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高等学校数学II/式と証明・高次方程式
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1902
304351
304324
2026-10-06T14:46:50Z
~2026-53584-59
92714
/* 三次式の因数分解 */ 三次式の展開は平成21年度から数学Ⅱの範囲になっています。
304351
wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|高等学校数学II|pagename=式と証明・高次方程式|frame=1|small=1}}
本項は[[高等学校数学II]]の式と証明・高次方程式の解説である。
== 式と証明 ==
=== 3次の乗法公式 ===
<math>(a+b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)^3 &=& (a + b)(a + b)^2 \\
&=& (a + b)(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& a(a^2 + 2ab + b^2) + b(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& (a^3 + 2a^2b + ab^2) + (a^2b + 2ab^2 + b^3) \\
&=& a^3 + (2a^2b + a^2b) + (ab^2 + 2ab^2) + b^3 \\
&=& a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a - b)^3 &= \{ a + (-b) \}^3 \\
&= a^3 + 3a^2(-b) + 3a(-b)^2 + (-b)^3 \\
&= a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3
\end{matrix}</math>
<math>(a+b)(a^2 - ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)(a^2 - ab + b^2) &=& a(a^2 - ab + b^2) + b(a^2 - ab + b^2) \\
&=& a^3 - a^2b + ab^2 + a^2b - ab^2 + b^3 \\
&=& a^3 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)(a^2 + ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a-b)(a^2 + ab + b^2) &=& {a + (-b) }{a^2 - a(-b) + (-b)^2} \\
&=& a^3 + (-b)^3 \\
&=& a^3 - b^3
\end{matrix}</math>
{| style="border: 2px solid gold; width: 80%;" cellspacing=0
| style="background: gold;"| '''3次の乗法公式'''
|-
| style="padding: 5px;" |
* <math>(a + b)^3 = a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3</math>
* <math>(a - b)^3 = a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 - ab + b^2) = a^3 + b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 + ab + b^2) = a^3 - - b^3</math>
|}
=== 三次式の因数分解 ===
三次式の展開公式より、
* <math>a^3+b^3=(a+b)(a^2-ab+b^2)</math>
* <math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>
* <math>a^3 + b^3 + c^3 - 3abc = (a + b + c)(a^2 + b^2 + c^2 - ab - bc - ca)</math>
(参考)
* <math>a^n - b^n = (a - b)(a^{n - 1} + a^{n - 2}b + a^{n - 3}b^2 + \cdots + a^2b^{n - 3} + ab^{n - 2} + b^{n - 1})</math>
=== 二項定理 ===
{{Advanced|初等整数論/パスカルの三角形#二項定理}}
<math>(a+b)^5 = (a+b)(a+b)(a+b)(a+b)(a+b)</math> について考えよう。この式を展開するとき、<math>a^2b^3</math> の係数は、右辺の5個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を2回取る[[高等学校数学A/場合の数と確率#組合わせ|組合せ]]に等しいから <math>{}_5 \! \mathrm{C}_2 = 10</math> である。
この考えを拡張して
:<math>(a+b)^n = \underbrace{(a+b)(a+b)(a+b)\cdots(a+b)}_n</math>
を展開する。<math>a^rb^{n-r}</math>の項の係数は、右辺の <math>n</math> 個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を <math>r</math> 回取る組合せに等しいから <math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math> である。
よって、次の式が得られる:
:<math>\begin{align}(a+b)^n &= {}_n \! \mathrm{C}_0 a^n + {}_n \! \mathrm{C}_1 a^{n-1}b + {}_n \! \mathrm{C}_2 a^{n-2}b^2 + \cdots \\
&+ {}_n \! \mathrm{C}_r a^{n-r}b^r + \cdots + {}_n \! \mathrm{C}_n b^n \\
&= \sum _{r = 0}^n {}_n \! \mathrm{C}_r a^r b^{n-r}. \\ \end{align}</math>
最後の<math>\sum</math>は[[高等学校数学B/数列|数Bの数列]]で学ぶ総和記号である。
この関係を '''二項定理'''(binomial theorem) 、それぞれの項に掛かる係数<math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math>を'''二項係数'''(binomial coefficient) と呼ぶ。二項係数は<math>\begin{pmatrix} n \\ r \end{pmatrix}</math>とも書く。
*例題
(I)
:<math>(x+1) ^4</math>
(II)
:<math>(a + 3) ^ 5</math>
(II)
:<math>(a + b) ^ 5</math>
をそれぞれ計算せよ。
*解答
二項定理を用いて計算すればよい。実際に計算を行なうと、<br>
(I)
:<math>x^4+4\,x^3+6\,x^2+4\,x+1</math>
(II)
:<math>a^5+15\,a^4+90\,a^3+270\,a^2+405\,a+243</math>
(III)
:<math>b^5+5\,a\,b^4+10\,a^2\,b^3+10\,a^3\,b^2+5\,a^4\,b+a^5</math>
となる。
*例題
全ての自然数nに対して<br>
(I)
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(II)
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n 2^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(III)
:<math>0 = \sum_{k=0}^n (-1)^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
が成り立つことを示せ。
* 解答
二項定理
:<math>(a+b)^n = \sum_{k = 0}^n {}_n \! \mathrm{C} _k a^k b^{n-k}</math>
についてa,bに適当な値を代入すればよい。<br>
(I)
<math>a=1, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(II)
<math>a=2, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+2)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(III)
<math>a=1,b=-1</math>を代入すると
:<math>(1-1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k (-1)^k</math>
:<math>0 = \sum_{k=0}^n {}_n \! \operatorname{C}_k (-1)^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。
==== 多項定理 ====
二項定理を拡張して <math>(a+b+c)^n</math> を展開することを考えよう。<math>a^pb^qc^r</math> <math>(p+q+r = n)</math> の項の係数は <math>n</math> 個の <math>(a+b+c)</math> から <math>p</math> 個の <math>a</math>、<math>q</math> 個の <math>b</math> 、 <math>r</math> 個の <math>c</math> を選ぶ組合せに等しいから <math>\frac{n!}{p!q!r!}</math> である。
一般には[[高等学校数学A/場合の数と確率#同じものを含む順列|同じものを含む順列]]と一致する。
=== 整式の除法、分数式 ===
ここでは、整式の除法と分数式について扱う。整式の除法は、整式を整数のように扱い除法を行なう計算手法のことである。実際に整数の除法と整式の除法には深い繫がりがある。整式の因数分解を考えるとそれ以上因数分解できない整式が存在する。この整式を整数でいう素因数のように扱うことで整式の素因数分解が可能になる。
上では、整式が整数に対応する性質を持つことを述べた。整数については[[高等学校数学A/数学と人間の活動#最小公倍数・最大公約数|互いに素]]な2つの整数を取ることで有理数を定義することが出来る。整式に対しても同じ事が成立し、そのような式を分数式と呼ぶ。
==== 整式の除法 ====
分数を用いないときには、整数の除法は商と余りを用いて定義された。この時、割られる数Bは商Dと割る数A、余りRを用いて
:<math>B = AD + R</math>
と表される。
整式に対しても同様に、割られる式<math>B(x)</math>が割る式<math>A(x)</math>を用いて
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と書かれるとき、<math>D(x)</math>を商、<math>R(x)</math>を余りという。
この時、整数の除法の性質<math>R<A</math>に対応して、<math>R(x)</math>の次数<math><A(x)</math>の次数が成立する。具体例として、<math>x+1 \div x</math>を考える。割る式の次数が1であることから余りの次数は0なので余りは定数である。また、商の次数が1以上であると
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と右辺にxの2次以上の項が現われ左辺と一致しなくなる。よって商は定数である。商をa、余りをrとすると上の式は、
:<math>x+1 = ax + r</math>
となるが、これは<math>a=r=1</math>で成立する。よって商1,余り1である。
より高次の式に対しても同様である。
例として、
:<math>x^3 \div (x^2 -1)</math>
を考える。
この場合、
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
で、<math>B(x)</math>が3次式、<math>A(x)</math>が2次式であることから、<math>D(x)</math>は1次式であり、また、<math>R(x)</math>は2次より小さいことから1次以下の式になる。ここで、<math>D(x)=ax+b,R(x)=cx+d</math>とおくと、
:<math>x^3 = (x^2-1) (ax+b) + (cx +d)</math>
が得られる。右辺を展開すると
:<math>x^3 = ax^3 + b x^2 + (-a +c )x + (-b +d)</math>
が得られるが、[[#恒等式|xにどんな値を入れてもこの等式が成り立たなければならない]]ので、<math>\begin{cases} a = 1 \\ b = 0 \\ -a +c = 0 \\ -b +d = 0 \end{cases}</math>が得られ、結局<math>a=c=1, b=d=0</math>が得られる。
<!--
<math>
x^3 \div (x^2 -1)
</math>
のような式を考える。
この式について、
<math>
x^3 = x(x^2 - 1) +x
</math>
と書くことが出来るが、これは <math>x^3</math> を <math>x^2-1</math> で割った結果、
商<math>x</math> ,余り <math>x</math> がでたものと解釈できる。
このように、整式どうしで割り算をすることが出来る。
このとき、割る式は割られる式より低次か同じ次数でなくてはならない。
また、余りは必ず割る式よりも低次の式になる。
-->
この方法はどの除法に対しても用いることが出来るが、次数が高くなると計算が難しくなる。整数の場合と同様、整式の除法でも筆算を用いることが出来る。上の例を用いて結果だけを書くと、
*図
のようになる。)右に書かれた式が割られる式であり、)左に書かれた式が割る式である。--の一番上に書かれた式は商であり、整数の割り算同様左に書かれた数から順に割っていく。ここでは次数が大きい項がより先に計算される項である。割られる式の下にある式は商の第1項を割る式にかけて得る式である。ここでは、<math>x(x^2-1)</math>で、<math>x^3-x</math>となる。ただし、整数の除法と同様、位をそろえなくてはならない。その後、割られる式から<math>x^3-x</math>を引き、残った式を新しい割られる式として扱う。ここでは、得た式が割る式よりも低次であることから、これで計算は終了である。
例題
:<math>x^3 + 2x ^2 +1</math>、<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2</math>をそれぞれ<math>x^2 +2x +6</math>で割った商と余りを求めよ。
<!--
更に、
(I)
:<math>
(x ^4 + 2x^3 - 5x^2 +6x -1) \div (x^2 -5x -1 )
</math>
(II)
:<math>
(3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 -3x -4 )
</math>
(III)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 +7x -4 )
</math>
(IV)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^3 +4x^2 +7x -4 )
</math>
を計算せよ。
問題が多いので、とりあえずコメントアウト。
-->
** 解答
この計算はアニメーションを使って詳しく表示されている。計算には整数の場合の筆算と同じような手法が使える。
[[画像:Fract.gif|frame|right|計算のアニメーション]]
:<math>x^3 + 2x ^2 +1=(x^2 +2x +6) x +(1-6x)</math>
が得られるので、
:商<math>x</math>、余り<math>-6x +1</math>である。
2つ目の式については
:<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2=(x^2 - 2x+2)* (x^2 +2x +6)+ 11x -10</math>
が得られるので、
:商<math>x^2 - 2x+2</math>、余り<math>11x -10</math>である。
<!--
更に、残りの計算結果は、
(I)
:<math>
\left[ x^2+7\,x+31,168\,x+30 \right]
</math>
(II)
:<math>
\left[ 3\,x^2+2\,x+19,67\,x+75 \right]
</math>
(III)
:<math>
\left[ 2\,x^3-11\,x^2+78\,x-589,4437\,x-2357 \right]
</math>
(IV)
:<math>
\left[ 2\,x^2-5\,x-1,48\,x^2-11\,x-5 \right]
</math>
が得られる。
ただし、左が商、右が余りとなっている。
-->
==== 分数式 ====
ここまでで整式を整数のように扱い、整式の除法を行なう方法について述べた。ここでは、整式に対して分数式を定義する方法について述べる。分数式とは、整数に対する分数のように除法によって生じる式である。ここで、除法を行なう式はどのようなものでも差し支えない。分数式では、分子に割られる式を書き、分母に割る式を書く。例えば、
:<math>\frac {x+1}{x^2+4}</math>
は、分子x+1、分母<math>x^2+4</math>の分数式である。分数式の分母を分母式、分子を分子式という。分数式に対しても約分や通分が存在する。約分は分子式・分母式に共通因数を持った分数式で用いられる。この時には分子分母を共通因数で割り、式を簡単にすることが出来る。通分は分数式の加法の時によく用いられるが、分母分子に同じ整式を掛けても分数式が変化しない性質を用いる。
*例題
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
を簡単にせよ。また、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算せよ。
*解答
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
について分子と分母を因数分解すると、双方共に
:<math>x-1</math>
を因数として含んでいることが分かる。このとき、共通因数は約分され、
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
:<math>= \frac{(x-1)(x+1)}{(x-1)(x^2+x+1)}</math>
:<math>= \frac{x+1} { x^2+x+1}</math>
となる。
次の問題では、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算する。このとき両辺の分母を揃える必要があるが、今回については単純にそれぞれの分数式の分子と分母に各々の分母をかけて分母を統一すればよい。計算すると、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}+\frac{(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)+(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac {3x^3 +10x^2 + 17 x + 16}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
となる。
分数式の乗法は、分子分母を別々に掛ければよい。
*例題
次の計算をせよ。
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
* 解答
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)} {(x-y)^2} \times \frac {x-y} {x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)(x-y)} {(x-y)^2\ x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {1} {x}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
:<math>= \frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \times \frac {x^2 - x - 6} {x^2 - 3x - 4}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)} {(x-3)^2} \times \frac {(x+2)(x-3)} {(x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)(x+2)(x-3)} {(x-3)^2\ (x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+3)(x+2)} {(x-3)(x-4)}</math>
===== 部分分数分解 =====
分母が積の形である分数式を二つの分数式の和や差で表された式に変形する操作を'''部分分数分解'''という。
*問題例
<Math> \frac{1}{x (x+1)} </Math>と<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)}</Math>を分数式の和または差の形で表せ。
*解答
:<Math>\frac{1}{x(x+1)} = \frac{(x+1)-x}{x(x+1)}</Math>
と変形できるので
:<Math>\frac{x+1}{x(x+1)} - \frac{x}{x(x+1)}</Math>
となり、約分すると
:<Math>\frac{1}{x} - \frac{1}{x+1}</Math>
となる。
次の問題では、
:<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)} = \frac{1}{(x+3) - (x+1)} \cdot \frac{(x+3) - (x+1)}{(x+1)(x+3)}</Math>
と変形することによって
:<Math>\frac{1}{2} \{ \frac{x+3}{(x+1)(x+3)} - \frac{x+1}{(x+1)(x+3)} \}</Math>
となり、
:<Math>\frac{1}{2} (\frac{1}{x+1} - \frac{1}{x+3}) </Math>
と求まる。
部分分数分解の操作を逆に辿ると、分数式の通分の操作と一致する。
つまり、'''部分分数分解は通分の逆の操作'''である。
分子が定数の場合には、上と同様の方法で部分分数分解することができる。
*問題
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3}{(x-9)(x-4)}</Math>
**#<Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
*解答
1. <Math>\frac{3}{(x-9) (x-4)} </Math>
:<Math>= \frac{3}{(x-4) - (x-9)} \cdot \frac{(x-4) - (x-9)}{(x-9)(x-4)}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5}\{ \frac{x-4}{(x-9)(x-4)} - \frac{x-9}{(x-9)(x-4)} \}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5} ( \frac{1}{x-9} - \frac{1}{x-4} )</Math>
2. <Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1) - (2x-5)} \cdot \frac{(3x-1) - (2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{2(3x-1) - 3(2x-5)} \cdot \frac{2(3x-1) - 3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(6x-2) - (6x-15)} \{ \frac{2(3x-1)}{(3x-1)(2x-5)} - \frac{3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} \}</Math>
:<Math>= - \frac{7}{13} (\frac{2}{2x-5} - \frac{3}{3x-1})</Math>
:<Math>= \frac{7}{13} (\frac{3}{3x-1} - \frac{2}{2x-5})</Math>
部分分数分解は数列の和の計算、積分計算、微分を利用した不等式の証明等に役立つ、重要な変形である。
=== 式の証明 ===
==== 恒等式 ====
等式 <math>(a+b)^2=a^2+2ab+b^2</math>は、文字<math>a,b</math>にどのような値を代入しても成り立つ。このような等式を'''{{ruby|恒等|こうとう}}式'''という。
等式<math>\frac {1}{x-1} + \frac {1}{x+1} = \frac {2x}{x^2-1}</math>は両辺とも<math>x=1,-1</math>を代入できないが、その他の値であればどのような値であっても代入できる且つ等式が成り立っている。これも恒等式と呼ぶ。
一方、<math>x^2 - x - 2 = 0</math> は、
<math>x=2, -1</math>を代入したときだけ成り立つ。このように、特定の値を代入したときにだけ成り立つ式のことを'''方程式'''と呼び、恒等式とは区別する。
等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式であるのはどのような場合か、考えてみよう。
ある式が「 <math>x</math> についての恒等式である」とは、この式の<math>x</math> にどのような値を代入しても、この等式は成り立つという意味である。なので、例えば <math>x</math> に<math>-1\ ,\ 0\ ,\ 1</math> を代入した式
:<math>a-b+c=0</math>
:<math>c=0</math>
:<math>a+b+c=0</math>
はすべて成り立つ必要がある。これを解くと
:<math>a=b=c=0</math>
なので、等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式になるならば、<math>a=b=c=0</math>でなければならないことがわかる。
一般に、等式 <math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が恒等式であることと、<math>(a-a')x^2+(b-b')x+(c-c')=0</math> が恒等式であることは同値である。<br>
よって
:<math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が<math>x</math>についての恒等式 <math>\iff</math> <math>a=a' \land b=b'\land c=c'</math>
纏めると次のようになる。
{| style="border:2px solid yellow;width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''恒等式の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>P\ ,\ Q</math> を <math>x</math> についての多項式または単項式とする。
::<math>P=0</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>の各項の係数はすべて<math>0</math>である。
::<math>P=Q</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>と <math>Q</math> の次数は等しく、両辺の同じ次数の項の係数はそれぞれ等しい。
|}
一般に、ある式が恒等式であるための必要十分条件を'''恒等条件'''という。
*例題
次の等式が <math>x</math> についての恒等式となるように、<math>a\ ,\ b\ ,\ c</math> の値を求めよ。
:<math>x^2-3=a(x-1)^2+b(x-1)+c</math>
*
等式の右辺を <math>x</math> について整理すると
:<math>a(x-1)^2+b(x-1)+c=ax^2-2ax+a+bx-b+c=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
:<math>x^2-3=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
この等式が <math>x</math> についての恒等式となるのは、両辺の同じ次数の項の係数が等しいときである。よって
:<math>a=1</math>
:<math>-2a+b=0</math>
:<math>a-b+c=-3</math>
これを解くと
:<math>a=1\ ,\ b=2\ ,\ c=-2</math>
; '''複雑な部分分数分解'''(発展)
恒等式を利用することで、複雑な分数式の部分分数分解ができる。
*問題例
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3x-5}{(x+2)(2x-1)}</Math>
**#<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)}</Math>
*解答
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{a}{2x-1} + \frac{b}{x+3}</Math>
と置く。
分母を払って
:<Math>3x-5 = a(x+3) + b(2x-1)</Math>
すなわち
:<Math>3x-5 =(a+2b)x + (3a-b) </Math>
これが<Math>x</Math>の恒等式なので、係数を比較して
:<Math>a+2b=3</Math>かつ<Math>3b-a=-5</Math>
すなわち
:<Math>a=-1, b=2</Math>
最初の等式に代入して、
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{-1}{2x-1} + \frac{2}{x+3}</Math>
:<Math>= \frac{2}{x+3} - \frac{1}{2x-1}</Math>
次の問題は、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = \frac{a}{x-1} + \frac{b}{(x-1)^2} + \frac{c}{x-2}</Math>
とおくことにより、上の問題と同様にして
:<Math>a=-1, b=-1, c=1</Math>
と求まるので、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2} + \frac{1}{x-2}</Math>
:<Math>= \frac{1}{x-2} - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2}</Math>
'''恒等式を利用した部分分数分解'''
求めたい数字を<Math>a,b,c</Math>とおく。
1. <Math>\frac{px+q}{(x+m)(x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{x+n}</Math>
2. <Math>\frac{px+q}{(x+m)^2} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2}</Math>
3. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)^2 (x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2 } + \frac{c}{x+n}</Math>
4. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)(x^2 + nx + l)} = \frac{a}{x+m} + \frac{bx+c}{x^2 + nx + l}</Math>
このようにおいた式を<Math>x</Math>の恒等式と見ることによって、<Math>a,b,c</Math>を求められ、部分分数分解ができる。
その他の場合についても、因数分解や代入を利用することで分解できる場合がある。
*問題
<math>\frac{1}{(s^2-4)(s^2+2x-3)}</math>を部分分数分解せよ。
; '''2つの文字についての恒等式'''(発展)
*例
a~fを定数とする。
<Math>ax^2+by^2+cxy+dx+ey+f=0</Math>がx, yについての恒等式だとする。
左辺をxについて整理すると、<Math>ax^2+(cy+d)x+(by^2+ey+f)=0</Math>である。
これがxについての恒等式なので、<Math>a=0, cy+d=0, by^2+ey+f=0</Math>が成り立つ。
これらは更にyについての恒等式なので、以下の等式が得られる。
:<Math>a=b=c=d=e=f=0</Math>
逆に、これが成り立てば元の式は明らかにx, yについての恒等式である
**問題
<Math>x^2+axy+6y^2-x+5y+b = (x-2y+c)(x-3y+d)</Math>がx,yについての恒等式となるようにa,b,c,dを定めよ。
==== 等式の証明 ====
先程紹介した「恒等式」という言葉を使って「証明」の意味を説明するなら、「等式を証明する」とは、その式が恒等式であることを示すことである。
一般に、等式 A=B を証明するためには、次のような手順のいずれかを実行すればよい。
:(1) Aを式変形してBを導くか、または Bを変形してAを導く。
:(2) A,Bをそれぞれ変形して、同じ式Cを導く。
:(3) A-B=0 を示す。
このとき、変形は'''同値変形でなければならない'''ことに注意。
* 例題
:<math>(a+b)^2-(a-b)^2 = 4ab</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を展開すると
:(<math>(a^2+2ab+b^2)-(a^2-2ab+b^2) = a^2+2ab+b^2 - a^2+2ab-b^2=4ab</math>
となり、これは右辺に等しい。(終)
* 例題
:<math>(x+y)^2+(x-y)^2 = 2(x^2+y^2)</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を計算すると、
:<math> (x^2+2xy+y^2)+(x^2-2xy+y^2) = x^2+2xy+y^2 + x^2-2xy+y^2 = 2x^2+2y^2 =2(x^2+y^2) </math>
これは右辺に等しい。(終)
*例題
次の等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
*解答
(I)
:<math>\mathrm{lhs}
= (36 a^2 + 84 a b + 49 b^2) + (49 a^2 - 84 a b + 36 a^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
:<math>\mathrm{rhs}= (81 a^2 + 36 a b + 4 b^2) + (4 a^2 - 36 a b + 81 b^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
両辺とも同じ式になるから
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
恒等式でないときも、与えられた条件から等式を証明することができる。
*例題
<Math>a+b+c=0</Math>のとき、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>であることを証明せよ。また、<Math>a:b=c:d</Math>のとき、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>を証明せよ。
*解答
:<Math>a+b+c=0 \iff c=-(a+b)</Math>
より、
:<Math>a^3+b^3+c^3-3abc = a^3+b^3-(a+b)^3+3ab(a+b)</Math>
:<Math>= a^3+b^3-(a^3+3a^2b+3ab^2+b^3)+3a^2b+3ab^2</Math>
:<Math>=0</Math>
よって、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>である。
また、
:<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>
より、上式の右辺をkとおくと、
:<Math>a=bk, c=dk</Math>
なので、
:<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{bk+dk}{b+d} = \frac{k(b+d)}{b+d} = k</Math>
:<Math>\frac{a-c}{b-d} = \frac{bk-dk}{b-d} = \frac{k(b-d)}{b-d} = k</Math>
よって、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>である。
なお、比<Math>a:b</Math>について<Math>\frac{a}{b}</Math>を'''比の値'''という。また、<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>を'''比例式'''という。
<Math>\frac{a}{x} = \frac{b}{y} = \frac{c}{z}</Math>が成り立つとき、<Math>a:b:c=x:y:z</Math>と表す。これを'''連比'''という。
*問題
**<Math>a:b:c=1:2:3</Math>のとき、<Math>a+b+c=24</Math>を満たす<Math>a,b,c</Math>を求めよ。
==== 不等式の証明 ====
不等式の様々な公式については、次の4つの式を基本的な式として導出できる場合がよくある。
高校数学では、次の4つの性質が 不等式の「基本性質」などとして紹介されている。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''不等式の基本性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:(1) <math> a>b \land b>c \implies a>c </math>
:(2) <math> a>b \implies a \pm c>b \pm c</math>
:(3) <math> a>b \land c>0 \implies ac>bc \land \frac{a}{c} > \frac{b}{c} </math>
:(4) <math> a>b \land c<0 \implies ac<bc \land \frac{a}{c} < \frac{b}{c} </math>
|}
(3)と(4)については、一つの性質として 纏める文献もある。
上述の4つの基本性質から、
:<math>a>0, b>0 \implies a+b > 0</math>
を証明してみよう。
*証明
まず <math>a>0</math> なので、基本性質(2)より
:<math>a+b > b</math>
である。
よって
:<math> a+b>b \land b>0 </math>
なので、基本性質(1)より<math> a+b>0 </math>
が成り立つ。(終)
同様にして、
:<math>a<0, b<0 \implies a+b < 0</math>
を証明できる。
ここまでに示したことから、不等式 <math> A \geqq B </math> を証明したい場合には、
: <math> A-B \geqq 0 </math>
を証明すればよいことがわかった。こちらの方が証明しやすい場合がよくある。
不等式を証明する際に根拠とする基本的な不等式として、次の性質がある。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2 \geqq 0</math>
等号成立は、 <math>a = 0</math> の場合だけである。
|}
この定理(「全ての実数についてその2乗は非負」)を、基本性質(3),(4)を使って証明してみよう。
'''(証明)'''
aが正の場合と負の場合と0の場合の3通りに場合わけする。
'''<nowiki>[aが正の場合]</nowiki>''' <br>
このとき、基本性質(3)より、
:<math> aa>0a </math>
である。すなわち、
:<math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aが負の場合]</nowiki>'''<br>
このとき、基本性質(4)より
<math>0a < aa </math>
である。すなわち、
: <math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aがゼロの場合]</nowiki>''' <br>
このとき、
<math>a^2=0</math>
である。
よって、すべての場合について<math>a^2 \geqq 0</math>
(終)
このことと基本性質(1)(2)より、次が成り立つこともわかる。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗同士の和の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
任意の実数a,b について、<math>a^2 \geqq 0</math>, <math>b^2 \geqq 0</math>より
:<math>a^2+b^2 \geqq 0</math>
が成り立つ。
等号成立条件は<math>a^2 = b^2 = 0</math>、つまり<math>a=b=0</math> の場合だけである。
|}
* 例題
次の不等式が成り立つことを証明せよ。
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
*解答
:<math>(x^2 + 10 y^2) -(6 x y) \geqq 0</math>
を証明すればよい。
左辺を展開して纏めると
:<math>(x^2 + 10 y^2) - 6xy = x^2 - 6 x y + 9 y^2 + y^2 = (x - 3 y)^2 + y^2</math>
となる。
上式の最後の式の項について、
:<math>(x - 3 y)^2 \geqq 0 , \quad y^2 \geqq 0</math>
より
:<math>(x - 3 y)^2 + y^2 \geqq 0</math>
である。よって
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
(終)
===== 根号を含む不等式 =====
2つの正の数 a, b がa≧b ならば、両辺を2乗しても大小関係は同じままである。
つまり、
: <math> a>0 </math>, <math> b>0 </math> のとき
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
これを証明するには、<math> a^2 - b^2 </math> を調べればよい。
:<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) </math>
である。
a>bとする。仮定より、a,b は正の数なので、<math> (a+b)>0 </math> であり、別の仮定より、 a > b なので、<math> (a-b)>0 </math> でもある。よって、<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) >0 </math>
逆に、<math>a^2-b^2>0</math>のとき、<math>(a+b)(a-b)>0</math>であり、<math>a>0,b>0</math>なので<math>a+b>0</math>である。よって、<math>a-b>0</math>なので、<math>a>b</math>である。
よって、<math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math> である。
<math>a=b</math>の場合は明らかに<math>a^2=b^2</math>なので、全ての場合について<math>a \geqq b (> 0) \iff a^2 \geqq b^2</math>が確かめられた。
----
*例題
<math> a>0, b>0 </math> のとき、次の不等式を証明せよ。
::<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
*解答
不等式の両辺は正であるので、両辺の平方の差を考えればよい。両辺の平方の差は
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 = a + 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + b - (a+b) 2 \sqrt{ab} </math>
である。ここで、a,b はともに正の実数なので、
::<math> \sqrt{a} \sqrt{b} = \sqrt{ab} </math>
であることを用いた。
:<math> \sqrt{ab} > 0</math>
であるので、
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 > 0 </math>
となる。よって、
:<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
である。(終)
===== 絶対値を含む不等式 =====
実数 <math>a</math> の絶対値 <math>|a|</math> について、
: <math>a \geqq 0 \implies |a|=a</math>
: <math>a<0 \implies |a|= -a</math>
であるから、次のことが成り立つ。
:<math>|a|^2=a^2</math>
また、2つの実数 a, b の絶対値 |ab| については、
: <math>|ab|^2= (ab)^2= a^2 b^2 = |a|^2 |b|^2 = (|a| |b|)^2</math>
が成り立つので、これにさらに <math>|ab|\geqq0 ,|a||b|\geqq0 </math>を組み合わせて、
:<math>|ab| = |a| |b| </math>
が成り立つ。
*例題
次の不等式を証明せよ。また、等号成立条件を 調べよ。
::<math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math>
*解答
両辺の平方の差を考えると、
:<math>(|a|+|b|)^2 - |a+b|^2 = |a|^2 + 2|a| |b| + |b|^2 -(a^2 + 2ab + b^2 )</math>
:<math>= a^2 + 2|a| |b| + b^2 -a^2 - 2ab - b^2</math>
:<math>= 2|a| |b| - 2ab</math>
:<math>= 2 ( |a| |b| - ab )</math>
これがもし正なら、与えられた不等式 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> が正しい。
ここで、 <math>|a| |b| \geqq ab</math> であるので、
:<math> ( |a| |b| - ab ) \geqq 0</math>
である。
したがって、 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> である。
等号が成り立つのは <math>|a| |b| = ab</math> の場合、すなわち <math>ab \geqq 0</math> の場合である。
(終)
{{コラム|三角不等式|
なお
:<math>|a|-|b| \leqq |a+b| \leqq |a|+|b| </math>
の関係式のことを「三角不等式」という。
}}
==== 相加平均・相乗平均 ====
2つの数<math>a</math>,<math>b</math>に対し、<math>\frac{a+b}{2}</math>を'''{{ruby|相加|そうか}}平均'''、<math>\sqrt{ab}</math>を'''{{ruby|相乗|そうじょう}}平均'''という。
{{コラム|相乗平均の例と3つ以上のものの平均|
平均は、3つ以上のものにも定義される。3つ以上のn個のものの相加平均は <math>\frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n}</math> で定義される。
:平均を考える際、つい相加平均ばかりを考えがちだが、以下のような状況では相乗平均の方が適切である。
::「ある企業では、2015年度の売上を基準にすると、2016年度では前年(2015年)の1.5倍の売上になりました。2017年度では、前年(2016年)の2倍の売上になりました。平均として、一年ごとに何倍の売り上げになっていったでしょうか? 」
:(答)<math>\sqrt{1.5 \times 2} = \sqrt{3} \fallingdotseq 1.73</math> より、約 1.73倍。
:また、この応用例は、項が3つ以上の場合の相乗平均の定義の仕方も、示唆している。もし読者が[[高等学校数学II/指数関数・対数関数|指数関数]]を知っているなら、項が3つ(ここでは a, b, c とする)の場合の相乗平均は、
::(3つの項の相乗平均)=<math> (abc)^{ \frac{1}{3} } </math>
:になる。
}}
本ページでは、2個の数の平均について考察する。
相加平均と相乗平均について、次の関係式が成り立つ。
{| style="border:2px solid yellow;width:80%" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''相加平均と相乗平均'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a \geqq 0</math> ,<math>b \geqq 0</math>のとき、<br>
<center><math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math></center><br>
等号が成り立つのは、<math>a = b</math>のときである。
|}
*証明
<math>a \geqq 0 , b \geqq 0</math>のとき
:<math>\frac{a+b}{2} - \sqrt{ab} = \frac{a+b-2 \sqrt{ab}}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} \right) ^2 - 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + \left( \sqrt{b} \right) ^2}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2}</math>
<math> \left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 \geqq 0</math>であるから、<math> \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2} \geqq 0</math><br>
従って <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math><br>
等号が成り立つのは、<math>\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 = 0 </math> のとき、すなわち <math>a = b</math> のときである。(終)
公式の利用では、上の式 <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math> の両辺に2を掛けた <math>a+b \geqq 2 \sqrt{ab}</math> の形の式を使う場合もある。
* 例題
<math>a>0</math> ,<math>b>0</math>のとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
**解答
(I)<math>a>0</math>であるから、<math>\frac{1}{a} >0</math><br>
よって <math>a + \frac{1}{a} \geqq 2 \sqrt{a \times \frac{1}{a}} = 2</math><br>
したがって
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) = 1+ \frac{a}{b} + \frac{b}{a} +1 = \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2
</math>
<math>a>0</math>,<math>b>0</math>であるから、<math>\frac{b}{a} >0</math>,<math>\frac{a}{b} >0</math><br>
よって <math> \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2 \geqq 2 \sqrt{\frac{b}{a} \times \frac{a}{b}} + 2 = 2+2 =4</math><br>
したがって
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
{{コラム|3つ以上の相乗平均と調和平均|
もし読者が指数関数などを知っていれば、
n個のものの相乗平均は、
::<math>\sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n }</math>
と書ける。
数学的な「平均」には、相加平均と相乗平均のほかにも'''調和平均'''がある。
調和平均は、電気回路の並列計算で使われる考え方である。
n個のものの調和平均は、
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} }</math>
で定義される。
一般に数学的には、調和平均、相乗平均、相加平均のあいだに次のような大小関係
:(調和平均) ≦ (相乗平均) ≦ (相加平均)
という関係が成り立つことが証明されている。
すなわち、数式で書けば
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} } \leqq \sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n } \leqq \frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n} </math>
の関係式である。
簡潔に書くと、
::<Math>\frac{ n}{ \sum_{k=1}^{n} \dfrac{1}{a_k}} \leqq (\prod_{k=1}^{n}a_k)^{\frac{1}{n}} \leqq \frac{\sum_{k=1}^{n} a_n}{n}</Math>
となる。
}}
{{コラム|相加・相乗・調和平均の図示|
線分ABを直径に持つ円の中心をOとする。線分ABの適当な位置に点Pをとり、<math>\overline{AP} = a, \overline{PB} = b</math>とおく。
:Oから線分ABに垂直な線分を引き、円との交点をQとおく。このとき、線分OQはこの円の半径なので、<math>\overline{OQ} = \frac{1}{2} \overline{AB} = \frac{a+b}{2}</math>が成り立つ。
:Pから線分ABに垂直な直線を両側に引き、円との交点をそれぞれR, Sとおく(RはQ側の交点とする)。このとき<math>\overline{OR} = \overline{OS}</math>であり、[[高等学校数学A/図形の性質#方冪の定理|方冪の定理]]より<math>\overline{OR} \cdot \overline{OS} = \overline{AP} \cdot \overline{PB} = ab</math>が成り立つので、<math>\overline{OR} = \sqrt{ab}</math>と求まる。<br>
:Pから線分ORに引いた垂線の足をTとする。<math>\triangle ORP</math>∽<math>\triangle PRT</math>より<math>\overline{OR} : \overline{RP} = \overline{PR} : \overline{RT}</math>すなわち<math>\frac{a+b}{2} : \sqrt{ab} = \sqrt{ab} : \overline{RT}</math>なので、<math>\overline{RT} = \frac{2ab}{a+b} = \frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}}</math>と求まる。
これらの図から、点Pをどの位置に取っても<math>\frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}} \leqq \sqrt{ab} \leqq \frac{a+b}{2}</math>が常に成り立つこと、PがOに一致する場合に等号が成立することがわかる。
なお、[[w:二乗平均平方根]]も図示することができる。
}}
一般的に使われる平均として、相加平均・相乗平均・調和平均の他に'''調整平均'''と'''移動平均'''が存在する。これらは数学B「[[高等学校数学B/数学と社会生活#調整平均|数学と社会生活]]」で扱う。
==複素数と方程式==
===複素数===
====複素数とは====
2乗して負になる数を考える。このような数は先ほどの
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2\geqq0</math>
という性質から実数ではないことがわかる。そこで、二乗すると負になる数を新たに導入し、数の世界を広げることを考える。
方程式<math>x^2 = -1</math>の解を考える。この方程式の解は実数にはない。そこで、この方程式を満たす(実数ではない)数の片方を文字 <math>i</math>で表すことにする。このとき、もう片方の解は<math>-i</math>と表せる。
この <math>i</math> のことを'''虚数単位'''(imaginary unit)と呼ぶ。なお、<math>x^2=-1</math>の2つの解のどちらを<math>i</math>としてもその後の理論に差し支えない。つまり、<math>i, -i</math>は代数構造的に区別できない。
<math>1+i</math> や <math>2+5i</math> のように、虚数単位<math>i</math>と<math>a,b \in \mathbb{R}</math>を用いて
:<math>z=a+bi</math>
と表すことができる数 <math>z</math>を'''複素数'''という。このとき、<math>a</math>をこの複素数の'''実部'''、<math>b</math>を'''虚部'''といい、それぞれ<math>\mathrm{Re}(z), \mathfrak{R}(z), \quad \mathrm{Im}(z), \mathfrak{I}(z)</math>などと表す。
例えば、<math>1+i,\quad 2+5i,\quad \frac{9}{2} + \frac{7}{2} i,\quad 4i,\quad 3</math> は、いずれも複素数である。
複素数<math>a+bi</math>は<math>b=0</math>のとき実数である。すなわち、複素数は実数の拡張である。複素数全体の集合は<math>\mathbb{C}</math>と表す。
<math>4i</math>のような、実部が<math>0</math>で虚部が<math>0</math>でない複素数を'''純虚数'''と呼ぶ。純虚数の二乗は負数である。純虚数全体の集合は<math>i\mathbb{R}_{\neq0}</math>で表す(<math>\neq0</math>を省略する場合もある)。
虚数は、一般には実数ではない複素数を指す。(つまり虚数全体の集合は<math>\mathbb{C} \setminus \mathbb{R}</math>)
;参考
複素数は「二元数」の一つである。他の二元数として、[[多元数/分解型複素数|分解型複素数]]と[[多元数/二重数|二重数]]がある。二元数は正確に言うと「実数体上の二次元可換結合多元環」であり、代数の構造定理によりこの3つしか存在し得ないことが判っている。
==== 複素数の性質 ====
2つの複素数<math>a+bi, c+di</math>が等しいとは、等式<math>a+bi=c+di</math>を'''虚数単位<math>i</math>についての恒等式とみる'''ことで以下のように解釈できる。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''複素数の相等'''
|-
|style="padding:5px"|
: <math>a+bi = c+di \iff a=c \land b=d</math>
特に
: <math>a+bi = 0 \iff a=0 \land b=0</math>
|}
;共役
複素数<math>z=a+bi</math>に対して、虚部の符号を反転させた複素数<math>\bar{z} = a-bi</math>のことを'''{{ruby|共役|きょうやく}}複素数'''または'''<math>z</math>の複素共役'''と呼ぶ。なお、「共役」は「共'''軛'''」の常用漢字による代用([[w:同音の漢字による書き換え]])である。<math>z^*</math>と書くこともある。
その定義より、<math>\forall a \in \mathbb{R}, \bar{a}=a</math>である。
;四則演算
複素数にも四則演算(加減乗除)が定義される。
複素数の演算では、虚数単位<math>i</math>を通常の文字のように扱って計算する。但し、<math>i^2=-1</math>に注意。
一般に複素数<math>z=a+bi, w=c+di</math>について
:加法:<math> (a+bi)+(c+di) = (a+c) + (b+d)i </math>
:減法:<math> (a+bi)-(c+di) = (a-c) + (b-d)i </math>
:乗法:<math> (a+bi)(c+di) = (ac-bd) + (ad+bc)i </math>
:除法:<math> \frac{a+bi}{c+di} = \frac{(a+bi)(c-di)}{(c+di)(c-di)} = \frac{ac+bd}{c^2+d^2} + \frac{bc-ad}{c^2+d^2}i </math>(但し<math>c+di \ne 0</math>)
が成り立つ。
実数の場合と同様、四則演算は複素数について閉じており、分配則・結合則・交換則が成り立つ。
複素数<math>z=a+bi</math>について
:<math>\overline{\bar{z}}=z</math>('''再帰則''')
:<math>z+ \bar{z}=(a+bi)+(a-bi)=2a</math>
:<math>z-\bar{z}=(a+bi)-(a-bi)=2bi</math>
:<math>z \bar z =(a+bi)(a-bi)=a^2-abi+abi-b^2 i^2 = a^2-b^2i^2=a^2+b^2</math>
:<math>\frac{z}{\bar{z}}=\frac{a+bi}{a-bi}=\frac{a^2-b^2+2bi}{a^2+b^2}</math>(但し<math>z\neq0</math>)
が成り立つ。
よって、
:<math>\mathrm{Re}(z)=\frac{z+\bar{z}}{2}</math>
:<math>\mathrm{Im}(z)=\frac{z-\bar{z}}{2i}</math>
も成り立つ。
'''例題'''
2つの複素数
:<math>a=3+i</math>
:<math>b=4 +7i</math>
について、<math>a+b, ab, \frac{a}{b}</math> をそれぞれ計算せよ。
'''解答'''
:<math>\begin{align}a+b&=(3+i)+(4+7i)\\&=(3+4)+i(1+7)\\&=7+8i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}ab&=(3+i)(4+7i) \\&=12+21i+4i+7i^2 \\&=12+21i+4i+(-7) \\&=5+25i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}\frac{a}{b}&=\frac{3+i}{4+7i} \\&=\frac{(3+i)(4-7i)}{(4+7i)(4-7i)} \\&=\frac{12-21i+4i-(-7)}{16-28i+28i-(-49)} \\&=\frac{19-17i}{65} \\&=\frac{19}{65}-\frac{17}{65}i \end{align}</math>
==== 負の数の平方根 ====
複素数を導入することで、負の数の平方根も考えることができる。
例として、 -5 の平方根について考えてみよう。
:<math>(\sqrt{5}\ i)^2 = (\sqrt{5})^2\ i^2 = 5 \times (-1) =-5</math>
:<math>(- \sqrt{5}\ i)^2 = (-1)^2 \times (\sqrt{5})^2\ i^2 = (+1) \times 5 \times (-1) = -5</math>
であるから、 <math>-5</math> の平方根は <math> \sqrt{5}\ i </math> と <math> - \sqrt{5}\ i </math> である。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''負の数の平方根'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a>0</math>とするとき、負の数<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}\ i</math>である。
|}
<math>\pm \sqrt{-a} = \pm \sqrt{a} i</math>(複号同順)である。
さて、-5 の平方根は、方程式<math>x^2=-5</math>なので、方程式<math>x^2+5=0</math>の解ともいえる。
すなわち、二次式<math>x^2+5</math>は複素数範囲で<math>(x+\sqrt{5}i)(x-\sqrt{5}i)</math>と因数分解できる。
* 例題
(I) <math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6}</math> を計算せよ。
* 解答
(I)
:<math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6} = (\sqrt{2}i) \times (\sqrt{6}i) = \sqrt{12} i^2 = -2 \sqrt{3}</math>
注意:負数の平方根は'''必ず純虚数に直して'''計算するようにする。
直さないと、以下のような間違いが起こり得る。
:<math>\sqrt{-2}\times\sqrt{-6}=\sqrt{(-2)\times(-6)}=\sqrt{12}</math>
実は、中学校で習った「平方根の積は根号の中身の積の平方根をとったものに等しい」という性質は'''実数範囲でしか成り立たない'''。
一般に、'''実数範囲で成り立ったことが複素数範囲でそのまま成り立つとは限らない'''ことに注意が必要である。
* 問題
:(II) <math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}}</math> を計算せよ。
:(III) 二次方程式 <math>x^2+7=0</math> を解け。
* 解答
(II)
:<math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}} = \frac{\sqrt{2}}{\sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{2}\ \sqrt{3}\ i}{\sqrt{3}\ i\ \sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{6}\ i}{3\ i^2} = - \frac{\sqrt{6}}{3} \ i</math>
(III)
:<math>x^2+7=0</math>
:<math>x^2=-7</math>
:<math>x= \pm \sqrt{-7}</math>
:<math>x= \pm \sqrt{7}\ i</math>
=== 複素数と二次方程式 ===
==== 二次方程式の解と複素数 ====
複素数の応用として、ここでは二次方程式の性質について述べる。任意の二次方程式は、解の公式によって解かれることを[[高等学校数学I 方程式と不等式#二次方程式|高等学校数学I]]で述べた。しかし、解の公式に含まれる根号の中身が負の数の場合には実数解が存在しないことに注意する必要がある。二次方程式
:<math>
ax^2+bx+c = 0
</math>
の解の公式は、
:<math>
x = \frac{-b \pm \sqrt{D} }{a}
</math>
である。
但し、<math>D=b^2-4ac</math>は判別式である。
判別式の正負によって二次方程式が実数解を持つかどうかが決まる。
<math>D<0</math>のときにはこの二次方程式は実数の範囲には解を持たない。
一般に、'''<math>D<0</math>のとき二次方程式の解は2つの複素共役な虚数である'''。
* 例題
二次方程式<br>
(1)
:<math>x ^2 + 5x + 9 =0</math>
(2)
:<math>2x ^2 + 5x + 8 =0</math>
(3)
:<math>2x ^2 - 2x + 8 =0</math>
を複素数範囲で解け。
*解答
解の公式を用いて解けばよい。(1)だけを計算すると、
:<math>
x = \frac {- 5 \pm \sqrt{5^2 - 4 \times 1 \times 9}}{2}
</math>
:<math>
= \frac {-5 \pm \sqrt {11} i}{2}
</math>
となる。
他も同じように扱うことが出来る。
以降の解答は、<br>
(2)
:<math>
x = \frac {-5 \pm \sqrt {39} i}{4}
</math>
(3)
:<math>
x = \frac {1 \pm \sqrt {15} i}{2}
</math>
となる。
<!--
(
*執筆者に対する注意
計算には[[w:maxima]]を用いた。
tex(solve(
x ^2 + 5*x + 9 =0,x
));
tex(solve(
2*x ^2 + 5*x + 8 =0,x
));
tex(
solve(
2*x ^2 - 2*x + 8 =0,x
));
)
-->
方程式の解で、実数であるものを '''実数解''' という。
方程式の解で、虚数であるものを '''虚数解''' という。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''判別式と解の判別'''
|-
|style="padding:5px"|
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の判別式 <math>D=b^2-4ac</math> について
::<math>D>0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの実数解をもつ
::<math>D=0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 重解をもつ
::<math>D<0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの複素共役な虚数解をもつ
|}
また、重解も実数解であるので、
::<math>D \geqq 0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 実数解をもつ
といえる。
*例題
次の二次方程式の解を判別せよ。
(I)
:<math>x^2+3\,x-1=0</math>
(II)
:<math>2\,x^2-3\,x+2=0</math>
(III)
:<math>4\,x^2-20\,x+25=0</math>
*解答
(I)
:<math>D=3^2-4 \times 1 \times (-1) =13>0</math>
より、異なる2つの実数解をもつ。
(II)
:<math>D=(-3)^2-4 \times 2 \times 2 =-7<0</math>
より、異なる2つの虚数解をもつ。
(III)
:<math>\frac{D}{4}=(-10)^2-\times 4 \times 25 =0</math>
より、重解をもつ。
==== 二次方程式の解と係数の関係 ====
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とする。 この方程式は、
<math>a(x-\alpha)(x-\beta) = 0</math>
と変形できる。
これを展開すると、
<math>ax^2 -a(\alpha + \beta )x+a\alpha \beta = 0</math>
係数を比較して、
<math>c = a \alpha \beta, b = -a(\alpha + \beta)</math>
を得る。
これを変形すれば、<math>\alpha + \beta = -\frac{b}{a}, \alpha \beta = \frac{c}{a}</math>となる。<br>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と係数の関係'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math>とするとき、
:<math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math> ,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math>
|}
解と係数の関係は、多項式の値を[[高等学校数学I/数と式#種々の因数分解|基本対称式分解]]を用いて求める問題に応用される。
*例題
二次方程式 <math>2x^2 + 4x + 3 = 0</math>の2解の平方和を求めよ。
*解答
2解をそれぞれ<math>\alpha, \beta</math>とすると、解と係数の関係より
:<math>\alpha + \beta = - \frac{4}{2} = - 2 </math>,<math>\alpha \beta = \frac{3}{2}</math>
:<math>\therefore \alpha ^2 + \beta ^2 = (\alpha + \beta )^2 - 2 \alpha \beta = (-2)^2 - 2 \times \frac{3}{2} = 1</math>
解と係数の関係より以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''与えられた2つの数を解とする二次方程式'''
|-
|style="padding:5px"|
2数 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> を解とする二次方程式の一つは
:<math>x^2 - (\alpha + \beta ) x + \alpha \beta = 0</math>
|}
* 問題
次の2数を解とする最も簡単な二次方程式を作れ。<br>
(I)
:<math>3 + \sqrt{5} \ , 3 - \sqrt{5}</math>
(II)
:<math>2 + 3 i \ , 2 - 3 i</math>
* 解答
(I)<br>
和 <math>(3 + \sqrt{5}) + (3 - \sqrt{5}) = 6</math><br>
積 <math>(3 + \sqrt{5}) (3 - \sqrt{5}) = 4</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 6 x + 4 =0
</math>
(II)<br>
和 <math>(2 + 3 i) + (2 - 3 i) = 4</math><br>
積 <math>(2 + 3 i) (2 - 3 i) = 13</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 4 x + 13 =0
</math>
一般に、二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> がわかると二次式
:<math>ax^2 + bx + c</math>
を因数分解することができる。
解と係数の関係 <math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math>,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math> から、
:<math>ax^2 + bx + c = a \left(x^2 + \frac{b}{a}x + \frac{c}{a} \right) = a \left\{x^2 - (\alpha + \beta )x + \alpha \beta \right\} = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と因数分解'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とすると
:<math>ax^2 + bx + c = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
|}
二次方程式は複素数の範囲で考えると常に解を持つから、複素数範囲において二次式は必ず一次式の積に因数分解することができる。
*例題
次の二次式を複素数範囲で因数分解せよ。<br>
(I)
:<math>x^2 + 4 x - 1</math>
(II)
:<math>2 x^2 - 3 x + 2</math>
*解答
(I)<br>
二次方程式 <math>x^2 + 4 x - 1 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-4 \pm \sqrt{4^2-4 \times 1 \times (-1)}}{2 \times 1} = \frac{-4 \pm \sqrt{20}}{2} = \frac{-4 \pm 2 \sqrt{5}}{2} = -2 \pm \sqrt{5}</math>
よって
:<math>x^2 + 4 x - 1 = \left\{ x - (-2 + \sqrt{5}) \right\} \left\{ x - (-2 - \sqrt{5}) \right\} = (x + 2 - \sqrt{5}) (x + 2 + \sqrt{5})</math>
(II)<br>
二次方程式 <math>2 x^2 - 3 x + 2 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-(-3) \pm \sqrt{(-3)^2-4 \times 2 \times 2}}{2 \times 2} = \frac{3 \pm \sqrt{-7}}{4} = \frac{3 \pm \sqrt{7} i}{4}</math>
よって
:<math>2 x^2 - 3 x + 2 = 2 \left(x- \frac{3 + \sqrt{7}\; i}{4} \right) \left(x- \frac{3 - \sqrt{7}\; i}{4} \right)</math>
=== 高次方程式 ===
以下、三次以上の整式による方程式を考える。
一般に方程式を <math>P(x)=0</math>とする。
ただし、<math>P(x)</math>は、任意の次数の整式とする。
一般に、k次方程式<math>(x-p)^k=0</math>の解 <math>p</math>をこの方程式の'''k重解'''という。k重解は同じ値の解がk個重なっていると考える。
==== 剰余の定理 ====
<math>P(x)</math>を一次式<math>x-a</math>で割ったときの商を<math>Q(x)</math>、余りを<math>R</math>とすると、
:<math>
P(x) = (x-a)Q(x)+R
</math>
この両辺の<math>x</math>に<math>a</math>を代入すると、
:<math>
P(a) = (a-a)Q(a)+R = 0 \times Q(a) + R =R
</math>
つまり、<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは<math>P(a)</math>である。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:pink" |'''剰余の定理'''
|-
| style="padding:5px" |
整式<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは、<math>P(a)</math>に等しい。
|}
* 問題例
** 問題
整式 <math>P(x) = x^3 -2x + 3</math> を次の式で割った余りを求めよ。<br>
(I)
:<math>
x-2
</math>
(II)
:<math>
x+1
</math>
(III)
:<math>
2x-1
</math>
** 解答
(I) <math>P(2) = 2^3 - 2 \times 2 + 3 = 7</math><br>
(II) <math>P(-1) = (-1)^3 - 2 \times (-1) + 3 = 4</math><br>
(III) <math>P\left( \frac{1}{2} \right) = \left( \frac{1}{2} \right)^3 - 2 \times \left( \frac{1}{2} \right) + 3 = \frac{17}{8}</math>
===== 因数定理 =====
:<math>\exist a \in \mathbb{R}, P(a) = 0</math>
ならば、整式<math>P(x)</math> は式<math>(x-a)</math> を因数に持つことが分る。
これを'''因数定理'''と呼ぶ。
* 導出
剰余の定理より<math>P(x)</math>を<math>(x-a)</math>で割った余りは<math>P(a)</math>であるが、ここで<math>P(a)=0</math>より<math>P(x)=(x-a)Q(x)</math>と書けるので、<math>P(x)</math>は式<math>(x-a)</math>を因数に持つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''因数定理'''
|-
|style="padding:5px"|
整式<math>P(x)</math>について<br>
<center><math>P(a)=0 \Leftrightarrow </math> <math>P(x)</math>は<math>x-a</math>で割りきれる。</center>
|}
因数定理を用いることで、より次数の高い整式を因数分解することが出来るようになる。
例えば、三次の整式
:<math>x^3 - 1</math>
について、<math>x=1</math>を代入すると
:<math>x^3 - 1=0</math>
なので因数定理よりこの式は
:<math>(x-1)</math>
を因数として持つ。
ここで、整式の除法を使って計算すると
:<math>x^3 - 1 = (x-1)(x^2+x+1)</math>
を得る。
*例題
因数定理を用いて<br>
(I)
:<math>x^3-6\,x^2+11\,x-6</math>
(II)
:<math>x^3+x^2-14\,x-24</math>
<!--
(III)
:<math>
x^3+5\,x^2-34\,x-80
</math>
-->
を因数分解せよ。
* 解答<br>
(I)
因数分解の結果が(x+整数)の積の形なら、整数は6の約数でなければならない。そのため、<math>\pm 1, \pm 2,\pm 3,\pm 6</math>が候補となる。これらにつ祖ては実際に代入して確かめるしかない。x=1を代入すると、
:<math>1-6+11-6=0</math>
となるので、(x-1)が因数となる。実際に整式の除法を行なうと、商として<math>x^2-5x+6</math>が得られるが、これは<math>(x-2)(x-3)</math>に因数分解できる。よって答えは、
:<math>\left(x-3\right)\,\left(x-2\right)\,\left(x-1\right)</math>
となる。<br>
(II)
ここでも地道に24の因数を当てはめていくしかない。24の因数は数が多いのでかなりの計算が必要となる。ここでは、-2を代入すると、
:<math>-8 +4 -14 \cdot (-2) -24 = 0</math>
となり、(x+2)が因数だとわかる。除法を行なうと、<math>x^2 -x -12</math>が得られるが、(x-4)(x+3)に因数分解できる。答えは、
:<math>\left(x-4\right)\,\left(x+2\right)\,\left(x+3\right)</math>
となる。
==== 高次方程式の解法 ====
一般に、以下の事実が知られている。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''(強い)代数学の基本定理'''
|-
|style="padding:5px"|
複素数係数n次方程式の解は複素数範囲で必ずn個存在する。但し、重解は重複して数える。
|}
<br>
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''虚数解定理'''
|-
|style="padding:5px"|
n次方程式が虚数解を持つならば、その共役複素数も解の1つである。
|}
これらは証明なしに事実として用いてよい。
例えば、七次方程式<math>(x^2+1)^3(x+2)=0</math>の解は<math>x=2, \pm i</math>であるが、<math>\pm i</math>は三重解なのでそれぞれ3つと数えると、解の個数は<math>2</math>が1つ、<math>i</math>が3つ、<math>-i</math>が3つで7個である。
因数分解や因数定理を利用することにより、一般の高次方程式を解くことができる。
解の存在性は代数学の基本定理により保証される。
*例題
高次方程式<br>
(I)
:<math>x^3-8=0</math>
(II)
:<math>x^4-2x^2-8=0</math>
(III)
:<math>x^3-5x^2+7x-2=0</math>
を解け。
*解答
(I)
左辺を<math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>により因数分解すると
:<math>(x-2)(x^2+2x+4)=0</math>
従って<math>x-2=0 \or x^2+2x+4=0</math><br>
よって
:<math>x=2, -1 \pm \sqrt{3}i</math>
(II)
<math>\ x^2=X\ </math>とおくと
:<math>X^2-2X-8=0</math>
左辺を因数分解すると
:<math>(X-4)(X+2)=0</math>
よって<math>X=4, X=-2</math>。
:<math>\therefore x^2=4, x^2=-2</math>
:<math>\therefore x= \pm 2, \pm \sqrt{2} i</math>
(III) <math>\ P(x)=x^3-5x^2+7x-2\ </math>とおく。
:<math>P(2)=2^3-5 \times 2^2+7 \times 2-2=0</math>
従って<math>\ x-2\ </math>は<math>\ P(x)\ </math>の因数である。<br>
:<math>P(x)=(x-2)(x^2-3x+1)</math>
:<math>(x-2)(x^2-3x+1)=0</math>
:<math>\therefore x-2=0 \lor x^2-3x+1=0</math>
:<math>\therefore x= 2, \frac{3 \pm \sqrt{5}}{2}</math>
三次方程式<math>x^3=1</math>の解を考える。
実数解<math>x=1</math>を持つことは明らか。
三次式の因数分解公式より<math>x^3-1=(x-1)(x^2+x+1)</math>なので、
この三次方程式の虚数解は二次方程式<math>x^2+x+1=0</math>の解である。
よって<math>x=1, \frac{-1\pm\sqrt{3}i}{2}</math>
ここで、虚数解の片方を<math>\omega</math>とおくともう片方は<math>\bar{\omega}</math>である。
以下が成り立つ。
:<math>\omega^3=(\bar{\omega})^3=1</math>
:<math>\omega^2=\bar{\omega}</math>
:<math>(\bar{\omega})^2=\omega</math>
:<math>\omega^2+\omega+1=0</math>
これらの性質を用いると、高次方程式の問題が楽になる場合がある。
*問題
<math>x^5+x^4+1</math>を実数範囲で因数分解せよ。
*解答
<math>\omega</math>を代入すると
:<math>\omega^5+\omega^4+1=\omega^2\cdot1+\omega\cdot1+1=\omega^2+\omega+1=0</math>
よって方程式<math>x^5+x^4+1=0</math>は虚数解定理より<math>\omega, \bar{\omega}</math>を解に持つので、<math>x^5+x^4+1</math>は<math>x^2+x+1</math>を因数に持つ。<br>
整式の除法より
:<math>x^5+x^4+1=(x^2+x+1)(x^3-x+1)</math>//
;演習問題
*以下の値を求めよ。
**<math>\omega^{100}+\omega^{28}</math>
**<math>\frac{1}{2\omega^{17}+13\omega^{9}}</math>
====三次方程式の解と係数の関係====
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3解を<math>\alpha, \beta, \gamma</math> とすると
:<math>ax^3+ bx^2+ cx+d=a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
が成り立つ。<br>
右辺を展開すると
:<math>a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
:<math>=a(x- \alpha)\left\{x^2-(\beta + \gamma)x+ \beta \gamma \right\}</math>
:<math>=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore ax^3+ bx^2+ cx+d=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore b=-a(\alpha + \beta + \gamma)\ ,\ c= a(\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)\ ,\ d= -a \alpha \beta \gamma</math>
従って以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''三次方程式の解と係数の関係'''
|-
|style="padding:5px"|
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3つの解を 、<math>\alpha\ ,\ \beta\ ,\ \gamma</math> とすると
<center><math>\alpha + \beta + \gamma =- \frac{b}{a}\ ,\ \alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha= \frac{c}{a}\ ,\ \alpha \beta \gamma =- \frac{d}{a}</math></center>
|}
同様に、四次方程式の解と係数の関係(ヴィエタの公式)は<math>\alpha+\beta+\gamma+\delta=-\frac{a}{b}, \alpha\beta+\alpha\gamma+\alpha\delta+\beta\gamma+\beta\delta+\gamma\delta=\frac{c}{a}, \alpha\beta\gamma+\alpha\beta\delta+\alpha\gamma\delta+\beta\gamma\delta=-\frac{d}{a}, \alpha\beta\gamma\delta=\frac{e}{a}</math>である。
五次方程式以降でも同様の関係が成り立つ。
== コラム ==
=== 複素数は「存在する」か? ===
しばしば虚数は「現実には存在しない数」であると言われることがあり、歴史的にも虚数を扱った数学を考えるべきではないと考えられた時代は長かった。その時代の先進的な数学者の中には、虚数を有効に活用して研究を進める一方で、成果を発表する際には虚数を表に出さずに記述する努力をすることで、無用な抵抗を受けないように工夫した者もいたと言われるほどである。
だが、よく考えてみれば、数が「現実に存在する」とはどういう意味なのだろうか。現実に鉛筆を使って紙に円を描くならば、円周の長さを「正確に円周率そのものにする」ことは不可能であるように思われるが、その割に円周率という実数は「存在する」と感じられるのはなぜだろうか。数直線が実数の「実在」を信じさせるならば、複素数は複素数平面(数学Cで習う)の上に存在するのだから、同じではないだろうか。
このように考えると、そもそも数とはすべてある意味で想像上の存在であり、それに対して「存在する」「存在しない」という問いを立てることがナンセンスであるように思われる。「存在しない」ように思われがちな虚数であるが、たとえば物理学の一分野である量子力学のシュレディンガー方程式に表れるなど、応用上のさまざまな場面においても、虚数を使って記述することが自然な対象は多いのだ。
=== 複素数には「大小関係がない」 ===
複素数どうしについて、その大小関係は定義しない。その理由は、どのように大小関係を定義しても、便利な性質を満たすことができないからである。具体的に言えば、既に述べた実数の大小関係についての「不等式の基本性質(1)(2)(3)(4)」にあたる式を成り立たせることができないのだ。
たとえば、<math>a+bi<a'+b'i</math>であることを、<math>a^2+b^2<a'^2+b'^2</math>であることとして定義してみよう。このように定義すると、たとえば1+2i<2-3iであり、また2+3i<3+4iである。ところが、(1+2i)+(2+3i)=3+5i,(2-3i)+(3+4i)=5+iであり、3+5i>5+iとなってしまう。これは基本性質(2)が成り立たないことを意味する。
もちろんこれは適当に考えた定義がたまたま不適切だったというだけのことだが、実は、他にどのように定義してもこのような困難からは逃れられないことが知られている。それゆえに、複素数には大小関係を定義しないのである。
=== 複素数の平方根 (※発展) ===
今度は、複素数の平方根について考えてみよう。
正の数<math>a</math>を考えたとき、
:<math>a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}</math>
:<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a} i</math>
では、
:<math>\pm a i</math>の平方根はどのように表せるだろうか。
虚数単位<math>i</math>の平方根を考えると、これはzについての方程式 <math>z^2 = i</math> の解 z の値であるから、これを解けばよい。どのような複素数zならこの式を満たすことができるだろうか。
zを複素数とすると、<math>z = x + yi</math>(x,yは実数)と表される。
<math>(x + yi)^2 = i \Leftrightarrow x^2 + 2xyi - y^2 = i \Leftrightarrow (x^2-y^2)+(2xy-1)i = 0</math>
<math>x^2-y^2,2xy-1</math>は実数であるから、実部と虚部が共に0にならねばならないから、
<math>\begin{cases}
x^2-y^2=0 (\Leftrightarrow x= \pm y ) \\
2xy-1=0
\end{cases}</math>
<math>x=y</math>のとき、<math>2x^2=1 \Leftrightarrow x=\pm\frac{1}{\sqrt{2}},y=\pm\frac{1}{\sqrt{2}}</math> (複号同順。x,yは共に実数であるから、条件を満たす。)
<math>x=-y</math>のとき、<math>-2y^2=1 \Leftrightarrow y^2=-\frac{1}{2}</math> ここで、これを満たす実数yは存在しないから不適。
よって、<math>z=\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}+\frac{1}{\sqrt{2}}i\right)</math><sub>■</sub>
*問題例
** 問題
:<math>i \,\!</math>を虚数単位とするとき、次の問いに答えよ。
:(I) <math>-i,30i \,\!</math>の平方根を求めよ。
:(II) 2次方程式 <math>z^2 - 30i - 16 = 0 \,\!</math> を解け。
:(III) 3次方程式 <math>z^3 = i \,\!</math> を解け。
** 解答
:(I)
::<math>\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}-\frac{1}{\sqrt{2}}i\right) , \pm\left(\sqrt{15}+\sqrt{15}i\right)</math>
:(II)
::<math>z=5+3i , -5-3i \,\!</math>
:(III)
::<math>z=-i,\frac{i\pm\sqrt{3}}{2}</math>
:今回挙げた問題は、全て<math>z=x+yi</math>(x,yは実数)と置くことで求められる。(III)は、<math>(x+yi)^3-i=x(x^2-3y^2)+(3x^2y-y^3-1)i=0</math>より、
実部がゼロを考慮して<math>x=0</math>か<math>x=\pm\sqrt{3}y</math>だが、虚部もゼロなので、xの値が前者のとき<math>y=-1</math>、後者のとき<math>y=1/2</math>となることがすぐにわかる。
=== 高次方程式の「解の公式」 ===
2次方程式には解の公式があり、日本の中学や高校でも習う。2次方程式の解の公式を用いれば、どんな係数の2次方程式であっても解を求められる。3次方程式と4次方程式にも、解の公式は存在し、係数がどんな係数であっても解を求められる。これらの解の公式は、[[代数方程式論]]で述べているように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作('''代数的操作''')の組み合わせで表すことができる。
5次方程式では、4次以下の方程式とは状況が異なる。一般の5次方程式の解は、2次方程式や4次方程式のように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせで表すことができないのである。ただし、「できない」ことの証明は容易ではない。このことを証明するには、[[ガロア理論]]を理解する必要がある(日本の大学の標準的なカリキュラムでは、理学部数学科の学生のみが大学3年生で学ぶのが一般的な程度の理論である)。
なお、ここで言う「表すことができない」とは一般の方程式についてのことであり、特別な5次方程式の場合は簡単に解が求められる。たとえば、<math> x^5 -32 = 0 </math> は解のひとつとして <math> x=2 </math> をもつことはすぐわかる。この方程式は他の解についても三角関数を用いて簡単に表せることを[[高等学校数学C/複素数平面]]において学ぶ。
「係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせ」に拘らなければ、一般の5次方程式の解を求める方法も存在するが、やや高度な数学を用いる必要がある。[[w:五次方程式]]に記述があるので興味のある読者は参照するとよい。
=== 複素数と関数 ===
高等学校で複素数が出てくる分野はこの分野と数学C「[[高等学校数学C/平面上の曲線|平面上の曲線]]と複素数平面」のみであり、複素数の基本計算や方程式を複素数範囲で解くこと、複素数の幾何学的意味について扱っている。しかし、大学数学においては、関数の定義域・値域を複素数範囲に広げて考える「[[複素解析学|複素関数論]]」というものを扱う。
実数範囲での関数はx, yともに一次元の実数軸を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには二次元の座標平面で十分であった。しかし、複素数範囲での関数はx, yともに二次元の複素数平面を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには四次元の座標空間が必要であり、三次元空間に住む我々には描画することができない。そのため、複素関数論では関数のグラフを考えることは基本的にない。(ただし、出力された複素数の絶対値を考えることによって三次元グラフに落とし込むことは可能)
では何を考えるのかというと、複素関数の微分積分である。複素関数の微分に関連して「正則関数」という用語が出てくるが、複素関数論はこの正則関数というものの性質を調べる学問だと言って良い。
複素関数論は物理学の特に波動に関する分野(音・電磁気など)において活躍している。「波動方程式」や「インピーダンス」という言葉は有名だろう。
ちなみに、複素数をさらに拡張した数として「[[w:四元数]]」というものがある。この四元数は[[高等学校数学C/ベクトル|ベクトル]]や[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫#行列を用いた表現とその演算|行列]]と深い関わりが存在しており、深掘ると面白いのだが、いささか冗長になるため割愛する。なお、四元数をさらに拡張した八元数や十六元数という数も研究されている。
== 演習問題 ==
{{DEFAULTSORT:こうとうかつこうすうかくII しきとしようめい}}
[[Category:高等学校数学II|しきとしようめい]]
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wikitext
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本項は[[高等学校数学II]]の式と証明・高次方程式の解説である。
== 式と証明 ==
=== 3次の乗法公式 ===
<math>(a+b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)^3 &=& (a + b)(a + b)^2 \\
&=& (a + b)(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& a(a^2 + 2ab + b^2) + b(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& (a^3 + 2a^2b + ab^2) + (a^2b + 2ab^2 + b^3) \\
&=& a^3 + (2a^2b + a^2b) + (ab^2 + 2ab^2) + b^3 \\
&=& a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a - b)^3 &= \{ a + (-b) \}^3 \\
&= a^3 + 3a^2(-b) + 3a(-b)^2 + (-b)^3 \\
&= a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3
\end{matrix}</math>
<math>(a+b)(a^2 - ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)(a^2 - ab + b^2) &=& a(a^2 - ab + b^2) + b(a^2 - ab + b^2) \\
&=& a^3 - a^2b + ab^2 + a^2b - ab^2 + b^3 \\
&=& a^3 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)(a^2 + ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a-b)(a^2 + ab + b^2) &=& \{a + (-b) \}\{a^2 - a(-b) + (-b)^2 \} \\
&=& a^3 + (-b)^3 \\
&=& a^3 - b^3
\end{matrix}</math>
{| style="border: 2px solid gold; width: 80%;" cellspacing=0
| style="background: gold;"| '''3次の乗法公式'''
|-
| style="padding: 5px;" |
* <math>(a + b)^3 = a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3</math>
* <math>(a - b)^3 = a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 - ab + b^2) = a^3 + b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 + ab + b^2) = a^3 - - b^3</math>
|}
=== 三次式の因数分解 ===
三次式の展開公式より、
* <math>a^3+b^3=(a+b)(a^2-ab+b^2)</math>
* <math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>
* <math>a^3 + b^3 + c^3 - 3abc = (a + b + c)(a^2 + b^2 + c^2 - ab - bc - ca)</math>
(参考)
* <math>a^n - b^n = (a - b)(a^{n - 1} + a^{n - 2}b + a^{n - 3}b^2 + \cdots + a^2b^{n - 3} + ab^{n - 2} + b^{n - 1})</math>
=== 二項定理 ===
{{Advanced|初等整数論/パスカルの三角形#二項定理}}
<math>(a+b)^5 = (a+b)(a+b)(a+b)(a+b)(a+b)</math> について考えよう。この式を展開するとき、<math>a^2b^3</math> の係数は、右辺の5個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を2回取る[[高等学校数学A/場合の数と確率#組合わせ|組合せ]]に等しいから <math>{}_5 \! \mathrm{C}_2 = 10</math> である。
この考えを拡張して
:<math>(a+b)^n = \underbrace{(a+b)(a+b)(a+b)\cdots(a+b)}_n</math>
を展開する。<math>a^rb^{n-r}</math>の項の係数は、右辺の <math>n</math> 個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を <math>r</math> 回取る組合せに等しいから <math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math> である。
よって、次の式が得られる:
:<math>\begin{align}(a+b)^n &= {}_n \! \mathrm{C}_0 a^n + {}_n \! \mathrm{C}_1 a^{n-1}b + {}_n \! \mathrm{C}_2 a^{n-2}b^2 + \cdots \\
&+ {}_n \! \mathrm{C}_r a^{n-r}b^r + \cdots + {}_n \! \mathrm{C}_n b^n \\
&= \sum _{r = 0}^n {}_n \! \mathrm{C}_r a^r b^{n-r}. \\ \end{align}</math>
最後の<math>\sum</math>は[[高等学校数学B/数列|数Bの数列]]で学ぶ総和記号である。
この関係を '''二項定理'''(binomial theorem) 、それぞれの項に掛かる係数<math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math>を'''二項係数'''(binomial coefficient) と呼ぶ。二項係数は<math>\begin{pmatrix} n \\ r \end{pmatrix}</math>とも書く。
*例題
(I)
:<math>(x+1) ^4</math>
(II)
:<math>(a + 3) ^ 5</math>
(II)
:<math>(a + b) ^ 5</math>
をそれぞれ計算せよ。
*解答
二項定理を用いて計算すればよい。実際に計算を行なうと、<br>
(I)
:<math>x^4+4\,x^3+6\,x^2+4\,x+1</math>
(II)
:<math>a^5+15\,a^4+90\,a^3+270\,a^2+405\,a+243</math>
(III)
:<math>b^5+5\,a\,b^4+10\,a^2\,b^3+10\,a^3\,b^2+5\,a^4\,b+a^5</math>
となる。
*例題
全ての自然数nに対して<br>
(I)
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(II)
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n 2^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(III)
:<math>0 = \sum_{k=0}^n (-1)^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
が成り立つことを示せ。
* 解答
二項定理
:<math>(a+b)^n = \sum_{k = 0}^n {}_n \! \mathrm{C} _k a^k b^{n-k}</math>
についてa,bに適当な値を代入すればよい。<br>
(I)
<math>a=1, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(II)
<math>a=2, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+2)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(III)
<math>a=1,b=-1</math>を代入すると
:<math>(1-1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k (-1)^k</math>
:<math>0 = \sum_{k=0}^n {}_n \! \operatorname{C}_k (-1)^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。
==== 多項定理 ====
二項定理を拡張して <math>(a+b+c)^n</math> を展開することを考えよう。<math>a^pb^qc^r</math> <math>(p+q+r = n)</math> の項の係数は <math>n</math> 個の <math>(a+b+c)</math> から <math>p</math> 個の <math>a</math>、<math>q</math> 個の <math>b</math> 、 <math>r</math> 個の <math>c</math> を選ぶ組合せに等しいから <math>\frac{n!}{p!q!r!}</math> である。
一般には[[高等学校数学A/場合の数と確率#同じものを含む順列|同じものを含む順列]]と一致する。
=== 整式の除法、分数式 ===
ここでは、整式の除法と分数式について扱う。整式の除法は、整式を整数のように扱い除法を行なう計算手法のことである。実際に整数の除法と整式の除法には深い繫がりがある。整式の因数分解を考えるとそれ以上因数分解できない整式が存在する。この整式を整数でいう素因数のように扱うことで整式の素因数分解が可能になる。
上では、整式が整数に対応する性質を持つことを述べた。整数については[[高等学校数学A/数学と人間の活動#最小公倍数・最大公約数|互いに素]]な2つの整数を取ることで有理数を定義することが出来る。整式に対しても同じ事が成立し、そのような式を分数式と呼ぶ。
==== 整式の除法 ====
分数を用いないときには、整数の除法は商と余りを用いて定義された。この時、割られる数Bは商Dと割る数A、余りRを用いて
:<math>B = AD + R</math>
と表される。
整式に対しても同様に、割られる式<math>B(x)</math>が割る式<math>A(x)</math>を用いて
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と書かれるとき、<math>D(x)</math>を商、<math>R(x)</math>を余りという。
この時、整数の除法の性質<math>R<A</math>に対応して、<math>R(x)</math>の次数<math><A(x)</math>の次数が成立する。具体例として、<math>x+1 \div x</math>を考える。割る式の次数が1であることから余りの次数は0なので余りは定数である。また、商の次数が1以上であると
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と右辺にxの2次以上の項が現われ左辺と一致しなくなる。よって商は定数である。商をa、余りをrとすると上の式は、
:<math>x+1 = ax + r</math>
となるが、これは<math>a=r=1</math>で成立する。よって商1,余り1である。
より高次の式に対しても同様である。
例として、
:<math>x^3 \div (x^2 -1)</math>
を考える。
この場合、
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
で、<math>B(x)</math>が3次式、<math>A(x)</math>が2次式であることから、<math>D(x)</math>は1次式であり、また、<math>R(x)</math>は2次より小さいことから1次以下の式になる。ここで、<math>D(x)=ax+b,R(x)=cx+d</math>とおくと、
:<math>x^3 = (x^2-1) (ax+b) + (cx +d)</math>
が得られる。右辺を展開すると
:<math>x^3 = ax^3 + b x^2 + (-a +c )x + (-b +d)</math>
が得られるが、[[#恒等式|xにどんな値を入れてもこの等式が成り立たなければならない]]ので、<math>\begin{cases} a = 1 \\ b = 0 \\ -a +c = 0 \\ -b +d = 0 \end{cases}</math>が得られ、結局<math>a=c=1, b=d=0</math>が得られる。
<!--
<math>
x^3 \div (x^2 -1)
</math>
のような式を考える。
この式について、
<math>
x^3 = x(x^2 - 1) +x
</math>
と書くことが出来るが、これは <math>x^3</math> を <math>x^2-1</math> で割った結果、
商<math>x</math> ,余り <math>x</math> がでたものと解釈できる。
このように、整式どうしで割り算をすることが出来る。
このとき、割る式は割られる式より低次か同じ次数でなくてはならない。
また、余りは必ず割る式よりも低次の式になる。
-->
この方法はどの除法に対しても用いることが出来るが、次数が高くなると計算が難しくなる。整数の場合と同様、整式の除法でも筆算を用いることが出来る。上の例を用いて結果だけを書くと、
*図
のようになる。)右に書かれた式が割られる式であり、)左に書かれた式が割る式である。--の一番上に書かれた式は商であり、整数の割り算同様左に書かれた数から順に割っていく。ここでは次数が大きい項がより先に計算される項である。割られる式の下にある式は商の第1項を割る式にかけて得る式である。ここでは、<math>x(x^2-1)</math>で、<math>x^3-x</math>となる。ただし、整数の除法と同様、位をそろえなくてはならない。その後、割られる式から<math>x^3-x</math>を引き、残った式を新しい割られる式として扱う。ここでは、得た式が割る式よりも低次であることから、これで計算は終了である。
例題
:<math>x^3 + 2x ^2 +1</math>、<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2</math>をそれぞれ<math>x^2 +2x +6</math>で割った商と余りを求めよ。
<!--
更に、
(I)
:<math>
(x ^4 + 2x^3 - 5x^2 +6x -1) \div (x^2 -5x -1 )
</math>
(II)
:<math>
(3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 -3x -4 )
</math>
(III)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 +7x -4 )
</math>
(IV)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^3 +4x^2 +7x -4 )
</math>
を計算せよ。
問題が多いので、とりあえずコメントアウト。
-->
** 解答
この計算はアニメーションを使って詳しく表示されている。計算には整数の場合の筆算と同じような手法が使える。
[[画像:Fract.gif|frame|right|計算のアニメーション]]
:<math>x^3 + 2x ^2 +1=(x^2 +2x +6) x +(1-6x)</math>
が得られるので、
:商<math>x</math>、余り<math>-6x +1</math>である。
2つ目の式については
:<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2=(x^2 - 2x+2)* (x^2 +2x +6)+ 11x -10</math>
が得られるので、
:商<math>x^2 - 2x+2</math>、余り<math>11x -10</math>である。
<!--
更に、残りの計算結果は、
(I)
:<math>
\left[ x^2+7\,x+31,168\,x+30 \right]
</math>
(II)
:<math>
\left[ 3\,x^2+2\,x+19,67\,x+75 \right]
</math>
(III)
:<math>
\left[ 2\,x^3-11\,x^2+78\,x-589,4437\,x-2357 \right]
</math>
(IV)
:<math>
\left[ 2\,x^2-5\,x-1,48\,x^2-11\,x-5 \right]
</math>
が得られる。
ただし、左が商、右が余りとなっている。
-->
==== 分数式 ====
ここまでで整式を整数のように扱い、整式の除法を行なう方法について述べた。ここでは、整式に対して分数式を定義する方法について述べる。分数式とは、整数に対する分数のように除法によって生じる式である。ここで、除法を行なう式はどのようなものでも差し支えない。分数式では、分子に割られる式を書き、分母に割る式を書く。例えば、
:<math>\frac {x+1}{x^2+4}</math>
は、分子x+1、分母<math>x^2+4</math>の分数式である。分数式の分母を分母式、分子を分子式という。分数式に対しても約分や通分が存在する。約分は分子式・分母式に共通因数を持った分数式で用いられる。この時には分子分母を共通因数で割り、式を簡単にすることが出来る。通分は分数式の加法の時によく用いられるが、分母分子に同じ整式を掛けても分数式が変化しない性質を用いる。
*例題
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
を簡単にせよ。また、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算せよ。
*解答
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
について分子と分母を因数分解すると、双方共に
:<math>x-1</math>
を因数として含んでいることが分かる。このとき、共通因数は約分され、
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
:<math>= \frac{(x-1)(x+1)}{(x-1)(x^2+x+1)}</math>
:<math>= \frac{x+1} { x^2+x+1}</math>
となる。
次の問題では、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算する。このとき両辺の分母を揃える必要があるが、今回については単純にそれぞれの分数式の分子と分母に各々の分母をかけて分母を統一すればよい。計算すると、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}+\frac{(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)+(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac {3x^3 +10x^2 + 17 x + 16}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
となる。
分数式の乗法は、分子分母を別々に掛ければよい。
*例題
次の計算をせよ。
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
* 解答
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)} {(x-y)^2} \times \frac {x-y} {x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)(x-y)} {(x-y)^2\ x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {1} {x}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
:<math>= \frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \times \frac {x^2 - x - 6} {x^2 - 3x - 4}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)} {(x-3)^2} \times \frac {(x+2)(x-3)} {(x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)(x+2)(x-3)} {(x-3)^2\ (x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+3)(x+2)} {(x-3)(x-4)}</math>
===== 部分分数分解 =====
分母が積の形である分数式を二つの分数式の和や差で表された式に変形する操作を'''部分分数分解'''という。
*問題例
<Math> \frac{1}{x (x+1)} </Math>と<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)}</Math>を分数式の和または差の形で表せ。
*解答
:<Math>\frac{1}{x(x+1)} = \frac{(x+1)-x}{x(x+1)}</Math>
と変形できるので
:<Math>\frac{x+1}{x(x+1)} - \frac{x}{x(x+1)}</Math>
となり、約分すると
:<Math>\frac{1}{x} - \frac{1}{x+1}</Math>
となる。
次の問題では、
:<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)} = \frac{1}{(x+3) - (x+1)} \cdot \frac{(x+3) - (x+1)}{(x+1)(x+3)}</Math>
と変形することによって
:<Math>\frac{1}{2} \{ \frac{x+3}{(x+1)(x+3)} - \frac{x+1}{(x+1)(x+3)} \}</Math>
となり、
:<Math>\frac{1}{2} (\frac{1}{x+1} - \frac{1}{x+3}) </Math>
と求まる。
部分分数分解の操作を逆に辿ると、分数式の通分の操作と一致する。
つまり、'''部分分数分解は通分の逆の操作'''である。
分子が定数の場合には、上と同様の方法で部分分数分解することができる。
*問題
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3}{(x-9)(x-4)}</Math>
**#<Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
*解答
1. <Math>\frac{3}{(x-9) (x-4)} </Math>
:<Math>= \frac{3}{(x-4) - (x-9)} \cdot \frac{(x-4) - (x-9)}{(x-9)(x-4)}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5}\{ \frac{x-4}{(x-9)(x-4)} - \frac{x-9}{(x-9)(x-4)} \}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5} ( \frac{1}{x-9} - \frac{1}{x-4} )</Math>
2. <Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1) - (2x-5)} \cdot \frac{(3x-1) - (2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{2(3x-1) - 3(2x-5)} \cdot \frac{2(3x-1) - 3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(6x-2) - (6x-15)} \{ \frac{2(3x-1)}{(3x-1)(2x-5)} - \frac{3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} \}</Math>
:<Math>= - \frac{7}{13} (\frac{2}{2x-5} - \frac{3}{3x-1})</Math>
:<Math>= \frac{7}{13} (\frac{3}{3x-1} - \frac{2}{2x-5})</Math>
部分分数分解は数列の和の計算、積分計算、微分を利用した不等式の証明等に役立つ、重要な変形である。
=== 式の証明 ===
==== 恒等式 ====
等式 <math>(a+b)^2=a^2+2ab+b^2</math>は、文字<math>a,b</math>にどのような値を代入しても成り立つ。このような等式を'''{{ruby|恒等|こうとう}}式'''という。
等式<math>\frac {1}{x-1} + \frac {1}{x+1} = \frac {2x}{x^2-1}</math>は両辺とも<math>x=1,-1</math>を代入できないが、その他の値であればどのような値であっても代入できる且つ等式が成り立っている。これも恒等式と呼ぶ。
一方、<math>x^2 - x - 2 = 0</math> は、
<math>x=2, -1</math>を代入したときだけ成り立つ。このように、特定の値を代入したときにだけ成り立つ式のことを'''方程式'''と呼び、恒等式とは区別する。
等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式であるのはどのような場合か、考えてみよう。
ある式が「 <math>x</math> についての恒等式である」とは、この式の<math>x</math> にどのような値を代入しても、この等式は成り立つという意味である。なので、例えば <math>x</math> に<math>-1\ ,\ 0\ ,\ 1</math> を代入した式
:<math>a-b+c=0</math>
:<math>c=0</math>
:<math>a+b+c=0</math>
はすべて成り立つ必要がある。これを解くと
:<math>a=b=c=0</math>
なので、等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式になるならば、<math>a=b=c=0</math>でなければならないことがわかる。
一般に、等式 <math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が恒等式であることと、<math>(a-a')x^2+(b-b')x+(c-c')=0</math> が恒等式であることは同値である。<br>
よって
:<math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が<math>x</math>についての恒等式 <math>\iff</math> <math>a=a' \land b=b'\land c=c'</math>
纏めると次のようになる。
{| style="border:2px solid yellow;width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''恒等式の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>P\ ,\ Q</math> を <math>x</math> についての多項式または単項式とする。
::<math>P=0</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>の各項の係数はすべて<math>0</math>である。
::<math>P=Q</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>と <math>Q</math> の次数は等しく、両辺の同じ次数の項の係数はそれぞれ等しい。
|}
一般に、ある式が恒等式であるための必要十分条件を'''恒等条件'''という。
*例題
次の等式が <math>x</math> についての恒等式となるように、<math>a\ ,\ b\ ,\ c</math> の値を求めよ。
:<math>x^2-3=a(x-1)^2+b(x-1)+c</math>
*
等式の右辺を <math>x</math> について整理すると
:<math>a(x-1)^2+b(x-1)+c=ax^2-2ax+a+bx-b+c=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
:<math>x^2-3=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
この等式が <math>x</math> についての恒等式となるのは、両辺の同じ次数の項の係数が等しいときである。よって
:<math>a=1</math>
:<math>-2a+b=0</math>
:<math>a-b+c=-3</math>
これを解くと
:<math>a=1\ ,\ b=2\ ,\ c=-2</math>
; '''複雑な部分分数分解'''(発展)
恒等式を利用することで、複雑な分数式の部分分数分解ができる。
*問題例
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3x-5}{(x+2)(2x-1)}</Math>
**#<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)}</Math>
*解答
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{a}{2x-1} + \frac{b}{x+3}</Math>
と置く。
分母を払って
:<Math>3x-5 = a(x+3) + b(2x-1)</Math>
すなわち
:<Math>3x-5 =(a+2b)x + (3a-b) </Math>
これが<Math>x</Math>の恒等式なので、係数を比較して
:<Math>a+2b=3</Math>かつ<Math>3b-a=-5</Math>
すなわち
:<Math>a=-1, b=2</Math>
最初の等式に代入して、
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{-1}{2x-1} + \frac{2}{x+3}</Math>
:<Math>= \frac{2}{x+3} - \frac{1}{2x-1}</Math>
次の問題は、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = \frac{a}{x-1} + \frac{b}{(x-1)^2} + \frac{c}{x-2}</Math>
とおくことにより、上の問題と同様にして
:<Math>a=-1, b=-1, c=1</Math>
と求まるので、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2} + \frac{1}{x-2}</Math>
:<Math>= \frac{1}{x-2} - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2}</Math>
'''恒等式を利用した部分分数分解'''
求めたい数字を<Math>a,b,c</Math>とおく。
1. <Math>\frac{px+q}{(x+m)(x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{x+n}</Math>
2. <Math>\frac{px+q}{(x+m)^2} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2}</Math>
3. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)^2 (x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2 } + \frac{c}{x+n}</Math>
4. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)(x^2 + nx + l)} = \frac{a}{x+m} + \frac{bx+c}{x^2 + nx + l}</Math>
このようにおいた式を<Math>x</Math>の恒等式と見ることによって、<Math>a,b,c</Math>を求められ、部分分数分解ができる。
その他の場合についても、因数分解や代入を利用することで分解できる場合がある。
*問題
<math>\frac{1}{(s^2-4)(s^2+2x-3)}</math>を部分分数分解せよ。
; '''2つの文字についての恒等式'''(発展)
*例
a~fを定数とする。
<Math>ax^2+by^2+cxy+dx+ey+f=0</Math>がx, yについての恒等式だとする。
左辺をxについて整理すると、<Math>ax^2+(cy+d)x+(by^2+ey+f)=0</Math>である。
これがxについての恒等式なので、<Math>a=0, cy+d=0, by^2+ey+f=0</Math>が成り立つ。
これらは更にyについての恒等式なので、以下の等式が得られる。
:<Math>a=b=c=d=e=f=0</Math>
逆に、これが成り立てば元の式は明らかにx, yについての恒等式である
**問題
<Math>x^2+axy+6y^2-x+5y+b = (x-2y+c)(x-3y+d)</Math>がx,yについての恒等式となるようにa,b,c,dを定めよ。
==== 等式の証明 ====
先程紹介した「恒等式」という言葉を使って「証明」の意味を説明するなら、「等式を証明する」とは、その式が恒等式であることを示すことである。
一般に、等式 A=B を証明するためには、次のような手順のいずれかを実行すればよい。
:(1) Aを式変形してBを導くか、または Bを変形してAを導く。
:(2) A,Bをそれぞれ変形して、同じ式Cを導く。
:(3) A-B=0 を示す。
このとき、変形は'''同値変形でなければならない'''ことに注意。
* 例題
:<math>(a+b)^2-(a-b)^2 = 4ab</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を展開すると
:(<math>(a^2+2ab+b^2)-(a^2-2ab+b^2) = a^2+2ab+b^2 - a^2+2ab-b^2=4ab</math>
となり、これは右辺に等しい。(終)
* 例題
:<math>(x+y)^2+(x-y)^2 = 2(x^2+y^2)</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を計算すると、
:<math> (x^2+2xy+y^2)+(x^2-2xy+y^2) = x^2+2xy+y^2 + x^2-2xy+y^2 = 2x^2+2y^2 =2(x^2+y^2) </math>
これは右辺に等しい。(終)
*例題
次の等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
*解答
(I)
:<math>\mathrm{lhs}
= (36 a^2 + 84 a b + 49 b^2) + (49 a^2 - 84 a b + 36 a^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
:<math>\mathrm{rhs}= (81 a^2 + 36 a b + 4 b^2) + (4 a^2 - 36 a b + 81 b^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
両辺とも同じ式になるから
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
恒等式でないときも、与えられた条件から等式を証明することができる。
*例題
<Math>a+b+c=0</Math>のとき、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>であることを証明せよ。また、<Math>a:b=c:d</Math>のとき、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>を証明せよ。
*解答
:<Math>a+b+c=0 \iff c=-(a+b)</Math>
より、
:<Math>a^3+b^3+c^3-3abc = a^3+b^3-(a+b)^3+3ab(a+b)</Math>
:<Math>= a^3+b^3-(a^3+3a^2b+3ab^2+b^3)+3a^2b+3ab^2</Math>
:<Math>=0</Math>
よって、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>である。
また、
:<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>
より、上式の右辺をkとおくと、
:<Math>a=bk, c=dk</Math>
なので、
:<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{bk+dk}{b+d} = \frac{k(b+d)}{b+d} = k</Math>
:<Math>\frac{a-c}{b-d} = \frac{bk-dk}{b-d} = \frac{k(b-d)}{b-d} = k</Math>
よって、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>である。
なお、比<Math>a:b</Math>について<Math>\frac{a}{b}</Math>を'''比の値'''という。また、<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>を'''比例式'''という。
<Math>\frac{a}{x} = \frac{b}{y} = \frac{c}{z}</Math>が成り立つとき、<Math>a:b:c=x:y:z</Math>と表す。これを'''連比'''という。
*問題
**<Math>a:b:c=1:2:3</Math>のとき、<Math>a+b+c=24</Math>を満たす<Math>a,b,c</Math>を求めよ。
==== 不等式の証明 ====
不等式の様々な公式については、次の4つの式を基本的な式として導出できる場合がよくある。
高校数学では、次の4つの性質が 不等式の「基本性質」などとして紹介されている。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''不等式の基本性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:(1) <math> a>b \land b>c \implies a>c </math>
:(2) <math> a>b \implies a \pm c>b \pm c</math>
:(3) <math> a>b \land c>0 \implies ac>bc \land \frac{a}{c} > \frac{b}{c} </math>
:(4) <math> a>b \land c<0 \implies ac<bc \land \frac{a}{c} < \frac{b}{c} </math>
|}
(3)と(4)については、一つの性質として 纏める文献もある。
上述の4つの基本性質から、
:<math>a>0, b>0 \implies a+b > 0</math>
を証明してみよう。
*証明
まず <math>a>0</math> なので、基本性質(2)より
:<math>a+b > b</math>
である。
よって
:<math> a+b>b \land b>0 </math>
なので、基本性質(1)より<math> a+b>0 </math>
が成り立つ。(終)
同様にして、
:<math>a<0, b<0 \implies a+b < 0</math>
を証明できる。
ここまでに示したことから、不等式 <math> A \geqq B </math> を証明したい場合には、
: <math> A-B \geqq 0 </math>
を証明すればよいことがわかった。こちらの方が証明しやすい場合がよくある。
不等式を証明する際に根拠とする基本的な不等式として、次の性質がある。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2 \geqq 0</math>
等号成立は、 <math>a = 0</math> の場合だけである。
|}
この定理(「全ての実数についてその2乗は非負」)を、基本性質(3),(4)を使って証明してみよう。
'''(証明)'''
aが正の場合と負の場合と0の場合の3通りに場合わけする。
'''<nowiki>[aが正の場合]</nowiki>''' <br>
このとき、基本性質(3)より、
:<math> aa>0a </math>
である。すなわち、
:<math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aが負の場合]</nowiki>'''<br>
このとき、基本性質(4)より
<math>0a < aa </math>
である。すなわち、
: <math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aがゼロの場合]</nowiki>''' <br>
このとき、
<math>a^2=0</math>
である。
よって、すべての場合について<math>a^2 \geqq 0</math>
(終)
このことと基本性質(1)(2)より、次が成り立つこともわかる。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗同士の和の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
任意の実数a,b について、<math>a^2 \geqq 0</math>, <math>b^2 \geqq 0</math>より
:<math>a^2+b^2 \geqq 0</math>
が成り立つ。
等号成立条件は<math>a^2 = b^2 = 0</math>、つまり<math>a=b=0</math> の場合だけである。
|}
* 例題
次の不等式が成り立つことを証明せよ。
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
*解答
:<math>(x^2 + 10 y^2) -(6 x y) \geqq 0</math>
を証明すればよい。
左辺を展開して纏めると
:<math>(x^2 + 10 y^2) - 6xy = x^2 - 6 x y + 9 y^2 + y^2 = (x - 3 y)^2 + y^2</math>
となる。
上式の最後の式の項について、
:<math>(x - 3 y)^2 \geqq 0 , \quad y^2 \geqq 0</math>
より
:<math>(x - 3 y)^2 + y^2 \geqq 0</math>
である。よって
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
(終)
===== 根号を含む不等式 =====
2つの正の数 a, b がa≧b ならば、両辺を2乗しても大小関係は同じままである。
つまり、
: <math> a>0 </math>, <math> b>0 </math> のとき
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
これを証明するには、<math> a^2 - b^2 </math> を調べればよい。
:<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) </math>
である。
a>bとする。仮定より、a,b は正の数なので、<math> (a+b)>0 </math> であり、別の仮定より、 a > b なので、<math> (a-b)>0 </math> でもある。よって、<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) >0 </math>
逆に、<math>a^2-b^2>0</math>のとき、<math>(a+b)(a-b)>0</math>であり、<math>a>0,b>0</math>なので<math>a+b>0</math>である。よって、<math>a-b>0</math>なので、<math>a>b</math>である。
よって、<math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math> である。
<math>a=b</math>の場合は明らかに<math>a^2=b^2</math>なので、全ての場合について<math>a \geqq b (> 0) \iff a^2 \geqq b^2</math>が確かめられた。
----
*例題
<math> a>0, b>0 </math> のとき、次の不等式を証明せよ。
::<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
*解答
不等式の両辺は正であるので、両辺の平方の差を考えればよい。両辺の平方の差は
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 = a + 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + b - (a+b) 2 \sqrt{ab} </math>
である。ここで、a,b はともに正の実数なので、
::<math> \sqrt{a} \sqrt{b} = \sqrt{ab} </math>
であることを用いた。
:<math> \sqrt{ab} > 0</math>
であるので、
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 > 0 </math>
となる。よって、
:<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
である。(終)
===== 絶対値を含む不等式 =====
実数 <math>a</math> の絶対値 <math>|a|</math> について、
: <math>a \geqq 0 \implies |a|=a</math>
: <math>a<0 \implies |a|= -a</math>
であるから、次のことが成り立つ。
:<math>|a|^2=a^2</math>
また、2つの実数 a, b の絶対値 |ab| については、
: <math>|ab|^2= (ab)^2= a^2 b^2 = |a|^2 |b|^2 = (|a| |b|)^2</math>
が成り立つので、これにさらに <math>|ab|\geqq0 ,|a||b|\geqq0 </math>を組み合わせて、
:<math>|ab| = |a| |b| </math>
が成り立つ。
*例題
次の不等式を証明せよ。また、等号成立条件を 調べよ。
::<math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math>
*解答
両辺の平方の差を考えると、
:<math>(|a|+|b|)^2 - |a+b|^2 = |a|^2 + 2|a| |b| + |b|^2 -(a^2 + 2ab + b^2 )</math>
:<math>= a^2 + 2|a| |b| + b^2 -a^2 - 2ab - b^2</math>
:<math>= 2|a| |b| - 2ab</math>
:<math>= 2 ( |a| |b| - ab )</math>
これがもし正なら、与えられた不等式 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> が正しい。
ここで、 <math>|a| |b| \geqq ab</math> であるので、
:<math> ( |a| |b| - ab ) \geqq 0</math>
である。
したがって、 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> である。
等号が成り立つのは <math>|a| |b| = ab</math> の場合、すなわち <math>ab \geqq 0</math> の場合である。
(終)
{{コラム|三角不等式|
なお
:<math>|a|-|b| \leqq |a+b| \leqq |a|+|b| </math>
の関係式のことを「三角不等式」という。
}}
==== 相加平均・相乗平均 ====
2つの数<math>a</math>,<math>b</math>に対し、<math>\frac{a+b}{2}</math>を'''{{ruby|相加|そうか}}平均'''、<math>\sqrt{ab}</math>を'''{{ruby|相乗|そうじょう}}平均'''という。
{{コラム|相乗平均の例と3つ以上のものの平均|
平均は、3つ以上のものにも定義される。3つ以上のn個のものの相加平均は <math>\frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n}</math> で定義される。
:平均を考える際、つい相加平均ばかりを考えがちだが、以下のような状況では相乗平均の方が適切である。
::「ある企業では、2015年度の売上を基準にすると、2016年度では前年(2015年)の1.5倍の売上になりました。2017年度では、前年(2016年)の2倍の売上になりました。平均として、一年ごとに何倍の売り上げになっていったでしょうか? 」
:(答)<math>\sqrt{1.5 \times 2} = \sqrt{3} \fallingdotseq 1.73</math> より、約 1.73倍。
:また、この応用例は、項が3つ以上の場合の相乗平均の定義の仕方も、示唆している。もし読者が[[高等学校数学II/指数関数・対数関数|指数関数]]を知っているなら、項が3つ(ここでは a, b, c とする)の場合の相乗平均は、
::(3つの項の相乗平均)=<math> (abc)^{ \frac{1}{3} } </math>
:になる。
}}
本ページでは、2個の数の平均について考察する。
相加平均と相乗平均について、次の関係式が成り立つ。
{| style="border:2px solid yellow;width:80%" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''相加平均と相乗平均'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a \geqq 0</math> ,<math>b \geqq 0</math>のとき、<br>
<center><math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math></center><br>
等号が成り立つのは、<math>a = b</math>のときである。
|}
*証明
<math>a \geqq 0 , b \geqq 0</math>のとき
:<math>\frac{a+b}{2} - \sqrt{ab} = \frac{a+b-2 \sqrt{ab}}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} \right) ^2 - 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + \left( \sqrt{b} \right) ^2}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2}</math>
<math> \left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 \geqq 0</math>であるから、<math> \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2} \geqq 0</math><br>
従って <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math><br>
等号が成り立つのは、<math>\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 = 0 </math> のとき、すなわち <math>a = b</math> のときである。(終)
公式の利用では、上の式 <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math> の両辺に2を掛けた <math>a+b \geqq 2 \sqrt{ab}</math> の形の式を使う場合もある。
* 例題
<math>a>0</math> ,<math>b>0</math>のとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
**解答
(I)<math>a>0</math>であるから、<math>\frac{1}{a} >0</math><br>
よって <math>a + \frac{1}{a} \geqq 2 \sqrt{a \times \frac{1}{a}} = 2</math><br>
したがって
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) = 1+ \frac{a}{b} + \frac{b}{a} +1 = \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2
</math>
<math>a>0</math>,<math>b>0</math>であるから、<math>\frac{b}{a} >0</math>,<math>\frac{a}{b} >0</math><br>
よって <math> \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2 \geqq 2 \sqrt{\frac{b}{a} \times \frac{a}{b}} + 2 = 2+2 =4</math><br>
したがって
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
{{コラム|3つ以上の相乗平均と調和平均|
もし読者が指数関数などを知っていれば、
n個のものの相乗平均は、
::<math>\sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n }</math>
と書ける。
数学的な「平均」には、相加平均と相乗平均のほかにも'''調和平均'''がある。
調和平均は、電気回路の並列計算で使われる考え方である。
n個のものの調和平均は、
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} }</math>
で定義される。
一般に数学的には、調和平均、相乗平均、相加平均のあいだに次のような大小関係
:(調和平均) ≦ (相乗平均) ≦ (相加平均)
という関係が成り立つことが証明されている。
すなわち、数式で書けば
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} } \leqq \sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n } \leqq \frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n} </math>
の関係式である。
簡潔に書くと、
::<Math>\frac{ n}{ \sum_{k=1}^{n} \dfrac{1}{a_k}} \leqq (\prod_{k=1}^{n}a_k)^{\frac{1}{n}} \leqq \frac{\sum_{k=1}^{n} a_n}{n}</Math>
となる。
}}
{{コラム|相加・相乗・調和平均の図示|
線分ABを直径に持つ円の中心をOとする。線分ABの適当な位置に点Pをとり、<math>\overline{AP} = a, \overline{PB} = b</math>とおく。
:Oから線分ABに垂直な線分を引き、円との交点をQとおく。このとき、線分OQはこの円の半径なので、<math>\overline{OQ} = \frac{1}{2} \overline{AB} = \frac{a+b}{2}</math>が成り立つ。
:Pから線分ABに垂直な直線を両側に引き、円との交点をそれぞれR, Sとおく(RはQ側の交点とする)。このとき<math>\overline{OR} = \overline{OS}</math>であり、[[高等学校数学A/図形の性質#方冪の定理|方冪の定理]]より<math>\overline{OR} \cdot \overline{OS} = \overline{AP} \cdot \overline{PB} = ab</math>が成り立つので、<math>\overline{OR} = \sqrt{ab}</math>と求まる。<br>
:Pから線分ORに引いた垂線の足をTとする。<math>\triangle ORP</math>∽<math>\triangle PRT</math>より<math>\overline{OR} : \overline{RP} = \overline{PR} : \overline{RT}</math>すなわち<math>\frac{a+b}{2} : \sqrt{ab} = \sqrt{ab} : \overline{RT}</math>なので、<math>\overline{RT} = \frac{2ab}{a+b} = \frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}}</math>と求まる。
これらの図から、点Pをどの位置に取っても<math>\frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}} \leqq \sqrt{ab} \leqq \frac{a+b}{2}</math>が常に成り立つこと、PがOに一致する場合に等号が成立することがわかる。
なお、[[w:二乗平均平方根]]も図示することができる。
}}
一般的に使われる平均として、相加平均・相乗平均・調和平均の他に'''調整平均'''と'''移動平均'''が存在する。これらは数学B「[[高等学校数学B/数学と社会生活#調整平均|数学と社会生活]]」で扱う。
==複素数と方程式==
===複素数===
====複素数とは====
2乗して負になる数を考える。このような数は先ほどの
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2\geqq0</math>
という性質から実数ではないことがわかる。そこで、二乗すると負になる数を新たに導入し、数の世界を広げることを考える。
方程式<math>x^2 = -1</math>の解を考える。この方程式の解は実数にはない。そこで、この方程式を満たす(実数ではない)数の片方を文字 <math>i</math>で表すことにする。このとき、もう片方の解は<math>-i</math>と表せる。
この <math>i</math> のことを'''虚数単位'''(imaginary unit)と呼ぶ。なお、<math>x^2=-1</math>の2つの解のどちらを<math>i</math>としてもその後の理論に差し支えない。つまり、<math>i, -i</math>は代数構造的に区別できない。
<math>1+i</math> や <math>2+5i</math> のように、虚数単位<math>i</math>と<math>a,b \in \mathbb{R}</math>を用いて
:<math>z=a+bi</math>
と表すことができる数 <math>z</math>を'''複素数'''という。このとき、<math>a</math>をこの複素数の'''実部'''、<math>b</math>を'''虚部'''といい、それぞれ<math>\mathrm{Re}(z), \mathfrak{R}(z), \quad \mathrm{Im}(z), \mathfrak{I}(z)</math>などと表す。
例えば、<math>1+i,\quad 2+5i,\quad \frac{9}{2} + \frac{7}{2} i,\quad 4i,\quad 3</math> は、いずれも複素数である。
複素数<math>a+bi</math>は<math>b=0</math>のとき実数である。すなわち、複素数は実数の拡張である。複素数全体の集合は<math>\mathbb{C}</math>と表す。
<math>4i</math>のような、実部が<math>0</math>で虚部が<math>0</math>でない複素数を'''純虚数'''と呼ぶ。純虚数の二乗は負数である。純虚数全体の集合は<math>i\mathbb{R}_{\neq0}</math>で表す(<math>\neq0</math>を省略する場合もある)。
虚数は、一般には実数ではない複素数を指す。(つまり虚数全体の集合は<math>\mathbb{C} \setminus \mathbb{R}</math>)
;参考
複素数は「二元数」の一つである。他の二元数として、[[多元数/分解型複素数|分解型複素数]]と[[多元数/二重数|二重数]]がある。二元数は正確に言うと「実数体上の二次元可換結合多元環」であり、代数の構造定理によりこの3つしか存在し得ないことが判っている。
==== 複素数の性質 ====
2つの複素数<math>a+bi, c+di</math>が等しいとは、等式<math>a+bi=c+di</math>を'''虚数単位<math>i</math>についての恒等式とみる'''ことで以下のように解釈できる。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''複素数の相等'''
|-
|style="padding:5px"|
: <math>a+bi = c+di \iff a=c \land b=d</math>
特に
: <math>a+bi = 0 \iff a=0 \land b=0</math>
|}
;共役
複素数<math>z=a+bi</math>に対して、虚部の符号を反転させた複素数<math>\bar{z} = a-bi</math>のことを'''{{ruby|共役|きょうやく}}複素数'''または'''<math>z</math>の複素共役'''と呼ぶ。なお、「共役」は「共'''軛'''」の常用漢字による代用([[w:同音の漢字による書き換え]])である。<math>z^*</math>と書くこともある。
その定義より、<math>\forall a \in \mathbb{R}, \bar{a}=a</math>である。
;四則演算
複素数にも四則演算(加減乗除)が定義される。
複素数の演算では、虚数単位<math>i</math>を通常の文字のように扱って計算する。但し、<math>i^2=-1</math>に注意。
一般に複素数<math>z=a+bi, w=c+di</math>について
:加法:<math> (a+bi)+(c+di) = (a+c) + (b+d)i </math>
:減法:<math> (a+bi)-(c+di) = (a-c) + (b-d)i </math>
:乗法:<math> (a+bi)(c+di) = (ac-bd) + (ad+bc)i </math>
:除法:<math> \frac{a+bi}{c+di} = \frac{(a+bi)(c-di)}{(c+di)(c-di)} = \frac{ac+bd}{c^2+d^2} + \frac{bc-ad}{c^2+d^2}i </math>(但し<math>c+di \ne 0</math>)
が成り立つ。
実数の場合と同様、四則演算は複素数について閉じており、分配則・結合則・交換則が成り立つ。
複素数<math>z=a+bi</math>について
:<math>\overline{\bar{z}}=z</math>('''再帰則''')
:<math>z+ \bar{z}=(a+bi)+(a-bi)=2a</math>
:<math>z-\bar{z}=(a+bi)-(a-bi)=2bi</math>
:<math>z \bar z =(a+bi)(a-bi)=a^2-abi+abi-b^2 i^2 = a^2-b^2i^2=a^2+b^2</math>
:<math>\frac{z}{\bar{z}}=\frac{a+bi}{a-bi}=\frac{a^2-b^2+2bi}{a^2+b^2}</math>(但し<math>z\neq0</math>)
が成り立つ。
よって、
:<math>\mathrm{Re}(z)=\frac{z+\bar{z}}{2}</math>
:<math>\mathrm{Im}(z)=\frac{z-\bar{z}}{2i}</math>
も成り立つ。
'''例題'''
2つの複素数
:<math>a=3+i</math>
:<math>b=4 +7i</math>
について、<math>a+b, ab, \frac{a}{b}</math> をそれぞれ計算せよ。
'''解答'''
:<math>\begin{align}a+b&=(3+i)+(4+7i)\\&=(3+4)+i(1+7)\\&=7+8i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}ab&=(3+i)(4+7i) \\&=12+21i+4i+7i^2 \\&=12+21i+4i+(-7) \\&=5+25i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}\frac{a}{b}&=\frac{3+i}{4+7i} \\&=\frac{(3+i)(4-7i)}{(4+7i)(4-7i)} \\&=\frac{12-21i+4i-(-7)}{16-28i+28i-(-49)} \\&=\frac{19-17i}{65} \\&=\frac{19}{65}-\frac{17}{65}i \end{align}</math>
==== 負の数の平方根 ====
複素数を導入することで、負の数の平方根も考えることができる。
例として、 -5 の平方根について考えてみよう。
:<math>(\sqrt{5}\ i)^2 = (\sqrt{5})^2\ i^2 = 5 \times (-1) =-5</math>
:<math>(- \sqrt{5}\ i)^2 = (-1)^2 \times (\sqrt{5})^2\ i^2 = (+1) \times 5 \times (-1) = -5</math>
であるから、 <math>-5</math> の平方根は <math> \sqrt{5}\ i </math> と <math> - \sqrt{5}\ i </math> である。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''負の数の平方根'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a>0</math>とするとき、負の数<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}\ i</math>である。
|}
<math>\pm \sqrt{-a} = \pm \sqrt{a} i</math>(複号同順)である。
さて、-5 の平方根は、方程式<math>x^2=-5</math>なので、方程式<math>x^2+5=0</math>の解ともいえる。
すなわち、二次式<math>x^2+5</math>は複素数範囲で<math>(x+\sqrt{5}i)(x-\sqrt{5}i)</math>と因数分解できる。
* 例題
(I) <math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6}</math> を計算せよ。
* 解答
(I)
:<math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6} = (\sqrt{2}i) \times (\sqrt{6}i) = \sqrt{12} i^2 = -2 \sqrt{3}</math>
注意:負数の平方根は'''必ず純虚数に直して'''計算するようにする。
直さないと、以下のような間違いが起こり得る。
:<math>\sqrt{-2}\times\sqrt{-6}=\sqrt{(-2)\times(-6)}=\sqrt{12}</math>
実は、中学校で習った「平方根の積は根号の中身の積の平方根をとったものに等しい」という性質は'''実数範囲でしか成り立たない'''。
一般に、'''実数範囲で成り立ったことが複素数範囲でそのまま成り立つとは限らない'''ことに注意が必要である。
* 問題
:(II) <math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}}</math> を計算せよ。
:(III) 二次方程式 <math>x^2+7=0</math> を解け。
* 解答
(II)
:<math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}} = \frac{\sqrt{2}}{\sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{2}\ \sqrt{3}\ i}{\sqrt{3}\ i\ \sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{6}\ i}{3\ i^2} = - \frac{\sqrt{6}}{3} \ i</math>
(III)
:<math>x^2+7=0</math>
:<math>x^2=-7</math>
:<math>x= \pm \sqrt{-7}</math>
:<math>x= \pm \sqrt{7}\ i</math>
=== 複素数と二次方程式 ===
==== 二次方程式の解と複素数 ====
複素数の応用として、ここでは二次方程式の性質について述べる。任意の二次方程式は、解の公式によって解かれることを[[高等学校数学I 方程式と不等式#二次方程式|高等学校数学I]]で述べた。しかし、解の公式に含まれる根号の中身が負の数の場合には実数解が存在しないことに注意する必要がある。二次方程式
:<math>
ax^2+bx+c = 0
</math>
の解の公式は、
:<math>
x = \frac{-b \pm \sqrt{D} }{a}
</math>
である。
但し、<math>D=b^2-4ac</math>は判別式である。
判別式の正負によって二次方程式が実数解を持つかどうかが決まる。
<math>D<0</math>のときにはこの二次方程式は実数の範囲には解を持たない。
一般に、'''<math>D<0</math>のとき二次方程式の解は2つの複素共役な虚数である'''。
* 例題
二次方程式<br>
(1)
:<math>x ^2 + 5x + 9 =0</math>
(2)
:<math>2x ^2 + 5x + 8 =0</math>
(3)
:<math>2x ^2 - 2x + 8 =0</math>
を複素数範囲で解け。
*解答
解の公式を用いて解けばよい。(1)だけを計算すると、
:<math>
x = \frac {- 5 \pm \sqrt{5^2 - 4 \times 1 \times 9}}{2}
</math>
:<math>
= \frac {-5 \pm \sqrt {11} i}{2}
</math>
となる。
他も同じように扱うことが出来る。
以降の解答は、<br>
(2)
:<math>
x = \frac {-5 \pm \sqrt {39} i}{4}
</math>
(3)
:<math>
x = \frac {1 \pm \sqrt {15} i}{2}
</math>
となる。
<!--
(
*執筆者に対する注意
計算には[[w:maxima]]を用いた。
tex(solve(
x ^2 + 5*x + 9 =0,x
));
tex(solve(
2*x ^2 + 5*x + 8 =0,x
));
tex(
solve(
2*x ^2 - 2*x + 8 =0,x
));
)
-->
方程式の解で、実数であるものを '''実数解''' という。
方程式の解で、虚数であるものを '''虚数解''' という。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''判別式と解の判別'''
|-
|style="padding:5px"|
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の判別式 <math>D=b^2-4ac</math> について
::<math>D>0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの実数解をもつ
::<math>D=0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 重解をもつ
::<math>D<0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの複素共役な虚数解をもつ
|}
また、重解も実数解であるので、
::<math>D \geqq 0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 実数解をもつ
といえる。
*例題
次の二次方程式の解を判別せよ。
(I)
:<math>x^2+3\,x-1=0</math>
(II)
:<math>2\,x^2-3\,x+2=0</math>
(III)
:<math>4\,x^2-20\,x+25=0</math>
*解答
(I)
:<math>D=3^2-4 \times 1 \times (-1) =13>0</math>
より、異なる2つの実数解をもつ。
(II)
:<math>D=(-3)^2-4 \times 2 \times 2 =-7<0</math>
より、異なる2つの虚数解をもつ。
(III)
:<math>\frac{D}{4}=(-10)^2-\times 4 \times 25 =0</math>
より、重解をもつ。
==== 二次方程式の解と係数の関係 ====
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とする。 この方程式は、
<math>a(x-\alpha)(x-\beta) = 0</math>
と変形できる。
これを展開すると、
<math>ax^2 -a(\alpha + \beta )x+a\alpha \beta = 0</math>
係数を比較して、
<math>c = a \alpha \beta, b = -a(\alpha + \beta)</math>
を得る。
これを変形すれば、<math>\alpha + \beta = -\frac{b}{a}, \alpha \beta = \frac{c}{a}</math>となる。<br>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と係数の関係'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math>とするとき、
:<math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math> ,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math>
|}
解と係数の関係は、多項式の値を[[高等学校数学I/数と式#種々の因数分解|基本対称式分解]]を用いて求める問題に応用される。
*例題
二次方程式 <math>2x^2 + 4x + 3 = 0</math>の2解の平方和を求めよ。
*解答
2解をそれぞれ<math>\alpha, \beta</math>とすると、解と係数の関係より
:<math>\alpha + \beta = - \frac{4}{2} = - 2 </math>,<math>\alpha \beta = \frac{3}{2}</math>
:<math>\therefore \alpha ^2 + \beta ^2 = (\alpha + \beta )^2 - 2 \alpha \beta = (-2)^2 - 2 \times \frac{3}{2} = 1</math>
解と係数の関係より以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''与えられた2つの数を解とする二次方程式'''
|-
|style="padding:5px"|
2数 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> を解とする二次方程式の一つは
:<math>x^2 - (\alpha + \beta ) x + \alpha \beta = 0</math>
|}
* 問題
次の2数を解とする最も簡単な二次方程式を作れ。<br>
(I)
:<math>3 + \sqrt{5} \ , 3 - \sqrt{5}</math>
(II)
:<math>2 + 3 i \ , 2 - 3 i</math>
* 解答
(I)<br>
和 <math>(3 + \sqrt{5}) + (3 - \sqrt{5}) = 6</math><br>
積 <math>(3 + \sqrt{5}) (3 - \sqrt{5}) = 4</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 6 x + 4 =0
</math>
(II)<br>
和 <math>(2 + 3 i) + (2 - 3 i) = 4</math><br>
積 <math>(2 + 3 i) (2 - 3 i) = 13</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 4 x + 13 =0
</math>
一般に、二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> がわかると二次式
:<math>ax^2 + bx + c</math>
を因数分解することができる。
解と係数の関係 <math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math>,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math> から、
:<math>ax^2 + bx + c = a \left(x^2 + \frac{b}{a}x + \frac{c}{a} \right) = a \left\{x^2 - (\alpha + \beta )x + \alpha \beta \right\} = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と因数分解'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とすると
:<math>ax^2 + bx + c = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
|}
二次方程式は複素数の範囲で考えると常に解を持つから、複素数範囲において二次式は必ず一次式の積に因数分解することができる。
*例題
次の二次式を複素数範囲で因数分解せよ。<br>
(I)
:<math>x^2 + 4 x - 1</math>
(II)
:<math>2 x^2 - 3 x + 2</math>
*解答
(I)<br>
二次方程式 <math>x^2 + 4 x - 1 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-4 \pm \sqrt{4^2-4 \times 1 \times (-1)}}{2 \times 1} = \frac{-4 \pm \sqrt{20}}{2} = \frac{-4 \pm 2 \sqrt{5}}{2} = -2 \pm \sqrt{5}</math>
よって
:<math>x^2 + 4 x - 1 = \left\{ x - (-2 + \sqrt{5}) \right\} \left\{ x - (-2 - \sqrt{5}) \right\} = (x + 2 - \sqrt{5}) (x + 2 + \sqrt{5})</math>
(II)<br>
二次方程式 <math>2 x^2 - 3 x + 2 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-(-3) \pm \sqrt{(-3)^2-4 \times 2 \times 2}}{2 \times 2} = \frac{3 \pm \sqrt{-7}}{4} = \frac{3 \pm \sqrt{7} i}{4}</math>
よって
:<math>2 x^2 - 3 x + 2 = 2 \left(x- \frac{3 + \sqrt{7}\; i}{4} \right) \left(x- \frac{3 - \sqrt{7}\; i}{4} \right)</math>
=== 高次方程式 ===
以下、三次以上の整式による方程式を考える。
一般に方程式を <math>P(x)=0</math>とする。
ただし、<math>P(x)</math>は、任意の次数の整式とする。
一般に、k次方程式<math>(x-p)^k=0</math>の解 <math>p</math>をこの方程式の'''k重解'''という。k重解は同じ値の解がk個重なっていると考える。
==== 剰余の定理 ====
<math>P(x)</math>を一次式<math>x-a</math>で割ったときの商を<math>Q(x)</math>、余りを<math>R</math>とすると、
:<math>
P(x) = (x-a)Q(x)+R
</math>
この両辺の<math>x</math>に<math>a</math>を代入すると、
:<math>
P(a) = (a-a)Q(a)+R = 0 \times Q(a) + R =R
</math>
つまり、<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは<math>P(a)</math>である。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:pink" |'''剰余の定理'''
|-
| style="padding:5px" |
整式<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは、<math>P(a)</math>に等しい。
|}
* 問題例
** 問題
整式 <math>P(x) = x^3 -2x + 3</math> を次の式で割った余りを求めよ。<br>
(I)
:<math>
x-2
</math>
(II)
:<math>
x+1
</math>
(III)
:<math>
2x-1
</math>
** 解答
(I) <math>P(2) = 2^3 - 2 \times 2 + 3 = 7</math><br>
(II) <math>P(-1) = (-1)^3 - 2 \times (-1) + 3 = 4</math><br>
(III) <math>P\left( \frac{1}{2} \right) = \left( \frac{1}{2} \right)^3 - 2 \times \left( \frac{1}{2} \right) + 3 = \frac{17}{8}</math>
===== 因数定理 =====
:<math>\exist a \in \mathbb{R}, P(a) = 0</math>
ならば、整式<math>P(x)</math> は式<math>(x-a)</math> を因数に持つことが分る。
これを'''因数定理'''と呼ぶ。
* 導出
剰余の定理より<math>P(x)</math>を<math>(x-a)</math>で割った余りは<math>P(a)</math>であるが、ここで<math>P(a)=0</math>より<math>P(x)=(x-a)Q(x)</math>と書けるので、<math>P(x)</math>は式<math>(x-a)</math>を因数に持つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''因数定理'''
|-
|style="padding:5px"|
整式<math>P(x)</math>について<br>
<center><math>P(a)=0 \Leftrightarrow </math> <math>P(x)</math>は<math>x-a</math>で割りきれる。</center>
|}
因数定理を用いることで、より次数の高い整式を因数分解することが出来るようになる。
例えば、三次の整式
:<math>x^3 - 1</math>
について、<math>x=1</math>を代入すると
:<math>x^3 - 1=0</math>
なので因数定理よりこの式は
:<math>(x-1)</math>
を因数として持つ。
ここで、整式の除法を使って計算すると
:<math>x^3 - 1 = (x-1)(x^2+x+1)</math>
を得る。
*例題
因数定理を用いて<br>
(I)
:<math>x^3-6\,x^2+11\,x-6</math>
(II)
:<math>x^3+x^2-14\,x-24</math>
<!--
(III)
:<math>
x^3+5\,x^2-34\,x-80
</math>
-->
を因数分解せよ。
* 解答<br>
(I)
因数分解の結果が(x+整数)の積の形なら、整数は6の約数でなければならない。そのため、<math>\pm 1, \pm 2,\pm 3,\pm 6</math>が候補となる。これらにつ祖ては実際に代入して確かめるしかない。x=1を代入すると、
:<math>1-6+11-6=0</math>
となるので、(x-1)が因数となる。実際に整式の除法を行なうと、商として<math>x^2-5x+6</math>が得られるが、これは<math>(x-2)(x-3)</math>に因数分解できる。よって答えは、
:<math>\left(x-3\right)\,\left(x-2\right)\,\left(x-1\right)</math>
となる。<br>
(II)
ここでも地道に24の因数を当てはめていくしかない。24の因数は数が多いのでかなりの計算が必要となる。ここでは、-2を代入すると、
:<math>-8 +4 -14 \cdot (-2) -24 = 0</math>
となり、(x+2)が因数だとわかる。除法を行なうと、<math>x^2 -x -12</math>が得られるが、(x-4)(x+3)に因数分解できる。答えは、
:<math>\left(x-4\right)\,\left(x+2\right)\,\left(x+3\right)</math>
となる。
==== 高次方程式の解法 ====
一般に、以下の事実が知られている。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''(強い)代数学の基本定理'''
|-
|style="padding:5px"|
複素数係数n次方程式の解は複素数範囲で必ずn個存在する。但し、重解は重複して数える。
|}
<br>
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''虚数解定理'''
|-
|style="padding:5px"|
n次方程式が虚数解を持つならば、その共役複素数も解の1つである。
|}
これらは証明なしに事実として用いてよい。
例えば、七次方程式<math>(x^2+1)^3(x+2)=0</math>の解は<math>x=2, \pm i</math>であるが、<math>\pm i</math>は三重解なのでそれぞれ3つと数えると、解の個数は<math>2</math>が1つ、<math>i</math>が3つ、<math>-i</math>が3つで7個である。
因数分解や因数定理を利用することにより、一般の高次方程式を解くことができる。
解の存在性は代数学の基本定理により保証される。
*例題
高次方程式<br>
(I)
:<math>x^3-8=0</math>
(II)
:<math>x^4-2x^2-8=0</math>
(III)
:<math>x^3-5x^2+7x-2=0</math>
を解け。
*解答
(I)
左辺を<math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>により因数分解すると
:<math>(x-2)(x^2+2x+4)=0</math>
従って<math>x-2=0 \or x^2+2x+4=0</math><br>
よって
:<math>x=2, -1 \pm \sqrt{3}i</math>
(II)
<math>\ x^2=X\ </math>とおくと
:<math>X^2-2X-8=0</math>
左辺を因数分解すると
:<math>(X-4)(X+2)=0</math>
よって<math>X=4, X=-2</math>。
:<math>\therefore x^2=4, x^2=-2</math>
:<math>\therefore x= \pm 2, \pm \sqrt{2} i</math>
(III) <math>\ P(x)=x^3-5x^2+7x-2\ </math>とおく。
:<math>P(2)=2^3-5 \times 2^2+7 \times 2-2=0</math>
従って<math>\ x-2\ </math>は<math>\ P(x)\ </math>の因数である。<br>
:<math>P(x)=(x-2)(x^2-3x+1)</math>
:<math>(x-2)(x^2-3x+1)=0</math>
:<math>\therefore x-2=0 \lor x^2-3x+1=0</math>
:<math>\therefore x= 2, \frac{3 \pm \sqrt{5}}{2}</math>
三次方程式<math>x^3=1</math>の解を考える。
実数解<math>x=1</math>を持つことは明らか。
三次式の因数分解公式より<math>x^3-1=(x-1)(x^2+x+1)</math>なので、
この三次方程式の虚数解は二次方程式<math>x^2+x+1=0</math>の解である。
よって<math>x=1, \frac{-1\pm\sqrt{3}i}{2}</math>
ここで、虚数解の片方を<math>\omega</math>とおくともう片方は<math>\bar{\omega}</math>である。
以下が成り立つ。
:<math>\omega^3=(\bar{\omega})^3=1</math>
:<math>\omega^2=\bar{\omega}</math>
:<math>(\bar{\omega})^2=\omega</math>
:<math>\omega^2+\omega+1=0</math>
これらの性質を用いると、高次方程式の問題が楽になる場合がある。
*問題
<math>x^5+x^4+1</math>を実数範囲で因数分解せよ。
*解答
<math>\omega</math>を代入すると
:<math>\omega^5+\omega^4+1=\omega^2\cdot1+\omega\cdot1+1=\omega^2+\omega+1=0</math>
よって方程式<math>x^5+x^4+1=0</math>は虚数解定理より<math>\omega, \bar{\omega}</math>を解に持つので、<math>x^5+x^4+1</math>は<math>x^2+x+1</math>を因数に持つ。<br>
整式の除法より
:<math>x^5+x^4+1=(x^2+x+1)(x^3-x+1)</math>//
;演習問題
*以下の値を求めよ。
**<math>\omega^{100}+\omega^{28}</math>
**<math>\frac{1}{2\omega^{17}+13\omega^{9}}</math>
====三次方程式の解と係数の関係====
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3解を<math>\alpha, \beta, \gamma</math> とすると
:<math>ax^3+ bx^2+ cx+d=a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
が成り立つ。<br>
右辺を展開すると
:<math>a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
:<math>=a(x- \alpha)\left\{x^2-(\beta + \gamma)x+ \beta \gamma \right\}</math>
:<math>=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore ax^3+ bx^2+ cx+d=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore b=-a(\alpha + \beta + \gamma)\ ,\ c= a(\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)\ ,\ d= -a \alpha \beta \gamma</math>
従って以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''三次方程式の解と係数の関係'''
|-
|style="padding:5px"|
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3つの解を 、<math>\alpha\ ,\ \beta\ ,\ \gamma</math> とすると
<center><math>\alpha + \beta + \gamma =- \frac{b}{a}\ ,\ \alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha= \frac{c}{a}\ ,\ \alpha \beta \gamma =- \frac{d}{a}</math></center>
|}
同様に、四次方程式の解と係数の関係(ヴィエタの公式)は<math>\alpha+\beta+\gamma+\delta=-\frac{a}{b}, \alpha\beta+\alpha\gamma+\alpha\delta+\beta\gamma+\beta\delta+\gamma\delta=\frac{c}{a}, \alpha\beta\gamma+\alpha\beta\delta+\alpha\gamma\delta+\beta\gamma\delta=-\frac{d}{a}, \alpha\beta\gamma\delta=\frac{e}{a}</math>である。
五次方程式以降でも同様の関係が成り立つ。
== コラム ==
=== 複素数は「存在する」か? ===
しばしば虚数は「現実には存在しない数」であると言われることがあり、歴史的にも虚数を扱った数学を考えるべきではないと考えられた時代は長かった。その時代の先進的な数学者の中には、虚数を有効に活用して研究を進める一方で、成果を発表する際には虚数を表に出さずに記述する努力をすることで、無用な抵抗を受けないように工夫した者もいたと言われるほどである。
だが、よく考えてみれば、数が「現実に存在する」とはどういう意味なのだろうか。現実に鉛筆を使って紙に円を描くならば、円周の長さを「正確に円周率そのものにする」ことは不可能であるように思われるが、その割に円周率という実数は「存在する」と感じられるのはなぜだろうか。数直線が実数の「実在」を信じさせるならば、複素数は複素数平面(数学Cで習う)の上に存在するのだから、同じではないだろうか。
このように考えると、そもそも数とはすべてある意味で想像上の存在であり、それに対して「存在する」「存在しない」という問いを立てることがナンセンスであるように思われる。「存在しない」ように思われがちな虚数であるが、たとえば物理学の一分野である量子力学のシュレディンガー方程式に表れるなど、応用上のさまざまな場面においても、虚数を使って記述することが自然な対象は多いのだ。
=== 複素数には「大小関係がない」 ===
複素数どうしについて、その大小関係は定義しない。その理由は、どのように大小関係を定義しても、便利な性質を満たすことができないからである。具体的に言えば、既に述べた実数の大小関係についての「不等式の基本性質(1)(2)(3)(4)」にあたる式を成り立たせることができないのだ。
たとえば、<math>a+bi<a'+b'i</math>であることを、<math>a^2+b^2<a'^2+b'^2</math>であることとして定義してみよう。このように定義すると、たとえば1+2i<2-3iであり、また2+3i<3+4iである。ところが、(1+2i)+(2+3i)=3+5i,(2-3i)+(3+4i)=5+iであり、3+5i>5+iとなってしまう。これは基本性質(2)が成り立たないことを意味する。
もちろんこれは適当に考えた定義がたまたま不適切だったというだけのことだが、実は、他にどのように定義してもこのような困難からは逃れられないことが知られている。それゆえに、複素数には大小関係を定義しないのである。
=== 複素数の平方根 (※発展) ===
今度は、複素数の平方根について考えてみよう。
正の数<math>a</math>を考えたとき、
:<math>a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}</math>
:<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a} i</math>
では、
:<math>\pm a i</math>の平方根はどのように表せるだろうか。
虚数単位<math>i</math>の平方根を考えると、これはzについての方程式 <math>z^2 = i</math> の解 z の値であるから、これを解けばよい。どのような複素数zならこの式を満たすことができるだろうか。
zを複素数とすると、<math>z = x + yi</math>(x,yは実数)と表される。
<math>(x + yi)^2 = i \Leftrightarrow x^2 + 2xyi - y^2 = i \Leftrightarrow (x^2-y^2)+(2xy-1)i = 0</math>
<math>x^2-y^2,2xy-1</math>は実数であるから、実部と虚部が共に0にならねばならないから、
<math>\begin{cases}
x^2-y^2=0 (\Leftrightarrow x= \pm y ) \\
2xy-1=0
\end{cases}</math>
<math>x=y</math>のとき、<math>2x^2=1 \Leftrightarrow x=\pm\frac{1}{\sqrt{2}},y=\pm\frac{1}{\sqrt{2}}</math> (複号同順。x,yは共に実数であるから、条件を満たす。)
<math>x=-y</math>のとき、<math>-2y^2=1 \Leftrightarrow y^2=-\frac{1}{2}</math> ここで、これを満たす実数yは存在しないから不適。
よって、<math>z=\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}+\frac{1}{\sqrt{2}}i\right)</math><sub>■</sub>
*問題例
** 問題
:<math>i \,\!</math>を虚数単位とするとき、次の問いに答えよ。
:(I) <math>-i,30i \,\!</math>の平方根を求めよ。
:(II) 2次方程式 <math>z^2 - 30i - 16 = 0 \,\!</math> を解け。
:(III) 3次方程式 <math>z^3 = i \,\!</math> を解け。
** 解答
:(I)
::<math>\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}-\frac{1}{\sqrt{2}}i\right) , \pm\left(\sqrt{15}+\sqrt{15}i\right)</math>
:(II)
::<math>z=5+3i , -5-3i \,\!</math>
:(III)
::<math>z=-i,\frac{i\pm\sqrt{3}}{2}</math>
:今回挙げた問題は、全て<math>z=x+yi</math>(x,yは実数)と置くことで求められる。(III)は、<math>(x+yi)^3-i=x(x^2-3y^2)+(3x^2y-y^3-1)i=0</math>より、
実部がゼロを考慮して<math>x=0</math>か<math>x=\pm\sqrt{3}y</math>だが、虚部もゼロなので、xの値が前者のとき<math>y=-1</math>、後者のとき<math>y=1/2</math>となることがすぐにわかる。
=== 高次方程式の「解の公式」 ===
2次方程式には解の公式があり、日本の中学や高校でも習う。2次方程式の解の公式を用いれば、どんな係数の2次方程式であっても解を求められる。3次方程式と4次方程式にも、解の公式は存在し、係数がどんな係数であっても解を求められる。これらの解の公式は、[[代数方程式論]]で述べているように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作('''代数的操作''')の組み合わせで表すことができる。
5次方程式では、4次以下の方程式とは状況が異なる。一般の5次方程式の解は、2次方程式や4次方程式のように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせで表すことができないのである。ただし、「できない」ことの証明は容易ではない。このことを証明するには、[[ガロア理論]]を理解する必要がある(日本の大学の標準的なカリキュラムでは、理学部数学科の学生のみが大学3年生で学ぶのが一般的な程度の理論である)。
なお、ここで言う「表すことができない」とは一般の方程式についてのことであり、特別な5次方程式の場合は簡単に解が求められる。たとえば、<math> x^5 -32 = 0 </math> は解のひとつとして <math> x=2 </math> をもつことはすぐわかる。この方程式は他の解についても三角関数を用いて簡単に表せることを[[高等学校数学C/複素数平面]]において学ぶ。
「係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせ」に拘らなければ、一般の5次方程式の解を求める方法も存在するが、やや高度な数学を用いる必要がある。[[w:五次方程式]]に記述があるので興味のある読者は参照するとよい。
=== 複素数と関数 ===
高等学校で複素数が出てくる分野はこの分野と数学C「[[高等学校数学C/平面上の曲線|平面上の曲線]]と複素数平面」のみであり、複素数の基本計算や方程式を複素数範囲で解くこと、複素数の幾何学的意味について扱っている。しかし、大学数学においては、関数の定義域・値域を複素数範囲に広げて考える「[[複素解析学|複素関数論]]」というものを扱う。
実数範囲での関数はx, yともに一次元の実数軸を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには二次元の座標平面で十分であった。しかし、複素数範囲での関数はx, yともに二次元の複素数平面を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには四次元の座標空間が必要であり、三次元空間に住む我々には描画することができない。そのため、複素関数論では関数のグラフを考えることは基本的にない。(ただし、出力された複素数の絶対値を考えることによって三次元グラフに落とし込むことは可能)
では何を考えるのかというと、複素関数の微分積分である。複素関数の微分に関連して「正則関数」という用語が出てくるが、複素関数論はこの正則関数というものの性質を調べる学問だと言って良い。
複素関数論は物理学の特に波動に関する分野(音・電磁気など)において活躍している。「波動方程式」や「インピーダンス」という言葉は有名だろう。
ちなみに、複素数をさらに拡張した数として「[[w:四元数]]」というものがある。この四元数は[[高等学校数学C/ベクトル|ベクトル]]や[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫#行列を用いた表現とその演算|行列]]と深い関わりが存在しており、深掘ると面白いのだが、いささか冗長になるため割愛する。なお、四元数をさらに拡張した八元数や十六元数という数も研究されている。
== 演習問題 ==
{{DEFAULTSORT:こうとうかつこうすうかくII しきとしようめい}}
[[Category:高等学校数学II|しきとしようめい]]
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304368
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~2026-53917-34
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/* 3次の乗法公式 */
304369
wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|高等学校数学II|pagename=式と証明・高次方程式|frame=1|small=1}}
本項は[[高等学校数学II]]の式と証明・高次方程式の解説である。
== 式と証明 ==
=== 3次の乗法公式 ===
<math>(a+b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)^3 &=& (a + b)(a + b)^2 \\
&=& (a + b)(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& a(a^2 + 2ab + b^2) + b(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& (a^3 + 2a^2b + ab^2) + (a^2b + 2ab^2 + b^3) \\
&=& a^3 + (2a^2b + a^2b) + (ab^2 + 2ab^2) + b^3 \\
&=& a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a - b)^3 &= \{ a + (-b) \}^3 \\
&= a^3 + 3a^2(-b) + 3a(-b)^2 + (-b)^3 \\
&= a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3
\end{matrix}</math>
<math>(a+b)(a^2 - ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)(a^2 - ab + b^2) &=& a(a^2 - ab + b^2) + b(a^2 - ab + b^2) \\
&=& a^3 - a^2b + ab^2 + a^2b - ab^2 + b^3 \\
&=& a^3 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)(a^2 + ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a-b)(a^2 + ab + b^2) &=& \{a + (-b) \}\{a^2 - a(-b) + (-b)^2 \} \\
&=& a^3 + (-b)^3 \\
&=& a^3 - b^3
\end{matrix}</math>
{| style="border: 2px solid gold; width: 80%;" cellspacing=0
| style="background: gold;"| '''3次の乗法公式'''
|-
| style="padding: 5px;" |
* <math>(a + b)^3 = a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3</math>
* <math>(a - b)^3 = a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 - ab + b^2) = a^3 + b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 + ab + b^2) = a^3 - b^3</math>
|}
=== 三次式の因数分解 ===
三次式の展開公式より、
* <math>a^3+b^3=(a+b)(a^2-ab+b^2)</math>
* <math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>
* <math>a^3 + b^3 + c^3 - 3abc = (a + b + c)(a^2 + b^2 + c^2 - ab - bc - ca)</math>
(参考)
* <math>a^n - b^n = (a - b)(a^{n - 1} + a^{n - 2}b + a^{n - 3}b^2 + \cdots + a^2b^{n - 3} + ab^{n - 2} + b^{n - 1})</math>
=== 二項定理 ===
{{Advanced|初等整数論/パスカルの三角形#二項定理}}
<math>(a+b)^5 = (a+b)(a+b)(a+b)(a+b)(a+b)</math> について考えよう。この式を展開するとき、<math>a^2b^3</math> の係数は、右辺の5個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を2回取る[[高等学校数学A/場合の数と確率#組合わせ|組合せ]]に等しいから <math>{}_5 \! \mathrm{C}_2 = 10</math> である。
この考えを拡張して
:<math>(a+b)^n = \underbrace{(a+b)(a+b)(a+b)\cdots(a+b)}_n</math>
を展開する。<math>a^rb^{n-r}</math>の項の係数は、右辺の <math>n</math> 個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を <math>r</math> 回取る組合せに等しいから <math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math> である。
よって、次の式が得られる:
:<math>\begin{align}(a+b)^n &= {}_n \! \mathrm{C}_0 a^n + {}_n \! \mathrm{C}_1 a^{n-1}b + {}_n \! \mathrm{C}_2 a^{n-2}b^2 + \cdots \\
&+ {}_n \! \mathrm{C}_r a^{n-r}b^r + \cdots + {}_n \! \mathrm{C}_n b^n \\
&= \sum _{r = 0}^n {}_n \! \mathrm{C}_r a^r b^{n-r}. \\ \end{align}</math>
最後の<math>\sum</math>は[[高等学校数学B/数列|数Bの数列]]で学ぶ総和記号である。
この関係を '''二項定理'''(binomial theorem) 、それぞれの項に掛かる係数<math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math>を'''二項係数'''(binomial coefficient) と呼ぶ。二項係数は<math>\begin{pmatrix} n \\ r \end{pmatrix}</math>とも書く。
*例題
(I)
:<math>(x+1) ^4</math>
(II)
:<math>(a + 3) ^ 5</math>
(II)
:<math>(a + b) ^ 5</math>
をそれぞれ計算せよ。
*解答
二項定理を用いて計算すればよい。実際に計算を行なうと、<br>
(I)
:<math>x^4+4\,x^3+6\,x^2+4\,x+1</math>
(II)
:<math>a^5+15\,a^4+90\,a^3+270\,a^2+405\,a+243</math>
(III)
:<math>b^5+5\,a\,b^4+10\,a^2\,b^3+10\,a^3\,b^2+5\,a^4\,b+a^5</math>
となる。
*例題
全ての自然数nに対して<br>
(I)
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(II)
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n 2^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(III)
:<math>0 = \sum_{k=0}^n (-1)^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
が成り立つことを示せ。
* 解答
二項定理
:<math>(a+b)^n = \sum_{k = 0}^n {}_n \! \mathrm{C} _k a^k b^{n-k}</math>
についてa,bに適当な値を代入すればよい。<br>
(I)
<math>a=1, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(II)
<math>a=2, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+2)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(III)
<math>a=1,b=-1</math>を代入すると
:<math>(1-1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k (-1)^k</math>
:<math>0 = \sum_{k=0}^n {}_n \! \operatorname{C}_k (-1)^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。
==== 多項定理 ====
二項定理を拡張して <math>(a+b+c)^n</math> を展開することを考えよう。<math>a^pb^qc^r</math> <math>(p+q+r = n)</math> の項の係数は <math>n</math> 個の <math>(a+b+c)</math> から <math>p</math> 個の <math>a</math>、<math>q</math> 個の <math>b</math> 、 <math>r</math> 個の <math>c</math> を選ぶ組合せに等しいから <math>\frac{n!}{p!q!r!}</math> である。
一般には[[高等学校数学A/場合の数と確率#同じものを含む順列|同じものを含む順列]]と一致する。
=== 整式の除法、分数式 ===
ここでは、整式の除法と分数式について扱う。整式の除法は、整式を整数のように扱い除法を行なう計算手法のことである。実際に整数の除法と整式の除法には深い繫がりがある。整式の因数分解を考えるとそれ以上因数分解できない整式が存在する。この整式を整数でいう素因数のように扱うことで整式の素因数分解が可能になる。
上では、整式が整数に対応する性質を持つことを述べた。整数については[[高等学校数学A/数学と人間の活動#最小公倍数・最大公約数|互いに素]]な2つの整数を取ることで有理数を定義することが出来る。整式に対しても同じ事が成立し、そのような式を分数式と呼ぶ。
==== 整式の除法 ====
分数を用いないときには、整数の除法は商と余りを用いて定義された。この時、割られる数Bは商Dと割る数A、余りRを用いて
:<math>B = AD + R</math>
と表される。
整式に対しても同様に、割られる式<math>B(x)</math>が割る式<math>A(x)</math>を用いて
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と書かれるとき、<math>D(x)</math>を商、<math>R(x)</math>を余りという。
この時、整数の除法の性質<math>R<A</math>に対応して、<math>R(x)</math>の次数<math><A(x)</math>の次数が成立する。具体例として、<math>x+1 \div x</math>を考える。割る式の次数が1であることから余りの次数は0なので余りは定数である。また、商の次数が1以上であると
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と右辺にxの2次以上の項が現われ左辺と一致しなくなる。よって商は定数である。商をa、余りをrとすると上の式は、
:<math>x+1 = ax + r</math>
となるが、これは<math>a=r=1</math>で成立する。よって商1,余り1である。
より高次の式に対しても同様である。
例として、
:<math>x^3 \div (x^2 -1)</math>
を考える。
この場合、
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
で、<math>B(x)</math>が3次式、<math>A(x)</math>が2次式であることから、<math>D(x)</math>は1次式であり、また、<math>R(x)</math>は2次より小さいことから1次以下の式になる。ここで、<math>D(x)=ax+b,R(x)=cx+d</math>とおくと、
:<math>x^3 = (x^2-1) (ax+b) + (cx +d)</math>
が得られる。右辺を展開すると
:<math>x^3 = ax^3 + b x^2 + (-a +c )x + (-b +d)</math>
が得られるが、[[#恒等式|xにどんな値を入れてもこの等式が成り立たなければならない]]ので、<math>\begin{cases} a = 1 \\ b = 0 \\ -a +c = 0 \\ -b +d = 0 \end{cases}</math>が得られ、結局<math>a=c=1, b=d=0</math>が得られる。
<!--
<math>
x^3 \div (x^2 -1)
</math>
のような式を考える。
この式について、
<math>
x^3 = x(x^2 - 1) +x
</math>
と書くことが出来るが、これは <math>x^3</math> を <math>x^2-1</math> で割った結果、
商<math>x</math> ,余り <math>x</math> がでたものと解釈できる。
このように、整式どうしで割り算をすることが出来る。
このとき、割る式は割られる式より低次か同じ次数でなくてはならない。
また、余りは必ず割る式よりも低次の式になる。
-->
この方法はどの除法に対しても用いることが出来るが、次数が高くなると計算が難しくなる。整数の場合と同様、整式の除法でも筆算を用いることが出来る。上の例を用いて結果だけを書くと、
*図
のようになる。)右に書かれた式が割られる式であり、)左に書かれた式が割る式である。--の一番上に書かれた式は商であり、整数の割り算同様左に書かれた数から順に割っていく。ここでは次数が大きい項がより先に計算される項である。割られる式の下にある式は商の第1項を割る式にかけて得る式である。ここでは、<math>x(x^2-1)</math>で、<math>x^3-x</math>となる。ただし、整数の除法と同様、位をそろえなくてはならない。その後、割られる式から<math>x^3-x</math>を引き、残った式を新しい割られる式として扱う。ここでは、得た式が割る式よりも低次であることから、これで計算は終了である。
例題
:<math>x^3 + 2x ^2 +1</math>、<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2</math>をそれぞれ<math>x^2 +2x +6</math>で割った商と余りを求めよ。
<!--
更に、
(I)
:<math>
(x ^4 + 2x^3 - 5x^2 +6x -1) \div (x^2 -5x -1 )
</math>
(II)
:<math>
(3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 -3x -4 )
</math>
(III)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 +7x -4 )
</math>
(IV)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^3 +4x^2 +7x -4 )
</math>
を計算せよ。
問題が多いので、とりあえずコメントアウト。
-->
** 解答
この計算はアニメーションを使って詳しく表示されている。計算には整数の場合の筆算と同じような手法が使える。
[[画像:Fract.gif|frame|right|計算のアニメーション]]
:<math>x^3 + 2x ^2 +1=(x^2 +2x +6) x +(1-6x)</math>
が得られるので、
:商<math>x</math>、余り<math>-6x +1</math>である。
2つ目の式については
:<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2=(x^2 - 2x+2)* (x^2 +2x +6)+ 11x -10</math>
が得られるので、
:商<math>x^2 - 2x+2</math>、余り<math>11x -10</math>である。
<!--
更に、残りの計算結果は、
(I)
:<math>
\left[ x^2+7\,x+31,168\,x+30 \right]
</math>
(II)
:<math>
\left[ 3\,x^2+2\,x+19,67\,x+75 \right]
</math>
(III)
:<math>
\left[ 2\,x^3-11\,x^2+78\,x-589,4437\,x-2357 \right]
</math>
(IV)
:<math>
\left[ 2\,x^2-5\,x-1,48\,x^2-11\,x-5 \right]
</math>
が得られる。
ただし、左が商、右が余りとなっている。
-->
==== 分数式 ====
ここまでで整式を整数のように扱い、整式の除法を行なう方法について述べた。ここでは、整式に対して分数式を定義する方法について述べる。分数式とは、整数に対する分数のように除法によって生じる式である。ここで、除法を行なう式はどのようなものでも差し支えない。分数式では、分子に割られる式を書き、分母に割る式を書く。例えば、
:<math>\frac {x+1}{x^2+4}</math>
は、分子x+1、分母<math>x^2+4</math>の分数式である。分数式の分母を分母式、分子を分子式という。分数式に対しても約分や通分が存在する。約分は分子式・分母式に共通因数を持った分数式で用いられる。この時には分子分母を共通因数で割り、式を簡単にすることが出来る。通分は分数式の加法の時によく用いられるが、分母分子に同じ整式を掛けても分数式が変化しない性質を用いる。
*例題
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
を簡単にせよ。また、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算せよ。
*解答
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
について分子と分母を因数分解すると、双方共に
:<math>x-1</math>
を因数として含んでいることが分かる。このとき、共通因数は約分され、
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
:<math>= \frac{(x-1)(x+1)}{(x-1)(x^2+x+1)}</math>
:<math>= \frac{x+1} { x^2+x+1}</math>
となる。
次の問題では、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算する。このとき両辺の分母を揃える必要があるが、今回については単純にそれぞれの分数式の分子と分母に各々の分母をかけて分母を統一すればよい。計算すると、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}+\frac{(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)+(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac {3x^3 +10x^2 + 17 x + 16}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
となる。
分数式の乗法は、分子分母を別々に掛ければよい。
*例題
次の計算をせよ。
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
* 解答
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)} {(x-y)^2} \times \frac {x-y} {x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)(x-y)} {(x-y)^2\ x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {1} {x}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
:<math>= \frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \times \frac {x^2 - x - 6} {x^2 - 3x - 4}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)} {(x-3)^2} \times \frac {(x+2)(x-3)} {(x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)(x+2)(x-3)} {(x-3)^2\ (x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+3)(x+2)} {(x-3)(x-4)}</math>
===== 部分分数分解 =====
分母が積の形である分数式を二つの分数式の和や差で表された式に変形する操作を'''部分分数分解'''という。
*問題例
<Math> \frac{1}{x (x+1)} </Math>と<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)}</Math>を分数式の和または差の形で表せ。
*解答
:<Math>\frac{1}{x(x+1)} = \frac{(x+1)-x}{x(x+1)}</Math>
と変形できるので
:<Math>\frac{x+1}{x(x+1)} - \frac{x}{x(x+1)}</Math>
となり、約分すると
:<Math>\frac{1}{x} - \frac{1}{x+1}</Math>
となる。
次の問題では、
:<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)} = \frac{1}{(x+3) - (x+1)} \cdot \frac{(x+3) - (x+1)}{(x+1)(x+3)}</Math>
と変形することによって
:<Math>\frac{1}{2} \{ \frac{x+3}{(x+1)(x+3)} - \frac{x+1}{(x+1)(x+3)} \}</Math>
となり、
:<Math>\frac{1}{2} (\frac{1}{x+1} - \frac{1}{x+3}) </Math>
と求まる。
部分分数分解の操作を逆に辿ると、分数式の通分の操作と一致する。
つまり、'''部分分数分解は通分の逆の操作'''である。
分子が定数の場合には、上と同様の方法で部分分数分解することができる。
*問題
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3}{(x-9)(x-4)}</Math>
**#<Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
*解答
1. <Math>\frac{3}{(x-9) (x-4)} </Math>
:<Math>= \frac{3}{(x-4) - (x-9)} \cdot \frac{(x-4) - (x-9)}{(x-9)(x-4)}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5}\{ \frac{x-4}{(x-9)(x-4)} - \frac{x-9}{(x-9)(x-4)} \}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5} ( \frac{1}{x-9} - \frac{1}{x-4} )</Math>
2. <Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1) - (2x-5)} \cdot \frac{(3x-1) - (2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{2(3x-1) - 3(2x-5)} \cdot \frac{2(3x-1) - 3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(6x-2) - (6x-15)} \{ \frac{2(3x-1)}{(3x-1)(2x-5)} - \frac{3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} \}</Math>
:<Math>= - \frac{7}{13} (\frac{2}{2x-5} - \frac{3}{3x-1})</Math>
:<Math>= \frac{7}{13} (\frac{3}{3x-1} - \frac{2}{2x-5})</Math>
部分分数分解は数列の和の計算、積分計算、微分を利用した不等式の証明等に役立つ、重要な変形である。
=== 式の証明 ===
==== 恒等式 ====
等式 <math>(a+b)^2=a^2+2ab+b^2</math>は、文字<math>a,b</math>にどのような値を代入しても成り立つ。このような等式を'''{{ruby|恒等|こうとう}}式'''という。
等式<math>\frac {1}{x-1} + \frac {1}{x+1} = \frac {2x}{x^2-1}</math>は両辺とも<math>x=1,-1</math>を代入できないが、その他の値であればどのような値であっても代入できる且つ等式が成り立っている。これも恒等式と呼ぶ。
一方、<math>x^2 - x - 2 = 0</math> は、
<math>x=2, -1</math>を代入したときだけ成り立つ。このように、特定の値を代入したときにだけ成り立つ式のことを'''方程式'''と呼び、恒等式とは区別する。
等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式であるのはどのような場合か、考えてみよう。
ある式が「 <math>x</math> についての恒等式である」とは、この式の<math>x</math> にどのような値を代入しても、この等式は成り立つという意味である。なので、例えば <math>x</math> に<math>-1\ ,\ 0\ ,\ 1</math> を代入した式
:<math>a-b+c=0</math>
:<math>c=0</math>
:<math>a+b+c=0</math>
はすべて成り立つ必要がある。これを解くと
:<math>a=b=c=0</math>
なので、等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式になるならば、<math>a=b=c=0</math>でなければならないことがわかる。
一般に、等式 <math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が恒等式であることと、<math>(a-a')x^2+(b-b')x+(c-c')=0</math> が恒等式であることは同値である。<br>
よって
:<math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が<math>x</math>についての恒等式 <math>\iff</math> <math>a=a' \land b=b'\land c=c'</math>
纏めると次のようになる。
{| style="border:2px solid yellow;width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''恒等式の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>P\ ,\ Q</math> を <math>x</math> についての多項式または単項式とする。
::<math>P=0</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>の各項の係数はすべて<math>0</math>である。
::<math>P=Q</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>と <math>Q</math> の次数は等しく、両辺の同じ次数の項の係数はそれぞれ等しい。
|}
一般に、ある式が恒等式であるための必要十分条件を'''恒等条件'''という。
*例題
次の等式が <math>x</math> についての恒等式となるように、<math>a\ ,\ b\ ,\ c</math> の値を求めよ。
:<math>x^2-3=a(x-1)^2+b(x-1)+c</math>
*
等式の右辺を <math>x</math> について整理すると
:<math>a(x-1)^2+b(x-1)+c=ax^2-2ax+a+bx-b+c=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
:<math>x^2-3=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
この等式が <math>x</math> についての恒等式となるのは、両辺の同じ次数の項の係数が等しいときである。よって
:<math>a=1</math>
:<math>-2a+b=0</math>
:<math>a-b+c=-3</math>
これを解くと
:<math>a=1\ ,\ b=2\ ,\ c=-2</math>
; '''複雑な部分分数分解'''(発展)
恒等式を利用することで、複雑な分数式の部分分数分解ができる。
*問題例
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3x-5}{(x+2)(2x-1)}</Math>
**#<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)}</Math>
*解答
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{a}{2x-1} + \frac{b}{x+3}</Math>
と置く。
分母を払って
:<Math>3x-5 = a(x+3) + b(2x-1)</Math>
すなわち
:<Math>3x-5 =(a+2b)x + (3a-b) </Math>
これが<Math>x</Math>の恒等式なので、係数を比較して
:<Math>a+2b=3</Math>かつ<Math>3b-a=-5</Math>
すなわち
:<Math>a=-1, b=2</Math>
最初の等式に代入して、
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{-1}{2x-1} + \frac{2}{x+3}</Math>
:<Math>= \frac{2}{x+3} - \frac{1}{2x-1}</Math>
次の問題は、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = \frac{a}{x-1} + \frac{b}{(x-1)^2} + \frac{c}{x-2}</Math>
とおくことにより、上の問題と同様にして
:<Math>a=-1, b=-1, c=1</Math>
と求まるので、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2} + \frac{1}{x-2}</Math>
:<Math>= \frac{1}{x-2} - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2}</Math>
'''恒等式を利用した部分分数分解'''
求めたい数字を<Math>a,b,c</Math>とおく。
1. <Math>\frac{px+q}{(x+m)(x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{x+n}</Math>
2. <Math>\frac{px+q}{(x+m)^2} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2}</Math>
3. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)^2 (x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2 } + \frac{c}{x+n}</Math>
4. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)(x^2 + nx + l)} = \frac{a}{x+m} + \frac{bx+c}{x^2 + nx + l}</Math>
このようにおいた式を<Math>x</Math>の恒等式と見ることによって、<Math>a,b,c</Math>を求められ、部分分数分解ができる。
その他の場合についても、因数分解や代入を利用することで分解できる場合がある。
*問題
<math>\frac{1}{(s^2-4)(s^2+2x-3)}</math>を部分分数分解せよ。
; '''2つの文字についての恒等式'''(発展)
*例
a~fを定数とする。
<Math>ax^2+by^2+cxy+dx+ey+f=0</Math>がx, yについての恒等式だとする。
左辺をxについて整理すると、<Math>ax^2+(cy+d)x+(by^2+ey+f)=0</Math>である。
これがxについての恒等式なので、<Math>a=0, cy+d=0, by^2+ey+f=0</Math>が成り立つ。
これらは更にyについての恒等式なので、以下の等式が得られる。
:<Math>a=b=c=d=e=f=0</Math>
逆に、これが成り立てば元の式は明らかにx, yについての恒等式である
**問題
<Math>x^2+axy+6y^2-x+5y+b = (x-2y+c)(x-3y+d)</Math>がx,yについての恒等式となるようにa,b,c,dを定めよ。
==== 等式の証明 ====
先程紹介した「恒等式」という言葉を使って「証明」の意味を説明するなら、「等式を証明する」とは、その式が恒等式であることを示すことである。
一般に、等式 A=B を証明するためには、次のような手順のいずれかを実行すればよい。
:(1) Aを式変形してBを導くか、または Bを変形してAを導く。
:(2) A,Bをそれぞれ変形して、同じ式Cを導く。
:(3) A-B=0 を示す。
このとき、変形は'''同値変形でなければならない'''ことに注意。
* 例題
:<math>(a+b)^2-(a-b)^2 = 4ab</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を展開すると
:(<math>(a^2+2ab+b^2)-(a^2-2ab+b^2) = a^2+2ab+b^2 - a^2+2ab-b^2=4ab</math>
となり、これは右辺に等しい。(終)
* 例題
:<math>(x+y)^2+(x-y)^2 = 2(x^2+y^2)</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を計算すると、
:<math> (x^2+2xy+y^2)+(x^2-2xy+y^2) = x^2+2xy+y^2 + x^2-2xy+y^2 = 2x^2+2y^2 =2(x^2+y^2) </math>
これは右辺に等しい。(終)
*例題
次の等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
*解答
(I)
:<math>\mathrm{lhs}
= (36 a^2 + 84 a b + 49 b^2) + (49 a^2 - 84 a b + 36 a^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
:<math>\mathrm{rhs}= (81 a^2 + 36 a b + 4 b^2) + (4 a^2 - 36 a b + 81 b^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
両辺とも同じ式になるから
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
恒等式でないときも、与えられた条件から等式を証明することができる。
*例題
<Math>a+b+c=0</Math>のとき、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>であることを証明せよ。また、<Math>a:b=c:d</Math>のとき、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>を証明せよ。
*解答
:<Math>a+b+c=0 \iff c=-(a+b)</Math>
より、
:<Math>a^3+b^3+c^3-3abc = a^3+b^3-(a+b)^3+3ab(a+b)</Math>
:<Math>= a^3+b^3-(a^3+3a^2b+3ab^2+b^3)+3a^2b+3ab^2</Math>
:<Math>=0</Math>
よって、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>である。
また、
:<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>
より、上式の右辺をkとおくと、
:<Math>a=bk, c=dk</Math>
なので、
:<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{bk+dk}{b+d} = \frac{k(b+d)}{b+d} = k</Math>
:<Math>\frac{a-c}{b-d} = \frac{bk-dk}{b-d} = \frac{k(b-d)}{b-d} = k</Math>
よって、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>である。
なお、比<Math>a:b</Math>について<Math>\frac{a}{b}</Math>を'''比の値'''という。また、<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>を'''比例式'''という。
<Math>\frac{a}{x} = \frac{b}{y} = \frac{c}{z}</Math>が成り立つとき、<Math>a:b:c=x:y:z</Math>と表す。これを'''連比'''という。
*問題
**<Math>a:b:c=1:2:3</Math>のとき、<Math>a+b+c=24</Math>を満たす<Math>a,b,c</Math>を求めよ。
==== 不等式の証明 ====
不等式の様々な公式については、次の4つの式を基本的な式として導出できる場合がよくある。
高校数学では、次の4つの性質が 不等式の「基本性質」などとして紹介されている。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''不等式の基本性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:(1) <math> a>b \land b>c \implies a>c </math>
:(2) <math> a>b \implies a \pm c>b \pm c</math>
:(3) <math> a>b \land c>0 \implies ac>bc \land \frac{a}{c} > \frac{b}{c} </math>
:(4) <math> a>b \land c<0 \implies ac<bc \land \frac{a}{c} < \frac{b}{c} </math>
|}
(3)と(4)については、一つの性質として 纏める文献もある。
上述の4つの基本性質から、
:<math>a>0, b>0 \implies a+b > 0</math>
を証明してみよう。
*証明
まず <math>a>0</math> なので、基本性質(2)より
:<math>a+b > b</math>
である。
よって
:<math> a+b>b \land b>0 </math>
なので、基本性質(1)より<math> a+b>0 </math>
が成り立つ。(終)
同様にして、
:<math>a<0, b<0 \implies a+b < 0</math>
を証明できる。
ここまでに示したことから、不等式 <math> A \geqq B </math> を証明したい場合には、
: <math> A-B \geqq 0 </math>
を証明すればよいことがわかった。こちらの方が証明しやすい場合がよくある。
不等式を証明する際に根拠とする基本的な不等式として、次の性質がある。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2 \geqq 0</math>
等号成立は、 <math>a = 0</math> の場合だけである。
|}
この定理(「全ての実数についてその2乗は非負」)を、基本性質(3),(4)を使って証明してみよう。
'''(証明)'''
aが正の場合と負の場合と0の場合の3通りに場合わけする。
'''<nowiki>[aが正の場合]</nowiki>''' <br>
このとき、基本性質(3)より、
:<math> aa>0a </math>
である。すなわち、
:<math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aが負の場合]</nowiki>'''<br>
このとき、基本性質(4)より
<math>0a < aa </math>
である。すなわち、
: <math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aがゼロの場合]</nowiki>''' <br>
このとき、
<math>a^2=0</math>
である。
よって、すべての場合について<math>a^2 \geqq 0</math>
(終)
このことと基本性質(1)(2)より、次が成り立つこともわかる。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗同士の和の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
任意の実数a,b について、<math>a^2 \geqq 0</math>, <math>b^2 \geqq 0</math>より
:<math>a^2+b^2 \geqq 0</math>
が成り立つ。
等号成立条件は<math>a^2 = b^2 = 0</math>、つまり<math>a=b=0</math> の場合だけである。
|}
* 例題
次の不等式が成り立つことを証明せよ。
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
*解答
:<math>(x^2 + 10 y^2) -(6 x y) \geqq 0</math>
を証明すればよい。
左辺を展開して纏めると
:<math>(x^2 + 10 y^2) - 6xy = x^2 - 6 x y + 9 y^2 + y^2 = (x - 3 y)^2 + y^2</math>
となる。
上式の最後の式の項について、
:<math>(x - 3 y)^2 \geqq 0 , \quad y^2 \geqq 0</math>
より
:<math>(x - 3 y)^2 + y^2 \geqq 0</math>
である。よって
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
(終)
===== 根号を含む不等式 =====
2つの正の数 a, b がa≧b ならば、両辺を2乗しても大小関係は同じままである。
つまり、
: <math> a>0 </math>, <math> b>0 </math> のとき
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
これを証明するには、<math> a^2 - b^2 </math> を調べればよい。
:<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) </math>
である。
a>bとする。仮定より、a,b は正の数なので、<math> (a+b)>0 </math> であり、別の仮定より、 a > b なので、<math> (a-b)>0 </math> でもある。よって、<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) >0 </math>
逆に、<math>a^2-b^2>0</math>のとき、<math>(a+b)(a-b)>0</math>であり、<math>a>0,b>0</math>なので<math>a+b>0</math>である。よって、<math>a-b>0</math>なので、<math>a>b</math>である。
よって、<math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math> である。
<math>a=b</math>の場合は明らかに<math>a^2=b^2</math>なので、全ての場合について<math>a \geqq b (> 0) \iff a^2 \geqq b^2</math>が確かめられた。
----
*例題
<math> a>0, b>0 </math> のとき、次の不等式を証明せよ。
::<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
*解答
不等式の両辺は正であるので、両辺の平方の差を考えればよい。両辺の平方の差は
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 = a + 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + b - (a+b) 2 \sqrt{ab} </math>
である。ここで、a,b はともに正の実数なので、
::<math> \sqrt{a} \sqrt{b} = \sqrt{ab} </math>
であることを用いた。
:<math> \sqrt{ab} > 0</math>
であるので、
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 > 0 </math>
となる。よって、
:<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
である。(終)
===== 絶対値を含む不等式 =====
実数 <math>a</math> の絶対値 <math>|a|</math> について、
: <math>a \geqq 0 \implies |a|=a</math>
: <math>a<0 \implies |a|= -a</math>
であるから、次のことが成り立つ。
:<math>|a|^2=a^2</math>
また、2つの実数 a, b の絶対値 |ab| については、
: <math>|ab|^2= (ab)^2= a^2 b^2 = |a|^2 |b|^2 = (|a| |b|)^2</math>
が成り立つので、これにさらに <math>|ab|\geqq0 ,|a||b|\geqq0 </math>を組み合わせて、
:<math>|ab| = |a| |b| </math>
が成り立つ。
*例題
次の不等式を証明せよ。また、等号成立条件を 調べよ。
::<math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math>
*解答
両辺の平方の差を考えると、
:<math>(|a|+|b|)^2 - |a+b|^2 = |a|^2 + 2|a| |b| + |b|^2 -(a^2 + 2ab + b^2 )</math>
:<math>= a^2 + 2|a| |b| + b^2 -a^2 - 2ab - b^2</math>
:<math>= 2|a| |b| - 2ab</math>
:<math>= 2 ( |a| |b| - ab )</math>
これがもし正なら、与えられた不等式 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> が正しい。
ここで、 <math>|a| |b| \geqq ab</math> であるので、
:<math> ( |a| |b| - ab ) \geqq 0</math>
である。
したがって、 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> である。
等号が成り立つのは <math>|a| |b| = ab</math> の場合、すなわち <math>ab \geqq 0</math> の場合である。
(終)
{{コラム|三角不等式|
なお
:<math>|a|-|b| \leqq |a+b| \leqq |a|+|b| </math>
の関係式のことを「三角不等式」という。
}}
==== 相加平均・相乗平均 ====
2つの数<math>a</math>,<math>b</math>に対し、<math>\frac{a+b}{2}</math>を'''{{ruby|相加|そうか}}平均'''、<math>\sqrt{ab}</math>を'''{{ruby|相乗|そうじょう}}平均'''という。
{{コラム|相乗平均の例と3つ以上のものの平均|
平均は、3つ以上のものにも定義される。3つ以上のn個のものの相加平均は <math>\frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n}</math> で定義される。
:平均を考える際、つい相加平均ばかりを考えがちだが、以下のような状況では相乗平均の方が適切である。
::「ある企業では、2015年度の売上を基準にすると、2016年度では前年(2015年)の1.5倍の売上になりました。2017年度では、前年(2016年)の2倍の売上になりました。平均として、一年ごとに何倍の売り上げになっていったでしょうか? 」
:(答)<math>\sqrt{1.5 \times 2} = \sqrt{3} \fallingdotseq 1.73</math> より、約 1.73倍。
:また、この応用例は、項が3つ以上の場合の相乗平均の定義の仕方も、示唆している。もし読者が[[高等学校数学II/指数関数・対数関数|指数関数]]を知っているなら、項が3つ(ここでは a, b, c とする)の場合の相乗平均は、
::(3つの項の相乗平均)=<math> (abc)^{ \frac{1}{3} } </math>
:になる。
}}
本ページでは、2個の数の平均について考察する。
相加平均と相乗平均について、次の関係式が成り立つ。
{| style="border:2px solid yellow;width:80%" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''相加平均と相乗平均'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a \geqq 0</math> ,<math>b \geqq 0</math>のとき、<br>
<center><math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math></center><br>
等号が成り立つのは、<math>a = b</math>のときである。
|}
*証明
<math>a \geqq 0 , b \geqq 0</math>のとき
:<math>\frac{a+b}{2} - \sqrt{ab} = \frac{a+b-2 \sqrt{ab}}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} \right) ^2 - 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + \left( \sqrt{b} \right) ^2}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2}</math>
<math> \left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 \geqq 0</math>であるから、<math> \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2} \geqq 0</math><br>
従って <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math><br>
等号が成り立つのは、<math>\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 = 0 </math> のとき、すなわち <math>a = b</math> のときである。(終)
公式の利用では、上の式 <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math> の両辺に2を掛けた <math>a+b \geqq 2 \sqrt{ab}</math> の形の式を使う場合もある。
* 例題
<math>a>0</math> ,<math>b>0</math>のとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
**解答
(I)<math>a>0</math>であるから、<math>\frac{1}{a} >0</math><br>
よって <math>a + \frac{1}{a} \geqq 2 \sqrt{a \times \frac{1}{a}} = 2</math><br>
したがって
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) = 1+ \frac{a}{b} + \frac{b}{a} +1 = \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2
</math>
<math>a>0</math>,<math>b>0</math>であるから、<math>\frac{b}{a} >0</math>,<math>\frac{a}{b} >0</math><br>
よって <math> \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2 \geqq 2 \sqrt{\frac{b}{a} \times \frac{a}{b}} + 2 = 2+2 =4</math><br>
したがって
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
{{コラム|3つ以上の相乗平均と調和平均|
もし読者が指数関数などを知っていれば、
n個のものの相乗平均は、
::<math>\sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n }</math>
と書ける。
数学的な「平均」には、相加平均と相乗平均のほかにも'''調和平均'''がある。
調和平均は、電気回路の並列計算で使われる考え方である。
n個のものの調和平均は、
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} }</math>
で定義される。
一般に数学的には、調和平均、相乗平均、相加平均のあいだに次のような大小関係
:(調和平均) ≦ (相乗平均) ≦ (相加平均)
という関係が成り立つことが証明されている。
すなわち、数式で書けば
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} } \leqq \sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n } \leqq \frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n} </math>
の関係式である。
簡潔に書くと、
::<Math>\frac{ n}{ \sum_{k=1}^{n} \dfrac{1}{a_k}} \leqq (\prod_{k=1}^{n}a_k)^{\frac{1}{n}} \leqq \frac{\sum_{k=1}^{n} a_n}{n}</Math>
となる。
}}
{{コラム|相加・相乗・調和平均の図示|
線分ABを直径に持つ円の中心をOとする。線分ABの適当な位置に点Pをとり、<math>\overline{AP} = a, \overline{PB} = b</math>とおく。
:Oから線分ABに垂直な線分を引き、円との交点をQとおく。このとき、線分OQはこの円の半径なので、<math>\overline{OQ} = \frac{1}{2} \overline{AB} = \frac{a+b}{2}</math>が成り立つ。
:Pから線分ABに垂直な直線を両側に引き、円との交点をそれぞれR, Sとおく(RはQ側の交点とする)。このとき<math>\overline{OR} = \overline{OS}</math>であり、[[高等学校数学A/図形の性質#方冪の定理|方冪の定理]]より<math>\overline{OR} \cdot \overline{OS} = \overline{AP} \cdot \overline{PB} = ab</math>が成り立つので、<math>\overline{OR} = \sqrt{ab}</math>と求まる。<br>
:Pから線分ORに引いた垂線の足をTとする。<math>\triangle ORP</math>∽<math>\triangle PRT</math>より<math>\overline{OR} : \overline{RP} = \overline{PR} : \overline{RT}</math>すなわち<math>\frac{a+b}{2} : \sqrt{ab} = \sqrt{ab} : \overline{RT}</math>なので、<math>\overline{RT} = \frac{2ab}{a+b} = \frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}}</math>と求まる。
これらの図から、点Pをどの位置に取っても<math>\frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}} \leqq \sqrt{ab} \leqq \frac{a+b}{2}</math>が常に成り立つこと、PがOに一致する場合に等号が成立することがわかる。
なお、[[w:二乗平均平方根]]も図示することができる。
}}
一般的に使われる平均として、相加平均・相乗平均・調和平均の他に'''調整平均'''と'''移動平均'''が存在する。これらは数学B「[[高等学校数学B/数学と社会生活#調整平均|数学と社会生活]]」で扱う。
==複素数と方程式==
===複素数===
====複素数とは====
2乗して負になる数を考える。このような数は先ほどの
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2\geqq0</math>
という性質から実数ではないことがわかる。そこで、二乗すると負になる数を新たに導入し、数の世界を広げることを考える。
方程式<math>x^2 = -1</math>の解を考える。この方程式の解は実数にはない。そこで、この方程式を満たす(実数ではない)数の片方を文字 <math>i</math>で表すことにする。このとき、もう片方の解は<math>-i</math>と表せる。
この <math>i</math> のことを'''虚数単位'''(imaginary unit)と呼ぶ。なお、<math>x^2=-1</math>の2つの解のどちらを<math>i</math>としてもその後の理論に差し支えない。つまり、<math>i, -i</math>は代数構造的に区別できない。
<math>1+i</math> や <math>2+5i</math> のように、虚数単位<math>i</math>と<math>a,b \in \mathbb{R}</math>を用いて
:<math>z=a+bi</math>
と表すことができる数 <math>z</math>を'''複素数'''という。このとき、<math>a</math>をこの複素数の'''実部'''、<math>b</math>を'''虚部'''といい、それぞれ<math>\mathrm{Re}(z), \mathfrak{R}(z), \quad \mathrm{Im}(z), \mathfrak{I}(z)</math>などと表す。
例えば、<math>1+i,\quad 2+5i,\quad \frac{9}{2} + \frac{7}{2} i,\quad 4i,\quad 3</math> は、いずれも複素数である。
複素数<math>a+bi</math>は<math>b=0</math>のとき実数である。すなわち、複素数は実数の拡張である。複素数全体の集合は<math>\mathbb{C}</math>と表す。
<math>4i</math>のような、実部が<math>0</math>で虚部が<math>0</math>でない複素数を'''純虚数'''と呼ぶ。純虚数の二乗は負数である。純虚数全体の集合は<math>i\mathbb{R}_{\neq0}</math>で表す(<math>\neq0</math>を省略する場合もある)。
虚数は、一般には実数ではない複素数を指す。(つまり虚数全体の集合は<math>\mathbb{C} \setminus \mathbb{R}</math>)
;参考
複素数は「二元数」の一つである。他の二元数として、[[多元数/分解型複素数|分解型複素数]]と[[多元数/二重数|二重数]]がある。二元数は正確に言うと「実数体上の二次元可換結合多元環」であり、代数の構造定理によりこの3つしか存在し得ないことが判っている。
==== 複素数の性質 ====
2つの複素数<math>a+bi, c+di</math>が等しいとは、等式<math>a+bi=c+di</math>を'''虚数単位<math>i</math>についての恒等式とみる'''ことで以下のように解釈できる。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''複素数の相等'''
|-
|style="padding:5px"|
: <math>a+bi = c+di \iff a=c \land b=d</math>
特に
: <math>a+bi = 0 \iff a=0 \land b=0</math>
|}
;共役
複素数<math>z=a+bi</math>に対して、虚部の符号を反転させた複素数<math>\bar{z} = a-bi</math>のことを'''{{ruby|共役|きょうやく}}複素数'''または'''<math>z</math>の複素共役'''と呼ぶ。なお、「共役」は「共'''軛'''」の常用漢字による代用([[w:同音の漢字による書き換え]])である。<math>z^*</math>と書くこともある。
その定義より、<math>\forall a \in \mathbb{R}, \bar{a}=a</math>である。
;四則演算
複素数にも四則演算(加減乗除)が定義される。
複素数の演算では、虚数単位<math>i</math>を通常の文字のように扱って計算する。但し、<math>i^2=-1</math>に注意。
一般に複素数<math>z=a+bi, w=c+di</math>について
:加法:<math> (a+bi)+(c+di) = (a+c) + (b+d)i </math>
:減法:<math> (a+bi)-(c+di) = (a-c) + (b-d)i </math>
:乗法:<math> (a+bi)(c+di) = (ac-bd) + (ad+bc)i </math>
:除法:<math> \frac{a+bi}{c+di} = \frac{(a+bi)(c-di)}{(c+di)(c-di)} = \frac{ac+bd}{c^2+d^2} + \frac{bc-ad}{c^2+d^2}i </math>(但し<math>c+di \ne 0</math>)
が成り立つ。
実数の場合と同様、四則演算は複素数について閉じており、分配則・結合則・交換則が成り立つ。
複素数<math>z=a+bi</math>について
:<math>\overline{\bar{z}}=z</math>('''再帰則''')
:<math>z+ \bar{z}=(a+bi)+(a-bi)=2a</math>
:<math>z-\bar{z}=(a+bi)-(a-bi)=2bi</math>
:<math>z \bar z =(a+bi)(a-bi)=a^2-abi+abi-b^2 i^2 = a^2-b^2i^2=a^2+b^2</math>
:<math>\frac{z}{\bar{z}}=\frac{a+bi}{a-bi}=\frac{a^2-b^2+2bi}{a^2+b^2}</math>(但し<math>z\neq0</math>)
が成り立つ。
よって、
:<math>\mathrm{Re}(z)=\frac{z+\bar{z}}{2}</math>
:<math>\mathrm{Im}(z)=\frac{z-\bar{z}}{2i}</math>
も成り立つ。
'''例題'''
2つの複素数
:<math>a=3+i</math>
:<math>b=4 +7i</math>
について、<math>a+b, ab, \frac{a}{b}</math> をそれぞれ計算せよ。
'''解答'''
:<math>\begin{align}a+b&=(3+i)+(4+7i)\\&=(3+4)+i(1+7)\\&=7+8i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}ab&=(3+i)(4+7i) \\&=12+21i+4i+7i^2 \\&=12+21i+4i+(-7) \\&=5+25i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}\frac{a}{b}&=\frac{3+i}{4+7i} \\&=\frac{(3+i)(4-7i)}{(4+7i)(4-7i)} \\&=\frac{12-21i+4i-(-7)}{16-28i+28i-(-49)} \\&=\frac{19-17i}{65} \\&=\frac{19}{65}-\frac{17}{65}i \end{align}</math>
==== 負の数の平方根 ====
複素数を導入することで、負の数の平方根も考えることができる。
例として、 -5 の平方根について考えてみよう。
:<math>(\sqrt{5}\ i)^2 = (\sqrt{5})^2\ i^2 = 5 \times (-1) =-5</math>
:<math>(- \sqrt{5}\ i)^2 = (-1)^2 \times (\sqrt{5})^2\ i^2 = (+1) \times 5 \times (-1) = -5</math>
であるから、 <math>-5</math> の平方根は <math> \sqrt{5}\ i </math> と <math> - \sqrt{5}\ i </math> である。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''負の数の平方根'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a>0</math>とするとき、負の数<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}\ i</math>である。
|}
<math>\pm \sqrt{-a} = \pm \sqrt{a} i</math>(複号同順)である。
さて、-5 の平方根は、方程式<math>x^2=-5</math>なので、方程式<math>x^2+5=0</math>の解ともいえる。
すなわち、二次式<math>x^2+5</math>は複素数範囲で<math>(x+\sqrt{5}i)(x-\sqrt{5}i)</math>と因数分解できる。
* 例題
(I) <math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6}</math> を計算せよ。
* 解答
(I)
:<math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6} = (\sqrt{2}i) \times (\sqrt{6}i) = \sqrt{12} i^2 = -2 \sqrt{3}</math>
注意:負数の平方根は'''必ず純虚数に直して'''計算するようにする。
直さないと、以下のような間違いが起こり得る。
:<math>\sqrt{-2}\times\sqrt{-6}=\sqrt{(-2)\times(-6)}=\sqrt{12}</math>
実は、中学校で習った「平方根の積は根号の中身の積の平方根をとったものに等しい」という性質は'''実数範囲でしか成り立たない'''。
一般に、'''実数範囲で成り立ったことが複素数範囲でそのまま成り立つとは限らない'''ことに注意が必要である。
* 問題
:(II) <math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}}</math> を計算せよ。
:(III) 二次方程式 <math>x^2+7=0</math> を解け。
* 解答
(II)
:<math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}} = \frac{\sqrt{2}}{\sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{2}\ \sqrt{3}\ i}{\sqrt{3}\ i\ \sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{6}\ i}{3\ i^2} = - \frac{\sqrt{6}}{3} \ i</math>
(III)
:<math>x^2+7=0</math>
:<math>x^2=-7</math>
:<math>x= \pm \sqrt{-7}</math>
:<math>x= \pm \sqrt{7}\ i</math>
=== 複素数と二次方程式 ===
==== 二次方程式の解と複素数 ====
複素数の応用として、ここでは二次方程式の性質について述べる。任意の二次方程式は、解の公式によって解かれることを[[高等学校数学I 方程式と不等式#二次方程式|高等学校数学I]]で述べた。しかし、解の公式に含まれる根号の中身が負の数の場合には実数解が存在しないことに注意する必要がある。二次方程式
:<math>
ax^2+bx+c = 0
</math>
の解の公式は、
:<math>
x = \frac{-b \pm \sqrt{D} }{a}
</math>
である。
但し、<math>D=b^2-4ac</math>は判別式である。
判別式の正負によって二次方程式が実数解を持つかどうかが決まる。
<math>D<0</math>のときにはこの二次方程式は実数の範囲には解を持たない。
一般に、'''<math>D<0</math>のとき二次方程式の解は2つの複素共役な虚数である'''。
* 例題
二次方程式<br>
(1)
:<math>x ^2 + 5x + 9 =0</math>
(2)
:<math>2x ^2 + 5x + 8 =0</math>
(3)
:<math>2x ^2 - 2x + 8 =0</math>
を複素数範囲で解け。
*解答
解の公式を用いて解けばよい。(1)だけを計算すると、
:<math>
x = \frac {- 5 \pm \sqrt{5^2 - 4 \times 1 \times 9}}{2}
</math>
:<math>
= \frac {-5 \pm \sqrt {11} i}{2}
</math>
となる。
他も同じように扱うことが出来る。
以降の解答は、<br>
(2)
:<math>
x = \frac {-5 \pm \sqrt {39} i}{4}
</math>
(3)
:<math>
x = \frac {1 \pm \sqrt {15} i}{2}
</math>
となる。
<!--
(
*執筆者に対する注意
計算には[[w:maxima]]を用いた。
tex(solve(
x ^2 + 5*x + 9 =0,x
));
tex(solve(
2*x ^2 + 5*x + 8 =0,x
));
tex(
solve(
2*x ^2 - 2*x + 8 =0,x
));
)
-->
方程式の解で、実数であるものを '''実数解''' という。
方程式の解で、虚数であるものを '''虚数解''' という。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''判別式と解の判別'''
|-
|style="padding:5px"|
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の判別式 <math>D=b^2-4ac</math> について
::<math>D>0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの実数解をもつ
::<math>D=0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 重解をもつ
::<math>D<0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの複素共役な虚数解をもつ
|}
また、重解も実数解であるので、
::<math>D \geqq 0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 実数解をもつ
といえる。
*例題
次の二次方程式の解を判別せよ。
(I)
:<math>x^2+3\,x-1=0</math>
(II)
:<math>2\,x^2-3\,x+2=0</math>
(III)
:<math>4\,x^2-20\,x+25=0</math>
*解答
(I)
:<math>D=3^2-4 \times 1 \times (-1) =13>0</math>
より、異なる2つの実数解をもつ。
(II)
:<math>D=(-3)^2-4 \times 2 \times 2 =-7<0</math>
より、異なる2つの虚数解をもつ。
(III)
:<math>\frac{D}{4}=(-10)^2-\times 4 \times 25 =0</math>
より、重解をもつ。
==== 二次方程式の解と係数の関係 ====
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とする。 この方程式は、
<math>a(x-\alpha)(x-\beta) = 0</math>
と変形できる。
これを展開すると、
<math>ax^2 -a(\alpha + \beta )x+a\alpha \beta = 0</math>
係数を比較して、
<math>c = a \alpha \beta, b = -a(\alpha + \beta)</math>
を得る。
これを変形すれば、<math>\alpha + \beta = -\frac{b}{a}, \alpha \beta = \frac{c}{a}</math>となる。<br>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と係数の関係'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math>とするとき、
:<math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math> ,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math>
|}
解と係数の関係は、多項式の値を[[高等学校数学I/数と式#種々の因数分解|基本対称式分解]]を用いて求める問題に応用される。
*例題
二次方程式 <math>2x^2 + 4x + 3 = 0</math>の2解の平方和を求めよ。
*解答
2解をそれぞれ<math>\alpha, \beta</math>とすると、解と係数の関係より
:<math>\alpha + \beta = - \frac{4}{2} = - 2 </math>,<math>\alpha \beta = \frac{3}{2}</math>
:<math>\therefore \alpha ^2 + \beta ^2 = (\alpha + \beta )^2 - 2 \alpha \beta = (-2)^2 - 2 \times \frac{3}{2} = 1</math>
解と係数の関係より以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''与えられた2つの数を解とする二次方程式'''
|-
|style="padding:5px"|
2数 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> を解とする二次方程式の一つは
:<math>x^2 - (\alpha + \beta ) x + \alpha \beta = 0</math>
|}
* 問題
次の2数を解とする最も簡単な二次方程式を作れ。<br>
(I)
:<math>3 + \sqrt{5} \ , 3 - \sqrt{5}</math>
(II)
:<math>2 + 3 i \ , 2 - 3 i</math>
* 解答
(I)<br>
和 <math>(3 + \sqrt{5}) + (3 - \sqrt{5}) = 6</math><br>
積 <math>(3 + \sqrt{5}) (3 - \sqrt{5}) = 4</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 6 x + 4 =0
</math>
(II)<br>
和 <math>(2 + 3 i) + (2 - 3 i) = 4</math><br>
積 <math>(2 + 3 i) (2 - 3 i) = 13</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 4 x + 13 =0
</math>
一般に、二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> がわかると二次式
:<math>ax^2 + bx + c</math>
を因数分解することができる。
解と係数の関係 <math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math>,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math> から、
:<math>ax^2 + bx + c = a \left(x^2 + \frac{b}{a}x + \frac{c}{a} \right) = a \left\{x^2 - (\alpha + \beta )x + \alpha \beta \right\} = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と因数分解'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とすると
:<math>ax^2 + bx + c = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
|}
二次方程式は複素数の範囲で考えると常に解を持つから、複素数範囲において二次式は必ず一次式の積に因数分解することができる。
*例題
次の二次式を複素数範囲で因数分解せよ。<br>
(I)
:<math>x^2 + 4 x - 1</math>
(II)
:<math>2 x^2 - 3 x + 2</math>
*解答
(I)<br>
二次方程式 <math>x^2 + 4 x - 1 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-4 \pm \sqrt{4^2-4 \times 1 \times (-1)}}{2 \times 1} = \frac{-4 \pm \sqrt{20}}{2} = \frac{-4 \pm 2 \sqrt{5}}{2} = -2 \pm \sqrt{5}</math>
よって
:<math>x^2 + 4 x - 1 = \left\{ x - (-2 + \sqrt{5}) \right\} \left\{ x - (-2 - \sqrt{5}) \right\} = (x + 2 - \sqrt{5}) (x + 2 + \sqrt{5})</math>
(II)<br>
二次方程式 <math>2 x^2 - 3 x + 2 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-(-3) \pm \sqrt{(-3)^2-4 \times 2 \times 2}}{2 \times 2} = \frac{3 \pm \sqrt{-7}}{4} = \frac{3 \pm \sqrt{7} i}{4}</math>
よって
:<math>2 x^2 - 3 x + 2 = 2 \left(x- \frac{3 + \sqrt{7}\; i}{4} \right) \left(x- \frac{3 - \sqrt{7}\; i}{4} \right)</math>
=== 高次方程式 ===
以下、三次以上の整式による方程式を考える。
一般に方程式を <math>P(x)=0</math>とする。
ただし、<math>P(x)</math>は、任意の次数の整式とする。
一般に、k次方程式<math>(x-p)^k=0</math>の解 <math>p</math>をこの方程式の'''k重解'''という。k重解は同じ値の解がk個重なっていると考える。
==== 剰余の定理 ====
<math>P(x)</math>を一次式<math>x-a</math>で割ったときの商を<math>Q(x)</math>、余りを<math>R</math>とすると、
:<math>
P(x) = (x-a)Q(x)+R
</math>
この両辺の<math>x</math>に<math>a</math>を代入すると、
:<math>
P(a) = (a-a)Q(a)+R = 0 \times Q(a) + R =R
</math>
つまり、<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは<math>P(a)</math>である。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:pink" |'''剰余の定理'''
|-
| style="padding:5px" |
整式<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは、<math>P(a)</math>に等しい。
|}
* 問題例
** 問題
整式 <math>P(x) = x^3 -2x + 3</math> を次の式で割った余りを求めよ。<br>
(I)
:<math>
x-2
</math>
(II)
:<math>
x+1
</math>
(III)
:<math>
2x-1
</math>
** 解答
(I) <math>P(2) = 2^3 - 2 \times 2 + 3 = 7</math><br>
(II) <math>P(-1) = (-1)^3 - 2 \times (-1) + 3 = 4</math><br>
(III) <math>P\left( \frac{1}{2} \right) = \left( \frac{1}{2} \right)^3 - 2 \times \left( \frac{1}{2} \right) + 3 = \frac{17}{8}</math>
===== 因数定理 =====
:<math>\exist a \in \mathbb{R}, P(a) = 0</math>
ならば、整式<math>P(x)</math> は式<math>(x-a)</math> を因数に持つことが分る。
これを'''因数定理'''と呼ぶ。
* 導出
剰余の定理より<math>P(x)</math>を<math>(x-a)</math>で割った余りは<math>P(a)</math>であるが、ここで<math>P(a)=0</math>より<math>P(x)=(x-a)Q(x)</math>と書けるので、<math>P(x)</math>は式<math>(x-a)</math>を因数に持つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''因数定理'''
|-
|style="padding:5px"|
整式<math>P(x)</math>について<br>
<center><math>P(a)=0 \Leftrightarrow </math> <math>P(x)</math>は<math>x-a</math>で割りきれる。</center>
|}
因数定理を用いることで、より次数の高い整式を因数分解することが出来るようになる。
例えば、三次の整式
:<math>x^3 - 1</math>
について、<math>x=1</math>を代入すると
:<math>x^3 - 1=0</math>
なので因数定理よりこの式は
:<math>(x-1)</math>
を因数として持つ。
ここで、整式の除法を使って計算すると
:<math>x^3 - 1 = (x-1)(x^2+x+1)</math>
を得る。
*例題
因数定理を用いて<br>
(I)
:<math>x^3-6\,x^2+11\,x-6</math>
(II)
:<math>x^3+x^2-14\,x-24</math>
<!--
(III)
:<math>
x^3+5\,x^2-34\,x-80
</math>
-->
を因数分解せよ。
* 解答<br>
(I)
因数分解の結果が(x+整数)の積の形なら、整数は6の約数でなければならない。そのため、<math>\pm 1, \pm 2,\pm 3,\pm 6</math>が候補となる。これらにつ祖ては実際に代入して確かめるしかない。x=1を代入すると、
:<math>1-6+11-6=0</math>
となるので、(x-1)が因数となる。実際に整式の除法を行なうと、商として<math>x^2-5x+6</math>が得られるが、これは<math>(x-2)(x-3)</math>に因数分解できる。よって答えは、
:<math>\left(x-3\right)\,\left(x-2\right)\,\left(x-1\right)</math>
となる。<br>
(II)
ここでも地道に24の因数を当てはめていくしかない。24の因数は数が多いのでかなりの計算が必要となる。ここでは、-2を代入すると、
:<math>-8 +4 -14 \cdot (-2) -24 = 0</math>
となり、(x+2)が因数だとわかる。除法を行なうと、<math>x^2 -x -12</math>が得られるが、(x-4)(x+3)に因数分解できる。答えは、
:<math>\left(x-4\right)\,\left(x+2\right)\,\left(x+3\right)</math>
となる。
==== 高次方程式の解法 ====
一般に、以下の事実が知られている。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''(強い)代数学の基本定理'''
|-
|style="padding:5px"|
複素数係数n次方程式の解は複素数範囲で必ずn個存在する。但し、重解は重複して数える。
|}
<br>
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''虚数解定理'''
|-
|style="padding:5px"|
n次方程式が虚数解を持つならば、その共役複素数も解の1つである。
|}
これらは証明なしに事実として用いてよい。
例えば、七次方程式<math>(x^2+1)^3(x+2)=0</math>の解は<math>x=2, \pm i</math>であるが、<math>\pm i</math>は三重解なのでそれぞれ3つと数えると、解の個数は<math>2</math>が1つ、<math>i</math>が3つ、<math>-i</math>が3つで7個である。
因数分解や因数定理を利用することにより、一般の高次方程式を解くことができる。
解の存在性は代数学の基本定理により保証される。
*例題
高次方程式<br>
(I)
:<math>x^3-8=0</math>
(II)
:<math>x^4-2x^2-8=0</math>
(III)
:<math>x^3-5x^2+7x-2=0</math>
を解け。
*解答
(I)
左辺を<math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>により因数分解すると
:<math>(x-2)(x^2+2x+4)=0</math>
従って<math>x-2=0 \or x^2+2x+4=0</math><br>
よって
:<math>x=2, -1 \pm \sqrt{3}i</math>
(II)
<math>\ x^2=X\ </math>とおくと
:<math>X^2-2X-8=0</math>
左辺を因数分解すると
:<math>(X-4)(X+2)=0</math>
よって<math>X=4, X=-2</math>。
:<math>\therefore x^2=4, x^2=-2</math>
:<math>\therefore x= \pm 2, \pm \sqrt{2} i</math>
(III) <math>\ P(x)=x^3-5x^2+7x-2\ </math>とおく。
:<math>P(2)=2^3-5 \times 2^2+7 \times 2-2=0</math>
従って<math>\ x-2\ </math>は<math>\ P(x)\ </math>の因数である。<br>
:<math>P(x)=(x-2)(x^2-3x+1)</math>
:<math>(x-2)(x^2-3x+1)=0</math>
:<math>\therefore x-2=0 \lor x^2-3x+1=0</math>
:<math>\therefore x= 2, \frac{3 \pm \sqrt{5}}{2}</math>
三次方程式<math>x^3=1</math>の解を考える。
実数解<math>x=1</math>を持つことは明らか。
三次式の因数分解公式より<math>x^3-1=(x-1)(x^2+x+1)</math>なので、
この三次方程式の虚数解は二次方程式<math>x^2+x+1=0</math>の解である。
よって<math>x=1, \frac{-1\pm\sqrt{3}i}{2}</math>
ここで、虚数解の片方を<math>\omega</math>とおくともう片方は<math>\bar{\omega}</math>である。
以下が成り立つ。
:<math>\omega^3=(\bar{\omega})^3=1</math>
:<math>\omega^2=\bar{\omega}</math>
:<math>(\bar{\omega})^2=\omega</math>
:<math>\omega^2+\omega+1=0</math>
これらの性質を用いると、高次方程式の問題が楽になる場合がある。
*問題
<math>x^5+x^4+1</math>を実数範囲で因数分解せよ。
*解答
<math>\omega</math>を代入すると
:<math>\omega^5+\omega^4+1=\omega^2\cdot1+\omega\cdot1+1=\omega^2+\omega+1=0</math>
よって方程式<math>x^5+x^4+1=0</math>は虚数解定理より<math>\omega, \bar{\omega}</math>を解に持つので、<math>x^5+x^4+1</math>は<math>x^2+x+1</math>を因数に持つ。<br>
整式の除法より
:<math>x^5+x^4+1=(x^2+x+1)(x^3-x+1)</math>//
;演習問題
*以下の値を求めよ。
**<math>\omega^{100}+\omega^{28}</math>
**<math>\frac{1}{2\omega^{17}+13\omega^{9}}</math>
====三次方程式の解と係数の関係====
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3解を<math>\alpha, \beta, \gamma</math> とすると
:<math>ax^3+ bx^2+ cx+d=a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
が成り立つ。<br>
右辺を展開すると
:<math>a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
:<math>=a(x- \alpha)\left\{x^2-(\beta + \gamma)x+ \beta \gamma \right\}</math>
:<math>=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore ax^3+ bx^2+ cx+d=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore b=-a(\alpha + \beta + \gamma)\ ,\ c= a(\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)\ ,\ d= -a \alpha \beta \gamma</math>
従って以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''三次方程式の解と係数の関係'''
|-
|style="padding:5px"|
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3つの解を 、<math>\alpha\ ,\ \beta\ ,\ \gamma</math> とすると
<center><math>\alpha + \beta + \gamma =- \frac{b}{a}\ ,\ \alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha= \frac{c}{a}\ ,\ \alpha \beta \gamma =- \frac{d}{a}</math></center>
|}
同様に、四次方程式の解と係数の関係(ヴィエタの公式)は<math>\alpha+\beta+\gamma+\delta=-\frac{a}{b}, \alpha\beta+\alpha\gamma+\alpha\delta+\beta\gamma+\beta\delta+\gamma\delta=\frac{c}{a}, \alpha\beta\gamma+\alpha\beta\delta+\alpha\gamma\delta+\beta\gamma\delta=-\frac{d}{a}, \alpha\beta\gamma\delta=\frac{e}{a}</math>である。
五次方程式以降でも同様の関係が成り立つ。
== コラム ==
=== 複素数は「存在する」か? ===
しばしば虚数は「現実には存在しない数」であると言われることがあり、歴史的にも虚数を扱った数学を考えるべきではないと考えられた時代は長かった。その時代の先進的な数学者の中には、虚数を有効に活用して研究を進める一方で、成果を発表する際には虚数を表に出さずに記述する努力をすることで、無用な抵抗を受けないように工夫した者もいたと言われるほどである。
だが、よく考えてみれば、数が「現実に存在する」とはどういう意味なのだろうか。現実に鉛筆を使って紙に円を描くならば、円周の長さを「正確に円周率そのものにする」ことは不可能であるように思われるが、その割に円周率という実数は「存在する」と感じられるのはなぜだろうか。数直線が実数の「実在」を信じさせるならば、複素数は複素数平面(数学Cで習う)の上に存在するのだから、同じではないだろうか。
このように考えると、そもそも数とはすべてある意味で想像上の存在であり、それに対して「存在する」「存在しない」という問いを立てることがナンセンスであるように思われる。「存在しない」ように思われがちな虚数であるが、たとえば物理学の一分野である量子力学のシュレディンガー方程式に表れるなど、応用上のさまざまな場面においても、虚数を使って記述することが自然な対象は多いのだ。
=== 複素数には「大小関係がない」 ===
複素数どうしについて、その大小関係は定義しない。その理由は、どのように大小関係を定義しても、便利な性質を満たすことができないからである。具体的に言えば、既に述べた実数の大小関係についての「不等式の基本性質(1)(2)(3)(4)」にあたる式を成り立たせることができないのだ。
たとえば、<math>a+bi<a'+b'i</math>であることを、<math>a^2+b^2<a'^2+b'^2</math>であることとして定義してみよう。このように定義すると、たとえば1+2i<2-3iであり、また2+3i<3+4iである。ところが、(1+2i)+(2+3i)=3+5i,(2-3i)+(3+4i)=5+iであり、3+5i>5+iとなってしまう。これは基本性質(2)が成り立たないことを意味する。
もちろんこれは適当に考えた定義がたまたま不適切だったというだけのことだが、実は、他にどのように定義してもこのような困難からは逃れられないことが知られている。それゆえに、複素数には大小関係を定義しないのである。
=== 複素数の平方根 (※発展) ===
今度は、複素数の平方根について考えてみよう。
正の数<math>a</math>を考えたとき、
:<math>a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}</math>
:<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a} i</math>
では、
:<math>\pm a i</math>の平方根はどのように表せるだろうか。
虚数単位<math>i</math>の平方根を考えると、これはzについての方程式 <math>z^2 = i</math> の解 z の値であるから、これを解けばよい。どのような複素数zならこの式を満たすことができるだろうか。
zを複素数とすると、<math>z = x + yi</math>(x,yは実数)と表される。
<math>(x + yi)^2 = i \Leftrightarrow x^2 + 2xyi - y^2 = i \Leftrightarrow (x^2-y^2)+(2xy-1)i = 0</math>
<math>x^2-y^2,2xy-1</math>は実数であるから、実部と虚部が共に0にならねばならないから、
<math>\begin{cases}
x^2-y^2=0 (\Leftrightarrow x= \pm y ) \\
2xy-1=0
\end{cases}</math>
<math>x=y</math>のとき、<math>2x^2=1 \Leftrightarrow x=\pm\frac{1}{\sqrt{2}},y=\pm\frac{1}{\sqrt{2}}</math> (複号同順。x,yは共に実数であるから、条件を満たす。)
<math>x=-y</math>のとき、<math>-2y^2=1 \Leftrightarrow y^2=-\frac{1}{2}</math> ここで、これを満たす実数yは存在しないから不適。
よって、<math>z=\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}+\frac{1}{\sqrt{2}}i\right)</math><sub>■</sub>
*問題例
** 問題
:<math>i \,\!</math>を虚数単位とするとき、次の問いに答えよ。
:(I) <math>-i,30i \,\!</math>の平方根を求めよ。
:(II) 2次方程式 <math>z^2 - 30i - 16 = 0 \,\!</math> を解け。
:(III) 3次方程式 <math>z^3 = i \,\!</math> を解け。
** 解答
:(I)
::<math>\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}-\frac{1}{\sqrt{2}}i\right) , \pm\left(\sqrt{15}+\sqrt{15}i\right)</math>
:(II)
::<math>z=5+3i , -5-3i \,\!</math>
:(III)
::<math>z=-i,\frac{i\pm\sqrt{3}}{2}</math>
:今回挙げた問題は、全て<math>z=x+yi</math>(x,yは実数)と置くことで求められる。(III)は、<math>(x+yi)^3-i=x(x^2-3y^2)+(3x^2y-y^3-1)i=0</math>より、
実部がゼロを考慮して<math>x=0</math>か<math>x=\pm\sqrt{3}y</math>だが、虚部もゼロなので、xの値が前者のとき<math>y=-1</math>、後者のとき<math>y=1/2</math>となることがすぐにわかる。
=== 高次方程式の「解の公式」 ===
2次方程式には解の公式があり、日本の中学や高校でも習う。2次方程式の解の公式を用いれば、どんな係数の2次方程式であっても解を求められる。3次方程式と4次方程式にも、解の公式は存在し、係数がどんな係数であっても解を求められる。これらの解の公式は、[[代数方程式論]]で述べているように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作('''代数的操作''')の組み合わせで表すことができる。
5次方程式では、4次以下の方程式とは状況が異なる。一般の5次方程式の解は、2次方程式や4次方程式のように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせで表すことができないのである。ただし、「できない」ことの証明は容易ではない。このことを証明するには、[[ガロア理論]]を理解する必要がある(日本の大学の標準的なカリキュラムでは、理学部数学科の学生のみが大学3年生で学ぶのが一般的な程度の理論である)。
なお、ここで言う「表すことができない」とは一般の方程式についてのことであり、特別な5次方程式の場合は簡単に解が求められる。たとえば、<math> x^5 -32 = 0 </math> は解のひとつとして <math> x=2 </math> をもつことはすぐわかる。この方程式は他の解についても三角関数を用いて簡単に表せることを[[高等学校数学C/複素数平面]]において学ぶ。
「係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせ」に拘らなければ、一般の5次方程式の解を求める方法も存在するが、やや高度な数学を用いる必要がある。[[w:五次方程式]]に記述があるので興味のある読者は参照するとよい。
=== 複素数と関数 ===
高等学校で複素数が出てくる分野はこの分野と数学C「[[高等学校数学C/平面上の曲線|平面上の曲線]]と複素数平面」のみであり、複素数の基本計算や方程式を複素数範囲で解くこと、複素数の幾何学的意味について扱っている。しかし、大学数学においては、関数の定義域・値域を複素数範囲に広げて考える「[[複素解析学|複素関数論]]」というものを扱う。
実数範囲での関数はx, yともに一次元の実数軸を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには二次元の座標平面で十分であった。しかし、複素数範囲での関数はx, yともに二次元の複素数平面を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには四次元の座標空間が必要であり、三次元空間に住む我々には描画することができない。そのため、複素関数論では関数のグラフを考えることは基本的にない。(ただし、出力された複素数の絶対値を考えることによって三次元グラフに落とし込むことは可能)
では何を考えるのかというと、複素関数の微分積分である。複素関数の微分に関連して「正則関数」という用語が出てくるが、複素関数論はこの正則関数というものの性質を調べる学問だと言って良い。
複素関数論は物理学の特に波動に関する分野(音・電磁気など)において活躍している。「波動方程式」や「インピーダンス」という言葉は有名だろう。
ちなみに、複素数をさらに拡張した数として「[[w:四元数]]」というものがある。この四元数は[[高等学校数学C/ベクトル|ベクトル]]や[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫#行列を用いた表現とその演算|行列]]と深い関わりが存在しており、深掘ると面白いのだが、いささか冗長になるため割愛する。なお、四元数をさらに拡張した八元数や十六元数という数も研究されている。
== 演習問題 ==
{{DEFAULTSORT:こうとうかつこうすうかくII しきとしようめい}}
[[Category:高等学校数学II|しきとしようめい]]
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/* 3次の乗法公式 */
304370
wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|高等学校数学II|pagename=式と証明・高次方程式|frame=1|small=1}}
本項は[[高等学校数学II]]の式と証明・高次方程式の解説である。
== 式と証明 ==
=== 3次の乗法公式 ===
<math>(a+b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)^3 &=& (a + b)(a + b)^2 \\
&=& (a + b)(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& a(a^2 + 2ab + b^2) + b(a^2 + 2ab + b^2) \\
&=& (a^3 + 2a^2b + ab^2) + (a^2b + 2ab^2 + b^3) \\
&=& a^3 + (2a^2b + a^2b) + (ab^2 + 2ab^2) + b^3 \\
&=& a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)^3</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a - b)^3 &= \{ a + (-b) \}^3 \\
&= a^3 + 3a^2(-b) + 3a(-b)^2 + (-b)^3 \\
&= a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3
\end{matrix}</math>
<math>(a+b)(a^2 - ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a + b)(a^2 - ab + b^2) &=& a(a^2 - ab + b^2) + b(a^2 - ab + b^2) \\
&=& a^3 - a^2b + ab^2 + a^2b - ab^2 + b^3 \\
&=& a^3 + b^3
\end{matrix}</math>
この結果を使って、<math>(a-b)(a^2 + ab + b^2)</math>を展開してみよう。
:<math>\begin{matrix}
(a-b)(a^2 + ab + b^2) &=& \{a + (-b) \}\{a^2 - a(-b) + (-b)^2 \} \\
&=& a^3 + (-b)^3 \\
&=& a^3 - b^3
\end{matrix}</math>
{| style="border: 2px solid gold; width: 80%;" cellspacing=0
| style="background: gold;"| '''3次の乗法公式'''
|-
| style="padding: 5px;" |
* <math>(a + b)^3 = a^3 + 3a^2b + 3ab^2 + b^3</math>
* <math>(a - b)^3 = a^3 - 3a^2b + 3ab^2 - b^3</math>
* <math>(a + b)(a^2 - ab + b^2) = a^3 + b^3</math>
* <math>(a - b)(a^2 + ab + b^2) = a^3 - b^3</math>
|}
=== 三次式の因数分解 ===
三次式の展開公式より、
* <math>a^3+b^3=(a+b)(a^2-ab+b^2)</math>
* <math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>
* <math>a^3 + b^3 + c^3 - 3abc = (a + b + c)(a^2 + b^2 + c^2 - ab - bc - ca)</math>
(参考)
* <math>a^n - b^n = (a - b)(a^{n - 1} + a^{n - 2}b + a^{n - 3}b^2 + \cdots + a^2b^{n - 3} + ab^{n - 2} + b^{n - 1})</math>
=== 二項定理 ===
{{Advanced|初等整数論/パスカルの三角形#二項定理}}
<math>(a+b)^5 = (a+b)(a+b)(a+b)(a+b)(a+b)</math> について考えよう。この式を展開するとき、<math>a^2b^3</math> の係数は、右辺の5個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を2回取る[[高等学校数学A/場合の数と確率#組合わせ|組合せ]]に等しいから <math>{}_5 \! \mathrm{C}_2 = 10</math> である。
この考えを拡張して
:<math>(a+b)^n = \underbrace{(a+b)(a+b)(a+b)\cdots(a+b)}_n</math>
を展開する。<math>a^rb^{n-r}</math>の項の係数は、右辺の <math>n</math> 個の <math>(a+b)</math> から <math>a</math> を <math>r</math> 回取る組合せに等しいから <math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math> である。
よって、次の式が得られる:
:<math>\begin{align}(a+b)^n &= {}_n \! \mathrm{C}_0 a^n + {}_n \! \mathrm{C}_1 a^{n-1}b + {}_n \! \mathrm{C}_2 a^{n-2}b^2 + \cdots \\
&+ {}_n \! \mathrm{C}_r a^{n-r}b^r + \cdots + {}_n \! \mathrm{C}_n b^n \\
&= \sum _{r = 0}^n {}_n \! \mathrm{C}_r a^r b^{n-r}. \\ \end{align}</math>
最後の<math>\sum</math>は[[高等学校数学B/数列|数Bの数列]]で学ぶ総和記号である。
この関係を '''二項定理'''(binomial theorem) 、それぞれの項に掛かる係数<math>{}_n \! \mathrm{C}_r</math>を'''二項係数'''(binomial coefficient) と呼ぶ。二項係数は<math>\begin{pmatrix} n \\ r \end{pmatrix}</math>とも書く。
*例題
(I)
:<math>(x+1) ^4</math>
(II)
:<math>(a + 3) ^ 5</math>
(II)
:<math>(a + b) ^ 5</math>
をそれぞれ計算せよ。
*解答
二項定理を用いて計算すればよい。実際に計算を行なうと、<br>
(I)
:<math>x^4+4\,x^3+6\,x^2+4\,x+1</math>
(II)
:<math>a^5+15\,a^4+90\,a^3+270\,a^2+405\,a+243</math>
(III)
:<math>b^5+5\,a\,b^4+10\,a^2\,b^3+10\,a^3\,b^2+5\,a^4\,b+a^5</math>
となる。
*例題
全ての自然数nに対して<br>
(I)
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(II)
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n 2^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
(III)
:<math>0 = \sum_{k=0}^n (-1)^k {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
が成り立つことを示せ。
* 解答
二項定理
:<math>(a+b)^n = \sum_{k = 0}^n {}_n \! \mathrm{C} _k a^k b^{n-k}</math>
についてa,bに適当な値を代入すればよい。<br>
(I)
<math>a=1, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
:<math>2^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k </math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(II)
<math>a=2, b=1</math>を代入すると
:<math>(1+2)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
:<math>3^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k 2^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。<br>
(III)
<math>a=1,b=-1</math>を代入すると
:<math>(1-1)^n = \sum_{k=0}^n {}_n \! \mathrm{C}_k (-1)^k</math>
:<math>0 = \sum_{k=0}^n {}_n \! \operatorname{C}_k (-1)^k</math>
となり確かに与えられた関係が成立することが分かる。
==== 多項定理 ====
二項定理を拡張して <math>(a+b+c)^n</math> を展開することを考えよう。<math>a^pb^qc^r</math> <math>(p+q+r = n)</math> の項の係数は <math>n</math> 個の <math>(a+b+c)</math> から <math>p</math> 個の <math>a</math>、<math>q</math> 個の <math>b</math> 、 <math>r</math> 個の <math>c</math> を選ぶ組合せに等しいから <math>\frac{n!}{p!q!r!}</math> である。
一般には[[高等学校数学A/場合の数と確率#同じものを含む順列|同じものを含む順列]]と一致する。
=== 整式の除法、分数式 ===
ここでは、整式の除法と分数式について扱う。整式の除法は、整式を整数のように扱い除法を行なう計算手法のことである。実際に整数の除法と整式の除法には深い繫がりがある。整式の因数分解を考えるとそれ以上因数分解できない整式が存在する。この整式を整数でいう素因数のように扱うことで整式の素因数分解が可能になる。
上では、整式が整数に対応する性質を持つことを述べた。整数については[[高等学校数学A/数学と人間の活動#最小公倍数・最大公約数|互いに素]]な2つの整数を取ることで有理数を定義することが出来る。整式に対しても同じ事が成立し、そのような式を分数式と呼ぶ。
==== 整式の除法 ====
分数を用いないときには、整数の除法は商と余りを用いて定義された。この時、割られる数Bは商Dと割る数A、余りRを用いて
:<math>B = AD + R</math>
と表される。
整式に対しても同様に、割られる式<math>B(x)</math>が割る式<math>A(x)</math>を用いて
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と書かれるとき、<math>D(x)</math>を商、<math>R(x)</math>を余りという。
この時、整数の除法の性質<math>R<A</math>に対応して、<math>R(x)</math>の次数<math><A(x)</math>の次数が成立する。具体例として、<math>x+1 \div x</math>を考える。割る式の次数が1であることから余りの次数は0なので余りは定数である。また、商の次数が1以上であると
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
と右辺にxの2次以上の項が現われ左辺と一致しなくなる。よって商は定数である。商をa、余りをrとすると上の式は、
:<math>x+1 = ax + r</math>
となるが、これは<math>a=r=1</math>で成立する。よって商1,余り1である。
より高次の式に対しても同様である。
例として、
:<math>x^3 \div (x^2 -1)</math>
を考える。
この場合、
:<math>B(x) = A(x)D(x) + R(x)</math>
で、<math>B(x)</math>が3次式、<math>A(x)</math>が2次式であることから、<math>D(x)</math>は1次式であり、また、<math>R(x)</math>は2次より小さいことから1次以下の式になる。ここで、<math>D(x)=ax+b,R(x)=cx+d</math>とおくと、
:<math>x^3 = (x^2-1) (ax+b) + (cx +d)</math>
が得られる。右辺を展開すると
:<math>x^3 = ax^3 + b x^2 + (-a +c )x + (-b +d)</math>
が得られるが、[[#恒等式|xにどんな値を入れてもこの等式が成り立たなければならない]]ので、<math>\begin{cases} a = 1 \\ b = 0 \\ -a +c = 0 \\ -b +d = 0 \end{cases}</math>が得られ、結局<math>a=c=1, b=d=0</math>が得られる。
<!--
<math>
x^3 \div (x^2 -1)
</math>
のような式を考える。
この式について、
<math>
x^3 = x(x^2 - 1) +x
</math>
と書くことが出来るが、これは <math>x^3</math> を <math>x^2-1</math> で割った結果、
商<math>x</math> ,余り <math>x</math> がでたものと解釈できる。
このように、整式どうしで割り算をすることが出来る。
このとき、割る式は割られる式より低次か同じ次数でなくてはならない。
また、余りは必ず割る式よりも低次の式になる。
-->
この方法はどの除法に対しても用いることが出来るが、次数が高くなると計算が難しくなる。整数の場合と同様、整式の除法でも筆算を用いることが出来る。上の例を用いて結果だけを書くと、
*図
のようになる。)右に書かれた式が割られる式であり、)左に書かれた式が割る式である。--の一番上に書かれた式は商であり、整数の割り算同様左に書かれた数から順に割っていく。ここでは次数が大きい項がより先に計算される項である。割られる式の下にある式は商の第1項を割る式にかけて得る式である。ここでは、<math>x(x^2-1)</math>で、<math>x^3-x</math>となる。ただし、整数の除法と同様、位をそろえなくてはならない。その後、割られる式から<math>x^3-x</math>を引き、残った式を新しい割られる式として扱う。ここでは、得た式が割る式よりも低次であることから、これで計算は終了である。
例題
:<math>x^3 + 2x ^2 +1</math>、<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2</math>をそれぞれ<math>x^2 +2x +6</math>で割った商と余りを求めよ。
<!--
更に、
(I)
:<math>
(x ^4 + 2x^3 - 5x^2 +6x -1) \div (x^2 -5x -1 )
</math>
(II)
:<math>
(3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 -3x -4 )
</math>
(III)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^2 +7x -4 )
</math>
(IV)
:<math>
(2x^5 +3 x ^4 - 7x^3 + x^2 +2x -1) \div (x^3 +4x^2 +7x -4 )
</math>
を計算せよ。
問題が多いので、とりあえずコメントアウト。
-->
** 解答
この計算はアニメーションを使って詳しく表示されている。計算には整数の場合の筆算と同じような手法が使える。
[[画像:Fract.gif|frame|right|計算のアニメーション]]
:<math>x^3 + 2x ^2 +1=(x^2 +2x +6) x +(1-6x)</math>
が得られるので、
:商<math>x</math>、余り<math>-6x +1</math>である。
2つ目の式については
:<math>x ^4 + 4x^2 +3x +2=(x^2 - 2x+2)* (x^2 +2x +6)+ 11x -10</math>
が得られるので、
:商<math>x^2 - 2x+2</math>、余り<math>11x -10</math>である。
<!--
更に、残りの計算結果は、
(I)
:<math>
\left[ x^2+7\,x+31,168\,x+30 \right]
</math>
(II)
:<math>
\left[ 3\,x^2+2\,x+19,67\,x+75 \right]
</math>
(III)
:<math>
\left[ 2\,x^3-11\,x^2+78\,x-589,4437\,x-2357 \right]
</math>
(IV)
:<math>
\left[ 2\,x^2-5\,x-1,48\,x^2-11\,x-5 \right]
</math>
が得られる。
ただし、左が商、右が余りとなっている。
-->
==== 分数式 ====
ここまでで整式を整数のように扱い、整式の除法を行なう方法について述べた。ここでは、整式に対して分数式を定義する方法について述べる。分数式とは、整数に対する分数のように除法によって生じる式である。ここで、除法を行なう式はどのようなものでも差し支えない。分数式では、分子に割られる式を書き、分母に割る式を書く。例えば、
:<math>\frac {x+1}{x^2+4}</math>
は、分子x+1、分母<math>x^2+4</math>の分数式である。分数式の分母を分母式、分子を分子式という。分数式に対しても約分や通分が存在する。約分は分子式・分母式に共通因数を持った分数式で用いられる。この時には分子分母を共通因数で割り、式を簡単にすることが出来る。通分は分数式の加法の時によく用いられるが、分母分子に同じ整式を掛けても分数式が変化しない性質を用いる。
*例題
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
を簡単にせよ。また、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算せよ。
*解答
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
について分子と分母を因数分解すると、双方共に
:<math>x-1</math>
を因数として含んでいることが分かる。このとき、共通因数は約分され、
:<math>\frac {x^2 -1} {x^3 -1}</math>
:<math>= \frac{(x-1)(x+1)}{(x-1)(x^2+x+1)}</math>
:<math>= \frac{x+1} { x^2+x+1}</math>
となる。
次の問題では、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
を計算する。このとき両辺の分母を揃える必要があるが、今回については単純にそれぞれの分数式の分子と分母に各々の分母をかけて分母を統一すればよい。計算すると、
:<math>\frac {x+1}{x^2 +2x + 3}+ \frac {2x + 5} {x^2 +1}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}+\frac{(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac{(x+1)(x^2+1)+(x^2 +2x + 3)(2x + 5)}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
:<math>= \frac {3x^3 +10x^2 + 17 x + 16}{(x^2 +2x + 3)(x^2+1)}</math>
となる。
分数式の乗法は、分子分母を別々に掛ければよい。
*例題
次の計算をせよ。
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
* 解答
(I)
:<math>\frac {x^2 - y^2} {x^2 - 2xy + y^2} \times \frac {x-y} {x^2 + xy}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)} {(x-y)^2} \times \frac {x-y} {x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {(x+y)(x-y)(x-y)} {(x-y)^2\ x(x+y)}</math>
:<math>= \frac {1} {x}</math>
(II)
:<math>\frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \div \frac {x^2 - 3x - 4} {x^2 - x - 6}</math>
:<math>= \frac {x^2 + 4x + 3}{x^2 - 6x + 9} \times \frac {x^2 - x - 6} {x^2 - 3x - 4}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)} {(x-3)^2} \times \frac {(x+2)(x-3)} {(x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+1)(x+3)(x+2)(x-3)} {(x-3)^2\ (x+1)(x-4)}</math>
:<math>= \frac {(x+3)(x+2)} {(x-3)(x-4)}</math>
===== 部分分数分解 =====
分母が積の形である分数式を二つの分数式の和や差で表された式に変形する操作を'''部分分数分解'''という。
*問題例
<Math> \frac{1}{x (x+1)} </Math>と<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)}</Math>を分数式の和または差の形で表せ。
*解答
:<Math>\frac{1}{x(x+1)} = \frac{(x+1)-x}{x(x+1)}</Math>
と変形できるので
:<Math>\frac{x+1}{x(x+1)} - \frac{x}{x(x+1)}</Math>
となり、約分すると
:<Math>\frac{1}{x} - \frac{1}{x+1}</Math>
となる。
次の問題では、
:<Math>\frac{1}{(x+1)(x+3)} = \frac{1}{(x+3) - (x+1)} \cdot \frac{(x+3) - (x+1)}{(x+1)(x+3)}</Math>
と変形することによって
:<Math>\frac{1}{2} \{ \frac{x+3}{(x+1)(x+3)} - \frac{x+1}{(x+1)(x+3)} \}</Math>
となり、
:<Math>\frac{1}{2} (\frac{1}{x+1} - \frac{1}{x+3}) </Math>
と求まる。
部分分数分解の操作を逆に辿ると、分数式の通分の操作と一致する。
つまり、'''部分分数分解は通分の逆の操作'''である。
分子が定数の場合には、上と同様の方法で部分分数分解することができる。
*問題
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3}{(x-9)(x-4)}</Math>
**#<Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
*解答
1. <Math>\frac{3}{(x-9) (x-4)} </Math>
:<Math>= \frac{3}{(x-4) - (x-9)} \cdot \frac{(x-4) - (x-9)}{(x-9)(x-4)}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5}\{ \frac{x-4}{(x-9)(x-4)} - \frac{x-9}{(x-9)(x-4)} \}</Math>
:<Math>= \frac{3}{5} ( \frac{1}{x-9} - \frac{1}{x-4} )</Math>
2. <Math>\frac{7}{(3x-1)(5-2x)}</Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(3x-1) - (2x-5)} \cdot \frac{(3x-1) - (2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{2(3x-1) - 3(2x-5)} \cdot \frac{2(3x-1) - 3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} </Math>
:<Math>= \frac{-7}{(6x-2) - (6x-15)} \{ \frac{2(3x-1)}{(3x-1)(2x-5)} - \frac{3(2x-5)}{(3x-1)(2x-5)} \}</Math>
:<Math>= - \frac{7}{13} (\frac{2}{2x-5} - \frac{3}{3x-1})</Math>
:<Math>= \frac{7}{13} (\frac{3}{3x-1} - \frac{2}{2x-5})</Math>
部分分数分解は数列の和の計算、積分計算、微分を利用した不等式の証明等に役立つ、重要な変形である。
=== 式の証明 ===
==== 恒等式 ====
等式 <math>(a+b)^2=a^2+2ab+b^2</math>は、文字<math>a,b</math>にどのような値を代入しても成り立つ。このような等式を'''{{ruby|恒等|こうとう}}式'''という。
等式<math>\frac {1}{x-1} + \frac {1}{x+1} = \frac {2x}{x^2-1}</math>は両辺とも<math>x=1,-1</math>を代入できないが、その他の値であればどのような値であっても代入できる且つ等式が成り立っている。これも恒等式と呼ぶ。
一方、<math>x^2 - x - 2 = 0</math> は、
<math>x=2, -1</math>を代入したときだけ成り立つ。このように、特定の値を代入したときにだけ成り立つ式のことを'''方程式'''と呼び、恒等式とは区別する。
等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式であるのはどのような場合か、考えてみよう。
ある式が「 <math>x</math> についての恒等式である」とは、この式の<math>x</math> にどのような値を代入しても、この等式は成り立つという意味である。なので、例えば <math>x</math> に<math>-1\ ,\ 0\ ,\ 1</math> を代入した式
:<math>a-b+c=0</math>
:<math>c=0</math>
:<math>a+b+c=0</math>
はすべて成り立つ必要がある。これを解くと
:<math>a=b=c=0</math>
なので、等式 <math>ax^2+bx+c=0</math> が <math>x</math> についての恒等式になるならば、<math>a=b=c=0</math>でなければならないことがわかる。
一般に、等式 <math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が恒等式であることと、<math>(a-a')x^2+(b-b')x+(c-c')=0</math> が恒等式であることは同値である。<br>
よって
:<math>ax^2+bx+c=a'x^2+b'x+c'</math> が<math>x</math>についての恒等式 <math>\iff</math> <math>a=a' \land b=b'\land c=c'</math>
纏めると次のようになる。
{| style="border:2px solid yellow;width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''恒等式の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>P\ ,\ Q</math> を <math>x</math> についての多項式または単項式とする。
::<math>P=0</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>の各項の係数はすべて<math>0</math>である。
::<math>P=Q</math> が恒等式 <math>\iff</math> <math>P</math>と <math>Q</math> の次数は等しく、両辺の同じ次数の項の係数はそれぞれ等しい。
|}
一般に、ある式が恒等式であるための必要十分条件を'''恒等条件'''という。
*例題
次の等式が <math>x</math> についての恒等式となるように、<math>a\ ,\ b\ ,\ c</math> の値を求めよ。
:<math>x^2-3=a(x-1)^2+b(x-1)+c</math>
*
等式の右辺を <math>x</math> について整理すると
:<math>a(x-1)^2+b(x-1)+c=ax^2-2ax+a+bx-b+c=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
:<math>x^2-3=ax^2+(-2a+b)x+(a-b+c)</math>
この等式が <math>x</math> についての恒等式となるのは、両辺の同じ次数の項の係数が等しいときである。よって
:<math>a=1</math>
:<math>-2a+b=0</math>
:<math>a-b+c=-3</math>
これを解くと
:<math>a=1\ ,\ b=2\ ,\ c=-2</math>
; '''複雑な部分分数分解'''(発展)
恒等式を利用することで、複雑な分数式の部分分数分解ができる。
*問題例
**以下の分数式を部分分数分解せよ
**#<Math>\frac{3x-5}{(x+2)(2x-1)}</Math>
**#<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)}</Math>
*解答
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{a}{2x-1} + \frac{b}{x+3}</Math>
と置く。
分母を払って
:<Math>3x-5 = a(x+3) + b(2x-1)</Math>
すなわち
:<Math>3x-5 =(a+2b)x + (3a-b) </Math>
これが<Math>x</Math>の恒等式なので、係数を比較して
:<Math>a+2b=3</Math>かつ<Math>3b-a=-5</Math>
すなわち
:<Math>a=-1, b=2</Math>
最初の等式に代入して、
:<Math>\frac{3x-5}{(x+3)(2x-1)} = \frac{-1}{2x-1} + \frac{2}{x+3}</Math>
:<Math>= \frac{2}{x+3} - \frac{1}{2x-1}</Math>
次の問題は、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = \frac{a}{x-1} + \frac{b}{(x-1)^2} + \frac{c}{x-2}</Math>
とおくことにより、上の問題と同様にして
:<Math>a=-1, b=-1, c=1</Math>
と求まるので、
:<Math>\frac{1}{(x-1)^2 (x-2)} = - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2} + \frac{1}{x-2}</Math>
:<Math>= \frac{1}{x-2} - \frac{1}{x-1} - \frac{1}{(x-1)^2}</Math>
'''恒等式を利用した部分分数分解'''
求めたい数字を<Math>a,b,c</Math>とおく。
1. <Math>\frac{px+q}{(x+m)(x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{x+n}</Math>
2. <Math>\frac{px+q}{(x+m)^2} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2}</Math>
3. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)^2 (x+n)} = \frac{a}{x+m} + \frac{b}{(x+m)^2 } + \frac{c}{x+n}</Math>
4. <Math>\frac{px^2 + qx + r}{(x+m)(x^2 + nx + l)} = \frac{a}{x+m} + \frac{bx+c}{x^2 + nx + l}</Math>
このようにおいた式を<Math>x</Math>の恒等式と見ることによって、<Math>a,b,c</Math>を求められ、部分分数分解ができる。
その他の場合についても、因数分解や代入を利用することで分解できる場合がある。
*問題
<math>\frac{1}{(s^2-4)(s^2+2x-3)}</math>を部分分数分解せよ。
; '''2つの文字についての恒等式'''(発展)
*例
a~fを定数とする。
<Math>ax^2+by^2+cxy+dx+ey+f=0</Math>がx, yについての恒等式だとする。
左辺をxについて整理すると、<Math>ax^2+(cy+d)x+(by^2+ey+f)=0</Math>である。
これがxについての恒等式なので、<Math>a=0, cy+d=0, by^2+ey+f=0</Math>が成り立つ。
これらは更にyについての恒等式なので、以下の等式が得られる。
:<Math>a=b=c=d=e=f=0</Math>
逆に、これが成り立てば元の式は明らかにx, yについての恒等式である
**問題
<Math>x^2+axy+6y^2-x+5y+b = (x-2y+c)(x-3y+d)</Math>がx,yについての恒等式となるようにa,b,c,dを定めよ。
==== 等式の証明 ====
先程紹介した「恒等式」という言葉を使って「証明」の意味を説明するなら、「等式を証明する」とは、その式が恒等式であることを示すことである。
一般に、等式 A=B を証明するためには、次のような手順のいずれかを実行すればよい。
:(1) Aを式変形してBを導くか、または Bを変形してAを導く。
:(2) A,Bをそれぞれ変形して、同じ式Cを導く。
:(3) A-B=0 を示す。
このとき、変形は'''同値変形でなければならない'''ことに注意。
* 例題
:<math>(a+b)^2-(a-b)^2 = 4ab</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を展開すると
:(<math>(a^2+2ab+b^2)-(a^2-2ab+b^2) = a^2+2ab+b^2 - a^2+2ab-b^2=4ab</math>
となり、これは右辺に等しい。(終)
* 例題
:<math>(x+y)^2+(x-y)^2 = 2(x^2+y^2)</math>
が成り立つことを証明せよ。
*解答
左辺を計算すると、
:<math> (x^2+2xy+y^2)+(x^2-2xy+y^2) = x^2+2xy+y^2 + x^2-2xy+y^2 = 2x^2+2y^2 =2(x^2+y^2) </math>
これは右辺に等しい。(終)
*例題
次の等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
*解答
(I)
:<math>\mathrm{lhs}
= (36 a^2 + 84 a b + 49 b^2) + (49 a^2 - 84 a b + 36 a^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
:<math>\mathrm{rhs}= (81 a^2 + 36 a b + 4 b^2) + (4 a^2 - 36 a b + 81 b^2) = 85 a^2 + 85 b^2</math>
両辺とも同じ式になるから
:<math>(6 a + 7 b )^2 + (7 a - 6 b )^2 = (9 a + 2 b )^2 + (2 a - 9 b )^2</math>
恒等式でないときも、与えられた条件から等式を証明することができる。
*例題
<Math>a+b+c=0</Math>のとき、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>であることを証明せよ。また、<Math>a:b=c:d</Math>のとき、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>を証明せよ。
*解答
:<Math>a+b+c=0 \iff c=-(a+b)</Math>
より、
:<Math>a^3+b^3+c^3-3abc = a^3+b^3-(a+b)^3+3ab(a+b)</Math>
:<Math>= a^3+b^3-(a^3+3a^2b+3ab^2+b^3)+3a^2b+3ab^2</Math>
:<Math>=0</Math>
よって、<Math>a^3+b^3+c^3=3abc</Math>である。
また、
:<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>
より、上式の右辺をkとおくと、
:<Math>a=bk, c=dk</Math>
なので、
:<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{bk+dk}{b+d} = \frac{k(b+d)}{b+d} = k</Math>
:<Math>\frac{a-c}{b-d} = \frac{bk-dk}{b-d} = \frac{k(b-d)}{b-d} = k</Math>
よって、<Math>\frac{a+c}{b+d} = \frac{a-c}{b-d}</Math>である。
なお、比<Math>a:b</Math>について<Math>\frac{a}{b}</Math>を'''比の値'''という。また、<Math>a:b=c:d \iff \frac{a}{b} = \frac{c}{d}</Math>を'''比例式'''という。
<Math>\frac{a}{x} = \frac{b}{y} = \frac{c}{z}</Math>が成り立つとき、<Math>a:b:c=x:y:z</Math>と表す。これを'''連比'''という。
*問題
**<Math>a:b:c=1:2:3</Math>のとき、<Math>a+b+c=24</Math>を満たす<Math>a,b,c</Math>を求めよ。
==== 不等式の証明 ====
不等式の様々な公式については、次の4つの式を基本的な式として導出できる場合がよくある。
高校数学では、次の4つの性質が 不等式の「基本性質」などとして紹介されている。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''不等式の基本性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:(1) <math> a>b \land b>c \implies a>c </math>
:(2) <math> a>b \implies a \pm c>b \pm c</math>
:(3) <math> a>b \land c>0 \implies ac>bc \land \frac{a}{c} > \frac{b}{c} </math>
:(4) <math> a>b \land c<0 \implies ac<bc \land \frac{a}{c} < \frac{b}{c} </math>
|}
(3)と(4)については、一つの性質として 纏める文献もある。
上述の4つの基本性質から、
:<math>a>0, b>0 \implies a+b > 0</math>
を証明してみよう。
*証明
まず <math>a>0</math> なので、基本性質(2)より
:<math>a+b > b</math>
である。
よって
:<math> a+b>b \land b>0 </math>
なので、基本性質(1)より<math> a+b>0 </math>
が成り立つ。(終)
同様にして、
:<math>a<0, b<0 \implies a+b < 0</math>
を証明できる。
ここまでに示したことから、不等式 <math> A \geqq B </math> を証明したい場合には、
: <math> A-B \geqq 0 </math>
を証明すればよいことがわかった。こちらの方が証明しやすい場合がよくある。
不等式を証明する際に根拠とする基本的な不等式として、次の性質がある。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2 \geqq 0</math>
等号成立は、 <math>a = 0</math> の場合だけである。
|}
この定理(「全ての実数についてその2乗は非負」)を、基本性質(3),(4)を使って証明してみよう。
'''(証明)'''
aが正の場合と負の場合と0の場合の3通りに場合わけする。
'''<nowiki>[aが正の場合]</nowiki>''' <br>
このとき、基本性質(3)より、
:<math> aa>0a </math>
である。すなわち、
:<math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aが負の場合]</nowiki>'''<br>
このとき、基本性質(4)より
<math>0a < aa </math>
である。すなわち、
: <math> a^2 > 0 </math>
である。
'''<nowiki>[aがゼロの場合]</nowiki>''' <br>
このとき、
<math>a^2=0</math>
である。
よって、すべての場合について<math>a^2 \geqq 0</math>
(終)
このことと基本性質(1)(2)より、次が成り立つこともわかる。
{| style="border:2px solid skyblue; width:fit-content" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''実数の2乗同士の和の性質'''
|-
|style="padding:5px"|
任意の実数a,b について、<math>a^2 \geqq 0</math>, <math>b^2 \geqq 0</math>より
:<math>a^2+b^2 \geqq 0</math>
が成り立つ。
等号成立条件は<math>a^2 = b^2 = 0</math>、つまり<math>a=b=0</math> の場合だけである。
|}
* 例題
次の不等式が成り立つことを証明せよ。
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
*解答
:<math>(x^2 + 10 y^2) -(6 x y) \geqq 0</math>
を証明すればよい。
左辺を展開して纏めると
:<math>(x^2 + 10 y^2) - 6xy = x^2 - 6 x y + 9 y^2 + y^2 = (x - 3 y)^2 + y^2</math>
となる。
上式の最後の式の項について、
:<math>(x - 3 y)^2 \geqq 0 , \quad y^2 \geqq 0</math>
より
:<math>(x - 3 y)^2 + y^2 \geqq 0</math>
である。よって
:<math>x^2 + 10 y^2 \geqq 6 x y</math>
(終)
===== 根号を含む不等式 =====
2つの正の数 a, b がa≧b ならば、両辺を2乗しても大小関係は同じままである。
つまり、
: <math> a>0 </math>, <math> b>0 </math> のとき
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
: <math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math>
これを証明するには、<math> a^2 - b^2 </math> を調べればよい。
:<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) </math>
である。
a>bとする。仮定より、a,b は正の数なので、<math> (a+b)>0 </math> であり、別の仮定より、 a > b なので、<math> (a-b)>0 </math> でもある。よって、<math> a^2 - b^2 = (a+b)(a-b) >0 </math>
逆に、<math>a^2-b^2>0</math>のとき、<math>(a+b)(a-b)>0</math>であり、<math>a>0,b>0</math>なので<math>a+b>0</math>である。よって、<math>a-b>0</math>なので、<math>a>b</math>である。
よって、<math> a > b \quad \Longleftrightarrow \quad a^2 > b^2 </math> である。
<math>a=b</math>の場合は明らかに<math>a^2=b^2</math>なので、全ての場合について<math>a \geqq b (> 0) \iff a^2 \geqq b^2</math>が確かめられた。
----
*例題
<math> a>0, b>0 </math> のとき、次の不等式を証明せよ。
::<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
*解答
不等式の両辺は正であるので、両辺の平方の差を考えればよい。両辺の平方の差は
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 = a + 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + b - (a+b) 2 \sqrt{ab} </math>
である。ここで、a,b はともに正の実数なので、
::<math> \sqrt{a} \sqrt{b} = \sqrt{ab} </math>
であることを用いた。
:<math> \sqrt{ab} > 0</math>
であるので、
:<math>( \sqrt{a} + \sqrt{b} )^2 - ( \sqrt{a+b} )^2 > 0 </math>
となる。よって、
:<math> \sqrt{a} + \sqrt{b} > \sqrt{a+b} </math>
である。(終)
===== 絶対値を含む不等式 =====
実数 <math>a</math> の絶対値 <math>|a|</math> について、
: <math>a \geqq 0 \implies |a|=a</math>
: <math>a<0 \implies |a|= -a</math>
であるから、次のことが成り立つ。
:<math>|a|^2=a^2</math>
また、2つの実数 a, b の絶対値 |ab| については、
: <math>|ab|^2= (ab)^2= a^2 b^2 = |a|^2 |b|^2 = (|a| |b|)^2</math>
が成り立つので、これにさらに <math>|ab|\geqq0 ,|a||b|\geqq0 </math>を組み合わせて、
:<math>|ab| = |a| |b| </math>
が成り立つ。
*例題
次の不等式を証明せよ。また、等号成立条件を 調べよ。
::<math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math>
*解答
両辺の平方の差を考えると、
:<math>(|a|+|b|)^2 - |a+b|^2 = |a|^2 + 2|a| |b| + |b|^2 -(a^2 + 2ab + b^2 )</math>
:<math>= a^2 + 2|a| |b| + b^2 -a^2 - 2ab - b^2</math>
:<math>= 2|a| |b| - 2ab</math>
:<math>= 2 ( |a| |b| - ab )</math>
これがもし正なら、与えられた不等式 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> が正しい。
ここで、 <math>|a| |b| \geqq ab</math> であるので、
:<math> ( |a| |b| - ab ) \geqq 0</math>
である。
したがって、 <math>|a|+|b| \geqq |a+b|</math> である。
等号が成り立つのは <math>|a| |b| = ab</math> の場合、すなわち <math>ab \geqq 0</math> の場合である。
(終)
{{コラム|三角不等式|
なお
:<math>|a|-|b| \leqq |a+b| \leqq |a|+|b| </math>
の関係式のことを「三角不等式」という。
}}
==== 相加平均・相乗平均 ====
2つの数<math>a</math>,<math>b</math>に対し、<math>\frac{a+b}{2}</math>を'''{{ruby|相加|そうか}}平均'''、<math>\sqrt{ab}</math>を'''{{ruby|相乗|そうじょう}}平均'''という。
{{コラム|相乗平均の例と3つ以上のものの平均|
平均は、3つ以上のものにも定義される。3つ以上のn個のものの相加平均は <math>\frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n}</math> で定義される。
:平均を考える際、つい相加平均ばかりを考えがちだが、以下のような状況では相乗平均の方が適切である。
::「ある企業では、2015年度の売上を基準にすると、2016年度では前年(2015年)の1.5倍の売上になりました。2017年度では、前年(2016年)の2倍の売上になりました。平均として、一年ごとに何倍の売り上げになっていったでしょうか? 」
:(答)<math>\sqrt{1.5 \times 2} = \sqrt{3} \fallingdotseq 1.73</math> より、約 1.73倍。
:また、この応用例は、項が3つ以上の場合の相乗平均の定義の仕方も、示唆している。もし読者が[[高等学校数学II/指数関数・対数関数|指数関数]]を知っているなら、項が3つ(ここでは a, b, c とする)の場合の相乗平均は、
::(3つの項の相乗平均)=<math> (abc)^{ \frac{1}{3} } </math>
:になる。
}}
本ページでは、2個の数の平均について考察する。
相加平均と相乗平均について、次の関係式が成り立つ。
{| style="border:2px solid yellow;width:80%" cellspacing=0
|style="background:yellow"|'''相加平均と相乗平均'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a \geqq 0</math> ,<math>b \geqq 0</math>のとき、<br>
<center><math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math></center><br>
等号が成り立つのは、<math>a = b</math>のときである。
|}
*証明
<math>a \geqq 0 , b \geqq 0</math>のとき
:<math>\frac{a+b}{2} - \sqrt{ab} = \frac{a+b-2 \sqrt{ab}}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} \right) ^2 - 2 \sqrt{a} \sqrt{b} + \left( \sqrt{b} \right) ^2}{2} = \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2}</math>
<math> \left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 \geqq 0</math>であるから、<math> \frac{\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 }{2} \geqq 0</math><br>
従って <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math><br>
等号が成り立つのは、<math>\left( \sqrt{a} - \sqrt{b} \right) ^2 = 0 </math> のとき、すなわち <math>a = b</math> のときである。(終)
公式の利用では、上の式 <math>\frac{a+b}{2} \geqq \sqrt{ab}</math> の両辺に2を掛けた <math>a+b \geqq 2 \sqrt{ab}</math> の形の式を使う場合もある。
* 例題
<math>a>0</math> ,<math>b>0</math>のとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。<br>
(I)
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
**解答
(I)<math>a>0</math>であるから、<math>\frac{1}{a} >0</math><br>
よって <math>a + \frac{1}{a} \geqq 2 \sqrt{a \times \frac{1}{a}} = 2</math><br>
したがって
:<math>
a + \frac{1}{a} \geqq 2
</math>
(II)
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) = 1+ \frac{a}{b} + \frac{b}{a} +1 = \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2
</math>
<math>a>0</math>,<math>b>0</math>であるから、<math>\frac{b}{a} >0</math>,<math>\frac{a}{b} >0</math><br>
よって <math> \frac{b}{a} + \frac{a}{b} +2 \geqq 2 \sqrt{\frac{b}{a} \times \frac{a}{b}} + 2 = 2+2 =4</math><br>
したがって
:<math>
(a+b)\left( \frac{1}{a} + \frac{1}{b} \right) \geqq 4
</math>
{{コラム|3つ以上の相乗平均と調和平均|
もし読者が指数関数などを知っていれば、
n個のものの相乗平均は、
::<math>\sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n }</math>
と書ける。
数学的な「平均」には、相加平均と相乗平均のほかにも'''調和平均'''がある。
調和平均は、電気回路の並列計算で使われる考え方である。
n個のものの調和平均は、
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} }</math>
で定義される。
一般に数学的には、調和平均、相乗平均、相加平均のあいだに次のような大小関係
:(調和平均) ≦ (相乗平均) ≦ (相加平均)
という関係が成り立つことが証明されている。
すなわち、数式で書けば
::<math>\frac{ n}{ \dfrac{1}{a_1} + \dfrac{1}{a_2} + \cdots + \dfrac{1}{a_n} } \leqq \sqrt[n] {a_1 a_2 \cdots a_n } \leqq \frac{a_1 + a_2 + \cdots +a_n }{n} </math>
の関係式である。
簡潔に書くと、
::<Math>\frac{ n}{ \sum_{k=1}^{n} \dfrac{1}{a_k}} \leqq (\prod_{k=1}^{n}a_k)^{\frac{1}{n}} \leqq \frac{\sum_{k=1}^{n} a_n}{n}</Math>
となる。
}}
{{コラム|相加・相乗・調和平均の図示|
線分ABを直径に持つ円の中心をOとする。線分ABの適当な位置に点Pをとり、<math>\overline{AP} = a, \overline{PB} = b</math>とおく。
:Oから線分ABに垂直な線分を引き、円との交点をQとおく。このとき、線分OQはこの円の半径なので、<math>\overline{OQ} = \frac{1}{2} \overline{AB} = \frac{a+b}{2}</math>が成り立つ。
:Pから線分ABに垂直な直線を両側に引き、円との交点をそれぞれR, Sとおく(RはQ側の交点とする)。このとき<math>\overline{OR} = \overline{OS}</math>であり、[[高等学校数学A/図形の性質#方冪の定理|方冪の定理]]より<math>\overline{OR} \cdot \overline{OS} = \overline{AP} \cdot \overline{PB} = ab</math>が成り立つので、<math>\overline{OR} = \sqrt{ab}</math>と求まる。<br>
:Pから線分ORに引いた垂線の足をTとする。<math>\triangle ORP</math>∽<math>\triangle PRT</math>より<math>\overline{OR} : \overline{RP} = \overline{PR} : \overline{RT}</math>すなわち<math>\frac{a+b}{2} : \sqrt{ab} = \sqrt{ab} : \overline{RT}</math>なので、<math>\overline{RT} = \frac{2ab}{a+b} = \frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}}</math>と求まる。
これらの図から、点Pをどの位置に取っても<math>\frac{2}{\frac{1}{a}+\frac{1}{b}} \leqq \sqrt{ab} \leqq \frac{a+b}{2}</math>が常に成り立つこと、PがOに一致する場合に等号が成立することがわかる。
なお、[[w:二乗平均平方根]]も図示することができる。
}}
一般的に使われる平均として、相加平均・相乗平均・調和平均の他に'''調整平均'''と'''移動平均'''が存在する。これらは数学B「[[高等学校数学B/数学と社会生活#調整平均|数学と社会生活]]」で扱う。
==複素数と方程式==
===複素数===
====複素数とは====
2乗して負になる数を考える。このような数は先ほどの
:<math>\forall a \in \mathbb{R}, a^2\geqq0</math>
という性質から実数ではないことがわかる。そこで、二乗すると負になる数を新たに導入し、数の世界を広げることを考える。
方程式<math>x^2 = -1</math>の解を考える。この方程式の解は実数にはない。そこで、この方程式を満たす(実数ではない)数の片方を文字 <math>i</math>で表すことにする。このとき、もう片方の解は<math>-i</math>と表せる。
この <math>i</math> のことを'''虚数単位'''(imaginary unit)と呼ぶ。なお、<math>x^2=-1</math>の2つの解のどちらを<math>i</math>としてもその後の理論に差し支えない。つまり、<math>i, -i</math>は代数構造的に区別できない。
<math>1+i</math> や <math>2+5i</math> のように、虚数単位<math>i</math>と<math>a,b \in \mathbb{R}</math>を用いて
:<math>z=a+bi</math>
と表すことができる数 <math>z</math>を'''複素数'''という。このとき、<math>a</math>をこの複素数の'''実部'''、<math>b</math>を'''虚部'''といい、それぞれ<math>\mathrm{Re}(z), \mathfrak{R}(z), \quad \mathrm{Im}(z), \mathfrak{I}(z)</math>などと表す。
例えば、<math>1+i,\quad 2+5i,\quad \frac{9}{2} + \frac{7}{2} i,\quad 4i,\quad 3</math> は、いずれも複素数である。
複素数<math>a+bi</math>は<math>b=0</math>のとき実数である。すなわち、複素数は実数の拡張である。複素数全体の集合は<math>\mathbb{C}</math>と表す。
<math>4i</math>のような、実部が<math>0</math>で虚部が<math>0</math>でない複素数を'''純虚数'''と呼ぶ。純虚数の二乗は負数である。純虚数全体の集合は<math>i\mathbb{R}_{\neq0}</math>で表す(<math>\neq0</math>を省略する場合もある)。
虚数は、一般には実数ではない複素数を指す。(つまり虚数全体の集合は<math>\mathbb{C} \setminus \mathbb{R}</math>)
;参考
複素数は「二元数」の一つである。他の二元数として、[[多元数/分解型複素数|分解型複素数]]と[[多元数/二重数|二重数]]がある。二元数は正確に言うと「実数体上の二次元可換結合多元環」であり、代数の構造定理によりこの3つしか存在し得ないことが判っている。
==== 複素数の性質 ====
2つの複素数<math>a+bi, c+di</math>が等しいとは、等式<math>a+bi=c+di</math>を'''虚数単位<math>i</math>についての恒等式とみる'''ことで以下のように解釈できる。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''複素数の相等'''
|-
|style="padding:5px"|
: <math>a+bi = c+di \iff a=c \land b=d</math>
特に
: <math>a+bi = 0 \iff a=0 \land b=0</math>
|}
;共役
複素数<math>z=a+bi</math>に対して、虚部の符号を反転させた複素数<math>\bar{z} = a-bi</math>のことを'''{{ruby|共役|きょうやく}}複素数'''または'''<math>z</math>の複素共役'''と呼ぶ。なお、「共役」は「共'''軛'''」の常用漢字による代用([[w:同音の漢字による書き換え]])である。<math>z^*</math>と書くこともある。
その定義より、<math>\forall a \in \mathbb{R}, \bar{a}=a</math>である。
;四則演算
複素数にも四則演算(加減乗除)が定義される。
複素数の演算では、虚数単位<math>i</math>を通常の文字のように扱って計算する。但し、<math>i^2=-1</math>に注意。
一般に複素数<math>z=a+bi, w=c+di</math>について
:加法:<math> (a+bi)+(c+di) = (a+c) + (b+d)i </math>
:減法:<math> (a+bi)-(c+di) = (a-c) + (b-d)i </math>
:乗法:<math> (a+bi)(c+di) = (ac-bd) + (ad+bc)i </math>
:除法:<math> \frac{a+bi}{c+di} = \frac{(a+bi)(c-di)}{(c+di)(c-di)} = \frac{ac+bd}{c^2+d^2} + \frac{bc-ad}{c^2+d^2}i </math>(但し<math>c+di \ne 0</math>)
が成り立つ。
実数の場合と同様、四則演算は複素数について閉じており、分配則・結合則・交換則が成り立つ。
複素数<math>z=a+bi</math>について
:<math>\overline{\bar{z}}=z</math>('''再帰則''')
:<math>z+ \bar{z}=(a+bi)+(a-bi)=2a</math>
:<math>z-\bar{z}=(a+bi)-(a-bi)=2bi</math>
:<math>z \bar z =(a+bi)(a-bi)=a^2-abi+abi-b^2 i^2 = a^2-b^2i^2=a^2+b^2</math>
:<math>\frac{z}{\bar{z}}=\frac{a+bi}{a-bi}=\frac{a^2-b^2+2bi}{a^2+b^2}</math>(但し<math>z\neq0</math>)
が成り立つ。
よって、
:<math>\mathrm{Re}(z)=\frac{z+\bar{z}}{2}</math>
:<math>\mathrm{Im}(z)=\frac{z-\bar{z}}{2i}</math>
も成り立つ。
'''例題'''
2つの複素数
:<math>a=3+i</math>
:<math>b=4 +7i</math>
について、<math>a+b, ab, \frac{a}{b}</math> をそれぞれ計算せよ。
'''解答'''
:<math>\begin{align}a+b&=(3+i)+(4+7i)\\&=(3+4)+i(1+7)\\&=7+8i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}ab&=(3+i)(4+7i) \\&=12+21i+4i+7i^2 \\&=12+21i+4i+(-7) \\&=5+25i\end{align}</math>
:<math>\begin{align}\frac{a}{b}&=\frac{3+i}{4+7i} \\&=\frac{(3+i)(4-7i)}{(4+7i)(4-7i)} \\&=\frac{12-21i+4i-(-7)}{16-28i+28i-(-49)} \\&=\frac{19-17i}{65} \\&=\frac{19}{65}-\frac{17}{65}i \end{align}</math>
==== 負の数の平方根 ====
複素数を導入することで、負の数の平方根も考えることができる。
例として、 -5 の平方根について考えてみよう。
:<math>(\sqrt{5}\ i)^2 = (\sqrt{5})^2\ i^2 = 5 \times (-1) =-5</math>
:<math>(- \sqrt{5}\ i)^2 = (-1)^2 \times (\sqrt{5})^2\ i^2 = (+1) \times 5 \times (-1) = -5</math>
であるから、 <math>-5</math> の平方根は <math> \sqrt{5}\ i </math> と <math> - \sqrt{5}\ i </math> である。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''負の数の平方根'''
|-
|style="padding:5px"|
<math>a>0</math>とするとき、負の数<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}\ i</math>である。
|}
<math>\pm \sqrt{-a} = \pm \sqrt{a} i</math>(複号同順)である。
さて、-5 の平方根は、方程式<math>x^2=-5</math>なので、方程式<math>x^2+5=0</math>の解ともいえる。
すなわち、二次式<math>x^2+5</math>は複素数範囲で<math>(x+\sqrt{5}i)(x-\sqrt{5}i)</math>と因数分解できる。
* 例題
(I) <math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6}</math> を計算せよ。
* 解答
(I)
:<math>\sqrt{-2} \times \sqrt{-6} = (\sqrt{2}i) \times (\sqrt{6}i) = \sqrt{12} i^2 = -2 \sqrt{3}</math>
注意:負数の平方根は'''必ず純虚数に直して'''計算するようにする。
直さないと、以下のような間違いが起こり得る。
:<math>\sqrt{-2}\times\sqrt{-6}=\sqrt{(-2)\times(-6)}=\sqrt{12}</math>
実は、中学校で習った「平方根の積は根号の中身の積の平方根をとったものに等しい」という性質は'''実数範囲でしか成り立たない'''。
一般に、'''実数範囲で成り立ったことが複素数範囲でそのまま成り立つとは限らない'''ことに注意が必要である。
* 問題
:(II) <math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}}</math> を計算せよ。
:(III) 二次方程式 <math>x^2+7=0</math> を解け。
* 解答
(II)
:<math>\frac{\sqrt{2}}{\sqrt{-3}} = \frac{\sqrt{2}}{\sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{2}\ \sqrt{3}\ i}{\sqrt{3}\ i\ \sqrt{3}\ i} = \frac{\sqrt{6}\ i}{3\ i^2} = - \frac{\sqrt{6}}{3} \ i</math>
(III)
:<math>x^2+7=0</math>
:<math>x^2=-7</math>
:<math>x= \pm \sqrt{-7}</math>
:<math>x= \pm \sqrt{7}\ i</math>
=== 複素数と二次方程式 ===
==== 二次方程式の解と複素数 ====
複素数の応用として、ここでは二次方程式の性質について述べる。任意の二次方程式は、解の公式によって解かれることを[[高等学校数学I 方程式と不等式#二次方程式|高等学校数学I]]で述べた。しかし、解の公式に含まれる根号の中身が負の数の場合には実数解が存在しないことに注意する必要がある。二次方程式
:<math>
ax^2+bx+c = 0
</math>
の解の公式は、
:<math>
x = \frac{-b \pm \sqrt{D} }{a}
</math>
である。
但し、<math>D=b^2-4ac</math>は判別式である。
判別式の正負によって二次方程式が実数解を持つかどうかが決まる。
<math>D<0</math>のときにはこの二次方程式は実数の範囲には解を持たない。
一般に、'''<math>D<0</math>のとき二次方程式の解は2つの複素共役な虚数である'''。
* 例題
二次方程式<br>
(1)
:<math>x ^2 + 5x + 9 =0</math>
(2)
:<math>2x ^2 + 5x + 8 =0</math>
(3)
:<math>2x ^2 - 2x + 8 =0</math>
を複素数範囲で解け。
*解答
解の公式を用いて解けばよい。(1)だけを計算すると、
:<math>
x = \frac {- 5 \pm \sqrt{5^2 - 4 \times 1 \times 9}}{2}
</math>
:<math>
= \frac {-5 \pm \sqrt {11} i}{2}
</math>
となる。
他も同じように扱うことが出来る。
以降の解答は、<br>
(2)
:<math>
x = \frac {-5 \pm \sqrt {39} i}{4}
</math>
(3)
:<math>
x = \frac {1 \pm \sqrt {15} i}{2}
</math>
となる。
<!--
(
*執筆者に対する注意
計算には[[w:maxima]]を用いた。
tex(solve(
x ^2 + 5*x + 9 =0,x
));
tex(solve(
2*x ^2 + 5*x + 8 =0,x
));
tex(
solve(
2*x ^2 - 2*x + 8 =0,x
));
)
-->
方程式の解で、実数であるものを '''実数解''' という。
方程式の解で、虚数であるものを '''虚数解''' という。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''判別式と解の判別'''
|-
|style="padding:5px"|
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の判別式 <math>D=b^2-4ac</math> について
::<math>D>0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの実数解をもつ
::<math>D=0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 重解をもつ
::<math>D<0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 異なる2つの複素共役な虚数解をもつ
|}
また、重解も実数解であるので、
::<math>D \geqq 0 \quad \Leftrightarrow \quad </math> 実数解をもつ
といえる。
*例題
次の二次方程式の解を判別せよ。
(I)
:<math>x^2+3\,x-1=0</math>
(II)
:<math>2\,x^2-3\,x+2=0</math>
(III)
:<math>4\,x^2-20\,x+25=0</math>
*解答
(I)
:<math>D=3^2-4 \times 1 \times (-1) =13>0</math>
より、異なる2つの実数解をもつ。
(II)
:<math>D=(-3)^2-4 \times 2 \times 2 =-7<0</math>
より、異なる2つの虚数解をもつ。
(III)
:<math>\frac{D}{4}=(-10)^2-\times 4 \times 25 =0</math>
より、重解をもつ。
==== 二次方程式の解と係数の関係 ====
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とする。 この方程式は、
<math>a(x-\alpha)(x-\beta) = 0</math>
と変形できる。
これを展開すると、
<math>ax^2 -a(\alpha + \beta )x+a\alpha \beta = 0</math>
係数を比較して、
<math>c = a \alpha \beta, b = -a(\alpha + \beta)</math>
を得る。
これを変形すれば、<math>\alpha + \beta = -\frac{b}{a}, \alpha \beta = \frac{c}{a}</math>となる。<br>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と係数の関係'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math>とするとき、
:<math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math> ,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math>
|}
解と係数の関係は、多項式の値を[[高等学校数学I/数と式#種々の因数分解|基本対称式分解]]を用いて求める問題に応用される。
*例題
二次方程式 <math>2x^2 + 4x + 3 = 0</math>の2解の平方和を求めよ。
*解答
2解をそれぞれ<math>\alpha, \beta</math>とすると、解と係数の関係より
:<math>\alpha + \beta = - \frac{4}{2} = - 2 </math>,<math>\alpha \beta = \frac{3}{2}</math>
:<math>\therefore \alpha ^2 + \beta ^2 = (\alpha + \beta )^2 - 2 \alpha \beta = (-2)^2 - 2 \times \frac{3}{2} = 1</math>
解と係数の関係より以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing=0
|style="background:skyblue"|'''与えられた2つの数を解とする二次方程式'''
|-
|style="padding:5px"|
2数 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> を解とする二次方程式の一つは
:<math>x^2 - (\alpha + \beta ) x + \alpha \beta = 0</math>
|}
* 問題
次の2数を解とする最も簡単な二次方程式を作れ。<br>
(I)
:<math>3 + \sqrt{5} \ , 3 - \sqrt{5}</math>
(II)
:<math>2 + 3 i \ , 2 - 3 i</math>
* 解答
(I)<br>
和 <math>(3 + \sqrt{5}) + (3 - \sqrt{5}) = 6</math><br>
積 <math>(3 + \sqrt{5}) (3 - \sqrt{5}) = 4</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 6 x + 4 =0
</math>
(II)<br>
和 <math>(2 + 3 i) + (2 - 3 i) = 4</math><br>
積 <math>(2 + 3 i) (2 - 3 i) = 13</math> であるから<br>
:<math>
x^2 - 4 x + 13 =0
</math>
一般に、二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2解 <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> がわかると二次式
:<math>ax^2 + bx + c</math>
を因数分解することができる。
解と係数の関係 <math>\alpha + \beta = - \frac{b}{a}</math>,<math>\alpha \beta = \frac{c}{a}</math> から、
:<math>ax^2 + bx + c = a \left(x^2 + \frac{b}{a}x + \frac{c}{a} \right) = a \left\{x^2 - (\alpha + \beta )x + \alpha \beta \right\} = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
{| style="border:2px solid skyblue;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:skyblue" |'''解と因数分解'''
|-
| style="padding:5px" |
二次方程式 <math>ax^2 + bx + c = 0</math> の2つの解を <math>\alpha</math> ,<math>\beta</math> とすると
:<math>ax^2 + bx + c = a (x - \alpha)(x - \beta)</math>
|}
二次方程式は複素数の範囲で考えると常に解を持つから、複素数範囲において二次式は必ず一次式の積に因数分解することができる。
*例題
次の二次式を複素数範囲で因数分解せよ。<br>
(I)
:<math>x^2 + 4 x - 1</math>
(II)
:<math>2 x^2 - 3 x + 2</math>
*解答
(I)<br>
二次方程式 <math>x^2 + 4 x - 1 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-4 \pm \sqrt{4^2-4 \times 1 \times (-1)}}{2 \times 1} = \frac{-4 \pm \sqrt{20}}{2} = \frac{-4 \pm 2 \sqrt{5}}{2} = -2 \pm \sqrt{5}</math>
よって
:<math>x^2 + 4 x - 1 = \left\{ x - (-2 + \sqrt{5}) \right\} \left\{ x - (-2 - \sqrt{5}) \right\} = (x + 2 - \sqrt{5}) (x + 2 + \sqrt{5})</math>
(II)<br>
二次方程式 <math>2 x^2 - 3 x + 2 = 0</math> の解は
:<math>x = \frac{-(-3) \pm \sqrt{(-3)^2-4 \times 2 \times 2}}{2 \times 2} = \frac{3 \pm \sqrt{-7}}{4} = \frac{3 \pm \sqrt{7} i}{4}</math>
よって
:<math>2 x^2 - 3 x + 2 = 2 \left(x- \frac{3 + \sqrt{7}\; i}{4} \right) \left(x- \frac{3 - \sqrt{7}\; i}{4} \right)</math>
=== 高次方程式 ===
以下、三次以上の整式による方程式を考える。
一般に方程式を <math>P(x)=0</math>とする。
ただし、<math>P(x)</math>は、任意の次数の整式とする。
一般に、k次方程式<math>(x-p)^k=0</math>の解 <math>p</math>をこの方程式の'''k重解'''という。k重解は同じ値の解がk個重なっていると考える。
==== 剰余の定理 ====
<math>P(x)</math>を一次式<math>x-a</math>で割ったときの商を<math>Q(x)</math>、余りを<math>R</math>とすると、
:<math>
P(x) = (x-a)Q(x)+R
</math>
この両辺の<math>x</math>に<math>a</math>を代入すると、
:<math>
P(a) = (a-a)Q(a)+R = 0 \times Q(a) + R =R
</math>
つまり、<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは<math>P(a)</math>である。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing="0"
| style="background:pink" |'''剰余の定理'''
|-
| style="padding:5px" |
整式<math>P(x)</math>を<math>x-a</math>で割ったときの余りは、<math>P(a)</math>に等しい。
|}
* 問題例
** 問題
整式 <math>P(x) = x^3 -2x + 3</math> を次の式で割った余りを求めよ。<br>
(I)
:<math>
x-2
</math>
(II)
:<math>
x+1
</math>
(III)
:<math>
2x-1
</math>
** 解答
(I) <math>P(2) = 2^3 - 2 \times 2 + 3 = 7</math><br>
(II) <math>P(-1) = (-1)^3 - 2 \times (-1) + 3 = 4</math><br>
(III) <math>P\left( \frac{1}{2} \right) = \left( \frac{1}{2} \right)^3 - 2 \times \left( \frac{1}{2} \right) + 3 = \frac{17}{8}</math>
===== 因数定理 =====
:<math>\exist a \in \mathbb{R}, P(a) = 0</math>
ならば、整式<math>P(x)</math> は式<math>(x-a)</math> を因数に持つことが分る。
これを'''因数定理'''と呼ぶ。
* 導出
剰余の定理より<math>P(x)</math>を<math>(x-a)</math>で割った余りは<math>P(a)</math>であるが、ここで<math>P(a)=0</math>より<math>P(x)=(x-a)Q(x)</math>と書けるので、<math>P(x)</math>は式<math>(x-a)</math>を因数に持つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''因数定理'''
|-
|style="padding:5px"|
整式<math>P(x)</math>について<br>
<center><math>P(a)=0 \Leftrightarrow </math> <math>P(x)</math>は<math>x-a</math>で割りきれる。</center>
|}
因数定理を用いることで、より次数の高い整式を因数分解することが出来るようになる。
例えば、三次の整式
:<math>x^3 - 1</math>
について、<math>x=1</math>を代入すると
:<math>x^3 - 1=0</math>
なので因数定理よりこの式は
:<math>(x-1)</math>
を因数として持つ。
ここで、整式の除法を使って計算すると
:<math>x^3 - 1 = (x-1)(x^2+x+1)</math>
を得る。
*例題
因数定理を用いて<br>
(I)
:<math>x^3-6\,x^2+11\,x-6</math>
(II)
:<math>x^3+x^2-14\,x-24</math>
<!--
(III)
:<math>
x^3+5\,x^2-34\,x-80
</math>
-->
を因数分解せよ。
* 解答<br>
(I)
因数分解の結果が(x+整数)の積の形なら、整数は6の約数でなければならない。そのため、<math>\pm 1, \pm 2,\pm 3,\pm 6</math>が候補となる。これらにつ祖ては実際に代入して確かめるしかない。x=1を代入すると、
:<math>1-6+11-6=0</math>
となるので、(x-1)が因数となる。実際に整式の除法を行なうと、商として<math>x^2-5x+6</math>が得られるが、これは<math>(x-2)(x-3)</math>に因数分解できる。よって答えは、
:<math>\left(x-3\right)\,\left(x-2\right)\,\left(x-1\right)</math>
となる。<br>
(II)
ここでも地道に24の因数を当てはめていくしかない。24の因数は数が多いのでかなりの計算が必要となる。ここでは、-2を代入すると、
:<math>-8 +4 -14 \cdot (-2) -24 = 0</math>
となり、(x+2)が因数だとわかる。除法を行なうと、<math>x^2 -x -12</math>が得られるが、(x-4)(x+3)に因数分解できる。答えは、
:<math>\left(x-4\right)\,\left(x+2\right)\,\left(x+3\right)</math>
となる。
==== 高次方程式の解法 ====
一般に、以下の事実が知られている。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''(強い)代数学の基本定理'''
|-
|style="padding:5px"|
複素数係数n次方程式の解は複素数範囲で必ずn個存在する。但し、重解は重複して数える。
|}
<br>
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''虚数解定理'''
|-
|style="padding:5px"|
n次方程式が虚数解を持つならば、その共役複素数も解の1つである。
|}
これらは証明なしに事実として用いてよい。
例えば、七次方程式<math>(x^2+1)^3(x+2)=0</math>の解は<math>x=2, \pm i</math>であるが、<math>\pm i</math>は三重解なのでそれぞれ3つと数えると、解の個数は<math>2</math>が1つ、<math>i</math>が3つ、<math>-i</math>が3つで7個である。
因数分解や因数定理を利用することにより、一般の高次方程式を解くことができる。
解の存在性は代数学の基本定理により保証される。
*例題
高次方程式<br>
(I)
:<math>x^3-8=0</math>
(II)
:<math>x^4-2x^2-8=0</math>
(III)
:<math>x^3-5x^2+7x-2=0</math>
を解け。
*解答
(I)
左辺を<math>a^3-b^3=(a-b)(a^2+ab+b^2)</math>により因数分解すると
:<math>(x-2)(x^2+2x+4)=0</math>
従って<math>x-2=0 \or x^2+2x+4=0</math><br>
よって
:<math>x=2, -1 \pm \sqrt{3}i</math>
(II)
<math>\ x^2=X\ </math>とおくと
:<math>X^2-2X-8=0</math>
左辺を因数分解すると
:<math>(X-4)(X+2)=0</math>
よって<math>X=4, X=-2</math>。
:<math>\therefore x^2=4, x^2=-2</math>
:<math>\therefore x= \pm 2, \pm \sqrt{2} i</math>
(III) <math>\ P(x)=x^3-5x^2+7x-2\ </math>とおく。
:<math>P(2)=2^3-5 \times 2^2+7 \times 2-2=0</math>
従って<math>\ x-2\ </math>は<math>\ P(x)\ </math>の因数である。<br>
:<math>P(x)=(x-2)(x^2-3x+1)</math>
:<math>(x-2)(x^2-3x+1)=0</math>
:<math>\therefore x-2=0 \lor x^2-3x+1=0</math>
:<math>\therefore x= 2, \frac{3 \pm \sqrt{5}}{2}</math>
三次方程式<math>x^3=1</math>の解を考える。
実数解<math>x=1</math>を持つことは明らか。
三次式の因数分解公式より<math>x^3-1=(x-1)(x^2+x+1)</math>なので、
この三次方程式の虚数解は二次方程式<math>x^2+x+1=0</math>の解である。
よって<math>x=1, \frac{-1\pm\sqrt{3}i}{2}</math>
ここで、虚数解の片方を<math>\omega</math>とおくともう片方は<math>\bar{\omega}</math>である。
以下が成り立つ。
:<math>\omega^3=(\bar{\omega})^3=1</math>
:<math>\omega^2=\bar{\omega}</math>
:<math>(\bar{\omega})^2=\omega</math>
:<math>\omega^2+\omega+1=0</math>
これらの性質を用いると、高次方程式の問題が楽になる場合がある。
*問題
<math>x^5+x^4+1</math>を実数範囲で因数分解せよ。
*解答
<math>\omega</math>を代入すると
:<math>\omega^5+\omega^4+1=\omega^2\cdot1+\omega\cdot1+1=\omega^2+\omega+1=0</math>
よって方程式<math>x^5+x^4+1=0</math>は虚数解定理より<math>\omega, \bar{\omega}</math>を解に持つので、<math>x^5+x^4+1</math>は<math>x^2+x+1</math>を因数に持つ。<br>
整式の除法より
:<math>x^5+x^4+1=(x^2+x+1)(x^3-x+1)</math>//
;演習問題
*以下の値を求めよ。
**<math>\omega^{100}+\omega^{28}</math>
**<math>\frac{1}{2\omega^{17}+13\omega^{9}}</math>
====三次方程式の解と係数の関係====
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3解を<math>\alpha, \beta, \gamma</math> とすると
:<math>ax^3+ bx^2+ cx+d=a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
が成り立つ。<br>
右辺を展開すると
:<math>a(x- \alpha)(x- \beta)(x- \gamma)</math>
:<math>=a(x- \alpha)\left\{x^2-(\beta + \gamma)x+ \beta \gamma \right\}</math>
:<math>=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore ax^3+ bx^2+ cx+d=a \left\{x^3-(\alpha + \beta + \gamma)x^2+ (\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)x - \alpha \beta \gamma \right\}</math>
:<math>\therefore b=-a(\alpha + \beta + \gamma)\ ,\ c= a(\alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha)\ ,\ d= -a \alpha \beta \gamma</math>
従って以下が成り立つ。
{| style="border:2px solid pink;width:80%" cellspacing=0
|style="background:pink"|'''三次方程式の解と係数の関係'''
|-
|style="padding:5px"|
三次方程式 <math>ax^3+ bx^2+ cx+d=0</math> の3つの解を 、<math>\alpha\ ,\ \beta\ ,\ \gamma</math> とすると
<center><math>\alpha + \beta + \gamma =- \frac{b}{a}\ ,\ \alpha \beta + \beta \gamma + \gamma \alpha= \frac{c}{a}\ ,\ \alpha \beta \gamma =- \frac{d}{a}</math></center>
|}
同様に、四次方程式の解と係数の関係(ヴィエタの公式)は<math>\alpha+\beta+\gamma+\delta=-\frac{a}{b}, \alpha\beta+\alpha\gamma+\alpha\delta+\beta\gamma+\beta\delta+\gamma\delta=\frac{c}{a}, \alpha\beta\gamma+\alpha\beta\delta+\alpha\gamma\delta+\beta\gamma\delta=-\frac{d}{a}, \alpha\beta\gamma\delta=\frac{e}{a}</math>である。
五次方程式以降でも同様の関係が成り立つ。
== コラム ==
=== 複素数は「存在する」か? ===
しばしば虚数は「現実には存在しない数」であると言われることがあり、歴史的にも虚数を扱った数学を考えるべきではないと考えられた時代は長かった。その時代の先進的な数学者の中には、虚数を有効に活用して研究を進める一方で、成果を発表する際には虚数を表に出さずに記述する努力をすることで、無用な抵抗を受けないように工夫した者もいたと言われるほどである。
だが、よく考えてみれば、数が「現実に存在する」とはどういう意味なのだろうか。現実に鉛筆を使って紙に円を描くならば、円周の長さを「正確に円周率そのものにする」ことは不可能であるように思われるが、その割に円周率という実数は「存在する」と感じられるのはなぜだろうか。数直線が実数の「実在」を信じさせるならば、複素数は複素数平面(数学Cで習う)の上に存在するのだから、同じではないだろうか。
このように考えると、そもそも数とはすべてある意味で想像上の存在であり、それに対して「存在する」「存在しない」という問いを立てることがナンセンスであるように思われる。「存在しない」ように思われがちな虚数であるが、たとえば物理学の一分野である量子力学のシュレディンガー方程式に表れるなど、応用上のさまざまな場面においても、虚数を使って記述することが自然な対象は多いのだ。
=== 複素数には「大小関係がない」 ===
複素数どうしについて、その大小関係は定義しない。その理由は、どのように大小関係を定義しても、便利な性質を満たすことができないからである。具体的に言えば、既に述べた実数の大小関係についての「不等式の基本性質(1)(2)(3)(4)」にあたる式を成り立たせることができないのだ。
たとえば、<math>a+bi<a'+b'i</math>であることを、<math>a^2+b^2<a'^2+b'^2</math>であることとして定義してみよう。このように定義すると、たとえば1+2i<2-3iであり、また2+3i<3+4iである。ところが、(1+2i)+(2+3i)=3+5i,(2-3i)+(3+4i)=5+iであり、3+5i>5+iとなってしまう。これは基本性質(2)が成り立たないことを意味する。
もちろんこれは適当に考えた定義がたまたま不適切だったというだけのことだが、実は、他にどのように定義してもこのような困難からは逃れられないことが知られている。それゆえに、複素数には大小関係を定義しないのである。
=== 複素数の平方根 (※発展) ===
今度は、複素数の平方根について考えてみよう。
正の数<math>a</math>を考えたとき、
:<math>a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a}</math>
:<math>-a</math>の平方根は<math>\pm \sqrt{a} i</math>
では、
:<math>\pm a i</math>の平方根はどのように表せるだろうか。
虚数単位<math>i</math>の平方根を考えると、これはzについての方程式 <math>z^2 = i</math> の解 z の値であるから、これを解けばよい。どのような複素数zならこの式を満たすことができるだろうか。
zを複素数とすると、<math>z = x + yi</math>(x,yは実数)と表される。
<math>(x + yi)^2 = i \Leftrightarrow x^2 + 2xyi - y^2 = i \Leftrightarrow (x^2-y^2)+(2xy-1)i = 0</math>
<math>x^2-y^2,2xy-1</math>は実数であるから、実部と虚部が共に0にならねばならないから、
<math>\begin{cases}
x^2-y^2=0 (\Leftrightarrow x= \pm y ) \\
2xy-1=0
\end{cases}</math>
<math>x=y</math>のとき、<math>2x^2=1 \Leftrightarrow x=\pm\frac{1}{\sqrt{2}},y=\pm\frac{1}{\sqrt{2}}</math> (複号同順。x,yは共に実数であるから、条件を満たす。)
<math>x=-y</math>のとき、<math>-2y^2=1 \Leftrightarrow y^2=-\frac{1}{2}</math> ここで、これを満たす実数yは存在しないから不適。
よって、<math>z=\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}+\frac{1}{\sqrt{2}}i\right)</math><sub>■</sub>
*問題例
** 問題
:<math>i \,\!</math>を虚数単位とするとき、次の問いに答えよ。
:(I) <math>-i,30i \,\!</math>の平方根を求めよ。
:(II) 2次方程式 <math>z^2 - 30i - 16 = 0 \,\!</math> を解け。
:(III) 3次方程式 <math>z^3 = i \,\!</math> を解け。
** 解答
:(I)
::<math>\pm\left(\frac{1}{\sqrt{2}}-\frac{1}{\sqrt{2}}i\right) , \pm\left(\sqrt{15}+\sqrt{15}i\right)</math>
:(II)
::<math>z=5+3i , -5-3i \,\!</math>
:(III)
::<math>z=-i,\frac{i\pm\sqrt{3}}{2}</math>
:今回挙げた問題は、全て<math>z=x+yi</math>(x,yは実数)と置くことで求められる。(III)は、<math>(x+yi)^3-i=x(x^2-3y^2)+(3x^2y-y^3-1)i=0</math>より、
実部がゼロを考慮して<math>x=0</math>か<math>x=\pm\sqrt{3}y</math>だが、虚部もゼロなので、xの値が前者のとき<math>y=-1</math>、後者のとき<math>y=1/2</math>となることがすぐにわかる。
=== 高次方程式の「解の公式」 ===
2次方程式には解の公式があり、日本の中学や高校でも習う。2次方程式の解の公式を用いれば、どんな係数の2次方程式であっても解を求められる。3次方程式と4次方程式にも、解の公式は存在し、係数がどんな係数であっても解を求められる。これらの解の公式は、[[代数方程式論]]で述べているように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作('''代数的操作''')の組み合わせで表すことができる。
5次方程式では、4次以下の方程式とは状況が異なる。一般の5次方程式の解は、2次方程式や4次方程式のように、係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせで表すことができないのである。ただし、「できない」ことの証明は容易ではない。このことを証明するには、[[ガロア理論]]を理解する必要がある(日本の大学の標準的なカリキュラムでは、理学部数学科の学生のみが大学3年生で学ぶのが一般的な程度の理論である)。
なお、ここで言う「表すことができない」とは一般の方程式についてのことであり、特別な5次方程式の場合は簡単に解が求められる。たとえば、<math> x^5 -32 = 0 </math> は解のひとつとして <math> x=2 </math> をもつことはすぐわかる。この方程式は他の解についても三角関数を用いて簡単に表せることを[[高等学校数学C/複素数平面]]において学ぶ。
「係数に有限回の四則演算と根号をとる操作の組み合わせ」に拘らなければ、一般の5次方程式の解を求める方法も存在するが、やや高度な数学を用いる必要がある。[[w:五次方程式]]に記述があるので興味のある読者は参照するとよい。
=== 複素数と関数 ===
高等学校で複素数が出てくる分野はこの分野と数学C「[[高等学校数学C/平面上の曲線|平面上の曲線]]と複素数平面」のみであり、複素数の基本計算や方程式を複素数範囲で解くこと、複素数の幾何学的意味について扱っている。しかし、大学数学においては、関数の定義域・値域を複素数範囲に広げて考える「[[複素解析学|複素関数論]]」というものを扱う。
実数範囲での関数はx, yともに一次元の実数軸を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには二次元の座標平面で十分であった。しかし、複素数範囲での関数はx, yともに二次元の複素数平面を持つため、入力値と出力値の成すグラフを考えるには四次元の座標空間が必要であり、三次元空間に住む我々には描画することができない。そのため、複素関数論では関数のグラフを考えることは基本的にない。(ただし、出力された複素数の絶対値を考えることによって三次元グラフに落とし込むことは可能)
では何を考えるのかというと、複素関数の微分積分である。複素関数の微分に関連して「正則関数」という用語が出てくるが、複素関数論はこの正則関数というものの性質を調べる学問だと言って良い。
複素関数論は物理学の特に波動に関する分野(音・電磁気など)において活躍している。「波動方程式」や「インピーダンス」という言葉は有名だろう。
ちなみに、複素数をさらに拡張した数として「[[w:四元数]]」というものがある。この四元数は[[高等学校数学C/ベクトル|ベクトル]]や[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫#行列を用いた表現とその演算|行列]]と深い関わりが存在しており、深掘ると面白いのだが、いささか冗長になるため割愛する。なお、四元数をさらに拡張した八元数や十六元数という数も研究されている。
== 演習問題 ==
{{DEFAULTSORT:こうとうかつこうすうかくII しきとしようめい}}
[[Category:高等学校数学II|しきとしようめい]]
50r9iepihi8fkmty0cjrlw86twdh16o
高等学校数学II/図形と方程式
0
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~2026-53216-21
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304364
wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|高等学校数学II|pagename=図形と方程式|frame=1|small=1}}
ここでは直線と円などの性質を座標を用いて考察する。
==点と直線==
===2点間の距離===
[[ファイル:Distance_Formula.svg|右|200x200ピクセル]]
座標平面上の2点 <math>\mathrm{A} \left(x _1\ ,\ y _1 \right)\ ,\ \mathrm{B} \left(x _2\ ,\ y _2 \right)</math> 間の距離 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> を求めてみよう。<br>直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が座標軸に平行でないとき<ref>つまり、直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>x</math> 軸、 <math>y</math> 軸 のどちらとも平行でないとき</ref>、点 <math>\mathrm{C} \left(x _2\ ,\ y _1 \right)</math> をとると
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{C} = |x _2 - x _1|\ ,\ \mathrm{B} \mathrm{C} = |y _2 - y _1|
</math>
<math>\triangle \mathrm{A} \mathrm{B} \mathrm{C}</math> は直角三角形であるから、三平方の定理より
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{B} = \sqrt{\mathrm{A} \mathrm{C} ^2+ \mathrm{B} \mathrm{C} ^2} = \sqrt{|x _2 - x _1|^2+|y _2 - y _1|^2} = \sqrt{(x _2 - x _1)^2+(y _2 - y _1)^2}
</math>
この式は、直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> がx軸、y軸に平行なときにも成り立つ<ref>直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>x</math> 軸に平行なときは <math>\mathrm{BC} = 0</math> であり、 <math>\mathrm{AC} = \mathrm{AB}</math> となる。よって <math>\mathrm{AB} = \sqrt{\mathrm{AC}^2+\mathrm{BC}^2} </math> は成り立つ。直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>y</math> 軸に平行なときも同様</ref>。
特に、原点 <math>\mathrm{O}</math> と点 <math>\mathrm{A} \left(x _1\ ,\ y _1 \right)</math> 間の距離は
:<math>
\mathrm{O} \mathrm{A} = \sqrt{x _1^2 + y _1^2}
</math>
=== 内分点と外分点===
点 <math>
\mathrm{A}(x _0,y _0),\mathrm{B}(x _1,y _1)
</math> と実数 <math>m,n>0</math> に対して、線分 <math>\mathrm{AB}</math> 上の点 <math>\mathrm{P}(x,y)</math> が存在して、<math>\mathrm{AP}:\mathrm{PB} = m:n</math> となるとき、点 <math>\mathrm{P}</math> を <math>\mathrm{A},\mathrm{B}</math> を <math>m:n</math> に内分する点という。
また、線分 <math>\mathrm{AB}</math> 上でない点 <math>\mathrm{P}(x,y)</math> が存在して、<math>\mathrm{AP}:\mathrm{PB} = m:n</math> となるとき、点 <math>\mathrm{P}</math> を <math>\mathrm{A},\mathrm{B}</math> を <math>m:n</math> に外分する点という。
数直線上の点 <math>\mathrm{A}(a),\mathrm{B}(b)</math> を <math>m:n</math> に内分する点と外分する点を求める。
内分点を <math>\mathrm{P}(x)</math> とする。<math>a<b</math> のとき、 <math>\mathrm{AP} = x-a,\mathrm{PB}=b-x</math> なので、 <math>m:n=(x-a):(b-x)</math> なので、 <math>n(x-a)=m(b-x) \iff x = \frac{na+mb}{m+n}</math> である。 <math>a>b</math> のときも同様。
次に外分点を求める。外分点を <math>\mathrm{P}(x)</math> とする。<math>a<b</math> で <math>m>n</math> のとき、<math>x>b</math> となるので、 <math>\mathrm{AP}=x-a,\mathrm{BP}=x-b</math> なので、<math>m:n=(x-a):(x-b)</math> なので、<math>x=\frac{-na+mb}{m-n}</math>
これは、<math>a>b</math> または <math>m<n</math> のときも同様。<ref>外分点の座標は内分点の座標の <math>n</math> を <math>-n</math> にしたものに等しい</ref>
2次元の場合には、一般に点と点との位置関係は、座標軸に平行でなく、それらの距離の内分は複雑になるように思える。しかし、実際には、内分点や外分点を計算するには、上の公式をx,y
の両方向に対して用いればよい。これは、2点をつなぐ線が直線であるので、その直線上である点からの距離が一定の割合となる点をいくつか取ったとき、その点と元の点のx軸方向の座標の変化の割合とy軸方向の座標の変化の割合と直線自身の長さの変化の割合はそれぞれ等しくなるからである。
よって、一般に点<math>A(x _0,y _0),B(x _1,y _1)</math>を、a:bに内分する点と外分する点は、
:内分点
:<math>
(\frac {b x _0 + a x _1} {a +b},
\frac {b y _0 + a y _1} {a +b})
</math>
:外分点
:<math>
(\frac {-b x _0 + a x _1} {a -b},
\frac {-b y _0 + a y _1} {a -b})
</math>
:<math>
=
(
\frac {b x _0 - a x _1} {-a +b},
\frac {b y _0 - a y _1} {-a +b}
)
</math>
で与えられる。
'''演習問題'''
点 <math>
\mathrm{A}(1,0),\mathrm{B}(-4,7)
</math> を3:1にそれぞれ内分、外分する点を求めよ。
'''解答'''
内分点は <math>
\left(\frac {-11}4,\frac{21}4\right)
</math>
外分点は <math>
\left(\frac {-13}2,\frac{21}2\right)
</math>
===三角形の重心===
3点<math>\mathrm{A} \left(x _1 , y _1 \right) , \mathrm{B} \left(x _2 , y _2 \right) , \mathrm{C} \left(x _3 , y _3 \right) </math>を頂点とする三角形の重心 <math>\mathrm{G}</math> の座標を求めてみよう。<br>
線分<math>\mathrm{B} \mathrm{C}</math>の中点<math>\mathrm{M}</math>の座標は
:<math>
\left(\frac {x _2 + x _3}{2} , \frac {y _2 + y _3}{2} \right)
</math>
重心<math>\mathrm{G}</math>は線分<math>\mathrm{A} \mathrm{M}</math>を2:1に内分する点であるから、<math>\mathrm{G}</math>の座標を<math>(x , y)</math>とすると
:<math>
x= \cfrac { 1 \times x _1 + 2 \times \cfrac { x _2 + x _3 } { 2 } } { 2+1 } = \frac { x _1 + x _2 + x _3 } { 3 }</math>
同様に
:<math>
y = \frac { y _1 + y _2 + y _3 } { 3 }
</math>
よって、重心<math>\mathrm{G}</math>の座標は
:<math>
\left(\frac { x _1 + x _2 + x _3 } { 3 } , \frac { y _1 + y _2 + y _3 } { 3 } \right)
</math>
===直線の方程式===
ある点 <math>(x_0,y_0)</math> を通って傾きaの直線の式は、
<math>
y- y_0 = a(x- x_0)
</math>
で与えられる。これは、傾きがyの変化分<math>/</math>xの変化分で表わされ、<math> y-y_0 </math>,<math> x-x_0 </math>はまさに、y,xそれぞれの変化分そのものであることによる。
2点 <math>(x_0,y_0)</math> , <math>(x_1,y_1)</math> を通る直線は傾きが <math>\frac{y_0-y_1}{x_0-x_1}</math> で与えられることを用いると、
<math>
y-y_0 = \frac{y_0-y_1}{x_0-x_1}(x-x_0)
</math>
で与えられる。
'''演習問題'''
それぞれの直線を表わす式を計算せよ。
(i)
傾き-2で、点(-3,1)をっっっk
:<math>
y-y _0 = \frac{y _0-y _1}{x _0-x _1}(x-x _0)
</math>
を用いればよい。
(i)
:<math>
\left[ y=-2\,x-5 \right]
</math>
(ii)
:<math>
\left[ y=4\,x-13 \right]
</math>
また直線の方程式は一般に <math>ax+by+c=0</math> で表される。
====2直線の平行と垂直====
{| style="border:2px solid orange;width:80%" cellspacing=0
|style="background:orange"|'''2直線の平行、垂直'''
|-
|style="padding:5px"|
2直線<math>y=m_1 x+n_1\ ,\ y=m_2 x+n_2</math>について
<div class="center">2直線が平行<math>\Leftrightarrow m_1=m_2</math></div>
<div class="center">2直線が垂直<math>\Leftrightarrow m_1 m_2=-1</math></div>
|}
*問題例
**問題
点<math>(1,4)</math>を通り、直線<math>y=-2x+3</math>に平行な直線、垂直な直線の方程式を求めよ。
**解答
直線<math>y=-2x+3</math>の傾きは<math>-2</math>である。<br>
平行な直線の方程式は
:<math>y-4=-2(x-1)</math>
:<math>y=-2x+6</math>
垂直な直線の傾きを<math>m</math>とすると
:<math>-2m=-1</math>
:<math>m= \frac{1}{2}</math>
よって、垂直な直線の方程式は
:<math>y-4= \frac{1}{2} (x-1)</math>
:<math>y= \frac{1}{2} x+ \frac{7}{2}</math>
===点と直線の距離===
点 <math>\mathrm{P}</math> と直線 <math>l</math> に対し、直線 <math>l</math> 上の点と点 <math>\mathrm{P}</math> の距離の最小値を'''点と直線の距離'''という。これは点 <math>\mathrm{P}</math> から直線 <math>l</math> に下ろした垂線 <math>\mathrm{PH}</math> の長さに等しい。
直線 <math>ax+by+c=0</math> と点 <math>(x_0,y_0)</math> の距離は
:<math>\frac{|ax_0+by_0+c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math>
と表される。
'''証明'''
[[ファイル:Point-to-line2.svg|サムネイル]]点 <math>\mathrm{P}(x_0,y_0)</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0 \quad a,b\neq 0</math> とする。
点 <math>\mathrm{P}</math> から直線 <math>l</math> に垂線を下ろし、垂線の足を点 <math>R</math> とする。
また、点 <math>\mathrm{P}</math> から <math>y</math> 軸に平行な直線を引き、直線 <math>l</math> との交点を点 <math>\mathrm S</math> とする。
次に、図のように、直線 <math>l</math> 上の点 <math>\mathrm T</math> に対して、直線 <math>\mathrm{TV}</math> が <math>x</math> 軸と平行となり、<math>\mathrm{TV} = |b|</math> となるように点 <math>\mathrm V</math> をとり、直線 <math>\mathrm{VU}</math> が <math>y</math> 軸に平行になる点 <math>\mathrm U</math> を直線 <math>l</math> 上に取る。
直線 <math>l</math> の傾きは <math>-\frac{a}{b}</math> となるので <math>\mathrm{VU} = |a|</math> である。
ここで、<math>\bigtriangleup \mathrm{PRS},\bigtriangleup \mathrm{TVU}</math> は直角三角形であり、<math>\angle \mathrm{PSR} = \angle \mathrm{TUV}</math><ref>直線 <math>\mathrm{PS}</math> と直線 <math>\mathrm{VU}</math> は平行なので</ref> なので、<math>\bigtriangleup \mathrm{PRS} \sim \bigtriangleup \mathrm{TVU}</math><ref><math>\sim</math> は相似を意味する</ref> である。したがって
:<math>\frac{\mathrm{PR}}{\mathrm{PS}} = \frac{\mathrm{TV}}{\mathrm{TU}}</math>
また点 <math>\mathrm S</math> の座標を<math>(x_0,m)</math> とすると、<math>\mathrm{PS} = |y_0-m| </math> で、点 <math>\mathrm{P}</math> と直線 <math>l</math> の距離 <math> \mathrm{PR}</math> は、
<math> \mathrm{PR} ={\mathrm{PS}}\cdot \frac{\mathrm{TV}}{\mathrm{TU}} = \frac{|y_0 - m||b|}{\sqrt{a^2 + b^2}} </math>
ところで、点 <math>\mathrm S</math> は直線 <math>l</math> 上の点なので、
:<math>m = \frac{-ax_0 - c}{b}</math>
である。これを代入すれば
:<math> \mathrm{PR} = \frac{|ax_0 + by_0 + c|}{\sqrt{a^2 + b^2}}</math>
:を得る。
:
'''ベクトルを使った証明'''
すでにベクトルを知っているならばこちらの方が簡潔である。
点 <math>\mathrm{P}(x_0,y_0)</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0</math> とし、点 <math>\mathrm{Q}(x_1,y_1)</math> を直線 <math>l</math> 上の点とする。直線 <math>l</math> の法線は <math>\vec n := (a,b)</math> で、<math>\vec{\mathrm{QP}} = (x_0-x_1,y_0-y_1) </math> であるので、直線 <math>l</math> 上の点と点 <math>\mathrm{P}</math> の距離 <math>d</math> は <math>d = \left| \vec{ \mathrm{QP} } \cdot \frac{\vec n}{||\vec n||}\right| = \left|(x_0-x_1,y_0-y_1)\cdot \frac{(a,b)}{\sqrt{a^2+b^2}}\right| = \frac{|ax_0 + by_0 - (ax_1 + by_1)|}{\sqrt{a^2+b^2}} = \frac{|ax_0 + by_0 +c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math><ref>点 <math>\mathrm{Q}(x_1,y_1)</math> は直線 <math>l</math> 上の点なので <math>ax_1+by_1=-c</math> である。</ref> である。
'''演習問題'''
直線 <math>x-2y-3=0</math> と点 <math>(1,2)</math> の距離を求めよ
'''解答'''
<math>\frac{6}{\sqrt 5}</math>
==円==
====円の方程式====
中心 <math>\mathrm{C}(a,b)</math> 半径 <math>r</math> の円は、<math>\mathrm{CP} =r</math> となる点 <math>\mathrm{P}</math> の集合である。つまり、 <math>r = \sqrt{(x-a)^2+(y-b)^2}</math> となる点 <math>(x,y)</math> の集合である。この方程式の両辺は正なので2乗して
<math>
(x-a)^2+(y-b)^2 = r^2
</math>
を得る。これが円の方程式である。
特に原点が中心で半径 <math>r</math> の円の方程式は <math>
x^2+y^2 = r^2
</math> で与えられる。
'''演習問題'''
# 中心 <math>(2,4)</math> 半径 <math>3</math> の円の方程式を求めよ
# 円 <math>
y^2+2\,y+x^2-6\,x+5=0
</math> の中心と半径を求めよ
'''解答'''
# <math>
(x-2)^2+(y-4)^2 = 9
</math>
# <math>
y^2+2\,y+x^2-6\,x+5=0 \iff (x-3)^2 + (y +1)^2 = 5
</math> なので中心 <math>
(3,-1)
</math> 半径 <math>
\sqrt 5
</math>
方程式 <math>x^2+y^2+lx+my+n = 0</math> はいつも円であるとは限らない。
方程式を変形して <math>(x-a)^2+(y-b)^2 = k</math> となるとき
# <math>k>0</math> のとき方程式は円を表す
# <math>k=0</math> のとき方程式は1点 <math>(a,b)</math> を表す
# <math>k<0</math> のとき方程式の左辺は常に正なので、<math>xy</math>平面に方程式の表す図形はない
<math>k<0</math>のとき、<math>x=s+ti, y=u+vi</math>とおくと[[高等学校数学C/複素数平面|複素数平面]]の考え方より<math>(x-a)^2+(y-b)^2 = k</math>の表す図形は四次元直交座標の<math>stuv</math>空間(正確には<math>\mathbb{C}^2</math>)のうち、実数平面である<math>su</math>平面と交わらない領域に存在すると考えることができる。則ち<math>k<0</math>に対応する円上の点<math>(x, y)</math>は虚数の組であり、このことから半径が負である円を'''虚円'''という。
虚円となるためには<math>(x-a)^2+(y-b)^2</math>が負の実数になる必要があり、そのための条件は以下のように求まる。
:<math>(s-ti-a)^2+(u-vi-b)^2=\{(s-a)^2-2(s-a)ti+(-ti)^2\}+\{(u-b)^2-2(u-b)vi+(-vi)^2\}</math>
:<math>=(s^2+u^2)-(t^2+v^2)+2(st+uv)i</math>
:<math>\therefore s^2+u^2<t^2+v^2 \land st+uv=0</math>
==== 円の接線 ====
円<math>x^2+y^2=r^2</math>上のある点<math>(x_1,y_1)</math>で接する接線の方程式は
:<math>x_1x+y_1y=r^2</math>
で表される。
*証明1
:点P<math>(x_1, y_1)</math>は座標軸上にないとする。
:原点OとPを結んだ直線OPの傾きは<math>\frac{y_1}{x_1}</math>。
:接線lはOPに垂直なので、垂直条件よりlの傾きは<math>-\frac{x_1}{y_1}</math>。
:よってlの方程式は<math>y-y_1 = -\frac{x_1}{y_1}(x-x_1)</math>
:<math>\therefore x_1x+y_1y=x^2_1+y^2_1</math>
:点Pは円<math>x^2+y^2=r^2</math>上の点なので、<math>x^2_1+y^2_1=r^2</math>。
:<math>\therefore x_1x+y_1y=r^2</math>・・・①
:<br>
:Pがx軸上またはy軸上にあるとき、接線の方程式は<math>x=\pm r, y=\pm r</math>のいずれかで表される。
:このとき、接線の方程式は①を満たす。
:<br>
:よって、全ての場合に於いて接線の方程式は①である。//
*証明2
(ここに二次方程式の重解を用いた証明)
同様に、円<math>(x-a)^2+(y-b)^2=r^2</math>上のある点<math>(x_2,y_2)</math>で接する接線の方程式は
:<math>(x_2-a)(x-a)+(y_2-b)(y-b)=r^2</math>
で表される。
*証明
:[[高等学校数学I/二次関数#一般の2次関数のグラフ|平行移動の公式]]より、円<math>x^2+y^2=r^2</math>と接線<math>x_2x+y_2y=r^2</math>をx軸方向にa, y軸方向にbだけ平行移動した図形の方程式はそれぞれ<math>(x-a)^2+(y-b)^2=r^2, (x_2-a)(x-a)+(y_2-b)(y-b)=r^2</math>。
:平行移動しても二つの図形の位置関係は変わらないので、後者は前者の接線の方程式である。//
なお、[[高等学校数学C/平面上の曲線#二次曲線の接線|正射影ベクトルを用いた証明]]が高校範囲では最も簡潔である。
====円と直線====
円と直線の位置関係について大きく次の3つに分類することができる。
# 円と直線が2点で交わる(直線が円の内部を通る)
# 円と直線が1点で交わる(直線が円の接線となる)
# 円と直線は交わらない
<!-- これぞれの位置関係の図 -->
一般の円と直線についてそれらの位置関係を分類してみよう。
円 <math>C:(x-p)^2+(y-q)^2 = r^2</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0</math> について、円 <math>C</math> の中心 <math>(p,q)</math> と直線 <math>l</math> の距離 <math>d := \frac{|aq+bq+c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math> とすると、
# <math>r>d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は2点で交わる
# <math>r=d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は1点で交わる
# <math>r<d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は交わらない
他にも、円の方程式と直線の方程式を連立してその実数解の個数で分類する方法もあるが、位置関係を求めるだけなら上の方法のほうが計算量が少ない。
'''演習問題'''
直線 <math>
3x + 4y =1
</math> と円 <math>
(x-3)^2 + (y+2)^2 = 14
</math> の交点の座標を求めよ
'''解答'''
直線の方程式を <math>x</math> について解き、それを円の方程式に代入すればよい。
答えは <math>(2,-1),\left(-\frac{14}{5},\frac{7}{5}\right)</math>
==軌跡と領域==
===軌跡と方程式===
ある条件を満たす点全体がつくる図形を、その条件を満たす点の'''軌跡'''という。
*問題例
**問題
2点<math>\mathrm{A}(1\ ,\ 0)\ ,\ \mathrm{B}(3\ ,\ 2)</math>から等距離にある点<math>\mathrm{P}</math>の軌跡を求めよ。
**解答
条件<math>\mathrm{A} \mathrm{P} = \mathrm{B} \mathrm{P}</math>より、<math>\mathrm{A} \mathrm{P} ^2 = \mathrm{B} \mathrm{P} ^2</math><br>
<math>\mathrm{P}</math>の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>とすると
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} ^2 =(x-1)^2+y^2
</math>
:<math>
\mathrm{B} \mathrm{P} ^2 =(x-3)^2+(y-2)^2
</math>
だから
:<math>
(x-1)^2+y^2=(x-3)^2+(y-2)^2
</math>
整理して、
:<math>
y=-x+3
</math>
したがって、求める軌跡は、直線<math>y=-x+3</math>である。
{| style="border:2px solid orange;width:80%" cellspacing=0
|style="background:orange"|'''軌跡を求める手順'''
|-
|style="padding:5px"|
1.求める軌跡上の任意の点の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>などで表し、与えられた条件を座標の間の関係式で表す。
2.軌跡の方程式を導き、その方程式の表す図形を求める。
3.その図形上の点が条件を満たしていることを確かめる。
|}
*問題例
**問題
2点<math>\mathrm{A}(0\ ,\ 0)\ ,\ \mathrm{B}(3\ ,\ 0)</math>からの距離の比が<math>2:1</math>である点<math>\mathrm{P}</math>の軌跡を求めよ。
**解答
<math>\mathrm{P}</math>の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>とする。<br>
<math>\mathrm{P}</math>を満たす条件は
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} : \mathrm{B} \mathrm{P} =2:1
</math>
すなわち
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} =2 \mathrm{B} \mathrm{P}
</math>
これを座標で表すと
:<math>
\sqrt{x^2+y^2} =2 \sqrt{(x-3)^2+y^2}
</math>
両辺を2乗して、整理すると
:<math>
x^2+y^2-8x+12=0
</math>
すなわち
:<math>
(x-4)^2+y^2=2^2
</math>
したがって、求める軌跡は、中心が<math>(4\ ,\ 0)</math>、半径が<math>2</math>の円である。
<math>m\ ,\ n</math>を異なる正の数とするとき、2点<math>\mathrm{A}\ ,\ \mathrm{B}</math>からの距離の比が<math>m:n</math>である点の軌跡は、線分<math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math>を<math>m:n</math>に内分する点と、外分する点を直径の両端とする円である。この円を'''アポロニウスの円'''という。
<math>m=n</math>のときは、線分<math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math>の垂直二等分線である。
=== 不等式の表す領域 ===
座標平面上で一次方程式<math>y = x + k</math>を満たす点<math>(x, y)</math>全体の集合は<math>k</math>を<math>y</math>切片とする傾き1の直線である。この直線を<math>l</math>とする。
一次不等式<math>y > x + k</math>を満たす点<math>(x, y)</math>全体の集合を考える。
不等式を満たす任意の点<math>P(x_1, y_1)</math>をとる。<math>P</math>を通り<math>x</math>軸に垂直な直線を引き、<math>l</math>との交点を点<math>Q(x_1, y_2)</math>とする。このとき<math>\begin{cases} y_1 > x_1 + k \\ y_2 = x_1 + k \end{cases}</math>より<math>y_1 > y_2</math>が導かれる。故に、点<math>P</math>は直線<math>l</math>よりも上側にある。逆に、直線<math>l</math>よりも上側にある任意の点<math>P</math>は条件を満たす。
同様に、不等式<math>y < x+k</math>を満たす任意の点は直線lよりも下側に存在することがわかる。
一般に、変数<math>x, y</math>についての不等式を満たす座標平面上の点<math>(x, y)</math>全体の集合を、その不等式の表す'''領域'''という。領域の境目となる曲線をその領域の'''境界線'''という。境界線の方程式は、不等式の不等号を等号に変えたものである。
以上のことから、以下が成り立つ。
'''直線と領域'''
直線<math>l : y = ax+b</math>について、
①不等式<math>y > ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の上側の部分。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>y < ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の下側の部分。ただし、境界線を含まない。
③不等式<math>y \geqq ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の上側の部分。ただし、境界線を含む。
④不等式<math>y \leqq ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の下側の部分。ただし、境界線を含む。
直線の場合と同様にして、円を境界線とする領域について以下が成り立つ。
'''円と領域'''
円<math>C : (x-a)^2 + (y-b)^2 = r^2</math>について、
①不等式<math>(x-a)^2 + (y-b)^2 < r^2</math>の表す領域は円<math>C</math>の内部。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>(x-a)^2 + (y-b)^2 > r^2</math>の表す領域は円<math>C</math>の外部。ただし、境界線を含まない。
不等号に等号が含まれる場合は境界線を含む。
一般に、以下が成り立つ。
'''曲線と領域'''
曲線<math>y=f(x)</math>について、
①不等式<math>y < f(x)</math>の表す領域は、曲線の上側の部分。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>y > f(x)</math>の表す領域は、曲線の下側の部分。ただし、境界線を含まない。
曲線<math>x=g(y)</math>について、
③不等式<math>x < g(y)</math>の表す領域は、曲線の左側の部分。ただし、境界線を含まない。
④不等式<math>x > g(y)</math>の表す領域は、曲線の右側の部分。ただし、境界線を含まない。
連立不等式の表す領域は、各不等式を同時に満たす点全体の集合、すなわち各不等式の表す領域の共通部分である。
例えば、不等式<math>xy+1<x+y</math>の表す領域は以下のように求まる。
:不等式を変形すると<math>xy-x-y+1<0</math>すなわち<math>(x-1)(y-1) < 0</math>
:これは<math>\begin{cases} x-1 < 0 \\ y-1 > 0 \end{cases}</math>または<math>\begin{cases} x-1 > 0 \\ y-1 < 0 \end{cases}</math>が成り立つことと同値である。
:すなわち二つの連立不等式<math>\begin{cases} x<1 \\ y>1 \end{cases}, \begin{cases} x>1 \\ y<1 \end{cases}</math>が表す領域の和集合が求める領域である。
:一つ目の連立不等式の表す領域は直線<math>x=1</math>の左側の部分と直線<math>y=1</math>の上側の部分の共通部分、二つ目の連立不等式の表す領域は直線<math>x=1</math>の右側の部分と直線<math>y=1</math>の下側の部分の共通部分なので、求める領域は2直線<math>x=1, y=1</math>で区切られた領域の左上・右下の部分である。ただし、境界線は含まない。
領域の考え方は以下のように応用されている。
一次不等式で表される領域内で一次関数の値を最大化(または最小化)する問題を'''線形計画法'''という。
(ここに例題)
二つの条件<math>p, q</math>について、<math>p \in P, q \in Q</math>という集合<math>P, Q</math>を設定すると、「<math>p \implies q</math>が真」<math>\iff</math>「<math>P \subset Q</math>」が成り立つ。
条件<math>p, q</math>が二変数の不等式で表される場合、領域の考え方を用いて<math>p \implies q</math>の真偽を証明できる場合がある。
(ここに例題)
== コラム ==
[[File:Frans Hals - Portret van René Descartes.jpg|thumb|デカルト]]
このページの分野のように、数式をつかって座標の位置を表して幾何学の問題を解く手法のことを(古典的な意味で)解析幾何学という。
なお、幾何学という言葉自体は、図形の学問というような意味であり、小学校や中学校で習った図形の理論も幾何学である。
中世ヨーロッパの数学者デカルトが、解析幾何学の研究を進めた。なお、デカルトは、哲学の格言「われ思う、ゆえに我あり」でも有名である。
== 演習問題 ==
== 脚注 ==
<references/>
{{DEFAULTSORT:こうとうかつこうすうかくII すけいとほうていしき}}
[[Category:高等学校数学II|すけいとほうていしき]]
[[カテゴリ:図形]]
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304366
304364
2026-10-07T02:02:27Z
~2026-53216-21
92705
/* 円の方程式 */
304366
wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校数学|高等学校数学II|pagename=図形と方程式|frame=1|small=1}}
ここでは直線と円などの性質を座標を用いて考察する。
==点と直線==
===2点間の距離===
[[ファイル:Distance_Formula.svg|右|200x200ピクセル]]
座標平面上の2点 <math>\mathrm{A} \left(x _1\ ,\ y _1 \right)\ ,\ \mathrm{B} \left(x _2\ ,\ y _2 \right)</math> 間の距離 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> を求めてみよう。<br>直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が座標軸に平行でないとき<ref>つまり、直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>x</math> 軸、 <math>y</math> 軸 のどちらとも平行でないとき</ref>、点 <math>\mathrm{C} \left(x _2\ ,\ y _1 \right)</math> をとると
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{C} = |x _2 - x _1|\ ,\ \mathrm{B} \mathrm{C} = |y _2 - y _1|
</math>
<math>\triangle \mathrm{A} \mathrm{B} \mathrm{C}</math> は直角三角形であるから、三平方の定理より
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{B} = \sqrt{\mathrm{A} \mathrm{C} ^2+ \mathrm{B} \mathrm{C} ^2} = \sqrt{|x _2 - x _1|^2+|y _2 - y _1|^2} = \sqrt{(x _2 - x _1)^2+(y _2 - y _1)^2}
</math>
この式は、直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> がx軸、y軸に平行なときにも成り立つ<ref>直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>x</math> 軸に平行なときは <math>\mathrm{BC} = 0</math> であり、 <math>\mathrm{AC} = \mathrm{AB}</math> となる。よって <math>\mathrm{AB} = \sqrt{\mathrm{AC}^2+\mathrm{BC}^2} </math> は成り立つ。直線 <math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math> が <math>y</math> 軸に平行なときも同様</ref>。
特に、原点 <math>\mathrm{O}</math> と点 <math>\mathrm{A} \left(x _1\ ,\ y _1 \right)</math> 間の距離は
:<math>
\mathrm{O} \mathrm{A} = \sqrt{x _1^2 + y _1^2}
</math>
=== 内分点と外分点===
点 <math>
\mathrm{A}(x _0,y _0),\mathrm{B}(x _1,y _1)
</math> と実数 <math>m,n>0</math> に対して、線分 <math>\mathrm{AB}</math> 上の点 <math>\mathrm{P}(x,y)</math> が存在して、<math>\mathrm{AP}:\mathrm{PB} = m:n</math> となるとき、点 <math>\mathrm{P}</math> を <math>\mathrm{A},\mathrm{B}</math> を <math>m:n</math> に内分する点という。
また、線分 <math>\mathrm{AB}</math> 上でない点 <math>\mathrm{P}(x,y)</math> が存在して、<math>\mathrm{AP}:\mathrm{PB} = m:n</math> となるとき、点 <math>\mathrm{P}</math> を <math>\mathrm{A},\mathrm{B}</math> を <math>m:n</math> に外分する点という。
数直線上の点 <math>\mathrm{A}(a),\mathrm{B}(b)</math> を <math>m:n</math> に内分する点と外分する点を求める。
内分点を <math>\mathrm{P}(x)</math> とする。<math>a<b</math> のとき、 <math>\mathrm{AP} = x-a,\mathrm{PB}=b-x</math> なので、 <math>m:n=(x-a):(b-x)</math> なので、 <math>n(x-a)=m(b-x) \iff x = \frac{na+mb}{m+n}</math> である。 <math>a>b</math> のときも同様。
次に外分点を求める。外分点を <math>\mathrm{P}(x)</math> とする。<math>a<b</math> で <math>m>n</math> のとき、<math>x>b</math> となるので、 <math>\mathrm{AP}=x-a,\mathrm{BP}=x-b</math> なので、<math>m:n=(x-a):(x-b)</math> なので、<math>x=\frac{-na+mb}{m-n}</math>
これは、<math>a>b</math> または <math>m<n</math> のときも同様。<ref>外分点の座標は内分点の座標の <math>n</math> を <math>-n</math> にしたものに等しい</ref>
2次元の場合には、一般に点と点との位置関係は、座標軸に平行でなく、それらの距離の内分は複雑になるように思える。しかし、実際には、内分点や外分点を計算するには、上の公式をx,y
の両方向に対して用いればよい。これは、2点をつなぐ線が直線であるので、その直線上である点からの距離が一定の割合となる点をいくつか取ったとき、その点と元の点のx軸方向の座標の変化の割合とy軸方向の座標の変化の割合と直線自身の長さの変化の割合はそれぞれ等しくなるからである。
よって、一般に点<math>A(x _0,y _0),B(x _1,y _1)</math>を、a:bに内分する点と外分する点は、
:内分点
:<math>
(\frac {b x _0 + a x _1} {a +b},
\frac {b y _0 + a y _1} {a +b})
</math>
:外分点
:<math>
(\frac {-b x _0 + a x _1} {a -b},
\frac {-b y _0 + a y _1} {a -b})
</math>
:<math>
=
(
\frac {b x _0 - a x _1} {-a +b},
\frac {b y _0 - a y _1} {-a +b}
)
</math>
で与えられる。
'''演習問題'''
点 <math>
\mathrm{A}(1,0),\mathrm{B}(-4,7)
</math> を3:1にそれぞれ内分、外分する点を求めよ。
'''解答'''
内分点は <math>
\left(\frac {-11}4,\frac{21}4\right)
</math>
外分点は <math>
\left(\frac {-13}2,\frac{21}2\right)
</math>
===三角形の重心===
3点<math>\mathrm{A} \left(x _1 , y _1 \right) , \mathrm{B} \left(x _2 , y _2 \right) , \mathrm{C} \left(x _3 , y _3 \right) </math>を頂点とする三角形の重心 <math>\mathrm{G}</math> の座標を求めてみよう。<br>
線分<math>\mathrm{B} \mathrm{C}</math>の中点<math>\mathrm{M}</math>の座標は
:<math>
\left(\frac {x _2 + x _3}{2} , \frac {y _2 + y _3}{2} \right)
</math>
重心<math>\mathrm{G}</math>は線分<math>\mathrm{A} \mathrm{M}</math>を2:1に内分する点であるから、<math>\mathrm{G}</math>の座標を<math>(x , y)</math>とすると
:<math>
x= \cfrac { 1 \times x _1 + 2 \times \cfrac { x _2 + x _3 } { 2 } } { 2+1 } = \frac { x _1 + x _2 + x _3 } { 3 }</math>
同様に
:<math>
y = \frac { y _1 + y _2 + y _3 } { 3 }
</math>
よって、重心<math>\mathrm{G}</math>の座標は
:<math>
\left(\frac { x _1 + x _2 + x _3 } { 3 } , \frac { y _1 + y _2 + y _3 } { 3 } \right)
</math>
===直線の方程式===
ある点 <math>(x_0,y_0)</math> を通って傾きaの直線の式は、
<math>
y- y_0 = a(x- x_0)
</math>
で与えられる。これは、傾きがyの変化分<math>/</math>xの変化分で表わされ、<math> y-y_0 </math>,<math> x-x_0 </math>はまさに、y,xそれぞれの変化分そのものであることによる。
2点 <math>(x_0,y_0)</math> , <math>(x_1,y_1)</math> を通る直線は傾きが <math>\frac{y_0-y_1}{x_0-x_1}</math> で与えられることを用いると、
<math>
y-y_0 = \frac{y_0-y_1}{x_0-x_1}(x-x_0)
</math>
で与えられる。
'''演習問題'''
それぞれの直線を表わす式を計算せよ。
(i)
傾き-2で、点(-3,1)をっっっk
:<math>
y-y _0 = \frac{y _0-y _1}{x _0-x _1}(x-x _0)
</math>
を用いればよい。
(i)
:<math>
\left[ y=-2\,x-5 \right]
</math>
(ii)
:<math>
\left[ y=4\,x-13 \right]
</math>
また直線の方程式は一般に <math>ax+by+c=0</math> で表される。
====2直線の平行と垂直====
{| style="border:2px solid orange;width:80%" cellspacing=0
|style="background:orange"|'''2直線の平行、垂直'''
|-
|style="padding:5px"|
2直線<math>y=m_1 x+n_1\ ,\ y=m_2 x+n_2</math>について
<div class="center">2直線が平行<math>\Leftrightarrow m_1=m_2</math></div>
<div class="center">2直線が垂直<math>\Leftrightarrow m_1 m_2=-1</math></div>
|}
*問題例
**問題
点<math>(1,4)</math>を通り、直線<math>y=-2x+3</math>に平行な直線、垂直な直線の方程式を求めよ。
**解答
直線<math>y=-2x+3</math>の傾きは<math>-2</math>である。<br>
平行な直線の方程式は
:<math>y-4=-2(x-1)</math>
:<math>y=-2x+6</math>
垂直な直線の傾きを<math>m</math>とすると
:<math>-2m=-1</math>
:<math>m= \frac{1}{2}</math>
よって、垂直な直線の方程式は
:<math>y-4= \frac{1}{2} (x-1)</math>
:<math>y= \frac{1}{2} x+ \frac{7}{2}</math>
===点と直線の距離===
点 <math>\mathrm{P}</math> と直線 <math>l</math> に対し、直線 <math>l</math> 上の点と点 <math>\mathrm{P}</math> の距離の最小値を'''点と直線の距離'''という。これは点 <math>\mathrm{P}</math> から直線 <math>l</math> に下ろした垂線 <math>\mathrm{PH}</math> の長さに等しい。
直線 <math>ax+by+c=0</math> と点 <math>(x_0,y_0)</math> の距離は
:<math>\frac{|ax_0+by_0+c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math>
と表される。
'''証明'''
[[ファイル:Point-to-line2.svg|サムネイル]]点 <math>\mathrm{P}(x_0,y_0)</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0 \quad a,b\neq 0</math> とする。
点 <math>\mathrm{P}</math> から直線 <math>l</math> に垂線を下ろし、垂線の足を点 <math>R</math> とする。
また、点 <math>\mathrm{P}</math> から <math>y</math> 軸に平行な直線を引き、直線 <math>l</math> との交点を点 <math>\mathrm S</math> とする。
次に、図のように、直線 <math>l</math> 上の点 <math>\mathrm T</math> に対して、直線 <math>\mathrm{TV}</math> が <math>x</math> 軸と平行となり、<math>\mathrm{TV} = |b|</math> となるように点 <math>\mathrm V</math> をとり、直線 <math>\mathrm{VU}</math> が <math>y</math> 軸に平行になる点 <math>\mathrm U</math> を直線 <math>l</math> 上に取る。
直線 <math>l</math> の傾きは <math>-\frac{a}{b}</math> となるので <math>\mathrm{VU} = |a|</math> である。
ここで、<math>\bigtriangleup \mathrm{PRS},\bigtriangleup \mathrm{TVU}</math> は直角三角形であり、<math>\angle \mathrm{PSR} = \angle \mathrm{TUV}</math><ref>直線 <math>\mathrm{PS}</math> と直線 <math>\mathrm{VU}</math> は平行なので</ref> なので、<math>\bigtriangleup \mathrm{PRS} \sim \bigtriangleup \mathrm{TVU}</math><ref><math>\sim</math> は相似を意味する</ref> である。したがって
:<math>\frac{\mathrm{PR}}{\mathrm{PS}} = \frac{\mathrm{TV}}{\mathrm{TU}}</math>
また点 <math>\mathrm S</math> の座標を<math>(x_0,m)</math> とすると、<math>\mathrm{PS} = |y_0-m| </math> で、点 <math>\mathrm{P}</math> と直線 <math>l</math> の距離 <math> \mathrm{PR}</math> は、
<math> \mathrm{PR} ={\mathrm{PS}}\cdot \frac{\mathrm{TV}}{\mathrm{TU}} = \frac{|y_0 - m||b|}{\sqrt{a^2 + b^2}} </math>
ところで、点 <math>\mathrm S</math> は直線 <math>l</math> 上の点なので、
:<math>m = \frac{-ax_0 - c}{b}</math>
である。これを代入すれば
:<math> \mathrm{PR} = \frac{|ax_0 + by_0 + c|}{\sqrt{a^2 + b^2}}</math>
:を得る。
:
'''ベクトルを使った証明'''
すでにベクトルを知っているならばこちらの方が簡潔である。
点 <math>\mathrm{P}(x_0,y_0)</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0</math> とし、点 <math>\mathrm{Q}(x_1,y_1)</math> を直線 <math>l</math> 上の点とする。直線 <math>l</math> の法線は <math>\vec n := (a,b)</math> で、<math>\vec{\mathrm{QP}} = (x_0-x_1,y_0-y_1) </math> であるので、直線 <math>l</math> 上の点と点 <math>\mathrm{P}</math> の距離 <math>d</math> は <math>d = \left| \vec{ \mathrm{QP} } \cdot \frac{\vec n}{||\vec n||}\right| = \left|(x_0-x_1,y_0-y_1)\cdot \frac{(a,b)}{\sqrt{a^2+b^2}}\right| = \frac{|ax_0 + by_0 - (ax_1 + by_1)|}{\sqrt{a^2+b^2}} = \frac{|ax_0 + by_0 +c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math><ref>点 <math>\mathrm{Q}(x_1,y_1)</math> は直線 <math>l</math> 上の点なので <math>ax_1+by_1=-c</math> である。</ref> である。
'''演習問題'''
直線 <math>x-2y-3=0</math> と点 <math>(1,2)</math> の距離を求めよ
'''解答'''
<math>\frac{6}{\sqrt 5}</math>
==円==
====円の方程式====
中心 <math>\mathrm{C}(a,b)</math> 半径 <math>r</math> の円は、<math>\mathrm{CP} =r</math> となる点 <math>\mathrm{P}</math> の集合である。つまり、 <math>r = \sqrt{(x-a)^2+(y-b)^2}</math> となる点 <math>(x,y)</math> の集合である。この方程式の両辺は正なので2乗して
<math>
(x-a)^2+(y-b)^2 = r^2
</math>
を得る。これが円の方程式である。
特に原点が中心で半径 <math>r</math> の円の方程式は <math>
x^2+y^2 = r^2
</math> で与えられる。
'''演習問題'''
# 中心 <math>(2,4)</math> 半径 <math>3</math> の円の方程式を求めよ
# 円 <math>
y^2+2\,y+x^2-6\,x+5=0
</math> の中心と半径を求めよ
'''解答'''
# <math>
(x-2)^2+(y-4)^2 = 9
</math>
# <math>
y^2+2\,y+x^2-6\,x+5=0 \iff (x-3)^2 + (y +1)^2 = 5
</math> なので中心 <math>
(3,-1)
</math> 半径 <math>
\sqrt 5
</math>
方程式 <math>x^2+y^2+lx+my+n = 0</math> はいつも円であるとは限らない。
方程式を変形して <math>(x-a)^2+(y-b)^2 = k</math> となるとき
# <math>k>0</math> のとき方程式は円を表す
# <math>k=0</math> のとき方程式は1点 <math>(a,b)</math> を表す
# <math>k<0</math> のとき方程式の左辺は常に正なので、<math>xy</math>平面に方程式の表す図形はない
<math>k<0</math>のとき、<math>x=s+ti, y=u+vi</math>とおくと[[高等学校数学C/複素数平面|複素数平面]]の考え方より<math>(x-a)^2+(y-b)^2 = k</math>の表す図形は四次元直交座標の<math>stuv</math>空間(正確には<math>\mathbb{C}^2</math>)のうち、実数平面である<math>su</math>平面と交わらない領域に存在すると考えることができる。則ち<math>k<0</math>に対応する円上の点<math>(x, y)</math>は虚数の組であり、このことから半径が負である円を'''虚円'''という。
虚円となるためには<math>(x-a)^2+(y-b)^2</math>が負の実数になる必要があり、そのための条件は以下のように求まる。
:<math>(s+ti-a)^2+(u+vi-b)^2</math>
:<math>=\{(s-a)^2+2(s-a)ti+(ti)^2\}+\{(u-b)^2+2(u-b)vi+(vi)^2\}</math>
:<math>=\{(s-a)^2+(u-b)^2\}-(t^2+v^2)+2\{(s-a)t+(u-b)v\}i</math>
:<math>\therefore (s-a)^2+(u-b)^2 < t^2+v^2 \land (s-a)t+(u-b)v=0</math>
ちなみに、これは複素ベクトルで考えてみると自然な条件に落ちる。
:<math>\vec{r}=\begin{pmatrix} s \\ u \end{pmatrix}, \vec{a}=\begin{pmatrix} a \\ b \end{pmatrix}, \vec{q}=\begin{pmatrix} t \\ v \end{pmatrix}</math>とすると
::<math>\begin{pmatrix} x-a \\ y-b \end{pmatrix}=(\vec{r}-\vec{a})+\vec{q}i</math>
:<math>(s-a)^2+(u-b)^2 < t^2+v^2</math>は両辺正なので平方根をとっても大小関係が保たれ、
::<math>\sqrt{(s-a)^2+(u-b)^2} < \sqrt{t^2+v^2}</math>
:これはベクトルの大きさに直せて
::<math>|\vec{r}-\vec{a}|<|\vec{q}|</math>
:これは「実部側の距離が虚部側の距離より小さい」という条件である。
:<math>(s-a)t+(u-b)v=0</math>を内積で書くと
::<math>(\vec{r}-\vec{a})\cdot\vec{q}=0</math>
:これは「実部ベクトルと虚部ベクトルが直交する」という条件である。
==== 円の接線 ====
円<math>x^2+y^2=r^2</math>上のある点<math>(x_1,y_1)</math>で接する接線の方程式は
:<math>x_1x+y_1y=r^2</math>
で表される。
*証明1
:点P<math>(x_1, y_1)</math>は座標軸上にないとする。
:原点OとPを結んだ直線OPの傾きは<math>\frac{y_1}{x_1}</math>。
:接線lはOPに垂直なので、垂直条件よりlの傾きは<math>-\frac{x_1}{y_1}</math>。
:よってlの方程式は<math>y-y_1 = -\frac{x_1}{y_1}(x-x_1)</math>
:<math>\therefore x_1x+y_1y=x^2_1+y^2_1</math>
:点Pは円<math>x^2+y^2=r^2</math>上の点なので、<math>x^2_1+y^2_1=r^2</math>。
:<math>\therefore x_1x+y_1y=r^2</math>・・・①
:<br>
:Pがx軸上またはy軸上にあるとき、接線の方程式は<math>x=\pm r, y=\pm r</math>のいずれかで表される。
:このとき、接線の方程式は①を満たす。
:<br>
:よって、全ての場合に於いて接線の方程式は①である。//
*証明2
(ここに二次方程式の重解を用いた証明)
同様に、円<math>(x-a)^2+(y-b)^2=r^2</math>上のある点<math>(x_2,y_2)</math>で接する接線の方程式は
:<math>(x_2-a)(x-a)+(y_2-b)(y-b)=r^2</math>
で表される。
*証明
:[[高等学校数学I/二次関数#一般の2次関数のグラフ|平行移動の公式]]より、円<math>x^2+y^2=r^2</math>と接線<math>x_2x+y_2y=r^2</math>をx軸方向にa, y軸方向にbだけ平行移動した図形の方程式はそれぞれ<math>(x-a)^2+(y-b)^2=r^2, (x_2-a)(x-a)+(y_2-b)(y-b)=r^2</math>。
:平行移動しても二つの図形の位置関係は変わらないので、後者は前者の接線の方程式である。//
なお、[[高等学校数学C/平面上の曲線#二次曲線の接線|正射影ベクトルを用いた証明]]が高校範囲では最も簡潔である。
====円と直線====
円と直線の位置関係について大きく次の3つに分類することができる。
# 円と直線が2点で交わる(直線が円の内部を通る)
# 円と直線が1点で交わる(直線が円の接線となる)
# 円と直線は交わらない
<!-- これぞれの位置関係の図 -->
一般の円と直線についてそれらの位置関係を分類してみよう。
円 <math>C:(x-p)^2+(y-q)^2 = r^2</math> と直線 <math>l:ax+by+c=0</math> について、円 <math>C</math> の中心 <math>(p,q)</math> と直線 <math>l</math> の距離 <math>d := \frac{|aq+bq+c|}{\sqrt{a^2+b^2}}</math> とすると、
# <math>r>d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は2点で交わる
# <math>r=d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は1点で交わる
# <math>r<d</math> のとき、円 <math>C</math> と直線 <math>l</math> は交わらない
他にも、円の方程式と直線の方程式を連立してその実数解の個数で分類する方法もあるが、位置関係を求めるだけなら上の方法のほうが計算量が少ない。
'''演習問題'''
直線 <math>
3x + 4y =1
</math> と円 <math>
(x-3)^2 + (y+2)^2 = 14
</math> の交点の座標を求めよ
'''解答'''
直線の方程式を <math>x</math> について解き、それを円の方程式に代入すればよい。
答えは <math>(2,-1),\left(-\frac{14}{5},\frac{7}{5}\right)</math>
==軌跡と領域==
===軌跡と方程式===
ある条件を満たす点全体がつくる図形を、その条件を満たす点の'''軌跡'''という。
*問題例
**問題
2点<math>\mathrm{A}(1\ ,\ 0)\ ,\ \mathrm{B}(3\ ,\ 2)</math>から等距離にある点<math>\mathrm{P}</math>の軌跡を求めよ。
**解答
条件<math>\mathrm{A} \mathrm{P} = \mathrm{B} \mathrm{P}</math>より、<math>\mathrm{A} \mathrm{P} ^2 = \mathrm{B} \mathrm{P} ^2</math><br>
<math>\mathrm{P}</math>の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>とすると
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} ^2 =(x-1)^2+y^2
</math>
:<math>
\mathrm{B} \mathrm{P} ^2 =(x-3)^2+(y-2)^2
</math>
だから
:<math>
(x-1)^2+y^2=(x-3)^2+(y-2)^2
</math>
整理して、
:<math>
y=-x+3
</math>
したがって、求める軌跡は、直線<math>y=-x+3</math>である。
{| style="border:2px solid orange;width:80%" cellspacing=0
|style="background:orange"|'''軌跡を求める手順'''
|-
|style="padding:5px"|
1.求める軌跡上の任意の点の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>などで表し、与えられた条件を座標の間の関係式で表す。
2.軌跡の方程式を導き、その方程式の表す図形を求める。
3.その図形上の点が条件を満たしていることを確かめる。
|}
*問題例
**問題
2点<math>\mathrm{A}(0\ ,\ 0)\ ,\ \mathrm{B}(3\ ,\ 0)</math>からの距離の比が<math>2:1</math>である点<math>\mathrm{P}</math>の軌跡を求めよ。
**解答
<math>\mathrm{P}</math>の座標を<math>(x\ ,\ y)</math>とする。<br>
<math>\mathrm{P}</math>を満たす条件は
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} : \mathrm{B} \mathrm{P} =2:1
</math>
すなわち
:<math>
\mathrm{A} \mathrm{P} =2 \mathrm{B} \mathrm{P}
</math>
これを座標で表すと
:<math>
\sqrt{x^2+y^2} =2 \sqrt{(x-3)^2+y^2}
</math>
両辺を2乗して、整理すると
:<math>
x^2+y^2-8x+12=0
</math>
すなわち
:<math>
(x-4)^2+y^2=2^2
</math>
したがって、求める軌跡は、中心が<math>(4\ ,\ 0)</math>、半径が<math>2</math>の円である。
<math>m\ ,\ n</math>を異なる正の数とするとき、2点<math>\mathrm{A}\ ,\ \mathrm{B}</math>からの距離の比が<math>m:n</math>である点の軌跡は、線分<math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math>を<math>m:n</math>に内分する点と、外分する点を直径の両端とする円である。この円を'''アポロニウスの円'''という。
<math>m=n</math>のときは、線分<math>\mathrm{A} \mathrm{B}</math>の垂直二等分線である。
=== 不等式の表す領域 ===
座標平面上で一次方程式<math>y = x + k</math>を満たす点<math>(x, y)</math>全体の集合は<math>k</math>を<math>y</math>切片とする傾き1の直線である。この直線を<math>l</math>とする。
一次不等式<math>y > x + k</math>を満たす点<math>(x, y)</math>全体の集合を考える。
不等式を満たす任意の点<math>P(x_1, y_1)</math>をとる。<math>P</math>を通り<math>x</math>軸に垂直な直線を引き、<math>l</math>との交点を点<math>Q(x_1, y_2)</math>とする。このとき<math>\begin{cases} y_1 > x_1 + k \\ y_2 = x_1 + k \end{cases}</math>より<math>y_1 > y_2</math>が導かれる。故に、点<math>P</math>は直線<math>l</math>よりも上側にある。逆に、直線<math>l</math>よりも上側にある任意の点<math>P</math>は条件を満たす。
同様に、不等式<math>y < x+k</math>を満たす任意の点は直線lよりも下側に存在することがわかる。
一般に、変数<math>x, y</math>についての不等式を満たす座標平面上の点<math>(x, y)</math>全体の集合を、その不等式の表す'''領域'''という。領域の境目となる曲線をその領域の'''境界線'''という。境界線の方程式は、不等式の不等号を等号に変えたものである。
以上のことから、以下が成り立つ。
'''直線と領域'''
直線<math>l : y = ax+b</math>について、
①不等式<math>y > ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の上側の部分。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>y < ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の下側の部分。ただし、境界線を含まない。
③不等式<math>y \geqq ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の上側の部分。ただし、境界線を含む。
④不等式<math>y \leqq ax+b</math>の表す領域は直線<math>l</math>の下側の部分。ただし、境界線を含む。
直線の場合と同様にして、円を境界線とする領域について以下が成り立つ。
'''円と領域'''
円<math>C : (x-a)^2 + (y-b)^2 = r^2</math>について、
①不等式<math>(x-a)^2 + (y-b)^2 < r^2</math>の表す領域は円<math>C</math>の内部。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>(x-a)^2 + (y-b)^2 > r^2</math>の表す領域は円<math>C</math>の外部。ただし、境界線を含まない。
不等号に等号が含まれる場合は境界線を含む。
一般に、以下が成り立つ。
'''曲線と領域'''
曲線<math>y=f(x)</math>について、
①不等式<math>y < f(x)</math>の表す領域は、曲線の上側の部分。ただし、境界線を含まない。
②不等式<math>y > f(x)</math>の表す領域は、曲線の下側の部分。ただし、境界線を含まない。
曲線<math>x=g(y)</math>について、
③不等式<math>x < g(y)</math>の表す領域は、曲線の左側の部分。ただし、境界線を含まない。
④不等式<math>x > g(y)</math>の表す領域は、曲線の右側の部分。ただし、境界線を含まない。
連立不等式の表す領域は、各不等式を同時に満たす点全体の集合、すなわち各不等式の表す領域の共通部分である。
例えば、不等式<math>xy+1<x+y</math>の表す領域は以下のように求まる。
:不等式を変形すると<math>xy-x-y+1<0</math>すなわち<math>(x-1)(y-1) < 0</math>
:これは<math>\begin{cases} x-1 < 0 \\ y-1 > 0 \end{cases}</math>または<math>\begin{cases} x-1 > 0 \\ y-1 < 0 \end{cases}</math>が成り立つことと同値である。
:すなわち二つの連立不等式<math>\begin{cases} x<1 \\ y>1 \end{cases}, \begin{cases} x>1 \\ y<1 \end{cases}</math>が表す領域の和集合が求める領域である。
:一つ目の連立不等式の表す領域は直線<math>x=1</math>の左側の部分と直線<math>y=1</math>の上側の部分の共通部分、二つ目の連立不等式の表す領域は直線<math>x=1</math>の右側の部分と直線<math>y=1</math>の下側の部分の共通部分なので、求める領域は2直線<math>x=1, y=1</math>で区切られた領域の左上・右下の部分である。ただし、境界線は含まない。
領域の考え方は以下のように応用されている。
一次不等式で表される領域内で一次関数の値を最大化(または最小化)する問題を'''線形計画法'''という。
(ここに例題)
二つの条件<math>p, q</math>について、<math>p \in P, q \in Q</math>という集合<math>P, Q</math>を設定すると、「<math>p \implies q</math>が真」<math>\iff</math>「<math>P \subset Q</math>」が成り立つ。
条件<math>p, q</math>が二変数の不等式で表される場合、領域の考え方を用いて<math>p \implies q</math>の真偽を証明できる場合がある。
(ここに例題)
== コラム ==
[[File:Frans Hals - Portret van René Descartes.jpg|thumb|デカルト]]
このページの分野のように、数式をつかって座標の位置を表して幾何学の問題を解く手法のことを(古典的な意味で)解析幾何学という。
なお、幾何学という言葉自体は、図形の学問というような意味であり、小学校や中学校で習った図形の理論も幾何学である。
中世ヨーロッパの数学者デカルトが、解析幾何学の研究を進めた。なお、デカルトは、哲学の格言「われ思う、ゆえに我あり」でも有名である。
== 演習問題 ==
== 脚注 ==
<references/>
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[[Category:高等学校数学II|すけいとほうていしき]]
[[カテゴリ:図形]]
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高等学校物理/原子物理
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このページでは、電子と光の粒子性・波動性(量子論の入り口)、原子と原子核の構造、放射線と核反応、素粒子を扱う。
== 電子と光 ==
この章では、電子の発見と電気素量の測定、光電効果・X線・コンプトン効果に現れる光の粒子性、電子の波動性を扱う。
=== 電子の発見と測定 ===
==== 陰極線 ====
[[File:12. Тлеечко празнење.ogv|thumb|400x400px|中央|低圧のガラス管でのグロー放電(真空放電)の実験動画]]
両極に電極を封入したガラス管に高電圧を加えるとき、内部の気体を抜いていくと管全体が内部気体特有の発光を示す。このような稀薄気体による放電を'''真空放電'''という。最近は減りつつあるが、蛍光灯は低圧のガラス管に少量の水銀蒸気を入れて真空放電を起こすことにより、水銀から紫外線を発生させて蛍光塗料を光らせている。
1858年、ドイツのプリュッカーは真空放電の実験の中で、ガラス管内の真空度を増すとあるとき管内の光が消えて正極側の管壁が蛍光を発することを発見した。これを受けて、1874年にイギリスのクルックスが「負極から出た何かが正極に向かって進んで管壁にぶつかることによって蛍光する」という考えを提唱した。ここで、正極・負極をそれぞれ'''陽極'''・'''陰極'''、陰極から出る何かを'''陰極線'''と名づけた。
<gallery widths="150">
File:Katódsugarak mágneses mezőben(1).jpg|クルックス管。陰極は右側にある。陽極は下部にある。
File:Katódsugarak mágneses mezőben(2).jpg|陰極線は、陰極から飛び出て進み、管壁にぶつかって蛍光を発させる。十字状の物体と同じ形の影が出来ることから陰極線が物体に遮られることも確認できる。
File:Katódsugarak mágneses mezőben(3).jpg|U字磁石を配置して平行な磁場を与えると、陰極線は上に曲げられる。
File:Katódsugarak mágneses mezőben(4).jpg|今度はU字磁石を逆に配置して平行な磁場を与えると、陰極線は下に曲げられる。
</gallery>
その後、さまざまな実験により陰極線の性質が解明された。
*写真フィルムを感光する
*蛍光物質に当てると発光を示す
*物体に遮られ、その後ろに影を作る
*電場や磁場に、負電荷と同様の影響を受ける
*これらの性質は陰極の金属の種類や管内の気体の種類に依存しない
これらを総合すると、「陰極線は負電荷を持つある特定の粒子の流れで、その粒子はすべての金属に含まれる」という仮説が立つ。
この粒子の正体を調べるために、次のような実験が行われた。
==== トムソンの実験 ====
1897年、イギリスのトムソンは陰極線が電場や磁場でどのように曲げられるかを詳しく調べた。
真空中に間隔d、長さlの平行平板電極a, bを上から順に置き、電極面に平行に、電極間に向けて左から速さvで質量m、電荷-eの荷電粒子を入射する。電極の右端から距離Lだけ離れたところに蛍光物質を塗ったスクリーンを置いて粒子の到達地点を記録する。電子の入射方向にx軸をとり、電極の左端を通りスクリーンに平行な直線をy軸とする。また、表から裏の向きにz軸をとる。粒子の質量mは非常に小さい値と考えられるので、重力の影響は無視する。
まず、極板間にy軸の負の向きに大きさVの電圧をかける。このとき、極板間の電場は一様になるので、電場の強さは<math>E = \frac{V}{d}</math>と求まる。粒子は負電荷なので電場の向きと逆、すなわちy軸の正の向きに電場からの力を受け、その大きさは<math>F = |-e| E = \frac{eV}{d}</math>である。よって粒子の加速度は運動方程式より<math>a = \frac{eV}{md}</math>と求まる。
このとき、x軸方向は等速直線運動、y軸方向は等加速度運動をするので、xy平面上では放物運動をすると見做せる。x軸方向で考えると、速さvでlだけ移動する時間は、距離=速さ×時間より<math>t_1 = \frac{l}{v}</math>である。y軸方向で考えると、粒子が電極を抜ける瞬間のy座標は<math>y_1 = \frac{1}{2} at^2_1 = \frac{el^2V}{2mdv^2}</math>と求まる。
電極を抜けた粒子は等速直線運動を行うので、粒子が電極を抜けてからスクリーンに到達する時間はx軸方向で考えると<math>t_2 = \frac{L}{v}</math>である。y軸方向は位置<math>y_1</math>に達したときの速度で等速運動をするので、<math>v_y = at_1 = \frac{elV}{mdv}</math> である。よって、電極を通過した後のy方向の移動距離は<math>y_2 = v_y t_2 = \frac{elLV}{mdv^2}</math>と求まる。スクリーンに到達したときの粒子のy座標は<math>y_0 = y_1 + y_2 = \frac{el^2V}{2mdv^2} + \frac{elLV}{mdv^2} = \frac{el(l+2L)V}{2mdv^2}</math>である。
次に、電極間にだけz軸の正方向に一様な磁場を加える。入射した粒子が直進するように磁場を調整すると、粒子が電場から受けるクーロン力と磁場から受けるローレンツ力が釣り合うので、磁束密度の大きさについて力の釣り合いの式より<math>B = \frac{V}{vd}</math>が成り立つ。よって<math>y_0 = \frac{el(l+2L)B}{2mv}</math>である。
これらを総合すると、<math>y_0 = \frac{e}{m} \times \frac{l(l+2L)B}{2v} </math>より<math>\frac{e}{m} = \frac{2y_0v}{l(l+2L)B} = \frac{2y_0E}{l(l+2L)B^2} = \frac{y_0V}{l(\frac{l}{2}+L)dB^2}</math>と求まる。
この<math>\frac{e}{m}</math>を荷電粒子の'''比電荷'''という。当時、最終的に求まった式に含まれる定数はすべて測定可能だったので、比電荷の値を求めることができた。現在の精密な測定値は、<math>\frac{e}{m} \fallingdotseq 1.75882001076 \times 10^{11}</math> C/kgである。
この比電荷は陰極に用いる金属や管内の気体の種類に依存しないので、物質の中には負電荷を持った粒子が共通に含まれることが証明された。この粒子は'''電子'''と名付けられた。現在では、この電子が電気の正体であると分かっている。
なお、電子の具体的な質量や電気量の測定は1909年のミリカンの実験を待つことになる。
==== ミリカンの実験 ====
ミリカンの実験は、霧吹きなどで作った微小な油滴をX線やラジウムなどで帯電させ、外部から電場を加えて、油滴の電荷の値を調べる実験である。電極板は、電場による静電気力が上向きにはたらくように設置する。油滴には重力(下向き)と静電気力(上向き)がはたらくので、両者が釣り合って静止したときの電場から、電荷の値が求まる。
油滴の質量をm、電気量を-q、電場の強さをE、重力加速度をgとすると、油滴に働く重力とクーロン力が釣り合っているので、<math>mg = |-q|E</math>である。
電場の強さを0にすると、油滴は自由落下運動を始めるが、空気抵抗によって終端速度vで落下するようになる。このとき、油滴に働く重力と空気抵抗力が釣り合っているので、空気抵抗の比例定数をkとして<math>mg = kv</math>が成り立つ。
総合して、<math>q = \frac{kv}{E}</math>を得る。
この実験を繰り返して測定した電荷の値は、すべて 1.6×10<sup>-19</sup> Cの整数倍になった。このことから、電子1個の電気量の大きさが 1.6×10<sup>-19</sup> Cであると分かった。
この 1.6×10<sup>-19</sup> Cを'''電気素量'''という。
現在では、電気素量は <math>e = 1.602 \, 176 \, 634 \times 10^{-19} \, \mathrm C</math> と定義されている。
この値とトムソンの実験で求めた比電荷の値から、電子の質量は<math>m = \frac{e}{e/m} \fallingdotseq 9.1093837015 \times 10^{-31} </math> kgと求まる。
{{コラム|ミリカン以前の電気素量の測定|
19世紀前半、ファラデーらの電気分解の研究により、電気分解で析出・発生する物質の量は流れた電気量に比例することが知られていた。また、電気分解で発生した気体は帯電していることも知られていた。イギリスの物理学者タウンゼントは、このような気体に含まれる電荷の合計と、気体の量(粒子の数)とを測定することにより、電子1個あたりの電荷(電気素量)を概算した。
得られた値は、現在の値と桁が同じ程度のものであった。
}}
=== 光の粒子性 ===
==== 光電効果 ====
[[File:Photoelectric effect diagram no label.svg|thumb|300px|電子の運動エネルギーの最大値と、光の振動数との関係]]
負の電荷に帯電させてある金属板に、紫外線を当てると、電子が飛び出してくることがある。この現象を、'''光電効果'''という。1887年、ヘルツによって、光電効果が発見された。レーナルトによって、光電効果の特徴が明らかになった。
当てる光の振動数が、一定の高さ以上だと、光電効果が起きる。この振動数を'''限界振動数'''といい、これより低周波数の光では、光電効果が起こらない。また、限界振動数のときの波長を、'''限界波長'''という。
限界振動数は物質によって異なる。亜鉛板では紫外線でないと光電効果が起きないが、セシウムでは可視光でも光電効果が起きる。
光電効果とは、物質中(主に金属)の電子が光からエネルギーを受け取って外部に飛び出す現象のことである。
この飛び出した電子を'''光電子'''という。
光電効果には次のような特徴的な性質がある。
:* 光の振動数がある振動数(限界振動数)以上でないと起こらない。
:* 光電子の運動エネルギーの最大値は当てた光の振動数のみに依存し、光の強さには依存しない。
:* 単位時間あたりに飛び出す光電子数は、光の強さに比例する。
:* 光を当ててから光電子が飛び出すまでの時間の遅れがほとんどない(光が弱くても、限界振動数以上であればほぼ瞬時に起こる)。
これらの性質のうち、1番目・2番目・4番目の性質は、古典物理学では説明できない。光を電磁波という波動の性質だけで捉えると、実験結果と矛盾が生じる。
仮に電磁波の電場によって金属から電子が放出すると考えた場合、光の強さが大きくなるにつれ光波の振幅が大きくなるので、電場も大きくなるはずである。
しかし、実験結果によれば光電子の運動エネルギーは光の強さには依存しない。
よって光電効果は古典物理学では説明できない。
また、光が弱いときには、電子がエネルギーを蓄えて飛び出すまでに時間がかかるはずであるが、実際にはほぼ瞬時に光電子が飛び出す(4番目の性質)。これも波動の理論では説明できない。
===== アインシュタインの光量子仮説 =====
古典的な電磁波理論では光電効果を説明できないという矛盾を解決するために、次のような'''光量子仮説'''がアインシュタインによって提唱された。
* 光は、光子の流れである。光子を、光量子ともいう。
* 光子1個の光エネルギー <math>E</math>は、光の振動数 <math>\nu </math> に比例する。
*:<math>E=h\nu</math>
比例定数 <math>h = 6.62607015 \times 10 ^{-34} \, \mathrm{J \cdot s}</math>を'''プランク定数'''という。
光電効果を起こすのに必要な最小エネルギーを'''仕事関数'''という。仕事関数の値は金属の種類によって異なる。
仕事関数を <math>W</math>とすると、光電子の運動エネルギーの最大値 <math>K_0</math>について、次式が得られる。
:<math> K _0 = h \nu - W </math> (1.1)
この式より、光電効果が起こる条件は <math>h \nu \geqq W</math> となる。これは <math>K_0 \geqq 0</math>に相当する。
これより、限界振動数 <math>\nu_0</math>について、<math>h\nu_0=W</math>が成り立つ。
この光量子仮説により、光電効果の1番目・2番目・4番目の性質を矛盾なく説明できるようになった。光は、粒子のように振る舞う。
なお、光電効果の3番目の性質から、ある場所の光の強さは、その場所に単位時間・単位面積あたりに飛来する光子の数に比例することが分かる。
==== エネルギーの単位:電子ボルト ====
電子や光子一個のエネルギーは非常に小さいので、ジュール(J)をそのまま用いると使い勝手が悪い。そのため、新たにエネルギーの単位を設定する。
真空中において電子一個を1 Vの電圧で加速するときに電子が得る運動エネルギーを'''電子ボルト'''('''エレクトロンボルト''')という(記号:eV)。<math>1 \mathrm{eV} = 1.60 \times 10^{-19} \mathrm{J}</math>である。
例:銅の仕事関数は4.65 eVである。
{{コラム|光波長の測定|
光の波長は、どのようにして測定されたのか。
現在では、例えば原子の発光スペクトルの波長測定なら、回折格子をプリズムとして使うことによって、波長ごとに分け、波長が測定されている。
可視光の波長の測定は回折格子によって測定するわけだが、ではその回折格子の細かい数百nm〜数千nm程度の間隔の格子溝をどうやって作るのか、という問題がある。
歴史的には、次のようにして可視光の波長が測定されていった。
まず、1800年代初めの「ヤングの実験」で有名なヤングらの研究により、可視光の波長は、おおむね数百 nm(10<sup>-7</sup>m 程度)であることが、この頃から既に予想されていた。現在の値では、可視光の波長は約 380 nm 〜 780 nm である。
その後、ドイツのレンズの研磨工だったフラウンホーファーが優れた回折格子を開発し、可視光の波長を精密に測定する事に成功した。フラウンホーファーは回折格子を作るために細い針金を用いた加工装置を製作し、その加工機で製作された回折格子を用いて光波長の測定を始めたのが研究の起こりである。1821年、フラウンホーファーは格子を130 本/cmも並べた回折格子を製作した。<ref>『現代総合科学教育大系 SOPHIA21 第7巻 運動とエネルギー』、講談社、発行:昭和59年4月21日第一刷発行発行</ref>
また、1870年ごろにはアメリカのラザファードがスペキュラムという光の反射性の高い合金を用いた反射型の回折格子を製作し、これによって700 本/mmもの格子のある回折格子を製作した。
更にこの頃、送り螺子の潤滑のために水銀を使う水銀浮遊法が、研究開発で行われた。
後の時代、より高精度な波長測定が物理学者マイケルソンによって行われた。
干渉計を用いて反射鏡を精密螺子で細かく動かすことにより高精度な波長測定器を作り、この測定器によってカドミウムの赤色スペクトル線を測定した。測定波長は643.84696 nmだった。マイケルソンの測定方法では、赤色スペクトル光の波長を当時のメートル原器と比較することで測定した。<ref>川上親考ほか『新図詳エリア教科辞典 物理』、学研、発行:1994年3月10日新改訂版第一刷、P.244 および P.233</ref>
このマイケルソンの制作した干渉計にも、水銀浮遊法の技術が取り入れられている<ref>クリス・エヴァンス 著、橋本洋・上野滋 共訳『精密の歴史』、大河出版、2001年11月28日 再版、185ページ</ref>。
更に螺子の技術革新で、弾力性のある材質で螺子を作ることによって誤差を均し高精度とする技術マートン・ナットが、イギリスの物理学者トーマス・ラルフ・マートンなどによって開発された。
なお、現代でも、研究用として干渉計を用いた波長測定器が用いられている。メートル原器は、マイケルソン当時は長さの基準だったが、1960年にクリプトン86の発する光の波長に基づく定義に改められて標準ではなくなり、さらに1983年からは光速に基づく定義となっている。現在のメートルの定義は次のとおりである。
;メートルの定義
:真空中の光速 <math>c</math> を単位 m/s で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。
:ここで、秒はセシウム周波数 <math>\Delta \nu_{\mathrm{Cs}}</math> によって定義される。
}}
==== 光電効果の測定 ====
[[File:Cellule photoelectriqie.JPG|thumb|300px|光電効果の実験]]
[[File:Caracteristique courant tension (frequence fixe).JPG|thumb|300px|電位と光電流の関係]]
光電効果の実験図のように、光電管の陰極に限界振動数ν<sub>0</sub>よりも振動数が大きい光を当てると、光電子が飛び出し陽極に流れ込む。このときの電流を'''光電流'''という。
光電流の測定結果は、右のグラフのようになる。
陽極の電位が正であれば飛び出した光電子は全て陽極に流れこむため、電圧を高くしても光電流の大きさは一定である。
陽極の電位が0であっても、光電子は運動エネルギー<math>K_0</math>を持って飛び出すので、陽極に到達することができる。
陽極の電位を負にしてさらに下げると、光電子は電場から受けるクーロン力によって運動を妨げられ、ある電位 <math>-V_0</math>で陽極に到達する前に運動エネルギーが0になってしまう。このときの電圧 <math>V_0</math>を'''阻止電圧'''といい、<math>K_0 = eV_0</math>が成り立つ。
つまり、阻止電圧を測定すれば光電子の持つ運動エネルギー <math>K_0</math>を求めることができる。
このとき、光の振動数 <math>\nu</math>または光の波長 <math>\lambda</math>が分かっていれば、<math>K_0 = h \nu - W = \frac{hc}{\lambda} - W</math>より金属の仕事関数 <math>W</math>も求めることができる。
ただし、陽極と陰極で金属の種類が異なるとき、これらの仕事関数の違いに伴い'''接触電位差'''が現れるため、それも考慮しなければならない。
なお、光電効果によってプランク定数を測定することもできる。光の振動数 <math>\nu</math> を変えながら阻止電圧 <math>V_0</math> を測定し、<math>K_0 = eV_0 = h\nu - W</math> より
:<math>V_0 = \frac{h}{e}\nu - \frac{W}{e}</math>
とすると、<math>V_0</math> を縦軸、<math>\nu</math> を横軸にとったグラフは直線になる。この直線の傾きは <math>\frac{h}{e}</math>、横軸との交点は限界振動数 <math>\nu_0</math>、縦軸との交点は <math>-\frac{W}{e}</math> である。傾きに電気素量 <math>e</math> を掛ければプランク定数 <math>h</math> が求まる。
<!-- [[ファイル:photoelectric-stopping-voltage-line.svg|thumb|阻止電圧 <math>V_0</math> と振動数 <math>\nu</math> の関係。直線の傾きは <math>h/e</math> で金属によらず、横軸との交点が限界振動数 <math>\nu_0</math>。|400px]] -->
{{コラム|例題:光電効果|
;問
:銅の仕事関数を 4.65 eV とする。波長 200 nm の紫外線を銅に当てたとき、(1) 光電子の運動エネルギーの最大値、(2) 阻止電圧、(3) 光電効果が起こる限界波長を求めよ。ただし <math>hc \fallingdotseq 1240 \, \mathrm{eV \cdot nm}</math> とする。
;解答
:(1) 光子のエネルギーは <math>\frac{hc}{\lambda} = \frac{1240}{200} = 6.2 \, \mathrm{eV}</math> であるから、<math>K_0 = 6.2 - 4.65 = 1.55 \, \mathrm{eV} \fallingdotseq 1.6 \, \mathrm{eV}</math>(約 <math>2.5 \times 10^{-19} \, \mathrm{J}</math>)。
:(2) <math>K_0 = eV_0</math> より、<math>V_0 \fallingdotseq 1.6 \, \mathrm{V}</math>。
:(3) <math>\frac{hc}{\lambda_0} = W</math> より、<math>\lambda_0 = \frac{1240}{4.65} \fallingdotseq 267 \, \mathrm{nm}</math>。
}}
=== X線 ===
==== X線の発見 ====
[[File:Rotating anode x-ray tube (labeled).jpg|thumb|250px|X線管<br>陰極から出た陰極線を陽極に照射すると、X線が出る。]]
[[File:Tube RX a fenetre laterale.png|thumb|X線管の原理]]
レントゲンは、1895年、放電管を用いて陰極線の実験をしていたとき、放電管の近くに置いてあった蛍光板が、管から離れていても光っていることに気付いた。
レントゲンは、陰極線がガラスに当たったとき、何か未知のものが放射されていると考え、これをX線と名づけた。
やがて、種々の実験によってX線の性質が明らかになった。X線には次のような性質がある。
*磁場や電場で曲がらない。(この事から、X線は荷電粒子ではない事が分かる)
*X線を照射された物質はイオンに電離する。('''電離作用''')
*可視光線を通さない物質でも、X線なら透過できる場合がある。(医療診断に応用されている。)
*蛍光物質を光らせる。
==== X線の発生とスペクトル ====
上のX線管の図において、電流による発熱で陰極から放出された'''熱電子'''は高い電圧によって加速され、'''ターゲット'''(陽極)に衝突する。このとき、一個の電子の持つエネルギーの一部または全部がX線光子のエネルギーとなり、残りは陽極熱に変換される。
発生するX線のスペクトルは、ある最短の波長から始まってそれより長い波長を連続的に含む。これを'''連続X線'''という。
電子のエネルギーが全てX線光子のエネルギーに変わるとき、<math>E = h\nu = \frac{hc}{\lambda}</math>よりX線の波長は最短となる。このときのX線の振動数をν<sub>0</sub>、波長をλ<sub>0</sub>、加速電圧をVとすると、電子の初速度が0のとき、<math>eV = h\nu_0 = \frac{hc}{\lambda_0}</math>が成り立つ。すなわち、最短波長は<math>\lambda_0 = \frac{hc}{eV}</math>と求まる。
[[File:TubeSpectrum.jpg|thumb|240px|特性X線(K線)]]
右の図のように、連続X線の他に特定のエネルギーを持つX線が強く放射される場合があり、これを'''固有X線'''('''特性X線''')という。固有X線の波長はターゲットの材質で決まる。
{{-}}
==== X線の波動性 ====
1912年、物理学者ラウエは、X線を単結晶に当てると、写真フィルムに斑点の模様が現れることを発見した。これを'''ラウエ斑点'''といい、結晶中の原子が回折格子の役割をしたことで発生した干渉現象である。
[[File:Bragg diffraction 2.svg|thumb|400px|ブラッグの条件]]
1912年、ブラッグは、反射が強めあう条件式を発見した。
この条件式
:<math>2d\sin\theta = n\lambda</math>(nは正の整数)
を'''ブラッグの条件'''という。
上式のdは格子面の間隔の幅、θは入射X線と格子面とのなす角(視射角)である。
これは結晶面での回折や屈折を無視した場合の式であり、実際にはもう少し複雑な式となる。
<!-- 2023年奈良女子大学後期日程などに電子波の屈折を考慮したブラッグ反射の問題が出題。今後、新傾向として注意すべし @2025/08/13 -->
{{-}}
==== X線の粒子性 ====
X線を物質に当てて散乱された後のX線を調べると、その中に元のX線の波長よりも長いものが含まれることが分かった。このように散乱X線の波長が伸びる現象は物理学者コンプトンによって解明されたので、'''コンプトン効果'''('''コンプトン散乱''')という。
[[File:Compton ex1.jpg||400px|thumb|right|コンプトンによる実験略図。なお、図中の「単結晶」は波長の測定用であり <ref>原島鮮『初等量子力学』(裳華房、2014年第40版、初版は1972年)</ref> 、「単結晶」の材質は方解石の結晶であり、散乱波長はブラッグ反射などを活用して測定する。(コンプトン本人の論文“The Spectrum of Scattered X-Rays”(May 9, 1923).に、方解石(calcite)を使っていることと、ブラッグ反射させていることが書かれている。)]]
この現象は、X線を波と考えたのでは説明がつかない。(仮に波と考えた場合、散乱では波長が変化しないので散乱光の波長は入射X線と同じになるはず。)
そこで、X線を粒子の流れと考えて、コンプトン効果を説明する。
この当時、アインシュタインは光量子仮説に基づき、光子はエネルギー<math>E=h\nu</math>だけでなく、次の式で表される運動量 <math>p</math>も持つことを示している。
<math>p=\frac{h\nu}{c}(=\frac{h\nu}{\nu \lambda}=\frac{h}{\lambda})</math>
物理学者コンプトンは、この発見を利用し、波長λのX線を、運動量<math>\frac{h}{\lambda}</math>
とエネルギー<math>\frac{hc}{\lambda}</math>を持つ粒子(光子)の流れと考え、
X線の散乱を、この光子が物質中のほぼ静止した自由な電子と(完全弾性)衝突をした結果と考えた。
:コンプトンはこの考えに基づき、光子と電子の間に運動量保存則及びエネルギー保存則が成り立つと仮定して計算して、実験結果とよく合う結果が得られることを確かめた。
[[File:Compton effect illust.svg|thumb|400px|コンプトン効果<br>この図では、電子が真空中にあるように見えるが、実際は異なる。実際にコンプトンが行った実験は、石墨の炭素などの物質にX線を照射する実験である。図中の電子は、炭素などの分子が提供する電子である。<!-- コンプトン本人の論文に、このような感じの図が書かれており、それでこのような図が普及したものと思われる。-->]]
散乱の関係式は、次の手順で導く。散乱された光子の波長を<math>\lambda'</math>、入射方向(x軸)に対する光子の散乱角を<math>\theta</math>、電子の質量を<math>m</math>、はね飛ばされた電子の速さを<math>v</math>、その向きを入射方向から反対側に測った角を<math>\phi</math>とする。電子は最初静止しているものとする。
:エネルギー保存の式を立てる。
:運動量の保存の式を立てる。
----
エネルギー保存の式
:<math>\frac{hc}{\lambda} = \frac{hc}{\lambda '} + \frac{1}{2}mv^2 \qquad \qquad</math> (1.2a)
運動量保存の式
:x軸: <math> \frac{h}{\lambda} =\frac{h}{\lambda '} \cos \theta + mv \cos \phi \quad</math> (1.2b)
:y軸: <math> 0 =\frac{h}{\lambda '} \sin \theta - mv \sin \phi \qquad</math>(1.2c)
----
なお、(1.2a)では電子の運動エネルギーに非相対論的な式<math>\frac{1}{2}mv^2</math>を用いており、これは電子の速さが光速に比べて十分小さいとした近似である。式(1.2a)〜(1.2c)の3つの式を連立し、<math>v</math>と<math>\phi</math>を消去して<math>\lambda,\lambda ',\theta</math>の関係式を求める。
ⅰ)まず、式(1.2b),(1.2c)から<math>\phi</math>を消去する。<br>
式(1.2b)から
:<math>(mv \cos \phi)^2 = (\frac{h}{\lambda}-\frac{h}{\lambda '} \cos \theta)^2
</math>
式(1.2c)から
:<math>(mv \sin \phi)^2 = (-\frac{h}{\lambda '} \sin \theta)^2</math>
この両式を加え、<math>\cos^2\phi + \sin^2\phi = 1</math>を用いると
:<math>m^2 v^2 = (\frac{h}{\lambda}-\frac{h}{\lambda '} \cos \theta)^2+(-\frac{h}{\lambda '} \sin \theta)^2</math>
この右辺を<math>\cos^2\theta + \sin^2\theta = 1</math>を用いて整頓すると、
:<math>m^2 v^2 =\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta
+\frac{h^2}{\lambda '^2}\quad</math> (1.2d)
を得る。
ⅱ)式(1.2d)を式(1.2a)に代入してvを消去する<br>
式(1.2a)の右辺の第2項を変形して式(1.2d)を代入する。
:<math>\frac{1}{2}mv^2 =\frac{1}{2m}m^2v^2 = \frac{1}{2m}\Bigl(\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{h^2}{\lambda '^2}\Bigr)</math>
これを式(1.2a)の右辺に代入すると
:<math>\frac{hc}{\lambda} = \frac{hc}{\lambda '} + \frac{1}{2m}\Bigl(\frac{h^2}{\lambda^2}-2\frac{h^2}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{h^2}{\lambda '^2}\Bigr)</math>
両辺を<math>hc</math>で割ると
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{1}{\lambda '} + \frac{h}{2mc}\Bigl(\frac{1}{\lambda^2}-2\frac{1}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{1}{\lambda '^2}\Bigr)</math> (1.2e)
を得る。
この式の右辺の第2項の括弧内を次のように変形する。
:<math>\frac{1}{\lambda^2}-2\frac{1}{\lambda \lambda '}\cos \theta +\frac{1}{\lambda '^2}=\bigl(\frac{1}{\lambda}-\frac{1}{\lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)</math>
この式を式(1.2e)の右辺第2項に代入すると
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{1}{\lambda'} +
\frac{h}{2mc} \left\{
\bigl(\frac{1}{\lambda}-\frac{1}{\lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)
\right\}</math>
この式の右辺の第1項を移行し、式を変形すると
:<math>\frac{\lambda'-\lambda}{\lambda\lambda '}=
\frac{h}{2mc}\left\{
\bigl(\frac{\lambda'-\lambda}{\lambda \lambda'}\bigr)^2+\frac{2}{\lambda \lambda'}(1-\cos \theta)
\right\}</math>
両辺に<math>\lambda \lambda'</math>を掛けると
:<math>\lambda'-\lambda=
\frac{h}{2mc}\left\{
\frac{(\lambda'-\lambda)^2}{\lambda \lambda'}+2(1-\cos \theta)
\right\}</math> (1.2f)
X線の散乱では、<math>\lambda'\fallingdotseq \lambda</math>なので
:<math>\frac{(\lambda'-\lambda)^2}{\lambda \lambda'}</math>は、波長に比べて非常に小さい値になり無視できる。
よって式(1.2f)から
:<math>\lambda'-\lambda \fallingdotseq
\frac{h}{mc}
(1-\cos \theta)
\qquad</math> (1.2g)
以上で、式(1.2g)が導かれた。
----
この式は、散乱による波長のずれ<math>\lambda'-\lambda</math>が、散乱角<math>\theta</math>だけで決まり、入射X線の波長にはよらないことを表している。<math>\frac{h}{mc} \fallingdotseq 2.43 \times 10^{-12} \, \mathrm{m}</math>を電子の'''コンプトン波長'''という。なお、運動エネルギーに相対論的な式を用いて計算すると、近似を使わずに式(1.2g)と同じ形の式(等号が成り立つ)が得られることが知られている。
{{コラム|例題:コンプトン効果|
;問
:波長 <math>\lambda</math> のX線が静止した自由電子に衝突し、散乱角 <math>90^\circ</math> で散乱された。散乱X線の波長のずれ <math>\lambda'-\lambda</math> を求めよ。また、散乱角が <math>180^\circ</math>(後方散乱)のときの波長のずれは <math>90^\circ</math> のときの何倍か。ただし <math>\frac{h}{mc} = 2.43 \times 10^{-12} \, \mathrm{m}</math> とする。
;解答
:式(1.2g)より、<math>\theta = 90^\circ</math> のとき <math>\cos\theta = 0</math> なので <math>\lambda'-\lambda = \frac{h}{mc} = 2.43 \times 10^{-12} \, \mathrm{m}</math>。
:<math>\theta = 180^\circ</math> のとき <math>1-\cos\theta = 2</math> なので <math>\lambda'-\lambda = \frac{2h}{mc} = 4.86 \times 10^{-12} \, \mathrm{m}</math>。これは <math>90^\circ</math> のときの'''2倍'''である。
}}
=== 粒子の波動性 ===
==== 物質波 ====
フランスのド・ブロイは、波と考えられていた光が粒子の性質を持つならば、電子も粒子としての性質だけでなく波動としての性質を持つだろうと考えた。
そして、電子だけでなく、一般の粒子に対しても、その考えを適用し、次の公式を提唱した。
:運動量 <math>p</math>の粒子は波動性をもち、その波長は次式で与えられる。
:<math>\lambda = \frac{h}{p} </math>
これはド・ブロイによる仮説であったが、現在では正しいと認められている。
この波は、'''物質波'''と呼ばれる。'''ド・ブロイ波'''ともいう。
すなわち、光子や電子に限らず、あらゆる物質は粒子性と波動性を併せ持つといえる。
物質波が存在するなら、電子線を物質に当てれば回折などの現象が起きるはずである。
1927年〜1928年にかけて、デビッソンとガーマーは、ニッケルなどの物質に電子線を当てる実験を行い、X線回折と同様に電子線でも回折が起きることを実証した。日本でも1928年に菊池正士が雲母片に電子線を当てる実験により回折が起きることを確認した。
電子を高電圧で加速して速さを大きくすると、物質波の波長は小さくなり、可視光の波長よりも短くできる。
そのため、可視光では観測できなかった結晶構造が、電子波やX線などで観測できるようになった。生物学でウイルスが電子顕微鏡で観測できるようになったのも、電子の物質波の波長が可視光よりも大幅に小さいからである。
{{コラム|例題:電子の物質波の波長|
;問
:静止していた電子を電圧 100 V で加速した。電子の物質波の波長を求めよ。ただし、電子の質量を <math>m = 9.11 \times 10^{-31} \, \mathrm{kg}</math>、電気素量を <math>e = 1.60 \times 10^{-19} \, \mathrm{C}</math>、プランク定数を <math>h = 6.63 \times 10^{-34} \, \mathrm{J \cdot s}</math> とする。
;解答
:加速後の運動エネルギーは <math>\frac{1}{2}mv^2 = eV</math> より、運動量は <math>p = mv = \sqrt{2meV}</math> である。よって
:<math>\lambda = \frac{h}{\sqrt{2meV}} = \frac{6.63 \times 10^{-34}}{\sqrt{2 \times 9.11 \times 10^{-31} \times 1.60 \times 10^{-19} \times 100}} \fallingdotseq 1.2 \times 10^{-10} \, \mathrm{m}</math>
:この波長は、X線の波長や結晶中の原子の間隔と同程度であり、電子線でも結晶による回折が起こることが分かる。
}}
=== 粒子と波動の二重性 ===
==== 電子の干渉実験 ====
[[Image:Egun.jpg|thumb|250px|right|ブラウン管の電子銃]]
[[ファイル:double-slit.svg|thumb|right|350px|電子の二重スリットの干渉実験]]
[[ファイル:Doubleslitexperiment_results_Tanamura_1.gif|thumb|left|250px|二重スリット実験の結果]]
電子銃は電子を放出する装置である。
電子銃を用い、二重スリットに向けて電子を1個ずつ当てる実験を行うと、図のように、波動の場合と同様に、電子の多く当たる場所と少なく当たる場所との縞模様ができる。
{{-}}
このように、電子にも粒子性と波動性があり、電子は粒子でありつつ、二重スリットに向かって電子を撃ち込むと干渉を起こすという波動性も持っている。
物質波の回折や電子の干渉などの実験の結果から、すべての物質は、原子程度以下の小さなスケールでは、波動性と粒子性の両方の性質を示すと考えられている。
このことを'''粒子と波動の二重性'''という。
{{コラム|電子顕微鏡|
光学顕微鏡(レンズを用いる顕微鏡)では、回折が起こることによって光の波長よりも小さな物体を見ることが非常に困難となる。'''分解能'''(2点を識別できる限界の距離)は10<sup>-7</sup>m(100nm)程度である。
より高い分解能を得るため、光よりも波長が短い電子線を用いる'''電子顕微鏡'''が発明された。電子顕微鏡では、加速電圧を高くすることで高い分解能を得られる。ただし、電磁波によるレンズ作用を用いることによる'''収差'''(像の歪み)などの障碍から、現在の最高分解能は10<sup>-10</sup>m(0.1nm)ほどに留まっている。
この分解能では、ウイルスどころか金属・酸素などの原子すらも観察することが可能であるが、中性子・陽子・電子などは小さすぎて観察できない。
}}
副読本:朝永振一郎『光子の裁判』1949年(朝永振一郎は1965年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者だが、[[高等学校文学国語/化物の進化|寺田寅彦]]と同様に一般向けの書籍を多数執筆する文豪でもあった。この作品では、光子になぞらえた「波乃光子」という被告の裁判を舞台に、粒子と波動の二重性の不思議さを繙いている。)
==== 発展:不確定性関係 ====
[[File:Bundesarchiv Bild183-R57262, Werner Heisenberg.jpg|thumb|物理学者ハイゼンベルグ <br>不確定性原理の主要な提唱者である。]]
電子などの量子の位置や運動量は確定しているわけではなく、物理量を測定するとその状態に対応する確率分布に従った値が得られる。位置と運動量について標準偏差を計算する事ができるが、位置の標準偏差と運動量の標準偏差の積は必ず <math> \frac{h}{4\pi} </math> 以上となる。このことを'''不確定性関係'''という。
{{-}}
== 原子・原子核・素粒子 ==
この章では、原子の構造(ラザフォードモデルとボーアの理論)、原子核の性質と放射線、核反応、素粒子の概要を扱う。
=== 原子 ===
==== 原子模型の変遷 ====
陰極線に関連する実験から、全ての原子に負の電荷を持つ電子が含まれると考えられたが、原子は電気的に中性なので正の電荷を帯びた部分が存在するはずである。
そこで、原子の構造について様々な説が登場した。
比電荷の測定を行ったトムソンは、一様に正に帯電した球の中を電子が運動しているというプラムプディングモデル(ブドウパンモデル)を提唱した。長岡半太郎は、フランスのジャン・ペランが提唱した、正電荷を持つ粒子の周りを電子が公転している土星型モデルを定量化して大幅に補強した。しかし、実験結果と合うのは、次に述べるラザフォードのモデルであった。
[[File:Geiger-Marsden experiment expectation and result (Japanese).svg|right|400px|thumb|]]
ドイツのガイガーとイギリスのマースデンは、α粒子を薄い金箔に当てる実験を行い、α粒子の散乱の様子を調べた。(α粒子はヘリウムの原子核である。)その結果、ほとんどのα粒子は金箔を素通りするが、金箔中の一部の場所の近くを通ったα粒子だけが大幅に散乱する現象を発見した。
α粒子は電子の7000倍以上の質量を持つことから、電子の影響で大きく曲げられたとは考えにくい。そこで、原子内の狭い部分に集中した正電荷がα粒子に強い斥力を及ぼし、その部分が原子の質量の大部分を占めていると考えて計算を行い、実験結果をうまく説明することに成功した。
原子(大きさ10<sup>-10</sup> m程度)内の正電荷が集中した10<sup>-15</sup>~10<sup>-14</sup> m程度の重い部分は'''原子核'''と名付けられた。
原子は、中心に原子核があり、そのまわりを電子が運動するという'''ラザフォードモデル'''とよばれるモデルによって説明される。ラザフォードモデルは、土星型モデルを発展させたものとも言える。
==== ラザフォードモデル ====
原子は、全体としては電気的に中性であり、負の電荷を有する電子を'''電子殻'''に持つ。
ここで、ミリカンの実験などの結果から、電子の質量は水素イオンの質量の約1/1840程度しかないことが分かっている。
すなわち、原子は電子と原子核とからなり、質量の大部分は原子核がもつことが分かる。
原子核の大きさは原子全体の1/10000程度であるため、原子の体積の大部分は、原子核の外側の電子が運動する空間である(量子力学では、電子は原子核のまわりに確率的な雲のように広がって存在すると考える)。
原子核は、正の電荷をもつZ個の'''陽子'''と、電気的に中性な(A−Z)個の'''中性子'''からなる。
陽子と中性子の個数の合計を'''質量数'''という。
陽子と中性子の質量はほぼ等しいため、原子核の質量は、質量数Aにほぼ比例する。
==== 統一原子質量単位 ====
原子の質量は極めて小さいため、キログラム(kg)をそのまま用いるのは不便である。そこで、ある原子の質量を基準として、他の原子の質量を表すことを考える。他の様々な原子と化合できるため質量の比較がしやすいこと、同位体<sup>13</sup>Cなどの存在比が極めて小さいことなどから、炭素原子を基準にするのが適当である。
<sup>12</sup>C原子一個の質量を12と定義する単位系を'''統一原子質量単位'''という。単位の記号は u であり、Da('''ダルトン''')ともいう。かつて用いられたamu(アトミックマスユニット)は、現在は使われない。
原子質量単位は質量を表す単位である。これに対し、[[高等学校化学基礎/物質量#原子量|化学基礎で学ぶ原子量]]は、質量そのものではなく質量の比を表すので、単位がなく無次元である。両者を混同しないように注意する。
==== 水素原子のスペクトル ====
高温の物体から発光される光には、どの(可視光の)色の波長(周波数)もあり、このような連続的な波長の光を'''連続スペクトル'''という。
いっぽう、ナトリウムや水素などの、特定の物質に電圧がかけられ放電したときに発光する波長は、特定の数本の波長しか含まれておらず、このようなスペクトルを'''輝線スペクトル'''(線スペクトル)という。
バルマーは、水素原子の数本ある輝線の波長が、次の公式で表現できることに気づいた。
:<math>\lambda = 3.65 \times 10^{-7} \mathrm{m} \times \left( {n^2 \over n^2 - 4} \right).\quad(n=3,\ 4,\ 5,\ 6,\cdots\cdots)</math> (2.1)
この式はスイスのバルマーが1885年に発見したもので、この系列を'''バルマー系列'''という。
その後、水素以外の原子や、可視光以外の領域についても調べられ、リュードベリによって次の公式にまとめられた。
:<math>\frac{1}{\lambda} =R \left( \frac{1}{m^2} -\frac{1}{n^2} \right).\ \left(\begin{array}{lcl}m =1,\ 2,\ 3,\cdots\cdots, \\ n = m+1,\ m+2,\ m+3,\cdots\cdots \end{array}\right)</math> (2.2)
上式のRは'''リュードベリ定数'''といい、<math>R \fallingdotseq 1.097 \times 10^7 \, \mathrm{/m}</math>である(水素原子では、原子核の運動の影響でわずかに小さく、実測値は約<math>1.0968 \times 10^7 \, \mathrm{/m}</math>となる)。
式(2.2)で<math>m=1, 2, 3</math>の場合の系列を、それぞれ'''ライマン系列'''、バルマー系列、'''パッシェン系列'''という。
==== 量子論と原子の構造 ====
[[File:Stationary wave Quantum rule in atom.svg|thumb|300px|原子内の定常波]]
ラザフォードの原子模型に従えば、電子は、惑星の公転のように原子核を中心とする円軌道の上を一定の速度で運動する。
円運動する質点は加速度をもつので、このモデルの電子は加速度運動を続けることになる。
ところが古典電磁気学で、加速度運動を行う電荷は電磁波を放出してエネルギーを失うという法則が既に発見されていた。
この法則によれば、原子核の周りを回る電子は電磁波を放出し続け、エネルギーを絶えず減らしていく。それにつれ電子は原子核に向けて落下していくため、原子核との距離を小さくしながら原子核の周りを回転し、やがて原子核に衝突してしまう。円軌道の上を安定的に運動することは不可能なのである。
デンマークのボーアは、ラザフォードの原子模型の矛盾を克服し、水素原子の放出する線スペクトルも説明できる原子模型を作るため、プランクの提唱したエネルギー量子化の考えとアインシュタインの光量子論を取り入れて、次の2つの仮説を立てた(1913年)。
===== 仮説1:量子条件 =====
原子核を中心とする半径 <math>r</math>の円軌道を速さ <math>v</math>で回転する電子の軌道角運動量<math>rp=mrv</math>は<math>\frac{h}{2\pi}</math>の正整数倍しかとりえない、すなわち
:<math>mrv=n\frac{h}{2\pi} \quad (n=1,\ 2,\ 3,\cdots\cdots)</math> (2.3)
を満たさねばならない(角運動量の量子化)。この状態を'''定常状態'''、この条件を'''量子条件'''という。
:このボーアの式の正整数nを'''量子数'''という。
後年(1924年)、ド・ブロイは、物質粒子は波動性を持ち、その波(物質波)は、波長
:<math>\lambda=\frac{h}{p}=\frac{h}{mv}</math>
をもつと提唱した。また,(2.3)を変形すると
:<math>2\pi r=n\frac{h}{mv}=n\lambda</math>.
これらは、電子の軌道一周の長さが電子の物質波の波長の正整数倍のとき、電子波は定常波になることを示している。
:これは、円軌道上に定常波ができるための条件と同じである。
===== 仮説2:振動数条件 =====
電子はある決まった飛び飛びのエネルギーしか持たない。このとびとびのエネルギー値を'''エネルギー準位'''という。
:電子がエネルギー準位を<math>E'</math>から<math>E(<E')</math>に遷移する(エネルギーを失う)ときには、<math>E'-E=h\nu</math>できまる振動数<math>\nu</math>の一個の光子を放出し、
:逆にエネルギー準位 Eの電子が外部からエネルギー<math>h\nu = E'-E</math>を得ると、エネルギー準位E'に遷移する。
==== エネルギー準位 ====
[[File:Circular-motion-electron-in-atom jp.svg|thumb|400px|水素原子内での電子の円運動]]
水素原子の電子のエネルギーを求めるために、まず電子の軌道半径を求める。
量子数<math>n</math>のとき水素の電子が原子核<math>H^+</math>を中心とする半径<math>r_n</math>の円軌道上を一定の速度<math>v_n</math>で運動しているとすれば、円運動方程式は
:<math> m \frac{v^2_n}{r_n} = k_0 \frac {e^2}{r_n^2} </math>
で表される(<math>k_0</math>はクーロンの法則の比例定数)。
一方、電子が定常波の条件を満たす必要があるので、[[#量子論と原子の構造]]の式(2.3)から、
:<math> v_n = \frac {nh}{2 \pi m r_n } \qquad \qquad (2.4)</math>
である。
この<math>v</math>を円運動方程式に代入して整理すると
:<math> r_n = \frac {h^2}{4 \pi ^2 k_0 me^2} n^2\qquad \qquad (2.5)</math>(<math>n=1, 2, 3\cdots</math>)
が得られる。こうして、水素原子の電子の軌道半径が求まる。
<math>n=1</math>のときの半径 <math>r_1</math>を'''ボーア半径'''という。
電子のエネルギーは、運動エネルギーKと位置エネルギーUの和である。
位置エネルギーUは、この水素の電子の場合、静電気力による位置エネルギーであり、電位の式より
:<math> U = - k_0 \frac {e^2}{r}</math>
となる。
運動エネルギーKは、<math> K = \frac{1}{2}mv^2</math>なので
:<math> E = K+U = \frac{1}{2}mv{}^2 - k_0 \frac {e^2}{r}</math>
上式の右辺第一項に、
:円運動方程式<math> m \frac{v^2}{r} = k_0 \frac {e^2}{r^2} </math>の両辺にrを掛けた
<math> m v^2 = k_0 \frac {e^2}{r} </math>を代入すれば、
:<math>E(= E_n )= K+U = \frac{1}{2} k_0 \frac {e^2}{r}- k_0 \frac {e^2}{r} = - \frac{k_0e^2}{2r} </math>
となる。
さらに、これに電子の軌道半径<math>r=r_n</math>として式(2.5)を代入すれば、
:<math>E_n = -\frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {h^2} \frac{1}{n^2} \quad (n=1,2,3,\cdots) \qquad \qquad (2.6)</math>
となる。これが水素原子のエネルギー準位である。
式(2.6)より、エネルギーは連続的ではなく離散的な負の値をとることが分かる。
<math>n=1</math>のとき、エネルギーが最低なので安定である。よって、電子は通常、最もエネルギーの低い<math>n=1</math>の状態にある。これを'''基底状態'''、<math>n=2, 3, \cdots</math>のときを'''{{ruby|励起|れいき}}状態'''という。
{{コラム|[[高校化学 無機化学まとめ#炎色反応|炎色反応]]の原理|
高温の炎中にある種の金属粉末や金属化合物を置くと、試料が熱エネルギーによって解離し原子化される。それぞれの原子は熱エネルギーによって電子が励起され、外側に存在する高エネルギーの電子軌道へと移動する。励起された電子が安定な基底状態に戻ろうとする際に、余分なエネルギーを電磁波として放出する。電磁波の周波数が、ちょうど可視光線の範囲に入る場合が有る。このとき、炎色反応として肉眼で観察できる。
なお、原子の電子軌道のエネルギーは連続した値ではなく飛び飛びの値であるため、励起された電子が基底状態に戻る際に放出されるエネルギーも連続した値ではない。このため、炎色反応として放出された光は連続スペクトルではなく輝線スペクトルを示す。また、元素によっても電子軌道のエネルギーはある程度決まるため、元素によって特徴的な輝線スペクトルを示す。これが、炎色反応を示す元素の種類により、炎色反応によって放出される光の色が決まる理由である。
}}
なお、
:<math> -\frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {h^2}</math>に諸定数の値を入れて計算すると
:ほぼ<math> - \frac{13.6}{n^2} \ \ \mathrm{eV}</math>となるので、
:水素原子のエネルギー準位は
:<math>E_n \fallingdotseq -\frac{13.6}{n^2} \, \mathrm{eV}</math>と書ける。
:<math>E_1 \fallingdotseq -13.6 \, \mathrm{eV}</math>であり、その絶対値 13.6 eV は、基底状態の電子を原子核から引き離すのに必要なエネルギー(水素の'''イオン化エネルギー''')に等しく、実験値によく一致する。
<!-- [[ファイル:bohr-energy-levels.svg|thumb|水素原子のエネルギー準位と遷移。高い準位から低い準位へ遷移するとき、準位差に等しいエネルギーの光子が放出される。|320px]] -->
{{コラム|例題:水素原子のスペクトル|
;問
:ボーアの理論により、水素原子が <math>n=2</math> の励起状態から <math>n=1</math> の基底状態へ遷移するときに放出する光子の波長(ライマン系列の最初の線)と、<math>n=3</math> から <math>n=2</math> へ遷移するときに放出する光子の波長(バルマー系列の最初の線)を求めよ。ただし <math>E_n = -\frac{13.6}{n^2} \, \mathrm{eV}</math>、<math>hc \fallingdotseq 1240 \, \mathrm{eV \cdot nm}</math> とする。
;解答
:<math>n=2 \to 1</math>:光子のエネルギーは <math>E_2 - E_1 = 13.6\left(1 - \frac{1}{4}\right) = 10.2 \, \mathrm{eV}</math> であるから、<math>\lambda = \frac{1240}{10.2} \fallingdotseq 122 \, \mathrm{nm}</math>(紫外線)。
:<math>n=3 \to 2</math>:<math>E_3 - E_2 = 13.6\left(\frac{1}{4} - \frac{1}{9}\right) = 13.6 \times \frac{5}{36} \fallingdotseq 1.89 \, \mathrm{eV}</math> であるから、<math>\lambda = \frac{1240}{1.89} \fallingdotseq 656 \, \mathrm{nm}</math>(赤色の可視光)。
}}
===== 補:リュードベリの式の理論的導出 =====
水素原子の発する光のスペクトルの実測値を表すリュードベリの経験式(2.2)については、[[#水素原子のスペクトル]]で述べた。
ボーアの水素原子モデルに基づいて得られたエネルギー準位と振動数条件を用いれば、この式が次のように理論的に導出できる。
任意の正整数<math>m, n \; (n>m)</math>を考える。
振動数条件により電子がエネルギー準位<math>E_n</math>から、低いエネルギー準位<math>E_m</math>に遷移するときに1個放出する光子の振動数は<math>\nu=\frac{E_n-E_m}{h}</math>である。
この光子の波長λは
<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{E_n-E_m}{ch}</math>
で与えられるので、右辺のエネルギー準位に式(2.6)を代入すると
:<math>\frac{1}{\lambda} = \frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {ch^3}(\frac{1}{m^2}-\frac{1}{n^2}) \qquad \qquad (2.7)</math>
が得られる。
<math>\mathbf{R} := \frac{2\pi ^2 k_0{}^2 me^4} {ch^3}</math>
でリュードベリ定数を定義すると、式(2.7)は
:<math>\frac{1}{\lambda} = {\bf R}(\frac{1}{m^2}-\frac{1}{n^2}) \qquad \qquad (2.7')</math>
Rの定義式中の諸定数に値をいれて計算すると
:<math>{\bf R} \fallingdotseq 1.0974 \times 10^7 \, \mathrm{/m} \qquad \qquad \qquad (2.8)</math>
このように、リュードベリの経験式が理論的に導出できた。なお、(2.8)は原子核が静止しているとしたときの値であり、水素原子の実測値(約<math>1.0968 \times 10^7 \, \mathrm{/m}</math>)とは、原子核(陽子)が電子の運動につれて動く効果の分だけ約0.05%異なる。
これは、ボーアの仮説の妥当性を示している。
なお、実際の特性スペクトルの波長は、原子内部の電子の影響により若干ずれる。そういった内部電子の補正を考慮した、より精度の高い式として「[[w:モーズリーの法則]]」というのが知られている。歴史的には先にモーズリーの式が発見され、後からモーズリーとは別に独立に研究されていた上述のようなボーアやラザフォードの理論を用いると、モーズリーの公式もうまく説明できるという事が物理学者コッセルによって発見された<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、140ページ</ref>。モーズリーの公式の詳細は、大学の教科書で扱われる。
===== フランク・ヘルツの実験 =====
[[File:FranckHertzHgTube.jpg|thumb|right|upright=0.5|実験装置。Cは陰極でヒータで加熱し熱電子を放出させる。Gはグリッド。Aは陽極。]]
ドイツのフランクとヘルツは、気体放電での電子の働きを調べるため、水銀蒸気を封入した図のような装置で実験を行った。
フィラメントCから飛び出す電子を、Cと網目状のグリッドGとの間に加える電圧Vで加速する。Gの後ろに電極Aを置き、Aに到達した電子の数を電流計で調べる。GA間にはCG間と逆向きに僅かな電圧(0.5V程度)を加え、電子がGに到達しても運動エネルギーが0に近ければAに到達できなくした。CG間の電圧を上げながらAに到達する電子の数を調べ、下のグラフのような実験結果を得た。
[[File:Franck-Hertz en.svg|thumb|center|縦軸が電流で横軸が電圧。]]
電子の数は電圧の増加とともに増すが、4.5~5V付近をピークに減少し、再び増加する。その後、約4.9Vの間隔で同様の増減を繰り返す。また、4.9eVに相当する波長のスペクトルも発生していた。
フランクとヘルツは当初、この実験を電子による水銀原子の電離の測定と解釈していたが、のちにボーアの理論に基づいて、この実験結果は「4.9eVは水銀原子の基底状態と励起状態のエネルギーの差であり、電子の運動エネルギーが加速電圧で4.9eVに達した時に水銀原子が励起して電子が運動エネルギーを失う」ことを示すものと解釈された。
その後、CG間から波長2.537×10<sup>-7</sup> m(4.9eVのエネルギーに相当)の紫外線が発生していることが確認された。これは、励起された水銀原子が基底状態に戻る時にそのエネルギー準位の差に相当する波長の光子を放出して生じたものと考えられ、原子には離散的な値のエネルギー準位が存在するというボーアの仮説が実験で裏付けられた。
なお、固有X線の発生も、原子のエネルギー準位で説明することができる([[#X線の発生とスペクトル]]を参照)。
=== 原子核 ===
==== 原子核の構造 ====
原子核は、陽子と中性子からできている。二つを総称して'''核子'''という。
陽子は正電荷をもち、中性子は電荷をもたない。
原子核の陽子同士はクーロン力によって反撥し合うが、陽子と中性子を結ぶ'''核力'''がクーロン力よりも強いため、それが核子同士を繫ぎ止めている。
陽子と中性子の数の和は質量数である(「ラザフォードモデル」の節で定義した)。
元素の原子核の陽子の数は、その元素の周期表の'''原子番号'''である。
質量数が<math>A</math>の原子核は非常に強い核力のために、小さな球体状の空間の中に固まっており、その半径rは、
<math>1.2 \sim 1.4\times 10^{-15} \sqrt[3]{A} \, \mathrm{m}</math>
であることが知られている。
なお、原子番号の低い元素において、陽子と中性子の個数はほぼ同数である場合が多い。例えば、酸素16や窒素14では陽子・中性子ともに同数である。一方、原子番号の大きい元素ほど、陽子よりも中性子が多い。例えばウラン235は中性子数が陽子数の1.5倍である。これは、陽子どうしのクーロン反発(遠くまで及ぶ)が原子核が大きくなるほど効いてくるので、核力による結合を保つために中性子の数を増やす必要があるためと考えられている<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷、190ページ</ref>。
==== 同位体 ====
同じ元素でも、中性子の数が異なる原子がある。これらを互いに'''同位体'''('''アイソトープ''')という。例えば、水素に対する重水素・三重水素などがそうである。水素の原子核は陽子1つであり、重水素(D)の原子核を'''重陽子'''、三重水素(T)の原子核を'''三重陽子'''という。また、重水素からなる水分子<chem>D2O</chem>を'''重水'''という。
一般に、同じ元素であれば同位体でも化学的性質はほぼ同じである。ただし質量が異なるため、密度・沸点・拡散の速さなどの物理的性質にはわずかな差が現れる。また、放射線を出すかどうかも同位体によって異なる。
原子の質量は、イオン化した原子を加速して電場・磁場が軌道にもたらす影響を調べることで求められる。
トムソンは、電場と磁場を加えた空間にイオンを入射させ、比電荷の同じイオンがスクリーン上の同じ放物線上に集まるような装置を製作した。これにより、ネオンの同位体が発見された。
トムソンの研究室にいたイギリスのアストンは、トムソンの装置を基にイオンの速さにかかわらず比電荷が同じであればスクリーン上の一点に集まるような装置('''質量分析器''')を製作した。この装置により多くの同位体が発見され、それらの質量と存在比も精密に測定された。
==== 放射能と放射線 ====
元素の中には、'''放射線'''を出す性質をもつものがあり、この性質を'''放射能'''という。
また、放射能をもつ物質は'''放射性物質'''といわれる。放射能を持つ同位体を'''放射性同位体'''という。
放射線には3種類存在し、それぞれ'''α線'''、'''β線'''、'''γ線'''という。
α崩壊は、親原子核からα粒子が放射される現象である。α粒子の正体はヘリウム原子核である。α崩壊後、親原子核の質量数は4小さくなり、原子番号は2小さくなる。
β崩壊は、親原子核の中性子が陽子と電子に変化することで、電子が放射される現象である。なお、放出された電子はβ粒子ともよばれる。β崩壊後、親原子核の質量数は変化しないが、原子番号は1増加する。
γ線は、α崩壊またはβ崩壊直後の励起状態にある原子核が、よりエネルギーの低い状態に遷移するときに放射される(この現象を'''γ崩壊'''ということもある。原子核の種類は変わらない)。γ線の正体は光子で、波長の非常に短い電磁波である。波長の領域はX線と重なっており、原子核から放射されるものをγ線、原子内の電子の遷移や電子の減速などで生じるものをX線と、発生のしかたで区別する。
α崩壊やβ崩壊によってもとの原子核の数は徐々に減っていくが、これらの崩壊は原子核の種類ごとに決まった一定の確率で起きるので、崩壊によってもとの原子核の数が減る速度は原子核の個数に比例して変化する。しかし、崩壊によってもとの原子核の数が半減するのにかかる時間は、原子核の種類だけによってきまる。そこで、この時間のことをその原子核の '''半減期''' と呼ぶ。崩壊によって原子核の個数がどれだけになるかは、この半減期を用いて記述することができる。原子核の最初の個数を<math>N_0</math>、原子核の半減期を<math>T</math>、時刻<math>t</math>での原子核の個数を<math>N(t)</math>とすると、
:<math>N(t)=N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^{\frac{t}{T}}</math>
が成り立つ。
放射線に関しては様々な単位が用いられる。
かつては、放射能にはキュリー、照射線量にはレントゲン、吸収線量にはラド、線量当量にはレムなどの単位が用いられていたが、現在ではSI単位系に沿って以下の単位が用いられる。(ただし、現在でもこれらの旧来の単位を用いる場合がある)
{| class="wikitable"
|+ 放射線に関する単位
|-
! 物理量 !! 単位 !! 記号 !! 説明
|-
|放射能の強さ||ベクレル||Bq||原子核が毎秒一個の割合で崩壊するときの放射能の強さを1Bqとする。
|-
|照射線量||クーロン毎キログラム||C/kg||放射線の照射によって0℃、1013hPaの空気1cm<sup>3</sup>あたりに3.335641×10<sup>−10</sup> C(1 {{ruby|esu|静電単位}})のイオン電荷が発生したときの放射線の総量を2.58×10<sup>−4</sup> C/kg(1 {{ruby|R|レントゲン}})と定義する。
|-
|吸収線量||グレイ||Gy||1 kgの物質が放射線の吸収と共に1Jのエネルギーを得たときの吸収線量を1Gyとする。
|-
|等価線量・実効線量||シーベルト||Sv||吸収線量に、放射線の種類ごとに定められた人体への影響の大きさを表す放射線荷重係数を掛けたものが等価線量である。さらに、組織・臓器ごとの感受性を表す組織荷重係数を掛けて合計したものが実効線量である(旧来の「線量当量」「線質係数」が使われることもあるが定義が異なる)。
|-
|線量率||シーベルト毎時||Sv/h||単位時間あたりに受ける放射線の量
|}
なお、1キュリーは37GBq(37ギガベクレル、370億ベクレル)に等しい。
生体が放射線を受けることを'''被曝'''という。※'''「被爆」表記は意味が違うので絶対用いないように'''。
放射線は電離作用を持つので生物細胞に影響を及ぼし、遺伝子(DNA)を傷つけることで、癌を発症する確率を高めたり、先天異常の原因となったりすることがある。被曝量が大きい場合には急性の障碍を引き起こすこともある。この影響を最小限にするには、放射線源から離れる、浴びる時間を短くする、鉛で放射線を遮るなどの対策が必須である。一方、自然界にも放射線が存在する。普段の生活では食事による内部被曝や宇宙線・大地からの被曝などで、世界平均で年間2.4mSvほどの放射線を自然界から受けている。これは、事故や治療などで問題になる大きな被曝量に比べるとはるかに小さい。また、放射線は非破壊検査、癌治療、レントゲン撮影、農作物の品種改良などの分野で応用されている。
手塚治虫は、自著『火の鳥』の「未来編」にて栽培促進に利用される放射線と、そこにおける事故を描いている。1967年の時点で既に放射線の産業利用の可能性と事故が起こったときの重大性を読み取っていたのである。
{{コラム|例題:半減期と年代測定|
;問
:放射性同位体 <sup>14</sup>C の半減期を 5730 年とする。ある木片に含まれる <sup>14</sup>C の割合(炭素原子に対する割合)が、生きている木に含まれる割合の <math>\frac{1}{8}</math> であった。この木が伐採されたのは何年前か。また、割合が <math>\frac{1}{4}</math> のときはどうか。
;解答
:<math>N = N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^{t/T}</math> で <math>\frac{N}{N_0} = \frac{1}{8} = \left(\frac{1}{2}\right)^3</math> なので <math>\frac{t}{T} = 3</math>、すなわち <math>t = 3 \times 5730 = 17190</math> 年前(約1.7万年前)。
:<math>\frac{1}{4} = \left(\frac{1}{2}\right)^2</math> のときは <math>t = 2 \times 5730 = 11460</math> 年前(約1.1万年前)。
}}
===== 発展:半減期公式の導出 =====
[[#放射能と放射線]]で、原子核の崩壊速度は原子核の個数に比例すると述べた。この性質だけから、同じ節の半減期の式を数学的に導くことができる。ここでは微分・積分と微分方程式を用いる。なお、ここでの log は自然対数である。
原子核の個数と崩壊速度の間の比例定数は原子核の種類によって決まる。この定数をその原子核の'''崩壊定数'''という。崩壊定数が<math>\lambda</math>の原子核の時刻<math>t</math>での個数を<math>N(t)</math>とすると、その変化速度、すなわち<math>N(t)</math>の時間微分は、
:<math>\frac{d}{dt} N(t) = -\lambda N(t)</math>
で表される。このような、ある関数とその微分との関係を表した式を微分方程式といい、微分方程式を満たすような関数を求めることを、微分方程式を解くという。変数分離法によりこの微分方程式を解くと、
:<math>\frac{dN(t)}{N(t)}=-\lambda dt</math>
:<math>\int \frac{dN(t)}{N(t)}=-\lambda \int dt</math>
:<math>\log |N(t)|= -\lambda t + C</math>(<math>C</math>は積分定数)
よって
:<math>N(t) = e^{-\lambda t + C} = e^{C} e^{-\lambda t} \qquad</math><small>※<math>N(t)\geqq0</math>より絶対値記号は無視してよい。</small>
ここで<math>e^{C}</math>は積分定数の値によって定まる初期値であるから、原子核の初期個数<math>N_0</math>とみてよい。
:<math>\therefore N(t)= N_0 e^{-\lambda t}</math>・・・(*)
半減期<math>T</math>は<math>N(t)=\frac{1}{2}N_0</math>なる<math>t</math>のことであるから、式(*)より
:<math>\frac{1}{2}N_0 = N_0 e^{-\lambda T}</math>
:<math>\frac{1}{2}=e^{-\lambda T}</math>
:<math>-\log 2 = -\lambda T</math>
:<math>T=\frac{\log 2}{\lambda}</math>
よって
:<math>N(t)=N_0 e^{-\lambda t}=N_0 (e^{-\log 2})^{\frac{t}{T}}=N_0 \left(\frac{1}{2}\right)^{\frac{t}{T}}</math>
が得られる。
==== 原子核反応 ====
[[File:Cloud chamber ani bionerd.gif|thumb|right|300px|霧箱の実験。陽子は電荷(正電荷)をもっているため、霧箱でも観測することができる。 (※ この画像は、陽子の観測実験ではない。)<br>霧箱(蒸気の充満した装置)を使うことで、何らかの粒子が通過したとき蒸気が凝集するので、粒子の軌跡が可視化されるのである(飛行機雲と同じ原理)。磁場を加えた場合の、軌跡の曲率などから、比電荷も推定できる。]]
===== 陽子の発見 =====
1919年、ラザフォードは、窒素ガスを密閉した箱にα線源があると、正電荷をもった粒子が発生することを発見した。
この正電荷の粒子が、陽子である。つまり、ラザフォードは陽子を発見した。
これは、窒素の原子核がα粒子を取り込み、陽子を放出して酸素の同位体 <sup>17</sup>O の原子核に変わる反応であり、原子核が別の原子核に変わる反応(人工的な元素の変換)の最初の発見でもあった(<sup>17</sup>Oが生じることは、のちの1925年にブラケットが霧箱の写真で確かめた)。
これらのことを式にまとめると、
:<math>{}_{\ 7}^{14} \mathrm{N} + {}_{2}^{4} \mathrm{He} \rightarrow {}_{\ 8}^{17} \mathrm{O} + {}_{1}^{1} \mathrm{H} </math>
である。
このように、ある元素の原子が、別の元素の原子に変わる反応を'''原子核反応'''('''核反応''')という。また、上のような反応式を'''核反応式'''という。
化学反応では原子の種類が変わらずその組合せが変わるだけであったが、核反応では別の種類の原子が生まれる。
正電荷を持つ二つの原子核の間には電磁気力により斥力が働く。核反応は、2つの原子核がこの斥力に打ち克って核力が働く近距離に近づいた時に初めて起こる。そのため、核反応を起こすには大きな運動エネルギーが必要であり、そのためにサイクロトロン・ベータトロン等の加速器が用いられる。
一般に、核反応では'''反応の前後で質量数の和と電気量の和は保存される'''ことがわかっている。
{{コラム|霧箱|
霧箱は、アルコール(エタノールなど)や水の過飽和蒸気で満たした容器である。荷電粒子が通ると、その通り道に沿って気体分子が電離してイオンができ、これを核として蒸気が凝結するため、粒子の飛跡が白い筋として見える。
霧箱のような実験装置は、陽子の観測のほか、原子核反応の様子を観測する目的でも使うことができる。
一方、放射線の測定器であるガイガー・ミュラー計数管(ガイガーカウンター)は、霧箱とは異なる原理で放射線を検出する。アルゴンなどの気体を封入した管に高電圧をかけておくと、放射線が通過した際に気体が電離し、電子とイオンが生じる。電子は電場によって加速され、気体分子を電離させる。そこで発生した電子もさらに電場によって加速されて気体分子を電離させるため、大量の電子が発生する電子雪崩が起こる。この過程によって電気パルスが発生し、そのパルスを計数することで放射線を検出する。物理学者ガイガーは、このような測定器を開発し、さらに原子核反応によって生成されるヘリウム分子を集めて気体として封入し、当時としては最高水準の精度でアボガドロ定数を測定する事に成功した<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷発行、P81</ref>。これは、プランクの熱輻射の理論から算出されたものや、物理学者ベランがブラウン運動から求めたものに匹敵する精度であった<ref>山本義隆『原子・原子核・原子力』、岩波書店、2015年3月24日 第1刷発行、P82</ref>。<br />
}}
===== 中性子の発見 =====
ラザフォードは1920年頃に既に陽子と同じ質量で電気的に中性な粒子の存在を予言していた。1930年、ドイツのボーテがポロニウムから放出されるα線をベリリウムに当てると透過力の強い放射線が出ることを発見し、翌年にキュリー夫妻がこれをパラフィン([[高校化学 脂肪族炭化水素#アルカン|アルカン]]のうち炭素数が20以上のもの。水素を多く含む。)に当てると陽子が飛び出すことを発見した。夫妻は放射線をγ線と考えてコンプトン効果で説明しようと試みたが、非現実的な仮定を余儀なくされて頓挫した。イギリスのチャドウィックはこの放射線をヘリウムや窒素に当て、これを電荷を持たず陽子とほぼ等しい質量の粒子の粒子線と考えると辻褄があうことを示し、1932年に論文を提出した。この粒子は中性子、放射線は中性子線と名付けられた。
===== 質量とエネルギーの等価性 =====
原子核は、それを構成する核子である陽子と中性子が自由であるときの質量の和より、小さい質量をもつ。この減った質量を、'''質量欠損'''と呼ぶ。
質量数A、原子番号Zの原子核の質量欠損<math>\Delta m</math>は、原子核の質量をm、陽子と中性子の質量をそれぞれ<math>m_p,\ m_n</math>としたとき、
:<math>\Delta m = m_{p}Z+m_{n}(A-Z)- m</math>である。<br />
なお、原子にもよるが、一般に質量欠損の大きさは、1%程度<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%B3%AA%E9%87%8F%E6%AC%A0%E6%90%8D-74242 コトバンク『日本大百科全書(ニッポニカ)の解説』(坂東弘治、元場俊雄)など ]</ref>である。
陽子と中性子が核力によって結合すると、その結合エネルギーに等しいエネルギーのγ線が放出される。アインシュタインの[[特殊相対性理論]]によれば、質量mとエネルギーEには、
: <math>E=m c^2</math>
という関係がある。
エネルギーと質量の等価性によれば、陽子と中性子が結合したときに放出されるγ線のエネルギーに等価な質量が減ることになるが、これが原子核の質量欠損である。
このことから、陽子と中性子がバラバラに存在するときよりも、纏まって原子核を構成しているときの方がエネルギーが質量欠損分<math>\Delta mc^2</math>だけ小さいことが分かる。逆に、原子核をバラバラの核子にするには<math>\Delta mc^2</math>のエネルギーを与える必要がある。この意味で、<math>\Delta mc^2</math>を'''結合エネルギー'''という。化学で扱った[[高校化学 化学反応とエンタルピー#ヘスの法則|結合エンタルピー]]は原子と分子の話であったが、こちらは核子と原子核の話である。
質量数Aは核子の数であるから、核子一つあたりの結合エネルギーは<math>\frac{\Delta mc^2}{A}</math>と表される。これの値は軽い原子核の領域で急激に増大し、鉄・ニッケル付近(質量数60前後。最大は <sup>62</sup>Ni)で最大となり、それより重い領域ではゆるやかに減少する。故に、'''核子あたりの結合エネルギーが最大である鉄の付近の原子核が最も安定'''である。
{{コラム|例題:ヘリウム4の結合エネルギー|
;問
:ヘリウム4(<sup>4</sup>He)の原子核の質量を 4.0015 u として、質量欠損と結合エネルギーを求めよ。ただし陽子の質量を 1.0073 u、中性子の質量を 1.0087 u とし、1 u(統一原子質量単位)に相当するエネルギーは 931.5 MeV とする。
;解答
:<sup>4</sup>He は陽子2個、中性子2個からなる。質量欠損は <math>\Delta m = 2 \times 1.0073 + 2 \times 1.0087 - 4.0015 = 0.0305 \, \mathrm{u}</math>。
:結合エネルギーは <math>\Delta m c^2 = 0.0305 \times 931.5 \fallingdotseq 28.4 \, \mathrm{MeV}</math>。核子1個あたりでは <math>\frac{28.4}{4} \fallingdotseq 7.1 \, \mathrm{MeV}</math> となる。
}}
{{コラム|原子レベルの質量の測定法|
[[File:Mass spectrometer schematics.png|thumb|right|質量分析器の模式図。試料導入部およびイオン源(左下)、分析部(左上、磁場偏向型)、イオン検出部(右上)、データ処理部(右中)からなる。]]
原子や分子の質量は、どのようにして精度よく測定されるのか。
一般に原子レベルの質量測定法として精密科学でよく知られるものとして、右図のような、磁場によって荷電粒子を曲げる方式のものがある。このような磁場とローレンツ力を用いた方式による質量測定は一般に、「磁場偏向型」といわれる。
このような装置では、磁場の強さや電荷は実験的に決定できる。荷電粒子の軌道の曲率半径は質量の関数となるので、半径から質量を逆算できる。
測定対象の元素材料が中性の原子であっても、その原子が固体なら、それに電子ビームを当てて、電子によって弾き飛ばされた材料が帯電してイオン化しているので、それから、前述のような磁場による質量測定が可能になる。
同位体の存在やその質量も、このような装置で発見された(「同位体」の節を参照)。
原子質量がいくつもの元素で測定できるので、派生的に、化学の理論で分かる原子番号Zと質量数A及び原子の質量の測定値MをもとにZ,AからMを求めるワイツゼッカーの公式が作成された。
また、原子核の半径や形についての研究も進められていった。
}}
===== 核エネルギーと核分裂 =====
核反応では、原子核の質量の和が反応の前後で変化する。質量和が減少する場合、その差が'''核エネルギー'''となる。このとき、結合エネルギーの和は増大し、核エネルギーは結合エネルギー和の変化量に等しい。一回の化学反応で解放されるエネルギーは数eV程度であるのに対し、一回の核反応で解放されるエネルギーは数MeVを超える。例えば、リチウム7と水素(陽子)が衝突してヘリウム2つになる核反応では、1回の反応で約17MeVのエネルギーが解放される。リチウム7を1mol(約7g)反応させると、約1.7×10<sup>12</sup>Jという厖大なエネルギーが発生する(<math>17 \, \mathrm{MeV} \times 6.0 \times 10^{23} \fallingdotseq 1.7 \times 10^{12} \, \mathrm{J}</math>)。これは石油約40トンを燃やして得られるエネルギーに相当する。
ドイツのハーンとシュトラスマンは、ウランに中性子を照射したときの反応生成物の中に、ウランとほぼ半分の質量を持つバリウム141などの原子核が含まれることを発見した。マイトナーとフリッシュはこれを、原子核が2つに分裂した現象であると解釈した(1939年)。このように、一つの原子核がいくつかの原子核に分かれる反応を'''核分裂'''という。ウランのように質量数が大きい原子核は、一つの原子核でいるよりも二つの原子核に分裂した方がエネルギー的に安定である。これが核分裂の起こる原因である。
核分裂は歴史的には原子爆弾に利用された。日本は原子爆弾を実戦使用された唯一の国である。
現代では、核分裂は'''原子力発電所'''で使用されている。
ウラン235やプルトニウム239を'''核燃料'''とし、熱運動する気体分子と同程度の速さの中性子を衝突させると様々な壊れ方の核分裂が起こる。このとき、いずれの場合も200MeV程度のエネルギーが解放され、2、3個の速い中性子が出る。この速い中性子を'''減速材'''(水や重水など)に衝突させて減速することで、別の核燃料に衝突させやすくする。このようにして次々に核分裂が起こることを'''連鎖反応'''という。原子力発電は、核分裂で発生した熱エネルギーでタービンを回して発電している。中性子を吸収する'''制御棒'''を用いることで核分裂が爆発的に起こらない且つ停止しないように制御している。連鎖反応が持続的に保たれる条件がちょうど満たされるとき、「原子炉は'''臨界'''にある」という。臨界状態では中性子数は一定に保たれる。原子炉の稼働は臨界点の近くで行われている。少ない燃料では中性子が核反応することなく散逸するので、臨界にあるための核燃料の量に下限があり、これを'''臨界量'''という。
原子力発電は、発電量は他の方式に比べて圧倒的であるが、安全対策や放射性廃棄物の処理などの問題がある。
2011年の東日本大震災では地震そのものには余裕で耐えたものの、津波により電源がロストしたことで炉心の冷却機能が失われて'''炉心融解'''('''メルトダウン''')が起こり、爆発とともに莫大な量の放射性物質が散布される、という事故が発生した。原子力発電の稼働にあたっては、このような重大事故に対する厳重かつ多重の安全対策が必須である。([[w:福島第一原子力発電所事故]]も参照。)
===== 核融合 =====
([[高等学校地学]]も参照。)
恒星では原子核同士が衝突することで質量数の大きな原子核が生まれている。このように、より質量数の大きな原子核ができる反応を'''核融合反応'''という。
軽い原子核が核融合を起こすとき、結合エネルギーが増加し、その差のエネルギーが解放される。
太陽の中では、4個の水素原子核(陽子)から幾つかの段階を経て1個のヘリウム原子核が生成されている。このとき、約27MeVのエネルギーが解放される。
太陽は主に水素とヘリウムから構成されており、現在は中心部で水素の核融合によってヘリウムを生成している。中心部の水素を使い果たすと、中心部が収縮・加熱され、やがてヘリウムの核融合反応が起こり、炭素や酸素が生成される。さらに質量の大きな星では、中心温度が数億K以上になると炭素燃焼が起こり、ネオンなどが生成される。その後、十分な質量を持つ星では、酸素燃焼、ケイ素燃焼などが進み、最終的に鉄族元素が中心部に蓄積する。鉄族元素より重い原子核の核融合ではエネルギーを取り出せないため、核融合によるエネルギー生成では重力を支えられなくなり、中心核が重力崩壊して超新星爆発を起こす。鉄より重い元素の一部は、超新星爆発や中性子星合体などの際に、中性子を次々に捕獲する反応などによって生成されると考えられている。
初期の宇宙には水素・ヘリウム・リチウムあたりの軽い元素しか存在しなかったと推定され、長い年月で様々な恒星で核融合反応が進行することによって他の元素が十分量生成されてきたと考えられている。
核融合は核分裂とほぼ同時代に発見されたが、連続的に発生させるには1億℃を超える高温の環境が必要であることから、当初はあまり注目されなかった。
核融合反応自体は短時間ながらも地上で起こすことに成功している。例えば、原子爆弾の進化系である水素爆弾は、原子爆弾の爆発により生まれる膨大な熱エネルギーを利用して核融合反応を起こすことによって原爆の威力を更に高めている。史上最強の水素爆弾ツァーリ・ボンバの爆発では、2.1×10<sup>17</sup>Jものエネルギーが放出されたとされている。
現在では、核融合発電の実用化が盛んに研究されている。核融合発電は、核分裂を利用した従来の原子力発電に比べて、連鎖反応が暴走しにくい、高レベル放射性廃棄物が少ないなどの利点があるとされている。しかし、核融合反応の安定的な持続は実現途上であり、実用化はまだ先である。
=== 素粒子 ===
この節では、素粒子の種類と、粒子の間にはたらく4つの力を扱う。
素粒子は物質を構成する最小単位である。現在、素粒子として17種類が確認されている。素粒子には、'''クォーク'''、'''レプトン'''、'''ゲージ粒子'''、'''ヒッグス粒子'''がある。陽子や中性子はクォークから構成されている。電子は素粒子である。
素粒子には、同じ質量や寿命を持つが、電荷の符号が異なる粒子が存在する。これを'''反粒子'''という。例えば、電子には、電荷が <math>e</math> の陽電子が存在する。[[ファイル:Standard_Model_of_Elementary_Particles-ja.svg|中央|フレームなし|300x300ピクセル]]
==== クォーク ====
陽子や中性子は、アップクォークとダウンクォークと呼ばれるクォークから構成される。クォークは6種類あり、それぞれ3世代に分類される。アップクォークとダウンクォークは第一世代に分類され、アップクォークとダウンクォークに性質が似ているが質量がそれよりも重いクォークが存在する。第二世代には、チャームクォークとストレンジクォーク、第三世代にはトップクォークとボトムクォークが存在する。
アップ、チャーム、トップクォークは電荷 <math>\frac{2}{3}e</math> を持ち、ダウン、ストレンジ、ボトムクォークは電荷 <math>-\frac{1}{3}e</math> をもつ。
{| class="wikitable"
|+ クォーク
|-
! 電荷 !! 第1世代 !! 第2世代 !! 第3世代
|-
! <math>\frac{2}{3}e</math>
| アップ (u)
| チャーム (c)
| トップ (t)
|-
! <math>-\frac{1}{3}e</math>
| ダウン (d)
| ストレンジ (s)
| ボトム (b)
|-
|}
==== ハドロン ====
クォークは、必ず複合粒子を形成し、単独で取り出すことができないと考えられている。これを'''クォークの閉じ込め'''という。クォーク間に働く力は'''量子色力学'''により説明される。量子色力学によれば、それぞれのクォークには、三種類の異なる'''色荷'''を持つ状態が存在する。三種類の色荷は光の三原色になぞらえて赤、青、緑と名前がついている。クォークの反粒子の色荷は反赤、反青、反緑である。クォークによる複合粒子は、色荷の合計が白である必要がある。
クォークの複合粒子を'''ハドロン(強粒子)'''という。ハドロンには、3つのクォークからなる'''バリオン(重粒子)'''と、2つのクォークからなる'''中間子'''('''メソン''')がある。歴史的にはハドロンを素粒子に含めた時代もあり、その時は素粒子が数百種類を数えていた。現在ではハドロンを素粒子に含めない。
バリオンの重要な例には陽子と中性子がある。陽子は uud で構成され、中性子は udd で構成される。
電荷は
:中性子 <math>\frac{2}{3}e - \frac{1}{3}e - \frac{1}{3}e=0</math>
:陽子 <math>\frac{2}{3}e + \frac{2}{3}e - \frac{1}{3}e=e</math>
となる。
[[ファイル:量子色力学-01.svg|リンク=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%89%B2%E5%8A%9B%E5%AD%A6-01.svg|中央|サムネイル|陽子や中性子の色荷は、赤+青+緑=白である。]]
メソンは、2つのクォークからなる複合粒子である。色荷を考えると、クォークと反クォークで構成される必要がある。なぜなら、クォークの色荷、赤、青、緑から2つを選んでも白色になることはなく、複合粒子を構成できない。クォークと反クォークからは、赤+反赤=白のようになるから、複合粒子を形成することができる。
メソンの重要な例には <math>\pi</math> 中間子がある。電荷により <math>\pi^+, \pi^-,\pi^0</math> の三種類があり、原子核の中の核子を結合させる核力を担っている。それぞれ
<math>\pi^+=u\bar d, \pi^-=\bar u d,\pi^0 = \frac{u \bar u - d \bar d}{\sqrt 2}</math>
で構成される。
==== レプトン ====
電子は素粒子である。電子に似た性質を持つが質量が電子よりも重い粒子として、ミュー粒子、タウ粒子が確認されている。ミュー粒子は電子の約200倍、タウ粒子は電子の約3500倍の質量を持つ。これらの粒子もクォークからなるものではなく、電子と同じ'''レプトン'''である。
また、'''ニュートリノ'''と呼ばれる粒子が存在する。ニュートリノは物質とはほとんど反応しないため、検出が難しい。電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノが存在する。スーパーカミオカンデでの実験からニュートリノには質量があることが知られているが、その値は非常に小さい。
{| class="wikitable"
|+レプトン
!電荷
|第一世代
|第二世代
|第三世代
|-
! <math>-e</math>
| 電子 (e<sup>−</sup> )
| ミュー粒子 (''μ''<sup>−</sup> )
| タウ粒子 (''τ''<sup>−</sup> )
|-
!0
| 電子ニュートリノ(''ν''<sub>e</sub> )
| ミューニュートリノ(''ν''<sub>''μ''</sub> )
| タウニュートリノ(''ν''<sub>''τ''</sub> )
|}
==== 4つの力 ====
自然界に働くすべての力は4つの力に分類することができる。電磁気力、強い力、弱い力、重力である。
例えば、机の上の物体に働く抗力や摩擦力などは原子の周りの電子による反発力で説明できるから、電磁気力を起源とする。電磁気力は光子によって媒介される力である。
強い力はグルーオンによって媒介される。強い力はクォークを閉じ込め複合粒子を形成したり、核力の起源となる。強い力は量子色力学によって説明される。
弱い力は、W粒子とZ粒子により媒介され、主にベータ崩壊を引き起こす。W粒子とZ粒子をまとめて'''ウィークボソン'''という。弱い力はワインバーグ・サラム理論によって、電磁気力と統一的に説明される。電磁気力と弱い力を統一した力を'''電弱力'''という。
重力を媒介する素粒子を重力子というが、まだ発見されていない。
グルーオンのように、力を媒介する粒子のことを'''ゲージ粒子'''という。
{| class="wikitable" style="float: right; text-align: center; margin: 2pt;"
|+ 4つの力とゲージ粒子
|-
! 力の種類
! ゲージ粒子
! 相対的強さ
! 到達距離
! 力の源
|-
! 電磁気力
| 光子(フォトン)<br>(電磁場を量子化したもの)
|10<sup>-2</sup>
|∞
|電荷
|-
! 強い力<br>(クォークを引き付けあう力のこと。)
| グルーオン
|1(基準)
|10<sup>-15</sup>m
|色荷
|-
! 弱い力<br>(β崩壊を司る力のこと)
| ウィークボソン(W粒子、Z粒子)
|10<sup>-5</sup>
|10<sup>-17</sup>m
|弱荷
|-
! 万有引力(重力)<br>
| 重力子(グラビトン)<br>(未発見)
|'''10<sup>-38</sup>'''
|∞
|質量
|-
|}
==== 発展:ヒッグス粒子 ====
ヒッグス場は、真空において対称性を破る。これを'''自発的対称性の破れ'''という。このときに現れる粒子が'''ヒッグス粒子'''である。また、ヒッグス場が対称性を破ることによりウィークボソンが質量を獲得する。このことを'''ヒッグス機構'''という。また、クォークや電子、ミュー粒子、タウ粒子の質量はヒッグス場によって与えられる。
なお、強い力を説明する量子色力学と電弱力を説明するワインバーグ・サラム理論は、ヤン・ミルズ理論の特殊な場合である。ヤン・ミルズ理論においては、力を媒介する粒子はそのままでは質量を持つことができない。そのため、ウィークボソンの質量を説明するためにヒッグス機構が必要となる。また、ヒッグス機構においても、残った対称性のために光子は質量を持たない。
==== 反物質 ====
素粒子には反粒子が存在するから、複合粒子には、構成する素粒子が反粒子となった粒子が存在する。例えば、陽子 <math>p = uud</math> には反陽子 <math>\bar p = \bar u \bar u \bar d</math> が存在する。中性子にも、反中性子 <math>\bar n = \bar u \bar d \bar d</math> が存在する。反粒子で構成された物質を'''反物質'''という。
粒子と反粒子が衝突すると、衝突前のエネルギーと同じエネルギーを持つ光子が2つ以上放出されて消滅する。この現象を'''対消滅'''という。
逆に、光子から粒子と反粒子が生成されることを'''対生成'''という。対生成は光子が近くの原子核と作用する必要がある。
現在の宇宙においては反物質は少量しか存在しないが、宇宙の黎明期には物質と同程度存在し、対消滅によってその殆どが消えたと考えられている。あるいは、宇宙の未知の領域に反物質のみで構成された領域も存在するという仮説が立っている。
(発展)病院などで使われる陽電子放出断層撮影(PET)は、β<sup>+</sup>崩壊によって陽電子を放出する <sup>18</sup>F などを含む化合物を体内に取り込み、 発生した陽電子が電子と対消滅して発生するγ線を観測することによって、体内を調べる技術である。
==== 発展:スピン ====
電子や陽子や中性子などは、'''スピン'''という磁石のような性質をもっている。磁石にN極とS極があるように、スピンにも、上向きと下向きの2種類の向きがある。
電子や陽子や中性子はどの物質にも含まれるのに、多くの物質があまり磁性を持たないのは、反対向きのスピンをもつ電子が対をつくることでスピンが打ち消しあうからである。
物質に静磁場を加えつつ高周波電磁波を加えると、原子核のスピンによって、電磁波が発生する。この電磁波を観測するのが、'''核磁気共鳴法'''(NMR、nuclear magnetic resonance)の原理である。 医療で用いられるMRI(magnetic resonance imaging)は、核磁気共鳴法を利用して人体内部を観測する機器である。
素粒子も、通常はスピンをもつ。
ミュー粒子のスピンという性質による磁気と、ミュー粒子の透過性の高さを利用して、物質内部の磁場を観測する方法が研究されており、このような観測技術を'''ミュオンスピン回転'''(μSR)という。超伝導体の内部の観測などにも、ミュオンスピン回転による観測が用いられている。
==== 発展:力の統一 ====
現代物理学において、自然界に存在する力(基本相互作用)はすべて電磁気力・弱い力・強い力・重力の4つに分類されている。
これらの力は宇宙誕生時は一つの力だったと考えられており、現在この4つの力をさらに統一しようとする試みが行われている。
電磁気力と弱い力を統一する'''電弱統一理論'''は既に完成しており、グラショウ・ワインバーグ・サラムの3人が、ワインバーグ=サラム理論などの業績により1979年にノーベル物理学賞を受賞している。電弱統一理論は、ヒッグス粒子の発見によって理論が裏付けられた。強い力と電弱統一理論を統一する'''大統一理論'''は未完成ではあるものの、裏付けとなる現象の観測待ちとなっている。
3つの力と重力を統一する'''超大統一理論'''は'''万物の理論'''と呼ばれ、さまざまなアプローチで構築が進められている。その際の問題の一つとして、次の事実がある。
それは、'''重力は他の力に比べて極めて弱い'''という事実である。例えば、小さな磁石が鉄を引きつけて持ち上げることは、地球全体の重力よりも小さな磁石の電磁気力のほうが強くはたらくことを示している。
重力が弱い理由はいくつか考えられているが、その中でも代表的なものは「'''重力子が他の素粒子が到達することのできない次元方向に拡散しているため'''」という仮説である。これは素粒子を質点でなく大きさをもつ一次元の弦(あるいは二次元以上の膜)とみなし、素粒子の種類の違いを振動の仕方の違いに対応させる'''超弦理論'''という理論の研究の中で生まれた仮説である。素粒子の種類の違いを表現するには私たちが住む三次元空間では振動方向が足りないことから、「この世界は本当はもっと高次元な空間である」との仮説が生まれ、その中で唱えられ始めた。超弦理論の一つであるM理論では、「この世界は十次元空間と一次元時間の十一次元時空間であり、余剰次元は小さく丸まっている(コンパクト仮説)」という方向で理論が構築されている。なぜ重力子のみが余剰次元方向に拡散できるかについては、「他の素粒子は開いた弦でありこの三次元空間に張り付いているが、重力子は閉じた弦であって空間に縛られない」という仮説が立っている。
この仮説では重力のみが弱い理由を説明できる可能性があるが、重力子が未だ未発見であること、光子すらも届かない余剰次元空間の存在を確認する手段がないことが難点である。
M理論は万物の理論の有力な候補の一つとされているが、実験による検証はまだなされていない。
==== 発展:パリティ対称性とCP対称性の破れ ====
1956年、李政道と楊振寧は、弱い力が空間反転(鏡に映すこと)に対する対称性(パリティ対称性)を保たない可能性を指摘した。これを受けて1956〜57年、呉健雄らは、コバルト60を極低温に冷却し、磁場をかけて多数のコバルト60の原子核のスピンの方向をそろえた状態で、コバルト60がベータ崩壊して発生するベータ粒子(電子)の出る方向を調べる実験を行った。
実験の結果、ベータ粒子は、コバルト60の原子核のスピンの方向と逆の方向に多く放出されているのが観測された。もしパリティ対称性が成り立つなら、スピンの向きに対して前後の放出量は等しいはずであるから、これは弱い力が空間反転に対して非対称であること、すなわち'''パリティ対称性の破れ'''を意味する。
そこで、空間反転(P)と同時に、粒子を反粒子に変える変換(C)をしたときの対称性、CP対称性は保たれると考えられたが、1964年のK中間子に関する実験により、CP対称性もわずかに破られることが分かった。
1973年、小林誠と益川敏英は、CP対称性の破れを説明するためにはクォークが3世代以上存在する必要があるとする理論('''小林益川理論''')を発表した。当時はクォークはアップ、ダウン、ストレンジの三種類しか発見されていなかったが、後に残りのクォークが実験で発見された。
その後、高エネルギー加速器研究機構(KEK)にある加速器KEKBで行われたB中間子に関する実験から、小林・益川理論が実験的に検証された。
さらに、C変換とP変換と同時に、時間を反転させる操作に対する対称性、CPT対称性が考えられた。現在では、CPT対称性は成り立つと考えられている。
== 脚注・参考文献など ==
<references />
[[Category:高等学校教育|物ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:物理学|高ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:物理学教育|高ふつり2けんしとけんしかく]]
[[Category:高等学校理科 物理II|けんしとけんしかく]]
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高校化学 物質の三態
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wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校化学|[[高等学校 化学|化学]]|pagename=物質の三態|frame=1|small=1}}物質は、温度や圧力によって状態が変化する。物質自体は同じであり、状態だけが変わるので、これは物理変化である。物質そのものが別の物質に変わる[[w:化学変化|化学変化]]とは異なる。
== 物質の三態 ==
物質は、固体・液体・気体の3つの状態をとる。これを物質の'''三態'''という。一般に、物質の温度や圧力を変化させていくと、物質の状態が変わる。物質がどの状態をとるかは、粒子の熱運動の激しさと、粒子間に働く引力との関係によって決まる。
{| class="wikitable"
|+ 三態の比較
! !! 固体 !! 液体 !! 気体
|-
! 粒子の運動
| 定まった位置で振動する || 互いの位置を変えながら動く || 空間を自由に飛びまわる
|-
! 形・体積
| 形も体積も一定 || 体積は一定で、形は容器に従う || 形も体積も容器に従う
|-
! 粒子間の引力
| 強い || 比較的強い || ほとんど無視できる
|}
温度を上げると熱運動が激しくなり、粒子間の引力に打ち勝てるようになるため、固体は液体に、液体は気体に変化する。
== 三態変化 ==
[[File:Chemical name state change japanese.svg|thumb|500px|状態変化の名称<br>固体から気体になる昇華の例としては、ドライアイス(固体の二酸化炭素)やヨウ素の単体がある。]]
固体から液体になる変化を'''融解'''、液体から気体になる変化を'''蒸発(気化)'''と呼ぶ。気体から液体になる変化を'''凝縮(液化, 凝結)'''、液体から固体になる変化を'''凝固'''と呼ぶ。固体から気体になる変化を'''昇華'''、気体から固体になる変化を'''凝華'''という。
{| class="wikitable"
|+ 状態変化の名称
! 変化 !! 名称 !! 熱の出入り
|-
| 固体 → 液体 || 融解 || 吸収する
|-
| 液体 → 気体 || 蒸発(気化) || 吸収する
|-
| 固体 → 気体 || 昇華 || 吸収する
|-
| 液体 → 固体 || 凝固 || 放出する
|-
| 気体 → 液体 || 凝縮(液化) || 放出する
|-
| 気体 → 固体 || 凝華 || 放出する
|}
状態が変わっても、物質の名前は変わらない。ただし例外として水(<chem>H2O</chem>)があり、固体を'''氷'''、液体を'''水'''、気体を'''水蒸気'''と呼ぶ。また、液体窒素のように慣用的に呼ばれるものもある。
また、純物質において固体が液体になる温度は物質ごとに決まっており、その温度をその物質の'''融点(凝固点)'''と呼ぶ。同様に、液体が沸騰して気体になる温度をその物質の'''沸点'''と呼ぶ。大気圧での水の融点は0 ℃、沸点は100 ℃である。
{{-}}
=== 状態変化とエネルギー ===
固体を加熱すると温度が上がり、融点に達すると融解が始まる。融解している間は、加えた熱がすべて粒子間の引力に打ち勝つために使われるので、固体と液体が共存している限り、温度は一定に保たれる。この熱を'''融解熱'''という。同様に、沸点で液体が気体になる間も温度は一定であり、このとき吸収される熱を'''蒸発熱'''という。1 mol あたりの値で表すことが多く、単位は kJ/mol である。
水の場合、融解熱は 6.0 kJ/mol、蒸発熱は 41 kJ/mol である。蒸発熱が融解熱よりはるかに大きいのは、液体から気体になるときには、粒子どうしを引力が届かない距離まで引き離す必要があるためである。
温度変化をともなう加熱では、物質1 g の温度を1 K 上げるのに必要な熱量(比熱)を用いる。水の比熱は 4.18 J/(g·K) である。
'''例題''' 0 ℃の氷 36 g を加熱して、100 ℃の水蒸気にするために必要な熱量は何 kJ か。ただし、水の分子量を 18、融解熱を 6.0 kJ/mol、蒸発熱を 41 kJ/mol、水の比熱を 4.18 J/(g·K) とする。
'''解答''' 水の物質量は <math>\frac{36}{18} = 2.0\ \mathrm{mol}</math> である。次の3段階に分けて求める。
* 0 ℃の氷を0 ℃の水にする(融解): <math>6.0 \times 2.0 = 12\ \mathrm{kJ}</math>
* 0 ℃の水を100 ℃の水にする: <math>4.18 \times 36 \times 100 = 1.5 \times 10^4\ \mathrm{J} = 15\ \mathrm{kJ}</math>
* 100 ℃の水を100 ℃の水蒸気にする(蒸発): <math>41 \times 2.0 = 82\ \mathrm{kJ}</math>
合計は <math>12 + 15 + 82 = 109 \fallingdotseq 1.1 \times 10^2\ \mathrm{kJ}</math> である。
=== 蒸気圧と沸騰 ===
液体の表面では、熱運動のエネルギーが大きい粒子が気体となって飛び出す(蒸発)。密閉した容器に液体を入れて放置すると、やがて、蒸発する粒子の数と凝縮する粒子の数が等しくなり、見かけ上、変化が止まる。この状態を'''気液平衡'''といい、このときの気体の圧力を'''飽和蒸気圧'''(単に蒸気圧)という。蒸気圧は温度が高くなるほど大きくなる。
液体の蒸気圧が外圧(大気圧)に等しくなると、液体の内部でも蒸発が起こって気泡が生じる。この現象が'''沸騰'''である。したがって、沸点は蒸気圧が外圧と等しくなる温度であり、外圧が低くなると沸点も低くなる。高い山の上で水が100 ℃より低い温度で沸騰するのは、このためである。
== 状態図 ==
<gallery widths="400px" heights="350px">
File:水の状態図.svg|<center>水の状態図</center>
File:二酸化炭素の状態図.svg|<center>二酸化炭素の状態図</center>
</gallery>
ふつうの純物質は、温度と圧力が決まると、その状態が決まる。
温度と圧力によって、その物質がどういう状態をとるかを表した図を'''状態図'''という。
図に、水の状態図と、二酸化炭素の状態図を表す。
図の中の3本の曲線は、それぞれ2つの状態の境界を表す。気体と液体の境界が'''蒸気圧曲線'''、液体と固体の境界が'''融解曲線'''、気体と固体の境界が'''昇華圧曲線'''である。3本の曲線が交わる点は'''三重点'''といい、気体・液体・固体の3つの状態が共存する。水の三重点は 0.01 ℃、 611 Pa である。
蒸気圧曲線は、高温・高圧側の'''臨界点'''で終わる。水の臨界点は 374 ℃、 22 MPa であり、二酸化炭素の臨界点は 31 ℃、 7.4 MPa である。
水の融解曲線は、右上がりではなく左上がり(圧力を高くすると融点が下がる向き)になっている。これは、氷が液体の水より密度が小さいという、水の特殊な性質による。一方、二酸化炭素の三重点は -56.6 ℃、 <math>5.2 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> であり、大気圧( <math>1.013 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math>)より高い圧力にある。そのため、大気圧のもとでは液体にならず、固体(ドライアイス)は昇華する。
なお、図中にある <math>1.013 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> は、大気圧である。図より、大気圧で水の融点は0 ℃、沸点は100 ℃であることが確認できる。
また、物質の温度と圧力を高めていき、温度と圧力がそれぞれの臨界点を超える高温・高圧になると、その物質は'''超臨界状態'''という状態になる。超臨界状態では、液体と気体の区別がなくなる<ref>そもそも、なぜ気体と液体の区別があるのかというと、気液平衡の状態が存在するからである。気液平衡状態では気体と液体という2つの異なる状態が共存するため、気体と液体を区別する意味が生まれる。もし、気体と液体が両立する状態がなく、気体から液体へ連続的に変化するならば気体と液体を区別する必要はなくなる。超臨界状態とは、そのように、気体と液体が連続的に変化する状態である。超臨界流体は気体と液体の区別がなくなるとは、このような意味である。</ref>。
二酸化炭素の超臨界状態ではカフェインをよく溶かすため、コーヒー豆のカフェインの抽出に利用されている。
[[カテゴリ:物質|ふしつのさんたい]]
[[Category:高等学校化学|ふしつのさんたい]]
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カテゴリ:ガリア戦記
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[[Category:ラテン語|かりあせんき]]
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[[Category:ガイウス・ユリウス・カエサルの著作|かりあせんき]]
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強弱記号
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Tomzo
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「[[音楽用語 強弱記号/変化記号]] 2026-09-28 01:28:02(UTC) (oldid=304122)」を統合
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text/x-wiki
{{Mergefrom|音楽用語 強弱記号/変化記号|date=2026-09-28}}
{{navi|[[音楽]] > [[音楽理論]] > [[楽典]] > [[演奏記号]] > '''強弱記号'''}}
[[w:演奏記号|強弱記号]]は、音符の下、または上に付して書かれます。
==ある強さが続くことを表す記号==
この記号が書いてある音符よりあとの音符も、同じ強さで演奏することを表します。最も大切なのは次の6つです。
*[[画像:Music dynamic fortissimo.svg|x15px]](フォルティッシモ)- とても強く
*[[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]](フォルテ)- 強く
*[[画像:Music dynamic mezzo forte.svg|x15px]](メゾフォルテ)1996年ころから学校教科書の発音(メッゾフォルテ)に変化しました- やや強く
*[[画像:Music dynamic mezzo piano.svg|x15px]](メゾピアノ)1996年ころから学校教科書の発音(メッゾピアノ)に変化しました。- やや弱く
*[[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]](ピアノ)- 弱く
*[[画像:Music dynamic pianissimo.svg|x15px]](ピアニッシモ)- とても弱く
また、より強い、また弱い音を表すために、[[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]]や[[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]]を3つ以上連ねることもあります。
これらの記号は、実はイタリア語の略語です。ですから、「やや」とか「もっと」といったことばを添えたい場合などには、イタリア語として扱う必要があります。
*''[[wikt:più|più]]'' [[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]] - より強く
*''[[wikt:poco|poco]]'' [[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]] - 少し弱く
ときどき、次のようなことばが使われることがあります。
*''[[wikt:sotto voce|sotto voce]]''(ソットヴォーチェ) - 声を抑えて
*''[[wikt:mezza voce|mezza voce]]''(メッツァヴォーチェ) - 半分の声で
==強さの変化を表す記号==
だんだん大きく、またはだんだん小さくすることを表す強弱記号には、文字によるものと図形によるものとの2通りがあります。意味は同じですが、文字によるものが通常変化の開始点に書かれるのに対し、図形では変化の開始から終了までにわたって書かれます。また、それらの両方が書かれて意味を強調することがあります。
*文字によるもの
**''[[wikt:cresc.|cresc.]]'' (< ''[[wikt:crescendo|crescendo]]'' = クレッシェンド) - だんだん大きく
**''[[wikt:decresc.|decresc.]]'' (< ''[[wikt:decrescendo|decrescendo]] = デクレッシェンド'') - だんだん小さく
**''[[wikt:dim.|dim.]]'' (< ''[[wikt:diminuendo|diminuendo]]'' = ディミヌエンド) - だんだん小さく
*図形によるもの
**[[画像:Music-crescendo.svg|25px]] - だんだん大きく
**[[画像:Music-diminuendo.svg|25px]] - だんだん小さく
文字の記号を用いて、変化の開始から終了までにわたって書かれることもあります。たとえば、次のように表されます。
* ''cre – – scen – – do''
* ''cresc. – – – –''
文字の記号は、''[[wikt:poco a poco|poco a poco]]''、''[[wikt:poco|poco]]''、''[[wikt:molto|molto]]''などと同時に使われることがあります。
==ある音だけが強いことを表す記号==
*[[画像:Music dynamic fortepiano.svg|25px]](フォルテピアノ)- 強く、その後、直ちに弱く
*[[画像:Music expression sforzando sf.svg|20px]](スフォルツァンド、スフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Sfz.svg|30px]](スフォルツァンド、スフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Music expression forzando.svg|25px]](フォルツァンド、フォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Rinforzato001.png]](リンフォルツァンド、リンフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*>(アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)
*[[画像:Accento003.png]](アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)音符の上に付けられる。
*[[画像:Accento004.png]](アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)音符の下に付けられる。
*[[画像:Accento005.png]](アクセント)- その音を最初弱く、だんだん強くしてからだんだん弱く。
==統合記事==
[[音楽用語]]>強弱記号/変化記号
[[強弱記号]]
ppp ピアニッシシモ とても弱く
pp ピアニッシモ ごく弱く
p ピアノ 弱く
mp メゾピアノ 少し弱く
mf メゾフォルテ 少し強く
f フォルテ 強く
ff フォルテッシモ ごく強く
fff フォルテッシシモ とても強く
sf スフォルツァ より強く
sfz スフォルツァンド 鋭く強く
fz フォルツァンド (分からない)
[[Category:音楽|きようしやくきこう]]
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Tomzo
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記事の整形。既述記事の除去
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{{navi|[[音楽]] > [[音楽理論]] > [[楽典]] > [[演奏記号]] > '''強弱記号'''}}
[[w:演奏記号|強弱記号]]は、音符の下、または上に付して書かれます。
==ある強さが続くことを表す記号==
この記号が書いてある音符よりあとの音符も、同じ強さで演奏することを表します。最も大切なのは次の6つです。
*[[画像:Music dynamic fortissimo.svg|x15px]](フォルティッシモ)- とても強く
*[[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]](フォルテ)- 強く
*[[画像:Music dynamic mezzo forte.svg|x15px]](メゾフォルテ)1996年ころから学校教科書の発音(メッゾフォルテ)に変化しました- やや強く
*[[画像:Music dynamic mezzo piano.svg|x15px]](メゾピアノ)1996年ころから学校教科書の発音(メッゾピアノ)に変化しました。- やや弱く
*[[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]](ピアノ)- 弱く
*[[画像:Music dynamic pianissimo.svg|x15px]](ピアニッシモ)- とても弱く
また、より強い、また弱い音を表すために、[[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]]や[[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]]を3つ以上連ねることもあります。
これらの記号は、実はイタリア語の略語です。ですから、「やや」とか「もっと」といったことばを添えたい場合などには、イタリア語として扱う必要があります。
*''[[wikt:più|più]]'' [[画像:Music dynamic forte.svg|x15px]] - より強く
*''[[wikt:poco|poco]]'' [[画像:Music dynamic piano.svg|x15px]] - 少し弱く
ときどき、次のようなことばが使われることがあります。
*''[[wikt:sotto voce|sotto voce]]''(ソットヴォーチェ) - 声を抑えて
*''[[wikt:mezza voce|mezza voce]]''(メッツァヴォーチェ) - 半分の声で
==強さの変化を表す記号==
だんだん大きく、またはだんだん小さくすることを表す強弱記号には、文字によるものと図形によるものとの2通りがあります。意味は同じですが、文字によるものが通常変化の開始点に書かれるのに対し、図形では変化の開始から終了までにわたって書かれます。また、それらの両方が書かれて意味を強調することがあります。
*文字によるもの
**''[[wikt:cresc.|cresc.]]'' (< ''[[wikt:crescendo|crescendo]]'' = クレッシェンド) - だんだん大きく
**''[[wikt:decresc.|decresc.]]'' (< ''[[wikt:decrescendo|decrescendo]] = デクレッシェンド'') - だんだん小さく
**''[[wikt:dim.|dim.]]'' (< ''[[wikt:diminuendo|diminuendo]]'' = ディミヌエンド) - だんだん小さく
*図形によるもの
**[[画像:Music-crescendo.svg|25px]] - だんだん大きく
**[[画像:Music-diminuendo.svg|25px]] - だんだん小さく
文字の記号を用いて、変化の開始から終了までにわたって書かれることもあります。たとえば、次のように表されます。
* ''cre – – scen – – do''
* ''cresc. – – – –''
文字の記号は、''[[wikt:poco a poco|poco a poco]]''、''[[wikt:poco|poco]]''、''[[wikt:molto|molto]]''などと同時に使われることがあります。
==ある音だけが強いことを表す記号==
*[[画像:Music dynamic fortepiano.svg|25px]](フォルテピアノ)- 強く、その後、直ちに弱く
*[[画像:Music expression sforzando sf.svg|20px]](スフォルツァンド、スフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Sfz.svg|30px]](スフォルツァンド、スフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Music expression forzando.svg|25px]](フォルツァンド、フォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*[[画像:Rinforzato001.png]](リンフォルツァンド、リンフォルツァート)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音の出だしを弱く、直後に強くして弱める)
*>(アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)
*[[画像:Accento003.png]](アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)音符の上に付けられる。
*[[画像:Accento004.png]](アクセント)- その音を他の音よりも強く(できる楽器ではその音のはじめだけを強くしその後弱める)音符の下に付けられる。
*[[画像:Accento005.png]](アクセント)- その音を最初弱く、だんだん強くしてからだんだん弱く。
[[Category:音楽|きようしやくきこう]]
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小学校社会/6学年/歴史編/人物事典
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2026-10-06T12:31:31Z
Tayailo
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wikitext
text/x-wiki
{{半保護S}}
{{Nav}}
{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}}
ここには、小学校の歴史の勉強で出てくる人物について書いてあります({{ruby|発展|はってん}}的な内容および人物もふくまれています)。もっとくわしく知りたいときは、色がついているタイトルの名前をクリックしてください。ウィキペディアにあるページにリンクしてあります。少し{{ruby|難|むずか}}しいかもしれませんので、事典や身近な大人をフル活用してください。
<!--執筆者へ
あまり長くならないよう、4〜5行程度にまとめてください。→ちょっと難しいですね。その時代の変革にあたった人物については10行程度までは、許容して良いでしょう。
第1行目には、「生没年」があるといいと思います。-->
また、難しいかもしれませんが、[[中学受験社会/歴史/人物]]をみてもいい情報があるかもしれません。
== {{ruby|弥生|やよい}}時代 ==
=== <span id="卑弥呼"/>{{ruby|卑弥呼|ひみこ}} ===
{{wikipedia|卑弥呼}}
:3世紀はじめごろ。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|{{ruby|邪馬台国|やまたいこく}}]]の女王です。
:当時、中国にあった{{ruby|魏|ぎ}}という国に使いを送り、その時に{{ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}の称号を与えられたとその国の歴史書({{ruby|魏志倭人伝|ぎしわじんでん}})に記されています。
:神のおつげやうらないで政治を行ったとされています。
:邪馬台国があったと考えられる場所は不明ですが、{{ruby|奈良|なら}}にあったとするものと九州北部にあったとするものの二つの説が有力で論争が続いています。一番古い時代に作られた{{ruby|古墳|こふん}}が、卑弥呼の墓で、奈良に邪馬台国があった場合、{{ruby|箸墓|はしはか}}古墳が卑弥呼の墓ではないか、と考えられています。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「卑弥呼」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「縄文時代」「弥生時代」をへて、人々が集まった小さな「むら」から、大きな「くに」ができるようになりました([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#「むら」から「くに」へ|「むら」から「くに」へ]])。
:*「くに」は、当時世界で最も有力であった中国に使いを送ります。
:*その当時、日本にはまだ文字が伝わっていませんでしたが、中国へ送った使いによって、当時の日本のことが記録され、様子がわかります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|飛鳥|あすか}}時代 ==
=== <span id="聖徳太子"/>{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}} ===
{{wikipedia|聖徳太子}}
:生没年:572年-622年。{{ruby|厩戸王|うまやどおう}}などとも{{ruby|呼|よ}}ばれます。
:[[w:推古天皇|{{ruby|推古|すいこ}}天皇]]に代わって政治を行う{{ruby|摂政|せっしょう}}として{{ruby|活躍|かつやく}}し、{{ruby|豪族|ごうぞく}}の集まりであったヤマト政権を天皇を中心とした政治を行うようさまざまな改革を行いました。
:{{ruby|仏教|ぶっきょう}}や中国の{{ruby|儒教|じゅきょう}}の教えをもとに、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}の役人の{{ruby|心得|こころえ}}である[[w:十七条憲法|{{ruby|十七条の憲法|じゅうしちじょうのけんぽう}}]]を定めました。また、能力が高かったり手がらをたてた人が重要な仕事をできるよう[[w:冠位十二階|{{ruby|冠位十二階|かんいじゅうにかい}}]]の制度をつくりました。
:仏教を深く{{ruby|信仰|しんこう}}していた聖徳太子は、[[w:法隆寺|{{ruby|法隆寺|ほうりゅうじ}}]]などの寺を建て、仏教の力で平和な世の中になるように願いました。
:10人が同時に話しても、そのすべての内容を理解したなどの伝説がも残ります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:推古天皇|{{ruby|推古天皇|すいこてんのう}}]]
*::日本で最初の女性の天皇です。推古天皇の皇太子であった聖徳太子は、{{ruby|摂政|せっしょう}}の立場で、さまざまな改革を行いました。
*:<span id="蘇我馬子"/>[[w:蘇我馬子|{{ruby|蘇我馬子|そがのうまこ}}]]
*::最大の勢力を持った豪族{{ruby|蘇我|そが}}氏をひきい、天皇につかえるものの中で最も高い位である{{ruby|大臣|おおおみ}}として聖徳太子を助けました。
=== <span id="小野妹子"/>{{ruby|小野妹子|おののいもこ}} ===
{{wikipedia|小野妹子}}
:生没年:6世紀後半〜7世紀前半。「妹子(いもこ)」という名前ですが{{ruby|男性|だんせい}}です。
:607年、{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}}の命令で第2回{{ruby|遣隋使|けんずいし}}として中国の{{ruby|隋|ずい}}の国にわたります。608年には第3回遣隋使として、ふたたび隋をおとずれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖徳太子」や「小野妹子」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子より前の日本の政治は、有力な豪族が集まっただけの政治のかたちでした。
:*聖徳太子が皇太子となったころ、こうした豪族どうしが争う一方で中国や朝鮮半島では、皇帝などを中心とした強力な国づくりが進んでいました。
:*聖徳太子は天皇を中心とした国づくりをすることで、国をまとめようとしました。また、聖徳太子は、仏教を積極的に取り入れました。
:*聖徳太子は、国の制度や仏教を学ぶため、中国の{{ruby|隋|ずい}}に使いを送りました。その代表に選ばれて隋に渡ったのが小野妹子です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="中大兄皇子"/>{{ruby|中大兄皇子|なかのおおえのおうじ}} ===
{{wikipedia|天智天皇}}
:生没年:626年 - 672年
:後の{{ruby|天智|てんじ}}天皇<ref>歴史の学習では、普通、即位後の天皇の名前で呼びますが、中大兄皇子の場合、皇太子である時期に、大化の改新などで活躍したため、皇太子時代の名前で呼ばれることが多いです。なお、「天智天皇」という名は、のちの奈良時代になってつけられた名前です。</ref>。
:[[#聖徳太子|聖徳太子]]が亡くなってから、[[#蘇我馬子|蘇我馬子]]をついだ蘇我{{ruby|蝦夷|えみし}}とその子{{ruby|入鹿|いるか}}が勝手な政治をしたため、{{ruby|[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]|なかとみのかまたり}}とともにこれをほろぼしました。
:皇太子となった中大兄皇子は、力を持った豪族はいなくなったので、{{ruby|大化|たいか}}の改新と言われる天皇中心の政治を行うために改革を行いました。大化の改新により、日本の人民と土地は天皇が支配するものとなり、人民には農地が与えられる代わり、{{ruby|租庸調|そようちょう}}と呼ばれる税を天皇(朝廷)に納めるようになりました。
:また、聖徳太子がやったように、隋を滅ぼして建国された{{ruby|唐|とう}}に使い({{ruby|遣唐使|けんとうし}})を送りました。しかし、朝鮮半島での{{ruby|新羅|しらぎ}}と{{ruby|百済|くだら}}との争いで、唐は新羅を、日本は百済を味方したため、敵対することになりました。この争いで新羅は百済を破り、百済は滅亡します。
:中大兄皇子は、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることにそなえ、{{ruby|防人|さきもり}}をおいて九州を守らせ、都を現在の大阪市にあった{{ruby|難波宮|難波宮}}から滋賀県の{{ruby|近江京|おうみきょう}}に移しました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#大化の改新と律令制の成立|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇({{ruby|大海人皇子|おおあまのおうじ}})]]
*::天智天皇(中大兄皇子)の弟。はじめは天智天皇の後に天皇になる予定でしたが、皇太子を天智天皇の子である{{ruby|大友皇子|おおとものおうじ}}に譲りました。しかし、天智天皇の死後、大友皇子と争い、勝利して天皇に即位しました。天智天皇の方針を引き継いで、天皇中心の社会を作るよう努めました。
*::[[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]など奈良時代の天皇は天武天皇の子孫になります。
=== <span id="中臣鎌足"/>{{ruby|中臣鎌足|なかとみのかまたり}} ===
{{wikipedia|藤原鎌足}}
:生没年:614年 - 669年
:もとは、日本伝統の神をまつる神職を職業とする豪族でしたが、仏教を盛んにしようとする蘇我氏に圧倒されていました。蘇我氏と関係の薄かった中大兄皇子に協力し、蘇我氏をともにほろぼしました。
:その後、中大兄皇子の大化の改新に協力して改革を進めます。
:669年、亡くなる時に天智天皇は、鎌足の功績にむくいるため、{{ruby|大織冠|だいしょくかん}}という進化の中でも最高の位と{{ruby|藤原|ふじわら}}の姓を与えました。したがって、中臣鎌足を'''藤原鎌足'''ともいいます。
:鎌足の子孫は、奈良時代から平安時代にかけて、勢力を拡大し、朝廷の主要な役職を独占する「{{ruby|藤原|ふじわら}}氏」となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「中大兄皇子・天智天皇」や「中臣鎌足・藤原鎌足」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子の死後、天皇を凌ぐほどの力を持った蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼします。
:*中大兄皇子は、聖徳太子の目指していたところをさらに進める政策を行います。これを「大化の改新」といいます。
:*「大化の改新」で最も重要なものは、人民と土地は直接天皇が支配し、農地を朝廷が与える代わりに人民は税(租庸調)を納めるというものです。
:*朝鮮半島の戦争で、百済にみかたした日本は、新羅と唐の連合軍に敗北し朝鮮半島の拠点を失い、一時は唐との関係も悪化しました。
:*天智天皇かめざした天皇中心の政治は、天智天皇の死後、{{ruby|律令|りつりょう}}制の成立という形で完成します。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|奈良|なら}}時代 ==
=== <span id="聖武天皇"/>{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇 ===
{{wikipedia|聖武天皇}}
:生没年:701年 - 756年
:奈良時代を代表する天皇です。在位中は災害や伝染病({{ruby|天然痘|てんねんとう}})の大流行などがあって、平穏な時代であったとは言えませんでしたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#律令制|大宝律令]]の完成(710年)から約30年、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京{{ruby|遷都|せんと}}]]から約20年たって、律令にもとづいた天皇中心の政治がようやく定着した時期でもありました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|→教科書本文]])
:[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|聖武天皇は仏教を手厚く保護します]]。この時期は、遣唐使で留学した僧も多く帰国して仏教が日本全国で定着した時期でもあり、国が安定することを目的として全ての国に国分寺と国分尼寺を建てました。その中心として、平城京(奈良)に東大寺を建立し、そこに、大仏「奈良の大仏」を作らせました。
* 関連する人物
*:[[w:光明皇后|{{ruby|光明皇后|こうみょうこうごう}}]]
*::聖武天皇の皇后です。[[#中臣鎌足|藤原鎌足]]の子藤原{{ruby|不比等|ふひと}}の娘になります。皇室出身以外から初めて皇后になりました。以後、藤原氏から多くの皇后が出るようになり、藤原氏が朝廷で力を得る例のさきがけとなりました。
=== <span id="行基"/>{{ruby|行基|ぎょうき}} ===
{{wikipedia|行基}}
[[File:Gyouki 1.jpg|thumb|right|180px|行基]]
:生没年:668年 - 749年
:河内国の渡来人の家系に生まれた{{ruby|僧|そう}}です。{{ruby|道昭|どうしょう}}に学んだとされています。道昭は遣唐使で留学し{{ruby|玄奘|げんじょう}}に学びました。玄奘は、唐からインドを訪ねて仏教を学んだ僧で、西遊記の三蔵法師のモデルです。
:当時の仏教は国を守護安定させるものとの考えがあり、ほとんどの僧は寺で仏教を学問として研究するものが主流で、一般の民衆への仏教の布教は禁止されていました。こうした時代に、諸国をまわって用水の池や橋を造りながら、身分を問わず教えを説きました。はじめのうちは、危険な人物と思われ、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}からはは行基の行動をとりしまりました。からはされました。しかし、{{ruby|民衆|みんしゅう}}や地方豪族の{{ruby|尊敬|そんけい}}を集め、朝廷も危険な行動ではないと理解し、後には、とりしまりをゆるめました。
:こうしたなか、聖武天皇は大仏建立を命令しましたが、とても多くの人々の支持と労働力を必要とする大仏建立はなかなかすすみませんでした。そこで、朝廷は、人々にしたわれていた行基を、日本の仏教の最高峰である{{ruby|大僧正|だいそうじょう}}に任じて、大仏建立の責任者としました。
:行基のはたらきもあって、大仏建立は順調に進むようになりましたが、行基は完成前に亡くなりました。
=== <span id="鑑真"/>{{ruby|鑑真|がんじん}} ===
{{wikipedia|鑑真}}
[[File:Ganjin wajyo portrait.JPG|thumb|left|180px|国宝『鑑真和上坐像』]]
:生没年:688年 - 763年
:唐の長安で僧となるものに{{ruby|戒律|かいりつ}}を与える教えの有名な{{ruby|僧侶|そうりょ}}でした。戒律とは仏教の修行者が守るべき生活上のルールを言います。正式に僧や尼僧として認められるには、修行を積んだ僧から、この戒律を伝えられなければなりませんでした。特に、唐で修行する場合には、その資格を持った僧(律師)から与えられていなければ、正式な僧として修行ができませんでした。日本には唐でも認められる律師がいなかったため、遣唐使の留学僧は留学の時困っていました。742年、日本からの留学僧が、日本に律師を送ってほしいと頼まれ、弟子に声をかけましたが誰も自ら名乗り出るものはいませんでした。そこで、鑑真は自ら日本に渡ろうと決意しました。最初は皇帝からの許可が降りず、許可を得てから渡ろうとして、5回も失敗し、6回目にようやく日本に着きました。754年、6回目のこころみでようやくに日本についたころには、失明していました。聖武天皇に迎えられた鑑真は、奈良に '''{{Ruby|唐招提寺|とうしょうだいじ}}''' を開き、正しい仏教を伝えて、多くの日本人の僧を育てました。
:また、医学や薬学、美術工芸なども伝えました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖武天皇」「行基」「鑑真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖武天皇の時代には、律令制によって、天皇中心の政治ができるようになりました。
:*遣唐使によって、多くの中国の文化が伝わりました。仏教も、伝わった文化の一つです。
:*全国に国分寺・国分尼寺と都の平城京にはそれをまとめる東大寺が建てられ、東大寺には大仏が置かれました。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|平安|へいあん}}時代 ==
=== <span id="桓武天皇"/>{{ruby|桓武|かんむ}}天皇 ===
{{wikipedia|桓武天皇}}
[[File:Emperor Kammu large.jpg|thumb|right|160px|桓武天皇]]
:生没年:737年 - 806年
:都を平城京(奈良)から平安京(京都)にうつした({{ruby|平安遷都|へいあんせんと}})天皇です。
:770年、{{ruby|称徳|しょうとく}}天皇([[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]の皇女)が亡くなり、[[#天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇]]の子孫がたえて、[[#中大兄皇子|{{ruby|天智|てんち}}天皇]]の子孫である{{ruby|光仁|こうにん}}天皇が即位しました。桓武天皇は光仁天皇の子で、あとを継ぎました。
:平安遷都の前の朝廷は、仏教の寺院が大きな勢力を持って、僧が政治に口を出すようになり、争いが絶えないようになっていました。また、律令制がすすむことで、班田収授法によって民衆に分ける土地も奈良盆地周辺だけでは足りなくなっていました。このような問題を解決するために、桓武天皇は平城京から平安京に都を移しました。
:また、桓武天皇は、{{ruby|坂上田村麻呂|さかのうえのたむらまろ}}を[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命し、東北地方の{{ruby|蝦夷|えみし}}をうたせるなどして、日本に律令制を確立させました。
:仏教が政治にかかわるのをきらって、平安遷都では大きな寺院を平城京に残した一方で、最澄や空海を遣唐使として唐に留学させ新しい仏教を学ばせました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安遷都|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:最澄|{{ruby|最澄|さいちょう}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。平城京にあった大きな寺院から離れ、近江(今の滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行しました。比叡山は平安京のすぐ東北の位置になりますが、最澄が修行を始めたのは平安遷都より前のことです。遣唐使として留学し、多くの経典などを持ち帰りました。それらは比叡山に開いた寺(後に{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}と呼ばれます)で研究され、延暦寺はのちの日本の仏教に大きな影響を与えます。最澄が開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といいます。
*:[[w:空海|{{ruby|空海|くうかい}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。遣唐使として最澄とともに留学し、最澄同様に多くの経典などを持ち帰りました。特に、仏教のうち{{ruby|密教|みっきょう}}と呼ばれるものを伝え、{{ruby|真言宗|しんごんしゅう}}を開きました。和歌山県の{{ruby|高野山|こうやさん}}に{{ruby|金剛峯寺|こんごうぶじ}}を開き、また、{{ruby|嵯峨|さが}}天皇<ref>桓武天皇の二代後の天皇。</ref>から、平安京の中の二つの寺のうちの一つである{{ruby|東寺|とうじ}}をまかされます。空海の教えは、天皇や貴族だけにとどまらず、広く民衆に伝えられ、また、空海自身もため池の造営など民衆のための事業を行いました。
=== <span id="菅原道真"/>{{ruby|菅原道真|すがわらのみちざね}} ===
{{wikipedia|菅原道真}}
[[File:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Michizane in exil.jpg|250px|thumb|左奥で顔をおおっているのが道真です。太宰府に流される時、天皇から贈られた衣を見て泣いている場面です。]]
:生没年:845年-903年
:平安時代前期の貴族です。
:学問に優れ、その当時、{{ruby|藤原|ふじわら}}氏は、他の貴族の一族を圧倒して朝廷の大事な役職を独占しようとしていましたが、それに対抗して朝廷で重要な役職につきました。政治から遠ざけようとする人々は、道真を{{ruby|遣唐使|けんとうし}}の大使として、{{ruby|唐|とう}}に送ろうとしましたが、唐は戦乱で乱れ、道真は得るものも多くないと考え、遣唐使の{{ruby|廃止|はいし}}を申し出、これを廃止しました。その後、朝廷では右大臣まで出世しますが、藤原氏らの{{ruby|陰謀|いんぼう}}により、{{ruby|太宰府|だざいふ}}(現在の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にあった九州をおさめる役所)に流され、そこで亡くなりました。
:道真の死後、朝廷では数々の異変が起こり、「これは道真の{{ruby|怨|うら}}みからの{{ruby|呪|のろ}}いである」とおそれられ、朝廷は道真を{{ruby|天満天神|てんまんてんじん}}という神としてまつりました。現在では、学問の神様「{{ruby|天神|てんじん}}さま」として有名です。道真をまつる神社を{{ruby|天満宮|てんまんぐう}}といい、亡くなった土地である福岡県にある太宰府天満宮や京都の{{ruby|北野|きたの}}天満宮、東京の{{ruby|湯島|ゆしま}}天満宮などが有名です。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「菅原道真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安京に遷都して(794年)から、約100年たって政治は安定した一方で、律令制度が理想としていた天皇中心の政治から、貴族が中心となる政治に変わりつつありました。
:*特に、有力であったのは藤原氏で、藤原氏以外の貴族が勢力をもとうとするとそれをじゃましたこともありました。菅原道真が太宰府に流されてしまったのもその例の一つです。
:*奈良時代にさかんで、多くの新しい文化を日本に伝えた遣唐使も、この時代には得るものが少なくなっていたため廃止されました。外国の影響が少なくなったので、日本独自の文化が発達するきっかけになりました。
:*菅原道真は神様としてまつられ、今では学問の神「天神さま」として有名です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="藤原道長"/>{{ruby|藤原道長|ふじわらのみちなが}} ===
{{wikipedia|藤原道長}}
[[File:Fujiwara no Michinaga 2.jpg|180px|thumb|left|1220年頃に作られた『紫式部日記絵巻』に書かれた藤原道長]]
:生没年:966年 - 1028年
:平安時代中期の貴族で、[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]を祖先とする藤原氏になります。
:平安時代の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂関政治]]を代表する政治家です。
:道長は、娘四人を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、その娘が産んだ三人の孫が天皇になり、藤原氏の全盛期をきずいたと言われ、そのようなありさまを、以下のように和歌にしたと伝えられます。
::'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」'''
:::(この世は、望月(満月)のように欠けているものがなく、まるで{{ruby|私|わたし}}(道長)の物のようだ。)
:その当時、同じ藤原氏の中でも争って娘を天皇の妃にしていましたが、天皇に気に入られるように、{{ruby|妃|きさき}}の周りには和歌を読んだり物語を語るのがたくみな{{ruby|女官|にょかん}}が集められ、後の世に残る和歌や物語、{{ruby|随筆|ずいひつ}}<ref name="随筆">自分が見聞きしたことや体験、それに関する感想などを、自由な形式で書いた文章をいいます。「エッセイ」とも言います。</ref>などが数多く作られました。これを宮中文学と言います。道長の娘{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名">当時の女性名は漢字でしか残っていない場合が多く、訓読みがわからないものもあり、音読みで読む学術的な慣習がありました。最近は、そのように読まれたであろうという訓読みが一般的ですが、ここでは参考のため、どちらも書いておきます。</ref>には、[[#紫式部|{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}}]]が仕え『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』を作りました。道長の時代には、その他、『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』なども作られて宮中文学が最も盛んであった時期と言われています。
:紫式部は彰子の教育係をしながら朝廷の人々の様子を観察していたと言われています。このことから、主人公の光源氏は、道長がモデルではないかともいわれています。ただし、これはあくまでも一説であり、その他、{{ruby|源融|みなもとのとおる}}、{{ruby|源高明|みなもとのたかあきら}}がモデルであるなど、さまざまな説があります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安時代の文化と生活|→教科書本文]])
{{-}}
=== <span id="紫式部"/>{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}} ===
{{wikipedia|紫式部}}
[[File:Tosa Mitsuoki 001.jpg|160px|thumb|紫式部のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:970年から978年?~970年から978年?
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、物語の作者です。
:藤原氏の生まれですが、そのころには、藤原氏の数も相当に増えていて、道長のように裕福で政治の頂点にいる家系と、それほど豊かではなく中下級の役人となる家系と分かれるようになっていました。紫式部は中級の貴族の生まれで、学問の家系だったと言われます。
:道長の娘で{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名"/>に仕えました。
:宮中文学の中でも最も有名な作品の一つである『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』の作者です。源氏物語は、{{ruby|帝|みかど}}の子である{{ruby|光|ひかる}}源氏が主人公の物語で、光源氏が、藤原氏と思われる貴族などとの宮中政治に巻き込まれながら、多くの女性との恋愛を経験するというものです。源氏物語は、その後の日本の文学に多くな影響を与え、また、30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれるなど、日本文学の代表的作品と評価されています。
:また、宮中での務めの様子を記した『紫式部日記』を残しており、当時の宮中の様子が伝えられています。
:和歌の読み手としてもすぐれていて、多くの歌が残っており、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::巡りあ{{ruby|ひ|(い)}}て みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし {{ruby|夜半|よは}}のつきかな
:::ようやくあえたのに、それがあなたかどうかが、わからない位すぐに いなくなってしまい とてもさびしい気持ちです。まるで、切れた雲から月が少し見えたと思ったら、またすぐに雲に隠れたように。
=== <span id="清少納言"/>{{ruby|清少納言|せいしょうなごん}} ===
{{wikipedia|清少納言}}
[[File:Sei Shonagon2.jpg|160px|thumb|清少納言のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:966年?〜1025年?。
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、随筆<ref name="随筆"/>『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』の作者です。中級貴族の{{ruby|清原|きよはら}}氏の出身です。
:清少納言は{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|定子|ていし/さだこ}}<ref name="女性名"/>に仕えました。定子の父は道長の兄で[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂政や関白]]を務めた藤原{{ruby|道隆|みちたか}}ですが、早くに亡くなってしまいます。道隆をついで政治のトップに立ったのが道長です。定子の兄藤原{{ruby|伊周|これちか}}は、道長との政治上の争いに敗れてしまい、定子の宮中での立場は非常に弱いものとなっていき、道長の娘彰子が一条天皇の{{ruby|妃|きさき}}になると間もなく亡くなります。『枕草子』は、その間に清少納言が見聞きしたことや、その感想、定子やその兄弟などとのふれあいを書いたものです。
:『枕草子』は、『{{ruby|方丈記|ほうじょうき}}』『{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}』とともに、日本三大随筆の一つに数えられ、『源氏物語』同様に日本の文学に大きな影響を与えます。
:また、紫式部と同様に、歌人としてもすぐれ、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::夜をこめて とりのそらねは はかるとも 世に{{ruby|あふ|おお}}さかの せきはゆるさじ
:::夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似(とりのそらね)をして人をだまそうとしても、この{{ruby|逢坂|おおさか}}の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して{{ruby|逢|あ}}いませんよ)
:::*中国の昔話で、とらえられている貴族を逃すのに、朝にならないと開かない国境の門を、貴族を逃すためにつかわされた従者がニワトリの声をまね、夜が開けたと思わせ、だまして門を開けさせたという話({{ruby|鶏鳴狗盗|けいめいくとう}})が元になっています。このように、中国の古典の知識などが宮中の女官には求められました。「{{ruby|逢坂|おおさか}}の関」は、都と近江国(滋賀県)の間にある関所ですが、ここでは、「逢坂」の「{{ruby|逢|あ}}う」がかけられていて、逢いたいと言いよってくる男性に「なんと言われても逢いませんよ」と、女性がフっている情景です。
=== <span id="藤原頼通"/>{{ruby|藤原頼通|ふじわらのよりみち}} ===
{{wikipedia|藤原頼通}}
[[File:藤原頼通.jpg|180px|thumb|left|13世紀末から14世紀初頭ころに書かれた『駒競行幸絵巻』に書かれた藤原頼通]]
:生没年:992年 - 1072年
:平安時代中期の貴族で、[[#藤原道長|藤原道長]]の長男です。
:父道長が、天皇の{{ruby|外祖父|がいそふ}}<ref>母親の父親のことを言います。{{ruby|母方|ははかた}}の祖父とも言います。</ref>として、朝廷で権力を振るっている中で、摂政・関白となり、後に太政大臣もつとめます。
:しかし、父道長とちがって娘が生まれなかったので、天皇の妃を宮中に送ることができず、孫が天皇となることはありませんでした。頼通のころから、藤原氏の力がだんだん弱まってきたと言われています。
:頼通は、当時流行した{{ruby|浄土|じょうど}}信仰から、{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土への{{ruby|往生|おうじょう}}を願い、{{ruby|宇治|うじ}}の{{ruby|平等院|びょうどういん}}に{{ruby|鳳凰堂|ほうおうどう}}を建てます。これは、平安時代中期の建築様式を残した代表的建物です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「藤原道長」「紫式部」「清少納言」「藤原頼通」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*[[#菅原道真|菅原道真]]が太宰府に流された事件から、さらに約100年、貴族、特に藤原氏が摂政や関白になる政治は、道長の時代にピークをむかえます。
:*遣唐使が廃止された後、日本独自の文化はますます発展し、『源氏物語』『枕草子』といった、現代でも評価の高い宮中文学が生まれます。しかも、それをなしたのは宮中に務める女性でした。
:*その後、貴族の力はだんだん弱まっていき、代わって武士の力が強くなっていきます。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="平清盛"/>{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}} ===
{{wikipedia|平清盛}}
[[file:Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg|thumb|160px|14世紀前半ころに描かれた平清盛]]
:生没年:1118年-1181年
:平安時代末期の武家である{{ruby|平氏|へいし}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|平|たいら}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|平家|へいけ}}」とも言います。</ref>の{{ruby|棟梁|とうりょう}}です。武士として初めて日本の政治の頂点に立ちました。
:清盛は、主に瀬戸内海地方の{{ruby|海賊|かいぞく}}を取り締まる平氏の武士団をひきいて勢力を伸ばしました。清盛は瀬戸内海の取締りを行うことで、この地方の海運を支配し、財力を高めました。清盛は、現在の広島県にある海の神をまつる {{ruby|厳島|いつくしま}}神社 を{{ruby|敬|うやま}}い、平氏一族がまつるべき{{ruby|氏神|うじがみ}}としました。
:1156年天皇家や藤原氏本家(摂関家)のあとつぎについて、双方が武士団を味方につけて争った保元の乱では、{{ruby|後白河|ごしらかわ}}天皇側について勝利にみちびき、{{ruby|源氏|げんじ}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|源|みなもと}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|源家|げんけ}}」と言うこともありますが、「平家」に比べれば使うことはまれです。</ref>の{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}らとともに武家としてはじめて中央の政治にかかわるようになりました。そして、1160年の平治の乱では源義朝を倒して、他の有力な武家をおしのけて、清盛の平氏だけが武家として中央の政治にかかわるようになりました。
:清盛は一族を朝廷の高位の役職につけたり、自分や一族の娘を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、子どもができると天皇をつがせようとするなど、藤原氏とにた政治を行うようになりました。1167年には武家ではじめて{{ruby|太政|だいじょう}}大臣になります<ref>太政大臣は、律令制ができた当時に皇族が就任、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|奈良時代末期に道鏡が就任した]]他は、約400年間藤原氏以外が就任した例はありません。</ref>。こうして、平氏は勢力を極め、清盛の弟{{ruby|平時忠|たいらのときただ}}などは「平家にあらずんば、人にあらず」(平家でなければ人でない)とも言うようになりました。
:清盛は、朝廷での権力をにぎった後も、主に瀬戸内海を舞台とした海運を続け、唐の後に中国を統一した{{ruby|宋|そう}}との間の{{ruby|貿易|ぼうえき}}も行うようになります。平安京(京都)は、このような海運に不便なので、都を{{ruby|福原|ふくはら}}(現在の神戸市)に移そうともしました。
:しかし、このような平氏ばかりを優遇する政策は、都の貴族たちや東国の武士団の反発をまねきます。清盛の晩年には各地で平氏に対する反乱が起き、1180年には、義朝の子で伊豆に流されていた{{ruby|[[#源頼朝|源頼朝]]|みなもとのよりとも}}が、{{ruby|鎌倉|かまくら}}(神奈川県鎌倉市)を拠点として関東の武士団をまとめて兵を上げ、西に兵を進めました。清盛は、これを討とうとしましたが、翌1181年病気で亡くなってしまいました。
:各地の反乱をおさえられなくなった平氏は、京都を捨て、瀬戸内海を西に逃げますが、1185年、源氏によって{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}(現在の山口県)で{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「平清盛」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*清盛は平安時代末期の人物ですが、武家として、それまでの貴族の政治を終わらせたと言う意味で、鎌倉時代以降の時代を開いた人と理解してください。
:*しかし、政治を行うのに、それまでの貴族政治の仕組みをそのまま使おうとして、それまでの貴族からも、地方で勢力を持つようになった武家からも反発されて、平氏の世は、清盛死後、まもなく滅びてしまいます。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|鎌倉|かまくら}}時代 ==
=== <span id="源頼朝"/>{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}} ===
{{wikipedia|源頼朝}}
[[File:Seated Portrait of Minamoto no Yoritomo (Presumed) 3.jpg|thumb|160px|東京国立博物館所蔵、木造伝源頼朝像]]
:生没年:1147年-1199年
:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて{{ruby|源氏|げんじ}}と{{ruby|平氏|へいし}}が戦っていた時代の、源氏の{{ruby|棟梁|とうりょう}}(リーダー)。
:平治の乱で父{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}を亡くし、頼朝も処刑されるところでしたが、幼かったため許され、{{ruby|伊豆|いず}}の国(現在の静岡県)に流されます。伊豆で地元の武士の娘{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}と結婚し、北条氏の支援などを得て、平家に対抗する兵をあげます。
:関東地方({{ruby|鎌倉|かまくら}})から、弟の{{ruby|義経|よしつね}}らに指示を送って平家を{{ruby|倒|たお}}しました。平家滅亡に向けた{{ruby|戦|いくさ}}には頼朝は出向いていません。
:その後、東北地方で強い勢力を持っていた藤原氏(公家の藤原氏と区別して{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏と言います)を滅ぼし、全国の武士を支配、1192年に{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}に任命され、鎌倉{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらきました。
:同じ武家の政権ですが、平氏がほぼ[[#平清盛|清盛]]一代であったのに対して、鎌倉幕府は、頼朝の血筋こそ絶えたものの150年近く続きました。これは、清盛が朝廷に入って政治を行おうとして、多くの武家の反発を受けたのと対照的に、頼朝は京都から遠く離れた鎌倉で、武家を治める政治を行う仕組みにしたことにあるでしょう。
* 関連する人物
*:[[w:北条政子|{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}]]
*::生没年:1157年-1225年
*::頼朝の妻。伊豆の地方武士北条{{ruby|時政|ときまさ}}の娘。
*::頼朝が{{ruby|亡|な}}くなった後、頼朝と政子の子である{{ruby|頼家|よりいえ}}、{{ruby|実朝|さねとも}}が将軍となったが、どちらも亡くなって頼朝の{{ruby|家系|かけい}}は{{ruby|途絶|とだ}}えました。幕府の政治は、弟の北条{{ruby|義時|よしとき}}が{{ruby|執権|しっけん}}として見るようになって、その後、鎌倉幕府の政治は義時の子孫である北条氏が執権として支配します(執権政治)。1221年{{ruby|後鳥羽|ごとば}}天皇が、鎌倉幕府を{{ruby|滅|ほろ}}ぼそうと兵をあげると({{ruby|承久|じょうきゅう}}の乱)、天皇にはむかうことにためらっている{{ruby|御家人|ごけにん}}たちを{{ruby|激励|げきれい}}し、後鳥羽天皇側の武士をうちまかし、鎌倉幕府の優位を確立します。
=== <span id="源義経"/>{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}} ===
{{wikipedia|源義経}}
:生没年:1159年-1189年
:{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}の子で{{ruby|頼朝|よりとも}}の弟。平治の乱のとき、兄頼朝同様、{{ruby|幼|おさな}}かったため許され、{{ruby|僧|そう}}となるため京都北部の{{ruby|鞍馬山|くらまやま}}で育てられました。幼い頃の名を{{ruby|牛若丸|うしわかまる}}といいます。牛若丸は京都からのがれて、東北地方の{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏のもとへ向かい武芸をみがき、元服して義経と名乗りました。
:兄頼朝が平家をほろぼす兵をあげると、その手伝いをしようと鎌倉に向かい、頼朝の軍に加わります。頼朝は義経を武士団の大将にし、西へ向かわせました。義経は、戦さにたくみで、まず、京都から平家を追い出した源{{ruby|義仲|よしなか}}({{ruby|木曽|きそ}}義仲)を{{ruby|討|う}}って、そのまま、西に向かい本州と九州の境の{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}で平家を滅ぼしました。
:しかし、源氏と平家の戦いが終わったあと、義経は兄の頼朝にきらわれ遠ざけられて、義経は奥州藤原氏のもとへ{{ruby|逃|に}}げることとなりましたが、頼朝の軍勢の{{ruby|追撃|ついげき}}にあい、最終的に、奥州藤原氏が裏切って、{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#義経]]を参照。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「源頼朝」や「源義経」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平清盛に敗れて殺された源義朝の子の源頼朝は、弟源義経などに関東の武士をひきいさせて、平家を滅ぼします。その後、義経は頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏のもとに逃げますが、裏切った奥州藤原氏に滅ぼされます。頼朝は、その奥州藤原氏を滅ぼして、日本の武士をまとめます。
:*頼朝は{{ruby|征夷大将軍|せいいだいしょうぐん}}になり、{{ruby|鎌倉|かまくら}}に{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらき、以後、日本の政治は将軍の{{ruby|下|もと}}、武士が行うようになります。
:*頼朝は{{ruby|御家人|ごけにん}}とよばれる自分の家来の武士たちを、{{ruby|守護|しゅご}}や{{ruby|荘園|しょうえん}}の{{ruby|地頭|じとう}}に任命して日本全国におきました。
:*頼朝の子孫である源氏の将軍はすぐに絶え、鎌倉幕府は北条氏が権力を持った{{ruby|執権|しっけん}}政治となります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="運慶"/><span id="快慶"/>{{ruby|運慶|うんけい}}・{{ruby|快慶|かいけい}}===
{{wikipedia|運慶}}
{{wikipedia|快慶}}
'''運慶'''(生没年:? - 1224年)
'''快慶'''(生没年:不詳 1189年頃から1221年頃までの作品が残る)
:仏師(仏像を製作する彫刻家)。代表作は東大寺南大門{{ruby|金剛力士|こんごうりきし}}像。
:鎌倉時代の、武士の支配する{{ruby|世相|せそう}}を反映してか、この時代には、金剛力士像のような、写実的で{{ruby|躍動|やくどう}}的な作品も、好まれるようになりました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「運慶」や「快慶」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安時代、宮中や貴族を中心とした日本独自の文化が誕生しますが、鎌倉時代になると、武士をはじめとした民衆に新たな文化が誕生していきます。仏像なども、平安時代までの静かに座ったものから、動きをいきいきと表した金剛力士像のようなものが好まれるようになります。
:*仏教も、寺での僧たちの活動だけではなく、民衆が広く理解ができる、浄土教や禅宗、法華宗など新しい教えが誕生しました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="北条時宗"/>{{ruby|北条時宗|ほうじょうときむね}} ===
{{wikipedia|北条時宗}}
:生没年:1268年 - 1284年
:中国の王朝{{ruby|元|げん}}が{{ruby|攻|せ}}め{{ruby|込|こ}}んできたとき({{ruby|元寇|げんこう}})の鎌倉幕府の執権。
:時宗は、元が服従するよう命じてきたのを拒否し、全国の御家人だけでなく、御家人ではない武士にも、筑後(現在の福岡県)に集まり元から日本を守るよう命じ、元を{{ruby|撃退|げきたい}}します。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#元寇|→教科書本文]])
* 関連する人物
**[[w:クビライ|フビライ・ハーン]]<ref name="ハーン">「チンギス」が名前で「ハーン(ハン、カーン、{{ruby|汗|カン}}と書いたり、発音したりもします)」が君主を意味するモンゴル民族など北方民族のことばです。</ref>
**:中国の王朝{{ruby|元|げん}}の皇帝。クビライと書くこともあります。
**:中国本土北部の遊牧民モンゴル({{ruby|蒙古|もうこ}})族のチンギス・ハーン<ref name="ハーン"/>は、中国本土へ攻め入り、西に向かい、ヨーロッパの東部までその勢力におきました(モンゴル帝国)。フビライ・ハーンはチンギス・ハーンの孫で、モンゴル帝国のうち、中国本土の部分を「元」として独立させ中国風の皇帝となりました。
**[[w:竹崎季長|{{ruby|竹崎季長|たけさきすえなが}}]]
**:元寇のときの鎌倉幕府の{{ruby|御家人|ごけにん}}。元軍の撃退に{{ruby|活躍|かつやく}}しましたが、それを幕府に伝えるために、自身の戦いを「{{ruby|蒙古襲来絵詞|もうこしゅうらいえまき}}」に{{ruby|描|えが}}かせました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「北条時宗」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*13世紀モンゴル民族は全世界にその勢力を広げました。それが、東の日本に向かったものが「{{ruby|元寇|げんこう}}」です。日本は歴史上初めて、外国の大勢の軍隊からの{{ruby|攻撃|こうげき}}を受けました。
:*鎌倉幕府のリーダーであった執権北条時宗は、全国の御家人や武士を北部九州や中国地方西部に集め、元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しました。
:*しかし、幕府は得るものがなく、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができなかったので、各地の武士には不満が残りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|室町|むろまち}}時代 ==
=== <span id="足利尊氏"/>{{ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}} ===
{{wikipedia|足利尊氏}}
[[File:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|200px|足利尊氏]]
:生没年:1305年 - 1358年
:鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。征夷大将軍となって室町幕府を開きました。
:尊氏は、もともと、栃木県南部(現在の足利市一帯)をおさめる鎌倉幕府に仕える有力な{{ruby|御家人|ごけにん}}でしたが、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に不満を持つ御家人や武士たちに、鎌倉幕府を倒すことを呼びかけたのに応じて兵をあげ、1333年に鎌倉幕府をほろぼしました。
:鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は新しい政治を始めますが、武士に比べて公家を優先するなどしたため、武士の多くは反発し、その声を受けた尊氏は、後醍醐天皇と対立することになります。
:尊氏は、後醍醐天皇に味方する武士と戦って勝利し、後醍醐天皇は奈良県吉野という山中に逃れます。後醍醐天皇は退位していないまま、尊氏は京都で別の天皇を即位させ朝廷を開かせます。ここで、日本に二つの朝廷ができることになります。京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の朝廷を「南朝」といって、日本全国で各々の調停に従った武士たちは戦いを続けます。この時代を、「南北朝時代」といいます。
:1338年尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。この幕府は、のちに[[#室町幕府|室町幕府]]とよばれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#室町幕府の誕生|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:後醍醐天皇|{{ruby|後醍醐|ごだいご}}天皇]]
*::生没年:1288年 - 1339年
*::第96代天皇。鎌倉幕府を倒すことを計画していましたが、幕府に知られ{{ruby|隠岐島|おきのしま}}に流されます。翌年、そこから逃亡し{{ruby|伯耆国|ほうきのくに}}で兵をあげ、幕府に不満を持つ武士を集め、鎌倉幕府を倒し、天皇が直接主導する政治を始めました。しかし、多くの武士からの支持を失い、足利尊氏が別の天皇を立てたため、吉野に逃れ、南朝をたてました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利尊氏」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*{{ruby|元寇|げんこう}}で元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しましたが、鎌倉幕府は、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができず、多くの{{ruby|御家人|ごけにん}}がまずしくなりました。
:*一方で、ものの取引が活発になって、ものの取引などで力をつける武士などが増えてきて、百数十年前鎌倉幕府ができたころに頼朝たちに味方したことで{{ruby|御家人|ごけにん}}になった古い家柄の武士たちとの対立も増えてきました。
:*鎌倉幕府は、このような問題をうまく解決できず、各地の武士の幕府への不満は大きくなっていきました。
:*後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士や公家によびかけて、鎌倉幕府を倒しました。
:*しかし、後醍醐天皇の政治は、公家を優先するものだったので、それに不満のある武士をひきいて足利尊氏が、別の朝廷(北朝)を立てて将軍となり室町幕府を開きました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="足利義満"/>{{ruby|足利義満|あしかがよしみつ}} ===
{{wikipedia|足利義満}}
[[File:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
:生没年:1358年 - 1408年
:室町幕府の第3代将軍です。尊氏が将軍の時期には、後醍醐天皇の南朝やそれに味方する武士たちとの争いが続き、また、尊氏の弟{{ruby|直義|なおよし}}も兄と対立するなどして、大変不安定なものでした。しかし、尊氏が晩年に弟の軍勢を破り、尊氏の死後は子の第2代将軍{{ruby|義詮|よしあきら}}が南朝に味方する武士たちを負かしていくとともに、幕府の仕組みを整えていくことで、だんだん安定していきました。
:<span id="室町幕府"/>義詮をついで将軍となった義満は、日本各地からの訴訟などを解決できるよう、幕府の仕組みをさらに整えました。また、京都の{{ruby|室町|むろまち}}というところに貴族の屋敷に見立てた武家屋敷を作り、ここに幕府としました。その屋敷は広い庭には四季折々の花が咲き乱れたことから、人々は「花の御所」と呼ぶようになり、これ以降、足利将軍の幕府を「室町幕府」と呼びます。
:また、義満は中国の新しい王朝である{{ruby|明|みん}}との間で貿易をはじめ、その利益で室町幕府はますます栄えました。
:こうして日本全国の武士たちから信頼を得た室町幕府は、南朝を降伏させ南北朝時代は終わります。
:南北朝を統一させた義満は息子に将軍の職を譲って、京都の北山に別荘を建てては華やかな余生を過ごしました。その別荘の中にある、外側に金を張り巡らせた建物は{{ruby|金閣|きんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も金閣寺(正式には{{ruby|鹿苑寺|ろくおんじ}})と呼ばれています。
:義満が将軍だった時期が、室町幕府で将軍が最も力を持っていた時期です。
{{-}}
=== <span id="足利義政"/>{{ruby|足利義政|あしかがよしまさ}} ===
{{wikipedia|足利義政}}
[[File:Ashikaga Yoshimasa.jpg|thumb|200px|足利義政]]
:生没年:1436年 - 1490年
:室町幕府の第8代将軍です。
:義満の死後、南北朝の争いもなくなり、取引が盛んになるなどして社会は豊かになっていきました。それにともなって、各地の守護が大名となり、地頭・領主といった武士たち([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]])も力をつけ、お互いに争うことや、家の中のあとつぎ争いも目立つようになってきました。
:1467年、鎌倉幕府の{{ruby|管領|かんれい}}<ref>将軍に次いで幕府の有力な役職です。鎌倉時代北条家がつとめた執権とにていますが、室町幕府では、細川家・斯波家・畠山家の三家で交代して、その役につきました。</ref>の{{ruby|斯波|しば}}家と{{ruby|畠山|はたけやま}}家でのあとつぎ争いをきっかけに、管領である{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}がひきいる東軍と中国地方の有力な守護である{{ruby|山名宗全|やまなそうぜん}}がひきいる西軍に分かれて争う戦乱「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」が起こりました。東西の対立は、将軍のあとつぎに、もともと決まっていた義政の弟{{ruby|義視|よしみ}}にかえて義政の子{{ruby|義尚|よしひさ}}とするかという問題もあわさって、全国に広がり、京都の街は焼け野原になりました。義政は、応仁の乱を終わらせることにはあまり熱心ではなく、戦乱は約10年続きました。この、応仁の乱が戦国時代が始まったきっかけの一つと言われています。
:そんな中で、義政は将軍職を子の義尚にゆずり、義満にならって、京都の東山に別荘を建て過ごしました。その別荘の中にある建物は{{ruby|銀閣|ぎんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も銀閣寺(正式には{{ruby|慈照寺|じしょうじ}})と呼ばれています。
=== <span id="雪舟"/>{{ruby|雪舟|せっしゅう}} ===
{{wikipedia|雪舟}}
:生没年:1420年 - 1506年
:中国大陸に{{ruby|起源|きげん}}を持つ{{ruby|水墨画|すいぼくが}}を元にして、日本独自の水墨画の{{ruby|画風|がふう}}<ref>ある画家や時代、またはある絵画の流派の作風や特徴。</ref>を完成させた画家です。当時は、画家は独立した職業ではなかったので、{{ruby|僧侶|そうりょ}}として活動しました。
:今の岡山県に生まれ、子どものころにお寺で修行し、京都で絵や禅の勉強をしました。のちに山口県で活動し、「雪舟」という名前を名乗るようになります。50点ほどの絵が残っています。1467年には中国に渡って本場の絵を学びました。風景を見て絵にする力が高く、「風景こそ最大の師」と言ったともいわれています。全国を旅して多くの絵を残しました。
:(→[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#水墨画|教科書本文]])
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利義満」「足利義政」「雪舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*室町幕府は、できた当初は南北朝の争いなどで不安定でしたが、義満が将軍の頃、それもおさまり、最もさかえました。
:*義満の死後、各地の守護や[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]]たちが争うようになり、義政の頃、大きな戦乱である「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」がおこり、だんだん戦乱の世の中になっていきました。
:*社会が安定して豊かになったことから、公家など貴族の文化と武家の文化が融合した文化が生まれてきました。その代表が、義満が建てた金閣や義政が建てた銀閣です。また、雪舟の水墨画など、後世に残る新たな文化も誕生してきました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== 戦国時代 ==
=== 有力な戦国大名 ===
*'''{{ruby|朝倉孝景|あさくらたかかげ}}'''(または{{ruby|朝倉敏景|あさくらとしかげ}}、[[w:朝倉孝景 (7代当主)|→ウィキペディア]])
*:生没年:1428年 - 1481年
*:{{ruby|越前|えちぜん}}(今の福井県)で活躍した武将です。もとは越前の守護{{ruby|斯波|しば}}氏につかえていました。応仁の乱の原因のひとつである{{ruby|斯波義敏|しばよしとし}}と{{ruby|斯波義廉|しばよしかど}}の争いでは、はじめ義廉の西軍として戦いましたが、応仁の乱の中で、東軍の{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}による東軍への寝返りのさそいに応じて、東軍を勝利に導きました。その後、孝景は越前[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#守護代|守護代]]として、その地のほとんどを支配するようになり、自分の国づくりを進めました。これは、守護をおしのけて、家来などが、その地を支配する最初の例となりました。ただし、孝景が、そのようになるには、将軍が認める必要がありました。
*'''{{ruby|北条早雲|ほうじょうそううん}}'''([[w:北条早雲|→ウィキペディア]])
*:生没年:1432年 - 1519年
*:もともと、西国の出身ですが、東国に移り住んで今川氏が守護をする{{ruby|駿河|するが}}(現在の静岡県中部)の守護代となり、{{ruby|伊豆|いず}}(現在の静岡県東部)と{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)から、関東管領である上杉氏の勢力を追い出し、領地としました。子孫である北条氏は早雲の死後も勢力を伸ばして関東地方全体をおさめるようになりました。早雲は守護や守護代といった、室町幕府の仕組みによらず伊豆や相模を支配したので、最初の戦国大名といわれています。また、田畑の面積や収穫量を調査し、それを帳面にまとめる「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#検地|検地]]」を行い、領民からの{{ruby|年貢|ねんぐ}}を引き下げたとも伝えられます。
*'''{{ruby|斎藤道三|さいとうどうさん}}'''([[w:斎藤道三|→ウィキペディア]])
*:生没年:1494年(1480年とも)- 1556年
*:{{ruby|美濃|みの}}国(現在の岐阜県)の戦国大名です。美濃国は、{{ruby|土岐|とき}}氏が守護をつとめていましたが、実際の政治は守護代である{{ruby|斉藤|さいとう}}氏が行い、さらに、その代官である{{ruby|長井|ながい}}氏が力を持っていました。斎藤道三のうまれた{{ruby|家柄|いえがら}}はよくわかっていませんが、美濃で長井氏につかえ、やがて、主人の罪をせめて殺して長井新九郎をなのります。その後守護代の斉藤氏が亡くなると、斉藤新九郎利政となのって守護代になります。そして、最後に守護の土岐氏を追い出して、美濃国をおさめる戦国大名となりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|下克上]]の典型的な例と言われます。
*<span id="毛利元就"/>'''{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}'''([[w:毛利元就|→ウィキペディア]])
*:生没年:1497年 - 1571年
*:もともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、一方で、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。
*:以下の「三本の矢」の言い伝えで有名です。
*::元就が死ぬ直前、3人の息子達に矢を1本ずつわたして「折ってみよ」と命じると、息子たちはなんなく矢を折りました。つづいて、息子に3本の矢をまとめてわたしてもう一度「この矢を折ってみよ」と言ったところ、3本の矢はかたく、息子たちは、矢を折れませんでした。そこで「おまえたちも、この矢のように3人が力をあわせよ」と言いのこしました。
*'''{{ruby|島津貴久|しまづたかひさ}}'''([[w:島津貴久|→ウィキペディア]])
*:生没年:1514年 - 1571年
*:{{ruby|薩摩|さつま}}(鹿児島県西部)の戦国大名です。薩摩の守護である島津家もいくつかに分かれ対立していましたが、本家からは遠い分家であった父島津{{ruby|忠良|ただよし}}が薩摩各地の国人領主たちをおさえ、貴久に本家をつがせ薩摩を統一しました。貴久は、その後、{{ruby|大隅|おおすみ}}(鹿児島県東部)・{{ruby|日向|ひゅうが}}(宮崎県)南部にも勢力を拡大していきました。貴久が薩摩の国守であったころ、ポルトガルの船が来航し、鉄砲やキリスト教を伝えます。貴久は鹿児島に渡来したフランシスコ・ザビエルと面会しました。
*<span id="今川義元"/>'''{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}'''([[w:今川義元|→ウィキペディア]])
*:生没年:1519年 - 1560年
*:{{ruby|駿河|するが}}と{{ruby|遠江|とおとおみ}}(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や武田信玄と争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}(愛知県東部)の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
*<span id="武田信玄"/>'''{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}'''([[w:武田信玄|→ウィキペディア]])
*:生没年:1521年 - 1573年
*:{{ruby|甲斐|かい}}(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄の父{{ruby|信虎|のぶとら}}は、甲府を本拠として、甲斐国内の有力国人たちを武力で制圧し、従わせました。しかし、家臣たちにきびしくふるまったため対立が生じ、信玄が国人たちの支持を受けて信虎を追放し、甲斐領主となりました。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、今川義元が桶狭間の戦いでうたれ、今川氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
*:「風林火山」とよばれる旗印で有名です。「風林火山」は「{{ruby|疾|はや}}きこと風のごとく、{{ruby|徐|しず}}かなること林のごとく、{{ruby|侵掠|しんりゃく}}すること火のごとく、動かざること山のごとし。」という言葉に由来します。
*<span id="上杉謙信"/>'''{{ruby|上杉謙信|うえすぎけんしん}}'''([[w:上杉謙信|→ウィキペディア]])
*:生没年:1530年 - 1578年
*:{{ruby|越後|えちご}}(現在の新潟県)の戦国大名です。越後国の守護は関東管領である上杉氏がつとめていて、守護代を{{ruby|長尾|ながお}}氏がつとめていました。謙信は、もともと長尾氏の生まれですが、力が衰えた上杉氏の養子となり、関東管領の地位もつぎました。謙信は、北関東をめぐって北条氏と戦い、{{ruby|信濃|しなの}}国(信州、現在の長野県)をめぐって{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}と戦いました。
*:謙信は信義にあつく、敵であっても弱みにつくこまない人物と言われています。武田家が、今川家と戦い太平洋側からの塩の運搬を止められ塩不足に悩まされていたときに、武田家に塩を送り、「敵に塩を送る」のことわざの由来となったともいわれています。
=== フランシスコ・ ザビエル ===
{{wikipedia|フランシスコ・ ザビエル}}
[[File:Franciscus de Xabier.jpg|thumb|150px|フランシスコ・ ザビエル]]
:生没年:1506年 - 1552年
:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭<ref>キリスト教・カトリックにおける聖職者(神父など)の階級のひとつです。</ref>、宣教師です。
:カトリック教会が衰退することを心配して作られた修道会イエズス会の創設メンバーの1人です。
:ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名です。島津貴久や大内義隆といった大名に面会し、大友宗麟を洗礼させるまでにいたりました。日本での宣教の結果多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。1551年日本を離れ、インドで宣教を続けます。翌年中国へ宣教に向かったところ、中国南部で病気で亡くなりました。
* 関連する人物
**ルイス=フロイス
**:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を残しました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「戦国大名」「フランシスコ・ ザビエル」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」の後、室町幕府は、各地の戦乱を止めることができなくなっていました。
:*それまでは、守護が大きな力を持って争っていて、これを{{ruby|守護大名|しゅごだいみょう}}といっていましたが、守護大名を倒して、ある地方を支配する武将が、各地で登場しました。これを{{ruby|戦国大名|せんごくだいみょう}}といいます。
:*もともと、守護だった戦国大名もいますが、戦国大名は大きな力をつけてきた{{ruby|国人|こくじん}}をまとめて国をおさめ、戦さにのぞんだところが、守護大名とはちがっています。
:*戦国大名を細かく覚える必要はありません。
:*戦国時代の後半には、ポルトガル人が来航するようになり、鉄砲やキリスト教を伝えました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|安土|あづち}}{{ruby|桃山|ももやま}}時代 ==
=== <span id="織田信長"/>{{ruby|織田信長|おだのぶなが}} ===
{{wikipedia|織田信長}}
[[File:Odanobunaga.jpg|thumb|200px|織田信長]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|教科書本文]])
:生没年:1534年 - 1582年
:はじめは{{ruby|尾張|おわり}}の一部をおさめる大名でしたが、身内との争いに勝ち、尾張一国を治める戦国大名となりました。。
:1560年の「{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い」では、{{ruby|駿河|するが}}からせめてきた{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}の大軍を少ない兵で打ち破り、名を上げました。その後、{{ruby|美濃|みの}}の{{ruby|斎藤|さいとう}}氏をたおして美濃を手に入れ、拠点を岐阜城に移しました。
:1568には、足利{{ruby|義昭|よしあき}}を助けて将軍にして京都に入り、京都で力をふるっていた{{ruby|三好|みよし}}一族を追いはらいました。やがて義昭と対立し、1573年にはこれを追放し、室町幕府をほろぼしました。
:信長は、まわりの有力な戦国大名を次々に打ち破り、あるいは味方につけていきました。北陸方面では{{ruby|浅井長政|あざいながまさ}}や{{ruby|朝倉義景|あさくらよしかげ}}との連合軍をやぶり、{{ruby|比叡山|ひえいざん}}{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}や[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一向一揆|{{ruby|一向一揆|いっこういっき}}]]などの勢力も平定しました。{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}には苦しめられましたが、その死後は、武田{{ruby|勝頼|かつより}}を1575年の「{{ruby|長篠|ながしの}}の戦い」で打ち破りました。この戦いでは、鉄砲を効果的に使ったことでも知られています。
:経済やまちづくりにも力を入れ、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|楽市楽座|らくいちらくざ}}]]というしくみで商人が自由に商売できるようにしました。1576年には{{ruby|安土城|あづちじょう}}を築き、政治や文化の中心としました。
:1582年、中国地方の{{ruby|毛利|もうり}}氏との戦いを支えるために出陣しようとして京都の{{ruby|本能寺|ほんのうじ}}にいたところを部下の{{ruby|明智光秀|あけちみつひで}}におそわれ、亡くなりました。このとき信長は、毛利だけでなく、上越地方では{{ruby|上杉|うえすぎ}}、四国では{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}など、全国の大名に兵を向けており、天下統一に近づいていました。
:外国のことにも関心があり、{{ruby|地球儀|ちきゅうぎ}}を見て、地球が丸いことをすぐに理解したとも言われています。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「織田信長」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*織田信長は、{{ruby|群雄|ぐんゆう}}{{ruby|割拠|かっきょ}}の戦国時代、有力な戦国大名同士の争いでは決着がつかなくなったなかで、領国を大きく広げ、元々の尾張から京都を含めた一帯まで広げ、天下を統一する勢いを見せました。
:*信長が、それまでの戦国大名と大きく違っていたのは、鉄砲を大量に使用したことと足軽などの軍勢を常備動員するようになったことです。
:*高価であった鉄砲やを大量に手に入れたり、農民と独立した軍勢をもつには、強大な経済力が必要です。信長は、農村の改革や楽市楽座のような商業の{{ruby|振興|しんこう}}によって、これを得ました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="豊臣秀吉"/>{{ruby|豊臣秀吉|とよとみ ひでよし}} ===
{{wikipedia|豊臣秀吉}}
[[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|200px|豊臣秀吉]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉の天下統一|教科書本文]])
:生没年:1537年 - 1598年
:秀吉は、現在の名古屋市にあたる場所で生まれました。農民の子とも足軽の子とも言われていますが、正確なことはわかっていません。武士として高い家柄に生まれたものではなかったことはたしかです。
:もともと、{{ruby|木下藤吉郎|きのした とうきちろう}}と名乗っており、{{ruby|松下之綱|まつした ゆきつな}}に仕えたのち、織田信長に仕えました。信長のもとで数々の手柄を立てて出世し、名前も{{ruby|羽柴秀吉|はしば ひでよし}}と改めました。本能寺の変の前には、毛利攻めの総大将を任されるほどになっていました。
:本能寺の変のとき、秀吉は{{ruby|備中|びっちゅう}}(今の岡山県)で毛利氏と戦っていましたが、すぐに軍を引き返し、明智光秀を討ちました。これにより、信長の後継者としての立場を固め、翌年には、信長の家臣の中でも最も有力であった{{ruby|柴田勝家|しばた かついえ}}を破りました。そして、大阪城を築き、政治の中心としました。また、朝廷に近づき、高い官位を受け、最終的には関白まで上りつめます。そして、天皇から「豊臣」の姓をもらい、豊臣秀吉と名乗るようになりました。
:秀吉は、戦いだけでなく、交渉や同盟もうまく使って全国をまとめていきました。毛利氏や{{ruby|上杉景勝|うえすぎ かげかつ}}と同盟を結び、{{ruby|徳川家康|とくがわ いえやす}}も従わせました。四国の{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}氏、九州の{{ruby|島津|しまづ}}氏、関東の{{ruby|北条|ほうじょう}}氏を次々に制し、東北の{{ruby|伊達政宗|だて まさむね}}も従わせたことで、日本を統一し、戦国時代は終わりました。
:政治では、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#太閤検地|{{ruby|検地|けんち}}]]」を行い、土地の広さや収穫量を正確に調べて税のしくみを整えました。また、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#刀狩|{{ruby|刀狩|かたながり}}]]」によって、農民の武器を取りあげ、武士と民の身分のちがいを明らかにしました。
:秀吉はのちに「{{ruby|太閤|たいこう}}<ref>関白を辞めた人のことを言いますが、秀吉以降は、一般的に太閤とは秀吉のことを指すようになりました。</ref>」と呼ばれ、京都南部の伏見に{{ruby|桃山|ももやま}}城を築き、そこで政治を行いました。また、南蛮貿易を奨励する一方で、キリスト教を取りしまり、宣教師の追放や信者の処刑も行いました。
:晩年には、大陸への進出をめざして朝鮮に出兵しましたが、戦いはうまくいかず、秀吉の死によって朝鮮出兵も終わりました。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「豊臣秀吉」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*豊臣秀吉は、本能寺の変でたおれた織田信長の後をついで、東西に兵をすすめ、日本を統一し戦国時代を終わらせました。
:*秀吉は、農地の広さと{{ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}を調査し、土地の耕作者がどれだけ税を払えるかを決める「{{ruby|検地|けんち}}」を全国で行いました。
:*秀吉は、武士と農民をはっきり分け、農民となったものからは刀や鉄砲といった武器を取り上げる「{{ruby|刀狩|かたながり}}」を全国で行いました。
:*大阪城を作って、城下に多くの商人を集めて商業をさかんにしました。
:*晩年、大陸に進出するため、大量の軍勢を朝鮮に送りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== 安土桃山時代の文化人 ===
*'''{{ruby|千利休|せん の りきゅう}}''' (→[[w:千利休|wikipedia]])
:生没年:1522年 - 1591年
:堺の有力な商人で、作法としての「茶道」を完成させました。
:お茶を飲む習慣は鎌倉時代に始まっていましたが、室町時代になると茶の湯として広く流行し、茶器の工芸品としての価値も高まりました。そのため、高価な茶器を用いた豪華な茶会が開かれるようになりました。そのような風潮に対して、一見ありふれたような道具を用い、そまつな中の美しさを見出し、客と主人との心の交流を重んじる[[w:わび茶|わび茶]]が生まれます。このわび茶をもとにして、現在に続く茶道を完成させました。
:利休は、織田信長などとの取引をつうじて関係を築き上げていきました。このため武将たちとも交流ができ、多くの弟子が生まれました。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の大名や商人などとの交際を仲立ちする役目を負いますが、後に秀吉の怒りをかってしまい、切腹させられました。
*'''{{ruby|狩野永徳|かのう えいとく}}'''(→[[w:狩野永徳|wikipedia]])
:生没年:1543年 - 1590年
:戦国時代から安土桃山時代を代表する{{ruby|絵師|えし}}(職業としての画家)。
:将軍家に仕える絵師の集団「狩野派」の棟梁として室町将軍家から織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、{{ruby|聚楽第|じゅらくだい}}、大坂城などの{{ruby|障壁画|しょうへきが}}({{ruby|襖|ふすま}}や壁など部屋を分ける壁面に描かれる絵)を制作しました。これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、狩野永徳が実際に描いたものとされる作品は比較的残っていません。現存する代表作の1つである『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
:
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== 江戸時代 ==
===<span id="徳川家康"/>{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}===
{{wikipedia|徳川家康}}
[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|250px|徳川家康]]
:生没年:1543年-1616年
:1543年、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:1582年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|本能寺の変]]で信長が亡くなった後、秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、昔からの領地の三河や隣接する遠江・駿河といった領地から北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっており、秀吉政権においては五大老の筆頭でした。
:秀吉の死後、1600年、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#関ヶ原の戦い|関ヶ原の戦い]]に勝利して政権を握ります。
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命され、江戸に幕府を開きます。
:1614年から翌年に「大坂の陣」を起こして豊臣氏を滅ぼしたのち、1616年亡くなりました。
:「東照大権現」として、日光東照宮などにまつられています。
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===<span id="徳川家光"/>{{ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}===
{{wikipedia|徳川家光}}
[[File:Iemitu.jpg|thumb|250px|徳川家光]]
:生没年:1604年-1651年
:江戸幕府第3代将軍。第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}の子です。家光が生まれた時には、家康は将軍であり、家光が将軍になったころには豊臣氏もほろび、幕府の仕組みも安定して、「生まれながらの将軍」として、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|{{ruby|譜代|ふだい}}か{{ruby|外様|とざま}}]]にかかわらず、他の大名とは違う特別の地位にあることを示しました。
:家光の代に、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#参勤交代|参勤交代]]の制度が整い{{ruby|幕藩|ばくはん}}体制が確立しました。
:1637年島原の乱というキリシタンを多く含む大きな{{ruby|一揆|いっき}}を鎮圧すると、キリスト教の禁止を徹底するため、1639年、ポルトガルの来航を禁じ、鎖国を行いました。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「徳川家康」「徳川家光」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*徳川家康は、若いころから織田信長と{{ruby|同盟|どうめい}}を組んで信長の天下統一に協力しました。豊臣秀吉の代になると、初めは秀吉と争いましたが後に和解し、北条氏に代わって関東一円を治める秀吉の時代には最大の大名となっていました。
:*秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝って、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。
:*徳川家光が将軍になるころには、各地の大名に参勤交代を義務付けるなど、江戸幕府も頂点とした安定した社会が完成していました。
:*家光は、キリスト教を完全に禁止するため鎖国を行いました。
:</small>
|}</div>
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===<span id="松尾芭蕉"/>{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}===
{{wikipedia|松尾芭蕉}}
生没年:1644年-1694年
:{{ruby|和歌|わか}}の余興の{{ruby|言捨|いいす}}ての{{ruby|滑稽|こっけい}}から始まり、滑稽や{{ruby|諧謔|かいぎゃく}}を主としていた{{ruby|俳諧|はいかい}}を、{{ruby|蕉風|しょうふう}}と呼ばれる芸術性の極めて高い{{ruby|句風|くふう}}として確立した。
:代表作に「{{ruby|古池|ふるいけ}}や{{ruby|蛙飛|かわづと}}びこむ{{ruby|水|みず}}の{{ruby|音|おと}}」「{{ruby|閑|しずか}}さや{{ruby|岩|いわ}}にしみ{{ruby|入|い}}る{{ruby|蝉|せみ}}の{{ruby|声|こえ}}」などがあります。
===<span id="近松門左衛門"/>{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}===
{{wikipedia|近松門左衛門}}
:生没年:1653年-1725年
:人形{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}の作者です。町人社会の義理や人情をテーマとした作品([[w:世話物]])や歴史的な事件や出来事を扱った[[w:時代物]]で評判を得ました。
:代表作に「{{ruby|曽根崎|そねざき}}{{ruby|心中|しんじゅう}}」「{{ruby|冥途|めいど}}の{{ruby|飛脚|ひきゃく}}」「{{ruby|女殺油地獄|おんなごろしあぶらのじごく}}」「{{ruby|国姓爺合戦|こくせんやかっせん}}」などがあります。
=== <span id="本居宣長"/>{{ruby|本居宣長|もとおりのりなが}} ===
{{wikipedia|本居宣長}}
:生没年:1720年-1801年
:日本の古典文学などから、日本古来の姿を研究する国学を確立しました。
:古事記の内容を研究した『古事記伝』などの著作があります。
=== <span id="杉田玄白"/>{{ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}} ===
{{wikipedia|杉田玄白}}
:生没年:1733年-1817年
:医師、{{ruby|蘭学|らんがく}}者。
:{{ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}と共にオランダ語の{{ruby|解剖|かいぼう}}学の書『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳し、『{{ruby|解体新書|かいたいしんしょ}}』を完成させ、近代的な西洋医学を日本にもたらしました。
:辞書がない中で翻訳を手さぐりで進めていった苦労などを『{{ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』という本に残しています。
=== <span id="伊能忠敬"/>{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}} ===
{{wikipedia|伊能忠敬}}
:生没年:1745年-1818年
:伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)の商人で、50歳まで家業を務めたのち、子に譲って隠居しました。それから、忠敬は海岸線がどのような形をしているかを書き表すために天文学と測量術を学びはじまます。そして、55歳になって、日本中を駆け巡り、日本の海岸線の形を測量し、『{{ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』という地図に残しました。
:欧米において、近代的な測量術は当時確立したばかりで、忠敬の測量術は直接それに接したものではありませんでしたが、忠敬の地図は、近代的測量術によるものと比べても驚くほど正確なものでした。
:詳細は、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#伊能忠敬|教科書のコラム欄]]参照。
===<span id="歌川広重"/>{{ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}===
{{wikipedia|歌川広重}}
:生没年:1797年-1858年
:別名、{{ruby|安藤|あんどう}}広重。{{ruby|浮世絵|うきよえ}}師。代表作に『東海道五十三次』があります。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「近松門左衛門」「本居宣長」「杉田玄白」「伊能忠敬」「歌川広重」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*江戸時代になって、社会が安定し、江戸や大阪といった都市がさかえるようになると、町人と呼ばれる{{ruby|庶民|しょみん}}に受け入れられる文化が盛んになります。
:*近松門左衛門が脚本を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎が人気となり、また、絵の方面では、安藤広重などが、印刷でだれでも手に入れられる浮世絵の分野で活躍します。
:*学問といえば、それまで{{ruby|儒学|じゅがく}}(漢学)ばかりでしたが、日本古来のことを研究する国学が本居宣長によって確立し、医学などの分野では、オランダから伝わった{{ruby|蘭学|らんがく}}が杉田玄白などにより新たに出現しました。学問の成果を実現しようという取り組みも見られ、伊能忠敬は、各地を測量して日本全国の地図をつくりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="マシュー・ペリー"/>マシュー・ペリー ===
{{wikipedia|マシュー・ペリー}}
:生没年:1794年-1858年
:アメリカ合衆国の海軍軍人。
:1853年、日本に開国を求めるため黒船をひきいて来航、翌年、再度来航し、幕府に'''日米和親条約'''を結ばせ、日本を開国しました。
* 関連する人物
**<span id="ハリス"/>[[w:タウンゼント・ハリス|タウンゼント・ハリス]]
**:アメリカ合衆国の外交官。
**:日米和親条約が結ばれた後、アメリカ合衆国を代表する外交官({{ruby|公使|こうし}})として来日し、日本との間に貿易に関する条約を結ぶよう交渉します。その結果、1858年、'''日米修好通商条約'''が結ばれ、日本は鎖国を完全に解いて諸外国と貿易を始めることとなります。この条約は、日本にとって非常に不平等なものであったので、明治政府はこれを平等なものに改正するのに非常に苦労します。
**<span id="井伊直弼"/>[[w:井伊直弼|{{ruby|井伊直弼|いいなおすけ}}]]
**:幕末の彦根藩主で、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の仕組み|幕府の大老]]です。
**:日米和親条約を結んだのち、各国は貿易のための通商条約を結ぶことを求めてきました。開国の時にあわてた対応をして、朝廷などを巻き込んだため、幕府は混乱していました。井伊直弼は、江戸時代の間ずっとそうであったように、朝廷や他の大名の意見を聞かずに通商条約を結び、これに反対したり批判する人たち({{ruby|攘夷|じょうい}})を弾圧し、中には処刑することもありました({{ruby|安政|あんせい}}の{{ruby|大獄|たいごく}})。このことで、うらみを買った井伊直弼は尊王攘夷派によって暗殺されました(桜田門外の変)。
**<span id="吉田松陰"/>[[w:吉田松陰|{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}]]
**:長州藩の下級武士の家に生まれましたが、幼い頃から学問に優れ、江戸に出るなどして学問を深めました。黒船来航の時、ひそかに黒船にまで行ってアメリカに渡ることをこころみますが、失敗し犯罪者として長州藩にもどされます。長州にもどった吉田松陰は、松下村塾という私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ教え始めます。松下村塾では、儒学や兵法に限らず広い分野を教え、また、塾生に活発に議論をさせるなどして、多くの人材が育ち、幕末の尊皇攘夷・倒幕運動や明治政府の中心となっていきました。幕府からは尊皇攘夷を唱える危険人物とされ、安政の大獄で処刑されました。
**<span id="高杉晋作"/>[[w:高杉晋作|{{ruby|高杉晋作|たかすぎしんさく}}]]
**:長州藩の身分の高い家柄に生まれました。藩校の{{ruby|明倫|めいりん}}館に通っていましたが、たまたま、聞いた吉田松陰の講義に引き込まれ松下村塾に通うようになります。松下村塾では、塾生のリーダーで、松蔭の死後、若い長州藩士をひきいて、尊皇攘夷運動を全国で展開します。身分によらない兵で組織する{{ruby|奇兵隊|きへいたい}}を作ったり、幕府に従おうとした長州藩の実権を握って、幕府に対抗させるなど、後に長州藩出身者が明治政府で重要な役割を果たす基礎をつくりました。明治維新の前年1867年に肺結核で29歳で亡くなりました。
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=== <span id="勝海舟"/>{{ruby|勝海舟|かつかいしゅう}} ===
{{wikipedia|勝海舟}}
[[File:Kaishu Katsu 1.jpg|thumb|left|150px|1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影]]
:生没年:1823年- 1899年
:幕臣、ただし、身分はあまり高くない[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|御家人]]と言われる家柄の出身です。
:「海舟」は号と言われる一種のペンネームで、若い頃は「{{ruby|麟太郎|りんたろう}}」、明治になって戸籍には「{{ruby|安芳|やすよし}}」と記録されました。
:はじめ、蘭学を学び、1853年の黒船来航をきっかけに、蘭学知識を頼りとされ、幕府に外国関係の役人として{{ruby|抜擢|ばってき}}され、航海術などを取り扱います。1860年日本人乗組員が主となって初めて太平洋を横断した咸臨丸で米国に渡る経験をします。それから、幕府内で外国の知識が豊富な有力者として、海軍の創設などを行います。また、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]など薩長などの有力者とも親交を持ちました。薩長同盟を仲介した[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]は、勝海舟の弟子です。
:戊辰戦争で薩長軍が江戸を攻めようとした時、西郷隆盛と話し合い、江戸城を人が死ぬことなく開城させました。
:明治政府では、創成期に参議や海軍卿といった要職について、海軍創設に貢献しました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="坂本龍馬"/>[[w:坂本龍馬|{{ruby|坂本龍馬|さかもとりょうま}}]]
**:土佐藩の下級藩士でしたが、江戸に剣術の修行に出ている時に黒船来航があって、その後、尊王攘夷運動に参加しました。勝海舟を暗殺しようと訪れたところ、勝に海軍や海上運輸が重要であることを教えられ、勝の弟子になり、その活動を手伝い京都や長崎で、薩摩藩の[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]や長州藩の[[#木戸孝允|桂小五郎(木戸孝允)]]といった、尊王攘夷活動家の要人と知り合います。商売の才能もあり、主にアメリカから船や大量の銃を諸藩に仲介したりもしました。西郷と桂を説得して薩摩と長州の同盟を結ばせたのは坂本龍馬であると言われています。大政奉還直後、鳥羽・伏見の戦いの前に京都で暗殺されました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「ペリー」「勝海舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*1641年にオランダ人に長崎の出島のみの来航を許す鎖国を始めてから、日本は、欧米と関係することはほとんどありませんでした。
:*18世紀半ばから19世紀にかけて、欧米では産業革命が起きて蒸気機関などが発明され、文明が大きく発展していました。
:*鎖国していた日本は、それを知ることはなかったのですが、1853年、蒸気船でペリーが来航し開国を求めました。
:*幕府は、あわてて開国し、遅れている文明を追い付かせようと、勝海舟などを米国に派遣したりして、さまざまな近代化に取り組みました。
:*しかし、もう幕府だけのうごきで、日本全体を動かすことはできないようになっており、幕府は倒され、日本が一つの国としてうごくことができる国づくりが始まります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 ==
※この項では、年代が明治以降の場合、理解の助けとして元号(明治、大正、昭和)を付記します。
=== <span id="明治天皇"/>{{ruby|明治天皇|めいじてんのう}} ===
{{wikipedia|明治天皇}}
[[File:Emperor Meiji in 1893.jpg|thumb|180px|軍装の明治天皇(1890年頃)]]
:生没年:1852年 - 1912年(明治45年)
:幕末から明治末年までの天皇です。在位:1867年2月13日(慶応3年1月9日) - 1912年(明治45年)7月30日。
:幕末、幕府と薩長などが厳しく対立する京都で、父{{ruby|孝明|こうめい}}天皇の急死を受け、1867年2月13日(慶応3年1月9日)14歳で即位しました。
:11月9日(旧暦10月14日)に第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を申し出、翌日に許可されました('''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|大政奉還]]''')。 1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らは朝廷を動かし、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|王政復古の大号令]]'''を出させて、慶喜を新たな政権から外しました。
:これに不満を持った幕府側は1868年1月27日(慶応4年1月3日)、京都に攻めかかりますが、薩摩や長州は、天皇の軍であることを表す「{{ruby|錦|にしき}}の{{ruby|御旗|みはた}}」を示して、これを押し返します({{ruby|鳥羽伏見|とばふしみ}}の戦い)。慶喜は江戸に逃げ帰り、同年3月8日(旧暦2月12日)西郷隆盛がひきいる官軍に降伏しました。
:4月6日(旧暦3月14日)、天皇は新しい政府の心得である'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり#明治維新と武士の社会の終わり|{{ruby|五箇条|ごかじょう}}の{{ruby|御誓文|ごせいもん}}]]'''を発布しました。
:10月23日(旧暦9月8日)に年号を慶応から'''明治'''に改め({{ruby|改元|かいげん}})、あわせて、天皇の在位中は元号を変えない「{{ruby|一世一元|いっせいいちげん}}の制」を定めました。
:11月4日(旧暦9月20日)から翌1869年2月3日(明治元年12月22日)にかけて、東京<ref>1868年9月3日(慶応4年7月17日)に「江戸」から改名されました。</ref>を訪れます。
:1869年4月18日(旧暦3月7日)京都を離れた天皇は、5月9日(旧暦3月28日)江戸城(皇居)に入り、以降、ここに住むことになりました。
:1869年7月25日(旧暦6月17日)、全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還しました('''版籍奉還''')。
:1871年(明治4年)6月、薩摩藩、長州藩、土佐藩の兵士を集めた'''{{ruby|御親兵|ごしんぺい}}'''が組織されます。最初の、「天皇の軍隊」です。
:同年8月29日(旧暦7月14日)'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#廃藩置県|廃藩置県]]'''を宣言し、天皇を中心とした中央集権の仕組みが誕生しました。
:天皇は、1872年(明治5年)から1885年(明治18年)にかけて、6回に分け日本全国を巡行しました。また、1872年ころには、{{ruby|髷|まげ}}を切って、特別な場合を除いて、洋装で人前に出るようになりました。
:1880年頃から、外国の要人<ref>例として、明治12年(1879年)ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫ハインリヒ皇子、同年元米国大統領ユリシーズ・グラント、1881年(明治14年)ハワイ国王カラカウアなど。</ref>が来日するようになり、天皇も外交の舞台に立つようになります。
:1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布され、それにおける天皇の地位は、国家の主権者かつ元首として、統治権を総攬する存在と規定されていました。天皇の地位は「神聖にして侵すべからず」とされ、{{ruby|現人神|あらひとがみ}}としての宗教的権威も持ち合わせていました。また、文武官の任免や陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約締結など、議会の関与を受けない「天皇大権」を有していました<ref>ただし、天皇自らの意思で大権をふるうことは、憲法が改正されるまでなく、これは、政権を有する行政が議会に優越することがあったということを意味しています。</ref>。
:1891年(明治24年)、ロシア帝国の皇太子ニコライが滋賀県大津で暴漢に襲われ負傷するという'''[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#大津事件|大津事件]]'''の際には、東京から急いでかけつけニコライを見舞い、帰国を見送りました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#日清戦争|日清戦争]]が始まると、戦時における軍事の最高機関である{{ruby|大本営|だいほんえい}}が設置され、1894年(明治27年)9月には、戦地に近づくため天皇と共に広島に移動します。
:日露戦争の開戦前には戦争回避と平和を望むものでしたが、最終的には政府・軍部の主戦論を受け入れ開戦を決断しました。戦中は戦況を深く心配し、多くの犠牲者をいたみ、勝利を国民と共に静かに見守りまし。戦後は講和条約締結に際し、詔勅を発し国民に理解を求めるなど、冷静かつ責任ある態度を貫きました。このように、終始、国民と将兵を思いやり、慎重かつ重責を担う姿勢を示しました。
:1912年(明治45年)7月30日病気で亡くなりました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「明治天皇」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*近代の天皇は、日本国憲法を待つまでもなく、もともと象徴的な立場にあって、自ら政策などに{{ruby|携|たずさ}}わることはないので個人の事績を述べることは非常に難しいものです。
:*ここでは、主に、明治政府と天皇・皇室の関係を述べています。明治時代の{{ruby|概略|がいりゃく}}の歴史として、日本が、天皇という立場を用いて、統一の道へ向かっていき、国際世界で活躍できるようになったことを理解してください。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="西郷隆盛"/>{{ruby|西郷隆盛|さいごうたかもり}} ===
{{wikipedia|西郷隆盛}}
[[File:Takamori Saigo.jpg|150px|left|thumb|西郷隆盛]]
:生没年:1828年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。「討幕」を主導した{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議、陸軍大将)です。
:幕末黒船来航後、薩摩藩主{{ruby|島津斉彬|しまづなりあきら}}の指示を受けて、幕府改革に関係しました。しかし、次第に、日本全体を変えるには幕府を倒すしかないと考え、薩摩藩の若い武士たちが強く支持する中、朝廷を味方につけ、敵対していた長州藩と{{ruby|同盟|どうめい}}し、幕府と幕府に味方する諸藩を倒しました。
:討幕後、新政府を主導して、天皇直属の軍隊を組織し、{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}を行うなど、新しい社会を作るために、古い武家社会の消滅に貢献しました。
:大久保利通らと政府改革の進め方で対立し、1873年(明治6年)、唱えていた征韓論に敗れて政府を離れました。
:鹿児島に戻って、若者の指導をしていましたが、新政府に不満を持つ士族にかつぎあげられ、西南戦争を起こし敗死します。
{{-}}
=== <span id="大久保利通"/>{{ruby|大久保利通|おおくぼとしみち}} ===
{{wikipedia|大久保利通}}
[[File:Toshimichi Okubo 4.jpg|150px|left|thumb|大久保利通]]
:生没年:1830年 - 1878年(明治11年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。西郷隆盛等とともに討幕を主導し、明治維新政府を確立した中心人物(参議、初代内務卿<ref>日本国内の政治を全てうけもつ内務省の長で、当時の行政のトップになります。</ref>)です。
:島津斉彬の死後、薩摩藩を実質的に支配した{{ruby|島津久光|しまづひさみつ}}の下で、薩摩藩全体を動かし、西郷隆盛を助けました。
:維新後は、内政に力を入れるため内務省を作り、日本の官僚制度を作り上げます。
:西南戦争時には、これを指導し政府を勝利に導きます。
:西南戦争の翌年、不平士族に暗殺されますが、その改革は伊藤博文に引き継がれ、以降の明治政府の基礎となります。
{{-}}
=== <span id="木戸孝允"/>{{ruby|木戸孝允|きどたかよし}} ===
{{wikipedia|木戸孝允}}
[[File:T kido.jpg|150px|left|thumb|木戸孝允]]
:生没年:1833年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|長州藩|ちょうしゅうはん}}出身。幕末の長州藩を取りまとめ、薩摩藩と共に討幕を実現した、{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議)です。
:若いころは、{{ruby|桂小五郎|かつらこごろう}}と名乗っていました。長州藩は、{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}が開いた{{ruby|松下村塾|しょうかそんじゅく}}で学んだ若い藩士が{{ruby|活躍|かつやく}}しますが、それら若い藩士を取りまとめ、西郷隆盛などと交渉して、薩摩藩と同盟して幕府を倒しました。
:明治維新政府では、西郷や大久保のような目立った業績は残していませんが、長州藩出身者の代表としてふるまい、[[#伊藤博文|伊藤博文]]や[[#山県有朋|山県有朋]]が活躍する環境をつくりました。
:西南戦争のなか、病気で亡くなりました。
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* 関連する人物
**<span id="岩倉具視"/>[[w:岩倉具視|{{ruby|岩倉具視|いわくらともみ}}]]
**:京都の公家出身の政治家です。幕末、西郷や大久保とはかって、京都の公家等を取りまとめ、明治天皇を味方に引き込み朝廷が討幕へ向かうよう主導しました。
**:1871年(明治4年)から、約1年かけて、大久保・木戸・伊藤らを引き連れ、欧米を視察し、その進んだ文明に大変驚き、日本の文明を発展させ欧米に追いつくことが重要であると理解しました([[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#遣欧使節団|遣欧使節団]])。
**:帰国後、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#征韓論|征韓論]]で、大久保と共に西郷と対立し、これをしりぞけました。
**:その肖像は、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)まで発行されていた500円紙幣に用いられていました。
**:
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*この3人は、討幕とその後の明治政府の立ち上げの功績が特に大きく、「{{ruby|維新|いしん}}の{{ruby|三傑|さんけつ}}」と呼ばれています。
:*幕末の薩摩藩や長州藩で藩士などをひきいて討幕に向かったのは数多くの下級武士を含めた青年層の武士たちで、それを率いたのは、藩主や家老といった藩の{{ruby|重鎮|じゅうちん}}ではなく、西郷・大久保・木戸といったやはり若い指導者たちでした。
:*彼らは、幕府を倒しただけでなく、自分たちの出身でもある藩を、そして、武士の世界も倒してしまいました。
:*維新の三傑は、古い仕組みを打ちこわす一方で、新しい政治の仕組みが機能するような基盤を残しました。
:*1877年(明治10年)、西南戦争の行方を心配しながら木戸は亡くなり、西郷は敗死しました。また、翌年、大久保も暗殺され、明治になって10年ほどで維新の最大の功労者たちを失い、次の世代である、[[#伊藤博文|伊藤博文]]、[[#大隈重信|大隈重信]]、[[#山県有朋|山県有朋]]、[[#井上馨|井上馨]]らが明治政府を作り上げていくことになります。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="伊藤博文"/>{{ruby|伊藤博文|いとうひろぶみ}} ===
{{wikipedia|伊藤博文}}
[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|150px|left|thumb|伊藤博文]]
:生没年:1841年-1909年(明治42年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身の非常に身分の低い武士でしたが、松下村塾で学び、その才能を認められました。
:1863年には井上馨他3名と共にイギリスに留学しますが、1年後下関戦争の報を聞いて、3名は残して、井上と共に留学を中断して帰国します。
:[[#大久保利通|大久保利通]]の跡を継いで、日本の官僚制度を整備します。
:ヨーロッパを回り、大日本{{ruby|帝国憲法|けんぽう}}の手本となる憲法を研究、天皇(実際は{{ruby|内閣|ないかく}})が強い権限を持つことができるドイツ(当時はプロシア)の憲法を手本とすることにしました。
:これに基づいて、{{ruby|内閣|ないかく}}制度を{{ruby|創設|そうせつ}}し、初代{{ruby|内閣総理大臣|ないかくそうりだいじん}}({{ruby|首相|しゅしょう}})となり、引き続いて大日本帝国憲法制定や帝国議会(国会)の創設を主導しました。
:国会が開設されると、[[#大隈重信|大隈重信]]ら自由民権運動からの流れの政党に対抗するため、政府(役所)を支持する政党を組織しました。その後、数回、首相となっています。
:日露戦争後、初代の朝鮮総督となりますが、訪問していた中国のハルビンで、朝鮮人活動家に暗殺されました。
:その肖像は、1963年(昭和38年)から1986年(昭和61年)まで発行されていた千円紙幣<ref>現在([[#北里柴三郎|北里柴三郎]])の前([[#野口英世|野口英世]])の前([[#夏目漱石|夏目漱石]])の前になります。</ref>に用いられていました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="井上馨"/>[[w:井上馨|{{ruby|井上馨|いのうえかおる}}]]
**:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で伊藤や山県などと比べると相当に高い家柄の出身ですが、伊藤とともに松下村塾で学び、生涯の親友になりました。
**:[[#木戸孝允|木戸孝允]]が亡くなると、あとを受けて長州藩出身者の代表となり、財政や外交の面で活躍します。
=== <span id="山県有朋"/>{{ruby|山県有朋|やまがたありとも}} ===
{{wikipedia|山県有朋}}
[[File:Yamagata Aritomo.jpg|150px|left|thumb|山県有朋]]
:生没年:1838年-1922年(大正11年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で、伊藤博文同様、非常に身分の低い武士でした。松下村塾で学ぶことはありませんでしたが、多くの塾生と関わり、その才能を認められました。幕末には、奇兵隊の運営を任されました。
:明治政府に入ると、近代的な軍隊としての陸軍の仕組みを作り上げました。西南戦争で、幕末に最強と言われた旧薩摩軍の武士を相手にして、もともと農民であったりする明治政府の軍隊が勝利した功績の多くは山縣有朋によるものでした。その後、陸軍は政府に対して強い発言力を持つようになり、その陸軍のトップにいたのが山県有朋でした。
:また、地方行政や警察など治安に強い権限を持っていた内務省と関係を深くし、政府の政策に対しても強い影響力を持ちました。
:内閣制度発足後は内閣総理大臣を2回務めます。
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=== <span id="渋沢栄一"/>{{ruby|渋沢栄一|しぶさわえいいち}} ===
{{wikipedia|渋沢栄一}}
[[File:Portrait of Shibusawa Eiichi.jpg|150px|thumb|left|渋沢栄一]]
:生没年:1840年 - 1931年(昭和6年)
:江戸時代末期、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に百姓(豪農身分)として生まれます。黒船来航後、混乱する幕末に[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|徳川慶喜]]の家臣として、武士に取り立てられ、のちに慶喜の将軍就任にともない幕臣となります。明治維新後は、明治政府で官吏となり、民部省を経て直属の上司である井上馨の下で、{{ruby|造幣|ぞうへい}}(通貨の発行)、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#戸籍制度|戸籍]]、{{ruby|出納|すいとう}}(政府における金銭の出し入れの管理)など様々な政策立案を行いました。その後、政府から離れ、実業界に転じて、株式会社の制度とそれを支える証券取引所の制度、銀行の制度、保険の制度、商工業の経営者が集まって政府や社会に向けて意見を発信する商工会議所の制度など、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#社会主義と共産主義|近代的な資本主義社会]]に欠かせない各種の制度を作り上げます。そのため、「日本資本主義の父」ともよばれています。
:また、社会福祉事業、大病院の建設など医療事業、教育や学術研究の発展などにも大きく貢献しました。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1万円札の肖像に用いられています。
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* 関連する人物
**<span id="岩崎弥太郎"/>[[w:岩崎弥太郎|{{ruby|岩崎弥太郎|いわさきやたろう}}]]
**:土佐藩の下級武士で、幕末は長崎で外国との商取引に従事していました。[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の死後、坂本龍馬が経営していた{{ruby|海援隊|かいえんたい}}を引き取り、海運業を始めます。
**:弥太郎の始めた海運業は、郵便物の運送や兵員の輸送など政府の委託で大きく育ち、現在の三菱グループの源流になります。
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=== <span id="福澤諭吉"/>{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}} ===
{{wikipedia|福澤諭吉}}
[[画像:福澤諭吉像2.jpg|250px|thumb|福澤諭吉像(東京都港区三田・慶應大学構内)]]
:生没年:1835年 - 1901年(明治34年)
:豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれます。大阪の「適塾」で蘭学を学び、1859年、[[#勝海舟|勝海舟]]らが率いる咸臨丸に同乗し渡米の経験をえ、その後ヨーロッパを訪問、再び米国を訪れるなどして、蘭学のみならず英語による欧米の文物の知識を得るようになります。
:1868年(慶応4年)に、蘭学塾である'''慶應義塾'''を開きます。それまで、医学や化学など科学技術が中心であった蘭学塾と異なり、欧米の思想や会計などの制度も教えました。また、蘭学塾といいながら英語によるものが教えられていました。これが、日本で最初の近代的大学と言われる'''慶應義塾大学'''(慶應大学)の創始です。
:明治時代になって、「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の近代思想を数々の著書を通じて紹介しました。『学問のすすめ』の中では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と、生まれながらの平等を説いて、努力次第で社会の重要な地位に就くことができること(立身出世)を主張しました。
:官主導の明治政府に対して、民間の立場から、新聞や出版物で社会を啓蒙し、教え子を民間の各所で活躍させるなどして、日本社会の近代化を主導しました。
:[[#渋沢栄一|渋沢栄一]]の前の1万円札の肖像に用いられていました。
* 関連する人物
**<span id="中江兆民"/>[[w:中江兆民|{{ruby|中江兆民|なかえちょうみん}}]]
**:土佐藩の下級武士の出身。
**:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に日本を出た留学生]]の一人でフランスに留学します。
**:18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を紹介し、日本の自由民権運動に大きな影響を与えます。
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=== <span id="板垣退助"/>{{ruby|板垣退助|いたがきたいすけ}} ===
{{wikipedia|板垣退助}}
[[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|150px|left|thumb|板垣退助]]
:生没年:1837年 - 1919年(大正8年)
:土佐藩出身。
:戊辰戦争では、軍隊をひきいて、幕府軍などと戦い、多くの戦いで勝利しました。
:征韓論では、西郷に味方し、それに敗れると故郷の高知に戻り、憲法の制定と選挙で選ばれた議会による政治を求めた自由{{ruby|民権|みんけん}}運動を主導、1881年(明治14年)に日本最初の近代的な政党自由党を結成しました。
:運動を{{ruby|妨害|ぼうがい}}しようとする暴漢に襲われた時に「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとされることは有名です。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、大隈重信の内閣で内務大臣を務めることはありましたが、その他の官職の誘いや国会の議員<ref>板垣は伯爵という華族(何回も断ったのですが、明治天皇が是非にと進めたので、これを受けました)であったので衆議院議員の被選挙権はなく、また、貴族院の勅任議員や互選議員になることも断っていました。</ref>になるのを断って、{{ruby|在野|ざいや}}<ref>政府の官職などにつかないこと。</ref>で自由主義や民主主義を主張し続けました。
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=== <span id="大隈重信"/>{{ruby|大隈重信|おおくましげのぶ}} ===
{{wikipedia|大隈重信}}
[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|150px|left|thumb|大隈重信]]
:生没年:1838年 - 1922年(大正11年)
:{{ruby|肥前|ひぜん}}(佐賀)藩出身。
:明治維新後、政府に入って{{ruby|地租改正|ちそかいせい}}などの{{ruby|改革|かいかく}}にあたるとともに、{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}を{{ruby|推進|すいしん}}するなど、内政に才能を見せました。
:[[#大久保利通|大久保利通]]死後も[[#伊藤博文|伊藤博文]]とともに新政府の政策を進めましたが、イギリスの民主的な政府を理想としていた大隈は、一部の政治家が主導して安定して強力な政府をめざす伊藤と対立して、1881年(明治14年)、政府から{{ruby|離|はな}}れました。
:政府からはなれた大隈は、立憲改進党を結成して自由民権運動をすすめました。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、1898年(明治31年)の衆議院選挙で大隈の支持者が多数派となったことから内閣総理大臣に指名されました。これは、短命に終わりましたが、1914年(大正3年)再び衆議院に支持者を多く得て首相となりました。
:政府からはなれた大隈は、翌年の1882年(明治15年)、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の{{ruby|造就|ぞうしゅう}}<ref>つくりあげること。育成すること。</ref>」をスローガンに東京専門学校を開校しました。現在の早稲田大学です。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「伊藤博文」「山県有朋」「渋沢栄一」「福沢諭吉」「大隈重信」「板垣退助」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「維新の三傑」死後、まだ不安定であった政府を安定させたのは伊藤博文や山県有朋でした。不平士族が、西南戦争など[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#士族の反乱|士族の反乱]]でいなくなった後、まだ、議会などもない中で多くの改革が、進められました。
:*政府による改革と並行して、渋沢栄一や岩崎弥太郎によって、株式会社・銀行といった新しい経済の仕組みの中で、蒸気船による海運や各種の工業といった、近代的な産業が育っていきました。
:*このように近代化が進む中、福沢諭吉や中江兆民などは、西洋における近代化の背景には、自由主義や民主主義があることを唱えました。
:*これを受けて、政府の{{ruby|専制|せんせい}}に対する批判の声が自由民権運動となり、板垣退助や大隈重信が政党を結成するなど主導をして、政府に憲法を定め、選挙による議会を開くよう求めます。
:*こうして、1885年(明治18年)憲法に先立って内閣制度が誕生し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、それに基づいて1890年(明治23年)に衆議院議員の選挙の後、同年、帝国議会が召集されました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="陸奥宗光"/>{{ruby|陸奥宗光|むつむねみつ}} ===
{{wikipedia|陸奥宗光}}
[[File:Mutsu Munemitsu.jpg|150px|left|thumb|陸奥宗光]]
:生没年:1844年 - 1897年(明治30年)
:もとは、紀州藩(和歌山県)の武士で、幕末に海援隊に入り[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の弟子になりました。
:明治政府に入って、版籍奉還・廃藩置県の実施に影響を与えます。
:西南戦争直後、政府の{{ruby|転覆|てんぷく}}をはかったとして投獄され{{ruby|失脚|しっきゃく}}<ref>政治などの力を失うこと</ref>しますが、5年ほどで許され、内閣制度などの研究のためヨーロッパへ留学します。
:留学から帰国後、主に外交の分野で活躍します。また、第1回の衆議院選挙に立候補して衆議院議員となり農商務大臣であったため、日本の議会史上初めてとなる衆議院議員の閣僚となりました。
:1892年(明治25年)[[#伊藤博文|伊藤博文]]首相の下、外務大臣に就任し、欧米諸国と交渉し、日米修好通商条約など通商条約の{{ruby|領事裁判権|りょうじさいばんけん}}({{ruby|治外法権|ちがいほうけん}})の{{ruby|撤廃|てっぱい}}に成功しました。
:1894年(明治27年)に始まった日清戦争では、各国との外交を行い、翌1895年(明治28年)下関条約を日本に有利な形で締結しました。その後の三国干渉に対して、仏英露に従いましたが、これを賠償に代えるという外交をおこないました。
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=== <span id="東郷平八郎"/>{{ruby|東郷平八郎|とうごうへいはちろう}} ===
{{wikipedia|東郷平八郎}}
[[File:Tōgō Heihachirō.jpg|150px|left|thumb|東郷平八郎]]
:生没年:1848年 - 1934年
:薩摩藩出身の海軍軍人です。
:少年の頃に、戊辰戦争に参加します。
:イギリスに留学し、海軍に関することを学びます。
:日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、{{ruby|日露|にちろ}}戦争においては、連合艦隊を率いて、1905年(明治38年)日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなりました。
:日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人といわれています。
:東京にある、東郷神社は東郷平八郎をまつった神社です。
{{-}}
*関連する人物
**[[w:山本権兵衛|{{ruby|山本権兵衛|やまもとごんのひょうえ(ごんべい)}}]]
**:薩摩藩出身。
**:元々は海軍軍人ですが、政治家として海軍の組織、将兵の教育、艦船の充実などに力を尽くし、日本海海戦に完全勝利するまでの世界的な海軍に成長させました。
**:海軍において[[#山県有朋|山県有朋]]と同様の役割をはたしました。
**[[w:大山巌|{{ruby|大山巌|おおやまいわお}}]]
**:薩摩藩出身の陸軍軍人、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]のいとこになります。
**:陸軍の前線の司令官として活躍しました。日清戦争では第2軍の司令官として清軍に勝利し、日露戦争では陸軍の総司令官として戦いロシア軍を撃退しました。
**[[w:児玉源太郎|{{ruby|児玉源太郎|こだまげんたろう}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。西南戦争では、官軍として熊本城に{{ruby|籠城|ろうじょう}}して、西郷隆盛の軍を足止めしました。
**:日露戦争の前には、台湾総督や内務大臣といった重要な職についていましたが、開戦にあたって大山巌を助ける総参謀長に就任し、ロシア陸軍との戦いの作戦を立てました。
**[[w:乃木希典|{{ruby|乃木希典|のぎまれすけ}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。
**:日露戦争では旅順を攻撃する第3軍の総司令官でした。旅順を占領したことで、日本の優勢が確定的なものになりましたが、そのためには多くの兵士が戦死・戦傷し、乃木も息子2人を失いました。
**:明治天皇が亡くなった時に、妻とともに{{ruby|殉死|じゅんし}}<ref>主人が亡くなった時に、臣下の者が後を追って自殺すること。</ref>して、日本中に衝撃を与えました。
**:東京にある、乃木神社は乃木希典をまつった神社で、その前を乃木坂と言い地名や駅名にもなっています。
=== <span id="小村寿太郎"/>{{ruby|小村寿太郎|こむらじゅたろう}} ===
{{wikipedia|小村寿太郎}}
[[File:Portrait of Komura Jutaro.jpg|150px|left|thumb|小村寿太郎]]
:生没年:1855年 - 1911年(明治44年)
:宮崎県の{{ruby|飫肥|おび}}藩出身の外交官です。
:米国に留学して学びました。
:外務省に入り、イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務めました。
:1901年(明治34年)桂太郎首相の下、外務大臣となり、日露戦争の前に、イギリスとの間で日英同盟を結ぶことに成功しました。日露戦争後には、講和会議に全権として出席し、ポーツマス条約を締結して日露戦争を終わらせました。
:1911年(明治44年)にアメリカとの{{ruby|交渉|こうしょう}}で関税自主権を回復させ、その後、欧州各国との通商条約も改正し関税自主権を完全に回復させました。同年11月病気でなくなります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「陸奥宗光」「東郷平八郎」「小村寿太郎」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新の改革は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布、翌年の帝国議会召集によって、一応の完成を見ました。
:*約20年の明治維新の改革によって、国内経済は近代化され国が豊かになり、また、国の体制もしっかりして、近代的な軍隊を持てるようになりました。
:*その頃、ロシアの東進南下政策は日本にとって脅威であって、これに対抗しようと近代化の遅れていた朝鮮半島に進出します。朝鮮半島をめぐって宗主国である清国との間で日清戦争が起こり、日本はこれに勝利します。
:*日清戦争前後には日本が近代化したことは諸外国にも認められ、不平等条約のうち『領事裁判権』は撤廃されます。
:*清国に勝った日本は、次にロシアと{{ruby|対峙|たいじ}}<ref>対立する双方が、にらみあって動かない様子。</ref>するようになり、1904年(明治37年)日露戦争となって、日本は{{ruby|辛勝|しんしょう}}<ref>こちらも傷つきながらもやっと勝つこと。</ref>します。
:*大国ロシアに勝ったことで、その実力を認められ、欧米との間に結ばれた『関税自主権』も回復し、日本は、国際的に欧米同等の国と認められるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="津田梅子"/>{{ruby|津田梅子|つだうめこ}}===
{{wikipedia|津田梅子}}
[[File:Tsuda Umeko Portrait c1900.png|150px|left|thumb|津田梅子]]
:生没年:1864年 - 1929年(昭和4年)
:教育者。
:津田梅子は江戸幕府の通訳官である津田仙の子として生まれましたが、梅子が幼い頃、幕府は倒されてしまい、仙はその後仕事を転々とします。
:1871年(明治3年)、仙が開拓使<ref>明治維新政府に北海道開拓の目的で設けられた役所。</ref>に職を得た時、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に留学生を派遣する]]と聞いて、梅子を応募させ、梅子は女子留学生5人の一人に採用されます。梅子は、その時、なんとまだ満6歳でした。
:1882年(明治14年)、梅子は帰国しますが、その時には、日本語を忘れていました。帰国後、日本語が不自由であったためなかなか職にめぐまれませんでしたが、[[#伊藤博文|伊藤博文]]の応援もあって、華族女学校(後の学習院女子部)の教授となりました。その後、再び、米国に留学し大学で学びました。
:再留学からの帰国後、華族女学校他女子高等師範学校などの教授も兼任しましたが、1900年(明治32年)私立学校令に基づく女子高等教育のための「女子英学塾」を設立しました。この学校が、戦後「津田塾大学」となります。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の5000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
===<span id="北里柴三郎"/>{{ruby|北里柴三郎|きたさとしばさぶろう}}===
{{wikipedia|北里柴三郎}}
[[File:Shibasaburō Kitasato 1910.jpg|150px|left|thumb|北里柴三郎]]
:生没年:1853年 - 1931年(昭和6年)
:医師、微生物学者、教育者。
:ドイツに留学し、伝染病を研究し、{{ruby|破傷風|はしょうふう}}菌を発見し、その治療法を開発しました。
:帰国後、伝染病の研究所作ろうとしたが、政府の援助は得られなかったところ、{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}}が支援し研究所が完成、{{ruby|志賀潔|しがきよし}}、[[#野口英世|野口英世]]などの研究者が生まれ育っていきました。
:その後、慶應大学医学部の設立に尽力し、個人で運営していた北里研究所をもとに北里大学が設立されます。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
=== <span id="野口英世"/>{{ruby|野口英世|のぐちひでよ}} ===
{{wikipedia|野口英世}}
[[File:Noguchi Hideyo.jpg|150px|left|thumb|野口英世]]
:生没年:1876年(明治9年) - 1928年(昭和3年)。医師、細菌学者。
:福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となり、渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。
:主に細菌学の研究に従事し、{{ruby|黄熱病|おうねつびょう}}や梅毒の研究で知られています。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったといわれています。黄熱病の研究中に自身もそれにかかり、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
:[[#北里柴三郎|北里柴三郎]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#野口英世]]を参照。
{{-}}
===<span id="樋口一葉"/>{{ruby|樋口一葉|ひぐちいちよう}}===
{{wikipedia|樋口一葉}}
[[File:Higuchi Ichiyou.png|150px|left|thumb|樋口一葉]]
:生没年:1872年(明治5年) - 1896年(明治29年)
:小説家。戸籍名は樋口{{ruby|奈津|なつ}}、「一葉」は筆名(ペンネーム)です。
:一葉は、1872年(明治5年)明治政府の下級役人の家に現在の東京都千代田区内幸町あたりで生まれました。大変優秀でしたが、親が女の子を上級の学校まで行かせる必要はないと考え、小学校卒業後学校へは通わせませんでした。
:たしなみとして、和歌を習い、文学的な才能をわずかに見せていましたが、やがて、父親が亡くなるなどして、経済的に苦しみます。
:このような中、1892年(明治25年)から小説を発表し、それで原稿料が得られるようになります。1895年(明治28年)には代表作『たけくらべ』を発表し、{{ruby|森鴎外|もりおうがい}}や{{ruby|幸田露伴|こうだろはん}}といった多くの著名な文学者から{{ruby|賞賛|しょうさん}}<ref>ほめたたえること。</ref>されます。
:しかし、1896年(明治29年)24歳の若さで、肺結核により亡くなりました。
:近代以降では最初の職業女流作家で、24年間の生涯の中で、特に亡くなる間際の1年2か月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残しました。[[#津田梅子|津田梅子]]の前の5000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
===<span id="夏目漱石"/>{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}}===
{{wikipedia|夏目漱石}}
[[File:Natsume Soseki photo.jpg|150px|left|thumb|夏目漱石]]
:生没年:1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年)
:英文学者、小説家。本名は夏目金之助です。
:現在の東京都新宿区喜久井町に{{ruby|名主|なぬし}}の子として生まれました。
:帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)にすすみ、大学時代に{{ruby|正岡子規|まさおかしき}}と出会い、俳句を学びました。大学英文科卒業後、愛媛県松山で愛媛県尋常中学校<ref>当時の「尋常中学校」は、現在の高等学校に相当します。現在の愛媛県立松山東高等学校です。『坊っちゃん』の舞台とも言われています。</ref>教師、熊本で第五高等学校<ref>当時の「高等学校」は、現在の大学の教養課程(大学で学ぶ専門以外の学問で、現在一般に大学1年生から2年生にかけて学びます。)に相当します。現在の熊本大学です。</ref>教授などを務めたあと、イギリスへ留学し英文学を研究します。
:帰国後、東京帝国大学講師として英文学の講義をしていましたが、1905年(明治38年)子規の友人が発行する俳句雑誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表、大人気となって、以後、同誌に『坊っちゃん』などを発表して小説家としての地位を固めます。
:1907年(明治40年)に大学を辞め、専属の小説家として朝日新聞に入社し、新聞小説を発表していきます。1916年(大正5年)に病気でなくなりました。
:明治になるまで、話し言葉と書き言葉は違うことが当たり前で、かなりかけ離れたものでした<ref>これは、人の行き来があまりないので、各地での方言の差が大きく、書き言葉が共通のコミュニケーションの道具であったことが理由の一つだと思われます。</ref>。明治になって、日本の言葉遣いを統一しようという情勢となって、文学においても、その運動({{ruby|言文一致|げんぶんいっち}})が盛んになり、多くの作品が言文一致を踏まえて発表されました。しかし、なかなかしっくりする言葉遣いにならなかったところ、漱石は、落語の言葉遣いを取り入れ、人々にわかりやすい表現で小説を書きました。現在の日本の書き言葉は、漱石の小説の影響を受けていると言われています。
:[[#野口英世|野口英世]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「津田梅子」「北里柴三郎」「野口英世」「樋口一葉」「夏目漱石」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新で、政府は欧米の学問や文化を広く取り入れ、国民に教育し、研究者を育てました。
:*明治20年を過ぎると、この成果が出て、日本からも世界的な科学者が出るようになりました。
:*学校制度の整備により識字率も高まり、また、印刷技術が向上し出版物が容易に大量に手に入るようになったので、小説などが人々の間で流行しました。
:*数が多いとは決して言えませんが、津田梅子や樋口一葉のように、社会で活躍する女性も見られるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
==脚注==
<small><references/></small>
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6しんふつ]]
[[Category:小学校社会|6ねんしやかいれきししんふつ]]
[[Category:小学校社会 歴史|#しんふつ]]
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{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}}
ここには、小学校の歴史の勉強で出てくる人物について書いてあります({{ruby|発展|はってん}}的な内容および人物もふくまれています)。もっとくわしく知りたいときは、色がついているタイトルの名前をクリックしてください。ウィキペディアにあるページにリンクしてあります。少し{{ruby|難|むずか}}しいかもしれませんので、事典や身近な大人をフル活用してください。
<!--執筆者へ
あまり長くならないよう、4〜5行程度にまとめてください。→ちょっと難しいですね。その時代の変革にあたった人物については10行程度までは、許容して良いでしょう。
第1行目には、「生没年」があるといいと思います。-->
また、難しいかもしれませんが、[[中学受験社会/歴史/人物]]をみてもいい情報があるかもしれません。
== {{ruby|弥生|やよい}}時代 ==
=== <span id="卑弥呼"/>{{ruby|卑弥呼|ひみこ}} ===
{{wikipedia|卑弥呼}}
:3世紀はじめごろ。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|{{ruby|邪馬台国|やまたいこく}}]]の女王です。
:当時、中国にあった{{ruby|魏|ぎ}}という国に使いを送り、その時に{{ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}の称号を与えられたとその国の歴史書({{ruby|魏志倭人伝|ぎしわじんでん}})に記されています。
:神のおつげやうらないで政治を行ったとされています。
:邪馬台国があったと考えられる場所は不明ですが、{{ruby|奈良|なら}}にあったとするものと九州北部にあったとするものの二つの説が有力で論争が続いています。一番古い時代に作られた{{ruby|古墳|こふん}}が、卑弥呼の墓で、奈良に邪馬台国があった場合、{{ruby|箸墓|はしはか}}古墳が卑弥呼の墓ではないか、と考えられています。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「卑弥呼」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「縄文時代」「弥生時代」をへて、人々が集まった小さな「むら」から、大きな「くに」ができるようになりました([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#「むら」から「くに」へ|「むら」から「くに」へ]])。
:*「くに」は、当時世界で最も有力であった中国に使いを送ります。
:*その当時、日本にはまだ文字が伝わっていませんでしたが、中国へ送った使いによって、当時の日本のことが記録され、様子がわかります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|飛鳥|あすか}}時代 ==
=== <span id="聖徳太子"/>{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}} ===
{{wikipedia|聖徳太子}}
:生没年:572年-622年。{{ruby|厩戸王|うまやどおう}}などとも{{ruby|呼|よ}}ばれます。
:[[w:推古天皇|{{ruby|推古|すいこ}}天皇]]に代わって政治を行う{{ruby|摂政|せっしょう}}として{{ruby|活躍|かつやく}}し、{{ruby|豪族|ごうぞく}}の集まりであったヤマト政権を天皇を中心とした政治を行うようさまざまな改革を行いました。
:{{ruby|仏教|ぶっきょう}}や中国の{{ruby|儒教|じゅきょう}}の教えをもとに、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}の役人の{{ruby|心得|こころえ}}である[[w:十七条憲法|{{ruby|十七条の憲法|じゅうしちじょうのけんぽう}}]]を定めました。また、能力が高かったり手がらをたてた人が重要な仕事をできるよう[[w:冠位十二階|{{ruby|冠位十二階|かんいじゅうにかい}}]]の制度をつくりました。
:仏教を深く{{ruby|信仰|しんこう}}していた聖徳太子は、[[w:法隆寺|{{ruby|法隆寺|ほうりゅうじ}}]]などの寺を建て、仏教の力で平和な世の中になるように願いました。
:10人が同時に話しても、そのすべての内容を理解したなどの伝説がも残ります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:推古天皇|{{ruby|推古天皇|すいこてんのう}}]]
*::日本で最初の女性の天皇です。推古天皇の皇太子であった聖徳太子は、{{ruby|摂政|せっしょう}}の立場で、さまざまな改革を行いました。
*:<span id="蘇我馬子"/>[[w:蘇我馬子|{{ruby|蘇我馬子|そがのうまこ}}]]
*::最大の勢力を持った豪族{{ruby|蘇我|そが}}氏をひきい、天皇につかえるものの中で最も高い位である{{ruby|大臣|おおおみ}}として聖徳太子を助けました。
=== <span id="小野妹子"/>{{ruby|小野妹子|おののいもこ}} ===
{{wikipedia|小野妹子}}
:生没年:6世紀後半〜7世紀前半。「妹子(いもこ)」という名前ですが{{ruby|男性|だんせい}}です。
:607年、{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}}の命令で第2回{{ruby|遣隋使|けんずいし}}として中国の{{ruby|隋|ずい}}の国にわたります。608年には第3回遣隋使として、ふたたび隋をおとずれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖徳太子」や「小野妹子」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子より前の日本の政治は、有力な豪族が集まっただけの政治のかたちでした。
:*聖徳太子が皇太子となったころ、こうした豪族どうしが争う一方で中国や朝鮮半島では、皇帝などを中心とした強力な国づくりが進んでいました。
:*聖徳太子は天皇を中心とした国づくりをすることで、国をまとめようとしました。また、聖徳太子は、仏教を積極的に取り入れました。
:*聖徳太子は、国の制度や仏教を学ぶため、中国の{{ruby|隋|ずい}}に使いを送りました。その代表に選ばれて隋に渡ったのが小野妹子です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="中大兄皇子"/>{{ruby|中大兄皇子|なかのおおえのおうじ}} ===
{{wikipedia|天智天皇}}
:生没年:626年 - 672年
:後の{{ruby|天智|てんじ}}天皇<ref>歴史の学習では、普通、即位後の天皇の名前で呼びますが、中大兄皇子の場合、皇太子である時期に、大化の改新などで活躍したため、皇太子時代の名前で呼ばれることが多いです。なお、「天智天皇」という名は、のちの奈良時代になってつけられた名前です。</ref>。
:[[#聖徳太子|聖徳太子]]が亡くなってから、[[#蘇我馬子|蘇我馬子]]をついだ蘇我{{ruby|蝦夷|えみし}}とその子{{ruby|入鹿|いるか}}が勝手な政治をしたため、{{ruby|[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]|なかとみのかまたり}}とともにこれをほろぼしました。
:皇太子となった中大兄皇子は、力を持った豪族はいなくなったので、{{ruby|大化|たいか}}の改新と言われる天皇中心の政治を行うために改革を行いました。大化の改新により、日本の人民と土地は天皇が支配するものとなり、人民には農地が与えられる代わり、{{ruby|租庸調|そようちょう}}と呼ばれる税を天皇(朝廷)に納めるようになりました。
:また、聖徳太子がやったように、隋を滅ぼして建国された{{ruby|唐|とう}}に使い({{ruby|遣唐使|けんとうし}})を送りました。しかし、朝鮮半島での{{ruby|新羅|しらぎ}}と{{ruby|百済|くだら}}との争いで、唐は新羅を、日本は百済を味方したため、敵対することになりました。この争いで新羅は百済を破り、百済は滅亡します。
:中大兄皇子は、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることにそなえ、{{ruby|防人|さきもり}}をおいて九州を守らせ、都を現在の大阪市にあった{{ruby|難波宮|難波宮}}から滋賀県の{{ruby|近江京|おうみきょう}}に移しました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#大化の改新と律令制の成立|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇({{ruby|大海人皇子|おおあまのおうじ}})]]
*::天智天皇(中大兄皇子)の弟。はじめは天智天皇の後に天皇になる予定でしたが、皇太子を天智天皇の子である{{ruby|大友皇子|おおとものおうじ}}に譲りました。しかし、天智天皇の死後、大友皇子と争い、勝利して天皇に即位しました。天智天皇の方針を引き継いで、天皇中心の社会を作るよう努めました。
*::[[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]など奈良時代の天皇は天武天皇の子孫になります。
=== <span id="中臣鎌足"/>{{ruby|中臣鎌足|なかとみのかまたり}} ===
{{wikipedia|藤原鎌足}}
:生没年:614年 - 669年
:もとは、日本伝統の神をまつる神職を職業とする豪族でしたが、仏教を盛んにしようとする蘇我氏に圧倒されていました。蘇我氏と関係の薄かった中大兄皇子に協力し、蘇我氏をともにほろぼしました。
:その後、中大兄皇子の大化の改新に協力して改革を進めます。
:669年、亡くなる時に天智天皇は、鎌足の功績にむくいるため、{{ruby|大織冠|だいしょくかん}}という進化の中でも最高の位と{{ruby|藤原|ふじわら}}の姓を与えました。したがって、中臣鎌足を'''藤原鎌足'''ともいいます。
:鎌足の子孫は、奈良時代から平安時代にかけて、勢力を拡大し、朝廷の主要な役職を独占する「{{ruby|藤原|ふじわら}}氏」となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「中大兄皇子・天智天皇」や「中臣鎌足・藤原鎌足」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子の死後、天皇を凌ぐほどの力を持った蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼします。
:*中大兄皇子は、聖徳太子の目指していたところをさらに進める政策を行います。これを「大化の改新」といいます。
:*「大化の改新」で最も重要なものは、人民と土地は直接天皇が支配し、農地を朝廷が与える代わりに人民は税(租庸調)を納めるというものです。
:*朝鮮半島の戦争で、百済にみかたした日本は、新羅と唐の連合軍に敗北し朝鮮半島の拠点を失い、一時は唐との関係も悪化しました。
:*天智天皇かめざした天皇中心の政治は、天智天皇の死後、{{ruby|律令|りつりょう}}制の成立という形で完成します。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|奈良|なら}}時代 ==
=== <span id="聖武天皇"/>{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇 ===
{{wikipedia|聖武天皇}}
:生没年:701年 - 756年
:奈良時代を代表する天皇です。在位中は災害や伝染病({{ruby|天然痘|てんねんとう}})の大流行などがあって、平穏な時代であったとは言えませんでしたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#律令制|大宝律令]]の完成(710年)から約30年、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京{{ruby|遷都|せんと}}]]から約20年たって、律令にもとづいた天皇中心の政治がようやく定着した時期でもありました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|→教科書本文]])
:[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|聖武天皇は仏教を手厚く保護します]]。この時期は、遣唐使で留学した僧も多く帰国して仏教が日本全国で定着した時期でもあり、国が安定することを目的として全ての国に国分寺と国分尼寺を建てました。その中心として、平城京(奈良)に東大寺を建立し、そこに、大仏「奈良の大仏」を作らせました。
* 関連する人物
*:[[w:光明皇后|{{ruby|光明皇后|こうみょうこうごう}}]]
*::聖武天皇の皇后です。[[#中臣鎌足|藤原鎌足]]の子藤原{{ruby|不比等|ふひと}}の娘になります。皇室出身以外から初めて皇后になりました。以後、藤原氏から多くの皇后が出るようになり、藤原氏が朝廷で力を得る例のさきがけとなりました。
=== <span id="行基"/>{{ruby|行基|ぎょうき}} ===
{{wikipedia|行基}}
[[File:Gyouki 1.jpg|thumb|right|180px|行基]]
:生没年:668年 - 749年
:河内国の渡来人の家系に生まれた{{ruby|僧|そう}}です。{{ruby|道昭|どうしょう}}に学んだとされています。道昭は遣唐使で留学し{{ruby|玄奘|げんじょう}}に学びました。玄奘は、唐からインドを訪ねて仏教を学んだ僧で、西遊記の三蔵法師のモデルです。
:当時の仏教は国を守護安定させるものとの考えがあり、ほとんどの僧は寺で仏教を学問として研究するものが主流で、一般の民衆への仏教の布教は禁止されていました。こうした時代に、諸国をまわって用水の池や橋を造りながら、身分を問わず教えを説きました。はじめのうちは、危険な人物と思われ、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}からはは行基の行動をとりしまりました。からはされました。しかし、{{ruby|民衆|みんしゅう}}や地方豪族の{{ruby|尊敬|そんけい}}を集め、朝廷も危険な行動ではないと理解し、後には、とりしまりをゆるめました。
:こうしたなか、聖武天皇は大仏建立を命令しましたが、とても多くの人々の支持と労働力を必要とする大仏建立はなかなかすすみませんでした。そこで、朝廷は、人々にしたわれていた行基を、日本の仏教の最高峰である{{ruby|大僧正|だいそうじょう}}に任じて、大仏建立の責任者としました。
:行基のはたらきもあって、大仏建立は順調に進むようになりましたが、行基は完成前に亡くなりました。
=== <span id="鑑真"/>{{ruby|鑑真|がんじん}} ===
{{wikipedia|鑑真}}
[[File:Ganjin wajyo portrait.JPG|thumb|left|180px|国宝『鑑真和上坐像』]]
:生没年:688年 - 763年
:唐の長安で僧となるものに{{ruby|戒律|かいりつ}}を与える教えの有名な{{ruby|僧侶|そうりょ}}でした。戒律とは仏教の修行者が守るべき生活上のルールを言います。正式に僧や尼僧として認められるには、修行を積んだ僧から、この戒律を伝えられなければなりませんでした。特に、唐で修行する場合には、その資格を持った僧(律師)から与えられていなければ、正式な僧として修行ができませんでした。日本には唐でも認められる律師がいなかったため、遣唐使の留学僧は留学の時困っていました。742年、日本からの留学僧が、日本に律師を送ってほしいと頼まれ、弟子に声をかけましたが誰も自ら名乗り出るものはいませんでした。そこで、鑑真は自ら日本に渡ろうと決意しました。最初は皇帝からの許可が降りず、許可を得てから渡ろうとして、5回も失敗し、6回目にようやく日本に着きました。754年、6回目のこころみでようやくに日本についたころには、失明していました。聖武天皇に迎えられた鑑真は、奈良に '''{{Ruby|唐招提寺|とうしょうだいじ}}''' を開き、正しい仏教を伝えて、多くの日本人の僧を育てました。
:また、医学や薬学、美術工芸なども伝えました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖武天皇」「行基」「鑑真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖武天皇の時代には、律令制によって、天皇中心の政治ができるようになりました。
:*遣唐使によって、多くの中国の文化が伝わりました。仏教も、伝わった文化の一つです。
:*全国に国分寺・国分尼寺と都の平城京にはそれをまとめる東大寺が建てられ、東大寺には大仏が置かれました。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|平安|へいあん}}時代 ==
=== <span id="桓武天皇"/>{{ruby|桓武|かんむ}}天皇 ===
{{wikipedia|桓武天皇}}
[[File:Emperor Kammu large.jpg|thumb|right|160px|桓武天皇]]
:生没年:737年 - 806年
:都を平城京(奈良)から平安京(京都)にうつした({{ruby|平安遷都|へいあんせんと}})天皇です。
:770年、{{ruby|称徳|しょうとく}}天皇([[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]の皇女)が亡くなり、[[#天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇]]の子孫がたえて、[[#中大兄皇子|{{ruby|天智|てんち}}天皇]]の子孫である{{ruby|光仁|こうにん}}天皇が即位しました。桓武天皇は光仁天皇の子で、あとを継ぎました。
:平安遷都の前の朝廷は、仏教の寺院が大きな勢力を持って、僧が政治に口を出すようになり、争いが絶えないようになっていました。また、律令制がすすむことで、班田収授法によって民衆に分ける土地も奈良盆地周辺だけでは足りなくなっていました。このような問題を解決するために、桓武天皇は平城京から平安京に都を移しました。
:また、桓武天皇は、{{ruby|坂上田村麻呂|さかのうえのたむらまろ}}を[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命し、東北地方の{{ruby|蝦夷|えみし}}をうたせるなどして、日本に律令制を確立させました。
:仏教が政治にかかわるのをきらって、平安遷都では大きな寺院を平城京に残した一方で、最澄や空海を遣唐使として唐に留学させ新しい仏教を学ばせました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安遷都|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:最澄|{{ruby|最澄|さいちょう}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。平城京にあった大きな寺院から離れ、近江(今の滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行しました。比叡山は平安京のすぐ東北の位置になりますが、最澄が修行を始めたのは平安遷都より前のことです。遣唐使として留学し、多くの経典などを持ち帰りました。それらは比叡山に開いた寺(後に{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}と呼ばれます)で研究され、延暦寺はのちの日本の仏教に大きな影響を与えます。最澄が開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といいます。
*:[[w:空海|{{ruby|空海|くうかい}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。遣唐使として最澄とともに留学し、最澄同様に多くの経典などを持ち帰りました。特に、仏教のうち{{ruby|密教|みっきょう}}と呼ばれるものを伝え、{{ruby|真言宗|しんごんしゅう}}を開きました。和歌山県の{{ruby|高野山|こうやさん}}に{{ruby|金剛峯寺|こんごうぶじ}}を開き、また、{{ruby|嵯峨|さが}}天皇<ref>桓武天皇の二代後の天皇。</ref>から、平安京の中の二つの寺のうちの一つである{{ruby|東寺|とうじ}}をまかされます。空海の教えは、天皇や貴族だけにとどまらず、広く民衆に伝えられ、また、空海自身もため池の造営など民衆のための事業を行いました。
=== <span id="菅原道真"/>{{ruby|菅原道真|すがわらのみちざね}} ===
{{wikipedia|菅原道真}}
[[File:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Michizane in exil.jpg|250px|thumb|左奥で顔をおおっているのが道真です。太宰府に流される時、天皇から贈られた衣を見て泣いている場面です。]]
:生没年:845年-903年
:平安時代前期の貴族です。
:学問に優れ、その当時、{{ruby|藤原|ふじわら}}氏は、他の貴族の一族を圧倒して朝廷の大事な役職を独占しようとしていましたが、それに対抗して朝廷で重要な役職につきました。政治から遠ざけようとする人々は、道真を{{ruby|遣唐使|けんとうし}}の大使として、{{ruby|唐|とう}}に送ろうとしましたが、唐は戦乱で乱れ、道真は得るものも多くないと考え、遣唐使の{{ruby|廃止|はいし}}を申し出、これを廃止しました。その後、朝廷では右大臣まで出世しますが、藤原氏らの{{ruby|陰謀|いんぼう}}により、{{ruby|太宰府|だざいふ}}(現在の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にあった九州をおさめる役所)に流され、そこで亡くなりました。
:道真の死後、朝廷では数々の異変が起こり、「これは道真の{{ruby|怨|うら}}みからの{{ruby|呪|のろ}}いである」とおそれられ、朝廷は道真を{{ruby|天満天神|てんまんてんじん}}という神としてまつりました。現在では、学問の神様「{{ruby|天神|てんじん}}さま」として有名です。道真をまつる神社を{{ruby|天満宮|てんまんぐう}}といい、亡くなった土地である福岡県にある太宰府天満宮や京都の{{ruby|北野|きたの}}天満宮、東京の{{ruby|湯島|ゆしま}}天満宮などが有名です。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「菅原道真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安京に遷都して(794年)から、約100年たって政治は安定した一方で、律令制度が理想としていた天皇中心の政治から、貴族が中心となる政治に変わりつつありました。
:*特に、有力であったのは藤原氏で、藤原氏以外の貴族が勢力をもとうとするとそれをじゃましたこともありました。菅原道真が太宰府に流されてしまったのもその例の一つです。
:*奈良時代にさかんで、多くの新しい文化を日本に伝えた遣唐使も、この時代には得るものが少なくなっていたため廃止されました。外国の影響が少なくなったので、日本独自の文化が発達するきっかけになりました。
:*菅原道真は神様としてまつられ、今では学問の神「天神さま」として有名です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="藤原道長"/>{{ruby|藤原道長|ふじわらのみちなが}} ===
{{wikipedia|藤原道長}}
[[File:Fujiwara no Michinaga 2.jpg|180px|thumb|left|1220年頃に作られた『紫式部日記絵巻』に書かれた藤原道長]]
:生没年:966年 - 1028年
:平安時代中期の貴族で、[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]を祖先とする藤原氏になります。
:平安時代の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂関政治]]を代表する政治家です。
:道長は、娘四人を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、その娘が産んだ三人の孫が天皇になり、藤原氏の全盛期をきずいたと言われ、そのようなありさまを、以下のように和歌にしたと伝えられます。
::'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」'''
:::(この世は、望月(満月)のように欠けているものがなく、まるで{{ruby|私|わたし}}(道長)の物のようだ。)
:その当時、同じ藤原氏の中でも争って娘を天皇の妃にしていましたが、天皇に気に入られるように、{{ruby|妃|きさき}}の周りには和歌を読んだり物語を語るのがたくみな{{ruby|女官|にょかん}}が集められ、後の世に残る和歌や物語、{{ruby|随筆|ずいひつ}}<ref name="随筆">自分が見聞きしたことや体験、それに関する感想などを、自由な形式で書いた文章をいいます。「エッセイ」とも言います。</ref>などが数多く作られました。これを宮中文学と言います。道長の娘{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名">当時の女性名は漢字でしか残っていない場合が多く、訓読みがわからないものもあり、音読みで読む学術的な慣習がありました。最近は、そのように読まれたであろうという訓読みが一般的ですが、ここでは参考のため、どちらも書いておきます。</ref>には、[[#紫式部|{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}}]]が仕え『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』を作りました。道長の時代には、その他、『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』なども作られて宮中文学が最も盛んであった時期と言われています。
:紫式部は彰子の教育係をしながら朝廷の人々の様子を観察していたと言われています。このことから、主人公の光源氏は、道長がモデルではないかともいわれています。ただし、これはあくまでも一説であり、その他、{{ruby|源融|みなもとのとおる}}、{{ruby|源高明|みなもとのたかあきら}}がモデルであるなど、さまざまな説があります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安時代の文化と生活|→教科書本文]])
{{-}}
=== <span id="紫式部"/>{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}} ===
{{wikipedia|紫式部}}
[[File:Tosa Mitsuoki 001.jpg|160px|thumb|紫式部のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:970年から978年?~970年から978年?
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、物語の作者です。
:藤原氏の生まれですが、そのころには、藤原氏の数も相当に増えていて、道長のように裕福で政治の頂点にいる家系と、それほど豊かではなく中下級の役人となる家系と分かれるようになっていました。紫式部は中級の貴族の生まれで、学問の家系だったと言われます。
:道長の娘で{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名"/>に仕えました。
:宮中文学の中でも最も有名な作品の一つである『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』の作者です。源氏物語は、{{ruby|帝|みかど}}の子である{{ruby|光|ひかる}}源氏が主人公の物語で、光源氏が、藤原氏と思われる貴族などとの宮中政治に巻き込まれながら、多くの女性との恋愛を経験するというものです。源氏物語は、その後の日本の文学に多くな影響を与え、また、30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれるなど、日本文学の代表的作品と評価されています。
:また、宮中での務めの様子を記した『紫式部日記』を残しており、当時の宮中の様子が伝えられています。
:和歌の読み手としてもすぐれていて、多くの歌が残っており、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::巡りあ{{ruby|ひ|(い)}}て みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし {{ruby|夜半|よは}}のつきかな
:::ようやくあえたのに、それがあなたかどうかが、わからない位すぐに いなくなってしまい とてもさびしい気持ちです。まるで、切れた雲から月が少し見えたと思ったら、またすぐに雲に隠れたように。
=== <span id="清少納言"/>{{ruby|清少納言|せいしょうなごん}} ===
{{wikipedia|清少納言}}
[[File:Sei Shonagon2.jpg|160px|thumb|清少納言のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:966年?〜1025年?。
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、随筆<ref name="随筆"/>『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』の作者です。中級貴族の{{ruby|清原|きよはら}}氏の出身です。
:清少納言は{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|定子|ていし/さだこ}}<ref name="女性名"/>に仕えました。定子の父は道長の兄で[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂政や関白]]を務めた藤原{{ruby|道隆|みちたか}}ですが、早くに亡くなってしまいます。道隆をついで政治のトップに立ったのが道長です。定子の兄藤原{{ruby|伊周|これちか}}は、道長との政治上の争いに敗れてしまい、定子の宮中での立場は非常に弱いものとなっていき、道長の娘彰子が一条天皇の{{ruby|妃|きさき}}になると間もなく亡くなります。『枕草子』は、その間に清少納言が見聞きしたことや、その感想、定子やその兄弟などとのふれあいを書いたものです。
:『枕草子』は、『{{ruby|方丈記|ほうじょうき}}』『{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}』とともに、日本三大随筆の一つに数えられ、『源氏物語』同様に日本の文学に大きな影響を与えます。
:また、紫式部と同様に、歌人としてもすぐれ、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::夜をこめて とりのそらねは はかるとも 世に{{ruby|あふ|おお}}さかの せきはゆるさじ
:::夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似(とりのそらね)をして人をだまそうとしても、この{{ruby|逢坂|おおさか}}の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して{{ruby|逢|あ}}いませんよ)
:::*中国の昔話で、とらえられている貴族を逃すのに、朝にならないと開かない国境の門を、貴族を逃すためにつかわされた従者がニワトリの声をまね、夜が開けたと思わせ、だまして門を開けさせたという話({{ruby|鶏鳴狗盗|けいめいくとう}})が元になっています。このように、中国の古典の知識などが宮中の女官には求められました。「{{ruby|逢坂|おおさか}}の関」は、都と近江国(滋賀県)の間にある関所ですが、ここでは、「逢坂」の「{{ruby|逢|あ}}う」がかけられていて、逢いたいと言いよってくる男性に「なんと言われても逢いませんよ」と、女性がフっている情景です。
=== <span id="藤原頼通"/>{{ruby|藤原頼通|ふじわらのよりみち}} ===
{{wikipedia|藤原頼通}}
[[File:藤原頼通.jpg|180px|thumb|left|13世紀末から14世紀初頭ころに書かれた『駒競行幸絵巻』に書かれた藤原頼通]]
:生没年:992年 - 1072年
:平安時代中期の貴族で、[[#藤原道長|藤原道長]]の長男です。
:父道長が、天皇の{{ruby|外祖父|がいそふ}}<ref>母親の父親のことを言います。{{ruby|母方|ははかた}}の祖父とも言います。</ref>として、朝廷で権力を振るっている中で、摂政・関白となり、後に太政大臣もつとめます。
:しかし、父道長とちがって娘が生まれなかったので、天皇の妃を宮中に送ることができず、孫が天皇となることはありませんでした。頼通のころから、藤原氏の力がだんだん弱まってきたと言われています。
:頼通は、当時流行した{{ruby|浄土|じょうど}}信仰から、{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土への{{ruby|往生|おうじょう}}を願い、{{ruby|宇治|うじ}}の{{ruby|平等院|びょうどういん}}に{{ruby|鳳凰堂|ほうおうどう}}を建てます。これは、平安時代中期の建築様式を残した代表的建物です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「藤原道長」「紫式部」「清少納言」「藤原頼通」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*[[#菅原道真|菅原道真]]が太宰府に流された事件から、さらに約100年、貴族、特に藤原氏が摂政や関白になる政治は、道長の時代にピークをむかえます。
:*遣唐使が廃止された後、日本独自の文化はますます発展し、『源氏物語』『枕草子』といった、現代でも評価の高い宮中文学が生まれます。しかも、それをなしたのは宮中に務める女性でした。
:*その後、貴族の力はだんだん弱まっていき、代わって武士の力が強くなっていきます。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="平清盛"/>{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}} ===
{{wikipedia|平清盛}}
[[file:Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg|thumb|160px|14世紀前半ころに描かれた平清盛]]
:生没年:1118年-1181年
:平安時代末期の武家である{{ruby|平氏|へいし}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|平|たいら}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|平家|へいけ}}」とも言います。</ref>の{{ruby|棟梁|とうりょう}}です。武士として初めて日本の政治の頂点に立ちました。
:清盛は、主に瀬戸内海地方の{{ruby|海賊|かいぞく}}を取り締まる平氏の武士団をひきいて勢力を伸ばしました。清盛は瀬戸内海の取締りを行うことで、この地方の海運を支配し、財力を高めました。清盛は、現在の広島県にある海の神をまつる {{ruby|厳島|いつくしま}}神社 を{{ruby|敬|うやま}}い、平氏一族がまつるべき{{ruby|氏神|うじがみ}}としました。
:1156年天皇家や藤原氏本家(摂関家)のあとつぎについて、双方が武士団を味方につけて争った保元の乱では、{{ruby|後白河|ごしらかわ}}天皇側について勝利にみちびき、{{ruby|源氏|げんじ}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|源|みなもと}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|源家|げんけ}}」と言うこともありますが、「平家」に比べれば使うことはまれです。</ref>の{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}らとともに武家としてはじめて中央の政治にかかわるようになりました。そして、1160年の平治の乱では源義朝を倒して、他の有力な武家をおしのけて、清盛の平氏だけが武家として中央の政治にかかわるようになりました。
:清盛は一族を朝廷の高位の役職につけたり、自分や一族の娘を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、子どもができると天皇をつがせようとするなど、藤原氏とにた政治を行うようになりました。1167年には武家ではじめて{{ruby|太政|だいじょう}}大臣になります<ref>太政大臣は、律令制ができた当時に皇族が就任、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|奈良時代末期に道鏡が就任した]]他は、約400年間藤原氏以外が就任した例はありません。</ref>。こうして、平氏は勢力を極め、清盛の弟{{ruby|平時忠|たいらのときただ}}などは「平家にあらずんば、人にあらず」(平家でなければ人でない)とも言うようになりました。
:清盛は、朝廷での権力をにぎった後も、主に瀬戸内海を舞台とした海運を続け、唐の後に中国を統一した{{ruby|宋|そう}}との間の{{ruby|貿易|ぼうえき}}も行うようになります。平安京(京都)は、このような海運に不便なので、都を{{ruby|福原|ふくはら}}(現在の神戸市)に移そうともしました。
:しかし、このような平氏ばかりを優遇する政策は、都の貴族たちや東国の武士団の反発をまねきます。清盛の晩年には各地で平氏に対する反乱が起き、1180年には、義朝の子で伊豆に流されていた{{ruby|[[#源頼朝|源頼朝]]|みなもとのよりとも}}が、{{ruby|鎌倉|かまくら}}(神奈川県鎌倉市)を拠点として関東の武士団をまとめて兵を上げ、西に兵を進めました。清盛は、これを討とうとしましたが、翌1181年病気で亡くなってしまいました。
:各地の反乱をおさえられなくなった平氏は、京都を捨て、瀬戸内海を西に逃げますが、1185年、源氏によって{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}(現在の山口県)で{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「平清盛」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*清盛は平安時代末期の人物ですが、武家として、それまでの貴族の政治を終わらせたと言う意味で、鎌倉時代以降の時代を開いた人と理解してください。
:*しかし、政治を行うのに、それまでの貴族政治の仕組みをそのまま使おうとして、それまでの貴族からも、地方で勢力を持つようになった武家からも反発されて、平氏の世は、清盛死後、まもなく滅びてしまいます。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|鎌倉|かまくら}}時代 ==
=== <span id="源頼朝"/>{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}} ===
{{wikipedia|源頼朝}}
[[File:Seated Portrait of Minamoto no Yoritomo (Presumed) 3.jpg|thumb|160px|東京国立博物館所蔵、木造伝源頼朝像]]
:生没年:1147年-1199年
:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて{{ruby|源氏|げんじ}}と{{ruby|平氏|へいし}}が戦っていた時代の、源氏の{{ruby|棟梁|とうりょう}}(リーダー)。
:平治の乱で父{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}を亡くし、頼朝も処刑されるところでしたが、幼かったため許され、{{ruby|伊豆|いず}}の国(現在の静岡県)に流されます。伊豆で地元の武士の娘{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}と結婚し、北条氏の支援などを得て、平家に対抗する兵をあげます。
:関東地方({{ruby|鎌倉|かまくら}})から、弟の{{ruby|義経|よしつね}}らに指示を送って平家を{{ruby|倒|たお}}しました。平家滅亡に向けた{{ruby|戦|いくさ}}には頼朝は出向いていません。
:その後、東北地方で強い勢力を持っていた藤原氏(公家の藤原氏と区別して{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏と言います)を滅ぼし、全国の武士を支配、1192年に{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}に任命され、鎌倉{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらきました。
:同じ武家の政権ですが、平氏がほぼ[[#平清盛|清盛]]一代であったのに対して、鎌倉幕府は、頼朝の血筋こそ絶えたものの150年近く続きました。これは、清盛が朝廷に入って政治を行おうとして、多くの武家の反発を受けたのと対照的に、頼朝は京都から遠く離れた鎌倉で、武家を治める政治を行う仕組みにしたことにあるでしょう。
* 関連する人物
*:[[w:北条政子|{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}]]
*::生没年:1157年-1225年
*::頼朝の妻。伊豆の地方武士北条{{ruby|時政|ときまさ}}の娘。
*::頼朝が{{ruby|亡|な}}くなった後、頼朝と政子の子である{{ruby|頼家|よりいえ}}、{{ruby|実朝|さねとも}}が将軍となったが、どちらも亡くなって頼朝の{{ruby|家系|かけい}}は{{ruby|途絶|とだ}}えました。幕府の政治は、弟の北条{{ruby|義時|よしとき}}が{{ruby|執権|しっけん}}として見るようになって、その後、鎌倉幕府の政治は義時の子孫である北条氏が執権として支配します(執権政治)。1221年{{ruby|後鳥羽|ごとば}}天皇が、鎌倉幕府を{{ruby|滅|ほろ}}ぼそうと兵をあげると({{ruby|承久|じょうきゅう}}の乱)、天皇にはむかうことにためらっている{{ruby|御家人|ごけにん}}たちを{{ruby|激励|げきれい}}し、後鳥羽天皇側の武士をうちまかし、鎌倉幕府の優位を確立します。
=== <span id="源義経"/>{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}} ===
{{wikipedia|源義経}}
:生没年:1159年-1189年
:{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}の子で{{ruby|頼朝|よりとも}}の弟。平治の乱のとき、兄頼朝同様、{{ruby|幼|おさな}}かったため許され、{{ruby|僧|そう}}となるため京都北部の{{ruby|鞍馬山|くらまやま}}で育てられました。幼い頃の名を{{ruby|牛若丸|うしわかまる}}といいます。牛若丸は京都からのがれて、東北地方の{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏のもとへ向かい武芸をみがき、元服して義経と名乗りました。
:兄頼朝が平家をほろぼす兵をあげると、その手伝いをしようと鎌倉に向かい、頼朝の軍に加わります。頼朝は義経を武士団の大将にし、西へ向かわせました。義経は、戦さにたくみで、まず、京都から平家を追い出した源{{ruby|義仲|よしなか}}({{ruby|木曽|きそ}}義仲)を{{ruby|討|う}}って、そのまま、西に向かい本州と九州の境の{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}で平家を滅ぼしました。
:しかし、源氏と平家の戦いが終わったあと、義経は兄の頼朝にきらわれ遠ざけられて、義経は奥州藤原氏のもとへ{{ruby|逃|に}}げることとなりましたが、頼朝の軍勢の{{ruby|追撃|ついげき}}にあい、最終的に、奥州藤原氏が裏切って、{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#義経]]を参照。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「源頼朝」や「源義経」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平清盛に敗れて殺された源義朝の子の源頼朝は、弟源義経などに関東の武士をひきいさせて、平家を滅ぼします。その後、義経は頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏のもとに逃げますが、裏切った奥州藤原氏に滅ぼされます。頼朝は、その奥州藤原氏を滅ぼして、日本の武士をまとめます。
:*頼朝は{{ruby|征夷大将軍|せいいだいしょうぐん}}になり、{{ruby|鎌倉|かまくら}}に{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらき、以後、日本の政治は将軍の{{ruby|下|もと}}、武士が行うようになります。
:*頼朝は{{ruby|御家人|ごけにん}}とよばれる自分の家来の武士たちを、{{ruby|守護|しゅご}}や{{ruby|荘園|しょうえん}}の{{ruby|地頭|じとう}}に任命して日本全国におきました。
:*頼朝の子孫である源氏の将軍はすぐに絶え、鎌倉幕府は北条氏が権力を持った{{ruby|執権|しっけん}}政治となります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="運慶"/><span id="快慶"/>{{ruby|運慶|うんけい}}・{{ruby|快慶|かいけい}}===
{{wikipedia|運慶}}
{{wikipedia|快慶}}
'''運慶'''(生没年:? - 1224年)
'''快慶'''(生没年:不詳 1189年頃から1221年頃までの作品が残る)
:仏師(仏像を製作する彫刻家)。代表作は東大寺南大門{{ruby|金剛力士|こんごうりきし}}像。
:鎌倉時代の、武士の支配する{{ruby|世相|せそう}}を反映してか、この時代には、金剛力士像のような、写実的で{{ruby|躍動|やくどう}}的な作品も、好まれるようになりました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「運慶」や「快慶」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安時代、宮中や貴族を中心とした日本独自の文化が誕生しますが、鎌倉時代になると、武士をはじめとした民衆に新たな文化が誕生していきます。仏像なども、平安時代までの静かに座ったものから、動きをいきいきと表した金剛力士像のようなものが好まれるようになります。
:*仏教も、寺での僧たちの活動だけではなく、民衆が広く理解ができる、浄土教や禅宗、法華宗など新しい教えが誕生しました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="北条時宗"/>{{ruby|北条時宗|ほうじょうときむね}} ===
{{wikipedia|北条時宗}}
:生没年:1268年 - 1284年
:中国の王朝{{ruby|元|げん}}が{{ruby|攻|せ}}め{{ruby|込|こ}}んできたとき({{ruby|元寇|げんこう}})の鎌倉幕府の執権。
:時宗は、元が服従するよう命じてきたのを拒否し、全国の御家人だけでなく、御家人ではない武士にも、筑後(現在の福岡県)に集まり元から日本を守るよう命じ、元を{{ruby|撃退|げきたい}}します。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#元寇|→教科書本文]])
* 関連する人物
**[[w:クビライ|フビライ・ハーン]]<ref name="ハーン">「チンギス」が名前で「ハーン(ハン、カーン、{{ruby|汗|カン}}と書いたり、発音したりもします)」が君主を意味するモンゴル民族など北方民族のことばです。</ref>
**:中国の王朝{{ruby|元|げん}}の皇帝。クビライと書くこともあります。
**:中国本土北部の遊牧民モンゴル({{ruby|蒙古|もうこ}})族のチンギス・ハーン<ref name="ハーン"/>は、中国本土へ攻め入り、西に向かい、ヨーロッパの東部までその勢力におきました(モンゴル帝国)。フビライ・ハーンはチンギス・ハーンの孫で、モンゴル帝国のうち、中国本土の部分を「元」として独立させ中国風の皇帝となりました。
**[[w:竹崎季長|{{ruby|竹崎季長|たけさきすえなが}}]]
**:元寇のときの鎌倉幕府の{{ruby|御家人|ごけにん}}。元軍の撃退に{{ruby|活躍|かつやく}}しましたが、それを幕府に伝えるために、自身の戦いを「{{ruby|蒙古襲来絵詞|もうこしゅうらいえまき}}」に{{ruby|描|えが}}かせました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「北条時宗」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*13世紀モンゴル民族は全世界にその勢力を広げました。それが、東の日本に向かったものが「{{ruby|元寇|げんこう}}」です。日本は歴史上初めて、外国の大勢の軍隊からの{{ruby|攻撃|こうげき}}を受けました。
:*鎌倉幕府のリーダーであった執権北条時宗は、全国の御家人や武士を北部九州や中国地方西部に集め、元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しました。
:*しかし、幕府は得るものがなく、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができなかったので、各地の武士には不満が残りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|室町|むろまち}}時代 ==
=== <span id="足利尊氏"/>{{ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}} ===
{{wikipedia|足利尊氏}}
[[File:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|200px|足利尊氏]]
:生没年:1305年 - 1358年
:鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。征夷大将軍となって室町幕府を開きました。
:尊氏は、もともと、栃木県南部(現在の足利市一帯)をおさめる鎌倉幕府に仕える有力な{{ruby|御家人|ごけにん}}でしたが、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に不満を持つ御家人や武士たちに、鎌倉幕府を倒すことを呼びかけたのに応じて兵をあげ、1333年に鎌倉幕府をほろぼしました。
:鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は新しい政治を始めますが、武士に比べて公家を優先するなどしたため、武士の多くは反発し、その声を受けた尊氏は、後醍醐天皇と対立することになります。
:尊氏は、後醍醐天皇に味方する武士と戦って勝利し、後醍醐天皇は奈良県吉野という山中に逃れます。後醍醐天皇は退位していないまま、尊氏は京都で別の天皇を即位させ朝廷を開かせます。ここで、日本に二つの朝廷ができることになります。京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の朝廷を「南朝」といって、日本全国で各々の調停に従った武士たちは戦いを続けます。この時代を、「南北朝時代」といいます。
:1338年尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。この幕府は、のちに[[#室町幕府|室町幕府]]とよばれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#室町幕府の誕生|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:後醍醐天皇|{{ruby|後醍醐|ごだいご}}天皇]]
*::生没年:1288年 - 1339年
*::第96代天皇。鎌倉幕府を倒すことを計画していましたが、幕府に知られ{{ruby|隠岐島|おきのしま}}に流されます。翌年、そこから逃亡し{{ruby|伯耆国|ほうきのくに}}で兵をあげ、幕府に不満を持つ武士を集め、鎌倉幕府を倒し、天皇が直接主導する政治を始めました。しかし、多くの武士からの支持を失い、足利尊氏が別の天皇を立てたため、吉野に逃れ、南朝をたてました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利尊氏」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*{{ruby|元寇|げんこう}}で元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しましたが、鎌倉幕府は、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができず、多くの{{ruby|御家人|ごけにん}}がまずしくなりました。
:*一方で、ものの取引が活発になって、ものの取引などで力をつける武士などが増えてきて、百数十年前鎌倉幕府ができたころに頼朝たちに味方したことで{{ruby|御家人|ごけにん}}になった古い家柄の武士たちとの対立も増えてきました。
:*鎌倉幕府は、このような問題をうまく解決できず、各地の武士の幕府への不満は大きくなっていきました。
:*後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士や公家によびかけて、鎌倉幕府を倒しました。
:*しかし、後醍醐天皇の政治は、公家を優先するものだったので、それに不満のある武士をひきいて足利尊氏が、別の朝廷(北朝)を立てて将軍となり室町幕府を開きました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="足利義満"/>{{ruby|足利義満|あしかがよしみつ}} ===
{{wikipedia|足利義満}}
[[File:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
:生没年:1358年 - 1408年
:室町幕府の第3代将軍です。尊氏が将軍の時期には、後醍醐天皇の南朝やそれに味方する武士たちとの争いが続き、また、尊氏の弟{{ruby|直義|なおよし}}も兄と対立するなどして、大変不安定なものでした。しかし、尊氏が晩年に弟の軍勢を破り、尊氏の死後は子の第2代将軍{{ruby|義詮|よしあきら}}が南朝に味方する武士たちを負かしていくとともに、幕府の仕組みを整えていくことで、だんだん安定していきました。
:<span id="室町幕府"/>義詮をついで将軍となった義満は、日本各地からの訴訟などを解決できるよう、幕府の仕組みをさらに整えました。また、京都の{{ruby|室町|むろまち}}というところに貴族の屋敷に見立てた武家屋敷を作り、ここに幕府としました。その屋敷は広い庭には四季折々の花が咲き乱れたことから、人々は「花の御所」と呼ぶようになり、これ以降、足利将軍の幕府を「室町幕府」と呼びます。
:また、義満は中国の新しい王朝である{{ruby|明|みん}}との間で貿易をはじめ、その利益で室町幕府はますます栄えました。
:こうして日本全国の武士たちから信頼を得た室町幕府は、南朝を降伏させ南北朝時代は終わります。
:南北朝を統一させた義満は息子に将軍の職を譲って、京都の北山に別荘を建てては華やかな余生を過ごしました。その別荘の中にある、外側に金を張り巡らせた建物は{{ruby|金閣|きんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も金閣寺(正式には{{ruby|鹿苑寺|ろくおんじ}})と呼ばれています。
:義満が将軍だった時期が、室町幕府で将軍が最も力を持っていた時期です。
{{-}}
=== <span id="足利義政"/>{{ruby|足利義政|あしかがよしまさ}} ===
{{wikipedia|足利義政}}
[[File:Ashikaga Yoshimasa.jpg|thumb|200px|足利義政]]
:生没年:1436年 - 1490年
:室町幕府の第8代将軍です。
:義満の死後、南北朝の争いもなくなり、取引が盛んになるなどして社会は豊かになっていきました。それにともなって、各地の守護が大名となり、地頭・領主といった武士たち([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]])も力をつけ、お互いに争うことや、家の中のあとつぎ争いも目立つようになってきました。
:1467年、鎌倉幕府の{{ruby|管領|かんれい}}<ref>将軍に次いで幕府の有力な役職です。鎌倉時代北条家がつとめた執権とにていますが、室町幕府では、細川家・斯波家・畠山家の三家で交代して、その役につきました。</ref>の{{ruby|斯波|しば}}家と{{ruby|畠山|はたけやま}}家でのあとつぎ争いをきっかけに、管領である{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}がひきいる東軍と中国地方の有力な守護である{{ruby|山名宗全|やまなそうぜん}}がひきいる西軍に分かれて争う戦乱「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」が起こりました。東西の対立は、将軍のあとつぎに、もともと決まっていた義政の弟{{ruby|義視|よしみ}}にかえて義政の子{{ruby|義尚|よしひさ}}とするかという問題もあわさって、全国に広がり、京都の街は焼け野原になりました。義政は、応仁の乱を終わらせることにはあまり熱心ではなく、戦乱は約10年続きました。この、応仁の乱が戦国時代が始まったきっかけの一つと言われています。
:そんな中で、義政は将軍職を子の義尚にゆずり、義満にならって、京都の東山に別荘を建て過ごしました。その別荘の中にある建物は{{ruby|銀閣|ぎんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も銀閣寺(正式には{{ruby|慈照寺|じしょうじ}})と呼ばれています。
=== <span id="雪舟"/>{{ruby|雪舟|せっしゅう}} ===
{{wikipedia|雪舟}}
:生没年:1420年 - 1506年
:中国大陸に{{ruby|起源|きげん}}を持つ{{ruby|水墨画|すいぼくが}}を元にして、日本独自の水墨画の{{ruby|画風|がふう}}<ref>ある画家や時代、またはある絵画の流派の作風や特徴。</ref>を完成させた画家です。当時は、画家は独立した職業ではなかったので、{{ruby|僧侶|そうりょ}}として活動しました。
:今の岡山県に生まれ、子どものころにお寺で修行し、京都で絵や禅の勉強をしました。のちに山口県で活動し、「雪舟」という名前を名乗るようになります。50点ほどの絵が残っています。1467年には中国に渡って本場の絵を学びました。風景を見て絵にする力が高く、「風景こそ最大の師」と言ったともいわれています。全国を旅して多くの絵を残しました。
:(→[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#水墨画|教科書本文]])
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利義満」「足利義政」「雪舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*室町幕府は、できた当初は南北朝の争いなどで不安定でしたが、義満が将軍の頃、それもおさまり、最もさかえました。
:*義満の死後、各地の守護や[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]]たちが争うようになり、義政の頃、大きな戦乱である「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」がおこり、だんだん戦乱の世の中になっていきました。
:*社会が安定して豊かになったことから、公家など貴族の文化と武家の文化が融合した文化が生まれてきました。その代表が、義満が建てた金閣や義政が建てた銀閣です。また、雪舟の水墨画など、後世に残る新たな文化も誕生してきました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== 戦国時代 ==
=== 有力な戦国大名 ===
*'''{{ruby|朝倉孝景|あさくらたかかげ}}'''(または{{ruby|朝倉敏景|あさくらとしかげ}}、[[w:朝倉孝景 (7代当主)|→ウィキペディア]])
*:生没年:1428年 - 1481年
*:{{ruby|越前|えちぜん}}(今の福井県)で活躍した武将です。もとは越前の守護{{ruby|斯波|しば}}氏につかえていました。応仁の乱の原因のひとつである{{ruby|斯波義敏|しばよしとし}}と{{ruby|斯波義廉|しばよしかど}}の争いでは、はじめ義廉の西軍として戦いましたが、応仁の乱の中で、東軍の{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}による東軍への寝返りのさそいに応じて、東軍を勝利に導きました。その後、孝景は越前[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#守護代|守護代]]として、その地のほとんどを支配するようになり、自分の国づくりを進めました。これは、守護をおしのけて、家来などが、その地を支配する最初の例となりました。ただし、孝景が、そのようになるには、将軍が認める必要がありました。
*'''{{ruby|北条早雲|ほうじょうそううん}}'''([[w:北条早雲|→ウィキペディア]])
*:生没年:1432年 - 1519年
*:もともと、西国の出身ですが、東国に移り住んで今川氏が守護をする{{ruby|駿河|するが}}(現在の静岡県中部)の守護代となり、{{ruby|伊豆|いず}}(現在の静岡県東部)と{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)から、関東管領である上杉氏の勢力を追い出し、領地としました。子孫である北条氏は早雲の死後も勢力を伸ばして関東地方全体をおさめるようになりました。早雲は守護や守護代といった、室町幕府の仕組みによらず伊豆や相模を支配したので、最初の戦国大名といわれています。また、田畑の面積や収穫量を調査し、それを帳面にまとめる「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#検地|検地]]」を行い、領民からの{{ruby|年貢|ねんぐ}}を引き下げたとも伝えられます。
*'''{{ruby|斎藤道三|さいとうどうさん}}'''([[w:斎藤道三|→ウィキペディア]])
*:生没年:1494年(1480年とも)- 1556年
*:{{ruby|美濃|みの}}国(現在の岐阜県)の戦国大名です。美濃国は、{{ruby|土岐|とき}}氏が守護をつとめていましたが、実際の政治は守護代である{{ruby|斉藤|さいとう}}氏が行い、さらに、その代官である{{ruby|長井|ながい}}氏が力を持っていました。斎藤道三のうまれた{{ruby|家柄|いえがら}}はよくわかっていませんが、美濃で長井氏につかえ、やがて、主人の罪をせめて殺して長井新九郎をなのります。その後守護代の斉藤氏が亡くなると、斉藤新九郎利政となのって守護代になります。そして、最後に守護の土岐氏を追い出して、美濃国をおさめる戦国大名となりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|下克上]]の典型的な例と言われます。
*<span id="毛利元就"/>'''{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}'''([[w:毛利元就|→ウィキペディア]])
*:生没年:1497年 - 1571年
*:もともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、一方で、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。
*:以下の「三本の矢」の言い伝えで有名です。
*::元就が死ぬ直前、3人の息子達に矢を1本ずつわたして「折ってみよ」と命じると、息子たちはなんなく矢を折りました。つづいて、息子に3本の矢をまとめてわたしてもう一度「この矢を折ってみよ」と言ったところ、3本の矢はかたく、息子たちは、矢を折れませんでした。そこで「おまえたちも、この矢のように3人が力をあわせよ」と言いのこしました。
*'''{{ruby|島津貴久|しまづたかひさ}}'''([[w:島津貴久|→ウィキペディア]])
*:生没年:1514年 - 1571年
*:{{ruby|薩摩|さつま}}(鹿児島県西部)の戦国大名です。薩摩の守護である島津家もいくつかに分かれ対立していましたが、本家からは遠い分家であった父島津{{ruby|忠良|ただよし}}が薩摩各地の国人領主たちをおさえ、貴久に本家をつがせ薩摩を統一しました。貴久は、その後、{{ruby|大隅|おおすみ}}(鹿児島県東部)・{{ruby|日向|ひゅうが}}(宮崎県)南部にも勢力を拡大していきました。貴久が薩摩の国守であったころ、ポルトガルの船が来航し、鉄砲やキリスト教を伝えます。貴久は鹿児島に渡来したフランシスコ・ザビエルと面会しました。
*<span id="今川義元"/>'''{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}'''([[w:今川義元|→ウィキペディア]])
*:生没年:1519年 - 1560年
*:{{ruby|駿河|するが}}と{{ruby|遠江|とおとおみ}}(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や武田信玄と争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}(愛知県東部)の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
*<span id="武田信玄"/>'''{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}'''([[w:武田信玄|→ウィキペディア]])
*:生没年:1521年 - 1573年
*:{{ruby|甲斐|かい}}(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄の父{{ruby|信虎|のぶとら}}は、甲府を本拠として、甲斐国内の有力国人たちを武力で制圧し、従わせました。しかし、家臣たちにきびしくふるまったため対立が生じ、信玄が国人たちの支持を受けて信虎を追放し、甲斐領主となりました。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、今川義元が桶狭間の戦いでうたれ、今川氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
*:「風林火山」とよばれる旗印で有名です。「風林火山」は「{{ruby|疾|はや}}きこと風のごとく、{{ruby|徐|しず}}かなること林のごとく、{{ruby|侵掠|しんりゃく}}すること火のごとく、動かざること山のごとし。」という言葉に由来します。
*<span id="上杉謙信"/>'''{{ruby|上杉謙信|うえすぎけんしん}}'''([[w:上杉謙信|→ウィキペディア]])
*:生没年:1530年 - 1578年
*:{{ruby|越後|えちご}}(現在の新潟県)の戦国大名です。越後国の守護は関東管領である上杉氏がつとめていて、守護代を{{ruby|長尾|ながお}}氏がつとめていました。謙信は、もともと長尾氏の生まれですが、力が衰えた上杉氏の養子となり、関東管領の地位もつぎました。謙信は、北関東をめぐって北条氏と戦い、{{ruby|信濃|しなの}}国(信州、現在の長野県)をめぐって{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}と戦いました。
*:謙信は信義にあつく、敵であっても弱みにつくこまない人物と言われています。武田家が、今川家と戦い太平洋側からの塩の運搬を止められ塩不足に悩まされていたときに、武田家に塩を送り、「敵に塩を送る」のことわざの由来となったともいわれています。
=== フランシスコ・ ザビエル ===
{{wikipedia|フランシスコ・ ザビエル}}
[[File:Franciscus de Xabier.jpg|thumb|150px|フランシスコ・ ザビエル]]
:生没年:1506年 - 1552年
:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭<ref>キリスト教・カトリックにおける聖職者(神父など)の階級のひとつです。</ref>、宣教師です。
:カトリック教会が衰退することを心配して作られた修道会イエズス会の創設メンバーの1人です。
:ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名です。島津貴久や大内義隆といった大名に面会し、大友宗麟を洗礼させるまでにいたりました。日本での宣教の結果多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。1551年日本を離れ、インドで宣教を続けます。翌年中国へ宣教に向かったところ、中国南部で病気で亡くなりました。
* 関連する人物
**ルイス=フロイス
**:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を残しました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「戦国大名」「フランシスコ・ ザビエル」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」の後、室町幕府は、各地の戦乱を止めることができなくなっていました。
:*それまでは、守護が大きな力を持って争っていて、これを{{ruby|守護大名|しゅごだいみょう}}といっていましたが、守護大名を倒して、ある地方を支配する武将が、各地で登場しました。これを{{ruby|戦国大名|せんごくだいみょう}}といいます。
:*もともと、守護だった戦国大名もいますが、戦国大名は大きな力をつけてきた{{ruby|国人|こくじん}}をまとめて国をおさめ、戦さにのぞんだところが、守護大名とはちがっています。
:*戦国大名を細かく覚える必要はありません。
:*戦国時代の後半には、ポルトガル人が来航するようになり、鉄砲やキリスト教を伝えました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|安土|あづち}}{{ruby|桃山|ももやま}}時代 ==
=== <span id="織田信長"/>{{ruby|織田信長|おだのぶなが}} ===
{{wikipedia|織田信長}}
[[File:Odanobunaga.jpg|thumb|200px|織田信長]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|教科書本文]])
:生没年:1534年 - 1582年
:はじめは{{ruby|尾張|おわり}}の一部をおさめる大名でしたが、身内との争いに勝ち、尾張一国を治める戦国大名となりました。。
:1560年の「{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い」では、{{ruby|駿河|するが}}からせめてきた{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}の大軍を少ない兵で打ち破り、名を上げました。その後、{{ruby|美濃|みの}}の{{ruby|斎藤|さいとう}}氏をたおして美濃を手に入れ、拠点を岐阜城に移しました。
:1568には、足利{{ruby|義昭|よしあき}}を助けて将軍にして京都に入り、京都で力をふるっていた{{ruby|三好|みよし}}一族を追いはらいました。やがて義昭と対立し、1573年にはこれを追放し、室町幕府をほろぼしました。
:信長は、まわりの有力な戦国大名を次々に打ち破り、あるいは味方につけていきました。北陸方面では{{ruby|浅井長政|あざいながまさ}}や{{ruby|朝倉義景|あさくらよしかげ}}との連合軍をやぶり、{{ruby|比叡山|ひえいざん}}{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}や[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一向一揆|{{ruby|一向一揆|いっこういっき}}]]などの勢力も平定しました。{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}には苦しめられましたが、その死後は、武田{{ruby|勝頼|かつより}}を1575年の「{{ruby|長篠|ながしの}}の戦い」で打ち破りました。この戦いでは、鉄砲を効果的に使ったことでも知られています。
:経済やまちづくりにも力を入れ、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|楽市楽座|らくいちらくざ}}]]というしくみで商人が自由に商売できるようにしました。1576年には{{ruby|安土城|あづちじょう}}を築き、政治や文化の中心としました。
:1582年、中国地方の{{ruby|毛利|もうり}}氏との戦いを支えるために出陣しようとして京都の{{ruby|本能寺|ほんのうじ}}にいたところを部下の{{ruby|明智光秀|あけちみつひで}}におそわれ、亡くなりました。このとき信長は、毛利だけでなく、上越地方では{{ruby|上杉|うえすぎ}}、四国では{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}など、全国の大名に兵を向けており、天下統一に近づいていました。
:外国のことにも関心があり、{{ruby|地球儀|ちきゅうぎ}}を見て、地球が丸いことをすぐに理解したとも言われています。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「織田信長」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*織田信長は、{{ruby|群雄|ぐんゆう}}{{ruby|割拠|かっきょ}}の戦国時代、有力な戦国大名同士の争いでは決着がつかなくなったなかで、領国を大きく広げ、元々の尾張から京都を含めた一帯まで広げ、天下を統一する勢いを見せました。
:*信長が、それまでの戦国大名と大きく違っていたのは、鉄砲を大量に使用したことと足軽などの軍勢を常備動員するようになったことです。
:*高価であった鉄砲やを大量に手に入れたり、農民と独立した軍勢をもつには、強大な経済力が必要です。信長は、農村の改革や楽市楽座のような商業の{{ruby|振興|しんこう}}によって、これを得ました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="豊臣秀吉"/>{{ruby|豊臣秀吉|とよとみ ひでよし}} ===
{{wikipedia|豊臣秀吉}}
[[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|200px|豊臣秀吉]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉の天下統一|教科書本文]])
:生没年:1537年 - 1598年
:秀吉は、現在の名古屋市にあたる場所で生まれました。農民の子とも足軽の子とも言われていますが、正確なことはわかっていません。武士として高い家柄に生まれたものではなかったことはたしかです。
:もともと、{{ruby|木下藤吉郎|きのした とうきちろう}}と名乗っており、{{ruby|松下之綱|まつした ゆきつな}}に仕えたのち、織田信長に仕えました。信長のもとで数々の手柄を立てて出世し、名前も{{ruby|羽柴秀吉|はしば ひでよし}}と改めました。本能寺の変の前には、毛利攻めの総大将を任されるほどになっていました。
:本能寺の変のとき、秀吉は{{ruby|備中|びっちゅう}}(今の岡山県)で毛利氏と戦っていましたが、すぐに軍を引き返し、明智光秀を討ちました。これにより、信長の後継者としての立場を固め、翌年には、信長の家臣の中でも最も有力であった{{ruby|柴田勝家|しばた かついえ}}を破りました。そして、大阪城を築き、政治の中心としました。また、朝廷に近づき、高い官位を受け、最終的には関白まで上りつめます。そして、天皇から「豊臣」の姓をもらい、豊臣秀吉と名乗るようになりました。
:秀吉は、戦いだけでなく、交渉や同盟もうまく使って全国をまとめていきました。毛利氏や{{ruby|上杉景勝|うえすぎ かげかつ}}と同盟を結び、{{ruby|徳川家康|とくがわ いえやす}}も従わせました。四国の{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}氏、九州の{{ruby|島津|しまづ}}氏、関東の{{ruby|北条|ほうじょう}}氏を次々に制し、東北の{{ruby|伊達政宗|だて まさむね}}も従わせたことで、日本を統一し、戦国時代は終わりました。
:政治では、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#太閤検地|{{ruby|検地|けんち}}]]」を行い、土地の広さや収穫量を正確に調べて税のしくみを整えました。また、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#刀狩|{{ruby|刀狩|かたながり}}]]」によって、農民の武器を取りあげ、武士と民の身分のちがいを明らかにしました。
:秀吉はのちに「{{ruby|太閤|たいこう}}<ref>関白を辞めた人のことを言いますが、秀吉以降は、一般的に太閤とは秀吉のことを指すようになりました。</ref>」と呼ばれ、京都南部の伏見に{{ruby|桃山|ももやま}}城を築き、そこで政治を行いました。また、南蛮貿易を奨励する一方で、キリスト教を取りしまり、宣教師の追放や信者の処刑も行いました。
:晩年には、大陸への進出をめざして朝鮮に出兵しましたが、戦いはうまくいかず、秀吉の死によって朝鮮出兵も終わりました。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「豊臣秀吉」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*豊臣秀吉は、本能寺の変でたおれた織田信長の後をついで、東西に兵をすすめ、日本を統一し戦国時代を終わらせました。
:*秀吉は、農地の広さと{{ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}を調査し、土地の耕作者がどれだけ税を払えるかを決める「{{ruby|検地|けんち}}」を全国で行いました。
:*秀吉は、武士と農民をはっきり分け、農民となったものからは刀や鉄砲といった武器を取り上げる「{{ruby|刀狩|かたながり}}」を全国で行いました。
:*大阪城を作って、城下に多くの商人を集めて商業をさかんにしました。
:*晩年、大陸に進出するため、大量の軍勢を朝鮮に送りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== 安土桃山時代の文化人 ===
*'''{{ruby|千利休|せん の りきゅう}}''' (→[[w:千利休|wikipedia]])
:生没年:1522年 - 1591年
:堺の有力な商人で、作法としての「茶道」を完成させました。
:お茶を飲む習慣は鎌倉時代に始まっていましたが、室町時代になると茶の湯として広く流行し、茶器の工芸品としての価値も高まりました。そのため、高価な茶器を用いた豪華な茶会が開かれるようになりました。そのような風潮に対して、一見ありふれたような道具を用い、そまつな中の美しさを見出し、客と主人との心の交流を重んじる[[w:わび茶|わび茶]]が生まれます。このわび茶をもとにして、現在に続く茶道を完成させました。
:利休は、織田信長などとの取引をつうじて関係を築き上げていきました。このため武将たちとも交流ができ、多くの弟子が生まれました。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の大名や商人などとの交際を仲立ちする役目を負いますが、後に秀吉の怒りをかってしまい、切腹させられました。
*'''{{ruby|狩野永徳|かのう えいとく}}'''(→[[w:狩野永徳|wikipedia]])
:生没年:1543年 - 1590年
:戦国時代から安土桃山時代を代表する{{ruby|絵師|えし}}(職業としての画家)。
:将軍家に仕える絵師の集団「狩野派」の棟梁として室町将軍家から織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、{{ruby|聚楽第|じゅらくだい}}、大坂城などの{{ruby|障壁画|しょうへきが}}({{ruby|襖|ふすま}}や壁など部屋を分ける壁面に描かれる絵)を制作しました。これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、狩野永徳が実際に描いたものとされる作品は比較的残っていません。現存する代表作の1つである『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
:
{{-}}
== 江戸時代 ==
===<span id="徳川家康"/>{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}===
{{wikipedia|徳川家康}}
[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|250px|徳川家康]]
:生没年:1543年-1616年
:1543年、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:1582年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|本能寺の変]]で信長が亡くなった後、秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、昔からの領地の三河や隣接する遠江・駿河といった領地から北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっており、秀吉政権においては五大老の筆頭でした。
:秀吉の死後、1600年、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#関ヶ原の戦い|関ヶ原の戦い]]に勝利して政権を握ります。
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命され、江戸に幕府を開きます。
:1614年から翌年に「大坂の陣」を起こして豊臣氏を滅ぼしたのち、1616年亡くなりました。
:「東照大権現」として、日光東照宮などにまつられています。
{{-}}
===<span id="徳川家光"/>{{ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}===
{{wikipedia|徳川家光}}
[[File:Iemitu.jpg|thumb|250px|徳川家光]]
:生没年:1604年-1651年
:江戸幕府第3代将軍。第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}の子です。家光が生まれた時には、家康は将軍であり、家光が将軍になったころには豊臣氏もほろび、幕府の仕組みも安定して、「生まれながらの将軍」として、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|{{ruby|譜代|ふだい}}か{{ruby|外様|とざま}}]]にかかわらず、他の大名とは違う特別の地位にあることを示しました。
:家光の代に、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#参勤交代|参勤交代]]の制度が整い{{ruby|幕藩|ばくはん}}体制が確立しました。
:1637年島原の乱というキリシタンを多く含む大きな{{ruby|一揆|いっき}}を鎮圧すると、キリスト教の禁止を徹底するため、1639年、ポルトガルの来航を禁じ、鎖国を行いました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「徳川家康」「徳川家光」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*徳川家康は、若いころから織田信長と{{ruby|同盟|どうめい}}を組んで信長の天下統一に協力しました。豊臣秀吉の代になると、初めは秀吉と争いましたが後に和解し、北条氏に代わって関東一円を治める秀吉の時代には最大の大名となっていました。
:*秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝って、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。
:*徳川家光が将軍になるころには、各地の大名に参勤交代を義務付けるなど、江戸幕府も頂点とした安定した社会が完成していました。
:*家光は、キリスト教を完全に禁止するため鎖国を行いました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="松尾芭蕉"/>{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}===
{{wikipedia|松尾芭蕉}}
[[File:Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg|thumb|250px|松尾芭蕉]]
生没年:1644年-1694年
:{{ruby|和歌|わか}}の余興の{{ruby|言捨|いいす}}ての{{ruby|滑稽|こっけい}}から始まり、滑稽や{{ruby|諧謔|かいぎゃく}}を主としていた{{ruby|俳諧|はいかい}}を、{{ruby|蕉風|しょうふう}}と呼ばれる芸術性の極めて高い{{ruby|句風|くふう}}として確立した。
:代表作に「{{ruby|古池|ふるいけ}}や{{ruby|蛙飛|かわづと}}びこむ{{ruby|水|みず}}の{{ruby|音|おと}}」「{{ruby|閑|しずか}}さや{{ruby|岩|いわ}}にしみ{{ruby|入|い}}る{{ruby|蝉|せみ}}の{{ruby|声|こえ}}」などがあります。
===<span id="近松門左衛門"/>{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}===
{{wikipedia|近松門左衛門}}
:生没年:1653年-1725年
:人形{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}の作者です。町人社会の義理や人情をテーマとした作品([[w:世話物]])や歴史的な事件や出来事を扱った[[w:時代物]]で評判を得ました。
:代表作に「{{ruby|曽根崎|そねざき}}{{ruby|心中|しんじゅう}}」「{{ruby|冥途|めいど}}の{{ruby|飛脚|ひきゃく}}」「{{ruby|女殺油地獄|おんなごろしあぶらのじごく}}」「{{ruby|国姓爺合戦|こくせんやかっせん}}」などがあります。
=== <span id="本居宣長"/>{{ruby|本居宣長|もとおりのりなが}} ===
{{wikipedia|本居宣長}}
:生没年:1720年-1801年
:日本の古典文学などから、日本古来の姿を研究する国学を確立しました。
:古事記の内容を研究した『古事記伝』などの著作があります。
=== <span id="杉田玄白"/>{{ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}} ===
{{wikipedia|杉田玄白}}
:生没年:1733年-1817年
:医師、{{ruby|蘭学|らんがく}}者。
:{{ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}と共にオランダ語の{{ruby|解剖|かいぼう}}学の書『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳し、『{{ruby|解体新書|かいたいしんしょ}}』を完成させ、近代的な西洋医学を日本にもたらしました。
:辞書がない中で翻訳を手さぐりで進めていった苦労などを『{{ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』という本に残しています。
=== <span id="伊能忠敬"/>{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}} ===
{{wikipedia|伊能忠敬}}
:生没年:1745年-1818年
:伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)の商人で、50歳まで家業を務めたのち、子に譲って隠居しました。それから、忠敬は海岸線がどのような形をしているかを書き表すために天文学と測量術を学びはじまます。そして、55歳になって、日本中を駆け巡り、日本の海岸線の形を測量し、『{{ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』という地図に残しました。
:欧米において、近代的な測量術は当時確立したばかりで、忠敬の測量術は直接それに接したものではありませんでしたが、忠敬の地図は、近代的測量術によるものと比べても驚くほど正確なものでした。
:詳細は、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#伊能忠敬|教科書のコラム欄]]参照。
===<span id="歌川広重"/>{{ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}===
{{wikipedia|歌川広重}}
:生没年:1797年-1858年
:別名、{{ruby|安藤|あんどう}}広重。{{ruby|浮世絵|うきよえ}}師。代表作に『東海道五十三次』があります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「近松門左衛門」「本居宣長」「杉田玄白」「伊能忠敬」「歌川広重」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*江戸時代になって、社会が安定し、江戸や大阪といった都市がさかえるようになると、町人と呼ばれる{{ruby|庶民|しょみん}}に受け入れられる文化が盛んになります。
:*近松門左衛門が脚本を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎が人気となり、また、絵の方面では、安藤広重などが、印刷でだれでも手に入れられる浮世絵の分野で活躍します。
:*学問といえば、それまで{{ruby|儒学|じゅがく}}(漢学)ばかりでしたが、日本古来のことを研究する国学が本居宣長によって確立し、医学などの分野では、オランダから伝わった{{ruby|蘭学|らんがく}}が杉田玄白などにより新たに出現しました。学問の成果を実現しようという取り組みも見られ、伊能忠敬は、各地を測量して日本全国の地図をつくりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="マシュー・ペリー"/>マシュー・ペリー ===
{{wikipedia|マシュー・ペリー}}
:生没年:1794年-1858年
:アメリカ合衆国の海軍軍人。
:1853年、日本に開国を求めるため黒船をひきいて来航、翌年、再度来航し、幕府に'''日米和親条約'''を結ばせ、日本を開国しました。
* 関連する人物
**<span id="ハリス"/>[[w:タウンゼント・ハリス|タウンゼント・ハリス]]
**:アメリカ合衆国の外交官。
**:日米和親条約が結ばれた後、アメリカ合衆国を代表する外交官({{ruby|公使|こうし}})として来日し、日本との間に貿易に関する条約を結ぶよう交渉します。その結果、1858年、'''日米修好通商条約'''が結ばれ、日本は鎖国を完全に解いて諸外国と貿易を始めることとなります。この条約は、日本にとって非常に不平等なものであったので、明治政府はこれを平等なものに改正するのに非常に苦労します。
**<span id="井伊直弼"/>[[w:井伊直弼|{{ruby|井伊直弼|いいなおすけ}}]]
**:幕末の彦根藩主で、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の仕組み|幕府の大老]]です。
**:日米和親条約を結んだのち、各国は貿易のための通商条約を結ぶことを求めてきました。開国の時にあわてた対応をして、朝廷などを巻き込んだため、幕府は混乱していました。井伊直弼は、江戸時代の間ずっとそうであったように、朝廷や他の大名の意見を聞かずに通商条約を結び、これに反対したり批判する人たち({{ruby|攘夷|じょうい}})を弾圧し、中には処刑することもありました({{ruby|安政|あんせい}}の{{ruby|大獄|たいごく}})。このことで、うらみを買った井伊直弼は尊王攘夷派によって暗殺されました(桜田門外の変)。
**<span id="吉田松陰"/>[[w:吉田松陰|{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}]]
**:長州藩の下級武士の家に生まれましたが、幼い頃から学問に優れ、江戸に出るなどして学問を深めました。黒船来航の時、ひそかに黒船にまで行ってアメリカに渡ることをこころみますが、失敗し犯罪者として長州藩にもどされます。長州にもどった吉田松陰は、松下村塾という私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ教え始めます。松下村塾では、儒学や兵法に限らず広い分野を教え、また、塾生に活発に議論をさせるなどして、多くの人材が育ち、幕末の尊皇攘夷・倒幕運動や明治政府の中心となっていきました。幕府からは尊皇攘夷を唱える危険人物とされ、安政の大獄で処刑されました。
**<span id="高杉晋作"/>[[w:高杉晋作|{{ruby|高杉晋作|たかすぎしんさく}}]]
**:長州藩の身分の高い家柄に生まれました。藩校の{{ruby|明倫|めいりん}}館に通っていましたが、たまたま、聞いた吉田松陰の講義に引き込まれ松下村塾に通うようになります。松下村塾では、塾生のリーダーで、松蔭の死後、若い長州藩士をひきいて、尊皇攘夷運動を全国で展開します。身分によらない兵で組織する{{ruby|奇兵隊|きへいたい}}を作ったり、幕府に従おうとした長州藩の実権を握って、幕府に対抗させるなど、後に長州藩出身者が明治政府で重要な役割を果たす基礎をつくりました。明治維新の前年1867年に肺結核で29歳で亡くなりました。
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=== <span id="勝海舟"/>{{ruby|勝海舟|かつかいしゅう}} ===
{{wikipedia|勝海舟}}
[[File:Kaishu Katsu 1.jpg|thumb|left|150px|1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影]]
:生没年:1823年- 1899年
:幕臣、ただし、身分はあまり高くない[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|御家人]]と言われる家柄の出身です。
:「海舟」は号と言われる一種のペンネームで、若い頃は「{{ruby|麟太郎|りんたろう}}」、明治になって戸籍には「{{ruby|安芳|やすよし}}」と記録されました。
:はじめ、蘭学を学び、1853年の黒船来航をきっかけに、蘭学知識を頼りとされ、幕府に外国関係の役人として{{ruby|抜擢|ばってき}}され、航海術などを取り扱います。1860年日本人乗組員が主となって初めて太平洋を横断した咸臨丸で米国に渡る経験をします。それから、幕府内で外国の知識が豊富な有力者として、海軍の創設などを行います。また、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]など薩長などの有力者とも親交を持ちました。薩長同盟を仲介した[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]は、勝海舟の弟子です。
:戊辰戦争で薩長軍が江戸を攻めようとした時、西郷隆盛と話し合い、江戸城を人が死ぬことなく開城させました。
:明治政府では、創成期に参議や海軍卿といった要職について、海軍創設に貢献しました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="坂本龍馬"/>[[w:坂本龍馬|{{ruby|坂本龍馬|さかもとりょうま}}]]
**:土佐藩の下級藩士でしたが、江戸に剣術の修行に出ている時に黒船来航があって、その後、尊王攘夷運動に参加しました。勝海舟を暗殺しようと訪れたところ、勝に海軍や海上運輸が重要であることを教えられ、勝の弟子になり、その活動を手伝い京都や長崎で、薩摩藩の[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]や長州藩の[[#木戸孝允|桂小五郎(木戸孝允)]]といった、尊王攘夷活動家の要人と知り合います。商売の才能もあり、主にアメリカから船や大量の銃を諸藩に仲介したりもしました。西郷と桂を説得して薩摩と長州の同盟を結ばせたのは坂本龍馬であると言われています。大政奉還直後、鳥羽・伏見の戦いの前に京都で暗殺されました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「ペリー」「勝海舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*1641年にオランダ人に長崎の出島のみの来航を許す鎖国を始めてから、日本は、欧米と関係することはほとんどありませんでした。
:*18世紀半ばから19世紀にかけて、欧米では産業革命が起きて蒸気機関などが発明され、文明が大きく発展していました。
:*鎖国していた日本は、それを知ることはなかったのですが、1853年、蒸気船でペリーが来航し開国を求めました。
:*幕府は、あわてて開国し、遅れている文明を追い付かせようと、勝海舟などを米国に派遣したりして、さまざまな近代化に取り組みました。
:*しかし、もう幕府だけのうごきで、日本全体を動かすことはできないようになっており、幕府は倒され、日本が一つの国としてうごくことができる国づくりが始まります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 ==
※この項では、年代が明治以降の場合、理解の助けとして元号(明治、大正、昭和)を付記します。
=== <span id="明治天皇"/>{{ruby|明治天皇|めいじてんのう}} ===
{{wikipedia|明治天皇}}
[[File:Emperor Meiji in 1893.jpg|thumb|180px|軍装の明治天皇(1890年頃)]]
:生没年:1852年 - 1912年(明治45年)
:幕末から明治末年までの天皇です。在位:1867年2月13日(慶応3年1月9日) - 1912年(明治45年)7月30日。
:幕末、幕府と薩長などが厳しく対立する京都で、父{{ruby|孝明|こうめい}}天皇の急死を受け、1867年2月13日(慶応3年1月9日)14歳で即位しました。
:11月9日(旧暦10月14日)に第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を申し出、翌日に許可されました('''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|大政奉還]]''')。 1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らは朝廷を動かし、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|王政復古の大号令]]'''を出させて、慶喜を新たな政権から外しました。
:これに不満を持った幕府側は1868年1月27日(慶応4年1月3日)、京都に攻めかかりますが、薩摩や長州は、天皇の軍であることを表す「{{ruby|錦|にしき}}の{{ruby|御旗|みはた}}」を示して、これを押し返します({{ruby|鳥羽伏見|とばふしみ}}の戦い)。慶喜は江戸に逃げ帰り、同年3月8日(旧暦2月12日)西郷隆盛がひきいる官軍に降伏しました。
:4月6日(旧暦3月14日)、天皇は新しい政府の心得である'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり#明治維新と武士の社会の終わり|{{ruby|五箇条|ごかじょう}}の{{ruby|御誓文|ごせいもん}}]]'''を発布しました。
:10月23日(旧暦9月8日)に年号を慶応から'''明治'''に改め({{ruby|改元|かいげん}})、あわせて、天皇の在位中は元号を変えない「{{ruby|一世一元|いっせいいちげん}}の制」を定めました。
:11月4日(旧暦9月20日)から翌1869年2月3日(明治元年12月22日)にかけて、東京<ref>1868年9月3日(慶応4年7月17日)に「江戸」から改名されました。</ref>を訪れます。
:1869年4月18日(旧暦3月7日)京都を離れた天皇は、5月9日(旧暦3月28日)江戸城(皇居)に入り、以降、ここに住むことになりました。
:1869年7月25日(旧暦6月17日)、全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還しました('''版籍奉還''')。
:1871年(明治4年)6月、薩摩藩、長州藩、土佐藩の兵士を集めた'''{{ruby|御親兵|ごしんぺい}}'''が組織されます。最初の、「天皇の軍隊」です。
:同年8月29日(旧暦7月14日)'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#廃藩置県|廃藩置県]]'''を宣言し、天皇を中心とした中央集権の仕組みが誕生しました。
:天皇は、1872年(明治5年)から1885年(明治18年)にかけて、6回に分け日本全国を巡行しました。また、1872年ころには、{{ruby|髷|まげ}}を切って、特別な場合を除いて、洋装で人前に出るようになりました。
:1880年頃から、外国の要人<ref>例として、明治12年(1879年)ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫ハインリヒ皇子、同年元米国大統領ユリシーズ・グラント、1881年(明治14年)ハワイ国王カラカウアなど。</ref>が来日するようになり、天皇も外交の舞台に立つようになります。
:1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布され、それにおける天皇の地位は、国家の主権者かつ元首として、統治権を総攬する存在と規定されていました。天皇の地位は「神聖にして侵すべからず」とされ、{{ruby|現人神|あらひとがみ}}としての宗教的権威も持ち合わせていました。また、文武官の任免や陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約締結など、議会の関与を受けない「天皇大権」を有していました<ref>ただし、天皇自らの意思で大権をふるうことは、憲法が改正されるまでなく、これは、政権を有する行政が議会に優越することがあったということを意味しています。</ref>。
:1891年(明治24年)、ロシア帝国の皇太子ニコライが滋賀県大津で暴漢に襲われ負傷するという'''[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#大津事件|大津事件]]'''の際には、東京から急いでかけつけニコライを見舞い、帰国を見送りました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#日清戦争|日清戦争]]が始まると、戦時における軍事の最高機関である{{ruby|大本営|だいほんえい}}が設置され、1894年(明治27年)9月には、戦地に近づくため天皇と共に広島に移動します。
:日露戦争の開戦前には戦争回避と平和を望むものでしたが、最終的には政府・軍部の主戦論を受け入れ開戦を決断しました。戦中は戦況を深く心配し、多くの犠牲者をいたみ、勝利を国民と共に静かに見守りまし。戦後は講和条約締結に際し、詔勅を発し国民に理解を求めるなど、冷静かつ責任ある態度を貫きました。このように、終始、国民と将兵を思いやり、慎重かつ重責を担う姿勢を示しました。
:1912年(明治45年)7月30日病気で亡くなりました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「明治天皇」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*近代の天皇は、日本国憲法を待つまでもなく、もともと象徴的な立場にあって、自ら政策などに{{ruby|携|たずさ}}わることはないので個人の事績を述べることは非常に難しいものです。
:*ここでは、主に、明治政府と天皇・皇室の関係を述べています。明治時代の{{ruby|概略|がいりゃく}}の歴史として、日本が、天皇という立場を用いて、統一の道へ向かっていき、国際世界で活躍できるようになったことを理解してください。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="西郷隆盛"/>{{ruby|西郷隆盛|さいごうたかもり}} ===
{{wikipedia|西郷隆盛}}
[[File:Takamori Saigo.jpg|150px|left|thumb|西郷隆盛]]
:生没年:1828年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。「討幕」を主導した{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議、陸軍大将)です。
:幕末黒船来航後、薩摩藩主{{ruby|島津斉彬|しまづなりあきら}}の指示を受けて、幕府改革に関係しました。しかし、次第に、日本全体を変えるには幕府を倒すしかないと考え、薩摩藩の若い武士たちが強く支持する中、朝廷を味方につけ、敵対していた長州藩と{{ruby|同盟|どうめい}}し、幕府と幕府に味方する諸藩を倒しました。
:討幕後、新政府を主導して、天皇直属の軍隊を組織し、{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}を行うなど、新しい社会を作るために、古い武家社会の消滅に貢献しました。
:大久保利通らと政府改革の進め方で対立し、1873年(明治6年)、唱えていた征韓論に敗れて政府を離れました。
:鹿児島に戻って、若者の指導をしていましたが、新政府に不満を持つ士族にかつぎあげられ、西南戦争を起こし敗死します。
{{-}}
=== <span id="大久保利通"/>{{ruby|大久保利通|おおくぼとしみち}} ===
{{wikipedia|大久保利通}}
[[File:Toshimichi Okubo 4.jpg|150px|left|thumb|大久保利通]]
:生没年:1830年 - 1878年(明治11年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。西郷隆盛等とともに討幕を主導し、明治維新政府を確立した中心人物(参議、初代内務卿<ref>日本国内の政治を全てうけもつ内務省の長で、当時の行政のトップになります。</ref>)です。
:島津斉彬の死後、薩摩藩を実質的に支配した{{ruby|島津久光|しまづひさみつ}}の下で、薩摩藩全体を動かし、西郷隆盛を助けました。
:維新後は、内政に力を入れるため内務省を作り、日本の官僚制度を作り上げます。
:西南戦争時には、これを指導し政府を勝利に導きます。
:西南戦争の翌年、不平士族に暗殺されますが、その改革は伊藤博文に引き継がれ、以降の明治政府の基礎となります。
{{-}}
=== <span id="木戸孝允"/>{{ruby|木戸孝允|きどたかよし}} ===
{{wikipedia|木戸孝允}}
[[File:T kido.jpg|150px|left|thumb|木戸孝允]]
:生没年:1833年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|長州藩|ちょうしゅうはん}}出身。幕末の長州藩を取りまとめ、薩摩藩と共に討幕を実現した、{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議)です。
:若いころは、{{ruby|桂小五郎|かつらこごろう}}と名乗っていました。長州藩は、{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}が開いた{{ruby|松下村塾|しょうかそんじゅく}}で学んだ若い藩士が{{ruby|活躍|かつやく}}しますが、それら若い藩士を取りまとめ、西郷隆盛などと交渉して、薩摩藩と同盟して幕府を倒しました。
:明治維新政府では、西郷や大久保のような目立った業績は残していませんが、長州藩出身者の代表としてふるまい、[[#伊藤博文|伊藤博文]]や[[#山県有朋|山県有朋]]が活躍する環境をつくりました。
:西南戦争のなか、病気で亡くなりました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="岩倉具視"/>[[w:岩倉具視|{{ruby|岩倉具視|いわくらともみ}}]]
**:京都の公家出身の政治家です。幕末、西郷や大久保とはかって、京都の公家等を取りまとめ、明治天皇を味方に引き込み朝廷が討幕へ向かうよう主導しました。
**:1871年(明治4年)から、約1年かけて、大久保・木戸・伊藤らを引き連れ、欧米を視察し、その進んだ文明に大変驚き、日本の文明を発展させ欧米に追いつくことが重要であると理解しました([[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#遣欧使節団|遣欧使節団]])。
**:帰国後、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#征韓論|征韓論]]で、大久保と共に西郷と対立し、これをしりぞけました。
**:その肖像は、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)まで発行されていた500円紙幣に用いられていました。
**:
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*この3人は、討幕とその後の明治政府の立ち上げの功績が特に大きく、「{{ruby|維新|いしん}}の{{ruby|三傑|さんけつ}}」と呼ばれています。
:*幕末の薩摩藩や長州藩で藩士などをひきいて討幕に向かったのは数多くの下級武士を含めた青年層の武士たちで、それを率いたのは、藩主や家老といった藩の{{ruby|重鎮|じゅうちん}}ではなく、西郷・大久保・木戸といったやはり若い指導者たちでした。
:*彼らは、幕府を倒しただけでなく、自分たちの出身でもある藩を、そして、武士の世界も倒してしまいました。
:*維新の三傑は、古い仕組みを打ちこわす一方で、新しい政治の仕組みが機能するような基盤を残しました。
:*1877年(明治10年)、西南戦争の行方を心配しながら木戸は亡くなり、西郷は敗死しました。また、翌年、大久保も暗殺され、明治になって10年ほどで維新の最大の功労者たちを失い、次の世代である、[[#伊藤博文|伊藤博文]]、[[#大隈重信|大隈重信]]、[[#山県有朋|山県有朋]]、[[#井上馨|井上馨]]らが明治政府を作り上げていくことになります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="伊藤博文"/>{{ruby|伊藤博文|いとうひろぶみ}} ===
{{wikipedia|伊藤博文}}
[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|150px|left|thumb|伊藤博文]]
:生没年:1841年-1909年(明治42年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身の非常に身分の低い武士でしたが、松下村塾で学び、その才能を認められました。
:1863年には井上馨他3名と共にイギリスに留学しますが、1年後下関戦争の報を聞いて、3名は残して、井上と共に留学を中断して帰国します。
:[[#大久保利通|大久保利通]]の跡を継いで、日本の官僚制度を整備します。
:ヨーロッパを回り、大日本{{ruby|帝国憲法|けんぽう}}の手本となる憲法を研究、天皇(実際は{{ruby|内閣|ないかく}})が強い権限を持つことができるドイツ(当時はプロシア)の憲法を手本とすることにしました。
:これに基づいて、{{ruby|内閣|ないかく}}制度を{{ruby|創設|そうせつ}}し、初代{{ruby|内閣総理大臣|ないかくそうりだいじん}}({{ruby|首相|しゅしょう}})となり、引き続いて大日本帝国憲法制定や帝国議会(国会)の創設を主導しました。
:国会が開設されると、[[#大隈重信|大隈重信]]ら自由民権運動からの流れの政党に対抗するため、政府(役所)を支持する政党を組織しました。その後、数回、首相となっています。
:日露戦争後、初代の朝鮮総督となりますが、訪問していた中国のハルビンで、朝鮮人活動家に暗殺されました。
:その肖像は、1963年(昭和38年)から1986年(昭和61年)まで発行されていた千円紙幣<ref>現在([[#北里柴三郎|北里柴三郎]])の前([[#野口英世|野口英世]])の前([[#夏目漱石|夏目漱石]])の前になります。</ref>に用いられていました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="井上馨"/>[[w:井上馨|{{ruby|井上馨|いのうえかおる}}]]
**:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で伊藤や山県などと比べると相当に高い家柄の出身ですが、伊藤とともに松下村塾で学び、生涯の親友になりました。
**:[[#木戸孝允|木戸孝允]]が亡くなると、あとを受けて長州藩出身者の代表となり、財政や外交の面で活躍します。
=== <span id="山県有朋"/>{{ruby|山県有朋|やまがたありとも}} ===
{{wikipedia|山県有朋}}
[[File:Yamagata Aritomo.jpg|150px|left|thumb|山県有朋]]
:生没年:1838年-1922年(大正11年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で、伊藤博文同様、非常に身分の低い武士でした。松下村塾で学ぶことはありませんでしたが、多くの塾生と関わり、その才能を認められました。幕末には、奇兵隊の運営を任されました。
:明治政府に入ると、近代的な軍隊としての陸軍の仕組みを作り上げました。西南戦争で、幕末に最強と言われた旧薩摩軍の武士を相手にして、もともと農民であったりする明治政府の軍隊が勝利した功績の多くは山縣有朋によるものでした。その後、陸軍は政府に対して強い発言力を持つようになり、その陸軍のトップにいたのが山県有朋でした。
:また、地方行政や警察など治安に強い権限を持っていた内務省と関係を深くし、政府の政策に対しても強い影響力を持ちました。
:内閣制度発足後は内閣総理大臣を2回務めます。
{{-}}
=== <span id="渋沢栄一"/>{{ruby|渋沢栄一|しぶさわえいいち}} ===
{{wikipedia|渋沢栄一}}
[[File:Portrait of Shibusawa Eiichi.jpg|150px|thumb|left|渋沢栄一]]
:生没年:1840年 - 1931年(昭和6年)
:江戸時代末期、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に百姓(豪農身分)として生まれます。黒船来航後、混乱する幕末に[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|徳川慶喜]]の家臣として、武士に取り立てられ、のちに慶喜の将軍就任にともない幕臣となります。明治維新後は、明治政府で官吏となり、民部省を経て直属の上司である井上馨の下で、{{ruby|造幣|ぞうへい}}(通貨の発行)、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#戸籍制度|戸籍]]、{{ruby|出納|すいとう}}(政府における金銭の出し入れの管理)など様々な政策立案を行いました。その後、政府から離れ、実業界に転じて、株式会社の制度とそれを支える証券取引所の制度、銀行の制度、保険の制度、商工業の経営者が集まって政府や社会に向けて意見を発信する商工会議所の制度など、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#社会主義と共産主義|近代的な資本主義社会]]に欠かせない各種の制度を作り上げます。そのため、「日本資本主義の父」ともよばれています。
:また、社会福祉事業、大病院の建設など医療事業、教育や学術研究の発展などにも大きく貢献しました。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1万円札の肖像に用いられています。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="岩崎弥太郎"/>[[w:岩崎弥太郎|{{ruby|岩崎弥太郎|いわさきやたろう}}]]
**:土佐藩の下級武士で、幕末は長崎で外国との商取引に従事していました。[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の死後、坂本龍馬が経営していた{{ruby|海援隊|かいえんたい}}を引き取り、海運業を始めます。
**:弥太郎の始めた海運業は、郵便物の運送や兵員の輸送など政府の委託で大きく育ち、現在の三菱グループの源流になります。
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=== <span id="福澤諭吉"/>{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}} ===
{{wikipedia|福澤諭吉}}
[[画像:福澤諭吉像2.jpg|250px|thumb|福澤諭吉像(東京都港区三田・慶應大学構内)]]
:生没年:1835年 - 1901年(明治34年)
:豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれます。大阪の「適塾」で蘭学を学び、1859年、[[#勝海舟|勝海舟]]らが率いる咸臨丸に同乗し渡米の経験をえ、その後ヨーロッパを訪問、再び米国を訪れるなどして、蘭学のみならず英語による欧米の文物の知識を得るようになります。
:1868年(慶応4年)に、蘭学塾である'''慶應義塾'''を開きます。それまで、医学や化学など科学技術が中心であった蘭学塾と異なり、欧米の思想や会計などの制度も教えました。また、蘭学塾といいながら英語によるものが教えられていました。これが、日本で最初の近代的大学と言われる'''慶應義塾大学'''(慶應大学)の創始です。
:明治時代になって、「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の近代思想を数々の著書を通じて紹介しました。『学問のすすめ』の中では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と、生まれながらの平等を説いて、努力次第で社会の重要な地位に就くことができること(立身出世)を主張しました。
:官主導の明治政府に対して、民間の立場から、新聞や出版物で社会を啓蒙し、教え子を民間の各所で活躍させるなどして、日本社会の近代化を主導しました。
:[[#渋沢栄一|渋沢栄一]]の前の1万円札の肖像に用いられていました。
* 関連する人物
**<span id="中江兆民"/>[[w:中江兆民|{{ruby|中江兆民|なかえちょうみん}}]]
**:土佐藩の下級武士の出身。
**:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に日本を出た留学生]]の一人でフランスに留学します。
**:18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を紹介し、日本の自由民権運動に大きな影響を与えます。
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=== <span id="板垣退助"/>{{ruby|板垣退助|いたがきたいすけ}} ===
{{wikipedia|板垣退助}}
[[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|150px|left|thumb|板垣退助]]
:生没年:1837年 - 1919年(大正8年)
:土佐藩出身。
:戊辰戦争では、軍隊をひきいて、幕府軍などと戦い、多くの戦いで勝利しました。
:征韓論では、西郷に味方し、それに敗れると故郷の高知に戻り、憲法の制定と選挙で選ばれた議会による政治を求めた自由{{ruby|民権|みんけん}}運動を主導、1881年(明治14年)に日本最初の近代的な政党自由党を結成しました。
:運動を{{ruby|妨害|ぼうがい}}しようとする暴漢に襲われた時に「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとされることは有名です。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、大隈重信の内閣で内務大臣を務めることはありましたが、その他の官職の誘いや国会の議員<ref>板垣は伯爵という華族(何回も断ったのですが、明治天皇が是非にと進めたので、これを受けました)であったので衆議院議員の被選挙権はなく、また、貴族院の勅任議員や互選議員になることも断っていました。</ref>になるのを断って、{{ruby|在野|ざいや}}<ref>政府の官職などにつかないこと。</ref>で自由主義や民主主義を主張し続けました。
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=== <span id="大隈重信"/>{{ruby|大隈重信|おおくましげのぶ}} ===
{{wikipedia|大隈重信}}
[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|150px|left|thumb|大隈重信]]
:生没年:1838年 - 1922年(大正11年)
:{{ruby|肥前|ひぜん}}(佐賀)藩出身。
:明治維新後、政府に入って{{ruby|地租改正|ちそかいせい}}などの{{ruby|改革|かいかく}}にあたるとともに、{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}を{{ruby|推進|すいしん}}するなど、内政に才能を見せました。
:[[#大久保利通|大久保利通]]死後も[[#伊藤博文|伊藤博文]]とともに新政府の政策を進めましたが、イギリスの民主的な政府を理想としていた大隈は、一部の政治家が主導して安定して強力な政府をめざす伊藤と対立して、1881年(明治14年)、政府から{{ruby|離|はな}}れました。
:政府からはなれた大隈は、立憲改進党を結成して自由民権運動をすすめました。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、1898年(明治31年)の衆議院選挙で大隈の支持者が多数派となったことから内閣総理大臣に指名されました。これは、短命に終わりましたが、1914年(大正3年)再び衆議院に支持者を多く得て首相となりました。
:政府からはなれた大隈は、翌年の1882年(明治15年)、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の{{ruby|造就|ぞうしゅう}}<ref>つくりあげること。育成すること。</ref>」をスローガンに東京専門学校を開校しました。現在の早稲田大学です。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「伊藤博文」「山県有朋」「渋沢栄一」「福沢諭吉」「大隈重信」「板垣退助」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「維新の三傑」死後、まだ不安定であった政府を安定させたのは伊藤博文や山県有朋でした。不平士族が、西南戦争など[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#士族の反乱|士族の反乱]]でいなくなった後、まだ、議会などもない中で多くの改革が、進められました。
:*政府による改革と並行して、渋沢栄一や岩崎弥太郎によって、株式会社・銀行といった新しい経済の仕組みの中で、蒸気船による海運や各種の工業といった、近代的な産業が育っていきました。
:*このように近代化が進む中、福沢諭吉や中江兆民などは、西洋における近代化の背景には、自由主義や民主主義があることを唱えました。
:*これを受けて、政府の{{ruby|専制|せんせい}}に対する批判の声が自由民権運動となり、板垣退助や大隈重信が政党を結成するなど主導をして、政府に憲法を定め、選挙による議会を開くよう求めます。
:*こうして、1885年(明治18年)憲法に先立って内閣制度が誕生し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、それに基づいて1890年(明治23年)に衆議院議員の選挙の後、同年、帝国議会が召集されました。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="陸奥宗光"/>{{ruby|陸奥宗光|むつむねみつ}} ===
{{wikipedia|陸奥宗光}}
[[File:Mutsu Munemitsu.jpg|150px|left|thumb|陸奥宗光]]
:生没年:1844年 - 1897年(明治30年)
:もとは、紀州藩(和歌山県)の武士で、幕末に海援隊に入り[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の弟子になりました。
:明治政府に入って、版籍奉還・廃藩置県の実施に影響を与えます。
:西南戦争直後、政府の{{ruby|転覆|てんぷく}}をはかったとして投獄され{{ruby|失脚|しっきゃく}}<ref>政治などの力を失うこと</ref>しますが、5年ほどで許され、内閣制度などの研究のためヨーロッパへ留学します。
:留学から帰国後、主に外交の分野で活躍します。また、第1回の衆議院選挙に立候補して衆議院議員となり農商務大臣であったため、日本の議会史上初めてとなる衆議院議員の閣僚となりました。
:1892年(明治25年)[[#伊藤博文|伊藤博文]]首相の下、外務大臣に就任し、欧米諸国と交渉し、日米修好通商条約など通商条約の{{ruby|領事裁判権|りょうじさいばんけん}}({{ruby|治外法権|ちがいほうけん}})の{{ruby|撤廃|てっぱい}}に成功しました。
:1894年(明治27年)に始まった日清戦争では、各国との外交を行い、翌1895年(明治28年)下関条約を日本に有利な形で締結しました。その後の三国干渉に対して、仏英露に従いましたが、これを賠償に代えるという外交をおこないました。
{{-}}
=== <span id="東郷平八郎"/>{{ruby|東郷平八郎|とうごうへいはちろう}} ===
{{wikipedia|東郷平八郎}}
[[File:Tōgō Heihachirō.jpg|150px|left|thumb|東郷平八郎]]
:生没年:1848年 - 1934年
:薩摩藩出身の海軍軍人です。
:少年の頃に、戊辰戦争に参加します。
:イギリスに留学し、海軍に関することを学びます。
:日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、{{ruby|日露|にちろ}}戦争においては、連合艦隊を率いて、1905年(明治38年)日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなりました。
:日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人といわれています。
:東京にある、東郷神社は東郷平八郎をまつった神社です。
{{-}}
*関連する人物
**[[w:山本権兵衛|{{ruby|山本権兵衛|やまもとごんのひょうえ(ごんべい)}}]]
**:薩摩藩出身。
**:元々は海軍軍人ですが、政治家として海軍の組織、将兵の教育、艦船の充実などに力を尽くし、日本海海戦に完全勝利するまでの世界的な海軍に成長させました。
**:海軍において[[#山県有朋|山県有朋]]と同様の役割をはたしました。
**[[w:大山巌|{{ruby|大山巌|おおやまいわお}}]]
**:薩摩藩出身の陸軍軍人、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]のいとこになります。
**:陸軍の前線の司令官として活躍しました。日清戦争では第2軍の司令官として清軍に勝利し、日露戦争では陸軍の総司令官として戦いロシア軍を撃退しました。
**[[w:児玉源太郎|{{ruby|児玉源太郎|こだまげんたろう}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。西南戦争では、官軍として熊本城に{{ruby|籠城|ろうじょう}}して、西郷隆盛の軍を足止めしました。
**:日露戦争の前には、台湾総督や内務大臣といった重要な職についていましたが、開戦にあたって大山巌を助ける総参謀長に就任し、ロシア陸軍との戦いの作戦を立てました。
**[[w:乃木希典|{{ruby|乃木希典|のぎまれすけ}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。
**:日露戦争では旅順を攻撃する第3軍の総司令官でした。旅順を占領したことで、日本の優勢が確定的なものになりましたが、そのためには多くの兵士が戦死・戦傷し、乃木も息子2人を失いました。
**:明治天皇が亡くなった時に、妻とともに{{ruby|殉死|じゅんし}}<ref>主人が亡くなった時に、臣下の者が後を追って自殺すること。</ref>して、日本中に衝撃を与えました。
**:東京にある、乃木神社は乃木希典をまつった神社で、その前を乃木坂と言い地名や駅名にもなっています。
=== <span id="小村寿太郎"/>{{ruby|小村寿太郎|こむらじゅたろう}} ===
{{wikipedia|小村寿太郎}}
[[File:Portrait of Komura Jutaro.jpg|150px|left|thumb|小村寿太郎]]
:生没年:1855年 - 1911年(明治44年)
:宮崎県の{{ruby|飫肥|おび}}藩出身の外交官です。
:米国に留学して学びました。
:外務省に入り、イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務めました。
:1901年(明治34年)桂太郎首相の下、外務大臣となり、日露戦争の前に、イギリスとの間で日英同盟を結ぶことに成功しました。日露戦争後には、講和会議に全権として出席し、ポーツマス条約を締結して日露戦争を終わらせました。
:1911年(明治44年)にアメリカとの{{ruby|交渉|こうしょう}}で関税自主権を回復させ、その後、欧州各国との通商条約も改正し関税自主権を完全に回復させました。同年11月病気でなくなります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「陸奥宗光」「東郷平八郎」「小村寿太郎」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新の改革は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布、翌年の帝国議会召集によって、一応の完成を見ました。
:*約20年の明治維新の改革によって、国内経済は近代化され国が豊かになり、また、国の体制もしっかりして、近代的な軍隊を持てるようになりました。
:*その頃、ロシアの東進南下政策は日本にとって脅威であって、これに対抗しようと近代化の遅れていた朝鮮半島に進出します。朝鮮半島をめぐって宗主国である清国との間で日清戦争が起こり、日本はこれに勝利します。
:*日清戦争前後には日本が近代化したことは諸外国にも認められ、不平等条約のうち『領事裁判権』は撤廃されます。
:*清国に勝った日本は、次にロシアと{{ruby|対峙|たいじ}}<ref>対立する双方が、にらみあって動かない様子。</ref>するようになり、1904年(明治37年)日露戦争となって、日本は{{ruby|辛勝|しんしょう}}<ref>こちらも傷つきながらもやっと勝つこと。</ref>します。
:*大国ロシアに勝ったことで、その実力を認められ、欧米との間に結ばれた『関税自主権』も回復し、日本は、国際的に欧米同等の国と認められるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="津田梅子"/>{{ruby|津田梅子|つだうめこ}}===
{{wikipedia|津田梅子}}
[[File:Tsuda Umeko Portrait c1900.png|150px|left|thumb|津田梅子]]
:生没年:1864年 - 1929年(昭和4年)
:教育者。
:津田梅子は江戸幕府の通訳官である津田仙の子として生まれましたが、梅子が幼い頃、幕府は倒されてしまい、仙はその後仕事を転々とします。
:1871年(明治3年)、仙が開拓使<ref>明治維新政府に北海道開拓の目的で設けられた役所。</ref>に職を得た時、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に留学生を派遣する]]と聞いて、梅子を応募させ、梅子は女子留学生5人の一人に採用されます。梅子は、その時、なんとまだ満6歳でした。
:1882年(明治14年)、梅子は帰国しますが、その時には、日本語を忘れていました。帰国後、日本語が不自由であったためなかなか職にめぐまれませんでしたが、[[#伊藤博文|伊藤博文]]の応援もあって、華族女学校(後の学習院女子部)の教授となりました。その後、再び、米国に留学し大学で学びました。
:再留学からの帰国後、華族女学校他女子高等師範学校などの教授も兼任しましたが、1900年(明治32年)私立学校令に基づく女子高等教育のための「女子英学塾」を設立しました。この学校が、戦後「津田塾大学」となります。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の5000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
===<span id="北里柴三郎"/>{{ruby|北里柴三郎|きたさとしばさぶろう}}===
{{wikipedia|北里柴三郎}}
[[File:Shibasaburō Kitasato 1910.jpg|150px|left|thumb|北里柴三郎]]
:生没年:1853年 - 1931年(昭和6年)
:医師、微生物学者、教育者。
:ドイツに留学し、伝染病を研究し、{{ruby|破傷風|はしょうふう}}菌を発見し、その治療法を開発しました。
:帰国後、伝染病の研究所作ろうとしたが、政府の援助は得られなかったところ、{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}}が支援し研究所が完成、{{ruby|志賀潔|しがきよし}}、[[#野口英世|野口英世]]などの研究者が生まれ育っていきました。
:その後、慶應大学医学部の設立に尽力し、個人で運営していた北里研究所をもとに北里大学が設立されます。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1000円札の肖像に用いられています。
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=== <span id="野口英世"/>{{ruby|野口英世|のぐちひでよ}} ===
{{wikipedia|野口英世}}
[[File:Noguchi Hideyo.jpg|150px|left|thumb|野口英世]]
:生没年:1876年(明治9年) - 1928年(昭和3年)。医師、細菌学者。
:福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となり、渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。
:主に細菌学の研究に従事し、{{ruby|黄熱病|おうねつびょう}}や梅毒の研究で知られています。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったといわれています。黄熱病の研究中に自身もそれにかかり、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
:[[#北里柴三郎|北里柴三郎]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#野口英世]]を参照。
{{-}}
===<span id="樋口一葉"/>{{ruby|樋口一葉|ひぐちいちよう}}===
{{wikipedia|樋口一葉}}
[[File:Higuchi Ichiyou.png|150px|left|thumb|樋口一葉]]
:生没年:1872年(明治5年) - 1896年(明治29年)
:小説家。戸籍名は樋口{{ruby|奈津|なつ}}、「一葉」は筆名(ペンネーム)です。
:一葉は、1872年(明治5年)明治政府の下級役人の家に現在の東京都千代田区内幸町あたりで生まれました。大変優秀でしたが、親が女の子を上級の学校まで行かせる必要はないと考え、小学校卒業後学校へは通わせませんでした。
:たしなみとして、和歌を習い、文学的な才能をわずかに見せていましたが、やがて、父親が亡くなるなどして、経済的に苦しみます。
:このような中、1892年(明治25年)から小説を発表し、それで原稿料が得られるようになります。1895年(明治28年)には代表作『たけくらべ』を発表し、{{ruby|森鴎外|もりおうがい}}や{{ruby|幸田露伴|こうだろはん}}といった多くの著名な文学者から{{ruby|賞賛|しょうさん}}<ref>ほめたたえること。</ref>されます。
:しかし、1896年(明治29年)24歳の若さで、肺結核により亡くなりました。
:近代以降では最初の職業女流作家で、24年間の生涯の中で、特に亡くなる間際の1年2か月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残しました。[[#津田梅子|津田梅子]]の前の5000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
===<span id="夏目漱石"/>{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}}===
{{wikipedia|夏目漱石}}
[[File:Natsume Soseki photo.jpg|150px|left|thumb|夏目漱石]]
:生没年:1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年)
:英文学者、小説家。本名は夏目金之助です。
:現在の東京都新宿区喜久井町に{{ruby|名主|なぬし}}の子として生まれました。
:帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)にすすみ、大学時代に{{ruby|正岡子規|まさおかしき}}と出会い、俳句を学びました。大学英文科卒業後、愛媛県松山で愛媛県尋常中学校<ref>当時の「尋常中学校」は、現在の高等学校に相当します。現在の愛媛県立松山東高等学校です。『坊っちゃん』の舞台とも言われています。</ref>教師、熊本で第五高等学校<ref>当時の「高等学校」は、現在の大学の教養課程(大学で学ぶ専門以外の学問で、現在一般に大学1年生から2年生にかけて学びます。)に相当します。現在の熊本大学です。</ref>教授などを務めたあと、イギリスへ留学し英文学を研究します。
:帰国後、東京帝国大学講師として英文学の講義をしていましたが、1905年(明治38年)子規の友人が発行する俳句雑誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表、大人気となって、以後、同誌に『坊っちゃん』などを発表して小説家としての地位を固めます。
:1907年(明治40年)に大学を辞め、専属の小説家として朝日新聞に入社し、新聞小説を発表していきます。1916年(大正5年)に病気でなくなりました。
:明治になるまで、話し言葉と書き言葉は違うことが当たり前で、かなりかけ離れたものでした<ref>これは、人の行き来があまりないので、各地での方言の差が大きく、書き言葉が共通のコミュニケーションの道具であったことが理由の一つだと思われます。</ref>。明治になって、日本の言葉遣いを統一しようという情勢となって、文学においても、その運動({{ruby|言文一致|げんぶんいっち}})が盛んになり、多くの作品が言文一致を踏まえて発表されました。しかし、なかなかしっくりする言葉遣いにならなかったところ、漱石は、落語の言葉遣いを取り入れ、人々にわかりやすい表現で小説を書きました。現在の日本の書き言葉は、漱石の小説の影響を受けていると言われています。
:[[#野口英世|野口英世]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「津田梅子」「北里柴三郎」「野口英世」「樋口一葉」「夏目漱石」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新で、政府は欧米の学問や文化を広く取り入れ、国民に教育し、研究者を育てました。
:*明治20年を過ぎると、この成果が出て、日本からも世界的な科学者が出るようになりました。
:*学校制度の整備により識字率も高まり、また、印刷技術が向上し出版物が容易に大量に手に入るようになったので、小説などが人々の間で流行しました。
:*数が多いとは決して言えませんが、津田梅子や樋口一葉のように、社会で活躍する女性も見られるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
==脚注==
<small><references/></small>
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6しんふつ]]
[[Category:小学校社会|6ねんしやかいれきししんふつ]]
[[Category:小学校社会 歴史|#しんふつ]]
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wikitext
text/x-wiki
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{{Nav}}
{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}}
ここには、小学校の歴史の勉強で出てくる人物について書いてあります({{ruby|発展|はってん}}的な内容および人物もふくまれています)。もっとくわしく知りたいときは、色がついているタイトルの名前をクリックしてください。ウィキペディアにあるページにリンクしてあります。少し{{ruby|難|むずか}}しいかもしれませんので、事典や身近な大人をフル活用してください。
<!--執筆者へ
あまり長くならないよう、4〜5行程度にまとめてください。→ちょっと難しいですね。その時代の変革にあたった人物については10行程度までは、許容して良いでしょう。
第1行目には、「生没年」があるといいと思います。-->
また、難しいかもしれませんが、[[中学受験社会/歴史/人物]]をみてもいい情報があるかもしれません。
== {{ruby|弥生|やよい}}時代 ==
=== <span id="卑弥呼"/>{{ruby|卑弥呼|ひみこ}} ===
{{wikipedia|卑弥呼}}
:3世紀はじめごろ。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|{{ruby|邪馬台国|やまたいこく}}]]の女王です。
:当時、中国にあった{{ruby|魏|ぎ}}という国に使いを送り、その時に{{ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}の称号を与えられたとその国の歴史書({{ruby|魏志倭人伝|ぎしわじんでん}})に記されています。
:神のおつげやうらないで政治を行ったとされています。
:邪馬台国があったと考えられる場所は不明ですが、{{ruby|奈良|なら}}にあったとするものと九州北部にあったとするものの二つの説が有力で論争が続いています。一番古い時代に作られた{{ruby|古墳|こふん}}が、卑弥呼の墓で、奈良に邪馬台国があった場合、{{ruby|箸墓|はしはか}}古墳が卑弥呼の墓ではないか、と考えられています。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「卑弥呼」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「縄文時代」「弥生時代」をへて、人々が集まった小さな「むら」から、大きな「くに」ができるようになりました([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#「むら」から「くに」へ|「むら」から「くに」へ]])。
:*「くに」は、当時世界で最も有力であった中国に使いを送ります。
:*その当時、日本にはまだ文字が伝わっていませんでしたが、中国へ送った使いによって、当時の日本のことが記録され、様子がわかります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|飛鳥|あすか}}時代 ==
=== <span id="聖徳太子"/>{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}} ===
{{wikipedia|聖徳太子}}
:生没年:572年-622年。{{ruby|厩戸王|うまやどおう}}などとも{{ruby|呼|よ}}ばれます。
:[[w:推古天皇|{{ruby|推古|すいこ}}天皇]]に代わって政治を行う{{ruby|摂政|せっしょう}}として{{ruby|活躍|かつやく}}し、{{ruby|豪族|ごうぞく}}の集まりであったヤマト政権を天皇を中心とした政治を行うようさまざまな改革を行いました。
:{{ruby|仏教|ぶっきょう}}や中国の{{ruby|儒教|じゅきょう}}の教えをもとに、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}の役人の{{ruby|心得|こころえ}}である[[w:十七条憲法|{{ruby|十七条の憲法|じゅうしちじょうのけんぽう}}]]を定めました。また、能力が高かったり手がらをたてた人が重要な仕事をできるよう[[w:冠位十二階|{{ruby|冠位十二階|かんいじゅうにかい}}]]の制度をつくりました。
:仏教を深く{{ruby|信仰|しんこう}}していた聖徳太子は、[[w:法隆寺|{{ruby|法隆寺|ほうりゅうじ}}]]などの寺を建て、仏教の力で平和な世の中になるように願いました。
:10人が同時に話しても、そのすべての内容を理解したなどの伝説がも残ります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:推古天皇|{{ruby|推古天皇|すいこてんのう}}]]
*::日本で最初の女性の天皇です。推古天皇の皇太子であった聖徳太子は、{{ruby|摂政|せっしょう}}の立場で、さまざまな改革を行いました。
*:<span id="蘇我馬子"/>[[w:蘇我馬子|{{ruby|蘇我馬子|そがのうまこ}}]]
*::最大の勢力を持った豪族{{ruby|蘇我|そが}}氏をひきい、天皇につかえるものの中で最も高い位である{{ruby|大臣|おおおみ}}として聖徳太子を助けました。
=== <span id="小野妹子"/>{{ruby|小野妹子|おののいもこ}} ===
{{wikipedia|小野妹子}}
:生没年:6世紀後半〜7世紀前半。「妹子(いもこ)」という名前ですが{{ruby|男性|だんせい}}です。
:607年、{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}}の命令で第2回{{ruby|遣隋使|けんずいし}}として中国の{{ruby|隋|ずい}}の国にわたります。608年には第3回遣隋使として、ふたたび隋をおとずれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖徳太子」や「小野妹子」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子より前の日本の政治は、有力な豪族が集まっただけの政治のかたちでした。
:*聖徳太子が皇太子となったころ、こうした豪族どうしが争う一方で中国や朝鮮半島では、皇帝などを中心とした強力な国づくりが進んでいました。
:*聖徳太子は天皇を中心とした国づくりをすることで、国をまとめようとしました。また、聖徳太子は、仏教を積極的に取り入れました。
:*聖徳太子は、国の制度や仏教を学ぶため、中国の{{ruby|隋|ずい}}に使いを送りました。その代表に選ばれて隋に渡ったのが小野妹子です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="中大兄皇子"/>{{ruby|中大兄皇子|なかのおおえのおうじ}} ===
{{wikipedia|天智天皇}}
:生没年:626年 - 672年
:後の{{ruby|天智|てんじ}}天皇<ref>歴史の学習では、普通、即位後の天皇の名前で呼びますが、中大兄皇子の場合、皇太子である時期に、大化の改新などで活躍したため、皇太子時代の名前で呼ばれることが多いです。なお、「天智天皇」という名は、のちの奈良時代になってつけられた名前です。</ref>。
:[[#聖徳太子|聖徳太子]]が亡くなってから、[[#蘇我馬子|蘇我馬子]]をついだ蘇我{{ruby|蝦夷|えみし}}とその子{{ruby|入鹿|いるか}}が勝手な政治をしたため、{{ruby|[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]|なかとみのかまたり}}とともにこれをほろぼしました。
:皇太子となった中大兄皇子は、力を持った豪族はいなくなったので、{{ruby|大化|たいか}}の改新と言われる天皇中心の政治を行うために改革を行いました。大化の改新により、日本の人民と土地は天皇が支配するものとなり、人民には農地が与えられる代わり、{{ruby|租庸調|そようちょう}}と呼ばれる税を天皇(朝廷)に納めるようになりました。
:また、聖徳太子がやったように、隋を滅ぼして建国された{{ruby|唐|とう}}に使い({{ruby|遣唐使|けんとうし}})を送りました。しかし、朝鮮半島での{{ruby|新羅|しらぎ}}と{{ruby|百済|くだら}}との争いで、唐は新羅を、日本は百済を味方したため、敵対することになりました。この争いで新羅は百済を破り、百済は滅亡します。
:中大兄皇子は、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることにそなえ、{{ruby|防人|さきもり}}をおいて九州を守らせ、都を現在の大阪市にあった{{ruby|難波宮|難波宮}}から滋賀県の{{ruby|近江京|おうみきょう}}に移しました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#大化の改新と律令制の成立|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇({{ruby|大海人皇子|おおあまのおうじ}})]]
*::天智天皇(中大兄皇子)の弟。はじめは天智天皇の後に天皇になる予定でしたが、皇太子を天智天皇の子である{{ruby|大友皇子|おおとものおうじ}}に譲りました。しかし、天智天皇の死後、大友皇子と争い、勝利して天皇に即位しました。天智天皇の方針を引き継いで、天皇中心の社会を作るよう努めました。
*::[[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]など奈良時代の天皇は天武天皇の子孫になります。
=== <span id="中臣鎌足"/>{{ruby|中臣鎌足|なかとみのかまたり}} ===
{{wikipedia|藤原鎌足}}
:生没年:614年 - 669年
:もとは、日本伝統の神をまつる神職を職業とする豪族でしたが、仏教を盛んにしようとする蘇我氏に圧倒されていました。蘇我氏と関係の薄かった中大兄皇子に協力し、蘇我氏をともにほろぼしました。
:その後、中大兄皇子の大化の改新に協力して改革を進めます。
:669年、亡くなる時に天智天皇は、鎌足の功績にむくいるため、{{ruby|大織冠|だいしょくかん}}という進化の中でも最高の位と{{ruby|藤原|ふじわら}}の姓を与えました。したがって、中臣鎌足を'''藤原鎌足'''ともいいます。
:鎌足の子孫は、奈良時代から平安時代にかけて、勢力を拡大し、朝廷の主要な役職を独占する「{{ruby|藤原|ふじわら}}氏」となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「中大兄皇子・天智天皇」や「中臣鎌足・藤原鎌足」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子の死後、天皇を凌ぐほどの力を持った蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼします。
:*中大兄皇子は、聖徳太子の目指していたところをさらに進める政策を行います。これを「大化の改新」といいます。
:*「大化の改新」で最も重要なものは、人民と土地は直接天皇が支配し、農地を朝廷が与える代わりに人民は税(租庸調)を納めるというものです。
:*朝鮮半島の戦争で、百済にみかたした日本は、新羅と唐の連合軍に敗北し朝鮮半島の拠点を失い、一時は唐との関係も悪化しました。
:*天智天皇かめざした天皇中心の政治は、天智天皇の死後、{{ruby|律令|りつりょう}}制の成立という形で完成します。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|奈良|なら}}時代 ==
=== <span id="聖武天皇"/>{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇 ===
{{wikipedia|聖武天皇}}
:生没年:701年 - 756年
:奈良時代を代表する天皇です。在位中は災害や伝染病({{ruby|天然痘|てんねんとう}})の大流行などがあって、平穏な時代であったとは言えませんでしたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#律令制|大宝律令]]の完成(710年)から約30年、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京{{ruby|遷都|せんと}}]]から約20年たって、律令にもとづいた天皇中心の政治がようやく定着した時期でもありました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|→教科書本文]])
:[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|聖武天皇は仏教を手厚く保護します]]。この時期は、遣唐使で留学した僧も多く帰国して仏教が日本全国で定着した時期でもあり、国が安定することを目的として全ての国に国分寺と国分尼寺を建てました。その中心として、平城京(奈良)に東大寺を建立し、そこに、大仏「奈良の大仏」を作らせました。
* 関連する人物
*:[[w:光明皇后|{{ruby|光明皇后|こうみょうこうごう}}]]
*::聖武天皇の皇后です。[[#中臣鎌足|藤原鎌足]]の子藤原{{ruby|不比等|ふひと}}の娘になります。皇室出身以外から初めて皇后になりました。以後、藤原氏から多くの皇后が出るようになり、藤原氏が朝廷で力を得る例のさきがけとなりました。
=== <span id="行基"/>{{ruby|行基|ぎょうき}} ===
{{wikipedia|行基}}
[[File:Gyouki 1.jpg|thumb|right|180px|行基]]
:生没年:668年 - 749年
:河内国の渡来人の家系に生まれた{{ruby|僧|そう}}です。{{ruby|道昭|どうしょう}}に学んだとされています。道昭は遣唐使で留学し{{ruby|玄奘|げんじょう}}に学びました。玄奘は、唐からインドを訪ねて仏教を学んだ僧で、西遊記の三蔵法師のモデルです。
:当時の仏教は国を守護安定させるものとの考えがあり、ほとんどの僧は寺で仏教を学問として研究するものが主流で、一般の民衆への仏教の布教は禁止されていました。こうした時代に、諸国をまわって用水の池や橋を造りながら、身分を問わず教えを説きました。はじめのうちは、危険な人物と思われ、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}からはは行基の行動をとりしまりました。からはされました。しかし、{{ruby|民衆|みんしゅう}}や地方豪族の{{ruby|尊敬|そんけい}}を集め、朝廷も危険な行動ではないと理解し、後には、とりしまりをゆるめました。
:こうしたなか、聖武天皇は大仏建立を命令しましたが、とても多くの人々の支持と労働力を必要とする大仏建立はなかなかすすみませんでした。そこで、朝廷は、人々にしたわれていた行基を、日本の仏教の最高峰である{{ruby|大僧正|だいそうじょう}}に任じて、大仏建立の責任者としました。
:行基のはたらきもあって、大仏建立は順調に進むようになりましたが、行基は完成前に亡くなりました。
=== <span id="鑑真"/>{{ruby|鑑真|がんじん}} ===
{{wikipedia|鑑真}}
[[File:Ganjin wajyo portrait.JPG|thumb|left|180px|国宝『鑑真和上坐像』]]
:生没年:688年 - 763年
:唐の長安で僧となるものに{{ruby|戒律|かいりつ}}を与える教えの有名な{{ruby|僧侶|そうりょ}}でした。戒律とは仏教の修行者が守るべき生活上のルールを言います。正式に僧や尼僧として認められるには、修行を積んだ僧から、この戒律を伝えられなければなりませんでした。特に、唐で修行する場合には、その資格を持った僧(律師)から与えられていなければ、正式な僧として修行ができませんでした。日本には唐でも認められる律師がいなかったため、遣唐使の留学僧は留学の時困っていました。742年、日本からの留学僧が、日本に律師を送ってほしいと頼まれ、弟子に声をかけましたが誰も自ら名乗り出るものはいませんでした。そこで、鑑真は自ら日本に渡ろうと決意しました。最初は皇帝からの許可が降りず、許可を得てから渡ろうとして、5回も失敗し、6回目にようやく日本に着きました。754年、6回目のこころみでようやくに日本についたころには、失明していました。聖武天皇に迎えられた鑑真は、奈良に '''{{Ruby|唐招提寺|とうしょうだいじ}}''' を開き、正しい仏教を伝えて、多くの日本人の僧を育てました。
:また、医学や薬学、美術工芸なども伝えました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖武天皇」「行基」「鑑真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖武天皇の時代には、律令制によって、天皇中心の政治ができるようになりました。
:*遣唐使によって、多くの中国の文化が伝わりました。仏教も、伝わった文化の一つです。
:*全国に国分寺・国分尼寺と都の平城京にはそれをまとめる東大寺が建てられ、東大寺には大仏が置かれました。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|平安|へいあん}}時代 ==
=== <span id="桓武天皇"/>{{ruby|桓武|かんむ}}天皇 ===
{{wikipedia|桓武天皇}}
[[File:Emperor Kammu large.jpg|thumb|right|160px|桓武天皇]]
:生没年:737年 - 806年
:都を平城京(奈良)から平安京(京都)にうつした({{ruby|平安遷都|へいあんせんと}})天皇です。
:770年、{{ruby|称徳|しょうとく}}天皇([[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]の皇女)が亡くなり、[[#天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇]]の子孫がたえて、[[#中大兄皇子|{{ruby|天智|てんち}}天皇]]の子孫である{{ruby|光仁|こうにん}}天皇が即位しました。桓武天皇は光仁天皇の子で、あとを継ぎました。
:平安遷都の前の朝廷は、仏教の寺院が大きな勢力を持って、僧が政治に口を出すようになり、争いが絶えないようになっていました。また、律令制がすすむことで、班田収授法によって民衆に分ける土地も奈良盆地周辺だけでは足りなくなっていました。このような問題を解決するために、桓武天皇は平城京から平安京に都を移しました。
:また、桓武天皇は、{{ruby|坂上田村麻呂|さかのうえのたむらまろ}}を[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命し、東北地方の{{ruby|蝦夷|えみし}}をうたせるなどして、日本に律令制を確立させました。
:仏教が政治にかかわるのをきらって、平安遷都では大きな寺院を平城京に残した一方で、最澄や空海を遣唐使として唐に留学させ新しい仏教を学ばせました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安遷都|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:最澄|{{ruby|最澄|さいちょう}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。平城京にあった大きな寺院から離れ、近江(今の滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行しました。比叡山は平安京のすぐ東北の位置になりますが、最澄が修行を始めたのは平安遷都より前のことです。遣唐使として留学し、多くの経典などを持ち帰りました。それらは比叡山に開いた寺(後に{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}と呼ばれます)で研究され、延暦寺はのちの日本の仏教に大きな影響を与えます。最澄が開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といいます。
*:[[w:空海|{{ruby|空海|くうかい}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。遣唐使として最澄とともに留学し、最澄同様に多くの経典などを持ち帰りました。特に、仏教のうち{{ruby|密教|みっきょう}}と呼ばれるものを伝え、{{ruby|真言宗|しんごんしゅう}}を開きました。和歌山県の{{ruby|高野山|こうやさん}}に{{ruby|金剛峯寺|こんごうぶじ}}を開き、また、{{ruby|嵯峨|さが}}天皇<ref>桓武天皇の二代後の天皇。</ref>から、平安京の中の二つの寺のうちの一つである{{ruby|東寺|とうじ}}をまかされます。空海の教えは、天皇や貴族だけにとどまらず、広く民衆に伝えられ、また、空海自身もため池の造営など民衆のための事業を行いました。
=== <span id="菅原道真"/>{{ruby|菅原道真|すがわらのみちざね}} ===
{{wikipedia|菅原道真}}
[[File:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Michizane in exil.jpg|250px|thumb|左奥で顔をおおっているのが道真です。太宰府に流される時、天皇から贈られた衣を見て泣いている場面です。]]
:生没年:845年-903年
:平安時代前期の貴族です。
:学問に優れ、その当時、{{ruby|藤原|ふじわら}}氏は、他の貴族の一族を圧倒して朝廷の大事な役職を独占しようとしていましたが、それに対抗して朝廷で重要な役職につきました。政治から遠ざけようとする人々は、道真を{{ruby|遣唐使|けんとうし}}の大使として、{{ruby|唐|とう}}に送ろうとしましたが、唐は戦乱で乱れ、道真は得るものも多くないと考え、遣唐使の{{ruby|廃止|はいし}}を申し出、これを廃止しました。その後、朝廷では右大臣まで出世しますが、藤原氏らの{{ruby|陰謀|いんぼう}}により、{{ruby|太宰府|だざいふ}}(現在の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にあった九州をおさめる役所)に流され、そこで亡くなりました。
:道真の死後、朝廷では数々の異変が起こり、「これは道真の{{ruby|怨|うら}}みからの{{ruby|呪|のろ}}いである」とおそれられ、朝廷は道真を{{ruby|天満天神|てんまんてんじん}}という神としてまつりました。現在では、学問の神様「{{ruby|天神|てんじん}}さま」として有名です。道真をまつる神社を{{ruby|天満宮|てんまんぐう}}といい、亡くなった土地である福岡県にある太宰府天満宮や京都の{{ruby|北野|きたの}}天満宮、東京の{{ruby|湯島|ゆしま}}天満宮などが有名です。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「菅原道真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安京に遷都して(794年)から、約100年たって政治は安定した一方で、律令制度が理想としていた天皇中心の政治から、貴族が中心となる政治に変わりつつありました。
:*特に、有力であったのは藤原氏で、藤原氏以外の貴族が勢力をもとうとするとそれをじゃましたこともありました。菅原道真が太宰府に流されてしまったのもその例の一つです。
:*奈良時代にさかんで、多くの新しい文化を日本に伝えた遣唐使も、この時代には得るものが少なくなっていたため廃止されました。外国の影響が少なくなったので、日本独自の文化が発達するきっかけになりました。
:*菅原道真は神様としてまつられ、今では学問の神「天神さま」として有名です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="藤原道長"/>{{ruby|藤原道長|ふじわらのみちなが}} ===
{{wikipedia|藤原道長}}
[[File:Fujiwara no Michinaga 2.jpg|180px|thumb|left|1220年頃に作られた『紫式部日記絵巻』に書かれた藤原道長]]
:生没年:966年 - 1028年
:平安時代中期の貴族で、[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]を祖先とする藤原氏になります。
:平安時代の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂関政治]]を代表する政治家です。
:道長は、娘四人を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、その娘が産んだ三人の孫が天皇になり、藤原氏の全盛期をきずいたと言われ、そのようなありさまを、以下のように和歌にしたと伝えられます。
::'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」'''
:::(この世は、望月(満月)のように欠けているものがなく、まるで{{ruby|私|わたし}}(道長)の物のようだ。)
:その当時、同じ藤原氏の中でも争って娘を天皇の妃にしていましたが、天皇に気に入られるように、{{ruby|妃|きさき}}の周りには和歌を読んだり物語を語るのがたくみな{{ruby|女官|にょかん}}が集められ、後の世に残る和歌や物語、{{ruby|随筆|ずいひつ}}<ref name="随筆">自分が見聞きしたことや体験、それに関する感想などを、自由な形式で書いた文章をいいます。「エッセイ」とも言います。</ref>などが数多く作られました。これを宮中文学と言います。道長の娘{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名">当時の女性名は漢字でしか残っていない場合が多く、訓読みがわからないものもあり、音読みで読む学術的な慣習がありました。最近は、そのように読まれたであろうという訓読みが一般的ですが、ここでは参考のため、どちらも書いておきます。</ref>には、[[#紫式部|{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}}]]が仕え『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』を作りました。道長の時代には、その他、『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』なども作られて宮中文学が最も盛んであった時期と言われています。
:紫式部は彰子の教育係をしながら朝廷の人々の様子を観察していたと言われています。このことから、主人公の光源氏は、道長がモデルではないかともいわれています。ただし、これはあくまでも一説であり、その他、{{ruby|源融|みなもとのとおる}}、{{ruby|源高明|みなもとのたかあきら}}がモデルであるなど、さまざまな説があります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安時代の文化と生活|→教科書本文]])
{{-}}
=== <span id="紫式部"/>{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}} ===
{{wikipedia|紫式部}}
[[File:Tosa Mitsuoki 001.jpg|160px|thumb|紫式部のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:970年から978年?~970年から978年?
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、物語の作者です。
:藤原氏の生まれですが、そのころには、藤原氏の数も相当に増えていて、道長のように裕福で政治の頂点にいる家系と、それほど豊かではなく中下級の役人となる家系と分かれるようになっていました。紫式部は中級の貴族の生まれで、学問の家系だったと言われます。
:道長の娘で{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名"/>に仕えました。
:宮中文学の中でも最も有名な作品の一つである『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』の作者です。源氏物語は、{{ruby|帝|みかど}}の子である{{ruby|光|ひかる}}源氏が主人公の物語で、光源氏が、藤原氏と思われる貴族などとの宮中政治に巻き込まれながら、多くの女性との恋愛を経験するというものです。源氏物語は、その後の日本の文学に多くな影響を与え、また、30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれるなど、日本文学の代表的作品と評価されています。
:また、宮中での務めの様子を記した『紫式部日記』を残しており、当時の宮中の様子が伝えられています。
:和歌の読み手としてもすぐれていて、多くの歌が残っており、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::巡りあ{{ruby|ひ|(い)}}て みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし {{ruby|夜半|よは}}のつきかな
:::ようやくあえたのに、それがあなたかどうかが、わからない位すぐに いなくなってしまい とてもさびしい気持ちです。まるで、切れた雲から月が少し見えたと思ったら、またすぐに雲に隠れたように。
=== <span id="清少納言"/>{{ruby|清少納言|せいしょうなごん}} ===
{{wikipedia|清少納言}}
[[File:Sei Shonagon2.jpg|160px|thumb|清少納言のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:966年?〜1025年?。
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、随筆<ref name="随筆"/>『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』の作者です。中級貴族の{{ruby|清原|きよはら}}氏の出身です。
:清少納言は{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|定子|ていし/さだこ}}<ref name="女性名"/>に仕えました。定子の父は道長の兄で[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂政や関白]]を務めた藤原{{ruby|道隆|みちたか}}ですが、早くに亡くなってしまいます。道隆をついで政治のトップに立ったのが道長です。定子の兄藤原{{ruby|伊周|これちか}}は、道長との政治上の争いに敗れてしまい、定子の宮中での立場は非常に弱いものとなっていき、道長の娘彰子が一条天皇の{{ruby|妃|きさき}}になると間もなく亡くなります。『枕草子』は、その間に清少納言が見聞きしたことや、その感想、定子やその兄弟などとのふれあいを書いたものです。
:『枕草子』は、『{{ruby|方丈記|ほうじょうき}}』『{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}』とともに、日本三大随筆の一つに数えられ、『源氏物語』同様に日本の文学に大きな影響を与えます。
:また、紫式部と同様に、歌人としてもすぐれ、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::夜をこめて とりのそらねは はかるとも 世に{{ruby|あふ|おお}}さかの せきはゆるさじ
:::夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似(とりのそらね)をして人をだまそうとしても、この{{ruby|逢坂|おおさか}}の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して{{ruby|逢|あ}}いませんよ)
:::*中国の昔話で、とらえられている貴族を逃すのに、朝にならないと開かない国境の門を、貴族を逃すためにつかわされた従者がニワトリの声をまね、夜が開けたと思わせ、だまして門を開けさせたという話({{ruby|鶏鳴狗盗|けいめいくとう}})が元になっています。このように、中国の古典の知識などが宮中の女官には求められました。「{{ruby|逢坂|おおさか}}の関」は、都と近江国(滋賀県)の間にある関所ですが、ここでは、「逢坂」の「{{ruby|逢|あ}}う」がかけられていて、逢いたいと言いよってくる男性に「なんと言われても逢いませんよ」と、女性がフっている情景です。
=== <span id="藤原頼通"/>{{ruby|藤原頼通|ふじわらのよりみち}} ===
{{wikipedia|藤原頼通}}
[[File:藤原頼通.jpg|180px|thumb|left|13世紀末から14世紀初頭ころに書かれた『駒競行幸絵巻』に書かれた藤原頼通]]
:生没年:992年 - 1072年
:平安時代中期の貴族で、[[#藤原道長|藤原道長]]の長男です。
:父道長が、天皇の{{ruby|外祖父|がいそふ}}<ref>母親の父親のことを言います。{{ruby|母方|ははかた}}の祖父とも言います。</ref>として、朝廷で権力を振るっている中で、摂政・関白となり、後に太政大臣もつとめます。
:しかし、父道長とちがって娘が生まれなかったので、天皇の妃を宮中に送ることができず、孫が天皇となることはありませんでした。頼通のころから、藤原氏の力がだんだん弱まってきたと言われています。
:頼通は、当時流行した{{ruby|浄土|じょうど}}信仰から、{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土への{{ruby|往生|おうじょう}}を願い、{{ruby|宇治|うじ}}の{{ruby|平等院|びょうどういん}}に{{ruby|鳳凰堂|ほうおうどう}}を建てます。これは、平安時代中期の建築様式を残した代表的建物です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「藤原道長」「紫式部」「清少納言」「藤原頼通」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*[[#菅原道真|菅原道真]]が太宰府に流された事件から、さらに約100年、貴族、特に藤原氏が摂政や関白になる政治は、道長の時代にピークをむかえます。
:*遣唐使が廃止された後、日本独自の文化はますます発展し、『源氏物語』『枕草子』といった、現代でも評価の高い宮中文学が生まれます。しかも、それをなしたのは宮中に務める女性でした。
:*その後、貴族の力はだんだん弱まっていき、代わって武士の力が強くなっていきます。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="平清盛"/>{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}} ===
{{wikipedia|平清盛}}
[[file:Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg|thumb|160px|14世紀前半ころに描かれた平清盛]]
:生没年:1118年-1181年
:平安時代末期の武家である{{ruby|平氏|へいし}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|平|たいら}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|平家|へいけ}}」とも言います。</ref>の{{ruby|棟梁|とうりょう}}です。武士として初めて日本の政治の頂点に立ちました。
:清盛は、主に瀬戸内海地方の{{ruby|海賊|かいぞく}}を取り締まる平氏の武士団をひきいて勢力を伸ばしました。清盛は瀬戸内海の取締りを行うことで、この地方の海運を支配し、財力を高めました。清盛は、現在の広島県にある海の神をまつる {{ruby|厳島|いつくしま}}神社 を{{ruby|敬|うやま}}い、平氏一族がまつるべき{{ruby|氏神|うじがみ}}としました。
:1156年天皇家や藤原氏本家(摂関家)のあとつぎについて、双方が武士団を味方につけて争った保元の乱では、{{ruby|後白河|ごしらかわ}}天皇側について勝利にみちびき、{{ruby|源氏|げんじ}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|源|みなもと}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|源家|げんけ}}」と言うこともありますが、「平家」に比べれば使うことはまれです。</ref>の{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}らとともに武家としてはじめて中央の政治にかかわるようになりました。そして、1160年の平治の乱では源義朝を倒して、他の有力な武家をおしのけて、清盛の平氏だけが武家として中央の政治にかかわるようになりました。
:清盛は一族を朝廷の高位の役職につけたり、自分や一族の娘を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、子どもができると天皇をつがせようとするなど、藤原氏とにた政治を行うようになりました。1167年には武家ではじめて{{ruby|太政|だいじょう}}大臣になります<ref>太政大臣は、律令制ができた当時に皇族が就任、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|奈良時代末期に道鏡が就任した]]他は、約400年間藤原氏以外が就任した例はありません。</ref>。こうして、平氏は勢力を極め、清盛の弟{{ruby|平時忠|たいらのときただ}}などは「平家にあらずんば、人にあらず」(平家でなければ人でない)とも言うようになりました。
:清盛は、朝廷での権力をにぎった後も、主に瀬戸内海を舞台とした海運を続け、唐の後に中国を統一した{{ruby|宋|そう}}との間の{{ruby|貿易|ぼうえき}}も行うようになります。平安京(京都)は、このような海運に不便なので、都を{{ruby|福原|ふくはら}}(現在の神戸市)に移そうともしました。
:しかし、このような平氏ばかりを優遇する政策は、都の貴族たちや東国の武士団の反発をまねきます。清盛の晩年には各地で平氏に対する反乱が起き、1180年には、義朝の子で伊豆に流されていた{{ruby|[[#源頼朝|源頼朝]]|みなもとのよりとも}}が、{{ruby|鎌倉|かまくら}}(神奈川県鎌倉市)を拠点として関東の武士団をまとめて兵を上げ、西に兵を進めました。清盛は、これを討とうとしましたが、翌1181年病気で亡くなってしまいました。
:各地の反乱をおさえられなくなった平氏は、京都を捨て、瀬戸内海を西に逃げますが、1185年、源氏によって{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}(現在の山口県)で{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「平清盛」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*清盛は平安時代末期の人物ですが、武家として、それまでの貴族の政治を終わらせたと言う意味で、鎌倉時代以降の時代を開いた人と理解してください。
:*しかし、政治を行うのに、それまでの貴族政治の仕組みをそのまま使おうとして、それまでの貴族からも、地方で勢力を持つようになった武家からも反発されて、平氏の世は、清盛死後、まもなく滅びてしまいます。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|鎌倉|かまくら}}時代 ==
=== <span id="源頼朝"/>{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}} ===
{{wikipedia|源頼朝}}
[[File:Seated Portrait of Minamoto no Yoritomo (Presumed) 3.jpg|thumb|160px|東京国立博物館所蔵、木造伝源頼朝像]]
:生没年:1147年-1199年
:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて{{ruby|源氏|げんじ}}と{{ruby|平氏|へいし}}が戦っていた時代の、源氏の{{ruby|棟梁|とうりょう}}(リーダー)。
:平治の乱で父{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}を亡くし、頼朝も処刑されるところでしたが、幼かったため許され、{{ruby|伊豆|いず}}の国(現在の静岡県)に流されます。伊豆で地元の武士の娘{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}と結婚し、北条氏の支援などを得て、平家に対抗する兵をあげます。
:関東地方({{ruby|鎌倉|かまくら}})から、弟の{{ruby|義経|よしつね}}らに指示を送って平家を{{ruby|倒|たお}}しました。平家滅亡に向けた{{ruby|戦|いくさ}}には頼朝は出向いていません。
:その後、東北地方で強い勢力を持っていた藤原氏(公家の藤原氏と区別して{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏と言います)を滅ぼし、全国の武士を支配、1192年に{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}に任命され、鎌倉{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらきました。
:同じ武家の政権ですが、平氏がほぼ[[#平清盛|清盛]]一代であったのに対して、鎌倉幕府は、頼朝の血筋こそ絶えたものの150年近く続きました。これは、清盛が朝廷に入って政治を行おうとして、多くの武家の反発を受けたのと対照的に、頼朝は京都から遠く離れた鎌倉で、武家を治める政治を行う仕組みにしたことにあるでしょう。
* 関連する人物
*:[[w:北条政子|{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}]]
*::生没年:1157年-1225年
*::頼朝の妻。伊豆の地方武士北条{{ruby|時政|ときまさ}}の娘。
*::頼朝が{{ruby|亡|な}}くなった後、頼朝と政子の子である{{ruby|頼家|よりいえ}}、{{ruby|実朝|さねとも}}が将軍となったが、どちらも亡くなって頼朝の{{ruby|家系|かけい}}は{{ruby|途絶|とだ}}えました。幕府の政治は、弟の北条{{ruby|義時|よしとき}}が{{ruby|執権|しっけん}}として見るようになって、その後、鎌倉幕府の政治は義時の子孫である北条氏が執権として支配します(執権政治)。1221年{{ruby|後鳥羽|ごとば}}天皇が、鎌倉幕府を{{ruby|滅|ほろ}}ぼそうと兵をあげると({{ruby|承久|じょうきゅう}}の乱)、天皇にはむかうことにためらっている{{ruby|御家人|ごけにん}}たちを{{ruby|激励|げきれい}}し、後鳥羽天皇側の武士をうちまかし、鎌倉幕府の優位を確立します。
=== <span id="源義経"/>{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}} ===
{{wikipedia|源義経}}
:生没年:1159年-1189年
:{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}の子で{{ruby|頼朝|よりとも}}の弟。平治の乱のとき、兄頼朝同様、{{ruby|幼|おさな}}かったため許され、{{ruby|僧|そう}}となるため京都北部の{{ruby|鞍馬山|くらまやま}}で育てられました。幼い頃の名を{{ruby|牛若丸|うしわかまる}}といいます。牛若丸は京都からのがれて、東北地方の{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏のもとへ向かい武芸をみがき、元服して義経と名乗りました。
:兄頼朝が平家をほろぼす兵をあげると、その手伝いをしようと鎌倉に向かい、頼朝の軍に加わります。頼朝は義経を武士団の大将にし、西へ向かわせました。義経は、戦さにたくみで、まず、京都から平家を追い出した源{{ruby|義仲|よしなか}}({{ruby|木曽|きそ}}義仲)を{{ruby|討|う}}って、そのまま、西に向かい本州と九州の境の{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}で平家を滅ぼしました。
:しかし、源氏と平家の戦いが終わったあと、義経は兄の頼朝にきらわれ遠ざけられて、義経は奥州藤原氏のもとへ{{ruby|逃|に}}げることとなりましたが、頼朝の軍勢の{{ruby|追撃|ついげき}}にあい、最終的に、奥州藤原氏が裏切って、{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#義経]]を参照。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「源頼朝」や「源義経」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平清盛に敗れて殺された源義朝の子の源頼朝は、弟源義経などに関東の武士をひきいさせて、平家を滅ぼします。その後、義経は頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏のもとに逃げますが、裏切った奥州藤原氏に滅ぼされます。頼朝は、その奥州藤原氏を滅ぼして、日本の武士をまとめます。
:*頼朝は{{ruby|征夷大将軍|せいいだいしょうぐん}}になり、{{ruby|鎌倉|かまくら}}に{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらき、以後、日本の政治は将軍の{{ruby|下|もと}}、武士が行うようになります。
:*頼朝は{{ruby|御家人|ごけにん}}とよばれる自分の家来の武士たちを、{{ruby|守護|しゅご}}や{{ruby|荘園|しょうえん}}の{{ruby|地頭|じとう}}に任命して日本全国におきました。
:*頼朝の子孫である源氏の将軍はすぐに絶え、鎌倉幕府は北条氏が権力を持った{{ruby|執権|しっけん}}政治となります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="運慶"/><span id="快慶"/>{{ruby|運慶|うんけい}}・{{ruby|快慶|かいけい}}===
{{wikipedia|運慶}}
{{wikipedia|快慶}}
'''運慶'''(生没年:? - 1224年)
'''快慶'''(生没年:不詳 1189年頃から1221年頃までの作品が残る)
:仏師(仏像を製作する彫刻家)。代表作は東大寺南大門{{ruby|金剛力士|こんごうりきし}}像。
:鎌倉時代の、武士の支配する{{ruby|世相|せそう}}を反映してか、この時代には、金剛力士像のような、写実的で{{ruby|躍動|やくどう}}的な作品も、好まれるようになりました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「運慶」や「快慶」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安時代、宮中や貴族を中心とした日本独自の文化が誕生しますが、鎌倉時代になると、武士をはじめとした民衆に新たな文化が誕生していきます。仏像なども、平安時代までの静かに座ったものから、動きをいきいきと表した金剛力士像のようなものが好まれるようになります。
:*仏教も、寺での僧たちの活動だけではなく、民衆が広く理解ができる、浄土教や禅宗、法華宗など新しい教えが誕生しました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="北条時宗"/>{{ruby|北条時宗|ほうじょうときむね}} ===
{{wikipedia|北条時宗}}
:生没年:1268年 - 1284年
:中国の王朝{{ruby|元|げん}}が{{ruby|攻|せ}}め{{ruby|込|こ}}んできたとき({{ruby|元寇|げんこう}})の鎌倉幕府の執権。
:時宗は、元が服従するよう命じてきたのを拒否し、全国の御家人だけでなく、御家人ではない武士にも、筑後(現在の福岡県)に集まり元から日本を守るよう命じ、元を{{ruby|撃退|げきたい}}します。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#元寇|→教科書本文]])
* 関連する人物
**[[w:クビライ|フビライ・ハーン]]<ref name="ハーン">「チンギス」が名前で「ハーン(ハン、カーン、{{ruby|汗|カン}}と書いたり、発音したりもします)」が君主を意味するモンゴル民族など北方民族のことばです。</ref>
**:中国の王朝{{ruby|元|げん}}の皇帝。クビライと書くこともあります。
**:中国本土北部の遊牧民モンゴル({{ruby|蒙古|もうこ}})族のチンギス・ハーン<ref name="ハーン"/>は、中国本土へ攻め入り、西に向かい、ヨーロッパの東部までその勢力におきました(モンゴル帝国)。フビライ・ハーンはチンギス・ハーンの孫で、モンゴル帝国のうち、中国本土の部分を「元」として独立させ中国風の皇帝となりました。
**[[w:竹崎季長|{{ruby|竹崎季長|たけさきすえなが}}]]
**:元寇のときの鎌倉幕府の{{ruby|御家人|ごけにん}}。元軍の撃退に{{ruby|活躍|かつやく}}しましたが、それを幕府に伝えるために、自身の戦いを「{{ruby|蒙古襲来絵詞|もうこしゅうらいえまき}}」に{{ruby|描|えが}}かせました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「北条時宗」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*13世紀モンゴル民族は全世界にその勢力を広げました。それが、東の日本に向かったものが「{{ruby|元寇|げんこう}}」です。日本は歴史上初めて、外国の大勢の軍隊からの{{ruby|攻撃|こうげき}}を受けました。
:*鎌倉幕府のリーダーであった執権北条時宗は、全国の御家人や武士を北部九州や中国地方西部に集め、元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しました。
:*しかし、幕府は得るものがなく、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができなかったので、各地の武士には不満が残りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|室町|むろまち}}時代 ==
=== <span id="足利尊氏"/>{{ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}} ===
{{wikipedia|足利尊氏}}
[[File:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|200px|足利尊氏]]
:生没年:1305年 - 1358年
:鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。征夷大将軍となって室町幕府を開きました。
:尊氏は、もともと、栃木県南部(現在の足利市一帯)をおさめる鎌倉幕府に仕える有力な{{ruby|御家人|ごけにん}}でしたが、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に不満を持つ御家人や武士たちに、鎌倉幕府を倒すことを呼びかけたのに応じて兵をあげ、1333年に鎌倉幕府をほろぼしました。
:鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は新しい政治を始めますが、武士に比べて公家を優先するなどしたため、武士の多くは反発し、その声を受けた尊氏は、後醍醐天皇と対立することになります。
:尊氏は、後醍醐天皇に味方する武士と戦って勝利し、後醍醐天皇は奈良県吉野という山中に逃れます。後醍醐天皇は退位していないまま、尊氏は京都で別の天皇を即位させ朝廷を開かせます。ここで、日本に二つの朝廷ができることになります。京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の朝廷を「南朝」といって、日本全国で各々の調停に従った武士たちは戦いを続けます。この時代を、「南北朝時代」といいます。
:1338年尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。この幕府は、のちに[[#室町幕府|室町幕府]]とよばれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#室町幕府の誕生|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:後醍醐天皇|{{ruby|後醍醐|ごだいご}}天皇]]
*::生没年:1288年 - 1339年
*::第96代天皇。鎌倉幕府を倒すことを計画していましたが、幕府に知られ{{ruby|隠岐島|おきのしま}}に流されます。翌年、そこから逃亡し{{ruby|伯耆国|ほうきのくに}}で兵をあげ、幕府に不満を持つ武士を集め、鎌倉幕府を倒し、天皇が直接主導する政治を始めました。しかし、多くの武士からの支持を失い、足利尊氏が別の天皇を立てたため、吉野に逃れ、南朝をたてました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利尊氏」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*{{ruby|元寇|げんこう}}で元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しましたが、鎌倉幕府は、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができず、多くの{{ruby|御家人|ごけにん}}がまずしくなりました。
:*一方で、ものの取引が活発になって、ものの取引などで力をつける武士などが増えてきて、百数十年前鎌倉幕府ができたころに頼朝たちに味方したことで{{ruby|御家人|ごけにん}}になった古い家柄の武士たちとの対立も増えてきました。
:*鎌倉幕府は、このような問題をうまく解決できず、各地の武士の幕府への不満は大きくなっていきました。
:*後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士や公家によびかけて、鎌倉幕府を倒しました。
:*しかし、後醍醐天皇の政治は、公家を優先するものだったので、それに不満のある武士をひきいて足利尊氏が、別の朝廷(北朝)を立てて将軍となり室町幕府を開きました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="足利義満"/>{{ruby|足利義満|あしかがよしみつ}} ===
{{wikipedia|足利義満}}
[[File:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
:生没年:1358年 - 1408年
:室町幕府の第3代将軍です。尊氏が将軍の時期には、後醍醐天皇の南朝やそれに味方する武士たちとの争いが続き、また、尊氏の弟{{ruby|直義|なおよし}}も兄と対立するなどして、大変不安定なものでした。しかし、尊氏が晩年に弟の軍勢を破り、尊氏の死後は子の第2代将軍{{ruby|義詮|よしあきら}}が南朝に味方する武士たちを負かしていくとともに、幕府の仕組みを整えていくことで、だんだん安定していきました。
:<span id="室町幕府"/>義詮をついで将軍となった義満は、日本各地からの訴訟などを解決できるよう、幕府の仕組みをさらに整えました。また、京都の{{ruby|室町|むろまち}}というところに貴族の屋敷に見立てた武家屋敷を作り、ここに幕府としました。その屋敷は広い庭には四季折々の花が咲き乱れたことから、人々は「花の御所」と呼ぶようになり、これ以降、足利将軍の幕府を「室町幕府」と呼びます。
:また、義満は中国の新しい王朝である{{ruby|明|みん}}との間で貿易をはじめ、その利益で室町幕府はますます栄えました。
:こうして日本全国の武士たちから信頼を得た室町幕府は、南朝を降伏させ南北朝時代は終わります。
:南北朝を統一させた義満は息子に将軍の職を譲って、京都の北山に別荘を建てては華やかな余生を過ごしました。その別荘の中にある、外側に金を張り巡らせた建物は{{ruby|金閣|きんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も金閣寺(正式には{{ruby|鹿苑寺|ろくおんじ}})と呼ばれています。
:義満が将軍だった時期が、室町幕府で将軍が最も力を持っていた時期です。
{{-}}
=== <span id="足利義政"/>{{ruby|足利義政|あしかがよしまさ}} ===
{{wikipedia|足利義政}}
[[File:Ashikaga Yoshimasa.jpg|thumb|200px|足利義政]]
:生没年:1436年 - 1490年
:室町幕府の第8代将軍です。
:義満の死後、南北朝の争いもなくなり、取引が盛んになるなどして社会は豊かになっていきました。それにともなって、各地の守護が大名となり、地頭・領主といった武士たち([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]])も力をつけ、お互いに争うことや、家の中のあとつぎ争いも目立つようになってきました。
:1467年、鎌倉幕府の{{ruby|管領|かんれい}}<ref>将軍に次いで幕府の有力な役職です。鎌倉時代北条家がつとめた執権とにていますが、室町幕府では、細川家・斯波家・畠山家の三家で交代して、その役につきました。</ref>の{{ruby|斯波|しば}}家と{{ruby|畠山|はたけやま}}家でのあとつぎ争いをきっかけに、管領である{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}がひきいる東軍と中国地方の有力な守護である{{ruby|山名宗全|やまなそうぜん}}がひきいる西軍に分かれて争う戦乱「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」が起こりました。東西の対立は、将軍のあとつぎに、もともと決まっていた義政の弟{{ruby|義視|よしみ}}にかえて義政の子{{ruby|義尚|よしひさ}}とするかという問題もあわさって、全国に広がり、京都の街は焼け野原になりました。義政は、応仁の乱を終わらせることにはあまり熱心ではなく、戦乱は約10年続きました。この、応仁の乱が戦国時代が始まったきっかけの一つと言われています。
:そんな中で、義政は将軍職を子の義尚にゆずり、義満にならって、京都の東山に別荘を建て過ごしました。その別荘の中にある建物は{{ruby|銀閣|ぎんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も銀閣寺(正式には{{ruby|慈照寺|じしょうじ}})と呼ばれています。
=== <span id="雪舟"/>{{ruby|雪舟|せっしゅう}} ===
{{wikipedia|雪舟}}
:生没年:1420年 - 1506年
:中国大陸に{{ruby|起源|きげん}}を持つ{{ruby|水墨画|すいぼくが}}を元にして、日本独自の水墨画の{{ruby|画風|がふう}}<ref>ある画家や時代、またはある絵画の流派の作風や特徴。</ref>を完成させた画家です。当時は、画家は独立した職業ではなかったので、{{ruby|僧侶|そうりょ}}として活動しました。
:今の岡山県に生まれ、子どものころにお寺で修行し、京都で絵や禅の勉強をしました。のちに山口県で活動し、「雪舟」という名前を名乗るようになります。50点ほどの絵が残っています。1467年には中国に渡って本場の絵を学びました。風景を見て絵にする力が高く、「風景こそ最大の師」と言ったともいわれています。全国を旅して多くの絵を残しました。
:(→[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#水墨画|教科書本文]])
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利義満」「足利義政」「雪舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*室町幕府は、できた当初は南北朝の争いなどで不安定でしたが、義満が将軍の頃、それもおさまり、最もさかえました。
:*義満の死後、各地の守護や[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]]たちが争うようになり、義政の頃、大きな戦乱である「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」がおこり、だんだん戦乱の世の中になっていきました。
:*社会が安定して豊かになったことから、公家など貴族の文化と武家の文化が融合した文化が生まれてきました。その代表が、義満が建てた金閣や義政が建てた銀閣です。また、雪舟の水墨画など、後世に残る新たな文化も誕生してきました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== 戦国時代 ==
=== 有力な戦国大名 ===
*'''{{ruby|朝倉孝景|あさくらたかかげ}}'''(または{{ruby|朝倉敏景|あさくらとしかげ}}、[[w:朝倉孝景 (7代当主)|→ウィキペディア]])
*:生没年:1428年 - 1481年
*:{{ruby|越前|えちぜん}}(今の福井県)で活躍した武将です。もとは越前の守護{{ruby|斯波|しば}}氏につかえていました。応仁の乱の原因のひとつである{{ruby|斯波義敏|しばよしとし}}と{{ruby|斯波義廉|しばよしかど}}の争いでは、はじめ義廉の西軍として戦いましたが、応仁の乱の中で、東軍の{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}による東軍への寝返りのさそいに応じて、東軍を勝利に導きました。その後、孝景は越前[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#守護代|守護代]]として、その地のほとんどを支配するようになり、自分の国づくりを進めました。これは、守護をおしのけて、家来などが、その地を支配する最初の例となりました。ただし、孝景が、そのようになるには、将軍が認める必要がありました。
*'''{{ruby|北条早雲|ほうじょうそううん}}'''([[w:北条早雲|→ウィキペディア]])
*:生没年:1432年 - 1519年
*:もともと、西国の出身ですが、東国に移り住んで今川氏が守護をする{{ruby|駿河|するが}}(現在の静岡県中部)の守護代となり、{{ruby|伊豆|いず}}(現在の静岡県東部)と{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)から、関東管領である上杉氏の勢力を追い出し、領地としました。子孫である北条氏は早雲の死後も勢力を伸ばして関東地方全体をおさめるようになりました。早雲は守護や守護代といった、室町幕府の仕組みによらず伊豆や相模を支配したので、最初の戦国大名といわれています。また、田畑の面積や収穫量を調査し、それを帳面にまとめる「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#検地|検地]]」を行い、領民からの{{ruby|年貢|ねんぐ}}を引き下げたとも伝えられます。
*'''{{ruby|斎藤道三|さいとうどうさん}}'''([[w:斎藤道三|→ウィキペディア]])
*:生没年:1494年(1480年とも)- 1556年
*:{{ruby|美濃|みの}}国(現在の岐阜県)の戦国大名です。美濃国は、{{ruby|土岐|とき}}氏が守護をつとめていましたが、実際の政治は守護代である{{ruby|斉藤|さいとう}}氏が行い、さらに、その代官である{{ruby|長井|ながい}}氏が力を持っていました。斎藤道三のうまれた{{ruby|家柄|いえがら}}はよくわかっていませんが、美濃で長井氏につかえ、やがて、主人の罪をせめて殺して長井新九郎をなのります。その後守護代の斉藤氏が亡くなると、斉藤新九郎利政となのって守護代になります。そして、最後に守護の土岐氏を追い出して、美濃国をおさめる戦国大名となりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|下克上]]の典型的な例と言われます。
*<span id="毛利元就"/>'''{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}'''([[w:毛利元就|→ウィキペディア]])
*:生没年:1497年 - 1571年
*:もともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、一方で、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。
*:以下の「三本の矢」の言い伝えで有名です。
*::元就が死ぬ直前、3人の息子達に矢を1本ずつわたして「折ってみよ」と命じると、息子たちはなんなく矢を折りました。つづいて、息子に3本の矢をまとめてわたしてもう一度「この矢を折ってみよ」と言ったところ、3本の矢はかたく、息子たちは、矢を折れませんでした。そこで「おまえたちも、この矢のように3人が力をあわせよ」と言いのこしました。
*'''{{ruby|島津貴久|しまづたかひさ}}'''([[w:島津貴久|→ウィキペディア]])
*:生没年:1514年 - 1571年
*:{{ruby|薩摩|さつま}}(鹿児島県西部)の戦国大名です。薩摩の守護である島津家もいくつかに分かれ対立していましたが、本家からは遠い分家であった父島津{{ruby|忠良|ただよし}}が薩摩各地の国人領主たちをおさえ、貴久に本家をつがせ薩摩を統一しました。貴久は、その後、{{ruby|大隅|おおすみ}}(鹿児島県東部)・{{ruby|日向|ひゅうが}}(宮崎県)南部にも勢力を拡大していきました。貴久が薩摩の国守であったころ、ポルトガルの船が来航し、鉄砲やキリスト教を伝えます。貴久は鹿児島に渡来したフランシスコ・ザビエルと面会しました。
*<span id="今川義元"/>'''{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}'''([[w:今川義元|→ウィキペディア]])
*:生没年:1519年 - 1560年
*:{{ruby|駿河|するが}}と{{ruby|遠江|とおとおみ}}(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や武田信玄と争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}(愛知県東部)の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
*<span id="武田信玄"/>'''{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}'''([[w:武田信玄|→ウィキペディア]])
*:生没年:1521年 - 1573年
*:{{ruby|甲斐|かい}}(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄の父{{ruby|信虎|のぶとら}}は、甲府を本拠として、甲斐国内の有力国人たちを武力で制圧し、従わせました。しかし、家臣たちにきびしくふるまったため対立が生じ、信玄が国人たちの支持を受けて信虎を追放し、甲斐領主となりました。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、今川義元が桶狭間の戦いでうたれ、今川氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
*:「風林火山」とよばれる旗印で有名です。「風林火山」は「{{ruby|疾|はや}}きこと風のごとく、{{ruby|徐|しず}}かなること林のごとく、{{ruby|侵掠|しんりゃく}}すること火のごとく、動かざること山のごとし。」という言葉に由来します。
*<span id="上杉謙信"/>'''{{ruby|上杉謙信|うえすぎけんしん}}'''([[w:上杉謙信|→ウィキペディア]])
*:生没年:1530年 - 1578年
*:{{ruby|越後|えちご}}(現在の新潟県)の戦国大名です。越後国の守護は関東管領である上杉氏がつとめていて、守護代を{{ruby|長尾|ながお}}氏がつとめていました。謙信は、もともと長尾氏の生まれですが、力が衰えた上杉氏の養子となり、関東管領の地位もつぎました。謙信は、北関東をめぐって北条氏と戦い、{{ruby|信濃|しなの}}国(信州、現在の長野県)をめぐって{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}と戦いました。
*:謙信は信義にあつく、敵であっても弱みにつくこまない人物と言われています。武田家が、今川家と戦い太平洋側からの塩の運搬を止められ塩不足に悩まされていたときに、武田家に塩を送り、「敵に塩を送る」のことわざの由来となったともいわれています。
=== フランシスコ・ ザビエル ===
{{wikipedia|フランシスコ・ ザビエル}}
[[File:Franciscus de Xabier.jpg|thumb|150px|フランシスコ・ ザビエル]]
:生没年:1506年 - 1552年
:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭<ref>キリスト教・カトリックにおける聖職者(神父など)の階級のひとつです。</ref>、宣教師です。
:カトリック教会が衰退することを心配して作られた修道会イエズス会の創設メンバーの1人です。
:ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名です。島津貴久や大内義隆といった大名に面会し、大友宗麟を洗礼させるまでにいたりました。日本での宣教の結果多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。1551年日本を離れ、インドで宣教を続けます。翌年中国へ宣教に向かったところ、中国南部で病気で亡くなりました。
* 関連する人物
**ルイス=フロイス
**:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を残しました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「戦国大名」「フランシスコ・ ザビエル」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」の後、室町幕府は、各地の戦乱を止めることができなくなっていました。
:*それまでは、守護が大きな力を持って争っていて、これを{{ruby|守護大名|しゅごだいみょう}}といっていましたが、守護大名を倒して、ある地方を支配する武将が、各地で登場しました。これを{{ruby|戦国大名|せんごくだいみょう}}といいます。
:*もともと、守護だった戦国大名もいますが、戦国大名は大きな力をつけてきた{{ruby|国人|こくじん}}をまとめて国をおさめ、戦さにのぞんだところが、守護大名とはちがっています。
:*戦国大名を細かく覚える必要はありません。
:*戦国時代の後半には、ポルトガル人が来航するようになり、鉄砲やキリスト教を伝えました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|安土|あづち}}{{ruby|桃山|ももやま}}時代 ==
=== <span id="織田信長"/>{{ruby|織田信長|おだのぶなが}} ===
{{wikipedia|織田信長}}
[[File:Odanobunaga.jpg|thumb|200px|織田信長]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|教科書本文]])
:生没年:1534年 - 1582年
:はじめは{{ruby|尾張|おわり}}の一部をおさめる大名でしたが、身内との争いに勝ち、尾張一国を治める戦国大名となりました。。
:1560年の「{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い」では、{{ruby|駿河|するが}}からせめてきた{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}の大軍を少ない兵で打ち破り、名を上げました。その後、{{ruby|美濃|みの}}の{{ruby|斎藤|さいとう}}氏をたおして美濃を手に入れ、拠点を岐阜城に移しました。
:1568には、足利{{ruby|義昭|よしあき}}を助けて将軍にして京都に入り、京都で力をふるっていた{{ruby|三好|みよし}}一族を追いはらいました。やがて義昭と対立し、1573年にはこれを追放し、室町幕府をほろぼしました。
:信長は、まわりの有力な戦国大名を次々に打ち破り、あるいは味方につけていきました。北陸方面では{{ruby|浅井長政|あざいながまさ}}や{{ruby|朝倉義景|あさくらよしかげ}}との連合軍をやぶり、{{ruby|比叡山|ひえいざん}}{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}や[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一向一揆|{{ruby|一向一揆|いっこういっき}}]]などの勢力も平定しました。{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}には苦しめられましたが、その死後は、武田{{ruby|勝頼|かつより}}を1575年の「{{ruby|長篠|ながしの}}の戦い」で打ち破りました。この戦いでは、鉄砲を効果的に使ったことでも知られています。
:経済やまちづくりにも力を入れ、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|楽市楽座|らくいちらくざ}}]]というしくみで商人が自由に商売できるようにしました。1576年には{{ruby|安土城|あづちじょう}}を築き、政治や文化の中心としました。
:1582年、中国地方の{{ruby|毛利|もうり}}氏との戦いを支えるために出陣しようとして京都の{{ruby|本能寺|ほんのうじ}}にいたところを部下の{{ruby|明智光秀|あけちみつひで}}におそわれ、亡くなりました。このとき信長は、毛利だけでなく、上越地方では{{ruby|上杉|うえすぎ}}、四国では{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}など、全国の大名に兵を向けており、天下統一に近づいていました。
:外国のことにも関心があり、{{ruby|地球儀|ちきゅうぎ}}を見て、地球が丸いことをすぐに理解したとも言われています。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「織田信長」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*織田信長は、{{ruby|群雄|ぐんゆう}}{{ruby|割拠|かっきょ}}の戦国時代、有力な戦国大名同士の争いでは決着がつかなくなったなかで、領国を大きく広げ、元々の尾張から京都を含めた一帯まで広げ、天下を統一する勢いを見せました。
:*信長が、それまでの戦国大名と大きく違っていたのは、鉄砲を大量に使用したことと足軽などの軍勢を常備動員するようになったことです。
:*高価であった鉄砲やを大量に手に入れたり、農民と独立した軍勢をもつには、強大な経済力が必要です。信長は、農村の改革や楽市楽座のような商業の{{ruby|振興|しんこう}}によって、これを得ました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="豊臣秀吉"/>{{ruby|豊臣秀吉|とよとみ ひでよし}} ===
{{wikipedia|豊臣秀吉}}
[[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|200px|豊臣秀吉]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉の天下統一|教科書本文]])
:生没年:1537年 - 1598年
:秀吉は、現在の名古屋市にあたる場所で生まれました。農民の子とも足軽の子とも言われていますが、正確なことはわかっていません。武士として高い家柄に生まれたものではなかったことはたしかです。
:もともと、{{ruby|木下藤吉郎|きのした とうきちろう}}と名乗っており、{{ruby|松下之綱|まつした ゆきつな}}に仕えたのち、織田信長に仕えました。信長のもとで数々の手柄を立てて出世し、名前も{{ruby|羽柴秀吉|はしば ひでよし}}と改めました。本能寺の変の前には、毛利攻めの総大将を任されるほどになっていました。
:本能寺の変のとき、秀吉は{{ruby|備中|びっちゅう}}(今の岡山県)で毛利氏と戦っていましたが、すぐに軍を引き返し、明智光秀を討ちました。これにより、信長の後継者としての立場を固め、翌年には、信長の家臣の中でも最も有力であった{{ruby|柴田勝家|しばた かついえ}}を破りました。そして、大阪城を築き、政治の中心としました。また、朝廷に近づき、高い官位を受け、最終的には関白まで上りつめます。そして、天皇から「豊臣」の姓をもらい、豊臣秀吉と名乗るようになりました。
:秀吉は、戦いだけでなく、交渉や同盟もうまく使って全国をまとめていきました。毛利氏や{{ruby|上杉景勝|うえすぎ かげかつ}}と同盟を結び、{{ruby|徳川家康|とくがわ いえやす}}も従わせました。四国の{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}氏、九州の{{ruby|島津|しまづ}}氏、関東の{{ruby|北条|ほうじょう}}氏を次々に制し、東北の{{ruby|伊達政宗|だて まさむね}}も従わせたことで、日本を統一し、戦国時代は終わりました。
:政治では、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#太閤検地|{{ruby|検地|けんち}}]]」を行い、土地の広さや収穫量を正確に調べて税のしくみを整えました。また、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#刀狩|{{ruby|刀狩|かたながり}}]]」によって、農民の武器を取りあげ、武士と民の身分のちがいを明らかにしました。
:秀吉はのちに「{{ruby|太閤|たいこう}}<ref>関白を辞めた人のことを言いますが、秀吉以降は、一般的に太閤とは秀吉のことを指すようになりました。</ref>」と呼ばれ、京都南部の伏見に{{ruby|桃山|ももやま}}城を築き、そこで政治を行いました。また、南蛮貿易を奨励する一方で、キリスト教を取りしまり、宣教師の追放や信者の処刑も行いました。
:晩年には、大陸への進出をめざして朝鮮に出兵しましたが、戦いはうまくいかず、秀吉の死によって朝鮮出兵も終わりました。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「豊臣秀吉」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*豊臣秀吉は、本能寺の変でたおれた織田信長の後をついで、東西に兵をすすめ、日本を統一し戦国時代を終わらせました。
:*秀吉は、農地の広さと{{ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}を調査し、土地の耕作者がどれだけ税を払えるかを決める「{{ruby|検地|けんち}}」を全国で行いました。
:*秀吉は、武士と農民をはっきり分け、農民となったものからは刀や鉄砲といった武器を取り上げる「{{ruby|刀狩|かたながり}}」を全国で行いました。
:*大阪城を作って、城下に多くの商人を集めて商業をさかんにしました。
:*晩年、大陸に進出するため、大量の軍勢を朝鮮に送りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== 安土桃山時代の文化人 ===
*'''{{ruby|千利休|せん の りきゅう}}''' (→[[w:千利休|wikipedia]])
:生没年:1522年 - 1591年
:堺の有力な商人で、作法としての「茶道」を完成させました。
:お茶を飲む習慣は鎌倉時代に始まっていましたが、室町時代になると茶の湯として広く流行し、茶器の工芸品としての価値も高まりました。そのため、高価な茶器を用いた豪華な茶会が開かれるようになりました。そのような風潮に対して、一見ありふれたような道具を用い、そまつな中の美しさを見出し、客と主人との心の交流を重んじる[[w:わび茶|わび茶]]が生まれます。このわび茶をもとにして、現在に続く茶道を完成させました。
:利休は、織田信長などとの取引をつうじて関係を築き上げていきました。このため武将たちとも交流ができ、多くの弟子が生まれました。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の大名や商人などとの交際を仲立ちする役目を負いますが、後に秀吉の怒りをかってしまい、切腹させられました。
*'''{{ruby|狩野永徳|かのう えいとく}}'''(→[[w:狩野永徳|wikipedia]])
:生没年:1543年 - 1590年
:戦国時代から安土桃山時代を代表する{{ruby|絵師|えし}}(職業としての画家)。
:将軍家に仕える絵師の集団「狩野派」の棟梁として室町将軍家から織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、{{ruby|聚楽第|じゅらくだい}}、大坂城などの{{ruby|障壁画|しょうへきが}}({{ruby|襖|ふすま}}や壁など部屋を分ける壁面に描かれる絵)を制作しました。これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、狩野永徳が実際に描いたものとされる作品は比較的残っていません。現存する代表作の1つである『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
:
{{-}}
== 江戸時代 ==
===<span id="徳川家康"/>{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}===
{{wikipedia|徳川家康}}
[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|250px|徳川家康]]
:生没年:1543年-1616年
:1543年、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:1582年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|本能寺の変]]で信長が亡くなった後、秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、昔からの領地の三河や隣接する遠江・駿河といった領地から北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっており、秀吉政権においては五大老の筆頭でした。
:秀吉の死後、1600年、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#関ヶ原の戦い|関ヶ原の戦い]]に勝利して政権を握ります。
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命され、江戸に幕府を開きます。
:1614年から翌年に「大坂の陣」を起こして豊臣氏を滅ぼしたのち、1616年亡くなりました。
:「東照大権現」として、日光東照宮などにまつられています。
{{-}}
===<span id="徳川家光"/>{{ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}===
{{wikipedia|徳川家光}}
[[File:Iemitu.jpg|thumb|250px|徳川家光]]
:生没年:1604年-1651年
:江戸幕府第3代将軍。第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}の子です。家光が生まれた時には、家康は将軍であり、家光が将軍になったころには豊臣氏もほろび、幕府の仕組みも安定して、「生まれながらの将軍」として、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|{{ruby|譜代|ふだい}}か{{ruby|外様|とざま}}]]にかかわらず、他の大名とは違う特別の地位にあることを示しました。
:家光の代に、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#参勤交代|参勤交代]]の制度が整い{{ruby|幕藩|ばくはん}}体制が確立しました。
:1637年島原の乱というキリシタンを多く含む大きな{{ruby|一揆|いっき}}を鎮圧すると、キリスト教の禁止を徹底するため、1639年、ポルトガルの来航を禁じ、鎖国を行いました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「徳川家康」「徳川家光」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*徳川家康は、若いころから織田信長と{{ruby|同盟|どうめい}}を組んで信長の天下統一に協力しました。豊臣秀吉の代になると、初めは秀吉と争いましたが後に和解し、北条氏に代わって関東一円を治める秀吉の時代には最大の大名となっていました。
:*秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝って、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。
:*徳川家光が将軍になるころには、各地の大名に参勤交代を義務付けるなど、江戸幕府も頂点とした安定した社会が完成していました。
:*家光は、キリスト教を完全に禁止するため鎖国を行いました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="松尾芭蕉"/>{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}===
{{wikipedia|松尾芭蕉}}
[[File:Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg|thumb|200px|松尾芭蕉]]
生没年:1644年-1694年
:{{ruby|和歌|わか}}の余興の{{ruby|言捨|いいす}}ての{{ruby|滑稽|こっけい}}から始まり、滑稽や{{ruby|諧謔|かいぎゃく}}を主としていた{{ruby|俳諧|はいかい}}を、{{ruby|蕉風|しょうふう}}と呼ばれる芸術性の極めて高い{{ruby|句風|くふう}}として確立した。
:代表作に「{{ruby|古池|ふるいけ}}や{{ruby|蛙飛|かわづと}}びこむ{{ruby|水|みず}}の{{ruby|音|おと}}」「{{ruby|閑|しずか}}さや{{ruby|岩|いわ}}にしみ{{ruby|入|い}}る{{ruby|蝉|せみ}}の{{ruby|声|こえ}}」などがあります。
{{-}}
===<span id="近松門左衛門"/>{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}===
{{wikipedia|近松門左衛門}}
:生没年:1653年-1725年
:人形{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}の作者です。町人社会の義理や人情をテーマとした作品([[w:世話物]])や歴史的な事件や出来事を扱った[[w:時代物]]で評判を得ました。
:代表作に「{{ruby|曽根崎|そねざき}}{{ruby|心中|しんじゅう}}」「{{ruby|冥途|めいど}}の{{ruby|飛脚|ひきゃく}}」「{{ruby|女殺油地獄|おんなごろしあぶらのじごく}}」「{{ruby|国姓爺合戦|こくせんやかっせん}}」などがあります。
=== <span id="本居宣長"/>{{ruby|本居宣長|もとおりのりなが}} ===
{{wikipedia|本居宣長}}
:生没年:1720年-1801年
:日本の古典文学などから、日本古来の姿を研究する国学を確立しました。
:古事記の内容を研究した『古事記伝』などの著作があります。
=== <span id="杉田玄白"/>{{ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}} ===
{{wikipedia|杉田玄白}}
:生没年:1733年-1817年
:医師、{{ruby|蘭学|らんがく}}者。
:{{ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}と共にオランダ語の{{ruby|解剖|かいぼう}}学の書『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳し、『{{ruby|解体新書|かいたいしんしょ}}』を完成させ、近代的な西洋医学を日本にもたらしました。
:辞書がない中で翻訳を手さぐりで進めていった苦労などを『{{ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』という本に残しています。
=== <span id="伊能忠敬"/>{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}} ===
{{wikipedia|伊能忠敬}}
:生没年:1745年-1818年
:伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)の商人で、50歳まで家業を務めたのち、子に譲って隠居しました。それから、忠敬は海岸線がどのような形をしているかを書き表すために天文学と測量術を学びはじまます。そして、55歳になって、日本中を駆け巡り、日本の海岸線の形を測量し、『{{ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』という地図に残しました。
:欧米において、近代的な測量術は当時確立したばかりで、忠敬の測量術は直接それに接したものではありませんでしたが、忠敬の地図は、近代的測量術によるものと比べても驚くほど正確なものでした。
:詳細は、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#伊能忠敬|教科書のコラム欄]]参照。
===<span id="歌川広重"/>{{ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}===
{{wikipedia|歌川広重}}
:生没年:1797年-1858年
:別名、{{ruby|安藤|あんどう}}広重。{{ruby|浮世絵|うきよえ}}師。代表作に『東海道五十三次』があります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「近松門左衛門」「本居宣長」「杉田玄白」「伊能忠敬」「歌川広重」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*江戸時代になって、社会が安定し、江戸や大阪といった都市がさかえるようになると、町人と呼ばれる{{ruby|庶民|しょみん}}に受け入れられる文化が盛んになります。
:*近松門左衛門が脚本を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎が人気となり、また、絵の方面では、安藤広重などが、印刷でだれでも手に入れられる浮世絵の分野で活躍します。
:*学問といえば、それまで{{ruby|儒学|じゅがく}}(漢学)ばかりでしたが、日本古来のことを研究する国学が本居宣長によって確立し、医学などの分野では、オランダから伝わった{{ruby|蘭学|らんがく}}が杉田玄白などにより新たに出現しました。学問の成果を実現しようという取り組みも見られ、伊能忠敬は、各地を測量して日本全国の地図をつくりました。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="マシュー・ペリー"/>マシュー・ペリー ===
{{wikipedia|マシュー・ペリー}}
:生没年:1794年-1858年
:アメリカ合衆国の海軍軍人。
:1853年、日本に開国を求めるため黒船をひきいて来航、翌年、再度来航し、幕府に'''日米和親条約'''を結ばせ、日本を開国しました。
* 関連する人物
**<span id="ハリス"/>[[w:タウンゼント・ハリス|タウンゼント・ハリス]]
**:アメリカ合衆国の外交官。
**:日米和親条約が結ばれた後、アメリカ合衆国を代表する外交官({{ruby|公使|こうし}})として来日し、日本との間に貿易に関する条約を結ぶよう交渉します。その結果、1858年、'''日米修好通商条約'''が結ばれ、日本は鎖国を完全に解いて諸外国と貿易を始めることとなります。この条約は、日本にとって非常に不平等なものであったので、明治政府はこれを平等なものに改正するのに非常に苦労します。
**<span id="井伊直弼"/>[[w:井伊直弼|{{ruby|井伊直弼|いいなおすけ}}]]
**:幕末の彦根藩主で、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の仕組み|幕府の大老]]です。
**:日米和親条約を結んだのち、各国は貿易のための通商条約を結ぶことを求めてきました。開国の時にあわてた対応をして、朝廷などを巻き込んだため、幕府は混乱していました。井伊直弼は、江戸時代の間ずっとそうであったように、朝廷や他の大名の意見を聞かずに通商条約を結び、これに反対したり批判する人たち({{ruby|攘夷|じょうい}})を弾圧し、中には処刑することもありました({{ruby|安政|あんせい}}の{{ruby|大獄|たいごく}})。このことで、うらみを買った井伊直弼は尊王攘夷派によって暗殺されました(桜田門外の変)。
**<span id="吉田松陰"/>[[w:吉田松陰|{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}]]
**:長州藩の下級武士の家に生まれましたが、幼い頃から学問に優れ、江戸に出るなどして学問を深めました。黒船来航の時、ひそかに黒船にまで行ってアメリカに渡ることをこころみますが、失敗し犯罪者として長州藩にもどされます。長州にもどった吉田松陰は、松下村塾という私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ教え始めます。松下村塾では、儒学や兵法に限らず広い分野を教え、また、塾生に活発に議論をさせるなどして、多くの人材が育ち、幕末の尊皇攘夷・倒幕運動や明治政府の中心となっていきました。幕府からは尊皇攘夷を唱える危険人物とされ、安政の大獄で処刑されました。
**<span id="高杉晋作"/>[[w:高杉晋作|{{ruby|高杉晋作|たかすぎしんさく}}]]
**:長州藩の身分の高い家柄に生まれました。藩校の{{ruby|明倫|めいりん}}館に通っていましたが、たまたま、聞いた吉田松陰の講義に引き込まれ松下村塾に通うようになります。松下村塾では、塾生のリーダーで、松蔭の死後、若い長州藩士をひきいて、尊皇攘夷運動を全国で展開します。身分によらない兵で組織する{{ruby|奇兵隊|きへいたい}}を作ったり、幕府に従おうとした長州藩の実権を握って、幕府に対抗させるなど、後に長州藩出身者が明治政府で重要な役割を果たす基礎をつくりました。明治維新の前年1867年に肺結核で29歳で亡くなりました。
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=== <span id="勝海舟"/>{{ruby|勝海舟|かつかいしゅう}} ===
{{wikipedia|勝海舟}}
[[File:Kaishu Katsu 1.jpg|thumb|left|150px|1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影]]
:生没年:1823年- 1899年
:幕臣、ただし、身分はあまり高くない[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|御家人]]と言われる家柄の出身です。
:「海舟」は号と言われる一種のペンネームで、若い頃は「{{ruby|麟太郎|りんたろう}}」、明治になって戸籍には「{{ruby|安芳|やすよし}}」と記録されました。
:はじめ、蘭学を学び、1853年の黒船来航をきっかけに、蘭学知識を頼りとされ、幕府に外国関係の役人として{{ruby|抜擢|ばってき}}され、航海術などを取り扱います。1860年日本人乗組員が主となって初めて太平洋を横断した咸臨丸で米国に渡る経験をします。それから、幕府内で外国の知識が豊富な有力者として、海軍の創設などを行います。また、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]など薩長などの有力者とも親交を持ちました。薩長同盟を仲介した[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]は、勝海舟の弟子です。
:戊辰戦争で薩長軍が江戸を攻めようとした時、西郷隆盛と話し合い、江戸城を人が死ぬことなく開城させました。
:明治政府では、創成期に参議や海軍卿といった要職について、海軍創設に貢献しました。
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* 関連する人物
**<span id="坂本龍馬"/>[[w:坂本龍馬|{{ruby|坂本龍馬|さかもとりょうま}}]]
**:土佐藩の下級藩士でしたが、江戸に剣術の修行に出ている時に黒船来航があって、その後、尊王攘夷運動に参加しました。勝海舟を暗殺しようと訪れたところ、勝に海軍や海上運輸が重要であることを教えられ、勝の弟子になり、その活動を手伝い京都や長崎で、薩摩藩の[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]や長州藩の[[#木戸孝允|桂小五郎(木戸孝允)]]といった、尊王攘夷活動家の要人と知り合います。商売の才能もあり、主にアメリカから船や大量の銃を諸藩に仲介したりもしました。西郷と桂を説得して薩摩と長州の同盟を結ばせたのは坂本龍馬であると言われています。大政奉還直後、鳥羽・伏見の戦いの前に京都で暗殺されました。
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{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「ペリー」「勝海舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*1641年にオランダ人に長崎の出島のみの来航を許す鎖国を始めてから、日本は、欧米と関係することはほとんどありませんでした。
:*18世紀半ばから19世紀にかけて、欧米では産業革命が起きて蒸気機関などが発明され、文明が大きく発展していました。
:*鎖国していた日本は、それを知ることはなかったのですが、1853年、蒸気船でペリーが来航し開国を求めました。
:*幕府は、あわてて開国し、遅れている文明を追い付かせようと、勝海舟などを米国に派遣したりして、さまざまな近代化に取り組みました。
:*しかし、もう幕府だけのうごきで、日本全体を動かすことはできないようになっており、幕府は倒され、日本が一つの国としてうごくことができる国づくりが始まります。
:</small>
|}</div>
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== {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 ==
※この項では、年代が明治以降の場合、理解の助けとして元号(明治、大正、昭和)を付記します。
=== <span id="明治天皇"/>{{ruby|明治天皇|めいじてんのう}} ===
{{wikipedia|明治天皇}}
[[File:Emperor Meiji in 1893.jpg|thumb|180px|軍装の明治天皇(1890年頃)]]
:生没年:1852年 - 1912年(明治45年)
:幕末から明治末年までの天皇です。在位:1867年2月13日(慶応3年1月9日) - 1912年(明治45年)7月30日。
:幕末、幕府と薩長などが厳しく対立する京都で、父{{ruby|孝明|こうめい}}天皇の急死を受け、1867年2月13日(慶応3年1月9日)14歳で即位しました。
:11月9日(旧暦10月14日)に第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を申し出、翌日に許可されました('''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|大政奉還]]''')。 1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らは朝廷を動かし、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|王政復古の大号令]]'''を出させて、慶喜を新たな政権から外しました。
:これに不満を持った幕府側は1868年1月27日(慶応4年1月3日)、京都に攻めかかりますが、薩摩や長州は、天皇の軍であることを表す「{{ruby|錦|にしき}}の{{ruby|御旗|みはた}}」を示して、これを押し返します({{ruby|鳥羽伏見|とばふしみ}}の戦い)。慶喜は江戸に逃げ帰り、同年3月8日(旧暦2月12日)西郷隆盛がひきいる官軍に降伏しました。
:4月6日(旧暦3月14日)、天皇は新しい政府の心得である'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり#明治維新と武士の社会の終わり|{{ruby|五箇条|ごかじょう}}の{{ruby|御誓文|ごせいもん}}]]'''を発布しました。
:10月23日(旧暦9月8日)に年号を慶応から'''明治'''に改め({{ruby|改元|かいげん}})、あわせて、天皇の在位中は元号を変えない「{{ruby|一世一元|いっせいいちげん}}の制」を定めました。
:11月4日(旧暦9月20日)から翌1869年2月3日(明治元年12月22日)にかけて、東京<ref>1868年9月3日(慶応4年7月17日)に「江戸」から改名されました。</ref>を訪れます。
:1869年4月18日(旧暦3月7日)京都を離れた天皇は、5月9日(旧暦3月28日)江戸城(皇居)に入り、以降、ここに住むことになりました。
:1869年7月25日(旧暦6月17日)、全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還しました('''版籍奉還''')。
:1871年(明治4年)6月、薩摩藩、長州藩、土佐藩の兵士を集めた'''{{ruby|御親兵|ごしんぺい}}'''が組織されます。最初の、「天皇の軍隊」です。
:同年8月29日(旧暦7月14日)'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#廃藩置県|廃藩置県]]'''を宣言し、天皇を中心とした中央集権の仕組みが誕生しました。
:天皇は、1872年(明治5年)から1885年(明治18年)にかけて、6回に分け日本全国を巡行しました。また、1872年ころには、{{ruby|髷|まげ}}を切って、特別な場合を除いて、洋装で人前に出るようになりました。
:1880年頃から、外国の要人<ref>例として、明治12年(1879年)ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫ハインリヒ皇子、同年元米国大統領ユリシーズ・グラント、1881年(明治14年)ハワイ国王カラカウアなど。</ref>が来日するようになり、天皇も外交の舞台に立つようになります。
:1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布され、それにおける天皇の地位は、国家の主権者かつ元首として、統治権を総攬する存在と規定されていました。天皇の地位は「神聖にして侵すべからず」とされ、{{ruby|現人神|あらひとがみ}}としての宗教的権威も持ち合わせていました。また、文武官の任免や陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約締結など、議会の関与を受けない「天皇大権」を有していました<ref>ただし、天皇自らの意思で大権をふるうことは、憲法が改正されるまでなく、これは、政権を有する行政が議会に優越することがあったということを意味しています。</ref>。
:1891年(明治24年)、ロシア帝国の皇太子ニコライが滋賀県大津で暴漢に襲われ負傷するという'''[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#大津事件|大津事件]]'''の際には、東京から急いでかけつけニコライを見舞い、帰国を見送りました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#日清戦争|日清戦争]]が始まると、戦時における軍事の最高機関である{{ruby|大本営|だいほんえい}}が設置され、1894年(明治27年)9月には、戦地に近づくため天皇と共に広島に移動します。
:日露戦争の開戦前には戦争回避と平和を望むものでしたが、最終的には政府・軍部の主戦論を受け入れ開戦を決断しました。戦中は戦況を深く心配し、多くの犠牲者をいたみ、勝利を国民と共に静かに見守りまし。戦後は講和条約締結に際し、詔勅を発し国民に理解を求めるなど、冷静かつ責任ある態度を貫きました。このように、終始、国民と将兵を思いやり、慎重かつ重責を担う姿勢を示しました。
:1912年(明治45年)7月30日病気で亡くなりました。
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{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「明治天皇」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*近代の天皇は、日本国憲法を待つまでもなく、もともと象徴的な立場にあって、自ら政策などに{{ruby|携|たずさ}}わることはないので個人の事績を述べることは非常に難しいものです。
:*ここでは、主に、明治政府と天皇・皇室の関係を述べています。明治時代の{{ruby|概略|がいりゃく}}の歴史として、日本が、天皇という立場を用いて、統一の道へ向かっていき、国際世界で活躍できるようになったことを理解してください。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="西郷隆盛"/>{{ruby|西郷隆盛|さいごうたかもり}} ===
{{wikipedia|西郷隆盛}}
[[File:Takamori Saigo.jpg|150px|left|thumb|西郷隆盛]]
:生没年:1828年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。「討幕」を主導した{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議、陸軍大将)です。
:幕末黒船来航後、薩摩藩主{{ruby|島津斉彬|しまづなりあきら}}の指示を受けて、幕府改革に関係しました。しかし、次第に、日本全体を変えるには幕府を倒すしかないと考え、薩摩藩の若い武士たちが強く支持する中、朝廷を味方につけ、敵対していた長州藩と{{ruby|同盟|どうめい}}し、幕府と幕府に味方する諸藩を倒しました。
:討幕後、新政府を主導して、天皇直属の軍隊を組織し、{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}を行うなど、新しい社会を作るために、古い武家社会の消滅に貢献しました。
:大久保利通らと政府改革の進め方で対立し、1873年(明治6年)、唱えていた征韓論に敗れて政府を離れました。
:鹿児島に戻って、若者の指導をしていましたが、新政府に不満を持つ士族にかつぎあげられ、西南戦争を起こし敗死します。
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=== <span id="大久保利通"/>{{ruby|大久保利通|おおくぼとしみち}} ===
{{wikipedia|大久保利通}}
[[File:Toshimichi Okubo 4.jpg|150px|left|thumb|大久保利通]]
:生没年:1830年 - 1878年(明治11年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。西郷隆盛等とともに討幕を主導し、明治維新政府を確立した中心人物(参議、初代内務卿<ref>日本国内の政治を全てうけもつ内務省の長で、当時の行政のトップになります。</ref>)です。
:島津斉彬の死後、薩摩藩を実質的に支配した{{ruby|島津久光|しまづひさみつ}}の下で、薩摩藩全体を動かし、西郷隆盛を助けました。
:維新後は、内政に力を入れるため内務省を作り、日本の官僚制度を作り上げます。
:西南戦争時には、これを指導し政府を勝利に導きます。
:西南戦争の翌年、不平士族に暗殺されますが、その改革は伊藤博文に引き継がれ、以降の明治政府の基礎となります。
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=== <span id="木戸孝允"/>{{ruby|木戸孝允|きどたかよし}} ===
{{wikipedia|木戸孝允}}
[[File:T kido.jpg|150px|left|thumb|木戸孝允]]
:生没年:1833年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|長州藩|ちょうしゅうはん}}出身。幕末の長州藩を取りまとめ、薩摩藩と共に討幕を実現した、{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議)です。
:若いころは、{{ruby|桂小五郎|かつらこごろう}}と名乗っていました。長州藩は、{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}が開いた{{ruby|松下村塾|しょうかそんじゅく}}で学んだ若い藩士が{{ruby|活躍|かつやく}}しますが、それら若い藩士を取りまとめ、西郷隆盛などと交渉して、薩摩藩と同盟して幕府を倒しました。
:明治維新政府では、西郷や大久保のような目立った業績は残していませんが、長州藩出身者の代表としてふるまい、[[#伊藤博文|伊藤博文]]や[[#山県有朋|山県有朋]]が活躍する環境をつくりました。
:西南戦争のなか、病気で亡くなりました。
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* 関連する人物
**<span id="岩倉具視"/>[[w:岩倉具視|{{ruby|岩倉具視|いわくらともみ}}]]
**:京都の公家出身の政治家です。幕末、西郷や大久保とはかって、京都の公家等を取りまとめ、明治天皇を味方に引き込み朝廷が討幕へ向かうよう主導しました。
**:1871年(明治4年)から、約1年かけて、大久保・木戸・伊藤らを引き連れ、欧米を視察し、その進んだ文明に大変驚き、日本の文明を発展させ欧米に追いつくことが重要であると理解しました([[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#遣欧使節団|遣欧使節団]])。
**:帰国後、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#征韓論|征韓論]]で、大久保と共に西郷と対立し、これをしりぞけました。
**:その肖像は、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)まで発行されていた500円紙幣に用いられていました。
**:
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*この3人は、討幕とその後の明治政府の立ち上げの功績が特に大きく、「{{ruby|維新|いしん}}の{{ruby|三傑|さんけつ}}」と呼ばれています。
:*幕末の薩摩藩や長州藩で藩士などをひきいて討幕に向かったのは数多くの下級武士を含めた青年層の武士たちで、それを率いたのは、藩主や家老といった藩の{{ruby|重鎮|じゅうちん}}ではなく、西郷・大久保・木戸といったやはり若い指導者たちでした。
:*彼らは、幕府を倒しただけでなく、自分たちの出身でもある藩を、そして、武士の世界も倒してしまいました。
:*維新の三傑は、古い仕組みを打ちこわす一方で、新しい政治の仕組みが機能するような基盤を残しました。
:*1877年(明治10年)、西南戦争の行方を心配しながら木戸は亡くなり、西郷は敗死しました。また、翌年、大久保も暗殺され、明治になって10年ほどで維新の最大の功労者たちを失い、次の世代である、[[#伊藤博文|伊藤博文]]、[[#大隈重信|大隈重信]]、[[#山県有朋|山県有朋]]、[[#井上馨|井上馨]]らが明治政府を作り上げていくことになります。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="伊藤博文"/>{{ruby|伊藤博文|いとうひろぶみ}} ===
{{wikipedia|伊藤博文}}
[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|150px|left|thumb|伊藤博文]]
:生没年:1841年-1909年(明治42年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身の非常に身分の低い武士でしたが、松下村塾で学び、その才能を認められました。
:1863年には井上馨他3名と共にイギリスに留学しますが、1年後下関戦争の報を聞いて、3名は残して、井上と共に留学を中断して帰国します。
:[[#大久保利通|大久保利通]]の跡を継いで、日本の官僚制度を整備します。
:ヨーロッパを回り、大日本{{ruby|帝国憲法|けんぽう}}の手本となる憲法を研究、天皇(実際は{{ruby|内閣|ないかく}})が強い権限を持つことができるドイツ(当時はプロシア)の憲法を手本とすることにしました。
:これに基づいて、{{ruby|内閣|ないかく}}制度を{{ruby|創設|そうせつ}}し、初代{{ruby|内閣総理大臣|ないかくそうりだいじん}}({{ruby|首相|しゅしょう}})となり、引き続いて大日本帝国憲法制定や帝国議会(国会)の創設を主導しました。
:国会が開設されると、[[#大隈重信|大隈重信]]ら自由民権運動からの流れの政党に対抗するため、政府(役所)を支持する政党を組織しました。その後、数回、首相となっています。
:日露戦争後、初代の朝鮮総督となりますが、訪問していた中国のハルビンで、朝鮮人活動家に暗殺されました。
:その肖像は、1963年(昭和38年)から1986年(昭和61年)まで発行されていた千円紙幣<ref>現在([[#北里柴三郎|北里柴三郎]])の前([[#野口英世|野口英世]])の前([[#夏目漱石|夏目漱石]])の前になります。</ref>に用いられていました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="井上馨"/>[[w:井上馨|{{ruby|井上馨|いのうえかおる}}]]
**:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で伊藤や山県などと比べると相当に高い家柄の出身ですが、伊藤とともに松下村塾で学び、生涯の親友になりました。
**:[[#木戸孝允|木戸孝允]]が亡くなると、あとを受けて長州藩出身者の代表となり、財政や外交の面で活躍します。
=== <span id="山県有朋"/>{{ruby|山県有朋|やまがたありとも}} ===
{{wikipedia|山県有朋}}
[[File:Yamagata Aritomo.jpg|150px|left|thumb|山県有朋]]
:生没年:1838年-1922年(大正11年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で、伊藤博文同様、非常に身分の低い武士でした。松下村塾で学ぶことはありませんでしたが、多くの塾生と関わり、その才能を認められました。幕末には、奇兵隊の運営を任されました。
:明治政府に入ると、近代的な軍隊としての陸軍の仕組みを作り上げました。西南戦争で、幕末に最強と言われた旧薩摩軍の武士を相手にして、もともと農民であったりする明治政府の軍隊が勝利した功績の多くは山縣有朋によるものでした。その後、陸軍は政府に対して強い発言力を持つようになり、その陸軍のトップにいたのが山県有朋でした。
:また、地方行政や警察など治安に強い権限を持っていた内務省と関係を深くし、政府の政策に対しても強い影響力を持ちました。
:内閣制度発足後は内閣総理大臣を2回務めます。
{{-}}
=== <span id="渋沢栄一"/>{{ruby|渋沢栄一|しぶさわえいいち}} ===
{{wikipedia|渋沢栄一}}
[[File:Portrait of Shibusawa Eiichi.jpg|150px|thumb|left|渋沢栄一]]
:生没年:1840年 - 1931年(昭和6年)
:江戸時代末期、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に百姓(豪農身分)として生まれます。黒船来航後、混乱する幕末に[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|徳川慶喜]]の家臣として、武士に取り立てられ、のちに慶喜の将軍就任にともない幕臣となります。明治維新後は、明治政府で官吏となり、民部省を経て直属の上司である井上馨の下で、{{ruby|造幣|ぞうへい}}(通貨の発行)、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#戸籍制度|戸籍]]、{{ruby|出納|すいとう}}(政府における金銭の出し入れの管理)など様々な政策立案を行いました。その後、政府から離れ、実業界に転じて、株式会社の制度とそれを支える証券取引所の制度、銀行の制度、保険の制度、商工業の経営者が集まって政府や社会に向けて意見を発信する商工会議所の制度など、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#社会主義と共産主義|近代的な資本主義社会]]に欠かせない各種の制度を作り上げます。そのため、「日本資本主義の父」ともよばれています。
:また、社会福祉事業、大病院の建設など医療事業、教育や学術研究の発展などにも大きく貢献しました。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1万円札の肖像に用いられています。
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* 関連する人物
**<span id="岩崎弥太郎"/>[[w:岩崎弥太郎|{{ruby|岩崎弥太郎|いわさきやたろう}}]]
**:土佐藩の下級武士で、幕末は長崎で外国との商取引に従事していました。[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の死後、坂本龍馬が経営していた{{ruby|海援隊|かいえんたい}}を引き取り、海運業を始めます。
**:弥太郎の始めた海運業は、郵便物の運送や兵員の輸送など政府の委託で大きく育ち、現在の三菱グループの源流になります。
{{-}}
=== <span id="福澤諭吉"/>{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}} ===
{{wikipedia|福澤諭吉}}
[[画像:福澤諭吉像2.jpg|250px|thumb|福澤諭吉像(東京都港区三田・慶應大学構内)]]
:生没年:1835年 - 1901年(明治34年)
:豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれます。大阪の「適塾」で蘭学を学び、1859年、[[#勝海舟|勝海舟]]らが率いる咸臨丸に同乗し渡米の経験をえ、その後ヨーロッパを訪問、再び米国を訪れるなどして、蘭学のみならず英語による欧米の文物の知識を得るようになります。
:1868年(慶応4年)に、蘭学塾である'''慶應義塾'''を開きます。それまで、医学や化学など科学技術が中心であった蘭学塾と異なり、欧米の思想や会計などの制度も教えました。また、蘭学塾といいながら英語によるものが教えられていました。これが、日本で最初の近代的大学と言われる'''慶應義塾大学'''(慶應大学)の創始です。
:明治時代になって、「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の近代思想を数々の著書を通じて紹介しました。『学問のすすめ』の中では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と、生まれながらの平等を説いて、努力次第で社会の重要な地位に就くことができること(立身出世)を主張しました。
:官主導の明治政府に対して、民間の立場から、新聞や出版物で社会を啓蒙し、教え子を民間の各所で活躍させるなどして、日本社会の近代化を主導しました。
:[[#渋沢栄一|渋沢栄一]]の前の1万円札の肖像に用いられていました。
* 関連する人物
**<span id="中江兆民"/>[[w:中江兆民|{{ruby|中江兆民|なかえちょうみん}}]]
**:土佐藩の下級武士の出身。
**:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に日本を出た留学生]]の一人でフランスに留学します。
**:18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を紹介し、日本の自由民権運動に大きな影響を与えます。
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=== <span id="板垣退助"/>{{ruby|板垣退助|いたがきたいすけ}} ===
{{wikipedia|板垣退助}}
[[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|150px|left|thumb|板垣退助]]
:生没年:1837年 - 1919年(大正8年)
:土佐藩出身。
:戊辰戦争では、軍隊をひきいて、幕府軍などと戦い、多くの戦いで勝利しました。
:征韓論では、西郷に味方し、それに敗れると故郷の高知に戻り、憲法の制定と選挙で選ばれた議会による政治を求めた自由{{ruby|民権|みんけん}}運動を主導、1881年(明治14年)に日本最初の近代的な政党自由党を結成しました。
:運動を{{ruby|妨害|ぼうがい}}しようとする暴漢に襲われた時に「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとされることは有名です。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、大隈重信の内閣で内務大臣を務めることはありましたが、その他の官職の誘いや国会の議員<ref>板垣は伯爵という華族(何回も断ったのですが、明治天皇が是非にと進めたので、これを受けました)であったので衆議院議員の被選挙権はなく、また、貴族院の勅任議員や互選議員になることも断っていました。</ref>になるのを断って、{{ruby|在野|ざいや}}<ref>政府の官職などにつかないこと。</ref>で自由主義や民主主義を主張し続けました。
{{-}}
=== <span id="大隈重信"/>{{ruby|大隈重信|おおくましげのぶ}} ===
{{wikipedia|大隈重信}}
[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|150px|left|thumb|大隈重信]]
:生没年:1838年 - 1922年(大正11年)
:{{ruby|肥前|ひぜん}}(佐賀)藩出身。
:明治維新後、政府に入って{{ruby|地租改正|ちそかいせい}}などの{{ruby|改革|かいかく}}にあたるとともに、{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}を{{ruby|推進|すいしん}}するなど、内政に才能を見せました。
:[[#大久保利通|大久保利通]]死後も[[#伊藤博文|伊藤博文]]とともに新政府の政策を進めましたが、イギリスの民主的な政府を理想としていた大隈は、一部の政治家が主導して安定して強力な政府をめざす伊藤と対立して、1881年(明治14年)、政府から{{ruby|離|はな}}れました。
:政府からはなれた大隈は、立憲改進党を結成して自由民権運動をすすめました。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、1898年(明治31年)の衆議院選挙で大隈の支持者が多数派となったことから内閣総理大臣に指名されました。これは、短命に終わりましたが、1914年(大正3年)再び衆議院に支持者を多く得て首相となりました。
:政府からはなれた大隈は、翌年の1882年(明治15年)、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の{{ruby|造就|ぞうしゅう}}<ref>つくりあげること。育成すること。</ref>」をスローガンに東京専門学校を開校しました。現在の早稲田大学です。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「伊藤博文」「山県有朋」「渋沢栄一」「福沢諭吉」「大隈重信」「板垣退助」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「維新の三傑」死後、まだ不安定であった政府を安定させたのは伊藤博文や山県有朋でした。不平士族が、西南戦争など[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#士族の反乱|士族の反乱]]でいなくなった後、まだ、議会などもない中で多くの改革が、進められました。
:*政府による改革と並行して、渋沢栄一や岩崎弥太郎によって、株式会社・銀行といった新しい経済の仕組みの中で、蒸気船による海運や各種の工業といった、近代的な産業が育っていきました。
:*このように近代化が進む中、福沢諭吉や中江兆民などは、西洋における近代化の背景には、自由主義や民主主義があることを唱えました。
:*これを受けて、政府の{{ruby|専制|せんせい}}に対する批判の声が自由民権運動となり、板垣退助や大隈重信が政党を結成するなど主導をして、政府に憲法を定め、選挙による議会を開くよう求めます。
:*こうして、1885年(明治18年)憲法に先立って内閣制度が誕生し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、それに基づいて1890年(明治23年)に衆議院議員の選挙の後、同年、帝国議会が召集されました。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="陸奥宗光"/>{{ruby|陸奥宗光|むつむねみつ}} ===
{{wikipedia|陸奥宗光}}
[[File:Mutsu Munemitsu.jpg|150px|left|thumb|陸奥宗光]]
:生没年:1844年 - 1897年(明治30年)
:もとは、紀州藩(和歌山県)の武士で、幕末に海援隊に入り[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の弟子になりました。
:明治政府に入って、版籍奉還・廃藩置県の実施に影響を与えます。
:西南戦争直後、政府の{{ruby|転覆|てんぷく}}をはかったとして投獄され{{ruby|失脚|しっきゃく}}<ref>政治などの力を失うこと</ref>しますが、5年ほどで許され、内閣制度などの研究のためヨーロッパへ留学します。
:留学から帰国後、主に外交の分野で活躍します。また、第1回の衆議院選挙に立候補して衆議院議員となり農商務大臣であったため、日本の議会史上初めてとなる衆議院議員の閣僚となりました。
:1892年(明治25年)[[#伊藤博文|伊藤博文]]首相の下、外務大臣に就任し、欧米諸国と交渉し、日米修好通商条約など通商条約の{{ruby|領事裁判権|りょうじさいばんけん}}({{ruby|治外法権|ちがいほうけん}})の{{ruby|撤廃|てっぱい}}に成功しました。
:1894年(明治27年)に始まった日清戦争では、各国との外交を行い、翌1895年(明治28年)下関条約を日本に有利な形で締結しました。その後の三国干渉に対して、仏英露に従いましたが、これを賠償に代えるという外交をおこないました。
{{-}}
=== <span id="東郷平八郎"/>{{ruby|東郷平八郎|とうごうへいはちろう}} ===
{{wikipedia|東郷平八郎}}
[[File:Tōgō Heihachirō.jpg|150px|left|thumb|東郷平八郎]]
:生没年:1848年 - 1934年
:薩摩藩出身の海軍軍人です。
:少年の頃に、戊辰戦争に参加します。
:イギリスに留学し、海軍に関することを学びます。
:日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、{{ruby|日露|にちろ}}戦争においては、連合艦隊を率いて、1905年(明治38年)日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなりました。
:日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人といわれています。
:東京にある、東郷神社は東郷平八郎をまつった神社です。
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*関連する人物
**[[w:山本権兵衛|{{ruby|山本権兵衛|やまもとごんのひょうえ(ごんべい)}}]]
**:薩摩藩出身。
**:元々は海軍軍人ですが、政治家として海軍の組織、将兵の教育、艦船の充実などに力を尽くし、日本海海戦に完全勝利するまでの世界的な海軍に成長させました。
**:海軍において[[#山県有朋|山県有朋]]と同様の役割をはたしました。
**[[w:大山巌|{{ruby|大山巌|おおやまいわお}}]]
**:薩摩藩出身の陸軍軍人、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]のいとこになります。
**:陸軍の前線の司令官として活躍しました。日清戦争では第2軍の司令官として清軍に勝利し、日露戦争では陸軍の総司令官として戦いロシア軍を撃退しました。
**[[w:児玉源太郎|{{ruby|児玉源太郎|こだまげんたろう}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。西南戦争では、官軍として熊本城に{{ruby|籠城|ろうじょう}}して、西郷隆盛の軍を足止めしました。
**:日露戦争の前には、台湾総督や内務大臣といった重要な職についていましたが、開戦にあたって大山巌を助ける総参謀長に就任し、ロシア陸軍との戦いの作戦を立てました。
**[[w:乃木希典|{{ruby|乃木希典|のぎまれすけ}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。
**:日露戦争では旅順を攻撃する第3軍の総司令官でした。旅順を占領したことで、日本の優勢が確定的なものになりましたが、そのためには多くの兵士が戦死・戦傷し、乃木も息子2人を失いました。
**:明治天皇が亡くなった時に、妻とともに{{ruby|殉死|じゅんし}}<ref>主人が亡くなった時に、臣下の者が後を追って自殺すること。</ref>して、日本中に衝撃を与えました。
**:東京にある、乃木神社は乃木希典をまつった神社で、その前を乃木坂と言い地名や駅名にもなっています。
=== <span id="小村寿太郎"/>{{ruby|小村寿太郎|こむらじゅたろう}} ===
{{wikipedia|小村寿太郎}}
[[File:Portrait of Komura Jutaro.jpg|150px|left|thumb|小村寿太郎]]
:生没年:1855年 - 1911年(明治44年)
:宮崎県の{{ruby|飫肥|おび}}藩出身の外交官です。
:米国に留学して学びました。
:外務省に入り、イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務めました。
:1901年(明治34年)桂太郎首相の下、外務大臣となり、日露戦争の前に、イギリスとの間で日英同盟を結ぶことに成功しました。日露戦争後には、講和会議に全権として出席し、ポーツマス条約を締結して日露戦争を終わらせました。
:1911年(明治44年)にアメリカとの{{ruby|交渉|こうしょう}}で関税自主権を回復させ、その後、欧州各国との通商条約も改正し関税自主権を完全に回復させました。同年11月病気でなくなります。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「陸奥宗光」「東郷平八郎」「小村寿太郎」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新の改革は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布、翌年の帝国議会召集によって、一応の完成を見ました。
:*約20年の明治維新の改革によって、国内経済は近代化され国が豊かになり、また、国の体制もしっかりして、近代的な軍隊を持てるようになりました。
:*その頃、ロシアの東進南下政策は日本にとって脅威であって、これに対抗しようと近代化の遅れていた朝鮮半島に進出します。朝鮮半島をめぐって宗主国である清国との間で日清戦争が起こり、日本はこれに勝利します。
:*日清戦争前後には日本が近代化したことは諸外国にも認められ、不平等条約のうち『領事裁判権』は撤廃されます。
:*清国に勝った日本は、次にロシアと{{ruby|対峙|たいじ}}<ref>対立する双方が、にらみあって動かない様子。</ref>するようになり、1904年(明治37年)日露戦争となって、日本は{{ruby|辛勝|しんしょう}}<ref>こちらも傷つきながらもやっと勝つこと。</ref>します。
:*大国ロシアに勝ったことで、その実力を認められ、欧米との間に結ばれた『関税自主権』も回復し、日本は、国際的に欧米同等の国と認められるようになりました。
:</small>
|}</div>
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===<span id="津田梅子"/>{{ruby|津田梅子|つだうめこ}}===
{{wikipedia|津田梅子}}
[[File:Tsuda Umeko Portrait c1900.png|150px|left|thumb|津田梅子]]
:生没年:1864年 - 1929年(昭和4年)
:教育者。
:津田梅子は江戸幕府の通訳官である津田仙の子として生まれましたが、梅子が幼い頃、幕府は倒されてしまい、仙はその後仕事を転々とします。
:1871年(明治3年)、仙が開拓使<ref>明治維新政府に北海道開拓の目的で設けられた役所。</ref>に職を得た時、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に留学生を派遣する]]と聞いて、梅子を応募させ、梅子は女子留学生5人の一人に採用されます。梅子は、その時、なんとまだ満6歳でした。
:1882年(明治14年)、梅子は帰国しますが、その時には、日本語を忘れていました。帰国後、日本語が不自由であったためなかなか職にめぐまれませんでしたが、[[#伊藤博文|伊藤博文]]の応援もあって、華族女学校(後の学習院女子部)の教授となりました。その後、再び、米国に留学し大学で学びました。
:再留学からの帰国後、華族女学校他女子高等師範学校などの教授も兼任しましたが、1900年(明治32年)私立学校令に基づく女子高等教育のための「女子英学塾」を設立しました。この学校が、戦後「津田塾大学」となります。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の5000円札の肖像に用いられています。
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===<span id="北里柴三郎"/>{{ruby|北里柴三郎|きたさとしばさぶろう}}===
{{wikipedia|北里柴三郎}}
[[File:Shibasaburō Kitasato 1910.jpg|150px|left|thumb|北里柴三郎]]
:生没年:1853年 - 1931年(昭和6年)
:医師、微生物学者、教育者。
:ドイツに留学し、伝染病を研究し、{{ruby|破傷風|はしょうふう}}菌を発見し、その治療法を開発しました。
:帰国後、伝染病の研究所作ろうとしたが、政府の援助は得られなかったところ、{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}}が支援し研究所が完成、{{ruby|志賀潔|しがきよし}}、[[#野口英世|野口英世]]などの研究者が生まれ育っていきました。
:その後、慶應大学医学部の設立に尽力し、個人で運営していた北里研究所をもとに北里大学が設立されます。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1000円札の肖像に用いられています。
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=== <span id="野口英世"/>{{ruby|野口英世|のぐちひでよ}} ===
{{wikipedia|野口英世}}
[[File:Noguchi Hideyo.jpg|150px|left|thumb|野口英世]]
:生没年:1876年(明治9年) - 1928年(昭和3年)。医師、細菌学者。
:福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となり、渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。
:主に細菌学の研究に従事し、{{ruby|黄熱病|おうねつびょう}}や梅毒の研究で知られています。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったといわれています。黄熱病の研究中に自身もそれにかかり、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
:[[#北里柴三郎|北里柴三郎]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#野口英世]]を参照。
{{-}}
===<span id="樋口一葉"/>{{ruby|樋口一葉|ひぐちいちよう}}===
{{wikipedia|樋口一葉}}
[[File:Higuchi Ichiyou.png|150px|left|thumb|樋口一葉]]
:生没年:1872年(明治5年) - 1896年(明治29年)
:小説家。戸籍名は樋口{{ruby|奈津|なつ}}、「一葉」は筆名(ペンネーム)です。
:一葉は、1872年(明治5年)明治政府の下級役人の家に現在の東京都千代田区内幸町あたりで生まれました。大変優秀でしたが、親が女の子を上級の学校まで行かせる必要はないと考え、小学校卒業後学校へは通わせませんでした。
:たしなみとして、和歌を習い、文学的な才能をわずかに見せていましたが、やがて、父親が亡くなるなどして、経済的に苦しみます。
:このような中、1892年(明治25年)から小説を発表し、それで原稿料が得られるようになります。1895年(明治28年)には代表作『たけくらべ』を発表し、{{ruby|森鴎外|もりおうがい}}や{{ruby|幸田露伴|こうだろはん}}といった多くの著名な文学者から{{ruby|賞賛|しょうさん}}<ref>ほめたたえること。</ref>されます。
:しかし、1896年(明治29年)24歳の若さで、肺結核により亡くなりました。
:近代以降では最初の職業女流作家で、24年間の生涯の中で、特に亡くなる間際の1年2か月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残しました。[[#津田梅子|津田梅子]]の前の5000円札の肖像に用いられていました。
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===<span id="夏目漱石"/>{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}}===
{{wikipedia|夏目漱石}}
[[File:Natsume Soseki photo.jpg|150px|left|thumb|夏目漱石]]
:生没年:1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年)
:英文学者、小説家。本名は夏目金之助です。
:現在の東京都新宿区喜久井町に{{ruby|名主|なぬし}}の子として生まれました。
:帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)にすすみ、大学時代に{{ruby|正岡子規|まさおかしき}}と出会い、俳句を学びました。大学英文科卒業後、愛媛県松山で愛媛県尋常中学校<ref>当時の「尋常中学校」は、現在の高等学校に相当します。現在の愛媛県立松山東高等学校です。『坊っちゃん』の舞台とも言われています。</ref>教師、熊本で第五高等学校<ref>当時の「高等学校」は、現在の大学の教養課程(大学で学ぶ専門以外の学問で、現在一般に大学1年生から2年生にかけて学びます。)に相当します。現在の熊本大学です。</ref>教授などを務めたあと、イギリスへ留学し英文学を研究します。
:帰国後、東京帝国大学講師として英文学の講義をしていましたが、1905年(明治38年)子規の友人が発行する俳句雑誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表、大人気となって、以後、同誌に『坊っちゃん』などを発表して小説家としての地位を固めます。
:1907年(明治40年)に大学を辞め、専属の小説家として朝日新聞に入社し、新聞小説を発表していきます。1916年(大正5年)に病気でなくなりました。
:明治になるまで、話し言葉と書き言葉は違うことが当たり前で、かなりかけ離れたものでした<ref>これは、人の行き来があまりないので、各地での方言の差が大きく、書き言葉が共通のコミュニケーションの道具であったことが理由の一つだと思われます。</ref>。明治になって、日本の言葉遣いを統一しようという情勢となって、文学においても、その運動({{ruby|言文一致|げんぶんいっち}})が盛んになり、多くの作品が言文一致を踏まえて発表されました。しかし、なかなかしっくりする言葉遣いにならなかったところ、漱石は、落語の言葉遣いを取り入れ、人々にわかりやすい表現で小説を書きました。現在の日本の書き言葉は、漱石の小説の影響を受けていると言われています。
:[[#野口英世|野口英世]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「津田梅子」「北里柴三郎」「野口英世」「樋口一葉」「夏目漱石」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新で、政府は欧米の学問や文化を広く取り入れ、国民に教育し、研究者を育てました。
:*明治20年を過ぎると、この成果が出て、日本からも世界的な科学者が出るようになりました。
:*学校制度の整備により識字率も高まり、また、印刷技術が向上し出版物が容易に大量に手に入るようになったので、小説などが人々の間で流行しました。
:*数が多いとは決して言えませんが、津田梅子や樋口一葉のように、社会で活躍する女性も見られるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
==脚注==
<small><references/></small>
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6しんふつ]]
[[Category:小学校社会|6ねんしやかいれきししんふつ]]
[[Category:小学校社会 歴史|#しんふつ]]
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304363
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2026-10-06T20:26:01Z
Tomzo
248
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304363
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{{Nav}}
{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}}
ここには、小学校の歴史の勉強で出てくる人物について書いてあります({{ruby|発展|はってん}}的な内容および人物もふくまれています)。もっとくわしく知りたいときは、色がついているタイトルの名前をクリックしてください。ウィキペディアにあるページにリンクしてあります。少し{{ruby|難|むずか}}しいかもしれませんので、事典や身近な大人をフル活用してください。
<!--執筆者へ
あまり長くならないよう、4〜5行程度にまとめてください。→ちょっと難しいですね。その時代の変革にあたった人物については10行程度までは、許容して良いでしょう。
第1行目には、「生没年」があるといいと思います。-->
また、難しいかもしれませんが、[[中学受験社会/歴史/人物]]をみてもいい情報があるかもしれません。
== {{ruby|弥生|やよい}}時代 ==
=== <span id="卑弥呼"/>{{ruby|卑弥呼|ひみこ}} ===
{{wikipedia|卑弥呼}}
:3世紀はじめごろ。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|{{ruby|邪馬台国|やまたいこく}}]]の女王です。
:当時、中国にあった{{ruby|魏|ぎ}}という国に使いを送り、その時に{{ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}の称号を与えられたとその国の歴史書({{ruby|魏志倭人伝|ぎしわじんでん}})に記されています。
:神のおつげやうらないで政治を行ったとされています。
:邪馬台国があったと考えられる場所は不明ですが、{{ruby|奈良|なら}}にあったとするものと九州北部にあったとするものの二つの説が有力で論争が続いています。一番古い時代に作られた{{ruby|古墳|こふん}}が、卑弥呼の墓で、奈良に邪馬台国があった場合、{{ruby|箸墓|はしはか}}古墳が卑弥呼の墓ではないか、と考えられています。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「卑弥呼」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「縄文時代」「弥生時代」をへて、人々が集まった小さな「むら」から、大きな「くに」ができるようになりました([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#「むら」から「くに」へ|「むら」から「くに」へ]])。
:*「くに」は、当時世界で最も有力であった中国に使いを送ります。
:*その当時、日本にはまだ文字が伝わっていませんでしたが、中国へ送った使いによって、当時の日本のことが記録され、様子がわかります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|飛鳥|あすか}}時代 ==
=== <span id="聖徳太子"/>{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}} ===
{{wikipedia|聖徳太子}}
:生没年:572年-622年。{{ruby|厩戸王|うまやどおう}}などとも{{ruby|呼|よ}}ばれます。
:[[w:推古天皇|{{ruby|推古|すいこ}}天皇]]に代わって政治を行う{{ruby|摂政|せっしょう}}として{{ruby|活躍|かつやく}}し、{{ruby|豪族|ごうぞく}}の集まりであったヤマト政権を天皇を中心とした政治を行うようさまざまな改革を行いました。
:{{ruby|仏教|ぶっきょう}}や中国の{{ruby|儒教|じゅきょう}}の教えをもとに、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}の役人の{{ruby|心得|こころえ}}である[[w:十七条憲法|{{ruby|十七条の憲法|じゅうしちじょうのけんぽう}}]]を定めました。また、能力が高かったり手がらをたてた人が重要な仕事をできるよう[[w:冠位十二階|{{ruby|冠位十二階|かんいじゅうにかい}}]]の制度をつくりました。
:仏教を深く{{ruby|信仰|しんこう}}していた聖徳太子は、[[w:法隆寺|{{ruby|法隆寺|ほうりゅうじ}}]]などの寺を建て、仏教の力で平和な世の中になるように願いました。
:10人が同時に話しても、そのすべての内容を理解したなどの伝説がも残ります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:推古天皇|{{ruby|推古天皇|すいこてんのう}}]]
*::日本で最初の女性の天皇です。推古天皇の皇太子であった聖徳太子は、{{ruby|摂政|せっしょう}}の立場で、さまざまな改革を行いました。
*:<span id="蘇我馬子"/>[[w:蘇我馬子|{{ruby|蘇我馬子|そがのうまこ}}]]
*::最大の勢力を持った豪族{{ruby|蘇我|そが}}氏をひきい、天皇につかえるものの中で最も高い位である{{ruby|大臣|おおおみ}}として聖徳太子を助けました。
=== <span id="小野妹子"/>{{ruby|小野妹子|おののいもこ}} ===
{{wikipedia|小野妹子}}
:生没年:6世紀後半〜7世紀前半。「妹子(いもこ)」という名前ですが{{ruby|男性|だんせい}}です。
:607年、{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}}の命令で第2回{{ruby|遣隋使|けんずいし}}として中国の{{ruby|隋|ずい}}の国にわたります。608年には第3回遣隋使として、ふたたび隋をおとずれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖徳太子」や「小野妹子」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子より前の日本の政治は、有力な豪族が集まっただけの政治のかたちでした。
:*聖徳太子が皇太子となったころ、こうした豪族どうしが争う一方で中国や朝鮮半島では、皇帝などを中心とした強力な国づくりが進んでいました。
:*聖徳太子は天皇を中心とした国づくりをすることで、国をまとめようとしました。また、聖徳太子は、仏教を積極的に取り入れました。
:*聖徳太子は、国の制度や仏教を学ぶため、中国の{{ruby|隋|ずい}}に使いを送りました。その代表に選ばれて隋に渡ったのが小野妹子です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="中大兄皇子"/>{{ruby|中大兄皇子|なかのおおえのおうじ}} ===
{{wikipedia|天智天皇}}
:生没年:626年 - 672年
:後の{{ruby|天智|てんじ}}天皇<ref>歴史の学習では、普通、即位後の天皇の名前で呼びますが、中大兄皇子の場合、皇太子である時期に、大化の改新などで活躍したため、皇太子時代の名前で呼ばれることが多いです。なお、「天智天皇」という名は、のちの奈良時代になってつけられた名前です。</ref>。
:[[#聖徳太子|聖徳太子]]が亡くなってから、[[#蘇我馬子|蘇我馬子]]をついだ蘇我{{ruby|蝦夷|えみし}}とその子{{ruby|入鹿|いるか}}が勝手な政治をしたため、{{ruby|[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]|なかとみのかまたり}}とともにこれをほろぼしました。
:皇太子となった中大兄皇子は、力を持った豪族はいなくなったので、{{ruby|大化|たいか}}の改新と言われる天皇中心の政治を行うために改革を行いました。大化の改新により、日本の人民と土地は天皇が支配するものとなり、人民には農地が与えられる代わり、{{ruby|租庸調|そようちょう}}と呼ばれる税を天皇(朝廷)に納めるようになりました。
:また、聖徳太子がやったように、隋を滅ぼして建国された{{ruby|唐|とう}}に使い({{ruby|遣唐使|けんとうし}})を送りました。しかし、朝鮮半島での{{ruby|新羅|しらぎ}}と{{ruby|百済|くだら}}との争いで、唐は新羅を、日本は百済を味方したため、敵対することになりました。この争いで新羅は百済を破り、百済は滅亡します。
:中大兄皇子は、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることにそなえ、{{ruby|防人|さきもり}}をおいて九州を守らせ、都を現在の大阪市にあった{{ruby|難波宮|難波宮}}から滋賀県の{{ruby|近江京|おうみきょう}}に移しました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#大化の改新と律令制の成立|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇({{ruby|大海人皇子|おおあまのおうじ}})]]
*::天智天皇(中大兄皇子)の弟。はじめは天智天皇の後に天皇になる予定でしたが、皇太子を天智天皇の子である{{ruby|大友皇子|おおとものおうじ}}に譲りました。しかし、天智天皇の死後、大友皇子と争い、勝利して天皇に即位しました。天智天皇の方針を引き継いで、天皇中心の社会を作るよう努めました。
*::[[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]など奈良時代の天皇は天武天皇の子孫になります。
=== <span id="中臣鎌足"/>{{ruby|中臣鎌足|なかとみのかまたり}} ===
{{wikipedia|藤原鎌足}}
:生没年:614年 - 669年
:もとは、日本伝統の神をまつる神職を職業とする豪族でしたが、仏教を盛んにしようとする蘇我氏に圧倒されていました。蘇我氏と関係の薄かった中大兄皇子に協力し、蘇我氏をともにほろぼしました。
:その後、中大兄皇子の大化の改新に協力して改革を進めます。
:669年、亡くなる時に天智天皇は、鎌足の功績にむくいるため、{{ruby|大織冠|だいしょくかん}}という進化の中でも最高の位と{{ruby|藤原|ふじわら}}の姓を与えました。したがって、中臣鎌足を'''藤原鎌足'''ともいいます。
:鎌足の子孫は、奈良時代から平安時代にかけて、勢力を拡大し、朝廷の主要な役職を独占する「{{ruby|藤原|ふじわら}}氏」となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「中大兄皇子・天智天皇」や「中臣鎌足・藤原鎌足」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子の死後、天皇を凌ぐほどの力を持った蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼします。
:*中大兄皇子は、聖徳太子の目指していたところをさらに進める政策を行います。これを「大化の改新」といいます。
:*「大化の改新」で最も重要なものは、人民と土地は直接天皇が支配し、農地を朝廷が与える代わりに人民は税(租庸調)を納めるというものです。
:*朝鮮半島の戦争で、百済にみかたした日本は、新羅と唐の連合軍に敗北し朝鮮半島の拠点を失い、一時は唐との関係も悪化しました。
:*天智天皇かめざした天皇中心の政治は、天智天皇の死後、{{ruby|律令|りつりょう}}制の成立という形で完成します。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|奈良|なら}}時代 ==
=== <span id="聖武天皇"/>{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇 ===
{{wikipedia|聖武天皇}}
:生没年:701年 - 756年
:奈良時代を代表する天皇です。在位中は災害や伝染病({{ruby|天然痘|てんねんとう}})の大流行などがあって、平穏な時代であったとは言えませんでしたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#律令制|大宝律令]]の完成(710年)から約30年、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京{{ruby|遷都|せんと}}]]から約20年たって、律令にもとづいた天皇中心の政治がようやく定着した時期でもありました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|→教科書本文]])
:[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|聖武天皇は仏教を手厚く保護します]]。この時期は、遣唐使で留学した僧も多く帰国して仏教が日本全国で定着した時期でもあり、国が安定することを目的として全ての国に国分寺と国分尼寺を建てました。その中心として、平城京(奈良)に東大寺を建立し、そこに、大仏「奈良の大仏」を作らせました。
* 関連する人物
*:[[w:光明皇后|{{ruby|光明皇后|こうみょうこうごう}}]]
*::聖武天皇の皇后です。[[#中臣鎌足|藤原鎌足]]の子藤原{{ruby|不比等|ふひと}}の娘になります。皇室出身以外から初めて皇后になりました。以後、藤原氏から多くの皇后が出るようになり、藤原氏が朝廷で力を得る例のさきがけとなりました。
=== <span id="行基"/>{{ruby|行基|ぎょうき}} ===
{{wikipedia|行基}}
[[File:Gyouki 1.jpg|thumb|right|180px|行基]]
:生没年:668年 - 749年
:河内国の渡来人の家系に生まれた{{ruby|僧|そう}}です。{{ruby|道昭|どうしょう}}に学んだとされています。道昭は遣唐使で留学し{{ruby|玄奘|げんじょう}}に学びました。玄奘は、唐からインドを訪ねて仏教を学んだ僧で、西遊記の三蔵法師のモデルです。
:当時の仏教は国を守護安定させるものとの考えがあり、ほとんどの僧は寺で仏教を学問として研究するものが主流で、一般の民衆への仏教の布教は禁止されていました。こうした時代に、諸国をまわって用水の池や橋を造りながら、身分を問わず教えを説きました。はじめのうちは、危険な人物と思われ、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}からはは行基の行動をとりしまりました。からはされました。しかし、{{ruby|民衆|みんしゅう}}や地方豪族の{{ruby|尊敬|そんけい}}を集め、朝廷も危険な行動ではないと理解し、後には、とりしまりをゆるめました。
:こうしたなか、聖武天皇は大仏建立を命令しましたが、とても多くの人々の支持と労働力を必要とする大仏建立はなかなかすすみませんでした。そこで、朝廷は、人々にしたわれていた行基を、日本の仏教の最高峰である{{ruby|大僧正|だいそうじょう}}に任じて、大仏建立の責任者としました。
:行基のはたらきもあって、大仏建立は順調に進むようになりましたが、行基は完成前に亡くなりました。
=== <span id="鑑真"/>{{ruby|鑑真|がんじん}} ===
{{wikipedia|鑑真}}
[[File:Ganjin wajyo portrait.JPG|thumb|left|180px|国宝『鑑真和上坐像』]]
:生没年:688年 - 763年
:唐の長安で僧となるものに{{ruby|戒律|かいりつ}}を与える教えの有名な{{ruby|僧侶|そうりょ}}でした。戒律とは仏教の修行者が守るべき生活上のルールを言います。正式に僧や尼僧として認められるには、修行を積んだ僧から、この戒律を伝えられなければなりませんでした。特に、唐で修行する場合には、その資格を持った僧(律師)から与えられていなければ、正式な僧として修行ができませんでした。日本には唐でも認められる律師がいなかったため、遣唐使の留学僧は留学の時困っていました。742年、日本からの留学僧が、日本に律師を送ってほしいと頼まれ、弟子に声をかけましたが誰も自ら名乗り出るものはいませんでした。そこで、鑑真は自ら日本に渡ろうと決意しました。最初は皇帝からの許可が降りず、許可を得てから渡ろうとして、5回も失敗し、6回目にようやく日本に着きました。754年、6回目のこころみでようやくに日本についたころには、失明していました。聖武天皇に迎えられた鑑真は、奈良に '''{{Ruby|唐招提寺|とうしょうだいじ}}''' を開き、正しい仏教を伝えて、多くの日本人の僧を育てました。
:また、医学や薬学、美術工芸なども伝えました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖武天皇」「行基」「鑑真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖武天皇の時代には、律令制によって、天皇中心の政治ができるようになりました。
:*遣唐使によって、多くの中国の文化が伝わりました。仏教も、伝わった文化の一つです。
:*全国に国分寺・国分尼寺と都の平城京にはそれをまとめる東大寺が建てられ、東大寺には大仏が置かれました。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|平安|へいあん}}時代 ==
=== <span id="桓武天皇"/>{{ruby|桓武|かんむ}}天皇 ===
{{wikipedia|桓武天皇}}
[[File:Emperor Kammu large.jpg|thumb|right|160px|桓武天皇]]
:生没年:737年 - 806年
:都を平城京(奈良)から平安京(京都)にうつした({{ruby|平安遷都|へいあんせんと}})天皇です。
:770年、{{ruby|称徳|しょうとく}}天皇([[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]の皇女)が亡くなり、[[#天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇]]の子孫がたえて、[[#中大兄皇子|{{ruby|天智|てんち}}天皇]]の子孫である{{ruby|光仁|こうにん}}天皇が即位しました。桓武天皇は光仁天皇の子で、あとを継ぎました。
:平安遷都の前の朝廷は、仏教の寺院が大きな勢力を持って、僧が政治に口を出すようになり、争いが絶えないようになっていました。また、律令制がすすむことで、班田収授法によって民衆に分ける土地も奈良盆地周辺だけでは足りなくなっていました。このような問題を解決するために、桓武天皇は平城京から平安京に都を移しました。
:また、桓武天皇は、{{ruby|坂上田村麻呂|さかのうえのたむらまろ}}を[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命し、東北地方の{{ruby|蝦夷|えみし}}をうたせるなどして、日本に律令制を確立させました。
:仏教が政治にかかわるのをきらって、平安遷都では大きな寺院を平城京に残した一方で、最澄や空海を遣唐使として唐に留学させ新しい仏教を学ばせました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安遷都|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:最澄|{{ruby|最澄|さいちょう}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。平城京にあった大きな寺院から離れ、近江(今の滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行しました。比叡山は平安京のすぐ東北の位置になりますが、最澄が修行を始めたのは平安遷都より前のことです。遣唐使として留学し、多くの経典などを持ち帰りました。それらは比叡山に開いた寺(後に{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}と呼ばれます)で研究され、延暦寺はのちの日本の仏教に大きな影響を与えます。最澄が開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といいます。
*:[[w:空海|{{ruby|空海|くうかい}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。遣唐使として最澄とともに留学し、最澄同様に多くの経典などを持ち帰りました。特に、仏教のうち{{ruby|密教|みっきょう}}と呼ばれるものを伝え、{{ruby|真言宗|しんごんしゅう}}を開きました。和歌山県の{{ruby|高野山|こうやさん}}に{{ruby|金剛峯寺|こんごうぶじ}}を開き、また、{{ruby|嵯峨|さが}}天皇<ref>桓武天皇の二代後の天皇。</ref>から、平安京の中の二つの寺のうちの一つである{{ruby|東寺|とうじ}}をまかされます。空海の教えは、天皇や貴族だけにとどまらず、広く民衆に伝えられ、また、空海自身もため池の造営など民衆のための事業を行いました。
=== <span id="菅原道真"/>{{ruby|菅原道真|すがわらのみちざね}} ===
{{wikipedia|菅原道真}}
[[File:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Michizane in exil.jpg|250px|thumb|左奥で顔をおおっているのが道真です。太宰府に流される時、天皇から贈られた衣を見て泣いている場面です。]]
:生没年:845年-903年
:平安時代前期の貴族です。
:学問に優れ、その当時、{{ruby|藤原|ふじわら}}氏は、他の貴族の一族を圧倒して朝廷の大事な役職を独占しようとしていましたが、それに対抗して朝廷で重要な役職につきました。政治から遠ざけようとする人々は、道真を{{ruby|遣唐使|けんとうし}}の大使として、{{ruby|唐|とう}}に送ろうとしましたが、唐は戦乱で乱れ、道真は得るものも多くないと考え、遣唐使の{{ruby|廃止|はいし}}を申し出、これを廃止しました。その後、朝廷では右大臣まで出世しますが、藤原氏らの{{ruby|陰謀|いんぼう}}により、{{ruby|太宰府|だざいふ}}(現在の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にあった九州をおさめる役所)に流され、そこで亡くなりました。
:道真の死後、朝廷では数々の異変が起こり、「これは道真の{{ruby|怨|うら}}みからの{{ruby|呪|のろ}}いである」とおそれられ、朝廷は道真を{{ruby|天満天神|てんまんてんじん}}という神としてまつりました。現在では、学問の神様「{{ruby|天神|てんじん}}さま」として有名です。道真をまつる神社を{{ruby|天満宮|てんまんぐう}}といい、亡くなった土地である福岡県にある太宰府天満宮や京都の{{ruby|北野|きたの}}天満宮、東京の{{ruby|湯島|ゆしま}}天満宮などが有名です。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「菅原道真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安京に遷都して(794年)から、約100年たって政治は安定した一方で、律令制度が理想としていた天皇中心の政治から、貴族が中心となる政治に変わりつつありました。
:*特に、有力であったのは藤原氏で、藤原氏以外の貴族が勢力をもとうとするとそれをじゃましたこともありました。菅原道真が太宰府に流されてしまったのもその例の一つです。
:*奈良時代にさかんで、多くの新しい文化を日本に伝えた遣唐使も、この時代には得るものが少なくなっていたため廃止されました。外国の影響が少なくなったので、日本独自の文化が発達するきっかけになりました。
:*菅原道真は神様としてまつられ、今では学問の神「天神さま」として有名です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="藤原道長"/>{{ruby|藤原道長|ふじわらのみちなが}} ===
{{wikipedia|藤原道長}}
[[File:Fujiwara no Michinaga 2.jpg|180px|thumb|left|1220年頃に作られた『紫式部日記絵巻』に書かれた藤原道長]]
:生没年:966年 - 1028年
:平安時代中期の貴族で、[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]を祖先とする藤原氏になります。
:平安時代の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂関政治]]を代表する政治家です。
:道長は、娘四人を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、その娘が産んだ三人の孫が天皇になり、藤原氏の全盛期をきずいたと言われ、そのようなありさまを、以下のように和歌にしたと伝えられます。
::'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」'''
:::(この世は、望月(満月)のように欠けているものがなく、まるで{{ruby|私|わたし}}(道長)の物のようだ。)
:その当時、同じ藤原氏の中でも争って娘を天皇の妃にしていましたが、天皇に気に入られるように、{{ruby|妃|きさき}}の周りには和歌を読んだり物語を語るのがたくみな{{ruby|女官|にょかん}}が集められ、後の世に残る和歌や物語、{{ruby|随筆|ずいひつ}}<ref name="随筆">自分が見聞きしたことや体験、それに関する感想などを、自由な形式で書いた文章をいいます。「エッセイ」とも言います。</ref>などが数多く作られました。これを宮中文学と言います。道長の娘{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名">当時の女性名は漢字でしか残っていない場合が多く、訓読みがわからないものもあり、音読みで読む学術的な慣習がありました。最近は、そのように読まれたであろうという訓読みが一般的ですが、ここでは参考のため、どちらも書いておきます。</ref>には、[[#紫式部|{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}}]]が仕え『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』を作りました。道長の時代には、その他、『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』なども作られて宮中文学が最も盛んであった時期と言われています。
:紫式部は彰子の教育係をしながら朝廷の人々の様子を観察していたと言われています。このことから、主人公の光源氏は、道長がモデルではないかともいわれています。ただし、これはあくまでも一説であり、その他、{{ruby|源融|みなもとのとおる}}、{{ruby|源高明|みなもとのたかあきら}}がモデルであるなど、さまざまな説があります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安時代の文化と生活|→教科書本文]])
{{-}}
=== <span id="紫式部"/>{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}} ===
{{wikipedia|紫式部}}
[[File:Tosa Mitsuoki 001.jpg|160px|thumb|紫式部のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:970年から978年?~970年から978年?
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、物語の作者です。
:藤原氏の生まれですが、そのころには、藤原氏の数も相当に増えていて、道長のように裕福で政治の頂点にいる家系と、それほど豊かではなく中下級の役人となる家系と分かれるようになっていました。紫式部は中級の貴族の生まれで、学問の家系だったと言われます。
:道長の娘で{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名"/>に仕えました。
:宮中文学の中でも最も有名な作品の一つである『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』の作者です。源氏物語は、{{ruby|帝|みかど}}の子である{{ruby|光|ひかる}}源氏が主人公の物語で、光源氏が、藤原氏と思われる貴族などとの宮中政治に巻き込まれながら、多くの女性との恋愛を経験するというものです。源氏物語は、その後の日本の文学に多くな影響を与え、また、30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれるなど、日本文学の代表的作品と評価されています。
:また、宮中での務めの様子を記した『紫式部日記』を残しており、当時の宮中の様子が伝えられています。
:和歌の読み手としてもすぐれていて、多くの歌が残っており、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::巡りあ{{ruby|ひ|(い)}}て みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし {{ruby|夜半|よは}}のつきかな
:::ようやくあえたのに、それがあなたかどうかが、わからない位すぐに いなくなってしまい とてもさびしい気持ちです。まるで、切れた雲から月が少し見えたと思ったら、またすぐに雲に隠れたように。
=== <span id="清少納言"/>{{ruby|清少納言|せいしょうなごん}} ===
{{wikipedia|清少納言}}
[[File:Sei Shonagon2.jpg|160px|thumb|清少納言のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:966年?〜1025年?。
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、随筆<ref name="随筆"/>『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』の作者です。中級貴族の{{ruby|清原|きよはら}}氏の出身です。
:清少納言は{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|定子|ていし/さだこ}}<ref name="女性名"/>に仕えました。定子の父は道長の兄で[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂政や関白]]を務めた藤原{{ruby|道隆|みちたか}}ですが、早くに亡くなってしまいます。道隆をついで政治のトップに立ったのが道長です。定子の兄藤原{{ruby|伊周|これちか}}は、道長との政治上の争いに敗れてしまい、定子の宮中での立場は非常に弱いものとなっていき、道長の娘彰子が一条天皇の{{ruby|妃|きさき}}になると間もなく亡くなります。『枕草子』は、その間に清少納言が見聞きしたことや、その感想、定子やその兄弟などとのふれあいを書いたものです。
:『枕草子』は、『{{ruby|方丈記|ほうじょうき}}』『{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}』とともに、日本三大随筆の一つに数えられ、『源氏物語』同様に日本の文学に大きな影響を与えます。
:また、紫式部と同様に、歌人としてもすぐれ、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::夜をこめて とりのそらねは はかるとも 世に{{ruby|あふ|おお}}さかの せきはゆるさじ
:::夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似(とりのそらね)をして人をだまそうとしても、この{{ruby|逢坂|おおさか}}の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して{{ruby|逢|あ}}いませんよ)
:::*中国の昔話で、とらえられている貴族を逃すのに、朝にならないと開かない国境の門を、貴族を逃すためにつかわされた従者がニワトリの声をまね、夜が開けたと思わせ、だまして門を開けさせたという話({{ruby|鶏鳴狗盗|けいめいくとう}})が元になっています。このように、中国の古典の知識などが宮中の女官には求められました。「{{ruby|逢坂|おおさか}}の関」は、都と近江国(滋賀県)の間にある関所ですが、ここでは、「逢坂」の「{{ruby|逢|あ}}う」がかけられていて、逢いたいと言いよってくる男性に「なんと言われても逢いませんよ」と、女性がフっている情景です。
=== <span id="藤原頼通"/>{{ruby|藤原頼通|ふじわらのよりみち}} ===
{{wikipedia|藤原頼通}}
[[File:藤原頼通.jpg|180px|thumb|left|13世紀末から14世紀初頭ころに書かれた『駒競行幸絵巻』に書かれた藤原頼通]]
:生没年:992年 - 1072年
:平安時代中期の貴族で、[[#藤原道長|藤原道長]]の長男です。
:父道長が、天皇の{{ruby|外祖父|がいそふ}}<ref>母親の父親のことを言います。{{ruby|母方|ははかた}}の祖父とも言います。</ref>として、朝廷で権力を振るっている中で、摂政・関白となり、後に太政大臣もつとめます。
:しかし、父道長とちがって娘が生まれなかったので、天皇の妃を宮中に送ることができず、孫が天皇となることはありませんでした。頼通のころから、藤原氏の力がだんだん弱まってきたと言われています。
:頼通は、当時流行した{{ruby|浄土|じょうど}}信仰から、{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土への{{ruby|往生|おうじょう}}を願い、{{ruby|宇治|うじ}}の{{ruby|平等院|びょうどういん}}に{{ruby|鳳凰堂|ほうおうどう}}を建てます。これは、平安時代中期の建築様式を残した代表的建物です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「藤原道長」「紫式部」「清少納言」「藤原頼通」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*[[#菅原道真|菅原道真]]が太宰府に流された事件から、さらに約100年、貴族、特に藤原氏が摂政や関白になる政治は、道長の時代にピークをむかえます。
:*遣唐使が廃止された後、日本独自の文化はますます発展し、『源氏物語』『枕草子』といった、現代でも評価の高い宮中文学が生まれます。しかも、それをなしたのは宮中に務める女性でした。
:*その後、貴族の力はだんだん弱まっていき、代わって武士の力が強くなっていきます。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="平清盛"/>{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}} ===
{{wikipedia|平清盛}}
[[file:Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg|thumb|160px|14世紀前半ころに描かれた平清盛]]
:生没年:1118年-1181年
:平安時代末期の武家である{{ruby|平氏|へいし}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|平|たいら}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|平家|へいけ}}」とも言います。</ref>の{{ruby|棟梁|とうりょう}}です。武士として初めて日本の政治の頂点に立ちました。
:清盛は、主に瀬戸内海地方の{{ruby|海賊|かいぞく}}を取り締まる平氏の武士団をひきいて勢力を伸ばしました。清盛は瀬戸内海の取締りを行うことで、この地方の海運を支配し、財力を高めました。清盛は、現在の広島県にある海の神をまつる {{ruby|厳島|いつくしま}}神社 を{{ruby|敬|うやま}}い、平氏一族がまつるべき{{ruby|氏神|うじがみ}}としました。
:1156年天皇家や藤原氏本家(摂関家)のあとつぎについて、双方が武士団を味方につけて争った保元の乱では、{{ruby|後白河|ごしらかわ}}天皇側について勝利にみちびき、{{ruby|源氏|げんじ}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|源|みなもと}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|源家|げんけ}}」と言うこともありますが、「平家」に比べれば使うことはまれです。</ref>の{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}らとともに武家としてはじめて中央の政治にかかわるようになりました。そして、1160年の平治の乱では源義朝を倒して、他の有力な武家をおしのけて、清盛の平氏だけが武家として中央の政治にかかわるようになりました。
:清盛は一族を朝廷の高位の役職につけたり、自分や一族の娘を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、子どもができると天皇をつがせようとするなど、藤原氏とにた政治を行うようになりました。1167年には武家ではじめて{{ruby|太政|だいじょう}}大臣になります<ref>太政大臣は、律令制ができた当時に皇族が就任、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|奈良時代末期に道鏡が就任した]]他は、約400年間藤原氏以外が就任した例はありません。</ref>。こうして、平氏は勢力を極め、清盛の弟{{ruby|平時忠|たいらのときただ}}などは「平家にあらずんば、人にあらず」(平家でなければ人でない)とも言うようになりました。
:清盛は、朝廷での権力をにぎった後も、主に瀬戸内海を舞台とした海運を続け、唐の後に中国を統一した{{ruby|宋|そう}}との間の{{ruby|貿易|ぼうえき}}も行うようになります。平安京(京都)は、このような海運に不便なので、都を{{ruby|福原|ふくはら}}(現在の神戸市)に移そうともしました。
:しかし、このような平氏ばかりを優遇する政策は、都の貴族たちや東国の武士団の反発をまねきます。清盛の晩年には各地で平氏に対する反乱が起き、1180年には、義朝の子で伊豆に流されていた{{ruby|[[#源頼朝|源頼朝]]|みなもとのよりとも}}が、{{ruby|鎌倉|かまくら}}(神奈川県鎌倉市)を拠点として関東の武士団をまとめて兵を上げ、西に兵を進めました。清盛は、これを討とうとしましたが、翌1181年病気で亡くなってしまいました。
:各地の反乱をおさえられなくなった平氏は、京都を捨て、瀬戸内海を西に逃げますが、1185年、源氏によって{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}(現在の山口県)で{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「平清盛」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*清盛は平安時代末期の人物ですが、武家として、それまでの貴族の政治を終わらせたと言う意味で、鎌倉時代以降の時代を開いた人と理解してください。
:*しかし、政治を行うのに、それまでの貴族政治の仕組みをそのまま使おうとして、それまでの貴族からも、地方で勢力を持つようになった武家からも反発されて、平氏の世は、清盛死後、まもなく滅びてしまいます。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|鎌倉|かまくら}}時代 ==
=== <span id="源頼朝"/>{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}} ===
{{wikipedia|源頼朝}}
[[File:Seated Portrait of Minamoto no Yoritomo (Presumed) 3.jpg|thumb|160px|東京国立博物館所蔵、木造伝源頼朝像]]
:生没年:1147年-1199年
:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて{{ruby|源氏|げんじ}}と{{ruby|平氏|へいし}}が戦っていた時代の、源氏の{{ruby|棟梁|とうりょう}}(リーダー)。
:平治の乱で父{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}を亡くし、頼朝も処刑されるところでしたが、幼かったため許され、{{ruby|伊豆|いず}}の国(現在の静岡県)に流されます。伊豆で地元の武士の娘{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}と結婚し、北条氏の支援などを得て、平家に対抗する兵をあげます。
:関東地方({{ruby|鎌倉|かまくら}})から、弟の{{ruby|義経|よしつね}}らに指示を送って平家を{{ruby|倒|たお}}しました。平家滅亡に向けた{{ruby|戦|いくさ}}には頼朝は出向いていません。
:その後、東北地方で強い勢力を持っていた藤原氏(公家の藤原氏と区別して{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏と言います)を滅ぼし、全国の武士を支配、1192年に{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}に任命され、鎌倉{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらきました。
:同じ武家の政権ですが、平氏がほぼ[[#平清盛|清盛]]一代であったのに対して、鎌倉幕府は、頼朝の血筋こそ絶えたものの150年近く続きました。これは、清盛が朝廷に入って政治を行おうとして、多くの武家の反発を受けたのと対照的に、頼朝は京都から遠く離れた鎌倉で、武家を治める政治を行う仕組みにしたことにあるでしょう。
* 関連する人物
*:[[w:北条政子|{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}]]
*::生没年:1157年-1225年
*::頼朝の妻。伊豆の地方武士北条{{ruby|時政|ときまさ}}の娘。
*::頼朝が{{ruby|亡|な}}くなった後、頼朝と政子の子である{{ruby|頼家|よりいえ}}、{{ruby|実朝|さねとも}}が将軍となったが、どちらも亡くなって頼朝の{{ruby|家系|かけい}}は{{ruby|途絶|とだ}}えました。幕府の政治は、弟の北条{{ruby|義時|よしとき}}が{{ruby|執権|しっけん}}として見るようになって、その後、鎌倉幕府の政治は義時の子孫である北条氏が執権として支配します(執権政治)。1221年{{ruby|後鳥羽|ごとば}}天皇が、鎌倉幕府を{{ruby|滅|ほろ}}ぼそうと兵をあげると({{ruby|承久|じょうきゅう}}の乱)、天皇にはむかうことにためらっている{{ruby|御家人|ごけにん}}たちを{{ruby|激励|げきれい}}し、後鳥羽天皇側の武士をうちまかし、鎌倉幕府の優位を確立します。
=== <span id="源義経"/>{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}} ===
{{wikipedia|源義経}}
:生没年:1159年-1189年
:{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}の子で{{ruby|頼朝|よりとも}}の弟。平治の乱のとき、兄頼朝同様、{{ruby|幼|おさな}}かったため許され、{{ruby|僧|そう}}となるため京都北部の{{ruby|鞍馬山|くらまやま}}で育てられました。幼い頃の名を{{ruby|牛若丸|うしわかまる}}といいます。牛若丸は京都からのがれて、東北地方の{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏のもとへ向かい武芸をみがき、元服して義経と名乗りました。
:兄頼朝が平家をほろぼす兵をあげると、その手伝いをしようと鎌倉に向かい、頼朝の軍に加わります。頼朝は義経を武士団の大将にし、西へ向かわせました。義経は、戦さにたくみで、まず、京都から平家を追い出した源{{ruby|義仲|よしなか}}({{ruby|木曽|きそ}}義仲)を{{ruby|討|う}}って、そのまま、西に向かい本州と九州の境の{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}で平家を滅ぼしました。
:しかし、源氏と平家の戦いが終わったあと、義経は兄の頼朝にきらわれ遠ざけられて、義経は奥州藤原氏のもとへ{{ruby|逃|に}}げることとなりましたが、頼朝の軍勢の{{ruby|追撃|ついげき}}にあい、最終的に、奥州藤原氏が裏切って、{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#義経]]を参照。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「源頼朝」や「源義経」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平清盛に敗れて殺された源義朝の子の源頼朝は、弟源義経などに関東の武士をひきいさせて、平家を滅ぼします。その後、義経は頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏のもとに逃げますが、裏切った奥州藤原氏に滅ぼされます。頼朝は、その奥州藤原氏を滅ぼして、日本の武士をまとめます。
:*頼朝は{{ruby|征夷大将軍|せいいだいしょうぐん}}になり、{{ruby|鎌倉|かまくら}}に{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらき、以後、日本の政治は将軍の{{ruby|下|もと}}、武士が行うようになります。
:*頼朝は{{ruby|御家人|ごけにん}}とよばれる自分の家来の武士たちを、{{ruby|守護|しゅご}}や{{ruby|荘園|しょうえん}}の{{ruby|地頭|じとう}}に任命して日本全国におきました。
:*頼朝の子孫である源氏の将軍はすぐに絶え、鎌倉幕府は北条氏が権力を持った{{ruby|執権|しっけん}}政治となります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="運慶"/><span id="快慶"/>{{ruby|運慶|うんけい}}・{{ruby|快慶|かいけい}}===
{{wikipedia|運慶}}
{{wikipedia|快慶}}
'''運慶'''(生没年:? - 1224年)
'''快慶'''(生没年:不詳 1189年頃から1221年頃までの作品が残る)
:仏師(仏像を製作する彫刻家)。代表作は東大寺南大門{{ruby|金剛力士|こんごうりきし}}像。
:鎌倉時代の、武士の支配する{{ruby|世相|せそう}}を反映してか、この時代には、金剛力士像のような、写実的で{{ruby|躍動|やくどう}}的な作品も、好まれるようになりました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「運慶」や「快慶」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安時代、宮中や貴族を中心とした日本独自の文化が誕生しますが、鎌倉時代になると、武士をはじめとした民衆に新たな文化が誕生していきます。仏像なども、平安時代までの静かに座ったものから、動きをいきいきと表した金剛力士像のようなものが好まれるようになります。
:*仏教も、寺での僧たちの活動だけではなく、民衆が広く理解ができる、浄土教や禅宗、法華宗など新しい教えが誕生しました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="北条時宗"/>{{ruby|北条時宗|ほうじょうときむね}} ===
{{wikipedia|北条時宗}}
:生没年:1268年 - 1284年
:中国の王朝{{ruby|元|げん}}が{{ruby|攻|せ}}め{{ruby|込|こ}}んできたとき({{ruby|元寇|げんこう}})の鎌倉幕府の執権。
:時宗は、元が服従するよう命じてきたのを拒否し、全国の御家人だけでなく、御家人ではない武士にも、筑後(現在の福岡県)に集まり元から日本を守るよう命じ、元を{{ruby|撃退|げきたい}}します。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#元寇|→教科書本文]])
* 関連する人物
**[[w:クビライ|フビライ・ハーン]]<ref name="ハーン">「チンギス」が名前で「ハーン(ハン、カーン、{{ruby|汗|カン}}と書いたり、発音したりもします)」が君主を意味するモンゴル民族など北方民族のことばです。</ref>
**:中国の王朝{{ruby|元|げん}}の皇帝。クビライと書くこともあります。
**:中国本土北部の遊牧民モンゴル({{ruby|蒙古|もうこ}})族のチンギス・ハーン<ref name="ハーン"/>は、中国本土へ攻め入り、西に向かい、ヨーロッパの東部までその勢力におきました(モンゴル帝国)。フビライ・ハーンはチンギス・ハーンの孫で、モンゴル帝国のうち、中国本土の部分を「元」として独立させ中国風の皇帝となりました。
**[[w:竹崎季長|{{ruby|竹崎季長|たけさきすえなが}}]]
**:元寇のときの鎌倉幕府の{{ruby|御家人|ごけにん}}。元軍の撃退に{{ruby|活躍|かつやく}}しましたが、それを幕府に伝えるために、自身の戦いを「{{ruby|蒙古襲来絵詞|もうこしゅうらいえまき}}」に{{ruby|描|えが}}かせました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「北条時宗」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*13世紀モンゴル民族は全世界にその勢力を広げました。それが、東の日本に向かったものが「{{ruby|元寇|げんこう}}」です。日本は歴史上初めて、外国の大勢の軍隊からの{{ruby|攻撃|こうげき}}を受けました。
:*鎌倉幕府のリーダーであった執権北条時宗は、全国の御家人や武士を北部九州や中国地方西部に集め、元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しました。
:*しかし、幕府は得るものがなく、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができなかったので、各地の武士には不満が残りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|室町|むろまち}}時代 ==
=== <span id="足利尊氏"/>{{ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}} ===
{{wikipedia|足利尊氏}}
[[File:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|200px|足利尊氏]]
:生没年:1305年 - 1358年
:鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。征夷大将軍となって室町幕府を開きました。
:尊氏は、もともと、栃木県南部(現在の足利市一帯)をおさめる鎌倉幕府に仕える有力な{{ruby|御家人|ごけにん}}でしたが、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に不満を持つ御家人や武士たちに、鎌倉幕府を倒すことを呼びかけたのに応じて兵をあげ、1333年に鎌倉幕府をほろぼしました。
:鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は新しい政治を始めますが、武士に比べて公家を優先するなどしたため、武士の多くは反発し、その声を受けた尊氏は、後醍醐天皇と対立することになります。
:尊氏は、後醍醐天皇に味方する武士と戦って勝利し、後醍醐天皇は奈良県吉野という山中に逃れます。後醍醐天皇は退位していないまま、尊氏は京都で別の天皇を即位させ朝廷を開かせます。ここで、日本に二つの朝廷ができることになります。京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の朝廷を「南朝」といって、日本全国で各々の調停に従った武士たちは戦いを続けます。この時代を、「南北朝時代」といいます。
:1338年尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。この幕府は、のちに[[#室町幕府|室町幕府]]とよばれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#室町幕府の誕生|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:後醍醐天皇|{{ruby|後醍醐|ごだいご}}天皇]]
*::生没年:1288年 - 1339年
*::第96代天皇。鎌倉幕府を倒すことを計画していましたが、幕府に知られ{{ruby|隠岐島|おきのしま}}に流されます。翌年、そこから逃亡し{{ruby|伯耆国|ほうきのくに}}で兵をあげ、幕府に不満を持つ武士を集め、鎌倉幕府を倒し、天皇が直接主導する政治を始めました。しかし、多くの武士からの支持を失い、足利尊氏が別の天皇を立てたため、吉野に逃れ、南朝をたてました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利尊氏」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*{{ruby|元寇|げんこう}}で元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しましたが、鎌倉幕府は、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができず、多くの{{ruby|御家人|ごけにん}}がまずしくなりました。
:*一方で、ものの取引が活発になって、ものの取引などで力をつける武士などが増えてきて、百数十年前鎌倉幕府ができたころに頼朝たちに味方したことで{{ruby|御家人|ごけにん}}になった古い家柄の武士たちとの対立も増えてきました。
:*鎌倉幕府は、このような問題をうまく解決できず、各地の武士の幕府への不満は大きくなっていきました。
:*後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士や公家によびかけて、鎌倉幕府を倒しました。
:*しかし、後醍醐天皇の政治は、公家を優先するものだったので、それに不満のある武士をひきいて足利尊氏が、別の朝廷(北朝)を立てて将軍となり室町幕府を開きました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="足利義満"/>{{ruby|足利義満|あしかがよしみつ}} ===
{{wikipedia|足利義満}}
[[File:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
:生没年:1358年 - 1408年
:室町幕府の第3代将軍です。尊氏が将軍の時期には、後醍醐天皇の南朝やそれに味方する武士たちとの争いが続き、また、尊氏の弟{{ruby|直義|なおよし}}も兄と対立するなどして、大変不安定なものでした。しかし、尊氏が晩年に弟の軍勢を破り、尊氏の死後は子の第2代将軍{{ruby|義詮|よしあきら}}が南朝に味方する武士たちを負かしていくとともに、幕府の仕組みを整えていくことで、だんだん安定していきました。
:<span id="室町幕府"/>義詮をついで将軍となった義満は、日本各地からの訴訟などを解決できるよう、幕府の仕組みをさらに整えました。また、京都の{{ruby|室町|むろまち}}というところに貴族の屋敷に見立てた武家屋敷を作り、ここに幕府としました。その屋敷は広い庭には四季折々の花が咲き乱れたことから、人々は「花の御所」と呼ぶようになり、これ以降、足利将軍の幕府を「室町幕府」と呼びます。
:また、義満は中国の新しい王朝である{{ruby|明|みん}}との間で貿易をはじめ、その利益で室町幕府はますます栄えました。
:こうして日本全国の武士たちから信頼を得た室町幕府は、南朝を降伏させ南北朝時代は終わります。
:南北朝を統一させた義満は息子に将軍の職を譲って、京都の北山に別荘を建てては華やかな余生を過ごしました。その別荘の中にある、外側に金を張り巡らせた建物は{{ruby|金閣|きんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も金閣寺(正式には{{ruby|鹿苑寺|ろくおんじ}})と呼ばれています。
:義満が将軍だった時期が、室町幕府で将軍が最も力を持っていた時期です。
{{-}}
=== <span id="足利義政"/>{{ruby|足利義政|あしかがよしまさ}} ===
{{wikipedia|足利義政}}
[[File:Ashikaga Yoshimasa.jpg|thumb|200px|足利義政]]
:生没年:1436年 - 1490年
:室町幕府の第8代将軍です。
:義満の死後、南北朝の争いもなくなり、取引が盛んになるなどして社会は豊かになっていきました。それにともなって、各地の守護が大名となり、地頭・領主といった武士たち([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]])も力をつけ、お互いに争うことや、家の中のあとつぎ争いも目立つようになってきました。
:1467年、鎌倉幕府の{{ruby|管領|かんれい}}<ref>将軍に次いで幕府の有力な役職です。鎌倉時代北条家がつとめた執権とにていますが、室町幕府では、細川家・斯波家・畠山家の三家で交代して、その役につきました。</ref>の{{ruby|斯波|しば}}家と{{ruby|畠山|はたけやま}}家でのあとつぎ争いをきっかけに、管領である{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}がひきいる東軍と中国地方の有力な守護である{{ruby|山名宗全|やまなそうぜん}}がひきいる西軍に分かれて争う戦乱「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」が起こりました。東西の対立は、将軍のあとつぎに、もともと決まっていた義政の弟{{ruby|義視|よしみ}}にかえて義政の子{{ruby|義尚|よしひさ}}とするかという問題もあわさって、全国に広がり、京都の街は焼け野原になりました。義政は、応仁の乱を終わらせることにはあまり熱心ではなく、戦乱は約10年続きました。この、応仁の乱が戦国時代が始まったきっかけの一つと言われています。
:そんな中で、義政は将軍職を子の義尚にゆずり、義満にならって、京都の東山に別荘を建て過ごしました。その別荘の中にある建物は{{ruby|銀閣|ぎんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も銀閣寺(正式には{{ruby|慈照寺|じしょうじ}})と呼ばれています。
=== <span id="雪舟"/>{{ruby|雪舟|せっしゅう}} ===
{{wikipedia|雪舟}}
:生没年:1420年 - 1506年
:中国大陸に{{ruby|起源|きげん}}を持つ{{ruby|水墨画|すいぼくが}}を元にして、日本独自の水墨画の{{ruby|画風|がふう}}<ref>ある画家や時代、またはある絵画の流派の作風や特徴。</ref>を完成させた画家です。当時は、画家は独立した職業ではなかったので、{{ruby|僧侶|そうりょ}}として活動しました。
:今の岡山県に生まれ、子どものころにお寺で修行し、京都で絵や禅の勉強をしました。のちに山口県で活動し、「雪舟」という名前を名乗るようになります。50点ほどの絵が残っています。1467年には中国に渡って本場の絵を学びました。風景を見て絵にする力が高く、「風景こそ最大の師」と言ったともいわれています。全国を旅して多くの絵を残しました。
:(→[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#水墨画|教科書本文]])
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利義満」「足利義政」「雪舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*室町幕府は、できた当初は南北朝の争いなどで不安定でしたが、義満が将軍の頃、それもおさまり、最もさかえました。
:*義満の死後、各地の守護や[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]]たちが争うようになり、義政の頃、大きな戦乱である「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」がおこり、だんだん戦乱の世の中になっていきました。
:*社会が安定して豊かになったことから、公家など貴族の文化と武家の文化が融合した文化が生まれてきました。その代表が、義満が建てた金閣や義政が建てた銀閣です。また、雪舟の水墨画など、後世に残る新たな文化も誕生してきました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== 戦国時代 ==
=== 有力な戦国大名 ===
*'''{{ruby|朝倉孝景|あさくらたかかげ}}'''(または{{ruby|朝倉敏景|あさくらとしかげ}}、[[w:朝倉孝景 (7代当主)|→ウィキペディア]])
*:生没年:1428年 - 1481年
*:{{ruby|越前|えちぜん}}(今の福井県)で活躍した武将です。もとは越前の守護{{ruby|斯波|しば}}氏につかえていました。応仁の乱の原因のひとつである{{ruby|斯波義敏|しばよしとし}}と{{ruby|斯波義廉|しばよしかど}}の争いでは、はじめ義廉の西軍として戦いましたが、応仁の乱の中で、東軍の{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}による東軍への寝返りのさそいに応じて、東軍を勝利に導きました。その後、孝景は越前[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#守護代|守護代]]として、その地のほとんどを支配するようになり、自分の国づくりを進めました。これは、守護をおしのけて、家来などが、その地を支配する最初の例となりました。ただし、孝景が、そのようになるには、将軍が認める必要がありました。
*'''{{ruby|北条早雲|ほうじょうそううん}}'''([[w:北条早雲|→ウィキペディア]])
*:生没年:1432年 - 1519年
*:もともと、西国の出身ですが、東国に移り住んで今川氏が守護をする{{ruby|駿河|するが}}(現在の静岡県中部)の守護代となり、{{ruby|伊豆|いず}}(現在の静岡県東部)と{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)から、関東管領である上杉氏の勢力を追い出し、領地としました。子孫である北条氏は早雲の死後も勢力を伸ばして関東地方全体をおさめるようになりました。早雲は守護や守護代といった、室町幕府の仕組みによらず伊豆や相模を支配したので、最初の戦国大名といわれています。また、田畑の面積や収穫量を調査し、それを帳面にまとめる「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#検地|検地]]」を行い、領民からの{{ruby|年貢|ねんぐ}}を引き下げたとも伝えられます。
*'''{{ruby|斎藤道三|さいとうどうさん}}'''([[w:斎藤道三|→ウィキペディア]])
*:生没年:1494年(1480年とも)- 1556年
*:{{ruby|美濃|みの}}国(現在の岐阜県)の戦国大名です。美濃国は、{{ruby|土岐|とき}}氏が守護をつとめていましたが、実際の政治は守護代である{{ruby|斉藤|さいとう}}氏が行い、さらに、その代官である{{ruby|長井|ながい}}氏が力を持っていました。斎藤道三のうまれた{{ruby|家柄|いえがら}}はよくわかっていませんが、美濃で長井氏につかえ、やがて、主人の罪をせめて殺して長井新九郎をなのります。その後守護代の斉藤氏が亡くなると、斉藤新九郎利政となのって守護代になります。そして、最後に守護の土岐氏を追い出して、美濃国をおさめる戦国大名となりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|下克上]]の典型的な例と言われます。
*<span id="毛利元就"/>'''{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}'''([[w:毛利元就|→ウィキペディア]])
*:生没年:1497年 - 1571年
*:もともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、一方で、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。
*:以下の「三本の矢」の言い伝えで有名です。
*::元就が死ぬ直前、3人の息子達に矢を1本ずつわたして「折ってみよ」と命じると、息子たちはなんなく矢を折りました。つづいて、息子に3本の矢をまとめてわたしてもう一度「この矢を折ってみよ」と言ったところ、3本の矢はかたく、息子たちは、矢を折れませんでした。そこで「おまえたちも、この矢のように3人が力をあわせよ」と言いのこしました。
*'''{{ruby|島津貴久|しまづたかひさ}}'''([[w:島津貴久|→ウィキペディア]])
*:生没年:1514年 - 1571年
*:{{ruby|薩摩|さつま}}(鹿児島県西部)の戦国大名です。薩摩の守護である島津家もいくつかに分かれ対立していましたが、本家からは遠い分家であった父島津{{ruby|忠良|ただよし}}が薩摩各地の国人領主たちをおさえ、貴久に本家をつがせ薩摩を統一しました。貴久は、その後、{{ruby|大隅|おおすみ}}(鹿児島県東部)・{{ruby|日向|ひゅうが}}(宮崎県)南部にも勢力を拡大していきました。貴久が薩摩の国守であったころ、ポルトガルの船が来航し、鉄砲やキリスト教を伝えます。貴久は鹿児島に渡来したフランシスコ・ザビエルと面会しました。
*<span id="今川義元"/>'''{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}'''([[w:今川義元|→ウィキペディア]])
*:生没年:1519年 - 1560年
*:{{ruby|駿河|するが}}と{{ruby|遠江|とおとおみ}}(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や武田信玄と争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}(愛知県東部)の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
*<span id="武田信玄"/>'''{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}'''([[w:武田信玄|→ウィキペディア]])
*:生没年:1521年 - 1573年
*:{{ruby|甲斐|かい}}(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄の父{{ruby|信虎|のぶとら}}は、甲府を本拠として、甲斐国内の有力国人たちを武力で制圧し、従わせました。しかし、家臣たちにきびしくふるまったため対立が生じ、信玄が国人たちの支持を受けて信虎を追放し、甲斐領主となりました。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、今川義元が桶狭間の戦いでうたれ、今川氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
*:「風林火山」とよばれる旗印で有名です。「風林火山」は「{{ruby|疾|はや}}きこと風のごとく、{{ruby|徐|しず}}かなること林のごとく、{{ruby|侵掠|しんりゃく}}すること火のごとく、動かざること山のごとし。」という言葉に由来します。
*<span id="上杉謙信"/>'''{{ruby|上杉謙信|うえすぎけんしん}}'''([[w:上杉謙信|→ウィキペディア]])
*:生没年:1530年 - 1578年
*:{{ruby|越後|えちご}}(現在の新潟県)の戦国大名です。越後国の守護は関東管領である上杉氏がつとめていて、守護代を{{ruby|長尾|ながお}}氏がつとめていました。謙信は、もともと長尾氏の生まれですが、力が衰えた上杉氏の養子となり、関東管領の地位もつぎました。謙信は、北関東をめぐって北条氏と戦い、{{ruby|信濃|しなの}}国(信州、現在の長野県)をめぐって{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}と戦いました。
*:謙信は信義にあつく、敵であっても弱みにつくこまない人物と言われています。武田家が、今川家と戦い太平洋側からの塩の運搬を止められ塩不足に悩まされていたときに、武田家に塩を送り、「敵に塩を送る」のことわざの由来となったともいわれています。
=== フランシスコ・ ザビエル ===
{{wikipedia|フランシスコ・ ザビエル}}
[[File:Franciscus de Xabier.jpg|thumb|150px|フランシスコ・ ザビエル]]
:生没年:1506年 - 1552年
:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭<ref>キリスト教・カトリックにおける聖職者(神父など)の階級のひとつです。</ref>、宣教師です。
:カトリック教会が衰退することを心配して作られた修道会イエズス会の創設メンバーの1人です。
:ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名です。島津貴久や大内義隆といった大名に面会し、大友宗麟を洗礼させるまでにいたりました。日本での宣教の結果多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。1551年日本を離れ、インドで宣教を続けます。翌年中国へ宣教に向かったところ、中国南部で病気で亡くなりました。
* 関連する人物
**ルイス=フロイス
**:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を残しました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「戦国大名」「フランシスコ・ ザビエル」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」の後、室町幕府は、各地の戦乱を止めることができなくなっていました。
:*それまでは、守護が大きな力を持って争っていて、これを{{ruby|守護大名|しゅごだいみょう}}といっていましたが、守護大名を倒して、ある地方を支配する武将が、各地で登場しました。これを{{ruby|戦国大名|せんごくだいみょう}}といいます。
:*もともと、守護だった戦国大名もいますが、戦国大名は大きな力をつけてきた{{ruby|国人|こくじん}}をまとめて国をおさめ、戦さにのぞんだところが、守護大名とはちがっています。
:*戦国大名を細かく覚える必要はありません。
:*戦国時代の後半には、ポルトガル人が来航するようになり、鉄砲やキリスト教を伝えました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|安土|あづち}}{{ruby|桃山|ももやま}}時代 ==
=== <span id="織田信長"/>{{ruby|織田信長|おだのぶなが}} ===
{{wikipedia|織田信長}}
[[File:Odanobunaga.jpg|thumb|200px|織田信長]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|教科書本文]])
:生没年:1534年 - 1582年
:はじめは{{ruby|尾張|おわり}}の一部をおさめる大名でしたが、身内との争いに勝ち、尾張一国を治める戦国大名となりました。。
:1560年の「{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い」では、{{ruby|駿河|するが}}からせめてきた{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}の大軍を少ない兵で打ち破り、名を上げました。その後、{{ruby|美濃|みの}}の{{ruby|斎藤|さいとう}}氏をたおして美濃を手に入れ、拠点を岐阜城に移しました。
:1568には、足利{{ruby|義昭|よしあき}}を助けて将軍にして京都に入り、京都で力をふるっていた{{ruby|三好|みよし}}一族を追いはらいました。やがて義昭と対立し、1573年にはこれを追放し、室町幕府をほろぼしました。
:信長は、まわりの有力な戦国大名を次々に打ち破り、あるいは味方につけていきました。北陸方面では{{ruby|浅井長政|あざいながまさ}}や{{ruby|朝倉義景|あさくらよしかげ}}との連合軍をやぶり、{{ruby|比叡山|ひえいざん}}{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}や[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一向一揆|{{ruby|一向一揆|いっこういっき}}]]などの勢力も平定しました。{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}には苦しめられましたが、その死後は、武田{{ruby|勝頼|かつより}}を1575年の「{{ruby|長篠|ながしの}}の戦い」で打ち破りました。この戦いでは、鉄砲を効果的に使ったことでも知られています。
:経済やまちづくりにも力を入れ、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|楽市楽座|らくいちらくざ}}]]というしくみで商人が自由に商売できるようにしました。1576年には{{ruby|安土城|あづちじょう}}を築き、政治や文化の中心としました。
:1582年、中国地方の{{ruby|毛利|もうり}}氏との戦いを支えるために出陣しようとして京都の{{ruby|本能寺|ほんのうじ}}にいたところを部下の{{ruby|明智光秀|あけちみつひで}}におそわれ、亡くなりました。このとき信長は、毛利だけでなく、上越地方では{{ruby|上杉|うえすぎ}}、四国では{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}など、全国の大名に兵を向けており、天下統一に近づいていました。
:外国のことにも関心があり、{{ruby|地球儀|ちきゅうぎ}}を見て、地球が丸いことをすぐに理解したとも言われています。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「織田信長」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*織田信長は、{{ruby|群雄|ぐんゆう}}{{ruby|割拠|かっきょ}}の戦国時代、有力な戦国大名同士の争いでは決着がつかなくなったなかで、領国を大きく広げ、元々の尾張から京都を含めた一帯まで広げ、天下を統一する勢いを見せました。
:*信長が、それまでの戦国大名と大きく違っていたのは、鉄砲を大量に使用したことと足軽などの軍勢を常備動員するようになったことです。
:*高価であった鉄砲やを大量に手に入れたり、農民と独立した軍勢をもつには、強大な経済力が必要です。信長は、農村の改革や楽市楽座のような商業の{{ruby|振興|しんこう}}によって、これを得ました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="豊臣秀吉"/>{{ruby|豊臣秀吉|とよとみ ひでよし}} ===
{{wikipedia|豊臣秀吉}}
[[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|200px|豊臣秀吉]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉の天下統一|教科書本文]])
:生没年:1537年 - 1598年
:秀吉は、現在の名古屋市にあたる場所で生まれました。農民の子とも足軽の子とも言われていますが、正確なことはわかっていません。武士として高い家柄に生まれたものではなかったことはたしかです。
:もともと、{{ruby|木下藤吉郎|きのした とうきちろう}}と名乗っており、{{ruby|松下之綱|まつした ゆきつな}}に仕えたのち、織田信長に仕えました。信長のもとで数々の手柄を立てて出世し、名前も{{ruby|羽柴秀吉|はしば ひでよし}}と改めました。本能寺の変の前には、毛利攻めの総大将を任されるほどになっていました。
:本能寺の変のとき、秀吉は{{ruby|備中|びっちゅう}}(今の岡山県)で毛利氏と戦っていましたが、すぐに軍を引き返し、明智光秀を討ちました。これにより、信長の後継者としての立場を固め、翌年には、信長の家臣の中でも最も有力であった{{ruby|柴田勝家|しばた かついえ}}を破りました。そして、大阪城を築き、政治の中心としました。また、朝廷に近づき、高い官位を受け、最終的には関白まで上りつめます。そして、天皇から「豊臣」の姓をもらい、豊臣秀吉と名乗るようになりました。
:秀吉は、戦いだけでなく、交渉や同盟もうまく使って全国をまとめていきました。毛利氏や{{ruby|上杉景勝|うえすぎ かげかつ}}と同盟を結び、{{ruby|徳川家康|とくがわ いえやす}}も従わせました。四国の{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}氏、九州の{{ruby|島津|しまづ}}氏、関東の{{ruby|北条|ほうじょう}}氏を次々に制し、東北の{{ruby|伊達政宗|だて まさむね}}も従わせたことで、日本を統一し、戦国時代は終わりました。
:政治では、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#太閤検地|{{ruby|検地|けんち}}]]」を行い、土地の広さや収穫量を正確に調べて税のしくみを整えました。また、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#刀狩|{{ruby|刀狩|かたながり}}]]」によって、農民の武器を取りあげ、武士と民の身分のちがいを明らかにしました。
:秀吉はのちに「{{ruby|太閤|たいこう}}<ref>関白を辞めた人のことを言いますが、秀吉以降は、一般的に太閤とは秀吉のことを指すようになりました。</ref>」と呼ばれ、京都南部の伏見に{{ruby|桃山|ももやま}}城を築き、そこで政治を行いました。また、南蛮貿易を奨励する一方で、キリスト教を取りしまり、宣教師の追放や信者の処刑も行いました。
:晩年には、大陸への進出をめざして朝鮮に出兵しましたが、戦いはうまくいかず、秀吉の死によって朝鮮出兵も終わりました。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「豊臣秀吉」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*豊臣秀吉は、本能寺の変でたおれた織田信長の後をついで、東西に兵をすすめ、日本を統一し戦国時代を終わらせました。
:*秀吉は、農地の広さと{{ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}を調査し、土地の耕作者がどれだけ税を払えるかを決める「{{ruby|検地|けんち}}」を全国で行いました。
:*秀吉は、武士と農民をはっきり分け、農民となったものからは刀や鉄砲といった武器を取り上げる「{{ruby|刀狩|かたながり}}」を全国で行いました。
:*大阪城を作って、城下に多くの商人を集めて商業をさかんにしました。
:*晩年、大陸に進出するため、大量の軍勢を朝鮮に送りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== 安土桃山時代の文化人 ===
*'''{{ruby|千利休|せん の りきゅう}}''' (→[[w:千利休|wikipedia]])
:生没年:1522年 - 1591年
:堺の有力な商人で、作法としての「茶道」を完成させました。
:お茶を飲む習慣は鎌倉時代に始まっていましたが、室町時代になると茶の湯として広く流行し、茶器の工芸品としての価値も高まりました。そのため、高価な茶器を用いた豪華な茶会が開かれるようになりました。そのような風潮に対して、一見ありふれたような道具を用い、そまつな中の美しさを見出し、客と主人との心の交流を重んじる[[w:わび茶|わび茶]]が生まれます。このわび茶をもとにして、現在に続く茶道を完成させました。
:利休は、織田信長などとの取引をつうじて関係を築き上げていきました。このため武将たちとも交流ができ、多くの弟子が生まれました。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の大名や商人などとの交際を仲立ちする役目を負いますが、後に秀吉の怒りをかってしまい、切腹させられました。
*'''{{ruby|狩野永徳|かのう えいとく}}'''(→[[w:狩野永徳|wikipedia]])
:生没年:1543年 - 1590年
:戦国時代から安土桃山時代を代表する{{ruby|絵師|えし}}(職業としての画家)。
:将軍家に仕える絵師の集団「狩野派」の棟梁として室町将軍家から織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、{{ruby|聚楽第|じゅらくだい}}、大坂城などの{{ruby|障壁画|しょうへきが}}({{ruby|襖|ふすま}}や壁など部屋を分ける壁面に描かれる絵)を制作しました。これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、狩野永徳が実際に描いたものとされる作品は比較的残っていません。現存する代表作の1つである『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
:
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== 江戸時代 ==
===<span id="徳川家康"/>{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}===
{{wikipedia|徳川家康}}
[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|250px|徳川家康]]
:生没年:1543年-1616年
:1543年、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:1582年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|本能寺の変]]で信長が亡くなった後、秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、昔からの領地の三河や隣接する遠江・駿河といった領地から北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっており、秀吉政権においては五大老の筆頭でした。
:秀吉の死後、1600年、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#関ヶ原の戦い|関ヶ原の戦い]]に勝利して政権を握ります。
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命され、江戸に幕府を開きます。
:1614年から翌年に「大坂の陣」を起こして豊臣氏を滅ぼしたのち、1616年亡くなりました。
:「東照大権現」として、日光東照宮などにまつられています。
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===<span id="徳川家光"/>{{ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}===
{{wikipedia|徳川家光}}
[[File:Iemitu.jpg|thumb|250px|徳川家光]]
:生没年:1604年-1651年
:江戸幕府第3代将軍。第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}の子です。家光が生まれた時には、家康は将軍であり、家光が将軍になったころには豊臣氏もほろび、幕府の仕組みも安定して、「生まれながらの将軍」として、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|{{ruby|譜代|ふだい}}か{{ruby|外様|とざま}}]]にかかわらず、他の大名とは違う特別の地位にあることを示しました。
:家光の代に、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#参勤交代|参勤交代]]の制度が整い{{ruby|幕藩|ばくはん}}体制が確立しました。
:1637年島原の乱というキリシタンを多く含む大きな{{ruby|一揆|いっき}}を鎮圧すると、キリスト教の禁止を徹底するため、1639年、ポルトガルの来航を禁じ、鎖国を行いました。
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「徳川家康」「徳川家光」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*徳川家康は、若いころから織田信長と{{ruby|同盟|どうめい}}を組んで信長の天下統一に協力しました。豊臣秀吉の代になると、初めは秀吉と争いましたが後に和解し、北条氏に代わって関東一円を治める秀吉の時代には最大の大名となっていました。
:*秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝って、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。
:*徳川家光が将軍になるころには、各地の大名に参勤交代を義務付けるなど、江戸幕府も頂点とした安定した社会が完成していました。
:*家光は、キリスト教を完全に禁止するため鎖国を行いました。
:</small>
|}</div>
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===<span id="松尾芭蕉"/>{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}===
{{wikipedia|松尾芭蕉}}
[[File:Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg|thumb|200px|松尾芭蕉]]
生没年:1644年-1694年
:{{ruby|和歌|わか}}の余興の{{ruby|言捨|いいす}}ての{{ruby|滑稽|こっけい}}から始まり、滑稽や{{ruby|諧謔|かいぎゃく}}を主としていた{{ruby|俳諧|はいかい}}を、{{ruby|蕉風|しょうふう}}と呼ばれる芸術性の極めて高い{{ruby|句風|くふう}}として確立した。
:代表作に「{{ruby|古池|ふるいけ}}や{{ruby|蛙飛|かわづと}}びこむ{{ruby|水|みず}}の{{ruby|音|おと}}」「{{ruby|閑|しずか}}さや{{ruby|岩|いわ}}にしみ{{ruby|入|い}}る{{ruby|蝉|せみ}}の{{ruby|声|こえ}}」などがあります。
{{-}}
===<span id="近松門左衛門"/>{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}===
{{wikipedia|近松門左衛門}}
:生没年:1653年-1725年
:人形{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}の作者です。町人社会の義理や人情をテーマとした作品([[w:世話物]])や歴史的な事件や出来事を扱った[[w:時代物]]で評判を得ました。
:代表作に「{{ruby|曽根崎|そねざき}}{{ruby|心中|しんじゅう}}」「{{ruby|冥途|めいど}}の{{ruby|飛脚|ひきゃく}}」「{{ruby|女殺油地獄|おんなごろしあぶらのじごく}}」「{{ruby|国姓爺合戦|こくせんやかっせん}}」などがあります。
=== <span id="本居宣長"/>{{ruby|本居宣長|もとおりのりなが}} ===
{{wikipedia|本居宣長}}
:生没年:1720年-1801年
:日本の古典文学などから、日本古来の姿を研究する国学を確立しました。
:古事記の内容を研究した『古事記伝』などの著作があります。
=== <span id="杉田玄白"/>{{ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}} ===
{{wikipedia|杉田玄白}}
:生没年:1733年-1817年
:医師、{{ruby|蘭学|らんがく}}者。
:{{ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}と共にオランダ語の{{ruby|解剖|かいぼう}}学の書『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳し、『{{ruby|解体新書|かいたいしんしょ}}』を完成させ、近代的な西洋医学を日本にもたらしました。
:辞書がない中で翻訳を手さぐりで進めていった苦労などを『{{ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』という本に残しています。
=== <span id="伊能忠敬"/>{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}} ===
{{wikipedia|伊能忠敬}}
:生没年:1745年-1818年
:伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)の商人で、50歳まで家業を務めたのち、子に譲って隠居しました。それから、忠敬は海岸線がどのような形をしているかを書き表すために天文学と測量術を学びはじまます。そして、55歳になって、日本中を駆け巡り、日本の海岸線の形を測量し、『{{ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』という地図に残しました。
:欧米において、近代的な測量術は当時確立したばかりで、忠敬の測量術は直接それに接したものではありませんでしたが、忠敬の地図は、近代的測量術によるものと比べても驚くほど正確なものでした。
:詳細は、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#伊能忠敬|教科書のコラム欄]]参照。
===<span id="歌川広重"/>{{ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}===
{{wikipedia|歌川広重}}
:生没年:1797年-1858年
:別名、{{ruby|安藤|あんどう}}広重。{{ruby|浮世絵|うきよえ}}師。代表作に『東海道五十三次』があります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「近松門左衛門」「本居宣長」「杉田玄白」「伊能忠敬」「歌川広重」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*江戸時代になって、社会が安定し、江戸や大阪といった都市がさかえるようになると、町人と呼ばれる{{ruby|庶民|しょみん}}に受け入れられる文化が盛んになります。
:*近松門左衛門が脚本を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎が人気となり、また、絵の方面では、安藤広重などが、印刷でだれでも手に入れられる浮世絵の分野で活躍します。
:*学問といえば、それまで{{ruby|儒学|じゅがく}}(漢学)ばかりでしたが、日本古来のことを研究する国学が本居宣長によって確立し、医学などの分野では、オランダから伝わった{{ruby|蘭学|らんがく}}が杉田玄白などにより新たに出現しました。学問の成果を実現しようという取り組みも見られ、伊能忠敬は、各地を測量して日本全国の地図をつくりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="マシュー・ペリー"/>マシュー・ペリー ===
{{wikipedia|マシュー・ペリー}}
:生没年:1794年-1858年
:アメリカ合衆国の海軍軍人。
:1853年、日本に開国を求めるため黒船をひきいて来航、翌年、再度来航し、幕府に'''日米和親条約'''を結ばせ、日本を開国しました。
* 関連する人物
**<span id="ハリス"/>[[w:タウンゼント・ハリス|タウンゼント・ハリス]]
**:アメリカ合衆国の外交官。
**:日米和親条約が結ばれた後、アメリカ合衆国を代表する外交官({{ruby|公使|こうし}})として来日し、日本との間に貿易に関する条約を結ぶよう交渉します。その結果、1858年、'''日米修好通商条約'''が結ばれ、日本は鎖国を完全に解いて諸外国と貿易を始めることとなります。この条約は、日本にとって非常に不平等なものであったので、明治政府はこれを平等なものに改正するのに非常に苦労します。
**<span id="井伊直弼"/>[[w:井伊直弼|{{ruby|井伊直弼|いいなおすけ}}]]
**:幕末の彦根藩主で、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の仕組み|幕府の大老]]です。
**:日米和親条約を結んだのち、各国は貿易のための通商条約を結ぶことを求めてきました。開国の時にあわてた対応をして、朝廷などを巻き込んだため、幕府は混乱していました。井伊直弼は、江戸時代の間ずっとそうであったように、朝廷や他の大名の意見を聞かずに通商条約を結び、これに反対したり批判する人たち({{ruby|攘夷|じょうい}})を弾圧し、中には処刑することもありました({{ruby|安政|あんせい}}の{{ruby|大獄|たいごく}})。このことで、うらみを買った井伊直弼は尊王攘夷派によって暗殺されました(桜田門外の変)。
**<span id="吉田松陰"/>[[w:吉田松陰|{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}]]
**:長州藩の下級武士の家に生まれましたが、幼い頃から学問に優れ、江戸に出るなどして学問を深めました。黒船来航の時、ひそかに黒船にまで行ってアメリカに渡ることをこころみますが、失敗し犯罪者として長州藩にもどされます。長州にもどった吉田松陰は、松下村塾という私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ教え始めます。松下村塾では、儒学や兵法に限らず広い分野を教え、また、塾生に活発に議論をさせるなどして、多くの人材が育ち、幕末の尊皇攘夷・倒幕運動や明治政府の中心となっていきました。幕府からは尊皇攘夷を唱える危険人物とされ、安政の大獄で処刑されました。
**<span id="高杉晋作"/>[[w:高杉晋作|{{ruby|高杉晋作|たかすぎしんさく}}]]
**:長州藩の身分の高い家柄に生まれました。藩校の{{ruby|明倫|めいりん}}館に通っていましたが、たまたま、聞いた吉田松陰の講義に引き込まれ松下村塾に通うようになります。松下村塾では、塾生のリーダーで、松蔭の死後、若い長州藩士をひきいて、尊皇攘夷運動を全国で展開します。身分によらない兵で組織する{{ruby|奇兵隊|きへいたい}}を作ったり、幕府に従おうとした長州藩の実権を握って、幕府に対抗させるなど、後に長州藩出身者が明治政府で重要な役割を果たす基礎をつくりました。明治維新の前年1867年に肺結核で29歳で亡くなりました。
{{-}}
=== <span id="勝海舟"/>{{ruby|勝海舟|かつかいしゅう}} ===
{{wikipedia|勝海舟}}
[[File:Kaishu Katsu 1.jpg|thumb|left|150px|1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影]]
:生没年:1823年- 1899年
:幕臣、ただし、身分はあまり高くない[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|御家人]]と言われる家柄の出身です。
:「海舟」は号と言われる一種のペンネームで、若い頃は「{{ruby|麟太郎|りんたろう}}」、明治になって戸籍には「{{ruby|安芳|やすよし}}」と記録されました。
:はじめ、蘭学を学び、1853年の黒船来航をきっかけに、蘭学知識を頼りとされ、幕府に外国関係の役人として{{ruby|抜擢|ばってき}}され、航海術などを取り扱います。1860年日本人乗組員が主となって初めて太平洋を横断した咸臨丸で米国に渡る経験をします。それから、幕府内で外国の知識が豊富な有力者として、海軍の創設などを行います。また、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]など薩長などの有力者とも親交を持ちました。薩長同盟を仲介した[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]は、勝海舟の弟子です。
:戊辰戦争で薩長軍が江戸を攻めようとした時、西郷隆盛と話し合い、江戸城を人が死ぬことなく開城させました。
:明治政府では、創成期に参議や海軍卿といった要職について、海軍創設に貢献しました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="坂本龍馬"/>[[w:坂本龍馬|{{ruby|坂本龍馬|さかもとりょうま}}]]
**:土佐藩の下級藩士でしたが、江戸に剣術の修行に出ている時に黒船来航があって、その後、尊王攘夷運動に参加しました。勝海舟を暗殺しようと訪れたところ、勝に海軍や海上運輸が重要であることを教えられ、勝の弟子になり、その活動を手伝い京都や長崎で、薩摩藩の[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]や長州藩の[[#木戸孝允|桂小五郎(木戸孝允)]]といった、尊王攘夷活動家の要人と知り合います。商売の才能もあり、主にアメリカから船や大量の銃を諸藩に仲介したりもしました。西郷と桂を説得して薩摩と長州の同盟を結ばせたのは坂本龍馬であると言われています。大政奉還直後、鳥羽・伏見の戦いの前に京都で暗殺されました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「ペリー」「勝海舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*1641年にオランダ人に長崎の出島のみの来航を許す鎖国を始めてから、日本は、欧米と関係することはほとんどありませんでした。
:*18世紀半ばから19世紀にかけて、欧米では産業革命が起きて蒸気機関などが発明され、文明が大きく発展していました。
:*鎖国していた日本は、それを知ることはなかったのですが、1853年、蒸気船でペリーが来航し開国を求めました。
:*幕府は、あわてて開国し、遅れている文明を追い付かせようと、勝海舟などを米国に派遣したりして、さまざまな近代化に取り組みました。
:*しかし、もう幕府だけのうごきで、日本全体を動かすことはできないようになっており、幕府は倒され、日本が一つの国としてうごくことができる国づくりが始まります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 ==
※この項では、年代が明治以降の場合、理解の助けとして元号(明治、大正、昭和)を付記します。
=== <span id="明治天皇"/>{{ruby|明治天皇|めいじてんのう}} ===
{{wikipedia|明治天皇}}
[[File:Emperor Meiji in 1893.jpg|thumb|180px|軍装の明治天皇(1890年頃)]]
:生没年:1852年 - 1912年(明治45年)
:幕末から明治末年までの天皇です。在位:1867年2月13日(慶応3年1月9日) - 1912年(明治45年)7月30日。
:幕末、幕府と薩長などが厳しく対立する京都で、父{{ruby|孝明|こうめい}}天皇の急死を受け、1867年2月13日(慶応3年1月9日)14歳で即位しました。
:11月9日(旧暦10月14日)に第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を申し出、翌日に許可されました('''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|大政奉還]]''')。 1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らは朝廷を動かし、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|王政復古の大号令]]'''を出させて、慶喜を新たな政権から外しました。
:これに不満を持った幕府側は1868年1月27日(慶応4年1月3日)、京都に攻めかかりますが、薩摩や長州は、天皇の軍であることを表す「{{ruby|錦|にしき}}の{{ruby|御旗|みはた}}」を示して、これを押し返します({{ruby|鳥羽伏見|とばふしみ}}の戦い)。慶喜は江戸に逃げ帰り、同年3月8日(旧暦2月12日)西郷隆盛がひきいる官軍に降伏しました。
:4月6日(旧暦3月14日)、天皇は新しい政府の心得である'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり#明治維新と武士の社会の終わり|{{ruby|五箇条|ごかじょう}}の{{ruby|御誓文|ごせいもん}}]]'''を発布しました。
:10月23日(旧暦9月8日)に年号を慶応から'''明治'''に改め({{ruby|改元|かいげん}})、あわせて、天皇の在位中は元号を変えない「{{ruby|一世一元|いっせいいちげん}}の制」を定めました。
:11月4日(旧暦9月20日)から翌1869年2月3日(明治元年12月22日)にかけて、東京<ref>1868年9月3日(慶応4年7月17日)に「江戸」から改名されました。</ref>を訪れます。
:1869年4月18日(旧暦3月7日)京都を離れた天皇は、5月9日(旧暦3月28日)江戸城(皇居)に入り、以降、ここに住むことになりました。
:1869年7月25日(旧暦6月17日)、全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還しました('''版籍奉還''')。
:1871年(明治4年)6月、薩摩藩、長州藩、土佐藩の兵士を集めた'''{{ruby|御親兵|ごしんぺい}}'''が組織されます。最初の、「天皇の軍隊」です。
:同年8月29日(旧暦7月14日)'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#廃藩置県|廃藩置県]]'''を宣言し、天皇を中心とした中央集権の仕組みが誕生しました。
:天皇は、1872年(明治5年)から1885年(明治18年)にかけて、6回に分け日本全国を巡行しました。また、1872年ころには、{{ruby|髷|まげ}}を切って、特別な場合を除いて、洋装で人前に出るようになりました。
:1880年頃から、外国の要人<ref>例として、明治12年(1879年)ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫ハインリヒ皇子、同年元米国大統領ユリシーズ・グラント、1881年(明治14年)ハワイ国王カラカウアなど。</ref>が来日するようになり、天皇も外交の舞台に立つようになります。
:1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布され、それにおける天皇の地位は、国家の主権者かつ元首として、統治権を総攬する存在と規定されていました。天皇の地位は「神聖にして侵すべからず」とされ、{{ruby|現人神|あらひとがみ}}としての宗教的権威も持ち合わせていました。また、文武官の任免や陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約締結など、議会の関与を受けない「天皇大権」を有していました<ref>ただし、天皇自らの意思で大権をふるうことは、憲法が改正されるまでなく、これは、政権を有する行政が議会に優越することがあったということを意味しています。</ref>。
:1891年(明治24年)、ロシア帝国の皇太子ニコライが滋賀県大津で暴漢に襲われ負傷するという'''[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#大津事件|大津事件]]'''の際には、東京から急いでかけつけニコライを見舞い、帰国を見送りました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#日清戦争|日清戦争]]が始まると、戦時における軍事の最高機関である{{ruby|大本営|だいほんえい}}が設置され、1894年(明治27年)9月には、戦地に近づくため天皇と共に広島に移動します。
:日露戦争の開戦前には戦争回避と平和を望むものでしたが、最終的には政府・軍部の主戦論を受け入れ開戦を決断しました。戦中は戦況を深く心配し、多くの犠牲者をいたみ、勝利を国民と共に静かに見守りまし。戦後は講和条約締結に際し、詔勅を発し国民に理解を求めるなど、冷静かつ責任ある態度を貫きました。このように、終始、国民と将兵を思いやり、慎重かつ重責を担う姿勢を示しました。
:1912年(明治45年)7月30日病気で亡くなりました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「明治天皇」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*近代の天皇は、日本国憲法を待つまでもなく、もともと象徴的な立場にあって、自ら政策などに{{ruby|携|たずさ}}わることはないので個人の事績を述べることは非常に難しいものです。
:*ここでは、主に、明治政府と天皇・皇室の関係を述べています。明治時代の{{ruby|概略|がいりゃく}}の歴史として、日本が、天皇という立場を用いて、統一の道へ向かっていき、国際世界で活躍できるようになったことを理解してください。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="西郷隆盛"/>{{ruby|西郷隆盛|さいごうたかもり}} ===
{{wikipedia|西郷隆盛}}
[[File:Takamori Saigo.jpg|150px|left|thumb|西郷隆盛]]
:生没年:1828年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。「討幕」を主導した{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議、陸軍大将)です。
:幕末黒船来航後、薩摩藩主{{ruby|島津斉彬|しまづなりあきら}}の指示を受けて、幕府改革に関係しました。しかし、次第に、日本全体を変えるには幕府を倒すしかないと考え、薩摩藩の若い武士たちが強く支持する中、朝廷を味方につけ、敵対していた長州藩と{{ruby|同盟|どうめい}}し、幕府と幕府に味方する諸藩を倒しました。
:討幕後、新政府を主導して、天皇直属の軍隊を組織し、{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}を行うなど、新しい社会を作るために、古い武家社会の消滅に貢献しました。
:大久保利通らと政府改革の進め方で対立し、1873年(明治6年)、唱えていた征韓論に敗れて政府を離れました。
:鹿児島に戻って、若者の指導をしていましたが、新政府に不満を持つ士族にかつぎあげられ、西南戦争を起こし敗死します。
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=== <span id="大久保利通"/>{{ruby|大久保利通|おおくぼとしみち}} ===
{{wikipedia|大久保利通}}
[[File:Toshimichi Okubo 4.jpg|150px|left|thumb|大久保利通]]
:生没年:1830年 - 1878年(明治11年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。西郷隆盛等とともに討幕を主導し、明治維新政府を確立した中心人物(参議、初代内務卿<ref>日本国内の政治を全てうけもつ内務省の長で、当時の行政のトップになります。</ref>)です。
:島津斉彬の死後、薩摩藩を実質的に支配した{{ruby|島津久光|しまづひさみつ}}の下で、薩摩藩全体を動かし、西郷隆盛を助けました。
:維新後は、内政に力を入れるため内務省を作り、日本の官僚制度を作り上げます。
:西南戦争時には、これを指導し政府を勝利に導きます。
:西南戦争の翌年、不平士族に暗殺されますが、その改革は伊藤博文に引き継がれ、以降の明治政府の基礎となります。
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=== <span id="木戸孝允"/>{{ruby|木戸孝允|きどたかよし}} ===
{{wikipedia|木戸孝允}}
[[File:T kido.jpg|150px|left|thumb|木戸孝允]]
:生没年:1833年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|長州藩|ちょうしゅうはん}}出身。幕末の長州藩を取りまとめ、薩摩藩と共に討幕を実現した、{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議)です。
:若いころは、{{ruby|桂小五郎|かつらこごろう}}と名乗っていました。長州藩は、{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}が開いた{{ruby|松下村塾|しょうかそんじゅく}}で学んだ若い藩士が{{ruby|活躍|かつやく}}しますが、それら若い藩士を取りまとめ、西郷隆盛などと交渉して、薩摩藩と同盟して幕府を倒しました。
:明治維新政府では、西郷や大久保のような目立った業績は残していませんが、長州藩出身者の代表としてふるまい、[[#伊藤博文|伊藤博文]]や[[#山県有朋|山県有朋]]が活躍する環境をつくりました。
:西南戦争のなか、病気で亡くなりました。
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* 関連する人物
**<span id="岩倉具視"/>[[w:岩倉具視|{{ruby|岩倉具視|いわくらともみ}}]]
**:京都の公家出身の政治家です。幕末、西郷や大久保とはかって、京都の公家等を取りまとめ、明治天皇を味方に引き込み朝廷が討幕へ向かうよう主導しました。
**:1871年(明治4年)から、約1年かけて、大久保・木戸・伊藤らを引き連れ、欧米を視察し、その進んだ文明に大変驚き、日本の文明を発展させ欧米に追いつくことが重要であると理解しました([[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#遣欧使節団|遣欧使節団]])。
**:帰国後、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#征韓論|征韓論]]で、大久保と共に西郷と対立し、これをしりぞけました。
**:その肖像は、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)まで発行されていた500円紙幣に用いられていました。
**:
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*この3人は、討幕とその後の明治政府の立ち上げの功績が特に大きく、「{{ruby|維新|いしん}}の{{ruby|三傑|さんけつ}}」と呼ばれています。
:*幕末の薩摩藩や長州藩で藩士などをひきいて討幕に向かったのは数多くの下級武士を含めた青年層の武士たちで、それを率いたのは、藩主や家老といった藩の{{ruby|重鎮|じゅうちん}}ではなく、西郷・大久保・木戸といったやはり若い指導者たちでした。
:*彼らは、幕府を倒しただけでなく、自分たちの出身でもある藩を、そして、武士の世界も倒してしまいました。
:*維新の三傑は、古い仕組みを打ちこわす一方で、新しい政治の仕組みが機能するような基盤を残しました。
:*1877年(明治10年)、西南戦争の行方を心配しながら木戸は亡くなり、西郷は敗死しました。また、翌年、大久保も暗殺され、明治になって10年ほどで維新の最大の功労者たちを失い、次の世代である、[[#伊藤博文|伊藤博文]]、[[#大隈重信|大隈重信]]、[[#山県有朋|山県有朋]]、[[#井上馨|井上馨]]らが明治政府を作り上げていくことになります。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="伊藤博文"/>{{ruby|伊藤博文|いとうひろぶみ}} ===
{{wikipedia|伊藤博文}}
[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|150px|left|thumb|伊藤博文]]
:生没年:1841年-1909年(明治42年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身の非常に身分の低い武士でしたが、松下村塾で学び、その才能を認められました。
:1863年には井上馨他3名と共にイギリスに留学しますが、1年後下関戦争の報を聞いて、3名は残して、井上と共に留学を中断して帰国します。
:[[#大久保利通|大久保利通]]の跡を継いで、日本の{{ruby|官僚|かんりょう}}制度を整備します<ref>「官僚」とは、簡単にいうと行政を行う「役人」のことです。近代的な国では、このような役人が家柄などの身分によらずに、仕事(行政)の能力で評価されて、他の役人などを指示する立場になる(「{{ruby|偉|えら}}くなる」、「{{ruby|出世|しゅっせ}}する」)仕組みが発達します。また、社会の進展に伴って、だんだん複雑なものになっていくので、おのおのの官僚は、いろいろな専門分野を持つようになります。このように官僚の能力を高め、行政がうまく回るようにすることを「官僚制度を整備する」と言います。</ref>。
:ヨーロッパを回り、大日本帝国{{ruby|憲法|けんぽう}}の手本となる憲法を研究、天皇(実際は{{ruby|内閣|ないかく}})が強い権限を持つことができるドイツ(当時はプロシア)の憲法を手本とすることにしました。
:これに基づいて、{{ruby|内閣|ないかく}}制度を{{ruby|創設|そうせつ}}し、初代{{ruby|内閣総理大臣|ないかくそうりだいじん}}({{ruby|首相|しゅしょう}})となり、引き続いて大日本帝国憲法制定や帝国議会(国会)の創設を主導しました。
:国会が開設されると、[[#大隈重信|大隈重信]]ら自由民権運動からの流れの政党に対抗するため、政府(役所)を支持する政党を組織しました。その後、数回、首相となっています。
:日露戦争後、初代の朝鮮総督となりますが、訪問していた中国のハルビンで、朝鮮人活動家に暗殺されました。
:その肖像は、1963年(昭和38年)から1986年(昭和61年)まで発行されていた千円紙幣<ref>現在([[#北里柴三郎|北里柴三郎]])の前([[#野口英世|野口英世]])の前([[#夏目漱石|夏目漱石]])の前になります。</ref>に用いられていました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="井上馨"/>[[w:井上馨|{{ruby|井上馨|いのうえかおる}}]]
**:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で伊藤や山県などと比べると相当に高い家柄の出身ですが、伊藤とともに松下村塾で学び、生涯の親友になりました。
**:[[#木戸孝允|木戸孝允]]が亡くなると、あとを受けて長州藩出身者の代表となり、財政や外交の面で活躍します。
=== <span id="山県有朋"/>{{ruby|山県有朋|やまがたありとも}} ===
{{wikipedia|山県有朋}}
[[File:Yamagata Aritomo.jpg|150px|left|thumb|山県有朋]]
:生没年:1838年-1922年(大正11年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で、伊藤博文同様、非常に身分の低い武士でした。松下村塾で学ぶことはありませんでしたが、多くの塾生と関わり、その才能を認められました。幕末には、奇兵隊の運営を任されました。
:明治政府に入ると、近代的な軍隊としての陸軍の仕組みを作り上げました。西南戦争で、幕末に最強と言われた旧薩摩軍の武士を相手にして、もともと農民であったりする明治政府の軍隊が勝利した功績の多くは山縣有朋によるものでした。その後、陸軍は政府に対して強い発言力を持つようになり、その陸軍のトップにいたのが山県有朋でした。
:また、地方行政や警察など治安に強い権限を持っていた内務省と関係を深くし、政府の政策に対しても強い影響力を持ちました。
:内閣制度発足後は内閣総理大臣を2回務めます。
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=== <span id="渋沢栄一"/>{{ruby|渋沢栄一|しぶさわえいいち}} ===
{{wikipedia|渋沢栄一}}
[[File:Portrait of Shibusawa Eiichi.jpg|150px|thumb|left|渋沢栄一]]
:生没年:1840年 - 1931年(昭和6年)
:江戸時代末期、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に百姓(豪農身分)として生まれます。黒船来航後、混乱する幕末に[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|徳川慶喜]]の家臣として、武士に取り立てられ、のちに慶喜の将軍就任にともない幕臣となります。明治維新後は、明治政府で官吏となり、民部省を経て直属の上司である井上馨の下で、{{ruby|造幣|ぞうへい}}(通貨の発行)、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#戸籍制度|戸籍]]、{{ruby|出納|すいとう}}(政府における金銭の出し入れの管理)など様々な政策立案を行いました。その後、政府から離れ、実業界に転じて、株式会社の制度とそれを支える証券取引所の制度、銀行の制度、保険の制度、商工業の経営者が集まって政府や社会に向けて意見を発信する商工会議所の制度など、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#社会主義と共産主義|近代的な資本主義社会]]に欠かせない各種の制度を作り上げます。そのため、「日本資本主義の父」ともよばれています。
:また、社会福祉事業、大病院の建設など医療事業、教育や学術研究の発展などにも大きく貢献しました。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1万円札の肖像に用いられています。
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* 関連する人物
**<span id="岩崎弥太郎"/>[[w:岩崎弥太郎|{{ruby|岩崎弥太郎|いわさきやたろう}}]]
**:土佐藩の下級武士で、幕末は長崎で外国との商取引に従事していました。[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の死後、坂本龍馬が経営していた{{ruby|海援隊|かいえんたい}}を引き取り、海運業を始めます。
**:弥太郎の始めた海運業は、郵便物の運送や兵員の輸送など政府の委託で大きく育ち、現在の三菱グループの源流になります。
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=== <span id="福澤諭吉"/>{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}} ===
{{wikipedia|福澤諭吉}}
[[画像:福澤諭吉像2.jpg|250px|thumb|福澤諭吉像(東京都港区三田・慶應大学構内)]]
:生没年:1835年 - 1901年(明治34年)
:豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれます。大阪の「適塾」で蘭学を学び、1859年、[[#勝海舟|勝海舟]]らが率いる咸臨丸に同乗し渡米の経験をえ、その後ヨーロッパを訪問、再び米国を訪れるなどして、蘭学のみならず英語による欧米の文物の知識を得るようになります。
:1868年(慶応4年)に、蘭学塾である'''慶應義塾'''を開きます。それまで、医学や化学など科学技術が中心であった蘭学塾と異なり、欧米の思想や会計などの制度も教えました。また、蘭学塾といいながら英語によるものが教えられていました。これが、日本で最初の近代的大学と言われる'''慶應義塾大学'''(慶應大学)の創始です。
:明治時代になって、「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の近代思想を数々の著書を通じて紹介しました。『学問のすすめ』の中では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と、生まれながらの平等を説いて、努力次第で社会の重要な地位に就くことができること(立身出世)を主張しました。
:官主導の明治政府に対して、民間の立場から、新聞や出版物で社会を啓蒙し、教え子を民間の各所で活躍させるなどして、日本社会の近代化を主導しました。
:[[#渋沢栄一|渋沢栄一]]の前の1万円札の肖像に用いられていました。
* 関連する人物
**<span id="中江兆民"/>[[w:中江兆民|{{ruby|中江兆民|なかえちょうみん}}]]
**:土佐藩の下級武士の出身。
**:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に日本を出た留学生]]の一人でフランスに留学します。
**:18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を紹介し、日本の自由民権運動に大きな影響を与えます。
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=== <span id="板垣退助"/>{{ruby|板垣退助|いたがきたいすけ}} ===
{{wikipedia|板垣退助}}
[[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|150px|left|thumb|板垣退助]]
:生没年:1837年 - 1919年(大正8年)
:土佐藩出身。
:戊辰戦争では、軍隊をひきいて、幕府軍などと戦い、多くの戦いで勝利しました。
:征韓論では、西郷に味方し、それに敗れると故郷の高知に戻り、憲法の制定と選挙で選ばれた議会による政治を求めた自由{{ruby|民権|みんけん}}運動を主導、1881年(明治14年)に日本最初の近代的な政党自由党を結成しました。
:運動を{{ruby|妨害|ぼうがい}}しようとする暴漢に襲われた時に「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとされることは有名です。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、大隈重信の内閣で内務大臣を務めることはありましたが、その他の官職の誘いや国会の議員<ref>板垣は伯爵という華族(何回も断ったのですが、明治天皇が是非にと進めたので、これを受けました)であったので衆議院議員の被選挙権はなく、また、貴族院の勅任議員や互選議員になることも断っていました。</ref>になるのを断って、{{ruby|在野|ざいや}}<ref>政府の官職などにつかないこと。</ref>で自由主義や民主主義を主張し続けました。
{{-}}
=== <span id="大隈重信"/>{{ruby|大隈重信|おおくましげのぶ}} ===
{{wikipedia|大隈重信}}
[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|150px|left|thumb|大隈重信]]
:生没年:1838年 - 1922年(大正11年)
:{{ruby|肥前|ひぜん}}(佐賀)藩出身。
:明治維新後、政府に入って{{ruby|地租改正|ちそかいせい}}などの{{ruby|改革|かいかく}}にあたるとともに、{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}を{{ruby|推進|すいしん}}するなど、内政に才能を見せました。
:[[#大久保利通|大久保利通]]死後も[[#伊藤博文|伊藤博文]]とともに新政府の政策を進めましたが、イギリスの民主的な政府を理想としていた大隈は、一部の政治家が主導して安定して強力な政府をめざす伊藤と対立して、1881年(明治14年)、政府から{{ruby|離|はな}}れました。
:政府からはなれた大隈は、立憲改進党を結成して自由民権運動をすすめました。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、1898年(明治31年)の衆議院選挙で大隈の支持者が多数派となったことから内閣総理大臣に指名されました。これは、短命に終わりましたが、1914年(大正3年)再び衆議院に支持者を多く得て首相となりました。
:政府からはなれた大隈は、翌年の1882年(明治15年)、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の{{ruby|造就|ぞうしゅう}}<ref>つくりあげること。育成すること。</ref>」をスローガンに東京専門学校を開校しました。現在の早稲田大学です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「伊藤博文」「山県有朋」「渋沢栄一」「福沢諭吉」「大隈重信」「板垣退助」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「維新の三傑」死後、まだ不安定であった政府を安定させたのは伊藤博文や山県有朋でした。不平士族が、西南戦争など[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#士族の反乱|士族の反乱]]でいなくなった後、まだ、議会などもない中で多くの改革が、進められました。
:*政府による改革と並行して、渋沢栄一や岩崎弥太郎によって、株式会社・銀行といった新しい経済の仕組みの中で、蒸気船による海運や各種の工業といった、近代的な産業が育っていきました。
:*このように近代化が進む中、福沢諭吉や中江兆民などは、西洋における近代化の背景には、自由主義や民主主義があることを唱えました。
:*これを受けて、政府の{{ruby|専制|せんせい}}に対する批判の声が自由民権運動となり、板垣退助や大隈重信が政党を結成するなど主導をして、政府に憲法を定め、選挙による議会を開くよう求めます。
:*こうして、1885年(明治18年)憲法に先立って内閣制度が誕生し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、それに基づいて1890年(明治23年)に衆議院議員の選挙の後、同年、帝国議会が召集されました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="陸奥宗光"/>{{ruby|陸奥宗光|むつむねみつ}} ===
{{wikipedia|陸奥宗光}}
[[File:Mutsu Munemitsu.jpg|150px|left|thumb|陸奥宗光]]
:生没年:1844年 - 1897年(明治30年)
:もとは、紀州藩(和歌山県)の武士で、幕末に海援隊に入り[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の弟子になりました。
:明治政府に入って、版籍奉還・廃藩置県の実施に影響を与えます。
:西南戦争直後、政府の{{ruby|転覆|てんぷく}}をはかったとして投獄され{{ruby|失脚|しっきゃく}}<ref>政治などの力を失うこと</ref>しますが、5年ほどで許され、内閣制度などの研究のためヨーロッパへ留学します。
:留学から帰国後、主に外交の分野で活躍します。また、第1回の衆議院選挙に立候補して衆議院議員となり農商務大臣であったため、日本の議会史上初めてとなる衆議院議員の閣僚となりました。
:1892年(明治25年)[[#伊藤博文|伊藤博文]]首相の下、外務大臣に就任し、欧米諸国と交渉し、日米修好通商条約など通商条約の{{ruby|領事裁判権|りょうじさいばんけん}}({{ruby|治外法権|ちがいほうけん}})の{{ruby|撤廃|てっぱい}}に成功しました。
:1894年(明治27年)に始まった日清戦争では、各国との外交を行い、翌1895年(明治28年)下関条約を日本に有利な形で締結しました。その後の三国干渉に対して、仏英露に従いましたが、これを賠償に代えるという外交をおこないました。
{{-}}
=== <span id="東郷平八郎"/>{{ruby|東郷平八郎|とうごうへいはちろう}} ===
{{wikipedia|東郷平八郎}}
[[File:Tōgō Heihachirō.jpg|150px|left|thumb|東郷平八郎]]
:生没年:1848年 - 1934年
:薩摩藩出身の海軍軍人です。
:少年の頃に、戊辰戦争に参加します。
:イギリスに留学し、海軍に関することを学びます。
:日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、{{ruby|日露|にちろ}}戦争においては、連合艦隊を率いて、1905年(明治38年)日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなりました。
:日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人といわれています。
:東京にある、東郷神社は東郷平八郎をまつった神社です。
{{-}}
*関連する人物
**[[w:山本権兵衛|{{ruby|山本権兵衛|やまもとごんのひょうえ(ごんべい)}}]]
**:薩摩藩出身。
**:元々は海軍軍人ですが、政治家として海軍の組織、将兵の教育、艦船の充実などに力を尽くし、日本海海戦に完全勝利するまでの世界的な海軍に成長させました。
**:海軍において[[#山県有朋|山県有朋]]と同様の役割をはたしました。
**[[w:大山巌|{{ruby|大山巌|おおやまいわお}}]]
**:薩摩藩出身の陸軍軍人、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]のいとこになります。
**:陸軍の前線の司令官として活躍しました。日清戦争では第2軍の司令官として清軍に勝利し、日露戦争では陸軍の総司令官として戦いロシア軍を撃退しました。
**[[w:児玉源太郎|{{ruby|児玉源太郎|こだまげんたろう}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。西南戦争では、官軍として熊本城に{{ruby|籠城|ろうじょう}}して、西郷隆盛の軍を足止めしました。
**:日露戦争の前には、台湾総督や内務大臣といった重要な職についていましたが、開戦にあたって大山巌を助ける総参謀長に就任し、ロシア陸軍との戦いの作戦を立てました。
**[[w:乃木希典|{{ruby|乃木希典|のぎまれすけ}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。
**:日露戦争では旅順を攻撃する第3軍の総司令官でした。旅順を占領したことで、日本の優勢が確定的なものになりましたが、そのためには多くの兵士が戦死・戦傷し、乃木も息子2人を失いました。
**:明治天皇が亡くなった時に、妻とともに{{ruby|殉死|じゅんし}}<ref>主人が亡くなった時に、臣下の者が後を追って自殺すること。</ref>して、日本中に衝撃を与えました。
**:東京にある、乃木神社は乃木希典をまつった神社で、その前を乃木坂と言い地名や駅名にもなっています。
=== <span id="小村寿太郎"/>{{ruby|小村寿太郎|こむらじゅたろう}} ===
{{wikipedia|小村寿太郎}}
[[File:Portrait of Komura Jutaro.jpg|150px|left|thumb|小村寿太郎]]
:生没年:1855年 - 1911年(明治44年)
:宮崎県の{{ruby|飫肥|おび}}藩出身の外交官です。
:米国に留学して学びました。
:外務省に入り、イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務めました。
:1901年(明治34年)桂太郎首相の下、外務大臣となり、日露戦争の前に、イギリスとの間で日英同盟を結ぶことに成功しました。日露戦争後には、講和会議に全権として出席し、ポーツマス条約を締結して日露戦争を終わらせました。
:1911年(明治44年)にアメリカとの{{ruby|交渉|こうしょう}}で関税自主権を回復させ、その後、欧州各国との通商条約も改正し関税自主権を完全に回復させました。同年11月病気でなくなります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「陸奥宗光」「東郷平八郎」「小村寿太郎」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新の改革は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布、翌年の帝国議会召集によって、一応の完成を見ました。
:*約20年の明治維新の改革によって、国内経済は近代化され国が豊かになり、また、国の体制もしっかりして、近代的な軍隊を持てるようになりました。
:*その頃、ロシアの東進南下政策は日本にとって脅威であって、これに対抗しようと近代化の遅れていた朝鮮半島に進出します。朝鮮半島をめぐって宗主国である清国との間で日清戦争が起こり、日本はこれに勝利します。
:*日清戦争前後には日本が近代化したことは諸外国にも認められ、不平等条約のうち『領事裁判権』は撤廃されます。
:*清国に勝った日本は、次にロシアと{{ruby|対峙|たいじ}}<ref>対立する双方が、にらみあって動かない様子。</ref>するようになり、1904年(明治37年)日露戦争となって、日本は{{ruby|辛勝|しんしょう}}<ref>こちらも傷つきながらもやっと勝つこと。</ref>します。
:*大国ロシアに勝ったことで、その実力を認められ、欧米との間に結ばれた『関税自主権』も回復し、日本は、国際的に欧米同等の国と認められるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="津田梅子"/>{{ruby|津田梅子|つだうめこ}}===
{{wikipedia|津田梅子}}
[[File:Tsuda Umeko Portrait c1900.png|150px|left|thumb|津田梅子]]
:生没年:1864年 - 1929年(昭和4年)
:教育者。
:津田梅子は江戸幕府の通訳官である津田仙の子として生まれましたが、梅子が幼い頃、幕府は倒されてしまい、仙はその後仕事を転々とします。
:1871年(明治3年)、仙が開拓使<ref>明治維新政府に北海道開拓の目的で設けられた役所。</ref>に職を得た時、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に留学生を派遣する]]と聞いて、梅子を応募させ、梅子は女子留学生5人の一人に採用されます。梅子は、その時、なんとまだ満6歳でした。
:1882年(明治14年)、梅子は帰国しますが、その時には、日本語を忘れていました。帰国後、日本語が不自由であったためなかなか職にめぐまれませんでしたが、[[#伊藤博文|伊藤博文]]の応援もあって、華族女学校(後の学習院女子部)の教授となりました。その後、再び、米国に留学し大学で学びました。
:再留学からの帰国後、華族女学校他女子高等師範学校などの教授も兼任しましたが、1900年(明治32年)私立学校令に基づく女子高等教育のための「女子英学塾」を設立しました。この学校が、戦後「津田塾大学」となります。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の5000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
===<span id="北里柴三郎"/>{{ruby|北里柴三郎|きたさとしばさぶろう}}===
{{wikipedia|北里柴三郎}}
[[File:Shibasaburō Kitasato 1910.jpg|150px|left|thumb|北里柴三郎]]
:生没年:1853年 - 1931年(昭和6年)
:医師、微生物学者、教育者。
:ドイツに留学し、伝染病を研究し、{{ruby|破傷風|はしょうふう}}菌を発見し、その治療法を開発しました。
:帰国後、伝染病の研究所作ろうとしたが、政府の援助は得られなかったところ、{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}}が支援し研究所が完成、{{ruby|志賀潔|しがきよし}}、[[#野口英世|野口英世]]などの研究者が生まれ育っていきました。
:その後、慶應大学医学部の設立に尽力し、個人で運営していた北里研究所をもとに北里大学が設立されます。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1000円札の肖像に用いられています。
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=== <span id="野口英世"/>{{ruby|野口英世|のぐちひでよ}} ===
{{wikipedia|野口英世}}
[[File:Noguchi Hideyo.jpg|150px|left|thumb|野口英世]]
:生没年:1876年(明治9年) - 1928年(昭和3年)。医師、細菌学者。
:福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となり、渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。
:主に細菌学の研究に従事し、{{ruby|黄熱病|おうねつびょう}}や梅毒の研究で知られています。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったといわれています。黄熱病の研究中に自身もそれにかかり、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
:[[#北里柴三郎|北里柴三郎]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#野口英世]]を参照。
{{-}}
===<span id="樋口一葉"/>{{ruby|樋口一葉|ひぐちいちよう}}===
{{wikipedia|樋口一葉}}
[[File:Higuchi Ichiyou.png|150px|left|thumb|樋口一葉]]
:生没年:1872年(明治5年) - 1896年(明治29年)
:小説家。戸籍名は樋口{{ruby|奈津|なつ}}、「一葉」は筆名(ペンネーム)です。
:一葉は、1872年(明治5年)明治政府の下級役人の家に現在の東京都千代田区内幸町あたりで生まれました。大変優秀でしたが、親が女の子を上級の学校まで行かせる必要はないと考え、小学校卒業後学校へは通わせませんでした。
:たしなみとして、和歌を習い、文学的な才能をわずかに見せていましたが、やがて、父親が亡くなるなどして、経済的に苦しみます。
:このような中、1892年(明治25年)から小説を発表し、それで原稿料が得られるようになります。1895年(明治28年)には代表作『たけくらべ』を発表し、{{ruby|森鴎外|もりおうがい}}や{{ruby|幸田露伴|こうだろはん}}といった多くの著名な文学者から{{ruby|賞賛|しょうさん}}<ref>ほめたたえること。</ref>されます。
:しかし、1896年(明治29年)24歳の若さで、肺結核により亡くなりました。
:近代以降では最初の職業女流作家で、24年間の生涯の中で、特に亡くなる間際の1年2か月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残しました。[[#津田梅子|津田梅子]]の前の5000円札の肖像に用いられていました。
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===<span id="夏目漱石"/>{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}}===
{{wikipedia|夏目漱石}}
[[File:Natsume Soseki photo.jpg|150px|left|thumb|夏目漱石]]
:生没年:1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年)
:英文学者、小説家。本名は夏目金之助です。
:現在の東京都新宿区喜久井町に{{ruby|名主|なぬし}}の子として生まれました。
:帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)にすすみ、大学時代に{{ruby|正岡子規|まさおかしき}}と出会い、俳句を学びました。大学英文科卒業後、愛媛県松山で愛媛県尋常中学校<ref>当時の「尋常中学校」は、現在の高等学校に相当します。現在の愛媛県立松山東高等学校です。『坊っちゃん』の舞台とも言われています。</ref>教師、熊本で第五高等学校<ref>当時の「高等学校」は、現在の大学の教養課程(大学で学ぶ専門以外の学問で、現在一般に大学1年生から2年生にかけて学びます。)に相当します。現在の熊本大学です。</ref>教授などを務めたあと、イギリスへ留学し英文学を研究します。
:帰国後、東京帝国大学講師として英文学の講義をしていましたが、1905年(明治38年)子規の友人が発行する俳句雑誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表、大人気となって、以後、同誌に『坊っちゃん』などを発表して小説家としての地位を固めます。
:1907年(明治40年)に大学を辞め、専属の小説家として朝日新聞に入社し、新聞小説を発表していきます。1916年(大正5年)に病気でなくなりました。
:明治になるまで、話し言葉と書き言葉は違うことが当たり前で、かなりかけ離れたものでした<ref>これは、人の行き来があまりないので、各地での方言の差が大きく、書き言葉が共通のコミュニケーションの道具であったことが理由の一つだと思われます。</ref>。明治になって、日本の言葉遣いを統一しようという情勢となって、文学においても、その運動({{ruby|言文一致|げんぶんいっち}})が盛んになり、多くの作品が言文一致を踏まえて発表されました。しかし、なかなかしっくりする言葉遣いにならなかったところ、漱石は、落語の言葉遣いを取り入れ、人々にわかりやすい表現で小説を書きました。現在の日本の書き言葉は、漱石の小説の影響を受けていると言われています。
:[[#野口英世|野口英世]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「津田梅子」「北里柴三郎」「野口英世」「樋口一葉」「夏目漱石」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新で、政府は欧米の学問や文化を広く取り入れ、国民に教育し、研究者を育てました。
:*明治20年を過ぎると、この成果が出て、日本からも世界的な科学者が出るようになりました。
:*学校制度の整備により識字率も高まり、また、印刷技術が向上し出版物が容易に大量に手に入るようになったので、小説などが人々の間で流行しました。
:*数が多いとは決して言えませんが、津田梅子や樋口一葉のように、社会で活躍する女性も見られるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
==脚注==
<small><references/></small>
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6しんふつ]]
[[Category:小学校社会|6ねんしやかいれきししんふつ]]
[[Category:小学校社会 歴史|#しんふつ]]
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304365
304363
2026-10-07T01:50:40Z
Tomzo
248
/* {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 */
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wikitext
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{{半保護S}}
{{Nav}}
{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}}
ここには、小学校の歴史の勉強で出てくる人物について書いてあります({{ruby|発展|はってん}}的な内容および人物もふくまれています)。もっとくわしく知りたいときは、色がついているタイトルの名前をクリックしてください。ウィキペディアにあるページにリンクしてあります。少し{{ruby|難|むずか}}しいかもしれませんので、事典や身近な大人をフル活用してください。
<!--執筆者へ
あまり長くならないよう、4〜5行程度にまとめてください。→ちょっと難しいですね。その時代の変革にあたった人物については10行程度までは、許容して良いでしょう。
第1行目には、「生没年」があるといいと思います。-->
また、難しいかもしれませんが、[[中学受験社会/歴史/人物]]をみてもいい情報があるかもしれません。
== {{ruby|弥生|やよい}}時代 ==
=== <span id="卑弥呼"/>{{ruby|卑弥呼|ひみこ}} ===
{{wikipedia|卑弥呼}}
:3世紀はじめごろ。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|{{ruby|邪馬台国|やまたいこく}}]]の女王です。
:当時、中国にあった{{ruby|魏|ぎ}}という国に使いを送り、その時に{{ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}の称号を与えられたとその国の歴史書({{ruby|魏志倭人伝|ぎしわじんでん}})に記されています。
:神のおつげやうらないで政治を行ったとされています。
:邪馬台国があったと考えられる場所は不明ですが、{{ruby|奈良|なら}}にあったとするものと九州北部にあったとするものの二つの説が有力で論争が続いています。一番古い時代に作られた{{ruby|古墳|こふん}}が、卑弥呼の墓で、奈良に邪馬台国があった場合、{{ruby|箸墓|はしはか}}古墳が卑弥呼の墓ではないか、と考えられています。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#邪馬台国|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「卑弥呼」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「縄文時代」「弥生時代」をへて、人々が集まった小さな「むら」から、大きな「くに」ができるようになりました([[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#「むら」から「くに」へ|「むら」から「くに」へ]])。
:*「くに」は、当時世界で最も有力であった中国に使いを送ります。
:*その当時、日本にはまだ文字が伝わっていませんでしたが、中国へ送った使いによって、当時の日本のことが記録され、様子がわかります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|飛鳥|あすか}}時代 ==
=== <span id="聖徳太子"/>{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}} ===
{{wikipedia|聖徳太子}}
:生没年:572年-622年。{{ruby|厩戸王|うまやどおう}}などとも{{ruby|呼|よ}}ばれます。
:[[w:推古天皇|{{ruby|推古|すいこ}}天皇]]に代わって政治を行う{{ruby|摂政|せっしょう}}として{{ruby|活躍|かつやく}}し、{{ruby|豪族|ごうぞく}}の集まりであったヤマト政権を天皇を中心とした政治を行うようさまざまな改革を行いました。
:{{ruby|仏教|ぶっきょう}}や中国の{{ruby|儒教|じゅきょう}}の教えをもとに、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}の役人の{{ruby|心得|こころえ}}である[[w:十七条憲法|{{ruby|十七条の憲法|じゅうしちじょうのけんぽう}}]]を定めました。また、能力が高かったり手がらをたてた人が重要な仕事をできるよう[[w:冠位十二階|{{ruby|冠位十二階|かんいじゅうにかい}}]]の制度をつくりました。
:仏教を深く{{ruby|信仰|しんこう}}していた聖徳太子は、[[w:法隆寺|{{ruby|法隆寺|ほうりゅうじ}}]]などの寺を建て、仏教の力で平和な世の中になるように願いました。
:10人が同時に話しても、そのすべての内容を理解したなどの伝説がも残ります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:推古天皇|{{ruby|推古天皇|すいこてんのう}}]]
*::日本で最初の女性の天皇です。推古天皇の皇太子であった聖徳太子は、{{ruby|摂政|せっしょう}}の立場で、さまざまな改革を行いました。
*:<span id="蘇我馬子"/>[[w:蘇我馬子|{{ruby|蘇我馬子|そがのうまこ}}]]
*::最大の勢力を持った豪族{{ruby|蘇我|そが}}氏をひきい、天皇につかえるものの中で最も高い位である{{ruby|大臣|おおおみ}}として聖徳太子を助けました。
=== <span id="小野妹子"/>{{ruby|小野妹子|おののいもこ}} ===
{{wikipedia|小野妹子}}
:生没年:6世紀後半〜7世紀前半。「妹子(いもこ)」という名前ですが{{ruby|男性|だんせい}}です。
:607年、{{ruby|聖徳太子|しょうとくたいし}}の命令で第2回{{ruby|遣隋使|けんずいし}}として中国の{{ruby|隋|ずい}}の国にわたります。608年には第3回遣隋使として、ふたたび隋をおとずれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#聖徳太子|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖徳太子」や「小野妹子」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子より前の日本の政治は、有力な豪族が集まっただけの政治のかたちでした。
:*聖徳太子が皇太子となったころ、こうした豪族どうしが争う一方で中国や朝鮮半島では、皇帝などを中心とした強力な国づくりが進んでいました。
:*聖徳太子は天皇を中心とした国づくりをすることで、国をまとめようとしました。また、聖徳太子は、仏教を積極的に取り入れました。
:*聖徳太子は、国の制度や仏教を学ぶため、中国の{{ruby|隋|ずい}}に使いを送りました。その代表に選ばれて隋に渡ったのが小野妹子です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="中大兄皇子"/>{{ruby|中大兄皇子|なかのおおえのおうじ}} ===
{{wikipedia|天智天皇}}
:生没年:626年 - 672年
:後の{{ruby|天智|てんじ}}天皇<ref>歴史の学習では、普通、即位後の天皇の名前で呼びますが、中大兄皇子の場合、皇太子である時期に、大化の改新などで活躍したため、皇太子時代の名前で呼ばれることが多いです。なお、「天智天皇」という名は、のちの奈良時代になってつけられた名前です。</ref>。
:[[#聖徳太子|聖徳太子]]が亡くなってから、[[#蘇我馬子|蘇我馬子]]をついだ蘇我{{ruby|蝦夷|えみし}}とその子{{ruby|入鹿|いるか}}が勝手な政治をしたため、{{ruby|[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]|なかとみのかまたり}}とともにこれをほろぼしました。
:皇太子となった中大兄皇子は、力を持った豪族はいなくなったので、{{ruby|大化|たいか}}の改新と言われる天皇中心の政治を行うために改革を行いました。大化の改新により、日本の人民と土地は天皇が支配するものとなり、人民には農地が与えられる代わり、{{ruby|租庸調|そようちょう}}と呼ばれる税を天皇(朝廷)に納めるようになりました。
:また、聖徳太子がやったように、隋を滅ぼして建国された{{ruby|唐|とう}}に使い({{ruby|遣唐使|けんとうし}})を送りました。しかし、朝鮮半島での{{ruby|新羅|しらぎ}}と{{ruby|百済|くだら}}との争いで、唐は新羅を、日本は百済を味方したため、敵対することになりました。この争いで新羅は百済を破り、百済は滅亡します。
:中大兄皇子は、唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることにそなえ、{{ruby|防人|さきもり}}をおいて九州を守らせ、都を現在の大阪市にあった{{ruby|難波宮|難波宮}}から滋賀県の{{ruby|近江京|おうみきょう}}に移しました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#大化の改新と律令制の成立|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇({{ruby|大海人皇子|おおあまのおうじ}})]]
*::天智天皇(中大兄皇子)の弟。はじめは天智天皇の後に天皇になる予定でしたが、皇太子を天智天皇の子である{{ruby|大友皇子|おおとものおうじ}}に譲りました。しかし、天智天皇の死後、大友皇子と争い、勝利して天皇に即位しました。天智天皇の方針を引き継いで、天皇中心の社会を作るよう努めました。
*::[[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]など奈良時代の天皇は天武天皇の子孫になります。
=== <span id="中臣鎌足"/>{{ruby|中臣鎌足|なかとみのかまたり}} ===
{{wikipedia|藤原鎌足}}
:生没年:614年 - 669年
:もとは、日本伝統の神をまつる神職を職業とする豪族でしたが、仏教を盛んにしようとする蘇我氏に圧倒されていました。蘇我氏と関係の薄かった中大兄皇子に協力し、蘇我氏をともにほろぼしました。
:その後、中大兄皇子の大化の改新に協力して改革を進めます。
:669年、亡くなる時に天智天皇は、鎌足の功績にむくいるため、{{ruby|大織冠|だいしょくかん}}という進化の中でも最高の位と{{ruby|藤原|ふじわら}}の姓を与えました。したがって、中臣鎌足を'''藤原鎌足'''ともいいます。
:鎌足の子孫は、奈良時代から平安時代にかけて、勢力を拡大し、朝廷の主要な役職を独占する「{{ruby|藤原|ふじわら}}氏」となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「中大兄皇子・天智天皇」や「中臣鎌足・藤原鎌足」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖徳太子の死後、天皇を凌ぐほどの力を持った蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼします。
:*中大兄皇子は、聖徳太子の目指していたところをさらに進める政策を行います。これを「大化の改新」といいます。
:*「大化の改新」で最も重要なものは、人民と土地は直接天皇が支配し、農地を朝廷が与える代わりに人民は税(租庸調)を納めるというものです。
:*朝鮮半島の戦争で、百済にみかたした日本は、新羅と唐の連合軍に敗北し朝鮮半島の拠点を失い、一時は唐との関係も悪化しました。
:*天智天皇かめざした天皇中心の政治は、天智天皇の死後、{{ruby|律令|りつりょう}}制の成立という形で完成します。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|奈良|なら}}時代 ==
=== <span id="聖武天皇"/>{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇 ===
{{wikipedia|聖武天皇}}
:生没年:701年 - 756年
:奈良時代を代表する天皇です。在位中は災害や伝染病({{ruby|天然痘|てんねんとう}})の大流行などがあって、平穏な時代であったとは言えませんでしたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#律令制|大宝律令]]の完成(710年)から約30年、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京{{ruby|遷都|せんと}}]]から約20年たって、律令にもとづいた天皇中心の政治がようやく定着した時期でもありました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|→教科書本文]])
:[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|聖武天皇は仏教を手厚く保護します]]。この時期は、遣唐使で留学した僧も多く帰国して仏教が日本全国で定着した時期でもあり、国が安定することを目的として全ての国に国分寺と国分尼寺を建てました。その中心として、平城京(奈良)に東大寺を建立し、そこに、大仏「奈良の大仏」を作らせました。
* 関連する人物
*:[[w:光明皇后|{{ruby|光明皇后|こうみょうこうごう}}]]
*::聖武天皇の皇后です。[[#中臣鎌足|藤原鎌足]]の子藤原{{ruby|不比等|ふひと}}の娘になります。皇室出身以外から初めて皇后になりました。以後、藤原氏から多くの皇后が出るようになり、藤原氏が朝廷で力を得る例のさきがけとなりました。
=== <span id="行基"/>{{ruby|行基|ぎょうき}} ===
{{wikipedia|行基}}
[[File:Gyouki 1.jpg|thumb|right|180px|行基]]
:生没年:668年 - 749年
:河内国の渡来人の家系に生まれた{{ruby|僧|そう}}です。{{ruby|道昭|どうしょう}}に学んだとされています。道昭は遣唐使で留学し{{ruby|玄奘|げんじょう}}に学びました。玄奘は、唐からインドを訪ねて仏教を学んだ僧で、西遊記の三蔵法師のモデルです。
:当時の仏教は国を守護安定させるものとの考えがあり、ほとんどの僧は寺で仏教を学問として研究するものが主流で、一般の民衆への仏教の布教は禁止されていました。こうした時代に、諸国をまわって用水の池や橋を造りながら、身分を問わず教えを説きました。はじめのうちは、危険な人物と思われ、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}からはは行基の行動をとりしまりました。からはされました。しかし、{{ruby|民衆|みんしゅう}}や地方豪族の{{ruby|尊敬|そんけい}}を集め、朝廷も危険な行動ではないと理解し、後には、とりしまりをゆるめました。
:こうしたなか、聖武天皇は大仏建立を命令しましたが、とても多くの人々の支持と労働力を必要とする大仏建立はなかなかすすみませんでした。そこで、朝廷は、人々にしたわれていた行基を、日本の仏教の最高峰である{{ruby|大僧正|だいそうじょう}}に任じて、大仏建立の責任者としました。
:行基のはたらきもあって、大仏建立は順調に進むようになりましたが、行基は完成前に亡くなりました。
=== <span id="鑑真"/>{{ruby|鑑真|がんじん}} ===
{{wikipedia|鑑真}}
[[File:Ganjin wajyo portrait.JPG|thumb|left|180px|国宝『鑑真和上坐像』]]
:生没年:688年 - 763年
:唐の長安で僧となるものに{{ruby|戒律|かいりつ}}を与える教えの有名な{{ruby|僧侶|そうりょ}}でした。戒律とは仏教の修行者が守るべき生活上のルールを言います。正式に僧や尼僧として認められるには、修行を積んだ僧から、この戒律を伝えられなければなりませんでした。特に、唐で修行する場合には、その資格を持った僧(律師)から与えられていなければ、正式な僧として修行ができませんでした。日本には唐でも認められる律師がいなかったため、遣唐使の留学僧は留学の時困っていました。742年、日本からの留学僧が、日本に律師を送ってほしいと頼まれ、弟子に声をかけましたが誰も自ら名乗り出るものはいませんでした。そこで、鑑真は自ら日本に渡ろうと決意しました。最初は皇帝からの許可が降りず、許可を得てから渡ろうとして、5回も失敗し、6回目にようやく日本に着きました。754年、6回目のこころみでようやくに日本についたころには、失明していました。聖武天皇に迎えられた鑑真は、奈良に '''{{Ruby|唐招提寺|とうしょうだいじ}}''' を開き、正しい仏教を伝えて、多くの日本人の僧を育てました。
:また、医学や薬学、美術工芸なども伝えました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「聖武天皇」「行基」「鑑真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*聖武天皇の時代には、律令制によって、天皇中心の政治ができるようになりました。
:*遣唐使によって、多くの中国の文化が伝わりました。仏教も、伝わった文化の一つです。
:*全国に国分寺・国分尼寺と都の平城京にはそれをまとめる東大寺が建てられ、東大寺には大仏が置かれました。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|平安|へいあん}}時代 ==
=== <span id="桓武天皇"/>{{ruby|桓武|かんむ}}天皇 ===
{{wikipedia|桓武天皇}}
[[File:Emperor Kammu large.jpg|thumb|right|160px|桓武天皇]]
:生没年:737年 - 806年
:都を平城京(奈良)から平安京(京都)にうつした({{ruby|平安遷都|へいあんせんと}})天皇です。
:770年、{{ruby|称徳|しょうとく}}天皇([[#聖武天皇|{{ruby|聖武|しょうむ}}天皇]]の皇女)が亡くなり、[[#天武天皇|{{ruby|天武|てんむ}}天皇]]の子孫がたえて、[[#中大兄皇子|{{ruby|天智|てんち}}天皇]]の子孫である{{ruby|光仁|こうにん}}天皇が即位しました。桓武天皇は光仁天皇の子で、あとを継ぎました。
:平安遷都の前の朝廷は、仏教の寺院が大きな勢力を持って、僧が政治に口を出すようになり、争いが絶えないようになっていました。また、律令制がすすむことで、班田収授法によって民衆に分ける土地も奈良盆地周辺だけでは足りなくなっていました。このような問題を解決するために、桓武天皇は平城京から平安京に都を移しました。
:また、桓武天皇は、{{ruby|坂上田村麻呂|さかのうえのたむらまろ}}を[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命し、東北地方の{{ruby|蝦夷|えみし}}をうたせるなどして、日本に律令制を確立させました。
:仏教が政治にかかわるのをきらって、平安遷都では大きな寺院を平城京に残した一方で、最澄や空海を遣唐使として唐に留学させ新しい仏教を学ばせました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安遷都|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:最澄|{{ruby|最澄|さいちょう}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。平城京にあった大きな寺院から離れ、近江(今の滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行しました。比叡山は平安京のすぐ東北の位置になりますが、最澄が修行を始めたのは平安遷都より前のことです。遣唐使として留学し、多くの経典などを持ち帰りました。それらは比叡山に開いた寺(後に{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}と呼ばれます)で研究され、延暦寺はのちの日本の仏教に大きな影響を与えます。最澄が開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といいます。
*:[[w:空海|{{ruby|空海|くうかい}}]]
*::平安時代のはじめに活躍した僧です。遣唐使として最澄とともに留学し、最澄同様に多くの経典などを持ち帰りました。特に、仏教のうち{{ruby|密教|みっきょう}}と呼ばれるものを伝え、{{ruby|真言宗|しんごんしゅう}}を開きました。和歌山県の{{ruby|高野山|こうやさん}}に{{ruby|金剛峯寺|こんごうぶじ}}を開き、また、{{ruby|嵯峨|さが}}天皇<ref>桓武天皇の二代後の天皇。</ref>から、平安京の中の二つの寺のうちの一つである{{ruby|東寺|とうじ}}をまかされます。空海の教えは、天皇や貴族だけにとどまらず、広く民衆に伝えられ、また、空海自身もため池の造営など民衆のための事業を行いました。
=== <span id="菅原道真"/>{{ruby|菅原道真|すがわらのみちざね}} ===
{{wikipedia|菅原道真}}
[[File:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Michizane in exil.jpg|250px|thumb|左奥で顔をおおっているのが道真です。太宰府に流される時、天皇から贈られた衣を見て泣いている場面です。]]
:生没年:845年-903年
:平安時代前期の貴族です。
:学問に優れ、その当時、{{ruby|藤原|ふじわら}}氏は、他の貴族の一族を圧倒して朝廷の大事な役職を独占しようとしていましたが、それに対抗して朝廷で重要な役職につきました。政治から遠ざけようとする人々は、道真を{{ruby|遣唐使|けんとうし}}の大使として、{{ruby|唐|とう}}に送ろうとしましたが、唐は戦乱で乱れ、道真は得るものも多くないと考え、遣唐使の{{ruby|廃止|はいし}}を申し出、これを廃止しました。その後、朝廷では右大臣まで出世しますが、藤原氏らの{{ruby|陰謀|いんぼう}}により、{{ruby|太宰府|だざいふ}}(現在の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にあった九州をおさめる役所)に流され、そこで亡くなりました。
:道真の死後、朝廷では数々の異変が起こり、「これは道真の{{ruby|怨|うら}}みからの{{ruby|呪|のろ}}いである」とおそれられ、朝廷は道真を{{ruby|天満天神|てんまんてんじん}}という神としてまつりました。現在では、学問の神様「{{ruby|天神|てんじん}}さま」として有名です。道真をまつる神社を{{ruby|天満宮|てんまんぐう}}といい、亡くなった土地である福岡県にある太宰府天満宮や京都の{{ruby|北野|きたの}}天満宮、東京の{{ruby|湯島|ゆしま}}天満宮などが有名です。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「菅原道真」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安京に遷都して(794年)から、約100年たって政治は安定した一方で、律令制度が理想としていた天皇中心の政治から、貴族が中心となる政治に変わりつつありました。
:*特に、有力であったのは藤原氏で、藤原氏以外の貴族が勢力をもとうとするとそれをじゃましたこともありました。菅原道真が太宰府に流されてしまったのもその例の一つです。
:*奈良時代にさかんで、多くの新しい文化を日本に伝えた遣唐使も、この時代には得るものが少なくなっていたため廃止されました。外国の影響が少なくなったので、日本独自の文化が発達するきっかけになりました。
:*菅原道真は神様としてまつられ、今では学問の神「天神さま」として有名です。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="藤原道長"/>{{ruby|藤原道長|ふじわらのみちなが}} ===
{{wikipedia|藤原道長}}
[[File:Fujiwara no Michinaga 2.jpg|180px|thumb|left|1220年頃に作られた『紫式部日記絵巻』に書かれた藤原道長]]
:生没年:966年 - 1028年
:平安時代中期の貴族で、[[#中臣鎌足|中臣鎌足]]を祖先とする藤原氏になります。
:平安時代の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂関政治]]を代表する政治家です。
:道長は、娘四人を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、その娘が産んだ三人の孫が天皇になり、藤原氏の全盛期をきずいたと言われ、そのようなありさまを、以下のように和歌にしたと伝えられます。
::'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」'''
:::(この世は、望月(満月)のように欠けているものがなく、まるで{{ruby|私|わたし}}(道長)の物のようだ。)
:その当時、同じ藤原氏の中でも争って娘を天皇の妃にしていましたが、天皇に気に入られるように、{{ruby|妃|きさき}}の周りには和歌を読んだり物語を語るのがたくみな{{ruby|女官|にょかん}}が集められ、後の世に残る和歌や物語、{{ruby|随筆|ずいひつ}}<ref name="随筆">自分が見聞きしたことや体験、それに関する感想などを、自由な形式で書いた文章をいいます。「エッセイ」とも言います。</ref>などが数多く作られました。これを宮中文学と言います。道長の娘{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名">当時の女性名は漢字でしか残っていない場合が多く、訓読みがわからないものもあり、音読みで読む学術的な慣習がありました。最近は、そのように読まれたであろうという訓読みが一般的ですが、ここでは参考のため、どちらも書いておきます。</ref>には、[[#紫式部|{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}}]]が仕え『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』を作りました。道長の時代には、その他、『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』なども作られて宮中文学が最も盛んであった時期と言われています。
:紫式部は彰子の教育係をしながら朝廷の人々の様子を観察していたと言われています。このことから、主人公の光源氏は、道長がモデルではないかともいわれています。ただし、これはあくまでも一説であり、その他、{{ruby|源融|みなもとのとおる}}、{{ruby|源高明|みなもとのたかあきら}}がモデルであるなど、さまざまな説があります。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#平安時代の文化と生活|→教科書本文]])
{{-}}
=== <span id="紫式部"/>{{ruby|紫式部|むらさきしきぶ}} ===
{{wikipedia|紫式部}}
[[File:Tosa Mitsuoki 001.jpg|160px|thumb|紫式部のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:970年から978年?~970年から978年?
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、物語の作者です。
:藤原氏の生まれですが、そのころには、藤原氏の数も相当に増えていて、道長のように裕福で政治の頂点にいる家系と、それほど豊かではなく中下級の役人となる家系と分かれるようになっていました。紫式部は中級の貴族の生まれで、学問の家系だったと言われます。
:道長の娘で{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|彰子|あきこ/しょうし}}<ref name="女性名"/>に仕えました。
:宮中文学の中でも最も有名な作品の一つである『{{ruby|源氏物語|げんじものがたり}}』の作者です。源氏物語は、{{ruby|帝|みかど}}の子である{{ruby|光|ひかる}}源氏が主人公の物語で、光源氏が、藤原氏と思われる貴族などとの宮中政治に巻き込まれながら、多くの女性との恋愛を経験するというものです。源氏物語は、その後の日本の文学に多くな影響を与え、また、30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれるなど、日本文学の代表的作品と評価されています。
:また、宮中での務めの様子を記した『紫式部日記』を残しており、当時の宮中の様子が伝えられています。
:和歌の読み手としてもすぐれていて、多くの歌が残っており、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::巡りあ{{ruby|ひ|(い)}}て みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし {{ruby|夜半|よは}}のつきかな
:::ようやくあえたのに、それがあなたかどうかが、わからない位すぐに いなくなってしまい とてもさびしい気持ちです。まるで、切れた雲から月が少し見えたと思ったら、またすぐに雲に隠れたように。
=== <span id="清少納言"/>{{ruby|清少納言|せいしょうなごん}} ===
{{wikipedia|清少納言}}
[[File:Sei Shonagon2.jpg|160px|thumb|清少納言のイメージ(江戸時代初期に土佐光起によって書かれた)]]
:生没年:966年?〜1025年?。
:[[#藤原道長|道長]]の時代の歌人、随筆<ref name="随筆"/>『{{ruby|枕草子|まくらのそうし}}』の作者です。中級貴族の{{ruby|清原|きよはら}}氏の出身です。
:清少納言は{{ruby|一条|いちじょう}}天皇の{{ruby|妃|きさき}}である{{ruby|定子|ていし/さだこ}}<ref name="女性名"/>に仕えました。定子の父は道長の兄で[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#摂関政治|摂政や関白]]を務めた藤原{{ruby|道隆|みちたか}}ですが、早くに亡くなってしまいます。道隆をついで政治のトップに立ったのが道長です。定子の兄藤原{{ruby|伊周|これちか}}は、道長との政治上の争いに敗れてしまい、定子の宮中での立場は非常に弱いものとなっていき、道長の娘彰子が一条天皇の{{ruby|妃|きさき}}になると間もなく亡くなります。『枕草子』は、その間に清少納言が見聞きしたことや、その感想、定子やその兄弟などとのふれあいを書いたものです。
:『枕草子』は、『{{ruby|方丈記|ほうじょうき}}』『{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}』とともに、日本三大随筆の一つに数えられ、『源氏物語』同様に日本の文学に大きな影響を与えます。
:また、紫式部と同様に、歌人としてもすぐれ、「百人一首」にも、以下の歌が選ばれています。
::夜をこめて とりのそらねは はかるとも 世に{{ruby|あふ|おお}}さかの せきはゆるさじ
:::夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似(とりのそらね)をして人をだまそうとしても、この{{ruby|逢坂|おおさか}}の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して{{ruby|逢|あ}}いませんよ)
:::*中国の昔話で、とらえられている貴族を逃すのに、朝にならないと開かない国境の門を、貴族を逃すためにつかわされた従者がニワトリの声をまね、夜が開けたと思わせ、だまして門を開けさせたという話({{ruby|鶏鳴狗盗|けいめいくとう}})が元になっています。このように、中国の古典の知識などが宮中の女官には求められました。「{{ruby|逢坂|おおさか}}の関」は、都と近江国(滋賀県)の間にある関所ですが、ここでは、「逢坂」の「{{ruby|逢|あ}}う」がかけられていて、逢いたいと言いよってくる男性に「なんと言われても逢いませんよ」と、女性がフっている情景です。
=== <span id="藤原頼通"/>{{ruby|藤原頼通|ふじわらのよりみち}} ===
{{wikipedia|藤原頼通}}
[[File:藤原頼通.jpg|180px|thumb|left|13世紀末から14世紀初頭ころに書かれた『駒競行幸絵巻』に書かれた藤原頼通]]
:生没年:992年 - 1072年
:平安時代中期の貴族で、[[#藤原道長|藤原道長]]の長男です。
:父道長が、天皇の{{ruby|外祖父|がいそふ}}<ref>母親の父親のことを言います。{{ruby|母方|ははかた}}の祖父とも言います。</ref>として、朝廷で権力を振るっている中で、摂政・関白となり、後に太政大臣もつとめます。
:しかし、父道長とちがって娘が生まれなかったので、天皇の妃を宮中に送ることができず、孫が天皇となることはありませんでした。頼通のころから、藤原氏の力がだんだん弱まってきたと言われています。
:頼通は、当時流行した{{ruby|浄土|じょうど}}信仰から、{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土への{{ruby|往生|おうじょう}}を願い、{{ruby|宇治|うじ}}の{{ruby|平等院|びょうどういん}}に{{ruby|鳳凰堂|ほうおうどう}}を建てます。これは、平安時代中期の建築様式を残した代表的建物です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「藤原道長」「紫式部」「清少納言」「藤原頼通」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*[[#菅原道真|菅原道真]]が太宰府に流された事件から、さらに約100年、貴族、特に藤原氏が摂政や関白になる政治は、道長の時代にピークをむかえます。
:*遣唐使が廃止された後、日本独自の文化はますます発展し、『源氏物語』『枕草子』といった、現代でも評価の高い宮中文学が生まれます。しかも、それをなしたのは宮中に務める女性でした。
:*その後、貴族の力はだんだん弱まっていき、代わって武士の力が強くなっていきます。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="平清盛"/>{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}} ===
{{wikipedia|平清盛}}
[[file:Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg|thumb|160px|14世紀前半ころに描かれた平清盛]]
:生没年:1118年-1181年
:平安時代末期の武家である{{ruby|平氏|へいし}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|平|たいら}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|平家|へいけ}}」とも言います。</ref>の{{ruby|棟梁|とうりょう}}です。武士として初めて日本の政治の頂点に立ちました。
:清盛は、主に瀬戸内海地方の{{ruby|海賊|かいぞく}}を取り締まる平氏の武士団をひきいて勢力を伸ばしました。清盛は瀬戸内海の取締りを行うことで、この地方の海運を支配し、財力を高めました。清盛は、現在の広島県にある海の神をまつる {{ruby|厳島|いつくしま}}神社 を{{ruby|敬|うやま}}い、平氏一族がまつるべき{{ruby|氏神|うじがみ}}としました。
:1156年天皇家や藤原氏本家(摂関家)のあとつぎについて、双方が武士団を味方につけて争った保元の乱では、{{ruby|後白河|ごしらかわ}}天皇側について勝利にみちびき、{{ruby|源氏|げんじ}}<ref>天皇の子孫で「{{ruby|源|みなもと}}」を本姓とする一族です。「{{ruby|源家|げんけ}}」と言うこともありますが、「平家」に比べれば使うことはまれです。</ref>の{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}らとともに武家としてはじめて中央の政治にかかわるようになりました。そして、1160年の平治の乱では源義朝を倒して、他の有力な武家をおしのけて、清盛の平氏だけが武家として中央の政治にかかわるようになりました。
:清盛は一族を朝廷の高位の役職につけたり、自分や一族の娘を天皇の{{ruby|妃|きさき}}とし、子どもができると天皇をつがせようとするなど、藤原氏とにた政治を行うようになりました。1167年には武家ではじめて{{ruby|太政|だいじょう}}大臣になります<ref>太政大臣は、律令制ができた当時に皇族が就任、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#仏教の興盛|奈良時代末期に道鏡が就任した]]他は、約400年間藤原氏以外が就任した例はありません。</ref>。こうして、平氏は勢力を極め、清盛の弟{{ruby|平時忠|たいらのときただ}}などは「平家にあらずんば、人にあらず」(平家でなければ人でない)とも言うようになりました。
:清盛は、朝廷での権力をにぎった後も、主に瀬戸内海を舞台とした海運を続け、唐の後に中国を統一した{{ruby|宋|そう}}との間の{{ruby|貿易|ぼうえき}}も行うようになります。平安京(京都)は、このような海運に不便なので、都を{{ruby|福原|ふくはら}}(現在の神戸市)に移そうともしました。
:しかし、このような平氏ばかりを優遇する政策は、都の貴族たちや東国の武士団の反発をまねきます。清盛の晩年には各地で平氏に対する反乱が起き、1180年には、義朝の子で伊豆に流されていた{{ruby|[[#源頼朝|源頼朝]]|みなもとのよりとも}}が、{{ruby|鎌倉|かまくら}}(神奈川県鎌倉市)を拠点として関東の武士団をまとめて兵を上げ、西に兵を進めました。清盛は、これを討とうとしましたが、翌1181年病気で亡くなってしまいました。
:各地の反乱をおさえられなくなった平氏は、京都を捨て、瀬戸内海を西に逃げますが、1185年、源氏によって{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}(現在の山口県)で{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「平清盛」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*清盛は平安時代末期の人物ですが、武家として、それまでの貴族の政治を終わらせたと言う意味で、鎌倉時代以降の時代を開いた人と理解してください。
:*しかし、政治を行うのに、それまでの貴族政治の仕組みをそのまま使おうとして、それまでの貴族からも、地方で勢力を持つようになった武家からも反発されて、平氏の世は、清盛死後、まもなく滅びてしまいます。
:</small>
|}</div>
== {{ruby|鎌倉|かまくら}}時代 ==
=== <span id="源頼朝"/>{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}} ===
{{wikipedia|源頼朝}}
[[File:Seated Portrait of Minamoto no Yoritomo (Presumed) 3.jpg|thumb|160px|東京国立博物館所蔵、木造伝源頼朝像]]
:生没年:1147年-1199年
:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて{{ruby|源氏|げんじ}}と{{ruby|平氏|へいし}}が戦っていた時代の、源氏の{{ruby|棟梁|とうりょう}}(リーダー)。
:平治の乱で父{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}を亡くし、頼朝も処刑されるところでしたが、幼かったため許され、{{ruby|伊豆|いず}}の国(現在の静岡県)に流されます。伊豆で地元の武士の娘{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}と結婚し、北条氏の支援などを得て、平家に対抗する兵をあげます。
:関東地方({{ruby|鎌倉|かまくら}})から、弟の{{ruby|義経|よしつね}}らに指示を送って平家を{{ruby|倒|たお}}しました。平家滅亡に向けた{{ruby|戦|いくさ}}には頼朝は出向いていません。
:その後、東北地方で強い勢力を持っていた藤原氏(公家の藤原氏と区別して{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏と言います)を滅ぼし、全国の武士を支配、1192年に{{ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}に任命され、鎌倉{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらきました。
:同じ武家の政権ですが、平氏がほぼ[[#平清盛|清盛]]一代であったのに対して、鎌倉幕府は、頼朝の血筋こそ絶えたものの150年近く続きました。これは、清盛が朝廷に入って政治を行おうとして、多くの武家の反発を受けたのと対照的に、頼朝は京都から遠く離れた鎌倉で、武家を治める政治を行う仕組みにしたことにあるでしょう。
* 関連する人物
*:[[w:北条政子|{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}]]
*::生没年:1157年-1225年
*::頼朝の妻。伊豆の地方武士北条{{ruby|時政|ときまさ}}の娘。
*::頼朝が{{ruby|亡|な}}くなった後、頼朝と政子の子である{{ruby|頼家|よりいえ}}、{{ruby|実朝|さねとも}}が将軍となったが、どちらも亡くなって頼朝の{{ruby|家系|かけい}}は{{ruby|途絶|とだ}}えました。幕府の政治は、弟の北条{{ruby|義時|よしとき}}が{{ruby|執権|しっけん}}として見るようになって、その後、鎌倉幕府の政治は義時の子孫である北条氏が執権として支配します(執権政治)。1221年{{ruby|後鳥羽|ごとば}}天皇が、鎌倉幕府を{{ruby|滅|ほろ}}ぼそうと兵をあげると({{ruby|承久|じょうきゅう}}の乱)、天皇にはむかうことにためらっている{{ruby|御家人|ごけにん}}たちを{{ruby|激励|げきれい}}し、後鳥羽天皇側の武士をうちまかし、鎌倉幕府の優位を確立します。
=== <span id="源義経"/>{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}} ===
{{wikipedia|源義経}}
:生没年:1159年-1189年
:{{ruby|源義朝|みなもとのよしとも}}の子で{{ruby|頼朝|よりとも}}の弟。平治の乱のとき、兄頼朝同様、{{ruby|幼|おさな}}かったため許され、{{ruby|僧|そう}}となるため京都北部の{{ruby|鞍馬山|くらまやま}}で育てられました。幼い頃の名を{{ruby|牛若丸|うしわかまる}}といいます。牛若丸は京都からのがれて、東北地方の{{ruby|奥州|おうしゅう}}藤原氏のもとへ向かい武芸をみがき、元服して義経と名乗りました。
:兄頼朝が平家をほろぼす兵をあげると、その手伝いをしようと鎌倉に向かい、頼朝の軍に加わります。頼朝は義経を武士団の大将にし、西へ向かわせました。義経は、戦さにたくみで、まず、京都から平家を追い出した源{{ruby|義仲|よしなか}}({{ruby|木曽|きそ}}義仲)を{{ruby|討|う}}って、そのまま、西に向かい本州と九州の境の{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}で平家を滅ぼしました。
:しかし、源氏と平家の戦いが終わったあと、義経は兄の頼朝にきらわれ遠ざけられて、義経は奥州藤原氏のもとへ{{ruby|逃|に}}げることとなりましたが、頼朝の軍勢の{{ruby|追撃|ついげき}}にあい、最終的に、奥州藤原氏が裏切って、{{ruby|滅|ほろ}}ぼされました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#義経]]を参照。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#源平の戦い|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「源頼朝」や「源義経」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平清盛に敗れて殺された源義朝の子の源頼朝は、弟源義経などに関東の武士をひきいさせて、平家を滅ぼします。その後、義経は頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏のもとに逃げますが、裏切った奥州藤原氏に滅ぼされます。頼朝は、その奥州藤原氏を滅ぼして、日本の武士をまとめます。
:*頼朝は{{ruby|征夷大将軍|せいいだいしょうぐん}}になり、{{ruby|鎌倉|かまくら}}に{{ruby|幕府|ばくふ}}をひらき、以後、日本の政治は将軍の{{ruby|下|もと}}、武士が行うようになります。
:*頼朝は{{ruby|御家人|ごけにん}}とよばれる自分の家来の武士たちを、{{ruby|守護|しゅご}}や{{ruby|荘園|しょうえん}}の{{ruby|地頭|じとう}}に任命して日本全国におきました。
:*頼朝の子孫である源氏の将軍はすぐに絶え、鎌倉幕府は北条氏が権力を持った{{ruby|執権|しっけん}}政治となります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="運慶"/><span id="快慶"/>{{ruby|運慶|うんけい}}・{{ruby|快慶|かいけい}}===
{{wikipedia|運慶}}
{{wikipedia|快慶}}
'''運慶'''(生没年:? - 1224年)
'''快慶'''(生没年:不詳 1189年頃から1221年頃までの作品が残る)
:仏師(仏像を製作する彫刻家)。代表作は東大寺南大門{{ruby|金剛力士|こんごうりきし}}像。
:鎌倉時代の、武士の支配する{{ruby|世相|せそう}}を反映してか、この時代には、金剛力士像のような、写実的で{{ruby|躍動|やくどう}}的な作品も、好まれるようになりました。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化|→教科書本文]])
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「運慶」や「快慶」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*平安時代、宮中や貴族を中心とした日本独自の文化が誕生しますが、鎌倉時代になると、武士をはじめとした民衆に新たな文化が誕生していきます。仏像なども、平安時代までの静かに座ったものから、動きをいきいきと表した金剛力士像のようなものが好まれるようになります。
:*仏教も、寺での僧たちの活動だけではなく、民衆が広く理解ができる、浄土教や禅宗、法華宗など新しい教えが誕生しました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="北条時宗"/>{{ruby|北条時宗|ほうじょうときむね}} ===
{{wikipedia|北条時宗}}
:生没年:1268年 - 1284年
:中国の王朝{{ruby|元|げん}}が{{ruby|攻|せ}}め{{ruby|込|こ}}んできたとき({{ruby|元寇|げんこう}})の鎌倉幕府の執権。
:時宗は、元が服従するよう命じてきたのを拒否し、全国の御家人だけでなく、御家人ではない武士にも、筑後(現在の福岡県)に集まり元から日本を守るよう命じ、元を{{ruby|撃退|げきたい}}します。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#元寇|→教科書本文]])
* 関連する人物
**[[w:クビライ|フビライ・ハーン]]<ref name="ハーン">「チンギス」が名前で「ハーン(ハン、カーン、{{ruby|汗|カン}}と書いたり、発音したりもします)」が君主を意味するモンゴル民族など北方民族のことばです。</ref>
**:中国の王朝{{ruby|元|げん}}の皇帝。クビライと書くこともあります。
**:中国本土北部の遊牧民モンゴル({{ruby|蒙古|もうこ}})族のチンギス・ハーン<ref name="ハーン"/>は、中国本土へ攻め入り、西に向かい、ヨーロッパの東部までその勢力におきました(モンゴル帝国)。フビライ・ハーンはチンギス・ハーンの孫で、モンゴル帝国のうち、中国本土の部分を「元」として独立させ中国風の皇帝となりました。
**[[w:竹崎季長|{{ruby|竹崎季長|たけさきすえなが}}]]
**:元寇のときの鎌倉幕府の{{ruby|御家人|ごけにん}}。元軍の撃退に{{ruby|活躍|かつやく}}しましたが、それを幕府に伝えるために、自身の戦いを「{{ruby|蒙古襲来絵詞|もうこしゅうらいえまき}}」に{{ruby|描|えが}}かせました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「北条時宗」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*13世紀モンゴル民族は全世界にその勢力を広げました。それが、東の日本に向かったものが「{{ruby|元寇|げんこう}}」です。日本は歴史上初めて、外国の大勢の軍隊からの{{ruby|攻撃|こうげき}}を受けました。
:*鎌倉幕府のリーダーであった執権北条時宗は、全国の御家人や武士を北部九州や中国地方西部に集め、元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しました。
:*しかし、幕府は得るものがなく、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができなかったので、各地の武士には不満が残りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|室町|むろまち}}時代 ==
=== <span id="足利尊氏"/>{{ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}} ===
{{wikipedia|足利尊氏}}
[[File:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|200px|足利尊氏]]
:生没年:1305年 - 1358年
:鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。征夷大将軍となって室町幕府を開きました。
:尊氏は、もともと、栃木県南部(現在の足利市一帯)をおさめる鎌倉幕府に仕える有力な{{ruby|御家人|ごけにん}}でしたが、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に不満を持つ御家人や武士たちに、鎌倉幕府を倒すことを呼びかけたのに応じて兵をあげ、1333年に鎌倉幕府をほろぼしました。
:鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は新しい政治を始めますが、武士に比べて公家を優先するなどしたため、武士の多くは反発し、その声を受けた尊氏は、後醍醐天皇と対立することになります。
:尊氏は、後醍醐天皇に味方する武士と戦って勝利し、後醍醐天皇は奈良県吉野という山中に逃れます。後醍醐天皇は退位していないまま、尊氏は京都で別の天皇を即位させ朝廷を開かせます。ここで、日本に二つの朝廷ができることになります。京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の朝廷を「南朝」といって、日本全国で各々の調停に従った武士たちは戦いを続けます。この時代を、「南北朝時代」といいます。
:1338年尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。この幕府は、のちに[[#室町幕府|室町幕府]]とよばれます。
::([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#室町幕府の誕生|→教科書本文]])
* 関連する人物
*:[[w:後醍醐天皇|{{ruby|後醍醐|ごだいご}}天皇]]
*::生没年:1288年 - 1339年
*::第96代天皇。鎌倉幕府を倒すことを計画していましたが、幕府に知られ{{ruby|隠岐島|おきのしま}}に流されます。翌年、そこから逃亡し{{ruby|伯耆国|ほうきのくに}}で兵をあげ、幕府に不満を持つ武士を集め、鎌倉幕府を倒し、天皇が直接主導する政治を始めました。しかし、多くの武士からの支持を失い、足利尊氏が別の天皇を立てたため、吉野に逃れ、南朝をたてました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利尊氏」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*{{ruby|元寇|げんこう}}で元軍を{{ruby|撃退|げきたい}}しましたが、鎌倉幕府は、武士たちに{{ruby|恩賞|おんしょう}}を与えることができず、多くの{{ruby|御家人|ごけにん}}がまずしくなりました。
:*一方で、ものの取引が活発になって、ものの取引などで力をつける武士などが増えてきて、百数十年前鎌倉幕府ができたころに頼朝たちに味方したことで{{ruby|御家人|ごけにん}}になった古い家柄の武士たちとの対立も増えてきました。
:*鎌倉幕府は、このような問題をうまく解決できず、各地の武士の幕府への不満は大きくなっていきました。
:*後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士や公家によびかけて、鎌倉幕府を倒しました。
:*しかし、後醍醐天皇の政治は、公家を優先するものだったので、それに不満のある武士をひきいて足利尊氏が、別の朝廷(北朝)を立てて将軍となり室町幕府を開きました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="足利義満"/>{{ruby|足利義満|あしかがよしみつ}} ===
{{wikipedia|足利義満}}
[[File:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
:生没年:1358年 - 1408年
:室町幕府の第3代将軍です。尊氏が将軍の時期には、後醍醐天皇の南朝やそれに味方する武士たちとの争いが続き、また、尊氏の弟{{ruby|直義|なおよし}}も兄と対立するなどして、大変不安定なものでした。しかし、尊氏が晩年に弟の軍勢を破り、尊氏の死後は子の第2代将軍{{ruby|義詮|よしあきら}}が南朝に味方する武士たちを負かしていくとともに、幕府の仕組みを整えていくことで、だんだん安定していきました。
:<span id="室町幕府"/>義詮をついで将軍となった義満は、日本各地からの訴訟などを解決できるよう、幕府の仕組みをさらに整えました。また、京都の{{ruby|室町|むろまち}}というところに貴族の屋敷に見立てた武家屋敷を作り、ここに幕府としました。その屋敷は広い庭には四季折々の花が咲き乱れたことから、人々は「花の御所」と呼ぶようになり、これ以降、足利将軍の幕府を「室町幕府」と呼びます。
:また、義満は中国の新しい王朝である{{ruby|明|みん}}との間で貿易をはじめ、その利益で室町幕府はますます栄えました。
:こうして日本全国の武士たちから信頼を得た室町幕府は、南朝を降伏させ南北朝時代は終わります。
:南北朝を統一させた義満は息子に将軍の職を譲って、京都の北山に別荘を建てては華やかな余生を過ごしました。その別荘の中にある、外側に金を張り巡らせた建物は{{ruby|金閣|きんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も金閣寺(正式には{{ruby|鹿苑寺|ろくおんじ}})と呼ばれています。
:義満が将軍だった時期が、室町幕府で将軍が最も力を持っていた時期です。
{{-}}
=== <span id="足利義政"/>{{ruby|足利義政|あしかがよしまさ}} ===
{{wikipedia|足利義政}}
[[File:Ashikaga Yoshimasa.jpg|thumb|200px|足利義政]]
:生没年:1436年 - 1490年
:室町幕府の第8代将軍です。
:義満の死後、南北朝の争いもなくなり、取引が盛んになるなどして社会は豊かになっていきました。それにともなって、各地の守護が大名となり、地頭・領主といった武士たち([[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]])も力をつけ、お互いに争うことや、家の中のあとつぎ争いも目立つようになってきました。
:1467年、鎌倉幕府の{{ruby|管領|かんれい}}<ref>将軍に次いで幕府の有力な役職です。鎌倉時代北条家がつとめた執権とにていますが、室町幕府では、細川家・斯波家・畠山家の三家で交代して、その役につきました。</ref>の{{ruby|斯波|しば}}家と{{ruby|畠山|はたけやま}}家でのあとつぎ争いをきっかけに、管領である{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}がひきいる東軍と中国地方の有力な守護である{{ruby|山名宗全|やまなそうぜん}}がひきいる西軍に分かれて争う戦乱「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」が起こりました。東西の対立は、将軍のあとつぎに、もともと決まっていた義政の弟{{ruby|義視|よしみ}}にかえて義政の子{{ruby|義尚|よしひさ}}とするかという問題もあわさって、全国に広がり、京都の街は焼け野原になりました。義政は、応仁の乱を終わらせることにはあまり熱心ではなく、戦乱は約10年続きました。この、応仁の乱が戦国時代が始まったきっかけの一つと言われています。
:そんな中で、義政は将軍職を子の義尚にゆずり、義満にならって、京都の東山に別荘を建て過ごしました。その別荘の中にある建物は{{ruby|銀閣|ぎんかく}}と呼ばれており、現在その建物のある寺も銀閣寺(正式には{{ruby|慈照寺|じしょうじ}})と呼ばれています。
=== <span id="雪舟"/>{{ruby|雪舟|せっしゅう}} ===
{{wikipedia|雪舟}}
:生没年:1420年 - 1506年
:中国大陸に{{ruby|起源|きげん}}を持つ{{ruby|水墨画|すいぼくが}}を元にして、日本独自の水墨画の{{ruby|画風|がふう}}<ref>ある画家や時代、またはある絵画の流派の作風や特徴。</ref>を完成させた画家です。当時は、画家は独立した職業ではなかったので、{{ruby|僧侶|そうりょ}}として活動しました。
:今の岡山県に生まれ、子どものころにお寺で修行し、京都で絵や禅の勉強をしました。のちに山口県で活動し、「雪舟」という名前を名乗るようになります。50点ほどの絵が残っています。1467年には中国に渡って本場の絵を学びました。風景を見て絵にする力が高く、「風景こそ最大の師」と言ったともいわれています。全国を旅して多くの絵を残しました。
:(→[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#水墨画|教科書本文]])
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「足利義満」「足利義政」「雪舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*室町幕府は、できた当初は南北朝の争いなどで不安定でしたが、義満が将軍の頃、それもおさまり、最もさかえました。
:*義満の死後、各地の守護や[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#国人|{{ruby|国人|こくじん}}]]たちが争うようになり、義政の頃、大きな戦乱である「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」がおこり、だんだん戦乱の世の中になっていきました。
:*社会が安定して豊かになったことから、公家など貴族の文化と武家の文化が融合した文化が生まれてきました。その代表が、義満が建てた金閣や義政が建てた銀閣です。また、雪舟の水墨画など、後世に残る新たな文化も誕生してきました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== 戦国時代 ==
=== 有力な戦国大名 ===
*'''{{ruby|朝倉孝景|あさくらたかかげ}}'''(または{{ruby|朝倉敏景|あさくらとしかげ}}、[[w:朝倉孝景 (7代当主)|→ウィキペディア]])
*:生没年:1428年 - 1481年
*:{{ruby|越前|えちぜん}}(今の福井県)で活躍した武将です。もとは越前の守護{{ruby|斯波|しば}}氏につかえていました。応仁の乱の原因のひとつである{{ruby|斯波義敏|しばよしとし}}と{{ruby|斯波義廉|しばよしかど}}の争いでは、はじめ義廉の西軍として戦いましたが、応仁の乱の中で、東軍の{{ruby|細川勝元|ほそかわかつもと}}による東軍への寝返りのさそいに応じて、東軍を勝利に導きました。その後、孝景は越前[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#守護代|守護代]]として、その地のほとんどを支配するようになり、自分の国づくりを進めました。これは、守護をおしのけて、家来などが、その地を支配する最初の例となりました。ただし、孝景が、そのようになるには、将軍が認める必要がありました。
*'''{{ruby|北条早雲|ほうじょうそううん}}'''([[w:北条早雲|→ウィキペディア]])
*:生没年:1432年 - 1519年
*:もともと、西国の出身ですが、東国に移り住んで今川氏が守護をする{{ruby|駿河|するが}}(現在の静岡県中部)の守護代となり、{{ruby|伊豆|いず}}(現在の静岡県東部)と{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)から、関東管領である上杉氏の勢力を追い出し、領地としました。子孫である北条氏は早雲の死後も勢力を伸ばして関東地方全体をおさめるようになりました。早雲は守護や守護代といった、室町幕府の仕組みによらず伊豆や相模を支配したので、最初の戦国大名といわれています。また、田畑の面積や収穫量を調査し、それを帳面にまとめる「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#検地|検地]]」を行い、領民からの{{ruby|年貢|ねんぐ}}を引き下げたとも伝えられます。
*'''{{ruby|斎藤道三|さいとうどうさん}}'''([[w:斎藤道三|→ウィキペディア]])
*:生没年:1494年(1480年とも)- 1556年
*:{{ruby|美濃|みの}}国(現在の岐阜県)の戦国大名です。美濃国は、{{ruby|土岐|とき}}氏が守護をつとめていましたが、実際の政治は守護代である{{ruby|斉藤|さいとう}}氏が行い、さらに、その代官である{{ruby|長井|ながい}}氏が力を持っていました。斎藤道三のうまれた{{ruby|家柄|いえがら}}はよくわかっていませんが、美濃で長井氏につかえ、やがて、主人の罪をせめて殺して長井新九郎をなのります。その後守護代の斉藤氏が亡くなると、斉藤新九郎利政となのって守護代になります。そして、最後に守護の土岐氏を追い出して、美濃国をおさめる戦国大名となりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|下克上]]の典型的な例と言われます。
*<span id="毛利元就"/>'''{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}'''([[w:毛利元就|→ウィキペディア]])
*:生没年:1497年 - 1571年
*:もともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、一方で、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。
*:以下の「三本の矢」の言い伝えで有名です。
*::元就が死ぬ直前、3人の息子達に矢を1本ずつわたして「折ってみよ」と命じると、息子たちはなんなく矢を折りました。つづいて、息子に3本の矢をまとめてわたしてもう一度「この矢を折ってみよ」と言ったところ、3本の矢はかたく、息子たちは、矢を折れませんでした。そこで「おまえたちも、この矢のように3人が力をあわせよ」と言いのこしました。
*'''{{ruby|島津貴久|しまづたかひさ}}'''([[w:島津貴久|→ウィキペディア]])
*:生没年:1514年 - 1571年
*:{{ruby|薩摩|さつま}}(鹿児島県西部)の戦国大名です。薩摩の守護である島津家もいくつかに分かれ対立していましたが、本家からは遠い分家であった父島津{{ruby|忠良|ただよし}}が薩摩各地の国人領主たちをおさえ、貴久に本家をつがせ薩摩を統一しました。貴久は、その後、{{ruby|大隅|おおすみ}}(鹿児島県東部)・{{ruby|日向|ひゅうが}}(宮崎県)南部にも勢力を拡大していきました。貴久が薩摩の国守であったころ、ポルトガルの船が来航し、鉄砲やキリスト教を伝えます。貴久は鹿児島に渡来したフランシスコ・ザビエルと面会しました。
*<span id="今川義元"/>'''{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}'''([[w:今川義元|→ウィキペディア]])
*:生没年:1519年 - 1560年
*:{{ruby|駿河|するが}}と{{ruby|遠江|とおとおみ}}(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や武田信玄と争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}(愛知県東部)の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
*<span id="武田信玄"/>'''{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}'''([[w:武田信玄|→ウィキペディア]])
*:生没年:1521年 - 1573年
*:{{ruby|甲斐|かい}}(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄の父{{ruby|信虎|のぶとら}}は、甲府を本拠として、甲斐国内の有力国人たちを武力で制圧し、従わせました。しかし、家臣たちにきびしくふるまったため対立が生じ、信玄が国人たちの支持を受けて信虎を追放し、甲斐領主となりました。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、今川義元が桶狭間の戦いでうたれ、今川氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
*:「風林火山」とよばれる旗印で有名です。「風林火山」は「{{ruby|疾|はや}}きこと風のごとく、{{ruby|徐|しず}}かなること林のごとく、{{ruby|侵掠|しんりゃく}}すること火のごとく、動かざること山のごとし。」という言葉に由来します。
*<span id="上杉謙信"/>'''{{ruby|上杉謙信|うえすぎけんしん}}'''([[w:上杉謙信|→ウィキペディア]])
*:生没年:1530年 - 1578年
*:{{ruby|越後|えちご}}(現在の新潟県)の戦国大名です。越後国の守護は関東管領である上杉氏がつとめていて、守護代を{{ruby|長尾|ながお}}氏がつとめていました。謙信は、もともと長尾氏の生まれですが、力が衰えた上杉氏の養子となり、関東管領の地位もつぎました。謙信は、北関東をめぐって北条氏と戦い、{{ruby|信濃|しなの}}国(信州、現在の長野県)をめぐって{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}と戦いました。
*:謙信は信義にあつく、敵であっても弱みにつくこまない人物と言われています。武田家が、今川家と戦い太平洋側からの塩の運搬を止められ塩不足に悩まされていたときに、武田家に塩を送り、「敵に塩を送る」のことわざの由来となったともいわれています。
=== フランシスコ・ ザビエル ===
{{wikipedia|フランシスコ・ ザビエル}}
[[File:Franciscus de Xabier.jpg|thumb|150px|フランシスコ・ ザビエル]]
:生没年:1506年 - 1552年
:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭<ref>キリスト教・カトリックにおける聖職者(神父など)の階級のひとつです。</ref>、宣教師です。
:カトリック教会が衰退することを心配して作られた修道会イエズス会の創設メンバーの1人です。
:ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名です。島津貴久や大内義隆といった大名に面会し、大友宗麟を洗礼させるまでにいたりました。日本での宣教の結果多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。1551年日本を離れ、インドで宣教を続けます。翌年中国へ宣教に向かったところ、中国南部で病気で亡くなりました。
* 関連する人物
**ルイス=フロイス
**:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を残しました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「戦国大名」「フランシスコ・ ザビエル」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「{{ruby|応仁|おうにん}}の乱」の後、室町幕府は、各地の戦乱を止めることができなくなっていました。
:*それまでは、守護が大きな力を持って争っていて、これを{{ruby|守護大名|しゅごだいみょう}}といっていましたが、守護大名を倒して、ある地方を支配する武将が、各地で登場しました。これを{{ruby|戦国大名|せんごくだいみょう}}といいます。
:*もともと、守護だった戦国大名もいますが、戦国大名は大きな力をつけてきた{{ruby|国人|こくじん}}をまとめて国をおさめ、戦さにのぞんだところが、守護大名とはちがっています。
:*戦国大名を細かく覚える必要はありません。
:*戦国時代の後半には、ポルトガル人が来航するようになり、鉄砲やキリスト教を伝えました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|安土|あづち}}{{ruby|桃山|ももやま}}時代 ==
=== <span id="織田信長"/>{{ruby|織田信長|おだのぶなが}} ===
{{wikipedia|織田信長}}
[[File:Odanobunaga.jpg|thumb|200px|織田信長]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|教科書本文]])
:生没年:1534年 - 1582年
:はじめは{{ruby|尾張|おわり}}の一部をおさめる大名でしたが、身内との争いに勝ち、尾張一国を治める戦国大名となりました。。
:1560年の「{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い」では、{{ruby|駿河|するが}}からせめてきた{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}の大軍を少ない兵で打ち破り、名を上げました。その後、{{ruby|美濃|みの}}の{{ruby|斎藤|さいとう}}氏をたおして美濃を手に入れ、拠点を岐阜城に移しました。
:1568には、足利{{ruby|義昭|よしあき}}を助けて将軍にして京都に入り、京都で力をふるっていた{{ruby|三好|みよし}}一族を追いはらいました。やがて義昭と対立し、1573年にはこれを追放し、室町幕府をほろぼしました。
:信長は、まわりの有力な戦国大名を次々に打ち破り、あるいは味方につけていきました。北陸方面では{{ruby|浅井長政|あざいながまさ}}や{{ruby|朝倉義景|あさくらよしかげ}}との連合軍をやぶり、{{ruby|比叡山|ひえいざん}}{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}や[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#一向一揆|{{ruby|一向一揆|いっこういっき}}]]などの勢力も平定しました。{{ruby|武田信玄|たけだしんげん}}には苦しめられましたが、その死後は、武田{{ruby|勝頼|かつより}}を1575年の「{{ruby|長篠|ながしの}}の戦い」で打ち破りました。この戦いでは、鉄砲を効果的に使ったことでも知られています。
:経済やまちづくりにも力を入れ、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#楽市楽座|{{ruby|楽市楽座|らくいちらくざ}}]]というしくみで商人が自由に商売できるようにしました。1576年には{{ruby|安土城|あづちじょう}}を築き、政治や文化の中心としました。
:1582年、中国地方の{{ruby|毛利|もうり}}氏との戦いを支えるために出陣しようとして京都の{{ruby|本能寺|ほんのうじ}}にいたところを部下の{{ruby|明智光秀|あけちみつひで}}におそわれ、亡くなりました。このとき信長は、毛利だけでなく、上越地方では{{ruby|上杉|うえすぎ}}、四国では{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}など、全国の大名に兵を向けており、天下統一に近づいていました。
:外国のことにも関心があり、{{ruby|地球儀|ちきゅうぎ}}を見て、地球が丸いことをすぐに理解したとも言われています。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「織田信長」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*織田信長は、{{ruby|群雄|ぐんゆう}}{{ruby|割拠|かっきょ}}の戦国時代、有力な戦国大名同士の争いでは決着がつかなくなったなかで、領国を大きく広げ、元々の尾張から京都を含めた一帯まで広げ、天下を統一する勢いを見せました。
:*信長が、それまでの戦国大名と大きく違っていたのは、鉄砲を大量に使用したことと足軽などの軍勢を常備動員するようになったことです。
:*高価であった鉄砲やを大量に手に入れたり、農民と独立した軍勢をもつには、強大な経済力が必要です。信長は、農村の改革や楽市楽座のような商業の{{ruby|振興|しんこう}}によって、これを得ました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="豊臣秀吉"/>{{ruby|豊臣秀吉|とよとみ ひでよし}} ===
{{wikipedia|豊臣秀吉}}
[[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|200px|豊臣秀吉]]
::(→[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉の天下統一|教科書本文]])
:生没年:1537年 - 1598年
:秀吉は、現在の名古屋市にあたる場所で生まれました。農民の子とも足軽の子とも言われていますが、正確なことはわかっていません。武士として高い家柄に生まれたものではなかったことはたしかです。
:もともと、{{ruby|木下藤吉郎|きのした とうきちろう}}と名乗っており、{{ruby|松下之綱|まつした ゆきつな}}に仕えたのち、織田信長に仕えました。信長のもとで数々の手柄を立てて出世し、名前も{{ruby|羽柴秀吉|はしば ひでよし}}と改めました。本能寺の変の前には、毛利攻めの総大将を任されるほどになっていました。
:本能寺の変のとき、秀吉は{{ruby|備中|びっちゅう}}(今の岡山県)で毛利氏と戦っていましたが、すぐに軍を引き返し、明智光秀を討ちました。これにより、信長の後継者としての立場を固め、翌年には、信長の家臣の中でも最も有力であった{{ruby|柴田勝家|しばた かついえ}}を破りました。そして、大阪城を築き、政治の中心としました。また、朝廷に近づき、高い官位を受け、最終的には関白まで上りつめます。そして、天皇から「豊臣」の姓をもらい、豊臣秀吉と名乗るようになりました。
:秀吉は、戦いだけでなく、交渉や同盟もうまく使って全国をまとめていきました。毛利氏や{{ruby|上杉景勝|うえすぎ かげかつ}}と同盟を結び、{{ruby|徳川家康|とくがわ いえやす}}も従わせました。四国の{{ruby|長宗我部|ちょうそかべ}}氏、九州の{{ruby|島津|しまづ}}氏、関東の{{ruby|北条|ほうじょう}}氏を次々に制し、東北の{{ruby|伊達政宗|だて まさむね}}も従わせたことで、日本を統一し、戦国時代は終わりました。
:政治では、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#太閤検地|{{ruby|検地|けんち}}]]」を行い、土地の広さや収穫量を正確に調べて税のしくみを整えました。また、「[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#刀狩|{{ruby|刀狩|かたながり}}]]」によって、農民の武器を取りあげ、武士と民の身分のちがいを明らかにしました。
:秀吉はのちに「{{ruby|太閤|たいこう}}<ref>関白を辞めた人のことを言いますが、秀吉以降は、一般的に太閤とは秀吉のことを指すようになりました。</ref>」と呼ばれ、京都南部の伏見に{{ruby|桃山|ももやま}}城を築き、そこで政治を行いました。また、南蛮貿易を奨励する一方で、キリスト教を取りしまり、宣教師の追放や信者の処刑も行いました。
:晩年には、大陸への進出をめざして朝鮮に出兵しましたが、戦いはうまくいかず、秀吉の死によって朝鮮出兵も終わりました。
:
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「豊臣秀吉」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*豊臣秀吉は、本能寺の変でたおれた織田信長の後をついで、東西に兵をすすめ、日本を統一し戦国時代を終わらせました。
:*秀吉は、農地の広さと{{ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}を調査し、土地の耕作者がどれだけ税を払えるかを決める「{{ruby|検地|けんち}}」を全国で行いました。
:*秀吉は、武士と農民をはっきり分け、農民となったものからは刀や鉄砲といった武器を取り上げる「{{ruby|刀狩|かたながり}}」を全国で行いました。
:*大阪城を作って、城下に多くの商人を集めて商業をさかんにしました。
:*晩年、大陸に進出するため、大量の軍勢を朝鮮に送りました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== 安土桃山時代の文化人 ===
*'''{{ruby|千利休|せん の りきゅう}}''' (→[[w:千利休|wikipedia]])
:生没年:1522年 - 1591年
:堺の有力な商人で、作法としての「茶道」を完成させました。
:お茶を飲む習慣は鎌倉時代に始まっていましたが、室町時代になると茶の湯として広く流行し、茶器の工芸品としての価値も高まりました。そのため、高価な茶器を用いた豪華な茶会が開かれるようになりました。そのような風潮に対して、一見ありふれたような道具を用い、そまつな中の美しさを見出し、客と主人との心の交流を重んじる[[w:わび茶|わび茶]]が生まれます。このわび茶をもとにして、現在に続く茶道を完成させました。
:利休は、織田信長などとの取引をつうじて関係を築き上げていきました。このため武将たちとも交流ができ、多くの弟子が生まれました。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の大名や商人などとの交際を仲立ちする役目を負いますが、後に秀吉の怒りをかってしまい、切腹させられました。
*'''{{ruby|狩野永徳|かのう えいとく}}'''(→[[w:狩野永徳|wikipedia]])
:生没年:1543年 - 1590年
:戦国時代から安土桃山時代を代表する{{ruby|絵師|えし}}(職業としての画家)。
:将軍家に仕える絵師の集団「狩野派」の棟梁として室町将軍家から織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、{{ruby|聚楽第|じゅらくだい}}、大坂城などの{{ruby|障壁画|しょうへきが}}({{ruby|襖|ふすま}}や壁など部屋を分ける壁面に描かれる絵)を制作しました。これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、狩野永徳が実際に描いたものとされる作品は比較的残っていません。現存する代表作の1つである『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
:
{{-}}
== 江戸時代 ==
===<span id="徳川家康"/>{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}===
{{wikipedia|徳川家康}}
[[File:Tokugawa_Ieyasu2.JPG|thumb|250px|徳川家康]]
:生没年:1543年-1616年
:1543年、{{Ruby|三河|みかわ}}(現在の愛知県東部)の大名{{Ruby|松平|まつだいら}}氏に生まれます。松平氏は三河の国人出身の大名でしたが、隣接する{{ruby|今川|いまがわ}}氏や織田氏に比べると弱小な大名でした。家康は家を継ぐ前、{{Ruby|松平元康|まつだいらもとやす}}と言って、今川氏に人質に出されていたことがあります。
:1560年[[#桶狭間の戦い|{{ruby|桶狭間|おけはざま}}の戦い]]で[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#今川義元|今川義元]]が討ち死にし、今川氏が弱くなると、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長|信長]]と同盟し三河をとりもどします。そして、名を{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}とかえ、{{Ruby|遠江|とおとおみ}}をせめとります。その後、信長の同盟国として武田氏や北条氏と隣接する信長の勢力の東南部を守り続けます。
:1572年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#三方原の戦い|{{ruby|三方原|みかたがはら}}の戦い]]では大敗し、命の危険もありましたが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#武田信玄|武田信玄]]が病死し、兵は甲斐へもどったため一命をとりとめました。
:逆に、1575年の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#長篠の戦い|長篠の戦い]]では、信長との連合軍で、{{ruby|武田勝頼|たけだかつより}}に大勝し{{Ruby|駿河|するが}}をえ、1582年武田氏をほろぼして{{Ruby|甲斐|かい}}と{{Ruby|信濃|しなの}}の一部をえました。
:1582年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#織田信長の登場|本能寺の変]]で信長が亡くなった後、秀吉には、後継者争いで一時抵抗し、秀吉の軍をくだすなどしたのですが、和解し、その後はしたがいます。
:1590年、秀吉の[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#小田原攻め|小田原攻め]]に協力し北条氏を攻め滅ぼしますが、秀吉の命令によって、昔からの領地の三河や隣接する遠江・駿河といった領地から北条氏のおさめていた関東に移され、{{Ruby|江戸|えど}}城を{{Ruby|拠城|きょじょう}}としました。
:秀吉の生前は、秀吉配下では最大の大名となっており、秀吉政権においては五大老の筆頭でした。
:秀吉の死後、1600年、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#関ヶ原の戦い|関ヶ原の戦い]]に勝利して政権を握ります。
:1603年、{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}から [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|{{Ruby|征夷大将軍|せいいたいしょうぐん}}]]に任命され、江戸に幕府を開きます。
:1614年から翌年に「大坂の陣」を起こして豊臣氏を滅ぼしたのち、1616年亡くなりました。
:「東照大権現」として、日光東照宮などにまつられています。
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===<span id="徳川家光"/>{{ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}===
{{wikipedia|徳川家光}}
[[File:Iemitu.jpg|thumb|250px|徳川家光]]
:生没年:1604年-1651年
:江戸幕府第3代将軍。第2代将軍徳川{{ruby|秀忠|ひでただ}}の子です。家光が生まれた時には、家康は将軍であり、家光が将軍になったころには豊臣氏もほろび、幕府の仕組みも安定して、「生まれながらの将軍」として、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|{{ruby|譜代|ふだい}}か{{ruby|外様|とざま}}]]にかかわらず、他の大名とは違う特別の地位にあることを示しました。
:家光の代に、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#参勤交代|参勤交代]]の制度が整い{{ruby|幕藩|ばくはん}}体制が確立しました。
:1637年島原の乱というキリシタンを多く含む大きな{{ruby|一揆|いっき}}を鎮圧すると、キリスト教の禁止を徹底するため、1639年、ポルトガルの来航を禁じ、鎖国を行いました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「徳川家康」「徳川家光」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*徳川家康は、若いころから織田信長と{{ruby|同盟|どうめい}}を組んで信長の天下統一に協力しました。豊臣秀吉の代になると、初めは秀吉と争いましたが後に和解し、北条氏に代わって関東一円を治める秀吉の時代には最大の大名となっていました。
:*秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝って、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。
:*徳川家光が将軍になるころには、各地の大名に参勤交代を義務付けるなど、江戸幕府も頂点とした安定した社会が完成していました。
:*家光は、キリスト教を完全に禁止するため鎖国を行いました。
:</small>
|}</div>
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===<span id="松尾芭蕉"/>{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}===
{{wikipedia|松尾芭蕉}}
[[File:Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg|thumb|200px|松尾芭蕉]]
生没年:1644年-1694年
:{{ruby|和歌|わか}}の余興の{{ruby|言捨|いいす}}ての{{ruby|滑稽|こっけい}}から始まり、滑稽や{{ruby|諧謔|かいぎゃく}}を主としていた{{ruby|俳諧|はいかい}}を、{{ruby|蕉風|しょうふう}}と呼ばれる芸術性の極めて高い{{ruby|句風|くふう}}として確立した。
:代表作に「{{ruby|古池|ふるいけ}}や{{ruby|蛙飛|かわづと}}びこむ{{ruby|水|みず}}の{{ruby|音|おと}}」「{{ruby|閑|しずか}}さや{{ruby|岩|いわ}}にしみ{{ruby|入|い}}る{{ruby|蝉|せみ}}の{{ruby|声|こえ}}」などがあります。
{{-}}
===<span id="近松門左衛門"/>{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}===
{{wikipedia|近松門左衛門}}
:生没年:1653年-1725年
:人形{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}の作者です。町人社会の義理や人情をテーマとした作品([[w:世話物]])や歴史的な事件や出来事を扱った[[w:時代物]]で評判を得ました。
:代表作に「{{ruby|曽根崎|そねざき}}{{ruby|心中|しんじゅう}}」「{{ruby|冥途|めいど}}の{{ruby|飛脚|ひきゃく}}」「{{ruby|女殺油地獄|おんなごろしあぶらのじごく}}」「{{ruby|国姓爺合戦|こくせんやかっせん}}」などがあります。
=== <span id="本居宣長"/>{{ruby|本居宣長|もとおりのりなが}} ===
{{wikipedia|本居宣長}}
:生没年:1720年-1801年
:日本の古典文学などから、日本古来の姿を研究する国学を確立しました。
:古事記の内容を研究した『古事記伝』などの著作があります。
=== <span id="杉田玄白"/>{{ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}} ===
{{wikipedia|杉田玄白}}
:生没年:1733年-1817年
:医師、{{ruby|蘭学|らんがく}}者。
:{{ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}と共にオランダ語の{{ruby|解剖|かいぼう}}学の書『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳し、『{{ruby|解体新書|かいたいしんしょ}}』を完成させ、近代的な西洋医学を日本にもたらしました。
:辞書がない中で翻訳を手さぐりで進めていった苦労などを『{{ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』という本に残しています。
=== <span id="伊能忠敬"/>{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}} ===
{{wikipedia|伊能忠敬}}
:生没年:1745年-1818年
:伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)の商人で、50歳まで家業を務めたのち、子に譲って隠居しました。それから、忠敬は海岸線がどのような形をしているかを書き表すために天文学と測量術を学びはじまます。そして、55歳になって、日本中を駆け巡り、日本の海岸線の形を測量し、『{{ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』という地図に残しました。
:欧米において、近代的な測量術は当時確立したばかりで、忠敬の測量術は直接それに接したものではありませんでしたが、忠敬の地図は、近代的測量術によるものと比べても驚くほど正確なものでした。
:詳細は、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#伊能忠敬|教科書のコラム欄]]参照。
===<span id="歌川広重"/>{{ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}===
{{wikipedia|歌川広重}}
:生没年:1797年-1858年
:別名、{{ruby|安藤|あんどう}}広重。{{ruby|浮世絵|うきよえ}}師。代表作に『東海道五十三次』があります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「近松門左衛門」「本居宣長」「杉田玄白」「伊能忠敬」「歌川広重」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*江戸時代になって、社会が安定し、江戸や大阪といった都市がさかえるようになると、町人と呼ばれる{{ruby|庶民|しょみん}}に受け入れられる文化が盛んになります。
:*近松門左衛門が脚本を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎が人気となり、また、絵の方面では、安藤広重などが、印刷でだれでも手に入れられる浮世絵の分野で活躍します。
:*学問といえば、それまで{{ruby|儒学|じゅがく}}(漢学)ばかりでしたが、日本古来のことを研究する国学が本居宣長によって確立し、医学などの分野では、オランダから伝わった{{ruby|蘭学|らんがく}}が杉田玄白などにより新たに出現しました。学問の成果を実現しようという取り組みも見られ、伊能忠敬は、各地を測量して日本全国の地図をつくりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="マシュー・ペリー"/>マシュー・ペリー ===
{{wikipedia|マシュー・ペリー}}
:生没年:1794年-1858年
:アメリカ合衆国の海軍軍人。
:1853年、日本に開国を求めるため黒船をひきいて来航、翌年、再度来航し、幕府に'''日米和親条約'''を結ばせ、日本を開国しました。
* 関連する人物
**<span id="ハリス"/>[[w:タウンゼント・ハリス|タウンゼント・ハリス]]
**:アメリカ合衆国の外交官。
**:日米和親条約が結ばれた後、アメリカ合衆国を代表する外交官({{ruby|公使|こうし}})として来日し、日本との間に貿易に関する条約を結ぶよう交渉します。その結果、1858年、'''日米修好通商条約'''が結ばれ、日本は鎖国を完全に解いて諸外国と貿易を始めることとなります。この条約は、日本にとって非常に不平等なものであったので、明治政府はこれを平等なものに改正するのに非常に苦労します。
**<span id="井伊直弼"/>[[w:井伊直弼|{{ruby|井伊直弼|いいなおすけ}}]]
**:幕末の彦根藩主で、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の仕組み|幕府の大老]]です。
**:日米和親条約を結んだのち、各国は貿易のための通商条約を結ぶことを求めてきました。開国の時にあわてた対応をして、朝廷などを巻き込んだため、幕府は混乱していました。井伊直弼は、江戸時代の間ずっとそうであったように、朝廷や他の大名の意見を聞かずに通商条約を結び、これに反対したり批判する人たち({{ruby|攘夷|じょうい}})を弾圧し、中には処刑することもありました({{ruby|安政|あんせい}}の{{ruby|大獄|たいごく}})。このことで、うらみを買った井伊直弼は尊王攘夷派によって暗殺されました(桜田門外の変)。
**<span id="吉田松陰"/>[[w:吉田松陰|{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}]]
**:長州藩の下級武士の家に生まれましたが、幼い頃から学問に優れ、江戸に出るなどして学問を深めました。黒船来航の時、ひそかに黒船にまで行ってアメリカに渡ることをこころみますが、失敗し犯罪者として長州藩にもどされます。長州にもどった吉田松陰は、松下村塾という私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ教え始めます。松下村塾では、儒学や兵法に限らず広い分野を教え、また、塾生に活発に議論をさせるなどして、多くの人材が育ち、幕末の尊皇攘夷・倒幕運動や明治政府の中心となっていきました。幕府からは尊皇攘夷を唱える危険人物とされ、安政の大獄で処刑されました。
**<span id="高杉晋作"/>[[w:高杉晋作|{{ruby|高杉晋作|たかすぎしんさく}}]]
**:長州藩の身分の高い家柄に生まれました。藩校の{{ruby|明倫|めいりん}}館に通っていましたが、たまたま、聞いた吉田松陰の講義に引き込まれ松下村塾に通うようになります。松下村塾では、塾生のリーダーで、松蔭の死後、若い長州藩士をひきいて、尊皇攘夷運動を全国で展開します。身分によらない兵で組織する{{ruby|奇兵隊|きへいたい}}を作ったり、幕府に従おうとした長州藩の実権を握って、幕府に対抗させるなど、後に長州藩出身者が明治政府で重要な役割を果たす基礎をつくりました。明治維新の前年1867年に肺結核で29歳で亡くなりました。
{{-}}
=== <span id="勝海舟"/>{{ruby|勝海舟|かつかいしゅう}} ===
{{wikipedia|勝海舟}}
[[File:Kaishu Katsu 1.jpg|thumb|left|150px|1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影]]
:生没年:1823年- 1899年
:幕臣、ただし、身分はあまり高くない[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#江戸幕府の誕生|御家人]]と言われる家柄の出身です。
:「海舟」は号と言われる一種のペンネームで、若い頃は「{{ruby|麟太郎|りんたろう}}」、明治になって戸籍には「{{ruby|安芳|やすよし}}」と記録されました。
:はじめ、蘭学を学び、1853年の黒船来航をきっかけに、蘭学知識を頼りとされ、幕府に外国関係の役人として{{ruby|抜擢|ばってき}}され、航海術などを取り扱います。1860年日本人乗組員が主となって初めて太平洋を横断した咸臨丸で米国に渡る経験をします。それから、幕府内で外国の知識が豊富な有力者として、海軍の創設などを行います。また、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]など薩長などの有力者とも親交を持ちました。薩長同盟を仲介した[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]は、勝海舟の弟子です。
:戊辰戦争で薩長軍が江戸を攻めようとした時、西郷隆盛と話し合い、江戸城を人が死ぬことなく開城させました。
:明治政府では、創成期に参議や海軍卿といった要職について、海軍創設に貢献しました。
{{-}}
* 関連する人物
**<span id="坂本龍馬"/>[[w:坂本龍馬|{{ruby|坂本龍馬|さかもとりょうま}}]]
**:土佐藩の下級藩士でしたが、江戸に剣術の修行に出ている時に黒船来航があって、その後、尊王攘夷運動に参加しました。勝海舟を暗殺しようと訪れたところ、勝に海軍や海上運輸が重要であることを教えられ、勝の弟子になり、その活動を手伝い京都や長崎で、薩摩藩の[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]や長州藩の[[#木戸孝允|桂小五郎(木戸孝允)]]といった、尊王攘夷活動家の要人と知り合います。商売の才能もあり、主にアメリカから船や大量の銃を諸藩に仲介したりもしました。西郷と桂を説得して薩摩と長州の同盟を結ばせたのは坂本龍馬であると言われています。大政奉還直後、鳥羽・伏見の戦いの前に京都で暗殺されました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「ペリー」「勝海舟」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*1641年にオランダ人に長崎の出島のみの来航を許す鎖国を始めてから、日本は、欧米と関係することはほとんどありませんでした。
:*18世紀半ばから19世紀にかけて、欧米では産業革命が起きて蒸気機関などが発明され、文明が大きく発展していました。
:*鎖国していた日本は、それを知ることはなかったのですが、1853年、蒸気船でペリーが来航し開国を求めました。
:*幕府は、あわてて開国し、遅れている文明を追い付かせようと、勝海舟などを米国に派遣したりして、さまざまな近代化に取り組みました。
:*しかし、もう幕府だけのうごきで、日本全体を動かすことはできないようになっており、幕府は倒され、日本が一つの国としてうごくことができる国づくりが始まります。
:</small>
|}</div>
{{-}}
== {{ruby|明治|めいじ}}・{{ruby|大正|たいしょう}}時代 ==
※この項では、年代が明治以降の場合、理解の助けとして元号(明治、大正、昭和)を付記します。
=== <span id="明治天皇"/>{{ruby|明治天皇|めいじてんのう}} ===
{{wikipedia|明治天皇}}
[[File:Emperor Meiji in 1893.jpg|thumb|180px|軍装の明治天皇(1890年頃)]]
:生没年:1852年 - 1912年(明治45年)
:幕末から明治末年までの天皇です。在位:1867年2月13日(慶応3年1月9日) - 1912年(明治45年)7月30日。
:幕末、幕府と薩長などが厳しく対立する京都で、父{{ruby|孝明|こうめい}}天皇の急死を受け、1867年2月13日(慶応3年1月9日)14歳で即位しました。
:11月9日(旧暦10月14日)に第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を申し出、翌日に許可されました('''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|大政奉還]]''')。 1868年1月3日(慶応3年12月9日)、岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らは朝廷を動かし、'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|王政復古の大号令]]'''を出させて、慶喜を新たな政権から外しました。
:これに不満を持った幕府側は1868年1月27日(慶応4年1月3日)、京都に攻めかかりますが、薩摩や長州は、天皇の軍であることを表す「{{ruby|錦|にしき}}の{{ruby|御旗|みはた}}」を示して、これを押し返します({{ruby|鳥羽伏見|とばふしみ}}の戦い)。慶喜は江戸に逃げ帰り、同年3月8日(旧暦2月12日)西郷隆盛がひきいる官軍に降伏しました。
:4月6日(旧暦3月14日)、天皇は新しい政府の心得である'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり#明治維新と武士の社会の終わり|{{ruby|五箇条|ごかじょう}}の{{ruby|御誓文|ごせいもん}}]]'''を発布しました。
:10月23日(旧暦9月8日)に年号を慶応から'''明治'''に改め({{ruby|改元|かいげん}})、あわせて、天皇の在位中は元号を変えない「{{ruby|一世一元|いっせいいちげん}}の制」を定めました。
:11月4日(旧暦9月20日)から翌1869年2月3日(明治元年12月22日)にかけて、東京<ref>1868年9月3日(慶応4年7月17日)に「江戸」から改名されました。</ref>を訪れます。
:1869年4月18日(旧暦3月7日)京都を離れた天皇は、5月9日(旧暦3月28日)江戸城(皇居)に入り、以降、ここに住むことになりました。
:1869年7月25日(旧暦6月17日)、全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還しました('''版籍奉還''')。
:1871年(明治4年)6月、薩摩藩、長州藩、土佐藩の兵士を集めた'''{{ruby|御親兵|ごしんぺい}}'''が組織されます。最初の、「天皇の軍隊」です。
:同年8月29日(旧暦7月14日)'''[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#廃藩置県|廃藩置県]]'''を宣言し、天皇を中心とした中央集権の仕組みが誕生しました。
:天皇は、1872年(明治5年)から1885年(明治18年)にかけて、6回に分け日本全国を巡行しました。また、1872年ころには、{{ruby|髷|まげ}}を切って、特別な場合を除いて、洋装で人前に出るようになりました。
:1880年頃から、外国の要人<ref>例として、明治12年(1879年)ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫ハインリヒ皇子、同年元米国大統領ユリシーズ・グラント、1881年(明治14年)ハワイ国王カラカウアなど。</ref>が来日するようになり、天皇も外交の舞台に立つようになります。
:1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布され、それにおける天皇の地位は、国家の主権者かつ元首として、統治権を総攬する存在と規定されていました。天皇の地位は「神聖にして侵すべからず」とされ、{{ruby|現人神|あらひとがみ}}としての宗教的権威も持ち合わせていました。また、文武官の任免や陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約締結など、議会の関与を受けない「天皇大権」を有していました<ref>ただし、天皇自らの意思で大権をふるうことは、憲法が改正されるまでなく、これは、政権を有する行政が議会に優越することがあったということを意味しています。</ref>。
:1891年(明治24年)、ロシア帝国の皇太子ニコライが滋賀県大津で暴漢に襲われ負傷するという'''[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#大津事件|大津事件]]'''の際には、東京から急いでかけつけニコライを見舞い、帰国を見送りました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#日清戦争|日清戦争]]が始まると、戦時における軍事の最高機関である{{ruby|大本営|だいほんえい}}が設置され、1894年(明治27年)9月には、戦地に近づくため天皇と共に広島に移動します。
:日露戦争の開戦前には戦争回避と平和を望むものでしたが、最終的には政府・軍部の主戦論を受け入れ開戦を決断しました。戦中は戦況を深く心配し、多くの犠牲者をいたみ、勝利を国民と共に静かに見守りまし。戦後は講和条約締結に際し、詔勅を発し国民に理解を求めるなど、冷静かつ責任ある態度を貫きました。このように、終始、国民と将兵を思いやり、慎重かつ重責を担う姿勢を示しました。
:1912年(明治45年)7月30日病気で亡くなりました。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「明治天皇」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*近代の天皇は、日本国憲法を待つまでもなく、もともと象徴的な立場にあって、自ら政策などに{{ruby|携|たずさ}}わることはないので個人の事績を述べることは非常に難しいものです。
:*ここでは、主に、明治政府と天皇・皇室の関係を述べています。明治時代の{{ruby|概略|がいりゃく}}の歴史として、日本が、天皇という立場を用いて、統一の道へ向かっていき、国際世界で活躍できるようになったことを理解してください。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="西郷隆盛"/>{{ruby|西郷隆盛|さいごうたかもり}} ===
{{wikipedia|西郷隆盛}}
[[File:Takamori Saigo.jpg|150px|left|thumb|西郷隆盛]]
:生没年:1828年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。「討幕」を主導した{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議、陸軍大将)です。
:幕末黒船来航後、薩摩藩主{{ruby|島津斉彬|しまづなりあきら}}の指示を受けて、幕府改革に関係しました。しかし、次第に、日本全体を変えるには幕府を倒すしかないと考え、薩摩藩の若い武士たちが強く支持する中、朝廷を味方につけ、敵対していた長州藩と{{ruby|同盟|どうめい}}し、幕府と幕府に味方する諸藩を倒しました。
:討幕後、新政府を主導して、天皇直属の軍隊を組織し、{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}を行うなど、新しい社会を作るために、古い武家社会の消滅に貢献しました。
:大久保利通らと政府改革の進め方で対立し、1873年(明治6年)、唱えていた征韓論に敗れて政府を離れました。
:鹿児島に戻って、若者の指導をしていましたが、新政府に不満を持つ士族にかつぎあげられ、西南戦争を起こし敗死します。
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=== <span id="大久保利通"/>{{ruby|大久保利通|おおくぼとしみち}} ===
{{wikipedia|大久保利通}}
[[File:Toshimichi Okubo 4.jpg|150px|left|thumb|大久保利通]]
:生没年:1830年 - 1878年(明治11年)
:{{ruby|薩摩藩|さつまはん}}出身。西郷隆盛等とともに討幕を主導し、明治維新政府を確立した中心人物(参議、初代内務卿<ref>日本国内の政治を全てうけもつ内務省の長で、当時の行政のトップになります。</ref>)です。
:島津斉彬の死後、薩摩藩を実質的に支配した{{ruby|島津久光|しまづひさみつ}}の下で、薩摩藩全体を動かし、西郷隆盛を助けました。
:維新後は、内政に力を入れるため内務省を作り、日本の{{ruby|官僚|かんりょう}}制度を作り上げます<ref name="官僚">「官僚」とは、簡単にいうと行政を行う「役人」のことです。近代的な国では、このような役人が家柄などの身分によらずに、仕事(行政)の能力で評価されて、他の役人などを指示する立場になる(「{{ruby|偉|えら}}くなる」、「{{ruby|出世|しゅっせ}}する」)仕組みが発達します。また、社会の進展に伴って、行政の内容もだんだん複雑なものになっていくので、おのおのの官僚は、いろいろな政策の専門分野を持つようになります。このように官僚の能力を高め、行政がうまく回るようにすることを「官僚制度を整備する」と言います。</ref>。
:西南戦争時には、明治維新政府を指導し勝利に導きます。
:西南戦争の翌年、不平士族に暗殺されますが、その改革は伊藤博文に引き継がれ、以降の明治政府の基礎となります。
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=== <span id="木戸孝允"/>{{ruby|木戸孝允|きどたかよし}} ===
{{wikipedia|木戸孝允}}
[[File:T kido.jpg|150px|left|thumb|木戸孝允]]
:生没年:1833年 - 1877年(明治10年)
:{{ruby|長州藩|ちょうしゅうはん}}出身。幕末の長州藩を取りまとめ、薩摩藩と共に討幕を実現した、{{ruby|明治維新|めいじいしん}}の中心人物(参議)です。
:若いころは、{{ruby|桂小五郎|かつらこごろう}}と名乗っていました。長州藩は、{{ruby|吉田松陰|よしだしょういん}}が開いた{{ruby|松下村塾|しょうかそんじゅく}}で学んだ若い藩士が{{ruby|活躍|かつやく}}しますが、それら若い藩士を取りまとめ、西郷隆盛などと交渉して、薩摩藩と同盟して幕府を倒しました。
:明治維新政府では、西郷や大久保のような目立った業績は残していませんが、長州藩出身者の代表としてふるまい、[[#伊藤博文|伊藤博文]]や[[#山県有朋|山県有朋]]が活躍する環境をつくりました。
:西南戦争のなか、病気で亡くなりました。
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* 関連する人物
**<span id="岩倉具視"/>[[w:岩倉具視|{{ruby|岩倉具視|いわくらともみ}}]]
**:京都の公家出身の政治家です。幕末、西郷や大久保とはかって、京都の公家等を取りまとめ、明治天皇を味方に引き込み朝廷が討幕へ向かうよう主導しました。
**:1871年(明治4年)から、約1年かけて、大久保・木戸・伊藤らを引き連れ、欧米を視察し、その進んだ文明に大変驚き、日本の文明を発展させ欧米に追いつくことが重要であると理解しました([[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#遣欧使節団|遣欧使節団]])。
**:帰国後、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#征韓論|征韓論]]で、大久保と共に西郷と対立し、これをしりぞけました。
**:その肖像は、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)まで発行されていた500円紙幣に用いられていました。
**:
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<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*この3人は、討幕とその後の明治政府の立ち上げの功績が特に大きく、「{{ruby|維新|いしん}}の{{ruby|三傑|さんけつ}}」と呼ばれています。
:*幕末の薩摩藩や長州藩で藩士などをひきいて討幕に向かったのは数多くの下級武士を含めた青年層の武士たちで、それを率いたのは、藩主や家老といった藩の{{ruby|重鎮|じゅうちん}}ではなく、西郷・大久保・木戸といったやはり若い指導者たちでした。
:*彼らは、幕府を倒しただけでなく、自分たちの出身でもある藩を、そして、武士の世界も倒してしまいました。
:*維新の三傑は、古い仕組みを打ちこわす一方で、新しい政治の仕組みが機能するような基盤を残しました。
:*1877年(明治10年)、西南戦争の行方を心配しながら木戸は亡くなり、西郷は敗死しました。また、翌年、大久保も暗殺され、明治になって10年ほどで維新の最大の功労者たちを失い、次の世代である、[[#伊藤博文|伊藤博文]]、[[#大隈重信|大隈重信]]、[[#山県有朋|山県有朋]]、[[#井上馨|井上馨]]らが明治政府を作り上げていくことになります。
:</small>
|}</div>
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=== <span id="伊藤博文"/>{{ruby|伊藤博文|いとうひろぶみ}} ===
{{wikipedia|伊藤博文}}
[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|150px|left|thumb|伊藤博文]]
:生没年:1841年-1909年(明治42年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身の非常に身分の低い武士でしたが、松下村塾で学び、その才能を認められました。
:1863年には井上馨他3名と共にイギリスに留学しますが、1年後下関戦争の報を聞いて、3名は残して、井上と共に留学を中断して帰国します。
:[[#大久保利通|大久保利通]]の跡を継いで、日本の{{ruby|官僚|かんりょう}}制度を整備します<ref name="官僚"/>。
:ヨーロッパを回り、大日本帝国{{ruby|憲法|けんぽう}}の手本となる憲法を研究、天皇(実際は{{ruby|内閣|ないかく}})が強い権限を持つことができるドイツ(当時はプロシア)の憲法を手本とすることにしました。
:これに基づいて、{{ruby|内閣|ないかく}}制度を{{ruby|創設|そうせつ}}し、初代{{ruby|内閣総理大臣|ないかくそうりだいじん}}({{ruby|首相|しゅしょう}})となり、引き続いて大日本帝国憲法制定や帝国議会(国会)の創設を主導しました。
:国会が開設されると、[[#大隈重信|大隈重信]]ら自由民権運動からの流れの政党に対抗するため、政府(役所)を支持する政党を組織しました。その後、数回、首相となっています。
:日露戦争後、初代の朝鮮総督となりますが、訪問していた中国のハルビンで、朝鮮人活動家に暗殺されました。
:その肖像は、1963年(昭和38年)から1986年(昭和61年)まで発行されていた千円紙幣<ref>現在([[#北里柴三郎|北里柴三郎]])の前([[#野口英世|野口英世]])の前([[#夏目漱石|夏目漱石]])の前になります。</ref>に用いられていました。
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* 関連する人物
**<span id="井上馨"/>[[w:井上馨|{{ruby|井上馨|いのうえかおる}}]]
**:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で伊藤や山県などと比べると相当に高い家柄の出身ですが、伊藤とともに松下村塾で学び、生涯の親友になりました。
**:[[#木戸孝允|木戸孝允]]が亡くなると、あとを受けて長州藩出身者の代表となり、財政や外交の面で活躍します。
=== <span id="山県有朋"/>{{ruby|山県有朋|やまがたありとも}} ===
{{wikipedia|山県有朋}}
[[File:Yamagata Aritomo.jpg|150px|left|thumb|山県有朋]]
:生没年:1838年-1922年(大正11年)
:{{ruby|長州|ちょうしゅう}}藩出身で、伊藤博文同様、非常に身分の低い武士でした。松下村塾で学ぶことはありませんでしたが、多くの塾生と関わり、その才能を認められました。幕末には、奇兵隊の運営を任されました。
:明治政府に入ると、近代的な軍隊としての陸軍の仕組みを作り上げました。西南戦争で、幕末に最強と言われた旧薩摩軍の武士を相手にして、もともと農民であったりする明治政府の軍隊が勝利した功績の多くは山縣有朋によるものでした。その後、陸軍は政府に対して強い発言力を持つようになり、その陸軍のトップにいたのが山県有朋でした。
:また、地方行政や警察など治安に強い権限を持っていた内務省と関係を深くし、政府の政策に対しても強い影響力を持ちました。
:内閣制度発足後は内閣総理大臣を2回務めます。
{{-}}
=== <span id="渋沢栄一"/>{{ruby|渋沢栄一|しぶさわえいいち}} ===
{{wikipedia|渋沢栄一}}
[[File:Portrait of Shibusawa Eiichi.jpg|150px|thumb|left|渋沢栄一]]
:生没年:1840年 - 1931年(昭和6年)
:江戸時代末期、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に百姓(豪農身分)として生まれます。黒船来航後、混乱する幕末に[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#江戸幕府の終わり|徳川慶喜]]の家臣として、武士に取り立てられ、のちに慶喜の将軍就任にともない幕臣となります。明治維新後は、明治政府で官吏となり、民部省を経て直属の上司である井上馨の下で、{{ruby|造幣|ぞうへい}}(通貨の発行)、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#戸籍制度|戸籍]]、{{ruby|出納|すいとう}}(政府における金銭の出し入れの管理)など様々な政策立案を行いました。その後、政府から離れ、実業界に転じて、株式会社の制度とそれを支える証券取引所の制度、銀行の制度、保険の制度、商工業の経営者が集まって政府や社会に向けて意見を発信する商工会議所の制度など、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#社会主義と共産主義|近代的な資本主義社会]]に欠かせない各種の制度を作り上げます。そのため、「日本資本主義の父」ともよばれています。
:また、社会福祉事業、大病院の建設など医療事業、教育や学術研究の発展などにも大きく貢献しました。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1万円札の肖像に用いられています。
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* 関連する人物
**<span id="岩崎弥太郎"/>[[w:岩崎弥太郎|{{ruby|岩崎弥太郎|いわさきやたろう}}]]
**:土佐藩の下級武士で、幕末は長崎で外国との商取引に従事していました。[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の死後、坂本龍馬が経営していた{{ruby|海援隊|かいえんたい}}を引き取り、海運業を始めます。
**:弥太郎の始めた海運業は、郵便物の運送や兵員の輸送など政府の委託で大きく育ち、現在の三菱グループの源流になります。
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=== <span id="福澤諭吉"/>{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}} ===
{{wikipedia|福澤諭吉}}
[[画像:福澤諭吉像2.jpg|250px|thumb|福澤諭吉像(東京都港区三田・慶應大学構内)]]
:生没年:1835年 - 1901年(明治34年)
:豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として生まれます。大阪の「適塾」で蘭学を学び、1859年、[[#勝海舟|勝海舟]]らが率いる咸臨丸に同乗し渡米の経験をえ、その後ヨーロッパを訪問、再び米国を訪れるなどして、蘭学のみならず英語による欧米の文物の知識を得るようになります。
:1868年(慶応4年)に、蘭学塾である'''慶應義塾'''を開きます。それまで、医学や化学など科学技術が中心であった蘭学塾と異なり、欧米の思想や会計などの制度も教えました。また、蘭学塾といいながら英語によるものが教えられていました。これが、日本で最初の近代的大学と言われる'''慶應義塾大学'''(慶應大学)の創始です。
:明治時代になって、「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の近代思想を数々の著書を通じて紹介しました。『学問のすすめ』の中では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と、生まれながらの平等を説いて、努力次第で社会の重要な地位に就くことができること(立身出世)を主張しました。
:官主導の明治政府に対して、民間の立場から、新聞や出版物で社会を啓蒙し、教え子を民間の各所で活躍させるなどして、日本社会の近代化を主導しました。
:[[#渋沢栄一|渋沢栄一]]の前の1万円札の肖像に用いられていました。
* 関連する人物
**<span id="中江兆民"/>[[w:中江兆民|{{ruby|中江兆民|なかえちょうみん}}]]
**:土佐藩の下級武士の出身。
**:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に日本を出た留学生]]の一人でフランスに留学します。
**:18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を紹介し、日本の自由民権運動に大きな影響を与えます。
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=== <span id="板垣退助"/>{{ruby|板垣退助|いたがきたいすけ}} ===
{{wikipedia|板垣退助}}
[[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|150px|left|thumb|板垣退助]]
:生没年:1837年 - 1919年(大正8年)
:土佐藩出身。
:戊辰戦争では、軍隊をひきいて、幕府軍などと戦い、多くの戦いで勝利しました。
:征韓論では、西郷に味方し、それに敗れると故郷の高知に戻り、憲法の制定と選挙で選ばれた議会による政治を求めた自由{{ruby|民権|みんけん}}運動を主導、1881年(明治14年)に日本最初の近代的な政党自由党を結成しました。
:運動を{{ruby|妨害|ぼうがい}}しようとする暴漢に襲われた時に「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとされることは有名です。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、大隈重信の内閣で内務大臣を務めることはありましたが、その他の官職の誘いや国会の議員<ref>板垣は伯爵という華族(何回も断ったのですが、明治天皇が是非にと進めたので、これを受けました)であったので衆議院議員の被選挙権はなく、また、貴族院の勅任議員や互選議員になることも断っていました。</ref>になるのを断って、{{ruby|在野|ざいや}}<ref>政府の官職などにつかないこと。</ref>で自由主義や民主主義を主張し続けました。
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=== <span id="大隈重信"/>{{ruby|大隈重信|おおくましげのぶ}} ===
{{wikipedia|大隈重信}}
[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|150px|left|thumb|大隈重信]]
:生没年:1838年 - 1922年(大正11年)
:{{ruby|肥前|ひぜん}}(佐賀)藩出身。
:明治維新後、政府に入って{{ruby|地租改正|ちそかいせい}}などの{{ruby|改革|かいかく}}にあたるとともに、{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}を{{ruby|推進|すいしん}}するなど、内政に才能を見せました。
:[[#大久保利通|大久保利通]]死後も[[#伊藤博文|伊藤博文]]とともに新政府の政策を進めましたが、イギリスの民主的な政府を理想としていた大隈は、一部の政治家が主導して安定して強力な政府をめざす伊藤と対立して、1881年(明治14年)、政府から{{ruby|離|はな}}れました。
:政府からはなれた大隈は、立憲改進党を結成して自由民権運動をすすめました。
:明治憲法制定・帝国議会設立後、1898年(明治31年)の衆議院選挙で大隈の支持者が多数派となったことから内閣総理大臣に指名されました。これは、短命に終わりましたが、1914年(大正3年)再び衆議院に支持者を多く得て首相となりました。
:政府からはなれた大隈は、翌年の1882年(明治15年)、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の{{ruby|造就|ぞうしゅう}}<ref>つくりあげること。育成すること。</ref>」をスローガンに東京専門学校を開校しました。現在の早稲田大学です。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「伊藤博文」「山県有朋」「渋沢栄一」「福沢諭吉」「大隈重信」「板垣退助」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*「維新の三傑」死後、まだ不安定であった政府を安定させたのは伊藤博文や山県有朋でした。不平士族が、西南戦争など[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#士族の反乱|士族の反乱]]でいなくなった後、まだ、議会などもない中で多くの改革が、進められました。
:*政府による改革と並行して、渋沢栄一や岩崎弥太郎によって、株式会社・銀行といった新しい経済の仕組みの中で、蒸気船による海運や各種の工業といった、近代的な産業が育っていきました。
:*このように近代化が進む中、福沢諭吉や中江兆民などは、西洋における近代化の背景には、自由主義や民主主義があることを唱えました。
:*これを受けて、政府の{{ruby|専制|せんせい}}に対する批判の声が自由民権運動となり、板垣退助や大隈重信が政党を結成するなど主導をして、政府に憲法を定め、選挙による議会を開くよう求めます。
:*こうして、1885年(明治18年)憲法に先立って内閣制度が誕生し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、それに基づいて1890年(明治23年)に衆議院議員の選挙の後、同年、帝国議会が召集されました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
=== <span id="陸奥宗光"/>{{ruby|陸奥宗光|むつむねみつ}} ===
{{wikipedia|陸奥宗光}}
[[File:Mutsu Munemitsu.jpg|150px|left|thumb|陸奥宗光]]
:生没年:1844年 - 1897年(明治30年)
:もとは、紀州藩(和歌山県)の武士で、幕末に海援隊に入り[[#坂本龍馬|坂本龍馬]]の弟子になりました。
:明治政府に入って、版籍奉還・廃藩置県の実施に影響を与えます。
:西南戦争直後、政府の{{ruby|転覆|てんぷく}}をはかったとして投獄され{{ruby|失脚|しっきゃく}}<ref>政治などの力を失うこと</ref>しますが、5年ほどで許され、内閣制度などの研究のためヨーロッパへ留学します。
:留学から帰国後、主に外交の分野で活躍します。また、第1回の衆議院選挙に立候補して衆議院議員となり農商務大臣であったため、日本の議会史上初めてとなる衆議院議員の閣僚となりました。
:1892年(明治25年)[[#伊藤博文|伊藤博文]]首相の下、外務大臣に就任し、欧米諸国と交渉し、日米修好通商条約など通商条約の{{ruby|領事裁判権|りょうじさいばんけん}}({{ruby|治外法権|ちがいほうけん}})の{{ruby|撤廃|てっぱい}}に成功しました。
:1894年(明治27年)に始まった日清戦争では、各国との外交を行い、翌1895年(明治28年)下関条約を日本に有利な形で締結しました。その後の三国干渉に対して、仏英露に従いましたが、これを賠償に代えるという外交をおこないました。
{{-}}
=== <span id="東郷平八郎"/>{{ruby|東郷平八郎|とうごうへいはちろう}} ===
{{wikipedia|東郷平八郎}}
[[File:Tōgō Heihachirō.jpg|150px|left|thumb|東郷平八郎]]
:生没年:1848年 - 1934年
:薩摩藩出身の海軍軍人です。
:少年の頃に、戊辰戦争に参加します。
:イギリスに留学し、海軍に関することを学びます。
:日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、{{ruby|日露|にちろ}}戦争においては、連合艦隊を率いて、1905年(明治38年)日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなりました。
:日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人といわれています。
:東京にある、東郷神社は東郷平八郎をまつった神社です。
{{-}}
*関連する人物
**[[w:山本権兵衛|{{ruby|山本権兵衛|やまもとごんのひょうえ(ごんべい)}}]]
**:薩摩藩出身。
**:元々は海軍軍人ですが、政治家として海軍の組織、将兵の教育、艦船の充実などに力を尽くし、日本海海戦に完全勝利するまでの世界的な海軍に成長させました。
**:海軍において[[#山県有朋|山県有朋]]と同様の役割をはたしました。
**[[w:大山巌|{{ruby|大山巌|おおやまいわお}}]]
**:薩摩藩出身の陸軍軍人、[[#西郷隆盛|西郷隆盛]]のいとこになります。
**:陸軍の前線の司令官として活躍しました。日清戦争では第2軍の司令官として清軍に勝利し、日露戦争では陸軍の総司令官として戦いロシア軍を撃退しました。
**[[w:児玉源太郎|{{ruby|児玉源太郎|こだまげんたろう}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。西南戦争では、官軍として熊本城に{{ruby|籠城|ろうじょう}}して、西郷隆盛の軍を足止めしました。
**:日露戦争の前には、台湾総督や内務大臣といった重要な職についていましたが、開戦にあたって大山巌を助ける総参謀長に就任し、ロシア陸軍との戦いの作戦を立てました。
**[[w:乃木希典|{{ruby|乃木希典|のぎまれすけ}}]]
**:長州藩出身の陸軍軍人。
**:日露戦争では旅順を攻撃する第3軍の総司令官でした。旅順を占領したことで、日本の優勢が確定的なものになりましたが、そのためには多くの兵士が戦死・戦傷し、乃木も息子2人を失いました。
**:明治天皇が亡くなった時に、妻とともに{{ruby|殉死|じゅんし}}<ref>主人が亡くなった時に、臣下の者が後を追って自殺すること。</ref>して、日本中に衝撃を与えました。
**:東京にある、乃木神社は乃木希典をまつった神社で、その前を乃木坂と言い地名や駅名にもなっています。
=== <span id="小村寿太郎"/>{{ruby|小村寿太郎|こむらじゅたろう}} ===
{{wikipedia|小村寿太郎}}
[[File:Portrait of Komura Jutaro.jpg|150px|left|thumb|小村寿太郎]]
:生没年:1855年 - 1911年(明治44年)
:宮崎県の{{ruby|飫肥|おび}}藩出身の外交官です。
:米国に留学して学びました。
:外務省に入り、イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務めました。
:1901年(明治34年)桂太郎首相の下、外務大臣となり、日露戦争の前に、イギリスとの間で日英同盟を結ぶことに成功しました。日露戦争後には、講和会議に全権として出席し、ポーツマス条約を締結して日露戦争を終わらせました。
:1911年(明治44年)にアメリカとの{{ruby|交渉|こうしょう}}で関税自主権を回復させ、その後、欧州各国との通商条約も改正し関税自主権を完全に回復させました。同年11月病気でなくなります。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「陸奥宗光」「東郷平八郎」「小村寿太郎」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新の改革は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布、翌年の帝国議会召集によって、一応の完成を見ました。
:*約20年の明治維新の改革によって、国内経済は近代化され国が豊かになり、また、国の体制もしっかりして、近代的な軍隊を持てるようになりました。
:*その頃、ロシアの東進南下政策は日本にとって脅威であって、これに対抗しようと近代化の遅れていた朝鮮半島に進出します。朝鮮半島をめぐって宗主国である清国との間で日清戦争が起こり、日本はこれに勝利します。
:*日清戦争前後には日本が近代化したことは諸外国にも認められ、不平等条約のうち『領事裁判権』は撤廃されます。
:*清国に勝った日本は、次にロシアと{{ruby|対峙|たいじ}}<ref>対立する双方が、にらみあって動かない様子。</ref>するようになり、1904年(明治37年)日露戦争となって、日本は{{ruby|辛勝|しんしょう}}<ref>こちらも傷つきながらもやっと勝つこと。</ref>します。
:*大国ロシアに勝ったことで、その実力を認められ、欧米との間に結ばれた『関税自主権』も回復し、日本は、国際的に欧米同等の国と認められるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
===<span id="津田梅子"/>{{ruby|津田梅子|つだうめこ}}===
{{wikipedia|津田梅子}}
[[File:Tsuda Umeko Portrait c1900.png|150px|left|thumb|津田梅子]]
:生没年:1864年 - 1929年(昭和4年)
:教育者。
:津田梅子は江戸幕府の通訳官である津田仙の子として生まれましたが、梅子が幼い頃、幕府は倒されてしまい、仙はその後仕事を転々とします。
:1871年(明治3年)、仙が開拓使<ref>明治維新政府に北海道開拓の目的で設けられた役所。</ref>に職を得た時、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#留学|岩倉使節団と共に留学生を派遣する]]と聞いて、梅子を応募させ、梅子は女子留学生5人の一人に採用されます。梅子は、その時、なんとまだ満6歳でした。
:1882年(明治14年)、梅子は帰国しますが、その時には、日本語を忘れていました。帰国後、日本語が不自由であったためなかなか職にめぐまれませんでしたが、[[#伊藤博文|伊藤博文]]の応援もあって、華族女学校(後の学習院女子部)の教授となりました。その後、再び、米国に留学し大学で学びました。
:再留学からの帰国後、華族女学校他女子高等師範学校などの教授も兼任しましたが、1900年(明治32年)私立学校令に基づく女子高等教育のための「女子英学塾」を設立しました。この学校が、戦後「津田塾大学」となります。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の5000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
===<span id="北里柴三郎"/>{{ruby|北里柴三郎|きたさとしばさぶろう}}===
{{wikipedia|北里柴三郎}}
[[File:Shibasaburō Kitasato 1910.jpg|150px|left|thumb|北里柴三郎]]
:生没年:1853年 - 1931年(昭和6年)
:医師、微生物学者、教育者。
:ドイツに留学し、伝染病を研究し、{{ruby|破傷風|はしょうふう}}菌を発見し、その治療法を開発しました。
:帰国後、伝染病の研究所作ろうとしたが、政府の援助は得られなかったところ、{{ruby|福沢諭吉|ふくざわゆきち}}が支援し研究所が完成、{{ruby|志賀潔|しがきよし}}、[[#野口英世|野口英世]]などの研究者が生まれ育っていきました。
:その後、慶應大学医学部の設立に尽力し、個人で運営していた北里研究所をもとに北里大学が設立されます。
:現在({{#time:Y|+9 hours}}年)の1000円札の肖像に用いられています。
{{-}}
=== <span id="野口英世"/>{{ruby|野口英世|のぐちひでよ}} ===
{{wikipedia|野口英世}}
[[File:Noguchi Hideyo.jpg|150px|left|thumb|野口英世]]
:生没年:1876年(明治9年) - 1928年(昭和3年)。医師、細菌学者。
:福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となり、渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。
:主に細菌学の研究に従事し、{{ruby|黄熱病|おうねつびょう}}や梅毒の研究で知られています。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったといわれています。黄熱病の研究中に自身もそれにかかり、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
:[[#北里柴三郎|北里柴三郎]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
:その他、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治時代後半から大正時代#野口英世]]を参照。
{{-}}
===<span id="樋口一葉"/>{{ruby|樋口一葉|ひぐちいちよう}}===
{{wikipedia|樋口一葉}}
[[File:Higuchi Ichiyou.png|150px|left|thumb|樋口一葉]]
:生没年:1872年(明治5年) - 1896年(明治29年)
:小説家。戸籍名は樋口{{ruby|奈津|なつ}}、「一葉」は筆名(ペンネーム)です。
:一葉は、1872年(明治5年)明治政府の下級役人の家に現在の東京都千代田区内幸町あたりで生まれました。大変優秀でしたが、親が女の子を上級の学校まで行かせる必要はないと考え、小学校卒業後学校へは通わせませんでした。
:たしなみとして、和歌を習い、文学的な才能をわずかに見せていましたが、やがて、父親が亡くなるなどして、経済的に苦しみます。
:このような中、1892年(明治25年)から小説を発表し、それで原稿料が得られるようになります。1895年(明治28年)には代表作『たけくらべ』を発表し、{{ruby|森鴎外|もりおうがい}}や{{ruby|幸田露伴|こうだろはん}}といった多くの著名な文学者から{{ruby|賞賛|しょうさん}}<ref>ほめたたえること。</ref>されます。
:しかし、1896年(明治29年)24歳の若さで、肺結核により亡くなりました。
:近代以降では最初の職業女流作家で、24年間の生涯の中で、特に亡くなる間際の1年2か月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残しました。[[#津田梅子|津田梅子]]の前の5000円札の肖像に用いられていました。
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===<span id="夏目漱石"/>{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}}===
{{wikipedia|夏目漱石}}
[[File:Natsume Soseki photo.jpg|150px|left|thumb|夏目漱石]]
:生没年:1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年)
:英文学者、小説家。本名は夏目金之助です。
:現在の東京都新宿区喜久井町に{{ruby|名主|なぬし}}の子として生まれました。
:帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)にすすみ、大学時代に{{ruby|正岡子規|まさおかしき}}と出会い、俳句を学びました。大学英文科卒業後、愛媛県松山で愛媛県尋常中学校<ref>当時の「尋常中学校」は、現在の高等学校に相当します。現在の愛媛県立松山東高等学校です。『坊っちゃん』の舞台とも言われています。</ref>教師、熊本で第五高等学校<ref>当時の「高等学校」は、現在の大学の教養課程(大学で学ぶ専門以外の学問で、現在一般に大学1年生から2年生にかけて学びます。)に相当します。現在の熊本大学です。</ref>教授などを務めたあと、イギリスへ留学し英文学を研究します。
:帰国後、東京帝国大学講師として英文学の講義をしていましたが、1905年(明治38年)子規の友人が発行する俳句雑誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表、大人気となって、以後、同誌に『坊っちゃん』などを発表して小説家としての地位を固めます。
:1907年(明治40年)に大学を辞め、専属の小説家として朝日新聞に入社し、新聞小説を発表していきます。1916年(大正5年)に病気でなくなりました。
:明治になるまで、話し言葉と書き言葉は違うことが当たり前で、かなりかけ離れたものでした<ref>これは、人の行き来があまりないので、各地での方言の差が大きく、書き言葉が共通のコミュニケーションの道具であったことが理由の一つだと思われます。</ref>。明治になって、日本の言葉遣いを統一しようという情勢となって、文学においても、その運動({{ruby|言文一致|げんぶんいっち}})が盛んになり、多くの作品が言文一致を踏まえて発表されました。しかし、なかなかしっくりする言葉遣いにならなかったところ、漱石は、落語の言葉遣いを取り入れ、人々にわかりやすい表現で小説を書きました。現在の日本の書き言葉は、漱石の小説の影響を受けていると言われています。
:[[#野口英世|野口英世]]の前の1000円札の肖像に用いられていました。
{{-}}
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:80%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''学習上のポイント'''
:「津田梅子」「北里柴三郎」「野口英世」「樋口一葉」「夏目漱石」について小学校で学習することのポイントは以下のものです。
:*明治維新で、政府は欧米の学問や文化を広く取り入れ、国民に教育し、研究者を育てました。
:*明治20年を過ぎると、この成果が出て、日本からも世界的な科学者が出るようになりました。
:*学校制度の整備により識字率も高まり、また、印刷技術が向上し出版物が容易に大量に手に入るようになったので、小説などが人々の間で流行しました。
:*数が多いとは決して言えませんが、津田梅子や樋口一葉のように、社会で活躍する女性も見られるようになりました。
:</small>
|}</div>
{{-}}
==脚注==
<small><references/></small>
[[Category:社会|しようかつこうしやかい6しんふつ]]
[[Category:小学校社会|6ねんしやかいれきししんふつ]]
[[Category:小学校社会 歴史|#しんふつ]]
9vptrgd2b0k8lextc1qzx7ygfs5hyfb
音楽用語 強弱記号/変化記号
0
7391
304371
304122
2026-10-07T09:29:06Z
Tomzo
248
統合作業 [[強弱記号]]へ統合
304371
wikitext
text/x-wiki
#転送 [[強弱記号]]
fvyf582hcmgj0q0cj03r68qa59utduf
ガリア戦記 第7巻
0
12163
304343
304307
2026-10-06T13:52:41Z
Linguae
449
/* 33節 */ 修整
304343
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|7]] [[Category:ガリア戦記 第7巻|*]]
[[ガリア戦記]]> '''第7巻''' >[[ガリア戦記 第7巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER SEPTIMVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -52.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第7巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#カルヌーテース族の蜂起|カルヌーテース族の蜂起]]''':<br />
'''[[#ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起|ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起]]''':<br />
<br />
'''[[#アウァーリクム攻略戦|アウァーリクム攻略戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反|ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ラビエーヌスのルテティア遠征|ラビエーヌスのルテティア遠征]]''':<br />
'''[[#ガッリア戦乱の拡大|ガッリア戦乱の拡大]]''':<br />
'''[[#アレスィア攻囲戦|アレスィア攻囲戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ガッリア同盟軍主力の降伏|ガッリア同盟軍主力の降伏]]''':<br />
<br />
<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] <br />
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] |
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] <br />
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] |
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] |
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] |
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]] |
[[#30節|30節]] <br />
[[#31節|31節]] <br />
[[#32節|32節]] |
[[#33節|33節]] |
[[#34節|34節]] |
[[#35節|35節]] |
[[#36節|36節]] |
[[#37節|37節]] |
[[#38節|38節]] |
[[#39節|39節]] |
[[#40節|40節]] <br />
[[#41節|41節]] |
[[#42節|42節]] |
[[#43節|43節]] |
[[#44節|44節]] |
[[#45節|45節]] |
[[#46節|46節]] |
[[#47節|47節]] |
[[#48節|48節]] |
[[#49節|49節]] |
[[#50節|50節]] <br />
[[#51節|51節]] |
[[#52節|52節]] |
[[#53節|53節]] |
[[#54節|54節]] |
[[#55節|55節]] |
[[#56節|56節]] <br />
[[#57節|57節]] |
[[#58節|58節]] |
[[#59節|59節]] |
[[#60節|60節]] |
[[#61節|61節]] |
[[#62節|62節]] <br />
[[#63節|63節]] |
[[#64節|64節]] |
[[#65節|65節]] |
[[#66節|66節]] |
[[#67節|67節]] <br />
[[#68節|68節]] |
[[#69節|69節]] |
[[#70節|70節]] <br />
[[#71節|71節]] |
[[#72節|72節]] |
[[#73節|73節]] |
[[#74節|74節]] |
[[#75節|75節]] |
[[#76節|76節]] |
[[#77節|77節]] |
[[#78節|78節]] |
[[#79節|79節]] |
[[#80節|80節]] <br />
[[#81節|81節]] |
[[#82節|82節]] |
[[#83節|83節]] |
[[#84節|84節]] |
[[#85節|85節]] |
[[#86節|86節]] |
[[#87節|87節]] |
[[#88節|88節]] <br />
[[#89節|89節]] |
[[#90節|90節]] <br />
[[#脚注|脚注]]<br />
[[#参考リンク|参考リンク]]<br />
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==カルヌーテース族の蜂起==
===1節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2025-10-26}}</span>
[[画像:Maccari-Cicero.jpg|thumb|right|250px|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クローディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵となっていたキケローを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケローの友人ミローの配下によって殺害された。]]
[[画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クローディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。]]
:
;首都ローマの政情不安、ガッリア人領袖たちの謀計
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:quietus#Latin|Quieta]] [[wikt:en:Gallia#Latin|Gallia]],
**[[w:ガリア|ガッリア]]が鎮定されると、
*Caesar, ut [[wikt:en:constituerat|constituerat]],
**カエサルは、定めていたように、
*in [[wikt:en:Italia#Latin|Italiam]] ad [[wikt:en:conventus#Noun|conventus]] [[wikt:en:agendus#Latin|agendos]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**イタリアに、巡回裁判を行なうために出発する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ここでいうイタリアとは、カエサルの属州であった<br> [[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]を指す。<br> カエサルは、巡回裁判を除けば、おもに[[w:ラヴェンナ|ラウェンナ]]に<br> 滞在していたと考えられる。[[内乱記_第1巻#5節|『内乱記』第1巻5節]]を参照。)</span>
:
*[[wikt:en:ibi#Latin|Ibi]] [[wikt:en:cognoscit|cognoscit]] de <P.> [[wikt:en:Clodius#Latin|Clodii]] [[wikt:en:caedes#Latin|caede]],
**そこで[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プーブリウス・クローディウス]]の殺害について知って、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:クローディウスは護民官を務めた<ruby><rb>[[w:ポプラレス|民衆派]]</rb><rp>(</rp><rt>ポプラレス</rt><rp>)</rp></ruby> の政治家で、<br> カエサルから恩義を受けていた。<br> かの弁論家[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]やその友人ティトゥス・ミロー [[w:la:Titus_Annius_Milo|Milo]] ら<br> <ruby><rb>[[w:オプティマテス|元老院派]]</rb><rp>(</rp><rt>オプティマテス</rt><rp>)</rp></ruby> と激しく対立し、ミローの配下によって殺害された。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<P.> ([[wikt:en:Publius#Latin|Publii]]) 「プーブリウスの」は ρ系写本にのみ記されている。)</span>
*<de> <u>senatus</u>que <u>consulto</u> [[wikt:en:certior#Latin|certior]] [[wikt:en:factus#Participle|factus]], ut omnes [[wikt:en:iunior#Latin|iuniores]] Italiae [[wikt:en:coniurarent|coniurarent]],
**イタリアの全青年に<small>(新兵として)</small>宣誓するようにとの元老院決議について知らされて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この事態を収拾すべく元老院派の[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]が単独の執政官<br> (''[[w:de:Consul sine collega|consul sine collega]]'')に選任されて本土イタリアを掌握した。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<de> は現存する写本にはなく、近世以降に挿入提案されたもの。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: [[wikt:en:senatus_consultum#Latin|senātūs cōnsultum]] ([[wikt:en:ultimus#Latin|ultimum]]) 「[[w:セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム|元老院(の最終)決議]]」<br> ; dē [[wikt:en:senatus_consulto#Latin|senātūs cōnsultō]] 「元老院決議について」)</span>
*<u>dilectum</u> [[wikt:en:totus#Latin|tota]] [[wikt:en:provincia#Latin|provincia]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]].
**<small>(カエサルは)</small>属州<small>〔ガッリア・キサルピーナ〕</small>全体での徴集をすることを決定する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] は、[[wikt:en:delectus#Noun_2|delectum]] と表記している校訂版もある。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eae res in Galliam [[wikt:en:transalpinus#Latin|Transalpinam]] celeriter [[wikt:en:perferuntur|perferuntur]].
**その状況は、[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]<small>〔アルプスの向こう側のガッリア〕</small>に速やかに報知された。
:
*[[wikt:en:addunt|Addunt]] ipsi et [[wikt:en:adfingunt|adfingunt]] [[wikt:en:rumor#Latin|rumoribus]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**[[w:ガリア人|ガッリア人]]たち自身が風評に想像して付け加えたのは、
*quod res [[wikt:en:poscere|poscere]] [[wikt:en:videbatur|videbatur]]:
**事態が要求すると思われていたことで、
*[[wikt:en:retineri|retineri]] <u>urbano</u> [[wikt:en:motus#Noun_2|motu]] Caesarem
**カエサルは、都<small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の騒乱に束縛されて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbanus#Adjective|urbānus]] は「都市の」「都会の」と訳されるが、<br> とりわけ「首都[[w:ローマ|ローマ市]]の」を意味する。)</span>
*neque in [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] [[wikt:en:dissensio#Latin|dissensionibus]] ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] venire posse.
**これほどの対立においては、軍隊のもとへ来ることができない、<br>ということである。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Hac [[wikt:en:impulsus#Participle|impulsi]] [[wikt:en:occasio#Latin|occasione]],
**このような好機に刺激されて、
*qui iam ante se [[wikt:en:populus#Noun|populi]] Romani [[wikt:en:imperium#Latin|imperio]] [[wikt:en:subiectus#Latin|subiectos]] [[wikt:en:dolerent|dolerent]],
**すでに以前から自分たちがローマ国民の支配に服属させられているのを悲嘆している者たちは、
*[[wikt:en:libere#Adverb_2|liberius]] atque [[wikt:en:audacter#Latin|audacius]] de bello [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] [[wikt:en:inire|inire]] [[wikt:en:incipiunt|incipiunt]].
**より自由に、かつ、より向こう見ずに、戦争について謀議に取りかかり始める。
:
[[画像:Brennus_mg_9724.jpg|thumb|right|250px|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀([[w:紀元前387年|387年]])に、ローマ軍を破って、ローマ市を占領した。アッコーと同じセノネース族の族長だったとされている。]]
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:indictus#Latin|Indictis]] inter se principes Galliae [[wikt:en:concilium#Latin|conciliis]] [[wikt:en:silvestris#Latin|silvestribus]] ac [[wikt:en:remotus#Latin|remotis]] locis
**ガッリアの領袖たちは、森林や人里離れた場所での会合を互いに申し合わせて、
*[[wikt:en:queruntur|queruntur]] de [[wikt:en:Acco#Latin|Acconis]] [[wikt:en:mors#Latin|morte]];
**アッコーの死について嘆く。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]を参照。)</span>
*<u>posse</u> hunc [[wikt:en:casus#Latin|casum]] ad ipsos [[wikt:en:recidere#Verb_4|recidere]] [[wikt:en:demonstrant#Latin|demonstrant]];
**彼<small>〔アッコー〕</small>の結末が彼ら自身へ降りかかりうることを説く。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:posse#Verb|posse]] の位置は、<br> α系写本では hunc の前だが、<br> β系写本では hunc casum ad ipsos recidere <u>posse</u> demonstrant <br> となっている。)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:miserantur|miserantur]] [[wikt:en:communis#Latin|communem]] Galliae [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunam]];
**ガッリア共通の境遇をあわれむ。
*omnibus [[wikt:en:pollicitatio#Latin|pollicitationibus]] ac [[wikt:en:praemium#Latin|praemiis]] [[wikt:en:deposcunt|deposcunt]]
**<small>(以下の者たちを)</small>あらゆる約束と恩賞によって求める。
*qui [[wikt:en:bellum#Latin|belli]] <u>initia</u> [[wikt:en:faciant|faciant]] et sui [[wikt:en:caput#Latin|capitis]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] Galliam in [[wikt:en:libertas#Latin|libertatem]] [[wikt:en:vindicent|vindicent]].
**戦端を開いて、自らを危険にさらしても、ガッリアを解放する者たちを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ in libertatem vindicare;~を解放する)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:initia#Latin|initia]] (複数形) だが、<br> β系写本では [[wikt:en:initium#Latin|initium]] (単数形) となっている。)</span>
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> In primis [[wikt:en:ratio#Latin|rationem]] esse [[wikt:en:habendus#Latin|habendam]] [[wikt:en:dicunt|dicunt]],
**とりわけ、<small>(以下のような)</small>方策を採るべきであると述べる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_primis#Latin|in primis]] は、[[wikt:en:inprimis#Adverb|
inprimis]] と表記している校訂版もある。)</span>
*[[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] eorum [[wikt:en:clandestinus#Latin|clandestina]] consilia [[wikt:en:efferantur|efferantur]],
**彼らの秘密の計画が漏らされるより前に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:反ローマの挙兵のはかりごとが漏れる前に)</span>
*ut Caesar ab [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]] [[wikt:en:intercludatur|intercludatur]].
**カエサルが軍隊から切り離されるように、と。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Id esse [[wikt:en:facilis#Latin|facile]],
**それは容易なことである。
*quod neque legiones [[wikt:en:audeant|audeant]] [[wikt:en:absens#Latin|absente]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatore]] ex [[wikt:en:hiberna#Noun|hibernis]] [[wikt:en:egredi|egredi]],
**というのは、[[w:ローマ軍団|諸軍団]]は将軍<small>〔カエサル〕</small>が不在のときにあえて冬営から出て行こうとはしないし、
*neque [[wikt:en:imperator#Latin|imperator]] sine [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] ad legiones [[wikt:en:pervenire#Latin|pervenire]] [[wikt:en:possit|possit]].
**将軍は護衛なしに諸軍団のところへ到着することはできないのだから。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❽--><sup>(8)</sup> [[wikt:en:postremo#Adverb|Postremo]] in [[wikt:en:acies#Latin|acie]] <u>praestare</u> [[wikt:en:interfici|interfici]],
**結局のところ、戦列において討ち死にする方がましである。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~がより優る」)</span>
*<u>quam</u> non [[wikt:en:vetus#Latin|veterem]] belli [[wikt:en:gloria#Latin|gloriam]] [[wikt:en:libertas#Latin|libertatem]]<nowiki>que</nowiki> quam a [[wikt:en:maior#Noun|maioribus]] [[wikt:en:acceperint|acceperint]], [[wikt:en:recuperare#Latin|recuperare]].
**先祖から受け継いだかつての戦争の栄誉および自由を取り戻さないことよりは。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
[[画像:Chartres_1.jpg|thumb|right|320px|カルヌーテース族([[w:la:Carnutes|Carnutes]])の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]]([[w:en:Chartres|Chartres]])の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌーテース族の土地はガッリアの中心・聖地と見なされていた。ガッリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2025-11-05}}</span>
;ガッリア諸部族の会合で、カルヌーテース族が開戦動議
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus [[wikt:en:agitatus#Latin|agitatis]],
**これらの事柄が論議されて、
*[[wikt:en:profiteor#Latin|profitentur]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]],
**カルヌーテース族の者が公言したことには、
*se [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculum]] [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa [[wikt:en:recusare#Latin|recusare]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の安全のためにはいかなる危険をも辞さない、
*[[wikt:en:princeps#Latin|principes]]<nowiki>que</nowiki> ex omnibus bellum [[wikt:en:facturus#Latin|facturos]] [[wikt:en:pollicentur|pollicentur]];
**かつ<small>(ガッリア方)</small>総勢の先鋒として戦争を遂行するであろうと約束する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> et, [[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] in [[wikt:en:praesentia#Noun|praesentia]] [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:cavere#Verb_2|cavere]] inter se non [[wikt:en:possint|possint]],
**目下のところ、人質により互いに保証し合うことはできなかったので、
*ne res [[wikt:en:efferatur|efferatur]],
**事が漏らされないように、
*<u>ut</u> [[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] ac [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:sanciatur|sanciatur]], [[wikt:en:petunt|petunt]],
**誓約と信義でもって批准するように求める。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本ST<sup>c</sup> では ut だが、<br> 写本 T<sup>1</sup>・ρ系では at 、<br> 写本BMLNV・χ系では aut となっている。)</span>
*[[wikt:en:conlatus#Latin|conlatis]] [[wikt:en:militaris#Adjective|militaribus]] [[wikt:en:signum#Latin|signis]],
**軍旗が運び集められて、
*[[wikt:en:quo#Etymology_2_2|quo]] [[wikt:en:mos#Latin|more]] eorum [[wikt:en:gravissimus#Latin|gravissima]] [[wikt:en:caerimonia#Latin|caerimonia]] [[wikt:en:continetur|continetur]],
**それは彼らの慣習で最も荘重な<ruby><rb>神聖儀式</rb><rp>(</rp><rt>カエリモーニア</rt><rp>)</rp></ruby>として保たれているのだが、
*ne [[wikt:en:factus#Latin|facto]] [[wikt:en:initium#Latin|initio]] belli ab reliquis [[wikt:en:deserantur|deserantur]].
**開戦したら、ほかの<small>(部族の)</small>者たちから見放されないように、ということである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Tum [[wikt:en:conlaudatus#Latin|conlaudatis]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]],
**それから、カルヌーテース族が賞賛されて、
*[[wikt:en:datus#Participle|dato]] [[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] ab omnibus, qui [[wikt:en:aderant|aderant]],
**訪れていたすべての者たちによって誓約が交わされて、
*[[wikt:en:tempus#Latin|tempore]] eius rei [[wikt:en:constitutus#Participle|constituto]]
**その事の時期を決定すると、
*ab [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] [[wikt:en:disceditur|disceditur]].
**<small>(ガッリアの領袖たちは)</small>会合から立ち去る。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
[[画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|thumb|right|280px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌーテース族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]で、ガッリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2025-11-17}}</span>
;カルヌーテース族がケナブム進駐
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:ubi#Latin|Ubi]] ea dies venit,
**その日が来ると、
*[[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]],
**カルヌーテース族は、
*Cotuato et Conconnetodumno [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]], [[wikt:en:desperatus#Latin|desperatis]] hominibus,
**捨て身覚悟の連中であるコトゥアトゥスとコンコンネトドゥムヌスを指導者として、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ガリア語では、<br> コトゥアトス ''[[w:fr:Cotuatos|Cotuatos]]''、<br> コンコンネトドゥムノス ''[[w:fr:Conconnetodumnos|Conconnetodumnos]]''。)</span>
*<u>Cenabum</u> [[wikt:en:signum#Latin|signo]] [[wikt:en:datus#Participle|dato]] [[wikt:en:concurrunt|concurrunt]]
**号令が発せられるとともに<u>ケナブム</u>に襲来する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ケナブムは、現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:fr:Cenabum|Cenabum]] はケルト語風の読みで、''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vossius|Vossius]]'' による修正提案。<br> 写本では genabim, genebim, genebin などとなっている。<br> ⇒ [[wikt:en:Genabum#Latin|Genabum]])</span>
*[[wikt:en:civis#Latin|cives]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanos]], qui [[wikt:en:negotiandi|negotiandi]] causa [[wikt:en:ibi#Latin|ibi]] [[wikt:en:constiterant|constiterant]],
**そこには、商いを営むためにローマ市民たちが滞在していて、
*in his [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Fufius#Latin|Fufium]] Citam, [[wikt:en:honestus#Latin|honestum]] [[wikt:en:eques#Latin|equitem]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanum]],
**彼らの中には、気高いローマ人[[w:エクィテス|騎士]]ガーイウス・フーフィウス・キタがいて
*qui rei [[wikt:en:frumentarius#Latin|frumentariae]] [[wikt:en:iussus#Noun|iussu]] Caesaris [[wikt:en:praeerat|praeerat]],
**カエサルの指図により糧秣調達を統率していたが、
*[[wikt:en:interficiunt|interficiunt]] [[wikt:en:bonum#Noun_2|bona]]<nowiki>que</nowiki> eorum [[wikt:en:diripiunt|diripiunt]].
**<small>(カルヌーテース勢は彼らローマ市民たちを)</small>殺害して、彼らの財産を略奪する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Celeriter ad omnes Galliae [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] [[wikt:en:fama#Latin|fama]] [[wikt:en:perfertur|perfertur]].
**速やかに全ガッリア部族のもとへ、評判が報知される。
*Nam, <u>ubique</u> [[wikt:en:maior#Latin|maior]] atque [[wikt:en:inlustrior|inlustrior]] [[wikt:en:incidit#Etymology_1|incidit]] res,
**なぜなら、より重大でより目立った事態が起こればどこであろうが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω の大半では [[wikt:en:ubique#Latin|ubique]] だが、写本STでは [[wikt:en:ubi#Latin|ubi]] 、<br> さらに [[wikt:en:ubicumque#Latin|ubicumque]] という異読もあり、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Schneider,K.E.Chr.|Chr. Schneider]]'' は ubi quae と修正提案している。)</span>
*[[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] per [[wikt:en:ager#Latin|agros]] [[wikt:en:regio#Latin|regiones]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:significant#Latin|significant]];
**耕地や<small>(集落の)</small>区域を介して、大声で呼びかける。
*<u>hinc</u> [[wikt:en:alius#Latin|alii]] [[wikt:en:deinceps#Latin|deinceps]] [[wikt:en:excipiunt|excipiunt]]
**ここから、別の者たちが続けて引き受けて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の大半では [[wikt:en:hanc#Latin|hanc]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:hinc#Latin|hinc]] 「ここから」、<br> 写本Sでは [[wikt:en:hunc|hunc]] となっている。)</span>
*et [[wikt:en:proximus#Noun|proximis]] [[wikt:en:tradunt|tradunt]];
**近隣の者たちへ伝える。
*ut tum [[wikt:en:accidit#Etymology_1|accidit]].
**そのときにも<small>(同様のことが)</small>起こったのである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Nam, quae <u>Cenabi</u> [[wikt:en:oriens#Latin|oriente]] [[wikt:en:sol#Latin|sole]] gesta essent,
**ケナブムで日が昇るときになされていたこと<small>〔襲撃〕</small>が、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:Cenabi はケルト語風の読みで、''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vossius|Vossius]]'' による修正提案。<br> 主要写本ω では genabi となっている。 ⇒ [[wikt:en:Genabum#Latin|Genabum]])</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:gestus#Latin|gesta]] [[wikt:en:essent#Etymology_1|essent]] は [[wikt:en:gero#Latin|gerō]] の3人称・複数・過去完了・受動・接続法。)</span>
*ante [[wikt:en:primus#Latin|primam]] [[wikt:en:confectus#Latin|confectam]] [[wikt:en:vigilia#Latin|vigiliam]]
**第一夜警時の終わる前頃には
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第一夜警時は、日の入から真夜中までの時間帯の前半「宵の口」。<br> [[古代ローマの不定時法#夜警時|#夜警時]] を参照。)</span>
*in finibus [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] audita sunt,
**アルウェルニー族の領土において聞かれた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:auditus#Latin|audita]] [[wikt:en:sunt#Latin|sunt]] は [[wikt:en:audio#Latin|audiō]] の3人称・複数・完了・受動・直説法)</span>
*[[wikt:en:qui#Latin|quod]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatium]] est [[wikt:en:mille#Latin|milium]] [[wikt:en:passus#Etymology_2|passuum]] circiter [[wikt:en:centum#Latin|centum]] [[wikt:en:sexaginta#Latin|sexaginta]](CLX).
**約160ローママイルもの隔たりがあったのに。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、160マイルは約240 km)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起==
===4節===
[[画像:Vercingetorix stater CdM.jpg|thumb|right|200px|“<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">(VERCIN)GETORIXS</span>”の名と横顔が刻まれた金貨。]]
[[画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガッリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガッリア起源説]])、ガッリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])]]
[[画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2025-11-24}}</span>
;アルウェルニー族のウェルキンゲトリークスが挙兵、ガッリア諸部族同盟軍を指揮する
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:similis#Latin|Simili]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] ibi
**そこ<small>〔アルウェルニー族領〕</small>でも同様のやり方によって、
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]という、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ガリア語 [[wikt:en:Reconstruction:Gaulish/Werkingetorix|*Werkingetorīx]] は「戦士たちの最高の王」という意味で、<br> ガッリア同盟軍の最高司令官にふさわしい呼び名である。<br> 《[[ガリア戦記/ガリア語の名前#Vercingetorix|'''ガリア語の名前'''#Vercingetorix]]》 を参照せよ。)</span>
*[[wikt:fr:Celtillus|Celtilli]] filius, [[wikt:en:Arvernus#Latin|Arvernus]],
**ケルティッルスの息子で[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の者で、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Celtillus|Celtillus]]'' はガリア語で「小さなケルト人」という意味だと解される。)</span>
*[[wikt:en:summus#Adjective|summae]] [[wikt:en:potentia#Latin|potentiae]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescens]],
**最高の影響力のある青年が、
*cuius [[wikt:en:pater#Latin|pater]] [[wikt:en:principatus#Latin|principatum]] Galliae [[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] [[wikt:en:obtinuerat|obtinuerat]]
**──その父<small>〔ケルティッルス〕</small>はガッリア全体の主導権を占めていたが、
*et ob eam causam, quod [[wikt:en:regnum#Latin|regnum]] [[wikt:en:adpetebat|adpetebat]], ab [[wikt:en:civitas#Latin|civitate]] erat [[wikt:en:interfectus#Latin|interfectus]],
**王位を求めたという理由により、部族の者によって誅殺されていたのであるが、──
*[[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] suis [[wikt:en:cliens#Latin|clientibus]]
**自らの庇護者たちを招集して、
*facile [[wikt:en:incendit|incendit]].
**容易に焚き付けた。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]]
**彼の計画を知ると、
*ad [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:concurritur|concurritur]].
**<small>(人々は)</small>武器のもとへ群がり集まった。
*[[wikt:en:prohibetur|Prohibetur]] ab [[wikt:fr:Gobannitio|Gobannitione]], [[wikt:en:patruus#Latin|patruo]] suo, [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:princeps#Noun_3|principibus]],
**彼の<small>(父方の)</small>おじゴバンニティオやほかの領袖たちにより妨げられた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Gobannitio|Gobannitio]]'' は「鍛冶屋」か「鍛冶の神」に由来する名前と解される。)</span>
*qui hanc [[wikt:en:temptandus#Latin|temptandam]] [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunam]] non [[wikt:en:existimabant|existimabant]];
**その者たちは、このような運命を試すべきとは考えていなかったのだ。
*[[wikt:en:expellitur|expellitur]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:Gergovia#Latin|Gergovia]];
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>城塞都市ゲルゴウィアから追放される。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> non [[wikt:en:destitit|destitit]] tamen
**しかしながら<small>(彼は計画を)</small>取り止めず、
*atque in agris habet [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] [[wikt:en:egens#Latin|egentium]] ac [[wikt:en:perditor#Noun|perditorum]].
**野に貧窮者たちやならず者たちを徴集する。
:
*Hac [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]],
**こうした手勢が集められ、
*[[wikt:en:quoscumque|quoscumque]] [[wikt:en:adit#Latin|adit]] ex civitate,
**部族のうちで<small>(彼が)</small>会った者は誰であれ、
*ad suam [[wikt:en:sententia#Latin|sententiam]] [[wikt:en:perducit|perducit]];
**自らの意図に引き込んだ。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:hortatur|hortatur]] ut [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:libertas#Latin|libertatis]] causa [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:capiant|capiant]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の自由のために武器を取るように鼓舞した。
*[[wikt:en:magnus#Latin|magnis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] [[wikt:en:copia#Latin|copiis]]
**大軍勢が集められて、
*[[wikt:en:adversarius#Latin|adversarios]] suos, a quibus paulo ante erat [[wikt:en:eiectus#Latin|eiectus]],
**少し前に<small>(彼をゲルゴウィアから)</small>放逐したところの敵対者たちを、
*[[wikt:en:expellit|expellit]] ex civitate.
**部族から追放する。
*[[wikt:en:rex#Latin|Rex]] ab suis [[wikt:en:appellatur|appellatur]].
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>配下の者たちから王と呼ばれている。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:dimittit|Dimittit]] [[wikt:en:quoque#Latin|quoque]] [[wikt:en:versus#Adverb|versus]] [[wikt:en:legatio#Latin|legationes]];
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>あらゆる方向へ使節団を派遣して、
*[[wikt:en:obtestatur|obtestatur]] ut in [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:maneant|maneant]].
**誓約に留まるようにと、懇願する。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Celeriter sibi
**速やかに、自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>に対して
*[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisios]], [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictones]], [[wikt:en:Cadurci#Latin|Cadurcos]], <u>Turonos</u>, [[wikt:en:Aulerci#Latin|Aulercos]], [[wikt:en:Lemovices#Latin|Lemovices]], <u>Andes</u>
**セノネース族、パリースィイー族、ピクトネース族、カドゥルキー族、<br><u>トゥロニイー族</u>、アウレルキー族、レモウィーケース族、アンデース族、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部のトゥロニイー族 ''[[w:Turoni|Turoni]]'' は、トゥロネース族 ''[[wikt:en:Turones#Latin|Turonēs]]'' ともいう。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:二つ目の下線部は、α系写本では [[wikt:en:Andi#Latin|Andos]]「アンディー族」だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Glareanus|Glareanus]]'' は、[[wikt:en:Andes#Latin|Andēs]]「アンデース族」と修正提案し、<br> これは別名「アンデカーウィー族」''[[wikt:en:Andecavi#Latin|Andecāvī]]'' ともいう。)</span>
*reliquosque omnes, qui [[wikt:en:Oceanus#Latin|Oceanum]] [[wikt:en:adtingunt|adtingunt]], [[wikt:en:adiungit|adiungit]];
**および<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に接するほかの全部族を、加盟させる。
*omnium [[wikt:en:consensus#Latin|consensu]]
**すべての者たちの同意により、
*ad eum [[wikt:en:defertur|defertur]] [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]].
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>に<small>(諸部族の)</small>軍勢指揮権が譲り渡される。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Qua [[wikt:en:oblatus#Latin|oblata]] [[wikt:en:potestas#Latin|potestate]]
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>その権限が任されると、
*omnibus his civitatibus [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:imperat|imperat]],
**これらすべての部族に人質<small>(の供出)</small>を命令して、
*[[wikt:en:certus#Latin|certum]] numerum [[wikt:en:miles#Latin|militum]] ad se celeriter [[wikt:en:adduci#Latin|adduci]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]],
**兵の一定の数が自分のもとへ速やかに動員されることを命じる。
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> [[wikt:en:arma#Latin|armorum]] [[wikt:en:quantum#Latin|quantum]] [[wikt:en:quisque#Latin|quaeque]] civitas [[wikt:en:domi#Latin|domi]] [[wikt:en:quisque#Latin|quodque]] ante tempus [[wikt:en:efficiat|efficiat]], [[wikt:en:constituit#Latin|constituit]];
**おのおのの部族が本国で、武器のどれほどをその時期の前に生産するかを、決定した。
*in primis [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatui]] [[wikt:en:studet|studet]].
**とりわけ、[[w:騎兵|騎兵隊]]を熱心に求めた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Summae diligentiae summam [[wikt:en:imperium#Latin|imperii]] [[wikt:en:severitas#Latin|severitatem]] addit;
**<small></small>(ウェルキンゲトリークスは)最高の入念さに、命令の最高の厳格さを付け加える。
*magnitudine [[wikt:en:supplicium#Latin|supplicii]] [[wikt:en:dubitans#Latin|dubitantes]] cogit.
**重大な刑罰をふんぎりが付かぬ者たちへ強いる。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Nam maiore commisso delicto <u>igni</u> atque omnibus tormentis necat,
**すなわち、より重大な違反を犯したら、火とあらゆる拷問によって誅殺した。
*leviore de causa auribus desectis aut singulis effossis oculis domum remittit,
**より軽微な場合については、両耳を切り取り、あるいは眼を一つずつ繰り抜いて、郷里へ送還する。
*ut sint reliquis documento et magnitudine poenae perterreant alios.
**ほかの者たちへの警告となり、懲罰の重大さが別の者たちを畏怖させるようにである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2025-12-14}}</span>
;ビトゥリゲース族が、ガッリア同盟軍に寝返る
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His [[wikt:en:supplicium#Latin|suppliciis]] celeriter [[wikt:en:coactus#Latin|coacto]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>これらの刑罰により速やかに軍隊を徴集して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「軍隊」と訳される [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitus]] には「鍛えられて規律がある」という意味合いがあり、<br> これまでカエサルがガッリア人の軍勢をこのように表現したことはまれであった。)</span>
*[[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterium]] [[wikt:en:Cadurcus#Latin|Cadurcum]], [[wikt:en:summus#Latin|summae]] hominem [[wikt:en:audacia#Latin|audaciae]],
**この上なく豪胆な人物であるカドゥルキー族のルクテリウスを
*cum parte [[wikt:en:copiarum#Noun_2|copiarum]] in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenos]] [[wikt:en:mittit|mittit]];
**軍勢の一部とともにルテーニー族のところに遣わす。
*ipse in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自身はビトゥリゲース族のところに出発する。
:
; ビトゥリゲース族が、ハエドゥイー族に、対ウェルキンゲトリークスのための援兵を依頼
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の到来により、
*[[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] ad [[wikt:en:Aeduos|Haeduos]], quorum erant in [[wikt:en:fides#Latin|fide]],
**ビトゥリゲース族は、彼らが庇護下にあった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のもとへ、
*[[wikt:en:legatus#Latin|legatos]] [[wikt:en:mittunt|mittunt]] [[wikt:en:subsidium#Latin|subsidium]] [[wikt:en:rogatum#Verb|rogatum]],
**使節たちを、<small>(ハエドゥイー族からの)</small>援兵を依頼するために派遣する。
*[[wikt:en:quo#Adverb|quo]] [[wikt:en:facile#Latin|facilius]] hostium copias [[wikt:en:sustinere|sustinere]] [[wikt:en:possint|possint]].
**それにより、敵の軍勢をより容易に持ちこたえることができるようにということであった。
:
; ハエドゥイー族が、ビトゥリゲース族に対して援兵を派兵
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:Aedui#Latin|Haedui]] de [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:legatus#Latin|legatorum]], quos Caesar ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:reliquerat|reliquerat]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、カエサルが軍隊のもとへ残していた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちの助言により、
*copias [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:subsidium#Latin|subsidio]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:mittunt|mittunt]].
**[[w:騎兵|騎兵隊]]と[[w:歩兵|歩兵隊]]の軍勢をビトゥリゲース族に対する援兵として派遣する。
:
; ハエドゥイー族の援兵が、ビトゥリゲース族の寝返りを怖れて、途中で逃げ帰ってしまう
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Qui cum ad flumen [[wikt:en:Liger#Latin|Ligerim]] [[wikt:en:venissent|venissent]], quod [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] ab [[wikt:en:Aeduis|Haeduis]] [[wikt:en:dividit#Latin|dividit]],
**その者たち<small>〔援兵〕</small>は、ビトゥリゲース族を[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]から分け隔てるリゲル川のたもとへやって来たときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リゲル川 [[w:la:Liger|Liger]] は、現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]。<br> 本書に登場するビトゥリゲース・クビ族 ''[[w:en:Bituriges Cubi|Bituriges Cubi]]'' は、<br> ロワール川西岸の[[w:シェール県|シェール県]]の辺りに居住していた。<br> 対して、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、<br> ロワール川東岸の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の辺りに居住していた。)</span>
[[画像:Map of Eduens people-fr.svg|thumb|right|250px|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を軸とするガッリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイー族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲース族(Bituriges)と赤いハエドゥイー族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲース族とアルウェルニー族の勢力圏になっている。]]
*paucos dies ibi [[wikt:en:moratus#Participle|morati]]
**わずかな日々をそこでぐずぐずして、
*neque flumen [[wikt:en:transire#Latin|transire]] [[wikt:en:ausus#Participle|ausi]] [[wikt:en:domus#Latin|domum]] [[wikt:en:revertuntur|revertuntur]]
**川をあえて渡らずに、故国に引き返す。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:legatus#Latin|legatis]]<nowiki>que</nowiki> nostris [[wikt:en:renuntiant|renuntiant]]
**<small>(ハエドゥイー族の援兵たちが)</small>我が方<small>〔ローマ方〕</small>の<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに報告したことには、
*se [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidiam]] [[wikt:en:veritus#Latin|veritos]] [[wikt:en:revertisse|revertisse]],
**自分たち<small>〔援兵〕</small>は、ビトゥリゲース族の寝返りを恐れて引き返した。
*quibus id [[wikt:en:consilium#Latin|consilii]] fuisse [[wikt:en:cognoverint|cognoverint]],
**彼らには、以下のような謀計があったことを探知したのだ。
*ut, si flumen [[wikt:en:transissent#Latin|transissent]], una ex parte ipsi, altera [[wikt:en:Arverni#Latin|Arverni]] se [[wikt:en:circumsisterent|circumsisterent]].
**もし川を渡ったら、一方から<small>(ビトゥリゲース族)</small>自身が、他方から[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]が自分たちを包囲するというものだ、と。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Id ea<span style="background-color:#ffa;">[[wikt:la:-ne|ne]]</span> de causa, quam [[wikt:en:legatus#Latin|legatis]] <u>pronuntiarunt</u>,
**そのことは<small>(援兵たちが)</small><ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに報告した理由によって<small>(なしたのか?)</small>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:-ne#Latin|-ne]] ~ [[wikt:en:an#Latin|an]] …;~であるか、あるいは…であるか。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:pronuntiarunt|pronuntiarunt]]<sub> (直接法・完了形)</sub> は古い印刷本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.vett.]]'' の記述で、<br> α系写本では [[wikt:en:pronuntiarint|pronuntiarint]]<sub> (接続法・完了形)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:pronuntiaverint|pronuntia<u>ve</u>rint]]<sub> (接続法・完了形)</sub> となっている。)</span>
*<span style="background-color:#ffa;">[[wikt:la:an|an]]</span> [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidia]] [[wikt:en:adductus#Latin|adducti]] [[wikt:en:fecerint|fecerint]],
**あるいは<small>(ビドゥリゲース族の)</small>寝返りに動かされて、なしたのか?
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] [[wikt:en:nihil#Latin|nihil]] nobis [[wikt:en:constat#Latin|constat]],
**我々<small>〔ローマ人〕</small>には何ら定かではないので、
*non [[wikt:en:videtur|videtur]] pro [[wikt:en:certus#Latin|certo]] esse <u>proponendum</u>.
**確言するべきであるとは思われない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ pro certo ponere;~を確かであると主張する)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:proponendum|<u>pro</u>ponendum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:ponendum|ponendum]] となっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ビトゥリゲース族が、ローマ人やハエドゥイー族から離反して、アルウェルニー族と同盟してしまう
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] eorum [[wikt:en:discessus#Noun|discessu]]
**ビトゥリゲース族は、彼ら<small>〔援兵〕</small>の撤収により、
*[[wikt:en:statim#Latin|statim]] <u>se</u> cum [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] <u>coniunguntur</u>.
**ただちに[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]と<small>(同盟を)</small>結んだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:iunguntur|iunguntur]] だが、<br> β系写本では se ~ [[wikt:en:coniungunt|coniungunt]] となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2025-12-15}}</span>
[[画像:Warsaw Royal Castle GM (12).JPG|thumb|right|200px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。]]
;諸軍団と分断されて苦慮するカエサル
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus in Italiam Caesari [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiatis]],
**これらの事情がイタリアにいるカエサルへ知らされると、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ここでいうイタリアとは、<br> カエサルの属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことである。)</span>
*cum iam ille [[wikt:en:urbanus#Latin|urbanas]] res [[wikt:en:virtus#Latin|virtute]] [[wikt:en:Gnaei#Latin|Gnaei]]<sub> ([[wikt:en:Cn.#Latin|Cn.]])</sub> [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompei]] [[wikt:en:commodior#Latin|commodiorem]] in [[wikt:en:status#Noun_11|statum]] [[wikt:en:pervenisse#Latin|pervenisse]] [[wikt:en:intellegeret|intellegeret]],
**彼は、もはや都<small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の事態は[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の果断さによってより相応な状態に至ったと認識したので、
*in [[wikt:en:Gallia_transalpina#Latin|Transalpinam Galliam]] [[wikt:en:profectus#Latin|profectus]] est.
**ガッリア・トラーンサルピーナ<small>〔アルプスの向こう側のガッリア〕</small>に出発した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#1節|1節]]②項で言及された Galliam Transalpinam は<br> アルプスの西側「長髪のガッリア」全般を指すと思われるが、<br> ここではどちらかといえば<br> ガッリア南部のローマ属州ガッリア・トラーンサルピーナ<br> すなわち後の[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・ナルボーネーンスィス]]を指す。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:venisset|venisset]],
**<small>(カエサルが)</small>そこに来たときに、
*magna [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultate]] [[wikt:en:adficiebatur|adficiebatur]], qua [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:pervenire#Latin|pervenire]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]].
**どのような方策で軍隊のもとへ到達することができるか、という大きな困難に苦悩させられていた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Nam, si [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] in [[wikt:en:provincia#Latin|provinciam]] [[wikt:en:arcesseret|arcesseret]],
**なぜなら、もし、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を属州<small>〔ガッリア・トラーンサルピーナ〕</small>に呼び寄せるのならば、
*se [[wikt:en:absens#Latin|absente]] in [[wikt:en:iter#Latin|itinere]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] [[wikt:en:dimicaturus#Latin|dimicaturas]] [[wikt:en:intellegebat|intellegebat]];
**自分<small>〔カエサル〕</small>が不在のままで、行軍中に戦闘を闘うことになるであろうと理解していた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> si ipse ad exercitum [[wikt:en:contenderet|contenderet]],
**もし<small>(カエサル)</small>自身が<small>(大部隊の護衛なしで)</small>軍隊のもとへ急いで行くのならば、
*<u>ne</u> iis <u>quidem</u> eo tempore qui quieti [[wikt:en:viderentur|viderentur]],
**そのときには、中立を保っていると見られる者たちでさえも、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:iis#Latin|iis]] はβ系写本の記述で、α系写本では [[wikt:en:his#Latin|his]] となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quietus#Latin|quietus, quieti]]「平和的な、中立的な」)</span>
*suam [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:recte#Latin|recte]] [[wikt:en:committi|committi]] [[wikt:en:videbat|videbat]].
**自分の身の安全を良く託されるとは思えなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:前年まで、すなわち第6巻までの戦争は主としてガッリア北部・中部などで闘われていたので、<br> [[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で既述のように、ローマ諸軍団はガッリア北部・中部周辺に冬営させられていた。<br> 今回は軍団が駐留していないガッリア中南部を中心に反乱が起こったので、<br> カエサルと諸軍団は分断された。<br> そのため、カエサルが大部隊の護衛なしで北上すれば、<br> 同盟部族にさえ寝首を掻かれる怖れがあったのである。)
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2025-12-19}}</span>
;ルクテリウスとカエサルのナルボーをめぐる駆け引き
[[画像:Narbonne_panorama.jpg|thumb|right|300px|'''ナルボー'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボー・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。]]
[[画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|thumb|right|200px|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパーニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。]]
:
; カドゥルキー族のルクテリウスが、ルテーニー族を同盟に引き入れる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:interim#Latin|Interim]] [[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterius]] [[wikt:en:Cadurcus#Latin|Cadurcus]]
**その間に、カドゥルキー族のルクテリウスが
*in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenos]] [[wikt:en:missus#Participle|missus]]
**ルテーニー族のところに遣わされて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]の冒頭で述べられた。<br> ルテーニー族 ''[[w:en:Ruteni|Ruteni]]'' は現在の[[w:アヴェロン県|アヴェロン県]]の<br> [[w:ロデーズ|ロデーズ]]辺りにいたとされる。)</span>
*eam [[wikt:en:civitas#Latin|civitatem]] [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] [[wikt:en:conciliat|conciliat]].
**その部族に[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]との仲を取り持つ。
:
; ルクテリウスが、ローマ属州内の拠点都市ナルボーを目指す
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:progressus#Participle|Progressus]] in [[wikt:en:Nitiobriges#Latin|Nitiobriges]] et [[wikt:en:Gabali#Latin|Gabalos]]
**<small>(彼は)</small>ニティオブリゲース族とガバリー族のところに進んで行き、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ニティオブリゲース族<br> またはニティオブロゲース族 ''[[w:en:Nitiobroges|Nitiobroges]]'' は<br> 現在の[[w:ロット=エ=ガロンヌ県|ロット=エ=ガロンヌ県]][[w:アジャン|アジャン]]辺り、<br> ガバリー族 ''[[w:en:Gabali|Gabali]]'' は現在の[[w:ロゼール県|ロゼール県]]辺りにいたらしい。)</span>
*ab [[wikt:en:uterque#Latin|utrisque]] [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:accipit|accipit]]
**双方から人質たちを受け取って、
*et, magna [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]],
**多くの手勢を徴集すると、
*in [[wikt:en:provincia#Latin|provinciam]] [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]] [[wikt:en:versus#Latin|versus]] [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionem]] facere [[wikt:en:contendit|contendit]].
**<small>(ローマ人の)</small>[[w:属州|属州]]内のナルボーに向かって出撃することを急ぐ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナルボー [[w:la:Narbo|Narbo]] は、ローマ人が建設した地中海岸の植民市で、<br> ヒスパーニアとイタリアを結ぶ拠点であった。<br> 現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]。)</span>
:
; カエサルもナルボーを目指す
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Qua re [[wikt:en:untiatus#Latin|nuntiata]]
**その事を報告されると、
*Caesar omnibus [[wikt:en:consilium#Latin|consiliis]] [[wikt:en:antevertendus#Latin|antevertendum]] <span style="color:#009900;font-size:8pt;">(esse)</span> [[wikt:en:existimavit|existimavit]], ut [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]] [[wikt:en:proficisceretur|proficisceretur]].
**カエサルは、ナルボーに出発することを、あらゆる計画に先立ってするべきであると考えた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:venisset|venisset]],
**<small>(カエサルは)</small>そこへやって来ると、
*[[wikt:en:timens#Latin|timentes]] [[wikt:en:confirmat#Latin|confirmat]],
**<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ている者たちを元気付けて、
*[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidia]]
**守備隊を
*in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenis]] [[wikt:en:provincialis#Latin|provincialibus]], [[wikt:en:Volcae#Latin|Volcis]] [[wikt:en:Arecomici#Latin|Arecomicis]], [[wikt:en:Tolosates#Latin|Tolosatibus]]
**属州側のルテーニー族、[[w:ウォルカエ族|ウォルカエ]]・アレコミキー族、トローサーテース族<small>(らの領内)</small>に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上述のように、属州外の<u>ルテーニー族</u>は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]と結んでいる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウォルカエ族|ウォルカエ族]]は、西側に住むテクトサゲース族 ''[[w:en:Tectosages|Tectosages]]'' と<br> 東側に住むアレコミキー族 ''[[w:en:Arecomici|Arecomici]]'' の2支族に分かれていた。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:トローサーテース族 ''[[w:fr:Tolosates|Tolosates]]'' は、ウォルカエ・テクトサゲース族の分派とされ、<br> 現在の[[w:トゥールーズ|トゥールーズ]]の近くにいたと考えられている。)</span>
*[[wikt:en:circum#Preposition|circum]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]], quae [[wikt:en:locum#Latin|loca]] hostibus erant [[wikt:en:finitimus#Latin|finitima]],
**および敵方に隣接した地である[[w:ナルボンヌ|ナルボー]]周辺に
*[[wikt:en:constituit#Latin|constituit]];
**駐留させる。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> partem [[wikt:en:copiae#Noun_2|copiarum]] ex [[wikt:en:provincia#Latin|provincia]]
**属州<small>〔ガッリア・トラーンサルピーナ〕</small>からの軍勢の一部、
*[[wikt:en:supplementum#Latin|supplementum]]<nowiki>que</nowiki>, quod ex Italia [[wikt:en:adduxerat|adduxerat]],
**およびイタリアから率いて来た補充兵を
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後者の補充兵 supplementum は、[[#1節|1節]]で既述のように、<br> [[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]で徴募された軍団兵であろう。)</span>
*in [[wikt:en:Helvii#Latin|Helvios]], qui fines [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] [[wikt:en:contingunt|contingunt]],
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の領土に接しているヘルウィイー族のところに
*[[wikt:en:convenire#Latin|convenire]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**集結することを命じる。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2026-01-03}}</span>
[[画像:Carte-cevennes-france.png|thumb|right|200px|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置]]
[[画像:Col_de_legal.jpeg|thumb|right|200px|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](Arverni)に由来する。]]
[[画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|thumb|right|200px|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖]]
[[画像:France_Massif_central.jpg|thumb|right|200px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。]]
:
;カエサルがケウェンナ山地を越えてアルウェルニー族の領内へ突入
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus [[wikt:en:comparatus#Latin|comparatis]],
**これらの事が整えられて、
*[[wikt:en:repressus#Latin|represso]] iam [[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterio]] et [[wikt:en:remotus#Latin|remoto]],
**<small>(カドゥルキー族の)</small>ルクテリウスはすでに押し留められ、遠ざけられた。
*quod [[wikt:en:intrare#Latin|intrare]] intra [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidia]] [[wikt:en:periculosus#Latin|periculosum]] [[wikt:en:putabat|putabat]],
**──というのは<small>(ローマ人の)</small>守備の範囲内に踏み込むことは危険なことであると<small>(ルクテリウスが)</small>見なしていたからであるが、──
*in [[wikt:en:Helvii#Latin|Helvios]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**<small>(そこで、カエサルは)</small>ヘルウィイー族のところに出発する。
:
; カエサルが、アルウェルニー族の要害ケウェンナ山を越える
*<!--❷--><sup>(2)</sup> <u>Etsi</u> mons <u>Cevenna</u>, qui [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernos]] ab [[wikt:en:Helvii#Latin|Helviis]] [[wikt:en:discludit|discludit]],
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]をヘルウィイー族から隔てている<u>ケウェンナ山</u>は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:山の名は写本によって Cebenna または Cevenna となっており、<br> [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が記した [[wikt:en:Cebenna#Latin|Cebenna]] がガリア語に近いようである。<br> 現在名はセヴェンヌ山地 Cévennes と呼ばれ、<br> [[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]](Massif Central)の南東部にそそり立っている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~ [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …「~としても、にもかかわらず…」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:mons#Latin|mons]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*[[wikt:en:durissimus#Latin|durissimo]] tempore anni
**最も厳しい時季に
*[[wikt:en:altissimus#Latin|altissima]] [[wikt:en:nix#Latin|nive]] iter [[wikt:en:impediebat|impediebat]],
**豪[[w:雪|雪]]によって道を閉ざしていたのであるが、
*<u>tamen</u> [[wikt:en:discussus#Latin|discussa]] [[wikt:en:nix#Latin|nive]] sex in [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudinem]] [[wikt:en:pes#Latin|pedum]]
**にもかかわらず<small>(カエサル勢は)</small>深さ6<u>ペース</u>の雪を粉砕して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、6ペースは約1.8メートル弱。)</span>
*atque ita [[wikt:en:via#Latin|viis]] [[wikt:en:patefactus#Latin|patefactis]] [[wikt:en:summus#Latin|summo]] [[wikt:en:miles#Latin|militum]] <u>sudore</u>
**このように兵士たちの最大の努力によって道が開かれて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:sudor#Latin|sudore]]「汗」だが、<br> β系写本では [[wikt:en:labor#Latin|labore]]「労苦」 となっている。)</span>
*ad fines [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] [[wikt:en:pervenit#Latin|pervenit]].
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の領土へ到達した。
:
; アルウェルニー族が、カエサルの奇襲に周章狼狽する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Quibus [[wikt:en:oppressus#Latin|oppressis]] [[wikt:en:inopinans#Latin|inopinantibus]],
**<small>(アルウェルニー族は)</small>彼らに対する<small>(カエサルの)</small>攻撃を予期していなかったが、
*quod se <u>Cevenna</u> ut [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:munitus#Latin|munitos]] [[wikt:en:existimabant|existimabant]],
**──というのは、自分たちは<u>ケウェンナ</u>を壁として防御されていると考えていたからであり、
*ac <u>ne</u> [[wikt:en:singularis#Latin|singulari]] <u>quidem</u> [[wikt:en:umquam#Latin|umquam]] homini eo tempore anni [[wikt:en:semita#Latin|semitae]] [[wikt:en:patuerant|patuerant]],
**かつ、その時季には、個人にとってさえも、小道はかつて開かれていなかったからであるが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*[[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] [[wikt:en:imperat|imperat]],
**<small>(カエサルは)</small>騎兵たちに命令する。
*ut, [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] [[wikt:en:late#Latin|latissime]] [[wikt:en:possint|possint]], [[wikt:en:vagentur|vagentur]]
**できるだけ広く動き回り、
*et [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] maximum hostibus [[wikt:en:terror#Latin|terrorem]] [[wikt:en:inferant|inferant]].
**敵たちに最大限の恐怖を引き起こすように、と。
:
; ウェルキンゲトリークスが、ビトゥリゲース族のもとから軍勢を取って返す
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Celeriter haec [[wikt:en:fama#Latin|fama]] ac <u>nuntiis</u>
**これらのことは速やかに風評や伝令たちによって、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では [[wikt:en:nuntii#Latin|nuntii]] だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Manutius|Manutius]]'' が [[wikt:en:nuntiis#Etymology_1|nuntiis]] と修正提案している。)</span>
*ad [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:perferuntur|perferuntur]];
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のもとへ報知される。
*quem [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]] omnes [[wikt:en:Arverni#Latin|Arverni]] [[wikt:en:circumsistunt|circumsistunt]] atque [[wikt:en:obsecrant|obsecrant]],
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>を、脅かされている[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の皆が取り巻いて、嘆願する。
*ut suis [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunis]] [[wikt:en:consulat#Latin|consulat]],
**自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>の境遇に配慮してくれるように、
*<u>neve</u> ab hostibus <u>diripiantur</u>,
**自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>が敵<small>〔ローマ人〕</small>によって略奪されることを許容しないように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この行は、α系写本では [[wikt:en:neve#Latin|neve]] ab hostibus [[wikt:en:diripiantur|diripiantur]] <br> β系写本では [[wikt:en:neu#Latin|neu]] se ab hostibus [[wikt:en:diripi|diripi]] [[wikt:en:patiatur|patiatur]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:praesertim#Latin|praesertim]] cum [[wikt:en:videat|videat]] [[wikt:en:omnis#Latin|omne]] ad se bellum [[wikt:en:translatus#Participle|translatum]].
**とりわけ、すべての戦争が自分たちへ向けられると<small>(彼が)</small>見なしているのであるから
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:praesertim cum ~;とりわけ~であるから)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Quorum ille [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] [[wikt:en:permotus#Latin|permotus]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、その者たちの懇願に揺り動かされて、
*[[wikt:en:castra#Latin|castra]] ex [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:movet|movet]] in [[wikt:en:Arverni#Latin|Arveruos]] [[wikt:en:versus#Latin|versus]].
**陣営をビトゥリゲース族のところから[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のところに向けて行軍する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:castra movet 「陣営を動かす」=「行軍する」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]辺りから[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン]]辺りに南下したようである。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2026-01-12}}</span>
;カエサルが北上して諸軍団と合流するが、同盟軍はゴルゴビナ攻略をめざす
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> At Caesar, [[wikt:en:biduum#Latin|biduum]] in his locis [[wikt:en:moratus#Participle|moratus]],
**それに対して、カエサルは2日間、この地に留まった。
*quod haec de [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]] usu ventura [[wikt:en:opinio#Latin|opinione]] [[wikt:en:praeceperat|praeceperat]],
**──というのは、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]についてこれ<small>〔陣営の移動〕</small>が起こると予想をしていたからだが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:usu venire 「起こる」→ usu [[wikt:en:venturus#Latin|ventūra]] (esse) 「起こるであろう」)</span>
*per causam [[wikt:en:supplementum#Latin|supplementi]] [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:cogendus#Latin|cogendi]]
**補充兵と騎兵隊を徴集するためという口実のもとに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:per causam 「口実のもとに」)</span>
*ab [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]] [[wikt:en:discedit|discedit]];
**軍隊から離れる。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:Brutus#Latin|Brutum]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescentem]] his copiis [[wikt:en:praeficit|praeficit]];
**<small>(カエサルは)</small><u>青年ブルートゥス</u>にこの軍勢を指揮させる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:青年ブルートゥスとは、<br> [[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス]](<small>[[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]]</small>)のことで、<br> [[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]でカエサルの艦隊を指揮した。)</span>
*hunc [[wikt:en:monet#Latin|monet]], ut in omnes partes [[wikt:en:eques#Latin|equites]] quam [[wikt:en:late#Latin|latissime]] [[wikt:en:pervagentur|pervagentur]]:
**彼には、[[w:騎兵|騎兵]]たちがあらゆる方面にできるだけ広く駆け回るようにと、忠告する。
*<u>daturum</u> se <u>operam</u>, ne longius [[wikt:en:triduum#Latin|triduo]] ab [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:absit#Latin|absit]].
**自分<small>〔カエサル〕</small>は、3日間より長く陣営から離れないように、努力をするであろう、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:opera#Latin|operam]] dare 「努力をする」→ operam [[wikt:en:daturus#Latin|datūrum]] (esse) 「努力をするであろう」)</span>
[[画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|thumb|right|300px|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。]]
:
; カエサルが、急いでウィエンナへ北進する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> His [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] rebus,
**これらの事を決定すると、
*<u>omnibus</u> suis [[wikt:en:inopinans#Latin|inopinantibus]],
**配下の皆が予期しないほど、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:omnibus は β系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
*quam [[wikt:en:maximus#Latin|maximis]] potest [[wikt:en:iter#Latin|itineribus]],
**できるかぎりの強行軍で、
*[[wikt:en:Vienna#Etymology_1|Viennam]] [[wikt:en:pervenit#Latin|pervenit]].
**<u>ウィエンナ</u>に到着する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウィエンナ [[w:la:Vienna|Vienna]] は、<br> 現在の[[w:ヴィエンヌ (イゼール県)|ヴィエンヌ]] ''[[w:en:Vienne, Isère|Vienne]]'')</span>
:
; カエサルが、ハエドゥイー族領を抜けて、2個軍団が冬営するリンゴネース族領へ向けて北上する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:ibi#Latin|Ibi]] [[wikt:en:nactus#Latin|nactus]] [[wikt:en:recens#Latin|recentem]] [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatum]], quem [[wikt:en:multus#Latin|multis]] ante diebus eo [[wikt:en:praemiserat|praemiserat]],
**そこで、何日も前にそこに先遣していたまだ新兵の騎兵隊を得て、
[[画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|thumb|right|300px|リンゴネース族(Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色]]
*neque [[wikt:en:diurnus#Latin|diurno]] neque [[wikt:en:nocturnus#Latin|nocturno]] itinere [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]]
**昼間も夜間も行軍を中断せずに、
*per fines [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduorum]]
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領土を通って、
*in [[wikt:en:Lingones#Latin|Lingones]] [[wikt:en:contendit|contendit]],
**<u>リンゴネース族のところ</u>に急いだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リンゴネース族 [[w:la:Lingones|Lingones]] の首邑は<br> 現在の[[w:ラングル|ラングル]] ''[[w:en:Langres|Langres]]'' で、<br> ローマ時代には [[w:la:Andematunnum|Andematunnum]] と呼ばれたが、<br> ''[[wikt:fr:Lingones|Lingones]]'' の転訛が ''[[wikt:fr:Langres|Langres]]'' である。)</span>
*[[wikt:en:ubi#Latin|ubi]] [[wikt:en:duo#Latin|duae]] [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:hiemabant|hiemabant]],
**そこには、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が冬営していた。
*ut, si [[wikt:en:aliquis#Latin|quid]] etiam de sua [[wikt:en:salus#Latin|salute]] ab [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] [[wikt:en:iniretur|iniretur]] [[wikt:en:consilium#Latin|consilii]], [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] [[wikt:en:praecurreret|praecurreret]].
**もし<small>(カエサル)</small>自らの安全についてさえ、ハエドゥイー族により何らかの謀計が始められても、速やかに凌駕するように。
:
; カエサルが、リンゴネース族領の軍団冬営地へ到着して、諸軍団へ集結を指令する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:pervenisset|pervenisset]],
**<small>(カエサルは)</small>そこへ到着したときに、
*ad reliquas [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:mittit|mittit]]
**残りの軍団のもとへ<small>(伝令を)</small>遣わす。
*<u>prius</u>que omnes in unum locum [[wikt:en:cogit|cogit]], <u>quam</u> de eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] [[wikt:en:nuntiari|nuntiari]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]].
**彼の到着について[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]に知らされ得るより早く、総勢が一か所に集結するように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:priusquam#Latin|prius ~ quam]] …;…より早く~)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ウェルキンゲトリークスが、ボイイー族がいるゴルゴビナの攻略を企図する
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Hac re [[wikt:en:cognitus#Participle|cognita]],
**この事を知ると、
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] rursus in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:reducit|reducit]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は再びビトゥリゲース族のところに軍隊を連れ戻して、
*atque [[wikt:en:inde#Latin|inde]] [[wikt:en:profectus#Participle_2|profectus]] Gorgobinam, [[wikt:en:Boii#Latin|Boiorum]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidum]],
**そこから、[[w:ボイイ族|ボイイー族]]の城塞都市であるゴルゴビナへ出発した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ゴルゴビナ ''[[w:en:Gorgobina|Gorgobina]]'' は、現在の候補地としては、<br> [[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリズ=ル=シャテル<small>([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])</small><br> [[w:アンドル=エ=ロワール県|アンドル=エ=ロワール県]]のラ・ゲルシュ([[w:en:La Guerche|La Guerche]])<br> あるいは、[[w:シェール県|シェール県]]のサン=サテュル([[w:fr:Saint-Satur|Saint-Satur]])などが挙げられている。)</span>
*quos ibi [[wikt:en:helvetico|Helvetico]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] [[wikt:en:victus#Participle|victos]]
**──[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]の戦闘で打ち負かされた彼らをそこに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ボイイー族はヘルウェーティイー族とともにガッリアに移動して、カエサルに敗れていた。第1巻28節~29節を参照。)</span>
*Caesar [[wikt:en:conlocaverat#Latin|conlocaverat]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:adtribuerat#Latin|adtribuerat]],
**カエサルは宿営させ、ハエドゥイー族<small>(の庇護)</small>に委ねていたのだが、──
*[[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]].
**<small>(ウェルキンゲトリークスはゴルゴビナの)</small>攻略を決意した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
[[画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|thumb|right|250px|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボー]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリークスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリークスはボイイー族を攻めようとする。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2026-01-16}}</span>
;カエサルがアゲディンクムを発って、ボイイー族支援に向かう
:
; カエサルが抱えることになった「大きな困難」とは?
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Magnam haec res Caesari [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultatem]] ad [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendum]] [[wikt:en:adferebat|adferebat]]<!--:-->,
**この事態は、カエサルが作戦を立てるためには、大きな困難を引き起こしていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:haec res 「この事態」とは、<br> ウェルキンゲトリークスが<br> ハエドゥイー族の庇護下にあったボイイー族を攻めること。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:magnam ~ difficultatem 「大きな困難を」)</span>
*si reliquam partem [[wikt:en:hiems#Latin|hiemis]] uno loco [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:contineret|contineret]],
**もし、冬の残りの期間に、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を1か所に留めておくならば、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:前節で述べられたように、<br> カエサルはリンゴネース族の軍団冬営地に着いたときに、<br> 諸軍団に1か所に集結するべく伝令を遣わしていた。)</span>
*ne, [[wikt:en:stipendiarius#Latin|stipendiariis]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]] [[wikt:en:expugnatus#Latin|expugnatis]], [[wikt:en:cunctus#Latin|cuncta]] Gallia [[wikt:en:deficeret|deficeret]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の朝貢国が攻略されて、ガッリア全体が背くのではないか?
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「ハエドゥイー族の朝貢国」とは、ボイイー族のこと。)</span>
*quod [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] amicis in eo [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidium]] <u>videret positum esse</u>;
**──というのは、彼<small>〔カエサル〕</small>においては、友邦に対するいかなる守備隊も置かれていないと<small>(ガッリアが)</small>見るからである──。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#写本の系図|α系写本]]のうち、χ系・M・B・S写本などでは [[wikt:en:videret|videret]] [[wikt:en:positus#Latin|positum]] esse 、<br> α系写本のうち、写本M・L・Nなどでは [[wikt:en:videretur|videretur]] positum esse 、<br> β系写本では、positum videret となっている。)</span>
*si [[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] ex [[wikt:en:hiberna#Noun|hibernis]] [[wikt:en:educeret|educeret]],
**もし、尚早に冬営地から<small>(諸軍団を)</small>進発させれば、
*ne ab re [[wikt:en:frumentarius#Latin|frumentaria]] [[wikt:en:durus#Latin|duris]] [[wikt:en:subvectio#Latin|subvectionibus]] [[wikt:en:laboraret|laboraret]].
**<small>(降雪時期の)</small>糧秣供給の厄介な輸送によって苦労するのではないか?
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> <u>Praestare</u> [[wikt:en:visus#Participle|visum]] est tamen omnes [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultates]] [[wikt:en:perpeti#Verb|perpeti]],
**しかしながら、あらゆる困難に耐えることの方が<u>優っている</u>ように見える。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~が優る」)</span>
*<u>quam</u> [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] [[wikt:en:contumelia#Latin|contumelia]] [[wikt:en:acceptus#Latin|accepta]] omnium suorum [[wikt:en:voluntas#Latin|voluntates]] [[wikt:en:alienare#Latin|alienare]].
**これほどの恥辱を受けて、配下の皆の意欲を遠ざけてしまう<u>よりは</u>。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Itaque [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduos]] de [[wikt:en:supportandus#Latin|supportando]] [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatu]],
**こうして、<small>(カエサルは)</small>ハエドゥイー族に軍需物資の輸送について、激励して、
*[[wikt:en:praemittit|praemittit]] ad [[wikt:en:Boii#Latin|Boios]], qui de suo [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:doceant|doceant]]
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のもとへ、<small>(カエサル)</small>自らの到着について知らせるための者たちを先遣して、
*[[wikt:en:hortentur|hortentur]]<nowiki>que</nowiki> ut in [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:maneant|maneant]] atque hostium [[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] magno animo [[wikt:en:sustineant|sustineant]].
**<small>(カエサルへの)</small>信義に留まって、敵たちの襲撃に大いなる決意をもって持ちこたえるように、と激励させた。
[[画像:Aqueduc2.jpg|thumb|right|250px|アゲディンクム、すなわちセノネース族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サーンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡。]]
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Duabus [[wikt:en:Agedincum#Latin|Agedinci]] legionibus atque [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:totus#Latin|totius]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitus]] [[wikt:en:relictus#Latin|relictis]],
**アゲディンクムに、2個軍団および軍隊全体の輜重を残すと、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アゲディンクムは敵対するセノネース族の首邑だが、<br> [[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で6個軍団を冬営させていた。<br> 現在の[[w:サンス|サーンス]]。)</span>
*ad [[wikt:en:Boii#Latin|Boios]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のもとへ出発した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
[[画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|thumb|right|250px|ウェッラウノドゥーヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サーンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2026-02-02}}</span>
;セノネース族のウェッラウノドゥーヌムを降し、カルヌーテース族のケナブムを攻略
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:alter#Latin|Altero]] die
**<small>(カエサルは出発して)</small>翌日に、
*cum ad [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidum]] [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunodunum]] [[wikt:en:venisset|venisset]],
**セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌムへやって来たときに、
*ne [[wikt:en:aliquem|quem]] post se hostem [[wikt:en:relinqueret|relinqueret]],
**自らの後方に何らかの敵を残しておかないように、
*[[wikt:en:quo#Latin|quo]] [[wikt:en:expeditior#Latin|expeditiore]] re [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentaria]] [[wikt:en:uteretur|uteretur]],
**そのことにより、妨げなく糧秣供給を享受するように、
*[[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]]
**<small>(同市の)</small>攻囲を決めて、
*<u>idque</u> [[wikt:en:biduum#Latin|biduo]] [[wikt:en:circumvallavit|circumvallavit]];
**それ<small>〔城塞都市〕</small>を2日間で<small>(塁壁で)</small>囲んだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:id#Latin|id]]<nowiki>que</nowiki> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:eo#Etymology_4|eo]]<nowiki>que</nowiki> となっている。)</span>
:
; セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌムが降伏する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:tertius#Latin|tertio]] die
**3日目に、
*[[wikt:en:missus#Participle|missis]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:legatus#Noun|legatis]] de [[wikt:en:deditio#Latin|deditione]],
**城塞都市から降伏についての使節たちが遣わされて来て、
*[[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:conferri|conferri]],
**武器が運び集められること、
*[[wikt:en:iumentum#Latin|iumenta]] [[wikt:en:produci#Latin|produci]],
**役畜が引き渡されること、
*[[wikt:en:sescenti#Latin|sescentos]] [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:dari#Latin|dari]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**600名の人質が供出されることを<small>(カエサルが)</small>命じる。
:
; ウェッラウノドゥーヌムに副官トレボーニスと守備隊を残し、カエサル自身はケナブムへ向かう
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Ea qui [[wikt:en:conficeret|conficeret]],
**それらのことを成就するための者として、
*[[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Trebonius#Latin|Trebonium]] [[wikt:en:legatus#Latin|legatum]] [[wikt:en:relinquit|relinquit]].
**<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby> [[w:ガイウス・トレボニウス|ガーイウス・トレボーニウス]]を<small>(ウェッラウノドゥーヌムに)</small>残留させる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Gaius Trebonius|Gaius Trebonius]] は、カエサルの副官の一人。)</span>
*Ipse, ut quam primum iter <u>faceret</u><ref>faceret はα系写本の表記で、β系写本では conficeret となっている。</ref>,
**<small>(カエサル)</small>自身は、できるだけ素早く<small>(ゴルゴビナへの)</small>行軍を成就するように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quam#Adverb|quam]] [[wikt:en:primum#Latin|primum]] 〜「できるだけ素早く〜」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:faceret|faceret]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:conficeret|conficeret]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabum]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutum]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]];
**カルヌーテース族のケナブムに出発する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ケナブム Cenabum はケルト語風の読みで、現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]。)</span>
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> qui tum primum [[wikt:en:adlatus#Latin|adlato]] [[wikt:en:nuntium#Latin|nuntio]] de [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunoduni]],
**そのとき彼ら<small>〔カルヌーテース族〕</small>は、当初はウェッラウノドゥーヌムの攻囲についての報告をもたらされて、
*cum [[wikt:en:longe#Latin|longius]] eam rem <u>ductum</u> [[wikt:en:iri#Latin|iri]] [[wikt:en:existimarent|existimarent]],
**その事・軍事作戦はより長く引き延ばされて行われると考えていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ductus#Noun_2|ductus]] は、軍事的な指揮・作戦などを表す。[[#62節]]も同様。)</span>
*[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidium]] [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]] [[wikt:en:tuendus#Latin|tuendi]] causa, quod eo [[wikt:en:mitterent|mitterent]], [[wikt:en:comparabant|comparabant]].
**ケナブムを固守するために、守備隊をそこへ派遣することを準備していた。
:
; カエサルが、カルヌーテース族の城塞都市ケナブムの攻囲を翌日に延期する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:huc#Latin|Huc]] [[wikt:en:biduum#Latin|biduo]] [[wikt:en:pervenit#Etymology_1|pervenit]].
**<small>(カエサルは)</small>ここ<small>〔ケナブム〕</small>へ2日間で到着する。
*[[wikt:en:castra#Latin|Castris]] ante oppidum [[wikt:en:positus#Participle|positis]],
**城塞都市の前に陣営を設置したが、
*[[wikt:en:dies#Latin|diei]] [[wikt:en:tempus#Latin|tempore]] [[wikt:en:exclusus#Latin|exclusus]]
**日の時刻<small>〔夕刻〕</small>によって妨げられたので、
*in posterum [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:differt|differt]],
**翌日に攻囲を延期する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in posterum = in [[wikt:en:posterus#Latin|posterum]] [[wikt:en:diem#Latin|diem]]「翌日に」)</span>
*[[wikt:en:quisque#Latin|quaeque]] ad eam rem [[wikt:en:usus#Latin|usui]] [[wikt:en:sint#Latin|sint]],
**その事<small>〔攻囲〕</small>に有益になることは何であれ、
*[[wikt:en:miles#Latin|militibus]] [[wikt:en:imperat|imperat]];
**兵士たちに命令する。
[[画像:Orleans.jpg|thumb|right|400px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。]]
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> et, quod oppidum [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabum]] [[wikt:en:pons#Latin|pons]] [[wikt:en:flumen#Latin|fluminis]] [[wikt:en:Liger#Latin|Ligeris]] [[wikt:en:contingebat|contingebat]],
**城塞都市ケナブムには、リゲル川の橋が接していたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リゲル川は、現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]。)</span>
*[[wikt:en:veritus#Latin|veritus]] ne [[wikt:en:noctu#Adverb|noctu]] ex oppido [[wikt:en:profugerent|profugerent]],
**夜間に城塞都市から<small>(敵勢が)</small>逃亡するのではないかと恐れて、
*[[wikt:en:duo#Latin|duas]] legiones in [[wikt:en:arma#Latin|armis]] [[wikt:en:excubare|excubare]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**<small>(カエサルは)</small>2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に武装して寝ずの番をすることを命じる。
:
; ケナブムの住民たちが退避し始める
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:Genabensis#Noun|Cenabenses]] paulo ante mediam noctem
**ケナブムの人々は、真夜中の少し前に
*[[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] ex oppido [[wikt:en:egressus#Participle|egressi]]
**沈黙のうちに城塞都市から出て、
*flumen [[wikt:en:transire#Latin|transire]] [[wikt:en:coeperunt|coeperunt]].
**川を渡り始めた。
:
; カエサルの諸軍団がケナブムを制圧する
*<!--❽--><sup>(8)</sup> Qua re per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiata]]
**その事が偵察者たちによって報告されると、
*Caesar legiones, quas [[wikt:en:expeditus#Latin|expeditas]] esse [[wikt:en:iusserat|iusserat]]
**カエサルは、戦備を整えることを命じていた諸軍団を、
*[[wikt:en:porta#Latin|portis]] [[wikt:en:incensus#Participle|incensis]]
**<small>(ケナブムの)</small>城門を焼き打ちさせた後で、
*[[wikt:en:intromittit|intromittit]] atque oppido [[wikt:en:potitur|potitur]],
**<small>(軍団を)</small>送り込み、城塞都市を占領させて、
*[[wikt:en:perpaucus#Latin|perpaucis]] ex hostium numero [[wikt:en:desideratus#Latin|desideratis]] [[wikt:en:quin#Latin|quin]] [[wikt:en:cunctus#Latin|cuncti]] [[wikt:en:caperentur#Etymology_1|caperentur]],
**敵のうちからわずかな数を取り逃がしたが、むしろ皆がことごとく捕らえられた。
*quod [[wikt:en:pons#Latin|pontis]] atque [[wikt:en:iter#Latin|itinerum]] [[wikt:en:angustia#Latin|angustiae]] <u>multitudinis</u> fugam [[wikt:en:intercluserant|intercluserant]].
**──というのは、橋や道の狭さが、大勢の逃亡をさえぎったからである。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:multitudinis|multitudinis]]<sub> (単数・属格)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:multitudini|multitudini]]<sub> (単数・与格)</sub> となっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサル勢がケナブムを略奪・焼き討ち。リゲル川を渡ってビトゥリゲース族領へ達する
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Oppidum [[wikt:en:diripit|diripit]] atque [[wikt:en:incendit|incendit]],
**<small>(カエサルは)</small>城塞都市を略奪し、焼き討ちして、
*[[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] militibus [[wikt:en:donat#Latin|donat]],
**略奪品を兵士たちに与える。
*[[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] <u>Ligerem</u> [[wikt:en:traducit|traducit]]
***軍隊にリゲル川を渡らせて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:Ligerem|Ligerem]] だが、<br> β系写本では Ligerim となっている。)</span>
*atque in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] fines [[wikt:en:pervenit#Etymology_1|pervenit]].
*ビトゥリゲース族の領土に到達する。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
[[画像:Sancerre.jpg|thumb|right|250px|ビトゥリゲース族の城塞都市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァーリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥーヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。]]
[[画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|thumb|right|250px|城塞都市ノウィオドゥーヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイー族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥーヌムであると推定されている。上空からは、ガッリア時代の城塞都市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2026-02-02}}</span>
;ビトゥリゲース族のノウィオドゥーヌムを降すが、敵の騎兵が来援
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]], ubi de Caesaris [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:cognovit#Latin|cognovit]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、カエサルの到来について知るや否や、
*[[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] <u>destitit</u>
**<small>(ボイイー族の城塞都市ゴルゴビナの)</small>攻略を取り止めて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> α系写本では [[wikt:en:destitit|destitit]]<sub> (完了形)</sub> だが、<br> β系写本や印刷本では [[wikt:en:desistit#Latin|desistit]]<sub> (現在形)</sub> となっている。)</span>
*atque [[wikt:en:obviam#Adverb|obviam]] Caesari [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**カエサルの方に向かって進発する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ille oppidum [[wikt:en:Biturigēs|Biturigum]] [[wikt:en:positus#Latin|positum]] in via [[wikt:en:Noviodunum#Latin|Noviodunum]] [[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituerat|instituerat]].
**彼<small>〔カエサル〕</small>は、途中に位置しているビトゥリゲース族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]ノウィオドゥーヌムの攻略を決めていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:どこへの途中なのか明記されていないため、その解釈により場所についての解釈が変わるようである。)</span>
:
; カエサルの城塞都市ノウィオドゥーヌムへの降伏条件
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:qui#Determiner|Quo]] ex oppido
**その城塞都市から
*cum legati ad eum [[wikt:en:venissent|venissent]] [[wikt:en:oratum#Verb|oratum]] ut sibi [[wikt:en:ignosceret|ignosceret]] suaeque vitae [[wikt:en:consuleret|consuleret]],
**使節たちが彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ、自分たちを容赦して生命を助けるように嘆願するために、やって来たときに、
*ut celeritate reliquas res [[wikt:en:conficeret|conficeret]], [[wikt:en:qui#Determiner|qua]] [[wikt:en:pleraque#Latin|pleraque]] erat [[wikt:en:consecutus#Latin|consecutus]],
**<small>(カエサルは)</small>多くのことを実行してきた迅速さによって、ほかの事を成し遂げるために、
*arma [[wikt:en:conferri|conferri]],
**武具が運び集められること、
*[[wikt:en:quus#Latin|equos]] [[wikt:en:produci#Verb_2|produci]],
**馬匹が引き渡されること、
*obsides [[wikt:en:dari#Latin|dari]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**人質が供出されること、を命じる。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Parte iam obsidum [[wikt:en:traditus#Participle|tradita]],
**すでに人質の一部が移送されて、
*cum [[wikt:en:reliqua#Latin|reliqua]] [[wikt:en:administrarentur|administrarentur]],
**残り<small>(の人質たち)</small>が処置されていたときに、
*[[wikt:en:centurio#Latin|centurionibus]] et paucis [[wikt:en:miles#Latin|militibus]] [[wikt:en:intromissus#Latin|intromissis]], qui arma [[wikt:en:iumentum#Latin|iumenta]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:conquirerent|conquirerent]],
**<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや若干の兵士たちが、武器や[[w:使役動物|役畜]]を探し集めるべく<small>(城塞都市の中に)</small>送り込まれていたのだが、
*[[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]] hostium procul [[wikt:en:visus#Latin|visus]] est, qui [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigis]] [[wikt:en:antecesserat|antecesserat]].
**ウェルキンゲトリークスの隊列に先行していた敵の[[w:騎兵|騎兵隊]]が遠くに望見された。
:
; ウェルキンゲトリークスの来援に気づいた城塞の者たちが、籠城に転じる
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Quem [[wikt:en:simulatque|simulatque]] [[wikt:en:oppidanus#Noun|oppidani]] [[wikt:en:conspexerunt|conspexerunt]] atque in [[wikt:en:spes#Latin|spem]] [[wikt:en:auxilium#Latin|auxilii]] [[wikt:en:venerunt|venerunt]],
**それ<small></small>を城塞都市の者たちが視認して、救援の希望を抱くや否や、
*[[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:sublatus#Etymology_1|sublato]]
**雄叫びを上げて、
*arma capere,
**武具を取ること、
*portas [[wikt:en:claudere#Etymology_1|claudere]],
**城門を閉じること、
*[[wikt:en:murus#Latin|murum]] [[wikt:en:complere|complere]] [[wikt:en:coeperunt|coeperunt]].
**城壁を<small>(兵で)</small>満たすこと、を始めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:sublato は [[wikt:en:tollo|tollo]] の分詞)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; 城塞民たちの心変わりに感づいたローマ人の将兵たちが城外に撤収する
*<!--❻--><sup>(6)</sup> [[wikt:en:centurio#Latin|Centuriones]] in oppido,
**城塞都市の中の<small>(カエサルの配下の)</small>百人隊長たちは、
*cum ex [[wikt:en:significatio#Latin|significatione]] Gallorum [[wikt:en:novus#Latin|novi]] [[wikt:en:aliquis#Latin|aliquid]] ab iis [[wikt:en:iniri#Latin|iniri]] consilii [[wikt:en:intellexissent|intellexissent]],
**ガッリア人たちの兆候から、彼らによる何らかの新たな謀りごとが始められていると察知していたので、
*[[wikt:en:gladius#Latin|gladiis]] [[wikt:en:destrictus#Latin|destrictis]]
**<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby> を抜いて、
*portas [[wikt:en:occupaverunt|occupaverunt]]
**城門を占拠して、
*suosque omnes [[wikt:en:incolumis#Latin|incolumes]] [[wikt:en:receperunt|receperunt]].
**配下たち皆を無傷なままで退却させた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2026-02-15}}</span>
[[画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|thumb|right|250px|ノウィオドゥーヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥーヌム、ケナブム、ノウィオドゥーヌムを続けて降し、ボイイー族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリークスもノウィオドゥーヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。]]
;同盟軍の騎兵を撃退、城塞都市を再び降して、アウァーリクム攻めに向かう
:
; カエサルが、騎兵戦の切り札としてゲルマーニア騎兵を繰り出す
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar ex castris [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatum]] [[wikt:en:educi#Latin|educi]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]],
**カエサルは、陣営から[[w:騎兵|騎兵隊]]を進発させることを命じて、
*<u>[[wikt:en:proelium#Latin|proelium]]</u> [[wikt:en:equester#Latin|equestre]] [[wikt:en:committit|committit]];
**<small>(ウェルキンゲトリークス勢と)</small>騎兵戦を交える。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> α系写本では proelium だが、<br> β系写本では proelium<u>que</u> となっている。)</span>
*[[wikt:en:laborans#Latin|laborantibus]] iam suis
**配下の者たちがすでに苦戦していたときに、
*[[wikt:en:Germanus#Adjective|Germanos]] [[wikt:en:eques#Latin|equites]] circiter CCCC([[wikt:en:quadringentos|quadringentos]]) [[wikt:en:submittit|submittit]],
**<small>(カエサルは)</small>[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の騎兵たち約400騎を救援に派遣する。
*quos ab [[wikt:en:initium#Latin|initio]] <u>habere [[wikt:en:secum#Latin|secum]]</u> [[wikt:en:instituerat|instituerat]].
**その者らは<small>(戦いの)</small>当初から自分のそばに保持すると決めていたものであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> χ系・B・M・S写本では habere secum だが、<br> β系・L・N写本では secum habere となっている。)</span>
:
; ゲルマーニア騎兵が、ウェルキンゲトリークス配下の騎兵を一蹴する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eorum [[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]] [[wikt:en:sustineo#Latin|sustinere]] non [[wikt:en:potuerunt|potuerunt]]
**彼ら<small>〔ゲルマーニア人騎兵〕</small>の突撃に<small>(敵側の)</small>ガッリア人たちは持ちこたえることができず、
*atque in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]]
**敗走に追いやられて、
*multis [[wikt:en:amissus#Latin|amissis]]
**大勢の者を失い、
*se ad [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:receperunt|receperunt]].
**<small>(後方にいたウェルキンゲトリークスの)</small>隊列に退却した。
:
; 城塞都市ノウィオドゥーヌムがカエサルの軍門に降る
*Quibus [[wikt:en:profligatus#Latin|profligatis]],
**彼ら<small>〔ウェルキンゲトリークスの騎兵隊〕</small>が制圧されると、
*rursus [[wikt:en:oppidanus#Noun|oppidani]] [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]]
**[[w:オッピドゥム|城塞都市]]<small>〔ノウィオドゥーヌム〕</small>の者たちは再び怖れをなして、
*[[wikt:en:comprehensus#Latin|comprehensos]] eos, quorum [[wikt:en:opera#Latin|opera]] [[wikt:en:plebs#Latin|plebem]] [[wikt:en:concitatus#Latin|concitatam]] [[wikt:en:existimabant|existimabant]],
**その働きかけによって民衆を扇動したと<small>(城塞の民が)</small>考えていたところの者たちを拘束して、
*ad Caesarem [[wikt:en:perduxerunt|perduxerunt]]
**カエサルのもとへ連行して、
*seseque ei [[wikt:en:dediderunt|dediderunt]].
**自分たちも彼<small>〔カエサル〕</small>に降伏した。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサルが、ビトゥリゲース族の城塞都市アウァーリクムを目指す
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Quibus rebus [[wikt:en:confectus#Latin|confectis]],
**それらの事が成し遂げられると、
*Caesar ad oppidum [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**カエサルは、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]アウァーリクムへ、
*quod erat [[wikt:en:maximus#Latin|maximum]] [[wikt:en:munitissimus#Latin|munitissimum]]<nowiki>que</nowiki> in finibus [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] atque [[wikt:en:ager#Latin|agri]] [[wikt:en:fertilissimus#Latin|fertilissima]] [[wikt:en:regio#Latin|regione]],
**──それはビトゥリゲース族の領土で耕地の最も肥沃な地方にあり、最大かつ最も要塞化されていたが、──
*[[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectus]] est,
**<small>(そこへ)</small>出発した。
*quod eo oppido [[wikt:en:receptus#Latin|recepto]]
**──というのは、その城塞都市を獲得することで、
*[[wikt:en:civitas#Latin|civitatem]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] se in [[wikt:en:potestas#Latin|potestatem]] [[wikt:en:redacturus#Latin|redacturum]] [[wikt:en:confidebat|confidebat]].
**ビトゥリゲースの部族国家を<small>(カエサルの)</small>隷下に引き戻すであろうと、確信していたからである──。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アウァーリクム攻略戦==
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2026-03-08}}</span>
;ウェルキンゲトリークスが兵站妨害と焦土戦術を決断
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] tot [[wikt:en:continuus#Latin|continuis]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodis]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunoduni]], [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]], [[wikt:en:Noviodunum#Latin|Novioduni]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ウェッラウノドゥーヌム、ケナブム、ノウィオドゥーヌムと、このような多くの引き続く敗北をこうむると、
*suos ad [[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:convocat#Latin|convocat]].
**麾下の者たちを会合へ召集する。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ウェルキンゲトリークスが、ローマ勢の糧道を断つことを提言
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:docet|Docet]] longe alia ratione esse bellum [[wikt:en:gerendus#Latin|gerendum]] atque antea [[wikt:en:gestus#Participle|gestum]] sit.
**以前に遂行されていたのとはまったく別の作戦で戦争が遂行されるべきである、と説く。
*Omnibus [[wikt:en:modus#Latin|modis]] huic rei studendum, ut [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulatione]] et [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatu]] Romani [[wikt:en:prohibeantur|prohibeantur]].
**ローマ人たちが[[w:糧秣|糧秣]]徴発と物資輸送を妨げられるべく、この事をあらゆる方法で追求するべきだ。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Id esse facile,
**そのことは、容易である。
*quod [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] ipsi [[wikt:en:abundent#Latin|abundent]]
**というのは<small>(我々ガッリア勢)</small>自身は[[w:騎兵|騎兵隊]]がたくさんおり、
*et quod anni tempore [[wikt:en:subleventur|subleventur]].
**<small>(冬という)</small>時季に支えられているのだから。
:
; ローマ人が穀物倉に群がるところを騎兵で襲撃するべし
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:pabulum#Latin|Pabulum]] [[wikt:en:secari|secari]] non posse;
**<small>(この時季には)</small><ruby><rb>[[w:秣|秣]]</rb><rp>(</rp><rt>まぐさ</rt><rp>)</rp></ruby> は刈り取られることができない。
*[[wikt:en:necessario#Adverb|necessario]] [[wikt:en:dispersus#Latin|dispersos]] hostes ex [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificiis]] [[wikt:en:petere|petere]];
**敵たち<small>〔ローマ勢〕</small>はやむなく分散して、家屋から<small>(糧秣を)</small>求める。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ほとんどの会話が間接話法を採る本書で、<br> ローマ勢が「敵」hostes と表現されることは極めてまれである。)</span>
*hos omnes [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] ab [[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] <u>deleri</u> posse.
**これら皆を日々に<small>(ガッリア側の)</small>騎兵隊によって壊滅させることができる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では [[wikt:en:deleri|deleri]]「滅ぼされる」だが、<br> α系写本では [[wikt:en:diligi#Latin|diligi]]「分断される」となっている。)</span>
:
; 焦土戦術をもって、ローマ人と軍馬を飢えさせるべし
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Praeterea [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa rei [[wikt:en:familiaris#Adjective|familiaris]] [[wikt:en:commodum#Latin|commoda]] [[wikt:en:neglegendus#Latin|neglegenda]];
**さらに<small>(同盟諸部族に共通の)</small>安全のために、私有資産の利益はなおざりにされるべきだ。
*[[wikt:en:vicus#Latin|vicos]] atque [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:incendi#Verb_2|incendi]] [[wikt:en:oportet#Latin|oportere]]
**<small>(以下のような領域の)</small>村々や建物は焼かれるべきだ。
*hoc spatio ab Boia quoque versus, quo [[wikt:en:pabulandi#Verb|pabulandi]] causa [[wikt:en:adire#Latin|adire]] posse [[wikt:en:videantur|videantur]].
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のところから四方八方へ糧秣徴発するために赴くことができると思われる領域では。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:主要写本ω にある ab Boia「ボイイー族のところから」は、<br> 現代では「街道から」ab via と修正読みされることが多い。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quoque#Latin|quōque]] [[wikt:en:versus#Adverb|versus]] = [[wikt:en:quisque#Latin|quōquō]] versus「あらゆる方向へ」)</span>
[[画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|thumb|right|250px|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイー族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。]]
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Harum ipsis rerum copiam [[wikt:en:suppeto#Latin|suppetere]],
**<small>(ガッリア勢)</small>自身には、これらの物は、豊富に貯えてある。
*quod quorum in finibus bellum [[wikt:en:geratur|geratur]], eorum [[wikt:en:ops#Noun_4|opibus]] [[wikt:en:subleventur|subleventur]];
**──というのは、戦争が遂行される領土内の者たちの、彼らの助力に支えられているからだ。──
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Romanos <u>aut</u> [[wikt:en:inopia#Latin|inopiam]] non [[wikt:en:laturus#Latin|laturos]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**ローマ人たちは、あるいは<small>(糧食の)</small>欠乏に耐えられないであろうし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:aut#Latin|aut]] ~ aut …「あるいは~あるいは…」)</span>
*<u>aut</u> magno <u>cum</u> periculo longius <u>ab</u> castris [[wikt:en:processurus#Latin|processuros]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>;
**あるいは大きな危険とともに陣営からより遠くに進み出るであろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:cum は、ρ系写本・写本Tの記述で、<br> α系写本・写本Vにはない。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab は、α系・ρ系写本・写本Vの記述で、写本Tでは a となっている。)</span>
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> neque [[wikt:en:interesse#Latin|interesse]], ipsos<u>ne</u> [[wikt:en:interficiant|interficiant]], [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]]<u><nowiki>ne</nowiki></u> [[wikt:en:exuant|exuant]],
**<small>(ローマ人の)</small>当人たちを殺戮するか、輜重を奪い取るか、<small>(どちらであろうが)</small>違いはない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:-ne#Latin|-ne]] は疑問小辞。~ -ne, … -ne 「~か、…か」)</span>
*quibus [[wikt:en:amissus#Latin|amissis]] bellum [[wikt:en:geri#Latin|geri]] non [[wikt:en:possit|possit]].
**それら<small>〔輜重〕</small>を失えば、戦争を遂行することができないのだから。
:
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Praeterea oppida [[wikt:en:incendi#Verb_2|incendi]] [[wikt:en:oportet#Latin|oportere]],
**さらに、<small>(以下のような)</small>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]は焼かれなければならない。
*quae non [[wikt:en:munitio#Latin|munitione]] et loci natura <u>ab omni</u> sint <u>periculo</u> [[wikt:en:tutus#Latin|tuta]],
**防塁や地勢によってあらゆる危険から守られていない<small>(城塞都市は)</small>。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab [[wikt:en:omni#Latin|omni]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] 「あらゆる危険から」)</span>
*<u>neu</u> suis sint ad <u>detrectandam</u> [[wikt:en:militia#Latin|militiam]] [[wikt:en:receptaculum#Latin|receptacula]]
**麾下の者たちにとっては<small>(城塞都市が)</small>[[w:兵役逃れ|兵役を忌避すること]]のための隠れ場所になることがないように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:neu#Latin|neu]] は α系写本の記述で、β系写本では [[wikt:en:ne#Latin|ne]] となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:detrectandam|detrectandam]] は α系・ρ系写本の表記で、π系写本では [[wikt:en:detractandam|detractandam]] となっている。)</span>
*neu [[wikt:en:Romani#Latin|Romanis]] [[wikt:en:propositus#Latin|proposita]] ad [[wikt:en:copia#Latin|copiam]] [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatus]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:tollendus#Latin|tollendam]],
**ローマ人たちにとって<small>(城塞都市が)</small>豊富な物資や戦利品を奪うための置き場所ともならないように。
:
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Haec si [[wikt:en:gravis#Latin|gravia]] aut [[wikt:en:acerbus#Latin|acerba]] [[wikt:en:videantur|videantur]],
**もし、これら<small>(の作戦)</small>が厳しい、または苦しいと見えるとしても、
*multo illa [[wikt:en:graviter#Latin|gravius]] <u>aestimare</u>, [[wikt:en:liber#Noun_6|liberos]], [[wikt:en:coniunx#Latin|coniuges]] in [[wikt:en:servitus#Latin|servitutem]] [[wikt:en:abstrahi|abstrahi]], ipsos [[wikt:en:interfici|interfici]];
**それより、子供や配偶者たちが奴隷状態で連れ去られ、自身が殺されることの方が、はるかに厳しいと判断されるべきだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:aestimare|aestimare]] だが、 <br> β系写本では [[wikt:en:aestimari|aestimari]] [[wikt:en:debere|debere]] となっている。)</span>
*quae sit [[wikt:en:necesse#Latin|necesse]] [[wikt:en:accido#Etymology_1|accidere]] [[wikt:en:victus#Participle|victis]].
**それらのことは、打ち負かされた者たちには、起こることが必然なのである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
[[画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|thumb|right|300px|'''アウァーリクム'''(Avaricum)すなわちビトゥリゲース族(Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガッリア時代からこの地方の中心的な城塞都市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。]]
[[画像:Bourges.JPG|thumb|right|300px|アウァーリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲース族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲース・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァーリクム周辺にいた'''ビトゥリゲース・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲース・クビ族の方である。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/15節]] {{進捗|00%|2026-03-08}}</span>
;焦土戦術開始、しかしアウァーリクムの防衛を決定
:
; 焦土戦術として、ビトゥリゲース族の街々が焼かれる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Omnium [[wikt:en:consensus#Latin|consensu]]
**<small>(会合の参加者)</small>全員の合意により
*hac [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:probatus#Latin|probata]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスの)</small>この意向が承認されると、
*uno die [[wikt:en:amplius|amplius]] [[wikt:en:viginti|viginti]]<sub> (XX)</sub> [[wikt:en:urbs#Latin|urbes]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] [[wikt:en:incenduntur|incenduntur]].
**一日で、20より多いビトゥリゲース族の街々が焼かれる。
:
; ほかの諸部族の街々も焼かれる
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Hoc idem fit in reliquis [[wikt:en:civitas#Latin|civitatibus]]:
**これと同じことが、ほかの諸部族でも行なわれて、
*in omnibus partibus
**あらゆる方面において、
*[[wikt:en:incendium#Latin|incendia]] [[wikt:en:conspiciuntur|conspiciuntur]];
**炎上が望見される。
*quae <u>etsi</u> magno cum [[wikt:en:dolor#Latin|dolore]] omnes [[wikt:en:ferebant|ferebant]],
**それらの皆が大きな悲嘆とともに耐えていたとしても、
*<u>tamen</u> hoc sibi [[wikt:en:solacium#Latin|solacii]] [[wikt:en:proponebant|proponebant]],
**しかし、自分らにとっての<small>(以下の)</small>慰めを抱いていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~ [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …<br> 「~としても、にもかかわらず…」)</span>
*quod se prope [[wikt:en:exploratus#Latin|explorata]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoria]]
**勝利はほぼ確実なものとされて、
*celeriter [[wikt:en:amissus#Latin|amissa]] [[wikt:en:reciperaturus#Latin|reciperaturos]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**失ったものを速やかに回復するであろう、
*[[wikt:en:confidebant|confidebant]].
**と確信していたことである。
:
; アウァーリクムは、焦土戦術か、それとも防衛すべきか?
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:deliberatur|Deliberatur]] de [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] in [[wikt:en:communis#Latin|communi]] [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]], [[wikt:en:incendi#Latin|incendi]] <u>placeret</u> an [[wikt:en:defendi#Latin|defendi]].
**合同の会合において、アウァーリクムについて (も) 焼き討ちが良いか、あるいは防衛か、が吟味される。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:placeret|placeret]]<sub> (接続法・未完了過去)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:placeat|placeat]]<sub> (接続法・現在)</sub> となっている。)</span>
:
; ビトゥリゲース族が、要害であるアウァーリクムの防衛を懇願する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:procumbunt|Procumbunt]] omnibus Gallis ad pedes [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]],
**<small>(会合に参加していた)</small>すべてのガッリア人の足元へ、ビトゥリゲース族の者たちはひれ伏す。
*ne [[wikt:en:pulcherrimus#Latin|pulcherrimam]] prope <u>[[wikt:en:totus#Latin|totius]] Galliae</u> [[wikt:en:urbs#Latin|urbem]], quae <u>et</u> [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] et [[wikt:en:ornamentum#Latin|ornamento]] sit [[wikt:en:civitas#Latin|civitati]],
**ほぼ全ガッリアの街々で最も美しいもの、部族にとっては要害でも誉れでもあるものを、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totius Galliae は α系写本の語順で、β系写本では Galliae totius となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et は β系写本にはあるが、α系写本にはない。)</span>
*suis manibus [[wikt:en:succendo#Latin|succendere]] [[wikt:en:cogerentur|cogerentur]];
**自分たちの手で燃やすことを強いられないように、と(懇願した)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne ~ cogerentur;~を強いられないように)</span>
:
; アウァーリクムの地の利
*<!--❺--><sup>(5)</sup> facile se loci natura [[wikt:en:defensurus#Latin|defensuros]] [[wikt:en:dicunt|dicunt]],
**自分たちは<small>(アウァーリクムを)</small>地勢によって容易に防衛するだろう、と述べる。
*quod prope ex omnibus partibus [[wikt:en:flumen#Latin|flumine]] et [[wikt:en:palus#Latin|palude]] [[wikt:en:circumdatus#Latin|circumdata]]
**というのは<small>(アウァーリクムは)</small>ほぼあらゆる方向から川や沼地で囲まれており、
*unum habeat et [[wikt:en:perangustus#Latin|perangustum]] [[wikt:en:aditus#Latin|aditum]].
**一つだけ、非常に狭い進入路を持っているからだ。
[[画像:Bourges_2.JPG|thumb|right|300px|アウァーリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガッリア時代からこの街を囲んでいる。]]
:
; アウァーリクムの防衛が認められる
*<!--❻--><sup>(6)</sup> [[wikt:en:datur#Latin|Datur]] [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:venia#Latin|venia]]
**<small>(アウァーリクムの防衛を)</small>求める者たちに許可が与えられる。
*[[wikt:en:dissuadens#Latin|dissuadente]] primo [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は当初は思い止まらせていたが、
*post [[wikt:en:concedens#Latin|concedente]] et [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] ipsorum et [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordia]] [[wikt:en:vulgus#Latin|vulgi]].
**後には、彼ら当人の懇願にも、民衆への哀れみにも、譲歩した。
*[[wikt:en:defensor#Latin|Defensores]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:idoneus#Latin|idonei]] [[wikt:en:deliguntur|deliguntur]].
**城塞都市の適切な防衛者たちが選ばれる。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===16節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/16節]] {{進捗|00%|2026-03-22}}</span>
;アウァーリクムをめぐる両軍の駆け引き
:
; ウェルキンゲトリークスが、アウァーリクムから16マイル離れたところに宿営する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] [[wikt:en:minor#Latin|minoribus]] Caesarem [[wikt:en:iter#Latin|itineribus]] [[wikt:en:subsequitur|subsequitur]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、カエサルを緩やかな行軍で追尾して、
*et locum [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:eligit#Latin|deligit]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|munitum]]
**沼地や森林で防御された地点を陣営のために選んだ。
*ab [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] longe milia passuum [[wikt:en:sedecim#Latin|sedecim]]<sub> (XVI)</sub>.
**アウァーリクムから16<u>ローママイル</u>隔たっていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、16マイルは約24 km)</span>
:
; ウェルキンゲトリークスが、斥候を放ってアウァーリクムを探り、部下たちに指図する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ibi per [[wikt:en:certus#Latin|certos]] [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]]
**そこで、一定の斥候たちを通して、
*in [[wikt:en:singulus#Latin|singula]] diei tempora, quae ad [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]] <u>agerentur</u>, [[wikt:en:cognoscebat|cognoscebat]]
**日中の毎時、アウァーリクム近傍で行なわれていることを探知して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:agerentur|agerentur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:gererentur|gererentur]] となっている。)</span>
*et, [[wikt:en:quis#Latin|quid]] [[wikt:en:fieri#Latin|fieri]] [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]], [[wikt:en:imperabat|imperabat]].
**<small>(彼自身が)</small>なされることを欲していることを<small>(麾下の者たちに)</small>命令していた。
:
; ウェルキンゲトリークスとローマ勢の糧秣調達をめぐる攻防
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Omnes nostras [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulationes]] [[wikt:en:frumentatio#Latin|frumentationes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:observabat|observabat]]
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の[[w:糧秣|秣や糧食]]の徴発の一部始終を注視していて、
*[[wikt:en:dispersus#Latin|dispersos]]<nowiki>que</nowiki>, cum longius necessario [[wikt:en:procederent|procederent]], [[wikt:en:adoriebatur|adoriebatur]]
**<small>(ローマ勢が)</small>分散して、やむを得ずにはるか遠くに進み出たときに、<small>(ガッリア勢が)</small>襲いかかって、
*[[wikt:en:magnus#Latin|magno]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]] [[wikt:en:adficiebat|adficiebat]],
**<small>(ローマ勢に)</small>大きな損害を与えていた。
*[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]], quantum [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] [[wikt:en:provideri|provideri]] [[wikt:en:poterat|poterat]], ab nostris [[wikt:en:occurrebatur|occurrebatur]],
**とはいえ、できるかぎり用心する判断により<small>(敵の襲撃を)</small>我が方<small>〔ローマ勢〕</small>によって阻止していた。
*ut [[wikt:en:incertus#Latin|incertis]] temporibus [[wikt:en:diversus#Latin|diversis]]<nowiki>que</nowiki> itineribus [[wikt:en:iretur|iretur]].
**不確定な時間帯にまったく別々の道を行き来するというように。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===17節===
[[画像:Carte_du_Cher.svg|thumb|right|250px|アウァーリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイー族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の版図であった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/17節]] {{進捗|00%|2026-03-28}}</span>
;アウァーリクム攻囲に取りかかるローマ軍の糧秣欠乏
:
; カエサルが、アウァーリクム攻囲のための堡塁工事に着手
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:castra#Latin|Castris]] ad eam partem [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidi]] [[wikt:en:positus#Participle|positis]] Caesar,
**カエサルは、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の<small>(以下に述べるような)</small>方面に陣営を設置して、
*quae [[wikt:en:intermissus#Latin|intermissa]] a flumine et a <u>paludibus</u>
**──<small>(その方面は)</small>川や沼地により<small>(外部から)</small>遮断されて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:paludibus|paludibus]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:palude#Latin|palude]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:aditus#Noun_3|aditum]], ut supra [[wikt:en:diximus#Latin|diximus]], [[wikt:en:angustus#Latin|angustum]] [[wikt:en:habebat|habebat]],
**<u>前に述べたように</u>、狭い進入路を持っているというものであるが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#15節|15節]]⑤項では、<br> ほぼあらゆる方向から川や沼地で囲まれており、<br> 一つだけ、非常に狭い進入路を持っている、<br> と言及された。)</span>
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:apparare#Latin|apparare]],
**<small>(さらに)</small><ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を装備すること、
*[[wikt:en:vinea#Latin|vineas]] [[wikt:en:ago#Latin|agere]],
**<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby> を駆動すること、
*[[wikt:en:turris#Latin|turres]] duas [[wikt:en:constituo#Latin|constituere]] [[wikt:en:coepit|coepit]];
**2つの<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby> を建てること、を始めた。
*nam [[wikt:en:circumvallo#Latin|circumvallare]] loci natura [[wikt:en:prohibebat|prohibebat]].
**なぜなら<small>(城塞都市を)</small>堡塁で囲むことを地勢が妨げていたからだ。
<div style="text-align:center;">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|thumb|right|350px|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画([[ガリア戦記_第2巻#12節|第2巻12節]]で既出)。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。]]
|[[画像:Bender - Vinea.JPG|thumb|right|350px|<ruby><rb>工作小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby> [[wikt:en:vinea|vinea]] の復元画([[ガリア戦記_第2巻#12節|第2巻12節]]で既出)。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。]]
|}
</div>
:
; カエサルが、同盟者であるボイイー族やハエドゥイー族に、糧秣徴発を促す
*<!--❷--><sup>(2)</sup> De re [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentaria]]
**<small>(カエサルは)</small>[[w:糧秣|糧秣]]調達について、
*[[wikt:en:Boii#Latin|Boios]] atque [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduos]] [[wikt:en:adhortari|adhortari]] non [[wikt:en:destitit|destitit]];
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]や[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を鼓舞することを止めなかった。
*quorum [[wikt:en:alter#Latin|alteri]], quod [[wikt:en:nullus#Determiner|nullo]] [[wikt:en:studium#Latin|studio]] [[wikt:en:agebant|agebant]], non multum [[wikt:en:adiuvabant|adiuvabant]],
**彼らのうち一方<small>〔ハエドゥイー族〕</small>は、何らの努力を行なわなかったので、あまり助けにならなかった。
*[[wikt:en:alter#Latin|alteri]] non magnis [[wikt:en:facultas#Latin|facultatibus]], quod [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]] erat [[wikt:en:exiguus#Latin|exigua]] et [[wikt:en:infirmus#Latin|infirma]],
**他方<small>〔ボイイー族〕</small>は、貧弱かつ無力な部族であったので、大した貯えもなく、
*celeriter quod [[wikt:en:habuerunt|habuerunt]] [[wikt:en:consumpserunt|consumpserunt]].
**早々と持っていたものを消費し切ってしまった。
:
; 糧秣の欠乏が続くが、ローマの将兵たちが耐え抜く
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:summus#Latin|Summa]] [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultate]] rei [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentariae]] [[wikt:en:adfectus#Latin|adfecto]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]]
**<small>(ローマ人の)</small>軍隊は糧秣調達の大いなる困難さに苦悩させられながらも、
*[[wikt:en:tenuitas#Latin|tenuitate]] [[wikt:en:Boii#Latin|Boiorum]],
**──<small>(その困難は)</small>ボイイー族の微力さ、
*[[wikt:en:indiligentia#Latin|indiligentia]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]],
**ハエドゥイー族の怠慢、
*[[wikt:en:incendium#Latin|incendiis]] [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificiorum]],
**<small>(敵勢による)</small>家屋の焼き打ちによるものであったが、──
*usque eo ut [[wikt:en:complures#Determiner|complures]] dies [[wikt:en:frumentum#Latin|frumento]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:caruerint|caruerint]]
**かなりの日々にわたって兵士たちは糧食を欠くまでになり、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:usque#Latin|usque]] eo ut ~「~まで」)</span>
*et [[wikt:en:pecus#Latin|pecore]] ex [[wikt:en:longinquior#Latin|longinquioribus]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicis]] [[wikt:en:adactus#Latin|adacto]]
**かなり遠方の村々から家畜を駆り立てたので
*[[wikt:en:extremus#Latin|extremam]] [[wikt:en:fames#Latin|famem]] [[wikt:en:sustentarent|sustentarent]],
**極限の飢えに耐え通すまでになったのであるが、
*[[wikt:en:nullus#Determiner|nulla]] tamen <u>vox est ab iis</u> [[wikt:en:auditus#Latin|audita]] populi Romani [[wikt:en:maiestas#Latin|maiestate]] et [[wikt:en:superior#Latin|superioribus]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriis]] [[wikt:en:indignus#Latin|indigna]].
**しかしながら、ローマ人民の威厳やかつての勝利にふさわしからぬ声は、彼らから何ら聞かれなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:vox#Latin|vox]] est <u>ab</u> iis だが、<br> β系写本では <u>ex</u> iis vox est となっている。)</span>
:
; ローマ人将兵たちがカエサルに攻囲の継続を訴える
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:quin#Latin|Quin]] etiam Caesar cum in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:singulus#Latin|singulas]] [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:appellaret|appellaret]],
**いやそればかりか、カエサルが作業中のそれぞれの[[w:ローマ軍団|軍団]]に呼びかけたとき、
*et, si [[wikt:en:acerbe#Latin|acerbius]] [[wikt:en:inopia#Latin|inopiam]] [[wikt:en:ferrent#Latin|ferrent]], se [[wikt:en:dimissurus#Latin|dimissurum]] <span style="color:#009900;"><sub>(esse)</sub></span> [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:diceret|diceret]],
**もし、とても過酷に欠乏に耐えているのならば、自分は攻囲を放棄するであろう、とカエサルが言っていたときに、
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:universi#Latin|universi]] ab eo, ne id [[wikt:en:faceret|faceret]], [[wikt:en:petebant|petebant]] :
**<small>(各軍団の)</small>一同は、彼<small>〔カエサル〕</small>に、それ<small>〔攻囲の放棄〕</small>をしないように求めていた。
*sic se complures annos illo [[wikt:en:imperans#Latin|imperante]] [[wikt:en:meruisse|meruisse]],
**自分たちは<small>(以下のように)</small>幾年にもわたって彼<small>〔カエサル〕</small>の麾下で努めてきた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:sic ~ ut …「…のように~である」)</span>
*ut [[wikt:en:nullus#Determiner|nullam]] [[wikt:en:ignominia#Latin|ignominiam]] [[wikt:en:acciperent|acciperent]], <u>nusquam incepta</u> re [[wikt:en:discederent|discederent]]:
**何ら不名誉を蒙ってないし、事<small>〔戦役〕</small>が完遂されないまま<small>(戦列を)</small>離脱することは決してなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:nusquam#Latin|nusquam]] [[wikt:en:inceptus#Latin|incepta]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:infectus#Adjective|infecta]] となっている。)</span>
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> hoc se [[wikt:en:ignominia#Latin|ignominiae]] <u>loco [[wikt:en:laturus#Latin|laturos]]</u> <span style="color:#009900;"><sub>(esse)</sub></span>, si [[wikt:en:inceptus#Latin|inceptam]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:reliquissent|reliquissent]];
**もし<small>(自分たちが)</small>着手した攻囲を放棄してしまったならば、自分たちはこの状態を不名誉と見なすであろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では loco laturos の語順だが、<br> α系写本では laturos loco の語順となっている。)</span>
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> <u>praestare</u> omnes [[wikt:en:perferre|perferre]] [[wikt:en:acerbitas#Latin|acerbitates]],
**あらゆる厳しさに持ちこたえることは<small>(以下のこと)</small>よりましである。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~がより優る」)</span>
*<u>quam</u> non [[wikt:en:civis#Latin|civibus]] Romanis, qui [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]] [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidia]] Gallorum [[wikt:en:interissent|interissent]], [[wikt:en:parentarent|parentarent]].
**ケナブムでガッリア人たちの不義により滅びたローマ市民たちの仇討ちをしないよりも。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#3節|3節]]①項を参照。仇討ちをしないのなら、苦しむ方がましである、の意)</span>
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> Haec [[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:centurio#Latin|centurionibus]] [[wikt:en:tribunus#Latin|tribunis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:miles#Latin|militum]]
**これらと同じことを、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、
*[[wikt:en:mandabant|mandabant]], ut per eos ad Caesarem [[wikt:en:deferrentur|deferrentur]].
**彼らを通じてカエサルに申し立てるように、依頼していた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===18節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/18節]] {{進捗|00%|2026-04-13}}</span>
;カエサルがウェルキンゲトリークス不在の敵陣へ迫る
:
; カエサルは、ウェルキンゲトリークスが糧秣の欠乏によりローマ勢の糧秣徴発隊を襲撃に向かったと知る
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Cum iam [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:turris#Latin|turres]] [[wikt:en:adpropinquassent#Latin|adpropinquassent]],
**すでに<small>(アウァーリクムの)</small>城壁に<small>(ローマ勢の)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]が近づいていた際に、
*ex [[wikt:en:captivus#Noun|captivis]] Caesar [[wikt:en:cognovit#Latin|cognovit]],
**カエサルは、捕虜たちから<small>(以下のことを)</small>知った。
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]], [[wikt:en:consumptus#Latin|consumpto]] [[wikt:en:pabulum#Latin|pabulo]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は[[w:糧秣|糧秣]]を消費し切ると、
*castra [[wikt:en:movisse#Latin|movisse]] propius [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**陣営をアウァーリクムのより近くに移動させて、
*atque ipsum cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:expeditus#Noun|expeditis]]<nowiki>que</nowiki>, qui inter [[wikt:en:eques#Latin|equites]] [[wikt:en:proeliari#Verb|proeliari]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**彼自身は、[[w:騎兵|騎兵]]隊、および騎兵たちの間で争闘することに習熟していた[[w:軽装歩兵|軽装歩兵]]たちとともに、
*<u>insidiarum</u> causa eo [[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectum]], quo nostros postero die [[wikt:en:pabulatum#Verb|pabulatum]] [[wikt:en:venturus#Latin|venturos]] [[wikt:en:arbitraretur#Latin|arbitraretur]].
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>が翌日に糧秣徴発にやって来るであろうと思われるところで待ち伏せするために、出発した、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:insidiarum|insidiarum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:insidiandi#Latin|insidiandi]] となっている。)</span>
[[画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|thumb|right|300px|アウァーリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァーリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリークスが移動させた陣営。]]
[[画像:Funerary chariot in the archeological museum of Strasbourg.jpg|thumb|right|300px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の墳墓の副葬品として発掘された '''四輪荷馬車''' のレプリカ(仏ストラスブール考古学博物館)。]]
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]]
**<small>(カエサルは)</small>それらの事情を知るや、
*media nocte [[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] [[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectus]]
**真夜中の静けさのうちに出発して、
*ad hostium castra [[wikt:en:mane#Adverb_2|mane]] [[wikt:en:pervenit#Etymology_2|pervenit]].
**敵の陣営の辺りへ朝方に到着した。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Illi, celeriter per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] Caesaris [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]]
**あの者たちは、速やかに斥候たちを通じてカエサルの到来を知るや、
*<u>carros</u> [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]]<nowiki>que</nowiki> sua in [[wikt:en:artior#Latin|artiores]] [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:abdiderunt#Latin|abdiderunt]],
**自分たちの<u>四輪荷馬車</u>と[[w:輜重|輜重]]をとても深い森の中に隠して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:四輪荷馬車 [[wikt:en:carrus#Latin|carrus]] は、例えば右の画像のものを参照。)</span>
*copias omnes in loco [[wikt:en:editus#Latin|edito]] atque [[wikt:en:apertus#Latin|aperto]] [[wikt:en:instruxerunt#Latin|instruxerunt]].
**全軍勢を高くそびえて開けている場所に配置した。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Qua re [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiata]]
**その事を報告されて、
*Caesar celeriter [[wikt:en:sarcina#Latin|sarcinas]] [[wikt:en:conferri#Latin|conferri]],
**カエサルは速やかに<small>(兵士たちの)</small>[[w:背嚢|背嚢]]が運び集められること、
*[[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:expediri#Latin|expediri]] [[wikt:en:iussit#Verb|iussit]].
**武具が<small>(すぐ使えるように)</small>整えられることを命じた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===19節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/19節]] {{進捗|00%|2026-04-20}}</span>
;丘の上のガッリア勢と沼沢を挟んで対峙する
:
; ガッリア勢の陣営の地勢
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:collis#Latin|Collis]] erat <u>leniter</u> ab [[wikt:en:infimus#Latin|infimo]] [[wikt:en:adclivis#Latin|adclivis]].
**<small>(ガッリア勢がいる)</small>丘陵はふもとから緩やかに、登り坂になっていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系・χ系・B・M・S・N<sup>c</sup> 写本では [[wikt:en:leviter#Latin|leviter]] 、<br> L・N写本では [[wikt:en:breviter#Latin|breviter]] だが、<br> より劣った写本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|codd.deter.]]'' では [[wikt:en:leniter#Latin|leniter]] となっている。
*Hunc ex omnibus fere partibus [[wikt:en:palus#Latin|palus]] [[wikt:en:difficilis#Latin|difficilis]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impedita]] [[wikt:en:cingebat#Latin|cingebat]]
**これ<small>〔丘陵〕</small>を、ほぼすべての方角から、不便で通りにくい沼地が取り巻いていて、
*non [[wikt:en:latior#Latin|latior]] [[wikt:en:pes#Latin|pedibus]] [[wikt:en:quinquaginta#Latin|quinquaginta]].
**<small>(その沼地は)</small>50<u>[[w:ペース (長さ)|ペース]]</u>より幅広くなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、50ペースは約15メートル弱。)</span>
:
; 丘の周囲を部族ごとに分かれて守備している
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Hoc se [[wikt:en:collis#Latin|colle]] [[wikt:en:interruptus#Latin|interruptis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]]
**この丘陵において、橋梁を破却すると、
*Galli [[wikt:en:fiducia#Latin|fiducia]] loci [[wikt:en:continebant#Latin|continebant]]
**ガッリア人たちは、地勢を頼りに留まっていて、
*[[wikt:en:generatim#Latin|generatim]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:distributus#Latin|distributi]] in civitates
**<small>(軍勢を)</small>諸部族の種族ごとに分けて配置させて、
*omnia [[wikt:en:vadum#Latin|vada]] ac [[wikt:en:saltus#Etymology_2|saltus]] eius [[wikt:en:palus#Latin|paludis]] <u>certis custodiis</u> [[wikt:en:obtinebant#Latin|obtinebant]],
**その沼地の、すべての浅瀬や隘路を <u>一定の護衛兵たちによって</u> 占領していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:certus#Latin|certis]] [[wikt:en:custodia#Latin|custodiis]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<u>sic</u> animo [[wikt:en:paratus#Latin|parati]] <u>ut</u>, si eam [[wikt:en:palus#Latin|paludem]] Romani [[wikt:en:perrumpo#Latin|perrumpere]] [[wikt:en:conarentur#Latin|conarentur]], [[wikt:en:haesitans#Latin|haesitantes]] [[wikt:en:premerent#Latin|premerent]] ex loco [[wikt:en:superior#Latin|superiore]];
**もしローマ勢がその沼地を強行突破せんと試みたならば、ぐずぐずしている者らを高地から圧倒する心積もりであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sīc]] ~, [[wikt:en:ut#Latin|ut]] ・・・「…であるように~である」)</span>
:
; 両軍は互角か?
*<!--❸--><sup>(3)</sup> ut, qui [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitatem]] loci [[wikt:en:videret#Latin|videret]],
**<small>(両軍の)</small>陣地が近接していることを見た者は、
*[[wikt:en:paratus#Latin|paratos]] prope [[wikt:en:aequus#Latin|aequo]] <u>Marte</u> ad [[wikt:en:dimicandum#Latin|dimicandum]] [[wikt:en:existimaret#Latin|existimaret]],
**<small>(ガッリア勢がローマ勢に対して)</small>ほぼ互角の戦い<small>(の条件)</small>で闘うつもりでいると考えただろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、[[wikt:en:Mars#Proper_noun_22|Mars]]「戦争の神マールス」ではなく、<br> [[wikt:en:Mars#Noun_4|Mars]]「戦争、闘い」そのものを指す。)</span>
; ガッリア勢は不利なのに虚勢を張っているのか?
*qui [[wikt:en:iniquitas#Latin|iniquitatem]] [[wikt:en:condicio#Latin|condicionis]] [[wikt:en:perspiceret#Latin|perspiceret]],
**<small>(ガッリア勢の)</small>条件の不利なことを見通した者は、
*[[wikt:en:inanis#Latin|inani]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] sese [[wikt:en:ostentare#Latin|ostentare]] [[wikt:en:cognosceret#Latin|cognosceret]].
**<small>(ガッリア勢が)</small>虚栄の見せかけで己を誇示していることを、理解しただろう。
:
; カエサルが、至近距離の敵への攻撃にいきり立つ将兵らを教え諭す
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:indignans#Latin|Indignantes]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]] Gaesar,
**カエサルは<small>(ガッリア勢の誇示に)</small>憤慨している兵士たちに、
*quod [[wikt:en:conspectus#Noun_2|conspectum]] suum hostes <u>perferre</u> [[wikt:en:possent#Latin|possent]] [[wikt:en:tantulus#Latin|tantulo]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatio]] [[wikt:en:interiectus#Latin|interiecto]],
**──というのも、これほどのわずかな距離しか介在してないのに、敵勢が自分らを<small>(平然と)</small>見据えていられるためだが──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:perferre#Latin|perferre]] だが、β系写本では [[wikt:en:ferre#Latin|ferre]] となっている。)</span>
*et signum proelii [[wikt:en:exposcens#Latin|exposcentes]] [[wikt:en:edocet#Latin|edocet]],
**および戦闘の合図を熱心に求めている者たちに対して<small>(以下のように)</small>説く。
*[[wikt:en:quantus#Latin|quanto]] [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimento]] et [[wikt:en:quot#Latin|quot]] [[wikt:en:vir#Latin|virorum]] [[wikt:en:fortis#Latin|fortium]] [[wikt:en:mors#Latin|morte]] [[wikt:en:necesse#Adverb|necesse]] sit [[wikt:en:constare#Latin|constare]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriam]];
**勝利を確実にすることが、どれほどの損害と、どれほど多くの勇敢な<ruby><rb>兵士</rb><rp>(</rp><rt>ウィル</rt><rp>)</rp></ruby>たちの死を必要とするか、を。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; 多くのローマ兵が死に瀕すれば、カエサル自身が戦争犯罪で弾劾されるだろう
*<!--❺--><sup>(5)</sup> quos cum <u>sic</u> [[wikt:en:animus#Latin|animo]] [[wikt:en:paratus#Latin|paratos]] [[wikt:en:videat#Latin|videat]], <u>ut</u> [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] pro sua [[wikt:en:laus#Latin|laude]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculum]] [[wikt:en:recusent#Latin|recusent]],
**彼ら<small>〔兵士たち〕</small>が己の賞賛のためにいかなる危険をも辞さない心積もりであると<small>(カエサルは)</small>見て取ったので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sīc]] ~, [[wikt:en:ut#Latin|ut]] ・・・「…であるように~である」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:pro sua laude 「自らの賞賛のために」は、「カエサルの賞賛のために」と解することもできる。<br> しかし、共和制国家に忠誠を誓っているはずの兵士らが、カエサル個人のために命を投げ出そうとする記述は、<br> 野心家カエサルが軍隊を私兵化しようとしている野望をさらけ出すことになり、政敵たちを利することになる。)</span>
*[[wikt:en:summus#Latin|summae]] se [[wikt:en:iniquitas#Latin|iniquitatis]] [[wikt:en:condemnari#Latin|condemnari]] [[wikt:en:debere#Latin|debere]], [[wikt:en:nisi#Conjunction|nisi]] eorum [[wikt:en:vita#Latin|vitam]] sua [[wikt:en:salus#Latin|salute]] [[wikt:en:habeat#Latin|habeat]] [[wikt:en:carior#Latin|cariorem]].
**<small></small>彼ら<small>〔兵士〕</small>の生命を己<small>〔カエサル〕</small>の安全より貴重と思わない限り、自分<small>〔カエサル〕</small>は極度の不正のために告発されるに違いない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:すでにサビーヌスら多くのローマ市民が戦死しており、ここでさらに多くのローマ市民を死なせることは、<br> カエサルから軍隊を取り上げることを主張していた政敵たちから厳しく糾弾されることになったであろう。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Sic [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:consolatus#Latin|consolatus]]
**<small>(カエサルは)</small>このように兵士たちを<ruby><rb>宥</rb><rp>(</rp><rt>なだ</rt><rp>)</rp></ruby>めて、
*eodem die [[wikt:en:reducit#Latin|reducit]] in castra
**同日に陣営の中に連れ戻して、
*[[wikt:en:reliquus#Latin|reliqua]]<nowiki>que</nowiki> quae ad [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] <u>[[wikt:en:pertinebant#Latin|pertinebant]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidi]]</u> [[wikt:en:administrare#Latin|administrare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]].
**城塞都市<small>〔アウァーリクム〕</small>の攻略に関わっているほかのことに従事することを決めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系・B・M・S写本では pertinebant oppidi の語順だが、<br> L・N・β系写本では oppidi pertinebant の語順となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===20節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/20節]] {{進捗|00%|2026-05-04}}</span>
;ウェルキンゲトリークスが味方に弁明し、捕虜に問い質す
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]], cum ad suos [[wikt:en:redisset#Latin|redisset]], [[wikt:en:proditio#Latin|proditionis]] [[wikt:en:insimulatus#Latin|insimulatus]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、味方のもとに戻った際に、<small>(以下のことで)</small>裏切りだと非難されていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] ~ で箇条書き。)</span>
*quod [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:propius#Latin|propius]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] [[wikt:en:movisset#Latin|movisset]],
**陣営をローマ人たちのより近くに移動させていたこと、
*quod cum omni [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatu]] [[wikt:en:discessisset#Latin|discessisset]],
**全[[w:騎兵|騎兵隊]]とともに<small>(陣営を)</small>離れていたこと、
*quod sine [[wikt:en:imperium#Latin|imperio]] [[wikt:en:tantus#Latin|tantas]] [[wikt:en:copiae#Latin|copias]] [[wikt:en:reliquisset#Latin|reliquisset]],
**司令権<small>(を持つ者)</small>なしに、これほど多くの軍勢を置き去りにしていたこと、
*quod eius [[wikt:en:discessus#Noun|discessu]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romani]] [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitate]] et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] [[wikt:en:venissent#Latin|venissent]];
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の退去によりローマ人がこれほどの好機とこれほどの迅速さでやって来ていたこと、である。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> non haec omnia [[wikt:en:fortuito#Latin|fortuito]] aut sine [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:accido#Etymology_1|accidere]] [[wikt:en:potuisse#Latin|potuisse]];
**──これらすべてが偶然に、あるいは謀りごとなしに起こることはあり得なかったのだ。
*[[wikt:en:regnum#Latin|regnum]] illum Galliae <u>malle</u> Caesaris [[wikt:en:concessus#Noun|concessu]] <u>quam</u> ipsorum habere [[wikt:en:beneficium#Latin|beneficio]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は<small>(ガッリア人)</small>自身の厚遇を得ることよりもむしろカエサルの許しにより[[w:ガリア|ガッリア]]の王権<small>(を持つこと)</small>を好んでいるのだ。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:malle#Latin|malle]] ~ quam …「…よりも、むしろ~を好む(選ぶ)」)</span>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェルキンゲトリークスが王権を望むあまり、同盟部族の生命をカエサルに売り渡したということである。)</span>
[[画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の横顔が刻まれたガッリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
:
; ━━ウェルキンゲトリークスの弁明が始まる━━
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:talis#Latin|tali]] [[wikt:en:modus#Latin|modo]] [[wikt:en:accusatus#Latin|accusatus]]
**こんな風に非難されて、
*ad haec [[wikt:en:respondit#Latin|respondit]]:
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>これらのことへ答えた。
*Quod [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:movisset#Latin|movisset]],
**陣営を移動させていたことは、
*[[wikt:en:factus#Latin|factum]] [[wikt:en:inopia#Latin|inopia]] [[wikt:en:pabulum#Latin|pabuli]],
**[[w:糧秣|糧秣]]の欠乏によりなされたのであり、
*etiam ipsis [[wikt:en:hortans#Latin|hortantibus]];
**<small>(ガッリア人たち)</small>自身が熱心に勧めることさえしているのだ。
*quod [[wikt:en:propius#Latin|propius]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] [[wikt:en:accessisset#Latin|accessisset]],
**ローマ人たちのより近くに近寄っていたことは、
*[[wikt:en:persuasus#Latin|persuasum]] loci [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitate]], qui se <u>ipsum</u> [[wikt:en:munitio#Latin|munitione]] [[wikt:en:defenderet#Latin|defenderet]];
**<small>(移動先の丘陵が)</small>それ自体を<small>(沼地という天然の)</small>要害により守っているという地の利に納得させられたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上記の se <u>ipsum</u> munitione defenderet 「そのものを防御物によって守る」は主要写本 ω の記述で、<br>''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Bentley,_Thomas|Th. Bentley]]'' は se <u>ipse sine</u> munitione defenderet 「そのものが防御物なしで守る」と修正提案している。)</span>
:
; 騎兵は、湿地帯での任務に適していない
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:eques#Latin|equitum]] vero [[wikt:en:opera#Latin|operam]]
**騎兵たちの働きはまさに、
*neque in loco [[wikt:en:paluster#Latin|palustri]] [[wikt:en:desiderari#Latin|desiderari]] [[wikt:en:debuisse#Latin|debuisse]]
**沼沢地において望まれるべきものではなかったし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:湿地・沼地では、ぬかるみに馬の足が取られるため、<br> 騎兵の長所である機動力が著しく低下し、<br> 速さを活かした偵察・突撃・迂回・追撃などがし難くなる。)</span>
*et [[wikt:en:illic#Adverb|illic]] fuisse [[wikt:en:utilis#Latin|utilem]], quo sint [[wikt:en:profectus#Participle_2|profecti]].
**<small>(騎兵たちが)</small>発って行ったところにおいては有効だったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#16節|16節]]冒頭の説明によれば、<br> ウェルキンゲトリークスが最初に宿営した場所は、<br> アウァーリクムから16マイル離れ、沼地や森林に守られていた。<br> [[#19節|19節]]では、より近い、沼地に囲まれたゆるやかな丘陵に移動したという。<br> この移動前後の地勢の優劣を、カエサルは必ずしも明瞭に説明していない。)</span>
:
; 兵は拙速を尊ぶ
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:summa#Latin|Summam]] [[wikt:en:imperium#Latin|imperii]]
**<small>(軍勢の)</small>最高司令権は、
*se [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] [[wikt:en:nullus#Latin|nulli]] [[wikt:en:discedens#Latin|discedentem]] [[wikt:en:tradidisse#Latin|tradidisse]],
**<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自らが意図的に、立ち去るに当たって、誰にも委託しなかった。
*[[wikt:en:ne#Latin|ne]] is [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudinis]] [[wikt:en:studium#Latin|studio]] ad [[wikt:en:dimicandus#Latin|dimicandum]] [[wikt:en:impelleretur#Latin|impelleretur]];
**その者が大勢の熱意によって<small>(ローマ人と)</small>闘うことに駆り立てられないように、である。
*cui rei <u>propter animi [[wikt:en:mollities#Latin|mollitiem]]</u> [[wikt:en:studere#Latin|studere]] omnes [[wikt:en:videret#Latin|videret]],
**その事<small>〔闘って決着を付けること〕</small>を、<u>心の柔弱さのゆえに</u>、皆が求めたがっている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「心の柔弱さのゆえに、闘いがしたくなる」というのは、<br> 一見すると奇妙に感じられるが、ここでの柔弱さ([[wikt:en:mollities#Latin|mollities]])とは、<br> 長期の攻囲戦の労苦や疲弊に持ちこたえる忍耐力のなさを指し、<br> 長い苦難から逃避するために早期決戦を志向する心理を意味すると考えられる。)</span>
*quod [[wikt:en:diutius#Latin|diutius]] [[wikt:en:labor#Latin|laborem]] ferre non [[wikt:en:possent#Latin|possent]].
**──というのは、<small>(兵は)</small>より長く<small>(攻囲戦の)</small>労苦に耐えることができないからだ──。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[w:孫子 (書物)|孫子]]に曰く「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを<ruby><rb>睹</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby>ざるなり」<ref>[[wikt:en:故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり|故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり]]
「戦争というものは、拙劣に短期決戦を挑んだ事例は聞くが、巧妙に長期戦を続けた事例は聞かない」の意。長い戦争は人々を消耗させ、疲弊させてしまう。</ref>)</span>
:
; ローマ人は、闘わずに退却したではないか
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Romani si [[wikt:en:casu#Latin|casu]] [[wikt:en:intervenerint#Latin|intervenerint]], [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunae]],
**もしローマ人たちが偶然に現われたのならば、命運に<small>(感謝するべきであり)</small>、
*si [[wikt:en:alicuius#Latin|alicuius]] [[wikt:en:indicium#Latin|indicio]] [[wikt:en:vocatus#Latin|vocati]], huic [[wikt:en:habendus#Latin|habendam]] [[wikt:en:gratia#Latin|gratiam]],
**もし<small>(ローマ人たちが)</small>何者かの申し立てに呼ばれて来たのならば、その者に感謝するべきだ。
*quod <u>et</u> [[wikt:en:paucitas#Latin|paucitatem]] eorum ex loco [[wikt:en:superior#Latin|superiore]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscere]]
**──というのは、より高い位置から彼ら<small>〔ローマ人〕</small>の少なさを知ることも、
*<u>et</u> [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]] [[wikt:en:despicio#Latin|despicere]] [[wikt:en:potuerint#Latin|potuerint]],
**<small>(ローマ人の)</small>武勇とやらを見下すこともできたのだから。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~ et …「~も…も」)</span>
*qui [[wikt:en:dimico#Latin|dimicare]] non [[wikt:en:ausus#Participle|ausi]]
**彼ら<small>〔ローマ人〕</small>は闘うことをあえてせずに、
*[[wikt:en:turpiter#Latin|turpiter]] se in castra [[wikt:en:receperint#Latin|receperint]].
**見苦しくも陣営に退却したのだ──。
:
; ガッリア人が勝つのだから、カエサルに寝返るはずがない
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:imperium#Latin|Imperium]] se <u>ab</u> Caesare per [[wikt:en:proditio#Latin|proditionem]] [[wikt:en:nullus#Latin|nullum]] [[wikt:en:desidero#Latin|desiderare]],
**自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、カエサルから裏切りを通じて、どのような司令権も望んではいない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上の (2) 項では、味方のガッリア人たちは、ウェルキンゲトリークスが<br> カエサルにより [[wikt:en:regnum#Latin|regnum]](王権、支配権)を得ようとしていると非難したのに対し、<br> 彼は [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]](軍隊司令権、または支配権)という言葉を巧妙に引きずって答えている。<br> もちろん、言葉を変えたのは、筆者カエサル自身であろう。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。)</span>
*quod habere [[wikt:en:victoria#Latin|victoria]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]],
**<small>(支配権は、ローマ人に対する)</small>勝利によって得られるものであり、
*quae iam esset sibi atque omnibus [[wikt:en:Galli#Latin|Gallis]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorata]];
**<small>(勝利は)</small>もはや自分とすべてのガッリア人にとって確実なものとされているのだ。
*quin etiam ipsis <u>remittere</u>,
**いやそればかりか<small>(以下の様であれば、ガッリア人たち)</small>自身に<small>(司令官職を)</small>返還しているだろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:remitto#Latin|remittere]] は、写本Sの記述および ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Stephanus_(Estienne)|Stephanus]]'' や ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vascosanus|Vascosanus]]'' による修正提案で、<br> β系・χ系写本・写本B・M・L・N では [[wikt:en:remitteret#Latin|remitteret]] となっている。)</span>
*si sibi <u>magis</u> [[wikt:en:honor#Latin|honorem]] [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuere]], <u>quam</u> ab se [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:accipio#Latin|accipere]] [[wikt:en:videantur#Latin|videantur]].
**もし<small>(ガッリア人が)</small>自分から安全を受け取っているよりも、むしろ顕職を自分に授けていると思っているのならば、だが。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:magis#Latin|magis]] ~, quam …「…というよりは、むしろ~」)</span>
:
; 捕虜のローマ人たちに訊いてみなさい
*<!--❽--><sup>(8)</sup> <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> Haec ut [[wikt:en:intellegatis#Latin|intellegatis]], <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:inquit#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> a me [[wikt:en:sincere#Latin|sincere]] [[wikt:en:pronuntiari#Latin|pronuntiari]], [[wikt:en:audite#Latin|audite]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanos]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]]. <span style="color:#009900;">»</span> </span>
**「これらは諸君が理解しているように、私により率直に示された。ローマ兵たちに聞いてみよ」と言った。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span> </span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span>
:
*<!--❾--><sup>(9)</sup> [[wikt:en:producit#Latin|Producit]] [[wikt:en:servus#Latin|servos]], quos in [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulatione]] paucis ante diebus [[wikt:en:exceperat#Latin|exceperat]] et [[wikt:en:fames#Latin|fame]] [[wikt:en:vinculum#Latin|vinculis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:excruciaverat#Latin|excruciaverat]].
**数日前に糧秣徴発しているのを<small>(彼が)</small>ひっ捕らえて、飢えと鎖で拷問していたところの奴隷たちを引き出す。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:calo#Noun_5|cālō]] カーロー(軍属奴隷)と呼ばれる輜重や陣営を管理する奴隷たちのことであろう。)</span>
:
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Hi iam ante [[wikt:en:edoctus#Latin|edocti]], quae [[wikt:en:interrogatus#Latin|interrogati]] [[wikt:en:pronuntiarent#Latin|pronuntiarent]],
**彼ら<small>〔奴隷〕</small>は、すでに前もって<small>(ガッリア勢から)</small>訊問された際に語ることを<small>(ローマ人から)</small>教え込まれており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは奴隷たちが誰に教え込まれたのか明記していないため、<br> ウェルキンゲトリークスに教え込まれたと訳している場合もある。)</span>
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]] se esse [[wikt:en:legionarius#Latin|legionarios]] [[wikt:en:dicunt#Latin|dicunt]];
**自分たちは[[w:軍団兵|軍団兵]]であると言った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:糧秣徴発に出かけていた者は、たとえ軍団兵でも軽装であったであろうが、<br> 奴隷たちは、もともと戦争で捕虜になったガッリア人たち等であったと考えられるので、<br> 地中海人種のローマ人とは容易に見分けが付きそうなものではある。)</span>
*[[wikt:en:fames#Latin|fame]] <u>et</u> [[wikt:en:inopia#Noun_2|inopia]] [[wikt:en:adductus#Latin|adductos]] [[wikt:en:clam#Latin|clam]] ex castris [[wikt:en:exisse#Latin|exisse]], si [[wikt:en:aliquis#Latin|quid]] [[wikt:en:frumentum#Latin|frumenti]] aut [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] in agris [[wikt:en:reperio#Latin|reperire]] [[wikt:en:possent#Latin|possent]];
**<small>(奴隷たち曰く)</small>飢えと欠乏に動かされて、何か穀物または家畜が野に見出せないかと、ひそかに陣営から抜け出した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et はα系写本の記述で、β系写本では atque となっている。)</span>
:
*<!--⓫--><sup>(11)</sup> [[wikt:en:similis#Latin|simili]] omnem [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:inopia#Noun_2|inopia]] [[wikt:en:premi#Latin|premi]],
**<small>(ローマ人の)</small>全軍隊が同様の欠乏に悩まされて、
*<u>nec</u> iam [[wikt:en:vis#Latin|vires]] [[wikt:en:sufficio#Latin|sufficere]] [[wikt:en:quisquam#Latin|cuiusquam]] <u>nec</u> ferre [[wikt:en:opus#Latin|operis]] [[wikt:en:labor#Latin|laborem]] posse;
**もはや<small>(兵士の)</small>誰もが十分な能力がなく、<small>(城攻めの)</small>作業の労苦に耐えることができない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:nec ~ nec …「~でもなく、…でもない」)</span>
*itaque [[wikt:en:statuisse#Latin|statuisse]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatorem]], si [[wikt:en:nihil#Latin|nihil]] in [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] oppidi <u>profecissent</u>, [[wikt:en:triduum#Latin|triduo]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:deduco#Latin|deducere]].
**こうして将軍<small>〔カエサル〕</small>は、もし城塞都市の攻略において何ら得られないならば、3日間で軍隊を連れ帰ると決めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本S・L・Nでは [[wikt:en:profecissent#Latin|profecissent]]<sub> (3人称・<u>複数</u>・過去完了・接続法)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:profecisset#Latin|profecisset]]<sub> (3人称・<u>単数</u>・過去完了・接続法)</sub> となっており、<br> χ系および写本B・Mでは proficissent という綴りになっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--⓬--><sup>(12)</sup> <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> Haec, <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:inquit#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> a me, <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]],
**「これぞ」「私によって」とウェルキンゲトリークスは言った。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span> </span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span>
*<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> [[wikt:en:beneficium#Latin|beneficia]] [[wikt:en:habetis#Latin|habetis]], quem [[wikt:en:proditio#Latin|proditionis]] [[wikt:en:insimulatis#Verb|insimulatis]];
**「裏切りだと諸君が糾弾している<small>(私という)</small>者のおかげで得ているのだ。
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> cuius [[wikt:en:opera#Latin|opera]] sine [[wikt:en:vester#Latin|vestro]] [[wikt:en:sanguis#Latin|sanguine]]
**その<small>(私という)</small>者の尽力により、諸君らの流血なしに、
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> tantum [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:victor#Latin|victorem]] [[wikt:en:fames#Latin|fame]] <u>paene</u> [[wikt:en:consumptus#Latin|consumptum]] [[wikt:en:videtis#Latin|videtis]];
**これほどの軍隊の勝利者<small>〔ローマ人〕</small>を飢えにより、ほとんど滅ぼしたのを諸君は見ているのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:paene は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> quem [[wikt:en:turpiter#Latin|turpiter]] se ex <u>hac</u> fuga [[wikt:en:recipiens#Latin|recipientem]]
**彼ら<small>〔ローマ人〕</small>が見苦しくもこのような逃亡から退却したところを、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:hac は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> ne [[wikt:en:aliqua#Pronoun|qua]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]] suis finibus [[wikt:en:recipiat#Latin|recipiat]],
**<small>(それらの退却したローマ人を)</small>どの部族も自らの領土に受け入れないように、
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> a me [[wikt:en:provisus#Latin|provisum]] est. <span style="color:#009900;">»</span> </span>
**私<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>により、手配された。」
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===21節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/21節]] {{進捗|00%|2026-05-10}}</span>
;ウェルキンゲトリークスの誠心とアウァーリクムの重要性を確認
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:conclamat#Latin|Conclamat]] omnis [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudo]]
**群集すべてが雄叫びを上げて、
*et suo [[wikt:en:mos#Latin|more]] [[wikt:en:arma#Latin|armis]] [[wikt:en:concrepat#Latin|concrepat]],
**自分たちの慣習で武具を打ち鳴らす。
*quod facere in eo [[wikt:en:consuerunt#Verb_2|consuerunt]], cuius [[wikt:en:oratio#Latin|orationem]] [[wikt:en:adprobant#Latin|adprobant]];
**<small>(演説した)</small>その者の雄弁に賛同したら、その者に対してそれをすることが常であったのだ。
*summum esse [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:dux#Latin|ducem]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は最高の将帥であり、
*<u>nec</u> de eius [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:dubitandus#Latin|dubitandum]],
**彼の信義については疑念を抱くべきではなく、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:nec#Latin|nec]] ~, nec …「~でもないし、…でもない」)</span>
*<u>nec</u> [[wikt:en:maior#Latin|maiore]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] bellum [[wikt:en:administrari#Latin|administrari]] posse.
**これ以上の作戦で戦争を指導することはできない<small>(と、叫んで武具を打ち鳴らす)</small>。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:statuunt#Latin|Statuunt]], ut decem<sub> (X)</sub> milia hominum [[wikt:en:delectus#Latin|delecta]] ex omnibus [[wikt:en:copiae#Latin|copiis]] in oppidum <u>mittantur</u>,
**<small>(彼らは)</small>すべての軍勢から選り抜かれた兵員1万を<small>(アウァーリクムの)</small>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の中に派遣すると決定する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:mittantur#Latin|mittantur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:submittantur#Latin|submittantur]] となっている。)</span>
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> nec [[wikt:en:solus#Latin|solis]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:communis#Latin|communem]] [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:committendus#Latin|committendam]] [[wikt:en:censent#Latin|censent]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の安全をビトゥリゲース族だけに託すべきではないと考える。
*quod <u>penes eos</u>, si id oppidum [[wikt:en:retinuissent#Latin|retinuissent]],
**というのは、<u>彼らのもとで</u>、その城塞都市を維持したか否かが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> 主要写本ω では [[wikt:en:penes#Latin|penes]] eos 「彼らのもとで」だが、<br> オックスフォード写本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Codex_Oxoniensis_Andino|codd. Andino. Oxon.]]'' や ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]]'' は paene in eo 「ほぼそのことにおいて」としている。)</span>
*[[wikt:en:summa#Latin|summam]] victoriae [[wikt:en:consto#Latin|constare]] [[wikt:en:intellegebant#Latin|intellegebant]].
**勝利の天王山を確かなものにすること、を理解していたからである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===22節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/22節]] {{進捗|00%|2026-06-01}}</span>
;アウァーリクムの籠城ガッリア勢が坑道戦で攻防に努める
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:singularis#Latin|Singulari]] [[wikt:en:miles#Latin|militum]] nostrorum [[wikt:en:virtus#Latin|virtuti]]
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の兵士の卓越した武勇に、
*[[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] [[wikt:en:quisque#Latin|cuiusque]] [[wikt:en:modus#Latin|modi]] [[wikt:en:Galli#Latin|Gallorum]] [[wikt:en:occurrebant#Latin|occurrebant]],
**<small>(敵勢は)</small>ガッリア人のあらゆる流儀の方策で抗戦していた。
*ut est summae [[wikt:en:genus#Latin|genus]] [[wikt:en:sollertia#Latin|sollertiae]]
**確かに<small>(ガッリア人は)</small>このうえなく器用な種族であり、
*atque ad [[wikt:en:omnia#Noun|omnia]] [[wikt:en:imitandus#Latin|imitanda]] et [[wikt:en:efficiendus#Latin|efficienda]], quae ab [[wikt:en:quisque#Latin|quoque]] [[wikt:en:traduntur#Latin|traduntur]], [[wikt:en:aptissimus#Latin|aptissimum]].
**誰かによって教えられることすべてを模倣すること、造り出すことにとても適しているのだ。
:
; 鉄鉱山の土地柄で、坑道戦を展開する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Nam <u>et</u> [[wikt:en:laqueus#Latin|laqueis]] [[wikt:en:falx#Latin|falces]] [[wikt:en:avertebant#Latin|avertebant]],
**すなわち、輪縄で<small>(ローマ勢の)</small>破城鎌をそらし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~, et …「~でもあり、…でもある」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:破城鎌([[w:en:Falx|falx]])については、右図や[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照)</span>
[[画像:Falx_bgiu.png|thumb|right|250px|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)]]
[[画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|thumb|right|250px|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。]]
*quas, cum [[wikt:en:destinaverant#Latin|destinaverant]],
**それを縛り付けておいてから、
*[[wikt:en:tormentum#Latin|tormentis]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]] [[wikt:en:reducebant#Latin|reducebant]],
**巻揚げ機で<small>(城塞都市の)</small>内部に引き込んでいたし、
*<u>et</u> [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculis]] [[wikt:en:subtrahebant#Latin|subtrahebant]],
**<small>(ローマ勢の)</small><ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を[[w:坑道|坑道]]によって陥没させたりもした。
*<u>eo</u> [[wikt:en:scienter#Latin|scientius]]
**<small>(以下の理由により、彼らはそのことに)</small>より習熟しているのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:eo#Pronoun_5|eō]] ~ [[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] …「…という理由で~」)</span>
*<u>quod</u> apud eos magnae sunt [[wikt:en:ferraria#Latin|ferrariae]]
**──というのも、彼らのもとには多くの[[w:鉄鉱石|鉄鉱]]山があり、
*atque [[wikt:en:omnis#Latin|omne]] [[wikt:en:genus#Latin|genus]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculorum]] [[wikt:en:notus#Latin|notum]]
**坑道のあらゆる類いが知られていて
*atque [[wikt:en:usitatus#Latin|usitatum]] est.
**慣れていただけに<small>(習熟しているのだ)</small>。──
:
; アウァーリクムの全周に防御のための櫓を建てる
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:totus#Latin|Totum]] autem [[wikt:en:murus#Latin|murum]] ex omni parte
**他方で、城壁の全体をあらゆる方向から、
*[[wikt:en:turris#Latin|turribus]] [[wikt:en:contabulaverant#Latin|contabulaverant]]
**<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>を<small>(何層にも)</small>構築しておいて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:動詞 [[wikt:en:contabulo#Latin|contabulare]] は「板張りする」。[[内乱記_第2巻#9節|『内乱記』第2巻9節]]には [[wikt:en:contabulatio#Latin|contabulatio]]「床板張り」という単語が出て来る。)</span>
*atque has [[wikt:en:corium#Latin|coriis]] [[wikt:en:intexerant#Latin|intexerant]].
**これらを皮革で覆っていた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Tum [[wikt:en:creber#Latin|crebris]] [[wikt:en:diurnus#Latin|diurnis]] [[wikt:en:nocturnus#Latin|nocturnis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionibus]]
**それから、たびたび昼間も夜間も出撃して、
*aut [[wikt:en:agger#Latin|aggeri]] [[wikt:en:ignis#Latin|ignem]] [[wikt:en:inferebant#Latin|inferebant]]
**あるいは土塁に火災を引き起こしたり、
*aut [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:occupatus#Latin|occupatos]] in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:adoriebantur#Latin|adoriebantur]],
**あるいは工事に従事している<small>(ローマ人)</small>兵士たちを襲撃したりした。
[[画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|thumb|right|200px|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。]]
*et nostrarum [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudinem]],
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の[[w:攻城塔|攻城櫓]]の高さを、
*[[wikt:en:quantum#Latin|quantum]] has [[wikt:en:cotidianus#Latin|cotidianus]] agger [[wikt:en:expresserat#Latin|expresserat]],
**毎日のようにこれらを<small>(ローマ側の)</small>土塁が押し出した分だけ、
*[[wikt:en:commissus#Latin|commissis]] suarum [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:malus#Noun_5|malis]] [[wikt:en:adaequabant#Latin|adaequabant]],
**自分たち<small>〔ガッリア勢〕</small>の櫓を、柱を組み立てることにより、<small>(ローマ側の櫓の高さと)</small>等しくしようとした。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> et [[wikt:en:apertus#Latin|apertos]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculos]]
**<small>(ローマ勢が掘削した)</small>坑道の露出したところを
*[[wikt:en:praeustus#Latin|praeusta]] et [[wikt:en:praeacutus#Latin|praeacuta]] [[wikt:en:materia#Latin|materia]]
**先端を焼いて尖らせた木材や、
*et [[wikt:en:pix#Latin|pice]] [[wikt:en:fervefactus#Latin|fervefacta]]
**熱した<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:pix は<ruby><rb>[[w:歴青|瀝青]]</rb><rp>(</rp><rt>れきせい</rt><rp>)</rp></ruby>と訳されることもあるが、とくに[[w:ピッチ (樹脂)|ピッチ]]を指す<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%82%8B-3173189 木タール] などを蒸留したあとに残る黒色の物質。</ref>。<br> [[w:歴青|瀝青]]は「ビチューメン」ともいい、ラテン語の [[wikt:en:bitumen#Latin|bitūmen]] に由来する。<br> [[w:ピッチ (樹脂)|ピッチ]]([[w:en:Pitch (resin)|Pitch]])は、ラテン語の [[wikt:en:pix#Latin|pix]] に由来する。)</span>
*et [[wikt:en:maximus#Latin|maximi]] [[wikt:en:pondus#Latin|ponderis]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] [[wikt:en:morabantur#Etymology_1|morabantur]]
**たいへんな重さの岩石で、<small>(ローマ勢の掘削を)</small>滞らせたり、
*[[wikt:en:moenia#Latin|moenibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:prohibebant#Latin|prohibebant]].
**<small>(ローマ勢が)</small>城壁に接近することを<small>(ガッリア勢が)</small>妨げたりしていた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===23節===
{{Commons|Category:Murus gallicus|Murus gallicus}}
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/23節]] {{進捗|00%|2026-06-14}}</span>
;ガッリア式城壁の構造
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:murus#Latin|Muri]] autem omnes [[wikt:en:Gallicus#Latin|Gallici]] hac fere [[wikt:en:forma#Latin|forma]] sunt.
**ところで、ガッリアの<ruby><rb>城壁</rb><rp>(</rp><rt>ムルス</rt><rp>)</rp></ruby>のすべては、ほぼ以下のような形態である。
:
; 木材を2ペースずつ等間隔で離して、ずっと並べていく
*<u>Trabes</u> [[wikt:en:derectus#Latin|derectae]] [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuae]] <u>in longitudinem</u>
**<u><ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby></u>が<small>(城壁の)</small><u><ruby><rb>長手方向</rb><rp>(</rp><rt>ロンギトゥードー</rt><rp>)</rp></ruby></u>に、<small>(垂直に)</small>真っ直ぐに、ずっと続いて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:trabs#Latin|trabes]] は、とくに梁のような水平材を指していると思われる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in [[wikt:en:longitudo#Latin|longitudinem]] は、ここでは、城壁に沿った長手方向を指す。)</span>
[[画像:Murus gallicus de Lyon Fourvière - Maquette de Nicolas Hirsch - Service Archéologique de la Ville de Lyon - Détail structure.jpg|thumb|right|300px|ガッリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:リヨン|リヨン市]]考古学局)。木材を約60cmの間隔で並べる。]]
*[[wikt:en:par#Latin|paribus]] [[wikt:en:intervallum#Latin|intervallis]], [[wikt:en:distans#Latin|distantes]] inter se [[wikt:en:binus#Latin|binos]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]],
**等間隔で、互いに2<u>ペース</u>ずつ離れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、2ペースは約60 cm弱。)</span>
*in [[wikt:en:solum#Latin|solo]] [[wikt:en:conlocantur#Latin|conlocantur]].
**<ruby><rb>地面</rb><rp>(</rp><rt>ソルム</rt><rp>)</rp></ruby>に配置される。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:右の画像を参照。)</span>
:
; 木材をつなぎ合わせ、土砂を埋めて、石材をかぶせる
[[画像:2018 Rheinisches Landesmuseum Trier, Keltischer Wehrmauer.jpg|thumb|right|300px|同じく城壁のジオラマ(独[[w:トリーア|トリーア市]])。]]
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:hae#Latin|Hae]] [[wikt:en:revinciuntur#Latin|revinciuntur]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]]
**これら<small>〔木材〕</small>は、内側で緊結されて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:明瞭な説明ではなく、肝心な記述が欠落している。<br> 上記の2ペースずつ等間隔で並べられた平行な木材は、<br> 節末で述べられるような40ペースの長い木材によって<br> 井桁状に組み合わされて、鉄の釘で固定されたようである。<br> 右上と右のジオラマの画像を参照。)</span>
*et [[wikt:en:multus#Latin|multo]] [[wikt:en:agger#Latin|aggere]] [[wikt:en:vestiuntur#Latin|vestiuntur]];
**多くの<ruby><rb>土砂</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>で覆われる。
*ea autem, quae [[wikt:en:diximus#Verb|diximus]], [[wikt:en:intervallum#Latin|intervalla]]
**さらに、前述した<small>(2ペースの)</small>間隔には、
*[[wikt:en:grandis#Latin|grandibus]] in [[wikt:en:frons#Latin:_forehead|fronte]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] <u>efferciuntur</u>.
**前面に大きな<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>が詰め込まれる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、ρ系写本・写本V では [[wikt:en:efferciuntur#Latin|efferciuntur]] と表記され、<br> α系写本・写本T では [[wikt:en:effarciuntur#Latin|effarciuntur]] と表記されるが、<br> [[w:母音弱化|母音弱化]]の語形である前者の方が、共和制末期のカエサルが用いたと考えられる。)</span>
[[画像:Keltenmauer.gif|thumb|right|280px|ガッリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。]]
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> His [[wikt:en:conlocatus#Latin|conlocatis]] et [[wikt:en:coagmentatus#Latin|coagmentatis]]
**<u>これら</u>が配置されて結び合わされると、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<u>これら</u> とは、上述の木材や石材のこと。)</span>
*alius [[wikt:en:insuper#Latin|insuper]] [[wikt:en:ordo#Latin|ordo]] [[wikt:en:additur#Latin|additur]],
**上に別の<ruby><rb>階層</rb><rp>(</rp><rt>オルドー</rt><rp>)</rp></ruby>が付け加えられる。
*ut idem illud [[wikt:en:intervallum#Latin|intervallum]] [[wikt:en:servetur#Latin|servetur]],
**その同じ<small>(2ペースの)</small>間隔が保たれて、
*neque inter se [[wikt:en:contingant#Latin|contingant]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabes]],
**かつ<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>が互いに接触しないように、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上下の層の水平材どうしが接触しないように、<br> 互い違いに並べているようである。)</span>
*sed [[wikt:en:par#Latin|paribus]] [[wikt:en:intermissus#Latin|intermissae]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatiis]] [[wikt:en:singulus#Latin|singulae]]
**けれども、等間隔で間をあけられたそれぞれ<small>(の木材)</small>は、
*[[wikt:en:singulus#Latin|singulis]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] [[wikt:en:interiectus#Latin|interiectis]]
**それぞれの<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>が間に挟まれることによって、
*[[wikt:en:arte#Adverb|arte]] [[wikt:en:contineantur#Latin|contineantur]].
**緊密に連結される。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Sic [[wikt:en:deinceps#Latin|deinceps]] omne [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:contexitur#Latin|contexitur]], [[wikt:en:dum#Latin|dum]] [[wikt:en:iustus#Latin|iusta]] [[wikt:en:murus#Latin|muri]] [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudo]] [[wikt:en:expleatur#Latin|expleatur]].
**このように、<ruby><rb>城壁</rb><rp>(</rp><rt>ムルス</rt><rp>)</rp></ruby>の十分な高さが満たされるまで、すべての<ruby><rb>工作物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>が続けて組み立てられる。
[[画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|thumb|right|300px|ガッリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガッリア壁)」と呼ばれるが、ガッリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。]]
:
; ガッリア式城壁は、外観が見事で、城塞都市の防御にも有益
:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、cum ~ tum … の構文「~だけでなく、また…でもある」。)</span>
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Hoc <u>cum</u> in [[wikt:en:species#Latin|speciem]] [[wikt:en:varietas#Latin|varietatem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:deformis#Latin|deforme]] non est [[wikt:en:alternus#Latin|alternis]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]] ac [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]],
**<ruby><rb>この</rb><rp>(</rp><rt>ホク</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>工作物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>は、互い違いの<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>により、変化に富む外観において不格好でなく、
*quae [[wikt:en:rectus#Latin|rectis]] [[wikt:en:linea#Latin|lineis]] suos [[wikt:en:ordo#Latin|ordines]] [[wikt:en:servant#Latin|servant]],
**──それら<small>〔木材と石〕</small>は真っ直ぐな線により、その<ruby><rb>階層</rb><rp>(</rp><rt>オルドー</rt><rp>)</rp></ruby>を保っているのだが──
*<u>tum</u> ad [[wikt:en:utilitas#Latin|utilitatem]] et [[wikt:en:defensio#Latin|defensionem]] [[wikt:en:urbs#Latin|urbium]]
**同様に、都市の防御の有益性のためにも、
*summam [[wikt:en:habet#Latin|habet]] [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitatem]],
**きわめて好都合となっている。
*quod et ab [[wikt:en:incendio#Latin|incendio]] [[wikt:en:lapis#Latin|lapis]] et ab [[wikt:en:aries#Latin|ariete]] [[wikt:en:materia#Latin|materia]] [[wikt:en:defendit#Latin|defendit]],
**──というのは、<ruby><rb>石材</rb><rp>(</rp><rt>ラピス</rt><rp>)</rp></ruby>が火災からも、<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>マーテリア</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>[[w:破城槌|破城槌]]</rb><rp>(</rp><rt>はじょうつい</rt><rp>)</rp></ruby>からも、防護しており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~ et …「~でもあり、…でもある」)</span>
*quae [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] [[wikt:en:quadragenus#Latin|quadragenos]] [[wikt:en:plerumque#Adverb|plerumque]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]] [[wikt:en:revinctus#Latin|revincta]]
**それ<small>〔短手方向の材木〕</small>は、たいてい40<u>ペース</u>にわたって<small>(長手方向に)</small>続く<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>により内部で緊結されており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、40ペースは約12メートル。)</span>
*neque [[wikt:en:perrumpi#Latin|perrumpi]] neque [[wikt:en:distrahi#Latin|distrahi]] potest.
**突破されることも、引きはがされることもできないからである。──
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===24節===
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|350px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァーリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]<small>([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)</small>。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/24節]] {{進捗|00%|2026-06-15}}</span>
;ローマ勢が徹夜の土塁工事、籠城ガッリア勢の攻勢
:
; ローマ勢が、25日間で大がかりな攻城設備を構築する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His [[wikt:en:tot#Latin|tot]] rebus [[wikt:en:impeditus#Latin|impedita]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]]
**これら多くの事情により攻囲が妨げられて、
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]],
**兵士たちは、
*cum [[wikt:en:totus#Etymology_1|toto]] tempore <u>luto</u> [[wikt:en:frigus#Latin|frigore]] et [[wikt:en:adsiduus#Latin|adsiduis]] [[wikt:en:imber#Latin|imbribus]] <u>tardarentur</u>,
**常時、<ruby><rb><u>泥土</u></rb><rp>(</rp><rt>ルトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>、寒さと絶え間ない<ruby><rb>雨嵐</rb><rp>(</rp><rt>イムベル</rt><rp>)</rp></ruby>によって遅らせられていたが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:lutum#Latin|luto]] は、β系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の二つ目は、<br> χ系・β系写本では [[wikt:en:tardarentur#Latin|tardarentur]] だが、<br> 写本B・M・Sでは traderentur、<br> 写本L・Nでは terrerentur などとなっている。)</span>
*tamen [[wikt:en:continens#Adjective|continenti]] [[wikt:en:labor#Latin|labore]] omnia haec [[wikt:en:superaverunt#Latin|superaverunt]]
**しかしながら、絶え間ない労働によってこれらすべてに打ち克って、
*et diebus XXV<small> ([[wikt:en:quinque#Latin|quinque]] et [[wikt:en:viginti#Latin|viginti]])</small>
**25日間で、
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:latus#Latin:_wide|latum]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] CCCXXX<small> ([[wikt:en:trecenti#Latin|trecenti]] [[wikt:en:triginta#Latin|triginta]])</small>, [[wikt:en:altus#Latin|altum]] pedes LXXX<small> ([[wikt:en:octoginta#Latin|octoginta]])</small> [[wikt:en:exstruxerunt#Latin|exstruxerunt]].
**幅330<u>ペース</u>、高さ80<u>ペース</u>の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、幅330ペースは約98メートル。高さ80ペースは約24メートル。)</span>
:
; アウァーリクムに籠城するガッリア勢が、攻囲するローマ勢の土塁に夜襲をしかける
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Cum is [[wikt:en:murus#Latin|murum]] hostium paene [[wikt:en:contingeret#Latin|contingeret]],
**それ<small>〔ローマ側の土塁〕</small>が敵の城壁にほとんど接しようとしていたとき、
*et Caesar ad [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudine]] [[wikt:en:excubaret#Latin|excubaret]]
**かつ、カエサルが習慣により作業のそばで寝ずの番をしていて、
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:hortaretur#Latin|hortaretur]], ne [[wikt:en:aliquod#Latin|quod]] [[wikt:en:omnino#Latin|omnino]] [[wikt:en:tempus#Latin|tempus]] ab [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:intermitteretur#Latin|intermitteretur]],
**いかなる時も作業がまったく中断されないように、と兵士たちを励ましていたときに、
*paulo ante tertiam [[wikt:en:vigilia#Latin|vigiliam]]
**第三夜警時の少し前に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:第三夜警時は、真夜中から日の出までの時間帯の前半。「未明」<br> [[古代ローマの不定時法#夜警時|#夜警時]] を参照。)</span>
*est [[wikt:en:animadversus#Participle|animadversum]] [[wikt:en:fumo#Latin|fumare]] [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]],
**土塁に煙が上がっていることが気付かれた。
*quem [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculo]] hostes [[wikt:en:succenderant#Latin|succenderant]];
**<small>(その土塁を)</small>[[w:坑道|坑道]]によって敵たちが焼き討ちしていたものである。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:idem#Latin|eodem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:tempus#Latin|tempore]]
**そして同時に、
*[[wikt:en:totus#Latin|toto]] [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:sublatus#Latin:_raised|sublato]],
**<small>(アウァーリクムの)</small>城壁全体で雄叫びが上がって、
*duabus portis ab [[wikt:en:uterque#Latin|utroque]] [[wikt:en:latus#Latin:_side|latere]] [[wikt:en:turris#Latin|turrium]]
**二つの城門より、<small>(ローマ勢の)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]の両方の側面から
*[[wikt:en:eruptio#Latin|eruptio]] [[wikt:en:fiebat#Latin|fiebat]].
**<small>(ガッリア勢による)</small>突撃がなされていた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Alii [[wikt:en:fax#Latin|faces]] atque [[wikt:en:aridus#Latin|aridam]] <u>materiam</u> de [[wikt:en:murus#Latin|muro]] in [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:eminus#Latin|eminus]] [[wikt:en:iaciebant#Latin|iaciebant]],
**<small>(ガッリア勢の)</small>他の者たちは、<ruby><rb>[[w:たいまつ|松明]]</rb><rp>(</rp><rt>たいまつ</rt><rp>)</rp></ruby>および乾いた材木を、城壁から<small>(ローマ側の)</small>土塁に、遠くから投げ込んで、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では [[wikt:en:materiam#Latin|materiam]] だが、<br> α系写本では [[wikt:en:materiem#Latin|materiem]] となっている。<br> 文法学者[[w:カエサレアのプリスキアヌス|プリスキアーヌス]]は、カエサルの文法書 "De Analogia" について materiam と引用している。)</span>
*[[wikt:en:pix#Latin|picem]] [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquas]]<nowiki>que</nowiki> res, quibus [[wikt:en:ignis#Latin|ignis]] [[wikt:en:excitari#Latin|excitari]] potest, [[wikt:en:fundebant#Latin|fundebant]],
**<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、火を燃え立たせられるほかのもの<small>〔可燃物〕</small>を注ぎ込んだ。
*ut, [[wikt:en:quo#Latin:_where|quo]] primum <u>curreretur</u> aut cui rei [[wikt:en:ferretur#Latin|ferretur]] [[wikt:en:auxilium#Latin|auxilium]],
**それで、まずどこに駆け付けるのか、あるいはどの事態に支援がなされるのか、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:curreretur#Latin|curreretur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:occurreretur#Latin|occurreretur]] となっている。)</span>
*vix [[wikt:en:ratio#Latin|ratio]] [[wikt:en:iniri#Latin|iniri]] posset.
**<small>(ローマ兵には)</small>ほとんど分別され得なかった。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Tamen, quod [[wikt:en:institutum#Latin|instituto]] Caesaris <u>semper duae</u> [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] pro [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:excubabant#Latin|excubabant]]
**しかしながら、カエサルの定めにより常に2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が陣営の前に寝ずの番をしていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の語順では semper duae だが、<br> β系写本の語順では duae semper となっている。)</span>
*[[wikt:en:plus#Latin|plures]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] [[wikt:en:tempus#Latin|temporibus]] erant in [[wikt:en:opus#Latin|opere]],
**かつ、より多くの者たちが時間を割り当てられて作業していたので、
*celeriter [[wikt:en:factus#Latin|factum]] est,
**<small>(防戦は)</small>速やかになされた。
*ut <u>alii</u> [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionibus]] [[wikt:en:resisterent#Latin|resisterent]],
**ある者たちは<small>(ガッリア勢の)</small>突撃に抵抗しており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:alii ~ alii …「~する者もいれば、…する者もいる。」)</span>
*<u>alii</u> [[wikt:en:turris#Latin|turres]] [[wikt:en:reducerent#Latin|reducerent]]
**別のある者たちは[[w:攻城塔|攻城櫓]]を引き戻して、
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:interscinderent#Latin|interscinderent]],
**土塁を<small>(城壁側から)</small>切り離していた。
*omnis vero ex [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudo]] ad [[wikt:en:restinguendum#Verb|restinguendum]] [[wikt:en:concurreret#Latin|concurreret]].
**さらに陣営から大勢の皆が、消火するために急ぎ集まっていた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===25節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/25節]] {{進捗|00%|2026-06-29}}</span>
;籠城ガッリア勢が必死の防戦
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Cum in omnibus locis, <u>[[wikt:en:consumptus#Latin|consumpta]] iam reliqua parte noctis</u>, [[wikt:en:pugnaretur#Latin|pugnaretur]],
**<u>すでに夜も明けて</u>、至る所で戦われていたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の直訳は「すでに夜の残りの部分も費やされて」。)</span>
*[[wikt:en:semper#Latin|semper]]<nowiki>que</nowiki> hostibus [[wikt:en:spes#Latin|spes]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriae]] [[wikt:en:redintegraretur#Latin|redintegraretur]],
**かつ、常に敵たちにとって勝利の希望が蘇っており、
*<u>eo magis, quod</u> [[wikt:en:deustus#Latin|deustos]] [[wikt:en:pluteus#Latin|pluteos]] [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:videbant#Latin|videbant]] nec facile [[wikt:en:adire#Latin|adire]] [[wikt:en:apertus#Latin|apertos]] ad [[wikt:en:auxiliandum#Verb|auxiliandum]] [[wikt:en:animadvertebant#Latin|animadvertebant]],
**<span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">[[w:攻城塔|攻城櫓]]の<ruby><rb>障壁</rb><rp>(</rp><rt>プルテウス</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>焼き落された</rb><rp>(</rp><rt>デウストゥス</rt><rp>)</rp></ruby>のを見ていて、<ruby><rb>身を曝した者</rb><rp>(</rp><rt>アペルトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちが救援のために容易に近づけないのに気付いていた<u>のでなおさらだったが</u>、</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:eo magis quod|eo magis quod]] ~ 「~なので、その分だけ、より一層」。[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]も参照。)</span>
*[[wikt:en:semper#Latin|semper]]<nowiki>que</nowiki> ipsi [[wikt:en:recens#Adjective|recentes]] [[wikt:en:defessus#Latin|defessis]] [[wikt:en:succederent#Latin|succederent]]
**常に彼ら自身<small>〔籠城ガッリア勢〕</small>は新たな者たちが疲れ果てた者たちに交代しており、
*[[wikt:en:omnis#Latin|omnem]]<nowiki>que</nowiki> Galliae [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] <u>in illo [[wikt:en:vestigium#Latin|vestigio]] temporis [[wikt:en:positus#Participle|positam]] <span style="color:#009900;"><small>(esse)</small></span></u> [[wikt:en:arbitrarentur#Latin|arbitrarentur]],
**ガッリアのすべての安全が、<u>その瞬間にかかっている</u>と思われていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の直訳は「その時の足跡(瞬間)に置かれている」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以上の cum ~ arbitrarentur, が状況や理由を説明する副文で、以下が主文となっている。)</span>
*[[wikt:en:accidit#Etymology_1|accidit]] [[wikt:en:inspectans#Latin|inspectantibus]] nobis,
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>が見ているなかで起こったのは、
*[[wikt:en:quod#Pronoun|quod]] [[wikt:en:dignus#Latin|dignum]] [[wikt:en:memoria#Latin|memoria]] [[wikt:en:visus#Participle|visum]] [[wikt:en:praetereundus#Latin|praetereundum]] non [[wikt:en:existimavimus#Latin|existimavimus]].
**記憶に値すると思われたことを<small>(我がローマ勢が)</small>見過ごすべきではないと考えていたことである。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この主文の主語を省略せずに記せば、以下のようになる。<br> [id], quod dignum memoria visum [esse] praetereundum [esse] non existimavimus.)</span>
[[画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])。]]
[[画像:Balliste_fireing.jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元。]]
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:quidam#Determiner|Quidam]] ante portam oppidi [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallus]], <u>qui</u>
**城塞都市の城門の前にいた、ある<small>(1人の)</small>ガッリア人が、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の qui は、β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*per [[wikt:en:manus#Latin:_hand|manus]] [[wikt:en:sebum#Latin|sebi]] ac [[wikt:en:pix#Latin|picis]] [[wikt:en:traditus#Participle|traditas]] [[wikt:en:glaeba#Latin|glaebas]]
**手から手へと渡された<ruby><rb>獣脂</rb><rp>(</rp><rt>セーブム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の塊を、
*in [[wikt:en:ignis#Latin|ignem]] <u>e regione</u> turris [[wikt:en:proiciebat#Latin|proiciebat]]:
**攻城櫓の正面にある火炎の中に投げ込んでいたが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:e_regione#Latin|ē regiōne]]「まっすぐに」「~の真向かいに」。)</span>
*[[wikt:en:scorpio#Latin|scorpione]] ab [[wikt:en:latus#Latin:_side|latere]] [[wikt:en:dexter#Latin|dextro]] [[wikt:en:traiectus#Participle|traiectus]]
**<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>で右の横腹を射られて、
*[[wikt:en:exanimatus#Latin|exanimatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:concidit#Verb|concidit]].
**息絶えて倒れた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Hunc ex [[wikt:en:proximus#Noun|proximis]] unus [[wikt:en:iacens#Latin|iacentem]] [[wikt:en:transgressus#Latin|transgressus]]
**彼が倒れているのを、すぐ近くの者たちのうちの1人が乗り越えて、
*[[wikt:en:idem#Latin|eodem]] illo [[wikt:en:munus#Latin|munere]] [[wikt:en:fungebatur#Latin|fungebatur]];
**その同じ<ruby><rb>任務</rb><rp>(</rp><rt>ムーヌス</rt><rp>)</rp></ruby>を果たしていた。
*[[wikt:en:idem#Latin|Eadem]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] [[wikt:en:ictus#Noun_4|ictu]] [[wikt:en:scorpio#Latin|scorpionis]] [[wikt:en:exanimatus#Latin|exanimato]]
**<small>(その第2の者が)</small>同様に<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>の射撃で息絶えさせられると
*alteri [[wikt:en:successit#Latin|successit]] tertius
**<small>(息絶えた)</small>第2の者に第3の者が代わって、
*et tertio quartus,
**<small>(さらに)</small>第3の者に第4の者が<small>(代わった)</small>。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> <u>nec prius</u> ille est a [[wikt:en:propugnator#Latin|propugnatoribus]] [[wikt:en:vacuus#Latin|vacuus]] [[wikt:en:relictus#Participle|relictus]] locus
**防戦者たちは、持ち場を放棄することがなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:直訳は「その場(ille locus)は、防戦者たちによって空<small>〔無人〕</small>にして置かれることがなかった。」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:nec [[wikt:en:prius#Adverb|prius]] ~ [[wikt:en:quam#Conjunction|quam]] …「…するまでは~しなかった」)</span>
*<u>quam</u> [[wikt:en:restinctus#Latin|restincto]] [[wikt:en:agger#Latin|aggere]] atque <u>omni ex parte</u> [[wikt:en:submotus#Latin|submotis]] hostibus [[wikt:en:finis#Latin:_end|finis]] est [[wikt:en:pugnandi#Verb|pugnandi]] [[wikt:en:factus#Latin:_done|factus]].
**<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が鎮火されて、そのすべての方面から敵たちが追い払われて、戦いに終止符が打たれる<u>までは</u>。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、omni <u>ex</u> parte は ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]'' による修正で、<br> α系写本では omni <u>ea</u> parte <br> β系写本では omni parte となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===26節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/26節]] {{進捗|00%|2026-07-13}}</span>
;アウァーリクム脱出の企て、女たちの絶叫
:
; 万策尽きたガッリア勢が、アウァーリクム脱出を企てる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:omnia#Noun|Omnia]] [[wikt:en:expertus#Participle|experti]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**ガッリア人たちはあらゆることを試みたが、
*quod res [[wikt:en:nullus#Determiner|nulla]] [[wikt:en:successerat#Latin|successerat]],
**何ら事が成功しなかったので、
*[[wikt:en:posterus#Latin|postero]] die [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:ceperunt#Latin|ceperunt]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]],
**<small>(戦いの夜が明けて)</small>翌日には、<small>(アウァーリクムの)</small><ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>から退避する計画を立てた。
*[[wikt:en:hortans#Latin|hortante]] et [[wikt:en:iubens#Latin|iubente]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]].
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]によって促され、命じられたものであった。
:
; 脱出をはかるガッリア勢の期待とその理由
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Id [[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] noctis [[wikt:en:conatus#Participle|conati]]
**そのこと<small>〔アウァーリクムからの退避〕</small>を夜の静けさのうちに試みても、
*non magna <u>iactura</u> suorum
**味方の大きな<ruby><rb>犠牲</rb><rp>(</rp><rt>ヤクトゥーラ</rt><rp>)</rp></ruby>もなしに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:iactura#Noun|iactura]] は「投げ捨てること」、比喩的に「損害、犠牲」。)</span>
*sese [[wikt:en:effecturus#Latin|effecturos]] <span style="color:#009900;"><small>(esse)</small></span> [[wikt:en:sperabant#Latin|sperabant]],
**自分たちは成し遂げるだろうと期待していた。
*<u>propterea quod</u> <u>neque</u> longe ab oppido [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigis]] [[wikt:en:aberant#Latin|aberant]],
**──というのも、ウェルキンゲトリークスの陣営は<small>(アウァーリクムの)</small></small><ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>からあまり離れていなかったし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:propterea_quod#Latin|propterea quod]] ~「なぜなら~からである」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~ et …「~ではなく、…である」)</span>
*<u>et</u> [[wikt:en:palus#Latin|palus]], <u>quae [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetua]]</u> [[wikt:en:intercedebat#Latin|intercedebat]], [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] ad [[wikt:en:insequendum#Verb|insequendum]] [[wikt:en:tardabat#Latin|tardabat]].
**沼地も絶え間なく介在していて、ローマ人たちの追跡を遅らせていたからだ。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:二つ目の下線部は、α系写本の語順は quae perpetua だが、<br> β系写本の語順は perpetua quae となっている。)</span>
:
; 母親たちが男たちに、女子供を置き去りにして敵のいけにえにするな、と哀願する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:iam#Latin|Iam]]<nowiki>que</nowiki> <u>hoc</u> facere [[wikt:en:noctu#Latin|noctu]] [[wikt:en:apparabant#Latin|apparabant]],
**すでに、<u>このことを</u>実行することを夜間に準備していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では [[wikt:en:haec#Latin|haec]]<sub> (中性・複数・対格)</sub> だが、<br> 最初の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Editio_princeps|ed.pr]] では [[wikt:en:hoc#Latin:_this|hoc]]<sub> (中性・単数・対格)</sub> としている。)</span>
*<u>cum</u> [[wikt:en:mater#Latin|matres]] [[wikt:en:familia#Latin|familiae]] [[wikt:en:repente#Adverb_2|repente]] in [[wikt:en:publicum#Noun|publicum]] [[wikt:en:procurrerunt#Latin|procurrerunt]],
**そのときに家族の母親たちが不意に公の場に走り出て来て、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の cum は、「倒逆のcum」([[wikt:en:cum inversum|cum inversum]])と呼ばれ、<br> cum 以下 ~ impediret までの副文が、上記の主文よりも重要な構文の中心になる。)</span>
*[[wikt:en:flens#Latin|flentes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:proiectus#Latin|proiectae]] ad [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] suorum
**泣きながら、味方<small>(の男たち)</small>の足元に<small>(身を)</small>投げ出して、
*omnibus [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] [[wikt:en:petierunt#Latin|petierunt]],
**あらゆる懇願でもって頼んだ。
*ne se et [[wikt:en:communis#Latin|communes]] [[wikt:en:liberi#Noun_2|liberos]] hostibus ad [[wikt:en:supplicium#Latin|supplicium]] [[wikt:en:dederent#Latin|dederent]],
**自分たち<small>〔女たち〕</small>と<small>(男たちとの)</small>共通の子供たちを、処刑されることのために敵方に引き渡さないで、
*<u>quos</u> ad [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendam]] [[wikt:en:fuga#Latin|fugam]] [[wikt:en:natura#Latin|naturae]] et [[wikt:en:vis#Latin|virium]] [[wikt:en:infirmitas#Latin|infirmitas]] [[wikt:en:impediret#Latin|impediret]].
**それらの者<small>〔女子供たち〕</small>が逃亡をとるためには、性質や体力の弱さが、妨げるのだ、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:quos#Latin|quos]]<sub> (男性・複数・対格)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:quas#Latin|quas]]<sub> (女性・複数・対格)</sub> となっている。)</span>
:
; 窮した母親たちが、男たちの脱出の兆候をローマ人に伝えようとする
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:ubi#Latin|Ubi]] eos in [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:perstare#Latin|perstare]] [[wikt:en:viderunt#Latin|viderunt]],
**彼ら<small>〔男たち〕</small>が<small>(女・子供を置き去りで脱出するという)</small>意思を固持していると<small>〔女たちが〕</small>見て取るや、
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] [[wikt:en:plerumque#Adverb|plerumque]] in [[wikt:en:summus#Latin|summo]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] [[wikt:en:timor#Latin|timor]] [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordiam]] non [[wikt:en:recipit#Latin|recipit]],
**──というのは、たいてい最大級の危険においては、恐怖が<ruby><rb>憐憫</rb><rp>(</rp><rt>れんびん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>情</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>を受け入れないものであるからだが、──
*[[wikt:en:conclamo#Latin|conclamare]] et [[wikt:en:significo#Latin|significare]] de [[wikt:en:fuga#Latin|fuga]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanis]] [[wikt:en:coeperunt#Latin|coeperunt]].
**<small>(女たちは)</small>叫び声を上げて、ローマ人たちに<small>(男たちの)</small>逃亡について知らしめ始めた。
:
; ガッリア勢の男たちが、ローマ側の騎兵隊を恐れて、アウァーリクム脱出を断念する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:qui#Determiner|Quo]] [[wikt:en:timor#Latin|timore]] [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**<small>(女たちがローマ側へ男たちの脱出について報知したことで)</small>その恐怖によって脅かされたガッリア人<small>(の男)</small>たちは、
*[[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ab [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] Romanorum [[wikt:en:via#Latin|viae]] [[wikt:en:praeoccuparentur#Latin|praeoccuparentur]],
**ローマ方の[[w:騎兵|騎兵隊]]によって道があらかじめ占拠されないように、
*[[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:destiterunt#Latin|destiterunt]].
**<small>(アウァーリクムからの脱出の)</small>計画を取り止めた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===27節===
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|300px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァーリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/27節]] {{進捗|00%|2026-08-01}}</span>
;ローマ軍が大雨の中でアウァーリクムの城壁を占拠
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Postero die Caesar,
**翌日にカエサルは、
*[[wikt:en:promotus#Latin|promota]] [[wikt:en:turris#Latin|turri]]
**<small>(後退していた)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]<small>(の1基)</small>が前進させられて、
*<u>perfectis</u><nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:opus#Latin|operibus]], quae facere [[wikt:en:instituerat#Latin|instituerat]],
**実施を定めていた作業が<u>成し遂げられると</u>、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> π系写本では [[wikt:en:perfectis#Latin|perfectīs]] 「完成されると」だが、<br> α系・ρ系写本では [[wikt:en:derectis#Latin|dērēctīs]] 「整えられると」<br> となっている。)</span>
*magno [[wikt:en:coortus#Latin|coorto]] <u>imbre</u>
**激しい嵐が起こったが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:imbre#Latin|imbre]] だが、β系写本では [[wikt:en:imbri#Latin|imbri]] となっている。)</span>
*non [[wikt:en:inutilis#Latin|inutilem]] hanc ad [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendum]] [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatem]] <u>arbitratus est</u>,
**作戦計画を立てるために、この天候は不利ではないと思われた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:arbitratus#Participle|arbitratus]] est だが、β系写本では単に arbitratus となっている。)</span>
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] paulo [[wikt:en:incautius#Adverb|incautius]] [[wikt:en:custodia#Latin|custodias]] in [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:dispositus#Latin|dispositas]] [[wikt:en:videbat#Latin|videbat]],
**──というのは、城壁に配置された番兵たちが少しより油断していると見ていたからだが、──
*<u>suosque</u> [[wikt:en:languide#Adverb|languidius]] in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:versor#Latin|versari]] [[wikt:en:iussit#Verb|iussit]]
**配下の者たちには<small>(わざと)</small>より緩慢に作業に従事することを命じて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:suos#Latin|suōs]]<nowiki>que</nowiki> だが、β系写本では [[wikt:en:suos#Latin|suōs]] [[wikt:en:quoque#Adverb|quoque]] となっている。)</span>
*et, [[wikt:en:quid#Pronoun_2|quid]] [[wikt:en:fieri#Latin|fieri]] [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]], [[wikt:en:ostendit#Latin|ostendit]].
**何がなされることを<small>(カエサルが)</small>欲しているか、を示した。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:legio#Latin|Legionibus]]<nowiki>que</nowiki> <u>extra castra intra [[wikt:en:vinea#Latin|vineas]]</u> in occulto [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]],
**[[w:ローマ軍団|諸軍団]]が<u>陣営の外の<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>の内側で</u>ひそかに準備を整えており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本や校訂版によって異同がある。[[ガリア戦記_第7巻/注解/27節#注記|注記]]を参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_occulto#Latin|in occulto]]「ひそかに」「隠れた所で」)</span>
*[[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]], ut [[wikt:en:aliquando#Latin|aliquando]] pro [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] [[wikt:en:labor#Latin|laboribus]] [[wikt:en:fructus#Latin:_noun|fructum]] victoriae [[wikt:en:perciperent#Latin|perciperent]],
**<small>(カエサルは)</small>やっと、これほどの労苦の見合う勝利の報酬を我がものとするように激励し、
*iis, qui [[wikt:en:primus#Latin|primi]] [[wikt:en:murus#Latin|murum]] [[wikt:en:adscendissent#Latin|adscendissent]], [[wikt:en:praemium#Latin|praemia]] [[wikt:en:proposuit#Latin|proposuit]]
**一番乗りとして城壁に登った者たちには、恩賞を約束して、
*[[wikt:en:miles#Latin|militibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:signum#Latin|signum]] [[wikt:en:dedit#Latin|dedit]].
**兵士たちに号令を発した。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Illi [[wikt:en:subito#Adverb_8|subito]] ex omnibus partibus [[wikt:en:evolaverunt#Latin|evolaverunt]]
**彼ら<small>〔ローマ軍団兵〕</small>は不意にあらゆる方角から飛び出して、
*[[wikt:en:murus#Latin|murum]]<nowiki>que</nowiki> celeriter [[wikt:en:compleverunt#Latin|compleverunt]].
**速やかに<small>(アウァーリクムの)</small>城壁を埋め尽くしたのだ。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===28節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/28節]] {{進捗|00%|2026-08-11}}</span>
;ローマ軍がアウァーリクムの市民4万人を大虐殺
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Hostes re nova [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]],
**敵たち<small>〔籠城するガッリア勢〕</small>は新たな事態に脅かされて、
*[[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:turris#Latin|turribus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:deiectus#Participle|deiecti]]
**<small>(ローマ兵によって)</small>城壁や櫓から追い落とされて、
*in [[wikt:en:forum#Latin|foro]] ac locis [[wikt:en:patentior#Latin|patentioribus]] [[wikt:en:cuneatim#Latin|cuneatim]] [[wikt:en:constiterunt#Etymology_1|constiterunt]],
**<ruby><rb>広場</rb><rp>(</rp><rt>フォルム</rt><rp>)</rp></ruby>や開けた場所に楔状に立ちふさがった。
*hoc animo, ut, si [[wikt:en:aliqui#Latin|qua]] ex parte [[wikt:en:obviam#Adverb|obviam]] <span style="color:#009900;">[</span>contra<span style="color:#009900;">]</span> [[wikt:en:veniretur#Latin|veniretur]], [[wikt:en:acies#Latin|acie]] [[wikt:en:instructus#Latin|instructa]] [[wikt:en:depugnarent#Latin|depugnarent]].
**もし、どの方向から相対して対抗して来られても、戦列を整えて決戦しようという心積もりでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:contra#Latin|contra]] は α系・π系写本・写本Rにある記述だが、<br> 写本U にはなく、削除提案されている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ubi [[wikt:en:nemo#Latin|neminem]] in aequum locum sese [[wikt:en:demitto#Latin|demittere]], sed [[wikt:en:totus#Latin:_whole|toto]] [[wikt:en:undique#Latin|undique]] [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:circumfundi#Latin|circumfundi]] [[wikt:en:viderunt#Latin|viderunt]],
**<small>(ローマ兵が)</small>誰も平らな所に降りて来ず、しかし城壁全体の至る所で取り囲まれたことを見たときに、
*[[wikt:en:veritus#Latin|veriti]], ne [[wikt:en:omnino#Latin|omnino]] spes fugae [[wikt:en:tolleretur#Latin|tolleretur]],
**<small>(籠城ガッリア勢は)</small>逃亡のあらゆる希望を奪われないかと怖れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:veriti, [[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ~ 「~ではないかと恐れて」恐れの表現。)</span>
*[[wikt:en:abiectus#Latin|abiectis]] [[wikt:en:arma#Latin|armis]]
**武器を投げ捨てて、
*[[wikt:en:ultimus#Latin|ultimas]] oppidi partes
**城塞都市の<small>(ローマ勢から)</small>最も遠くの方面を
*[[wikt:en:continens#Latin|continenti]] [[wikt:en:impetus#Latin|impetu]] [[wikt:en:petiverunt#Latin|petiverunt]],
**絶え間ない殺到によって求めた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> <u>pars</u><nowiki>que</nowiki> ibi, cum [[wikt:en:angustus#Latin|angusto]] [[wikt:en:exitus#Latin|exitu]] portarum se ipsi [[wikt:en:premerent#Latin|premerent]], a militibus,
**ある者たちは、城門の狭い出口で自分らで互いに押し合っていたので、そこで<small>(ローマ人)</small>兵士たちによって<small>(殺され)</small>、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pars#Latin|pars]] ~, pars …「ある者たちは~、別の者たちは…」。)</span>
*<u>pars</u> iam [[wikt:en:egressus#Latin|egressa]] portis ab [[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] est [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecta]].
**別の者たちはすでに城門を出ていたが、<small>(ローマ側の)</small>[[w:騎兵|騎兵]]たちによって虐殺された。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:nec#Latin|Nec]] fuit [[wikt:en:quisquam#Pronoun|quisquam]], qui [[wikt:en:praeda#Latin|praedae]] [[wikt:en:studeret#Latin|studeret]].
**<small>(ローマ勢には)</small>戦利品を熱心に求める何者もいなかった。
*[[wikt:en:sic#Latin|Sic]] et <u>Cenabi</u> [[wikt:en:caedes#Latin|caede]] et [[wikt:en:labor#Latin|labore]] [[wikt:en:opus#Latin|operis]] [[wikt:en:incitatus#Latin|incitati]]
**このように、ケナブムの<small>(ローマ市民の)</small>殺害にも、(攻城)作業の労苦にも煽られて
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カルヌーテース族によるローマ市民の殺害については[[#3節|3節]]を参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の cenabi は、α系写本では [[wikt:en:Genabi#Latin|genabi]] <br> ρ系写本や写本Tでは [[wikt:en:Genabensi#Adjective|genabensi]]<br> 写本Uおよび写本Tの一部では cenabensi となっている。<br> なお、cenabi, cenabensi はケルト語風の表記である。)</span>
*non [[wikt:en:aetas#Latin|aetate]] [[wikt:en:confectus#Latin|confectis]],
**<small>(ローマ勢は)</small>年老いた者たちも、
*non [[wikt:en:mulier#Latin|mulieribus]],
**妻女たちも、
*non [[wikt:en:infans#Noun|infantibus]] [[wikt:en:pepercerunt#Latin|pepercerunt]].
**乳幼児たちも<small>(虐殺することを)</small>思いとどまらなかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ビトゥリゲース族はローマ市民の殺害には関与しておらず、報復される対象とするのは的外れである。</span>
**:<span style="color:#009900;">ましてや非戦闘員である老人・女性・子供たちまで殺戮するのは、戦争の狂気というしかない。)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:denique#Latin|Denique]] ex omni <u><span style="color:#009900;">eo</span></u> numero, qui fuit circiter milium XL<small> ([[wikt:en:quadraginta#Latin|quadraginta]])</small>,
**ついには、約40000名もいたすべての人員のうち、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:eo#Latin:_there|eo]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*vix DCCC<small> ([[wikt:en:octingenti#Latin|octingenti]])</small>, qui primo [[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:auditus#Latin|audito]] se ex oppido <u>eiecerunt</u>,
**やっと800名が、はじめにどよめきを聞いて、城塞都市から急ぎ出て、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:eiecerunt#Latin|eiecerunt]]<small> (直接法・完了)</small> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:eiecerant#Latin|eiecerant]]<small> (直接法・過去完了)</small> となっている。)</span>
*[[wikt:en:incolumis#Latin|incolumes]] ad [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:pervenerunt#Latin|pervenerunt]].
**無傷のままで[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のもとへ到着した。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Quos ille multa iam nocte <u>silentio</u> ex fuga [[wikt:en:excepit#Latin|excepit]],
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、逃亡して来たその者たちを、すでに夜も更けた<u>静寂のうちに</u>迎え入れた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:silentio#Latin|silentio]] だが、β系写本にはない。<br> 他方、β系写本では [[wikt:en:sic#Latin|sic]] とあるが、α系写本にはない。)</span>
*[[wikt:en:veritus#Latin|veritus]], ne qua in castris ex eorum [[wikt:en:concursus#Latin:_convergence|concursu]] et [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordia]] [[wikt:en:vulgus#Latin|vulgi]] seditio <u>oreretur</u>,
**彼らの密集や一般兵士たちの同情から、陣営の中で何らかの暴動が生じないように怖れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne [[wikt:en:aliqui#Latin|qua (aliqua)]] ~ [[wikt:en:seditio#Latin|seditio]]「何らかの暴動が~ないように」
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、一部の写本は [[wikt:en:oreretur#Latin|oreretur]] だが、<br> 他の写本では [[wikt:en:oriretur#Latin|oriretur]] となっているが、語形の相違。)</span>
*ut procul in via [[wikt:en:dispositus#Latin|dispositis]] [[wikt:en:familiaris#Noun|familiaribus]] suis [[wikt:en:princeps#Latin|principibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:civitas#Latin|civitatum]],
**自らの郎党たちや部族の領袖たちを<small></small>(陣営の)遠くから道沿いに配置して、
*[[wikt:en:disparandus#Latin|disparandos]] [[wikt:en:deducendus#Latin|deducendos]]<nowiki>que</nowiki> ad suos [[wikt:en:curaret#Latin|curaret]],
**<small>(敗走者たちを)</small>味方のもとへ、引き離して連れて行くように手配した。
*quae [[wikt:en:cuique#Latin|cuique]] civitati pars castrorum ab [[wikt:en:initium#Latin|initio]] [[wikt:en:obvenerat#Latin|obvenerat]].
**陣営の各部分は、おのおのの部族にはじめから与えられていたのだ。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===29節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/29節]] {{進捗|00%|2026-08-11}}</span>
[[画像:Vercingetorix stater CdM.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
;ウェルキンゲトリークスが演説で味方を鼓舞する
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Postero die [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] [[wikt:en:convocatus#Latin|convocato]],
**翌日に、会合が召集されると、
*[[wikt:en:consolatus#Latin|consolatus]] [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]]<nowiki>que</nowiki> est,
**<small>(ウェルキンゲトリークスは、味方の者たちを)</small>慰めて、励ました:
*<u>ne</u> se [[wikt:en:admodum#Latin|admodum]] animo [[wikt:en:demitterent#Latin|demitterent]],
**あまり気を落とさないように、
*<u>ne</u> [[wikt:en:perturbarentur#Latin|perturbarentur]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]].
**敗北により取り乱さないように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上の下線部は、α系写本では [[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ~ ne だが、<br> β系写本では ne ~ [[wikt:en:neve#Latin|neve]] となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Non [[wikt:en:virtus#Latin|virtute]] neque in [[wikt:en:acies#Latin|acie]] [[wikt:en:vicisse#Latin|vicisse]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]],
**ローマ人たちが勝ったのは、武勇においてでも、戦列<small>〔野外の合戦〕</small>においてでもなく、
*sed [[wikt:en:artificium#Noun|artificio]] [[wikt:en:quidam#Determiner|quodam]] et [[wikt:en:scientia#Latin:_knowledge|scientia]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationis]],
**ある種の技巧および攻城戦の知識によるものであって、
*cuius rei [[wikt:en:fuerint#Latin|fuerint]] ipsi [[wikt:en:imperitus#Latin|imperiti]].
**その事柄に<small>(ガッリア人)</small>自身が通じていなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]では、ネルウィイー族らガッリア北部のベルガエ勢はローマ人の攻城術をまねていた。)</span>
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:erro#Latin:_wander|Errare]], si [[wikt:en:aliqui#Latin|qui]] in [[wikt:en:bellum#Latin|bello]] omnes [[wikt:en:secundus#Adjective|secundos]] rerum [[wikt:en:proventus#Latin|proventus]] [[wikt:en:exspectent#Latin|exspectent]].
**誰であれ、戦争において、万事が順調な成功になることを期待するのならば、<small>(その者らは)</small>誤っている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:語順が判りにくいが、<br> 物事のすべて(omnes rerum)が幸運な結果(secundos proventus)であることを期待するのならば~。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:errare の意味上の主語([[wikt:en:eos#Latin|eos]])が省略されている。)</span>
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Sibi [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:placuisse#Latin|placuisse]] [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]] [[wikt:en:defendi#Latin|defendi]],
**自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>にとって、アウァーリクムが防衛されることは決して好ましいものではなかった。
*cuius rei [[wikt:en:testis#Latin:_witness|testes]] ipsos [[wikt:en:haberet#Latin|haberet]];
**その事の証人は<small>(諸君ら)</small>自身である。
*sed <u>factum</u> [[wikt:en:inprudentia#Latin|inprudentia]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] et [[wikt:en:nimius#Latin|nimia]] [[wikt:en:obsequentia#Latin|obsequentia]] reliquorum, <u>uti</u> hoc [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodum]] [[wikt:en:acciperetur#Latin|acciperetur]].
**だが、ビトゥリゲース族の軽率さと、ほかの者たちの過度な同調により、この敗北を蒙るようになったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:factus#Latin:_done|factum]] (esse) ~ [[wikt:en:uti#Latin:_how|uti]] …「…ようになった」)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Id tamen se celeriter [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:commodum#Latin:noun|commodis]] [[wikt:en:sanaturus#Latin|sanaturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>.
**しかしながら、自分がそれ<small>〔敗北〕</small>を速やかに大いなる勝利によって埋め合わせるであろう。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Nam quae ab reliquis [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Gallis]] civitates [[wikt:en:dissentirent#Latin|dissentirent]],
**一方、<small>(ウェルキンゲトリークスら)</small>ほかのガッリア人たちとは意見を相異する諸部族、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:先行詞 [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] が quae 以下の関係文中に入り込む倒置の語順。)</span>
*has sua [[wikt:en:diligentia#Noun|diligentia]] [[wikt:en:adiuncturus#Latin|adiuncturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**彼ら<small>〔諸部族〕</small>を自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の入念さにより合流させるであろうし、
*atque unum [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:totus#Latin:_whole|totius]] [[wikt:en:Gallia#Latin|Galliae]] [[wikt:en:effecturus#Latin|effecturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>,
**全ガッリアの考えを一つにするであろう。
*cuius [[wikt:en:consensus#Latin|consensui]] ne orbis quidem terrarum [[wikt:en:possit#Latin|possit]] [[wikt:en:obsistere#Latin|obsistere]];
**その団結には、全世界でさえ邪魔することはできない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:orbis#Latin|orbis]] [[wikt:en:/terrarum#Latin|terrarum]]「全世界」)</span>
*[[wikt:en:id#Latin|id]]<nowiki>que</nowiki> se [[wikt:en:prope#Adverb|prope]] iam [[wikt:en:effectus#Latin:_participle|effectum]] habere.
**それを自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、ほとんどすでに成し遂げたと思う。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:interea#Latin|Interea]] [[wikt:en:aequus#Latin|aequum]] esse ab iis [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa [[wikt:en:impetrari#Latin|impetrari]],
**その間に<small>(ガッリアの)</small>共通の安全のために、彼ら<small>〔ガッリア人〕</small>によって<small>(以下のように)</small>達成されることが好都合である。
*ut castra [[wikt:en:munio#Latin|munire]] [[wikt:en:instituerent#Latin|instituerent]],
**陣営を防御することを実施するように、
*[[wikt:en:quo#Latin:_where|quo]] [[wikt:en:facilius#Latin|facilius]] [[wikt:en:repentinus#Latin|repentinos]] hostium [[wikt:en:impetus#Latin|impetus]] <u>sustinerent</u>.
**それにより、敵たち<small>〔ローマ人〕</small>の予期せぬ襲撃に対して、より容易に持ちこたえられるように。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:sustinerent#Latin|sustinerent]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:sustinere#Latin|sustinere]] [[wikt:en:possent#Latin|possent]] となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===30節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/30節]] {{進捗|00%|2026-08-29}}</span>
;ガッリア勢がウェルキンゲトリークスに心服し、希望を抱く
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Fuit haec [[wikt:en:oratio#Latin|oratio]] non [[wikt:en:ingratus#Latin|ingrata]] [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Gallis]],
**この演説は、ガッリア人たちにとっては不快なものではなかった。
*et maxime, quod ipse animo non [[wikt:en:defecerat#Latin|defecerat]], [[wikt:en:tantus#Latin|tanto]] [[wikt:en:acceptus#Latin|accepto]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]],
**──というのは、とりわけ<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自身がこれほどの敗北を蒙っても意気消沈することなく、
*neque <u>se</u> [[wikt:en:in_occultum#Latin|in occultum]] [[wikt:en:abdiderat#Latin|abdiderat]]
**秘密の場所に身を隠したり、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の再帰代名詞 se は 最初の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Editio_princeps|''ed. pr.'']] で挿入されたもので、主要写本 ω にはない。)</span>
*et [[wikt:en:conspectus#Latin:_noun|conspectum]] [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudinis]] [[wikt:en:fugerat#Latin|fugerat]]<!--,-->;
**大勢の見ているところを避けたりしなかったからである──。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:plus#Latin:_adverb|plus]]<nowiki>que</nowiki> animo [[wikt:en:provideo#Latin|providere]] et [[wikt:en:praesentio#Latin|praesentire]] [[wikt:en:existimabatur#Latin|existimabatur]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは他の者よりも)</small>より先見の明があり、予感していると考えられていた。
*quod re [[wikt:en:integer#Latin|integra]]
**──というのは、事態が手つかずのままで、
*[[wikt:en:primo#Latin:_adverb|primo]] [[wikt:en:incendendus#Latin|incendendum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span> [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**当初はアウァーリクムが焼き払われるべきだと<small>(主張し)</small>、
*post [[wikt:en:deserendus#Latin|deserendum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>, [[wikt:en:censuerat#Latin|censuerat]].
**後には<small>(アウァーリクムは)</small>放棄されるべきだ、と主張していたからだ──。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:itaque#Latin|Itaque]] <u>ut</u> [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquorum]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatorum]] res adversae [[wikt:en:auctoritas#Latin|auctoritatem]] [[wikt:en:minuunt#Latin|minuunt]],
**それゆえに、逆境がほかの将軍たちの影響力を減ずる一方で、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ut#Conjunction|ut]] ~, [[wikt:en:sic#Latin|sic]] …「~であるように、同様に…」あるいは「~である一方で、…」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:res#Latin|res]] [[wikt:en:adversus#Participle|adversae]]「逆境、(戦争における)敗北」。)</span>
*<u>sic</u> huius <u>ex contrario</u> [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitas]] <u>incommodo</u> [[wikt:en:acceptus#Latin|accepto]] <u>in dies</u> [[wikt:en:augebatur#Latin|augebatur]].
**それどころか、彼の威厳は、災難を蒙っても、日ごとに高まっていたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ex_contrario#Latin|ex contrario]]「それどころか」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:incommodum#Latin|incommodum]]「不運、災難、(戦争における)敗北」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_dies#Latin|in dies]]「日に日に」「日ごとに」。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:simul#Latin|Simul]] <u>in spem [[wikt:en:veniebant#Latin|veniebant]]</u> eius [[wikt:en:adfirmatio#Latin|adfirmatione]] de reliquis [[wikt:en:adiungendus#Latin|adiungendis]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitatibus]];
**同時に、彼の断言によって<small>(ガッリア人たちは)</small>ほかの諸部族を合流させることについて希望を抱いていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in [[wikt:en:spes#Latin|spem]] [[wikt:en:venio#Latin|venire]]「希望を抱くようになる」。)</span>
*[[wikt:en:primum#Adverb|primum]]<nowiki>que</nowiki> eo tempore [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Galli]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:munio#Latin|munire]] [[wikt:en:instituerunt#Latin|instituerunt]],
**そのときに初めて、ガッリア人たちは陣営の防備を固めることに着手した。
*et <u>sic</u> <u>sunt</u> animo <u>consternati</u>, homines [[wikt:en:insuetus#Latin|insueti]] [[wikt:en:labor#Latin|laboris]],
**<small>(陣営の防備という)</small>労苦に慣れていない人々が、<u>気持ちが狼狽していたので、</u>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sic]] ~, [[wikt:en:ut#Conjunction|ut]] …「~であるので、その結果…ほどだった」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の sunt は主要写本 ω の記述だが、erant とする修正提案もある。<br> sunt なら未完了過去 (sunt consternati)、erant なら過去完了 (erant consternati) になる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:consternati#Latin|consternati]] は主要写本 ω の記述だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Nipperdey|Nipperdey]]'' は [[wikt:en:confirmati#Latin|confirmati]] と修正提案している。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:写本の読みは sunt [[wikt:en:consternati#Latin|consternati]] 「(彼らは)恐怖に陥っていた、混乱していた。」だが、<br> 修正読みでは sunt [[wikt:en:confirmati#Latin|confirmati]] 「(彼らは)励まされた」。)</span>
*<u>ut</u> omnia, quae [[wikt:en:imperarentur#Latin|imperarentur]], sibi [[wikt:en:patiendus#Latin|patienda]] <span style="color:#009900;">(esse)</span> <u>et perferenda <span style="color:#009900;">(esse)</span></u> [[wikt:en:existimarent#Latin|existimarent]].
**自分たちにとって、命令されたことすべてを耐えるべきであり、<u>成就するべきである</u>と考えるに至ったほどであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の et [[wikt:en:perferenda#Latin|perferenda]] (esseは省略されている) はβ系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===31節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/31節]] {{進捗|00%|2026-08-29}}</span>
;ウェルキンゲトリークスがほかの諸部族を勧誘し、兵力を補充する
:
; ウェルキンゲトリークスが、さらに多くの部族に同盟を誘いかける
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Nec minus, quam est [[wikt:en:pollicitus#Latin|pollicitus]],
**約束したことに劣らず、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:nec#Latin|nec]] [[wikt:en:minus#Adverb_4|minus]] [[wikt:en:quam#Latin|quam]] ~「~に劣らず」。)</span>
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] animo [[wikt:en:laborabat#Latin|laborabat]], ut reliquas [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] [[wikt:en:adiungeret#Latin|adiungeret]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ほかの諸部族を加盟させるように、心から努力した。
*atque <u>earum principes donis pollicitationibusque</u> [[wikt:en:adliciebat#Latin|adliciebat]].
**それらの領袖たちに贈物を約束することによって、誘い込もうとしていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では earum [[wikt:en:princeps#Noun_3|principes]] [[wikt:en:donum#Latin|donis]] [[wikt:en:pollicitatio#Latin|pollicitationibus]]<nowiki>que</nowiki> だが、<br> α系写本では eas donis pollicitationibus となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Huic rei [[wikt:en:idoneus#Latin|idoneos]] homines [[wikt:en:deligebat#Latin|deligebat]],
**この事<small>〔同盟に誘うこと〕</small>に適切な人物たちを<small>(ウェルキンゲトリークスが)</small>選び出して、
*quorum [[wikt:en:quisque#Latin|quisque]] aut [[wikt:en:oratio#Latin|oratione]] [[wikt:en:subdolus#Latin|subdola]] aut [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitia]]
**その者たちのおのおのは、巧妙な演説により、あるいは友情により、
*[[wikt:en:facillime#Latin|facillime]] <u>capere</u> posset.
**かなり容易に<small>(同盟者を)</small>得ることができた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系写本・写本Lでは [[wikt:en:capere#Latin|capere]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:capi#Latin|capi]] となっている。)</span>
:
; アウァーリクムからの逃亡者たちに、武具と衣服を支給する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> <span style="color:#009900;">[eos]</span> qui [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] [[wikt:en:expugnatus#Latin|expugnato]] [[wikt:en:refugerant#Latin|refugerant]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>アウァーリクムが攻略されたので逃げて来ていた者たちに、
*[[wikt:en:armandus#Latin|armandos]] [[wikt:en:vestiendus#Latin|vestiendos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:curat#Latin|curat]];
**武装させられ、服を着せられるように、手配する。
:
; 同盟部族に徴集する兵員の数と集まる期日を指示する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:simul#Latin|simul]], ut [[wikt:en:deminutus#Latin|deminutae]] [[wikt:en:copiae#Latin|copiae]] [[wikt:en:redintegrarentur#Latin|redintegrarentur]],
**同時に、減り衰えた軍勢が補充されるように、
*[[wikt:en:imperat#Latin|imperat]] [[wikt:en:certus#Latin|certum]] <u>numerum</u> militum civitatibus, <u>quem</u> et <u>quam ante diem</u> in castra [[wikt:en:adduci#Latin|adduci]] [[wikt:en:velit#Latin|velit]],
**諸部族に、兵の一定の<u>数</u>を<u>どれほど</u>、かつ、<u>いつの日の前までに</u>陣営に連れて来ることを欲しているかを指図し、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:qui#Determiner|quem]] [[wikt:en:numerus#Latin|numerum]] 「どれほどの数を」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:qui#Determiner|quam]] ante [[wikt:en:dies#Latin|diem]] 「いつの日の前までに」。)</span>
*[[wikt:en:sagittarius#Noun|sagittarios]]<u>que</u> omnes, quorum erat [[wikt:en:permagnus#Latin|permagnus]] <u>numerus in Gallia</u>, [[wikt:en:conquiri#Latin|conquiri]] et ad se [[wikt:en:mitti#Latin|mitti]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**ガッリアにかなり大勢がいた弓兵のすべてを、徴募して自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>のもとへ派遣することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の語順は numerus in Gallia で、<br> β系写本の語順は in Gallia numerus となっている。)</span>
*His rebus celeriter id, quod [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarici]] [[wikt:en:deperierat#Latin|deperierat]], [[wikt:en:expletur#Latin|expletur]].
**これらの事により、速やかに、アウァーリクムで壊滅していたそれら<small>(の軍勢)</small>が補充される。
:
; ニティオブロゲース族の王テウトマトゥスが、騎兵隊らとともにウェルキンゲトリークスに合流する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:interim#Latin|Interim]] [[wikt:en:Teutomatus#Latin|Teutomatus]], [[wikt:en:Ollovico#Latin|Olloviconis]] filius, rex <u>Nitiobrogum</u>,
**その間に、オッロウィコーの息子で、ニティオブロゲース族の王であるテウトマトゥスが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では Nitiobrogum だが、<br> 写本Uの一部では [[wikt:en:Nitiobriges#Latin|Nitiobrigum]] となっている。)</span>
*cuius pater ab [[wikt:en:senatus#Latin|senatu]] nostro amicus erat [[wikt:en:appellatus#Latin|appellatus]],
**その父<small>〔オッロウィコー〕</small>は、我が方<small>〔ローマ人〕</small>の[[w:元老院 (ローマ)|元老院]]から友人と呼ばれていたのだが、
*cum magno [[wikt:en:eques#Latin|equitum]] suorum numero et quos ex [[wikt:en:Aquitania#Latin|Aquitania]] [[wikt:en:conduxerat#Latin|conduxerat]] ad eum [[wikt:en:pervenit#Etymology_2|pervenit]].
**自らの騎兵の多数およびアクィーターニアから募っていた者たちとともに、彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>のもとへ到着した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反==
===32節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/32節]] {{進捗|00%|2026-09-23}}</span>
;ハエドゥイー族内紛の危機
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar [[wikt:en:Avarici#Latin|Avarici]] complures dies [[wikt:en:commoratus#Latin|commoratus]]
**カエサルは、アウァーリクムに幾日も留まって、
*[[wikt:en:summus#Latin|summam]]<nowiki>que</nowiki> ibi [[wikt:en:copia#Latin|copiam]] [[wikt:en:frumentum#Latin|frumenti]] et reliqui [[wikt:en:commeatus#Latin:_noun|commeatus]] [[wikt:en:nactus#Latin|nactus]]
**そこでかなり多量の糧食やほかの必需品を手に入れて、
*[[wikt:en:exercitus#Latin:_noun|exercitum]] ex [[wikt:en:labor#Latin:_work|labore]] atque [[wikt:en:inopia#Latin:_noun|inopia]] <u>reficit</u>.
**軍隊を労苦や欠乏から回復させた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系・β系写本では [[wikt:en:reficit#Latin|reficit]]<sub> (現在形)</sub> だが、<br> φ系写本では [[wikt:en:refecit#Latin|refecit]]<sub> (完了形)</sub> となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Iam [[wikt:en:prope#Adverb|prope]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]],
**すでに、ほぼ冬は過ぎ去り、
*cum ipso anni tempore ad [[wikt:en:gerendus#Latin|gerendum]] bellum [[wikt:en:vocaretur#Latin|vocaretur]] et ad hostem [[wikt:en:proficisci#Latin|proficisci]] [[wikt:en:constituisset#Latin|constituisset]],
**<small>(カエサルが)</small>まさにその時季に戦争を遂行するために呼び寄せられて、敵の方へ発つことを決意していたときに、
*<u>sive</u> eum ex [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:elicio#Latin|elicere]] <u>sive</u> [[wikt:en:obsidio#Latin|obsidione]] [[wikt:en:premo#Latin|premere]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]],
**<u>あるいは</u><small>(敵を)</small>沼地や森林から誘い出せるか、<u>あるいは</u>包囲により圧倒することができるか、というときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:sive ~ sive …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*[[wikt:en:legatus#Latin:_noun|legati]] ad eum [[wikt:en:princeps#Latin:_noun|principes]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]] [[wikt:en:veniunt#Latin|veniunt]]
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領袖たちが使節として彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへやって来る。
*[[wikt:en:oratum#Latin:_supine|oratum]], ut maxime [[wikt:en:necessarius#Latin:_unavoidable|necessario]] tempore [[wikt:en:civitas#Latin|civitati]] [[wikt:en:subveniat#Latin|subveniat]]<!--;-->:
**きわめて緊急の時に、部族を助けてくれるように、と頼むために。
:
; ハエドゥイー族の救援要請(以下、間接話法)
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:summus#Latin|summo]] esse in [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] rem,
**事態は最大の危機にある。
*quod, cum [[wikt:en:singulus#Latin|singuli]] [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratus]] [[wikt:en:antiquitus#Latin|antiquitus]] [[wikt:en:creari#Latin|creari]] atque [[wikt:en:regius#Latin|regiam]] [[wikt:en:potestas#Latin|potestatem]] <u>annum</u> [[wikt:en:obtineo#Latin|obtinere]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**──というのは、昔から一人ずつの統領が選出されて、一年ごとに支配権力に就くことが常であったのに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第1巻#16節|第1巻16節]]によれば、ウェルゴブレトゥス [[w:la:Vergobretus|Vergobretus]]という最高官職が毎年選ばれて大権を司る。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:annum#Latin|annum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:annuam#Adjective|annuam]] となっている。)</span>
*duo [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratum]] [[wikt:en:gerant#Latin|gerant]]
**2名が統領を司り、
*et se [[wikt:en:uterque#Latin|uterque]] eorum legibus <u>creatum esse</u> [[wikt:en:dicat#Latin:_speak|dicat]].
**彼らの双方ともに自分は法により<small>〔合法的に〕</small>選出されたのであると言っているのだから──。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:creatus#Latin|creatum]] esse だが、<br> β系写本では esse は省かれている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
{{wikipedia|en:Convictolitavis}}
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Horum esse alterum Convictolitavem, [[wikt:en:florens#Latin|florentem]] et [[wikt:en:inlustris#Latin|inlustrem]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescentem]]<!--,-->;
**彼らの一方は、コンウィクトリタウィスで、声望があり、秀でた青年である。
*alterum Cotum, [[wikt:en:antiquissimus#Latin|antiquissima]] familia [[wikt:en:natus#Latin:_born|natum]]
**他方は、コトゥスで、とても古くからの家系に生まれて、
*atque ipsum hominem summae [[wikt:en:potentia#Latin|potentiae]] et magnae [[wikt:en:cognatio#Latin|cognationis]],
**自身も最大勢力と多くの縁戚関係をもつ人物であり、
*cuius frater Valetiacus proximo anno eundem [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratum]] [[wikt:en:gesserit#Latin|gesserit]].
**その兄弟ウァレティアクスは前年に同じ統領を司っていたのである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Civitatem esse omnem in [[wikt:en:arma#Latin|armis]];
**部族は皆が武装している。
*[[wikt:en:divisus#Latin|divisum]] [[wikt:en:senatus#Latin|senatum]], divisum [[wikt:en:populus#Latin:_people|populum]], <u>suas</u> cuiusque eorum clientelas.
**評議会も分裂し、民衆も分裂し、彼ら<small>〔2名〕</small>の<small>(それぞれの)</small>庇護民となっている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の suas は主要写本ωの記述だが、より劣った写本では in suas となっている。)</span>
*Quodsi diutius alatur controversia, fore uti pars cum parte civitatis confligat.
**もしこれ以上、紛争が進められれば、部族の派閥と派閥が激突することになるであろう。
*Id ne accidat, positum in eius diligentia atque auctoritate.
**それが起こらないかは、彼(カエサル)の入念さと影響力にかかっている。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===33節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/33節]] {{進捗|00%|2026-10-04}}</span>
;カエサルがハエドゥイー族の権力をコンウィクトリタウィスに与える
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサルが、ハエドゥイー族の内紛を危惧する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar, <u>etsi</u> a bello atque hoste [[wikt:en:discedo#Latin|discedere]] [[wikt:en:detrimentosus#Latin|detrimentosum]] esse [[wikt:en:existimabat#Latin|existimabat]],
**カエサルは、戦争や敵から離れることは損害をもたらすものである、と考えていたのではあるが、
*<u>tamen</u> non [[wikt:en:ignorans#Latin|ignorans]], [[wikt:en:quantus#Latin|quanta]] ex [[wikt:en:dissensionibus#Latin|dissensionibus]] [[wikt:en:incommodum#Noun|incommoda]] [[wikt:en:oriri#Latin|oriri]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**しかしながら、[[wikt:ja:内訌|内訌]]からどれほどの災厄が生じることが常であるか、知らないではなかったし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~, [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …「~ではあるが、しかしながら…」)</span>
*ne [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] et [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:coniunctus#Latin:_participle|coniuncta]] [[wikt:en:populus#Latin|populo]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romano]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]],
**──これほど大きく、これほどローマ人民と協同している<small>(ハエドゥイーの)</small>{{ruby|部族国家|キーウィタース}}が、
*quam ipse semper [[wikt:en:aluisset#Latin|aluisset]] [[wikt:en:omnis#Latin|omnibus]]<nowiki>que</nowiki> rebus [[wikt:en:ornasset#Latin|ornasset]],
**彼らのことを<small>(カエサル)</small>自身は常に助成して、かつあらゆる事柄で敬意を表していたのだが、
*ad [[wikt:en:vis#Latin|vim]] atque [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:descenderet#Latin|descenderet]],
**<small>(彼らが内紛という)</small>暴力や戦乱に沈み込まないように、
*atque ea pars, quae [[wikt:en:minus#Latin:_adverb|minus]] sibi [[wikt:en:confideret#Latin|confideret]], [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] a [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]] [[wikt:en:arcesseret#Latin|arcesseret]],
**かつ、自分たちにとって劣勢だと確信している一派が[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の支援を呼び寄せないように──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne ~ civitas, ~ descenderet, ~ arcesseret「~部族が、~沈まないように、~招かないように」)</span>
*huic rei praevertendum existimavit,
**この事柄は<small>(戦争遂行よりも)</small>優先されるべき、と考えた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❷--><sup>(2)</sup> et, quod legibus Haeduorum iis, qui summum magistratum obtinerent, excedere ex finibus non liceret,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の法により、最高の官職に就いている者は領土から出て行くことを許されないので、
*ne quid de iure aut de legibus eorum deminuisse videretur,
**<small>(カエサルが)</small>彼らの法令あるいは法制について何ら軽視したとは思われないように、
[[画像:FR-58-Decize29.JPG|thumb|right|250px|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。]]
*ipse in Haeduos proficisci statuit
**<small>(カエサル)</small>自身がハエドゥイー族のもとに出発することを決心した。
*senatum<nowiki>que</nowiki> omnem et <u>quos inter controversia esset</u>
**かつ、評議会の全員、および紛争が介在しているところの者たちを
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:quos inter ~ は、関係節の関係代名詞 quos が<br> 前置詞 inter の前に出ている語順。)</span>
*ad se Decetiam evocavit.
**デケティアの自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ呼び出した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デケティア [[w:la:Decetia|Decetia]] は、現在の[[w:en:Decize|Decize]] ドシーズ(ドゥスィズ<ref>Decize の発音は [[wikt:fr:Decize|Decize]] を参照せよ。</ref>)<br> であると考えられている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Cum prope omnis civitas eo convenisset, doceretur<nowiki>que</nowiki>
**部族のほぼすべての<small>(主だった)</small>者たちがそこに集まったときに、<small>(以下のことが)</small>報知された。
*paucis clam convocatis alio loco, alio tempore atque oportuerit, fratrem a fratre renuntiatum,
**わずかな者が密かに、あるべきはずとは別の場所、別の時に呼び集められて、兄により弟<small>(の就位)</small>が告げられたというのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前年に統領であった兄ウァレティアクスによって弟コトゥスの統領への就位が告げられたということであろう。)</span>
*cum leges <u>duo</u> ex una familia vivo utroque non solum magistratus creari vetarent, sed etiam in senatu esse prohiberent,
**法は、一つの家族から2名が双方とも存命中に、統領に選出されるのを禁じるだけでなく、評議会にいることも禁止しているのに。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ・β系写本や写本B・M・Sでは duo だが、<br> 写本L・Nでは duos となっている。)</span>
*Cotum imperium deponere coegit<!--,-->;
**(カエサルは)コトゥスに支配権を放棄することを強要した。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Convictolitavem, qui per sacerdotes more civitatis intermissis magistratibus esset creatus,
**コンウィクトリタウィスは、統領が空位になったときに、部族の規則により、<u>祭司</u>を通じて選出されたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう祭司 sacerdos が[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]以下で説明された[[w:ドルイド|ドルイド]]と同じか否かは不詳である。)</span>
*potestatem obtinere iussit.
**<small>(カエサルは彼に)</small>権力の座に就くことを命じた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===34節===
'''ハエドゥイー族を動員し、ローマ軍をカエサルとラビエーヌスの二隊に分散'''
*① Hoc decreto interposito cohortatus Haeduos, ut
**この決定により仲裁して、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に以下のように励ました。
*controversiarum ac dissensionis obliviscerentur
**(部族内部の)紛争や不和を忘れるように、
*atque omnibus omissis his rebus huic bello servirent
**かつ、これらすべての事情を度外視して、この(ウェルキンゲトリークスとの)戦争に尽くすように、
*eaque, quae meruissent, praemia ab se devicta Gallia exspectarent
**ガッリアが征服されたときには(彼らが)受けるに値する自分(カエサル)からの恩賞を期待するように、
*equitatumque omnem et peditum milia X(decem) sibi celeriter mitterent,
**(ハエドゥイー族の)騎兵隊のすべてと歩兵1万名を自分(カエサル)に速やかに派遣するように、
*quae in praesidiis rei frumentariae causa disponeret,
**それらは糧食供給のために守備隊として分けて置くものである、と。
[[画像:Brioude pont.JPEG|thumb|right|250px|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイー族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。]]
*② exercitum in duas partes divisit:
**(カエサルは)軍隊を二つの方面軍に分けた。
*quattuor legiones in Senones Parisiosque [[w:la:Titus Labienus|Labieno]] ducendas dedit,
**4個[[w:ローマ軍団|軍団]]をセノネース族やパリスィイ族のところに率いて行くべく[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]に委ねた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ラビエーヌスのこの遠征については[[#57節|57節]]~62節で述べられる。)</span>
*sex ipse in Arvernos ad oppidum [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] secundum flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] duxit;
**6個を(カエサル)自身がアルウェルニー族のところの城塞都市ゲルゴウィアへエラウェル川に沿って率いて行った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:エラウェル川 Elaver は現在の[[w:アリエ川|アリエ川]] Allier である。)</span>
*equitatus partem illi attribuit, partem sibi reliquit.
**騎兵隊の一部は彼(ラビエーヌス)に割り当てて、(残りの)部分は自分のもとに残した。
*③ Qua re cognita [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] omnibus interruptis eius fluminis pontibus
**その事を知って、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]はその川のすべての橋を破却しながら、
*ab altera fluminis parte iter facere coepit.
**川の別の側を行軍し始めた。
===35節===
'''カエサルが陽動によってエラウェル川に架橋、渡河する'''
*① Cum uterque utrimque exisset exercitus<ref>utrimque exisset exercitus はα系写本の記述で、β系写本では utrique esset exercitui となっている。</ref>, in conspectu, fereque e regione castris castra ponebant<ref>ponebant はα系写本の記述で、β系写本では poneret となっている。</ref>,
**(ガッリア勢とローマ勢の)軍隊の双方が互いに視界にあって、ほぼ真向かいに互いの陣営を設置したときに、
*dispositis exploratoribus, necubi effecto ponte Romani copias traducerent,
**(ウェルキンゲトリークスは)ローマ人の軍勢がどこにも橋を造って渡河しないように、偵察者たちを分けて置き、
*erat in magnis Caesaris<ref>Caesaris はα系写本などの記述で、π系写本などでは Caesari となっている。</ref> difficultatibus res,
**カエサルにとって事態は大きな困難になっていた。
*ne maiorem aestatis partem flumine impediretur,
**夏の大部分(の対岸の敵との交戦)が川により妨げられるのではないか、
*quod non fere ante autumnum [[w:la:Elaver|Elaver]] vado transiri solet.
**というのは、[[w:アリエ川|エラウェル川]]は秋の前はほとんど浅瀬を渡らない習わしであったからだ。
*② Itaque, ne id accideret, silvestri loco castris positis
**こうして、それが生じないように、森林地帯に陣営を設置した。
*e regione unius eorum pontium, quos [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] rescindendos curaverat,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が切り裂かれるように手配していたところの橋の一つの真向かいに。
*postero die cum duabus legionibus in occulto restitit;
**翌日に、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに密かなところに留まった。
*③ reliquas copias cum omnibus impedimentis, ut consueverat, misit,
**残りの軍勢(=4個軍団)をすべての輜重とともに、通常のように、出発させた。
*captis<ref>写本(ω)では captis となっているが、Herald Fuchs の校訂版(1932年)では sic collocatis という記述が提案されている。etc.</ref> quibusdam cohortibus, uti numerus legionum constare videretur.
**軍団の数を保っていると(敵から)見られるように、いくつかの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を含ませていた。
*④ His quam longissime possent egredi<ref>egredi はα系写本の記述で、β系写本では progredi となっている。</ref> iussis,
**彼ら(4個軍団)には、できる限り遠くまで前進することを命じた。
*cum iam ex diei tempore coniecturam ceperat<ref>ceperat はα系写本の記述で、β系写本では caperet となっている。</ref> in castra perventum,
**すでに、日の時刻から(彼らが)宿営地に到達したと(カエサルが)推測をしたときに、
*isdem sublicis, quarum pars inferior integra remanebat, pontem reficere coepit.
**(前述の)同じ橋杭は、そのより下方の部分が損なわれないで残っていたので、橋を修復し始めた。
*⑤ Celeriter effecto opere
**速やかに工事が成し遂げられて、
*legionibusque traductis et loco castris idoneo delecto
**(2個)軍団が渡河させられて、陣営に適切な地点を選んで、
*reliquas copias revocavit.
**残りの軍勢(=4個軍団)を呼び戻した。
*⑥ Vercingetorix re cognita,
**ウェルキンゲトリークスは事態を知って、
*ne contra suam voluntatem dimicare cogeretur,
**自らの意向に反して(ローマ勢と)争闘することを強いられないように、
*magnis itineribus antecessit.
**強行軍で(ゲルゴウィアに向けて)先行した。
===36節===
[[画像:FR-63-Gergovie.JPG|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。]]
[[画像:Siège_GergovieI_-52.png|thumb|right|300px|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城塞都市に隣接してガッリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。]]
'''両軍がゲルゴウィアの要衝に陣営を築く'''
*① Caesar ex eo loco quintis castris [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] pervenit
**カエサルは(渡河した)その地点から5回目の宿営で[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に到着した。
*equestrique eo die proelio levi facto,
**(到着した)その日に(ガッリア勢と)軽微な[[w:騎兵|騎兵]]戦を闘って、
*perspecto urbis situ, quae posita in altissimo monte omnes aditus difficiles habebat,
**山の非常に高いところに位置し、すべての接近路を困難なものとしている(ゲルゴウィアの)町の地勢を認識して、
*de expugnatione<ref>expugnatione はα系写本の記述で、β系写本では oppugnatione となっている。</ref> desperavit,
**(拙速に突撃するような)攻略については断念して、
*de obsessione non prius agendum constituit, quam rem frumentariam expedisset.
**糧食調達の整備をするより前には、攻囲について行なうべきでないと決心した。
*② At [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], castris prope oppidum in monte<ref>in monte はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> positis,
**それに対して、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、山中の城塞都市の近くに陣営を設置して、
*mediocribus circum se intervallis separatim singularum civitatium<ref>civitatium はB・M・L・N写本の記述で、χ・S・β系写本では civitatum となっている。</ref> copias conlocaverat
**自陣の周りに、適切な間隔で個々の部族の軍勢を別々に駐屯させて、
*atque omnibus eius iugi collibus occupatis, qua despici poterat,
**その尾根のうち(山麓を)見下ろすことができたすべての丘陵を占有して、
*horribilem speciem praebebat;
**恐ろしげな姿を現わした。
*③ principesque earum civitatium<ref>civitatium はA・Q・B・M・L・N写本の記述で、Q・S・β系写本では civitatum となっている。</ref>, quos sibi ad consilium capiendum delegerat,
**(ウェルキンゲトリークス)自らが作戦を立てるために選び出していた諸部族の領袖たちに
*prima luce cotidie ad se convenire iubebat,
**毎日、夜明けに自分のところへ集まることを命じた。
*seu quid communicandum, seu quid administrandum videretur,
**何らかのことを伝達・協議するのか、あるいは何らかのことを指導するのだと思われる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:seu ~ seu …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*④ neque ullum fere diem intermittebat, quin equestri proelio interiectis sagittariis,
**騎兵戦に弓兵を介在させることを、ほとんどどの日も中断せずに、
*quid in quoque esset animi ac virtutis suorum, perspiceretur<ref>perspiceretur はα系写本の記述で、T写本では perspiceret、β系写本では periclitaretur となっている。</ref>.
**どのような心構えや武勇が、配下の者たちのおのおのにあるかを、吟味した。
*⑤ Erat e regione oppidi collis sub ipsis radicibus montis
**山のその麓の下方に、城塞都市の真向かいに、丘陵があって、
*egregie munitus atque ex omni parte circumcisus;
**あらゆる方面から周囲が険しくて、(その地形により)すばらしく護られていた。
*quem si tenerent nostri, et aquae magna parte et pabulatione libera prohibituri hostes videbantur.
**もし、それを我が方(ローマ勢)が占めれば、水源の大半と自由な糧秣徴発から敵たちを妨げるであろうと思われた。
*⑥ Sed is locus praesidio ab his, non nimis firmo, tenebatur.
**だが、その地点は、彼ら(ガッリア勢)により、大して強力ではない守備隊で占められていた。
*⑦ Tamen silentio noctis Caesar ex castris egressus,
**にもかかわらず(昼間ではなく)夜の静けさのうちに、カエサルは陣営から出撃して、
*priusquam subsidio ex oppido veniri posset,
**城塞都市(のそばの陣営)から援兵に来られるより前に、
*deiecto praesidio potitus loco duas ibi legiones conlocavit
**守備隊を追い出して、地点を占拠して、そこに2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を駐屯させた。
*fossamque duplicem duodenum pedum a maioribus castris ad minora perduxit,
**12[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約3.6mの幅)の二重の堀を、より大きな陣営から(この丘陵の)より小さな陣営へ至らしめた。
*ut tuto ab repentino hostium incursu singuli commeare possent.
**敵たちの不意の襲撃から安全に、1人1人が往来することができるように。
===37節===
'''ハエドゥイー族のコンウィクトリタウィスがガッリア同盟軍に内応する'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらがゲルゴウィアのところでなされている間に、
*Convictolitavis [[w:la:Haedui|Haeduus]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のコンウィクトリタウィスは、
*cui magistratum adiudicatum a Caesare demonstravimus,
**その者はカエサルによって統領として承認されたと([[#33節|33節]]で)既述したが、
*sollicitatus ab Arvernis pecunia cum quibusdam adulescentibus conloquitur,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]により金銭でそそのかされて、ある若者たちと談判した。
*quorum erat princeps Litaviccus atque eius fratres,
**その者たちの領袖は[[w:リタウィックス|リタウィックス]]とその兄弟たちであり、
*amplissima familia nati adulescentes.
**とても強大な一族に生まれた若者たちだった。
*② Cum his praemium communicat
**彼らとともに(アルウェルニー族からの)報酬を共有して、
*hortaturque, ut se liberos et imperio natos meminerint.
**自分たちが自由民で支配層の生まれであるのを思い起こせ、と鼓舞した。
*③ Unam esse Haeduorum civitatem, quae certissimam Galliae victoriam distineat<ref>distineat はM・N・π・R写本などの記述で、Q・U写本などでは destineat 、A・B・S写本などでは dedistineat などとなっている。</ref>;
**ハエドゥイーの部族国家は、ガッリアの至極確実な勝利を阻んでいる唯一のものであり、
*eius auctoritate reliquas contineri;
**その声望により、ほかの(同盟部族の)ものたちが(ローマ側に)保持されているが、
*qua traducta locum consistendi Romanis in Gallia non fore.
**それが(ガッリア勢に)引き入れられることによって、ガッリアにおいてローマ人が留まり続ける場はないであろう。
*④ Esse nonnullo se Caesaris beneficio adfectum,
**自分はカエサルの少なからぬ恩義をかけられているが、
*sic tamen, ut iustissimam apud eum causam obtinuerit;
**しかし、彼(カエサル)のもとで至極合法的な理由を手に入れたまでであり、
*sed plus communi libertati tribuere.
**しかし、(ガッリアの)共通の自由に従うことの方がより大きい。
*⑤ Cur enim potius Haedui de suo iure et de legibus ad Caesarem disceptatorem quam Romani ad Haeduos veniant?
**なぜ実際、ハエドゥイー族は自らの法令や法制について、ローマ人がハエドゥイー族へ来るよりむしろ、カエサルを仲裁者とするのか?
*⑥ Celeriter adulescentibus et oratione magistratus et praemio deductis,
**若者たちは速やかに、統領の演説と報酬によって導き入れられた。
*cum se vel principes eius consilii fore profiterentur,
**自分たちがその謀計の首謀者にすらなろうと申し出たときに、
*ratio perficiendi quaerebatur,
**(謀計を)成し遂げる方法が求められた。
*quod civitatem temere ad suscipiendum bellum adduci posse non confidebant.
**というのは、部族がむやみに(ローマ人との)戦争実行へ動かされることができるとは確信していなかったからだ。
*⑦ Placuit, ut Litaviccus decem illis milibus, quae Caesari ad bellum mitterentur, praeficeretur atque ea ducenda curaret,
**リタウィックスに、カエサルに戦争のために派遣されるあの(歩兵)1万名を指揮させ率いさせるのが良いとされた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵1万名については[[#34節|34節]]を参照。)</span>
*fratresque eius ad Caesarem praecurrerent.
**彼の兄弟たちは、カエサルのところへ先立って行った。
*Reliqua qua ratione agi placeat constituunt.
**残りのことが、どのようなやり方で行なわれるのが良いかが決められた。
===38節===
'''リタウィックスの鼓舞でハエドゥイー族の歩兵1万が挙兵する'''
*① Litaviccus accepto exercitu
**リタウィックスは(1万名の)歩兵隊を受け取って、
*cum milia passuum circiter XXX(triginta)<ref>XXX(triginta) はα系写本の記述で、β系写本では XL(quadraginta) となっている。</ref> ab<ref>ab は写本(ω)の記述であるが、モイゼル(Henricus Meusel)は a を提案している。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] abesset,
**[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から約30[[w:ローママイル|ローママイル]](=45km弱)離れたところに来たときに、
*convocatis subito militibus lacrimans,
**兵士たちを突然に呼び集めて、泣きながら、
*② "Quo proficiscimur," inquit, "milites?
**「兵士らよ、どこへ我々は進むのか?」と言った。
*Omnis noster equitatus, omnis nobilitas interiit;
**「我が方(ハエドゥイー族)のすべての[[w:騎兵|騎兵隊]]とすべての高貴な者たちは滅んだ。
*principes civitatis, [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] et Viridomarus,
**部族の領袖たち、エポレドリクスとウィリドマルスは、
*insimulati proditionis ab Romanis indicta causa interfecti sunt.
**裏切りの罪を着せられて、ローマ人たちによって、弁解の余地なく殺されてしまったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:indicta causa「弁解の余地なく」)</span>
*③ Haec ab ipsis<ref>ipsis はα系写本の記述で、β系写本では his となっている。</ref> cognoscite, qui ex ipsa caede fugerunt;
**これは、その虐殺から逃げて来た当人たちから聞き知ってくれ。
*nam ego fratribus atque omnibus meis propinquis interfectis
**なぜなら、私は、兄弟たちやすべての我が親族たちが殺されて
*dolore prohibeor, quae gesta sunt, pronuntiare."
**悲嘆により、なされたことを物語ることを妨げられているからだ。」
*④ Producuntur hi<ref>hi はφ・β系写本の記述で、A写本では ii 、Q写本では hii となっている。</ref>, quos ille edocuerat quae dici vellet,
**彼(リタウィックス)が言って欲しいことを教え込んでいた者たちが連れ出されて来て、
*atque eadem, quae Litaviccus pronuntiaverat, multitudini exponunt:
**リタウィックスが物語ったのと同じことを群衆に説明した。
*⑤ multos<ref>multos はα系写本の記述で、β系写本では omnes となっている。</ref> equites [[w:la:Haedui|Haeduorum]] interfectos, quod conlocuti cum Arvernis dicerentur;
**ハエドゥイー族の多くの騎兵たちは、アルウェルニー族と談判したと言われたので、殺された、と。
*ipsos se inter multitudinem militum occultasse atque ex media caede fugisse.
**(彼ら)自身は、兵士ら多数の間に身を隠して、虐殺の最中から逃げて来たのだ、と。
*⑥ Conclamant Haedui et Litaviccum obsecrant, ut sibi consulat.
**ハエドゥイー族の者たちは叫び声を上げて、リタウィックスに、自分たちに(どうするべきか)助言するように懇願した。
*"Quasi vero" inquit ille "consilii sit res, ac non necesse sit
**彼は言った「実にあたかも、事態が協議するべきというかのようだ。(協議する)必要はないのだ。
*nobis Gergoviam contendere et cum Arvernis nosmet coniungere.
**我々にとって、ゲルゴウィアに急行して、アルウェルニー族と我々が合流することは。
*⑦ An dubitamus, quin nefario facinore admisso Romani iam ad nos interficiendos concurrant?
**非道の悪行を犯したローマ人がもはや我々を殺戮するために襲いかかって来ることを疑うのかね?
*⑧ Proinde, si quid in nobis animi est,
**それゆえに、もし我々に何らかの心構えがあるならば、
*persequamur eorum mortem, qui indignissime interierunt,
**とても不面目に滅びた者たちの死に仇討ちしようではないか。
*atque hos latrones interficiamus."
**かの略奪者たち(ローマ人)を誅殺しようではないか。」
*Ostendit cives Romanos, qui eius praesidii fiducia una erant<ref>erant は写本(ω)の記述であるが、モムゼン(Mommsen)らは ierant を提案している。</ref>:
**(リタウィックスは)彼の護衛を信頼して一緒にいたローマ市民たちを示した。
*⑨ Continuo<ref>Continuo はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> magnum numerum frumenti commeatusque diripit,
**ただちに、(ローマ市民たちの)糧食や必需品の多数を略奪して、
*ipsos crudeliter excruciatos interficit.
**当人たちを残酷に拷問して殺した。
*⑩ Nuntios tota civitate Haeduorum dimittit,
**ハエドゥイー族の伝令たちを、部族全体にわたって遣わして、
*in<ref>in はβ系写本の記述だが、α系写本にはない。</ref> eodem mendacio de caede equitum et principum permovet<ref>permovet はL・N写本の記述だが、B写本では permanet 、χ・M・S・β系写本などでは permonet となっている。</ref>;
**騎兵や領袖たちの虐殺について、同じ嘘によって扇動した。
*hortatur ut simili ratione atque ipse fecerit suas iniurias persequantur.
**(リタウィックス)自身がしたのと同様のやり方で、自分たちの(受けた)無法に仇討ちするようにと鼓舞した。
===39節===
'''エポレドリクスがハエドゥイー勢1万の寝返りをカエサルに知らせる'''
*① [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] [[w:la:Haedui|Haeduus]], summo loco natus adulescens et summae domi potentiae,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]は、最高の身分に生まれた青年で、本国で最高の権勢にあった。
*et una Viridomarus, pari aetate et gratia, sed genere dispari,
**とともに、[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]も、同じ年輩で、同様に敬意を受けていたが、異なる階級であった。
*quem Caesar ab Diviciaco sibi traditum ex humili loco ad summam dignitatem perduxerat,
**カエサルは彼を[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]により託されて、低い身分から最高の地位へと引き立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ディウィキアクスはかつてローマに援助を求めた有力者で、カエサルに殺されたドゥムノリクスの兄弟。)</span>
*in equitum numero convenerant nominatim ab eo evocati.
**(その2人は)彼(カエサル)から名指しで呼び出されて、[[w:騎兵|騎兵]]として(ローマの陣中に)一緒に来ていた。
*② His erat inter se de principatu contentio
**彼ら(2人)には、互いに指揮官の座についての競争があって、
*et in illa magistratuum controversia
**あの統領をめぐる紛争においても
**:<span style="color:#009900;">([[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*alter pro Convictolitavi, alter pro Coto summis opibus pugnaverant<ref>pugnaverant はα系写本の記述で、β系写本では pugnaverat となっている。</ref>.
**一方は[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]のために、他方は[[w:コトゥス|コトゥス]]のために、最大限の助力で奮闘していた。
*③ Ex his Eporedorix cognito Litavicci consilio
**彼らのうちエポレドリクスが[[w:リタウィックス|リタウィックス]]の謀計を知って、
*media fere nocte rem ad Caesarem defert;
**ほぼ真夜中に、事情をカエサルのところへ報知した。
*orat ne patiatur civitatem pravis adulescentium consiliis ab amicitia populi Romani deficere;
**(ハエドゥイーの)部族が青年たちのゆがんだ謀計によってローマ人民の友好から背くことを容認しないように懇願した。
*quod futurum provideat, si se tot hominum milia cum hostibus coniunxerint,
**もし、このように多くの幾千もの同胞が敵たちと協同するならば、(上記の)ことが生じると用心するように、と。
*quorum salutem neque propinqui neglegere,
**(寝返った1万の歩兵たちの)縁者たちは彼らの身の安全をなおざりにすることはないし、
*neque civitas levi momento aestimare posset.
**部族が(寝返った歩兵たちの)影響力を軽く評価できない、と。
===40節===
'''カエサルが4個軍団を率いてハエドゥイー勢1万を制止し、リタウィックスは逃亡'''
*① Magna adfectus sollicitudine hoc nuntio Caesar,
**この知らせにより、大きな不安を感じたカエサルは、
*quod semper [[w:la:Haedui|Haeduorum]] civitati praecipue indulserat,
**常に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイーの部族]]にとくに気遣っていたので、
*nulla interposita dubitatione legiones expeditas quattuor equitatumque omnem ex castris educit;
**何らためらいを差しはさまずに、戦備を整えた4個[[w:ローマ軍団|軍団]]と[[w:騎兵|騎兵隊]]すべてを陣営から進発させた。
*② nec fuit spatium tali tempore ad contrahenda castra,
**このような情勢で、陣営を縮小するための余地はなかった。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[#36節|36節]]で、カエサルはゲルゴウィアの大きな陣営および敵に近い小さな陣営を6個軍団で守っていた。)</span>
*quod res posita in celeritate videbatur;
**というのは、事態は迅速さにかかっていると思われたからだ。
*C.(Gaium) Fabium legatum cum legionibus duabus castris praesidio relinquit.
**総督副官[[w:ガイウス・ファビウス|ガイウス・ファビウス]]を2個軍団とともに陣営の守備に残しておいた。
*③ Fratres Litavicci cum comprehendi iussisset,
**(カエサルは)リタウィックスの兄弟たちを拘束することを命じていたのだが、
*paulo ante reperit ad hostes fugisse.
**少し前に(ゲルゴウィアの)敵たちのところへ去ったことを探り出した。
*④ Adhortatus milites ne necessario tempore itineris labore permoveantur,
**(カエサルは)緊急の時に、行軍の労苦により乱されないように、兵士たちを激励して、
*cupidissimis omnibus progressus milia passuum [[w:la:Viginti quinque|XXV]] agmen Haeduorum conspicatus<ref>conspicatus はα系写本の記述で、β系写本では conspicatur となっている。</ref>
**皆がとても熱中していたので、25[[w:|ローママイル]](約37km)進んで、ハエドゥイー族の隊列を視認した。
*immisso equitatu iter eorum moratur atque impedit
**騎兵隊を突進させて、彼ら(ハエドゥイー勢)の行軍を妨げて、停止させた。
*interdicitque omnibus ne quemquam interficiant.
**(ハエドゥイー勢を)誰一人殺さないように(ローマ勢の)皆に禁じた。
*⑤ [[w:la:Eporedorix|Eporedorigem]] et Viridomarum, quos illi interfectos existimabant,
**彼ら(ハエドゥイー勢)が、殺されたものと考えていた者たち、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]に、
*inter equites versari suosque appellare iubet.
**(ハエドゥイー勢の)騎兵たちの間を歩き回って、味方に呼びかけることを命じた。
*⑥ His cognitis et Litavicci fraude perspecta Haedui manus tendere,
**彼ら(2人)に気付いて、リタウィックスのごまかしを見通して、ハエドゥイー族の者たちは手を差し出して、
*deditionem significare et proiectis armis mortem deprecari incipiunt.
**降伏の意を表して、武器を投げ出して、死を赦免されることを求め始めた。
*⑦ Litaviccus cum suis clientibus,
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]は、配下の子分たちとともに、
*quibus more Gallorum nefas est etiam in extrema fortuna deserere patronos,
**ガッリア人の風習では、最悪の境遇にあってさえも(子分が自分の)親分を見捨てることは非道であったので、
*[[w:la:Gergovia|Gergoviam]] profugit.
**(親分・子分ともども)[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に逃れた。
===41節===
'''副官ファビウスの報告:ゲルゴウィアの敵勢がローマ陣営に襲来'''
*① Caesar nuntiis ad civitatem [[w:la:Haedui|Haeduorum]] missis,
**カエサルは伝令たちを[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー]]の部族(当局)に遣わして、
*qui suo beneficio conservatos docerent quos iure belli interficere potuisset,
**彼ら(伝令)に、戦時の権限により殺せた者たち(歩兵1万)は(カエサル)自らの恩恵により許されたのだ、と説かせた。
*tribusque horis noctis exercitui ad quietem datis castra ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] movit.
**(カエサルは)夜の3時間を軍隊に休息のために与えて、陣営を引き払ってゲルゴウィアの方へ向かった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:古代ローマの不定時法では、夏季の夜の3時間は、現在の定時法の3時間よりかなり短い。)</span>
*② Medio fere itinere equites a Fabio missi,
**(ゲルゴウィアへの)道程のほぼ中間のところで、ファビウスから[[w:騎兵|騎兵]]たちが遣わされて来て、
*quanto res in periculo fuerit, exponunt.
**事態がどれほどの危機にあるか、を打ち明けた。
*Summis copiis castra oppugnata demonstrant,
**(ガッリア勢の)最大級の軍勢により(ローマ勢の)陣営が攻撃された、と説明した。
*cum crebro integri defessis succederent
**そのときに(ガッリア勢は)たびたび新たな者たちが疲労した者たちに交代していたが、
*nostrosque adsiduo labore defatigarent,
**我が方(ローマ勢)は絶え間ない労苦により疲れ果てていた。
*quibus propter magnitudinem castrorum perpetuo esset isdem in vallo permanendum.
**彼ら(ローマ勢)にとり、陣営の大きさのために、同じ者たちが防柵の中に留まらざるを得なかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは[[#40節|40節]]②項で「陣営を縮小するための余地はなかった」とあらかじめ弁解している。)</span>
*③ Multitudine sagittarum atque omnis generis<ref>omnis generis はα系写本の記述で、β系写本では omni genere となっている。</ref> telorum multos vulneratos;
**(ガッリア勢からの)矢の多数と飛び道具のあらゆる類いによって(ローマ勢の)多くのものが傷つけられた。
*ad haec sustinenda magno usui fuisse tormenta.
**これに持ちこたえるために、投石器が大いに役立った。
*④ Fabium discessu eorum duabus relictis portis obstruere ceteras
**ファビウスは、彼ら(ガッリア勢)が退却すると、2つの門を残して、ほか(の門)を閉鎖した。
*pluteosque vallo addere et se in posterum diem similemque casum apparare<ref>similemque casum apparare はα系写本の記述で、β系写本では similem ad casum parare となっている。</ref>.
**胸壁を防柵を付け加えて、翌日における似たような状況に備えた。
*⑤ His rebus cognitis Caesar
**これらの事態を知って、カエサルは、
*summo studio militum ante ortum solis in castra pervenit.
**兵士たちの最大級の努力によって、日の出の前に(ゲルゴウィアの)陣営に到着した。
===42節===
'''ハエドゥイー族の者たちが反ローマ暴動を引き起こす'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらがゲルゴウィアの辺りでなされている間に、
*[[w:la:Haedui|Haedui]] primis nuntiis ab Litavicco acceptis
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の者たちは、[[w:リタウィックス|リタウィックス]]からの最初の知らせを受け取ったが、
*nullum sibi ad cognoscendum spatium relinquunt.
**自分たちには(この知らせを)調べるための余地を何ら残さなかった。
*② Impellit alios avaritia, alios iracundia et temeritas
**ある者たちを貪欲さが、ある者たちを激しやすさや無分別が駆り立てた。
*─ quae maxime illi hominum generi est innata ─ ut levem auditionem habeant pro re comperta.
**あの種族の人々はとりわけ、軽率な風聞を確認された事として見なすように、生まれついているのだ。
*③ Bona civium Romanorum diripiunt, caedes faciunt, in servitutem abstrahunt.
**(ハエドゥイー族の者たちは)ローマ市民たちの財産を略奪し、殺戮を行なって、隷属状態に引きずり込んだ。
*④ Adiuvat rem proclinatam Convictolitavis
**(さらに)傾いた事態を[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]が助長して、
*plebemque ad furorem impellit, ut facinore admisso ad sanitatem reverti pudeat.
**民衆を狂暴さへと、悪行を犯して冷静さへ引き返すことを恥と思うように、駆り立てた。
*⑤ M.(Marcum) Aristium tribunum militum iter ad legionem facientem
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>であるマルクス・アリスティウスが[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ旅しているところを
*fide data ex oppido [[w:la:Cabillonum|Cavillono]] educunt;
**(安全の)保証を与えて、城塞都市カウィッロヌムから連れ出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌム Cavillonum はカビッロヌム Cabillonum とも綴り、現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]])</span>
*idem facere cogunt eos, qui negotiandi causa ibi constiterant.
**そこに商売をするために定住していた(ローマ人の)者たちにも同じことをするように強要した。
*⑥ Hos continuo <in><ref>in は写本にないが、近世の活字本から挿入されている。</ref> itinere adorti omnibus impedimentis exuunt;
**直ちに彼らを途中で襲撃して、すべての手荷物を奪い取った。
*repugnantes diem noctemque obsident;
**抵抗する者たちを昼夜にわたって包囲した。
*multis utrimque interfectis
**(ハエドゥイー族とローマ人の)双方とも多くの者たちが殺されて、
*maiorem multitudinem armatorum<ref>armatorum はα系写本の記述で、β系写本では ad arma となっている。</ref> concitant.
**(ハエドゥイー族の)より多くの群衆を武装へと扇動した。
===43節===
'''ハエドゥイー族当局がカエサルに屈服。ガッリア大動乱の予感'''
*① Interim nuntio adlato omnes eorum milites in potestate Caesaris teneri,
**その間に、彼ら(ハエドゥイー族)の兵士すべてがカエサルの権力下で支配されているという知らせがもたらされて、
*concurrunt ad Aristium,
**(ハエドゥイー族当局の者たちは)アリスティウスのところへ急ぎ集まって、
*nihil publico factum consilio demonstrant;
**(ローマ市民に対する襲撃は)何ら公けに企てがなされたものではないと説明した。
*② quaestionem de bonis direptis decernunt,
**(部族当局は、ローマ市民から)略奪された財産についての究明を決定して、
*Litavicci fratrumque bona publicant,
**リタウィックスと兄弟たちの財産を没収し、
*legatos ad Caesarem sui purgandi gratia mittunt.
**カエサルのところへ使節たちを、自分たちを赦免することのために遣わした。
*③ Haec faciunt reciperandorum<ref>reciperandorum はα系写本の記述で、β系写本では recuperandorum となっている。</ref> suorum causa;
**これらを、配下の者たち(=歩兵1万名)を取り戻すために行なったのだ。
*sed contaminati facinore et capti compendio ex direptis bonis,
**しかし(彼らは)悪行に汚染されていて、略奪した財産の利得にとらわれており、
*quod ea res ad multos pertinebat, timore<ref>timore はα系写本の記述で、β系写本では et timore となっている。</ref> poenae exterriti
**その事に多くの者たちが関与していたので、懲罰の恐れに脅かされて、
*consilia clam de bello inire incipiunt
**ひそかに戦争の謀計に取りかかり始めて、
*civitatesque reliquas legationibus sollicitant.
**ほかの諸部族を使節派遣によって、そそのかした。
*④ Quae tametsi Caesar intellegebat, tamen quam mitissime potest legatos appellat;
**カエサルはそのようなことを認識していたけれども、(ハエドゥイー族の)使節たちにできるだけ平静に話しかけた。
*nihil se propter inscientiam levitatemque vulgi gravius de civitate iudicare
**自分は(ハエドゥイー族の)民衆の無知や軽率さのために、部族を何ら厳重に裁断することはない、と。
*neque de sua in [[w:la:Haedui|Haeduos]] benevolentia deminuere.
**自分のハエドゥイー族に対する好意を減ずることはない、と。
*⑤ Ipse maiorem Galliae motum exspectans,
**(カエサル)自身は、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、
*ne ab omnibus civitatibus circumsisteretur,
**すべての部族によって包囲されることがないように、
*consilia inibat, quemadmodum ab<ref>ab はχ系写本の記述で、φ系写本では a となっており、β系写本にはない。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discederet ac rursus omnem exercitum contraheret,
**どのようにゲルゴウィアから撤退して再び軍隊全体を集結するか、策定に取りかかった。
*ne profectio nata ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> timore defectionis similis<ref>similis はα系写本の記述で、β系写本では similisque となっている。</ref> fugae videretur.
**(諸部族の)背反の恐れから生じた出発が、逃亡同然と見られないように。
===44節===
'''ゲルゴウィアの急所の尾根'''
[[画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|thumb|center|900px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。]]
[[画像:La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵]]
*① Haec cogitanti accidere visa est facultas bene rei gerendae<ref>rei gerendae はα系写本の記述で、β系写本では gerendae rei となっている。</ref>.
**(カエサルが)これらを考慮しているときに、事をうまく行なえる可能性が生じたと思われた。
*Nam cum in minora castra operis perspiciendi causa venisset,
**すなわち、(ローマ勢の)小さい方の陣営に、作業を視察するためにやって来たときに、
*animadvertit collem qui ab hostibus tenebatur nudatum hominibus,
**敵たちによって占められていた丘陵が、無人にされているのに気付いた。
*qui superioribus diebus vix prae multitudine cerni poterat.
**それは、前日には、(ガッリア勢の)大勢の者たちのためにほとんど見分けが付けられないものだった。
*② Admiratus quaerit ex perfugis causam,
**(カエサルは)驚いて、(ゲルゴウィアからの)[[w:脱走兵|脱走兵]]たちに理由を尋ねた。
*quorum magnus ad eum cotidie numerus confluebat.
**その者たちの多数は、毎日、彼(カエサル)のところへ群がり集まっていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#14節|14節]]⑨項で既述のように、ガッリア勢は[[w:兵役逃れ|兵役忌避]]の多さに悩まされていた。)</span>
*③ Constabat inter omnes
**(脱走兵たち)皆の間では同じ意見であった。
*─ quod iam ipse Caesar per exploratores cognoverat ─
**─ すでにカエサル自身が偵察者たちを通して知っていたことであったが ─
*dorsum esse eius iugi prope aequum, sed silvestre<ref>silvestre はβ系写本の記述で、α系写本では hunc silvestrem となっている。</ref> et angustum,
**その尾根の背面はほぼ平地で、しかし森林におおわれて狭く、
*qua esset aditus ad alteram partem oppidi<ref>partem oppidi はα系写本の記述で、β系写本では oppidi partem となっている。</ref>;
**それによって城塞都市の別の方面への出入口となっている、と。
*④ vehementer huic illos loco<ref>vehementer huic illos loco はα系写本の記述で、β系写本では huic loco vehementer illos となっている。</ref> timere nec iam aliter sentire,
**この地帯を彼ら(ガッリア勢)が極度に恐れ、すでに感じていたことには、
*uno colle ab Romanis occupato, si alterum amisissent,
**ローマ人によって一つの丘陵が占領されているので、もしもう一方をも失ったならば、
*quin paene circumvallati atque omni exitu et pabulatione interclusi viderentur;
**(ゲルゴウィアが)ほとんど包囲されて、あらゆる出口と糧秣徴発を阻まれると思われたのである。
*ad hunc muniendum locum<ref>locum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> omnes a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] evocatos.
**この地帯の辺りを防御するために、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]により総勢が召集されていたのだ、と。
===45節===
'''ローマ勢の陽動部隊が敵を引き付け、本隊が敵の本陣を目指す'''
*① Hac re cognita Caesar mittit complures equitum turmas eodem<ref>eodem はβ系写本の記述で、α系写本では eisdem などとなっており、またモイゼル(Meusel)は eo de と解釈している。</ref> media nocte;
**この事を知って、カエサルは多数の[[w:騎兵|騎兵]]<ruby><rb>小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を同じところに真夜中に派遣した。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:騎兵小隊 turma は、ローマの同盟部族などからなる騎兵の単位で、30騎ほどからなるとされている。)</span>
*imperat his<ref>his はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ut paulo tumultuosius omnibus locis vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では pervagentur となっている。</ref>.
**彼らには、いくらか騒々しく、あらゆる場所を動き回るように命令した。
*② Prima luce magnum numerum impedimentorum ex castris mulorumque produci deque his stramenta detrahi
**夜明けに、陣営から多数の荷馬や[[w:ラバ|ラバ]]を連れ出して、これらから[[w:鞍|荷鞍]]を取り去って、
*mulionesque cum cassidibus equitum specie ac simulatione collibus circumvehi iubet.
**ラバ引きの者たちを鉄兜とともに、騎兵の外見と真似をさせて、丘々を乗り回すことを命じた。
*③ His paucos addit equites, qui latius ostentationis causa vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では vagentur となっている。</ref>.
**彼らに少数の騎兵を付き添わせて、より広く見せびらかすために動き回らせた。
*Longo circuitu easdem omnes iubet petere regiones.
**(ラバ引きと騎兵の)皆には、長く迂回して、同じ一帯を目指すことを命じた。
*④ Haec procul ex oppido videbantur, ut erat a Gergovia despectus in castra,
**これらは<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>から遠くに望見され、ゲルゴウィアから(ローマ勢の)陣営が眺められたほどであったが、
*neque tanto spatio certi quid esset explorari poterat.
**これほどの距離のために(ガッリア勢からは)何ごとか確かなことは探り出されなかった。
*⑤ Legionem unam eodem iugo mittit
**(カエサルは)1個[[w:ローマ軍団|軍団]]を同じ尾根に派遣して、
*et paulum progressam inferiore constituit loco silvisque occultat.
**いくらか前進させて低い場所に駐留させ、森林に隠した。
*⑥ Augetur Gallis suspicio
**(これらを見た)ガッリア人には疑念が増されて、
*atque omnes illo ad munitionem copiae traducuntur.
**軍勢のすべてがあそこ(=無人にしていた急所の丘陵)へ防御のために移動した。
*⑦ Vacua castra hostium Caesar conspicatus
**カエサルは敵たちの(ゲルゴウィア山頂の)陣営が空であると気付いて、
*tectis insignibus suorum occultatisque signis militaribus
**配下の者たちの標章を覆い隠し、軍旗を隠して、
*raros milites, ne ex oppido animadverterentur, ex maioribus castris in minora traducit
**兵士たちをまばらに、城塞都市から気付かれないように、大きい方の陣営から小さい方に移動させた。
*legatisque, quos singulis legionibus praefecerat, quid fieri velit, ostendit;
**個々の軍団を指揮させていた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、何がなされることを欲しているかを示した。
*⑧ in primis monet ut contineant milites,
**第一に、兵士たちを抑え留めるように戒めた。
*ne studio pugnandi aut spe praedae longius progrediantur;
**(兵士たちが)戦うことの熱意、あるいは略奪の希望により、より遠くまで進み出ないように、と。
*⑨ quid iniquitas loci habeat incommodi proponit;
**地勢の不利がどれほど敗北を生じるかを示した。
*hoc una celeritate posse vitari<ref>vitari はβ系写本の記述で、α系写本では mutari となっている。</ref>;
**迅速さのみがこれを避けることができる。
*occasionis esse rem, non proelii.
**事の成否は、戦闘にではなく、好機にかかっている。
*⑩ His rebus expositis signum dat
**これらの事柄を説明して、(副官たちに進軍の)号令を出した。
*et ab dextra parte alio ascensu eodem tempore Haeduos mittit.
**右の方面からは、別の登り道を(ローマ軍本隊と)同時に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]](の騎兵)を派遣した。
===46節===
'''ローマ軍の本隊が防壁を越えて、敵陣の一部を占拠'''
*① Oppidi murus ab<ref>ab はB・M・L・N写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> planitie atque initio ascensus recta regione,
**(ゲルゴウィアの)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁は、平地や登り道の始まりから真っ直ぐに(=直線距離で)、
*si nullus amfractus<ref>amfractus はα系写本の記述で、β系写本では anfractus となっている。</ref> intercederet, mille CC(mille ducenti)<ref>mille CC(=1200) はα系写本の記述で、β系写本では CC(=200)となっている。</ref> passus aberat;
**もし何らの湾曲が間になければ、1200[[w:パッスス|パッスス]](=約1.8km)離れていた。
*② quicquid huc circuitus ad molliendum clivum accesserat<ref>accesserat は写本(ω)の記述だが、オットー・ゼール [[w:de:Otto Seel|Otto Seel]] の校訂では accesserit としている。</ref>,
**ここに(山の斜面の)傾斜を緩和するために、何らかの回り道が付け加わっていて、
*id spatium itineris augebat.
**その道のりの距離を増していた。
*③ A medio fere colle in longitudinem, ut natura montis ferebat,
**丘陵のほぼ真ん中から、山の地形が作り出したかのように、長きにわたって、
*ex grandibus saxis sex pedum murum qui nostrum<ref>nostrum は中世の写本(ω)の記述だが、近世の版では nostrorum となっている。</ref> impetum tardaret,
**大きな石垣からなる6[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約1.8m)もの、我が方(ローマ勢)の突進を遅らせる防壁を、
*praeduxerant Galli,
**ガッリア人は引いて来ており、
*atque inferiore omni spatio vacuo relicto
**(その石垣の防壁)より下方のすべての空間は人気なく残されていて、
*superiorem partem collis usque ad murum oppidi densissimis castris compleverant.
**丘陵のより上方の部分を、城塞都市の城壁の方へ続けざまに、とても密集した(各部族ごとの)陣営で満たしていた。
*④ Milites dato signo celeriter ad munitionem perveniunt
**(ローマ人の)兵士たちは号令を与えられて、速やかに(石垣の)防壁のところへ到達して、
*eamque transgressi trinis castris potiuntur;
**それを越えて行って、3つの(部族ごとの)陣営を占拠した。
*⑤ ac tanta fuit in castris capiendis<ref>castris capiendis はα系写本の記述で、β系写本では capiendis castris となっている。</ref> celeritas,
**(3つの)陣営を奪取することにおいて、これほどにも迅速さがあったので、
*ut Teutomatus, rex Nitiobrogum, subito in tabernaculo oppressus,
**その結果、[[w:ニティオブロゲス族|ニティオブロゲス族]]の王[[w:テウトマトゥス|テウトマトゥス]]は、[[w:テント|天幕]]において突然に襲われて、
*ut meridie conquieverat, superiore corporis parte nudata<ref>nudata はα系写本の記述で、β系写本では nuda となっている。</ref>
**昼寝をしていたが、上半身は裸のままで、
*vulnerato equo vix se ex manibus praedantium militum eriperet.
**傷付けられた馬によって、略奪している(ローマ人)兵士の手から、やっと自らを救い出した。
===47節===
'''血気にはやるローマ兵たちの猪突猛進、ガッリア女たちの命乞い'''
*① Consecutus id quod animo proposuerat
**心に決めていたことを達成したので、
*Caesar receptui cani iussit
**カエサルは退却ラッパを吹くことを命じた。
*legionique decimae, quacum erat, contionatus signa constituit.
**彼とともにいた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]に呼びかけて、軍旗を停止した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第10軍団はガッリア戦争初期からの最古参の軍団。軍旗を停止するとは、進軍を止めること。)</span>
*② Ac<ref>ac はα系写本の記述で、β系写本では at となっている。</ref> reliquarum legionum milites non exaudito<ref>exaudito はα系写本の記述で、β系写本では audito となっている。</ref> sono tubae,
**ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]の兵士たちは、ラッパの響きを聞き取れなかった。
*quod satis magna valles intercedebat,
**というのは、十分に大きな峡谷が間にあったからである。
*tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque, ut erat a Caesare praeceptum, retinebantur;
**しかしながら、<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちにより、カエサルから指図されていたように、制止されていた。
*③ Sed elati spe celeris victoriae et hostium fuga et superiorum temporum secundis proeliis
**だが(兵士たちは)迅速な勝利の希望や、敵たちの逃亡や、それ以前のときの順調な戦闘により、高慢になっていて、
*nihil adeo arduum sibi esse existimaverunt<ref>esse existimaverunt はα系写本の記述で、β系写本では existimabant となっている。</ref>, quod non virtute consequi possent,
**自分たちにとって、武勇で達することができないほどの困難なものはまったく何もない、と考えており、
*neque finem prius sequendi fecerunt quam muro oppidi portisque adpropinquarunt.
**(ゲルゴウィアの)城塞都市の城壁や城門に近付くまでは、追及を終結させなかった。
*④ Tum vero ex omnibus urbis partibus orto clamore,
**すると、まさに(ゲルゴウィアの)町のあらゆる方面から叫び声が発せられて、
*qui longius aberant, repentino tumultu perterriti,
**(城内の)遠い方に離れていた者たちは、予期せぬ騒ぎに脅えており、
*cum hostem intra portas esse existimarent,
**敵(=ローマ人)が城門の内側にいると考えたので、
*sese ex oppido eiecerunt.
**城塞都市から急ぎ出た。
*⑤ Matres familiae de muro vestem argentumque iactabant
**家庭の母親たちは、城壁から衣類や貨幣をたびたび投げやった。
*et pectore nudo prominentes passis manibus obtestabantur Romanos,
**そして胸を裸にして(城壁の上に)進み出て、手を伸ばしてローマ人たちに哀願した。
*ut sibi parcerent
**自分たちを容赦するように、
*neu, sicut Avarici fecissent, ne a mulieribus quidem atque infantibus abstinerent;
**(ローマ人が)アウァーリクムでしたように女たちや子供たちでさえも赦免しないことのないように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人がアウァーリクムでした行為については、[[#28節|28節]]④項を参照。)</span>
*⑥ nonnullae de muris<ref>muris はα系写本の記述で、β系写本では mure となっている。</ref> per manus demissae sese militibus tradebant.
**少なからぬ者たちは、城壁から手で降ろされて、(ローマ人)兵士たちに身を任せた。
[[画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|thumb|center|700px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。]]
*⑦ L.(Lucius) Fabius centurio legionis VIII(octavae),
**[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>であるルキウス・ファビウスは、
*quem inter suos eo die dixisse constabat
**配下の者たちの間で、その日、(以下のように)言ったことが知られていた。
*excitari se Avaricensibus praemiis neque commissurum, ut prius quisquam murum ascenderet,
**自分はアウァーリクムの恩賞に奮い立たせられて、何者かが(自分)より早く城壁を登るようなことは生じさせない、と。
*tres suos nactus manipulares
**(ファビウスは)同じ隊の兵士である3人の配下と遭遇して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:manipulares は「[[w:マニプルス|歩兵中隊]]の」とも解されるが、ここでは「同じ隊の兵士」という意味であろう。)</span>
*atque ab his sublevatus murum ascendit,
**彼らによって持ち上げられて城壁を登った。
*hos<ref>hos はα系写本の記述で、π系写本では eos 、ρ系写本では eo となっている。</ref> ipse rursus singulos exceptans in murum extulit.
**彼らは(ファビウス)自身が再び1人ずつ引き出して、城壁に導き上げた。
===48節===
'''ガッリア勢が城塞都市に引き返して、防戦に努める'''
*① Interim hi<ref>hi はα系・π系・R写本の記述で、U写本では ii となっている。</ref> qui ad alteram partem oppidi, ut supra demonstravimus, munitionis causa convenerant,
**その間に、前に述べたように、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の別の方面へ、防御のために集結していた(ガッリア勢の)者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#45節|45節]]⑥項で述べられている。)</span>
*primo exaudito clamore,
**初めに叫び声を聞き取り、
*inde etiam crebris nuntiis incitati oppidum ab Romanis teneri,
**さらに、城塞都市がローマ人たちによって占領されたという頻繁な知らせにさえも駆り立てられて、
*praemissis equitibus magno concursu<ref>concursu はα系写本の記述で、β系写本では cursu となっている。</ref> eo contenderunt.
**[[w:騎兵|騎兵]]たちを先遣して、(歩兵たちも)駆けに駆けて、そこ(=城塞都市)へ急いだ。
[[画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|thumb|right|300px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)]]
*② Eorum ut quisque primus venerat,
**彼らの(城塞都市に)到着した者から順々に
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quisque primus「最初の者ごとに;順々に」)</span>
*sub muro consistebat suorumque pugnantium numerum augebat.
**城壁の下に陣取って、味方の戦う者たちの数を増した。
*③ Quorum cum magna multitudo convenisset,
**その者たちの大群集が集結したときに、
*matres familiae quae paulo ante Romanis de muro manus tendebant,
**少し前にはローマ人たちに城壁から手を差し出していた家庭の母親たちが
*suos obtestari
**味方に哀願して、
*et more Gallico passum capillum ostentare liberosque in conspectum proferre coeperunt.
**ガッリアの風習により、髪を広げて示し、子供たちを(男たちの)眼前に運び始めた。
*④ Erat Romanis nec loco nec numero aequa contentio;
**ローマ人たちにとっては、地の利でも(兵の)数でも、対等な闘いはなかった。
*simul et cursu et spatio pugnae defatigati
**と同時に、戦いの疾走や時間(の長さ)に疲弊させられていて、
*non facile recentes atque integros sustinebant.
**(ガッリア勢の)新来かつ無傷の者たちに、容易に持ちこたえられなかった。
===49節===
'''カエサルが劣勢の自軍に副官セクスティウスを増援する'''
*① Caesar cum iniquo loco pugnari hostiumque augeri copias videret,
**カエサルは(戦闘が自軍に)不利な場所で戦われていること、かつ敵方の軍勢が増やされていることを見たので、
*praemetuens suis
**配下の者たちを気遣って、
*ad T.(Titum) Sextium legatum, quem minoribus castris praesidio reliquerat, misit,
**小さい方の陣営に守備として残しておいた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスのところへ(伝令を)遣わして、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セクスティウスについては、すでに副官として[[ガリア戦記 第6巻#1節|第6巻1節]]で言及されている。)</span>
*ut cohortes ex castris celeriter educeret
**陣営から(いくつかの)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を速やかに進発させるように、
*et sub infimo colle ab dextro latere hostium constitueret,
**かつ丘陵のふもとの下方で、敵方の右の側面に布陣するように、と。
*② ut, si nostros loco depulsos vidisset, quominus libere hostes insequerentur terreret.
**もし我が方が(戦闘の)場所から追いやられたのを見たら、敵方が自由に追撃することにならぬよう脅かすためである。
*③ Ipse paulum ex eo loco cum legione progressus, ubi constiterat,
**(カエサル)自身は、停止していた場所から、軍団とともに少し前進して、
**:<span style="color:#009900;">([[#47節|47節]]①項で既述のように、カエサルとともに停止していたのは[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]である。)</span>
*eventum pugnae exspectabat.
**戦いの決着を待っていた。
===50節===
'''激戦の末、敗勢に陥るローマ軍'''
*① Cum acerrime comminus pugnaretur, hostes loco et numero, nostri virtute confiderent,
**(両軍により)激烈に格闘して戦われていて、敵方は地の利と(兵の)数を、我が方(ローマ軍)が武勇を頼りとしていたときに、
*subito sunt Haedui visi ab latere nostris aperto,
**突如として、我が方にとって開けた側面(=右側)から、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の者たち(の姿)が見られた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「開けた側面から」ab latere aperto とは、兵士の[[w:スクトゥム|長盾]]で覆われていない右側を指す。)</span>
*quos Caesar ab dextra parte alio ascensu manus distinendae causa miserat.
**カエサルがその者たちを右の方面から別の登り道により(敵の)部隊を分散しておくために派遣していたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この事は、[[#45節|45節]]⑩項で述べられている。)</span>
*② Hi similitudine armorum vehementer nostros perterruerunt,
**彼らの武具が(ガッリア勢のものと)似ていることが、我が方(の兵士たち)を極度に怖れさせた。
*ac tametsi dextris humeris<ref>humeris が写本(ω)の記述であるが、umeris とするのも一般的となっている。</ref> exsertis animadvertebantur, quod insigne pactum<ref>pactum はHellerによる修正提案で、写本(ω)では pacatum となっており、研究者たちにより他の修正も提案されている。</ref> esse consuerat,
**(ハエドゥイー勢は)右の肩を脱いでいるのが視認され、その印は(味方として)定められているのが常であったが、
*tamen id ipsum sui fallendi causa milites ab hostibus factum existimabant.
**けれども(ローマ人の)兵士たちは、それ自体が自分たちを欺くために、敵方によりなされたと考えたのだ。
[[画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。]]
*③ Eodem tempore L.(Lucius) Fabius centurio quique una murum ascenderant,
**同じ時に、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・ファビウスおよび一緒に城壁を登っていた者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスらについては、[[#47節|47節]]⑦項で述べられている。)</span>
*circumventi atque interfecti de<ref>de はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> muro praecipitabantur.
**(ガッリア勢に)取り囲まれ、殺害されて、城壁から突き落とされた。
*④ M.(Marcus) Petronius, eiusdem legionis centurio,
**同じ[[w:ローマ軍団|軍団]]の百人隊長マルクス・ペトロニウスは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスと同じ軍団とは、[[#47節|47節]]⑦項で述べられているように[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]である。)</span>
*cum portas<ref>portas は写本(ω)の記述だが、portam と単数形にする修正も提案されている。</ref> excidere conatus esset,
**城門を突き破って出ることを試みていたときに、
*a multitudine oppressus ac sibi desperans multis iam vulneribus acceptis,
**(敵の)大勢によって圧倒されて、すでに多くの傷を受けて自分に絶望しており、
*manipularibus suis, qui illum secuti erant<ref>secuti erant はα系写本の記述で、β系写本では erant secuti となっている。</ref>,
**彼に付き従っていた同じ隊の配下の者たちに、
*"quoniam" inquit "me una vobiscum servare non possum,
**曰く「私と諸君を一緒に救うことはできないのだから、
*vestrae quidem certe vitae prospiciam, quos cupiditate gloriae adductus in periculum deduxi.
**せめて、栄誉の欲に引き寄せられて危険に引きずり込んでしまった諸君の生命にはきっと見通しを与えるであろう。
*⑤ Vos data facultate vobis consulite."
**諸君は(生き延びる)可能性が与えられているから、諸君(自身)を助けたまえ。」
*Simul in medios hostes inrupit duobusque interfectis reliquos a porta paulum submovit.
**と同時に、敵方の真ん中に押し入って、2名を殺害して、ほかの者たちを城門からいくらか退けた。
*⑥ Conantibus auxiliari suis
**(ペトロニウスは自分の)支援を試みる配下の者たちに、
*"frustra" inquit "meae vitae subvenire conamini, quem iam sanguis viresque deficiunt.
**曰く「もはや血も活力も尽き果てた私の生命を助けることを試みているのは無益だ。
*Proinde abite, dum est facultas, vosque ad legionem recipite."
**ゆえに(生き延びる)可能性がある間に立ち去れ。諸君は軍団のところへ退却せよ。」
*Ita pugnans post paulum<ref>paulum はα系・ρ系写本の記述で、π系写本では paululum となっており、paulo という修正提案もされている。</ref> concidit ac suis saluti fuit.
**こうして(ペトロニウスは)戦って少し後で斃れ、配下の者たちにとっては救いとなった。
===51節===
[[画像:Monument_gergovie_fr.jpg|thumb|right|290px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。]]
[[画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城塞都市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->]]
'''カエサルが一敗地に塗れる'''
*① Nostri cum undique premerentur,
**我が方(ローマ軍)は、至る所で圧倒されたので、
*XLVI(sex et quadraginta)<ref>XLVI はα系写本の記述で、β系写本では sex et XL となっている(どちらも46)。</ref> centurionibus amissis deiecti sunt loco.
**46名の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> を失い、(激戦の)場所から追いやられた。
*Sed intolerantius Gallos insequentes
**けれども、容赦なく追撃して来るガッリア人たちを
*legio decima tardavit, quae pro subsidio paulo aequiore loco constiterat.
**予備部隊(もしくは要撃部隊)として、いくらか平らな所に陣取っていた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]が妨げた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#47節|47節]]①項で既述のように、第10軍団はカエサルとともに待機していた。)</span>
*② Hanc rursus XIII(tertiae decimae) legionis cohortes exceperunt,
**これ(=第10軍団)をさらに、第13軍団の諸<ruby><rb>[[w:コホルス|大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が支えた。
*quae ex castris minoribus eductae cum T.(Tito) Sextio legato ceperant locum<ref>ceperant locum はα系写本の記述で、β系写本では locum ceperant となっている。</ref> superiorem.
**それらは<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスとともに小さい方の陣営から進発してより高い所を占めていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#49節|49節]]を参照。)</span>
*③ Legiones ubi primum planitiem attigerunt,
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]は、平野に達するや否や、
*infestis contra hostes signis constiterunt.
**敵方に抗して戦備を整えて陣取った。
*④ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ab radicibus collis suos intra munitiones reduxit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、配下の者たちを丘陵の麓から(ゲルゴウィアの)防備の内側に連れ戻した。
*Eo die milites sunt paulo minus [[wikt:la:Septingenti|septingenti]] desiderati.
**その日、(ローマ軍は)700名よりいくらか少ない兵士を失った。
<br>
:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルとウェルキンゲトリークスは、たびたび交えた騎兵戦ではカエサルが勝っているが、</span>
:<span style="color:#009900;">両軍の主力部隊である歩兵どうしが激突したこの戦闘は、地の利もあって、ウェルキンゲトリークスが完勝した。</span>
:<span style="color:#009900;">カエサルは第8軍団など古参の部隊を投入しながら、歴戦の百人隊長と兵士たちを多く失った。)</span>
===52節===
'''敗軍の将カエサルが兵士たちを責める'''
*① Postero die Caesar contione advocata
**翌日にカエサルは(兵士たちの)集会を召集して、
*temeritatem cupiditatemque militum<ref>cupiditatemque militum はα系写本の記述で、β系写本では militum cupiditatemque となっている。</ref> reprehendit,
**兵士たちの無思慮や功名心をとがめた。
*quod sibi ipsi iudicavissent, quo procedendum aut quid agendum videretur,
**というのは、どこへ進み出るべきか、あるいは何がなされるべきと思われるのか、自分たちに対し自分たちで判断してしまったからだ。
*neque signo recipiendi dato constitissent
**退却することの合図を与えられても留まりもせず、
*neque ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque retineri potuissent.
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]たち</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>により制止されることもできなかったからだ。
*② Exposuit quid iniquitas loci posset, quod<ref>quod は写本(ω)では quid となっているが、近世以降の校訂者たちは quod と修正提案している。</ref> ipse ad [[w:la:Avaricum Biturigum|Avaricum]] sensisset,
**地の利のなさがどれほど影響するのか、(カエサル)自身がアウァーリクムで判断したことを説明した。
*cum sine duce et sine equitatu deprehensis hostibus
**将帥もなく騎兵隊もない敵たちを探し当てたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#18節|18節]]~[[#19節|19節]]を参照。そのときガッリア勢は、ウェルキンゲトリークスが騎兵隊を連れて出て不在であった。)</span>
*exploratam victoriam dimisisset,
**確実であった勝利を諦めたのだ。
*ne parvum modo detrimentum in contentione propter iniquitatem loci accideret.
**地の利のなさのために、闘いにおいてほんのわずかな損害も生じないように(勝利を諦めたのだ)。
*③ Quanto opere<ref>Quanto opere はα系写本の記述で、β系写本では Quantopere となっている。</ref> eorum animi magnitudinem admiraretur,
**彼ら(兵士たち)の大胆さに(カエサルが)驚嘆すればするほど、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quanto opere ~ tanto opere …/quantopere ~ tantopere …「~すればするほど、ますます…」)</span>
*quos non castrorum munitiones, non altitudo montis, non murus oppidi tardare potuisset,
**彼らのことを(ガッリア勢の)陣営の防備も、山の高さも、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の城壁も妨げることができなかったのではあるが、
*tanto opere<ref>tanto opere はα系・T・ρ系写本の記述で、V写本では tantopere となっている。</ref> licentiam arrogantiamque reprehendere,
**それだけにますます(兵士たちの)勝手気ままさや高慢さを(カエサルは)非難する(と言った)。
*quod plus se quam imperatorem de victoria atque exitu rerum sentire existimarent;
**というのは、自分たちが将軍(カエサル)よりも勝利と事の結末についてよく判断していると考えていたからだ。
*④ nec<ref>nec はα系写本の記述で、β系写本では non となっている。</ref> minus se ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> milite modestiam et continentiam quam virtutem atque animi magnitudinem desiderare.
**自分(カエサル)は兵士たちに、武勇や大胆さよりも、慎重さや自制心を望んでいるのだ。
*:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは兵士たちを上のように責めたが、兵士たちを統制できなかった責任は最高司令官にある。)</span>
===53節===
'''カエサルとローマ軍がゲルゴウィアから撤退'''
*① Hac habita contione et ad extremam orationem confirmatis militibus,
**(カエサルは)このような熱弁を振るって、演説の最後に、兵士たちを元気付けた。
*ne ob hanc causam animo permoverentur
**このような理由のために心をかき乱されないように、
*neu, quod iniquitas loci attulisset, id virtuti hostium tribuerent,
**かつ、地の利のなさが引き起こしたことを、敵方の武勇に転嫁しないように、と。
*eadem de profectione cogitans, quae ante senserat,
**(ゲルゴウィアからの)出発については、以前から判断していたのと同じことを考えていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#43節|43節]]⑤項を参照。ゲルゴウィアからの撤退が敗走同然に見られないようにと、考えていたのであろう。)</span>
*legiones ex castris eduxit aciemque idoneo loco constituit.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営から進発させて、適切な場所に戦列を整えた。
*② Cum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] nihilo minus < intra munitiones remaneret neque > in aequum locum descenderet,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が、防備の内側に留まったばかりか、平らな場所に降りてこなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:< intra munitiones remaneret neque > は、写本になく、近代に挿入提案された修正案の一つ。)</span>
*levi facto equestri proelio, atque secundo, in castra exercitum reduxit.
**軽微な騎兵戦を行なって、順調のうちに軍隊を陣営に連れ戻した。
*③ Cum hoc idem postero die fecisset,
**翌日もこれと同じことを行なって、
*satis ad Gallicam ostentationem minuendam militumque animos confirmandos factum existimans
**ガッリア人の誇示を弱めること、および(ローマ人)兵士の心を強固にすることが十分になされたと考えたので、
*in [[w:la:Haedui|Haeduos]] movit castra.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところに陣営を移(すために出発)した。
*④ Ne tum quidem insecutis hostibus
**そのとき、敵方は決して追撃して来なかったので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*tertio die ad flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] pontes<ref>pontes はα系写本の記述で、β系写本では pontem となっている。</ref> reficit<ref>reficit はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S写本では refecit となっている。</ref> eoque exercitum<ref>eoque exercitum はα系写本の記述で、β系写本では exercitumque となっている。</ref> traducit<ref>traducit はα系写本の記述で、β系写本では traduxit となっている。</ref>.
**3日目にはエラウェル川(=現在の[[w:アリエ川|アリエ川]])のところで橋を再建して、そこで軍隊を渡らせた。
===54節===
'''ハエドゥイー族のエポレドリクスとウィリドマルスらがカエサルのもとから立ち去る'''
*① Ibi a Viridomaro atque [[w:la:Eporedorix|Eporedorige]] [[w:la:Haedui|Haeduis]] appellatus discit
**そこで(カエサルが)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]と[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]から話しかけられて知ったことには、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#39節|39節]]~[[#40節|40節]]を参照。ウィリドマルスとエポレドリクスはカエサルの軍勢に従軍していたと思われる。)</span>
*cum omni equitatu Litaviccum ad sollicitandos Haeduos profectum;
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]がすべての騎兵隊とともに、ハエドゥイー族の者たちをそそのかすために出発したという。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#40節|40節]]を参照。リタウィックスは謀計が破れたので、ゲルゴウィアに逃れていた。)</span>
*opus esse ipsos antecedere ad confirmandam civitatem.
**部族の支持を固めるために、(彼ら)自身が(リタウィックスより)先行することが必須であるというのだ。
*② Etsi multis iam rebus perfidiam Haeduorum<ref>perfidiam Haeduorum はα系写本の記述で、β系写本では Haeduorum perfidiam となっている。</ref> Caesar<ref>Caesar はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> perspectam habebat
**カエサルは、すでに多くの事により、ハエドゥイー族の背信行為を目にして来ており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Etsi ~, tamen …「~としても、しかしながら…」)</span>
*atque horum discessu admaturari defectionem civitatis existimabat,
**この者たちが(カエサルのもとから)立ち去ることで、(ハエドゥイー)部族の背反が一層促進されると考えていたのだが、
*tamen eos retinendos non censuit<ref>censuit はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では constituit となっている。</ref>,
**しかしながら、彼ら(2人)を束縛するべきではないと考慮した。
*ne aut inferre iniuriam videretur aut dare<ref>dare はα系写本の記述で、β系写本では daret となっている。</ref> timoris aliquam<ref>timoris aliquam はα系写本の記述で、β系写本では aliquam timoris となっている。</ref> suspicionem.
**(カエサルが)無法行為を起こすと思われないように、あるいは(彼らを)怖れているという何らかの疑念を与えないように。
*③ Discedentibus his breviter sua in Haeduos merita exposuit,
**(カエサルは)立ち去る彼らに、ハエドゥイー族における自分の功績を手短に説明した。
*quos et quam humiles accepisset, compulsos in oppida, multatos agris,
**彼らが、どれほど無力であったのを引き受けたことか、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に押し込められ、耕地を台無しにされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:et ~, et …「~でもあり、…でもある。」)</span>
*omnibus ereptis sociis<ref>sociis「同盟者たち」 はβ系写本の記述で、α系写本では copiis「軍勢」となっている。</ref>, imposito stipendio, obsidibus summa cum contumelia extortis,
**すべての同盟者たちを奪い取られ、貢物を課せられて、たいへんな侮辱とともに人質をもぎ取られていたことか。
*④ et quam in fortunam quamque in amplitudinem deduxisset,
**かつ、どれほどの境遇に、どれほどの高位に(カエサルが)引き上げもしたことか。
*ut non solum in pristinum statum redissent,
**その結果(ハエドゥイー族は)かつての地位に戻っただけでなく、
*sed omnium temporum dignitatem et gratiam antecessisse viderentur.
**(以前の)あらゆる時期の品格や信望をも越えていると思われる。
*His datis mandatis eos ab se dimisit.
**このような訓示を与えて、彼ら(2人)を自分のもとから送り出した。
===55節===
'''エポレドリクスとウィリドマルスらがローマの拠点ノウィオドゥーヌムで寝返る'''
[[画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|thumb|center|700px|ノウィオドゥーヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観]]
*① [[w:la:Nivernum|Noviodunum]] erat oppidum [[w:la:Haedui|Haeduorum]] ad ripas [[w:la:Liger|Ligeris]] opportuno loco positum.
**ノウィオドゥーヌムは、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]で、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])岸の好都合な所に位置していた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:『ガリア戦記』には同名の都市が計3か所載っているが、こちらは現在の[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]] Nevers である。<br> 「[[ガリア戦記/ガリア語の名前#Nouio-dūnon|ガリア語の名前 #Nouio-dūnon]]」を参照せよ。)</span>
*② Huc Caesar omnes obsides Galliae, frumentum, pecuniam publicam,
**ここに、カエサルは、ガッリアのすべての人質たちや、糧食、公金、
*suorum atque exercitus impedimentorum magnam partem contulerat;
**および自分と軍隊の[[w:輜重|輜重]]の大部分を運び集めていた。
*③ huc magnum numerum equorum huius belli causa in [[w:la:Italia|Italia]] atque [[w:la:Hispania|Hispania]] coemptum miserat.
**ここに、この戦争のためにイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]から買い集めた馬匹の多数を送っておいた。
*④ Eo cum [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] Viridomarusque venissent et de statu civitatis cognovissent,
**そこに、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]がやって来て、(以下のような)部族の情勢について察知したときに、
[[画像:Bibracte333_crop.JPG|thumb|right|400px|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]跡に整備された城壁の遺構]]
*Litaviccum [[w:la:Bibracte|Bibracti]] ab Haeduis receptum,
**(すなわち)リタウィックスが、ハエドゥイー族の者たちによって[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]に迎え入れられ、
*─ quod est oppidum apud eos maximae auctoritatis ─,
**それ(ビブラクテ)は彼ら(ハエドゥイー族)のもとで最大の影響力を持つ城塞都市であるが、
*Convictolitavem<ref>Convictolitavem はβ系・N写本の記述で、χ系・B・M・S・L写本では Convictolitabim となっている。</ref> magistratum magnamque partem senatus ad eum convenisse,
**統領コンウィクトリタウィスと評議会の大半の者たちが彼(リタウィックス)のもとへ参集し、
*legatos ad [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] de pace et<ref>et は α系・U写本の記述で、π系・R写本では et de となっている。</ref> amicitia concilianda publice missos,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のところへ和平と友好を仲介するべく公けに使節たちが遣わされた(ことを知った)ので、
*non praetermittendum instans<ref>instans はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> tantum commodum existimaverunt.
**(エポレドリクスとウィリドマルスは)眼前にあるこれほどの好機を放置するべきではないと考えたのだ。
*⑤ Itaque interfectis Novioduni custodibus quique eo negotiandi aut itineris<ref>aut itineris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> causa convenerant,
**こうして(2人は)ノウィオドゥーヌムの(ローマ側の)番兵たちや商用や旅行のために来訪していた者たちを殺害し、
*pecuniam atque equos inter se partiti sunt;
**金銭および馬匹を互いに分け合った。
*⑥ obsides civitatum Bibracte ad magistratum deducendos curaverunt;
**(ガッリアの)部族の人質たちをビブラクテの統領のところへ連れて行くように手配した。
*⑦ oppidum, quod a<ref>a はα系写本の記述で、β系写本では ab となっている。</ref> se teneri non posse iudicabant,
**(ノウィオドゥーヌムの)城塞都市は、自分たちによって固守することはできないと判断したので、
*ne cui esset usui Romanis, incenderunt;
**ローマ人たちの有益になることがないように、焼き打ちした。
*⑧ frumenti quod subito potuerunt navibus avexerunt,
**糧食のうち、急いで(運ぶことが)できるものを船団で運び去って、
*reliquum flumine atque incendio corruperunt.
**残りのものを川(に流すこと)により、および焼き打ちにより、役立たないようにした。
*⑨ Ipsi ex finitimis regionibus copias cogere,
**(彼ら)自身は、近隣の地方から軍勢を徴集して、
*praesidia custodiasque ad ripas Ligeris disponere
**リゲルの川岸のたもとへ守備隊や番兵を分配して、
*equitatumque omnibus locis iniciendi timoris causa ostentare coeperunt,
**(ローマ人に)恐怖(の感情)を起こさせるために、[[w:騎兵|騎兵隊]]に誇示をさせ始めた。
*si ab re frumentaria Romanos excludere
**もし、ローマ人たちが糧食調達することを阻止するなら、
*† aut adductos inopia in provincia<ref>in provincia は、α系写本では ex provincia「属州から」、β系写本では provincia となっているが、コンスタン Constans やクロッツ A.Klotz らにより in provincia「属州に」と修正提案されている。</ref> expellere<ref>expellere「駆逐する」 はα系写本の記述で、β系写本では excludere「阻止する、妨げる」 となっている。</ref> † possent.
**あるいは(糧食などの)欠乏により、属州に駆逐することができるなら、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:† ~ † は、写本の文章が崩れて校訂者を迷わせていることを表す記号。修正提案されている。)</span>
*⑩ Quam ad spem multum eos adiuvabat,
**そのような希望へ、彼らを大いに励まし助けたのは、
*quod Liger ex nivibus creverat,
**リゲル川(の水位)が雪水により増したことで、
*ut omnino vado non posse transiri videretur.
**すべての浅瀬が渡らせられることができないと思われたのである。
===56節===
'''カエサルが属州へは戻らず、増水したリゲル川の渡河を敢行'''
*① Quibus rebus cognitis Caesar maturandum sibi censuit,
**それらの事態を知ると、カエサルは自らにとって(以下のことを)急ぐべきだと考慮した。
*si esset in perficiendis pontibus periclitandum,
**もし、橋を造り上げる最中に(敵勢と闘うという)危険を冒すのであれば、
*ut prius, quam essent maiores eo coactae copiae, dimicaret.
**そこに(敵方の)より多くの軍勢が集結するよりも早く闘うように(急ぐべきだと)。
*② Nam ut commutato consilio iter in provinciam converteret,
**なぜなら、作戦を変更して、属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]])に進路を方向転換するようにと、
*ne metu quidem<ref>ne metu quidem はα系写本の記述で、β系写本では nemo tunc quidem 、そのほか近代の校訂者によって修正提案が行なわれている。</ref> necessario faciendum<ref>faciendum はβ系写本の記述で、α系写本では faciundum となっている。</ref> existimabat;
**(ガッリア勢への)怖れによって行なうことは決して必要ではない、と考えたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*cum infamia atque indignitas rei
**(属州に撤退するという)事の不名誉や恥辱が、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:cum ~ tum …「~であるのと同様に特に…である」)</span>
*et oppositus mons Cevenna<ref>Cevenna はχ系・U写本の記述で、π系・R写本の記述では Cebenna、φ系写本では Cevennae となっている。</ref> viarumque difficultas impediebat,
**およびケウェンナ山地が相対して道の(通行の)困難なことが、(属州への撤退を)妨げていたし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ケウェンナ山地 mons Cevenna は現在のセヴェンヌ山地。[[#8節|8節]]を参照。)</span>
*tum maxime quod abiuncto [[w:la:Titus_Labienus|Labieno]] atque iis legionibus, quas una miserat, vehementer timebat.
**同様に、とりわけ[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]と一緒に派遣していた諸[[w:ローマ軍団|軍団]]から遠ざけられて、非常に心配してもいたのだ。
*③ Itaque admodum magnis diurnis nocturnisque itineribus confectis
**こうして、昼間も夜間も非常な強行軍を成し遂げて、
*contra omnium opinionem ad [[w:la:Liger|Ligerem]]<ref>Ligerem はα系写本の記述で、β系写本では Ligerim となっている。</ref> venit
**皆の予想に反して、リゲル川(=現[[w:ロワール川|ロワール川]])の辺りにやって来た。
*④ vadoque per equites invento pro rei necessitate opportuno,
**事態の緊急性に見合う好都合な浅瀬を、[[w:騎兵|騎兵]]たちを通じて見出して、
*ut brachia modo atque humeri<ref>humeri はA・φ系・ρ系写本の記述で、Q写本では umeri となっている。</ref> ad sustinenda arma liberi ab aqua esse possent,
**やっと腕と肩を、武器を差し上げるために、水から自由になることができた。
*disposito equitatu, qui vim fluminis refringeret,
**川の流れの圧力を妨げるべく、騎兵隊を分けて置いて、
*atque hostibus primo aspectu perturbatis,
**敵方は(ローマ勢を)初めに一見するや狼狽していたので、
*⑤ incolumem exercitum traduxit
**(カエサルは)軍隊を無傷のまま渡河させた。
*frumentumque in agris et pecoris copiam nactus
**耕地の穀物、および大量の家畜を獲得して、
*repleto his rebus exercitu
**これらの物を軍隊に補充して、
*iter in Senones facere instituit.
**セノネース族のところに行軍することを決めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セノネース族の方面には、副官ラビエーヌスと4個軍団を派遣していた。)</span>
==ラビエーヌスのルテティア遠征==
===57節===
'''副官ラビエーヌスがルテティア制圧に向かう'''
*① Dum haec apud Caesarem geruntur,
**これらがカエサルのもとで遂行されている間に、
*[[w:la:Titus Labienus|Labienus]] eo supplemento, quod nuper ex Italia venerat,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、最近イタリアから来ていた補充兵(予備兵)を
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#34節|34節]]で既述のようにラビエーヌスはカエサルから4個軍団とともにガッリア北部の制圧を委ねられていた。</span>
**:<span style="color:#009900;">また、[[#1節|1節]]で既述のようにカエサルはイタリア(属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]])で部隊を徴兵していた。)</span>
*relicto [[w:la:Agedincum|Agedinci]], ut esset impedimentis praesidio,
**アゲディンクムに、[[w:輜重|輜重]]にとっての守備隊となるように、残留させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#10節|10節]]で既述のように、カエサルはアゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])に全軍の輜重を残していた。)</span>
*cum quattuor legionibus Luteciam<ref>Luteciam はα系写本の記述で、π系写本では Luceciam 、ρ系写本では Lucetiam となっている。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]では Lutetia(m) とも綴られている。</ref> proficiscitur.
**4個軍団とともに[[w:ルテティア|ルテティア]]に出発した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティア Lutetia は写本ではルテキア Lutetia とも綴られる。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]を参照。)</span>
*Id est oppidum Parisiorum, quod positum est<ref>quod positum est はα系写本の記述で、β系写本では単に positum となっている。</ref> in insula fluminis [[w:la:Sequana|Sequanae]].
**それ(ルテティア)は[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>で、セクアナ川(=現[[w:セーヌ川|セーヌ川]])の中洲に位置している。
*② Cuius adventu ab hostibus cognito
**彼(ラビエーヌス)の到来が敵方により知られると、
*magnae ex finitimis civitatibus copiae convenerunt.
**近隣の諸部族から大軍勢が集結していた。
*③ Summa imperii traditur Camulogeno Aulerco,
**(北部ガッリア勢の)最高司令権は、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]の[[w:カムロゲヌス|カムロゲヌス]]に託された。
*qui prope confectus aetate
**その者はかなり年老いていたが、
*tamen propter singularem scientiam rei militaris ad eum est honorem evocatus.
**けれども、彼の卓越した軍事の知識のために、顕職に召集されたのだ。
*④ Is cum animadvertisset perpetuam esse paludem,
**彼(カムロゲヌス)は、沼地が絶え間なくあることに気付いていたので、
*quae influeret in Sequanam atque illum omnem locum magnopere impediret,
**それはセクアナ(川)に流れ込み、かの一帯すべてを大いに近付きにくくしていたので、
*hic consedit nostrosque transitu prohibere instituit.
**ここに陣取って、我が方(ローマ勢)が渡河するのを妨げることに決めた。
===58節===
'''ラビエーヌスがメトロセドゥムを陥落させ、ルテティアのガッリア勢と対峙'''
*① [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] primo vineas agere, cratibus atque aggere paludem explere
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は初めに、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>を駆ること、柴や土砂で沼地を埋め立てること、
*atque iter munire conabatur.
**および道を築くこと、を試みた。
*② Postquam id difficilius confieri<ref>confieri はχ系・β系写本の記述で、Q写本では confici となっている。</ref> animadvertit,
**それが成し遂げられることが困難だと気付いた後で、
*silentio e castris tertia vigilia egressus
**(敵に知られないように)静けさのうちに第三夜警時に陣営から進発して、
*eodem, quo venerat, itinere Metlosedum<ref>Metlosedum はコンスタン L.-A. Constans による修正で、π系・U写本では Metiosedum 、α系・ρ系写本では Mellodunum などとなっており、写本により表記がさまざまである。</ref> pervenit.
**やって来たのと同じ道程により、メトロセドゥムに到達した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:メトロセドゥム Metlosedum は、写本によりメティオセドゥム Metiosedum とも綴られ、</span>
**:<span style="color:#009900;">後にはメロドゥーヌム [[w:la:Melodunum|Melodunum]] として知られる。現在の[[w:ムラン|ムラン]] [[w:fr:Melun|Melun]] である。)</span>
*③ Id est oppidum [[w:la:Senones|Senonum]] in insula [[w:la:Sequana|Sequanae]] positum, ut paulo ante de [[w:la:Lutetia|Lutecia]] diximus.
**それはセノネース族の城塞都市で、少し前に[[w:ルテティア|ルテティア]]について述べたように、セクアナ川の[[w:中州|中州]]に位置している。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティアすなわち現在の[[w:パリ|パリ]]の中心部に[[w:シテ島|シテ島]]や[[w:サン=ルイ島|サン=ルイ島]]という[[w:セーヌ川|セーヌ川]]の中州があるように、</span>
**:<span style="color:#009900;">現在のムランの中心部にもサン=テティエンヌ島 [[w:fr:Île Saint-Étienne|Île Saint-Étienne]] というセーヌ川の中州がある。)</span>
*④ Deprensis<ref>deprensis という語形はα系写本の記述で、β系写本では deprehensis となっている。</ref> navibus circiter quinquaginta celeriterque coniunctis
**約50隻の船を探し出して、速やかに結び合わせて(舟橋として)、
*atque eo militibus iniectis
**そこに兵士たちを投入して、
*et rei novitate perterritis oppidanis,
**事の新奇さに<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の者たちは脅えて、
*quorum magna pars erat ad bellum evocata,
**彼ら(住民)の大部分は戦争へ徴集されていた(ため不在であった)ので、
*sine contentione oppido potitur.
**(ラビエーヌスは)闘うことなしに(中州にあるメトロセドゥムの)城塞都市を掌握した。
*⑤ Refecto ponte, quem superioribus diebus hostes resciderant, exercitum traducit
**それ以前の日々に敵方が破却していた橋を再建して、軍隊を(中州から対岸へ)渡らせて、
*et secundo flumine ad Luteciam iter facere coepit.
**川に沿ってルテティアの方へ行軍を始めた。
*⑥ Hostes re cognita ab iis, qui Metlosedo<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、β系・S写本では Metiosedo 、χ系写本では Melloduno 、B・M・L・N写本では Ametlodone(あるいは Ametclodone)などとなっている。</ref> fugerant,
**敵方は、メトロセドゥムから逃げて来た者たちから事態を知って、
*Luteciam incendi pontesque eius oppidi rescindi iubent;
**ルテティアを焼打ちすること、その城塞都市の橋を破却すること、を命じた。
*ipsi profecti a palude ad ripas<ref>ad ripas はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・Vおよびρ系写本では in ripas 、T写本では in ripa となっている。</ref> Sequanae
**彼ら自身は、沼地からセクアナの川岸へ出発して、
*e regione Luteciae contra Labieni castra considunt.
**ルテティア(の対岸)に向かってラビエーヌスの陣営に対抗して陣取った。
===59節===
'''ガッリア諸部族が迫り、ラビエーヌスが作戦変更を決断'''
*① Iam Caesar a [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discessisse audiebatur,
**すでに、カエサルが[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から撤退したことが聞かれていたし、
*iam de [[w:la:Haedui|Haeduorum]] defectione et secundo Galliae motu rumores adferebantur,
**もはや、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反や、ガッリアの動乱の順調さについての噂がもたらされていた。
*Gallique in conloquiis
**(当地の)ガッリア人たちは会話の中で、
*interclusum itinere et [[w:la:Liger|Ligeri]] Caesarem inopia frumenti coactum in provinciam contendisse confirmabant.
**カエサルが行軍やリゲル(渡河)を遮られて、糧食の欠乏により属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]])に急ぐことを強いられた、と確言した。
*② Bellovaci autem defectione Haeduorum cognita,
**一方で、ベッロウァキ族もハエドゥイー族の背反を知って、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は、ハエドゥイー族の仲介によりカエサルに降伏していた。[[ガリア戦記 第2巻#14節|第2巻14節]]~15節を参照。)</span>
*qui iam<ref>qui iam は古典学者 ニコラエス・ハインシウス1世 [[w:en:Nikolaes_Heinsius_the_Elder|Nikolaes Heinsius the Elder]] による修正提案で、χ系・S・β系写本では qui 、B・M・L・N写本では quia となっている。</ref> ante erant per se infideles,
**彼ら自身もすでに以前から(カエサルやローマ人に)忠誠的でなかったが、
*manus cogere atque aperte bellum parare coeperunt.
**手勢を徴集して、公けに戦争を準備することを始めた。
*③ Tum [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] tanta rerum commutatione
**そこで、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]はこれほどの事態の変動により、
*longe aliud sibi capiendum consilium, atque antea senserat, intellegebat,
**自分にとって、以前に判断していたのとはまったく別の作戦が立てられるべきだ、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:aliud ~ atque …「…とは別の~」)</span>
*④ neque iam, ut aliquid adquireret proelioque hostes lacesseret,
**もはや、何らかのものを獲得したり、敵方に戦闘を挑むようにではなく、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:neque ut ~, sed ut …「~ようにではなく、…ように」)</span>
*sed ut incolumem exercitum Agedincum reduceret, cogitabat.
**軍隊を無傷のままでアゲディンクム(=現[[w:サンス|サンス]])に連れ戻すように、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アゲディンクムには輜重と守備隊が残されていた。[[#10節|10節]]・[[#57節|57節]]を参照。)</span>
*⑤ Namque altera ex parte Bellovaci,
**実際、一方の側からはベッロウァキ族が、
*quae civitas in Gallia maximam habet opinionem virtutis, instabant,
**ガッリアにおいて武勇に最大の評判を持つその部族が、迫りつつあった。
*alteram Camulogenus parato atque instructo exercitu tenebat:
**他方からは、カムロゲヌスが軍隊を準備し、整列させて、進んでいた。
*tum legiones a praesidio atque impedimentis interclusas
**そのとき、(ラビエーヌス麾下の)諸軍団は(アゲディンクムにいる)守備隊や輜重から遮られて、
*maximum flumen distinebat.
**とても大きな(セクアナ)川が阻んでいた。
*⑥ Tantis subito difficultatibus obiectis
**突然に、これほどの困難が投げ出されたので、
*ab animi virtute auxilium petendum videbat.
**武勇の心構えに救いを求めるべきだと(ラビエーヌスは)思った。
===60節===
'''ラビエーヌスが陽動戦術に努める'''
*① Itaque<ref>Itaque はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sub vesperum consilio convocato
**こうして([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は)夕方に会議を召集して、
*cohortatus, ut ea, quae imperasset, diligenter industrieque administrarent,
**(彼が)命令したことを入念かつ勤勉に従事するように鼓舞した。
*naves, quas [[w:la:Melodunum|Metlosedo]]<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、χ系・S・β系写本では Metiosedo 、B・M写本では ameclodone 、L・N写本では a mellodone 、<i>etc</i>. となっている。</ref> deduxerat, singulas equitibus Romanis attribuit,
**[[w:ムラン|メトロセドゥム]]から引いて来ていた船団を、ローマ人騎士たち1人ずつに配分して、
*et prima confecta vigilia IIII(quattuor) milia passuum secundo flumine silentio progredi
**第一夜警時が終わる頃に、4ローママイル(6km弱)下流に静けさのうちに進発すること、
*ibique se exspectari<ref>exspectari はα系・T・ρ系写本の記述で、S・V写本では exspectare などとなっている。</ref> iubet.
**かつ、そこで自分(ラビエーヌス)を待つことを命じた。
*② Quinque cohortes, quas minime firmas ad dimicandum esse existimabat,
**(白兵戦を)闘うためにはあまり強くないと(ラビエーヌスが)考えていた5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>
*castris praesidio relinquit;
**陣営にとっての守備隊として残留させた。
*quinque eiusdem legionis reliquas
**同じ軍団の残りの5個(歩兵大隊)を
*de media nocte cum omnibus impedimentis adverso flumine magno tumultu proficisci imperat.
**真夜中から、すべての[[w:輜重|輜重]]とともに、上流の方に大きな喧騒でもって出発することを命令した。
*④ Conquirit etiam lintres;
**小舟さえも探し集めて、
*has magno sonitu remorum incitatas in eandem partem mittit.
**これらを大きな音とともに[[w:櫂|櫂]]を駆って、同じ方面に派遣した。
*Ipse post paulo silentio egressus cum tribus legionibus
**(ラビエーヌス)自身は、少し後で静けさのうちに3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに進発して、
*eum locum petit, quo naves appelli iusserat.
**船団が停められることを命じていた地点へ行った。
===61節===
'''ラビエーヌスの陽動により、敵将カムロゲヌスが兵力を分散'''
*① Eo cum esset ventum,
**(ラビエーヌスの軍勢が)そこにやって来たときに、
*exploratores hostium, ut omni fluminis parte erant dispositi,
**敵方の偵察者たちが(セクアナ)川の至る所に分けて置かれていたが、
*inopinantes, quod magna subito erat coorta tempestas,
**突然に大きな嵐が生じたので(ローマ勢の襲撃を)予期していなかった者たちは、
*ab<ref>ab はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では a となっている。</ref> nostris opprimuntur;
**我が方(ローマ勢)によって不意を襲われたのだ。
*② exercitus equitatusque equitibus Romanis administrantibus, quos ei negotio praefecerat,
**歩兵隊と騎兵隊が、(ラビエーヌスが)任務を指揮させていたローマ人騎士たちの指導により、
*celeriter transmittitur.
**速やかに(セクアナ川を)渡らせられた。
*③ Uno fere tempore sub lucem hostibus nuntiatur
**夜明け前のほぼ一時に(以下のことが)敵方に報知された。
*in castris Romanorum praeter consuetudinem tumultuari
**ローマ人の陣営において、通例に反して、騒がれていること、
*et magnum ire agmen adverso flumine
**大きな隊列が上流の方へ行軍していること、
*sonitumque remorum in eadem parte exaudiri
**(船を漕ぐ)櫂の音が同じ方面で聞き取られたこと、
*et paulo infra milites navibus transportari.
**少し下流で兵士たちが船で(セクアナ川を)渡されたこと、である。
*④ Quibus rebus auditis,
**それらの事態が聞かれて、
*quod existimabant tribus locis transire legiones atque omnes perturbatos defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] fugam parare,
**(ローマ勢の)諸軍団が3か所で渡河したこと、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反により総勢が取り乱して逃亡を準備していること、を考えたので、
*suas quoque copias in tres partes distribuerunt.
**自分たちの軍勢をも3方面に分配した。
*⑤ Nam praesidio e regione castrorum relicto
**すなわち(一隊がローマ勢の)陣営の真向かいに守備隊として残され、
*et parva manu Metlosedum<ref>Metlosedum はQ写本の記述で、χ系・β系写本では Metiosedum 、などとなっている。</ref> versus missa,
**(別の)わずかな手勢が[[w:ムラン|メトロセドゥム]]の方面へ派遣され、
*quae tantum progrediatur<ref>progrediatur はα系写本の記述で、Q・S・β系写本では progrederetur となっている。</ref>, quantum naves processissent,
**(ローマ勢の)船団が進み出るだけ、(ガッリア兵も)前進するようにした。
*reliquas copias contra Labienum duxerunt.
**残りを軍勢をラビエーヌスに対して(カムロゲヌス自身が)率いて行った。
===62節===
'''ラビエーヌスがカムロゲヌス麾下のガッリア勢を各個撃破して、カエサルと合流'''
*① Prima luce et nostri omnes erant transportati
**夜明けに、我が方(ローマ勢)は総勢が(セクアナ川の左岸に)渡されていたし、
*et hostium acies cernebatur.
**敵方の戦列も見分けられた。
*② [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] milites cohortatus,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は兵士たちを(以下のように)鼓舞した。
*ut suae pristinae virtutis et tot<ref>tot はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> secundissimorum proeliorum retinerent memoriam<ref>retinerent memoriam はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では memoriam retinerent となっている。</ref>
**自分たちのかつての武勇とこのようにとてもうまくいっている諸戦闘を記憶に留めるように、
*atque ipsum Caesarem, cuius ductu saepe numero hostes superassent, praesentem adesse existimarent,
**かつ、その指揮によって何度もしばしば敵方を打ち破って来たカエサル当人が目下居合わせていると考えるように、と。
*dat signum proelii.
**(それから)戦闘の号令を発した。
*③ Primo concursu ab dextro cornu, ubi septima legio constiterat,
**最初の激突は、[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が布陣していた(ローマ軍の)右翼からで、
*hostes pelluntur atque in fugam coniciuntur;
**敵方は撃退されて、逃亡に追いやられた。
*④ ab sinistro, quem locum duodecima legio tenebat,
**第12軍団が場所を占めていた左翼からは、
*cum primi ordines hostium transfixi pilis<ref>pilis はβ系写本の記述で、α系写本では telis となっている。</ref> concidissent,
**敵方の最前列(の兵たち)が投げ槍で突き通されて斃れたのだが、
*tamen acerrime reliqui resistebant
**けれども残りの者たちがとても激烈に抵抗していて、
*nec dabat suspicionem fugae quisquam.
**誰も逃亡の予兆を示さなかった。
*⑤ Ipse dux hostium Camulogenus suis aderat atque eos cohortabatur.
**敵方の将帥カムロゲヌス自身は、麾下の者たちに居合わせて、彼らを激励していた。
*⑥ At<ref>cohortabatur. At はχ系写本などの記述で、別の写本では記述が異なる。</ref> incerto nunc etiam<ref>nunc etiam はB・M・L・N写本の記述で、χ系・S・β系写本では etiamnunc となっている。</ref> exitu victoriae,
**勝敗の帰趨は今もなお不確実だったが、
*cum septimae legionis tribunis esset nuntiatum, quae in sinistro cornu gererentur,
**第7軍団の<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、左翼で<ruby><rb>出来</rb><rp>(</rp><rt>しゅったい</rt><rp>)</rp></ruby>したことが報告されたときに、
*post tergum hostium legionem ostenderunt signaque intulerunt.
**敵方の背後に(第7)軍団を差し向けて、軍旗を進めた(=進撃した)。
*⑦ Ne eo quidem tempore quisquam loco cessit,
**その時でさえ、(ガッリア勢の)誰も(戦闘の)場から退却しなかった
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*sed circumventi omnes interfectique sunt.
**けれども、総勢が包囲されて(ローマ軍により)殺戮された。
*Eandem fortunam tulit Camulogenus.
**同じ不幸をカムロゲヌスも蒙った。
*⑧ At ii<ref>ii はχ系写本の記述で、他の写本では記述が異なる。</ref>, qui praesidio contra castra Labieni erant relicti,
**これに対して、ラビエーヌスの陣営に対して守備隊として残されていた(ガッリア勢の)者たちは、
*cum proelium commissum audissent, subsidio suis ierunt collemque ceperunt,
**(両軍が)戦闘を交えているのを聞き付けたので、味方の援兵として出て行って、丘陵を占めていたが、
*neque nostrorum militum victorum impetum sustinere potuerunt.
**勝勢の我が方(ローマ軍)の兵士たちの突撃を持ちこたえることができなかった。
*⑨ Sic cum suis fugientibus permixti,
**このようにして、敗走している味方と混じり合ったときに、
*quos non silvae montesque texerunt, ab equitatu sunt interfecti.
**森林や山岳が覆い隠すことのなかったその者たちは、(ローマ側の)騎兵隊によって殺戮された。
*⑩ Hoc negotio confecto Labienus revertitur Agedincum,
**この戦役が成し遂げられると、ラビエーヌスは[[w:サンス|アゲディンクム]]に引き返した。
*ubi impedimenta totius exercitus relicta erant;
**そこには軍隊全体の[[w:輜重|輜重]]が残されていたのだ。
*inde die Ⅲ.<ref>inde die Ⅲ. は近代の校訂者による修正提案で、Q・M・S・N・β系写本では単に inde 、他の写本では別の記述になっている。</ref> cum omnibus copiis ad Caesarem pervenit.
**そこから3日目(=2日後)にすべての軍勢とともにカエサルのところへ到着した。
==ガッリア戦乱の拡大==
===63節===
'''ハエドゥイー族がウェルキンゲトリークスに主導権争いを挑む'''
*① Defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] cognita bellum augetur.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反が知られて、戦乱は拡大された。
*② Legationes in omnes partes circummittuntur;
**(ハエドゥイー族らにより)使節たちがあらゆる方面に遣わされまくり、
*quantum gratia, auctoritate, pecunia valent, ad sollicitandas civitates nituntur;
**信望、勢力や金銭によってできる限り、諸部族をそそのかすことに努めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quantum ~ valere「~によってできる限り」)</span>
*③ nacti obsides, quos Caesar apud eos deposuerat,
**カエサルが彼ら(ハエドゥイー族)のもとに預けて置いた人質たちを手に入れて、
*horum supplicio dubitantes territant.
**彼ら(人質たち)の処刑(を示唆すること)によって、決心がつかぬ者たちを恐れさせた。
*④ Petunt a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] Haedui, ut ad se veniat rationesque belli gerendi communicet;
**ハエドゥイー族は、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]に、自分たちのところへ来て戦争遂行の戦略を協議するように要求した。
*re impetrata contendunt, ut ipsis summa imperii tradatur.
**その事が成し遂げられると、(ハエドゥイー族)自身に最高司令権が委ねられるように頑張った。
*Et re<ref>et re は近代の校訂者による修正提案で、β系写本では re 、α系写本では et rem となっている。</ref> in controversiam deducta totius Galliae concilium [[w:la:Bibracte|Bibracte]] indicitur.
**その事が論争の状態に置かれて、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]でのガッリア全体の会合が公示された。
*Eodem conveniunt<ref>Eodem conveniunt はα系写本の記述で、β系写本では単に conveniunt 、etc.となっている。</ref> undique frequentes.
**同じところに至る所からたくさんの者たちが集まって来た。
*⑥ Multitudinis suffragiis res permittitur;
**(最高司令権の)事は衆人の票決に任せられて、
*ad unum omnes Vercingetorigem probant imperatorem.
**衆議一決により、ウェルキンゲトリークスを将軍(最高司令官)として承認した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ad unum omnes「最後の一人に至るまですべて」)</span>
*⑦ Ab hoc concilio Remi, Lingones, Treveri afuerunt,
**この会合へは、[[w:レミ族|レーミー族]]、リンゴネス族、トレウェリ族が不在であった。
*illi quod amicitiam Romanorum sequebantur,
**前者(レーミー族とリンゴネス族)は、ローマ人との友好を遵守したので(不在であった)。
*Treveri quod aberant longius et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> [[w:la:Germani|Germanis]] premebantur,
**トレウェリ族は、はるか遠くに離れており、[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人により圧迫されていた。
*quae fuit causa quare toto abessent bello
**それが、何ゆえに(ウェルキンゲトリークスによる)戦争全体に関与しなかったかの理由であり、
*et neutris auxilia mitterent.
**(ウェルキンゲトリークスとカエサルの)どちら側にも援軍を派遣しなかった。
*⑧ Magno dolore Haedui ferunt se deiectos principatu,
**ハエドゥイー族は、自分たちが盟主の座から遠ざけられて、とても憤懣やるかたなかったし、
*queruntur fortunae commutationem
**境遇の変わりようを嘆いて、
*et Caesaris indulgentiam in se<ref>indulgentiam in se はα系写本の記述で、β系写本では in se indulgentiam となっている。</ref> requirunt
**カエサルの自分たちへの寛大さを惜しんだ。
*neque tamen suscepto bello suum consilium ab reliquis separare audent.
**けれども戦争を引き受けてしまったので、あえて自分たちの作戦計画をほか(の諸部族)と異にしなかった。
*⑨ Inviti summae spei adulescentes Eporedorix et Viridomarus Vercingetorigi parent.
**たいへんな野心を持つ青年たち[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]は、意に反してウェルキンゲトリークスに服従した。
===64節===
'''ウェルキンゲトリークスがガッリア諸部族の誘降・服従を謀る'''
*① Ipse<ref>ipse はα系写本の記述で、β系写本では ille となっている。</ref> imperat reliquis civitatibus obsides denique ei rei constituit diem;
**(ウェルキンゲトリークス)自身は、ほかの諸部族に人質(の供出)を命令して、のみならずその事の期日を決めた。
*huc omnes equites, [[wikt:la:quindecim|XV(quindecim)]] milia numero, celeriter convenire iubet.
**そこに、1万5000名の数のすべての[[w:騎兵|騎兵]]に、速やかに集結することを命じた。
*② Peditatu quem antea habuerit se fore contentum dicit
**(歩兵については)自分は、以前から持っていた[[w:歩兵|歩兵隊]]で満足するであろうと言った。
*neque fortunam temptaturum aut in acie<ref>in acie はα系写本の記述で、β系写本では単に acie となっている。</ref> dimicaturum,
**(歩兵で)武運を試すことはしないであろうし、あるいは野戦で(白兵戦を)闘うこともないであろう、と。
*sed quoniam abundet equitatu,
**しかし、騎兵隊は豊富であるから、
*perfacile esse factu frumentationibus pabulationibusque Romanos prohibere;
**ローマ人たちの糧食・糧秣徴発を妨げることは、とても容易である、と。
*③ aequo modo animo sua ipsi frumenta corrumpant aedificiaque incendant,
**ただ平静な心で、自分たちの穀物を自身で傷めて、(穀物の)建屋を焼打ちするように。
*qua rei familiaris iactura perpetuum imperium libertatemque se consequi videant.
**資産の犠牲により、永久の領有権と自由を自分たちが獲得することを思え、と。
*④ His constitutis rebus
**これらの事が決定されると、
*[[w:la:Haedui|Haeduis]] Segusiavisque, qui sunt finitimi provinciae, decem milia peditum imperat;
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]および(ローマ人の)属州に隣接するセグスィアウィ族には1万の歩兵(の供出)を命令していたが、
*huc addit equites [[wikt:la:octingenti|octingentos]].
**この中に、800騎の騎兵たち(の供出)を付け加えた。
*⑤ His praeficit fratrem Eporedorigis bellumque inferri<ref>inferri はα系写本の記述で、β系写本では inferre となっている。</ref> Allobrogibus iubet.
**彼らをエポレドリクスの兄弟に指揮させて、アッロブロゲス族に戦争をしかけることを命じた。
*⑥ Altera ex parte Gabalos proximosque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagos]]</u> Arvernorum in Helvios,
**別の方面から、ガバリ族および近隣のアルウェルニー族の諸<u>郷</u>に、ヘルウィイ族のところに(攻め入るように)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span>
*item Rutenos Cadurcosque ad fines Volcarum Arecomicorum depopulandos mittit.
**同様に、ルテーニー族およびカドゥルキー族に、ウォルカエ・アレコミキ族の領土を荒らしまわるべく派遣した。
*⑦ Nihilo minus clandestinis nuntiis legationibusque Allobrogas<ref>Allobrogas はα系写本の記述で、β系写本では Allobroges となっている。</ref> sollicitat,
**それにもかかわらず、隠密に伝令たちや使節たちにより、アッロブロゲス族を(蜂起を)そそのかした。
*quorum mentes nondum ab<ref>ab はβ系写本の記述で、α系写本では ab となっている。</ref> superiore bello resedisse sperabat.
**彼ら(アッロブロゲス族)の心がかつての戦争からまだ静まっていないことを期待したのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アッロブロゲス族は、BC61年にローマに反旗を翻し、翌BC60年に鎮圧されていた。[[ガリア戦記 第1巻#6節|第1巻6節]]を参照。)</span>
*⑧ Horum principibus pecunias,
**彼らの領袖たちに金銭を(約束し)、
*civitati autem imperium totius provinciae pollicetur.
**さらに部族には(カエサル統治下の)属州全体の支配権をも約束したのだ。
===65節===
'''カエサルと同盟諸部族の防戦。ゲルマニア騎兵を呼び寄せる'''
*① Ad hos omnes casus provisa erant praesidia cohortium duarum et viginti,
**これらすべての出来事に対して、(カエサルは)22個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>からなる守備隊を用意していた。
*quae ex ipsa coacta<ref>coacta はχ系・β系写本の記述で、φ系写本にはない。</ref> provincia ab L.(Lucio) Caesare legato
**それらは、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・カエサルによって属州全体から徴集されたもので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう属州とは、[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]を指すと思われる。</span>
**:<span style="color:#009900;">ルキウス・ユリウス・カエサル4世 [[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius Caesar IV]] は本書の著者カエサルと4代前の高祖父を共有する元執政官。[[w:en:Julii Caesares|Julii Caesares]] を参照。)</span>
*ad omnes partes opponebantur.
**あらゆる方面に対して配置された。
*② Helvii sua sponte cum finitimis proelio congressi pelluntur
**[[w:ヘルウィイ族|ヘルウィイ族]]は、自分たちの意思により、近隣(の諸部族)と戦闘で争って撃退され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この部族については[[#7節|7節]]~8節を参照。)</span>
*et C.(Gaio) Valerio Domnotauro<ref>Domnotauro はS・L・N写本の記述で、A・B・N写本では Donnotauro 、χ系・π系写本では Donotauro となっており、ρ系写本には記述がない。</ref>, Caburi filio, principe civitatis,
**カブルスの息子で、部族の領袖であるガイウス・ウァレリウス・ドムノタウルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:彼は、ローマとの友好により、ローマ人風の名前を与えられていたのであろう。)</span>
*compluribusque aliis interfectis intra oppida ac muros<ref>ac muros はα系写本の記述で、β系写本では murosque となっている。</ref> compelluntur.
**および他のかなりの者たちが殺戮されて、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>と城壁の内側に追い込まれた。
*③ Allobroges crebris ad [[w:la:Rhodanus|Rhodanum]] dispositis praesidiis
**[[w:アッロブロゲス族|アッロブロゲス族]]は、ロダヌス(=現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のところへ密に守備隊を分け置いて、
*magna cum cura et diligentia suos fines tuentur.
**たいへんな注意と入念さにより、自分たちの領土を守った。
*④ Caesar quod hostes equitatu superiores esse intellegebat
**カエサルは、敵方が[[w:騎兵|騎兵隊]]で(自軍より)優っていると認識していたので、
*et interclusis omnibus itineribus nulla re ex provincia atque Italia sublevari poterat,
**かつ、すべての道が遮られて、属州やイタリアから何ら支援されることができなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州 provincia とはガッリア・トラーンサルピーナ、イタリア Italia とは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。)</span>
*trans [[w:la:Rhenus|Rhenum]] in [[wikt:la:Germania|Germaniam]] mittit ad eas civitates, quas superioribus annis pacaverat,
**レヌス(=現[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]に、先年に平定していた諸部族のところへ(使節を)遣わした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア遠征や平定については、[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]~19節、[[ガリア戦記 第6巻#9節|第6巻9節]]~10節を参照。)</span>
*equitesque ab his arcessit et levis armaturae pedites,
**彼らから、騎兵たち、および[[w:ウェリテス|軽い武装の歩兵]]たちを呼び寄せた。
*qui inter eos proeliari consuerant.
**その者ら(軽装歩兵)は、彼ら(騎兵)の間で戦闘することが常であったのだ。
*⑤ Eorum adventu, quod minus idoneis equis utebantur,
**彼ら(ゲルマニア騎兵)が到着すると、(戦闘に)あまり適していない馬を使役していたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア人の馬の使用については、[[ガリア戦記 第4巻#2節|第4巻2節]]を参照。)</span>
*a tribunis militum reliquisque equitibus Romanis atque evocatis equos sumit
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちやほかのローマ人騎士たちや<ruby><rb>再徴集兵</rb><rp>(</rp><rt>エウォカティ</rt><rp>)</rp></ruby>たちから、馬匹を取り上げて、
*[[w:la:Germani|Germanis]]que distribuit.
**ゲルマニア人たちに分配した。
===66節===
'''属州へと南下するカエサル、迎え撃とうとするウェルキンゲトリークス'''
*① Interea dum haec geruntur,
**その間に、これらが出来している間に、
*hostium copiae ex Arvernis
**敵方の(歩兵の)軍勢が(滞陣していたゲルゴウィアの)[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のところから、
*equitesque qui toti Galliae erant imperati conveniunt.
**および全ガッリアの命令されていた[[w:騎兵|騎兵]]たちが、(ウェルキンゲトリークスのところに)集結して来た。
*② Magno horum coacto numero,
**これらの(ガッリア兵の)多数が徴集されて、
*cum Caesar in Sequanos per extremos Lingonum fines iter faceret,
**カエサルが、[[w:セクアニ族|セクアニ族]]のところに(向かって)[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]]の領土の外縁を通って行軍していたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州へは、リンゴネス族と後述のマンドゥビイ族の間を通ってセクアニ族領を通らねばならなかった。)</span>
*quo facilius subsidium provinciae ferri<ref>ferri はα系写本の記述で、β系写本では ferre となっている。</ref> posset,
**(それは)属州(ガッリア・トラーンサルピーナ)に援兵をより容易にもたらせるようにするためであったが、
*circiter milia passuum X(decem) ab Romanis trinis castris [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] consedit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ローマ人たちから約10ローママイル(15km)のところに、3つの陣営にて陣取った。
*③ convocatisque ad concilium praefectis equitum
**(ウェルキンゲトリークスは)騎兵の指揮官たちを会合へ召集して、
*venisse tempus victoriae demonstrat;
**勝利の時が来たと、明言した。
*fugere in provinciam Romanos Galliaque excedere.
**ローマ人たちは属州に逃亡して、ガッリアから立ち退きつつある、と。
*④ Id sibi ad praesentem obtinendam libertatem satis esse;
**それは、自分たちにとって目下のところ、自由を維持するためには十分であるが、
*ad reliqui temporis pacem atque otium parum profici;
**将来の平和と平穏は不充分にしか得られない。
*maioribus enim coactis copiis reversuros
**なぜなら(ローマ人たちは)より大きな軍勢を徴集して(ガッリアに)戻って来るであろうし、
*neque finem bellandi facturos.
**戦争することに結末をつけることはないであろう。
*Proinde agmine impeditos adorirentur<ref>adorirentur はA・β系写本の記述で、M・L・N写本では adoriantur 、S写本では adorantur 、Q・B・M写本ではadorientur となっている。</ref>.
**それゆえに、(ローマ勢の)行軍によって重荷となっている(輜重隊の)者たちを襲撃するのだ。
*⑤ Si pedites suis auxilium ferant atque in eo morentur, iter facere<ref>facere はα系写本の記述で、β系写本では confici となっている。</ref> non posse;
**もし(ローマ勢の)歩兵たちが味方を支援し、そのことで滞留するならば、(属州へ)行軍することはできない。
*si ─id quod magis futurum confidat─
**もし、─(我は)むしろそうなるであろうと期待することであるが─
*relictis impedimentis suae saluti consulant,
**(ローマ歩兵たちが)[[w:輜重|輜重]]を残して、自分たちの身の安全に意を用いるならば、
*et usu rerum necessariarum et dignitate spoliatum iri.
**必需品の使用や(ローマ人としての)品格をはぎ取られることになる。
*⑥ Nam de equitibus hostium,
**なぜなら、敵方の騎兵については
**<span style="color:#009900;">:(訳注:著者カエサルはここでは、間接話法でありながら、ローマ勢について hostium「敵方の」と表現している。)</span>
*quin nemo eorum progredi modo extra agmen audeat,
**彼ら(ローマ騎兵)のうち誰も、<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>の外にすら、あえて進み出ようとしないこと、
*et ipsos quidem non<ref>et ipsos quidem non はα系写本の記述で、β系写本では ne ipsos quidem となっている。</ref> debere dubitare.
**(そのことを、諸君ら)自身は決して疑念を持つことなかれ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*Id quo maiore faciant animo,
**それ(=輜重隊への襲撃)を、より大胆な心構えで実行してもらうために、
*copias se omnes pro castris habiturum et terrori hostibus futurum.
**自分(ウェルキンゲトリークス)が軍勢すべてを陣営の前に保持しておくであろうし、敵方の心胆を寒からしめるであろう。
*⑦ Conclamant equites
**(ガッリア勢の)騎兵たちは(以下のように)叫んだ。
*sanctissimo iure iurando confirmari oportere,
**最も神聖な誓約によって確証されなければならぬ。
*ne tecto recipiatur, ne ad liberos, ne ad parentes, ad<ref>ne ad …, ne ad …, ad が写本(ω)の記述であるが、モイゼル Meusel は ne ad …, ad …, ad と修正提案をしている。</ref> uxorem aditum habeat,
**(以下の者は)家に迎え入れられたり、子供たちや親たちや妻女たちのところへ近づくことがないように。
*qui non bis per agmen hostium perequitasset<ref>perequitasset はα系写本の記述で、β系写本では perequitarit となっている。</ref>.
**敵方(ローマ勢)の隊列を越えて(往復の)2度、騎馬で駆け抜けることがなかった者は。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:敵中突破と生還を成し遂げなかった騎兵は、復員してはならない、と誓約したのである。)</span>
===67節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵がウェルキンゲトリークスを一蹴'''
*① Probata re atque omnibus iure iurando adactis
**これが賛同されて、(ガッリア騎兵の)皆が誓約させられて、
*postero die in tres partes distributo equitatu
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]を3つの分隊に分配した。
*duae se acies ab duobus lateribus ostendunt,
**2隊は(ローマ勢の左右)2つの側面から<ruby><rb>戦闘隊形</rb><rp>(</rp><rt>アキエス</rt><rp>)</rp></ruby>として現われた。
*una a<ref>a はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> primo agmine iter impedire coepit.
**1隊は(ローマ勢の)前衛から行軍を妨げ始めた。
*② Qua re nuntiata
**その事が報告されて、
*Caesar suum quoque equitatum tripertito divisum contra hostem ire iubet.
**カエサルは麾下の騎兵隊おのおのを3つに配分して、敵に対して向かって行くことを命じた。
*Pugnatur una omnibus in partibus.
**(騎兵戦が)同時にすべての方面で戦われた。
*③ Consistit agmen;
**(ローマ勢の)<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>は一歩も引かなかった。
*impedimenta intra legiones recipiuntur.
**[[w:輜重|輜重]]は諸[[w:ローマ軍団|軍団]]の内側に後退した。
*④ Si qua in parte nostri laborare aut gravius premi videbantur,
**もし、我が方(ローマ勢)のある部隊が苦戦したり、またはひどく押されぎみだと思われたならば、
*eo signa inferri Caesar aciemque constitui<ref>constitui はα系写本の記述で、β系写本では converti 、T写本では conferri となっている。</ref> iubebat;
**カエサルはそこに進撃して戦列を組織することを命じた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:signa inferre「軍旗を進める、進撃する」)</span>
*quae res et hostes ad insequendum tardabat et nostros spe auxilii confirmabat.
**その事が、敵方が追撃して来るのを遅らせもしたし、我が方が支援の希望により元気付けられもした。
*⑤ Tandem Germani ab dextro latere summum iugum nacti hostes loco depellunt,
**ついに、ゲルマニア人(騎兵)たちが右の側面から尾根の頂きを掌握して、敵方をその場から追いやった。
*fugientes usque ad flumen,
**逃亡する(ガッリア騎兵の)者たちを川の辺りまで(追って)、
*ubi [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] cum pedestribus copiis consederat,
**そこには[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢とともに陣取っていたのだが、
*persecuntur<ref>persecuntur はα系写本の記述で、β系写本では persequuntur となっている。</ref> compluresque interficiunt.
**(ゲルマニア騎兵が敵を川辺まで)追撃して、かなりの者たちを殺戮した。
*⑥ Qua re animadversa
**その事が(敵方に)気付かれて、
*reliqui ne circumirentur<ref>circumirentur はA・φ系写本の記述で、Q・β系写本では circumvenirentur となっている。</ref> veriti se fugae mandant.
**(ガッリア勢の)残りの者たちは、包囲されないようにと怖れて、逃亡に身を任せた。
*Omnibus locis fit caedes.
**(こうしてローマ方により)あらゆる場所で虐殺が行なわれた。
*⑦ Tres nobilissimi [[w:la:Haedui|Haedui]] capti ad Caesarem perducuntur:
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の3人の高位の貴族が捕らえられて、カエサルのところへ連行されて来た。
*Cotus, praefectus equitum, qui controversiam cum Convictolitavi proximis comitiis habuerat,
**コトゥスは騎兵指揮官で、最近の会議でコンウィクトリタウィスと(統領の座をめぐって)係争した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*et Cavarillus, qui post defectionem Litavicci pedestribus copiis praefuerat,
**カウァリッルスは、リタウィックスの背反の後に、歩兵の軍勢を指揮していた。
*et Eporedorix, quo duce ante adventum Caesaris Haedui cum Sequanis bello contenderant.
**エポレドリクスは、カエサルの到来以前にハエドゥイー族の将帥としてセクアニ族と戦争を闘っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この人物は、ウィリドマルスとともにカエサルを裏切ったエポレドリクスとは同名異人である。)</span>
==アレスィア攻囲戦==
===68節===
[[画像:Alésia.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガッリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。]]
'''ウェルキンゲトリークスがアレスィア入城、カエサルは攻囲を決断'''
*① Fugato omni equitatu
**すべての[[w:騎兵|騎兵隊]]が逃げてしまったので、
*[[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] copias suas<ref>suas はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, ut pro castris conlocaverat, reduxit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、陣営の前に配置するようにしていた麾下の(歩兵の)軍勢を呼び戻して、
*protinusque [[w:la:Alesia|Alesiam]], quod est oppidum Mandubiorum, iter facere coepit
**すぐに、マンドゥビイ族の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>である[[w:アレシア|アレスィア]]へ行軍し始めた。
*celeriterque impedimenta ex castris educi et se subsequi iussit.
**かつ、速やかに陣営から[[w:輜重|輜重]]を進発させること、および自分に追随すること、を命じた。
*② Caesar impedimentis in proximum collem deductis,
**カエサルは、輜重を近隣の丘陵に移させて、
*duabus legionibus praesidio relictis,
**2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を(輜重の)守備隊として(その丘陵に)残留させた。
*secutus quantum diei tempus est passum,
**日中の時間が許される限り(ガッリア勢を)追跡して、
*circiter tribus milibus hostium ex novissimo agmine interfectis
**敵方の後衛のうちから約3000人を殺戮して、
*altero die ad Alesiam castra fecit.
**翌日には、アレスィアの辺りに陣営を張った。
*③ Perspecto urbis situ
**(アレスィアの)都市の地勢を吟味して、
*perterritisque hostibus, quod equitatu, qua maxime parte exercitus confidebant, erant pulsi,
**敵方は、部隊の大部分において頼りにしていた騎兵隊が撃退されていたので、怖れおののいていたから、
*adhortatus ad laborem milites circumvallare instituit.
**(カエサルは)兵士たちを労役に駆り立てて、(敵陣を)[[w:堡塁|堡塁]]で囲むことを決断した。
===69節===
[[画像:Alise2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城塞都市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。]]
'''アレスィアの地勢、ローマ軍の攻囲線'''
*① Ipsum erat oppidum [[w:la:Alesia|Alesia]] in colle summo admodum edito loco,
**[[w:アレシア|アレスィア]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>そのものは、丘陵の頂きにおいて、ひときわ高い地点にあって、
*ut nisi obsidione expugnari non posse videretur.
**攻囲(包囲)以外には攻略されることができないと思われた。
*② Cuius collis radices duo duabus ex partibus flumina subluebant.
**その丘陵のふもとを2つの方面から、2つの川が流れていた。
*③ Ante id<ref>id はα系写本の記述で、β系写本にはない。</ref> oppidum planities circiter milia passuum Ⅲ(tria) in longitudinem patebat;
**その城塞都市の前に、約3ローママイル(4.5km)の間隔で、平地が広がっていた。
*④ reliquis ex omnibus partibus colles mediocri interiecto spatio
**ほかのすべての方面からは(いくつかの)丘陵が適度な空間を置いており、
*pari altitudinis fastigio oppidum cingebant.
**同等の高さの頂上で(アレスィアの)城塞都市を取り巻いていた。
*⑤ Sub muro, quae pars collis ad orientem solem spectabat,
**(アレスィアの)丘陵の日が昇る方(=東方)へ面していた部分の城壁の下には、
*hunc omnem locum copiae Gallorum compleverant
**このすべての場所を、ガッリア人たちの軍勢が満たしていて、
*fossamque et maceriam sex in altitudinem pedum praeduxerant.
**堀、および高さ6[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.8m)の防壁を前に引いていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:maceria|maceria]] は、軍事用語としては、立てこもるための城壁<ref><i>muraille (pour se retrancher)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>を指す。)</span>
*⑥ Eius munitionis quae ab Romanis instituebatur circuitus XI<ref>XI はα系写本の記述で、β系写本では X となっている。</ref> milia passuum tenebat.
**ローマ人たちによって建てられようとしていた塁壁の周囲は、11ローママイル(約16km)を占めていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:α系写本では 11マイル=約16km、β系写本では 10マイル=約15km となっている。)</span>
*⑦ Castra opportunis locis erant posita
**(ローマ勢の)陣営は(戦略上)都合良い地点に設置されていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵・騎兵の陣営が計8か所に置かれていたようである。)</span>
*ibique<ref>ibique はα系写本の記述で、β系写本では itemque となっている。</ref> castella XXIII(viginti tria) facta,
**同じく23基の砦が造られた。
*quibus in castellis interdiu stationes ponebantur,
**それらの砦には、昼間は、歩哨たちが置かれて、
*ne qua subito eruptio fieret;
**不意に何らかの突撃がなされないようにした。
*haec eadem noctu excubitoribus ac firmis praesidiis tenebantur.
**この同じところが、夜間は、寝ずの番兵および強力な守備隊により固守された。
===70節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵が、再びガッリア騎兵を虐殺'''
*① Opere instituto
**(ローマ人により)[[w:堡塁|堡塁]]が建てられだして、
*fit equestre proelium in ea planitie,
**かの平地において[[w:騎兵|騎兵]]戦がなされた。
*quam intermissam collibus tria milia passuum in longitudinem patere supra demonstravimus.
**それ(平地)は(周囲の)丘陵から3ローママイル(約4.5km)の間隔を空けて広がっていることを、[[#69節|前]]に述べた。
*Summa vi ab utrisque contenditur.
**(騎兵戦は)双方の主力によって闘われた。
*② Laborantibus nostris Caesar Germanos submittit
**苦戦している我が方(ローマ騎兵)に対して、カエサルは[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人(騎兵)を援けに派遣した。
*legionesque pro castris constituit, ne qua subito inruptio ab hostium peditatu fiat.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営の前に駐留させて、不意に何らかの突入が敵方の[[w:歩兵|歩兵隊]]によってなされないようにした。
*③ Praesidio legionum addito nostris animus augetur;
**軍団の守備が加わって、我が方(ローマ勢の)勇気が増された。
*hostes in fugam coniecti se ipsi multitudine impediunt
**敵方(の騎兵)は敗走に追いやられて、彼ら自身が自分たち(の敗走)を大勢であることにより妨げた。
*atque angustioribus portis relictis coacervantur<ref>coacervantur は近世の写本(ς)の記述で、α系写本では coacervati tum 、β系写本では coartantur となっている。</ref>.
**さらに(ガッリア陣地の)諸門がとても狭いままにしておかれたので(騎兵たちが)積み重ねられた。
*④ Germani acrius usque ad munitiones sequuntur.
**ゲルマニア人(騎兵)たちは(ガッリア騎兵たちを)苛烈に、防塁のところまで追撃した。
*⑤ Fit magna caedes.
**(こうして)大虐殺が起こった。
*Nonnulli relictis equis fossam transire et maceriam transcendere conantur.
**(ガッリア騎兵の)幾人かは、馬を置き去りにして、堀を越えること、および防壁を登り越えることを試みた。
*Paulum legiones Caesar quas pro vallo constituerat promoveri iubet.
**カエサルは、防柵の前に駐留させていた諸軍団に、いくらか前進することを命じた。
*⑥ Non minus qui intra munitiones erant perturbantur Galli:
**防塁の内側にいたガッリア人たちも(騎兵たちに)劣らず狼狽した。
*veniri ad se confestim existimantes ad arma conclamant;
**(ローマ勢により)自分たちのところへ直ちにやって来られると考えた者たちは、防具を取れと叫んだ。
*nonnulli perterriti in oppidum inrumpunt.
**(ガッリア勢の)幾人かは、怖れおののいて(丘陵の頂きにある)城塞都市の中に押し入った。
*⑦ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] iubet portas claudi, ne castra nudentur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、陣営が無防備にされないように、(防塁の)諸門が閉じられることを命じた。
*Multis interfectis, compluribus equis captis Germani sese recipiunt.
**(ガッリア騎兵の)多くが殺戮され、おびただしい馬が捕獲されて、ゲルマニア人(騎兵)たちは退却した。
===71節===
[[画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。]]
[[画像:Napoleon3.PNG|thumb|right|250px|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガッリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガッリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。]]
'''ウェルキンゲトリークスが援兵召集のため騎兵を放ち、籠城策を定める'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], priusquam munitiones ab Romanis perficiantur,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ローマ人たちによって塁壁が完成されるより前に、
*consilium capit omnem ab se equitatum noctu dimittere.
**自分のところから[[w:騎兵|騎兵隊]]のすべてを夜間に送り出すことを計画した。
*② Discedentibus mandat
**(アレスィアから)退去する(騎兵の)者たちに(以下のように)指図した。
*ut suam quisque eorum civitatem adeat
**彼ら(騎兵)のおのおのが自らの部族に行くように、
*omnesque qui per aetatem arma ferre possint ad bellum cogant.
**かつ、年齢により武器を手に取ることができる者たちの皆を戦争へ徴集するように、と。
*③ Sua in illos merita proponit obtestaturque
**(ウェルキンゲトリークスは)彼ら(ガッリア人たち)における自分の功績に言及して(以下のように)懇願した。
*ut suae salutis rationem habeant
**自分の身の安全を顧慮してくれるように、
*neu se optime de communi libertate meritum in cruciatum hostibus<ref>in cruciatum hostibus はβ系写本の記述で、α系写本では hostibus in cruciatum となっている。</ref> dedant.
**かつ(ガッリア)共通の自由について功績が最上である自分を、敵方の責め苦に渡すことがないように、と。
*Quod si indiligentiores fuerint,
**ところが、もし(騎兵たちがウェルキンゲトリークスたちの安全に)無関心であったならば、
*milia hominum delecta octoginta una secum interitura demonstrat.
**選りすぐりの兵員8万名が自分と一緒に滅びるであろう、と明言した。
*④ Ratione inita frumentum se exigue dierum XXX(triginta) habere<ref>frumentum ~ habere はβ系写本の記述で、χ系・φ系あるいはモイゼル H. Meusel の修正提案など、写本や校訂者により語順が異なっていたり、単語が欠けていたりする。</ref>,
**見積もったところ、自分たちはわずかに30日分の穀物を保有しているが、
*sed paulo etiam longius tolerari posse parcendo.
**しかし節約することにより、なおいくらか長く耐え忍ぶことができる、と。
*⑤ His datis mandatis,
**これらの指図を与えてから、
*qua erat nostrum opus<ref>erat nostrum opus はβ系写本の記述で、α系写本では単に opus erat となっている。</ref> intermissum, secunda vigilia silentio equitatum mittit<ref>mittit はχ系・B・M・S写本の記述で、β系写本では dimittit となっている。</ref>.
**我が方(ローマ勢)の構築物が中断しているところから、第二夜警時に静けさのうちに、騎兵隊を送り出した。
*⑥ Frumentum omne ad se referri iubet,
**穀物をすべて自分のところへ運んで来ることを命じて、
*capitis poenam iis qui non paruerint constituit;
**服従しなかった者たちを極刑に処すと決めた。
*⑦ pecus, cuius magna erat copia a Mandubiis<ref>a Mandubiis はβ系写本の記述で、α系写本では ab Manduviis となっている。</ref> compulsa, viritim distribuit;
**家畜は、マンドゥビイ族によって大量に集められていたが、個々に分配した。
*frumentum parce et paulatim metiri instituit;
**穀物を節約して少しずつ量り分けることを定めた。
*⑧ copias omnes quas pro oppido collocaverat in oppidum recepit.
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の前に駐留させていた(歩兵の)軍勢すべてを城塞都市の中に退却させた。
*⑨ His rationibus auxilia Galliae exspectare et bellum parat administrare<ref>parat administrare はα系写本の記述で、β系写本では administrare parat となっている。</ref>.
**これらの手段により、ガッリア(諸部族)の援軍を待つこと、および戦争を指導しようとしたのである。
===72節===
'''カエサルが、より大掛かりな攻囲陣地を構築する'''
*① Quibus rebus cognitis<ref>cognitis がこの位置にあるのはα系写本の記述で、β系写本では captivis の後となっている。</ref> ex perfugis et captivis
**それらの事情を脱走兵たちや捕虜たちから知って、
*Caesar haec genera munitionis instituit.
**カエサルは以下の類いの塁壁工事に取りかかった。
<br>
*'''前線の切り立った空堀'''
*Fossam pedum XX(viginti) derectis lateribus duxit,
**20[[w:ペース (長さ)|ペース]](約6m)の(幅の)垂直な側面の堀を引いた。
*ut eius fossae<ref>fossae がこの位置にあるのはβ系写本の記述で、α系写本では summa(e) の後になっている。</ref> solum tantundem pateret, quantum summa<ref>summa はβ系写本の記述で、α系写本では summae となっている。</ref> labra distarent<ref>distarent はα系写本の記述で、β系写本では distabant となっている。</ref>.
**その堀(の底)は、頂きの縁が離れているのとちょうど同じ分だけ広がるようにした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上辺と底の幅が等間隔になるような切り立った空堀にした。)</span>
*② Reliquas omnes munitiones ab ea fossa pedes<ref>pedes はα系写本の記述で、β系写本では pedibus となっている。</ref> CCCC(quadringentos) reduxit.
**ほかのすべての塁壁は、その堀から400ペース(約120m)後ろに引いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:写本にあるこの数字は、19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の</span>
**:<span style="color:#009900;">発掘調査によって400[[w:パッスス|パッスス]](約600m)と修正された。この堀は、アレスィアの西方に引かれたと思われる。)</span>
*Id hoc consilio,
**それは、以下の考えによる。
*quoniam tantum spatium necessario esset<ref>spatium necessario esset はβ系写本の記述で、α系写本では esset necessario spatio となっている。</ref> complexus
**これほどの空間が包囲されなければならないのであるから、
*nec facile totum corpus<ref>corpus はα系写本の記述で、β系写本では opus となっており、ρ系写本にはない。</ref> corona militum cingeretur,
**すべての包囲作業が兵士たちの<ruby><rb>哨兵線</rb><rp>(</rp><rt>コロナ</rt><rp>)</rp></ruby>で取り囲まれるのは容易ではない。
*ne de improviso aut noctu ad munitiones hostium multitudo<ref>hostium multitudo はα系写本の記述で、β系写本では multitudo hostium となっている。</ref> advolaret
**不意に、あるいは夜間に、敵方の大勢が(ローマ側の)塁壁へ突進することがないように、
*aut interdiu tela in nostros operi destinatos conicere possent<ref>possent はα系写本の記述で、β系写本では posset となっている。</ref>.
**あるいは日中に、工事中の我が方(ローマ勢)に飛道具が投げ付けられることができないように。
<br>
[[画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|thumb|right|300px|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:AlesiaFortifications.JPG|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。]]
*'''二重の堀'''
*③ Hoc intermisso spatio
**この空間をあけて、
*duas fossas XV(quindecim) pedes latas eadem altitudine perduxit;
**15ペース(約4.5m)の幅の2つの堀を、同じ深さ(15ペース)で張り巡らせた。
*quarum interiorem campestribus ac demissis locis
**それらの内側(の堀)の平地で低く下がった所には、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:内側の堀とは、アレスィアに近い東側の堀と考えられている。)</span>
*aqua ex flumine derivata complevit.
**川から導かれた水で満たした。
<br>
*'''土塁と防柵、胸壁と鋸壁、鹿柴、櫓'''
*④ Post eas aggerem ac vallum XII(duodecim) pedum exstruxit.
**それらの後ろには、12ペース(約3.6mの高さ)の<ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>防柵</rb><rp>(</rp><rt>ウァッルム</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
*Huic loricam pinnasque adiecit
**これに<ruby><rb>胸壁</rb><rp>(</rp><rt>ロリカ</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>鋸壁</rb><rp>(</rp><rt>ピンナ</rt><rp>)</rp></ruby>を付け加えて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:胸壁と鋸壁とは、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]で既出のように、凹凸形に編み込まれた柴の壁)</span>
*grandibus cervis eminentibus ad commissuras pluteorum atque aggeris,
**障壁と土塁の接合部の辺りに大きな<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ケルウス</rt><rp>)</rp></ruby>を突き出させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ろくさい</rt><rp>)</rp></ruby>(鹿砦または<ruby><rb>逆茂木</rb><rp>(</rp><rt>さかもぎ</rt><rp>)</rp></ruby>)とは、鹿の角のように枝分かれした杭や枝を逆立てた杭囲い。</span>
**:<span style="color:#009900;">障壁とは、防柵の前に取り付けられた胸壁と鋸壁の総称であろう。)</span>
*qui ascensum hostium tardarent,
**敵方が登って来るのを妨げようとした。
*et turres toto opere circumdedit, quae pedes LXXX(octoginta) inter se distarent.
**構築物の全体を、互いに80ペース(約24m)離れて立つ櫓で取り巻いた。
===73節===
'''カエサルは、攻囲陣地をさらに障害物で補強する'''
*① Erat eodem tempore et materiari et frumentari et tantas munitiones fieri necesse
**材木収集と糧食徴発、およびこれほどの塁壁工事がなされることが、同時に必要であった。
*deminutis nostris copiis, quae longius ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> castris progrediebantur.
**我が方の軍勢(ローマ勢)は減じており、陣営からはるか遠くに進み出ていた。
*Ac nonnumquam opera nostra Galli temptare
**いくたびか、我が方の構築物に、ガッリア人が攻撃すること(を試み)、
*atque eruptionem ex oppido pluribus portis summa vi facere conabantur.
**かつ、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の多くの門から、主力でもって出撃することを試みた。
*② Quare ad haec rursus opera addendum Caesar putavit,
**そのゆえに、この構築物へさらに(以下の障害物が)付け加えられるべきだとカエサルは考えた。
*quo minore numero militum munitiones defendi possent.
**それによって、より少ない数の兵士で塁壁が防衛されることができるように、と。
[[画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。]]
[[画像:Trous.de.loup.png|thumb|right|300px|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。]]
[[画像:Aiguillon.png|thumb|right|200px|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。]]
:
'''尖り杭'''
*Itaque truncis arborum aut admodum firmis ramis abscisis
**こうして、樹木の幹、あるいは非常に強固な枝が切り取られて、
*atque horum delibratis ac praeacutis cacuminibus
**これらの皮がむかれて、<ruby><rb>梢</rb><rp>(</rp><rt>こずえ</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>尖</rb><rp>(</rp><rt>とが</rt><rp>)</rp></ruby>らされて、
*perpetuae fossae quinos pedes altae ducebantur.
**5[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.5m)ずつの連続した堀が引かれた。
*③ Huc illi stipites demissi
**ここに、あの樹幹が沈められて、
*et ab infimo revincti, ne revelli possent, ab ramis eminebant.
**底から固くしばられて、はぎ取ることができないようにして、枝から(地上に)突き出るようにしていた。
*④ Quini erant ordines coniuncti inter se atque implicati;
**5列ずつが、互いにつなげられて、結び合わされた。
*quo qui intraverant se ipsi acutissimis vallis induebant.
**そこに踏み込んだ者は、自身が自らをきわめて鋭い杭に陥れた。
*Hos cippos appellabant.
**(将兵たちは)これらを<ruby><rb>尖り杭</rb><rp>(</rp><rt>キップス</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:cippus|cippus]]「尖り杭」は「墓標」とも訳されるが、後者は古典期以降のラテン語で長方形の墓碑を指す<ref><small>POSTCLASSIQUE</small> <i>[[w:fr:Cippe|cippe]] (colonne funéraire rectangulaire)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>。)</span>
:
'''百合'''
*⑤ Ante<ref>ante はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> quos<ref>quos はα系写本の記述で、β系写本では hos となっている。</ref> obliquis ordinibus in quincuncem dispositis
**それらの前に、(サイコロの)<ruby><rb>五つ目状</rb><rp>(</rp><rt>クィンクンクス</rt><rp>)</rp></ruby>に斜めの列に配置されて、
*scrobes tres in altitudinem pedes fodiebantur
**深さ3ペース(約90cm)の穴が掘られた。
*paulatim angustiore ad infimum fastigio.
**しだいに、より狭く、底の方へ傾斜を付けて。
*⑥ Huc teretes stipites [[w:la:Femur|feminis]] crassitudine
**ここに、太ももの厚さの丸みを帯びた樹幹が
*ab summo praeacuti et praeusti demittebantur,
**先端から尖らせられ、焦がされて(穴の底に)突き刺された。
*ita ut non amplius digitis quattuor ex terra<ref>ex terra はα系写本の記述で、V・ρ系写本では e terra 、T写本では contra となっている。</ref> eminerent;
**4本の指より長くないほど地中から突き出るように。
*⑦ simul confirmandi et stabiliendi causa
**同時に、強固にして固定するために、
*singuli ab infimo solo pedes terra exculcabantur;
**それぞれ底から1ペース(約30cm)だけ土で突き固められた。
*reliqua pars scrobis ad occultandas insidias viminibus ac virgultis integebatur.
**穴の残りの部分は、わなを隠すために、柳の細枝や若枝で覆われた。
*⑧ Huius generis octoni ordines ducti ternos inter se pedes distabant.
**この類いを、8列ずつ、3ペース(約90cm)ずつ互いに離して、作った。
*Id ex similitudine floris lilium appellabant.
**(将兵たちは)それを花との類似から、<ruby><rb>[[w:ユリ|百合]]</rb><rp>(</rp><rt>リリウム</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
:
'''刺'''
*⑨ Ante haec taleae pedem longae ferreis hamis infixis totae in terram infodiebantur
**これらの前に、鉄製の鉤が打ち込まれた長さ1ペース(約30cm)の棒の全体が地中に埋め込まれた。
*mediocribusque intermissis spatiis omnibus locis disserebantur,
**適度な空間を間にあけて、至る所に配置された。
*quos stimulos nominabant.
**(将兵たちは)それらを刺と呼んだ。
{| class="wikitable"
|-
! colspan="2" | [[w:la:Obsidio Alesiae|Obsidio Alesiae]]
|-
| style="vertical-align:top; text-align:left; width:35em;" |[[画像:Fortificazioni alesia png.png|thumb|left|500px|[[w:アレシアの戦い|アレシアの戦い]]における攻囲陣地の構成(図の説明はイタリア語)。]]
|}
===74節===
'''ガッリア人の来援に備えて、外周にも同様の塁壁を張り巡らす'''
*① His rebus perfectis
**これらの物が造り上げられると、
*regiones secutus quam potuit aequissimas pro loci natura
**地勢に応じて、できるかぎり好都合な地帯を探し求めて、
*XIIII(quattuordecim) milia passuum complexus
**14ローママイル(約21km)を取り巻いて、
*pares eiusdem generis munitiones,
**(内周の塁壁と規模が)匹敵する同じ類いの塁壁を
*diversas ab his, contra exteriorem hostem perfecit,
**これら(内周)に対置させて、外側の敵に対抗して造り上げた。
*ut ne magna quidem multitudine, si ita accidat equitatus<ref>equitatus はシェーラー(Schoeller)による修正提案で、写本(ω)では eius であるが、近代の校訂者たちにより修正提案がなされている。</ref> discessu,
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**もし[[w:騎兵|騎兵隊]]の退去によりこのようなこと(外敵との遭遇)が生じても、決して大軍により
*munitionum praesidia circumfundi possent;
**塁壁の守備隊が包囲されることができないように。
*② <ne> autem<ref>ne autem は近代の校訂者による修正提案で、α系・π系写本では aut、ρ系写本では ut となっている。</ref> cum periculo ex castris egredi cogatur,
**(ローマ勢が)危険を伴って陣営から進発することを強いられることもないように、
*dierum XXX(triginta) pabulum frumentumque habere omnes convectum iubet.
**30日分の[[w:糧秣|秣(まぐさ)や穀物]]を運び集めて保持することを皆に命じた。
===75節===
'''ガッリア同盟が各部族に動員を要請する'''
*① Dum haec apud<ref>apud はα系写本の記述で、β系写本では ad となっている。</ref> [[w:la:Alesia|Alesiam]] geruntur,
**これらが[[w:アレシア|アレスィア]]のもとで遂行されている間に、
*Galli concilio principum indicto
**ガッリア人たちは、領袖たちの会合を課して、
*non omnes hos<ref>omnes hos はα系写本の記述で、β系写本では単に omnes となっている。</ref> qui arma ferre possent, ut censuit [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], convocandos statuunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が見積もったように武器を扱える者たち皆を召集するべき、ではないと判断した。
*sed certum numerum cuique ex civitate<ref>ex civitate はα系写本の記述で、β系写本では civitati となっている。</ref> imperandum,
**けれども、おのおのの部族から一定の兵数(の供出)を命令すること(を決めた)。
*ne tanta multitudine confusa nec moderari nec discernere suos nec frumentandi rationem<ref>frumentandi rationem はT・U・R写本などの記述で、V・U写本などでは frumenti rationem となっている。</ref> habere possent.
**これほどの大軍で混乱したり、味方を指揮できなかったり判別できなかったり、ということがないように。
*② Imperant [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque eorum clientibus, Segusiavis, Ambivaretis, Aulercis Brannovicibus, Blannoviis, milia XXXV(triginta quinque);
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]とその庇護民であるセグスィアウィ族、アンビウァレティ族、アウレルキ・ブランノウィケス族、ブランノウィイ族に3万5千名を命令した。
*parem numerum Arvernis adiunctis Eleutetis, Cadurcis, Gabalis, Vellaviis,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]に隣接しているエレウテティ族、カドゥルキー族、ガバリ族、ウェッラウィイ族に同等の兵数。
*qui sub imperio Arvernorum esse consuerunt;
**彼らはアルウェルニー族の支配下にいるのが常であった。
*③ Sequanis, Senonibus, Biturigibus, Santonis, Rutenis, Carnutibus duodena milia;
**セクアニ族、セノネース族、ビトゥリゲース族、サントネス族、ルテーニー族、カルヌーテース族には1万2千ずつ。
*Bellovacis X(decem); totidem Lemovicibus;
**ベッロウァキ族に1万。レモウィケス族に同じだけ多く(1万)。
*octona Pictonibus et Turonis et Parisiis et Helvetiis;
**ピクトネス族とトゥロニ族とパリスィイ族と[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]に8(千)ずつ。
*Senonibus<ref>Senonibus は写本(ω)にある記述だが、sen<a Suessi>onibus「6(千)ずつをスエッスィオニス族…に」などさまざまな修正提案がなされている。</ref>, Ambianis, Mediomatricis, Petrocoriis, Nerviis, Morinis, Nitiobrogibus quina milia;
**セノネース族、アンビアニ族、メディオマトリキ族、ペトロコリイ族、ネルウィイ族、モリニ族、ニティオブロゲス族に5千ずつ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Senonibus「セノネース族」は既出のためスエッスィオネス族などに書き替える修正提案がなされ、以下は校訂版によっては兵数がずれる。</span>
**:<span style="color:#009900;">しかし、スエッスィオネス族 Suessiones は[[ガリア戦記 第2巻#12節|第2巻12節]]でレーミー族を通じてカエサルに降伏しており、</span>
**:<span style="color:#009900;">第8巻6節でも「レーミー族に委ねられていた」「同盟者」と記されているので、アレスィアには出兵していないであろう。)</span>
*Aulercis Cenomanis totidem; Atrebatibus IIII;
**アウレルキ・ケノマニ族に同じだけ多く(5千)。アトレバテス族に4(千)。
*Veliocassis, Lexoviis et Aulercis Eburovicibus terna;
**ウェリオカッセス族、レクソウィイ族とアウレルキ・エブロウィケス族に3(千)ずつ。
*Rauracis et Boiis<ref>Boiis はα系写本の記述で、β系写本では Bois となっている。</ref> bina;
**ラウラキ族とボイイ族に2(千)ずつ。
*XXX<ref>XXX はα系写本の記述で、さまざまな修正提案がなされている。</ref> milia universis civitatibus, quae Oceanum attingunt
**<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に接する諸部族全体に3万。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は写本により異なっており、混乱している。)</span>
*quaeque eorum consuetudine Aremoricae appellantur,
**それらは、彼ら(ガッリア人)の慣習でアレモリカエと呼ばれており、
*quo sunt in numero Coriosolites, Redones, Ambibarii, Caletes, Osismi, Veneti, Lemovices, Unelli.
**コリオソリテス族、レドネス族、アンビバリイ族、カレテス族、オスィスミ族、ウェネティ族、レモウィケス族、ウネッリ族がそれらに数えられる。
*⑤ Ex his Bellovaci suum numerum non compleverunt<ref>compleverunt はα系写本の記述で、β系写本では contulerunt となっている。</ref>,
**これらのうちで、ベッロウァキ族は、自分たちの(割り当てられた)数を満たさなかった。
*quod se suo nomine atque arbitrio cum Romanis bellum gesturos dicebant
**というのは、彼らは自らの名と裁量でもってローマ人と交戦するであろうと言ったのだ。
*neque cuiusquam imperio obtemperaturos;
**(自分たちは)何者の命令にも服従しないであろう、と。
*rogati tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> Commio pro eius hospitio duo milia una miserunt.
**けれども、[[w:コンミウス|コンミウス]]の懇願により、彼を賓客としているために、2千名を一緒に送り出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は要求された兵数の5分の1しか出さなかったが、第8巻22節ではこの出兵をも含めてカエサルから責められる。)</span>
===76節===
'''コンミウスもガッリア同盟軍に内応、約25万の大軍が集結'''
*① Huius opera Commii, ut antea demonstravimus, fideli atque utili
**前に述べたように、この[[w:コンミウス|コンミウス]]の信頼すべき有益な働きを
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記 第4巻#27節|27節]]・[[ガリア戦記 第4巻#35節|35節]]、[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]、[[ガリア戦記 第6巻#6節|第6巻6節]]を参照。)</span>
*superioribus annis erat usus in [[w:la:Britannia Maior|Britannia]] Caesar;
**カエサルは先年(BC55~54年)に[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]において役立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]の先導役を務めていた。後にブリタンニアで王となる。)</span>
*quibus ille pro meritis civitatem eius immunem esse iusserat,
**彼(カエサル)はそれらの功績の見返りに、彼(コンミウス)の部族が免税となることを命じており、
*iura legesque reddiderat atque ipsi Morinos attribuerat.
**権能や法度を元に戻してやり、(コンミウス)自身にモリニ族(の統治)をも委ねていた。
*② Tamen tanta<ref>tamen tanta はα系写本の記述で、β系写本では tanta tamen となっている。</ref> universae Galliae consensio fuit libertatis vindicandae et pristinae belli laudis recuperandae,
**けれども、自主独立が求められるべきで、かつての戦争の誉れが取り戻されるべきだという、ガッリア全体の合意があった。
*ut neque beneficiis neque amicitiae memoria moverentur
**その結果、(カエサルからの)厚遇にも友情の記憶にも揺り動かされず、
*omnesque et animo et opibus in id bellum incumberent.
**(ガッリアの)皆が闘志によっても兵力によっても、その戦争に没頭していたのだ。
*③ Coactis equitum milibus VIII(octo) et peditum circiter CCL(ducenti quinquaginta)<ref>CCL はβ系写本の記述で、α系写本では CCXL または CCXXXX となっている。</ref>
**[[w:騎兵|騎兵]]8千騎と[[w:歩兵|歩兵]]およそ250(千)名が徴集されて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵の数は、β系写本では25万、α系写本では24万と異なっている。)</span>
*haec in Haeduorum finibus recensebantur, numerusque inibatur, praefecti constituebantur.
**これら(の軍勢)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領土で閲兵されて、数が見積もられて、指揮官たちが決められた。
*④ Commio Atrebati, Viridomaro et [[w:la:Eporedorix|Eporedorigi]] [[w:la:Haedui|Haeduis]],
**アトレバテス族の[[w:コンミウス|コンミウス]]、ハエドゥイー族のウィリドマルスとエポレドリクス、
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellauno]] Arverno, consobrino Vercingetorigis, summa imperii traditur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の従兄弟である[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌスに、最高司令権が託された。
*His delecti ex civitatibus attribuuntur, quorum consilio bellum administraretur.
**彼らに、諸部族から選ばれた者たちが付与されて、その者たちの協議により戦争が指導された。
*⑤ Omnes alacres et fiduciae pleni ad [[w:la:Alesia|Alesiam]] proficiscuntur,
**皆が、活気があって自身に満ち、[[w:アレシア|アレスィア]]へ向けて出発した。
*⑥ neque erat omnium quisquam qui adspectum modo tantae multitudinis sustineri posse arbitraretur,
**これほどの大軍を一見しただけで持ちこたえられる者は、誰一人いないと思われた。
*praesertim ancipiti proelio,
**とりわけ(内周と外周の)両面の戦闘で、
*cum ex oppido eruptione pugnaretur, foris tantae copiae equitatus peditatusque cernerentur.
**城塞都市からは出撃により戦われ、外からは騎兵と歩兵のこれほどの軍勢が視認されるのであるから。
===77節===
'''飢餓状態のアレスィアで、クリトグナトゥスが極論を唱える'''
*① At ii qui [[w:la:Alesia|Alesiae]] obsidebantur
**ところが、[[w:アレシア|アレスィア]]に包囲されていた者たちは、
*praeterita die qua auxilia suorum exspectaverant,
**味方の援軍を待ち望んでいた日も経過して、
*consumpto omni frumento,
**すべての糧食を消費し尽くして、
*inscii quid in [[w:la:Haedui|Haeduis]] gereretur,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところにおいて何がなされているのかを知らず、
*concilio coacto de exitu suarum fortunarum consultabant.
**会合を召集して、自分たちの命運の結末について協議した。
*② Ac variis dictis sententiis
**そして、さまざまな意見が述べられた。
*quarum pars deditionem,
**それらの一部は降伏を、
*pars dum vires suppeterent eruptionem censebat,
**別の一部は、活動力が十分にある間に突撃することを考慮していた。
*non praetereunda oratio [[w:la:Critognatus|Critognati]] videtur propter eius singularem et nefariam crudelitatem.
**クリトグナトゥスの演説は、彼の特異で非道な残酷さのために、看過されるべきではないと思われる。
<br>
'''クリトグナトゥスの演説が始まる'''
*③ Hic summo in Arvernis ortus loco et magnae habitus auctoritatis,
**彼は、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]において最高の身分に生まれ、大きな影響力を持つとみなされていた。
<br>
'''降伏論者は最低の輩だ'''
*"Nihil" inquit "de eorum sententia dicturus sum, qui turpissimam servitutem deditionis nomine appellant,
**「最も恥ずべき隷属を降伏という名で呼んでいる者たちの意見については、(私は)何も述べないであろう」と言った。
*neque hos habendos civium loco neque ad concilium adhibendos censeo.
**「この者たちは市民の身分を持つべきではないし、会合へ招き入れられるべきでもない、と(私は)考える。
<br>
'''突撃論者には辛抱が欠けている'''
*④ Cum his mihi res sit, qui eruptionem probant;
**突撃に賛同した者たちとともに、私の関わりはあるべきだ。
*quorum in consilio omnium vestrum consensu
**その者たちの考えには、君たち皆の同意があるだろうし、
*pristinae residere virtutis memoria videtur.
**かつての武勇の記憶が残っていることと思われる。
*⑤ Animi est ista mollitia, non virtus, paulisper inopiam ferre non posse.
**しばらくの間も(糧食の)欠乏に耐えることができない(君らの)ことは、気の弱さであって、武勇ではない。
*Qui se ultro morti offerant facilius reperiuntur quam qui dolorem patienter ferant.
**自発的に玉砕して逝った者たちは、苦痛に辛抱強く耐えた者たちよりも、より容易に見出されるのだ。
*⑥ Atque ego hanc sententiam probarem ─tantum apud me dignitas potest─,
**しかし私は(突撃という)この意見に賛同したであろう。それほど、私にとっても価値がある。
*si nullam praeterquam vitae nostrae iacturam fieri viderem;
**(ただし)もし、我々(ガッリア勢)の生命が投げ出されること以外に(方策が)何もないと思ったならばだ。
*⑦ sed in consilio capiendo omnem Galliam respiciamus, quam ad nostrum auxilium concitavimus.
**けれども、作戦を立てるに当たっては、我々のために援軍を(我々が)呼び寄せた全ガッリアを顧慮しよう。
*⑧ Quid hominum milibus LXXX(octoginta) uno loco interfectis
**(我々ガッリア勢)8万の人間が(アレスィア)1か所で殺戮されたら、
*propinquis consanguineisque nostris animi fore existimatis,
**我々の親類縁者たちの士気はどうなると(君らは)判断しているのか。
*si paene in ipsis cadaveribus proelio decertare cogentur?
**もし、ほとんど(我々)自身の亡骸の中で(味方が)決戦することを強いられたら?
*⑨ Nolite hos vestro auxilio exspoliare qui vestrae salutis causa suum periculum neglexerunt,
**君らの身の安全のために、己の危険を顧みなかった者たちのことを、君らが援助すること(の機会)を奪わないでくれ。
*nec stultitia ac temeritate vestra aut animi imbecillitate omnem Galliam prosternere et perpetuae servituti subicere.
**君らの愚かさや無思慮、または心の弱さによって、全ガッリアを滅ぼすことや永久の隷属に委ねることがないように。
<br>
'''ローマ人たちが恐れているのを見よ'''
*⑩ An quod ad diem non venerunt, de eorum fide constantiaque dubitatis?
**それとも(援軍が)期日までにやって来なかったので、彼らの誠実さや剛直さについて(君らは)疑っているのか?
*Quid ergo?
**それでは(あれは)何だ?
*Romanos in illis ulterioribus munitionibus animine causa cotidie exerceri putatis?
**ローマ人たちがあの向こう側の塁壁のところで、趣味のために毎日たえず働かされていると(君らは)思うのか?
*⑪ Si illorum nuntiis confirmari non potestis omni aditu praesaepto,
**もし、すべての出入口を(防柵で)遮られて、(援軍の到来を)彼らの伝令により(君らが)確証できないのならば、
*his utimini testibus adpropinquare eorum adventum,
**こちらの者たち(ローマ人)を、彼ら(援軍)の到来が近づいている証人として示せ。
*cuius rei timore exterriti diem noctemque in opere versantur.
**(援軍の到来という)その事態の恐れに戦慄して(ローマ人たちは)昼も夜も工事に従事しているのだ。
<br>
'''クリトグナトゥスの意見は?'''
*⑫ Quid ergo mei consilii est?
**それでは、私の考えは何であるか?
*Facere quod nostri maiores nequaquam pari bello Cimbrorum Teutonumque fecerunt:
**我々の先祖たちが(今回とは)決して比べものにならない[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族・テウトニ族との戦争]]でしたことをするのだ。
*qui in oppida compulsi ac simili inopia subacti
**彼ら(先祖たち)は、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に押し込められて、(今回と)似たような欠乏により衰弱させられて、
*eorum corporibus, qui aetate ad bellum inutiles videbantur, vitam toleraverunt
**加齢により戦争に役立たないと思われた者たちの肉体(を食べること)によって、生命を持ちこたえて、
*neque se hostibus tradiderunt.
**敵方に降伏しなかったのだ。
*⑬ Cuius rei si exemplum non haberemus,
**もし、そういう事態の先例を我々が持たなかったとしても、
*tamen libertatis causa institui et posteris prodi pulcherrimum iudicarem.
**けれども、自由のために、最も栄誉なことが決断され、子孫たちに伝えられることと、私は思いたい。
*⑭ Nam quid illi simile bello fuit?
**実際、あの戦争に(今回と)似ている何があっただろうか?
*Depopulata Gallia Cimbri magnaque inlata calamitate
**キンブリ族はガッリアを荒らしまわって、大きな災禍をもたらしたが、
*finibus quidem nostris aliquando excesserunt atque alias terras petierunt;
**あるとき我々の領土から立ち去って、他の土地を求めて行った。
*iura, leges, agros, libertatem nobis reliquerunt.
**権限、法度、耕地、自由を我々(ガッリア人)に残して行ったのだ。
*⑮ Romani vero quid petunt aliud aut quid volunt
**しかし、ローマ人たちは(以下に挙げることの)他に何を求め、何を欲しているのだろうか。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「しかし、ローマ人が求め、欲しているのは、以下のことである」の意。)</span>
*nisi invidia adducti quos fama nobiles potentesque bello cognoverunt,
**高貴で戦争に力強い(ガッリアの)者たちを名声で知って羨望に駆られた以外には、
*horum in agris civitatibusque considere atque his aeternam iniungere servitutem?
**彼らの土地や部族共同体に居座って、彼らを永遠の隷属を課すること以外には。
*Neque enim ulla alia condicione bella gesserunt.
**実際、(ローマ人は)他のいかなる条件でも決して戦争を遂行したことがなかった。
*⑯ Quodsi ea quae in longinquis nationibus geruntur ignoratis,
**もし、遠方の種族のところでなされていることを(君らが)知らないのであれば、
*respicite finitimam Galliam,
**ガッリアの隣人たちを見渡しなさい。
*quae in provinciam redacta,
**(彼らはローマの)[[w:属州|属州]]になることを余儀なくされ、
*iure et legibus commutatis,
**権限や法度を変えられて、
*securibus subiecta perpetua premitur servitute."
**(ローマの)権力に服属させられて、永久の隷属に苦しめられているのだ。
===78節===
'''マンドゥビイ族の投降をカエサルが拒む'''
*① Sententiis dictis
**(いくつかの)意見が述べられて、
*constituunt ut ii, qui valetudine aut aetate inutiles sunt<ref>sunt はα系写本の記述で、β系写本では sint となっている。</ref> bello, oppido excedant
**(ガッリア人たちは)健康または年齢により戦争に役立たない者たちは[[w:オッピドゥム|城塞都市]]を退去するように決めた。
*atque omnia prius experiantur quam ad Critognati sententiam descendant;
**さらに、クリトグナトゥスの意見に同意するよりも、まずあらゆることを試みるように(決めた)。
*② illo tamen potius utendum consilio,
**けれども(以下の場合には)むしろ彼(クリトグナトゥス)の意見を実行するべきだ。
*si res cogat atque auxilia morentur,
**もし、事態が強いて、援軍が遅滞させられるのならば、
*quam aut deditionis aut pacis subeundam condicionem.
**降伏あるいは講和条件を受諾することよりも(クリトグナトゥスの意見を実行するべきだ)、と。
*③ Mandubii qui eos oppido receperant,
**彼ら(ガッリア勢)を城塞都市に受け入れていたマンドゥビイ族は、
*cum liberis atque uxoribus exire coguntur.
**子供たちや妻女たちとともに(城塞都市から)出て行くことを強いられた。
*④ Hi cum ad munitiones Romanorum accessissent,
**彼らは、ローマ人たちの塁壁のところへ近づいたときに、
*flentes omnibus precibus orabant, ut se in servitutem receptos cibo iuvarent.
**自分たちを奴隷として受け入れて食糧で助けてくれるように、泣きながらあらゆる懇願で頼んだ。
*⑤ At Caesar dispositis in vallo custodibus<ref>custodibus はα系写本の記述で、β系写本では custodiis となっている。</ref> recipi prohibebat.
**だが、カエサルは、防柵の中に番兵を分けて置き、(マンドゥビイ族を)受け入れることを禁じた。
===79節===
'''ガッリア同盟軍の来援、アレスィアの歓呼'''
*① Interea Commius reliquique duces, quibus summa imperii permissa erat,
**その間に、最高司令権を任されていた[[w:コンミウス|コンミウス]]とほかの将帥たちが、
*cum omnibus copiis ad Alesiam perveniunt
**すべての軍勢とともに[[w:アレシア|アレスィア]]の辺りへ到着して、
*et colle exteriore occupato
**より外側の丘陵を占拠して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のミュスィ=ラ=フォス村 [[w:fr:Mussy-la-Fosse|Mussy-la-Fosse]]<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.521944,4.438611&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.522012,4.438648&spn=0.01849,0.027423&t=h&z=15 Google map]を参照。</ref> のある丘陵であると思われる。)</span>
*non longius mille passibus ab nostris munitionibus considunt.
**我が方(ローマ勢)の塁壁から1ローママイル(約1.5km)ほども遠くないところに陣取った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のヴナレ=レ=ローム [[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]] 市街<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.542778,4.445833&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.543106,4.458475&spn=0.036965,0.054846&t=h&z=14 Google map]を参照。</ref>の周辺であると思われる。)</span>
*② Postero die equitatu ex castris educto
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]が陣営から進発させられて、
*omnem eam planitiem quam in longitudinem milia passuum III(tria)<ref>milia passuum III はβ系写本の記述で、α系写本では quattuor milia passuum などとなっている。</ref> patere demonstravimus, complent
**3ローママイル(約4.5km)の長さにわたり広がっていることを既述した平地のすべてを、満たした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#69節|69節]]を参照。現在のローム平原に当たると思われる。)</span>
*pedestresque copias paulum ab eo loco abditas in locis superioribus constituunt.
**[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢を、その地からいくらか遠ざけて、より高いところに駐留させた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上記の丘陵のより高い所であると思われる。)</span>
*③ Erat ex oppido Alesia despectus in campum.
**アレスィアの[[w:オッピドゥム|城塞都市]]からは(その)平地に眺望があった。
*Concurrunt<ref>concurrunt はα系写本の記述で、β系写本では concurritur となっている。</ref> his auxiliis visis;
**これらの援軍が現われると(アレスィアのガッリア人たちは)群がり集まった。
*fit gratulatio inter eos
**彼らの間で祝賀がなされて、
*atque omnium animi ad laetitiam excitantur.
**皆の心が喜びへと鼓舞された。
*④ Itaque productis copiis ante oppidum considunt
**こうして(アレスィアの)軍勢が出撃させられて、城塞都市の前に陣取って、
*et proximam fossam cratibus integunt atque aggere explent
**最も近い堀を、柴で蔽って、土砂を充満させて、
*seque ad eruptionem atque omnes casus comparant.
**突撃やあらゆる有事に戦備を整えた。
===80節===
'''ゲルマニア騎兵らローマ勢が来援ガッリア騎兵をも打ち破る'''
*① Caesar omni exercitu ad utramque partem munitionum<ref>munitionum はα系写本の記述で、β系写本では munitionis となっている。</ref> disposito,
**カエサルは、すべての[[w:歩兵|歩兵隊]]を、塁壁の(内周と外周)両側に分けて置き、
*ut, si usus veniat, suum quisque locum teneat et noverit,
**もし、必要が生じたら、おのおのが自らの部署を知って固守するようにした。
*equitatum ex castris educi et proelium committi iubet.
**[[w:騎兵|騎兵隊]]を陣営から進発させて、交戦することを命じた。
*② Erat ex omnibus castris, quae summum undique iugum tenebant, despectus
**至る所で尾根の頂きを占めていた(ローマ勢の)すべての陣営から(騎兵戦の)眺望があった。
*atque omnes milites intenti<ref>intenti はα系写本の記述で、β系写本では intenti animi、Fuchs は intentis animis と修正提案している。</ref> pugnae proventum<ref>pugnae proventum はα系写本の記述で、β系写本では proventum pugnae となっている。</ref> exspectabant.
**すべての兵士たちは(観戦に)没頭して、戦いの結果を待っていた。
*③ Galli inter equites raros sagittarios expeditosque levis armaturae interiecerant,
**ガッリア人たちは、弓兵たちと軽装歩兵たちをまばらに、騎兵たちの間に置いていて、
*qui suis cedentibus auxilio succurrerent
**その者たち(弓兵と軽装歩兵)は、味方が後退するのを支援するために馳せ寄って、
*et nostrorum equitum impetus sustinerent.
**我が方(ローマ勢)の騎兵の突撃に持ちこたえていた。
*Ab his complures de improviso vulnerati proelio excedebant.
**彼らによって(ローマ側騎兵の)かなりの者たちが、思いがけず負傷させられて、戦闘から退いた。
*④ Cum suos pugna superiores esse Galli confiderent
**ガッリア人たちが、味方が戦いで優勢であることを確信したとき、
*et nostros multitudine premi viderent,
**かつ、我が方(ローマ勢)が多勢(のガッリア騎兵)により圧倒されているのを見て取ったときに、
*ex omnibus partibus et ii qui munitionibus continebantur
**あらゆる方面から(ローマ勢の)塁壁によって囲まれていた者たちも、
*et hi<ref>hi はφ系・β系写本の記述で、χ系写本では ii となっている。</ref> qui ad auxilium convenerant
**(アレスィア)救援のために集結して来ていた者たちも、
*clamore et ululatu suorum animos confirmabant.
**大声やわめき声によって味方の闘志を強めた。
*⑤ Quod in conspectu omnium res gerebatur
**(両軍の)皆の環視の中で合戦が遂行されたので、
*neque recte ac<ref>ac はα系・π系写本の記述で、ρ系写本では aut となっている。</ref> turpiter factum celari poterat,
**立派な行為または見苦しい行為も隠されることができなかったので、
*utrosque et laudis cupiditas et timor ignominiae ad virtutem excitabant<ref>excitabant はB・M・L・N・R写本などの記述で、χ系・B・S・π系・U写本などでは excitabat となっている。</ref>.
**賞賛への功名心も、不名誉への恐れも、双方を武勇へと駆り立てた。
*⑥ Cum a meridie prope ad solis occasum dubia victoria pugnaretur,
**正午から、ほぼ日没の頃まで、勝利が不確実なまま戦われていたときに、
*Germani una in parte confertis turmis
**ゲルマニア人たちが、騎兵部隊を一か所に密集させて、
*in hostes impetum fecerunt eosque propulerunt;
**敵方に突撃を行ない、彼ら(ガッリア騎兵)を駆逐した。
*⑦ quibus in fugam coniectis
**その者たち(ガッリア騎兵)は逃亡に追いやられて、
*sagittarii circumventi interfectique sunt.
**弓兵たちは包囲されて殺戮された。
*⑧ Item ex reliquis partibus nostri cedentes usque ad castra insecuti
**我が方(ローマ勢)の残りの部隊も、撤退する(ガッリア騎兵の)者たちを陣営のところまで追撃して、
*sui colligendi facultatem non dederunt.
**立ち直る機会を与えなかった。
*⑨ At ii qui ab [[w:la:Alesia|Alesia]] processerant,
**そして、[[w:アレシア|アレスィア]]から進み出ていた者たちは、
*maesti prope victoria desperata se in oppidum receperunt.
**ほとんど絶望的な勝利に悲嘆して、城塞都市に退却した。
===81節===
'''ガッリア来援軍と籠城軍がローマ陣地に夜襲をしかける'''
*① Uno die intermisso Galli
**ガッリア人たちは一日を間に置いて、
*atque hoc spatio magno cratium, scalarum, harpagonum numero effecto
**この間に、多数の柴、[[w:梯子|梯子]]、鉤竿を調達して、
*media nocte silentio ex castris egressi
**真夜中に静けさのうちに陣営から進発して、
*ad campestres munitiones accedunt.
**平地の(ローマ勢の)塁壁の辺りへ近づいた。
*② Subito clamore sublato, qua significatione
**突然に雄叫びを上げて、それを合図として、
*qui in oppido obsidebantur de suo adventu cognoscere possent,
**[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の中に包囲されている者たちが、自分たちの到来について認識できるようにした。
*crates proicere, fundis, sagittis, lapidibus nostros de vallo proturbare
**柴を投げ込み、投石器で、矢で、石でもって我が方(ローマ勢)を防柵から追い出すこと、
*reliquaque quae ad oppugnationem pertinent parant administrare.
**(塁壁の)攻略のために役立つほかのことに従事すること、を目論んだ。
*③ Eodem tempore clamore exaudito
**同時に(来援軍の)雄叫びを聞き取って、
*dat tuba signum suis [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] atque ex oppido educit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、麾下の者たちにラッパで指図を与えて、城塞都市から進発させた。
*④ Nostri, ut superioribus diebus, suus cuique<ref>suus cuique はβ系写本の記述で、χ系・B・M・S写本では ut cuique となっている。</ref> erat locus attributus, ad munitiones accedunt;
**我が方(ローマ勢)は、以前の日々に、おのおのの部署が割り当てられており、塁壁のところへ近寄った。
*fundis librilibus sudibusque, quas in opere disposuerant, ac glandibus Gallos proterrent.
**堡塁に分配されていたポンド投石器や杭、並びに玉によって、ガッリア人たちを追い払った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:librilis funda「ポンド投石器」;古代ローマの1ポンド [[w:la:Libra pondus|libra]] は約327グラム<ref>[[w:en:Ancient Roman units of measurement#Weight]]を参照。</ref>。)</span>
*⑤ Prospectu tenebris adempto multa utrimque vulnera accipiuntur.
**眺望が暗闇により奪われて、双方が多くの傷を蒙った。
*Complura tormentis tela coniciuntur.
**かなり多くの飛び道具が(巻上式)投石機によって投じられた。
*⑥ At [[w:la:Marcus Antonius|M.(Marcus) Antonius]] et [[w:la:Gaius Trebonius|C.(Gaius) Trebonius]] legati,
**[[w:マルクス・アントニウス|マルクス・アントニウス]]と[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]] [[w:レガトゥス|両副官]]は、
*quibus hae partes ad defendendum obvenerant,
**この方面を防衛するために割り当てられていたが、
*qua ex parte nostros premi intellexerant,
**我が方(ローマ勢)が押されぎみであると見なした一帯のために、
*his auxilio ex ulterioribus castellis deductos submittebant.
**この者たちを支援するために、向こう側の砦から引き出した者たちを(援兵として)派遣した。
===82節===
'''アレスィア内外のガッリア勢が障害物に阻まれて退く'''
*① Dum longius ab munitione aberant Galli,
**ガッリア人たちは(ローマ勢の)塁壁から遠くに離れていた間は、
*plus multitudine telorum proficiebant;
**飛び道具の多さによって、前進していた。
*posteaquam propius successerunt,
**(塁壁の方へ)さらに近くに進入して来た後では、
*aut se ipsi<ref>ipsi はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> stimulis inopinantes induebant
**あるいは、思いがけず自ら「刺」に陥り、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:stimulus「刺」については、[[#73節|73節]]⑨項を参照。)</span>
*aut in scrobes delati transfodiebantur
**あるいは、穴に陥落して(「百合」で)突き刺されたり、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「穴」と「百合」については、[[#73節|73節]]⑤~⑧項を参照。)</span>
*aut ex vallo ac turribus traiecti pilis muralibus interibant.
**あるいは、防柵や櫓から[[w:ピルム・ムーリアリス|防壁槍]]で射抜かれて逝った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:防壁槍については、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]を参照。)</span>
*② Multis undique vulneribus acceptis
**(ガッリア勢は)至る所で多くの傷を負ったが、
*nulla munitione perrupta,
**どの(ローマ側の)塁壁も突破されなかった。
*cum lux appeteret,
**<ruby><rb>暁光</rb><rp>(</rp><rt>ぎょうこう</rt><rp>)</rp></ruby>が(空を)染めたとき、
*veriti ne ab latere aperto ex superioribus castris eruptione circumvenirentur,
**開けた側面から、(ローマ勢の)高所の陣営からの突撃によって包囲されないようにと怖れて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:開けた側面とは、盾で守られていない右側のこと。)</span>
*se ad suos receperunt.
**味方のところへ退却した。
*③ At interiores
**それに対して、(アレスィア攻囲の)内側の者たちは、
*dum ea quae a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] ad eruptionem praeparata erant<ref>praeparata erant は、写本(ω)ではpraeparaverant だが、このように修正提案されている。あるいは、a Vercingetorige が削除提案されている。</ref> proferunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]により、突撃のために準備していたものを運び出して
*priores fossas explent,
**一番前の堀を埋めている間に、
*diutius in his rebus administrandis morati
**これらの事に従事することに、より長く妨げられて、
*prius suos discessisse cognoverunt quam munitionibus adpropinquarent.
**塁壁に近づくよりも前に味方(=来援軍)が退去したことを知ったのだ。
*Ita re infecta in oppidum reverterunt.
**こうして、事は達成されていないものの、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に引き返した。
===83節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが兵6万を率いて急所の丘へ向かう'''
*① Bis magno cum detrimento repulsi Galli
**大きな損害とともに二度も撃退されたガッリア人たちは、
*quid agant consulunt;
**何をなすべきかを協議した。
*locorum peritos adhibent;
**(その)土地に熟知した者たちを招いた。
*ex his superiorum castrorum situs munitionesque cognoscunt.
**この者たちから、(ローマ勢の)高いところの陣営の位置や塁壁を調べ上げた。
*② Erat a septentrionibus collis,
**(アレスィアの)北方に丘陵があって、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:これは現在のレア山 le Mont Réa であると思われ、山頂にはメネルー=ル=ピトワ村<ref>[[w:fr:Ménétreux-le-Pitois]]や[http://maps.google.fr/maps?f=q&hl=fr&geocode=&q=m%C3%A9n%C3%A9treux+le+pitois&sll=42.423457,8.789063&sspn=23.611541,40.957031&ie=UTF8&t=h&hq=&hnear=M%C3%A9n%C3%A9treux-le-Pitois,+C%C3%B4te-d'Or,+Bourgogne&ll=47.55475,4.460106&spn=0.018507,0.010042&z=15 Google map]などを参照。</ref>がある。)</span>
*quem propter magnitudinem circuitus
**その周囲の大きさのために、
*opere circumplecti non potuerant nostri,
**我が方(ローマ勢)は、堡塁により囲い込むことができずにいた。
*necessarioque<ref>-que はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> paene iniquo loco et leniter<ref>leniter はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では leviter となっている。</ref> declivi castra fecerunt<ref>fecerunt はα系写本の記述で、β系写本では fecerant となっている。</ref>.
**やむをえず、ほとんど不利でゆるやかに傾斜した地点に陣営を造った。
*③ Haec C.(Gaius) Antistius Reginus et C.(Gaius) Caninius Rebilus legati
**これを、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌスとガイウス・カニニウス・レビルス [[w:レガトゥス|両副官]]が
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]で既出。[[#90節|90節]]で後出。)</span>
*cum duabus legionibus obtinebant.
**2個軍団とともに占めていた。
*④ Cognitis per exploratores regionibus duces hostium
**敵方の将帥たちは、偵察者たちを通じて一帯を調べ上げて、
*LX(sexaginta) milia ex omni numero deligunt
**総員のうちから6万名を選抜した。
*earum civitatum quae maximam virtutis opinionem habebant;
**武勇において大きな評判を得ている部族のうち(から選抜した)。
*⑤ quid quoque pacto agi placeat, occulte inter se constituunt;
**何が、どんな方法で行なわれるのがよいか、互いに密かに取り決めた。
*adeundi tempus definiunt, cum meridie<ref>meridie は中世の写本(ω)の記述であるが、近世の写本(ς)では meridies となっている。</ref> esse videatur.
**正午であると思われる頃を突撃する時と定めた。
*⑥ His copiis Vercassivellaunum Arvernum,
**この軍勢を、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌス、
*unum ex quattuor ducibus, propinquum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigis]], praeficiunt.
**(すなわち)4人の将帥たちの1人で、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の親族である者に、指揮させた。
*⑦ Ille ex castris prima vigilia egressus
**彼(ウェルカッスィウェッラウヌス)は、陣営から第一夜警時に進発して、
*prope confecto sub lucem itinere
**夜明け前にほぼ行軍が成し遂げられて、
*post montem se occultavit
**山の後ろに身を隠して、
*militesque ex nocturno labore sese reficere iussit.
**兵士たちに夜間の疲労を回復しておくことを命じた。
*⑧ Cum iam meridies adpropinquare videretur,
**すでに正午に近付いていると思われたときに、
*ad ea castra, quae supra demonstravimus, contendit;
**前に述べた陣営のところへ急いだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:本節②項を参照。)</span>
*eodemque tempore equitatus ad campestres munitiones accedere
**同時に(ガッリア来援軍の)[[w:騎兵隊|騎兵隊]]が平地の(ローマ勢の)塁壁のところへ近付き、
*et reliquae copiae pro castris sese ostendere coeperunt.
**残りの軍勢が陣営の前に姿を現わし始めた。
===84節===
'''ウェルキンゲトリークスらアレスィア籠城軍も善戦する'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ex arce [[w:la:Alesia|Alesiae]] suos conspicatus ex oppido egreditur;
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、[[w:アレシア|アレスィア]]の高台から味方を望見して、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]から進発した。
*a castris<ref>a castris はβ系写本の記述で、α系写本では単に castris となっている。</ref>, longurios, musculos, falces
**陣営から、長い竿、小屋、破城鎌や、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
*reliquaque quae eruptionis causa paraverat profert.
**(塁壁を)突破するために準備していたほかのものを運び出した。
*② Pugnatur uno tempore omnibus locis atque omnia temptantur;
**一時にあらゆる場所で戦われて、あらゆることが試みられた。
*quae minime visa pars firma est, huc concurritur.
**あまり堅固ではないと思われる部分、ここへ襲いかかった。
*③ Romanorum manus tantis munitionibus distinetur
**ローマ人の手勢は、これほどの(長大な)塁壁により離して置かれていて、
*nec facile pluribus locis occurrit.
**より多くの場所には容易に駆け付けられなかった。
*④ Multum ad terrendos nostros valet clamor qui post tergum pugnantibus exstitit,
**戦っている者たちの背後で生じた雄叫びは、我が方(ローマ勢)を怖れさせるために大いに力があった。
*quod suum periculum in aliena vident virtute<ref>virtute「武勇」 はβ系写本の記述で、α系写本では salute「安全」 となっている。</ref> constare;
**というのは、自分たち(ローマ勢)の危険が他人(ガッリア勢)の武勇に依拠していると思ったから。
*omnia enim plerumque, quae absunt, vehementius hominum mentes perturbant.
**なぜなら(そこに)不在であるものすべてはたいてい、人間の心を激しく混乱させるものであったからである。
===85節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが急所の丘を攻める'''
*① Caesar idoneum locum nactus
**カエサルは適当な場所を得て,
*quid quaque in<ref>quaque in はβ系写本の記述で、α系写本では qua ex となっている。</ref> parte geratur cognoscit;
*何が各方面でなされているのかを認識した。
*laborantibus submittit.
**苦戦している者たちに(援兵を)派遣した。
*② Utrisque ad animum occurrit unum esse illud tempus, quo maxime contendi conveniat:
**双方にとって、最も雌雄を決するべきはこの時のみであるということが、心に生じた。
*③ Galli, nisi perfregerint munitiones, de omni salute desperant;
**ガッリア人たちは、(ローマ人の)塁壁を突破しない限り、あらゆる身の安全に絶望することになる。
*Romani, si rem obtinuerint, finem laborum omnium exspectant.
**ローマ人は、もし事を成就したら、すべての労苦の終わるということを期待した。
*④ Maxime ad superiores munitiones laboratur, quo [[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunum]] missum demonstravimus.
**ウェルカッスィウェッラウヌスが派遣されたと既述した、より高い塁壁の辺りで(ローマ勢は)とりわけ苦戦した。
*Iniquum loci ad declivitatem fastigium magnum habet momentum.
**けわしい地形の不利な傾斜が(ローマ勢にとって)大きな影響力を持った。
*⑤ Alii tela coniciunt, alii testudine facta subeunt;
**(ガッリア勢の)ある者は飛び道具を投げやって、ある者は[[w:テストゥド|亀甲陣形]]を形成して突き進んだ。
*defatigatis invicem integri succedunt.
**疲労させられた者たちに対しては、新手の者たちが交代した。
*⑥ Agger ab universis in munitionem coniectus
**土が総勢により(ローマ人の)塁壁に投じられて、
*et ascensum dat Gallis
**ガッリア人たちに登り道を与えもしたし、
*et ea, quae in terra occultaverant Romani, contegit;
**ローマ人たちが地中に隠しておいたもの(障害物)を埋め込んでしまった。
*nec iam arma nostris nec vires suppetunt.
**我が方(ローマ勢)には、もはや武器も活力も十分になかった。
===86節===
'''危急存亡の秋、両軍の苦闘'''
*① His rebus cognitis
**これらの事態を知って、
*Caesar [[w:la:Titus Labienus|Labienum]] cum cohortibus sex subsidio laborantibus mittit;
**カエサルは、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を6個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに援兵として苦戦している者たちへ派遣した。
*② imperat, si sustinere non possit<ref>possit はχ系・B・M・S・β系写本の記述で、L・N写本では posset となっている。</ref>, deductis cohortibus eruptione pugnaret<ref>pugnaret はα系写本の記述で、β系写本では pugnet となっている。</ref>;
**もし(塁壁の防衛が)持ちこたえられなかったならば、諸大隊を引率して突撃によって戦うように、と命令していた。
*id nisi necessario ne faciat.
**それは、やむをえないのでなければ行なわないように(と命じていた)。
*③ Ipse adit reliquos, cohortatur ne labori succumbant;
**(カエサル)自身は、ほかの者たちを訪れて、労苦に屈服しないようにと鼓舞した。
*omnium superiorum dimicationum fructum in eo die atque hora docet consistere.
**これまでのあらゆる奮闘の結実がこの日、この時にかかっていることを説いた。
*④ Interiores desperatis campestribus locis propter magnitudinem munitionum
**(アレスィアに包囲されている)内側の者たちは、塁壁の大規模さのために、平坦な地点(での突破)を断念して、
*loca praerupta ex ascensu temptant;
**けわしい場所を登り坂から攻撃してみた。
*huc ea quae paraverant conferunt.
**ここに、準備していたものを運び集めた。
*⑤ Multitudine telorum ex turribus propugnantes deturbant,
**たくさんの飛び道具によって、防戦している者たちを櫓から駆逐した。
*aggere et cratibus fossas explent,
**土砂や柴で堀を埋めて、
*falcibus vallum ac loricam rescindunt.
**破城鎌によって防柵や胸壁を切り裂いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
===87節===
'''カエサルの救援、ラビエーヌスの作戦'''
*① Mittit primo<ref>primo はφ系・ρ系写本の記述で、χ系・π系写本では primum となっている。</ref> [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Brutum adulescentem]] cum cohortibus Caesar,
**カエサルは、初めに[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|青年ブルトゥス]]を諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに派遣して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:デキムス・ブルトゥスには[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]で艦隊を、本巻[[#9節|9節]]②項では騎兵隊を指揮させている。)</span>
*post cum aliis C.(Gaium) Fabium legatum;
**後に副官のガイウス・ファビウスをほかの隊とともに(派遣した)。
*postremo ipse, cum vehementius pugnaretur,
**最後には(カエサル)自身が、激しく戦われていたので、
*integros subsidio adducit.
**新手の者たちを援兵として率いて行った。
*② Restituto proelio ac repulsis hostibus
**戦況が回復され、敵方が撃退されると、
*eo quo Labienum miserat contendit;
**ラビエーヌスを派遣していたところに急いだ。
*cohortes IIII(quattuor) ex proximo castello deducit,
**近隣の砦から4個歩兵大隊を引き出して、
*equitum partem se<ref>se はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sequi,
**[[w:騎兵|騎兵]]のある一部には、自らに随行することを、
*partem circumire exteriores munitiones et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tergo hostes adoriri iubet.
**別の一部には、外側の塁壁を取り囲んで、敵方を背後から襲撃することを命じた。
*③ Labienus, postquam neque aggeres neque fossae vim hostium sustinere poterant,
**ラビエーヌスは、土塁も堀も敵方の武力に持ちこたえることができなかった後で、
*coactis una XL(quadraginta) cohortibus, quas ex proximis praesidiis deductas fors obtulit,
**近隣の宿営地から、はからずも引き出しておいた40個歩兵大隊を集結させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は、写本によって異なり、モイゼルらは undecim「11個」と提案している。)</span>
*Caesarem per nuntios facit certiorem, quid faciendum existimet.
**何がなされるべきと考えたのかを、カエサルに伝令を通じて報告した。
*Accelerat Caesar, ut proelio intersit.
**カエサルは、戦闘(の場)に居合わせるように急いで行った。
===88節===
'''雌雄決し、ガッリア来援軍が敗走'''
*① Eius adventu ex colore vestitus cognito, quo insigni in proeliis uti consuerat,
**彼(カエサル)の到来が、(彼が)戦闘において目印として用いるのが常であった衣服の色から認識され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、真紅の外套を着用していたようである。)</span>
*turmisque equitum et cohortibus visis quas se sequi iusserat,
**(カエサルが)自らに随行することを命じていた諸<ruby><rb>[[w:騎兵|騎兵]]小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>や諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が望見されて、
*ut de locis superioribus haec declivia et devexa cernebantur,
**(ウェルカッスィウェッラウヌスらが派遣された)高地から、これらの斜面や急坂が見分けられたので、
*hostes proelium committunt.
**敵方(ガッリア勢)は戦端を開いた。
*② Utrimque clamore sublato
**(ガッリア来援軍とアレスィア籠城軍の)双方から雄叫びが上げられて、
*excipit rursus ex vallo atque omnibus munitionibus clamor.
**さらに、防柵やすべての塁壁から(ローマ勢の)雄叫びが続いた。
*Nostri omissis pilis gladiis rem gerunt.
**我が方(ローマ勢)は<ruby><rb>[[w:ピルム|投槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピルム</rt><rp>)</rp></ruby>を放棄して、<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby>で合戦した。
*③ Repente post tergum equitatus cernitur;
**不意に(ガッリア勢の)背後に(ローマ勢の)騎兵隊が見分けられた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:87節②項で、カエサルは騎兵隊に外壁を迂回して敵を背後から襲撃するように命じていた。)</span>
*cohortes aliae adpropinquant.
**別の諸<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>も接近して来た。
*Hostes terga vertunt;
**敵方(ガッリア勢)は、(ローマ勢に)背を向けた。
*fugientibus equites occurrunt.
**逃げる者たち(ガッリア勢)を(ローマ勢の)騎兵たちが追撃した。
*Fit magna caedes.
**大虐殺が起こった。
*④ Sedullus, dux et princeps Lemovicum, occiditur;
**レモウィケス族の将帥で領袖であるセドゥッルスが斃された。
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunus]] Arvernus vivus in fuga comprehenditur;
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌスは逃亡中に生きたまま捕らえられた。
*signa militaria LXXIIII(septuaginta quattuor) ad Caesarem referuntur;
**(ガッリア勢の)74本の軍旗がカエサルのところへ運んで来られた。
*pauci ex tanto numero se incolumes<ref>se incolumes はα系写本の記述で、β系写本では incolumes se となっている。</ref> in castra recipiunt.
**これほどの兵数のうち、わずかな者たち(だけ)が無傷のまま陣営に退却した。
*⑤ Conspicati ex oppido caedem et fugam suorum
**(アレスィアの)[[w:オッピドゥム|城塞都市]]から味方の虐殺や逃亡を視認した者たちは、
*desperata salute copias a munitionibus reducunt.
**身の安全に絶望して、軍勢を塁壁から(城塞都市に)呼び戻した。
*⑥ Fit protinus hac re audita ex castris Gallorum fuga.
**この事態が聞かれるとただちに、(来援に来ていた)ガッリア人たちの陣営から逃亡が生じた。
*Quodnisi crebris subsidiis ac totius diei labore milites essent defessi,
**もし、たびたびの(味方への)支援や一日中の働きにより兵士たちが疲れ果てていなかったならば、
*omnes hostium copiae deleri potuissent.
**敵方(ガッリア来援軍)の全軍勢が壊滅させられることが可能であっただろう。
*⑦ De media nocte missus equitatus novissimum agmen consequitur;
**真夜中の頃に、派遣されていた(ローマ勢の)騎兵隊が(ガッリア勢の)後衛に追いついて、
*magnus numerus capitur atque interficitur;
**(ガッリア勢の)大多数が捕らえられ、かつ殺戮された。
*reliqui ex fuga in civitates discedunt.
**(ガッリア来援軍の)残りの者たちは、逃亡して諸部族のところに逃げのびた。
==ガッリア同盟軍主力の降伏==
===89節===
[[画像:Vercingétorix se rend à César 1886 HPMotte.jpg|thumb|right|330px|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリークス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。]]
[[画像:Lionel Royer - Vercingetorix Throwing down His Weapons at the feet of Julius Caesar.jpg|thumb|right|330px|「ウェルキンゲトリークスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。]]
[[画像:Coin_Vercingetorix.jpg|thumb|right|300px|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリークスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガッリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。]]
'''ウェルキンゲトリークスとアレスィア籠城軍の降伏'''
*① Postero die [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] concilio convocato
**(来援軍が敗走した)翌日に、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は会合を召集して、
*id bellum se suscepisse<ref>se suscepisse はα系写本の記述で、β系写本では suscepisse se となっている。</ref>
**この戦争を引き受けたことは
*non suarum necessitatum<ref>necessitatum はχ系・S・L・N・β系写本の記述で、B・M写本では necessitatium となっている。</ref>, sed communis libertatis causa demonstrat,
**自らの(野心の)必要性からではなく、(ガッリア)共通の自由のためだ、と明言した。
*② et quoniam sit fortunae cedendum,
**運命には従うべきものなのであるから、
*ad utramque rem se illis offerre,
**(敗軍の将として、以下の)どちらの事にも、自ら(の処遇)を彼ら(ガッリア人たち)に委ねよう。
*seu morte sua Romanis satisfacere
**あるいは(ウェルキンゲトリークス)自らの死によってローマ人たちに償うこと(を欲する)にせよ、
*seu vivum tradere velint.
**あるいは生きたまま(ローマ人たちに)引き渡すことを欲するにせよ、と。
*③ Mittuntur de his rebus ad Caesarem legati.
**これらの事柄について、カエサルのところへ使節たちが遣わされた。
*Iubet arma tradi, principes produci.
**(カエサルは)武器が引き渡されること、領袖たちが連行されて来ることを命じた。
*④ Ipse in munitione pro castris consedit;
**(カエサル)自身は、陣営の前の塁壁のところに腰掛けた。
*eo duces producuntur.
**そこに(アレスィアに籠城していた)将帥たちが連行されて来た。
*Vercingetorix deditur, arma proiciuntur.
**ウェルキンゲトリークスが引き渡されて、武器が投げ捨てられた。
*⑤ Reservatis [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque Arvernis,
**(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](の将兵たち)を保持しておいた。
*si per eos civitates reciperare<ref>reciperare はχ系・B<sup>1</sup>・S・U写本の記述で、B<sup>c</sup>・M・L・N・π系・R写本では recuperare となっている。</ref> posset,
**彼らによって両部族国家を(同盟国として)回復できないだろうかと(考えたのだ)。
*ex reliquis captivis toto exercitui capita singula praedae nomine distribuit.
**残りの(諸部族の)捕虜たちから、全軍(のローマ人)に一名ずつを戦利品という名目で分配した。
===90節===
[[画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|thumb|right|300px|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥーヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。]]
[[画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|thumb|right|300px|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。]]
'''ハエドゥイー族とアルウェルニー族の降伏、諸軍団の冬営'''
*① His rebus confectis in [[w:la:Haedui|Haeduos]] proficiscitur;
**これらの事が成し遂げられて、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところに出発した。
*civitatem recipit.
**同部族を(同盟国として)回復した。
*② Eo legati ab Arvernis missi:
**そこに、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]から使節たちが遣わされて来て、
*quae imperaret, se facturos pollicentur.
**自分たちは(カエサルが)命令したことを行なうであろう、と約束した。
*Imperat magnum numerum obsidum.
**(カエサルは)多数の人質(の供出)を命令した。
*③ Legiones in hiberna mittit.
**(カエサルは)諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を冬営地に派遣した。
*Captivorum circiter XX(viginti) milia Haeduis Arvernisque reddit.
**捕虜たち約2万人をハエドゥイー族とアルウェルニー族に返還した。
*④ [[w:la:Titus Labienus|T.<small>(Titum)</small> Labienum]] duabus cum<ref>duabus cum はχ系・B・M・S写本の記述で、L・N・β系写本では cum duabus となっている。</ref> legionibus et equitatu in Sequanos proficisci iubet;
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]を2個軍団および[[w:騎兵|騎兵隊]]とともにセクアニ族のところに出発することを命じた。
*huic M.<small>(Marcum)</small> Sempronium Rutilum attribuit.
**彼には、マルクス・[[w:センプロニウス氏族|センプロニウス]]・ルティルスを付属させた。
*⑤ C.<small>(Gaium)</small> Fabium legatum et L.<small>(Lucium)</small> Minucium Basilum cum legionibus duabus in Remis conlocat,
**副官 ガーイウス・ファビウスとルキウス・ミヌキウス・バスィルスを2個軍団とともにレーミー族のところに配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:バスィルスは[[ガリア戦記 第6巻#29節|第6巻29節]]で騎兵隊を指揮した。)</span>
*ne quam ab<ref>ab はφ系写本の記述で、χ系・β系写本では a となっている。</ref> finitimis Bellovacis calamitatem accipiant.
**(レーミー族が)近隣のベッロウァキ族から何らかの災禍を蒙らないようにしたのである。
*⑥ C.<small>(Gaium)</small> Antistium Reginum in Ambivaretos,
**ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌスをアンビウァレティ族のところに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]、[[#83節|本巻83節]]で既出。)</span>
*T.<small>(Titum)</small> Sextium in Bituriges,
**ティトゥス・セクスティウスをビトゥリゲース族のところに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] も[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]で既出。第6巻の年からカエサルの副官、<br> [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)
*C.<small>(Gaium)</small> Caninium Rebilum in Rutenos cum singulis legionibus mittit.
**ガーイウス・カニニウス・レビルスをルテーニー族のところに、それぞれ1個軍団とともに派遣した。
*⑦ [[w:la:Quintus Tullius Cicero|Q.<small>(Quintum)</small> Tullium Ciceronem]] et P.<small>(Publium)</small> Sulpicium
**[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィーントゥス・トゥッリウス・キケロー]]とプーブリウス・スルピキウス(・ルーフス)を
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:カエサルの副官 ''[[w:en:Sulpicia_gens#Sulpicii_Rufi|Publius Sulpicius Rufus]] は、<br> [[ガリア戦記_第4巻#22節|第4巻22節]]で既述。[[内乱記_第1巻#74節|『内乱記』第1巻74節]]でも言及される。<br> [[w:紀元前48年|BC48年]]に[[w:プラエトル|法務官]]、[[w:紀元前42年|BC42年]]に[[w:ケンソル|監察官]]に任官する。)</span>
*[[w:la:Cabillonum|Cavilloni]]<ref>Cavilloni はβ系写本の記述で、α系写本などでは Cabilloni となっている。</ref> et [[w:la:Matisco|Matiscone]] in Haeduis ad Ararim rei frumentariae causa conlocat.
**ハエドゥイー族のところのアラル川沿いのカウィッロヌムとマティスコに、糧秣調達のために配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌムは現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]、マティスコは現在の[[w:マコン|マコン]]。)</span>
*Ipse [[w:la:Bibracte|Bibracte]] hiemare constituit.
**(カエサル)自身は、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]で冬営することを決めた。
*⑧ His litteris<ref>his litteris「これらが書簡により(知られると)」はα系写本の記述で、β系写本では huius anni rebus「この年の事績が(知られると)」と異なっており、huius anni rebus <ex Caesaris> litteris「この年の事績が<カエサルの>書簡により(知られると)」 などと修正提案されている。」</ref> cognitis Romae dierum viginti supplicatio redditur.
**これらが(カエサルの)書簡により知られると、ローマで20日間の感謝祭が許された。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#35節|第2巻35節]]では、かつてない15日間の感謝祭が決議されたが、今回はそれを超えるものであった。)</span>
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第7巻」了。「[[ガリア戦記 第8巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
==参考リンク==
'''ウィキペディア英語版など'''
*'''[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]'''('''[[w:Category:ガリアの部族|Category:ガリアの部族]]''')- [[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise|fr:Catégorie:Personnalité gauloise]]
**[[w:en:Allobroges|Allobroges]](アッロブロゲス族)
**'''[[w:en:Arverni|Arverni]]'''('''[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]''')
**:'''[[w:en:Vercingetorix|Vercingetorix]]'''('''[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercingetorix|la:Vercingetorix]]</span>'''
**:[[w:fr:Celtillos|fr:Celtillos]](ケルティッルス);ウェルキンゲトリークスの父
**:[[w:fr:Gobannitio|fr:Gobannitio]](ゴバンニティオ);ウェルキンゲトリークスのおじ
**:[[w:en:Vercassivellaunos|Vercassivellaunos]](ウェルカッスィウェッラウヌス) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercassivellaunus|la:Vercassivellaunus]]</span>
**:Critognatus(クリトグナトゥス)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Critognatus|la:Critognatus]]</span>
**[[w:en:Atrebates|Atrebates]](アトレバテス族)
**:[[w:en:Commius|Commius]]([[w:コンミウス|コンミウス]]):ガッリアとブリタンニアにおけるアトレバテス族の王
**[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]])- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Haedui|la:Haedui]]</span>''';ガッリア中部の有力部族 - [[w:fr:Éduens|fr:Éduens]] <[[w:fr:Catégorie:Éduens|fr:Catégorie:Éduens]]
**:[[w:en:Convictolitavis|Convictolitavis]](コンウィクトリタウィス)- [[w:fr:Convictolitavis|fr:Convictolitavis]]
**:[[w:fr:Cotos|fr:Cotos]](コトゥス)
**:[[w:fr:Litaviccos|fr:Litaviccos]](リタウィックス)
**:エポレドリクス - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Eporedorix|la:Eporedorix]]</span>
**:ウィリドマルス
**[[w:en:Andes (Andecavi)|Andes (Andecavi)]](アンデス族);現在の[[w:アンジェ|アンジェ]](Angers)周辺の部族
**[[w:en:Aulerci|Aulerci]](アウレルキ族);現在のフランス北西部に居住していた部族連合
**[[w:en:Bellovaci|Bellovaci]](ベッロウァキ族)
**[[w:en:Bituriges|Bituriges]](ビトゥリゲース族);現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)周辺の部族。[[#5節|5節]]でガッリア同盟軍に寝返る。
**[[w:en:Boii|Boii]](ボイイ族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Boii|la:Boii]]</span>;[[w:ボヘミア|ボヘミア]]([[w:la:Bohemia|la:Bohemia]])から移住してきた部族
**Cadurci(カドゥルキー族);現在の[[w:カオール|カオール]](Cahors)周辺の部族 - [[w:fr:Cadurques|fr:Cadurques]]
**:[[w:en:Lucterius|Lucterius]](ルクテリウス);カドゥルキー族の指導者、[[#5節|5節]]を参照。
**[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌーテース族);現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)周辺の部族
**[[w:en:Gabali|Gabali]](ガバリ族)
**Haedui ⇒ Aedui
**[[w:en:Helvii|Helvii]](ヘルウィイ族);ガッリア南部にいたローマの同盟部族
**[[w:en:Lemovices|Lemovices]](レモウィケス族);現在の[[w:リモージュ|リモージュ]](Limoges)周辺の部族
**:[[w:en:Sedullos|Sedullos]](セドゥッルス Sedullus);レモウィケス族の将帥・領袖
**[[w:en:Lingones|Lingones]](リンゴネス族)- [[w:fr:Lingons|fr:Lingons]];現在のラングル([[w:en:Langres|Langres]])周辺の部族
**[[w:en:Mandubii|Mandubii]](マンドゥビイ族);[[w:アレシア|アレスィア]]周辺にいた部族
**Nitiobroges(ニティオブロゲス族)- [[w:fr:Nitiobroges|fr:Nitiobroges]]
**:[[w:fr:Ollovico|fr:Ollovico]](オッロウィコ);ローマ元老院から友人と呼ばれた王
**:[[w:fr:Teutomatos|fr:Teutomatos]](テウトマトゥス);王で、オッロウィコの子
**[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィイ族]]);現在の[[w:パリ|パリ]]周辺の部族
**[[w:en:Pictones|Pictones]](ピクトネス族);現在の[[w:ポワチエ|ポワティエ]](Poitiers)周辺の部族
**[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族)
**[[w:en:Ruteni|Ruteni]](ルテーニー族)
**[[w:en:Segusiavi|Segusiavi]](セグスィアウィ族)
**[[w:en:Senones|Senones]](セノネース族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Senones|la:Senones]]</span>;現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]](Sens)周辺の部族
***[[w:en:Acco|Acco]](アッコー)
**[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族)
**[[w:en:Treveri|Treveri]](トレウェリ族)
**[[w:en:Turones|Turones]](トゥロニ族/トゥロネス族);現在の[[w:トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]](Tours)周辺の部族
**[[w:en:Volcae|Volcae]](ウォルカエ族)
*<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Germani|la:Germani]]</span>(ゲルマニア人)
*'''ガッリアの地名''' - '''[[w:la:Categoria:Urbes Franciae|la:Categoria:Urbes Franciae]]'''(フランスの都市)
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Agedincum|la:Agedincum]]</span>(アゲディンクム);現在の[[w:サンス|サンス]]([[w:en:Sens|Sens]])
**[[w:en:Alesia_(city)|Alesia (city)]]([[w:アレシア|アレスィア]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesia|la:Alesia]]</span>:現在のアリーズ=サント=レーヌ([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|fr:Alise-Sainte-Reine]])
**:'''[[w:en:Battle_of_Alesia|Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesiae_pugna|la:Alesiae pugna]]</span>'''
**[[w:en:Avaricum|Avaricum]] ⇒ [[w:en:Bourges|Bourges]](アウァーリクム - 現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Avaricum_Biturigum|la:Avaricum Biturigum]]</span>
**[[w:en:Bibracte|Bibracte]]([[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Bibracte|la:Bibracte]]</span>:[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の首邑。現在のボーヴレ山([[w:fr:Mont_Beuvray|fr:Mont Beuvray]])の山頂に位置していた。
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Cabillonum|la:Cabillonum]]</span>(カビッロヌム/カウィッロヌム)- 現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]([[w:fr:Chalon-sur-Saône|fr:Chalon-sur-Saône]])
**[[w:en:Cenabum|Cenabum]](ケナブム)- 現在の[[w:オルレアン|オルレアン]] - [[w:fr:Cenabum|fr:Cenabum]]
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decetia|la:Decetia]]</span>(デケティア)- [[w:en:Decize|en:Decize]] - 現在のドスィーズ(ドシーズ)([[w:fr:Decize|fr:Decize]])
**[[w:en:Gergovie|Gergovie]](ゲルゴウィア)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gergovia|la:Gergovia]]</span>
**:'''[[w:en:Battle of Gergovia|Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Obsidio Gergoviensis|la:Obsidio Gergoviensis]]</span>'''
**[[w:en:Gorgobina|Gorgobina]](ゴルゴビナ);ボイイ族が定住した城塞都市。現在のサン=パリズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])またはラ・ゲルシュ([[w:en:La Guerche|La Guerche]])
**'''[[w:en:Lutetia|Lutetia]]'''('''[[w:ルテティア|ルテティア]]'''/ルテキア);[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の首邑、現在の[[w:パリ|パリ市]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Lutetia|la:Lutetia]]</span>
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Matisco|la:Matisco]]</span>(マティスコ);現在の[[w:マコン|マコン]](Mâcon)
**Metlosenum(メトロセドゥム/メティオセドゥム/メロドゥーヌム);現在の[[w:ムラン|ムラン]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Melodunum|la:Melodunum]]</span>
**[[w:en:Narbonne|Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]];ラテン名ナルボ)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Narbo|la:Narbo]]</span>;ガッリア南部・地中海岸のローマの拠点
**[[w:en:Noviodunum|Noviodunum]](ノウィオドゥーヌム)- 現在のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])と推定されている。従来はローヌ川沿いの[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])が有力だった
**[[w:en:Vellaunodunum|Vellaunodunum]](ウェッラウノドゥーヌム)- [[w:fr:Vellaunodunum|fr:Vellaunodunum]];現在のモンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])やボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])、シャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などと推定されている
**[[w:en:Vienne, Isère|Vienne, Isère]](ヴィエンヌ;ラテン名ウィエンナ)- [[w:la:Vienna|la:Vienna]]
*'''ガッリアの地形'''
**Cevenna(ケウェンナ山地):現在のセヴェンヌ山地([[w:fr:Cévennes|fr:Cévennes]]・[[w:en:Cévennes|Cévennes]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Elaver|la:Elaver]]</span>(エラウェル川):現在の[[w:アリエ川|アリエ川]]([[w:fr:Allier (rivière)|fr:Allier (rivière)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Liger|la:Liger]]</span>(リゲル川):現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|fr:Loire (fleuve)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhenus|la:Rhenus]]</span>(レヌス川):現在の[[w:ライン川|ライン川]]([[w:fr:Rhin|fr:Rhin]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhodanus|la:Rhodanus]]</span>(ロダヌス川):現在の[[w:ローヌ川|ローヌ川]]([[w:fr:Rhône|fr:Rhône]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Sequana|la:Sequana]]</span>(セクアナ川):現在の[[w:セーヌ川|セーヌ川]]([[w:fr:Seine|fr:Seine]])
*ローマ勢
**[[w:en:Mark_Antony|Mark Antony]]([[w:マルクス・アントニウス|マルクス・'''アントニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Marcus_Antonius|la:Marcus Antonius]]</span>
**[[w:en:Decimus_Junius_Brutus_Albinus|Decimus Junius '''Brutus''' Albinus]]([[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ユニウス・'''ブルトゥス'''・アルビヌス]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]]</span>([[#9節|9節]])
**[[w:en:Quintus Tullius Cicero|Quintus Tullius '''Cicero''']]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・'''キケロ''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Quintus Tullius Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]]</span>:カエサルの副官
**Gaius '''Fabius'''(ガイウス・'''ファビウス'''):カエサルの副官
**[[w:en:Titus Labienus|Titus '''Labienus''']]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・'''ラビエーヌス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Titus Labienus|la:Titus Labienus]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Trebonius|'''Trebonius''']]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・'''トレボニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gaius_Trebonius|la:Gaius Trebonius]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius '''Caesar''' IV]](ルキウス・ユリウス・'''カエサル'''4世):総督カエサルの副官で、4代前の高祖父を共有する。BC64年に執政官を務めた。
*イタリア方面
**[[w:en:Cisalpine_Gaul|Cisalpine Gaul]]([[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]) - [[w:la:Gallia Cisalpina|la:Gallia Cisalpina]]
**[[w:en:Populares|Populares]]([[w:ポプラレス|ポプラレス]];民衆派)- [[w:la:Populares|la:Populares]]
**:[[w:en:Publius_Clodius_Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]([[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プブリウス・クロディウス・プルケル]]) - [[w:la:Publius_Clodius_Pulcher|la:Publius Clodius Pulcher]]
**[[w:en:Optimates|Optimates]]([[w:オプティマテス|オプティマテス]];元老院派)
**:[[w:en:Cicero|Cicero]]([[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|マルクス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Marcus_Tullius_Cicero|la:Marcus Tullius Cicero]]
**:[[w:en:Titus_Annius_Milo|Titus Annius Milo]](ティトゥス・アンニウス・ミロ)- [[w:la:Titus_Annius_Milo|la:Titus Annius Milo]]
**:[[w:en:Pompey|Pompey]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])- [[w:la:Gnaeus_Pompeius_Magnus|la:Gnaeus Pompeius Magnus]]
tp0sizx67d0samsslm1nhmvgyr6s196
304350
304343
2026-10-06T14:14:14Z
Linguae
449
/* 33節 */ 修整
304350
wikitext
text/x-wiki
[[Category:ガリア戦記|7]] [[Category:ガリア戦記 第7巻|*]]
[[ガリア戦記]]> '''第7巻''' >[[ガリア戦記 第7巻/注解|注解]]
<div style="text-align:center">
<span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI </span>
<span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> LIBER SEPTIMVS </span>
</div>
[[画像:Gaule -52.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第7巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#カルヌーテース族の蜂起|カルヌーテース族の蜂起]]''':<br />
'''[[#ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起|ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起]]''':<br />
<br />
'''[[#アウァーリクム攻略戦|アウァーリクム攻略戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反|ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ラビエーヌスのルテティア遠征|ラビエーヌスのルテティア遠征]]''':<br />
'''[[#ガッリア戦乱の拡大|ガッリア戦乱の拡大]]''':<br />
'''[[#アレスィア攻囲戦|アレスィア攻囲戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ガッリア同盟軍主力の降伏|ガッリア同盟軍主力の降伏]]''':<br />
<br />
<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] <br />
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] |
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] <br />
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] |
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] |
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] |
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]] |
[[#30節|30節]] <br />
[[#31節|31節]] <br />
[[#32節|32節]] |
[[#33節|33節]] |
[[#34節|34節]] |
[[#35節|35節]] |
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[[#37節|37節]] |
[[#38節|38節]] |
[[#39節|39節]] |
[[#40節|40節]] <br />
[[#41節|41節]] |
[[#42節|42節]] |
[[#43節|43節]] |
[[#44節|44節]] |
[[#45節|45節]] |
[[#46節|46節]] |
[[#47節|47節]] |
[[#48節|48節]] |
[[#49節|49節]] |
[[#50節|50節]] <br />
[[#51節|51節]] |
[[#52節|52節]] |
[[#53節|53節]] |
[[#54節|54節]] |
[[#55節|55節]] |
[[#56節|56節]] <br />
[[#57節|57節]] |
[[#58節|58節]] |
[[#59節|59節]] |
[[#60節|60節]] |
[[#61節|61節]] |
[[#62節|62節]] <br />
[[#63節|63節]] |
[[#64節|64節]] |
[[#65節|65節]] |
[[#66節|66節]] |
[[#67節|67節]] <br />
[[#68節|68節]] |
[[#69節|69節]] |
[[#70節|70節]] <br />
[[#71節|71節]] |
[[#72節|72節]] |
[[#73節|73節]] |
[[#74節|74節]] |
[[#75節|75節]] |
[[#76節|76節]] |
[[#77節|77節]] |
[[#78節|78節]] |
[[#79節|79節]] |
[[#80節|80節]] <br />
[[#81節|81節]] |
[[#82節|82節]] |
[[#83節|83節]] |
[[#84節|84節]] |
[[#85節|85節]] |
[[#86節|86節]] |
[[#87節|87節]] |
[[#88節|88節]] <br />
[[#89節|89節]] |
[[#90節|90節]] <br />
[[#脚注|脚注]]<br />
[[#参考リンク|参考リンク]]<br />
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
==カルヌーテース族の蜂起==
===1節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2025-10-26}}</span>
[[画像:Maccari-Cicero.jpg|thumb|right|250px|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クローディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵となっていたキケローを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケローの友人ミローの配下によって殺害された。]]
[[画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クローディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。]]
:
;首都ローマの政情不安、ガッリア人領袖たちの謀計
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:quietus#Latin|Quieta]] [[wikt:en:Gallia#Latin|Gallia]],
**[[w:ガリア|ガッリア]]が鎮定されると、
*Caesar, ut [[wikt:en:constituerat|constituerat]],
**カエサルは、定めていたように、
*in [[wikt:en:Italia#Latin|Italiam]] ad [[wikt:en:conventus#Noun|conventus]] [[wikt:en:agendus#Latin|agendos]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**イタリアに、巡回裁判を行なうために出発する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ここでいうイタリアとは、カエサルの属州であった<br> [[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]を指す。<br> カエサルは、巡回裁判を除けば、おもに[[w:ラヴェンナ|ラウェンナ]]に<br> 滞在していたと考えられる。[[内乱記_第1巻#5節|『内乱記』第1巻5節]]を参照。)</span>
:
*[[wikt:en:ibi#Latin|Ibi]] [[wikt:en:cognoscit|cognoscit]] de <P.> [[wikt:en:Clodius#Latin|Clodii]] [[wikt:en:caedes#Latin|caede]],
**そこで[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プーブリウス・クローディウス]]の殺害について知って、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:クローディウスは護民官を務めた<ruby><rb>[[w:ポプラレス|民衆派]]</rb><rp>(</rp><rt>ポプラレス</rt><rp>)</rp></ruby> の政治家で、<br> カエサルから恩義を受けていた。<br> かの弁論家[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]やその友人ティトゥス・ミロー [[w:la:Titus_Annius_Milo|Milo]] ら<br> <ruby><rb>[[w:オプティマテス|元老院派]]</rb><rp>(</rp><rt>オプティマテス</rt><rp>)</rp></ruby> と激しく対立し、ミローの配下によって殺害された。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<P.> ([[wikt:en:Publius#Latin|Publii]]) 「プーブリウスの」は ρ系写本にのみ記されている。)</span>
*<de> <u>senatus</u>que <u>consulto</u> [[wikt:en:certior#Latin|certior]] [[wikt:en:factus#Participle|factus]], ut omnes [[wikt:en:iunior#Latin|iuniores]] Italiae [[wikt:en:coniurarent|coniurarent]],
**イタリアの全青年に<small>(新兵として)</small>宣誓するようにとの元老院決議について知らされて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この事態を収拾すべく元老院派の[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]が単独の執政官<br> (''[[w:de:Consul sine collega|consul sine collega]]'')に選任されて本土イタリアを掌握した。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<de> は現存する写本にはなく、近世以降に挿入提案されたもの。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: [[wikt:en:senatus_consultum#Latin|senātūs cōnsultum]] ([[wikt:en:ultimus#Latin|ultimum]]) 「[[w:セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム|元老院(の最終)決議]]」<br> ; dē [[wikt:en:senatus_consulto#Latin|senātūs cōnsultō]] 「元老院決議について」)</span>
*<u>dilectum</u> [[wikt:en:totus#Latin|tota]] [[wikt:en:provincia#Latin|provincia]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]].
**<small>(カエサルは)</small>属州<small>〔ガッリア・キサルピーナ〕</small>全体での徴集をすることを決定する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] は、[[wikt:en:delectus#Noun_2|delectum]] と表記している校訂版もある。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eae res in Galliam [[wikt:en:transalpinus#Latin|Transalpinam]] celeriter [[wikt:en:perferuntur|perferuntur]].
**その状況は、[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]<small>〔アルプスの向こう側のガッリア〕</small>に速やかに報知された。
:
*[[wikt:en:addunt|Addunt]] ipsi et [[wikt:en:adfingunt|adfingunt]] [[wikt:en:rumor#Latin|rumoribus]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**[[w:ガリア人|ガッリア人]]たち自身が風評に想像して付け加えたのは、
*quod res [[wikt:en:poscere|poscere]] [[wikt:en:videbatur|videbatur]]:
**事態が要求すると思われていたことで、
*[[wikt:en:retineri|retineri]] <u>urbano</u> [[wikt:en:motus#Noun_2|motu]] Caesarem
**カエサルは、都<small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の騒乱に束縛されて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbanus#Adjective|urbānus]] は「都市の」「都会の」と訳されるが、<br> とりわけ「首都[[w:ローマ|ローマ市]]の」を意味する。)</span>
*neque in [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] [[wikt:en:dissensio#Latin|dissensionibus]] ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] venire posse.
**これほどの対立においては、軍隊のもとへ来ることができない、<br>ということである。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Hac [[wikt:en:impulsus#Participle|impulsi]] [[wikt:en:occasio#Latin|occasione]],
**このような好機に刺激されて、
*qui iam ante se [[wikt:en:populus#Noun|populi]] Romani [[wikt:en:imperium#Latin|imperio]] [[wikt:en:subiectus#Latin|subiectos]] [[wikt:en:dolerent|dolerent]],
**すでに以前から自分たちがローマ国民の支配に服属させられているのを悲嘆している者たちは、
*[[wikt:en:libere#Adverb_2|liberius]] atque [[wikt:en:audacter#Latin|audacius]] de bello [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] [[wikt:en:inire|inire]] [[wikt:en:incipiunt|incipiunt]].
**より自由に、かつ、より向こう見ずに、戦争について謀議に取りかかり始める。
:
[[画像:Brennus_mg_9724.jpg|thumb|right|250px|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀([[w:紀元前387年|387年]])に、ローマ軍を破って、ローマ市を占領した。アッコーと同じセノネース族の族長だったとされている。]]
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:indictus#Latin|Indictis]] inter se principes Galliae [[wikt:en:concilium#Latin|conciliis]] [[wikt:en:silvestris#Latin|silvestribus]] ac [[wikt:en:remotus#Latin|remotis]] locis
**ガッリアの領袖たちは、森林や人里離れた場所での会合を互いに申し合わせて、
*[[wikt:en:queruntur|queruntur]] de [[wikt:en:Acco#Latin|Acconis]] [[wikt:en:mors#Latin|morte]];
**アッコーの死について嘆く。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]を参照。)</span>
*<u>posse</u> hunc [[wikt:en:casus#Latin|casum]] ad ipsos [[wikt:en:recidere#Verb_4|recidere]] [[wikt:en:demonstrant#Latin|demonstrant]];
**彼<small>〔アッコー〕</small>の結末が彼ら自身へ降りかかりうることを説く。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:posse#Verb|posse]] の位置は、<br> α系写本では hunc の前だが、<br> β系写本では hunc casum ad ipsos recidere <u>posse</u> demonstrant <br> となっている。)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:miserantur|miserantur]] [[wikt:en:communis#Latin|communem]] Galliae [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunam]];
**ガッリア共通の境遇をあわれむ。
*omnibus [[wikt:en:pollicitatio#Latin|pollicitationibus]] ac [[wikt:en:praemium#Latin|praemiis]] [[wikt:en:deposcunt|deposcunt]]
**<small>(以下の者たちを)</small>あらゆる約束と恩賞によって求める。
*qui [[wikt:en:bellum#Latin|belli]] <u>initia</u> [[wikt:en:faciant|faciant]] et sui [[wikt:en:caput#Latin|capitis]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] Galliam in [[wikt:en:libertas#Latin|libertatem]] [[wikt:en:vindicent|vindicent]].
**戦端を開いて、自らを危険にさらしても、ガッリアを解放する者たちを。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ in libertatem vindicare;~を解放する)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:initia#Latin|initia]] (複数形) だが、<br> β系写本では [[wikt:en:initium#Latin|initium]] (単数形) となっている。)</span>
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> In primis [[wikt:en:ratio#Latin|rationem]] esse [[wikt:en:habendus#Latin|habendam]] [[wikt:en:dicunt|dicunt]],
**とりわけ、<small>(以下のような)</small>方策を採るべきであると述べる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_primis#Latin|in primis]] は、[[wikt:en:inprimis#Adverb|
inprimis]] と表記している校訂版もある。)</span>
*[[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] eorum [[wikt:en:clandestinus#Latin|clandestina]] consilia [[wikt:en:efferantur|efferantur]],
**彼らの秘密の計画が漏らされるより前に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:反ローマの挙兵のはかりごとが漏れる前に)</span>
*ut Caesar ab [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]] [[wikt:en:intercludatur|intercludatur]].
**カエサルが軍隊から切り離されるように、と。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Id esse [[wikt:en:facilis#Latin|facile]],
**それは容易なことである。
*quod neque legiones [[wikt:en:audeant|audeant]] [[wikt:en:absens#Latin|absente]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatore]] ex [[wikt:en:hiberna#Noun|hibernis]] [[wikt:en:egredi|egredi]],
**というのは、[[w:ローマ軍団|諸軍団]]は将軍<small>〔カエサル〕</small>が不在のときにあえて冬営から出て行こうとはしないし、
*neque [[wikt:en:imperator#Latin|imperator]] sine [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] ad legiones [[wikt:en:pervenire#Latin|pervenire]] [[wikt:en:possit|possit]].
**将軍は護衛なしに諸軍団のところへ到着することはできないのだから。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❽--><sup>(8)</sup> [[wikt:en:postremo#Adverb|Postremo]] in [[wikt:en:acies#Latin|acie]] <u>praestare</u> [[wikt:en:interfici|interfici]],
**結局のところ、戦列において討ち死にする方がましである。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~がより優る」)</span>
*<u>quam</u> non [[wikt:en:vetus#Latin|veterem]] belli [[wikt:en:gloria#Latin|gloriam]] [[wikt:en:libertas#Latin|libertatem]]<nowiki>que</nowiki> quam a [[wikt:en:maior#Noun|maioribus]] [[wikt:en:acceperint|acceperint]], [[wikt:en:recuperare#Latin|recuperare]].
**先祖から受け継いだかつての戦争の栄誉および自由を取り戻さないことよりは。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===2節===
[[画像:Chartres_1.jpg|thumb|right|320px|カルヌーテース族([[w:la:Carnutes|Carnutes]])の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]]([[w:en:Chartres|Chartres]])の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌーテース族の土地はガッリアの中心・聖地と見なされていた。ガッリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2025-11-05}}</span>
;ガッリア諸部族の会合で、カルヌーテース族が開戦動議
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus [[wikt:en:agitatus#Latin|agitatis]],
**これらの事柄が論議されて、
*[[wikt:en:profiteor#Latin|profitentur]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]],
**カルヌーテース族の者が公言したことには、
*se [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculum]] [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa [[wikt:en:recusare#Latin|recusare]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の安全のためにはいかなる危険をも辞さない、
*[[wikt:en:princeps#Latin|principes]]<nowiki>que</nowiki> ex omnibus bellum [[wikt:en:facturus#Latin|facturos]] [[wikt:en:pollicentur|pollicentur]];
**かつ<small>(ガッリア方)</small>総勢の先鋒として戦争を遂行するであろうと約束する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> et, [[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] in [[wikt:en:praesentia#Noun|praesentia]] [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:cavere#Verb_2|cavere]] inter se non [[wikt:en:possint|possint]],
**目下のところ、人質により互いに保証し合うことはできなかったので、
*ne res [[wikt:en:efferatur|efferatur]],
**事が漏らされないように、
*<u>ut</u> [[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] ac [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:sanciatur|sanciatur]], [[wikt:en:petunt|petunt]],
**誓約と信義でもって批准するように求める。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本ST<sup>c</sup> では ut だが、<br> 写本 T<sup>1</sup>・ρ系では at 、<br> 写本BMLNV・χ系では aut となっている。)</span>
*[[wikt:en:conlatus#Latin|conlatis]] [[wikt:en:militaris#Adjective|militaribus]] [[wikt:en:signum#Latin|signis]],
**軍旗が運び集められて、
*[[wikt:en:quo#Etymology_2_2|quo]] [[wikt:en:mos#Latin|more]] eorum [[wikt:en:gravissimus#Latin|gravissima]] [[wikt:en:caerimonia#Latin|caerimonia]] [[wikt:en:continetur|continetur]],
**それは彼らの慣習で最も荘重な<ruby><rb>神聖儀式</rb><rp>(</rp><rt>カエリモーニア</rt><rp>)</rp></ruby>として保たれているのだが、
*ne [[wikt:en:factus#Latin|facto]] [[wikt:en:initium#Latin|initio]] belli ab reliquis [[wikt:en:deserantur|deserantur]].
**開戦したら、ほかの<small>(部族の)</small>者たちから見放されないように、ということである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Tum [[wikt:en:conlaudatus#Latin|conlaudatis]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]],
**それから、カルヌーテース族が賞賛されて、
*[[wikt:en:datus#Participle|dato]] [[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] ab omnibus, qui [[wikt:en:aderant|aderant]],
**訪れていたすべての者たちによって誓約が交わされて、
*[[wikt:en:tempus#Latin|tempore]] eius rei [[wikt:en:constitutus#Participle|constituto]]
**その事の時期を決定すると、
*ab [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] [[wikt:en:disceditur|disceditur]].
**<small>(ガッリアの領袖たちは)</small>会合から立ち去る。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===3節===
[[画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|thumb|right|280px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌーテース族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]で、ガッリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2025-11-17}}</span>
;カルヌーテース族がケナブム進駐
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:ubi#Latin|Ubi]] ea dies venit,
**その日が来ると、
*[[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]],
**カルヌーテース族は、
*Cotuato et Conconnetodumno [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]], [[wikt:en:desperatus#Latin|desperatis]] hominibus,
**捨て身覚悟の連中であるコトゥアトゥスとコンコンネトドゥムヌスを指導者として、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ガリア語では、<br> コトゥアトス ''[[w:fr:Cotuatos|Cotuatos]]''、<br> コンコンネトドゥムノス ''[[w:fr:Conconnetodumnos|Conconnetodumnos]]''。)</span>
*<u>Cenabum</u> [[wikt:en:signum#Latin|signo]] [[wikt:en:datus#Participle|dato]] [[wikt:en:concurrunt|concurrunt]]
**号令が発せられるとともに<u>ケナブム</u>に襲来する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ケナブムは、現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:fr:Cenabum|Cenabum]] はケルト語風の読みで、''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vossius|Vossius]]'' による修正提案。<br> 写本では genabim, genebim, genebin などとなっている。<br> ⇒ [[wikt:en:Genabum#Latin|Genabum]])</span>
*[[wikt:en:civis#Latin|cives]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanos]], qui [[wikt:en:negotiandi|negotiandi]] causa [[wikt:en:ibi#Latin|ibi]] [[wikt:en:constiterant|constiterant]],
**そこには、商いを営むためにローマ市民たちが滞在していて、
*in his [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Fufius#Latin|Fufium]] Citam, [[wikt:en:honestus#Latin|honestum]] [[wikt:en:eques#Latin|equitem]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanum]],
**彼らの中には、気高いローマ人[[w:エクィテス|騎士]]ガーイウス・フーフィウス・キタがいて
*qui rei [[wikt:en:frumentarius#Latin|frumentariae]] [[wikt:en:iussus#Noun|iussu]] Caesaris [[wikt:en:praeerat|praeerat]],
**カエサルの指図により糧秣調達を統率していたが、
*[[wikt:en:interficiunt|interficiunt]] [[wikt:en:bonum#Noun_2|bona]]<nowiki>que</nowiki> eorum [[wikt:en:diripiunt|diripiunt]].
**<small>(カルヌーテース勢は彼らローマ市民たちを)</small>殺害して、彼らの財産を略奪する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Celeriter ad omnes Galliae [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] [[wikt:en:fama#Latin|fama]] [[wikt:en:perfertur|perfertur]].
**速やかに全ガッリア部族のもとへ、評判が報知される。
*Nam, <u>ubique</u> [[wikt:en:maior#Latin|maior]] atque [[wikt:en:inlustrior|inlustrior]] [[wikt:en:incidit#Etymology_1|incidit]] res,
**なぜなら、より重大でより目立った事態が起こればどこであろうが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω の大半では [[wikt:en:ubique#Latin|ubique]] だが、写本STでは [[wikt:en:ubi#Latin|ubi]] 、<br> さらに [[wikt:en:ubicumque#Latin|ubicumque]] という異読もあり、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Schneider,K.E.Chr.|Chr. Schneider]]'' は ubi quae と修正提案している。)</span>
*[[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] per [[wikt:en:ager#Latin|agros]] [[wikt:en:regio#Latin|regiones]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:significant#Latin|significant]];
**耕地や<small>(集落の)</small>区域を介して、大声で呼びかける。
*<u>hinc</u> [[wikt:en:alius#Latin|alii]] [[wikt:en:deinceps#Latin|deinceps]] [[wikt:en:excipiunt|excipiunt]]
**ここから、別の者たちが続けて引き受けて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の大半では [[wikt:en:hanc#Latin|hanc]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:hinc#Latin|hinc]] 「ここから」、<br> 写本Sでは [[wikt:en:hunc|hunc]] となっている。)</span>
*et [[wikt:en:proximus#Noun|proximis]] [[wikt:en:tradunt|tradunt]];
**近隣の者たちへ伝える。
*ut tum [[wikt:en:accidit#Etymology_1|accidit]].
**そのときにも<small>(同様のことが)</small>起こったのである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Nam, quae <u>Cenabi</u> [[wikt:en:oriens#Latin|oriente]] [[wikt:en:sol#Latin|sole]] gesta essent,
**ケナブムで日が昇るときになされていたこと<small>〔襲撃〕</small>が、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:Cenabi はケルト語風の読みで、''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vossius|Vossius]]'' による修正提案。<br> 主要写本ω では genabi となっている。 ⇒ [[wikt:en:Genabum#Latin|Genabum]])</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:gestus#Latin|gesta]] [[wikt:en:essent#Etymology_1|essent]] は [[wikt:en:gero#Latin|gerō]] の3人称・複数・過去完了・受動・接続法。)</span>
*ante [[wikt:en:primus#Latin|primam]] [[wikt:en:confectus#Latin|confectam]] [[wikt:en:vigilia#Latin|vigiliam]]
**第一夜警時の終わる前頃には
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第一夜警時は、日の入から真夜中までの時間帯の前半「宵の口」。<br> [[古代ローマの不定時法#夜警時|#夜警時]] を参照。)</span>
*in finibus [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] audita sunt,
**アルウェルニー族の領土において聞かれた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:auditus#Latin|audita]] [[wikt:en:sunt#Latin|sunt]] は [[wikt:en:audio#Latin|audiō]] の3人称・複数・完了・受動・直説法)</span>
*[[wikt:en:qui#Latin|quod]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatium]] est [[wikt:en:mille#Latin|milium]] [[wikt:en:passus#Etymology_2|passuum]] circiter [[wikt:en:centum#Latin|centum]] [[wikt:en:sexaginta#Latin|sexaginta]](CLX).
**約160ローママイルもの隔たりがあったのに。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、160マイルは約240 km)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==ウェルキンゲトリークスとガッリア同盟軍の蜂起==
===4節===
[[画像:Vercingetorix stater CdM.jpg|thumb|right|200px|“<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">(VERCIN)GETORIXS</span>”の名と横顔が刻まれた金貨。]]
[[画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガッリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガッリア起源説]])、ガッリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])]]
[[画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2025-11-24}}</span>
;アルウェルニー族のウェルキンゲトリークスが挙兵、ガッリア諸部族同盟軍を指揮する
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:similis#Latin|Simili]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] ibi
**そこ<small>〔アルウェルニー族領〕</small>でも同様のやり方によって、
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]という、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ガリア語 [[wikt:en:Reconstruction:Gaulish/Werkingetorix|*Werkingetorīx]] は「戦士たちの最高の王」という意味で、<br> ガッリア同盟軍の最高司令官にふさわしい呼び名である。<br> 《[[ガリア戦記/ガリア語の名前#Vercingetorix|'''ガリア語の名前'''#Vercingetorix]]》 を参照せよ。)</span>
*[[wikt:fr:Celtillus|Celtilli]] filius, [[wikt:en:Arvernus#Latin|Arvernus]],
**ケルティッルスの息子で[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の者で、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Celtillus|Celtillus]]'' はガリア語で「小さなケルト人」という意味だと解される。)</span>
*[[wikt:en:summus#Adjective|summae]] [[wikt:en:potentia#Latin|potentiae]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescens]],
**最高の影響力のある青年が、
*cuius [[wikt:en:pater#Latin|pater]] [[wikt:en:principatus#Latin|principatum]] Galliae [[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] [[wikt:en:obtinuerat|obtinuerat]]
**──その父<small>〔ケルティッルス〕</small>はガッリア全体の主導権を占めていたが、
*et ob eam causam, quod [[wikt:en:regnum#Latin|regnum]] [[wikt:en:adpetebat|adpetebat]], ab [[wikt:en:civitas#Latin|civitate]] erat [[wikt:en:interfectus#Latin|interfectus]],
**王位を求めたという理由により、部族の者によって誅殺されていたのであるが、──
*[[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] suis [[wikt:en:cliens#Latin|clientibus]]
**自らの庇護者たちを招集して、
*facile [[wikt:en:incendit|incendit]].
**容易に焚き付けた。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]]
**彼の計画を知ると、
*ad [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:concurritur|concurritur]].
**<small>(人々は)</small>武器のもとへ群がり集まった。
*[[wikt:en:prohibetur|Prohibetur]] ab [[wikt:fr:Gobannitio|Gobannitione]], [[wikt:en:patruus#Latin|patruo]] suo, [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:princeps#Noun_3|principibus]],
**彼の<small>(父方の)</small>おじゴバンニティオやほかの領袖たちにより妨げられた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Gobannitio|Gobannitio]]'' は「鍛冶屋」か「鍛冶の神」に由来する名前と解される。)</span>
*qui hanc [[wikt:en:temptandus#Latin|temptandam]] [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunam]] non [[wikt:en:existimabant|existimabant]];
**その者たちは、このような運命を試すべきとは考えていなかったのだ。
*[[wikt:en:expellitur|expellitur]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:Gergovia#Latin|Gergovia]];
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>城塞都市ゲルゴウィアから追放される。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> non [[wikt:en:destitit|destitit]] tamen
**しかしながら<small>(彼は計画を)</small>取り止めず、
*atque in agris habet [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] [[wikt:en:egens#Latin|egentium]] ac [[wikt:en:perditor#Noun|perditorum]].
**野に貧窮者たちやならず者たちを徴集する。
:
*Hac [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]],
**こうした手勢が集められ、
*[[wikt:en:quoscumque|quoscumque]] [[wikt:en:adit#Latin|adit]] ex civitate,
**部族のうちで<small>(彼が)</small>会った者は誰であれ、
*ad suam [[wikt:en:sententia#Latin|sententiam]] [[wikt:en:perducit|perducit]];
**自らの意図に引き込んだ。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:hortatur|hortatur]] ut [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:libertas#Latin|libertatis]] causa [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:capiant|capiant]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の自由のために武器を取るように鼓舞した。
*[[wikt:en:magnus#Latin|magnis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] [[wikt:en:copia#Latin|copiis]]
**大軍勢が集められて、
*[[wikt:en:adversarius#Latin|adversarios]] suos, a quibus paulo ante erat [[wikt:en:eiectus#Latin|eiectus]],
**少し前に<small>(彼をゲルゴウィアから)</small>放逐したところの敵対者たちを、
*[[wikt:en:expellit|expellit]] ex civitate.
**部族から追放する。
*[[wikt:en:rex#Latin|Rex]] ab suis [[wikt:en:appellatur|appellatur]].
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>配下の者たちから王と呼ばれている。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:dimittit|Dimittit]] [[wikt:en:quoque#Latin|quoque]] [[wikt:en:versus#Adverb|versus]] [[wikt:en:legatio#Latin|legationes]];
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>あらゆる方向へ使節団を派遣して、
*[[wikt:en:obtestatur|obtestatur]] ut in [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:maneant|maneant]].
**誓約に留まるようにと、懇願する。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Celeriter sibi
**速やかに、自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>に対して
*[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisios]], [[wikt:en:Pictones#Latin|Pictones]], [[wikt:en:Cadurci#Latin|Cadurcos]], <u>Turonos</u>, [[wikt:en:Aulerci#Latin|Aulercos]], [[wikt:en:Lemovices#Latin|Lemovices]], <u>Andes</u>
**セノネース族、パリースィイー族、ピクトネース族、カドゥルキー族、<br><u>トゥロニイー族</u>、アウレルキー族、レモウィーケース族、アンデース族、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部のトゥロニイー族 ''[[w:Turoni|Turoni]]'' は、トゥロネース族 ''[[wikt:en:Turones#Latin|Turonēs]]'' ともいう。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:二つ目の下線部は、α系写本では [[wikt:en:Andi#Latin|Andos]]「アンディー族」だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Glareanus|Glareanus]]'' は、[[wikt:en:Andes#Latin|Andēs]]「アンデース族」と修正提案し、<br> これは別名「アンデカーウィー族」''[[wikt:en:Andecavi#Latin|Andecāvī]]'' ともいう。)</span>
*reliquosque omnes, qui [[wikt:en:Oceanus#Latin|Oceanum]] [[wikt:en:adtingunt|adtingunt]], [[wikt:en:adiungit|adiungit]];
**および<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に接するほかの全部族を、加盟させる。
*omnium [[wikt:en:consensus#Latin|consensu]]
**すべての者たちの同意により、
*ad eum [[wikt:en:defertur|defertur]] [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]].
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>に<small>(諸部族の)</small>軍勢指揮権が譲り渡される。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Qua [[wikt:en:oblatus#Latin|oblata]] [[wikt:en:potestas#Latin|potestate]]
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>その権限が任されると、
*omnibus his civitatibus [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:imperat|imperat]],
**これらすべての部族に人質<small>(の供出)</small>を命令して、
*[[wikt:en:certus#Latin|certum]] numerum [[wikt:en:miles#Latin|militum]] ad se celeriter [[wikt:en:adduci#Latin|adduci]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]],
**兵の一定の数が自分のもとへ速やかに動員されることを命じる。
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> [[wikt:en:arma#Latin|armorum]] [[wikt:en:quantum#Latin|quantum]] [[wikt:en:quisque#Latin|quaeque]] civitas [[wikt:en:domi#Latin|domi]] [[wikt:en:quisque#Latin|quodque]] ante tempus [[wikt:en:efficiat|efficiat]], [[wikt:en:constituit#Latin|constituit]];
**おのおのの部族が本国で、武器のどれほどをその時期の前に生産するかを、決定した。
*in primis [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatui]] [[wikt:en:studet|studet]].
**とりわけ、[[w:騎兵|騎兵隊]]を熱心に求めた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Summae diligentiae summam [[wikt:en:imperium#Latin|imperii]] [[wikt:en:severitas#Latin|severitatem]] addit;
**<small></small>(ウェルキンゲトリークスは)最高の入念さに、命令の最高の厳格さを付け加える。
*magnitudine [[wikt:en:supplicium#Latin|supplicii]] [[wikt:en:dubitans#Latin|dubitantes]] cogit.
**重大な刑罰をふんぎりが付かぬ者たちへ強いる。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Nam maiore commisso delicto <u>igni</u> atque omnibus tormentis necat,
**すなわち、より重大な違反を犯したら、火とあらゆる拷問によって誅殺した。
*leviore de causa auribus desectis aut singulis effossis oculis domum remittit,
**より軽微な場合については、両耳を切り取り、あるいは眼を一つずつ繰り抜いて、郷里へ送還する。
*ut sint reliquis documento et magnitudine poenae perterreant alios.
**ほかの者たちへの警告となり、懲罰の重大さが別の者たちを畏怖させるようにである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===5節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2025-12-14}}</span>
;ビトゥリゲース族が、ガッリア同盟軍に寝返る
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His [[wikt:en:supplicium#Latin|suppliciis]] celeriter [[wikt:en:coactus#Latin|coacto]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>これらの刑罰により速やかに軍隊を徴集して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「軍隊」と訳される [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitus]] には「鍛えられて規律がある」という意味合いがあり、<br> これまでカエサルがガッリア人の軍勢をこのように表現したことはまれであった。)</span>
*[[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterium]] [[wikt:en:Cadurcus#Latin|Cadurcum]], [[wikt:en:summus#Latin|summae]] hominem [[wikt:en:audacia#Latin|audaciae]],
**この上なく豪胆な人物であるカドゥルキー族のルクテリウスを
*cum parte [[wikt:en:copiarum#Noun_2|copiarum]] in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenos]] [[wikt:en:mittit|mittit]];
**軍勢の一部とともにルテーニー族のところに遣わす。
*ipse in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自身はビトゥリゲース族のところに出発する。
:
; ビトゥリゲース族が、ハエドゥイー族に、対ウェルキンゲトリークスのための援兵を依頼
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の到来により、
*[[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] ad [[wikt:en:Aeduos|Haeduos]], quorum erant in [[wikt:en:fides#Latin|fide]],
**ビトゥリゲース族は、彼らが庇護下にあった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のもとへ、
*[[wikt:en:legatus#Latin|legatos]] [[wikt:en:mittunt|mittunt]] [[wikt:en:subsidium#Latin|subsidium]] [[wikt:en:rogatum#Verb|rogatum]],
**使節たちを、<small>(ハエドゥイー族からの)</small>援兵を依頼するために派遣する。
*[[wikt:en:quo#Adverb|quo]] [[wikt:en:facile#Latin|facilius]] hostium copias [[wikt:en:sustinere|sustinere]] [[wikt:en:possint|possint]].
**それにより、敵の軍勢をより容易に持ちこたえることができるようにということであった。
:
; ハエドゥイー族が、ビトゥリゲース族に対して援兵を派兵
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:Aedui#Latin|Haedui]] de [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:legatus#Latin|legatorum]], quos Caesar ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:reliquerat|reliquerat]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、カエサルが軍隊のもとへ残していた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちの助言により、
*copias [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:subsidium#Latin|subsidio]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:mittunt|mittunt]].
**[[w:騎兵|騎兵隊]]と[[w:歩兵|歩兵隊]]の軍勢をビトゥリゲース族に対する援兵として派遣する。
:
; ハエドゥイー族の援兵が、ビトゥリゲース族の寝返りを怖れて、途中で逃げ帰ってしまう
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Qui cum ad flumen [[wikt:en:Liger#Latin|Ligerim]] [[wikt:en:venissent|venissent]], quod [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] ab [[wikt:en:Aeduis|Haeduis]] [[wikt:en:dividit#Latin|dividit]],
**その者たち<small>〔援兵〕</small>は、ビトゥリゲース族を[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]から分け隔てるリゲル川のたもとへやって来たときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リゲル川 [[w:la:Liger|Liger]] は、現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]。<br> 本書に登場するビトゥリゲース・クビ族 ''[[w:en:Bituriges Cubi|Bituriges Cubi]]'' は、<br> ロワール川西岸の[[w:シェール県|シェール県]]の辺りに居住していた。<br> 対して、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、<br> ロワール川東岸の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の辺りに居住していた。)</span>
[[画像:Map of Eduens people-fr.svg|thumb|right|250px|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を軸とするガッリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイー族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲース族(Bituriges)と赤いハエドゥイー族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲース族とアルウェルニー族の勢力圏になっている。]]
*paucos dies ibi [[wikt:en:moratus#Participle|morati]]
**わずかな日々をそこでぐずぐずして、
*neque flumen [[wikt:en:transire#Latin|transire]] [[wikt:en:ausus#Participle|ausi]] [[wikt:en:domus#Latin|domum]] [[wikt:en:revertuntur|revertuntur]]
**川をあえて渡らずに、故国に引き返す。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:legatus#Latin|legatis]]<nowiki>que</nowiki> nostris [[wikt:en:renuntiant|renuntiant]]
**<small>(ハエドゥイー族の援兵たちが)</small>我が方<small>〔ローマ方〕</small>の<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに報告したことには、
*se [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidiam]] [[wikt:en:veritus#Latin|veritos]] [[wikt:en:revertisse|revertisse]],
**自分たち<small>〔援兵〕</small>は、ビトゥリゲース族の寝返りを恐れて引き返した。
*quibus id [[wikt:en:consilium#Latin|consilii]] fuisse [[wikt:en:cognoverint|cognoverint]],
**彼らには、以下のような謀計があったことを探知したのだ。
*ut, si flumen [[wikt:en:transissent#Latin|transissent]], una ex parte ipsi, altera [[wikt:en:Arverni#Latin|Arverni]] se [[wikt:en:circumsisterent|circumsisterent]].
**もし川を渡ったら、一方から<small>(ビトゥリゲース族)</small>自身が、他方から[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]が自分たちを包囲するというものだ、と。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Id ea<span style="background-color:#ffa;">[[wikt:la:-ne|ne]]</span> de causa, quam [[wikt:en:legatus#Latin|legatis]] <u>pronuntiarunt</u>,
**そのことは<small>(援兵たちが)</small><ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに報告した理由によって<small>(なしたのか?)</small>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:-ne#Latin|-ne]] ~ [[wikt:en:an#Latin|an]] …;~であるか、あるいは…であるか。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:pronuntiarunt|pronuntiarunt]]<sub> (直接法・完了形)</sub> は古い印刷本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.vett.]]'' の記述で、<br> α系写本では [[wikt:en:pronuntiarint|pronuntiarint]]<sub> (接続法・完了形)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:pronuntiaverint|pronuntia<u>ve</u>rint]]<sub> (接続法・完了形)</sub> となっている。)</span>
*<span style="background-color:#ffa;">[[wikt:la:an|an]]</span> [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidia]] [[wikt:en:adductus#Latin|adducti]] [[wikt:en:fecerint|fecerint]],
**あるいは<small>(ビドゥリゲース族の)</small>寝返りに動かされて、なしたのか?
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] [[wikt:en:nihil#Latin|nihil]] nobis [[wikt:en:constat#Latin|constat]],
**我々<small>〔ローマ人〕</small>には何ら定かではないので、
*non [[wikt:en:videtur|videtur]] pro [[wikt:en:certus#Latin|certo]] esse <u>proponendum</u>.
**確言するべきであるとは思われない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ pro certo ponere;~を確かであると主張する)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:proponendum|<u>pro</u>ponendum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:ponendum|ponendum]] となっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ビトゥリゲース族が、ローマ人やハエドゥイー族から離反して、アルウェルニー族と同盟してしまう
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] eorum [[wikt:en:discessus#Noun|discessu]]
**ビトゥリゲース族は、彼ら<small>〔援兵〕</small>の撤収により、
*[[wikt:en:statim#Latin|statim]] <u>se</u> cum [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] <u>coniunguntur</u>.
**ただちに[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]と<small>(同盟を)</small>結んだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:iunguntur|iunguntur]] だが、<br> β系写本では se ~ [[wikt:en:coniungunt|coniungunt]] となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===6節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2025-12-15}}</span>
[[画像:Warsaw Royal Castle GM (12).JPG|thumb|right|200px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。]]
;諸軍団と分断されて苦慮するカエサル
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus in Italiam Caesari [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiatis]],
**これらの事情がイタリアにいるカエサルへ知らされると、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ここでいうイタリアとは、<br> カエサルの属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことである。)</span>
*cum iam ille [[wikt:en:urbanus#Latin|urbanas]] res [[wikt:en:virtus#Latin|virtute]] [[wikt:en:Gnaei#Latin|Gnaei]]<sub> ([[wikt:en:Cn.#Latin|Cn.]])</sub> [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompei]] [[wikt:en:commodior#Latin|commodiorem]] in [[wikt:en:status#Noun_11|statum]] [[wikt:en:pervenisse#Latin|pervenisse]] [[wikt:en:intellegeret|intellegeret]],
**彼は、もはや都<small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の事態は[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の果断さによってより相応な状態に至ったと認識したので、
*in [[wikt:en:Gallia_transalpina#Latin|Transalpinam Galliam]] [[wikt:en:profectus#Latin|profectus]] est.
**ガッリア・トラーンサルピーナ<small>〔アルプスの向こう側のガッリア〕</small>に出発した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#1節|1節]]②項で言及された Galliam Transalpinam は<br> アルプスの西側「長髪のガッリア」全般を指すと思われるが、<br> ここではどちらかといえば<br> ガッリア南部のローマ属州ガッリア・トラーンサルピーナ<br> すなわち後の[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・ナルボーネーンスィス]]を指す。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:venisset|venisset]],
**<small>(カエサルが)</small>そこに来たときに、
*magna [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultate]] [[wikt:en:adficiebatur|adficiebatur]], qua [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] ad [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:pervenire#Latin|pervenire]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]].
**どのような方策で軍隊のもとへ到達することができるか、という大きな困難に苦悩させられていた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Nam, si [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] in [[wikt:en:provincia#Latin|provinciam]] [[wikt:en:arcesseret|arcesseret]],
**なぜなら、もし、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を属州<small>〔ガッリア・トラーンサルピーナ〕</small>に呼び寄せるのならば、
*se [[wikt:en:absens#Latin|absente]] in [[wikt:en:iter#Latin|itinere]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] [[wikt:en:dimicaturus#Latin|dimicaturas]] [[wikt:en:intellegebat|intellegebat]];
**自分<small>〔カエサル〕</small>が不在のままで、行軍中に戦闘を闘うことになるであろうと理解していた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> si ipse ad exercitum [[wikt:en:contenderet|contenderet]],
**もし<small>(カエサル)</small>自身が<small>(大部隊の護衛なしで)</small>軍隊のもとへ急いで行くのならば、
*<u>ne</u> iis <u>quidem</u> eo tempore qui quieti [[wikt:en:viderentur|viderentur]],
**そのときには、中立を保っていると見られる者たちでさえも、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:iis#Latin|iis]] はβ系写本の記述で、α系写本では [[wikt:en:his#Latin|his]] となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quietus#Latin|quietus, quieti]]「平和的な、中立的な」)</span>
*suam [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:recte#Latin|recte]] [[wikt:en:committi|committi]] [[wikt:en:videbat|videbat]].
**自分の身の安全を良く託されるとは思えなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:前年まで、すなわち第6巻までの戦争は主としてガッリア北部・中部などで闘われていたので、<br> [[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で既述のように、ローマ諸軍団はガッリア北部・中部周辺に冬営させられていた。<br> 今回は軍団が駐留していないガッリア中南部を中心に反乱が起こったので、<br> カエサルと諸軍団は分断された。<br> そのため、カエサルが大部隊の護衛なしで北上すれば、<br> 同盟部族にさえ寝首を掻かれる怖れがあったのである。)
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===7節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2025-12-19}}</span>
;ルクテリウスとカエサルのナルボーをめぐる駆け引き
[[画像:Narbonne_panorama.jpg|thumb|right|300px|'''ナルボー'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボー・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。]]
[[画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|thumb|right|200px|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパーニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。]]
:
; カドゥルキー族のルクテリウスが、ルテーニー族を同盟に引き入れる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:interim#Latin|Interim]] [[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterius]] [[wikt:en:Cadurcus#Latin|Cadurcus]]
**その間に、カドゥルキー族のルクテリウスが
*in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenos]] [[wikt:en:missus#Participle|missus]]
**ルテーニー族のところに遣わされて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]の冒頭で述べられた。<br> ルテーニー族 ''[[w:en:Ruteni|Ruteni]]'' は現在の[[w:アヴェロン県|アヴェロン県]]の<br> [[w:ロデーズ|ロデーズ]]辺りにいたとされる。)</span>
*eam [[wikt:en:civitas#Latin|civitatem]] [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] [[wikt:en:conciliat|conciliat]].
**その部族に[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]との仲を取り持つ。
:
; ルクテリウスが、ローマ属州内の拠点都市ナルボーを目指す
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:progressus#Participle|Progressus]] in [[wikt:en:Nitiobriges#Latin|Nitiobriges]] et [[wikt:en:Gabali#Latin|Gabalos]]
**<small>(彼は)</small>ニティオブリゲース族とガバリー族のところに進んで行き、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ニティオブリゲース族<br> またはニティオブロゲース族 ''[[w:en:Nitiobroges|Nitiobroges]]'' は<br> 現在の[[w:ロット=エ=ガロンヌ県|ロット=エ=ガロンヌ県]][[w:アジャン|アジャン]]辺り、<br> ガバリー族 ''[[w:en:Gabali|Gabali]]'' は現在の[[w:ロゼール県|ロゼール県]]辺りにいたらしい。)</span>
*ab [[wikt:en:uterque#Latin|utrisque]] [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:accipit|accipit]]
**双方から人質たちを受け取って、
*et, magna [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]],
**多くの手勢を徴集すると、
*in [[wikt:en:provincia#Latin|provinciam]] [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]] [[wikt:en:versus#Latin|versus]] [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionem]] facere [[wikt:en:contendit|contendit]].
**<small>(ローマ人の)</small>[[w:属州|属州]]内のナルボーに向かって出撃することを急ぐ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ナルボー [[w:la:Narbo|Narbo]] は、ローマ人が建設した地中海岸の植民市で、<br> ヒスパーニアとイタリアを結ぶ拠点であった。<br> 現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]]。)</span>
:
; カエサルもナルボーを目指す
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Qua re [[wikt:en:untiatus#Latin|nuntiata]]
**その事を報告されると、
*Caesar omnibus [[wikt:en:consilium#Latin|consiliis]] [[wikt:en:antevertendus#Latin|antevertendum]] <span style="color:#009900;font-size:8pt;">(esse)</span> [[wikt:en:existimavit|existimavit]], ut [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]] [[wikt:en:proficisceretur|proficisceretur]].
**カエサルは、ナルボーに出発することを、あらゆる計画に先立ってするべきであると考えた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:venisset|venisset]],
**<small>(カエサルは)</small>そこへやって来ると、
*[[wikt:en:timens#Latin|timentes]] [[wikt:en:confirmat#Latin|confirmat]],
**<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ている者たちを元気付けて、
*[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidia]]
**守備隊を
*in [[wikt:en:Ruteni#Latin|Rutenis]] [[wikt:en:provincialis#Latin|provincialibus]], [[wikt:en:Volcae#Latin|Volcis]] [[wikt:en:Arecomici#Latin|Arecomicis]], [[wikt:en:Tolosates#Latin|Tolosatibus]]
**属州側のルテーニー族、[[w:ウォルカエ族|ウォルカエ]]・アレコミキー族、トローサーテース族<small>(らの領内)</small>に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上述のように、属州外の<u>ルテーニー族</u>は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]と結んでいる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:ウォルカエ族|ウォルカエ族]]は、西側に住むテクトサゲース族 ''[[w:en:Tectosages|Tectosages]]'' と<br> 東側に住むアレコミキー族 ''[[w:en:Arecomici|Arecomici]]'' の2支族に分かれていた。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:トローサーテース族 ''[[w:fr:Tolosates|Tolosates]]'' は、ウォルカエ・テクトサゲース族の分派とされ、<br> 現在の[[w:トゥールーズ|トゥールーズ]]の近くにいたと考えられている。)</span>
*[[wikt:en:circum#Preposition|circum]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:Narbo#Latin|Narbonem]], quae [[wikt:en:locum#Latin|loca]] hostibus erant [[wikt:en:finitimus#Latin|finitima]],
**および敵方に隣接した地である[[w:ナルボンヌ|ナルボー]]周辺に
*[[wikt:en:constituit#Latin|constituit]];
**駐留させる。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> partem [[wikt:en:copiae#Noun_2|copiarum]] ex [[wikt:en:provincia#Latin|provincia]]
**属州<small>〔ガッリア・トラーンサルピーナ〕</small>からの軍勢の一部、
*[[wikt:en:supplementum#Latin|supplementum]]<nowiki>que</nowiki>, quod ex Italia [[wikt:en:adduxerat|adduxerat]],
**およびイタリアから率いて来た補充兵を
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後者の補充兵 supplementum は、[[#1節|1節]]で既述のように、<br> [[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]で徴募された軍団兵であろう。)</span>
*in [[wikt:en:Helvii#Latin|Helvios]], qui fines [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] [[wikt:en:contingunt|contingunt]],
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の領土に接しているヘルウィイー族のところに
*[[wikt:en:convenire#Latin|convenire]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**集結することを命じる。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===8節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2026-01-03}}</span>
[[画像:Carte-cevennes-france.png|thumb|right|200px|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置]]
[[画像:Col_de_legal.jpeg|thumb|right|200px|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](Arverni)に由来する。]]
[[画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|thumb|right|200px|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖]]
[[画像:France_Massif_central.jpg|thumb|right|200px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。]]
:
;カエサルがケウェンナ山地を越えてアルウェルニー族の領内へ突入
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His rebus [[wikt:en:comparatus#Latin|comparatis]],
**これらの事が整えられて、
*[[wikt:en:repressus#Latin|represso]] iam [[wikt:en:Lucterius#Latin|Lucterio]] et [[wikt:en:remotus#Latin|remoto]],
**<small>(カドゥルキー族の)</small>ルクテリウスはすでに押し留められ、遠ざけられた。
*quod [[wikt:en:intrare#Latin|intrare]] intra [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidia]] [[wikt:en:periculosus#Latin|periculosum]] [[wikt:en:putabat|putabat]],
**──というのは<small>(ローマ人の)</small>守備の範囲内に踏み込むことは危険なことであると<small>(ルクテリウスが)</small>見なしていたからであるが、──
*in [[wikt:en:Helvii#Latin|Helvios]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**<small>(そこで、カエサルは)</small>ヘルウィイー族のところに出発する。
:
; カエサルが、アルウェルニー族の要害ケウェンナ山を越える
*<!--❷--><sup>(2)</sup> <u>Etsi</u> mons <u>Cevenna</u>, qui [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernos]] ab [[wikt:en:Helvii#Latin|Helviis]] [[wikt:en:discludit|discludit]],
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]をヘルウィイー族から隔てている<u>ケウェンナ山</u>は、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:山の名は写本によって Cebenna または Cevenna となっており、<br> [[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が記した [[wikt:en:Cebenna#Latin|Cebenna]] がガリア語に近いようである。<br> 現在名はセヴェンヌ山地 Cévennes と呼ばれ、<br> [[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]](Massif Central)の南東部にそそり立っている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~ [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …「~としても、にもかかわらず…」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:mons#Latin|mons]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*[[wikt:en:durissimus#Latin|durissimo]] tempore anni
**最も厳しい時季に
*[[wikt:en:altissimus#Latin|altissima]] [[wikt:en:nix#Latin|nive]] iter [[wikt:en:impediebat|impediebat]],
**豪[[w:雪|雪]]によって道を閉ざしていたのであるが、
*<u>tamen</u> [[wikt:en:discussus#Latin|discussa]] [[wikt:en:nix#Latin|nive]] sex in [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudinem]] [[wikt:en:pes#Latin|pedum]]
**にもかかわらず<small>(カエサル勢は)</small>深さ6<u>ペース</u>の雪を粉砕して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、6ペースは約1.8メートル弱。)</span>
*atque ita [[wikt:en:via#Latin|viis]] [[wikt:en:patefactus#Latin|patefactis]] [[wikt:en:summus#Latin|summo]] [[wikt:en:miles#Latin|militum]] <u>sudore</u>
**このように兵士たちの最大の努力によって道が開かれて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:sudor#Latin|sudore]]「汗」だが、<br> β系写本では [[wikt:en:labor#Latin|labore]]「労苦」 となっている。)</span>
*ad fines [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernorum]] [[wikt:en:pervenit#Latin|pervenit]].
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の領土へ到達した。
:
; アルウェルニー族が、カエサルの奇襲に周章狼狽する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Quibus [[wikt:en:oppressus#Latin|oppressis]] [[wikt:en:inopinans#Latin|inopinantibus]],
**<small>(アルウェルニー族は)</small>彼らに対する<small>(カエサルの)</small>攻撃を予期していなかったが、
*quod se <u>Cevenna</u> ut [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:munitus#Latin|munitos]] [[wikt:en:existimabant|existimabant]],
**──というのは、自分たちは<u>ケウェンナ</u>を壁として防御されていると考えていたからであり、
*ac <u>ne</u> [[wikt:en:singularis#Latin|singulari]] <u>quidem</u> [[wikt:en:umquam#Latin|umquam]] homini eo tempore anni [[wikt:en:semita#Latin|semitae]] [[wikt:en:patuerant|patuerant]],
**かつ、その時季には、個人にとってさえも、小道はかつて開かれていなかったからであるが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*[[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] [[wikt:en:imperat|imperat]],
**<small>(カエサルは)</small>騎兵たちに命令する。
*ut, [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] [[wikt:en:late#Latin|latissime]] [[wikt:en:possint|possint]], [[wikt:en:vagentur|vagentur]]
**できるだけ広く動き回り、
*et [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] maximum hostibus [[wikt:en:terror#Latin|terrorem]] [[wikt:en:inferant|inferant]].
**敵たちに最大限の恐怖を引き起こすように、と。
:
; ウェルキンゲトリークスが、ビトゥリゲース族のもとから軍勢を取って返す
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Celeriter haec [[wikt:en:fama#Latin|fama]] ac <u>nuntiis</u>
**これらのことは速やかに風評や伝令たちによって、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では [[wikt:en:nuntii#Latin|nuntii]] だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Manutius|Manutius]]'' が [[wikt:en:nuntiis#Etymology_1|nuntiis]] と修正提案している。)</span>
*ad [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:perferuntur|perferuntur]];
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のもとへ報知される。
*quem [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]] omnes [[wikt:en:Arverni#Latin|Arverni]] [[wikt:en:circumsistunt|circumsistunt]] atque [[wikt:en:obsecrant|obsecrant]],
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>を、脅かされている[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の皆が取り巻いて、嘆願する。
*ut suis [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunis]] [[wikt:en:consulat#Latin|consulat]],
**自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>の境遇に配慮してくれるように、
*<u>neve</u> ab hostibus <u>diripiantur</u>,
**自分たち<small>〔アルウェルニー族〕</small>が敵<small>〔ローマ人〕</small>によって略奪されることを許容しないように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この行は、α系写本では [[wikt:en:neve#Latin|neve]] ab hostibus [[wikt:en:diripiantur|diripiantur]] <br> β系写本では [[wikt:en:neu#Latin|neu]] se ab hostibus [[wikt:en:diripi|diripi]] [[wikt:en:patiatur|patiatur]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:praesertim#Latin|praesertim]] cum [[wikt:en:videat|videat]] [[wikt:en:omnis#Latin|omne]] ad se bellum [[wikt:en:translatus#Participle|translatum]].
**とりわけ、すべての戦争が自分たちへ向けられると<small>(彼が)</small>見なしているのであるから
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:praesertim cum ~;とりわけ~であるから)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Quorum ille [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] [[wikt:en:permotus#Latin|permotus]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、その者たちの懇願に揺り動かされて、
*[[wikt:en:castra#Latin|castra]] ex [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:movet|movet]] in [[wikt:en:Arverni#Latin|Arveruos]] [[wikt:en:versus#Latin|versus]].
**陣営をビトゥリゲース族のところから[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のところに向けて行軍する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:castra movet 「陣営を動かす」=「行軍する」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]辺りから[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン]]辺りに南下したようである。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===9節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2026-01-12}}</span>
;カエサルが北上して諸軍団と合流するが、同盟軍はゴルゴビナ攻略をめざす
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> At Caesar, [[wikt:en:biduum#Latin|biduum]] in his locis [[wikt:en:moratus#Participle|moratus]],
**それに対して、カエサルは2日間、この地に留まった。
*quod haec de [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]] usu ventura [[wikt:en:opinio#Latin|opinione]] [[wikt:en:praeceperat|praeceperat]],
**──というのは、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]についてこれ<small>〔陣営の移動〕</small>が起こると予想をしていたからだが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:usu venire 「起こる」→ usu [[wikt:en:venturus#Latin|ventūra]] (esse) 「起こるであろう」)</span>
*per causam [[wikt:en:supplementum#Latin|supplementi]] [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:cogendus#Latin|cogendi]]
**補充兵と騎兵隊を徴集するためという口実のもとに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:per causam 「口実のもとに」)</span>
*ab [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]] [[wikt:en:discedit|discedit]];
**軍隊から離れる。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:Brutus#Latin|Brutum]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescentem]] his copiis [[wikt:en:praeficit|praeficit]];
**<small>(カエサルは)</small><u>青年ブルートゥス</u>にこの軍勢を指揮させる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:青年ブルートゥスとは、<br> [[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ブルートゥス]](<small>[[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]]</small>)のことで、<br> [[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]でカエサルの艦隊を指揮した。)</span>
*hunc [[wikt:en:monet#Latin|monet]], ut in omnes partes [[wikt:en:eques#Latin|equites]] quam [[wikt:en:late#Latin|latissime]] [[wikt:en:pervagentur|pervagentur]]:
**彼には、[[w:騎兵|騎兵]]たちがあらゆる方面にできるだけ広く駆け回るようにと、忠告する。
*<u>daturum</u> se <u>operam</u>, ne longius [[wikt:en:triduum#Latin|triduo]] ab [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:absit#Latin|absit]].
**自分<small>〔カエサル〕</small>は、3日間より長く陣営から離れないように、努力をするであろう、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:opera#Latin|operam]] dare 「努力をする」→ operam [[wikt:en:daturus#Latin|datūrum]] (esse) 「努力をするであろう」)</span>
[[画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|thumb|right|300px|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。]]
:
; カエサルが、急いでウィエンナへ北進する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> His [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] rebus,
**これらの事を決定すると、
*<u>omnibus</u> suis [[wikt:en:inopinans#Latin|inopinantibus]],
**配下の皆が予期しないほど、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:omnibus は β系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
*quam [[wikt:en:maximus#Latin|maximis]] potest [[wikt:en:iter#Latin|itineribus]],
**できるかぎりの強行軍で、
*[[wikt:en:Vienna#Etymology_1|Viennam]] [[wikt:en:pervenit#Latin|pervenit]].
**<u>ウィエンナ</u>に到着する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ウィエンナ [[w:la:Vienna|Vienna]] は、<br> 現在の[[w:ヴィエンヌ (イゼール県)|ヴィエンヌ]] ''[[w:en:Vienne, Isère|Vienne]]'')</span>
:
; カエサルが、ハエドゥイー族領を抜けて、2個軍団が冬営するリンゴネース族領へ向けて北上する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:ibi#Latin|Ibi]] [[wikt:en:nactus#Latin|nactus]] [[wikt:en:recens#Latin|recentem]] [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatum]], quem [[wikt:en:multus#Latin|multis]] ante diebus eo [[wikt:en:praemiserat|praemiserat]],
**そこで、何日も前にそこに先遣していたまだ新兵の騎兵隊を得て、
[[画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|thumb|right|300px|リンゴネース族(Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色]]
*neque [[wikt:en:diurnus#Latin|diurno]] neque [[wikt:en:nocturnus#Latin|nocturno]] itinere [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]]
**昼間も夜間も行軍を中断せずに、
*per fines [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduorum]]
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領土を通って、
*in [[wikt:en:Lingones#Latin|Lingones]] [[wikt:en:contendit|contendit]],
**<u>リンゴネース族のところ</u>に急いだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リンゴネース族 [[w:la:Lingones|Lingones]] の首邑は<br> 現在の[[w:ラングル|ラングル]] ''[[w:en:Langres|Langres]]'' で、<br> ローマ時代には [[w:la:Andematunnum|Andematunnum]] と呼ばれたが、<br> ''[[wikt:fr:Lingones|Lingones]]'' の転訛が ''[[wikt:fr:Langres|Langres]]'' である。)</span>
*[[wikt:en:ubi#Latin|ubi]] [[wikt:en:duo#Latin|duae]] [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:hiemabant|hiemabant]],
**そこには、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が冬営していた。
*ut, si [[wikt:en:aliquis#Latin|quid]] etiam de sua [[wikt:en:salus#Latin|salute]] ab [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] [[wikt:en:iniretur|iniretur]] [[wikt:en:consilium#Latin|consilii]], [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] [[wikt:en:praecurreret|praecurreret]].
**もし<small>(カエサル)</small>自らの安全についてさえ、ハエドゥイー族により何らかの謀計が始められても、速やかに凌駕するように。
:
; カエサルが、リンゴネース族領の軍団冬営地へ到着して、諸軍団へ集結を指令する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:eo#Adverb|Eo]] cum [[wikt:en:pervenisset|pervenisset]],
**<small>(カエサルは)</small>そこへ到着したときに、
*ad reliquas [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:mittit|mittit]]
**残りの軍団のもとへ<small>(伝令を)</small>遣わす。
*<u>prius</u>que omnes in unum locum [[wikt:en:cogit|cogit]], <u>quam</u> de eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:Arverni#Latin|Arvernis]] [[wikt:en:nuntiari|nuntiari]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]].
**彼の到着について[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]に知らされ得るより早く、総勢が一か所に集結するように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:priusquam#Latin|prius ~ quam]] …;…より早く~)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ウェルキンゲトリークスが、ボイイー族がいるゴルゴビナの攻略を企図する
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Hac re [[wikt:en:cognitus#Participle|cognita]],
**この事を知ると、
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] rursus in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:reducit|reducit]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は再びビトゥリゲース族のところに軍隊を連れ戻して、
*atque [[wikt:en:inde#Latin|inde]] [[wikt:en:profectus#Participle_2|profectus]] Gorgobinam, [[wikt:en:Boii#Latin|Boiorum]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidum]],
**そこから、[[w:ボイイ族|ボイイー族]]の城塞都市であるゴルゴビナへ出発した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ゴルゴビナ ''[[w:en:Gorgobina|Gorgobina]]'' は、現在の候補地としては、<br> [[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリズ=ル=シャテル<small>([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])</small><br> [[w:アンドル=エ=ロワール県|アンドル=エ=ロワール県]]のラ・ゲルシュ([[w:en:La Guerche|La Guerche]])<br> あるいは、[[w:シェール県|シェール県]]のサン=サテュル([[w:fr:Saint-Satur|Saint-Satur]])などが挙げられている。)</span>
*quos ibi [[wikt:en:helvetico|Helvetico]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] [[wikt:en:victus#Participle|victos]]
**──[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]の戦闘で打ち負かされた彼らをそこに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ボイイー族はヘルウェーティイー族とともにガッリアに移動して、カエサルに敗れていた。第1巻28節~29節を参照。)</span>
*Caesar [[wikt:en:conlocaverat#Latin|conlocaverat]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:adtribuerat#Latin|adtribuerat]],
**カエサルは宿営させ、ハエドゥイー族<small>(の庇護)</small>に委ねていたのだが、──
*[[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]].
**<small>(ウェルキンゲトリークスはゴルゴビナの)</small>攻略を決意した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===10節===
[[画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|thumb|right|250px|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボー]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリークスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリークスはボイイー族を攻めようとする。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2026-01-16}}</span>
;カエサルがアゲディンクムを発って、ボイイー族支援に向かう
:
; カエサルが抱えることになった「大きな困難」とは?
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Magnam haec res Caesari [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultatem]] ad [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendum]] [[wikt:en:adferebat|adferebat]]<!--:-->,
**この事態は、カエサルが作戦を立てるためには、大きな困難を引き起こしていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:haec res 「この事態」とは、<br> ウェルキンゲトリークスが<br> ハエドゥイー族の庇護下にあったボイイー族を攻めること。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:magnam ~ difficultatem 「大きな困難を」)</span>
*si reliquam partem [[wikt:en:hiems#Latin|hiemis]] uno loco [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:contineret|contineret]],
**もし、冬の残りの期間に、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を1か所に留めておくならば、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:前節で述べられたように、<br> カエサルはリンゴネース族の軍団冬営地に着いたときに、<br> 諸軍団に1か所に集結するべく伝令を遣わしていた。)</span>
*ne, [[wikt:en:stipendiarius#Latin|stipendiariis]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]] [[wikt:en:expugnatus#Latin|expugnatis]], [[wikt:en:cunctus#Latin|cuncta]] Gallia [[wikt:en:deficeret|deficeret]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の朝貢国が攻略されて、ガッリア全体が背くのではないか?
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「ハエドゥイー族の朝貢国」とは、ボイイー族のこと。)</span>
*quod [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] amicis in eo [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidium]] <u>videret positum esse</u>;
**──というのは、彼<small>〔カエサル〕</small>においては、友邦に対するいかなる守備隊も置かれていないと<small>(ガッリアが)</small>見るからである──。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#写本の系図|α系写本]]のうち、χ系・M・B・S写本などでは [[wikt:en:videret|videret]] [[wikt:en:positus#Latin|positum]] esse 、<br> α系写本のうち、写本M・L・Nなどでは [[wikt:en:videretur|videretur]] positum esse 、<br> β系写本では、positum videret となっている。)</span>
*si [[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] ex [[wikt:en:hiberna#Noun|hibernis]] [[wikt:en:educeret|educeret]],
**もし、尚早に冬営地から<small>(諸軍団を)</small>進発させれば、
*ne ab re [[wikt:en:frumentarius#Latin|frumentaria]] [[wikt:en:durus#Latin|duris]] [[wikt:en:subvectio#Latin|subvectionibus]] [[wikt:en:laboraret|laboraret]].
**<small>(降雪時期の)</small>糧秣供給の厄介な輸送によって苦労するのではないか?
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> <u>Praestare</u> [[wikt:en:visus#Participle|visum]] est tamen omnes [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultates]] [[wikt:en:perpeti#Verb|perpeti]],
**しかしながら、あらゆる困難に耐えることの方が<u>優っている</u>ように見える。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~が優る」)</span>
*<u>quam</u> [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] [[wikt:en:contumelia#Latin|contumelia]] [[wikt:en:acceptus#Latin|accepta]] omnium suorum [[wikt:en:voluntas#Latin|voluntates]] [[wikt:en:alienare#Latin|alienare]].
**これほどの恥辱を受けて、配下の皆の意欲を遠ざけてしまう<u>よりは</u>。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Itaque [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduos]] de [[wikt:en:supportandus#Latin|supportando]] [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatu]],
**こうして、<small>(カエサルは)</small>ハエドゥイー族に軍需物資の輸送について、激励して、
*[[wikt:en:praemittit|praemittit]] ad [[wikt:en:Boii#Latin|Boios]], qui de suo [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:doceant|doceant]]
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のもとへ、<small>(カエサル)</small>自らの到着について知らせるための者たちを先遣して、
*[[wikt:en:hortentur|hortentur]]<nowiki>que</nowiki> ut in [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:maneant|maneant]] atque hostium [[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] magno animo [[wikt:en:sustineant|sustineant]].
**<small>(カエサルへの)</small>信義に留まって、敵たちの襲撃に大いなる決意をもって持ちこたえるように、と激励させた。
[[画像:Aqueduc2.jpg|thumb|right|250px|アゲディンクム、すなわちセノネース族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サーンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡。]]
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Duabus [[wikt:en:Agedincum#Latin|Agedinci]] legionibus atque [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:totus#Latin|totius]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitus]] [[wikt:en:relictus#Latin|relictis]],
**アゲディンクムに、2個軍団および軍隊全体の輜重を残すと、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:アゲディンクムは敵対するセノネース族の首邑だが、<br> [[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で6個軍団を冬営させていた。<br> 現在の[[w:サンス|サーンス]]。)</span>
*ad [[wikt:en:Boii#Latin|Boios]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のもとへ出発した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===11節===
[[画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|thumb|right|250px|ウェッラウノドゥーヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サーンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/11節]] {{進捗|00%|2026-02-02}}</span>
;セノネース族のウェッラウノドゥーヌムを降し、カルヌーテース族のケナブムを攻略
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:alter#Latin|Altero]] die
**<small>(カエサルは出発して)</small>翌日に、
*cum ad [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidum]] [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunodunum]] [[wikt:en:venisset|venisset]],
**セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌムへやって来たときに、
*ne [[wikt:en:aliquem|quem]] post se hostem [[wikt:en:relinqueret|relinqueret]],
**自らの後方に何らかの敵を残しておかないように、
*[[wikt:en:quo#Latin|quo]] [[wikt:en:expeditior#Latin|expeditiore]] re [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentaria]] [[wikt:en:uteretur|uteretur]],
**そのことにより、妨げなく糧秣供給を享受するように、
*[[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]]
**<small>(同市の)</small>攻囲を決めて、
*<u>idque</u> [[wikt:en:biduum#Latin|biduo]] [[wikt:en:circumvallavit|circumvallavit]];
**それ<small>〔城塞都市〕</small>を2日間で<small>(塁壁で)</small>囲んだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:id#Latin|id]]<nowiki>que</nowiki> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:eo#Etymology_4|eo]]<nowiki>que</nowiki> となっている。)</span>
:
; セノネース族の城塞都市ウェッラウノドゥーヌムが降伏する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:tertius#Latin|tertio]] die
**3日目に、
*[[wikt:en:missus#Participle|missis]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:legatus#Noun|legatis]] de [[wikt:en:deditio#Latin|deditione]],
**城塞都市から降伏についての使節たちが遣わされて来て、
*[[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:conferri|conferri]],
**武器が運び集められること、
*[[wikt:en:iumentum#Latin|iumenta]] [[wikt:en:produci#Latin|produci]],
**役畜が引き渡されること、
*[[wikt:en:sescenti#Latin|sescentos]] [[wikt:en:obses#Latin|obsides]] [[wikt:en:dari#Latin|dari]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**600名の人質が供出されることを<small>(カエサルが)</small>命じる。
:
; ウェッラウノドゥーヌムに副官トレボーニスと守備隊を残し、カエサル自身はケナブムへ向かう
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Ea qui [[wikt:en:conficeret|conficeret]],
**それらのことを成就するための者として、
*[[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Trebonius#Latin|Trebonium]] [[wikt:en:legatus#Latin|legatum]] [[wikt:en:relinquit|relinquit]].
**<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レーガートゥス</rt><rp>)</rp></ruby> [[w:ガイウス・トレボニウス|ガーイウス・トレボーニウス]]を<small>(ウェッラウノドゥーヌムに)</small>残留させる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:la:Gaius Trebonius|Gaius Trebonius]] は、カエサルの副官の一人。)</span>
*Ipse, ut quam primum iter <u>faceret</u><ref>faceret はα系写本の表記で、β系写本では conficeret となっている。</ref>,
**<small>(カエサル)</small>自身は、できるだけ素早く<small>(ゴルゴビナへの)</small>行軍を成就するように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quam#Adverb|quam]] [[wikt:en:primum#Latin|primum]] 〜「できるだけ素早く〜」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:faceret|faceret]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:conficeret|conficeret]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabum]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutum]] [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]];
**カルヌーテース族のケナブムに出発する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ケナブム Cenabum はケルト語風の読みで、現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]。)</span>
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> qui tum primum [[wikt:en:adlatus#Latin|adlato]] [[wikt:en:nuntium#Latin|nuntio]] de [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunoduni]],
**そのとき彼ら<small>〔カルヌーテース族〕</small>は、当初はウェッラウノドゥーヌムの攻囲についての報告をもたらされて、
*cum [[wikt:en:longe#Latin|longius]] eam rem <u>ductum</u> [[wikt:en:iri#Latin|iri]] [[wikt:en:existimarent|existimarent]],
**その事・軍事作戦はより長く引き延ばされて行われると考えていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ductus#Noun_2|ductus]] は、軍事的な指揮・作戦などを表す。[[#62節]]も同様。)</span>
*[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidium]] [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]] [[wikt:en:tuendus#Latin|tuendi]] causa, quod eo [[wikt:en:mitterent|mitterent]], [[wikt:en:comparabant|comparabant]].
**ケナブムを固守するために、守備隊をそこへ派遣することを準備していた。
:
; カエサルが、カルヌーテース族の城塞都市ケナブムの攻囲を翌日に延期する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:huc#Latin|Huc]] [[wikt:en:biduum#Latin|biduo]] [[wikt:en:pervenit#Etymology_1|pervenit]].
**<small>(カエサルは)</small>ここ<small>〔ケナブム〕</small>へ2日間で到着する。
*[[wikt:en:castra#Latin|Castris]] ante oppidum [[wikt:en:positus#Participle|positis]],
**城塞都市の前に陣営を設置したが、
*[[wikt:en:dies#Latin|diei]] [[wikt:en:tempus#Latin|tempore]] [[wikt:en:exclusus#Latin|exclusus]]
**日の時刻<small>〔夕刻〕</small>によって妨げられたので、
*in posterum [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:differt|differt]],
**翌日に攻囲を延期する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in posterum = in [[wikt:en:posterus#Latin|posterum]] [[wikt:en:diem#Latin|diem]]「翌日に」)</span>
*[[wikt:en:quisque#Latin|quaeque]] ad eam rem [[wikt:en:usus#Latin|usui]] [[wikt:en:sint#Latin|sint]],
**その事<small>〔攻囲〕</small>に有益になることは何であれ、
*[[wikt:en:miles#Latin|militibus]] [[wikt:en:imperat|imperat]];
**兵士たちに命令する。
[[画像:Orleans.jpg|thumb|right|400px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。]]
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> et, quod oppidum [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabum]] [[wikt:en:pons#Latin|pons]] [[wikt:en:flumen#Latin|fluminis]] [[wikt:en:Liger#Latin|Ligeris]] [[wikt:en:contingebat|contingebat]],
**城塞都市ケナブムには、リゲル川の橋が接していたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:リゲル川は、現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]。)</span>
*[[wikt:en:veritus#Latin|veritus]] ne [[wikt:en:noctu#Adverb|noctu]] ex oppido [[wikt:en:profugerent|profugerent]],
**夜間に城塞都市から<small>(敵勢が)</small>逃亡するのではないかと恐れて、
*[[wikt:en:duo#Latin|duas]] legiones in [[wikt:en:arma#Latin|armis]] [[wikt:en:excubare|excubare]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**<small>(カエサルは)</small>2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に武装して寝ずの番をすることを命じる。
:
; ケナブムの住民たちが退避し始める
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:Genabensis#Noun|Cenabenses]] paulo ante mediam noctem
**ケナブムの人々は、真夜中の少し前に
*[[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] ex oppido [[wikt:en:egressus#Participle|egressi]]
**沈黙のうちに城塞都市から出て、
*flumen [[wikt:en:transire#Latin|transire]] [[wikt:en:coeperunt|coeperunt]].
**川を渡り始めた。
:
; カエサルの諸軍団がケナブムを制圧する
*<!--❽--><sup>(8)</sup> Qua re per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiata]]
**その事が偵察者たちによって報告されると、
*Caesar legiones, quas [[wikt:en:expeditus#Latin|expeditas]] esse [[wikt:en:iusserat|iusserat]]
**カエサルは、戦備を整えることを命じていた諸軍団を、
*[[wikt:en:porta#Latin|portis]] [[wikt:en:incensus#Participle|incensis]]
**<small>(ケナブムの)</small>城門を焼き打ちさせた後で、
*[[wikt:en:intromittit|intromittit]] atque oppido [[wikt:en:potitur|potitur]],
**<small>(軍団を)</small>送り込み、城塞都市を占領させて、
*[[wikt:en:perpaucus#Latin|perpaucis]] ex hostium numero [[wikt:en:desideratus#Latin|desideratis]] [[wikt:en:quin#Latin|quin]] [[wikt:en:cunctus#Latin|cuncti]] [[wikt:en:caperentur#Etymology_1|caperentur]],
**敵のうちからわずかな数を取り逃がしたが、むしろ皆がことごとく捕らえられた。
*quod [[wikt:en:pons#Latin|pontis]] atque [[wikt:en:iter#Latin|itinerum]] [[wikt:en:angustia#Latin|angustiae]] <u>multitudinis</u> fugam [[wikt:en:intercluserant|intercluserant]].
**──というのは、橋や道の狭さが、大勢の逃亡をさえぎったからである。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:multitudinis|multitudinis]]<sub> (単数・属格)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:multitudini|multitudini]]<sub> (単数・与格)</sub> となっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサル勢がケナブムを略奪・焼き討ち。リゲル川を渡ってビトゥリゲース族領へ達する
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Oppidum [[wikt:en:diripit|diripit]] atque [[wikt:en:incendit|incendit]],
**<small>(カエサルは)</small>城塞都市を略奪し、焼き討ちして、
*[[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] militibus [[wikt:en:donat#Latin|donat]],
**略奪品を兵士たちに与える。
*[[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] <u>Ligerem</u> [[wikt:en:traducit|traducit]]
***軍隊にリゲル川を渡らせて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:Ligerem|Ligerem]] だが、<br> β系写本では Ligerim となっている。)</span>
*atque in [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] fines [[wikt:en:pervenit#Etymology_1|pervenit]].
*ビトゥリゲース族の領土に到達する。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===12節===
[[画像:Sancerre.jpg|thumb|right|250px|ビトゥリゲース族の城塞都市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァーリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥーヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。]]
[[画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|thumb|right|250px|城塞都市ノウィオドゥーヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイー族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥーヌムであると推定されている。上空からは、ガッリア時代の城塞都市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/12節]] {{進捗|00%|2026-02-02}}</span>
;ビトゥリゲース族のノウィオドゥーヌムを降すが、敵の騎兵が来援
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]], ubi de Caesaris [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] [[wikt:en:cognovit#Latin|cognovit]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、カエサルの到来について知るや否や、
*[[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] <u>destitit</u>
**<small>(ボイイー族の城塞都市ゴルゴビナの)</small>攻略を取り止めて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> α系写本では [[wikt:en:destitit|destitit]]<sub> (完了形)</sub> だが、<br> β系写本や印刷本では [[wikt:en:desistit#Latin|desistit]]<sub> (現在形)</sub> となっている。)</span>
*atque [[wikt:en:obviam#Adverb|obviam]] Caesari [[wikt:en:proficiscitur|proficiscitur]].
**カエサルの方に向かって進発する。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ille oppidum [[wikt:en:Biturigēs|Biturigum]] [[wikt:en:positus#Latin|positum]] in via [[wikt:en:Noviodunum#Latin|Noviodunum]] [[wikt:en:oppugnare#Latin|oppugnare]] [[wikt:en:instituerat|instituerat]].
**彼<small>〔カエサル〕</small>は、途中に位置しているビトゥリゲース族の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]ノウィオドゥーヌムの攻略を決めていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:どこへの途中なのか明記されていないため、その解釈により場所についての解釈が変わるようである。)</span>
:
; カエサルの城塞都市ノウィオドゥーヌムへの降伏条件
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:qui#Determiner|Quo]] ex oppido
**その城塞都市から
*cum legati ad eum [[wikt:en:venissent|venissent]] [[wikt:en:oratum#Verb|oratum]] ut sibi [[wikt:en:ignosceret|ignosceret]] suaeque vitae [[wikt:en:consuleret|consuleret]],
**使節たちが彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ、自分たちを容赦して生命を助けるように嘆願するために、やって来たときに、
*ut celeritate reliquas res [[wikt:en:conficeret|conficeret]], [[wikt:en:qui#Determiner|qua]] [[wikt:en:pleraque#Latin|pleraque]] erat [[wikt:en:consecutus#Latin|consecutus]],
**<small>(カエサルは)</small>多くのことを実行してきた迅速さによって、ほかの事を成し遂げるために、
*arma [[wikt:en:conferri|conferri]],
**武具が運び集められること、
*[[wikt:en:quus#Latin|equos]] [[wikt:en:produci#Verb_2|produci]],
**馬匹が引き渡されること、
*obsides [[wikt:en:dari#Latin|dari]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**人質が供出されること、を命じる。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Parte iam obsidum [[wikt:en:traditus#Participle|tradita]],
**すでに人質の一部が移送されて、
*cum [[wikt:en:reliqua#Latin|reliqua]] [[wikt:en:administrarentur|administrarentur]],
**残り<small>(の人質たち)</small>が処置されていたときに、
*[[wikt:en:centurio#Latin|centurionibus]] et paucis [[wikt:en:miles#Latin|militibus]] [[wikt:en:intromissus#Latin|intromissis]], qui arma [[wikt:en:iumentum#Latin|iumenta]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:conquirerent|conquirerent]],
**<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや若干の兵士たちが、武器や[[w:使役動物|役畜]]を探し集めるべく<small>(城塞都市の中に)</small>送り込まれていたのだが、
*[[wikt:en:equitatus#Noun|equitatus]] hostium procul [[wikt:en:visus#Latin|visus]] est, qui [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigis]] [[wikt:en:antecesserat|antecesserat]].
**ウェルキンゲトリークスの隊列に先行していた敵の[[w:騎兵|騎兵隊]]が遠くに望見された。
:
; ウェルキンゲトリークスの来援に気づいた城塞の者たちが、籠城に転じる
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Quem [[wikt:en:simulatque|simulatque]] [[wikt:en:oppidanus#Noun|oppidani]] [[wikt:en:conspexerunt|conspexerunt]] atque in [[wikt:en:spes#Latin|spem]] [[wikt:en:auxilium#Latin|auxilii]] [[wikt:en:venerunt|venerunt]],
**それ<small></small>を城塞都市の者たちが視認して、救援の希望を抱くや否や、
*[[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:sublatus#Etymology_1|sublato]]
**雄叫びを上げて、
*arma capere,
**武具を取ること、
*portas [[wikt:en:claudere#Etymology_1|claudere]],
**城門を閉じること、
*[[wikt:en:murus#Latin|murum]] [[wikt:en:complere|complere]] [[wikt:en:coeperunt|coeperunt]].
**城壁を<small>(兵で)</small>満たすこと、を始めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:sublato は [[wikt:en:tollo|tollo]] の分詞)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
; 城塞民たちの心変わりに感づいたローマ人の将兵たちが城外に撤収する
*<!--❻--><sup>(6)</sup> [[wikt:en:centurio#Latin|Centuriones]] in oppido,
**城塞都市の中の<small>(カエサルの配下の)</small>百人隊長たちは、
*cum ex [[wikt:en:significatio#Latin|significatione]] Gallorum [[wikt:en:novus#Latin|novi]] [[wikt:en:aliquis#Latin|aliquid]] ab iis [[wikt:en:iniri#Latin|iniri]] consilii [[wikt:en:intellexissent|intellexissent]],
**ガッリア人たちの兆候から、彼らによる何らかの新たな謀りごとが始められていると察知していたので、
*[[wikt:en:gladius#Latin|gladiis]] [[wikt:en:destrictus#Latin|destrictis]]
**<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby> を抜いて、
*portas [[wikt:en:occupaverunt|occupaverunt]]
**城門を占拠して、
*suosque omnes [[wikt:en:incolumis#Latin|incolumes]] [[wikt:en:receperunt|receperunt]].
**配下たち皆を無傷なままで退却させた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===13節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/13節]] {{進捗|00%|2026-02-15}}</span>
[[画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|thumb|right|250px|ノウィオドゥーヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥーヌム、ケナブム、ノウィオドゥーヌムを続けて降し、ボイイー族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリークスもノウィオドゥーヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。]]
;同盟軍の騎兵を撃退、城塞都市を再び降して、アウァーリクム攻めに向かう
:
; カエサルが、騎兵戦の切り札としてゲルマーニア騎兵を繰り出す
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar ex castris [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatum]] [[wikt:en:educi#Latin|educi]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]],
**カエサルは、陣営から[[w:騎兵|騎兵隊]]を進発させることを命じて、
*<u>[[wikt:en:proelium#Latin|proelium]]</u> [[wikt:en:equester#Latin|equestre]] [[wikt:en:committit|committit]];
**<small>(ウェルキンゲトリークス勢と)</small>騎兵戦を交える。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> α系写本では proelium だが、<br> β系写本では proelium<u>que</u> となっている。)</span>
*[[wikt:en:laborans#Latin|laborantibus]] iam suis
**配下の者たちがすでに苦戦していたときに、
*[[wikt:en:Germanus#Adjective|Germanos]] [[wikt:en:eques#Latin|equites]] circiter CCCC([[wikt:en:quadringentos|quadringentos]]) [[wikt:en:submittit|submittit]],
**<small>(カエサルは)</small>[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の騎兵たち約400騎を救援に派遣する。
*quos ab [[wikt:en:initium#Latin|initio]] <u>habere [[wikt:en:secum#Latin|secum]]</u> [[wikt:en:instituerat|instituerat]].
**その者らは<small>(戦いの)</small>当初から自分のそばに保持すると決めていたものであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> χ系・B・M・S写本では habere secum だが、<br> β系・L・N写本では secum habere となっている。)</span>
:
; ゲルマーニア騎兵が、ウェルキンゲトリークス配下の騎兵を一蹴する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Eorum [[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]] [[wikt:en:sustineo#Latin|sustinere]] non [[wikt:en:potuerunt|potuerunt]]
**彼ら<small>〔ゲルマーニア人騎兵〕</small>の突撃に<small>(敵側の)</small>ガッリア人たちは持ちこたえることができず、
*atque in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]]
**敗走に追いやられて、
*multis [[wikt:en:amissus#Latin|amissis]]
**大勢の者を失い、
*se ad [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:receperunt|receperunt]].
**<small>(後方にいたウェルキンゲトリークスの)</small>隊列に退却した。
:
; 城塞都市ノウィオドゥーヌムがカエサルの軍門に降る
*Quibus [[wikt:en:profligatus#Latin|profligatis]],
**彼ら<small>〔ウェルキンゲトリークスの騎兵隊〕</small>が制圧されると、
*rursus [[wikt:en:oppidanus#Noun|oppidani]] [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]]
**[[w:オッピドゥム|城塞都市]]<small>〔ノウィオドゥーヌム〕</small>の者たちは再び怖れをなして、
*[[wikt:en:comprehensus#Latin|comprehensos]] eos, quorum [[wikt:en:opera#Latin|opera]] [[wikt:en:plebs#Latin|plebem]] [[wikt:en:concitatus#Latin|concitatam]] [[wikt:en:existimabant|existimabant]],
**その働きかけによって民衆を扇動したと<small>(城塞の民が)</small>考えていたところの者たちを拘束して、
*ad Caesarem [[wikt:en:perduxerunt|perduxerunt]]
**カエサルのもとへ連行して、
*seseque ei [[wikt:en:dediderunt|dediderunt]].
**自分たちも彼<small>〔カエサル〕</small>に降伏した。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサルが、ビトゥリゲース族の城塞都市アウァーリクムを目指す
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Quibus rebus [[wikt:en:confectus#Latin|confectis]],
**それらの事が成し遂げられると、
*Caesar ad oppidum [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**カエサルは、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]アウァーリクムへ、
*quod erat [[wikt:en:maximus#Latin|maximum]] [[wikt:en:munitissimus#Latin|munitissimum]]<nowiki>que</nowiki> in finibus [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] atque [[wikt:en:ager#Latin|agri]] [[wikt:en:fertilissimus#Latin|fertilissima]] [[wikt:en:regio#Latin|regione]],
**──それはビトゥリゲース族の領土で耕地の最も肥沃な地方にあり、最大かつ最も要塞化されていたが、──
*[[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectus]] est,
**<small>(そこへ)</small>出発した。
*quod eo oppido [[wikt:en:receptus#Latin|recepto]]
**──というのは、その城塞都市を獲得することで、
*[[wikt:en:civitas#Latin|civitatem]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] se in [[wikt:en:potestas#Latin|potestatem]] [[wikt:en:redacturus#Latin|redacturum]] [[wikt:en:confidebat|confidebat]].
**ビトゥリゲースの部族国家を<small>(カエサルの)</small>隷下に引き戻すであろうと、確信していたからである──。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==アウァーリクム攻略戦==
===14節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/14節]] {{進捗|00%|2026-03-08}}</span>
;ウェルキンゲトリークスが兵站妨害と焦土戦術を決断
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] tot [[wikt:en:continuus#Latin|continuis]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodis]] [[wikt:en:Vellaunodunum#Latin|Vellaunoduni]], [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]], [[wikt:en:Noviodunum#Latin|Novioduni]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ウェッラウノドゥーヌム、ケナブム、ノウィオドゥーヌムと、このような多くの引き続く敗北をこうむると、
*suos ad [[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:convocat#Latin|convocat]].
**麾下の者たちを会合へ召集する。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; ウェルキンゲトリークスが、ローマ勢の糧道を断つことを提言
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:docet|Docet]] longe alia ratione esse bellum [[wikt:en:gerendus#Latin|gerendum]] atque antea [[wikt:en:gestus#Participle|gestum]] sit.
**以前に遂行されていたのとはまったく別の作戦で戦争が遂行されるべきである、と説く。
*Omnibus [[wikt:en:modus#Latin|modis]] huic rei studendum, ut [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulatione]] et [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatu]] Romani [[wikt:en:prohibeantur|prohibeantur]].
**ローマ人たちが[[w:糧秣|糧秣]]徴発と物資輸送を妨げられるべく、この事をあらゆる方法で追求するべきだ。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Id esse facile,
**そのことは、容易である。
*quod [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] ipsi [[wikt:en:abundent#Latin|abundent]]
**というのは<small>(我々ガッリア勢)</small>自身は[[w:騎兵|騎兵隊]]がたくさんおり、
*et quod anni tempore [[wikt:en:subleventur|subleventur]].
**<small>(冬という)</small>時季に支えられているのだから。
:
; ローマ人が穀物倉に群がるところを騎兵で襲撃するべし
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:pabulum#Latin|Pabulum]] [[wikt:en:secari|secari]] non posse;
**<small>(この時季には)</small><ruby><rb>[[w:秣|秣]]</rb><rp>(</rp><rt>まぐさ</rt><rp>)</rp></ruby> は刈り取られることができない。
*[[wikt:en:necessario#Adverb|necessario]] [[wikt:en:dispersus#Latin|dispersos]] hostes ex [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificiis]] [[wikt:en:petere|petere]];
**敵たち<small>〔ローマ勢〕</small>はやむなく分散して、家屋から<small>(糧秣を)</small>求める。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ほとんどの会話が間接話法を採る本書で、<br> ローマ勢が「敵」hostes と表現されることは極めてまれである。)</span>
*hos omnes [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] ab [[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] <u>deleri</u> posse.
**これら皆を日々に<small>(ガッリア側の)</small>騎兵隊によって壊滅させることができる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では [[wikt:en:deleri|deleri]]「滅ぼされる」だが、<br> α系写本では [[wikt:en:diligi#Latin|diligi]]「分断される」となっている。)</span>
:
; 焦土戦術をもって、ローマ人と軍馬を飢えさせるべし
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Praeterea [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa rei [[wikt:en:familiaris#Adjective|familiaris]] [[wikt:en:commodum#Latin|commoda]] [[wikt:en:neglegendus#Latin|neglegenda]];
**さらに<small>(同盟諸部族に共通の)</small>安全のために、私有資産の利益はなおざりにされるべきだ。
*[[wikt:en:vicus#Latin|vicos]] atque [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:incendi#Verb_2|incendi]] [[wikt:en:oportet#Latin|oportere]]
**<small>(以下のような領域の)</small>村々や建物は焼かれるべきだ。
*hoc spatio ab Boia quoque versus, quo [[wikt:en:pabulandi#Verb|pabulandi]] causa [[wikt:en:adire#Latin|adire]] posse [[wikt:en:videantur|videantur]].
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]のところから四方八方へ糧秣徴発するために赴くことができると思われる領域では。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:主要写本ω にある ab Boia「ボイイー族のところから」は、<br> 現代では「街道から」ab via と修正読みされることが多い。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:quoque#Latin|quōque]] [[wikt:en:versus#Adverb|versus]] = [[wikt:en:quisque#Latin|quōquō]] versus「あらゆる方向へ」)</span>
[[画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|thumb|right|250px|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイー族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。]]
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Harum ipsis rerum copiam [[wikt:en:suppeto#Latin|suppetere]],
**<small>(ガッリア勢)</small>自身には、これらの物は、豊富に貯えてある。
*quod quorum in finibus bellum [[wikt:en:geratur|geratur]], eorum [[wikt:en:ops#Noun_4|opibus]] [[wikt:en:subleventur|subleventur]];
**──というのは、戦争が遂行される領土内の者たちの、彼らの助力に支えられているからだ。──
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> Romanos <u>aut</u> [[wikt:en:inopia#Latin|inopiam]] non [[wikt:en:laturus#Latin|laturos]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**ローマ人たちは、あるいは<small>(糧食の)</small>欠乏に耐えられないであろうし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:aut#Latin|aut]] ~ aut …「あるいは~あるいは…」)</span>
*<u>aut</u> magno <u>cum</u> periculo longius <u>ab</u> castris [[wikt:en:processurus#Latin|processuros]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>;
**あるいは大きな危険とともに陣営からより遠くに進み出るであろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:cum は、ρ系写本・写本Tの記述で、<br> α系写本・写本Vにはない。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab は、α系・ρ系写本・写本Vの記述で、写本Tでは a となっている。)</span>
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> neque [[wikt:en:interesse#Latin|interesse]], ipsos<u>ne</u> [[wikt:en:interficiant|interficiant]], [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]]<u><nowiki>ne</nowiki></u> [[wikt:en:exuant|exuant]],
**<small>(ローマ人の)</small>当人たちを殺戮するか、輜重を奪い取るか、<small>(どちらであろうが)</small>違いはない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:-ne#Latin|-ne]] は疑問小辞。~ -ne, … -ne 「~か、…か」)</span>
*quibus [[wikt:en:amissus#Latin|amissis]] bellum [[wikt:en:geri#Latin|geri]] non [[wikt:en:possit|possit]].
**それら<small>〔輜重〕</small>を失えば、戦争を遂行することができないのだから。
:
*<!--❾--><sup>(9)</sup> Praeterea oppida [[wikt:en:incendi#Verb_2|incendi]] [[wikt:en:oportet#Latin|oportere]],
**さらに、<small>(以下のような)</small>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]は焼かれなければならない。
*quae non [[wikt:en:munitio#Latin|munitione]] et loci natura <u>ab omni</u> sint <u>periculo</u> [[wikt:en:tutus#Latin|tuta]],
**防塁や地勢によってあらゆる危険から守られていない<small>(城塞都市は)</small>。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab [[wikt:en:omni#Latin|omni]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] 「あらゆる危険から」)</span>
*<u>neu</u> suis sint ad <u>detrectandam</u> [[wikt:en:militia#Latin|militiam]] [[wikt:en:receptaculum#Latin|receptacula]]
**麾下の者たちにとっては<small>(城塞都市が)</small>[[w:兵役逃れ|兵役を忌避すること]]のための隠れ場所になることがないように、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:neu#Latin|neu]] は α系写本の記述で、β系写本では [[wikt:en:ne#Latin|ne]] となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:detrectandam|detrectandam]] は α系・ρ系写本の表記で、π系写本では [[wikt:en:detractandam|detractandam]] となっている。)</span>
*neu [[wikt:en:Romani#Latin|Romanis]] [[wikt:en:propositus#Latin|proposita]] ad [[wikt:en:copia#Latin|copiam]] [[wikt:en:commeatus#Noun|commeatus]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:tollendus#Latin|tollendam]],
**ローマ人たちにとって<small>(城塞都市が)</small>豊富な物資や戦利品を奪うための置き場所ともならないように。
:
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Haec si [[wikt:en:gravis#Latin|gravia]] aut [[wikt:en:acerbus#Latin|acerba]] [[wikt:en:videantur|videantur]],
**もし、これら<small>(の作戦)</small>が厳しい、または苦しいと見えるとしても、
*multo illa [[wikt:en:graviter#Latin|gravius]] <u>aestimare</u>, [[wikt:en:liber#Noun_6|liberos]], [[wikt:en:coniunx#Latin|coniuges]] in [[wikt:en:servitus#Latin|servitutem]] [[wikt:en:abstrahi|abstrahi]], ipsos [[wikt:en:interfici|interfici]];
**それより、子供や配偶者たちが奴隷状態で連れ去られ、自身が殺されることの方が、はるかに厳しいと判断されるべきだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:aestimare|aestimare]] だが、 <br> β系写本では [[wikt:en:aestimari|aestimari]] [[wikt:en:debere|debere]] となっている。)</span>
*quae sit [[wikt:en:necesse#Latin|necesse]] [[wikt:en:accido#Etymology_1|accidere]] [[wikt:en:victus#Participle|victis]].
**それらのことは、打ち負かされた者たちには、起こることが必然なのである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===15節===
[[画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|thumb|right|300px|'''アウァーリクム'''(Avaricum)すなわちビトゥリゲース族(Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガッリア時代からこの地方の中心的な城塞都市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。]]
[[画像:Bourges.JPG|thumb|right|300px|アウァーリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲース族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲース・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァーリクム周辺にいた'''ビトゥリゲース・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲース・クビ族の方である。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/15節]] {{進捗|00%|2026-03-08}}</span>
;焦土戦術開始、しかしアウァーリクムの防衛を決定
:
; 焦土戦術として、ビトゥリゲース族の街々が焼かれる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Omnium [[wikt:en:consensus#Latin|consensu]]
**<small>(会合の参加者)</small>全員の合意により
*hac [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:probatus#Latin|probata]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスの)</small>この意向が承認されると、
*uno die [[wikt:en:amplius|amplius]] [[wikt:en:viginti|viginti]]<sub> (XX)</sub> [[wikt:en:urbs#Latin|urbes]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] [[wikt:en:incenduntur|incenduntur]].
**一日で、20より多いビトゥリゲース族の街々が焼かれる。
:
; ほかの諸部族の街々も焼かれる
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Hoc idem fit in reliquis [[wikt:en:civitas#Latin|civitatibus]]:
**これと同じことが、ほかの諸部族でも行なわれて、
*in omnibus partibus
**あらゆる方面において、
*[[wikt:en:incendium#Latin|incendia]] [[wikt:en:conspiciuntur|conspiciuntur]];
**炎上が望見される。
*quae <u>etsi</u> magno cum [[wikt:en:dolor#Latin|dolore]] omnes [[wikt:en:ferebant|ferebant]],
**それらの皆が大きな悲嘆とともに耐えていたとしても、
*<u>tamen</u> hoc sibi [[wikt:en:solacium#Latin|solacii]] [[wikt:en:proponebant|proponebant]],
**しかし、自分らにとっての<small>(以下の)</small>慰めを抱いていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~ [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …<br> 「~としても、にもかかわらず…」)</span>
*quod se prope [[wikt:en:exploratus#Latin|explorata]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoria]]
**勝利はほぼ確実なものとされて、
*celeriter [[wikt:en:amissus#Latin|amissa]] [[wikt:en:reciperaturus#Latin|reciperaturos]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**失ったものを速やかに回復するであろう、
*[[wikt:en:confidebant|confidebant]].
**と確信していたことである。
:
; アウァーリクムは、焦土戦術か、それとも防衛すべきか?
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:deliberatur|Deliberatur]] de [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] in [[wikt:en:communis#Latin|communi]] [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]], [[wikt:en:incendi#Latin|incendi]] <u>placeret</u> an [[wikt:en:defendi#Latin|defendi]].
**合同の会合において、アウァーリクムについて (も) 焼き討ちが良いか、あるいは防衛か、が吟味される。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:placeret|placeret]]<sub> (接続法・未完了過去)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:placeat|placeat]]<sub> (接続法・現在)</sub> となっている。)</span>
:
; ビトゥリゲース族が、要害であるアウァーリクムの防衛を懇願する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:procumbunt|Procumbunt]] omnibus Gallis ad pedes [[wikt:en:Bituriges#Latin|Bituriges]],
**<small>(会合に参加していた)</small>すべてのガッリア人の足元へ、ビトゥリゲース族の者たちはひれ伏す。
*ne [[wikt:en:pulcherrimus#Latin|pulcherrimam]] prope <u>[[wikt:en:totus#Latin|totius]] Galliae</u> [[wikt:en:urbs#Latin|urbem]], quae <u>et</u> [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] et [[wikt:en:ornamentum#Latin|ornamento]] sit [[wikt:en:civitas#Latin|civitati]],
**ほぼ全ガッリアの街々で最も美しいもの、部族にとっては要害でも誉れでもあるものを、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totius Galliae は α系写本の語順で、β系写本では Galliae totius となっている。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et は β系写本にはあるが、α系写本にはない。)</span>
*suis manibus [[wikt:en:succendo#Latin|succendere]] [[wikt:en:cogerentur|cogerentur]];
**自分たちの手で燃やすことを強いられないように、と(懇願した)。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne ~ cogerentur;~を強いられないように)</span>
:
; アウァーリクムの地の利
*<!--❺--><sup>(5)</sup> facile se loci natura [[wikt:en:defensurus#Latin|defensuros]] [[wikt:en:dicunt|dicunt]],
**自分たちは<small>(アウァーリクムを)</small>地勢によって容易に防衛するだろう、と述べる。
*quod prope ex omnibus partibus [[wikt:en:flumen#Latin|flumine]] et [[wikt:en:palus#Latin|palude]] [[wikt:en:circumdatus#Latin|circumdata]]
**というのは<small>(アウァーリクムは)</small>ほぼあらゆる方向から川や沼地で囲まれており、
*unum habeat et [[wikt:en:perangustus#Latin|perangustum]] [[wikt:en:aditus#Latin|aditum]].
**一つだけ、非常に狭い進入路を持っているからだ。
[[画像:Bourges_2.JPG|thumb|right|300px|アウァーリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガッリア時代からこの街を囲んでいる。]]
:
; アウァーリクムの防衛が認められる
*<!--❻--><sup>(6)</sup> [[wikt:en:datur#Latin|Datur]] [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:venia#Latin|venia]]
**<small>(アウァーリクムの防衛を)</small>求める者たちに許可が与えられる。
*[[wikt:en:dissuadens#Latin|dissuadente]] primo [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は当初は思い止まらせていたが、
*post [[wikt:en:concedens#Latin|concedente]] et [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] ipsorum et [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordia]] [[wikt:en:vulgus#Latin|vulgi]].
**後には、彼ら当人の懇願にも、民衆への哀れみにも、譲歩した。
*[[wikt:en:defensor#Latin|Defensores]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:idoneus#Latin|idonei]] [[wikt:en:deliguntur|deliguntur]].
**城塞都市の適切な防衛者たちが選ばれる。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===16節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/16節]] {{進捗|00%|2026-03-22}}</span>
;アウァーリクムをめぐる両軍の駆け引き
:
; ウェルキンゲトリークスが、アウァーリクムから16マイル離れたところに宿営する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] [[wikt:en:minor#Latin|minoribus]] Caesarem [[wikt:en:iter#Latin|itineribus]] [[wikt:en:subsequitur|subsequitur]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、カエサルを緩やかな行軍で追尾して、
*et locum [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:eligit#Latin|deligit]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|munitum]]
**沼地や森林で防御された地点を陣営のために選んだ。
*ab [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] longe milia passuum [[wikt:en:sedecim#Latin|sedecim]]<sub> (XVI)</sub>.
**アウァーリクムから16<u>ローママイル</u>隔たっていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、16マイルは約24 km)</span>
:
; ウェルキンゲトリークスが、斥候を放ってアウァーリクムを探り、部下たちに指図する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ibi per [[wikt:en:certus#Latin|certos]] [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]]
**そこで、一定の斥候たちを通して、
*in [[wikt:en:singulus#Latin|singula]] diei tempora, quae ad [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]] <u>agerentur</u>, [[wikt:en:cognoscebat|cognoscebat]]
**日中の毎時、アウァーリクム近傍で行なわれていることを探知して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:agerentur|agerentur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:gererentur|gererentur]] となっている。)</span>
*et, [[wikt:en:quis#Latin|quid]] [[wikt:en:fieri#Latin|fieri]] [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]], [[wikt:en:imperabat|imperabat]].
**<small>(彼自身が)</small>なされることを欲していることを<small>(麾下の者たちに)</small>命令していた。
:
; ウェルキンゲトリークスとローマ勢の糧秣調達をめぐる攻防
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Omnes nostras [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulationes]] [[wikt:en:frumentatio#Latin|frumentationes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:observabat|observabat]]
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の[[w:糧秣|秣や糧食]]の徴発の一部始終を注視していて、
*[[wikt:en:dispersus#Latin|dispersos]]<nowiki>que</nowiki>, cum longius necessario [[wikt:en:procederent|procederent]], [[wikt:en:adoriebatur|adoriebatur]]
**<small>(ローマ勢が)</small>分散して、やむを得ずにはるか遠くに進み出たときに、<small>(ガッリア勢が)</small>襲いかかって、
*[[wikt:en:magnus#Latin|magno]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]] [[wikt:en:adficiebat|adficiebat]],
**<small>(ローマ勢に)</small>大きな損害を与えていた。
*[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]], quantum [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] [[wikt:en:provideri|provideri]] [[wikt:en:poterat|poterat]], ab nostris [[wikt:en:occurrebatur|occurrebatur]],
**とはいえ、できるかぎり用心する判断により<small>(敵の襲撃を)</small>我が方<small>〔ローマ勢〕</small>によって阻止していた。
*ut [[wikt:en:incertus#Latin|incertis]] temporibus [[wikt:en:diversus#Latin|diversis]]<nowiki>que</nowiki> itineribus [[wikt:en:iretur|iretur]].
**不確定な時間帯にまったく別々の道を行き来するというように。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===17節===
[[画像:Carte_du_Cher.svg|thumb|right|250px|アウァーリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイー族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の版図であった。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/17節]] {{進捗|00%|2026-03-28}}</span>
;アウァーリクム攻囲に取りかかるローマ軍の糧秣欠乏
:
; カエサルが、アウァーリクム攻囲のための堡塁工事に着手
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:castra#Latin|Castris]] ad eam partem [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidi]] [[wikt:en:positus#Participle|positis]] Caesar,
**カエサルは、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の<small>(以下に述べるような)</small>方面に陣営を設置して、
*quae [[wikt:en:intermissus#Latin|intermissa]] a flumine et a <u>paludibus</u>
**──<small>(その方面は)</small>川や沼地により<small>(外部から)</small>遮断されて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:paludibus|paludibus]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:palude#Latin|palude]] となっている。)</span>
*[[wikt:en:aditus#Noun_3|aditum]], ut supra [[wikt:en:diximus#Latin|diximus]], [[wikt:en:angustus#Latin|angustum]] [[wikt:en:habebat|habebat]],
**<u>前に述べたように</u>、狭い進入路を持っているというものであるが、──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#15節|15節]]⑤項では、<br> ほぼあらゆる方向から川や沼地で囲まれており、<br> 一つだけ、非常に狭い進入路を持っている、<br> と言及された。)</span>
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:apparare#Latin|apparare]],
**<small>(さらに)</small><ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を装備すること、
*[[wikt:en:vinea#Latin|vineas]] [[wikt:en:ago#Latin|agere]],
**<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby> を駆動すること、
*[[wikt:en:turris#Latin|turres]] duas [[wikt:en:constituo#Latin|constituere]] [[wikt:en:coepit|coepit]];
**2つの<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby> を建てること、を始めた。
*nam [[wikt:en:circumvallo#Latin|circumvallare]] loci natura [[wikt:en:prohibebat|prohibebat]].
**なぜなら<small>(城塞都市を)</small>堡塁で囲むことを地勢が妨げていたからだ。
<div style="text-align:center;">
{|
|-
|[[画像:Caesar's Gallic war; (Allen and Greenough's ed.) (1898) (14781415375).jpg|thumb|right|350px|城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた<ruby><rb>土塁</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> の復元画([[ガリア戦記_第2巻#12節|第2巻12節]]で既出)。左上には、両軍の<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>が描かれている。]]
|[[画像:Bender - Vinea.JPG|thumb|right|350px|<ruby><rb>工作小屋</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby> [[wikt:en:vinea|vinea]] の復元画([[ガリア戦記_第2巻#12節|第2巻12節]]で既出)。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。]]
|}
</div>
:
; カエサルが、同盟者であるボイイー族やハエドゥイー族に、糧秣徴発を促す
*<!--❷--><sup>(2)</sup> De re [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentaria]]
**<small>(カエサルは)</small>[[w:糧秣|糧秣]]調達について、
*[[wikt:en:Boii#Latin|Boios]] atque [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduos]] [[wikt:en:adhortari|adhortari]] non [[wikt:en:destitit|destitit]];
**[[w:ボイイ族|ボイイー族]]や[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を鼓舞することを止めなかった。
*quorum [[wikt:en:alter#Latin|alteri]], quod [[wikt:en:nullus#Determiner|nullo]] [[wikt:en:studium#Latin|studio]] [[wikt:en:agebant|agebant]], non multum [[wikt:en:adiuvabant|adiuvabant]],
**彼らのうち一方<small>〔ハエドゥイー族〕</small>は、何らの努力を行なわなかったので、あまり助けにならなかった。
*[[wikt:en:alter#Latin|alteri]] non magnis [[wikt:en:facultas#Latin|facultatibus]], quod [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]] erat [[wikt:en:exiguus#Latin|exigua]] et [[wikt:en:infirmus#Latin|infirma]],
**他方<small>〔ボイイー族〕</small>は、貧弱かつ無力な部族であったので、大した貯えもなく、
*celeriter quod [[wikt:en:habuerunt|habuerunt]] [[wikt:en:consumpserunt|consumpserunt]].
**早々と持っていたものを消費し切ってしまった。
:
; 糧秣の欠乏が続くが、ローマの将兵たちが耐え抜く
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:summus#Latin|Summa]] [[wikt:en:difficultas#Latin|difficultate]] rei [[wikt:en:frumentarius#Adjective|frumentariae]] [[wikt:en:adfectus#Latin|adfecto]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitu]]
**<small>(ローマ人の)</small>軍隊は糧秣調達の大いなる困難さに苦悩させられながらも、
*[[wikt:en:tenuitas#Latin|tenuitate]] [[wikt:en:Boii#Latin|Boiorum]],
**──<small>(その困難は)</small>ボイイー族の微力さ、
*[[wikt:en:indiligentia#Latin|indiligentia]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]],
**ハエドゥイー族の怠慢、
*[[wikt:en:incendium#Latin|incendiis]] [[wikt:en:aedificium#Latin|aedificiorum]],
**<small>(敵勢による)</small>家屋の焼き打ちによるものであったが、──
*usque eo ut [[wikt:en:complures#Determiner|complures]] dies [[wikt:en:frumentum#Latin|frumento]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:caruerint|caruerint]]
**かなりの日々にわたって兵士たちは糧食を欠くまでになり、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:usque#Latin|usque]] eo ut ~「~まで」)</span>
*et [[wikt:en:pecus#Latin|pecore]] ex [[wikt:en:longinquior#Latin|longinquioribus]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicis]] [[wikt:en:adactus#Latin|adacto]]
**かなり遠方の村々から家畜を駆り立てたので
*[[wikt:en:extremus#Latin|extremam]] [[wikt:en:fames#Latin|famem]] [[wikt:en:sustentarent|sustentarent]],
**極限の飢えに耐え通すまでになったのであるが、
*[[wikt:en:nullus#Determiner|nulla]] tamen <u>vox est ab iis</u> [[wikt:en:auditus#Latin|audita]] populi Romani [[wikt:en:maiestas#Latin|maiestate]] et [[wikt:en:superior#Latin|superioribus]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriis]] [[wikt:en:indignus#Latin|indigna]].
**しかしながら、ローマ人民の威厳やかつての勝利にふさわしからぬ声は、彼らから何ら聞かれなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:vox#Latin|vox]] est <u>ab</u> iis だが、<br> β系写本では <u>ex</u> iis vox est となっている。)</span>
:
; ローマ人将兵たちがカエサルに攻囲の継続を訴える
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:quin#Latin|Quin]] etiam Caesar cum in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:singulus#Latin|singulas]] [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] [[wikt:en:appellaret|appellaret]],
**いやそればかりか、カエサルが作業中のそれぞれの[[w:ローマ軍団|軍団]]に呼びかけたとき、
*et, si [[wikt:en:acerbe#Latin|acerbius]] [[wikt:en:inopia#Latin|inopiam]] [[wikt:en:ferrent#Latin|ferrent]], se [[wikt:en:dimissurus#Latin|dimissurum]] <span style="color:#009900;"><sub>(esse)</sub></span> [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:diceret|diceret]],
**もし、とても過酷に欠乏に耐えているのならば、自分は攻囲を放棄するであろう、とカエサルが言っていたときに、
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:universi#Latin|universi]] ab eo, ne id [[wikt:en:faceret|faceret]], [[wikt:en:petebant|petebant]] :
**<small>(各軍団の)</small>一同は、彼<small>〔カエサル〕</small>に、それ<small>〔攻囲の放棄〕</small>をしないように求めていた。
*sic se complures annos illo [[wikt:en:imperans#Latin|imperante]] [[wikt:en:meruisse|meruisse]],
**自分たちは<small>(以下のように)</small>幾年にもわたって彼<small>〔カエサル〕</small>の麾下で努めてきた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:sic ~ ut …「…のように~である」)</span>
*ut [[wikt:en:nullus#Determiner|nullam]] [[wikt:en:ignominia#Latin|ignominiam]] [[wikt:en:acciperent|acciperent]], <u>nusquam incepta</u> re [[wikt:en:discederent|discederent]]:
**何ら不名誉を蒙ってないし、事<small>〔戦役〕</small>が完遂されないまま<small>(戦列を)</small>離脱することは決してなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:nusquam#Latin|nusquam]] [[wikt:en:inceptus#Latin|incepta]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:infectus#Adjective|infecta]] となっている。)</span>
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> hoc se [[wikt:en:ignominia#Latin|ignominiae]] <u>loco [[wikt:en:laturus#Latin|laturos]]</u> <span style="color:#009900;"><sub>(esse)</sub></span>, si [[wikt:en:inceptus#Latin|inceptam]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] [[wikt:en:reliquissent|reliquissent]];
**もし<small>(自分たちが)</small>着手した攻囲を放棄してしまったならば、自分たちはこの状態を不名誉と見なすであろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では loco laturos の語順だが、<br> α系写本では laturos loco の語順となっている。)</span>
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> <u>praestare</u> omnes [[wikt:en:perferre|perferre]] [[wikt:en:acerbitas#Latin|acerbitates]],
**あらゆる厳しさに持ちこたえることは<small>(以下のこと)</small>よりましである。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:praestare|praestare]] ~ [[wikt:en:quam#Adverb|quam]] …「…よりも~がより優る」)</span>
*<u>quam</u> non [[wikt:en:civis#Latin|civibus]] Romanis, qui [[wikt:en:Genabum#Latin|Cenabi]] [[wikt:en:perfidia#Latin|perfidia]] Gallorum [[wikt:en:interissent|interissent]], [[wikt:en:parentarent|parentarent]].
**ケナブムでガッリア人たちの不義により滅びたローマ市民たちの仇討ちをしないよりも。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#3節|3節]]①項を参照。仇討ちをしないのなら、苦しむ方がましである、の意)</span>
:
*<!--❽--><sup>(8)</sup> Haec [[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:centurio#Latin|centurionibus]] [[wikt:en:tribunus#Latin|tribunis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:miles#Latin|militum]]
**これらと同じことを、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、
*[[wikt:en:mandabant|mandabant]], ut per eos ad Caesarem [[wikt:en:deferrentur|deferrentur]].
**彼らを通じてカエサルに申し立てるように、依頼していた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===18節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/18節]] {{進捗|00%|2026-04-13}}</span>
;カエサルがウェルキンゲトリークス不在の敵陣へ迫る
:
; カエサルは、ウェルキンゲトリークスが糧秣の欠乏によりローマ勢の糧秣徴発隊を襲撃に向かったと知る
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Cum iam [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:turris#Latin|turres]] [[wikt:en:adpropinquassent#Latin|adpropinquassent]],
**すでに<small>(アウァーリクムの)</small>城壁に<small>(ローマ勢の)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]が近づいていた際に、
*ex [[wikt:en:captivus#Noun|captivis]] Caesar [[wikt:en:cognovit#Latin|cognovit]],
**カエサルは、捕虜たちから<small>(以下のことを)</small>知った。
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]], [[wikt:en:consumptus#Latin|consumpto]] [[wikt:en:pabulum#Latin|pabulo]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は[[w:糧秣|糧秣]]を消費し切ると、
*castra [[wikt:en:movisse#Latin|movisse]] propius [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**陣営をアウァーリクムのより近くに移動させて、
*atque ipsum cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:expeditus#Noun|expeditis]]<nowiki>que</nowiki>, qui inter [[wikt:en:eques#Latin|equites]] [[wikt:en:proeliari#Verb|proeliari]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**彼自身は、[[w:騎兵|騎兵]]隊、および騎兵たちの間で争闘することに習熟していた[[w:軽装歩兵|軽装歩兵]]たちとともに、
*<u>insidiarum</u> causa eo [[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectum]], quo nostros postero die [[wikt:en:pabulatum#Verb|pabulatum]] [[wikt:en:venturus#Latin|venturos]] [[wikt:en:arbitraretur#Latin|arbitraretur]].
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>が翌日に糧秣徴発にやって来るであろうと思われるところで待ち伏せするために、出発した、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:insidiarum|insidiarum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:insidiandi#Latin|insidiandi]] となっている。)</span>
[[画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|thumb|right|300px|アウァーリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァーリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリークスが移動させた陣営。]]
[[画像:Funerary chariot in the archeological museum of Strasbourg.jpg|thumb|right|300px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の墳墓の副葬品として発掘された '''四輪荷馬車''' のレプリカ(仏ストラスブール考古学博物館)。]]
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]]
**<small>(カエサルは)</small>それらの事情を知るや、
*media nocte [[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] [[wikt:en:profectus#Etymology_3|profectus]]
**真夜中の静けさのうちに出発して、
*ad hostium castra [[wikt:en:mane#Adverb_2|mane]] [[wikt:en:pervenit#Etymology_2|pervenit]].
**敵の陣営の辺りへ朝方に到着した。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Illi, celeriter per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]] Caesaris [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]]
**あの者たちは、速やかに斥候たちを通じてカエサルの到来を知るや、
*<u>carros</u> [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]]<nowiki>que</nowiki> sua in [[wikt:en:artior#Latin|artiores]] [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:abdiderunt#Latin|abdiderunt]],
**自分たちの<u>四輪荷馬車</u>と[[w:輜重|輜重]]をとても深い森の中に隠して、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:四輪荷馬車 [[wikt:en:carrus#Latin|carrus]] は、例えば右の画像のものを参照。)</span>
*copias omnes in loco [[wikt:en:editus#Latin|edito]] atque [[wikt:en:apertus#Latin|aperto]] [[wikt:en:instruxerunt#Latin|instruxerunt]].
**全軍勢を高くそびえて開けている場所に配置した。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Qua re [[wikt:en:nuntiatus#Latin|nuntiata]]
**その事を報告されて、
*Caesar celeriter [[wikt:en:sarcina#Latin|sarcinas]] [[wikt:en:conferri#Latin|conferri]],
**カエサルは速やかに<small>(兵士たちの)</small>[[w:背嚢|背嚢]]が運び集められること、
*[[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:expediri#Latin|expediri]] [[wikt:en:iussit#Verb|iussit]].
**武具が<small>(すぐ使えるように)</small>整えられることを命じた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===19節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/19節]] {{進捗|00%|2026-04-20}}</span>
;丘の上のガッリア勢と沼沢を挟んで対峙する
:
; ガッリア勢の陣営の地勢
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:collis#Latin|Collis]] erat <u>leniter</u> ab [[wikt:en:infimus#Latin|infimo]] [[wikt:en:adclivis#Latin|adclivis]].
**<small>(ガッリア勢がいる)</small>丘陵はふもとから緩やかに、登り坂になっていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系・χ系・B・M・S・N<sup>c</sup> 写本では [[wikt:en:leviter#Latin|leviter]] 、<br> L・N写本では [[wikt:en:breviter#Latin|breviter]] だが、<br> より劣った写本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|codd.deter.]]'' では [[wikt:en:leniter#Latin|leniter]] となっている。
*Hunc ex omnibus fere partibus [[wikt:en:palus#Latin|palus]] [[wikt:en:difficilis#Latin|difficilis]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impedita]] [[wikt:en:cingebat#Latin|cingebat]]
**これ<small>〔丘陵〕</small>を、ほぼすべての方角から、不便で通りにくい沼地が取り巻いていて、
*non [[wikt:en:latior#Latin|latior]] [[wikt:en:pes#Latin|pedibus]] [[wikt:en:quinquaginta#Latin|quinquaginta]].
**<small>(その沼地は)</small>50<u>[[w:ペース (長さ)|ペース]]</u>より幅広くなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、50ペースは約15メートル弱。)</span>
:
; 丘の周囲を部族ごとに分かれて守備している
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Hoc se [[wikt:en:collis#Latin|colle]] [[wikt:en:interruptus#Latin|interruptis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]]
**この丘陵において、橋梁を破却すると、
*Galli [[wikt:en:fiducia#Latin|fiducia]] loci [[wikt:en:continebant#Latin|continebant]]
**ガッリア人たちは、地勢を頼りに留まっていて、
*[[wikt:en:generatim#Latin|generatim]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:distributus#Latin|distributi]] in civitates
**<small>(軍勢を)</small>諸部族の種族ごとに分けて配置させて、
*omnia [[wikt:en:vadum#Latin|vada]] ac [[wikt:en:saltus#Etymology_2|saltus]] eius [[wikt:en:palus#Latin|paludis]] <u>certis custodiis</u> [[wikt:en:obtinebant#Latin|obtinebant]],
**その沼地の、すべての浅瀬や隘路を <u>一定の護衛兵たちによって</u> 占領していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:certus#Latin|certis]] [[wikt:en:custodia#Latin|custodiis]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<u>sic</u> animo [[wikt:en:paratus#Latin|parati]] <u>ut</u>, si eam [[wikt:en:palus#Latin|paludem]] Romani [[wikt:en:perrumpo#Latin|perrumpere]] [[wikt:en:conarentur#Latin|conarentur]], [[wikt:en:haesitans#Latin|haesitantes]] [[wikt:en:premerent#Latin|premerent]] ex loco [[wikt:en:superior#Latin|superiore]];
**もしローマ勢がその沼地を強行突破せんと試みたならば、ぐずぐずしている者らを高地から圧倒する心積もりであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sīc]] ~, [[wikt:en:ut#Latin|ut]] ・・・「…であるように~である」)</span>
:
; 両軍は互角か?
*<!--❸--><sup>(3)</sup> ut, qui [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitatem]] loci [[wikt:en:videret#Latin|videret]],
**<small>(両軍の)</small>陣地が近接していることを見た者は、
*[[wikt:en:paratus#Latin|paratos]] prope [[wikt:en:aequus#Latin|aequo]] <u>Marte</u> ad [[wikt:en:dimicandum#Latin|dimicandum]] [[wikt:en:existimaret#Latin|existimaret]],
**<small>(ガッリア勢がローマ勢に対して)</small>ほぼ互角の戦い<small>(の条件)</small>で闘うつもりでいると考えただろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、[[wikt:en:Mars#Proper_noun_22|Mars]]「戦争の神マールス」ではなく、<br> [[wikt:en:Mars#Noun_4|Mars]]「戦争、闘い」そのものを指す。)</span>
; ガッリア勢は不利なのに虚勢を張っているのか?
*qui [[wikt:en:iniquitas#Latin|iniquitatem]] [[wikt:en:condicio#Latin|condicionis]] [[wikt:en:perspiceret#Latin|perspiceret]],
**<small>(ガッリア勢の)</small>条件の不利なことを見通した者は、
*[[wikt:en:inanis#Latin|inani]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] sese [[wikt:en:ostentare#Latin|ostentare]] [[wikt:en:cognosceret#Latin|cognosceret]].
**<small>(ガッリア勢が)</small>虚栄の見せかけで己を誇示していることを、理解しただろう。
:
; カエサルが、至近距離の敵への攻撃にいきり立つ将兵らを教え諭す
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:indignans#Latin|Indignantes]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]] Gaesar,
**カエサルは<small>(ガッリア勢の誇示に)</small>憤慨している兵士たちに、
*quod [[wikt:en:conspectus#Noun_2|conspectum]] suum hostes <u>perferre</u> [[wikt:en:possent#Latin|possent]] [[wikt:en:tantulus#Latin|tantulo]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatio]] [[wikt:en:interiectus#Latin|interiecto]],
**──というのも、これほどのわずかな距離しか介在してないのに、敵勢が自分らを<small>(平然と)</small>見据えていられるためだが──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:perferre#Latin|perferre]] だが、β系写本では [[wikt:en:ferre#Latin|ferre]] となっている。)</span>
*et signum proelii [[wikt:en:exposcens#Latin|exposcentes]] [[wikt:en:edocet#Latin|edocet]],
**および戦闘の合図を熱心に求めている者たちに対して<small>(以下のように)</small>説く。
*[[wikt:en:quantus#Latin|quanto]] [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimento]] et [[wikt:en:quot#Latin|quot]] [[wikt:en:vir#Latin|virorum]] [[wikt:en:fortis#Latin|fortium]] [[wikt:en:mors#Latin|morte]] [[wikt:en:necesse#Adverb|necesse]] sit [[wikt:en:constare#Latin|constare]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriam]];
**勝利を確実にすることが、どれほどの損害と、どれほど多くの勇敢な<ruby><rb>兵士</rb><rp>(</rp><rt>ウィル</rt><rp>)</rp></ruby>たちの死を必要とするか、を。
: <!-- [[wikt:en:| -->
; 多くのローマ兵が死に瀕すれば、カエサル自身が戦争犯罪で弾劾されるだろう
*<!--❺--><sup>(5)</sup> quos cum <u>sic</u> [[wikt:en:animus#Latin|animo]] [[wikt:en:paratus#Latin|paratos]] [[wikt:en:videat#Latin|videat]], <u>ut</u> [[wikt:en:nullus#Determiner|nullum]] pro sua [[wikt:en:laus#Latin|laude]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculum]] [[wikt:en:recusent#Latin|recusent]],
**彼ら<small>〔兵士たち〕</small>が己の賞賛のためにいかなる危険をも辞さない心積もりであると<small>(カエサルは)</small>見て取ったので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sīc]] ~, [[wikt:en:ut#Latin|ut]] ・・・「…であるように~である」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:pro sua laude 「自らの賞賛のために」は、「カエサルの賞賛のために」と解することもできる。<br> しかし、共和制国家に忠誠を誓っているはずの兵士らが、カエサル個人のために命を投げ出そうとする記述は、<br> 野心家カエサルが軍隊を私兵化しようとしている野望をさらけ出すことになり、政敵たちを利することになる。)</span>
*[[wikt:en:summus#Latin|summae]] se [[wikt:en:iniquitas#Latin|iniquitatis]] [[wikt:en:condemnari#Latin|condemnari]] [[wikt:en:debere#Latin|debere]], [[wikt:en:nisi#Conjunction|nisi]] eorum [[wikt:en:vita#Latin|vitam]] sua [[wikt:en:salus#Latin|salute]] [[wikt:en:habeat#Latin|habeat]] [[wikt:en:carior#Latin|cariorem]].
**<small></small>彼ら<small>〔兵士〕</small>の生命を己<small>〔カエサル〕</small>の安全より貴重と思わない限り、自分<small>〔カエサル〕</small>は極度の不正のために告発されるに違いない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:すでにサビーヌスら多くのローマ市民が戦死しており、ここでさらに多くのローマ市民を死なせることは、<br> カエサルから軍隊を取り上げることを主張していた政敵たちから厳しく糾弾されることになったであろう。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Sic [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:consolatus#Latin|consolatus]]
**<small>(カエサルは)</small>このように兵士たちを<ruby><rb>宥</rb><rp>(</rp><rt>なだ</rt><rp>)</rp></ruby>めて、
*eodem die [[wikt:en:reducit#Latin|reducit]] in castra
**同日に陣営の中に連れ戻して、
*[[wikt:en:reliquus#Latin|reliqua]]<nowiki>que</nowiki> quae ad [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationem]] <u>[[wikt:en:pertinebant#Latin|pertinebant]] [[wikt:en:oppidum#Latin|oppidi]]</u> [[wikt:en:administrare#Latin|administrare]] [[wikt:en:instituit#Latin|instituit]].
**城塞都市<small>〔アウァーリクム〕</small>の攻略に関わっているほかのことに従事することを決めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系・B・M・S写本では pertinebant oppidi の語順だが、<br> L・N・β系写本では oppidi pertinebant の語順となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===20節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/20節]] {{進捗|00%|2026-05-04}}</span>
;ウェルキンゲトリークスが味方に弁明し、捕虜に問い質す
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]], cum ad suos [[wikt:en:redisset#Latin|redisset]], [[wikt:en:proditio#Latin|proditionis]] [[wikt:en:insimulatus#Latin|insimulatus]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、味方のもとに戻った際に、<small>(以下のことで)</small>裏切りだと非難されていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] ~ で箇条書き。)</span>
*quod [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:propius#Latin|propius]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] [[wikt:en:movisset#Latin|movisset]],
**陣営をローマ人たちのより近くに移動させていたこと、
*quod cum omni [[wikt:en:equitatus#Noun|equitatu]] [[wikt:en:discessisset#Latin|discessisset]],
**全[[w:騎兵|騎兵隊]]とともに<small>(陣営を)</small>離れていたこと、
*quod sine [[wikt:en:imperium#Latin|imperio]] [[wikt:en:tantus#Latin|tantas]] [[wikt:en:copiae#Latin|copias]] [[wikt:en:reliquisset#Latin|reliquisset]],
**司令権<small>(を持つ者)</small>なしに、これほど多くの軍勢を置き去りにしていたこと、
*quod eius [[wikt:en:discessus#Noun|discessu]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romani]] [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitate]] et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] [[wikt:en:venissent#Latin|venissent]];
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の退去によりローマ人がこれほどの好機とこれほどの迅速さでやって来ていたこと、である。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> non haec omnia [[wikt:en:fortuito#Latin|fortuito]] aut sine [[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:accido#Etymology_1|accidere]] [[wikt:en:potuisse#Latin|potuisse]];
**──これらすべてが偶然に、あるいは謀りごとなしに起こることはあり得なかったのだ。
*[[wikt:en:regnum#Latin|regnum]] illum Galliae <u>malle</u> Caesaris [[wikt:en:concessus#Noun|concessu]] <u>quam</u> ipsorum habere [[wikt:en:beneficium#Latin|beneficio]]
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は<small>(ガッリア人)</small>自身の厚遇を得ることよりもむしろカエサルの許しにより[[w:ガリア|ガッリア]]の王権<small>(を持つこと)</small>を好んでいるのだ。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:malle#Latin|malle]] ~ quam …「…よりも、むしろ~を好む(選ぶ)」)</span>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ウェルキンゲトリークスが王権を望むあまり、同盟部族の生命をカエサルに売り渡したということである。)</span>
[[画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の横顔が刻まれたガッリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
:
; ━━ウェルキンゲトリークスの弁明が始まる━━
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:talis#Latin|tali]] [[wikt:en:modus#Latin|modo]] [[wikt:en:accusatus#Latin|accusatus]]
**こんな風に非難されて、
*ad haec [[wikt:en:respondit#Latin|respondit]]:
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>これらのことへ答えた。
*Quod [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:movisset#Latin|movisset]],
**陣営を移動させていたことは、
*[[wikt:en:factus#Latin|factum]] [[wikt:en:inopia#Latin|inopia]] [[wikt:en:pabulum#Latin|pabuli]],
**[[w:糧秣|糧秣]]の欠乏によりなされたのであり、
*etiam ipsis [[wikt:en:hortans#Latin|hortantibus]];
**<small>(ガッリア人たち)</small>自身が熱心に勧めることさえしているのだ。
*quod [[wikt:en:propius#Latin|propius]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] [[wikt:en:accessisset#Latin|accessisset]],
**ローマ人たちのより近くに近寄っていたことは、
*[[wikt:en:persuasus#Latin|persuasum]] loci [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitate]], qui se <u>ipsum</u> [[wikt:en:munitio#Latin|munitione]] [[wikt:en:defenderet#Latin|defenderet]];
**<small>(移動先の丘陵が)</small>それ自体を<small>(沼地という天然の)</small>要害により守っているという地の利に納得させられたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上記の se <u>ipsum</u> munitione defenderet 「そのものを防御物によって守る」は主要写本 ω の記述で、<br>''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Bentley,_Thomas|Th. Bentley]]'' は se <u>ipse sine</u> munitione defenderet 「そのものが防御物なしで守る」と修正提案している。)</span>
:
; 騎兵は、湿地帯での任務に適していない
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:eques#Latin|equitum]] vero [[wikt:en:opera#Latin|operam]]
**騎兵たちの働きはまさに、
*neque in loco [[wikt:en:paluster#Latin|palustri]] [[wikt:en:desiderari#Latin|desiderari]] [[wikt:en:debuisse#Latin|debuisse]]
**沼沢地において望まれるべきものではなかったし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:湿地・沼地では、ぬかるみに馬の足が取られるため、<br> 騎兵の長所である機動力が著しく低下し、<br> 速さを活かした偵察・突撃・迂回・追撃などがし難くなる。)</span>
*et [[wikt:en:illic#Adverb|illic]] fuisse [[wikt:en:utilis#Latin|utilem]], quo sint [[wikt:en:profectus#Participle_2|profecti]].
**<small>(騎兵たちが)</small>発って行ったところにおいては有効だったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#16節|16節]]冒頭の説明によれば、<br> ウェルキンゲトリークスが最初に宿営した場所は、<br> アウァーリクムから16マイル離れ、沼地や森林に守られていた。<br> [[#19節|19節]]では、より近い、沼地に囲まれたゆるやかな丘陵に移動したという。<br> この移動前後の地勢の優劣を、カエサルは必ずしも明瞭に説明していない。)</span>
:
; 兵は拙速を尊ぶ
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:summa#Latin|Summam]] [[wikt:en:imperium#Latin|imperii]]
**<small>(軍勢の)</small>最高司令権は、
*se [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] [[wikt:en:nullus#Latin|nulli]] [[wikt:en:discedens#Latin|discedentem]] [[wikt:en:tradidisse#Latin|tradidisse]],
**<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自らが意図的に、立ち去るに当たって、誰にも委託しなかった。
*[[wikt:en:ne#Latin|ne]] is [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudinis]] [[wikt:en:studium#Latin|studio]] ad [[wikt:en:dimicandus#Latin|dimicandum]] [[wikt:en:impelleretur#Latin|impelleretur]];
**その者が大勢の熱意によって<small>(ローマ人と)</small>闘うことに駆り立てられないように、である。
*cui rei <u>propter animi [[wikt:en:mollities#Latin|mollitiem]]</u> [[wikt:en:studere#Latin|studere]] omnes [[wikt:en:videret#Latin|videret]],
**その事<small>〔闘って決着を付けること〕</small>を、<u>心の柔弱さのゆえに</u>、皆が求めたがっている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:「心の柔弱さのゆえに、闘いがしたくなる」というのは、<br> 一見すると奇妙に感じられるが、ここでの柔弱さ([[wikt:en:mollities#Latin|mollities]])とは、<br> 長期の攻囲戦の労苦や疲弊に持ちこたえる忍耐力のなさを指し、<br> 長い苦難から逃避するために早期決戦を志向する心理を意味すると考えられる。)</span>
*quod [[wikt:en:diutius#Latin|diutius]] [[wikt:en:labor#Latin|laborem]] ferre non [[wikt:en:possent#Latin|possent]].
**──というのは、<small>(兵は)</small>より長く<small>(攻囲戦の)</small>労苦に耐えることができないからだ──。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[w:孫子 (書物)|孫子]]に曰く「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを<ruby><rb>睹</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby>ざるなり」<ref>[[wikt:en:故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり|故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり]]
「戦争というものは、拙劣に短期決戦を挑んだ事例は聞くが、巧妙に長期戦を続けた事例は聞かない」の意。長い戦争は人々を消耗させ、疲弊させてしまう。</ref>)</span>
:
; ローマ人は、闘わずに退却したではないか
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Romani si [[wikt:en:casu#Latin|casu]] [[wikt:en:intervenerint#Latin|intervenerint]], [[wikt:en:fortuna#Latin|fortunae]],
**もしローマ人たちが偶然に現われたのならば、命運に<small>(感謝するべきであり)</small>、
*si [[wikt:en:alicuius#Latin|alicuius]] [[wikt:en:indicium#Latin|indicio]] [[wikt:en:vocatus#Latin|vocati]], huic [[wikt:en:habendus#Latin|habendam]] [[wikt:en:gratia#Latin|gratiam]],
**もし<small>(ローマ人たちが)</small>何者かの申し立てに呼ばれて来たのならば、その者に感謝するべきだ。
*quod <u>et</u> [[wikt:en:paucitas#Latin|paucitatem]] eorum ex loco [[wikt:en:superior#Latin|superiore]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscere]]
**──というのは、より高い位置から彼ら<small>〔ローマ人〕</small>の少なさを知ることも、
*<u>et</u> [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]] [[wikt:en:despicio#Latin|despicere]] [[wikt:en:potuerint#Latin|potuerint]],
**<small>(ローマ人の)</small>武勇とやらを見下すこともできたのだから。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~ et …「~も…も」)</span>
*qui [[wikt:en:dimico#Latin|dimicare]] non [[wikt:en:ausus#Participle|ausi]]
**彼ら<small>〔ローマ人〕</small>は闘うことをあえてせずに、
*[[wikt:en:turpiter#Latin|turpiter]] se in castra [[wikt:en:receperint#Latin|receperint]].
**見苦しくも陣営に退却したのだ──。
:
; ガッリア人が勝つのだから、カエサルに寝返るはずがない
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:imperium#Latin|Imperium]] se <u>ab</u> Caesare per [[wikt:en:proditio#Latin|proditionem]] [[wikt:en:nullus#Latin|nullum]] [[wikt:en:desidero#Latin|desiderare]],
**自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、カエサルから裏切りを通じて、どのような司令権も望んではいない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上の (2) 項では、味方のガッリア人たちは、ウェルキンゲトリークスが<br> カエサルにより [[wikt:en:regnum#Latin|regnum]](王権、支配権)を得ようとしていると非難したのに対し、<br> 彼は [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]](軍隊司令権、または支配権)という言葉を巧妙に引きずって答えている。<br> もちろん、言葉を変えたのは、筆者カエサル自身であろう。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。)</span>
*quod habere [[wikt:en:victoria#Latin|victoria]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]],
**<small>(支配権は、ローマ人に対する)</small>勝利によって得られるものであり、
*quae iam esset sibi atque omnibus [[wikt:en:Galli#Latin|Gallis]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorata]];
**<small>(勝利は)</small>もはや自分とすべてのガッリア人にとって確実なものとされているのだ。
*quin etiam ipsis <u>remittere</u>,
**いやそればかりか<small>(以下の様であれば、ガッリア人たち)</small>自身に<small>(司令官職を)</small>返還しているだろう。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:remitto#Latin|remittere]] は、写本Sの記述および ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Stephanus_(Estienne)|Stephanus]]'' や ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Vascosanus|Vascosanus]]'' による修正提案で、<br> β系・χ系写本・写本B・M・L・N では [[wikt:en:remitteret#Latin|remitteret]] となっている。)</span>
*si sibi <u>magis</u> [[wikt:en:honor#Latin|honorem]] [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuere]], <u>quam</u> ab se [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:accipio#Latin|accipere]] [[wikt:en:videantur#Latin|videantur]].
**もし<small>(ガッリア人が)</small>自分から安全を受け取っているよりも、むしろ顕職を自分に授けていると思っているのならば、だが。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:magis#Latin|magis]] ~, quam …「…というよりは、むしろ~」)</span>
:
; 捕虜のローマ人たちに訊いてみなさい
*<!--❽--><sup>(8)</sup> <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> Haec ut [[wikt:en:intellegatis#Latin|intellegatis]], <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:inquit#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> a me [[wikt:en:sincere#Latin|sincere]] [[wikt:en:pronuntiari#Latin|pronuntiari]], [[wikt:en:audite#Latin|audite]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romanos]] [[wikt:en:miles#Latin|milites]]. <span style="color:#009900;">»</span> </span>
**「これらは諸君が理解しているように、私により率直に示された。ローマ兵たちに聞いてみよ」と言った。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span> </span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span>
:
*<!--❾--><sup>(9)</sup> [[wikt:en:producit#Latin|Producit]] [[wikt:en:servus#Latin|servos]], quos in [[wikt:en:pabulatio#Latin|pabulatione]] paucis ante diebus [[wikt:en:exceperat#Latin|exceperat]] et [[wikt:en:fames#Latin|fame]] [[wikt:en:vinculum#Latin|vinculis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:excruciaverat#Latin|excruciaverat]].
**数日前に糧秣徴発しているのを<small>(彼が)</small>ひっ捕らえて、飢えと鎖で拷問していたところの奴隷たちを引き出す。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:calo#Noun_5|cālō]] カーロー(軍属奴隷)と呼ばれる輜重や陣営を管理する奴隷たちのことであろう。)</span>
:
*<!--❿--><sup>(10)</sup> Hi iam ante [[wikt:en:edoctus#Latin|edocti]], quae [[wikt:en:interrogatus#Latin|interrogati]] [[wikt:en:pronuntiarent#Latin|pronuntiarent]],
**彼ら<small>〔奴隷〕</small>は、すでに前もって<small>(ガッリア勢から)</small>訊問された際に語ることを<small>(ローマ人から)</small>教え込まれており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは奴隷たちが誰に教え込まれたのか明記していないため、<br> ウェルキンゲトリークスに教え込まれたと訳している場合もある。)</span>
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]] se esse [[wikt:en:legionarius#Latin|legionarios]] [[wikt:en:dicunt#Latin|dicunt]];
**自分たちは[[w:軍団兵|軍団兵]]であると言った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:糧秣徴発に出かけていた者は、たとえ軍団兵でも軽装であったであろうが、<br> 奴隷たちは、もともと戦争で捕虜になったガッリア人たち等であったと考えられるので、<br> 地中海人種のローマ人とは容易に見分けが付きそうなものではある。)</span>
*[[wikt:en:fames#Latin|fame]] <u>et</u> [[wikt:en:inopia#Noun_2|inopia]] [[wikt:en:adductus#Latin|adductos]] [[wikt:en:clam#Latin|clam]] ex castris [[wikt:en:exisse#Latin|exisse]], si [[wikt:en:aliquis#Latin|quid]] [[wikt:en:frumentum#Latin|frumenti]] aut [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] in agris [[wikt:en:reperio#Latin|reperire]] [[wikt:en:possent#Latin|possent]];
**<small>(奴隷たち曰く)</small>飢えと欠乏に動かされて、何か穀物または家畜が野に見出せないかと、ひそかに陣営から抜け出した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et はα系写本の記述で、β系写本では atque となっている。)</span>
:
*<!--⓫--><sup>(11)</sup> [[wikt:en:similis#Latin|simili]] omnem [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:inopia#Noun_2|inopia]] [[wikt:en:premi#Latin|premi]],
**<small>(ローマ人の)</small>全軍隊が同様の欠乏に悩まされて、
*<u>nec</u> iam [[wikt:en:vis#Latin|vires]] [[wikt:en:sufficio#Latin|sufficere]] [[wikt:en:quisquam#Latin|cuiusquam]] <u>nec</u> ferre [[wikt:en:opus#Latin|operis]] [[wikt:en:labor#Latin|laborem]] posse;
**もはや<small>(兵士の)</small>誰もが十分な能力がなく、<small>(城攻めの)</small>作業の労苦に耐えることができない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:nec ~ nec …「~でもなく、…でもない」)</span>
*itaque [[wikt:en:statuisse#Latin|statuisse]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatorem]], si [[wikt:en:nihil#Latin|nihil]] in [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]] oppidi <u>profecissent</u>, [[wikt:en:triduum#Latin|triduo]] [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:deduco#Latin|deducere]].
**こうして将軍<small>〔カエサル〕</small>は、もし城塞都市の攻略において何ら得られないならば、3日間で軍隊を連れ帰ると決めた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本S・L・Nでは [[wikt:en:profecissent#Latin|profecissent]]<sub> (3人称・<u>複数</u>・過去完了・接続法)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:profecisset#Latin|profecisset]]<sub> (3人称・<u>単数</u>・過去完了・接続法)</sub> となっており、<br> χ系および写本B・Mでは proficissent という綴りになっている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--⓬--><sup>(12)</sup> <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> Haec, <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:inquit#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> a me, <span style="color:#009900;">»</span> </span> [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]],
**「これぞ」「私によって」とウェルキンゲトリークスは言った。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span> </span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span>
*<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> <span style="color:#009900;">«</span> [[wikt:en:beneficium#Latin|beneficia]] [[wikt:en:habetis#Latin|habetis]], quem [[wikt:en:proditio#Latin|proditionis]] [[wikt:en:insimulatis#Verb|insimulatis]];
**「裏切りだと諸君が糾弾している<small>(私という)</small>者のおかげで得ているのだ。
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> cuius [[wikt:en:opera#Latin|opera]] sine [[wikt:en:vester#Latin|vestro]] [[wikt:en:sanguis#Latin|sanguine]]
**その<small>(私という)</small>者の尽力により、諸君らの流血なしに、
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> tantum [[wikt:en:exercitus#Noun|exercitum]] [[wikt:en:victor#Latin|victorem]] [[wikt:en:fames#Latin|fame]] <u>paene</u> [[wikt:en:consumptus#Latin|consumptum]] [[wikt:en:videtis#Latin|videtis]];
**これほどの軍隊の勝利者<small>〔ローマ人〕</small>を飢えにより、ほとんど滅ぼしたのを諸君は見ているのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:paene は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> quem [[wikt:en:turpiter#Latin|turpiter]] se ex <u>hac</u> fuga [[wikt:en:recipiens#Latin|recipientem]]
**彼ら<small>〔ローマ人〕</small>が見苦しくもこのような逃亡から退却したところを、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:hac は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> ne [[wikt:en:aliqua#Pronoun|qua]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]] suis finibus [[wikt:en:recipiat#Latin|recipiat]],
**<small>(それらの退却したローマ人を)</small>どの部族も自らの領土に受け入れないように、
*<!--➡直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"> a me [[wikt:en:provisus#Latin|provisum]] est. <span style="color:#009900;">»</span> </span>
**私<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>により、手配された。」
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===21節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/21節]] {{進捗|00%|2026-05-10}}</span>
;ウェルキンゲトリークスの誠心とアウァーリクムの重要性を確認
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:conclamat#Latin|Conclamat]] omnis [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudo]]
**群集すべてが雄叫びを上げて、
*et suo [[wikt:en:mos#Latin|more]] [[wikt:en:arma#Latin|armis]] [[wikt:en:concrepat#Latin|concrepat]],
**自分たちの慣習で武具を打ち鳴らす。
*quod facere in eo [[wikt:en:consuerunt#Verb_2|consuerunt]], cuius [[wikt:en:oratio#Latin|orationem]] [[wikt:en:adprobant#Latin|adprobant]];
**<small>(演説した)</small>その者の雄弁に賛同したら、その者に対してそれをすることが常であったのだ。
*summum esse [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:dux#Latin|ducem]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は最高の将帥であり、
*<u>nec</u> de eius [[wikt:en:fides#Latin|fide]] [[wikt:en:dubitandus#Latin|dubitandum]],
**彼の信義については疑念を抱くべきではなく、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:nec#Latin|nec]] ~, nec …「~でもないし、…でもない」)</span>
*<u>nec</u> [[wikt:en:maior#Latin|maiore]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] bellum [[wikt:en:administrari#Latin|administrari]] posse.
**これ以上の作戦で戦争を指導することはできない<small>(と、叫んで武具を打ち鳴らす)</small>。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:statuunt#Latin|Statuunt]], ut decem<sub> (X)</sub> milia hominum [[wikt:en:delectus#Latin|delecta]] ex omnibus [[wikt:en:copiae#Latin|copiis]] in oppidum <u>mittantur</u>,
**<small>(彼らは)</small>すべての軍勢から選り抜かれた兵員1万を<small>(アウァーリクムの)</small>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の中に派遣すると決定する。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:mittantur#Latin|mittantur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:submittantur#Latin|submittantur]] となっている。)</span>
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> nec [[wikt:en:solus#Latin|solis]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigibus]] [[wikt:en:communis#Latin|communem]] [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] [[wikt:en:committendus#Latin|committendam]] [[wikt:en:censent#Latin|censent]],
**<small>(ガッリア)</small>共通の安全をビトゥリゲース族だけに託すべきではないと考える。
*quod <u>penes eos</u>, si id oppidum [[wikt:en:retinuissent#Latin|retinuissent]],
**というのは、<u>彼らのもとで</u>、その城塞都市を維持したか否かが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> 主要写本ω では [[wikt:en:penes#Latin|penes]] eos 「彼らのもとで」だが、<br> オックスフォード写本 ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Codex_Oxoniensis_Andino|codd. Andino. Oxon.]]'' や ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]]'' は paene in eo 「ほぼそのことにおいて」としている。)</span>
*[[wikt:en:summa#Latin|summam]] victoriae [[wikt:en:consto#Latin|constare]] [[wikt:en:intellegebant#Latin|intellegebant]].
**勝利の天王山を確かなものにすること、を理解していたからである。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===22節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/22節]] {{進捗|00%|2026-06-01}}</span>
;アウァーリクムの籠城ガッリア勢が坑道戦で攻防に努める
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:singularis#Latin|Singulari]] [[wikt:en:miles#Latin|militum]] nostrorum [[wikt:en:virtus#Latin|virtuti]]
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の兵士の卓越した武勇に、
*[[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] [[wikt:en:quisque#Latin|cuiusque]] [[wikt:en:modus#Latin|modi]] [[wikt:en:Galli#Latin|Gallorum]] [[wikt:en:occurrebant#Latin|occurrebant]],
**<small>(敵勢は)</small>ガッリア人のあらゆる流儀の方策で抗戦していた。
*ut est summae [[wikt:en:genus#Latin|genus]] [[wikt:en:sollertia#Latin|sollertiae]]
**確かに<small>(ガッリア人は)</small>このうえなく器用な種族であり、
*atque ad [[wikt:en:omnia#Noun|omnia]] [[wikt:en:imitandus#Latin|imitanda]] et [[wikt:en:efficiendus#Latin|efficienda]], quae ab [[wikt:en:quisque#Latin|quoque]] [[wikt:en:traduntur#Latin|traduntur]], [[wikt:en:aptissimus#Latin|aptissimum]].
**誰かによって教えられることすべてを模倣すること、造り出すことにとても適しているのだ。
:
; 鉄鉱山の土地柄で、坑道戦を展開する
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Nam <u>et</u> [[wikt:en:laqueus#Latin|laqueis]] [[wikt:en:falx#Latin|falces]] [[wikt:en:avertebant#Latin|avertebant]],
**すなわち、輪縄で<small>(ローマ勢の)</small>破城鎌をそらし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~, et …「~でもあり、…でもある」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:破城鎌([[w:en:Falx|falx]])については、右図や[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照)</span>
[[画像:Falx_bgiu.png|thumb|right|250px|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)]]
[[画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|thumb|right|250px|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。]]
*quas, cum [[wikt:en:destinaverant#Latin|destinaverant]],
**それを縛り付けておいてから、
*[[wikt:en:tormentum#Latin|tormentis]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]] [[wikt:en:reducebant#Latin|reducebant]],
**巻揚げ機で<small>(城塞都市の)</small>内部に引き込んでいたし、
*<u>et</u> [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculis]] [[wikt:en:subtrahebant#Latin|subtrahebant]],
**<small>(ローマ勢の)</small><ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を[[w:坑道|坑道]]によって陥没させたりもした。
*<u>eo</u> [[wikt:en:scienter#Latin|scientius]]
**<small>(以下の理由により、彼らはそのことに)</small>より習熟しているのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:eo#Pronoun_5|eō]] ~ [[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] …「…という理由で~」)</span>
*<u>quod</u> apud eos magnae sunt [[wikt:en:ferraria#Latin|ferrariae]]
**──というのも、彼らのもとには多くの[[w:鉄鉱石|鉄鉱]]山があり、
*atque [[wikt:en:omnis#Latin|omne]] [[wikt:en:genus#Latin|genus]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculorum]] [[wikt:en:notus#Latin|notum]]
**坑道のあらゆる類いが知られていて
*atque [[wikt:en:usitatus#Latin|usitatum]] est.
**慣れていただけに<small>(習熟しているのだ)</small>。──
:
; アウァーリクムの全周に防御のための櫓を建てる
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:totus#Latin|Totum]] autem [[wikt:en:murus#Latin|murum]] ex omni parte
**他方で、城壁の全体をあらゆる方向から、
*[[wikt:en:turris#Latin|turribus]] [[wikt:en:contabulaverant#Latin|contabulaverant]]
**<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby>を<small>(何層にも)</small>構築しておいて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:動詞 [[wikt:en:contabulo#Latin|contabulare]] は「板張りする」。[[内乱記_第2巻#9節|『内乱記』第2巻9節]]には [[wikt:en:contabulatio#Latin|contabulatio]]「床板張り」という単語が出て来る。)</span>
*atque has [[wikt:en:corium#Latin|coriis]] [[wikt:en:intexerant#Latin|intexerant]].
**これらを皮革で覆っていた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Tum [[wikt:en:creber#Latin|crebris]] [[wikt:en:diurnus#Latin|diurnis]] [[wikt:en:nocturnus#Latin|nocturnis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionibus]]
**それから、たびたび昼間も夜間も出撃して、
*aut [[wikt:en:agger#Latin|aggeri]] [[wikt:en:ignis#Latin|ignem]] [[wikt:en:inferebant#Latin|inferebant]]
**あるいは土塁に火災を引き起こしたり、
*aut [[wikt:en:miles#Latin|milites]] [[wikt:en:occupatus#Latin|occupatos]] in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:adoriebantur#Latin|adoriebantur]],
**あるいは工事に従事している<small>(ローマ人)</small>兵士たちを襲撃したりした。
[[画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|thumb|right|200px|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。]]
*et nostrarum [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudinem]],
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>の[[w:攻城塔|攻城櫓]]の高さを、
*[[wikt:en:quantum#Latin|quantum]] has [[wikt:en:cotidianus#Latin|cotidianus]] agger [[wikt:en:expresserat#Latin|expresserat]],
**毎日のようにこれらを<small>(ローマ側の)</small>土塁が押し出した分だけ、
*[[wikt:en:commissus#Latin|commissis]] suarum [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:malus#Noun_5|malis]] [[wikt:en:adaequabant#Latin|adaequabant]],
**自分たち<small>〔ガッリア勢〕</small>の櫓を、柱を組み立てることにより、<small>(ローマ側の櫓の高さと)</small>等しくしようとした。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> et [[wikt:en:apertus#Latin|apertos]] [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculos]]
**<small>(ローマ勢が掘削した)</small>坑道の露出したところを
*[[wikt:en:praeustus#Latin|praeusta]] et [[wikt:en:praeacutus#Latin|praeacuta]] [[wikt:en:materia#Latin|materia]]
**先端を焼いて尖らせた木材や、
*et [[wikt:en:pix#Latin|pice]] [[wikt:en:fervefactus#Latin|fervefacta]]
**熱した<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:pix は<ruby><rb>[[w:歴青|瀝青]]</rb><rp>(</rp><rt>れきせい</rt><rp>)</rp></ruby>と訳されることもあるが、とくに[[w:ピッチ (樹脂)|ピッチ]]を指す<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%82%8B-3173189 木タール] などを蒸留したあとに残る黒色の物質。</ref>。<br> [[w:歴青|瀝青]]は「ビチューメン」ともいい、ラテン語の [[wikt:en:bitumen#Latin|bitūmen]] に由来する。<br> [[w:ピッチ (樹脂)|ピッチ]]([[w:en:Pitch (resin)|Pitch]])は、ラテン語の [[wikt:en:pix#Latin|pix]] に由来する。)</span>
*et [[wikt:en:maximus#Latin|maximi]] [[wikt:en:pondus#Latin|ponderis]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] [[wikt:en:morabantur#Etymology_1|morabantur]]
**たいへんな重さの岩石で、<small>(ローマ勢の掘削を)</small>滞らせたり、
*[[wikt:en:moenia#Latin|moenibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:prohibebant#Latin|prohibebant]].
**<small>(ローマ勢が)</small>城壁に接近することを<small>(ガッリア勢が)</small>妨げたりしていた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===23節===
{{Commons|Category:Murus gallicus|Murus gallicus}}
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/23節]] {{進捗|00%|2026-06-14}}</span>
;ガッリア式城壁の構造
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:murus#Latin|Muri]] autem omnes [[wikt:en:Gallicus#Latin|Gallici]] hac fere [[wikt:en:forma#Latin|forma]] sunt.
**ところで、ガッリアの<ruby><rb>城壁</rb><rp>(</rp><rt>ムルス</rt><rp>)</rp></ruby>のすべては、ほぼ以下のような形態である。
:
; 木材を2ペースずつ等間隔で離して、ずっと並べていく
*<u>Trabes</u> [[wikt:en:derectus#Latin|derectae]] [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuae]] <u>in longitudinem</u>
**<u><ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby></u>が<small>(城壁の)</small><u><ruby><rb>長手方向</rb><rp>(</rp><rt>ロンギトゥードー</rt><rp>)</rp></ruby></u>に、<small>(垂直に)</small>真っ直ぐに、ずっと続いて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:trabs#Latin|trabes]] は、とくに梁のような水平材を指していると思われる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in [[wikt:en:longitudo#Latin|longitudinem]] は、ここでは、城壁に沿った長手方向を指す。)</span>
[[画像:Murus gallicus de Lyon Fourvière - Maquette de Nicolas Hirsch - Service Archéologique de la Ville de Lyon - Détail structure.jpg|thumb|right|300px|ガッリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:リヨン|リヨン市]]考古学局)。木材を約60cmの間隔で並べる。]]
*[[wikt:en:par#Latin|paribus]] [[wikt:en:intervallum#Latin|intervallis]], [[wikt:en:distans#Latin|distantes]] inter se [[wikt:en:binus#Latin|binos]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]],
**等間隔で、互いに2<u>ペース</u>ずつ離れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、2ペースは約60 cm弱。)</span>
*in [[wikt:en:solum#Latin|solo]] [[wikt:en:conlocantur#Latin|conlocantur]].
**<ruby><rb>地面</rb><rp>(</rp><rt>ソルム</rt><rp>)</rp></ruby>に配置される。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:右の画像を参照。)</span>
:
; 木材をつなぎ合わせ、土砂を埋めて、石材をかぶせる
[[画像:2018 Rheinisches Landesmuseum Trier, Keltischer Wehrmauer.jpg|thumb|right|300px|同じく城壁のジオラマ(独[[w:トリーア|トリーア市]])。]]
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:hae#Latin|Hae]] [[wikt:en:revinciuntur#Latin|revinciuntur]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]]
**これら<small>〔木材〕</small>は、内側で緊結されて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:明瞭な説明ではなく、肝心な記述が欠落している。<br> 上記の2ペースずつ等間隔で並べられた平行な木材は、<br> 節末で述べられるような40ペースの長い木材によって<br> 井桁状に組み合わされて、鉄の釘で固定されたようである。<br> 右上と右のジオラマの画像を参照。)</span>
*et [[wikt:en:multus#Latin|multo]] [[wikt:en:agger#Latin|aggere]] [[wikt:en:vestiuntur#Latin|vestiuntur]];
**多くの<ruby><rb>土砂</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>で覆われる。
*ea autem, quae [[wikt:en:diximus#Verb|diximus]], [[wikt:en:intervallum#Latin|intervalla]]
**さらに、前述した<small>(2ペースの)</small>間隔には、
*[[wikt:en:grandis#Latin|grandibus]] in [[wikt:en:frons#Latin:_forehead|fronte]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] <u>efferciuntur</u>.
**前面に大きな<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>が詰め込まれる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、ρ系写本・写本V では [[wikt:en:efferciuntur#Latin|efferciuntur]] と表記され、<br> α系写本・写本T では [[wikt:en:effarciuntur#Latin|effarciuntur]] と表記されるが、<br> [[w:母音弱化|母音弱化]]の語形である前者の方が、共和制末期のカエサルが用いたと考えられる。)</span>
[[画像:Keltenmauer.gif|thumb|right|280px|ガッリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。]]
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> His [[wikt:en:conlocatus#Latin|conlocatis]] et [[wikt:en:coagmentatus#Latin|coagmentatis]]
**<u>これら</u>が配置されて結び合わされると、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:<u>これら</u> とは、上述の木材や石材のこと。)</span>
*alius [[wikt:en:insuper#Latin|insuper]] [[wikt:en:ordo#Latin|ordo]] [[wikt:en:additur#Latin|additur]],
**上に別の<ruby><rb>階層</rb><rp>(</rp><rt>オルドー</rt><rp>)</rp></ruby>が付け加えられる。
*ut idem illud [[wikt:en:intervallum#Latin|intervallum]] [[wikt:en:servetur#Latin|servetur]],
**その同じ<small>(2ペースの)</small>間隔が保たれて、
*neque inter se [[wikt:en:contingant#Latin|contingant]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabes]],
**かつ<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>が互いに接触しないように、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上下の層の水平材どうしが接触しないように、<br> 互い違いに並べているようである。)</span>
*sed [[wikt:en:par#Latin|paribus]] [[wikt:en:intermissus#Latin|intermissae]] [[wikt:en:spatium#Latin|spatiis]] [[wikt:en:singulus#Latin|singulae]]
**けれども、等間隔で間をあけられたそれぞれ<small>(の木材)</small>は、
*[[wikt:en:singulus#Latin|singulis]] [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]] [[wikt:en:interiectus#Latin|interiectis]]
**それぞれの<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>が間に挟まれることによって、
*[[wikt:en:arte#Adverb|arte]] [[wikt:en:contineantur#Latin|contineantur]].
**緊密に連結される。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Sic [[wikt:en:deinceps#Latin|deinceps]] omne [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:contexitur#Latin|contexitur]], [[wikt:en:dum#Latin|dum]] [[wikt:en:iustus#Latin|iusta]] [[wikt:en:murus#Latin|muri]] [[wikt:en:altitudo#Latin|altitudo]] [[wikt:en:expleatur#Latin|expleatur]].
**このように、<ruby><rb>城壁</rb><rp>(</rp><rt>ムルス</rt><rp>)</rp></ruby>の十分な高さが満たされるまで、すべての<ruby><rb>工作物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>が続けて組み立てられる。
[[画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|thumb|right|300px|ガッリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガッリア壁)」と呼ばれるが、ガッリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。]]
:
; ガッリア式城壁は、外観が見事で、城塞都市の防御にも有益
:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、cum ~ tum … の構文「~だけでなく、また…でもある」。)</span>
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Hoc <u>cum</u> in [[wikt:en:species#Latin|speciem]] [[wikt:en:varietas#Latin|varietatem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:deformis#Latin|deforme]] non est [[wikt:en:alternus#Latin|alternis]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]] ac [[wikt:en:saxum#Latin|saxis]],
**<ruby><rb>この</rb><rp>(</rp><rt>ホク</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>工作物</rb><rp>(</rp><rt>オプス</rt><rp>)</rp></ruby>は、互い違いの<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>石塊</rb><rp>(</rp><rt>サクスム</rt><rp>)</rp></ruby>により、変化に富む外観において不格好でなく、
*quae [[wikt:en:rectus#Latin|rectis]] [[wikt:en:linea#Latin|lineis]] suos [[wikt:en:ordo#Latin|ordines]] [[wikt:en:servant#Latin|servant]],
**──それら<small>〔木材と石〕</small>は真っ直ぐな線により、その<ruby><rb>階層</rb><rp>(</rp><rt>オルドー</rt><rp>)</rp></ruby>を保っているのだが──
*<u>tum</u> ad [[wikt:en:utilitas#Latin|utilitatem]] et [[wikt:en:defensio#Latin|defensionem]] [[wikt:en:urbs#Latin|urbium]]
**同様に、都市の防御の有益性のためにも、
*summam [[wikt:en:habet#Latin|habet]] [[wikt:en:opportunitas#Latin|opportunitatem]],
**きわめて好都合となっている。
*quod et ab [[wikt:en:incendio#Latin|incendio]] [[wikt:en:lapis#Latin|lapis]] et ab [[wikt:en:aries#Latin|ariete]] [[wikt:en:materia#Latin|materia]] [[wikt:en:defendit#Latin|defendit]],
**──というのは、<ruby><rb>石材</rb><rp>(</rp><rt>ラピス</rt><rp>)</rp></ruby>が火災からも、<ruby><rb>材木</rb><rp>(</rp><rt>マーテリア</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>[[w:破城槌|破城槌]]</rb><rp>(</rp><rt>はじょうつい</rt><rp>)</rp></ruby>からも、防護しており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:et ~ et …「~でもあり、…でもある」)</span>
*quae [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:trabs#Latin|trabibus]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] [[wikt:en:quadragenus#Latin|quadragenos]] [[wikt:en:plerumque#Adverb|plerumque]] [[wikt:en:introrsus#Latin|introrsus]] [[wikt:en:revinctus#Latin|revincta]]
**それ<small>〔短手方向の材木〕</small>は、たいてい40<u>ペース</u>にわたって<small>(長手方向に)</small>続く<ruby><rb>木材</rb><rp>(</rp><rt>トラプス</rt><rp>)</rp></ruby>により内部で緊結されており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、40ペースは約12メートル。)</span>
*neque [[wikt:en:perrumpi#Latin|perrumpi]] neque [[wikt:en:distrahi#Latin|distrahi]] potest.
**突破されることも、引きはがされることもできないからである。──
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===24節===
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|350px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァーリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]<small>([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)</small>。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/24節]] {{進捗|00%|2026-06-15}}</span>
;ローマ勢が徹夜の土塁工事、籠城ガッリア勢の攻勢
:
; ローマ勢が、25日間で大がかりな攻城設備を構築する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> His [[wikt:en:tot#Latin|tot]] rebus [[wikt:en:impeditus#Latin|impedita]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnatione]]
**これら多くの事情により攻囲が妨げられて、
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]],
**兵士たちは、
*cum [[wikt:en:totus#Etymology_1|toto]] tempore <u>luto</u> [[wikt:en:frigus#Latin|frigore]] et [[wikt:en:adsiduus#Latin|adsiduis]] [[wikt:en:imber#Latin|imbribus]] <u>tardarentur</u>,
**常時、<ruby><rb><u>泥土</u></rb><rp>(</rp><rt>ルトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>、寒さと絶え間ない<ruby><rb>雨嵐</rb><rp>(</rp><rt>イムベル</rt><rp>)</rp></ruby>によって遅らせられていたが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:lutum#Latin|luto]] は、β系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の二つ目は、<br> χ系・β系写本では [[wikt:en:tardarentur#Latin|tardarentur]] だが、<br> 写本B・M・Sでは traderentur、<br> 写本L・Nでは terrerentur などとなっている。)</span>
*tamen [[wikt:en:continens#Adjective|continenti]] [[wikt:en:labor#Latin|labore]] omnia haec [[wikt:en:superaverunt#Latin|superaverunt]]
**しかしながら、絶え間ない労働によってこれらすべてに打ち克って、
*et diebus XXV<small> ([[wikt:en:quinque#Latin|quinque]] et [[wikt:en:viginti#Latin|viginti]])</small>
**25日間で、
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:latus#Latin:_wide|latum]] [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] CCCXXX<small> ([[wikt:en:trecenti#Latin|trecenti]] [[wikt:en:triginta#Latin|triginta]])</small>, [[wikt:en:altus#Latin|altum]] pedes LXXX<small> ([[wikt:en:octoginta#Latin|octoginta]])</small> [[wikt:en:exstruxerunt#Latin|exstruxerunt]].
**幅330<u>ペース</u>、高さ80<u>ペース</u>の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ペース|ペース]]は約29.6cmで、幅330ペースは約98メートル。高さ80ペースは約24メートル。)</span>
:
; アウァーリクムに籠城するガッリア勢が、攻囲するローマ勢の土塁に夜襲をしかける
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Cum is [[wikt:en:murus#Latin|murum]] hostium paene [[wikt:en:contingeret#Latin|contingeret]],
**それ<small>〔ローマ側の土塁〕</small>が敵の城壁にほとんど接しようとしていたとき、
*et Caesar ad [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudine]] [[wikt:en:excubaret#Latin|excubaret]]
**かつ、カエサルが習慣により作業のそばで寝ずの番をしていて、
*[[wikt:en:miles#Latin|milites]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:hortaretur#Latin|hortaretur]], ne [[wikt:en:aliquod#Latin|quod]] [[wikt:en:omnino#Latin|omnino]] [[wikt:en:tempus#Latin|tempus]] ab [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:intermitteretur#Latin|intermitteretur]],
**いかなる時も作業がまったく中断されないように、と兵士たちを励ましていたときに、
*paulo ante tertiam [[wikt:en:vigilia#Latin|vigiliam]]
**第三夜警時の少し前に、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:第三夜警時は、真夜中から日の出までの時間帯の前半。「未明」<br> [[古代ローマの不定時法#夜警時|#夜警時]] を参照。)</span>
*est [[wikt:en:animadversus#Participle|animadversum]] [[wikt:en:fumo#Latin|fumare]] [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]],
**土塁に煙が上がっていることが気付かれた。
*quem [[wikt:en:cuniculus#Latin|cuniculo]] hostes [[wikt:en:succenderant#Latin|succenderant]];
**<small>(その土塁を)</small>[[w:坑道|坑道]]によって敵たちが焼き討ちしていたものである。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:idem#Latin|eodem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:tempus#Latin|tempore]]
**そして同時に、
*[[wikt:en:totus#Latin|toto]] [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:sublatus#Latin:_raised|sublato]],
**<small>(アウァーリクムの)</small>城壁全体で雄叫びが上がって、
*duabus portis ab [[wikt:en:uterque#Latin|utroque]] [[wikt:en:latus#Latin:_side|latere]] [[wikt:en:turris#Latin|turrium]]
**二つの城門より、<small>(ローマ勢の)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]の両方の側面から
*[[wikt:en:eruptio#Latin|eruptio]] [[wikt:en:fiebat#Latin|fiebat]].
**<small>(ガッリア勢による)</small>突撃がなされていた。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Alii [[wikt:en:fax#Latin|faces]] atque [[wikt:en:aridus#Latin|aridam]] <u>materiam</u> de [[wikt:en:murus#Latin|muro]] in [[wikt:en:agger#Latin|aggerem]] [[wikt:en:eminus#Latin|eminus]] [[wikt:en:iaciebant#Latin|iaciebant]],
**<small>(ガッリア勢の)</small>他の者たちは、<ruby><rb>[[w:たいまつ|松明]]</rb><rp>(</rp><rt>たいまつ</rt><rp>)</rp></ruby>および乾いた材木を、城壁から<small>(ローマ側の)</small>土塁に、遠くから投げ込んで、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では [[wikt:en:materiam#Latin|materiam]] だが、<br> α系写本では [[wikt:en:materiem#Latin|materiem]] となっている。<br> 文法学者[[w:カエサレアのプリスキアヌス|プリスキアーヌス]]は、カエサルの文法書 "De Analogia" について materiam と引用している。)</span>
*[[wikt:en:pix#Latin|picem]] [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquas]]<nowiki>que</nowiki> res, quibus [[wikt:en:ignis#Latin|ignis]] [[wikt:en:excitari#Latin|excitari]] potest, [[wikt:en:fundebant#Latin|fundebant]],
**<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、火を燃え立たせられるほかのもの<small>〔可燃物〕</small>を注ぎ込んだ。
*ut, [[wikt:en:quo#Latin:_where|quo]] primum <u>curreretur</u> aut cui rei [[wikt:en:ferretur#Latin|ferretur]] [[wikt:en:auxilium#Latin|auxilium]],
**それで、まずどこに駆け付けるのか、あるいはどの事態に支援がなされるのか、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:curreretur#Latin|curreretur]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:occurreretur#Latin|occurreretur]] となっている。)</span>
*vix [[wikt:en:ratio#Latin|ratio]] [[wikt:en:iniri#Latin|iniri]] posset.
**<small>(ローマ兵には)</small>ほとんど分別され得なかった。
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Tamen, quod [[wikt:en:institutum#Latin|instituto]] Caesaris <u>semper duae</u> [[wikt:en:legio#Latin|legiones]] pro [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:excubabant#Latin|excubabant]]
**しかしながら、カエサルの定めにより常に2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が陣営の前に寝ずの番をしていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の語順では semper duae だが、<br> β系写本の語順では duae semper となっている。)</span>
*[[wikt:en:plus#Latin|plures]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] [[wikt:en:tempus#Latin|temporibus]] erant in [[wikt:en:opus#Latin|opere]],
**かつ、より多くの者たちが時間を割り当てられて作業していたので、
*celeriter [[wikt:en:factus#Latin|factum]] est,
**<small>(防戦は)</small>速やかになされた。
*ut <u>alii</u> [[wikt:en:eruptio#Latin|eruptionibus]] [[wikt:en:resisterent#Latin|resisterent]],
**ある者たちは<small>(ガッリア勢の)</small>突撃に抵抗しており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:alii ~ alii …「~する者もいれば、…する者もいる。」)</span>
*<u>alii</u> [[wikt:en:turris#Latin|turres]] [[wikt:en:reducerent#Latin|reducerent]]
**別のある者たちは[[w:攻城塔|攻城櫓]]を引き戻して、
*[[wikt:en:agger#Latin|aggerem]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:interscinderent#Latin|interscinderent]],
**土塁を<small>(城壁側から)</small>切り離していた。
*omnis vero ex [[wikt:en:castra#Latin|castris]] [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudo]] ad [[wikt:en:restinguendum#Verb|restinguendum]] [[wikt:en:concurreret#Latin|concurreret]].
**さらに陣営から大勢の皆が、消火するために急ぎ集まっていた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===25節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/25節]] {{進捗|00%|2026-06-29}}</span>
;籠城ガッリア勢が必死の防戦
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Cum in omnibus locis, <u>[[wikt:en:consumptus#Latin|consumpta]] iam reliqua parte noctis</u>, [[wikt:en:pugnaretur#Latin|pugnaretur]],
**<u>すでに夜も明けて</u>、至る所で戦われていたときに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の直訳は「すでに夜の残りの部分も費やされて」。)</span>
*[[wikt:en:semper#Latin|semper]]<nowiki>que</nowiki> hostibus [[wikt:en:spes#Latin|spes]] [[wikt:en:victoria#Latin|victoriae]] [[wikt:en:redintegraretur#Latin|redintegraretur]],
**かつ、常に敵たちにとって勝利の希望が蘇っており、
*<u>eo magis, quod</u> [[wikt:en:deustus#Latin|deustos]] [[wikt:en:pluteus#Latin|pluteos]] [[wikt:en:turris#Latin|turrium]] [[wikt:en:videbant#Latin|videbant]] nec facile [[wikt:en:adire#Latin|adire]] [[wikt:en:apertus#Latin|apertos]] ad [[wikt:en:auxiliandum#Verb|auxiliandum]] [[wikt:en:animadvertebant#Latin|animadvertebant]],
**<span style="font-family:Times New Roman;font-size:11pt;">[[w:攻城塔|攻城櫓]]の<ruby><rb>障壁</rb><rp>(</rp><rt>プルテウス</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>焼き落された</rb><rp>(</rp><rt>デウストゥス</rt><rp>)</rp></ruby>のを見ていて、<ruby><rb>身を曝した者</rb><rp>(</rp><rt>アペルトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちが救援のために容易に近づけないのに気付いていた<u>のでなおさらだったが</u>、</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:eo magis quod|eo magis quod]] ~ 「~なので、その分だけ、より一層」。[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]も参照。)</span>
*[[wikt:en:semper#Latin|semper]]<nowiki>que</nowiki> ipsi [[wikt:en:recens#Adjective|recentes]] [[wikt:en:defessus#Latin|defessis]] [[wikt:en:succederent#Latin|succederent]]
**常に彼ら自身<small>〔籠城ガッリア勢〕</small>は新たな者たちが疲れ果てた者たちに交代しており、
*[[wikt:en:omnis#Latin|omnem]]<nowiki>que</nowiki> Galliae [[wikt:en:salus#Latin|salutem]] <u>in illo [[wikt:en:vestigium#Latin|vestigio]] temporis [[wikt:en:positus#Participle|positam]] <span style="color:#009900;"><small>(esse)</small></span></u> [[wikt:en:arbitrarentur#Latin|arbitrarentur]],
**ガッリアのすべての安全が、<u>その瞬間にかかっている</u>と思われていたので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の直訳は「その時の足跡(瞬間)に置かれている」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以上の cum ~ arbitrarentur, が状況や理由を説明する副文で、以下が主文となっている。)</span>
*[[wikt:en:accidit#Etymology_1|accidit]] [[wikt:en:inspectans#Latin|inspectantibus]] nobis,
**我が方<small>〔ローマ勢〕</small>が見ているなかで起こったのは、
*[[wikt:en:quod#Pronoun|quod]] [[wikt:en:dignus#Latin|dignum]] [[wikt:en:memoria#Latin|memoria]] [[wikt:en:visus#Participle|visum]] [[wikt:en:praetereundus#Latin|praetereundum]] non [[wikt:en:existimavimus#Latin|existimavimus]].
**記憶に値すると思われたことを<small>(我がローマ勢が)</small>見過ごすべきではないと考えていたことである。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:この主文の主語を省略せずに記せば、以下のようになる。<br> [id], quod dignum memoria visum [esse] praetereundum [esse] non existimavimus.)</span>
[[画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])。]]
[[画像:Balliste_fireing.jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元。]]
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:quidam#Determiner|Quidam]] ante portam oppidi [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallus]], <u>qui</u>
**城塞都市の城門の前にいた、ある<small>(1人の)</small>ガッリア人が、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の qui は、β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*per [[wikt:en:manus#Latin:_hand|manus]] [[wikt:en:sebum#Latin|sebi]] ac [[wikt:en:pix#Latin|picis]] [[wikt:en:traditus#Participle|traditas]] [[wikt:en:glaeba#Latin|glaebas]]
**手から手へと渡された<ruby><rb>獣脂</rb><rp>(</rp><rt>セーブム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の塊を、
*in [[wikt:en:ignis#Latin|ignem]] <u>e regione</u> turris [[wikt:en:proiciebat#Latin|proiciebat]]:
**攻城櫓の正面にある火炎の中に投げ込んでいたが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:e_regione#Latin|ē regiōne]]「まっすぐに」「~の真向かいに」。)</span>
*[[wikt:en:scorpio#Latin|scorpione]] ab [[wikt:en:latus#Latin:_side|latere]] [[wikt:en:dexter#Latin|dextro]] [[wikt:en:traiectus#Participle|traiectus]]
**<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>で右の横腹を射られて、
*[[wikt:en:exanimatus#Latin|exanimatus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:concidit#Verb|concidit]].
**息絶えて倒れた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Hunc ex [[wikt:en:proximus#Noun|proximis]] unus [[wikt:en:iacens#Latin|iacentem]] [[wikt:en:transgressus#Latin|transgressus]]
**彼が倒れているのを、すぐ近くの者たちのうちの1人が乗り越えて、
*[[wikt:en:idem#Latin|eodem]] illo [[wikt:en:munus#Latin|munere]] [[wikt:en:fungebatur#Latin|fungebatur]];
**その同じ<ruby><rb>任務</rb><rp>(</rp><rt>ムーヌス</rt><rp>)</rp></ruby>を果たしていた。
*[[wikt:en:idem#Latin|Eadem]] [[wikt:en:ratio#Latin|ratione]] [[wikt:en:ictus#Noun_4|ictu]] [[wikt:en:scorpio#Latin|scorpionis]] [[wikt:en:exanimatus#Latin|exanimato]]
**<small>(その第2の者が)</small>同様に<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオー</rt><rp>)</rp></ruby>の射撃で息絶えさせられると
*alteri [[wikt:en:successit#Latin|successit]] tertius
**<small>(息絶えた)</small>第2の者に第3の者が代わって、
*et tertio quartus,
**<small>(さらに)</small>第3の者に第4の者が<small>(代わった)</small>。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> <u>nec prius</u> ille est a [[wikt:en:propugnator#Latin|propugnatoribus]] [[wikt:en:vacuus#Latin|vacuus]] [[wikt:en:relictus#Participle|relictus]] locus
**防戦者たちは、持ち場を放棄することがなかった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:直訳は「その場(ille locus)は、防戦者たちによって空<small>〔無人〕</small>にして置かれることがなかった。」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:nec [[wikt:en:prius#Adverb|prius]] ~ [[wikt:en:quam#Conjunction|quam]] …「…するまでは~しなかった」)</span>
*<u>quam</u> [[wikt:en:restinctus#Latin|restincto]] [[wikt:en:agger#Latin|aggere]] atque <u>omni ex parte</u> [[wikt:en:submotus#Latin|submotis]] hostibus [[wikt:en:finis#Latin:_end|finis]] est [[wikt:en:pugnandi#Verb|pugnandi]] [[wikt:en:factus#Latin:_done|factus]].
**<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が鎮火されて、そのすべての方面から敵たちが追い払われて、戦いに終止符が打たれる<u>までは</u>。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、omni <u>ex</u> parte は ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]'' による修正で、<br> α系写本では omni <u>ea</u> parte <br> β系写本では omni parte となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===26節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/26節]] {{進捗|00%|2026-07-13}}</span>
;アウァーリクム脱出の企て、女たちの絶叫
:
; 万策尽きたガッリア勢が、アウァーリクム脱出を企てる
*<!--❶--><sup>(1)</sup> [[wikt:en:omnia#Noun|Omnia]] [[wikt:en:expertus#Participle|experti]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**ガッリア人たちはあらゆることを試みたが、
*quod res [[wikt:en:nullus#Determiner|nulla]] [[wikt:en:successerat#Latin|successerat]],
**何ら事が成功しなかったので、
*[[wikt:en:posterus#Latin|postero]] die [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:ceperunt#Latin|ceperunt]] ex [[wikt:en:oppidum#Latin|oppido]] [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]],
**<small>(戦いの夜が明けて)</small>翌日には、<small>(アウァーリクムの)</small><ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>から退避する計画を立てた。
*[[wikt:en:hortans#Latin|hortante]] et [[wikt:en:iubens#Latin|iubente]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]].
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]によって促され、命じられたものであった。
:
; 脱出をはかるガッリア勢の期待とその理由
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Id [[wikt:en:silentium#Latin|silentio]] noctis [[wikt:en:conatus#Participle|conati]]
**そのこと<small>〔アウァーリクムからの退避〕</small>を夜の静けさのうちに試みても、
*non magna <u>iactura</u> suorum
**味方の大きな<ruby><rb>犠牲</rb><rp>(</rp><rt>ヤクトゥーラ</rt><rp>)</rp></ruby>もなしに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:iactura#Noun|iactura]] は「投げ捨てること」、比喩的に「損害、犠牲」。)</span>
*sese [[wikt:en:effecturus#Latin|effecturos]] <span style="color:#009900;"><small>(esse)</small></span> [[wikt:en:sperabant#Latin|sperabant]],
**自分たちは成し遂げるだろうと期待していた。
*<u>propterea quod</u> <u>neque</u> longe ab oppido [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigis]] [[wikt:en:aberant#Latin|aberant]],
**──というのも、ウェルキンゲトリークスの陣営は<small>(アウァーリクムの)</small></small><ruby><rb>城塞都市</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>からあまり離れていなかったし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:propterea_quod#Latin|propterea quod]] ~「なぜなら~からである」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~ et …「~ではなく、…である」)</span>
*<u>et</u> [[wikt:en:palus#Latin|palus]], <u>quae [[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetua]]</u> [[wikt:en:intercedebat#Latin|intercedebat]], [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]] ad [[wikt:en:insequendum#Verb|insequendum]] [[wikt:en:tardabat#Latin|tardabat]].
**沼地も絶え間なく介在していて、ローマ人たちの追跡を遅らせていたからだ。──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:二つ目の下線部は、α系写本の語順は quae perpetua だが、<br> β系写本の語順は perpetua quae となっている。)</span>
:
; 母親たちが男たちに、女子供を置き去りにして敵のいけにえにするな、と哀願する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:iam#Latin|Iam]]<nowiki>que</nowiki> <u>hoc</u> facere [[wikt:en:noctu#Latin|noctu]] [[wikt:en:apparabant#Latin|apparabant]],
**すでに、<u>このことを</u>実行することを夜間に準備していた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では [[wikt:en:haec#Latin|haec]]<sub> (中性・複数・対格)</sub> だが、<br> 最初の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Editio_princeps|ed.pr]] では [[wikt:en:hoc#Latin:_this|hoc]]<sub> (中性・単数・対格)</sub> としている。)</span>
*<u>cum</u> [[wikt:en:mater#Latin|matres]] [[wikt:en:familia#Latin|familiae]] [[wikt:en:repente#Adverb_2|repente]] in [[wikt:en:publicum#Noun|publicum]] [[wikt:en:procurrerunt#Latin|procurrerunt]],
**そのときに家族の母親たちが不意に公の場に走り出て来て、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の cum は、「倒逆のcum」([[wikt:en:cum inversum|cum inversum]])と呼ばれ、<br> cum 以下 ~ impediret までの副文が、上記の主文よりも重要な構文の中心になる。)</span>
*[[wikt:en:flens#Latin|flentes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:proiectus#Latin|proiectae]] ad [[wikt:en:pes#Latin|pedes]] suorum
**泣きながら、味方<small>(の男たち)</small>の足元に<small>(身を)</small>投げ出して、
*omnibus [[wikt:en:prex#Latin|precibus]] [[wikt:en:petierunt#Latin|petierunt]],
**あらゆる懇願でもって頼んだ。
*ne se et [[wikt:en:communis#Latin|communes]] [[wikt:en:liberi#Noun_2|liberos]] hostibus ad [[wikt:en:supplicium#Latin|supplicium]] [[wikt:en:dederent#Latin|dederent]],
**自分たち<small>〔女たち〕</small>と<small>(男たちとの)</small>共通の子供たちを、処刑されることのために敵方に引き渡さないで、
*<u>quos</u> ad [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendam]] [[wikt:en:fuga#Latin|fugam]] [[wikt:en:natura#Latin|naturae]] et [[wikt:en:vis#Latin|virium]] [[wikt:en:infirmitas#Latin|infirmitas]] [[wikt:en:impediret#Latin|impediret]].
**それらの者<small>〔女子供たち〕</small>が逃亡をとるためには、性質や体力の弱さが、妨げるのだ、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:quos#Latin|quos]]<sub> (男性・複数・対格)</sub> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:quas#Latin|quas]]<sub> (女性・複数・対格)</sub> となっている。)</span>
:
; 窮した母親たちが、男たちの脱出の兆候をローマ人に伝えようとする
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:ubi#Latin|Ubi]] eos in [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:perstare#Latin|perstare]] [[wikt:en:viderunt#Latin|viderunt]],
**彼ら<small>〔男たち〕</small>が<small>(女・子供を置き去りで脱出するという)</small>意思を固持していると<small>〔女たちが〕</small>見て取るや、
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] [[wikt:en:plerumque#Adverb|plerumque]] in [[wikt:en:summus#Latin|summo]] [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] [[wikt:en:timor#Latin|timor]] [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordiam]] non [[wikt:en:recipit#Latin|recipit]],
**──というのは、たいてい最大級の危険においては、恐怖が<ruby><rb>憐憫</rb><rp>(</rp><rt>れんびん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>情</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>を受け入れないものであるからだが、──
*[[wikt:en:conclamo#Latin|conclamare]] et [[wikt:en:significo#Latin|significare]] de [[wikt:en:fuga#Latin|fuga]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanis]] [[wikt:en:coeperunt#Latin|coeperunt]].
**<small>(女たちは)</small>叫び声を上げて、ローマ人たちに<small>(男たちの)</small>逃亡について知らしめ始めた。
:
; ガッリア勢の男たちが、ローマ側の騎兵隊を恐れて、アウァーリクム脱出を断念する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:qui#Determiner|Quo]] [[wikt:en:timor#Latin|timore]] [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]] [[wikt:en:Galli#Latin|Galli]],
**<small>(女たちがローマ側へ男たちの脱出について報知したことで)</small>その恐怖によって脅かされたガッリア人<small>(の男)</small>たちは、
*[[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ab [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] Romanorum [[wikt:en:via#Latin|viae]] [[wikt:en:praeoccuparentur#Latin|praeoccuparentur]],
**ローマ方の[[w:騎兵|騎兵隊]]によって道があらかじめ占拠されないように、
*[[wikt:en:consilium#Latin|consilio]] [[wikt:en:destiterunt#Latin|destiterunt]].
**<small>(アウァーリクムからの脱出の)</small>計画を取り止めた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===27節===
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|300px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァーリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。]]
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/27節]] {{進捗|00%|2026-08-01}}</span>
;ローマ軍が大雨の中でアウァーリクムの城壁を占拠
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Postero die Caesar,
**翌日にカエサルは、
*[[wikt:en:promotus#Latin|promota]] [[wikt:en:turris#Latin|turri]]
**<small>(後退していた)</small>[[w:攻城塔|攻城櫓]]<small>(の1基)</small>が前進させられて、
*<u>perfectis</u><nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:opus#Latin|operibus]], quae facere [[wikt:en:instituerat#Latin|instituerat]],
**実施を定めていた作業が<u>成し遂げられると</u>、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、<br> π系写本では [[wikt:en:perfectis#Latin|perfectīs]] 「完成されると」だが、<br> α系・ρ系写本では [[wikt:en:derectis#Latin|dērēctīs]] 「整えられると」<br> となっている。)</span>
*magno [[wikt:en:coortus#Latin|coorto]] <u>imbre</u>
**激しい嵐が起こったが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:imbre#Latin|imbre]] だが、β系写本では [[wikt:en:imbri#Latin|imbri]] となっている。)</span>
*non [[wikt:en:inutilis#Latin|inutilem]] hanc ad [[wikt:en:capiendus#Latin|capiendum]] [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:tempestas#Latin|tempestatem]] <u>arbitratus est</u>,
**作戦計画を立てるために、この天候は不利ではないと思われた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:arbitratus#Participle|arbitratus]] est だが、β系写本では単に arbitratus となっている。)</span>
*[[wikt:en:quod#Conjunction|quod]] paulo [[wikt:en:incautius#Adverb|incautius]] [[wikt:en:custodia#Latin|custodias]] in [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:dispositus#Latin|dispositas]] [[wikt:en:videbat#Latin|videbat]],
**──というのは、城壁に配置された番兵たちが少しより油断していると見ていたからだが、──
*<u>suosque</u> [[wikt:en:languide#Adverb|languidius]] in [[wikt:en:opus#Latin|opere]] [[wikt:en:versor#Latin|versari]] [[wikt:en:iussit#Verb|iussit]]
**配下の者たちには<small>(わざと)</small>より緩慢に作業に従事することを命じて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:suos#Latin|suōs]]<nowiki>que</nowiki> だが、β系写本では [[wikt:en:suos#Latin|suōs]] [[wikt:en:quoque#Adverb|quoque]] となっている。)</span>
*et, [[wikt:en:quid#Pronoun_2|quid]] [[wikt:en:fieri#Latin|fieri]] [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]], [[wikt:en:ostendit#Latin|ostendit]].
**何がなされることを<small>(カエサルが)</small>欲しているか、を示した。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:legio#Latin|Legionibus]]<nowiki>que</nowiki> <u>extra castra intra [[wikt:en:vinea#Latin|vineas]]</u> in occulto [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]],
**[[w:ローマ軍団|諸軍団]]が<u>陣営の外の<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>の内側で</u>ひそかに準備を整えており、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、写本や校訂版によって異同がある。[[ガリア戦記_第7巻/注解/27節#注記|注記]]を参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_occulto#Latin|in occulto]]「ひそかに」「隠れた所で」)</span>
*[[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]], ut [[wikt:en:aliquando#Latin|aliquando]] pro [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] [[wikt:en:labor#Latin|laboribus]] [[wikt:en:fructus#Latin:_noun|fructum]] victoriae [[wikt:en:perciperent#Latin|perciperent]],
**<small>(カエサルは)</small>やっと、これほどの労苦の見合う勝利の報酬を我がものとするように激励し、
*iis, qui [[wikt:en:primus#Latin|primi]] [[wikt:en:murus#Latin|murum]] [[wikt:en:adscendissent#Latin|adscendissent]], [[wikt:en:praemium#Latin|praemia]] [[wikt:en:proposuit#Latin|proposuit]]
**一番乗りとして城壁に登った者たちには、恩賞を約束して、
*[[wikt:en:miles#Latin|militibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:signum#Latin|signum]] [[wikt:en:dedit#Latin|dedit]].
**兵士たちに号令を発した。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Illi [[wikt:en:subito#Adverb_8|subito]] ex omnibus partibus [[wikt:en:evolaverunt#Latin|evolaverunt]]
**彼ら<small>〔ローマ軍団兵〕</small>は不意にあらゆる方角から飛び出して、
*[[wikt:en:murus#Latin|murum]]<nowiki>que</nowiki> celeriter [[wikt:en:compleverunt#Latin|compleverunt]].
**速やかに<small>(アウァーリクムの)</small>城壁を埋め尽くしたのだ。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===28節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/28節]] {{進捗|00%|2026-08-11}}</span>
;ローマ軍がアウァーリクムの市民4万人を大虐殺
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Hostes re nova [[wikt:en:perterritus#Latin|perterriti]],
**敵たち<small>〔籠城するガッリア勢〕</small>は新たな事態に脅かされて、
*[[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:turris#Latin|turribus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:deiectus#Participle|deiecti]]
**<small>(ローマ兵によって)</small>城壁や櫓から追い落とされて、
*in [[wikt:en:forum#Latin|foro]] ac locis [[wikt:en:patentior#Latin|patentioribus]] [[wikt:en:cuneatim#Latin|cuneatim]] [[wikt:en:constiterunt#Etymology_1|constiterunt]],
**<ruby><rb>広場</rb><rp>(</rp><rt>フォルム</rt><rp>)</rp></ruby>や開けた場所に楔状に立ちふさがった。
*hoc animo, ut, si [[wikt:en:aliqui#Latin|qua]] ex parte [[wikt:en:obviam#Adverb|obviam]] <span style="color:#009900;">[</span>contra<span style="color:#009900;">]</span> [[wikt:en:veniretur#Latin|veniretur]], [[wikt:en:acies#Latin|acie]] [[wikt:en:instructus#Latin|instructa]] [[wikt:en:depugnarent#Latin|depugnarent]].
**もし、どの方向から相対して対抗して来られても、戦列を整えて決戦しようという心積もりでいたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:contra#Latin|contra]] は α系・π系写本・写本Rにある記述だが、<br> 写本U にはなく、削除提案されている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Ubi [[wikt:en:nemo#Latin|neminem]] in aequum locum sese [[wikt:en:demitto#Latin|demittere]], sed [[wikt:en:totus#Latin:_whole|toto]] [[wikt:en:undique#Latin|undique]] [[wikt:en:murus#Latin|muro]] [[wikt:en:circumfundi#Latin|circumfundi]] [[wikt:en:viderunt#Latin|viderunt]],
**<small>(ローマ兵が)</small>誰も平らな所に降りて来ず、しかし城壁全体の至る所で取り囲まれたことを見たときに、
*[[wikt:en:veritus#Latin|veriti]], ne [[wikt:en:omnino#Latin|omnino]] spes fugae [[wikt:en:tolleretur#Latin|tolleretur]],
**<small>(籠城ガッリア勢は)</small>逃亡のあらゆる希望を奪われないかと怖れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:veriti, [[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ~ 「~ではないかと恐れて」恐れの表現。)</span>
*[[wikt:en:abiectus#Latin|abiectis]] [[wikt:en:arma#Latin|armis]]
**武器を投げ捨てて、
*[[wikt:en:ultimus#Latin|ultimas]] oppidi partes
**城塞都市の<small>(ローマ勢から)</small>最も遠くの方面を
*[[wikt:en:continens#Latin|continenti]] [[wikt:en:impetus#Latin|impetu]] [[wikt:en:petiverunt#Latin|petiverunt]],
**絶え間ない殺到によって求めた。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> <u>pars</u><nowiki>que</nowiki> ibi, cum [[wikt:en:angustus#Latin|angusto]] [[wikt:en:exitus#Latin|exitu]] portarum se ipsi [[wikt:en:premerent#Latin|premerent]], a militibus,
**ある者たちは、城門の狭い出口で自分らで互いに押し合っていたので、そこで<small>(ローマ人)</small>兵士たちによって<small>(殺され)</small>、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pars#Latin|pars]] ~, pars …「ある者たちは~、別の者たちは…」。)</span>
*<u>pars</u> iam [[wikt:en:egressus#Latin|egressa]] portis ab [[wikt:en:eques#Latin|equitibus]] est [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecta]].
**別の者たちはすでに城門を出ていたが、<small>(ローマ側の)</small>[[w:騎兵|騎兵]]たちによって虐殺された。
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:nec#Latin|Nec]] fuit [[wikt:en:quisquam#Pronoun|quisquam]], qui [[wikt:en:praeda#Latin|praedae]] [[wikt:en:studeret#Latin|studeret]].
**<small>(ローマ勢には)</small>戦利品を熱心に求める何者もいなかった。
*[[wikt:en:sic#Latin|Sic]] et <u>Cenabi</u> [[wikt:en:caedes#Latin|caede]] et [[wikt:en:labor#Latin|labore]] [[wikt:en:opus#Latin|operis]] [[wikt:en:incitatus#Latin|incitati]]
**このように、ケナブムの<small>(ローマ市民の)</small>殺害にも、(攻城)作業の労苦にも煽られて
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カルヌーテース族によるローマ市民の殺害については[[#3節|3節]]を参照。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の cenabi は、α系写本では [[wikt:en:Genabi#Latin|genabi]] <br> ρ系写本や写本Tでは [[wikt:en:Genabensi#Adjective|genabensi]]<br> 写本Uおよび写本Tの一部では cenabensi となっている。<br> なお、cenabi, cenabensi はケルト語風の表記である。)</span>
*non [[wikt:en:aetas#Latin|aetate]] [[wikt:en:confectus#Latin|confectis]],
**<small>(ローマ勢は)</small>年老いた者たちも、
*non [[wikt:en:mulier#Latin|mulieribus]],
**妻女たちも、
*non [[wikt:en:infans#Noun|infantibus]] [[wikt:en:pepercerunt#Latin|pepercerunt]].
**乳幼児たちも<small>(虐殺することを)</small>思いとどまらなかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ビトゥリゲース族はローマ市民の殺害には関与しておらず、報復される対象とするのは的外れである。</span>
**:<span style="color:#009900;">ましてや非戦闘員である老人・女性・子供たちまで殺戮するのは、戦争の狂気というしかない。)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:denique#Latin|Denique]] ex omni <u><span style="color:#009900;">eo</span></u> numero, qui fuit circiter milium XL<small> ([[wikt:en:quadraginta#Latin|quadraginta]])</small>,
**ついには、約40000名もいたすべての人員のうち、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:eo#Latin:_there|eo]] は β系写本の記述で、α系写本にはない。)</span>
*vix DCCC<small> ([[wikt:en:octingenti#Latin|octingenti]])</small>, qui primo [[wikt:en:clamor#Latin|clamore]] [[wikt:en:auditus#Latin|audito]] se ex oppido <u>eiecerunt</u>,
**やっと800名が、はじめにどよめきを聞いて、城塞都市から急ぎ出て、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:eiecerunt#Latin|eiecerunt]]<small> (直接法・完了)</small> だが、<br> β系写本では [[wikt:en:eiecerant#Latin|eiecerant]]<small> (直接法・過去完了)</small> となっている。)</span>
*[[wikt:en:incolumis#Latin|incolumes]] ad [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorigem]] [[wikt:en:pervenerunt#Latin|pervenerunt]].
**無傷のままで[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のもとへ到着した。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Quos ille multa iam nocte <u>silentio</u> ex fuga [[wikt:en:excepit#Latin|excepit]],
**彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、逃亡して来たその者たちを、すでに夜も更けた<u>静寂のうちに</u>迎え入れた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:silentio#Latin|silentio]] だが、β系写本にはない。<br> 他方、β系写本では [[wikt:en:sic#Latin|sic]] とあるが、α系写本にはない。)</span>
*[[wikt:en:veritus#Latin|veritus]], ne qua in castris ex eorum [[wikt:en:concursus#Latin:_convergence|concursu]] et [[wikt:en:misericordia#Latin|misericordia]] [[wikt:en:vulgus#Latin|vulgi]] seditio <u>oreretur</u>,
**彼らの密集や一般兵士たちの同情から、陣営の中で何らかの暴動が生じないように怖れて、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne [[wikt:en:aliqui#Latin|qua (aliqua)]] ~ [[wikt:en:seditio#Latin|seditio]]「何らかの暴動が~ないように」
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、一部の写本は [[wikt:en:oreretur#Latin|oreretur]] だが、<br> 他の写本では [[wikt:en:oriretur#Latin|oriretur]] となっているが、語形の相違。)</span>
*ut procul in via [[wikt:en:dispositus#Latin|dispositis]] [[wikt:en:familiaris#Noun|familiaribus]] suis [[wikt:en:princeps#Latin|principibus]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:civitas#Latin|civitatum]],
**自らの郎党たちや部族の領袖たちを<small></small>(陣営の)遠くから道沿いに配置して、
*[[wikt:en:disparandus#Latin|disparandos]] [[wikt:en:deducendus#Latin|deducendos]]<nowiki>que</nowiki> ad suos [[wikt:en:curaret#Latin|curaret]],
**<small>(敗走者たちを)</small>味方のもとへ、引き離して連れて行くように手配した。
*quae [[wikt:en:cuique#Latin|cuique]] civitati pars castrorum ab [[wikt:en:initium#Latin|initio]] [[wikt:en:obvenerat#Latin|obvenerat]].
**陣営の各部分は、おのおのの部族にはじめから与えられていたのだ。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===29節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/29節]] {{進捗|00%|2026-08-11}}</span>
[[画像:Vercingetorix stater CdM.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
;ウェルキンゲトリークスが演説で味方を鼓舞する
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Postero die [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] [[wikt:en:convocatus#Latin|convocato]],
**翌日に、会合が召集されると、
*[[wikt:en:consolatus#Latin|consolatus]] [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortatus]]<nowiki>que</nowiki> est,
**<small>(ウェルキンゲトリークスは、味方の者たちを)</small>慰めて、励ました:
*<u>ne</u> se [[wikt:en:admodum#Latin|admodum]] animo [[wikt:en:demitterent#Latin|demitterent]],
**あまり気を落とさないように、
*<u>ne</u> [[wikt:en:perturbarentur#Latin|perturbarentur]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]].
**敗北により取り乱さないように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:上の下線部は、α系写本では [[wikt:en:ne#Latin:_no|ne]] ~ ne だが、<br> β系写本では ne ~ [[wikt:en:neve#Latin|neve]] となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Non [[wikt:en:virtus#Latin|virtute]] neque in [[wikt:en:acies#Latin|acie]] [[wikt:en:vicisse#Latin|vicisse]] [[wikt:en:Romani#Latin|Romanos]],
**ローマ人たちが勝ったのは、武勇においてでも、戦列<small>〔野外の合戦〕</small>においてでもなく、
*sed [[wikt:en:artificium#Noun|artificio]] [[wikt:en:quidam#Determiner|quodam]] et [[wikt:en:scientia#Latin:_knowledge|scientia]] [[wikt:en:oppugnatio#Latin|oppugnationis]],
**ある種の技巧および攻城戦の知識によるものであって、
*cuius rei [[wikt:en:fuerint#Latin|fuerint]] ipsi [[wikt:en:imperitus#Latin|imperiti]].
**その事柄に<small>(ガッリア人)</small>自身が通じていなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]では、ネルウィイー族らガッリア北部のベルガエ勢はローマ人の攻城術をまねていた。)</span>
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:erro#Latin:_wander|Errare]], si [[wikt:en:aliqui#Latin|qui]] in [[wikt:en:bellum#Latin|bello]] omnes [[wikt:en:secundus#Adjective|secundos]] rerum [[wikt:en:proventus#Latin|proventus]] [[wikt:en:exspectent#Latin|exspectent]].
**誰であれ、戦争において、万事が順調な成功になることを期待するのならば、<small>(その者らは)</small>誤っている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:語順が判りにくいが、<br> 物事のすべて(omnes rerum)が幸運な結果(secundos proventus)であることを期待するのならば~。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:errare の意味上の主語([[wikt:en:eos#Latin|eos]])が省略されている。)</span>
:
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Sibi [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:placuisse#Latin|placuisse]] [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]] [[wikt:en:defendi#Latin|defendi]],
**自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>にとって、アウァーリクムが防衛されることは決して好ましいものではなかった。
*cuius rei [[wikt:en:testis#Latin:_witness|testes]] ipsos [[wikt:en:haberet#Latin|haberet]];
**その事の証人は<small>(諸君ら)</small>自身である。
*sed <u>factum</u> [[wikt:en:inprudentia#Latin|inprudentia]] [[wikt:en:Bituriges#Latin|Biturigum]] et [[wikt:en:nimius#Latin|nimia]] [[wikt:en:obsequentia#Latin|obsequentia]] reliquorum, <u>uti</u> hoc [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodum]] [[wikt:en:acciperetur#Latin|acciperetur]].
**だが、ビトゥリゲース族の軽率さと、ほかの者たちの過度な同調により、この敗北を蒙るようになったのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:factus#Latin:_done|factum]] (esse) ~ [[wikt:en:uti#Latin:_how|uti]] …「…ようになった」)</span>
:
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Id tamen se celeriter [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:commodum#Latin:noun|commodis]] [[wikt:en:sanaturus#Latin|sanaturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>.
**しかしながら、自分がそれ<small>〔敗北〕</small>を速やかに大いなる勝利によって埋め合わせるであろう。
:
*<!--❻--><sup>(6)</sup> Nam quae ab reliquis [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Gallis]] civitates [[wikt:en:dissentirent#Latin|dissentirent]],
**一方、<small>(ウェルキンゲトリークスら)</small>ほかのガッリア人たちとは意見を相異する諸部族、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:先行詞 [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] が quae 以下の関係文中に入り込む倒置の語順。)</span>
*has sua [[wikt:en:diligentia#Noun|diligentia]] [[wikt:en:adiuncturus#Latin|adiuncturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>
**彼ら<small>〔諸部族〕</small>を自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>の入念さにより合流させるであろうし、
*atque unum [[wikt:en:consilium#Latin|consilium]] [[wikt:en:totus#Latin:_whole|totius]] [[wikt:en:Gallia#Latin|Galliae]] [[wikt:en:effecturus#Latin|effecturum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>,
**全ガッリアの考えを一つにするであろう。
*cuius [[wikt:en:consensus#Latin|consensui]] ne orbis quidem terrarum [[wikt:en:possit#Latin|possit]] [[wikt:en:obsistere#Latin|obsistere]];
**その団結には、全世界でさえ邪魔することはできない。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:orbis#Latin|orbis]] [[wikt:en:/terrarum#Latin|terrarum]]「全世界」)</span>
*[[wikt:en:id#Latin|id]]<nowiki>que</nowiki> se [[wikt:en:prope#Adverb|prope]] iam [[wikt:en:effectus#Latin:_participle|effectum]] habere.
**それを自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>は、ほとんどすでに成し遂げたと思う。
:
*<!--❼--><sup>(7)</sup> [[wikt:en:interea#Latin|Interea]] [[wikt:en:aequus#Latin|aequum]] esse ab iis [[wikt:en:communis#Latin|communis]] [[wikt:en:salus#Latin|salutis]] causa [[wikt:en:impetrari#Latin|impetrari]],
**その間に<small>(ガッリアの)</small>共通の安全のために、彼ら<small>〔ガッリア人〕</small>によって<small>(以下のように)</small>達成されることが好都合である。
*ut castra [[wikt:en:munio#Latin|munire]] [[wikt:en:instituerent#Latin|instituerent]],
**陣営を防御することを実施するように、
*[[wikt:en:quo#Latin:_where|quo]] [[wikt:en:facilius#Latin|facilius]] [[wikt:en:repentinus#Latin|repentinos]] hostium [[wikt:en:impetus#Latin|impetus]] <u>sustinerent</u>.
**それにより、敵たち<small>〔ローマ人〕</small>の予期せぬ襲撃に対して、より容易に持ちこたえられるように。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:sustinerent#Latin|sustinerent]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:sustinere#Latin|sustinere]] [[wikt:en:possent#Latin|possent]] となっている。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===30節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/30節]] {{進捗|00%|2026-08-29}}</span>
;ガッリア勢がウェルキンゲトリークスに心服し、希望を抱く
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Fuit haec [[wikt:en:oratio#Latin|oratio]] non [[wikt:en:ingratus#Latin|ingrata]] [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Gallis]],
**この演説は、ガッリア人たちにとっては不快なものではなかった。
*et maxime, quod ipse animo non [[wikt:en:defecerat#Latin|defecerat]], [[wikt:en:tantus#Latin|tanto]] [[wikt:en:acceptus#Latin|accepto]] [[wikt:en:incommodum#Latin|incommodo]],
**──というのは、とりわけ<small>(ウェルキンゲトリークス)</small>自身がこれほどの敗北を蒙っても意気消沈することなく、
*neque <u>se</u> [[wikt:en:in_occultum#Latin|in occultum]] [[wikt:en:abdiderat#Latin|abdiderat]]
**秘密の場所に身を隠したり、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の再帰代名詞 se は 最初の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Editio_princeps|''ed. pr.'']] で挿入されたもので、主要写本 ω にはない。)</span>
*et [[wikt:en:conspectus#Latin:_noun|conspectum]] [[wikt:en:multitudo#Latin|multitudinis]] [[wikt:en:fugerat#Latin|fugerat]]<!--,-->;
**大勢の見ているところを避けたりしなかったからである──。
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> [[wikt:en:plus#Latin:_adverb|plus]]<nowiki>que</nowiki> animo [[wikt:en:provideo#Latin|providere]] et [[wikt:en:praesentio#Latin|praesentire]] [[wikt:en:existimabatur#Latin|existimabatur]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは他の者よりも)</small>より先見の明があり、予感していると考えられていた。
*quod re [[wikt:en:integer#Latin|integra]]
**──というのは、事態が手つかずのままで、
*[[wikt:en:primo#Latin:_adverb|primo]] [[wikt:en:incendendus#Latin|incendendum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span> [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avaricum]],
**当初はアウァーリクムが焼き払われるべきだと<small>(主張し)</small>、
*post [[wikt:en:deserendus#Latin|deserendum]] <span style="color:#009900;">(esse)</span>, [[wikt:en:censuerat#Latin|censuerat]].
**後には<small>(アウァーリクムは)</small>放棄されるべきだ、と主張していたからだ──。
:
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:itaque#Latin|Itaque]] <u>ut</u> [[wikt:en:reliquus#Latin|reliquorum]] [[wikt:en:imperator#Latin|imperatorum]] res adversae [[wikt:en:auctoritas#Latin|auctoritatem]] [[wikt:en:minuunt#Latin|minuunt]],
**それゆえに、逆境がほかの将軍たちの影響力を減ずる一方で、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ut#Conjunction|ut]] ~, [[wikt:en:sic#Latin|sic]] …「~であるように、同様に…」あるいは「~である一方で、…」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:res#Latin|res]] [[wikt:en:adversus#Participle|adversae]]「逆境、(戦争における)敗北」。)</span>
*<u>sic</u> huius <u>ex contrario</u> [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitas]] <u>incommodo</u> [[wikt:en:acceptus#Latin|accepto]] <u>in dies</u> [[wikt:en:augebatur#Latin|augebatur]].
**それどころか、彼の威厳は、災難を蒙っても、日ごとに高まっていたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ex_contrario#Latin|ex contrario]]「それどころか」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:incommodum#Latin|incommodum]]「不運、災難、(戦争における)敗北」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:in_dies#Latin|in dies]]「日に日に」「日ごとに」。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:simul#Latin|Simul]] <u>in spem [[wikt:en:veniebant#Latin|veniebant]]</u> eius [[wikt:en:adfirmatio#Latin|adfirmatione]] de reliquis [[wikt:en:adiungendus#Latin|adiungendis]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitatibus]];
**同時に、彼の断言によって<small>(ガッリア人たちは)</small>ほかの諸部族を合流させることについて希望を抱いていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:in [[wikt:en:spes#Latin|spem]] [[wikt:en:venio#Latin|venire]]「希望を抱くようになる」。)</span>
*[[wikt:en:primum#Adverb|primum]]<nowiki>que</nowiki> eo tempore [[wikt:en:Galli#Latin:_Gauls|Galli]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] [[wikt:en:munio#Latin|munire]] [[wikt:en:instituerunt#Latin|instituerunt]],
**そのときに初めて、ガッリア人たちは陣営の防備を固めることに着手した。
*et <u>sic</u> <u>sunt</u> animo <u>consternati</u>, homines [[wikt:en:insuetus#Latin|insueti]] [[wikt:en:labor#Latin|laboris]],
**<small>(陣営の防備という)</small>労苦に慣れていない人々が、<u>気持ちが狼狽していたので、</u>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:sic#Latin|sic]] ~, [[wikt:en:ut#Conjunction|ut]] …「~であるので、その結果…ほどだった」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の sunt は主要写本 ω の記述だが、erant とする修正提案もある。<br> sunt なら未完了過去 (sunt consternati)、erant なら過去完了 (erant consternati) になる。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:consternati#Latin|consternati]] は主要写本 ω の記述だが、<br> ''[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Nipperdey|Nipperdey]]'' は [[wikt:en:confirmati#Latin|confirmati]] と修正提案している。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:写本の読みは sunt [[wikt:en:consternati#Latin|consternati]] 「(彼らは)恐怖に陥っていた、混乱していた。」だが、<br> 修正読みでは sunt [[wikt:en:confirmati#Latin|confirmati]] 「(彼らは)励まされた」。)</span>
*<u>ut</u> omnia, quae [[wikt:en:imperarentur#Latin|imperarentur]], sibi [[wikt:en:patiendus#Latin|patienda]] <span style="color:#009900;">(esse)</span> <u>et perferenda <span style="color:#009900;">(esse)</span></u> [[wikt:en:existimarent#Latin|existimarent]].
**自分たちにとって、命令されたことすべてを耐えるべきであり、<u>成就するべきである</u>と考えるに至ったほどであった。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の et [[wikt:en:perferenda#Latin|perferenda]] (esseは省略されている) はβ系写本の記述で、<br> α系写本にはない。)</span>
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===31節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/31節]] {{進捗|00%|2026-08-29}}</span>
;ウェルキンゲトリークスがほかの諸部族を勧誘し、兵力を補充する
:
; ウェルキンゲトリークスが、さらに多くの部族に同盟を誘いかける
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Nec minus, quam est [[wikt:en:pollicitus#Latin|pollicitus]],
**約束したことに劣らず、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:nec#Latin|nec]] [[wikt:en:minus#Adverb_4|minus]] [[wikt:en:quam#Latin|quam]] ~「~に劣らず」。)</span>
*[[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorix]] animo [[wikt:en:laborabat#Latin|laborabat]], ut reliquas [[wikt:en:civitas#Latin|civitates]] [[wikt:en:adiungeret#Latin|adiungeret]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ほかの諸部族を加盟させるように、心から努力した。
*atque <u>earum principes donis pollicitationibusque</u> [[wikt:en:adliciebat#Latin|adliciebat]].
**それらの領袖たちに贈物を約束することによって、誘い込もうとしていた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、β系写本では earum [[wikt:en:princeps#Noun_3|principes]] [[wikt:en:donum#Latin|donis]] [[wikt:en:pollicitatio#Latin|pollicitationibus]]<nowiki>que</nowiki> だが、<br> α系写本では eas donis pollicitationibus となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Huic rei [[wikt:en:idoneus#Latin|idoneos]] homines [[wikt:en:deligebat#Latin|deligebat]],
**この事<small>〔同盟に誘うこと〕</small>に適切な人物たちを<small>(ウェルキンゲトリークスが)</small>選び出して、
*quorum [[wikt:en:quisque#Latin|quisque]] aut [[wikt:en:oratio#Latin|oratione]] [[wikt:en:subdolus#Latin|subdola]] aut [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitia]]
**その者たちのおのおのは、巧妙な演説により、あるいは友情により、
*[[wikt:en:facillime#Latin|facillime]] <u>capere</u> posset.
**かなり容易に<small>(同盟者を)</small>得ることができた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系写本・写本Lでは [[wikt:en:capere#Latin|capere]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:capi#Latin|capi]] となっている。)</span>
:
; アウァーリクムからの逃亡者たちに、武具と衣服を支給する
*<!--❸--><sup>(3)</sup> <span style="color:#009900;">[eos]</span> qui [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarico]] [[wikt:en:expugnatus#Latin|expugnato]] [[wikt:en:refugerant#Latin|refugerant]],
**<small>(ウェルキンゲトリークスは)</small>アウァーリクムが攻略されたので逃げて来ていた者たちに、
*[[wikt:en:armandus#Latin|armandos]] [[wikt:en:vestiendus#Latin|vestiendos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:curat#Latin|curat]];
**武装させられ、服を着せられるように、手配する。
:
; 同盟部族に徴集する兵員の数と集まる期日を指示する
*<!--❹--><sup>(4)</sup> [[wikt:en:simul#Latin|simul]], ut [[wikt:en:deminutus#Latin|deminutae]] [[wikt:en:copiae#Latin|copiae]] [[wikt:en:redintegrarentur#Latin|redintegrarentur]],
**同時に、減り衰えた軍勢が補充されるように、
*[[wikt:en:imperat#Latin|imperat]] [[wikt:en:certus#Latin|certum]] <u>numerum</u> militum civitatibus, <u>quem</u> et <u>quam ante diem</u> in castra [[wikt:en:adduci#Latin|adduci]] [[wikt:en:velit#Latin|velit]],
**諸部族に、兵の一定の<u>数</u>を<u>どれほど</u>、かつ、<u>いつの日の前までに</u>陣営に連れて来ることを欲しているかを指図し、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:qui#Determiner|quem]] [[wikt:en:numerus#Latin|numerum]] 「どれほどの数を」。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:qui#Determiner|quam]] ante [[wikt:en:dies#Latin|diem]] 「いつの日の前までに」。)</span>
*[[wikt:en:sagittarius#Noun|sagittarios]]<u>que</u> omnes, quorum erat [[wikt:en:permagnus#Latin|permagnus]] <u>numerus in Gallia</u>, [[wikt:en:conquiri#Latin|conquiri]] et ad se [[wikt:en:mitti#Latin|mitti]] [[wikt:en:iubet#Latin|iubet]].
**ガッリアにかなり大勢がいた弓兵のすべてを、徴募して自分<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>のもとへ派遣することを命じる。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本の語順は numerus in Gallia で、<br> β系写本の語順は in Gallia numerus となっている。)</span>
*His rebus celeriter id, quod [[wikt:en:Avaricum#Latin|Avarici]] [[wikt:en:deperierat#Latin|deperierat]], [[wikt:en:expletur#Latin|expletur]].
**これらの事により、速やかに、アウァーリクムで壊滅していたそれら<small>(の軍勢)</small>が補充される。
:
; ニティオブロゲース族の王テウトマトゥスが、騎兵隊らとともにウェルキンゲトリークスに合流する
*<!--❺--><sup>(5)</sup> [[wikt:en:interim#Latin|Interim]] [[wikt:en:Teutomatus#Latin|Teutomatus]], [[wikt:en:Ollovico#Latin|Olloviconis]] filius, rex <u>Nitiobrogum</u>,
**その間に、オッロウィコーの息子で、ニティオブロゲース族の王であるテウトマトゥスが、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本ω では Nitiobrogum だが、<br> 写本Uの一部では [[wikt:en:Nitiobriges#Latin|Nitiobrigum]] となっている。)</span>
*cuius pater ab [[wikt:en:senatus#Latin|senatu]] nostro amicus erat [[wikt:en:appellatus#Latin|appellatus]],
**その父<small>〔オッロウィコー〕</small>は、我が方<small>〔ローマ人〕</small>の[[w:元老院 (ローマ)|元老院]]から友人と呼ばれていたのだが、
*cum magno [[wikt:en:eques#Latin|equitum]] suorum numero et quos ex [[wikt:en:Aquitania#Latin|Aquitania]] [[wikt:en:conduxerat#Latin|conduxerat]] ad eum [[wikt:en:pervenit#Etymology_2|pervenit]].
**自らの騎兵の多数およびアクィーターニアから募っていた者たちとともに、彼<small>〔ウェルキンゲトリークス〕</small>のもとへ到着した。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
==ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイー族の離反==
===32節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/32節]] {{進捗|00%|2026-09-23}}</span>
;ハエドゥイー族内紛の危機
:
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar [[wikt:en:Avarici#Latin|Avarici]] complures dies [[wikt:en:commoratus#Latin|commoratus]]
**カエサルは、アウァーリクムに幾日も留まって、
*[[wikt:en:summus#Latin|summam]]<nowiki>que</nowiki> ibi [[wikt:en:copia#Latin|copiam]] [[wikt:en:frumentum#Latin|frumenti]] et reliqui [[wikt:en:commeatus#Latin:_noun|commeatus]] [[wikt:en:nactus#Latin|nactus]]
**そこでかなり多量の糧食やほかの必需品を手に入れて、
*[[wikt:en:exercitus#Latin:_noun|exercitum]] ex [[wikt:en:labor#Latin:_work|labore]] atque [[wikt:en:inopia#Latin:_noun|inopia]] <u>reficit</u>.
**軍隊を労苦や欠乏から回復させた。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ系・β系写本では [[wikt:en:reficit#Latin|reficit]]<sub> (現在形)</sub> だが、<br> φ系写本では [[wikt:en:refecit#Latin|refecit]]<sub> (完了形)</sub> となっている。)</span>
:
*<!--❷--><sup>(2)</sup> Iam [[wikt:en:prope#Adverb|prope]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]],
**すでに、ほぼ冬は過ぎ去り、
*cum ipso anni tempore ad [[wikt:en:gerendus#Latin|gerendum]] bellum [[wikt:en:vocaretur#Latin|vocaretur]] et ad hostem [[wikt:en:proficisci#Latin|proficisci]] [[wikt:en:constituisset#Latin|constituisset]],
**<small>(カエサルが)</small>まさにその時季に戦争を遂行するために呼び寄せられて、敵の方へ発つことを決意していたときに、
*<u>sive</u> eum ex [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:elicio#Latin|elicere]] <u>sive</u> [[wikt:en:obsidio#Latin|obsidione]] [[wikt:en:premo#Latin|premere]] [[wikt:en:posset#Latin|posset]],
**<u>あるいは</u><small>(敵を)</small>沼地や森林から誘い出せるか、<u>あるいは</u>包囲により圧倒することができるか、というときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:sive ~ sive …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*[[wikt:en:legatus#Latin:_noun|legati]] ad eum [[wikt:en:princeps#Latin:_noun|principes]] [[wikt:en:Haedui#Latin|Haeduorum]] [[wikt:en:veniunt#Latin|veniunt]]
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領袖たちが使節として彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへやって来る。
*[[wikt:en:oratum#Latin:_supine|oratum]], ut maxime [[wikt:en:necessarius#Latin:_unavoidable|necessario]] tempore [[wikt:en:civitas#Latin|civitati]] [[wikt:en:subveniat#Latin|subveniat]]<!--;-->:
**きわめて緊急の時に、部族を助けてくれるように、と頼むために。
:
; ハエドゥイー族の救援要請(以下、間接話法)
*<!--❸--><sup>(3)</sup> [[wikt:en:summus#Latin|summo]] esse in [[wikt:en:periculum#Latin|periculo]] rem,
**事態は最大の危機にある。
*quod, cum [[wikt:en:singulus#Latin|singuli]] [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratus]] [[wikt:en:antiquitus#Latin|antiquitus]] [[wikt:en:creari#Latin|creari]] atque [[wikt:en:regius#Latin|regiam]] [[wikt:en:potestas#Latin|potestatem]] <u>annum</u> [[wikt:en:obtineo#Latin|obtinere]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**──というのは、昔から一人ずつの統領が選出されて、一年ごとに支配権力に就くことが常であったのに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第1巻#16節|第1巻16節]]によれば、ウェルゴブレトゥス [[w:la:Vergobretus|Vergobretus]]という最高官職が毎年選ばれて大権を司る。)</span>
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:annum#Latin|annum]] だが、<br> β系写本では [[wikt:en:annuam#Adjective|annuam]] となっている。)</span>
*duo [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratum]] [[wikt:en:gerant#Latin|gerant]]
**2名が統領を司り、
*et se [[wikt:en:uterque#Latin|uterque]] eorum legibus <u>creatum esse</u> [[wikt:en:dicat#Latin:_speak|dicat]].
**彼らの双方ともに自分は法により<small>〔合法的に〕</small>選出されたのであると言っているのだから──。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、α系写本では [[wikt:en:creatus#Latin|creatum]] esse だが、<br> β系写本では esse は省かれている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
{{wikipedia|en:Convictolitavis}}
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Horum esse alterum Convictolitavem, [[wikt:en:florens#Latin|florentem]] et [[wikt:en:inlustris#Latin|inlustrem]] [[wikt:en:adulescens#Noun|adulescentem]]<!--,-->;
**彼らの一方は、コンウィクトリタウィスで、声望があり、秀でた青年である。
*alterum Cotum, [[wikt:en:antiquissimus#Latin|antiquissima]] familia [[wikt:en:natus#Latin:_born|natum]]
**他方は、コトゥスで、とても古くからの家系に生まれて、
*atque ipsum hominem summae [[wikt:en:potentia#Latin|potentiae]] et magnae [[wikt:en:cognatio#Latin|cognationis]],
**自身も最大勢力と多くの縁戚関係をもつ人物であり、
*cuius frater Valetiacus proximo anno eundem [[wikt:en:magistratus#Latin|magistratum]] [[wikt:en:gesserit#Latin|gesserit]].
**その兄弟ウァレティアクスは前年に同じ統領を司っていたのである。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❺--><sup>(5)</sup> Civitatem esse omnem in [[wikt:en:arma#Latin|armis]];
**部族は皆が武装している。
*[[wikt:en:divisus#Latin|divisum]] [[wikt:en:senatus#Latin|senatum]], divisum [[wikt:en:populus#Latin:_people|populum]], <u>suas</u> cuiusque eorum clientelas.
**評議会も分裂し、民衆も分裂し、彼ら<small>〔2名〕</small>の<small>(それぞれの)</small>庇護民となっている。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の suas は主要写本ωの記述だが、より劣った写本では in suas となっている。)</span>
*Quodsi diutius alatur controversia, fore uti pars cum parte civitatis confligat.
**もしこれ以上、紛争が進められれば、部族の派閥と派閥が激突することになるであろう。
*Id ne accidat, positum in eius diligentia atque auctoritate.
**それが起こらないかは、彼(カエサル)の入念さと影響力にかかっている。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===33節===
*<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/33節]] {{進捗|00%|2026-10-04}}</span>
;カエサルがハエドゥイー族の権力をコンウィクトリタウィスに与える
: <!-- [[wikt:en:| -->
; カエサルが、ハエドゥイー族の内紛を危惧する
*<!--❶--><sup>(1)</sup> Caesar, <u>etsi</u> a bello atque hoste [[wikt:en:discedo#Latin|discedere]] [[wikt:en:detrimentosus#Latin|detrimentosum]] esse [[wikt:en:existimabat#Latin|existimabat]],
**カエサルは、戦争や敵から離れることは損害をもたらすものである、と考えていたのではあるが、
*<u>tamen</u> non [[wikt:en:ignorans#Latin|ignorans]], [[wikt:en:quantus#Latin|quanta]] ex [[wikt:en:dissensionibus#Latin|dissensionibus]] [[wikt:en:incommodum#Noun|incommoda]] [[wikt:en:oriri#Latin|oriri]] [[wikt:en:consuessent#Latin|consuessent]],
**しかしながら、[[wikt:ja:内訌|内訌]]からどれほどの災厄が生じることが常であるか、知らないではなかったし、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:etsi#Latin|etsi]] ~, [[wikt:en:tamen#Latin|tamen]] …「~ではあるが、しかしながら…」)</span>
*ne [[wikt:en:tantus#Latin|tanta]] et [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:coniunctus#Latin:_participle|coniuncta]] [[wikt:en:populus#Latin|populo]] [[wikt:en:Romanus#Adjective|Romano]] [[wikt:en:civitas#Latin|civitas]],
**──これほど大きく、これほどローマ人民と協同している<small>(ハエドゥイーの)</small>{{ruby|部族国家|キーウィタース}}が、
*quam ipse semper [[wikt:en:aluisset#Latin|aluisset]] [[wikt:en:omnis#Latin|omnibus]]<nowiki>que</nowiki> rebus [[wikt:en:ornasset#Latin|ornasset]],
**彼らのことを<small>(カエサル)</small>自身は常に助成して、かつあらゆる事柄で敬意を表していたのだが、
*ad [[wikt:en:vis#Latin|vim]] atque [[wikt:en:arma#Latin|arma]] [[wikt:en:descenderet#Latin|descenderet]],
**<small>(彼らが内紛という)</small>暴力や戦乱に沈み込まないように、
*atque ea pars, quae [[wikt:en:minus#Latin:_adverb|minus]] sibi [[wikt:en:confideret#Latin|confideret]], [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] a [[wikt:en:Vercingetorix#Latin|Vercingetorige]] [[wikt:en:arcesseret#Latin|arcesseret]],
**かつ、自分たちにとって劣勢だと確信している一派が[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の支援を呼び寄せないように──
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ne ~ civitas, ~ descenderet, ~ arcesseret「~部族が、~沈まないように、~招かないように」)</span>
*huic rei [[wikt:en:praevertendus#Latin|praevertendum]] [[wikt:en:existimavit#Latin|existimavit]],
**この事柄は<small>(戦争遂行よりも)</small>優先されるべき、と考えた。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❷--><sup>(2)</sup> et, quod legibus Haeduorum iis, qui summum magistratum obtinerent, excedere ex finibus non liceret,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の法により、最高の官職に就いている者は領土から出て行くことを許されないので、
*ne quid de iure aut de legibus eorum deminuisse videretur,
**<small>(カエサルが)</small>彼らの法令あるいは法制について何ら軽視したとは思われないように、
[[画像:FR-58-Decize29.JPG|thumb|right|250px|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。]]
*ipse in Haeduos proficisci statuit
**<small>(カエサル)</small>自身がハエドゥイー族のもとに出発することを決心した。
*senatum<nowiki>que</nowiki> omnem et <u>quos inter controversia esset</u>
**かつ、評議会の全員、および紛争が介在しているところの者たちを
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:quos inter ~ は、関係節の関係代名詞 quos が<br> 前置詞 inter の前に出ている語順。)</span>
*ad se Decetiam evocavit.
**デケティアの自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ呼び出した。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:デケティア [[w:la:Decetia|Decetia]] は、現在の[[w:en:Decize|Decize]] ドシーズ(ドゥスィズ<ref>Decize の発音は [[wikt:fr:Decize|Decize]] を参照せよ。</ref>)<br> であると考えられている。)</span>
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❸--><sup>(3)</sup> Cum prope omnis civitas eo convenisset, doceretur<nowiki>que</nowiki>
**部族のほぼすべての<small>(主だった)</small>者たちがそこに集まったときに、<small>(以下のことが)</small>報知された。
*paucis clam convocatis alio loco, alio tempore atque oportuerit, fratrem a fratre renuntiatum,
**わずかな者が密かに、あるべきはずとは別の場所、別の時に呼び集められて、兄により弟<small>(の就位)</small>が告げられたというのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前年に統領であった兄ウァレティアクスによって弟コトゥスの統領への就位が告げられたということであろう。)</span>
*cum leges <u>duo</u> ex una familia vivo utroque non solum magistratus creari vetarent, sed etiam in senatu esse prohiberent,
**法は、一つの家族から2名が双方とも存命中に、統領に選出されるのを禁じるだけでなく、評議会にいることも禁止しているのに。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、χ・β系写本や写本B・M・Sでは duo だが、<br> 写本L・Nでは duos となっている。)</span>
*Cotum imperium deponere coegit<!--,-->;
**(カエサルは)コトゥスに支配権を放棄することを強要した。
: <!-- [[wikt:en:| -->
*<!--❹--><sup>(4)</sup> Convictolitavem, qui per sacerdotes more civitatis intermissis magistratibus esset creatus,
**コンウィクトリタウィスは、統領が空位になったときに、部族の規則により、<u>祭司</u>を通じて選出されたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう祭司 sacerdos が[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]以下で説明された[[w:ドルイド|ドルイド]]と同じか否かは不詳である。)</span>
*potestatem obtinere iussit.
**<small>(カエサルは彼に)</small>権力の座に就くことを命じた。
<!--
<span style="color:#009900;"></span>
<small></small>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:
-->
===34節===
'''ハエドゥイー族を動員し、ローマ軍をカエサルとラビエーヌスの二隊に分散'''
*① Hoc decreto interposito cohortatus Haeduos, ut
**この決定により仲裁して、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に以下のように励ました。
*controversiarum ac dissensionis obliviscerentur
**(部族内部の)紛争や不和を忘れるように、
*atque omnibus omissis his rebus huic bello servirent
**かつ、これらすべての事情を度外視して、この(ウェルキンゲトリークスとの)戦争に尽くすように、
*eaque, quae meruissent, praemia ab se devicta Gallia exspectarent
**ガッリアが征服されたときには(彼らが)受けるに値する自分(カエサル)からの恩賞を期待するように、
*equitatumque omnem et peditum milia X(decem) sibi celeriter mitterent,
**(ハエドゥイー族の)騎兵隊のすべてと歩兵1万名を自分(カエサル)に速やかに派遣するように、
*quae in praesidiis rei frumentariae causa disponeret,
**それらは糧食供給のために守備隊として分けて置くものである、と。
[[画像:Brioude pont.JPEG|thumb|right|250px|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイー族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。]]
*② exercitum in duas partes divisit:
**(カエサルは)軍隊を二つの方面軍に分けた。
*quattuor legiones in Senones Parisiosque [[w:la:Titus Labienus|Labieno]] ducendas dedit,
**4個[[w:ローマ軍団|軍団]]をセノネース族やパリスィイ族のところに率いて行くべく[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]に委ねた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ラビエーヌスのこの遠征については[[#57節|57節]]~62節で述べられる。)</span>
*sex ipse in Arvernos ad oppidum [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] secundum flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] duxit;
**6個を(カエサル)自身がアルウェルニー族のところの城塞都市ゲルゴウィアへエラウェル川に沿って率いて行った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:エラウェル川 Elaver は現在の[[w:アリエ川|アリエ川]] Allier である。)</span>
*equitatus partem illi attribuit, partem sibi reliquit.
**騎兵隊の一部は彼(ラビエーヌス)に割り当てて、(残りの)部分は自分のもとに残した。
*③ Qua re cognita [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] omnibus interruptis eius fluminis pontibus
**その事を知って、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]はその川のすべての橋を破却しながら、
*ab altera fluminis parte iter facere coepit.
**川の別の側を行軍し始めた。
===35節===
'''カエサルが陽動によってエラウェル川に架橋、渡河する'''
*① Cum uterque utrimque exisset exercitus<ref>utrimque exisset exercitus はα系写本の記述で、β系写本では utrique esset exercitui となっている。</ref>, in conspectu, fereque e regione castris castra ponebant<ref>ponebant はα系写本の記述で、β系写本では poneret となっている。</ref>,
**(ガッリア勢とローマ勢の)軍隊の双方が互いに視界にあって、ほぼ真向かいに互いの陣営を設置したときに、
*dispositis exploratoribus, necubi effecto ponte Romani copias traducerent,
**(ウェルキンゲトリークスは)ローマ人の軍勢がどこにも橋を造って渡河しないように、偵察者たちを分けて置き、
*erat in magnis Caesaris<ref>Caesaris はα系写本などの記述で、π系写本などでは Caesari となっている。</ref> difficultatibus res,
**カエサルにとって事態は大きな困難になっていた。
*ne maiorem aestatis partem flumine impediretur,
**夏の大部分(の対岸の敵との交戦)が川により妨げられるのではないか、
*quod non fere ante autumnum [[w:la:Elaver|Elaver]] vado transiri solet.
**というのは、[[w:アリエ川|エラウェル川]]は秋の前はほとんど浅瀬を渡らない習わしであったからだ。
*② Itaque, ne id accideret, silvestri loco castris positis
**こうして、それが生じないように、森林地帯に陣営を設置した。
*e regione unius eorum pontium, quos [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] rescindendos curaverat,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が切り裂かれるように手配していたところの橋の一つの真向かいに。
*postero die cum duabus legionibus in occulto restitit;
**翌日に、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに密かなところに留まった。
*③ reliquas copias cum omnibus impedimentis, ut consueverat, misit,
**残りの軍勢(=4個軍団)をすべての輜重とともに、通常のように、出発させた。
*captis<ref>写本(ω)では captis となっているが、Herald Fuchs の校訂版(1932年)では sic collocatis という記述が提案されている。etc.</ref> quibusdam cohortibus, uti numerus legionum constare videretur.
**軍団の数を保っていると(敵から)見られるように、いくつかの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を含ませていた。
*④ His quam longissime possent egredi<ref>egredi はα系写本の記述で、β系写本では progredi となっている。</ref> iussis,
**彼ら(4個軍団)には、できる限り遠くまで前進することを命じた。
*cum iam ex diei tempore coniecturam ceperat<ref>ceperat はα系写本の記述で、β系写本では caperet となっている。</ref> in castra perventum,
**すでに、日の時刻から(彼らが)宿営地に到達したと(カエサルが)推測をしたときに、
*isdem sublicis, quarum pars inferior integra remanebat, pontem reficere coepit.
**(前述の)同じ橋杭は、そのより下方の部分が損なわれないで残っていたので、橋を修復し始めた。
*⑤ Celeriter effecto opere
**速やかに工事が成し遂げられて、
*legionibusque traductis et loco castris idoneo delecto
**(2個)軍団が渡河させられて、陣営に適切な地点を選んで、
*reliquas copias revocavit.
**残りの軍勢(=4個軍団)を呼び戻した。
*⑥ Vercingetorix re cognita,
**ウェルキンゲトリークスは事態を知って、
*ne contra suam voluntatem dimicare cogeretur,
**自らの意向に反して(ローマ勢と)争闘することを強いられないように、
*magnis itineribus antecessit.
**強行軍で(ゲルゴウィアに向けて)先行した。
===36節===
[[画像:FR-63-Gergovie.JPG|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。]]
[[画像:Siège_GergovieI_-52.png|thumb|right|300px|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城塞都市に隣接してガッリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。]]
'''両軍がゲルゴウィアの要衝に陣営を築く'''
*① Caesar ex eo loco quintis castris [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] pervenit
**カエサルは(渡河した)その地点から5回目の宿営で[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に到着した。
*equestrique eo die proelio levi facto,
**(到着した)その日に(ガッリア勢と)軽微な[[w:騎兵|騎兵]]戦を闘って、
*perspecto urbis situ, quae posita in altissimo monte omnes aditus difficiles habebat,
**山の非常に高いところに位置し、すべての接近路を困難なものとしている(ゲルゴウィアの)町の地勢を認識して、
*de expugnatione<ref>expugnatione はα系写本の記述で、β系写本では oppugnatione となっている。</ref> desperavit,
**(拙速に突撃するような)攻略については断念して、
*de obsessione non prius agendum constituit, quam rem frumentariam expedisset.
**糧食調達の整備をするより前には、攻囲について行なうべきでないと決心した。
*② At [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], castris prope oppidum in monte<ref>in monte はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> positis,
**それに対して、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、山中の城塞都市の近くに陣営を設置して、
*mediocribus circum se intervallis separatim singularum civitatium<ref>civitatium はB・M・L・N写本の記述で、χ・S・β系写本では civitatum となっている。</ref> copias conlocaverat
**自陣の周りに、適切な間隔で個々の部族の軍勢を別々に駐屯させて、
*atque omnibus eius iugi collibus occupatis, qua despici poterat,
**その尾根のうち(山麓を)見下ろすことができたすべての丘陵を占有して、
*horribilem speciem praebebat;
**恐ろしげな姿を現わした。
*③ principesque earum civitatium<ref>civitatium はA・Q・B・M・L・N写本の記述で、Q・S・β系写本では civitatum となっている。</ref>, quos sibi ad consilium capiendum delegerat,
**(ウェルキンゲトリークス)自らが作戦を立てるために選び出していた諸部族の領袖たちに
*prima luce cotidie ad se convenire iubebat,
**毎日、夜明けに自分のところへ集まることを命じた。
*seu quid communicandum, seu quid administrandum videretur,
**何らかのことを伝達・協議するのか、あるいは何らかのことを指導するのだと思われる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:seu ~ seu …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*④ neque ullum fere diem intermittebat, quin equestri proelio interiectis sagittariis,
**騎兵戦に弓兵を介在させることを、ほとんどどの日も中断せずに、
*quid in quoque esset animi ac virtutis suorum, perspiceretur<ref>perspiceretur はα系写本の記述で、T写本では perspiceret、β系写本では periclitaretur となっている。</ref>.
**どのような心構えや武勇が、配下の者たちのおのおのにあるかを、吟味した。
*⑤ Erat e regione oppidi collis sub ipsis radicibus montis
**山のその麓の下方に、城塞都市の真向かいに、丘陵があって、
*egregie munitus atque ex omni parte circumcisus;
**あらゆる方面から周囲が険しくて、(その地形により)すばらしく護られていた。
*quem si tenerent nostri, et aquae magna parte et pabulatione libera prohibituri hostes videbantur.
**もし、それを我が方(ローマ勢)が占めれば、水源の大半と自由な糧秣徴発から敵たちを妨げるであろうと思われた。
*⑥ Sed is locus praesidio ab his, non nimis firmo, tenebatur.
**だが、その地点は、彼ら(ガッリア勢)により、大して強力ではない守備隊で占められていた。
*⑦ Tamen silentio noctis Caesar ex castris egressus,
**にもかかわらず(昼間ではなく)夜の静けさのうちに、カエサルは陣営から出撃して、
*priusquam subsidio ex oppido veniri posset,
**城塞都市(のそばの陣営)から援兵に来られるより前に、
*deiecto praesidio potitus loco duas ibi legiones conlocavit
**守備隊を追い出して、地点を占拠して、そこに2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を駐屯させた。
*fossamque duplicem duodenum pedum a maioribus castris ad minora perduxit,
**12[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約3.6mの幅)の二重の堀を、より大きな陣営から(この丘陵の)より小さな陣営へ至らしめた。
*ut tuto ab repentino hostium incursu singuli commeare possent.
**敵たちの不意の襲撃から安全に、1人1人が往来することができるように。
===37節===
'''ハエドゥイー族のコンウィクトリタウィスがガッリア同盟軍に内応する'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらがゲルゴウィアのところでなされている間に、
*Convictolitavis [[w:la:Haedui|Haeduus]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のコンウィクトリタウィスは、
*cui magistratum adiudicatum a Caesare demonstravimus,
**その者はカエサルによって統領として承認されたと([[#33節|33節]]で)既述したが、
*sollicitatus ab Arvernis pecunia cum quibusdam adulescentibus conloquitur,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]により金銭でそそのかされて、ある若者たちと談判した。
*quorum erat princeps Litaviccus atque eius fratres,
**その者たちの領袖は[[w:リタウィックス|リタウィックス]]とその兄弟たちであり、
*amplissima familia nati adulescentes.
**とても強大な一族に生まれた若者たちだった。
*② Cum his praemium communicat
**彼らとともに(アルウェルニー族からの)報酬を共有して、
*hortaturque, ut se liberos et imperio natos meminerint.
**自分たちが自由民で支配層の生まれであるのを思い起こせ、と鼓舞した。
*③ Unam esse Haeduorum civitatem, quae certissimam Galliae victoriam distineat<ref>distineat はM・N・π・R写本などの記述で、Q・U写本などでは destineat 、A・B・S写本などでは dedistineat などとなっている。</ref>;
**ハエドゥイーの部族国家は、ガッリアの至極確実な勝利を阻んでいる唯一のものであり、
*eius auctoritate reliquas contineri;
**その声望により、ほかの(同盟部族の)ものたちが(ローマ側に)保持されているが、
*qua traducta locum consistendi Romanis in Gallia non fore.
**それが(ガッリア勢に)引き入れられることによって、ガッリアにおいてローマ人が留まり続ける場はないであろう。
*④ Esse nonnullo se Caesaris beneficio adfectum,
**自分はカエサルの少なからぬ恩義をかけられているが、
*sic tamen, ut iustissimam apud eum causam obtinuerit;
**しかし、彼(カエサル)のもとで至極合法的な理由を手に入れたまでであり、
*sed plus communi libertati tribuere.
**しかし、(ガッリアの)共通の自由に従うことの方がより大きい。
*⑤ Cur enim potius Haedui de suo iure et de legibus ad Caesarem disceptatorem quam Romani ad Haeduos veniant?
**なぜ実際、ハエドゥイー族は自らの法令や法制について、ローマ人がハエドゥイー族へ来るよりむしろ、カエサルを仲裁者とするのか?
*⑥ Celeriter adulescentibus et oratione magistratus et praemio deductis,
**若者たちは速やかに、統領の演説と報酬によって導き入れられた。
*cum se vel principes eius consilii fore profiterentur,
**自分たちがその謀計の首謀者にすらなろうと申し出たときに、
*ratio perficiendi quaerebatur,
**(謀計を)成し遂げる方法が求められた。
*quod civitatem temere ad suscipiendum bellum adduci posse non confidebant.
**というのは、部族がむやみに(ローマ人との)戦争実行へ動かされることができるとは確信していなかったからだ。
*⑦ Placuit, ut Litaviccus decem illis milibus, quae Caesari ad bellum mitterentur, praeficeretur atque ea ducenda curaret,
**リタウィックスに、カエサルに戦争のために派遣されるあの(歩兵)1万名を指揮させ率いさせるのが良いとされた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵1万名については[[#34節|34節]]を参照。)</span>
*fratresque eius ad Caesarem praecurrerent.
**彼の兄弟たちは、カエサルのところへ先立って行った。
*Reliqua qua ratione agi placeat constituunt.
**残りのことが、どのようなやり方で行なわれるのが良いかが決められた。
===38節===
'''リタウィックスの鼓舞でハエドゥイー族の歩兵1万が挙兵する'''
*① Litaviccus accepto exercitu
**リタウィックスは(1万名の)歩兵隊を受け取って、
*cum milia passuum circiter XXX(triginta)<ref>XXX(triginta) はα系写本の記述で、β系写本では XL(quadraginta) となっている。</ref> ab<ref>ab は写本(ω)の記述であるが、モイゼル(Henricus Meusel)は a を提案している。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] abesset,
**[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から約30[[w:ローママイル|ローママイル]](=45km弱)離れたところに来たときに、
*convocatis subito militibus lacrimans,
**兵士たちを突然に呼び集めて、泣きながら、
*② "Quo proficiscimur," inquit, "milites?
**「兵士らよ、どこへ我々は進むのか?」と言った。
*Omnis noster equitatus, omnis nobilitas interiit;
**「我が方(ハエドゥイー族)のすべての[[w:騎兵|騎兵隊]]とすべての高貴な者たちは滅んだ。
*principes civitatis, [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] et Viridomarus,
**部族の領袖たち、エポレドリクスとウィリドマルスは、
*insimulati proditionis ab Romanis indicta causa interfecti sunt.
**裏切りの罪を着せられて、ローマ人たちによって、弁解の余地なく殺されてしまったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:indicta causa「弁解の余地なく」)</span>
*③ Haec ab ipsis<ref>ipsis はα系写本の記述で、β系写本では his となっている。</ref> cognoscite, qui ex ipsa caede fugerunt;
**これは、その虐殺から逃げて来た当人たちから聞き知ってくれ。
*nam ego fratribus atque omnibus meis propinquis interfectis
**なぜなら、私は、兄弟たちやすべての我が親族たちが殺されて
*dolore prohibeor, quae gesta sunt, pronuntiare."
**悲嘆により、なされたことを物語ることを妨げられているからだ。」
*④ Producuntur hi<ref>hi はφ・β系写本の記述で、A写本では ii 、Q写本では hii となっている。</ref>, quos ille edocuerat quae dici vellet,
**彼(リタウィックス)が言って欲しいことを教え込んでいた者たちが連れ出されて来て、
*atque eadem, quae Litaviccus pronuntiaverat, multitudini exponunt:
**リタウィックスが物語ったのと同じことを群衆に説明した。
*⑤ multos<ref>multos はα系写本の記述で、β系写本では omnes となっている。</ref> equites [[w:la:Haedui|Haeduorum]] interfectos, quod conlocuti cum Arvernis dicerentur;
**ハエドゥイー族の多くの騎兵たちは、アルウェルニー族と談判したと言われたので、殺された、と。
*ipsos se inter multitudinem militum occultasse atque ex media caede fugisse.
**(彼ら)自身は、兵士ら多数の間に身を隠して、虐殺の最中から逃げて来たのだ、と。
*⑥ Conclamant Haedui et Litaviccum obsecrant, ut sibi consulat.
**ハエドゥイー族の者たちは叫び声を上げて、リタウィックスに、自分たちに(どうするべきか)助言するように懇願した。
*"Quasi vero" inquit ille "consilii sit res, ac non necesse sit
**彼は言った「実にあたかも、事態が協議するべきというかのようだ。(協議する)必要はないのだ。
*nobis Gergoviam contendere et cum Arvernis nosmet coniungere.
**我々にとって、ゲルゴウィアに急行して、アルウェルニー族と我々が合流することは。
*⑦ An dubitamus, quin nefario facinore admisso Romani iam ad nos interficiendos concurrant?
**非道の悪行を犯したローマ人がもはや我々を殺戮するために襲いかかって来ることを疑うのかね?
*⑧ Proinde, si quid in nobis animi est,
**それゆえに、もし我々に何らかの心構えがあるならば、
*persequamur eorum mortem, qui indignissime interierunt,
**とても不面目に滅びた者たちの死に仇討ちしようではないか。
*atque hos latrones interficiamus."
**かの略奪者たち(ローマ人)を誅殺しようではないか。」
*Ostendit cives Romanos, qui eius praesidii fiducia una erant<ref>erant は写本(ω)の記述であるが、モムゼン(Mommsen)らは ierant を提案している。</ref>:
**(リタウィックスは)彼の護衛を信頼して一緒にいたローマ市民たちを示した。
*⑨ Continuo<ref>Continuo はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> magnum numerum frumenti commeatusque diripit,
**ただちに、(ローマ市民たちの)糧食や必需品の多数を略奪して、
*ipsos crudeliter excruciatos interficit.
**当人たちを残酷に拷問して殺した。
*⑩ Nuntios tota civitate Haeduorum dimittit,
**ハエドゥイー族の伝令たちを、部族全体にわたって遣わして、
*in<ref>in はβ系写本の記述だが、α系写本にはない。</ref> eodem mendacio de caede equitum et principum permovet<ref>permovet はL・N写本の記述だが、B写本では permanet 、χ・M・S・β系写本などでは permonet となっている。</ref>;
**騎兵や領袖たちの虐殺について、同じ嘘によって扇動した。
*hortatur ut simili ratione atque ipse fecerit suas iniurias persequantur.
**(リタウィックス)自身がしたのと同様のやり方で、自分たちの(受けた)無法に仇討ちするようにと鼓舞した。
===39節===
'''エポレドリクスがハエドゥイー勢1万の寝返りをカエサルに知らせる'''
*① [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] [[w:la:Haedui|Haeduus]], summo loco natus adulescens et summae domi potentiae,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]は、最高の身分に生まれた青年で、本国で最高の権勢にあった。
*et una Viridomarus, pari aetate et gratia, sed genere dispari,
**とともに、[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]も、同じ年輩で、同様に敬意を受けていたが、異なる階級であった。
*quem Caesar ab Diviciaco sibi traditum ex humili loco ad summam dignitatem perduxerat,
**カエサルは彼を[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]により託されて、低い身分から最高の地位へと引き立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ディウィキアクスはかつてローマに援助を求めた有力者で、カエサルに殺されたドゥムノリクスの兄弟。)</span>
*in equitum numero convenerant nominatim ab eo evocati.
**(その2人は)彼(カエサル)から名指しで呼び出されて、[[w:騎兵|騎兵]]として(ローマの陣中に)一緒に来ていた。
*② His erat inter se de principatu contentio
**彼ら(2人)には、互いに指揮官の座についての競争があって、
*et in illa magistratuum controversia
**あの統領をめぐる紛争においても
**:<span style="color:#009900;">([[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*alter pro Convictolitavi, alter pro Coto summis opibus pugnaverant<ref>pugnaverant はα系写本の記述で、β系写本では pugnaverat となっている。</ref>.
**一方は[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]のために、他方は[[w:コトゥス|コトゥス]]のために、最大限の助力で奮闘していた。
*③ Ex his Eporedorix cognito Litavicci consilio
**彼らのうちエポレドリクスが[[w:リタウィックス|リタウィックス]]の謀計を知って、
*media fere nocte rem ad Caesarem defert;
**ほぼ真夜中に、事情をカエサルのところへ報知した。
*orat ne patiatur civitatem pravis adulescentium consiliis ab amicitia populi Romani deficere;
**(ハエドゥイーの)部族が青年たちのゆがんだ謀計によってローマ人民の友好から背くことを容認しないように懇願した。
*quod futurum provideat, si se tot hominum milia cum hostibus coniunxerint,
**もし、このように多くの幾千もの同胞が敵たちと協同するならば、(上記の)ことが生じると用心するように、と。
*quorum salutem neque propinqui neglegere,
**(寝返った1万の歩兵たちの)縁者たちは彼らの身の安全をなおざりにすることはないし、
*neque civitas levi momento aestimare posset.
**部族が(寝返った歩兵たちの)影響力を軽く評価できない、と。
===40節===
'''カエサルが4個軍団を率いてハエドゥイー勢1万を制止し、リタウィックスは逃亡'''
*① Magna adfectus sollicitudine hoc nuntio Caesar,
**この知らせにより、大きな不安を感じたカエサルは、
*quod semper [[w:la:Haedui|Haeduorum]] civitati praecipue indulserat,
**常に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイーの部族]]にとくに気遣っていたので、
*nulla interposita dubitatione legiones expeditas quattuor equitatumque omnem ex castris educit;
**何らためらいを差しはさまずに、戦備を整えた4個[[w:ローマ軍団|軍団]]と[[w:騎兵|騎兵隊]]すべてを陣営から進発させた。
*② nec fuit spatium tali tempore ad contrahenda castra,
**このような情勢で、陣営を縮小するための余地はなかった。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[#36節|36節]]で、カエサルはゲルゴウィアの大きな陣営および敵に近い小さな陣営を6個軍団で守っていた。)</span>
*quod res posita in celeritate videbatur;
**というのは、事態は迅速さにかかっていると思われたからだ。
*C.(Gaium) Fabium legatum cum legionibus duabus castris praesidio relinquit.
**総督副官[[w:ガイウス・ファビウス|ガイウス・ファビウス]]を2個軍団とともに陣営の守備に残しておいた。
*③ Fratres Litavicci cum comprehendi iussisset,
**(カエサルは)リタウィックスの兄弟たちを拘束することを命じていたのだが、
*paulo ante reperit ad hostes fugisse.
**少し前に(ゲルゴウィアの)敵たちのところへ去ったことを探り出した。
*④ Adhortatus milites ne necessario tempore itineris labore permoveantur,
**(カエサルは)緊急の時に、行軍の労苦により乱されないように、兵士たちを激励して、
*cupidissimis omnibus progressus milia passuum [[w:la:Viginti quinque|XXV]] agmen Haeduorum conspicatus<ref>conspicatus はα系写本の記述で、β系写本では conspicatur となっている。</ref>
**皆がとても熱中していたので、25[[w:|ローママイル]](約37km)進んで、ハエドゥイー族の隊列を視認した。
*immisso equitatu iter eorum moratur atque impedit
**騎兵隊を突進させて、彼ら(ハエドゥイー勢)の行軍を妨げて、停止させた。
*interdicitque omnibus ne quemquam interficiant.
**(ハエドゥイー勢を)誰一人殺さないように(ローマ勢の)皆に禁じた。
*⑤ [[w:la:Eporedorix|Eporedorigem]] et Viridomarum, quos illi interfectos existimabant,
**彼ら(ハエドゥイー勢)が、殺されたものと考えていた者たち、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]に、
*inter equites versari suosque appellare iubet.
**(ハエドゥイー勢の)騎兵たちの間を歩き回って、味方に呼びかけることを命じた。
*⑥ His cognitis et Litavicci fraude perspecta Haedui manus tendere,
**彼ら(2人)に気付いて、リタウィックスのごまかしを見通して、ハエドゥイー族の者たちは手を差し出して、
*deditionem significare et proiectis armis mortem deprecari incipiunt.
**降伏の意を表して、武器を投げ出して、死を赦免されることを求め始めた。
*⑦ Litaviccus cum suis clientibus,
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]は、配下の子分たちとともに、
*quibus more Gallorum nefas est etiam in extrema fortuna deserere patronos,
**ガッリア人の風習では、最悪の境遇にあってさえも(子分が自分の)親分を見捨てることは非道であったので、
*[[w:la:Gergovia|Gergoviam]] profugit.
**(親分・子分ともども)[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に逃れた。
===41節===
'''副官ファビウスの報告:ゲルゴウィアの敵勢がローマ陣営に襲来'''
*① Caesar nuntiis ad civitatem [[w:la:Haedui|Haeduorum]] missis,
**カエサルは伝令たちを[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー]]の部族(当局)に遣わして、
*qui suo beneficio conservatos docerent quos iure belli interficere potuisset,
**彼ら(伝令)に、戦時の権限により殺せた者たち(歩兵1万)は(カエサル)自らの恩恵により許されたのだ、と説かせた。
*tribusque horis noctis exercitui ad quietem datis castra ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] movit.
**(カエサルは)夜の3時間を軍隊に休息のために与えて、陣営を引き払ってゲルゴウィアの方へ向かった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:古代ローマの不定時法では、夏季の夜の3時間は、現在の定時法の3時間よりかなり短い。)</span>
*② Medio fere itinere equites a Fabio missi,
**(ゲルゴウィアへの)道程のほぼ中間のところで、ファビウスから[[w:騎兵|騎兵]]たちが遣わされて来て、
*quanto res in periculo fuerit, exponunt.
**事態がどれほどの危機にあるか、を打ち明けた。
*Summis copiis castra oppugnata demonstrant,
**(ガッリア勢の)最大級の軍勢により(ローマ勢の)陣営が攻撃された、と説明した。
*cum crebro integri defessis succederent
**そのときに(ガッリア勢は)たびたび新たな者たちが疲労した者たちに交代していたが、
*nostrosque adsiduo labore defatigarent,
**我が方(ローマ勢)は絶え間ない労苦により疲れ果てていた。
*quibus propter magnitudinem castrorum perpetuo esset isdem in vallo permanendum.
**彼ら(ローマ勢)にとり、陣営の大きさのために、同じ者たちが防柵の中に留まらざるを得なかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは[[#40節|40節]]②項で「陣営を縮小するための余地はなかった」とあらかじめ弁解している。)</span>
*③ Multitudine sagittarum atque omnis generis<ref>omnis generis はα系写本の記述で、β系写本では omni genere となっている。</ref> telorum multos vulneratos;
**(ガッリア勢からの)矢の多数と飛び道具のあらゆる類いによって(ローマ勢の)多くのものが傷つけられた。
*ad haec sustinenda magno usui fuisse tormenta.
**これに持ちこたえるために、投石器が大いに役立った。
*④ Fabium discessu eorum duabus relictis portis obstruere ceteras
**ファビウスは、彼ら(ガッリア勢)が退却すると、2つの門を残して、ほか(の門)を閉鎖した。
*pluteosque vallo addere et se in posterum diem similemque casum apparare<ref>similemque casum apparare はα系写本の記述で、β系写本では similem ad casum parare となっている。</ref>.
**胸壁を防柵を付け加えて、翌日における似たような状況に備えた。
*⑤ His rebus cognitis Caesar
**これらの事態を知って、カエサルは、
*summo studio militum ante ortum solis in castra pervenit.
**兵士たちの最大級の努力によって、日の出の前に(ゲルゴウィアの)陣営に到着した。
===42節===
'''ハエドゥイー族の者たちが反ローマ暴動を引き起こす'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらがゲルゴウィアの辺りでなされている間に、
*[[w:la:Haedui|Haedui]] primis nuntiis ab Litavicco acceptis
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の者たちは、[[w:リタウィックス|リタウィックス]]からの最初の知らせを受け取ったが、
*nullum sibi ad cognoscendum spatium relinquunt.
**自分たちには(この知らせを)調べるための余地を何ら残さなかった。
*② Impellit alios avaritia, alios iracundia et temeritas
**ある者たちを貪欲さが、ある者たちを激しやすさや無分別が駆り立てた。
*─ quae maxime illi hominum generi est innata ─ ut levem auditionem habeant pro re comperta.
**あの種族の人々はとりわけ、軽率な風聞を確認された事として見なすように、生まれついているのだ。
*③ Bona civium Romanorum diripiunt, caedes faciunt, in servitutem abstrahunt.
**(ハエドゥイー族の者たちは)ローマ市民たちの財産を略奪し、殺戮を行なって、隷属状態に引きずり込んだ。
*④ Adiuvat rem proclinatam Convictolitavis
**(さらに)傾いた事態を[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]が助長して、
*plebemque ad furorem impellit, ut facinore admisso ad sanitatem reverti pudeat.
**民衆を狂暴さへと、悪行を犯して冷静さへ引き返すことを恥と思うように、駆り立てた。
*⑤ M.(Marcum) Aristium tribunum militum iter ad legionem facientem
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>であるマルクス・アリスティウスが[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ旅しているところを
*fide data ex oppido [[w:la:Cabillonum|Cavillono]] educunt;
**(安全の)保証を与えて、城塞都市カウィッロヌムから連れ出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌム Cavillonum はカビッロヌム Cabillonum とも綴り、現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]])</span>
*idem facere cogunt eos, qui negotiandi causa ibi constiterant.
**そこに商売をするために定住していた(ローマ人の)者たちにも同じことをするように強要した。
*⑥ Hos continuo <in><ref>in は写本にないが、近世の活字本から挿入されている。</ref> itinere adorti omnibus impedimentis exuunt;
**直ちに彼らを途中で襲撃して、すべての手荷物を奪い取った。
*repugnantes diem noctemque obsident;
**抵抗する者たちを昼夜にわたって包囲した。
*multis utrimque interfectis
**(ハエドゥイー族とローマ人の)双方とも多くの者たちが殺されて、
*maiorem multitudinem armatorum<ref>armatorum はα系写本の記述で、β系写本では ad arma となっている。</ref> concitant.
**(ハエドゥイー族の)より多くの群衆を武装へと扇動した。
===43節===
'''ハエドゥイー族当局がカエサルに屈服。ガッリア大動乱の予感'''
*① Interim nuntio adlato omnes eorum milites in potestate Caesaris teneri,
**その間に、彼ら(ハエドゥイー族)の兵士すべてがカエサルの権力下で支配されているという知らせがもたらされて、
*concurrunt ad Aristium,
**(ハエドゥイー族当局の者たちは)アリスティウスのところへ急ぎ集まって、
*nihil publico factum consilio demonstrant;
**(ローマ市民に対する襲撃は)何ら公けに企てがなされたものではないと説明した。
*② quaestionem de bonis direptis decernunt,
**(部族当局は、ローマ市民から)略奪された財産についての究明を決定して、
*Litavicci fratrumque bona publicant,
**リタウィックスと兄弟たちの財産を没収し、
*legatos ad Caesarem sui purgandi gratia mittunt.
**カエサルのところへ使節たちを、自分たちを赦免することのために遣わした。
*③ Haec faciunt reciperandorum<ref>reciperandorum はα系写本の記述で、β系写本では recuperandorum となっている。</ref> suorum causa;
**これらを、配下の者たち(=歩兵1万名)を取り戻すために行なったのだ。
*sed contaminati facinore et capti compendio ex direptis bonis,
**しかし(彼らは)悪行に汚染されていて、略奪した財産の利得にとらわれており、
*quod ea res ad multos pertinebat, timore<ref>timore はα系写本の記述で、β系写本では et timore となっている。</ref> poenae exterriti
**その事に多くの者たちが関与していたので、懲罰の恐れに脅かされて、
*consilia clam de bello inire incipiunt
**ひそかに戦争の謀計に取りかかり始めて、
*civitatesque reliquas legationibus sollicitant.
**ほかの諸部族を使節派遣によって、そそのかした。
*④ Quae tametsi Caesar intellegebat, tamen quam mitissime potest legatos appellat;
**カエサルはそのようなことを認識していたけれども、(ハエドゥイー族の)使節たちにできるだけ平静に話しかけた。
*nihil se propter inscientiam levitatemque vulgi gravius de civitate iudicare
**自分は(ハエドゥイー族の)民衆の無知や軽率さのために、部族を何ら厳重に裁断することはない、と。
*neque de sua in [[w:la:Haedui|Haeduos]] benevolentia deminuere.
**自分のハエドゥイー族に対する好意を減ずることはない、と。
*⑤ Ipse maiorem Galliae motum exspectans,
**(カエサル)自身は、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、
*ne ab omnibus civitatibus circumsisteretur,
**すべての部族によって包囲されることがないように、
*consilia inibat, quemadmodum ab<ref>ab はχ系写本の記述で、φ系写本では a となっており、β系写本にはない。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discederet ac rursus omnem exercitum contraheret,
**どのようにゲルゴウィアから撤退して再び軍隊全体を集結するか、策定に取りかかった。
*ne profectio nata ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> timore defectionis similis<ref>similis はα系写本の記述で、β系写本では similisque となっている。</ref> fugae videretur.
**(諸部族の)背反の恐れから生じた出発が、逃亡同然と見られないように。
===44節===
'''ゲルゴウィアの急所の尾根'''
[[画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|thumb|center|900px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。]]
[[画像:La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵]]
*① Haec cogitanti accidere visa est facultas bene rei gerendae<ref>rei gerendae はα系写本の記述で、β系写本では gerendae rei となっている。</ref>.
**(カエサルが)これらを考慮しているときに、事をうまく行なえる可能性が生じたと思われた。
*Nam cum in minora castra operis perspiciendi causa venisset,
**すなわち、(ローマ勢の)小さい方の陣営に、作業を視察するためにやって来たときに、
*animadvertit collem qui ab hostibus tenebatur nudatum hominibus,
**敵たちによって占められていた丘陵が、無人にされているのに気付いた。
*qui superioribus diebus vix prae multitudine cerni poterat.
**それは、前日には、(ガッリア勢の)大勢の者たちのためにほとんど見分けが付けられないものだった。
*② Admiratus quaerit ex perfugis causam,
**(カエサルは)驚いて、(ゲルゴウィアからの)[[w:脱走兵|脱走兵]]たちに理由を尋ねた。
*quorum magnus ad eum cotidie numerus confluebat.
**その者たちの多数は、毎日、彼(カエサル)のところへ群がり集まっていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#14節|14節]]⑨項で既述のように、ガッリア勢は[[w:兵役逃れ|兵役忌避]]の多さに悩まされていた。)</span>
*③ Constabat inter omnes
**(脱走兵たち)皆の間では同じ意見であった。
*─ quod iam ipse Caesar per exploratores cognoverat ─
**─ すでにカエサル自身が偵察者たちを通して知っていたことであったが ─
*dorsum esse eius iugi prope aequum, sed silvestre<ref>silvestre はβ系写本の記述で、α系写本では hunc silvestrem となっている。</ref> et angustum,
**その尾根の背面はほぼ平地で、しかし森林におおわれて狭く、
*qua esset aditus ad alteram partem oppidi<ref>partem oppidi はα系写本の記述で、β系写本では oppidi partem となっている。</ref>;
**それによって城塞都市の別の方面への出入口となっている、と。
*④ vehementer huic illos loco<ref>vehementer huic illos loco はα系写本の記述で、β系写本では huic loco vehementer illos となっている。</ref> timere nec iam aliter sentire,
**この地帯を彼ら(ガッリア勢)が極度に恐れ、すでに感じていたことには、
*uno colle ab Romanis occupato, si alterum amisissent,
**ローマ人によって一つの丘陵が占領されているので、もしもう一方をも失ったならば、
*quin paene circumvallati atque omni exitu et pabulatione interclusi viderentur;
**(ゲルゴウィアが)ほとんど包囲されて、あらゆる出口と糧秣徴発を阻まれると思われたのである。
*ad hunc muniendum locum<ref>locum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> omnes a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] evocatos.
**この地帯の辺りを防御するために、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]により総勢が召集されていたのだ、と。
===45節===
'''ローマ勢の陽動部隊が敵を引き付け、本隊が敵の本陣を目指す'''
*① Hac re cognita Caesar mittit complures equitum turmas eodem<ref>eodem はβ系写本の記述で、α系写本では eisdem などとなっており、またモイゼル(Meusel)は eo de と解釈している。</ref> media nocte;
**この事を知って、カエサルは多数の[[w:騎兵|騎兵]]<ruby><rb>小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を同じところに真夜中に派遣した。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:騎兵小隊 turma は、ローマの同盟部族などからなる騎兵の単位で、30騎ほどからなるとされている。)</span>
*imperat his<ref>his はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ut paulo tumultuosius omnibus locis vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では pervagentur となっている。</ref>.
**彼らには、いくらか騒々しく、あらゆる場所を動き回るように命令した。
*② Prima luce magnum numerum impedimentorum ex castris mulorumque produci deque his stramenta detrahi
**夜明けに、陣営から多数の荷馬や[[w:ラバ|ラバ]]を連れ出して、これらから[[w:鞍|荷鞍]]を取り去って、
*mulionesque cum cassidibus equitum specie ac simulatione collibus circumvehi iubet.
**ラバ引きの者たちを鉄兜とともに、騎兵の外見と真似をさせて、丘々を乗り回すことを命じた。
*③ His paucos addit equites, qui latius ostentationis causa vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では vagentur となっている。</ref>.
**彼らに少数の騎兵を付き添わせて、より広く見せびらかすために動き回らせた。
*Longo circuitu easdem omnes iubet petere regiones.
**(ラバ引きと騎兵の)皆には、長く迂回して、同じ一帯を目指すことを命じた。
*④ Haec procul ex oppido videbantur, ut erat a Gergovia despectus in castra,
**これらは<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>から遠くに望見され、ゲルゴウィアから(ローマ勢の)陣営が眺められたほどであったが、
*neque tanto spatio certi quid esset explorari poterat.
**これほどの距離のために(ガッリア勢からは)何ごとか確かなことは探り出されなかった。
*⑤ Legionem unam eodem iugo mittit
**(カエサルは)1個[[w:ローマ軍団|軍団]]を同じ尾根に派遣して、
*et paulum progressam inferiore constituit loco silvisque occultat.
**いくらか前進させて低い場所に駐留させ、森林に隠した。
*⑥ Augetur Gallis suspicio
**(これらを見た)ガッリア人には疑念が増されて、
*atque omnes illo ad munitionem copiae traducuntur.
**軍勢のすべてがあそこ(=無人にしていた急所の丘陵)へ防御のために移動した。
*⑦ Vacua castra hostium Caesar conspicatus
**カエサルは敵たちの(ゲルゴウィア山頂の)陣営が空であると気付いて、
*tectis insignibus suorum occultatisque signis militaribus
**配下の者たちの標章を覆い隠し、軍旗を隠して、
*raros milites, ne ex oppido animadverterentur, ex maioribus castris in minora traducit
**兵士たちをまばらに、城塞都市から気付かれないように、大きい方の陣営から小さい方に移動させた。
*legatisque, quos singulis legionibus praefecerat, quid fieri velit, ostendit;
**個々の軍団を指揮させていた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、何がなされることを欲しているかを示した。
*⑧ in primis monet ut contineant milites,
**第一に、兵士たちを抑え留めるように戒めた。
*ne studio pugnandi aut spe praedae longius progrediantur;
**(兵士たちが)戦うことの熱意、あるいは略奪の希望により、より遠くまで進み出ないように、と。
*⑨ quid iniquitas loci habeat incommodi proponit;
**地勢の不利がどれほど敗北を生じるかを示した。
*hoc una celeritate posse vitari<ref>vitari はβ系写本の記述で、α系写本では mutari となっている。</ref>;
**迅速さのみがこれを避けることができる。
*occasionis esse rem, non proelii.
**事の成否は、戦闘にではなく、好機にかかっている。
*⑩ His rebus expositis signum dat
**これらの事柄を説明して、(副官たちに進軍の)号令を出した。
*et ab dextra parte alio ascensu eodem tempore Haeduos mittit.
**右の方面からは、別の登り道を(ローマ軍本隊と)同時に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]](の騎兵)を派遣した。
===46節===
'''ローマ軍の本隊が防壁を越えて、敵陣の一部を占拠'''
*① Oppidi murus ab<ref>ab はB・M・L・N写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> planitie atque initio ascensus recta regione,
**(ゲルゴウィアの)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁は、平地や登り道の始まりから真っ直ぐに(=直線距離で)、
*si nullus amfractus<ref>amfractus はα系写本の記述で、β系写本では anfractus となっている。</ref> intercederet, mille CC(mille ducenti)<ref>mille CC(=1200) はα系写本の記述で、β系写本では CC(=200)となっている。</ref> passus aberat;
**もし何らの湾曲が間になければ、1200[[w:パッスス|パッスス]](=約1.8km)離れていた。
*② quicquid huc circuitus ad molliendum clivum accesserat<ref>accesserat は写本(ω)の記述だが、オットー・ゼール [[w:de:Otto Seel|Otto Seel]] の校訂では accesserit としている。</ref>,
**ここに(山の斜面の)傾斜を緩和するために、何らかの回り道が付け加わっていて、
*id spatium itineris augebat.
**その道のりの距離を増していた。
*③ A medio fere colle in longitudinem, ut natura montis ferebat,
**丘陵のほぼ真ん中から、山の地形が作り出したかのように、長きにわたって、
*ex grandibus saxis sex pedum murum qui nostrum<ref>nostrum は中世の写本(ω)の記述だが、近世の版では nostrorum となっている。</ref> impetum tardaret,
**大きな石垣からなる6[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約1.8m)もの、我が方(ローマ勢)の突進を遅らせる防壁を、
*praeduxerant Galli,
**ガッリア人は引いて来ており、
*atque inferiore omni spatio vacuo relicto
**(その石垣の防壁)より下方のすべての空間は人気なく残されていて、
*superiorem partem collis usque ad murum oppidi densissimis castris compleverant.
**丘陵のより上方の部分を、城塞都市の城壁の方へ続けざまに、とても密集した(各部族ごとの)陣営で満たしていた。
*④ Milites dato signo celeriter ad munitionem perveniunt
**(ローマ人の)兵士たちは号令を与えられて、速やかに(石垣の)防壁のところへ到達して、
*eamque transgressi trinis castris potiuntur;
**それを越えて行って、3つの(部族ごとの)陣営を占拠した。
*⑤ ac tanta fuit in castris capiendis<ref>castris capiendis はα系写本の記述で、β系写本では capiendis castris となっている。</ref> celeritas,
**(3つの)陣営を奪取することにおいて、これほどにも迅速さがあったので、
*ut Teutomatus, rex Nitiobrogum, subito in tabernaculo oppressus,
**その結果、[[w:ニティオブロゲス族|ニティオブロゲス族]]の王[[w:テウトマトゥス|テウトマトゥス]]は、[[w:テント|天幕]]において突然に襲われて、
*ut meridie conquieverat, superiore corporis parte nudata<ref>nudata はα系写本の記述で、β系写本では nuda となっている。</ref>
**昼寝をしていたが、上半身は裸のままで、
*vulnerato equo vix se ex manibus praedantium militum eriperet.
**傷付けられた馬によって、略奪している(ローマ人)兵士の手から、やっと自らを救い出した。
===47節===
'''血気にはやるローマ兵たちの猪突猛進、ガッリア女たちの命乞い'''
*① Consecutus id quod animo proposuerat
**心に決めていたことを達成したので、
*Caesar receptui cani iussit
**カエサルは退却ラッパを吹くことを命じた。
*legionique decimae, quacum erat, contionatus signa constituit.
**彼とともにいた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]に呼びかけて、軍旗を停止した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第10軍団はガッリア戦争初期からの最古参の軍団。軍旗を停止するとは、進軍を止めること。)</span>
*② Ac<ref>ac はα系写本の記述で、β系写本では at となっている。</ref> reliquarum legionum milites non exaudito<ref>exaudito はα系写本の記述で、β系写本では audito となっている。</ref> sono tubae,
**ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]の兵士たちは、ラッパの響きを聞き取れなかった。
*quod satis magna valles intercedebat,
**というのは、十分に大きな峡谷が間にあったからである。
*tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque, ut erat a Caesare praeceptum, retinebantur;
**しかしながら、<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちにより、カエサルから指図されていたように、制止されていた。
*③ Sed elati spe celeris victoriae et hostium fuga et superiorum temporum secundis proeliis
**だが(兵士たちは)迅速な勝利の希望や、敵たちの逃亡や、それ以前のときの順調な戦闘により、高慢になっていて、
*nihil adeo arduum sibi esse existimaverunt<ref>esse existimaverunt はα系写本の記述で、β系写本では existimabant となっている。</ref>, quod non virtute consequi possent,
**自分たちにとって、武勇で達することができないほどの困難なものはまったく何もない、と考えており、
*neque finem prius sequendi fecerunt quam muro oppidi portisque adpropinquarunt.
**(ゲルゴウィアの)城塞都市の城壁や城門に近付くまでは、追及を終結させなかった。
*④ Tum vero ex omnibus urbis partibus orto clamore,
**すると、まさに(ゲルゴウィアの)町のあらゆる方面から叫び声が発せられて、
*qui longius aberant, repentino tumultu perterriti,
**(城内の)遠い方に離れていた者たちは、予期せぬ騒ぎに脅えており、
*cum hostem intra portas esse existimarent,
**敵(=ローマ人)が城門の内側にいると考えたので、
*sese ex oppido eiecerunt.
**城塞都市から急ぎ出た。
*⑤ Matres familiae de muro vestem argentumque iactabant
**家庭の母親たちは、城壁から衣類や貨幣をたびたび投げやった。
*et pectore nudo prominentes passis manibus obtestabantur Romanos,
**そして胸を裸にして(城壁の上に)進み出て、手を伸ばしてローマ人たちに哀願した。
*ut sibi parcerent
**自分たちを容赦するように、
*neu, sicut Avarici fecissent, ne a mulieribus quidem atque infantibus abstinerent;
**(ローマ人が)アウァーリクムでしたように女たちや子供たちでさえも赦免しないことのないように、と。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人がアウァーリクムでした行為については、[[#28節|28節]]④項を参照。)</span>
*⑥ nonnullae de muris<ref>muris はα系写本の記述で、β系写本では mure となっている。</ref> per manus demissae sese militibus tradebant.
**少なからぬ者たちは、城壁から手で降ろされて、(ローマ人)兵士たちに身を任せた。
[[画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|thumb|center|700px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。]]
*⑦ L.(Lucius) Fabius centurio legionis VIII(octavae),
**[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>であるルキウス・ファビウスは、
*quem inter suos eo die dixisse constabat
**配下の者たちの間で、その日、(以下のように)言ったことが知られていた。
*excitari se Avaricensibus praemiis neque commissurum, ut prius quisquam murum ascenderet,
**自分はアウァーリクムの恩賞に奮い立たせられて、何者かが(自分)より早く城壁を登るようなことは生じさせない、と。
*tres suos nactus manipulares
**(ファビウスは)同じ隊の兵士である3人の配下と遭遇して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:manipulares は「[[w:マニプルス|歩兵中隊]]の」とも解されるが、ここでは「同じ隊の兵士」という意味であろう。)</span>
*atque ab his sublevatus murum ascendit,
**彼らによって持ち上げられて城壁を登った。
*hos<ref>hos はα系写本の記述で、π系写本では eos 、ρ系写本では eo となっている。</ref> ipse rursus singulos exceptans in murum extulit.
**彼らは(ファビウス)自身が再び1人ずつ引き出して、城壁に導き上げた。
===48節===
'''ガッリア勢が城塞都市に引き返して、防戦に努める'''
*① Interim hi<ref>hi はα系・π系・R写本の記述で、U写本では ii となっている。</ref> qui ad alteram partem oppidi, ut supra demonstravimus, munitionis causa convenerant,
**その間に、前に述べたように、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の別の方面へ、防御のために集結していた(ガッリア勢の)者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#45節|45節]]⑥項で述べられている。)</span>
*primo exaudito clamore,
**初めに叫び声を聞き取り、
*inde etiam crebris nuntiis incitati oppidum ab Romanis teneri,
**さらに、城塞都市がローマ人たちによって占領されたという頻繁な知らせにさえも駆り立てられて、
*praemissis equitibus magno concursu<ref>concursu はα系写本の記述で、β系写本では cursu となっている。</ref> eo contenderunt.
**[[w:騎兵|騎兵]]たちを先遣して、(歩兵たちも)駆けに駆けて、そこ(=城塞都市)へ急いだ。
[[画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|thumb|right|300px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)]]
*② Eorum ut quisque primus venerat,
**彼らの(城塞都市に)到着した者から順々に
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quisque primus「最初の者ごとに;順々に」)</span>
*sub muro consistebat suorumque pugnantium numerum augebat.
**城壁の下に陣取って、味方の戦う者たちの数を増した。
*③ Quorum cum magna multitudo convenisset,
**その者たちの大群集が集結したときに、
*matres familiae quae paulo ante Romanis de muro manus tendebant,
**少し前にはローマ人たちに城壁から手を差し出していた家庭の母親たちが
*suos obtestari
**味方に哀願して、
*et more Gallico passum capillum ostentare liberosque in conspectum proferre coeperunt.
**ガッリアの風習により、髪を広げて示し、子供たちを(男たちの)眼前に運び始めた。
*④ Erat Romanis nec loco nec numero aequa contentio;
**ローマ人たちにとっては、地の利でも(兵の)数でも、対等な闘いはなかった。
*simul et cursu et spatio pugnae defatigati
**と同時に、戦いの疾走や時間(の長さ)に疲弊させられていて、
*non facile recentes atque integros sustinebant.
**(ガッリア勢の)新来かつ無傷の者たちに、容易に持ちこたえられなかった。
===49節===
'''カエサルが劣勢の自軍に副官セクスティウスを増援する'''
*① Caesar cum iniquo loco pugnari hostiumque augeri copias videret,
**カエサルは(戦闘が自軍に)不利な場所で戦われていること、かつ敵方の軍勢が増やされていることを見たので、
*praemetuens suis
**配下の者たちを気遣って、
*ad T.(Titum) Sextium legatum, quem minoribus castris praesidio reliquerat, misit,
**小さい方の陣営に守備として残しておいた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスのところへ(伝令を)遣わして、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セクスティウスについては、すでに副官として[[ガリア戦記 第6巻#1節|第6巻1節]]で言及されている。)</span>
*ut cohortes ex castris celeriter educeret
**陣営から(いくつかの)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を速やかに進発させるように、
*et sub infimo colle ab dextro latere hostium constitueret,
**かつ丘陵のふもとの下方で、敵方の右の側面に布陣するように、と。
*② ut, si nostros loco depulsos vidisset, quominus libere hostes insequerentur terreret.
**もし我が方が(戦闘の)場所から追いやられたのを見たら、敵方が自由に追撃することにならぬよう脅かすためである。
*③ Ipse paulum ex eo loco cum legione progressus, ubi constiterat,
**(カエサル)自身は、停止していた場所から、軍団とともに少し前進して、
**:<span style="color:#009900;">([[#47節|47節]]①項で既述のように、カエサルとともに停止していたのは[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]である。)</span>
*eventum pugnae exspectabat.
**戦いの決着を待っていた。
===50節===
'''激戦の末、敗勢に陥るローマ軍'''
*① Cum acerrime comminus pugnaretur, hostes loco et numero, nostri virtute confiderent,
**(両軍により)激烈に格闘して戦われていて、敵方は地の利と(兵の)数を、我が方(ローマ軍)が武勇を頼りとしていたときに、
*subito sunt Haedui visi ab latere nostris aperto,
**突如として、我が方にとって開けた側面(=右側)から、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の者たち(の姿)が見られた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「開けた側面から」ab latere aperto とは、兵士の[[w:スクトゥム|長盾]]で覆われていない右側を指す。)</span>
*quos Caesar ab dextra parte alio ascensu manus distinendae causa miserat.
**カエサルがその者たちを右の方面から別の登り道により(敵の)部隊を分散しておくために派遣していたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この事は、[[#45節|45節]]⑩項で述べられている。)</span>
*② Hi similitudine armorum vehementer nostros perterruerunt,
**彼らの武具が(ガッリア勢のものと)似ていることが、我が方(の兵士たち)を極度に怖れさせた。
*ac tametsi dextris humeris<ref>humeris が写本(ω)の記述であるが、umeris とするのも一般的となっている。</ref> exsertis animadvertebantur, quod insigne pactum<ref>pactum はHellerによる修正提案で、写本(ω)では pacatum となっており、研究者たちにより他の修正も提案されている。</ref> esse consuerat,
**(ハエドゥイー勢は)右の肩を脱いでいるのが視認され、その印は(味方として)定められているのが常であったが、
*tamen id ipsum sui fallendi causa milites ab hostibus factum existimabant.
**けれども(ローマ人の)兵士たちは、それ自体が自分たちを欺くために、敵方によりなされたと考えたのだ。
[[画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。]]
*③ Eodem tempore L.(Lucius) Fabius centurio quique una murum ascenderant,
**同じ時に、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・ファビウスおよび一緒に城壁を登っていた者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスらについては、[[#47節|47節]]⑦項で述べられている。)</span>
*circumventi atque interfecti de<ref>de はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> muro praecipitabantur.
**(ガッリア勢に)取り囲まれ、殺害されて、城壁から突き落とされた。
*④ M.(Marcus) Petronius, eiusdem legionis centurio,
**同じ[[w:ローマ軍団|軍団]]の百人隊長マルクス・ペトロニウスは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスと同じ軍団とは、[[#47節|47節]]⑦項で述べられているように[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]である。)</span>
*cum portas<ref>portas は写本(ω)の記述だが、portam と単数形にする修正も提案されている。</ref> excidere conatus esset,
**城門を突き破って出ることを試みていたときに、
*a multitudine oppressus ac sibi desperans multis iam vulneribus acceptis,
**(敵の)大勢によって圧倒されて、すでに多くの傷を受けて自分に絶望しており、
*manipularibus suis, qui illum secuti erant<ref>secuti erant はα系写本の記述で、β系写本では erant secuti となっている。</ref>,
**彼に付き従っていた同じ隊の配下の者たちに、
*"quoniam" inquit "me una vobiscum servare non possum,
**曰く「私と諸君を一緒に救うことはできないのだから、
*vestrae quidem certe vitae prospiciam, quos cupiditate gloriae adductus in periculum deduxi.
**せめて、栄誉の欲に引き寄せられて危険に引きずり込んでしまった諸君の生命にはきっと見通しを与えるであろう。
*⑤ Vos data facultate vobis consulite."
**諸君は(生き延びる)可能性が与えられているから、諸君(自身)を助けたまえ。」
*Simul in medios hostes inrupit duobusque interfectis reliquos a porta paulum submovit.
**と同時に、敵方の真ん中に押し入って、2名を殺害して、ほかの者たちを城門からいくらか退けた。
*⑥ Conantibus auxiliari suis
**(ペトロニウスは自分の)支援を試みる配下の者たちに、
*"frustra" inquit "meae vitae subvenire conamini, quem iam sanguis viresque deficiunt.
**曰く「もはや血も活力も尽き果てた私の生命を助けることを試みているのは無益だ。
*Proinde abite, dum est facultas, vosque ad legionem recipite."
**ゆえに(生き延びる)可能性がある間に立ち去れ。諸君は軍団のところへ退却せよ。」
*Ita pugnans post paulum<ref>paulum はα系・ρ系写本の記述で、π系写本では paululum となっており、paulo という修正提案もされている。</ref> concidit ac suis saluti fuit.
**こうして(ペトロニウスは)戦って少し後で斃れ、配下の者たちにとっては救いとなった。
===51節===
[[画像:Monument_gergovie_fr.jpg|thumb|right|290px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。]]
[[画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城塞都市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->]]
'''カエサルが一敗地に塗れる'''
*① Nostri cum undique premerentur,
**我が方(ローマ軍)は、至る所で圧倒されたので、
*XLVI(sex et quadraginta)<ref>XLVI はα系写本の記述で、β系写本では sex et XL となっている(どちらも46)。</ref> centurionibus amissis deiecti sunt loco.
**46名の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> を失い、(激戦の)場所から追いやられた。
*Sed intolerantius Gallos insequentes
**けれども、容赦なく追撃して来るガッリア人たちを
*legio decima tardavit, quae pro subsidio paulo aequiore loco constiterat.
**予備部隊(もしくは要撃部隊)として、いくらか平らな所に陣取っていた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]が妨げた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#47節|47節]]①項で既述のように、第10軍団はカエサルとともに待機していた。)</span>
*② Hanc rursus XIII(tertiae decimae) legionis cohortes exceperunt,
**これ(=第10軍団)をさらに、第13軍団の諸<ruby><rb>[[w:コホルス|大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が支えた。
*quae ex castris minoribus eductae cum T.(Tito) Sextio legato ceperant locum<ref>ceperant locum はα系写本の記述で、β系写本では locum ceperant となっている。</ref> superiorem.
**それらは<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスとともに小さい方の陣営から進発してより高い所を占めていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#49節|49節]]を参照。)</span>
*③ Legiones ubi primum planitiem attigerunt,
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]は、平野に達するや否や、
*infestis contra hostes signis constiterunt.
**敵方に抗して戦備を整えて陣取った。
*④ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ab radicibus collis suos intra munitiones reduxit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、配下の者たちを丘陵の麓から(ゲルゴウィアの)防備の内側に連れ戻した。
*Eo die milites sunt paulo minus [[wikt:la:Septingenti|septingenti]] desiderati.
**その日、(ローマ軍は)700名よりいくらか少ない兵士を失った。
<br>
:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルとウェルキンゲトリークスは、たびたび交えた騎兵戦ではカエサルが勝っているが、</span>
:<span style="color:#009900;">両軍の主力部隊である歩兵どうしが激突したこの戦闘は、地の利もあって、ウェルキンゲトリークスが完勝した。</span>
:<span style="color:#009900;">カエサルは第8軍団など古参の部隊を投入しながら、歴戦の百人隊長と兵士たちを多く失った。)</span>
===52節===
'''敗軍の将カエサルが兵士たちを責める'''
*① Postero die Caesar contione advocata
**翌日にカエサルは(兵士たちの)集会を召集して、
*temeritatem cupiditatemque militum<ref>cupiditatemque militum はα系写本の記述で、β系写本では militum cupiditatemque となっている。</ref> reprehendit,
**兵士たちの無思慮や功名心をとがめた。
*quod sibi ipsi iudicavissent, quo procedendum aut quid agendum videretur,
**というのは、どこへ進み出るべきか、あるいは何がなされるべきと思われるのか、自分たちに対し自分たちで判断してしまったからだ。
*neque signo recipiendi dato constitissent
**退却することの合図を与えられても留まりもせず、
*neque ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque retineri potuissent.
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]たち</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>により制止されることもできなかったからだ。
*② Exposuit quid iniquitas loci posset, quod<ref>quod は写本(ω)では quid となっているが、近世以降の校訂者たちは quod と修正提案している。</ref> ipse ad [[w:la:Avaricum Biturigum|Avaricum]] sensisset,
**地の利のなさがどれほど影響するのか、(カエサル)自身がアウァーリクムで判断したことを説明した。
*cum sine duce et sine equitatu deprehensis hostibus
**将帥もなく騎兵隊もない敵たちを探し当てたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#18節|18節]]~[[#19節|19節]]を参照。そのときガッリア勢は、ウェルキンゲトリークスが騎兵隊を連れて出て不在であった。)</span>
*exploratam victoriam dimisisset,
**確実であった勝利を諦めたのだ。
*ne parvum modo detrimentum in contentione propter iniquitatem loci accideret.
**地の利のなさのために、闘いにおいてほんのわずかな損害も生じないように(勝利を諦めたのだ)。
*③ Quanto opere<ref>Quanto opere はα系写本の記述で、β系写本では Quantopere となっている。</ref> eorum animi magnitudinem admiraretur,
**彼ら(兵士たち)の大胆さに(カエサルが)驚嘆すればするほど、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quanto opere ~ tanto opere …/quantopere ~ tantopere …「~すればするほど、ますます…」)</span>
*quos non castrorum munitiones, non altitudo montis, non murus oppidi tardare potuisset,
**彼らのことを(ガッリア勢の)陣営の防備も、山の高さも、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の城壁も妨げることができなかったのではあるが、
*tanto opere<ref>tanto opere はα系・T・ρ系写本の記述で、V写本では tantopere となっている。</ref> licentiam arrogantiamque reprehendere,
**それだけにますます(兵士たちの)勝手気ままさや高慢さを(カエサルは)非難する(と言った)。
*quod plus se quam imperatorem de victoria atque exitu rerum sentire existimarent;
**というのは、自分たちが将軍(カエサル)よりも勝利と事の結末についてよく判断していると考えていたからだ。
*④ nec<ref>nec はα系写本の記述で、β系写本では non となっている。</ref> minus se ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> milite modestiam et continentiam quam virtutem atque animi magnitudinem desiderare.
**自分(カエサル)は兵士たちに、武勇や大胆さよりも、慎重さや自制心を望んでいるのだ。
*:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは兵士たちを上のように責めたが、兵士たちを統制できなかった責任は最高司令官にある。)</span>
===53節===
'''カエサルとローマ軍がゲルゴウィアから撤退'''
*① Hac habita contione et ad extremam orationem confirmatis militibus,
**(カエサルは)このような熱弁を振るって、演説の最後に、兵士たちを元気付けた。
*ne ob hanc causam animo permoverentur
**このような理由のために心をかき乱されないように、
*neu, quod iniquitas loci attulisset, id virtuti hostium tribuerent,
**かつ、地の利のなさが引き起こしたことを、敵方の武勇に転嫁しないように、と。
*eadem de profectione cogitans, quae ante senserat,
**(ゲルゴウィアからの)出発については、以前から判断していたのと同じことを考えていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#43節|43節]]⑤項を参照。ゲルゴウィアからの撤退が敗走同然に見られないようにと、考えていたのであろう。)</span>
*legiones ex castris eduxit aciemque idoneo loco constituit.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営から進発させて、適切な場所に戦列を整えた。
*② Cum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] nihilo minus < intra munitiones remaneret neque > in aequum locum descenderet,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が、防備の内側に留まったばかりか、平らな場所に降りてこなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:< intra munitiones remaneret neque > は、写本になく、近代に挿入提案された修正案の一つ。)</span>
*levi facto equestri proelio, atque secundo, in castra exercitum reduxit.
**軽微な騎兵戦を行なって、順調のうちに軍隊を陣営に連れ戻した。
*③ Cum hoc idem postero die fecisset,
**翌日もこれと同じことを行なって、
*satis ad Gallicam ostentationem minuendam militumque animos confirmandos factum existimans
**ガッリア人の誇示を弱めること、および(ローマ人)兵士の心を強固にすることが十分になされたと考えたので、
*in [[w:la:Haedui|Haeduos]] movit castra.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところに陣営を移(すために出発)した。
*④ Ne tum quidem insecutis hostibus
**そのとき、敵方は決して追撃して来なかったので、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*tertio die ad flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] pontes<ref>pontes はα系写本の記述で、β系写本では pontem となっている。</ref> reficit<ref>reficit はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S写本では refecit となっている。</ref> eoque exercitum<ref>eoque exercitum はα系写本の記述で、β系写本では exercitumque となっている。</ref> traducit<ref>traducit はα系写本の記述で、β系写本では traduxit となっている。</ref>.
**3日目にはエラウェル川(=現在の[[w:アリエ川|アリエ川]])のところで橋を再建して、そこで軍隊を渡らせた。
===54節===
'''ハエドゥイー族のエポレドリクスとウィリドマルスらがカエサルのもとから立ち去る'''
*① Ibi a Viridomaro atque [[w:la:Eporedorix|Eporedorige]] [[w:la:Haedui|Haeduis]] appellatus discit
**そこで(カエサルが)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]と[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]から話しかけられて知ったことには、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#39節|39節]]~[[#40節|40節]]を参照。ウィリドマルスとエポレドリクスはカエサルの軍勢に従軍していたと思われる。)</span>
*cum omni equitatu Litaviccum ad sollicitandos Haeduos profectum;
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]がすべての騎兵隊とともに、ハエドゥイー族の者たちをそそのかすために出発したという。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#40節|40節]]を参照。リタウィックスは謀計が破れたので、ゲルゴウィアに逃れていた。)</span>
*opus esse ipsos antecedere ad confirmandam civitatem.
**部族の支持を固めるために、(彼ら)自身が(リタウィックスより)先行することが必須であるというのだ。
*② Etsi multis iam rebus perfidiam Haeduorum<ref>perfidiam Haeduorum はα系写本の記述で、β系写本では Haeduorum perfidiam となっている。</ref> Caesar<ref>Caesar はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> perspectam habebat
**カエサルは、すでに多くの事により、ハエドゥイー族の背信行為を目にして来ており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Etsi ~, tamen …「~としても、しかしながら…」)</span>
*atque horum discessu admaturari defectionem civitatis existimabat,
**この者たちが(カエサルのもとから)立ち去ることで、(ハエドゥイー)部族の背反が一層促進されると考えていたのだが、
*tamen eos retinendos non censuit<ref>censuit はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では constituit となっている。</ref>,
**しかしながら、彼ら(2人)を束縛するべきではないと考慮した。
*ne aut inferre iniuriam videretur aut dare<ref>dare はα系写本の記述で、β系写本では daret となっている。</ref> timoris aliquam<ref>timoris aliquam はα系写本の記述で、β系写本では aliquam timoris となっている。</ref> suspicionem.
**(カエサルが)無法行為を起こすと思われないように、あるいは(彼らを)怖れているという何らかの疑念を与えないように。
*③ Discedentibus his breviter sua in Haeduos merita exposuit,
**(カエサルは)立ち去る彼らに、ハエドゥイー族における自分の功績を手短に説明した。
*quos et quam humiles accepisset, compulsos in oppida, multatos agris,
**彼らが、どれほど無力であったのを引き受けたことか、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に押し込められ、耕地を台無しにされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:et ~, et …「~でもあり、…でもある。」)</span>
*omnibus ereptis sociis<ref>sociis「同盟者たち」 はβ系写本の記述で、α系写本では copiis「軍勢」となっている。</ref>, imposito stipendio, obsidibus summa cum contumelia extortis,
**すべての同盟者たちを奪い取られ、貢物を課せられて、たいへんな侮辱とともに人質をもぎ取られていたことか。
*④ et quam in fortunam quamque in amplitudinem deduxisset,
**かつ、どれほどの境遇に、どれほどの高位に(カエサルが)引き上げもしたことか。
*ut non solum in pristinum statum redissent,
**その結果(ハエドゥイー族は)かつての地位に戻っただけでなく、
*sed omnium temporum dignitatem et gratiam antecessisse viderentur.
**(以前の)あらゆる時期の品格や信望をも越えていると思われる。
*His datis mandatis eos ab se dimisit.
**このような訓示を与えて、彼ら(2人)を自分のもとから送り出した。
===55節===
'''エポレドリクスとウィリドマルスらがローマの拠点ノウィオドゥーヌムで寝返る'''
[[画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|thumb|center|700px|ノウィオドゥーヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観]]
*① [[w:la:Nivernum|Noviodunum]] erat oppidum [[w:la:Haedui|Haeduorum]] ad ripas [[w:la:Liger|Ligeris]] opportuno loco positum.
**ノウィオドゥーヌムは、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]で、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])岸の好都合な所に位置していた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:『ガリア戦記』には同名の都市が計3か所載っているが、こちらは現在の[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]] Nevers である。<br> 「[[ガリア戦記/ガリア語の名前#Nouio-dūnon|ガリア語の名前 #Nouio-dūnon]]」を参照せよ。)</span>
*② Huc Caesar omnes obsides Galliae, frumentum, pecuniam publicam,
**ここに、カエサルは、ガッリアのすべての人質たちや、糧食、公金、
*suorum atque exercitus impedimentorum magnam partem contulerat;
**および自分と軍隊の[[w:輜重|輜重]]の大部分を運び集めていた。
*③ huc magnum numerum equorum huius belli causa in [[w:la:Italia|Italia]] atque [[w:la:Hispania|Hispania]] coemptum miserat.
**ここに、この戦争のためにイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]から買い集めた馬匹の多数を送っておいた。
*④ Eo cum [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] Viridomarusque venissent et de statu civitatis cognovissent,
**そこに、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]がやって来て、(以下のような)部族の情勢について察知したときに、
[[画像:Bibracte333_crop.JPG|thumb|right|400px|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城塞都市]]跡に整備された城壁の遺構]]
*Litaviccum [[w:la:Bibracte|Bibracti]] ab Haeduis receptum,
**(すなわち)リタウィックスが、ハエドゥイー族の者たちによって[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]に迎え入れられ、
*─ quod est oppidum apud eos maximae auctoritatis ─,
**それ(ビブラクテ)は彼ら(ハエドゥイー族)のもとで最大の影響力を持つ城塞都市であるが、
*Convictolitavem<ref>Convictolitavem はβ系・N写本の記述で、χ系・B・M・S・L写本では Convictolitabim となっている。</ref> magistratum magnamque partem senatus ad eum convenisse,
**統領コンウィクトリタウィスと評議会の大半の者たちが彼(リタウィックス)のもとへ参集し、
*legatos ad [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] de pace et<ref>et は α系・U写本の記述で、π系・R写本では et de となっている。</ref> amicitia concilianda publice missos,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]のところへ和平と友好を仲介するべく公けに使節たちが遣わされた(ことを知った)ので、
*non praetermittendum instans<ref>instans はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> tantum commodum existimaverunt.
**(エポレドリクスとウィリドマルスは)眼前にあるこれほどの好機を放置するべきではないと考えたのだ。
*⑤ Itaque interfectis Novioduni custodibus quique eo negotiandi aut itineris<ref>aut itineris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> causa convenerant,
**こうして(2人は)ノウィオドゥーヌムの(ローマ側の)番兵たちや商用や旅行のために来訪していた者たちを殺害し、
*pecuniam atque equos inter se partiti sunt;
**金銭および馬匹を互いに分け合った。
*⑥ obsides civitatum Bibracte ad magistratum deducendos curaverunt;
**(ガッリアの)部族の人質たちをビブラクテの統領のところへ連れて行くように手配した。
*⑦ oppidum, quod a<ref>a はα系写本の記述で、β系写本では ab となっている。</ref> se teneri non posse iudicabant,
**(ノウィオドゥーヌムの)城塞都市は、自分たちによって固守することはできないと判断したので、
*ne cui esset usui Romanis, incenderunt;
**ローマ人たちの有益になることがないように、焼き打ちした。
*⑧ frumenti quod subito potuerunt navibus avexerunt,
**糧食のうち、急いで(運ぶことが)できるものを船団で運び去って、
*reliquum flumine atque incendio corruperunt.
**残りのものを川(に流すこと)により、および焼き打ちにより、役立たないようにした。
*⑨ Ipsi ex finitimis regionibus copias cogere,
**(彼ら)自身は、近隣の地方から軍勢を徴集して、
*praesidia custodiasque ad ripas Ligeris disponere
**リゲルの川岸のたもとへ守備隊や番兵を分配して、
*equitatumque omnibus locis iniciendi timoris causa ostentare coeperunt,
**(ローマ人に)恐怖(の感情)を起こさせるために、[[w:騎兵|騎兵隊]]に誇示をさせ始めた。
*si ab re frumentaria Romanos excludere
**もし、ローマ人たちが糧食調達することを阻止するなら、
*† aut adductos inopia in provincia<ref>in provincia は、α系写本では ex provincia「属州から」、β系写本では provincia となっているが、コンスタン Constans やクロッツ A.Klotz らにより in provincia「属州に」と修正提案されている。</ref> expellere<ref>expellere「駆逐する」 はα系写本の記述で、β系写本では excludere「阻止する、妨げる」 となっている。</ref> † possent.
**あるいは(糧食などの)欠乏により、属州に駆逐することができるなら、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:† ~ † は、写本の文章が崩れて校訂者を迷わせていることを表す記号。修正提案されている。)</span>
*⑩ Quam ad spem multum eos adiuvabat,
**そのような希望へ、彼らを大いに励まし助けたのは、
*quod Liger ex nivibus creverat,
**リゲル川(の水位)が雪水により増したことで、
*ut omnino vado non posse transiri videretur.
**すべての浅瀬が渡らせられることができないと思われたのである。
===56節===
'''カエサルが属州へは戻らず、増水したリゲル川の渡河を敢行'''
*① Quibus rebus cognitis Caesar maturandum sibi censuit,
**それらの事態を知ると、カエサルは自らにとって(以下のことを)急ぐべきだと考慮した。
*si esset in perficiendis pontibus periclitandum,
**もし、橋を造り上げる最中に(敵勢と闘うという)危険を冒すのであれば、
*ut prius, quam essent maiores eo coactae copiae, dimicaret.
**そこに(敵方の)より多くの軍勢が集結するよりも早く闘うように(急ぐべきだと)。
*② Nam ut commutato consilio iter in provinciam converteret,
**なぜなら、作戦を変更して、属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]])に進路を方向転換するようにと、
*ne metu quidem<ref>ne metu quidem はα系写本の記述で、β系写本では nemo tunc quidem 、そのほか近代の校訂者によって修正提案が行なわれている。</ref> necessario faciendum<ref>faciendum はβ系写本の記述で、α系写本では faciundum となっている。</ref> existimabat;
**(ガッリア勢への)怖れによって行なうことは決して必要ではない、と考えたのだ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*cum infamia atque indignitas rei
**(属州に撤退するという)事の不名誉や恥辱が、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:cum ~ tum …「~であるのと同様に特に…である」)</span>
*et oppositus mons Cevenna<ref>Cevenna はχ系・U写本の記述で、π系・R写本の記述では Cebenna、φ系写本では Cevennae となっている。</ref> viarumque difficultas impediebat,
**およびケウェンナ山地が相対して道の(通行の)困難なことが、(属州への撤退を)妨げていたし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ケウェンナ山地 mons Cevenna は現在のセヴェンヌ山地。[[#8節|8節]]を参照。)</span>
*tum maxime quod abiuncto [[w:la:Titus_Labienus|Labieno]] atque iis legionibus, quas una miserat, vehementer timebat.
**同様に、とりわけ[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]と一緒に派遣していた諸[[w:ローマ軍団|軍団]]から遠ざけられて、非常に心配してもいたのだ。
*③ Itaque admodum magnis diurnis nocturnisque itineribus confectis
**こうして、昼間も夜間も非常な強行軍を成し遂げて、
*contra omnium opinionem ad [[w:la:Liger|Ligerem]]<ref>Ligerem はα系写本の記述で、β系写本では Ligerim となっている。</ref> venit
**皆の予想に反して、リゲル川(=現[[w:ロワール川|ロワール川]])の辺りにやって来た。
*④ vadoque per equites invento pro rei necessitate opportuno,
**事態の緊急性に見合う好都合な浅瀬を、[[w:騎兵|騎兵]]たちを通じて見出して、
*ut brachia modo atque humeri<ref>humeri はA・φ系・ρ系写本の記述で、Q写本では umeri となっている。</ref> ad sustinenda arma liberi ab aqua esse possent,
**やっと腕と肩を、武器を差し上げるために、水から自由になることができた。
*disposito equitatu, qui vim fluminis refringeret,
**川の流れの圧力を妨げるべく、騎兵隊を分けて置いて、
*atque hostibus primo aspectu perturbatis,
**敵方は(ローマ勢を)初めに一見するや狼狽していたので、
*⑤ incolumem exercitum traduxit
**(カエサルは)軍隊を無傷のまま渡河させた。
*frumentumque in agris et pecoris copiam nactus
**耕地の穀物、および大量の家畜を獲得して、
*repleto his rebus exercitu
**これらの物を軍隊に補充して、
*iter in Senones facere instituit.
**セノネース族のところに行軍することを決めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セノネース族の方面には、副官ラビエーヌスと4個軍団を派遣していた。)</span>
==ラビエーヌスのルテティア遠征==
===57節===
'''副官ラビエーヌスがルテティア制圧に向かう'''
*① Dum haec apud Caesarem geruntur,
**これらがカエサルのもとで遂行されている間に、
*[[w:la:Titus Labienus|Labienus]] eo supplemento, quod nuper ex Italia venerat,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、最近イタリアから来ていた補充兵(予備兵)を
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#34節|34節]]で既述のようにラビエーヌスはカエサルから4個軍団とともにガッリア北部の制圧を委ねられていた。</span>
**:<span style="color:#009900;">また、[[#1節|1節]]で既述のようにカエサルはイタリア(属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]])で部隊を徴兵していた。)</span>
*relicto [[w:la:Agedincum|Agedinci]], ut esset impedimentis praesidio,
**アゲディンクムに、[[w:輜重|輜重]]にとっての守備隊となるように、残留させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#10節|10節]]で既述のように、カエサルはアゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])に全軍の輜重を残していた。)</span>
*cum quattuor legionibus Luteciam<ref>Luteciam はα系写本の記述で、π系写本では Luceciam 、ρ系写本では Lucetiam となっている。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]では Lutetia(m) とも綴られている。</ref> proficiscitur.
**4個軍団とともに[[w:ルテティア|ルテティア]]に出発した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティア Lutetia は写本ではルテキア Lutetia とも綴られる。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]を参照。)</span>
*Id est oppidum Parisiorum, quod positum est<ref>quod positum est はα系写本の記述で、β系写本では単に positum となっている。</ref> in insula fluminis [[w:la:Sequana|Sequanae]].
**それ(ルテティア)は[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>で、セクアナ川(=現[[w:セーヌ川|セーヌ川]])の中洲に位置している。
*② Cuius adventu ab hostibus cognito
**彼(ラビエーヌス)の到来が敵方により知られると、
*magnae ex finitimis civitatibus copiae convenerunt.
**近隣の諸部族から大軍勢が集結していた。
*③ Summa imperii traditur Camulogeno Aulerco,
**(北部ガッリア勢の)最高司令権は、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]の[[w:カムロゲヌス|カムロゲヌス]]に託された。
*qui prope confectus aetate
**その者はかなり年老いていたが、
*tamen propter singularem scientiam rei militaris ad eum est honorem evocatus.
**けれども、彼の卓越した軍事の知識のために、顕職に召集されたのだ。
*④ Is cum animadvertisset perpetuam esse paludem,
**彼(カムロゲヌス)は、沼地が絶え間なくあることに気付いていたので、
*quae influeret in Sequanam atque illum omnem locum magnopere impediret,
**それはセクアナ(川)に流れ込み、かの一帯すべてを大いに近付きにくくしていたので、
*hic consedit nostrosque transitu prohibere instituit.
**ここに陣取って、我が方(ローマ勢)が渡河するのを妨げることに決めた。
===58節===
'''ラビエーヌスがメトロセドゥムを陥落させ、ルテティアのガッリア勢と対峙'''
*① [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] primo vineas agere, cratibus atque aggere paludem explere
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は初めに、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>を駆ること、柴や土砂で沼地を埋め立てること、
*atque iter munire conabatur.
**および道を築くこと、を試みた。
*② Postquam id difficilius confieri<ref>confieri はχ系・β系写本の記述で、Q写本では confici となっている。</ref> animadvertit,
**それが成し遂げられることが困難だと気付いた後で、
*silentio e castris tertia vigilia egressus
**(敵に知られないように)静けさのうちに第三夜警時に陣営から進発して、
*eodem, quo venerat, itinere Metlosedum<ref>Metlosedum はコンスタン L.-A. Constans による修正で、π系・U写本では Metiosedum 、α系・ρ系写本では Mellodunum などとなっており、写本により表記がさまざまである。</ref> pervenit.
**やって来たのと同じ道程により、メトロセドゥムに到達した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:メトロセドゥム Metlosedum は、写本によりメティオセドゥム Metiosedum とも綴られ、</span>
**:<span style="color:#009900;">後にはメロドゥーヌム [[w:la:Melodunum|Melodunum]] として知られる。現在の[[w:ムラン|ムラン]] [[w:fr:Melun|Melun]] である。)</span>
*③ Id est oppidum [[w:la:Senones|Senonum]] in insula [[w:la:Sequana|Sequanae]] positum, ut paulo ante de [[w:la:Lutetia|Lutecia]] diximus.
**それはセノネース族の城塞都市で、少し前に[[w:ルテティア|ルテティア]]について述べたように、セクアナ川の[[w:中州|中州]]に位置している。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティアすなわち現在の[[w:パリ|パリ]]の中心部に[[w:シテ島|シテ島]]や[[w:サン=ルイ島|サン=ルイ島]]という[[w:セーヌ川|セーヌ川]]の中州があるように、</span>
**:<span style="color:#009900;">現在のムランの中心部にもサン=テティエンヌ島 [[w:fr:Île Saint-Étienne|Île Saint-Étienne]] というセーヌ川の中州がある。)</span>
*④ Deprensis<ref>deprensis という語形はα系写本の記述で、β系写本では deprehensis となっている。</ref> navibus circiter quinquaginta celeriterque coniunctis
**約50隻の船を探し出して、速やかに結び合わせて(舟橋として)、
*atque eo militibus iniectis
**そこに兵士たちを投入して、
*et rei novitate perterritis oppidanis,
**事の新奇さに<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の者たちは脅えて、
*quorum magna pars erat ad bellum evocata,
**彼ら(住民)の大部分は戦争へ徴集されていた(ため不在であった)ので、
*sine contentione oppido potitur.
**(ラビエーヌスは)闘うことなしに(中州にあるメトロセドゥムの)城塞都市を掌握した。
*⑤ Refecto ponte, quem superioribus diebus hostes resciderant, exercitum traducit
**それ以前の日々に敵方が破却していた橋を再建して、軍隊を(中州から対岸へ)渡らせて、
*et secundo flumine ad Luteciam iter facere coepit.
**川に沿ってルテティアの方へ行軍を始めた。
*⑥ Hostes re cognita ab iis, qui Metlosedo<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、β系・S写本では Metiosedo 、χ系写本では Melloduno 、B・M・L・N写本では Ametlodone(あるいは Ametclodone)などとなっている。</ref> fugerant,
**敵方は、メトロセドゥムから逃げて来た者たちから事態を知って、
*Luteciam incendi pontesque eius oppidi rescindi iubent;
**ルテティアを焼打ちすること、その城塞都市の橋を破却すること、を命じた。
*ipsi profecti a palude ad ripas<ref>ad ripas はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・Vおよびρ系写本では in ripas 、T写本では in ripa となっている。</ref> Sequanae
**彼ら自身は、沼地からセクアナの川岸へ出発して、
*e regione Luteciae contra Labieni castra considunt.
**ルテティア(の対岸)に向かってラビエーヌスの陣営に対抗して陣取った。
===59節===
'''ガッリア諸部族が迫り、ラビエーヌスが作戦変更を決断'''
*① Iam Caesar a [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discessisse audiebatur,
**すでに、カエサルが[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から撤退したことが聞かれていたし、
*iam de [[w:la:Haedui|Haeduorum]] defectione et secundo Galliae motu rumores adferebantur,
**もはや、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反や、ガッリアの動乱の順調さについての噂がもたらされていた。
*Gallique in conloquiis
**(当地の)ガッリア人たちは会話の中で、
*interclusum itinere et [[w:la:Liger|Ligeri]] Caesarem inopia frumenti coactum in provinciam contendisse confirmabant.
**カエサルが行軍やリゲル(渡河)を遮られて、糧食の欠乏により属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]])に急ぐことを強いられた、と確言した。
*② Bellovaci autem defectione Haeduorum cognita,
**一方で、ベッロウァキ族もハエドゥイー族の背反を知って、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は、ハエドゥイー族の仲介によりカエサルに降伏していた。[[ガリア戦記 第2巻#14節|第2巻14節]]~15節を参照。)</span>
*qui iam<ref>qui iam は古典学者 ニコラエス・ハインシウス1世 [[w:en:Nikolaes_Heinsius_the_Elder|Nikolaes Heinsius the Elder]] による修正提案で、χ系・S・β系写本では qui 、B・M・L・N写本では quia となっている。</ref> ante erant per se infideles,
**彼ら自身もすでに以前から(カエサルやローマ人に)忠誠的でなかったが、
*manus cogere atque aperte bellum parare coeperunt.
**手勢を徴集して、公けに戦争を準備することを始めた。
*③ Tum [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] tanta rerum commutatione
**そこで、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]はこれほどの事態の変動により、
*longe aliud sibi capiendum consilium, atque antea senserat, intellegebat,
**自分にとって、以前に判断していたのとはまったく別の作戦が立てられるべきだ、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:aliud ~ atque …「…とは別の~」)</span>
*④ neque iam, ut aliquid adquireret proelioque hostes lacesseret,
**もはや、何らかのものを獲得したり、敵方に戦闘を挑むようにではなく、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:neque ut ~, sed ut …「~ようにではなく、…ように」)</span>
*sed ut incolumem exercitum Agedincum reduceret, cogitabat.
**軍隊を無傷のままでアゲディンクム(=現[[w:サンス|サンス]])に連れ戻すように、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アゲディンクムには輜重と守備隊が残されていた。[[#10節|10節]]・[[#57節|57節]]を参照。)</span>
*⑤ Namque altera ex parte Bellovaci,
**実際、一方の側からはベッロウァキ族が、
*quae civitas in Gallia maximam habet opinionem virtutis, instabant,
**ガッリアにおいて武勇に最大の評判を持つその部族が、迫りつつあった。
*alteram Camulogenus parato atque instructo exercitu tenebat:
**他方からは、カムロゲヌスが軍隊を準備し、整列させて、進んでいた。
*tum legiones a praesidio atque impedimentis interclusas
**そのとき、(ラビエーヌス麾下の)諸軍団は(アゲディンクムにいる)守備隊や輜重から遮られて、
*maximum flumen distinebat.
**とても大きな(セクアナ)川が阻んでいた。
*⑥ Tantis subito difficultatibus obiectis
**突然に、これほどの困難が投げ出されたので、
*ab animi virtute auxilium petendum videbat.
**武勇の心構えに救いを求めるべきだと(ラビエーヌスは)思った。
===60節===
'''ラビエーヌスが陽動戦術に努める'''
*① Itaque<ref>Itaque はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sub vesperum consilio convocato
**こうして([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は)夕方に会議を召集して、
*cohortatus, ut ea, quae imperasset, diligenter industrieque administrarent,
**(彼が)命令したことを入念かつ勤勉に従事するように鼓舞した。
*naves, quas [[w:la:Melodunum|Metlosedo]]<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、χ系・S・β系写本では Metiosedo 、B・M写本では ameclodone 、L・N写本では a mellodone 、<i>etc</i>. となっている。</ref> deduxerat, singulas equitibus Romanis attribuit,
**[[w:ムラン|メトロセドゥム]]から引いて来ていた船団を、ローマ人騎士たち1人ずつに配分して、
*et prima confecta vigilia IIII(quattuor) milia passuum secundo flumine silentio progredi
**第一夜警時が終わる頃に、4ローママイル(6km弱)下流に静けさのうちに進発すること、
*ibique se exspectari<ref>exspectari はα系・T・ρ系写本の記述で、S・V写本では exspectare などとなっている。</ref> iubet.
**かつ、そこで自分(ラビエーヌス)を待つことを命じた。
*② Quinque cohortes, quas minime firmas ad dimicandum esse existimabat,
**(白兵戦を)闘うためにはあまり強くないと(ラビエーヌスが)考えていた5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>
*castris praesidio relinquit;
**陣営にとっての守備隊として残留させた。
*quinque eiusdem legionis reliquas
**同じ軍団の残りの5個(歩兵大隊)を
*de media nocte cum omnibus impedimentis adverso flumine magno tumultu proficisci imperat.
**真夜中から、すべての[[w:輜重|輜重]]とともに、上流の方に大きな喧騒でもって出発することを命令した。
*④ Conquirit etiam lintres;
**小舟さえも探し集めて、
*has magno sonitu remorum incitatas in eandem partem mittit.
**これらを大きな音とともに[[w:櫂|櫂]]を駆って、同じ方面に派遣した。
*Ipse post paulo silentio egressus cum tribus legionibus
**(ラビエーヌス)自身は、少し後で静けさのうちに3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに進発して、
*eum locum petit, quo naves appelli iusserat.
**船団が停められることを命じていた地点へ行った。
===61節===
'''ラビエーヌスの陽動により、敵将カムロゲヌスが兵力を分散'''
*① Eo cum esset ventum,
**(ラビエーヌスの軍勢が)そこにやって来たときに、
*exploratores hostium, ut omni fluminis parte erant dispositi,
**敵方の偵察者たちが(セクアナ)川の至る所に分けて置かれていたが、
*inopinantes, quod magna subito erat coorta tempestas,
**突然に大きな嵐が生じたので(ローマ勢の襲撃を)予期していなかった者たちは、
*ab<ref>ab はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では a となっている。</ref> nostris opprimuntur;
**我が方(ローマ勢)によって不意を襲われたのだ。
*② exercitus equitatusque equitibus Romanis administrantibus, quos ei negotio praefecerat,
**歩兵隊と騎兵隊が、(ラビエーヌスが)任務を指揮させていたローマ人騎士たちの指導により、
*celeriter transmittitur.
**速やかに(セクアナ川を)渡らせられた。
*③ Uno fere tempore sub lucem hostibus nuntiatur
**夜明け前のほぼ一時に(以下のことが)敵方に報知された。
*in castris Romanorum praeter consuetudinem tumultuari
**ローマ人の陣営において、通例に反して、騒がれていること、
*et magnum ire agmen adverso flumine
**大きな隊列が上流の方へ行軍していること、
*sonitumque remorum in eadem parte exaudiri
**(船を漕ぐ)櫂の音が同じ方面で聞き取られたこと、
*et paulo infra milites navibus transportari.
**少し下流で兵士たちが船で(セクアナ川を)渡されたこと、である。
*④ Quibus rebus auditis,
**それらの事態が聞かれて、
*quod existimabant tribus locis transire legiones atque omnes perturbatos defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] fugam parare,
**(ローマ勢の)諸軍団が3か所で渡河したこと、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反により総勢が取り乱して逃亡を準備していること、を考えたので、
*suas quoque copias in tres partes distribuerunt.
**自分たちの軍勢をも3方面に分配した。
*⑤ Nam praesidio e regione castrorum relicto
**すなわち(一隊がローマ勢の)陣営の真向かいに守備隊として残され、
*et parva manu Metlosedum<ref>Metlosedum はQ写本の記述で、χ系・β系写本では Metiosedum 、などとなっている。</ref> versus missa,
**(別の)わずかな手勢が[[w:ムラン|メトロセドゥム]]の方面へ派遣され、
*quae tantum progrediatur<ref>progrediatur はα系写本の記述で、Q・S・β系写本では progrederetur となっている。</ref>, quantum naves processissent,
**(ローマ勢の)船団が進み出るだけ、(ガッリア兵も)前進するようにした。
*reliquas copias contra Labienum duxerunt.
**残りを軍勢をラビエーヌスに対して(カムロゲヌス自身が)率いて行った。
===62節===
'''ラビエーヌスがカムロゲヌス麾下のガッリア勢を各個撃破して、カエサルと合流'''
*① Prima luce et nostri omnes erant transportati
**夜明けに、我が方(ローマ勢)は総勢が(セクアナ川の左岸に)渡されていたし、
*et hostium acies cernebatur.
**敵方の戦列も見分けられた。
*② [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] milites cohortatus,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は兵士たちを(以下のように)鼓舞した。
*ut suae pristinae virtutis et tot<ref>tot はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> secundissimorum proeliorum retinerent memoriam<ref>retinerent memoriam はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では memoriam retinerent となっている。</ref>
**自分たちのかつての武勇とこのようにとてもうまくいっている諸戦闘を記憶に留めるように、
*atque ipsum Caesarem, cuius ductu saepe numero hostes superassent, praesentem adesse existimarent,
**かつ、その指揮によって何度もしばしば敵方を打ち破って来たカエサル当人が目下居合わせていると考えるように、と。
*dat signum proelii.
**(それから)戦闘の号令を発した。
*③ Primo concursu ab dextro cornu, ubi septima legio constiterat,
**最初の激突は、[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が布陣していた(ローマ軍の)右翼からで、
*hostes pelluntur atque in fugam coniciuntur;
**敵方は撃退されて、逃亡に追いやられた。
*④ ab sinistro, quem locum duodecima legio tenebat,
**第12軍団が場所を占めていた左翼からは、
*cum primi ordines hostium transfixi pilis<ref>pilis はβ系写本の記述で、α系写本では telis となっている。</ref> concidissent,
**敵方の最前列(の兵たち)が投げ槍で突き通されて斃れたのだが、
*tamen acerrime reliqui resistebant
**けれども残りの者たちがとても激烈に抵抗していて、
*nec dabat suspicionem fugae quisquam.
**誰も逃亡の予兆を示さなかった。
*⑤ Ipse dux hostium Camulogenus suis aderat atque eos cohortabatur.
**敵方の将帥カムロゲヌス自身は、麾下の者たちに居合わせて、彼らを激励していた。
*⑥ At<ref>cohortabatur. At はχ系写本などの記述で、別の写本では記述が異なる。</ref> incerto nunc etiam<ref>nunc etiam はB・M・L・N写本の記述で、χ系・S・β系写本では etiamnunc となっている。</ref> exitu victoriae,
**勝敗の帰趨は今もなお不確実だったが、
*cum septimae legionis tribunis esset nuntiatum, quae in sinistro cornu gererentur,
**第7軍団の<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、左翼で<ruby><rb>出来</rb><rp>(</rp><rt>しゅったい</rt><rp>)</rp></ruby>したことが報告されたときに、
*post tergum hostium legionem ostenderunt signaque intulerunt.
**敵方の背後に(第7)軍団を差し向けて、軍旗を進めた(=進撃した)。
*⑦ Ne eo quidem tempore quisquam loco cessit,
**その時でさえ、(ガッリア勢の)誰も(戦闘の)場から退却しなかった
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*sed circumventi omnes interfectique sunt.
**けれども、総勢が包囲されて(ローマ軍により)殺戮された。
*Eandem fortunam tulit Camulogenus.
**同じ不幸をカムロゲヌスも蒙った。
*⑧ At ii<ref>ii はχ系写本の記述で、他の写本では記述が異なる。</ref>, qui praesidio contra castra Labieni erant relicti,
**これに対して、ラビエーヌスの陣営に対して守備隊として残されていた(ガッリア勢の)者たちは、
*cum proelium commissum audissent, subsidio suis ierunt collemque ceperunt,
**(両軍が)戦闘を交えているのを聞き付けたので、味方の援兵として出て行って、丘陵を占めていたが、
*neque nostrorum militum victorum impetum sustinere potuerunt.
**勝勢の我が方(ローマ軍)の兵士たちの突撃を持ちこたえることができなかった。
*⑨ Sic cum suis fugientibus permixti,
**このようにして、敗走している味方と混じり合ったときに、
*quos non silvae montesque texerunt, ab equitatu sunt interfecti.
**森林や山岳が覆い隠すことのなかったその者たちは、(ローマ側の)騎兵隊によって殺戮された。
*⑩ Hoc negotio confecto Labienus revertitur Agedincum,
**この戦役が成し遂げられると、ラビエーヌスは[[w:サンス|アゲディンクム]]に引き返した。
*ubi impedimenta totius exercitus relicta erant;
**そこには軍隊全体の[[w:輜重|輜重]]が残されていたのだ。
*inde die Ⅲ.<ref>inde die Ⅲ. は近代の校訂者による修正提案で、Q・M・S・N・β系写本では単に inde 、他の写本では別の記述になっている。</ref> cum omnibus copiis ad Caesarem pervenit.
**そこから3日目(=2日後)にすべての軍勢とともにカエサルのところへ到着した。
==ガッリア戦乱の拡大==
===63節===
'''ハエドゥイー族がウェルキンゲトリークスに主導権争いを挑む'''
*① Defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] cognita bellum augetur.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の背反が知られて、戦乱は拡大された。
*② Legationes in omnes partes circummittuntur;
**(ハエドゥイー族らにより)使節たちがあらゆる方面に遣わされまくり、
*quantum gratia, auctoritate, pecunia valent, ad sollicitandas civitates nituntur;
**信望、勢力や金銭によってできる限り、諸部族をそそのかすことに努めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quantum ~ valere「~によってできる限り」)</span>
*③ nacti obsides, quos Caesar apud eos deposuerat,
**カエサルが彼ら(ハエドゥイー族)のもとに預けて置いた人質たちを手に入れて、
*horum supplicio dubitantes territant.
**彼ら(人質たち)の処刑(を示唆すること)によって、決心がつかぬ者たちを恐れさせた。
*④ Petunt a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] Haedui, ut ad se veniat rationesque belli gerendi communicet;
**ハエドゥイー族は、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]に、自分たちのところへ来て戦争遂行の戦略を協議するように要求した。
*re impetrata contendunt, ut ipsis summa imperii tradatur.
**その事が成し遂げられると、(ハエドゥイー族)自身に最高司令権が委ねられるように頑張った。
*Et re<ref>et re は近代の校訂者による修正提案で、β系写本では re 、α系写本では et rem となっている。</ref> in controversiam deducta totius Galliae concilium [[w:la:Bibracte|Bibracte]] indicitur.
**その事が論争の状態に置かれて、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]でのガッリア全体の会合が公示された。
*Eodem conveniunt<ref>Eodem conveniunt はα系写本の記述で、β系写本では単に conveniunt 、etc.となっている。</ref> undique frequentes.
**同じところに至る所からたくさんの者たちが集まって来た。
*⑥ Multitudinis suffragiis res permittitur;
**(最高司令権の)事は衆人の票決に任せられて、
*ad unum omnes Vercingetorigem probant imperatorem.
**衆議一決により、ウェルキンゲトリークスを将軍(最高司令官)として承認した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ad unum omnes「最後の一人に至るまですべて」)</span>
*⑦ Ab hoc concilio Remi, Lingones, Treveri afuerunt,
**この会合へは、[[w:レミ族|レーミー族]]、リンゴネス族、トレウェリ族が不在であった。
*illi quod amicitiam Romanorum sequebantur,
**前者(レーミー族とリンゴネス族)は、ローマ人との友好を遵守したので(不在であった)。
*Treveri quod aberant longius et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> [[w:la:Germani|Germanis]] premebantur,
**トレウェリ族は、はるか遠くに離れており、[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人により圧迫されていた。
*quae fuit causa quare toto abessent bello
**それが、何ゆえに(ウェルキンゲトリークスによる)戦争全体に関与しなかったかの理由であり、
*et neutris auxilia mitterent.
**(ウェルキンゲトリークスとカエサルの)どちら側にも援軍を派遣しなかった。
*⑧ Magno dolore Haedui ferunt se deiectos principatu,
**ハエドゥイー族は、自分たちが盟主の座から遠ざけられて、とても憤懣やるかたなかったし、
*queruntur fortunae commutationem
**境遇の変わりようを嘆いて、
*et Caesaris indulgentiam in se<ref>indulgentiam in se はα系写本の記述で、β系写本では in se indulgentiam となっている。</ref> requirunt
**カエサルの自分たちへの寛大さを惜しんだ。
*neque tamen suscepto bello suum consilium ab reliquis separare audent.
**けれども戦争を引き受けてしまったので、あえて自分たちの作戦計画をほか(の諸部族)と異にしなかった。
*⑨ Inviti summae spei adulescentes Eporedorix et Viridomarus Vercingetorigi parent.
**たいへんな野心を持つ青年たち[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]は、意に反してウェルキンゲトリークスに服従した。
===64節===
'''ウェルキンゲトリークスがガッリア諸部族の誘降・服従を謀る'''
*① Ipse<ref>ipse はα系写本の記述で、β系写本では ille となっている。</ref> imperat reliquis civitatibus obsides denique ei rei constituit diem;
**(ウェルキンゲトリークス)自身は、ほかの諸部族に人質(の供出)を命令して、のみならずその事の期日を決めた。
*huc omnes equites, [[wikt:la:quindecim|XV(quindecim)]] milia numero, celeriter convenire iubet.
**そこに、1万5000名の数のすべての[[w:騎兵|騎兵]]に、速やかに集結することを命じた。
*② Peditatu quem antea habuerit se fore contentum dicit
**(歩兵については)自分は、以前から持っていた[[w:歩兵|歩兵隊]]で満足するであろうと言った。
*neque fortunam temptaturum aut in acie<ref>in acie はα系写本の記述で、β系写本では単に acie となっている。</ref> dimicaturum,
**(歩兵で)武運を試すことはしないであろうし、あるいは野戦で(白兵戦を)闘うこともないであろう、と。
*sed quoniam abundet equitatu,
**しかし、騎兵隊は豊富であるから、
*perfacile esse factu frumentationibus pabulationibusque Romanos prohibere;
**ローマ人たちの糧食・糧秣徴発を妨げることは、とても容易である、と。
*③ aequo modo animo sua ipsi frumenta corrumpant aedificiaque incendant,
**ただ平静な心で、自分たちの穀物を自身で傷めて、(穀物の)建屋を焼打ちするように。
*qua rei familiaris iactura perpetuum imperium libertatemque se consequi videant.
**資産の犠牲により、永久の領有権と自由を自分たちが獲得することを思え、と。
*④ His constitutis rebus
**これらの事が決定されると、
*[[w:la:Haedui|Haeduis]] Segusiavisque, qui sunt finitimi provinciae, decem milia peditum imperat;
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]および(ローマ人の)属州に隣接するセグスィアウィ族には1万の歩兵(の供出)を命令していたが、
*huc addit equites [[wikt:la:octingenti|octingentos]].
**この中に、800騎の騎兵たち(の供出)を付け加えた。
*⑤ His praeficit fratrem Eporedorigis bellumque inferri<ref>inferri はα系写本の記述で、β系写本では inferre となっている。</ref> Allobrogibus iubet.
**彼らをエポレドリクスの兄弟に指揮させて、アッロブロゲス族に戦争をしかけることを命じた。
*⑥ Altera ex parte Gabalos proximosque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagos]]</u> Arvernorum in Helvios,
**別の方面から、ガバリ族および近隣のアルウェルニー族の諸<u>郷</u>に、ヘルウィイ族のところに(攻め入るように)、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span>
*item Rutenos Cadurcosque ad fines Volcarum Arecomicorum depopulandos mittit.
**同様に、ルテーニー族およびカドゥルキー族に、ウォルカエ・アレコミキ族の領土を荒らしまわるべく派遣した。
*⑦ Nihilo minus clandestinis nuntiis legationibusque Allobrogas<ref>Allobrogas はα系写本の記述で、β系写本では Allobroges となっている。</ref> sollicitat,
**それにもかかわらず、隠密に伝令たちや使節たちにより、アッロブロゲス族を(蜂起を)そそのかした。
*quorum mentes nondum ab<ref>ab はβ系写本の記述で、α系写本では ab となっている。</ref> superiore bello resedisse sperabat.
**彼ら(アッロブロゲス族)の心がかつての戦争からまだ静まっていないことを期待したのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アッロブロゲス族は、BC61年にローマに反旗を翻し、翌BC60年に鎮圧されていた。[[ガリア戦記 第1巻#6節|第1巻6節]]を参照。)</span>
*⑧ Horum principibus pecunias,
**彼らの領袖たちに金銭を(約束し)、
*civitati autem imperium totius provinciae pollicetur.
**さらに部族には(カエサル統治下の)属州全体の支配権をも約束したのだ。
===65節===
'''カエサルと同盟諸部族の防戦。ゲルマニア騎兵を呼び寄せる'''
*① Ad hos omnes casus provisa erant praesidia cohortium duarum et viginti,
**これらすべての出来事に対して、(カエサルは)22個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>からなる守備隊を用意していた。
*quae ex ipsa coacta<ref>coacta はχ系・β系写本の記述で、φ系写本にはない。</ref> provincia ab L.(Lucio) Caesare legato
**それらは、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・カエサルによって属州全体から徴集されたもので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう属州とは、[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]を指すと思われる。</span>
**:<span style="color:#009900;">ルキウス・ユリウス・カエサル4世 [[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius Caesar IV]] は本書の著者カエサルと4代前の高祖父を共有する元執政官。[[w:en:Julii Caesares|Julii Caesares]] を参照。)</span>
*ad omnes partes opponebantur.
**あらゆる方面に対して配置された。
*② Helvii sua sponte cum finitimis proelio congressi pelluntur
**[[w:ヘルウィイ族|ヘルウィイ族]]は、自分たちの意思により、近隣(の諸部族)と戦闘で争って撃退され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この部族については[[#7節|7節]]~8節を参照。)</span>
*et C.(Gaio) Valerio Domnotauro<ref>Domnotauro はS・L・N写本の記述で、A・B・N写本では Donnotauro 、χ系・π系写本では Donotauro となっており、ρ系写本には記述がない。</ref>, Caburi filio, principe civitatis,
**カブルスの息子で、部族の領袖であるガイウス・ウァレリウス・ドムノタウルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:彼は、ローマとの友好により、ローマ人風の名前を与えられていたのであろう。)</span>
*compluribusque aliis interfectis intra oppida ac muros<ref>ac muros はα系写本の記述で、β系写本では murosque となっている。</ref> compelluntur.
**および他のかなりの者たちが殺戮されて、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>と城壁の内側に追い込まれた。
*③ Allobroges crebris ad [[w:la:Rhodanus|Rhodanum]] dispositis praesidiis
**[[w:アッロブロゲス族|アッロブロゲス族]]は、ロダヌス(=現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のところへ密に守備隊を分け置いて、
*magna cum cura et diligentia suos fines tuentur.
**たいへんな注意と入念さにより、自分たちの領土を守った。
*④ Caesar quod hostes equitatu superiores esse intellegebat
**カエサルは、敵方が[[w:騎兵|騎兵隊]]で(自軍より)優っていると認識していたので、
*et interclusis omnibus itineribus nulla re ex provincia atque Italia sublevari poterat,
**かつ、すべての道が遮られて、属州やイタリアから何ら支援されることができなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州 provincia とはガッリア・トラーンサルピーナ、イタリア Italia とは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。)</span>
*trans [[w:la:Rhenus|Rhenum]] in [[wikt:la:Germania|Germaniam]] mittit ad eas civitates, quas superioribus annis pacaverat,
**レヌス(=現[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]に、先年に平定していた諸部族のところへ(使節を)遣わした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア遠征や平定については、[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]~19節、[[ガリア戦記 第6巻#9節|第6巻9節]]~10節を参照。)</span>
*equitesque ab his arcessit et levis armaturae pedites,
**彼らから、騎兵たち、および[[w:ウェリテス|軽い武装の歩兵]]たちを呼び寄せた。
*qui inter eos proeliari consuerant.
**その者ら(軽装歩兵)は、彼ら(騎兵)の間で戦闘することが常であったのだ。
*⑤ Eorum adventu, quod minus idoneis equis utebantur,
**彼ら(ゲルマニア騎兵)が到着すると、(戦闘に)あまり適していない馬を使役していたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア人の馬の使用については、[[ガリア戦記 第4巻#2節|第4巻2節]]を参照。)</span>
*a tribunis militum reliquisque equitibus Romanis atque evocatis equos sumit
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちやほかのローマ人騎士たちや<ruby><rb>再徴集兵</rb><rp>(</rp><rt>エウォカティ</rt><rp>)</rp></ruby>たちから、馬匹を取り上げて、
*[[w:la:Germani|Germanis]]que distribuit.
**ゲルマニア人たちに分配した。
===66節===
'''属州へと南下するカエサル、迎え撃とうとするウェルキンゲトリークス'''
*① Interea dum haec geruntur,
**その間に、これらが出来している間に、
*hostium copiae ex Arvernis
**敵方の(歩兵の)軍勢が(滞陣していたゲルゴウィアの)[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のところから、
*equitesque qui toti Galliae erant imperati conveniunt.
**および全ガッリアの命令されていた[[w:騎兵|騎兵]]たちが、(ウェルキンゲトリークスのところに)集結して来た。
*② Magno horum coacto numero,
**これらの(ガッリア兵の)多数が徴集されて、
*cum Caesar in Sequanos per extremos Lingonum fines iter faceret,
**カエサルが、[[w:セクアニ族|セクアニ族]]のところに(向かって)[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]]の領土の外縁を通って行軍していたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州へは、リンゴネス族と後述のマンドゥビイ族の間を通ってセクアニ族領を通らねばならなかった。)</span>
*quo facilius subsidium provinciae ferri<ref>ferri はα系写本の記述で、β系写本では ferre となっている。</ref> posset,
**(それは)属州(ガッリア・トラーンサルピーナ)に援兵をより容易にもたらせるようにするためであったが、
*circiter milia passuum X(decem) ab Romanis trinis castris [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] consedit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ローマ人たちから約10ローママイル(15km)のところに、3つの陣営にて陣取った。
*③ convocatisque ad concilium praefectis equitum
**(ウェルキンゲトリークスは)騎兵の指揮官たちを会合へ召集して、
*venisse tempus victoriae demonstrat;
**勝利の時が来たと、明言した。
*fugere in provinciam Romanos Galliaque excedere.
**ローマ人たちは属州に逃亡して、ガッリアから立ち退きつつある、と。
*④ Id sibi ad praesentem obtinendam libertatem satis esse;
**それは、自分たちにとって目下のところ、自由を維持するためには十分であるが、
*ad reliqui temporis pacem atque otium parum profici;
**将来の平和と平穏は不充分にしか得られない。
*maioribus enim coactis copiis reversuros
**なぜなら(ローマ人たちは)より大きな軍勢を徴集して(ガッリアに)戻って来るであろうし、
*neque finem bellandi facturos.
**戦争することに結末をつけることはないであろう。
*Proinde agmine impeditos adorirentur<ref>adorirentur はA・β系写本の記述で、M・L・N写本では adoriantur 、S写本では adorantur 、Q・B・M写本ではadorientur となっている。</ref>.
**それゆえに、(ローマ勢の)行軍によって重荷となっている(輜重隊の)者たちを襲撃するのだ。
*⑤ Si pedites suis auxilium ferant atque in eo morentur, iter facere<ref>facere はα系写本の記述で、β系写本では confici となっている。</ref> non posse;
**もし(ローマ勢の)歩兵たちが味方を支援し、そのことで滞留するならば、(属州へ)行軍することはできない。
*si ─id quod magis futurum confidat─
**もし、─(我は)むしろそうなるであろうと期待することであるが─
*relictis impedimentis suae saluti consulant,
**(ローマ歩兵たちが)[[w:輜重|輜重]]を残して、自分たちの身の安全に意を用いるならば、
*et usu rerum necessariarum et dignitate spoliatum iri.
**必需品の使用や(ローマ人としての)品格をはぎ取られることになる。
*⑥ Nam de equitibus hostium,
**なぜなら、敵方の騎兵については
**<span style="color:#009900;">:(訳注:著者カエサルはここでは、間接話法でありながら、ローマ勢について hostium「敵方の」と表現している。)</span>
*quin nemo eorum progredi modo extra agmen audeat,
**彼ら(ローマ騎兵)のうち誰も、<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>の外にすら、あえて進み出ようとしないこと、
*et ipsos quidem non<ref>et ipsos quidem non はα系写本の記述で、β系写本では ne ipsos quidem となっている。</ref> debere dubitare.
**(そのことを、諸君ら)自身は決して疑念を持つことなかれ。
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
*Id quo maiore faciant animo,
**それ(=輜重隊への襲撃)を、より大胆な心構えで実行してもらうために、
*copias se omnes pro castris habiturum et terrori hostibus futurum.
**自分(ウェルキンゲトリークス)が軍勢すべてを陣営の前に保持しておくであろうし、敵方の心胆を寒からしめるであろう。
*⑦ Conclamant equites
**(ガッリア勢の)騎兵たちは(以下のように)叫んだ。
*sanctissimo iure iurando confirmari oportere,
**最も神聖な誓約によって確証されなければならぬ。
*ne tecto recipiatur, ne ad liberos, ne ad parentes, ad<ref>ne ad …, ne ad …, ad が写本(ω)の記述であるが、モイゼル Meusel は ne ad …, ad …, ad と修正提案をしている。</ref> uxorem aditum habeat,
**(以下の者は)家に迎え入れられたり、子供たちや親たちや妻女たちのところへ近づくことがないように。
*qui non bis per agmen hostium perequitasset<ref>perequitasset はα系写本の記述で、β系写本では perequitarit となっている。</ref>.
**敵方(ローマ勢)の隊列を越えて(往復の)2度、騎馬で駆け抜けることがなかった者は。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:敵中突破と生還を成し遂げなかった騎兵は、復員してはならない、と誓約したのである。)</span>
===67節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵がウェルキンゲトリークスを一蹴'''
*① Probata re atque omnibus iure iurando adactis
**これが賛同されて、(ガッリア騎兵の)皆が誓約させられて、
*postero die in tres partes distributo equitatu
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]を3つの分隊に分配した。
*duae se acies ab duobus lateribus ostendunt,
**2隊は(ローマ勢の左右)2つの側面から<ruby><rb>戦闘隊形</rb><rp>(</rp><rt>アキエス</rt><rp>)</rp></ruby>として現われた。
*una a<ref>a はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> primo agmine iter impedire coepit.
**1隊は(ローマ勢の)前衛から行軍を妨げ始めた。
*② Qua re nuntiata
**その事が報告されて、
*Caesar suum quoque equitatum tripertito divisum contra hostem ire iubet.
**カエサルは麾下の騎兵隊おのおのを3つに配分して、敵に対して向かって行くことを命じた。
*Pugnatur una omnibus in partibus.
**(騎兵戦が)同時にすべての方面で戦われた。
*③ Consistit agmen;
**(ローマ勢の)<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>は一歩も引かなかった。
*impedimenta intra legiones recipiuntur.
**[[w:輜重|輜重]]は諸[[w:ローマ軍団|軍団]]の内側に後退した。
*④ Si qua in parte nostri laborare aut gravius premi videbantur,
**もし、我が方(ローマ勢)のある部隊が苦戦したり、またはひどく押されぎみだと思われたならば、
*eo signa inferri Caesar aciemque constitui<ref>constitui はα系写本の記述で、β系写本では converti 、T写本では conferri となっている。</ref> iubebat;
**カエサルはそこに進撃して戦列を組織することを命じた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:signa inferre「軍旗を進める、進撃する」)</span>
*quae res et hostes ad insequendum tardabat et nostros spe auxilii confirmabat.
**その事が、敵方が追撃して来るのを遅らせもしたし、我が方が支援の希望により元気付けられもした。
*⑤ Tandem Germani ab dextro latere summum iugum nacti hostes loco depellunt,
**ついに、ゲルマニア人(騎兵)たちが右の側面から尾根の頂きを掌握して、敵方をその場から追いやった。
*fugientes usque ad flumen,
**逃亡する(ガッリア騎兵の)者たちを川の辺りまで(追って)、
*ubi [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] cum pedestribus copiis consederat,
**そこには[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢とともに陣取っていたのだが、
*persecuntur<ref>persecuntur はα系写本の記述で、β系写本では persequuntur となっている。</ref> compluresque interficiunt.
**(ゲルマニア騎兵が敵を川辺まで)追撃して、かなりの者たちを殺戮した。
*⑥ Qua re animadversa
**その事が(敵方に)気付かれて、
*reliqui ne circumirentur<ref>circumirentur はA・φ系写本の記述で、Q・β系写本では circumvenirentur となっている。</ref> veriti se fugae mandant.
**(ガッリア勢の)残りの者たちは、包囲されないようにと怖れて、逃亡に身を任せた。
*Omnibus locis fit caedes.
**(こうしてローマ方により)あらゆる場所で虐殺が行なわれた。
*⑦ Tres nobilissimi [[w:la:Haedui|Haedui]] capti ad Caesarem perducuntur:
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の3人の高位の貴族が捕らえられて、カエサルのところへ連行されて来た。
*Cotus, praefectus equitum, qui controversiam cum Convictolitavi proximis comitiis habuerat,
**コトゥスは騎兵指揮官で、最近の会議でコンウィクトリタウィスと(統領の座をめぐって)係争した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*et Cavarillus, qui post defectionem Litavicci pedestribus copiis praefuerat,
**カウァリッルスは、リタウィックスの背反の後に、歩兵の軍勢を指揮していた。
*et Eporedorix, quo duce ante adventum Caesaris Haedui cum Sequanis bello contenderant.
**エポレドリクスは、カエサルの到来以前にハエドゥイー族の将帥としてセクアニ族と戦争を闘っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この人物は、ウィリドマルスとともにカエサルを裏切ったエポレドリクスとは同名異人である。)</span>
==アレスィア攻囲戦==
===68節===
[[画像:Alésia.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガッリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。]]
'''ウェルキンゲトリークスがアレスィア入城、カエサルは攻囲を決断'''
*① Fugato omni equitatu
**すべての[[w:騎兵|騎兵隊]]が逃げてしまったので、
*[[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] copias suas<ref>suas はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, ut pro castris conlocaverat, reduxit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、陣営の前に配置するようにしていた麾下の(歩兵の)軍勢を呼び戻して、
*protinusque [[w:la:Alesia|Alesiam]], quod est oppidum Mandubiorum, iter facere coepit
**すぐに、マンドゥビイ族の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>である[[w:アレシア|アレスィア]]へ行軍し始めた。
*celeriterque impedimenta ex castris educi et se subsequi iussit.
**かつ、速やかに陣営から[[w:輜重|輜重]]を進発させること、および自分に追随すること、を命じた。
*② Caesar impedimentis in proximum collem deductis,
**カエサルは、輜重を近隣の丘陵に移させて、
*duabus legionibus praesidio relictis,
**2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を(輜重の)守備隊として(その丘陵に)残留させた。
*secutus quantum diei tempus est passum,
**日中の時間が許される限り(ガッリア勢を)追跡して、
*circiter tribus milibus hostium ex novissimo agmine interfectis
**敵方の後衛のうちから約3000人を殺戮して、
*altero die ad Alesiam castra fecit.
**翌日には、アレスィアの辺りに陣営を張った。
*③ Perspecto urbis situ
**(アレスィアの)都市の地勢を吟味して、
*perterritisque hostibus, quod equitatu, qua maxime parte exercitus confidebant, erant pulsi,
**敵方は、部隊の大部分において頼りにしていた騎兵隊が撃退されていたので、怖れおののいていたから、
*adhortatus ad laborem milites circumvallare instituit.
**(カエサルは)兵士たちを労役に駆り立てて、(敵陣を)[[w:堡塁|堡塁]]で囲むことを決断した。
===69節===
[[画像:Alise2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城塞都市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。]]
'''アレスィアの地勢、ローマ軍の攻囲線'''
*① Ipsum erat oppidum [[w:la:Alesia|Alesia]] in colle summo admodum edito loco,
**[[w:アレシア|アレスィア]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>そのものは、丘陵の頂きにおいて、ひときわ高い地点にあって、
*ut nisi obsidione expugnari non posse videretur.
**攻囲(包囲)以外には攻略されることができないと思われた。
*② Cuius collis radices duo duabus ex partibus flumina subluebant.
**その丘陵のふもとを2つの方面から、2つの川が流れていた。
*③ Ante id<ref>id はα系写本の記述で、β系写本にはない。</ref> oppidum planities circiter milia passuum Ⅲ(tria) in longitudinem patebat;
**その城塞都市の前に、約3ローママイル(4.5km)の間隔で、平地が広がっていた。
*④ reliquis ex omnibus partibus colles mediocri interiecto spatio
**ほかのすべての方面からは(いくつかの)丘陵が適度な空間を置いており、
*pari altitudinis fastigio oppidum cingebant.
**同等の高さの頂上で(アレスィアの)城塞都市を取り巻いていた。
*⑤ Sub muro, quae pars collis ad orientem solem spectabat,
**(アレスィアの)丘陵の日が昇る方(=東方)へ面していた部分の城壁の下には、
*hunc omnem locum copiae Gallorum compleverant
**このすべての場所を、ガッリア人たちの軍勢が満たしていて、
*fossamque et maceriam sex in altitudinem pedum praeduxerant.
**堀、および高さ6[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.8m)の防壁を前に引いていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:maceria|maceria]] は、軍事用語としては、立てこもるための城壁<ref><i>muraille (pour se retrancher)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>を指す。)</span>
*⑥ Eius munitionis quae ab Romanis instituebatur circuitus XI<ref>XI はα系写本の記述で、β系写本では X となっている。</ref> milia passuum tenebat.
**ローマ人たちによって建てられようとしていた塁壁の周囲は、11ローママイル(約16km)を占めていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:α系写本では 11マイル=約16km、β系写本では 10マイル=約15km となっている。)</span>
*⑦ Castra opportunis locis erant posita
**(ローマ勢の)陣営は(戦略上)都合良い地点に設置されていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵・騎兵の陣営が計8か所に置かれていたようである。)</span>
*ibique<ref>ibique はα系写本の記述で、β系写本では itemque となっている。</ref> castella XXIII(viginti tria) facta,
**同じく23基の砦が造られた。
*quibus in castellis interdiu stationes ponebantur,
**それらの砦には、昼間は、歩哨たちが置かれて、
*ne qua subito eruptio fieret;
**不意に何らかの突撃がなされないようにした。
*haec eadem noctu excubitoribus ac firmis praesidiis tenebantur.
**この同じところが、夜間は、寝ずの番兵および強力な守備隊により固守された。
===70節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵が、再びガッリア騎兵を虐殺'''
*① Opere instituto
**(ローマ人により)[[w:堡塁|堡塁]]が建てられだして、
*fit equestre proelium in ea planitie,
**かの平地において[[w:騎兵|騎兵]]戦がなされた。
*quam intermissam collibus tria milia passuum in longitudinem patere supra demonstravimus.
**それ(平地)は(周囲の)丘陵から3ローママイル(約4.5km)の間隔を空けて広がっていることを、[[#69節|前]]に述べた。
*Summa vi ab utrisque contenditur.
**(騎兵戦は)双方の主力によって闘われた。
*② Laborantibus nostris Caesar Germanos submittit
**苦戦している我が方(ローマ騎兵)に対して、カエサルは[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人(騎兵)を援けに派遣した。
*legionesque pro castris constituit, ne qua subito inruptio ab hostium peditatu fiat.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営の前に駐留させて、不意に何らかの突入が敵方の[[w:歩兵|歩兵隊]]によってなされないようにした。
*③ Praesidio legionum addito nostris animus augetur;
**軍団の守備が加わって、我が方(ローマ勢の)勇気が増された。
*hostes in fugam coniecti se ipsi multitudine impediunt
**敵方(の騎兵)は敗走に追いやられて、彼ら自身が自分たち(の敗走)を大勢であることにより妨げた。
*atque angustioribus portis relictis coacervantur<ref>coacervantur は近世の写本(ς)の記述で、α系写本では coacervati tum 、β系写本では coartantur となっている。</ref>.
**さらに(ガッリア陣地の)諸門がとても狭いままにしておかれたので(騎兵たちが)積み重ねられた。
*④ Germani acrius usque ad munitiones sequuntur.
**ゲルマニア人(騎兵)たちは(ガッリア騎兵たちを)苛烈に、防塁のところまで追撃した。
*⑤ Fit magna caedes.
**(こうして)大虐殺が起こった。
*Nonnulli relictis equis fossam transire et maceriam transcendere conantur.
**(ガッリア騎兵の)幾人かは、馬を置き去りにして、堀を越えること、および防壁を登り越えることを試みた。
*Paulum legiones Caesar quas pro vallo constituerat promoveri iubet.
**カエサルは、防柵の前に駐留させていた諸軍団に、いくらか前進することを命じた。
*⑥ Non minus qui intra munitiones erant perturbantur Galli:
**防塁の内側にいたガッリア人たちも(騎兵たちに)劣らず狼狽した。
*veniri ad se confestim existimantes ad arma conclamant;
**(ローマ勢により)自分たちのところへ直ちにやって来られると考えた者たちは、防具を取れと叫んだ。
*nonnulli perterriti in oppidum inrumpunt.
**(ガッリア勢の)幾人かは、怖れおののいて(丘陵の頂きにある)城塞都市の中に押し入った。
*⑦ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] iubet portas claudi, ne castra nudentur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、陣営が無防備にされないように、(防塁の)諸門が閉じられることを命じた。
*Multis interfectis, compluribus equis captis Germani sese recipiunt.
**(ガッリア騎兵の)多くが殺戮され、おびただしい馬が捕獲されて、ゲルマニア人(騎兵)たちは退却した。
===71節===
[[画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。]]
[[画像:Napoleon3.PNG|thumb|right|250px|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガッリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガッリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。]]
'''ウェルキンゲトリークスが援兵召集のため騎兵を放ち、籠城策を定める'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], priusquam munitiones ab Romanis perficiantur,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、ローマ人たちによって塁壁が完成されるより前に、
*consilium capit omnem ab se equitatum noctu dimittere.
**自分のところから[[w:騎兵|騎兵隊]]のすべてを夜間に送り出すことを計画した。
*② Discedentibus mandat
**(アレスィアから)退去する(騎兵の)者たちに(以下のように)指図した。
*ut suam quisque eorum civitatem adeat
**彼ら(騎兵)のおのおのが自らの部族に行くように、
*omnesque qui per aetatem arma ferre possint ad bellum cogant.
**かつ、年齢により武器を手に取ることができる者たちの皆を戦争へ徴集するように、と。
*③ Sua in illos merita proponit obtestaturque
**(ウェルキンゲトリークスは)彼ら(ガッリア人たち)における自分の功績に言及して(以下のように)懇願した。
*ut suae salutis rationem habeant
**自分の身の安全を顧慮してくれるように、
*neu se optime de communi libertate meritum in cruciatum hostibus<ref>in cruciatum hostibus はβ系写本の記述で、α系写本では hostibus in cruciatum となっている。</ref> dedant.
**かつ(ガッリア)共通の自由について功績が最上である自分を、敵方の責め苦に渡すことがないように、と。
*Quod si indiligentiores fuerint,
**ところが、もし(騎兵たちがウェルキンゲトリークスたちの安全に)無関心であったならば、
*milia hominum delecta octoginta una secum interitura demonstrat.
**選りすぐりの兵員8万名が自分と一緒に滅びるであろう、と明言した。
*④ Ratione inita frumentum se exigue dierum XXX(triginta) habere<ref>frumentum ~ habere はβ系写本の記述で、χ系・φ系あるいはモイゼル H. Meusel の修正提案など、写本や校訂者により語順が異なっていたり、単語が欠けていたりする。</ref>,
**見積もったところ、自分たちはわずかに30日分の穀物を保有しているが、
*sed paulo etiam longius tolerari posse parcendo.
**しかし節約することにより、なおいくらか長く耐え忍ぶことができる、と。
*⑤ His datis mandatis,
**これらの指図を与えてから、
*qua erat nostrum opus<ref>erat nostrum opus はβ系写本の記述で、α系写本では単に opus erat となっている。</ref> intermissum, secunda vigilia silentio equitatum mittit<ref>mittit はχ系・B・M・S写本の記述で、β系写本では dimittit となっている。</ref>.
**我が方(ローマ勢)の構築物が中断しているところから、第二夜警時に静けさのうちに、騎兵隊を送り出した。
*⑥ Frumentum omne ad se referri iubet,
**穀物をすべて自分のところへ運んで来ることを命じて、
*capitis poenam iis qui non paruerint constituit;
**服従しなかった者たちを極刑に処すと決めた。
*⑦ pecus, cuius magna erat copia a Mandubiis<ref>a Mandubiis はβ系写本の記述で、α系写本では ab Manduviis となっている。</ref> compulsa, viritim distribuit;
**家畜は、マンドゥビイ族によって大量に集められていたが、個々に分配した。
*frumentum parce et paulatim metiri instituit;
**穀物を節約して少しずつ量り分けることを定めた。
*⑧ copias omnes quas pro oppido collocaverat in oppidum recepit.
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の前に駐留させていた(歩兵の)軍勢すべてを城塞都市の中に退却させた。
*⑨ His rationibus auxilia Galliae exspectare et bellum parat administrare<ref>parat administrare はα系写本の記述で、β系写本では administrare parat となっている。</ref>.
**これらの手段により、ガッリア(諸部族)の援軍を待つこと、および戦争を指導しようとしたのである。
===72節===
'''カエサルが、より大掛かりな攻囲陣地を構築する'''
*① Quibus rebus cognitis<ref>cognitis がこの位置にあるのはα系写本の記述で、β系写本では captivis の後となっている。</ref> ex perfugis et captivis
**それらの事情を脱走兵たちや捕虜たちから知って、
*Caesar haec genera munitionis instituit.
**カエサルは以下の類いの塁壁工事に取りかかった。
<br>
*'''前線の切り立った空堀'''
*Fossam pedum XX(viginti) derectis lateribus duxit,
**20[[w:ペース (長さ)|ペース]](約6m)の(幅の)垂直な側面の堀を引いた。
*ut eius fossae<ref>fossae がこの位置にあるのはβ系写本の記述で、α系写本では summa(e) の後になっている。</ref> solum tantundem pateret, quantum summa<ref>summa はβ系写本の記述で、α系写本では summae となっている。</ref> labra distarent<ref>distarent はα系写本の記述で、β系写本では distabant となっている。</ref>.
**その堀(の底)は、頂きの縁が離れているのとちょうど同じ分だけ広がるようにした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上辺と底の幅が等間隔になるような切り立った空堀にした。)</span>
*② Reliquas omnes munitiones ab ea fossa pedes<ref>pedes はα系写本の記述で、β系写本では pedibus となっている。</ref> CCCC(quadringentos) reduxit.
**ほかのすべての塁壁は、その堀から400ペース(約120m)後ろに引いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:写本にあるこの数字は、19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の</span>
**:<span style="color:#009900;">発掘調査によって400[[w:パッスス|パッスス]](約600m)と修正された。この堀は、アレスィアの西方に引かれたと思われる。)</span>
*Id hoc consilio,
**それは、以下の考えによる。
*quoniam tantum spatium necessario esset<ref>spatium necessario esset はβ系写本の記述で、α系写本では esset necessario spatio となっている。</ref> complexus
**これほどの空間が包囲されなければならないのであるから、
*nec facile totum corpus<ref>corpus はα系写本の記述で、β系写本では opus となっており、ρ系写本にはない。</ref> corona militum cingeretur,
**すべての包囲作業が兵士たちの<ruby><rb>哨兵線</rb><rp>(</rp><rt>コロナ</rt><rp>)</rp></ruby>で取り囲まれるのは容易ではない。
*ne de improviso aut noctu ad munitiones hostium multitudo<ref>hostium multitudo はα系写本の記述で、β系写本では multitudo hostium となっている。</ref> advolaret
**不意に、あるいは夜間に、敵方の大勢が(ローマ側の)塁壁へ突進することがないように、
*aut interdiu tela in nostros operi destinatos conicere possent<ref>possent はα系写本の記述で、β系写本では posset となっている。</ref>.
**あるいは日中に、工事中の我が方(ローマ勢)に飛道具が投げ付けられることができないように。
<br>
[[画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|thumb|right|300px|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:AlesiaFortifications.JPG|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。]]
*'''二重の堀'''
*③ Hoc intermisso spatio
**この空間をあけて、
*duas fossas XV(quindecim) pedes latas eadem altitudine perduxit;
**15ペース(約4.5m)の幅の2つの堀を、同じ深さ(15ペース)で張り巡らせた。
*quarum interiorem campestribus ac demissis locis
**それらの内側(の堀)の平地で低く下がった所には、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:内側の堀とは、アレスィアに近い東側の堀と考えられている。)</span>
*aqua ex flumine derivata complevit.
**川から導かれた水で満たした。
<br>
*'''土塁と防柵、胸壁と鋸壁、鹿柴、櫓'''
*④ Post eas aggerem ac vallum XII(duodecim) pedum exstruxit.
**それらの後ろには、12ペース(約3.6mの高さ)の<ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>防柵</rb><rp>(</rp><rt>ウァッルム</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
*Huic loricam pinnasque adiecit
**これに<ruby><rb>胸壁</rb><rp>(</rp><rt>ロリカ</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>鋸壁</rb><rp>(</rp><rt>ピンナ</rt><rp>)</rp></ruby>を付け加えて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:胸壁と鋸壁とは、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]で既出のように、凹凸形に編み込まれた柴の壁)</span>
*grandibus cervis eminentibus ad commissuras pluteorum atque aggeris,
**障壁と土塁の接合部の辺りに大きな<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ケルウス</rt><rp>)</rp></ruby>を突き出させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ろくさい</rt><rp>)</rp></ruby>(鹿砦または<ruby><rb>逆茂木</rb><rp>(</rp><rt>さかもぎ</rt><rp>)</rp></ruby>)とは、鹿の角のように枝分かれした杭や枝を逆立てた杭囲い。</span>
**:<span style="color:#009900;">障壁とは、防柵の前に取り付けられた胸壁と鋸壁の総称であろう。)</span>
*qui ascensum hostium tardarent,
**敵方が登って来るのを妨げようとした。
*et turres toto opere circumdedit, quae pedes LXXX(octoginta) inter se distarent.
**構築物の全体を、互いに80ペース(約24m)離れて立つ櫓で取り巻いた。
===73節===
'''カエサルは、攻囲陣地をさらに障害物で補強する'''
*① Erat eodem tempore et materiari et frumentari et tantas munitiones fieri necesse
**材木収集と糧食徴発、およびこれほどの塁壁工事がなされることが、同時に必要であった。
*deminutis nostris copiis, quae longius ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> castris progrediebantur.
**我が方の軍勢(ローマ勢)は減じており、陣営からはるか遠くに進み出ていた。
*Ac nonnumquam opera nostra Galli temptare
**いくたびか、我が方の構築物に、ガッリア人が攻撃すること(を試み)、
*atque eruptionem ex oppido pluribus portis summa vi facere conabantur.
**かつ、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城塞都市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の多くの門から、主力でもって出撃することを試みた。
*② Quare ad haec rursus opera addendum Caesar putavit,
**そのゆえに、この構築物へさらに(以下の障害物が)付け加えられるべきだとカエサルは考えた。
*quo minore numero militum munitiones defendi possent.
**それによって、より少ない数の兵士で塁壁が防衛されることができるように、と。
[[画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。]]
[[画像:Trous.de.loup.png|thumb|right|300px|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。]]
[[画像:Aiguillon.png|thumb|right|200px|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。]]
:
'''尖り杭'''
*Itaque truncis arborum aut admodum firmis ramis abscisis
**こうして、樹木の幹、あるいは非常に強固な枝が切り取られて、
*atque horum delibratis ac praeacutis cacuminibus
**これらの皮がむかれて、<ruby><rb>梢</rb><rp>(</rp><rt>こずえ</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>尖</rb><rp>(</rp><rt>とが</rt><rp>)</rp></ruby>らされて、
*perpetuae fossae quinos pedes altae ducebantur.
**5[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.5m)ずつの連続した堀が引かれた。
*③ Huc illi stipites demissi
**ここに、あの樹幹が沈められて、
*et ab infimo revincti, ne revelli possent, ab ramis eminebant.
**底から固くしばられて、はぎ取ることができないようにして、枝から(地上に)突き出るようにしていた。
*④ Quini erant ordines coniuncti inter se atque implicati;
**5列ずつが、互いにつなげられて、結び合わされた。
*quo qui intraverant se ipsi acutissimis vallis induebant.
**そこに踏み込んだ者は、自身が自らをきわめて鋭い杭に陥れた。
*Hos cippos appellabant.
**(将兵たちは)これらを<ruby><rb>尖り杭</rb><rp>(</rp><rt>キップス</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:cippus|cippus]]「尖り杭」は「墓標」とも訳されるが、後者は古典期以降のラテン語で長方形の墓碑を指す<ref><small>POSTCLASSIQUE</small> <i>[[w:fr:Cippe|cippe]] (colonne funéraire rectangulaire)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>。)</span>
:
'''百合'''
*⑤ Ante<ref>ante はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> quos<ref>quos はα系写本の記述で、β系写本では hos となっている。</ref> obliquis ordinibus in quincuncem dispositis
**それらの前に、(サイコロの)<ruby><rb>五つ目状</rb><rp>(</rp><rt>クィンクンクス</rt><rp>)</rp></ruby>に斜めの列に配置されて、
*scrobes tres in altitudinem pedes fodiebantur
**深さ3ペース(約90cm)の穴が掘られた。
*paulatim angustiore ad infimum fastigio.
**しだいに、より狭く、底の方へ傾斜を付けて。
*⑥ Huc teretes stipites [[w:la:Femur|feminis]] crassitudine
**ここに、太ももの厚さの丸みを帯びた樹幹が
*ab summo praeacuti et praeusti demittebantur,
**先端から尖らせられ、焦がされて(穴の底に)突き刺された。
*ita ut non amplius digitis quattuor ex terra<ref>ex terra はα系写本の記述で、V・ρ系写本では e terra 、T写本では contra となっている。</ref> eminerent;
**4本の指より長くないほど地中から突き出るように。
*⑦ simul confirmandi et stabiliendi causa
**同時に、強固にして固定するために、
*singuli ab infimo solo pedes terra exculcabantur;
**それぞれ底から1ペース(約30cm)だけ土で突き固められた。
*reliqua pars scrobis ad occultandas insidias viminibus ac virgultis integebatur.
**穴の残りの部分は、わなを隠すために、柳の細枝や若枝で覆われた。
*⑧ Huius generis octoni ordines ducti ternos inter se pedes distabant.
**この類いを、8列ずつ、3ペース(約90cm)ずつ互いに離して、作った。
*Id ex similitudine floris lilium appellabant.
**(将兵たちは)それを花との類似から、<ruby><rb>[[w:ユリ|百合]]</rb><rp>(</rp><rt>リリウム</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
:
'''刺'''
*⑨ Ante haec taleae pedem longae ferreis hamis infixis totae in terram infodiebantur
**これらの前に、鉄製の鉤が打ち込まれた長さ1ペース(約30cm)の棒の全体が地中に埋め込まれた。
*mediocribusque intermissis spatiis omnibus locis disserebantur,
**適度な空間を間にあけて、至る所に配置された。
*quos stimulos nominabant.
**(将兵たちは)それらを刺と呼んだ。
{| class="wikitable"
|-
! colspan="2" | [[w:la:Obsidio Alesiae|Obsidio Alesiae]]
|-
| style="vertical-align:top; text-align:left; width:35em;" |[[画像:Fortificazioni alesia png.png|thumb|left|500px|[[w:アレシアの戦い|アレシアの戦い]]における攻囲陣地の構成(図の説明はイタリア語)。]]
|}
===74節===
'''ガッリア人の来援に備えて、外周にも同様の塁壁を張り巡らす'''
*① His rebus perfectis
**これらの物が造り上げられると、
*regiones secutus quam potuit aequissimas pro loci natura
**地勢に応じて、できるかぎり好都合な地帯を探し求めて、
*XIIII(quattuordecim) milia passuum complexus
**14ローママイル(約21km)を取り巻いて、
*pares eiusdem generis munitiones,
**(内周の塁壁と規模が)匹敵する同じ類いの塁壁を
*diversas ab his, contra exteriorem hostem perfecit,
**これら(内周)に対置させて、外側の敵に対抗して造り上げた。
*ut ne magna quidem multitudine, si ita accidat equitatus<ref>equitatus はシェーラー(Schoeller)による修正提案で、写本(ω)では eius であるが、近代の校訂者たちにより修正提案がなされている。</ref> discessu,
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:ne quidem|ne ~ quidem]]「~でさえ…ない」)</span>
**もし[[w:騎兵|騎兵隊]]の退去によりこのようなこと(外敵との遭遇)が生じても、決して大軍により
*munitionum praesidia circumfundi possent;
**塁壁の守備隊が包囲されることができないように。
*② <ne> autem<ref>ne autem は近代の校訂者による修正提案で、α系・π系写本では aut、ρ系写本では ut となっている。</ref> cum periculo ex castris egredi cogatur,
**(ローマ勢が)危険を伴って陣営から進発することを強いられることもないように、
*dierum XXX(triginta) pabulum frumentumque habere omnes convectum iubet.
**30日分の[[w:糧秣|秣(まぐさ)や穀物]]を運び集めて保持することを皆に命じた。
===75節===
'''ガッリア同盟が各部族に動員を要請する'''
*① Dum haec apud<ref>apud はα系写本の記述で、β系写本では ad となっている。</ref> [[w:la:Alesia|Alesiam]] geruntur,
**これらが[[w:アレシア|アレスィア]]のもとで遂行されている間に、
*Galli concilio principum indicto
**ガッリア人たちは、領袖たちの会合を課して、
*non omnes hos<ref>omnes hos はα系写本の記述で、β系写本では単に omnes となっている。</ref> qui arma ferre possent, ut censuit [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], convocandos statuunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]が見積もったように武器を扱える者たち皆を召集するべき、ではないと判断した。
*sed certum numerum cuique ex civitate<ref>ex civitate はα系写本の記述で、β系写本では civitati となっている。</ref> imperandum,
**けれども、おのおのの部族から一定の兵数(の供出)を命令すること(を決めた)。
*ne tanta multitudine confusa nec moderari nec discernere suos nec frumentandi rationem<ref>frumentandi rationem はT・U・R写本などの記述で、V・U写本などでは frumenti rationem となっている。</ref> habere possent.
**これほどの大軍で混乱したり、味方を指揮できなかったり判別できなかったり、ということがないように。
*② Imperant [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque eorum clientibus, Segusiavis, Ambivaretis, Aulercis Brannovicibus, Blannoviis, milia XXXV(triginta quinque);
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]とその庇護民であるセグスィアウィ族、アンビウァレティ族、アウレルキ・ブランノウィケス族、ブランノウィイ族に3万5千名を命令した。
*parem numerum Arvernis adiunctis Eleutetis, Cadurcis, Gabalis, Vellaviis,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]に隣接しているエレウテティ族、カドゥルキー族、ガバリ族、ウェッラウィイ族に同等の兵数。
*qui sub imperio Arvernorum esse consuerunt;
**彼らはアルウェルニー族の支配下にいるのが常であった。
*③ Sequanis, Senonibus, Biturigibus, Santonis, Rutenis, Carnutibus duodena milia;
**セクアニ族、セノネース族、ビトゥリゲース族、サントネス族、ルテーニー族、カルヌーテース族には1万2千ずつ。
*Bellovacis X(decem); totidem Lemovicibus;
**ベッロウァキ族に1万。レモウィケス族に同じだけ多く(1万)。
*octona Pictonibus et Turonis et Parisiis et Helvetiis;
**ピクトネス族とトゥロニ族とパリスィイ族と[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]に8(千)ずつ。
*Senonibus<ref>Senonibus は写本(ω)にある記述だが、sen<a Suessi>onibus「6(千)ずつをスエッスィオニス族…に」などさまざまな修正提案がなされている。</ref>, Ambianis, Mediomatricis, Petrocoriis, Nerviis, Morinis, Nitiobrogibus quina milia;
**セノネース族、アンビアニ族、メディオマトリキ族、ペトロコリイ族、ネルウィイ族、モリニ族、ニティオブロゲス族に5千ずつ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Senonibus「セノネース族」は既出のためスエッスィオネス族などに書き替える修正提案がなされ、以下は校訂版によっては兵数がずれる。</span>
**:<span style="color:#009900;">しかし、スエッスィオネス族 Suessiones は[[ガリア戦記 第2巻#12節|第2巻12節]]でレーミー族を通じてカエサルに降伏しており、</span>
**:<span style="color:#009900;">第8巻6節でも「レーミー族に委ねられていた」「同盟者」と記されているので、アレスィアには出兵していないであろう。)</span>
*Aulercis Cenomanis totidem; Atrebatibus IIII;
**アウレルキ・ケノマニ族に同じだけ多く(5千)。アトレバテス族に4(千)。
*Veliocassis, Lexoviis et Aulercis Eburovicibus terna;
**ウェリオカッセス族、レクソウィイ族とアウレルキ・エブロウィケス族に3(千)ずつ。
*Rauracis et Boiis<ref>Boiis はα系写本の記述で、β系写本では Bois となっている。</ref> bina;
**ラウラキ族とボイイ族に2(千)ずつ。
*XXX<ref>XXX はα系写本の記述で、さまざまな修正提案がなされている。</ref> milia universis civitatibus, quae Oceanum attingunt
**<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>に接する諸部族全体に3万。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は写本により異なっており、混乱している。)</span>
*quaeque eorum consuetudine Aremoricae appellantur,
**それらは、彼ら(ガッリア人)の慣習でアレモリカエと呼ばれており、
*quo sunt in numero Coriosolites, Redones, Ambibarii, Caletes, Osismi, Veneti, Lemovices, Unelli.
**コリオソリテス族、レドネス族、アンビバリイ族、カレテス族、オスィスミ族、ウェネティ族、レモウィケス族、ウネッリ族がそれらに数えられる。
*⑤ Ex his Bellovaci suum numerum non compleverunt<ref>compleverunt はα系写本の記述で、β系写本では contulerunt となっている。</ref>,
**これらのうちで、ベッロウァキ族は、自分たちの(割り当てられた)数を満たさなかった。
*quod se suo nomine atque arbitrio cum Romanis bellum gesturos dicebant
**というのは、彼らは自らの名と裁量でもってローマ人と交戦するであろうと言ったのだ。
*neque cuiusquam imperio obtemperaturos;
**(自分たちは)何者の命令にも服従しないであろう、と。
*rogati tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> Commio pro eius hospitio duo milia una miserunt.
**けれども、[[w:コンミウス|コンミウス]]の懇願により、彼を賓客としているために、2千名を一緒に送り出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は要求された兵数の5分の1しか出さなかったが、第8巻22節ではこの出兵をも含めてカエサルから責められる。)</span>
===76節===
'''コンミウスもガッリア同盟軍に内応、約25万の大軍が集結'''
*① Huius opera Commii, ut antea demonstravimus, fideli atque utili
**前に述べたように、この[[w:コンミウス|コンミウス]]の信頼すべき有益な働きを
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記 第4巻#27節|27節]]・[[ガリア戦記 第4巻#35節|35節]]、[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]、[[ガリア戦記 第6巻#6節|第6巻6節]]を参照。)</span>
*superioribus annis erat usus in [[w:la:Britannia Maior|Britannia]] Caesar;
**カエサルは先年(BC55~54年)に[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]において役立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]の先導役を務めていた。後にブリタンニアで王となる。)</span>
*quibus ille pro meritis civitatem eius immunem esse iusserat,
**彼(カエサル)はそれらの功績の見返りに、彼(コンミウス)の部族が免税となることを命じており、
*iura legesque reddiderat atque ipsi Morinos attribuerat.
**権能や法度を元に戻してやり、(コンミウス)自身にモリニ族(の統治)をも委ねていた。
*② Tamen tanta<ref>tamen tanta はα系写本の記述で、β系写本では tanta tamen となっている。</ref> universae Galliae consensio fuit libertatis vindicandae et pristinae belli laudis recuperandae,
**けれども、自主独立が求められるべきで、かつての戦争の誉れが取り戻されるべきだという、ガッリア全体の合意があった。
*ut neque beneficiis neque amicitiae memoria moverentur
**その結果、(カエサルからの)厚遇にも友情の記憶にも揺り動かされず、
*omnesque et animo et opibus in id bellum incumberent.
**(ガッリアの)皆が闘志によっても兵力によっても、その戦争に没頭していたのだ。
*③ Coactis equitum milibus VIII(octo) et peditum circiter CCL(ducenti quinquaginta)<ref>CCL はβ系写本の記述で、α系写本では CCXL または CCXXXX となっている。</ref>
**[[w:騎兵|騎兵]]8千騎と[[w:歩兵|歩兵]]およそ250(千)名が徴集されて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵の数は、β系写本では25万、α系写本では24万と異なっている。)</span>
*haec in Haeduorum finibus recensebantur, numerusque inibatur, praefecti constituebantur.
**これら(の軍勢)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の領土で閲兵されて、数が見積もられて、指揮官たちが決められた。
*④ Commio Atrebati, Viridomaro et [[w:la:Eporedorix|Eporedorigi]] [[w:la:Haedui|Haeduis]],
**アトレバテス族の[[w:コンミウス|コンミウス]]、ハエドゥイー族のウィリドマルスとエポレドリクス、
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellauno]] Arverno, consobrino Vercingetorigis, summa imperii traditur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の従兄弟である[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌスに、最高司令権が託された。
*His delecti ex civitatibus attribuuntur, quorum consilio bellum administraretur.
**彼らに、諸部族から選ばれた者たちが付与されて、その者たちの協議により戦争が指導された。
*⑤ Omnes alacres et fiduciae pleni ad [[w:la:Alesia|Alesiam]] proficiscuntur,
**皆が、活気があって自身に満ち、[[w:アレシア|アレスィア]]へ向けて出発した。
*⑥ neque erat omnium quisquam qui adspectum modo tantae multitudinis sustineri posse arbitraretur,
**これほどの大軍を一見しただけで持ちこたえられる者は、誰一人いないと思われた。
*praesertim ancipiti proelio,
**とりわけ(内周と外周の)両面の戦闘で、
*cum ex oppido eruptione pugnaretur, foris tantae copiae equitatus peditatusque cernerentur.
**城塞都市からは出撃により戦われ、外からは騎兵と歩兵のこれほどの軍勢が視認されるのであるから。
===77節===
'''飢餓状態のアレスィアで、クリトグナトゥスが極論を唱える'''
*① At ii qui [[w:la:Alesia|Alesiae]] obsidebantur
**ところが、[[w:アレシア|アレスィア]]に包囲されていた者たちは、
*praeterita die qua auxilia suorum exspectaverant,
**味方の援軍を待ち望んでいた日も経過して、
*consumpto omni frumento,
**すべての糧食を消費し尽くして、
*inscii quid in [[w:la:Haedui|Haeduis]] gereretur,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところにおいて何がなされているのかを知らず、
*concilio coacto de exitu suarum fortunarum consultabant.
**会合を召集して、自分たちの命運の結末について協議した。
*② Ac variis dictis sententiis
**そして、さまざまな意見が述べられた。
*quarum pars deditionem,
**それらの一部は降伏を、
*pars dum vires suppeterent eruptionem censebat,
**別の一部は、活動力が十分にある間に突撃することを考慮していた。
*non praetereunda oratio [[w:la:Critognatus|Critognati]] videtur propter eius singularem et nefariam crudelitatem.
**クリトグナトゥスの演説は、彼の特異で非道な残酷さのために、看過されるべきではないと思われる。
<br>
'''クリトグナトゥスの演説が始まる'''
*③ Hic summo in Arvernis ortus loco et magnae habitus auctoritatis,
**彼は、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]において最高の身分に生まれ、大きな影響力を持つとみなされていた。
<br>
'''降伏論者は最低の輩だ'''
*"Nihil" inquit "de eorum sententia dicturus sum, qui turpissimam servitutem deditionis nomine appellant,
**「最も恥ずべき隷属を降伏という名で呼んでいる者たちの意見については、(私は)何も述べないであろう」と言った。
*neque hos habendos civium loco neque ad concilium adhibendos censeo.
**「この者たちは市民の身分を持つべきではないし、会合へ招き入れられるべきでもない、と(私は)考える。
<br>
'''突撃論者には辛抱が欠けている'''
*④ Cum his mihi res sit, qui eruptionem probant;
**突撃に賛同した者たちとともに、私の関わりはあるべきだ。
*quorum in consilio omnium vestrum consensu
**その者たちの考えには、君たち皆の同意があるだろうし、
*pristinae residere virtutis memoria videtur.
**かつての武勇の記憶が残っていることと思われる。
*⑤ Animi est ista mollitia, non virtus, paulisper inopiam ferre non posse.
**しばらくの間も(糧食の)欠乏に耐えることができない(君らの)ことは、気の弱さであって、武勇ではない。
*Qui se ultro morti offerant facilius reperiuntur quam qui dolorem patienter ferant.
**自発的に玉砕して逝った者たちは、苦痛に辛抱強く耐えた者たちよりも、より容易に見出されるのだ。
*⑥ Atque ego hanc sententiam probarem ─tantum apud me dignitas potest─,
**しかし私は(突撃という)この意見に賛同したであろう。それほど、私にとっても価値がある。
*si nullam praeterquam vitae nostrae iacturam fieri viderem;
**(ただし)もし、我々(ガッリア勢)の生命が投げ出されること以外に(方策が)何もないと思ったならばだ。
*⑦ sed in consilio capiendo omnem Galliam respiciamus, quam ad nostrum auxilium concitavimus.
**けれども、作戦を立てるに当たっては、我々のために援軍を(我々が)呼び寄せた全ガッリアを顧慮しよう。
*⑧ Quid hominum milibus LXXX(octoginta) uno loco interfectis
**(我々ガッリア勢)8万の人間が(アレスィア)1か所で殺戮されたら、
*propinquis consanguineisque nostris animi fore existimatis,
**我々の親類縁者たちの士気はどうなると(君らは)判断しているのか。
*si paene in ipsis cadaveribus proelio decertare cogentur?
**もし、ほとんど(我々)自身の亡骸の中で(味方が)決戦することを強いられたら?
*⑨ Nolite hos vestro auxilio exspoliare qui vestrae salutis causa suum periculum neglexerunt,
**君らの身の安全のために、己の危険を顧みなかった者たちのことを、君らが援助すること(の機会)を奪わないでくれ。
*nec stultitia ac temeritate vestra aut animi imbecillitate omnem Galliam prosternere et perpetuae servituti subicere.
**君らの愚かさや無思慮、または心の弱さによって、全ガッリアを滅ぼすことや永久の隷属に委ねることがないように。
<br>
'''ローマ人たちが恐れているのを見よ'''
*⑩ An quod ad diem non venerunt, de eorum fide constantiaque dubitatis?
**それとも(援軍が)期日までにやって来なかったので、彼らの誠実さや剛直さについて(君らは)疑っているのか?
*Quid ergo?
**それでは(あれは)何だ?
*Romanos in illis ulterioribus munitionibus animine causa cotidie exerceri putatis?
**ローマ人たちがあの向こう側の塁壁のところで、趣味のために毎日たえず働かされていると(君らは)思うのか?
*⑪ Si illorum nuntiis confirmari non potestis omni aditu praesaepto,
**もし、すべての出入口を(防柵で)遮られて、(援軍の到来を)彼らの伝令により(君らが)確証できないのならば、
*his utimini testibus adpropinquare eorum adventum,
**こちらの者たち(ローマ人)を、彼ら(援軍)の到来が近づいている証人として示せ。
*cuius rei timore exterriti diem noctemque in opere versantur.
**(援軍の到来という)その事態の恐れに戦慄して(ローマ人たちは)昼も夜も工事に従事しているのだ。
<br>
'''クリトグナトゥスの意見は?'''
*⑫ Quid ergo mei consilii est?
**それでは、私の考えは何であるか?
*Facere quod nostri maiores nequaquam pari bello Cimbrorum Teutonumque fecerunt:
**我々の先祖たちが(今回とは)決して比べものにならない[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族・テウトニ族との戦争]]でしたことをするのだ。
*qui in oppida compulsi ac simili inopia subacti
**彼ら(先祖たち)は、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に押し込められて、(今回と)似たような欠乏により衰弱させられて、
*eorum corporibus, qui aetate ad bellum inutiles videbantur, vitam toleraverunt
**加齢により戦争に役立たないと思われた者たちの肉体(を食べること)によって、生命を持ちこたえて、
*neque se hostibus tradiderunt.
**敵方に降伏しなかったのだ。
*⑬ Cuius rei si exemplum non haberemus,
**もし、そういう事態の先例を我々が持たなかったとしても、
*tamen libertatis causa institui et posteris prodi pulcherrimum iudicarem.
**けれども、自由のために、最も栄誉なことが決断され、子孫たちに伝えられることと、私は思いたい。
*⑭ Nam quid illi simile bello fuit?
**実際、あの戦争に(今回と)似ている何があっただろうか?
*Depopulata Gallia Cimbri magnaque inlata calamitate
**キンブリ族はガッリアを荒らしまわって、大きな災禍をもたらしたが、
*finibus quidem nostris aliquando excesserunt atque alias terras petierunt;
**あるとき我々の領土から立ち去って、他の土地を求めて行った。
*iura, leges, agros, libertatem nobis reliquerunt.
**権限、法度、耕地、自由を我々(ガッリア人)に残して行ったのだ。
*⑮ Romani vero quid petunt aliud aut quid volunt
**しかし、ローマ人たちは(以下に挙げることの)他に何を求め、何を欲しているのだろうか。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「しかし、ローマ人が求め、欲しているのは、以下のことである」の意。)</span>
*nisi invidia adducti quos fama nobiles potentesque bello cognoverunt,
**高貴で戦争に力強い(ガッリアの)者たちを名声で知って羨望に駆られた以外には、
*horum in agris civitatibusque considere atque his aeternam iniungere servitutem?
**彼らの土地や部族共同体に居座って、彼らを永遠の隷属を課すること以外には。
*Neque enim ulla alia condicione bella gesserunt.
**実際、(ローマ人は)他のいかなる条件でも決して戦争を遂行したことがなかった。
*⑯ Quodsi ea quae in longinquis nationibus geruntur ignoratis,
**もし、遠方の種族のところでなされていることを(君らが)知らないのであれば、
*respicite finitimam Galliam,
**ガッリアの隣人たちを見渡しなさい。
*quae in provinciam redacta,
**(彼らはローマの)[[w:属州|属州]]になることを余儀なくされ、
*iure et legibus commutatis,
**権限や法度を変えられて、
*securibus subiecta perpetua premitur servitute."
**(ローマの)権力に服属させられて、永久の隷属に苦しめられているのだ。
===78節===
'''マンドゥビイ族の投降をカエサルが拒む'''
*① Sententiis dictis
**(いくつかの)意見が述べられて、
*constituunt ut ii, qui valetudine aut aetate inutiles sunt<ref>sunt はα系写本の記述で、β系写本では sint となっている。</ref> bello, oppido excedant
**(ガッリア人たちは)健康または年齢により戦争に役立たない者たちは[[w:オッピドゥム|城塞都市]]を退去するように決めた。
*atque omnia prius experiantur quam ad Critognati sententiam descendant;
**さらに、クリトグナトゥスの意見に同意するよりも、まずあらゆることを試みるように(決めた)。
*② illo tamen potius utendum consilio,
**けれども(以下の場合には)むしろ彼(クリトグナトゥス)の意見を実行するべきだ。
*si res cogat atque auxilia morentur,
**もし、事態が強いて、援軍が遅滞させられるのならば、
*quam aut deditionis aut pacis subeundam condicionem.
**降伏あるいは講和条件を受諾することよりも(クリトグナトゥスの意見を実行するべきだ)、と。
*③ Mandubii qui eos oppido receperant,
**彼ら(ガッリア勢)を城塞都市に受け入れていたマンドゥビイ族は、
*cum liberis atque uxoribus exire coguntur.
**子供たちや妻女たちとともに(城塞都市から)出て行くことを強いられた。
*④ Hi cum ad munitiones Romanorum accessissent,
**彼らは、ローマ人たちの塁壁のところへ近づいたときに、
*flentes omnibus precibus orabant, ut se in servitutem receptos cibo iuvarent.
**自分たちを奴隷として受け入れて食糧で助けてくれるように、泣きながらあらゆる懇願で頼んだ。
*⑤ At Caesar dispositis in vallo custodibus<ref>custodibus はα系写本の記述で、β系写本では custodiis となっている。</ref> recipi prohibebat.
**だが、カエサルは、防柵の中に番兵を分けて置き、(マンドゥビイ族を)受け入れることを禁じた。
===79節===
'''ガッリア同盟軍の来援、アレスィアの歓呼'''
*① Interea Commius reliquique duces, quibus summa imperii permissa erat,
**その間に、最高司令権を任されていた[[w:コンミウス|コンミウス]]とほかの将帥たちが、
*cum omnibus copiis ad Alesiam perveniunt
**すべての軍勢とともに[[w:アレシア|アレスィア]]の辺りへ到着して、
*et colle exteriore occupato
**より外側の丘陵を占拠して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のミュスィ=ラ=フォス村 [[w:fr:Mussy-la-Fosse|Mussy-la-Fosse]]<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.521944,4.438611&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.522012,4.438648&spn=0.01849,0.027423&t=h&z=15 Google map]を参照。</ref> のある丘陵であると思われる。)</span>
*non longius mille passibus ab nostris munitionibus considunt.
**我が方(ローマ勢)の塁壁から1ローママイル(約1.5km)ほども遠くないところに陣取った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のヴナレ=レ=ローム [[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]] 市街<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.542778,4.445833&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.543106,4.458475&spn=0.036965,0.054846&t=h&z=14 Google map]を参照。</ref>の周辺であると思われる。)</span>
*② Postero die equitatu ex castris educto
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]が陣営から進発させられて、
*omnem eam planitiem quam in longitudinem milia passuum III(tria)<ref>milia passuum III はβ系写本の記述で、α系写本では quattuor milia passuum などとなっている。</ref> patere demonstravimus, complent
**3ローママイル(約4.5km)の長さにわたり広がっていることを既述した平地のすべてを、満たした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#69節|69節]]を参照。現在のローム平原に当たると思われる。)</span>
*pedestresque copias paulum ab eo loco abditas in locis superioribus constituunt.
**[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢を、その地からいくらか遠ざけて、より高いところに駐留させた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上記の丘陵のより高い所であると思われる。)</span>
*③ Erat ex oppido Alesia despectus in campum.
**アレスィアの[[w:オッピドゥム|城塞都市]]からは(その)平地に眺望があった。
*Concurrunt<ref>concurrunt はα系写本の記述で、β系写本では concurritur となっている。</ref> his auxiliis visis;
**これらの援軍が現われると(アレスィアのガッリア人たちは)群がり集まった。
*fit gratulatio inter eos
**彼らの間で祝賀がなされて、
*atque omnium animi ad laetitiam excitantur.
**皆の心が喜びへと鼓舞された。
*④ Itaque productis copiis ante oppidum considunt
**こうして(アレスィアの)軍勢が出撃させられて、城塞都市の前に陣取って、
*et proximam fossam cratibus integunt atque aggere explent
**最も近い堀を、柴で蔽って、土砂を充満させて、
*seque ad eruptionem atque omnes casus comparant.
**突撃やあらゆる有事に戦備を整えた。
===80節===
'''ゲルマニア騎兵らローマ勢が来援ガッリア騎兵をも打ち破る'''
*① Caesar omni exercitu ad utramque partem munitionum<ref>munitionum はα系写本の記述で、β系写本では munitionis となっている。</ref> disposito,
**カエサルは、すべての[[w:歩兵|歩兵隊]]を、塁壁の(内周と外周)両側に分けて置き、
*ut, si usus veniat, suum quisque locum teneat et noverit,
**もし、必要が生じたら、おのおのが自らの部署を知って固守するようにした。
*equitatum ex castris educi et proelium committi iubet.
**[[w:騎兵|騎兵隊]]を陣営から進発させて、交戦することを命じた。
*② Erat ex omnibus castris, quae summum undique iugum tenebant, despectus
**至る所で尾根の頂きを占めていた(ローマ勢の)すべての陣営から(騎兵戦の)眺望があった。
*atque omnes milites intenti<ref>intenti はα系写本の記述で、β系写本では intenti animi、Fuchs は intentis animis と修正提案している。</ref> pugnae proventum<ref>pugnae proventum はα系写本の記述で、β系写本では proventum pugnae となっている。</ref> exspectabant.
**すべての兵士たちは(観戦に)没頭して、戦いの結果を待っていた。
*③ Galli inter equites raros sagittarios expeditosque levis armaturae interiecerant,
**ガッリア人たちは、弓兵たちと軽装歩兵たちをまばらに、騎兵たちの間に置いていて、
*qui suis cedentibus auxilio succurrerent
**その者たち(弓兵と軽装歩兵)は、味方が後退するのを支援するために馳せ寄って、
*et nostrorum equitum impetus sustinerent.
**我が方(ローマ勢)の騎兵の突撃に持ちこたえていた。
*Ab his complures de improviso vulnerati proelio excedebant.
**彼らによって(ローマ側騎兵の)かなりの者たちが、思いがけず負傷させられて、戦闘から退いた。
*④ Cum suos pugna superiores esse Galli confiderent
**ガッリア人たちが、味方が戦いで優勢であることを確信したとき、
*et nostros multitudine premi viderent,
**かつ、我が方(ローマ勢)が多勢(のガッリア騎兵)により圧倒されているのを見て取ったときに、
*ex omnibus partibus et ii qui munitionibus continebantur
**あらゆる方面から(ローマ勢の)塁壁によって囲まれていた者たちも、
*et hi<ref>hi はφ系・β系写本の記述で、χ系写本では ii となっている。</ref> qui ad auxilium convenerant
**(アレスィア)救援のために集結して来ていた者たちも、
*clamore et ululatu suorum animos confirmabant.
**大声やわめき声によって味方の闘志を強めた。
*⑤ Quod in conspectu omnium res gerebatur
**(両軍の)皆の環視の中で合戦が遂行されたので、
*neque recte ac<ref>ac はα系・π系写本の記述で、ρ系写本では aut となっている。</ref> turpiter factum celari poterat,
**立派な行為または見苦しい行為も隠されることができなかったので、
*utrosque et laudis cupiditas et timor ignominiae ad virtutem excitabant<ref>excitabant はB・M・L・N・R写本などの記述で、χ系・B・S・π系・U写本などでは excitabat となっている。</ref>.
**賞賛への功名心も、不名誉への恐れも、双方を武勇へと駆り立てた。
*⑥ Cum a meridie prope ad solis occasum dubia victoria pugnaretur,
**正午から、ほぼ日没の頃まで、勝利が不確実なまま戦われていたときに、
*Germani una in parte confertis turmis
**ゲルマニア人たちが、騎兵部隊を一か所に密集させて、
*in hostes impetum fecerunt eosque propulerunt;
**敵方に突撃を行ない、彼ら(ガッリア騎兵)を駆逐した。
*⑦ quibus in fugam coniectis
**その者たち(ガッリア騎兵)は逃亡に追いやられて、
*sagittarii circumventi interfectique sunt.
**弓兵たちは包囲されて殺戮された。
*⑧ Item ex reliquis partibus nostri cedentes usque ad castra insecuti
**我が方(ローマ勢)の残りの部隊も、撤退する(ガッリア騎兵の)者たちを陣営のところまで追撃して、
*sui colligendi facultatem non dederunt.
**立ち直る機会を与えなかった。
*⑨ At ii qui ab [[w:la:Alesia|Alesia]] processerant,
**そして、[[w:アレシア|アレスィア]]から進み出ていた者たちは、
*maesti prope victoria desperata se in oppidum receperunt.
**ほとんど絶望的な勝利に悲嘆して、城塞都市に退却した。
===81節===
'''ガッリア来援軍と籠城軍がローマ陣地に夜襲をしかける'''
*① Uno die intermisso Galli
**ガッリア人たちは一日を間に置いて、
*atque hoc spatio magno cratium, scalarum, harpagonum numero effecto
**この間に、多数の柴、[[w:梯子|梯子]]、鉤竿を調達して、
*media nocte silentio ex castris egressi
**真夜中に静けさのうちに陣営から進発して、
*ad campestres munitiones accedunt.
**平地の(ローマ勢の)塁壁の辺りへ近づいた。
*② Subito clamore sublato, qua significatione
**突然に雄叫びを上げて、それを合図として、
*qui in oppido obsidebantur de suo adventu cognoscere possent,
**[[w:オッピドゥム|城塞都市]]の中に包囲されている者たちが、自分たちの到来について認識できるようにした。
*crates proicere, fundis, sagittis, lapidibus nostros de vallo proturbare
**柴を投げ込み、投石器で、矢で、石でもって我が方(ローマ勢)を防柵から追い出すこと、
*reliquaque quae ad oppugnationem pertinent parant administrare.
**(塁壁の)攻略のために役立つほかのことに従事すること、を目論んだ。
*③ Eodem tempore clamore exaudito
**同時に(来援軍の)雄叫びを聞き取って、
*dat tuba signum suis [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] atque ex oppido educit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、麾下の者たちにラッパで指図を与えて、城塞都市から進発させた。
*④ Nostri, ut superioribus diebus, suus cuique<ref>suus cuique はβ系写本の記述で、χ系・B・M・S写本では ut cuique となっている。</ref> erat locus attributus, ad munitiones accedunt;
**我が方(ローマ勢)は、以前の日々に、おのおのの部署が割り当てられており、塁壁のところへ近寄った。
*fundis librilibus sudibusque, quas in opere disposuerant, ac glandibus Gallos proterrent.
**堡塁に分配されていたポンド投石器や杭、並びに玉によって、ガッリア人たちを追い払った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:librilis funda「ポンド投石器」;古代ローマの1ポンド [[w:la:Libra pondus|libra]] は約327グラム<ref>[[w:en:Ancient Roman units of measurement#Weight]]を参照。</ref>。)</span>
*⑤ Prospectu tenebris adempto multa utrimque vulnera accipiuntur.
**眺望が暗闇により奪われて、双方が多くの傷を蒙った。
*Complura tormentis tela coniciuntur.
**かなり多くの飛び道具が(巻上式)投石機によって投じられた。
*⑥ At [[w:la:Marcus Antonius|M.(Marcus) Antonius]] et [[w:la:Gaius Trebonius|C.(Gaius) Trebonius]] legati,
**[[w:マルクス・アントニウス|マルクス・アントニウス]]と[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]] [[w:レガトゥス|両副官]]は、
*quibus hae partes ad defendendum obvenerant,
**この方面を防衛するために割り当てられていたが、
*qua ex parte nostros premi intellexerant,
**我が方(ローマ勢)が押されぎみであると見なした一帯のために、
*his auxilio ex ulterioribus castellis deductos submittebant.
**この者たちを支援するために、向こう側の砦から引き出した者たちを(援兵として)派遣した。
===82節===
'''アレスィア内外のガッリア勢が障害物に阻まれて退く'''
*① Dum longius ab munitione aberant Galli,
**ガッリア人たちは(ローマ勢の)塁壁から遠くに離れていた間は、
*plus multitudine telorum proficiebant;
**飛び道具の多さによって、前進していた。
*posteaquam propius successerunt,
**(塁壁の方へ)さらに近くに進入して来た後では、
*aut se ipsi<ref>ipsi はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> stimulis inopinantes induebant
**あるいは、思いがけず自ら「刺」に陥り、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:stimulus「刺」については、[[#73節|73節]]⑨項を参照。)</span>
*aut in scrobes delati transfodiebantur
**あるいは、穴に陥落して(「百合」で)突き刺されたり、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「穴」と「百合」については、[[#73節|73節]]⑤~⑧項を参照。)</span>
*aut ex vallo ac turribus traiecti pilis muralibus interibant.
**あるいは、防柵や櫓から[[w:ピルム・ムーリアリス|防壁槍]]で射抜かれて逝った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:防壁槍については、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]を参照。)</span>
*② Multis undique vulneribus acceptis
**(ガッリア勢は)至る所で多くの傷を負ったが、
*nulla munitione perrupta,
**どの(ローマ側の)塁壁も突破されなかった。
*cum lux appeteret,
**<ruby><rb>暁光</rb><rp>(</rp><rt>ぎょうこう</rt><rp>)</rp></ruby>が(空を)染めたとき、
*veriti ne ab latere aperto ex superioribus castris eruptione circumvenirentur,
**開けた側面から、(ローマ勢の)高所の陣営からの突撃によって包囲されないようにと怖れて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:開けた側面とは、盾で守られていない右側のこと。)</span>
*se ad suos receperunt.
**味方のところへ退却した。
*③ At interiores
**それに対して、(アレスィア攻囲の)内側の者たちは、
*dum ea quae a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] ad eruptionem praeparata erant<ref>praeparata erant は、写本(ω)ではpraeparaverant だが、このように修正提案されている。あるいは、a Vercingetorige が削除提案されている。</ref> proferunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]により、突撃のために準備していたものを運び出して
*priores fossas explent,
**一番前の堀を埋めている間に、
*diutius in his rebus administrandis morati
**これらの事に従事することに、より長く妨げられて、
*prius suos discessisse cognoverunt quam munitionibus adpropinquarent.
**塁壁に近づくよりも前に味方(=来援軍)が退去したことを知ったのだ。
*Ita re infecta in oppidum reverterunt.
**こうして、事は達成されていないものの、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に引き返した。
===83節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが兵6万を率いて急所の丘へ向かう'''
*① Bis magno cum detrimento repulsi Galli
**大きな損害とともに二度も撃退されたガッリア人たちは、
*quid agant consulunt;
**何をなすべきかを協議した。
*locorum peritos adhibent;
**(その)土地に熟知した者たちを招いた。
*ex his superiorum castrorum situs munitionesque cognoscunt.
**この者たちから、(ローマ勢の)高いところの陣営の位置や塁壁を調べ上げた。
*② Erat a septentrionibus collis,
**(アレスィアの)北方に丘陵があって、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:これは現在のレア山 le Mont Réa であると思われ、山頂にはメネルー=ル=ピトワ村<ref>[[w:fr:Ménétreux-le-Pitois]]や[http://maps.google.fr/maps?f=q&hl=fr&geocode=&q=m%C3%A9n%C3%A9treux+le+pitois&sll=42.423457,8.789063&sspn=23.611541,40.957031&ie=UTF8&t=h&hq=&hnear=M%C3%A9n%C3%A9treux-le-Pitois,+C%C3%B4te-d'Or,+Bourgogne&ll=47.55475,4.460106&spn=0.018507,0.010042&z=15 Google map]などを参照。</ref>がある。)</span>
*quem propter magnitudinem circuitus
**その周囲の大きさのために、
*opere circumplecti non potuerant nostri,
**我が方(ローマ勢)は、堡塁により囲い込むことができずにいた。
*necessarioque<ref>-que はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> paene iniquo loco et leniter<ref>leniter はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では leviter となっている。</ref> declivi castra fecerunt<ref>fecerunt はα系写本の記述で、β系写本では fecerant となっている。</ref>.
**やむをえず、ほとんど不利でゆるやかに傾斜した地点に陣営を造った。
*③ Haec C.(Gaius) Antistius Reginus et C.(Gaius) Caninius Rebilus legati
**これを、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌスとガイウス・カニニウス・レビルス [[w:レガトゥス|両副官]]が
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]で既出。[[#90節|90節]]で後出。)</span>
*cum duabus legionibus obtinebant.
**2個軍団とともに占めていた。
*④ Cognitis per exploratores regionibus duces hostium
**敵方の将帥たちは、偵察者たちを通じて一帯を調べ上げて、
*LX(sexaginta) milia ex omni numero deligunt
**総員のうちから6万名を選抜した。
*earum civitatum quae maximam virtutis opinionem habebant;
**武勇において大きな評判を得ている部族のうち(から選抜した)。
*⑤ quid quoque pacto agi placeat, occulte inter se constituunt;
**何が、どんな方法で行なわれるのがよいか、互いに密かに取り決めた。
*adeundi tempus definiunt, cum meridie<ref>meridie は中世の写本(ω)の記述であるが、近世の写本(ς)では meridies となっている。</ref> esse videatur.
**正午であると思われる頃を突撃する時と定めた。
*⑥ His copiis Vercassivellaunum Arvernum,
**この軍勢を、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌス、
*unum ex quattuor ducibus, propinquum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigis]], praeficiunt.
**(すなわち)4人の将帥たちの1人で、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]の親族である者に、指揮させた。
*⑦ Ille ex castris prima vigilia egressus
**彼(ウェルカッスィウェッラウヌス)は、陣営から第一夜警時に進発して、
*prope confecto sub lucem itinere
**夜明け前にほぼ行軍が成し遂げられて、
*post montem se occultavit
**山の後ろに身を隠して、
*militesque ex nocturno labore sese reficere iussit.
**兵士たちに夜間の疲労を回復しておくことを命じた。
*⑧ Cum iam meridies adpropinquare videretur,
**すでに正午に近付いていると思われたときに、
*ad ea castra, quae supra demonstravimus, contendit;
**前に述べた陣営のところへ急いだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:本節②項を参照。)</span>
*eodemque tempore equitatus ad campestres munitiones accedere
**同時に(ガッリア来援軍の)[[w:騎兵隊|騎兵隊]]が平地の(ローマ勢の)塁壁のところへ近付き、
*et reliquae copiae pro castris sese ostendere coeperunt.
**残りの軍勢が陣営の前に姿を現わし始めた。
===84節===
'''ウェルキンゲトリークスらアレスィア籠城軍も善戦する'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ex arce [[w:la:Alesia|Alesiae]] suos conspicatus ex oppido egreditur;
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は、[[w:アレシア|アレスィア]]の高台から味方を望見して、[[w:オッピドゥム|城塞都市]]から進発した。
*a castris<ref>a castris はβ系写本の記述で、α系写本では単に castris となっている。</ref>, longurios, musculos, falces
**陣営から、長い竿、小屋、破城鎌や、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
*reliquaque quae eruptionis causa paraverat profert.
**(塁壁を)突破するために準備していたほかのものを運び出した。
*② Pugnatur uno tempore omnibus locis atque omnia temptantur;
**一時にあらゆる場所で戦われて、あらゆることが試みられた。
*quae minime visa pars firma est, huc concurritur.
**あまり堅固ではないと思われる部分、ここへ襲いかかった。
*③ Romanorum manus tantis munitionibus distinetur
**ローマ人の手勢は、これほどの(長大な)塁壁により離して置かれていて、
*nec facile pluribus locis occurrit.
**より多くの場所には容易に駆け付けられなかった。
*④ Multum ad terrendos nostros valet clamor qui post tergum pugnantibus exstitit,
**戦っている者たちの背後で生じた雄叫びは、我が方(ローマ勢)を怖れさせるために大いに力があった。
*quod suum periculum in aliena vident virtute<ref>virtute「武勇」 はβ系写本の記述で、α系写本では salute「安全」 となっている。</ref> constare;
**というのは、自分たち(ローマ勢)の危険が他人(ガッリア勢)の武勇に依拠していると思ったから。
*omnia enim plerumque, quae absunt, vehementius hominum mentes perturbant.
**なぜなら(そこに)不在であるものすべてはたいてい、人間の心を激しく混乱させるものであったからである。
===85節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが急所の丘を攻める'''
*① Caesar idoneum locum nactus
**カエサルは適当な場所を得て,
*quid quaque in<ref>quaque in はβ系写本の記述で、α系写本では qua ex となっている。</ref> parte geratur cognoscit;
*何が各方面でなされているのかを認識した。
*laborantibus submittit.
**苦戦している者たちに(援兵を)派遣した。
*② Utrisque ad animum occurrit unum esse illud tempus, quo maxime contendi conveniat:
**双方にとって、最も雌雄を決するべきはこの時のみであるということが、心に生じた。
*③ Galli, nisi perfregerint munitiones, de omni salute desperant;
**ガッリア人たちは、(ローマ人の)塁壁を突破しない限り、あらゆる身の安全に絶望することになる。
*Romani, si rem obtinuerint, finem laborum omnium exspectant.
**ローマ人は、もし事を成就したら、すべての労苦の終わるということを期待した。
*④ Maxime ad superiores munitiones laboratur, quo [[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunum]] missum demonstravimus.
**ウェルカッスィウェッラウヌスが派遣されたと既述した、より高い塁壁の辺りで(ローマ勢は)とりわけ苦戦した。
*Iniquum loci ad declivitatem fastigium magnum habet momentum.
**けわしい地形の不利な傾斜が(ローマ勢にとって)大きな影響力を持った。
*⑤ Alii tela coniciunt, alii testudine facta subeunt;
**(ガッリア勢の)ある者は飛び道具を投げやって、ある者は[[w:テストゥド|亀甲陣形]]を形成して突き進んだ。
*defatigatis invicem integri succedunt.
**疲労させられた者たちに対しては、新手の者たちが交代した。
*⑥ Agger ab universis in munitionem coniectus
**土が総勢により(ローマ人の)塁壁に投じられて、
*et ascensum dat Gallis
**ガッリア人たちに登り道を与えもしたし、
*et ea, quae in terra occultaverant Romani, contegit;
**ローマ人たちが地中に隠しておいたもの(障害物)を埋め込んでしまった。
*nec iam arma nostris nec vires suppetunt.
**我が方(ローマ勢)には、もはや武器も活力も十分になかった。
===86節===
'''危急存亡の秋、両軍の苦闘'''
*① His rebus cognitis
**これらの事態を知って、
*Caesar [[w:la:Titus Labienus|Labienum]] cum cohortibus sex subsidio laborantibus mittit;
**カエサルは、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を6個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに援兵として苦戦している者たちへ派遣した。
*② imperat, si sustinere non possit<ref>possit はχ系・B・M・S・β系写本の記述で、L・N写本では posset となっている。</ref>, deductis cohortibus eruptione pugnaret<ref>pugnaret はα系写本の記述で、β系写本では pugnet となっている。</ref>;
**もし(塁壁の防衛が)持ちこたえられなかったならば、諸大隊を引率して突撃によって戦うように、と命令していた。
*id nisi necessario ne faciat.
**それは、やむをえないのでなければ行なわないように(と命じていた)。
*③ Ipse adit reliquos, cohortatur ne labori succumbant;
**(カエサル)自身は、ほかの者たちを訪れて、労苦に屈服しないようにと鼓舞した。
*omnium superiorum dimicationum fructum in eo die atque hora docet consistere.
**これまでのあらゆる奮闘の結実がこの日、この時にかかっていることを説いた。
*④ Interiores desperatis campestribus locis propter magnitudinem munitionum
**(アレスィアに包囲されている)内側の者たちは、塁壁の大規模さのために、平坦な地点(での突破)を断念して、
*loca praerupta ex ascensu temptant;
**けわしい場所を登り坂から攻撃してみた。
*huc ea quae paraverant conferunt.
**ここに、準備していたものを運び集めた。
*⑤ Multitudine telorum ex turribus propugnantes deturbant,
**たくさんの飛び道具によって、防戦している者たちを櫓から駆逐した。
*aggere et cratibus fossas explent,
**土砂や柴で堀を埋めて、
*falcibus vallum ac loricam rescindunt.
**破城鎌によって防柵や胸壁を切り裂いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
===87節===
'''カエサルの救援、ラビエーヌスの作戦'''
*① Mittit primo<ref>primo はφ系・ρ系写本の記述で、χ系・π系写本では primum となっている。</ref> [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Brutum adulescentem]] cum cohortibus Caesar,
**カエサルは、初めに[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|青年ブルトゥス]]を諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに派遣して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:デキムス・ブルトゥスには[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]で艦隊を、本巻[[#9節|9節]]②項では騎兵隊を指揮させている。)</span>
*post cum aliis C.(Gaium) Fabium legatum;
**後に副官のガイウス・ファビウスをほかの隊とともに(派遣した)。
*postremo ipse, cum vehementius pugnaretur,
**最後には(カエサル)自身が、激しく戦われていたので、
*integros subsidio adducit.
**新手の者たちを援兵として率いて行った。
*② Restituto proelio ac repulsis hostibus
**戦況が回復され、敵方が撃退されると、
*eo quo Labienum miserat contendit;
**ラビエーヌスを派遣していたところに急いだ。
*cohortes IIII(quattuor) ex proximo castello deducit,
**近隣の砦から4個歩兵大隊を引き出して、
*equitum partem se<ref>se はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sequi,
**[[w:騎兵|騎兵]]のある一部には、自らに随行することを、
*partem circumire exteriores munitiones et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tergo hostes adoriri iubet.
**別の一部には、外側の塁壁を取り囲んで、敵方を背後から襲撃することを命じた。
*③ Labienus, postquam neque aggeres neque fossae vim hostium sustinere poterant,
**ラビエーヌスは、土塁も堀も敵方の武力に持ちこたえることができなかった後で、
*coactis una XL(quadraginta) cohortibus, quas ex proximis praesidiis deductas fors obtulit,
**近隣の宿営地から、はからずも引き出しておいた40個歩兵大隊を集結させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は、写本によって異なり、モイゼルらは undecim「11個」と提案している。)</span>
*Caesarem per nuntios facit certiorem, quid faciendum existimet.
**何がなされるべきと考えたのかを、カエサルに伝令を通じて報告した。
*Accelerat Caesar, ut proelio intersit.
**カエサルは、戦闘(の場)に居合わせるように急いで行った。
===88節===
'''雌雄決し、ガッリア来援軍が敗走'''
*① Eius adventu ex colore vestitus cognito, quo insigni in proeliis uti consuerat,
**彼(カエサル)の到来が、(彼が)戦闘において目印として用いるのが常であった衣服の色から認識され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、真紅の外套を着用していたようである。)</span>
*turmisque equitum et cohortibus visis quas se sequi iusserat,
**(カエサルが)自らに随行することを命じていた諸<ruby><rb>[[w:騎兵|騎兵]]小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>や諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が望見されて、
*ut de locis superioribus haec declivia et devexa cernebantur,
**(ウェルカッスィウェッラウヌスらが派遣された)高地から、これらの斜面や急坂が見分けられたので、
*hostes proelium committunt.
**敵方(ガッリア勢)は戦端を開いた。
*② Utrimque clamore sublato
**(ガッリア来援軍とアレスィア籠城軍の)双方から雄叫びが上げられて、
*excipit rursus ex vallo atque omnibus munitionibus clamor.
**さらに、防柵やすべての塁壁から(ローマ勢の)雄叫びが続いた。
*Nostri omissis pilis gladiis rem gerunt.
**我が方(ローマ勢)は<ruby><rb>[[w:ピルム|投槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピルム</rt><rp>)</rp></ruby>を放棄して、<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby>で合戦した。
*③ Repente post tergum equitatus cernitur;
**不意に(ガッリア勢の)背後に(ローマ勢の)騎兵隊が見分けられた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:87節②項で、カエサルは騎兵隊に外壁を迂回して敵を背後から襲撃するように命じていた。)</span>
*cohortes aliae adpropinquant.
**別の諸<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>も接近して来た。
*Hostes terga vertunt;
**敵方(ガッリア勢)は、(ローマ勢に)背を向けた。
*fugientibus equites occurrunt.
**逃げる者たち(ガッリア勢)を(ローマ勢の)騎兵たちが追撃した。
*Fit magna caedes.
**大虐殺が起こった。
*④ Sedullus, dux et princeps Lemovicum, occiditur;
**レモウィケス族の将帥で領袖であるセドゥッルスが斃された。
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunus]] Arvernus vivus in fuga comprehenditur;
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]のウェルカッスィウェッラウヌスは逃亡中に生きたまま捕らえられた。
*signa militaria LXXIIII(septuaginta quattuor) ad Caesarem referuntur;
**(ガッリア勢の)74本の軍旗がカエサルのところへ運んで来られた。
*pauci ex tanto numero se incolumes<ref>se incolumes はα系写本の記述で、β系写本では incolumes se となっている。</ref> in castra recipiunt.
**これほどの兵数のうち、わずかな者たち(だけ)が無傷のまま陣営に退却した。
*⑤ Conspicati ex oppido caedem et fugam suorum
**(アレスィアの)[[w:オッピドゥム|城塞都市]]から味方の虐殺や逃亡を視認した者たちは、
*desperata salute copias a munitionibus reducunt.
**身の安全に絶望して、軍勢を塁壁から(城塞都市に)呼び戻した。
*⑥ Fit protinus hac re audita ex castris Gallorum fuga.
**この事態が聞かれるとただちに、(来援に来ていた)ガッリア人たちの陣営から逃亡が生じた。
*Quodnisi crebris subsidiis ac totius diei labore milites essent defessi,
**もし、たびたびの(味方への)支援や一日中の働きにより兵士たちが疲れ果てていなかったならば、
*omnes hostium copiae deleri potuissent.
**敵方(ガッリア来援軍)の全軍勢が壊滅させられることが可能であっただろう。
*⑦ De media nocte missus equitatus novissimum agmen consequitur;
**真夜中の頃に、派遣されていた(ローマ勢の)騎兵隊が(ガッリア勢の)後衛に追いついて、
*magnus numerus capitur atque interficitur;
**(ガッリア勢の)大多数が捕らえられ、かつ殺戮された。
*reliqui ex fuga in civitates discedunt.
**(ガッリア来援軍の)残りの者たちは、逃亡して諸部族のところに逃げのびた。
==ガッリア同盟軍主力の降伏==
===89節===
[[画像:Vercingétorix se rend à César 1886 HPMotte.jpg|thumb|right|330px|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリークス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。]]
[[画像:Lionel Royer - Vercingetorix Throwing down His Weapons at the feet of Julius Caesar.jpg|thumb|right|330px|「ウェルキンゲトリークスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。]]
[[画像:Coin_Vercingetorix.jpg|thumb|right|300px|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリークスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガッリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。]]
'''ウェルキンゲトリークスとアレスィア籠城軍の降伏'''
*① Postero die [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] concilio convocato
**(来援軍が敗走した)翌日に、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]は会合を召集して、
*id bellum se suscepisse<ref>se suscepisse はα系写本の記述で、β系写本では suscepisse se となっている。</ref>
**この戦争を引き受けたことは
*non suarum necessitatum<ref>necessitatum はχ系・S・L・N・β系写本の記述で、B・M写本では necessitatium となっている。</ref>, sed communis libertatis causa demonstrat,
**自らの(野心の)必要性からではなく、(ガッリア)共通の自由のためだ、と明言した。
*② et quoniam sit fortunae cedendum,
**運命には従うべきものなのであるから、
*ad utramque rem se illis offerre,
**(敗軍の将として、以下の)どちらの事にも、自ら(の処遇)を彼ら(ガッリア人たち)に委ねよう。
*seu morte sua Romanis satisfacere
**あるいは(ウェルキンゲトリークス)自らの死によってローマ人たちに償うこと(を欲する)にせよ、
*seu vivum tradere velint.
**あるいは生きたまま(ローマ人たちに)引き渡すことを欲するにせよ、と。
*③ Mittuntur de his rebus ad Caesarem legati.
**これらの事柄について、カエサルのところへ使節たちが遣わされた。
*Iubet arma tradi, principes produci.
**(カエサルは)武器が引き渡されること、領袖たちが連行されて来ることを命じた。
*④ Ipse in munitione pro castris consedit;
**(カエサル)自身は、陣営の前の塁壁のところに腰掛けた。
*eo duces producuntur.
**そこに(アレスィアに籠城していた)将帥たちが連行されて来た。
*Vercingetorix deditur, arma proiciuntur.
**ウェルキンゲトリークスが引き渡されて、武器が投げ捨てられた。
*⑤ Reservatis [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque Arvernis,
**(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]](の将兵たち)を保持しておいた。
*si per eos civitates reciperare<ref>reciperare はχ系・B<sup>1</sup>・S・U写本の記述で、B<sup>c</sup>・M・L・N・π系・R写本では recuperare となっている。</ref> posset,
**彼らによって両部族国家を(同盟国として)回復できないだろうかと(考えたのだ)。
*ex reliquis captivis toto exercitui capita singula praedae nomine distribuit.
**残りの(諸部族の)捕虜たちから、全軍(のローマ人)に一名ずつを戦利品という名目で分配した。
===90節===
[[画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|thumb|right|300px|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥーヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。]]
[[画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|thumb|right|300px|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。]]
'''ハエドゥイー族とアルウェルニー族の降伏、諸軍団の冬営'''
*① His rebus confectis in [[w:la:Haedui|Haeduos]] proficiscitur;
**これらの事が成し遂げられて、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]のところに出発した。
*civitatem recipit.
**同部族を(同盟国として)回復した。
*② Eo legati ab Arvernis missi:
**そこに、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]から使節たちが遣わされて来て、
*quae imperaret, se facturos pollicentur.
**自分たちは(カエサルが)命令したことを行なうであろう、と約束した。
*Imperat magnum numerum obsidum.
**(カエサルは)多数の人質(の供出)を命令した。
*③ Legiones in hiberna mittit.
**(カエサルは)諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を冬営地に派遣した。
*Captivorum circiter XX(viginti) milia Haeduis Arvernisque reddit.
**捕虜たち約2万人をハエドゥイー族とアルウェルニー族に返還した。
*④ [[w:la:Titus Labienus|T.<small>(Titum)</small> Labienum]] duabus cum<ref>duabus cum はχ系・B・M・S写本の記述で、L・N・β系写本では cum duabus となっている。</ref> legionibus et equitatu in Sequanos proficisci iubet;
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]]を2個軍団および[[w:騎兵|騎兵隊]]とともにセクアニ族のところに出発することを命じた。
*huic M.<small>(Marcum)</small> Sempronium Rutilum attribuit.
**彼には、マルクス・[[w:センプロニウス氏族|センプロニウス]]・ルティルスを付属させた。
*⑤ C.<small>(Gaium)</small> Fabium legatum et L.<small>(Lucium)</small> Minucium Basilum cum legionibus duabus in Remis conlocat,
**副官 ガーイウス・ファビウスとルキウス・ミヌキウス・バスィルスを2個軍団とともにレーミー族のところに配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:バスィルスは[[ガリア戦記 第6巻#29節|第6巻29節]]で騎兵隊を指揮した。)</span>
*ne quam ab<ref>ab はφ系写本の記述で、χ系・β系写本では a となっている。</ref> finitimis Bellovacis calamitatem accipiant.
**(レーミー族が)近隣のベッロウァキ族から何らかの災禍を蒙らないようにしたのである。
*⑥ C.<small>(Gaium)</small> Antistium Reginum in Ambivaretos,
**ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌスをアンビウァレティ族のところに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]、[[#83節|本巻83節]]で既出。)</span>
*T.<small>(Titum)</small> Sextium in Bituriges,
**ティトゥス・セクスティウスをビトゥリゲース族のところに、
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] も[[ガリア戦記_第6巻#1節|第6巻1節]]で既出。第6巻の年からカエサルの副官、<br> [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)
*C.<small>(Gaium)</small> Caninium Rebilum in Rutenos cum singulis legionibus mittit.
**ガーイウス・カニニウス・レビルスをルテーニー族のところに、それぞれ1個軍団とともに派遣した。
*⑦ [[w:la:Quintus Tullius Cicero|Q.<small>(Quintum)</small> Tullium Ciceronem]] et P.<small>(Publium)</small> Sulpicium
**[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィーントゥス・トゥッリウス・キケロー]]とプーブリウス・スルピキウス(・ルーフス)を
**:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:カエサルの副官 ''[[w:en:Sulpicia_gens#Sulpicii_Rufi|Publius Sulpicius Rufus]] は、<br> [[ガリア戦記_第4巻#22節|第4巻22節]]で既述。[[内乱記_第1巻#74節|『内乱記』第1巻74節]]でも言及される。<br> [[w:紀元前48年|BC48年]]に[[w:プラエトル|法務官]]、[[w:紀元前42年|BC42年]]に[[w:ケンソル|監察官]]に任官する。)</span>
*[[w:la:Cabillonum|Cavilloni]]<ref>Cavilloni はβ系写本の記述で、α系写本などでは Cabilloni となっている。</ref> et [[w:la:Matisco|Matiscone]] in Haeduis ad Ararim rei frumentariae causa conlocat.
**ハエドゥイー族のところのアラル川沿いのカウィッロヌムとマティスコに、糧秣調達のために配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌムは現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]、マティスコは現在の[[w:マコン|マコン]]。)</span>
*Ipse [[w:la:Bibracte|Bibracte]] hiemare constituit.
**(カエサル)自身は、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]で冬営することを決めた。
*⑧ His litteris<ref>his litteris「これらが書簡により(知られると)」はα系写本の記述で、β系写本では huius anni rebus「この年の事績が(知られると)」と異なっており、huius anni rebus <ex Caesaris> litteris「この年の事績が<カエサルの>書簡により(知られると)」 などと修正提案されている。」</ref> cognitis Romae dierum viginti supplicatio redditur.
**これらが(カエサルの)書簡により知られると、ローマで20日間の感謝祭が許された。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#35節|第2巻35節]]では、かつてない15日間の感謝祭が決議されたが、今回はそれを超えるものであった。)</span>
----
*<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第7巻」了。「[[ガリア戦記 第8巻]]」へ続く。</span>
==脚注==
<references />
==参考リンク==
'''ウィキペディア英語版など'''
*'''[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]'''('''[[w:Category:ガリアの部族|Category:ガリアの部族]]''')- [[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise|fr:Catégorie:Personnalité gauloise]]
**[[w:en:Allobroges|Allobroges]](アッロブロゲス族)
**'''[[w:en:Arverni|Arverni]]'''('''[[w:アルウェルニ族|アルウェルニー族]]''')
**:'''[[w:en:Vercingetorix|Vercingetorix]]'''('''[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercingetorix|la:Vercingetorix]]</span>'''
**:[[w:fr:Celtillos|fr:Celtillos]](ケルティッルス);ウェルキンゲトリークスの父
**:[[w:fr:Gobannitio|fr:Gobannitio]](ゴバンニティオ);ウェルキンゲトリークスのおじ
**:[[w:en:Vercassivellaunos|Vercassivellaunos]](ウェルカッスィウェッラウヌス) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercassivellaunus|la:Vercassivellaunus]]</span>
**:Critognatus(クリトグナトゥス)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Critognatus|la:Critognatus]]</span>
**[[w:en:Atrebates|Atrebates]](アトレバテス族)
**:[[w:en:Commius|Commius]]([[w:コンミウス|コンミウス]]):ガッリアとブリタンニアにおけるアトレバテス族の王
**[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]])- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Haedui|la:Haedui]]</span>''';ガッリア中部の有力部族 - [[w:fr:Éduens|fr:Éduens]] <[[w:fr:Catégorie:Éduens|fr:Catégorie:Éduens]]
**:[[w:en:Convictolitavis|Convictolitavis]](コンウィクトリタウィス)- [[w:fr:Convictolitavis|fr:Convictolitavis]]
**:[[w:fr:Cotos|fr:Cotos]](コトゥス)
**:[[w:fr:Litaviccos|fr:Litaviccos]](リタウィックス)
**:エポレドリクス - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Eporedorix|la:Eporedorix]]</span>
**:ウィリドマルス
**[[w:en:Andes (Andecavi)|Andes (Andecavi)]](アンデス族);現在の[[w:アンジェ|アンジェ]](Angers)周辺の部族
**[[w:en:Aulerci|Aulerci]](アウレルキ族);現在のフランス北西部に居住していた部族連合
**[[w:en:Bellovaci|Bellovaci]](ベッロウァキ族)
**[[w:en:Bituriges|Bituriges]](ビトゥリゲース族);現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)周辺の部族。[[#5節|5節]]でガッリア同盟軍に寝返る。
**[[w:en:Boii|Boii]](ボイイ族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Boii|la:Boii]]</span>;[[w:ボヘミア|ボヘミア]]([[w:la:Bohemia|la:Bohemia]])から移住してきた部族
**Cadurci(カドゥルキー族);現在の[[w:カオール|カオール]](Cahors)周辺の部族 - [[w:fr:Cadurques|fr:Cadurques]]
**:[[w:en:Lucterius|Lucterius]](ルクテリウス);カドゥルキー族の指導者、[[#5節|5節]]を参照。
**[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌーテース族);現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)周辺の部族
**[[w:en:Gabali|Gabali]](ガバリ族)
**Haedui ⇒ Aedui
**[[w:en:Helvii|Helvii]](ヘルウィイ族);ガッリア南部にいたローマの同盟部族
**[[w:en:Lemovices|Lemovices]](レモウィケス族);現在の[[w:リモージュ|リモージュ]](Limoges)周辺の部族
**:[[w:en:Sedullos|Sedullos]](セドゥッルス Sedullus);レモウィケス族の将帥・領袖
**[[w:en:Lingones|Lingones]](リンゴネス族)- [[w:fr:Lingons|fr:Lingons]];現在のラングル([[w:en:Langres|Langres]])周辺の部族
**[[w:en:Mandubii|Mandubii]](マンドゥビイ族);[[w:アレシア|アレスィア]]周辺にいた部族
**Nitiobroges(ニティオブロゲス族)- [[w:fr:Nitiobroges|fr:Nitiobroges]]
**:[[w:fr:Ollovico|fr:Ollovico]](オッロウィコ);ローマ元老院から友人と呼ばれた王
**:[[w:fr:Teutomatos|fr:Teutomatos]](テウトマトゥス);王で、オッロウィコの子
**[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィイ族]]);現在の[[w:パリ|パリ]]周辺の部族
**[[w:en:Pictones|Pictones]](ピクトネス族);現在の[[w:ポワチエ|ポワティエ]](Poitiers)周辺の部族
**[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族)
**[[w:en:Ruteni|Ruteni]](ルテーニー族)
**[[w:en:Segusiavi|Segusiavi]](セグスィアウィ族)
**[[w:en:Senones|Senones]](セノネース族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Senones|la:Senones]]</span>;現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]](Sens)周辺の部族
***[[w:en:Acco|Acco]](アッコー)
**[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族)
**[[w:en:Treveri|Treveri]](トレウェリ族)
**[[w:en:Turones|Turones]](トゥロニ族/トゥロネス族);現在の[[w:トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]](Tours)周辺の部族
**[[w:en:Volcae|Volcae]](ウォルカエ族)
*<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Germani|la:Germani]]</span>(ゲルマニア人)
*'''ガッリアの地名''' - '''[[w:la:Categoria:Urbes Franciae|la:Categoria:Urbes Franciae]]'''(フランスの都市)
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Agedincum|la:Agedincum]]</span>(アゲディンクム);現在の[[w:サンス|サンス]]([[w:en:Sens|Sens]])
**[[w:en:Alesia_(city)|Alesia (city)]]([[w:アレシア|アレスィア]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesia|la:Alesia]]</span>:現在のアリーズ=サント=レーヌ([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|fr:Alise-Sainte-Reine]])
**:'''[[w:en:Battle_of_Alesia|Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesiae_pugna|la:Alesiae pugna]]</span>'''
**[[w:en:Avaricum|Avaricum]] ⇒ [[w:en:Bourges|Bourges]](アウァーリクム - 現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Avaricum_Biturigum|la:Avaricum Biturigum]]</span>
**[[w:en:Bibracte|Bibracte]]([[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Bibracte|la:Bibracte]]</span>:[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]の首邑。現在のボーヴレ山([[w:fr:Mont_Beuvray|fr:Mont Beuvray]])の山頂に位置していた。
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Cabillonum|la:Cabillonum]]</span>(カビッロヌム/カウィッロヌム)- 現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]([[w:fr:Chalon-sur-Saône|fr:Chalon-sur-Saône]])
**[[w:en:Cenabum|Cenabum]](ケナブム)- 現在の[[w:オルレアン|オルレアン]] - [[w:fr:Cenabum|fr:Cenabum]]
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decetia|la:Decetia]]</span>(デケティア)- [[w:en:Decize|en:Decize]] - 現在のドスィーズ(ドシーズ)([[w:fr:Decize|fr:Decize]])
**[[w:en:Gergovie|Gergovie]](ゲルゴウィア)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gergovia|la:Gergovia]]</span>
**:'''[[w:en:Battle of Gergovia|Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Obsidio Gergoviensis|la:Obsidio Gergoviensis]]</span>'''
**[[w:en:Gorgobina|Gorgobina]](ゴルゴビナ);ボイイ族が定住した城塞都市。現在のサン=パリズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])またはラ・ゲルシュ([[w:en:La Guerche|La Guerche]])
**'''[[w:en:Lutetia|Lutetia]]'''('''[[w:ルテティア|ルテティア]]'''/ルテキア);[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の首邑、現在の[[w:パリ|パリ市]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Lutetia|la:Lutetia]]</span>
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Matisco|la:Matisco]]</span>(マティスコ);現在の[[w:マコン|マコン]](Mâcon)
**Metlosenum(メトロセドゥム/メティオセドゥム/メロドゥーヌム);現在の[[w:ムラン|ムラン]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Melodunum|la:Melodunum]]</span>
**[[w:en:Narbonne|Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]];ラテン名ナルボ)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Narbo|la:Narbo]]</span>;ガッリア南部・地中海岸のローマの拠点
**[[w:en:Noviodunum|Noviodunum]](ノウィオドゥーヌム)- 現在のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])と推定されている。従来はローヌ川沿いの[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])が有力だった
**[[w:en:Vellaunodunum|Vellaunodunum]](ウェッラウノドゥーヌム)- [[w:fr:Vellaunodunum|fr:Vellaunodunum]];現在のモンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])やボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])、シャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などと推定されている
**[[w:en:Vienne, Isère|Vienne, Isère]](ヴィエンヌ;ラテン名ウィエンナ)- [[w:la:Vienna|la:Vienna]]
*'''ガッリアの地形'''
**Cevenna(ケウェンナ山地):現在のセヴェンヌ山地([[w:fr:Cévennes|fr:Cévennes]]・[[w:en:Cévennes|Cévennes]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Elaver|la:Elaver]]</span>(エラウェル川):現在の[[w:アリエ川|アリエ川]]([[w:fr:Allier (rivière)|fr:Allier (rivière)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Liger|la:Liger]]</span>(リゲル川):現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|fr:Loire (fleuve)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhenus|la:Rhenus]]</span>(レヌス川):現在の[[w:ライン川|ライン川]]([[w:fr:Rhin|fr:Rhin]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhodanus|la:Rhodanus]]</span>(ロダヌス川):現在の[[w:ローヌ川|ローヌ川]]([[w:fr:Rhône|fr:Rhône]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Sequana|la:Sequana]]</span>(セクアナ川):現在の[[w:セーヌ川|セーヌ川]]([[w:fr:Seine|fr:Seine]])
*ローマ勢
**[[w:en:Mark_Antony|Mark Antony]]([[w:マルクス・アントニウス|マルクス・'''アントニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Marcus_Antonius|la:Marcus Antonius]]</span>
**[[w:en:Decimus_Junius_Brutus_Albinus|Decimus Junius '''Brutus''' Albinus]]([[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ユニウス・'''ブルトゥス'''・アルビヌス]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]]</span>([[#9節|9節]])
**[[w:en:Quintus Tullius Cicero|Quintus Tullius '''Cicero''']]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・'''キケロ''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Quintus Tullius Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]]</span>:カエサルの副官
**Gaius '''Fabius'''(ガイウス・'''ファビウス'''):カエサルの副官
**[[w:en:Titus Labienus|Titus '''Labienus''']]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・'''ラビエーヌス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Titus Labienus|la:Titus Labienus]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Trebonius|'''Trebonius''']]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・'''トレボニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gaius_Trebonius|la:Gaius Trebonius]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius '''Caesar''' IV]](ルキウス・ユリウス・'''カエサル'''4世):総督カエサルの副官で、4代前の高祖父を共有する。BC64年に執政官を務めた。
*イタリア方面
**[[w:en:Cisalpine_Gaul|Cisalpine Gaul]]([[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]) - [[w:la:Gallia Cisalpina|la:Gallia Cisalpina]]
**[[w:en:Populares|Populares]]([[w:ポプラレス|ポプラレス]];民衆派)- [[w:la:Populares|la:Populares]]
**:[[w:en:Publius_Clodius_Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]([[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プブリウス・クロディウス・プルケル]]) - [[w:la:Publius_Clodius_Pulcher|la:Publius Clodius Pulcher]]
**[[w:en:Optimates|Optimates]]([[w:オプティマテス|オプティマテス]];元老院派)
**:[[w:en:Cicero|Cicero]]([[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|マルクス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Marcus_Tullius_Cicero|la:Marcus Tullius Cicero]]
**:[[w:en:Titus_Annius_Milo|Titus Annius Milo]](ティトゥス・アンニウス・ミロ)- [[w:la:Titus_Annius_Milo|la:Titus Annius Milo]]
**:[[w:en:Pompey|Pompey]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])- [[w:la:Gnaeus_Pompeius_Magnus|la:Gnaeus Pompeius Magnus]]
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高校化学 溶液の性質
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2026-10-06T15:30:21Z
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wikitext
text/x-wiki
{{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校化学|[[高等学校 化学|化学]]|pagename=溶液の性質|frame=1|small=1}}
== 溶液 ==
[[Image:SaltInWaterSolutionLiquid.jpg|thumb|水に食塩を溶かし食塩水を作っている時の画像。]]
水 <chem>H2O</chem> に塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem> を混ぜると、塩化ナトリウムは水中に拡散していき、やがて肉眼では見えなくなる。混ぜた食塩の量が少なければ、水中に食塩が沈殿することはない。このように、液体に混ぜた物質が沈殿や凝集物を作らず、液中に均一に拡散することを'''溶解'''という。水のように他の物質を溶解する物質を'''溶媒'''といい、塩化ナトリウムのように溶けた側の物質を'''溶質'''という。
溶媒が液体の場合に、溶解によって生じた均一な混合液体を'''溶液'''という。
この例で食塩の量を増やしていくと、やがて、かき混ぜても溶けきらずに、時間が経つと底に食塩が沈殿するようになる。
このように、一定量の溶媒に溶ける溶質の量には限度がある。溶質が限界まで溶けている状態の溶液を'''飽和溶液'''といい、溶質がまだ溶ける状態の溶液を'''不飽和溶液'''という。
=== 濃度の表し方 ===
溶液の濃度は、次のように表す。
{| class="wikitable"
! 名称 !! 定義 !! 単位
|-
| 質量パーセント濃度 || <math>\dfrac{\text{溶質の質量}}{\text{溶液の質量}} \times 100</math> || %
|-
| モル濃度 || <math>\dfrac{\text{溶質の物質量}}{\text{溶液の体積}}</math> || mol/L
|-
| 質量モル濃度 || <math>\dfrac{\text{溶質の物質量}}{\text{溶媒の質量}}</math> || mol/kg
|}
モル濃度は、温度による溶液の体積の変化で値が変わる。質量モル濃度は、溶液の体積に依存しないので、温度が変わっても値が変わらない。沸点上昇と凝固点降下では、質量モル濃度を用いる。
== 電解質 ==
塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem> を水に溶かすと、ナトリウムイオン <chem>Na+</chem> と塩化物イオン <chem>Cl-</chem> のように、正負のイオンに分かれる。このように、溶解の際に物質がイオンに分かれる現象を'''電離'''という。そして、水に溶けて電離する物質を'''電解質'''という。
グルコースは水に溶けても電離しない。このように、水に溶けても電離しない物質を'''非電解質'''という。
電離と溶解とを混同しないように注意する。
電解質のうち、塩化ナトリウムの水溶液と酢酸の水溶液とを比較すると、酢酸は溶解して電離もするが、塩化ナトリウムよりも電離しにくい。
電解質のうち、塩化ナトリウムのように、ほぼ完全に電離する物質を'''強電解質'''という。酢酸のように、電離する割合が小さい物質を'''弱電解質'''という。
== 水和 ==
[[File:Dipole water.png|thumb|150px|水分子の極性の概念図。]]
[[File:Na+H2O.svg|thumb|水分子によって水和したナトリウムイオン。]]
水分子の酸素原子は分子中の電子を引き付けるため、酸素原子は負の電荷を帯び、水素原子は正の電荷を帯びる。このように、分子内で電荷に偏りがある分子を'''極性分子'''という。
塩化ナトリウムを水に入れると、電離したナトリウムイオン <chem>Na+</chem> は水分子の負に帯電した酸素原子と引き合い、塩化物イオン <chem>Cl-</chem> は水分子の正に帯電した水素原子と引き合う。その結果、イオンは周囲を水分子によって囲まれる。
このように、溶質の粒子が水分子によって取り囲まれる現象を'''水和'''という。溶媒が水でない場合のこのような現象は、'''溶媒和'''と呼ばれる。
このように、溶質原子が水分子によって取り囲まれる現象を'''水和'''という。溶媒が水でない場合には、イオンが溶媒に取り囲まれるこのような現象は、'''溶媒和'''と呼ばれる。
食塩の水和では、ナトリウムイオンの隣には水分子の酸素原子の側が来る。塩化物イオンの隣には、水分子の水素原子の側が来る。
水和しているイオンを'''水和イオン'''という。
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== 親水基と疎水基 ==
エタノール <chem>C2H5OH</chem> やグルコース <chem>C6H12O6</chem> などは水によく溶ける。エタノール分子は、分子中にヒドロキシ基 <chem>-OH</chem> をもつ。このヒドロキシ基の部分が水分子と水素結合を作り、エタノール分子が水和する。グルコース分子もヒドロキシ基をもっており、同様に水分子と水素結合を作って水和する。
エタノール分子中のヒドロキシ基のように、水和されやすい原子団を'''親水基'''という。水和されやすい性質を'''親水性'''という。
これに対して、ベンゼン <chem>C6H6</chem> などは水に溶けない。ベンゼンは極性をもたない無極性分子である。一般に、親水基をもたない無極性分子は、水に溶けにくい。
また、エタノール分子中のエチル基 <chem>-C2H5</chem> の部分は極性をもたず、水和に寄与しない。一般に、炭化水素基 <math>\mathrm{C}_m\mathrm{H}_n</math> の部分は無極性で水和されにくい。このように、水和されにくい原子団を'''疎水基'''といい、水和されにくい性質を'''疎水性'''という。
無極性分子からなるヨウ素 <chem>I2</chem> やナフタレン <chem>C10H8</chem> は、無極性分子の液体であるベンゼン <chem>C6H6</chem> や四塩化炭素 <chem>CCl4</chem>(テトラクロロメタン)によく溶ける。
このように、無極性分子の物質は無極性分子の液体に溶けやすい。一方、極性分子やイオンからなる物質は、極性分子からなる水に溶けやすい。
一般に、極性の似ている物質どうしは溶け合いやすい。
[[ファイル:Ethanol-structure.svg|thumb|left|200px|エタノールの構造式]]
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== 溶解度 ==
[[Image:SolubilityVsTemperature.png|right|400px|thumb|様々な物質の溶解度曲線]]
一定の温度で、一定の質量の溶媒に溶質を溶かして飽和溶液としたとき、溶媒に溶けている溶質の量を'''溶解度'''という。溶解度は、その溶媒がその溶質をどれだけ溶かせるかを表す量であり、溶液の濃度とは別の概念である。
固体の溶解度は、水 100 g に溶ける溶質の最大の質量(g)で表す。単位は g/100 g 水とする。
溶解度は温度によって変化する。
水に溶かす固体の多くは、水の温度が高いほど溶解度が大きくなる。ただし、水酸化カルシウム <chem>Ca(OH)2</chem> のように、温度上昇によって溶解度が小さくなる物質もある。
溶解度の温度変化をグラフで表したものを'''溶解度曲線'''という。
== 再結晶法 ==
不純物の混ざった固体を、熱した溶媒に飽和するまで溶かし、冷却すると、溶解度が温度によって大きく変わる物質が結晶として先に析出するので、不純物を取り除ける。このように、溶質の結晶を析出させて不純物を取り除き、精製する方法を'''再結晶法'''という。
再結晶という語は、水溶液を用いる場合に限らず、結晶をいったん溶解または融解させたのち、再び結晶を析出させる操作全般に用いる。
なお、溶液を冷却していくとき、溶解度を超える量の溶質を含んでいても結晶が析出しない場合がある。このような状態を'''過飽和'''といい、過飽和の状態にある溶液を'''過飽和溶液'''という。過飽和の状態は不安定であり、少量の撹拌や振動、種結晶の添加などで結晶が析出し始める。
溶質の種類によっては、再結晶で、結晶中に水分子が含まれた結晶が得られる場合がある。結晶中に含まれる水を'''結晶水'''(水和水)という。結晶水は、加熱などによって除ける場合が多い。
結晶から結晶水を除くことを無水化といい、無水化して得られた結晶水をもたない固体を'''無水物'''という。
結晶水をもつ物質の溶解度は、無水物の質量を溶質の質量として定義する。
=== 例題 ===
物質 X の溶解度は、60 ℃で 60 g/100 g 水、20 ℃で 30 g/100 g 水である。60 ℃の飽和水溶液 160 g を 20 ℃に冷却すると、X の結晶は何 g 析出するか。ただし、X は結晶水をもたない。
'''解答''' 60 ℃の飽和水溶液 160 g には、水 100 g と X 60 g が含まれる(<math>100 + 60 = 160</math>)。20 ℃では水 100 g に X が 30 g まで溶けるので、析出する量は
:<math>60 - 30 = 30\ \mathrm{g}</math>
である。
=== 例題(結晶水をもつ物質) ===
硫酸銅(II) <chem>CuSO4</chem> の溶解度(無水物として)は、60 ℃で 40 g/100 g 水、20 ℃で 20 g/100 g 水とする。60 ℃の飽和水溶液 140 g を 20 ℃に冷却すると、硫酸銅(II)五水和物 <chem>CuSO4*5H2O</chem> は何 g 析出するか。式量は <chem>CuSO4</chem> が 160、<chem>CuSO4*5H2O</chem> が 250 である。
'''解答''' 60 ℃の飽和水溶液 140 g には、水 100 g と <chem>CuSO4</chem> 40 g が含まれる。析出する五水和物を <math>x\ \mathrm{g}</math> とすると、その中の <chem>CuSO4</chem> は <math>\dfrac{160}{250}x</math>、水は <math>\dfrac{90}{250}x</math> である。析出後の溶液は 20 ℃の飽和溶液であるから、
:<math>\dfrac{40 - \dfrac{160}{250}x}{100 - \dfrac{90}{250}x} = \dfrac{20}{100}</math>
これを解いて、<math>x = \dfrac{2500}{71} \approx 35\ \mathrm{g}</math> となる。
== 気体の溶解度 ==
気体の溶解度は、固体とは逆に、温度が高いほど小さくなる。また、溶解度があまり大きくない気体では、温度が一定のとき、一定量の溶媒に溶ける気体の物質量(質量)は、その気体の圧力(混合気体では分圧)に比例する。これを'''ヘンリーの法則'''という。一方、同じ圧力のもとで溶ける気体の体積は、その圧力で測ると、圧力によらず一定である。
塩化水素 <chem>HCl</chem> やアンモニア <chem>NH3</chem> のように水と反応したり、水和したりして非常によく溶ける気体には、ヘンリーの法則はあてはまらない。
=== 例題 ===
20 ℃、<math>1.0 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> の酸素 <chem>O2</chem> は、水 1 L に標準状態に換算して 0.031 L 溶ける。20 ℃で、<math>1.0 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> の空気(体積比 <chem>N2</chem> : <chem>O2</chem> = 4 : 1)に接している水 1 L に溶けている酸素の質量は何 mg か。ただし、酸素のモル質量は 32 g/mol、標準状態での気体 1 mol の体積は 22.4 L とする。
'''解答''' 酸素の分圧は、全圧の <math>\dfrac{1}{5}</math> であるから、<math>0.20 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> である。ヘンリーの法則より、溶ける酸素の物質量は分圧に比例するので、
:<math>\dfrac{0.031}{22.4} \times \dfrac{1}{5} \times 32 \times 10^3 \approx 8.9\ \mathrm{mg}</math>
となる。
== 沸点上昇 ==
砂糖水や食塩水は、100 ℃では沸騰しない。
不揮発性の溶質を溶媒に溶かした溶液の沸点は、純溶媒の沸点より高くなる。この現象を'''沸点上昇'''という。
純溶媒の沸点 <math>t_1</math> と溶液の沸点 <math>t_2</math> との差 <math>\Delta t_\mathrm{b} = t_2 - t_1</math> を'''沸点上昇度'''という。
溶液の蒸気圧は純溶媒の蒸気圧より低い(次項の蒸気圧降下)。そのため、純溶媒の沸点では、溶液の蒸気圧が外圧に達せず、さらに温度を上げないと沸騰しない。
希薄な溶液では、沸点上昇度 <math>\Delta t_\mathrm{b}</math> は溶質の質量モル濃度 <math>m</math> に比例し、溶質の種類によらない。
:<math>\Delta t_\mathrm{b} = K_\mathrm{b} m</math>
質量モル濃度は、溶媒 1 kg あたりに溶けている溶質の物質量である。
比例係数 <math>K_\mathrm{b}</math> を'''モル沸点上昇'''といい、溶媒に固有の値である。単位は <math>\mathrm{K \cdot kg/mol}</math> である。水では <math>K_\mathrm{b} = 0.52\ \mathrm{K \cdot kg/mol}</math> である。
電解質を溶かした場合は、電離して生じたイオンも含めた全溶質粒子の質量モル濃度で考える。たとえば、<chem>NaCl</chem> 1 mol は <chem>Na+</chem> 1 mol と <chem>Cl-</chem> 1 mol に電離するので、完全に電離すれば、粒子の物質量は 2 mol として扱う。
=== 例題 ===
グルコース <chem>C6H12O6</chem>(分子量 180)18 g を水 200 g に溶かした溶液の沸点は、何 ℃か。ただし、水のモル沸点上昇を <math>0.52\ \mathrm{K \cdot kg/mol}</math> とし、圧力は <math>1.013 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math> とする。
'''解答''' 質量モル濃度は <math>m = \dfrac{18/180}{0.200} = 0.50\ \mathrm{mol/kg}</math> である。
:<math>\Delta t_\mathrm{b} = 0.52 \times 0.50 = 0.26\ \mathrm{K}</math>
したがって、沸点は 100.26 ℃ である。
=== 蒸気圧降下 ===
[[Image:Water vapor pressure graph.jpg|thumb|right|300px|水の蒸気圧を縦軸に取って、温度(単位は℃)を横軸に取ったグラフ。<br> 水は通常は100度において沸騰し、その時の蒸気圧は101.325kPaという標準的な大気圧に等しい。]]
液体は、表面から蒸発する分子と、蒸気から液体に戻る分子とがつり合って、見かけ上、変化しない状態(気液平衡)になる。このときの蒸気の圧力を'''飽和蒸気圧'''(蒸気圧)という。飽和蒸気圧は温度が高いほど大きく、液体は、飽和蒸気圧が外圧に等しくなる温度で沸騰する。外圧を下げると、沸点は低くなる。
不揮発性の溶質を溶かした溶液では、溶媒の蒸発する表面に、溶質の粒子が存在する。そのため、同じ温度での溶媒の飽和蒸気圧は、純溶媒より小さくなる。この現象を'''蒸気圧降下'''という。
溶媒の物質量を <math>n_1</math>、溶質の物質量を <math>n_2</math> とするとき、溶液の蒸気圧 <math>p</math> は、純溶媒の蒸気圧 <math>p_0</math> に、溶媒のモル分率をかけた値になる(ラウールの法則)。
:<math>p = p_0 \times \dfrac{n_1}{n_1 + n_2}</math>
蒸気圧降下のために、溶液の蒸気圧曲線は、純溶媒の曲線より下に位置する。外圧に等しい蒸気圧になるまでには、より高い温度が必要であり、これが沸点上昇である。固体の溶媒(氷など)の蒸気圧曲線と溶液の曲線との交点は、純溶媒の場合より低い温度にあり、これが凝固点降下である。
== 凝固点降下 ==
砂糖水や食塩水を冷やしても、0 ℃では凍らない。このように、不揮発性の溶質を溶媒に溶かすと、溶媒の凝固点が下がる。
溶液から純粋な溶媒の固体(水では氷)が析出するとき、溶質は固体に入らない。溶液の蒸気圧は純溶媒より低いので、溶液の蒸気圧が固体の蒸気圧に等しくなる温度は、純溶媒の凝固点より低くなる。
不揮発性の溶質を溶かした溶液の凝固点が、純溶媒の凝固点より低くなる現象を'''凝固点降下'''という。
純溶媒の凝固点 <math>t_1</math> と溶液の凝固点 <math>t_2</math> との差 <math>\Delta t_\mathrm{f} = t_1 - t_2</math> を'''凝固点降下度'''という。
希薄な溶液では、凝固点降下度 <math>\Delta t_\mathrm{f}</math> は溶質の質量モル濃度 <math>m</math> に比例し、溶質の種類によらない。
:<math>\Delta t_\mathrm{f} = K_\mathrm{f} m</math>
比例係数 <math>K_\mathrm{f}</math> を'''モル凝固点降下'''といい、溶媒に固有の値である。単位は <math>\mathrm{K \cdot kg/mol}</math> である。水では <math>K_\mathrm{f} = 1.85\ \mathrm{K \cdot kg/mol}</math> である。沸点上昇と同様に、電解質では、電離して生じたイオンを含めた全溶質粒子の質量モル濃度を用いる。
=== 例題 ===
塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem>(式量 58.5)5.85 g を水 500 g に溶かした水溶液の凝固点は、何 ℃か。ただし、<chem>NaCl</chem> は完全に電離するものとし、水のモル凝固点降下を <math>1.85\ \mathrm{K \cdot kg/mol}</math> とする。
'''解答''' <chem>NaCl</chem> の物質量は <math>\dfrac{5.85}{58.5} = 0.100\ \mathrm{mol}</math> である。<chem>NaCl -> Na+ + Cl-</chem> と電離するので、溶質粒子の物質量は <math>0.200\ \mathrm{mol}</math> となる。したがって、
:<math>m = \dfrac{0.200}{0.500} = 0.400\ \mathrm{mol/kg}</math>
:<math>\Delta t_\mathrm{f} = 1.85 \times 0.400 = 0.74\ \mathrm{K}</math>
凝固点は <math>-0.74</math> ℃ である。
== 過冷却 ==
[[File:Supercooling cooling-curve jp.svg|thumb|600px|過冷却]]
冷却による温度と時間の関係を表したグラフを'''冷却曲線'''という。右図は、液体の冷却曲線である。
液体を冷却していって凝固点に達しても、すぐには凝固しないことがある。凝固点より低い温度でも液体のままである状態を'''過冷却'''という。
過冷却の状態は不安定であり、いったん凝固が始まると、凝固熱が放出されて温度が凝固点まで上がる。
溶液の冷却曲線では、溶媒だけが凝固するにつれて溶液の濃度が大きくなるので、凝固点が少しずつ下がり、グラフは右下がりになる。凝固点は、凝固が始まったあとの右下がりの部分を、時間の小さい側へ延長して、凝固前の冷却曲線と交わる点の温度とする。
== 浸透圧 ==
=== 半透膜 ===
セロハンは、水分子のような小さな分子は通すが、スクロース分子のような大きな分子は通さない。このように、小さな分子を通し、大きな分子を通さない膜を'''半透膜'''という。
半透膜には、セロハン膜のほかにも、動物の膀胱膜、セルロースを硝酸でニトロ化して得られるコロジオンから作られるコロジオン膜、生物の細胞膜などがある。
ろ紙は、溶質の粒子も通すので、半透膜ではない。
=== 浸透圧 ===
[[Image:Pressione osmotica.jpg|thumb|濃度を均等にしようと、浸透がされる。]]
U字管の下部を半透膜で仕切り、片側に純水を、もう片側にスクロース水溶液を、同じ高さまで入れる。すると、純水の一部が半透膜を通って水溶液の側に移動し、水溶液側の液面が上がる。この現象を'''浸透'''という。
液面の高さの差ができると、水溶液側の液柱の圧力が大きくなり、浸透が進まなくなる。浸透を止めるために、水溶液側に加えなければならない圧力を'''浸透圧'''という。純水と水溶液の液面を同じ高さに保つために必要な圧力としても表せる。
溶媒が半透膜を通って移動する向きは、溶質の濃度が小さい側から大きい側である。
=== ファントホッフの式 ===
希薄な溶液の浸透圧 <math>\Pi</math> は、溶液のモル濃度を <math>c</math>、絶対温度を <math>T</math>、気体定数を <math>R</math> として、
:<math>\Pi = cRT</math>
である。浸透圧は、溶質の種類によらず、モル濃度と絶対温度に比例する。
溶質の物質量を <math>n</math>、溶液の体積を <math>V</math> とすると、モル濃度は
:<math>c = \dfrac{n}{V}</math>
である。これを <math>\Pi = cRT</math> に代入して、
:<math>\Pi V = nRT</math>
となる。気体の状態方程式 <math>PV = nRT</math> と同じ形である。この <math>\Pi V = nRT</math> を、浸透圧に関する'''ファントホッフの式'''という。
電解質の水溶液では、電離して生じたイオンを含めた全溶質粒子のモル濃度を <math>c</math> とする。
==== 例題 ====
0.10 mol/L のスクロース水溶液の 27 ℃での浸透圧は、何 Pa か。気体定数を <math>R = 8.3 \times 10^3\ \mathrm{Pa \cdot L/(K \cdot mol)}</math> とする。
'''解答''' <math>T = 27 + 273 = 300\ \mathrm{K}</math> であるから、
:<math>\Pi = cRT = 0.10 \times 8.3 \times 10^3 \times 300 \approx 2.5 \times 10^5\ \mathrm{Pa}</math>
==== 例題(分子量の測定) ====
ある高分子化合物 2.0 g を水に溶かして 1.0 L とした水溶液の浸透圧は、27 ℃で <math>1.0 \times 10^3\ \mathrm{Pa}</math> であった。この高分子化合物の分子量を求めよ。ただし、<math>R = 8.3 \times 10^3\ \mathrm{Pa \cdot L/(K \cdot mol)}</math> とする。
'''解答''' 高分子化合物のモル質量を <math>M\ \mathrm{g/mol}</math> とすると、<math>n = \dfrac{2.0}{M}\ \mathrm{mol}</math> である。<math>\Pi V = nRT</math> より、
:<math>1.0 \times 10^3 \times 1.0 = \dfrac{2.0}{M} \times 8.3 \times 10^3 \times 300</math>
これを解いて、<math>M \approx 5.0 \times 10^3\ \mathrm{g/mol}</math> となり、分子量は約 <math>5.0 \times 10^3</math> である。
== コロイド溶液 ==
[[Image:Milk glass.jpg|right|250px|thumb|牛乳は脂肪が分散したコロイドである。]]
直径がおよそ <math>10^{-9}\ \mathrm{m}</math>(1 nm)から <math>10^{-7}\ \mathrm{m}</math>(100 nm)の粒子を'''コロイド粒子'''という。デンプンやタンパク質の分子は、コロイド粒子の大きさをもつ。
コロイド粒子は、ろ紙は通過できるが、半透膜は通過できない。
コロイド粒子が液体中に均一に分散している状態を'''コロイド'''といい、液体に分散しているものを'''コロイド溶液'''という。
コロイド粒子を分散させている物質を'''分散媒'''といい、分散しているコロイド粒子を'''分散質'''という。
=== コロイドの種類 ===
==== 会合コロイド ====
[[ファイル:Micel_olie_in_water.gif|サムネイル|ミセル]]
セッケン分子は、水和しやすい親水性の部分と、水和しにくい疎水性の部分とからなる。水中では、疎水性の部分を内側に、親水性の部分を外側に向けて、多数の分子が集まる。この集合体を'''ミセル'''という。ミセルは外側に親水基が並ぶので、水に分散して沈殿せず、コロイド溶液となる。
このように、親水基と疎水基をもつ分子が多数集まって生じるコロイドを'''会合コロイド'''(ミセルコロイド)という。会合コロイドは、親水コロイドの一種に分類される。
[[ファイル:Molekula_mýdla.PNG|中央|セッケン分子の構造]]
==== 分子コロイド ====
デンプンやタンパク質は、分子1個がコロイド粒子の大きさをもつ。このようなコロイドを'''分子コロイド'''という。
==== 分散コロイド ====
水に溶けない物質が、細かい粒子となって分散してできたコロイドを'''分散コロイド'''という。炭素や水酸化鉄(III)など、疎水コロイドの多くがこれにあたる。
=== 水酸化鉄(Ⅲ)のコロイド溶液 ===
沸騰している水に、塩化鉄(III)水溶液 <chem>FeCl3</chem> を少量加えると、赤褐色の水酸化鉄(III) <chem>Fe(OH)3</chem> のコロイド溶液ができる。
:<chem>FeCl3 + 3H2O -> Fe(OH)3 + 3HCl</chem>
<chem>Fe(OH)3</chem> は水に不溶であり、このコロイド溶液は、<chem>Fe(OH)3</chem> の微粒子が水に分散したものである。
=== 電気泳動 ===
U字管にコロイド溶液を入れ、電極を用いて直流電圧を加えると、コロイド粒子がいずれか一方の電極の側に移動する。
このように、電圧を加えたときにコロイド粒子が移動する現象を'''電気泳動'''という。
電気泳動が起こることから、コロイド粒子は電荷を帯びていることがわかる。コロイド粒子の電荷の符号は、物質によって異なる。
水酸化鉄(III) <chem>Fe(OH)3</chem> のコロイド粒子は、正に帯電している。正に帯電したコロイドを'''正コロイド'''という。水酸化アルミニウム <chem>Al(OH)3</chem> のコロイドも正コロイドである。
一般に、金属の水酸化物のコロイドは、正コロイドであることが多い。
負に帯電したコロイドを'''負コロイド'''という。負コロイドの例には、粘土、硫黄 <chem>S</chem>、硫化銅(II) <chem>CuS</chem> などの金属硫化物、金 <chem>Au</chem>、銀 <chem>Ag</chem>、白金 <chem>Pt</chem> のコロイドがある。
コロイド粒子が沈殿しにくいのは、同じ符号に帯電した粒子どうしが、互いに反発し合うからである。
コロイド粒子が電荷を帯びるのは、粒子の表面に、溶液中のイオンが吸着したり、粒子の表面の原子団が電離したりするためである。水酸化鉄(III) のコロイドが正に帯電するのは、粒子の表面に、溶液中の陽イオン(たとえば <chem>Fe^3+</chem>)が吸着しているためと考えられている。
セッケンのミセルは、親水基が電離して、負に帯電している。セッケン <chem>RCOONa</chem> は
:<chem>RCOONa -> RCOO- + Na+</chem>
と電離する。
=== 疎水コロイド ===
水酸化鉄(III) <chem>Fe(OH)3</chem> のコロイド溶液に、少量の電解質を加えると、コロイドが沈殿する。
粘土のコロイド溶液に電解質を加えても、同様に沈殿する。
水酸化鉄(III) は正コロイド、粘土は負コロイドであるから、この沈殿現象は、コロイド粒子の電荷が正負どちらでも生じる。
少量の電解質で沈殿するのは、コロイド粒子と反対符号のイオンが粒子に吸着して、粒子間の電気的な反発が弱まり、粒子どうしが集まって大きな粒子になるからである。
このように、少量の電解質で沈殿するコロイドを'''疎水コロイド'''といい、疎水コロイドが少量の電解質によって沈殿する現象を'''凝析'''という。凝析に有効なイオンは、コロイド粒子と反対符号で、価数が大きいイオンほど有効である。たとえば、負コロイドの粘土では、<chem>Na+</chem> よりも <chem>Ca^2+</chem> や <chem>Al^3+</chem> が有効である。
河川水に含まれる粘土のコロイドは、海水中の陽イオンによって凝析する。これが、河口で三角州が形成される一因である。
=== 親水コロイド ===
これに対して、デンプンやタンパク質のコロイドは、少量の電解質を加えても沈殿せず、多量の電解質を加えると沈殿する。デンプンやタンパク質の分子は、<chem>-OH</chem>、<chem>-COOH</chem>、<chem>-NH2</chem> などの親水基をもち、粒子のまわりに多数の水分子が水和している。
多量の電解質を加えると、電解質のイオンが水分子と水和し、コロイド粒子から水和水を奪うので、コロイド粒子が沈殿する。
デンプンやタンパク質のように、水和によって安定に分散しているコロイドを'''親水コロイド'''という。
親水コロイドに多量の電解質を加えて沈殿させることを'''塩析'''という。
==== 保護コロイド ====
疎水コロイドに親水コロイドを加えると、疎水コロイドは、電解質を加えても沈殿しにくくなる。
親水コロイドが疎水コロイドの粒子のまわりに吸着すると、親水コロイドの水和のため、少量の電解質を加えても、疎水コロイドの粒子どうしが集まりにくくなる。
このように、疎水コロイドが親水コロイドに保護されて、少量の電解質では沈殿しにくくなる現象を'''保護作用'''といい、疎水コロイドを保護する目的で加える親水コロイドを'''保護コロイド'''という。
保護コロイドの例として、ゼラチンやニカワ(いずれもタンパク質)がある。ニカワは墨汁に含まれ、墨の粒子の凝集を防ぐ。
アラビアゴムも保護コロイドであり、インクなどに用いられる。アラビアゴムは多糖類であり、水に溶けやすい親水コロイドである。
=== コロイドの生じる要因 ===
コロイド粒子は、次の二つの方法で作られる。
* 凝縮法: 分子やイオンを集めて、コロイド粒子の大きさにする。<chem>FeCl3</chem> の水溶液を熱水に加えて <chem>Fe(OH)3</chem> のコロイドを作る方法が、この例である。
* 分散法: 大きな粒子を細かく砕いて、コロイド粒子の大きさにする。
コロイド粒子が安定に分散しているのは、粒子が同じ符号に帯電して反発し合うこと、または粒子が水和していること、によって、粒子どうしが集まりにくくなっているからである。
=== ゾルとゲル ===
==== ゲル ====
[[Image:Konnyaku.jpg|thumb|こんにゃく。ゲルの例。]]
ゼラチンのコロイド溶液や寒天のコロイド溶液は、冷やすと、全体がゼリー状に固まる。
このように、コロイド粒子が連なって網目をつくり、その隙間に分散媒を含んで固まったものを'''ゲル'''という。
ゲルを乾燥させたものを'''キセロゲル'''(xerogel)という。高野豆腐やシリカゲルは、キセロゲルである。
乾燥した寒天やゼラチンもキセロゲルである。キセロゲルを水につけると、水を吸って膨らむ。これを'''{{ruby|膨潤|ぼうじゅん}}'''という。
==== ゾル ====
コロイド粒子が分散して、流動性のある状態のものを'''ゾル'''という。コロイド溶液は、ゾルである。ゾルは、冷却などによってゲルになる場合がある。
=== チンダル現象 ===
コロイド溶液に横から強い光を当てると、コロイド粒子が光を散乱させるので、光の通路が輝いて見える。この現象を'''チンダル現象'''という。ふつうの溶液は、溶質の粒子が小さいので、光をほとんど散乱せず、通路は見えない。
=== ブラウン運動 ===
コロイド溶液を顕微鏡(限外顕微鏡)で観察すると、コロイド粒子が、不規則に動いているのが見える。この運動を'''ブラウン運動'''という。ブラウン運動は、熱運動する分散媒の分子が、コロイド粒子に不規則に衝突するために起こる。
=== 透析 ===
コロイド溶液に、コロイド粒子より小さいイオンや分子が混じっているとき、半透膜の袋にコロイド溶液を入れて、流水中につるすと、小さい粒子だけが膜を通って出ていき、コロイド粒子だけが袋に残る。このようにして、コロイド溶液を精製する操作を'''透析'''という。
== その他(※ 範囲外) ==
水 50 mL とエタノール 50 mL を混ぜると、合計の体積は約 97 mL になり、単独の液体の体積の和(100 mL)よりも小さくなる。
これは、水分子とエタノール分子が混じり合うとき、一方の分子が他方の分子の間に入り込み、分子間の隙間が小さくなるためと説明される。
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カテゴリ:内乱記
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[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|ガイウス・ユリウス・カエサル4世]]著 『[[内乱記]]』(Commentarii de bello civili)の[[ラテン語]]・[[日本語]]対訳カテゴリ。
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高等学校化学基礎/酸と塩基の反応
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== 酸性と塩基性 ==
このページでは、酸と塩基の定義、価数、強弱と電離度、水のイオン積とpH、pH指示薬、中和と中和滴定、塩の性質を扱う。
[[File:Lemon.jpg|thumb|レモン果汁は酸性を示す。]]
[[File:Soap in blue dish.JPG|thumb|セッケン水は塩基性を示す。]]
; 酸とは
塩酸<chem>HCl</chem> 、硫酸<chem>H2SO4</chem> 、硝酸<chem>HNO3</chem> 、酢酸<chem>CH3COOH</chem> などの水溶液は、次のような性質を示す。
* 青色リトマス紙を赤色に変える。
* BTB液を加えると黄色になる。
このような性質を'''酸性'''といい、酸性を示す物質を'''酸'''という。
酸は、次のような性質を持つことが多い。
* 亜鉛、鉄などの金属と反応して水素を発生させる。
* 鉄さびなどの金属のさびを溶かす。
* 酢酸水溶液やクエン酸水溶液などは酸っぱい味がする。
; 塩基とは
水酸化ナトリウム<chem>NaOH</chem>のように、酸性の溶液に加えると、その酸性を打ち消す物質がある。このように酸性を打ち消す性質を'''塩基性'''または'''アルカリ性'''という。また、水溶液が塩基性を示す物質を'''塩基'''という。塩基性の物質には、次のような特徴がある。
* 酸を中和する。
* 赤色リトマス紙を青色に変える。
* BTB液を加えると青色になる。
* 水溶液にフェノールフタレイン溶液を加えると、赤色に変わる。
酸性も塩基性も示さない性質を'''中性'''という。塩基性の物質が酸性を打ち消して、溶液を中性にすることを'''中和'''という。また、塩基性の溶液に酸を加えて、溶液を中性にすることも中和という。
たとえば、酢酸、塩酸、硫酸などは酸であり、水酸化ナトリウム、アンモニアなどは塩基である。このように、水溶液は、酸性、塩基性、またはそのどちらでもない中性のいずれかの性質を持つ。
'''補足'''
:水に溶けやすい塩基をアルカリと呼ぶことがある。塩基性水溶液が示す性質をアルカリ性ともいう。
:物質が水に溶けて陽イオンと陰イオンに分かれることを'''電離'''という。酸の水溶液も塩基の水溶液も電気伝導性があることから、酸や塩基は水溶液中ではイオンに電離していることがわかる。
=== アレニウスの酸・塩基の定義 ===
1887年、スウェーデンの化学者アレニウスは、酸と塩基を次のように定義した。
「酸とは、水に溶けて水素イオン<chem>H+</chem>を生じる物質であり、塩基とは、水に溶けて水酸化物イオン<chem>OH-</chem>を生じる物質である。」
塩化水素<chem>HCl</chem>や硫酸<chem>H2SO4</chem>は、水溶液中で次のように電離して、水素イオン<chem>H+</chem>を生じる。
:<chem>HCl -> H+ + Cl-</chem>
:<chem>H2SO4 -> 2H+ + SO4^2-</chem>
==== オキソニウムイオン ====
アレニウスの酸の定義の提唱よりも後の研究では、水溶液中では、水素イオン<chem>H+</chem>は単独で存在しているのではなく、水分子に結びついたオキソニウムイオン<chem>H3O+</chem>として存在し、<chem>H+</chem>の授受をしていることが明らかになった。たとえば、塩酸の場合は次の式で表される。
:<chem>HCl + H2O <=> H3O+ + Cl-</chem>
しかし表記では、簡略化のため、特別にオキソニウムイオンを強調したい場合を除いて、酸の水素イオンは単に<chem>H+</chem>と書くことが多い。
=== ブレンステッド・ローリーによる酸・塩基の定義 ===
アレニウスの定義の後、この定義では説明できない物質があることが分かってきた。たとえば、アンモニア<chem>NH3</chem>は分子中に水酸基<chem>OH</chem>を含まないが、塩酸<chem>HCl</chem>などの酸を中和する能力を持ち、塩基としての性質を示す。このような例に基づき、ブレンステッド(デンマーク)とローリー(イギリス)は、アレニウスの酸・塩基を拡張して、1923年に、次のように酸と塩基を定義した。
「'''酸とは、水素イオン<chem>H+</chem>を与える分子・イオンである。塩基とは、水素イオン<chem>H+</chem>を受け取る分子・イオンである。'''」
今日の化学では、酸と塩基は、このブレンステッドの定義に近い意味で用いられる。
ブレンステッドの定義によると、塩酸<chem>HCl</chem>が水<chem>H2O</chem>に溶解して電離する反応では、水<chem>H2O</chem>は水素イオンを受け取りオキソニウムイオンになるので、水<chem>H2O</chem>を塩基と見なせる。
:<chem>HCl + H2O <=> H3O+ + Cl-</chem>
いっぽう、アンモニアが水に溶解して電離する反応では、水<chem>H2O</chem>は、アンモニアに水素イオンを提供し、水酸化物イオン<chem>OH-</chem>になるので、水は酸と見なせる。
:<chem>NH3 + H2O <=> NH4+ + OH-</chem>
このような例から、ブレンステッドの定義では、水は反応する相手によって酸として働いたり、塩基として働いたりする物質(両性物質)になる。
== 酸と塩基の価数 ==
;酸の価数
酸の化学式中に含まれる水素原子のうち、<chem>H+</chem>になることのできる水素原子の数を'''酸の価数'''という。たとえば塩酸<chem>HCl</chem>の価数は1である。酢酸<chem>CH3COOH</chem>の価数も1である。酢酸では、<chem>CH3</chem>の部分の水素は<chem>H+</chem>にならず、<chem>COOH</chem>の部分に含まれる水素<chem>H</chem>のみが<chem>H+</chem>になる。硫酸<chem>H2SO4</chem>の価数は2である。
;塩基の価数
塩基の1化学式あたりが受け取ることができる<chem>H+</chem>イオンの数を'''塩基の価数'''という。水酸化物イオン<chem>OH-</chem>を含む塩基では、価数は化学式中に含まれる<chem>OH-</chem>の数に等しい。たとえば水酸化ナトリウム<chem>NaOH</chem>の価数は1である。水酸化カルシウム<chem>Ca(OH)2</chem>の価数は2である。
== 酸・塩基の強弱と電離度 ==
塩酸と酢酸は、ともに1価の酸であるが、同じモル濃度のこれらの酸に亜鉛を加えると、塩酸のほうが酢酸より激しく水素を発生する。この反応は、次のイオン反応式で表される。塩酸のほうが激しく反応するのは、<chem>H+</chem>の濃度が酢酸より大きいためである。
:<chem>Zn + 2H+ -> Zn^2+ + H2</chem>
水に溶けて電離する物質を'''電解質'''という。電解質の水溶液で、溶けている電解質全体の物質量に対して、そのうち電離している電解質の物質量の割合を'''電離度'''という。
電離度<math>\alpha</math>を式で表すと、次のようになる。
:<math>\alpha = \frac{\text{電離した電解質の物質量}}{\text{溶解した電解質の物質量}}</math>
電離度αの値は <math>0 < \alpha \leqq 1</math> である。
電離度は温度や濃度によって変わる。一般に、濃度が小さいほど、また温度が高いほど、電離度は大きくなる。
;強酸と弱酸
酸の強さは、電離度を用いて表すことができる。塩酸<chem>HCl</chem>や硝酸<chem>HNO3</chem>などは、電離度が1に近く(0.1 mol/L、25℃で、塩酸の電離度は約0.9、硝酸の電離度は約0.9)、このように電離度の大きい酸を'''強酸'''という。
いっぽう、酢酸<chem>CH3COOH</chem>の電離度は(0.1 mol/L、25℃で)0.01程度と非常に小さく、このように電離度の小さい酸を'''弱酸'''という。
;強塩基と弱塩基
塩基の強さについても、電離度を用いて定量化される。水酸化ナトリウム<chem>NaOH</chem>の電離度は約0.9であり、水酸化カリウム<chem>KOH</chem>の電離度は約0.9である。水酸化ナトリウムのように電離度の大きい塩基を'''強塩基'''という。アンモニアの電離度は約0.01と低い。アンモニアのように電離度が低い塩基を'''弱塩基'''という。
強酸や強塩基のように電離度の高い電解質のことを'''強電解質'''という。
弱酸や弱塩基のように電離度の低い電解質のことを'''弱電解質'''という。
;多価の酸の場合
溶液中で、多価の酸が水素イオンを電離するときは、段階的に1個ずつ水素イオンを電離する。たとえば2価の酸である硫酸では、次のように電離する。
:<chem>H2SO4 -> H+ + HSO4-</chem> (第1段階)
:<chem>HSO4- <=> H+ + SO4^2-</chem> (第2段階)
このように段階的に電離することを、'''多段階電離'''という。
一般に、多価の酸では、第1段階の電離度が、第2段階以降の電離度よりも大きい。硫酸の場合も、第1段階の電離度のほうが大きい。
;多価の塩基の場合
いっぽう、多価の塩基が電離するときについては、事情が異なる。たとえばイオン結晶である水酸化カルシウム<chem>Ca(OH)2</chem>は、水に溶けると1段階でまとめて電離する。
:<chem>Ca(OH)2 -> Ca^2+ + 2OH-</chem>
== 酸・塩基の強弱の測定 ==
=== 水の電離 ===
純水は、わずかではあるが電離していて、水素イオン<chem>H+</chem>と水酸化物イオン<chem>OH-</chem>を生じて、'''電離平衡'''の状態になっている。このとき、水素イオン濃度<math>[\mathrm{H^+}]</math>と水酸化物イオン濃度<math>[\mathrm{OH^-}]</math>は等しく、25℃で<math>1.0 \times 10^{-7}\ \mathrm{mol/L}</math>となっている。
水の電離について、水の濃度<math>[\mathrm{H_2O}]</math>の値はほぼ一定で、定数とみなせる。これより、<math>[\mathrm{H^+}]</math>と<math>[\mathrm{OH^-}]</math>の積の値も、温度一定のときに一定値となる。この値を'''水のイオン積'''といい、<math>K_{\mathrm w}</math>で表す。イオン積<math>K_{\mathrm w}</math>は以下の関係にある。
:<math>K_{\mathrm w}=K\mathrm{[H_2O]=[H^+][OH^-]}=1.0\times 10^{-14}\,\mathrm{mol^2/L^2}</math>
このイオン積の値は、純水だけでなく、酸や塩基の水溶液、中性の水溶液でも、同様に成り立つ。すなわち、25℃では、水素イオン濃度<math>\mathrm{[H^+]}</math>と水酸化物イオン濃度<math>\mathrm{[OH^-]}</math>とのイオン積<math>\mathrm{[H^+][OH^-]}</math>は一定で、<math>1.0\times 10^{-14}\,\mathrm{mol^2/L^2}</math> である。
この<math>\mathrm{[H^+]}</math>や<math>\mathrm{[OH^-]}</math>といったイオン濃度の概念を用いると、水溶液における酸性・中性・塩基性を、次のように数値的に定義できる。
水溶液における酸性とは、水素イオン濃度<math>\mathrm{[H^+]}</math>が水酸化物イオン濃度<math>\mathrm{[OH^-]}</math>よりも大きい状態である。
:酸性:<math>\mathrm{[H^+]} > \mathrm{[OH^-]}</math>
同様に、水溶液の中性と塩基性も、イオン濃度で定義できる。
:中性:<math>\mathrm{[H^+]} = \mathrm{[OH^-]}</math>
:塩基性:<math>\mathrm{[H^+]} < \mathrm{[OH^-]}</math>
=== 水素イオン濃度 ===
水溶液の酸性は、水素イオン濃度<math>[\mathrm{H^+}]</math>が大きいほど強くなり、塩基性は水酸化物イオン濃度<math>[\mathrm{OH^-}]</math>が大きいほど強くなる。
<math>[\mathrm{H^+}]</math>の値は広い範囲で変化するため、扱いにくい。そこで、<math>[\mathrm{H^+}]</math>の常用対数に負の符号を付けた値を用いて、酸性・塩基性の程度を表す。この値を'''水素イオン指数'''といい、'''pH'''で表す。pHは、ピーエイチまたはドイツ語でペーハーと読む。
:<math>\mathrm{pH=-\log_{10}[H^+]}</math>
<math>[\mathrm{H^+}]</math>が<math>1.0 \times 10^{-n}\ \mathrm{mol/L}</math>のとき、<math>\mathrm{pH} = n</math>である(たとえば<math>[\mathrm{H^+}] = 1.0 \times 10^{-3}\ \mathrm{mol/L}</math>ならば<math>\mathrm{pH} = 3</math>)。
<math>\mathrm{pH} = 7</math>ならば中性である(25℃の場合)。
塩基性になるほど、pHの値は大きくなる。<math>\mathrm{pH} > 7</math>の状態では塩基性である。<math>\mathrm{pH} = 14</math>のときは、<math>[\mathrm{H^+}] = 10^{-14}\ \mathrm{mol/L}</math>である。
酸性になるほど、pHの値は小さくなる。<math>\mathrm{pH} < 7</math>の状態では酸性である。<math>\mathrm{pH} = 0</math>のときは、<math>[\mathrm{H^+}] = 10^{0} = 1\ \mathrm{mol/L}</math>である。
通常の水溶液のpHは、0から14の範囲で扱う。(濃度が1 mol/L をこえる強酸の水溶液ではpHが0より小さくなり、濃い強塩基の水溶液ではpHが14より大きくなることもあるが、高校化学ではふつう扱わない。)
[[ファイル:PH Scale.png|thumb|pHの値と酸性・中性・塩基性|600px]]
水酸化物イオン濃度<math>[\mathrm{OH^-}]</math>の常用対数に負の符号を付けた値を'''pOH'''という(<math>\mathrm{pOH} = -\log_{10}[\mathrm{OH^-}]</math>)。pHとpOHについて、イオン積から次の式が成り立つ(25℃の場合)。
:<math>\mathrm{pH} + \mathrm{pOH} = 14</math>
あるいは
:<math>\mathrm{pH} = 14 - \mathrm{pOH}</math>
=== pHの計算 ===
水溶液のpHは、<math>[\mathrm{H^+}]</math>を求めてから、<math>\mathrm{pH} = -\log_{10}[\mathrm{H^+}]</math>を用いて求める。強酸・強塩基は電離度を1として、弱酸・弱塩基は、与えられた電離度<math>\alpha</math>を用いる。水溶液の温度は25℃とし、<math>K_{\mathrm w} = 1.0 \times 10^{-14}\ \mathrm{(mol/L)^2}</math>とする。
酸の水溶液では、
:<math>[\mathrm{H^+}] = (\text{酸の価数}) \times (\text{酸のモル濃度}) \times (\text{電離度})</math>
塩基の水溶液では、
:<math>[\mathrm{OH^-}] = (\text{塩基の価数}) \times (\text{塩基のモル濃度}) \times (\text{電離度})</math>
である。塩基の水溶液では、<math>[\mathrm{H^+}] = K_{\mathrm w} / [\mathrm{OH^-}]</math>から<math>[\mathrm{H^+}]</math>を求めるか、pOHを求めて<math>\mathrm{pH} = 14 - \mathrm{pOH}</math>を用いる。
*例題1
:(1) 0.010 mol/L の塩酸のpHを求めよ。(2) 0.050 mol/L の硫酸のpHを求めよ。ただし、どちらも電離度を1とする。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:(1) 塩酸は1価の酸であるから、<math>[\mathrm{H^+}] = 1 \times 0.010 = 1.0 \times 10^{-2}\ \mathrm{mol/L}</math> よって<math>\mathrm{pH} = 2</math>
:(2) 硫酸は2価の酸であるから、<math>[\mathrm{H^+}] = 2 \times 0.050 = 1.0 \times 10^{-1}\ \mathrm{mol/L}</math> よって<math>\mathrm{pH} = 1</math>
*例題2
:0.10 mol/L の酢酸水溶液の電離度が 0.010 であるとき、この水溶液のpHを求めよ。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:酢酸は1価の酸であるから、<math>[\mathrm{H^+}] = 1 \times 0.10 \times 0.010 = 1.0 \times 10^{-3}\ \mathrm{mol/L}</math> よって<math>\mathrm{pH} = 3</math>
*例題3
:0.0010 mol/L の水酸化ナトリウム水溶液のpHを求めよ。ただし、電離度を1とする。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:水酸化ナトリウムは1価の塩基であるから、<math>[\mathrm{OH^-}] = 1 \times 0.0010 = 1.0 \times 10^{-3}\ \mathrm{mol/L}</math> よって<math>\mathrm{pOH} = 3</math>
:<math>\mathrm{pH} = 14 - 3 = 11</math>(または<math>[\mathrm{H^+}] = 1.0 \times 10^{-14} / 1.0 \times 10^{-3} = 1.0 \times 10^{-11}\ \mathrm{mol/L}</math>より<math>\mathrm{pH} = 11</math>)
*例題4
:<math>\mathrm{pH} = 2</math>の塩酸を、水で1000倍にうすめた。うすめた後のpHを求めよ。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:<math>\mathrm{pH} = 2</math>のとき<math>[\mathrm{H^+}] = 1.0 \times 10^{-2}\ \mathrm{mol/L}</math>である。1000倍にうすめると、<math>[\mathrm{H^+}] = 1.0 \times 10^{-5}\ \mathrm{mol/L}</math> よって<math>\mathrm{pH} = 5</math>
:(補足:強酸を水で10倍にうすめるごとに、pHは1ずつ大きくなる。ただし、酸をいくらうすめても、pHは7をこえず、塩基性にはならない。)
=== pHの測定 ===
==== pH指示薬 ====
物質の中には、水溶液に接触させると、水溶液のpHの値によって色が変化するものがある。このような物質のうち、pHを調べるために実用化されているものを'''pH指示薬'''という。リトマスもpH指示薬の一つである。pH指示薬は、紙に染み込ませて用いることが多い。pH指示薬を染み込ませた紙を'''pH試験紙'''という(リトマス試験紙もその一つである)。
pH指示薬は、その物質によって、色を変えるpHの範囲が限られている。たとえば、メチルオレンジは<math>\mathrm{pH} = 3.1</math>以下では赤色で、そこからpHが高くなると黄色味を増していき、<math>\mathrm{pH} = 4.4</math>ではほぼ黄色になる。<math>\mathrm{pH} = 4.4</math>より高いpHでは黄色のまま、ほとんど色が同じであるから、このpHの範囲では指示薬として用いられない。
このように、指示薬の色が変わるpHの範囲を'''変色域'''という。以下の表に、おもな指示薬の変色域を示す。
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|+ おもなpH指示薬の変色域と色の変化
|-
! 指示薬 !! 変色域(pH) !! 酸性側の色 !! 塩基性側の色
|-
| メチルオレンジ(MO) || 3.1 〜 4.4 || 赤 || 黄
|-
| ブロモチモールブルー(BTB) || 6.0 〜 7.6 || 黄 || 青
|-
| フェノールフタレイン(PP) || 8.0 〜 9.8 || 無 || 赤
|}
==== pHメータ ====
pHを正確に測定するには、電位差を測定する方法が用いられる。そのための測定機器を'''pHメータ'''という。
== 中和 ==
ここまでの定義・強弱・pH・指示薬を用いて、酸と塩基の中和、その量的関係、中和滴定、生じる塩の性質を順に扱う。
=== 中和反応 ===
酸と塩基が反応すると、酸から生じる<chem>H+</chem>と塩基から生じる<chem>OH-</chem>が結びついて<chem>H2O</chem>となり、互いの性質が打ち消される。
たとえば、塩酸<chem>HCl</chem>と水酸化ナトリウム<chem>NaOH</chem>水溶液の反応は、次のように表される。
:<chem>HCl + NaOH -> NaCl + H2O</chem>
また中和後の反応液を蒸発させると、塩化ナトリウム<chem>NaCl</chem>の結晶が得られる。
<chem>NaCl</chem>のように、中和反応で生じる酸の陰イオンと塩基の陽イオンとからなる化合物を'''塩'''という。
中和反応は、次のようにまとめられる。
:酸 + 塩基 → 塩 + 水
=== 中和の量的関係 ===
酸と塩基が過不足なく中和するとき、
:酸から生じる<chem>H+</chem>の物質量 = 塩基から生じる<chem>OH-</chem>の物質量
という関係が成り立つ。酸の価数を<math>a</math>、モル濃度を<math>c\ \mathrm{[mol/L]}</math>、体積を<math>v\ \mathrm{[mL]}</math>とし、塩基の価数を<math>b</math>、モル濃度を<math>c'\ \mathrm{[mol/L]}</math>、体積を<math>v'\ \mathrm{[mL]}</math>とすると、
:<math>acv = bc'v'</math>
である。
=== 中和滴定 ===
濃度が分かっている酸(または塩基)の溶液を使って、濃度が分からない塩基(または酸)の溶液の濃度を求める操作を'''中和滴定'''という。中和が完了した点を'''中和点'''という。中和滴定では、[[#中和の量的関係|中和の量的関係]]の関係式<math>acv = bc'v'</math>を用いて、濃度を求める。
[[File:HCl titration-curve jp.svg|thumb|400px|塩酸の滴定曲線。 0.10mol/L 塩酸 10mLの中和。0.10 mol/L水酸化ナトリウムを使用。]]
加えた溶液の体積とpHとの関係をグラフにしたものを'''滴定曲線'''という。中和点の付近では、pHが急激に変化する(この変化を'''pHジャンプ'''という)。中和点は、必ずしも<math>\mathrm{pH} = 7</math>(中性)の点とは限らない。以下では、中和滴定に用いる器具、指示薬の選び方、計算の順に述べる。
==== 中和滴定に用いる器具 ====
;使用する溶液で洗う
:ホールピペット
:ビュレット
使用する溶液で洗うことを'''共洗い'''という。水で濡れたままだと、その水が溶液にまざって濃度が変わってしまうからである。
;純水で洗って濡れたままでよい
:メスフラスコ
:コニカルビーカー
メスフラスコは、溶液をつくるときに水を加えるので、水で濡れていても問題ない。コニカルビーカーは、ホールピペットで正確にはかり取った溶液を入れ、ビュレットから他方の溶液を滴下して滴定を行う容器である。水が混ざっても、溶質の物質量は変わらないので、水で濡れていても影響しない。
==== 中和滴定に用いるpH指示薬 ====
中和点を知るために、pH指示薬を用いる。中和点付近のpHジャンプの範囲に変色域がある指示薬を選ぶ。中和点の液性は、中和で生じる塩の水溶液の性質で決まる。
;強酸+強塩基 中和点は中性
: フェノールフタレイン、メチルオレンジのいずれでもよい
;弱酸+強塩基 中和点は弱塩基性
: フェノールフタレインのみ(メチルオレンジは、中和点よりも前に変色してしまうため、適さない)
;強酸+弱塩基 中和点は弱酸性
: メチルオレンジのみ(フェノールフタレインは、中和点よりも前に変色してしまうため、適さない)
==== 中和滴定の計算 ====
*例題5
:濃度が分からない硫酸 10.0 mL を、0.100 mol/L の水酸化ナトリウム水溶液で中和滴定したところ、20.0 mL を要した。この硫酸のモル濃度を求めよ。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:硫酸は2価の酸、水酸化ナトリウムは1価の塩基である。硫酸のモル濃度を<math>c\ \mathrm{[mol/L]}</math>とすると、
:<math>2 \times c \times 10.0 = 1 \times 0.100 \times 20.0</math>
:<math>c = 0.100\ \mathrm{mol/L}</math>
よって、0.100 mol/L である。
*例題6
:0.20 mol/L の塩酸 25 mL を中和するのに必要な、0.10 mol/L の水酸化バリウム <chem>Ba(OH)2</chem> 水溶液の体積は何 mL か。
<div style="height:5rem"></div>
解答
:塩酸は1価の酸、水酸化バリウムは2価の塩基である。必要な体積を<math>v'\ \mathrm{[mL]}</math>とすると、
:<math>1 \times 0.20 \times 25 = 2 \times 0.10 \times v'</math>
:<math>v' = 25\ \mathrm{mL}</math>
よって、25 mL である。
== 塩 ==
=== 塩の分類 ===
塩は、組成によって次の3つに分類される。
;酸性塩
:酸の<chem>H</chem>が残っている塩。 例 <chem>NaHSO4</chem>、<chem>NaHCO3</chem>
;塩基性塩
:塩基の<chem>OH</chem>が残っている塩。 例 <chem>MgCl(OH)</chem>、<chem>Cu2CO3(OH)2</chem> (水酸化炭酸銅)
;正塩
:酸の<chem>H</chem>も塩基の<chem>OH</chem>も含まない塩。 例 <chem>NaCl</chem>、<chem>NH4Cl</chem>、<chem>CH3COONa</chem>
'''注意''' この分類は、塩の水溶液の液性とは無関係である。
例
:<chem>NaHCO3</chem>は、酸性塩だが水溶液は塩基性。
:<chem>NH4Cl</chem>は、正塩だが、水溶液は酸性。
=== 塩の水溶液の性質 ===
塩の水溶液の液性は、その塩をつくった酸と塩基の強弱によって、次のようになる。
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
! 塩をつくる酸と塩基 !! 水溶液の液性 !! 例
|-
| 強酸 + 強塩基 || ほぼ中性 || <chem>NaCl</chem>、<chem>Na2SO4</chem>、<chem>KNO3</chem>
|-
| 弱酸 + 強塩基 || 塩基性 || <chem>CH3COONa</chem>、<chem>Na2CO3</chem>
|-
| 強酸 + 弱塩基 || 酸性 || <chem>NH4Cl</chem>、<chem>(NH4)2SO4</chem>
|}
=== 弱酸・弱塩基の遊離 ===
弱酸の塩に強酸を加えると、弱酸が遊離する。弱塩基の塩に強塩基を加えると、弱塩基が遊離する。
:<chem>CH3COONa + HCl -> CH3COOH + NaCl</chem>
:<chem>NH4Cl + NaOH -> NaCl + H2O + NH3</chem>
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[[Category:高等学校化学]]
[[Category:高等学校教育]]
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カテゴリ:ラテン語の時代区分
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カテゴリ:古典ラテン語
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カテゴリ:ラテン文学
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カテゴリ:ラテン文学の作家と著作
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小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ
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{| class="wikitable" style="width:100%"
|+ この章の概要
|<!--江戸時代中期−主題は文化史(元禄文化、化政文化など)--><!--(ク) 歌舞伎や浮世絵,国学や蘭学を手掛かりに,町人の文化が栄え新しい学問がおこったことを理解すること。-->
★時代区分:江戸時代中期</br>
★取り扱う年代:1638年(島原の乱終結)から1853年(ペリー来航)前まで
;江戸時代の文化
:江戸幕府の様々な政策によって世の中は安定し、人々は安心して経済活動を行えるようになって、様々な文化が武士だけでなく町人にも栄えるようになりました。
:「'''{{ruby|元禄|げんろく}}'''」は、江戸幕府ができてだいたい100年くらいの元号ですが、このころ、最初の町人文化の開花が見られました。元禄の頃の文化を「'''元禄文化'''」と言います。仮名草子・浮世草子といった出版物が市中に出回るようになり、'''人形浄瑠璃'''や'''歌舞伎'''が人々に人気を得て、'''井原西鶴'''や'''近松門左衛門'''といった劇作家がでました。
:連歌から発達した'''俳句'''(俳諧)が流行し、'''松尾芭蕉'''は、それを芸術のレベルまで高めたと言われています。
:絵画も大衆化し、このころ'''菱川師宣'''が'''浮世絵'''を創始しました。浮世絵は、版画の一種で何枚も同じ絵をすることができるので、庶民でもこれを買い求めることができました。ただし、浮世絵については、元禄から、さらに100年ほど後の「文化」「文政」といった元号の時期に最も盛んになります('''化政文化''')。'''喜多川歌麿'''や'''東洲斎写楽'''は歌舞伎役者の肖像画を、'''歌川広重'''は『東海道五十三次絵』などの風景画を、'''葛飾北斎'''は『冨嶽三十六景』など風景画のほか様々な構図の絵をあらわし、国内のみならず、オランダ貿易で持ち出されたものがフランスなどの絵画にも影響を与えました。
;江戸時代の学問
:戦国時代までの学問は主に寺院で、僧侶などにより、仏教や中国の古典が研究されていましたが、江戸時代になると、様々な階層の人々の研究が見られるようになります。
:幕府が公認していた学問は'''儒学'''のうち'''朱子学'''と言われるもので、幕府のほか各藩で教えられました。その他、中国の古典が研究されました。
:一方で、日本の古典についても研究が進み、'''国学'''が成立しました。国学の成立に大きく貢献したのが'''本居宣長'''です。国学は、のちの「'''尊王攘夷'''」の考えに影響します。
:鎖国をしているので、ヨーロッパの文化には直接触れることはできなかったのですが、オランダ語の書物を出島をとおして、手に入れることができ、これを訳して読むことで、当時急速に進みつつあったヨーロッパの科学に触れることができました。このような学問を'''蘭学'''と言います。'''杉田玄白'''らはオランダ語の医学書を翻訳して『'''解体新書'''』をあらわしました。
:'''伊能忠敬'''は、天文学や測量術を学んだ他、独自に測量方法を工夫し、日本全国を訪れ、正確な日本地図を作りました。
|}
=== 島原の乱からペリー来航まで ===
:島原の乱が終わると、日本は安定し大きな戦争などもなく、人々の生活にも変化の少ない時代が約200年続きます。
:この時代も幕府などの政治は色々と動いていて、経済も変化しているのですが、小学生の学習の範囲とはなっておらず、この時代の文化や学問の動きが学習の対象となっています。ただ、それらの文化や学問の時代背景として理解しておいた方が、理解の助けになるので、この節で簡単に述べます。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|
;この時代の歴代将軍と政治などの概要
:第4代将軍{{ruby|家綱|いえつな}}(将軍在位1651年-1680年)
:*父家光の死去に伴い、11歳で将軍に即位しました。将軍が幼くても、老中などの幕臣が支えて混乱を生じることがなかったなど幕府の組織がしっかりしていることをしめしました。
:第5代将軍'''{{ruby|綱吉|つなよし}}'''<span id="綱吉"/>(将軍在位1680年-1709年)
:*{{ruby|柳沢吉保|やなぎさわよしやす}}を{{ruby|側用人|そばようにん}}として用いました。
:*動物を大切にすることをさだめた「{{ruby|生類憐|しょうるいあわれ}}れみの令」という法律を出して、特に犬を大事にしたので「{{ruby|犬公方|いぬくぼう}}」として有名ですが、これは、武士のあらあらしい行動は平和な世の中にふさわしくないため、武力を日常に出すことはひかえて、学問などをおさめることにつとめるよう、さとしたものとも言われています。このような様子を「<u>『{{ruby|武断|ぶだん}}政治』から『{{ruby|文治|ぶんち}}政治』へ</u>」という言い方をします。
:*上方を中心に商業が発展した町人文化「'''[[#元禄文化|{{ruby|元禄|げんろく}}文化]]'''」が花開きました。
:第6代将軍{{ruby|家宣|いえのぶ}}(将軍在位1709年-1712年)
:*学者の{{ruby|新井白石|あらいはくせき}}を用いて、綱吉の時代の経済が拡大したことで起こったインフレーションをしずめる政策('''{{ruby|正徳|しょうとく}}の{{ruby|治|ち}}''')を行いました。
:第7代将軍{{ruby|家継|いえつぐ}}(将軍在位1713年-1716年)
:*家宣が急死し4歳で即位したため、新井白石の政治が続きました。
:第8代将軍'''{{ruby|吉宗|よしむね}}'''<span id="吉宗"/>(将軍在位1716年-1745年 大御所:-1751年)
:*世の中が安定し、経済が発展したため、幕府の支出が増える一方で、収入源である米の価格が下がるという状況になり、幕府の財政は厳しいものとなっていました。吉宗は、倹約と増税・新田開発、米価をあげることにより幕府の財政を回復させ、また、優秀な人材を登用できるようにし、{{ruby|大岡忠相|おおおかただすけ}}などを用いました。これを'''{{ruby|享保|きょうほう}}の{{ruby|改革|かいかく}}'''と言います。
:第9代将軍{{ruby|家重|いえしげ}}(将軍在位1745年-1760年)
:*{{ruby|田沼意次|たぬまおきつぐ}}<span id="田沼"/>を用いて、商業を振興したり、印旛沼の開発などをして、景気を良くすることにつとめました。田沼意次が活躍した時代を「'''{{ruby|田沼|たぬま}}時代'''」といいます。
:第10代将軍{{ruby|家治|いえはる}}(将軍在位1760年-1786年)
:*田沼意次の政治が続きました。商人を利用して経済を活発にしたのですが、役人の汚職が{{ruby|噂|うわさ}}されました<ref>「{{ruby|噂|うわさ}}される」 - そのことが、真実であるかどうかを確認しないまま、世の中で評判になること。</ref>。
:第11代将軍{{ruby|家斉|いえなり}}(将軍在位1787年-1837年 大御所:-1841年)
:*{{ruby|飢饉|ききん}}やそれにともなう百姓一揆・打ちこわし<ref>江戸や大阪といった都市の民衆が、政治などに不満を持った大きな商人などの店を集団でこわすことを言います。都市における百姓一揆みたいなものです。</ref>が増え、また、幕府の財政が再び悪化したため、田沼意次はやめさせられました。それに代わって{{ruby|松平定信|まつだいらさだのぶ}}<span id="定信"/>が老中{{ruby|筆頭|ひっとう}}に任命され、倹約などをすすめることで、幕府の財政の立て直しをはかりました。これを、これを'''{{ruby|寛政|かんせい}}の{{ruby|改革|かいかく}}'''と言います。定信自身は老中をすぐに辞めてしまいますが、定信の考えを引き継いで約30年改革は続きます。
:*その後、また、田沼意次の考えを継いだ老中らが、経済を活発にする政策を取りました(「'''{{ruby|大御所|おおごしょ}}時代'''」)。そのころには経済活動が、上方中心から江戸へと移ってきて、江戸の町民文化が盛んになりました。これを「'''[[#化政文化|{{ruby|化政|かせい}}文化]]'''」といいます。
:第12代将軍{{ruby|家慶|いえよし}}(将軍在位1837年-1853年)
:*幕府財政がまた悪化してきたため、大老となった{{ruby|水野忠邦|みずのただくに}}<span id="忠邦"/>が改革政策である'''{{ruby|天保|てんぽう}}の{{ruby|改革|かいかく}}'''を行いました。
|}</div>
=== 江戸時代の文化 ===
:江戸時代になって、大名同士のあらそいがなくなったので、日本全国にわたる商業が安全にできるようになりました。そうして、それまでの時代と比べて商業が特に発達しました。商業の発達によって、大阪や京都、江戸といった都市が発達し、そこの住民に町人文化が発達しました。
;<span id="元禄文化"/>元禄文化
[[File:Shibai Ukie by Masanobu Okumura.jpg|thumb|250px|歌舞伎の劇場]]
[[File:ChikamatsuM.jpg|180px|thumb|近松門左衛門]]
[[File:Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg|180px|thumb|松尾芭蕉]]
:「'''{{ruby|元禄|げんろく}}'''」は、江戸幕府ができてだいたい100年くらいの元号です(1688年 - 1704年)。このころ、大阪を中心に最初の町人文化の開花が見られました。元禄の頃の文化を「'''元禄文化'''」と言います。
:商業が盛んとなり、大阪や京都に住む庶民が豊かになると、さまざまな{{ruby|娯楽|ごらく}}が発達します。音楽に合わせた踊りや演劇といったものは、特に人気でした。安土桃山時代や江戸時代の初めのころは、これらの芸能は、大きな寺の{{ruby|境内|けいだい}}や河川の{{ruby|河原|かわら}}<ref>いわゆる、{{ruby|河川敷|かせんじき}}と言われる地域です。この地域は、大雨が降ると水に沈むため、家を建てたり、田んぼにすることができませんでした(今でもそうです)。</ref>に小屋をもうけて、{{ruby|披露|ひろう}}されていましたが<ref>客席には屋根がなく、みな{{ruby|芝|しば}}の上に{{ruby|居|い}}て見ていました。「{{ruby|芝居|しばい}}」という言葉はここからきています。</ref>、人気が安定すると街中に{{ruby|芝居小屋|しばいごや}}(劇場)ができ、そこで一年を通じてもよおされるようになりました。
:芝居小屋では、'''{{ruby|歌舞伎|かぶき}}'''や'''{{ruby|人形浄瑠璃|にんぎょうじょうるり}}'''が人気をえました。
:<span id="歌舞伎"/>歌舞伎は、安土桃山時代末期にあらわれた、{{ruby|出雲阿国|いずものおくに}}という女性が始めた着飾った女性が集団で踊り、その中に演劇的な内容を入れた「かぶき踊り<ref>「かぶき」は「かたむき」という意味の古い言葉です。世の中とちょっと違ったことをする(今でも、「{{ruby|斜|しゃ}}にかまえる」という言い方をします)ことであって、異様なすがたをして街中を横行した人たちを「かぶきもの」と言いました。「歌舞伎」は当て字です。</ref>」({{ruby|阿国|おくに}}かぶき)が起源とされ、京や大阪で非常に人気となりました。しかし、女性ばかりが人前で踊ることは、風紀をみだすということで幕府に禁止されました。同時期に、若い少年で同じような芸能が始まりましたが同様の理由で禁止になりました。そこで、成年男子ばかりで女性役も男性の俳優がやる現在の形の歌舞伎が残りました。
:人形浄瑠璃は、室町時代末期におこった音楽<ref>もとは、琵琶などの演奏でしたが、安土桃山時代頃に琉球から伝わった{{ruby|蛇皮線|じゃびせん}}を改良した{{ruby|三味線|しゃみせん}}が多く使われるようになっていました。</ref>に合わせて物語を語る{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}に合わせた人形劇が安土桃山時代に起こり、江戸時代初期に形が完成したものです。この人形浄瑠璃の脚本家として'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#近松門左衛門|{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}]]'''があらわれ、『{{ruby|曽根崎心中|そねざきしんじゅう}}』などの作品が演じられました。
:都市化が進むと、出版物も多く作成されるようになり、仮名草子・浮世草子といった出版物が市中に出回るようになました。小説の制作を職業とするものも出てきて、中でも'''{{ruby|井原西鶴|いはらさいかく}}'''は『好色一代男』や『好色五人女』などの作品を書いて人気をえました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#連歌|連歌]]から発達した'''俳句'''(俳諧)が流行し、'''{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}'''は、それを芸術のレベルまで高めたと言われています。俳句を読みながら、江戸をたって東北地方をめぐり、北陸を経て美濃国大垣(岐阜県大垣市)にいたるまでの旅についての紀行文『おくのほそ道』などが有名です。
:絵画も大衆化し、このころ'''{{Ruby|菱川師宣|ひしかわもろのぶ}}'''が'''{{Ruby|浮世絵|うきよえ}}'''を創始しました。浮世絵は、版画の一種で何枚も同じ絵をすることができるので、庶民でもこれを買い求めることができました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="元禄時代"/>元禄時代の出来事<small>
:元禄は、最後の大名の間での戦いである[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#大阪の陣|大阪の陣]](1615年)が終わって73年、江戸時代最大の民衆の反乱である[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#島原の乱|島原の乱]](1638年)が終わって約50年、平和な社会が完全に定着した時代でした。
:江戸時代の社会で支配的な階層にあった武士は、そもそも軍人で、その能力は戦闘の強さで評価されていましたが、元禄ころになると、学問の知識を持って、論理的に物事を解決する能力が大事であると理解されるようになりました。
:;{{ruby|生類憐|しょうるいあわれ}}れみの令
::元禄の頃の将軍は、徳川{{ruby|綱吉|つなよし}}ですが、綱吉は、「{{ruby|生類憐|しょうるいあわれ}}れみの令」という法律を出したことで有名です。生類憐れみの令は、動物を大切にし、殺したり、{{ruby|虐待|ぎゃくたい}}してはいけないという法律です。特に、綱吉は{{ruby|戌|いぬ}}年生まれだったので、犬が大切にされました。この時代になると、江戸も都市化が進んで住民も増え、その住民が飼っていた犬が放置されるなどして、野良犬が増えていたのですが、生類憐れみの令が出て、それら野良犬は殺さずに、「{{ruby|犬小屋|いぬごや}}」と呼ばれる施設に集め飼うことになりました。はじめは、江戸市中の何ヶ所かに作られていましたが、犬が増え手狭になったので、江戸郊外の中野(現在の東京都中野区、JR中野駅近辺)に大規模な「犬小屋」を作りました。中野犬小屋の総面積は、最大時約30万坪(約100万㎡、1km四方です)にもなり、そこでは、約8万匹の犬が飼われ、その{{ruby|餌|えさ}}代は年間10万両に近かったと記録されています。
::生類憐れみの令は、動物を殺したり虐待した人が罰せられたり、ひどい場合には死罪になったりして武士や庶民の生活には{{ruby|迷惑|めいわく}}な悪法と伝えられていて、綱吉は{{ruby|犬公方|いぬくぼう}}(「公方」は将軍の意味)とかげであだ名をつけられてもいました。綱吉の死後、第6代の将軍となった{{ruby|家宣|いえのぶ}}は、この法令を就任後すぐに廃止しました。
::しかし、近年、綱吉の政策は、武士が持つ暴力的な風潮({{ruby|武断|ぶだん}}政治)を改めて、学問や法令といった暴力を用いない政治({{ruby|文治|ぶんち}}政治)を目指したものと考えられていて、生類憐れみの令も、そのひとつと考えられています。
:;{{ruby|赤穂浪士|あこうろうし}}の{{ruby|吉良|きら}}{{ruby|邸|てい}}{{ruby|討|う}}ち入り
::このような風潮を受けて、この時期には、武士も刀や槍、弓の扱いといった武術の能力よりも、庶民の生活に関係する文書の取り扱いや、年貢などの計算の能力が重視されるようになり、武士らしい戦場での働きからは、遠く離れていました。こうした中で、武士らしさがあらわれた事件が起こります。「{{ruby|赤穂浪士|あこうろうし}}の{{ruby|吉良|きら}}{{ruby|邸|てい}}{{ruby|討|う}}ち入り」という事件です。
::元禄14年(1701年)、{{ruby|播磨|はりま}}国赤穂藩(兵庫県赤穂市)の藩主{{ruby|浅野長矩|あさのながのり}}(役職名から「浅野{{ruby|内匠頭|たくみのかみ}}」と通称されます)が、突然、江戸城内で刀を抜いて、{{ruby|高家|こうけ}}<ref>幕府の儀式を司る旗本、名門の子孫がなりました。吉良氏は、室町幕府将軍家足利氏の支族です。</ref>の{{ruby|吉良義央|きらよしなか}}(通称:吉良{{ruby|上野介|こうずけのすけ}})に切り付け、けがを負わせます。内匠頭が、なぜ切り付けたか原因はよくわかってはいません。一説には上野介が内匠頭をいじめていたという話もありますが、江戸城内で刀を抜くことは、将軍に歯向かう行動として厳しく禁止されており、将軍綱吉は、すぐに、内匠頭に切腹と赤穂藩の取り{{ruby|潰|つぶ}}しも命じました。一方、上野介には何のとがめもなく、これは武士の社会のルールである『{{ruby|喧嘩両成敗|けんかりょうせいばい}}<ref>争いごとは、お互いに責任があるとして、両方を罰する、または、ともに罰しないこと。</ref>』に反した取り扱いだとかげでいう人もいました<ref>将軍の決めたことなので表立って言うことはできません。</ref>。取り潰された赤穂藩につかえていた武士たちの多くは、新たにつかえさせてくれる主君も見つからず、職を失った状態になりました。江戸時代も元禄時代ころになると身分制も固くなって、大名はめったに新たに家臣をとることはなくなりましたし、農民になろうにも[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#武士と庶民|農地は簡単に手に入らないものとなっていた]]ため、あらたな仕事につくことは非常に難しいものとなっていました。このように、主君につかえていない武士を、{{ruby|浪人|ろうにん}}または{{ruby|浪士|ろうし}}と言い、赤穂藩の浪人たちを{{ruby|赤穂浪士|あこうろうし}}と言います。そして、約2年ののち、元禄15年12月14日(1703年1月30日)、赤穂藩の家老であった{{ruby|大石良雄|おおいしよしかつ}}(通称:大石{{ruby|内蔵助|くらのすけ}})が率いる47人の浪士が、数十人の侍が警護する上野介の屋敷を襲い、吉良上野介の首を取って、主君内匠頭の{{ruby|仇討|あだう}}ちを果たしました。
::幕府は、江戸の市中をさわがせたものとして、この大石内蔵助ら47人の赤穂浪士({{ruby|四十七士|しじゅうしちし}}、赤穂{{ruby|義士|ぎし}}と通称します)に切腹を命じますが、亡くなった主君の恨みを果たした忠義の武士として多くの人にたたえられました。この出来事をもとにして、7年後の宝永7年(1710年)には、[[#元禄文化|近松門左衛門]]が人形浄瑠璃の演目『{{ruby|碁盤太平記|ごばんたいへいき}}』を作り、寛延元年(1748年)に人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『{{ruby|仮名手本忠臣蔵|かなでほんちゅうしんぐら}}』が作られます。『仮名手本忠臣蔵』は歌舞伎の演目の中でも最も人気があるもので、現在では、この出来事そのものが『忠臣蔵』の物語として知られています。
</small>
|}</div>
;<span id="化政文化"/>化政文化
:江戸は幕府が開かれた当時は、全国から武士のみが集まる都市でしたが、元禄から、100年ほど後の「'''{{ruby|文化|ぶんか}}'''」「'''{{ruby|文政|ぶんせい}}'''」といった元号の時期(1804年-1830年)には、武士以外の商人や職人なども増えて、町人文化が見られるようになりました。これを、「文'''化'''」「文'''政'''」から、「'''{{ruby|化政|かせい}}文化'''」といいます。
:江戸でさかんとなった庶民文化としては、従来の歌舞伎などの芸能に加え、芝居小屋より小さな{{ruby|寄席|よせ}}ができて、落語、講談、浄瑠璃、手品・曲芸など一人または少人数による出し物も楽しまれるようになりました。
:文芸では'''{{Ruby|十返舎一九|じっぺんしゃいっく}}'''の『{{ruby|東海道中膝栗毛|とうかいどうちゅうひざくりげ}}』など{{ruby|滑稽|こっけい}}なものが人気で、また幽霊などの不思議なできごとを描いた『{{ruby|雨月|うげつ}}物語』の'''{{Ruby|上田秋成|うえだあきなり}}'''や『{{ruby|南総里見八犬伝|なんそうさとみはっけんでん}}』の'''{{Ruby|曲亭馬琴|きょくていばきん}}'''らの小説家が作品を発表しました。
:俳句は、引き続き人気で'''{{Ruby|与謝蕪村|よさぶそん}}'''や'''{{Ruby|小林一茶|こばやしいっさ}}'''などが有名となりました。また、俳句や短歌の形式で、{{ruby|滑稽|こっけい}}な内容を歌う'''{{ruby|川柳|せんりゅう}}'''や'''{{ruby|狂歌|きょうか}}'''が流行しました。
:浮世絵も幅広い題材を取り上げるようになり、'''{{Ruby|喜多川歌麿|きたがわうたまろ}}'''や'''{{Ruby|東洲斎写楽|とうしゅうさいしゃらく}}'''は歌舞伎役者の肖像画を、'''{{Ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}'''は『東海道五十三次絵』などの風景画を、'''{{Ruby|葛飾北斎|かつしかほくさい}}'''は『冨嶽三十六景』など風景画のほか様々な構図の絵をあらわしました。
{| class="wikitable" style="width:100%"
|
<gallery heights="200px" widths="200px">
ファイル:Beauty looking back.jpg|thumb|『見返り美人図』菱川師宣
ファイル:Nihonbashi bridge in Edo.jpg|葛飾北斎『{{ruby|富嶽三十六景|ふがくさんじゅうろっけい}}』 1. {{Ruby|江戸日本橋|えどにほんばし}}
ファイル:Lightnings below the summit.jpg|『富嶽三十六景』 32. {{Ruby|山下白雨|さんかはくう}}
ファイル:Red Fuji southern wind clear morning.jpg|『富嶽三十六景』 33. {{Ruby|凱風快晴|がいふうかいせい}}
File:東海道五十三次之内 川崎 六郷渡舟-Ferry Boat Crossing the Rokugo River MET DP122176.jpg|200px|歌川広重『{{ruby|東海道五十三次|とうかいどうごじゅうさんつぎ}}』
</gallery>
|}
:浮世絵は、国内のみならず、オランダ貿易で持ち出されたもの<ref>もともとは、美術品として持ち出されたものではなく、陶器の輸出に詰め物として使われた屑紙として伝わったものと言われています。</ref>がフランスなどの絵画にも影響を与えました。
{| class="wikitable" style="width:100%"
|
<gallery heights="200px" widths="200px">
画像:Hiroshige Van Gogh 2.JPG|300px|歌川広重の絵(左)と、ゴッホの{{Ruby|模写|もしゃ}}(右)
Van Gogh - Portrait of Pere Tanguy 1887-8.JPG |ゴッホの作品。人物の後ろに、浮世絵がえがかれている。
</gallery>
|}
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="江戸期の商業"/>江戸時代の商業<small>
:商業の発達によって、商家は過去に見ることのないほど大きくなりました。ここでは、江戸時代に特徴的な商業について紹介します。
*'''{{ruby|米問屋|こめどんや}}・{{ruby|米仲買|こめなかがい}}・{{ruby|札差|ふださし}}'''<span id="米問屋"/>
*:幕藩体制の基本は稲作でした。幕府や各藩は、米で年貢を受けており、農民は年貢分に合わせて、換金しやすい基礎的な商品作物として稲作を行っていました。また、幕府でも各藩でも、家臣への給与は米で支払われていました。
*:[[File:Communications by flags.jpg|thumb|200px|大阪の取引価格を伝えた「旗振り通信」]]
*:幕府や各藩は、年貢を集めると自分の領地で必要な分をのぞいて、江戸や大阪にある{{ruby|蔵屋敷|くらやしき}}と呼ばれる一種の倉庫に運びます。それを{{ruby|米問屋|こめどんや}}と呼ばれる商人に売って、現金を得ていました。米問屋は、米を買い付けるだけではなくて、年貢米を{{ruby|担保|たんぽ}}<ref>担保というのは、お金を借りるとき、将来もしも返せなかった場合に、代わりに相手に渡すもののことを言います。「年貢米を担保に」というのは、ある年に、大名が年貢米を担保に1000両を商人に借りたとして、翌年までに1000両返せなければ、年貢米が商人のものとなることを言っています。</ref>に大名などにお金の貸し付けもしていました。また、各藩の領地や農村から直接買い付けて、米問屋へ売ったり、米問屋から買って米の小売店に売る{{ruby|米仲買|こめなかがい}}という商人もあらわれました。
*:家臣への給与としての米も米商人に売ることで武士は現金をえました。江戸では旗本や御家人の米を買い取る米商人を{{ruby|札差|ふださし}}といい、米問屋が大名に対してやったのと同じように、旗本や御家人に貸し付けを行いました。
*:米の売買はこのように日本中で大規模に取引されましたが、特に大阪には、{{ruby|堂島|どうじま}}{{ruby|米会所|こめかいしょ}}という取引所ができて、ここでの取引価格が米の値段を決めていました。堂島米会所では、毎日取引がなされ、この結果は、「{{ruby|旗振|はたふ}}り通信」という旗や夜間{{ruby|松明|たいまつ}}を振って、リレーで伝える方法で、全国に伝えられました。大阪から江戸まで、2時間から8時間で伝わったそうです。
*'''{{ruby|両替|りょうがえ}}商'''<span id="両替商"/>
*:江戸時代の日常生活で使われた貨幣は、1636年に発行が開始された'''{{ruby|寛永通宝|かんえいつうほう}}'''<span id="寛永通宝">でした。寛永通宝は1枚が最低限の貨幣の単位である1{{ruby|文|もん}}で流通しました<ref>後に、デザインを変えた四文銭も発行されました。</ref>。寛永通宝が安定して発行されるようになったので、[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#永楽通宝|永楽通宝]]などを使用する必要はなくなりました<ref>ただし、明治になるまで、永楽通宝1000文=金1両として扱われました。</ref>。
*:しかし、大きな取引になると、寛永通宝では枚数が多くなって不便なので、商人の間の取引や職人の給金の支払いには、'''銀'''が使われました<ref>寛永通宝は1枚約3gです。単純な土木作業の手間賃として一朱銀が支払われ、1朱はおおよそ250文に相当するので、1文銭だけだと1人あたり750gの銭が行き来することになります。</ref>。江戸時代の初めは、銀の重さで取引をしていて、幕府が重さを保証した大型の{{ruby|丁銀|ちょうぎん}}や小型の{{ruby|豆板銀|まめいたぎん}}が流通していましたが、江戸幕府の後期に、{{ruby|一朱銀|いっしゅぎん}}・{{ruby|二朱銀|にしゅぎん}}・{{ruby|一分銀|いちぶぎん}}のような貨幣が発行されました。銀貨を{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}していた所を、「{{ruby|銀座|ぎんざ}}」といい、現在の東京都中央区銀座にありました。
*:大名の取引や大商人の間の取引といった、さらに大きな取引には、金貨がつかわれました。金は{{ruby|小判|こばん}}と呼ばれる貨幣が発行され、小判1枚は1{{ruby|両|りょう}}という単位で流通しました。さらに、これを補助する通貨として4枚で1両とする{{ruby|一分金|いちぶきん}}や、4枚で1分とする{{ruby|一朱金|いっしゅきん}}が発行されました。小判など金貨を{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}していた所を、「{{ruby|金座|きんざ}}」といいます。金座は、現在の東京都中央区にあり、現在、そこには、日本の紙幣を発行する{{ruby|日本銀行|にほんぎんこう}}の本店があります。
*:このように、江戸時代は銭(寛永通宝)、銀、金といった3種類の貨幣が流通していました。幕府は、金1両に対しては銀60匁(約225グラム)<ref>幕府ができた当時は、金1両は銀50匁(約187グラム)としていました。</ref>、銭4貫文(4,000文)で交換することと決めました。
*:しかし、各々の流通していた量が一定ではなかったため、お互いの交換する割合は時々で変わりました。この交換({{ruby|両替|りょうがえ}})を行なったのが、'''{{ruby|両替|りょうがえ}}商'''です。
*:この時代には、{{ruby|紙幣|しへい}}(紙のお金)は発行されていませんでしたが、各藩は、借金をしてその証明書を小口にしたものを発行し、それは、お金と同じように取り扱われました。これを、{{ruby|藩札|はんさつ}}と言います。藩札も、両替商で、銭(寛永通宝)などに交換されました。
<gallery heights="100px" widths="150px">
File:Kanei-tsuho-bun.jpg|寛永通宝
File:Kanei-1kanmon.jpg|寛永通宝を100枚ずつ紐でまとめたもの。写真で1000文(1貫文)である。
File:Eiji-mameitagin.jpg|豆板銀
File:Keicho-koban2.jpg|小判
File:Hansatsu - Momme du Japon, 1850.jpg|藩札
</gallery>
*'''{{ruby|呉服|ごふく}}商'''
*:元禄の少し前、江戸の日本橋のたもとに呉服屋{{ruby|越後屋|えちごや}}を開いた{{ruby|三井高利|みついたかとし}}は、それまで、呉服の{{ruby|反物|たんもの}}は、むかしから取引のある客(得意客)に見本を見せ、値段を交渉し、1反(呉服一着分)を単位に届け、支払いは後日の{{ruby|掛払|かけばら}}い<ref>米がとれ、それを年貢に取り立てることで幕府や各藩は支払いがはじめてできます。ですから、ある程度高額なものについては、支払いがいつでもできるわけではなく、支払うためのお金を準備する期間をもうけるというのが習慣としてありました。</ref>という習慣に対して、{{ruby|現金|げんきん}}{{ruby|掛値|かけね}}無し(現金払いでの定価販売)、必要分だけ反物の切り売り、店に来た客には誰でも売るという売り方<ref>現在では一般的となった売り方です。</ref>にかえて、売りはじめました。手間などが減った分安く売ることがてきたので、大変はやり、越後屋は大きな店となりました。これが、後に{{ruby|三越|みつこし}}('''三'''井・'''越'''後屋)となり、現在の三井グループのルーツとなります。
*'''{{ruby|廻船|かいせん}}{{ruby|問屋|どんや}}'''<span id="廻船問屋"/>
*:[[File:Sailboat on Blue Water LACMA 16.16.11.jpg|thumb|180px|千石船]]
*:当時、大量の物資を運ぶために江戸と上方、さらには瀬戸内海を経由し、日本海を北上し{{ruby|出羽|でわ}}(現在の山形県)までをつなぐ、定期的な船の行き来がありました。このような船をつかって、荷物を運んだ商人を{{ruby|廻船|かいせん}}{{ruby|問屋|どんや}}と言います。
*:船は、{{ruby|千石船|せんごくぶね}}と呼ばれる大型の船が用いられました。千石船は、大型の{{ruby|帆|ほ}}が一つだけで、操作が難しく、また、甲板がなかったので、しばしば、{{ruby|難破|なんぱ}}しました。
</small>
|}</div>
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="両替"/>1両や1{{ruby|文|もん}}で何が買えた?<small>
:江戸時代のお金の単位が、『両』や『文』であったことは、よく知られていますが、現在の価値で表すといくらぐらいになるのでしょうか。これは非常に難しい問題です。一口に「両」や「文」と言っても、江戸時代260年の間には価値が大きく変わっています。また、物の価値は江戸時代と現在では全く違っています。例えば、卵は現在大量生産がなされているので、1個10円から20円程度ですが、江戸時代はそば屋のかけそばより高かったということで1個400円程度の感覚でした。それでも、目安として知ることは無駄ではないので、こころみに計算してみましょう。ここでは、1両を4000文としておきます。
:*江戸時代をとおして、米1石が1両に概ね相当すると考えられていました。米1石は約150kgの米ですから、現在では6万円程度となります<ref>一般的な米の平均価格を1kg400円としています。</ref>。1両6万円として、1文は15円相当です。
:*落語などでは、店で出されるかけそばは16文とされます。現在、これを500円程度と考えると、1文は30円程度で、1両は12万円程度になります。
:*江戸時代の単純な土木工事の手間賃として、1日に1朱銀が支払われていました。1朱は1/16両ですので、250文です。単純労働の時給を1000円としましょう、当時の労働時間は夜明けから日暮までなので12時間です。そうすると、1日に12000円程度の手間賃に相当するでしょう。同等と換算すると、1文48円となります。1両は192,000円になります。
:*なお、1両として用いられた慶長小判には約18g程度の金が含まれています。現在、金の価格は大きく変動していますが、1g4000円から8000円程度で取引されています。金の価値から考えると7万円から14万円程度のものであったことになります。
:以上から、1文が15円から50円程度、1両は6万円から20万円程度が現在の価値に相当すると考えられます。
</small>
|}</div>
=== 江戸時代の学問 ===
:戦国時代までの学問は主に寺院で、僧侶などにより、仏教や中国の古典が研究されていましたが、江戸時代になると、様々な階層の人々の研究が見られるようになります。
;{{ruby|儒学|じゅがく}}
:幕府が公認していた学問は'''儒学'''のうち'''{{ruby|朱子学|しゅしがく}}'''と言われるものでした。家康は、朱子学の学者である{{ruby|林羅山|はやしらざん}}を重く用い、幕臣に朱子学を学ばせました。[[#綱吉|第5代将軍綱吉]]は、世の中が平和になったので、それまで武士は、何かと武力で解決しようとしていた(武断政治)のを、何が正しいかを議論することや法令によって解決できるよう(文治政治)、武士に儒学を学ぶよう命じました。林羅山の子孫は、代々幕府で学問の責任者となります。羅山のころは、私的な塾で教えられていたのですが、その塾をもとに、後に幕府は{{ruby|昌平坂|しょうへいざか}}{{ruby|学問所|がくもんじょ}}をつくります。
:朱子学は、各藩でも{{ruby|藩校|はんこう}}がつくられ、そこで教えられました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="儒学"/>儒学・儒教<small>
:{{ruby|儒学|じゅがく}}は、中国で紀元前6世紀から5世紀に{{ruby|孔子|こうし}}という人が始めた教えです。宗教としての性格もあるので{{ruby|儒教|じゅきょう}}とも言います。
:儒学は、紀元前2世紀からずっと、中国の王朝で正統とされた学問です。内容を伝えることは、簡単ではありませんが、この教えの特徴をよく伝える『{{ruby|礼記|らいき}}<ref>儒学の重要な書物の一つです。</ref>』の言葉「{{ruby|修身|しゅうしん}}、{{ruby|斉家|せいか}}、{{ruby|治国|ちこく}}、{{ruby|平天下|へいてんか}}」をあげておきましょう。意味は、「自分の行動を正しくし、家族がばらばらではなく、国がおさまるようであれば、世界には争いがなくなる」という意味です。このように、儒学の目標は天下が平和におさまることですが、そのためには、各個人が正しい行いをしていかなければならないというものです。
:儒学は、日本にも中国との交流とともに伝わりました。[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#漢字伝来|漢字の伝来]]の時に、王仁は儒教で最も重要な書物である『{{ruby|論語|ろんご}}』を『{{ruby|千字文|せんじもん}}』という書物とともに伝えたとされています。奈良時代から平安時代にかけての律令制の時代にも、儒教の学校がありました。また、鎌倉時代から室町時代にかけては、主に禅宗の寺院で、中国からの書物を使って研究がされていました。
:江戸時代になると、仏教から独立し学問として研究されるようになります。
:儒学の中でも、江戸時代に中心となったのは、13世紀に{{ruby|朱熹|しゅき}}が完成した{{ruby|朱子学|しゅしがく}}という学問です。朱子学は、国や社会の秩序を重んずるという特徴があり、明や清の国の学問となっていました。中国からの儒教に関する書物も朱子学のもので、また、朱子学は、家庭では親を大切にすること({{ruby|孝|こう}} - 「{{ruby|親'''孝'''行|おやこうこう}}」の「孝」です)と、主君にはさからわずつかえること({{ruby|忠|ちゅう}})が大事であるとといたので、下克上の世の中が終わって、安定した江戸時代の社会に合っていたのです。
:朱子学は、このように、江戸時代の学問の中心になったのですが、朱子学は形式ばった学問という特徴があって、{{ruby|実践|じっせん}}を重要と考えた{{ruby|陽明学|ようめいがく}}なども広く受け入れられました。
</small>
|}</div>
;国学<span id="国学">
:[[File:本居宣長02.jpg|thumb|180px|本居宣長]]
:この時代、日本の古典についても研究が進み、朱子学など儒学に対抗する形で、日本古来の伝統を重要視する'''{{ruby|国学|こくがく}}'''が成立しました。
:国学の成立に大きく貢献したのが'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#本居宣長|{{Ruby|本居宣長|もとおりのりなが}}]]'''です。宣長は、『[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#記紀|古事記]]』を研究し、その注釈書である『古事記伝』をあらわすなど、日本の古典を研究し、江戸時代当時の言葉で理解しやすいよう多くの注釈書などを著作しました。
:国学は、のちの「'''{{ruby|尊王攘夷|そんのうじょうい}}'''」の考えなどに影響します。
{{-}}
;蘭学<span id="蘭学">
:鎖国のため、ヨーロッパの文化には直接触れることはできなかったのですが、[[#吉宗|第8代将軍吉宗]]は、キリスト教関連以外の書物に限って、オランダ語の書物の輸入を認めました。それ以降、これを訳して読むことで、当時急速に進みつつあったヨーロッパの科学に触れることができました。このような学問を'''{{Ruby|蘭学|らんがく}}'''と言います。
:医者の '''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#杉田玄白|{{Ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}}]]'''・'''{{Ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}'''らはオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を見て、実際に死体の解剖を行い、それが非常に正確に記述されていることを知って感心し、これを4年かけて翻訳して、1774年『'''解体新書'''』をあらわしました。このころは、まだ、オランダ語の辞書はなく、大変苦労した話を『{{Ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』に記しました。
:杉田玄白らと同じ時代の、{{ruby|平賀源内|ひらがげんない}}<span id="平賀源内">は、オランダ語の本から、「エレキテル」と呼ばれる、静電気を発電し蓄電する機械(起電気)を製作しました。
:蘭学は、現代の日本の科学にも大きな影響を残しています。
:{{ruby|宇田川玄真|うだがわげんしん}}は、『解体新書』よりもさらに詳しい医学書を翻訳し、それまで日本語の名前のなかった臓器である「{{ruby|膵臓|すいぞう}}」や「{{ruby|腺|せん}}(体液を出す器官)」について、「膵」や「腺」という漢字を新しく作ってなづけました。玄真の養子である{{ruby|宇田川榕菴|うだがわようあん}}は、「化学」を紹介し、翻訳で「水素」、「酸素」、「窒素」、「元素」、「酸化」、「細胞」、「圧力」、「温度」、「結晶」、「沸騰」など現在でも使われている言葉を数多く作りました。
:蘭学は、こうして、当時急速に進んだヨーロッパの科学技術を日本に伝え、幕末には、新しい知識を持った人たちを送り出すのですが、これを研究する人はまだ少数で、世の中を変えるまでの影響はありませんでした。また、18世紀から19世紀にかけての「[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#世界の変化1 - 産業革命|{{ruby|産業革命|さんぎょうかくめい}}]]」にオランダは少し遅れてとりくんだため、蒸気機関などその成果はほとんど入りませんでした。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| class="wikitable" style="width:90%"
|
<gallery heights="200px" widths="200px">
Sugita_Genpaku.jpg|thumb|杉田玄白
Kaitai shinsyo01.jpg|right|thumb|『解体新書』。とびら絵は『ターヘル・アナトミア』のとびら絵とはまったく{{Ruby|異|こと}}なっている。
Ontleedkundige Tafelen replica.jpg|thumb|『ターヘル・アナトミア』(複製)。
Elekiter replica.jpg|thumb|right|平賀源内作のエレキテル(複製)
</gallery>
|}
</div>
;教育
:[[File:Bungaku-Bandai_no-Takara-Terakoya-School-by-Issunshi-Hanasato.png|thumb|right|寺子屋のようす。]]
:武士の子弟は、幕臣ならば昌平坂学問所、大名家では藩校で、主に朱子学が教えられました。
:一方、農民や町民などの{{Ruby|庶民|しょみん}}は、'''{{Ruby|寺子屋|てらこや}}'''で文字の'''読み書き'''や'''そろばん'''などを学びました。
:蘭学などは、蘭学者が塾を開き、そこで教えました。特に、医学については、身分に関係なく塾で学んで医者になることができました。
{{-}}
;自然科学への取り組みと学問の実践
:儒学や国学は、主に武士などに、きちんとした生活態度や{{ruby|心得|こころえ}}を説くものでしたが、数学のように自然の法則を探究する学問も盛んになりました。また、蘭学に見られるように、学問の成果を、人々の生活の役に立てられるような学問の{{ruby|実践|じっせん}}もすすみました。
:*{{ruby|関孝和|せきたかかず}}は、方程式や図形の面積を求めるのに、当時としてはヨーロッパで進展しつつあった近代数学に匹敵する日本独自の数学{{ruby|和算|わさん}}を完成させました。
:*<span id="サツマイモ"/>{{ruby|青木昆陽|あおきこんよう}}は、1732年に起きて日本全土に被害をもたらした享保の大{{ruby|飢饉|ききん}}で、薩摩国など島津氏領では被害が少なく、これが1700年頃に琉球から伝わったイモ<ref>もとは、コロンブスのアメリカ大陸発見後、ヨーロッパやアジアにもたらされたトウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ・タバコなどと同様、アメリカ大陸原産の植物です。</ref>の恩恵によることを知って、これを、1734年江戸に伝え、飢饉に備えました。この後、このイモ栽培によって、各地で食糧不足をまぬがれることができました。薩摩から伝わったイモなので、サツマイモと呼ばれます。
:*'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#伊能忠敬|{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}}]]'''は、天文学や測量術を学んだ他、独自に測量方法を工夫し、日本全国を訪れ、正確な日本地図『{{Ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』を作りました([[#伊能忠敬|コラム]]参照)。
:*{{ruby|華岡青洲|はなおかせいしゅう}}は、独自に{{ruby|麻酔薬|ますいやく}}の研究をし、1804年世界で初めて、全身麻酔での外科手術を成功させました。
:
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| style="border:2px solid #aabbdd; width:95%; border-radius: 4px;" cellspacing=0
|style="background: #aabbdd; font-size: 115%; padding: 0.2em 0.2em 0.3em;"|'''コラム'''
|-
|style="padding: 0.5em; background: #fafafc;"|<span id="伊能忠敬"/>伊能忠敬
[[ファイル:Ino Tadataka stamp.jpg|thumb|180px|伊能忠敬がえがかれた切手]]
:伊能忠敬は、50才のときに、天文学や測量のための勉強をはじめました。そして、55才のときに、自費で北海道の南岸の測量を行いました。56才のとき、地図づくりのための測量を、幕府に願いでました。幕府は、忠敬の地図づくりの才能を{{Ruby|認|みと}}め、忠敬に地図づくりの許可を出しました。
:それから17年間、忠敬は、地図づくりのため、日本の全国各地を歩きました。忠敬が歩いた{{ruby|距離|きょり}}は3万km以上になります。
:地図の完成の前に、71才で忠敬は{{Ruby|亡|な}}くなりましたが、弟子たちが、日本全国の地図を完成させました。
:そして、忠敬の弟子たちにより、とても正確な日本地図が、できあがりました。
[[File:Land-Surveyors-Edo-Period-Katsushika-Hokusai.png|thumb|350px|left|江戸時代の測量のようす]]
|}</div>
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>
<references/></small>
----
{{前後
|type=章
|[[小学校社会/6学年/歴史編]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう|日本の歴史の流れ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ|江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ]]
|[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代|明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代]]
}}
[[カテゴリ:江戸時代|しようかつこうしやかい6]]
[[Category:小学校社会 歴史|#10]]
[[カテゴリ:文化史]]
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高校化学 結晶
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この単元では、結晶をはじめとする固体の構造について学ぶ。
==固体の構造==
===結晶===
粒子が規則的に配列している固体を'''結晶'''という。結晶は主に金属結晶、イオン結晶、分子結晶、共有結合結晶の4種に分類される。
結晶中の規則正しい粒子配列を'''結晶格子'''という。また、結晶格子の繰り返し構造の最小単位を'''単位格子'''という。
結晶構造において、1個の原子にもっとも近い原子の数を'''配位数'''という。配位数は、結晶格子の種類によって決まる。配位数を計算する際には、単位格子内の原子だけでなく、隣接する格子の原子も考慮する必要がある。
結晶構造を持つ固体物質を'''結晶質'''という。
===アモルファス===
構成単位の配列に規則性を持たずに集合した固体物質を'''非晶質'''という。非晶質の構造には周期性がなく、このような状態を'''アモルファス'''('''無定形''')という。
原子が不規則に配列した金属を'''アモルファス金属'''という。
アモルファス金属は、高温で融解した金属を急速に冷却することで得られる。アモルファス金属およびその合金は、強靭性・耐食性・優れた磁気特性など、通常の金属にはない特徴を持っている。
珪素原子が不規則に配列した'''アモルファスシリコン'''は、通常の珪素の結晶に比べて安価であり、薄膜に加工できることから、太陽電池・液晶パネルなどに用いられている。
二酸化珪素 <chem>SiO2</chem> は、通常は共有結合結晶として存在する(水晶・石英)が、水晶や珪砂を高温で融解して冷却すると、非晶質である'''石英硝子'''が得られる。これは光ファイバーの原料として活用されている。
窓・コップなど一般的に用いられる硝子は'''{{ruby|曹達石灰硝子|ソーダせっかいガラス}}'''といい、珪素原子と酸素原子からなる立体網目構造に、ナトリウムイオンやカルシウムイオンが入り込んだ非晶質でできている。決まった融点を示さず、加熱するとしだいに軟らかくなって変形する。
== 金属結晶 ==
金属結合によってできる結晶を'''金属結晶'''という。金属結晶では、原子が規則的に配列して結晶を作り、価電子は自由電子として結晶全体を動きまわる。そのため、金属は電気や熱をよく通し、薄く広げたり(展性)、細く延ばしたり(延性)できる。
金属結晶の構造には、主に次の3種類がある。
* '''面心立方格子''' <chem>Al</chem>, <chem>Cu</chem>, <chem>Ag</chem>, <chem>Ni</chem>, <chem>Au</chem>, <chem>Pt</chem> など
* '''体心立方格子''' <chem>Fe</chem>, <chem>W</chem>, <chem>Ba</chem>、およびアルカリ金属の <chem>Li</chem>, <chem>Na</chem>, <chem>K</chem> など
* '''六方最密構造''' <chem>Zn</chem>, <chem>Mg</chem>, <chem>Co</chem> など
である。<gallery widths="200px" heights="200px">
Image:Cubique a faces centrees A1.svg|面心立方格子の模式図
Image:Lattice body centered cubic.svg|体心立方構造の模式図
File:Hexagonal close packed.png|六方最密充填構造
</gallery>{{clear}}
=== 単位格子中の原子の数 ===
;体心立方格子
[[ファイル:CCC_crystal_cell_(opaque).svg|右|サムネイル|体心立方格子構造]]
単位格子の中心に1個の原子があり、単位格子の立方体の8つの頂点にあるそれぞれの原子は、単位格子の中に <math>\frac 1 8</math> ずつ含まれる。
したがって、単位格子中の原子の数は
<math>\frac 1 8 \times 8 + 1 = 2</math>
; 面心立方格子
立方体の頂点の原子は、単位格子に属する部分の大きさが、球の <math> \frac{1}{8} </math> である。これが8か所ある。
面の中央の原子は、単位格子に属する部分の大きさが、球の <math> \frac{1}{2} </math> である。これが6か所ある。
したがって、単位格子中の原子の数は
: <math> \frac{1}{8} \times8 +\frac{1}{2}\times 6 = 4 </math>
; 六方最密構造の原子数
六方最密構造では、図の六角柱の中に、頂点の原子が <math>\frac{1}{6} \times 12</math> 個分、上下の面の中心の原子が <math>\frac{1}{2} \times 2</math> 個分、内部の原子が 3 個あり、合計は <math>\frac{1}{6} \times 12 + \frac{1}{2} \times 2 + 3 = 6</math> 個である。この六角柱は単位格子3個分にあたるので、単位格子あたりの原子数は 2 個である。
'''面心立方格子の配位数'''
面心立方格子では、配位数は12である。単位格子の面心に位置する原子に注目すると、同じ単位格子の中で、その面の4つの頂点の原子と、隣り合う4つの面心の原子の、合計8個と接している。さらに、隣の単位格子にも、同様に4個の原子が接している。したがって、配位数は <math>8 + 4 = 12</math> である。
'''体心立方格子の配位数'''
体心立方格子では、単位格子の中心に位置する原子に注目する。中心の原子は、8つの頂点の原子と接触している。したがって、体心立方格子の配位数は8である。
'''六方最密構造の配位数'''
六方最密構造では、中間の層の原子に注目すると、同じ層の6個、上の層の3個、下の層の3個の原子と接触している。そのため、配位数は <math>6 + 3 + 3 = 12</math> である。
=== 原子半径 ===
[[ファイル:体心立方格子の原子半径の求め方.svg|サムネイル|400x400ピクセル|体心立方格子の原子半径の求め方]]
結晶の密度を求めるには、単位格子の1辺の長さを知る必要がある。原子半径 <math>r</math> と単位格子の1辺の長さ <math>l</math> の間には、結晶格子の種類ごとに、図のような関係がある。
体心立方格子では、立方体の体対角線に沿って、頂点の原子・中心の原子・頂点の原子の3個が接している。体対角線の長さは <math>\sqrt{3}\, l</math> であり、これが原子半径 <math>r</math> の4個分に等しいので、三平方の定理より、
: <math> 4r= \sqrt{3}\, l </math>
よって
: <math> r= \frac{\sqrt{3} }{4} l </math>
である。
[[ファイル:面心立方格子の原子半径の求め方.svg|サムネイル|400x400ピクセル|面心立方格子の原子半径の求め方]]
面心立方格子では、面の対角線に沿って、頂点の原子・面心の原子・頂点の原子の3個が接している。面の対角線の長さは <math>\sqrt{2}\, l</math> であり、これが <math>r</math> の4個分に等しいので、
: <math> 4r= \sqrt{2}\, l </math>
よって
: <math> r= \frac{\sqrt{2} }{4} l </math>
である。
=== 充填率 ===
単位格子中に原子の占める体積の割合を'''充填率'''という。充填率は、定義どおりに、単位格子中の原子の体積の合計を、単位格子の体積で割れば求まる。
* 体心立方格子の場合
まず、単位格子中の原子は、前の節で求めたように、2個分である。
つまり、原子の体積の合計は、
: <math> 2 \times \frac{4}{3}\pi r^3</math>
である。
そして、原子半径 <math>r</math> と単位格子の1辺の長さ <math>l</math> の関係は、前の節で求めたとおり、
: <math> r= \frac{\sqrt{3} }{4} l </math>
であるから、充填率は次のように求まる。
: 充填率 = <math>\frac{ 2 \times \frac{4}{3}\pi r^3}{l^3} = \frac{ 2 \times \frac{4}{3}\pi \times \frac{3 \sqrt{3} }{64} l^3}{l^3} = \frac{\sqrt{3}}{8}\pi \approx 0.68</math>
よって、体心立方格子の充填率は 68 % である。
* 面心立方格子の場合
単位格子中の原子は4個分であり、<math>r = \frac{\sqrt{2}}{4} l</math> である。
: 充填率 = <math>\frac{ 4 \times \frac{4}{3}\pi r^3}{l^3} = \frac{ 4 \times \frac{4}{3}\pi \times \frac{2 \sqrt{2} }{64} l^3}{l^3} = \frac{\sqrt{2}}{6}\pi \approx 0.74</math>
よって、面心立方格子の充填率は 74 % である。六方最密構造の充填率も 74 % で、面心立方格子と同じである。これらは、球を最も密に詰めた構造(最密構造)である。
=== 結晶の密度 ===
単位格子の質量と体積から、結晶の密度を求めることができる。単位格子中の原子の数を <math>N</math>、原子のモル質量を <math>M\ \mathrm{[g/mol]}</math>、アボガドロ定数を <math>N_A\ \mathrm{[/mol]}</math>、単位格子の1辺の長さを <math>l\ \mathrm{[cm]}</math> とすると、密度 <math>d</math> は
: <math> d = \frac{N \times \frac{M}{N_A}}{l^3}\ \mathrm{[g/cm^3]} </math>
である。
'''例題''' 銅 <chem>Cu</chem> は面心立方格子で、単位格子の1辺の長さは 0.361 nm である。銅の密度は何 <math>\mathrm{g/cm^3}</math> か。ただし、<chem>Cu</chem> のモル質量を 63.5 g/mol、アボガドロ定数を <math>6.02 \times 10^{23}\ \mathrm{/mol}</math>、<math>1\ \mathrm{nm} = 10^{-7}\ \mathrm{cm}</math>、<math>0.361^3 = 0.0470</math> とする。
'''解答''' 単位格子中の原子は4個であるから、
: <math> d = \frac{4 \times \frac{63.5}{6.02 \times 10^{23}}}{(3.61 \times 10^{-8})^3} = \frac{4 \times 63.5}{6.02 \times 10^{23} \times 4.70 \times 10^{-23}} \fallingdotseq 8.98\ \mathrm{g/cm^3} </math>
となる。
== イオン結晶 ==
=== イオン結晶の仕組み ===
[[ファイル:Sodium-chloride-3D-ionic.png|240px|thumb|塩化ナトリウムNaClのイオン結晶の模式図]]
塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem> の結晶は、同じ数の <chem>Na+</chem> と <chem>Cl-</chem> が交互に並んだ結晶構造になっている(図を参照のこと。紫色の球は <chem>Na+</chem> を表し、緑色の球は <chem>Cl-</chem> を表す。)。このように、イオン結合による結晶を'''イオン結晶'''という。イオン結晶は、全体としては電気的に中性となる。
イオン結晶を表すには、'''組成式'''が用いられる。組成式は、結晶中のイオンの数の最も簡単な整数比で表した化学式である。分子からなる物質は、分子式で表される。たとえば、<chem>H2O</chem> は分子式であり、<chem>NaCl</chem> は組成式である。このような違いがあるのは、分子には区切りがあるのに対し、イオン結晶には区切りがなく、イオンが無限に連なっているためである。
イオン結合は強い結合であるため、イオン結晶は融点が高く、硬い。しかし、外部から強い力を加えると、結晶がずれて、同符号のイオン同士が隣り合い、反発し合うため、割れやすい(もろい)。また、結晶のままでは電気を導かないが、水溶液にしたり、融解させたりすると、イオンが動けるようになるので、電気を導く。
=== イオン結晶の構造 ===
[[ファイル:NaCl-estructura cristalina.svg|240px|thumb|塩化ナトリウムNaClの単位格子]]
右の図は、塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem> の単位格子を表している。<chem>NaCl</chem> における <chem>Na+</chem> と <chem>Cl-</chem> の配位数は、ともに6である。
図より、塩化ナトリウムの単位格子では、頂点にあるイオンは <math>\frac 1 8</math> 個、辺の中央にあるイオンは <math>\frac 1 4</math> 個、面の中心にあるイオンは <math>\frac 1 2</math> 個、立方体の内部にあるイオンは 1 個、単位格子に含まれる。したがって、単位格子に含まれるイオンの数は、次のようになる。
: <chem>Na+</chem>:<math>\frac 1 4 \times 12 + 1 \times 1 = 4</math>
: <chem>Cl-</chem>:<math>\frac 1 8 \times 8 + \frac 1 2 \times 6 = 4</math>
よって、それぞれ4個ずつあるので、イオンの数の比は <chem>Na+</chem> : <chem>Cl-</chem> = 1 : 1 となり、組成式は <chem>NaCl</chem> となる。
'''例題''' 塩化ナトリウム <chem>NaCl</chem> の結晶の単位格子の1辺の長さは 0.564 nm である。結晶の密度は何 <math>\mathrm{g/cm^3}</math> か。ただし、式量を 58.5、アボガドロ定数を <math>6.02 \times 10^{23}\ \mathrm{/mol}</math>、<math>1\ \mathrm{nm} = 10^{-7}\ \mathrm{cm}</math>、<math>5.64^3 = 179</math> とする。
'''解答''' 単位格子には <chem>NaCl</chem> が4個分含まれるので、
: <math> d = \frac{4 \times \frac{58.5}{6.02 \times 10^{23}}}{(5.64 \times 10^{-8})^3} = \frac{4 \times 58.5}{6.02 \times 10^{23} \times 1.79 \times 10^{-22}} \fallingdotseq 2.17\ \mathrm{g/cm^3} </math>
===イオン結晶が安定である条件===
陽イオンと陰イオンの個数比が1:1となるイオン結晶の構造には、'''NaCl型'''、'''CsCl型'''、'''ZnS型'''などがある(それぞれの配位数は6、8、4)。イオン結晶がどの構造をとるかは、一般には陽イオンと陰イオンの半径比によって決まる。
それぞれのイオンは反対符号のイオンと接していて、その数が多いほど安定である。すなわち、'''配位数が大きい結晶ほど安定'''である。しかし、陽イオンが小さくなりすぎると、陰イオン同士が接してしまい、反発し合うので、不安定になる。
以下、単位格子の1辺の長さを <math>a</math>、陽イオンの半径を <math>r^+</math>、陰イオンの半径を <math>r^-</math> とする。
;NaCl型の場合
<!-- [[ファイル:ch-NaCl型の断面.svg|NaCl型単位格子の断面(陰イオン同士が接する限界)|240px]] -->
図より、陽イオンと陰イオンが接していることから、<math>a=2(r^{+}+r^-)</math>・・・①
陽イオンを小さくしていくと、陰イオン同士が接するようになる。このとき、単位格子の面の対角線を考えると、①から <math>\sqrt{2}\, a = 2\sqrt{2} (r^{+}+r^-) = 4r^-</math> が成り立つ。
よって、イオン半径比は <math>\frac{r^+}{r^-} = \sqrt{2}-1 \fallingdotseq 0.414</math> である。
陽イオンをさらに小さくすると、陽イオンと陰イオンが離れ、陰イオン同士の反発力によって結晶が不安定になる。
したがって、<math>\frac{r^+}{r^-} \geqq 0.414</math> であれば、配位数6のNaCl型構造をとることができる。実際の <chem>NaCl</chem> のイオン半径比は <math>\frac{0.116\ \mathrm{nm}}{0.167\ \mathrm{nm}} \fallingdotseq 0.695</math> である。
;CsCl型の場合
<!-- [[ファイル:ch-CsCl型の断面.svg|CsCl型単位格子の断面(陰イオン同士が接する限界)|240px]] -->
図より、立方体の体対角線上で陽イオンと陰イオンが接していることから、<math>\sqrt{3}\, a = 2(r^{+}+r^-)</math>・・・②
NaCl型と同様に、陰イオン同士が接する場合を考える。このとき、立方体の辺に沿って陰イオン同士が接するので <math>a = 2r^-</math> であり、②より <math>2\sqrt{3}\, r^- = 2(r^{+}+r^-)</math> が成り立つ。よって、イオン半径比は <math>\frac{r^+}{r^-} = \sqrt{3}-1 \fallingdotseq 0.732</math> である。
NaCl型と同様に、イオン半径比がこれより小さくなると不安定になるので、<math>\frac{r^+}{r^-} \geqq 0.732</math> であれば、配位数8のCsCl型構造をとることができる。実際の <chem>CsCl</chem> のイオン半径比は <math>\frac{0.181\ \mathrm{nm}}{0.167\ \mathrm{nm}} \fallingdotseq 1.08</math> である。
;ZnS型の場合
<!-- [[ファイル:ch-ZnS型の断面.svg|ZnS型単位格子の断面(陰イオン同士が接する限界)|240px]] -->
図より、陽イオンは、正四面体の中心の位置にあり、体対角線の <math>\frac{1}{4}</math> の位置にある。陽イオンと陰イオンが接していることから、<math>\frac{\sqrt{3}}{4} a = r^{+}+r^-</math>、すなわち <math>\frac{\sqrt{3}}{2} a = 2(r^{+}+r^-)</math>・・・③
NaCl型と同様に、陰イオン同士が接する場合を考える。このとき、面の対角線の半分に陰イオン2個が並ぶので <math>\frac{\sqrt{2}}{2} a = 2r^-</math> であり、③より <math>\sqrt{6}\, r^- = 2(r^{+}+r^-)</math> が成り立つ。よって、イオン半径比は <math>\frac{r^+}{r^-} = \frac{\sqrt{6}-2}{2} \fallingdotseq 0.225</math> である。
NaCl型と同様に、イオン半径比がこれより小さくなると不安定になるので、<math>\frac{r^+}{r^-} \geqq 0.225</math> であれば、配位数4のZnS型構造をとることができる。
これらを総合して、イオンの個数比が1:1であるイオン結晶について、<math>\frac{r^+}{r^-} \geqq 0.732</math>のときCsCl型、<math>0.732 > \frac{r^+}{r^-} \geqq 0.414</math>のときNaCl型、<math>0.414 > \frac{r^+}{r^-} \geqq 0.225</math>のときZnS型の構造をとることが推測される。
なお、実際にはこれらから推測される構造と異なる構造をとる物質も存在する。
また、イオンの個数比が1:1でない場合には、'''<chem>CaF2</chem>型'''、'''<chem>ReO3</chem>型'''など、さまざまな構造の結晶がある。
==分子結晶==
===分子結晶の性質===
分子間力によって形成される結晶を'''分子結晶'''という。水(氷)、二酸化炭素、沃素、ナフタレン、蔗糖(スクロース)などの結晶は分子結晶である。
分子間力は比較的弱い力であるから、分子結晶は軟らかく、融点が低い。分子が小さいものは、常温で液体や気体であるものが多い。無極性分子からなる二酸化炭素・沃素・ナフタレンなどは、分子間力が非常に弱いので、昇華しやすい。
分子からなる純物質は、電気を通さない。ただし、塩化水素・酢酸のように、水に溶けると電離して電気を通すようになる物質もある。
氷の結晶中では、水分子が水素結合によって互いに結びつき、正四面体型の立体構造をとるので、すきまが多くなっている。氷が融解して水になると、一部の水素結合が切れ、水分子の一部がすきまに入り込む。このため、氷の密度は液体の水より小さく、氷は水に浮く。
他のほとんどの物質では、固体は液体に沈む。
なお、'''水が最大密度をとるのは4 ℃である'''。このため、冬に湖の表面が凍っても、底付近の水温は4 ℃に保たれ、生物が生き延びやすい。ただし、[[高等学校 地学/生命の進化#全球凍結|全球凍結下]]の海洋のような、塩分を含む海水では、密度が最大になる温度が凝固点より低いため、この説明はそのままでは当てはまらない。
===双極子モーメント===
分子や原子間の結合の極性の大きさを示す尺度として、'''双極子モーメント'''が定義されている。正電荷 <math>+q\ \mathrm{[C]}</math> と負電荷 <math>-q\ \mathrm{[C]}</math> が <math>r\ \mathrm{[m]}</math> だけ離れているとき、
:<math>\mu = qr\ \mathrm{[C \cdot m]}</math>
を双極子モーメントという。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+ 双極子モーメントの例
|-
! 物質 !! <math>\mu / 10^{-30}\ \mathrm{(C \cdot m)}</math>
|-
| <chem>HF</chem> || 6.09
|-
| <chem>HCl</chem> || 3.70
|-
| <chem>HBr</chem> || 2.80
|-
| <chem>HI</chem> || 1.50
|}
双極子モーメントが大きいほど、その結合の極性が大きい。
また、双極子モーメントを測定することによって、'''共有結合にイオン結合性がどれほど混ざっているかを調べることができる'''。
<chem>HCl</chem> の双極子モーメントと結合距離の測定値は、<math>\mu = 3.70 \times 10^{-30}\ \mathrm{C \cdot m}</math>、<math>r = 1.27 \times 10^{-10}\ \mathrm{m}</math> である。仮に <chem>H-Cl</chem> が純粋なイオン結合で結びついていたとして双極子モーメントを求めると、<chem>H+</chem> と <chem>Cl-</chem> がそれぞれ持つ電荷は、[[高等学校物理/原子物理#ミリカンの実験|電気素量]] <math>e = 1.60 \times 10^{-19}\ \mathrm{C}</math> に等しいので、結合距離の測定値から
:<math>\mu_0 = 1.60 \times 10^{-19}\ \mathrm{C} \times 1.27 \times 10^{-10}\ \mathrm{m} \fallingdotseq 2.03 \times 10^{-29}\ \mathrm{C \cdot m}</math>
である。
これらの比をとると、
:<math>\frac{\mu}{\mu_0} = \frac{3.70 \times 10^{-30}\ \mathrm{C \cdot m}}{2.03 \times 10^{-29}\ \mathrm{C \cdot m}} \fallingdotseq 0.18</math>
であるから、<chem>HCl</chem> の結合には約18 %のイオン結合性があるとわかる。
==共有結合結晶==
非金属元素の原子が次々に共有結合した構造からなる結晶を'''共有結合結晶'''という。共有結合結晶は、結晶全体が共有結合によって強固に結びついているので、一般に融点が非常に高く、極めて硬い。水に溶けにくく、電気を通さないものが多い。
'''ダイヤモンド({{ruby|金剛石|こんごうせき}})'''は、炭素原子が4つの価電子をすべて使って、次々に共有結合でつながってできた共有結合結晶である。正四面体型の構造が三次元的に繰り返される結晶構造をとる。無色透明で、[[w:モース硬度]]は最高ランクの10と非常に硬い。ただし、[[w:靱性]]は低いので、ハンマーでたたくと容易に割れる。融点が高く、電気を通さない。
[[File:Diamond cubic crystal structure.svg|thumb|220px|ダイヤモンドの単位格子]]
ダイヤモンドの配位数は4で、その単位格子には8個の炭素原子が含まれる。単位格子中の原子配列は、単位格子の頂点とそれぞれの面の中心に原子が並び、その立方体を8等分した小立方体の1つおきの中心に、さらに原子が加わった配列となっている。単位格子中の原子の数は、<math>\frac{1}{8} \times 8 + \frac{1}{2} \times 6 + 4 = 8</math> である。
{{clear}}
'''黒鉛(グラファイト)'''の結晶も共有結合結晶である。炭素原子が4つの価電子のうち3つを使って共有結合でつながり、正六角形の網目状の平面構造をつくっている。この平面構造が、弱い分子間力で層状に重なって結晶をなしている。そのため、黒鉛は薄くはがれやすい。共有結合に使われずに余った1つの価電子は、自由電子として平面構造の中を動けるので、黒鉛は電気を通す。
<!-- [[ファイル:ch-黒鉛の構造.svg|黒鉛の構造|500px]] -->
珪素の結晶は'''ダイヤモンドと同じ構造'''であるが、電気伝導性が導体と絶縁体の中間であるから、'''半導体'''と呼ばれる。詳しくは[[高校物理 電磁気学#半導体|こちら]]を参照。
'''二酸化珪素の結晶も共有結合結晶'''であり、珪素原子と酸素原子が共有結合 <chem>Si-O</chem> によって三次元的に繰り返しつながってできる。珪素原子1個は4個の酸素原子と結合し、酸素原子1個は2個の珪素原子と結合しているので、原子の数の比は <chem>Si</chem> : <chem>O</chem> = 1 : 2 となり、組成式は <chem>SiO2</chem> となる。二酸化珪素の構造は、温度によって異なる。
==結晶の比較==
{| class="wikitable"
|+ 4種類の結晶の比較
! !! 金属結晶 !! イオン結晶 !! 分子結晶 !! 共有結合結晶
|-
! 構成粒子
| 金属原子(陽イオン) || 陽イオンと陰イオン || 分子 || 原子
|-
! 結合
| 金属結合 || イオン結合 || 分子間力 || 共有結合
|-
! 融点
| 高いものが多い(<chem>Na</chem>、<chem>Hg</chem> など低いものもある) || 高い || 低い || 非常に高い
|-
! 硬さ
| 展性・延性がある || 硬いが、もろい || 軟らかい || 非常に硬い
|-
! 電気伝導性
| あり(固体でも通す) || 固体では通さない。融解液・水溶液では通す || 通さない || 通さない(黒鉛は通す)
|-
! 例
| <chem>Fe</chem>, <chem>Cu</chem>, <chem>Al</chem> || <chem>NaCl</chem>, <chem>CaCO3</chem> || <chem>CO2</chem>, <chem>I2</chem>, <chem>H2O</chem> || <chem>C</chem>(ダイヤモンド), <chem>Si</chem>, <chem>SiO2</chem>
|}
[[カテゴリ:高等学校化学|けつしよう]]
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解析学基礎/ベクトル解析
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/* 発散 */
304347
wikitext
text/x-wiki
{{Pathnav|数学|解析学|解析学基礎|frame=1}}
{{wikipedia|ベクトル解析}}
ここでは、ベクトル解析について解説する。[[物理数学I ベクトル解析]]も参照。
==前提知識==
ここでは、実数のみで考える。
===ベクトル===
[[高等学校数学C/ベクトル]]、[[線型代数学/ベクトル]]、[[解析学基礎/ベクトル]]などを参照。本項では、矢印を付した表記(<math>\vec{a}</math>など)と太字斜体による表記(<math>\boldsymbol{x}</math>など)を混用する。
===行列===
[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫]]及び[[線形代数学]]・[[線型代数学続論]]の各ページを参照。本項では大文字の太字立体(<math>\mathbf{A}</math>など)で表記する。
===多変数解析===
[[解析学基礎/多変数関数の微積分]]を参照。
===領域===
<math>D\subset\mathbb{R}^n</math>と点<math>\boldsymbol{a}\in D</math>(位置ベクトル表記なので太文字斜体)に対し、集合<math>B_\varepsilon(\boldsymbol{a}) := \{ \boldsymbol{x} \in D \mid \| \boldsymbol{x} - \boldsymbol{a} \|<\varepsilon \}</math>を点<math>\boldsymbol{a}</math>の'''<math>\varepsilon</math>-開球'''という。不等号を<math>\leqq</math>に変えたときは開区間↔閉区間と同様に'''閉球'''と呼ぶ。このとき、<math>D</math>のように<math>\mathbb{R}^n</math>の部分集合であって<math>\varepsilon</math>-開球を含むものを点<math>\boldsymbol{a}</math>の'''<math>\varepsilon</math>-開近傍'''と呼ぶ。閉球を含むときは同様に'''閉近傍'''と呼ぶ。
<math>\forall \boldsymbol{a} \in U, \exist \varepsilon>0, B_\varepsilon(\boldsymbol{a})\subset U</math>を満たす<math>U\subset\mathbb{R}^n</math>を'''開集合'''と呼び、<math>V=\mathbb{R}^n\setminus U</math>を'''閉集合'''と呼ぶ。
注意点として、開集合と閉集合は排反ではない。則ち「開集合且つ閉集合」である集合が存在し(例えば<math>\mathbb{R}, \varnothing</math>)、「開集合でも閉集合でもない」集合も存在する(例えば<math>[0, 1)</math>)。
<math>M\subset\mathbb{R}^n</math>を含む最小の閉集合を<math>M</math>の'''閉包'''と呼び、<math>M^-, \bar{M}, \mathrm{Cl}(M)</math>などと表す。例えば有理数の稠密性より<math>\mathbb{Q}^-=\mathbb{R}</math>である。
閉包の性質として「閉包=集合の内部と境界の和集合(<math>M^- = \mathrm{Int}(M) \cup \partial{M}</math>)」がある。
集合<math>S\subset\mathbb{R}^n</math>に対して以下を満たす<math>\mathbb{R}^n</math>上開集合の組<math>(G_1, G_2)</math>が'''とれない'''とき、
#<math>G_1 \cap S = \varnothing \land G_2 \cap S = \varnothing</math>
#<math>S = (G_1 \cap S) \sqcup (G_2 \cap S)</math>
「<math>S</math>は'''連結'''である」または「<math>S</math>は'''連結集合'''」という(但し、<math>\sqcup</math>は[[w:非交和|非交和]])。
空でない開連結集合を'''領域'''という。
実は、高校数学や1年次の解析学で扱ってきた「領域」はこの定義を満たしていないことが多かった。これは、「領域」の歴史的な用法では「条件の解集合」という意味であって開性や連結性を要求しなかったためである。しかし、本項を含めた以降に登場する数学ではこの定義を満たしていることが前提条件となる。なお、ややこしいことに「積分領域」は従来通り「その上で積分を行う集合」という緩い意味で使われることが多いので、区別が必要である。
===右手系===
三次元空間の正規直交基底を<math>(\boldsymbol{e}_1, \boldsymbol{e}_2, \boldsymbol{e}_3)</math>と置く。螺子を<math>\boldsymbol{e}_1\to\boldsymbol{e}_2</math>の向きに回すと<math>\boldsymbol{e}_3</math>の正方向に進むように3つの軸をとった系を'''右手系'''という。負方向に進むようにとったものを'''左手系'''という。数学・物理に限らず理数系の約束事として、'''三次元空間は必ず右手系で考える'''という暗黙の了解が存在するので覚えておこう。
右手系・左手系は基底の一部または全ての符号を反転することで変換することができる。一つだけを反転する場合は'''鏡像変換'''、二つだけを反転する場合は'''半回転'''、全てを反転する場合は'''空間反転'''と呼ぶ。
外積の結果として得るベクトルは右手系・左手系のどちらを考えるかで向きが変わる。このように、右手系↔左手系の変換で向きが変わるベクトルを'''軸性ベクトル'''という。
系の取り方で向きが変わるということは基底の係数である'''成分は不変量'''である。つまり、観測者の動きにベクトルが追従し、このベクトルは「物理的な実体を有しているのではなく計算の都合上向きが定められた便宜的な(=観測者が勝手に決めた)ベクトル」ということである。そのため、軸性ベクトルは'''擬ベクトル'''(シュードベクトル)とも呼ばれる。
位置や速度、加速度のような右手系・左手系のどちらを考えても同じ向きを向くベクトルを'''極性ベクトル'''という。座標系を取り換えても向きが維持されるため'''成分は座標変換に応じて変化する'''。これは、「観測の仕方によって起こる現象は変わらない」ということである。つまり擬ベクトルに対し、極性ベクトルは'''物理的実体を有するベクトル'''である。
偶奇と同じように軸性・極性にも外積を通じた相互関係が存在する。
:(軸性)×(軸性)=(軸性)
:(軸性)×(極性)=(極性)
:(極性)×(極性)=(軸性)
==基礎事項==
===ベクトル関数===
関数<math>\boldsymbol{f} (x) = \sum_{i} f_i(x) \boldsymbol{e}_i</math>を'''ベクトル(値)関数'''(vector-valued function, vector function)という。
ただし、各<math>\boldsymbol{e}_i</math>は各座標軸方向の単位ベクトルであり、<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の定義域は各<math>f_i(x)</math>の定義域の積集合である。
ベクトルの演算が成分ごとの演算結果を並べたベクトルで定義されたように、ベクトル関数の演算は(結果となる値が存在するならば)各成分の演算結果を並べたベクトルに等しい。これはベクトルの線型性による。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x) = \begin{pmatrix} \cos x \\ \sin x \end{pmatrix}</math>の<math>x\to0</math>の極限は、
:<math>\lim_{x\to0} \boldsymbol{f}(x) = \begin{pmatrix} \lim_{x\to0} \cos x \\ \lim_{x\to0} \sin x \end{pmatrix}</math> (<math>\because</math>線型性)
:<math>=\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\boldsymbol{e}_x</math>
と求まる。
このとき、<math>\boldsymbol{e}_x</math>を<math>\begin{pmatrix} \cos x \\ \sin x \end{pmatrix}</math>の<math>x\to0</math>に於ける'''極限ベクトル'''という。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>x=\alpha</math>で連続であるとは<math>\lim_{x\to\alpha}\boldsymbol{f}(x)=\boldsymbol{f}(\alpha)</math>が成立することであり、区間<math>I</math>で連続であるとは<math>\forall \alpha \in I</math>で連続であることである。
また、ベクトル関数の導関数<math>\boldsymbol{f}'(x)</math>は
:<math>\frac{d}{dx} \boldsymbol{f} (x) = \frac{d}{dx} \left( \sum_i f_i(x) \boldsymbol{e}_i \right)</math>
:<math>= \sum_i \left( \frac{d}{dx} f_i (x) \boldsymbol{e}_i \right)</math>(<math>\because</math>線型性)
:<math>= \begin{pmatrix} f'_1(x) \\ f'_2(x) \\ \vdots \\ f'_i(x) \\ \vdots \end{pmatrix}</math>
である。
この結果は、ベクトル関数に於ける導関数の正式な定義 <math>\lim_{h\to0} \frac{\boldsymbol{f}(x+h) - \boldsymbol{f}(x)}{h}</math>からも導かれる。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>x=\alpha</math>で微分可能であるとは極限値<math>\boldsymbol{f}'(\alpha)=\lim_{x\to\alpha}\frac{\boldsymbol{f}(x)-\boldsymbol{f}(\alpha)}{x-\alpha}</math>が存在することであり、区間<math>I</math>で微分可能であるとは<math>\forall \alpha \in I</math>で微分可能であることである。
高階導関数・高階微分可能も同様にして定義される。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が区間<math>I</math>で連続ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^0</math>級であるといい、<math>\boldsymbol{f}\in C^0(I)</math>と書く。<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>I</math>で微分可能で<math>\boldsymbol{f}'(x)\in C^0(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^1</math>級である(一階連続微分可能)といい、<math>\boldsymbol{f}\in C^1(I)</math>と書く。<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>I</math>で二階微分可能で<math>\boldsymbol{f}'\in C^1(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^2</math>級である(二階連続微分可能)といい、<math>\boldsymbol{f}\in C^2(I)</math>と書く。同様にして順々に<math>C^k</math>級が定義され、<math>\forall k \in \mathbb{N}, \boldsymbol{f}\in C^k(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>で<math>C^\infty</math>級(無限階連続微分可能)であるといい、<math>\boldsymbol{f}\in C^\infty(I)</math>と書く。<math>C^\infty</math>級である関数を'''滑らかな'''関数ともいう。
高校数学や高校物理で扱った平面(<math>\mathbb{R}^2</math>)上の運動は、実は2項ベクトル関数の理論に他ならない。
例えば、平面上の運動に於ける加速度・速度・変位の関係は<math>\boldsymbol{x}(t)= \begin{pmatrix} f(t) \\ g(t) \end{pmatrix}</math>として<math>\boldsymbol{a}(t) = \frac{d}{dt}\boldsymbol{v}(t) = \frac{d^2}{dt^2} \boldsymbol{x}(t)</math>と表すことができる。
曲線の媒介変数表示は、パラメータを変数とするベクトル関数とみることができる。
例えば、円の媒介変数表示<math>\begin{cases} x=r\cos\theta \\ y=r\sin\theta \end{cases}</math>は、<math>\boldsymbol{r}(\theta) = r\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin\theta \end{pmatrix}</math>という2次元ベクトル関数とみることができる。更に<math>\theta=\omega t</math>とすると、これは等速円運動の式である。
1変数ベクトル関数の微分に関して、以下の公式が成り立つ。
#定数倍の導関数:<math>\{k\boldsymbol{a}(x)\}'=k\boldsymbol{a}'(x)</math>
#和・差の導関数:<math>\{ \boldsymbol{a}(x)\pm\boldsymbol{b}(x) \}' = \boldsymbol{a}'(x)\pm\boldsymbol{b}'(x)</math>
#積の導関数:<math>\{ f(x)\boldsymbol{a}(x) \}' = f'(x)\boldsymbol{a}(x)+f(x)\boldsymbol{a}'(x)</math>
#商の導関数:<math>\left\{ \frac{\boldsymbol{a}(x)}{f(x)} \right\}' = \frac{f(x)\boldsymbol{a}'(x)-f'(x)\boldsymbol{a}(x)}{\{f(x)\}^2} \quad (f(x)\neq0)</math>
#内積の導関数:<math>\{\boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)\}' = \boldsymbol{a}'(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)+\boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}'(x)</math>
#外積の導関数:<math>\{\boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}(x)\}' = \boldsymbol{a}'(x)\times\boldsymbol{b}(x)+\boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}'(x)</math>
#スカラー三重積の導関数:<math>[\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}]' = \boldsymbol{a}'(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}'(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}'(x)\}</math>
#ベクトル三重積の導関数:<math>[\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}]' = \boldsymbol{a}'(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}'(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}'(x)\}</math>
#連鎖律(チェイン・ルール):<math>[\boldsymbol{a}\{f(x)\}]'=\boldsymbol{a}'\{f(x)\}f'(x)</math>
ベクトル関数の'''ノルム'''(大きさ、長さ)は、通常のベクトルと同様に
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \| = \sqrt{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)} = \sqrt{\sum_{i} \{f_i (x)\}^2}</math>
で与えられる。
つまり、ノルムは元のベクトル関数と同一変数のスカラー関数である。
ここで、このスカラー関数が定数関数である条件に就て見てみよう。
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|= c \quad (c\in\mathbb{R}_{>0})</math>の両辺を2乗して
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|^2 = \boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x) = c^2</math>
:両辺微分すると内積の微分より
:<math>\{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'=\boldsymbol{f}'(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)+\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=2\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0</math>
:<math>\therefore \boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0</math>
:逆に、
:<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0 \iff 2\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\boldsymbol{f}'(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)+\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'=0</math>
:<math>\int \{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'dx= \int 0 dx</math>
:<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)=C_1</math>(<math>C_1\geq0</math>は積分定数)
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|^2=C_1</math>より
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \| = \sqrt{C_1} = \mathrm{const}.</math>
よって、以下が成り立つ。
{{定理|(直交条件の定理)}}
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|= \mathrm{const}. \iff \boldsymbol{f}(x) \cdot \boldsymbol{f}'(x) = 0</math>
{{定理終わり}}
これは、物理的には「位置ベクトルと速度ベクトルが直交する」ことを表す。則ち、<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の終点が始点を中心とする円運動(球面運動)をするということである。
また、ベクトル関数が変数に依らず常に同一方向を向く条件も見てみよう(但し<math>\boldsymbol{f}(x)\neq\boldsymbol{0}</math>)。
:所与の条件は零ベクトルでない定ベクトル<math>\boldsymbol{c}</math>を用いて<math>\boldsymbol{f}(x) = f(x)\boldsymbol{c}</math>と表される。
:両辺微分して<math>\boldsymbol{f}'(x)=\{f(x)\boldsymbol{c}\}=f'(x)\boldsymbol{c}</math>
:ここで元のベクトル関数との外積をとると
:<math>\boldsymbol{f}(x)\times\boldsymbol{f}'(x)=\{f(x)\boldsymbol{c}\}\times\{f'(x)\boldsymbol{c}\}=f(x)f'(x) (\boldsymbol{c}\times\boldsymbol{c})=f(x)f'(x)\boldsymbol{0}=\boldsymbol{0}</math>
:逆に、
:<math>\boldsymbol{f}(x)\times\boldsymbol{f}'(x)=\boldsymbol{0}</math>とすると一次従属なので
:<math>\boldsymbol{f}'(x)=g(x)\boldsymbol{f}(x)</math>という微分方程式が成り立つ。
:各成分ごとに微分方程式を解くと、
::これは変数分離型微分方程式なので第i成分は
::<math>\frac{df_i}{dx}=g(x)f_i(x)</math>
::<math>\int \frac{df_i}{f_i(x)}=\int g(x)dx</math>
::<math>G'(x)=g(x), C_i</math>を積分定数として<math>\log|f_i(x)|=G(x)+C_i</math>
::<math>C_i=\pm e^{C_i}</math>と改めておくと<math>f_i(x)=C_i e^{G(x)}</math>
:よって
:<math>\boldsymbol{f}(x)=\sum_i f_i(x) \boldsymbol{e}_i = \sum_i C_i e^{G(x)} \boldsymbol{e}_i = e^{G(x)} \sum_i C_i \boldsymbol{e}_i</math>
:ここで<math>f(x)=e^{G(x)}, \boldsymbol{c}=\sum_i C_i \boldsymbol{e}_i</math>と置くと
:<math>\boldsymbol{f}(x) = f(x) \boldsymbol{c}</math>となり、方向は変数に依らず一定であることが判る//
よって、以下が成り立つ。
{{定理|(平行条件の定理)}}
<math>\boldsymbol{c},\boldsymbol{f}(x)\neq\boldsymbol{0}</math>として
:<math>\boldsymbol{f}(x)=f(x)\boldsymbol{c} \iff \boldsymbol{f}(x) \times \boldsymbol{f}'(x) = \boldsymbol{0}</math>
{{定理終わり}}
ベクトル解析では三次元空間の場合を考えることが多いため上では外積を用いて証明したが、外積は3項ベクトル(または7項ベクトル)にしか定義されないのであった。
一般次元では外積に代わって次の関係式を用いる。
:<math>|\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)|=\|\boldsymbol{f}(x)\|\|\boldsymbol{f}'(x)\|</math>
これはCS不等式の等号成立の場合である。
実際、<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\|\boldsymbol{f}(x)\|\|\boldsymbol{f}'(x)\|\cos\{\theta(x)\}</math>より等号成立の必要十分条件は
:<math>\cos\{\theta(x)\}=\pm1\iff\theta(x) \equiv 0 \,(\mathrm{mod}\pi)</math>
であり、2ベクトル<math>\boldsymbol{f}(x), \boldsymbol{f}'(x)</math>は平行とわかる。<br/>
平行ということは一次従属ということなので先程のように変数分離形微分方程式を解くことで3次元と同じ結果を得る。//
補足として、力学への応用を考える。
:速さの二乗<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|^2</math>を時間微分すると
:<math>\frac{d}{dt}\|\boldsymbol{v}(t)\|^2=\frac{d}{dt}(\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{v}(t))=\frac{d\boldsymbol{v}(t)}{dt}\cdot\boldsymbol{v}(t)+\boldsymbol{v}(t)\cdot\frac{d\boldsymbol{v}(t)}{dt}=2(\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{a}(t))</math>
:よって等速運動の条件<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|=\mathrm{const}.</math>は直交条件の定理から<math>\boldsymbol{v}(t)\perp\boldsymbol{a}(t)</math>に同値である。
:これを力学的に解釈すると、「加速度ベクトルは速度ベクトル方向に仕事をしないから速度ベクトルの大きさを変えずに向きだけを変える」となる。
:平面上で等速円運動を考えると円運動条件から<math>\boldsymbol{r}(t)\perp\boldsymbol{v}(t)</math>、等速条件から<math>\boldsymbol{v}(t)\perp\boldsymbol{a}(t)</math>なので<math>\boldsymbol{r}(t) /\!/ \boldsymbol{a}(t)</math>が出てくる。
:円運動条件<math>\|\boldsymbol{r}(t)\|^2=r^2</math>を一階微分すると
::<math>2\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{r}'(t)=0</math>
:もう一度微分して
::<math>2(\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{r}''(t)+\boldsymbol{r}'(t)\cdot\boldsymbol{r}'(t))=0</math>
:則ち
::<math>\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{a}(t)+\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{v}(t)=0</math>
:位置ベクトルと加速度ベクトルが一次従属なので<math>\boldsymbol{a}(t)=\lambda\boldsymbol{r}(t)</math>であり、等速条件より<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|=v</math>なので
::<math>\lambda r^2 + v^2 = 0</math>
::<math>\therefore \lambda = -\frac{v^2}{r^2}<0</math>
:則ち<math>\boldsymbol{r}(t)</math>と<math>\boldsymbol{a}(t)</math>は逆向きであり、円運動の中心は<math>\boldsymbol{r}(t)</math>の始点なので<math>\boldsymbol{a}(t)</math>は常に円運動の中心を向く'''向心加速度'''であることが証明された。//
なお、3次元以上では「<math>\boldsymbol{a}\perp\boldsymbol{b}\land\boldsymbol{b}\perp\boldsymbol{c}\implies\boldsymbol{a}/\!/\boldsymbol{c}</math>」が一般には成り立たないのでこの議論を成立させるには追加の条件が必要である。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の不定積分は、各<math>f_i(x)</math>の原始関数を並べたベクトルを<math>\boldsymbol{F}(x)</math>として
:<math>\int \boldsymbol{f}(x) dx = \boldsymbol{F}(x)+\boldsymbol{C}</math>(<math>\boldsymbol{C}</math>は各積分定数を並べたベクトル)
と表される。
また、定積分は
:<math>\int^b_a \boldsymbol{f}(x) dx=\boldsymbol{F}(b)-\boldsymbol{F}(a)</math>
と表される。
1変数ベクトル関数の積分について、以下が成り立つ(不定積分表記だが定積分に就ても同様)。
#定数倍の原始関数:<math>\int \{k\boldsymbol{a}(x)\} dx = k\int\boldsymbol{a}(x)dx</math>
#和・差の原始関数:<math>\int \{\boldsymbol{a}(x)\pm\boldsymbol{b}(x)\}dx=\int\boldsymbol{a}(x)dx\pm\int\boldsymbol{b}(x)dx</math>
#内積の原始関数<math>\int \{\boldsymbol{k}\cdot\boldsymbol{a}(x)\}dx=\boldsymbol{k} \cdot \left( \int \boldsymbol{a}(x) dx \right)</math>
#外積の原始関数<math>\int \{\boldsymbol{k}\times\boldsymbol{a}(x)\}dx=\boldsymbol{k} \times \left( \int \boldsymbol{a}(x) dx \right)</math>
#スカラー倍の部分積分:<math>\int f(x)\boldsymbol{a}'(x)dx= f(x)\boldsymbol{a}(x)-\int f'(x)\boldsymbol{a}(x) dx \iff \int f'(x)\boldsymbol{a}(x)dx= f(x)\boldsymbol{a}(x)-\int f(x)\boldsymbol{a}'(x) dx</math>
#内積の部分積分:<math>\int \{ \boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}'(x) \}dx = \boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}(x) - \int \{\boldsymbol{a}'(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)\}dx</math>
#外積の部分積分:<math>\int \{ \boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}'(x) \}dx = \boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}(x) - \int \{\boldsymbol{a}'(x)\times\boldsymbol{b}(x)\}dx</math>
#置換積分:<math>u=f(x)</math>として<math>\int \boldsymbol{a}'\{f(x)\}f'(x) dx = \int \boldsymbol{a}(u)du</math>
平行条件の定理の証明でベクトル関数の微分方程式を解いたように、成分毎に考えることで解空間ベクトルを求められる。
:1階線型常微分方程式<math>\boldsymbol{f}'(x)+a(x)\boldsymbol{f}(x)=\boldsymbol{b}(x)</math>の解に就て考える。
:第<math>i</math>成分を考えると<math>f'_i(x)+a(x)f_i(x)=b_i(x)</math>という1階線型常微分方程式を得るので、
:両辺に積分因子<math>\mu(x)=\exp\left(\int a(x) dx\right)</math>を掛けることで
:<math>f_i(x)=\frac{1}{\mu(x)} \left\{ \int \mu(x) b_i(x) dx + C_i \right\}</math>を得る。
:よって一般解は
:<math>\boldsymbol{f}(x) = \sum_i \frac{1}{\mu(x)} \left\{ \int \mu(x) b_i(x) dx + C_i \right\} \boldsymbol{e}_i=\frac{1}{\mu(x)}\left\{ \int \mu(x) \boldsymbol{b}(x) dx + \boldsymbol{C} \right\}</math>
ベクトル関数は必ずしもここで扱った<math>\boldsymbol{f}: \mathbb{R}\to\mathbb{R}^n</math>のみを指さない。
例えば、ベクトル変数 <math>\boldsymbol{x}= \sum_i g_i (x) \boldsymbol{e}_i</math>に対して
:<math>\boldsymbol{h}(\boldsymbol{x})=\sum_i (h_i \circ g_i) (x) \boldsymbol{e}_i</math>
と定義されるような関数<math>\boldsymbol{h}:\mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^m</math>もベクトル関数である。
また、始域と終域の次元が異なる<math>\boldsymbol{i}: \mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^n \, (m, n\neq1)</math>のようなベクトル関数も考えられる。
一般に、始域が<math>\mathbb{R}^n (n\neq1)</math>であっても終域が<math>\mathbb{R}</math>である関数はベクトル関数に対して'''スカラー関数'''(scalar function)と呼ばれる。スカラー関数は入力ベクトルを「変数の組」と見れば通常の多変数関数に一致する。
この節で述べた理論は、多くは一般のベクトル関数に対しても成り立つ。但し、後述のヤコビ行列のような拡張を必要とするものもある。
また、多変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{f}(x_1, x_2,\cdots,x_n)</math>を考えたとき、多変数微積分の理論は一変数微積分と同様にしてベクトル関数にもそのまま拡張される。
===ベクトル場・スカラー場===
写像<math>\boldsymbol{a}: \mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^n</math>を'''ベクトル場'''(vector field)という。
実際には<math>m=n</math>の場合を考えることが多い。
写像<math>\varphi: \mathbb{R}^n \to \mathbb{R}</math>を'''スカラー場'''(scalar field)という。
それぞれ上で述べたベクトル関数・スカラー関数に対応する。
もう少し具体的に述べると、空間の領域<math>V</math>が与えられたときその各点にスカラーまたはベクトルを割り当てたものが場である。要するに、<math>p\in V</math>とすると
:スカラー場:<math>\varphi=\varphi(p)</math>
:ベクトル場:<math>\boldsymbol{a}=\boldsymbol{a}(p)</math>
のように場は「点を入力とする<sup>※</sup>関数」である。
<small>※なお、ベクトル場を図示するときは「出力されたベクトルの'''始点は原点でなく入力された点'''」であることに注意が必要である。出力ベクトルの成分表示は「入力点を基準に据えたときの位置ベクトル」なので原点から目盛を数えることに意味はない。</small>
ここで<math>V</math>に何かしらの座標が設定されていれば、その座標系の変数の組をベクトルと見做すことで場を「通常のスカラー関数・ベクトル関数」として扱えるのである。
則ち、「滑らかな場」という概念は「滑らかな関数」として定義することができる。より具体的に言うと、スカラー場・ベクトル場が'''滑らか'''であるとは対応するスカラー関数・ベクトル関数が<math>C^\infty</math>級であることである。但し、滑らかさは任意の座標変換で保たれるわけではないことに注意が必要である(後述の座標変換テンソル及びその逆行列の全ての成分関数が滑らかである必要がある)。
ここで、二変数関数の極値を思い返してみる。
<math>z=f(x, y)</math>が<math>(a, b)</math>で極大であるとは<math>\begin{pmatrix} x \\ y \end{pmatrix}\neq\begin{pmatrix} a \\ b \end{pmatrix}</math>として
:<math>\exist \delta>0, \forall {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] y \end{array}\right)} \in \mathbb{R}^2, {\scriptstyle\left\| \left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] y \end{array}\right) - \left(\begin{array}{c} a \\[-6pt] b \end{array}\right) \right\|} < \delta \implies f(x, y) \leq f(a, b)</math>
という定義だった。
<math>z=f(x, y)</math>は曲面を表すが、これを<math>z</math>軸正方向から<math>xy</math>平面に射影するとその陰が<math>(x, y)</math>の動く範囲となるのであった。
ここで<math>\boldsymbol{x}:=\begin{pmatrix} x \\ y \end{pmatrix}, \boldsymbol{\alpha}:=\begin{pmatrix} a \\ b \end{pmatrix}</math>とすると<math>z=f(x, y)</math>はスカラー場<math>z=\phi(\boldsymbol{x})</math>と解釈することができ、更に条件法の前件は<math>\boldsymbol{\alpha}</math>の<math>\delta</math>-開球(二次元なので開円板)である。
なので、極大値の定義式をベクトル解析的に解釈すると「<math>xy</math>平面の各点に<math>z</math>の値を割り当てた数分布に於いて、開円板<math>B_\delta(\boldsymbol{\alpha})</math>内部に於ける<math>z</math>の最大値が<math>\phi(\boldsymbol{\alpha})</math>となるような正数<math>\delta</math>が存在する」ということである。
ベクトル場の例としては、電場・磁場・重力場などが挙げられる。
スカラー場の例としては、電位分布・温度分布・圧力分布などが挙げられる。
例えば、ベクトル場<math>\boldsymbol{f}=(x, 0, 0)</math>は、<math>\mathbb{R}^3</math>内の平面<math>x=k</math>上の任意点に、その点を始点とするベクトル<math>\begin{pmatrix} k \\ 0 \\ 0 \end{pmatrix}</math>が存在する状態を表す。
ベクトル場の和は、出力ベクトルの型が同じならばベクトル場の成分の和をとったものに等しい。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x, y, z)=(y, z, x), \boldsymbol{g}(x, y, z)=(z, x, y)</math>について
:<math>(\boldsymbol{f}+\boldsymbol{g})(x, y, z)=(y, z, x)+(z, x, y)=(y+z, z+x, x+y)</math>である。
これは、ベクトル場の加法の定義が
:<math>\forall p \in V, (\boldsymbol{f}+\boldsymbol{g})(p):=\boldsymbol{f}(p)+\boldsymbol{g}(p)</math>
となっていて且つ<math>V</math>に座標を入れればベクトル関数の加法則をそのまま適用できるためである(入力点が異なるとき、場同士は足すことができない)。
曲線<math>\{\boldsymbol{x}\in\mathbb{R}^2 \mid \varphi(\boldsymbol{x})=\mathrm{const}.\}</math>を'''等高線'''(等高曲線)、曲面<math>\{\boldsymbol{x}\in\mathbb{R}^3 \mid \varphi(\boldsymbol{x})=\mathrm{const}.\}</math>を'''等位面'''(等位曲面)という。これらの詳細は後述する。
==曲線論・曲面論==
===曲線===
<math>xy</math>平面上の曲線は<math>y=f(x) (x\in[a, b])</math>という陽関数表示で扱うことが多かった。しかし、これだと自分自身と交わる('''自己交叉'''する)曲線や<math>x=x_0</math>に対して<math>f(x_0)</math>の値が複数存在する(<math>f</math>が'''多価関数''')場合に不都合が生じる。
例えば円を陽関数表示しようとすると
:<math>x^2+y^2=r^2</math>を<math>y</math>に就いて解いて
:<math>y=\pm\sqrt{r^2-x^2}</math>
則ち
:<math>y=\begin{cases} \sqrt{r^2-x^2} & (y\geq0) \\ -\sqrt{r^2-x^2} & (y<0) \end{cases}</math>
という多価関数が必要になる。
これだと端点の振舞を一々調べる必要があって曲線の連続性や接線の議論が煩雑になってしまう。
しかし、先程も述べたように曲線の媒介変数表示はベクトル関数として見れるのであった。
:<math>\boldsymbol{r}(\theta) = r\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin\theta \end{pmatrix}</math>(再掲)
こうすると一変数連続ベクトル関数によって曲線を表すことが可能である。物理的に捉えると「質点の運動の軌跡を原点からの位置ベクトルの時間変化で表す」ということである。
一般に、<math>\boldsymbol{r}\in\mathbb{R}^n, t \in I</math>としてベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>の解集合<math>\{\boldsymbol{r}(t) \mid t \in I \}</math>は<math>n</math>次元空間内の曲線<math>C</math>を表す。これを<math>C</math>の'''ベクトル表示'''という。
ベクトル表示は成分表示に直せば<math>\boldsymbol{r}(t)=\sum_i r_i(t)\boldsymbol{e}_i</math>となる。これは媒介変数表示<math>\begin{cases} x_1&=&r_1(t) \\ x_2&=&r_2(t) \\ &\,\,\vdots& \\ x_n&=&r_n(t) \end{cases}</math>をベクトル表記したものに一致する。
例えば、<math>\boldsymbol{r}(t)=\begin{pmatrix} a\cos t \\ a\sin t \\ bt \end{pmatrix}</math>は'''常螺旋'''(弦巻線)のベクトル表示である。
パラメータが増加するときの点の移動方向を曲線の'''正の向き'''と定める。曲線の'''負の向き'''はパラメータが減少するときの点の移動方向である。このとき、パラメータで'''向き付け'''された曲線という表現もなされる。曲線<math>C</math>に対し、同じパラメータを用いた逆向きの曲線を<math>-C</math>と表す。ベクトル表示では<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に対して<math>-C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(-t)</math>ということである。
パラメータに関する変数変換<math>u=\phi(t)</math>を考える。但し、<math>\phi</math>は広義単調関数とする<sup>※</sup>。このとき、<math>\frac{du}{dt}</math>が非負ならば曲線の向き付けが保たれ、非正ならば向き付けが反転する。<math>\frac{du}{dt}=0</math>となる領域では点の運動が停止する。
<small>※<math>\phi</math>が非単調関数のときは曲線上の点が行ったり来たりすることになるため曲線のパラメータ表示としては扱いづらい。</small>
<math>\boldsymbol{r}(t) \in C^1</math>且つ<math>\boldsymbol{r}'(t)\neq\boldsymbol{0}</math>であるとき、曲線<math>C</math>は'''滑らか'''であるという。
滑らかな曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に対して<math>\boldsymbol{r}'(t)</math>を<math>C</math>の'''速度ベクトル'''という。
<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}=\boldsymbol{r}</math>として点<math>\mathrm{P}(t)</math>に於ける速度ベクトルは<math>\lim_{\Delta t\to0}\frac{\boldsymbol{r}(t+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t)}{\Delta t}</math>の極限ベクトルであるが、<math>\boldsymbol{r}(t+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t)</math>を図示することで速度ベクトルが曲線<math>C</math>の点<math>\mathrm{P}(t)</math>に於ける接線の方向ベクトルになっていることがわかる。よって、速度ベクトルを'''接線ベクトル'''(接ベクトル)ともいう。
速度ベクトルが非零である曲線を'''正則'''な曲線と呼ぶ。滑らかな曲線は正則曲線である。
なお、一般には陽関数表示が区分的であることとベクトル表示の成分関数が区分的であることに対応はないほか、パラメータの取り方で速度ベクトルが変わるので「曲線の幾何学的滑らかさ」と「ベクトル表示した関数の解析学的滑らかさ」は一致するとは限らない。
正則な曲線に対して曲線長('''弧長''')を考える。
二次元曲線の場合は数学Ⅲで既に扱った。
:<math>L=\int_a^b \sqrt{\left(\frac{dx}{dt}\right)^2+\left(\frac{dy}{dt}\right)^2}dt</math>
実は、これを一般の<math>n</math>次元にそのまま拡張することができる。
{{定理|(弧長公式)}}
曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>の点<math>\mathrm{P}(a)</math>から点<math>\mathrm{P}(b)</math>までの長さ(<math>a<b</math>)は
:<math>L=\int_a^b \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>
で与えられる。
{{定理終わり}}
*証明
:<math>a=t_0, b=t_m</math>として閉区間<math>[a, b]</math>を各<math>t_i</math>で等分割する。このとき小区間<math>[t_{k-1}, t_k]</math>の長さは<math>\Delta t=\frac{b-a}{m}</math>。
:<math>C</math>の点<math>\mathrm{P}(a)</math>から点<math>\mathrm{P}(b)</math>までの長さ<math>L</math>は折れ線の長さ<math>\overline{\mathrm{P}(t_{k-1})\mathrm{P}(t_k)}</math>の総和で近似される。
:ここで<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}=\boldsymbol{r}(t)</math>より
::<math>L_m=\sum_{k=1}^m \| \boldsymbol{r}(t_k)-\boldsymbol{r}(t_{k-1}) \| = \sum_{k=1}^m \left\| \frac{\boldsymbol{r}(t_{k-1}+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t_{k-1})}{\Delta t-0} \right\|(\Delta t-0)</math>
:分割を限りなく細かくする極限をとると<math>m\to\infty</math>より<math>\Delta t\to0</math>なので
::<math>\lim_{m\to\infty} L_m = \sum_{k=1}^\infty \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt}(t_{k-1}) \right\|dt</math>
:区分求積法より最後の無限級数は収束して
:<math>L=\int_a^b \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>//
ここで、<math>dl:=\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>という微小量を'''線素'''と呼ぶ。
1を線素に関して積分したパラメータ<math>s:=\int_0^t dl</math>を'''弧長パラメータ'''(標準パラメータ)という。弧長パラメータは曲線上で「基準点からの符号付き距離」を表す。
曲線の弧長パラメータによるベクトル表示('''弧長パラメータ表示''')を考える。<math>s=\int_0^t \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>で正則よりノルムは正。則ち<math>\frac{ds}{dt}>0</math>より<math>s=\phi(t)</math>は狭義単調増加なので、逆関数<math>t=\phi^{-1}(s)</math>を考えることができる。よって、<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に<math>t=\phi^{-1}(s)</math>を代入した<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\phi^{-1}(s))</math>が弧長パラメータ表示である。これを<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>と略記してしまうことも多いが、'''一般には元の<math>\boldsymbol{r}(t)</math>と成分関数が異なる'''ことに注意。
通常の媒介変数によるベクトル表示は「座標系が予め与えられた状況」での表示であるが、弧長パラメータは座標系を取り替えたとしても表す曲線そのものが変わらなければ不変である。よって、「座標系に依存しない表記」として弧長パラメータ表示は多く利用されている。
また、弧長パラメータ表示で連鎖律を適用すると
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\cdot\frac{dt}{ds}=\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\cdot\frac{1}{\frac{ds}{dt}}</math>
ここで微分積分学の基本定理より
:<math>\frac{ds}{dt}=\frac{d}{dt} \int_0^t \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt = \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|</math>
なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\frac{\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}}{\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|}</math>
であり、自身のノルムで割ってるので恒等的に<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} \right\|=1</math>である。
よって、弧長パラメータ表示された曲線の接ベクトルは常に単位ベクトルである。
弧長パラメータ表示された曲線で線素を考えると<math>s=\int_0^s \left\| \frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds} \right\| ds = \int_0^s dl</math>だが、常に<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} \right\|=1</math>なので<math>ds=dl</math>であり、弧長パラメータの微小量は線素に等しい(弧長パラメータそのものが1の線素に関する積分なので当たり前ではある)。
<math>\boldsymbol{e}_\dagger(s)=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}</math>と置くと、点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける接線の方程式は
:<math>\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s_0)=\boldsymbol{e}_\dagger(s_0) (s-s_0)</math>
と表される。
ここで<math>\boldsymbol{r}(s)</math>の中心<math>s_0</math>に於けるテイラー展開は
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\sum_{i=0}^\infty \frac{(s-s_0)^i}{i!} \frac{d^i}{ds^i}\boldsymbol{r}(s_0) </math>
であり、「接線が一次近似に対応する」という構造はベクトル関数でも維持されることが判った。
領域<math>\boldsymbol{D}</math>上の滑らかなベクトル場<math>\boldsymbol{a}</math>について、微分方程式<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t)) (\boldsymbol{r} \in \boldsymbol{D})</math>で与えられる曲線<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>を<math>\boldsymbol{a}</math>の'''流線'''(streamline)という(入力点を位置ベクトルと同一視していることに注意)。流線の接線ベクトルは元のベクトル場そのものになるので、ベクトルの相等から得る方程式<math>\frac{dx_1}{a_1}=\frac{dx_2}{a_2}=\cdots=\frac{dx_n}{a_n}</math>を'''流線方程式'''という。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x, y)=(y, x)</math>の流線は、
:定義から<math>\frac{dx}{dt}=y, \frac{dy}{dt}=x</math>
:合成関数の微分公式から<math>\frac{dy}{dx}=\frac{\frac{dy}{dt}}{\frac{dx}{dt}}=\frac{x}{y}</math>
:<math>\int y dy=\int xdx</math>
:<math>\frac{1}{2}y^2=\frac{1}{2}x^2+C</math>
:よって双曲線<math>y^2-x^2=2C</math>//
この場合、<math>t</math>に関する2つの微分方程式を組み合わせることで
:<math>\frac{d^2x}{dt^2}=x, \frac{d^2y}{dt^2}=y</math>という二階線型常微分方程式となり、一般解が双曲線関数を用いて<math>\begin{cases} x=C_1\cosh t+C_2\sinh t \\ y=C_1\sinh t+C_2\cosh t \end{cases}</math>であることが容易に判る。<br>なお、流線方程式を用いても<math>\frac{dx}{y}=\frac{dy}{x}</math>から<math>\frac{dy}{dx}=\frac{x}{y}</math>が出てくる。
「流線の接線ベクトルが元のベクトル場になる」とはつまり、「接線が常にベクトル場と平行になるような曲線」を考えているということである。滑らかなベクトル場を考えているためそのような曲線は常に存在する。流線は「ベクトル場の流れを繋げていった曲線」と考えることができるので、「流れを簡潔に図示」するのにちょうどよい。
有名な例として、電気力線・磁力線はそれぞれ電場<math>\boldsymbol{E}</math>・磁束密度<math>\boldsymbol{B}</math>の流線である。
流線の微分方程式を弧長パラメータ表示を用いて変形する。
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))</math>の左辺に就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\frac{ds}{dt}=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot \|\boldsymbol{r}'(\phi^{-1}(s))\|</math>
元の方程式の両辺でノルムをとると
:<math>\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\right\|=\|\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))\|</math>
代入して
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\|\boldsymbol{r}'(\phi^{-1}(s))\|=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\|\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))\|</math>
:<math>\therefore \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} = \boldsymbol{e}_{\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(\phi^{-1}(s)))}</math>
ここから、流線の形状はノルムには関係なく方向場のみで決まることがわかる。
===フレネ標搆===
ここでは、三次元空間に於ける正則曲線について考える。
<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>上の点<math>\mathrm{P}(s)</math>に於ける単位接線ベクトルを<math>\boldsymbol{t}</math>とおく。
先程の議論より<math>\boldsymbol{t}(s)=\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}</math>であり、<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds} \right\|=1 (=\mathrm{const}.)</math>なので直交条件の定理から<math>\boldsymbol{t}\cdot\frac{d\boldsymbol{t}}{ds}=0</math>、則ち<math>\boldsymbol{t} \perp \frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>である。この<math>\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>を'''主法線ベクトル'''という。
主法線ベクトルを<math>\boldsymbol{n}</math>とおくとき、<math>\boldsymbol{b}=\boldsymbol{t}\times\boldsymbol{n}</math>を'''従法線ベクトル'''(陪法線ベクトル)という。ここで先程の結果より<math>\boldsymbol{t}\perp\boldsymbol{n}</math>であって<math>\boldsymbol{b}</math>の定義より<math>\boldsymbol{t}\perp\boldsymbol{b}, \boldsymbol{n}\perp\boldsymbol{b}</math>なので、この3ベクトルの組を正規化した<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b \}</math>は<math>\mathbb{R}^3</math>の正規直交基底である。これを<math>\mathbb{R}^3</math>の'''フレネ標搆'''という。外積の結果よりフレネ標搆は<math>\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b</math>の順に右手系をなす。なお、接線ベクトル・主法線ベクトル・従法線ベクトルは全て曲線の位置ベクトル<math>\boldsymbol{r}(s)</math>を入力したベクトル場として捉えることができる。
<math>\{\boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b \}</math>の張る平面を'''法平面'''、<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_b \}</math>の張る平面を'''展直平面'''、<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n \}</math>の張る平面を'''接触平面'''という。
即ち、法平面・展直平面・接触平面は<math>tnb</math>空間の点<math>\mathrm{P}(s)</math>を原点とした基準面である。
平面の方程式の法線ベクトルに接ベクトル・主法線ベクトル・従法線ベクトルをそれぞれ代入することで
:法平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{t}(s)=0</math>
:展直平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{n}(s)=0</math>
:接触平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{b}(s)=0</math>
とわかる。
<math>\|\boldsymbol{t}\|=1</math>は常に成り立つが<math>\|\boldsymbol{n}\|, \|\boldsymbol{b}\|</math>は<math>1</math>とは限らない。そこで、主法線ベクトルの大きさ<math>\kappa(s)=\|\boldsymbol{n}(s)\|</math>を曲線<math>C</math>の'''曲率'''と呼ぶことにする。なお、<math>\|\boldsymbol{b}\|=\| \boldsymbol{t} \| \|\boldsymbol{n}\|\sin\frac{\pi}{2}</math>より<math>\|\boldsymbol{b}\|=\|\boldsymbol{n}\|=\kappa</math>が成り立つ。
主法線ベクトルの定義に立ち戻ると<math>\boldsymbol{n}(s)=\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>であった。つまり、主法線ベクトルは接ベクトルの速度ベクトルなので「弧長パラメータを変化させたときに接ベクトルがどのくらい変化するか」という指標である。接ベクトルの変化の大小と<math>\kappa</math>の大小は対応し、接ベクトルの大小はカーブの緩急に対応することから<math>\kappa</math>の大小とカーブの緩急も対応する。これが「曲率」という名前の由来である。
なお、<math>\kappa(s)=0</math>の場合は<math>\boldsymbol{n}(s)=\boldsymbol{0}</math>なので<math>\boldsymbol{t}(s)=\boldsymbol{k}</math>(定ベクトル)であり、<math>\boldsymbol{r}(s)=s\boldsymbol{k}</math>という直線の場合に対応することがわかる。
単位接ベクトルの<math>s</math>を微分変数とする導関数(<math>s</math>-導関数)は主法線ベクトルだったが、単位主法線ベクトル・単位従法線ベクトルの<math>s</math>-導関数がどのように表されるか見ていく。
ここで、フレネ標搆が<math>\mathbb{R}^3</math>の正規直交基底であることから、<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}, \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}</math>ともにフレネ標搆の一次結合で表現できると予想される。
単位従法線ベクトルに就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\frac{d}{ds}(\boldsymbol{e}_t\times\boldsymbol{e}_n)=\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\times\boldsymbol{e}_n+\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>
<math>\boldsymbol{t}=\boldsymbol{e}_t</math>より<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\boldsymbol{n}=\kappa\boldsymbol{e}_n</math>則ち<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\times\boldsymbol{e}_n=\kappa\boldsymbol{e}_n\times\boldsymbol{e}_n=\boldsymbol{0}</math>なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>
<math>\|\boldsymbol{e}_n\|=1</math>から直交条件の定理より<math>\boldsymbol{e}_n\perp\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>なので
:<math>\boldsymbol{e}_n\times\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\boldsymbol{e}_n\times(\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds})=\left(\boldsymbol{e}_n\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}\right)-(\boldsymbol{e}_n\cdot\boldsymbol{e}_t)\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\boldsymbol{0}</math>
外積が零ベクトルなので<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds} /\!\!/ \boldsymbol{e}_n</math>であり、一次従属より
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n</math>
となるスカラー関数<math>\tau(s)</math>が存在する。
この<math>\tau(s)</math>を曲線<math>C</math>の'''捩率'''と呼ぶ。捩率は接触平面の回転(捩れ)の率を表す。
<math>\tau=0</math>ならば<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=0</math>より<math>\boldsymbol{e}_b</math>方向は変化しないので曲線は接触平面と平行な平面上に拘束される。即ち、<math>C</math>は平面曲線である。
単位主法線ベクトルに就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\frac{d}{ds}(\boldsymbol{e}_b\times\boldsymbol{e}_t)=\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}\times\boldsymbol{e}_t+\boldsymbol{e}_b\times\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}</math>
ここで<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\kappa\boldsymbol{e}_n, \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n</math>を代入して
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n\times\boldsymbol{e}_t+\boldsymbol{e}_b\times\kappa\boldsymbol{e}_n=\tau\boldsymbol{e}_b-\kappa\boldsymbol{e}_t</math>
よって、フレネ標搆の弧長パラメータを微分変数とする導関数を以下のようにフレネ標搆の一次結合で表すことができた。
:<math>\begin{cases} \frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\kappa\boldsymbol{e}_n \\ \frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds} = \tau\boldsymbol{e}_b-\kappa\boldsymbol{e}_t \\ \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n \end{cases}</math>
これを一次変換で表記すると以下のようになる。但し、厳密にはベクトルを成分としている部分は列ではなく行に配置するのが正しいことに注意。
{{定理|(フレネ=セレーの公式)}}
:<math>\frac{d}{ds}\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_t \\ \boldsymbol{e}_n \\ \boldsymbol{e}_b \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 & \kappa & 0 \\ -\kappa & 0 & \tau \\ 0 & -\tau & 0 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_t \\ \boldsymbol{e}_n \\ \boldsymbol{e}_b \end{pmatrix}</math>
{{定理終わり}}
表現行列が反対称行列(歪対称行列)になっているが、これは「直交変換を一次近似すると反対称変換になる」という無限小回転の理論に対応する。
捩率を求めるときは「基底分解の係数は対応する基底ベクトルとの内積に等しい」という性質を利用すれば<math>\boldsymbol{e}_b\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\tau</math>となるので左辺を計算すればよい。
例えば、円<math>\begin{cases} x^2+y^2=a^2 \\ z=b \end{cases}</math>の曲率と捩率は以下のように求まる。
:媒介変数表示して<math>\boldsymbol{r}(t)=\begin{pmatrix} a\cos t \\ a\sin t \\ b \end{pmatrix}</math>
:接線ベクトルは<math>\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}=\begin{pmatrix} -a\sin t \\ a\cos t \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:弧長パラメータ<math>s</math>は<math>s=\int^t_0 \left\|\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\right\|dt = \int_0^t a dt = at</math>
:<math>\therefore t=\frac{s}{a}</math>
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\begin{pmatrix} a\cos\frac{s}{a} \\ a\sin\frac{s}{a} \\ b \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{t}=\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\begin{pmatrix} -\sin\frac{s}{a} \\ \cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{n}=\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}=\frac{1}{a}\begin{pmatrix} -\cos\frac{s}{a} \\ -\sin\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\kappa=\|\boldsymbol{n}\|=\frac{1}{a}</math>
:<math>\boldsymbol{b}=\boldsymbol{t}\times\boldsymbol{n} = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ \frac{1}{a} \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_n=\begin{pmatrix} -\cos\frac{s}{a} \\ -\sin\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\frac{1}{a}\begin{pmatrix} \sin\frac{s}{a} \\ -\cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_b = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}</math>
:<math>\tau = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}\cdot\frac{1}{a}\begin{pmatrix} \sin\frac{s}{a} \\ -\cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}=0</math>//
フレネ・セレーの公式は[[線型代数学続論/行列値関数|行列関数]]に関する一階常微分方程式である。そのため、微分方程式の基本定理(ピカール=リンデレーエフの定理)により初期条件(<math>s=0</math>に於けるフレネ標搆)を与えれば、滑らかな曲率関数・捩率関数の組<math>(\kappa, \tau)</math>を定めることで微分方程式の解として一般の<math>s</math>に対するフレネ標搆を一意に得る。このとき、曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>は接ベクトルを出発点を選んで積分することで決定される。
従って、次の定理が成り立つ<!-- 厳密証明はhttps://sshmathgeom.private.coocan.jp/diffgeom/curvetheorem.htmlを参照 -->。
{{定理|(曲線の基本定理)}}
開区間<math>(a,b)</math>上の実数<math>s</math>を変数とする2つの滑らかな関数<math>\kappa(s),\tau(s)</math>を与える。但し、<math>\kappa(s)</math>は正とする。<br/>
このとき、<math>\kappa(s)</math>を曲率、<math>\tau(s)</math>を捩率、<math>s</math>を弧長パラメータとする三次元空間上の曲線<math>C</math>が剛体運動を除いて一意に定まる。
{{定理終わり}}
剛体運動とは「曲線の形を変えない」運動のことである(平行移動・回転など)。
<math>\kappa(s), \tau(s)</math>の定める曲線族を一般に<math>\mathcal{C}[\kappa, \tau]</math>と書く。
例えば、円を含む螺旋は<math>c_1, c_2=\mathrm{const}.</math>として<math>\mathcal{C}[c_1, c_2]</math>と書ける。
<math>R=\frac{1}{\kappa}</math>を'''曲率半径'''という。曲率半径は曲線の特定のカーブにおける曲がり具合の急さを表す指標であり、カーブを近似する真円('''密着円''')の半径でもある。高速道路の標識で<math>R=\circ\circ \mathrm{m}</math>は、そのカーブの曲率半径を示している。道路設計では、快適なドライブの為曲率半径がなるべく大きくなるように工夫を凝らしている。
ここで<math>\boldsymbol{r}(s)</math>の中心<math>s_0</math>に於けるテイラー展開は
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\sum_{i=0}^\infty \frac{(s-s_0)^i}{i!} \frac{d^i}{ds^i}\boldsymbol{r}(s_0) </math>(再掲)
だったが、二次近似式(三次以降を切り捨てた式)を考えると
:<math>\boldsymbol{r}(s) \fallingdotseq \boldsymbol{r}(s_0)+\frac{d\boldsymbol{r}(s_0)}{ds}(s-s_0) + \frac{1}{2}\frac{d^2\boldsymbol{r}(s_0)}{ds^2}(s-s_0)^2 </math>
フレネ標搆を用いて書き直すと
:<math>\boldsymbol{r}(s) \fallingdotseq \boldsymbol{r}(s_0)+\boldsymbol{e}_t(s-s_0) + \frac{1}{2}\kappa(s_0)\boldsymbol{e}_n(s-s_0)^2 </math>
二次近似とは「曲線を円弧で近似する」ことだったので曲率<math>\kappa(s_0)</math>が近似に用いる円弧と関係ある量であることが予想される。<br/>
接触平面で密着円<math> \| \boldsymbol{r} - (\boldsymbol{r}(s_0)+R\boldsymbol{e}_n) \| = R </math>を考える。接触平面を<math>xy</math>平面と考えると円の方程式は
:<math>x^2+(y-R)^2=R^2</math>
:<math>y=R-\sqrt{R^2-x^2}</math>
テイラー展開して
:<math>y=\frac{x^2}{2R}+O(x^4)</math>
二次の項を比較すると
:<math>\frac{x^2}{2R}=\frac{(s-s_0)^2}{2}\kappa</math>
よって
:<math>R=\frac{1}{\kappa}</math>
と定義するのは妥当である。
なお、先ほど求めた円の曲率から、真円に関して「曲率半径=半径」であることが判る。
フレネ・セレーの公式で最初の二行二列のみを考えると<math>\mathbb{R}^2</math>内の曲線に対するフレネ・セレーの公式を得る。一般に<math>\mathbb{R}^n</math>上の曲線に対し、今回の議論と同様にして接ベクトル・主法線ベクトル・曲率を定義することができる。但し、三次元空間と異なって同じ曲率に対して異なる曲線を与えることができる(主法線ベクトルが接触平面内で接ベクトルに対して左右どちらを向くかがそのままでは定まらないため)。なお、4次元以上であっても平面拘束曲線ならば捩率は0であって従法線ベクトルは零ベクトルに定まる。
===単純閉曲線===
パラメータ区間を<math>I=[a, b]</math>とする。
このとき、曲線の端点はそれぞれ<math>\mathrm{P}(a), \mathrm{P}(b)</math>である。
端点が一致する、つまり<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P}(b)</math>である連続曲線を'''閉曲線'''という。
自己交叉しない、つまり<math>\forall t_1, t_2 \in (a, b), t_1 \neq t_2 \iff \mathrm{P}(t_1)\neq\mathrm{P}(t_2)</math>となる閉曲線を'''単純閉曲線'''(ジョルダン曲線)という。閉曲線でない曲線に就いて「自己交叉しない」という条件は「曲線を表すベクトル関数が単射」と同値であるので、端点のみ単射性を外してやれば単純閉曲線の定義を得る。
幾何学的直観から、平面に拘束された単純閉曲線はその平面を単純閉曲線で囲まれた'''内部'''とそうでない'''外部'''の二つの領域に分割することが予想できる。
このことは以下の定理によって保証される。
{{定理|(ジョルダンの曲線定理)}}
平面<math>\Pi\subset\mathbb{R}^n</math>内の任意の単純閉曲線<math>\gamma</math>に対し、有界領域<math>I</math>・非有界領域<math>O</math>の組であって<math>\Pi\setminus\gamma=I \sqcup O</math>且つ<math>\partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>であるものが唯一つに定まる。
{{定理終わり}}
この<math>I, O</math>をそれぞれ内部・外部と定義する。証明は[[位相幾何学]]で行う。なお、「<math>\partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>」を態々明示しているのは、滑らかでない単純閉曲線に対しては「<math>\Pi\setminus\gamma=I \sqcup O \implies \partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>」が自明でないためである。
正則単純閉曲線に対して「曲線の向き」の幾何学的意味を考える。
ジョルダンの曲線定理より単純閉曲線<math>\gamma:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s) \quad(\boldsymbol{r}\in \Pi)</math>は平面<math>\Pi</math>を内部<math>I</math>と外部<math>O</math>に分割する。平面拘束曲線なので<math>\forall{s}, \tau(s)=0</math>であり、従法線ベクトルは零ベクトル且つ接触平面が常に<math>\Pi</math>に一致する。
主法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(s)</math>が接ベクトル<math>\boldsymbol{t}(s)</math>に対して左側を向いているとすると、<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0) \quad(\varepsilon>0)</math>が点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける<math>\gamma</math>の進行方向左側にある点である。
ここで、<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける<math>\varepsilon</math>-開球<math>B_\varepsilon(s_0)</math>を考えると、平面<math>\Pi</math>上では<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0)</math>が左側の領域、<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0)</math>が右側の領域に入る。
<math>s=s_0</math>を動かすと各点で進行方向左は<math>I, O</math>のいずれかであり、<math>\gamma</math>の正則性と<math>I, O</math>の連結性から「<math>I, O</math>のどちらが左側であるかは曲線全体で変わらない」ことが言える。
ここで円の場合を考える。<math>\Pi</math>に直交座標<math>u, v</math>を入れると向心加速度の議論から「加速度ベクトル=主法線ベクトルは円の中心を向く」ので、「円の正の向きは円の内部を左手に見る進行方向」である。
任意の正則単純閉曲線<math>\gamma</math>に対して自己交叉を起こさないまま円へ連続変形する可逆写像が存在し、その変形に於いて「左側」と「<math>I, O</math>」の対応は変化しない。則ち、円で確認された「正の向きは囲まれた内部を左手に見る向き」は任意の正則単純閉曲線で成り立つ。
つまり、単純閉曲線の正の向きは点を動かしたときに'''自身の囲む領域の内部を左手に見る向き'''である。負の向きは左手に外部を見る向きである。
集合<math>A</math>に含まれる任意の2点に対してそれらを端点とする滑らかな曲線<math>C</math>をとれるとき、<math>A</math>は'''弧状連結'''であるという。
弧状連結集合<math>S</math>内の任意の閉曲線<math>\gamma</math>に対して1点に退化するような連続変形が可能なとき、<math>S</math>は'''単連結'''であるという。単連結でない集合は'''多重連結'''であるという。
平面<math>\Pi\subset\mathbb{R}^n</math>に含まれる単連結集合<math>S</math>に対し、<math>\hat{\Pi}:=\Pi\cup\{\infty\}</math>とすると集合<math>\hat{\Pi}\setminus{S}</math>は連結である。逆も成り立つ。
なお、「<math>A</math>が連結集合である」ことは「補集合<math>\overline{A}</math>が非連結集合である」ことを意味しない。そのため「単連結な連結集合」も考えられ、特に「単連結な領域」はこの先頻繁に登場する。
集合<math>A</math>に含まれる任意の2点を結んだ線分が<math>A</math>に包含されるとき、<math>A</math>は'''凸型'''であるという。凸型集合でない集合は'''凹型'''であるという。
集合<math>A</math>内の1点を固定してそこから<math>A</math>内任意点へ引いた線分が<math>A</math>に包含されるとき、<math>A</math>は'''星状'''(星型)であるという。このとき固定した点を'''星の中心'''という。凸型集合は全て星状集合である。
単純閉曲線<math>\gamma</math>を境界とする内部<math>I</math>に関して<math>I\cup\gamma</math>が凸型集合であるとき、<math>\gamma</math>を'''卵形線'''(凸単純閉曲線・オーヴァル)という。
曲線<math>C</math>の曲率関数<math>\kappa(s)</math>が<math>C^3</math>級であるとき、<math>\kappa'(s_0)=0</math>を満たす点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>を<math>C</math>の'''頂点'''という。
例えば、標準楕円<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}=1</math>の頂点は4点<math>(\pm{a},0),(0,\pm{b})</math>である。このことは、<math>\mathbb{R}^2</math>上曲線<math>C:\boldsymbol{r}=x(t)\boldsymbol{e}_x(t)+y(t)\boldsymbol{e}_y(t)</math>に対する曲率の公式<math>\kappa(t)=\frac{\left|\frac{dx}{dt}\frac{d^2y}{dt^2}-\frac{dy}{dt}\frac{d^2x}{dt^2}\right|}{\left\{\left(\frac{dx}{dt}\right)^2+\left(\frac{dy}{dt}\right)^2\right\}^\frac{3}{2}}</math>と<math>\frac{ds}{dt}>0</math>を用いて確かめられる。
実は、この事実は楕円に限らないことが以下の定理で示される。
{{定理|(ムコパディヤーヤの定理・四頂点定理)}}
<math>\mathbb{R}^2</math>上の滑らかな卵形線は少なくとも4つの頂点を持つ。
{{定理終わり}}
*証明
:滑らかな卵形線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)\quad(s\in[a, b])</math>に対して曲率関数<math>\kappa(s)</math>は滑らかであり、<math>\kappa\in C^3</math>を満たす。
:卵形線は単純閉曲線なので<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P(b)}</math>であり、<math>\kappa(a)=\kappa(b)</math>。
:曲率関数が定数関数のときは<math>\kappa\in C^\infty</math>且つ常に<math>\kappa'(s)=0</math>なので曲線を構成するすべての点が頂点であり、明らかに定理を満たす。
:曲率関数が定数関数でないとする。
:ワイエルシュトラスの極値定理より<math>\kappa(s)</math>は<math>s\in[a, b]</math>のどこかで最大値・最小値をとり、その点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす。
:従って少なくとも2つの頂点を持つ。
:ここで、頂点がこの2つのみと仮定する。
:曲率が最大値・最小値をとる点をそれぞれ<math>\mathrm{M, N}</math>と置く。
:線分<math>\mathrm{MN}</math>を含む直線を<math>x</math>軸とし、その垂直方向に<math>y</math>軸をとる。
:<math>s</math>が増加すると曲線上の点が<math>\mathrm{N}\to\mathrm{M}</math>のように動くとき、
:<math>\kappa(s)</math>は最小値から最大値に向かって増大し、他に頂点がないので狭義単調増加である。
:同様に、<math>\mathrm{M}\to\mathrm{N}</math>の向きでは<math>\kappa(s)</math>は狭義単調減少である。
:従って、<math>\kappa'(s)y(s)\neq0</math>の正の側だけ考えれば良い。
:<math>y(a)=y(b)=0</math>に注意すると部分積分して
:<math>0<\int_a^b \kappa'(s)y(s)ds=-\int_a^b \kappa(s)y'(s)ds</math>
:主法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(s)= \begin{pmatrix} \xi_1(s) \\ \xi_2(s) \end{pmatrix}</math>を考えると二次元版フレネ=セレーの公式から<math>\frac{d\boldsymbol{n}}{ds}=-\kappa\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}</math>なので
:<math>\xi'_2(s)=-\kappa(s)y'(s)</math>
:よって
:<math>-\int_a^b \kappa(s)y'(s)ds=\int_a^b \xi_2(s)ds = \left[\xi_2(s)\right]_a^b=0</math>
:なので矛盾した不等式<math>0<0</math>を得る。
:則ち、<math>\mathrm{M, N}</math>と異なる点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が少なくとも一つ存在する。
:そのような点を<math>\mathrm{L}</math>と置く。
:<math>\mathrm{L}</math>が<math>\mathrm{N}\to\mathrm{M}</math>という経路の途中にあるとする。
:このとき、<math>\mathrm{L}</math>以外に<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が存在すると「<math>\mathrm{M}\to\mathrm{N}</math>という経路の途中にそのような点が無い」という最初の仮定に反するので
:<math>\mathrm{M, N, L}</math>以外では<math>\kappa'(s)y(s)>0</math>である。
:同様に部分積分を行うことで矛盾した不等式を得、<math>\mathrm{M, N, L}</math>と異なる点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が少なくとも一つ存在することが判る。
:この時点で「<math>\mathrm{M, N}</math>間の二つの経路のいずれにも<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が存在しない」という仮定が否定されたのでこれ以上背理法を適用することはできない。
:よって、頂点個数の最小値は<math>4</math>である。//
最小値4をとる卵形線が実際に存在することは楕円の例で確かめた。
この定理は「卵形線」を「(正則)単純閉曲線」に取り換えてもそのまま成り立つことが知られている。一般の閉曲線でこの定理を成り立たせるには追加の条件が必要となる。
先程も述べたように、接ベクトルと単位主法線ベクトルは2次元以上の空間内部にある曲線ならば定義することができる。そして、<math>\boldsymbol{t}\cdot\boldsymbol{n}=0</math>も必ず成り立つ。よって、<math>\boldsymbol{e}_t\cdot\boldsymbol{e}_n=0</math>の両辺を<math>s</math>で微分して
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\cdot\boldsymbol{e}_n+\boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=0</math>
:<math>\therefore \boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\boldsymbol{n}\cdot\boldsymbol{e}_n=-\kappa</math>
ここで「基底分解に於ける成分はその基底との内積に等しい」という性質から、<br/>
一般次元に於いても「<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>の接線方向成分は<math>-\kappa(s)</math>」であることが判る。
ここで<math>C^2</math>級曲線の位置ベクトル<math>\boldsymbol{r}(s)</math>に対して単位主法線<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>を対応させることを考える。この対応を'''ガウス表示'''という。
<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>を二次までテイラー展開すると<math>\Delta s>0</math>を微小量として
:<math>\boldsymbol{e}_n(s+\Delta s)=\boldsymbol{e}_n(s)+\frac{d\boldsymbol{e}_n(s)}{ds}\Delta s + O(\Delta s^2)</math>
ここで<math>\boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\kappa</math>より、<math>s</math>を<math>\Delta s</math>だけ動かしたときの接線方向の速さは<math>|\kappa(s)|\Delta s</math>である(<math>\kappa(s)</math>が正で正の向き、負で負の向きに動くとする)。
閉曲線に対してはガウス表示によって法線方向の変化を完全に捉えられるので、<math>\kappa(s)</math>を微小量<math>\Delta s</math>に関して積分した<math>\int_a^b \kappa(s)ds</math>を考えてみる。
ガウス表示では曲線を単位主法線ベクトルの描く単位円として考えることができる。閉曲線では<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P}(b)</math>より明らかに<math>\boldsymbol{e}_n(a)=\boldsymbol{e}_n(b)</math>であり、閉曲線が一周する間にベクトル<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>はこの単位円を<math>m(\in\mathbb{Z})</math>周する<sup>※</sup>。
<small>※物理的には「円そのものが動いても円周上の質点は『この円をどっちの方向に何周したか』という情報しか持たない」ので、単位円が動くことは議論にあまり関係ない</small>
弧度法より単位円を<math>m</math>周する符号付き道のりは<math>2\pi{m}</math>であり、ガウス表示より<math>\int_a^b \kappa(s)ds=2\pi{m}</math>。
従って、<math>m=\frac{1}{2\pi}\int_a^b \kappa(s)ds</math>
この<math>m</math>を閉曲線の'''回転数'''と呼ぶことにする。
曲率が負の場合には積分値が途中で相殺されてしまうので、絶対値を付けて積分した
:<math>\mu:=\int_a^b |\kappa(s)|ds</math>
という量を考えることにする。
これを閉曲線の'''全曲率'''と呼ぶ。
全曲率に対して以下の定理が成り立つ。
{{定理|(フェンヒェルの定理)}}
滑らかな閉曲線の全曲率は<math>\mu\geq2\pi</math>を満たす。等号成立の場合は卵形線である。
{{定理終わり}}
証明は省略する。
===曲面===
多変数解析で既に扱った、三次元空間に於ける曲面の陽関数表示<math>z=f(x, y)</math>を'''モンジュ表示'''という。<math>f(x, y, z)=\mathrm{const}.</math>と陰関数表示された曲面は陰関数定理が成り立つ範囲でモンジュ表示に直すことができる。
一次式で陰関数表示される曲面を'''一次曲面'''という。平面の方程式より、一次曲面は全て平面である。
二次式で陰関数表示される曲面を'''二次曲面'''という。
以下、三次元空間に於ける二次曲面の例を挙げる。各係数は非退化条件を満たすとする。なお、「直線に平行な平面」は「直線を法線とする平面に垂直な平面」を意味することに注意。
*'''球面'''(sphere)
:高校数学で扱ったように、点<math>(a, b, c)</math>を中心とする半径<math>r</math>の球面の方程式は<math>(x-a)^2+(y-b)^2+(z-c)^2=r^2</math>である。この球面上の点の位置ベクトルは<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>なので、球面が満たすベクトル方程式は一般に<math>\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{a}\|=\mathrm{const}.</math>である。これは円のベクトル方程式の次元を上げたものである。
*'''楕円面'''(ellipsoid)
:楕円の方程式を拡張した方程式<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}+\frac{z^2}{c^2}=1</math>が表す曲面である。<math>xyz</math>空間の基本面で切った断面は全て楕円となる。
*'''楕円拋物面'''(elliptic paraboloid)
:楕円の平面拘束条件を外した方程式<math>z=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>が表す曲面である。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は楕円、平行な平面で切った断面は拋物線となる。
*'''双曲拋物面'''(hyperbolic paraboloid)
:双曲線の平面拘束条件を外した方程式<math>z=\frac{x^2}{a^2}-\frac{y^2}{b^2}</math>が表す曲面である。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は双曲線、平行な平面で切った断面は拋物線となる。また、原点は鞍点である。
*'''一葉双曲面'''(hyperboloid of one sheet)
:楕円面の方程式の一つの項の符号を変えた<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}-\frac{z^2}{c^2}=1</math>の表す曲面。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は楕円、平行な平面で切った断面は双曲線となる。
*'''二葉双曲面'''(hyperboloid of two sheet)
:楕円面の方程式の二つの項の符号を変えた<math>\frac{x^2}{a^2}-\frac{y^2}{b^2}-\frac{z^2}{c^2}=1</math>の表す曲面。断面の分類は一葉双曲面と同じだが、<math>m^2<c^2</math>のときは平面<math>z=m</math>と交わらないため「二葉」と名付けられている。
*'''錐面'''(conical surface)
:方程式<math>\frac{z^2}{c^2}=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>の表す曲面。<math>xy</math>平面との交点は原点のみであり、<math>yz</math>平面・<math>zx</math>平面で切った断面は直線である。
閉区間<math>I\subset\mathbb{R}</math>上の一変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}(t)</math>を用いたベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t) \quad(t\in I)</math>の解集合は次元に依らず曲線を表した。
同様に、領域<sup>※</sup><math>D\subset\mathbb{R}^2</math>上の二変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}(t, u)</math>を用いたベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u) \quad({\scriptstyle\left(\begin{array}{c} t \\[-6pt] u \end{array}\right)}\in D)</math>の解集合は次元に依らず曲面を表すと考えられる。
厳密には[[線型代数学/基底と次元|階数・退化次数の定理]]<!-- 次元定理・線型写像の基本定理 -->などを用いてこのことを確かめられる。
<small>※ここでいう「領域」は冒頭で厳密に定義した「領域」であることに注意。</small>
曲線と同様に、曲面の'''パラメータ表示'''と'''ベクトル表示'''は次のように定義される。
:パラメータ表示:<math>\begin{cases} x_1&=&r_1(t, u) \\ x_2&=&r_2(t, u) \\ &\,\,\vdots& \\ x_n&=&r_n(t, u) \end{cases}</math>
:ベクトル表示:<math>\left\{\boldsymbol{r}(t, u) \,\bigg|\, {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} t \\[-6pt] u \end{array}\right)} \in D \right\}</math>
また、<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>のようにも表す。
例えば、<math>k>l>0</math>として<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} (k+l\cos u)\cos t \\ (k+l\cos u)\sin t \\ l\sin u \end{pmatrix} \quad(D=\left\{ \begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix} \bigg| \begin{array}{c} 0 \leq t \leq 2\pi \\ 0 \leq u \leq 2\pi \end{array} \right\})</math>は'''トーラス'''のベクトル表示である。
<math>\mathbb{R}^3</math>上の平面の方程式は高校数学に於いて<math>\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}\neq\boldsymbol{0}</math>として一次式<math>ax+by+cz+d=0</math>と表せることを学んだ。
これのベクトル方程式を求めてみよう。
:①<math>c=0</math>のとき
::平面の方程式は<math>\begin{cases} ax+by+d=0 \\ z=\mathrm{const}. \end{cases}</math>
::[1]<math>b=0</math>のとき
:::平面の方程式は<math>\begin{cases} ax+d=0 \\ y=\mathrm{const}. \\ z=\mathrm{const}. \end{cases}</math>
:::<math>\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}\neq\boldsymbol{0}</math>より<math>a\neq0</math>
:::<math>y=t, z=u</math>と置換すると
:::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} -\frac{d}{a} \\ t \\ u \end{pmatrix}</math>
:::<math>\boldsymbol{r} = t\begin{pmatrix} 0 \\ 1 \\ 0 \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}+\begin{pmatrix} -\frac{d}{a} \\ 0 \\ 0 \end{pmatrix}</math>
::[2]<math>b\neq0</math>のとき
:::<math>x=t, z=u</math>と置換すると
:::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} t \\ -\frac{a}{b}t-\frac{d}{b} \\ u \end{pmatrix}</math>
:::<math>\boldsymbol{r} = t\begin{pmatrix} 1 \\ -\frac{a}{b} \\ 0 \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}+\begin{pmatrix} 0 \\ -\frac{d}{b} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:②<math>c\neq0</math>のとき
::<math>x=t, y=u</math>と置換すると
::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} t \\ u \\ -\frac{a}{c}t-\frac{b}{c}u-\frac{d}{c} \end{pmatrix}</math>
::<math>\boldsymbol{r}=t\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \\ -\frac{a}{c} \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 1 \\ -\frac{b}{c} \end{pmatrix} + \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ -\frac{d}{c} \end{pmatrix}</math>
なお、ここから平面のベクトル方程式が一般に<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{a}+t\boldsymbol{b}+u\boldsymbol{c}</math>という「直線のベクトル方程式を拡張した形」であることがわかる。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)\in C^1</math>且つ<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\neq\boldsymbol{0}</math>である曲面を'''滑らか'''な曲面という。
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>とその上の点<math>\mathrm{P}_0=(a, b)</math>に対し、曲線<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(a, u), \boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, b)</math>をそれぞれ点<math>\mathrm{P}_0</math>に於ける'''<math>t</math>曲線'''・'''<math>u</math>曲線'''という。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)\in C^1</math>であるとき、偏導関数の定義から
:<math>\frac{\partial}{\partial{u}}\boldsymbol{r}(a, u)=\frac{d}{du}\boldsymbol{r}(a, u)</math>
:<math>\frac{\partial}{\partial{t}}\boldsymbol{r}(t, b)=\frac{d}{dt}\boldsymbol{r}(t, b)</math>
ここで<math>a, b</math>をそれぞれ<math>t</math>軸・<math>u</math>軸上で動かすことで<math>t</math>曲線・<math>u</math>曲線の接ベクトルがそれぞれ<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}</math>であると判る。これらを曲面のパラメータ方向の'''接ベクトル'''という。
これらの接ベクトルが平行でないとき、曲面<math>S</math>上の任意の点<math>\mathrm{P}</math>に対して<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>の張る平面が定まる。これを曲面<math>S</math>の点<math>\mathrm{P}</math>に於ける'''接平面'''という。曲線の接線は一次元ベクトル空間<math>\left\{ \xi\frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \bigg| \xi \in\mathbb{R} \right\}</math>で表されたが、曲面の接平面は二次元ベクトル空間<math>\left\{ \xi\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}+\eta\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \bigg| \xi, \eta \in \mathbb{R} \right\}</math>で表される。このような接ベクトル全体が張るベクトル空間を一般に'''接空間'''と呼ぶ。
接ベクトルの組が一次独立である曲面を'''正則'''な曲面という。滑らかな曲面は正則曲面である。
曲面<math>S</math>の接平面に垂直なベクトルを<math>S</math>の'''法線ベクトル'''という。
三次元空間ならば接平面を張る2ベクトルの外積<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \times \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>で求められる。
モンジュ表示された曲面<math>S:z=f(x, y)</math>に対して接平面の存在性(つまり曲面の正則性)は「二変数関数<math>f</math>の全微分可能」に対応した。ベクトル表示された曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>に対しては「ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}</math>の全微分可能性」だけでは足りず、「ヤコビ行列<math>\frac{\partial{(\boldsymbol{r})}}{\partial{(t, u)}}</math>の階数が2」も要求される。
以下、正則曲面のみ扱う。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)</math>の微小変化は全微分で与えられる。
:<math>d\boldsymbol{r}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
則ち、各パラメータを同時に<math>\begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix}\to\begin{pmatrix} t+dt \\ u+du \end{pmatrix}</math>と単調に動かしたとき、対応する曲面上の点が描く領域は2ベクトル<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>の張る微小平行四辺形として近似できる。その微小面積は線型代数の内容から
:<math>\sqrt{ \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt \right\|^2 \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du \right\|^2 - \left\{ \left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du\right) \right\}^2 }=\sqrt{\left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \right\|^2\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2 - \left( \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \right)^2 } dtdu</math>
である。
これを領域<math>D=\mathrm{dom}\,S</math>で重積分してやれば曲面の表面積('''曲面積''')が求まると考えられる。
{{定理|(曲面積)}}
<math>E := \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \right\|^2,\quad F := \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}},\quad G := \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2</math>とすると、<br>
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>の領域<math>D</math>に於ける曲面積は
:<math>S=\iint_D \sqrt{EG-F^2}dtdu</math>
{{定理終わり}}
この<math>E, F, G</math>を<math>S</math>の'''第一基本量'''と呼ぶ。また、<math>dS:=\sqrt{EG-F^2}dtdu</math>を'''面素'''(面積素・面積要素)と呼ぶ。
<math>t, u</math>が共通のパラメータ<math>\theta</math>で媒介変数表示されるとき、曲面は曲線に退化するので線素を考えられる。
具体的には、
:<math>dl=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\right\|d\theta</math>
より
:<math>\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\right\|^2=\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}</math>
ここで合成関数の常微分公式より
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{d\theta}+ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{d\theta}</math>
なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\right\|^2\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2\left(\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{du}\right)\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{du}\right\|^2\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2</math>
:<math>=E\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2F\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+G\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2</math>
よって
:<math>dl=\sqrt{E\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2F\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+G\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2}d\theta=\sqrt{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>
このように、線素は<math>\theta</math>のとり方に依存しない。
そこで、最後の式で右辺を二乗した
:<math>I:=E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2</math>
を<math>S</math>の'''第一基本形式'''と定める。
第一基本形式は二次形式になっていることが見て取れるので、<math>\boldsymbol{v}:=\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}, \mathbf{K}:=\begin{pmatrix} E & F \\ F & G \end{pmatrix}</math>とおくと
:<math>I={}^t\!\boldsymbol{v} \mathbf{K} \boldsymbol{v}</math>
と行列表示できる。この<math>\mathbf{K}</math>を'''第一基本行列'''という。
ここで<math>I=dl^2>0</math>なので<math>\mathbf{K}</math>は正定値行列である。
また、<math>\boldsymbol{x}_i=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \boldsymbol{x}_j=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>と置いて第一基本量の定義を思い返してみると<math>\mathbf{K}_{ij}=\boldsymbol{x}_i \cdot \boldsymbol{x}_j</math>なのでこの行列は接ベクトルに関するグラム行列である。この意味でも、<math>\mathbf{K}</math>は正定値行列である。
また、面素の式で根号の中身が<math>\det\mathbf{K}</math>に等しいことも判る。
則ち、第一基本量が曲面の本質であると予想される。
<math>F=0 \land E=G=\lambda</math>であるとき、<math>\mathbf{K}=\lambda\mathbf{E}_2</math>である。このときのパラメータの組<math>(u, v)</math>を曲面の'''等温座標系'''という。
等温座標系で表示された曲面<math>S</math>に対し、第一基本形式は<math>I=\lambda(dt^2+du^2)</math>と二次形式の標準形となっている。則ち、等温座標系へのパラメータ変換は主軸変換である。
面素を考えると<math>dS=\lambda^2dtdu</math>と非常に単純な形となるほか、曲面上の角度計算が平面の場合と全く同じ式で与えられることも等温座標系の利点である。
曲面<math>S</math>上の各点<math>\mathrm{P}</math>に対して単位法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>を考える。ベクトル表示の定義域<math>D</math>でベクトル場<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>が連続であるとき、<math>S</math>は'''向き付け可能'''であるという。
向き付け不能な曲面の例として<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} (u\cos t+2)\sin 2t \\ (u\cos t+2)\cos 2t \\ u\sin t \end{pmatrix} \quad(D=\left\{ \begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix} \bigg| \begin{array}{c} 0 \leq t \leq \pi \\ -1 \leq u \leq 1 \end{array} \right\})</math>と表される'''メビウスの帯'''が挙げられる。
メビウスの帯が向き付け不能である証明を概説する。
:接ベクトルをそれぞれ求める。簡単のため<math>u=0</math>として考える。単位法線ベクトルは外積を正規化して得るが、向きの取り方で正負の符号が付く。どちらの符号を採用するにしろ<math>\boldsymbol{n}(\boldsymbol{r}(0, 0))\neq\boldsymbol{n}(\boldsymbol{r}(\pi, 0))</math>を得、<math>\boldsymbol{r}(0, 0)=\boldsymbol{r}(\pi, 0)</math>より同じ点に対して異なる法線ベクトルを出力するので<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>はwell-definedではなく、向き付け可能性の定義を満たさない。//
四次元以上の空間では法線ベクトルの方向を複数とれるため法線ベクトル場は扱いにくい。そこで、法線ベクトルに依らない定義を考えたい。
2つの滑らかな曲面<math>S_1, S_2</math>が以下を満たすとき、
#パラメータ<math>(t_1, u_1), (t_2, u_2)</math>の間に滑らかな全単射<math>\begin{cases}t_2 =\phi(t_1, u_1) \\ u_2=\psi(t_1, u_1) \end{cases}</math>が存在する。
#この変数変換のヤコビ行列<math>\frac{\partial{(\phi, \psi)}}{\partial{(t_1, u_1)}}</math>が正則。
#<math>\boldsymbol{r}_1(t_1, u_1)=\boldsymbol{r}_2(t_2, u_2)</math>
この2つは'''パラメータ変換で同値'''という。
このとき、ヤコビアンが正であるパラメータの組は'''同じ向き'''、負であるパラメータの組は'''逆向き'''であるという。
任意の<math>(t_1, u_1)</math>に対して開近傍<math>U \subset \mathrm{dom}\,S_1</math>をとったとき、どの<math>U</math>上でも<math>\det\frac{\partial{(\phi, \psi)}}{\partial{(t_1, u_1)}}>0</math>を満足するならば<math>S_1</math>は'''向き付け可能'''という。
向き付け可能な曲面の接空間に対して右手系を成すような向きの法線ベクトルを'''外向き法線ベクトル'''と呼ぶ。
外向き法線の向く側を曲面の'''表'''、その反対側を曲面の'''裏'''と定義する。
<math>\partial{S}=\varnothing</math>を満たす正則曲面<math>S</math>を'''閉曲面'''という。ジョルダンの曲線定理を拡張した定理('''ジョルダン・ブラウワーの分離定理''')によって閉曲面が空間を内部・外部に分割することが保証される。内部に面する向きを閉曲面の裏、外部に面する向きを閉曲面の表と定義する。
パラメータ空間の座標軸の向きの組み合わせが<math>xy</math>平面と同じとき、外向き法線で定義される閉曲面の表裏は内部・外部から定義される表裏に一致する。
===回転面===
ここでは三次元空間内の曲面について考える。
高校数学で回転体を扱ったが、領域の回転体の表面である曲面は元の領域の疆界である単純閉曲線を軸に関して回転したものである。そこで、平面上の任意の曲線を回転すると曲面('''回転面''')を得ると考えられる。
簡単な場合として、<math>x\geq0</math>で定義された<math>zx</math>平面上の曲線<math>z=f(x)</math>を<math>y</math>軸に関して回転させた回転面を考える。
:任意の<math>k\in[0,\infty)</math>に関して曲線上の点は<math>\begin{pmatrix} x \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} k \\ f(k)\end{pmatrix}</math>と与えられる。
:領域<math>\left\{ {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] z \end{array}\right)} \big| x \leq k \right\}</math>を<math>y</math>軸に関して回転した回転体を平面<math>z=f(k)</math>で切った断面は半径<math>k</math>の閉円盤であり、疆界円周上の点を<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ f(k) \end{pmatrix}</math>とすると<math>k=\sqrt{x^2+y^2}</math>である。
:則ち回転体の疆界である回転面上の点<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>は方程式<math>z=f(\sqrt{x^2+y^2})</math>を満たし、逆にこの方程式を満たす<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>は回転面上にある。
纏めると以下のようになる。
{{定理|(回転面の方程式)}}
<math>zx</math>平面上の曲線<math>z=f(x)\quad(x\geq0)</math>を<math>y</math>軸に関して回転させた回転面の方程式は
:<math>z=f(\sqrt{x^2+y^2})</math>
{{定理終わり}}
<math>z</math>軸・<math>x</math>軸に関する回転面の方程式は変数を輪環の順に入れ替えることで得られる。
回転面に対し、元の曲線を'''母線'''という。
母線が直線である回転面は'''円錐'''である。
:<math>z=mx+n\quad(m\neq0,x\geq0)</math>とすれば<math>y</math>軸に関して回転した曲面の方程式は
:<math>z=m\sqrt{x^2+y^2}+n</math>
:<math>z-n = m\sqrt{x^2+y^2}</math>
これを両辺二乗すると
:<math>(z-n)^2=m^2x^2+m^2y^2</math>
であり、錐面の方程式<math>\frac{z^2}{c^2}=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>を満たしていることがわかる。
回転軸が傾いている場合、<math>xyz</math>空間の回転行列<math>\mathbf{R}</math>を利用することで各軸に関する回転に帰着することもできるが、ここでは曲面のベクトル表示を扱ったのでベクトル方程式で回転を記述することを考えたい。
点<math>\mathrm{O}</math>から<math>\boldsymbol{r}</math>とそれに平行でない単位ベクトル<math>\boldsymbol{e}</math>が伸びており、そのなす角が<math>\theta</math>であるとする。<math>\boldsymbol{r}</math>の終点<math>\mathrm{P}</math>を含み<math>\boldsymbol{e}</math>を法線とする平面を<math>\Pi</math>、<math>\Pi</math>と直線<math>\{k\boldsymbol{e} \mid k>0\}</math>の交点を<math>\mathrm{N}</math>、<math>\mathrm{P}</math>を<math>\Pi</math>内で<math>\mathrm{N}</math>を中心として<math>\phi</math>回転した点を<math>\mathrm{Q}</math>、<math>\mathrm{NQ}</math>から<math>\mathrm{NP}</math>へ降ろした垂足を<math>\mathrm{R}</math>と置く。但し、回転角<math>\phi</math>の正の向きは<math>\boldsymbol{e}</math>を右螺子の進む向きとする方向に定める。
このとき、<math>\boldsymbol{r}</math>を<math>\boldsymbol{e}</math>に関して<math>\phi</math>だけ回転させたベクトル<math>\boldsymbol{r}'</math>は以下のように表される。
{{定理|(ロドリゲスの公式)}}
:<math>\boldsymbol{r}'=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\,\mathrm{versin}\,\phi\,\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
{{定理終わり}}
*証明
:<math>\boldsymbol{r}'=\overrightarrow{\mathrm{OQ}}=\overrightarrow{\mathrm{ON}}+\overrightarrow{\mathrm{NR}}+\overrightarrow{\mathrm{RQ}}</math>
:<math>\overrightarrow{\mathrm{ON}}</math>は<math>\boldsymbol{r}</math>の<math>\boldsymbol{e}</math>への正射影ベクトルなので
::<math>\overrightarrow{\mathrm{ON}}=\frac{\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e}}{\boldsymbol{e}\cdot\boldsymbol{e}}\boldsymbol{e}=(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}</math>
:<math>\triangle\mathrm{NQR}</math>を考えると<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NP}}\|</math>と<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NR}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|\cos\phi</math>及び<math>\overrightarrow{\mathrm{NR}}/\!\!/\overrightarrow{\mathrm{NP}}</math>より
::<math>\overrightarrow{\mathrm{NR}}=\overrightarrow{\mathrm{NP}}\cos\phi=(\overrightarrow{\mathrm{OP}}-\overrightarrow{\mathrm{ON}})\cos\phi=\{\boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}\}\cos\phi</math>
:<math>\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e}</math>は外積の定義から<math>\overrightarrow{\mathrm{NP}}</math>を<math>\Pi</math>上で<math>-\phi</math>方向に<math>\frac{\pi}{2}</math>だけ回転させたベクトルになるので、
:<math>\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e}/\!\!/\overrightarrow{\mathrm{RQ}}</math>と<math>\|\overrightarrow{\mathrm{RQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|\sin\phi</math>及び<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NP}}\|</math>から
::<math>\overrightarrow{\mathrm{RQ}}=-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
:これらを足して
::<math>\boldsymbol{r}'=(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}+\{\boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}\}\cos\phi-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
::<math>=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})(1-\cos\phi)\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
::<math>=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\,\mathrm{versin}\,\phi\,\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>//
この証明ではベクトルの平行移動を用いているのでアフィン空間を前提とするが、この式そのものはアフィン構造に依存してないので一般のベクトル空間で成り立つ。
また、回転後のベクトルは母線のパラメータ<math>t</math>に加えて回転角<math>\phi</math>もパラメータとして有するので、<math>\boldsymbol{r}'(t, \phi)</math>という二変数ベクトル関数となって曲面を表すことになる。則ち、「曲線を回転すれば曲面を得る」という直感は正しい。
ロドリゲスの公式の応用として、例えば円錐のベクトル方程式が<math>\frac{(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}}{\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|}=\mathrm{const}.</math>であることが導ける。
:円錐頂点の位置ベクトルを<math>\boldsymbol{p}</math>、軸ベクトルを<math>\boldsymbol{a}</math>、<math>\boldsymbol{a}</math>と角度<math>\alpha</math>をなす単位ベクトルを<math>\boldsymbol{v}</math>とする。このとき直線<math>\{k\boldsymbol{v}\mid k>0\}</math>が円錐の母線であり、母線と交わる向きである軸の法線ベクトルを<math>\boldsymbol{b}</math>とおく。
:ロドリゲスの公式より<math>\boldsymbol{v}</math>を<math>\boldsymbol{a}</math>の周りに<math>\theta</math>だけ回転させたベクトル<math>\boldsymbol{v}'</math>は
::<math>\boldsymbol{v}'=\boldsymbol{v}\cos\theta+(\boldsymbol{v}\cdot\boldsymbol{e}_a)\,\mathrm{versin}\,\theta\,\boldsymbol{e}_a-(\boldsymbol{v}\times\boldsymbol{e}_a)\sin\theta</math>
:ここで<math>\boldsymbol{v}</math>を<math>\boldsymbol{a}, \boldsymbol{b}</math>方向に基底分解すると
::<math>\boldsymbol{v}=\cos\alpha\,\boldsymbol{e}_a+\sin\alpha\,\boldsymbol{e}_b</math>
:なので、
::<math>\boldsymbol{v}'=\cos\alpha\boldsymbol{e}_a+\sin\alpha\{\boldsymbol{e}_b\cos\theta+(\boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b)\sin\theta\}</math>
:円錐上の点<math>\boldsymbol{r}</math>の位置ベクトルは頂点から母線方向に<math>\rho</math>だけ進むので
::<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{p}+\rho\boldsymbol{v}'</math>
:であり、
::<math>\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}=\rho\boldsymbol{v}'</math>
:ここで<math>\|\boldsymbol{v}'\|=\|\boldsymbol{v}\|=1</math>より
::<math>\rho=\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|</math>
:このベクトルと軸ベクトルの内積をとると
::<math>(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}=\rho\boldsymbol{v}'\cdot\boldsymbol{a}</math>
::<math>=\rho\{\cos\alpha(\boldsymbol{e}_a\cdot\boldsymbol{a})+\sin\alpha\cos\theta(\boldsymbol{e}_b\cdot\boldsymbol{a})+\sin\alpha\sin\theta(\boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b)\cdot\boldsymbol{a}\}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_b, \boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b</math>とも<math>\boldsymbol{a}</math>に直交するので後ろの二項は消えて
::<math>(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}=\rho\cos\alpha(\boldsymbol{e}_a\cdot\boldsymbol{a})=\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|\|\boldsymbol{a}\|\cos\alpha</math>
:則ち
::<math>\frac{(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}}{\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|}=\|\boldsymbol{a}\|\cos\alpha=\mathrm{const}.</math>//
円錐が先に与えられている場合は「<math>\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}</math>が母線の方向ベクトルなのは図より自明」とできるが、ここでは「母線が先に与えられて回転によって円錐が構成される」という立場を採ったのでロドリゲスの公式が効くのである。
ロドリゲスの公式で微小回転<math>d\phi</math>の場合を考える。
正弦関数・余弦関数の部分を1項目までテイラー展開して<math>\cos(d\phi)=1+O(d\phi^2), \sin(d\phi)= d\phi+O(d\phi^3)</math>なので<math>\mathrm{versin}(d\phi)=O(d\phi^2)</math>であり、
:<math>\boldsymbol{r}' = \boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})d\phi+O(d\phi^2)</math>
ここで<math>d\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}'-\boldsymbol{r}</math>なので
:<math>d\boldsymbol{r}=-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})d\phi+O(d\phi^2)</math>
則ち、ベクトル関数の全微分は微小回転で近似される。
オーダー記法の項を無視して<math>\boldsymbol{\omega}=\frac{d\phi}{dt}\boldsymbol{e}</math>と置くと
:<math>d\boldsymbol{r}=(d\phi\boldsymbol{e})\times\boldsymbol{r}</math>
これの両辺を<math>dt</math>で割って
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{\omega}\times\boldsymbol{r}</math>
これは剛体の速度公式である。
ロドリゲスの公式の一次変換表記を考える。
<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}, \boldsymbol{r}'=\begin{pmatrix} r'_1 \\ r'_2 \\ r'_3 \end{pmatrix}, \boldsymbol{e}=\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}</math>とすると、
:<math>\begin{pmatrix} r'_1 \\ r'_2 \\ r'_3 \end{pmatrix}=\cos\phi\begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}+(ar_1+br_2+cr_3)\mathrm{versin}\,\phi\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix} - \sin\phi \begin{pmatrix} cr_2-br_3 \\ ar_3-cr_1 \\ br_1-ar_2 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} (\cos\phi + a^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_1 + (ab\,\mathrm{versin}\,\phi -c\sin\phi) r_2 + (ca\,\mathrm{versin}\,\phi + b\sin\phi) r_3 \\ (ab\,\mathrm{versin}\,\phi + c\sin\phi) r_1 + (\cos\phi + b^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_2 + (bc\,\mathrm{versin}\,\phi -a\sin\phi) r_3 \\ (ca\,\mathrm{versin}\,\phi - b\sin\phi) r_1 + (bc\,\mathrm{versin}\,\phi+ a\sin\phi) r_2 + (\cos\phi + c^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} \cos\phi + a^2\,\mathrm{versin}\,\phi & ab\,\mathrm{versin}\,\phi -c\sin\phi & ca\,\mathrm{versin}\,\phi + b\sin\phi \\ ab\,\mathrm{versin}\,\phi + c\sin\phi & \cos\phi + b^2\,\mathrm{versin}\,\phi & bc\,\mathrm{versin}\,\phi -a\sin\phi \\ ca\,\mathrm{versin}\,\phi - b\sin\phi & bc\,\mathrm{versin}\,\phi+ a\sin\phi & \cos\phi + c^2\,\mathrm{versin}\,\phi \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
ここで<math>\mathrm{versin}\,\phi</math>を<math>1-\cos\phi</math>に戻して係数行列を<math>1, \cos\phi, \sin\phi</math>の項に分解してみると
:<math>=\begin{pmatrix} a^2+(1-a^2)\cos\phi & ab-ab\cos\phi -c\sin\phi & ca-ca\cos\phi + b\sin\phi \\ ab-ab\cos\phi + c\sin\phi & b^2+(1-b^2)\cos\phi & bc-bc\cos\phi -a\sin\phi \\ ca-ca\cos\phi - b\sin\phi & bc-bc\cos\phi+ a\sin\phi & c^2+(1-c^2)\cos\phi \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\left\{ \begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} + \cos\phi\begin{pmatrix} 1-a^2 & -ab & -ca \\ -ab & 1-b^2 & -bc \\ -ca & -bc & 1-c^2 \end{pmatrix} +\sin\phi\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \right\} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\left[ \begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} + \cos\phi \left\{ \begin{pmatrix} 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix}-\begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} \right\} +\sin\phi\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \right] \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
ここで<math>\begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix}</math>は<math>\boldsymbol{e}</math>の第<math>i</math>成分と第<math>j</math>成分を掛けたものが<math>(i, j)</math>成分となる行列になっていることがわかる。これを<math>\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}</math>と書くことにする。<math>\sin\phi</math>に係る行列を<math>\mathbf{N}</math>と置くと、
:<math>\boldsymbol{r}'=\{\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}+\cos\phi(\mathbf{E}_3-\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e})+\sin\phi\mathbf{N}\}\boldsymbol{r}</math>
という表示を得る。
更に、<math>\mathbf{N}^2=\begin{pmatrix} -b^2-c^2 & ab & ca \\ ab & -c^2-a^2 & bc \\ ca & bc & -a^2-b^2 \end{pmatrix}</math>と<math>\|\boldsymbol{e}\|=\sqrt{a^2+b^2+c^2}=1</math>より
:<math>\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}=\mathbf{N}^2+(a^2+b^2+c^2)\mathbf{E}_3=\mathbf{N}^2+\mathbf{E}_3</math>
が成り立つので、最終的に
:<math>\boldsymbol{r}'=(\mathbf{E}_3+\sin\phi\mathbf{N}+\mathrm{versin}\,\phi\mathbf{N}^2)\boldsymbol{r}</math>
と二次の行列多項式で表示される。
なお、<math>\otimes</math>は発展節で紹介する'''テンソル積'''を表している。
ここで、行列<math>\mathbf{N}</math>についてより具体的に考えてみる。
先ず、<math>{}^t\!\mathbf{N}=-\mathbf{N}</math>が成り立つので<math>\mathbf{N}</math>は反対称行列(歪対称行列・交代行列)である。
<math>\mathbf{N}\boldsymbol{r}</math>を計算すると
:<math>\mathbf{N}\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} br_3-cr_2 \\ cr_1-ar_3 \\ ar_2-br_1 \end{pmatrix}=\boldsymbol{e}\times\boldsymbol{r}</math>
則ち、<math>\mathbf{N}</math>は<math>\boldsymbol{e}</math>に関する外積(形式的には<math>\boldsymbol{e}\times</math>という左演算)を一次変換とみて表現行列に直したものである。
更に、成分計算により<math>\mathbf{N}^3=-\mathbf{N}</math>という性質が成り立つことも判る。外積を「ベクトルを90°回転させる演算」とみると、二回の演算によって180°回転するということなのでこの結果は妥当である。
ここで行列自然指数関数<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\sum_{i=0}^\infty \frac{(\phi\mathbf{N})^i}{i!}</math>を考えてみると上の性質より三次以上の項は<math>\mathbf{N}^4=-\mathbf{N}^2, \mathbf{N}^5=\mathbf{N},\cdots</math>のように全て二次以下に帰着できる。<br>
また、自然指数関数のテイラー展開は絶対収束級数なので各項は可換であり、<math>\mathbf{N}</math>の二次式として纏め直すと
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\mathbf{E}_3 + (\phi-\frac{\phi^3}{3!}+\frac{\phi^5}{5!}-\frac{\phi^7}{7!}+\cdots) \mathbf{N}+(\frac{\phi^2}{2!}-\frac{\phi^4}{4!}+\frac{\phi^6}{6!}-\frac{\phi^8}{8!}+\cdots)\mathbf{N}^2</math>
ここで一次・二次の係数はそれぞれ正弦関数・正矢関数のテイラー展開になっているので結局は
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\mathbf{E}_3+\sin\phi\mathbf{N}+\mathrm{versin}\,\phi\mathbf{N}^2</math>
ここから、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>は角度<math>\phi</math>に関する有限回転に対応することが判った。
このことは以下の考え方でも求まる。<br>
<math>\mathbf{N}</math>の最小方程式は<math>\mathbf{N}^3+\mathbf{N}=\mathbf{O}_3</math>より<math>x(x^2+1)=0</math>であり固有値は<math>0, \pm{i}</math>と求まるので、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>の対角化行列は
:<math>\begin{pmatrix} e^{0\phi} & 0 & 0 \\ 0 & e^{i\phi} & 0 \\ 0 & 0 & e^{-i\phi} \end{pmatrix}</math>
ここで任意の解析関数<math>f</math>について<math>f(\mathbf{N})</math>のテイラー展開は二次以下の多項式になるので
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\alpha\mathbf{E}_3+\beta\mathbf{N}+\gamma\mathbf{N}^2</math>
これを実多項式に戻した<math>\alpha+\beta{x}+\gamma{x^2}</math>が<math>e^{\phi{x}}</math>と任意の固有値で一致すればよい(二次補間)ので、
:<math>\begin{cases} e^0 = \alpha \\ e^{i\phi} = i\beta -\gamma \\ e^{-i\phi} = -i\beta-\gamma \end{cases}</math>
:<math>\iff \begin{cases} 1 = \alpha \\ \cos\phi+i\sin\phi = (\alpha -\gamma) + i\beta \end{cases}</math>
:<math>\therefore \begin{cases} \alpha=1 \\ \beta=\sin\phi \\ \gamma=1-\cos\phi=\mathrm{versin}\,\phi \end{cases}</math>
則ち、<math>\mathbf{N}^3=-\mathbf{N}</math>という構造は<math>\Psi_\mathbf{N}(x)=x(x^2+1)</math>という最小多項式に起因するということである。
更に[[表現論]]の観点から見ると、三次直交行列全体である回転群<math>SO(3)</math>に対し、<math>\mathbf{N}</math>は<math>SO(3)</math>の単位元に於ける接空間(三次反対称行列全体・則ちリー代数<math>\mathfrak{so}(3)</math>)の元であり、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>はリー群<math>SO(3)</math>の元である。ここで行列自然指数関数は「リー代数からリー群へ引き戻す写像」なので'''指数写像'''と呼ばれる。
これが[[#フレネ標搆]]で述べた「直交変換の一次近似が反対称変換」という事実のより正確な表現である。
補足だが、力学で扱う[[w:オイラー角]]というものを導入するとロドリゲスの公式を各座標軸に関する回転の合成で表すこともできる。
===種々の曲率===
ここでは三次元空間内の正則曲面について考える。
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>上で定義され弧長パラメータ表示された正則曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t(s), u(s))</math>を考える。
<math>C</math>の接ベクトルは合成関数微分公式より
:<math>\boldsymbol{t}=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}</math>
と表示される。
ここで両辺の<math>ds</math>を形式的に払うと
:<math>\boldsymbol{t}ds=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
これの自分自身との内積をとると
:<math>\|\boldsymbol{t}\|^2(ds)^2=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\right\|^2(dt)^2+2\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}dtdu+\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2(du)^2</math>
弧長パラメトライズされた接ベクトルは単位ベクトルであり、右辺のベクトル演算の部分を第一基本量で置き換えると
:<math>ds^2=E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2</math>
と、第一基本形式を別の方法で得られた。
<math>C</math>の主法線ベクトルは合成関数微分を繰り返し適用することで
:<math>\boldsymbol{n}_C=\frac{d\boldsymbol{t}}{ds}=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}\right)+\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\right)\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d}{ds}\left(\frac{dt}{ds}\right)+\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right)\frac{du}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d}{ds}\left(\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}\partial{t}}\frac{du}{ds}\right)\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d^2t}{ds^2}+\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\frac{du}{ds}\right)\frac{du}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d^2u}{ds^2}</math>
:<math>=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\left(\frac{dt}{ds}\right)^2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d^2t}{ds^2}+2\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\frac{dt}{ds}\frac{du}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\left(\frac{du}{ds}\right)^2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d^2u}{ds^2}</math>
ここで、<math>S</math>の法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}_S=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\times\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>は一般に<math>\boldsymbol{n}_C</math>と一次従属とは限らない。
後の話を単純にするため<math>\boldsymbol{n}_S</math>を正規化したベクトルを<math>\boldsymbol{e}_S</math>と置いて<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S</math>を計算してみる。
:<math>\boldsymbol{e}_S\perp\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \boldsymbol{e}_S\perp\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>より
:<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S=\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\left(\frac{dt}{ds}\right)^2+2\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\frac{dt}{ds}\frac{du}{ds}+\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\left(\frac{du}{ds}\right)^2</math>
ここで各内積<math>L=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S,\quad M=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S,\quad N=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S</math>を<math>S</math>の'''第二基本量'''と呼ぶ。
<math>\boldsymbol{n}_C, \boldsymbol{e}_S</math>のなす角を<math>\psi</math>とすると<math>C</math>の曲率を<math>\kappa_C</math>として
:<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S=\kappa_C \cos\psi</math>
なので<math>ds</math>に関して形式的に通分して
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{ds^2}</math>
右辺の分子<math>I\!I:=L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2</math>を<math>S</math>の'''第二基本形式'''という。
<math>\begin{cases}\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\boldsymbol{e}_S=0 \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S=0 \end{cases}</math>を<math>t</math>で偏微分すると
:<math>\begin{cases} \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=0 \\ \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=0 \end{cases}</math>
また、<math>u</math>で偏微分すると
:<math>\begin{cases} \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}\partial{t}}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}=0 \\ \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}=0 \end{cases}</math>
ここから第二基本量は
:<math>L=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}},\quad M=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}},\quad N=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}</math>
とも表示され、第二基本形式の別表示
:<math>I\!I=-\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)</math>
を得る。
これは更に全微分から微小ベクトル同士の内積として
:<math>I\!I=-d\boldsymbol{r}\cdot{d}\boldsymbol{e}_S</math>
とも書ける。
第一基本形式は曲面上の微小変位の自身との内積だったが、第二基本形式は曲面上の微小変位と法線方向の微小変位の内積である。則ち、第一基本形式は曲面の内在的な量、第二基本形式は曲面の外在的な量である。
第一基本形式と同様に第二基本形式は二次形式なので、<math>\boldsymbol{v}:=\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}, \mathbf{H}=\begin{pmatrix} L & M \\ M & N \end{pmatrix}</math>と置くと
:<math>I\!I={}^t\!\boldsymbol{v}\mathbf{H}\boldsymbol{v}</math>
と行列表示できる。この<math>\mathbf{H}</math>を'''第二基本行列'''という。
ここで、モンジュ表示された曲面<math>z=f(x, y)</math>に対して第二基本行列を考えてみる。
:<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} t \\ u \\ f(t, u)\end{pmatrix}</math>なので[[解析学基礎/多変数関数の微積分#全微分]]の結果を参照すると直ちに
:<math>L=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{t}^2}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2},\quad M=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{t}\partial{u}}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2},\quad N=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{u}^2}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2}</math>
:が判るので、
:<math>\mathbf{H}=\frac{1}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2}\begin{pmatrix} \frac{\partial^2{f}}{\partial{t}^2} & \frac{\partial^2{f}}{\partial{tu}} \\ \frac{\partial^2{f}}{\partial{tu}} & \frac{\partial^2{f}}{\partial{u^2}} \end{pmatrix}</math>
これはヘッシアンを法線の長さで割った行列である。
則ち、任意の正則曲面に対して第二基本行列はヘッセ行列と同じ役割をすると考えられる。
実際、点<math>\mathrm{P}</math>の開近傍で<math>\det\mathbf{H}</math>が正である曲面は<math>\mathrm{P}</math>の開近傍で上下どちらかに凸であり、負である曲面は<math>\mathrm{P}</math>で鞍点となることが知られている。
このように第二基本形式は曲面の「曲がり方」を表す量と考えられるので、曲面に対する曲率も考えられる。
ここで第二基本形式を定義した式
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{ds^2}</math>
に立ち戻ると、右辺の分母は<math>s</math>に依存しない第一基本形式なので第一基本量を用いて
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>
右辺を形式的に<math>dt^2</math>で割ると
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L+2M\frac{du}{dt}+N\left(\frac{du}{dt}\right)^2}{E+2F\frac{du}{dt}+G\left(\frac{du}{dt}\right)^2}</math>
この右辺は<math>\boldsymbol{n}_C</math>に依存しない量なので<math>\boldsymbol{n}_S, \boldsymbol{n}_C</math>のなす角度である<math>\psi</math>にも依存しない。
そこで、この値を曲面<math>S</math>の'''法曲率'''と定義する。
:<math>\varkappa:=\frac{L+2M\frac{du}{dt}+N\left(\frac{du}{dt}\right)^2}{E+2F\frac{du}{dt}+G\left(\frac{du}{dt}\right)^2}</math>
法曲率の幾何学的意味を考える。
<math>\varkappa=\kappa_C\cos\psi</math>より、<math>\cos\psi=1</math>のとき<math>S</math>の法曲率と<math>C</math>の曲率が一致する。このとき<math>\boldsymbol{n}_S /\!\!/ \boldsymbol{n}_C</math>であり、<math>C</math>は曲面上の点<math>\mathrm{P}</math>とそこでの曲面の法線<math>\boldsymbol{n}_S(\mathrm{P})</math>を含む平面で曲面を切断した切り口('''法切り口''')に対応する曲線('''法曲線''')である。
則ち、法曲率は法曲線の曲率に対応する。
なお、法曲線<math>C</math>は切断に用いる平面に拘束されるので接ベクトル<math>\boldsymbol{t}_C</math>も平面に拘束される。則ち、拘束平面は<math>\{\boldsymbol{t}_C, \boldsymbol{n}_C\}</math>の張る接触平面である。
法切り口を齎す平面は法線を軸にして回転することができ、その回転角によって法曲率の値が異なることになる。この回転は具体的にはロドリゲスの公式によって記述されるが、法曲率の極大値・極小値は<math>\varkappa</math>を<math>k=\frac{du}{dt}</math>の関数とみることで以下のように考えることができる。
:法曲率の定義式より
::<math>\varkappa(E+2Fk+Gk^2)=L+2Mk+Nk^2</math>・・・(*)
:これが<math>k</math>の恒等式なので微分しても等号が成り立ち、
::<math>\frac{d\varkappa}{dk}(E+2Fk+Gk^2)+\varkappa(2F+2Gk)=2M+2Nk</math>
:フェルマーの定理より<math>\frac{d\varkappa}{dk}=0</math>を満たす<math>(k, \varkappa)</math>が極値点の候補なので
::<math>\varkappa(2F+2Gk)=2M+2Nk</math>・・・(@)
:が成り立つ必要がある。
:これを<math>k</math>倍して(*)を引くと
::<math>\varkappa(E+Fk)=L+Mk</math>・・・(#)
:これと(@)を連立して
::<math>k=-\frac{\varkappa{F}-M}{\varkappa{G}-N}</math>
:これを(#)に代入して
::<math>(EG-F^2)\varkappa^2-(GL+EN-2FM)\varkappa+(LN-M^2)=0</math>・・・($)
:という二次方程式を得る。
:($)が相異なる二つの実根<math>\kappa_1, \kappa_2</math>を持てばそれらは極小値・極大値である。
:逆に、極小値・極大値を持てばフェルマーの定理より($)を満たす。//
この<math>\kappa_1, \kappa_2</math>を<math>S</math>の'''主曲率'''という。
($)の左辺を変形してみると、
:<math>(EG-F^2)\varkappa^2-(GL+EN-2FM)\varkappa+(LN-M^2)</math>
:<math>=\{EG\varkappa^2-(GL+EN)\varkappa+LN\}-\{F^2\varkappa^2-2FM\varkappa+M^2\}</math>
:<math>=(L-\varkappa{E})(N-\varkappa{G})-(M-\varkappa{F})^2</math>
:<math>=\det\begin{pmatrix} L-\varkappa E & M - \varkappa F \\ M - \varkappa F & N - \varkappa G \end{pmatrix}</math>
:<math>=\det(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})</math>
という、第一基本行列と第二基本行列を用いた形が出てきた。
ここで<math>\varkappa=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>を変形して
:<math>(L-\varkappa{E})dt^2+2(M-\varkappa{F})dtdu+(N-\varkappa{G})du^2=0</math>
これを二次形式表示すると
:<math>\begin{pmatrix} dt & du \end{pmatrix}\begin{pmatrix} L-\varkappa E & M - \varkappa F \\ M - \varkappa F & N - \varkappa G \end{pmatrix}\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}=0</math>
と、同じ<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}</math>がここでも登場する。
この行列は法曲率を持つ方向を二次形式で判定しているが、主曲率を持つ場合はラグランジュの未定乗数法より<math>(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}=\boldsymbol{0}</math>が成り立ち、これが<math>\det(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})=0</math>という式の正体である。更に言うと、<math>\mathbf{H}\boldsymbol{x}=\varkappa\mathbf{K}\boldsymbol{x}</math>という一般化固有値問題の解が主曲率<math>\kappa_1, \kappa_2</math>に対応している。このときの一般化固有ベクトル<math>\boldsymbol{x}_1, \boldsymbol{x}_2</math>を主曲率に対する'''主方向'''という。
二つの主方向の関係を調べる。
:主方向の定義より
::<math>\begin{cases} (\mathbf{H}-\kappa_1\mathbf{K}) \boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0} \\ (\mathbf{H}-\kappa_2\mathbf{K}) \boldsymbol{x}_2=\boldsymbol{0} \end{cases}</math>
:なので
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2(\mathbf{H}-\kappa_1\mathbf{K})\boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0} \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1(\mathbf{H}-\kappa_2\mathbf{K})\boldsymbol{x}_2=\boldsymbol{0} \end{cases}</math>
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1\mathbf{H}\boldsymbol{x}_2=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_1 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_2 \end{cases}</math>
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1\mathbf{H}\boldsymbol{x}_2=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_1 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_2 \end{cases}</math>
:第一基本行列・第二基本行列とも対称行列なので第二式の転置をとって
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_2 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \end{cases}</math>
:上下の式の差をとって
::<math>(\kappa_1-\kappa_2){}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0}</math>
:<math>\kappa_1=\kappa_2</math>のときは<math>\boldsymbol{x}_1, \boldsymbol{x}_2</math>に関する恒等式であるので、<math>\kappa_1\neq\kappa_2</math>のときを考える。
::<math>{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1=\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}t_2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}u_2\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}t_1+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}u_1\right)=0</math>
:この二つのベクトルは主方向を向くので2つの主方向は直交する。
<math>\kappa_1=\kappa_2</math>(法曲率<math>\varkappa(t, u)=\mathrm{const}.</math>)の場合、<math>S</math>の接平面内の任意の方向が主方向となるので「どの方向にも一様な曲がり方をする」と考えられる。このような主曲率を与える点を'''臍点'''という。任意の点が臍点である曲面は球面である。
上の結果から、'''臍点でない各点で2つの主方向は直交する'''。
主曲率に対して解と係数の関係から得る値
:<math>H=\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}=\frac{GL+ENN-2FM}{2EG-F^2},\quad K=\kappa_1\kappa_2=\frac{LN-M^2}{EG-F^2}</math>
をそれぞれ<math>S</math>の'''平均曲率'''・'''全曲率'''('''ガウス曲率''')という。
全曲率の式を見ると<math>K=\frac{LN-M^2}{EG-F^2}=\frac{\det\mathbf{H}}{\det\mathbf{K}}=\det(\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H})</math>である。
そこで、<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}</math>と定義してみると行列式の性質より<math>K</math>は<math>\mathbf{S}</math>の固有値の積である。
ここで<math>\mathbf{S}</math>の固有方程式は
:<math>\det(\mathbf{S}-\lambda\mathbf{E})=\det(\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}-\lambda\mathbf{E})=\det\mathbf{K}^{-1}\det(\mathbf{H}-\lambda\mathbf{K})=0</math>
<math>\det\mathbf{K}^{-1}\neq0</math>より
:<math>\det(\mathbf{H}-\lambda\mathbf{K})=0</math>
これは主曲率を定義した二次方程式($)のことだったので、この方程式の解である固有値は<math>\lambda=\kappa_1, \kappa_2</math>である。
則ち、<math>K=\det\mathbf{S},\quad H=\frac{1}{2}\mathrm{tr}\,\mathbf{S}</math>が成り立つ。
更に、第一基本行列から第二基本行列への一次変換を考えると以下が成り立つことも判る。但し、こちらもフレネ=セレーと同様に厳密にはベクトルを列ではなく行に並べるのが正しいことに注意。
{{定理|(ヴァインガルテンの式)}}
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=-\mathbf{S}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>
{{定理終わり}}
*証明
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=\mathbf{A}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>と置く。
:両辺に<math>{}^t\!\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>を右から掛けると行列積であることに注意して
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=\mathbf{A}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} & \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>
:<math>\therefore -\mathbf{H}=\mathbf{A}\mathbf{K}</math>
:<math>\therefore \mathbf{A}=-\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1}=-\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}=-\mathbf{S}</math>//
臍点で行列<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}</math>を考えると<math>\varkappa=\kappa_1=\kappa_2</math>及び「主方向が任意」から
:<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}=\mathbf{O}</math>
であり、これを成分で書き下せばヴァインガルテンの式より法曲率に関して
:<math>\begin{cases} \varkappa=\frac{L}{E}=\frac{M}{F}=\frac{N}{G} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} = \varkappa \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} = \varkappa \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{cases}</math>
を得る。
<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}</math>に於いて<math>\mathbf{K}</math>は正定値対称行列なので正則対称な主平方根<math>\mathbf{K}^{1/2}</math>が存在して
:<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}</math>
ここで<math>\mathbf{T}=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>という相似変換で表された行列を考えてみると
:<math>\mathbf{K}^{1/2}\mathbf{S}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{K}^{1/2}\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{T}</math>
であり、<math>\mathbf{S}\sim\mathbf{T}</math>なのでこれらの2つの固有値の組は一致する。
:<math>\mathbf{H}={}^t\!\mathbf{H}</math>
より
:<math>{}^t\!\mathbf{T}=\mathbf{T}</math>
が成り立つので、<math>\mathbf{T}</math>は対称行列であり2つの固有値は実数である。
よって<math>\mathbf{S}</math>の二つの固有値はともに実数であるが、この固有値は($)の解<math>\kappa_1, \kappa_2</math>のことだったので($)は虚根を持たず、'''主曲率は必ず実数'''である。
モンジュ表示された曲面では先程求めた第二基本量の表式から直ちに
:<math>H=\frac{\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}^2}+\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2\right\}\frac{\partial^2{f}}{\partial{y}^2}-2\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}\partial{y}}}{{2\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}^\frac{3}{2}}},\quad K=\frac{\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\frac{\partial{f}}{\partial{y}}-\left(\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}\partial{y}}\right)^2}{\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}^2}</math>
を得る。
等温座標系では<math>\mathbf{K}^{-1}=\frac{1}{\lambda^2}\mathbf{E}_3</math>より<math>\mathbf{S}=\frac{1}{\lambda^2}\begin{pmatrix} L & M \\ M & N \end{pmatrix}</math>なので、平均曲率・ガウス曲率はそれぞれ<math>H=\frac{L+N}{2\lambda^2},\quad K=\frac{LN-M^2}{\lambda^4}</math>と簡単に求まる。
ある点に於ける2つの主曲率はそれぞれその点に於ける極大方向・極小方向の曲がり方を与えるので、<math>\kappa_1, \kappa_2</math>の符号の組み合わせがその点近傍に於ける曲面の曲がり方を与えることになる。
具体的には、両方とも正なら上に凸、負なら下に凸、異符号なら鞍点となる。主曲率が0ならばその主方向に対して曲がっていないということである。
主曲率の積である全曲率の符号を見ても良い。全曲率が正ならば上下どちらかに凸、負ならば鞍点である。第一基本行列が正定値行列であることから主曲率の符号は第二基本行列の行列式と一致するので先程の「第二基本行列がヘッセ行列の一般化」という話に繫がる。
任意点で<math>H=0</math>を満たす曲面を'''極小曲面'''という。極小曲面は曲面を連続変形させたときに曲面積の最小値を与える曲面であることが知られている。
平面は自明な極小曲面である。他にも<math>z=\ln\left(\frac{\cos y}{\cos x}\right)(-\frac{\pi}{2}<x, y<\frac{\pi}{2})</math>(シェルクの第一曲面)などが知られている。
極小曲面は表面張力の理論に応用されている。
例えば石鹼膜のつくる曲面について、膜上点での表裏の圧力差<math>P</math>・その点での表面張力<math>T</math>及び平均曲率<math>H</math>に対し<math>P=2TH</math>が成立する(ヤング=ラプラスの公式)ことが知られているが、閉曲線である枠に張った膜が割れずに安定して存在する条件は全ての点で<math>P=H=0</math>、則ち極小曲面のときである。
曲面<math>S</math>上の微小変位<math>d\boldsymbol{r}</math>、法線方向の微小変位<math>d\boldsymbol{e}_S</math>に対して第一基本形式は<math>I=d\boldsymbol{r}\cdot d\boldsymbol{r}</math>、第二基本形式は<math>I\!I=-d\boldsymbol{r}\cdot d\boldsymbol{e}_S</math>であった。
最後の組み合わせである<math>d\boldsymbol{e}_S\cdot d\boldsymbol{e}_S</math>を<math>S</math>の'''第三基本形式'''と定義する。
:<math>I\!I\!I:=\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)</math>
:<math>=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2(dt)^2+2\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}dtdu+\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2(du)^2</math>
これを同様に二次形式の行列表示に直すと<math>\mathbf{W}:=\begin{pmatrix} \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2 & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} & \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2 \end{pmatrix}</math>として
:<math>I\!I\!I={}^t\!\boldsymbol{v}\mathbf{W}\boldsymbol{v}</math>
この<math>\mathbf{W}</math>を'''第三基本行列'''という。
見て判る通り、'''第三基本量'''は<math>P=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2,\quad Q=\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}},\quad R=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2</math>である。
臍点でないとき2つの主方向は直交するので、臍点を持たない曲面に対して主方向を直交基底としたパラメータ表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(p, q)</math>を考えられる。
このとき、各基本形式は
:<math>I=dp^2+dq^2</math>
:<math>I\!I=\kappa_1dp^2+\kappa_2dq^2</math>
:<math>I\!I\!I=\kappa^2_1dp^2+\kappa^2_2dq^2</math>
と表示されることが知られている。
第三基本形式は第一基本形式と第二基本形式の線型結合で表示される。
:<math>I\!I\!I=2HI\!I-KI</math>
このことはヴァインガルテンの式と平均曲率・全曲率の定義を用いて確かめられる。
これに関連し、第二基本量で定義された全曲率は第一基本量のみで表されることが知られている。つまり、曲率という外在的な量を第一基本形式という内在的な量のみで記述でき、言い換えると「曲面を考えるときに'''曲面の外側の空間を考える必要が無い'''」ということである。
この定理は発見者自身も驚愕したことから'''ガウスの驚異の定理'''と呼ばれている。詳しくは発展節で扱う。
なお、平均曲率を考えるときは外側の空間の情報が必要である。
==直交曲線座標系==
{{節stub}}
===円筒座標系===
平面の座標系として直交座標の他に斜交座標、極座標(円座標)、重心座標などがあったように、空間の座標系も複数通り考えられる。
空間座標を3つの実数の組<math>(r, \theta, z)</math>で表した座標系を'''円筒座標系'''('''円柱座標系'''、cylindrical coordinate system)という。ただし、<math>r</math>は原点からの(符号付き)距離、<math>\theta</math>は基準面に於ける始線からの正の回転角、<math>z</math>は基準面からの高さである。
円筒座標系は、円座標系の<math>r\theta</math>平面に<math>z</math>軸方向の次元を加えた3次元空間の座標と考えられる。
そのため、円筒座標系と直交座標系の対応は以下のようになる。
:<math>\begin{cases} x=r\cos\theta \\ y=r\sin\theta \\ z=z \end{cases} \iff \begin{cases} r=\sqrt{x^2+y^2} \\ \theta = \arctan\frac{y}{x} \\ z=z \end{cases}</math>
但し、<math>r</math>は基準面の裏側では負とする。
直交座標の<math>z</math>軸を基に円筒座標系の座標軸を決定する。一般に座標軸は直線とは限らないので、「軸」ではなく「曲線」と呼ぶことにする('''座標線''')。なお、「曲線」という語は一般に「直線」を包含する。
:<math>r</math>曲線:<math>z</math>軸上の点を通り<math>z</math>軸に垂直な半直線。
:<math>\theta</math>曲線:<math>z</math>軸を法線とする平面内にあり、中心が<math>z</math>軸上にある円周。
:<math>z</math>曲線:<math>z</math>軸に平行な直線。
ここで、各曲線に沿った微小変化がどのように表されるか見ていく。
<math>\boldsymbol{f}: (r,\theta,z)\to(x,y,z)</math>とする。
<math>\boldsymbol{f}</math>全体の微小変化は全微分<math>d\boldsymbol{f}=\frac{\partial{(x,y,z)}}{\partial{(r,\theta,z)}} \begin{pmatrix} dr \\ d\theta \\ dz \end{pmatrix}</math>で表される。
上で求めた関係式より
:<math>\boldsymbol{f}\begin{pmatrix} r \\ \theta \\ z\end{pmatrix}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} r\cos\theta \\ r\sin\theta \\ z \end{pmatrix}</math>
なので、
:<math>\frac{\partial{(x,y,z)}}{\partial{(r,\theta,z)}} = \begin{pmatrix} \frac{\partial}{\partial{r}}r\cos\theta & \frac{\partial}{\partial{\theta}}r\cos\theta & \frac{\partial}{\partial{z}}r\cos\theta \\ \frac{\partial}{\partial{r}}r\sin\theta & \frac{\partial}{\partial{\theta}}r\sin\theta & \frac{\partial}{\partial{z}}r\sin\theta \\ \frac{\partial}{\partial{r}}z & \frac{\partial}{\partial{\theta}}z & \frac{\partial}{\partial{z}}z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -r\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & r\cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix}</math>
よって
:<math>d\boldsymbol{f}=\begin{pmatrix} \cos\theta & -r\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & r\cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} dr \\ d\theta \\ dz \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin \theta \\ 0 \end{pmatrix}dr + \begin{pmatrix} -\sin\theta \\ \cos\theta \\ 0 \end{pmatrix}rd\theta + \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}dz </math>
再右辺の各項を<math>d\vec{r}, d\vec{\theta}, d\vec{z}</math>と書くことにすると、<math>|d\vec{r}|, |d\vec{\theta}|, |d\vec{z}|</math>はそれぞれ<math>dr, rd\theta, dz</math>とわかる。<math>r, \theta, z</math>を物理量として捉えたとき<math>d\theta</math>の単位はラジアン(無次元量)であり、<math>rd\theta</math>の単位はメートル(長さの次元1)なので、次元の整合性が取れる。
纏めると以下のようになる。
{| class="wikitable"
| ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_x</math>成分 ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_y</math>成分 ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_z</math>成分 ||style="text-align:center;"| ノルム
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{r}</math> ||style="text-align:center;"| <math>\cos\theta dr</math> ||style="text-align:center;"| <math>\sin\theta dr</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>dr</math>
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{\theta}</math> ||style="text-align:center;"| <math>-r\sin\theta d\theta</math> ||style="text-align:center;"| <math>r\cos\theta d\theta</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>rd\theta</math>
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{z}</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>1</math> ||style="text-align:center;"| <math>dz</math>
|}
ここで<math>d\vec{r}, d\vec{\theta}, d\vec{z}</math>は内積を取ればどの組も互いに直交することが容易にわかるので、この3つのベクトルは3次元ユークリッド空間の直交基底である。
そこで、それぞれのベクトルを正規化することで各軸曲線方向の基本ベクトルを得る。
:<math>\boldsymbol{e}_r = \frac{d\vec{r}}{dr} = \cos\theta \boldsymbol{e}_x + \sin\theta \boldsymbol{e}_y</math>
:<math>\boldsymbol{e}_\theta = \frac{d\vec{\theta}}{rd\theta} = -\sin\theta\boldsymbol{e}_x+\cos\theta\boldsymbol{e}_y</math>
:<math>\boldsymbol{e}_z=\frac{d\vec{z}}{dz}=\boldsymbol{e}_z</math>
これを一次変換の形式で表すと
:<math>\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_r \\ \boldsymbol{e}_\theta \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_x \\ \boldsymbol{e}_y \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix}</math>
となる。
このときの表現行列を、座標系または基底ベクトルを変換することから'''座標変換行列'''又は'''基底変換行列'''という。場合によっては'''変換テンソル'''とも呼ぶ。
なお、この直交座標⇒円筒座標の座標変換行列は、<math>xyz</math>空間に於ける<math>z</math>軸まわりの回転行列に等しい。
逆基底変換はこの座標変換行列の逆行列を求めれば定式化できる。
回転行列は直交行列なので
:<math>\begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} ^{-1}= {}^t \! \begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} </math>
であり、
:<math>\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_x \\ \boldsymbol{e}_y \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_r \\ \boldsymbol{e}_\theta \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix}</math>
円筒座標系は、[[電磁気学]]の解析でよく使用される。
例えば、高校物理の公式<math>B(r)=\frac{\mu_0I}{\tau r}</math>は、円筒座標系を知っていれば「電流が<math>z</math>軸に平行であることから磁場は<math>z</math>方向に一葉且つ<math>\theta</math>方向に回転対称なので、<math>r</math>方向の項のみが寄与する」と理解される。
===極座標系===
高等学校までの地理で習ったように、球面上の位置は緯度<math>\theta</math>と経度<math>\phi</math>で定めることができる。
一般に三次元空間で球面上のある点の座標を定めるには、更に球の中心からの距離<math>r</math>が必要である。
このようにして定められる座標系を'''三次元極座標系'''(polar coordinate system in 3D)または'''球(面)座標系'''(spherical coordinate system)という。
xyz座標空間の点<math>\mathrm{P}(x, y, z)</math>の極座標表示を考える。
<math>r=|\overrightarrow{\mathrm{OP}}|=\sqrt{x^2+y^2+z^2}</math>は容易にわかる。
<math>\theta</math>は<math>z</math>軸からの'''天頂角'''(zenith angle)であり、<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}</math>の<math>z</math>軸への正射影ベクトルを<math>\overrightarrow{\mathrm{OH}}=\vec{h}</math>とすると<math>\tan\theta = \frac{|\vec{h}|}{z}</math>が成り立つ。<math>|\vec{h}|=\sqrt{x^2+y^2}</math>より、<math>\theta=\arctan \frac{\sqrt{x^2+y^2}}{z}</math>である。
<math>\phi</math>は<math>x</math>軸からの'''方位角'''(azimuth angle)であり、<math>\mathrm{P}</math>から<math>xy</math>平面に降ろした垂足<math>\mathrm{Q}</math>を考えると<math>\tan\phi=\frac{y}{x}</math>とわかる。よって、<math>\phi=\arctan\frac{y}{x}</math>である。
逆に、これを<math>\mathrm{P}(x, y, z)</math>に復元することを考える。
<math>\triangle\mathrm{OHP}</math>について<math>\angle\mathrm{HOP}=\theta</math>なので、<math>z=\overline{\mathrm{OH}}=r\cos\theta</math>。
また、<math>\triangle\mathrm{OPQ}</math>について<math>\angle\mathrm{OPQ}=\theta</math>なので、<math>\overline{\mathrm{OQ}}=r\sin\theta</math>。
よって<math>x=\overline{\mathrm{OQ}}\cos\phi=r\sin\theta\cos\phi, y=\overline{\mathrm{OQ}}\sin\phi=r\sin\theta\sin\phi</math>。
以上を纏めると、直交座標と球面座標の対応関係は
:<math>\begin{cases} x=r\sin\theta\cos\phi \\ y=r\sin\theta\sin\phi \\ z=r\cos\theta \end{cases} \iff \begin{cases} r=\sqrt{x^2+y^2+z^2} \\ \theta=\arctan\frac{\sqrt{x^2+y^2}}{z} \\ \phi=\arctan\frac{y}{x} \end{cases}</math>
一般に緯度は<math>-90^\circ \leqq \theta \leqq 90^\circ</math>、経度は<math>-180^\circ \leqq \phi \leqq 180^\circ</math>の範囲で表される(但し、符号の違いは東⇔西、南⇔北の違いである)。同様に、球面座標の天頂角<math>\theta</math>、方位角<math>\phi</math>は<math>\theta \in [-\frac{\pi}{4}, \frac{\tau}{4}], \phi \in [-\frac{\tau}{2}, \frac{\tau}{2}]</math>で考える。赤道面より下側(すなわち南半球)では<math>\theta<0</math>とする。
直交座標の<math>z</math>軸を基に極座標系の座標線を決定する。
:<math>r</math>曲線:原点を通る半直線。
:<math>\theta</math>曲線:原点中心で<math>z</math>軸上の一点から出る半円弧。
:<math>\phi</math>曲線:<math>z</math>軸を法線とする平面内で<math>z</math>軸上に中心を持つ円周。
各曲線に沿った微小変化は円柱座標系の場合と同様、ベクトル場の全微分を用いて
:<math>\begin{cases} d\vec{r}= \begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi \\ \sin\theta\sin\phi \\ \cos\theta \end{pmatrix} dr \\ d\vec{\theta}= \begin{pmatrix} \cos\theta\cos\phi \\ \cos\theta\sin\phi \\ -\sin\theta \end{pmatrix}rd\theta \\ d\vec{\phi} = \begin{pmatrix} -\sin\phi \\ \cos\phi \\ 0 \end{pmatrix} r\sin\theta d\phi \end{cases}</math>
と求まる。
これらは(内積の結果から)互いに直交するので、円柱座標の場合と同様の議論により
:<math>\begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi & \sin\theta\sin\phi & \cos\theta \\ \cos\theta\cos\phi & \cos\theta\sin\phi & -\sin\theta \\ -\sin\phi & \cos\phi & 0 \end{pmatrix}</math>
と変換テンソルが求まる。
これも直交行列であるので、逆変換テンソルは
:<math>\begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi & \cos\theta\cos\phi & \cos\phi \\ \sin\theta\sin\phi & \cos\theta\sin\phi & -\sin\phi \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \end{pmatrix}</math>
と求まる。
球面座標系は、[[古典力学]]の解析でよく使用される。
例えば、赤道平面における角運動量保存則は<math>mr^2\frac{d\phi}{dt}=\mathrm{const}.</math>と表示されるが、これは<math>z</math>軸方向の角運動量を球面座標系の演算により取り出したものである。
球面座標系は特に機械制御に応用されている。
円柱座標系・球面座標系ともに各基底ベクトルが互いに直交しているので、そのことを明示して(且つ通常の直交座標系と区別して)'''直交曲線座標系'''(orthogonal curvilinear coordinate system)と呼ぶ場合がある。以下で扱う座標系たちも直交曲線座標系である。
===円環座標系===
===双極座標系===
===回転放物面座標系===
===放物柱座標系===
===回転楕円面座標系===
===楕円柱座標系===
===楕円体座標系===
==空間微分==
ここでは三次元ユークリッド空間で考える。
===勾配===
スカラー場<math>\varphi=\varphi(\boldsymbol{x})</math>が<math>x, y, z</math>の三変数関数であって<math>\varphi\in C^1</math>のとき、
:<math>\mathrm{grad}\,\varphi := \begin{pmatrix} \frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
を<math>\varphi</math>の'''勾配'''(gradient)と定義する。
勾配の結果として得るベクトルを<math>\varphi</math>の'''勾配ベクトル'''ともいう。
勾配で定義される概念としては、電場が有名である。
:電位<math>\phi</math>に対する電場<math>\boldsymbol{E}</math>は
:<math>\boldsymbol{E}:=-\mathrm{grad}\,\phi</math>
勾配はベクトル量であるため、そのことを明示するため新たな演算子を導入する。
'''空間偏微分演算子'''(ハミルトン演算子)を
<math>\nabla:=\begin{pmatrix} \frac{\partial}{\partial{x}} \\ \frac{\partial}{\partial{y}} \\ \frac{\partial}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
と定義する。
この演算子自体は偏微分作用素の対象を後接しないと意味を成さない。しかし、便宜的にベクトル量と考えてベクトルと同様の演算則が成り立つと見做す。そのため、この演算子に関する演算は[[w:記号の濫用]](symbol abuse)であることを註しておく。
<math>\nabla</math>の正式な読み方は'''ナブラ'''(nabla)であるが、<math>\Delta</math>(delta)を反転した形であることから'''エイトレッド'''(atled)とも読まれる。なお、ナブラの由来は「竪琴」を意味する古代ギリシャ語「νάβλα」である。
この演算子を用いれば勾配の表式は
:<math>\mathrm{grad}\,\varphi=\nabla\varphi</math>
となる。
<math>\varphi</math>はスカラー場なのでスカラー量であり、<math>\nabla</math>は便宜的にベクトル量と考えることから、その積<math>\nabla\varphi</math>はベクトル量のスカラー倍、すなわちベクトル量であることが見て取れる。
勾配はスカラー場に対する偏微分の結果を並べたベクトルであるため、偏微分の性質とベクトルの性質を組み合わせて以下が成り立つと判る。
#<math>\nabla(k\varphi+l\psi)=k\nabla\varphi+l\nabla\psi</math>(線型性)
#<math>\nabla(\varphi\psi)=(\nabla\varphi)\psi+\varphi(\nabla\psi)</math>(積の微分・ライプニッツ則)
#<math>\nabla\left(\frac{\varphi}{\psi}\right)=\frac{(\nabla\varphi)\psi-\varphi(\nabla\psi)}{\psi^2}</math>(商の微分)
#<math>\nabla(\varphi(\psi))=\frac{d\varphi(\psi)}{d\psi}\nabla\psi</math>(合成関数微分)
任意点に対して勾配ベクトルが非零であるスカラー場を'''正則'''なスカラー場という。
以下、正則なスカラー場に限って扱う。
等位面<math>\varphi(x, y, z)=k(\mathrm{const}.)</math>上の点<math>\mathrm{P}(x_0, y_0, z_0)</math>を考える。
:<math>\mathrm{P}</math>を通り等位面に拘束される曲線のベクトル表示を<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>とする。
:等位面の方程式を<math>t</math>で両辺微分して
::<math>\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}\frac{dx}{dt}+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}\frac{dy}{dt}+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}\frac{dz}{dt}=0</math>
:<math>t=t_0</math>のとき
::<math>\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}x'(t_0)+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}y'(t_0)+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}z'(t_0)=0</math>
::<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot\boldsymbol{r}'(t_0)=0</math>
::<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\perp\boldsymbol{r}'(t_0)</math>
ここで<math>\mathrm{P}</math>に於ける等位面の接平面は接ベクトル<math>\boldsymbol{r}'(t_0)</math>を含むため、<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})</math>は点<math>\mathrm{P}</math>に於ける等位面の法線ベクトルである。
よって等位面の接平面の方程式は
:<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot(\boldsymbol{x}-\overrightarrow{\mathrm{OP}})=0</math>
である。
スカラー場<math>\varphi=\varphi(\boldsymbol{x})</math>の全微分は
:<math>d\varphi=\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}dx+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}dy+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}dz</math>
これをベクトルの内積とみると
:<math>=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}} \end{pmatrix}\cdot\begin{pmatrix} dx \\ dy \\ dz \end{pmatrix}</math>
:<math>=\nabla\varphi\cdot d\boldsymbol{x}</math>
ここで変位ベクトル<math>d\boldsymbol{x}</math>を任意の方向を向いた単位ベクトル<math>\boldsymbol{e}</math>に拡張することを考えたい。
<math>\varphi(\mathrm{P})</math>に対して<math>\mathrm{P}</math>を始点とする<math>\boldsymbol{e}</math>方向の直線を考え、その上の点を<math>\mathrm{Q}</math>とする。
このとき、ベクトル変数<math>\boldsymbol{e}</math>による微分係数
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\lim_{\mathrm{Q\to P}}\frac{\varphi(\mathrm{Q})-\varphi(\mathrm{P})}{\overline{\mathrm{QP}}}</math>
を、<math>\varphi</math>の<math>\mathrm{P}</math>に於ける<math>\boldsymbol{e}</math>方向の'''方向微分係数'''と定義する。
方向微分係数はスカラー場に対し<math>\boldsymbol{e}</math>方向の変化率を与えるものと考えられる。そこで、方向微分係数が最大となる方向を考える。
:<math>\overrightarrow{\mathrm{PQ}}=t\boldsymbol{e}</math>と置く。
::<math>\overrightarrow{\mathrm{OQ}}=\begin{pmatrix} x_0+te_1 \\ y_0+te_2 \\ z_0+te_3 \end{pmatrix}</math>
::<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\lim_{t\to0}\frac{\varphi(x_0+te_1, y_0+te_2, z_0+te_3)-\varphi(x_0, y_0, z_0)}{t}</math>
:ここで<math>\Phi(t):=\varphi(x_0+te_1, y_0+te_2, z_0+te_3)</math>とすれば
::<math>=\lim_{t\to0}\frac{\Phi(t)-\Phi(0)}{t}</math>
::<math>=\frac{d\Phi(t)}{dt}</math>
::<math>=\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{x}}\frac{d(x_0+te_1)}{dt}+\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{y}}\frac{d(y_0+te_2)}{dt}+\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{z}}\frac{d(z_0+te_3)}{dt}</math>
::<math>=\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{x}}e_1+\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{y}}e_2+\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{z}}e_3</math>
::<math>=\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot\boldsymbol{e}</math>
よって、全微分の式の<math>d\boldsymbol{x}</math>をそのまま<math>\boldsymbol{e}</math>に取り替えたものが方向微分係数の表式である。
内積を書き下すと<math>\|\boldsymbol{e}\|=1</math>より
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\|\nabla\varphi(\mathrm{P})\|\cos\theta</math>
よって最大値をとるのは<math>\cos\theta=1</math>則ち'''<math>\boldsymbol{e}</math>が勾配方向のとき'''である。また、方向微分係数の最大値は'''勾配のノルム'''である。
このように、勾配はスカラー場の各点に於ける傾きを表す。これは最右辺の式が「各軸方向の傾きを表すベクトルの和」になっていることからも直観的にわかる。ここから、「gradient」の和訳として「勾配」が充当されたのは妥当である。
方向微分係数を'''方向導関数'''に拡張することを考える。
形式的には方向微分係数の定点<math>\mathrm{P}</math>を変数<math>\boldsymbol{x}</math>に置き換えればいいだけである。
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{\boldsymbol{e}}}:=\nabla\varphi(\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{e}</math>
正式には極限を用いて
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{\boldsymbol{e}}}:=\lim_{t\to0}\frac{\varphi(\boldsymbol{x}+t\boldsymbol{e})-\varphi(\boldsymbol{x})}{t}</math>
と定義する。
内積を書き下すと
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{x}}e_1+\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{y}}e_2+\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{z}}e_3</math>
これを[[解析学基礎/多変数関数の微積分#極値]]で扱った方向偏微分作用素として書き直すと
:<math>\left(e_1\frac{\partial}{\partial{x}}+e_2\frac{\partial}{\partial{y}}+e_3\frac{\partial}{\partial{z}}\right)\varphi(\boldsymbol{x})</math>
:<math>=(\boldsymbol{e}\cdot\nabla)\varphi(\boldsymbol{x})</math>
となる。
則ち、形式的には空間偏微分演算子の微分方向ベクトルとの右内積が方向偏微分作用素である。
更に、多変数関数のテイラー二次近似は
:<math>f(\boldsymbol{x})\fallingdotseq f(\boldsymbol{a})+\nabla{f}(\boldsymbol{a})\cdot(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})+\frac{1}{2}{}^t\!(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})\mathbf{D}(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})</math>
と書けることが判る。但し、<math>\mathbf{D}</math>はヘッセ行列である。
多変数解析で扱った停留点(臨界点)は<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})=\boldsymbol{0}</math>なる点<math>\mathrm{P}</math>として正式に定義される。また、ラグランジュの未定乗数法に於ける連立方程式も勾配を用いれば<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})=\lambda\nabla\psi(\mathrm{P})</math>と書き表される。
スカラー場の全微分は勾配で表せたが、同様にベクトル場の全微分をナブラを用いて表すことを考える。
ベクトル場の全微分は
:<math>d\boldsymbol{a}=\frac{\partial{(a_x,a_y,a_z)}}{\partial{(x,y,z)}} d\boldsymbol{x}</math>
で定義された。
ここで<math>n</math>次行列 <math>\mathbf{A}</math>と<math>n</math>項列ベクトル <math>\boldsymbol{a}</math>に対し、<math>(\mathbf{A} \circledast \boldsymbol{a})_{ij} = (\mathbf{A}_{ij}) a_i</math>となるような可換二項演算子 <math>\circledast</math>を定義する。これは本項独自の記法である。但し、<math>(\mathbf{P})_{ij}</math>は行列 <math>\mathbf{P}</math>の第ij成分を表す。
この記法を用いると、ヤコビ行列<math>\frac{\partial{(a_x,a_y,a_z)}}{\partial{(x,y,z)}}</math>は<math>\nabla \circledast \boldsymbol{a}</math>と表すことができる。
則ち、ベクトル場の全微分は
:<math>d\boldsymbol{a} = (\nabla \circledast \boldsymbol{a}) d\boldsymbol{x}</math>
と表される。
これを形式的に
:<math>\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{x}}}=\nabla \circledast \boldsymbol{a}</math>
と書き表すことができる。
則ち、ヤコビ行列はベクトル場のベクトル変数による導関数と見做せる。
ヤコビ行列はベクトル場の成分スカラー場に対する勾配ベクトルを行に並べたものという解釈もできるので、この考え方は自然である。
ここでベクトル場に対してスカラー場と同様に方向微分係数・方向導関数を考えると、
:<math>\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{v}}}=\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{x}}}\boldsymbol{v}</math>
が成り立つことが判る。
これもベクトル場の成分スカラー場に対する方向微分係数・方向導関数を列に並べたベクトルと解釈できる。
===発散===
ベクトル場<math>\boldsymbol{a}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{x})</math>が<math>x, y, z</math>の三変数関数であって<math>\boldsymbol{a}\in C^1</math>のとき、
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{a} := \frac{\partial{a_x}}{\partial{x}} + \frac{\partial{a_y}}{\partial{y}} + \frac{\partial{a_z}}{\partial{z}}</math>
を<math>\boldsymbol{a}</math>の'''発散'''(divergence)と定義する。
発散が用いられる概念としては、'''ガウスの法則'''が有名である。
:電荷密度<math>\rho</math>、電場<math>\boldsymbol{E}</math>、真空の誘電率<math>\varepsilon_0</math>として
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{E}=\frac{\rho}{\varepsilon_0}</math>
球面座標で考えることにより、この式の重要な性質「荷電粒子の座標を原点にとると原点以外では
<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{E}=0</math>」を証明することができる。
勾配と同様に発散をナブラで表すことを考えると、
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{a}=\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>
という表式を得る。
<math>\boldsymbol{a}</math>はベクトル場なのでベクトル量であり、<math>\nabla</math>は便宜的にベクトル量と考えることから、その内積<math>\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>はスカラー量であることが見て取れる。
発散に対しては以下が成り立つ。
#<math>\nabla\cdot(k\boldsymbol{a}+l\boldsymbol{b})=k\nabla\cdot\boldsymbol{a}+l\nabla\cdot\boldsymbol{b}</math>(線型性)
#<math>\nabla\cdot(\varphi\boldsymbol{a})=(\nabla\varphi)\cdot\boldsymbol{a}+\varphi\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>(積の微分・ライプニッツ則)
前者は内積の線型性より、後者は成分演算と勾配の定義より示される。
ヤコビ行列<math>\nabla\circledast\boldsymbol{a}</math>との関係を考える。
:<math>\nabla\circledast\boldsymbol{a}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{x}} & \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{y}} & \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{z}} \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{a}_x}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_x}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_x}{\partial{z}} \\ \frac{\partial{a}_y}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_y}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_y}{\partial{z}} \\ \frac{\partial{a}_z}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_z}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_z}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
ここで跡が発散そのものになっているので
:<math>\nabla\cdot\boldsymbol{a}=\mathrm{tr}(\nabla\circledast\boldsymbol{a})</math>
が成り立つ。
発散の物理的意味を考える。
:密度<math>\rho</math>が一定である流体の速度場<math>\boldsymbol{v}\in\mathbb{R}^3</math>に対し、微小直方体に出入りする流体の質量収支を考える。
:点<math>(x,y,z)</math>に於ける流速<math>\boldsymbol{v}(x,y,z)=(v_x,v_y,v_z)</math>、直方体の各辺の長さを<math>\delta x, \delta y, \delta z</math>とする。
:単位時間あたりに<math>yz</math>平面に平行な面を通過する流体の質量収支は流出量<math>-\rho v_x(x,y,z)\delta y\delta z</math>、流入量<math>\rho v_x(x+\delta x,y,z)\delta y\delta z</math>より
::<math>\rho(v_x(x+\delta x,y,z)-v_x(x,y,z))\delta y\delta z=\rho\frac{v_x(x+\delta x,y,z)-v_x(x,y,z)}{\delta x}\delta x\delta y\delta z</math>
:<math>\delta x\to0</math>の極限で
::<math>=\rho\frac{\partial{v_x}}{\partial{x}}dxdydz</math>
:他の面で考えると対称性から輪環の順に入れ替えた結果を得るので直方体全体では
::<math>\rho\left(\frac{\partial{v_x}}{\partial{x}}+\frac{\partial{v_y}}{\partial{y}}+\frac{\partial{v_z}}{\partial{z}}\right)dxdydz</math>
:よって単位体積当たりでは
::<math>\rho\nabla\cdot\boldsymbol{v}</math>
:を得る。
ここで質量を密度で割ると体積なので、<math>\nabla\cdot\boldsymbol{v}</math>は単位時間あたりの流体の体積の正味の流出率を表す。
この微小直方体の単位体積あたりで観測すると、発散が正であれば流体は膨脹して密度が下がり、負であれば圧縮されて密度が上がる。0であれば流体は膨脹も圧縮もしない。
発散が零であるベクトル場を'''非圧縮/湧出無し/管状/ソレノイド ベクトル場'''(incompressible/solenoid vector field)などと呼ぶ。
また、ベクトル場の発散を'''湧き出し'''(「沸き出し」とも書く)と呼ぶ場合もある。
ベクトル場の流線に沿う流れが流体の体積を保存する条件はベクトル場が非圧縮であることである。これを'''リウヴィルの定理'''という。これは多くの場合、[[解析力学]]のハミルトン形式で表示される。
位置ベクトル場<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>に対して<math>\nabla\cdot\frac{\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^n}</math>を考える。
:<math>\frac{\partial}{\partial{x}}\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\frac{\partial{\left(\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\right)}}{\partial{\|\boldsymbol{r}\|}}\frac{\partial{\|\boldsymbol{r}\|}}{\partial{x}}=-\frac{n}{\|\boldsymbol{r}\|^n+1}\frac{x}{\sqrt{x^2+y^2+z^2}}=-\frac{nx}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+2}}</math>
<math>y, z</math>も同様なので
:<math>\nabla\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=-\frac{n\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+1}}</math>
よって発散のライプニッツ則から
:<math>\nabla\cdot\frac{\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\left(\nabla\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\right)\cdot\boldsymbol{r}+\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\nabla\cdot\boldsymbol{r}=-\frac{n\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+2}}+\frac{1+1+1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\frac{3-n}{\|\boldsymbol{r}\|^n}</math>
この結果から、<math>\boldsymbol{a}/\!\!/\boldsymbol{r}\land\|\boldsymbol{a}\|\propto \frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^2}\implies\nabla\cdot\boldsymbol{a}=0</math>(逆二乗則に従う場は非圧縮ベクトル場)が成り立つ。
ベクトル解析の黎明期では発散の逆符号で表される
:<math>\mathrm{conv}\,\boldsymbol{a}:=-\frac{\partial{a_x}}{\partial{x}} - \frac{\partial{a_y}}{\partial{y}} - \frac{\partial{a_z}}{\partial{z}}</math>
という量が用いられていた。これは'''吸い込み'''(convergence)と呼ばれる量である。
ベクトルが発明される以前、ベクトル演算に相当するものは[[多元数/四元数|四元数]]で記述されていた。純虚四元数同士の積をとると実部が現在で言う内積の-1倍、虚部が現在で言う外積に対応する。このことから、内積そのものである湧き出しではなく内積の-1倍である吸い込みが自然に出現する量として頻繁に扱われていたのである。
===回転===
===ラプラシアン===
==空間積分==
===線積分===
===面積分===
===体積分===
===ガウスの発散定理===
===ストークスの定理===
===グリーンの定理===
==発展事項==
{{節stub}}
{{Advanced|多様体論}}
{{Advanced|微分幾何学}}
{{Advanced|積分幾何学}}
ここではベクトル解析の発展編及び微分幾何学の基礎編として、「ユークリッド空間の部分多様体上の微分幾何学」を扱う。言うなれば「<math>n</math>次元版のベクトル解析学」である。
===体積分再考===
体積分は先程「<math>\mathbb{R}^3</math>上の閉立体<math>V</math>」上で考えたが、実はここには線積分・面積分との大きな非対称性がある。
線積分は「曲線」、面積分は「曲面」を積分領域としたが、先程定義した体積分の積分領域は「平坦な立体」なのである(二次元で例えば楕円領域<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}\leq1</math>は境界こそ"曲線"だが空間そのものは<math>\mathbb{R}^2</math>という"平面"であることと同じ)。
1次元の曲がった空間である曲線<math>M^1:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>が<math>\mathbb{R}^2</math>内、2次元の曲がった空間である曲面<math>M^2:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s, t)</math>が<math>\mathbb{R}^3</math>内に存在するように、3次元の曲がった空間である曲立体<math>M^3:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s, t, u)</math>は<math>\mathbb{R}^4</math>内に存在すると考えるのが自然である。ここで一般に<math>M^n\subset\mathbb{R}^{n+1}</math>が成り立つと予想され、この関係を「<math>M^n</math>の<math>\mathbb{R}^{n+1}</math>への'''埋め込み'''」と呼ぶことにする。
線積分を<math>C=M^1</math>、面積分を<math>S=M^2</math>で定義したように、体積分を<math>M^3</math>で定義することを考える。
媒介変数空間<math>\begin{pmatrix} s \\ t \\ u \end{pmatrix} \in V \subset\mathbb{R^3}</math>上の微小変化を考えると全微分を用いて
:<math>d\boldsymbol{r}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}}ds+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
よって<math>V</math>上の微小立方体<math>dsdtdu</math>は3ベクトル<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}}ds,\quad\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt,\quad\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>の張る微小平行六面体へ移される。
体素はこの微小平行六面体の体積と考えられるが、<math>\boldsymbol{r}\in\mathbb{R}^4</math>より当然この3ベクトルは4項ベクトルなので、'''外積を含んでいるスカラー三重積は使えない'''。
全微分を一次変換表記すると
:<math>d\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix} \begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} \frac{\partial{x}}{\partial{s}} & \frac{\partial{x}}{\partial{t}} & \frac{\partial{x}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{y}}{\partial{s}} & \frac{\partial{y}}{\partial{t}} & \frac{\partial{y}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{z}}{\partial{s}} & \frac{\partial{z}}{\partial{t}} & \frac{\partial{z}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{w}}{\partial{s}} & \frac{\partial{w}}{\partial{t}} & \frac{\partial{w}}{\partial{u}} \end{pmatrix} \begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
:<math>=\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
ここでヤコビ行列は<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\in\mathbb{R}^{4\times3}</math>であって'''正方行列でないので行列式も求まらない'''。
そこで、[[線型代数学続論/種々の行列#随伴行列|グラム行列]]を利用することを考える。
'''グラム行列は必ず半正定値行列'''なので行列式は非負であり、平方根をとれる。
そのため、<math>\mathbf{G}:=\left(\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\right)^*\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}</math>として<math>\sqrt{\det\mathbf{G}}</math>を体積拡大率とする。
これは正方行列ならヤコビアンの絶対値に一致する。
{{NavTop|title=補足:体積拡大率に一致する証明}}
:<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}</math>の列ベクトルにグラム=シュミットの直交化法を適用すると[[線型代数学続論/行列分解|QR分解]]によって
:<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}=\mathbf{QR}\quad (\mathbf{Q}\in\mathbb{R}^{4\times3}, \mathbf{R}\in\mathbb{R}^{3\times3})</math>
よって
:<math>\mathbf{G}=(\mathbf{QR})^*\mathbf{QR}</math>
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{Q}^*\mathbf{Q}\mathbf{R}</math>
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{E}_3\mathbf{R}</math>(<math>\because\mathbf{Q}</math>は列ユニタリ行列)
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{R}</math>
:<math>\therefore \sqrt{\det\mathbf{G}}=\sqrt{\det\left( \mathbf{R}^*\mathbf{R} \right)}=\sqrt{\left(\det\mathbf{R}\right)^2}=|\det\mathbf{R}|</math>
<math>\mathbf{Q}</math>は列ユニタリ行列なのでその一次変換は等長変換であり、全微分による拡大率は<math>\mathbf{R}</math>による拡大率と一致する。<br/>
則ち、<math>\sqrt{\det\mathbf{G}}</math>を拡大率としてとれる。//
{{NavBottom}}
よって体積分は
:<math>\iiint_{M^3} f(\boldsymbol{r})dM^3 = \iiint_{V} f(\boldsymbol{r}(s, t, u))\sqrt{\det\mathbf{G}}\,dsdtdu</math>
ここから、適切な媒介変数表示が存在するならば<math>M^n</math>上での体積分の計算に<math>\mathbb{R}^{n+1}\setminus M^n</math>の情報は入ってこず、<math>M^n</math>の情報のみで計算されると予想される。
実際、<math>M^n</math>に適切な媒介変数表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\boldsymbol{p})\quad(\boldsymbol{p}\in\mathbb{R}^n)</math>が存在するとき、全微分による一次変換の拡大率は同様にグラム行列式の平方根で与えられるので体積素は<math>dM^n = \sqrt{\det\mathbf{G}} \prod_{k=1}^{n}d\boldsymbol{p}_k</math>と書け、これは正しい。
なお、二次元の場合を考えると<math>\mathbf{G}=\mathbf{K}</math>より<math>dM^2=dS</math>であり、面素に一致する。一次元の場合を考えると<math>\mathbf{G}=\|d\boldsymbol{r}\|^2</math>より<math>dM^1=dl</math>であり、線素に一致する。
実は、体素だけでなく一般に角度や長さといった幾何学的な量は埋め込み先である<math>\mathbb{R}^{n+1}</math>の情報を全く必要とせず、<math>M^n</math>の情報だけで構成できることが知られている。このことは微分幾何学のうち[[w:リーマン幾何学|リーマン幾何学]]と呼ばれる分野で詳しく扱われる。
ここまで<math>M^n</math>を適切な媒介変数<math>\boldsymbol{p}\in\mathbb{R}^n</math>で表すことを強調してきたが、媒介変数表示を考えるということは<math>M^n</math>から媒介変数空間<math>U\subset\mathbb{R}^n</math>への射影<math>\pi:M^n\to U</math>を考えるということである。
ここで、この<math>\pi</math>が全単射ならば逆向きの射影<math>\pi^{-1}:U\to M^n</math>が存在してそれが媒介変数表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\boldsymbol{p})</math>となるわけであるが、これは以下のようにも捉えられる。
:<math>\pi</math>によって射影した平坦な空間で座標を設定すると、'''適切な逆変換<sup>※</sup>によって曲がった空間<math>M^n</math>上に(局所)座標系を与えることができる'''。
つまり、体積分を媒介変数空間に置換積分するということは、逆に体積分の元の表示が「<math>M^n</math>上の局所座標系に於ける積分」であることを示している。
※この適切な逆変換が存在する条件は'''陰関数定理そのもの'''である。
ここで、適切な媒介変数表示が存在するよう<math>M^n</math>に制限を課したものが、以下で扱う'''多様体'''である。
===多様体===
===微分形式===
[[線型代数学続論/外積代数]]も参照。
===リーマン計量===
===テンソル解析===
[[線型代数学続論/テンソル代数]]も参照。
===複素ベクトル解析===
[[複素解析学]]も参照。
{{DEFAULTSORT:へくとるかいせき}}
[[Category:解析学]]
[[Category:微分積分学]]
[[Category:ベクトル解析|かいせきかくきそ]]
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wikitext
text/x-wiki
{{Pathnav|数学|解析学|解析学基礎|frame=1}}
{{wikipedia|ベクトル解析}}
ここでは、ベクトル解析について解説する。[[物理数学I ベクトル解析]]も参照。
==前提知識==
ここでは、実数のみで考える。
===ベクトル===
[[高等学校数学C/ベクトル]]、[[線型代数学/ベクトル]]、[[解析学基礎/ベクトル]]などを参照。本項では、矢印を付した表記(<math>\vec{a}</math>など)と太字斜体による表記(<math>\boldsymbol{x}</math>など)を混用する。
===行列===
[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫]]及び[[線形代数学]]・[[線型代数学続論]]の各ページを参照。本項では大文字の太字立体(<math>\mathbf{A}</math>など)で表記する。
===多変数解析===
[[解析学基礎/多変数関数の微積分]]を参照。
===領域===
<math>D\subset\mathbb{R}^n</math>と点<math>\boldsymbol{a}\in D</math>(位置ベクトル表記なので太文字斜体)に対し、集合<math>B_\varepsilon(\boldsymbol{a}) := \{ \boldsymbol{x} \in D \mid \| \boldsymbol{x} - \boldsymbol{a} \|<\varepsilon \}</math>を点<math>\boldsymbol{a}</math>の'''<math>\varepsilon</math>-開球'''という。不等号を<math>\leqq</math>に変えたときは開区間↔閉区間と同様に'''閉球'''と呼ぶ。このとき、<math>D</math>のように<math>\mathbb{R}^n</math>の部分集合であって<math>\varepsilon</math>-開球を含むものを点<math>\boldsymbol{a}</math>の'''<math>\varepsilon</math>-開近傍'''と呼ぶ。閉球を含むときは同様に'''閉近傍'''と呼ぶ。
<math>\forall \boldsymbol{a} \in U, \exist \varepsilon>0, B_\varepsilon(\boldsymbol{a})\subset U</math>を満たす<math>U\subset\mathbb{R}^n</math>を'''開集合'''と呼び、<math>V=\mathbb{R}^n\setminus U</math>を'''閉集合'''と呼ぶ。
注意点として、開集合と閉集合は排反ではない。則ち「開集合且つ閉集合」である集合が存在し(例えば<math>\mathbb{R}, \varnothing</math>)、「開集合でも閉集合でもない」集合も存在する(例えば<math>[0, 1)</math>)。
<math>M\subset\mathbb{R}^n</math>を含む最小の閉集合を<math>M</math>の'''閉包'''と呼び、<math>M^-, \bar{M}, \mathrm{Cl}(M)</math>などと表す。例えば有理数の稠密性より<math>\mathbb{Q}^-=\mathbb{R}</math>である。
閉包の性質として「閉包=集合の内部と境界の和集合(<math>M^- = \mathrm{Int}(M) \cup \partial{M}</math>)」がある。
集合<math>S\subset\mathbb{R}^n</math>に対して以下を満たす<math>\mathbb{R}^n</math>上開集合の組<math>(G_1, G_2)</math>が'''とれない'''とき、
#<math>G_1 \cap S = \varnothing \land G_2 \cap S = \varnothing</math>
#<math>S = (G_1 \cap S) \sqcup (G_2 \cap S)</math>
「<math>S</math>は'''連結'''である」または「<math>S</math>は'''連結集合'''」という(但し、<math>\sqcup</math>は[[w:非交和|非交和]])。
空でない開連結集合を'''領域'''という。
実は、高校数学や1年次の解析学で扱ってきた「領域」はこの定義を満たしていないことが多かった。これは、「領域」の歴史的な用法では「条件の解集合」という意味であって開性や連結性を要求しなかったためである。しかし、本項を含めた以降に登場する数学ではこの定義を満たしていることが前提条件となる。なお、ややこしいことに「積分領域」は従来通り「その上で積分を行う集合」という緩い意味で使われることが多いので、区別が必要である。
===右手系===
三次元空間の正規直交基底を<math>(\boldsymbol{e}_1, \boldsymbol{e}_2, \boldsymbol{e}_3)</math>と置く。螺子を<math>\boldsymbol{e}_1\to\boldsymbol{e}_2</math>の向きに回すと<math>\boldsymbol{e}_3</math>の正方向に進むように3つの軸をとった系を'''右手系'''という。負方向に進むようにとったものを'''左手系'''という。数学・物理に限らず理数系の約束事として、'''三次元空間は必ず右手系で考える'''という暗黙の了解が存在するので覚えておこう。
右手系・左手系は基底の一部または全ての符号を反転することで変換することができる。一つだけを反転する場合は'''鏡像変換'''、二つだけを反転する場合は'''半回転'''、全てを反転する場合は'''空間反転'''と呼ぶ。
外積の結果として得るベクトルは右手系・左手系のどちらを考えるかで向きが変わる。このように、右手系↔左手系の変換で向きが変わるベクトルを'''軸性ベクトル'''という。
系の取り方で向きが変わるということは基底の係数である'''成分は不変量'''である。つまり、観測者の動きにベクトルが追従し、このベクトルは「物理的な実体を有しているのではなく計算の都合上向きが定められた便宜的な(=観測者が勝手に決めた)ベクトル」ということである。そのため、軸性ベクトルは'''擬ベクトル'''(シュードベクトル)とも呼ばれる。
位置や速度、加速度のような右手系・左手系のどちらを考えても同じ向きを向くベクトルを'''極性ベクトル'''という。座標系を取り換えても向きが維持されるため'''成分は座標変換に応じて変化する'''。これは、「観測の仕方によって起こる現象は変わらない」ということである。つまり擬ベクトルに対し、極性ベクトルは'''物理的実体を有するベクトル'''である。
偶奇と同じように軸性・極性にも外積を通じた相互関係が存在する。
:(軸性)×(軸性)=(軸性)
:(軸性)×(極性)=(極性)
:(極性)×(極性)=(軸性)
==基礎事項==
===ベクトル関数===
関数<math>\boldsymbol{f} (x) = \sum_{i} f_i(x) \boldsymbol{e}_i</math>を'''ベクトル(値)関数'''(vector-valued function, vector function)という。
ただし、各<math>\boldsymbol{e}_i</math>は各座標軸方向の単位ベクトルであり、<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の定義域は各<math>f_i(x)</math>の定義域の積集合である。
ベクトルの演算が成分ごとの演算結果を並べたベクトルで定義されたように、ベクトル関数の演算は(結果となる値が存在するならば)各成分の演算結果を並べたベクトルに等しい。これはベクトルの線型性による。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x) = \begin{pmatrix} \cos x \\ \sin x \end{pmatrix}</math>の<math>x\to0</math>の極限は、
:<math>\lim_{x\to0} \boldsymbol{f}(x) = \begin{pmatrix} \lim_{x\to0} \cos x \\ \lim_{x\to0} \sin x \end{pmatrix}</math> (<math>\because</math>線型性)
:<math>=\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\boldsymbol{e}_x</math>
と求まる。
このとき、<math>\boldsymbol{e}_x</math>を<math>\begin{pmatrix} \cos x \\ \sin x \end{pmatrix}</math>の<math>x\to0</math>に於ける'''極限ベクトル'''という。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>x=\alpha</math>で連続であるとは<math>\lim_{x\to\alpha}\boldsymbol{f}(x)=\boldsymbol{f}(\alpha)</math>が成立することであり、区間<math>I</math>で連続であるとは<math>\forall \alpha \in I</math>で連続であることである。
また、ベクトル関数の導関数<math>\boldsymbol{f}'(x)</math>は
:<math>\frac{d}{dx} \boldsymbol{f} (x) = \frac{d}{dx} \left( \sum_i f_i(x) \boldsymbol{e}_i \right)</math>
:<math>= \sum_i \left( \frac{d}{dx} f_i (x) \boldsymbol{e}_i \right)</math>(<math>\because</math>線型性)
:<math>= \begin{pmatrix} f'_1(x) \\ f'_2(x) \\ \vdots \\ f'_i(x) \\ \vdots \end{pmatrix}</math>
である。
この結果は、ベクトル関数に於ける導関数の正式な定義 <math>\lim_{h\to0} \frac{\boldsymbol{f}(x+h) - \boldsymbol{f}(x)}{h}</math>からも導かれる。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>x=\alpha</math>で微分可能であるとは極限値<math>\boldsymbol{f}'(\alpha)=\lim_{x\to\alpha}\frac{\boldsymbol{f}(x)-\boldsymbol{f}(\alpha)}{x-\alpha}</math>が存在することであり、区間<math>I</math>で微分可能であるとは<math>\forall \alpha \in I</math>で微分可能であることである。
高階導関数・高階微分可能も同様にして定義される。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が区間<math>I</math>で連続ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^0</math>級であるといい、<math>\boldsymbol{f}\in C^0(I)</math>と書く。<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>I</math>で微分可能で<math>\boldsymbol{f}'(x)\in C^0(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^1</math>級である(一階連続微分可能)といい、<math>\boldsymbol{f}\in C^1(I)</math>と書く。<math>\boldsymbol{f}(x)</math>が<math>I</math>で二階微分可能で<math>\boldsymbol{f}'\in C^1(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>上で<math>C^2</math>級である(二階連続微分可能)といい、<math>\boldsymbol{f}\in C^2(I)</math>と書く。同様にして順々に<math>C^k</math>級が定義され、<math>\forall k \in \mathbb{N}, \boldsymbol{f}\in C^k(I)</math>ならば<math>\boldsymbol{f}(x)</math>は<math>I</math>で<math>C^\infty</math>級(無限階連続微分可能)であるといい、<math>\boldsymbol{f}\in C^\infty(I)</math>と書く。<math>C^\infty</math>級である関数を'''滑らかな'''関数ともいう。
高校数学や高校物理で扱った平面(<math>\mathbb{R}^2</math>)上の運動は、実は2項ベクトル関数の理論に他ならない。
例えば、平面上の運動に於ける加速度・速度・変位の関係は<math>\boldsymbol{x}(t)= \begin{pmatrix} f(t) \\ g(t) \end{pmatrix}</math>として<math>\boldsymbol{a}(t) = \frac{d}{dt}\boldsymbol{v}(t) = \frac{d^2}{dt^2} \boldsymbol{x}(t)</math>と表すことができる。
曲線の媒介変数表示は、パラメータを変数とするベクトル関数とみることができる。
例えば、円の媒介変数表示<math>\begin{cases} x=r\cos\theta \\ y=r\sin\theta \end{cases}</math>は、<math>\boldsymbol{r}(\theta) = r\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin\theta \end{pmatrix}</math>という2次元ベクトル関数とみることができる。更に<math>\theta=\omega t</math>とすると、これは等速円運動の式である。
1変数ベクトル関数の微分に関して、以下の公式が成り立つ。
#定数倍の導関数:<math>\{k\boldsymbol{a}(x)\}'=k\boldsymbol{a}'(x)</math>
#和・差の導関数:<math>\{ \boldsymbol{a}(x)\pm\boldsymbol{b}(x) \}' = \boldsymbol{a}'(x)\pm\boldsymbol{b}'(x)</math>
#積の導関数:<math>\{ f(x)\boldsymbol{a}(x) \}' = f'(x)\boldsymbol{a}(x)+f(x)\boldsymbol{a}'(x)</math>
#商の導関数:<math>\left\{ \frac{\boldsymbol{a}(x)}{f(x)} \right\}' = \frac{f(x)\boldsymbol{a}'(x)-f'(x)\boldsymbol{a}(x)}{\{f(x)\}^2} \quad (f(x)\neq0)</math>
#内積の導関数:<math>\{\boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)\}' = \boldsymbol{a}'(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)+\boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}'(x)</math>
#外積の導関数:<math>\{\boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}(x)\}' = \boldsymbol{a}'(x)\times\boldsymbol{b}(x)+\boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}'(x)</math>
#スカラー三重積の導関数:<math>[\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}]' = \boldsymbol{a}'(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}'(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\cdot\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}'(x)\}</math>
#ベクトル三重積の導関数:<math>[\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}]' = \boldsymbol{a}'(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}'(x)\times\boldsymbol{c}(x)\}+\boldsymbol{a}(x)\times\{\boldsymbol{b}(x)\times\boldsymbol{c}'(x)\}</math>
#連鎖律(チェイン・ルール):<math>[\boldsymbol{a}\{f(x)\}]'=\boldsymbol{a}'\{f(x)\}f'(x)</math>
ベクトル関数の'''ノルム'''(大きさ、長さ)は、通常のベクトルと同様に
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \| = \sqrt{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)} = \sqrt{\sum_{i} \{f_i (x)\}^2}</math>
で与えられる。
つまり、ノルムは元のベクトル関数と同一変数のスカラー関数である。
ここで、このスカラー関数が定数関数である条件に就て見てみよう。
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|= c \quad (c\in\mathbb{R}_{>0})</math>の両辺を2乗して
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|^2 = \boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x) = c^2</math>
:両辺微分すると内積の微分より
:<math>\{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'=\boldsymbol{f}'(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)+\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=2\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0</math>
:<math>\therefore \boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0</math>
:逆に、
:<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=0 \iff 2\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\boldsymbol{f}'(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)+\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'=0</math>
:<math>\int \{\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)\}'dx= \int 0 dx</math>
:<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}(x)=C_1</math>(<math>C_1\geq0</math>は積分定数)
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|^2=C_1</math>より
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \| = \sqrt{C_1} = \mathrm{const}.</math>
よって、以下が成り立つ。
{{定理|(直交条件の定理)}}
:<math>\| \boldsymbol{f}(x) \|= \mathrm{const}. \iff \boldsymbol{f}(x) \cdot \boldsymbol{f}'(x) = 0</math>
{{定理終わり}}
これは、物理的には「位置ベクトルと速度ベクトルが直交する」ことを表す。則ち、<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の終点が始点を中心とする円運動(球面運動)をするということである。
また、ベクトル関数が変数に依らず常に同一方向を向く条件も見てみよう(但し<math>\boldsymbol{f}(x)\neq\boldsymbol{0}</math>)。
:所与の条件は零ベクトルでない定ベクトル<math>\boldsymbol{c}</math>を用いて<math>\boldsymbol{f}(x) = f(x)\boldsymbol{c}</math>と表される。
:両辺微分して<math>\boldsymbol{f}'(x)=\{f(x)\boldsymbol{c}\}=f'(x)\boldsymbol{c}</math>
:ここで元のベクトル関数との外積をとると
:<math>\boldsymbol{f}(x)\times\boldsymbol{f}'(x)=\{f(x)\boldsymbol{c}\}\times\{f'(x)\boldsymbol{c}\}=f(x)f'(x) (\boldsymbol{c}\times\boldsymbol{c})=f(x)f'(x)\boldsymbol{0}=\boldsymbol{0}</math>
:逆に、
:<math>\boldsymbol{f}(x)\times\boldsymbol{f}'(x)=\boldsymbol{0}</math>とすると一次従属なので
:<math>\boldsymbol{f}'(x)=g(x)\boldsymbol{f}(x)</math>という微分方程式が成り立つ。
:各成分ごとに微分方程式を解くと、
::これは変数分離型微分方程式なので第i成分は
::<math>\frac{df_i}{dx}=g(x)f_i(x)</math>
::<math>\int \frac{df_i}{f_i(x)}=\int g(x)dx</math>
::<math>G'(x)=g(x), C_i</math>を積分定数として<math>\log|f_i(x)|=G(x)+C_i</math>
::<math>C_i=\pm e^{C_i}</math>と改めておくと<math>f_i(x)=C_i e^{G(x)}</math>
:よって
:<math>\boldsymbol{f}(x)=\sum_i f_i(x) \boldsymbol{e}_i = \sum_i C_i e^{G(x)} \boldsymbol{e}_i = e^{G(x)} \sum_i C_i \boldsymbol{e}_i</math>
:ここで<math>f(x)=e^{G(x)}, \boldsymbol{c}=\sum_i C_i \boldsymbol{e}_i</math>と置くと
:<math>\boldsymbol{f}(x) = f(x) \boldsymbol{c}</math>となり、方向は変数に依らず一定であることが判る//
よって、以下が成り立つ。
{{定理|(平行条件の定理)}}
<math>\boldsymbol{c},\boldsymbol{f}(x)\neq\boldsymbol{0}</math>として
:<math>\boldsymbol{f}(x)=f(x)\boldsymbol{c} \iff \boldsymbol{f}(x) \times \boldsymbol{f}'(x) = \boldsymbol{0}</math>
{{定理終わり}}
ベクトル解析では三次元空間の場合を考えることが多いため上では外積を用いて証明したが、外積は3項ベクトル(または7項ベクトル)にしか定義されないのであった。
一般次元では外積に代わって次の関係式を用いる。
:<math>|\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)|=\|\boldsymbol{f}(x)\|\|\boldsymbol{f}'(x)\|</math>
これはCS不等式の等号成立の場合である。
実際、<math>\boldsymbol{f}(x)\cdot\boldsymbol{f}'(x)=\|\boldsymbol{f}(x)\|\|\boldsymbol{f}'(x)\|\cos\{\theta(x)\}</math>より等号成立の必要十分条件は
:<math>\cos\{\theta(x)\}=\pm1\iff\theta(x) \equiv 0 \,(\mathrm{mod}\pi)</math>
であり、2ベクトル<math>\boldsymbol{f}(x), \boldsymbol{f}'(x)</math>は平行とわかる。<br/>
平行ということは一次従属ということなので先程のように変数分離形微分方程式を解くことで3次元と同じ結果を得る。//
補足として、力学への応用を考える。
:速さの二乗<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|^2</math>を時間微分すると
:<math>\frac{d}{dt}\|\boldsymbol{v}(t)\|^2=\frac{d}{dt}(\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{v}(t))=\frac{d\boldsymbol{v}(t)}{dt}\cdot\boldsymbol{v}(t)+\boldsymbol{v}(t)\cdot\frac{d\boldsymbol{v}(t)}{dt}=2(\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{a}(t))</math>
:よって等速運動の条件<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|=\mathrm{const}.</math>は直交条件の定理から<math>\boldsymbol{v}(t)\perp\boldsymbol{a}(t)</math>に同値である。
:これを力学的に解釈すると、「加速度ベクトルは速度ベクトル方向に仕事をしないから速度ベクトルの大きさを変えずに向きだけを変える」となる。
:平面上で等速円運動を考えると円運動条件から<math>\boldsymbol{r}(t)\perp\boldsymbol{v}(t)</math>、等速条件から<math>\boldsymbol{v}(t)\perp\boldsymbol{a}(t)</math>なので<math>\boldsymbol{r}(t) /\!/ \boldsymbol{a}(t)</math>が出てくる。
:円運動条件<math>\|\boldsymbol{r}(t)\|^2=r^2</math>を一階微分すると
::<math>2\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{r}'(t)=0</math>
:もう一度微分して
::<math>2(\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{r}''(t)+\boldsymbol{r}'(t)\cdot\boldsymbol{r}'(t))=0</math>
:則ち
::<math>\boldsymbol{r}(t)\cdot\boldsymbol{a}(t)+\boldsymbol{v}(t)\cdot\boldsymbol{v}(t)=0</math>
:位置ベクトルと加速度ベクトルが一次従属なので<math>\boldsymbol{a}(t)=\lambda\boldsymbol{r}(t)</math>であり、等速条件より<math>\|\boldsymbol{v}(t)\|=v</math>なので
::<math>\lambda r^2 + v^2 = 0</math>
::<math>\therefore \lambda = -\frac{v^2}{r^2}<0</math>
:則ち<math>\boldsymbol{r}(t)</math>と<math>\boldsymbol{a}(t)</math>は逆向きであり、円運動の中心は<math>\boldsymbol{r}(t)</math>の始点なので<math>\boldsymbol{a}(t)</math>は常に円運動の中心を向く'''向心加速度'''であることが証明された。//
なお、3次元以上では「<math>\boldsymbol{a}\perp\boldsymbol{b}\land\boldsymbol{b}\perp\boldsymbol{c}\implies\boldsymbol{a}/\!/\boldsymbol{c}</math>」が一般には成り立たないのでこの議論を成立させるには追加の条件が必要である。
<math>\boldsymbol{f}(x)</math>の不定積分は、各<math>f_i(x)</math>の原始関数を並べたベクトルを<math>\boldsymbol{F}(x)</math>として
:<math>\int \boldsymbol{f}(x) dx = \boldsymbol{F}(x)+\boldsymbol{C}</math>(<math>\boldsymbol{C}</math>は各積分定数を並べたベクトル)
と表される。
また、定積分は
:<math>\int^b_a \boldsymbol{f}(x) dx=\boldsymbol{F}(b)-\boldsymbol{F}(a)</math>
と表される。
1変数ベクトル関数の積分について、以下が成り立つ(不定積分表記だが定積分に就ても同様)。
#定数倍の原始関数:<math>\int \{k\boldsymbol{a}(x)\} dx = k\int\boldsymbol{a}(x)dx</math>
#和・差の原始関数:<math>\int \{\boldsymbol{a}(x)\pm\boldsymbol{b}(x)\}dx=\int\boldsymbol{a}(x)dx\pm\int\boldsymbol{b}(x)dx</math>
#内積の原始関数<math>\int \{\boldsymbol{k}\cdot\boldsymbol{a}(x)\}dx=\boldsymbol{k} \cdot \left( \int \boldsymbol{a}(x) dx \right)</math>
#外積の原始関数<math>\int \{\boldsymbol{k}\times\boldsymbol{a}(x)\}dx=\boldsymbol{k} \times \left( \int \boldsymbol{a}(x) dx \right)</math>
#スカラー倍の部分積分:<math>\int f(x)\boldsymbol{a}'(x)dx= f(x)\boldsymbol{a}(x)-\int f'(x)\boldsymbol{a}(x) dx \iff \int f'(x)\boldsymbol{a}(x)dx= f(x)\boldsymbol{a}(x)-\int f(x)\boldsymbol{a}'(x) dx</math>
#内積の部分積分:<math>\int \{ \boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}'(x) \}dx = \boldsymbol{a}(x)\cdot\boldsymbol{b}(x) - \int \{\boldsymbol{a}'(x)\cdot\boldsymbol{b}(x)\}dx</math>
#外積の部分積分:<math>\int \{ \boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}'(x) \}dx = \boldsymbol{a}(x)\times\boldsymbol{b}(x) - \int \{\boldsymbol{a}'(x)\times\boldsymbol{b}(x)\}dx</math>
#置換積分:<math>u=f(x)</math>として<math>\int \boldsymbol{a}'\{f(x)\}f'(x) dx = \int \boldsymbol{a}(u)du</math>
平行条件の定理の証明でベクトル関数の微分方程式を解いたように、成分毎に考えることで解空間ベクトルを求められる。
:1階線型常微分方程式<math>\boldsymbol{f}'(x)+a(x)\boldsymbol{f}(x)=\boldsymbol{b}(x)</math>の解に就て考える。
:第<math>i</math>成分を考えると<math>f'_i(x)+a(x)f_i(x)=b_i(x)</math>という1階線型常微分方程式を得るので、
:両辺に積分因子<math>\mu(x)=\exp\left(\int a(x) dx\right)</math>を掛けることで
:<math>f_i(x)=\frac{1}{\mu(x)} \left\{ \int \mu(x) b_i(x) dx + C_i \right\}</math>を得る。
:よって一般解は
:<math>\boldsymbol{f}(x) = \sum_i \frac{1}{\mu(x)} \left\{ \int \mu(x) b_i(x) dx + C_i \right\} \boldsymbol{e}_i=\frac{1}{\mu(x)}\left\{ \int \mu(x) \boldsymbol{b}(x) dx + \boldsymbol{C} \right\}</math>
ベクトル関数は必ずしもここで扱った<math>\boldsymbol{f}: \mathbb{R}\to\mathbb{R}^n</math>のみを指さない。
例えば、ベクトル変数 <math>\boldsymbol{x}= \sum_i g_i (x) \boldsymbol{e}_i</math>に対して
:<math>\boldsymbol{h}(\boldsymbol{x})=\sum_i (h_i \circ g_i) (x) \boldsymbol{e}_i</math>
と定義されるような関数<math>\boldsymbol{h}:\mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^m</math>もベクトル関数である。
また、始域と終域の次元が異なる<math>\boldsymbol{i}: \mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^n \, (m, n\neq1)</math>のようなベクトル関数も考えられる。
一般に、始域が<math>\mathbb{R}^n (n\neq1)</math>であっても終域が<math>\mathbb{R}</math>である関数はベクトル関数に対して'''スカラー関数'''(scalar function)と呼ばれる。スカラー関数は入力ベクトルを「変数の組」と見れば通常の多変数関数に一致する。
この節で述べた理論は、多くは一般のベクトル関数に対しても成り立つ。但し、後述のヤコビ行列のような拡張を必要とするものもある。
また、多変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{f}(x_1, x_2,\cdots,x_n)</math>を考えたとき、多変数微積分の理論は一変数微積分と同様にしてベクトル関数にもそのまま拡張される。
===ベクトル場・スカラー場===
写像<math>\boldsymbol{a}: \mathbb{R}^m \to \mathbb{R}^n</math>を'''ベクトル場'''(vector field)という。
実際には<math>m=n</math>の場合を考えることが多い。
写像<math>\varphi: \mathbb{R}^n \to \mathbb{R}</math>を'''スカラー場'''(scalar field)という。
それぞれ上で述べたベクトル関数・スカラー関数に対応する。
もう少し具体的に述べると、空間の領域<math>V</math>が与えられたときその各点にスカラーまたはベクトルを割り当てたものが場である。要するに、<math>p\in V</math>とすると
:スカラー場:<math>\varphi=\varphi(p)</math>
:ベクトル場:<math>\boldsymbol{a}=\boldsymbol{a}(p)</math>
のように場は「点を入力とする<sup>※</sup>関数」である。
<small>※なお、ベクトル場を図示するときは「出力されたベクトルの'''始点は原点でなく入力された点'''」であることに注意が必要である。出力ベクトルの成分表示は「入力点を基準に据えたときの位置ベクトル」なので原点から目盛を数えることに意味はない。</small>
ここで<math>V</math>に何かしらの座標が設定されていれば、その座標系の変数の組をベクトルと見做すことで場を「通常のスカラー関数・ベクトル関数」として扱えるのである。
則ち、「滑らかな場」という概念は「滑らかな関数」として定義することができる。より具体的に言うと、スカラー場・ベクトル場が'''滑らか'''であるとは対応するスカラー関数・ベクトル関数が<math>C^\infty</math>級であることである。但し、滑らかさは任意の座標変換で保たれるわけではないことに注意が必要である(後述の座標変換テンソル及びその逆行列の全ての成分関数が滑らかである必要がある)。
ここで、二変数関数の極値を思い返してみる。
<math>z=f(x, y)</math>が<math>(a, b)</math>で極大であるとは<math>\begin{pmatrix} x \\ y \end{pmatrix}\neq\begin{pmatrix} a \\ b \end{pmatrix}</math>として
:<math>\exist \delta>0, \forall {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] y \end{array}\right)} \in \mathbb{R}^2, {\scriptstyle\left\| \left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] y \end{array}\right) - \left(\begin{array}{c} a \\[-6pt] b \end{array}\right) \right\|} < \delta \implies f(x, y) \leq f(a, b)</math>
という定義だった。
<math>z=f(x, y)</math>は曲面を表すが、これを<math>z</math>軸正方向から<math>xy</math>平面に射影するとその陰が<math>(x, y)</math>の動く範囲となるのであった。
ここで<math>\boldsymbol{x}:=\begin{pmatrix} x \\ y \end{pmatrix}, \boldsymbol{\alpha}:=\begin{pmatrix} a \\ b \end{pmatrix}</math>とすると<math>z=f(x, y)</math>はスカラー場<math>z=\phi(\boldsymbol{x})</math>と解釈することができ、更に条件法の前件は<math>\boldsymbol{\alpha}</math>の<math>\delta</math>-開球(二次元なので開円板)である。
なので、極大値の定義式をベクトル解析的に解釈すると「<math>xy</math>平面の各点に<math>z</math>の値を割り当てた数分布に於いて、開円板<math>B_\delta(\boldsymbol{\alpha})</math>内部に於ける<math>z</math>の最大値が<math>\phi(\boldsymbol{\alpha})</math>となるような正数<math>\delta</math>が存在する」ということである。
ベクトル場の例としては、電場・磁場・重力場などが挙げられる。
スカラー場の例としては、電位分布・温度分布・圧力分布などが挙げられる。
例えば、ベクトル場<math>\boldsymbol{f}=(x, 0, 0)</math>は、<math>\mathbb{R}^3</math>内の平面<math>x=k</math>上の任意点に、その点を始点とするベクトル<math>\begin{pmatrix} k \\ 0 \\ 0 \end{pmatrix}</math>が存在する状態を表す。
ベクトル場の和は、出力ベクトルの型が同じならばベクトル場の成分の和をとったものに等しい。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x, y, z)=(y, z, x), \boldsymbol{g}(x, y, z)=(z, x, y)</math>について
:<math>(\boldsymbol{f}+\boldsymbol{g})(x, y, z)=(y, z, x)+(z, x, y)=(y+z, z+x, x+y)</math>である。
これは、ベクトル場の加法の定義が
:<math>\forall p \in V, (\boldsymbol{f}+\boldsymbol{g})(p):=\boldsymbol{f}(p)+\boldsymbol{g}(p)</math>
となっていて且つ<math>V</math>に座標を入れればベクトル関数の加法則をそのまま適用できるためである(入力点が異なるとき、場同士は足すことができない)。
曲線<math>\{\boldsymbol{x}\in\mathbb{R}^2 \mid \varphi(\boldsymbol{x})=\mathrm{const}.\}</math>を'''等高線'''(等高曲線)、曲面<math>\{\boldsymbol{x}\in\mathbb{R}^3 \mid \varphi(\boldsymbol{x})=\mathrm{const}.\}</math>を'''等位面'''(等位曲面)という。これらの詳細は後述する。
==曲線論・曲面論==
===曲線===
<math>xy</math>平面上の曲線は<math>y=f(x) (x\in[a, b])</math>という陽関数表示で扱うことが多かった。しかし、これだと自分自身と交わる('''自己交叉'''する)曲線や<math>x=x_0</math>に対して<math>f(x_0)</math>の値が複数存在する(<math>f</math>が'''多価関数''')場合に不都合が生じる。
例えば円を陽関数表示しようとすると
:<math>x^2+y^2=r^2</math>を<math>y</math>に就いて解いて
:<math>y=\pm\sqrt{r^2-x^2}</math>
則ち
:<math>y=\begin{cases} \sqrt{r^2-x^2} & (y\geq0) \\ -\sqrt{r^2-x^2} & (y<0) \end{cases}</math>
という多価関数が必要になる。
これだと端点の振舞を一々調べる必要があって曲線の連続性や接線の議論が煩雑になってしまう。
しかし、先程も述べたように曲線の媒介変数表示はベクトル関数として見れるのであった。
:<math>\boldsymbol{r}(\theta) = r\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin\theta \end{pmatrix}</math>(再掲)
こうすると一変数連続ベクトル関数によって曲線を表すことが可能である。物理的に捉えると「質点の運動の軌跡を原点からの位置ベクトルの時間変化で表す」ということである。
一般に、<math>\boldsymbol{r}\in\mathbb{R}^n, t \in I</math>としてベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>の解集合<math>\{\boldsymbol{r}(t) \mid t \in I \}</math>は<math>n</math>次元空間内の曲線<math>C</math>を表す。これを<math>C</math>の'''ベクトル表示'''という。
ベクトル表示は成分表示に直せば<math>\boldsymbol{r}(t)=\sum_i r_i(t)\boldsymbol{e}_i</math>となる。これは媒介変数表示<math>\begin{cases} x_1&=&r_1(t) \\ x_2&=&r_2(t) \\ &\,\,\vdots& \\ x_n&=&r_n(t) \end{cases}</math>をベクトル表記したものに一致する。
例えば、<math>\boldsymbol{r}(t)=\begin{pmatrix} a\cos t \\ a\sin t \\ bt \end{pmatrix}</math>は'''常螺旋'''(弦巻線)のベクトル表示である。
パラメータが増加するときの点の移動方向を曲線の'''正の向き'''と定める。曲線の'''負の向き'''はパラメータが減少するときの点の移動方向である。このとき、パラメータで'''向き付け'''された曲線という表現もなされる。曲線<math>C</math>に対し、同じパラメータを用いた逆向きの曲線を<math>-C</math>と表す。ベクトル表示では<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に対して<math>-C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(-t)</math>ということである。
パラメータに関する変数変換<math>u=\phi(t)</math>を考える。但し、<math>\phi</math>は広義単調関数とする<sup>※</sup>。このとき、<math>\frac{du}{dt}</math>が非負ならば曲線の向き付けが保たれ、非正ならば向き付けが反転する。<math>\frac{du}{dt}=0</math>となる領域では点の運動が停止する。
<small>※<math>\phi</math>が非単調関数のときは曲線上の点が行ったり来たりすることになるため曲線のパラメータ表示としては扱いづらい。</small>
<math>\boldsymbol{r}(t) \in C^1</math>且つ<math>\boldsymbol{r}'(t)\neq\boldsymbol{0}</math>であるとき、曲線<math>C</math>は'''滑らか'''であるという。
滑らかな曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に対して<math>\boldsymbol{r}'(t)</math>を<math>C</math>の'''速度ベクトル'''という。
<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}=\boldsymbol{r}</math>として点<math>\mathrm{P}(t)</math>に於ける速度ベクトルは<math>\lim_{\Delta t\to0}\frac{\boldsymbol{r}(t+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t)}{\Delta t}</math>の極限ベクトルであるが、<math>\boldsymbol{r}(t+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t)</math>を図示することで速度ベクトルが曲線<math>C</math>の点<math>\mathrm{P}(t)</math>に於ける接線の方向ベクトルになっていることがわかる。よって、速度ベクトルを'''接線ベクトル'''(接ベクトル)ともいう。
速度ベクトルが非零である曲線を'''正則'''な曲線と呼ぶ。滑らかな曲線は正則曲線である。
なお、一般には陽関数表示が区分的であることとベクトル表示の成分関数が区分的であることに対応はないほか、パラメータの取り方で速度ベクトルが変わるので「曲線の幾何学的滑らかさ」と「ベクトル表示した関数の解析学的滑らかさ」は一致するとは限らない。
正則な曲線に対して曲線長('''弧長''')を考える。
二次元曲線の場合は数学Ⅲで既に扱った。
:<math>L=\int_a^b \sqrt{\left(\frac{dx}{dt}\right)^2+\left(\frac{dy}{dt}\right)^2}dt</math>
実は、これを一般の<math>n</math>次元にそのまま拡張することができる。
{{定理|(弧長公式)}}
曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>の点<math>\mathrm{P}(a)</math>から点<math>\mathrm{P}(b)</math>までの長さ(<math>a<b</math>)は
:<math>L=\int_a^b \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>
で与えられる。
{{定理終わり}}
*証明
:<math>a=t_0, b=t_m</math>として閉区間<math>[a, b]</math>を各<math>t_i</math>で等分割する。このとき小区間<math>[t_{k-1}, t_k]</math>の長さは<math>\Delta t=\frac{b-a}{m}</math>。
:<math>C</math>の点<math>\mathrm{P}(a)</math>から点<math>\mathrm{P}(b)</math>までの長さ<math>L</math>は折れ線の長さ<math>\overline{\mathrm{P}(t_{k-1})\mathrm{P}(t_k)}</math>の総和で近似される。
:ここで<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}=\boldsymbol{r}(t)</math>より
::<math>L_m=\sum_{k=1}^m \| \boldsymbol{r}(t_k)-\boldsymbol{r}(t_{k-1}) \| = \sum_{k=1}^m \left\| \frac{\boldsymbol{r}(t_{k-1}+\Delta t)-\boldsymbol{r}(t_{k-1})}{\Delta t-0} \right\|(\Delta t-0)</math>
:分割を限りなく細かくする極限をとると<math>m\to\infty</math>より<math>\Delta t\to0</math>なので
::<math>\lim_{m\to\infty} L_m = \sum_{k=1}^\infty \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt}(t_{k-1}) \right\|dt</math>
:区分求積法より最後の無限級数は収束して
:<math>L=\int_a^b \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>//
ここで、<math>dl:=\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>という微小量を'''線素'''と呼ぶ。
1を線素に関して積分したパラメータ<math>s:=\int_0^t dl</math>を'''弧長パラメータ'''(標準パラメータ)という。弧長パラメータは曲線上で「基準点からの符号付き距離」を表す。
曲線の弧長パラメータによるベクトル表示('''弧長パラメータ表示''')を考える。<math>s=\int_0^t \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt</math>で正則よりノルムは正。則ち<math>\frac{ds}{dt}>0</math>より<math>s=\phi(t)</math>は狭義単調増加なので、逆関数<math>t=\phi^{-1}(s)</math>を考えることができる。よって、<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>に<math>t=\phi^{-1}(s)</math>を代入した<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\phi^{-1}(s))</math>が弧長パラメータ表示である。これを<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>と略記してしまうことも多いが、'''一般には元の<math>\boldsymbol{r}(t)</math>と成分関数が異なる'''ことに注意。
通常の媒介変数によるベクトル表示は「座標系が予め与えられた状況」での表示であるが、弧長パラメータは座標系を取り替えたとしても表す曲線そのものが変わらなければ不変である。よって、「座標系に依存しない表記」として弧長パラメータ表示は多く利用されている。
また、弧長パラメータ表示で連鎖律を適用すると
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\cdot\frac{dt}{ds}=\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\cdot\frac{1}{\frac{ds}{dt}}</math>
ここで微分積分学の基本定理より
:<math>\frac{ds}{dt}=\frac{d}{dt} \int_0^t \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|dt = \left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|</math>
なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\frac{\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}}{\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \right\|}</math>
であり、自身のノルムで割ってるので恒等的に<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} \right\|=1</math>である。
よって、弧長パラメータ表示された曲線の接ベクトルは常に単位ベクトルである。
弧長パラメータ表示された曲線で線素を考えると<math>s=\int_0^s \left\| \frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds} \right\| ds = \int_0^s dl</math>だが、常に<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} \right\|=1</math>なので<math>ds=dl</math>であり、弧長パラメータの微小量は線素に等しい(弧長パラメータそのものが1の線素に関する積分なので当たり前ではある)。
<math>\boldsymbol{e}_\dagger(s)=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}</math>と置くと、点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける接線の方程式は
:<math>\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s_0)=\boldsymbol{e}_\dagger(s_0) (s-s_0)</math>
と表される。
ここで<math>\boldsymbol{r}(s)</math>の中心<math>s_0</math>に於けるテイラー展開は
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\sum_{i=0}^\infty \frac{(s-s_0)^i}{i!} \frac{d^i}{ds^i}\boldsymbol{r}(s_0) </math>
であり、「接線が一次近似に対応する」という構造はベクトル関数でも維持されることが判った。
領域<math>\boldsymbol{D}</math>上の滑らかなベクトル場<math>\boldsymbol{a}</math>について、微分方程式<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t)) (\boldsymbol{r} \in \boldsymbol{D})</math>で与えられる曲線<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>を<math>\boldsymbol{a}</math>の'''流線'''(streamline)という(入力点を位置ベクトルと同一視していることに注意)。流線の接線ベクトルは元のベクトル場そのものになるので、ベクトルの相等から得る方程式<math>\frac{dx_1}{a_1}=\frac{dx_2}{a_2}=\cdots=\frac{dx_n}{a_n}</math>を'''流線方程式'''という。
例えば、<math>\boldsymbol{f}(x, y)=(y, x)</math>の流線は、
:定義から<math>\frac{dx}{dt}=y, \frac{dy}{dt}=x</math>
:合成関数の微分公式から<math>\frac{dy}{dx}=\frac{\frac{dy}{dt}}{\frac{dx}{dt}}=\frac{x}{y}</math>
:<math>\int y dy=\int xdx</math>
:<math>\frac{1}{2}y^2=\frac{1}{2}x^2+C</math>
:よって双曲線<math>y^2-x^2=2C</math>//
この場合、<math>t</math>に関する2つの微分方程式を組み合わせることで
:<math>\frac{d^2x}{dt^2}=x, \frac{d^2y}{dt^2}=y</math>という二階線型常微分方程式となり、一般解が双曲線関数を用いて<math>\begin{cases} x=C_1\cosh t+C_2\sinh t \\ y=C_1\sinh t+C_2\cosh t \end{cases}</math>であることが容易に判る。<br>なお、流線方程式を用いても<math>\frac{dx}{y}=\frac{dy}{x}</math>から<math>\frac{dy}{dx}=\frac{x}{y}</math>が出てくる。
「流線の接線ベクトルが元のベクトル場になる」とはつまり、「接線が常にベクトル場と平行になるような曲線」を考えているということである。滑らかなベクトル場を考えているためそのような曲線は常に存在する。流線は「ベクトル場の流れを繋げていった曲線」と考えることができるので、「流れを簡潔に図示」するのにちょうどよい。
有名な例として、電気力線・磁力線はそれぞれ電場<math>\boldsymbol{E}</math>・磁束密度<math>\boldsymbol{B}</math>の流線である。
流線の微分方程式を弧長パラメータ表示を用いて変形する。
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))</math>の左辺に就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\frac{ds}{dt}=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot \|\boldsymbol{r}'(\phi^{-1}(s))\|</math>
元の方程式の両辺でノルムをとると
:<math>\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\right\|=\|\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))\|</math>
代入して
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\|\boldsymbol{r}'(\phi^{-1}(s))\|=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}\cdot\|\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(t))\|</math>
:<math>\therefore \frac{d\boldsymbol{r}}{ds} = \boldsymbol{e}_{\boldsymbol{a}(\boldsymbol{r}(\phi^{-1}(s)))}</math>
ここから、流線の形状はノルムには関係なく方向場のみで決まることがわかる。
===フレネ標搆===
ここでは、三次元空間に於ける正則曲線について考える。
<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>上の点<math>\mathrm{P}(s)</math>に於ける単位接線ベクトルを<math>\boldsymbol{t}</math>とおく。
先程の議論より<math>\boldsymbol{t}(s)=\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}</math>であり、<math>\left\| \frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds} \right\|=1 (=\mathrm{const}.)</math>なので直交条件の定理から<math>\boldsymbol{t}\cdot\frac{d\boldsymbol{t}}{ds}=0</math>、則ち<math>\boldsymbol{t} \perp \frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>である。この<math>\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>を'''主法線ベクトル'''という。
主法線ベクトルを<math>\boldsymbol{n}</math>とおくとき、<math>\boldsymbol{b}=\boldsymbol{t}\times\boldsymbol{n}</math>を'''従法線ベクトル'''(陪法線ベクトル)という。ここで先程の結果より<math>\boldsymbol{t}\perp\boldsymbol{n}</math>であって<math>\boldsymbol{b}</math>の定義より<math>\boldsymbol{t}\perp\boldsymbol{b}, \boldsymbol{n}\perp\boldsymbol{b}</math>なので、この3ベクトルの組を正規化した<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b \}</math>は<math>\mathbb{R}^3</math>の正規直交基底である。これを<math>\mathbb{R}^3</math>の'''フレネ標搆'''という。外積の結果よりフレネ標搆は<math>\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b</math>の順に右手系をなす。なお、接線ベクトル・主法線ベクトル・従法線ベクトルは全て曲線の位置ベクトル<math>\boldsymbol{r}(s)</math>を入力したベクトル場として捉えることができる。
<math>\{\boldsymbol{e}_n, \boldsymbol{e}_b \}</math>の張る平面を'''法平面'''、<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_b \}</math>の張る平面を'''展直平面'''、<math>\{\boldsymbol{e}_t, \boldsymbol{e}_n \}</math>の張る平面を'''接触平面'''という。
即ち、法平面・展直平面・接触平面は<math>tnb</math>空間の点<math>\mathrm{P}(s)</math>を原点とした基準面である。
平面の方程式の法線ベクトルに接ベクトル・主法線ベクトル・従法線ベクトルをそれぞれ代入することで
:法平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{t}(s)=0</math>
:展直平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{n}(s)=0</math>
:接触平面の方程式:<math>(\boldsymbol{p}-\boldsymbol{r}(s))\cdot\boldsymbol{b}(s)=0</math>
とわかる。
<math>\|\boldsymbol{t}\|=1</math>は常に成り立つが<math>\|\boldsymbol{n}\|, \|\boldsymbol{b}\|</math>は<math>1</math>とは限らない。そこで、主法線ベクトルの大きさ<math>\kappa(s)=\|\boldsymbol{n}(s)\|</math>を曲線<math>C</math>の'''曲率'''と呼ぶことにする。なお、<math>\|\boldsymbol{b}\|=\| \boldsymbol{t} \| \|\boldsymbol{n}\|\sin\frac{\pi}{2}</math>より<math>\|\boldsymbol{b}\|=\|\boldsymbol{n}\|=\kappa</math>が成り立つ。
主法線ベクトルの定義に立ち戻ると<math>\boldsymbol{n}(s)=\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}</math>であった。つまり、主法線ベクトルは接ベクトルの速度ベクトルなので「弧長パラメータを変化させたときに接ベクトルがどのくらい変化するか」という指標である。接ベクトルの変化の大小と<math>\kappa</math>の大小は対応し、接ベクトルの大小はカーブの緩急に対応することから<math>\kappa</math>の大小とカーブの緩急も対応する。これが「曲率」という名前の由来である。
なお、<math>\kappa(s)=0</math>の場合は<math>\boldsymbol{n}(s)=\boldsymbol{0}</math>なので<math>\boldsymbol{t}(s)=\boldsymbol{k}</math>(定ベクトル)であり、<math>\boldsymbol{r}(s)=s\boldsymbol{k}</math>という直線の場合に対応することがわかる。
単位接ベクトルの<math>s</math>を微分変数とする導関数(<math>s</math>-導関数)は主法線ベクトルだったが、単位主法線ベクトル・単位従法線ベクトルの<math>s</math>-導関数がどのように表されるか見ていく。
ここで、フレネ標搆が<math>\mathbb{R}^3</math>の正規直交基底であることから、<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}, \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}</math>ともにフレネ標搆の一次結合で表現できると予想される。
単位従法線ベクトルに就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\frac{d}{ds}(\boldsymbol{e}_t\times\boldsymbol{e}_n)=\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\times\boldsymbol{e}_n+\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>
<math>\boldsymbol{t}=\boldsymbol{e}_t</math>より<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\boldsymbol{n}=\kappa\boldsymbol{e}_n</math>則ち<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\times\boldsymbol{e}_n=\kappa\boldsymbol{e}_n\times\boldsymbol{e}_n=\boldsymbol{0}</math>なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>
<math>\|\boldsymbol{e}_n\|=1</math>から直交条件の定理より<math>\boldsymbol{e}_n\perp\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>なので
:<math>\boldsymbol{e}_n\times\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=\boldsymbol{e}_n\times(\boldsymbol{e}_t\times\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds})=\left(\boldsymbol{e}_n\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}\right)-(\boldsymbol{e}_n\cdot\boldsymbol{e}_t)\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\boldsymbol{0}</math>
外積が零ベクトルなので<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds} /\!\!/ \boldsymbol{e}_n</math>であり、一次従属より
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n</math>
となるスカラー関数<math>\tau(s)</math>が存在する。
この<math>\tau(s)</math>を曲線<math>C</math>の'''捩率'''と呼ぶ。捩率は接触平面の回転(捩れ)の率を表す。
<math>\tau=0</math>ならば<math>\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=0</math>より<math>\boldsymbol{e}_b</math>方向は変化しないので曲線は接触平面と平行な平面上に拘束される。即ち、<math>C</math>は平面曲線である。
単位主法線ベクトルに就いて
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\frac{d}{ds}(\boldsymbol{e}_b\times\boldsymbol{e}_t)=\frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}\times\boldsymbol{e}_t+\boldsymbol{e}_b\times\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}</math>
ここで<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\kappa\boldsymbol{e}_n, \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n</math>を代入して
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n\times\boldsymbol{e}_t+\boldsymbol{e}_b\times\kappa\boldsymbol{e}_n=\tau\boldsymbol{e}_b-\kappa\boldsymbol{e}_t</math>
よって、フレネ標搆の弧長パラメータを微分変数とする導関数を以下のようにフレネ標搆の一次結合で表すことができた。
:<math>\begin{cases} \frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}=\kappa\boldsymbol{e}_n \\ \frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds} = \tau\boldsymbol{e}_b-\kappa\boldsymbol{e}_t \\ \frac{d\boldsymbol{e}_b}{ds}=-\tau\boldsymbol{e}_n \end{cases}</math>
これを一次変換で表記すると以下のようになる。但し、厳密にはベクトルを成分としている部分は列ではなく行に配置するのが正しいことに注意。
{{定理|(フレネ=セレーの公式)}}
:<math>\frac{d}{ds}\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_t \\ \boldsymbol{e}_n \\ \boldsymbol{e}_b \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 & \kappa & 0 \\ -\kappa & 0 & \tau \\ 0 & -\tau & 0 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_t \\ \boldsymbol{e}_n \\ \boldsymbol{e}_b \end{pmatrix}</math>
{{定理終わり}}
表現行列が反対称行列(歪対称行列)になっているが、これは「直交変換を一次近似すると反対称変換になる」という無限小回転の理論に対応する。
捩率を求めるときは「基底分解の係数は対応する基底ベクトルとの内積に等しい」という性質を利用すれば<math>\boldsymbol{e}_b\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\tau</math>となるので左辺を計算すればよい。
例えば、円<math>\begin{cases} x^2+y^2=a^2 \\ z=b \end{cases}</math>の曲率と捩率は以下のように求まる。
:媒介変数表示して<math>\boldsymbol{r}(t)=\begin{pmatrix} a\cos t \\ a\sin t \\ b \end{pmatrix}</math>
:接線ベクトルは<math>\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}=\begin{pmatrix} -a\sin t \\ a\cos t \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:弧長パラメータ<math>s</math>は<math>s=\int^t_0 \left\|\frac{d\boldsymbol{r}(t)}{dt}\right\|dt = \int_0^t a dt = at</math>
:<math>\therefore t=\frac{s}{a}</math>
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\begin{pmatrix} a\cos\frac{s}{a} \\ a\sin\frac{s}{a} \\ b \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{t}=\frac{d\boldsymbol{r}(s)}{ds}=\begin{pmatrix} -\sin\frac{s}{a} \\ \cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{n}=\frac{d\boldsymbol{t}(s)}{ds}=\frac{1}{a}\begin{pmatrix} -\cos\frac{s}{a} \\ -\sin\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\kappa=\|\boldsymbol{n}\|=\frac{1}{a}</math>
:<math>\boldsymbol{b}=\boldsymbol{t}\times\boldsymbol{n} = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ \frac{1}{a} \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_n=\begin{pmatrix} -\cos\frac{s}{a} \\ -\sin\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=\frac{1}{a}\begin{pmatrix} \sin\frac{s}{a} \\ -\cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_b = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}</math>
:<math>\tau = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}\cdot\frac{1}{a}\begin{pmatrix} \sin\frac{s}{a} \\ -\cos\frac{s}{a} \\ 0 \end{pmatrix}=0</math>//
フレネ・セレーの公式は[[線型代数学続論/行列値関数|行列関数]]に関する一階常微分方程式である。そのため、微分方程式の基本定理(ピカール=リンデレーエフの定理)により初期条件(<math>s=0</math>に於けるフレネ標搆)を与えれば、滑らかな曲率関数・捩率関数の組<math>(\kappa, \tau)</math>を定めることで微分方程式の解として一般の<math>s</math>に対するフレネ標搆を一意に得る。このとき、曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>は接ベクトルを出発点を選んで積分することで決定される。
従って、次の定理が成り立つ<!-- 厳密証明はhttps://sshmathgeom.private.coocan.jp/diffgeom/curvetheorem.htmlを参照 -->。
{{定理|(曲線の基本定理)}}
開区間<math>(a,b)</math>上の実数<math>s</math>を変数とする2つの滑らかな関数<math>\kappa(s),\tau(s)</math>を与える。但し、<math>\kappa(s)</math>は正とする。<br/>
このとき、<math>\kappa(s)</math>を曲率、<math>\tau(s)</math>を捩率、<math>s</math>を弧長パラメータとする三次元空間上の曲線<math>C</math>が剛体運動を除いて一意に定まる。
{{定理終わり}}
剛体運動とは「曲線の形を変えない」運動のことである(平行移動・回転など)。
<math>\kappa(s), \tau(s)</math>の定める曲線族を一般に<math>\mathcal{C}[\kappa, \tau]</math>と書く。
例えば、円を含む螺旋は<math>c_1, c_2=\mathrm{const}.</math>として<math>\mathcal{C}[c_1, c_2]</math>と書ける。
<math>R=\frac{1}{\kappa}</math>を'''曲率半径'''という。曲率半径は曲線の特定のカーブにおける曲がり具合の急さを表す指標であり、カーブを近似する真円('''密着円''')の半径でもある。高速道路の標識で<math>R=\circ\circ \mathrm{m}</math>は、そのカーブの曲率半径を示している。道路設計では、快適なドライブの為曲率半径がなるべく大きくなるように工夫を凝らしている。
ここで<math>\boldsymbol{r}(s)</math>の中心<math>s_0</math>に於けるテイラー展開は
:<math>\boldsymbol{r}(s)=\sum_{i=0}^\infty \frac{(s-s_0)^i}{i!} \frac{d^i}{ds^i}\boldsymbol{r}(s_0) </math>(再掲)
だったが、二次近似式(三次以降を切り捨てた式)を考えると
:<math>\boldsymbol{r}(s) \fallingdotseq \boldsymbol{r}(s_0)+\frac{d\boldsymbol{r}(s_0)}{ds}(s-s_0) + \frac{1}{2}\frac{d^2\boldsymbol{r}(s_0)}{ds^2}(s-s_0)^2 </math>
フレネ標搆を用いて書き直すと
:<math>\boldsymbol{r}(s) \fallingdotseq \boldsymbol{r}(s_0)+\boldsymbol{e}_t(s-s_0) + \frac{1}{2}\kappa(s_0)\boldsymbol{e}_n(s-s_0)^2 </math>
二次近似とは「曲線を円弧で近似する」ことだったので曲率<math>\kappa(s_0)</math>が近似に用いる円弧と関係ある量であることが予想される。<br/>
接触平面で密着円<math> \| \boldsymbol{r} - (\boldsymbol{r}(s_0)+R\boldsymbol{e}_n) \| = R </math>を考える。接触平面を<math>xy</math>平面と考えると円の方程式は
:<math>x^2+(y-R)^2=R^2</math>
:<math>y=R-\sqrt{R^2-x^2}</math>
テイラー展開して
:<math>y=\frac{x^2}{2R}+O(x^4)</math>
二次の項を比較すると
:<math>\frac{x^2}{2R}=\frac{(s-s_0)^2}{2}\kappa</math>
よって
:<math>R=\frac{1}{\kappa}</math>
と定義するのは妥当である。
なお、先ほど求めた円の曲率から、真円に関して「曲率半径=半径」であることが判る。
フレネ・セレーの公式で最初の二行二列のみを考えると<math>\mathbb{R}^2</math>内の曲線に対するフレネ・セレーの公式を得る。一般に<math>\mathbb{R}^n</math>上の曲線に対し、今回の議論と同様にして接ベクトル・主法線ベクトル・曲率を定義することができる。但し、三次元空間と異なって同じ曲率に対して異なる曲線を与えることができる(主法線ベクトルが接触平面内で接ベクトルに対して左右どちらを向くかがそのままでは定まらないため)。なお、4次元以上であっても平面拘束曲線ならば捩率は0であって従法線ベクトルは零ベクトルに定まる。
===単純閉曲線===
パラメータ区間を<math>I=[a, b]</math>とする。
このとき、曲線の端点はそれぞれ<math>\mathrm{P}(a), \mathrm{P}(b)</math>である。
端点が一致する、つまり<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P}(b)</math>である連続曲線を'''閉曲線'''という。
自己交叉しない、つまり<math>\forall t_1, t_2 \in (a, b), t_1 \neq t_2 \iff \mathrm{P}(t_1)\neq\mathrm{P}(t_2)</math>となる閉曲線を'''単純閉曲線'''(ジョルダン曲線)という。閉曲線でない曲線に就いて「自己交叉しない」という条件は「曲線を表すベクトル関数が単射」と同値であるので、端点のみ単射性を外してやれば単純閉曲線の定義を得る。
幾何学的直観から、平面に拘束された単純閉曲線はその平面を単純閉曲線で囲まれた'''内部'''とそうでない'''外部'''の二つの領域に分割することが予想できる。
このことは以下の定理によって保証される。
{{定理|(ジョルダンの曲線定理)}}
平面<math>\Pi\subset\mathbb{R}^n</math>内の任意の単純閉曲線<math>\gamma</math>に対し、有界領域<math>I</math>・非有界領域<math>O</math>の組であって<math>\Pi\setminus\gamma=I \sqcup O</math>且つ<math>\partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>であるものが唯一つに定まる。
{{定理終わり}}
この<math>I, O</math>をそれぞれ内部・外部と定義する。証明は[[位相幾何学]]で行う。なお、「<math>\partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>」を態々明示しているのは、滑らかでない単純閉曲線に対しては「<math>\Pi\setminus\gamma=I \sqcup O \implies \partial{I}=\partial{O}=\gamma</math>」が自明でないためである。
正則単純閉曲線に対して「曲線の向き」の幾何学的意味を考える。
ジョルダンの曲線定理より単純閉曲線<math>\gamma:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s) \quad(\boldsymbol{r}\in \Pi)</math>は平面<math>\Pi</math>を内部<math>I</math>と外部<math>O</math>に分割する。平面拘束曲線なので<math>\forall{s}, \tau(s)=0</math>であり、従法線ベクトルは零ベクトル且つ接触平面が常に<math>\Pi</math>に一致する。
主法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(s)</math>が接ベクトル<math>\boldsymbol{t}(s)</math>に対して左側を向いているとすると、<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0) \quad(\varepsilon>0)</math>が点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける<math>\gamma</math>の進行方向左側にある点である。
ここで、<math>\mathrm{P}(s_0)</math>に於ける<math>\varepsilon</math>-開球<math>B_\varepsilon(s_0)</math>を考えると、平面<math>\Pi</math>上では<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0)</math>が左側の領域、<math>\boldsymbol{r}(s_0)+\varepsilon\boldsymbol{n}(s_0)</math>が右側の領域に入る。
<math>s=s_0</math>を動かすと各点で進行方向左は<math>I, O</math>のいずれかであり、<math>\gamma</math>の正則性と<math>I, O</math>の連結性から「<math>I, O</math>のどちらが左側であるかは曲線全体で変わらない」ことが言える。
ここで円の場合を考える。<math>\Pi</math>に直交座標<math>u, v</math>を入れると向心加速度の議論から「加速度ベクトル=主法線ベクトルは円の中心を向く」ので、「円の正の向きは円の内部を左手に見る進行方向」である。
任意の正則単純閉曲線<math>\gamma</math>に対して自己交叉を起こさないまま円へ連続変形する可逆写像が存在し、その変形に於いて「左側」と「<math>I, O</math>」の対応は変化しない。則ち、円で確認された「正の向きは囲まれた内部を左手に見る向き」は任意の正則単純閉曲線で成り立つ。
つまり、単純閉曲線の正の向きは点を動かしたときに'''自身の囲む領域の内部を左手に見る向き'''である。負の向きは左手に外部を見る向きである。
集合<math>A</math>に含まれる任意の2点に対してそれらを端点とする滑らかな曲線<math>C</math>をとれるとき、<math>A</math>は'''弧状連結'''であるという。
弧状連結集合<math>S</math>内の任意の閉曲線<math>\gamma</math>に対して1点に退化するような連続変形が可能なとき、<math>S</math>は'''単連結'''であるという。単連結でない集合は'''多重連結'''であるという。
平面<math>\Pi\subset\mathbb{R}^n</math>に含まれる単連結集合<math>S</math>に対し、<math>\hat{\Pi}:=\Pi\cup\{\infty\}</math>とすると集合<math>\hat{\Pi}\setminus{S}</math>は連結である。逆も成り立つ。
なお、「<math>A</math>が連結集合である」ことは「補集合<math>\overline{A}</math>が非連結集合である」ことを意味しない。そのため「単連結な連結集合」も考えられ、特に「単連結な領域」はこの先頻繁に登場する。
集合<math>A</math>に含まれる任意の2点を結んだ線分が<math>A</math>に包含されるとき、<math>A</math>は'''凸型'''であるという。凸型集合でない集合は'''凹型'''であるという。
集合<math>A</math>内の1点を固定してそこから<math>A</math>内任意点へ引いた線分が<math>A</math>に包含されるとき、<math>A</math>は'''星状'''(星型)であるという。このとき固定した点を'''星の中心'''という。凸型集合は全て星状集合である。
単純閉曲線<math>\gamma</math>を境界とする内部<math>I</math>に関して<math>I\cup\gamma</math>が凸型集合であるとき、<math>\gamma</math>を'''卵形線'''(凸単純閉曲線・オーヴァル)という。
曲線<math>C</math>の曲率関数<math>\kappa(s)</math>が<math>C^3</math>級であるとき、<math>\kappa'(s_0)=0</math>を満たす点<math>\mathrm{P}(s_0)</math>を<math>C</math>の'''頂点'''という。
例えば、標準楕円<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}=1</math>の頂点は4点<math>(\pm{a},0),(0,\pm{b})</math>である。このことは、<math>\mathbb{R}^2</math>上曲線<math>C:\boldsymbol{r}=x(t)\boldsymbol{e}_x(t)+y(t)\boldsymbol{e}_y(t)</math>に対する曲率の公式<math>\kappa(t)=\frac{\left|\frac{dx}{dt}\frac{d^2y}{dt^2}-\frac{dy}{dt}\frac{d^2x}{dt^2}\right|}{\left\{\left(\frac{dx}{dt}\right)^2+\left(\frac{dy}{dt}\right)^2\right\}^\frac{3}{2}}</math>と<math>\frac{ds}{dt}>0</math>を用いて確かめられる。
実は、この事実は楕円に限らないことが以下の定理で示される。
{{定理|(ムコパディヤーヤの定理・四頂点定理)}}
<math>\mathbb{R}^2</math>上の滑らかな卵形線は少なくとも4つの頂点を持つ。
{{定理終わり}}
*証明
:滑らかな卵形線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)\quad(s\in[a, b])</math>に対して曲率関数<math>\kappa(s)</math>は滑らかであり、<math>\kappa\in C^3</math>を満たす。
:卵形線は単純閉曲線なので<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P(b)}</math>であり、<math>\kappa(a)=\kappa(b)</math>。
:曲率関数が定数関数のときは<math>\kappa\in C^\infty</math>且つ常に<math>\kappa'(s)=0</math>なので曲線を構成するすべての点が頂点であり、明らかに定理を満たす。
:曲率関数が定数関数でないとする。
:ワイエルシュトラスの極値定理より<math>\kappa(s)</math>は<math>s\in[a, b]</math>のどこかで最大値・最小値をとり、その点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす。
:従って少なくとも2つの頂点を持つ。
:ここで、頂点がこの2つのみと仮定する。
:曲率が最大値・最小値をとる点をそれぞれ<math>\mathrm{M, N}</math>と置く。
:線分<math>\mathrm{MN}</math>を含む直線を<math>x</math>軸とし、その垂直方向に<math>y</math>軸をとる。
:<math>s</math>が増加すると曲線上の点が<math>\mathrm{N}\to\mathrm{M}</math>のように動くとき、
:<math>\kappa(s)</math>は最小値から最大値に向かって増大し、他に頂点がないので狭義単調増加である。
:同様に、<math>\mathrm{M}\to\mathrm{N}</math>の向きでは<math>\kappa(s)</math>は狭義単調減少である。
:従って、<math>\kappa'(s)y(s)\neq0</math>の正の側だけ考えれば良い。
:<math>y(a)=y(b)=0</math>に注意すると部分積分して
:<math>0<\int_a^b \kappa'(s)y(s)ds=-\int_a^b \kappa(s)y'(s)ds</math>
:主法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(s)= \begin{pmatrix} \xi_1(s) \\ \xi_2(s) \end{pmatrix}</math>を考えると二次元版フレネ=セレーの公式から<math>\frac{d\boldsymbol{n}}{ds}=-\kappa\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}</math>なので
:<math>\xi'_2(s)=-\kappa(s)y'(s)</math>
:よって
:<math>-\int_a^b \kappa(s)y'(s)ds=\int_a^b \xi_2(s)ds = \left[\xi_2(s)\right]_a^b=0</math>
:なので矛盾した不等式<math>0<0</math>を得る。
:則ち、<math>\mathrm{M, N}</math>と異なる点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が少なくとも一つ存在する。
:そのような点を<math>\mathrm{L}</math>と置く。
:<math>\mathrm{L}</math>が<math>\mathrm{N}\to\mathrm{M}</math>という経路の途中にあるとする。
:このとき、<math>\mathrm{L}</math>以外に<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が存在すると「<math>\mathrm{M}\to\mathrm{N}</math>という経路の途中にそのような点が無い」という最初の仮定に反するので
:<math>\mathrm{M, N, L}</math>以外では<math>\kappa'(s)y(s)>0</math>である。
:同様に部分積分を行うことで矛盾した不等式を得、<math>\mathrm{M, N, L}</math>と異なる点で<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が少なくとも一つ存在することが判る。
:この時点で「<math>\mathrm{M, N}</math>間の二つの経路のいずれにも<math>\kappa'(s)=0</math>を満たす点が存在しない」という仮定が否定されたのでこれ以上背理法を適用することはできない。
:よって、頂点個数の最小値は<math>4</math>である。//
最小値4をとる卵形線が実際に存在することは楕円の例で確かめた。
この定理は「卵形線」を「(正則)単純閉曲線」に取り換えてもそのまま成り立つことが知られている。一般の閉曲線でこの定理を成り立たせるには追加の条件が必要となる。
先程も述べたように、接ベクトルと単位主法線ベクトルは2次元以上の空間内部にある曲線ならば定義することができる。そして、<math>\boldsymbol{t}\cdot\boldsymbol{n}=0</math>も必ず成り立つ。よって、<math>\boldsymbol{e}_t\cdot\boldsymbol{e}_n=0</math>の両辺を<math>s</math>で微分して
:<math>\frac{d\boldsymbol{e}_t}{ds}\cdot\boldsymbol{e}_n+\boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=0</math>
:<math>\therefore \boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\boldsymbol{n}\cdot\boldsymbol{e}_n=-\kappa</math>
ここで「基底分解に於ける成分はその基底との内積に等しい」という性質から、<br/>
一般次元に於いても「<math>\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}</math>の接線方向成分は<math>-\kappa(s)</math>」であることが判る。
ここで<math>C^2</math>級曲線の位置ベクトル<math>\boldsymbol{r}(s)</math>に対して単位主法線<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>を対応させることを考える。この対応を'''ガウス表示'''という。
<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>を二次までテイラー展開すると<math>\Delta s>0</math>を微小量として
:<math>\boldsymbol{e}_n(s+\Delta s)=\boldsymbol{e}_n(s)+\frac{d\boldsymbol{e}_n(s)}{ds}\Delta s + O(\Delta s^2)</math>
ここで<math>\boldsymbol{e}_t\cdot\frac{d\boldsymbol{e}_n}{ds}=-\kappa</math>より、<math>s</math>を<math>\Delta s</math>だけ動かしたときの接線方向の速さは<math>|\kappa(s)|\Delta s</math>である(<math>\kappa(s)</math>が正で正の向き、負で負の向きに動くとする)。
閉曲線に対してはガウス表示によって法線方向の変化を完全に捉えられるので、<math>\kappa(s)</math>を微小量<math>\Delta s</math>に関して積分した<math>\int_a^b \kappa(s)ds</math>を考えてみる。
ガウス表示では曲線を単位主法線ベクトルの描く単位円として考えることができる。閉曲線では<math>\mathrm{P}(a)=\mathrm{P}(b)</math>より明らかに<math>\boldsymbol{e}_n(a)=\boldsymbol{e}_n(b)</math>であり、閉曲線が一周する間にベクトル<math>\boldsymbol{e}_n(s)</math>はこの単位円を<math>m(\in\mathbb{Z})</math>周する<sup>※</sup>。
<small>※物理的には「円そのものが動いても円周上の質点は『この円をどっちの方向に何周したか』という情報しか持たない」ので、単位円が動くことは議論にあまり関係ない</small>
弧度法より単位円を<math>m</math>周する符号付き道のりは<math>2\pi{m}</math>であり、ガウス表示より<math>\int_a^b \kappa(s)ds=2\pi{m}</math>。
従って、<math>m=\frac{1}{2\pi}\int_a^b \kappa(s)ds</math>
この<math>m</math>を閉曲線の'''回転数'''と呼ぶことにする。
曲率が負の場合には積分値が途中で相殺されてしまうので、絶対値を付けて積分した
:<math>\mu:=\int_a^b |\kappa(s)|ds</math>
という量を考えることにする。
これを閉曲線の'''全曲率'''と呼ぶ。
全曲率に対して以下の定理が成り立つ。
{{定理|(フェンヒェルの定理)}}
滑らかな閉曲線の全曲率は<math>\mu\geq2\pi</math>を満たす。等号成立の場合は卵形線である。
{{定理終わり}}
証明は省略する。
===曲面===
多変数解析で既に扱った、三次元空間に於ける曲面の陽関数表示<math>z=f(x, y)</math>を'''モンジュ表示'''という。<math>f(x, y, z)=\mathrm{const}.</math>と陰関数表示された曲面は陰関数定理が成り立つ範囲でモンジュ表示に直すことができる。
一次式で陰関数表示される曲面を'''一次曲面'''という。平面の方程式より、一次曲面は全て平面である。
二次式で陰関数表示される曲面を'''二次曲面'''という。
以下、三次元空間に於ける二次曲面の例を挙げる。各係数は非退化条件を満たすとする。なお、「直線に平行な平面」は「直線を法線とする平面に垂直な平面」を意味することに注意。
*'''球面'''(sphere)
:高校数学で扱ったように、点<math>(a, b, c)</math>を中心とする半径<math>r</math>の球面の方程式は<math>(x-a)^2+(y-b)^2+(z-c)^2=r^2</math>である。この球面上の点の位置ベクトルは<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>なので、球面が満たすベクトル方程式は一般に<math>\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{a}\|=\mathrm{const}.</math>である。これは円のベクトル方程式の次元を上げたものである。
*'''楕円面'''(ellipsoid)
:楕円の方程式を拡張した方程式<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}+\frac{z^2}{c^2}=1</math>が表す曲面である。<math>xyz</math>空間の基本面で切った断面は全て楕円となる。
*'''楕円拋物面'''(elliptic paraboloid)
:楕円の平面拘束条件を外した方程式<math>z=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>が表す曲面である。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は楕円、平行な平面で切った断面は拋物線となる。
*'''双曲拋物面'''(hyperbolic paraboloid)
:双曲線の平面拘束条件を外した方程式<math>z=\frac{x^2}{a^2}-\frac{y^2}{b^2}</math>が表す曲面である。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は双曲線、平行な平面で切った断面は拋物線となる。また、原点は鞍点である。
*'''一葉双曲面'''(hyperboloid of one sheet)
:楕円面の方程式の一つの項の符号を変えた<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}-\frac{z^2}{c^2}=1</math>の表す曲面。<math>z</math>軸に垂直な平面で切った断面は楕円、平行な平面で切った断面は双曲線となる。
*'''二葉双曲面'''(hyperboloid of two sheet)
:楕円面の方程式の二つの項の符号を変えた<math>\frac{x^2}{a^2}-\frac{y^2}{b^2}-\frac{z^2}{c^2}=1</math>の表す曲面。断面の分類は一葉双曲面と同じだが、<math>m^2<c^2</math>のときは平面<math>z=m</math>と交わらないため「二葉」と名付けられている。
*'''錐面'''(conical surface)
:方程式<math>\frac{z^2}{c^2}=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>の表す曲面。<math>xy</math>平面との交点は原点のみであり、<math>yz</math>平面・<math>zx</math>平面で切った断面は直線である。
閉区間<math>I\subset\mathbb{R}</math>上の一変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}(t)</math>を用いたベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t) \quad(t\in I)</math>の解集合は次元に依らず曲線を表した。
同様に、領域<sup>※</sup><math>D\subset\mathbb{R}^2</math>上の二変数ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}(t, u)</math>を用いたベクトル方程式<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u) \quad({\scriptstyle\left(\begin{array}{c} t \\[-6pt] u \end{array}\right)}\in D)</math>の解集合は次元に依らず曲面を表すと考えられる。
厳密には[[線型代数学/基底と次元|階数・退化次数の定理]]<!-- 次元定理・線型写像の基本定理 -->などを用いてこのことを確かめられる。
<small>※ここでいう「領域」は冒頭で厳密に定義した「領域」であることに注意。</small>
曲線と同様に、曲面の'''パラメータ表示'''と'''ベクトル表示'''は次のように定義される。
:パラメータ表示:<math>\begin{cases} x_1&=&r_1(t, u) \\ x_2&=&r_2(t, u) \\ &\,\,\vdots& \\ x_n&=&r_n(t, u) \end{cases}</math>
:ベクトル表示:<math>\left\{\boldsymbol{r}(t, u) \,\bigg|\, {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} t \\[-6pt] u \end{array}\right)} \in D \right\}</math>
また、<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>のようにも表す。
例えば、<math>k>l>0</math>として<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} (k+l\cos u)\cos t \\ (k+l\cos u)\sin t \\ l\sin u \end{pmatrix} \quad(D=\left\{ \begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix} \bigg| \begin{array}{c} 0 \leq t \leq 2\pi \\ 0 \leq u \leq 2\pi \end{array} \right\})</math>は'''トーラス'''のベクトル表示である。
<math>\mathbb{R}^3</math>上の平面の方程式は高校数学に於いて<math>\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}\neq\boldsymbol{0}</math>として一次式<math>ax+by+cz+d=0</math>と表せることを学んだ。
これのベクトル方程式を求めてみよう。
:①<math>c=0</math>のとき
::平面の方程式は<math>\begin{cases} ax+by+d=0 \\ z=\mathrm{const}. \end{cases}</math>
::[1]<math>b=0</math>のとき
:::平面の方程式は<math>\begin{cases} ax+d=0 \\ y=\mathrm{const}. \\ z=\mathrm{const}. \end{cases}</math>
:::<math>\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}\neq\boldsymbol{0}</math>より<math>a\neq0</math>
:::<math>y=t, z=u</math>と置換すると
:::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} -\frac{d}{a} \\ t \\ u \end{pmatrix}</math>
:::<math>\boldsymbol{r} = t\begin{pmatrix} 0 \\ 1 \\ 0 \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}+\begin{pmatrix} -\frac{d}{a} \\ 0 \\ 0 \end{pmatrix}</math>
::[2]<math>b\neq0</math>のとき
:::<math>x=t, z=u</math>と置換すると
:::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} t \\ -\frac{a}{b}t-\frac{d}{b} \\ u \end{pmatrix}</math>
:::<math>\boldsymbol{r} = t\begin{pmatrix} 1 \\ -\frac{a}{b} \\ 0 \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}+\begin{pmatrix} 0 \\ -\frac{d}{b} \\ 0 \end{pmatrix}</math>
:②<math>c\neq0</math>のとき
::<math>x=t, y=u</math>と置換すると
::<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} t \\ u \\ -\frac{a}{c}t-\frac{b}{c}u-\frac{d}{c} \end{pmatrix}</math>
::<math>\boldsymbol{r}=t\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \\ -\frac{a}{c} \end{pmatrix}+u\begin{pmatrix} 0 \\ 1 \\ -\frac{b}{c} \end{pmatrix} + \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ -\frac{d}{c} \end{pmatrix}</math>
なお、ここから平面のベクトル方程式が一般に<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{a}+t\boldsymbol{b}+u\boldsymbol{c}</math>という「直線のベクトル方程式を拡張した形」であることがわかる。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)\in C^1</math>且つ<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\neq\boldsymbol{0}</math>である曲面を'''滑らか'''な曲面という。
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>とその上の点<math>\mathrm{P}_0=(a, b)</math>に対し、曲線<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(a, u), \boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, b)</math>をそれぞれ点<math>\mathrm{P}_0</math>に於ける'''<math>t</math>曲線'''・'''<math>u</math>曲線'''という。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)\in C^1</math>であるとき、偏導関数の定義から
:<math>\frac{\partial}{\partial{u}}\boldsymbol{r}(a, u)=\frac{d}{du}\boldsymbol{r}(a, u)</math>
:<math>\frac{\partial}{\partial{t}}\boldsymbol{r}(t, b)=\frac{d}{dt}\boldsymbol{r}(t, b)</math>
ここで<math>a, b</math>をそれぞれ<math>t</math>軸・<math>u</math>軸上で動かすことで<math>t</math>曲線・<math>u</math>曲線の接ベクトルがそれぞれ<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}</math>であると判る。これらを曲面のパラメータ方向の'''接ベクトル'''という。
これらの接ベクトルが平行でないとき、曲面<math>S</math>上の任意の点<math>\mathrm{P}</math>に対して<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>の張る平面が定まる。これを曲面<math>S</math>の点<math>\mathrm{P}</math>に於ける'''接平面'''という。曲線の接線は一次元ベクトル空間<math>\left\{ \xi\frac{d\boldsymbol{r}}{dt} \bigg| \xi \in\mathbb{R} \right\}</math>で表されたが、曲面の接平面は二次元ベクトル空間<math>\left\{ \xi\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}+\eta\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \bigg| \xi, \eta \in \mathbb{R} \right\}</math>で表される。このような接ベクトル全体が張るベクトル空間を一般に'''接空間'''と呼ぶ。
接ベクトルの組が一次独立である曲面を'''正則'''な曲面という。滑らかな曲面は正則曲面である。
曲面<math>S</math>の接平面に垂直なベクトルを<math>S</math>の'''法線ベクトル'''という。
三次元空間ならば接平面を張る2ベクトルの外積<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \times \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>で求められる。
モンジュ表示された曲面<math>S:z=f(x, y)</math>に対して接平面の存在性(つまり曲面の正則性)は「二変数関数<math>f</math>の全微分可能」に対応した。ベクトル表示された曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>に対しては「ベクトル関数<math>\boldsymbol{r}</math>の全微分可能性」だけでは足りず、「ヤコビ行列<math>\frac{\partial{(\boldsymbol{r})}}{\partial{(t, u)}}</math>の階数が2」も要求される。
以下、正則曲面のみ扱う。
<math>\boldsymbol{r}(t, u)</math>の微小変化は全微分で与えられる。
:<math>d\boldsymbol{r}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
則ち、各パラメータを同時に<math>\begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix}\to\begin{pmatrix} t+dt \\ u+du \end{pmatrix}</math>と単調に動かしたとき、対応する曲面上の点が描く領域は2ベクトル<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt, \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>の張る微小平行四辺形として近似できる。その微小面積は線型代数の内容から
:<math>\sqrt{ \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt \right\|^2 \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du \right\|^2 - \left\{ \left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du\right) \right\}^2 }=\sqrt{\left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \right\|^2\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2 - \left( \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \right)^2 } dtdu</math>
である。
これを領域<math>D=\mathrm{dom}\,S</math>で重積分してやれば曲面の表面積('''曲面積''')が求まると考えられる。
{{定理|(曲面積)}}
<math>E := \left\| \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \right\|^2,\quad F := \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}},\quad G := \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2</math>とすると、<br>
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>の領域<math>D</math>に於ける曲面積は
:<math>S=\iint_D \sqrt{EG-F^2}dtdu</math>
{{定理終わり}}
この<math>E, F, G</math>を<math>S</math>の'''第一基本量'''と呼ぶ。また、<math>dS:=\sqrt{EG-F^2}dtdu</math>を'''面素'''(面積素・面積要素)と呼ぶ。
<math>t, u</math>が共通のパラメータ<math>\theta</math>で媒介変数表示されるとき、曲面は曲線に退化するので線素を考えられる。
具体的には、
:<math>dl=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\right\|d\theta</math>
より
:<math>\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\right\|^2=\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}</math>
ここで合成関数の常微分公式より
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{d\theta}+ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{d\theta}</math>
なので
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{d\theta}=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\right\|^2\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2\left(\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}\cdot\frac{d\boldsymbol{r}}{du}\right)\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{du}\right\|^2\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2</math>
:<math>=E\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2F\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+G\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2</math>
よって
:<math>dl=\sqrt{E\left(\frac{dt}{d\theta}\right)^2+2F\frac{dt}{d\theta}\frac{du}{d\theta}+G\left(\frac{du}{d\theta}\right)^2}d\theta=\sqrt{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>
このように、線素は<math>\theta</math>のとり方に依存しない。
そこで、最後の式で右辺を二乗した
:<math>I:=E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2</math>
を<math>S</math>の'''第一基本形式'''と定める。
第一基本形式は二次形式になっていることが見て取れるので、<math>\boldsymbol{v}:=\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}, \mathbf{K}:=\begin{pmatrix} E & F \\ F & G \end{pmatrix}</math>とおくと
:<math>I={}^t\!\boldsymbol{v} \mathbf{K} \boldsymbol{v}</math>
と行列表示できる。この<math>\mathbf{K}</math>を'''第一基本行列'''という。
ここで<math>I=dl^2>0</math>なので<math>\mathbf{K}</math>は正定値行列である。
また、<math>\boldsymbol{x}_i=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \boldsymbol{x}_j=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>と置いて第一基本量の定義を思い返してみると<math>\mathbf{K}_{ij}=\boldsymbol{x}_i \cdot \boldsymbol{x}_j</math>なのでこの行列は接ベクトルに関するグラム行列である。この意味でも、<math>\mathbf{K}</math>は正定値行列である。
また、面素の式で根号の中身が<math>\det\mathbf{K}</math>に等しいことも判る。
則ち、第一基本量が曲面の本質であると予想される。
<math>F=0 \land E=G=\lambda</math>であるとき、<math>\mathbf{K}=\lambda\mathbf{E}_2</math>である。このときのパラメータの組<math>(u, v)</math>を曲面の'''等温座標系'''という。
等温座標系で表示された曲面<math>S</math>に対し、第一基本形式は<math>I=\lambda(dt^2+du^2)</math>と二次形式の標準形となっている。則ち、等温座標系へのパラメータ変換は主軸変換である。
面素を考えると<math>dS=\lambda^2dtdu</math>と非常に単純な形となるほか、曲面上の角度計算が平面の場合と全く同じ式で与えられることも等温座標系の利点である。
曲面<math>S</math>上の各点<math>\mathrm{P}</math>に対して単位法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>を考える。ベクトル表示の定義域<math>D</math>でベクトル場<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>が連続であるとき、<math>S</math>は'''向き付け可能'''であるという。
向き付け不能な曲面の例として<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} (u\cos t+2)\sin 2t \\ (u\cos t+2)\cos 2t \\ u\sin t \end{pmatrix} \quad(D=\left\{ \begin{pmatrix} t \\ u \end{pmatrix} \bigg| \begin{array}{c} 0 \leq t \leq \pi \\ -1 \leq u \leq 1 \end{array} \right\})</math>と表される'''メビウスの帯'''が挙げられる。
メビウスの帯が向き付け不能である証明を概説する。
:接ベクトルをそれぞれ求める。簡単のため<math>u=0</math>として考える。単位法線ベクトルは外積を正規化して得るが、向きの取り方で正負の符号が付く。どちらの符号を採用するにしろ<math>\boldsymbol{n}(\boldsymbol{r}(0, 0))\neq\boldsymbol{n}(\boldsymbol{r}(\pi, 0))</math>を得、<math>\boldsymbol{r}(0, 0)=\boldsymbol{r}(\pi, 0)</math>より同じ点に対して異なる法線ベクトルを出力するので<math>\boldsymbol{n}(\mathrm{P})</math>はwell-definedではなく、向き付け可能性の定義を満たさない。//
四次元以上の空間では法線ベクトルの方向を複数とれるため法線ベクトル場は扱いにくい。そこで、法線ベクトルに依らない定義を考えたい。
2つの滑らかな曲面<math>S_1, S_2</math>が以下を満たすとき、
#パラメータ<math>(t_1, u_1), (t_2, u_2)</math>の間に滑らかな全単射<math>\begin{cases}t_2 =\phi(t_1, u_1) \\ u_2=\psi(t_1, u_1) \end{cases}</math>が存在する。
#この変数変換のヤコビ行列<math>\frac{\partial{(\phi, \psi)}}{\partial{(t_1, u_1)}}</math>が正則。
#<math>\boldsymbol{r}_1(t_1, u_1)=\boldsymbol{r}_2(t_2, u_2)</math>
この2つは'''パラメータ変換で同値'''という。
このとき、ヤコビアンが正であるパラメータの組は'''同じ向き'''、負であるパラメータの組は'''逆向き'''であるという。
任意の<math>(t_1, u_1)</math>に対して開近傍<math>U \subset \mathrm{dom}\,S_1</math>をとったとき、どの<math>U</math>上でも<math>\det\frac{\partial{(\phi, \psi)}}{\partial{(t_1, u_1)}}>0</math>を満足するならば<math>S_1</math>は'''向き付け可能'''という。
向き付け可能な曲面の接空間に対して右手系を成すような向きの法線ベクトルを'''外向き法線ベクトル'''と呼ぶ。
外向き法線の向く側を曲面の'''表'''、その反対側を曲面の'''裏'''と定義する。
<math>\partial{S}=\varnothing</math>を満たす正則曲面<math>S</math>を'''閉曲面'''という。ジョルダンの曲線定理を拡張した定理('''ジョルダン・ブラウワーの分離定理''')によって閉曲面が空間を内部・外部に分割することが保証される。内部に面する向きを閉曲面の裏、外部に面する向きを閉曲面の表と定義する。
パラメータ空間の座標軸の向きの組み合わせが<math>xy</math>平面と同じとき、外向き法線で定義される閉曲面の表裏は内部・外部から定義される表裏に一致する。
===回転面===
ここでは三次元空間内の曲面について考える。
高校数学で回転体を扱ったが、領域の回転体の表面である曲面は元の領域の疆界である単純閉曲線を軸に関して回転したものである。そこで、平面上の任意の曲線を回転すると曲面('''回転面''')を得ると考えられる。
簡単な場合として、<math>x\geq0</math>で定義された<math>zx</math>平面上の曲線<math>z=f(x)</math>を<math>y</math>軸に関して回転させた回転面を考える。
:任意の<math>k\in[0,\infty)</math>に関して曲線上の点は<math>\begin{pmatrix} x \\ z \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} k \\ f(k)\end{pmatrix}</math>と与えられる。
:領域<math>\left\{ {\scriptstyle\left(\begin{array}{c} x \\[-6pt] z \end{array}\right)} \big| x \leq k \right\}</math>を<math>y</math>軸に関して回転した回転体を平面<math>z=f(k)</math>で切った断面は半径<math>k</math>の閉円盤であり、疆界円周上の点を<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ f(k) \end{pmatrix}</math>とすると<math>k=\sqrt{x^2+y^2}</math>である。
:則ち回転体の疆界である回転面上の点<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>は方程式<math>z=f(\sqrt{x^2+y^2})</math>を満たし、逆にこの方程式を満たす<math>\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>は回転面上にある。
纏めると以下のようになる。
{{定理|(回転面の方程式)}}
<math>zx</math>平面上の曲線<math>z=f(x)\quad(x\geq0)</math>を<math>y</math>軸に関して回転させた回転面の方程式は
:<math>z=f(\sqrt{x^2+y^2})</math>
{{定理終わり}}
<math>z</math>軸・<math>x</math>軸に関する回転面の方程式は変数を輪環の順に入れ替えることで得られる。
回転面に対し、元の曲線を'''母線'''という。
母線が直線である回転面は'''円錐'''である。
:<math>z=mx+n\quad(m\neq0,x\geq0)</math>とすれば<math>y</math>軸に関して回転した曲面の方程式は
:<math>z=m\sqrt{x^2+y^2}+n</math>
:<math>z-n = m\sqrt{x^2+y^2}</math>
これを両辺二乗すると
:<math>(z-n)^2=m^2x^2+m^2y^2</math>
であり、錐面の方程式<math>\frac{z^2}{c^2}=\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}</math>を満たしていることがわかる。
回転軸が傾いている場合、<math>xyz</math>空間の回転行列<math>\mathbf{R}</math>を利用することで各軸に関する回転に帰着することもできるが、ここでは曲面のベクトル表示を扱ったのでベクトル方程式で回転を記述することを考えたい。
点<math>\mathrm{O}</math>から<math>\boldsymbol{r}</math>とそれに平行でない単位ベクトル<math>\boldsymbol{e}</math>が伸びており、そのなす角が<math>\theta</math>であるとする。<math>\boldsymbol{r}</math>の終点<math>\mathrm{P}</math>を含み<math>\boldsymbol{e}</math>を法線とする平面を<math>\Pi</math>、<math>\Pi</math>と直線<math>\{k\boldsymbol{e} \mid k>0\}</math>の交点を<math>\mathrm{N}</math>、<math>\mathrm{P}</math>を<math>\Pi</math>内で<math>\mathrm{N}</math>を中心として<math>\phi</math>回転した点を<math>\mathrm{Q}</math>、<math>\mathrm{NQ}</math>から<math>\mathrm{NP}</math>へ降ろした垂足を<math>\mathrm{R}</math>と置く。但し、回転角<math>\phi</math>の正の向きは<math>\boldsymbol{e}</math>を右螺子の進む向きとする方向に定める。
このとき、<math>\boldsymbol{r}</math>を<math>\boldsymbol{e}</math>に関して<math>\phi</math>だけ回転させたベクトル<math>\boldsymbol{r}'</math>は以下のように表される。
{{定理|(ロドリゲスの公式)}}
:<math>\boldsymbol{r}'=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\,\mathrm{versin}\,\phi\,\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
{{定理終わり}}
*証明
:<math>\boldsymbol{r}'=\overrightarrow{\mathrm{OQ}}=\overrightarrow{\mathrm{ON}}+\overrightarrow{\mathrm{NR}}+\overrightarrow{\mathrm{RQ}}</math>
:<math>\overrightarrow{\mathrm{ON}}</math>は<math>\boldsymbol{r}</math>の<math>\boldsymbol{e}</math>への正射影ベクトルなので
::<math>\overrightarrow{\mathrm{ON}}=\frac{\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e}}{\boldsymbol{e}\cdot\boldsymbol{e}}\boldsymbol{e}=(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}</math>
:<math>\triangle\mathrm{NQR}</math>を考えると<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NP}}\|</math>と<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NR}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|\cos\phi</math>及び<math>\overrightarrow{\mathrm{NR}}/\!\!/\overrightarrow{\mathrm{NP}}</math>より
::<math>\overrightarrow{\mathrm{NR}}=\overrightarrow{\mathrm{NP}}\cos\phi=(\overrightarrow{\mathrm{OP}}-\overrightarrow{\mathrm{ON}})\cos\phi=\{\boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}\}\cos\phi</math>
:<math>\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e}</math>は外積の定義から<math>\overrightarrow{\mathrm{NP}}</math>を<math>\Pi</math>上で<math>-\phi</math>方向に<math>\frac{\pi}{2}</math>だけ回転させたベクトルになるので、
:<math>\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e}/\!\!/\overrightarrow{\mathrm{RQ}}</math>と<math>\|\overrightarrow{\mathrm{RQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|\sin\phi</math>及び<math>\|\overrightarrow{\mathrm{NQ}}\|=\|\overrightarrow{\mathrm{NP}}\|</math>から
::<math>\overrightarrow{\mathrm{RQ}}=-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
:これらを足して
::<math>\boldsymbol{r}'=(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}+\{\boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\boldsymbol{e}\}\cos\phi-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
::<math>=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})(1-\cos\phi)\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>
::<math>=\boldsymbol{r}\cos\phi+(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{e})\,\mathrm{versin}\,\phi\,\boldsymbol{e}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})\sin\phi</math>//
この証明ではベクトルの平行移動を用いているのでアフィン空間を前提とするが、この式そのものはアフィン構造に依存してないので一般のベクトル空間で成り立つ。
また、回転後のベクトルは母線のパラメータ<math>t</math>に加えて回転角<math>\phi</math>もパラメータとして有するので、<math>\boldsymbol{r}'(t, \phi)</math>という二変数ベクトル関数となって曲面を表すことになる。則ち、「曲線を回転すれば曲面を得る」という直感は正しい。
ロドリゲスの公式の応用として、例えば円錐のベクトル方程式が<math>\frac{(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}}{\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|}=\mathrm{const}.</math>であることが導ける。
:円錐頂点の位置ベクトルを<math>\boldsymbol{p}</math>、軸ベクトルを<math>\boldsymbol{a}</math>、<math>\boldsymbol{a}</math>と角度<math>\alpha</math>をなす単位ベクトルを<math>\boldsymbol{v}</math>とする。このとき直線<math>\{k\boldsymbol{v}\mid k>0\}</math>が円錐の母線であり、母線と交わる向きである軸の法線ベクトルを<math>\boldsymbol{b}</math>とおく。
:ロドリゲスの公式より<math>\boldsymbol{v}</math>を<math>\boldsymbol{a}</math>の周りに<math>\theta</math>だけ回転させたベクトル<math>\boldsymbol{v}'</math>は
::<math>\boldsymbol{v}'=\boldsymbol{v}\cos\theta+(\boldsymbol{v}\cdot\boldsymbol{e}_a)\,\mathrm{versin}\,\theta\,\boldsymbol{e}_a-(\boldsymbol{v}\times\boldsymbol{e}_a)\sin\theta</math>
:ここで<math>\boldsymbol{v}</math>を<math>\boldsymbol{a}, \boldsymbol{b}</math>方向に基底分解すると
::<math>\boldsymbol{v}=\cos\alpha\,\boldsymbol{e}_a+\sin\alpha\,\boldsymbol{e}_b</math>
:なので、
::<math>\boldsymbol{v}'=\cos\alpha\boldsymbol{e}_a+\sin\alpha\{\boldsymbol{e}_b\cos\theta+(\boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b)\sin\theta\}</math>
:円錐上の点<math>\boldsymbol{r}</math>の位置ベクトルは頂点から母線方向に<math>\rho</math>だけ進むので
::<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{p}+\rho\boldsymbol{v}'</math>
:であり、
::<math>\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}=\rho\boldsymbol{v}'</math>
:ここで<math>\|\boldsymbol{v}'\|=\|\boldsymbol{v}\|=1</math>より
::<math>\rho=\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|</math>
:このベクトルと軸ベクトルの内積をとると
::<math>(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}=\rho\boldsymbol{v}'\cdot\boldsymbol{a}</math>
::<math>=\rho\{\cos\alpha(\boldsymbol{e}_a\cdot\boldsymbol{a})+\sin\alpha\cos\theta(\boldsymbol{e}_b\cdot\boldsymbol{a})+\sin\alpha\sin\theta(\boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b)\cdot\boldsymbol{a}\}</math>
:<math>\boldsymbol{e}_b, \boldsymbol{e}_a\times\boldsymbol{e}_b</math>とも<math>\boldsymbol{a}</math>に直交するので後ろの二項は消えて
::<math>(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}=\rho\cos\alpha(\boldsymbol{e}_a\cdot\boldsymbol{a})=\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|\|\boldsymbol{a}\|\cos\alpha</math>
:則ち
::<math>\frac{(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p})\cdot\boldsymbol{a}}{\|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}\|}=\|\boldsymbol{a}\|\cos\alpha=\mathrm{const}.</math>//
円錐が先に与えられている場合は「<math>\boldsymbol{r}-\boldsymbol{p}</math>が母線の方向ベクトルなのは図より自明」とできるが、ここでは「母線が先に与えられて回転によって円錐が構成される」という立場を採ったのでロドリゲスの公式が効くのである。
ロドリゲスの公式で微小回転<math>d\phi</math>の場合を考える。
正弦関数・余弦関数の部分を1項目までテイラー展開して<math>\cos(d\phi)=1+O(d\phi^2), \sin(d\phi)= d\phi+O(d\phi^3)</math>なので<math>\mathrm{versin}(d\phi)=O(d\phi^2)</math>であり、
:<math>\boldsymbol{r}' = \boldsymbol{r}-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})d\phi+O(d\phi^2)</math>
ここで<math>d\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}'-\boldsymbol{r}</math>なので
:<math>d\boldsymbol{r}=-(\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{e})d\phi+O(d\phi^2)</math>
則ち、ベクトル関数の全微分は微小回転で近似される。
オーダー記法の項を無視して<math>\boldsymbol{\omega}=\frac{d\phi}{dt}\boldsymbol{e}</math>と置くと
:<math>d\boldsymbol{r}=(d\phi\boldsymbol{e})\times\boldsymbol{r}</math>
これの両辺を<math>dt</math>で割って
:<math>\frac{d\boldsymbol{r}}{dt}=\boldsymbol{\omega}\times\boldsymbol{r}</math>
これは剛体の速度公式である。
ロドリゲスの公式の一次変換表記を考える。
<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}, \boldsymbol{r}'=\begin{pmatrix} r'_1 \\ r'_2 \\ r'_3 \end{pmatrix}, \boldsymbol{e}=\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix}</math>とすると、
:<math>\begin{pmatrix} r'_1 \\ r'_2 \\ r'_3 \end{pmatrix}=\cos\phi\begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}+(ar_1+br_2+cr_3)\mathrm{versin}\,\phi\begin{pmatrix} a \\ b \\ c \end{pmatrix} - \sin\phi \begin{pmatrix} cr_2-br_3 \\ ar_3-cr_1 \\ br_1-ar_2 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} (\cos\phi + a^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_1 + (ab\,\mathrm{versin}\,\phi -c\sin\phi) r_2 + (ca\,\mathrm{versin}\,\phi + b\sin\phi) r_3 \\ (ab\,\mathrm{versin}\,\phi + c\sin\phi) r_1 + (\cos\phi + b^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_2 + (bc\,\mathrm{versin}\,\phi -a\sin\phi) r_3 \\ (ca\,\mathrm{versin}\,\phi - b\sin\phi) r_1 + (bc\,\mathrm{versin}\,\phi+ a\sin\phi) r_2 + (\cos\phi + c^2\,\mathrm{versin}\,\phi) r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} \cos\phi + a^2\,\mathrm{versin}\,\phi & ab\,\mathrm{versin}\,\phi -c\sin\phi & ca\,\mathrm{versin}\,\phi + b\sin\phi \\ ab\,\mathrm{versin}\,\phi + c\sin\phi & \cos\phi + b^2\,\mathrm{versin}\,\phi & bc\,\mathrm{versin}\,\phi -a\sin\phi \\ ca\,\mathrm{versin}\,\phi - b\sin\phi & bc\,\mathrm{versin}\,\phi+ a\sin\phi & \cos\phi + c^2\,\mathrm{versin}\,\phi \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
ここで<math>\mathrm{versin}\,\phi</math>を<math>1-\cos\phi</math>に戻して係数行列を<math>1, \cos\phi, \sin\phi</math>の項に分解してみると
:<math>=\begin{pmatrix} a^2+(1-a^2)\cos\phi & ab-ab\cos\phi -c\sin\phi & ca-ca\cos\phi + b\sin\phi \\ ab-ab\cos\phi + c\sin\phi & b^2+(1-b^2)\cos\phi & bc-bc\cos\phi -a\sin\phi \\ ca-ca\cos\phi - b\sin\phi & bc-bc\cos\phi+ a\sin\phi & c^2+(1-c^2)\cos\phi \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\left\{ \begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} + \cos\phi\begin{pmatrix} 1-a^2 & -ab & -ca \\ -ab & 1-b^2 & -bc \\ -ca & -bc & 1-c^2 \end{pmatrix} +\sin\phi\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \right\} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
:<math>=\left[ \begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} + \cos\phi \left\{ \begin{pmatrix} 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix}-\begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix} \right\} +\sin\phi\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \right] \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}</math>
ここで<math>\begin{pmatrix} a^2 & ab & ca \\ ab & b^2 & bc \\ ca & bc & c^2 \end{pmatrix}</math>は<math>\boldsymbol{e}</math>の第<math>i</math>成分と第<math>j</math>成分を掛けたものが<math>(i, j)</math>成分となる行列になっていることがわかる。これを<math>\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}</math>と書くことにする。<math>\sin\phi</math>に係る行列を<math>\mathbf{N}</math>と置くと、
:<math>\boldsymbol{r}'=\{\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}+\cos\phi(\mathbf{E}_3-\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e})+\sin\phi\mathbf{N}\}\boldsymbol{r}</math>
という表示を得る。
更に、<math>\mathbf{N}^2=\begin{pmatrix} -b^2-c^2 & ab & ca \\ ab & -c^2-a^2 & bc \\ ca & bc & -a^2-b^2 \end{pmatrix}</math>と<math>\|\boldsymbol{e}\|=\sqrt{a^2+b^2+c^2}=1</math>より
:<math>\boldsymbol{e}\otimes\boldsymbol{e}=\mathbf{N}^2+(a^2+b^2+c^2)\mathbf{E}_3=\mathbf{N}^2+\mathbf{E}_3</math>
が成り立つので、最終的に
:<math>\boldsymbol{r}'=(\mathbf{E}_3+\sin\phi\mathbf{N}+\mathrm{versin}\,\phi\mathbf{N}^2)\boldsymbol{r}</math>
と二次の行列多項式で表示される。
なお、<math>\otimes</math>は発展節で紹介する'''テンソル積'''を表している。
ここで、行列<math>\mathbf{N}</math>についてより具体的に考えてみる。
先ず、<math>{}^t\!\mathbf{N}=-\mathbf{N}</math>が成り立つので<math>\mathbf{N}</math>は反対称行列(歪対称行列・交代行列)である。
<math>\mathbf{N}\boldsymbol{r}</math>を計算すると
:<math>\mathbf{N}\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} 0 & -c & b \\ c & 0 & -a \\ -b & a & 0 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} r_1 \\ r_2 \\ r_3 \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} br_3-cr_2 \\ cr_1-ar_3 \\ ar_2-br_1 \end{pmatrix}=\boldsymbol{e}\times\boldsymbol{r}</math>
則ち、<math>\mathbf{N}</math>は<math>\boldsymbol{e}</math>に関する外積(形式的には<math>\boldsymbol{e}\times</math>という左演算)を一次変換とみて表現行列に直したものである。
更に、成分計算により<math>\mathbf{N}^3=-\mathbf{N}</math>という性質が成り立つことも判る。外積を「ベクトルを90°回転させる演算」とみると、二回の演算によって180°回転するということなのでこの結果は妥当である。
ここで行列自然指数関数<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\sum_{i=0}^\infty \frac{(\phi\mathbf{N})^i}{i!}</math>を考えてみると上の性質より三次以上の項は<math>\mathbf{N}^4=-\mathbf{N}^2, \mathbf{N}^5=\mathbf{N},\cdots</math>のように全て二次以下に帰着できる。<br>
また、自然指数関数のテイラー展開は絶対収束級数なので各項は可換であり、<math>\mathbf{N}</math>の二次式として纏め直すと
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\mathbf{E}_3 + (\phi-\frac{\phi^3}{3!}+\frac{\phi^5}{5!}-\frac{\phi^7}{7!}+\cdots) \mathbf{N}+(\frac{\phi^2}{2!}-\frac{\phi^4}{4!}+\frac{\phi^6}{6!}-\frac{\phi^8}{8!}+\cdots)\mathbf{N}^2</math>
ここで一次・二次の係数はそれぞれ正弦関数・正矢関数のテイラー展開になっているので結局は
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\mathbf{E}_3+\sin\phi\mathbf{N}+\mathrm{versin}\,\phi\mathbf{N}^2</math>
ここから、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>は角度<math>\phi</math>に関する有限回転に対応することが判った。
このことは以下の考え方でも求まる。<br>
<math>\mathbf{N}</math>の最小方程式は<math>\mathbf{N}^3+\mathbf{N}=\mathbf{O}_3</math>より<math>x(x^2+1)=0</math>であり固有値は<math>0, \pm{i}</math>と求まるので、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>の対角化行列は
:<math>\begin{pmatrix} e^{0\phi} & 0 & 0 \\ 0 & e^{i\phi} & 0 \\ 0 & 0 & e^{-i\phi} \end{pmatrix}</math>
ここで任意の解析関数<math>f</math>について<math>f(\mathbf{N})</math>のテイラー展開は二次以下の多項式になるので
:<math>\exp(\phi\mathbf{N})=\alpha\mathbf{E}_3+\beta\mathbf{N}+\gamma\mathbf{N}^2</math>
これを実多項式に戻した<math>\alpha+\beta{x}+\gamma{x^2}</math>が<math>e^{\phi{x}}</math>と任意の固有値で一致すればよい(二次補間)ので、
:<math>\begin{cases} e^0 = \alpha \\ e^{i\phi} = i\beta -\gamma \\ e^{-i\phi} = -i\beta-\gamma \end{cases}</math>
:<math>\iff \begin{cases} 1 = \alpha \\ \cos\phi+i\sin\phi = (\alpha -\gamma) + i\beta \end{cases}</math>
:<math>\therefore \begin{cases} \alpha=1 \\ \beta=\sin\phi \\ \gamma=1-\cos\phi=\mathrm{versin}\,\phi \end{cases}</math>
則ち、<math>\mathbf{N}^3=-\mathbf{N}</math>という構造は<math>\Psi_\mathbf{N}(x)=x(x^2+1)</math>という最小多項式に起因するということである。
更に[[表現論]]の観点から見ると、三次直交行列全体である回転群<math>SO(3)</math>に対し、<math>\mathbf{N}</math>は<math>SO(3)</math>の単位元に於ける接空間(三次反対称行列全体・則ちリー代数<math>\mathfrak{so}(3)</math>)の元であり、<math>\exp(\phi\mathbf{N})</math>はリー群<math>SO(3)</math>の元である。ここで行列自然指数関数は「リー代数からリー群へ引き戻す写像」なので'''指数写像'''と呼ばれる。
これが[[#フレネ標搆]]で述べた「直交変換の一次近似が反対称変換」という事実のより正確な表現である。
補足だが、力学で扱う[[w:オイラー角]]というものを導入するとロドリゲスの公式を各座標軸に関する回転の合成で表すこともできる。
===種々の曲率===
ここでは三次元空間内の正則曲面について考える。
曲面<math>S:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t, u)</math>上で定義され弧長パラメータ表示された正則曲線<math>C:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t(s), u(s))</math>を考える。
<math>C</math>の接ベクトルは合成関数微分公式より
:<math>\boldsymbol{t}=\frac{d\boldsymbol{r}}{ds}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}</math>
と表示される。
ここで両辺の<math>ds</math>を形式的に払うと
:<math>\boldsymbol{t}ds=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
これの自分自身との内積をとると
:<math>\|\boldsymbol{t}\|^2(ds)^2=\left\|\frac{d\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\right\|^2(dt)^2+2\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}dtdu+\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right\|^2(du)^2</math>
弧長パラメトライズされた接ベクトルは単位ベクトルであり、右辺のベクトル演算の部分を第一基本量で置き換えると
:<math>ds^2=E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2</math>
と、第一基本形式を別の方法で得られた。
<math>C</math>の主法線ベクトルは合成関数微分を繰り返し適用することで
:<math>\boldsymbol{n}_C=\frac{d\boldsymbol{t}}{ds}=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{dt}{ds}\right)+\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\right)\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d}{ds}\left(\frac{dt}{ds}\right)+\frac{d}{ds}\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\right)\frac{du}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d}{ds}\left(\frac{du}{ds}\right)</math>
:<math>=\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}\partial{t}}\frac{du}{ds}\right)\frac{dt}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d^2t}{ds^2}+\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\frac{dt}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\frac{du}{ds}\right)\frac{du}{ds}+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d^2u}{ds^2}</math>
:<math>=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\left(\frac{dt}{ds}\right)^2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\frac{d^2t}{ds^2}+2\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\frac{dt}{ds}\frac{du}{ds}+\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\left(\frac{du}{ds}\right)^2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\frac{d^2u}{ds^2}</math>
ここで、<math>S</math>の法線ベクトル<math>\boldsymbol{n}_S=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\times\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>は一般に<math>\boldsymbol{n}_C</math>と一次従属とは限らない。
後の話を単純にするため<math>\boldsymbol{n}_S</math>を正規化したベクトルを<math>\boldsymbol{e}_S</math>と置いて<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S</math>を計算してみる。
:<math>\boldsymbol{e}_S\perp\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}, \boldsymbol{e}_S\perp\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}</math>より
:<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S=\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\left(\frac{dt}{ds}\right)^2+2\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\frac{dt}{ds}\frac{du}{ds}+\left(\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S\right)\left(\frac{du}{ds}\right)^2</math>
ここで各内積<math>L=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S,\quad M=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S,\quad N=\frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S</math>を<math>S</math>の'''第二基本量'''と呼ぶ。
<math>\boldsymbol{n}_C, \boldsymbol{e}_S</math>のなす角を<math>\psi</math>とすると<math>C</math>の曲率を<math>\kappa_C</math>として
:<math>\boldsymbol{n}_C\cdot\boldsymbol{e}_S=\kappa_C \cos\psi</math>
なので<math>ds</math>に関して形式的に通分して
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{ds^2}</math>
右辺の分子<math>I\!I:=L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2</math>を<math>S</math>の'''第二基本形式'''という。
<math>\begin{cases}\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\boldsymbol{e}_S=0 \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S=0 \end{cases}</math>を<math>t</math>で偏微分すると
:<math>\begin{cases} \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=0 \\ \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}\partial{u}}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=0 \end{cases}</math>
また、<math>u</math>で偏微分すると
:<math>\begin{cases} \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}\partial{t}}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}=0 \\ \frac{\partial^2{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}^2}\cdot\boldsymbol{e}_S+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}=0 \end{cases}</math>
ここから第二基本量は
:<math>L=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}},\quad M=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}},\quad N=-\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}</math>
とも表示され、第二基本形式の別表示
:<math>I\!I=-\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)</math>
を得る。
これは更に全微分から微小ベクトル同士の内積として
:<math>I\!I=-d\boldsymbol{r}\cdot{d}\boldsymbol{e}_S</math>
とも書ける。
第一基本形式は曲面上の微小変位の自身との内積だったが、第二基本形式は曲面上の微小変位と法線方向の微小変位の内積である。則ち、第一基本形式は曲面の内在的な量、第二基本形式は曲面の外在的な量である。
第一基本形式と同様に第二基本形式は二次形式なので、<math>\boldsymbol{v}:=\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}, \mathbf{H}=\begin{pmatrix} L & M \\ M & N \end{pmatrix}</math>と置くと
:<math>I\!I={}^t\!\boldsymbol{v}\mathbf{H}\boldsymbol{v}</math>
と行列表示できる。この<math>\mathbf{H}</math>を'''第二基本行列'''という。
ここで、モンジュ表示された曲面<math>z=f(x, y)</math>に対して第二基本行列を考えてみる。
:<math>\boldsymbol{r}(t, u)=\begin{pmatrix} t \\ u \\ f(t, u)\end{pmatrix}</math>なので[[解析学基礎/多変数関数の微積分#全微分]]の結果を参照すると直ちに
:<math>L=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{t}^2}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2},\quad M=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{t}\partial{u}}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2},\quad N=\frac{\frac{\partial^2{f}}{\partial{u}^2}}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2}</math>
:が判るので、
:<math>\mathbf{H}=\frac{1}{\sqrt{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{t}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{u}}\right)}^2}\begin{pmatrix} \frac{\partial^2{f}}{\partial{t}^2} & \frac{\partial^2{f}}{\partial{tu}} \\ \frac{\partial^2{f}}{\partial{tu}} & \frac{\partial^2{f}}{\partial{u^2}} \end{pmatrix}</math>
これはヘッシアンを法線の長さで割った行列である。
則ち、任意の正則曲面に対して第二基本行列はヘッセ行列と同じ役割をすると考えられる。
実際、点<math>\mathrm{P}</math>の開近傍で<math>\det\mathbf{H}</math>が正である曲面は<math>\mathrm{P}</math>の開近傍で上下どちらかに凸であり、負である曲面は<math>\mathrm{P}</math>で鞍点となることが知られている。
このように第二基本形式は曲面の「曲がり方」を表す量と考えられるので、曲面に対する曲率も考えられる。
ここで第二基本形式を定義した式
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{ds^2}</math>
に立ち戻ると、右辺の分母は<math>s</math>に依存しない第一基本形式なので第一基本量を用いて
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>
右辺を形式的に<math>dt^2</math>で割ると
:<math>\kappa_C\cos\psi=\frac{L+2M\frac{du}{dt}+N\left(\frac{du}{dt}\right)^2}{E+2F\frac{du}{dt}+G\left(\frac{du}{dt}\right)^2}</math>
この右辺は<math>\boldsymbol{n}_C</math>に依存しない量なので<math>\boldsymbol{n}_S, \boldsymbol{n}_C</math>のなす角度である<math>\psi</math>にも依存しない。
そこで、この値を曲面<math>S</math>の'''法曲率'''と定義する。
:<math>\varkappa:=\frac{L+2M\frac{du}{dt}+N\left(\frac{du}{dt}\right)^2}{E+2F\frac{du}{dt}+G\left(\frac{du}{dt}\right)^2}</math>
法曲率の幾何学的意味を考える。
<math>\varkappa=\kappa_C\cos\psi</math>より、<math>\cos\psi=1</math>のとき<math>S</math>の法曲率と<math>C</math>の曲率が一致する。このとき<math>\boldsymbol{n}_S /\!\!/ \boldsymbol{n}_C</math>であり、<math>C</math>は曲面上の点<math>\mathrm{P}</math>とそこでの曲面の法線<math>\boldsymbol{n}_S(\mathrm{P})</math>を含む平面で曲面を切断した切り口('''法切り口''')に対応する曲線('''法曲線''')である。
則ち、法曲率は法曲線の曲率に対応する。
なお、法曲線<math>C</math>は切断に用いる平面に拘束されるので接ベクトル<math>\boldsymbol{t}_C</math>も平面に拘束される。則ち、拘束平面は<math>\{\boldsymbol{t}_C, \boldsymbol{n}_C\}</math>の張る接触平面である。
法切り口を齎す平面は法線を軸にして回転することができ、その回転角によって法曲率の値が異なることになる。この回転は具体的にはロドリゲスの公式によって記述されるが、法曲率の極大値・極小値は<math>\varkappa</math>を<math>k=\frac{du}{dt}</math>の関数とみることで以下のように考えることができる。
:法曲率の定義式より
::<math>\varkappa(E+2Fk+Gk^2)=L+2Mk+Nk^2</math>・・・(*)
:これが<math>k</math>の恒等式なので微分しても等号が成り立ち、
::<math>\frac{d\varkappa}{dk}(E+2Fk+Gk^2)+\varkappa(2F+2Gk)=2M+2Nk</math>
:フェルマーの定理より<math>\frac{d\varkappa}{dk}=0</math>を満たす<math>(k, \varkappa)</math>が極値点の候補なので
::<math>\varkappa(2F+2Gk)=2M+2Nk</math>・・・(@)
:が成り立つ必要がある。
:これを<math>k</math>倍して(*)を引くと
::<math>\varkappa(E+Fk)=L+Mk</math>・・・(#)
:これと(@)を連立して
::<math>k=-\frac{\varkappa{F}-M}{\varkappa{G}-N}</math>
:これを(#)に代入して
::<math>(EG-F^2)\varkappa^2-(GL+EN-2FM)\varkappa+(LN-M^2)=0</math>・・・($)
:という二次方程式を得る。
:($)が相異なる二つの実根<math>\kappa_1, \kappa_2</math>を持てばそれらは極小値・極大値である。
:逆に、極小値・極大値を持てばフェルマーの定理より($)を満たす。//
この<math>\kappa_1, \kappa_2</math>を<math>S</math>の'''主曲率'''という。
($)の左辺を変形してみると、
:<math>(EG-F^2)\varkappa^2-(GL+EN-2FM)\varkappa+(LN-M^2)</math>
:<math>=\{EG\varkappa^2-(GL+EN)\varkappa+LN\}-\{F^2\varkappa^2-2FM\varkappa+M^2\}</math>
:<math>=(L-\varkappa{E})(N-\varkappa{G})-(M-\varkappa{F})^2</math>
:<math>=\det\begin{pmatrix} L-\varkappa E & M - \varkappa F \\ M - \varkappa F & N - \varkappa G \end{pmatrix}</math>
:<math>=\det(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})</math>
という、第一基本行列と第二基本行列を用いた形が出てきた。
ここで<math>\varkappa=\frac{L(dt)^2+2Mdtdu+N(du)^2}{E(dt)^2+2Fdtdu+G(du)^2}</math>を変形して
:<math>(L-\varkappa{E})dt^2+2(M-\varkappa{F})dtdu+(N-\varkappa{G})du^2=0</math>
これを二次形式表示すると
:<math>\begin{pmatrix} dt & du \end{pmatrix}\begin{pmatrix} L-\varkappa E & M - \varkappa F \\ M - \varkappa F & N - \varkappa G \end{pmatrix}\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}=0</math>
と、同じ<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}</math>がここでも登場する。
この行列は法曲率を持つ方向を二次形式で判定しているが、主曲率を持つ場合はラグランジュの未定乗数法より<math>(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})\begin{pmatrix} dt \\ du \end{pmatrix}=\boldsymbol{0}</math>が成り立ち、これが<math>\det(\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K})=0</math>という式の正体である。更に言うと、<math>\mathbf{H}\boldsymbol{x}=\varkappa\mathbf{K}\boldsymbol{x}</math>という一般化固有値問題の解が主曲率<math>\kappa_1, \kappa_2</math>に対応している。このときの一般化固有ベクトル<math>\boldsymbol{x}_1, \boldsymbol{x}_2</math>を主曲率に対する'''主方向'''という。
二つの主方向の関係を調べる。
:主方向の定義より
::<math>\begin{cases} (\mathbf{H}-\kappa_1\mathbf{K}) \boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0} \\ (\mathbf{H}-\kappa_2\mathbf{K}) \boldsymbol{x}_2=\boldsymbol{0} \end{cases}</math>
:なので
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2(\mathbf{H}-\kappa_1\mathbf{K})\boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0} \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1(\mathbf{H}-\kappa_2\mathbf{K})\boldsymbol{x}_2=\boldsymbol{0} \end{cases}</math>
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1\mathbf{H}\boldsymbol{x}_2=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_1 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_2 \end{cases}</math>
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_1\mathbf{H}\boldsymbol{x}_2=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_1 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_2 \end{cases}</math>
:第一基本行列・第二基本行列とも対称行列なので第二式の転置をとって
::<math>\begin{cases} {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_1{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \\ {}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{H}\boldsymbol{x}_1=\kappa_2{}^t\!\boldsymbol{x}_2 \mathbf{K}\boldsymbol{x}_1 \end{cases}</math>
:上下の式の差をとって
::<math>(\kappa_1-\kappa_2){}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1=\boldsymbol{0}</math>
:<math>\kappa_1=\kappa_2</math>のときは<math>\boldsymbol{x}_1, \boldsymbol{x}_2</math>に関する恒等式であるので、<math>\kappa_1\neq\kappa_2</math>のときを考える。
::<math>{}^t\!\boldsymbol{x}_2\mathbf{K}\boldsymbol{x}_1=\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}t_2+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}u_2\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}t_1+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}u_1\right)=0</math>
:この二つのベクトルは主方向を向くので2つの主方向は直交する。
<math>\kappa_1=\kappa_2</math>(法曲率<math>\varkappa(t, u)=\mathrm{const}.</math>)の場合、<math>S</math>の接平面内の任意の方向が主方向となるので「どの方向にも一様な曲がり方をする」と考えられる。このような主曲率を与える点を'''臍点'''という。任意の点が臍点である曲面は球面である。
上の結果から、'''臍点でない各点で2つの主方向は直交する'''。
主曲率に対して解と係数の関係から得る値
:<math>H=\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}=\frac{GL+ENN-2FM}{2EG-F^2},\quad K=\kappa_1\kappa_2=\frac{LN-M^2}{EG-F^2}</math>
をそれぞれ<math>S</math>の'''平均曲率'''・'''全曲率'''('''ガウス曲率''')という。
全曲率の式を見ると<math>K=\frac{LN-M^2}{EG-F^2}=\frac{\det\mathbf{H}}{\det\mathbf{K}}=\det(\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H})</math>である。
そこで、<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}</math>と定義してみると行列式の性質より<math>K</math>は<math>\mathbf{S}</math>の固有値の積である。
ここで<math>\mathbf{S}</math>の固有方程式は
:<math>\det(\mathbf{S}-\lambda\mathbf{E})=\det(\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}-\lambda\mathbf{E})=\det\mathbf{K}^{-1}\det(\mathbf{H}-\lambda\mathbf{K})=0</math>
<math>\det\mathbf{K}^{-1}\neq0</math>より
:<math>\det(\mathbf{H}-\lambda\mathbf{K})=0</math>
これは主曲率を定義した二次方程式($)のことだったので、この方程式の解である固有値は<math>\lambda=\kappa_1, \kappa_2</math>である。
則ち、<math>K=\det\mathbf{S},\quad H=\frac{1}{2}\mathrm{tr}\,\mathbf{S}</math>が成り立つ。
更に、第一基本行列から第二基本行列への一次変換を考えると以下が成り立つことも判る。但し、こちらもフレネ=セレーと同様に厳密にはベクトルを列ではなく行に並べるのが正しいことに注意。
{{定理|(ヴァインガルテンの式)}}
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=-\mathbf{S}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>
{{定理終わり}}
*証明
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=\mathbf{A}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>と置く。
:両辺に<math>{}^t\!\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>を右から掛けると行列積であることに注意して
:<math>\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}=\mathbf{A}\begin{pmatrix} \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}} & \frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial\boldsymbol{r}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix}</math>
:<math>\therefore -\mathbf{H}=\mathbf{A}\mathbf{K}</math>
:<math>\therefore \mathbf{A}=-\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1}=-\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}=-\mathbf{S}</math>//
臍点で行列<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}</math>を考えると<math>\varkappa=\kappa_1=\kappa_2</math>及び「主方向が任意」から
:<math>\mathbf{H}-\varkappa\mathbf{K}=\mathbf{O}</math>
であり、これを成分で書き下せばヴァインガルテンの式より法曲率に関して
:<math>\begin{cases} \varkappa=\frac{L}{E}=\frac{M}{F}=\frac{N}{G} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}} = \varkappa \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} = \varkappa \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{cases}</math>
を得る。
<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}</math>に於いて<math>\mathbf{K}</math>は正定値対称行列なので正則対称な主平方根<math>\mathbf{K}^{1/2}</math>が存在して
:<math>\mathbf{S}=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}</math>
ここで<math>\mathbf{T}=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>という相似変換で表された行列を考えてみると
:<math>\mathbf{K}^{1/2}\mathbf{S}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{K}^{1/2}\mathbf{K}^{-1}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{K}^{-1/2}\mathbf{H}\mathbf{K}^{-1/2}</math>
:<math>=\mathbf{T}</math>
であり、<math>\mathbf{S}\sim\mathbf{T}</math>なのでこれらの2つの固有値の組は一致する。
:<math>\mathbf{H}={}^t\!\mathbf{H}</math>
より
:<math>{}^t\!\mathbf{T}=\mathbf{T}</math>
が成り立つので、<math>\mathbf{T}</math>は対称行列であり2つの固有値は実数である。
よって<math>\mathbf{S}</math>の二つの固有値はともに実数であるが、この固有値は($)の解<math>\kappa_1, \kappa_2</math>のことだったので($)は虚根を持たず、'''主曲率は必ず実数'''である。
モンジュ表示された曲面では先程求めた第二基本量の表式から直ちに
:<math>H=\frac{\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}^2}+\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2\right\}\frac{\partial^2{f}}{\partial{y}^2}-2\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}\partial{y}}}{{2\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}^\frac{3}{2}}},\quad K=\frac{\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\frac{\partial{f}}{\partial{y}}-\left(\frac{\partial^2{f}}{\partial{x}\partial{y}}\right)^2}{\left\{1+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{x}}\right)^2+\left(\frac{\partial{f}}{\partial{y}}\right)^2\right\}^2}</math>
を得る。
等温座標系では<math>\mathbf{K}^{-1}=\frac{1}{\lambda^2}\mathbf{E}_3</math>より<math>\mathbf{S}=\frac{1}{\lambda^2}\begin{pmatrix} L & M \\ M & N \end{pmatrix}</math>なので、平均曲率・ガウス曲率はそれぞれ<math>H=\frac{L+N}{2\lambda^2},\quad K=\frac{LN-M^2}{\lambda^4}</math>と簡単に求まる。
ある点に於ける2つの主曲率はそれぞれその点に於ける極大方向・極小方向の曲がり方を与えるので、<math>\kappa_1, \kappa_2</math>の符号の組み合わせがその点近傍に於ける曲面の曲がり方を与えることになる。
具体的には、両方とも正なら上に凸、負なら下に凸、異符号なら鞍点となる。主曲率が0ならばその主方向に対して曲がっていないということである。
主曲率の積である全曲率の符号を見ても良い。全曲率が正ならば上下どちらかに凸、負ならば鞍点である。第一基本行列が正定値行列であることから主曲率の符号は第二基本行列の行列式と一致するので先程の「第二基本行列がヘッセ行列の一般化」という話に繫がる。
任意点で<math>H=0</math>を満たす曲面を'''極小曲面'''という。極小曲面は曲面を連続変形させたときに曲面積の最小値を与える曲面であることが知られている。
平面は自明な極小曲面である。他にも<math>z=\ln\left(\frac{\cos y}{\cos x}\right)(-\frac{\pi}{2}<x, y<\frac{\pi}{2})</math>(シェルクの第一曲面)などが知られている。
極小曲面は表面張力の理論に応用されている。
例えば石鹼膜のつくる曲面について、膜上点での表裏の圧力差<math>P</math>・その点での表面張力<math>T</math>及び平均曲率<math>H</math>に対し<math>P=2TH</math>が成立する(ヤング=ラプラスの公式)ことが知られているが、閉曲線である枠に張った膜が割れずに安定して存在する条件は全ての点で<math>P=H=0</math>、則ち極小曲面のときである。
曲面<math>S</math>上の微小変位<math>d\boldsymbol{r}</math>、法線方向の微小変位<math>d\boldsymbol{e}_S</math>に対して第一基本形式は<math>I=d\boldsymbol{r}\cdot d\boldsymbol{r}</math>、第二基本形式は<math>I\!I=-d\boldsymbol{r}\cdot d\boldsymbol{e}_S</math>であった。
最後の組み合わせである<math>d\boldsymbol{e}_S\cdot d\boldsymbol{e}_S</math>を<math>S</math>の'''第三基本形式'''と定義する。
:<math>I\!I\!I:=\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)\cdot\left(\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}du\right)</math>
:<math>=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2(dt)^2+2\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}dtdu+\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2(du)^2</math>
これを同様に二次形式の行列表示に直すと<math>\mathbf{W}:=\begin{pmatrix} \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2 & \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}} & \left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2 \end{pmatrix}</math>として
:<math>I\!I\!I={}^t\!\boldsymbol{v}\mathbf{W}\boldsymbol{v}</math>
この<math>\mathbf{W}</math>を'''第三基本行列'''という。
見て判る通り、'''第三基本量'''は<math>P=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\right\|^2,\quad Q=\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{t}}\cdot\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}},\quad R=\left\|\frac{\partial{\boldsymbol{e}_S}}{\partial{u}}\right\|^2</math>である。
臍点でないとき2つの主方向は直交するので、臍点を持たない曲面に対して主方向を直交基底としたパラメータ表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(p, q)</math>を考えられる。
このとき、各基本形式は
:<math>I=dp^2+dq^2</math>
:<math>I\!I=\kappa_1dp^2+\kappa_2dq^2</math>
:<math>I\!I\!I=\kappa^2_1dp^2+\kappa^2_2dq^2</math>
と表示されることが知られている。
第三基本形式は第一基本形式と第二基本形式の線型結合で表示される。
:<math>I\!I\!I=2HI\!I-KI</math>
このことはヴァインガルテンの式と平均曲率・全曲率の定義を用いて確かめられる。
これに関連し、第二基本量で定義された全曲率は第一基本量のみで表されることが知られている。つまり、曲率という外在的な量を第一基本形式という内在的な量のみで記述でき、言い換えると「曲面を考えるときに'''曲面の外側の空間を考える必要が無い'''」ということである。
この定理は発見者自身も驚愕したことから'''ガウスの驚異の定理'''と呼ばれている。詳しくは発展節で扱う。
なお、平均曲率を考えるときは外側の空間の情報が必要である。
==直交曲線座標系==
{{節stub}}
===円筒座標系===
平面の座標系として直交座標の他に斜交座標、極座標(円座標)、重心座標などがあったように、空間の座標系も複数通り考えられる。
空間座標を3つの実数の組<math>(r, \theta, z)</math>で表した座標系を'''円筒座標系'''('''円柱座標系'''、cylindrical coordinate system)という。ただし、<math>r</math>は原点からの(符号付き)距離、<math>\theta</math>は基準面に於ける始線からの正の回転角、<math>z</math>は基準面からの高さである。
円筒座標系は、円座標系の<math>r\theta</math>平面に<math>z</math>軸方向の次元を加えた3次元空間の座標と考えられる。
そのため、円筒座標系と直交座標系の対応は以下のようになる。
:<math>\begin{cases} x=r\cos\theta \\ y=r\sin\theta \\ z=z \end{cases} \iff \begin{cases} r=\sqrt{x^2+y^2} \\ \theta = \arctan\frac{y}{x} \\ z=z \end{cases}</math>
但し、<math>r</math>は基準面の裏側では負とする。
直交座標の<math>z</math>軸を基に円筒座標系の座標軸を決定する。一般に座標軸は直線とは限らないので、「軸」ではなく「曲線」と呼ぶことにする('''座標線''')。なお、「曲線」という語は一般に「直線」を包含する。
:<math>r</math>曲線:<math>z</math>軸上の点を通り<math>z</math>軸に垂直な半直線。
:<math>\theta</math>曲線:<math>z</math>軸を法線とする平面内にあり、中心が<math>z</math>軸上にある円周。
:<math>z</math>曲線:<math>z</math>軸に平行な直線。
ここで、各曲線に沿った微小変化がどのように表されるか見ていく。
<math>\boldsymbol{f}: (r,\theta,z)\to(x,y,z)</math>とする。
<math>\boldsymbol{f}</math>全体の微小変化は全微分<math>d\boldsymbol{f}=\frac{\partial{(x,y,z)}}{\partial{(r,\theta,z)}} \begin{pmatrix} dr \\ d\theta \\ dz \end{pmatrix}</math>で表される。
上で求めた関係式より
:<math>\boldsymbol{f}\begin{pmatrix} r \\ \theta \\ z\end{pmatrix}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} r\cos\theta \\ r\sin\theta \\ z \end{pmatrix}</math>
なので、
:<math>\frac{\partial{(x,y,z)}}{\partial{(r,\theta,z)}} = \begin{pmatrix} \frac{\partial}{\partial{r}}r\cos\theta & \frac{\partial}{\partial{\theta}}r\cos\theta & \frac{\partial}{\partial{z}}r\cos\theta \\ \frac{\partial}{\partial{r}}r\sin\theta & \frac{\partial}{\partial{\theta}}r\sin\theta & \frac{\partial}{\partial{z}}r\sin\theta \\ \frac{\partial}{\partial{r}}z & \frac{\partial}{\partial{\theta}}z & \frac{\partial}{\partial{z}}z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -r\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & r\cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix}</math>
よって
:<math>d\boldsymbol{f}=\begin{pmatrix} \cos\theta & -r\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & r\cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} dr \\ d\theta \\ dz \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} \cos\theta \\ \sin \theta \\ 0 \end{pmatrix}dr + \begin{pmatrix} -\sin\theta \\ \cos\theta \\ 0 \end{pmatrix}rd\theta + \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \\ 1 \end{pmatrix}dz </math>
再右辺の各項を<math>d\vec{r}, d\vec{\theta}, d\vec{z}</math>と書くことにすると、<math>|d\vec{r}|, |d\vec{\theta}|, |d\vec{z}|</math>はそれぞれ<math>dr, rd\theta, dz</math>とわかる。<math>r, \theta, z</math>を物理量として捉えたとき<math>d\theta</math>の単位はラジアン(無次元量)であり、<math>rd\theta</math>の単位はメートル(長さの次元1)なので、次元の整合性が取れる。
纏めると以下のようになる。
{| class="wikitable"
| ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_x</math>成分 ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_y</math>成分 ||style="text-align:center;"| <math>\boldsymbol{e}_z</math>成分 ||style="text-align:center;"| ノルム
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{r}</math> ||style="text-align:center;"| <math>\cos\theta dr</math> ||style="text-align:center;"| <math>\sin\theta dr</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>dr</math>
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{\theta}</math> ||style="text-align:center;"| <math>-r\sin\theta d\theta</math> ||style="text-align:center;"| <math>r\cos\theta d\theta</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>rd\theta</math>
|-
|style="text-align:center;"| <math>d\vec{z}</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>0</math> ||style="text-align:center;"| <math>1</math> ||style="text-align:center;"| <math>dz</math>
|}
ここで<math>d\vec{r}, d\vec{\theta}, d\vec{z}</math>は内積を取ればどの組も互いに直交することが容易にわかるので、この3つのベクトルは3次元ユークリッド空間の直交基底である。
そこで、それぞれのベクトルを正規化することで各軸曲線方向の基本ベクトルを得る。
:<math>\boldsymbol{e}_r = \frac{d\vec{r}}{dr} = \cos\theta \boldsymbol{e}_x + \sin\theta \boldsymbol{e}_y</math>
:<math>\boldsymbol{e}_\theta = \frac{d\vec{\theta}}{rd\theta} = -\sin\theta\boldsymbol{e}_x+\cos\theta\boldsymbol{e}_y</math>
:<math>\boldsymbol{e}_z=\frac{d\vec{z}}{dz}=\boldsymbol{e}_z</math>
これを一次変換の形式で表すと
:<math>\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_r \\ \boldsymbol{e}_\theta \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_x \\ \boldsymbol{e}_y \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix}</math>
となる。
このときの表現行列を、座標系または基底ベクトルを変換することから'''座標変換行列'''又は'''基底変換行列'''という。場合によっては'''変換テンソル'''とも呼ぶ。
なお、この直交座標⇒円筒座標の座標変換行列は、<math>xyz</math>空間に於ける<math>z</math>軸まわりの回転行列に等しい。
逆基底変換はこの座標変換行列の逆行列を求めれば定式化できる。
回転行列は直交行列なので
:<math>\begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} ^{-1}= {}^t \! \begin{pmatrix} \cos\theta & \sin\theta & 0 \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} </math>
であり、
:<math>\begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_x \\ \boldsymbol{e}_y \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos\theta & -\sin\theta & 0 \\ \sin\theta & \cos\theta & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_r \\ \boldsymbol{e}_\theta \\ \boldsymbol{e}_z \end{pmatrix}</math>
円筒座標系は、[[電磁気学]]の解析でよく使用される。
例えば、高校物理の公式<math>B(r)=\frac{\mu_0I}{\tau r}</math>は、円筒座標系を知っていれば「電流が<math>z</math>軸に平行であることから磁場は<math>z</math>方向に一葉且つ<math>\theta</math>方向に回転対称なので、<math>r</math>方向の項のみが寄与する」と理解される。
===極座標系===
高等学校までの地理で習ったように、球面上の位置は緯度<math>\theta</math>と経度<math>\phi</math>で定めることができる。
一般に三次元空間で球面上のある点の座標を定めるには、更に球の中心からの距離<math>r</math>が必要である。
このようにして定められる座標系を'''三次元極座標系'''(polar coordinate system in 3D)または'''球(面)座標系'''(spherical coordinate system)という。
xyz座標空間の点<math>\mathrm{P}(x, y, z)</math>の極座標表示を考える。
<math>r=|\overrightarrow{\mathrm{OP}}|=\sqrt{x^2+y^2+z^2}</math>は容易にわかる。
<math>\theta</math>は<math>z</math>軸からの'''天頂角'''(zenith angle)であり、<math>\overrightarrow{\mathrm{OP}}</math>の<math>z</math>軸への正射影ベクトルを<math>\overrightarrow{\mathrm{OH}}=\vec{h}</math>とすると<math>\tan\theta = \frac{|\vec{h}|}{z}</math>が成り立つ。<math>|\vec{h}|=\sqrt{x^2+y^2}</math>より、<math>\theta=\arctan \frac{\sqrt{x^2+y^2}}{z}</math>である。
<math>\phi</math>は<math>x</math>軸からの'''方位角'''(azimuth angle)であり、<math>\mathrm{P}</math>から<math>xy</math>平面に降ろした垂足<math>\mathrm{Q}</math>を考えると<math>\tan\phi=\frac{y}{x}</math>とわかる。よって、<math>\phi=\arctan\frac{y}{x}</math>である。
逆に、これを<math>\mathrm{P}(x, y, z)</math>に復元することを考える。
<math>\triangle\mathrm{OHP}</math>について<math>\angle\mathrm{HOP}=\theta</math>なので、<math>z=\overline{\mathrm{OH}}=r\cos\theta</math>。
また、<math>\triangle\mathrm{OPQ}</math>について<math>\angle\mathrm{OPQ}=\theta</math>なので、<math>\overline{\mathrm{OQ}}=r\sin\theta</math>。
よって<math>x=\overline{\mathrm{OQ}}\cos\phi=r\sin\theta\cos\phi, y=\overline{\mathrm{OQ}}\sin\phi=r\sin\theta\sin\phi</math>。
以上を纏めると、直交座標と球面座標の対応関係は
:<math>\begin{cases} x=r\sin\theta\cos\phi \\ y=r\sin\theta\sin\phi \\ z=r\cos\theta \end{cases} \iff \begin{cases} r=\sqrt{x^2+y^2+z^2} \\ \theta=\arctan\frac{\sqrt{x^2+y^2}}{z} \\ \phi=\arctan\frac{y}{x} \end{cases}</math>
一般に緯度は<math>-90^\circ \leqq \theta \leqq 90^\circ</math>、経度は<math>-180^\circ \leqq \phi \leqq 180^\circ</math>の範囲で表される(但し、符号の違いは東⇔西、南⇔北の違いである)。同様に、球面座標の天頂角<math>\theta</math>、方位角<math>\phi</math>は<math>\theta \in [-\frac{\pi}{4}, \frac{\tau}{4}], \phi \in [-\frac{\tau}{2}, \frac{\tau}{2}]</math>で考える。赤道面より下側(すなわち南半球)では<math>\theta<0</math>とする。
直交座標の<math>z</math>軸を基に極座標系の座標線を決定する。
:<math>r</math>曲線:原点を通る半直線。
:<math>\theta</math>曲線:原点中心で<math>z</math>軸上の一点から出る半円弧。
:<math>\phi</math>曲線:<math>z</math>軸を法線とする平面内で<math>z</math>軸上に中心を持つ円周。
各曲線に沿った微小変化は円柱座標系の場合と同様、ベクトル場の全微分を用いて
:<math>\begin{cases} d\vec{r}= \begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi \\ \sin\theta\sin\phi \\ \cos\theta \end{pmatrix} dr \\ d\vec{\theta}= \begin{pmatrix} \cos\theta\cos\phi \\ \cos\theta\sin\phi \\ -\sin\theta \end{pmatrix}rd\theta \\ d\vec{\phi} = \begin{pmatrix} -\sin\phi \\ \cos\phi \\ 0 \end{pmatrix} r\sin\theta d\phi \end{cases}</math>
と求まる。
これらは(内積の結果から)互いに直交するので、円柱座標の場合と同様の議論により
:<math>\begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi & \sin\theta\sin\phi & \cos\theta \\ \cos\theta\cos\phi & \cos\theta\sin\phi & -\sin\theta \\ -\sin\phi & \cos\phi & 0 \end{pmatrix}</math>
と変換テンソルが求まる。
これも直交行列であるので、逆変換テンソルは
:<math>\begin{pmatrix} \sin\theta\cos\phi & \cos\theta\cos\phi & \cos\phi \\ \sin\theta\sin\phi & \cos\theta\sin\phi & -\sin\phi \\ -\sin\theta & \cos\theta & 0 \end{pmatrix}</math>
と求まる。
球面座標系は、[[古典力学]]の解析でよく使用される。
例えば、赤道平面における角運動量保存則は<math>mr^2\frac{d\phi}{dt}=\mathrm{const}.</math>と表示されるが、これは<math>z</math>軸方向の角運動量を球面座標系の演算により取り出したものである。
球面座標系は特に機械制御に応用されている。
円柱座標系・球面座標系ともに各基底ベクトルが互いに直交しているので、そのことを明示して(且つ通常の直交座標系と区別して)'''直交曲線座標系'''(orthogonal curvilinear coordinate system)と呼ぶ場合がある。以下で扱う座標系たちも直交曲線座標系である。
===円環座標系===
===双極座標系===
===回転放物面座標系===
===放物柱座標系===
===回転楕円面座標系===
===楕円柱座標系===
===楕円体座標系===
==空間微分==
ここでは三次元ユークリッド空間で考える。
===勾配===
スカラー場<math>\varphi=\varphi(\boldsymbol{x})</math>が<math>x, y, z</math>の三変数関数であって<math>\varphi\in C^1</math>のとき、
:<math>\mathrm{grad}\,\varphi := \begin{pmatrix} \frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
を<math>\varphi</math>の'''勾配'''(gradient)と定義する。
勾配の結果として得るベクトルを<math>\varphi</math>の'''勾配ベクトル'''ともいう。
勾配で定義される概念としては、電場が有名である。
:電位<math>\phi</math>に対する電場<math>\boldsymbol{E}</math>は
:<math>\boldsymbol{E}:=-\mathrm{grad}\,\phi</math>
勾配はベクトル量であるため、そのことを明示するため新たな演算子を導入する。
'''空間偏微分演算子'''(ハミルトン演算子)を
<math>\nabla:=\begin{pmatrix} \frac{\partial}{\partial{x}} \\ \frac{\partial}{\partial{y}} \\ \frac{\partial}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
と定義する。
この演算子自体は偏微分作用素の対象を後接しないと意味を成さない。しかし、便宜的にベクトル量と考えてベクトルと同様の演算則が成り立つと見做す。そのため、この演算子に関する演算は[[w:記号の濫用]](symbol abuse)であることを註しておく。
<math>\nabla</math>の正式な読み方は'''ナブラ'''(nabla)であるが、<math>\Delta</math>(delta)を反転した形であることから'''エイトレッド'''(atled)とも読まれる。なお、ナブラの由来は「竪琴」を意味する古代ギリシャ語「νάβλα」である。
この演算子を用いれば勾配の表式は
:<math>\mathrm{grad}\,\varphi=\nabla\varphi</math>
となる。
<math>\varphi</math>はスカラー場なのでスカラー量であり、<math>\nabla</math>は便宜的にベクトル量と考えることから、その積<math>\nabla\varphi</math>はベクトル量のスカラー倍、すなわちベクトル量であることが見て取れる。
勾配はスカラー場に対する偏微分の結果を並べたベクトルであるため、偏微分の性質とベクトルの性質を組み合わせて以下が成り立つと判る。
#<math>\nabla(k\varphi+l\psi)=k\nabla\varphi+l\nabla\psi</math>(線型性)
#<math>\nabla(\varphi\psi)=(\nabla\varphi)\psi+\varphi(\nabla\psi)</math>(積の微分・ライプニッツ則)
#<math>\nabla\left(\frac{\varphi}{\psi}\right)=\frac{(\nabla\varphi)\psi-\varphi(\nabla\psi)}{\psi^2}</math>(商の微分)
#<math>\nabla(\varphi(\psi))=\frac{d\varphi(\psi)}{d\psi}\nabla\psi</math>(合成関数微分)
任意点に対して勾配ベクトルが非零であるスカラー場を'''正則'''なスカラー場という。
以下、正則なスカラー場に限って扱う。
等位面<math>\varphi(x, y, z)=k(\mathrm{const}.)</math>上の点<math>\mathrm{P}(x_0, y_0, z_0)</math>を考える。
:<math>\mathrm{P}</math>を通り等位面に拘束される曲線のベクトル表示を<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(t)</math>とする。
:等位面の方程式を<math>t</math>で両辺微分して
::<math>\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}\frac{dx}{dt}+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}\frac{dy}{dt}+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}\frac{dz}{dt}=0</math>
:<math>t=t_0</math>のとき
::<math>\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}x'(t_0)+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}y'(t_0)+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}z'(t_0)=0</math>
::<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot\boldsymbol{r}'(t_0)=0</math>
::<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\perp\boldsymbol{r}'(t_0)</math>
ここで<math>\mathrm{P}</math>に於ける等位面の接平面は接ベクトル<math>\boldsymbol{r}'(t_0)</math>を含むため、<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})</math>は点<math>\mathrm{P}</math>に於ける等位面の法線ベクトルである。
よって等位面の接平面の方程式は
:<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot(\boldsymbol{x}-\overrightarrow{\mathrm{OP}})=0</math>
である。
スカラー場<math>\varphi=\varphi(\boldsymbol{x})</math>の全微分は
:<math>d\varphi=\frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}}dx+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}}dy+\frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}}dz</math>
これをベクトルの内積とみると
:<math>=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\varphi}}{\partial{x}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{y}} \\ \frac{\partial{\varphi}}{\partial{z}} \end{pmatrix}\cdot\begin{pmatrix} dx \\ dy \\ dz \end{pmatrix}</math>
:<math>=\nabla\varphi\cdot d\boldsymbol{x}</math>
ここで変位ベクトル<math>d\boldsymbol{x}</math>を任意の方向を向いた単位ベクトル<math>\boldsymbol{e}</math>に拡張することを考えたい。
<math>\varphi(\mathrm{P})</math>に対して<math>\mathrm{P}</math>を始点とする<math>\boldsymbol{e}</math>方向の直線を考え、その上の点を<math>\mathrm{Q}</math>とする。
このとき、ベクトル変数<math>\boldsymbol{e}</math>による微分係数
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\lim_{\mathrm{Q\to P}}\frac{\varphi(\mathrm{Q})-\varphi(\mathrm{P})}{\overline{\mathrm{QP}}}</math>
を、<math>\varphi</math>の<math>\mathrm{P}</math>に於ける<math>\boldsymbol{e}</math>方向の'''方向微分係数'''と定義する。
方向微分係数はスカラー場に対し<math>\boldsymbol{e}</math>方向の変化率を与えるものと考えられる。そこで、方向微分係数が最大となる方向を考える。
:<math>\overrightarrow{\mathrm{PQ}}=t\boldsymbol{e}</math>と置く。
::<math>\overrightarrow{\mathrm{OQ}}=\begin{pmatrix} x_0+te_1 \\ y_0+te_2 \\ z_0+te_3 \end{pmatrix}</math>
::<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\lim_{t\to0}\frac{\varphi(x_0+te_1, y_0+te_2, z_0+te_3)-\varphi(x_0, y_0, z_0)}{t}</math>
:ここで<math>\Phi(t):=\varphi(x_0+te_1, y_0+te_2, z_0+te_3)</math>とすれば
::<math>=\lim_{t\to0}\frac{\Phi(t)-\Phi(0)}{t}</math>
::<math>=\frac{d\Phi(t)}{dt}</math>
::<math>=\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{x}}\frac{d(x_0+te_1)}{dt}+\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{y}}\frac{d(y_0+te_2)}{dt}+\frac{\partial{\varphi}(x_0, y_0, z_0)}{\partial{z}}\frac{d(z_0+te_3)}{dt}</math>
::<math>=\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{x}}e_1+\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{y}}e_2+\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{z}}e_3</math>
::<math>=\nabla\varphi(\mathrm{P})\cdot\boldsymbol{e}</math>
よって、全微分の式の<math>d\boldsymbol{x}</math>をそのまま<math>\boldsymbol{e}</math>に取り替えたものが方向微分係数の表式である。
内積を書き下すと<math>\|\boldsymbol{e}\|=1</math>より
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\mathrm{P})}{\partial{\boldsymbol{e}}}=\|\nabla\varphi(\mathrm{P})\|\cos\theta</math>
よって最大値をとるのは<math>\cos\theta=1</math>則ち'''<math>\boldsymbol{e}</math>が勾配方向のとき'''である。また、方向微分係数の最大値は'''勾配のノルム'''である。
このように、勾配はスカラー場の各点に於ける傾きを表す。これは最右辺の式が「各軸方向の傾きを表すベクトルの和」になっていることからも直観的にわかる。ここから、「gradient」の和訳として「勾配」が充当されたのは妥当である。
方向微分係数を'''方向導関数'''に拡張することを考える。
形式的には方向微分係数の定点<math>\mathrm{P}</math>を変数<math>\boldsymbol{x}</math>に置き換えればいいだけである。
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{\boldsymbol{e}}}:=\nabla\varphi(\boldsymbol{x})\cdot\boldsymbol{e}</math>
正式には極限を用いて
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{\boldsymbol{e}}}:=\lim_{t\to0}\frac{\varphi(\boldsymbol{x}+t\boldsymbol{e})-\varphi(\boldsymbol{x})}{t}</math>
と定義する。
内積を書き下すと
:<math>\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{x}}e_1+\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{y}}e_2+\frac{\partial{\varphi}(\boldsymbol{x})}{\partial{z}}e_3</math>
これを[[解析学基礎/多変数関数の微積分#極値]]で扱った方向偏微分作用素として書き直すと
:<math>\left(e_1\frac{\partial}{\partial{x}}+e_2\frac{\partial}{\partial{y}}+e_3\frac{\partial}{\partial{z}}\right)\varphi(\boldsymbol{x})</math>
:<math>=(\boldsymbol{e}\cdot\nabla)\varphi(\boldsymbol{x})</math>
となる。
則ち、形式的には空間偏微分演算子の微分方向ベクトルとの右内積が方向偏微分作用素である。
更に、多変数関数のテイラー二次近似は
:<math>f(\boldsymbol{x})\fallingdotseq f(\boldsymbol{a})+\nabla{f}(\boldsymbol{a})\cdot(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})+\frac{1}{2}{}^t\!(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})\mathbf{D}(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{a})</math>
と書けることが判る。但し、<math>\mathbf{D}</math>はヘッセ行列である。
多変数解析で扱った停留点(臨界点)は<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})=\boldsymbol{0}</math>なる点<math>\mathrm{P}</math>として正式に定義される。また、ラグランジュの未定乗数法に於ける連立方程式も勾配を用いれば<math>\nabla\varphi(\mathrm{P})=\lambda\nabla\psi(\mathrm{P})</math>と書き表される。
スカラー場の全微分は勾配で表せたが、同様にベクトル場の全微分をナブラを用いて表すことを考える。
ベクトル場の全微分は
:<math>d\boldsymbol{a}=\frac{\partial{(a_x,a_y,a_z)}}{\partial{(x,y,z)}} d\boldsymbol{x}</math>
で定義された。
ここで<math>n</math>次行列 <math>\mathbf{A}</math>と<math>n</math>項列ベクトル <math>\boldsymbol{a}</math>に対し、<math>(\mathbf{A} \circledast \boldsymbol{a})_{ij} = (\mathbf{A}_{ij}) a_i</math>となるような可換二項演算子 <math>\circledast</math>を定義する。これは本項独自の記法である。但し、<math>(\mathbf{P})_{ij}</math>は行列 <math>\mathbf{P}</math>の第ij成分を表す。
この記法を用いると、ヤコビ行列<math>\frac{\partial{(a_x,a_y,a_z)}}{\partial{(x,y,z)}}</math>は<math>\nabla \circledast \boldsymbol{a}</math>と表すことができる。
則ち、ベクトル場の全微分は
:<math>d\boldsymbol{a} = (\nabla \circledast \boldsymbol{a}) d\boldsymbol{x}</math>
と表される。
これを形式的に
:<math>\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{x}}}=\nabla \circledast \boldsymbol{a}</math>
と書き表すことができる。
則ち、ヤコビ行列はベクトル場のベクトル変数による導関数と見做せる。
ヤコビ行列はベクトル場の成分スカラー場に対する勾配ベクトルを行に並べたものという解釈もできるので、この考え方は自然である。
ここでベクトル場に対してスカラー場と同様に方向微分係数・方向導関数を考えると、
:<math>\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{v}}}=\frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{\boldsymbol{x}}}\boldsymbol{v}</math>
が成り立つことが判る。
これもベクトル場の成分スカラー場に対する方向微分係数・方向導関数を列に並べたベクトルと解釈できる。
===発散===
ベクトル場<math>\boldsymbol{a}=\boldsymbol{a}(\boldsymbol{x})</math>が<math>x, y, z</math>の三変数関数であって<math>\boldsymbol{a}\in C^1</math>のとき、
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{a} := \frac{\partial{a_x}}{\partial{x}} + \frac{\partial{a_y}}{\partial{y}} + \frac{\partial{a_z}}{\partial{z}}</math>
を<math>\boldsymbol{a}</math>の'''発散'''(divergence)と定義する。
発散が用いられる概念としては、'''ガウスの法則'''が有名である。
:電荷密度<math>\rho</math>、電場<math>\boldsymbol{E}</math>、真空の誘電率<math>\varepsilon_0</math>として
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{E}=\frac{\rho}{\varepsilon_0}</math>
球面座標で考えることにより、この式の重要な性質「荷電粒子の座標を原点にとると原点以外では
<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{E}=0</math>」を証明することができる。
勾配と同様に発散をナブラで表すことを考えると、
:<math>\mathrm{div}\,\boldsymbol{a}=\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>
という表式を得る。
<math>\boldsymbol{a}</math>はベクトル場なのでベクトル量であり、<math>\nabla</math>は便宜的にベクトル量と考えることから、その内積<math>\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>はスカラー量であることが見て取れる。
発散に対しては以下が成り立つ。
#<math>\nabla\cdot(k\boldsymbol{a}+l\boldsymbol{b})=k\nabla\cdot\boldsymbol{a}+l\nabla\cdot\boldsymbol{b}</math>(線型性)
#<math>\nabla\cdot(\varphi\boldsymbol{a})=(\nabla\varphi)\cdot\boldsymbol{a}+\varphi\nabla\cdot\boldsymbol{a}</math>(積の微分・ライプニッツ則)
前者は内積の線型性より、後者は成分演算と勾配の定義より示される。
ヤコビ行列<math>\nabla\circledast\boldsymbol{a}</math>との関係を考える。
:<math>\nabla\circledast\boldsymbol{a}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{x}} & \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{y}} & \frac{\partial{\boldsymbol{a}}}{\partial{z}} \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{a}_x}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_x}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_x}{\partial{z}} \\ \frac{\partial{a}_y}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_y}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_y}{\partial{z}} \\ \frac{\partial{a}_z}{\partial{x}} & \frac{\partial{a}_z}{\partial{y}} & \frac{\partial{a}_z}{\partial{z}} \end{pmatrix}</math>
ここで跡が発散そのものになっているので
:<math>\nabla\cdot\boldsymbol{a}=\mathrm{tr}(\nabla\circledast\boldsymbol{a})</math>
が成り立つ。
発散の物理的意味を考える。
:密度<math>\rho</math>が一定である流体の速度場<math>\boldsymbol{v}\in\mathbb{R}^3</math>に対し、微小直方体に出入りする流体の質量収支を考える。
:点<math>(x,y,z)</math>に於ける流速<math>\boldsymbol{v}(x,y,z)=(v_x,v_y,v_z)</math>、直方体の各辺の長さを<math>\delta x, \delta y, \delta z</math>とする。
:単位時間あたりに<math>yz</math>平面に平行な面を通過する流体の質量収支は流出量<math>-\rho v_x(x,y,z)\delta y\delta z</math>、流入量<math>\rho v_x(x+\delta x,y,z)\delta y\delta z</math>より
::<math>\rho(v_x(x+\delta x,y,z)-v_x(x,y,z))\delta y\delta z=\rho\frac{v_x(x+\delta x,y,z)-v_x(x,y,z)}{\delta x}\delta x\delta y\delta z</math>
:<math>\delta x\to0</math>の極限で
::<math>=\rho\frac{\partial{v_x}}{\partial{x}}dxdydz</math>
:他の面で考えると対称性から輪環の順に入れ替えた結果を得るので直方体全体では
::<math>\rho\left(\frac{\partial{v_x}}{\partial{x}}+\frac{\partial{v_y}}{\partial{y}}+\frac{\partial{v_z}}{\partial{z}}\right)dxdydz</math>
:よって単位体積当たりでは
::<math>\rho\nabla\cdot\boldsymbol{v}</math>
:を得る。
ここで質量を密度で割ると体積なので、<math>\nabla\cdot\boldsymbol{v}</math>は単位時間あたりの流体の体積の正味の流出率を表す。
この微小直方体の単位体積あたりで観測すると、発散が正であれば流体は膨脹して密度が下がり、負であれば圧縮されて密度が上がる。0であれば流体は膨脹も圧縮もしない。
発散が零であるベクトル場を'''非圧縮/湧出無し/管状/ソレノイド ベクトル場'''(incompressible/solenoid vector field)などと呼ぶ。
また、ベクトル場の発散を'''湧き出し'''(「沸き出し」とも書く)と呼ぶ場合もある。
ベクトル場の流線に沿う流れが流体の体積を保存する条件はベクトル場が非圧縮であることである。これを'''リウヴィルの定理'''という。これは多くの場合、[[解析力学]]のハミルトン形式で表示される。
位置ベクトル場<math>\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} x \\ y \\ z \end{pmatrix}</math>に対して<math>\nabla\cdot\frac{\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^n}</math>を考える。
:<math>\frac{\partial}{\partial{x}}\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\frac{\partial{\left(\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\right)}}{\partial{\|\boldsymbol{r}\|}}\frac{\partial{\|\boldsymbol{r}\|}}{\partial{x}}=-\frac{n}{\|\boldsymbol{r}\|^n+1}\frac{x}{\sqrt{x^2+y^2+z^2}}=-\frac{nx}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+2}}</math>
<math>y, z</math>も同様なので
:<math>\nabla\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=-\frac{n\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+1}}</math>
よって発散のライプニッツ則から
:<math>\nabla\cdot\frac{\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\left(\nabla\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\right)\cdot\boldsymbol{r}+\frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}\nabla\cdot\boldsymbol{r}=-\frac{n\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{r}}{\|\boldsymbol{r}\|^{n+2}}+\frac{1+1+1}{\|\boldsymbol{r}\|^n}=\frac{3-n}{\|\boldsymbol{r}\|^n}</math>
この結果から、<math>\boldsymbol{a}/\!\!/\boldsymbol{r}\land\|\boldsymbol{a}\|\propto \frac{1}{\|\boldsymbol{r}\|^2}\implies\nabla\cdot\boldsymbol{a}=0</math>(逆二乗則に従う場は非圧縮ベクトル場)が成り立つ。
ベクトル解析の黎明期では発散の逆符号で表される
:<math>\mathrm{conv}\,\boldsymbol{a}:=-\frac{\partial{a_x}}{\partial{x}} - \frac{\partial{a_y}}{\partial{y}} - \frac{\partial{a_z}}{\partial{z}}</math>
という量が用いられていた。これは'''吸い込み'''(convergence)と呼ばれる量である。
ベクトルが発明される以前、ベクトル演算に相当するものは[[多元数/四元数|四元数]]で記述されていた。純虚四元数同士の積をとると実部が現在で言う内積の-1倍、虚部が現在で言う外積に対応する。このことから、内積そのものである湧き出しではなく内積の-1倍である吸い込みが自然に出現する量として頻繁に扱われていたのである。
===回転===
回転運動は、以下の3つにより一意に定まる。
*回転軸の方向
*回転の速さ
*回転方向(軸に対して右回転か左回転か)
「回転方向」は暗黙の諒解として右手系の正の回転角で考える。すると、回転運動を表すのに必要な情報は「方向」と「速さ(=スカラー量)」のみとなる。
従って、'''任意の回転運動はベクトルで表示される'''(ベクトルの大きさは「回転の速さ」で定める)。このようなベクトルを'''角速度ベクトル'''という。
ベクトル場の'''回転'''(curl/rotation/rotor)を以下のように定義する。
:<math>\mathrm{curl} \, \boldsymbol{a} = \mathrm{rot} \, \boldsymbol{a} = \begin{pmatrix} \frac{\partial{a_z}}{\partial{y}}-\frac{\partial{a_y}}{\partial{z}} \\ \frac{\partial{a_x}}{\partial{z}}-\frac{\partial{a_z}}{\partial{x}} \\ \frac{\partial{a_y}}{\partial{x}}-\frac{\partial{a_x}}{\partial{y}} \end{pmatrix}</math>
<math>\mathrm{curl}</math>は理学系、<math>\mathrm{rot}</math>は工学系が好んで使用する。
<math>z</math>軸方向の成分について考える。
<math>z</math>軸方向の回転はフレミングの左手の法則から<math>xy</math>平面内の成分のみが寄与すると考えられる。<math>z</math>軸の正方向の回転を生むには、<math>x</math>軸方向の変化率を大きくして<math>y</math>軸方向の変化率を小さくすればよい。
ある軸方向の変化率とはその軸の変数に関する偏導関数のことであったので、回転のz成分を<math>\frac{\partial{X_y}}{\partial{x}}-\frac{\partial{X_x}}{\partial{y}}</math>とすれば満足する。
対称性より輪環の順で入れ替えても同様であるので、回転は上の式で表されるとわかる。
これはより厳密には後述の線積分を用いて説明することになるので、ここでは定性的な説明に留めた。
回転を用いた概念として、ファラデーの電磁誘導の法則が有名である。
:電場<math>\boldsymbol{E}</math>、磁束密度<math>\boldsymbol{B}</math>として
:<math>\mathrm{rot} \, \boldsymbol{E} = -\frac{\partial{\boldsymbol{B}}}{\partial{t}}</math>
流体の渦の記述にも応用されており、回転を'''渦度ベクトル'''とも呼ぶ。流体力学的な渦の定義は「速度場の回転」である。
回転が零ベクトルであるベクトル場を'''非回転的/渦無し/層状/ラメラー ベクトル場'''(irrotational/lamella vector field)などと呼ぶ。
勾配・発散と同様に空間偏微分演算子による表記を考える。
成分に着目すると外積の形式なので、
:<math>\mathrm{curl} \, \boldsymbol{a}= \nabla \times \boldsymbol{a}</math>
と表されることが判る。
ベクトル場はベクトル量であり、ナブラは便宜的にベクトル量と見做すことから、その外積である回転はベクトル量であることが見て取れる。
外積の性質から、回転は行列式
:<math>\det \begin{pmatrix} \boldsymbol{e}_x & \boldsymbol{e}_y & \boldsymbol{e}_z \\ \frac{\partial}{\partial{x}} & \frac{\partial}{\partial{y}} & \frac{\partial}{\partial{z}} \\ a_x & a_y & a_z \end{pmatrix}</math>
でも表示される。
回転に対しては以下が成り立つ。
#<math>\nabla\times(k\boldsymbol{a}+l\boldsymbol{b})=k\nabla\times\boldsymbol{a}+l\nabla\times\boldsymbol{b}</math>(線型性)
#<math>\nabla\times(\varphi\boldsymbol{a})=(\nabla\varphi)\times\boldsymbol{a}+\varphi\nabla\times\boldsymbol{a}</math>(積の微分・ライプニッツ則)
前者は外積の線型性より、後者は成分演算と勾配の定義より示される。
回転は常に角速度ベクトルと一致するとは限らない。そのため、必ずしも回転運動そのものを記述しない。
回転は、ヤコビ行列を用いると以下のように表される。
:<math>\mathrm{rot} \, \boldsymbol{X} = 2 \,\mathrm{axl} \left( \frac{\nabla \circledast \boldsymbol{X} - {}^t \! (\nabla \circledast \boldsymbol{X})}{2} \right)</math>
:ここで<math>\nabla \circledast \boldsymbol{X} - {}^t \! (\nabla \circledast \boldsymbol{X})</math>は反対称行列であり、<math>\mathrm{axl}</math>は反対称行列を軸ベクトルに移す写像である。
===ラプラシアン===
==空間積分==
===線積分===
===面積分===
===体積分===
===ガウスの発散定理===
===ストークスの定理===
===グリーンの定理===
==発展事項==
{{節stub}}
{{Advanced|多様体論}}
{{Advanced|微分幾何学}}
{{Advanced|積分幾何学}}
ここではベクトル解析の発展編及び微分幾何学の基礎編として、「ユークリッド空間の部分多様体上の微分幾何学」を扱う。言うなれば「<math>n</math>次元版のベクトル解析学」である。
===体積分再考===
体積分は先程「<math>\mathbb{R}^3</math>上の閉立体<math>V</math>」上で考えたが、実はここには線積分・面積分との大きな非対称性がある。
線積分は「曲線」、面積分は「曲面」を積分領域としたが、先程定義した体積分の積分領域は「平坦な立体」なのである(二次元で例えば楕円領域<math>\frac{x^2}{a^2}+\frac{y^2}{b^2}\leq1</math>は境界こそ"曲線"だが空間そのものは<math>\mathbb{R}^2</math>という"平面"であることと同じ)。
1次元の曲がった空間である曲線<math>M^1:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s)</math>が<math>\mathbb{R}^2</math>内、2次元の曲がった空間である曲面<math>M^2:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s, t)</math>が<math>\mathbb{R}^3</math>内に存在するように、3次元の曲がった空間である曲立体<math>M^3:\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(s, t, u)</math>は<math>\mathbb{R}^4</math>内に存在すると考えるのが自然である。ここで一般に<math>M^n\subset\mathbb{R}^{n+1}</math>が成り立つと予想され、この関係を「<math>M^n</math>の<math>\mathbb{R}^{n+1}</math>への'''埋め込み'''」と呼ぶことにする。
線積分を<math>C=M^1</math>、面積分を<math>S=M^2</math>で定義したように、体積分を<math>M^3</math>で定義することを考える。
媒介変数空間<math>\begin{pmatrix} s \\ t \\ u \end{pmatrix} \in V \subset\mathbb{R^3}</math>上の微小変化を考えると全微分を用いて
:<math>d\boldsymbol{r}=\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}}ds+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt+\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>
よって<math>V</math>上の微小立方体<math>dsdtdu</math>は3ベクトル<math>\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}}ds,\quad\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}}dt,\quad\frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}}du</math>の張る微小平行六面体へ移される。
体素はこの微小平行六面体の体積と考えられるが、<math>\boldsymbol{r}\in\mathbb{R}^4</math>より当然この3ベクトルは4項ベクトルなので、'''外積を含んでいるスカラー三重積は使えない'''。
全微分を一次変換表記すると
:<math>d\boldsymbol{r}=\begin{pmatrix} \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{s}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{t}} & \frac{\partial{\boldsymbol{r}}}{\partial{u}} \end{pmatrix} \begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
:<math>=\begin{pmatrix} \frac{\partial{x}}{\partial{s}} & \frac{\partial{x}}{\partial{t}} & \frac{\partial{x}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{y}}{\partial{s}} & \frac{\partial{y}}{\partial{t}} & \frac{\partial{y}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{z}}{\partial{s}} & \frac{\partial{z}}{\partial{t}} & \frac{\partial{z}}{\partial{u}} \\ \frac{\partial{w}}{\partial{s}} & \frac{\partial{w}}{\partial{t}} & \frac{\partial{w}}{\partial{u}} \end{pmatrix} \begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
:<math>=\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\begin{pmatrix} ds \\ dt \\ du \end{pmatrix}</math>
ここでヤコビ行列は<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\in\mathbb{R}^{4\times3}</math>であって'''正方行列でないので行列式も求まらない'''。
そこで、[[線型代数学続論/種々の行列#随伴行列|グラム行列]]を利用することを考える。
'''グラム行列は必ず半正定値行列'''なので行列式は非負であり、平方根をとれる。
そのため、<math>\mathbf{G}:=\left(\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}\right)^*\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}</math>として<math>\sqrt{\det\mathbf{G}}</math>を体積拡大率とする。
これは正方行列ならヤコビアンの絶対値に一致する。
{{NavTop|title=補足:体積拡大率に一致する証明}}
:<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}</math>の列ベクトルにグラム=シュミットの直交化法を適用すると[[線型代数学続論/行列分解|QR分解]]によって
:<math>\frac{\partial{(x, y, z, w)}}{\partial{(s, t, u)}}=\mathbf{QR}\quad (\mathbf{Q}\in\mathbb{R}^{4\times3}, \mathbf{R}\in\mathbb{R}^{3\times3})</math>
よって
:<math>\mathbf{G}=(\mathbf{QR})^*\mathbf{QR}</math>
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{Q}^*\mathbf{Q}\mathbf{R}</math>
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{E}_3\mathbf{R}</math>(<math>\because\mathbf{Q}</math>は列ユニタリ行列)
:<math>=\mathbf{R}^*\mathbf{R}</math>
:<math>\therefore \sqrt{\det\mathbf{G}}=\sqrt{\det\left( \mathbf{R}^*\mathbf{R} \right)}=\sqrt{\left(\det\mathbf{R}\right)^2}=|\det\mathbf{R}|</math>
<math>\mathbf{Q}</math>は列ユニタリ行列なのでその一次変換は等長変換であり、全微分による拡大率は<math>\mathbf{R}</math>による拡大率と一致する。<br/>
則ち、<math>\sqrt{\det\mathbf{G}}</math>を拡大率としてとれる。//
{{NavBottom}}
よって体積分は
:<math>\iiint_{M^3} f(\boldsymbol{r})dM^3 = \iiint_{V} f(\boldsymbol{r}(s, t, u))\sqrt{\det\mathbf{G}}\,dsdtdu</math>
ここから、適切な媒介変数表示が存在するならば<math>M^n</math>上での体積分の計算に<math>\mathbb{R}^{n+1}\setminus M^n</math>の情報は入ってこず、<math>M^n</math>の情報のみで計算されると予想される。
実際、<math>M^n</math>に適切な媒介変数表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\boldsymbol{p})\quad(\boldsymbol{p}\in\mathbb{R}^n)</math>が存在するとき、全微分による一次変換の拡大率は同様にグラム行列式の平方根で与えられるので体積素は<math>dM^n = \sqrt{\det\mathbf{G}} \prod_{k=1}^{n}d\boldsymbol{p}_k</math>と書け、これは正しい。
なお、二次元の場合を考えると<math>\mathbf{G}=\mathbf{K}</math>より<math>dM^2=dS</math>であり、面素に一致する。一次元の場合を考えると<math>\mathbf{G}=\|d\boldsymbol{r}\|^2</math>より<math>dM^1=dl</math>であり、線素に一致する。
実は、体素だけでなく一般に角度や長さといった幾何学的な量は埋め込み先である<math>\mathbb{R}^{n+1}</math>の情報を全く必要とせず、<math>M^n</math>の情報だけで構成できることが知られている。このことは微分幾何学のうち[[w:リーマン幾何学|リーマン幾何学]]と呼ばれる分野で詳しく扱われる。
ここまで<math>M^n</math>を適切な媒介変数<math>\boldsymbol{p}\in\mathbb{R}^n</math>で表すことを強調してきたが、媒介変数表示を考えるということは<math>M^n</math>から媒介変数空間<math>U\subset\mathbb{R}^n</math>への射影<math>\pi:M^n\to U</math>を考えるということである。
ここで、この<math>\pi</math>が全単射ならば逆向きの射影<math>\pi^{-1}:U\to M^n</math>が存在してそれが媒介変数表示<math>\boldsymbol{r}=\boldsymbol{r}(\boldsymbol{p})</math>となるわけであるが、これは以下のようにも捉えられる。
:<math>\pi</math>によって射影した平坦な空間で座標を設定すると、'''適切な逆変換<sup>※</sup>によって曲がった空間<math>M^n</math>上に(局所)座標系を与えることができる'''。
つまり、体積分を媒介変数空間に置換積分するということは、逆に体積分の元の表示が「<math>M^n</math>上の局所座標系に於ける積分」であることを示している。
※この適切な逆変換が存在する条件は'''陰関数定理そのもの'''である。
ここで、適切な媒介変数表示が存在するよう<math>M^n</math>に制限を課したものが、以下で扱う'''多様体'''である。
===多様体===
===微分形式===
[[線型代数学続論/外積代数]]も参照。
===リーマン計量===
===テンソル解析===
[[線型代数学続論/テンソル代数]]も参照。
===複素ベクトル解析===
[[複素解析学]]も参照。
{{DEFAULTSORT:へくとるかいせき}}
[[Category:解析学]]
[[Category:微分積分学]]
[[Category:ベクトル解析|かいせきかくきそ]]
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Wikibooks:統合提案
4
45711
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304323
2026-10-07T09:36:24Z
Tomzo
248
/* 2026年9月 */
304374
wikitext
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ここは、記述が重複していたり(Duplicate article)まとめて扱った方が望ましいと思われる項目の'''[[Wikibooks:ページの分割と統合#ページの統合|統合提案]]'''(Proposed article mergers)を告知するためのページです。
== ガイドライン ==
=== 統合の手順のガイドライン ===
* 「[[Wikibooks:ページの分割と統合#ページの統合|ページの統合]]」を参照
=== このページへの記載のガイドライン ===
* 議論は必ず統合に関わるページのノートで行ってください。
** ただし、カテゴリページの統合については、このページに記載する必要はありません。[[Wikibooks:カテゴリの提案と議論#統合提案の場合]]に従ってください。
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* 統合を実施したか、議論の結果実施しないという結論に至ったものは、報告を記載してください。その後1週間経過したものは除去してください。
* 以下のいずれかの場合は議論の終了とみなします。
*# 参加者によって議論終了の合意が形成された場合。
*# 議論停止から1か月経過した場合。これは、その後の加筆・修正により統合が不適切となっている可能性があるためです。
*# botによりテンプレートが自動除去され、2週間以内に再度貼付されない場合。さらに議論を継続する必要がある場合には、テンプレートの{{Para|date}}指定を新たにして再度貼付してください。
* 議論が終了した場合には以下の対応を行ってください。
** 告知及びテンプレートの除去。
*** 提案者又は議論参加者は提案告知及びテンプレートを除去して下さい。除去されない場合には他の人が除去しても構いません。
*** 議論の終了、放置、継続中の如何にかかわらず、テンプレートは貼付後六ヶ月経過した場合にはbotによって自動的に除去されます。
** 再度提案を行うことは可能です(ただし、それまでの議論を踏まえて、提案の内容や理由を再検討することが望ましい)。
== 統合提案の一覧 ==
この節では統合を提案する項目をリストします。追加・編集する前に前節のガイドラインに目を通してください。
=== 提案書式の例 ===
このページにて統合を提案する際の書式の例を以下に記載します。
<syntaxhighlight lang="wikitext">
* [[リダイレクトにすべき記事1]]と[[リダイレクトにすべき記事2]]を[[統合後の記事として適切と思われる記事]]へ統合。(理由を記載)のため。議論は[[ノート:統合後の記事として適切と思われる記事]]にて。--~~~~
</syntaxhighlight><noinclude>[[Category:プロジェクト関連文書用テンプレート|とうごうていあん]]</noinclude><includeonly>[[Category:統合提案|*]][[Category:ページの分割と統合|とうこうていあん]]</includeonly>
=== 2025年7月 ===
* [[高等学校理科基礎地学分野]]を[[高等学校 地学基礎]]の配下へ統合。指導要領改定対応の一環です。有効内容としては「地球と天体」が一部ある程度なので分岐スタブとしてサブページの付け替えで対応の方向を考えています。議論は[[ノート:高等学校 地学基礎]]にて。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2025年7月27日 (日) 05:11 (UTC)
*:内容を確認したところ、学習指導要領の改正により、[[高等学校理科基礎]]は[[高等学校 科学と人間生活]]に継承されたものと理解されますので、上記提案を修正し、[[高等学校理科基礎]]を[[高等学校 科学と人間生活]]に改正経緯として統合(リダイレクト化)、[[高等学校理科基礎地学分野]]は[[高等学校理科 科学と人間生活/身近な天体と太陽系における地球]]に統合することを提案します。議論は[[ノート:高等学校 科学と人間生活]]及び[[ノート:高等学校理科 科学と人間生活/身近な天体と太陽系における地球]]にて。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月23日 (水) 22:46 (UTC)
*::{{対処}}特に異論がなかったため、統合しました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年10月5日 (月) 21:45 (UTC)
=== 2026年1月 ===
* [[日本語/方言]]と[[日本語の方言]]を[[日本語の方言]]へ統合。同じテーマを書いており、特に内容にも違いがないため。[[Wikibooks:ページの分割と統合#統合すべきでない場合]]の「統合するまでもない記事」に当たるような気もしますが、勝手がまだ分かっていないので取り敢えずここで聞きたいと思います。。内容は[[日本語の方言]]のほうが充実しています(と言っても赤リンクばかりのリンク記事ですが)。記事名はどちらにしても構わないと思いますが、単純に日本語共通化語の下位にある存在ではないという観点と、カテゴリとの一致から、[[日本語の方言]]のほうが適当だと思っています。議論は[[ノート:日本語の方言]]にて。--[[利用者:BrassSnail|BrassSnail]] ([[利用者・トーク:BrassSnail|トーク]]) 2026年1月15日 (木) 15:14 (UTC)<small>(リンク修正:[[利用者:BrassSnail|BrassSnail]] ([[利用者・トーク:BrassSnail|トーク]]) 2026年1月15日 (木) 15:28 (UTC))</small>
**{{cmt|コメント}} 基本的に賛成ですが、ツリー構造であることを考えると、[[日本語/方言]]側に寄せる方が良いと思います。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月3日 (木) 19:45 (UTC)
**:私もはじめはそう思ったのですが、[[日本語]]というタイトルの記事が現在「標準語」のみを対象にしているところからすると、各方言は標準語のバリエーションではなく、標準語と呼ばれるものも日本語の一変種に過ぎないという(少なくとも私の持っている)考えには合わないと思ったので、この形での提案としました。そちらの記事を日本語/共通語のようなタイトルに変更するのでも良いかもしれませんが、実態として需要の高いのは標準語でありそれがサブページ的場所に置かれるのは不便かもしれないという点と、それはそれで「標準語」対「それ以外の方言」という構図になってしまわないかという懸念があります。--[[利用者:BrassSnail|BrassSnail]] ([[利用者・トーク:BrassSnail|トーク]]) 2026年9月6日 (日) 11:27 (UTC)
*[[センター試験 世界史B対策]]を[[センター試験 世界史対策]]へ、[[センター試験 日本史B対策]]を[[センター試験 日本史対策]]へ、[[センター試験 地理B対策]]を[[センター試験 地理対策]]へ統合。議論は[[ノート:日本の大学受験ガイド]]へ。--[[利用者:なまえみてい|なまえみてい]] ([[利用者・トーク:なまえみてい|トーク]]) 2026年1月27日 (火) 03:37 (UTC)
** {{コメント2|対処}} 異論がなかったため、[[Wikibooks:ページの分割と統合#ページの統合]]の通りに統合しました。--[[利用者:なまえみてい|なまえみてい]] ([[利用者・トーク:なまえみてい|トーク]]) 2026年2月4日 (水) 08:24 (UTC)
=== 2026年8月 ===
* [[Subversion/目次]]を[[Subversion]]へ統合。呼び元の[[Subversion]]には[[Subversion/目次]]へのリンクしかなく、目次ページの分量も少ないため分散の必要性に欠けます。議論は[[ノート:Subversion]]にて。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年8月30日 (日) 17:56 (UTC)
*:{{対処}} 特に異論がなかったため、統合します。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月7日 (月) 04:14 (UTC)
=== 2026年9月 ===
* [[高等学校物理/物理公式集]]を[[初等物理学公式集]]へ統合。明らかに重複です、情報量は[[初等物理学公式集]]の方が多いので、こちらに寄せるべきものと考えます。議論は[[ノート:初等物理学公式集]]にて。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月4日 (金) 01:12 (UTC)
*:{{対処}} 特に異論がなかったため、統合しました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月24日 (木) 00:20 (UTC)
*[[音楽用語]]に、[[音楽用語 あ行]]、[[音楽用語 か行]]、[[音楽用語 さ行]]、[[音楽用語 た行]]、[[音楽用語 な行]]、[[音楽用語 は行]]、[[音楽用語 ま行]]、[[音楽用語 A-E]]、[[音楽用語 K-O]]、[[音楽用語 P-T]]を統合。各ページとも記載量が少なく、主題テーマに関して一覧性を欠き、統合後のページが巨大にはならないため。議論は[[ノート:音楽用語]]にて。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年9月28日 (月) 00:51 (UTC)
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*:{{対処}} 特に異論がなかったため、統合しました。--[[利用者:Tomzo|Tomzo]] ([[利用者・トーク:Tomzo|トーク]]) 2026年10月7日 (水) 09:36 (UTC)
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[[category:統合提案|*]]
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終戦の詔書/テキスト注解
0
48695
304353
304302
2026-10-06T15:29:11Z
Linguae
449
/* 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所󠄁以モ亦 */
304353
wikitext
text/x-wiki
<!--【2026年8月16日起稿】-->
*[[第二次世界大戦]]>[[終戦の詔書]]>
<div style="font-family:游明朝;font-size:35pt;text-align:center;">終󠄁戰ノ詔書</div>
<div style="font-family:游明朝;font-size:20pt;text-align:center;">テキスト註解</div>
ここでは、昭和20年8月14日に発布された詔書、いわゆる「終戦の詔書」のテキストを注解する。
== テキスト注解(昭和二十年八月十四日の詔書)==
; [[#第一段落]] [[#第二段落]] [[#第三段落]] [[#第四段落]] [[#第五段落]]
:
; 第一段落
# [[#朕󠄂󠄂(ちん)]]
# [[#朕󠄂󠄂深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ]]
# [[#非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ]]
# [[#玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク]]
; 第二段落
# [[#朕󠄂ハ帝國政府ヲシテ]]
# [[#米英支蘇四國ニ對シ]]
# [[#其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通󠄁吿セシメタリ]]
; [[#第三段落]]
# [[#抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ]]
# [[#萬邦󠄂共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ]]
# [[#皇祖︀皇宗ノ遺󠄁範ニシテ]]
# [[#朕󠄂ノ拳󠄁々措カサル所󠄁]]
# [[#曩ニ米英二國ニ宣戰セル所󠄁以モ亦]]
# [[#實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻󠄀幾󠄁󠄁スルニ出テ]]
# [[#他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵󠄁スカ如キハ]]
# [[#固ヨリ朕󠄂カ志ニアラス]]
# [[#然ルニ交󠄁戰已ニ四歲ヲ閱シ]]
# [[#朕󠄂カ陸海󠄀將兵ノ勇󠄁戰]]
# [[#朕󠄂カ百僚有司ノ勵精󠄀]]
# [[#朕󠄂カ一億衆庻󠄀ノ奉公󠄁]]
# [[#各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス]]
# [[#戰局必スシモ好轉セス]]
# [[#世界ノ大勢亦我ニ利アラス]]
# [[#加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ使󠄁用シテ]]
# [[#頻󠄀ニ無辜ヲ殺󠄀傷シ]]
# [[#慘害󠄂ノ及󠄁フ所󠄁眞ニ測ルヘカラサルニ至ル]]
# [[#而モ尙交󠄁戰ヲ繼續セムカ]]
# [[#終󠄁ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス]]
# [[#延󠄂テ人類󠄀ノ文󠄁明ヲモ破却スヘシ]]
# [[#斯ノ如クムハ]]
# [[#朕󠄂何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ]]
# [[#皇祖︀皇宗ノ神󠄀靈ニ謝セムヤ]]
# [[#是レ朕󠄂カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所󠄁以ナリ]]
; [[#第四段落]]
# [[#朕󠄂ハ帝國ト共ニ]]
# [[#終󠄁始東亞ノ解放ニ協力セル諸󠄀盟邦󠄂ニ對シ]]
# [[#遺󠄁憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス]]
# [[#帝國臣民ニシテ]]
# [[#戰陣ニ死シ]]
# [[#職域ニ殉シ]]
# [[#非命ニ斃レタル者󠄁]]
# [[#及󠄁其ノ遺󠄁族ニ想ヲ致セハ]]
# [[#五內爲ニ裂ク]]
# [[#且戰傷ヲ負󠄂ヒ]]
# [[#災禍󠄀ヲ蒙リ]]
# [[#家業ヲ失ヒタル者󠄁ノ]]
# [[#厚生ニ至リテハ]]
# [[#朕󠄂ノ深ク軫念スル所󠄁ナリ]]
# [[#惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難󠄀ハ]]
# [[#固ヨリ尋󠄁常ニアラス]]
# [[#爾臣民ノ衷情󠄁モ朕󠄂善ク之ヲ知ル]]
# [[#然レトモ朕󠄂ハ時運󠄁ノ趨ク所󠄁]]
# [[#堪ヘ難󠄀キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難󠄀キヲ忍󠄁ヒ]]
# [[#以テ萬世ノ爲ニ太平󠄁ヲ開カムト欲ス]]
; [[#第五段落]]
# [[#朕󠄂ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ]]
# [[#忠良ナル爾臣民ノ赤誠󠄁ニ信倚シ]]
# [[#常ニ爾臣民ト共ニ在リ]]
# [[#若シ夫レ情󠄁ノ激スル所󠄁]]
# [[#濫ニ事端ヲ滋クシ]]
# [[#或ハ同胞󠄁排擠]]
# [[#互ニ時局ヲ亂リ]]
# [[#爲ニ大道󠄁ヲ誤󠄁リ]]
# [[#信義ヲ世界ニ失フカ如キハ]]
# [[#朕󠄂最モ之ヲ戒ム]]
# [[#宜シク擧國一家子孫相傳ヘ]]
# [[#確ク神󠄀州ノ不滅ヲ信シ]]
# [[#任重クシテ]]
# [[#道󠄁遠󠄁キヲ念ヒ]]
# [[#總力ヲ將來ノ建󠄁設ニ傾ケ]]
# [[#道󠄁義ヲ篤クシ]]
# [[#志操ヲ鞏クシ]]
# [[#誓テ國體ノ精󠄀華ヲ發揚シ]]
# [[#世界ノ進󠄁運󠄁ニ後レサラムコトヲ期スヘシ]]
# [[#爾臣民其レ克ク朕󠄂カ意ヲ體セヨ]]
== 第一段落 ==
<!--◆第一段落--><div style="background-color:#ffd;">
<p style="line-height:1.3; margin-bottom: 15px; text-align:left; font-family:游明朝;font-size:13pt;">(原文)<span style="color:#500;">朕󠄂</span>深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク</p>
<p style="background-color:#ffe; line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:13pt;"><ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>深</rb><rp>(</rp><rt>ふか</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>界</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>大</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>勢</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>現</rb><rp>(</rp><rt>げん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>状</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>とに<ruby><rb>鑑</rb><rp>(</rp><rt>かんが</rt><rp>)</rp></ruby>み、<ruby><rb>非</rb><rp>(</rp><rt>ひ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>常</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>措</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>置</rb><rp>(</rp><rt>ち</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>以</rb><rp>(</rp><rt>もっ</rt><rp>)</rp></ruby>て<ruby><rb>時</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>局</rb><rp>(</rp><rt>きょく</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>収</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>拾</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby>せんと<ruby><rb>欲</rb><rp>(</rp><rt>ほっ</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>玆</rb><rp>(</rp><rt>ここ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>忠</rb><rp>(</rp><rt>ちゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>良</rb><rp>(</rp><rt>りょう</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>告</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐ。</p>
</div>
# [[#朕󠄂󠄂(ちん)]]
# [[#朕󠄂󠄂深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ]]
# [[#非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ]]
# [[#玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク]]
=== 朕󠄂󠄂(ちん) ===
*「<span style="font-family:游明朝;font-size:20pt;">朕󠄂󠄂</span>」は、古代中国で自称として用いられていた言葉だが、[[w:秦|秦]]の[[w:始皇帝|始皇帝]]から[[w:天子|天子]](皇帝)の自称に限られるようになり、以後は中国・ベトナム・日本の君主の自称として、特に日本では歴代天皇の自称として用いられてきた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9C%95-569835 朕(チン)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>。<br>昭和21年(1946年)の「[[w:人間宣言|人間宣言]]」によって天皇の神格化が完全に否定され、さらに昭和22年(1947年)の[[w:日本国憲法|日本国憲法]]の施行後は「<span style="font-family:游明朝;">朕󠄂󠄂</span>」は一切用いられなくなり、以後の天皇の自称は「<span style="color:#f88;">わたくし</span>」となっている。
=== 朕󠄂󠄂深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>深</rb><rp>(</rp><rt>ふか</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>界</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>大</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>勢</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>現</rb><rp>(</rp><rt>げん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>状</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>とに<ruby><rb>鑑</rb><rp>(</rp><rt>かんが</rt><rp>)</rp></ruby>み、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:わたくしは、世界の情勢と帝国(大日本帝国)の現状とを深く考え合わせ、</p>
==== 鑑みる ====
*「鑑みる」:先例や他の例とくらべ合わせて考える<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%91%91%E3%81%BF%E3%82%8B-459421#w-1924987 鑑みる(カガミル)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
=== 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>非</rb><rp>(</rp><rt>ひ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>常</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>措</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>置</rb><rp>(</rp><rt>ち</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>以</rb><rp>(</rp><rt>もっ</rt><rp>)</rp></ruby>て<ruby><rb>時</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>局</rb><rp>(</rp><rt>きょく</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>収</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>拾</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby>せんと<ruby><rb>欲</rb><rp>(</rp><rt>ほっ</rt><rp>)</rp></ruby>し、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:緊急措置によって局面を収拾しようと思って、</p>
==== 非常の ====
*「非常(の)」:普通でない差し迫った、思いがけない緊急事態の<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E5%B8%B8-610028#w-2096327 非常(ヒジョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 時局 ====
*「時局」:国家・社会などの、その時の情勢。時世の局面。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E5%B1%80-518076#w-518076 時局(ジキョク)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 収集 ====
*「収拾」:乱れた事態などをおさめること。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8E%E6%8B%BE-526879#w-1997828 収拾(シュウシュウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
=== 玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>玆</rb><rp>(</rp><rt>ここ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>忠</rb><rp>(</rp><rt>ちゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>良</rb><rp>(</rp><rt>りょう</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>告</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐ。</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:ここに、忠実で善良なあなたがた国民に告げる。</p>
==== 玆(ここ)に ====
*「玆に(ここに)」:この時にあたり。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A4%E5%87%A6%E3%81%AB-500393#w-500393 此処に(ココニ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 忠良 ====
*「忠良」:忠義で善良なこと。また、そのさまや、その人。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%BF%A0%E8%89%AF-567930#w-567930 忠良(チュウリョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 爾(なんじ) ====
*「爾」:「汝」におなじ。「なむじ」が転訛した二人称の代名詞で、中世以降は目下の者に用いられた。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B1%9D-429890#w-590506 な‐んじ〔‐んぢ〕【×汝/×爾】- コトバンク]</ref>
=== 臣民 ===
*「臣民」:臣下としての国民。明治憲法([[w:大日本帝国憲法|大日本帝国憲法]])憲法のもとで、天皇、皇・公族以外の者。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%87%A3%E6%B0%91-82595#w-2013169 臣民(シンミン)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
<span style="color:#500;">
</span>
<span style="color:#009900;"></span>
<p style="color:#009900;"></span>
== 第二段落 ==
<!--◆第二段落--><div style="background-color:#ffd;">
<p style="line-height:1.3; margin-bottom: 15px; text-align:left; font-family:游明朝;font-size:13pt;">(原文)<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨<span style="color:#500;">通󠄁</span>吿セシメタリ</p>
<p style="background-color:#ffe; line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:13pt;"> <ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>政</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>府</rb><rp>(</rp><rt>ふ</rt><rp>)</rp></ruby>をして、
<ruby><rb>米</rb><rp>(</rp><rt>べい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>英</rb><rp>(</rp><rt>えい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>支</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>蘇</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>四</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>対</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>し、
<ruby><rb>其</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>共</rb><rp>(</rp><rt>きょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>同</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宣</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>言</rb><rp>(</rp><rt>げん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>受</rb><rp>(</rp><rt>じゅ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>諾</rb><rp>(</rp><rt>だく</rt><rp>)</rp></ruby>する<ruby><rb>旨</rb><rp>(</rp><rt>むね</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>通</rb><rp>(</rp><rt>つう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>告</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>せしめたり。</p>
</div>
# [[#朕󠄂ハ帝國政府ヲシテ]]
#* [[#帝国政府]]
# [[#米英支蘇四國ニ對シ]]
#* [[#米英支蘇四國]]
# [[#其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通󠄁吿セシメタリ]]
#* [[#共同宣言ヲ受諾]]
=== 朕󠄂ハ帝國政府ヲシテ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>政</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>府</rb><rp>(</rp><rt>ふ</rt><rp>)</rp></ruby>をして、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:わたくしは、帝国<small>(大日本帝国)</small>政府に命じて、</p>
==== 帝国政府 ====
*「帝国政府」:[[w:大日本帝国憲法|大日本帝国憲法]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-91835 大日本帝国憲法(ダイニッポンテイコクケンポウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>(明治憲法)のもとでの総理大臣を首班とする内閣。
**より具体的には、[[w:鈴木貫太郎内閣|鈴木貫太郎内閣]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-845136 鈴木貫太郎内閣(すずきかんたろうないかく)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>のことを指す。
**明治憲法は「天皇主権」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E4%B8%BB%E6%A8%A9-1566340 天皇主権(てんのうしゅけん)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>、つまり行政権の主体は「天皇」にあり、「国務大臣」めいめいが天皇を「輔弼」(補佐)して各省を管轄する体制となっていた。憲法には「内閣」や「内閣総理大臣」の規定がなく、「内閣」は天皇の命令で動く国務大臣たちの協議の場に過ぎなかった。
**また、軍隊を指揮監督する最高権限「[[w:統帥権|統帥権]]」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9-103758#w-855138 統帥権(トウスイケン)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>は主権者である「天皇」にあり、「内閣・政府」は軍隊や戦争に関する決定権を持たなかった。
**「内閣・政府」には憲法上の行政の統括権限がなかったが、実務上は「内閣」が国家の意思決定や諸外国との外交交渉を行う「窓口」であり、実務組織となっていた。
=== 米英支蘇四國ニ對シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>米</rb><rp>(</rp><rt>べい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>英</rb><rp>(</rp><rt>えい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>支</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>蘇</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>四</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>対</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>し、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:アメリカ・イギリス・中国・ソビエトの4か国に対して、</p>
==== 米英支蘇四國 ====
*「米英支蘇四國」:ポツダム宣言を発した、米(アメリカ)・英(イギリス)・<u>支</u>那(中華民国)の3か国、および後から名を連ねた<u>蘇</u>聯(ソビエト連邦)
**詔書の草案の段階では、「<span style="color:#500;">米英二国<ruby><rb>並</rb><rp>(</rp><rt>ならび</rt><rp>)</rp></ruby>ニ重慶政権ソヴィエート聯邦</span>」「<span style="color:#500;">米英重慶ソヴィエート政府</span>」としているものもあった。
***中国(支那)では、日本は、日本軍の<ruby><rb>傀儡</rb><rp>(</rp><rt>かいらい</rt><rp>)</rp></ruby>である[[w:汪兆銘政権|<ruby><rb>汪兆銘</rb><rp>(</rp><rt>おうちょうめい</rt><rp>)</rp></ruby>政権]]のみを国家承認しており、戦争中の敵国であり[[w:重慶市|<ruby><rb>重慶</rb><rp>(</rp><rt>じゅうけい</rt><rp>)</rp></ruby>]]を首都としていた[[w:蔣介石|<ruby><rb>蔣介石</rb><rp>(</rp><rt>しょうかいせき</rt><rp>)</rp></ruby>]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3-18318#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 蒋介石(ショウカイセキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>が率いる[[w:中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD-97091#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 中華民国(チュウカミンコク)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>の[[w:国民政府|国民政府]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%94%BF%E5%BA%9C-64266#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 国民政府(コクミンセイフ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%94%BF%E5%BA%9C-1366638 中華民国国民政府(ちゅうかみんこくこくみんせいふ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>のことは認めずに「<span style="color:#500;">重慶政権</span>」などと呼んでいた。
=== 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通󠄁吿セシメタリ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;"><ruby><rb>其</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>共</rb><rp>(</rp><rt>きょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>同</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宣</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>言</rb><rp>(</rp><rt>げん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>受</rb><rp>(</rp><rt>じゅ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>諾</rb><rp>(</rp><rt>だく</rt><rp>)</rp></ruby>する<ruby><rb>旨</rb><rp>(</rp><rt>むね</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>通</rb><rp>(</rp><rt>つう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>告</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>せしめたり。</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:その共同宣言<small>(ポツダム宣言)</small>を受諾するということを通知させた。</p>
==== 共同宣言ヲ受諾 ====
*「共同宣言ヲ受諾」:当初は「米英支三国宣言」などと呼んでいた、いわゆる「[[w:ポツダム宣言|ポツダム宣言]]」を受諾するということ。
== 第三段落 ==
<!--◆第三段落--><div style="background-color:#ffd;">
<p style="line-height:1.3; margin-bottom: 15px; text-align:left; font-family:游明朝;font-size:13pt;">(原文)抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬<span style="color:#500;">邦󠄂</span>共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇<span style="color:#500;">祖︀</span>皇宗ノ<span style="color:#500;">遺󠄁</span>範ニシテ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ノ<span style="color:#500;">拳󠄁</span>々措カサル<span style="color:#500;">所󠄁</span>曩ニ米英二國ニ宣戰セル<span style="color:#500;">所󠄁</span>以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ<span style="color:#800;"><!--〓-->庻󠄀</span><span style="color:#500;">幾󠄁󠄁</span>スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ<span style="color:#500;"><!--〓-->侵󠄁</span>スカ如キハ固ヨリ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ志ニアラス然ルニ<span style="color:#500;">交󠄁</span>戰已ニ四歲ヲ閱シ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ陸<span style="color:#500;">海󠄀</span>將兵ノ<span style="color:#500;">勇󠄁</span>戰<span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ百僚有司ノ勵<span style="color:#500;">精󠄀</span><span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ一億衆<span style="color:#800;"><!--〓-->庻󠄀</span>ノ奉公󠄁各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ<span style="color:#500;">使󠄁</span>用シテ<span style="color:#500;">頻󠄀</span>ニ無辜ヲ<span style="color:#500;">殺󠄀</span>傷シ慘<span style="color:#500;">害󠄂</span>ノ<span style="color:#500;">及󠄁</span>フ<span style="color:#500;">所󠄁</span>眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尙<span style="color:#500;">交󠄁</span>戰ヲ繼續セムカ<span style="color:#500;">終󠄁</span>ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス<span style="color:#500;">延󠄂</span>テ人<span style="color:#500;">類󠄀</span>ノ<span style="color:#500;">文󠄁</span>明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇<span style="color:#500;">祖︀</span>皇宗ノ<span style="color:#500;">神󠄀</span>靈ニ謝セムヤ是レ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル<span style="color:#500;">所󠄁</span>以ナリ</p>
<p style="background-color:#ffe; line-height:1.5; font-family:游明朝;font-size:13pt;">{{ruby|抑|そも}}{{ruby|〻|そも}}、{{ruby|帝|てい}}{{ruby|国|こく}}{{ruby|臣|しん}}{{ruby|民|みん}}の{{ruby|康|こう}}{{ruby|寧|ねい}}を{{ruby|図|はか}}り、
{{ruby|万|ばん}}{{ruby|邦|ぽう}}{{ruby|共|きょう}}{{ruby|栄|えい}}の{{ruby|楽|たのしみ}}を{{ruby|偕|とも}}にするは、
{{ruby|皇|こう}}{{ruby|祖|そ}}{{ruby|皇|こう}}{{ruby|宗|そう}}の{{ruby|遺|い}}{{ruby|範|はん}}にして、
{{ruby|朕|ちん}}の{{ruby|拳|けん}}{{ruby|々|けん}}{{ruby|措|お}}かざる{{ruby|所|ところ}}。
{{ruby|曩|さき}}に{{ruby|米|べい}}{{ruby|英|えい}}{{ruby|二|に}}{{ruby|国|こく}}に{{ruby|宣|せん}}{{ruby|戦|せん}}せる{{ruby|所以|ゆえん}}も{{ruby|亦|また}}、
<ruby><rb>実</rb><rp>(</rp><rt>じつ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>自</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>存</rb><rp>(</rp><rt>そん</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>東</rb><rp>(</rp><rt>とう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>亜</rb><rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>安</rb><rp>(</rp><rt>あん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>定</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby>とを<ruby><rb>庶</rb><rp>(</rp><rt>しょ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>幾</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>するに<ruby><rb>出</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>で、<ruby><rb>他</rb><rp>(</rp><rt>た</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>主</rb><rp>(</rp><rt>しゅ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>権</rb><rp>(</rp><rt>けん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>排</rb><rp>(</rp><rt>はい</rt><rp>)</rp></ruby>し<ruby><rb>領</rb><rp>(</rp><rt>りょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>土</rb><rp>(</rp><rt>ど</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>侵</rb><rp>(</rp><rt>おか</rt><rp>)</rp></ruby>すが<ruby><rb>如</rb><rp>(</rp><rt>ごと</rt><rp>)</rp></ruby>きは、<ruby><rb>固</rb><rp>(</rp><rt>もと</rt><rp>)</rp></ruby>より<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>志</rb><rp>(</rp><rt>こころざし</rt><rp>)</rp></ruby>にあらず。<ruby><rb>然</rb><rp>(</rp><rt>しか</rt><rp>)</rp></ruby>るに<ruby><rb>交</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>已</rb><rp>(</rp><rt>すで</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>四</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>歳</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>閲</rb><rp>(</rp><rt>けみ</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>陸</rb><rp>(</rp><rt>りく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>海</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>将</rb><rp>(</rp><rt>しょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>兵</rb><rp>(</rp><rt>へい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>勇</rb><rp>(</rp><rt>ゆう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>百</rb><rp>(</rp><rt>ひゃく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>僚</rb><rp>(</rp><rt>りょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>有</rb><rp>(</rp><rt>ゆう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>司</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>励</rb><rp>(</rp><rt>れい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>精</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>一</rb><rp>(</rp><rt>いち</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>億</rb><rp>(</rp><rt>おく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>衆</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>庶</rb><rp>(</rp><rt>しょ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>奉</rb><rp>(</rp><rt>ほう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>公</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>各</rb><rp>(</rp><rt>おの</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>〻</rb><rp>(</rp><rt>おの</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>最</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>ぜん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>尽</rb><rp>(</rp><rt>つく</rt><rp>)</rp></ruby>せるに<ruby><rb>拘</rb><rp>(</rp><rt>かかわ</rt><rp>)</rp></ruby>らず、<ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>局</rb><rp>(</rp><rt>きょく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>必</rb><rp>(</rp><rt>かなら</rt><rp>)</rp></ruby>ずしも<ruby><rb>好</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>転</rb><rp>(</rp><rt>てん</rt><rp>)</rp></ruby>せず、<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>界</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>大</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>勢</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>亦</rb><rp>(</rp><rt>また</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>我</rb><rp>(</rp><rt>われ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>利</rb><rp>(</rp><rt>り</rt><rp>)</rp></ruby>あらず。<ruby><rb>加之</rb><rp>(</rp><rt>しかのみならず</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>敵</rb><rp>(</rp><rt>てき</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>新</rb><rp>(</rp><rt>あらた</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>残</rb><rp>(</rp><rt>ざん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>虐</rb><rp>(</rp><rt>ぎゃく</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>爆</rb><rp>(</rp><rt>ばく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>弾</rb><rp>(</rp><rt>だん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>使</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>用</rb><rp>(</rp><rt>よう</rt><rp>)</rp></ruby>して、<ruby><rb>頻</rb><rp>(</rp><rt>しきり</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>無</rb><rp>(</rp><rt>む</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>辜</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>殺</rb><rp>(</rp><rt>さっ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>傷</rb><rp>(</rp><rt>しょう</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>惨</rb><rp>(</rp><rt>さん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>害</rb><rp>(</rp><rt>がい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>及</rb><rp>(</rp><rt>およ</rt><rp>)</rp></ruby>ぶ<ruby><rb>所</rb><rp>(</rp><rt>ところ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>真</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>測</rb><rp>(</rp><rt>はか</rt><rp>)</rp></ruby>るべからざるに<ruby><rb>至</rb><rp>(</rp><rt>いた</rt><rp>)</rp></ruby>る。<ruby><rb>而</rb><rp>(</rp><rt>しか</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>尚</rb><rp>(</rp><rt>なお</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>交</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>継</rb><rp>(</rp><rt>けい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>続</rb><rp>(</rp><rt>ぞく</rt><rp>)</rp></ruby>せんか、<ruby><rb>終</rb><rp>(</rp><rt>つい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>我</rb><rp>(</rp><rt>わ</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ぞく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>滅</rb><rp>(</rp><rt>めつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>亡</rb><rp>(</rp><rt>ぼう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>招</rb><rp>(</rp><rt>しょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>来</rb><rp>(</rp><rt>らい</rt><rp>)</rp></ruby>するのみならず、<ruby><rb>延</rb><rp>(</rp><rt>ひい</rt><rp>)</rp></ruby>て<ruby><rb>人</rb><rp>(</rp><rt>じん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>類</rb><rp>(</rp><rt>るい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>文</rb><rp>(</rp><rt>ぶん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>明</rb><rp>(</rp><rt>めい</rt><rp>)</rp></ruby>をも<ruby><rb>破</rb><rp>(</rp><rt>は</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>却</rb><rp>(</rp><rt>きゃく</rt><rp>)</rp></ruby>すべし。<ruby><rb>斯</rb><rp>(</rp><rt>かく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>如</rb><rp>(</rp><rt>ごと</rt><rp>)</rp></ruby>くんば、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>何</rb><rp>(</rp><rt>なに</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>以</rb><rp>(</rp><rt>もっ</rt><rp>)</rp></ruby>てか<ruby><rb>億</rb><rp>(</rp><rt>おく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>兆</rb><rp>(</rp><rt>ちょう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>赤</rb><rp>(</rp><rt>せき</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>子</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>保</rb><rp>(</rp><rt>ほ(っ)</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>皇</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>祖</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>皇</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宗</rb><rp>(</rp><rt>そう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>神</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>霊</rb><rp>(</rp><rt>れい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>謝</rb><rp>(</rp><rt>しゃ</rt><rp>)</rp></ruby>せんや、<ruby><rb>是</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>れ<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>政</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>府</rb><rp>(</rp><rt>ふ</rt><rp>)</rp></ruby>をして<ruby><rb>共</rb><rp>(</rp><rt>きょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>同</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宣</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>言</rb><rp>(</rp><rt>げん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>応</rb><rp>(</rp><rt>おう</rt><rp>)</rp></ruby>ぜしむるに<ruby><rb>至</rb><rp>(</rp><rt>いた</rt><rp>)</rp></ruby>れる<ruby><rb>所以</rb><rp>(</rp><rt>ゆえん</rt><rp>)</rp></ruby>なり。</p>
</div>
# [[#抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ]] ([[#抑〻]] [[#康寧]] )
# [[#萬邦󠄂共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ]] ([[#萬邦󠄂]] [[#共榮]] [[#樂ヲ偕ニスル]] [[#偕樂]])
# [[#皇祖︀皇宗ノ遺󠄁範ニシテ]] ([[#皇祖︀皇宗]] [[#遺󠄁範]])
# [[#朕󠄂ノ拳󠄁々措カサル所󠄁]] ([[#拳󠄁々]] [[#措カサル]])
# [[#曩ニ米英二國ニ宣戰セル所󠄁以モ亦]] ([[#曩ニ]])
# [[#實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻󠄀幾󠄁󠄁スルニ出テ]]
# [[#他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵󠄁スカ如キハ]]
# [[#固ヨリ朕󠄂カ志ニアラス]]
# [[#然ルニ交󠄁戰已ニ四歲ヲ閱シ]]
# [[#朕󠄂カ陸海󠄀將兵ノ勇󠄁戰]]
# [[#朕󠄂カ百僚有司ノ勵精󠄀]]
# [[#朕󠄂カ一億衆庻󠄀ノ奉公󠄁]]
# [[#各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス]]
# [[#戰局必スシモ好轉セス]]
# [[#世界ノ大勢亦我ニ利アラス]]
# [[#加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ使󠄁用シテ]]
# [[#頻󠄀ニ無辜ヲ殺󠄀傷シ]]
# [[#慘害󠄂ノ及󠄁フ所󠄁眞ニ測ルヘカラサルニ至ル]]
# [[#而モ尙交󠄁戰ヲ繼續セムカ]]
# [[#終󠄁ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス]]
# [[#延󠄂テ人類󠄀ノ文󠄁明ヲモ破却スヘシ]]
# [[#斯ノ如クムハ]]
# [[#朕󠄂何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ]]
# [[#皇祖︀皇宗ノ神󠄀靈ニ謝セムヤ]]
# [[#是レ朕󠄂カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所󠄁以ナリ]]
=== 抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">{{ruby|抑|そも}}{{ruby|〻|そも}}、{{ruby|帝|てい}}{{ruby|国|こく}}{{ruby|臣|しん}}{{ruby|民|みん}}の{{ruby|康|こう}}{{ruby|寧|ねい}}を{{ruby|図|はか}}り、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:そもそも、帝国国民の平穏無事に尽力し、
</p>
==== 抑〻 ====
*「抑〻」(そもそも):接続詞の「そも」を二つ重ねた形。いったい(一体)、さて。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%8A%91-555342#w-2032227 抑(ソモソモ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 康寧 ====
*「康寧」(こうねい):やすらかなこと。平穏無事であること。安寧。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%BA%B7%E5%AF%A7-497016#w-497016 康寧(コウネイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
=== 萬邦󠄂共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">{{ruby|万|ばん}}{{ruby|邦|ぽう}}{{ruby|共|きょう}}{{ruby|栄|えい}}の{{ruby|楽|たのしみ}}を{{ruby|偕|とも}}にするは、<span style="font-size:12pt;color:#900;">(※昭和16年の対米英宣戦の詔書にも出てくるフレーズ。)</span></p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:世界のすべての国々と共に栄える歓びを分かち合うことは、
</p>
==== 萬邦󠄂 ====
*「萬邦󠄂(万邦、ばんぽう)」:多くの国。あらゆる国。すべての国。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%87%E9%82%A6-607323#w-607323 万邦(バンポウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 共榮 ====
*「共榮(共栄)」:共に栄えること。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%A0%84-477753#w-477753 共栄(キョウエイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 樂ヲ偕ニスル ====
*「樂ヲ偕ニスル」(たのしみをともにする):漢語の「[[#偕樂]]」と同じで、「多くの人々とともに楽しむこと。」
**「樂(楽)」(たのしみ):心身が満たされて、快いこと。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%A5%BD-43522#w-2040648 楽(ラク)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
==== 偕樂 ====
*「偕樂(偕楽)」(かいらく): 多くの人々とともに楽しむこと<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%81%95%E6%A5%BD-458657#w-458657 偕楽(カイラク)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>。『[[w:孟子 (書物)|孟子]]』の「梁恵王・上」にある「古之人與民偕樂故能樂也」(古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり)に由来し、水戸の[[w:偕楽園|偕楽園]]の名にも取り入れられている。
=== 皇祖︀皇宗ノ遺󠄁範ニシテ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">{{ruby|皇|こう}}{{ruby|祖|そ}}{{ruby|皇|こう}}{{ruby|宗|そう}}の{{ruby|遺|い}}{{ruby|範|はん}}にして、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:歴代天皇が遺されたお手本であり、
</p>
====皇祖︀皇宗====
*「皇祖︀皇宗(皇祖皇宗)」:天皇の始祖と、当代天皇にいたるまでの歴代の天皇。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E7%A5%96%E7%9A%87%E5%AE%97-496352#w-496352 皇祖皇宗(コウソコウソウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
====遺󠄁範====
*「遺󠄁範(遺範)」:前人ののこした手本。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%81%BA%E7%AF%84-2008336 遺範(いはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
=== 朕󠄂ノ拳󠄁々措カサル所󠄁 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">{{ruby|朕|ちん}}の{{ruby|拳|けん}}{{ruby|々|けん}}{{ruby|措|お}}かざる{{ruby|所|ところ}}。<span style="font-size:12pt;color:#900;">(※昭和16年の対米英宣戦の詔書にも出てくるフレーズ。)</span></p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:わたくしが、常に肝に銘じて大事に守っていることである。</p>
====拳󠄁々====
*「拳󠄁々」:両手で捧げ持ち、固く握って離さない様子。転じて、熱心に心に持ち続けること。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%8B%B3%E6%8B%B3-491747 拳拳(ケンケン)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
*:『[[w:礼記|礼記]]』の「[[s:ja:禮記/中庸|中庸]]」に出て来る「拳拳服膺」(捧げ持つように心に銘記し、常に忘れないでいる)が有名<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%8B%B3%E6%8B%B3%E6%9C%8D%E8%86%BA-491781#w-491781 拳拳服膺(ケンケンフクヨウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>。
====措カサル====
*「措カサル(措かざる)」:そのままにしておかない。
=== 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所󠄁以モ亦 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">{{ruby|曩|さき}}に{{ruby|米|べい}}{{ruby|英|えい}}{{ruby|二|に}}{{ruby|国|こく}}に{{ruby|宣|せん}}{{ruby|戦|せん}}せる{{ruby|所以|ゆえん}}も{{ruby|亦|また}}、</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:先にアメリカ・イギリス二か国に宣戦布告した理由も同様に、</p>
==== 曩ニ ====
*「曩に」:さきに。「先に」とも表記する。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%85%88%E3%81%AB-509391#w-1976887 先に(サキニ)とは? 意味や使い方 - コトバンク]</ref>
=== 實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻󠄀幾󠄁󠄁スルニ出テ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵󠄁スカ如キハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 固ヨリ朕󠄂カ志ニアラス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 然ルニ交󠄁戰已ニ四歲ヲ閱シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂カ陸海󠄀將兵ノ勇󠄁戰 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂カ百僚有司ノ勵精󠄀 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂カ一億衆庻󠄀ノ奉公󠄁 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 戰局必スシモ好轉セス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 世界ノ大勢亦我ニ利アラス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ使󠄁用シテ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 頻󠄀ニ無辜ヲ殺󠄀傷シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 慘害󠄂ノ及󠄁フ所󠄁眞ニ測ルヘカラサルニ至ル ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 而モ尙交󠄁戰ヲ繼續セムカ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 終󠄁ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 延󠄂テ人類󠄀ノ文󠄁明ヲモ破却スヘシ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 斯ノ如クムハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 皇祖︀皇宗ノ神󠄀靈ニ謝セムヤ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 是レ朕󠄂カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所󠄁以ナリ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
<!--
<ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby>
-->
<span style="color:#500;">
</span>
<span style="color:#009900;"></span>
<p style="color:#009900;"></span>
== 第四段落 ==
<!--◆第四段落--><div style="background-color:#ffd;">
<p style="line-height:1.3; margin-bottom: 15px; text-align:left; font-family:游明朝;font-size:13pt;">(原文)<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ハ帝國ト共ニ<span style="color:#500;">終󠄁</span>始東亞ノ解放ニ協力セル<span style="color:#500;">諸󠄀</span>盟<span style="color:#500;">邦󠄂</span>ニ對シ<span style="color:#500;">遺󠄁</span>憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル<span style="color:#500;">者󠄁</span><span style="color:#500;">及󠄁</span>其ノ<span style="color:#500;">遺󠄁</span>族ニ想ヲ致セハ五內爲ニ裂ク且戰傷ヲ<span style="color:#500;">負󠄂</span>ヒ災<span style="color:#500;">禍󠄀</span>ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル<span style="color:#500;">者󠄁</span>ノ厚生ニ至リテハ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ノ深ク軫念スル<span style="color:#500;">所󠄁</span>ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦<span style="color:#500;">難󠄀</span>ハ固ヨリ<span style="color:#500;">尋󠄁</span>常ニアラス爾臣民ノ衷<span style="color:#500;">情󠄁</span>モ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>善ク之ヲ知ル然レトモ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ハ時<span style="color:#500;">運󠄁</span>ノ趨ク<span style="color:#500;">所󠄁</span>堪ヘ<span style="color:#500;">難󠄀</span>キヲ堪ヘ<span style="color:#500;">忍󠄁</span>ヒ<span style="color:#500;">難󠄀</span>キヲ<span style="color:#500;">忍󠄁</span>ヒ以テ萬世ノ爲ニ太<span style="color:#500;">平󠄁</span>ヲ開カムト欲ス</p>
<p style="background-color:#ffe; line-height:1.5; font-family:游明朝;font-size:13pt;"><ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>共</rb><rp>(</rp><rt>とも</rt><rp>)</rp></ruby>に、<ruby><rb>終</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>始</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>東</rb><rp>(</rp><rt>とう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>亜</rb><rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>解</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>放</rb><rp>(</rp><rt>ほう</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>協</rb><rp>(</rp><rt>きょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>力</rb><rp>(</rp><rt>りょく</rt><rp>)</rp></ruby>せる<ruby><rb>諸</rb><rp>(</rp><rt>しょ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>盟</rb><rp>(</rp><rt>めい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>邦</rb><rp>(</rp><rt>ほう</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>対</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>遺</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>憾</rb><rp>(</rp><rt>かん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>意</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>表</rb><rp>(</rp><rt>ひょう</rt><rp>)</rp></ruby>せざるを<ruby><rb>得</rb><rp>(</rp><rt>え</rt><rp>)</rp></ruby>ず。<ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>にして、<ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>陣</rb><rp>(</rp><rt>じん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>死</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>職</rb><rp>(</rp><rt>しょく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>域</rb><rp>(</rp><rt>いき</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>殉</rb><rp>(</rp><rt>じゅん</rt><rp>)</rp></ruby>じ、<ruby><rb>非</rb><rp>(</rp><rt>ひ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>命</rb><rp>(</rp><rt>めい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>斃</rb><rp>(</rp><rt>たお</rt><rp>)</rp></ruby>れたる<ruby><rb>者</rb><rp>(</rp><rt>もの</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>及</rb><rp>(</rp><rt>および</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby><rb>其</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>遺</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>族</rb><rp>(</rp><rt>ぞく</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>想</rb><rp>(</rp><rt>おもい</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>致</rb><rp>(</rp><rt>いた</rt><rp>)</rp></ruby>せば、<ruby><rb>五</rb><rp>(</rp><rt>ご</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>内</rb><rp>(</rp><rt>ない</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>為</rb><rp>(</rp><rt>ため</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>裂</rb><rp>(</rp><rt>さ</rt><rp>)</rp></ruby>く、<ruby><rb>且</rb><rp>(</rp><rt>かつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>戦</rb><rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>傷</rb><rp>(</rp><rt>しょう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>負</rb><rp>(</rp><rt>お</rt><rp>)</rp></ruby>い、<ruby><rb>災</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>禍</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>を
<ruby><rb>蒙</rb><rp>(</rp><rt>こうむ</rt><rp>)</rp></ruby>り、<ruby><rb>家</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>業</rb><rp>(</rp><rt>ぎょう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>失</rb><rp>(</rp><rt>うしな</rt><rp>)</rp></ruby>いたる<ruby><rb>者</rb><rp>(</rp><rt>もの</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>厚</rb><rp>(</rp><rt>こう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>生</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>至</rb><rp>(</rp><rt>いた</rt><rp>)</rp></ruby>りては<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>深</rb><rp>(</rp><rt>ふか</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>軫</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>念</rb><rp>(</rp><rt>ねん</rt><rp>)</rp></ruby>する<ruby><rb>所</rb><rp>(</rp><rt>ところ</rt><rp>)</rp></ruby>なり。<ruby><rb>惟</rb><rp>(</rp><rt>おも</rt><rp>)</rp></ruby>うに、<ruby><rb>今</rb><rp>(</rp><rt>こん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>後</rb><rp>(</rp><rt>ご</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>帝</rb><rp>(</rp><rt>てい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>受</rb><rp>(</rp><rt>う</rt><rp>)</rp></ruby>くべき<ruby><rb>苦</rb><rp>(</rp><rt>く</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>難</rb><rp>(</rp><rt>なん</rt><rp>)</rp></ruby>は、<ruby><rb>固</rb><rp>(</rp><rt>もと</rt><rp>)</rp></ruby>より<ruby><rb>尋</rb><rp>(</rp><rt>じん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>常</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>にあらず。<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>衷</rb><rp>(</rp><rt>ちゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>情</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>も、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>善</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>之</rb><rp>(</rp><rt>これ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>知</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>る。<ruby><rb>然</rb><rp>(</rp><rt>しか</rt><rp>)</rp></ruby>れども<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>時</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>運</rb><rp>(</rp><rt>うん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>趨</rb><rp>(</rp><rt>おもむ</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>所</rb><rp>(</rp><rt>ところ</rt><rp>)</rp></ruby>、
<ruby><rb>堪</rb><rp>(</rp><rt>た</rt><rp>)</rp></ruby>え<ruby><rb>難</rb><rp>(</rp><rt>がた</rt><rp>)</rp></ruby>きを<ruby><rb>堪</rb><rp>(</rp><rt>た</rt><rp>)</rp></ruby>え、<ruby><rb>忍</rb><rp>(</rp><rt>しの</rt><rp>)</rp></ruby>び<ruby><rb>難</rb><rp>(</rp><rt>がた</rt><rp>)</rp></ruby>きを<ruby><rb>忍</rb><rp>(</rp><rt>しの</rt><rp>)</rp></ruby>び、<ruby><rb>以</rb><rp>(</rp><rt>もっ</rt><rp>)</rp></ruby>て<ruby><rb>万</rb><rp>(</rp><rt>ばん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>為</rb><rp>(</rp><rt>ため</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>太</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>平</rb><rp>(</rp><rt>へい</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>開</rb><rp>(</rp><rt>ひら</rt><rp>)</rp></ruby>かんと<ruby><rb>欲</rb><rp>(</rp><rt>ほっ</rt><rp>)</rp></ruby>す。</p>
</div>
# [[#朕󠄂ハ帝國ト共ニ]]
# [[#終󠄁始東亞ノ解放ニ協力セル諸󠄀盟邦󠄂ニ對シ]]
# [[#遺󠄁憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス]]
# [[#帝國臣民ニシテ]]
# [[#戰陣ニ死シ]]
# [[#職域ニ殉シ]]
# [[#非命ニ斃レタル者󠄁]]
# [[#及󠄁其ノ遺󠄁族ニ想ヲ致セハ]]
# [[#五內爲ニ裂ク]]
# [[#且戰傷ヲ負󠄂ヒ]]
# [[#災禍󠄀ヲ蒙リ]]
# [[#家業ヲ失ヒタル者󠄁ノ]]
# [[#厚生ニ至リテハ]]
# [[#朕󠄂ノ深ク軫念スル所󠄁ナリ]]
# [[#惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難󠄀ハ]]
# [[#固ヨリ尋󠄁常ニアラス]]
# [[#爾臣民ノ衷情󠄁モ朕󠄂善ク之ヲ知ル]]
# [[#然レトモ朕󠄂ハ時運󠄁ノ趨ク所󠄁]]
# [[#堪ヘ難󠄀キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難󠄀キヲ忍󠄁ヒ]]
# [[#以テ萬世ノ爲ニ太平󠄁ヲ開カムト欲ス]]
=== 朕󠄂ハ帝國ト共ニ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 終󠄁始東亞ノ解放ニ協力セル諸󠄀盟邦󠄂ニ對シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 遺󠄁憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 帝國臣民ニシテ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 戰陣ニ死シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 職域ニ殉シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 非命ニ斃レタル者󠄁 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 及󠄁其ノ遺󠄁族ニ想ヲ致セハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 五內爲ニ裂ク ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 且戰傷ヲ負󠄂ヒ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 災禍󠄀ヲ蒙リ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 家業ヲ失ヒタル者󠄁ノ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 厚生ニ至リテハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂ノ深ク軫念スル所󠄁ナリ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難󠄀ハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 固ヨリ尋󠄁常ニアラス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 爾臣民ノ衷情󠄁モ朕󠄂善ク之ヲ知ル ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 然レトモ朕󠄂ハ時運󠄁ノ趨ク所󠄁 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 堪ヘ難󠄀キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難󠄀キヲ忍󠄁ヒ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 以テ萬世ノ爲ニ太平󠄁ヲ開カムト欲ス ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
<!--
<ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby>
-->
<span style="color:#500;">
</span>
<span style="color:#009900;"></span>
<p style="color:#009900;"></span>
== 第五段落 ==
<!--◆第五段落--><div style="background-color:#ffd;">
<p style="line-height:1.3; margin-bottom: 15px; text-align:left; font-family:游明朝;font-size:13pt;">(原文)<span style="color:#500;">朕󠄂</span>ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤<span style="color:#500;">誠󠄁</span>ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ<span style="color:#500;">情󠄁</span>ノ激スル<span style="color:#500;">所󠄁</span>濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同<span style="color:#500;">胞󠄁</span>排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大<span style="color:#500;">道󠄁</span>ヲ<span style="color:#500;">誤󠄁</span>リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ<span style="color:#500;">朕󠄂</span>最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク<span style="color:#500;">神󠄀</span>州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ<span style="color:#500;">道󠄁</span><span style="color:#500;">遠󠄁</span>キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ<span style="color:#500;">建󠄁</span>設ニ傾ケ<span style="color:#500;">道󠄁</span>義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ<span style="color:#500;">精󠄀</span>華ヲ發揚シ世界ノ<span style="color:#500;">進󠄁</span>運󠄁ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク<span style="color:#500;">朕󠄂</span>カ意ヲ體セヨ</p>
<p style="background-color:#ffe; line-height:1.5; font-family:游明朝;font-size:13pt;"><ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>玆</rb><rp>(</rp><rt>ここ</rt><rp>)</rp></ruby>に <ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>体</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>護</rb><rp>(</rp><rt>ご</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>持</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby>し<ruby><rb>得</rb><rp>(</rp><rt>え</rt><rp>)</rp></ruby>て、<ruby><rb>忠</rb><rp>(</rp><rt>ちゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>良</rb><rp>(</rp><rt>りょう</rt><rp>)</rp></ruby>なる<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>赤</rb><rp>(</rp><rt>せき</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>誠</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>信</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>倚</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>常</rb><rp>(</rp><rt>つね</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>共</rb><rp>(</rp><rt>とも</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>在</rb><rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby>り。
<ruby><rb>若</rb><rp>(</rp><rt>も</rt><rp>)</rp></ruby>し<ruby><rb>夫</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>れ<ruby><rb>情</rb><rp>(</rp><rt>じょう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>激</rb><rp>(</rp><rt>げき</rt><rp>)</rp></ruby>する<ruby><rb>所</rb><rp>(</rp><rt>ところ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>濫</rb><rp>(</rp><rt>みだり</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>事</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>端</rb><rp>(</rp><rt>たん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>滋</rb><rp>(</rp><rt>しげ</rt><rp>)</rp></ruby>くし、<ruby><rb>或</rb><rp>(</rp><rt>あるい</rt><rp>)</rp></ruby>は<ruby><rb>同</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>胞</rb><rp>(</rp><rt>ほう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>排</rb><rp>(</rp><rt>はい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>擠</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>互</rb><rp>(</rp><rt>たがい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>時</rb><rp>(</rp><rt>じ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>局</rb><rp>(</rp><rt>きょく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>乱</rb><rp>(</rp><rt>みだ</rt><rp>)</rp></ruby>り、<ruby><rb>為</rb><rp>(</rp><rt>ため</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>大</rb><rp>(</rp><rt>だい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>道</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>誤</rb><rp>(</rp><rt>あやま</rt><rp>)</rp></ruby>り、<ruby><rb>信</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>義</rb><rp>(</rp><rt>ぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>界</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>失</rb><rp>(</rp><rt>うしな</rt><rp>)</rp></ruby>うが<ruby><rb>如</rb><rp>(</rp><rt>ごと</rt><rp>)</rp></ruby>きは、<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>最</rb><rp>(</rp><rt>もっと</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>之</rb><rp>(</rp><rt>これ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>戒</rb><rp>(</rp><rt>いまし</rt><rp>)</rp></ruby>む、<ruby><rb>宜</rb><rp>(</rp><rt>よろ</rt><rp>)</rp></ruby>しく<ruby><rb>挙</rb><rp>(</rp><rt>きょ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>一</rb><rp>(</rp><rt>いっ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>家</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>子</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>孫</rb><rp>(</rp><rt>そん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>あい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>伝</rb><rp>(</rp><rt>つた</rt><rp>)</rp></ruby>え、
<ruby><rb>確</rb><rp>(</rp><rt>かた</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>神</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>州</rb><rp>(</rp><rt>しゅう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>不</rb><rp>(</rp><rt>ふ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>滅</rb><rp>(</rp><rt>めつ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>信</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby>じ、<ruby><rb>任</rb><rp>(</rp><rt>にん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>重</rb><rp>(</rp><rt>おも</rt><rp>)</rp></ruby>くして、<ruby><rb>道</rb><rp>(</rp><rt>みち</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>遠</rb><rp>(</rp><rt>とお</rt><rp>)</rp></ruby>きを<ruby><rb>念</rb><rp>(</rp><rt>おも</rt><rp>)</rp></ruby>い、<ruby><rb>総</rb><rp>(</rp><rt>そう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>力</rb><rp>(</rp><rt>りょく</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>将</rb><rp>(</rp><rt>しょう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>来</rb><rp>(</rp><rt>らい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>建</rb><rp>(</rp><rt>けん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>設</rb><rp>(</rp><rt>せつ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>傾</rb><rp>(</rp><rt>かたむ</rt><rp>)</rp></ruby>け、<ruby><rb>道</rb><rp>(</rp><rt>どう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>義</rb><rp>(</rp><rt>ぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>篤</rb><rp>(</rp><rt>あつ</rt><rp>)</rp></ruby>くし、<ruby><rb>志</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>操</rb><rp>(</rp><rt>そう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>鞏</rb><rp>(</rp><rt>かた</rt><rp>)</rp></ruby>くし、<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ちかっ</rt><rp>)</rp></ruby>て<ruby><rb>国</rb><rp>(</rp><rt>こく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>体</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>精</rb><rp>(</rp><rt>せい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>華</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>発</rb><rp>(</rp><rt>はつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>揚</rb><rp>(</rp><rt>よう</rt><rp>)</rp></ruby>し、<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>界</rb><rp>(</rp><rt>かい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>進</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>運</rb><rp>(</rp><rt>うん</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>後</rb><rp>(</rp><rt>おく</rt><rp>)</rp></ruby>れざらんことを<ruby><rb>期</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>すべし。<ruby><rb>爾</rb><rp>(</rp><rt>なんじ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>臣</rb><rp>(</rp><rt>しん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>みん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>其</rb><rp>(</rp><rt>そ</rt><rp>)</rp></ruby>れ
<ruby><rb>克</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>朕</rb><rp>(</rp><rt>ちん</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>意</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>体</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>せよ。</p>
</div>
# [[#朕󠄂ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ]]
# [[#忠良ナル爾臣民ノ赤誠󠄁ニ信倚シ]]
# [[#常ニ爾臣民ト共ニ在リ]]
# [[#若シ夫レ情󠄁ノ激スル所󠄁]]
# [[#濫ニ事端ヲ滋クシ]]
# [[#或ハ同胞󠄁排擠]]
# [[#互ニ時局ヲ亂リ]]
# [[#爲ニ大道󠄁ヲ誤󠄁リ]]
# [[#信義ヲ世界ニ失フカ如キハ]]
# [[#朕󠄂最モ之ヲ戒ム]]
# [[#宜シク擧國一家子孫相傳ヘ]]
# [[#確ク神󠄀州ノ不滅ヲ信シ]]
# [[#任重クシテ]]
# [[#道󠄁遠󠄁キヲ念ヒ]]
# [[#總力ヲ將來ノ建󠄁設ニ傾ケ]]
# [[#道󠄁義ヲ篤クシ]]
# [[#志操ヲ鞏クシ]]
# [[#誓テ國體ノ精󠄀華ヲ發揚シ]]
# [[#世界ノ進󠄁運󠄁ニ後レサラムコトヲ期スヘシ]]
# [[#爾臣民其レ克ク朕󠄂カ意ヲ體セヨ]]
=== 朕󠄂ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 忠良ナル爾臣民ノ赤誠󠄁ニ信倚シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 常ニ爾臣民ト共ニ在リ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 若シ夫レ情󠄁ノ激スル所󠄁 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 濫ニ事端ヲ滋クシ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 或ハ同胞󠄁排擠 ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 互ニ時局ヲ亂リ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 爲ニ大道󠄁ヲ誤󠄁リ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 朕󠄂最モ之ヲ戒ム ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 宜シク擧國一家子孫相傳ヘ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 確ク神󠄀州ノ不滅ヲ信シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 任重クシテ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 道󠄁遠󠄁キヲ念ヒ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 總力ヲ將來ノ建󠄁設ニ傾ケ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 道󠄁義ヲ篤クシ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 志操ヲ鞏クシ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 誓テ國體ノ精󠄀華ヲ發揚シ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 世界ノ進󠄁運󠄁ニ後レサラムコトヲ期スヘシ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== 爾臣民其レ克ク朕󠄂カ意ヲ體セヨ ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
=== § ===
<p style="line-height:1.3; font-family:游明朝;font-size:20pt;">
</p>
<p style="color:#009900; font-family:游明朝;font-size:18pt;">現代語訳:
</p>
<!--
<ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby>
-->
<span style="color:#500;">
</span>
<span style="color:#009900;"></span>
<p style="color:#009900;"></span>
<div style="break-after: page;">
<!--
<ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby>
-->
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
[[Category:終戦の詔書|ちゆうかい]]
mywfsw4hc43ascs5mnd3f0s31ou286g
高等学校日本史探究/律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
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304355
304132
2026-10-06T17:29:32Z
Kwawe
68789
/* 平安京遷都と東北経営 */ 801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになった。
304355
wikitext
text/x-wiki
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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/* 平安京遷都と東北経営 */ 802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築いた。
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wikitext
text/x-wiki
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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/* 平安京遷都と東北経営 */ 阿弖流為の人物史料は、あまり残っていない。
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[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
阿弖流為の人物史料は、あまり残っていません。現在の文学・舞台芸術は阿弖流為を朝廷の反逆者として扱われています。803年、坂上田村麻呂は志波城を築き、鎮守府も北へ動かしました。朝廷は808年までに鎮守府を多賀城から胆沢城へ移動しました。朝廷の役人と朝廷軍は北上川上流域[太平洋側]・米代川流域[日本海側]まで進みました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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2026-10-06T17:31:39Z
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/* 平安京遷都と東北経営 */ 811年、朝廷は文室綿麻呂を征夷将軍として東北へ送った。
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[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
阿弖流為の人物史料は、あまり残っていません。現在の文学・舞台芸術は阿弖流為を朝廷の反逆者として扱われています。803年、坂上田村麻呂は志波城を築き、鎮守府も北へ動かしました。朝廷は808年までに鎮守府を多賀城から胆沢城へ移動しました。朝廷の役人と朝廷軍は北上川上流域[太平洋側]・米代川流域[日本海側]まで進みました。
811年、朝廷は文室綿麻呂を征夷将軍として東北へ送りました。志波城は雫石川の氾濫問題から使われなくなり、志波城の南に徳丹城[最後の城柵]を築きました。朝廷軍と蝦夷軍の争いは桓武天皇の時代から始まり、文室綿麻呂と蝦夷軍の争いをもっておおむね終わりました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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/* 平安京遷都と東北経営 */ 東北地方北部の蝦夷は朝廷の命令で揉めた。
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[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
阿弖流為の人物史料は、あまり残っていません。現在の文学・舞台芸術は阿弖流為を朝廷の反逆者として扱われています。803年、坂上田村麻呂は志波城を築き、鎮守府も北へ動かしました。朝廷は808年までに鎮守府を多賀城から胆沢城へ移動しました。朝廷の役人と朝廷軍は北上川上流域[太平洋側]・米代川流域[日本海側]まで進みました。
811年、朝廷は文室綿麻呂を征夷将軍として東北へ送りました。志波城は雫石川の氾濫問題から使われなくなり、志波城の南に徳丹城[最後の城柵]を築きました。朝廷軍と蝦夷軍の争いは桓武天皇の時代から始まり、文室綿麻呂と蝦夷軍の争いをもっておおむね終わりました。
ただし、東北地方北部の蝦夷は朝廷の命令で揉めました。878年、秋田城下の俘囚は秋田城司の一方的な命令と税金の取り上げに怒って秋田城を焼きました(元慶の乱)。元慶の乱は出羽国司の軍のみで抑えきれませんでした。やがて米代川・八郎潟流域の蝦夷がまとまり、出羽国へ雄物川以北を蝦夷の地域にしたいと伝えました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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/* 平安京遷都と東北経営 */ 朝廷は藤原保則を出羽権守として送った。
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[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「蝦夷」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
朝廷の役人は東北地方などに住む公民を「蝦夷」と呼びました。ただし蝦夷の公民は一人一人違う民族です。蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の伊治呰麻呂[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、坂上田村麻呂を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
阿弖流為の人物史料は、あまり残っていません。現在の文学・舞台芸術は阿弖流為を朝廷の反逆者として扱われています。803年、坂上田村麻呂は志波城を築き、鎮守府も北へ動かしました。朝廷は808年までに鎮守府を多賀城から胆沢城へ移動しました。朝廷の役人と朝廷軍は北上川上流域[太平洋側]・米代川流域[日本海側]まで進みました。
811年、朝廷は文室綿麻呂を征夷将軍として東北へ送りました。志波城は雫石川の氾濫問題から使われなくなり、志波城の南に徳丹城[最後の城柵]を築きました。朝廷軍と蝦夷軍の争いは桓武天皇の時代から始まり、文室綿麻呂と蝦夷軍の争いをもっておおむね終わりました。
ただし、東北地方北部の蝦夷は朝廷の命令で揉めました。878年、秋田城下の俘囚は秋田城司の一方的な命令と税金の取り上げに怒って秋田城を焼きました(元慶の乱)。元慶の乱は出羽国司の軍のみで抑えきれませんでした。やがて米代川・八郎潟流域の蝦夷がまとまり、出羽国へ雄物川以北を蝦夷の地域にしたいと伝えました。
朝廷は藤原保則を出羽権守[出羽国の臨時役人]として送りました。藤原保則は鎮守将軍の小野春風とともに、話し合いと武力を使い分けて元慶の乱を終わらせました。藤原保則の伝記へ当時の成果について「敵の津軽から渡島の公民も朝廷に従いました。」と記しました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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2026-10-06T17:46:47Z
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[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>律令体制再編期の政治と社会Ⅰ
本節では天皇の政治史について取り上げます。古代の天皇婚姻制度史は明治以降から現代までの婚姻制度(一夫一妻制)と違います。ここに注意して読み進めましょう。
== 平安京遷都と東北経営 ==
古代の天皇の結婚制度は、明治以降の一夫一婦制と大きく違っていました。天皇は複数の妻を持つ一夫多妻制(後宮制度)でした。妻の身分から次の天皇を誰にするかで揉めました。奈良時代後期でも同じように起こっています。道鏡は称徳天皇の死去後に都から追い出されました。天武天皇の家族ではなく天智天皇の家族が天皇になれるように藤原永手と藤原百川達で後押ししました。770年、これを受けて天智天皇の施基皇子の子供〈白壁王〉が天皇の立場に就いて光仁天皇となりました。その結果、天皇の家族は天武天皇から天智天皇へと大きく入れ替わりました。光仁天皇は井上内親王を皇后として息子の他戸親王を皇太子として決めましたが、その役職から2人とも首になりました。
[[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|桓武天皇]]
また、光仁天皇は百済系渡来氏族と繋がりを持つ和氏出身の高野新笠を妻にしています。高野新笠と結婚後、息子の山部親王が生まれました。その後、藤原百川などは非嫡出子の山部親王を次の天皇になれるように後押ししました。781年、山部親王は光仁天皇から天皇の立場を継いで<span style="color:#f29100">'''桓武天皇'''</span>になりました。やがて光仁天皇は上皇となり、782年に亡くなりました。光仁天皇は、役所の仕事を簡単にしたり、予算の無駄遣いを無くしたり、公民・民衆の負担を軽くしたりしてこれまでの政治を立て直しました。桓武天皇も光仁天皇のやり方をそのまま続けました。
桓武天皇は、光仁天皇(天智天皇の家族)の新しい政治様式を引き継ぎました。天智天皇の家族が天皇を引き継ぐ理由として中国王朝の交替史を根拠にしました。中国の皇帝が行う儀式をそのまま日本でも取り入れて、天皇の立場を公民・民衆に分かるようにしました。また高野新笠のつながりから、渡来系氏族の百済王氏と仲良くなりました。もちろん、藤原種継などの藤原氏とも仲良くなりました。桓武天皇は国内政治の仕事を真面目に取り組む天皇でした。左大臣を無くして、貴族が直接政治を行う新しい政治制度にしました。平安時代初期の嵯峨天皇までに天皇を国家元首として政治の決定権を持つような律令体制へ再編しました。
桓武天皇の主要政策は新都造営と東北経営でした。有力な氏族同士が「我が氏族こそ国家の中心」で何度も争って、平城京の政治も混乱しました。奈良の大寺院も政治に「早くやれ」と文句を言うようになりました。称徳天皇・道鏡の時代に仏教思想を取り入れすぎており、天皇がやりたい政治を自由に行えなくなりました。したがって、天智天皇の子供が新しい天皇になれるようにこれまでの政治の進め方を変えて、国家元首として律令国家を立て直したかったから新しい都を探しました。
784年朔旦冬至の日(旧暦11月1日)、桓武天皇は<span style="color:#f29100">'''長岡京'''</span>遷都の詔を出しました。その10日後(旧暦11月11日)、平城京から山背国乙訓郡の長岡京へ都を移しました。長岡京は京都盆地の南西部にあり、淀川水系(桂川・宇治川)から難波津・瀬戸内海方面へ行きやすく、交通でも最も重要な場所でした。秦氏などのように渡来系氏族が長岡京に住んでいて、天皇の家族と深い繋がりを持っていました。桓武天皇は高野新笠も渡来系氏族と繋がっており、情報共有からこの場所を選びました。なお、784年は甲子でした。甲子は現代で使われておらず、馴染みもないので、ここで説明します。甲子は丙午と同じく60年に一度巡る干支の始まりの年です。甲子は古代の中でも特に大黒天の縁年でした。朔旦冬至は月の始まりと冬至と重なり、とても珍しく縁起の良い日でした。
藤原種継が中心になって長岡京の造営工事を進めました。工事を早く終わらせるために、難波宮・平城宮・平城京の建物と材料をそのまま長岡京でも使いました。発掘調査でも難波宮・平城宮の瓦が長岡宮跡で見つかっています。
ヤマト政権の時代から、都は大和盆地に置かれていました。当時の難波は陪都として使われていました。難波津を管理するため、役所の摂津職も置かれていました。しかし、難波宮は長岡京の造営工事から784年に取り壊されました。難波宮の建築資材も長岡京の造営工事に使われ、難波は副都としての役割を失いました。摂津職も793年に廃止されました。政治上の重要地域に副都のような都市を置く例が中国の周・漢・唐などで見られました。このような中国王朝の都市制度から難波が陪都として置かれました。
785年、藤原種継が長岡京の造営工事中に暗殺されました(藤原種継暗殺事件)。旧豪族の人々[大伴氏・佐伯氏など]が藤原種継暗殺事件の犯人として死刑になりました。早良親王も藤原種継暗殺事件への関わりを疑われ、皇太子の地位を失いました。その後、早良親王は乙訓寺に閉じこめられ、淡路国へ送られました。しかし早良親王は無罪と訴えて食事をとらなくなり、淡路国へ向かう途中で亡くなりました。
また、高野新笠[桓武天皇の母]・皇后・夫人などのように桓武天皇の側近が相次いで亡くなりました。新皇太子の安殿親王も病気になりました。長岡京は洪水などの水害も起こりました。さらに長岡京の造営工事にも問題があり、国内政治もずっと混乱しました。このような出来事は早良親王怨霊からの祟りだと占いで信じられるようになりました。
桓武天皇は早良親王に死後の天皇名として崇道天皇を贈りました。そして、何度も早良親王の怨霊を静めて、成仏させました。可哀そうな故人の怨霊は世の中を荒らしやすく、この怨霊を怖がるようになりました。この考えから、御霊信仰へと広がりました。863年、早良親王らの霊を神泉苑の御霊会で慰めました。903年、菅原道真が大宰府で亡くなりました。その後、雷が内裏に落ちたり、藤原時平の一族も相次いで亡くなったりしました。公民・民衆はこれらを道真の祟りだと考えました。その後、道真は神として慰められるようになり、天神信仰にもつながりました。[[ファイル:HeiankyouMap.svg|サムネイル|359x359ピクセル|平安京の地図]]桓武天皇は早良親王の怨霊を怖がっていました。また水害も長岡京で頻繁に起こり、長岡京の政治問題と造営問題に繋がりました。そのため、桓武天皇は再び都の移転方針を決めました。和気清麻呂がこの移転方針に関わりました。794年、和気清麻呂の意見を取り入れて平安京が山背国葛野郡宇太に造られ、都も長岡京から<span style="color:#f29100">'''平安京'''</span>へ移りました。
新しい都は大阪湾の方まで賀茂川などの川を使って人間と貨物を舟で運びやすく、東海道・北陸道・東山道・山陰道へ向かう道路にも繋がっていました。また、賀茂川などの水も利用出来ました。秦氏がこの地域の土地開発に関わっていました。平安京の名前が新しい都に付けられ、名前も山背国から山城国へ改められました。平安京の名前まではその土地の地名をそのまま都の名前に使っていました。新しい都の完成を祝って、踏歌が宮中で行われ、「新京楽、平安楽土、万年春」と歌われました。新しい都を喜び、平和で豊かな都も長く続くように願う気持ちが踏歌に込められていました。このお祝いの言葉が平安京の名前と結びついているかもしれません。
平安京は東西約4.5km、南北約5.2〜5.3kmもありました。東西に平行な道路、南北に垂直な道路が都の中を通っており、区画も四角く区切られていました(条坊制)。平安京は九条八坊に分けられ、都の中央へ朱雀大路を南北に通していました。羅城門は朱雀大路南端にありました。このような造り方は平城京と同じような作り方でした。大内裏が平安京の北側にありました。内裏・朝堂院・豊楽院・二官八省の庁舎・蔵・寮・司などが大内裏に集まっていました。なお、天皇の皇居[清涼殿・後宮・紫宸殿]は内裏にありました。
朱雀大路の東側を左京、朱雀大路の西側を右京としました。ここで間違えて欲しくないのは外から見ての方角でなく大内裏から見ての方角になります。東寺・西寺・市・鴻臚館・官寺などは都の東側と西側に分かれて置かれました。神泉苑が左京三条一坊にありました。天皇が神泉苑を訪れ、狩り・祭り・遊びに使われました。平城京と異なり、東側に比叡山・東山が迫っており、平安京の形も綺麗に作られました。
[[ファイル:180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg|サムネイル|平安京羅城門 復元模型]]
鴨川と桂川は貨物を運ぶために使われ、平安京の住民達[公民・貴族]の生活を支えました。しかし、桓武天皇は平安京造営工事を途中で止めました。また、湿地は右京に集まっており、住宅もそんなに建ちませんでした。これに対して、上級貴族の屋敷などは左京に集まり賑わいました。慶滋保胤『池亭記』に「平安京の住民達[公民・貴族]は右京から離れ、鴨川付近や東山方面へ住むようになった。」と記しています。
以後、上級貴族の家[御所・貴族の屋敷]と寺院は京都に集まり、文化の中心地にもなりました。白河離宮・鳥羽離宮が院政期に建てられ、白河地域と鳥羽地域の住民を増やしました。平家も六波羅地域・西八条地域にまとまって住みました。このように都市は平安京の外側にも広がり、中世の京都を作りました。現在の京都御所・紫宸殿は近世になってから建て直されており、平安京造営当時の建物内部からかけ離れています。一方、平安京の条坊制は京都市の町並みと京都市の道路に現在も残っています。天皇は明治維新までの1000年以上にわたって、平安京に住んでいました。794年の平安京遷都から源頼朝が鎌倉幕府成立までの約400年間を<span style="color:#f29100">'''平安時代'''</span>といい、国内政治の中心となりました。
奈良時代後半から平安時代初期にかけての85年間で、道祖王・他戸親王・早良親王・高丘親王・恒貞親王が次々と皇太子の役職を失いました。天皇家内部で次期天皇を誰にするかを巡って争われ、この時期の皇太子は様々な事件に巻き込まれて次期天皇に選ばれませんでした。
高丘親王[平城天皇の第3皇子]は嵯峨天皇の皇太子になりました。しかし薬子の変の被疑者とされ、皇太子の役職を失いました。高丘親王は皇太子の役職を失うと出家して唐へ渡りました。その後、唐から天竺へ向かいました。天竺を向かう途中のマレー半島で亡くなりました。
桓武天皇は新しい都を造りつつ、東北地方へ兵士も送りました。3〜4世紀頃、寒い日が東北地方で何年も続きました。そのため、南の地域と同じような弥生文化の遺跡が少なくなりました。一方、続縄文文化の土器が宮城県・山形県でも見つかっています。また、前方後円墳は岩手県までつくられました。このように東北地方は公民の往来だけでなく、南北の文化も一緒に伝わりました。
律令国家成立後、東北地方などへ朝廷の役人をほとんど送りませんでした。朝廷は東北地方などの公民を「'''蝦夷'''」と呼びました。唐が自国中心に周辺国を低く見つめていたような方法を日本の朝廷も取り入れました。したがって、朝廷の貴族は蝦夷を他民族のように見ていました。
蝦夷の公民は居住地域と時代から暮らし方も集団行動も違いました。東北地方の竪穴住居は東国の集落とそっくりでした。また、古代の「蝦夷(エミシ)」と中世以降の「蝦夷(エゾ)」がどこまで同じなのかも明らかになっていません。居住地域と時代を見ていくと、エミシとエゾが同じ公民なのか違う公民なのかを考えられないからです。
[[ファイル:East gate of Akita Castle 20220409.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|秋田城の外郭東門と築地塀]]
朝廷は奈良時代から東北地方に城柵を建てました。城柵に役人と兵士を置いて、東北地方の公民と話し合ったり、税金を集めたり出来るようにしました。こうして、朝廷は少しずつ東北地方を治めました。東北地方太平洋側は多賀城を中心に桃生城などを築きました。東北地方日本海側では秋田城を中心に雄勝城などを築きました。
城柵は政庁・役所・倉庫などで占められ、その周辺を大きな囲いで見えなくしていました。城柵で政治を行ったり、兵士を置いたり、貨物を運んだり保管したりしました。また関東などから農民を柵戸として城柵周辺に移住させて、新しい田畑を増やしました。もし蝦夷が朝廷に従ったら俘囚として、関東以西などへ移住させられました。城柵の役人が蝦夷の公民と話し合ったり争ったりしながら、少しずつ東北地方を治めました。朝廷は東北地方の公民でも「この地域は朝廷の場所」を伝えたいから城柵を建てました。
郡司の'''伊治呰麻呂'''[蝦夷系の地域有力者]は朝廷に従っていました。780年、伊治呰麻呂は我慢の限界から争いを仕掛けました〔伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)〕。伊治呰麻呂は多賀城を攻めて焼き、按察使などを殺しました。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)から、陸奥・出羽の広い地域で朝廷と蝦夷の争いが始まりました。30年以上から約38年間にわたり、この争いが何度も起こりました。
719年、朝廷は新しい役職の按察使を作りました。複数の国司から1人が按察使にも選ばれて、その人が各役所の業務風景を見に行きました。
桓武天皇は蝦夷の抵抗を武力でおさえ、朝廷の支配を東北へ広げるため何度も大軍を送りました。788年に紀古佐美を征東大使に任命し、789年に大軍を胆沢地方まで進めました。兵士の数は5万人ほどだったともみられています。しかし阿弖流為は自然地形を利用して朝廷軍を迎え撃ち、朝廷軍は大きく敗れました。阿弖流為側は朝廷軍の兵士1000人以上を死傷させています。またこのような大軍を東北まで送り続けるために、大量の食料・武器などが必要でした。関東地方の公民がそれらを用意して運ぶ場合も頻繁にありました。
その後の朝廷は軍と武器を揃えました。794年、大伴弟麻呂を征東大使、<span style="color:#f29100">'''坂上田村麻呂'''</span>を副使として東北地方へ大軍を送りました。朝廷の大軍は戦いに勝ちました。勝利の知らせは平安遷都の儀式にも伝えられた。797年、坂上田村麻呂は<span style="color:#f29100">'''征夷大将軍'''</span>になりました。征夷大将軍は律令に書かれていない新しい役職[令外官]になります。
801年、朝廷軍は蝦夷軍と激しい争いになりました。『続日本紀』に「朝廷軍は数多くの蝦夷を殺し、数多くの村を焼いた。」と記されました。また、『日本後紀』に「坂上田村麻呂軍は457人の首を切り、75か所の村を焼いた」と記されています。
802(延暦21)年、坂上田村麻呂は<span style="color:#f29100">'''胆沢城'''</span>を築きました。802年、阿弖流為は500人程度の仲間と一緒に朝廷軍へ降伏しました。その後、裁判のため阿弖流為を平安京へ連れて行きました。この時、坂上田村麻呂は朝廷に「阿弖流為を東北地方へ戻したら、蝦夷の公民も朝廷の命令に今後従うでしょう。」と伝えました。朝廷の公卿は坂上田村麻呂の案を取り下げて、阿弖流為を処刑しました。
阿弖流為の人物史料は、あまり残っていません。現在の文学・舞台芸術は阿弖流為を朝廷の反逆者として扱われています。803年、坂上田村麻呂は志波城を築き、鎮守府も北へ動かしました。朝廷は808年までに鎮守府を'''多賀城'''から胆沢城へ移動しました。朝廷の役人と朝廷軍は北上川上流域[太平洋側]・米代川流域[日本海側]まで進みました。
811年、朝廷は文室綿麻呂を征夷将軍として東北へ送りました。志波城は雫石川の氾濫問題から使われなくなり、志波城の南に徳丹城[最後の城柵]を築きました。朝廷軍と蝦夷軍の争いは桓武天皇の時代から始まり、文室綿麻呂と蝦夷軍の争いをもっておおむね終わりました。
ただし、東北地方北部の蝦夷は朝廷の命令で揉めました。878年、秋田城下の俘囚は秋田城司の一方的な命令と税金の取り上げに怒って秋田城を焼きました(元慶の乱)。元慶の乱は出羽国司の軍のみで抑えきれませんでした。やがて米代川・八郎潟流域の蝦夷がまとまり、出羽国へ雄物川以北を蝦夷の地域にしたいと伝えました。
朝廷は藤原保則を出羽権守[出羽国の臨時役人]として送りました。藤原保則は鎮守将軍の小野春風とともに、話し合いと武力を使い分けて元慶の乱を終わらせました。藤原保則の伝記へ当時の成果について「敵の津軽から渡島の公民も朝廷に従いました。」と記しました。
== 資料出所 ==
* 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
* 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
* 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
* 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
* 山中裕典著'''『'''改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本'''』'''株式会社KADOKAWA 2024年
* 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
* 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
* 外園豊基編集代表『最新日本史図表』株式会社第一学習社 2026年
* 東京法令出版編著『歴史資料館 日本史のライブラリー』東京法令出版株式会社 2026年
[[カテゴリ:高等学校日本史探究]]
[[カテゴリ:平安時代]]
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ガリア戦記 第7巻/注解/33節
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<div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:15pt;color:#990033;text-align:center;">C · IVLII · CAESARIS · COMMENTARIORVM · BELLI · GALLICI</div>
<div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:30pt;color:#990033;text-align:center;">LIBER · SEPTIMVS</div>
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{| id="toc" style="align:center;clear:all;" align="center" cellpadding="5"
|-
! style="background:#bbf; text-align:center;" | [[ガリア戦記/注解編|ガリア戦記 注解編]]
| style="background:#ccf; text-align:center;" | [[ガリア戦記 第7巻/注解|第7巻]]
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[[ガリア戦記 第7巻/注解/32節|32節]] |
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|}
__notoc__
== 原文テキスト ==
<div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>原文テキストについては[[ガリア戦記/注解編#原文テキスト]]を参照。</ref> 33. <!--❶--><sup>1</sup>Caesar, etsi a bello atque hoste discedere detrimentosum esse existimabat, tamen non ignorans<!--,--> quanta ex dissensionibus incommoda oriri consuessent, ne tanta et tam coniuncta populo Romano civitas, quam ipse semper aluisset omnibusque rebus ornasset, ad vim atque arma descenderet<!--,--> atque ea pars<!--,--> quae minus sibi confideret<!--,--> auxilia a Vercingetorige arcesseret, huic rei praevertendum existimavit<!--,--> <!--◆--> <!--❷--><sup>2</sup>et, quod legibus Aeduorum<!--Haeduorum--> eis<!--iis--><!--,--> qui summum magistratum obtinerent<!--,--> excedere ex finibus non liceret, ne quid de iure aut de legibus eorum deminuisse videretur, ipse in Aeduos<!--Haeduos--> proficisci statuit senatumque omnem et quos inter controversia esset ad se Decetiam evocavit. <!--◆--> <!--❸--><sup>3</sup>Cum prope omnis civitas eo convenisset, docereturque paucis clam convocatis alio loco, alio tempore atque oportuerit fratrem a fratre renuntiatum, cum leges duo ex una familia vivo utroque non solum magistratus creari vetarent<!--,--> sed etiam in senatu esse prohiberent, Cotum imperium deponere coegit<!--, .-->; <!--◆--> <!--❹--><sup>4</sup>Convictolitavem, qui per sacerdotes more civitatis intermissis magistratibus esset creatus, potestatem obtinere iussit. </div>
<span style="background-color:#ffc;"></span>
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;テキスト引用についての注記
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:bold;font-size:15pt;"></span>
== 整形テキスト ==
<div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>整形テキストについては[[ガリア戦記/注解編#凡例]]を参照。</ref> XXXIII. <!--❶--><sup>①</sup>Caesar, etsī ā bellō atque hoste discēdere dētrīmentōsum esse exīstimābat, tamen nōn ignōrāns<!--,--><span style="color:#800;">,</span> quanta ex dissēnsiōnibus incommoda orīrī cōnsuēssent, nē tanta et tam coniūncta populō Rōmānō cīvitās, quam ipse semper aluisset omnibusque rēbus ōrnāsset, ad vim atque arma dēscenderet<!--,--><span style="color:#800;">,</span> atque ea pars<!--,--><span style="color:#800;">,</span> quae minus sibi cōnfīderet<!--,--><span style="color:#800;">,</span> auxilia ā Vercingetorige<!--Vercingetorīge--> arcesseret, huic reī praevertendum exīstimāvit<!--,--><span style="color:#800;">,</span> <!--◆--> <!--❷--><sup>②</sup>et, quod lēgibus <span style="color:#800;">Haeduōrum</span><!--Aeduōrum--> <span style="color:#800;">iīs</span><!--eīs--><!--,--><span style="color:#800;">,</span> quī summum magistrātum obtinērent<!--,--><span style="color:#800;">,</span> excēdere ex fīnibus nōn licēret, nē quid dē iūre aut dē lēgibus eōrum dēminuisse vidērētur, ipse in <span style="color:#800;">Haeduōs</span><!--Aeduōs--> proficīscī statuit senātumque omnem et<!--,--><span style="color:#800;">,</span> quōs inter contrōversia esset<!--,--><span style="color:#800;">,</span> ad sē Decetiam ēvocāvit. <!--◆--> <!--❸--><sup>③</sup>Cum prope omnis cīvitās eō convēnisset, docērēturque<!--,--><span style="color:#800;">,</span> paucīs clam convocātīs aliō locō, aliō tempore<!--,--><span style="color:#800;">,</span> atque oportuerit<!--,--><span style="color:#800;">,</span> frātrem ā frātre renūntiātum, cum lēgēs duō ex ūnā familiā vīvō utrōque nōn sōlum magistrātūs creārī vetārent<!--,--><span style="color:#800;">,</span> sed etiam in senātū esse prohibērent, Cotum imperium dēpōnere coēgit<!--, .-->; <!--◆--> <!--❹--><sup>④</sup>Convictolitavem, quī per sacerdōtēs mōre cīvitātis intermissīs magistrātibus esset creātus, potestātem obtinēre iussit. </div>
<span style="color:#800;"></span>
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;注記
*原文の <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:Aeduorum|Aeduōrum]], [[wikt:en:Aeduos|Aeduōs]], [[wikt:en:eis#Latin|eīs]] <!--[[wikt:en:acclivis#Latin|acclīvis]], [[wikt:en:accommodatae|accommodātae]], [[wikt:en:allatis|allātīs]], [[wikt:en:Aduatuca#Latin|Aduātucam]], [[wikt:en:Aduatuci|Aduatucī]], [[wikt:en:Aduatucis|Aduatucīs]], [[wikt:en:Aduatucos|Aduatucōs]], [[wikt:en:Aeduae|Aeduae]], [[wikt:en:Aedui#Latin|Aeduī]], [[wikt:en:Aeduis|Aeduīs]], [[wikt:en:Aeduus#Latin|Aeduus]], [[wikt:en:aequinocti|aequinoctī]], [[wikt:en:affecti|affectī]], [[wikt:en:affectus#Participle|affectus]], [[wikt:en:afferat|afferat]], [[wikt:en:afferebat|afferēbat]], [[wikt:en:afferret|afferret]], [[wikt:en:afferretur|afferrētur]], [[wikt:en:afflictae|afflīctae]], [[wikt:en:affligunt|afflīgunt]], [[wikt:en:aggregabat|aggregābat]], [[wikt:en:aggregaverant|aggregāverant]] ([[wikt:en:aggregarant|aggregārant]]), [[wikt:en:allato|allātō]], [[wikt:en:alliciebat#Latin|alliciēbat]], [[wikt:en:Alpis#Latin|Alpīs]], [[wikt:en:appelluntur|appelluntur]], [[wikt:en:appetebat|appetēbat]], [[wikt:en:apportari|apportārī]], [[wikt:en:applicant#Latin|applicant]], [[wikt:en:approbant#Latin|approbant]], [[wikt:en:appropinquabat|appropinquābat]], [[wikt:en:appropinquare#Latin|appropinquāre]], [[wikt:en:appropinquarent|appropinquārent]], [[wikt:en:appropinquassent|appropinquāssent]], [[wikt:en:appropinquaverunt|appropinquāvērunt]] ([[wikt:en:appropinquarunt|appropinquārunt]]), [[wikt:en:appropinquavit|appropinquāvit]], [[wikt:en:appulso#Latin|appulsō]], [[wikt:en:arripere|arripere]], [[wikt:en:articlis|articlīs]], [[wikt:en:ascendissent#Latin|ascendissent]], [[wikt:en:ascensu#Noun|ascēnsū]], [[wikt:en:assidua#Latin|assiduā]], [[wikt:en:assiduis#Latin|assiduīs]], [[wikt:en:assuefacti|assuēfactī]], [[wikt:en:assuescere#Latin|assuēscere]], [[wikt:en:attingit|attingit]], [[wikt:en:attingunt|attingunt]], [[wikt:en:attribuerat#Latin|attribuerat]], [[wikt:en:attribuit|attribuit]], [[wikt:en:attribuunt|attribuunt]], [[wikt:en:auris#Latin|aurīs]], [[wikt:en:auxili#Latin|auxilī]], [[wikt:en:cedentis|cēdentīs]], [[wikt:en:civis#Latin|cīvīs]], [[wikt:en:clientis|clientīs]], [[wikt:en:cohortis|cohortīs]], [[wikt:en:coicere|coicere]], [[wikt:en:coicerent|coicerent]], [[wikt:en:coici|coicī]], [[wikt:en:coiciant|coiciant]], [[wikt:en:coiciebant|coiciēbant]], [[wikt:en:coiciunt|coiciunt]], [[wikt:en:coiecerant|coiēcerant]], [[wikt:en:coiecerunt|coiēcērunt]], [[wikt:en:coiecisse|coiēcisse]], [[wikt:en:coiecta|coiecta]], [[wikt:en:coiecti|coiectī]], [[wikt:en:coiectis|coiectīs]], [[wikt:en:collatis|collātīs]], [[wikt:en:collaudantur|collaudantur]], [[wikt:en:collaudat|collaudat]], [[wikt:en:collaudatis#Participle|collaudātīs]], [[wikt:en:collis#Latin|collīs]], [[wikt:en:collocabant|collocābant]], [[wikt:en:collocabat|collocābat]], [[wikt:en:collocandis|collocandīs]], 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[[wikt:en:adgregaverant|adgregāverant]] ([[wikt:en:adgregarant|adgregārant]]), [[wikt:en:adlato|adlātō]], [[wikt:en:adliciebat#Latin|adliciēbat]], [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpēs]], [[wikt:en:adpelluntur|adpelluntur]], [[wikt:en:adpetebat|adpetēbat]], [[wikt:en:adportari|adportārī]], [[wikt:en:adplicant|adplicant]], [[wikt:en:adprobant#Latin|adprobant]], [[wikt:en:adpropinquabat|adpropinquābat]], [[wikt:en:adpropinquare|adpropinquāre]], [[wikt:en:adpropinquarent|adpropinquārent]], [[wikt:en:adpropinquassent|adpropinquāssent]], [[wikt:en:adpropinquaverunt|adpropinquāvērunt]] ([[wikt:en:adpropinquarunt|adpropinquārunt]]), [[wikt:en:adpropinquavit|adpropinquāvit]], [[wikt:en:adpulso|adpulsō]], [[wikt:en:adripere|adripere]], [[wikt:en:articulis|articulīs]], [[wikt:en:adscendissent|adscendissent]], [[wikt:en:adscensu#Noun|adscēnsū]], [[wikt:en:adsidua|adsiduā]], [[wikt:en:adsiduis#Latin|adsiduīs]], [[wikt:en:adsuefacti|adsuēfactī]], [[wikt:en:adsuescere#Latin|adsuēscere]], 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<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span>
<span style="color:#b00;"></span>
<span style="color:#800;"></span>
<span style="font-size:10pt;"></span>
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== 注解 ==
=== 1項 ===
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;"></span>
;語釈
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;background-color:#fff;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
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<!--
;対訳
《 》 内は、訳者が説明のために補った語。<span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">{</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">}</span> 内は関係文。
<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span>
-->
== 訳文 ==
*<span style="background-color:#dff;">訳文は、[[ガリア戦記_第7巻#33節]]</span>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 解説 ==
<!--
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|- style="height:23em;"
|
|
|}
-->
== 関連項目 ==
*[[ガリア戦記]]
**[[ガリア戦記/注解編]]
***[[ガリア戦記 第7巻/注解]]
**[[ガリア戦記/用例集]]
== 関連記事 ==
== 外部リンク ==
* [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=263 #263 - C. Iuli Caesaris De bello gallico libri VII : Caesar's Gallic ... - Full View | HathiTrust Digital Library]
* [https://scaife.perseus.org/reader/urn:cts:latinLit:phi0448.phi001.perseus-lat2:7.33 Scaife Viewer | De Bello Gallico]
* [https://www.intratext.com/IXT/LAT0044/_P83.HTM De bello Gallico: text - IntraText CT]
* [https://reader.humanitext.ai/en/read/urn:cts:latinLit:phi0448.phi001.humanitext-lat2:7.33.1-7.33.4 Caesar's Settlement of the Magistrate Dispute at Decetia — Gallic War §7.33.1-7.33.4 (Julius Caesar) | Latin text & English translation · Humanitext Reader]
* [https://reader.humanitext.ai/read/urn:cts:latinLit:phi0448.phi001.humanitext-lat2:7.33.1-7.33.4 デケティアでのカエサルによる首長選挙の裁定|『ガリア戦記』§7.33.1-7.33.4(ユリウス・カエサル)ラテン語原文・日本語訳 · Humanitext Reader]
[[Category:ガリア戦記 第7巻|33節]]
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/* 大アンティル */
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wikitext
text/x-wiki
*[[w:fr:Portail:Quiz]]
==アフリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Afrique localisation des pays]]
'''Connaissez-vous les pays d'Afrique ? '''
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Africa location map without rivers.svg|500px]]
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</div>
----
<div>
==アジア==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Asie localisation des pays]]
----
==アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/États-Unis localisation des États]]
----
==南アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Amérique du Sud localisation des pays]]
----
==ヨーロッパ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Europe localisation des pays]]
----
;ヨーロッパの国旗
*[[w:fr:Portail:Quiz/Drapeaux d'Europe 01]]
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</div>
----
: [[:en:Category:Subject:Wikijunior Geography]]
* [[:en:Wikijunior:Countries_A-Z]]
** [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries_A-Z]]
**:; [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries A-Z/Continent map templates]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/North America Labelled Map]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/Lesser Antilles Labelled Map]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/World Labelled Map]]
==中央アメリカ・西インド諸島==
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Central America blank map.png|500px]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:1px; top:65px">メキシコ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:120px; top:55px">ベリーズ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:30px; top:100px">グアテマラ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:150px; top:105px">ホンジュラス</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:40px; top:160px">エルサルバドル</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:190px; top:180px">ニカラグア</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:250px; top:260px">コスタリカ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:330px; top:307px">パナマ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:405px; top:350px">(コロンビア)</div>
</div>
*[[:c:Category:SVG blank maps of the Americas]]
**[[:c:Category:Blank maps of Central America]]
***[[:c:Category:SVG blank maps of Central America]]
***:[[:c:File:Caribbean location map.svg]]
***: [[:c:File:West Indies - Island Groups (lb).svg]]
***:[[:c:File:Outline map of Central America with borders.svg]]
***: [[:File:Map of Central America.svg]]
===大アンティル===
*[[:c:Category:SVG maps of the Caribbean]]
*:[[:c:File:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
*:[[:c:File:Caribbean - Lesser Antilles.PNG]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles location map.svg]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles regional proximity.svg]]
*:[[:c:File:Islas de las Antillas menores.svg]] [[:c:File:Dólar del Caribe Oriental.svg]]
**:[[:File:Lesser Antilles named.svg]]
<div style="float: left; width: 703px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:2px">(アメリカ合衆国)</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:110px; top:20px">([[w:フロリダ半島|フロリダ半島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:35px; border:none; left:450px; top:30px"><!--◆-->([[w:大西洋|大西洋]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:260px; top:30px">([[w:バハマ|バハマ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:25px; border:none; left:280px; top:70px">([[w:バハマ諸島|バハマ諸島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:400px; top:115px">([[w:タークス・カイコス諸島|英領タークス・カイコス諸島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:365px; top:130px">([[w:イナグア島|大・小イナグア島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:17px; border:none; left:523px; top:260px"><!--◆-->([[w:小アンティル諸島|小アンティル諸島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:11px; border:none; left:580px; top:220px"><!--◆-->([[w:リーワード諸島 (西インド諸島)|リーワード諸島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:28px; border:none; left:220px; top:250px"><!--◆-->([[w:カリブ海|カリブ海]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:5px; top:40px">([[w:メキシコ湾|メキシコ湾]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:14px; border:none; left:0px; top:115px">([[w:ユカタン半島|ユカタン半島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:1px; top:155px">([[w:メキシコ|メキシコ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:30px; top:205px">([[w:ベリーズ|ベリーズ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:0px; top:240px">([[w:グアテマラ|グアテマラ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:30px; top:265px">([[w:ホンジュラス|ホンジュラス]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:0px; top:300px">([[w:エルサルバドル|エルサルバドル]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:320px">([[w:ニカラグア|ニカラグア]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:380px">([[w:コスタリカ|コスタリカ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:200px; top:400px">([[w:パナマ|パナマ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:25px; border:none; left:380px; top:450px"><!--◆-->([[w:南アメリカ|南アメリカ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:450px; top:400px">([[w:ベネズエラ|ベネズエラ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:300px; top:430px">([[w:コロンビア|コロンビア]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:25px; border:none; left:30px; top:420px"><!--◆-->([[w:太平洋|太平洋]])</div>
</div>
:
*[[:c:File:South america.jpg]]
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/* 大アンティル */
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wikitext
text/x-wiki
*[[w:fr:Portail:Quiz]]
==アフリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Afrique localisation des pays]]
'''Connaissez-vous les pays d'Afrique ? '''
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Africa location map without rivers.svg|500px]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:120px; top:25px">''[[w:モロッコ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:157px; top:55px">''[[w:アルジェリア|?]]''</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:250px; top:55px">''[[w:リビア|?]]''</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:75px; top:110px">''[[w:モーリタニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:130px; top:120px">''[[w:マリ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:195px; top:120px">''[[w:ニジェール|?]]''</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:308px; top:320px">''[[w:ザンビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:17px; border:none; left:355px; top:318px">''[[w:マラウイ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:249px; top:370px">''[[w:ナミビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:290px; top:370px">''[[w:ボツワナ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:325px; top:354px">''[[w:ジンバブエ|?]]''</div>
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<div>
==アジア==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Asie localisation des pays]]
----
==アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/États-Unis localisation des États]]
----
==南アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Amérique du Sud localisation des pays]]
----
==ヨーロッパ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Europe localisation des pays]]
----
;ヨーロッパの国旗
*[[w:fr:Portail:Quiz/Drapeaux d'Europe 01]]
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</div>
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: [[:en:Category:Subject:Wikijunior Geography]]
* [[:en:Wikijunior:Countries_A-Z]]
** [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries_A-Z]]
**:; [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries A-Z/Continent map templates]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/North America Labelled Map]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/Lesser Antilles Labelled Map]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/World Labelled Map]]
==中央アメリカ・西インド諸島==
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Central America blank map.png|500px]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:1px; top:65px">メキシコ</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:30px; top:100px">グアテマラ</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:250px; top:260px">コスタリカ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:330px; top:307px">パナマ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:405px; top:350px">(コロンビア)</div>
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*[[:c:Category:SVG blank maps of the Americas]]
**[[:c:Category:Blank maps of Central America]]
***[[:c:Category:SVG blank maps of Central America]]
***:[[:c:File:Caribbean location map.svg]]
***: [[:c:File:West Indies - Island Groups (lb).svg]]
***:[[:c:File:Outline map of Central America with borders.svg]]
***: [[:File:Map of Central America.svg]]
===大アンティル===
*[[:c:Category:SVG maps of the Caribbean]]
*:[[:c:File:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
*:[[:c:File:Caribbean - Lesser Antilles.PNG]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles location map.svg]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles regional proximity.svg]]
*:[[:c:File:Islas de las Antillas menores.svg]] [[:c:File:Dólar del Caribe Oriental.svg]]
**:[[:File:Lesser Antilles named.svg]]
<div style="float: left; width: 703px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:2px">(アメリカ合衆国)</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:110px; top:20px">([[w:フロリダ半島|フロリダ半島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:40px; border:none; left:470px; top:30px"><!--◆-->([[w:大西洋|大 西 洋]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:260px; top:30px">([[w:バハマ|バハマ]])</div>
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<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:365px; top:130px">([[w:イナグア島|大・小イナグア島]])</div>
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<div style="position:absolute; font-size:11px; border:none; left:580px; top:210px">([[w:リーワード諸島 (西インド諸島)|リーワード諸島]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:11px; border:none; left:580px; top:300px">([[w:ウィンドワード諸島 (西インド諸島)|ウィンドワード諸島]])</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:30px; top:205px">([[w:ベリーズ|ベリーズ]])</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:320px">([[w:ニカラグア|ニカラグア]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:380px">([[w:コスタリカ|コスタリカ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:200px; top:400px">([[w:パナマ|パナマ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:25px; border:none; left:380px; top:450px"><!--◆-->([[w:南アメリカ|南アメリカ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:450px; top:400px">([[w:ベネズエラ|ベネズエラ]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:300px; top:430px">([[w:コロンビア|コロンビア]])</div>
<div style="position:absolute; font-size:30px; border:none; left:25px; top:420px"><!--◆-->([[w:太平洋|太平洋]])</div>
</div>
:
*[[:c:File:South america.jpg]]
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304352
304345
2026-10-06T15:16:22Z
Linguae
449
/* 大アンティル */
304352
wikitext
text/x-wiki
*[[w:fr:Portail:Quiz]]
==アフリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Afrique localisation des pays]]
'''Connaissez-vous les pays d'Afrique ? '''
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Africa location map without rivers.svg|500px]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:120px; top:25px">''[[w:モロッコ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:157px; top:55px">''[[w:アルジェリア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:215px; top:18px">''[[w:チュニジア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:250px; top:55px">''[[w:リビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:310px; top:55px">''[[w:エジプト|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:75px; top:75px">''[[w:西サハラ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:75px; top:110px">''[[w:モーリタニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:130px; top:120px">''[[w:マリ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:195px; top:120px">''[[w:ニジェール|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:255px; top:135px">''[[w:チャド|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:315px; top:145px">''[[w:スーダン|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:325px; top:185px">''[[w:南スーダン|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:378px; top:130px">''[[w:エリトリア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:375px; top:175px">''[[w:エチオピア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:408px; top:160px">''[[w:ジブチ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:18px; border:none; left:20px; top:127px">''[[w:カーボベルデ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:18px; border:none; left:62px; top:132px">''[[w:セネガル|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:13px; border:none; left:53px; top:143px">''[[w:ガンビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:55px; top:157px">''[[w:ギニアビサウ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:70px; top:162px">''[[w:ギニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:135px; top:153px">''[[w:ブルキナファソ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:75px; top:180px">''[[w:シエラレオネ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:87px; top:191px">''[[w:リベリア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:115px; top:190px">''[[w:コートジボワール|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:135px; top:190px">''[[w:ガーナ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:11px; border:none; left:154px; top:182px">''[[w:トーゴ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:11px; border:none; left:161px; top:169px">''[[w:ベニン|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:185px; top:180px">''[[w:ナイジェリア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:196px; top:213px">''[[w:サントメ・プリンシペ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:220px; top:200px">''[[w:カメルーン|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:270px; top:190px">''[[w:中央アフリカ共和国|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:425px; top:200px">''[[w:ソマリア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:13px; border:none; left:210px; top:225px">''[[w:赤道ギニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:210px; top:239px">''[[w:ガボン|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:240px; top:235px">''[[w:コンゴ共和国|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:285px; top:250px">''[[w:コンゴ民主共和国|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:343px; top:220px">''[[w:ウガンダ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:373px; top:230px">''[[w:ケニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:330px; top:250px">''[[w:ルワンダ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:12px; border:none; left:330px; top:261px">''[[w:ブルンジ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:360px; top:274px">''[[w:タンザニア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:245px; top:315px">''[[w:アンゴラ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:308px; top:320px">''[[w:ザンビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:17px; border:none; left:355px; top:318px">''[[w:マラウイ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:249px; top:370px">''[[w:ナミビア|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:290px; top:370px">''[[w:ボツワナ|?]]''</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:325px; top:354px">''[[w:ジンバブエ|?]]''</div>
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</div>
</div>
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<div>
==アジア==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Asie localisation des pays]]
----
==アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/États-Unis localisation des États]]
----
==南アメリカ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Amérique du Sud localisation des pays]]
----
==ヨーロッパ==
*[[w:fr:Portail:Quiz/Europe localisation des pays]]
----
;ヨーロッパの国旗
*[[w:fr:Portail:Quiz/Drapeaux d'Europe 01]]
----
</div>
----
: [[:en:Category:Subject:Wikijunior Geography]]
* [[:en:Wikijunior:Countries_A-Z]]
** [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries_A-Z]]
**:; [[:en:Category:Book:Wikijunior:Countries A-Z/Continent map templates]]
**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/North America Labelled Map]]
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**:: [[:en:Template:Wikijunior:Countries A-Z/World Labelled Map]]
==中央アメリカ・西インド諸島==
<div style="float: left; width: 600px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Central America blank map.png|500px]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:1px; top:65px">メキシコ</div>
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:120px; top:55px">ベリーズ</div>
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<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:190px; top:180px">ニカラグア</div>
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*[[:c:Category:SVG blank maps of the Americas]]
**[[:c:Category:Blank maps of Central America]]
***[[:c:Category:SVG blank maps of Central America]]
***:[[:c:File:Caribbean location map.svg]]
***: [[:c:File:West Indies - Island Groups (lb).svg]]
***:[[:c:File:Outline map of Central America with borders.svg]]
***: [[:File:Map of Central America.svg]]
*[[:c:File:Middle America location map.svg]](中部)
*:[[:c:File:Middle America relief location map.png]](中部の地形)
===西インド諸島・アンティル諸島===
*[[:c:Category:SVG maps of the Caribbean]]
*:[[:c:Category:Location maps of Caribbean]]
:
*[[:c:File:Caribbean in its region.svg]](詳細)
*[[:c:File:Caribbean location map.svg]]
*[[:c:File:Caribe-Político.svg]](着色区分)
:
*[[:c:File:Relief Map of Caribbean.png]]
*[[:c:File:Eastern Caribbean.png]]
:
*[[:c:File:Caribe en blanco.PNG]](着色区分)
===大アンティル===
*[[:c:File:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
<div style="float: left; width: 703px">
<div style="position: relative; text-align: left;">[[Image:Caribbean - Greater Antilles.PNG]]
<div style="position:absolute; font-size:15px; border:none; left:100px; top:2px">(アメリカ合衆国)</div>
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</div>
:
*[[:c:File:Greater Antilles location map.svg]](大アンティル・バハマ)
*:[[:c:File:Greater Antilles.png]]
===小アンティル===
*[[:c:File:Lesser Antilles locator map.svg]](詳細)
*:[[:c:File:Caribbean - Lesser Antilles.PNG]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles location map.svg]]
*:[[:c:File:Lesser Antilles regional proximity.svg]]
*:[[:c:File:Islas de las Antillas menores.svg]] [[:c:File:Dólar del Caribe Oriental.svg]]
**:[[:File:Lesser Antilles named.svg]]
:
*[[:c:File:South america.jpg]]
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