/戦後の日本外交 {{進捗|00%|2016-04-05}} ==== その他 ==== ===== 法の概念 ===== :* [[高等学校商業 経済活動と法/法の分類]] (※ 以下の概念が高校「政治経済」の範囲内。「自然法」と「実定法」。「慣習法」。「公法」と「私法」。)(※ 山川出版社などの検定教科書で確認。) :* [[高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示]] (※ 以下の概念が高校「政治経済」の範囲内。「契約自由の原則」。)(※ 清水書院の検定教科書(平成25年検定版)で確認。) =====※ 整理中===== :* [[高等学校政治経済/政治]] {{進捗|25%|2015-09-26}} ===<span id="e"></span>経済=== ==== 経済思想の歴史 ==== :* [[高等学校政治経済/経済/経済思想]] {{進捗|25%|2015-09-26}} ==== 現代経済の仕組み ==== :* [[高等学校政治経済/経済/財政と税]] {{進捗|50%|2016-04-01}} :* [[高等学校政治経済/経済/市場の機能と限界]] {{進捗|25%|2016-03-29}} :* [[高等学校政治経済/経済/物価の動き‎]] {{進捗|50%|2016-04-01}} :* [[高等学校政治経済/経済/経済成長と景気変動‎]] {{進捗|50%|2016-04-01}} :* [[高等学校政治経済/経済/貨幣と金融‎]] {{進捗|50%|2016-04-01}} ==== 日本経済 ==== :* [[高等学校政治経済/経済/戦後日本の経済のあゆみ]] {{進捗|50%|2016-04-03}} :* [[高等学校政治経済/経済/産業構造の変化]] {{進捗|50%|2016-04-04}} :* [[高等学校政治経済/経済/中小企業問題]] {{進捗|50%|2016-04-04}} :* [[高等学校政治経済/経済/農業と食料自給率問題]] {{進捗|50%|2016-04-04}} :* [[高等学校政治経済/経済/労働問題と労働市場]] {{進捗|50%|2016-04-04}} :* [[高等学校政治経済/経済/社会保障]] {{進捗|50%|2016-04-05}} :* [[高等学校政治経済/経済/消費者問題]] {{進捗|25%|2016-04-07}} :* [[高等学校政治経済/経済/公害と環境保全]] :* [[高等学校政治経済/経済/企業の種類と株式会社]] ==== 国際経済と日本 ==== :* [[高等学校政治経済/経済/第二次大戦後の国際経済の歴史]] {{進捗|50%|2016-04-07}} :* [[高等学校政治経済/経済/国際経済のしくみ]] {{進捗|50%|2016-04-07}} :* [[高等学校政治経済/経済/地域的経済統合]] {{進捗|25%|2016-04-07}} === 現代社会の諸課題および付録 === :* [[高等学校政治経済/現代社会の諸課題]] {{進捗|00%|2015-08-14}} :* [[高等学校政治経済/権利と義務]] :* 参考: [[高等学校政治経済/政治/保守と革新、右翼と左翼]] === その他 === :* [[高等学校政治経済/その他]] (センター過去問の出題など) == 関連リンク == 学習方法などは次のページにある。 :* [[学習方法/高校政治経済]] {{進捗|25%|2015-08-14}} :* [[学習方法/高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド]] :* [[高等学校政治経済/政治/the Constitution of Japan/Preamble]] (日本国憲法 前文) (※ 山川出版社の検定教科書に、憲法前文の英訳原文あり) [[Category:社会|こうとうがっこうせいじけいざい]] 9tf3jh20mibzhsc5zp2bwjk6k017y87 京大対策/地歴 0 11203 206548 173176 2022-08-14T08:48:50Z 49.250.85.120 /* 概説 */ wikitext text/x-wiki ===世界史=== ====概説==== 京都大学の世界史は東洋史と西洋史に関する問題がそれぞれ2題ずつ出題される。時代に関して言えば古代から現代まで広く浅く出題されており、世界史に関する広範な知識体系の確立が受験生には要求される。問題形式は短答式・小論述式の問題が2題と、長論述式問題の問題が2題というスタイルが定着している。過去には教科書の内容を逸脱した出題がなされたこともあったが、現在では基本的に、検定教科書の範疇を超えない問題が出題されるようになっている(特に論述)。ななな ====問題==== 【1】【3】が300字の論述。【2】【4】が小論述を含む単問集合である。 【1】【2】がアジア系、【3】【4】が西欧系(アフリカも含む)という出題が多い。 ====頻出分野==== 地域別にいえばアジア史(特に中国史)とヨーロッパ史が毎年出題されている。近年はそれに加えてアメリカ史が取り上げられるようになってきた。アフリカ史はここ5年程度出題されていなかったが、2008年度と2009年度に取り上げられた。分野別にいえば政治史が頻繁に取り上げられる。当然のことながら、ここで指摘した分野以外も満遍なく勉強するべきなのは言うまでもない。 ====難易度==== 京大の世界史は問題自体は総じて標準レベルである。とはいえ、試験で要求される知識それ自体は教科書で充分に事足りるものの、問題量が時間に比べて多いため、世界史のどの分野も穴のないように仕上げておかないと、なかなか高得点は取りづらい出題形式になっているといえる。 ====近年の傾向==== 2007年から2009年度にかけては大きな難易度の変化は見られなかった。ここ4~5年は難易度は比較的安定している。 以下のサイトに2011年度までの過去問が全部載っている。 http://www.ne.jp/asahi/wh/class/kakamon.html ====対策==== まずは資料集や教科書を精読して、おおまかな時代の流れをつかんでおきたい。その上で、問題集を使用して、ゴジック体で強調されている基本語句を覚えていきたい。京都大学の世界史は幅広い分野でのオールラウンドな能力を問うているので、どの分野にも偏りのないように学習しておきたい。定期考査や模試などを活用し、知識の拡充に努めるのが良いだろう。また、資料集などに掲載されている年表を利用し、同じ時代における各地域の状況なども把握しておきたい。特に、フランス革命や第一次世界大戦など、大きな歴史の転換点になった出来事を学習する際は、時代背景とその出来事がその後その地域にいかなる影響を与えたかというようなことを他人に説明できるようになるくらいまで理解しておくことが大切である。論述問題に関しては京大の過去問や他大学の過去問を使用し、制限時間を自分で設けて答案を作成してみるのも効果的である。 ===日本史=== ====問題==== 京都大学の日本史入試問題は大問4題から構成されており、第1問が歴史史料をもとにした短答式問題、第2問がテーマに関する歴史文章の穴埋め短答式問題、第3問が3つ程度の文章をもとにした短答式問題、第4問が論述問題(200字×2問)、という形態が定式化している。史料問題に関しては、未見史料をもとに基礎事項を問う、というタイプの問題が多い。配点でみれば、短答式問題が1問1点×70問となっており、論述問題が一題15点×2題となっている。 ====頻出分野==== 基本的に古代から近代までを幅広く扱った融合問題であることが多く、偏りはあまり見られない。政治史、外交史、文化史、経済史のどれからも満遍なく出題され、また時代別に見ても、原始、古代、中世、近世、近代、現代のすべてを広く浅く網羅した問題となっている。 ====難易度==== 現在のところ、試験本番で要求される知識量は教科書や一般的な用語集で充分対応できるレベルに落ち着いている。したがって、日本史のどの分野も穴がないように学習した者にとってはそれほど難しい問題ではないと考えられる。だが、史料問題では受験生にはあまり馴染みのない史料が取り上げられることがあるので、それにも対処できる能力を養うためには、やはり相当量の学習が必要だと考えられる。また、90分で大量の問題を処理せねばならないので高い処理能力が必要である。 ====近年の傾向==== 2007年度から2009年度にかけては難易度に大きな変化は見られなかったが、高水準の出題であったことには変わりない。 ====対策==== 京大の日本史で解答を求められる知識の殆どは定期試験や模試等でよく書かされる基本語句レベルである。本番においてこれらを全て正確に解答することができればそれだけでほぼ合格点に近い点数を確保することができる。したがって、まずは教科書を(特にゴジック体になっている重要語句の周りは念入りに)熟読し、図説資料集などで体系的に理解を深め、その語句の意味を用語集で確認するといった作業が必要となる。(語句に関連する情報が多ければ多いほどその語句を覚え易くなるものである。その語句だけを何回も書いて覚えるのは、効率も悪いし応用も全く利かない。時間の無駄である。)もちろん、これだけでは頭に残るはずもないので、覚えた(と思われる)内容を教科書傍用問題集でチェックすることも必要である。また、京大は大問1が史料問題であるから、史料集等を活用し、史料(原典)に慣れておきたい。その際は細かい暗記に走る必要は全くない。その史料がどういう内容を表しているか大まかに掴んでおくだけで充分である。(但し、班田収受の法や、養老律令等の「超」有名な史料に関しては話は別である。この場合はキーワードとなる語句は覚えておきたい。例えば、子代・名代等)論述問題に関しては京大の過去問や、他大学の過去問も参考にしてやってみるとよい。【1】【2】【3】は京都府立大学、【4】は大阪大学の問題が本学の問題傾向と似ており参考にするとよい。 ===地理=== ====概説==== 京都大学の地理は豊富な知識量と高度な論述力を受験生に要求しているといえる。よって、付け焼刃の学力では京大地理で合格点を取るのは厳しいといえるが、逆を言えば、基礎固めと問題演習を行えば合格点を確保するのは可能であると考えられる。問題形式は短答式・小論述(要するに説明問題)式の問題が中心である。 ====問題==== 産業、社会(都市が多い)、自然及び地図、地誌の4分野からの出題がほとんどであり、自然分野は他の問題の中で小問として扱われることも多い。論述字数は他の2科目に比べて少ないので、解答をコンパクトにまとめる力が要求される。 また図表や統計資料が提示されることも多く、分析能力や読解力を必要とする問題が多い。解答欄の個数は毎年約40個程度である。 ====頻出分野==== 近年の頻出分野は、地域別には日本やアジア、分野別には産業分野などであるが、全体的に総合問題的な色合いが強いので、どの地域(どの分野)の学習にも手を抜くべきではない。 ====難易度==== 京大地理に要求されるオールラウンドな知識・学力と、統計に対する深い読解力・分析力、ポイントを鋭く突いた記述を短時間で作成する能力は一朝一夕に養成できるものではないので易しいとは言いがたい。常日頃からの学習の積み重ねが必要である。 ====近年の傾向==== 2008年度は2007年度に比べてやや難化した。来年度以降も高水準の出題に備えて対策すべきである。 ====対策==== まずは教科書や地図帳などを積極的に併用して、地名や都市名、地域ごとの気候変動のようす等をおさえることが第一歩である。その際は単なる文字列の暗記に止まるのではなく(そもそも効率が悪すぎる)、理由や仕組みなどを第三者にも説明できるくらい理解しておくということが大切である。また、地図帳や付録の統計等にも目を通しておき、なるたけ関連するような情報は(雑学的なものであっても構わないので)仕入れておきたい。農産物や工業製品の統計順位なども理由付けして覚えていくと頭に入り易い。(これは中学地理の要領で構わない。)さらに、2008年度は出題されなかったものの、京大地理では地形図に関連する問題が毎年のように出題されている。普段から教科書や資料集、問題集を使って読図の練習をしておき、地形図に熟達しておきたい。加えて、昔の地形図と現代の地形図の比較の練習もやっておくとなお良い。論述問題に関しては京大の過去問を使用しながら、解答するべき要素を素早く判断し、指定字数以内でまとめる練習をしておきたい。 [[Category:京都大学対策|ちれき]] 6qaxztovcfmqzrwbeiezsqq9io83ws1 206549 206548 2022-08-14T08:49:06Z 49.250.85.120 /* 概説 */ wikitext text/x-wiki ===世界史=== ====概説==== 京都大学の世界史は東洋史と西洋史に関する問題がそれぞれ2題ずつ出題される。時代に関して言えば古代から現代まで広く浅く出題されており、世界史に関する広範な知識体系の確立が受験生には要求される。問題形式は短答式・小論述式の問題が2題と、長論述式問題の問題が2題というスタイルが定着している。過去には教科書の内容を逸脱した出題がなされたこともあったが、現在では基本的に、検定教科書の範疇を超えない問題が出題されるようになっている(特に論述)。 ====問題==== 【1】【3】が300字の論述。【2】【4】が小論述を含む単問集合である。 【1】【2】がアジア系、【3】【4】が西欧系(アフリカも含む)という出題が多い。 ====頻出分野==== 地域別にいえばアジア史(特に中国史)とヨーロッパ史が毎年出題されている。近年はそれに加えてアメリカ史が取り上げられるようになってきた。アフリカ史はここ5年程度出題されていなかったが、2008年度と2009年度に取り上げられた。分野別にいえば政治史が頻繁に取り上げられる。当然のことながら、ここで指摘した分野以外も満遍なく勉強するべきなのは言うまでもない。 ====難易度==== 京大の世界史は問題自体は総じて標準レベルである。とはいえ、試験で要求される知識それ自体は教科書で充分に事足りるものの、問題量が時間に比べて多いため、世界史のどの分野も穴のないように仕上げておかないと、なかなか高得点は取りづらい出題形式になっているといえる。 ====近年の傾向==== 2007年から2009年度にかけては大きな難易度の変化は見られなかった。ここ4~5年は難易度は比較的安定している。 以下のサイトに2011年度までの過去問が全部載っている。 http://www.ne.jp/asahi/wh/class/kakamon.html ====対策==== まずは資料集や教科書を精読して、おおまかな時代の流れをつかんでおきたい。その上で、問題集を使用して、ゴジック体で強調されている基本語句を覚えていきたい。京都大学の世界史は幅広い分野でのオールラウンドな能力を問うているので、どの分野にも偏りのないように学習しておきたい。定期考査や模試などを活用し、知識の拡充に努めるのが良いだろう。また、資料集などに掲載されている年表を利用し、同じ時代における各地域の状況なども把握しておきたい。特に、フランス革命や第一次世界大戦など、大きな歴史の転換点になった出来事を学習する際は、時代背景とその出来事がその後その地域にいかなる影響を与えたかというようなことを他人に説明できるようになるくらいまで理解しておくことが大切である。論述問題に関しては京大の過去問や他大学の過去問を使用し、制限時間を自分で設けて答案を作成してみるのも効果的である。 ===日本史=== ====問題==== 京都大学の日本史入試問題は大問4題から構成されており、第1問が歴史史料をもとにした短答式問題、第2問がテーマに関する歴史文章の穴埋め短答式問題、第3問が3つ程度の文章をもとにした短答式問題、第4問が論述問題(200字×2問)、という形態が定式化している。史料問題に関しては、未見史料をもとに基礎事項を問う、というタイプの問題が多い。配点でみれば、短答式問題が1問1点×70問となっており、論述問題が一題15点×2題となっている。 ====頻出分野==== 基本的に古代から近代までを幅広く扱った融合問題であることが多く、偏りはあまり見られない。政治史、外交史、文化史、経済史のどれからも満遍なく出題され、また時代別に見ても、原始、古代、中世、近世、近代、現代のすべてを広く浅く網羅した問題となっている。 ====難易度==== 現在のところ、試験本番で要求される知識量は教科書や一般的な用語集で充分対応できるレベルに落ち着いている。したがって、日本史のどの分野も穴がないように学習した者にとってはそれほど難しい問題ではないと考えられる。だが、史料問題では受験生にはあまり馴染みのない史料が取り上げられることがあるので、それにも対処できる能力を養うためには、やはり相当量の学習が必要だと考えられる。また、90分で大量の問題を処理せねばならないので高い処理能力が必要である。 ====近年の傾向==== 2007年度から2009年度にかけては難易度に大きな変化は見られなかったが、高水準の出題であったことには変わりない。 ====対策==== 京大の日本史で解答を求められる知識の殆どは定期試験や模試等でよく書かされる基本語句レベルである。本番においてこれらを全て正確に解答することができればそれだけでほぼ合格点に近い点数を確保することができる。したがって、まずは教科書を(特にゴジック体になっている重要語句の周りは念入りに)熟読し、図説資料集などで体系的に理解を深め、その語句の意味を用語集で確認するといった作業が必要となる。(語句に関連する情報が多ければ多いほどその語句を覚え易くなるものである。その語句だけを何回も書いて覚えるのは、効率も悪いし応用も全く利かない。時間の無駄である。)もちろん、これだけでは頭に残るはずもないので、覚えた(と思われる)内容を教科書傍用問題集でチェックすることも必要である。また、京大は大問1が史料問題であるから、史料集等を活用し、史料(原典)に慣れておきたい。その際は細かい暗記に走る必要は全くない。その史料がどういう内容を表しているか大まかに掴んでおくだけで充分である。(但し、班田収受の法や、養老律令等の「超」有名な史料に関しては話は別である。この場合はキーワードとなる語句は覚えておきたい。例えば、子代・名代等)論述問題に関しては京大の過去問や、他大学の過去問も参考にしてやってみるとよい。【1】【2】【3】は京都府立大学、【4】は大阪大学の問題が本学の問題傾向と似ており参考にするとよい。 ===地理=== ====概説==== 京都大学の地理は豊富な知識量と高度な論述力を受験生に要求しているといえる。よって、付け焼刃の学力では京大地理で合格点を取るのは厳しいといえるが、逆を言えば、基礎固めと問題演習を行えば合格点を確保するのは可能であると考えられる。問題形式は短答式・小論述(要するに説明問題)式の問題が中心である。 ====問題==== 産業、社会(都市が多い)、自然及び地図、地誌の4分野からの出題がほとんどであり、自然分野は他の問題の中で小問として扱われることも多い。論述字数は他の2科目に比べて少ないので、解答をコンパクトにまとめる力が要求される。 また図表や統計資料が提示されることも多く、分析能力や読解力を必要とする問題が多い。解答欄の個数は毎年約40個程度である。 ====頻出分野==== 近年の頻出分野は、地域別には日本やアジア、分野別には産業分野などであるが、全体的に総合問題的な色合いが強いので、どの地域(どの分野)の学習にも手を抜くべきではない。 ====難易度==== 京大地理に要求されるオールラウンドな知識・学力と、統計に対する深い読解力・分析力、ポイントを鋭く突いた記述を短時間で作成する能力は一朝一夕に養成できるものではないので易しいとは言いがたい。常日頃からの学習の積み重ねが必要である。 ====近年の傾向==== 2008年度は2007年度に比べてやや難化した。来年度以降も高水準の出題に備えて対策すべきである。 ====対策==== まずは教科書や地図帳などを積極的に併用して、地名や都市名、地域ごとの気候変動のようす等をおさえることが第一歩である。その際は単なる文字列の暗記に止まるのではなく(そもそも効率が悪すぎる)、理由や仕組みなどを第三者にも説明できるくらい理解しておくということが大切である。また、地図帳や付録の統計等にも目を通しておき、なるたけ関連するような情報は(雑学的なものであっても構わないので)仕入れておきたい。農産物や工業製品の統計順位なども理由付けして覚えていくと頭に入り易い。(これは中学地理の要領で構わない。)さらに、2008年度は出題されなかったものの、京大地理では地形図に関連する問題が毎年のように出題されている。普段から教科書や資料集、問題集を使って読図の練習をしておき、地形図に熟達しておきたい。加えて、昔の地形図と現代の地形図の比較の練習もやっておくとなお良い。論述問題に関しては京大の過去問を使用しながら、解答するべき要素を素早く判断し、指定字数以内でまとめる練習をしておきたい。 [[Category:京都大学対策|ちれき]] bsmmq7yezo8407n1ateadx4h0dtjoh9 労働基準法第34条 0 12129 206535 198568 2022-08-13T17:45:37Z Tomzo 248 wikitext text/x-wiki [[コンメンタール]]>[[労働基準法]] ([[労働基準法第33条|前]])([[労働基準法第35条|次]]) ==条文== (休憩) ;第34条   #[[使用者]]は、労働時間が6時間を超える場合においては少くとも45分、8時間を超える場合においては少くとも1時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。 #前項の休憩時間は、一斉に与えなければならない。ただし、当該事業場に、[[労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定]]があるときは、この限りでない。 #使用者は、第1項の休憩時間を自由に利用させなければならない。 ==解説== :休憩時間の付与についての定め :*「休憩時間」とは、 :*:「単に作業に従事しない手待時間を含まず労働者が権利として労働から離れることを保障される時間」 #休憩の付与義務 ##休憩時間は、労働時間に含まない([[労働基準法第38条|第38条]]第2項の反対解釈)。したがって、当該時間分の給与は発生しない。 ##労働時間が6時間に満たない場合は休憩時間を与える必要はない。 ##休憩時間を分割して設定することも可能である。 ##『労働時間の途中』に与えなければならない ##:始業時間又は終業時間に接して、始業時間繰り下げ・就業時間繰上げの対応によってはならない。 #一斉付与の原則 #自由利用の原則 ##電話対応のための待機等を命ずる場合には、休憩時間を与えたとはされない。 ##休憩時間中の行動制限には合理的理由を必要とする。 ##*外出に関して、理由の告知等を求める許可制は自由利用の原則を侵害するおそれがあり、所在を明らかにする程度の届出制が限界。 ==参照条文== *[[労働基準法第67条]](育児時間) *[[労働基準法第106条]](法令等の周知義務) *[[労働基準法施行規則第6条の2]] *[[労働基準法施行規則第15条]] *[[労働基準法施行規則第31条]] ==判例== *[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=53211&hanreiKbn=02 懲戒戒告処分無効確認(通称 目黒電報電話局戒告)](最高裁判決 昭和52年12月13日) 日本電信電話公社法33条,日本電信電話公社法34条1項,日本電信電話公社法34条2項,[[労働基準法第89条]] *:休憩時間中の事業所内における政治的活動等について事業所の管理責任者の事前の許可を受けなければならない旨を定める就業規則の規定は休憩時間の自由利用に対する合理約な制約である。 *::休憩時間中であつても、局所内における演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を行うことは、<u>局所内の施設の管理を妨げるおそれ</u>があり、<u>他の職員の休憩時間の自由利用を妨げひいてはその後の作業能率を低下させるおそれ</u>があり、<u>その内容いかんによつては企業の運営に支障をきたし企業秩序を乱すおそれ</u>があるから、休憩時間中にこれを行うについても局所の管理責任者の事前の許可を受けなければならない旨を定める日本電信電話公社の就業規則の規定は、休憩時間の自由利用に対する合理的な制約というべきである。 ---- {{前後 |[[労働基準法|労働基準法]] |[[労働基準法#4|第4章 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇]]<br> |[[労働基準法第33条]]<br>(災害等による臨時の必要がある場合の時間外労働等) |[[労働基準法第35条]]<br>(休日) }} {{stub|law}} [[category:労働基準法|034]] bbfcws2qmsvv5u4dse8zidv0ob43ghs 行政不服審査法第24条 0 12214 206534 193607 2022-08-13T13:34:46Z 153.136.227.91 説明の追加。 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[行政法]]>[[コンメンタール行政不服審査法]] ==条文== (審理手続を経ないでする却下裁決) ;第24条 # 前条の場合において、審査請求人が同条の期間内に不備を補正しないときは、審査庁は、[[コンメンタール行政不服審査法#2-3|次節]]に規定する審理手続を経ないで、[[行政不服審査法第45条|第45条]]第1項又は[[行政不服審査法第49条|第49条]]第1項の規定に基づき、裁決で、当該審査請求を却下することができる。 # 審査請求が不適法であって補正することができないことが明らかなときも、前項と同様とする。 ==解説== 2項について説明すると、「補正することができないことが明らかなとき」とは、例えば「審査請求に係る処分……があったことを知った年月日」と「審査請求の年月日」の記載を見て明らかに請求できる期間を過ぎていることが明らかである場合であって、かつその徒過の「正当な理由」をも明白に欠く場合などである。他方で期間の徒過に係る「正当な理由」該当性の判断や、あるいは審査請求に係る処分の処分性の有無や、かかる処分の取り消しまたは変更を求める法律上の利益の有無の判断の場合であれば、それらの充足が審査請求の適法要件であるとしても、本項の規定に該当するか否かには慎重な検討を要し、具体的な審理を実施しなければ判断できない場合もありうる。そのような場合は本項に該当せず、審理員による審理手続きを行う必要がある<ref>{{harv |磯部|2020}}</ref>。 ==参照条文== ==判例== == 脚注または引用文献 == {{reflist}} * {{cite book | 和書 | title = 条解行政不服審査法 | chapter = 審理手続を経ないでする却下裁決 | author = 磯部哲 | editor1 = 小早川光男 | editor2 = 磯部滋 | pages = 135 - 136 | publisher = 弘文堂 | year = 2020 | <!--date = 2020(令和2)-04-15 |--> isbn = 978-4-335-35820-3 | ref = {{harvid | 磯部 | 2020}} | edition = 第二版}} ---- {{前後 |[[コンメンタール行政不服審査法|行政不服審査法]] |[[コンメンタール行政不服審査法#2|第2章 審査請求]]<br> [[コンメンタール行政不服審査法#2-2|第2節 審査請求の手続]] |[[行政不服審査法第23条|第23条]]<br>(審査請求書の補正) |[[行政不服審査法第25条|第25条]]<br>(執行停止) }} {{stub}} [[category:行政不服審査法|24]] 9vc6qcx0vcnaibgtu4l4mqrfhs3picp 高校英語の文法 0 21996 206538 206528 2022-08-13T23:14:42Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== 典型的な例文で、 Is there anything to write with? 「なにか書くもの(鉛筆やペンなど)はありませんか?」 がある(ジーニアス、エバーグリーン)。 なお、エバーグリーンでは Do you have anything to write with? と若干の違いがある。 まず、不定詞のあとの前置詞の付け忘れに注意(青チャート)。 なぜなら、たとえば「ペンで書く」は write with a pen なので、「なにか書くためのもの」といった不定詞にする場合も anything to write with のように前置詞 with が必要になる。 なお、疑問文や否定文の場合なので anything となっている。 ほか、「遊ぶための友達」 someone to play with が、参考書によくある(青チャート、ブレイクスルー、ジーニアス)。 Tom has a lot of friends to play with. 「トムには遊ぶための友達が多くいる。」 ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 不定詞や動名詞は、ともにほかの動詞にともなって使われるという共通点もあるので、それに注目した品詞の分類もある。「準動詞」という分類では、不定詞・動名詞・分詞の3つを'''準動詞'''であるとして分類している(青チャート、インスパ、ブレイク、エバーグリーン)。 「準動詞」は、大学入試には出ないが、比較的に参考書に良く書いてある知識。 いっぽう、SVOとかSVCなどでいうVのようなものを「述語動詞」という(エバ)。 準動詞は、述語動詞ではない。なぜなら、不定詞も動名詞も、それはSVOやSVCのVにはならないからである。なので、準動詞と述語動詞は別物であると区別しなければならない。 また、このこととも関連するが、準動詞には、主語の人称・数などによる活用形の変化が無いという共通点がある。 つまり、たとえば三人称単数などによる変化は不定詞には無い。末尾に、sはつかない。当然、~ingなどの動名詞や現在分詞、~edといった過去分詞の末尾などにはsはつかない。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] 1x63ulmhubwmk33j8p88u0odgfpnqms 206540 206538 2022-08-14T01:37:38Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ 独立不定詞 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== 典型的な例文で、 Is there anything to write with? 「なにか書くもの(鉛筆やペンなど)はありませんか?」 がある(ジーニアス、エバーグリーン)。 なお、エバーグリーンでは Do you have anything to write with? と若干の違いがある。 まず、不定詞のあとの前置詞の付け忘れに注意(青チャート)。 なぜなら、たとえば「ペンで書く」は write with a pen なので、「なにか書くためのもの」といった不定詞にする場合も anything to write with のように前置詞 with が必要になる。 なお、疑問文や否定文の場合なので anything となっている。 ほか、「遊ぶための友達」 someone to play with が、参考書によくある(青チャート、ブレイクスルー、ジーニアス)。 Tom has a lot of friends to play with. 「トムには遊ぶための友達が多くいる。」 ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 不定詞や動名詞は、ともにほかの動詞にともなって使われるという共通点もあるので、それに注目した品詞の分類もある。「準動詞」という分類では、不定詞・動名詞・分詞の3つを'''準動詞'''であるとして分類している(青チャート、インスパ、ブレイク、エバーグリーン)。 「準動詞」は、大学入試には出ないが、比較的に参考書に良く書いてある知識。 いっぽう、SVOとかSVCなどでいうVのようなものを「述語動詞」という(エバ)。 準動詞は、述語動詞ではない。なぜなら、不定詞も動名詞も、それはSVOやSVCのVにはならないからである。なので、準動詞と述語動詞は別物であると区別しなければならない。 また、このこととも関連するが、準動詞には、主語の人称・数などによる活用形の変化が無いという共通点がある。 つまり、たとえば三人称単数などによる変化は不定詞には無い。末尾に、sはつかない。当然、~ingなどの動名詞や現在分詞、~edといった過去分詞の末尾などにはsはつかない。 ==== 独立不定詞 ==== to be tell the truth 「実を言えば」や so to speak 「いわば」のように慣用的に使われる語句があり、文頭または文中に挿入され(ジーニアス)、文のほかの成分とは独立して使われることから(青チャート)、'''独立不定詞'''と言う。独立不定詞は、副詞的に(ブレイクスルー)文全体を修飾する(青チャ、ジーニアス)。 独立不定詞では主語は明示されないが(インスパ)、話し手の意見や判断を表す内容であるのが普通である(ブレイクスル-)。 独立不定詞には、たとえば下記のものがある。 to be honest, (正直なところ) to tell (you) the truth, 「実を言うと」(青チャ、インスパ)、「(あなたに)本当の事を言うと」(ジ-ニアス) strange to say, 「奇妙なことに」、「不思議なことに」(ジーニアス) to be brief, 「手短に言うと」「要するに」 to be frank (with you), 「率直に言うと」 frank の代わりに、plain (青チャ)または honest (ジーニアス)の場合もある。つまり、to be plain with you および to be honest with you の場合もある。 to be sure, 「確かに」 needless to say , 「言うまでもないことだが」「言うまでもなく」 to say nothing of ~ ,「~は言うまでもなく」 not to mention ~, 「~は言うまでもなく」(ジーニアス) so to speak, 「率直に言えば」 to begin with, 「まず第一に」 ※ with のあとに名詞は来ない。「to begin with,」 で、カンマ込みでひとつの慣用句。 なお、 to start with, 「まず第一に」の場合もある(ジーニアス、青チャ)。 to make matters worse, 「さらに悪い事に」「なお悪い事に」(※エバー)、※ to make things worse (青チャート)とも言う。 などがある。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] 5awb6h7enr07l22lyoars2qrbf5xu4q 206542 206540 2022-08-14T01:43:43Z すじにくシチュー 12058 /* 不定詞 */ サブページに移動したので除去。 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] 4wmhne10bljb6c7g7fqdm2jkfehy3uy 206543 206542 2022-08-14T01:44:37Z すじにくシチュー 12058 /* 目次 */ サブページ「不定詞」を追加。 wikitext text/x-wiki <!-- このページには導入部がありません。適切な導入部を作成し、このコメントを除去してください。 --> == 目次 == * [[高校英語の文法/文の種類]] * [[高校英語の文法/動詞と文型]] * [[高校英語の文法/時制]] ※ 参考書によって微妙に単元名が異なるので暫定 * [[高校英語の文法/完了形]] * [[高校英語の文法/助動詞]] * [[高校英語の文法/不定詞]] * * [[高校英語の文法/比較]] * [[高校英語の文法/関係詞]] * [[高校英語の文法/仮定法]] * [[高校英語の文法/名詞]] * [[高校英語の文法/冠詞]] * * [[高校英語の文法/否定]] * [[高校英語の文法/接続詞]] * [[高校英語の文法/前置詞]] == 文の構造 == === 文の要素 === 文の構造を知るためには、文がどのような要素で成り立っているのかを知らなければならない。 ==== 主語と述語動詞 ==== # '''The old man''' ''is'' a famous singer. # '''My sister''' ''studied'' math. ## 訳例:その老人'''は'''有名な歌手'''だ'''。 ## 訳例:私の姉'''は'''数学を研究'''していた'''。 1の文は「AはBだ」という文であり、2の文は「AはCする」という文である。どちらも # 「…は」「…が」という主題の部分 # 「~である」「~する」という主題が何であるかについて述べる部分 の二つが共通している。 この場合、1を'''主部'''といい、2を'''述部'''という。 そして、主部の中心となる語を'''主語'''(Subject)といい、述部の中心となる部分を'''述語動詞'''(Predicate Verb略して'''動詞'''('''Verb'''))という。以下では、述語動詞は原則として単に動詞と呼ぶ。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || - || 主語 || 述語動詞 || - |- | - | colspan="2" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | The old | man | is | a famous singer. |- | 2. | My | sister | studied | math. |} 主語は単に'''S'''で表し、動詞は'''V'''で表す。 ==== 目的語 ==== # He ''has'' '''a personal computer'''. # We ''played'' '''soccer'''. # Everone ''likes'' '''Sushi'''. ## 訳例:彼はパソコン'''を'''持っている。 ## 訳例:私たちはサッカー'''を'''した。 ## 訳例:みんなが寿司'''を'''好む。 いずれの文の動詞も「~を」という、動作の対象が必要である。このような動作の対象を表す語を'''目的語'''(Object)といい、'''O'''で表す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 目的語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | He | has | a personal computer. |- | 2. | We | played | soccer. |- | 3. | Everone | likes | Sushi. |} このような、'''S+V+O'''という形の文は英文の基本形の一つである。 ==== 補語 ==== # Mary ''is'' '''happy'''. # John ''became'' '''a doctor'''. ## 訳例:メアリーは幸せだ。 ## 訳例:ジョンは医者になった。 これらはいずれも主語の状態を説明した文であるが、isやbecomeで文を切ると意味をとれない。happyやa doctorという、主語の様子をおぎなう語があって初めて意味のある文となる。このように、主語の様子について説明する語を'''補語'''(Complement)という。補語は'''C'''で表される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! || 主語 || 動詞 || 補語 |- | - | colspan="1" | 主部 | colspan="2" | 述部 |- | 1. | Mary | is | happy. |- | 2. | John | became | a doctor. |} このような'''S+V+C'''の文も基本的な文の一つである。なお、後で学ぶように、補語は主語の様子だけでなく目的語の様子を説明する場合もある(例文:I call him Sensei.(私は彼を先生と呼ぶ))。 == 動詞の用法 == === 助動詞 === === 態 === ==== 助動詞と組み合わさった受動態 ==== He could be seen by her. 受動態の文を作るときには、その文の述語は必ずbe動詞の節になるが、be動詞に対して助動詞を用いたり、時制の変化をさせることも普通に行なわれる。 この時には、例えば He is seen by her. という文が He could be seen by her. の様にbe動詞は、助動詞+beの形で書き換えられる。これは、be動詞の原形が beで与えられることによる。同じ様に例えば、 might be may be must be will be なども用いることが出来る。また、過去形や現在完了と組み合わせるときにも通常の規則に従えばよい。例えば、上の文では He was seen by her. He has been seen by her. などとなる。been は be の過去分詞である。ここで、be が過去分詞 been になったのは、現在完了を作るためであり、see が過去分詞 seen になったのは、受動態を作るためであることに注意。 === 分詞 === === 動名詞 === == さまざまな構文 == === 分詞構文 === 分詞構文は現在分詞や過去分詞を用いて、従属の接続詞節のような意味を持つ文の成分を作る用法である。例文として、 Crying out something, he quickly runs away. がある。この文は「何かを叫びながら、彼は素早く逃げていった。」という 意味だが、この様な文は例えば接続詞whileを用いて、 While he cries out something, he quickly runs away 接続詞を取る。 He cries out something, he quickly runs away. 主語を取る。 Cries out some thing, he guickly runs away. 動詞を現在分詞形にする。 Crying out some thing, he quickly runs away.→'''これで完成!''' などとすることが出来る。分詞構文は文の前後関係から、省略される接続詞が予測できると考えられるとき、接続詞と主語を省略することによって 得られる。ただし、接続詞無しで節を作ることは出来ないことから、接続詞節の述語は対応する現在分詞になるのである。上の例文は while を用いた文から接続詞 while を省き、述語 cries を現在分詞 crying にすることに よって得たものと解釈出来る。ただし、元の従属接続詞節に対応する主文の主語と接続詞節の主語が等しいときには、現在分詞の主語は 省略出来る。上の文で while 節の主語に対応する語が無いのはこのことからである。 主節の主語と従属節の主語が異なっているときには、分詞構文の主語として対応する従属節の主語を所有格として与える。例えば、上の例で主語を省略せず書くと、 His crying out something, ... のようになる。 一般に現在分詞の主語を指定するときは通常所有格を用いる。 分詞構文で省略される接続詞には主なものとして、 because, since, as: 〜だから(理由) when, as, while: 〜のとき(ある時点) などがあげられる。 分詞構文になる従属節では述語がbe動詞であることがある。 このときにも上の規則に従って、Being -,によって分詞構文が作られることも多い。 ==== 分詞構文の受動態 ==== 特にbe動詞に対応する補語が受動態であったり、形容詞であるときには、beingを省いて過去分詞、もしくは形容詞から分詞構文が 始まることも多い。 (Being) seen from airport, everything looked small.(飛行機から見ると、全てのものが小さく見えた) The assignment (being) finished, we went on a hike to the nearby mountain.(その課題が終わってから、私たちは近くの山へハイキングへ行った。) このときには、be動詞と接続詞、必要なら対応する主語も補って考える必要がある。ただし、この様な省略がなされるのは、あくまで省略されたものが文脈からすぐに分かる時のみである。 === 話法 === === 会話表現 === == 品詞 == === 代名詞 === ==== 未分類 ==== 中学校では「代名詞」として、 he や she や we など、基本的な代名詞を習う。 もちろんそれも代名詞であるが、しかしそれ以外にも多くの代名詞がある。 たとえば the same (「同じもの」の意味)も代名詞である(青チャート、ジーニアス)。なぜなら、the same は、なにか具体的な名詞を言う代わりとして使われるのだから、the same も立派な代名詞である。 このように、代名詞は別に一語でなくても構わない。 なお、形容詞的に the same の直後につづけて名詞が来る場合もあり、「the same ~ as ・・・(名詞または代名詞)」で、「・・・と同じ ~」の意味。 こちらの構文では the same は代名詞というよりも形容詞としての用法だが、市販の参考書では都合上、代名詞の章でいっしょにthe same ~ as の構文も教えているのが通例である。 ともかく例文は、たとえば the same ~ as yours で「あなたのと同じ~」の意味(ジーニアス、エバーグリーン)。 the same shoes as yours なら「あなたのと同じ靴」だし(エバー)、 the same computer as yours なら「あなたのと同じコンピュータ」である(ジーニアス)。 一方、慣用的に、節が続く場合は as ではなく that の場合が多く the same man that I saw yesterday で「昨日見かけたのと同じ男の人」の意味だし(エバーの和訳を少し改造)、 the same song that I heard yesterday で「昨日聞いたのと同じ曲」の意味(ジーニアス)。 のように、 「the same ~ that ・・・(節)」 というのもある。 ただし、節が続く場合でも、べつに as を使ってもかまわず、つまり「 the same ~ as ・・・(節)」としてもマチガイではない(ブレイクスルー)。 those who ~ で「~な人々」の意味の代名詞である。 たとえばエバーグリーンいわく、 those who wish to smoke で「たばこを吸いたい人々」である。 such は代名詞として「そのようなもの」「そのような人」として扱われる場合もある。 たとえば He is an adult now, and should be treated as such. 「彼はもう大人なのだから、そのように扱うべきだ。」 ※ジーニアス He is mere child, and should be treated as such. 「彼はまだほんの子供だから、子供として扱ってやるべきだ。」 ※青チャート のように such はよく as such などとして使われる。 ==== some と any ==== {| class="wikitable" style="left" |+ 複合不定代名詞 !   !! some- !! any- !! no- !! every- |- ! 人<br> -one<br> -body |  someone <br> somebody<br>(だれか) ||  anyone <br> anybody<br>(だれか、だれでも) || no one (※ 離して書く)<br> nobody<br>(だれも~ない) ||  everyone<br> everybody<br>(だれでも) |- ! 物<br>-thing |  something ||  anything  || nothing || everything |- |} some にも any にも「いくつかの」という意味がある。 よく参考書では、「 some は肯定文で使う。anyは疑問文・否定文で使う」などと習う(青チャート、ジーニアスなど)。 しかし桐原ファクトいわく、anyの基本的な意味は「どれでも」の意味である。any の「いくつかの」の意味は、「どれでも」の派生だと思うほうが良いだろう。 some と any の区別で悩んだ場合は、この「どれでも」の意味を基準に考えると良い。 だから肯定文であっても、「どれでも」の意味の形容詞には any を使う。 桐原ファクトいわく、疑問文で any を使う場合でも、ニュアンス的には「どれでも」の意味があるのが実際とのこと。否定文の any も同様。 この any の基本的な意味が「どれでも」の説に立てば、たとえば熟語 not ~ any が形容詞 no と同じ意味だということも、 not ~ any は「どれでもいいので存在してほしい(any)という事についてすら、それが成り立たない(not)。 → つまり無い」というふうに理解できます。 なお、any の後ろに否定語を置くのは禁止されている(ジーニアス、青チャート)。 ほか、慣用的な表現として、よくお茶などやコーヒーの飲み物をすすめる際に、 Would you like some coffee? 「コーヒーはいかがですか」(桐原ファクト) Would you like some more tea? 「お茶のお代わりはいかがですか」(青チャート) のようにsome を使う。 青チャートいわく、some は、答えが Yes であることを期待しているニュアンスのある表現とのこと。そういう用法もある。なので、人にものを勧めるからには、some で質問しないと失礼になるので、someを使うのが当然とのこと。 実際にはsome も any もけっして意味中立的な表現ではなく、それぞれニュアンスがあるので、some と any を完全に使い分けるのは難しいだろう。 参考書にあるような代表的な事例についてだけ、some とanyを使い分ければ、とりあえずは平気だろう。 somebody と anybody などの使い分けも、上記の some と any に準じる(桐原ファクト)。 たとえば「誰かに出会いました」といいたい場合は、somebody を使うべきだと桐原は言っている。これがもしanybodyだと 「誰でもいいのですが、その人に会いました」(原文ママ(桐原))という内容の意味不明の文章になってしまうことからも分かるとして、桐原ファクトは誰かに会った事を言いたい場合には somebody を使うべきだと言っている。 ==== every とall の違い ==== 「すべての」という意味での every は形容詞であるが(インスパイア)、市販の参考書では便宜的に代名詞の章で紹介される。形容詞なので、every 単独ではあつかわれず、必ず直後に名詞または代名詞をともなう(インスパイア)。 every には「すべての」の意味もある(桐原ファクト、インスパイア)。しかし every と all には、ニュアンスの違いが明確に存在する。 また、every の後ろは単数形でなければならない。 every は、その全部を構成する一つ一つに関心がある文脈の場合に用いられる(桐原ファクト)。だから every で形容される名詞は必ず単数形でなければならないのも当然である(桐原ファクト)。また、everyは例外がないことを強調している(ジーニアス)。 each は2つ以上、every は3つ以上のものについて使用する。 なお、each は比較的に小さい個数のものに使い、everyは比較的に大きい数のものに使う(ジーニアス)。 each の使用対象はべつに2個限定でなくても構わない。 every と all には、こういったニュアンスの違いがあるので、参考書によってはevery の標準的な和訳を「すべての」以外で紹介する参考書も多い。 たとえば「あらゆる」「どの~も」という訳で every を紹介する参考書がよくある(青チャート、ブレイクスル-)。 なお、every には別の用法で「~(数詞のつく名詞)ごとに」の意味もあり、この場合は複数形になる。 たとえば every six hours で「6時間ごとに」である(ブレイクスルー)。 every four years で「四年ごとに」である(エバーグリーン)、なおオリンピックが四年ごとに開かれる という文章。 なお、「一日おきに」は every other day である(インスパイア)。 {{コラム|every child を受ける代名詞は he か she か?| 桐原ファクトに書いてあるのですが、男女のどちらの場合もある単数の名詞について、それを代名詞で受ける際、 he か she かが、時代とともに変わっていきました。 もともとは、男女不明などの場合は、とりあえず he で代名詞を受けていました(桐原ファクト)。 だから every child も he で受けていました。 しかし、それが男女平等の観点に反するという意見が多くなり、近年になって、「 he/ she 」などと受ける代名詞が変わってきました。 「he / she 」はhe or she と読みます。 しかし、長くなるので会話などで不便でした(桐原ファクト)。 その不便さを解消するためか、さらに最近では、単数形であることを無視して every child のような名詞でも they で受けています(桐原ファクトの 2022年 第2版で確認)。 each も同様、最近では they で受けます(桐原ファクト)。 :※ 上記のような説が有名であるが、それに対する若干の異論もある。それは 「もともと he は男の代名詞ではなく性別不明の代名詞であり、もし、男である何らかの名詞についてそれを代名詞で受ける場合については、とりあえず性別不明の代名詞である he を当てるというルールだった」というような説です。 細かな出典は忘れましたが、たしか、日本どこかの有名大学に勤務している米英人の高齢の学者が、「自分はそう習った(heは性別不明の代名詞だと子供時代に習った)」とツイッターで主張していました。 この場合でも男女は不平等であります。しかし、女性差別とは言いがたい実態になります。 つまり、「女性を無視して男性を意味する he を使っていたのではなく、そもそも he は男女不明の代名詞であったが、女性専用の she という代名詞が存在していたため、あとからhe に男性の意味がついてきた。なのに『性別不明の名詞に he を使う事を女性差別だ』というフェミニズム言説は間違っている」という説です。 もしこの説「he は性別不明の代名詞だった」論のとおりなら(この説が間違っている可能性もありますので、どちらかに決め付けないように)、現代の各国の英語教育が、フェミニズミム運動などに配慮して代名詞 he の歴史の説明について、若干のウソをついている事になる可能性があります。 どちらの場合にせよ(数学の確率問題の場合わけのように、マジメに検証する人は両方の可能性を検討する)、参考書の桐原ファクトをよく読めば、性別不明の代名詞 he → he/she → they の変遷について「男女平等」という表現は説明に用いていますが、しかし「女性差別」という表現は用いていません。桐原ファクトの著者たちは、なかなか優秀です。こういう何気ない言葉の端々に、参考書の著者の優秀さが現れます。 まあ、私たちは背景事情にまでは深入りする必要はありません。上記のような異論もあることも承知した上で、異論もふくめた両者の合意である he → he/she → they という性別不明の単数代名詞の客観的事実を覚えれば済みます。 }} === 形容詞・副詞 === ;副詞の位置 副詞の位置がどこに来るかについて、単語や文章によって様々である。 通常、英語では副詞の位置は、修飾対象に前置きである。 しかし very much や from time to time など複数語から構成される副詞表現になると、通常は文末または修飾対象の後ろに置かれるのが通常である(桐原ファクト)。 == 名詞構文・無生物主語 == === 名詞構文 === === 無生物主語 === The road takes you to the station. 「その道を歩いていくと駅につきます。」 The bus takes you to the station. 「そのバスに乗れば駅に行きます。」 take は「連れて行く」の意味だが、交通機関などを主語にして使うことも出来る。その場合は、たとえば道なら「その道を行けば、~につきます」のような意味になる。 takes の代わりに will take としても良い(ロイヤル英文法)。 「remind 人 of」 で「人に~を思い出させる」の意味である。 This picture reminds me of vacation in Greece. 「その写真を見ると、ギリシャでの休日を思い出す。」 This picture reminds me of holidays in London. 「その写真を見ると、ロンドンでの休日を思い出す。」 なお、大修館ジーニアスだとロンドン、桐原フォレストだとギリシャの例文。 「deprived 人 of ~」 「(機会などが)うばわれる」 The knee injury deprived him of the chance to play in the final game. 「ひざのけがのため、彼は決勝戦に出場する機会を失った。」 または The knee injury deprived the player of the chance to play in the game. 「ひざにけがをしたため、その選手は試合に出場する機会を失った。」 のように例文が参考書によくある。 enable ~ は、「~をできるようにする」「~を可能にする」の意味。「~のおかげで、・・・できるようになった」と訳すことができる。 The scholarship enabled him to go on to university. 「その奨学金のおかげで彼は大学へ進学できた。」 ジーニアス、ロイヤルに scholarship の似た例文。 == 疑問詞 == === 前置詞と疑問詞 === Where are you from? 出身はどちらですか? 文法上、ここでの Where は副詞であり、「疑問副詞」というのに分類される(ロイヤル)。 さて、前置詞 from に注目しよう。 もしかしたら中学高校などで「前置詞は名詞や代名詞の前に移動するのが原則」とか習うかもしれないが、しかし前置詞をけっしてfromの前に移動しない。 なので、Where は副詞であると考えたほうが理解しやすいだろう。(これとは別の解釈で、そもそも「副詞には前置詞がいらない」という考えから副詞ではなく代名詞としての機能だと考える立場もあり、ジーニアスやロイヤルやフォレストがそういう立場。だが、机上の空論だろう。) なお、法学など幾つかの学問では、『原則』というのは例外のありうる規則、という意味である。おそらくジーニアスが「原則」という言葉を使っているのは、Where ~?などの疑問詞を文頭にもちいた疑問文の場合は例外的な事例という含みがあるのだろう。 Where に限らず、たとえば When などで疑問文を作るときも原則、それらの疑問詞の前には前置詞(When の場合は since や till や until など)を置かない。そのため、それら When の文でも前置詞は文末にくる場合が多くなる。 つまり、「いつから~?」なら When do you ~ since ? のような文章になる事が多い。 ただし、Whoの場合はやや例外的である。 たとえば前置詞 With を使う場合、Who が目的格 Whom に変化する場合もあり、 With whom do you ~? 「誰と一緒に~しますか?」 のようにWith が文頭にくる場合もある(桐原)。with以外の前置詞の場合でも文頭に持ってくる場合には同様にwhoではなく whom に変化する(ジーニアス)。なお、前置詞を文頭に持ってくる場合、whomを使わずにwho のままで文頭の前置詞の次に置くのは禁止である。 なお、Whomを使わずとも who のままで下記のように言うこともできる Who do you ~ with? Where are you from? の場合、もし前置詞 from がないと、「あなたはどこ?」となり、それが出身をたずねているのか、それとも現在地をたずねているのか、意味が分からなくなることもあってか、ともかく 「Where are you from?」の文章は from を省略できない。 ジーニアスは、話し言葉ではWhereでは from を省略しないという言い方をしているが、しかし書き言葉であっても from を省略しないのが一般的であろう(省略したら上述のように意味が通らなり読み手に誤解を与えるので。)。 しかし、用いる動詞などによっては前置詞を省略できる場合があり、たとえば Where do you go to? 「どこに行きますか?」 なら、もし前置詞 to を省略しても、動詞 go から意味を推測できるので、この場合は to を省略されるのが許され、つまり Where do you go? でも許される(ジーニアス)。 このように文法の理論というのは、あまり論理的ではない。最終的には、英文法の学習では典型的な構文を覚えて、それを真似して使っていく必要がある。 === 慣用的な疑問文 === How about a cup of tea? 「お茶を一杯いかがですか?」 How about ~? は勧誘を表す。 What do you say to ~ing 名詞/動名詞 ? 「~はいかがですか?」「~しませんか」 What do you say to ~ing でも勧誘を表せる。 ここでのsayの直後にある to は前置詞であると考えられている(桐原フォレスト)。どういうわけか、ジーニアスもロイヤルも、to が前置詞かどうかは言及していない。 ほか、Why don't you 動詞 ~ ? は、「~してはどうしょうか」のような相手に行為を促す(うながす)言い方であり、やや押し付けがましい言い方である(ジーニアス)。 Why don't we の形で、一緒になにかをする時に「~しましょうよ」の意味で使う場合もある(フォレスト)。 また、これを省略的に Why not ~? の形で「~はどうですか」「~してはいかがでしょうか」「~しましょうよ」の意味にもある。 How come S + V ~? How come ~? は「どうして~」の意味でありwhy に近いが、How come のほうが感情的な表現であるので、目上の人に使うのは避けるのが良い(ジーニアス)。なお、How come は語順がSVと肯定形の語順になる。 How come you didn't call me ? 「どうして電話をくれなかったの?」 ※ 「電話してほしかったのに」のような含みがあり、相手を責めているようにも受け取られかねない。だから返事も、Sorry, 「ごめん」とかになる(ジーニアス)。 許可を求める表現である Do you mind if~? で、「~してもいいですか」という許可を求める表現ができる。なお Would you mind if ~? については仮定法になり、つまり「~」中の動詞が過去形になる。Would you mind if ~? については 『[[高校英語の文法/仮定法]]』で説明済み。 Do you mind if のほうは、if ~ の動詞は現在形で構わない。 == 参考文献についての注意 == サブページ中の参考文献で、現代2022年では廃止になったシリーズの桐原『フォレスト』などを掲げているが、現代でも他社の いいずな出版『エバーグリーン』シリーズにフォレストの権利が引き継がれているようなので、わざわざ古本のフォレストを探す必要は無い。 [[カテゴリ:高等学校教育|ふむほふ]] peklgn9kf5ln8dveqacox7j2vt5jwfd 高等学校政治経済/経済 0 22253 206545 106375 2022-08-14T04:02:50Z Honooo 14373 c. wikitext text/x-wiki #転送 [[高等学校政治経済#e]] 7e6jbis87qcmldwp9zs9wn0vi2db870 ゲームプログラミング/バランス調整 0 27004 206539 206503 2022-08-14T01:04:16Z Honooo 14373 /*ドラゴンクエストは、ゲームを進めるため、ゲーム操作の技能を得ることを求めていない?*/ wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカー、他| マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。 このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。 そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。 実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。 そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。 さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。 つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか? 辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど… また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 これはさらによくわからん(?_?)????? マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き? 要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。 まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど… }} {{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい| 確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。 まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。 漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。 とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。 そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない? ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。 それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。 新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。 とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。 YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。 まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。 ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。 結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。 }} アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。| イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。 この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。 作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。 ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。 はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。 まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。 まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。 公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か? 購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。 しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。 AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。 勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある? ;美人投票 経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。 前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。 ;ノイジー・マイノリティ ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。 基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。 なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。 そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。 そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。 衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。 }} さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。 E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。 勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。 そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。 具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか… その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。 {{コラム|一人で何でも出来るわけではない。しかし偏向した愚か者の集団より、一人の総合的な人間の方が、相対的にいいものを作り出すだろう。| 基本的に商業漫画、商業アニメーション、そしてほとんど多くの商業メディアはその根源的な創作部分でさえ、多人数の協業で作られています。一応全体を統括する指揮者はいますが、個々の秀逸な表現はその監督だけの手柄ではない。 これはこの手の物事についてある程度知っている人間にとっては、もちろんたまには例外もありますが、ほぼ当たり前のことで、得意げに語ることでも何でもない。 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに、この人物は、ある漫画原作者にネタ提供したと語ったという。しかしネタ提供といっても様々な形態があり、ピンからキリまであり、実際にその作品に貢献していない場合もあるし、単にこいつ、自慢話したかっただけだろ? 漫画家にしろ脚本家にしろ、色々な事柄にアイディアの元を頼っているだろう。有償無償に関わらず、アドバイザーも多いと思う。 ゴルゴ13なんかは明らかに協業で作られていたし、各種映画やテレビドラマも、様々な人間がその作品の質の向上に寄与している。 歴史ものや軍事物、その分野の専門家が強力に考証を加えているし、当然設定の信頼度も高くなる。 だから創作作品は協業関係が上手に機能して、それを統一した理念でまとめ上げれば、当然質はかなり高いものを作る事が出来る。 }} {{コラム|可処分時間| 経理には「可処分所得」という用語があります。労働者の給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、残りの自由に使えるぶんの金額です。勿論その中から自分の生活費は支出しなければいけませんがね。 そこから類推して「可処分時間」。 前編集者の言葉では、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」。 だから、もし無職で何らかの理由で生活できるなら、100%が可処分時間でしょう。 で、E.Suj. はこのサイトで、こういう人間をひたすら愚弄するような文章を書き続けて来たのですが、 E.Suj. 自身の可処分時間は何%? 仮にこのサイトでインチキ書いてお金が入っても、それは可処分時間に入れろよ? そして…「商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合い」ということらしいけど…希少な可処分時間を奪われたうえ、そいつらに金払うの? 可処分時間って必ず金払って埋めなければいけないの? }} ===ドラゴンクエストは、ゲームを進めるため、ゲーム操作の技能を得ることを求めていない?=== ドラゴンクエストでは、ゲームのプレイを続け、キャラクターのレベルが上がっていくごとに、キャラクターも戦闘力が上がり、より強い敵も倒せるようになる。これはそれ以前のアーケードゲームのように、プレイヤーがゲーム操作の上手な技能を身に着けることによってクリアするのではなく、レベルが上がることで事実上、プレイヤーが上手な操作する必要なく強くなっている。これを、「クリア保障」と呼んでいるWebコンテンツもある<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。 ドラクエでダンジョンに入った場合でも、様々な試行錯誤は繰り返すであろうが、プレイし続けて時間経過とともに経験値が上がると、最後にはダンジョンのボスも倒す事が出来て、クリアする事が出来る。 つまりドラゴンクエストでは、プレイヤーがそのゲームの操作の技能を覚えることで、難易度の高いステージをクリアしているのではなく、ゲームを続け、経験値が上がりレベルが上がることによって、ある意味自動的に強くなっている。 序盤のダンジョンで未探検のものがある場合、その時点ではかなり探索は困難を極めるが、レベルが上がった時点では、割と簡単に、クリアできる。つまり難易度が自動的に下がっているともいえる。 つまりドラゴンクエストのクリアシステムは、ゲームを続けてプレイを重ねていくうちに自動的にキャラクターは強くなり、最後にはゲームクリア、コンプリートに至る、ということだろう。 ドラゴンクエストのようなインターフェイスでも、古いゲームやフリーゲームではこの特徴を満たしてはいないものがあると、前編集者は書いていたが、どういう事だろう? 何度も書くが現編集者はそれ程沢山ゲームをやりこんでいるわけではない。 アクションゲームでは当然難易度の高いステージはそれなりの技能やテクニックが必要だろう。しかしRPGではそれほど技能の必要や出る幕もないから、多かれ少なかれドラゴンクエストのような形態にはなるのではないだろうか? 全体を通してレベルがそれほど上がらないゲームというのはあるし、あったのだろう。この場合は何らかのゲーム上の困難の打開策や有効な戦術を見出さない限り、クリア困難の事態に陥るだろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせる<ref>http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。つまり娯楽であるはずのゲームが、難易度が上がりすぎてその機能を果たさなくなるのだろう。 === 自由度 === 文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == 6sco3l9z75drofzw9ofhlnuqvq54lqs 206546 206539 2022-08-14T04:42:56Z Honooo 14373 /* 自由度 */ wikitext text/x-wiki {{substub}} 現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。 ==本ページの目的== 本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。 従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。 プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。 ……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど… 気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^? ==バランス調整== ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。 より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。 英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57</ref>。 難易度デザイン、という言葉も使われている<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58</ref>。 そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234</ref>。 ===詰み、を避けたい=== 製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。 これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です<ref name="twogc78">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78</ref>。 まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。 ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。 つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね<ref name="twogc78" />。 そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。 ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。 ===実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^=== ……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。 一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』,P342</ref>。 ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^ ===ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている=== プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。 時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。 たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される<ref>『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210</ref>。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと?? 一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。 だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。 2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。 「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」 しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。 つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。 ===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?=== 『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。 ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!! この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。 「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。 この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。 しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。 全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。 だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。 「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。 ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。 {{コラム|カラケオは気持ちよく歌いたい^^| 80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^ カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。 小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。 エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。 確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^ }} {{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。| 商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。 しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。 ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167</ref>。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。 ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。 ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。 すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの? ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。 あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ? }} ===チュートリアル=== ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。 ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。 そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P401</ref>。 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。 とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。 ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。 ===技能の習得としてのゲーム=== ====ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?==== まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。 ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。 すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ</ref>。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど… ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。 前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61 </ref>。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。 ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。 そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで<ref>https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ</ref>、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ? ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない? {{コラム|ゲーミフィケーション| どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a</ref>。 2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。 2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。 岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」<ref>https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16</ref>ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの? 40年前(※1980頃?)、 :「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」 ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ? :「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」 何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。 :「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」 まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね? : (抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」 思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か? : 「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」 お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。 しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの? まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。 }} {{コラム|すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。| 1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。 岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。 しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。 ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。 岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る? なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい? いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね? }} {{コラム|ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。| ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。 1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。 少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね<ref>STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182</ref>。 98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。 「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。 良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。 岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある? 別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。 }} {{コラム|プリンセスメーカーdeathpenalty| 少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。 全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。 つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。 ;デスルーラ 全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。 全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。 全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな? どちらにしろこの議論、意味ある? ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。 }} {{コラム|Roblox,Among_Us| 現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。 そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。 その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。 だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^ 後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。 }} {{コラム|デスペナルティ関連| このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。 ;帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。 サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。 ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。 ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。 古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。 しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。 このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。 }} さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。 だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。 イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。 『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。 しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。 グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。 そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。 1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。 昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。 漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。 {{コラム|オタキングアノマリー論| オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。 都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか? これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。 そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか? そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。 ↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。 ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。 つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。 では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの? 大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。 }} ====本文==== さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。 結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。 地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。 まずアクションゲームの調整。 敵が飛び道具で来るならどうする? もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。 (しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。) 基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。 とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ</ref>。 あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。 基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど… とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない? とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。 まあしかしまとめ編集を続けるかね… 大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ</ref>。 前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。 確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。 これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。 とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。 このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60</ref>。 ;やはり何事も制限はあるか? 例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。 所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;; 敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。 (たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。 ↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。 だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。 だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254</ref>。 だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。 まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。 ;真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!! スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。 ====ゲームと漫画、アニメーション==== 非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。 ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。 そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが… 1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。 しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。 まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。 具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。 漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。 しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。 ==== 「廃人」 ==== 基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。 例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。 後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。 まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P66</ref>。「廃Wikiユーザー」とか? だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。 ===ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。=== あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか? ====作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい==== やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう<ref>STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ</ref>。 プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ</ref>。 RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります<ref>STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198</ref>。 サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね<ref>吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208</ref>。 そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56</ref>。 ====レベル上げを楽しむ?==== 一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。 一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。 つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。 しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。 前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。 漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。 「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」 少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。 しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。 少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。 ====No title.==== ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。 ;雑誌「ゲーム批評」による指摘 1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。 例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか? マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。 そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。 ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、[[w:1・2の三四郎]]にも、似たような話があった。 高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。 「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」 「ほう」 「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」 「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」 ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。 少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^ さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか? まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。 そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。 この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります? だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。 しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。 しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか? ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。 とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません<ref>『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314</ref>」という記述を見つけただけだったという。 {{コラム|マリオメーカー、他| マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。 このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。 そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。 実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。 そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。 さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。 つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか? 辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど… また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。 これはさらによくわからん(?_?)????? マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き? 要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。 まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど… }} {{コラム|とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい| 確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。 まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。 漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。 とはいえ現編集者は、[[v:Topic:読まないのに書評]]なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。 そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない? ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282</ref>だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。 それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。 新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。 とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。 YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。 まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。 ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。 結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。 }} アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P338</ref>。 {{コラム|世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。| イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。 この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。 作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。 ある匿名掲示板で、おそらく[[w:2ちゃんねる]]だと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。 はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。 まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。 まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。 公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か? 購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。 しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。 AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。 勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある? ;美人投票 経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。 前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。 ;ノイジー・マイノリティ ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。 基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。 なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。 そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。 そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。 衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。 }} さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。 E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。 勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。 そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。 具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか… その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。 {{コラム|一人で何でも出来るわけではない。しかし偏向した愚か者の集団より、一人の総合的な人間の方が、相対的にいいものを作り出すだろう。| 基本的に商業漫画、商業アニメーション、そしてほとんど多くの商業メディアはその根源的な創作部分でさえ、多人数の協業で作られています。一応全体を統括する指揮者はいますが、個々の秀逸な表現はその監督だけの手柄ではない。 これはこの手の物事についてある程度知っている人間にとっては、もちろんたまには例外もありますが、ほぼ当たり前のことで、得意げに語ることでも何でもない。 「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに、この人物は、ある漫画原作者にネタ提供したと語ったという。しかしネタ提供といっても様々な形態があり、ピンからキリまであり、実際にその作品に貢献していない場合もあるし、単にこいつ、自慢話したかっただけだろ? 漫画家にしろ脚本家にしろ、色々な事柄にアイディアの元を頼っているだろう。有償無償に関わらず、アドバイザーも多いと思う。 ゴルゴ13なんかは明らかに協業で作られていたし、各種映画やテレビドラマも、様々な人間がその作品の質の向上に寄与している。 歴史ものや軍事物、その分野の専門家が強力に考証を加えているし、当然設定の信頼度も高くなる。 だから創作作品は協業関係が上手に機能して、それを統一した理念でまとめ上げれば、当然質はかなり高いものを作る事が出来る。 }} {{コラム|可処分時間| 経理には「可処分所得」という用語があります。労働者の給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、残りの自由に使えるぶんの金額です。勿論その中から自分の生活費は支出しなければいけませんがね。 そこから類推して「可処分時間」。 前編集者の言葉では、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」。 だから、もし無職で何らかの理由で生活できるなら、100%が可処分時間でしょう。 で、E.Suj. はこのサイトで、こういう人間をひたすら愚弄するような文章を書き続けて来たのですが、 E.Suj. 自身の可処分時間は何%? 仮にこのサイトでインチキ書いてお金が入っても、それは可処分時間に入れろよ? そして…「商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合い」ということらしいけど…希少な可処分時間を奪われたうえ、そいつらに金払うの? 可処分時間って必ず金払って埋めなければいけないの? }} ===ドラゴンクエストは、ゲームを進めるため、ゲーム操作の技能を得ることを求めていない?=== ドラゴンクエストでは、ゲームのプレイを続け、キャラクターのレベルが上がっていくごとに、キャラクターも戦闘力が上がり、より強い敵も倒せるようになる。これはそれ以前のアーケードゲームのように、プレイヤーがゲーム操作の上手な技能を身に着けることによってクリアするのではなく、レベルが上がることで事実上、プレイヤーが上手な操作する必要なく強くなっている。これを、「クリア保障」と呼んでいるWebコンテンツもある<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。 ドラクエでダンジョンに入った場合でも、様々な試行錯誤は繰り返すであろうが、プレイし続けて時間経過とともに経験値が上がると、最後にはダンジョンのボスも倒す事が出来て、クリアする事が出来る。 つまりドラゴンクエストでは、プレイヤーがそのゲームの操作の技能を覚えることで、難易度の高いステージをクリアしているのではなく、ゲームを続け、経験値が上がりレベルが上がることによって、ある意味自動的に強くなっている。 序盤のダンジョンで未探検のものがある場合、その時点ではかなり探索は困難を極めるが、レベルが上がった時点では、割と簡単に、クリアできる。つまり難易度が自動的に下がっているともいえる。 つまりドラゴンクエストのクリアシステムは、ゲームを続けてプレイを重ねていくうちに自動的にキャラクターは強くなり、最後にはゲームクリア、コンプリートに至る、ということだろう。 ドラゴンクエストのようなインターフェイスでも、古いゲームやフリーゲームではこの特徴を満たしてはいないものがあると、前編集者は書いていたが、どういう事だろう? 何度も書くが現編集者はそれ程沢山ゲームをやりこんでいるわけではない。 アクションゲームでは当然難易度の高いステージはそれなりの技能やテクニックが必要だろう。しかしRPGではそれほど技能の必要や出る幕もないから、多かれ少なかれドラゴンクエストのような形態にはなるのではないだろうか? 全体を通してレベルがそれほど上がらないゲームというのはあるし、あったのだろう。この場合は何らかのゲーム上の困難の打開策や有効な戦術を見出さない限り、クリア困難の事態に陥るだろう。 RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせる<ref>http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf 2020年12月21日に閲覧して確認.</ref>。つまり娯楽であるはずのゲームが、難易度が上がりすぎてその機能を果たさなくなるのだろう。 === 自由度 === 一本道で難題を乗り越えるゲームもありますが、いっぽうでマルチエンディングとか、攻略ルートや展開が複数あるゲームもありますよね。こういう自由度の高いゲームは、その展開の場合の数に応じて、調整の際に考慮する事項も増えていきます<ref>『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78</ref>。 === 勉強の方法論 === ※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。 ==== 共通言語 ==== ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。 商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278</ref>。 とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280</ref>。 ==== 前後比較 ==== ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200615a/3 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 ] 2020年11月27日に閲覧して確認.</ref>。 なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており<!-- 手元にその本が無いので、もしかしたら別の著作かもしれないが、岡田らの共著のどれかではある。 -->、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。 ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。 岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。 工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/43/2/43_2_182/_pdf 『失敗学のすすめ』]</ref>。) 実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。 {{コラム|失敗とスポーツの例え話| ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。 でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。 失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。 よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。 逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。 だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです 「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。 塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334</ref>。 さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。 塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。 その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。 ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。 }} === 異業種の立場を想像しよう === ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。 内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります<ref> [https://newspicks.com/news/4135958/body/ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 ] 2021年11月7日に確認</ref>。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。) なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。 特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。 ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。 ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。 実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。 {{コラム|作者は答えを知ってしまっている| バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。 これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。 ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。 }} ;ティッシュテスター さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。 このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。 かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。 単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。 === 要素の相互関係 === ==== 概要 ==== 文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.182</ref>。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。 しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。 具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。 もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています<ref>大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81</ref>。 ==== マップと敵の相互関係 ==== ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。 宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。 しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。 マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。 だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、 :マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、 :それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、 :あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、 などなどです。 ご自身の作品にあった方式をお選びください。 ===== 始めよければ全てよし ===== さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。 書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています<ref>『ゲームプランナー集中講座』、P236</ref>。 :※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。 とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。 商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。 たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。) :※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。 また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。 そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。 さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。 {{コラム|ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム| 日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています<ref>https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認. </ref>。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように) ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。 中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。 (20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。 さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。 ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。 経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。 一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64</ref>。 }} === 各論(デザイン的なこと) === どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身</ref>。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。 == RPGのダメージ計算式 == === 特化型が有利になりやすい === 文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です<ref>川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227</ref>。 なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です<ref>『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145</ref>。 では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。 たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。) 説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。 つまり、たとえば下記のようになります。 ;作成キャラの能力例 :(※ 合計100) ちから: 10 たいりょく: 30 しゅびりょく: 10 すばやさ: 40 きようさ: 10 さて、別の作成キャラ例を考えます。 ;平均型キャラA ちから: 20 たいりょく:20 しゅびりょく: 20 すばやさ: 20 きようさ: 20 :(※ 合計100) のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと 合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした ;特化型キャラB ちから: 40 たいりょく:20 しゅびりょく: 30 すばやさ: 5 きようさ: 5 :(※ 合計100) のようなキャラクターを、 コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、 ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。 さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。) なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。) 裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。 パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。 理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、 :・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。 :・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。 :・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。 などの理由があるでしょうか。 命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。 このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。 命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。 === ダメージ計算式 === さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、 攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ という計算式です。 ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。 アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ というような感じの計算式である作品も多いです。 せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。 なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。 バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。 そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、 :攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。 一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。 また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。 このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。 また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。 つまり、 自分の攻撃力 > 敵の守備力 でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。 一方、 :1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ のように係数を掛けた計算式の場合、 守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。) いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。 このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。 === DPS (Damage Per Second) の概念 === :※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。 最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。 スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。 たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。 この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。 なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。 つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で :1+1=2 より、2ターンぶんのダメージです。 いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、 :0+2=2 で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。 計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。 このようなミスを犯さないために必要な概念としては、'''DPS''' ('''D'''amage '''P'''er '''S'''econd) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。 もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。 このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。 では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、 : 0 + x > 2 を満たす変数xを設計するだけの問題です。 なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。 では、次に応用問題を考えましょう。 「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。 たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、 変数xについての :0 + 0 + x > 3 を満たさないといけません。 つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。 == KPI == Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。 ;DAU(Daily Active User) :デイリー・アクティブ・ユーザー DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;MAU(Mathly Active User) :マンスリー・アクティブ・ユーザー MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;WAU(Weekly Active User) :ウィークリー・アクティブ・ユーザー WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。 ;PU(Paying User) :ペイング・ユーザー 課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 ;課金率 たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす<ref>『レベルデザイン徹底指南書』、P140</ref>。 あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P70</ref>。(書籍によって、内容が微妙に違う) ;継続率 前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。 (以上) このほかにも、色々な指標があります。 == 参考文献・脚注など == tc4593hhpx1p3svi0no01ijn10nc70s ゲームプログラミング/書類/集団作業の場合の書類と書き方 0 27227 206536 206440 2022-08-13T19:29:38Z Honooo 14373 出典整理終了。 wikitext text/x-wiki {{substub}}このページの主要執筆者は、ゲーム業界経験者ではないので(2022/1時点)、ここの記述は調べ物としては役立ちません。 2022/1時点でゲームプログラミングと直接の関係ない話題が長い、という問題があるので、より簡潔、かつ分かり易い記事への編集にご協力いただけたら幸いです。もっとも現編集者Hは、解ってるならそれを書いた奴が書き直せ、そもそも余計なことは最初から書くな、…とは思いますが…。 このページは、教科書としてゲームプログラミングの方針を説明する際に、どうしても書類についての説明が必要だから記述されています。現状では、一般IT業界や製造業などの設計図を参考に説明がなされています。 == 本書の目的 == 本書は、ゲームデザイナーのための教科書ではありません。 メインページ、「[[ゲームプログラミング]]」の題名どおり、プログラマーのための教科書です。プログラマーがゲーム制作に興味をもって実際に作り始める際に、調べ物の手間を減らすために書かれた参考書籍です。 ゲームデザインに関する解説を望む方は、別途、他の参考資料に当たってみてください。 ==「仕様書」== ここでいう「仕様書」とは、ゲームの設計図のことです<ref>川上大典ほか『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.126</ref>。しかも職業的に集団でゲームを作るときの書類です。 ではまず、「設計図」とは何か、について、考えていきましょう。これは普通科高校では学習しない事項です。 ゲーム業界では、「仕様書」を含む書類群の「発注書」には、決められたルールや書式はありません。だから作るゲーム内容や製作チームごとに、適切な発注書のありかたを毎回考える事になります<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.145</ref>。 職業的なゲーム開発では、一般に :発注 → 実装 → 調整 というプロセスを経て<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.61</ref>、最終的にとりあえずの完成になります。 ゲーム産業での「仕様書」は、発注の段階での書類です。 ==集団ゲーム制作での解説文== 発売禁止になってしまった書籍(おそらく。しかし何故?)『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』(岡田斗司夫ほか、光文社)に書いてあった事例なのですが、G.O.D.と言うイマジニア社のRPGゲームに対する大学生(岡田は当時、大学講師だった)の取材があって、そのGODの開発に参加した劇作家の鴻上尚史(こうかみ しょうじ)氏と、エニックスの堀井雄二(ほりい ゆうじ)氏とが、対談した経緯が、紹介されていました。 劇作家の鴻上は、ゲームに演劇のリアリティを入れようとして、スタッフに「間(ま)を意識したシナリオを書いてほしい」と要求したが、うまく行かずに難航したと体験談を述べています。 対談相手の堀井は、鴻上のその体験談に対し「『(※ここで3秒休止)』とか書くと良いですよ」と、指示書で具体的に書くと良い、とアドバイスした、と、岡田の書籍にある大学生のレポートにあります。 おそらくドラゴンクエストのゲーム開発でも、このように具体的な指定を必要に応じて出していた・いるものと思われます。 21世紀現代の、商業ゲームの現場でも同様であり、書籍『ゲームデザイン プロフェッショナル』にもありますが(※かぎカッコ内が引用)、「もっとかっこよく調整してほしい」という問題であれば、たとえば「もっと目立たせたいので、アニメーションのシルエットを全体的に今より少しだけ大きくしてほしい」<ref name="gp296">『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P296</ref>という具体的な指定が妥当でしょう。 == 集団作業に必要な書類 == ===設計図=== IT業界やゲーム業界では、集団作業で制作開始をしようとする際、まず、いきなり設計図を作るのではなく、まず先に試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)のプログラムを作り、企画で考えた各種システムなどのアイデアが有効かどうかを検証します。 そのプロトタイプで、企画のアイデアが本当に有効であるかを確認してから、もし有効だったら、本格的な制作を開始します。 もしかしたら会社によっては、企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)よりも先にプロトタイプを作るかもしれません。 さて、会社へのプロトタイプ提出で、制作続行・制作本格化の賛同が会社から得られたとしましょう。 IT業界でも製造業でも、どこの業界でも集団作業で、制作の合意を作るさい、必要な書類は、おおむね、 :作業者用の具体的な「完成予想図」 です。 しかしゲーム業界の場合、いきなり完成予想図に相当する「仕様書」は書けないので、書籍『ゲームデザインプロフェッショナル』によるとまずゲーム中の大まかな実装予定事項を記述した『企画概要書』という書類を作成することもあると言われています<ref>『ゲームデザインプロフェッショナル』、P139</ref>。ただしこの「企画概要書」は、名前に「企画」とはついているものの、どちらかというと仕様書の方針を大まかに打ち合わせするための書類に近いので、いわゆる「企画書」とは異なります。 なお、一般のIT企業でよく書かれる「要求事項書」は、ゲーム書籍では紹介されていないので、おそらくゲーム業界では書かないのが普通だと思われます。(たとえば『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介、技術評論社)や『ゲームプランナーの新しい教科書』(STUDIO SHIN著、 翔泳社)などを読んでも、『企画書』と『仕様書』は触れられていても、要求事項書については全く触れられてない。) ===ゲーム業界での技術職=== 言葉というのは同じ国の国語でも、その業種や職場、社会集団で、微妙に違った使われ方をすることも多く、技術職、という言葉もゲーム業界での特別な使い方があるようですね。 この業界では、グラフィックデザイナ-やサウンドクリエイターやプログラマーが「技術職」<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P125</ref>。技術職 = ¬(not)企画職、という事で、プロデュ-サーやプランナーやディレクターなどの「技術職」でない製作スタッフが企画職です。 ただ現編集者はプロデューサーとディレクターは対立する職種だというイメージはありますね。プロデューサーは企画職だろうけど、ディレクターは、"実"制作職ではないかな? ===企画書=== *PREP法 基本的にビジネス上の書類は、結論を一番先に書く構成法が望ましいですね。もちろん商業ゲーム制作の現場でもそうでしょう。文献『ゲームプランナー入門』では、具体例として、PREP法を紹介しています。 PREP法とは、 :Point(結論)→Reason(理由)→Example(具体例)→Point(結論)。 ほかにもホールパート法やSDS法などがありますが、どれも冒頭で結論を示した後詳細を伝える方法で、ビジネス文書はやはり、その形式が常道でしょう<ref>『ゲームプランナー入門』、P141</ref>。 しかしこの社会、ビジネスが重要なのは事実だが結局、他者の行為や仕事をただ自分の欲望と利益に使い、他者の存在や詳細に興味のない人間は、とにかく結論だけを先に聞きたがるし、それ以外の事には事実上何の興味も持っていないでしょう。 *ゲームのルール 常識的な判断としては、ゲームにはルールがあるものですよね。ルールのないゲームというのは、ふつうあまり考えつかないし、イメージできない。 ですからゲーム企画書としては、ルールの説明が必要になる。キャラクター設定や世界観の解説があったとして、ルール説明がない企画書はふつう受け入れられない<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P83</ref>。 ただ今ではゲームジャンルの固定化が進んでいるので、ルールはくどくど説明する必要はない、という場合はある。 企画書を誰が書くかという問題もある。業界の内部の重要人物か、全く外部の業界経験の無い人物か。 どちらににろ常識判断としては、ある程度のゲームルールの解説は必要だろう。 *プレイ人数 企画書には、ゲームのプレイ人数の記述も必要<ref>『ゲームプランナー入門』、P159</ref>。 ほんとの昔は、一人か二人でプレイするのがコンピューターゲームだったのですが、もはや時代は変わりましたね。インターネットを駆使して多人数プレイ、ソーシャルゲームなんてものも出てきました。 <!--(:※ ここから先、セクション末尾まで文章の編集者が異なります。編集者Hによる文章です。なお出典のある部分は編集者Hではなく別の編集者Sによるものです。)←すじ肉先輩さー、この記述は無いわ^^;;。だってこれって、みなさーん、以下の馬鹿文はHが書いたんだからね、俺、Sujの文じゃあないよ、馬鹿なのはHであって、俺じゃあないから。Sujはちゃんと出典は全部書いてんだよ^^、って言ってるのと同じだよね^^;;;;;--> さて、企画書に関しては、よくない企画の典型例というのはあるようですね。特に特定人物のネームバリューに依存した企画は良くないし、批判の対象になることも多いようです。ゲームとしては、イラストレーターや声優に超大物を起用することを強調した企画書ですね。 出典として『テリー伊藤のお笑い大蔵省極秘情報』あたり、確実に特定はできませんが、木村拓也のタレント性に頼った企画は、著者のテリー伊藤によってよくない企画の例として指摘されていたようです。 もっともテリー伊藤という人物自身が、ビートたけしの面白さ、彼を起用したことの良さによって世に出て知られるようになった人物なので、そんな事言っていいのかね、などと現編集者は少し思いますが…。 また今回の本題、ゲーム業界でもそういう良くない企画書が提出されることは多いようです。元ゲーム業界人でゲーム評論家の あべひろき が、90年代の著書で、過去にゲーム関連会社に勤務してたときの体験談を書いています。企画書の精査をしているときに、「人気声優の○○さん起用!」と書かれていたものがあったが、あべ氏がその声優の所属する声優事務所に確認の電話をとると、なんの商談も声優とも事務所ともされていなかったという事です。 もっとも企画書とは企画に過ぎないのではないだろうか?これらの他人のネームバリューに頼った企画が良くないのは事実だが、企画が通って実現する見込みが決定する以前は、むしろ声優本人や事務所にアクセスすることはないのが普通だろう。 もちろん企画者がその事務者や声優と懇意にしてる場合は、あらかじめ話をする可能性はあるが、しかし企画段階ではそもそも現実のビジネスになる可能性はそれほど高くない。声優や事務所にとってもその段階でもっともらしく話をされても、むしろ困惑するだけではないだろうか? ただこういう他人任せの企画は、「プロデューサー的企画」と呼ばれるようです<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P71</ref>。クリエイティブな企画とは言えないわけですが、しかし商業的な娯楽作品には、クリエイターだけではなく、プロデューサーも絶対必要でしょう。 一般に企画でも他の仕事でも、他者の力や権威、その後の作業などに頼り切った態度は、どんな場所でも嫌われて批判されますし、それは職業の場だけではないでしょう。 また、ゲームの企画に関してもう一つの話題として、アメリカでも売ることに成功したドンキーコングの、ディレクターの宮本茂(任天堂)は、「人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサル」、だと、語っていたようです<ref>川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P89</ref>。 ===「仕様書」、「企画書」=== 商業的なゲーム制作では、一般に、 発注 → 実装 → 調整 の過程を辿ります。 そして発注段階で重要な書類は、「企画書」と「仕様書」の二つです。まず『企画書』で作るゲームのコンセプトを固めてから、あとで『仕様書』で、より詳細に内容をを決める、という順序をとります<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P43およびP45</ref>。 企画書<ref name="gcs72">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、72ページ</ref>は社内だけでなく協力会社にも見せる資料であり、開発者・協力者に対して手短かに、そのゲームの全体的なコンセプトを伝えるためのものです。 仕様書は、ゲーム制作では「設計図」であり、「完成予想図」であるといっていいでしょう。企画書よりより詳細にゲームの内容を決め、指定しています。 さて、話を進める前に、商業的に集団でゲームを作る場合の他の書類や必要事項の名称について、ここで簡単に書いておきます。 まず「発注書」とは,発注時に作られる、必要な書類群のことでしょう。「企画書」と「仕様書」も含みます。 「指示書」はむしろ、実装や調整段階でなされる、具体的なゲーム演出上の指定でしょうね。 試作品(しさくひん、英語で「プロトタイプ」proto-type)や企画会議(もしくは企画の打ち合わせ)なんて言葉も出てきますが、こういうのはあえてクドクド説明しなくても、直感的にイメージわきますよね。 『企画概要書』とは企画書とは異なるもので、仕様書に準ずる書類で、仕様書の方針を大まかに打ち合わせするためゲーム中の大まかな実装予定事項を記述している書類です。 『原案書』<ref name="gcs72" />は社内だけで企画がペイするかどうかの検討を決算書などを参考に分析・会議するための書類です。 こういう書類や用語に関する言葉の使い方は、商業的集団的なゲーム制作の場として妥当と思われるものをまとめてみましたが、もちろん職場によって、会社によって使い方や意味が微妙に変わってくる場合はあるでしょう。 さらにゲーム以外の一般IT業界や製造業でもそれぞれの慣習があり、今回の説明が成り立たない、そしてそこはより一般的な職場ですから、それぞれより一般的な言葉の使い方があると思います。 さて、コンセプトの具体例として、書籍『ゲームプランとデザインの教科書』によると、たとえば『ポケットモンスター』のメインのコンセプトは、「通信ケーブルを伝わって、ポケモンが入ったカプセルが移動して交換する」、が始まりだそうです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P109</ref>。 また、書籍『ゲームプランナー入門』(吉冨賢介 著)によると、『メタルギア』シリーズのコンセプトは、「敵に見つからないように進む」、とのことですね<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P108</ref>。 イラストや音楽の発注は、一般的には企画が決まった後でしょう。 そもそもイラストレーションや音楽を対価を払って提供してもらったとして、それを実作品に使用しないのは、作者にとっては不本意なことだと思います。 アニメーターの故大塚康生氏は、アニメーション演出家が安易にアニメーターに大量の絵を描かせ、そこからいいもの、利用できるものだけ取捨選択する方法を批判していましたし、一般的に手仕事には作者の思い入れがありますから、安易な大量生産品と同じ取り扱いはできないと思います。 もっとも一方で、あるアメリカの日本人アニメーターが、同僚の日本人アニメーターが、自分の描いたものを日本の家族や友人たちが見ることができないことを不満に思っていた、という事を批判的に語っていたのを、現編集者は聞いたことがあります。 しかしゲームの場合、例外的にイラストや音楽が先行する場合はありますね。 RPG『クロノトリガー』は、企画の当初からイラストレーターをつとめた漫画家・鳥山明のイラストがあって、それをもとに作品を作ったと、鳥山のマンガの編集者であった元・少年ジャンプ編集の鳥嶋和彦は述べています。<ref name="tskdq">[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2]</ref>決めシーンなどのキービジュアルを先に決め、それに合うように設定を練りこんでいくという方式で、クロノは作られたようです。 企画書の制作ツールとしては、清書としては、オフィスソフトの「PowerPoint」と、アドビの「Illustrator」、または、アドビのソフトウェアは高価なので代わりにフリーソフトの「Inkscape」および「GIMP」がよく使われます<ref>川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日第1版第1刷、P.281</ref>。なお、Illustrator および Inkscape は、ベクトル画像を描画するソフトウェアです。 ただし、下書きなどでは、タッチペンと何らかの画像ソフト、またはタッチペン用メモソフトで下書きすることもあります。 業界で、ゲームプランナーと呼ばれる職種は、仕様書作成や進捗管理、テスト&デバッグ、スタッフとのコミュニケーション、などが仕事ですね<ref ="gpd9">『ゲームプランとデザインの教科書』、P.9</ref>。 また、ゲーム制作に関して、だれもが様々なアイディアを持っていると思いますが、メモを取って、もし忘れてもメモで思い出せるようにするといいですね<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.20</ref>。 アマチュアの企画なら、実際にプロトタイプ(プレイできる試作品のこと)を作って実作品で企画、仕様を説明してしまったほうが早いかもしれません。 参考文献『ゲームプランとデザインの教科書』でも、(試作品を)「ゲームプランナーを志す中で企画書や仕様書を書きながら、ぜひ自分でも作ってみましょう。プログラムや3Dモデルを簡単なものでいいので作ってゲームに仕上げてみましょう。」と述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.3</ref>。 上記の本の図表によると、企画書では、「競合情報」、「世界観」、「ストーリー」なども記述して欲しいようです<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.43 </ref>。世界観とストーリーが分けられているのです。 物語とその舞台ですね。我々自身もこの世界で自分という役を演じている役者ですよね^^ {{コラム|ゲームの企画書とアニメーションの企画書| 商業アニメーションの世界では、企画の段階でストーリーの概要が決まっているようです。ただこれは、アニメーション作品の企画として、当然に必要とされる要素であるから記述されているわけで、実制作の過程で、実際のスタッフの意向により大幅に変更されることもあります。また、これらの企画では、キャラクター設定やキャラクターイラストのデザインも当然必要であり、かなり明確な形で提出されています。 たとえば、アニメ業界の企画書ですが、1990年代のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の企画書の掲載されている『新世紀エヴァンゲリオン (ニュータイプ100%コレクション) 』(1997年2月28日初版発行、85~88ページ)を読むと、『企書画』の段階でもう、キャラクターイラストが主役だけでなくその友人や周囲の大人なども含めて、ほとんどのキャラクターでイラスト紹介されており、さらに全部の話数ぶんの粗筋と見せ場・意図を2~3行ていどで説明しています(ただし第1話と最終3話(24~26話)のみ説明が5行以上くらいと長い)。 因みに現編集者は実際にアニメーション業界で企画書を書いたことがありますが、その時に上司、制作会社の重役に指摘されたのは、1クール(3か月)か2クール分の実際のストーリーの具体内容を書いてほしい、との事でした。 一方ゲーム業界では、そういうキャラクター設定やストーリーは、企画段階では決まっていなくて、もし書かれていても邪魔だと感じられるようです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、149ページ</ref>。 業界の企画書で、強調してほしい内容とは、ゲームシステムと、そうシステムを設計した根拠のようです。なぜなら、ゲームの企画書でいう「コンセプトが重要」、と言う際の「コンセプト」の意味とは、ゲームシステムやゲームルールを設計した根拠のことだからです<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、108ページあたり</ref>。 とはいえ、ゲーム業界の企画書でも、ゲームの世界観が「中世西洋ファンタジー風」なのか、「現代日本」か、「近未来SF風」なのか、などの設定はある様です。ネット上で公開されている商業ゲ-ム企画書からその様子が分かりますが、しかし、最初の企画書の段階で決まってる世界観はその程度まで、です。 背景としては、ビジネスモデルが根本的にアニメーション業界とゲーム業界とでは違う、という事情があるのでしょう。 }} {{コラム|キャラクター重視の物語論| アニメ―ション業界のビジネスモデルは、キャラクタービジネスだと言われています。1990年代の徳間書店のアニメーションに関する書籍(アニメージュ10周年記念)で、徳間の編集者が1980年代のアニメ業界を振り返ると、これはキャラクタービジネスだろうと、たとえば銀河鉄道999のアニメ―ションの人気も、メーテルなどのキャラクターの人気なのだという分析があり、アニメージュ創刊当時の『銀河鉄道999』特集では、ストーリー解説ではなく、キャラクターに焦点を当てた記事を組んだと、述懐(じゅっかい)しています。 また、漫画産業もキャラクター重視のようです。主人公に共感させるための様々な演出が凝らされている。そして主人公が身近に感じられることが重要だと指摘されています<ref name="tskdq" />。 これは日本人が物語軽視というよりは、海外でも同様であり、むしろ物語とはキャラクターを描くという要素が非常に大きいという事でしょう。多くのミステリの中でも「シャーロック・ホームズ」や「007」の人気が非常に高いのも、キャラクター性と結びついた作品だからでしょうね<ref name="tskdq" />。 1982年頃『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』では、おおむね「マンガとは人間を描くことだ」という主張がなされています。 現編集者の記憶では、漫画がキャラクターだという主張を強くしたのは、漫画原作者であり、劇画村塾の開設者である、故[[w:小池一夫|小池一夫]]氏でしょう。上述の書籍の共著者、さくまあきら氏も、劇画村塾出身ですから、さもありなんということですね。 アニメ評論家の岡田斗司夫氏は、対談集『マジメな話』で、「古代ギリシア人や古代ローマ人はとても論理的で学問も発達していたが、一方でギリシア神話やギリシア悲劇が普及していた、人間には物語が必要なのだろう、自分達の社会の仕組みを、物語になぞらえて理解する、物語が学問や科学に匹敵する」といったことを述べていました。 ギリシア神話では実に人間的な神々の物語が語られていきます。 また、政治学者小室直樹氏は、別の書籍、おそらく、『日本人のための宗教原論』あたりで、「幼少期の子供にとっての、父親の力強さと畏怖のイメージ」こそが神のイメージだろうと述べています。ギリシア神話の最高神ゼウスは、明らかに父性を示していますよね。 これはユダヤ教やキリスト教の神のイメージだと考えてもいいと思います。この辺[[w:父なる神]]あたりに面白い記述がありますし、一方でイスラム教は神に父性を見出さない、などの興味深い分析も書かれています。 また、RPGゲーム『真・女神転生』では、裏設定ですが、作中の「悪魔」とは、力の象徴であり、それは父親を暗喩しているというコンセプトがあります(たしか公式ファンブック『CLUB邪教の館』あたりに記載がある)。だからこのゲームの主人公は、父親がいない母子家庭の子供だという事になっています。 }} {{コラム|ゲームにおけるキャラクター| ゲームの世界は、ソーシャルゲームや美少女ゲーム等はありますが、一般的にはキャラクター重視のメディアではないようです。シューティングゲーム『ゼビウス』のキャラクター性とか、『平安京エイリアン』のキャラクター性など、想像力を最大限に駆使すれば見出せないことはないですが、常識的にはキャラクターの魅力は提供されてはいないでしょう。 ゲーム学という概念を推進している人達は、ナラティブ(「叙述」という意味)といって、スーパーマリオなどのように作中にストーリー説明文が無いゲームのことを説明しているようです。 今現在では、可愛いキャラクターや恰好いいキャラクターを作品に取り込めるのなら、それを除外する必要はないでしょう。しかし現実の人気ゲームでは、キャラクター性があいまい、あるいはほとんど見出せないゲームも多いですよね。 ゲームのキャラクターは、開発途上で変更される可能性もある。海外展開しているゲームは、相手国の風習、社会状況に合わせて、キャラクター設定を変える場合もある。 今現在は、ソーシャルゲームでもキャラクターゲームは人気ですが、昔はそうではありませんでした。1990年代は、多くのゲームファンの間では、「キャラクターゲームはつまらない」と言われていました。 2002年にシリーズ発売開始されたRPG『ドットハック』シリーズの企画コンセプトは、面白いキャラクターゲームを実現することであり、2003年当時の社長(松山洋)がラジオ番組『ドットハックレイディオ』に出演した時に、「キャラクターゲームがつまらない」という一般的に言われている常識を打破したい、それがコンセプトだ、と述べていました。 しかし実際には1990年時点で魅力的なキャラクターゲームもありましたし、大ヒットすることは無くても、一部の大きな人気は得られていたようです。 }} {{コラム|企画が実制作に移ること| 1990年代後半に書籍を出し始めた、元ゲーム業界人・阿部広樹氏は、ゲーム会社から請け負って、そこで頓挫した、或いは難航した企画を練り直しする仕事をしていたようです。彼の著作ではその経験、経緯が語られています。 扱った一つの企画が、ガンダム風の巨大ロボット操作ゲームで、企画として完成度の高いものでした。 主要機体の巨大ロボットのグラフィック設定画は線画が完成していて、機体パイロットである主人公の顔グラフィック線画もある、ロボットの設定サイズ(「全長○○メートル」、「主要武器:○○」など)なども含む、仕様書がすでに用意されていました。 機体の名前には「メタトロン」や(たしか)「サンダルフォン」と、ネットの普及していなかった当時では調べるのにも手間のかかるユダヤ教の大天使の名前がつけられていました。 阿部氏も、このゲームは実現するだろうと、期待を込めて企画を進めていたようです。 しかし現実にはこのロボットゲーム企画は対象のゲーム会社では採用されず、実際に制作されることはありませんでした。このようにゲームの企画は、企画だけで終了してしまうものが沢山あります。 一般的に商業ゲームの製作は、本当にペイするかどうか、経営者や出資者の審査、判断の上、実制作に取り掛かるでしょう。 企画を作る方も仕事として取り組んでいるのですから、「没になるかもしれない」といって手抜きするはずもなく、内容的にも、前設定の完成度としても、どれも相当の力と手間暇をかけて企画を練りこんでゆくでしょう。 しかし結果は結果としてありますよね。採用される保証はないしされないほうが実際多い。その判断が正しかったかどうかはまた別の話ですがね。 }} {{コラム|他業種、一般的な意味での『企画書』| 企画書にもいろいろな段階があります。 #本当に企画の初期段階の、内部関係者しか見ない、思いつきを書きなぐったような企画提案の書類(厚さはせいぜい2~3ページくらいまで?) #企画が熟成してスポンサーや外部に見せられるようになった段階、もしくはその直前くらいの企画書(10ページを超える程度) #パワーポイントなどを使ってプロジェクタ-で見せるプレゼン資料の「企画書」 多くの業界の企画書で学生や外部の人間が見るのは 2.か 3.でしょう。 1990年代後半のゲーム評論家の阿部広樹の他者との共著による書籍によると、彼はゲーム業界で企画に関するトラブルを解決する仕事をしていたようですが、ある案件で、「当時の人気アニメ声優を起用!」など書かれた企画書をトラブル解決のために扱いましたが、彼らが調査した時には相手先のアニメ声優および声優事務所には全く話が行っておらず、対応にも難航したようです。ただ、本Wikiの別の場所でも指摘しましたが、企画時点では、その手の手続きを踏む必要はないでしょう。企画は企画にすぎませんし、実現の見通しが大きくはないその時点で話を持ってこられても、声優も事務所も、対応しようがないと思う。ただ、前編集者の記述では、許可をとれそうな見込みもないと書いてあるから、よほどのビッグネーム声優、要するにその声優の知名度だけをあてにしている企画ですから、悪い企画の例として非難されても仕方ないのかもしれません。しかし現編集者がさらに邪推、想像するに、彼らに企画トラブルの解決を依頼したゲーム会社は、自分たちは零細で知名度もパワーもないので、とてもその有名声優にはアクセスできない、ですからトラブル解決を稼業にしている業者なら、上手にその声優にアクセスしてくれるのでは?という期待があったのではないでしょうか?だとしたら、この事案に対する阿部氏らの態度、そして後になってわざわざ自らの著書でその出来事、関係者を愚弄して、それで自分たちが正しいかのように言うこの人物の姿勢は、職業人、仕事人として問題があるのではないでしょうか? さて、ある程度企画が本格化してくると、スポンサーに提示するプレゼン用の資料とは別に、詳細な設定や企画意図を説明する、「詳述企画書(ここでの仮の名称)」も作られていきます。この書類は今後の作業のためのひな型の意味もあり、具体的にどんなキャラクターが出てくるか、イラストなども描かれます。 因みに、「ゲーム 企画書」でグーグル検索してみると、企画書としては 1.~3. そして今書いた「詳述企画書」が混然と表示され、書類として種類や趣旨は明確化されていないようです。企業が求職者を採用するために、企画書を求める場合は、プレゼン資料が最適のようですね。採用担当者にとって一番読みやすい資料だからでしょう。 企画書として、説得力のある内容なら、採用され実制作に移る可能性も高くなるのでしょうね。そのために指摘される事として、冒頭部分で、この企画と既存の作品の違い、今までの状況からの改善点、そして実際の改良の実現の見通しと方針を示すといい様です。これは「企画意図」や「コンセプト」と呼ばれますね。 「改善点→(競合他社の)現状説明→改善案の詳細」を、詳細企画書で段階的に説明するといいですね。新聞記事の書き方で、起承転結ならぬ「結・起・承」(けつきしょう)というのがあるので、それを参考にするのもいいでしょう。 また、売り込み先の消費者として想定しているターゲット層の指定も必要です。年齢はいくつくらいなのか、性別は男性か女性か、などですね。 企画の詳細を作りこんである場合や、すでにゲームソフトを実装してある場合のシステムの説明では、単にフローチャートを図示するだけでなく、そのシステムでプレイヤーは何ができるのか、簡単な遊び方の概要説明、等を加えるといいですね。 }} {{コラム|日産自動車の社内講習でのアニメーション業界人の講演| どこの企業でも社員向けの講習会はそれなりにあるでしょうが、日産自動車では過去、アニメーション制作会社の幹部を招いて、営業マンや企画職の社員のために講演してもらったことがあるようです。 テレビアニメーション『輪廻のラグランジェ』が2012年に放映されていた前後、日産が取材協力として制作に参加していたので、CG雑誌で、日産の講演会の様子が紹介されていました。 アニメーション業界では、実在しない物体や機械のイメージを、メカニック設定などで詳細にイメージを作り、絵コンテマンや、原画・動画のスタッフ間でその具体設計を共有するので、自動車製造業界でも参考になる要素があると考えられたようです。 日産の担当者は、制作会社の幹部の講演会に手ごたえを感じたので、もっと話を聞かせてほしいと要望すると、『輪廻のラグランジェ』の製作会社を紹介してくれたので、その会社にも講演をお願いし、さらに制作会社側の取材協力にも積極的に応じて、異業種同士のコラボレーションが形成されていったようです。 }} さて、ゲームの『仕様書』はそのゲームの設計図なので、起こりうる全てのパターンを網羅して設計を指定する必要があります…と言いたいところですが、そもそも本当にすべての操作に対する反応をもれなく記述できるのか? しかしできる出来ないにかかわらず、創作物が世に出れば、それはコンピューターアプリケーションとして、ユーザーに自由に操作される。その時仕様と創作物が、合理的に網羅的に作られていれば、プレーヤーはストレスなく、ゲームを楽しむ事が出来るでしょう。 ;検品、検収 さて、一般に技術系の業界では、図面などの設計図は、検品のさいのチェックリストを兼ねています。(ただし、ゲーム業界での「仕様書」が検品チェックリストを兼ねているかどうかは、2022/01時点、著者側の調査不足で不明。) しかし検品自体はゲーム業界でも行っている。協力会社から納品されたプログラムも、仕様を満たしているかチェックするだろう。 そしてチェックを通ったら、合格した製品として正式に受け取る。 納品物を合格として認めて受け取ることを「検収」(けんしゅう)という。(ゲーム業界でも)<ref name="creator_work:77">蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、77ページ</ref>。ゲームの仕様書は、この検収を考慮に入れて書くのがいいだろう。 つまり逆に納品物が合格していないと判断されると、受け入れない、検収しない、納品者に作り直しを要求することになるだろう<ref>蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事』、翔泳社、2016年4月1日初版第1刷発行、76ページ</ref>。 商業ゲーム界では、営業マンが見積もりをするときの根拠は、仕様書、という事になる<ref name="creator_work:77" />。 外注テストに関しては、仕様書では不十分で、テスト用の別資料を用意する<ref ="gpd9" />。 バグチェックを外注しない場合は、「仕様書」を根拠にする場合が多いという<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P20およびP199</ref>。 つまりやはり、製品の仕様の基盤は仕様書、正しい仕様は、仕様書に書かれている事だという事になる。 開発後半のデバッグ段階などのバグチェックの段階に入る前に、仕様書を最新のゲームの状態とそろえる<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P238</ref>。つまりこれは、ゲームの仕様が制作過程で変わっていったら、逆に仕様書を書き換えて、実際の仕様に合わせるという事だ。 ==作成工程== ===完成予想図=== 仕様書はゲームの設計図。この書類を基盤にプログラマー、グラフィッカー、製作スタッフたちは作業を進める。しかし、ゲームの場合は、いきなり完成図を明確に決定するのは困難な場合が多い。そうなると方便的に大まかな設計、決定を作っていくという事になるだろう。事実、現実の業界では、大まかな「企画概要書」から詳細な「仕様書」へと、段階的に仕様が決まっていく<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.141</ref>。 一般的な製造業でもゲーム業界でも、あいまいな指定は事故のもとだと考えている。「とにかく、かっこいい感じでお願いします」なんて言いたくなることもあるけど、危険らしい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.60</ref>。相手の「かっこいい」のイメージが、有り得ないものだったりする場合、あるよね^^;;;。 しかし場合によっては例外もあるようだ。裁量とか、阿吽の呼吸といったものも、人間関係ではある。しかし技術を語る場合、設計とは極力あいまいさは排除するものだろう。 ゲームでは、他者に発注するときは、ある程度相手の裁量にゆだねた方が良い場合もある<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.134</ref>。しかしその場合も、具体的にどういう実装予定のもので、どこに裁量を与えるのか明確にする必要があるという。裁量の発注については、『ゲームデザイン プロフェッショナル』本書を読めと、前編集者は書く。 とにかくこの編集者によると、Wikibooks をはじめ、Web上のWiki には何の価値もないと言う。世の中唯一価値のある文献は市販されている書籍で、Wikiの利用意味はその価値のある素晴らしい書籍を、出典としての記述を参考に、知ることだと言う。 それなら、Wiki書くのなんて辞めて、本屋でも始めたら? ===各機能の予想図の決定=== ソフトウェアの完成予想図は、画面を基準にすると伝わりやすい。 結局パソコン、情報機器を使っている時は画面を見ますからね。 <pre> △△モードの××画面 Aボタン: ダッシュ(走る)。押すとキャラが十字キーの選択方向にダッシュするようにプログラムする Bボタン: ジャンプ。押すとキャラが上方向にジャンプするようにプログラムする </pre> とか、こんな風に書くといいのではないでしょうか。それぞれのモード、画面での機能の満たすべき情報の一覧、を伝えておきたいですね。 ユーザ視点での仕様の事は、「外部仕様」、というようです。 ですからソフトウェア設計者は、各モードについて、画面表示、操作などの外部仕様の一覧を用意したいですね。 これは完成予想図でもある。 一方ソースコードの詳細は、内部仕様ですね。 商業ゲーム界では、原則的に内部仕様に関する書類は、あまり書かないようです。とはいえ設計項目の、ファイルや変数の具体的な記述は、ある程度は仕様書に書かれる。 そして外部仕様は「画面仕様」だけではない。例えばアクションゲームのモンスターの動き方のパターン、RPGのダメージ計算式、プレイヤーが具体的に実感できる仕様は、仕様書において指摘しておきたい。 ゲーム完成予想図とは、各種外部仕様を具体的にわかりやすく記述することになるだろう。 ==※例== 一冊の完成予想図の中で、説明が重複し、同じ記述が複数あるのは好ましくない。 ある記述内容が変更になる時、重複した先も変更しなければいけなくなる<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、228ページ、</ref>。 一般的製造業の製図でもこのルールは守られている。一つの末端部分の図面はそれだけで完結し、他の部分を参照しないようにしている。 ではここからは、ウディタのサンプルゲームを具体例に説明しよう。 本来サンプルがあれば仕様書は不要という事になるが、今回は説明用として、サンプルから仕様書を書き起こす。 まずサンプルゲームのメニュー画面、 :相談 :アイテム :特殊技能 :装備 :システム :セーブ と、6つのコマンドがある。 上から4つめの「装備」にカーソルを合わせた状態で決定ボタンを押すとキャラクター選択に移り、十字キーで目的のキャラクターを選択して決定ボタンを押すと、装備画面に移る。 さて、これを仕様書に書くと… 【'''装備キャラクター選択画面'''】 '''遷移直後の変化''' メニュー欄に「装備」コマンド位置に決定後カーソル画像「○○○.bmp」を表示。 キャラクター選択欄のカーソルの点滅が開始。キャラクター選択用の点滅用カーソルの画像は「△△△.bmp」。 '''ボタン押の反応''' キャラ選択欄で十字キーの方向にいる隣または次のキャラクターを選択でき、そのキャラの選択欄にて点滅カーソルが点滅表示される。 決定キーを押すと、選択中キャラクターの『装備部位の選択画面』に移る。 キャンセルキーを押すと『メニュー画面』に移る。 '''画像リソース''' ○○○.bmp :メニュー欄用の決定中カーソル画像 △△△.bmp :キャラクター選択欄用の点滅用カーソル画像 という感じ? その画面とやりとりする相手先の画面の名前と、あとはその画面の読み込むファイル、無駄なことは書かない、他の画面や他ファイルについては書かないほうが良い。 上述の仕様書の書式の参考は、吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、221ページ、の例『各画面の仕様書の例』の書式。 『装備部位の選択画面』に移ったあとの説明は続けて書かず、別途、たとえば『装備フロー仕様書』のような仕様書を作成せよ。 仕様変更で、『装備』コマンドの位置が(サンプルゲームでは上から4番目だが)上から6個目に変わったら、「メニューの装備コマンドは上から4番目にある」と書いた書類は全部作り直しになってしまう、そういう事態を避けたい。 そのため、あえて書類をモジュール化する。全体像は把握しづらくなるが、しかし全体像の把握については、そのための専用フローチャートを書類に設け、修正の手間が波及しないようにする。 例えば… '''装備フロー仕様''' 【 メニュー画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 キャラクター選択画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 装備品 選択画面 】 とかね。 フローチャートの作図をしたい場合は、オフィスソフトのパワーポイントの図形描画の機能で作図が可能。フローチャートの描き方はJISで決まっているので、それを参考に。中学校の技術家庭科でも習うのでその教科書を引っ張り出してきても良い。 例えば装備部分の選択画面は、 :右手 :左手 :身体 :装飾1 :装飾2 これがこう変更されると… :武器 :盾 :頭 :身体 :腕 :装飾 書類上の「装備部位の選択画面の「右手」選択にカーソルの合わさった状態で移る」というような記述はすべて書き直さざるを得ない。 そこでまず、『メニュー画面』や『キャラクター選択画面』では、他画面、例えば『装備部位選択画面』の具体的項目名称とその遷移法は書かないようにする。 『キャラクター選択画面』の仕様は、例えば、「選択キャラクターの『装備部位選択画面』に移る。」と書く。 「画面の変更時は原則、その画面のいちばん上のメニュー項目にカーソルの合わさった状態で画面が移る」と書く。 例えば装備関係のフローを描くときは、 :マップ画面 → 決定ボタン → メニュー画面 → 「装備」を選択で決定ボタン → キャラクター選択 → 決定ボタン → 装備品選択画面 と、続けて書くのはよくない。フローを分解する。 '''メニュー選択フロー''' 【 マップ画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 メニュー画面 】 '''装備関係フロー''' 【 メニュー画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 キャラクター選択画面 】 決定ボタン ↓ ↑ キャンセルボタン 【 装備品 選択画面 】 こういう2分割でしょうか。 意味的にまとまりのある単位ごとに階層をフロー分割したい。 かといって、5分割や10分割と、階層が大きくなりすぎるのは、多重下請けのいんちき業界みたいなので、多くてもせいぜい3分割でしょうね。 そしてフロー同士を結ぶ記述が必要。 【メニュー画面仕様】 '''表示項目リスト''' 決定ボタンで下記の項目を選択できる。 ・相談      :決定すればメニュー相談フローに移行 ・アイテム    :決定すればメニューアイテムフローに移行 ・特殊技能    :決定すればメニュー特殊技能フローに移行 ・装備     :決定すればメニュー装備フローに移行 ・システム    :決定すればメニューシステムフローに移行 ・セーブ     :決定すればメニューセーブフローに移行 '''非表示項目''' ・キャンセルボタンでマップ画面に戻る とか? なお、各画面での遷移先の画面の説明と、フロー図での遷移先の画面との説明が重複しているけど、まあ気にしない、気にしない^^;;;。 参考文献の『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』の209ページ「状態遷移フローの例」と211ページ「各画面の仕様書の例」とでも、遷移先の画面の説明はそれぞれ重複しています。まあ場合によってはいつものようにこの後の記述でそこそこ言い訳するかもしれないけど…^^;;; ;一枚の図面の中での重複は、すじ肉大先生が許してくださる^^ というのは、例えば機能の似たものを二つ作る時、2個目の説明では、「○○については△△と同じ」と、書けるからね<ref name="aps229">吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、229ページ</ref>。 同じ一枚の図面なら、これで良い。 「○○については△△と同じ」「~~~と同じ」のように書いて具体的には書かない。<ref name="aps229" />。 ;その他 画面名やファイル名の名前は、具体的にしたい<ref>吉富賢介『ゲームプランナー入門 アイデア・企画書・仕様書の技術から就職まで』、技術評論社、2019年5月2日、213ページ、</ref>。 たとえば、上述のウディタのサンプルゲームの画面は :「マップ画面」、「メニュー画面」、「装備キャラクター選択画面」、「装備部位選択画面」と、したいね。 例えば 「画面1」、「画面2」、「画面3」、… とか、 「メイン画面」、「メニュー画面」、「サブメニュー画面1」、「サブメニュー画面2」、… にしたいときはあるし、事実上これは、命名の手間は省けるんだけど、他人に伝わりにくいので、ここは少し手間をかけて、具体的に内容ある命名にしたい。 ====要求事項書==== IT界の一般的な慣習として、「要求事項」とは、完成品の満たすべき要件を示しています。 商業ゲーム界ではどうでしょうかね。E.Suj.の調査では、商業ゲーム界で要求事項書が作られている証拠は見つけられなかったようです。 個人でのゲーム制作ではまず不要な書類でしょう。 基本的には、要求事項書とは、発注者と受注者の両方の打ち合わせによって作られていきます。 ただゲーム界では、発注書で、成果物が作中でどういう目的で使われるのか、意図・用途を伝えるのがいいようです<ref name="gp296" />。 ==== データ暫定値 ==== ゲーム中のデータの数値、例えばRPG武器の攻撃力、等、はすべての項目の想定値を設計図に記述します<ref>https://www.youtube.com/watch?v=KVdtNiB_lIQ 2020年3月14日に閲覧</ref>。 CSVファイルを作りましょうか、ソフトはエクセル? 【剣データ暫定値】 銅の剣: 攻撃力 7 鉄の剣: 攻撃力 18 ハガネの剣: 攻撃力 37 ミスリルの剣: 攻撃力 70 ほのおの剣: 攻撃力 57 (※ 剣ではランク5は欠番とする) デスブリンガー: 攻撃力 150 備前長船: 攻撃力 250 聖剣エクスカリバー: 攻撃力 450 魔剣レーヴァテイン: 攻撃力 450 具体的な指定も一緒に書いて、もちろん今後の調整で変更する可能性はあります。 ====データ仕様書==== データ仕様書とは、たとえばRPGなら :攻撃力: 敵の守備力との計算によってダメージを算出する のようなパラメータ計算式の定義を行った仕様書のことです<ref name="gpnt92">STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、96ページ、2018年3月10日初版第2刷発行、92ページ</ref>。 そして、この「データ仕様書」は、デバッグのための資料になります。デバッガーが、この資料と実際の動作を照合することで、仕様どおりにプログラムが動いているかを確認します<ref name="gpnt92" />。 書籍『ゲームプランナーの新しい教科書』では、アイテム(「やくそう」や「毒消し」などの)価格の「100」(100ゴールド)や「200」(200ゴールド)の具体値のあるデータ表のことを「仕様書」と言っている。この本では、本当は「100」になるべき数値が「200」になっている場合 「仕様書」で簡単に確認できる、記述されている。 一般にRPGの仕様書は非常に厚く、大冊になるという。オタキング岡田斗司夫氏が聞いたところによると、(出典は『オタク学講座』など)、ある有名RPGの仕様書は、書類の量をページ数ではなくKg で数えていたという。(しかし、1kg=何枚かな?^^)。有名作の仕様書は、分厚い電話帳のようなものが何冊もあるらしいです。データ台帳、 各種パラメータ、設計の背景の要求事項、まあいろいろ書かれているのでしょうね。 ;攻略本と仕様書 ゲーム攻略本にある、アイテムの効果値や、敵の能力値といった数値の一覧は、おそらくそのゲームのデータ台帳から転記されているのでしょう。 プログラム部分の設計図である仕様書も参考になるでしょうが、データ台帳には、直接的な数値が書かれています。 しかし実際の市販の攻略本には正しくない記述もある。制作側から正しいデータ、情報を手に入れられなかった場合もあるでしょう。 ==プランナーが事務方の現場で動いているスタッフとみて良いでしょう== ゲーム業界では、プランナーと言われる人が、連絡網の中心になって、いろいろな部署のあいだの情報伝達をします。 <div style="font-size:120%;"> <pre> ディレクター ━━━ プランナー ━━━━┳━ プログラマ                      ┃                      ┣━ グラフィッカー                      ┃                      ┣━ デバッガー </pre> </div> ディレクターが現実の制作のトップ、そしてその後ろにプロデューサー、管理職など、商業コンテンツとしての責任者がいることになりますね。 このプランナーは、ゲーム業界の場合、中間管理職? のような権限があり、各部署(プログラマ部署やグラフィッカー部署など)やディレクター(監督)の間で、様々な調整や連絡をしていきます。 アニメーション業界で言えば、制作進行とか、制作デスク、のような立場でしょうか。 「プランナー」というと、プラン「計画」を練るという意味になりますが、テレビ業界でいう「AD」アシスタントディレクターのようなイメージのほうが近いかもしれません<ref>吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P236</ref>。勿論現場を現実に回すための様々なプランは必要ですね。 ==ゲームに取り込むイラスト、音楽== 商業ゲームで、イラストや音楽、そしてそれ以外でも、他者に何らかの作業を発注する場合、特に常識的、慣習的な発注フォーマットというのは無いようです。割と場当たり的に、作品、状況にあった発注形態がとられているのでしょう<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.146</ref>。 音楽やイラストの提供を他者に求める場合は、もちろんその作品に関するその絵描きや音楽家の関わり方にもよりますが、そのゲーム内でどのように絵や音楽を使うか、明確に説明できることが望ましいですね。 様々な事象項目チェックリストも用意したい<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.159</ref>。 ===他者に委ねる場合=== 商業としても、あるいは同人としても、割と外部の他者に描いてもらったイラストや音楽をゲームに取り込むことは多いでしょう。商業ならそれこそ、対価を明示したうえで外注、ということになる。 例えば他者にイラストをお願いするときは… :構図、 :希望のポーズ、 :塗り方、 :テイスト、 この辺を相手に伝えておきたいですね<ref name="gpd128">『ゲームプランとデザインの教科書』、P.128</ref>。 さて、ゲームには美術的な素材として、イラストレーション、アニメーション、コミック(漫画)などがありますが、これらはもちろん絵画としての共通点はありますが、一般的にはそれぞれ別分野と見なした方がいいようです<ref name="gpd128" />。 特に商業の世界では、美術作品という共通点はあっても、他分野の創作は手間や方法論の整備や熟練などの問題で、それぞれの専門家に依頼するのが妥当でしょう<ref>畑大典ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P168</ref>。 そして、商業ゲーム界では、あるいはそれ以外でもあるかもしれませんが、キャラクターイラストを描いてもらうときは、実在のアイドルやモデルの名前をイメージとして、提示する場合もある<ref>畑大典 ほか著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日 第1版 第1刷発行、P168</ref>。 あるいは仮に自分は絵が上手に描けなかったとしても、ラフな簡単な絵をかいて、どんなキャラクターのどんな構図を描いてほしいか、大体の要望を伝える、ということもありますし、また、その構図が作中でどういう目的で使われるか、意図用途を伝える<ref name="gp296" />、というのも意義がありますね。 ただ他人に何かを伝えるということは、一般的な意味でも難しいことですよね。ここでイラスト描きに希望を伝えるにしても、長文の書類だと読んでもらえないこともあるし、口頭でもその相手にとって分かりにくい説明というのがある。 ですから、出来るだけ、ですね、わかり易く受け入れやすい言及が必要です<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P295</ref>。 ;アダルトゲーム アダルトゲームでは、シナリオも外注の場合があるらしい<ref>畑大典著『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、総合科学出版、2020年11月19日第1版第1刷発行、P129</ref>。しかしむしろこれは企画販売の会社と、制作主体が別だという話ではないだろうか? ところで皆さんは、アダルトゲームって、プレイします?^^;;; ;そもそもイラストの発注者は、絵描きの頬を札びらで叩いて描かせているわけ? 基本的には有償のイラストの場合は、発注者の指定にイラストレーターは従うでしょう。それでも媒体にもよりますけどね。ゲームの場合は、発注者の指定に従う縛りは大きいと見ていいですね。 そもそも要求事項がどうのとか、書類に関する理屈をグダグダ述べれば、さらにこの縛りは強くなりますね。事実上はその辺の判断はあいまいなのですが、発注者は一般的にリテイク(書き直し)を出す権利があるとみて良い。 例えばイラストの仕事を有償で得たとして、実際にはそのイラストの使われ方も問題になりますが、「セーラー服の少女を描いてください」と頼まれてそのイラストを引き受けたら、ブレザー服の少女を描いて提出するのは不適切でしょう。リテイクを出される<ref>『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008-ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.208</ref>。それどころか、仮にセーラー服の少女を描いたとしても、発注元がそのイラストの質が良くないと判断したら、一般的にはリテイクを出してよいと見られています。しかしもう一つ問題があって、そのイラストレーターはそもそもなぜブレザー少女を描いたのか?そしてもう一つ、現編集者の推奨としては、イラストレーターはリテイクの扱いについて、具体的にどう扱うか、発注者とよく話し合ってある程度ルールを明確にしておいた方が良いと思います。 前編集者はこの問題について、社会のルールがどうのとか、自称イラストレーターがどうのとか、教育がどうのとか、2005以前がどうのとか、いつものように狂った理屈を長々書いていますが、全て愚か者の自己本位なたわごとでしょう。 {{コラム|絵の仕事とはどんな仕事?| さて、前編集者 Suj. は、このコラムで、2005~2008 にかけて、絵の仕事を、「自由に絵が描ける」「漫画や絵の仕事は、競争を気にしなくていい」と、思い込んでいる人がいたと書いているけど、これ本当の事かね? どうせいつもの[[w:かかし論法]]じゃあないの? そもそもなんでこの話では、大好きな出典出さないわけ? しかもこの人物は、教育に携わる資格なんてまるでない性格異常者なのに、なぜか偉そうに大上段に教育論を語りたがる。 そもそもそんな人がいるかどうかも怪しいが、それは小中高の美術教育、自由に絵を描かせる授業方針のせいなんだって。 この人物の妄想世界では、「小学校の図工のような自由な仕事 <nowiki>=</nowiki> プロ絵描き」と思い込んでいる人がいるんだって。ほんとかね? 何かこの人物が大好きな江川達也もそんなこと書いていたようだよ。 2001~2005の雑誌コラム、スパ? 漫画業界について「漫画家は、競争が無くて自由に漫画を描ける仕事」、という言説に怒っているんだって。しかしほんとにそんな主張があったの?江川もストローマン叩いてるだけじゃあない?そしてわざわざゆとり教育に言及? インチキ臭いね。 しかも江川が書くには、「漫画家はとても競争の厳しい世界だ。」ってことだけど、まあそんな部分はあるけど、結局はそこで生き残って飯食ってる俺は偉いって話でしょ? 江川ってほんとにいい漫画描いてる? 単にインチキな業界人に気に入られているだけでしょ? あと小林よしのりは、ゴーマニズム(そろそろマジメニズムになったら?)宣言で、プロデビュー前、「マンガ出版社は、漫画家が死ぬまで面倒を見てくれる、まるで公務員のような終身雇用の業界が漫画業界」と思い込んでいた、と、描いていたって言うけど、そうね、私もこんな記述昔読んだような気はするけど… しかし、E.Suj.はこの小林の当時の考えはよくて、今同じ様な考えを持つと阿保馬鹿書くわけ? しかもほんとにこんな考えの人が今いるのかね? 出典くれない? まあ確かに実際に今現在、そんな考えの人はひょっとしたらいるかもしれないけど…。しかしここでわざわざその話題をコラムとやらにして、彼らを愚弄する意味なんてある? }} ===特定の絵に関して、誰でも質やクオリテイを語ることはできる。しかしそれは主観的な判断に過ぎない上、自分自身が神のように凄い絵を描けるわけではない。だからあまり威張って断定的にそれを語るなよな。=== 事実上今現在の商業ゲーム界の主流の絵は、まずCGであり、手描きの場合は細密かつCG特有のグラデーション、その他最新のテクニックを駆使した多色の華やかな絵柄 でしょう。 その絵が上手に描かれたいいものであれば、ゲーム業界の馬鹿馬鹿しい連中は、この絵はクオリティが高い、などと宣うわけです。 で、その条件から外れた絵を見ると、彼らは下手だ下手だと騒ぎだすのでしょう。 ;アニメーション、漫画、CGイラストレーション 上記の3つの絵画は、多少質が異なるものになるでしょう。前者二つは一枚絵で完結していないので、ある程度簡略化した手間をかけない描き方がなされる。一枚絵のイラストはそれだけで完結なので、事実かなり手間と時間はかける事が出来る。 しかしどちらにしろ、時間と手間は様々な諸事情のバランスで、それが選ばれ決定されますね。 特定の絵が上手いとか下手なことにこだわり、朝から晩までその議論ばかりしている愚か者は多いですが、事実上、時間と手間の大小にかかわらず、特定の人の心を打つ絵というのはある。 しかしやはりその心の動き自体が、主観的なものであるでしょう。 ;後日修正 手間と時間をかけた絵が欲しいなら、後日修正という道はありますね。商業漫画でもアニメーションでも、後から修正を加えて絵の質を高めることはあるでしょう。 基本的にはあらゆる物事が、時間と手間をかけたことによって評価は高まりますが、しかし我々の時間も労力も無限ではない。いいバランスで、いい完成度で、多くの物は創作終了されています。 ===芸術、自由、文化。そして娯楽、商業作品=== さて、前編集者Suj. は常に自分にとって都合のいい主張をしている市販本を探し、そしてそれが見つかったら購入し(しかしそのお金はどこから出ているのだろう?)、そしてそれを斜め読みした後、このサイトでクオリティ最悪の駄文を書き散らしているのだが、彼の愛読書には、ゲーム作りに必要な資質は、作家性と「人を楽しませたいと思う気持ち」<ref name="gpl246">『ゲームプランナー集中講座』、P246</ref>、だと、書かれている、らしい。 まあこのサイトを見てわかるとおり、彼自身はその二つとも全く持ち合わせていないのだが… そしてその馬鹿馬鹿しい本には、ゲーム会社の採用担当も、ゲーム会社自体も、クリエーターに自己表現は求めていない、と書いている<ref name="gpl246" />。つまり、ゲーム会社の幹部たちに都合のいい作業を安い賃金でしてくれる、奴隷が欲しいということだろう。 そして、E.Suj,はとにかく他人の褌をはいて威張ること以外何もしないのだが、彼のイラスト分野の愛読書には、依頼内容を無視して自由に絵を描こうとする人は、「プロ」ではなく「芸術家」、と書かれている<ref> 『クリエイターのためのおんなのこデータベース2008-ファッション編-』、編著 おんなのこデータベース制作委員会、ジャイブ株式会社(出版社名)、2008年7月5日初版発行、P.198</ref>(らしい)。 ====芸術と商業漫画==== 漫画『サルでも描けるまんが教室』には、芸術と商業漫画に関する面白い記述がありました。 {{コラム|竹熊と相原のサル漫| 一応この漫画を知らない人のために少し説明すると、竹熊健太郎氏が原作、相原コージ氏が作画、まあ必ずきっかり分業がなされているかはわかりませんが、この二人が漫画内で主人公にもなって、商業漫画ハウツーギャクが展開します。 相原「む~…。俺たちはこんなくだらない漫画を描いてていいのだろうか…」 竹熊「どうした相原?」 相原「俺たちはもっと本質的な作品を作るべきではないか?例えば…資本主義などという下らない次元にとらわれてはいけないのではないだろうか…俺たちは国や大企業におどらされているのではないか?やはり漫画にも芸術は必要だろう…」 竹熊「バッキャローー!!!(ガッと、相原を殴る)」 相原「な、何をする…」 竹熊「お前は芸術をぜんぜん分かっちゃあいない!」 相原「そんなことない…」 竹熊「じゃあ、お前のいう芸術とは何か、言ってみろ?」 相原「それはー…、人間の内面の…真実ってゆうか…」 竹熊「にんげんのぉー、ないめんの~しんじつぅ~??? あのなー、お前は権威にとらわれてはいけないとはいうが、じゃあお前のその意見は、どこかの芸術大学の教授の権威にすがっているだけではないのか!?」 相原「そんなことない…お前こそ、政府や商業メデイアによる宣伝のつくった権威にとらわれているじゃないか。」 竹熊「ああそうかね。だけどお前だって、芸術教授の権威にあやかって自分も地位と名誉が欲しいだけだし、結局、お前もカネが欲しいだけなのだ。」 ……と、いうような、もちろんこの漫画は第一にギャグマンガですが、商業漫画界やアニメーション界での、芸術という言葉の捉え方をよく示していると思います。 例えば、『ねじ式』という漫画に芸術性があると評価された、つげ義春さんも自身の漫画が芸術でくくられることを嫌っていました。漫画家は芸術家ではなくて職人だ、と語っていたインタビュー記事を読んだことがあります。 しかし実はこのサル漫、最新最終作『サルまん2.0』ではさらに面白い展開を迎えています。 少し書きますが、「とんち番長」という漫画で一世を風靡した竹熊と相原(もちろんこの漫画内の、ですよ)だったが、やがて落ちぶれ、それでも再起を図って、漫画出版社に持ち込みする。 そこでの編集者が採用を断る時の言葉。 「いやいや先生。我々の雑誌では、先生たちの高尚な漫画は掲載できませんよ…。読者はみんなほんの愚かな子供たちで、先生たちの高尚な漫画はとてもとても理解できません…」 つまり過去大騒ぎして否定していた芸術側に、いつの間にか落ちぶれて、竹熊と相原は所属していたわけです… }} ====私小説==== {{コラム|基本的に娯楽産業の連中は、芸術という言葉も概念も嫌う| 前コラムでも書きましたが、結局商業アニメーションや漫画界では、娯楽、楽しい或いは扇情的、売れる、ということが重要で、あまり芸術的なことを語ると徹底的に嫌われます。 このコラムの前編集を見てもらえるとわかりますが、前編集の筆者もその感覚に追従して、好きかってなことを書いています。 特に自己探求にこだわった創作は、「私小説」などと呼ばれて揶揄されます。 1998年、オタキング岡田斗司夫の対談集『マジメな話』でも、当時のエヴァンゲリオンの映画版を「私小説」だと、対談相手の小説家・今野敏が批判していました。事実上この作品は衒学的な、疑似芸術作品でした。 やはり何らかの娯楽性、収益性、芸術性の問題が、常に創作作品には付きまとうようです。 さて、例えば、大正文学の売上のベストセラーは、 :倉田百三『出家とその弟子』、 :島田清次郎『地上』、 :賀川豊彦『死線を越えて』、 三大ベストセラーですが、しかし今や彼らは文学史の教科書には、滅多にのりません。せいぜい高校日本史の教科書で、倉田が少し紹介されているくらいです。 現代の教科書でよく大正時代の小説家として紹介される芥川龍之介は、じつは当時は倉田・島田らほどには売れていない作家です。また、「私小説」といわれるジャンルも当初から収益性はない。もっとも、芥川が私小説を書き出したのは晩年のことですが…。 しかし前編集者はこの問題に、毎日新聞の戦略とか、左翼がどうのとか、研究不足がどうのとか、なんかいい加減なこと書いているようですが、まあどうでもいいか。 現編集者は上記の3ベストセラーの、倉田の作品だけ読んだことがある。親鸞の話だったけど、私にとっては底の浅いいい加減な話に見えた。はっきり言って芥川の小説の方が、はるかに意味と深い内容を持っているだろう。 島田清次郎に関しては、「栄光なき天才たち」という漫画で、この人物の詳細と人生が描かれていたのを読んでいる。この漫画の中では彼は、「地上」の最終巻の採用を、編集者に断られている。 }} === ローポリ関連の作画 === 単元『[[ゲームプログラミング/3Dグラフィック#ローポリ制作手法的なこと]]』で説明した。 ==レポートは結論だけを読んでも分かるように書く== レポートなどは、ゲーム業界なら、途中を読み飛ばしても、内容がおおまかに分かるように書きたい。 別に冒頭で結論を述べる必要はありませんが(会社による)、しかし、仮に書類のページの順序どおりに他者が読まなくても、 レポート全体の内容を把握できるように書くのが推奨です。 ==書類は誰でも簡単に理解できるように書きたい== 書類の言葉選択は、「中学生の知識でも理解できる言葉を使う」、のが望ましいですね。言いやすいフレーズ、理解しやすいフレーズ、こういう言語選択も重要です。<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P101</ref> 基本的にゲーム界に限らず、あらゆる場所で、わかり易い言葉を使うことが重要ですし、相手の理解に配慮することは必要でしょう。E.Suj.のように自分が理解できなければ全て相手のせいにし、相手が理解できないのもすべて相手のせいにするのは、一番有り得ない最低の態度でしょう。 == 脚注・参考文献 == nirgvy3jd5jw7gdi5mt83fa7b4vcped 高校英語の文法/関係詞 0 35053 206537 206245 2022-08-13T22:36:31Z すじにくシチュー 12058 /* 関係詞とは */ 参考書ジーニアスが「後置修飾」という語句を関係詞のコラム節ほかで紹介している。 wikitext text/x-wiki === 関係詞 === ==== 関係詞とは ==== I have a friend who lived in Boston. 「私にはボストンに住んでいる友人がいる。」 のような文章での、who は「関係代名詞」という。 まず、「関係詞」は、「関係代名詞」と「関係副詞」の2種類に分類される。 とはいえ、「中学で『関係詞』なんて言葉、習ってないよ!」と思うかもしれない(その時代のカリキュラムによる)。もし中学で習ってない場合、単に下記の「関係代名詞」と「関係副詞」をあわせて「関係詞」と呼ぶ、とも思ってよい。 {| class="wikitable" style="float:left" |+ 関係代名詞の種類 !   !! 主格 !! 所有格 !! 目的格 |- ! 人 |  who / that ||  whose || who / whom / that |- ! 人以外 |  which / that ||  whose / of which  || which / that |- ! 人、人以外 |  that ||  - || that |} {{コラム|高校参考書の読み方| 世間の大人のなかには、「形容詞」と「副詞」の違いが分かってない人とか、少なからず居るんです。「形容詞」と「副詞」の区別ができていないダメな大人が英語学習(してるつもりのHello や good morning など挨拶(あいさつ)文などの大量暗記)でつまづく定番のポイントが、大体は「関係詞」のあたりです。(学校の授業以外に参考書を一冊も読まないとか、授業で照会した例文の暗記だけで乗り切ろうとする人が、つまづく定番ポイントが、「関係詞」です。) 中学英語の授業でもキチンと「形容詞」と「副詞」をそれぞれ教えてるはずなのに、関係代名詞も教えてるのに、授業を聞いてないのか、それとも聞いたけど何も考えずに単語だけ丸暗記したのか。おそらく文科省などが、そういう層(形容詞と副詞の違いを理解できない層)に合わせてか、中学では「関係代名詞」は教えるけど、「関係副詞」は教えないとか、工夫しているのかもしれない。中学は義務教育なので。 裏を返せば、もしアナタが「形容詞」と「副詞」の違いを関係詞などの実例を通して理解できているだけで、マトモな英文法力がある証拠になります。なので、ぜひ、「関係副詞」を理解して、文法力アピールの証拠を身につけましょう。 }} 「関係代名詞」と「関係副詞」の違いは単に、「関係代名詞」とはwho, what, which , that および、whoから格変化として派生した whose や whom が「関係代名詞」である。 たとえば、 This is the house which I lived in. 「これが私の住んでいた家です。」 の which が関係代名詞。 いっぽう、 This is the house where lived. 「これが私の住んでいた家です。」 の where が関係副詞。 名詞のうしろに修飾のために置かれる when や where や why や how が、関係副詞です。 日本語の「副詞」のイメージに引きづられると、whyを忘れがちですので、気をつけましょう。 {{コラム|高校参考書の読み方| 中学で「関係詞」という言葉を習ってなくても高校でいきなり「関係詞」などの言葉を参考書が出したりするが、一般的に大人向けの学術書や教育書では、よくこういう、説明にギャップのある言い回しがよくある。 こういう言い回しの理由としてはおそらく、目標のゴール地点を分かりやすく説明するために、ギャップがあってもゴール地点としての知識を先に説明したい、という事情であろう。 なので、高校以降、教科書の読みかたを小中とは変わる必要がある。少しくらい分からない単語が教科書の文中にあっても、1つや2つくらいの単語が分からないくらいなら、とりあえず(前のページには戻らずに)節末や章末まで読み進めるのがコツである。 裏をかえせば、もしいわゆる文系科目や語学系科目の『勉強法』と称して「少しでもワカラナイことがあれば、すぐに前のページに振り返って」とかのウソの勉強方法を言う大人は、高校入学以降では知ったかぶりなので、無視せよ。 どうしても前ページや中学教材などに戻る場合は、とりあえず節末あたりまでは読んでから、「自分はこのまま高校参考書を読み進めてもワカラなそうだな・・・」と思ったら、そこで始めて戻ればいい(とはいえ、よほどの学力不足でないかぎり、高校参考書でも中学の復習がある程度は出来るので、中学参考書を読み直す必要性は薄いが)。 }} 参考書では分類名の根拠は特に強調されてはいないが、関係代名詞における who , which, that は、参考書によくある一応の説明としては、関係詞節の中から見た場合には代名詞的に名詞格としてwho,which,thatが使われているので、「関係代名詞」としての分類である。 一方、where で場所を修飾したりや when で時期を修飾するのが「関係副詞」である。where や when が「関係副詞」として呼ばれる理由も単に、関係詞節のなかでは副詞として使われているので、「関係副詞」と呼ばれているという理由が、いちおうは参考書によく書いてある。 ※ 伝統的に、平成時代以降の日本の中学・高校の英語教育では、中学では関係代名詞まで(中3あたり)、高校では関係副詞もあつかう、というスタイルである。少なくとも2020年代の現代なら、中学で関係代名詞を習っている(桐原ファクト)。 関係代名詞も関係副詞も、共通して、後ろから修飾している。 日本語の修飾語は基本的に前から名詞などを修飾するが、しかし外国語は必ずしもそうとは限らない。 英語にかぎらず、外国語には、後ろから名詞を修飾する文法もよくある。言語学では、そのように後ろから名詞を修飾する文法のことを、たとえば「後置修飾」などといわれるが、別に覚えなくていい。(ただし、「関係代名詞」や「関係副詞」などの語句は、高校英語の内容なので覚えること。入試には出ないが。) なお、参考書ジーニアスが「後置修飾」という語句を関係詞のコラム節ほかで紹介している。 さて、後置修飾では当然ながら、修飾される対象の名詞が存在する。 関係代名詞において、下記例文の friend のように、関係詞の前に来る修飾対象の名詞のことを「先行詞」という。 I have a friend who lived in Boston. 「私にはボストンに住んでいる友人がいる。」 において、friend が「先行詞」である。 いっぽう、後ろ野側の節のことを「関係詞節」という(ジーニアス、エバーグリーン)。つまり、「who lived in Boston」 あるいは「lived in Boston」 の部分が関係詞節である。who を含むかどうかはあまり本質的でないので、気にしなくていい。 関係代名詞は別に主格でなくてもかまわず、所有格や目的格でも良い。たとえば下記に目的格の例をあげると I have a friend whom I respect. 「私には、私が尊敬している友人がいる。」 のようになる(青チャの例文に、エバーグリーンを組み合わせたwikiオリジナル例文)。 この目的格の例文のように、関係詞節のなかでは、動詞の後ろにはなんの名詞も来ない。 つまり、who I respect のうしろに、けっして who とか whom とか him とか her とかを書いてはいけないし、もし書いたらバツである。(中学でも習っているかもしれないが、あまり中学で詳しく文法を習わないし、高校参考書でもよく指摘されているので念のため) この規則のため、たとえば This is the house '''which''' I lived '''''in'''''. 「これが私の住んでいた家です。」 のように、 前置詞のうしろに名詞が何も来ない文章も、関係代名詞を用いた文章ではありうる(中学で習っているかもしれないが)。 ※ 参考書では説明の都合上、太字や斜め体にされているが、当然だが、実際に英語を書く時には、わざわざ斜めにする必要は無いし、太字にする必要も無い。 英語の文法は、覚えなければいけないこと好くな固唾もあるが、しかし上記のように文法どうしが結びつきあっているので、丸暗記の負担は少なめである。なるべく、文法知識をお互いに関連づけて覚えよう。 ほか、 This is the house '''''in''''' '''which''' I lived. 「これが私の住んでいた家です。」 の in which のような <前置詞+which> の言い回しもあるが、堅い表現である(ジーニアス、エバー)。 なお、that を使う場合、前置詞の後ろにthatを置いてはいけない(エバー)。つまり、必ず、 This is the house '''that''' I lived '''''in''''' . 「これが私の住んでいた家です。」 と言わなければならない。 先行詞が somewhere や anywhere の場合、関係副詞は that になる。あるいは、somewhere などのあとの関係副詞は省略してもいい(ジーニアス)。 関係副詞の where は、用法的には at which または in which に近い(エバー、青チャート)。 Boston is the city which I love. 「私の好きな都市はボストンです。」 のように、「愛する」love の目的語の場合、たとえ愛の対象が場所であっても、上記英文の関係詞は副詞ではないので which になる。 love 「愛する」のあとには、前置詞を使わずに直接的に目的語が来るので。 同様、「訪れる」 visit も、前置詞を使わずに直後に目的地を書く動詞なので、 Boston is the city which I visited. 「ボストンは私が訪れた都市です。」 のようになる(エバー)。 つまり、もし動詞と目的語の場所のあいだに前置詞が来ないなら、where は使えないのが原則であるので、which を使うことになる。 関係副詞 how は、その関係副詞自体に先行詞を含む。 how の意味合いは、the way in which とほぼ同じ(青チャート、エバー、ジーニアス)。 なお、in which はよく省略される。なので参考書には the way (in which)  のように丸カッコで描かれている場合も多い(青チャートの表記がそう)。 ほか、関係副詞 why は、先行詞に the reason などがあってもいいが、先行詞がなくても良い。なので、whyは場合によっては、why自体に先行詞を含む、と見なすことも出来る。 なお、whyには、 This is why 「そういうわけで」や That's why 「そういうわけで」、 などの慣用句がある。 ==== that ==== that に所有格は無い。 ;thatがよく用いられる場合 関係代名詞として that が好まれる場合として、 先行詞に最上級の形容詞や、「第一の」 the first や「第二の」the second ~ などの序数詞がついている場合の関係代名詞には、thatが好まれる。 先行詞が the same ~ (同じ~)の場合や、 the only ~ (ただひとつの)や the very ~(まさにその)といった限定の意味の強い用語の場合、that が好まれる。 先行詞に all, every , any , no がついている場合、thatが好まれる。 ほか、先行詞が 人+人以外 の組み合わせである場合、thatが好まれる。 先行詞が疑問詞の who, which の場合、つづく関係代名詞には that が好まれる。 who が2つ続くと口調が悪いので(青チャート)、当然であろう。 ==== what ==== 関係代名詞としての what はそれ自体が先行詞を含み、「~していること」「~~しているもの」の意味であり、名詞節をつくる。 たとえばエバーグリーンいわく What worries me is the result of the exam. 「私を不安にさせるのは、試験の成績のことだ」 What worries me で「私を不安にさせるのは」の意味(エバ)。 what worries me の部分が主語に使われている。このように文頭が what だからといって、疑問文とは限らないので、早合点しないように。 なお、(※ wiki注)直訳すれば、what worries me 「私を心配させているもの」である。 この使われ方のように、関係代名詞としての what は名詞節をつくる。(ここでの what は、形容詞ではない。) 同様の例をほかの参考書でも見ていこう。 ジーニアスいわく、 I believed what he said. 「私は彼が言った事を信じた。」 である。 ここでも、what が名詞節として使われている。 what の名詞節は、文全体の主語、目的語、補語として使われる(エバ、青)。あまり暗記の必要はなく、名詞が主語、目的語、補語として使われるのだから、それと同様にwhat の名詞節も主語、目的語、補語として使われるのだと理解すれば済む。 ジーニアスの和訳のように、日本語としてとくに不自然でなければ、機械的に「~していること」「~しているもの」と訳せばいい。 ==== カンマの有無 ==== 先行詞と関係代名詞の間にカンマ( , )があるかどうかで、意味が変わる。 参考書に「限定用法」と「継続用法」(非制限用法)などと書いてあるのは、このカンマの有無による意味のちがいのこと。詳しくは参考書を読め。なお、ジーニアスと桐原ファクトとブレイクスルーだけ、「非制限用法」という言い回し。 カンマの無いほうが、限定用法であり、先行詞の内容を限定するので、限定用法という。 :※ 中学で習った一般的な関係代名詞も、限定用法。 一方、カンマがあると、カンマ後の関係詞節の意味合いは補足説明になり、これが「継続用法」。 たとえば、 He has two son who works at the bank. 「彼には銀行に勤めている息子が2人いる」 は、限定用法であり、2人以外の息子がいるかは不明。(つまり、銀行に勤めていない3人目の息子がいる可能性がある。) 一方、 He has two son, who works at the bank. 「彼には息子は2人いるのだが、2人は銀行に勤めている。」 なら、息子は2人だけだと分かり、これが継続用法である。 カンマの細かなことを覚えるよりも、そもそも「カンマがある場合、読者は、その直前でそこまでに読んだ文面から、とりあえずの結論を出していい」という事に気づくべきである。そもそも英語のカンマや日本語の読点(「、」)はそういうふうに使って文章を作文するべきなのである。(むしろ、そういうふうに文章を書かないないと、社会や会社(勤務先)などでは「悪文」とされる場合が多いのが実態。『英文法教育の本当の目的が、日本語の論理的な文章の書き方の教育である』などと、昔から教育評論では、よく言われることである)<!-- 日本の英語教育が実は日本語教育も兼ねている、という教育評論が昔からよくあるという事についての出典。 1990年代の後半にアニメ系ラジオ番組で当時の流行の男性声優がそういう話をしてたのを聞いた記憶あります(誰だったか忘れた)。 ほか、英語学者の渡辺昇一がマンガ家・小林よしのりと対談したころの書籍で(90年代後半~2005年ごろ)、渡辺氏がそういう話(英文法などを勉強することで日本語が論理的に書けるようになる)をしていた記憶があります。 ほか、『理科系のための作文技術』マンガ版などを過去に立ち読みした際に、たしかフランス語のような語順を意識して書くと良いとアドバイスされていたような記憶もあります。英語ではなくフランス語という多少の違いはありますが。 --> 関係代名詞だけでなく関係副詞でも同様に、継続用法がある。 ほか、主語が複数形の場合、「そのうちのすべて」の意味で、カンマのあとに which の代わりに all of which を使うことがある(ジーニアス)。つまり、カンマも含めた語順は , all of which ~ の語順。 主語が人間の場合で「そのうちの全員が」と言いたい場合、who の代わりに all of whom になる(青チャート)。 語順は , all of whom ~ である。 ほか、値段や費用などを補足的に説明する場合、 for which を使う(青チャート、ジーニアス)。 そのほか、関係詞節での動詞の種類によっては、たとえば , with whom などもある(ジーニアス)。 「,in which city 」や「 , in which case 」等のように前置詞に加えてさらに形容詞的に which が使われるという場合もあるが(ジーニアス、青チャート)、ジーニアスいわく堅い書き言葉であるとのこと。 ;カンマによる関係詞節の挿入 これとは別に、文中に補足的説明をカンマを前後にともなった関係代名詞などで挿入する方法がある。 例文がないと説明しづらいので、ジーニアスから最低限の引用をすると、 Jennifer, who I met the party, is very attractive. 「ジェニファーはパーティで出会ったのだが、とても魅力的だ。」 のような例文がある。 この場合の前後カンマをともなう関係詞節の挿入の使い方も、継続用法である。なお、ジーニアスおよび桐原ファクトでは継続用法のことを「非制限用法」と読んでいる。 なお、桐原ファクトいわく、よく固有名詞についての補足的説明として、上述のように前後にカンマをともなった関係詞節の挿入があるとこのと。 ジーニアスのほか、青チャート、エバーグリーンが、このようなカンマと関係詞節による挿入の使い方を説明している。 関係代名詞だけでなく関係副詞でも同様に、挿入の用法がある。 ==== 制限用法の二重限定 ==== 青チャート、インスパイア、ロイヤル英文法、ジーニアス総合英語に書いてある。 例文なしで説明が難しいので、それらの参考書を読め。 ==== 複合関係詞 ==== ===== 複合関係代名詞 ===== 疑問詞の末尾に -ever をついたものを複合関係詞と言い、「~なら何でも」のような意味になる。 詳しくは下記を参照。 You can choose whichever you like. 「どちらでも好きなほうを選んでいいよ」 You can choose whatever you like. 「どれでも好きなのを選んでいいよ」 複合関係詞は、複合関係代名詞または複合関係副詞に分類される。 なお、関係副詞とは、when , where, why, how のことである。 複合関係副詞とは、上述の関係副詞の末尾に -ever がついたもののことである。 なお、that に-ever がついた形のものは無い。 whichever は、いくつか選択肢があって、「その中からどれでも」という意味である。 いっぽう、whatever は、特に選択肢は前提としていない。 whichever は形容詞的に使うことも可能であり、下記のように使える。 You can buy whichever books you like. 「どちらの本でも好きな方を買ってよい。」 「whoever ~ 」は、「~なら誰でも」の意味であり、主格または目的格になることができる。 目的格の場合だけ whomever という言い方もあるが、しかし古い言い方(ジーニアス)。 anything に「すべてのもの」の意味があるので、これを使って whichever や whatever を言い換えすることも可能である(桐原)。 たとえば例文 You can choose anything you like. 「どれでも好きなのを選んでいいよ」 anything が whatever の言い換えなのか whichever の言い換えなのかは、文脈から判断する。 「anything that 」とthatを加えてもよく、つまり例文 You can choose anything that you like. 「どれでも好きなのを選んでいいよ」 のようになる。 ===== 複合関係副詞 ===== 関係副詞 where , when の末尾に ever をつけた語を「複合関係副詞」といい、具体的には wherever およぼ whenever の事を言う。 複合関係副詞は、副詞節になる。このため、複合関係副詞節は、主格や目的格には普通、ならない。 具体的には、 wherever は「する所はどこでも 」の意味の副詞節を作り、 whenever は、「~する時はいつでも」の意味の副詞節を作る。 wherever 「する所はどこでも 」 たとえば、 wherever you like 「好きな所どこでも」 または同様の意味で wherever you want to 「好きな所どこでも」 wherever は anywhere を使っていいかえできる。 anywhere you like 「好きな所どこでも」または anywhere you want to whenever は、「~する時はいつでも」の意味。 ==== 譲歩の複合関係詞 ==== ===== 譲歩を表す複合関係代名詞 ===== whoever には、「誰が~しようとも」の意味もある。 whichever には、「どちらを~しようとも」の意味もある。 たとえば、 Whichever you choose, で「どちらを選ぼうとも」の意味。 whatever happens, で「何が起きようとも」の意味。 また、happens の末尾 sから分かるように、whatever は三人称単数として扱われるので、もし現在形なら動詞の末尾にsがつく。 同様、whoeverも三人称単数として扱われるので、現在形なら動詞の末尾にsがつく。 「Whichever you choose,」は言い換えで、 No matter which you choose, 訳「どちらを選ぼうとも」とも言い換えできる。 同様、whatever も no matter who で言い換えできる。つまり No matter what happens , 「何が起ころうとも」 の意味。 ===== 譲歩の意味での複合関係副詞 ===== Wherever you are, I'll be thinking of you. 君がどこにいようとも、私は君のことを考えているよ。 Wherever は譲歩の意味では「どこにいようとも」(= no matter where)の意味。 「~するところなら、どこでも」(= at any place where)の意味もある。 whereverがどちらの意味かは、文脈から考える(ロイヤル、桐原)。 whenever you come, 「あなたがいつ来ても」 wheneverは譲歩の意味では「いつ~しても」の意味。 however は譲歩の意味では「どんなに~しても」の意味。 ==== 関係代名詞 ==== 関係代名詞とは、2つの文を接続するとき、前の文中の名詞を説明することで文を接続する語の使い方の事である。例として、 I see a person who bought the pen. などが関係代名詞を用いた文である。この文中では関係代名詞はwhoに対応する。 この文の意味は、'私はそのペンを買った人を見た'となるが、このことから分かる通り、この文は I see a person. He (or She) bought the pen. の2文に分けることが出来る。ここで、下の文のHeは、上の文のa personを表わしている。ここで、Heをwhoに置き換えてできた文をpersonの後に並べる事で、関係代名詞を用いた文を作成することが出来るのである。 この時関係代名詞whoは前の文では目的語a personと同じ意味を持ち、次の文では、主語Heと同じ意味を持つことに注意が必要である。 また、関係代名詞によって説明される名詞を、特に先行詞と呼ぶ。 関係代名詞whoは先行詞が人であるときにしか用いることが出来ない。 先行詞が人でない物体などであるときには、関係代名詞としてwhichが用いられる。 また、関係代名詞のthatは、先行詞が人であっても人以外のものであっても用いることが出来るが、whoやwhichを使うよりも少しだけくだけた言い方になるようである。 ここまでは関係代名詞が後の文の主語となる用法を解説した。ここからは関係代名詞が後の文の主語以外の語となる用法を解説する。例えば、 I gave him a pen which I bought yesterday. のような文がある。この文は「私が昨日買ったペンを彼に渡した。」という意味だが、この文は I gave him a pen. I bought it yesterday. という2つの文を合わせた文である。ここで、2つめの文の目的語であるitをwhichに変えて関係代名詞の文を作るのであるが、通常関係代名詞は先行詞の直後に置くため、whichの場所を2つめの文の文頭に動かして、関係代名詞の文を作るのである。 ここでは目的語的な関係代名詞としてwhichを用いたが、これは人以外の先行詞を修飾するときにしか用いられない。人を修飾するときには、通常whomを用いる。 ただし、whomを使った文章ややや古い言い方に取られるため、形式的でない文章ではwhoを用いることも行なわれるようである。 また、関係代名詞thatは、目的語の関係代名詞として用いることもでき、人が先行詞のときにも人以外のものが先行詞のときにも用いることが出来る。 また、whichやthatが目的語に対する関係代名詞になるときには、それらの関係代名詞はしばしば省略される。実際の文中では正しい関係代名詞を補いながら読むことが必要になる。 更に、所有格が関係代名詞となる場合もあるのでここで解説する。 I left the house whose roof I don't like very much. などが所有格関係代名詞の例である。この文は、 I left the house. I don't like its roof very much. の2文に分けることが出来るが、下の文のItsがthe house'sに対応しているので、この部分をwhoseに置き換え、また関係代名詞を先行詞の直後にするために、文頭に動かしている。ただし、whoseは関係代名詞であるが、所有格であるので直後にwhoseがかかる名詞を取る必要があるため、対応する名詞も文頭に動かしている。 <!-- 名詞にかかる修飾語が多いと、文頭に持って来る部分が多くなることから、 この文は特にインフォーマルな文では、あまり好まれないようである。 michael swan practical english usage より --> whoseは人に対しても、人以外のものに対しても用いることが出来る。 ==== 関係副詞 ==== 関係代名詞は先行詞の様子を表わす文で、代名詞の働きをする語を修飾していた。 関係副詞は先行詞の様子を表わす文中で、副詞の働きをする語を修飾する文である。 例えば、 I like the house where I live. が、関係副詞を用いた文である。この文ではwhereが関係副詞である。上の文は I like the house. I live there. の2文に分けられるが、副詞thereがin the houseに対応することから、thereを関係副詞whereに変え、また関係副詞も対応する先行詞the houseの直後に持って来る必要があることから、whereを文頭に動かし、2つの文を接続したのである。 上の文は関係代名詞whichを用いて、 I like the house in which I live. と書き換えることが出来る。この文では、whichはthe houseに対応する関係代名詞であるが、特に前置詞inに続いて副詞句になる用法であったので、inとまとめて文頭に持って来た用法である。ここでは関係代名詞による副詞句in whichと関係副詞whereが同じ様に扱われている。 ただし、上の文でin whichとする用法はやや形式的であり、 I like the house which I live in. のように関係代名詞whichだけを文頭に持って行くことも、特に口語的な場面ではよく用いられる。 関係副詞whereは場所を表わす語に対してしか用いることが出来ない。他の関係副詞としては when: 時間を表わす語 why: 理由を表わす語 how<del>(the way)</del>: 方法を表わす語(the way は必ず省略) などがある。例文としては I lived there at the time when he came. I don't see the reason why Tom didn't stop. It isn't an easy task to see how he did that. などがあげられる。 8y0xzdjc5dws79gfpimqc586ym0cxmh 高校英語の文法/不定詞 0 35337 206541 2022-08-14T01:43:13Z すじにくシチュー 12058 『[[高校英語の文法]]』 2022年8月14日 (日) 01:37‎ から該当の単元を移動。 wikitext text/x-wiki === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== 典型的な例文で、 Is there anything to write with? 「なにか書くもの(鉛筆やペンなど)はありませんか?」 がある(ジーニアス、エバーグリーン)。 なお、エバーグリーンでは Do you have anything to write with? と若干の違いがある。 まず、不定詞のあとの前置詞の付け忘れに注意(青チャート)。 なぜなら、たとえば「ペンで書く」は write with a pen なので、「なにか書くためのもの」といった不定詞にする場合も anything to write with のように前置詞 with が必要になる。 なお、疑問文や否定文の場合なので anything となっている。 ほか、「遊ぶための友達」 someone to play with が、参考書によくある(青チャート、ブレイクスルー、ジーニアス)。 Tom has a lot of friends to play with. 「トムには遊ぶための友達が多くいる。」 ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 不定詞や動名詞は、ともにほかの動詞にともなって使われるという共通点もあるので、それに注目した品詞の分類もある。「準動詞」という分類では、不定詞・動名詞・分詞の3つを'''準動詞'''であるとして分類している(青チャート、インスパ、ブレイク、エバーグリーン)。 「準動詞」は、大学入試には出ないが、比較的に参考書に良く書いてある知識。 いっぽう、SVOとかSVCなどでいうVのようなものを「述語動詞」という(エバ)。 準動詞は、述語動詞ではない。なぜなら、不定詞も動名詞も、それはSVOやSVCのVにはならないからである。なので、準動詞と述語動詞は別物であると区別しなければならない。 また、このこととも関連するが、準動詞には、主語の人称・数などによる活用形の変化が無いという共通点がある。 つまり、たとえば三人称単数などによる変化は不定詞には無い。末尾に、sはつかない。当然、~ingなどの動名詞や現在分詞、~edといった過去分詞の末尾などにはsはつかない。 ==== 独立不定詞 ==== to be tell the truth 「実を言えば」や so to speak 「いわば」のように慣用的に使われる語句があり、文頭または文中に挿入され(ジーニアス)、文のほかの成分とは独立して使われることから(青チャート)、'''独立不定詞'''と言う。独立不定詞は、副詞的に(ブレイクスルー)文全体を修飾する(青チャ、ジーニアス)。 独立不定詞では主語は明示されないが(インスパ)、話し手の意見や判断を表す内容であるのが普通である(ブレイクスル-)。 独立不定詞には、たとえば下記のものがある。 to be honest, (正直なところ) to tell (you) the truth, 「実を言うと」(青チャ、インスパ)、「(あなたに)本当の事を言うと」(ジ-ニアス) strange to say, 「奇妙なことに」、「不思議なことに」(ジーニアス) to be brief, 「手短に言うと」「要するに」 to be frank (with you), 「率直に言うと」 frank の代わりに、plain (青チャ)または honest (ジーニアス)の場合もある。つまり、to be plain with you および to be honest with you の場合もある。 to be sure, 「確かに」 needless to say , 「言うまでもないことだが」「言うまでもなく」 to say nothing of ~ ,「~は言うまでもなく」 not to mention ~, 「~は言うまでもなく」(ジーニアス) so to speak, 「率直に言えば」 to begin with, 「まず第一に」 ※ with のあとに名詞は来ない。「to begin with,」 で、カンマ込みでひとつの慣用句。 なお、 to start with, 「まず第一に」の場合もある(ジーニアス、青チャ)。 to make matters worse, 「さらに悪い事に」「なお悪い事に」(※エバー)、※ to make things worse (青チャート)とも言う。 などがある。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) 6j303mp9evwsuv0r9cbhr12oudzwjq4 206547 206541 2022-08-14T04:49:55Z すじにくシチュー 12058 代不定詞 wikitext text/x-wiki === 不定詞 === I would like to ~(不定詞) 「私は~したいのですが。」 I would like you to ~(不定詞) 「私はあなたに~してもらいたいのですが。」 would like のほか、want , desire  などで、不定詞と組み合わせて願望を表す用法がある(青チャート)。 ==== 名詞的用法 ==== ==== 形容詞的用法 ==== 典型的な例文で、 Is there anything to write with? 「なにか書くもの(鉛筆やペンなど)はありませんか?」 がある(ジーニアス、エバーグリーン)。 なお、エバーグリーンでは Do you have anything to write with? と若干の違いがある。 まず、不定詞のあとの前置詞の付け忘れに注意(青チャート)。 なぜなら、たとえば「ペンで書く」は write with a pen なので、「なにか書くためのもの」といった不定詞にする場合も anything to write with のように前置詞 with が必要になる。 なお、疑問文や否定文の場合なので anything となっている。 ほか、「遊ぶための友達」 someone to play with が、参考書によくある(青チャート、ブレイクスルー、ジーニアス)。 Tom has a lot of friends to play with. 「トムには遊ぶための友達が多くいる。」 ==== 副詞的用法 ==== ==== 慣用的表現 ==== manege to ~ 「どうにかして~する」 (青チャ、インスパ) can afford to ~ 「~する余裕がある」(青チャ、インスパ) happen to ~ 「たまたま~する」(青チャ、ブレイクスル-) prove to ~、 turn out to ~ 「~だと分かる」(インスパ、ブレイクスル-) mean to ~ 「~するつもり」 (エバーグリーン、ジーニアス) learn to ~ 「(習得などして)~するようになる」(インスパ、ブレイクスルー) ほか、不定詞だけを目的語とする動詞がある。次の動詞は不定詞を目的語にできるが、動名詞は目的語にできない(エバーグリーン、ジーニアス)。 care(~したいと思う), decide(決心する), desire(強く望む) , expect(するつもりである、期待する) , hope(したいと思う、希望する) , manage(どうにか~する) , mean(するつもりである) , offer(しようと申し出る) , pretend(~するふりをする) , promise(約束する) , refuse(拒否する、拒む) , want(~したいと思う) , wish(~したいと思う) , ==== 不定詞と動名詞 ==== 動詞の直後につづくのが不定詞と動名詞かで意味の変わる動詞がある。基本的には、不定詞は未来にすることを名詞化しており、動名詞は過去にしたことを名詞化しているという傾向がある。 remember to ~(不定詞 ) 「忘れずに~する」の意味で、未来のことをあらわす(ジーニアス不定詞の単元、ブレイクスルー動名詞の単元、インスパイア動名詞)。 remember ~ing(動名詞)「~したことを覚えている」の意味で、過去のことを表す。 forgot の不定詞および動名詞は普通、否定文とともに使う(ジーニアス、ブレイクスル-)。 forget to ~(不定詞) 「~することを忘れる」 forget ~ing (動名詞) 「~したことを忘れる」 try ~ing は、実際の行ったことについて「ためしに~してみる」の意味。ふつう、過去形で tried ~ing となる(明記されてないが、ジーニアスとインスパイアの例文がそう)。 「try to 不定詞」は、これからすることについて「~しようと努力する」のような意味。実際にできたかどうかは try to では不明(青チャート)。しばしば、「実際には出来なかった」という含みを try to はもつ(ジーニアス)。 I tried to ~, but I couldn't. 「~しようとしたが、しかし出来なかった。」(青チャート、エバーグリーンに似た例文) のように、tried to が否定文とともに使われることもよくある。 動名詞だからといって、過去の話題とは限らない。また、その場合でも、不定詞と動名詞とで、意味が違っている(ジーニアス、インスパイア)。 be afraid of ~ing 「~することをおそれる」 be afraid to ~ 「怖くて~できない」 ただし、青チャートいわく、実際には、afraid の不定詞と動名詞は混同して用いられることもあるとのこと(青チャート)。 S be sure of ~ing 「主語Sが~するだろうと、主語Sが確信している」 S be sure to ~ 「主語Sがきっと~するだろう(と話し手である私が確信している)」 sure の場合、動名詞か不定詞かで、確信しているのが誰なのかが違う。 つまり、書き換えするなら、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 S be sure of ~ing  ⇒ He / She sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 ということである(ブレイクスル-)。 さらに、 S be sure to ~  ⇒ I'm sure that S will ~ 「Sがするだろうと私は確信している。」 について、 certain を使って形式主語 it で書き換えできる。 It is certain that S will ~ certain は比較的に「客観的」な確信を表すが(青チャート)、しかしどのような判断が客観的であるかの判定は話し手によって行われるのだから、結局は話し手の確信を表すことになるだろう。 なお、sure を形式主語にするのは禁じられている。 不定詞や動名詞は、ともにほかの動詞にともなって使われるという共通点もあるので、それに注目した品詞の分類もある。「準動詞」という分類では、不定詞・動名詞・分詞の3つを'''準動詞'''であるとして分類している(青チャート、インスパ、ブレイク、エバーグリーン)。 「準動詞」は、大学入試には出ないが、比較的に参考書に良く書いてある知識。 いっぽう、SVOとかSVCなどでいうVのようなものを「述語動詞」という(エバ)。 準動詞は、述語動詞ではない。なぜなら、不定詞も動名詞も、それはSVOやSVCのVにはならないからである。なので、準動詞と述語動詞は別物であると区別しなければならない。 また、このこととも関連するが、準動詞には、主語の人称・数などによる活用形の変化が無いという共通点がある。 つまり、たとえば三人称単数などによる変化は不定詞には無い。末尾に、sはつかない。当然、~ingなどの動名詞や現在分詞、~edといった過去分詞の末尾などにはsはつかない。 ==== 独立不定詞 ==== to be tell the truth 「実を言えば」や so to speak 「いわば」のように慣用的に使われる語句があり、文頭または文中に挿入され(ジーニアス)、文のほかの成分とは独立して使われることから(青チャート)、'''独立不定詞'''と言う。独立不定詞は、副詞的に(ブレイクスルー)文全体を修飾する(青チャ、ジーニアス)。 独立不定詞では主語は明示されないが(インスパ)、話し手の意見や判断を表す内容であるのが普通である(ブレイクスル-)。 独立不定詞には、たとえば下記のものがある。 to be honest, (正直なところ) to tell (you) the truth, 「実を言うと」(青チャ、インスパ)、「(あなたに)本当の事を言うと」(ジ-ニアス) strange to say, 「奇妙なことに」、「不思議なことに」(ジーニアス) to be brief, 「手短に言うと」「要するに」 to be frank (with you), 「率直に言うと」 frank の代わりに、plain (青チャ)または honest (ジーニアス)の場合もある。つまり、to be plain with you および to be honest with you の場合もある。 to be sure, 「確かに」 needless to say , 「言うまでもないことだが」「言うまでもなく」 to say nothing of ~ ,「~は言うまでもなく」 not to mention ~, 「~は言うまでもなく」(ジーニアス) so to speak, 「率直に言えば」 to begin with, 「まず第一に」 ※ with のあとに名詞は来ない。「to begin with,」 で、カンマ込みでひとつの慣用句。 なお、 to start with, 「まず第一に」の場合もある(ジーニアス、青チャ)。 to make matters worse, 「さらに悪い事に」「なお悪い事に」(※エバー)、※ to make things worse (青チャート)とも言う。 などがある。 ==== 代不定詞 ==== 青チャートやジーニアスにある典型的な会話文だが、 "Would you help me?" 「手伝ってくれませんか。」 - I'd be glad to. 「喜んで。」 の 返事のほうの be glad to では、to のあとに help you が省略されている。 つまり、もし省略せずに書けば I'd be glad to help you となる。 だが、英語では、ふつうは同じ言葉の繰り返しを避ける(ジーニアス)。 上記のように、先に出ている表現のくりかえしを避けるため to だけで不定詞の役割をすることがあり、これを代不定詞という(青、ジーニアス)。 ==== 原型不定詞 ==== 使役動詞(make,let,have)や知覚動詞(feel,see,taste,look,hear)に係る形で不定詞の構文が作られる時、'''toは必ず抜きます。''' My mother make me <del>to</del> eat vegetables for breakfast.(私の母は、朝食の際私に野菜を食べさせる。) My father won’t let me <del>to</del> go out of parking lot at night.(私の父は、夜に駐車場へ行くことを許してくれないだろう。) 使役動詞の意味 * make - 〜させる(強制) * have - 〜してもらう(依頼) * let - 〜させる(許可) 基本的に、動詞+目的語+原型不定詞 と使う。 at はよく「6時30分に」(at 6:30 )とか「正午」(at noon)などの時刻・時点を使うのに用いる前置詞だが、例外的に night には at を使う。 ===== 原型不定詞も取る動詞 ===== 動詞“help”は、通常の不定詞、原型不定詞のどちらも取る。 I help my brother (to) do his homework.(私は、私の兄が宿題をする事を助けた。) 5xjngahev5xtb3i0rnqd105bxbmwldc