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寛元二年記
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|title=寬元二年記
|wikipedia=吾妻鏡
|notes=『寛元二年記』 は金沢文庫に所蔵される一編の文書であり、原題は 『吾妻鏡断簡』とする。これを『[[吾妻鏡]]』と校合すると、その内容は概ね寛元二年四月二十一日及び六月十三日の記事の一部に対応する。ただし、果たして『[[吾妻鏡]]』原典の断簡であるかどうかは疑問とされている。その筆跡と体例を見直すと、『[[吾妻鏡]]』編纂の際に拠った一次史料の断片である可能性がある。このため、仮題として『寛元二年記』を名付け、『[[吾妻鏡]]』の巻末に附録することとした。
[[Category:古文書]]
[[Category: 中世 (日本)]]
*底本:
黒板勝美 編『国史大系』第33巻,国史大系刊行会,昭和8. {{NDLJP|3431649}}}}
<big>寬元二年記</big>
〔第一紙〕<ref>第一紙自御引出物至一拜、蓋係于寬元二年四月廿一日事</ref>
{| class="wikitable"
| valign="top" |御引出物
將軍御方
御釼 前丹後守泰氏
冠者殿御方
御釼 前右馬權頭政村
御征矢 遠江守朝直
御刀 相摸右近大夫將監時家
御鎧 遠江馬助光時
同式部大夫時章
羽 若狹前司泰村
砂金 秋田城介義景
一御馬{{*|置鞍}}備前守時長
前壹岐守泰綱
二御馬同駿川式部大夫家村同
五郞左衛門尉資村
三御馬同遠江次郞左衛門尉光盛
同五郞左衛門尉盛時
武藏國司賜御釼。隼人正光重取御釼。{{*|入錦袋。}}傳大夫將監時賴。〻〻授武州。武州賜御釼下立庭上一拜。
寬元二年六月十三日。將軍入御城介義景甘繩第。是去二月廿八日令蒙將軍宣旨之後御行始也。前大納言并大僧正道慶。御房等乘車。有御見物引立御車於少<ref>少、與小通用</ref>町西口西向。供奉人 {{*|布衣上括。}}烈<ref>烈、與列通用</ref>居御車轅邊。行烈見左。
|}
〔第二紙〕<ref>第二紙、蓋連續第一紙六月十三日記</ref>
{| class="wikitable"
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{| class="wikitable"
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| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">先隨兵 </div>
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|-
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">佐々木壹岐前司泰綱</div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">河越掃部助泰重</div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">常陸修理亮重継</div>
|-
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">上野大藏權少輔朝廣 </div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">駿川式部大夫家村</div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">大須賀七郞左衛門尉 </div>
|-
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">遠 </div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">畠</div>
| valign="top" |<div style="writing-mode: vertical-lr;">陸</div>
|}
|}
〔第三紙〕<ref>第三紙、蓋亦六月十三日記、但不連續第二紙</ref>
{| class="wikitable"
| valign="top" |
<div style="writing-mode: vertical-lr;">
信濃□<ref>□、當作四</ref>郞左衛門尉行忠<br><br>
遠江次郞左衛門尉光盛
</div>
此御出事。先年縫殿頭師連相語之間記之。但行烈少〳〵有不審事。重相尋攝津入道。可散不審也。
|}
<small>〔一行異筆〕</small><br>
永祿四年{{*|辛酉}} 壬三月九日越後景虎亂入時節稱名寺經藏ヨリ出シ見付候秀波房
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利用者:HOPE SINCE 1957/sandbox
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HOPE SINCE 1957
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ハンガリー1921年法律第47号
244463
wikitext
text/x-wiki
https://mnl.gov.hu/habsburg_otto_es_oroksege/02_iv_karoly_az_emigracioban.html
Az 1921. évi XLVII. számú törvény a Habsburg-ház detronizálásáról
Budapest, 1921. november 6.
„1. § IV. Károly király uralkodói jogai megszűntek.
2. § Az 1723. évi I. és II. törvénycikkben foglalt pragmatica sanctio és minden egyéb jogszabály, amely az Ausztriai Ház (Domus Austriaca) trónörökösödési jogát megállapította vagy szabályozta, hatályát vesztette és ezzel a királyválasztás előjoga a nemzetre visszaszállt.
3. § A nemzet a királyság ősi államformáját változatlanul fenntartja, de a királyi szék betöltését későbbi időre halasztja és utasítja a minisztériumot, hogy eziránt arra alkalmas időben javaslatot tegyen.”
Az irat jelzete: Jelzet: MNL OL N 45 Lad. H.–Ser. A.– Fasc. 3.–1921:XLVII. – Aláírásokkal és pecséttel ellátott, nyomtatott törvényszöveg.
1921年法律第47条
カール4世陛下の主権の廃止とハプスブルク家の王位継承について *
§ 1.カール4世の主権は消滅した。
§ 2. 1723年法の第1条および第2条に含まれる実効的法律、ならびにオーストリア家(ドムス・アウストリアカ)の王位継承権を確立または規制するその他のすべての法律は効力を失い、これにより国王を選出する特権は国民に戻った。
§ 3.国は王国の古来の統治形態をそのまま維持するが、王位継承を後日に延期し、適切な時期にそのための提案を行うよう内閣に指示する。
第4条 本法は公布の日から施行する。
38。
1921年のハプスブルク家家の非植民地化に関する第XLVII法
ブダペスト、1921年11月6日。
1。• IV。チャールズ国王の権利は廃止された。
2.第1条および第2条に規定されているように、実用主義的な聖域およびオーストリア下院(ドムス・オーストリアカ)の継承を定めた他のいかなる法律も廃止され、国王選挙の権限は国家に返還された。
3.この国は王国の古代国家状態を据えているが、その後、王室の議席を延期し、速やかに提案するよう指示している。
ドキュメンテーション:MNL OL N 45 LadH. - サー。A.– ファスク。3.-1921:XLVII. – 署名とシールが書かれた印刷されたテキスト。
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HOPE SINCE 1957
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https://mnl.gov.hu/habsburg_otto_es_oroksege/02_iv_karoly_az_emigracioban.html
Az 1921. évi XLVII. számú törvény a Habsburg-ház detronizálásáról
Budapest, 1921. november 6.
„1. § IV. Károly király uralkodói jogai megszűntek.
2. § Az 1723. évi I. és II. törvénycikkben foglalt pragmatica sanctio és minden egyéb jogszabály, amely az Ausztriai Ház (Domus Austriaca) trónörökösödési jogát megállapította vagy szabályozta, hatályát vesztette és ezzel a királyválasztás előjoga a nemzetre visszaszállt.
3. § A nemzet a királyság ősi államformáját változatlanul fenntartja, de a királyi szék betöltését későbbi időre halasztja és utasítja a minisztériumot, hogy eziránt arra alkalmas időben javaslatot tegyen.”
https://net.jogtar.hu/ezer-ev-torveny?docid=92100047.TV&searchUrl=/ezer-ev-torvenyei%3Fpagenum%3D39
Az irat jelzete: Jelzet: MNL OL N 45 Lad. H.–Ser. A.– Fasc. 3.–1921:XLVII. – Aláírásokkal és pecséttel ellátott, nyomtatott törvényszöveg.
1921年法律第47条
カール4世陛下の主権の廃止とハプスブルク家の王位継承について *
§ 1.カール4世の主権は消滅した。
§ 2. 1723年法の第1条および第2条に含まれる実効的法律、ならびにオーストリア家(ドムス・アウストリアカ)の王位継承権を確立または規制するその他のすべての法律は効力を失い、これにより国王を選出する特権は国民に戻った。
§ 3.国は王国の古来の統治形態をそのまま維持するが、王位継承を後日に延期し、適切な時期にそのための提案を行うよう内閣に指示する。
第4条 本法は公布の日から施行する。
38。
1921年のハプスブルク家家の非植民地化に関する第XLVII法
ブダペスト、1921年11月6日。
1。• IV。チャールズ国王の権利は廃止された。
2.第1条および第2条に規定されているように、実用主義的な聖域およびオーストリア下院(ドムス・オーストリアカ)の継承を定めた他のいかなる法律も廃止され、国王選挙の権限は国家に返還された。
3.この国は王国の古代国家状態を据えているが、その後、王室の議席を延期し、速やかに提案するよう指示している。
ドキュメンテーション:MNL OL N 45 LadH. - サー。A.– ファスク。3.-1921:XLVII. – 署名とシールが書かれた印刷されたテキスト。
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HOPE SINCE 1957
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ページの白紙化
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全権委任法
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~2026-41455-82
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244466
wikitext
text/x-wiki
{{Header
| title = 民族および国家の危難を除去するための法律
| year = 1933
| month = 3
| day = 24
| notes =
* 施行: 1933年3月23日
* 底本:
** [[:File:Ermächtigungsgesetz 1933-03-24 Blatt 1.jpg]]
** [[:File:Ermächtigungsgesetz 1933-03-24 Blatt 2.jpg]]
}}
[[w:国会 (ドイツ)|国会]]は以下の法律を議決し、[[w:ヴァイマル憲法|憲法]]を変更する立法の必要の満たされたのを確認した後、[[w:ライヒ参議院|ライヒ参議院]]の同意を得てここにこれを公布する。
== 第1条 ==
[[w:ヴァイマル共和政|ドイツ国]]の法律は、ドイツ国家憲法に定められた手続き以外に、ドイツ国政府によっても制定することができる。本条はドイツ国家憲法第85条第2項および第87条に対しても適用される。
== 第2条 ==
ドイツ国政府によって制定された法律は、国会およびライヒ参議院の制度そのものに関わるものでない限り、ドイツ国家憲法に違反することができる。ただし、[[w:ドイツ国大統領|ドイツ国大統領]]の権限に変更を加えることはできない。
== 第3条 ==
ドイツ国政府によって定められた法律は、[[w:ドイツ国首相|ドイツ国首相]]によって作成され、ドイツ国官報を通じて公布される。特別な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。ドイツ国家憲法第68条から第77条は、ドイツ国政府によって制定された法律の適用を受けない。
== 第4条 ==
ドイツ国と外国との条約は、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。ドイツ国政府はこれらの条約の履行に必要な法律を公布する。
== 第5条 ==
本法は公布の日をもって発効する。本法は1937年4月1日に失効し、また、現在のドイツ国政府が他の政府に交代した場合にも失効する。
[[w:ベルリン|ベルリン]]、1933年3月24日
{{Center|text=[[w:ドイツ国大統領|ドイツ国大統領]]}}
{{Center|text=[[w:パウル・フォン・ヒンデンブルク|フォン・ヒンデンブルク]]}}
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{{Center|text=[[w:アドルフ・ヒトラー|アドルフ・ヒトラー]]}}
{{Center|text=ドイツ国内務大臣}}
{{Center|text=[[w:ヴィルヘルム・フリック|フリック]]}}
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[[Category:ドイツの法令]]
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* 施行: 1933年3月23日
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[[w:国会 (ドイツ)|ライヒ議会]]は以下の法律を議決し、憲法を変更する立法の必要の満たされたのを確認した後、[[w:ライヒ参議院|ライヒ参議院]]の同意を得てここにこれを公布する。
== 第1条 ==
[[w:ヴァイマル共和政|ドイツ国]]の法律は、[[w:ヴァイマル憲法|ドイツ国家憲法]]に定められた手続き以外に、ドイツ国政府によっても制定することができる。本条はドイツ国家憲法第85条第2項および第87条に対しても適用される。
== 第2条 ==
ドイツ国政府によって制定された法律は、国会およびライヒ参議院の制度そのものに関わるものでない限り、ドイツ国家憲法に違反することができる。ただし、[[w:ドイツ国大統領|ドイツ国大統領]]の権限に変更を加えることはできない。
== 第3条 ==
ドイツ国政府によって定められた法律は、[[w:ドイツ国首相|ドイツ国首相]]によって作成され、ドイツ国官報を通じて公布される。特別な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。ドイツ国家憲法第68条から第77条は、ドイツ国政府によって制定された法律の適用を受けない。
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ドイツ国と外国との条約は、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。ドイツ国政府はこれらの条約の履行に必要な法律を公布する。
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本法は公布の日をもって発効する。本法は1937年4月1日に失効し、また、現在のドイツ国政府が他の政府に交代した場合にも失効する。
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[[Category:ドイツの法令]]
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社会福祉法等の一部を改正する法律
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HTDFPC
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ページの作成:「'''社会福祉法等の一部を改正する法律'''(しゃかいふくしほうとうのいちぶをかいせいするほうりつ) # [[社会福祉法等の一部を改正する法律 (平成28年法律第21号)]] # [[社会福祉法等の一部を改正する法律 (令和8年法律第51号)]] ==関連項目== * [[社会福祉法]] (昭和26年法律第45号) {{Aimai|しやかいふくしほうとうのいちふをかいせいするほうりつ}}」
244469
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'''社会福祉法等の一部を改正する法律'''(しゃかいふくしほうとうのいちぶをかいせいするほうりつ)
# [[社会福祉法等の一部を改正する法律 (平成28年法律第21号)]]
# [[社会福祉法等の一部を改正する法律 (令和8年法律第51号)]]
==関連項目==
* [[社会福祉法]] (昭和26年法律第45号)
{{Aimai|しやかいふくしほうとうのいちふをかいせいするほうりつ}}
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廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律
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HTDFPC
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ページの作成:「'''廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律'''(はいきぶつのしょりおよびせいそうにかんするほうりつとうのいちぶをかいせいするほうりつ) # [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律 (平成17年法律第42号)]] # [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律 (令和8年法律第43号)]] ==関連項目==…」
244470
wikitext
text/x-wiki
'''廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律'''(はいきぶつのしょりおよびせいそうにかんするほうりつとうのいちぶをかいせいするほうりつ)
# [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律 (平成17年法律第42号)]]
# [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律等の一部を改正する法律 (令和8年法律第43号)]]
==関連項目==
* [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律]] (昭和45年法律第137号)
* [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一部を改正する法律]]
* [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律及び廃棄物処理施設整備緊急措置法の一部を改正する法律]]
{{Aimai|はいきふつのしよりおよひせいそうにかんするほうりつとうのいちふをかいせいするほうりつ}}
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Index:勅語正教解(石川喜三郎、1893年).pdf
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Kuroyuki-pupa
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新規作成
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|書名=[[勅語正教解]]
|言語=jpn
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|著者=[[作者:石川喜三郎|石川喜三郎]]
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|出版者=日本大学精神文化研究所・日本大学教育制度研究所
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|注釈='''原著:''' 石川喜三郎『勅語正教解』(表題原表記『敕語正敎解』)、正教会、東京、1893年(明治26年)7月。
'''底本となった版:''' 日本大学精神文化研究所・日本大学教育制度研究所編『教育勅語関係資料 第4集』、1977年、569–588頁所収。
'''デジタル化資料:''' 国立国会図書館デジタルコレクション、永続的識別子:info:ndljp/pid/12220590。
本IndexのPDFは、上記1977年版に再録された『勅語正教解』部分を抽出したものであり、1893年原刊本そのもののスキャンではない。各PDFページは原資料の見開き2頁を一画像として収録している。
第11スキャン左側の『幼年の寶』扉は次作品に属するため、翻刻対象外とする。
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Kuroyuki-pupa
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進捗更新
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本IndexのPDFは、上記1977年版に再録された『勅語正教解』部分を抽出したものであり、1893年原刊本そのもののスキャンではない。各PDFページは原資料の見開き2頁を一画像として収録している。
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Page:勅語正教解(石川喜三郎、1893年).pdf/1
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Kuroyuki-pupa
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>敕語正教解
石川喜三郎謹解
緒 言
王政の古に復してよりこのかた、制度日に整ひ文物月に備はり、舊謝り新代りて、人智の開けゆくさま歐米をも凌がんばかりの勢なり。かゝる勢に駸々(しんしん)として進みゆかば、我が邦の文明は、實に日の本の名にもそむかで、五大洲に照りかがやかんこと、また遠きにあらざるべし。そも〳〵國の文明は、人智の進步、政治經濟軍事の整頓するに因れること、今更いふに及ばざれど、いかに人智が進みたればとて、またいかに政治經濟の道立ちて、軍備整ひたればとて、これのみにて文明のこと終れりとは云ふべからず。政治も改善せざるべからず經濟の道も起さゞるべからず軍備もまた充分に整へて、非常の用意をもなさゞるべからず。かく内外ともに充分の用意をなして、世界文明の競爭場に進み出で、人生の幸福を增進せざるべからず。されど政治經濟軍備のみにては、世界文明の競爭場に出でゝ必然の勝利を得んこと、とても期すべからず。ことに我邦の如きは、いかに國家の經濟が整ひたればとて、軍艦銃砲が增加したればとて、有限の財力、限りのある腕力なれば、これ決してわが國家勝利の唯一の利器とは云ふべからず。こゝに我等はこの有形力の外に、この社會を堅め國家を統ぶる無形の力を求めて、この無形力の發達をして、人智の進步、社會の文化に伴はしめざるべからず。その所謂無形力とは即<noinclude></noinclude>
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Page:勅語正教解(石川喜三郎、1893年).pdf/2
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>これ國家の精神にして、國家の精神は即ちこれ一國の道德なり、國家にしてもしこの道德てふ無形力を有せざらんには、これ精神も生命もなき國家にして器械にひとしき限りある物力の運動たるに過ぎず。故に一時は活潑なる運動をなさんも、到底そが運動を無限に存保せんこと極て難かるべし。國家をしてその活力を限りなく保しめ、之を泰山の安きに置かんとならば、鐵片硝藥などより成り立てる軍備或は朝改暮變の政治などの外に必ず道德てふ一種の無形力の上に、その國家を立てざるべからず。故人の所謂地の利は人の和に若かずてふ意味を廣く解かば、この無形力なる道德を云ふに外ならず。さればこの無形力を賴みてこそ、わが邦の如き東洋の一孤島も亦世界文明の競爭場に立ち、限りなきの活力を保ちて、必勝を期することをも得るなれ。
國家の活力なる道德の基をかたく堅めて、ふかく之を植ゑんとならば、先各人の道德を修養せんことを要す。天下の人々をして各々その所を得しめ、その德を常にすることを得しむるはこれぞ國家の活力を養ふべき基なる。かけまくもかしこき我が大君はふかくその國民修德の道に大御心を煩はせ給ひて、去ぬる明治二十三年の十月三十日と云ふに、實踐道德の綱要を、敕し給へり。その大詔の御趣意は智を研き業を學ぶ一切の教育は、みな修德の道を基として、國民たる者、常に忠と孝とをもて、その心となさゞるべからずと云ふ、いともありがたき御教訓なり。生をこの王土に得てその聖恩に沐浴する者、たれかはこの御教訓の御趣意に感ぜざらん。我等日本臣民たる者、造次顛沛(ぞうじてんぱい)にも豈この御教訓を忘るべけんや。まして神天帝の眞の道を信じ、ふかく倫常の教を極めたらん者は、この聖語の御教訓を實踐して、未信同胞の模範ともならざるべからず。我等基督教徒は學問もなく、財産もなきいとも賤しき民ながら、愛の教を修めて親に對し、君に對し奉りて、いかにも忠と孝との道を踐み行ふべきかを學び、またこれを實踐するの力をも有せる者なり。されば我等信徒が、この生國に報い、我が大君の鴻恩(こうおん)に酬い奉るの道は、我教の信仰の力にて神の助けを祈りつゝ忠孝の大倫を實踐するにぞある。
謹みて惟れば敕語の意はいと深遠なるも、またいと明らかにして、そが御趣意のある所、日を指すが如くなれば、賤しき筆もてそを解釋し奉らんこと、中々に怖れ多きを。ましてひがめるあさましき心にて、そを解き、そが御趣意を誤らんには、いと罪ふかきわざにこそもなれ。然るに我等我が誤り易き弱き心にはよらで、ひたふるに神の言なる聖書に基きて敕語を解き奉るは實に喜ばしきことと思ひけるなり。敕語の道は古今に通じて謬らず(あやまらず)中外に施して悖らざる(もとらざる)道なり、聖書の神言も亦天地廢するも變ずることなき道なれば、神の言を基として敕語の御趣意を明らかにしたらんには、敕語も亦天地とともに長久なるべきことをも悟り得べし。神の言に基きて、敕語を釋き明すは、敕語の眞を神言もて證するものなれば、天地の主宰なる神がこの世の王を守り助くると云ふ教理にも應へるこそたふとけれ。我が基督教の忠と孝との道を述ぶるに、直にそが教理を主として述べんこといと易きことなれど未だ教を信ぜざる人々及び新に我が教に進まんとする人々のためには、敕語の如き平常耳に聞きなれ居る、教訓よりこの基督教の忠孝の道に進ます方、なほ易かるべし。また既に教を信ずる人々のその子弟を教へ導くにも聖書の言を基として敕語の御趣意をとき明かさば、その子弟の心に神の教を植うると共に、我が大君の御教を記憶せしむべき便をも得べし。かく我等は聖書を基として、敕語の意と我がこゝろに明かにせば、敕語の御教訓を聖書の言とひとしく實踐して、實に忠良なる信徒となり、また篤信なる國民たるを得べし。余はかゝる旨意にて敕語を釋き明かさんとする者なれば勿論敕語の字句につきては細かに述べんと思へるにあらず。また敕語の中に、自ら我が國の歷史に渡り、また世々の賢き天皇の功業偉勳に關はる節もあれど、それらはみな故らに省きつ。余は一意御教訓の大趣意なる國民の道德を釋きあかして、その聖意のある所を示さんとする者なり。<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
人のこの世に生れ出づるや、夫婦の別、父子の親を保ちて一家を齊へ、同胞相結びて社會をなし君王これを率て一國を統ぶるは、みなこれ神造物主のこの世界をつくり給ふ聖旨に非ざるはなし。されば神は民をこの世に生じ親をしてその子を主どらしめ君をしてその臣を惠ましむるこそ、げに天地の大倫と云ふべけれ。我が敷島の大和の國には、富士の雪極て白く琵琶の湖いときよく吉野の櫻、志摩の月、みな風光の明媚を聚めて(あつめて)實にこの世界の花園とや云はまし。この天然山水の美に加ふるに我國はその國體のありがたきより國民の氣質に至るまで、さながら神の特恩を被ぶり居るものゝごとく、且つ溫柔にして救の道を待居る第二の撰民(せんみん)の如し。この花園の如き大日本國はいかにして開き肇められたるかと云ふに、實にこの敕語の御言の如く今上陛下の御祖先なる聖主の開き肇めさせ玉へる所なり。賢明なる帝その國に君臨し玉ひて、この國土を開き玉ふは、これ決して偶然なる出來事にあらず。みなこれ神造物主の深き神意に因らずんばあらざるなり。神は我國に萬世一系の皇統を定めて、その萬民に幸福せるは實にこれ世界無比なることがらにして又神恩の高大なるを認めざるべからず。我國の皇統はかゝる神の特恩によりて、この大日本國の皇統と定まりたる者なれば「我に由りて列王は王たり、我に由りて牧伯諸侯天下の士師皆君たり。」(箴言第八章第十五節)と云ふ神の言を服膺(ふくよう)し我等國民は擧てこの開國の祖たる皇祖を敬ひ尊びつゝその皇孫に臣事せざるべからず。我が皇祖の未だこの國を開き玉はざりし前は庶民みな蠻野の風を脱せず僅かに紡織の業、火食の道をも知らずして、蟲蛇禽獸の害を被ぶることを免れざりしが、天この民を惠みて、こゝに聖君を出し民をして始めてその土に安じて瑞穗の惠に飽くことを得しめたり。されば我が皇祖は即この開國の祖に坐しましてもし我が文武の皇祖なかりせば我國をして今日の盛事を見るを得るに至らしめざりしならん。それ誰か一家の繁榮を肇めたるその祖先を仰がざらんや。況てこの一國を開き肇め給へる皇祖の大恩に於てをや。我が皇祖が諸國諸道の盜賊を夷げ(たいらげ)、民をして皇澤に沐浴せしめ、國土を定め玉へることは歷史の證する所なり。我等國民は世々この國土に生息して、また世々その恩澤に浴する者なれば、我等はこの萬世の聖恩を思ひ「良心に緣てこれに服して」(ロマ書第十三章第五節)忠義の道を行ふべきなり。
又我が國の歷史は皇祖皇宗の樹て玉へる多くの聖德のことを記載せり。皇祖皇宗がこの國家と皇室の上に種々の偉勳を樹て玉ひし鴻德(こうとく)は、みなこれその國民に幸福を得しめんとの大御業なり。これ誠に「彼は爾に益せんための神の役者なり」(ロマ書第十三章の第四節)と國王のことを云へる聖使徒の言に應へり。高樓に登りて民の竈(かまど)の賑はへるを喜び玉ひしも、寒き夕に御衣を脱ぎて、細民を憐れみ、玉ひしも、みなこれ世々の帝のその國民を慈しみ玉ふ仁德ならざるはなし。かく世々の帝が、この國を治め、この民を導き玉ふことに、宸慮(しんりょ)をなやまし玉へればこそ我等は祖先傳來のこの國土に安き日を送りて、君が仁慈の下に風雨をも凌ぎつるなれ。されば我等も我等の祖先がその皇祖に仕へ奉りてその鴻恩を被ぶりしが如く「敬虔と端莊をもて靜かに安らかなる日を度らんため」(テモヘイ前書第二章第二節)我大君の忠良なる國民となるべきことを願ふなり。あはれ我日本の國民は今上陛下の御盛德を記憶するとともに、また皇祖皇宗の樹て玉へる深厚なる聖德を記念して皇室に對する忠愛の心を養はざるべからず。
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
謹みて我國體の樣を案ずるに皇祖創業の太古よりこのかた、今明治の聖代に至るまで、君臣父子の間に一貫し<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
人のこの世に生れ出づるや、夫婦の別、父子の親を保ちて一家を齊へ、同胞相結びて社會をなし君王これを率て一國を統ぶるは、みなこれ神造物主のこの世界をつくり給ふ聖旨に非ざるはなし。されば神は民をこの世に生じ親をしてその子を主どらしめ君をしてその臣を惠ましむるこそ、げに天地の大倫と云ふべけれ。我が敷島の大和の國には、富士の雪極て白く琵琶の湖いときよく吉野の櫻、志摩の月、みな風光の明媚を聚めて(あつめて)實にこの世界の花園とや云はまし。この天然山水の美に加ふるに我國はその國體のありがたきより國民の氣質に至るまで、さながら神の特恩を被ぶり居るものゝごとく、且つ溫柔にして救の道を待居る第二の撰民(せんみん)の如し。この花園の如き大日本國はいかにして開き肇められたるかと云ふに、實にこの敕語の御言の如く今上陛下の御祖先なる聖主の開き肇めさせ玉へる所なり。賢明なる帝その國に君臨し玉ひて、この國土を開き玉ふは、これ決して偶然なる出來事にあらず。みなこれ神造物主の深き神意に因らずんばあらざるなり。神は我國に萬世一系の皇統を定めて、その萬民に幸福せるは實にこれ世界無比なることがらにして又神恩の高大なるを認めざるべからず。我國の皇統はかゝる神の特恩によりて、この大日本國の皇統と定まりたる者なれば「我に由りて列王は王たり、我に由りて牧伯諸侯天下の士師皆君たり。」(箴言第八章第十五節)と云ふ神の言を服膺(ふくよう)し我等國民は擧てこの開國の祖たる皇祖を敬ひ尊びつゝその皇孫に臣事せざるべからず。我が皇祖の未だこの國を開き玉はざりし前は庶民みな蠻野の風を脱せず僅かに紡織の業、火食の道をも知らずして、蟲蛇禽獸の害を被ぶることを免れざりしが、天この民を惠みて、こゝに聖君を出し民をして始めてその土に安じて瑞穗の惠に飽くことを得しめたり。されば我が皇祖は即この開國の祖に坐しましてもし我が文武の皇祖なかりせば我國をして今日の盛事を見るを得るに至らしめざりしならん。それ誰か一家の繁榮を肇めたるその祖先を仰がざらんや。況てこの一國を開き肇め給へる皇祖の大恩に於てをや。我が皇祖が諸國諸道の盜賊を夷げ(たいらげ)、民をして皇澤に沐浴せしめ、國土を定め玉へることは歷史の證する所なり。我等國民は世々この國土に生息して、また世々その恩澤に浴する者なれば、我等はこの萬世の聖恩を思ひ「良心に緣てこれに服して」(ロマ書第十三章第五節)忠義の道を行ふべきなり。
又我が國の歷史は皇祖皇宗の樹て玉へる多くの聖德のことを記載せり。皇祖皇宗がこの國家と皇室の上に種々の偉勳を樹て玉ひし鴻德(こうとく)は、みなこれその國民に幸福を得しめんとの大御業なり。これ誠に「彼は爾に益せんための神の役者なり」(ロマ書第十三章の第四節)と國王のことを云へる聖使徒の言に應へり。高樓に登りて民の竈(かまど)の賑はへるを喜び玉ひしも、寒き夕に御衣を脱ぎて、細民を憐れみ、玉ひしも、みなこれ世々の帝のその國民を慈しみ玉ふ仁德ならざるはなし。かく世々の帝が、この國を治め、この民を導き玉ふことに、宸慮(しんりょ)をなやまし玉へればこそ我等は祖先傳來のこの國土に安き日を送りて、君が仁慈の下に風雨をも凌ぎつるなれ。されば我等も我等の祖先がその皇祖に仕へ奉りてその鴻恩を被ぶりしが如く「敬虔と端莊をもて靜かに安らかなる日を度らんため」(テモヘイ前書第二章第二節)我大君の忠良なる國民となるべきことを願ふなり。あはれ我日本の國民は今上陛下の御盛德を記憶するとともに、また皇祖皇宗の樹て玉へる深厚なる聖德を記念して皇室に對する忠愛の心を養はざるべからず。
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
謹みて我國體の樣を案ずるに皇祖創業の太古よりこのかた、今明治の聖代に至るまで、君臣父子の間に一貫し<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>て現れたる忠孝の道こそこれ我國體の精華なれ。故に今上陛下にはこの敕語にもその事を記して我等の祖先が君に仕へ國になしたる忠孝の功績をあげて、そを讃め玉ふなり。げにこの敕語のごとく我等の祖先は常にみな上は帝室に奉事し、忠義の道を立てゝ君を護り奉り、下は一家和樂の孝道を行ひ父母を守りつゝこの墳墓の地を保ちて今日に至れり。中古に至りて武門の世となりし後は、帝室の式微たるにもかゝはらず、克く帝室の尊嚴を保ちて、君臣の分を明かにせり。今日に至り王政を復古して帝室の威嚴尊貴を恢興(かいこう)せるも、これ正に千古の忠誠こゝに至りて現れたるものと云ひつべし。
かく我國の人民が世々我帝室に對し奉りて忠誠の道を盡し、よく帝室の藩屏(はんぺい)となり、また帝國の干城(かんじょう)となりて、庶民心を一にしたればこそ、我國は東海の表に孤立して今日の文明を極むるには至りつれ。
そも〳〵かく國民が世々忠君の道を一貫して現(あらは)せる所以(ゆえん)のものは專ら我が皇祖皇宗の聖德を仰ぐに因れりと雖も、また國民の天性に存する孝心も尚、この忠心の基本ならざるを得ず。もとこれ忠と孝とは別物にあらで、その歸する所は愛の心より發り、父母に對しては孝となり、君に對しては忠となる。ただその愛の名狀を別にせるのみなり。故に「人々各、宜しくその在上の權に服すべし」(ロマ書第十三章第一節)と云ふもまた「子たる者宜しく凡ての事に於てその兩親に服すべし」(ロマ書第三章第二十節)と云ふも皆これ一の愛の教なり。そは君父に對する服從の精神は君父を切愛する熱心の至仁に止まるが故なり。若し假に忠孝の心をもて、この愛の心に因るものにあらずと云はゞ、これ眞の忠孝の道を亡(うしな)はしむるものなり。故に我基督教の愛の教を基本として深く君父に對する倫常を發揮せざる時は遂に忠孝の道も死せる規則となるにあらずんば、頑固なる僻説となるか、將(は)た義務の形容と云ふ如き冷淡なる心をもて、忠孝の精神なりと誤想するに至るやも知るべからず。故に我國教育の淵源は實にこの君父に對する忠孝の道にあれば、我等基督教徒は愛の教もてこの忠孝の道を活さゞるべからず。蓋し基督教は即ち愛の宗教にして、もしこの眞の愛なからんには自然に現れたる忠孝の道も限りなく活動することを得ざるべければなり。然るに愛の人心に現るゝ順序をもて云はゞ子の親に對する愛の心は最先初に現れ來るものなり。これ各人の日常經驗せる所とす。彼の嬰兒が他物を區別することを知る初めにも必ず先づその母親と他人とを區別せり。かく他人よりその母親を區別して直に感ずる所の愛は即その母親を愛する愛の心なり。この愛の心や最初は自覺なき無意の心なるも、これ實に先天の力が現れ出るものなれば、凡ての愛ここに始れり。故に親を愛すると云ふこの孝心こそ、實にこれ人類道德の基本なれ。神を愛する愛の心、(即ち眞の宗教心)は即ち道德の本源なること勿論なり。然しこれは人類道德力の輕重ある權衡(けんこう)の上より云ふことにて、余が所謂孝心は萬德の基本なりと云ふは我等の心に德義心の生長する發達の順序の上より云ふことなり。されば兒童の德育は兒童の孝心を發達せしめ、完全ならしむることにその全力を注がざるべからず。兒童をしてこの孝心を發達せしめ父母を敬愛するの心を堅全ならしむるを得ずんば、決して固き德育の地步を占むるを得ず。兒童をして既に堅全なる孝心を有せしむるに至れば、これより直に轉じて忠君の心を養成せしむること決して難からず。これ忠孝とは只遠近上下の差あるのみにてその德義上の性質を同うするが故なり。斯くの如くなれば吾人基督教主義の德育を主張する者も、又この主義にて我國體の基本たるこの忠孝の心を養成するを以て德育の主眼とも階梯(かいてい)ともなすべく、之を要するに忠孝の道は我國體の精神なるが故に、この心を養成するを以て德育の主眼となさゞるべからず。また忠と孝とは各人の心に最も容易く開發することを得べき德性なれば、これを以て萬德養成の階梯ともなすを得べし。
爾臣民父母ニ孝ニ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude> 父母を愛する孝心はこれ百行の源にして、萬德の端緒とも亦基本ともいふべきものなることは既に述べたるが如し。されば父母を愛することは、最も重きことなるが故に、神が人間に與へたまへる十誡(じっかい)の第五誡にも明かに示されたり。その誡に曰く「爾の父母を敬へ、これ幸福を得てこの地に壽(いのち)長からんためなり」と。この誡命は他の誡命の如く至りて簡短なるも、甚(はなはだ)明かに孝道を誡(いまし)められたるものなり。十誡はこれ昔二つの石板に刻まれたるものにして、一の石板には四の誡を載せ人々が神に對して守るべき誡を記され、二の石板には我等他人を愛すべきことの六の誡を載せられたり。然るにこの父母を敬ふべき孝道は即ち第二の石板なる六の誡の首に載せられたることなれば、これ人倫の中にも最も重き誡なるや明かなり。またこの誡は至りて簡短なりと雖も、この敬へてふ言の中には子たる者が父母に對して守るべき無量の教訓を含みたり。また父母を敬ふ者はこの世の幸福を得、壽命長かるべしと云はれたるもこれ父母に孝行する者は單に來世に於て幸福を得るのみならず、この世に於ても亦幸福を得べく壽長かるべしとの教訓なれば、これ神が特にこの誡を遵守する者の為に特別の恩寵を給はることを示されたる者とす。この敕語にも我等臣民に先その父母に孝行すべきことを誡められ、次に其他の誡を載せ玉へり。この孝行の道は至りて重き道なれば基督教の教に基きてこの敕語の精神を發揮し虔んで(つつしんで)これを遵守せざるべからず。孝とは父母を敬愛すべきことなり。子たる者が特にその父母を敬愛すべきことは聖書にも多く示されたり。その重要なる箇所は出埃及記第二十章の第十一節、復傳律例第五章の第十六節。又エヘス書第六章の第一、二、三節等に明かなりとす。人々己が父母を敬ひ愛する心はこれ生れながらの天性たり。孝行の道は人々の心中、自然に銘ぜられたるものなれば人たるもの天性を明らかに研かばその道必ず心の蘊底(うんてい)より現はれ出づ。古より支那にも我國にもこの孝道の重要なる倫常となりたるは「律法なき異邦人本性のまゝ律法に載せたる所を守らば律法なしと雖も己の律法たる也」(ロマ書第二章第十四節)との教訓に應ふものにして本性のまゝに神の律法を守り來りたる者なり。この本性のまゝなる天然の法に反くはこれ即神の法に反くものなれば最大なる罪惡たることを免れず。斯く父母を敬ひ愛する心はこれ自然の道なればこの道を行ふは甚容易にして未だ事物の理を辨ぜざる子供なりともこの善事を行ふことを得べし。この道は至りて重き道にしてこれを行ふことも亦容易きものなるに、これを守り行ふことを得ざらん人は實にこれ無道不倫の甚しきものといふべきなり。さればその父母を敬ひ愛する心は實に萬德の基なれば各自の子弟を教育するに當りては、百事に前だちて先づこの道を學ばせ、子供をして父母を愛する心と神を愛する心とを一結(ひとむすび)にしてその連想を固くせざるべからず。
又己が父母を敬ひ愛すると共に宜しく父母に服從すべき事を學ばしむべし。父母を敬愛するも父母に服從すると云ふも共に一の孝道なれども、この服從の心はその敬愛の表示とも云ふべきものなれば父母の教訓に服せざる者は決して父母を敬愛する者にあらざるなり。父母に服從する事はこれ實に神の義なる旨とその仁慈とに應へり。故に聖書に「子たる者よ、爾等主に在て兩親に從ふべし、是れ義(ただしき)ことなり」(以弗所書第六章第一節)と云はれたり。その外哥羅西人に送る書中にもまたこれにひとしき事を云はれたり、「子たる者よ、爾凡ての事に於て兩親に從ふべしこれ神の悦ぶ所なり」(第三章第二十節)と。子たる者のその父母に從ふはこれ只人倫の公義なると神の悦び給ふ所なるのみならず、その子たる者の幸福となり、一家和親の美事となり、また國家社會の安寧秩序の基本となれり。故に「我子よ、宜しく爾父の訓誨(くんかい)に從ふべし、爾の母の法を離るゝ勿れ、これ爾の首の美飾なり」(箴言第一章第八節)と聖書にも云はれたり。その外箴言の第六章第二十三節にもこのことを教訓せられ、主イヽスヽハリストスも亦この父母に服從するの道を實行にて示されたり(路加傳第二章第五十一節)。
子たる者の父母を敬ひ愛してこれに從順ふはこれ誠の孝行なり。故に兩親を愛する心を實行して兩親を保護し兩親の幸福を慮らざるべからず。己が父母を保護(まもり)てその幸福を慮る心なからんには、いかで孝心あり<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>と云ふべけんや。又よく父母の老を養ふ心なからんには、其人いかで神を敬ひ君に忠なる人ならんや。昔時イウデヤの學者等は父母を養ふべき料を取りて神の禮物となさば父母を敬はざるも可しとせる法を立てゝ守りしかば主イヽスヽハリストスはいたく其の不法を責めて、これ人の立てたる遺傳の法により神の誡を廢くする者なりと云はれたり(マトヘイ傳第十五章第四より第九節まで)。故に子たる者は父母の老を養ふべきを猥りに(みだりに)或は公義のためなりと云ひ或は國事のためなりと唱へて一家を顧ざるが如きはこれ事の本末を顛倒せる所爲なれば決して眞の敬神愛國の人たりとは云ふべからず。己が父母を棄てゝ事に殉ずるが如きは實に神のため國家のため「義勇公に奉ずる」場合の外にはあらざるなり。主イヽスヽハリストスを見よ、彼は萬民の救の爲めに身を犧牲に獻じて十字架にありし時、いかにその母を慮りたるか。彼は彼の去りし後もその弟子等が彼の母を保護(まも)らんとすることを知らざるにあらず。されど尚ほその母の保護をば特にその愛する所の門徒に賴みたりき。これ彼がその母を愛する熱愛の孝心は十字架上に於て尚更熱せしなり(イワン傳第十九章の第二十五、二十七節)。眞の孝心は實に斯の如くならざるべからず。これ誠に我が基督教に於ける孝道の要にして今上陛下の敕語も亦專ら斯の如き正實なる孝道を敕せ給へるものなるべし。
父母を敬ひ愛する道は斯く最(いと)重き大倫なれば不孝の罪は亦最も怖るべきものなり。この世の法律は不孝も大惡の行爲ならざれば刑法の問ふ所にあらざれど道德の法にてはいかに小なるも不孝の罪は必ず重き罪惡たることを免れず。故に父母に不孝なる者は果して永遠の苦難を免れがたし。聖書に「父母を罵る者は殺さるべし」と云はれ(創世記第二十一章ノ第十六節)。主ハリストスもまたこの誡を示されたり(マトヘイ傳第十五章第四節。マルク傳第七章第十節)。
兄弟ニ友ニ
孝は萬德の基本なること前已に叙たるが如し。この孝道に次きて現るべき德行は兄弟友愛の道なり。この敕語の表面は單に兄弟に友愛を盡すべき事を教へ給ふと雖も、その友愛の中には己が親族に對する德義の道をも教へ給へるなり。父母と己れとは最も親近なる者なること勿論なれど自己の兄弟姉妹も亦これ我と一系の血統なるが故、人情の上より云ふも、最も親密なる愛情あり。故に我が兄弟の間には特別なる自然に親愛の情ありて、彼我の間柄を結合す。されば聖書にも兄弟親族の間はいかに親愛の關係を有せざるべからざるかを示されたり(創世記第二十九章の十四、十五の兩節、列王記下第五章の一及第十九章の十二等を參考せられよ)。父母に對して孝道を守るも兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐあらばこれ決して眞の孝道とは云ふべからず。兄弟相親しみ一家團欒(だんらん)して父母の心を安んずるこそ眞の孝とも云ふべけれ。故に聖書にも「兄弟睦じく居るは善なる哉、美なる哉これ寶なる膏(あぶら)がその首にありてアーロンの髯(ひげ)に流れ其衣の裾に流るゝが如し」(詩篇百三十二ノ一、二)と云はれたり。我が基督教は專ら博愛の教にして己の如く凡ての人を愛すべきことを教ふ。されば若し信徒にして己が兄弟及親近の者をも顧ることなくんばこれ決して博愛の人にあらざるなり。眞の博愛は近きより遠きにも及びてその愛を私に止めざるを云ふ。故に近者を愛せざる者は約ね遠き者を愛することあらず、見ゆる者を愛せざる者は大抵見えざる者を愛することあらざるべし。聖書に「人もし己に屬する者を顧ず殊に己の家の族を顧ざる者は信仰の道に背き不信者よりも劣れる者なり」(テモヘイ前書第五章第八節)と云はれたり。
夫婦相和シ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude> これ又人生の最重き倫常なり。我基督教の説によればこの夫婦の道は神造物主の創めて定め玉ひし所の道なり(創世記第一ノ二七、二八○同第二ノ十八)。故に一旦配偶せる夫婦はこの夫婦の關係を破る醜行の如き重き罪あるにあらざれば決して離緣することあるべからず。「人各父母を離れて其配者に合ひ二人始めて一體となる。されば夫婦は二體にはあらずして一體なり、神の合せ給へる者は人これを離すべからず」(馬太傳第十九章ノ第四ヨリ第九マデ)。夫婦の關係はかゝる密接親近なるものなればこの倫常の重きことまた知るべきなり。さてこの倫常の主眼は實に夫婦相和する相愛の道に外ならず。夫婦にして和合相愛することなくんば善良なる一家を成して子女を養育すること能はず。夫婦の亂は一家の亂なり。一家の亂は一國の亂なり。故に夫婦互に其本分を盡してその關係を正しくせざるべからず。されば聖書にも左の如く言はれたり。「夫はその分を妻になすべし、妻はまた夫に然すべし。妻は自らその身を主どることを得ず、夫これを主どる。此の如く夫も自ら其身を主どることを得ず、妻これを主どる」(コリント前書第七章ノ第三、四)と。斯の如く夫婦は互に各自の本分ある事なれば互にその分をなし、相補け相敬愛して一家を治めざるべからず。されども互に己が本分を行ふと云ふ義務のみにて夫婦の道を盡したるものにあらず。夫婦の間には最も潔く、いと深き敬愛の心なかるべからず。「爾等も、各、その婦を己の身として愛すべし、婦も其夫を敬ふべし」(以弗所書第六章第三十三節)と聖書にも言はれたり。斯の如くなれば夫婦の間にはもとより二者一體たる愛の關係なかるべからず。この親密なる潔き敬愛の心ありてこそ夫婦の間に多くの善行美事も現れ人倫の完成をも得らるべけれ(ロマ書第十三章第十節、コロス書第三章第十四節)。又夫婦の間に敬愛の美德あれば和合の樂その間に溢れて安和(あんわ)幸福(かうふく)を得べきこと必(ひっ)せり。斯く男女相婚して離れざる一體の者となり、互に相補益してこの世の幸福を得、永遠の生命をも養ふ者なりと雖も、こゝに又夫婦の間にはおのづからその別あらざるべからず。この夫婦の間に自然の別あらざれば親密なる愛と情とを永く二者の間に保續することを得ざるべし。我基督教の教訓によれば夫はこれその天性を以て一家の主長たるべきものなり。故に夫は其婦とその家族とを治むべきものなり(創世記二ノ三、コリント前書十一ノ三、エヘソス書五ノ二三、提摩太前書二ノ十一、十三)。されば夫たる者は深き愛と敬虔とを以てその婦の相談者となり、これを謗る(そしる)べからず(創世記二ノ十八、二三、エヘソス書五ノ二五、コロス書三ノ十九、彼得前書三ノ七)。其他、夫たる者は婦の一切の弱き點を補助すべし。聖書に曰く「夫たる者よ、その婦を愛すべし、苦を以て之を待ふ勿れ」(コロス三ノ十九)と故に婦の過失を常に寬容し、溫柔なる心にて其缺點を矯め直さざるべからず(エヘソス書五ノ二三、ペトル書三ノ五、七)。もしその夫たる者にしてかゝる德義の心を有せずんば決して一家の主父となりて、その家を治むる能はざるなり。
次に婦たる者はその夫を敬ひ愛して夫に服せざるべからず。これ一家の和平と秩序とを立てんがためのみならず、神の教訓を守らんがためなり。故に聖書にも「幼婦は夫を愛し、子を愛し、自ら制し、貞潔を守り、家務をなし、慈悲を懷きて其夫に服從すべし、これ神の道の謗られざらん爲めなり」(テモヘイ前書第二章第十節)と言はれたり。婦たる者は愛を以てその夫に服するのみならず、一家の細事を自ら處理し、その溫良なる心性の感化力にてその子女を養育し以て一家の敬虔と美風とを保たざるべからず(テモヘイ前書第二章第十節)。これを要するに婦は愛の心を以てその夫に服すべきものなりと雖も、これ決して男は女よりも優きが故なりと云ふにあらず、神の斯く定め玉へるが故なり。されば聖書にも「然れど主にありては男は女に由らざることなく女は男に由らざることなし」(コリント前書第十一章第十一節)と云はれたり。
朋友相信シ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude> 志を同うして事業を共にするも、校舎師傳を同うして勉學するも、軒を鄰して交るも、鄕を同うして志を厚くするも、みなこれ我が朋友にして四海の内兄弟ならざるはなし。日常交(まじは)る人々に對して信義を守るべきはこれ我基督教の愛の主眼にしてまたこの敕語の御旨意なり。凡(およそ)互に、志を知りて交りたる友に對しては勿論、苟(いやしく)も一面の識なき人に對するも決して信義をかくべからず。詭(いつわり)をもてその友に交る人はこれ現然たる敵よりも怖るべきものなり。されば聖書にも「斯くて謊言(こうげん)を去て、おの〳〵その鄰に眞を言ふべし、蓋われら互に枝なればなり」(以弗所第四章第二十五章)といへり。されども單に友を騙かず謊らざるのみをもては決して眞の信義ある友とは云ふべからず。斯の如きは人たる者の通常守るべきことにして特別なる善行といふに足らず。眞の信義ある朋友の道は互に善德の行を補け勵ますにあり。彼我の善德を勵まし補け或は公私の利益となり、又は互の心を養ふに足るべき友にあらずんばたとひこれあるもなきに若かざるものなり。されどかゝる現然たる善德の補けとなり、利益となる人のみに愛を以て交るべしと云ふにもあらず。聖書にも「爾等おのれを愛する者を愛するは何の報賞あらんや税吏も然せざらんや」と云はれたり。即ち我等はたとへ罪過のある友なりとも、その罪を惡むもその人を愛する心にて之を教へ導かざるべからず。人各、罪過なきこと能はず、然るときには斯の如くして其友より教へ導かるべきものなれば聖書にも「爾曹常に行(なせ)る如く互に慰め又おの〳〵の德を建(たつ)べし」(テサロニカ書第五章第十一節)。又「われら互に顧みて愛心と善行とを激勵すべし」(ユウレイ書第十章第二十四節)といはれたり。日常に親しき友の間に於て互に罪過の現るゝときは左の聖書の言の如く行はざるべからず。曰く「もし兄弟なんぢに罪を犯さばその獨りある時に往きて誡めよ。もし爾の言を聽ばその兄弟を獲べし、もし聽ずば兩三人の口に由りて證をなし、凡の言を定めんが爲め一人二人を伴ひ行け」と(馬太傳第十八章第十五節第十六節)。されば我等凡ての朋友近者に對してはかゝる眞の信義を守らざるべからず。
恭儉己レヲ持シ
恭儉とは言行を謹慎(つゝしみ)て凡ての事に端莊(うや〱)しく、ことみな分に應じて約なるを云ふ。故に恭儉の德なくんば放逸に流れ奢侈(しゃし)に陥りて遂に一身の獨立を失ふに至ることを免れず、使徒保羅(パワェル)は「老人には謹慎と端莊(たんさう)と自ら制する事とを勸め」(提多書第二章第二節)「また幼男(えうなん)に自ら制する事を勸むべし」(同上第六節)と云はれたり。謹慎は恭儉の心にして、禮義は恭儉の體表なり。故に恭儉の德ある者は、必ず禮義あらざることなし。聖書に曰く「兄弟の愛を以て互に愛し、禮義を以て相讓り、勤めて怠らず、心を熱して主に事へ」(ロマ書第十二章第十、十一節)と斯の如く親密なる兄弟の愛を以て交る間にも必ず謙讓の禮を守らざるべからず。特に我國の如きは古來禮義の美風を守り來りたる國なればこの美風を何時までも失墜せざらんことを勸むべし。又謙讓の德は自重の德に反するものにあらずて、謙るはこれ自ら重ずる所以なり。且恭儉は自ら一身を愛する所以にして一身の自愛は、即ち己れに克んがためなり。故に人己れに克(かつ)こと能はずんば決して恭儉なる能はず。又克己の德なき人はこれ決して神の誡命を守りて主に從ふ者と云ふべからず(馬太傳十六ノ二四、ルカ傳九ノ二三、マルク傳八ノ三五、馬太傳十ノ三八)。
博愛衆ニ及ホシ
それ君臣父子忠孝の道より兄弟朋友親和の義に至るまで一切の人倫はこれを總ぶればみなこの博愛の仁ならざるはなし。諸人の幸福を慮り、社會の公益を計り、國家の大計を畫して世界各國に親交するもみなこれ博愛の道なり。天地の主宰なる天父に對しては萬國萬民みな一系の人類にして四海萬邦みなこれ一天父の慈子なり。これを一國にとりて云へば、一國の世界に於けること猶一家の社會に於けるが如し。一國の帝王はこれ一國諸民の慈父<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>にして諸民は即ち等しく慈父の鴻恩に沐浴せる同胞の愛子なり。故に國民たる者宜しく博愛の道を守りて和合親愛の兄弟たらざるべからず。聖書に曰く「神は人類を一系の血統より造り、これをして全地の面に住ましめたり」(創世記第十七章第二十四、二十六節)。「爾の鄰を愛する己が如くせよ我は主なる爾の神なり」(レウイ記第十九章第十八節)と。これ人々はいかに博愛の道を守るべきかを明かに示されたるものにして。主基督は人々に愛の教訓を明示せんとて神が人類を愛し給ふことの例を示されたり「神はその日を善者と不善者の上に照し、雨を義者不義者の上に降すにあらずや」(馬太傳第五章第四十五節)。又基督は愛を以て新しき誡と稱し依て人々に相愛すべきことを教誡せられて曰く「我爾等に新誡を與へん、爾互に相愛せよ我爾等を愛せし如く爾等互に相愛せよ」(イワン傳第十三章第三十四節)と。我基督教の十誡これを約すれば神を愛し人を愛するの道なることもまた明かに聖書に示されたり。さればいかなる人倫道德もみなこの仁愛の道を以てその精神となさゞるべからず。愛は國家安寧天下泰平の基本なり。いかなる天下の大事業もこの人を愛するという新しき道、新しき教の精神なくんば至正仁義の道に應へる業と云ふ能はず。博愛の仁道はこれ即基督教の本體なり。
學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
これ智を研き德を修め、各自獨立の民となりて世の公益を慮るべきことを敕らせ玉へるなり。智を研き德を修めんがため公私學校の教育を受くるも可なり、亦各自善良なる宗教を信じて德を修め安心立命の基本を得るも可なり。國民をして智德を啓發(けいはつ)せしめ、獨立自主の民たらしめんとし玉ふはこれこの敕語の御趣意なり。凡そ我基督教の主眼は世を厭ひ俗を避くべきことのみを教ゆるものにあらず。即明智明識を得てこの世界を正しく觀察し、人たる者の正道をふみて人生の目的を達せしめんとするにあり。故に保羅(パワェル)も「兄弟よ智慧に於ては嬰兒となる勿れ、惡に於ては嬰兒となれ、智慧に於ては成人となるべし」(コリント前書十四ノ二十)と言ひし如く、知力明健ならずんば事理を辨ずるを得ざるが故に世に勝れたる事業をなさんこと固より難し。故に「爾等の愛、知識と諸の智慧の中に、益(ます〱)大と為りて最も勝れたる所を辨へ知る」(腓立比書一ノ九)者とならざるべからず。基督教は人類の德性を改善すべき教法なれば、最も完全に吾人をして德器を成就し又之を健全なる者たらしめんには必ずこの宗教によらざるべからず。數卷(すうくわん)の聖書に記する所は應に人種の德器を改善成就するに於て餘りあるべし。故に基督教徒たる者はよくこの敕語を服膺して斯教の妙理を修め、德を研き以て各人の德器を成就すべし。すべて各自の業務を勤勉し、將(まさ)に國益を廣め世務を成さんとするは吾人教徒の本分なり。
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
それ一國の大憲は君民の分を明かにし、國家の大權を確立し以て國民の自由を護り一國の獨立を保持する所以にして法律は社會の安寧秩序を守り、國利民福の增進を期する公典なり。故に國民として國家の大憲を紊亂(びんらん)するが如き者あらばこれ日本國民たるの本分に反するものなり。又國民にして國法を犯して或は社會の安寧秩序を害するが如き事あらばこれ國利民福を侵害する者なり。國憲を重じ國法に遵ふはこれ國民の本分となす。故に斯の教に從ひて愛の教道を遵守すれば國民の本分を守りて忠良の民たるに足れり。聖書に曰く「人を愛する者は法律を完全する者也」(ロマ書第十三章第八節)と。然れども、國民たる者は平素國憲を重じ國法に遵ふのみならず、もし國家に緩急あらんには、須く身を以て國家に殉ずるの忠節を盡さゞるべからず。國民の國家を愛するはこれ我帝室に忠なる所以にして、大義に勇進し身を公に獻じて天壤無窮の皇運を扶翼し奉るはこれ愛國心の至極なり。我等日本國民は既にこれ同胞なり、一大親族なり。この同胞族に對して忠愛の心なくんば、これ決して愛の<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>道を行ふ者にあらず。一身を愛せざる者は一家を愛するを得ざるべく、一家を愛せざる者いかでかその國家を愛することを得ん。「人もし己に屬する者を顧みず殊に己の家の族を顧ざるならば信仰の道に背きて不信者よりも劣れる者なり」(テモヘイ前書五ノ八)。斯の如く自國の同胞は即ち我れに屬せる己の家族に異ならず。然るに之れを愛する事なくんばこれ只國家の賊たるのみならず、實に信仰に背きたる不信者よりも劣れるものなり。我等は基督が萬民の爲めに犧牲となりたる愛の宗教を信ずる者なるが故にこの愛の精神に依りて同胞兄弟を愛する心を養はざるべからず。されば聖書にも「主は我儕のために生を捐たまへり是に由て愛といふ事を知りたり、我儕また兄弟のために生を捐(すつ)べし」(約翰前書三ノ十六)といへり。內亂(ないらん)外寇(ぐわいこう)は云ふもさらなり。百事苟く(いやしく)も我同胞の安危に關はる事あらば我等信徒は宛も(あたかも)使徒保羅(パワェル)の如き愛國心を喚發せざるべからず。保羅(パワェル)曾て「若我が兄弟我が骨肉の爲めならんには、或はハリストスより絶たれ沈淪(ちんりん)に至らんも亦我が願なり」(ロマ書第九ノ三)と、いひしか如く彼は若し我が同胞兄弟のためならんには教會を逐はれ、ハリストスを離れて永苦に沈淪(ほろぶ)るも決してこれを避けずとまで斷言せり。これ何たる高膽の愛國心ぞや。保羅(パワェル)はかゝる至誠至仁なる愛國心を以て或は其同胞のために訴へられ(使徒行實二十六ノ六、七)或は鎖に繋がるゝ困苦を忍びたり(同上二十八ノ二十)。實に保羅(パワェル)の如きは最も充分に基督教徒の愛國心を代表せしものといふべし。我等もまた斯の如く基督の愛に基きたる眞誠の愛國者となりて天壤無窮の皇運を扶翼し以て國家を泰山の安きに置かずんばあるべからず。
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
以上説き明かしたる敕語の精神を奉體して君臣父子夫婦兄弟の倫常を實踐せばこれ一個の日本民族にして聖德盛なる君父の臣子なりと云ふを得べし。二千五百有餘年の間上下心を一にして、この日本國を守り來りたるは特にこの忠孝の道に因るものなれば吾曹は造次にもこの祖先の遺風を失はざらんことを勉めざるべからず。然れども若し吾曹(われら)はその祖先に配比(はいひ)すべき德なくして、徒に祖先の功業のみを誇稱するが如きことあらば、これ我が先祖にアウラアムありと云ふて誇りたる不義の猶太人と何ぞ異ならんや(馬太傳第三章第九節)。故に吾曹は祖先傳來の美風に參(まじ)ふるに活ける愛の教を以てして、陛下が忠良の臣民となり、又祖先の遺風を顯彰せざるべからず。我に祖先に類するの忠義の志なく、廉恥の心なくして名利の外他に人生の目的あるをも知らず、只「ハリセイ」人の足跡を行くが如きはこれ決して忠良なる陛下の臣民にあらざるなり。
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺シテ咸(みな)其ノ德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ(こひねがふ)
以上敕諭の要點なる忠孝の道はこれ神造物主の定めたまへる天然の大倫にして、我が國の皇祖皇宗はその民を撫育(ぶいく)し玉ふに常にこの大倫を以てせられたるなり。故に我國の皇祖は最も明かに天地の主宰たる神の命を奉ぜさせ玉ひて子々孫々にまで御遺訓を垂れさせ玉へるにこそ。これは善良なる慈父が神の教をもてその子を教育しその遺訓を子孫に傳へしが如し。されば我が基督教の道を實踐して忠孝の道を行ふ者は即ち我が皇祖の御遺訓を遵奉せるものにして、この皇祖の御遺訓を奉ぜざる者は勿論斯教の教訓に遵はざる者となすべし。故に我國體の精華なるこの忠孝の道はこれ造物主の神旨にして又我が皇祖皇宗の遺訓と我祖先の遺風なれば皇國の子孫たる者は何人も共に遵守すべき公道なり。この道は既に神造物主の旨にしてこれ古今不磨の大倫なるが故に獨り我が國に施して善美なるのみならず、これを擴張しては何れの邦に施し行ふも決して事理に悖るが如きことあらざるを信ず。故に敕諭にも古今に通じて謬らず中外に施して悖らずとは宣せられたるなり。吁我が聖天子はこ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Kuroyuki-pupa" /></noinclude>の忠孝の大倫を我等臣民に敕(みことのら)せ玉へるのみならず、陛下自ら率(ひきゐ)てこの道を御實踐あらせらるゝ事なれば、我等臣民たるものは鞠躬(きくきう)以てこの大御心を奉體せざるべからず。斯の如く我等臣民みな心を一にし德を同うし、力(つと)めて箕裘(ききう)の業を成さば、即ち祖先の遺風を千載に傳へて天壤と共に窮なき皇運を萬世に扶翼し奉り以て國家無窮の基本を確立することを得べし。我等臣民たる者豈勤めざるべけんや。
敕語正教解 畢<noinclude></noinclude>
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