Wikisource jawikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.47.0-wmf.23 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikisource Wikisource・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク 作者 作者・トーク Page Page talk Index Index talk TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Event Event talk 福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 0 11090 246535 221851 2026-10-11T15:58:57Z ろづき 28406 246535 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所平11(う)第429号 |year=1999 |notes= *LEX/DB文献番号28085513。原本は実名。原審・上告審については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 福岡高等裁判所平成11年(う)第429号<br> 平成13年10月10日第二刑事部判決<br> <br> ==判決== 無職 久間三千年 昭和13年1月9日生<br>  上記の者に対する略取誘拐、殺人、死体遺棄被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官中野寛司出席の上審理し、次のとおり判決する。 == 主文 == 本件控訴を棄却する。 == 理由 ==  本件控訴の趣意は、主任弁護人岩田務、弁護人徳田靖之、同鈴木宗嚴、同千野博之、同城台哲が連名で提出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官中野寛司が提出した答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。<br>  論旨は、要するに、原審において取り調べられた証拠中には、被告人と本件犯行とを直接結びつける証拠はなく、個々の情況証拠の認定にも疑問がある上、これらを総合評価しても、被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを容れない程度の証明がなく、被告人は無罪であるのに、被告人を犯人と認定した原判決には証拠の評価を誤り、事実を誤認したものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。<br>  そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。<br>  原判決の認定した犯罪事実は、原判決の掲げる関係各証拠により優に認定することができ、所論の指摘する点につき原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、その認定に誤りはないと認められる。ただし、犯行時刻につき、原判示第一の拐取時刻は午前8時30分過ぎころと認定するのが相当であり(原判決も補足説明において検討しているところによればそのように理解される。)、第二、第三の各殺害の時刻はその後午前9時30分前後ころまでの間と認定するのが相当である(A田の食事終了時間や、消化状況から厳密な時間を認定するのは相当でないと考えられることによる。)が、これらの点はもとより判決に影響を及ぼすものではない。 ===第1 原判決の認定した情況事実=== ====一====  原判決の認定している主要な情況証拠はおおむね次のとおりである。<br> '''1''' まず、原判決の補足説明一で認定した外形的事実が認められる。すなわち、被害者両名は、平成4年2月20日午前8時30分過ぎころから行方不明になり、そのころ犯人により拐取され、朝食後1ないし2時間後に扼頸により窒息死させられ、その後、甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠第5カーブ付近に遺棄されたことが認められるが、原判示の被害者両名の死亡時刻がいずれも同じころであることは、死体解剖の結果、特に胃内容物の消化の程度及び死斑、硬直の状態から、これを認定することができる。<br> '''2''' 森林組合に勤務するT田は、同日午前11時過ぎころ、後に被害者両名の遺留品であるランドセル、着衣等が発見された斜面の上の路上で、停車していた不審な車両とその脇にいた頭部のはげた男を目撃したが、T田が目撃した車両は、紺色のワンボックスカーであり、同人の証言に当時の他の車両の製造販売状況に関する関係証拠を併せると、それは、マツダボンゴ車である可能性が高い。<br> '''3''' 被害者両名は、午前8時30分ころ登校途中の通学路上の原判示E村方前三叉路で最後に目撃された後、行方不明になっているが、そのころの午前8時30分過ぎに、原判示E村方前三叉路を北から南に走行してきた紺色マツダボンゴ車が目撃されている。 <br> '''4''' 被害者両名の着衣に付着していた繊維の分析の結果、その繊維は本件犯行当時被告人が使用していた車両と製造時期を同じくする、すなわち昭和57年ころから約1年半の間に製造されたマツダウェストコースト(マツダボンゴ車の最上級車)の座席シートの繊維と一致する蓋然性が極めて高い(なお、以下では、被告人車の座席シートの織布に用いられていたものと同様の織布を用いたマツダウェストコースト車について、単に「マツダウェストコースト」と略記する。)。<br> '''5''' 被害者は両名とも、扼頸により殺害された後、まずB山が、その後にA田が膣内に手指を挿入されていて、その手指を介して犯人の血液が膣内及び膣周辺部に付着している(犯人の血液が発見されるのは、この種の犯行としては特異な事情といえる。)が、そのことから、犯人は本件当時出血していたことが認められ、その血液型はB型、DNA型はMCT118型で16-26型である。なお、B山の血液型はA型、DNA型はMCT118型で18 - 25型、A田のそれはO型、23 - 27型である。<br> '''6''' 本件は、被害者両名が近隣の者らに気付かれずに拐取されているところから、被害者両名が犯人車両に抵抗することなく乗車したものと推認できるのであって、被害者両名から怪しまれない顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と推定される。<br>  原判決は、以上のほか、以下の情況事実を認定しているが、これらは被告人を犯人と推認させるものに該当する。<br> '''7''' 被告人は、マツダウェストコーストを所有し、拐取現場の近隣に居住する者である。<br> '''8''' 被告人は、前記マツダウェストコーストを妻の勤務先への送迎に使用しており、通常の経路としては前記E村方前三叉路を通過する経路を採っていたが、当日朝も妻を送り帰路自宅に戻る途中の午前8時30分ころ、同所を通っていた蓋然性が高い。そして、そのころ、その現場付近で同種車両であるマツダボンゴ車が目撃されている。<br> '''9''' 被告人の血液型はB型で、DNA型のMCT118型が16v-v26型であり犯人のそれと符合している。<br> '''10''' そして、被告人所有の車両が買い換えのため下取りに出された同年9月に押収されたが、その車内後部座席から、尿痕及び血痕が発見され、その原因は本件以前に付着していたものとは認められず、しかも、その血痕の一部の血液型がO型、DNA型のうちのGc型がC型と判明し、A田のそれと符合していて、扼頸による窒息死の際の失禁(被害者両名のパンツとスカートに相当量の尿が付着している。)及びA田の鼻血の出血によるものとすれば、血痕、尿痕を矛盾なく説明できる。特に血痕が水洗いされるなどして薄められ座席内部にしみ込んだ状況が認められることについても矛盾なく説明が可能である。<br> '''11''' 被告人車はT田及びX田らの目撃した車両の仕様、特徴等と種々の点で符合し、特に異なる点は見当たらない。被害者両名の着衣付着繊維と被告人車の座席の繊維とを対比しても汚れなどを示す元素などを含めて特に矛盾点はなく、よく符合する。<br> '''12''' 犯人の前頭部にははげたところがあった、と述べるT田の供述の信用性も高いが、被告人は当時円形脱毛症に罹患していたことが認められる。<br> '''13''' 被告人は本件当時亀頭包皮炎に罹患していて、被告人が犯人だとすれば、犯人の血液が被害者両名から発見されているという特異な事実の説明が容易に可能になる状況がある。<br> '''14''' 本件は、被害者両名が気付かれずに拐取されているところから、顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と認められるが、被告人は、このような条件をも充たしている。<br> '''15''' しかも、被告人には、アリバイが成立しない。<br> ====二====  原判決は、おおむね以上のような情況事実を認定した上、これらを総合することにより被告人が本件犯行の犯人であると認めるに十分であると認定しているところ、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、その情況事実の認定及びそれに基づく各犯罪事実の認定は、正当として是認することができ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の認定、判断に誤りがあることはうかがわれない。<br> '''1''' 原判決の主要な情況事実の推論過程について説示するところについても異論を差し挟むべき点は特にない。ただ、本件犯行に使用された車両については、前記一1ないし3の事情からマツダボンゴ車である蓋然性が極めて高いのに加え、前記一4の繊維鑑定の結果がマツダウェストコーストの座席の繊維とほぼ一致すると認められる事情を併せると、マツダウェストコーストと認定するに十分というべきである。後記のとおり、繊維鑑定は、犯行使用車両の車種を特定するのに極めて重要な意味を有するものであって、これと殺害後約1時間半ないし2時間程度経過した時点における遺留品発見現場での車両の目撃状況などを併せると、そのように認定するに十分である。<br> '''2''' 被告人は、上記のとおり、マツダウェストコーストを所有する近隣の居住者である上、職に就いておらず、消防署に勤務する妻の送り迎えの通常の経路として犯行時間帯に被害者の通学路である本件拐取現場付近を通行しており、被告人車とよく似たマツダボンゴ車が、上記3のとおり目撃されており、被告人のアリバイも否定されている。したがって、被告人は、被害者が拐取されたころ、拐取現場付近をマツダウェストコーストで走行していた蓋然性が高く、被告人には犯罪事実に対する近接性が強く認められる。加えて、被害者から検出された犯人の血液型と、DNA型のうちのMCT118型が一致しているという重要な情況事実があり、被告人には出血の原因も存在していたことから、犯人の血液が被害者から発見されたことが説明できる情況がある。更に、被告人車から発見された血痕は、被害者の1人であるA田の血液型及び分解の進んでいたDNAからようやく抽出できたDNA型(Gc型)と符合し、A田が鼻血を出していたこと(死体や着衣の状態から明らかである。)とも符合する上、尿痕も発見されていて、これらは、車内における扼頸による窒息死に伴う失禁の事実を裏付けるものということができ、車内での殺害を裏付けるとともに、被告人車が犯行に使用され、その犯人が被告人であることを強く推認させる重要な情況事実である。被告人には、犯人像として考えられるところと矛盾する点はなく、他に犯人性を否定する方向に働く特段の証拠は見出せないというべきである。<br> '''3''' 以上のような諸般の情況事実を総合して、原判決は、被告人を本件犯行の犯人と認定するに十分であって、そのように認定するにつき合理的な疑いはないとしているが、その認定、判断は正当というべきである(なお、後記のとおり、拐取の犯行時刻は、同種車両の目撃状況から午前8時30分過ぎころと、殺害の時刻は、それぞれの食事終了の時間からすると午前9時30分ころまでの間と認定するのが相当であるが、もとよりその点の差異は判決に影響を及ぼすものとはいえない。)。<br> ===第2 主要な争点に関する所論について===  以下、主要な争点に関する所論にかんがみ、説明を補足し、その中で、当審の見解をも付加、補足し、被告人が犯人と認められる情況を更に明らかにすることとする。<br> ====一 犯罪の外形的事実及び死後経過時間について====  原判決が補足説明一で事案の概要として認定しているところは関係証拠に照らしおおむね正当として是認することができる。<br>  これを要約すると、次のとおりである。被害者A田A子及び同B山B子は本件当日である平成4年2月20日当時いずれも7歳で潤野小学校1年生であったが、A田は同日午前7時40分ころ出かけ、同級生のK山K子とともにB山を呼びに行き、3人で定められた通学路を通って登校し始めたが、ぐずぐずしていて遅れているのを数人の者に目撃され、同日午前8時30分ころ、原判示のE村方前の三叉路付近を行きつ戻りつしているのを農協職員D山D子により目撃されたのを最後に消息を絶った。翌日午後0時10分ころになって、拐取現場から28ないし36キロメートル(車で約35ないし約53分ほど)離れた、甘木市と嘉穂町とを通称八丁峠を超えて結ぶ国道322号線の甘木市野鳥側に位置する第5カーブ付近の斜面下に遺棄されているのを通行人が発見し、警察に通報した結果被害者両名の死体であることが判明した。死体解剖の結果、死因はいずれも扼頸による窒息死であり、A田は鼻血を出し、両名のパンツには相当多量の尿が付着し、処女膜に裂傷が、膣前壁に出血があり、血液が周囲に付着していること、B山は、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していて、周囲に血液が付着していること、死斑の出現状態は被害者両名とも同様であり、解剖開始時の午後10時ないし10時30分現在で死後おおむね1日ないし1日半程度が経過していることが判明した。翌22日になって遺棄現場より八丁峠の方に約3キロメートル上った第17カーブ付近の道路下斜面に被害者両名のランドセルなどの所持品及び下着、靴下のほかA田のキュロットスカートが捨てられているのが発見された。両名の胃内容物は朝食の際に摂取した物が残留しているとして特に矛盾がなく、鑑定の結果をも踏まえて、A田につき食後おおむね1、2時間後に殺害されたものと認められ、B山についても、その胃内容物の消化状況及び死斑や死後硬直の状態などでA田と差異がないことなどから、A田とほぼ同時刻に殺害されたものと認められる。<br>  所論は、A田が殺害されたのは、胃内に野菜片が含まれていることから、朝食後更に野菜片を含む食物を摂取した後に殺害されたと認めるべきであるから、殺害時刻はかなり遅くなるはずであり、その内容物は、朝食のそれであるとともに、行方不明となった後に摂取された野菜片を含んだ食物が加わったものと考えられるとする趣旨の主張をする。しかし、原判示のとおり、関係証拠によれば、野菜片は前夜食べた焼きそばに含まれる物が消化されないで残ったものとして矛盾がないこと、せき止めのシロップと思われるものが検出されていること、後に野菜片が含まれる食物を摂取しているとすれば、朝食べた物は消化が更に進んでいなければならず、結局後に食べた物が残存していることになるのであって、所論のいうような朝食の消化状態(摂取後1、2時間後)とは異なる状態にならざるを得なくなることからすれば、所論のようにいえないことが明らかである。<br>  次に、所論は、B山の胃内容からは、死亡時期を明らかにすることはできず、また、A田が先に殺害され、相当後にB山が殺害されたとしても不自然ではないから、B山の死亡時間に関する原判決の認定も誤りであると主張する。しかし、B山が朝食に摂取したイチゴとミルク入りカステラロールの消化状況、とりわけカステラ部分の消化が早く進むこと、胆汁が胆のう内に滞留している状態にあったこと(胃を通過した食物が十二指腸に至ると胆汁が排出されることから、胆汁が胆のう内に滞留していることは、食物がいまだ胃内にとどまっていたことを示していることになり、食事後それほど経過していないことになる。)からすれば、その状況が食事後1、2時間として矛盾がないばかりか、死斑の発生状況や死後硬直状況などがA田と変わりないものと認められること、両名がパンツを着用したまま失禁している状態から、先に殺害行為がされ、その後にいたずらがされていて、いたずらの順序は原判示のとおり先にB山に、後にA田にされていること(被害者両名の膣内部及び膣周辺部の血液反応等から明らかである。この点は後に触れる。)からしても、ほぼ同じ時間ころに殺害されたことを認定するに十分である。そして、A田の食事を終える時間や胃内容物の消化状況などを総合すると、被害者両名の殺害は誘拐されてから午前9時30分前後ころまでの間に行われたものと認めるのが相当である。<br> ====二 T田証言の信用性について====  T田の証言要旨は、原判示のとおりであり、同証言の重要性にかんがみ当審においても弁護人の請求により再度尋問をしたが、その内容に特に異なる点は認められず、原審において供述経過の証拠として取り調べられている供述調書に照らしても、その内容に実質的な変遷はないことが認められる。その証言内容はおおむね次のとおりである。<br>  すなわち、T田は、甘木市森林組合の職員として甘木市内の同事務所に勤務し、本件当日である2月20日は、国道322号線の八丁峠の手前を東に入った大休の山林の状況の検査、写真撮影に赴き、その仕事を終えて午前11時ころ出発し、カーブの多い山道の上記国道に出てしばらく進んだところの左カーブ(第17カーブより約50メートル下方)の向かって右側の路肩に、一台の車が停止しているのを前方約60メートルの地点に発見した。厳冬期であり車の通行が稀である上に、通常はそのような場所に停止する車両はないことから、不審に思ってその車両を見ると、紺色のワンボックスカーであり、後輪が小さくダブルタイヤになっていて、古い型のものであり、車輪のところに黒ずんだ輪のようなものが見えた。助手席の傍らに男が立っていて、カッターシャツにチョッキの軽装であり、目が合うのを避けるようにし、つまずいて前のめりに手をつくような状態になったが、その際前頭部付近がはげたようになっているのが見えた。今ごろ何だろうと思いながら通過し、振り返ると、リアウィンドーやサイドウィンドーは暗く、中が見えない状態であったから後部の窓にはフィルムが張られているように見えた。つんのめった男は、車の左側後部座席付近に道路に背を向けるようにして立っていた。不審に思いながら事務所に戻ったが、戻る途中、山道では他の車両に遭わなかった。翌日夕方、事務所で勤務中に、2人の女児の死体が八丁峠に通ずる国道の下の方で発見されたとの報道を聞いて、昨日のことを思い出し、紺色のワンボックスカーやその傍らの男のことを同僚のJに話したが、その際は死体の発見場所が違っていることから事件とは関係ないものということになり、翌日にも再び話題になったが、やはり関係がないだろうということになり警察等に知らせることなくそのままにしていた。3月2日になって、警察官の聞き込みを受けその話をしたところ、その場所に案内するように言われ、3月4日警察官とともに車でその場所に行った。最初にこの場所ではないかと分かったが、間違えているかもしれないので、2、3回行きつ戻りつし、雑木林の様子やカーブ、ガードレールの状態、手前の右側には小高い場所があったことなどからその場所に間違いないものと判断し、その場所を指示した。その指示をするまでに、ランドセルなどの遺留品発見現場がその場所であることは警察官らからも一切聞かされておらず、その指示をした後になって初めてそのことを聞いた。おおむね以上のとおりである。<br>  そうすると、T田が、本件当日の2月20日午前11時10分ころ、原判示の場所で、紺色ワンボックスカーで後輪がダブルタイヤで、窓にフィルムが貼ってあり中が見えないようになっている古い型の車両が駐車しており、かつ、頭部にはげた部位があり冬季にしては軽装の男がその傍らにいたのを見かけたことは、間違いないものと認められる。しかも、T田は、その後押収された車両を空港の警察航空隊で実際に見ているが、同一の型であることを確認していて、実際に見た物と押収されている被告人車との間に違いのないことを供述しているが、この点についての信用性に疑いを抱かせるような状況も見出せない。<br>  所論は、T田証言は瞬時の目撃証言としては詳細に過ぎ、その内容には、体験していない情報に基づく部分が相当多く含まれているとしてその信用性を争うが、当審における同証人の再尋問を含む事実取調べの結果を検討しても、原判決が同証言にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられない。すなわち、(1)同証人は、森林組合に勤務し、目撃現場付近の山中については、季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であるが、本件犯行時の冬季に遺留品発見現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しく、しかも、その通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していた車両に不審の念を抱き、運転しながらも強い関心と注意をもって車の状態を目撃したこと、(2)日ごろから雑誌等で車の仕様についても関心を抱いていて大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについての観察も詳細となり、これを記憶にとどめることができたこと、 (3)そばに立っていた者がつんのめるように手をついて倒れ、目が合うのを避けるようにしていたので不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、(4)翌日夕方、死体発見をラジオ報道で知り、同僚のJらにその際の様子を話したが、不審車両を目撃したのは死体発見現場より上方であったことから、関係はないだろうということになり、その翌日に再び話題になった際も同様であったが、それにより当時の状況を思い返し記憶を新たにしていることなどの事情が認められるのであって、これらの事情に照らすと、証言に現れた程度の内容を観察し記憶にとどめ続けることは十分可能であると認められる。年齢、着衣の色、背の高さなど比較的一般的な事項についての記憶には正確性が欠けることが考えられるが、通常とは異なる特殊な事象については、そのようにいえないこともよく経験するところである。また、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、被告人を目撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、目撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田が記憶に従い誇張もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。特に、目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、証人の車に対する日ごろからのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられ、その時点では、本件の犯行に使用された車両がいかなるものかは捜査機関自体においても全く把握していなかったと認められるのであって、捜査機関は、T田のそのような供述により、初めて犯行車両がT田の目撃したものである疑いを強め、それにより犯人車両につき紺色のマツダボンゴ車である可能性があるとして絞りをかけることが可能になったものというべきであり(なお、当時の新聞には犯人車は白色の乗用車ではないかとする記事が掲載されている。)、K1警察官がT田の聞き込みに赴いた経緯として供述するところも自然に理解できるものである。捜査機関が犯人の可能性のある人物の一人として被告人を把握していたとしても、この段階では、T田に何らかの示唆、暗示を与え、その供述内容を左右してまで、犯人像を被告人と一致させる必要があったとの事情はうかがわれない。原判決は、この点につき抑制的かつ慎重に判断を示しているのであって、その結論は、大筋において是認することができる。<br>  以上の認定、判断は、当審において取り調べたT田証人の再尋問の結果や、目撃実験の結果を記載した鑑定書(嚴島鑑定)及びその作成者である当審証人嚴島行雄の証言を検討しても左右されない。なお、嚴島鑑定は、厳冬期とは異なり車の往来の激しい4月の桜開花時に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とはそもそも全く条件が異なること、目撃された車両がダブルタイヤを装着した車両で前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車輪の奥にもう1個の同じ大きさの車輪を重ね合わせるなどしていてタイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていることなどからすれば、その結果は到底採用できないものといわなければならない。特に、実験時には対向してきてすれ違う通行車両が平均して約30秒に1台の割合で存在したことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることなどを考えると、観察及び記憶の条件、状況は、T田のそれとは明らかに異なるものといわざるを得ない。<br>  目撃時間及び目撃場所の正確性について見るに、目撃時間については、当日の森林組合の業務の過程で目撃しており、業務日誌のグリーンダイヤリーの裏付けもあること、場所については、約12日後に警察官とともに現地を走行し、行ったり来たりしながら場所の特定をしており、その間に警察官から示唆を受けたりした形跡はないこと、森林組合職員として山道や山道での運転に慣れており、その場所的な判断には通常人よりも高い信用性を認めることができるといえることなどに照らし、正確性を認めることができる。その場所は、まさにランドセルなどの遺留品が発見された斜面の上の道路であって、本件犯行とそれに用いられた自動車や犯人の特定に結びつくものといえる。行ったり来たりしながら場所の特定をした経緯については、その証言内容からしても、特定に至る心理過程を十分確認、了解できるものとなっているのであって、所論のいうように信用性に乏しいものとは考えられない。<br>  所論は、T田証言には警察官の誘導が相当程度入っているのではないかという疑問を呈するが、犯人の年齢等についての供述内容が被告人の実際の年齢等と異なること、面通しでも被告人を犯人と特定できていないこと、K1証言によれば、最初森林組合に聞き込みに行ったK1警察官は、現場付近である大休の作業現場の作業員からT田のことを聞いて、森林組合事務所にT田を訪ねたところ、T田が紺色のボンゴ車と不審な行動をした男を見ていることを初めて知ったことが明らかであること、また、J証言によれば、T田の供述内容は、既に事件の翌日にJらが聞いていたものと同じであることが明らかであることなどの事情にかんがみると、T田の証言のうち少なくとも当初の供述調書に現れている部分が、警察官の誘導により得られたものであることはうかがわれない。頭部にはげた部分があったという点も、手をついて倒れた際に自然に目に入ったもので、特異な出来事として記憶しているものといえるから、信用性を認めることができる。<br>  そして、前記のとおりの死亡推定時刻に照らすと、犯人は、国道322号線の通称八丁峠第5カーブで、午前11時ころ、被害者両名の死体を見とがめられないように急いで遺棄した後に、被害者らの所持品を捨てているとその間に見とがめられる危険が大きいと考えて、その場から去り峠の方に進んでからランドセルなどの所持品を捨てたが、その際に、かえって運悪くT田に目撃されたという蓋然性が高いというべきである。そして、原判示のとおり、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田の目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田証人が、他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できるというべきである。<br> ====三 拐取現場付近の目撃証言(W田証言、X田証言)の信用性について====  これらの者は、誘拐現場付近でその時刻ころ犯人車に類似した車両を目撃した証人であるところ、両名は、少なくとも、小学校の方向に走り去った車両が紺色系統ないし黒っぽい色のワンボックスカーであること、W田は、さらに、これがダブルタイヤ仕様のものであることや、フィルムが貼ってあって中がよく見えない状態になっていたことを供述している。なお、W田の現認位置からすれば、W田からは車両の窓の状況がよく見えること、犯人車がガードレールの終端よりも先まで進行すれば、同車のダブルタイヤ装着状況も良好に現認できることが認められる。<br>  W田及びX田が拐取現場付近で目撃した車両に関する供述内容については、十分な信用性が認められるというべきである。確かに、両名は本件被害発生後間もなくの時点で、当日の状況について警察官から尋ねられており、当初は、被害者両名を見かけたかどうかを聞かれて見かけなかった旨答えていたが、数か月後になって、通りかかった車両について聞かれたことから、紺色のボンゴ車が走りすぎるのを見た状況を克明に供述するに至ったものであることは、所論の指摘するとおりである。しかし、見かけた車についての供述時期がそのように遅れたことについては、それなりに了解可能な理由が見出されるのであって、直ちに、所論のいうようにそれが警察官の誘導によるものとの疑いがあるともいえない。殊に、両名は、被害者らが失踪したころ、その近辺に居合わせた者として事情を聞かれており、目撃者自身が疑いの目で見られかねない状況もなかったとはいえず、それだけに、その事件との関係を念頭にその場所における体験を繰り返し想起していることが考えられるから、それが、記憶を保持させる重要な要因となっているといえる。そして、いずれの供述者も、当日の業務の経過の中で生じたこととして、その状況を記憶しているばかりか、特にX田は、目撃したその車両に接触されそうになったという強い心理的緊張、強烈な体験を伴った記憶として、その車両についての具体的な記憶を保持していることが認められる。また、W田は、車のことについての知識が特に豊富であって、車両の特徴などからその車種を識別することには人一倍たけていることが認められ、しかも、X田から、「今、ひかれそうになった。」と訴えられてその車両が疾走していくのを30メートル程度前方に見たというのであるから、大まかな特徴を記憶にとどめているのは決して不自然ではない。ただ、警察官により車について聴取されるまでに相当の期間が経過していたばかりか、その後協力しようとして考えるうちに、細部についてはあいまいな記憶にとどまるのに細部まで明らかになってきたかのような錯覚を生じている疑いがないとはいえず、当審で供述経過を立証する趣旨で取り調べた捜査段階の供述調書に照らしても、カーテンなどの細部についての公判供述にまで高度の信用性を認めることにはちゅうちょせざるを得ないが、その供述態度や供述内容に照らし、少なくとも車種の特定に至る程度の供述内容の限度では信用性を認めるに十分である。 <br>  しかも、W田が供述する目撃時刻についても、業務の過程における事情をもとに特定している上、交通の妨げとならないようにX田運転車両を移動させる必要があったこととも結びついた記憶として、それぞれの時間の特定がかなり明確にできる状況にあったものと認められるから、正確性が高いというべきであり、また、被害者両名の目撃状況に関するD山を始め農協職員、学校関係者らの供述内容の信用性に疑問はなく、これらを併せると、被害者が午前8時30分かその直後ころ、E村方前三叉路付近でW田らの目撃車両により誘拐された蓋然性が高いというべきである。なお、D山証言の信用性については原判決説示のとおりである。<br> ====四 繊維鑑定について====  被害者両名の着衣に座席シートの繊維が付着しており、それがマツダウェストコーストのそれと符合していることについては、おおむね原判決が詳細に認定しているとおりである。B山は、スカートやトレーナーの新品を当日の朝包装されていた袋から取出して初めて着用していたこと、A田もよく洗濯されたものを着用していること、両名は徒歩で登校中のところを拐取され、その後数時間のうちに殺害、遺棄されていることからして、これらの衣類に付着した繊維には犯人車両の座席シートに由来するものが多いと推定されるところ、関係証拠によれば、付着繊維には、マツダウェストコーストの座席の模様を構成する繊維の色である焦げ茶、黄茶、だいだい、薄黄茶の各色繊維が多数付着していることが認められ、しかも、各色の付着繊維の数もそれぞれの色の座席に占める色の広さの順に存在していることが認められるのであって、これだけでも特異な事実というべきである。のみならず、その付着繊維は、マツダウェストコーストの座席の原糸である東レの製造に係るナイロン6のステープル糸と一致し(つや消し剤として加えられている二酸化チタンの含有量などについても、矛盾のない結果が得られている。)、しかも、この原糸の染色に使用された4種の染料のうち、2種の染料(イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRL)に関する詳細な含有分析結果が、焦げ茶色と黄茶色の繊維につきおおよその配合比も含めて相互に一致し、黄茶色の繊維については染色等の過程で使用されたものと推定される物質の存在を示すラマンバンド1120カイザー付近の特異点が(原判決は、焦げ茶色のものにもこれが認められるとしているが、この点は正しくない。)が検出されていること、そのうちの1本の付着繊維は、前記B山の新調のスカートから発見されていることなど、付着繊維がマツダウェストコーストの座席シートに符合する結果が出ていることが認められ、これらの点については原判決が詳細に認定しているとおりである。そして、座席シートについては、自動車メーカーで独自にデザインし、これに基づき織布を作る会社(本件では住江株式会社)が染色会社(本件では茶久染色株式会社)に染色の注文を出し、その色の調整は染色会社が独自の方法でその都度、染料の選択、配合比、添加物などを決めて行うもので、これらの点については性質上個別性、独自性が高いものであること、そもそも、座席のデザイン色調などはその都度車種ごとに検討し、配合比率などを適宜、独自に定めているのであって、それぞれの染料の選択、配合比等には個性が顕著に認められることを考慮に入れると、マツダウェストコーストの座席シートの繊維と着衣付着の繊維とは極めて類似しほぼ一致するものと認めることができる。原判決が、他のメーカーが製造した自動車や被告人車とは製造時期を異にし、異なる織布を座席シートに用いたマツダウェストコースト車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6であり、イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRLという特定の染料が同じ配合比で使用されている可能性はほとんどないとはいえても全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、それだけでは付着繊維がマツダスウェストコーストに由来するものとは断定できない旨を判示しているのも、その趣旨のものにほかならない。しかし、付着繊維に関する鑑定等の結果は、T田、W田、X田の各目撃供述を補強するものであり、目撃された車両がマツダボンゴ車と認められることと併せると、本件の犯人車がマツダボンゴ車以外の車種であるとの現実的な可能性は認め難く、しかも、座席シートやこれに用いられている繊維の特徴からすると、犯人車はマツダボンゴ車の中でも最も上のグレードであるウエストコースト車に属するものであり、関係証拠を総合すると昭和57年から約1年半の間に製造されたものと認めるに十分である。以上と異なる所論は関係証拠に照らし採用できない。<br>  以上の事実のほか、関係証拠により認められる原判決の補足説明「一 事案の概要」の項に掲げる事実を総合すれば、犯人が、原判示の犯罪事実のとおり被害者両名を誘拐し、殺害しその死体を遺棄した事実を優に認定することができる。以下、犯人が被告人であるとする原判決の認定の当否について検討する。<br> ====五 被告人の車両保有事実並びに当日の行動及びアリバイについて====  被告人は、マツダボンゴ車の最上級車であるマツダウェストコーストを保有していたところ、犯行現場の近辺ないし飯塚市内及びその付近でこれを保有する者は十数台と極めて限られていることが関係証拠により明らかである。したがって、被告人は、その保有者の1人として犯人としての嫌疑が及ぶことは避けられない(なお、当日運行に供されていたと認められるマツダウェストコーストの保有者ないし判明している運転者の血液型、DNA型(MCT118型)で、犯人のそれと一致する者は被告人のみと認められるところ、この点は、もとより被告人が犯人であることを認めるべき証拠とはならないが、被告人の犯人性を高める方向には働くものということができる。)。<br>  のみならず、被告人は、本件当時、毎朝出勤する妻を勤務先の消防署まで送り届けて帰宅することを続けていたが、被告人及びその妻の供述によると、そのコースはほとんど本件拐取現場付近のE村方前三叉路を経由するものであったことが認められる。その時間についても、通常午前8時過ぎころ自宅を出て、午前8時15分ころ消防署に到着し、すぐ折り返して午前8時30分ころ帰宅するというものであり、通常は復路E村方前の三叉路を通過する時刻がおおむね午前8時28分ころであったことが関係証拠により認められる。したがって、本件当日被告人がその経路を通っているとすれば、その時刻ころ犯行現場付近を通過することになるものと認められる。犯行時刻は午前8時30分かその直後であると認められるから、被告人が犯人とすればいつもよりやや遅れて通過することになるが、同種同型の車がその前に通過したことをうかがわせる状況はD山、W田らの供述を検討する限り見出せないし、被告人が現場付近を通常通過する時刻に通過していたとすれば、被害児童2名を見かけているはずであると考えられる。他方、犯人であるとすれば、遅刻する被害児童の姿を見てしばらくためらうなどしていたことも考えられるから、多少の遅れはむしろ自然に理解することができる。<br>  ところで、被告人は、当日の朝の行動について、妻を送り届けた後は、そのまま母親の家に行っており、引き続きパチンコ店でパチンコをしていたのであって、犯行時間帯に現場付近を通行した事実はなく、もとより被害児童の姿も見ていないとして、アリバイの主張をしている。<br>  しかし、関係証拠によると、本件については、被告人は、遅くとも翌日の朝には、町内放送で捜索への参加を呼びかける知らせを聞き、知っていたのであり、また、現場付近では当然ながら同じ時間帯に検問等の態勢がとられるなど本件発生に伴った動きが生じていたものと認められ、遅くとも、翌日には、まさに被告人の通行する場所でその通行する時間帯に誘拐事件が発生していることを知ったことが認められるから、前日の自分の行動がどうであったか否応なく思い返さざるを得ない心理状態にあったものと認めざるを得ない。仮に、その時点で本件発生の詳細な状況までは知らなかったとしても、数日後警察官からの聞き込みを受けた時点では、本件の内容を詳しく知ったことが明らかであるから、この点は同様に解される。また、被告人の居住区域では以前にも女児の行方不明事件(昭和63年12月愛子ちゃん事件)が発生し、被告人は町内会長としてその捜査に協力しているが、最後の目撃者として自分自身も強く疑われかねない事情もあったことがうかがわれるから、被告人としては、本件の発生に無頓着でいられるはずはなく、本件の発生状況を知った際、直ちに犯行時刻ころの自分の行動につき確かめ、その主張するようなアリバイに当たる事実があれば、これで自分は疑われなくて済む、という安堵を伴う強烈な印象をもってその事実を再確認し、脳裏に焼き付けることになったはずであり、当日朝現場付近を通行していたならば、その際の状況、経路等につき想起してその後の行動を含めて明確かつ事細かに記憶にとどめたはずであって、その後も折に触れ反すうし、詳細な記憶となるというのが、被告人の心理状態に合致するものといえる。<br>  これに対し、被告人は、その後いろいろと思い返しているうちに、母親の自宅に米を持って行っており、アリバイがあることに気付いた、と供述しているのであるから、その想起の過程について供述するところは不自然というほかはないものである。妻を勤務先に送り届けた後、母親宅に米を届けるまでの間に一旦帰宅したのか否かという点に関し、供述に変遷も見られるし、被告人は、捜査段階において、当初は、事件の前日に米を購入した事実を根拠にその翌日である事件当日には母親のもとに米を届けた旨のアリバイを主張していたことがうかがわれるが、事件前日には米を購入した事実が認められないことを指摘されて、これを撤回し、毎月このころ米を届けており、妻子を通院先に送り届けた日などを根拠にして判断した結果、事件当日に母親のもとに米を届けていることに変わりはない旨アリバイ主張の根拠を変更しているのも不自然である。以上によれば、アリバイの主張は信用できないものといわざるを得ない。したがって、被告人は当日の行動につき十分な記憶を有しているにもかかわらず、信用できないアリバイ主張をしていることになる。<br>  そうすると、被告人は本件当日も通常の経路で本件誘拐現場付近を通行していた蓋然性が極めて高く、したがって、X田及びW田に目撃されたマツダボンゴ車は、被告人車である蓋然性が極めて高いというべきである。<br> ====六 被害者から発見された犯人の血液成分に関する鑑定について(石山鑑定を含む)==== '''1''' B山の膣から流出し木の枝に付着したと認められる血痕、B山の膣周辺付着物及び膣内容物、A田の膣周辺付着物及び膣内容物の検査、鑑定結果によれば、A田、B山由来の血液型、DNA型以外の犯人に由来するものと考えられる血液型はB型であり、DNA型はMCT118型につき16-26型(123塩基ラダーマーカーによる判定)であり、被告人のそれと同型であることが認められる。<br> '''2''' まず、血液型についての科警研の検査結果が正当であることについては、疑問の余地がない。所論は、犯人はAB型の可能性があるというが、クロロホルムメタノール法により血液成分のみをほぼ純粋に取り出して行った検査結果では、B山膣周辺付着物及びB山膣内容物についての検査結果から明らかなように、B山の血液型であるA型より被害者に由来しない血液型成分であるB型の方が強く出ていることが認められ、A田の膣周辺付着物、A田の膣内容物についての検査結果から、A田の血液型であるO型と被害者に由来しないB型が同程度出ているのに、B山の血液型であるA型がわずかしか出ていないことが認められる。しかし、犯人の血液型がAB型であったとすれば、A型とB型の反応が同程度に出るはずであり、上記いずれの検査結果とも合致しない。したがって、被害者らに由来しない血液型、すなわち、犯人のものと思料される血液型はB型であることが明らかである。<br> '''3''' 次に、MCT118型のDNA鑑定結果が一定の条件の下で証拠能力を有することについては最高裁判所の判例(平成12年7月17日第二小法廷決定・刑集54巻6号550頁)のとおりであり、本件で問題となっている他のDNA型識別方法についても同様に解されるところ、本件の各鑑定結果については、いずれもその要件を充たしているものと認められる。<br>  まず、犯人のDNA型のうち、MCT118型については、科警研による検査結果が123塩基ラダーマーカーを用いた当時の基準により16-26型と判別していることの信用性は十分であり、その理由は原判決が判示しているとおりである。すなわち、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合では、18-30型に対応するとされているが、18-29型、18-31型に対応する場合もあり得るとされているようであり、当時の方法によれば、それが16-26型として表示されることになる原因も一応明らかにされている(分子量に従った泳動がゲルの性質等によりある程度阻害される(遅くなる)ことによる現象として理解されている。)。したがって、当時の方法ではアレリックラダーマーカーによれば更に細分化されて型判別されるものを近似的にまとめて表示している可能性も否定できないが、仮にそうであったとしても、絞り込みの際の識別方法としては十分意味のあるものであって、この点については疑問の余地はない。したがって、123塩基ラダーマーカーを用いて判別したその型が16-26型であることは犯人特定の情況証拠として重要な意味を持つことに変わりはない。<br> '''4''' 所論は、本件で採用された科警研の123塩基ラダーマーカーによるMCT118型検査法による型判定は、MCT118型検査の原理である塩基列の繰り返しを正確に反映しないものであって、単に移動度という現象を示すものであり、原理的な裏付けのないいわば幻の型を型として判定しているにすぎず、隣の型との識別も正しく行われないものとなっているという趣旨に解される主張をしている。確かに、123塩基ラダーマーカーを使用しポリアクリルアミドゲル中を泳動させた場合には、塩基列の実際の繰り返し数よりも少ない数値しか得られないことが判明しているのであって、その繰り返し回数を正確に示すアレリックラダーマーカーによる方が検査方法として優れていることは所論の指摘するとおりと認められる。しかし、塩基列の繰り返し数が同じであれば、同一条件の下でほぼ同一の泳動状態を現出するということが判明しており、123塩基ラダーマーカーを用いた科警研の型判定はそれを識別の基準としていること、そして、その識別により同一性の判断が可能であること、現象を見ているにすぎない以上一つ違いのものとの識別に困難を生ずる場合があることは否定できないが、識別が明確にできているものについては、その現象自体が、ある特定の塩基列の繰り返し回数に正確に対応しているといえるのであって、識別方法としての意味が十分にあるものということができる。原理どおりの繰り返し回数がなぜ正確に反映されず、少なく出るかについても前述のように一応の原因が挙げられているが、その解明が十分とはいえないからといって、検査結果の正確性が減少する場合があるとはいえ、識別方法として科学的な根拠を欠くということになるものではないし、それが一致することをもって確率的な絞り込みの資料とすることを妨げるものではない。留意すべきは、それをもって塩基列の繰り返し回数を忠実に反映したものと考えないことであり、本件でいえば、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合には、18-30型ばかりではなく、18-29型、18-31型に判別される可能性もある(なお、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16型がアレリックラダーマーカーを用いて判別された18型のみに対応することは本件で提出されている文献等からも明らかである。)ことを念頭に置き、出現率を考える必要があるということがいえるにすぎない。その証明力は、将来はともかく現状では、123塩基ラダーマーカーによる判定もアレリックラダーマーカーによる判定も(アレリックラダーマーカーを用いて同じ型と判定されたものでも、塩基組成には違いの見られる場合がある。)、あくまでも類型的なDNAの型判定にすぎず、科学の進歩により将来は更に細分化され、指紋に近い精度になることも考えられるが、現時点では到底そのような高い精度のものではなく、同一とされていても詳しく見ていけば別のものであるという場合もあり得ることは当然であり、したがって、血液型判定と原理的には変わらないシステムであることは改めていうまでもない。しかしながら、そのような前提のもとで検討しても、被害者両名及び遺棄現場の木の枝付着資料から発見された血痕等に含まれ、123塩基ラダーマーカーを用いて16型と判別されるDNAの塩基数の現象上の計測値(デンシトグラムによる。)は398.2から401.1の範囲に入っており、同じく26型とされるものの計測値は561.6から565.7の範囲に入っているのに対し、被告人のそれの現象上の計測値は、16型とされるものについては399.2と400.0、26型とされるものについては563.7と564.9であり、資料(犯人)の数値と被告人の数値との差は最大でも3.3にとどまる(なお、資料の16型の平均値は399.7、26型の平均値は564.0であり、被告人のそれは399.6と564.3であるから、平均値ではほとんど変わらず、その差は0.3以内にすぎない。)ところ、繰り返し回数が1回異なれば原理上はプラスマイナス16、現象としてはそれよりやや低いプラスマイナス13ないし15程度の数値の差が生ずることになることから判断すれば、両者のMCT118型についての型(塩基列の繰り返し回数。すなわち、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別される型)が同一であることは、測定誤差を考慮しても明白であるといわなければならない。したがって、アレリックラダーマーカーを使用して型判定を行っていたとしても等しい結果が出ていたと認められる。<br>  そうしてみると、被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型かのいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し回数を基準とするDNA型としては同一であるということができる。<br>  なお、123塩基ラダーマーカーを用いた場合の16-26型の出現率は、原審弁13号証によると、0.1572(16型の出現率)×0.1052(26型の出現率)×2=0.033程度で、約30人に1人、これにB型の出現率0.22を乗ずると、約0.0073となり約130人に1人の出現率になる。次に、アレリックラダーマーカーを用いて判別したMCT118型の出現頻度の方が123塩基ラダーマーカーを用いたそれよりも検査資料数が多く、出現頻度としての信頼性が高いと思料されるので、123塩基ラダーマーカーを用いて判別した16-26型について、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別されたであろう型に置き換えて、その出現率の算定を試みることにする。なお、前記のとおり、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型、18-30型、もしくは18-31型かのいずれかの型を示すから、出現頻度の算出に当たっては、これら3つの型のうち、弁13号証によれば、最も出現頻度の高いと認められる18-30型について検討することで足りる。そうすると、上記18-30型の出現率は、0.1447(18型の出現率)×0.1484(30型の出現率)×2=0.043であり、約23人に1人となり、これに、前記0.22を乗ずると約100人余りに1人となるのであって、123塩基ラダーマーカーを用いて型判別をした場合の出現率とさほど変わりはない数値になる。いずれにしても、被害者から発見された血液成分に関する上記のような鑑定の結果に、犯行に使用された同種の車両を保有する近隣の者という絞り込みと併せると、これだけでも被告人が犯人である蓋然性は極めて高いといわざるを得ない。しかも、近隣の者で、同様に同種車両を保有する者につき、血液型、DNA型を調査したが該当者はなかった、という捜査結果には保有者の家族や偶然の使用者は含まれていないことを考慮しても、その捜査結果による絞り込みも更に加わることは否定できないから、その蓋然性は更に補強されるものといわなければならない。<br> '''5''' 次に、犯人のDNA型のうちHLADQα型についての科警研の鑑定結果(1.3-3型)を採用しなかった原判決の結論も正当である。すなわち、犯人のそれが1.3-3型(被告人のそれもこれと同じである。)である可能性があるとはいえ、(1)HLADQα型の特定には、本件当時においてはMCT118型の検出に必要とされるものよりも相当多くのDNA量が必要とされていたことが認められること、(2)資料中には被害者の血液成分よりも犯人の血液成分の方がより多く含まれていたとしても、血液成分以外については、犯人よりも被害者のものが多量に含まれており、型判別に用いられるDNAの総量としては、犯人のものよりも被害者のものの方が優勢である場合も当然に予想されること(すなわち、血液型検査で強く反応を示すのは赤血球であるが、赤血球は核を持たず、したがってDNAも持たないから、資料中の赤血球数の多少はDNA型の判別に際して得られる反応の強弱に影響せず、血液成分中では白血球細胞の核内にあるDNAのみが型判別に用いられることになる。ところで、本件で鑑定に用いられた血痕などのように、血液成分のみならず、膣液などの体液をも含んでいると思料される混合資料の場合には、その体液に混入している一般細胞等の核内にあるDNAも型判定に用いられることになるのであるから、当該資料中の血液成分については犯人のものの方が被害者のものよりも相対的に多く含まれ、その結果犯人の血液型が被害者の血液型よりも強く検出される場合であっても、DNA総量としては、被害者のものの方が犯人のものよりも多く含まれる場合のあることは十分考えられるのである。)、(3)当時の検査キットでは、1.1型に対する感度よりも1.3型に対する感度の方が鈍く、そのためにA田の膣周辺付着物及び膣内容物からは1.3型の検出ができなかった可能性があること(u証言)などを総合して考察すると、犯人のHLADQα型がB山の膣周辺付着物、膣内容物から検出されているといえるかどうかについては、v証言にもかかわらず、なお、疑問が残るというべきである。ただ、この結果は、犯人の型が1.3-3型としても矛盾しないという意味を有するものと理解するのが相当である。<br>  所論は、犯人は1.3型を持たない者ではないかという合理的な疑いを否定できないと主張する。確かに、MCT118型では、A田の膣周辺付着物からは犯人とA田のDNA型がほぼ同様の強さで検出されているように見えるが、膣内容物の方からは犯人のそれはやっと検出されるという状態にあることが認められるところからすると、HLADQα型について、A田の膣周辺付着物や膣内容物からは、A田の型である1.1型のみが検出され、被告人の型である1.3型が検出されていないからといって、直ちに被告人が犯人でないとの疑いを生じさせるものとはいえないばかりか、1.3型が検出されないことについては、上記(3)のように、改良前の当時の検査キットでは、1.3型に対する感度が低く、発色しにくかったためにA田の膣周辺付着物からも検出されなかったものと理解することもできるし、他にもいろいろな原因のあり得るところと考えられる。なお、犯人のHLADQα型がA田と同じものではないかとの疑いは、クロロホルムメタノール法による血液型の検査結果からも明らかなように、犯人の血液は、A田のものよりもB山のものの方に多量に含まれているのに、B山のものから1.1型が検出されていないことや、前記のように1.3型の方が1.1型よりもHLADQα型の検査キットの感度が鈍かったとされていることなどからすれば、これを否定することができるというべきである。いずれにしても、HLADQα型が検出できるだけの犯人由来のDNA量が得られなかったために、これが検出ができなかったにすぎないことが考えられるのであって、所論のように犯人が1.3-3型を持たない者であるとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないから、所論は採用できない。 <br> '''6''' 他方、石山鑑定において被告人のDNA型を発見できなかったとする結論が、犯人が被告人ではないとする合理的な疑いを生ずるものかどうかについて検討する。<br> '''(1) ''' まず、HLADQβ型の結果については、B山、A田に由来する者以外の者の型を検出しているものとは認め難く、石山鑑定に用いられた各資料は、科警研の鑑定後の残量であって鑑定に供しうる資料が微量であった上、相対的には被害者のDNAよりも犯人のそれが少ないために、各被害者本人の分(A田から採取されたものからはA田の、B山から採取されたものからはB山の分)のみが検出されている可能性があるものと認められる(HLADQα型についての科警研のA田の膣周辺付着物及び膣内容物の鑑定結果参照。これらのものからはB山のA型血液が検出されているのに、B山に由来する1.3-3型DNAは検出されていない。)。すなわち、犯人の分は、実際には資料中にそれが存在しているにもかかわらず、その量が少なく検出限度以下であるために、HLADQα型の場合と同様に検出不能であったことが十分に考えられるというべきである。なお、A田の膣周辺付着物からは、HLADQβ1座につき、B山及び被告人と同型のもの(0601、3022)が検出されているところ、これは、B山のみのものか、犯人とB山の両名のものが合わさったものかは必ずしも明らかではないというべきであるが、HLADQβ2座では被害者(被採取者)本人自身のもの(A田もB山も同型である。)しか検出されていない合理的な可能性があることと対比すると、β1座で被害者本人自身以外のものが検出されているのは、B山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなり泳動のバンドとして可視的なものになった可能性が考えられるから、それが原因ではないかと解される。すなわち、A田の膣周辺付着物及び膣内容物からは、MCT118型では犯人の型が検出されているのに対しB山の型は検出されていないこと、他方、HLADQα型では同じHLADQ座にあるDNA型でありながら犯人の型もB山の型も検出されていないことを対比して考えると、β1座では、前記のように、むしろB山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなって可視的になったものと見るのが相当と解される。そうすると、HLADQβ型の検出結果(被告人の型のうちの1.1型の不検出)をもって、被告人が犯人ではないとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないというべきである。<br> ''' (2) ''' また、ミトコンドリアDNAの型判定の結果についてみると、石山鑑定によれば、資料中に含まれるミトコンドリアDNAはB山タイプ、A田タイプのもの、すなわち、B山及びA田に由来するものがほとんどであり、被告人タイプのものは検出されているとはいえない、というのである。<br>  ところで、石山鑑定のミトコンドリアDNAに関する鑑定結果に現れた内容を検討すると、そのミトコンドリアDNA型はほとんどが被害者に由来するものであり、犯人に由来する可能性のあるものがわずかしか発見されていないと見ることができるものである。すなわち、検査の対象とされたもの(鑑定資料中のミトコンドリアDNAを増殖することで得られたクローン化されたDNA部分)のうち相当数のものについてはDNAの塩基配列(4種のアミノ酸A、C、G、Tの配列)が分析解明されているところ、それによると、人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した多数の事例の集積の中で変異が発見されていない部位(言い換えると、人のミトコンドリアDNA中の当該部位については同一の塩基の存在しかこれまでには確認されておらず、当該部位に存在する塩基の型には個体差が見られない部位)であるにもかかわらず、本件鑑定においては、通常とは異なる塩基の存在が確認されており、変異の生じているものが少なからず発見されているのであって、これは、石山鑑定人も供述しているように、大腸菌を用いたDNA増幅法(いわゆる間接法)による場合には変異が現れやすいとされていることから、本件鑑定でも同様の現象が生じたものと一応推定してよいと考えられる。したがって、人のミトコンドリアDNAであるならば通常は変異が見られないはずの部位に生じた変異については、間接法を用いた増幅の過程で生じた変異であり、鑑定資料に含まれる増幅前のミトコンドリアDNA中には存在しなかった塩基の変異であると推定してよいと考えられるから、これらの変異部分を除外して塩基配列を詳細に検討すると、ほとんどのDNA型(DNAの特定部位がクローン化されたそれ)がB山タイプないしA田タイプのものといえるのであって、この結論は石山証言からも明らかというべきである。<br>  ただ、MCT118型では犯人由来のDNA型が認められるのに、ミトコンドリアDNAについては、そもそも犯人に由来する可能性のあるDNA型の検出数が少なすぎるとの印象を受けるが、このような差異が生じるのは、細胞に含まれるミトコンドリアの数は細胞の種類によって相当な較差があるからではないかと考えられる。すなわち、DNAの型判定は細胞中に通常は1個しかない核内に存在するDNAを対象としているのに対し、ミトコンドリアDNAの型判定は細胞質中のミトコンドリア内に存在するDNAを対象としているもので、1個の細胞が細胞質内に保有するミトコンドリアの数は、細胞の種類や性質などによって大きく異なっていることから(文献では、多いものでは数千個に達するものもあるとされている。)、鑑定に供される資料中に含まれる細胞の種類やその種類ごとの細胞数に応じて、ミトコンドリアDNAの検出には差異が見られるのであり、例え同一の資料を用いたとしても、MCT118型のように核内に存在するDNAを対象とした型判定とミトコンドリアDNAの型判定との間で、その検出結果に差異を生じて少しも不自然ではないのである。そして、エネルギーを生み出す必要のある細胞、たとえば筋肉細胞などではミトコンドリアが多く存在することが知られていることからすると、膣液に混入している膣の細胞には、血液細胞(白血球の細胞)に比べてミトコンドリアが多く含まれているものと考えられるのであって、これを本件鑑定に当てはめて考察すると、鑑定資料とされた血痕中に含まれるもののうち、被害者に由来する細胞にはミトコンドリアが多く含まれていて、犯人に由来する細胞中のミトコンドリアの数と対比すると、前者が優勢になっていたと考える余地が多分にあり、被害者に由来するB山タイプ及びA田タイプのミトコンドリアDNAを持ったクローンが大多数を占め、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAを持ったクローンが極めてわずかしか形成、検出されていないのも首肯できるのであり、特に不自然、不合理とはいえないこととなる。そして、B山の膣周辺付着物からはB山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、B山の膣内容物からは、1個を除き、B山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、他方、A田の膣周辺付着物からは、A田タイプと認められるDNA型のほかB山タイプと認められるDNA型が多数発見されていることについても、B山に先にいたずらがされ、次いでA田にいたずらがされたとすれば、その説明が可能になり、よく理解できることになる。関係証拠によれば、B山は仰向けのまま遺棄されており、その体液が遺体の下にあった木の葉や枝にも滴下していることが認められることからすると、重力の作用によってB山の膣内から膣液等が漏れ出し、これが膣周辺に付着していた犯人に由来する付着血液を流し薄めるように作用していることが考えられるのに対し、A田の場合は、仰向けに遺棄されていて、膣周辺部に付着したB山由来のものがそのまま残り、多く発見されるに至ったものと見ることが可能である。<br>  また、科警研の鑑定により各資料が費消された結果、石山鑑定に用いられたのは、ごく少量の綿をつまみ取ったようなものに、かすかに色がついているという資料であり、混合血痕であるため凝集が起こるなどして必ずしも資料各部で均一に混合していなかったことも考えられるから、科警研における鑑定と石山鑑定とでは、用いられた資料にそもそも違いがあり、石山鑑定の資料には犯人由来のミトコンドリアDNAがわずかにしか混入していなかった可能性も考えられる。<br>  このように見てくると、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAがわずかしか発見されていないことについてはそれなりの説明が可能であり、したがって、被告人タイプのミトコンドリアDNAが特に発見されないからといって、それだけで被告人が犯人ではない合理的な疑いを生ずるものではないと考えられる。のみならず、本件では、被告人のミトコンドリアDNA型(検査の対象となったDNA部分の特異点である番号16223の部位のCがTに、番号16362の部位のTがCになっている。)と1塩基違いのミトコンドリアDNA型がB山の膣内容物から1個発見されているところ、この塩基配列中被告人のものと唯一異なる塩基の部位は、人のミトコンドリアにはこれまで変異が発見されておらず変異が見られないはずの部位(番号16309)であり、これを除いて見れば、被告人タイプのそれと一致することになるので、そのミトコンドリアDNAは被告人に由来するものと見ることも十分可能なものである。すなわち、塩基配列のすべてが一致していない以上被告人のものが発見されたとはいえないとする石山証言は正当であるが、同証言は被告人のものが発見されないともいえないというのであって、塩基配列に唯一違いが認められる部位(番号16309)は、個体間に変異が発見されていないとされている部分であるから、たとえば大腸菌を用いた増幅過程で変異が生じた可能性が十分にあると考えられるのであり、これを除いて考察すると被告人の塩基配列に一致するのであるから、そのDNAは犯人由来のものであり、かつ、犯人が被告人であることを否定するものとはいえないことになることに留意しなければならない。したがって、ミトコンドリアのDNA型の鑑定結果についても、所論のいうように被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを抱かせるものとはいえない。<br>  結局、石山鑑定の結果が被告人が犯人ではない旨の合理的な疑いを抱かせるものであるとする所論は、採用できない。<br> '''7''' 所論は、DNA型の鑑定のような重大な結果を生じかねない性質のものについては、再検査が可能なように資料を残すなり、増幅したPCR資料を残すなりしておく必要があり、そのような措置を講じていない本件では、証拠能力を否定すべきであり、少なくとも信用性を否定すべきである、というのである。確かに、所論のように資料を残すなどして再検査を可能にする方途を講ずることは望ましいが、資料が少なかったり、なかなか結果が出しにくい場合に全部使い切ることがあったとしても、やむを得ない場合のあることは否定できないことである。そして、本件では、科警研の検査で資料をほとんど使っているが、検査の結果がなかなか出にくかったことなどを考慮すれば、残量が少なくなったのもやむを得ないという事情があること、殊更再鑑定を避けるために費消するなどの不適切な事情も見当たらないことからすれば、資料をほとんど使い切ったからといって、その故をもって証拠能力を否定すべきものと解されない。また、鑑定の内容に照らしても、以上のとおり、MCT118型についての信用性を認めることができる。所論は採用できない。<br> ====七 被告人車内の血痕及び尿痕について====  関係証拠によると、被告人車が押収され、その内部から血痕及び尿痕が発見されているところ、その発見経過、状況、結果については原判示のとおりと認められる(原判決補足説明六1)。すなわち、尿痕については押収された直後に発見され、後部座席の左側シートに2か所尿痕が発見され、人尿と確認されたが、血液型は判明しなかった。他方、血痕については、その際後部座席シート左側ドアに接する部分及びその下のフロアマットから発見された分について、血液型がO型であることが判明したが、DNA型の判別をMCT118型及びHLADQα型につき行ったもののDNA型は検出できなかった。その原因は、水洗いされて水で薄められるなどしてDNAの分解が進んでいるためと推定された。その後、DNA型につき新たな方法が開発されたことを聞いた科捜研係官が、平成6年4月に至り、その資料として上記座席シート中の血痕付着部分と考えるところを切り取った際、先に繊維鑑定のために切り取って東レに送付していた部分の下に接する座席のスポンジ部分に、変色痕が認められたことから、翌日繊維鑑定の終了を理由にそのシート部分の返却を東レから受けた際、その裏側に2か所染みのあることが判明し、それが当初から付着していたことが東レの鑑定人によって確認され、さらに、座席シートをはがして調べてみると、シートの裏にはほかにも染み状になった部分があり、これらのうちいくつかは血液反応を示した。そこで、座席シートから新たに発見した血痕様部分と東レに繊維鑑定に出していた部分につき科警研に血液型及びDNA型の鑑定を依頼したところ、東レに繊維鑑定に出していた部分の裏2か所のものにつき、血液型がO型であることが検出され、MCT118型、HLADQα型については検出できなかったが、DNAの分解が進んでいることが考えられたので、塩基数の少ない部位に関し新たに開発されたものを含む他のDNA型検査法(TH01型、PM検査法)を試みたところ、そのうちの1か所から、Gc型についてCのホモ(v証言、原審第5回388項、その出現率は、当審弁43号証によると、約16人に1人と認められる。)であることが検出された。他方、同時に、保存されていたA田及びB山の毛髪を使用して同様の検査を施したところ、MCT118型は検出できなかったが、HLADQα型、TH01及びPM法ではすべての型を検出することができ、その結果、A田のDNA型はGc型についてはCのホモであり、上記座席シートから検出されたものと同一の型であることが判明した。<br>  さらに、関係証拠によると、PM検査では、HLADQα型判定と同様にドット法を用い、試薬の発色によってDNAの型判定を行う方法が採用されているが、その場合、検査紙上に設けられた各種のDNA型に対応する位置に発色が見られたとしても、Sの位置(標準マーカー、HLADQα型の分子量のものが検出できるかどうかをその指標としていることが認められる。本件では、HLADQα型は検出できないのであるから、発色しないのが当然ということになる。)が発色しないときは、アガロースゲル電気泳動法によりDNAの増殖が認められた場合にのみ、当該発色の状況を有効な型判定に用いることができるとされていることから、泳動法でDNAの増殖状況を検査したところ、Gc型の部分にしかDNAの増殖を検出できなかったため、Gc型についてのみの判定にとどめたものであること、しかし、発色法では、PM検査5種のうち、塩基数の最も小さいGc型には明瞭な発色があったほか、塩基数の小さいHBGG型につきAB型、D7S8型につきA型を示す部位にやや薄いとはいえ発色があり、これらについてもA田と同一の部位に発色が認められるが、Sの発色がなく発色の弱さや電気泳動法による判定が得られなかったことから、型判定には使用しなかったこと(もっとも、アガロース電気泳動の写真をよく見ると、極めて薄いが泳動の影が見えないではないようにも思われる。)、PM法のうち上記のものを除いた塩基数の多い2種については発色がなかったことが認められる。<br>  以上によれば、被告人車を押収した後間もなく行われた第1回の鑑定ではO型の血液型を持つ血痕が発見されたにとどまるが、その後、新たに開発されたPM法などを用いた第2回の鑑定では、O型の血液型に加えDNA型のうちGc型につきC型(C型のホモ)が検出されていることから、その血痕は型判定からしても、A田のそれと矛盾しないものといえるものが発見されていることになる。ところで、DNAは時間の経過とともに分解が進み、したがって、塩基数の多いものほど分解が速く進み判別が困難になると考えられるから、MCT118型などの塩基数の多いものについては型判別ができないほどにDNAの分解が進んでいたとしても、より塩基数の少ない部位についてはDNA部分が分解されないまま残っているものが相対的に多く存在するため、これを用いた型判定が可能である場合のあることは容易に理解できる。そして、Gc型の判定は、PM法を用いられる各種のDNA部分の中でも最も塩基数が少ない部位に位置するDNA部分を用いて行われることからすると、Gc型よりもやや塩基数の多い部位に位置するDNA部分を用いて行われるHBGG型及びD7S8型の判定についてやや薄いとはいえ発色が認められていてそれがA田のものと同一であることは、検査法の原理からすれば決して無意味なものとはいえず、これらにつき全く発色が認められない場合とは異なり、その血痕がA田に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である。<br>  さらに、単に付着したにとどまる血液は容易にふき取ることができ、水洗いすれば消し去ることができるが、したたり落ちたりして多量に付着した血液の場合は織布の繊維の間や織り目の隙間にしみ込みやすいし、水洗いすれば更に内部にしみ込んで広がることが考えられるところ、本件においてそれぞれの血痕が座席から発見された経緯に照らして見ると、ふき取ったり水洗いしたりしたことを前提とすれば、したたり落ちたりした血痕のみが検出される結果になることをたやすく説明できるものといわなければならない。関係証拠によると、A田の死体からは鼻血を出していたことが認められ、着衣にはそれが滴下したことを示す痕跡が認められる。A田の鼻血が座席等に滴下したとすれば、被告人車内からA田のみの血痕が発見され、犯人やB山の血痕が発見されないことを合理的に説明することができるというべきである。また、関係証拠によると、被告人が、本件の約7か月後に被告人車を買い換えのため下取りに出した際、通常下取りに出される車両と異なり車内が異常な程きれいに掃除されていたことが認められ、被告人自身も水洗いするなどしたことを認めていることからすれば、滴下するなどしたA田の鼻血が織り目を通って座席裏側にしみ込んだことが推測されるから、本件の血痕の発見過程に格別不自然な点は見出せないというべきである。付着していた血痕はいずれもやっと鑑定が可能な程分解が進んだものであることからしても、DNAの分解を進めることになる水洗いなどがされている事実ともよく符合するとともに、作為された可能性も否定されるというべきであり、発見過程について関係証拠を詳細に検討しても作為を疑わせる点は見出せない。<br>  本件では、血痕とともに尿痕が発見されているが、被害者両名の下着には失禁による尿痕が認められるところ、車内から尿痕が発見されたことは、殺害が車内で行われたと推定される本件では、その状況を血痕とともに裏付けるものとして説明できるものである。<br>  所論は、被告人の家族、親族にはO型のものが多数おり、その血液や尿が付着していることが考えられるし、以前の所有者の時代に付着したことも考えられるというが、この点について原判決が詳細に判示しているところは、大筋において関係証拠により正当として是認することができる。発見された血痕と尿痕は同時に生じたものでしかも殺害の際に生じたものであるとした場合、すべての要素を矛盾なく説明することができることからしても、所論のいうような可能性は極めて乏しいといわざるを得ず、合理的疑いを生じさせるものではない。 <br> ====八 亀頭包皮炎罹患の事実について====  本件では、通常のわいせつ目的の事件とは異なり、被害者の局部に犯人に由来すると認められる血液の付着、混入が認められる点で特異性があると認められる。すなわち、上記のような血液の付着、混入状況からすれば、犯人が出血していたことが認められるが、被害者の局部からは唾液の存在が確認されていないから、犯人の出血原因としては口内出血の可能性は考えられない。ところで、関係証拠によれば、原判示のとおり、被告人は当時亀頭包皮炎に罹患していた事実が認められる。所論は、そのような事実はなかったとして争うが、原判示のとおり、被告人は元々その罹患を理由に本件の犯人ではないと主張していたのみならず、医師や薬剤師の供述調書等から、その事実を認めるに十分である。犯人が被告人であるとすれば、通常は生じにくい血液の付着、混入の事実を容易に説明することができるものであるから、この事実は、犯人の特異性についての説明を可能にするものであり、被告人の犯人性を補強するものということができる。<br> ====九 その他の補強的な情況事実について====  以上の情況証拠を総合すれば、被告人が本件の犯人であることを認めるに十分というべきであるが、本件については、このほかにも、被告人の犯人性を補強するいくつかの事情が存在する。<br> '''1''' 関係証拠によると、被告人は本件当時円形脱毛症の症状を呈していたことが認められる。この点は、T田の見た犯人と考えられる者の容ぼうの特色を裏付けるものであり、被告人が犯人であることを補強している。<br> '''2''' また、本件は、被害者2名が同時に誘拐されて被害に遭っているところ、B山らは、日ごろから知らない人について行ったり知らない人の車に乗ったりしないように両親らから注意を受けていたのに、容易に乗車していることがうかがわれることからすれば、被害者と顔見知りの者による犯行と推認されるところ、被告人の長男は、被害者とは学年は異なるが同じ小学校に通っているなど、接点があり、被告人は日中は暇であるため、長男の友達を含む子供らと遊ぶなどして久間のおじちゃんとして知られていることが認められ、被害者らとは顔見知りになっていたことがうかがわれる。この点も被告人が犯人である可能性を補強しているといえる。<br> '''3''' 被告人は、死体遺棄現場付近についての土地勘を有するものであることは、これまでの職歴や近隣居住の事実及び本件の前年ころの秋ころ、知人に八丁峠に通ずる道路で目撃されていることなどにより裏付けられているから、被告人が遺棄現場付近につき不案内であるとはいえない。<br> ====一〇 被告人が犯人ではないとの方向に働くような事実について==== '''1''' 所論は、犯人は小児性愛者であると推定されるが、被告人には、たとえば、そのことに関心を示すビデオなどを所有せず、そのような傾向はうかがわれないから犯人とは考えられないと主張する。確かに、被告人が小児性愛者であることを示す物的な証拠は発見されていない。しかし、そのような外形的な事情がうかがわれなくても、小学生などの児童に対するわいせつ犯罪が行われていることは、実務上もしばしば見受けられるのであって、必ずしもこれを異とするに足りないというべきである。<br> '''2''' T田は、本件発生の2か月くらい後に、消防署に車で妻を送ってきた被告人を、捜査車両内から面通ししているところ、T田は目撃した者との同一性を確認できなかった事実がある。しかし、T田が目撃したのはわずかな時間であり、かつ、顔を正面から明確に見ておらず、倒れて手を着くようにして前屈みになった頭部と後ろ向きになった姿を見ているにとどまるのであるから、特色のある点は別として目撃した人物について記憶に残りにくいのが通常と考えられることなどに照らすと、同一性の確認ができていないことをもって、被告人が犯人ではないとの疑いを抱かせるものとはいえない。<br> '''3''' ポリグラフの検査結果について<br>  ポリグラフ検査は2回にわたっていて、当審においていずれも弁護人に開示されたものであるところ、最初のもののみにつき弁護人から証拠として請求され、検察官の同意を得て取り調べられたものである。その結果は、反応を否定されているものもあるが疑問判定が多く、いわゆる白の鑑定にはなっていない。その内容を弁護人の指摘に従って検討しても、以上の情況証拠と併せて考察すれば、これをもって所論のいうように被告人が犯人でないことに疑いを差し挟ませるものということはできない。<br> '''4''' 石山鑑定について<br>  同鑑定が犯人が被告人以外の者である疑いを抱かせるに足りるものではないことは前示のとおりである。<br> ===第3 情況証拠の十分性について===  本件では、犯行現場を目撃されたり、死体や証拠物の遺棄状況を直接目撃されていないし、T田も犯人を目撃しているといえるものの、当然とはいえ、頭部にはげた部分があることを目撃している程度にとどまり被告人が目撃人物と似ているかどうかについても明確にできない程度の目撃であること、死体等や遺留品から被告人のものであることが明らかに認められるものも存在せず、被告人車内からも、それだけで被害者と明確に結びつくような被害者の遺留物、痕跡なども発見されておらず、まして、被告人の自白もないことから、以上の情況をもって被告人が犯人であることが合理的疑いを超えて証明されているかどうかを検討しなければならない。<br>  しかし、(1)繊維鑑定の結果及び遺留品発見現場上の路上における車両等車両目撃状況等を総合すると、犯行に使用された車はマツダウェストコーストと認めるに十分であること、(2)被告人は、誘拐現場付近に居住する者でほかならぬその車両を保有しており、これを保有する者は現場付近や飯塚市内及びその周辺においては極めて少数に限られていること、(3)被告人の使用車両からは、被害者の一人であるA田の鼻血により生じたものであるとして付着状況が矛盾せず、A田の血液型、DNA型と同じ特徴を備えた血痕と、扼頸による殺害に伴う被害者の失禁と考えて矛盾しない尿痕が、後部座席(血痕は座席裏側)から発見されていること、(4)被告人は、マツダウェストコーストを使用して誘拐の犯行時刻ころ日常的に本件誘拐現場付近を通行していた者であり、被告人のいう当日のアリバイは信用できず、犯行当日の誘拐の犯行時刻ころも被告人が犯行現場を通行していたことが強く推認されること、(5)他方、死体に付着、混入する血液からは被告人の血液型、DNA型の一部と一致するものが発見されており、これと積極的に矛盾する要素は見出されず、犯人が出血していたという特異な事実は被告人の亀頭包皮炎罹患の事実により裏付けられることなどの情況事実が累積している。これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである。さらに、被告人車以外の同種車両についての捜査も相当詳細に行われていて、周辺の類似対象車両のアリバイ、保有者の血液型、DNA型についても地道かつ膨大な捜査がされていて、その結果該当車両は他にはほとんど見出せない情況もある。他方、被告人が犯人ではないのではないかという方向に働く証拠をつぶさに検討してもその疑いを抱かせるには足りない。これらの事情を総合して考慮すれば、被告人が本件の犯人であることにつき合理的疑いを超えた立証があるものと認めるに十分である。<br>  以上によれば、本件犯行の犯人は被告人と認められる。その他所論が多岐にわたり指摘する点について逐一原審記録及び当審における事実取調べの結果を検討しても、以上の認定、判断は左右されない。<br>  原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。<br> ===第4 職権による量刑判断===  事案にかんがみ、職権で原審の量刑につき判断を示しておくことにする。<br>  本件は、登校途中の小学1年生の女児2名を略取誘拐し、わいせつ目的で扼殺した上、両名の陰部をもてあそび、遠方に運んでその死体を山中に遺棄したという事案である。その犯行は、動機、態様において悪質極まりないばかりか、冷酷、非情かつ残忍というに尽きる。自己の卑劣な欲望により2名もの幼い純粋な命を奪った刑責は誠に重いというほかはない。被害者の苦痛及び無念の情は測り難く、遺族の深い悲しみ、精神的打撃は察するに余りある。地域住民に与えた不安恐怖の念も誠に大きいものがある。にもかかわらず、被告人は、反省の情を全く示しておらず、被害弁償も含め慰謝の方途も講じられていない。<br>  死刑は、究極の刑罰であり、これを科するには、事案の重大性、悪質性、被害者の遺族の被害感情、社会に与えた影響の深刻さ、被告人の反社会性、更生可能性など諸般の事情を総合し、真にやむを得ない場合に限るものと解されるところ、本件においてこれらの事情をつぶさに検討しても、犯行の重大性、冷酷非情な態様、動機の悪質性、被害者の遺族の感情、被告人の反社会性等を重視せざるを得ないことからすると、死刑をもって処断するのは誠にやむを得ないといわなければならない。原審の量刑判断は相当である。<br>  よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法181条1項ただし書を適用して被告人にこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。<br> 平成13年10月10日<br> 福岡高等裁判所第二刑事部<br> 裁判長裁判官 小出錞一 裁判官 駒谷孝雄 裁判官 松藤和博<br> <br> [[カテゴリ:日本の判例|ふくおかこうとうさいはんしよへいせい11ねんうたい429こう]] {{PD-JapanGov}} sjoqvmdxlvz026tudps35ksh6m7q868 246540 246535 2026-10-11T16:02:22Z ろづき 28406 246540 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所平11(う)第429号 |year=1999 |notes= *LEX/DB文献番号28085513。原本は実名。原審・上告審については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 福岡高等裁判所平成11年(う)第429号<br> 平成13年10月10日第二刑事部判決<br> <br> ==判決== 無職 久間三千年 昭和13年1月9日生<br>  上記の者に対する略取誘拐、殺人、死体遺棄被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官中野寛司出席の上審理し、次のとおり判決する。 == 主文 == 本件控訴を棄却する。 == 理由 ==  本件控訴の趣意は、主任弁護人岩田務、弁護人徳田靖之、同鈴木宗嚴、同千野博之、同城台哲が連名で提出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官中野寛司が提出した答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。<br>  論旨は、要するに、原審において取り調べられた証拠中には、被告人と本件犯行とを直接結びつける証拠はなく、個々の情況証拠の認定にも疑問がある上、これらを総合評価しても、被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを容れない程度の証明がなく、被告人は無罪であるのに、被告人を犯人と認定した原判決には証拠の評価を誤り、事実を誤認したものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。<br>  そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。<br>  原判決の認定した犯罪事実は、原判決の掲げる関係各証拠により優に認定することができ、所論の指摘する点につき原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、その認定に誤りはないと認められる。ただし、犯行時刻につき、原判示第一の拐取時刻は午前8時30分過ぎころと認定するのが相当であり(原判決も補足説明において検討しているところによればそのように理解される。)、第二、第三の各殺害の時刻はその後午前9時30分前後ころまでの間と認定するのが相当である(A田の食事終了時間や、消化状況から厳密な時間を認定するのは相当でないと考えられることによる。)が、これらの点はもとより判決に影響を及ぼすものではない。 ===第1 原判決の認定した情況事実=== ====一====  原判決の認定している主要な情況証拠はおおむね次のとおりである。<br> '''1''' まず、原判決の補足説明一で認定した外形的事実が認められる。すなわち、被害者両名は、平成4年2月20日午前8時30分過ぎころから行方不明になり、そのころ犯人により拐取され、朝食後1ないし2時間後に扼頸により窒息死させられ、その後、甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠第5カーブ付近に遺棄されたことが認められるが、原判示の被害者両名の死亡時刻がいずれも同じころであることは、死体解剖の結果、特に胃内容物の消化の程度及び死斑、硬直の状態から、これを認定することができる。<br> '''2''' 森林組合に勤務するT田は、同日午前11時過ぎころ、後に被害者両名の遺留品であるランドセル、着衣等が発見された斜面の上の路上で、停車していた不審な車両とその脇にいた頭部のはげた男を目撃したが、T田が目撃した車両は、紺色のワンボックスカーであり、同人の証言に当時の他の車両の製造販売状況に関する関係証拠を併せると、それは、マツダボンゴ車である可能性が高い。<br> '''3''' 被害者両名は、午前8時30分ころ登校途中の通学路上の原判示E村方前三叉路で最後に目撃された後、行方不明になっているが、そのころの午前8時30分過ぎに、原判示E村方前三叉路を北から南に走行してきた紺色マツダボンゴ車が目撃されている。 <br> '''4''' 被害者両名の着衣に付着していた繊維の分析の結果、その繊維は本件犯行当時被告人が使用していた車両と製造時期を同じくする、すなわち昭和57年ころから約1年半の間に製造されたマツダウェストコースト(マツダボンゴ車の最上級車)の座席シートの繊維と一致する蓋然性が極めて高い(なお、以下では、被告人車の座席シートの織布に用いられていたものと同様の織布を用いたマツダウェストコースト車について、単に「マツダウェストコースト」と略記する。)。<br> '''5''' 被害者は両名とも、扼頸により殺害された後、まずB山が、その後にA田が膣内に手指を挿入されていて、その手指を介して犯人の血液が膣内及び膣周辺部に付着している(犯人の血液が発見されるのは、この種の犯行としては特異な事情といえる。)が、そのことから、犯人は本件当時出血していたことが認められ、その血液型はB型、DNA型はMCT118型で16-26型である。なお、B山の血液型はA型、DNA型はMCT118型で18 - 25型、A田のそれはO型、23 - 27型である。<br> '''6''' 本件は、被害者両名が近隣の者らに気付かれずに拐取されているところから、被害者両名が犯人車両に抵抗することなく乗車したものと推認できるのであって、被害者両名から怪しまれない顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と推定される。<br>  原判決は、以上のほか、以下の情況事実を認定しているが、これらは被告人を犯人と推認させるものに該当する。<br> '''7''' 被告人は、マツダウェストコーストを所有し、拐取現場の近隣に居住する者である。<br> '''8''' 被告人は、前記マツダウェストコーストを妻の勤務先への送迎に使用しており、通常の経路としては前記E村方前三叉路を通過する経路を採っていたが、当日朝も妻を送り帰路自宅に戻る途中の午前8時30分ころ、同所を通っていた蓋然性が高い。そして、そのころ、その現場付近で同種車両であるマツダボンゴ車が目撃されている。<br> '''9''' 被告人の血液型はB型で、DNA型のMCT118型が16v-v26型であり犯人のそれと符合している。<br> '''10''' そして、被告人所有の車両が買い換えのため下取りに出された同年9月に押収されたが、その車内後部座席から、尿痕及び血痕が発見され、その原因は本件以前に付着していたものとは認められず、しかも、その血痕の一部の血液型がO型、DNA型のうちのGc型がC型と判明し、A田のそれと符合していて、扼頸による窒息死の際の失禁(被害者両名のパンツとスカートに相当量の尿が付着している。)及びA田の鼻血の出血によるものとすれば、血痕、尿痕を矛盾なく説明できる。特に血痕が水洗いされるなどして薄められ座席内部にしみ込んだ状況が認められることについても矛盾なく説明が可能である。<br> '''11''' 被告人車はT田及びX田らの目撃した車両の仕様、特徴等と種々の点で符合し、特に異なる点は見当たらない。被害者両名の着衣付着繊維と被告人車の座席の繊維とを対比しても汚れなどを示す元素などを含めて特に矛盾点はなく、よく符合する。<br> '''12''' 犯人の前頭部にははげたところがあった、と述べるT田の供述の信用性も高いが、被告人は当時円形脱毛症に罹患していたことが認められる。<br> '''13''' 被告人は本件当時亀頭包皮炎に罹患していて、被告人が犯人だとすれば、犯人の血液が被害者両名から発見されているという特異な事実の説明が容易に可能になる状況がある。<br> '''14''' 本件は、被害者両名が気付かれずに拐取されているところから、顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と認められるが、被告人は、このような条件をも充たしている。<br> '''15''' しかも、被告人には、アリバイが成立しない。<br> ====二====  原判決は、おおむね以上のような情況事実を認定した上、これらを総合することにより被告人が本件犯行の犯人であると認めるに十分であると認定しているところ、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、その情況事実の認定及びそれに基づく各犯罪事実の認定は、正当として是認することができ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の認定、判断に誤りがあることはうかがわれない。<br> '''1''' 原判決の主要な情況事実の推論過程について説示するところについても異論を差し挟むべき点は特にない。ただ、本件犯行に使用された車両については、前記一1ないし3の事情からマツダボンゴ車である蓋然性が極めて高いのに加え、前記一4の繊維鑑定の結果がマツダウェストコーストの座席の繊維とほぼ一致すると認められる事情を併せると、マツダウェストコーストと認定するに十分というべきである。後記のとおり、繊維鑑定は、犯行使用車両の車種を特定するのに極めて重要な意味を有するものであって、これと殺害後約1時間半ないし2時間程度経過した時点における遺留品発見現場での車両の目撃状況などを併せると、そのように認定するに十分である。<br> '''2''' 被告人は、上記のとおり、マツダウェストコーストを所有する近隣の居住者である上、職に就いておらず、消防署に勤務する妻の送り迎えの通常の経路として犯行時間帯に被害者の通学路である本件拐取現場付近を通行しており、被告人車とよく似たマツダボンゴ車が、上記3のとおり目撃されており、被告人のアリバイも否定されている。したがって、被告人は、被害者が拐取されたころ、拐取現場付近をマツダウェストコーストで走行していた蓋然性が高く、被告人には犯罪事実に対する近接性が強く認められる。加えて、被害者から検出された犯人の血液型と、DNA型のうちのMCT118型が一致しているという重要な情況事実があり、被告人には出血の原因も存在していたことから、犯人の血液が被害者から発見されたことが説明できる情況がある。更に、被告人車から発見された血痕は、被害者の1人であるA田の血液型及び分解の進んでいたDNAからようやく抽出できたDNA型(Gc型)と符合し、A田が鼻血を出していたこと(死体や着衣の状態から明らかである。)とも符合する上、尿痕も発見されていて、これらは、車内における扼頸による窒息死に伴う失禁の事実を裏付けるものということができ、車内での殺害を裏付けるとともに、被告人車が犯行に使用され、その犯人が被告人であることを強く推認させる重要な情況事実である。被告人には、犯人像として考えられるところと矛盾する点はなく、他に犯人性を否定する方向に働く特段の証拠は見出せないというべきである。<br> '''3''' 以上のような諸般の情況事実を総合して、原判決は、被告人を本件犯行の犯人と認定するに十分であって、そのように認定するにつき合理的な疑いはないとしているが、その認定、判断は正当というべきである(なお、後記のとおり、拐取の犯行時刻は、同種車両の目撃状況から午前8時30分過ぎころと、殺害の時刻は、それぞれの食事終了の時間からすると午前9時30分ころまでの間と認定するのが相当であるが、もとよりその点の差異は判決に影響を及ぼすものとはいえない。)。<br> ===第2 主要な争点に関する所論について===  以下、主要な争点に関する所論にかんがみ、説明を補足し、その中で、当審の見解をも付加、補足し、被告人が犯人と認められる情況を更に明らかにすることとする。<br> ====一 犯罪の外形的事実及び死後経過時間について====  原判決が補足説明一で事案の概要として認定しているところは関係証拠に照らしおおむね正当として是認することができる。<br>  これを要約すると、次のとおりである。被害者A田A子及び同B山B子は本件当日である平成4年2月20日当時いずれも7歳で潤野小学校1年生であったが、A田は同日午前7時40分ころ出かけ、同級生のK山K子とともにB山を呼びに行き、3人で定められた通学路を通って登校し始めたが、ぐずぐずしていて遅れているのを数人の者に目撃され、同日午前8時30分ころ、原判示のE村方前の三叉路付近を行きつ戻りつしているのを農協職員D山D子により目撃されたのを最後に消息を絶った。翌日午後0時10分ころになって、拐取現場から28ないし36キロメートル(車で約35ないし約53分ほど)離れた、甘木市と嘉穂町とを通称八丁峠を超えて結ぶ国道322号線の甘木市野鳥側に位置する第5カーブ付近の斜面下に遺棄されているのを通行人が発見し、警察に通報した結果被害者両名の死体であることが判明した。死体解剖の結果、死因はいずれも扼頸による窒息死であり、A田は鼻血を出し、両名のパンツには相当多量の尿が付着し、処女膜に裂傷が、膣前壁に出血があり、血液が周囲に付着していること、B山は、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していて、周囲に血液が付着していること、死斑の出現状態は被害者両名とも同様であり、解剖開始時の午後10時ないし10時30分現在で死後おおむね1日ないし1日半程度が経過していることが判明した。翌22日になって遺棄現場より八丁峠の方に約3キロメートル上った第17カーブ付近の道路下斜面に被害者両名のランドセルなどの所持品及び下着、靴下のほかA田のキュロットスカートが捨てられているのが発見された。両名の胃内容物は朝食の際に摂取した物が残留しているとして特に矛盾がなく、鑑定の結果をも踏まえて、A田につき食後おおむね1、2時間後に殺害されたものと認められ、B山についても、その胃内容物の消化状況及び死斑や死後硬直の状態などでA田と差異がないことなどから、A田とほぼ同時刻に殺害されたものと認められる。<br>  所論は、A田が殺害されたのは、胃内に野菜片が含まれていることから、朝食後更に野菜片を含む食物を摂取した後に殺害されたと認めるべきであるから、殺害時刻はかなり遅くなるはずであり、その内容物は、朝食のそれであるとともに、行方不明となった後に摂取された野菜片を含んだ食物が加わったものと考えられるとする趣旨の主張をする。しかし、原判示のとおり、関係証拠によれば、野菜片は前夜食べた焼きそばに含まれる物が消化されないで残ったものとして矛盾がないこと、せき止めのシロップと思われるものが検出されていること、後に野菜片が含まれる食物を摂取しているとすれば、朝食べた物は消化が更に進んでいなければならず、結局後に食べた物が残存していることになるのであって、所論のいうような朝食の消化状態(摂取後1、2時間後)とは異なる状態にならざるを得なくなることからすれば、所論のようにいえないことが明らかである。<br>  次に、所論は、B山の胃内容からは、死亡時期を明らかにすることはできず、また、A田が先に殺害され、相当後にB山が殺害されたとしても不自然ではないから、B山の死亡時間に関する原判決の認定も誤りであると主張する。しかし、B山が朝食に摂取したイチゴとミルク入りカステラロールの消化状況、とりわけカステラ部分の消化が早く進むこと、胆汁が胆のう内に滞留している状態にあったこと(胃を通過した食物が十二指腸に至ると胆汁が排出されることから、胆汁が胆のう内に滞留していることは、食物がいまだ胃内にとどまっていたことを示していることになり、食事後それほど経過していないことになる。)からすれば、その状況が食事後1、2時間として矛盾がないばかりか、死斑の発生状況や死後硬直状況などがA田と変わりないものと認められること、両名がパンツを着用したまま失禁している状態から、先に殺害行為がされ、その後にいたずらがされていて、いたずらの順序は原判示のとおり先にB山に、後にA田にされていること(被害者両名の膣内部及び膣周辺部の血液反応等から明らかである。この点は後に触れる。)からしても、ほぼ同じ時間ころに殺害されたことを認定するに十分である。そして、A田の食事を終える時間や胃内容物の消化状況などを総合すると、被害者両名の殺害は誘拐されてから午前9時30分前後ころまでの間に行われたものと認めるのが相当である。<br> ====二 T田証言の信用性について====  T田の証言要旨は、原判示のとおりであり、同証言の重要性にかんがみ当審においても弁護人の請求により再度尋問をしたが、その内容に特に異なる点は認められず、原審において供述経過の証拠として取り調べられている供述調書に照らしても、その内容に実質的な変遷はないことが認められる。その証言内容はおおむね次のとおりである。<br>  すなわち、T田は、甘木市森林組合の職員として甘木市内の同事務所に勤務し、本件当日である2月20日は、国道322号線の八丁峠の手前を東に入った大休の山林の状況の検査、写真撮影に赴き、その仕事を終えて午前11時ころ出発し、カーブの多い山道の上記国道に出てしばらく進んだところの左カーブ(第17カーブより約50メートル下方)の向かって右側の路肩に、一台の車が停止しているのを前方約60メートルの地点に発見した。厳冬期であり車の通行が稀である上に、通常はそのような場所に停止する車両はないことから、不審に思ってその車両を見ると、紺色のワンボックスカーであり、後輪が小さくダブルタイヤになっていて、古い型のものであり、車輪のところに黒ずんだ輪のようなものが見えた。助手席の傍らに男が立っていて、カッターシャツにチョッキの軽装であり、目が合うのを避けるようにし、つまずいて前のめりに手をつくような状態になったが、その際前頭部付近がはげたようになっているのが見えた。今ごろ何だろうと思いながら通過し、振り返ると、リアウィンドーやサイドウィンドーは暗く、中が見えない状態であったから後部の窓にはフィルムが張られているように見えた。つんのめった男は、車の左側後部座席付近に道路に背を向けるようにして立っていた。不審に思いながら事務所に戻ったが、戻る途中、山道では他の車両に遭わなかった。翌日夕方、事務所で勤務中に、2人の女児の死体が八丁峠に通ずる国道の下の方で発見されたとの報道を聞いて、昨日のことを思い出し、紺色のワンボックスカーやその傍らの男のことを同僚のJに話したが、その際は死体の発見場所が違っていることから事件とは関係ないものということになり、翌日にも再び話題になったが、やはり関係がないだろうということになり警察等に知らせることなくそのままにしていた。3月2日になって、警察官の聞き込みを受けその話をしたところ、その場所に案内するように言われ、3月4日警察官とともに車でその場所に行った。最初にこの場所ではないかと分かったが、間違えているかもしれないので、2、3回行きつ戻りつし、雑木林の様子やカーブ、ガードレールの状態、手前の右側には小高い場所があったことなどからその場所に間違いないものと判断し、その場所を指示した。その指示をするまでに、ランドセルなどの遺留品発見現場がその場所であることは警察官らからも一切聞かされておらず、その指示をした後になって初めてそのことを聞いた。おおむね以上のとおりである。<br>  そうすると、T田が、本件当日の2月20日午前11時10分ころ、原判示の場所で、紺色ワンボックスカーで後輪がダブルタイヤで、窓にフィルムが貼ってあり中が見えないようになっている古い型の車両が駐車しており、かつ、頭部にはげた部位があり冬季にしては軽装の男がその傍らにいたのを見かけたことは、間違いないものと認められる。しかも、T田は、その後押収された車両を空港の警察航空隊で実際に見ているが、同一の型であることを確認していて、実際に見た物と押収されている被告人車との間に違いのないことを供述しているが、この点についての信用性に疑いを抱かせるような状況も見出せない。<br>  所論は、T田証言は瞬時の目撃証言としては詳細に過ぎ、その内容には、体験していない情報に基づく部分が相当多く含まれているとしてその信用性を争うが、当審における同証人の再尋問を含む事実取調べの結果を検討しても、原判決が同証言にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられない。すなわち、(1)同証人は、森林組合に勤務し、目撃現場付近の山中については、季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であるが、本件犯行時の冬季に遺留品発見現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しく、しかも、その通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していた車両に不審の念を抱き、運転しながらも強い関心と注意をもって車の状態を目撃したこと、(2)日ごろから雑誌等で車の仕様についても関心を抱いていて大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについての観察も詳細となり、これを記憶にとどめることができたこと、 (3)そばに立っていた者がつんのめるように手をついて倒れ、目が合うのを避けるようにしていたので不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、(4)翌日夕方、死体発見をラジオ報道で知り、同僚のJらにその際の様子を話したが、不審車両を目撃したのは死体発見現場より上方であったことから、関係はないだろうということになり、その翌日に再び話題になった際も同様であったが、それにより当時の状況を思い返し記憶を新たにしていることなどの事情が認められるのであって、これらの事情に照らすと、証言に現れた程度の内容を観察し記憶にとどめ続けることは十分可能であると認められる。年齢、着衣の色、背の高さなど比較的一般的な事項についての記憶には正確性が欠けることが考えられるが、通常とは異なる特殊な事象については、そのようにいえないこともよく経験するところである。また、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、被告人を目撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、目撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田が記憶に従い誇張もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。特に、目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、証人の車に対する日ごろからのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられ、その時点では、本件の犯行に使用された車両がいかなるものかは捜査機関自体においても全く把握していなかったと認められるのであって、捜査機関は、T田のそのような供述により、初めて犯行車両がT田の目撃したものである疑いを強め、それにより犯人車両につき紺色のマツダボンゴ車である可能性があるとして絞りをかけることが可能になったものというべきであり(なお、当時の新聞には犯人車は白色の乗用車ではないかとする記事が掲載されている。)、K1警察官がT田の聞き込みに赴いた経緯として供述するところも自然に理解できるものである。捜査機関が犯人の可能性のある人物の一人として被告人を把握していたとしても、この段階では、T田に何らかの示唆、暗示を与え、その供述内容を左右してまで、犯人像を被告人と一致させる必要があったとの事情はうかがわれない。原判決は、この点につき抑制的かつ慎重に判断を示しているのであって、その結論は、大筋において是認することができる。<br>  以上の認定、判断は、当審において取り調べたT田証人の再尋問の結果や、目撃実験の結果を記載した鑑定書(嚴島鑑定)及びその作成者である当審証人嚴島行雄の証言を検討しても左右されない。なお、嚴島鑑定は、厳冬期とは異なり車の往来の激しい4月の桜開花時に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とはそもそも全く条件が異なること、目撃された車両がダブルタイヤを装着した車両で前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車輪の奥にもう1個の同じ大きさの車輪を重ね合わせるなどしていてタイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていることなどからすれば、その結果は到底採用できないものといわなければならない。特に、実験時には対向してきてすれ違う通行車両が平均して約30秒に1台の割合で存在したことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることなどを考えると、観察及び記憶の条件、状況は、T田のそれとは明らかに異なるものといわざるを得ない。<br>  目撃時間及び目撃場所の正確性について見るに、目撃時間については、当日の森林組合の業務の過程で目撃しており、業務日誌のグリーンダイヤリーの裏付けもあること、場所については、約12日後に警察官とともに現地を走行し、行ったり来たりしながら場所の特定をしており、その間に警察官から示唆を受けたりした形跡はないこと、森林組合職員として山道や山道での運転に慣れており、その場所的な判断には通常人よりも高い信用性を認めることができるといえることなどに照らし、正確性を認めることができる。その場所は、まさにランドセルなどの遺留品が発見された斜面の上の道路であって、本件犯行とそれに用いられた自動車や犯人の特定に結びつくものといえる。行ったり来たりしながら場所の特定をした経緯については、その証言内容からしても、特定に至る心理過程を十分確認、了解できるものとなっているのであって、所論のいうように信用性に乏しいものとは考えられない。<br>  所論は、T田証言には警察官の誘導が相当程度入っているのではないかという疑問を呈するが、犯人の年齢等についての供述内容が被告人の実際の年齢等と異なること、面通しでも被告人を犯人と特定できていないこと、K1証言によれば、最初森林組合に聞き込みに行ったK1警察官は、現場付近である大休の作業現場の作業員からT田のことを聞いて、森林組合事務所にT田を訪ねたところ、T田が紺色のボンゴ車と不審な行動をした男を見ていることを初めて知ったことが明らかであること、また、J証言によれば、T田の供述内容は、既に事件の翌日にJらが聞いていたものと同じであることが明らかであることなどの事情にかんがみると、T田の証言のうち少なくとも当初の供述調書に現れている部分が、警察官の誘導により得られたものであることはうかがわれない。頭部にはげた部分があったという点も、手をついて倒れた際に自然に目に入ったもので、特異な出来事として記憶しているものといえるから、信用性を認めることができる。<br>  そして、前記のとおりの死亡推定時刻に照らすと、犯人は、国道322号線の通称八丁峠第5カーブで、午前11時ころ、被害者両名の死体を見とがめられないように急いで遺棄した後に、被害者らの所持品を捨てているとその間に見とがめられる危険が大きいと考えて、その場から去り峠の方に進んでからランドセルなどの所持品を捨てたが、その際に、かえって運悪くT田に目撃されたという蓋然性が高いというべきである。そして、原判示のとおり、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田の目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田証人が、他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できるというべきである。<br> ====三 拐取現場付近の目撃証言(W田証言、X田証言)の信用性について====  これらの者は、誘拐現場付近でその時刻ころ犯人車に類似した車両を目撃した証人であるところ、両名は、少なくとも、小学校の方向に走り去った車両が紺色系統ないし黒っぽい色のワンボックスカーであること、W田は、さらに、これがダブルタイヤ仕様のものであることや、フィルムが貼ってあって中がよく見えない状態になっていたことを供述している。なお、W田の現認位置からすれば、W田からは車両の窓の状況がよく見えること、犯人車がガードレールの終端よりも先まで進行すれば、同車のダブルタイヤ装着状況も良好に現認できることが認められる。<br>  W田及びX田が拐取現場付近で目撃した車両に関する供述内容については、十分な信用性が認められるというべきである。確かに、両名は本件被害発生後間もなくの時点で、当日の状況について警察官から尋ねられており、当初は、被害者両名を見かけたかどうかを聞かれて見かけなかった旨答えていたが、数か月後になって、通りかかった車両について聞かれたことから、紺色のボンゴ車が走りすぎるのを見た状況を克明に供述するに至ったものであることは、所論の指摘するとおりである。しかし、見かけた車についての供述時期がそのように遅れたことについては、それなりに了解可能な理由が見出されるのであって、直ちに、所論のいうようにそれが警察官の誘導によるものとの疑いがあるともいえない。殊に、両名は、被害者らが失踪したころ、その近辺に居合わせた者として事情を聞かれており、目撃者自身が疑いの目で見られかねない状況もなかったとはいえず、それだけに、その事件との関係を念頭にその場所における体験を繰り返し想起していることが考えられるから、それが、記憶を保持させる重要な要因となっているといえる。そして、いずれの供述者も、当日の業務の経過の中で生じたこととして、その状況を記憶しているばかりか、特にX田は、目撃したその車両に接触されそうになったという強い心理的緊張、強烈な体験を伴った記憶として、その車両についての具体的な記憶を保持していることが認められる。また、W田は、車のことについての知識が特に豊富であって、車両の特徴などからその車種を識別することには人一倍たけていることが認められ、しかも、X田から、「今、ひかれそうになった。」と訴えられてその車両が疾走していくのを30メートル程度前方に見たというのであるから、大まかな特徴を記憶にとどめているのは決して不自然ではない。ただ、警察官により車について聴取されるまでに相当の期間が経過していたばかりか、その後協力しようとして考えるうちに、細部についてはあいまいな記憶にとどまるのに細部まで明らかになってきたかのような錯覚を生じている疑いがないとはいえず、当審で供述経過を立証する趣旨で取り調べた捜査段階の供述調書に照らしても、カーテンなどの細部についての公判供述にまで高度の信用性を認めることにはちゅうちょせざるを得ないが、その供述態度や供述内容に照らし、少なくとも車種の特定に至る程度の供述内容の限度では信用性を認めるに十分である。 <br>  しかも、W田が供述する目撃時刻についても、業務の過程における事情をもとに特定している上、交通の妨げとならないようにX田運転車両を移動させる必要があったこととも結びついた記憶として、それぞれの時間の特定がかなり明確にできる状況にあったものと認められるから、正確性が高いというべきであり、また、被害者両名の目撃状況に関するD山を始め農協職員、学校関係者らの供述内容の信用性に疑問はなく、これらを併せると、被害者が午前8時30分かその直後ころ、E村方前三叉路付近でW田らの目撃車両により誘拐された蓋然性が高いというべきである。なお、D山証言の信用性については原判決説示のとおりである。<br> ====四 繊維鑑定について====  被害者両名の着衣に座席シートの繊維が付着しており、それがマツダウェストコーストのそれと符合していることについては、おおむね原判決が詳細に認定しているとおりである。B山は、スカートやトレーナーの新品を当日の朝包装されていた袋から取出して初めて着用していたこと、A田もよく洗濯されたものを着用していること、両名は徒歩で登校中のところを拐取され、その後数時間のうちに殺害、遺棄されていることからして、これらの衣類に付着した繊維には犯人車両の座席シートに由来するものが多いと推定されるところ、関係証拠によれば、付着繊維には、マツダウェストコーストの座席の模様を構成する繊維の色である焦げ茶、黄茶、だいだい、薄黄茶の各色繊維が多数付着していることが認められ、しかも、各色の付着繊維の数もそれぞれの色の座席に占める色の広さの順に存在していることが認められるのであって、これだけでも特異な事実というべきである。のみならず、その付着繊維は、マツダウェストコーストの座席の原糸である東レの製造に係るナイロン6のステープル糸と一致し(つや消し剤として加えられている二酸化チタンの含有量などについても、矛盾のない結果が得られている。)、しかも、この原糸の染色に使用された4種の染料のうち、2種の染料(イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRL)に関する詳細な含有分析結果が、焦げ茶色と黄茶色の繊維につきおおよその配合比も含めて相互に一致し、黄茶色の繊維については染色等の過程で使用されたものと推定される物質の存在を示すラマンバンド1120カイザー付近の特異点が(原判決は、焦げ茶色のものにもこれが認められるとしているが、この点は正しくない。)が検出されていること、そのうちの1本の付着繊維は、前記B山の新調のスカートから発見されていることなど、付着繊維がマツダウェストコーストの座席シートに符合する結果が出ていることが認められ、これらの点については原判決が詳細に認定しているとおりである。そして、座席シートについては、自動車メーカーで独自にデザインし、これに基づき織布を作る会社(本件では住江株式会社)が染色会社(本件では茶久染色株式会社)に染色の注文を出し、その色の調整は染色会社が独自の方法でその都度、染料の選択、配合比、添加物などを決めて行うもので、これらの点については性質上個別性、独自性が高いものであること、そもそも、座席のデザイン色調などはその都度車種ごとに検討し、配合比率などを適宜、独自に定めているのであって、それぞれの染料の選択、配合比等には個性が顕著に認められることを考慮に入れると、マツダウェストコーストの座席シートの繊維と着衣付着の繊維とは極めて類似しほぼ一致するものと認めることができる。原判決が、他のメーカーが製造した自動車や被告人車とは製造時期を異にし、異なる織布を座席シートに用いたマツダウェストコースト車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6であり、イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRLという特定の染料が同じ配合比で使用されている可能性はほとんどないとはいえても全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、それだけでは付着繊維がマツダスウェストコーストに由来するものとは断定できない旨を判示しているのも、その趣旨のものにほかならない。しかし、付着繊維に関する鑑定等の結果は、T田、W田、X田の各目撃供述を補強するものであり、目撃された車両がマツダボンゴ車と認められることと併せると、本件の犯人車がマツダボンゴ車以外の車種であるとの現実的な可能性は認め難く、しかも、座席シートやこれに用いられている繊維の特徴からすると、犯人車はマツダボンゴ車の中でも最も上のグレードであるウエストコースト車に属するものであり、関係証拠を総合すると昭和57年から約1年半の間に製造されたものと認めるに十分である。以上と異なる所論は関係証拠に照らし採用できない。<br>  以上の事実のほか、関係証拠により認められる原判決の補足説明「一 事案の概要」の項に掲げる事実を総合すれば、犯人が、原判示の犯罪事実のとおり被害者両名を誘拐し、殺害しその死体を遺棄した事実を優に認定することができる。以下、犯人が被告人であるとする原判決の認定の当否について検討する。<br> ====五 被告人の車両保有事実並びに当日の行動及びアリバイについて====  被告人は、マツダボンゴ車の最上級車であるマツダウェストコーストを保有していたところ、犯行現場の近辺ないし飯塚市内及びその付近でこれを保有する者は十数台と極めて限られていることが関係証拠により明らかである。したがって、被告人は、その保有者の1人として犯人としての嫌疑が及ぶことは避けられない(なお、当日運行に供されていたと認められるマツダウェストコーストの保有者ないし判明している運転者の血液型、DNA型(MCT118型)で、犯人のそれと一致する者は被告人のみと認められるところ、この点は、もとより被告人が犯人であることを認めるべき証拠とはならないが、被告人の犯人性を高める方向には働くものということができる。)。<br>  のみならず、被告人は、本件当時、毎朝出勤する妻を勤務先の消防署まで送り届けて帰宅することを続けていたが、被告人及びその妻の供述によると、そのコースはほとんど本件拐取現場付近のE村方前三叉路を経由するものであったことが認められる。その時間についても、通常午前8時過ぎころ自宅を出て、午前8時15分ころ消防署に到着し、すぐ折り返して午前8時30分ころ帰宅するというものであり、通常は復路E村方前の三叉路を通過する時刻がおおむね午前8時28分ころであったことが関係証拠により認められる。したがって、本件当日被告人がその経路を通っているとすれば、その時刻ころ犯行現場付近を通過することになるものと認められる。犯行時刻は午前8時30分かその直後であると認められるから、被告人が犯人とすればいつもよりやや遅れて通過することになるが、同種同型の車がその前に通過したことをうかがわせる状況はD山、W田らの供述を検討する限り見出せないし、被告人が現場付近を通常通過する時刻に通過していたとすれば、被害児童2名を見かけているはずであると考えられる。他方、犯人であるとすれば、遅刻する被害児童の姿を見てしばらくためらうなどしていたことも考えられるから、多少の遅れはむしろ自然に理解することができる。<br>  ところで、被告人は、当日の朝の行動について、妻を送り届けた後は、そのまま母親の家に行っており、引き続きパチンコ店でパチンコをしていたのであって、犯行時間帯に現場付近を通行した事実はなく、もとより被害児童の姿も見ていないとして、アリバイの主張をしている。<br>  しかし、関係証拠によると、本件については、被告人は、遅くとも翌日の朝には、町内放送で捜索への参加を呼びかける知らせを聞き、知っていたのであり、また、現場付近では当然ながら同じ時間帯に検問等の態勢がとられるなど本件発生に伴った動きが生じていたものと認められ、遅くとも、翌日には、まさに被告人の通行する場所でその通行する時間帯に誘拐事件が発生していることを知ったことが認められるから、前日の自分の行動がどうであったか否応なく思い返さざるを得ない心理状態にあったものと認めざるを得ない。仮に、その時点で本件発生の詳細な状況までは知らなかったとしても、数日後警察官からの聞き込みを受けた時点では、本件の内容を詳しく知ったことが明らかであるから、この点は同様に解される。また、被告人の居住区域では以前にも女児の行方不明事件(昭和63年12月愛子ちゃん事件)が発生し、被告人は町内会長としてその捜査に協力しているが、最後の目撃者として自分自身も強く疑われかねない事情もあったことがうかがわれるから、被告人としては、本件の発生に無頓着でいられるはずはなく、本件の発生状況を知った際、直ちに犯行時刻ころの自分の行動につき確かめ、その主張するようなアリバイに当たる事実があれば、これで自分は疑われなくて済む、という安堵を伴う強烈な印象をもってその事実を再確認し、脳裏に焼き付けることになったはずであり、当日朝現場付近を通行していたならば、その際の状況、経路等につき想起してその後の行動を含めて明確かつ事細かに記憶にとどめたはずであって、その後も折に触れ反すうし、詳細な記憶となるというのが、被告人の心理状態に合致するものといえる。<br>  これに対し、被告人は、その後いろいろと思い返しているうちに、母親の自宅に米を持って行っており、アリバイがあることに気付いた、と供述しているのであるから、その想起の過程について供述するところは不自然というほかはないものである。妻を勤務先に送り届けた後、母親宅に米を届けるまでの間に一旦帰宅したのか否かという点に関し、供述に変遷も見られるし、被告人は、捜査段階において、当初は、事件の前日に米を購入した事実を根拠にその翌日である事件当日には母親のもとに米を届けた旨のアリバイを主張していたことがうかがわれるが、事件前日には米を購入した事実が認められないことを指摘されて、これを撤回し、毎月このころ米を届けており、妻子を通院先に送り届けた日などを根拠にして判断した結果、事件当日に母親のもとに米を届けていることに変わりはない旨アリバイ主張の根拠を変更しているのも不自然である。以上によれば、アリバイの主張は信用できないものといわざるを得ない。したがって、被告人は当日の行動につき十分な記憶を有しているにもかかわらず、信用できないアリバイ主張をしていることになる。<br>  そうすると、被告人は本件当日も通常の経路で本件誘拐現場付近を通行していた蓋然性が極めて高く、したがって、X田及びW田に目撃されたマツダボンゴ車は、被告人車である蓋然性が極めて高いというべきである。<br> ====六 被害者から発見された犯人の血液成分に関する鑑定について(石山鑑定を含む)==== '''1''' B山の膣から流出し木の枝に付着したと認められる血痕、B山の膣周辺付着物及び膣内容物、A田の膣周辺付着物及び膣内容物の検査、鑑定結果によれば、A田、B山由来の血液型、DNA型以外の犯人に由来するものと考えられる血液型はB型であり、DNA型はMCT118型につき16-26型(123塩基ラダーマーカーによる判定)であり、被告人のそれと同型であることが認められる。<br> '''2''' まず、血液型についての科警研の検査結果が正当であることについては、疑問の余地がない。所論は、犯人はAB型の可能性があるというが、クロロホルムメタノール法により血液成分のみをほぼ純粋に取り出して行った検査結果では、B山膣周辺付着物及びB山膣内容物についての検査結果から明らかなように、B山の血液型であるA型より被害者に由来しない血液型成分であるB型の方が強く出ていることが認められ、A田の膣周辺付着物、A田の膣内容物についての検査結果から、A田の血液型であるO型と被害者に由来しないB型が同程度出ているのに、B山の血液型であるA型がわずかしか出ていないことが認められる。しかし、犯人の血液型がAB型であったとすれば、A型とB型の反応が同程度に出るはずであり、上記いずれの検査結果とも合致しない。したがって、被害者らに由来しない血液型、すなわち、犯人のものと思料される血液型はB型であることが明らかである。<br> '''3''' 次に、MCT118型のDNA鑑定結果が一定の条件の下で証拠能力を有することについては最高裁判所の判例(平成12年7月17日第二小法廷決定・刑集54巻6号550頁)のとおりであり、本件で問題となっている他のDNA型識別方法についても同様に解されるところ、本件の各鑑定結果については、いずれもその要件を充たしているものと認められる。<br>  まず、犯人のDNA型のうち、MCT118型については、科警研による検査結果が123塩基ラダーマーカーを用いた当時の基準により16-26型と判別していることの信用性は十分であり、その理由は原判決が判示しているとおりである。すなわち、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合では、18-30型に対応するとされているが、18-29型、18-31型に対応する場合もあり得るとされているようであり、当時の方法によれば、それが16-26型として表示されることになる原因も一応明らかにされている(分子量に従った泳動がゲルの性質等によりある程度阻害される(遅くなる)ことによる現象として理解されている。)。したがって、当時の方法ではアレリックラダーマーカーによれば更に細分化されて型判別されるものを近似的にまとめて表示している可能性も否定できないが、仮にそうであったとしても、絞り込みの際の識別方法としては十分意味のあるものであって、この点については疑問の余地はない。したがって、123塩基ラダーマーカーを用いて判別したその型が16-26型であることは犯人特定の情況証拠として重要な意味を持つことに変わりはない。<br> '''4''' 所論は、本件で採用された科警研の123塩基ラダーマーカーによるMCT118型検査法による型判定は、MCT118型検査の原理である塩基列の繰り返しを正確に反映しないものであって、単に移動度という現象を示すものであり、原理的な裏付けのないいわば幻の型を型として判定しているにすぎず、隣の型との識別も正しく行われないものとなっているという趣旨に解される主張をしている。確かに、123塩基ラダーマーカーを使用しポリアクリルアミドゲル中を泳動させた場合には、塩基列の実際の繰り返し数よりも少ない数値しか得られないことが判明しているのであって、その繰り返し回数を正確に示すアレリックラダーマーカーによる方が検査方法として優れていることは所論の指摘するとおりと認められる。しかし、塩基列の繰り返し数が同じであれば、同一条件の下でほぼ同一の泳動状態を現出するということが判明しており、123塩基ラダーマーカーを用いた科警研の型判定はそれを識別の基準としていること、そして、その識別により同一性の判断が可能であること、現象を見ているにすぎない以上一つ違いのものとの識別に困難を生ずる場合があることは否定できないが、識別が明確にできているものについては、その現象自体が、ある特定の塩基列の繰り返し回数に正確に対応しているといえるのであって、識別方法としての意味が十分にあるものということができる。原理どおりの繰り返し回数がなぜ正確に反映されず、少なく出るかについても前述のように一応の原因が挙げられているが、その解明が十分とはいえないからといって、検査結果の正確性が減少する場合があるとはいえ、識別方法として科学的な根拠を欠くということになるものではないし、それが一致することをもって確率的な絞り込みの資料とすることを妨げるものではない。留意すべきは、それをもって塩基列の繰り返し回数を忠実に反映したものと考えないことであり、本件でいえば、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合には、18-30型ばかりではなく、18-29型、18-31型に判別される可能性もある(なお、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16型がアレリックラダーマーカーを用いて判別された18型のみに対応することは本件で提出されている文献等からも明らかである。)ことを念頭に置き、出現率を考える必要があるということがいえるにすぎない。その証明力は、将来はともかく現状では、123塩基ラダーマーカーによる判定もアレリックラダーマーカーによる判定も(アレリックラダーマーカーを用いて同じ型と判定されたものでも、塩基組成には違いの見られる場合がある。)、あくまでも類型的なDNAの型判定にすぎず、科学の進歩により将来は更に細分化され、指紋に近い精度になることも考えられるが、現時点では到底そのような高い精度のものではなく、同一とされていても詳しく見ていけば別のものであるという場合もあり得ることは当然であり、したがって、血液型判定と原理的には変わらないシステムであることは改めていうまでもない。しかしながら、そのような前提のもとで検討しても、被害者両名及び遺棄現場の木の枝付着資料から発見された血痕等に含まれ、123塩基ラダーマーカーを用いて16型と判別されるDNAの塩基数の現象上の計測値(デンシトグラムによる。)は398.2から401.1の範囲に入っており、同じく26型とされるものの計測値は561.6から565.7の範囲に入っているのに対し、被告人のそれの現象上の計測値は、16型とされるものについては399.2と400.0、26型とされるものについては563.7と564.9であり、資料(犯人)の数値と被告人の数値との差は最大でも3.3にとどまる(なお、資料の16型の平均値は399.7、26型の平均値は564.0であり、被告人のそれは399.6と564.3であるから、平均値ではほとんど変わらず、その差は0.3以内にすぎない。)ところ、繰り返し回数が1回異なれば原理上はプラスマイナス16、現象としてはそれよりやや低いプラスマイナス13ないし15程度の数値の差が生ずることになることから判断すれば、両者のMCT118型についての型(塩基列の繰り返し回数。すなわち、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別される型)が同一であることは、測定誤差を考慮しても明白であるといわなければならない。したがって、アレリックラダーマーカーを使用して型判定を行っていたとしても等しい結果が出ていたと認められる。<br>  そうしてみると、被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型かのいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し回数を基準とするDNA型としては同一であるということができる。<br>  なお、123塩基ラダーマーカーを用いた場合の16-26型の出現率は、原審弁13号証によると、0.1572(16型の出現率)×0.1052(26型の出現率)×2=0.033程度で、約30人に1人、これにB型の出現率0.22を乗ずると、約0.0073となり約130人に1人の出現率になる。次に、アレリックラダーマーカーを用いて判別したMCT118型の出現頻度の方が123塩基ラダーマーカーを用いたそれよりも検査資料数が多く、出現頻度としての信頼性が高いと思料されるので、123塩基ラダーマーカーを用いて判別した16-26型について、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別されたであろう型に置き換えて、その出現率の算定を試みることにする。なお、前記のとおり、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型、18-30型、もしくは18-31型かのいずれかの型を示すから、出現頻度の算出に当たっては、これら3つの型のうち、弁13号証によれば、最も出現頻度の高いと認められる18-30型について検討することで足りる。そうすると、上記18-30型の出現率は、0.1447(18型の出現率)×0.1484(30型の出現率)×2=0.043であり、約23人に1人となり、これに、前記0.22を乗ずると約100人余りに1人となるのであって、123塩基ラダーマーカーを用いて型判別をした場合の出現率とさほど変わりはない数値になる。いずれにしても、被害者から発見された血液成分に関する上記のような鑑定の結果に、犯行に使用された同種の車両を保有する近隣の者という絞り込みと併せると、これだけでも被告人が犯人である蓋然性は極めて高いといわざるを得ない。しかも、近隣の者で、同様に同種車両を保有する者につき、血液型、DNA型を調査したが該当者はなかった、という捜査結果には保有者の家族や偶然の使用者は含まれていないことを考慮しても、その捜査結果による絞り込みも更に加わることは否定できないから、その蓋然性は更に補強されるものといわなければならない。<br> '''5''' 次に、犯人のDNA型のうちHLADQα型についての科警研の鑑定結果(1.3-3型)を採用しなかった原判決の結論も正当である。すなわち、犯人のそれが1.3-3型(被告人のそれもこれと同じである。)である可能性があるとはいえ、(1)HLADQα型の特定には、本件当時においてはMCT118型の検出に必要とされるものよりも相当多くのDNA量が必要とされていたことが認められること、(2)資料中には被害者の血液成分よりも犯人の血液成分の方がより多く含まれていたとしても、血液成分以外については、犯人よりも被害者のものが多量に含まれており、型判別に用いられるDNAの総量としては、犯人のものよりも被害者のものの方が優勢である場合も当然に予想されること(すなわち、血液型検査で強く反応を示すのは赤血球であるが、赤血球は核を持たず、したがってDNAも持たないから、資料中の赤血球数の多少はDNA型の判別に際して得られる反応の強弱に影響せず、血液成分中では白血球細胞の核内にあるDNAのみが型判別に用いられることになる。ところで、本件で鑑定に用いられた血痕などのように、血液成分のみならず、膣液などの体液をも含んでいると思料される混合資料の場合には、その体液に混入している一般細胞等の核内にあるDNAも型判定に用いられることになるのであるから、当該資料中の血液成分については犯人のものの方が被害者のものよりも相対的に多く含まれ、その結果犯人の血液型が被害者の血液型よりも強く検出される場合であっても、DNA総量としては、被害者のものの方が犯人のものよりも多く含まれる場合のあることは十分考えられるのである。)、(3)当時の検査キットでは、1.1型に対する感度よりも1.3型に対する感度の方が鈍く、そのためにA田の膣周辺付着物及び膣内容物からは1.3型の検出ができなかった可能性があること(u証言)などを総合して考察すると、犯人のHLADQα型がB山の膣周辺付着物、膣内容物から検出されているといえるかどうかについては、v証言にもかかわらず、なお、疑問が残るというべきである。ただ、この結果は、犯人の型が1.3-3型としても矛盾しないという意味を有するものと理解するのが相当である。<br>  所論は、犯人は1.3型を持たない者ではないかという合理的な疑いを否定できないと主張する。確かに、MCT118型では、A田の膣周辺付着物からは犯人とA田のDNA型がほぼ同様の強さで検出されているように見えるが、膣内容物の方からは犯人のそれはやっと検出されるという状態にあることが認められるところからすると、HLADQα型について、A田の膣周辺付着物や膣内容物からは、A田の型である1.1型のみが検出され、被告人の型である1.3型が検出されていないからといって、直ちに被告人が犯人でないとの疑いを生じさせるものとはいえないばかりか、1.3型が検出されないことについては、上記(3)のように、改良前の当時の検査キットでは、1.3型に対する感度が低く、発色しにくかったためにA田の膣周辺付着物からも検出されなかったものと理解することもできるし、他にもいろいろな原因のあり得るところと考えられる。なお、犯人のHLADQα型がA田と同じものではないかとの疑いは、クロロホルムメタノール法による血液型の検査結果からも明らかなように、犯人の血液は、A田のものよりもB山のものの方に多量に含まれているのに、B山のものから1.1型が検出されていないことや、前記のように1.3型の方が1.1型よりもHLADQα型の検査キットの感度が鈍かったとされていることなどからすれば、これを否定することができるというべきである。いずれにしても、HLADQα型が検出できるだけの犯人由来のDNA量が得られなかったために、これが検出ができなかったにすぎないことが考えられるのであって、所論のように犯人が1.3-3型を持たない者であるとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないから、所論は採用できない。 <br> '''6''' 他方、石山鑑定において被告人のDNA型を発見できなかったとする結論が、犯人が被告人ではないとする合理的な疑いを生ずるものかどうかについて検討する。<br> '''(1) ''' まず、HLADQβ型の結果については、B山、A田に由来する者以外の者の型を検出しているものとは認め難く、石山鑑定に用いられた各資料は、科警研の鑑定後の残量であって鑑定に供しうる資料が微量であった上、相対的には被害者のDNAよりも犯人のそれが少ないために、各被害者本人の分(A田から採取されたものからはA田の、B山から採取されたものからはB山の分)のみが検出されている可能性があるものと認められる(HLADQα型についての科警研のA田の膣周辺付着物及び膣内容物の鑑定結果参照。これらのものからはB山のA型血液が検出されているのに、B山に由来する1.3-3型DNAは検出されていない。)。すなわち、犯人の分は、実際には資料中にそれが存在しているにもかかわらず、その量が少なく検出限度以下であるために、HLADQα型の場合と同様に検出不能であったことが十分に考えられるというべきである。なお、A田の膣周辺付着物からは、HLADQβ1座につき、B山及び被告人と同型のもの(0601、3022)が検出されているところ、これは、B山のみのものか、犯人とB山の両名のものが合わさったものかは必ずしも明らかではないというべきであるが、HLADQβ2座では被害者(被採取者)本人自身のもの(A田もB山も同型である。)しか検出されていない合理的な可能性があることと対比すると、β1座で被害者本人自身以外のものが検出されているのは、B山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなり泳動のバンドとして可視的なものになった可能性が考えられるから、それが原因ではないかと解される。すなわち、A田の膣周辺付着物及び膣内容物からは、MCT118型では犯人の型が検出されているのに対しB山の型は検出されていないこと、他方、HLADQα型では同じHLADQ座にあるDNA型でありながら犯人の型もB山の型も検出されていないことを対比して考えると、β1座では、前記のように、むしろB山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなって可視的になったものと見るのが相当と解される。そうすると、HLADQβ型の検出結果(被告人の型のうちの1.1型の不検出)をもって、被告人が犯人ではないとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないというべきである。<br> ''' (2) ''' また、ミトコンドリアDNAの型判定の結果についてみると、石山鑑定によれば、資料中に含まれるミトコンドリアDNAはB山タイプ、A田タイプのもの、すなわち、B山及びA田に由来するものがほとんどであり、被告人タイプのものは検出されているとはいえない、というのである。<br>  ところで、石山鑑定のミトコンドリアDNAに関する鑑定結果に現れた内容を検討すると、そのミトコンドリアDNA型はほとんどが被害者に由来するものであり、犯人に由来する可能性のあるものがわずかしか発見されていないと見ることができるものである。すなわち、検査の対象とされたもの(鑑定資料中のミトコンドリアDNAを増殖することで得られたクローン化されたDNA部分)のうち相当数のものについてはDNAの塩基配列(4種のアミノ酸A、C、G、Tの配列)が分析解明されているところ、それによると、人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した多数の事例の集積の中で変異が発見されていない部位(言い換えると、人のミトコンドリアDNA中の当該部位については同一の塩基の存在しかこれまでには確認されておらず、当該部位に存在する塩基の型には個体差が見られない部位)であるにもかかわらず、本件鑑定においては、通常とは異なる塩基の存在が確認されており、変異の生じているものが少なからず発見されているのであって、これは、石山鑑定人も供述しているように、大腸菌を用いたDNA増幅法(いわゆる間接法)による場合には変異が現れやすいとされていることから、本件鑑定でも同様の現象が生じたものと一応推定してよいと考えられる。したがって、人のミトコンドリアDNAであるならば通常は変異が見られないはずの部位に生じた変異については、間接法を用いた増幅の過程で生じた変異であり、鑑定資料に含まれる増幅前のミトコンドリアDNA中には存在しなかった塩基の変異であると推定してよいと考えられるから、これらの変異部分を除外して塩基配列を詳細に検討すると、ほとんどのDNA型(DNAの特定部位がクローン化されたそれ)がB山タイプないしA田タイプのものといえるのであって、この結論は石山証言からも明らかというべきである。<br>  ただ、MCT118型では犯人由来のDNA型が認められるのに、ミトコンドリアDNAについては、そもそも犯人に由来する可能性のあるDNA型の検出数が少なすぎるとの印象を受けるが、このような差異が生じるのは、細胞に含まれるミトコンドリアの数は細胞の種類によって相当な較差があるからではないかと考えられる。すなわち、DNAの型判定は細胞中に通常は1個しかない核内に存在するDNAを対象としているのに対し、ミトコンドリアDNAの型判定は細胞質中のミトコンドリア内に存在するDNAを対象としているもので、1個の細胞が細胞質内に保有するミトコンドリアの数は、細胞の種類や性質などによって大きく異なっていることから(文献では、多いものでは数千個に達するものもあるとされている。)、鑑定に供される資料中に含まれる細胞の種類やその種類ごとの細胞数に応じて、ミトコンドリアDNAの検出には差異が見られるのであり、例え同一の資料を用いたとしても、MCT118型のように核内に存在するDNAを対象とした型判定とミトコンドリアDNAの型判定との間で、その検出結果に差異を生じて少しも不自然ではないのである。そして、エネルギーを生み出す必要のある細胞、たとえば筋肉細胞などではミトコンドリアが多く存在することが知られていることからすると、膣液に混入している膣の細胞には、血液細胞(白血球の細胞)に比べてミトコンドリアが多く含まれているものと考えられるのであって、これを本件鑑定に当てはめて考察すると、鑑定資料とされた血痕中に含まれるもののうち、被害者に由来する細胞にはミトコンドリアが多く含まれていて、犯人に由来する細胞中のミトコンドリアの数と対比すると、前者が優勢になっていたと考える余地が多分にあり、被害者に由来するB山タイプ及びA田タイプのミトコンドリアDNAを持ったクローンが大多数を占め、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAを持ったクローンが極めてわずかしか形成、検出されていないのも首肯できるのであり、特に不自然、不合理とはいえないこととなる。そして、B山の膣周辺付着物からはB山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、B山の膣内容物からは、1個を除き、B山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、他方、A田の膣周辺付着物からは、A田タイプと認められるDNA型のほかB山タイプと認められるDNA型が多数発見されていることについても、B山に先にいたずらがされ、次いでA田にいたずらがされたとすれば、その説明が可能になり、よく理解できることになる。関係証拠によれば、B山は仰向けのまま遺棄されており、その体液が遺体の下にあった木の葉や枝にも滴下していることが認められることからすると、重力の作用によってB山の膣内から膣液等が漏れ出し、これが膣周辺に付着していた犯人に由来する付着血液を流し薄めるように作用していることが考えられるのに対し、A田の場合は、仰向けに遺棄されていて、膣周辺部に付着したB山由来のものがそのまま残り、多く発見されるに至ったものと見ることが可能である。<br>  また、科警研の鑑定により各資料が費消された結果、石山鑑定に用いられたのは、ごく少量の綿をつまみ取ったようなものに、かすかに色がついているという資料であり、混合血痕であるため凝集が起こるなどして必ずしも資料各部で均一に混合していなかったことも考えられるから、科警研における鑑定と石山鑑定とでは、用いられた資料にそもそも違いがあり、石山鑑定の資料には犯人由来のミトコンドリアDNAがわずかにしか混入していなかった可能性も考えられる。<br>  このように見てくると、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAがわずかしか発見されていないことについてはそれなりの説明が可能であり、したがって、被告人タイプのミトコンドリアDNAが特に発見されないからといって、それだけで被告人が犯人ではない合理的な疑いを生ずるものではないと考えられる。のみならず、本件では、被告人のミトコンドリアDNA型(検査の対象となったDNA部分の特異点である番号16223の部位のCがTに、番号16362の部位のTがCになっている。)と1塩基違いのミトコンドリアDNA型がB山の膣内容物から1個発見されているところ、この塩基配列中被告人のものと唯一異なる塩基の部位は、人のミトコンドリアにはこれまで変異が発見されておらず変異が見られないはずの部位(番号16309)であり、これを除いて見れば、被告人タイプのそれと一致することになるので、そのミトコンドリアDNAは被告人に由来するものと見ることも十分可能なものである。すなわち、塩基配列のすべてが一致していない以上被告人のものが発見されたとはいえないとする石山証言は正当であるが、同証言は被告人のものが発見されないともいえないというのであって、塩基配列に唯一違いが認められる部位(番号16309)は、個体間に変異が発見されていないとされている部分であるから、たとえば大腸菌を用いた増幅過程で変異が生じた可能性が十分にあると考えられるのであり、これを除いて考察すると被告人の塩基配列に一致するのであるから、そのDNAは犯人由来のものであり、かつ、犯人が被告人であることを否定するものとはいえないことになることに留意しなければならない。したがって、ミトコンドリアのDNA型の鑑定結果についても、所論のいうように被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを抱かせるものとはいえない。<br>  結局、石山鑑定の結果が被告人が犯人ではない旨の合理的な疑いを抱かせるものであるとする所論は、採用できない。<br> '''7''' 所論は、DNA型の鑑定のような重大な結果を生じかねない性質のものについては、再検査が可能なように資料を残すなり、増幅したPCR資料を残すなりしておく必要があり、そのような措置を講じていない本件では、証拠能力を否定すべきであり、少なくとも信用性を否定すべきである、というのである。確かに、所論のように資料を残すなどして再検査を可能にする方途を講ずることは望ましいが、資料が少なかったり、なかなか結果が出しにくい場合に全部使い切ることがあったとしても、やむを得ない場合のあることは否定できないことである。そして、本件では、科警研の検査で資料をほとんど使っているが、検査の結果がなかなか出にくかったことなどを考慮すれば、残量が少なくなったのもやむを得ないという事情があること、殊更再鑑定を避けるために費消するなどの不適切な事情も見当たらないことからすれば、資料をほとんど使い切ったからといって、その故をもって証拠能力を否定すべきものと解されない。また、鑑定の内容に照らしても、以上のとおり、MCT118型についての信用性を認めることができる。所論は採用できない。<br> ====七 被告人車内の血痕及び尿痕について====  関係証拠によると、被告人車が押収され、その内部から血痕及び尿痕が発見されているところ、その発見経過、状況、結果については原判示のとおりと認められる(原判決補足説明六1)。すなわち、尿痕については押収された直後に発見され、後部座席の左側シートに2か所尿痕が発見され、人尿と確認されたが、血液型は判明しなかった。他方、血痕については、その際後部座席シート左側ドアに接する部分及びその下のフロアマットから発見された分について、血液型がO型であることが判明したが、DNA型の判別をMCT118型及びHLADQα型につき行ったもののDNA型は検出できなかった。その原因は、水洗いされて水で薄められるなどしてDNAの分解が進んでいるためと推定された。その後、DNA型につき新たな方法が開発されたことを聞いた科捜研係官が、平成6年4月に至り、その資料として上記座席シート中の血痕付着部分と考えるところを切り取った際、先に繊維鑑定のために切り取って東レに送付していた部分の下に接する座席のスポンジ部分に、変色痕が認められたことから、翌日繊維鑑定の終了を理由にそのシート部分の返却を東レから受けた際、その裏側に2か所染みのあることが判明し、それが当初から付着していたことが東レの鑑定人によって確認され、さらに、座席シートをはがして調べてみると、シートの裏にはほかにも染み状になった部分があり、これらのうちいくつかは血液反応を示した。そこで、座席シートから新たに発見した血痕様部分と東レに繊維鑑定に出していた部分につき科警研に血液型及びDNA型の鑑定を依頼したところ、東レに繊維鑑定に出していた部分の裏2か所のものにつき、血液型がO型であることが検出され、MCT118型、HLADQα型については検出できなかったが、DNAの分解が進んでいることが考えられたので、塩基数の少ない部位に関し新たに開発されたものを含む他のDNA型検査法(TH01型、PM検査法)を試みたところ、そのうちの1か所から、Gc型についてCのホモ(v証言、原審第5回388項、その出現率は、当審弁43号証によると、約16人に1人と認められる。)であることが検出された。他方、同時に、保存されていたA田及びB山の毛髪を使用して同様の検査を施したところ、MCT118型は検出できなかったが、HLADQα型、TH01及びPM法ではすべての型を検出することができ、その結果、A田のDNA型はGc型についてはCのホモであり、上記座席シートから検出されたものと同一の型であることが判明した。<br>  さらに、関係証拠によると、PM検査では、HLADQα型判定と同様にドット法を用い、試薬の発色によってDNAの型判定を行う方法が採用されているが、その場合、検査紙上に設けられた各種のDNA型に対応する位置に発色が見られたとしても、Sの位置(標準マーカー、HLADQα型の分子量のものが検出できるかどうかをその指標としていることが認められる。本件では、HLADQα型は検出できないのであるから、発色しないのが当然ということになる。)が発色しないときは、アガロースゲル電気泳動法によりDNAの増殖が認められた場合にのみ、当該発色の状況を有効な型判定に用いることができるとされていることから、泳動法でDNAの増殖状況を検査したところ、Gc型の部分にしかDNAの増殖を検出できなかったため、Gc型についてのみの判定にとどめたものであること、しかし、発色法では、PM検査5種のうち、塩基数の最も小さいGc型には明瞭な発色があったほか、塩基数の小さいHBGG型につきAB型、D7S8型につきA型を示す部位にやや薄いとはいえ発色があり、これらについてもA田と同一の部位に発色が認められるが、Sの発色がなく発色の弱さや電気泳動法による判定が得られなかったことから、型判定には使用しなかったこと(もっとも、アガロース電気泳動の写真をよく見ると、極めて薄いが泳動の影が見えないではないようにも思われる。)、PM法のうち上記のものを除いた塩基数の多い2種については発色がなかったことが認められる。<br>  以上によれば、被告人車を押収した後間もなく行われた第1回の鑑定ではO型の血液型を持つ血痕が発見されたにとどまるが、その後、新たに開発されたPM法などを用いた第2回の鑑定では、O型の血液型に加えDNA型のうちGc型につきC型(C型のホモ)が検出されていることから、その血痕は型判定からしても、A田のそれと矛盾しないものといえるものが発見されていることになる。ところで、DNAは時間の経過とともに分解が進み、したがって、塩基数の多いものほど分解が速く進み判別が困難になると考えられるから、MCT118型などの塩基数の多いものについては型判別ができないほどにDNAの分解が進んでいたとしても、より塩基数の少ない部位についてはDNA部分が分解されないまま残っているものが相対的に多く存在するため、これを用いた型判定が可能である場合のあることは容易に理解できる。そして、Gc型の判定は、PM法を用いられる各種のDNA部分の中でも最も塩基数が少ない部位に位置するDNA部分を用いて行われることからすると、Gc型よりもやや塩基数の多い部位に位置するDNA部分を用いて行われるHBGG型及びD7S8型の判定についてやや薄いとはいえ発色が認められていてそれがA田のものと同一であることは、検査法の原理からすれば決して無意味なものとはいえず、これらにつき全く発色が認められない場合とは異なり、その血痕がA田に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である。<br>  さらに、単に付着したにとどまる血液は容易にふき取ることができ、水洗いすれば消し去ることができるが、したたり落ちたりして多量に付着した血液の場合は織布の繊維の間や織り目の隙間にしみ込みやすいし、水洗いすれば更に内部にしみ込んで広がることが考えられるところ、本件においてそれぞれの血痕が座席から発見された経緯に照らして見ると、ふき取ったり水洗いしたりしたことを前提とすれば、したたり落ちたりした血痕のみが検出される結果になることをたやすく説明できるものといわなければならない。関係証拠によると、A田の死体からは鼻血を出していたことが認められ、着衣にはそれが滴下したことを示す痕跡が認められる。A田の鼻血が座席等に滴下したとすれば、被告人車内からA田のみの血痕が発見され、犯人やB山の血痕が発見されないことを合理的に説明することができるというべきである。また、関係証拠によると、被告人が、本件の約7か月後に被告人車を買い換えのため下取りに出した際、通常下取りに出される車両と異なり車内が異常な程きれいに掃除されていたことが認められ、被告人自身も水洗いするなどしたことを認めていることからすれば、滴下するなどしたA田の鼻血が織り目を通って座席裏側にしみ込んだことが推測されるから、本件の血痕の発見過程に格別不自然な点は見出せないというべきである。付着していた血痕はいずれもやっと鑑定が可能な程分解が進んだものであることからしても、DNAの分解を進めることになる水洗いなどがされている事実ともよく符合するとともに、作為された可能性も否定されるというべきであり、発見過程について関係証拠を詳細に検討しても作為を疑わせる点は見出せない。<br>  本件では、血痕とともに尿痕が発見されているが、被害者両名の下着には失禁による尿痕が認められるところ、車内から尿痕が発見されたことは、殺害が車内で行われたと推定される本件では、その状況を血痕とともに裏付けるものとして説明できるものである。<br>  所論は、被告人の家族、親族にはO型のものが多数おり、その血液や尿が付着していることが考えられるし、以前の所有者の時代に付着したことも考えられるというが、この点について原判決が詳細に判示しているところは、大筋において関係証拠により正当として是認することができる。発見された血痕と尿痕は同時に生じたものでしかも殺害の際に生じたものであるとした場合、すべての要素を矛盾なく説明することができることからしても、所論のいうような可能性は極めて乏しいといわざるを得ず、合理的疑いを生じさせるものではない。 <br> ====八 亀頭包皮炎罹患の事実について====  本件では、通常のわいせつ目的の事件とは異なり、被害者の局部に犯人に由来すると認められる血液の付着、混入が認められる点で特異性があると認められる。すなわち、上記のような血液の付着、混入状況からすれば、犯人が出血していたことが認められるが、被害者の局部からは唾液の存在が確認されていないから、犯人の出血原因としては口内出血の可能性は考えられない。ところで、関係証拠によれば、原判示のとおり、被告人は当時亀頭包皮炎に罹患していた事実が認められる。所論は、そのような事実はなかったとして争うが、原判示のとおり、被告人は元々その罹患を理由に本件の犯人ではないと主張していたのみならず、医師や薬剤師の供述調書等から、その事実を認めるに十分である。犯人が被告人であるとすれば、通常は生じにくい血液の付着、混入の事実を容易に説明することができるものであるから、この事実は、犯人の特異性についての説明を可能にするものであり、被告人の犯人性を補強するものということができる。<br> ====九 その他の補強的な情況事実について====  以上の情況証拠を総合すれば、被告人が本件の犯人であることを認めるに十分というべきであるが、本件については、このほかにも、被告人の犯人性を補強するいくつかの事情が存在する。<br> '''1''' 関係証拠によると、被告人は本件当時円形脱毛症の症状を呈していたことが認められる。この点は、T田の見た犯人と考えられる者の容ぼうの特色を裏付けるものであり、被告人が犯人であることを補強している。<br> '''2''' また、本件は、被害者2名が同時に誘拐されて被害に遭っているところ、B山らは、日ごろから知らない人について行ったり知らない人の車に乗ったりしないように両親らから注意を受けていたのに、容易に乗車していることがうかがわれることからすれば、被害者と顔見知りの者による犯行と推認されるところ、被告人の長男は、被害者とは学年は異なるが同じ小学校に通っているなど、接点があり、被告人は日中は暇であるため、長男の友達を含む子供らと遊ぶなどして久間のおじちゃんとして知られていることが認められ、被害者らとは顔見知りになっていたことがうかがわれる。この点も被告人が犯人である可能性を補強しているといえる。<br> '''3''' 被告人は、死体遺棄現場付近についての土地勘を有するものであることは、これまでの職歴や近隣居住の事実及び本件の前年ころの秋ころ、知人に八丁峠に通ずる道路で目撃されていることなどにより裏付けられているから、被告人が遺棄現場付近につき不案内であるとはいえない。<br> ====一〇 被告人が犯人ではないとの方向に働くような事実について==== '''1''' 所論は、犯人は小児性愛者であると推定されるが、被告人には、たとえば、そのことに関心を示すビデオなどを所有せず、そのような傾向はうかがわれないから犯人とは考えられないと主張する。確かに、被告人が小児性愛者であることを示す物的な証拠は発見されていない。しかし、そのような外形的な事情がうかがわれなくても、小学生などの児童に対するわいせつ犯罪が行われていることは、実務上もしばしば見受けられるのであって、必ずしもこれを異とするに足りないというべきである。<br> '''2''' T田は、本件発生の2か月くらい後に、消防署に車で妻を送ってきた被告人を、捜査車両内から面通ししているところ、T田は目撃した者との同一性を確認できなかった事実がある。しかし、T田が目撃したのはわずかな時間であり、かつ、顔を正面から明確に見ておらず、倒れて手を着くようにして前屈みになった頭部と後ろ向きになった姿を見ているにとどまるのであるから、特色のある点は別として目撃した人物について記憶に残りにくいのが通常と考えられることなどに照らすと、同一性の確認ができていないことをもって、被告人が犯人ではないとの疑いを抱かせるものとはいえない。<br> '''3''' ポリグラフの検査結果について<br>  ポリグラフ検査は2回にわたっていて、当審においていずれも弁護人に開示されたものであるところ、最初のもののみにつき弁護人から証拠として請求され、検察官の同意を得て取り調べられたものである。その結果は、反応を否定されているものもあるが疑問判定が多く、いわゆる白の鑑定にはなっていない。その内容を弁護人の指摘に従って検討しても、以上の情況証拠と併せて考察すれば、これをもって所論のいうように被告人が犯人でないことに疑いを差し挟ませるものということはできない。<br> '''4''' 石山鑑定について<br>  同鑑定が犯人が被告人以外の者である疑いを抱かせるに足りるものではないことは前示のとおりである。<br> ===第3 情況証拠の十分性について===  本件では、犯行現場を目撃されたり、死体や証拠物の遺棄状況を直接目撃されていないし、T田も犯人を目撃しているといえるものの、当然とはいえ、頭部にはげた部分があることを目撃している程度にとどまり被告人が目撃人物と似ているかどうかについても明確にできない程度の目撃であること、死体等や遺留品から被告人のものであることが明らかに認められるものも存在せず、被告人車内からも、それだけで被害者と明確に結びつくような被害者の遺留物、痕跡なども発見されておらず、まして、被告人の自白もないことから、以上の情況をもって被告人が犯人であることが合理的疑いを超えて証明されているかどうかを検討しなければならない。<br>  しかし、(1)繊維鑑定の結果及び遺留品発見現場上の路上における車両等車両目撃状況等を総合すると、犯行に使用された車はマツダウェストコーストと認めるに十分であること、(2)被告人は、誘拐現場付近に居住する者でほかならぬその車両を保有しており、これを保有する者は現場付近や飯塚市内及びその周辺においては極めて少数に限られていること、(3)被告人の使用車両からは、被害者の一人であるA田の鼻血により生じたものであるとして付着状況が矛盾せず、A田の血液型、DNA型と同じ特徴を備えた血痕と、扼頸による殺害に伴う被害者の失禁と考えて矛盾しない尿痕が、後部座席(血痕は座席裏側)から発見されていること、(4)被告人は、マツダウェストコーストを使用して誘拐の犯行時刻ころ日常的に本件誘拐現場付近を通行していた者であり、被告人のいう当日のアリバイは信用できず、犯行当日の誘拐の犯行時刻ころも被告人が犯行現場を通行していたことが強く推認されること、(5)他方、死体に付着、混入する血液からは被告人の血液型、DNA型の一部と一致するものが発見されており、これと積極的に矛盾する要素は見出されず、犯人が出血していたという特異な事実は被告人の亀頭包皮炎罹患の事実により裏付けられることなどの情況事実が累積している。これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである。さらに、被告人車以外の同種車両についての捜査も相当詳細に行われていて、周辺の類似対象車両のアリバイ、保有者の血液型、DNA型についても地道かつ膨大な捜査がされていて、その結果該当車両は他にはほとんど見出せない情況もある。他方、被告人が犯人ではないのではないかという方向に働く証拠をつぶさに検討してもその疑いを抱かせるには足りない。これらの事情を総合して考慮すれば、被告人が本件の犯人であることにつき合理的疑いを超えた立証があるものと認めるに十分である。<br>  以上によれば、本件犯行の犯人は被告人と認められる。その他所論が多岐にわたり指摘する点について逐一原審記録及び当審における事実取調べの結果を検討しても、以上の認定、判断は左右されない。<br>  原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。<br> ===第4 職権による量刑判断===  事案にかんがみ、職権で原審の量刑につき判断を示しておくことにする。<br>  本件は、登校途中の小学1年生の女児2名を略取誘拐し、わいせつ目的で扼殺した上、両名の陰部をもてあそび、遠方に運んでその死体を山中に遺棄したという事案である。その犯行は、動機、態様において悪質極まりないばかりか、冷酷、非情かつ残忍というに尽きる。自己の卑劣な欲望により2名もの幼い純粋な命を奪った刑責は誠に重いというほかはない。被害者の苦痛及び無念の情は測り難く、遺族の深い悲しみ、精神的打撃は察するに余りある。地域住民に与えた不安恐怖の念も誠に大きいものがある。にもかかわらず、被告人は、反省の情を全く示しておらず、被害弁償も含め慰謝の方途も講じられていない。<br>  死刑は、究極の刑罰であり、これを科するには、事案の重大性、悪質性、被害者の遺族の被害感情、社会に与えた影響の深刻さ、被告人の反社会性、更生可能性など諸般の事情を総合し、真にやむを得ない場合に限るものと解されるところ、本件においてこれらの事情をつぶさに検討しても、犯行の重大性、冷酷非情な態様、動機の悪質性、被害者の遺族の感情、被告人の反社会性等を重視せざるを得ないことからすると、死刑をもって処断するのは誠にやむを得ないといわなければならない。原審の量刑判断は相当である。<br>  よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法181条1項ただし書を適用して被告人にこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。<br> 平成13年10月10日<br> 福岡高等裁判所第二刑事部<br> 裁判長裁判官 小出錞一 裁判官 駒谷孝雄 裁判官 松藤和博<br> <br> [[カテゴリ:日本の判例|ふくおかこうとうさいはんしよへいせい11ねんうたい429こう]] {{PD-JapanGov}} 4d7wmd57jl45o6c1vvr78iv7h9iyew2 福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 0 11092 246531 222770 2026-10-11T14:52:56Z ろづき 28406 紛らわしい人名(仮名)部分を修正 246531 wikitext text/x-wiki {{header |title={{PAGENAME}} |notes= 掲載誌(判例タイムズ1059号254頁、判例時報1697号124頁)。原本は実名。控訴審以降の判決については、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件<br> 福岡地方裁判所刑事部平6(わ)1050号、1157号<br> 平成11年9月29日判決<br> === 主文 === 被告人を死刑に処する。 === 理由 === ====(犯罪事実)==== 第一 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分ころまでの間、福岡県飯塚市大字潤野(中略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳)及びB山B子(当時7歳)を認め、同女らが未成年であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト登録番号(中略))に乗車させ、右小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である同女らを略取又は誘拐した。<br> 第二 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前9時ころまでの間、福岡県飯塚市内又はその近郊において、殺意をもって、A田A子の頚部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第三 被告人は、第二記載の日時、場所において、殺意をもって、B山B子の頸部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第四 被告人は、平成4年2月20日午前11時ころ、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に<br> 一 A田A子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> 二 B山B子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> ====(証拠)==== (括弧内の甲、乙は、証拠等関係カード中の検察官請求の証拠番号を、弁は弁護人請求の証拠番号を、職は職権による証拠調べの証拠番号を表す。)<br> 全部の事実について<br> 一 証人久間C子、笠井賢太郎、野田茂樹、田中紘、石山昱夫、H田H子の各公判供述<br> 一 第4回公判調書中の証人I田I子の供述部分、第5、6、7、9回公判調書中の証人坂井活子の供述部分、第8回公判調書中の証人林葉康彦の供述部分、第11回公判調書中の証人福山晴夫の供述部分、第12回公判調書中の証人鈴木真一の供述部分、第13、14回公判調書中の証人N田N男、O田O男、P田P男の各供述部分、第15回公判調書中の証人Q田Q男、R田R男の各供述部分、第16回公判調書中の証人S田S男、S田S子の各供述部分、第18回公判調書中の証人T田T男の供述部分、第22回公判調書中の証人U田U子の供述部分、第23回公判調書中の証人V田V子、W田W男の各供述部分、第25回公判調書中の証人X田X男の供述部分、第26回公判調書中の証人石山昱夫の供述部分<br> 一 証人久間C男、久間C美、Y田Y男の各期日外尋問調書<br> 一 当裁判所の検証調書<br> 一 Z田Z子(甲38)、D山D子(甲39)、久間C子(甲493、ただし1、3、4、6項、555、563、564)、久間C男(甲494)、久間C美(甲496、ただし3、4、5項)、E山E郎(甲553)、F山F子(甲554)の各検察官調書<br> 一 G山G子(甲3)、H山H男(甲5)、I山I男(甲22)、A田A美(甲26、27)、J山J美(甲28)、B山B男(甲29)、B山B美(甲30ないし32)、K山K子(甲34)、L山L郎(甲36)、M山M郎(甲80)、N山N郎(甲81)、O山O郎(甲120)、P山P郎(甲509)、Q山Q郎(甲510)、R山R郎(甲526)、S山S郎(甲527)、T山T郎(甲528)、U山U男(529、530)、V山V男(甲531)、W山W郎(甲532)、X山X郎(甲533)、Y山Y郎(甲534)、Z山Z男(甲535)、Y田Y男(甲548、549)、石山昱夫(甲626)、D村D郎(甲627)、林葉康彦(甲628)の各警察官調書<br> 一 実況見分調書(甲6、7、20、21、23、24、105、108、483、487、502)、検証調書(甲476)<br> 一 誘拐並びに殺人及び死体遺棄被疑事件発生報告書(甲8、13、16、33、91)、死体遺棄現場の位置特定の関する報告書(甲9)、鑑定人(執刀医)に対する事情聴取結果報告書(甲19)、現場資料(血痕等)採取報告書(甲45)、遺体発見現場における法医理化学資料発見採取に関する報告書(甲46、49)、聞込み結果報告書(甲77)、捜索差押調書(甲78)、鑑定資料(車両のシート片、繊維等)採取報告書(甲83)、資料入手報告書(甲94)、車両座席シート・メーカーに対する捜査報告書(甲121)、捜査関係事項照会書飯刑第310号について(報告)(甲133)、着衣等の領地に関する報告書(甲457)、遺留品発見報告書(甲464)、法医理化学資料発見採取報告書(甲484、ただし不同意部分を除く)、法医理化学資料発見入手報告書(甲485、ただし不同意部分を除く)、死体遺棄事件捜査報告書(甲504)、ボンゴ車のダブルタイヤに関する捜査報告書(甲505)、捜査報告書(甲10、551、641、728不同意部分除く)、地図作成報告書(甲565)、送迎所要時間に関する報告書(甲566、567)、捜査関係事項等照会について(回答)(甲508)、捜査関係事項照会書謄本(甲666、692、697、700、703、706、708、710、712、714、716、718)、電話筆記用紙(甲694、695、696、699、704)、回答書(甲726、弁92、118)、鑑定書の誤記等の訂正に関する報告書(甲611)、被害者着衣等の発見・領置及び同着衣等に付着した微物・保管・鑑定依頼状況に関する報告書(甲727)、電話聴取書(職8、10、13)<br> 一 DNA鑑定に関する質疑について謄本(甲629)、DNA鑑定に関する質疑の回答について(甲630)<br> 一 鑑定嘱託書謄本(甲67、75、84ないし87、89、98、106、109、489、623)<br> 一 鑑定書(甲12、15、18、53、58、62、68、74、76、88、90、107、110、461、463、469、471、475、478、480、482、490、624、職15、28)、鑑定嘱託書飯刑第345鑑定報告(甲99)、結果報告書(甲100、101)、試験成績報告書(甲125の一部)、染色加工分量表(甲126の一部)追加分析報告書(甲625)、追加鑑定書(職16)<br> 一 文献「DNA型鑑定の運用に関する指針について」写(弁36)、「MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法」写(弁37)、「MCT118のインターアレルについて」写(弁39)、「岐阜県在住の日本人におけるMCT118(DIS80)のインターアレルについて」写(弁40)、「DNA型鑑定の現状」写(弁43)、「DNA型鑑定の実際」写(弁46)、「DNA型と個人識別」写(弁47)、「法科学とPCR」写(弁57)、「犯罪捜査におけるDNA型鑑定の活用状況上」写(弁66)<br> 一 甲68写真13のネガフィルム1枚(甲593)、甲76写真8のネガフィルム1枚(甲594)、プレパラート内の橙色繊維片1本(平成7年押第140号の2)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の3)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の4)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の5)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の6)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の7)<br> 一 被告人の各検察官調書(乙9、11ないし13 ただし、いずれも却下部分を除く)、各警察官調書(乙3、4(不同意部分を除く、5(不同意部分を除く)、6、8) ====(補足説明)====  被告人及び弁護人は、犯人性を争い無罪の主張をしているので、事実認定の理由について以下説明する。<br> =====一 事案の概要=====  証拠によると、以下の事実が認められる。<br> 1 被害者A田A子(以下「A田」という。)及び被害者B山B子(以下「B山」という。)は、平成4年2月当時2人とも7歳で、福岡県飯塚市(中略)所在の飯塚市立潤野小学校一年に在学していた(甲1)。<br> 2 A田は、上に黄色のジャンパーを着て赤色ランドセルを背負い、同月20日午前7時40分ころ、同級生のK山K子と一緒に、飯塚市(中略)所在のB山方までB山を呼びに行き、3人で潤野小学校に向かって歩いて登校し始めたが、ぐずぐずしていて午前8時過ぎころになってもB山方近くから離れず、そうするうちにK山が一人だけ先に行ってしまったので、B山と2人になった(証人U田U子 甲26、29、34)。なお、B山方から潤野小学校までの通学路はだいたい決まっており、別紙1の赤線のとおりであって、距離にして約1420メートル、所要時間は子供の足で20分から25分程度である(甲33)。<br> 3 A田とB山は、同日午前8時10分ころ、B山方近くの道端でしゃがみこんでいるところをA田の知人L山L郎に目撃されたほか(甲36)、午前8時22分ころ、B山方から道学路を約575メートル進んだ地点である平原バス停付近をいかにも学校に行きたくないといった表情でとぼとぼ歩いているところをA田の知人Z田Z子に目撃され(甲33、38)、さらに、後記のとおり、午前8時30分ころ、B山方から通学路を約937メートル進んだ地点であるE村E太方(飯塚市大字潤野(中略))前三叉路(以下「E村方三叉路」という。)付近において農協職員D山D子によって目撃されたが(甲33、39)、そのほんの数分後に同所を通った同職員V村V子(なお、同女はその後結婚してV田姓となった。)からは目撃されていない(証人V田V子)。<br>  A田の実母A美は、母親のA山A恵を二宮医院に送るため、同日午前8時45分ころ、同人方を車で出発し、平原バス停先のF村F郎方(イソップハウス)まではA田らの通学路と同じ道路を通行し、F村方から通学路とは分かれて南下して二宮医院にA恵を送った後、同じ道路を通って同日午前8時55分ころ同人方に戻ったが、この間A田らの姿を見ていない(甲26)。また、当時潤野小学校図書館司書補助員をしていたG山G子は、顔見知りのB山が登校しでいないことを聞き、B山らを探すため、同日午前8時50分ころ、車で潤野小学校を出発し、B山らの通学路を逆行してE村方三叉路を北上し、平原バス停の北方にある田中商店付近でUターンして別の経路で潤野小学校に同日午前8時56分ころ戻ったが、B山らを発見することができなかった(甲3)。<br> 4 翌21日午後0時10分ころ、福岡県甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠を自動車で通りかかったH山H男が、第5カーブ付近で小用を足すために車を停めて降りた際、道路南方の斜面に小さなマネキンのようなものが捨ててあるのを見つけて不審に思い、警察に通報した結果、それらがA田とB山の死体であることが確認された(甲5)。<br>  死体遺棄現場は、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3(旅館「秋月荘」の所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)の南方約9メートルの山中である(甲6、9)。<br>  死体は、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されており、A田は、黄色フード付ジャンパー、赤色上衣、長袖シャツ、半袖肌シャツを身につけ、B山は、白色フード付ジャンパー、茶色トレーナー、長袖シャツ、半袖肌シャツ、チェック模様入りベージュ色スカートを身につけていたが、2名共パンツを脱がされて下半身が露出し、少し離れた場所に赤色手袋が棄てられていた(甲6)。<br> 5 そして、死体解剖の結果、<br> (一) A田及びB山の死因は、頸部圧迫、それも扼頸(手による圧迫)による窒息であり、他殺であること<br> (二) A田の着ていたジャンパー表面には、両袖及び前面に血痕が多数付着していること(なお、後に鑑定した結果、ジャンパーに付着していた血痕はO型と判明した。)、A田の鼻孔からは血液が漏れ、その一部は右側を帯状に上方に伸び、右眼内裂部に達し、乾燥していること、頬、鼻、口周囲に血液が接着状に付着していること、A田の膣内から血液が漏出し、小陰唇のほぼ全域と、大陰唇下部及び肛門部にかけてほぼ対称的に付着し、乾いていること、処女膜の2か所に新しい裂創と膣前壁に出血があり、指の爪が挿入されたのであろうと推測されること、A田の血液型がO型であること<br> (三) B山の膣内から血液が漏れ、大陰唇から肛門部にかけて血液がほぼ対称的に付着し、一部は上方に帯状に伸び、乾燥していること、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していること、幼児の小陰唇部周囲には表皮剥離を与えず侵入し、内部のみ損傷できるものとして、恐らく指と爪が挿入されたと推測されること、B山の血液型がA型であること<br> (四) A田の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B山の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであったこと<br>  などが判明した(甲12、15、21)。<br> 6 更に翌22日になって、福岡県甘木市大字野鳥844番地(八丁苑キャンプ場所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約200メートル進行した地点の西方約5メートルの山中で、A田の赤色キュロットスカート、2人のランドセルなどの所持品及び下着、フリル付白色靴下、うさぎ柄白色靴下など着衣の一部が、死体と同じように、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されているのが発見された(甲22、23)。<br>  発見されたもののうち、A田が着用していた熊柄白色パンティー及びB山が着用していた羊柄白色パンティーの各股間部付近には、いずれも淡黄色の尿斑様のものが広く付着しており、鑑定の結果、それらは各被害者の血液型と合致する血液型を持つヒト尿斑であることが判明した(甲27、31、469、471)。<br> 7 潤野小学校から死体遺棄現場までは、経路によって違うが、距離にして28ないし36.1キロメートル、自動車で35ないし53分かかる(甲504)。また、遺留品発見現場は、潤野小学校から八丁峠を死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までは距離にして3キロメートル、自動車で8分程度かかる(甲105)。なお、死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、いずれも通称八丁峠と呼ばれている山道の国道沿いの山中であって、これらの現場に行くためには自動車を使用するしかないような場所である(当裁判所の検証調書)。<br> 8 被害児童の死亡推定時刻<br> (一) A田について<br> (1) A田は、平成4年2月19日午後5時30分ころから午後7時30分ころまでの間、飯塚市花瀬にあるカラオケボックス「楠」に家族と一緒に行き、焼きそば1人前の4分の1程度、のり巻きおにぎり1個、フライドポテトを食べて、カルピスを飲んだ。A田は、翌20日午前6時30分ころ起床し、午前7時ころ、大人の茶碗8分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ後、家を出た(甲26、28職8、10、13)。<br> (2) カラオケボックス「楠」では、当時焼きそばの具として、豚肉、たまねぎ、キャベツ、もやし、にんじんなどを使っていた(証人H田H子)。<br> (3) A田の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、永田武明教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長野田茂樹は、執刀医である永田がA田の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径1ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨を永田に報告したが、永田は頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人野田茂樹)。<br> (4) 永田鑑定書(甲12)には、A田の胃の所見として「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約160グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、腸の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」との記載がある。なお、永田は、右鑑定書作成直前、捜査官の質問に対して、「死後1日と1日半では、1日半がより近いと考えられる。」「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた(甲19)。<br> (5) 前記解剖時に採取されたA田の胃内容について、永田鑑定とは別に、福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)技術吏員棚田徳彦及び同林葉康彦も、鑑定を実施した。棚田・林葉鑑定書(甲18)には、A田の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できたとの記載がある。<br> (6) 当裁判所の鑑定人である帝京大学医学部法医学教室の石山昱夫教授が実験したところによれと、以下の結果が得られた(証人石山昱夫36回 職15、16)。<br> ア 成人用ご飯茶わん8分目の米飯の重量は約100グラムであり、これに生の皮をむいためんたいこを混ぜたものをビーカーに移し、人工胃液250グラムを加えてよく攪拌し、37度で2時間前後振盪した後、一昼夜にわたって室温に静置したところ、人工胃液のほとんどが米飯に吸収され、米飯の重量は250グラムとなった。また、めんたいこは、着色のものは容易に識別できるが、無着色のものは、水に濡れた状態で白い米飯の上に存在している場合には、識別困難であった。さらに、米飯の一部をシャーレに移し、蒸留水を加え、ガラス棒で攪拌すると、めんたいこは米飯粒から離れて周囲に散在するようになった。<br> イ 咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた。<br> (7) 以上の事実を前提にA田の死亡推定時刻を検討する。<br>  まず、A田の胃内容のうち、ほとんど末消化の米飯粒が約160グラムあったという点と、十二指腸にも淡黄色粥状物が少量あったという点について、石山鑑定人は、胃内容について死後も胃粘膜からの水分の吸収が持続するので水分が減ることをも考慮すると、A田の胃内容が2月20日の朝食(大人の茶碗8分目のご飯)であると考えても量的に矛盾しないとしている(職15)。次に、石山鑑定人は、A田の胃内容のうち、暗褐色調の微細物は、前記実験結果に照らし、A田が朝食後に服用した咳止めシロップが胃の中で米飯と反応した可能性があるとしている(職15)。そして、A田は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会った野田は、A田の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A田の胃内容を撮影した写真(甲13の28)にも粒状物らしい物体が写っている。<br>  もっとも、永田鑑定書及び棚田・林葉鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、石山鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、野田からの報告に頷いただけの永田がこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、棚田らがA田の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない。また、A田の胃内容のうち、少数の白い菜片(キャベツ片)は、2月20日の朝食時に摂取したものではないが、この点について、石山鑑定人は、前日の夕食の焼きそばの具が胃の中に残留した可能性もあると述べている(職15 証人石山36回)。<br>  弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、石山鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、石山鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない。<br>  仮に、A田の胃内容が2月20日の朝食ではないとすると、A田は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く、また、後にみるようにA田と同時に失踪したB山の胃内容からは同様の所見は認められないことからも、そのような可能性は極めて低い。<br>  以上からすると、A田の胃内容は2月20日の朝食であると認めるのが相当である。そして、石山鑑定人は、A田の胃内容からして、A田が食後1、2時間で死亡したものと判断しているところ(職15永田鑑定人の結論も同じである。)、この判断は合理的であって首肯することができる。そうすると、A田の死亡推定時刻は、同日午前7時に朝食を食べてから1時間ないし2時間後である午前8時から9時ころまでの間ということになるが、A田の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害されたと推定される。<br>  永田鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約1日から1日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない。また、死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA田の死体検案書(甲680)の作成者は永田武明教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。<br> (二) B山について<br> (1) B山は、平成4年2月19日午後7時30分ころ、寿司(納豆巻き、シーチキン巻き、カニサラダ巻き)を食べ、翌20日午前7時30分ころ起床し、その後朝食としていちごとミルク入りのカステラロール(直径約10センチメートル、幅約1センチメートルのもの)を約4分の1食べ、ヤクルトを半分飲んだ後、午前7時40分ころ家を出た(甲29、30)。<br> (2)B山の死体解剖は、A田と同じく九州大学医学部法医学教室において永田教授の執刀により行われた。<br>  永田鑑定書(甲15)には、B山の胃の所見として「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時30分)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。」との記載がある。なお、永田は、捜査機関の質問に対して、A田同様「死後1日と1日半では1日半により近いと考えられる。」「2月20日午前9時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)。<br>  また、このとき撮影された写真(甲16の写真30)によって、石山鑑定人は、B山の胃内容には、淡黄褐色の粘稠の表面に白色の膜状物が拡散しているように見えるほか、ゼリー状の黄白色の細長い物体が存在し、赤色の薄い皮膜様のものが数個認められる、というのである(職15証人石山36回)。しかしながら、石山鑑定人が指摘する白色の膜状物について、右写真の撮影者である田中紘は、写真撮影の際のリングストロボの反射であると述べているのであって(証人田中紘)、写真の専門家として長年の経験を有する同人の右供述は、これを信用することができる。そこで、田中の供述を念頭において右写真を詳細に検討すると、B山の胃内容は、永田鑑定書にあるように淡黄色の溶液のみであると判断するのが相当であって、石山鑑定人が主張する白色の膜状物及びゼリー状の黄白色の細長い物体はリングストロボの反射の影響によってそのように見えるだけであり、また、赤色の薄い皮膜様のものは、胃内容物を入れたビーカーの壁面が赤味を帯びて写っているところからして、写真撮影の際の背景による色調の変化であると認めるのが相当である。<br> (3)前記解剖時に採取されたB山の胃内容について、棚田・林葉鑑定書(甲18)には、前記A田の胃内容と同様の方法で鑑定を実施したが、固形物様のものは認められなかったとの記載がある。<br> (4)石山鑑定人の実験によると、アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、37度で2時間程度振盪した後、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた(職15)。<br> (5)そこで、B山の死亡推定時刻について検討する。<br>  B山の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間とした石山鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができないといわなければならない。<br>  しかしながら、A田とB山が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然であること、前記認定の事実によると、B山が2月20日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これが石山鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったものであり、その他B山の胃内容は、B山が摂取した朝食と矛盾しないことからすると、B山についても、朝食摂取後1時間ないし2時間で死亡したものと推定するのが相当である。<br>  また、永田鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB山の死体検案書(甲679)については、前記A田の場合と同様であり、右推定と矛盾するものではない。<br> 9 以上1ないし8の事実によると、本件の外形的事実として、何者かが、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分過ぎころまでの間、通学途中のA田とB山をE村方三叉路あるいは同所から北側の路上付近で略取又は誘拐し、間もなく自分の手でA田とB山の首を絞めて殺害した上、2人の死体及び所持品を八丁峠の前記各現場に投げ捨てたこと、その際、犯人は自動車を使用していること、犯人が八丁峠で死体及び所持品を投棄することができたのは、同日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られることが認められる。<br> =====二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について===== 1 証人T田T男の供述要旨(証人T田T男 甲502)<br>  平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督、写真撮影等の業務に従事していた。同年2月20 日午前11時ころ、甘木市大字野鳥字大休の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、40代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。<br> 2 T田供述の信用性について<br>  T田は、本件と無関係の第三者であるから、その意味でT田の供述の信用性を疑う理由は全くない。また、T田は、当時、仕事でどこの現場に行ったかということなどを日記帳に記載しており、この日記帳には平成4年2月20日午前に大休の現場に行った旨の記載があるのであって、この前後にT田が大休の現場に行ったのは、2月12日、3月4日であるところ、T田は、既に3月2日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、3月4日には警察官を現場に案内しているのであるから(証人T田 甲641)、目撃したのが平成4年2月20日であるというT田の公判供述は十分信用できる。<br>  次に、T田は、公判で供述するよりも前に、被告人が本件当時使用していた紺色ワンボックスタイプのマツダボンゴ(登録番号(省略)、以下「被告人車」という。)を捜査官から見せられていること(証人T田)、被告人車にはサイドモールが付いており、後輪がダブルタイヤであること(甲476)が認められるのであるから、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある。しかしながら、T田は、目撃後19日目である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。この時点では、T田が被告人車を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記公判供述のうち、右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。これに対して、T田の公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。<br>  さらに、T田は、目撃した人物の特徴についても、平成4年3月9日の時点で警察官に対し、「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。」(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。<br> 3 本件当時、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤの自動車を販売していたのは、国内の主要な自動車メーカーではマツダ株式会社、トヨタ自動車株式会社及びいすゞ自動車株式会社であるところ(甲692ないし718)、いすゞ車は白色が基本であって、紺色の設定がないこと(弁92)、トヨタ車の後輪ダブルタイヤの車両は、ライトエースバンとハイエースバンの2種類であり、ハイエースバンには紺色の設定車がなく、また、ライトエースバンにはサイドリアウインドーがないこと(甲726)に照らすと、全塗装して車体の色を紺色に変えていない限り、T田が目撃した紺色車両はマツダ車であると認められる。<br> 4 ところで、T田が目撃した紺色車両の停車位置は、遺留品発見現場の直近であって、犯人が遺留品を投棄するために自動車を停めた場所としてはこの場所以外に考えられない。また、前記のとおり、犯人が八丁峠で死体及び遺留品を投棄することができたのは、平成4年2月20日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られるところ、T田が右紺色車両を目撃したのは、右時間帯の中の同月20日午前11時ころのことである。<br>  そして、もともと冬場の八丁峠の交通量は少ない上(現にT田は、前記目撃時に紺色車両以外の車には出会わなかった旨供述している。)、右現場付近は何もない場所であるから、本件と無関係に通りかかった自動車が偶然この場所に一時停車する可能性は低く(ただし、同じ八丁峠の死体遺棄現場付近で小用を足すために運転していた自動車を停車させた男性が被害児童の死体を発見していることからも明らかなように、右可能性は皆無とはいえない。)、また、T田が目撃した男の様子も、その男が犯人であって、T田に気付き驚いて足を滑らせ、T田に見られないよう自動車の陰に身を隠したとすれば自然に説明できることを併せ考えると、T田が目撃した男が犯人であって、T田が目撃した紺色車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。<br> =====三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について===== 1 D山D子の検察官調書(甲39)の要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、通勤のため紺色軽四輪乗用自動車(スズキセルボモード)を運転してE村方三叉路を通過する際、北方向から歩いてきた2人組の小学校1、2年生の女の子を見かけた。女の子は2人ともランドセルを背負っていて、1人が黄色の雨がっぱかジャンパー様のものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。2人は、学校に遅刻しているはずなのに全く急ぐ様子がなく、妙にだらだらと歩いていた。2人の横を通過すると、I村I郎方前に3台の車が駐車していた。このうち、ボンゴ車と乗用車が1台ずつあったのは覚えているが、もう1台がどちらだったかははっきりしない。県道大日寺潤野線に出る手前(同調書中のD山作成の図面によると、甲33の写真25の左側ガードレール付近になる。)で、髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が運転するボンゴ車と離合し、午前8時30分過ぎころ、勤務先の駐車場に車を停め、助手席に置いてあった化粧品を片付けるなどしていたところ、約3分後、職場の同僚であるV村V子が白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、駐車場に入って来た。<br> 2 証人V田(旧姓V村)の供述要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日は、白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、E村方三叉路手前付近からD山の通勤路と同じ道を通って、午前8時33分ころ出勤した。E村方三叉路先には自動車が3台並んで停まっており、2台目のボンゴ車の運転席には男が乗っていた。E村方三叉路付近から県道大日寺潤野線に出るまでの間に、小学校1年生くらいの2人組の女児は見かけなかった。<br> 3 証人X田X男の供述要旨<br>  本件当時、従兄弟のX島X太が経営する建設業の手伝いをしており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、X島と一緒にE村方三叉路付近までユニック車を借りに行った。X島が白色スカイラインを運転して先行し、自分は現場を知らないため灰色トヨタタウンエースを運転してX島のスカイラインに追従して行った。県道大日寺潤野線を右折してE村方三叉路の少し手前にあるガードレール付近で、若い女性が運転する軽四輪乗用自動車と離合した後、同三叉路付近に停車したX島のスカイラインの後ろに自分の車を停めたが、自分の車の後ろには既に三菱のワゴン車が停車していた。そのとき、別の若い女性が運転する白色軽四輪乗用自動車が右3台の車の横を通過して行った。<br>  自分が車を停めた場所は通行のじゃまになると思ったので、車から降りることなく、もう一度車を移動して、X島のスカイラインの少し前に停車した。車から降りて道路を横切り、E村方三叉路を南に歩きかけたとき、後方からワゴン車が自分の右横を追い抜いて、潤野小学校の方向に走って行った。ワゴン車は、道幅が狭いのにかなりの速度を出しており、でたらめな運転だと思った。このワゴン車がE村方三叉路北方の道路から来たのか、それとも東方の道路から来たのかは分からない。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車で、マツダ独特の青みがかった黒っぽい色だった。リアウインドー(バックドアのガラス)には黒っぽいフィルムが貼ってあった。<br> 4 証人W田W男の供述要旨<br>  本件当時、造園業を営んでおり、平成4年2月20日午前8時20分ころ、E村方三叉路南側のI村I郎方南端の路上に自分が乗ってきた三菱デリカワゴンを停めて付近の民家の造園工事をしていた。車を停めたころ、低学年の女の子が1人半べそをかきながら小走りに立ち去った。そのほか小学校低学年の女の子には会っていない。同日午前8時30分ころ、ユニック車を貸す約束をしていたX島建設のX島と、その従兄弟で、後で名前の分かったX田X男に会った。X島がスカイラインを駐車させる前には、I村I郎方前路上で自分の三菱デリカワゴン以外の駐車車両は見ていない。X島はスカイラインを自分の停めた場所より北側のI村I郎方前路上に停め、X男はその後方に乗ってきたワゴン車を停めようとしたが、前方からきた白のホンダトゥデイが通りにくそうにして走行して行ったことから、もっと前方に停車しに行った。ホンダトゥデイが通り過ぎた後、ホンダトゥデイとは反対方向に向けてダイハツミラが通り、ホンダトゥデイと同じ方向に向けてカリーナ紺色ワゴン、アウディが通った。X男から、E村方三叉路付近で車にひかれそうになったと言われたので見ると、ワゴン車が急いで走り去って行くのが見えた。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ(ボンゴ)で、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤだった。また、サイドウインドーにはマツダ純正と思われるベージュの色あせたカーテンがついており、リアウインドー(バックドアのガラス)は黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った。<br> 5 検討<br>  前記各供述者は、いずれも本件と全く関係ない第三者である上、比較的早い時期に捜査官から事情を聞かれて記憶が残っていると考えられるから、各供述内容は基本的に信用することができる。もっとも、D山がI村I郎方前路上で3台の車両と離合したという点については、同人方前路上には、まずW田が午前8時20分ころ三菱デリカワゴンを駐車させ、次いでX田X島が午前8時30分ころその前方にスカイラインを駐車させ、最後にX田X男がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だったため、X男が自車を移動させてX島の少し前方に駐車させたことが認められる。そうすると、V田よりも先にI村I郎方前路上を通過したD山が右3台の車両と離合しているはずがなく、D山は、I村I郎方前路上では、X島X太のスカイライン及びW田の三菱デリカワゴンの2台と離合したのみで、車種不明の3台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はD山の記憶違いによるものと認められる。<br>  ところで、D山は、A田及びB山と面識がないが、D山が2人の女の子を目撃したE村方三叉路はA田らの通学路であること、この日A田は黄色ジャンパーを着て赤色ランドセルを背負っていたこと、この直前に同三叉路手前の通学路で目撃されたA田らの様子は前記のとおりであって、D山が目撃した女の子らの様子とよく似ていることからすると、D山が平成4年2月20日午前8時30分ころ同三叉路付近で目撃した2人の女の子はA田とB山であると認められる。<br>  A田とB山がこの後も通学路を学校に向かっていたのであれば、当然、V田やX田X男らにその姿を目撃されたはずであるが、D山が目撃してから後、A田らを見た者はいない。そして、D山がA田とB山を目撃してから約3分後にD山と同じ道を通ったV田がA田とB山の姿を見ていないこと、G山は、同日午前8時50分ころ潤野小学校を車で出発し、E村方三叉路を北上してB山らの通学路を逆行し、平原バス停の北側の田中商店前付近まで行っているが、B山らの姿を見ていないことからすると、犯人は、D山がE村方三叉路付近を通過した後、V田がE村方三叉路付近を通過する前からG山がE村方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、B山とA田を略取又は誘拐して車でB山とA田を連れ去ったものと認めるのが相当である。<br>  弁護人は、県道大日寺潤野線に出る手前で、D山が目撃したボンゴ車に乗っていた髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が犯人である可能性を指摘する。しかし、前記のとおり、D山はI村I郎方前路上ではX島X太のスカイラインと離合しているのであるから、その後方を追従してきたX田X男のトヨタタウンエースと離合していないはずがないところ、X田X男が県道大日寺潤野線を右折して同三叉路の少し手前にあるガードレール付近で離合した若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と、D山運転の軽四輪乗用自動車とが、その離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、D山が目撃した作業員風の男性は、X田X男と認められ、同人が犯人である可能性はない。<br>  また、弁護人は、V田車がE村方三叉路を通過する前に被害児童が略取または誘拐されたとすると、V田車の通過後に紺色ワゴン車がE村方三叉路を通過していることから、紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないと主張するが、D山に被害児童が最後に目撃されてから被害児童がどのような行動をとったかは不明であり、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もあるから、弁護人の主張するように紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないということはできない。<br>  そうすると、この日X田X男及びW田W男が目撃した紺色、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーに黒っぽいフィルムを貼ったマツダのワンボックスタイプの自動車は、被害児童が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において目撃されていることになる。<br>  他方、前記のとおり、本件犯行当日である平成4年2月20日午前11時ころ、本件遺留品発見現場の直近でT田が目撃した不審な行動を示した男の側に停められていた不審車両は、紺色、後輪ダブルタイヤ、リア及びサイドウインドーに色付きのフィルムが貼ってあるワンボックスタイプの車である。<br>  これら2つの目撃事実は、日時及び場所の点でいずれも明らかに本件犯行と深い関わりを有するといえるところ、ほぼ同じ特徴を持つ別の自動車がそれぞれの日時、場所においてたまたま目撃されたという可能性も皆無とはいえないが、むしろこれらの目撃事実に照らしてみると、それぞれの日時、場所で目撃された自動車は同じものであり、これが本件犯人の使用していた自動車であるという疑いが極めて濃厚である。<br> =====四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて=====  被告人は、本件当時、紺色、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダボンゴ(被告人車)を使用していたのであるが、被告人の供述(乙4、6)によると、右当時、被告人車のサイドウインドー及びサイドリアウインドーには薄青色のフィルムが貼られ、それらの内側には茶系統の色あせたカーテンと白色のレースカーテンが取り付けられており、また、リアウインドー(バックドアのガラス)には濃い青色のフィルムが貼られていたというのであって、そのことは、被告人車のサイドウインドーに水色のフィルムが残存し、その周囲にフィルムを剥がしたためにできたような擦過痕があったこと(甲476の写真⑥、⑦)によっても裏付けられている。そうすると、本件当時の被告人車の特徴は、本件犯人の使用車両である疑いが極めて濃厚な前記車両の特徴と一致していることになる(なお、T田は、目撃車両の運転席側の後輪車軸部分の周囲が黒かったと供述しているところ、被告人車の同部分は検証時には黒くなかったことが認められる(甲476の写真⑭)が、もともとダブルタイヤの場合、新車でも2、3年経てばリアアクスル内の潤滑オイルが車軸の回転による熱や振動等により漏れを起こし、ハブ内のグリスと混じったものに泥等が付着して黒くなること(甲510)、後記のとおり被告人が被告人車を手放す直前に丹念に掃除をしていることからすると、運転席側の後輪車軸部分の汚れもその際に取り除かれた可能性が十分にあるから、右の点をもってT田の目撃車両と被告人車の同一性が否定されるものではない。)。<br>  また、本件犯人が被害児童を略取又は誘拐した現場であると認められるE村方三叉路付近は、福岡県の中央部に位置する飯塚市郊外にあって、路線バスの経路である県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所である(甲33)。このように付近住民の生活道路ともいえるような場所で、午前8時30分ころという比較的早い時間帯に右犯行が行われていること(さらに、八丁峠でT田が目撃したのが犯人車であるとすると、犯人は被害児童を略取又は誘拐してから約2時間30分後には遺留品発見現場及び死体遺棄現場である八丁峠に到着していることになるが、潤野小学校から八丁峠の死体遺棄現場まで自動車で行くだけで前記のとおり35分ないし53分かかること)にかんがみると、犯人は右各現場付近に土地勘があり、しかも、これら現場の近隣に居住する人物であると認めるのが相当である。そして、被告人は、後記のとおり、潤野地区に居住し、右各現場付近に土地勘があることが明らかであるのに対して、捜査の結果(甲526ないし535、728)によると、本件当時、飯塚警察署管内に居住又は所在し、かつ、被害児童が失踪したE村方三叉路付近道路を自動車で通行する可能性があって、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダ車を使用していた被告人以外の者9名には、いずれも本件当時のアリバイが成立し、かつ、これらの者が使用していたマツダ車の窓ガラスにはいずれも色付きのフィルムが貼られていなかったというのである。<br>  弁護人は、T田が目撃した男は、年齢が30ないし40歳くらいで、茶色のチョッキと白の長袖カッターシャツを着ており、頭の前の方が禿げていたようであるが、被告人は、当時54歳であり、着ていた着衣が異なる上、頭髪が額の生え際まで密生しており、T田が目撃した男の風体と一致しないと主張する。<br>  確かに、T田が供述する男の年齢は、被告人の実際の年齢と開きがあるが、T田が男を目撃したのは自動車で通過する一瞬であるから、人物識別についてのT田の供述は特に印象に残った点を供述しているに過ぎず、人物の風体を具体的に断定する供述ではない。その上、人の年頃については、個人差があるため正確な年齢を言い当てることは困難であることからすると、男の年齢についてのT田の供述は正確性に乏しいといえる。<br>  また、証人久間C子(29回275項ないし279項)によると、被告人は冬でも遅い時期までカッターシャツ1枚で過ごすことが多く、ベージュ系のチョッキを持っていた事実が認められる。<br>  さらに、T田は、公判で、男が前のめりに倒れる瞬間頭の前の方が禿げていたように見えた、男の髪の長さは禿げを隠すことができる程度の長さであった(545項ないし557項)と供述しており、T田のいう頭の前の方の禿げというのは、額の生え際部分のことではなく前頭部を指しているものと認められる。かたや、被告人は、公判で、本件犯行当時円形脱毛症に罹患し頭頂部が脱毛していた(31回365項ないし376項)と供述しているのであるから、禿げの部位が前頭部か頭頂部かの違いに過ぎず、T田の目撃が男が前のめりに倒れる一瞬の動きであることからすると、T田が目撃した男の禿げの状態と被告人の円形脱毛症による脱毛とは矛盾するとまではいえない。<br>  以上からすると、T田の目撃した男の風体は、被告人と一致しないという弁護人の主張は採用できない。<br>  もちろん、T田らが目撃した車両が犯人のものであるとまでは断定できない上、仮にそうであるとしても、被告人車だけが犯人車と同じ特徴を有するわけではなく、また、被告人だけが本件各現場付近に土地勘を持つものでもないことは明らかである。しかし、ここで重要なことは、被告人を本件犯人と仮定するに足りる事実があるということであり、それを超えて被告人が本件犯人であると断定できるかどうかはひとえに以下の情況証拠の検討にかかっているのである。<br> =====五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について===== 1 平成4年2月21日、A田とB山の死体発見現場において検死と実況見分が行われた後の午後9時ころ、死体は、着衣を着けたままの状態で死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送され、同署において、A田とB山の父親がそれぞれ死体の身元確認をした(甲6、10、727)。その後、死体は、同日午後10時35分ころ、同様の状態で九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所でA田とB山の着衣(A田については、黄色ジャンパー、赤色上着シャツ、長袖白色シャツ、半袖漫画プリントシャツ各1枚。B山については、白色ジャンパー、茶色トレーナー、横線入りシャツ、絵柄の半袖シャツ、チェック模様入りスカート各1枚。)を福岡県甘木警察署の警察官が実況見分の後、個別にビニール袋に入れて福岡県警察本部刑事部鑑識課の警察官に引き継ぎ、同警察官が同鑑識課写真室に搬送し、翌21日午前7時30分から午前10時までの間、A田とB山の被害当時の着衣に付着していた微細物の採取がリタックシート(微物採取用粘着シート)により行われた(甲20、21、727)。<br>  また、死体と共に発見された赤色手袋1双は、個別にビニール袋に入れ、甘木警察署証拠品倉庫に保管し、翌22日遺留品発見現場で発見されたA田とB山の所持品や衣類と共に、同日甘木警察署において、その付着していた微細物の採取がリタックシートにより行われた(甲24、727)。<br> 2 福山鑑定(証人福山晴夫 甲83ないし88、611)<br>  捜査機関は、平成4年2月25日、前記1の各リタックシートに微物が付着しているかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。また、捜査機関は、平成4年10月7日、押収していた被告人車のうち、座席シートについては全て同一の材質と認められたことから助手席シートのみから繊維片を採取し、その他運転席フロアマット、間仕切り部フロアマット、後部フロアマット、運転席フロントマットの繊維片を切り取り採取した上、同月15日、これらの繊維と同じものが被害者の着衣等に付着していないかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。以上の鑑定嘱託に基づき、同月19日(ただし実際に鑑定を開始したのは平成5年11月)から平成6年1月27日の間、科捜研において技術吏員福山晴夫がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 被告人車の運転席、間仕切り部及び後部の各フロアマット、運転席フロントマットから採取した繊維は、いずれも太く、形態的にも特徴があり、これらと同種の繊維がリタックシートに付着していれば、顕微鏡を用いることによって肉眼でも発見可能であると考えられるが、顕微鏡検査の結果、各リタックシートによって採取された繊維の中に、これらと同種のものは認められなかった。<br>  (二) 被告人車の助手席シートから採取した繊維は、直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)であった。なお、被告人車の助手席シートは、だいだい色、焦げ茶色、薄黄茶色及び黄茶色の4色で構成されている。<br>  (三) 各リタックシートに付着している無数のごく短い繊維の中に、直径約0.015ミリメートルの化学繊維(ナイロン6)で、被告人車の助手席シートの焦げ茶色部分の繊維と色及び表面の形態が類似するものが少なくとも13本あることが確認された。それらは、B山のチェック模様入りスカート前面(2本)及び後面(1本)、B山の赤色手袋背部(1本)、B山のフリル付白色靴下(2本)、A田のうさぎ柄白色靴下(3本)、A田の赤色キュロットスカート前面(1本)及び後面(3本)に付着していた。<br>  (四) 各リタックシートを再度入念に検査し、被告人車の助手席シートの繊維と類似する繊維の発見に努めたところ、焦げ茶色繊維と類似するもの19本(前記13本を含む。)、だいだい色繊維と類似するもの12本、黄茶色繊維と類似するもの46本、薄黄茶色繊維と類似するもの7本、合計84本の繊維を発見することができたので(ただし、前記13本を除き、ナイロン6かどうかの確認はしていない。)、これだけ捜せば鑑定の結論が出るだろうということで検査を打ち切った。<br>  (五) 科捜研ではこれらの繊維の色を客観的に鑑定することができなかったので、十分な異同識別を行うため、前記84本の繊維のうち、できるだけまんべんなく、それぞれの色について鑑定できるように39本(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)を採取し、警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)に送付することにした。<br>  また、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、前記84本の繊維のうち6本を任意提出資料(1)、10本(黄茶色8本、焦げ茶色2本)を任意提出資料(2)として、採取して捜査官に提出した。<br> 3 鈴木らの鑑定(証人鈴木真一 甲89、90)  捜査機関は、平成6年1月24日、前記福山鑑定において、リタックシートから発見、採取し、科警研に送付することにした39本の繊維の中に、被告人車の助手席シートの繊維と同じものがあるかどうかなどについて、科警研に鑑定嘱託した。これに基づき、同月27日から同年4月11日までの間、科警研において技術吏員鈴木真一ほか1名がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 光学顕微鏡による検査  被告人車の助手席シートの繊維(黄茶色、焦げ茶色、薄黄茶色及びだいだい色のもの)は、いずれも円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、直径は15ないし20マイクロメートルであった。このうち、黄茶色繊維には減光剤である二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維にはそれがわずかに認められたが、薄黄茶色繊維及びだいだい色繊維にはそれが認められなかった。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)のうち、動物毛であると認められた薄黄茶色繊維1本(資料2のウ)以外は、すべて円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、長さは2ないし10ミリメートル、直径は15ないし20マイクロメートルであった。これらのうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)に二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)に二酸化チタンの添加がわずかに認められ、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)及び薄黄茶色繊維4本中2本(資料10、18)には二酸化チタンの添加が認められなかった。<br>  (二) 顕微分光光度計による紫外部・可視部透過プロファイルの測定  次に、繊維を透過した光を波長に分光して、どの波長の光が吸収され、あるいはどの波長の光がどの程度透過しているかをグラフ化すること(グラフ化したものを「プロファイル」という。)によって、繊維の色調を客観的に評価した。<br>  その結果、被告人車の助手席シートの繊維のうち、薄黄茶色繊維からは特徴的なプロファイルが得られなかったが、そのほかの色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られた。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維のうち、薄黄茶色のもの5本(動物毛1本を含む。)を除く34本についてもプロファイルを得た上、被告人車の助手席シートの繊維のプロファイルと比較したところ、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)について、それぞれ被告人車の助手席シートの対応する色の繊維と類似していた。<br>  (三) 赤外吸収スペクトルの測定<br>  さらに、赤外吸収スペクトルを測定して各繊維の材質を調べたところ、被告人車の助手席シートの繊維はナイロン6であり、リタックシート付着の繊維のうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)及びだいだい色繊維9本(資料4、6、11ないし14、16ないし18)もすべてナイロン6であった。<br>  (四) これらの検査の結果、B山の白色ジャンパー前面(1本、資料2の黄茶色繊維)、B山のチェック模様入りスカート前面(2本、資料3の黄茶色及び焦げ茶色繊維)及び後面(3本、資料4の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の黄色ジャンパー前面(1本、資料5の黄茶色繊維)、B山の赤色手袋(2本、資料6の黄茶色及び資料7の焦茶色繊維)、B山のフリル付白色靴下(5本、資料8の黄茶色及び焦げ茶色繊維並びに資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の熊柄入り白色パンティー(2本、資料9及び10の黄茶色繊維)、A田のうさぎ柄白色靴下(7本、資料11、12、15及び16の黄茶色繊維、資料15の焦げ茶色繊維、資料11及び12のだいだい色繊維)、B山の羊柄パンティー(1本、資料11のだいだい色繊維)、A田の赤色キュロットスカート前面(3本、資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及び後面(2本、資料18の黄茶色及び焦げ茶色繊維)付着の繊維合計29本(黄茶色15本、焦げ茶色8本、だいだい色6本)について、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維と一致又は類似していることが判明した。このうち、B山のチェック模様入りスカート後面付着の3本(資料4の黄茶色、焦げ茶色、だいだい色繊維)、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)について、更に特性X線スペクトルを測定して含有元素分析を行った結果、特徴的な元素として、黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。他方、被告人車の助手席シートの繊維について同じ分析をしたところ、同様に黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。<br> 4 被告人車と同型車を使うなどした実験の結果(証人福山晴夫 甲105ないし110) <br>  捜査機関は、平成6年3月6日、被告人車と同型車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト)に8歳の女児を乗車させて飯塚警察署から八丁峠まで同車を走行させた場合、女児の着衣(ジャンパー、スカート、パンツ及び靴下)に同車の座席シートの繊維が付着することがあるかどうかを確認する実験をした。実験には新品の衣類を使用し、事前にリタックシートを使って衣類及び実験車の座席シートの表面に付着している可能性がある微物を除去した上で実験を行った。八丁峠到着直後、女児の着衣を脱がせてビニール袋に収納し、飯塚警察署に持ち帰って、再びリタックシートで表面の微物を採取した。そして、各リタックシートを顕微鏡で見ると、同車の座席シートの繊維(焦げ茶色、だいだい色及び黄茶色のもの)と似た化学繊維を多数発見することができた。その中の一部を検査した結果、いずれも直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)で、黄茶色のものについては繊維内部に二酸化チタンの含有を示す斑点があり、座席シートの繊維の特徴と一致した。<br>  また、捜査機関は、同年9月12日、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの一部を使用して、その上に新品の衣類(パンツ及靴下)を落下させただけで座席シートの繊維が付着するかどうかを確認する実験をした。その結果、これらの衣類には座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維3本及び由来不明の繊維1本が付着していた。さらに、同日、座席シートを捜査用車両の後部座席に敷き、その上に新品の衣類(パンツ及び靴下)を落下させた後、同車を走行させて飯塚警察署と八丁峠を往復した場合、これらの衣類にはそれぞれ座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維8ないし9本及び由来不明の繊維2本(羊毛とレーヨン)が付着していた。<br> 5 被告人車の座席シートの布地及びそれを構成する繊維の特徴<br>  証拠によると以下の事実が認められる。<br>  (一) 被告人車は、マツダ株式会社(当時は東洋工業株式会社)が製造した「マツダステーションワゴンボンゴ」という車種の普通乗用自動車で、中でも最高グレードのウエストコーストである。被告人車の座席シート(助手席を含む全部の座席)に使用されている織布(S-TYR313X、以下「本件織布」という。)は、マツダが、ウエストコーストのマイナーチェンジに際して、ウエストコースト専用に開発したものであって、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたウエストコーストの座席シートにだけ使用されており、他のマツダ車には一切使用されていない(甲120)。<br>  (二) 本件織布は、住江織物株式会社(以下「住江織物」という。)製のモケット(地糸の上に立体的にパイル糸を織り込んだもの)で、住江織物は、パイル糸を東レ株式会社(以下「東レ」という。)から購入し、茶久染色株式会社(以下「茶久染色」という。)に染色させていた(証人Q田Q男)。<br>  (三) 本件織布のパイル糸の原糸は、東レが自社で製造したナイロンステープル(短繊維のナイロン糸)を紡績加工業者に紡績させたもの(スパンナイロン)で、原糸であるナイロンステープルには以下の特徴がある(甲133)。<br>  (1) 材質がナイロン6である。<br>  (2) 太さが2.2デニール直径約18マイクロメートル、すなわち0.018ミリメートル)である。<br>  (3) 繊維中の二酸化チタンの含有量が、0.02パーセント(ブライト)又は0.36ないし0.38パーセント(ゼミダル)である。なお、製造当初は銅化合物未添加であったが、途中から沃化銅が添加されるようになった。<br>  (四) ナイロン6ステーブルの国内製造メーカーは東レ及びユニチカ株式会社(以下「ユニチカ」という。)の2社であるが、ユニチカ製のものは繊維中の二酸化チタンの含有率が0.00パーセント(ブライト)又は0.25パーセント(ゼミダル)で、東レのものとは数値が異なっている。また、ナイロン6の製造メーカーは国外にもあるが、チタン含有量等の詳細は不明である。なお、欧米ではナイロン6ではなくナイロン66が製造されている(証人N田N男)。<br>  (五) 本件織布のパイル糸の原糸は、いずれもカーシート専用として生産されていたが(ただし、銅化合物未添加のものは、少量ながら一般資材用途(ゴム引き布帛用など)にも使用されていた。)、本件織布のパイル糸専用ではなく、カーシート大手メーカーである川島織物株式会社及び住江織物に大量に供給されていた(甲133)。<br>  (六) 茶久染色が本件織布のパイル糸染色加工に使用した染料及びその配合比は、以下のとおりである(単位はいずれもパーミル、すなわち繊維1キログラム当たりのグラム数である。)。<br>  (1) だいだい色部分(色目はオレンジ) <br>  イソランイエローK-RLS200 9.0(後に8.55) <br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.0<br>  (2) 焦げ茶色部分(色目はブラウン) <br>  イソランイエローK-RLS200 22.0(後に20.9) <br>  ラナシンブラックBRL200 6.0<br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.5<br>  (3)薄黄茶色部分(色目はノウベージュ及びタンベージュ) <br>  ア ノウベージユ<br>  イソランイエローK-RLS200 1.4(後に1.33) <br>  イソランイエローK-GL 0.9<br>  ラナシンブラックBRL200 0.5<br>  イ タンベージュ<br>  イソランイエローK-RLS200 0.12(後に0.114)イソランイエローK-GL 0.1<br>  ラナシンブラックBRL200 0.05<br>  (4)黄茶色部分(色目はセピア) <br>  イソランイエローK-RLS200 4.2(後に3.99) <br>  ラナシンブラックBRL200 0.96<br>  イソランイエローK-GL 0.36<br>  なお、パイル糸はいずれも双糸(2本の糸をよって合わせたもの)であって、(1)、(2)及び(4)は双糸の状態で染色されているが、(3)は、2本の糸をそれぞれノウベージュとタンベージュの色目に染色した後でより合わせたものである(証人R田R男 甲126の取調部分)。<br>  (七) 前記染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されている。コバルト入りの染料は対光堅牢性に優れていることから、カーシート繊維は一般にコバルト入りの染料で染色されている。多数ある染料の種類の内どの染料を使うか、染料をどのように組み合わせるか、どのような配合比にするかは、各染料メーカーが独自に決定する。したがって、ある繊維の染色を分析して配合比についてまで他の染色メーカーのそれと一致することはまずあり得ない。茶久染色では、イソランイエローK-RLS200をカーシート繊維の染色専用に使っている。茶久染色は、種々の自動車メーカー用にカーシート繊維を染色しているが、その場合にもイソランイエローK-RLS200やラナシンブラックBRL200を使うことが多い。ただし、本件織布と同じような染料配合比をほかで使ったことはない。また、本件織布の染色に使った染料の製造メーカーはドイツバイエルン社(イソランイエローK-RLS200及びK-GL)、スイスチバガイギー社(イルガランレッドブラウンRL200)及びスイスサンド社(ラナシンブラックBRL200)の3社にわたっており、このように異なるメーカーの染料を配合して使うことは珍しい。カーシート用の原糸の太さは、電車やバスの座席シートの原糸と比べると明らかに細く、ソファーや衣類に用いられる糸とも異なっている。カーシート用の原糸としてナイロン6が用いられていたのは、昭和63年ないし平成元年ころまでのことで、以後急速にポリエステルに移行した(証人R田)。<br> 6 東レ鑑定(証人N田N男、O田O男、P田P男 甲88、90、91、98ないし101) <br>  捜査機関は、前記2(5)のとおり、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、被害児童の着衣に付着していた6本の繊維を任意提出資料(1)として保存していたところ、平成6年3月9日、その中に、被告人車の座席のシートの繊維(カーシートパイル)と同じものがあるかどうかなどについて、東レに対して鑑定嘱託した。任意提出資料(1)の6本の内訳は次のとおりである。<br>  資料3 B山のチェック模様入りスカートから採取した黄茶色繊維<br>  資料12 A田のうさぎ柄白色靴下から採取しただいだい色繊維<br>  資料13 B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料15 A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料17 A田の赤色キュロットスカート前面から採取した焦げ茶色繊維<br>  資料18 A田の赤色キュロットスカート後面から採取した焦げ茶色繊維<br>  右資料に基づき、東レのN田N男並びに株式会社東レリサーチセンターのO田O男及びP田P男が実施し、1994(平成6)年5月20日付け書面で報告した鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 金属分析<br>  被告人車のカーシートパイル(資料A)から各色の繊維部をはさみで刈り取り、溶液化したものについて、ICP発光分光分析法によってチタン及び銅を定量した。その結果、二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、それぞれ、黄茶色部分が0.34、焦げ茶色部分が0.024、だいだい色部分が0.023、薄黄茶色部分が0.020であった。したがって、黄茶色部分がゼミダル、他の部分がブライトであることが判明した。そして、定量した銅化合物の添加量からみて、原糸は銅化合物添加後のものであると推定された。<br>  他方、任意提出資料(1)(資料B)の各繊維については、レーザーマイクロプローブ発光分光分析法により二酸化チタンを定量した(極微量のため銅を定量することはできなかった。)。その結果、各繊維の二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)がいずれも0.34であって、資料Aの黄茶色部分のそれと一致し、また、焦げ茶色繊維2本(資料17、18)がいずれも0.02であって、資料Aの焦げ茶色部分のそれとほぼ一致したが、だいだい色繊維1本(資料12)は0.34であって、資料Aのだいだい色部分のそれと一致しなかった。<br>  なお、光学顕微鏡で読み取った結果、資料Bの各繊維の長さは、資料3、13、15が約5ミリメートル、資料12が約6ミリメートル、資料17、18が約3ミリメートルで、直径は、いずれも約16マイクロメートルであった。  (二) 染料分析  レ-ザーラマン分光法(物質にレーザー光を照射したことによって発生する散乱先の強度及び照射光からのシフト(ラマンスペクトル)を測定して、化合物を同定する方法)により、染料分析を行うため、まず、本件織布の染色加工に使用された各染料について、マクロラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。次に、被告人車のカーシートパイル(資料A)の各色部分から単糸を抜き出し、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定して、染料のラマンスペクトルと比較した。その結果、ラマンスペクトルでは資料Aのいずれの色からも主としてイソランイエローK-RLS200が検出され、だいだい色以外の色からはラナシンブラックBRL200がわずかに検出されることが判明した。また、資料Aのいずれの色についても、ラマンスペクトルの1120カイザー(ラマンシフトの単位)付近に、染料と無関係で、染色時の添加剤などによるものと推定されるラマンバンドが認められた。<br>  さらに、任意提出資料(1)(資料B)についても、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。その結果、だいだい色繊維1本(資料12)のラマンスペクトルはどの染料とも一致せず、資料Aとは無関係であることが判明した。他方、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)のラマンスペクトルからは、いずれもイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200が検出された。<br>  なお、弁護人は、証人P田が公判で、「ラナシンブラックが使用されているとは断定できない。ラナシンブラックが使用されているとしても矛盾しないと言えるだけ。」と供述(14回)したことをもって、染料分析(甲101)の内容を訂正していると主張する。<br>  しかしながら、弁護人が証人P田に対し、ラマンスペクトルでラナシンブラックBRL200を示す2本のピークのうち、1365カイザー付近に明確なピークが認められないとして追及したのは、Fig.6及び8についてであって、その点については証人P田も肯定する供述をしているが(14回10項、15項、106項、107項)、Fig.6は被告人車から採取したBRブラウン(焦げ茶色)の、また、Fig.8は、被告人車から採取したBSセピア(黄茶色)の各単糸であるから、それらにはP田が茶久染色から入手したカーシートパイルの染色レサイプからも明らかなように、確実にラナシンブラックBRL200が含有されているのであって、証人P田は、「染料レサイプとか、それから、染料のスペクトルを考えると、まさに、それが同一物だとして全く矛盾のない結果がえられている」と供述しているに過ぎないのである。他方、資料3、13、15、17、18のラマンスペクトルは、順にFig.9、11、12、13、14であって、いずれもラナシンブラックBRL200の含有を示す1310カイザーと1365カイザー付近に明確にピークが認められる(甲101)のであり、東レ鑑定の最終的な取りまとめを行った証人N田も「(ラナシンブラックについては)検出自体はしていると。鑑定書にも僅かに存在するという表現を使ってますが、検出されているということでございます。」(14回187項)と供述しているところである。<br>  さらに、これらの繊維が、資料Aのだいだい色以外のどの色の繊維と同種であるかを推定するため、各ラマンスペクトルからイソランイエローK-RLS200の最も強いバンドである1410カイザーにおけるラマンバンド(R)とバックグラウンド(B)の強度比(R/B)を求めたところ、次のとおりであった。<br>  資料A 焦げ茶色(5.93)、黄茶色(2.12)、薄黄茶色(0.65) <br>  資料B 資料3(0.70)、同13(0.34)、同15(1.96)、同17(8.4)、同18(6.7) <br>  なお、右の強度比を比較するに際しては、プラスマイナス50パーセントくらいの誤差があることが経験的に分かっているので、これを考慮に入れて同一性を判断する必要があり、他方、繊維の劣化や汚染などによりバックグラウンドが高くなる可能性もあるため、右結果の断定は困難である(証人P田)。これらを念頭に置いて判断すると、資料Bの資料3(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分か薄黄茶色部分、同13(黄茶色繊維)は資料Aの薄黄茶色部分、同15(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分、同17及び18(焦げ茶色繊維)は資料Aの焦げ茶色部分と同種の繊維であると推定された。<br>  (三) 結論<br>   (1) 資料Bは東レ製であるか<br>  資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであるならば、だいだい色繊維1本(資料12)を除き、二酸化チタンの含有量などから東レ製とほぼ断定できる。なお、東レでは資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであることの確認はしていない。ただし、フィラメント糸使い布帛の場合は、数十ミリメートル前後の長さのそろった繊維片として切断、脱落することはほとんどないから、これらがステープルであることはほぼ間違いない。<br>   (2) 資料Aの原糸と資料Bの原糸との異同<br>  資料Bについて、銅の定量分析ができなかったが、その原因が極微量のため検知限度以下であったことによる(証人O田)とすると、レーザーラマン分光分析から資料Aに使用されていた主要染料2種類が検出されたこと、酸化チタン分析の結果、資料Aと対応する同一量の二酸化チタンが検出されたことから、資料Bのうち黄茶色繊維2本(資料3、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、それぞれ資料Aの黄茶色部分及び焦げ茶色部分と同一の繊維で、資料Aから脱落したものと考えられる。資料Bの黄茶色繊維1本(資料13)は、染料分析の結果では資料Aの薄黄茶色部分と同種の繊維であると推定されたが、染料含有量は染色のばらつき等により変動するが、二酸化チタンは変動しないことからすると、金属分析の結果(二酸化チタンの含有量)から資料80薄黄茶色部分と同種の繊維であることは考えられず、黄茶色部分と同種の繊維である可能性が高いが断定できない。だいだい色繊維(同12)は、資料Aから脱落した繊維ではない。<br> 7 ユニチカ鑑定(職28) <br>  当裁判所は、東レが分析を終え、捜査機関に返還していた任意提出資料(1)(資料B)の各繊維(それぞれプレパラートに固定されたもの、平成7年押第140号の2ないし7)を証拠物として取り調べ、これらがナイロン6であるかどうかについて、株式会社ユニチカリサーチラボの松尾隆明に対して鑑定を命じた結果、資料12のだいだい色繊維1本がアクリルであったが、それ以外の5本の繊維はいずれもナイロン6であった。<br> 8 検討<br>  本件被害当日B山が身に着けていたチェック模様入りスカートは、母親が犯行日の前日飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の朝包装を開いて初めて着用した(甲30 証人B山B美)ものであること、B山はチェック模様入りスカート等を身に着けたまま死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送された後、九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所で警察官が同スカートをビニール袋に入れていること、前記のとおり犯人が自動車を使用していること、リタックシートによる微物採取の結果によると、同スカートには少なくとも7本のスカート生地とは異なる繊維片が付着していることのほか、捜査機関が行った座席シート繊維の着衣に対する付着実験の結果からすると、同スカートに付着していた繊維片(科警研送付の資料3の①黄茶色、②薄黄茶色及び③焦げ茶色繊維並びに資料4の④黄茶色、⑤焦げ茶色及び⑥だいだい色繊維、東レ送付の任意提出資料(1)の資料3の⑦黄茶色繊維)は、B山が登校中に犯人から車両に乗せられて殺害され遺棄されるまでの間に、犯人車内の何らかの繊維あるいは犯人と関係のある何らかの物(例えば、犯人の着ていた衣服の繊維や犯行の用に供した物)の繊維が付着したものと認められ、その他の機会に付着した可能性はない。<br>  そこで、これら7本の繊維のうち、東レ及びユニチカ鑑定によって最も詳細な分析が行われている⑦の黄茶色繊維について検討するに、右繊維は、素材がナイロン6であること、光学顕微鏡によると、長さが約5ミリメートル、直径が約16マイクロメートルであること、減光剤としてチタン(二酸化チタン)が添加されており、その含有量が0.34重量パーセントであること、銅化合物の添加の有無については、資料が極微量であったために検知限度以下であり、定量分析ができなかったこと、ラマンスペクトルでの分析によると、塗料として、主としてイソランイエローK-RLS200が含まれ、ラナシンブラックBRL200がわずかに検出され、イソランイエローK-RLS200のラマンスペクトルで最も強いバンドのピークである1410カイザーにおけるバックグラウンドの強度比が0.70であること、ラマンスペクトルで1120カイザー付近に染色時の添加剤によるものと推定されるラマンバンドのピークが存在することが認められる。<br>  ところで、証拠(証人N田 甲133)によると、ナイロン6には端がない繊維であるフィラメント(長繊維)と長さ数十ミリメートル程度のステープル(短繊維)があること、ナイロン6の製造メーカーは国内に6社あり、二酸化チタンの含有量によって製造メーカーを特定できるところ、その含有量が0.34重量パーセントと0.02重量パーセントのものは、国内では東レのカーシート用ナイロンステープルであること、欧米で製造されるナイロンはナイロン66が主体であり、その他の国で製造されるナイロン6の二酸化チタンの含有量については不明であること、東レのカーシート用ナイロン6ステープルは、昭和57年に生産を開始したものについては、沃化銅を添加しており、カーシート専用として、それ以前に生産していたものについては、沃化銅を添加しておらず、主としてカーシート用であるが、その他にも少量ではあるが一般資材用として製造されていたこと、東レのカーシート用ナイロン6ステープルの太さは、20マイクロメートルであるが、繊維の太さは測定方法によってばらつきがあり、15から20マイクロメートルくらいの幅がある上、紡績糸の場合には捲縮といって変形があること、フィラメントのナイロン6は、使用中に擦り切れることはないので、カッターナイフ等で意図的に切断しない限り、数ミリメートル程度の長さで存在することはないが、ナイロン6ステープルの紡績糸は、撚った糸であるため数ミリメートル程度の長さで脱落しやすいことが認められる。<br>  ⑦の黄茶色繊維は、太さが16マイクロメートルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであるから、これが国内で製造されたものであれば、東レのナイロン6ステーブルであると認められる。もっとも、欧米以外の外国製のナイロン6の二酸化チタンの含有量が不明であるため、⑦の黄茶色繊維が東レのものであるとまでは断定することはできないが(東レ鑑定によっても、東レのナイロンステープルであるとまでは断定していない。)、後に述べるように被害児童の着衣からは、⑦の黄茶色繊維以外にも、被告人車、すなわち、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維と特徴を同じくする合計113本のナイロン6の繊維が、いずれも2ないし10ミリメートル程度の長さで発見されているのであって、このように多数の、しかも、長さの異なるナイロン6の短い繊維が存在するということからして、これらがカッター等で切り取られたものであるとは到底考えられず、自然に抜け落ちたものが被害児童の着衣に接触して付着したものと認められることからすると、⑦の黄茶色繊維がステープルであることは間違いのない事実であるということができる。<br>  そして、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維(セピア)は、素材が東レのナイロン6ステープルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであること、科警研の光学顕微鏡によると、直径が約15マイクロメートルであることが認められ、これらは⑦の黄茶色繊維の特徴と合致している。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色部分には、染料として、ドイツバイエルン社のイソランイエローK-RLS200が3.99ないし4.2パーミル、スイスサンド社のラナシンブラックBRL200が0.96パーミル使用されているのであり、証人R田によると、このような染料の組み合わせや配合比がマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外の車両のそれと一致することは通常ありえないというのであり、現実にも、平成2年2月20日以前に製造されたマツダワンボックスカーの座席シートについて、本件織布と同じ色調のもので、かつ、その使用染料がイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせのものは、判明している限りでは存在しない(弁118)のである。また、証人P田の公判供述によると、ラマンスペクトルのラマンバンドのピークの位置と強度は特定の物質の存在とその量を示すというのであるところ(13回68項以下)、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1310カイザー及び1365カイザー(ラナシンブラックBRL200)、1410カイザー(イソランイエローK-RLS200)のラマンバンドのピークの形状(検甲冊添付のFig.18)は、⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルのそれの形状(検甲冊添付のFig.9)と極めて類似していることからすると、両者は、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の存在のみならず、その配合比についても極めて類似していると認められる。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1120カイザー付近にも染色時の添加剤によるものと考えられるラマンバンドの特異なピークが認められるほか、他のピークについても⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルと同様の反応を示していることからして、同一物質が同量存在しているものと推認される。<br>  そうすると、⑦の黄茶色繊維は、ナイロン6ステープルであって、その特徴が、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維の特徴と合致しており、特に、個別識定の有力な指標となる使用染料(証人N田13回75項以下)のほか、ラマンスペクトルの1120カイザー付近における特異なピークの存在の点においても一致しているところからして、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維片に由来する可能性が極めて濃厚である。そして、Q田及びR田証言によると、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートは、東レの長さ51ミリメートルのナイロン6ステープルを撚り合わせたパイル糸を地糸で留めたモケット織りが使用されているため、あそび毛が出やすく、使用中に数ミリメートル程度の長さで脱落することがあるというのであるから、⑦の黄茶色繊維は、B山がマツダステーションワゴン・ウエストコーストに乗せられた機会に、その座席シートの繊維片が付着したものである可能性が高いということができる(なお、東レ鑑定は、異同識別の結論部分において、⑦の黄茶色繊維が被告人車の座席シートの繊維と同一であるとしているが、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのナイロン6ステープルが東レのものであるとまでは断定できない上、後記のどおリイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせによって染色されたナイロン6ステープルがマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外に使用されていない事実が確定できない以上、右のように断定することはできないといわざるを得ない。)。<br>  以上の事実は、被害児童の着衣から⑦の黄茶色繊維以外にも次のような被告人車の助手席シートの繊維と特徴を同じくする繊維が採取されているくとによっても裏付けられている。<br>  すなわち、⑦の黄茶色繊維と採取場所を同じくするB山のチェック模様入りスカート付着繊維のうち、②の薄黄茶色繊維は、科警研の鈴木鑑定での光学顕微鏡による肉眼での検査によると、二酸化チタンの添加が認められるため、二酸化チタンの添加が認められない被告人車の助手席シートの薄黄茶色繊維の特徴と一致していない(もっとも、東レ鑑定によると、被告人車の座席シートの繊維のうち、黄茶色部分は、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのゼミダルであるが、その他の部分は、二酸化チタンの含有量が0.020ないし0.024重量パーセントのブライトであることが認められる上、鈴木鑑定によっても、ブライトであることが明らかな被告人車の座席シートの繊維の焦げ茶色部分については二酸化チタンが微細に添加されていることが認められるというのであるから、薄黄茶色部分のみならず、だいだい色部分についても、鈴木鑑定が肉眼での検査では二酸化チタンの含有を示す黒色の斑点が見えなかったというのは納得できないが、これが肉眼による検査であって、被告人車の座席シートの薄黄茶色、焦げ茶色、だいだい色部分の各繊維の顕微鏡写真である甲90添付の写真9ないし11からもうかがわれるように、二酸化チタンの含有を示すという黒い斑点の存在は微妙であって、その判定に主観が入っていることを考慮すると、鈴木鑑定のその他の部分の信用性に影響を及ぼすものではないということができる。)。しかし、その余の①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色繊維は、いずれも素材がナイロン6であって、繊維の直径が15マイクロメートルないし20マイクロメートルであること、そのうち、①④の黄茶色の繊維には二酸化チタンが添加されていること、③⑤の焦げ茶色の繊維にも二酸化チタンがわずかに添加されているほか、特性X線スペクトルの測定によると、⑤の焦げ茶色繊維にはチタンとコバルトが含まれている(マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されており、焦げ茶色部分には、イソランイエローK-RLS200が13.0パーミルから20.9パーミルと他の色に比べて倍以上配合されている。なお、特性X線スペクトルの測定によると、④の黄茶色と⑥のだいだい色繊維からはチタンが検出されていないが、同じ測定を行った被告人車の座席シートの黄茶色及びだいだい色部分からも含有されているはずのチタンが検出されていないのであるから、検出精度の問題であると考えられる。)こと、①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られていることが認められ、これらの特徴は、被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致又は類似しているのである。<br>  そして、B山の赤色手袋、フリル付白色靴下やA田のうさぎ柄靴下、赤色キュロットスカート等にも、B山のスカートに付着していた繊維と同様のだいだい色、焦げ茶色、黄茶色の繊維が付着していたのであるから、それらの繊維の中には、犯人車に乗せられた同一の機会に付着した繊維片があるものとみることができる。そうであるところ、科警研送付資料のうち、B山の白色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料2)、A田の黄色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料5)、B山の赤色手袋から採取した黄茶色(資料6)及び焦げ茶色繊維(資料7)各1本、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維2本(資料8、13)、焦げ茶色繊維2本(資料8、13)及びだいだい色繊維1本(資料13)、A田の熊柄入り白色パンティーから採取した黄茶色繊維2本(資料9、10)、A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維4本(資料11、12、15、16)、焦げ茶色繊維1本(資料15)及びだいだい色繊維2本(資料具12)、B山の羊柄パンティーから採取しただいだい色繊維1本(資料14)、A田の赤色キュロットスカート前面から採取した黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維各1本(資料17)並びに後面から採取した黄茶色及び焦げ茶色繊維各1本(資料18)の合計24本については、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維のそれと一致又は類似している。このうち、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)からは、特徴的な元素として、黄茶色繊維については二酸化チタンが、焦げ茶色繊維については二酸化チタン及びコバルトが検出されており、この点でも被告人車の助手席シートの繊維と一致しているのである。<br>  また、東レ送付の任意提出資料(1)のうち、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維1本(資料15)及びA田の赤色キュロットスカートから採取した焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、いずれもナイロン6であって、二酸化チタンの含有量が東レのナイロン6と一致しており、さらに、染料分析の結果も被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致しているのである。<br>  もっとも、マツダワンボックスカーの座席シートを独占製造しているデルタ工業株式会社の調査(弁118)によると、平成4年2月20日までに製造された座席シートのうち、原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として使用されているのは、本件織布(布番号S-TYR313X)のほかにも、①布番号S-W001XとS-W002Xがあり、さらに、②原糸材質が東レのナイロンで染料の不明なものが4種類、③原糸材質も染料も不明なものが2種類あることが認められる。そして、①については、色調がダークグレーと異なっており、また、③については、そのうちの1種類は、色調が異なるグレーでアメリカ製のものであるところ、欧米のナイロンはナイロン66が主体であること(証人N田)、残りの1種類は、調査時から21年前に開発されたものであることからして、これらの繊維片が被害児童の着衣に付着した可能性はないということができる。しかし、②については、そのうちの2種類は色調がライトブラウン及びグレーで異なっているが、残りの2種類は色調が「タン」となっていて、しかも布番号S-TYR8182Xのものは、色を示すTYRの部分がマツダステーションワゴン・ウエストコーストの色調と同一である。これに加えて、マツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として、マツダステーションワゴン・ウエストコーストと同じような配合比で使用されている可能性は、証人R田の供述によって、ほとんどないということはできても、そのような現実的な可能性が全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、これらの点については、弁護人が指摘するとおりである。したがって、右の点からしても、被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできないといわざるを得ないのである。<br> =====六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について===== 1 被告人車内に血痕及び尿痕が存在することについて<br>  証拠によると、以下の事実が認められる。<br>  (一)被告人車は、いわゆるワンボックスタイプの車両であり、乗車定員は9名で、車内には、運転席及び2人掛けの助手席が横1列に設置されているほか、その後方に、3人掛けの座席シートが前後2列設置されており(以下、3人掛けの座席シートのうち、前方のものを「中央部座席」、後方のものを「後部座席」という。)、床面には薄い茶色の繊維製のフロアマットが敷かれている(甲476)。<br>  (二) 科警研技術吏員林葉康彦ほか1名は、福岡県飯塚警察署から、被告人車の座席等へのヒト血痕付着の有無等についての鑑定嘱託を受け、平成4年9月28日及び同月30日から10月5日までの間、鑑定を実施した。その結果、別紙2のとおり、後部座席及びその付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが(なお、別紙2記載のAないしCの部分はいずれも後部座席の一部であり、Dの部分はフロアマットの一部である。Cの部分のシートの色は、黄茶色である。)、被告人車のそれ以外の部分(運転席、助手席、中央部座席、シートベルト)からは尿反応も血液反応も認められなかった。<br>  林葉らは、右尿反応を示した各部分について血液型検査を行ったが、血液型を判定することはできず、また、右血液反応を示した各部分については、科警研に対して以後の鑑定(人血検査、血液型検査及びDNA型検査)を依頼した。(甲478、480、483) <br>  (三) 科警研技官坂井活子は、平成4年10月6日から平成5年3月17日までの間、前記血液反応を示した各部分について、その血液型及びDNA型等について鑑定した。その結果、別紙2記載のCの部分(後部座席)については、座席シートの生地だけでなくその下のスポンジにもA田の血液型と同じO型の人血痕が付着していること、別紙2記載のDの部分(フロアマット)にもO型の人血痕が付着していることが判明したが、これらのDNA型(MCT118型及びHLADQα型)は検出できなかった。また、Cの部分のシート生地の裏側及びその下のスポンジに付着している血痕がいずれも水で希釈浸透したような形状を示しているのに対して、同部分の座席シートの表面には肉眼では血痕が認められないことから、表面に付着した人血痕が水で拭き取られたのではないかと考えられた。そして、一般に、水で希釈された血痕ではDNAが分解されやすいので、これらの血痕についてDNA型が検出できなかった理由も右のような事情にあるものと考えられた。さらに、Dの部分の血痕も、繊維の比較的下層にやや多く散在していたことから、フロアマット表面に付着した人血痕が拭き取られたものと考えられた(甲482)。<br>  (四) ところで、捜査機関は、被害児童の着衣に付着していた繊維片と被告人車の座席シートに使われていた生地の原糸との異同識別について、東レに鑑定を嘱託するため、被告人車の後部座席のシート生地を約10センチメートル角の大きさに切り取っていた(切り取ったのは別紙2記載のEの部分である。)が、平成6年4月25日に至って、同部分においてむき出しになっていたスポンジ部分に血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田I子 甲484)。また、捜査機関は、翌26日、東レ応接室において、右鑑定を行った株式会社東レリサーチセンター無機分析化学第2研究室の室長であるO田O男立会いの下に、切り取ったシート生地の裏側にも血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田、O田 甲485)。さらに、捜査機関は、同月18日、被告人車の後部座席の一部について、実況見分を実施した結果、シート生地の裏側及びその下のスポンジ部分に血痕様の斑痕があるのを発見した(甲487)。そこで、捜査機関は、同年5月9日、科警研に対して、東レ応接室で発見したシート生地裏側の血痕様のもの及び同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについて、血液型及びDNA型等の鑑定を嘱託した(甲489)。<br>  (五) 坂井ほか1名は、平成6年5月23日から同年12月8日までの間、前記嘱託に基づいて鑑定をした(甲490)。その結果、東レ応接室で発見したシート生地裏側の2か所((ア)約1.5センチメートル角の茶褐色の斑痕、(イ)約2センチメートル掛ける2.5センチメートル大の淡褐色の斑痕)から大血痕が検出され、そのうち(ア)については、血液型がA田と同じO型、DNA型のうちGc型もA田と同じC型であることが判明した。また、(イ)については、血液型が恐らくO型であることが判明したが、DNA型を検出することはできなかった。他方、同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについては、ヒト血痕であるかどうかを明らかにすることができなかった。<br> 2 被告人車内に血痕及び尿痕が付着した時期について<br>  (一) 証拠(証人S田S男、甲78、80、508、509乙4)によると、以下の事実が認められる。<br>  (1) 被告人車は、昭和58年7月、北九州マツダから新車として販売され、北九州市在住のS田S男が購入した。S田S男は、約6年間、被告人車を使用した後、平成元年7月ころ、買換えのため、北九州三菱自動車に下取りさせた。<br>  (2) 飯塚市内においてカースーパー「P山屋」の商号で中古車販売業を営んでいたP山P郎は、同月ころ、北九州三菱自動車から被告人車を中古車として購入した。このとき、被告人車のボディーには多少の傷があったので、P山は、被告人車を板金塗装修理に出した後、販売のため展示していた。<br>  (3) 被告人は、同年9月末ころ、「P山屋」を訪れ、展示してあった中古の被告人車を妻の所有名義で購入することにした。P山は、被告人車を洗車してワックスを掛け、車内に掃除機をかけてきれいに清掃した後、被告人に引き渡した。被告人は、約3年間、被告人車を自家用に使用した後、平成4年9月26日、新たに購入した自動車が自宅に納車された際、新車の購入先であるオートラマ大栄に対し、被告人車を下取りのため引き取らせた。<br>  (4) 捜査機関は、同日、被告人車を押収した。<br>  (二) 検討<br>  被告人車の最初の使用者であるS田S男は、公判で、次のような供述をしている。<br>  昭和58年7月に被告人車を新車で購入した。大工の仕事をしていたので被告人車を足代わりに使用し、休日には家族(妻及び子供3人)を乗せたりもしていた。被告人車を購入した直後ころ、中央部座席及び後部座席にシートカバーを取り付け、これらの座席の足下にはフロアマットの上に玄関マットのような足ふきマットを置いた。子供には土足で車内に上がらせないようにしていた。被告人車を使用している間に、家族などが車内で出血したり、尿をもらしたりしたことはない。被告人車内の血痕及び尿痕には全く心当たりはない。座席シートを水洗いしたことはない。家族には血液型がO型の者はいない。<br>  また、S田S男の妻S子も、公判で、夫と同様の供述をしているほか、被告人車を購入した当時、1番下の子供はまだ2歳になっていなかったが、既に昼間はおむつをはずしており、夜間念のためおむつをつけていたような状態だったので、子供たちが被告人車内で尿をもらしたということはない、他人に被告人車を貸したこともないなどと供述している。<br>  右各供述の信用性に疑いを差し挟むような事情は何ら存せず、これらの供述によると、被告人車内の血痕及び尿痕はS田S男が被告人車を使用している間に付着したものではないと認めることができる。<br>  次に、S田S男が被告人車を下取りに出してから被告人がこれを購入するまでの経路は前記認定のとおりであって、この間に被告人車に血痕及び尿痕が付着したことをうかがわせるような証拠はない(なお、P山は、被告人車を被告人に引き渡す前に車内をきれいにしているが、このとき怪我をした記憶はないと供述(甲509)している。)。さらに、捜査機関は、被告人が被告人車を下取りに出したその日にこれを押収している。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕は、被告人が被告人車を使用していたときに何らかの事情で付着したと認めるのが相当である。<br> 3 被告人車内の血痕及び尿痕について被告人がその原因を知り得たかどうかという点について<br>  (一) 被告人車の使用状況<br>  被告人は、捜査段階で検察官に対し、被告人車を購入してから下取りに出すまでずっと自分が運転していたと供述しており(乙9)、また、被告人の妻C子も、公判で、被告人車の使用状況について、運転していたのは被告人で、その用途は、平日の日課として妻を職場に送り迎えしたり、被告人の実母方を訪ねたりするなど、ほとんど家の用件だったと供述している(28回20項以下)。このほか、被告人ないし妻C子は、子供会の行事で被告人車を出したことがある(乙4)、被告人車で家族旅行に行った際、親類が同乗したこともある(C子29回191項以下)などと供述しているが、いずれにしても、被告人以外の者が被告人車を運転していた形跡はない。<br>  また、被告人は、公判で、週に2回程度、被告人車内に掃除機をかけるなどして車内を清掃していたと供述しているほか(32回162項以下)、取り外せる後部座席については取り外してホースで水をかけて洗ったことがある。取り外せない座席も水拭きしたことがあると供述しており(33回575項以下)、被告人は被告人車内を相当頻繁に清掃していたといえる。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車のほとんど唯一の運転者であり、被告人車は専ら被告人が管理していたと認めるのが相当である。<br> (2)検討<br>  前記のとおり、被告人車の後部座席及びフロアマットにおける血液反応部分は、別紙2記載のC及びDの各部分並びにEのシート生地の裏側の一部分であり、これらの部分からはいずれもO型の人血痕が検出されている。このうち、Cの部分の大きさは13センチメートル掛ける4センチメートル、Dの部分の大きさは22センチメートル掛ける8センチメートル、Eの部分の大きさは、1カ所が1.5センチメートル掛ける1.5センチメートル、もう1カ所が2センチメートル掛ける2.5センチメートルであるから、これらが同じ機会に付着した血痕であるかどうかは別として(Dの部分がCの部分の直下であることからすると、CとDの部分については、同一の機会に付着した血痕である可能性が高い。)、被告人車内において少なくとも1回はO型の人間が出血をしたことが明らかである。もっとも、Cの部分については、水で希釈された形跡があることから、出血の量については定かでないが、シート生地の裏側のみならず、その下のスポンジ部分にもO型の人血痕が浸透していることが明瞭に見て取れる(甲482)ところからすると、水で拭き取られていることを考慮しても、その血痕の量は、極微量ではなく、ある程度の量であったということができる。また、被告人車の後部座席における尿反応部分は別紙2記載のA及びBの各部分であって、それぞれ、15センチメートル掛ける8センチメートル、12センチメートル掛ける5センチメートルの大きさであるから、これらが同じ機会に付着した尿であるかどうかは別として、被告人車内において少なくとも1回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  走行中の車内でこのようなことが起きたのであれば、被告人車のほとんど唯一の運転者であった被告人としては、出血し、あるいは尿をもらした本人から直ちにその旨申告を受けるか、乳幼児が尿をもらしたときのように本人が申告できない場合であっても、傍らに付き添っていた者からその旨申告を受けることによって、血痕及び尿痕付着の原因について当然知り得たはずである。このことは、停車中の車内で子供が遊んでいて出血し、あるいは尿をもらしたときのように、その場に被告人が居合わせない場合であっても、被告人車の管理者が専ら被告人である以上、基本的には同様であるといえる。特に、出血をした本人が、自己の身体の変調に加えて被告人車の座席シートやフロアマットを血で汚してしまったことを被告人に黙ったままにしておくとは到底考えられない。<br>  そして、自分が使用、管理する自動車内で誰かが出血をしたということ自体、まれにしか経験しないような事柄である上、特に、血液が付着していた後部座席のうち、別紙2記載のCの部分は黄茶色の、また、Eの部分は黄茶色と薄黄茶色(甲490)のモケット織りであって、立体構造をなしている長さ3センチメートルのパイル糸(地糸で留められているので、起毛部分の長さは半分の1.5センチメートル、甲125)に赤色の血液が付着すると目立つと考えられるので、被告人がこれに気付かないはずがない。さらに、前記認定の鑑定結果によると、後部座席シート及びフロアマットに付着した血痕は何者かによって拭き取られたと認めるのが相当であり、このような作業をしたのは、日頃から被告人車内を相当頻繁に清掃していた被告人自身であるか、被告人の指示を受けた者であるとしか考えられないのであるから、右出血の事実及びその後始末をした事実について被告人の記憶に残らないはずはない。<br>  これに対して、尿痕については、血痕と比較するとその痕跡が目立たないと考えられる上、尿をもらした本人が恥ずかしさから内密にする可能性も皆無ではないので、血痕の場合のように断定的なことはいえないが、それにしても、そのような可能性は極めて低いうえ、少なくとも被告人の実母及び長男に関しては、後記のとおり、そのような事実があったとは認められないのである。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。<br> 4 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の捜査段階(平成6年10月ないし11月当時)における供述は概ね、以下のとおりである(乙4、9、11)。<br>  被告人車に乗った者の誰かがおしっこをもらしたという記憶は全くない。自分自身はもちろん、妻、長男、実母、長男の友達についても、そのほかの者についても、誰かが車内でおしっこをもらしたという記憶は残っていない。被告人車を買ったとき、長男は既に幼稚園の年長組で、おむつがとれて何年もたっていたので、おしっこをもらすような年齢ではなかった。また、自分以外の者が被告人車内にいたとき血が出たとか血が車内のどこかに付いたという記憶もない。妻、長男、実母その他の者が被告人車に乗っていた場面で出血したという記憶はない。長男が被告人車の中で鼻血を出したことはなかったと記憶している。義弟の家族と一緒に被告人車で旅行したことが3回あるが、その際、自分達家族や義弟の家族の中で誰かが車中でおしっこをもらしたり血を出したことはなかったと記憶している。被告人車を買う前か後か覚えていないが、実母が足にけがをしてなかなか血が止まらないことがあった。このときけがが治っていない実母を車に乗せたことがある。これは昭和63年4月ころに自宅を新築したころの話かもしれないが、時期は思い出せない。実母が最近けがをして出血したのはこのときだけである。妻に関しては、被告人車に乗っていたころを含めて、最近家の内外を問わず出血したのを見た記憶はない。長男については、足をすりむいて血が出たことはあるが、血が出ている状態で被告人車に乗ったとか、長男の血が車内のどこかについたという記憶まではない。<br>  (二) 次に、この点に関する被告人の公判供述は、次のとおりである(31回453項以下、33回511項以下)。<br>  被告人車内の血痕及び尿痕について心当たりは全くない。ただし、血痕について、妻の証言(平成2年2月ころに流産をしたが、その直前に被告人車から降りた後に下着を血で汚しているのに気付いたという後記①の供述を指す。)を聞いて、血痕が付着した原因はそれだったのかなと思った。しかし、このときには座席シートに血が付いていることには気が付かなかった。このほかに、1センチメートル程度の血痕であれば、長男が暴れて付けた可能性はあると思う。次に、尿痕付着の原因として、妻の証言(妻の実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って排尿の世話をしたことがあるという後記(2)の供述を指す。)を聞いて、その可能性もあると思ったが、中にはかわやを忘れたこともあったし、ほかにも長男や実母の可能性もある。また、平成4年9月ころ、実母を被告人車に乗せてナワタ医院に連れて行き、表で待っていると、(浣腸されたために大便をもらして)下着などを汚したと言って、汚れた下着を手に持って出てきたことがあり、その際、実母を被告人車に乗せて連れて帰ったが、このときに座席シートに汚物が付いたという記憶はない。なお、私は、平成2年ころ、被告人車に野犬捕獲器を積み込む際、かすり傷を負って、中央部座席にごくわずかに血を付けたことがある。また、平成4年ころ、後部座席を取り外して倉庫にしまおうとした際、小指を擦って、後部座席に少し血を付けたことがある。<br>  (三) 前記のとおり、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。ところが、被告人は、捜査段階では一貫して、被告人車内の血痕についても尿痕についても全く心当たりがない旨明確に供述し、公判では、いくつかの可能性について捜査段階では供述していなかったことを供述するに至ったものの、基本的には捜査段階同様、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について具体的に説明することができないのである。これは、極めて不自然なことといわざるを得ない。<br> 5 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の妻の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の妻C子の公判供述は、以下のとおりである(28回120項以下、282項以下、310項以下、29回224項以下、420項以下、642項以下、815項以下)。<br>  被告人車内で血を流した人がいるかどうかはっきり覚えていない。私が被告人車内で意識して血を出したことはなかったと思うが、はっきり分からない。長男が被告人車内で血を流したことがあるかどうかはっきり覚えていない。長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは分からない。しかし、①私は、平成2年2月ころ、流産をする直前に、被告人車に乗って外出先(筑後川温泉)から自宅に帰った後で、出血して下着を汚しているのに気付いたことがある。このとき車中では助手席を倒して寝ていたか、中央部座席及び後部座席を倒してベッドのような状態にしてそこに寝ていたかは覚えていない。このときストッキングやスカートが汚れているかどうかについて確認した記憶はない。その後、自宅から病院(有松病院)に行くときも被告人車に乗っている。このときも病院で下着が汚れているのに気付いたが、スカートなどが汚れていたかどうかは分からない。また、このとき被告人車の座席に血が付いたので拭き取ったという記憶もない。②実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って同女の排尿の世話をしたことがある。このときは、中央部座席を反転させることなく、そのまま背もたれ部を倒し、後部座席の背もたれ部も倒してベッドのような状態にして、その上に実母を寝かせたまま、自分は中央部座席の前の空間に身を入れて排尿の世話をした。尿をこぼさないように気をつけていたが、少しはこぼれたかもしれない。尿を取ったときは、お尻の下付近のシートを軽く拭くようにしていた。お尻の位置は中央部座席付近だと思うが、はっきり分からない。③平成4年9月ころ、義母から、ナワ夕医院で浣腸をされて下着を汚した、大便と一緒に小便も出たかもしれない、家に帰ってから上に着ていた服も洗ったなどと聞いたことがある。なお、私、長男、実母及び義母(更に実弟の家族4人全員)の血液型はいずれもO型である。<br>  (二) 他方、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、この点について次のような供述(甲493、6項)をしていた。<br> 「私もC男(長男)も、車内で出血したことなどありません。私もC男も鼻血などを車内で出したことも記憶にありません。この車は、C男が5才とかなり大きくなってから買ったものであり、C男が車内でおしっこをもらしたりしたことはないと記憶しています。車内で出血したり、おしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」<br>  右供述内容は、自分と長男が被告人車内で出血したかどうか、長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうか、どちらもはっきりしないという公判供述と実質的に相反しているだけでなく、流産したときに被告人車内で出血したという趣旨の前記①の公判供述及び被告人車内で実母の排尿の後始末をしたという趣旨の前記②の公判供述とも実質的に相反するものである(被告人の妻C子は、前記①ないし③が被告人車内の血痕又は尿痕の原因であると明確に述べているわけではないが、その可能性があるという意味でなければこれらの供述は全く意味がない。)。<br>  (三) そこで、妻C子の公判供述と検察官の面前での供述とのどちらを信用すべきかが問題となるが、この点を考える上で最も重要なのは、前記のように実質的に相反する供述をするに至った理由について、妻C子が、公判で、(自分が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)よく覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったかと聞かれ)意味が分かりません。」「(検事に対して)嘘は言っていないと思いますけど。」、(長男が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったか)分かりません。」「(検事に対し嘘を言ったことがあるかと聞かれ)分かりません。」「(検事の取調べを受けたときの記憶と現在の記憶では)今の方が正しいと思います。」「もう、あのときの状態がどういう状態だったのか、お分かりいただけないと思いますから。」(28回179項以下)、(長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかについて)「(検事に話したことは)よく分かりません。」「(検事には理由もはっきり述べているのではないかと聞かれ)いや、そこのところはそういうふうには言ってないと思いますけど、分かりません。」(29回431項以下)、(前記①の事実を捜査段階で供述しなかった理由について)「そのことは思い出してないんです。」(29回863項以下)などと、極めてあいまいな、又は不自然かつ不合理な供述に終始していることである。特に、自分も長男も車内で出血したことはない、長男が車内でおしっこをもらしたことはないという捜査段階における断定的な供述が、2年以上経過した公判段階で、よく分からないというあいまいなものに変遷することは、通常十分に考えられるにもかかわらず、ことさらに捜査段階の供述が間違っているかのような供述をするのは極めて不自然である。このような供述に照らしてみると、妻C子が公判では事実をありのまま供述していないのではないかとの疑問を禁じ得ない。たしかに、妻C子が検察官から事情を聞かれたのは、被告人が本件で逮捕され、被疑者として勾留されていた時期であって、当時は頭の中が混乱していたという趣旨の同女の供述にも一理あるようにみえる。しかし、検察官に対し、「車内で出血したりおしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」とまで言いながら、実母の排尿の後始末をしたという前記②の点について供述した形跡がないというのは明らかに不自然である。また、同時期に作成された妻C子の警察官調書(甲720)によると、同女が、警察官に対し、「私は、以前の車の時、旅行中気分が悪くなり車外で吐いた事はありますが、この車(被告人車)を買ってから車内で吐いたり血を出したりした事はありません。」などと供述していることが認められるにもかかわらず、このころ、前記①の流産の件については忘れていたというのもやはり不自然といわざるを得ない。<br>  さらに、①の点については、妻C子の供述によっても、被告人車内では出血に気付いておらず、被告人車を降りてから下着を汚しているのに気付いたが、ストッキングやスカートまで汚れていたかどうかは分からないというのであるから、この程度の出血で同女が座るか寝るかしていた座席シート(それが後部座席なのかどうかすらはっきりしない。)にまで血が付くこと自体考え難く、被告人車内の血痕付着の原因とはなり得ないものである。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因に関する妻C子の公判供述をたやすく信用することはできない。そして、この点に関する妻C子の検察官に対する供述によれば、同女が、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について、全く心当たりがないことが明らかである。<br> 6 被告人の実母及び長男の供述について<br>  被告人の実母久間C美及び長男C男は、検察官に対し、それぞれ被告人車内で血や鼻血を出したことや、おしっこをもらしたことはない旨供述し(甲494、496)、期日外尋問においても、それぞれ被告人車内で鼻血を出したことや、血を流したことはないと思う(C美88、89項)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは覚えていない(C美75、85項。ただし、もらしたことはないとする部分もある。108項参照)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかよく覚えていないし、被告人車内で鼻血を出したり、ほかに血を流したかどうかもよく覚えていない(C男50項以下)などと供述しており、いずれも被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について心当たりがないことが明らかである。なお、C美は、「便秘を解消するためにナワタ医院に行き、病院内で治療を受けた際、大便を漏らして下着を汚したことがあるが、このとき小便は漏らしていない。汚れたパンツは包んで捨てて、シミーズとか上着は帰って息子に洗ってもらった。車の中に寝た状態で連れて帰ってもらったような気がする。」旨(C美62項以下)部分的には被告人及び妻C子の供述に沿う供述をしているが、このときC美は小便を漏らしたわけではなく、大便と一緒に小便を漏らすことも考えられるものの、漏らした場所は病院内であって、一応の後始末をした上で被告人車に乗車しているのみならず、被告人自身、公判で、このときに被告人車の座席シートに汚物が付いたかどうかは覚えていないと供述(33回589項)しているのだから、これが被告人車内の尿痕付着の原因であるとは考えられない。<br> 7 小括<br>  客観的事実として、被告人が被告人車の使用を開始した後、警察が被告人車を押収するまでの間、被告人車内において、少なくとも1回はO型の人間が出血をしたこと、誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  これについて、被告人は公判で前記のような弁解を積極的にしているが、これは納得のいく合理的な説明とは到底いえない上、O型の血液型を有する被告人の妻ら家族も、その血液や尿を被告人車に付着させたという心当たりのないことが認められる。そうすると、残るところは、被告人が犯人である可能性と被告人以外の何者かが被告人の知らないうちにO型の血液と人尿を被告人車の後部座席シートに付着させた後、これらを水で拭き取ったという可能性のいずれかということになる。しかしながら、後者の可能性は、あくまでも抽象的な可能性に過ぎず、現実的な可能性をうかがわせる状況はないのである。他方、前者の可能性については、被害児童2名とも出血と失禁があり、特に、A田の血液型はO型である上、A田の死体の状況からみて、鼻血がかなりの量出たものと認められること、被害児童2名の着衣が犯人車の座席と生前あるいは死亡後に直接接触し、被害児童2名の血液や尿が犯人車に付着している可能性があることに徴すると、被告人が犯人であるとすれば、被告人車内で被害児童2名を殺害あるいは殺害後に死体を運搬するなどした過程において、A田の血液や被害児童の尿が被告人車に付着したものとして合理的に説明することができる。したがって、右の血痕と尿痕の存在は、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠といえる。<br>  弁護人は、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が一切検出されていないことから、被害児童2名を被告人車に乗せたことはありえないと主張する。<br>  しかしながら、被害児童の死体の状況からも明らかなように、A田は鼻孔からかなりの量の出血をしており、ジャンパーの両袖及び前面の表面全域にわたって多数の血痕が付着していたが、B山については、膣内からの血液が陰部に付着していた程度の出血であったことからすると、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が検出されなかったとしても、被告人車に被害児童2名を乗せたことと矛盾するものではない。<br> =====七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について===== 1 林葉鑑定(証人林葉康彦 甲45、53、58、62) <br>  捜査機関は、A田とB山の死体が発見された当日である平成4年2月21日から同月22日の間に、死体遺棄現場において、A田の死体の左胸腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、A田の死体の左腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の血痕様のもの1点、B山の口唇部直下の木の枝に付着の唾液様のもの1点、A田の死体の臀部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点及びA田の死体の左鼠径部付近の檜の葉に付着の血痕様のもの1点の合計6点を採取し、また、九州大学医学部法医学教室解剖室に運び込まれたA田とB山の死体からそれぞれ膣内容物等数点を採取し、これらが血痕であるかどうか、血痕であるとした場合の血液型などについて、科捜研に対して鑑定嘱託をした。この嘱託に基づき、科捜研技官林葉康彦が、同日から同年3月5日までの間に実施した鑑定の結果は以下のとおりである。<br>  (一) 死体遺棄現場付近で採取された木の枝等に付着の血痕及び唾液様のもの6点について(甲53) <br>  6点のうち4点(A田の死体の臀部及び左鼠径部付近から採取された血痕様のもの各1点以外のもの)はいずれもヒト血痕と認められ、その血液型はそれぞれO型に判定された。1点(木の枝に付着の唾液様のもの)はヒト血痕と唾液の混合と考えられ、その血液型はA型に判定された。1点(木の枝に付着の血痕様のもの)は、ヒト血痕と認められ、その血液型はAB型に判定された。最後のものについては、AB型の血痕又はA型の血痕及びB型血痕の混合の2通りが考えられる。<br>  (二) A田の膣内容物等について(甲58) <br>  A田の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。⑤A田の右手親指に付着の血痕様のものはヒト血痕と認められ、その血液型はO型に判定された。①ないし④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、H型抗原のほかに、微量なA型抗原と微量なB型抗原が検出されたためAB型と判定された。③及び④についてはO型に判定された。なお、①及び②については、A田がO型であることから、O型の血痕にAB型の血痕又はA型の血痕とB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  (三) B山の膣内容物等について(甲62) <br>  B山の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。①、②及び④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には血痕の付着が認められなかったが、当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、A型抗原とB型抗原が検出されたことから、AB型と判定された。③及び④についてはA型に判定された。なお、①及び②については、B山がA型であることから、A型の血痕にAB型の血痕又はB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  そして、林葉は、右鑑定残量のうち、木の枝に付着の血痕様のもの1点、A田の膣内容物及び膣周辺付着物各1点並びにB山の膣内容物及び膣周辺付着物各1点の合計5点(科捜研のマイナス80度の低温槽に保管しておいたもの)を氷を入れた発砲スチロールの箱に収納した状態で科警研に送付した。<br> 2 坂井・笠井鑑定(証人坂井活子、同笠井賢太郎 甲67、68) <br>  捜査機関は、前記のとおり林葉が送付した5点の鑑定資料に、死体解剖を実施した永田武明医師から任意提出を受けて領置していたA田とB山の各心臓血を対照資料として加えた合計7点について、科警研に対して、それらのDNA型等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、科警研警察庁技官坂井活子及び笠井賢太郎が、平成4年3月23日から同年6月15日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br>  (一) 外観検査<br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は、幅約4.5センチメートル、長さ約5センチメートルの枯れた木の枝に付着している直径約2ミリメートル大の暗赤褐色の血痕様のものである。実体顕微鏡で観察すると、その周辺に粘液性物質が付着した跡と思われる光沢のある付着物がわずかに観察された。資料(2)(A田の膣内容物)及び資料(3)(A田の膣周辺付着物)は、いずれも、約1センチメートル掛ける約1.5センチメートル大の脱脂綿に採取された淡赤色の液体である。資料(4)(B山の膣内容物)は、約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された淡褐色の液体である。資料(5)(B山の膣周辺付着物)は、約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大の脱脂綿に採取された赤褐色の液体である。資料(6)(A田の心臓血)及び資料(7)(B山の心臓血)は、いずれも、マイクロチューブに入れられ凍結している血液である。<br>  (二) 資料(1)ないし(5)の血痕検査<br>  資料(1)は蒸留水で湿したろ紙で血痕様のものの一部を拭きとり、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、ロイコマラカイトグリーン試薬を滴下して血痕予備検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示したので、これらには血液が混在していることが示唆された。<br>  次に、資料(1)は血痕様のものの周囲の枝をできるだけ取り除きその全量を、また、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、PBS(リン酸緩衝食塩水)で浸出液を作製し、その遠心上清について抗ヒトヘモグロビン沈降素及び抗ヒト血清蛋白質沈降素を用いて、沈降電気泳動法により人血検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示し、これらが人血であることが証明された。<br>  (三) 資料(1)ないし(5)の体液検査<br>  資料(1)には血痕以外の物質の付着が考えられ、資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であるので、精液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取りSMテスト試薬を滴下して酸性ホスファターゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に精液の混在は否定された。<br>  資料(1)に付着の物質が唾液であるか、資料(2)ないし(5)に唾液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取リブルースターチアガロース平板を用いた唾液アミラーゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に唾液の混在は否定された。<br>  資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であり、資料(1)にも膣液の混入が考えられたので、血痕検査において作製したPBS浸出液と抗ヒト膣液沈降素を用いて沈降電気泳動法によりヒト膣液検査を行った結果、資料(1)は擬陽性の反応を示し、ヒト膣液がわずかに混在しているものと思われた。資料(2)ないし(5)は陽性の反応を示し、ヒト膣液が混在していた。<br>  (四) 資料(1)ないし(7)の血液型検査<br>  血液と膣液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)のうち、資料(1)はPBSで浸出し遠心する前に木綿糸に付着乾燥させ、資料(2)ないし(5)はその一部を切り取り、乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。また、資料(6)及び(7)の血液は凍結溶解していたので、これらの一部を木綿糸に付着乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)は、抗B抗体に強い反応、抗A及び抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はB型とA型の混合あるいはB型もAB型の混合したものと考えられた。資料(2)及び(3)はいずれも抗H抗体に強い反応、抗A及び抗B抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はO型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合したものと考えられた。資料(4)及び(5)はいずれも抗A及び抗B抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はAB型あるいはA型とB型の混合したものと考えられた。資料(6)は抗H抗体のみに強い反応を示したので、このABO式血液型はO型、資料(7)は抗A抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はA型であった。<br>  血液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)について、膣液部分ではなく血痕のみの血液型を調べるため、これらをクロロホルム-メタノール法により処理し、血痕に由来する血液型抗原を抽出した後、解離試験法によりABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)、(4)及び(5)は、いずれも抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はB型とA型の混合血痕又はB型とAB型の混合血痕と考えられた。資料(2)及び(3)は、いずれも抗B及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられた。<br>  (五) 資料(1)ないし(7)のDNA型検査<br>  資料(1)ないし(5)のPBS浸出液の遠心沈渣並びに資料(6)及び(7)の一部を、プロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。また、資料(1)については、PBS浸出液を作製した後の血痕がわずかに残存している枝の部分についても、念のため、蛋白質分解処理を行い、DNAを精製した。<br>  (1) MCT118型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った。<br>  資料(1)のPBS浸出液の遠心沈渣及び資料(5)のMCT118型は、16及び18型の濃いバンドと25及び26型の薄いバンドが、資料(1)の枝に残存していたもの及び資料(4)は18型の濃いバンドと、16、25及び26型の薄いバンドが観察された。資料(2)は23及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23、26及び27型の薄いバンドが観察された。資料(1)ないし(5)のDNAはMCT118型において3種類以上のバンドが検出されたので、これらはいずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。<br>  なお、資料(6)のMCT118型は23-27型、資料(7)のMOT118型は、18-25型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った。<br>  資料(1)(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたもの双方)、(4)、(5)及び(7)のHLADQα型は、いずれも1.3-3型であった。また、資料(2)、(3)及び(6)のHLADQα型は、いずれも1.1-3型であった。<br>  (六) 鑑定結果(ABO式血液型、MCT118型、HLADQα型は、それぞれ型名で区別可能であるから、以下ではいちいち断らないこともある。) <br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は人血であり、この人血痕は恐らく、B型、16-26型、1.3-3型である血痕と、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血痕とが混合していると考えられる。資料(2)(A田の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型である血液と、B型で16型を持っている血液及び微量のA型又はAB型である血液とが混合していると考えられる。資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型である血液及び微量のA型又はAB型である血液が混合していると考えられる。資料(4)(B山の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型であり、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型、1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(6)(A田の心臓血)はO型、23-27型、1.1-3型であり、資料(7)(B山の心臓血)はA型、18-25型、1.3-3型である。<br>  (七) 鑑定資料の措置<br>  資料(1)は全量消費した。資料(2)ないし(7)の鑑定残量は(捜査機関である福岡県警察に)返送した。なお、右鑑定の間、科警研では、DNA型鑑定の運用に関する指針に基づき、各資料を個別にマイナス80度の低温槽で冷凍保存し、また、検査の実施に際しては、二重扉で隔離された空調装置のある部屋で白衣、ゴム手袋を着用し、滅菌済みの検査器具を用いるなどして、資料が汚染されたり、劣化したりしないように注意を払っていた。<br> 3 坂井ほか2名による鑑定(証人坂井 75、76) <br>  他方、捜査機関は、被告人から平成4年3月20日に任意提出を受けて領置していた頭毛髪5本を科警研に送付し、被告人の血液型及びDNA型並びに前記資料(1)ないし(5)の血液型及びDNA型との異同識別に関する鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、坂井ほか2名が同年4月22日から同年6月19日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。なお、鑑定残量は捜査機関に返送された。<br>  (一) 資料の血液型検査<br>  資料のうち比較的長い3本の毛幹部を用いて、解離試験法にてABO式血液型検査を行ったところ、いずれもB型であった。<br>  (二) 資料のDNA型検査<br>  資料の5本の毛根部のうち、毛根細胞が多量に付着していた1本についてはその1本を、また、毛根細胞が少なかった4本についてはその4本をまとめて、DTTを加えたプロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。<br>  (1) MCT118型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った結果、どちらも16-26型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った結果、どちらも1.3-3型であった。<br>  (3) 考察及び鑑定結果<br>  被告人は、ABO式血液型がB型、DNA型のうちMCT118型が16-26型、HLADQα型が1.3-3型である。<br>  前記資料(1)(B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の人血痕)に混合するものの一方はB山に由来するA型、18-25型、1.3-3型であると思われるので、これを除いたもう一方の血痕は、B型、16-26型、1.3-3型の血痕ではないかと考えられた。したがって、資料(1)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型、MCT118型及びHLADQα型において同型である。前記資料(2)(A田の膣内容物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型で16型を持っている血液が混合していると考えられ、資料(2)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型において同型であり、MCT118型のうち16型を持つているという類似点が認められた。前記資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型、16-26型の血液が混合しているのではないかと考えられ、資料(3)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型である。前記資料(4)(B山の膣内容物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型で、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(4)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型であり、HLADQα型において同型の可能性がある。前記資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型、1.3-3型の血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(5)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型及びHLADQα型において同型である。<br> 4 石山鑑定(証人石山昱夫26回 甲6213ないし630) <br>  捜査機関は、平成4年7月3日、帝京大学医学部法医学教室教授石山昱夫に対して、前記2の鑑定終了後に科警研から返送された鑑定資料(2)ないし(7)及び前記3の鑑定終了後に科警研から返送された被告人の頭毛髪のミトコンドリアDNA分析等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づく石山鑑定の結果は、次のとおりである。なお、石山鑑定では、B山の膣内容物を資料1、B山の膣周辺付着物を資料2、A田の膣内容物を資料3、A田の膣周辺付着物を資料4、B山の心臓血を資料5、A田の心臓血を資料6、被告人の頭毛髪を資料7としている。<br>  (一)ミトコンドリアDNA分析の概略<br>  資料5ないし7は対照資料であるため、各資料からミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)をPCR法で増幅し、常法に従いその塩基配列を分析して、得られた3名の塩基配列を比較し、この3名を識別し得る制限酵素を選択した。資料1ないし4からPCR増幅したmt333DNAをクローン分離し、各クローンについて制限酵素分解とSSCP分析を行い、被害者自身のものと判断されるクローンとそれ以外のものとを分別した。被害者のものとは思われない不審なクローンについては塩基配列を分析した。<br>  (二) 検査結果<br>  (1) 制限酵素分解パターン<br>  対照資料5ないし7のmt333DNAの塩基配列を分析した結果、B山、A田及び被告人のmt333DNAは、次のとおり制限酵素KPNI及びRSAIによる切断の有(+)無(-)で識別可能である。<br>  資料5(B山の心臓血)KpnI-/RsaI+<br>  資料6(A田の心臓血)KpnI+/RsaI-<br>  資料7(被告人の頭毛髪)KpnI+/RsaI+<br>  そこで、資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、42個がB山タイプのKpnI-であり、1個がKpnI+であった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、全クローンがB山タイプのKpnI-であり、KpnI+のものは認められなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、全クローンがA田タイプのKpnI+/RsaI-であった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、A田タイプのKpnI+/RsaI-が28個、B山タイプのKpnI-/RsaI+が19個、KpnI-/RsaI-のクローンが1個、KpnI(±判定不能)/RsaI-のクローンが1個認められたが、被告人タイプのKpnI+/RsaI+のクローンは認められなかった。<br>  (2) SSCP分析<br>  資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、28個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る15個のクローンは完全には一致しなかった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、22個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る24個のクローンは完全には一致しなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、33個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る12個のクローンは完全には一致しなかった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンのうち、第1回目に採取した25個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、8個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る17個のクローンは完全には一致しなかった。<br>  (3) 塩基配列分析<br>  SSCP分析で不審と判断した資料1(B山の膣内容)からの15個のクローンのうち、KpnI+のクローン1個を含む7個(6個はKpnI-でB山タイプ)について塩基配列分析を行ったところ、KpnI+のクローンはRsaI+で被告人タイプではあるが被告人と1塩基違いだった。B山タイプの6個のクローンの内訳は、B山と1塩基違いのものが2個(各独立)、2塩基違いのものが3個(同一配列のものが2個、他の1個は独立)、4塩基違いのものが1個だった。SSCP分析で不審と判断した資料2(B山の膣周辺)からの24個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてB山タイプ(KpnI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料3(A田の膣内容)からの12個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてA田タイプ(KpnI+/RsaI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料4(A田の膣周辺)からの17個のクローンは、制限酵素分解でみると4個がA田タイプ(KpnI+/RsaI-)、11個がB山タイプ(KpnI-/RsaI+)、1個がKpnI-/RsaI-、1個がKpnI(±判定不能)/RsaI-であった。そこで塩基配列分析は、A田タイプのクローンから1個、B山タイプのクローンについては11個すべて、そしてKpnI-/RsaI-のクローン1個を選び行った。その結果、A田タイプのクローンはA田と1塩基違いであり、B山タイプのクローン11個のうちB山と一致するものが3個、B山と1塩基違いのものが7個(同一配列のものが4個、他の3個は各独立)、B山と4塩基違いのものが1個であり、KpnI-/RsaI-のクローンはB山と3塩基違い、A田と4塩基違いであった。<br>  (三) 鑑定結果<br>  資料5(B山の心臓血)、資料6(A田の心臓血)及び資料7(被告人の頭毛髪)のミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)の塩基配列を分析した結果、この3名のmt333DNAは制限酵素による分解パターンに違いが生じることが判明した。資料1ないし4からそれぞれ43個ないし49個のクローン化mt333DNAを調製し、制限酵素分解パターンを調べ、また、SSCP分析、塩基配列分析を併用し、クローン全体(183個)の中に資料7(被告人)に一致するmt333DNAが検出されるかを検査した結果、該当するクローンは検出されなかった。資料1及び2からはB山に一致するmt333DNAが、資料3かろはA田に一致するmt333DNAが、資料4からはA田とB山に一致するmt333DNAが検出された。<br>  (四) 追加分析とその結果<br>  資料1ないし7から抽出したDNAについて前記のとおリミトコンドリアDNAの分析を行ったが、その分析に用いたDNA量は、資料1ないし4及び7については抽出DNA量の半分、資料5と6については200分の1であったため、残りのDNAを用いて、HLA-DQB遺伝子について追加分析を行った。その結果によると、資料1(B山の膣内容)及び資料2(B山の膣周辺)は、資料5(B山の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、B山由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料3(A田の膣内容)は、資料6(A田の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、A田由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料4(A田の膣周辺)から検出される対立遺伝子は、A田とB山の混合で矛盾なく説明されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。以上の結果は、ミトコンドリアDNA分析の鑑定結果とよく一致するものである。<br> 5 検討<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定によれば、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、A田にもB山にも由来しない血痕ないし血液が混在していたことが認められる。これは本件犯人のものであるとしか考えられない。前記のとおり、A田とB山の陰部には犯人がいたずらをした形跡があるから、その際、何らかの理由で犯人の血液が被害者の陰部周辺に付着したと認めるのが相当である。そこで、以下、犯人の血液型及びDNA型について検討する。<br>  (一) 犯人の血液型について<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定が採用している解離試験法による血液型検査とは、A型の血液が抗A抗体(血清)と反応して凝集し、B型の血液が抗B抗体と反応して凝集し、O型の血液が抗H抗体と反応して凝集し、AB型の血液が抗A抗体及び抗B抗体と反応して凝集するという性質を利用して、ABO式の血液型を判別する検査方法である。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物は、血液と膣液が混合したものであったことから、クロロホルム-メタノール法による処理をして膣液部分をできるだけ除去し、血液部分の検査をした結果、抗B抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。解離試験法による血液型検査は、基本的には反応の有無を調べる定性検査であるが、証人坂井は、生来的なAB型であれば一般にこのような反応の違いが出ることはないので、右検査結果の解釈として、この血液はB型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる旨供述(5回99項以下)している。坂井は科警研において長年血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者である上、このような考え方は解離試験法による血液型検査の原理に照らしても合理的であるといえる。そして、B山は陰部から出血しており、この血液の中にはB山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、その内2本のバンドはB山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料にはB山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液はB山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である。なお、同鑑定によると、木の枝に付着の血痕の検査結果も同様であって、B型の血痕とA型ないしAB型の血痕の混合であると考えられるところ(証人林葉も、B型の反応がA型と比べてかなり強かったと述べている(310項)。)、この血痕は、捜査機関がB山の死体の腹部付近の木の枝に付着していたものを死体発見当日に採取したものであるから、前同様に認めることができる。<br>  なお、弁護人は、林葉鑑定(甲53)によると、木の枝付着の血痕はAB型と判定されていることを理由に犯人の血液型はAB型と認定すべきであると主張する。しかしながら、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、木の枝付着の血痕からは、4本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が2人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。したがって、弁護人が主張するようにAB型単独の血痕ではあり得ない。<br>  次に、坂井・笠井鑑定によると、A田の膣内容物及び膣周辺付着物も血液と膣液が混合したものであったことから、B山の場合と同様、クロロホルム-メタノール法による処理をして血液部分の検査をした結果、抗B抗体及び抗H抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。A田も陰部から出血しており、この血液の中にはA田由来のO型の血液(抗H抗体に反応する。)が当然含まれていると考えられる。そして、A田に由来しない血液については、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B山の場合と同様、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。したがって、ここでも被害者に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない。そして、A田の膣周辺付着物からB山に一致するmt333DNA及びHLA-DQB遺伝子が検出されたという石山鑑定の結果を併せ考慮すると、残るA型ないしAB型の血液については、B山由来のA型の血液であると認めるのが相当である。これは、B山にいたずらをした犯人が、その後でA田にもいたずらをした結果、B山の血液をA田の陰部に付着させたことによるものと推認される。しかし、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (二) 犯人のMCT118型について(証人坂井 弁36、37、39、40、43、46、66)<br>  ヒトの第1染色体にあるMCT118部位には16塩基を基本単位とする繰り返し配列(ミニサテライト、VNTR)があり、その繰り返し回数によって29種類に分類することができる。1対の染色体の片方を父親から、もう片方を母親から受け継ぐことから、その組み合わせは理論上435通りとなる。MCT118型検査とは、この繰り返し回数の組み合わせを分析することによって個人を識別する分析方法である。ただし、本件鑑定当時は、同検査には123塩基ラダーマーカーという標準マーカーが使用されており、それによると、右繰り返し数は12回から37回までの26通りが経験的に知られており、その組み合わせは理論上351通りであった。同検査の手順は、まず、鑑定資料からDNAを抽出して精製し、PCR増幅後、電気泳動装置によりDNAバンドを検出し、DNA型解析装置に上り型判定するというものである。電気泳動装置は、DNAをポリアクリルアミドゲルという人工的に作られた寒天状の板の中で電気の力により移動させた場合、分子量の小さいDNAは早く、分子量の大きいDNAは遅く移動することを利用し、DNAをその分子量の繰り返し回数に応じて分離する装置である。その際、標準マーカーを同時に泳動させて型判定の指標とする。また、DNA型解析装置は、電気泳動装置により検出したDNAバンドを写真撮影したネガフィルムを画像として取り込み、各バンドの相対位置を自動的に計算し、標準マーカーを指標としてその繰り返し回数、すなわち型番号を数値として算出するものである。なお、この方法では、型番号の大きいDNAは型番号の小さいものと比較して、PCR増幅の効率が悪く、検出されるDNAバンドも薄くなる傾向がある。<br>  MCT118型検査は、科警研のスタッフによって開発された検査で、平成2年から科警研において異同識別鑑定に用いるようになったが、DNA資料が微量の場合でも、PCR増幅により比較的短時間で型の検出ができること、増幅するミニサテライトのDNA分子量が小さいため正確に増幅でき、異型率が高く、したがって異同識別能力が高いこと、DNA型分析結果の再現性が高いことなどの特徴があるため、犯罪捜査に有用な方法とされている。そして、MCT118型検査による型判定の検査試薬キットが市販されており、大学などの専門機関が右キットを購入し、一定の修学を受けた者がマニュアルにしたがって作業をすれば、同検査による型判定ができるようになっていることからすると、MCT118型検査によるDNA型鑑定は、一定の信頼性があるとして、専門家に受容された手法であると認められる。<br>  弁護人は、MCT118型で、同一の型と判定されても塩基配列まで調べると違うサブタイプに別れ、全く別人ということもあることを問題視しているが、笠井・坂井鑑定において、犯人及び被告人のMCT118型の塩基配列は調査されていない上、右鑑定でMCT118型が同一の型と判定されたということは、一定の型判定において犯人と被告人とが同じ型を有しているということを意味するに過ぎず、これによって犯人と識別できるというわけではないから、弁護人の右問題視は的を得ていない。<br>  そして、弁護人は、123塩基ラダーマーカーで測った場合の特定の型が、アレリックラダーマーカーで測った場合の複数の型に対応しているものがあることから、123塩基ラダーマーカーで測った場合犯人と同じ型を持つ人が、アレリックラダーマーカーで測った場合異なる型となることがあり、犯人でないことになるから、123塩基ラダーマーカーによる測定には意味がないと主張するが、これも前記同様、123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない。<br>  また、弁護人は、坂井・笠井鑑定の当時標準マーカーとして使われていた123塩基ラダーマーカーでは正確な繰り返し数を測定することができなかったから、このマーカーを使ったMCT118型検査には信用性がないと主張する。なるほど、坂井及び笠井が証言でも認めているとおり、123塩基ラダーマーカーが正確な繰り返し数を測定していなかった事実は否定できないところである。しかしながら、123塩基ラダーマーカー及び資料のDNAがゲルの中で泳動する速さについては、右マーカー及び資料のDNAの長さに応じて一定であることが確認されており(証人坂井6回299項以下、7回80項以下)、そうであれば資料のDNAをその長さ、すなわち繰り返し回数の違いに応じて分類することは可能であって、DNA型解析装置が算出した数値が同じであればそれらは同じ繰り返し回数のDNAであるといえるのである(算出した数値が実際の繰り返し回数と一致しないだけのことである)から、弁護人の右主張は採用できない。<br>  さらに、弁護人は、本件鑑定当時の科警研の技術的未熟さを指摘し、特に「鬼の面」(バンドパターンの上端が尾を引いている状態)が見られることは、誤判定につながると指摘している。しかしながら、もともと我が国においてMCT118型検査は科警研により開発されたものであり、坂井はそのスタッフである上、「鬼の面」が生じた原因については、ゲルに重しのために入れるシュークロース(ショ糖)濃度が50パーセントと濃すぎたためであるが、画像解析装置での測定では、両端の部分を除きバンドの中央の位置の移動度で測定する(証人笠井38項以下)ため、判定には影響しないことが認められるので、弁護人の右指摘も当を得ないものである。<br>  なお、弁護人は、本件鑑定がドーバート判決における科学的証拠の許容基準である「信頼性の基準」に合致しないと主張しているが、独自の見解であり採用できない。以上から本件MCT118型検査による鑑定は、その基本的原理が科学的に妥当なものであり、かつ、鑑定の方法及び分析の手段も定型的な妥当性を有するものと認められるので、証拠能力を肯定することができるというべきである。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物並びにB山の腹部付近の木の枝に付着の血痕からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、B山は18-25型であることが認められる。前記のとおり、これらの資料にはいずれもB山由来の血液(血痕)と犯人由来の血液(血痕)が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、同鑑定によると、A田の膣周辺付着物からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、A田は23-27型であることが認められる。前記のとおり、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、同鑑定によるとA田の膣内容物からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。<br>  これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である。なぜなら、2人分のDNAから4本のバンドが検出された場合、いわゆるホモタイプ(例えば16-16型のように父母から同じ型を受け継いだものをいう。)の可能性はなく、いずれもいわゆるへテロタイプ(ホモタイプではないものをいう。)であると認められるからである。なお、A田の膣内容物からは、16型、23型及び27型の3本のバンドしか検出されず、26型が検出されていないが、それは、もともと犯人のDNA量が少なかった上に、分子量の大きい26型が16型よりも分解され、あるいはPCR増幅の効率が悪かったために検出できなかったと考えれば、合理的に説明することができる(MCT118型検査において型番号の大きいDNAの方が型番号の小さいものよりも増幅効率が悪いことは、資料(6)(A田の心臓血)の検査結果で27型のバンドの方が23型のバンドよりも明らかに薄かったことによっても裏付けられている。)。<br>  しかし、犯人がホモタイプである可能性(例えば、犯人が2人いて、それぞれ16-16型及び26-26型である場合など)や、犯人のバンドが全部検出できていない可能性を考えると、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (三) 犯人のHLADQα型について(弁43、46、57、66) <br>  ヒトの第6染色体にあるHLADQα部位には6種類の配列がみられ、その組み合わせ(父母からそれぞれに由来する1つずつの染色体を受け継いでいる点はMCT118型の場合と同じである。)は理論上21通りとなる。HLADQα型検査とは、この部位の塩基配列の違い(配列多型)を型分類して個人を識別する分析方法である。坂井・笠井鑑定では、HLADQα型検査に市販の型判定キットを使用している。このキットによるHLADQα型の検出は、特殊な検出紙を用いて行う。検出紙にはHLADQαの各型に反応する試薬(プローブ)が点状に添付されていて、対応する型のDNAが存在すると特異的に結合し、後で加える発色剤により青い点として検出される。この方法は、検査キットによる色変化の確認により判定するものであるから、専門家以外にも分かりやすく、比較的容易な手法であるといえる。しかし、MCT118型検査と比べるとやや多くのDNA量を必要とすることから、場合によっては検査が行えないことがある。また、このキットは元来単独資料の型判定用に開発されたものである。したがって、混合したDNAでは積極的な型判定ができない場合がある。<br>  坂井・笠井鑑定は、混合血痕であることが明らかな資料についてもHLADQα型検査を実施し、犯人のDNA型を推定しているが、右に照らし、疑問である。すなわち、同鑑定は、B山の腹部付近の木の枝に付着の血痕(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたものの2つがある。)の検査結果がB山と犯人の2人分の型を検出しているという前提で、犯人は恐らくB山と同じ1.3-3型であるとしている。しかし、検査結果が2人分の型を検出しているということは証明されていない。同鑑定は、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定し、それを手掛りに犯人の型を考えているが、HLADQα型検査によってある型が検出できるかどうかは、その型の検出限界を超えるDNAがあるかどうかによるのであって、相対的にみてB山のDNAが多いとか、2人のDNAが同程度であるということでは、それぞれの型が検出されたかどうかを(ある程度推論することはできても)断定することはできないといわざるを得ない。次に、証人坂井(7回342項)は、検査結果から考えられる犯人の型の可能性を1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型の3通りに限定した上で、1.3型と3型とで検出紙の発色の程度が同じであったことなどを根拠に犯人の型はB山と同じ1.3-3型であると推定したと供述している。しかし、検査結果をみても1・2型の存否は不明であるから(証人笠井394項)、検査結果から直ちに犯人が1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型のいずれかであるということはできない。さらに、HLADQα型の検査キットは元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者択一のものであるから、発色の程度を考慮するということ自体想定されていないのであって、このような市販の検査キットを使いながら、発色の程度を考慮することに十分な合理性があるとは認められない。例えば、証人笠井(443項以下)は、A田の膣周辺付着物から1.3型が検出されなかった理由について、1.3型は検出感度が悪いという説明をしているが、それが事実であれば、木の枝に付着の血痕について、1.3型と3型の発色が同程度であるということから、1.3型と3型のDNA量が同程度だという推測はできないはずである。このほか、証人坂井(5回3125項以下)は、犯人の型を1.3-3型と推定した理由について色々と説明しているが、それによっても、犯人の型が1.3-3型であると認めるに足りない。そして、木の枝に付着の血痕について述べたこれらのことは、同じくB山の血液と犯人の血液の混合であって1.3型及び3型が検出されたB山の膣内容物及び膣周辺付着物についても当てはまる。なお、同鑑定は、A田の膣内容物及び膣周辺付着物については、犯人の型を特定していない。<br>  以上のとおりであるから、坂井・笠井鑑定によって犯人のHLADQα型を特定することはできない。<br>  (四) 小括<br>  幼女の陰部にいたずらをして、殺害した死体を山中に投棄するという本件事案の陰湿さに照らしてみると、一般的な経験則からいって犯人は1人(それも男)である可能性が高い。その場合、犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であると認められる。しかし、右のような一般的な経験則だけで犯人が1人であると断定することには無理がある。また、血液型検査及びDNA型検査の結果によっても犯人が1人であると認められないことは既に述べたとおりである。そして、出血した犯人が複数いるとした場合、それらの者の血液型とMCT118型の組み合わせについては様々な可能性があるのであって、特定することが困難であるといわざるを得ない。したがって、犯人が1人であるならその犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であるという事実(これが証拠上認定できる事実である。)は、犯行と被告人との結び付きを推認させる積極的間接事実には違いないが、犯人が1人であるという前提事実が証明されていない以上、それが証明されている場合と比較すると、やや証明力が弱いといわざるを得ない。<br>  なお、検察官は、被告人の血液型B型の出現頻度が0.221、MCT118型の16-26型が0.0170、HLADQα型の1.3-3型が0.171であることからすると、その出現頻度は0.000642となって、1500人に1人の割合となると主張する。<br>  しかしながら、出現頻度は、そのデータ-ベースとなった資料からの統計学による確率に過ぎないのであって、データーベースが変動するにつれて出現頻度もある程度変わるのであるから、犯人絞り込みの程度の参考になるに過ぎない(証人坂井7回46項以下)。のみならず、本件においては、前記のとおり犯人のHLADQα型を特定することができないのであるから、犯人が1人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。<br>  さらに、検察官は、繊維鑑定の結果からすると、犯人車は昭和57年3月26日から同58年9月28日までに製造販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに限定されるところ、平成3年末における全国の該当車両は2854台であり、犯人の血液型及びDNA型の出現頻度からみると、該当人物は全国でみても約2人となる上、犯行当時、福岡県内で運行されていた127台の該当車両の使用者合計130名について、血液型を捜査したところ、血液型がB型で、MCT118型が16-26型に該当する者は被告人を除いて存在しないと主張する。<br>  しかしながら、繊維鑑定の結果をもってしてもなお、犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであると断定できないことは前記のとおりである。そして、仮に犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとしても、その使用者以外にも、使用者から車両を借り受けた者も犯人である可能性もあるのであるから、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの使用者のみが犯人であるとする検察官の仮定は相当ではないといわなければならない。<br> 6 被告人以外の者が犯人である可能性について<br>  (一) 犯人がHLADQα型の1.3型を持たない可能性について<br>  坂井・笠井鑑定のHLADQα型検査の結果がたやすく採用できないものであることは前記のとおりであるが、A田の膣内容物及び膣周辺付着物(坂井・笠井鑑定の時点でこれらに犯人の血液が存在していたことは、同鑑定のMCT118型検査結果等に照らし明らかである。)から1.3型が検出されなかったという同検査結果によれば、犯人は1.3型を持たない者である可能性があり、1.3型を持つ被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえる。<br>  しかし、MCT118型検査と比べるとHLADQα型検査はやや多くのDNA量を必要とするのであるから、前者が検出できたからといって常に後者も検出できるとは限らない。したがって、右各資料のHLADQα型検査ではA田の型だけが検出され、犯人の型は検出されなかった可能性も十分にある。また、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定するという坂井・笠井鑑定の考え方を援用すれば、A田の膣周辺付着物には犯人のDNAとA田のDNAとがほぼ同量存在していたことになって、右の可能性が十分にあるとまではいえなくなるが、その場合であっても、16型のバンドに対応する26型のバンドが薄いことからすると犯人のDNAが壊れている可能性があるし、1.1型と1.3型との検出感度の違いにより1.1型のA田のHLADQα型だけが検出されたことも考えられる(証人笠井442項)。したがって、前記事実は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえないから、それだけで直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br>  (二) 犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型が被告人の型と違う可能性について<br>  次に、(1)石山鑑定のmt333DNA型検査の結果、A田の膣周辺付着物からはB山と同じDNA型が検出されたが、被告人と同じ型は検出されず、これとは別のDNA型か検出されたこと、また、(2)同鑑定の追加分析の結果、B山及びA田の膣内容物及び膣周辺付着物からは被告人由来のDNA(HLA-DQB遺伝子)の混合を示唆する所見が認められなかったことからすると、犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型は被告人のそれらとは違っており、被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえ、弁護人もその点を指摘しているので、以下検討する。<br>  まず、(1)の点について、A田の膣周辺付着物にはA田の血液、犯人の血液及びB山の血液が混在していたと認められることは前記のとおりであり、しかも、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査の結果、この資料から(A田の型及び)犯人の型が検出されながらB山の型が検出されなかったことからすると、この資料にはB山の血液よりも犯人の血液の方が多く存在していた可能性がある。そうであるとすると、石山鑑定のmt333DNA検査においても、B山と同じDNA型(これはB山由来のものと考えるのが合理的である。)が検出されている以上、犯人のDNAも検出されるはずであるが、前記のとおり被告人と同じDNA型は検出されていない。しかも、塩基配列分析結果をみると、この資料からは同一塩基配列のクローン化mt333DNA(B山と1塩基違いのもの)が4個検出されている。犯人のDNA型が検出されているという仮定が正しいとすると、これが犯人のものである可能性について検討しなければならない。<br>  しかしながら、他方、石山鑑定によっても、B山の膣内容物からは右の4個のクローンと同じ塩基配列のものが全く検出されていない。前記のとおり、B山の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、右の4個のクローンが犯人由来のものであるとしたら、これと同じものがB山の膣内容物からも検出されるはずである。また、右の4個のクローンは、制限酵素分解パターンではB山タイプであるが、A田の膣内容物から得た45個のクローンはすべてA田タイプであって、B山タイプのものは全く検出されていない。前記のとおり、A田の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、犯人のmt333DNAがB山タイプであるとしたら、A田の膣内容物からB山タイプのクローン化mt333DNAが検出されるはずである。<br>  そもそも、石山鑑定のmt333DNA型検査の結果によると、B山及びA田の各膣内容物及び膣周辺付着物という4つの資料に共通するmt333DNA型は存在しない。本来、これらの資料にはいずれも犯人の血液が存在していたのであるから、共通するmt333DNA型が検出されるはずである。そして、石山鑑定がこのような結果になった原因について、証拠(証人石山26回、甲68、626ないし628)によると、これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、大きいもので約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大、小さいもので約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)、また、混合血痕の場合、血液型が違えば凝集が起こることなどから、必ずしも資料各部で均一に混合していないことも考えられる(甲630 2頁の石山見解)というのであるから、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる。さらに、細胞1個にmt333DNAゲノムが数千個もある(証人石山26回11項)ということからも分かるように、ミトコンドリアDNA分析法は非常に鋭敏で、少し触って手あかが付いただけでも手あかからDNAが検出される可能性がある。この点、科警研では資料が汚染されないよう細心の注意を払っており(証人坂井5回398項以下 弁36)、科警研の前にこれらの資料を扱った科捜研でも同様であると考えられるが、ミトコンドリア分析法のように極めて感度が高い鑑定をすることを念頭に置いているかどうかは疑問があるし、採取した物の製造過程で人のDNAが混入した可能性や資料採取時に採取者等のDNAが混入した可能性も否定できない。これらのことからすると、A田の膣周辺付着物から検出された同一配列の4個のクローンが犯人由来のものである可能性は必ずしも高いものではないと考えられ、また、そもそも石山鑑定のミトコンドリアDNA分析及び追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる。<br>  なお、石山鑑定のミトコンドリアDNA分析では、被害者のmt333DNAと完全には一致しないクローン化mt333DNA(異型クローン)が複数検出されているが、この分析法では、PCR増幅及び大腸菌による培養の過程でDNAのミスリーディング(完全に同一の複製を作らず、塩基配列の一部が違う複製を作ること)が発生する場合のあることが知られており、また、mt333DNAは突然変異を起こしやすい(7ないし8個に1個の割合で、あるいは1割程度の割合で変異を起こしている)ともいわれているのである(甲629、630)から、被害児童と完全に一致しないからといって、それらがすべて別人のものであるとはいえない。<br>  これらのことからすると、(1)の点は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえない。また、石山鑑定の追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる以上、(2)の点も被告人が犯人であることと矛盾するものではない。<br>  したがって、これらのことから直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br> =====八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて===== 1 被告人は、平成3年11月8日、飯塚市内にある泌尿器科のY田病院を受診し、「1か月前から包皮炎を繰り返す。体重が約6キログラム減った。のどが渇く。」と訴えた。そこで、Y田医師が被告人の陰茎を診察したところ、被告人は仮性包茎で、包皮内板(亀頭と接触している包皮内側の部分)及び亀頭が炎症を起こしており、亀頭包皮炎であると認められた。被告人の血糖値検査結果が502と異常に高く、重度の糖尿病であると考えたY田医師は、同月11日、2度目の診察を受けに来た被告人に対して、糖尿病を治療するように言って他の病院を紹介した(証人Y田Y男 甲548、549、667)。<br>  弁護人は、被告人は仮性包茎ではないとして、右Y田供述等の信用性を争い、平成10年7月3日付けの医師神崎仁徳作成にかかる真性ならびに仮性包茎は認めなかった旨の記載のある診断書(弁74)を提出しているが、ここでは被告人が亀頭包皮炎に罹患していたか否かが重要な事実であり、仮性包茎か否かはその一原因として考えられる事実に過ぎず、治癒の時期について争いがあるものの、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと自体は被告人も自認しているとおり客観的な事実であるから、何れであったにせよ結論に影響しない。<br> 2 亀頭包皮炎に関する被告人の供述について<br>  (一) 被告人は、捜査段階で警察官に対し、自分の病気のことに関して次のような供述をしている(乙3、8、乙13の3丁以下)。<br>  平成3年10月ころ、急に、①歯茎がはれる、②太股の裏側の筋肉が吊る、③光が目にはいると目が痛い、④陰茎の亀頭の粘膜が痛むという症状がはじまった。その前にはのどが渇いて仕方がなかった。①③については、それぞれ病院で治療を受けたが、④については病院に行くことに抵抗があったので、1か月ぐらいは辛抱していたが、ひどく痛むので、炎症を起こしている部分にオキシドールをかけてみたら、激痛が走り、赤くはれたので心配になり、11月8日にY田病院に行った。先生に、のどが渇く、陰茎が痛いと説明して診察を受けた。先生は、尿検査をした後、「糖尿病だろう。亀頭の症状は糖尿病から来ているので内科的治療をしないとよくならない。」と言って、血液採取をして塗り薬を出してくれた。同月11日、血液検査の結果を聞きに行くと、先生は、「血糖値が530あり、入院治療した方がいい。」と言って飯塚労災病院か嘉穂病院あての紹介状を書いてくれたが、自宅で食事療法をすることにした。このような病状について、平成4年3月21日に、福田係長と井上刑事に、「糖尿病で血糖値が530あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった。」と話しているし、同年8月に佐賀県鳥栖市のK村K郎方に従弟達が集まったときにも同じ趣旨の話をしている。このときは、毎日新聞の大坪記者も同席して話を聞いており、その内容はテープに録音して大坪記者に預けてある。<br>  (二) 被告人の右供述が信用できるものであるならば、被告人の亀頭包皮炎は、一時期出血を伴うものであった上、本件当時も、性交の際陰茎を女性器に挿入できない状態で、治癒していなかったことが明らかである。<br>  この点、被告人は、公判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は1枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書の証拠能力を争い(33回379項以下)、亀頭包皮炎については、自宅で絶食などの食事療法をした結果、平成3年11月末ころには完全によくなったと供述している(31回338項)。<br>  しかし、被告人の検察官調書の中には、被告人が署名、指印した紙に亀頭包皮炎に関する問答体の記載がなされているものがある(乙13)。また、亀頭包皮炎に関する記載がある警察官調書2通(乙3、8)をみると、いずれも、被告人が署名、指印した紙に「陰茎から血が出て」などという記載はされていない。しかも、納得できなければ署名しないという強い態度を取っていたと言いながら、他方で余白の後ろに署名したと言うのは明らかに矛盾している。そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強く主張しないはずはないのに、被告人は、このことを第33回公判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(460項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書の証拠能力を争う被告人の右公判供述は到底信用できない。なお、被告人は、取調べの際、警察官から激しい暴行を受けた旨供述しているが、そのために納得のいかない調書に署名をさせられたということではないのだから、この点も被告人の供述調書の証拠能力に影響を及ぼすものではない。<br>  そして、被告人の捜査段階の供述は、内容的にみても、前記①ないし③の点については公判でも被告人が認めていることであるし、Y田病院における診療の経過については客観的事実と合致しているのであるから、基本的に信用できるといえる。また、亀頭包皮炎の状態等について親族らに話してその内容をテープに録音したという部分は、極めて具体的であって、迫真性に富んでいる。<br>  これに対して、平成3年11月末ころには亀頭包皮炎が完全によくなったという被告人の公判供述は、捜査段階では供述していなかったことを突如として公判で述べるものであって、その信用性には疑問がある。この点、被告人の妻C子は、公判で、「被告人の亀頭包皮炎はY田病院に行ってから20日ないし1か月ほどで治ったと思う。そのころ、被告人がもう必要ないと言うのでY田病院からもらった紹介状を処分したのを記憶している。」旨、被告人の公判供述に沿う供述をしている(28回173項以下、332項以下、29回868項以下など)。しかし、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、被告人の亀頭包皮炎がいつごろからよくなったかについては全く覚えていない、平成4年2月当時の被告人の性器の状態も全く分からないなどと、右公判供述と実質的に相反する供述をしていたものである(甲555)。妻C子は、公判供述の記憶の方が正しいと言うが、4年以上も前の事柄について具体的な記憶が残っているのであれば、当然、捜査段階でも同じ供述ができたはずであって、納得のいく説明もしないで捜査段階の供述をことさらに否定する同女の公判供述の信用性は極めて低い。よって、妻C子の公判供述は被告人の公判供述を裏付けるものとはいえない。<br>  これらのことからすると、亀頭包皮炎の状態に関する被告人の捜査段階の供述は十分に信用できる。<br> 3 フルコートFについて<br>  被告人は、平成3年7月ころから12月ころにかけて、福岡県嘉穂郡穂波町にある薬局「ドラッグストアコウキ」で、フルコートFという薬を頻繁に購入していたが、この薬は、かゆみを伴う湿疹等の皮膚病に効く薬で、効き目は強いが、ステロイド剤が含まれているので、長期間使用すると皮膚の抵抗力がなくなり、副作用として黒皮や皮膚の過敏等の症状が出たり、使用をやめると以前の症状が悪化することもあるというものであった(甲553、554)。<br>  なお、被告人は、捜査公判を通じて一貫して「ドラッグストアコウキ」でフルコートFを購入した事実は全くないと供述し、妻C子も公判で同様の供述をしているが、同店の経営者は、「被告人は1か月に2、3回は店に来る得意客で、そのうち1回はフルコートFを買っていた、フルコートFは副作用が強いので、自分からは勧めず、客が名指しした場合にのみ販売していたので、これを名指しで買っていた被告人は強く印象に残っている。」と供述しており、また、同店の元店員も、「被告人は常連客であり、フルコートFを買っていたことを覚えている。」と供述しているのであって、同店経営者及び元店員の各供述の信用性には疑問の余地がない。したがって、フルコートFを購入した事実は全くないという被告人及び妻C子の各供述は、いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない。<br> 4 小括<br>  被告人は、本件当時、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっており、亀頭の粘膜に無数の裂傷ができている可能性があるため、膿や汁のほか、外部からの刺激により容易に出血することがあったと認められる(甲548、549 証人Y田)。<br>  ところで、前記7のとおり、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのである。これらの犯人に由来する血痕等からは、犯人が1人とも複数とも断定できないことについては、前記のとおりであるが、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型及びDNA型のMCT118型は被告人のそれらと一致しているのである。そして、犯人に由来する血痕等は、それらが採取された場所がいずれもA田とB山の膣及びその周辺であることからすると、犯人がA田とB山にいたずらをした際に何らかの理由により出血して付着したものであると認めるのが相当である。<br>  そうすると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の手指ないしは陰茎である可能性が高いということができる。そして、A田とB山の処女膜等の損傷の状況からして犯人の指と爪が挿入されていることが明らかであるから、犯人の手指からの出血の可能性を否定することはできない。しかしながら、A田とB山がいたずらをされたのは、犯人がA田とB山の死体を投棄する前であるから、犯人の手指から出血していたのであれば、その出血の時期は、いたずらの部位からしてもその最中ではなく、いたずらよりも前であると考えられるので、血痕等がいたずらをする前に脱がせたと考えられるA田及びB山の下着等にも付着しているはずであるところ、そのような痕跡は存在しないのである。してみると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の陰茎である可能性が高いということができる。そして、被告人の亀頭は外部からの刺激により容易に出血することがあったのであるから、被告人が犯人であった場合には、犯人に由来する血痕等の存在理由を合理的に説明することが可能である。<br> =====九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について===== 1 被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人31回等)。<br>  平成4年2月当時、福岡県飯塚市(中略)所在の自宅で、妻C子及び潤野小学校2年に在学していた長男C男との3人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して妻を職場まで送り届けていた。午前8時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、長男も一緒に被告人車に乗せて潤野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、外出したりしても、午後1時ころまでには必ず家にいるようにしていた。長男は、だいたい午後3時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方5時前になると、被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。<br> 2 ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を潤野小学校で降ろして妻を職場まで送るのに主に通っていた2通りのコースを平日に走行してみたところ、その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前8時18分過ぎに到着し、その帰路に被害児童が最後に目撃されたE村方三叉路付近を通過する時間を測定すると、午前8時28分ころとなった(甲566、567)。したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、E村方三叉路付近を通過する時間は、被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後3時ころまでの間は、1人で自由に行動することができるところ、潤野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても2時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。<br> 3 これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成4年2月20日の行動について、公判で、「この日は、午前7時55分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、午前8時10分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、午前10時05分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、午前10時20分ころから午後0時30分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、午後1時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。午後5時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、そのまま家族3人で外食をして、午後7時過ぎころ、被告人方に帰り着いた。」などと供述している(31回)。この供述のうち、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、その後パチンコをして、午後1時ころ自宅に戻ったという点については、本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。<br>  まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母久間C美は、期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(125項以下)、平成4年2月20日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(289項)、同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。<br>  次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻C子は、公判で、「本件当時、毎月19日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。自分も一緒に行きたいと話していた。平成4年2月20日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(28回421項以下、29回536項以下)。<br>  しかし、妻C子は、捜査段階では、警察官に対して、「19日ころ米を買ってすぐに被告人の実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが2月20日であると特定して供述していない。妻C子は、公判で、19日に米を買ってその翌日ということで20日と思い出したというのであるが(29回758項以下)、それが事実であれば、既に捜査段階でも19日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、捜査段階で20日と特定できたはずである。しかも、毎月19日に買っていたというのは被告人からそのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(29回882項以下)。これらのことからすると、妻C子が、捜査段階では思い出せなかった20日という日付を公判で特定できた理由は不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。<br>  さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。<br>  すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について詳細に供述している(31回96項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、妻を送った後、午前8時30分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「2月25日ころ、森永刑事が自宅に来た後で考えて思い出した。3月18日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。3月20日にポリグラフ検査を受けたところ、翌21日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言した。」などと供述している(33回108項以下、273項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、「3月18日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。3月20日にポリグラフ検査を受けた後、アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙122)ものであって、事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(33回292項以下)のに対して、捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の1つに、夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨異なる供述をしているのである(乙122項)。このように、被告人のアリバイに関する供述は、その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。<br>  よって、被告人にアリバイは成立しない。<br> =====一〇 被告人の性格鑑定について===== 1 弁護人は、猥褻目的で登校途中の2名の女子児童を車で拉致して、扼殺し陰部にいたずらしたうえ山中にその死体を遺棄したという本件犯行態様の残忍性冷酷性からみて、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるが、被告人は、妻子を有しこれまで性格異常を示すような前科もなく、通常の社会生活を営んできたという生活歴からみて、性格異常者とは認め難いから、被告人が本件犯行を犯すようなことはあり得ず、本件のような犯罪を犯すはずがないと主張し、被告人の性格鑑定を申請し、当裁判所は、右鑑定申請を採用して、福岡大学医学部精神医学教室助教授医学博士堤啓に鑑定を依頼した。<br> 2 堤鑑定人の鑑定書(弁73)及び同鑑定人の証人尋問によると、堤鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br> (一) 堤は、精神科医として約30年の経歴を有し、臨床心理士として同程度の経験を有する福岡大学病院精神神経科医療技術職員皿田洋子を助手として、どのような検査法を組み合せるか(テストバッテリーの決定)を検討した上、最初は本人の意図的な考えが反映しやすい質問形式を採用し、段々投影法を用いて最後には対人関係の中で非常に葛藤的な場面も想定されるようなTAT(絵画統覚テスト)を用いることとした。<br> (二)テストの実施は、平成10年4月10日、同月13日及び同年7月6日の3回に分けて行われ、その検査の結果は次のようになった。<br> (1)MMPI(ミネソタ多面人格テスト)の検査結果によると、質問項目383項のうち無解答が148項目あったため総合的評価はできなかったが、無解答の項目はいずれも本件事件に関する被告人の心理状態やその後の心理反応に関するものであり、不当に判断されては困るという警戒心が強く認められた。また、答え間違いをして後で言い直しをした質問項目に、「性的なことで問題を起こしたことはない」という項目に対し、「ないですね。」と言いながら「ちがう」の方に印を付け、検査者から指摘を受けて印を付け直したり、「後悔するようなことをよくやる」という項目に対し、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて「これ違いますね。」と言って「ちがう」の方に印を付けた。また、血に関する項目については、素直に答えられなかった。<br> (2) ロールシャッハ・テストに対して、被告人は警戒的であり、11カード中、6つのカードについて判断できないとしており、自由に想像力を働かせて連想しなかった。反応の仕方から被告人の性格を分析すると、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいると判断された。<br> (3)P-Fスタディ(絵画欲求不満テスト)によるとCGR(欲求不満に対する常識的、一般的な反応の程度)が異常に高かったことから何らかの意味で欲求不満場面における反応が異常であること、また、欲求不満に無関心であったり又は抑圧してしまって、欲求不満を感じてそれをどう能動的に処理していけばよいか解決していくことが出来にくい人であるとの判断がされた。<br> (4)バウム・テストの結果、被告人の自信のなさ、不安定さ、まわりと自分との関係への無関心さ、感情の冷却、警戒心の強さなどが推測され、人物画(自己像)からも、自信のなさ、警戒心の強さ、感情など衝動性のコントロールの弱さ、対人関係の保持の不安定さが推測された。<br> (5)TAT(絵画統覚テスト)によると、内容的には標準的なもので、特に奇妙な受け止め方をしていないが、被告人にとって非葛藤的内容(友人関係、恋愛関係)の時は、短いながらもまとまった話を作ることができるが、葛藤的な場面(攻撃性、性的、危機的)では「想像できない」と言って、非常に警戒的になったこと、夫婦関係の場面では、いずれも妻から小言を言われる場面を連想しており、不満が高まっていることが伺われること、自分さえよければよいといった自己中心的なところがみられたこと、空白カードでは、何か場面を描いて下さいという指示は無視して、自分の言いたいことをまくし立て、自分がいかに性的対人関係等にひどい仕打ちにあったか(前妻の浮気)を話していたことから、性的な場面への反応を意識的には拒否してきたが、無意識にその葛藤を示した結果となった。<br> (三)被告人の行動観察、問診、心理テストにより得られた所見を総合すると、被告人は意識は清明であり認知の障害は表立ってなく意識的範囲力で持論をあやつる判断力と感情表現の能力を有し思考の障害もみられないが、自己中心的で、自己に不利益をもたらす問いかけや刺激に警戒的で、それらに対する反応を拒否する場合が多かったこと、独断的で自己の欲求を満たすためなら相手と場を選ばないという心理特性を有していること、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しい人格傾向が認められた。<br> (四)被告人の情性について検討するに、「情性」とは、他人とともに喜びまた悲しみ、誠実に相手の立場と心情に気を配って交際し、信頼関係を結ぶ人格特性である。<br>  情性の基礎が作られる幼年期からそれが発達していく青年期にかけて、被告人は父親との死別、母親の行商の手伝いなど不利な生育環境で育ったためと考えられる情性の欠如がかなりの程度みられること、被告人は、56歳のときに警察官に樹木用の鋏で怪我をさせた傷害罪を起こしているところからも明らかなように、本件当時まで犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、被告人は、本件の発生から約6年経った現在でも、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、被告人は、MMPIの検査の際、「付き合いはいいです。」という質問に、しばらく考えて、「答えられません。」と反応したことに表われているように、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることからすると、被告人には情性の欠如が現在もみられるが、それを明らかにされまいとする自己中心的な意思が働いている。このことは、被告人の暦年齢にもかかわらず、情性の欠如は活動的で、何らかの欲求不満の発散を求めようとする意思と結びつけば、犯罪を犯す恐れを示唆するものと推測される。<br> (五)被告人の性的抑制について検討するに、被告人は、MMPIの検査の際、「性的なことで問題を起こしたことはない。」という質問に対し、険しい口調で「ないですね。」と言いながら、「ちがう」の方に丸印を付ける間違いをし、検査者の指摘で「そうですの方ですね。」と平静を装って、丸印を付け直したこと、TATの検査の際、空白カードに対して、自分がいかに性的対人関係でひどい仕打ちにあったかを話していることからして、それまで性的な場面への反応を意識的に拒否してきたが、無意識的にその葛藤を示していることからして、被告人は性への関心が高く、葛藤的に受け止められているが、それを見抜かれまいとする自己防衛を意識的に行っていることが明らかである。<br>  さらに、被告人は、平成3年10月ころから、糖尿病による亀頭包皮炎のため、妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高く、そのような状況で、情性の欠如した被告人が性倒錯的行動をとる可能性は十分考えられる。<br> (六)以上から、鑑定主文では、被告人は情性欠如型の性格異常者と判断され、その偏りの内容は、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいる、もっとも、葛藤がない平常時には、標準的な物事の受け止め方ができ、性格の偏りの程度は、中程度のものと認められるが、状況によっては重度のものに揺れ動くと考えられ、ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると判断された。<br>  3 弁護人は、堤鑑定の手法及びその判断は誤りであるとし、その理由として、①堤鑑定の採った手法は、心理テストが中心であり、問診や行動観察が十分でないこと、②検査者と被告人との間には性格鑑定で必要となる信頼関係がないこと、③被告人は、無罪であるにもかかわらず本件事件を犯したとされ、拘置所に長期間身柄を拘束されており、自己に不利益な判定が下されないようにことさら警戒的・防衛的な回答したため、そのような態度がテストに影響を与えていることなどからして、鑑定結果が被告人の本来の性格と異なるものと判断されたと主張する。<br>  しかしながら、①について、確かに本件性格鑑定が拘置所において限られた時間で行われたことから、問診や行動観察に十分な時間をかけて行われたものではないが、堤鑑定人は、その専門家としての立場から、各種心理テストを実施する前や実施中の被告人の受け答えや行動について観察をしており、これをもって、独自の問診や行動観察に代えているのであるから、問診や行動観察が不十分であるとは言い難い。②については、本件鑑定の申請は、弁護人側から行われたもので被告人が被験者として検査に応じたことから鑑定ができたのであるから、性格鑑定に必要となる基本的な信頼関係はあったということができる。③については、心理テストをすると、前記のように被告人が警戒的・防衛的な態度を示したかどうかが分かるのであり、それを理解した上でそのような態度を示したものが何かを分析して性格鑑定を行うものであることからすると、警戒的・防衛的な回答をしたこと自体から、性格鑑定の結論を異にすることにはならないと考えられ、弁護人の主張はいずれも採用できない。<br>  もっとも、MMPI検査では、質問項目に対し被検者が意図的作為的に答えると事実と異なる像を示すことが指摘されており、被告人が意図して防衛的、抑圧的にしか答えていないことからすると、右検査法の正確性が問題となるが、堤鑑定は、右検査内容による被告人の人格の総合的評価はしておらず、右検査の際の被告人の答え方や態度などをみて被告人の心理テストに対する態度を評価しているに過ぎないのである。<br>  なお、弁護人は、MMPI検査において、堤鑑定が、特定の質問項目に被告人が答え間違いをして後で言い直しをした事実を、「内心の気持ちを口をすべらせて、後で言い直しをした」とか「本心をぽろっと出した後、慌ててそれを取り消す失態を行った」と評価している点について、堤鑑定人が被告人を犯人視する片寄った見方をしているためであると主張する。<br>  なるほど、堤鑑定が、「性的なことで問題を起こしたことはない。」の項目に対し、すぐに「ないですね。」と強調しながら、「ちがう。」の方に丸印を付け、検査官から、言ったことと印を付けた箇所が異なることの指摘を受けて、被告人が「そうですの方ですね。」と平静を装って印を付け直したという点については、被告人が単に答え間違いをした可能性もあり、堤鑑定のような評価は一面的すぎるようにも思われる。しかし、「後悔するようなことをよくやる。」の項目には、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて後に「これ違いますね。」と言い、「ちがう。」の方に印を付け直したという点については、被告人の質問に対する答えと印を付けた箇所が異なっていたわけではなく、被告人が答えを訂正したときの態度からの判断であるから、堤鑑定の評価に誤りはないと考えられる。<br>  各種投影法については、被検者の置かれた環境によって多少の影響を受けることがあるとしても、被検者に根ざした本来の性格は環境にそれ程影響を受けないと考えられることからすると、被告人の性格鑑定にも採用でき、投影法は、被検者の深層にある心的傾向や葛藤の内容等を見い出すのに適しており、被検者が解答を意図的に調整することはできないから、被告人が警戒的、防衛的態度をとったとしても、この検査法に基づき判定された被告人の性格鑑定は基本的には信頼性のあるものと考えられる。<br>  4 堤鑑定は、被告人に情性が欠如していると判断した根拠として、①被告人が母子家庭で生育したこと、②被告人の傷害前科からして、被告人が犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、③被告人は、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、④MMPI検査の際、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることを挙げている。<br>  しかしながら、①については、被告人の生育環境のみから情性が欠如していると判断するのはあまりにも短絡的であるといわなければならない。そして、②については、犯罪者がすべて情性欠如者であるといえないのは自明の理であるから、被告人に犯罪的能動性があったとする理由とすることはできても、それをもって情性が欠如していることの根拠とすることはできない。また、④については、被告人が情性に関する質問に対して警戒的、拒否的であったからといって、そのことをもって直ちに被告人に情性が欠如していることの根拠とすることはできない。そうすると、残るところは③であるが、心理テストの結果からみられる被告人の自己中心的、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しいなどの人格傾向は、なるほど情性欠如者にもみられるところではあるが、クルト・シュナイダーが、情性を同情心とほぼ同義語に解し、同情心の少ない人から冷淡な人、冷淡な人から冷酷な人、すなわち情性欠如型の人への漸進的な移行を考えている、とされている(現代精神医学大系8、109頁参照)ところからすると、被告人の右人格傾向をもって、情性欠如型精神病質と評価できるほどの異常性を示しているかどうかについては疑問の余地がある。<br>  また、堤鑑定は、被告人が、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっていたため妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高い状況下において、情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられるとしているが、被告人が情性欠如型精神病質者であるとする堤鑑定に疑問を入れる余地のあることは前記のとおりであるから、この点の堤鑑定の結論は採用することができない。<br>  5 小括<br>  堤鑑定の心理テストの結果から見られる被告人の性格傾向からすると、弁護人の主張するように被告人が本件のような犯行を犯すはずのない人物であるとまではいうことができない。したがって、被告人の性格鑑定の結果は、被告人と本件犯行の犯人性との結びつきに疑いを入れるような証拠ではない。<br> =====一一 結論=====  以上要するに、本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができないのである。<br>  しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。そこで、この観点から検討すると、本件犯行に犯人が使用したのではないかと疑われる自動車は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイヤの車で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどといった特徴を有していたこと、犯人について、被害児童であるA田及びB山の失踪場所の状況や時間帯並びに右場所と被害児同の死体及び遺留品の発見場所との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、失踪場所等についての土地勘を有するものであると推測されること、しかるに、被告人は、右容疑車両と特徴を同じくする被告人車を所有し、かつ、土地勘を有することからすると、被告人が犯人ではないかという疑いが生じるのは当然である。これに加えて、被害児童の着衣から、被害児童が犯人車に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片が発見されているところ、これらの繊維片は被告人と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いのであるから、被告人が犯人ではないかという疑いはますます濃厚となる。このような状況下において、被告人車の後部座席シートから血痕と尿痕が検出され、血痕については、被害児童のうちのA田と血液型を同じくするO型であること、尿痕については人尿であることが判明した。これらの血痕や尿痕については、被告人が被告人車を入手して自己の管理下に置く前に付着した可能性はないと認められる上、被告人車は被告人のみが使用し、かなり頻繁に後部座席シートの水洗い等の手入れをしていたのであるから、少なくとも右のうち血痕については、それが付着していたことに被告人が気付かなかったはずがなく、車内で誰かが相当量の出血をしたという特異な出来事についても被告人が忘れてしまったとも考えられないし、尿痕についても同様であるというべきてある。しかるに、被告人は、右付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。他方、被害児同2名とも失禁と出血があり、これらは犯人が被害児童を殺害した際に生じたものであると認められるところ、被害児童の体は生前あるいは死亡後に犯人車と接触していることが明らかであるから、犯人車には被害児童の右尿や血痕が付着している可能性があるということができる。そうすると、右の血痕等が被告人がに付着していた原因については、被告人が犯人であるとすれば、被害児童であるA田らを被告人車内で殺害するか、あるいは、その後、A田らの死体を死体発見現場まで被告人車で運んだときに右の血痕等が付着したものとして、合理的に説明することができるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられないのである。また、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害児童以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのであり、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、DNA型はMCT118型が16-26型であって、被告人のそれと一致しているのである。さらに、右のように被害児童2名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していた理由として、被告人が犯人であるとするならば 被告人が本件当時糖尿病による亀頭包皮炎に罹患していたため、被告人の亀頭が被害児童の膣等に接触した際の刺激によって出したものであるとして、合理的に説明できるのである。また、被告人の捜査段階での供述によれば、被害児童の失踪現場は、被告人が妻を現場に送迎するために被告人車で通ることがあり、妻の職場から失踪現場を通って被告人方に戻る場合、丁度 被害児童が失踪した時間である午前8時30分ころに失踪現場を通過することになり、被害児童が失踪した時間帯及び失踪現場は、被告人が妻を勤務先に被告人車で送った後、被告人方に帰る途中の時間帯と通路にあたっていた可能性があるところ、被告人にはアリバイが成立しないのであるから、被告人に犯行の機会のあったことが明らかである。<br>  以上のような諸情況を総合すれば、本において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができるのであって、そこから翻って見ると、被害児道が最後に目撃された現場及び遺留品発見現場において目撃された紺色ボンゴは犯人車である被告人車であり、それを運転していたのは被告人であると認定することができる。<br> ====(法令の適用)====  別条<br>  第一 (被害児童2名につき) <br>  平成7年法律第91号附則第2条1項により同法による改正前(以下「改正前」という。)の刑法224条<br>  第二及び第三<br>  いずれも改正前の刑法199条<br>  第四の一、二<br>  いずれも改正前の刑法190条<br>  科刑上一罪の処理(第一) <br>  改正前の刑法54条1項前段、10条(犯情の重いA田に対する未成年者拐取罪の刑で処断) <br>  刑種の選択(第二及び第三) <br>  いずれも死刑<br>  併合罪の処理<br>  改正前の刑法45条前段、46条1項本文、10条(刑及び犯情の最も重い第二の罪につき死刑に処し、他の刑は科さない。) <br>  訴訟費用の不負担<br>  刑事訴訟法181条1項ただし書<br> (量刑の理由) <br>  本件は、被告人が車で妻を勤務先に送って自宅に帰る途中、登校時刻に遅れて登校中の小学1年生の被害児童2名を認め、車に乗せて拐取した上、同女らの頸部をそれぞれ手で締め付けて殺害し、その前後に、同女らの陰部に指先を挿入するなどして弄び、その後人通りの余りない国道沿いの山中にそれぞれの死体を投げ捨て遺棄した事案である。<br>  本件犯行態様は、帰宅途中に偶然居合わせた被害児童2名を拐取するや、年端のいかない抵抗する力の弱い同女らの頸部をあたかも鶏の首を絞めるがごとく手で締め付けて次々に窒息死させ、何らの落ち度もない2名ものかけがえのない無垢な命を奪ったものであり、人情のかけらすら認められない鬼畜同様の行為である。その結果が何にも増して重いのはもとより、車で拉致され殺害されるまでの間に被害児童がそれぞれ被った恐怖感や精神的・肉体的苦痛には想像を絶するものがある。その上、被告人は、犯行の発覚を防ぐため、被害児童の死体を下半身裸のまま、まるでごみと一緒に不要になった人形を捨てるかのごとく山中に投げ捨てて死体を冒涜したものであり、極めて冷酷残忍な犯行態様である。<br>  本件犯行の内、被害児童を略取または誘拐して殺害に及んだ直接の動機は、被告人が否認し犯行の具体的態様が明らかでないことから不明といわざるを得ないが、被告人が被害児童やその家族に対して恨みを持っていたような事情はうかがわれず、他方、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと、死体の陰部には手指を挿入した痕跡があることからすると、本件当時、被告人が、少なくとも自己の性欲を満たさんがために、汚れを知らない少女を陵辱し、自己の獣欲を満足させようとした事実は否定できないところであって、そこからは被告人の抑制力の欠如と性倒錯的傾向がうかがわれるのみならず、再犯の可能性も否定できない。<br>  さらに、本件犯行後、被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから明星寺団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の攪乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である。<br>  未だ幼くして愛情に満ちた家庭から隔離され、突如命を奪われ、無限の可能性を秘めたこれからの人生を無惨にも断ち切られた被害児童2名の無念さは計り知れない。また、遺族らの感情について、公判において、A田の母親は、「事件後、2、3年は夜眠れない状態が続いた。今でもA子が夢に出てくることがあり、夢の中のA子が泣いていると、起きてから涙が止まらなくなる。」と今でも深い悲しみの中におり、被告人に対し「Aちゃんを返して欲しい。苦しめて死刑にして欲しい。」と悲痛な思いを訴えている。また、B山の父親は、事件当時のことを振り返り、「寒い夜だったので、一刻も早く助けてやりたくて、少ない情報の中を一時も寝ずに夜通し走り回った。遺体に対面したとき、すべて周りの出来事が夢のように思われ、目の前の現実を受け止めるゆとりもなかった。」と本件の衝撃の強さを語り、被告人の行為に対し「罪のない幼い子供を2人も殺した行為は、到底人間の行為とは思えない。許せない。極刑を希望する。」と峻烈な処罰感情を露わにしている。B山の母親は、「小学校教諭という職業柄、生徒とB子の姿がダブり、何度か仕事を辞めようかと思った。」「6年以上経った今も、悲しみ、苦しみ、悔しさといったいろんな感情が織り混ざる。」と、やはり癒しがたい被害感情を有したままでおり、極刑を希望している。このような最愛の娘の命を理不尽な犯行によって奪われてしまった両遺族の悲嘆の深さ、被告人に対する遣り場のない憤りの激しさは、十分に理解でき、被告人に対し極刑を望むのも当然である。<br>  また、本件は、小学1年生の女児が2人連れで登校中に通学路で突如行方不明となり、山中で変わり果てた姿で発見されたという衝撃的な事件であり、被害児童が通学していた小学校はもとより、飯塚市内はおろかその近辺の小学生児童や教育現場にまで不安感、恐怖感を与えたものであって、その社会的影響には大きいものがある。被告人は、本件当時、自らも被害児童と同じ潤野小学校に通学していた1学年上の子供があり、年齢も54歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かるはずであるにもかかわらず、捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており、被害児童やその遺族らを意にも介せず、反省するどころか、自己やその家族がいかに警察から迫害を受けたかを訴えるばかりで、良心の呵責や改悛の情が全くみられない。<br>  以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処することとした。<br> (求刑 死刑)  <br> (裁判長裁判官・陶山博生 裁判官・重富朗 裁判官・柴田寿宏) <br> {{DEFAULTSORT:ふくおかちほうさいはんしよへいせい6ねん}} [[カテゴリ:日本の判例]] {{PD-JapanGov}} [[Category:判例時報]] cfwjsd0olho91phawwjcw0bec2eose3 246534 246531 2026-10-11T15:58:23Z ろづき 28406 246534 wikitext text/x-wiki {{header |title={{PAGENAME}} |notes= 掲載誌(判例タイムズ1059号254頁、判例時報1697号124頁)。原本は実名。控訴審以降の判決については、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件<br> 福岡地方裁判所刑事部平6(わ)1050号、1157号<br> 平成11年9月29日判決<br> === 主文 === 被告人を死刑に処する。 === 理由 === ====(犯罪事実)==== 第一 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分ころまでの間、福岡県飯塚市大字潤野(中略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳)及びB山B子(当時7歳)を認め、同女らが未成年であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト登録番号(中略))に乗車させ、右小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である同女らを略取又は誘拐した。<br> 第二 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前9時ころまでの間、福岡県飯塚市内又はその近郊において、殺意をもって、A田A子の頚部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第三 被告人は、第二記載の日時、場所において、殺意をもって、B山B子の頸部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第四 被告人は、平成4年2月20日午前11時ころ、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に<br> 一 A田A子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> 二 B山B子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> ====(証拠)==== (括弧内の甲、乙は、証拠等関係カード中の検察官請求の証拠番号を、弁は弁護人請求の証拠番号を、職は職権による証拠調べの証拠番号を表す。)<br> 全部の事実について<br> 一 証人久間C子、笠井賢太郎、野田茂樹、田中紘、石山昱夫、H田H子の各公判供述<br> 一 第4回公判調書中の証人I田I子の供述部分、第5、6、7、9回公判調書中の証人坂井活子の供述部分、第8回公判調書中の証人林葉康彦の供述部分、第11回公判調書中の証人福山晴夫の供述部分、第12回公判調書中の証人鈴木真一の供述部分、第13、14回公判調書中の証人N田N男、O田O男、P田P男の各供述部分、第15回公判調書中の証人Q田Q男、R田R男の各供述部分、第16回公判調書中の証人S田S男、S田S子の各供述部分、第18回公判調書中の証人T田T男の供述部分、第22回公判調書中の証人U田U子の供述部分、第23回公判調書中の証人V田V子、W田W男の各供述部分、第25回公判調書中の証人X田X男の供述部分、第26回公判調書中の証人石山昱夫の供述部分<br> 一 証人久間C男、久間C美、Y田Y男の各期日外尋問調書<br> 一 当裁判所の検証調書<br> 一 Z田Z子(甲38)、D山D子(甲39)、久間C子(甲493、ただし1、3、4、6項、555、563、564)、久間C男(甲494)、久間C美(甲496、ただし3、4、5項)、E山E郎(甲553)、F山F子(甲554)の各検察官調書<br> 一 G山G子(甲3)、H山H男(甲5)、I山I男(甲22)、A田A美(甲26、27)、J山J美(甲28)、B山B男(甲29)、B山B美(甲30ないし32)、K山K子(甲34)、L山L郎(甲36)、M山M郎(甲80)、N山N郎(甲81)、O山O郎(甲120)、P山P郎(甲509)、Q山Q郎(甲510)、R山R郎(甲526)、S山S郎(甲527)、T山T郎(甲528)、U山U男(529、530)、V山V男(甲531)、W山W郎(甲532)、X山X郎(甲533)、Y山Y郎(甲534)、Z山Z男(甲535)、Y田Y男(甲548、549)、石山昱夫(甲626)、D村D郎(甲627)、林葉康彦(甲628)の各警察官調書<br> 一 実況見分調書(甲6、7、20、21、23、24、105、108、483、487、502)、検証調書(甲476)<br> 一 誘拐並びに殺人及び死体遺棄被疑事件発生報告書(甲8、13、16、33、91)、死体遺棄現場の位置特定の関する報告書(甲9)、鑑定人(執刀医)に対する事情聴取結果報告書(甲19)、現場資料(血痕等)採取報告書(甲45)、遺体発見現場における法医理化学資料発見採取に関する報告書(甲46、49)、聞込み結果報告書(甲77)、捜索差押調書(甲78)、鑑定資料(車両のシート片、繊維等)採取報告書(甲83)、資料入手報告書(甲94)、車両座席シート・メーカーに対する捜査報告書(甲121)、捜査関係事項照会書飯刑第310号について(報告)(甲133)、着衣等の領地に関する報告書(甲457)、遺留品発見報告書(甲464)、法医理化学資料発見採取報告書(甲484、ただし不同意部分を除く)、法医理化学資料発見入手報告書(甲485、ただし不同意部分を除く)、死体遺棄事件捜査報告書(甲504)、ボンゴ車のダブルタイヤに関する捜査報告書(甲505)、捜査報告書(甲10、551、641、728不同意部分除く)、地図作成報告書(甲565)、送迎所要時間に関する報告書(甲566、567)、捜査関係事項等照会について(回答)(甲508)、捜査関係事項照会書謄本(甲666、692、697、700、703、706、708、710、712、714、716、718)、電話筆記用紙(甲694、695、696、699、704)、回答書(甲726、弁92、118)、鑑定書の誤記等の訂正に関する報告書(甲611)、被害者着衣等の発見・領置及び同着衣等に付着した微物・保管・鑑定依頼状況に関する報告書(甲727)、電話聴取書(職8、10、13)<br> 一 DNA鑑定に関する質疑について謄本(甲629)、DNA鑑定に関する質疑の回答について(甲630)<br> 一 鑑定嘱託書謄本(甲67、75、84ないし87、89、98、106、109、489、623)<br> 一 鑑定書(甲12、15、18、53、58、62、68、74、76、88、90、107、110、461、463、469、471、475、478、480、482、490、624、職15、28)、鑑定嘱託書飯刑第345鑑定報告(甲99)、結果報告書(甲100、101)、試験成績報告書(甲125の一部)、染色加工分量表(甲126の一部)追加分析報告書(甲625)、追加鑑定書(職16)<br> 一 文献「DNA型鑑定の運用に関する指針について」写(弁36)、「MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法」写(弁37)、「MCT118のインターアレルについて」写(弁39)、「岐阜県在住の日本人におけるMCT118(DIS80)のインターアレルについて」写(弁40)、「DNA型鑑定の現状」写(弁43)、「DNA型鑑定の実際」写(弁46)、「DNA型と個人識別」写(弁47)、「法科学とPCR」写(弁57)、「犯罪捜査におけるDNA型鑑定の活用状況上」写(弁66)<br> 一 甲68写真13のネガフィルム1枚(甲593)、甲76写真8のネガフィルム1枚(甲594)、プレパラート内の橙色繊維片1本(平成7年押第140号の2)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の3)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の4)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の5)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の6)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の7)<br> 一 被告人の各検察官調書(乙9、11ないし13 ただし、いずれも却下部分を除く)、各警察官調書(乙3、4(不同意部分を除く、5(不同意部分を除く)、6、8) ====(補足説明)====  被告人及び弁護人は、犯人性を争い無罪の主張をしているので、事実認定の理由について以下説明する。<br> =====一 事案の概要=====  証拠によると、以下の事実が認められる。<br> 1 被害者A田A子(以下「A田」という。)及び被害者B山B子(以下「B山」という。)は、平成4年2月当時2人とも7歳で、福岡県飯塚市(中略)所在の飯塚市立潤野小学校一年に在学していた(甲1)。<br> 2 A田は、上に黄色のジャンパーを着て赤色ランドセルを背負い、同月20日午前7時40分ころ、同級生のK山K子と一緒に、飯塚市(中略)所在のB山方までB山を呼びに行き、3人で潤野小学校に向かって歩いて登校し始めたが、ぐずぐずしていて午前8時過ぎころになってもB山方近くから離れず、そうするうちにK山が一人だけ先に行ってしまったので、B山と2人になった(証人U田U子 甲26、29、34)。なお、B山方から潤野小学校までの通学路はだいたい決まっており、別紙1の赤線のとおりであって、距離にして約1420メートル、所要時間は子供の足で20分から25分程度である(甲33)。<br> 3 A田とB山は、同日午前8時10分ころ、B山方近くの道端でしゃがみこんでいるところをA田の知人L山L郎に目撃されたほか(甲36)、午前8時22分ころ、B山方から道学路を約575メートル進んだ地点である平原バス停付近をいかにも学校に行きたくないといった表情でとぼとぼ歩いているところをA田の知人Z田Z子に目撃され(甲33、38)、さらに、後記のとおり、午前8時30分ころ、B山方から通学路を約937メートル進んだ地点であるE村E太方(飯塚市大字潤野(中略))前三叉路(以下「E村方三叉路」という。)付近において農協職員D山D子によって目撃されたが(甲33、39)、そのほんの数分後に同所を通った同職員V村V子(なお、同女はその後結婚してV田姓となった。)からは目撃されていない(証人V田V子)。<br>  A田の実母A美は、母親のA山A恵を二宮医院に送るため、同日午前8時45分ころ、同人方を車で出発し、平原バス停先のF村F郎方(イソップハウス)まではA田らの通学路と同じ道路を通行し、F村方から通学路とは分かれて南下して二宮医院にA恵を送った後、同じ道路を通って同日午前8時55分ころ同人方に戻ったが、この間A田らの姿を見ていない(甲26)。また、当時潤野小学校図書館司書補助員をしていたG山G子は、顔見知りのB山が登校しでいないことを聞き、B山らを探すため、同日午前8時50分ころ、車で潤野小学校を出発し、B山らの通学路を逆行してE村方三叉路を北上し、平原バス停の北方にある田中商店付近でUターンして別の経路で潤野小学校に同日午前8時56分ころ戻ったが、B山らを発見することができなかった(甲3)。<br> 4 翌21日午後0時10分ころ、福岡県甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠を自動車で通りかかったH山H男が、第5カーブ付近で小用を足すために車を停めて降りた際、道路南方の斜面に小さなマネキンのようなものが捨ててあるのを見つけて不審に思い、警察に通報した結果、それらがA田とB山の死体であることが確認された(甲5)。<br>  死体遺棄現場は、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3(旅館「秋月荘」の所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)の南方約9メートルの山中である(甲6、9)。<br>  死体は、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されており、A田は、黄色フード付ジャンパー、赤色上衣、長袖シャツ、半袖肌シャツを身につけ、B山は、白色フード付ジャンパー、茶色トレーナー、長袖シャツ、半袖肌シャツ、チェック模様入りベージュ色スカートを身につけていたが、2名共パンツを脱がされて下半身が露出し、少し離れた場所に赤色手袋が棄てられていた(甲6)。<br> 5 そして、死体解剖の結果、<br> (一) A田及びB山の死因は、頸部圧迫、それも扼頸(手による圧迫)による窒息であり、他殺であること<br> (二) A田の着ていたジャンパー表面には、両袖及び前面に血痕が多数付着していること(なお、後に鑑定した結果、ジャンパーに付着していた血痕はO型と判明した。)、A田の鼻孔からは血液が漏れ、その一部は右側を帯状に上方に伸び、右眼内裂部に達し、乾燥していること、頬、鼻、口周囲に血液が接着状に付着していること、A田の膣内から血液が漏出し、小陰唇のほぼ全域と、大陰唇下部及び肛門部にかけてほぼ対称的に付着し、乾いていること、処女膜の2か所に新しい裂創と膣前壁に出血があり、指の爪が挿入されたのであろうと推測されること、A田の血液型がO型であること<br> (三) B山の膣内から血液が漏れ、大陰唇から肛門部にかけて血液がほぼ対称的に付着し、一部は上方に帯状に伸び、乾燥していること、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していること、幼児の小陰唇部周囲には表皮剥離を与えず侵入し、内部のみ損傷できるものとして、恐らく指と爪が挿入されたと推測されること、B山の血液型がA型であること<br> (四) A田の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B山の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであったこと<br>  などが判明した(甲12、15、21)。<br> 6 更に翌22日になって、福岡県甘木市大字野鳥844番地(八丁苑キャンプ場所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約200メートル進行した地点の西方約5メートルの山中で、A田の赤色キュロットスカート、2人のランドセルなどの所持品及び下着、フリル付白色靴下、うさぎ柄白色靴下など着衣の一部が、死体と同じように、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されているのが発見された(甲22、23)。<br>  発見されたもののうち、A田が着用していた熊柄白色パンティー及びB山が着用していた羊柄白色パンティーの各股間部付近には、いずれも淡黄色の尿斑様のものが広く付着しており、鑑定の結果、それらは各被害者の血液型と合致する血液型を持つヒト尿斑であることが判明した(甲27、31、469、471)。<br> 7 潤野小学校から死体遺棄現場までは、経路によって違うが、距離にして28ないし36.1キロメートル、自動車で35ないし53分かかる(甲504)。また、遺留品発見現場は、潤野小学校から八丁峠を死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までは距離にして3キロメートル、自動車で8分程度かかる(甲105)。なお、死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、いずれも通称八丁峠と呼ばれている山道の国道沿いの山中であって、これらの現場に行くためには自動車を使用するしかないような場所である(当裁判所の検証調書)。<br> 8 被害児童の死亡推定時刻<br> (一) A田について<br> (1) A田は、平成4年2月19日午後5時30分ころから午後7時30分ころまでの間、飯塚市花瀬にあるカラオケボックス「楠」に家族と一緒に行き、焼きそば1人前の4分の1程度、のり巻きおにぎり1個、フライドポテトを食べて、カルピスを飲んだ。A田は、翌20日午前6時30分ころ起床し、午前7時ころ、大人の茶碗8分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ後、家を出た(甲26、28職8、10、13)。<br> (2) カラオケボックス「楠」では、当時焼きそばの具として、豚肉、たまねぎ、キャベツ、もやし、にんじんなどを使っていた(証人H田H子)。<br> (3) A田の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、永田武明教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長野田茂樹は、執刀医である永田がA田の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径1ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨を永田に報告したが、永田は頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人野田茂樹)。<br> (4) 永田鑑定書(甲12)には、A田の胃の所見として「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約160グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、腸の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」との記載がある。なお、永田は、右鑑定書作成直前、捜査官の質問に対して、「死後1日と1日半では、1日半がより近いと考えられる。」「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた(甲19)。<br> (5) 前記解剖時に採取されたA田の胃内容について、永田鑑定とは別に、福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)技術吏員棚田徳彦及び同林葉康彦も、鑑定を実施した。棚田・林葉鑑定書(甲18)には、A田の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できたとの記載がある。<br> (6) 当裁判所の鑑定人である帝京大学医学部法医学教室の石山昱夫教授が実験したところによれと、以下の結果が得られた(証人石山昱夫36回 職15、16)。<br> ア 成人用ご飯茶わん8分目の米飯の重量は約100グラムであり、これに生の皮をむいためんたいこを混ぜたものをビーカーに移し、人工胃液250グラムを加えてよく攪拌し、37度で2時間前後振盪した後、一昼夜にわたって室温に静置したところ、人工胃液のほとんどが米飯に吸収され、米飯の重量は250グラムとなった。また、めんたいこは、着色のものは容易に識別できるが、無着色のものは、水に濡れた状態で白い米飯の上に存在している場合には、識別困難であった。さらに、米飯の一部をシャーレに移し、蒸留水を加え、ガラス棒で攪拌すると、めんたいこは米飯粒から離れて周囲に散在するようになった。<br> イ 咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた。<br> (7) 以上の事実を前提にA田の死亡推定時刻を検討する。<br>  まず、A田の胃内容のうち、ほとんど末消化の米飯粒が約160グラムあったという点と、十二指腸にも淡黄色粥状物が少量あったという点について、石山鑑定人は、胃内容について死後も胃粘膜からの水分の吸収が持続するので水分が減ることをも考慮すると、A田の胃内容が2月20日の朝食(大人の茶碗8分目のご飯)であると考えても量的に矛盾しないとしている(職15)。次に、石山鑑定人は、A田の胃内容のうち、暗褐色調の微細物は、前記実験結果に照らし、A田が朝食後に服用した咳止めシロップが胃の中で米飯と反応した可能性があるとしている(職15)。そして、A田は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会った野田は、A田の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A田の胃内容を撮影した写真(甲13の28)にも粒状物らしい物体が写っている。<br>  もっとも、永田鑑定書及び棚田・林葉鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、石山鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、野田からの報告に頷いただけの永田がこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、棚田らがA田の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない。また、A田の胃内容のうち、少数の白い菜片(キャベツ片)は、2月20日の朝食時に摂取したものではないが、この点について、石山鑑定人は、前日の夕食の焼きそばの具が胃の中に残留した可能性もあると述べている(職15 証人石山36回)。<br>  弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、石山鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、石山鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない。<br>  仮に、A田の胃内容が2月20日の朝食ではないとすると、A田は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く、また、後にみるようにA田と同時に失踪したB山の胃内容からは同様の所見は認められないことからも、そのような可能性は極めて低い。<br>  以上からすると、A田の胃内容は2月20日の朝食であると認めるのが相当である。そして、石山鑑定人は、A田の胃内容からして、A田が食後1、2時間で死亡したものと判断しているところ(職15永田鑑定人の結論も同じである。)、この判断は合理的であって首肯することができる。そうすると、A田の死亡推定時刻は、同日午前7時に朝食を食べてから1時間ないし2時間後である午前8時から9時ころまでの間ということになるが、A田の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害されたと推定される。<br>  永田鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約1日から1日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない。また、死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA田の死体検案書(甲680)の作成者は永田武明教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。<br> (二) B山について<br> (1) B山は、平成4年2月19日午後7時30分ころ、寿司(納豆巻き、シーチキン巻き、カニサラダ巻き)を食べ、翌20日午前7時30分ころ起床し、その後朝食としていちごとミルク入りのカステラロール(直径約10センチメートル、幅約1センチメートルのもの)を約4分の1食べ、ヤクルトを半分飲んだ後、午前7時40分ころ家を出た(甲29、30)。<br> (2)B山の死体解剖は、A田と同じく九州大学医学部法医学教室において永田教授の執刀により行われた。<br>  永田鑑定書(甲15)には、B山の胃の所見として「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時30分)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。」との記載がある。なお、永田は、捜査機関の質問に対して、A田同様「死後1日と1日半では1日半により近いと考えられる。」「2月20日午前9時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)。<br>  また、このとき撮影された写真(甲16の写真30)によって、石山鑑定人は、B山の胃内容には、淡黄褐色の粘稠の表面に白色の膜状物が拡散しているように見えるほか、ゼリー状の黄白色の細長い物体が存在し、赤色の薄い皮膜様のものが数個認められる、というのである(職15証人石山36回)。しかしながら、石山鑑定人が指摘する白色の膜状物について、右写真の撮影者である田中紘は、写真撮影の際のリングストロボの反射であると述べているのであって(証人田中紘)、写真の専門家として長年の経験を有する同人の右供述は、これを信用することができる。そこで、田中の供述を念頭において右写真を詳細に検討すると、B山の胃内容は、永田鑑定書にあるように淡黄色の溶液のみであると判断するのが相当であって、石山鑑定人が主張する白色の膜状物及びゼリー状の黄白色の細長い物体はリングストロボの反射の影響によってそのように見えるだけであり、また、赤色の薄い皮膜様のものは、胃内容物を入れたビーカーの壁面が赤味を帯びて写っているところからして、写真撮影の際の背景による色調の変化であると認めるのが相当である。<br> (3)前記解剖時に採取されたB山の胃内容について、棚田・林葉鑑定書(甲18)には、前記A田の胃内容と同様の方法で鑑定を実施したが、固形物様のものは認められなかったとの記載がある。<br> (4)石山鑑定人の実験によると、アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、37度で2時間程度振盪した後、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた(職15)。<br> (5)そこで、B山の死亡推定時刻について検討する。<br>  B山の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間とした石山鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができないといわなければならない。<br>  しかしながら、A田とB山が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然であること、前記認定の事実によると、B山が2月20日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これが石山鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったものであり、その他B山の胃内容は、B山が摂取した朝食と矛盾しないことからすると、B山についても、朝食摂取後1時間ないし2時間で死亡したものと推定するのが相当である。<br>  また、永田鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB山の死体検案書(甲679)については、前記A田の場合と同様であり、右推定と矛盾するものではない。<br> 9 以上1ないし8の事実によると、本件の外形的事実として、何者かが、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分過ぎころまでの間、通学途中のA田とB山をE村方三叉路あるいは同所から北側の路上付近で略取又は誘拐し、間もなく自分の手でA田とB山の首を絞めて殺害した上、2人の死体及び所持品を八丁峠の前記各現場に投げ捨てたこと、その際、犯人は自動車を使用していること、犯人が八丁峠で死体及び所持品を投棄することができたのは、同日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られることが認められる。<br> =====二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について===== 1 証人T田T男の供述要旨(証人T田T男 甲502)<br>  平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督、写真撮影等の業務に従事していた。同年2月20 日午前11時ころ、甘木市大字野鳥字大休の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、40代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。<br> 2 T田供述の信用性について<br>  T田は、本件と無関係の第三者であるから、その意味でT田の供述の信用性を疑う理由は全くない。また、T田は、当時、仕事でどこの現場に行ったかということなどを日記帳に記載しており、この日記帳には平成4年2月20日午前に大休の現場に行った旨の記載があるのであって、この前後にT田が大休の現場に行ったのは、2月12日、3月4日であるところ、T田は、既に3月2日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、3月4日には警察官を現場に案内しているのであるから(証人T田 甲641)、目撃したのが平成4年2月20日であるというT田の公判供述は十分信用できる。<br>  次に、T田は、公判で供述するよりも前に、被告人が本件当時使用していた紺色ワンボックスタイプのマツダボンゴ(登録番号(省略)、以下「被告人車」という。)を捜査官から見せられていること(証人T田)、被告人車にはサイドモールが付いており、後輪がダブルタイヤであること(甲476)が認められるのであるから、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある。しかしながら、T田は、目撃後19日目である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。この時点では、T田が被告人車を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記公判供述のうち、右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。これに対して、T田の公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。<br>  さらに、T田は、目撃した人物の特徴についても、平成4年3月9日の時点で警察官に対し、「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。」(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。<br> 3 本件当時、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤの自動車を販売していたのは、国内の主要な自動車メーカーではマツダ株式会社、トヨタ自動車株式会社及びいすゞ自動車株式会社であるところ(甲692ないし718)、いすゞ車は白色が基本であって、紺色の設定がないこと(弁92)、トヨタ車の後輪ダブルタイヤの車両は、ライトエースバンとハイエースバンの2種類であり、ハイエースバンには紺色の設定車がなく、また、ライトエースバンにはサイドリアウインドーがないこと(甲726)に照らすと、全塗装して車体の色を紺色に変えていない限り、T田が目撃した紺色車両はマツダ車であると認められる。<br> 4 ところで、T田が目撃した紺色車両の停車位置は、遺留品発見現場の直近であって、犯人が遺留品を投棄するために自動車を停めた場所としてはこの場所以外に考えられない。また、前記のとおり、犯人が八丁峠で死体及び遺留品を投棄することができたのは、平成4年2月20日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られるところ、T田が右紺色車両を目撃したのは、右時間帯の中の同月20日午前11時ころのことである。<br>  そして、もともと冬場の八丁峠の交通量は少ない上(現にT田は、前記目撃時に紺色車両以外の車には出会わなかった旨供述している。)、右現場付近は何もない場所であるから、本件と無関係に通りかかった自動車が偶然この場所に一時停車する可能性は低く(ただし、同じ八丁峠の死体遺棄現場付近で小用を足すために運転していた自動車を停車させた男性が被害児童の死体を発見していることからも明らかなように、右可能性は皆無とはいえない。)、また、T田が目撃した男の様子も、その男が犯人であって、T田に気付き驚いて足を滑らせ、T田に見られないよう自動車の陰に身を隠したとすれば自然に説明できることを併せ考えると、T田が目撃した男が犯人であって、T田が目撃した紺色車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。<br> =====三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について===== 1 D山D子の検察官調書(甲39)の要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、通勤のため紺色軽四輪乗用自動車(スズキセルボモード)を運転してE村方三叉路を通過する際、北方向から歩いてきた2人組の小学校1、2年生の女の子を見かけた。女の子は2人ともランドセルを背負っていて、1人が黄色の雨がっぱかジャンパー様のものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。2人は、学校に遅刻しているはずなのに全く急ぐ様子がなく、妙にだらだらと歩いていた。2人の横を通過すると、I村I郎方前に3台の車が駐車していた。このうち、ボンゴ車と乗用車が1台ずつあったのは覚えているが、もう1台がどちらだったかははっきりしない。県道大日寺潤野線に出る手前(同調書中のD山作成の図面によると、甲33の写真25の左側ガードレール付近になる。)で、髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が運転するボンゴ車と離合し、午前8時30分過ぎころ、勤務先の駐車場に車を停め、助手席に置いてあった化粧品を片付けるなどしていたところ、約3分後、職場の同僚であるV村V子が白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、駐車場に入って来た。<br> 2 証人V田(旧姓V村)の供述要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日は、白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、E村方三叉路手前付近からD山の通勤路と同じ道を通って、午前8時33分ころ出勤した。E村方三叉路先には自動車が3台並んで停まっており、2台目のボンゴ車の運転席には男が乗っていた。E村方三叉路付近から県道大日寺潤野線に出るまでの間に、小学校1年生くらいの2人組の女児は見かけなかった。<br> 3 証人X田X男の供述要旨<br>  本件当時、従兄弟のX島X太が経営する建設業の手伝いをしており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、X島と一緒にE村方三叉路付近までユニック車を借りに行った。X島が白色スカイラインを運転して先行し、自分は現場を知らないため灰色トヨタタウンエースを運転してX島のスカイラインに追従して行った。県道大日寺潤野線を右折してE村方三叉路の少し手前にあるガードレール付近で、若い女性が運転する軽四輪乗用自動車と離合した後、同三叉路付近に停車したX島のスカイラインの後ろに自分の車を停めたが、自分の車の後ろには既に三菱のワゴン車が停車していた。そのとき、別の若い女性が運転する白色軽四輪乗用自動車が右3台の車の横を通過して行った。<br>  自分が車を停めた場所は通行のじゃまになると思ったので、車から降りることなく、もう一度車を移動して、X島のスカイラインの少し前に停車した。車から降りて道路を横切り、E村方三叉路を南に歩きかけたとき、後方からワゴン車が自分の右横を追い抜いて、潤野小学校の方向に走って行った。ワゴン車は、道幅が狭いのにかなりの速度を出しており、でたらめな運転だと思った。このワゴン車がE村方三叉路北方の道路から来たのか、それとも東方の道路から来たのかは分からない。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車で、マツダ独特の青みがかった黒っぽい色だった。リアウインドー(バックドアのガラス)には黒っぽいフィルムが貼ってあった。<br> 4 証人W田W男の供述要旨<br>  本件当時、造園業を営んでおり、平成4年2月20日午前8時20分ころ、E村方三叉路南側のI村I郎方南端の路上に自分が乗ってきた三菱デリカワゴンを停めて付近の民家の造園工事をしていた。車を停めたころ、低学年の女の子が1人半べそをかきながら小走りに立ち去った。そのほか小学校低学年の女の子には会っていない。同日午前8時30分ころ、ユニック車を貸す約束をしていたX島建設のX島と、その従兄弟で、後で名前の分かったX田X男に会った。X島がスカイラインを駐車させる前には、I村I郎方前路上で自分の三菱デリカワゴン以外の駐車車両は見ていない。X島はスカイラインを自分の停めた場所より北側のI村I郎方前路上に停め、X男はその後方に乗ってきたワゴン車を停めようとしたが、前方からきた白のホンダトゥデイが通りにくそうにして走行して行ったことから、もっと前方に停車しに行った。ホンダトゥデイが通り過ぎた後、ホンダトゥデイとは反対方向に向けてダイハツミラが通り、ホンダトゥデイと同じ方向に向けてカリーナ紺色ワゴン、アウディが通った。X男から、E村方三叉路付近で車にひかれそうになったと言われたので見ると、ワゴン車が急いで走り去って行くのが見えた。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ(ボンゴ)で、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤだった。また、サイドウインドーにはマツダ純正と思われるベージュの色あせたカーテンがついており、リアウインドー(バックドアのガラス)は黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った。<br> 5 検討<br>  前記各供述者は、いずれも本件と全く関係ない第三者である上、比較的早い時期に捜査官から事情を聞かれて記憶が残っていると考えられるから、各供述内容は基本的に信用することができる。もっとも、D山がI村I郎方前路上で3台の車両と離合したという点については、同人方前路上には、まずW田が午前8時20分ころ三菱デリカワゴンを駐車させ、次いでX田X島が午前8時30分ころその前方にスカイラインを駐車させ、最後にX田X男がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だったため、X男が自車を移動させてX島の少し前方に駐車させたことが認められる。そうすると、V田よりも先にI村I郎方前路上を通過したD山が右3台の車両と離合しているはずがなく、D山は、I村I郎方前路上では、X島X太のスカイライン及びW田の三菱デリカワゴンの2台と離合したのみで、車種不明の3台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はD山の記憶違いによるものと認められる。<br>  ところで、D山は、A田及びB山と面識がないが、D山が2人の女の子を目撃したE村方三叉路はA田らの通学路であること、この日A田は黄色ジャンパーを着て赤色ランドセルを背負っていたこと、この直前に同三叉路手前の通学路で目撃されたA田らの様子は前記のとおりであって、D山が目撃した女の子らの様子とよく似ていることからすると、D山が平成4年2月20日午前8時30分ころ同三叉路付近で目撃した2人の女の子はA田とB山であると認められる。<br>  A田とB山がこの後も通学路を学校に向かっていたのであれば、当然、V田やX田X男らにその姿を目撃されたはずであるが、D山が目撃してから後、A田らを見た者はいない。そして、D山がA田とB山を目撃してから約3分後にD山と同じ道を通ったV田がA田とB山の姿を見ていないこと、G山は、同日午前8時50分ころ潤野小学校を車で出発し、E村方三叉路を北上してB山らの通学路を逆行し、平原バス停の北側の田中商店前付近まで行っているが、B山らの姿を見ていないことからすると、犯人は、D山がE村方三叉路付近を通過した後、V田がE村方三叉路付近を通過する前からG山がE村方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、B山とA田を略取又は誘拐して車でB山とA田を連れ去ったものと認めるのが相当である。<br>  弁護人は、県道大日寺潤野線に出る手前で、D山が目撃したボンゴ車に乗っていた髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が犯人である可能性を指摘する。しかし、前記のとおり、D山はI村I郎方前路上ではX島X太のスカイラインと離合しているのであるから、その後方を追従してきたX田X男のトヨタタウンエースと離合していないはずがないところ、X田X男が県道大日寺潤野線を右折して同三叉路の少し手前にあるガードレール付近で離合した若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と、D山運転の軽四輪乗用自動車とが、その離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、D山が目撃した作業員風の男性は、X田X男と認められ、同人が犯人である可能性はない。<br>  また、弁護人は、V田車がE村方三叉路を通過する前に被害児童が略取または誘拐されたとすると、V田車の通過後に紺色ワゴン車がE村方三叉路を通過していることから、紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないと主張するが、D山に被害児童が最後に目撃されてから被害児童がどのような行動をとったかは不明であり、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もあるから、弁護人の主張するように紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないということはできない。<br>  そうすると、この日X田X男及びW田W男が目撃した紺色、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーに黒っぽいフィルムを貼ったマツダのワンボックスタイプの自動車は、被害児童が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において目撃されていることになる。<br>  他方、前記のとおり、本件犯行当日である平成4年2月20日午前11時ころ、本件遺留品発見現場の直近でT田が目撃した不審な行動を示した男の側に停められていた不審車両は、紺色、後輪ダブルタイヤ、リア及びサイドウインドーに色付きのフィルムが貼ってあるワンボックスタイプの車である。<br>  これら2つの目撃事実は、日時及び場所の点でいずれも明らかに本件犯行と深い関わりを有するといえるところ、ほぼ同じ特徴を持つ別の自動車がそれぞれの日時、場所においてたまたま目撃されたという可能性も皆無とはいえないが、むしろこれらの目撃事実に照らしてみると、それぞれの日時、場所で目撃された自動車は同じものであり、これが本件犯人の使用していた自動車であるという疑いが極めて濃厚である。<br> =====四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて=====  被告人は、本件当時、紺色、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダボンゴ(被告人車)を使用していたのであるが、被告人の供述(乙4、6)によると、右当時、被告人車のサイドウインドー及びサイドリアウインドーには薄青色のフィルムが貼られ、それらの内側には茶系統の色あせたカーテンと白色のレースカーテンが取り付けられており、また、リアウインドー(バックドアのガラス)には濃い青色のフィルムが貼られていたというのであって、そのことは、被告人車のサイドウインドーに水色のフィルムが残存し、その周囲にフィルムを剥がしたためにできたような擦過痕があったこと(甲476の写真⑥、⑦)によっても裏付けられている。そうすると、本件当時の被告人車の特徴は、本件犯人の使用車両である疑いが極めて濃厚な前記車両の特徴と一致していることになる(なお、T田は、目撃車両の運転席側の後輪車軸部分の周囲が黒かったと供述しているところ、被告人車の同部分は検証時には黒くなかったことが認められる(甲476の写真⑭)が、もともとダブルタイヤの場合、新車でも2、3年経てばリアアクスル内の潤滑オイルが車軸の回転による熱や振動等により漏れを起こし、ハブ内のグリスと混じったものに泥等が付着して黒くなること(甲510)、後記のとおり被告人が被告人車を手放す直前に丹念に掃除をしていることからすると、運転席側の後輪車軸部分の汚れもその際に取り除かれた可能性が十分にあるから、右の点をもってT田の目撃車両と被告人車の同一性が否定されるものではない。)。<br>  また、本件犯人が被害児童を略取又は誘拐した現場であると認められるE村方三叉路付近は、福岡県の中央部に位置する飯塚市郊外にあって、路線バスの経路である県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所である(甲33)。このように付近住民の生活道路ともいえるような場所で、午前8時30分ころという比較的早い時間帯に右犯行が行われていること(さらに、八丁峠でT田が目撃したのが犯人車であるとすると、犯人は被害児童を略取又は誘拐してから約2時間30分後には遺留品発見現場及び死体遺棄現場である八丁峠に到着していることになるが、潤野小学校から八丁峠の死体遺棄現場まで自動車で行くだけで前記のとおり35分ないし53分かかること)にかんがみると、犯人は右各現場付近に土地勘があり、しかも、これら現場の近隣に居住する人物であると認めるのが相当である。そして、被告人は、後記のとおり、潤野地区に居住し、右各現場付近に土地勘があることが明らかであるのに対して、捜査の結果(甲526ないし535、728)によると、本件当時、飯塚警察署管内に居住又は所在し、かつ、被害児童が失踪したE村方三叉路付近道路を自動車で通行する可能性があって、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダ車を使用していた被告人以外の者9名には、いずれも本件当時のアリバイが成立し、かつ、これらの者が使用していたマツダ車の窓ガラスにはいずれも色付きのフィルムが貼られていなかったというのである。<br>  弁護人は、T田が目撃した男は、年齢が30ないし40歳くらいで、茶色のチョッキと白の長袖カッターシャツを着ており、頭の前の方が禿げていたようであるが、被告人は、当時54歳であり、着ていた着衣が異なる上、頭髪が額の生え際まで密生しており、T田が目撃した男の風体と一致しないと主張する。<br>  確かに、T田が供述する男の年齢は、被告人の実際の年齢と開きがあるが、T田が男を目撃したのは自動車で通過する一瞬であるから、人物識別についてのT田の供述は特に印象に残った点を供述しているに過ぎず、人物の風体を具体的に断定する供述ではない。その上、人の年頃については、個人差があるため正確な年齢を言い当てることは困難であることからすると、男の年齢についてのT田の供述は正確性に乏しいといえる。<br>  また、証人久間C子(29回275項ないし279項)によると、被告人は冬でも遅い時期までカッターシャツ1枚で過ごすことが多く、ベージュ系のチョッキを持っていた事実が認められる。<br>  さらに、T田は、公判で、男が前のめりに倒れる瞬間頭の前の方が禿げていたように見えた、男の髪の長さは禿げを隠すことができる程度の長さであった(545項ないし557項)と供述しており、T田のいう頭の前の方の禿げというのは、額の生え際部分のことではなく前頭部を指しているものと認められる。かたや、被告人は、公判で、本件犯行当時円形脱毛症に罹患し頭頂部が脱毛していた(31回365項ないし376項)と供述しているのであるから、禿げの部位が前頭部か頭頂部かの違いに過ぎず、T田の目撃が男が前のめりに倒れる一瞬の動きであることからすると、T田が目撃した男の禿げの状態と被告人の円形脱毛症による脱毛とは矛盾するとまではいえない。<br>  以上からすると、T田の目撃した男の風体は、被告人と一致しないという弁護人の主張は採用できない。<br>  もちろん、T田らが目撃した車両が犯人のものであるとまでは断定できない上、仮にそうであるとしても、被告人車だけが犯人車と同じ特徴を有するわけではなく、また、被告人だけが本件各現場付近に土地勘を持つものでもないことは明らかである。しかし、ここで重要なことは、被告人を本件犯人と仮定するに足りる事実があるということであり、それを超えて被告人が本件犯人であると断定できるかどうかはひとえに以下の情況証拠の検討にかかっているのである。<br> =====五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について===== 1 平成4年2月21日、A田とB山の死体発見現場において検死と実況見分が行われた後の午後9時ころ、死体は、着衣を着けたままの状態で死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送され、同署において、A田とB山の父親がそれぞれ死体の身元確認をした(甲6、10、727)。その後、死体は、同日午後10時35分ころ、同様の状態で九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所でA田とB山の着衣(A田については、黄色ジャンパー、赤色上着シャツ、長袖白色シャツ、半袖漫画プリントシャツ各1枚。B山については、白色ジャンパー、茶色トレーナー、横線入りシャツ、絵柄の半袖シャツ、チェック模様入りスカート各1枚。)を福岡県甘木警察署の警察官が実況見分の後、個別にビニール袋に入れて福岡県警察本部刑事部鑑識課の警察官に引き継ぎ、同警察官が同鑑識課写真室に搬送し、翌21日午前7時30分から午前10時までの間、A田とB山の被害当時の着衣に付着していた微細物の採取がリタックシート(微物採取用粘着シート)により行われた(甲20、21、727)。<br>  また、死体と共に発見された赤色手袋1双は、個別にビニール袋に入れ、甘木警察署証拠品倉庫に保管し、翌22日遺留品発見現場で発見されたA田とB山の所持品や衣類と共に、同日甘木警察署において、その付着していた微細物の採取がリタックシートにより行われた(甲24、727)。<br> 2 福山鑑定(証人福山晴夫 甲83ないし88、611)<br>  捜査機関は、平成4年2月25日、前記1の各リタックシートに微物が付着しているかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。また、捜査機関は、平成4年10月7日、押収していた被告人車のうち、座席シートについては全て同一の材質と認められたことから助手席シートのみから繊維片を採取し、その他運転席フロアマット、間仕切り部フロアマット、後部フロアマット、運転席フロントマットの繊維片を切り取り採取した上、同月15日、これらの繊維と同じものが被害者の着衣等に付着していないかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。以上の鑑定嘱託に基づき、同月19日(ただし実際に鑑定を開始したのは平成5年11月)から平成6年1月27日の間、科捜研において技術吏員福山晴夫がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 被告人車の運転席、間仕切り部及び後部の各フロアマット、運転席フロントマットから採取した繊維は、いずれも太く、形態的にも特徴があり、これらと同種の繊維がリタックシートに付着していれば、顕微鏡を用いることによって肉眼でも発見可能であると考えられるが、顕微鏡検査の結果、各リタックシートによって採取された繊維の中に、これらと同種のものは認められなかった。<br>  (二) 被告人車の助手席シートから採取した繊維は、直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)であった。なお、被告人車の助手席シートは、だいだい色、焦げ茶色、薄黄茶色及び黄茶色の4色で構成されている。<br>  (三) 各リタックシートに付着している無数のごく短い繊維の中に、直径約0.015ミリメートルの化学繊維(ナイロン6)で、被告人車の助手席シートの焦げ茶色部分の繊維と色及び表面の形態が類似するものが少なくとも13本あることが確認された。それらは、B山のチェック模様入りスカート前面(2本)及び後面(1本)、B山の赤色手袋背部(1本)、B山のフリル付白色靴下(2本)、A田のうさぎ柄白色靴下(3本)、A田の赤色キュロットスカート前面(1本)及び後面(3本)に付着していた。<br>  (四) 各リタックシートを再度入念に検査し、被告人車の助手席シートの繊維と類似する繊維の発見に努めたところ、焦げ茶色繊維と類似するもの19本(前記13本を含む。)、だいだい色繊維と類似するもの12本、黄茶色繊維と類似するもの46本、薄黄茶色繊維と類似するもの7本、合計84本の繊維を発見することができたので(ただし、前記13本を除き、ナイロン6かどうかの確認はしていない。)、これだけ捜せば鑑定の結論が出るだろうということで検査を打ち切った。<br>  (五) 科捜研ではこれらの繊維の色を客観的に鑑定することができなかったので、十分な異同識別を行うため、前記84本の繊維のうち、できるだけまんべんなく、それぞれの色について鑑定できるように39本(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)を採取し、警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)に送付することにした。<br>  また、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、前記84本の繊維のうち6本を任意提出資料(1)、10本(黄茶色8本、焦げ茶色2本)を任意提出資料(2)として、採取して捜査官に提出した。<br> 3 鈴木らの鑑定(証人鈴木真一 甲89、90)  捜査機関は、平成6年1月24日、前記福山鑑定において、リタックシートから発見、採取し、科警研に送付することにした39本の繊維の中に、被告人車の助手席シートの繊維と同じものがあるかどうかなどについて、科警研に鑑定嘱託した。これに基づき、同月27日から同年4月11日までの間、科警研において技術吏員鈴木真一ほか1名がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 光学顕微鏡による検査  被告人車の助手席シートの繊維(黄茶色、焦げ茶色、薄黄茶色及びだいだい色のもの)は、いずれも円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、直径は15ないし20マイクロメートルであった。このうち、黄茶色繊維には減光剤である二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維にはそれがわずかに認められたが、薄黄茶色繊維及びだいだい色繊維にはそれが認められなかった。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)のうち、動物毛であると認められた薄黄茶色繊維1本(資料2のウ)以外は、すべて円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、長さは2ないし10ミリメートル、直径は15ないし20マイクロメートルであった。これらのうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)に二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)に二酸化チタンの添加がわずかに認められ、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)及び薄黄茶色繊維4本中2本(資料10、18)には二酸化チタンの添加が認められなかった。<br>  (二) 顕微分光光度計による紫外部・可視部透過プロファイルの測定  次に、繊維を透過した光を波長に分光して、どの波長の光が吸収され、あるいはどの波長の光がどの程度透過しているかをグラフ化すること(グラフ化したものを「プロファイル」という。)によって、繊維の色調を客観的に評価した。<br>  その結果、被告人車の助手席シートの繊維のうち、薄黄茶色繊維からは特徴的なプロファイルが得られなかったが、そのほかの色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られた。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維のうち、薄黄茶色のもの5本(動物毛1本を含む。)を除く34本についてもプロファイルを得た上、被告人車の助手席シートの繊維のプロファイルと比較したところ、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)について、それぞれ被告人車の助手席シートの対応する色の繊維と類似していた。<br>  (三) 赤外吸収スペクトルの測定<br>  さらに、赤外吸収スペクトルを測定して各繊維の材質を調べたところ、被告人車の助手席シートの繊維はナイロン6であり、リタックシート付着の繊維のうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)及びだいだい色繊維9本(資料4、6、11ないし14、16ないし18)もすべてナイロン6であった。<br>  (四) これらの検査の結果、B山の白色ジャンパー前面(1本、資料2の黄茶色繊維)、B山のチェック模様入りスカート前面(2本、資料3の黄茶色及び焦げ茶色繊維)及び後面(3本、資料4の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の黄色ジャンパー前面(1本、資料5の黄茶色繊維)、B山の赤色手袋(2本、資料6の黄茶色及び資料7の焦茶色繊維)、B山のフリル付白色靴下(5本、資料8の黄茶色及び焦げ茶色繊維並びに資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の熊柄入り白色パンティー(2本、資料9及び10の黄茶色繊維)、A田のうさぎ柄白色靴下(7本、資料11、12、15及び16の黄茶色繊維、資料15の焦げ茶色繊維、資料11及び12のだいだい色繊維)、B山の羊柄パンティー(1本、資料11のだいだい色繊維)、A田の赤色キュロットスカート前面(3本、資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及び後面(2本、資料18の黄茶色及び焦げ茶色繊維)付着の繊維合計29本(黄茶色15本、焦げ茶色8本、だいだい色6本)について、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維と一致又は類似していることが判明した。このうち、B山のチェック模様入りスカート後面付着の3本(資料4の黄茶色、焦げ茶色、だいだい色繊維)、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)について、更に特性X線スペクトルを測定して含有元素分析を行った結果、特徴的な元素として、黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。他方、被告人車の助手席シートの繊維について同じ分析をしたところ、同様に黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。<br> 4 被告人車と同型車を使うなどした実験の結果(証人福山晴夫 甲105ないし110) <br>  捜査機関は、平成6年3月6日、被告人車と同型車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト)に8歳の女児を乗車させて飯塚警察署から八丁峠まで同車を走行させた場合、女児の着衣(ジャンパー、スカート、パンツ及び靴下)に同車の座席シートの繊維が付着することがあるかどうかを確認する実験をした。実験には新品の衣類を使用し、事前にリタックシートを使って衣類及び実験車の座席シートの表面に付着している可能性がある微物を除去した上で実験を行った。八丁峠到着直後、女児の着衣を脱がせてビニール袋に収納し、飯塚警察署に持ち帰って、再びリタックシートで表面の微物を採取した。そして、各リタックシートを顕微鏡で見ると、同車の座席シートの繊維(焦げ茶色、だいだい色及び黄茶色のもの)と似た化学繊維を多数発見することができた。その中の一部を検査した結果、いずれも直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)で、黄茶色のものについては繊維内部に二酸化チタンの含有を示す斑点があり、座席シートの繊維の特徴と一致した。<br>  また、捜査機関は、同年9月12日、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの一部を使用して、その上に新品の衣類(パンツ及靴下)を落下させただけで座席シートの繊維が付着するかどうかを確認する実験をした。その結果、これらの衣類には座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維3本及び由来不明の繊維1本が付着していた。さらに、同日、座席シートを捜査用車両の後部座席に敷き、その上に新品の衣類(パンツ及び靴下)を落下させた後、同車を走行させて飯塚警察署と八丁峠を往復した場合、これらの衣類にはそれぞれ座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維8ないし9本及び由来不明の繊維2本(羊毛とレーヨン)が付着していた。<br> 5 被告人車の座席シートの布地及びそれを構成する繊維の特徴<br>  証拠によると以下の事実が認められる。<br>  (一) 被告人車は、マツダ株式会社(当時は東洋工業株式会社)が製造した「マツダステーションワゴンボンゴ」という車種の普通乗用自動車で、中でも最高グレードのウエストコーストである。被告人車の座席シート(助手席を含む全部の座席)に使用されている織布(S-TYR313X、以下「本件織布」という。)は、マツダが、ウエストコーストのマイナーチェンジに際して、ウエストコースト専用に開発したものであって、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたウエストコーストの座席シートにだけ使用されており、他のマツダ車には一切使用されていない(甲120)。<br>  (二) 本件織布は、住江織物株式会社(以下「住江織物」という。)製のモケット(地糸の上に立体的にパイル糸を織り込んだもの)で、住江織物は、パイル糸を東レ株式会社(以下「東レ」という。)から購入し、茶久染色株式会社(以下「茶久染色」という。)に染色させていた(証人Q田Q男)。<br>  (三) 本件織布のパイル糸の原糸は、東レが自社で製造したナイロンステープル(短繊維のナイロン糸)を紡績加工業者に紡績させたもの(スパンナイロン)で、原糸であるナイロンステープルには以下の特徴がある(甲133)。<br>  (1) 材質がナイロン6である。<br>  (2) 太さが2.2デニール直径約18マイクロメートル、すなわち0.018ミリメートル)である。<br>  (3) 繊維中の二酸化チタンの含有量が、0.02パーセント(ブライト)又は0.36ないし0.38パーセント(ゼミダル)である。なお、製造当初は銅化合物未添加であったが、途中から沃化銅が添加されるようになった。<br>  (四) ナイロン6ステーブルの国内製造メーカーは東レ及びユニチカ株式会社(以下「ユニチカ」という。)の2社であるが、ユニチカ製のものは繊維中の二酸化チタンの含有率が0.00パーセント(ブライト)又は0.25パーセント(ゼミダル)で、東レのものとは数値が異なっている。また、ナイロン6の製造メーカーは国外にもあるが、チタン含有量等の詳細は不明である。なお、欧米ではナイロン6ではなくナイロン66が製造されている(証人N田N男)。<br>  (五) 本件織布のパイル糸の原糸は、いずれもカーシート専用として生産されていたが(ただし、銅化合物未添加のものは、少量ながら一般資材用途(ゴム引き布帛用など)にも使用されていた。)、本件織布のパイル糸専用ではなく、カーシート大手メーカーである川島織物株式会社及び住江織物に大量に供給されていた(甲133)。<br>  (六) 茶久染色が本件織布のパイル糸染色加工に使用した染料及びその配合比は、以下のとおりである(単位はいずれもパーミル、すなわち繊維1キログラム当たりのグラム数である。)。<br>  (1) だいだい色部分(色目はオレンジ) <br>  イソランイエローK-RLS200 9.0(後に8.55) <br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.0<br>  (2) 焦げ茶色部分(色目はブラウン) <br>  イソランイエローK-RLS200 22.0(後に20.9) <br>  ラナシンブラックBRL200 6.0<br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.5<br>  (3)薄黄茶色部分(色目はノウベージュ及びタンベージュ) <br>  ア ノウベージユ<br>  イソランイエローK-RLS200 1.4(後に1.33) <br>  イソランイエローK-GL 0.9<br>  ラナシンブラックBRL200 0.5<br>  イ タンベージュ<br>  イソランイエローK-RLS200 0.12(後に0.114)イソランイエローK-GL 0.1<br>  ラナシンブラックBRL200 0.05<br>  (4)黄茶色部分(色目はセピア) <br>  イソランイエローK-RLS200 4.2(後に3.99) <br>  ラナシンブラックBRL200 0.96<br>  イソランイエローK-GL 0.36<br>  なお、パイル糸はいずれも双糸(2本の糸をよって合わせたもの)であって、(1)、(2)及び(4)は双糸の状態で染色されているが、(3)は、2本の糸をそれぞれノウベージュとタンベージュの色目に染色した後でより合わせたものである(証人R田R男 甲126の取調部分)。<br>  (七) 前記染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されている。コバルト入りの染料は対光堅牢性に優れていることから、カーシート繊維は一般にコバルト入りの染料で染色されている。多数ある染料の種類の内どの染料を使うか、染料をどのように組み合わせるか、どのような配合比にするかは、各染料メーカーが独自に決定する。したがって、ある繊維の染色を分析して配合比についてまで他の染色メーカーのそれと一致することはまずあり得ない。茶久染色では、イソランイエローK-RLS200をカーシート繊維の染色専用に使っている。茶久染色は、種々の自動車メーカー用にカーシート繊維を染色しているが、その場合にもイソランイエローK-RLS200やラナシンブラックBRL200を使うことが多い。ただし、本件織布と同じような染料配合比をほかで使ったことはない。また、本件織布の染色に使った染料の製造メーカーはドイツバイエルン社(イソランイエローK-RLS200及びK-GL)、スイスチバガイギー社(イルガランレッドブラウンRL200)及びスイスサンド社(ラナシンブラックBRL200)の3社にわたっており、このように異なるメーカーの染料を配合して使うことは珍しい。カーシート用の原糸の太さは、電車やバスの座席シートの原糸と比べると明らかに細く、ソファーや衣類に用いられる糸とも異なっている。カーシート用の原糸としてナイロン6が用いられていたのは、昭和63年ないし平成元年ころまでのことで、以後急速にポリエステルに移行した(証人R田)。<br> 6 東レ鑑定(証人N田N男、O田O男、P田P男 甲88、90、91、98ないし101) <br>  捜査機関は、前記2(5)のとおり、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、被害児童の着衣に付着していた6本の繊維を任意提出資料(1)として保存していたところ、平成6年3月9日、その中に、被告人車の座席のシートの繊維(カーシートパイル)と同じものがあるかどうかなどについて、東レに対して鑑定嘱託した。任意提出資料(1)の6本の内訳は次のとおりである。<br>  資料3 B山のチェック模様入りスカートから採取した黄茶色繊維<br>  資料12 A田のうさぎ柄白色靴下から採取しただいだい色繊維<br>  資料13 B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料15 A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料17 A田の赤色キュロットスカート前面から採取した焦げ茶色繊維<br>  資料18 A田の赤色キュロットスカート後面から採取した焦げ茶色繊維<br>  右資料に基づき、東レのN田N男並びに株式会社東レリサーチセンターのO田O男及びP田P男が実施し、1994(平成6)年5月20日付け書面で報告した鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 金属分析<br>  被告人車のカーシートパイル(資料A)から各色の繊維部をはさみで刈り取り、溶液化したものについて、ICP発光分光分析法によってチタン及び銅を定量した。その結果、二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、それぞれ、黄茶色部分が0.34、焦げ茶色部分が0.024、だいだい色部分が0.023、薄黄茶色部分が0.020であった。したがって、黄茶色部分がゼミダル、他の部分がブライトであることが判明した。そして、定量した銅化合物の添加量からみて、原糸は銅化合物添加後のものであると推定された。<br>  他方、任意提出資料(1)(資料B)の各繊維については、レーザーマイクロプローブ発光分光分析法により二酸化チタンを定量した(極微量のため銅を定量することはできなかった。)。その結果、各繊維の二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)がいずれも0.34であって、資料Aの黄茶色部分のそれと一致し、また、焦げ茶色繊維2本(資料17、18)がいずれも0.02であって、資料Aの焦げ茶色部分のそれとほぼ一致したが、だいだい色繊維1本(資料12)は0.34であって、資料Aのだいだい色部分のそれと一致しなかった。<br>  なお、光学顕微鏡で読み取った結果、資料Bの各繊維の長さは、資料3、13、15が約5ミリメートル、資料12が約6ミリメートル、資料17、18が約3ミリメートルで、直径は、いずれも約16マイクロメートルであった。  (二) 染料分析  レ-ザーラマン分光法(物質にレーザー光を照射したことによって発生する散乱先の強度及び照射光からのシフト(ラマンスペクトル)を測定して、化合物を同定する方法)により、染料分析を行うため、まず、本件織布の染色加工に使用された各染料について、マクロラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。次に、被告人車のカーシートパイル(資料A)の各色部分から単糸を抜き出し、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定して、染料のラマンスペクトルと比較した。その結果、ラマンスペクトルでは資料Aのいずれの色からも主としてイソランイエローK-RLS200が検出され、だいだい色以外の色からはラナシンブラックBRL200がわずかに検出されることが判明した。また、資料Aのいずれの色についても、ラマンスペクトルの1120カイザー(ラマンシフトの単位)付近に、染料と無関係で、染色時の添加剤などによるものと推定されるラマンバンドが認められた。<br>  さらに、任意提出資料(1)(資料B)についても、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。その結果、だいだい色繊維1本(資料12)のラマンスペクトルはどの染料とも一致せず、資料Aとは無関係であることが判明した。他方、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)のラマンスペクトルからは、いずれもイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200が検出された。<br>  なお、弁護人は、証人P田が公判で、「ラナシンブラックが使用されているとは断定できない。ラナシンブラックが使用されているとしても矛盾しないと言えるだけ。」と供述(14回)したことをもって、染料分析(甲101)の内容を訂正していると主張する。<br>  しかしながら、弁護人が証人P田に対し、ラマンスペクトルでラナシンブラックBRL200を示す2本のピークのうち、1365カイザー付近に明確なピークが認められないとして追及したのは、Fig.6及び8についてであって、その点については証人P田も肯定する供述をしているが(14回10項、15項、106項、107項)、Fig.6は被告人車から採取したBRブラウン(焦げ茶色)の、また、Fig.8は、被告人車から採取したBSセピア(黄茶色)の各単糸であるから、それらにはP田が茶久染色から入手したカーシートパイルの染色レサイプからも明らかなように、確実にラナシンブラックBRL200が含有されているのであって、証人P田は、「染料レサイプとか、それから、染料のスペクトルを考えると、まさに、それが同一物だとして全く矛盾のない結果がえられている」と供述しているに過ぎないのである。他方、資料3、13、15、17、18のラマンスペクトルは、順にFig.9、11、12、13、14であって、いずれもラナシンブラックBRL200の含有を示す1310カイザーと1365カイザー付近に明確にピークが認められる(甲101)のであり、東レ鑑定の最終的な取りまとめを行った証人N田も「(ラナシンブラックについては)検出自体はしていると。鑑定書にも僅かに存在するという表現を使ってますが、検出されているということでございます。」(14回187項)と供述しているところである。<br>  さらに、これらの繊維が、資料Aのだいだい色以外のどの色の繊維と同種であるかを推定するため、各ラマンスペクトルからイソランイエローK-RLS200の最も強いバンドである1410カイザーにおけるラマンバンド(R)とバックグラウンド(B)の強度比(R/B)を求めたところ、次のとおりであった。<br>  資料A 焦げ茶色(5.93)、黄茶色(2.12)、薄黄茶色(0.65) <br>  資料B 資料3(0.70)、同13(0.34)、同15(1.96)、同17(8.4)、同18(6.7) <br>  なお、右の強度比を比較するに際しては、プラスマイナス50パーセントくらいの誤差があることが経験的に分かっているので、これを考慮に入れて同一性を判断する必要があり、他方、繊維の劣化や汚染などによりバックグラウンドが高くなる可能性もあるため、右結果の断定は困難である(証人P田)。これらを念頭に置いて判断すると、資料Bの資料3(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分か薄黄茶色部分、同13(黄茶色繊維)は資料Aの薄黄茶色部分、同15(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分、同17及び18(焦げ茶色繊維)は資料Aの焦げ茶色部分と同種の繊維であると推定された。<br>  (三) 結論<br>   (1) 資料Bは東レ製であるか<br>  資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであるならば、だいだい色繊維1本(資料12)を除き、二酸化チタンの含有量などから東レ製とほぼ断定できる。なお、東レでは資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであることの確認はしていない。ただし、フィラメント糸使い布帛の場合は、数十ミリメートル前後の長さのそろった繊維片として切断、脱落することはほとんどないから、これらがステープルであることはほぼ間違いない。<br>   (2) 資料Aの原糸と資料Bの原糸との異同<br>  資料Bについて、銅の定量分析ができなかったが、その原因が極微量のため検知限度以下であったことによる(証人O田)とすると、レーザーラマン分光分析から資料Aに使用されていた主要染料2種類が検出されたこと、酸化チタン分析の結果、資料Aと対応する同一量の二酸化チタンが検出されたことから、資料Bのうち黄茶色繊維2本(資料3、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、それぞれ資料Aの黄茶色部分及び焦げ茶色部分と同一の繊維で、資料Aから脱落したものと考えられる。資料Bの黄茶色繊維1本(資料13)は、染料分析の結果では資料Aの薄黄茶色部分と同種の繊維であると推定されたが、染料含有量は染色のばらつき等により変動するが、二酸化チタンは変動しないことからすると、金属分析の結果(二酸化チタンの含有量)から資料80薄黄茶色部分と同種の繊維であることは考えられず、黄茶色部分と同種の繊維である可能性が高いが断定できない。だいだい色繊維(同12)は、資料Aから脱落した繊維ではない。<br> 7 ユニチカ鑑定(職28) <br>  当裁判所は、東レが分析を終え、捜査機関に返還していた任意提出資料(1)(資料B)の各繊維(それぞれプレパラートに固定されたもの、平成7年押第140号の2ないし7)を証拠物として取り調べ、これらがナイロン6であるかどうかについて、株式会社ユニチカリサーチラボの松尾隆明に対して鑑定を命じた結果、資料12のだいだい色繊維1本がアクリルであったが、それ以外の5本の繊維はいずれもナイロン6であった。<br> 8 検討<br>  本件被害当日B山が身に着けていたチェック模様入りスカートは、母親が犯行日の前日飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の朝包装を開いて初めて着用した(甲30 証人B山B美)ものであること、B山はチェック模様入りスカート等を身に着けたまま死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送された後、九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所で警察官が同スカートをビニール袋に入れていること、前記のとおり犯人が自動車を使用していること、リタックシートによる微物採取の結果によると、同スカートには少なくとも7本のスカート生地とは異なる繊維片が付着していることのほか、捜査機関が行った座席シート繊維の着衣に対する付着実験の結果からすると、同スカートに付着していた繊維片(科警研送付の資料3の①黄茶色、②薄黄茶色及び③焦げ茶色繊維並びに資料4の④黄茶色、⑤焦げ茶色及び⑥だいだい色繊維、東レ送付の任意提出資料(1)の資料3の⑦黄茶色繊維)は、B山が登校中に犯人から車両に乗せられて殺害され遺棄されるまでの間に、犯人車内の何らかの繊維あるいは犯人と関係のある何らかの物(例えば、犯人の着ていた衣服の繊維や犯行の用に供した物)の繊維が付着したものと認められ、その他の機会に付着した可能性はない。<br>  そこで、これら7本の繊維のうち、東レ及びユニチカ鑑定によって最も詳細な分析が行われている⑦の黄茶色繊維について検討するに、右繊維は、素材がナイロン6であること、光学顕微鏡によると、長さが約5ミリメートル、直径が約16マイクロメートルであること、減光剤としてチタン(二酸化チタン)が添加されており、その含有量が0.34重量パーセントであること、銅化合物の添加の有無については、資料が極微量であったために検知限度以下であり、定量分析ができなかったこと、ラマンスペクトルでの分析によると、塗料として、主としてイソランイエローK-RLS200が含まれ、ラナシンブラックBRL200がわずかに検出され、イソランイエローK-RLS200のラマンスペクトルで最も強いバンドのピークである1410カイザーにおけるバックグラウンドの強度比が0.70であること、ラマンスペクトルで1120カイザー付近に染色時の添加剤によるものと推定されるラマンバンドのピークが存在することが認められる。<br>  ところで、証拠(証人N田 甲133)によると、ナイロン6には端がない繊維であるフィラメント(長繊維)と長さ数十ミリメートル程度のステープル(短繊維)があること、ナイロン6の製造メーカーは国内に6社あり、二酸化チタンの含有量によって製造メーカーを特定できるところ、その含有量が0.34重量パーセントと0.02重量パーセントのものは、国内では東レのカーシート用ナイロンステープルであること、欧米で製造されるナイロンはナイロン66が主体であり、その他の国で製造されるナイロン6の二酸化チタンの含有量については不明であること、東レのカーシート用ナイロン6ステープルは、昭和57年に生産を開始したものについては、沃化銅を添加しており、カーシート専用として、それ以前に生産していたものについては、沃化銅を添加しておらず、主としてカーシート用であるが、その他にも少量ではあるが一般資材用として製造されていたこと、東レのカーシート用ナイロン6ステープルの太さは、20マイクロメートルであるが、繊維の太さは測定方法によってばらつきがあり、15から20マイクロメートルくらいの幅がある上、紡績糸の場合には捲縮といって変形があること、フィラメントのナイロン6は、使用中に擦り切れることはないので、カッターナイフ等で意図的に切断しない限り、数ミリメートル程度の長さで存在することはないが、ナイロン6ステープルの紡績糸は、撚った糸であるため数ミリメートル程度の長さで脱落しやすいことが認められる。<br>  ⑦の黄茶色繊維は、太さが16マイクロメートルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであるから、これが国内で製造されたものであれば、東レのナイロン6ステーブルであると認められる。もっとも、欧米以外の外国製のナイロン6の二酸化チタンの含有量が不明であるため、⑦の黄茶色繊維が東レのものであるとまでは断定することはできないが(東レ鑑定によっても、東レのナイロンステープルであるとまでは断定していない。)、後に述べるように被害児童の着衣からは、⑦の黄茶色繊維以外にも、被告人車、すなわち、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維と特徴を同じくする合計113本のナイロン6の繊維が、いずれも2ないし10ミリメートル程度の長さで発見されているのであって、このように多数の、しかも、長さの異なるナイロン6の短い繊維が存在するということからして、これらがカッター等で切り取られたものであるとは到底考えられず、自然に抜け落ちたものが被害児童の着衣に接触して付着したものと認められることからすると、⑦の黄茶色繊維がステープルであることは間違いのない事実であるということができる。<br>  そして、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維(セピア)は、素材が東レのナイロン6ステープルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであること、科警研の光学顕微鏡によると、直径が約15マイクロメートルであることが認められ、これらは⑦の黄茶色繊維の特徴と合致している。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色部分には、染料として、ドイツバイエルン社のイソランイエローK-RLS200が3.99ないし4.2パーミル、スイスサンド社のラナシンブラックBRL200が0.96パーミル使用されているのであり、証人R田によると、このような染料の組み合わせや配合比がマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外の車両のそれと一致することは通常ありえないというのであり、現実にも、平成2年2月20日以前に製造されたマツダワンボックスカーの座席シートについて、本件織布と同じ色調のもので、かつ、その使用染料がイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせのものは、判明している限りでは存在しない(弁118)のである。また、証人P田の公判供述によると、ラマンスペクトルのラマンバンドのピークの位置と強度は特定の物質の存在とその量を示すというのであるところ(13回68項以下)、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1310カイザー及び1365カイザー(ラナシンブラックBRL200)、1410カイザー(イソランイエローK-RLS200)のラマンバンドのピークの形状(検甲冊添付のFig.18)は、⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルのそれの形状(検甲冊添付のFig.9)と極めて類似していることからすると、両者は、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の存在のみならず、その配合比についても極めて類似していると認められる。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1120カイザー付近にも染色時の添加剤によるものと考えられるラマンバンドの特異なピークが認められるほか、他のピークについても⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルと同様の反応を示していることからして、同一物質が同量存在しているものと推認される。<br>  そうすると、⑦の黄茶色繊維は、ナイロン6ステープルであって、その特徴が、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維の特徴と合致しており、特に、個別識定の有力な指標となる使用染料(証人N田13回75項以下)のほか、ラマンスペクトルの1120カイザー付近における特異なピークの存在の点においても一致しているところからして、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維片に由来する可能性が極めて濃厚である。そして、Q田及びR田証言によると、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートは、東レの長さ51ミリメートルのナイロン6ステープルを撚り合わせたパイル糸を地糸で留めたモケット織りが使用されているため、あそび毛が出やすく、使用中に数ミリメートル程度の長さで脱落することがあるというのであるから、⑦の黄茶色繊維は、B山がマツダステーションワゴン・ウエストコーストに乗せられた機会に、その座席シートの繊維片が付着したものである可能性が高いということができる(なお、東レ鑑定は、異同識別の結論部分において、⑦の黄茶色繊維が被告人車の座席シートの繊維と同一であるとしているが、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのナイロン6ステープルが東レのものであるとまでは断定できない上、後記のどおリイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせによって染色されたナイロン6ステープルがマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外に使用されていない事実が確定できない以上、右のように断定することはできないといわざるを得ない。)。<br>  以上の事実は、被害児童の着衣から⑦の黄茶色繊維以外にも次のような被告人車の助手席シートの繊維と特徴を同じくする繊維が採取されているくとによっても裏付けられている。<br>  すなわち、⑦の黄茶色繊維と採取場所を同じくするB山のチェック模様入りスカート付着繊維のうち、②の薄黄茶色繊維は、科警研の鈴木鑑定での光学顕微鏡による肉眼での検査によると、二酸化チタンの添加が認められるため、二酸化チタンの添加が認められない被告人車の助手席シートの薄黄茶色繊維の特徴と一致していない(もっとも、東レ鑑定によると、被告人車の座席シートの繊維のうち、黄茶色部分は、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのゼミダルであるが、その他の部分は、二酸化チタンの含有量が0.020ないし0.024重量パーセントのブライトであることが認められる上、鈴木鑑定によっても、ブライトであることが明らかな被告人車の座席シートの繊維の焦げ茶色部分については二酸化チタンが微細に添加されていることが認められるというのであるから、薄黄茶色部分のみならず、だいだい色部分についても、鈴木鑑定が肉眼での検査では二酸化チタンの含有を示す黒色の斑点が見えなかったというのは納得できないが、これが肉眼による検査であって、被告人車の座席シートの薄黄茶色、焦げ茶色、だいだい色部分の各繊維の顕微鏡写真である甲90添付の写真9ないし11からもうかがわれるように、二酸化チタンの含有を示すという黒い斑点の存在は微妙であって、その判定に主観が入っていることを考慮すると、鈴木鑑定のその他の部分の信用性に影響を及ぼすものではないということができる。)。しかし、その余の①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色繊維は、いずれも素材がナイロン6であって、繊維の直径が15マイクロメートルないし20マイクロメートルであること、そのうち、①④の黄茶色の繊維には二酸化チタンが添加されていること、③⑤の焦げ茶色の繊維にも二酸化チタンがわずかに添加されているほか、特性X線スペクトルの測定によると、⑤の焦げ茶色繊維にはチタンとコバルトが含まれている(マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されており、焦げ茶色部分には、イソランイエローK-RLS200が13.0パーミルから20.9パーミルと他の色に比べて倍以上配合されている。なお、特性X線スペクトルの測定によると、④の黄茶色と⑥のだいだい色繊維からはチタンが検出されていないが、同じ測定を行った被告人車の座席シートの黄茶色及びだいだい色部分からも含有されているはずのチタンが検出されていないのであるから、検出精度の問題であると考えられる。)こと、①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られていることが認められ、これらの特徴は、被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致又は類似しているのである。<br>  そして、B山の赤色手袋、フリル付白色靴下やA田のうさぎ柄靴下、赤色キュロットスカート等にも、B山のスカートに付着していた繊維と同様のだいだい色、焦げ茶色、黄茶色の繊維が付着していたのであるから、それらの繊維の中には、犯人車に乗せられた同一の機会に付着した繊維片があるものとみることができる。そうであるところ、科警研送付資料のうち、B山の白色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料2)、A田の黄色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料5)、B山の赤色手袋から採取した黄茶色(資料6)及び焦げ茶色繊維(資料7)各1本、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維2本(資料8、13)、焦げ茶色繊維2本(資料8、13)及びだいだい色繊維1本(資料13)、A田の熊柄入り白色パンティーから採取した黄茶色繊維2本(資料9、10)、A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維4本(資料11、12、15、16)、焦げ茶色繊維1本(資料15)及びだいだい色繊維2本(資料具12)、B山の羊柄パンティーから採取しただいだい色繊維1本(資料14)、A田の赤色キュロットスカート前面から採取した黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維各1本(資料17)並びに後面から採取した黄茶色及び焦げ茶色繊維各1本(資料18)の合計24本については、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維のそれと一致又は類似している。このうち、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)からは、特徴的な元素として、黄茶色繊維については二酸化チタンが、焦げ茶色繊維については二酸化チタン及びコバルトが検出されており、この点でも被告人車の助手席シートの繊維と一致しているのである。<br>  また、東レ送付の任意提出資料(1)のうち、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維1本(資料15)及びA田の赤色キュロットスカートから採取した焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、いずれもナイロン6であって、二酸化チタンの含有量が東レのナイロン6と一致しており、さらに、染料分析の結果も被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致しているのである。<br>  もっとも、マツダワンボックスカーの座席シートを独占製造しているデルタ工業株式会社の調査(弁118)によると、平成4年2月20日までに製造された座席シートのうち、原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として使用されているのは、本件織布(布番号S-TYR313X)のほかにも、①布番号S-W001XとS-W002Xがあり、さらに、②原糸材質が東レのナイロンで染料の不明なものが4種類、③原糸材質も染料も不明なものが2種類あることが認められる。そして、①については、色調がダークグレーと異なっており、また、③については、そのうちの1種類は、色調が異なるグレーでアメリカ製のものであるところ、欧米のナイロンはナイロン66が主体であること(証人N田)、残りの1種類は、調査時から21年前に開発されたものであることからして、これらの繊維片が被害児童の着衣に付着した可能性はないということができる。しかし、②については、そのうちの2種類は色調がライトブラウン及びグレーで異なっているが、残りの2種類は色調が「タン」となっていて、しかも布番号S-TYR8182Xのものは、色を示すTYRの部分がマツダステーションワゴン・ウエストコーストの色調と同一である。これに加えて、マツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として、マツダステーションワゴン・ウエストコーストと同じような配合比で使用されている可能性は、証人R田の供述によって、ほとんどないということはできても、そのような現実的な可能性が全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、これらの点については、弁護人が指摘するとおりである。したがって、右の点からしても、被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできないといわざるを得ないのである。<br> =====六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について===== 1 被告人車内に血痕及び尿痕が存在することについて<br>  証拠によると、以下の事実が認められる。<br>  (一)被告人車は、いわゆるワンボックスタイプの車両であり、乗車定員は9名で、車内には、運転席及び2人掛けの助手席が横1列に設置されているほか、その後方に、3人掛けの座席シートが前後2列設置されており(以下、3人掛けの座席シートのうち、前方のものを「中央部座席」、後方のものを「後部座席」という。)、床面には薄い茶色の繊維製のフロアマットが敷かれている(甲476)。<br>  (二) 科警研技術吏員林葉康彦ほか1名は、福岡県飯塚警察署から、被告人車の座席等へのヒト血痕付着の有無等についての鑑定嘱託を受け、平成4年9月28日及び同月30日から10月5日までの間、鑑定を実施した。その結果、別紙2のとおり、後部座席及びその付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが(なお、別紙2記載のAないしCの部分はいずれも後部座席の一部であり、Dの部分はフロアマットの一部である。Cの部分のシートの色は、黄茶色である。)、被告人車のそれ以外の部分(運転席、助手席、中央部座席、シートベルト)からは尿反応も血液反応も認められなかった。<br>  林葉らは、右尿反応を示した各部分について血液型検査を行ったが、血液型を判定することはできず、また、右血液反応を示した各部分については、科警研に対して以後の鑑定(人血検査、血液型検査及びDNA型検査)を依頼した。(甲478、480、483) <br>  (三) 科警研技官坂井活子は、平成4年10月6日から平成5年3月17日までの間、前記血液反応を示した各部分について、その血液型及びDNA型等について鑑定した。その結果、別紙2記載のCの部分(後部座席)については、座席シートの生地だけでなくその下のスポンジにもA田の血液型と同じO型の人血痕が付着していること、別紙2記載のDの部分(フロアマット)にもO型の人血痕が付着していることが判明したが、これらのDNA型(MCT118型及びHLADQα型)は検出できなかった。また、Cの部分のシート生地の裏側及びその下のスポンジに付着している血痕がいずれも水で希釈浸透したような形状を示しているのに対して、同部分の座席シートの表面には肉眼では血痕が認められないことから、表面に付着した人血痕が水で拭き取られたのではないかと考えられた。そして、一般に、水で希釈された血痕ではDNAが分解されやすいので、これらの血痕についてDNA型が検出できなかった理由も右のような事情にあるものと考えられた。さらに、Dの部分の血痕も、繊維の比較的下層にやや多く散在していたことから、フロアマット表面に付着した人血痕が拭き取られたものと考えられた(甲482)。<br>  (四) ところで、捜査機関は、被害児童の着衣に付着していた繊維片と被告人車の座席シートに使われていた生地の原糸との異同識別について、東レに鑑定を嘱託するため、被告人車の後部座席のシート生地を約10センチメートル角の大きさに切り取っていた(切り取ったのは別紙2記載のEの部分である。)が、平成6年4月25日に至って、同部分においてむき出しになっていたスポンジ部分に血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田I子 甲484)。また、捜査機関は、翌26日、東レ応接室において、右鑑定を行った株式会社東レリサーチセンター無機分析化学第2研究室の室長であるO田O男立会いの下に、切り取ったシート生地の裏側にも血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田、O田 甲485)。さらに、捜査機関は、同月18日、被告人車の後部座席の一部について、実況見分を実施した結果、シート生地の裏側及びその下のスポンジ部分に血痕様の斑痕があるのを発見した(甲487)。そこで、捜査機関は、同年5月9日、科警研に対して、東レ応接室で発見したシート生地裏側の血痕様のもの及び同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについて、血液型及びDNA型等の鑑定を嘱託した(甲489)。<br>  (五) 坂井ほか1名は、平成6年5月23日から同年12月8日までの間、前記嘱託に基づいて鑑定をした(甲490)。その結果、東レ応接室で発見したシート生地裏側の2か所((ア)約1.5センチメートル角の茶褐色の斑痕、(イ)約2センチメートル掛ける2.5センチメートル大の淡褐色の斑痕)から大血痕が検出され、そのうち(ア)については、血液型がA田と同じO型、DNA型のうちGc型もA田と同じC型であることが判明した。また、(イ)については、血液型が恐らくO型であることが判明したが、DNA型を検出することはできなかった。他方、同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについては、ヒト血痕であるかどうかを明らかにすることができなかった。<br> 2 被告人車内に血痕及び尿痕が付着した時期について<br>  (一) 証拠(証人S田S男、甲78、80、508、509乙4)によると、以下の事実が認められる。<br>  (1) 被告人車は、昭和58年7月、北九州マツダから新車として販売され、北九州市在住のS田S男が購入した。S田S男は、約6年間、被告人車を使用した後、平成元年7月ころ、買換えのため、北九州三菱自動車に下取りさせた。<br>  (2) 飯塚市内においてカースーパー「P山屋」の商号で中古車販売業を営んでいたP山P郎は、同月ころ、北九州三菱自動車から被告人車を中古車として購入した。このとき、被告人車のボディーには多少の傷があったので、P山は、被告人車を板金塗装修理に出した後、販売のため展示していた。<br>  (3) 被告人は、同年9月末ころ、「P山屋」を訪れ、展示してあった中古の被告人車を妻の所有名義で購入することにした。P山は、被告人車を洗車してワックスを掛け、車内に掃除機をかけてきれいに清掃した後、被告人に引き渡した。被告人は、約3年間、被告人車を自家用に使用した後、平成4年9月26日、新たに購入した自動車が自宅に納車された際、新車の購入先であるオートラマ大栄に対し、被告人車を下取りのため引き取らせた。<br>  (4) 捜査機関は、同日、被告人車を押収した。<br>  (二) 検討<br>  被告人車の最初の使用者であるS田S男は、公判で、次のような供述をしている。<br>  昭和58年7月に被告人車を新車で購入した。大工の仕事をしていたので被告人車を足代わりに使用し、休日には家族(妻及び子供3人)を乗せたりもしていた。被告人車を購入した直後ころ、中央部座席及び後部座席にシートカバーを取り付け、これらの座席の足下にはフロアマットの上に玄関マットのような足ふきマットを置いた。子供には土足で車内に上がらせないようにしていた。被告人車を使用している間に、家族などが車内で出血したり、尿をもらしたりしたことはない。被告人車内の血痕及び尿痕には全く心当たりはない。座席シートを水洗いしたことはない。家族には血液型がO型の者はいない。<br>  また、S田S男の妻S子も、公判で、夫と同様の供述をしているほか、被告人車を購入した当時、1番下の子供はまだ2歳になっていなかったが、既に昼間はおむつをはずしており、夜間念のためおむつをつけていたような状態だったので、子供たちが被告人車内で尿をもらしたということはない、他人に被告人車を貸したこともないなどと供述している。<br>  右各供述の信用性に疑いを差し挟むような事情は何ら存せず、これらの供述によると、被告人車内の血痕及び尿痕はS田S男が被告人車を使用している間に付着したものではないと認めることができる。<br>  次に、S田S男が被告人車を下取りに出してから被告人がこれを購入するまでの経路は前記認定のとおりであって、この間に被告人車に血痕及び尿痕が付着したことをうかがわせるような証拠はない(なお、P山は、被告人車を被告人に引き渡す前に車内をきれいにしているが、このとき怪我をした記憶はないと供述(甲509)している。)。さらに、捜査機関は、被告人が被告人車を下取りに出したその日にこれを押収している。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕は、被告人が被告人車を使用していたときに何らかの事情で付着したと認めるのが相当である。<br> 3 被告人車内の血痕及び尿痕について被告人がその原因を知り得たかどうかという点について<br>  (一) 被告人車の使用状況<br>  被告人は、捜査段階で検察官に対し、被告人車を購入してから下取りに出すまでずっと自分が運転していたと供述しており(乙9)、また、被告人の妻C子も、公判で、被告人車の使用状況について、運転していたのは被告人で、その用途は、平日の日課として妻を職場に送り迎えしたり、被告人の実母方を訪ねたりするなど、ほとんど家の用件だったと供述している(28回20項以下)。このほか、被告人ないし妻C子は、子供会の行事で被告人車を出したことがある(乙4)、被告人車で家族旅行に行った際、親類が同乗したこともある(C子29回191項以下)などと供述しているが、いずれにしても、被告人以外の者が被告人車を運転していた形跡はない。<br>  また、被告人は、公判で、週に2回程度、被告人車内に掃除機をかけるなどして車内を清掃していたと供述しているほか(32回162項以下)、取り外せる後部座席については取り外してホースで水をかけて洗ったことがある。取り外せない座席も水拭きしたことがあると供述しており(33回575項以下)、被告人は被告人車内を相当頻繁に清掃していたといえる。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車のほとんど唯一の運転者であり、被告人車は専ら被告人が管理していたと認めるのが相当である。<br> (2)検討<br>  前記のとおり、被告人車の後部座席及びフロアマットにおける血液反応部分は、別紙2記載のC及びDの各部分並びにEのシート生地の裏側の一部分であり、これらの部分からはいずれもO型の人血痕が検出されている。このうち、Cの部分の大きさは13センチメートル掛ける4センチメートル、Dの部分の大きさは22センチメートル掛ける8センチメートル、Eの部分の大きさは、1カ所が1.5センチメートル掛ける1.5センチメートル、もう1カ所が2センチメートル掛ける2.5センチメートルであるから、これらが同じ機会に付着した血痕であるかどうかは別として(Dの部分がCの部分の直下であることからすると、CとDの部分については、同一の機会に付着した血痕である可能性が高い。)、被告人車内において少なくとも1回はO型の人間が出血をしたことが明らかである。もっとも、Cの部分については、水で希釈された形跡があることから、出血の量については定かでないが、シート生地の裏側のみならず、その下のスポンジ部分にもO型の人血痕が浸透していることが明瞭に見て取れる(甲482)ところからすると、水で拭き取られていることを考慮しても、その血痕の量は、極微量ではなく、ある程度の量であったということができる。また、被告人車の後部座席における尿反応部分は別紙2記載のA及びBの各部分であって、それぞれ、15センチメートル掛ける8センチメートル、12センチメートル掛ける5センチメートルの大きさであるから、これらが同じ機会に付着した尿であるかどうかは別として、被告人車内において少なくとも1回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  走行中の車内でこのようなことが起きたのであれば、被告人車のほとんど唯一の運転者であった被告人としては、出血し、あるいは尿をもらした本人から直ちにその旨申告を受けるか、乳幼児が尿をもらしたときのように本人が申告できない場合であっても、傍らに付き添っていた者からその旨申告を受けることによって、血痕及び尿痕付着の原因について当然知り得たはずである。このことは、停車中の車内で子供が遊んでいて出血し、あるいは尿をもらしたときのように、その場に被告人が居合わせない場合であっても、被告人車の管理者が専ら被告人である以上、基本的には同様であるといえる。特に、出血をした本人が、自己の身体の変調に加えて被告人車の座席シートやフロアマットを血で汚してしまったことを被告人に黙ったままにしておくとは到底考えられない。<br>  そして、自分が使用、管理する自動車内で誰かが出血をしたということ自体、まれにしか経験しないような事柄である上、特に、血液が付着していた後部座席のうち、別紙2記載のCの部分は黄茶色の、また、Eの部分は黄茶色と薄黄茶色(甲490)のモケット織りであって、立体構造をなしている長さ3センチメートルのパイル糸(地糸で留められているので、起毛部分の長さは半分の1.5センチメートル、甲125)に赤色の血液が付着すると目立つと考えられるので、被告人がこれに気付かないはずがない。さらに、前記認定の鑑定結果によると、後部座席シート及びフロアマットに付着した血痕は何者かによって拭き取られたと認めるのが相当であり、このような作業をしたのは、日頃から被告人車内を相当頻繁に清掃していた被告人自身であるか、被告人の指示を受けた者であるとしか考えられないのであるから、右出血の事実及びその後始末をした事実について被告人の記憶に残らないはずはない。<br>  これに対して、尿痕については、血痕と比較するとその痕跡が目立たないと考えられる上、尿をもらした本人が恥ずかしさから内密にする可能性も皆無ではないので、血痕の場合のように断定的なことはいえないが、それにしても、そのような可能性は極めて低いうえ、少なくとも被告人の実母及び長男に関しては、後記のとおり、そのような事実があったとは認められないのである。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。<br> 4 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の捜査段階(平成6年10月ないし11月当時)における供述は概ね、以下のとおりである(乙4、9、11)。<br>  被告人車に乗った者の誰かがおしっこをもらしたという記憶は全くない。自分自身はもちろん、妻、長男、実母、長男の友達についても、そのほかの者についても、誰かが車内でおしっこをもらしたという記憶は残っていない。被告人車を買ったとき、長男は既に幼稚園の年長組で、おむつがとれて何年もたっていたので、おしっこをもらすような年齢ではなかった。また、自分以外の者が被告人車内にいたとき血が出たとか血が車内のどこかに付いたという記憶もない。妻、長男、実母その他の者が被告人車に乗っていた場面で出血したという記憶はない。長男が被告人車の中で鼻血を出したことはなかったと記憶している。義弟の家族と一緒に被告人車で旅行したことが3回あるが、その際、自分達家族や義弟の家族の中で誰かが車中でおしっこをもらしたり血を出したことはなかったと記憶している。被告人車を買う前か後か覚えていないが、実母が足にけがをしてなかなか血が止まらないことがあった。このときけがが治っていない実母を車に乗せたことがある。これは昭和63年4月ころに自宅を新築したころの話かもしれないが、時期は思い出せない。実母が最近けがをして出血したのはこのときだけである。妻に関しては、被告人車に乗っていたころを含めて、最近家の内外を問わず出血したのを見た記憶はない。長男については、足をすりむいて血が出たことはあるが、血が出ている状態で被告人車に乗ったとか、長男の血が車内のどこかについたという記憶まではない。<br>  (二) 次に、この点に関する被告人の公判供述は、次のとおりである(31回453項以下、33回511項以下)。<br>  被告人車内の血痕及び尿痕について心当たりは全くない。ただし、血痕について、妻の証言(平成2年2月ころに流産をしたが、その直前に被告人車から降りた後に下着を血で汚しているのに気付いたという後記①の供述を指す。)を聞いて、血痕が付着した原因はそれだったのかなと思った。しかし、このときには座席シートに血が付いていることには気が付かなかった。このほかに、1センチメートル程度の血痕であれば、長男が暴れて付けた可能性はあると思う。次に、尿痕付着の原因として、妻の証言(妻の実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って排尿の世話をしたことがあるという後記(2)の供述を指す。)を聞いて、その可能性もあると思ったが、中にはかわやを忘れたこともあったし、ほかにも長男や実母の可能性もある。また、平成4年9月ころ、実母を被告人車に乗せてナワタ医院に連れて行き、表で待っていると、(浣腸されたために大便をもらして)下着などを汚したと言って、汚れた下着を手に持って出てきたことがあり、その際、実母を被告人車に乗せて連れて帰ったが、このときに座席シートに汚物が付いたという記憶はない。なお、私は、平成2年ころ、被告人車に野犬捕獲器を積み込む際、かすり傷を負って、中央部座席にごくわずかに血を付けたことがある。また、平成4年ころ、後部座席を取り外して倉庫にしまおうとした際、小指を擦って、後部座席に少し血を付けたことがある。<br>  (三) 前記のとおり、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。ところが、被告人は、捜査段階では一貫して、被告人車内の血痕についても尿痕についても全く心当たりがない旨明確に供述し、公判では、いくつかの可能性について捜査段階では供述していなかったことを供述するに至ったものの、基本的には捜査段階同様、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について具体的に説明することができないのである。これは、極めて不自然なことといわざるを得ない。<br> 5 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の妻の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の妻C子の公判供述は、以下のとおりである(28回120項以下、282項以下、310項以下、29回224項以下、420項以下、642項以下、815項以下)。<br>  被告人車内で血を流した人がいるかどうかはっきり覚えていない。私が被告人車内で意識して血を出したことはなかったと思うが、はっきり分からない。長男が被告人車内で血を流したことがあるかどうかはっきり覚えていない。長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは分からない。しかし、①私は、平成2年2月ころ、流産をする直前に、被告人車に乗って外出先(筑後川温泉)から自宅に帰った後で、出血して下着を汚しているのに気付いたことがある。このとき車中では助手席を倒して寝ていたか、中央部座席及び後部座席を倒してベッドのような状態にしてそこに寝ていたかは覚えていない。このときストッキングやスカートが汚れているかどうかについて確認した記憶はない。その後、自宅から病院(有松病院)に行くときも被告人車に乗っている。このときも病院で下着が汚れているのに気付いたが、スカートなどが汚れていたかどうかは分からない。また、このとき被告人車の座席に血が付いたので拭き取ったという記憶もない。②実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って同女の排尿の世話をしたことがある。このときは、中央部座席を反転させることなく、そのまま背もたれ部を倒し、後部座席の背もたれ部も倒してベッドのような状態にして、その上に実母を寝かせたまま、自分は中央部座席の前の空間に身を入れて排尿の世話をした。尿をこぼさないように気をつけていたが、少しはこぼれたかもしれない。尿を取ったときは、お尻の下付近のシートを軽く拭くようにしていた。お尻の位置は中央部座席付近だと思うが、はっきり分からない。③平成4年9月ころ、義母から、ナワ夕医院で浣腸をされて下着を汚した、大便と一緒に小便も出たかもしれない、家に帰ってから上に着ていた服も洗ったなどと聞いたことがある。なお、私、長男、実母及び義母(更に実弟の家族4人全員)の血液型はいずれもO型である。<br>  (二) 他方、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、この点について次のような供述(甲493、6項)をしていた。<br> 「私もC男(長男)も、車内で出血したことなどありません。私もC男も鼻血などを車内で出したことも記憶にありません。この車は、C男が5才とかなり大きくなってから買ったものであり、C男が車内でおしっこをもらしたりしたことはないと記憶しています。車内で出血したり、おしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」<br>  右供述内容は、自分と長男が被告人車内で出血したかどうか、長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうか、どちらもはっきりしないという公判供述と実質的に相反しているだけでなく、流産したときに被告人車内で出血したという趣旨の前記①の公判供述及び被告人車内で実母の排尿の後始末をしたという趣旨の前記②の公判供述とも実質的に相反するものである(被告人の妻C子は、前記①ないし③が被告人車内の血痕又は尿痕の原因であると明確に述べているわけではないが、その可能性があるという意味でなければこれらの供述は全く意味がない。)。<br>  (三) そこで、妻C子の公判供述と検察官の面前での供述とのどちらを信用すべきかが問題となるが、この点を考える上で最も重要なのは、前記のように実質的に相反する供述をするに至った理由について、妻C子が、公判で、(自分が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)よく覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったかと聞かれ)意味が分かりません。」「(検事に対して)嘘は言っていないと思いますけど。」、(長男が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったか)分かりません。」「(検事に対し嘘を言ったことがあるかと聞かれ)分かりません。」「(検事の取調べを受けたときの記憶と現在の記憶では)今の方が正しいと思います。」「もう、あのときの状態がどういう状態だったのか、お分かりいただけないと思いますから。」(28回179項以下)、(長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかについて)「(検事に話したことは)よく分かりません。」「(検事には理由もはっきり述べているのではないかと聞かれ)いや、そこのところはそういうふうには言ってないと思いますけど、分かりません。」(29回431項以下)、(前記①の事実を捜査段階で供述しなかった理由について)「そのことは思い出してないんです。」(29回863項以下)などと、極めてあいまいな、又は不自然かつ不合理な供述に終始していることである。特に、自分も長男も車内で出血したことはない、長男が車内でおしっこをもらしたことはないという捜査段階における断定的な供述が、2年以上経過した公判段階で、よく分からないというあいまいなものに変遷することは、通常十分に考えられるにもかかわらず、ことさらに捜査段階の供述が間違っているかのような供述をするのは極めて不自然である。このような供述に照らしてみると、妻C子が公判では事実をありのまま供述していないのではないかとの疑問を禁じ得ない。たしかに、妻C子が検察官から事情を聞かれたのは、被告人が本件で逮捕され、被疑者として勾留されていた時期であって、当時は頭の中が混乱していたという趣旨の同女の供述にも一理あるようにみえる。しかし、検察官に対し、「車内で出血したりおしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」とまで言いながら、実母の排尿の後始末をしたという前記②の点について供述した形跡がないというのは明らかに不自然である。また、同時期に作成された妻C子の警察官調書(甲720)によると、同女が、警察官に対し、「私は、以前の車の時、旅行中気分が悪くなり車外で吐いた事はありますが、この車(被告人車)を買ってから車内で吐いたり血を出したりした事はありません。」などと供述していることが認められるにもかかわらず、このころ、前記①の流産の件については忘れていたというのもやはり不自然といわざるを得ない。<br>  さらに、①の点については、妻C子の供述によっても、被告人車内では出血に気付いておらず、被告人車を降りてから下着を汚しているのに気付いたが、ストッキングやスカートまで汚れていたかどうかは分からないというのであるから、この程度の出血で同女が座るか寝るかしていた座席シート(それが後部座席なのかどうかすらはっきりしない。)にまで血が付くこと自体考え難く、被告人車内の血痕付着の原因とはなり得ないものである。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因に関する妻C子の公判供述をたやすく信用することはできない。そして、この点に関する妻C子の検察官に対する供述によれば、同女が、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について、全く心当たりがないことが明らかである。<br> 6 被告人の実母及び長男の供述について<br>  被告人の実母久間C美及び長男C男は、検察官に対し、それぞれ被告人車内で血や鼻血を出したことや、おしっこをもらしたことはない旨供述し(甲494、496)、期日外尋問においても、それぞれ被告人車内で鼻血を出したことや、血を流したことはないと思う(C美88、89項)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは覚えていない(C美75、85項。ただし、もらしたことはないとする部分もある。108項参照)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかよく覚えていないし、被告人車内で鼻血を出したり、ほかに血を流したかどうかもよく覚えていない(C男50項以下)などと供述しており、いずれも被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について心当たりがないことが明らかである。なお、C美は、「便秘を解消するためにナワタ医院に行き、病院内で治療を受けた際、大便を漏らして下着を汚したことがあるが、このとき小便は漏らしていない。汚れたパンツは包んで捨てて、シミーズとか上着は帰って息子に洗ってもらった。車の中に寝た状態で連れて帰ってもらったような気がする。」旨(C美62項以下)部分的には被告人及び妻C子の供述に沿う供述をしているが、このときC美は小便を漏らしたわけではなく、大便と一緒に小便を漏らすことも考えられるものの、漏らした場所は病院内であって、一応の後始末をした上で被告人車に乗車しているのみならず、被告人自身、公判で、このときに被告人車の座席シートに汚物が付いたかどうかは覚えていないと供述(33回589項)しているのだから、これが被告人車内の尿痕付着の原因であるとは考えられない。<br> 7 小括<br>  客観的事実として、被告人が被告人車の使用を開始した後、警察が被告人車を押収するまでの間、被告人車内において、少なくとも1回はO型の人間が出血をしたこと、誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  これについて、被告人は公判で前記のような弁解を積極的にしているが、これは納得のいく合理的な説明とは到底いえない上、O型の血液型を有する被告人の妻ら家族も、その血液や尿を被告人車に付着させたという心当たりのないことが認められる。そうすると、残るところは、被告人が犯人である可能性と被告人以外の何者かが被告人の知らないうちにO型の血液と人尿を被告人車の後部座席シートに付着させた後、これらを水で拭き取ったという可能性のいずれかということになる。しかしながら、後者の可能性は、あくまでも抽象的な可能性に過ぎず、現実的な可能性をうかがわせる状況はないのである。他方、前者の可能性については、被害児童2名とも出血と失禁があり、特に、A田の血液型はO型である上、A田の死体の状況からみて、鼻血がかなりの量出たものと認められること、被害児童2名の着衣が犯人車の座席と生前あるいは死亡後に直接接触し、被害児童2名の血液や尿が犯人車に付着している可能性があることに徴すると、被告人が犯人であるとすれば、被告人車内で被害児童2名を殺害あるいは殺害後に死体を運搬するなどした過程において、A田の血液や被害児童の尿が被告人車に付着したものとして合理的に説明することができる。したがって、右の血痕と尿痕の存在は、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠といえる。<br>  弁護人は、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が一切検出されていないことから、被害児童2名を被告人車に乗せたことはありえないと主張する。<br>  しかしながら、被害児童の死体の状況からも明らかなように、A田は鼻孔からかなりの量の出血をしており、ジャンパーの両袖及び前面の表面全域にわたって多数の血痕が付着していたが、B山については、膣内からの血液が陰部に付着していた程度の出血であったことからすると、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が検出されなかったとしても、被告人車に被害児童2名を乗せたことと矛盾するものではない。<br> =====七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について===== 1 林葉鑑定(証人林葉康彦 甲45、53、58、62) <br>  捜査機関は、A田とB山の死体が発見された当日である平成4年2月21日から同月22日の間に、死体遺棄現場において、A田の死体の左胸腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、A田の死体の左腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の血痕様のもの1点、B山の口唇部直下の木の枝に付着の唾液様のもの1点、A田の死体の臀部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点及びA田の死体の左鼠径部付近の檜の葉に付着の血痕様のもの1点の合計6点を採取し、また、九州大学医学部法医学教室解剖室に運び込まれたA田とB山の死体からそれぞれ膣内容物等数点を採取し、これらが血痕であるかどうか、血痕であるとした場合の血液型などについて、科捜研に対して鑑定嘱託をした。この嘱託に基づき、科捜研技官林葉康彦が、同日から同年3月5日までの間に実施した鑑定の結果は以下のとおりである。<br>  (一) 死体遺棄現場付近で採取された木の枝等に付着の血痕及び唾液様のもの6点について(甲53) <br>  6点のうち4点(A田の死体の臀部及び左鼠径部付近から採取された血痕様のもの各1点以外のもの)はいずれもヒト血痕と認められ、その血液型はそれぞれO型に判定された。1点(木の枝に付着の唾液様のもの)はヒト血痕と唾液の混合と考えられ、その血液型はA型に判定された。1点(木の枝に付着の血痕様のもの)は、ヒト血痕と認められ、その血液型はAB型に判定された。最後のものについては、AB型の血痕又はA型の血痕及びB型血痕の混合の2通りが考えられる。<br>  (二) A田の膣内容物等について(甲58) <br>  A田の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。⑤A田の右手親指に付着の血痕様のものはヒト血痕と認められ、その血液型はO型に判定された。①ないし④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、H型抗原のほかに、微量なA型抗原と微量なB型抗原が検出されたためAB型と判定された。③及び④についてはO型に判定された。なお、①及び②については、A田がO型であることから、O型の血痕にAB型の血痕又はA型の血痕とB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  (三) B山の膣内容物等について(甲62) <br>  B山の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。①、②及び④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には血痕の付着が認められなかったが、当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、A型抗原とB型抗原が検出されたことから、AB型と判定された。③及び④についてはA型に判定された。なお、①及び②については、B山がA型であることから、A型の血痕にAB型の血痕又はB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  そして、林葉は、右鑑定残量のうち、木の枝に付着の血痕様のもの1点、A田の膣内容物及び膣周辺付着物各1点並びにB山の膣内容物及び膣周辺付着物各1点の合計5点(科捜研のマイナス80度の低温槽に保管しておいたもの)を氷を入れた発砲スチロールの箱に収納した状態で科警研に送付した。<br> 2 坂井・笠井鑑定(証人坂井活子、同笠井賢太郎 甲67、68) <br>  捜査機関は、前記のとおり林葉が送付した5点の鑑定資料に、死体解剖を実施した永田武明医師から任意提出を受けて領置していたA田とB山の各心臓血を対照資料として加えた合計7点について、科警研に対して、それらのDNA型等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、科警研警察庁技官坂井活子及び笠井賢太郎が、平成4年3月23日から同年6月15日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br>  (一) 外観検査<br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は、幅約4.5センチメートル、長さ約5センチメートルの枯れた木の枝に付着している直径約2ミリメートル大の暗赤褐色の血痕様のものである。実体顕微鏡で観察すると、その周辺に粘液性物質が付着した跡と思われる光沢のある付着物がわずかに観察された。資料(2)(A田の膣内容物)及び資料(3)(A田の膣周辺付着物)は、いずれも、約1センチメートル掛ける約1.5センチメートル大の脱脂綿に採取された淡赤色の液体である。資料(4)(B山の膣内容物)は、約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された淡褐色の液体である。資料(5)(B山の膣周辺付着物)は、約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大の脱脂綿に採取された赤褐色の液体である。資料(6)(A田の心臓血)及び資料(7)(B山の心臓血)は、いずれも、マイクロチューブに入れられ凍結している血液である。<br>  (二) 資料(1)ないし(5)の血痕検査<br>  資料(1)は蒸留水で湿したろ紙で血痕様のものの一部を拭きとり、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、ロイコマラカイトグリーン試薬を滴下して血痕予備検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示したので、これらには血液が混在していることが示唆された。<br>  次に、資料(1)は血痕様のものの周囲の枝をできるだけ取り除きその全量を、また、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、PBS(リン酸緩衝食塩水)で浸出液を作製し、その遠心上清について抗ヒトヘモグロビン沈降素及び抗ヒト血清蛋白質沈降素を用いて、沈降電気泳動法により人血検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示し、これらが人血であることが証明された。<br>  (三) 資料(1)ないし(5)の体液検査<br>  資料(1)には血痕以外の物質の付着が考えられ、資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であるので、精液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取りSMテスト試薬を滴下して酸性ホスファターゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に精液の混在は否定された。<br>  資料(1)に付着の物質が唾液であるか、資料(2)ないし(5)に唾液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取リブルースターチアガロース平板を用いた唾液アミラーゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に唾液の混在は否定された。<br>  資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であり、資料(1)にも膣液の混入が考えられたので、血痕検査において作製したPBS浸出液と抗ヒト膣液沈降素を用いて沈降電気泳動法によりヒト膣液検査を行った結果、資料(1)は擬陽性の反応を示し、ヒト膣液がわずかに混在しているものと思われた。資料(2)ないし(5)は陽性の反応を示し、ヒト膣液が混在していた。<br>  (四) 資料(1)ないし(7)の血液型検査<br>  血液と膣液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)のうち、資料(1)はPBSで浸出し遠心する前に木綿糸に付着乾燥させ、資料(2)ないし(5)はその一部を切り取り、乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。また、資料(6)及び(7)の血液は凍結溶解していたので、これらの一部を木綿糸に付着乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)は、抗B抗体に強い反応、抗A及び抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はB型とA型の混合あるいはB型もAB型の混合したものと考えられた。資料(2)及び(3)はいずれも抗H抗体に強い反応、抗A及び抗B抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はO型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合したものと考えられた。資料(4)及び(5)はいずれも抗A及び抗B抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はAB型あるいはA型とB型の混合したものと考えられた。資料(6)は抗H抗体のみに強い反応を示したので、このABO式血液型はO型、資料(7)は抗A抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はA型であった。<br>  血液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)について、膣液部分ではなく血痕のみの血液型を調べるため、これらをクロロホルム-メタノール法により処理し、血痕に由来する血液型抗原を抽出した後、解離試験法によりABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)、(4)及び(5)は、いずれも抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はB型とA型の混合血痕又はB型とAB型の混合血痕と考えられた。資料(2)及び(3)は、いずれも抗B及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられた。<br>  (五) 資料(1)ないし(7)のDNA型検査<br>  資料(1)ないし(5)のPBS浸出液の遠心沈渣並びに資料(6)及び(7)の一部を、プロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。また、資料(1)については、PBS浸出液を作製した後の血痕がわずかに残存している枝の部分についても、念のため、蛋白質分解処理を行い、DNAを精製した。<br>  (1) MCT118型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った。<br>  資料(1)のPBS浸出液の遠心沈渣及び資料(5)のMCT118型は、16及び18型の濃いバンドと25及び26型の薄いバンドが、資料(1)の枝に残存していたもの及び資料(4)は18型の濃いバンドと、16、25及び26型の薄いバンドが観察された。資料(2)は23及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23、26及び27型の薄いバンドが観察された。資料(1)ないし(5)のDNAはMCT118型において3種類以上のバンドが検出されたので、これらはいずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。<br>  なお、資料(6)のMCT118型は23-27型、資料(7)のMOT118型は、18-25型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った。<br>  資料(1)(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたもの双方)、(4)、(5)及び(7)のHLADQα型は、いずれも1.3-3型であった。また、資料(2)、(3)及び(6)のHLADQα型は、いずれも1.1-3型であった。<br>  (六) 鑑定結果(ABO式血液型、MCT118型、HLADQα型は、それぞれ型名で区別可能であるから、以下ではいちいち断らないこともある。) <br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は人血であり、この人血痕は恐らく、B型、16-26型、1.3-3型である血痕と、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血痕とが混合していると考えられる。資料(2)(A田の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型である血液と、B型で16型を持っている血液及び微量のA型又はAB型である血液とが混合していると考えられる。資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型である血液及び微量のA型又はAB型である血液が混合していると考えられる。資料(4)(B山の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型であり、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型、1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(6)(A田の心臓血)はO型、23-27型、1.1-3型であり、資料(7)(B山の心臓血)はA型、18-25型、1.3-3型である。<br>  (七) 鑑定資料の措置<br>  資料(1)は全量消費した。資料(2)ないし(7)の鑑定残量は(捜査機関である福岡県警察に)返送した。なお、右鑑定の間、科警研では、DNA型鑑定の運用に関する指針に基づき、各資料を個別にマイナス80度の低温槽で冷凍保存し、また、検査の実施に際しては、二重扉で隔離された空調装置のある部屋で白衣、ゴム手袋を着用し、滅菌済みの検査器具を用いるなどして、資料が汚染されたり、劣化したりしないように注意を払っていた。<br> 3 坂井ほか2名による鑑定(証人坂井 75、76) <br>  他方、捜査機関は、被告人から平成4年3月20日に任意提出を受けて領置していた頭毛髪5本を科警研に送付し、被告人の血液型及びDNA型並びに前記資料(1)ないし(5)の血液型及びDNA型との異同識別に関する鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、坂井ほか2名が同年4月22日から同年6月19日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。なお、鑑定残量は捜査機関に返送された。<br>  (一) 資料の血液型検査<br>  資料のうち比較的長い3本の毛幹部を用いて、解離試験法にてABO式血液型検査を行ったところ、いずれもB型であった。<br>  (二) 資料のDNA型検査<br>  資料の5本の毛根部のうち、毛根細胞が多量に付着していた1本についてはその1本を、また、毛根細胞が少なかった4本についてはその4本をまとめて、DTTを加えたプロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。<br>  (1) MCT118型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った結果、どちらも16-26型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った結果、どちらも1.3-3型であった。<br>  (3) 考察及び鑑定結果<br>  被告人は、ABO式血液型がB型、DNA型のうちMCT118型が16-26型、HLADQα型が1.3-3型である。<br>  前記資料(1)(B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の人血痕)に混合するものの一方はB山に由来するA型、18-25型、1.3-3型であると思われるので、これを除いたもう一方の血痕は、B型、16-26型、1.3-3型の血痕ではないかと考えられた。したがって、資料(1)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型、MCT118型及びHLADQα型において同型である。前記資料(2)(A田の膣内容物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型で16型を持っている血液が混合していると考えられ、資料(2)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型において同型であり、MCT118型のうち16型を持つているという類似点が認められた。前記資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型、16-26型の血液が混合しているのではないかと考えられ、資料(3)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型である。前記資料(4)(B山の膣内容物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型で、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(4)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型であり、HLADQα型において同型の可能性がある。前記資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型、1.3-3型の血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(5)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型及びHLADQα型において同型である。<br> 4 石山鑑定(証人石山昱夫26回 甲6213ないし630) <br>  捜査機関は、平成4年7月3日、帝京大学医学部法医学教室教授石山昱夫に対して、前記2の鑑定終了後に科警研から返送された鑑定資料(2)ないし(7)及び前記3の鑑定終了後に科警研から返送された被告人の頭毛髪のミトコンドリアDNA分析等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づく石山鑑定の結果は、次のとおりである。なお、石山鑑定では、B山の膣内容物を資料1、B山の膣周辺付着物を資料2、A田の膣内容物を資料3、A田の膣周辺付着物を資料4、B山の心臓血を資料5、A田の心臓血を資料6、被告人の頭毛髪を資料7としている。<br>  (一)ミトコンドリアDNA分析の概略<br>  資料5ないし7は対照資料であるため、各資料からミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)をPCR法で増幅し、常法に従いその塩基配列を分析して、得られた3名の塩基配列を比較し、この3名を識別し得る制限酵素を選択した。資料1ないし4からPCR増幅したmt333DNAをクローン分離し、各クローンについて制限酵素分解とSSCP分析を行い、被害者自身のものと判断されるクローンとそれ以外のものとを分別した。被害者のものとは思われない不審なクローンについては塩基配列を分析した。<br>  (二) 検査結果<br>  (1) 制限酵素分解パターン<br>  対照資料5ないし7のmt333DNAの塩基配列を分析した結果、B山、A田及び被告人のmt333DNAは、次のとおり制限酵素KPNI及びRSAIによる切断の有(+)無(-)で識別可能である。<br>  資料5(B山の心臓血)KpnI-/RsaI+<br>  資料6(A田の心臓血)KpnI+/RsaI-<br>  資料7(被告人の頭毛髪)KpnI+/RsaI+<br>  そこで、資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、42個がB山タイプのKpnI-であり、1個がKpnI+であった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、全クローンがB山タイプのKpnI-であり、KpnI+のものは認められなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、全クローンがA田タイプのKpnI+/RsaI-であった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、A田タイプのKpnI+/RsaI-が28個、B山タイプのKpnI-/RsaI+が19個、KpnI-/RsaI-のクローンが1個、KpnI(±判定不能)/RsaI-のクローンが1個認められたが、被告人タイプのKpnI+/RsaI+のクローンは認められなかった。<br>  (2) SSCP分析<br>  資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、28個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る15個のクローンは完全には一致しなかった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、22個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る24個のクローンは完全には一致しなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、33個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る12個のクローンは完全には一致しなかった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンのうち、第1回目に採取した25個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、8個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る17個のクローンは完全には一致しなかった。<br>  (3) 塩基配列分析<br>  SSCP分析で不審と判断した資料1(B山の膣内容)からの15個のクローンのうち、KpnI+のクローン1個を含む7個(6個はKpnI-でB山タイプ)について塩基配列分析を行ったところ、KpnI+のクローンはRsaI+で被告人タイプではあるが被告人と1塩基違いだった。B山タイプの6個のクローンの内訳は、B山と1塩基違いのものが2個(各独立)、2塩基違いのものが3個(同一配列のものが2個、他の1個は独立)、4塩基違いのものが1個だった。SSCP分析で不審と判断した資料2(B山の膣周辺)からの24個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてB山タイプ(KpnI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料3(A田の膣内容)からの12個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてA田タイプ(KpnI+/RsaI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料4(A田の膣周辺)からの17個のクローンは、制限酵素分解でみると4個がA田タイプ(KpnI+/RsaI-)、11個がB山タイプ(KpnI-/RsaI+)、1個がKpnI-/RsaI-、1個がKpnI(±判定不能)/RsaI-であった。そこで塩基配列分析は、A田タイプのクローンから1個、B山タイプのクローンについては11個すべて、そしてKpnI-/RsaI-のクローン1個を選び行った。その結果、A田タイプのクローンはA田と1塩基違いであり、B山タイプのクローン11個のうちB山と一致するものが3個、B山と1塩基違いのものが7個(同一配列のものが4個、他の3個は各独立)、B山と4塩基違いのものが1個であり、KpnI-/RsaI-のクローンはB山と3塩基違い、A田と4塩基違いであった。<br>  (三) 鑑定結果<br>  資料5(B山の心臓血)、資料6(A田の心臓血)及び資料7(被告人の頭毛髪)のミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)の塩基配列を分析した結果、この3名のmt333DNAは制限酵素による分解パターンに違いが生じることが判明した。資料1ないし4からそれぞれ43個ないし49個のクローン化mt333DNAを調製し、制限酵素分解パターンを調べ、また、SSCP分析、塩基配列分析を併用し、クローン全体(183個)の中に資料7(被告人)に一致するmt333DNAが検出されるかを検査した結果、該当するクローンは検出されなかった。資料1及び2からはB山に一致するmt333DNAが、資料3かろはA田に一致するmt333DNAが、資料4からはA田とB山に一致するmt333DNAが検出された。<br>  (四) 追加分析とその結果<br>  資料1ないし7から抽出したDNAについて前記のとおリミトコンドリアDNAの分析を行ったが、その分析に用いたDNA量は、資料1ないし4及び7については抽出DNA量の半分、資料5と6については200分の1であったため、残りのDNAを用いて、HLA-DQB遺伝子について追加分析を行った。その結果によると、資料1(B山の膣内容)及び資料2(B山の膣周辺)は、資料5(B山の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、B山由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料3(A田の膣内容)は、資料6(A田の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、A田由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料4(A田の膣周辺)から検出される対立遺伝子は、A田とB山の混合で矛盾なく説明されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。以上の結果は、ミトコンドリアDNA分析の鑑定結果とよく一致するものである。<br> 5 検討<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定によれば、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、A田にもB山にも由来しない血痕ないし血液が混在していたことが認められる。これは本件犯人のものであるとしか考えられない。前記のとおり、A田とB山の陰部には犯人がいたずらをした形跡があるから、その際、何らかの理由で犯人の血液が被害者の陰部周辺に付着したと認めるのが相当である。そこで、以下、犯人の血液型及びDNA型について検討する。<br>  (一) 犯人の血液型について<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定が採用している解離試験法による血液型検査とは、A型の血液が抗A抗体(血清)と反応して凝集し、B型の血液が抗B抗体と反応して凝集し、O型の血液が抗H抗体と反応して凝集し、AB型の血液が抗A抗体及び抗B抗体と反応して凝集するという性質を利用して、ABO式の血液型を判別する検査方法である。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物は、血液と膣液が混合したものであったことから、クロロホルム-メタノール法による処理をして膣液部分をできるだけ除去し、血液部分の検査をした結果、抗B抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。解離試験法による血液型検査は、基本的には反応の有無を調べる定性検査であるが、証人坂井は、生来的なAB型であれば一般にこのような反応の違いが出ることはないので、右検査結果の解釈として、この血液はB型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる旨供述(5回99項以下)している。坂井は科警研において長年血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者である上、このような考え方は解離試験法による血液型検査の原理に照らしても合理的であるといえる。そして、B山は陰部から出血しており、この血液の中にはB山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、その内2本のバンドはB山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料にはB山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液はB山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である。なお、同鑑定によると、木の枝に付着の血痕の検査結果も同様であって、B型の血痕とA型ないしAB型の血痕の混合であると考えられるところ(証人林葉も、B型の反応がA型と比べてかなり強かったと述べている(310項)。)、この血痕は、捜査機関がB山の死体の腹部付近の木の枝に付着していたものを死体発見当日に採取したものであるから、前同様に認めることができる。<br>  なお、弁護人は、林葉鑑定(甲53)によると、木の枝付着の血痕はAB型と判定されていることを理由に犯人の血液型はAB型と認定すべきであると主張する。しかしながら、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、木の枝付着の血痕からは、4本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が2人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。したがって、弁護人が主張するようにAB型単独の血痕ではあり得ない。<br>  次に、坂井・笠井鑑定によると、A田の膣内容物及び膣周辺付着物も血液と膣液が混合したものであったことから、B山の場合と同様、クロロホルム-メタノール法による処理をして血液部分の検査をした結果、抗B抗体及び抗H抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。A田も陰部から出血しており、この血液の中にはA田由来のO型の血液(抗H抗体に反応する。)が当然含まれていると考えられる。そして、A田に由来しない血液については、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B山の場合と同様、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。したがって、ここでも被害者に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない。そして、A田の膣周辺付着物からB山に一致するmt333DNA及びHLA-DQB遺伝子が検出されたという石山鑑定の結果を併せ考慮すると、残るA型ないしAB型の血液については、B山由来のA型の血液であると認めるのが相当である。これは、B山にいたずらをした犯人が、その後でA田にもいたずらをした結果、B山の血液をA田の陰部に付着させたことによるものと推認される。しかし、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (二) 犯人のMCT118型について(証人坂井 弁36、37、39、40、43、46、66)<br>  ヒトの第1染色体にあるMCT118部位には16塩基を基本単位とする繰り返し配列(ミニサテライト、VNTR)があり、その繰り返し回数によって29種類に分類することができる。1対の染色体の片方を父親から、もう片方を母親から受け継ぐことから、その組み合わせは理論上435通りとなる。MCT118型検査とは、この繰り返し回数の組み合わせを分析することによって個人を識別する分析方法である。ただし、本件鑑定当時は、同検査には123塩基ラダーマーカーという標準マーカーが使用されており、それによると、右繰り返し数は12回から37回までの26通りが経験的に知られており、その組み合わせは理論上351通りであった。同検査の手順は、まず、鑑定資料からDNAを抽出して精製し、PCR増幅後、電気泳動装置によりDNAバンドを検出し、DNA型解析装置に上り型判定するというものである。電気泳動装置は、DNAをポリアクリルアミドゲルという人工的に作られた寒天状の板の中で電気の力により移動させた場合、分子量の小さいDNAは早く、分子量の大きいDNAは遅く移動することを利用し、DNAをその分子量の繰り返し回数に応じて分離する装置である。その際、標準マーカーを同時に泳動させて型判定の指標とする。また、DNA型解析装置は、電気泳動装置により検出したDNAバンドを写真撮影したネガフィルムを画像として取り込み、各バンドの相対位置を自動的に計算し、標準マーカーを指標としてその繰り返し回数、すなわち型番号を数値として算出するものである。なお、この方法では、型番号の大きいDNAは型番号の小さいものと比較して、PCR増幅の効率が悪く、検出されるDNAバンドも薄くなる傾向がある。<br>  MCT118型検査は、科警研のスタッフによって開発された検査で、平成2年から科警研において異同識別鑑定に用いるようになったが、DNA資料が微量の場合でも、PCR増幅により比較的短時間で型の検出ができること、増幅するミニサテライトのDNA分子量が小さいため正確に増幅でき、異型率が高く、したがって異同識別能力が高いこと、DNA型分析結果の再現性が高いことなどの特徴があるため、犯罪捜査に有用な方法とされている。そして、MCT118型検査による型判定の検査試薬キットが市販されており、大学などの専門機関が右キットを購入し、一定の修学を受けた者がマニュアルにしたがって作業をすれば、同検査による型判定ができるようになっていることからすると、MCT118型検査によるDNA型鑑定は、一定の信頼性があるとして、専門家に受容された手法であると認められる。<br>  弁護人は、MCT118型で、同一の型と判定されても塩基配列まで調べると違うサブタイプに別れ、全く別人ということもあることを問題視しているが、笠井・坂井鑑定において、犯人及び被告人のMCT118型の塩基配列は調査されていない上、右鑑定でMCT118型が同一の型と判定されたということは、一定の型判定において犯人と被告人とが同じ型を有しているということを意味するに過ぎず、これによって犯人と識別できるというわけではないから、弁護人の右問題視は的を得ていない。<br>  そして、弁護人は、123塩基ラダーマーカーで測った場合の特定の型が、アレリックラダーマーカーで測った場合の複数の型に対応しているものがあることから、123塩基ラダーマーカーで測った場合犯人と同じ型を持つ人が、アレリックラダーマーカーで測った場合異なる型となることがあり、犯人でないことになるから、123塩基ラダーマーカーによる測定には意味がないと主張するが、これも前記同様、123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない。<br>  また、弁護人は、坂井・笠井鑑定の当時標準マーカーとして使われていた123塩基ラダーマーカーでは正確な繰り返し数を測定することができなかったから、このマーカーを使ったMCT118型検査には信用性がないと主張する。なるほど、坂井及び笠井が証言でも認めているとおり、123塩基ラダーマーカーが正確な繰り返し数を測定していなかった事実は否定できないところである。しかしながら、123塩基ラダーマーカー及び資料のDNAがゲルの中で泳動する速さについては、右マーカー及び資料のDNAの長さに応じて一定であることが確認されており(証人坂井6回299項以下、7回80項以下)、そうであれば資料のDNAをその長さ、すなわち繰り返し回数の違いに応じて分類することは可能であって、DNA型解析装置が算出した数値が同じであればそれらは同じ繰り返し回数のDNAであるといえるのである(算出した数値が実際の繰り返し回数と一致しないだけのことである)から、弁護人の右主張は採用できない。<br>  さらに、弁護人は、本件鑑定当時の科警研の技術的未熟さを指摘し、特に「鬼の面」(バンドパターンの上端が尾を引いている状態)が見られることは、誤判定につながると指摘している。しかしながら、もともと我が国においてMCT118型検査は科警研により開発されたものであり、坂井はそのスタッフである上、「鬼の面」が生じた原因については、ゲルに重しのために入れるシュークロース(ショ糖)濃度が50パーセントと濃すぎたためであるが、画像解析装置での測定では、両端の部分を除きバンドの中央の位置の移動度で測定する(証人笠井38項以下)ため、判定には影響しないことが認められるので、弁護人の右指摘も当を得ないものである。<br>  なお、弁護人は、本件鑑定がドーバート判決における科学的証拠の許容基準である「信頼性の基準」に合致しないと主張しているが、独自の見解であり採用できない。以上から本件MCT118型検査による鑑定は、その基本的原理が科学的に妥当なものであり、かつ、鑑定の方法及び分析の手段も定型的な妥当性を有するものと認められるので、証拠能力を肯定することができるというべきである。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物並びにB山の腹部付近の木の枝に付着の血痕からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、B山は18-25型であることが認められる。前記のとおり、これらの資料にはいずれもB山由来の血液(血痕)と犯人由来の血液(血痕)が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、同鑑定によると、A田の膣周辺付着物からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、A田は23-27型であることが認められる。前記のとおり、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、同鑑定によるとA田の膣内容物からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。<br>  これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である。なぜなら、2人分のDNAから4本のバンドが検出された場合、いわゆるホモタイプ(例えば16-16型のように父母から同じ型を受け継いだものをいう。)の可能性はなく、いずれもいわゆるへテロタイプ(ホモタイプではないものをいう。)であると認められるからである。なお、A田の膣内容物からは、16型、23型及び27型の3本のバンドしか検出されず、26型が検出されていないが、それは、もともと犯人のDNA量が少なかった上に、分子量の大きい26型が16型よりも分解され、あるいはPCR増幅の効率が悪かったために検出できなかったと考えれば、合理的に説明することができる(MCT118型検査において型番号の大きいDNAの方が型番号の小さいものよりも増幅効率が悪いことは、資料(6)(A田の心臓血)の検査結果で27型のバンドの方が23型のバンドよりも明らかに薄かったことによっても裏付けられている。)。<br>  しかし、犯人がホモタイプである可能性(例えば、犯人が2人いて、それぞれ16-16型及び26-26型である場合など)や、犯人のバンドが全部検出できていない可能性を考えると、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (三) 犯人のHLADQα型について(弁43、46、57、66) <br>  ヒトの第6染色体にあるHLADQα部位には6種類の配列がみられ、その組み合わせ(父母からそれぞれに由来する1つずつの染色体を受け継いでいる点はMCT118型の場合と同じである。)は理論上21通りとなる。HLADQα型検査とは、この部位の塩基配列の違い(配列多型)を型分類して個人を識別する分析方法である。坂井・笠井鑑定では、HLADQα型検査に市販の型判定キットを使用している。このキットによるHLADQα型の検出は、特殊な検出紙を用いて行う。検出紙にはHLADQαの各型に反応する試薬(プローブ)が点状に添付されていて、対応する型のDNAが存在すると特異的に結合し、後で加える発色剤により青い点として検出される。この方法は、検査キットによる色変化の確認により判定するものであるから、専門家以外にも分かりやすく、比較的容易な手法であるといえる。しかし、MCT118型検査と比べるとやや多くのDNA量を必要とすることから、場合によっては検査が行えないことがある。また、このキットは元来単独資料の型判定用に開発されたものである。したがって、混合したDNAでは積極的な型判定ができない場合がある。<br>  坂井・笠井鑑定は、混合血痕であることが明らかな資料についてもHLADQα型検査を実施し、犯人のDNA型を推定しているが、右に照らし、疑問である。すなわち、同鑑定は、B山の腹部付近の木の枝に付着の血痕(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたものの2つがある。)の検査結果がB山と犯人の2人分の型を検出しているという前提で、犯人は恐らくB山と同じ1.3-3型であるとしている。しかし、検査結果が2人分の型を検出しているということは証明されていない。同鑑定は、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定し、それを手掛りに犯人の型を考えているが、HLADQα型検査によってある型が検出できるかどうかは、その型の検出限界を超えるDNAがあるかどうかによるのであって、相対的にみてB山のDNAが多いとか、2人のDNAが同程度であるということでは、それぞれの型が検出されたかどうかを(ある程度推論することはできても)断定することはできないといわざるを得ない。次に、証人坂井(7回342項)は、検査結果から考えられる犯人の型の可能性を1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型の3通りに限定した上で、1.3型と3型とで検出紙の発色の程度が同じであったことなどを根拠に犯人の型はB山と同じ1.3-3型であると推定したと供述している。しかし、検査結果をみても1・2型の存否は不明であるから(証人笠井394項)、検査結果から直ちに犯人が1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型のいずれかであるということはできない。さらに、HLADQα型の検査キットは元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者択一のものであるから、発色の程度を考慮するということ自体想定されていないのであって、このような市販の検査キットを使いながら、発色の程度を考慮することに十分な合理性があるとは認められない。例えば、証人笠井(443項以下)は、A田の膣周辺付着物から1.3型が検出されなかった理由について、1.3型は検出感度が悪いという説明をしているが、それが事実であれば、木の枝に付着の血痕について、1.3型と3型の発色が同程度であるということから、1.3型と3型のDNA量が同程度だという推測はできないはずである。このほか、証人坂井(5回3125項以下)は、犯人の型を1.3-3型と推定した理由について色々と説明しているが、それによっても、犯人の型が1.3-3型であると認めるに足りない。そして、木の枝に付着の血痕について述べたこれらのことは、同じくB山の血液と犯人の血液の混合であって1.3型及び3型が検出されたB山の膣内容物及び膣周辺付着物についても当てはまる。なお、同鑑定は、A田の膣内容物及び膣周辺付着物については、犯人の型を特定していない。<br>  以上のとおりであるから、坂井・笠井鑑定によって犯人のHLADQα型を特定することはできない。<br>  (四) 小括<br>  幼女の陰部にいたずらをして、殺害した死体を山中に投棄するという本件事案の陰湿さに照らしてみると、一般的な経験則からいって犯人は1人(それも男)である可能性が高い。その場合、犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であると認められる。しかし、右のような一般的な経験則だけで犯人が1人であると断定することには無理がある。また、血液型検査及びDNA型検査の結果によっても犯人が1人であると認められないことは既に述べたとおりである。そして、出血した犯人が複数いるとした場合、それらの者の血液型とMCT118型の組み合わせについては様々な可能性があるのであって、特定することが困難であるといわざるを得ない。したがって、犯人が1人であるならその犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であるという事実(これが証拠上認定できる事実である。)は、犯行と被告人との結び付きを推認させる積極的間接事実には違いないが、犯人が1人であるという前提事実が証明されていない以上、それが証明されている場合と比較すると、やや証明力が弱いといわざるを得ない。<br>  なお、検察官は、被告人の血液型B型の出現頻度が0.221、MCT118型の16-26型が0.0170、HLADQα型の1.3-3型が0.171であることからすると、その出現頻度は0.000642となって、1500人に1人の割合となると主張する。<br>  しかしながら、出現頻度は、そのデータ-ベースとなった資料からの統計学による確率に過ぎないのであって、データーベースが変動するにつれて出現頻度もある程度変わるのであるから、犯人絞り込みの程度の参考になるに過ぎない(証人坂井7回46項以下)。のみならず、本件においては、前記のとおり犯人のHLADQα型を特定することができないのであるから、犯人が1人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。<br>  さらに、検察官は、繊維鑑定の結果からすると、犯人車は昭和57年3月26日から同58年9月28日までに製造販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに限定されるところ、平成3年末における全国の該当車両は2854台であり、犯人の血液型及びDNA型の出現頻度からみると、該当人物は全国でみても約2人となる上、犯行当時、福岡県内で運行されていた127台の該当車両の使用者合計130名について、血液型を捜査したところ、血液型がB型で、MCT118型が16-26型に該当する者は被告人を除いて存在しないと主張する。<br>  しかしながら、繊維鑑定の結果をもってしてもなお、犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであると断定できないことは前記のとおりである。そして、仮に犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとしても、その使用者以外にも、使用者から車両を借り受けた者も犯人である可能性もあるのであるから、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの使用者のみが犯人であるとする検察官の仮定は相当ではないといわなければならない。<br> 6 被告人以外の者が犯人である可能性について<br>  (一) 犯人がHLADQα型の1.3型を持たない可能性について<br>  坂井・笠井鑑定のHLADQα型検査の結果がたやすく採用できないものであることは前記のとおりであるが、A田の膣内容物及び膣周辺付着物(坂井・笠井鑑定の時点でこれらに犯人の血液が存在していたことは、同鑑定のMCT118型検査結果等に照らし明らかである。)から1.3型が検出されなかったという同検査結果によれば、犯人は1.3型を持たない者である可能性があり、1.3型を持つ被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえる。<br>  しかし、MCT118型検査と比べるとHLADQα型検査はやや多くのDNA量を必要とするのであるから、前者が検出できたからといって常に後者も検出できるとは限らない。したがって、右各資料のHLADQα型検査ではA田の型だけが検出され、犯人の型は検出されなかった可能性も十分にある。また、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定するという坂井・笠井鑑定の考え方を援用すれば、A田の膣周辺付着物には犯人のDNAとA田のDNAとがほぼ同量存在していたことになって、右の可能性が十分にあるとまではいえなくなるが、その場合であっても、16型のバンドに対応する26型のバンドが薄いことからすると犯人のDNAが壊れている可能性があるし、1.1型と1.3型との検出感度の違いにより1.1型のA田のHLADQα型だけが検出されたことも考えられる(証人笠井442項)。したがって、前記事実は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえないから、それだけで直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br>  (二) 犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型が被告人の型と違う可能性について<br>  次に、(1)石山鑑定のmt333DNA型検査の結果、A田の膣周辺付着物からはB山と同じDNA型が検出されたが、被告人と同じ型は検出されず、これとは別のDNA型か検出されたこと、また、(2)同鑑定の追加分析の結果、B山及びA田の膣内容物及び膣周辺付着物からは被告人由来のDNA(HLA-DQB遺伝子)の混合を示唆する所見が認められなかったことからすると、犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型は被告人のそれらとは違っており、被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえ、弁護人もその点を指摘しているので、以下検討する。<br>  まず、(1)の点について、A田の膣周辺付着物にはA田の血液、犯人の血液及びB山の血液が混在していたと認められることは前記のとおりであり、しかも、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査の結果、この資料から(A田の型及び)犯人の型が検出されながらB山の型が検出されなかったことからすると、この資料にはB山の血液よりも犯人の血液の方が多く存在していた可能性がある。そうであるとすると、石山鑑定のmt333DNA検査においても、B山と同じDNA型(これはB山由来のものと考えるのが合理的である。)が検出されている以上、犯人のDNAも検出されるはずであるが、前記のとおり被告人と同じDNA型は検出されていない。しかも、塩基配列分析結果をみると、この資料からは同一塩基配列のクローン化mt333DNA(B山と1塩基違いのもの)が4個検出されている。犯人のDNA型が検出されているという仮定が正しいとすると、これが犯人のものである可能性について検討しなければならない。<br>  しかしながら、他方、石山鑑定によっても、B山の膣内容物からは右の4個のクローンと同じ塩基配列のものが全く検出されていない。前記のとおり、B山の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、右の4個のクローンが犯人由来のものであるとしたら、これと同じものがB山の膣内容物からも検出されるはずである。また、右の4個のクローンは、制限酵素分解パターンではB山タイプであるが、A田の膣内容物から得た45個のクローンはすべてA田タイプであって、B山タイプのものは全く検出されていない。前記のとおり、A田の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、犯人のmt333DNAがB山タイプであるとしたら、A田の膣内容物からB山タイプのクローン化mt333DNAが検出されるはずである。<br>  そもそも、石山鑑定のmt333DNA型検査の結果によると、B山及びA田の各膣内容物及び膣周辺付着物という4つの資料に共通するmt333DNA型は存在しない。本来、これらの資料にはいずれも犯人の血液が存在していたのであるから、共通するmt333DNA型が検出されるはずである。そして、石山鑑定がこのような結果になった原因について、証拠(証人石山26回、甲68、626ないし628)によると、これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、大きいもので約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大、小さいもので約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)、また、混合血痕の場合、血液型が違えば凝集が起こることなどから、必ずしも資料各部で均一に混合していないことも考えられる(甲630 2頁の石山見解)というのであるから、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる。さらに、細胞1個にmt333DNAゲノムが数千個もある(証人石山26回11項)ということからも分かるように、ミトコンドリアDNA分析法は非常に鋭敏で、少し触って手あかが付いただけでも手あかからDNAが検出される可能性がある。この点、科警研では資料が汚染されないよう細心の注意を払っており(証人坂井5回398項以下 弁36)、科警研の前にこれらの資料を扱った科捜研でも同様であると考えられるが、ミトコンドリア分析法のように極めて感度が高い鑑定をすることを念頭に置いているかどうかは疑問があるし、採取した物の製造過程で人のDNAが混入した可能性や資料採取時に採取者等のDNAが混入した可能性も否定できない。これらのことからすると、A田の膣周辺付着物から検出された同一配列の4個のクローンが犯人由来のものである可能性は必ずしも高いものではないと考えられ、また、そもそも石山鑑定のミトコンドリアDNA分析及び追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる。<br>  なお、石山鑑定のミトコンドリアDNA分析では、被害者のmt333DNAと完全には一致しないクローン化mt333DNA(異型クローン)が複数検出されているが、この分析法では、PCR増幅及び大腸菌による培養の過程でDNAのミスリーディング(完全に同一の複製を作らず、塩基配列の一部が違う複製を作ること)が発生する場合のあることが知られており、また、mt333DNAは突然変異を起こしやすい(7ないし8個に1個の割合で、あるいは1割程度の割合で変異を起こしている)ともいわれているのである(甲629、630)から、被害児童と完全に一致しないからといって、それらがすべて別人のものであるとはいえない。<br>  これらのことからすると、(1)の点は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえない。また、石山鑑定の追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる以上、(2)の点も被告人が犯人であることと矛盾するものではない。<br>  したがって、これらのことから直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br> =====八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて===== 1 被告人は、平成3年11月8日、飯塚市内にある泌尿器科のY田病院を受診し、「1か月前から包皮炎を繰り返す。体重が約6キログラム減った。のどが渇く。」と訴えた。そこで、Y田医師が被告人の陰茎を診察したところ、被告人は仮性包茎で、包皮内板(亀頭と接触している包皮内側の部分)及び亀頭が炎症を起こしており、亀頭包皮炎であると認められた。被告人の血糖値検査結果が502と異常に高く、重度の糖尿病であると考えたY田医師は、同月11日、2度目の診察を受けに来た被告人に対して、糖尿病を治療するように言って他の病院を紹介した(証人Y田Y男 甲548、549、667)。<br>  弁護人は、被告人は仮性包茎ではないとして、右Y田供述等の信用性を争い、平成10年7月3日付けの医師神崎仁徳作成にかかる真性ならびに仮性包茎は認めなかった旨の記載のある診断書(弁74)を提出しているが、ここでは被告人が亀頭包皮炎に罹患していたか否かが重要な事実であり、仮性包茎か否かはその一原因として考えられる事実に過ぎず、治癒の時期について争いがあるものの、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと自体は被告人も自認しているとおり客観的な事実であるから、何れであったにせよ結論に影響しない。<br> 2 亀頭包皮炎に関する被告人の供述について<br>  (一) 被告人は、捜査段階で警察官に対し、自分の病気のことに関して次のような供述をしている(乙3、8、乙13の3丁以下)。<br>  平成3年10月ころ、急に、①歯茎がはれる、②太股の裏側の筋肉が吊る、③光が目にはいると目が痛い、④陰茎の亀頭の粘膜が痛むという症状がはじまった。その前にはのどが渇いて仕方がなかった。①③については、それぞれ病院で治療を受けたが、④については病院に行くことに抵抗があったので、1か月ぐらいは辛抱していたが、ひどく痛むので、炎症を起こしている部分にオキシドールをかけてみたら、激痛が走り、赤くはれたので心配になり、11月8日にY田病院に行った。先生に、のどが渇く、陰茎が痛いと説明して診察を受けた。先生は、尿検査をした後、「糖尿病だろう。亀頭の症状は糖尿病から来ているので内科的治療をしないとよくならない。」と言って、血液採取をして塗り薬を出してくれた。同月11日、血液検査の結果を聞きに行くと、先生は、「血糖値が530あり、入院治療した方がいい。」と言って飯塚労災病院か嘉穂病院あての紹介状を書いてくれたが、自宅で食事療法をすることにした。このような病状について、平成4年3月21日に、福田係長と井上刑事に、「糖尿病で血糖値が530あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった。」と話しているし、同年8月に佐賀県鳥栖市のK村K郎方に従弟達が集まったときにも同じ趣旨の話をしている。このときは、毎日新聞の大坪記者も同席して話を聞いており、その内容はテープに録音して大坪記者に預けてある。<br>  (二) 被告人の右供述が信用できるものであるならば、被告人の亀頭包皮炎は、一時期出血を伴うものであった上、本件当時も、性交の際陰茎を女性器に挿入できない状態で、治癒していなかったことが明らかである。<br>  この点、被告人は、公判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は1枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書の証拠能力を争い(33回379項以下)、亀頭包皮炎については、自宅で絶食などの食事療法をした結果、平成3年11月末ころには完全によくなったと供述している(31回338項)。<br>  しかし、被告人の検察官調書の中には、被告人が署名、指印した紙に亀頭包皮炎に関する問答体の記載がなされているものがある(乙13)。また、亀頭包皮炎に関する記載がある警察官調書2通(乙3、8)をみると、いずれも、被告人が署名、指印した紙に「陰茎から血が出て」などという記載はされていない。しかも、納得できなければ署名しないという強い態度を取っていたと言いながら、他方で余白の後ろに署名したと言うのは明らかに矛盾している。そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強く主張しないはずはないのに、被告人は、このことを第33回公判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(460項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書の証拠能力を争う被告人の右公判供述は到底信用できない。なお、被告人は、取調べの際、警察官から激しい暴行を受けた旨供述しているが、そのために納得のいかない調書に署名をさせられたということではないのだから、この点も被告人の供述調書の証拠能力に影響を及ぼすものではない。<br>  そして、被告人の捜査段階の供述は、内容的にみても、前記①ないし③の点については公判でも被告人が認めていることであるし、Y田病院における診療の経過については客観的事実と合致しているのであるから、基本的に信用できるといえる。また、亀頭包皮炎の状態等について親族らに話してその内容をテープに録音したという部分は、極めて具体的であって、迫真性に富んでいる。<br>  これに対して、平成3年11月末ころには亀頭包皮炎が完全によくなったという被告人の公判供述は、捜査段階では供述していなかったことを突如として公判で述べるものであって、その信用性には疑問がある。この点、被告人の妻C子は、公判で、「被告人の亀頭包皮炎はY田病院に行ってから20日ないし1か月ほどで治ったと思う。そのころ、被告人がもう必要ないと言うのでY田病院からもらった紹介状を処分したのを記憶している。」旨、被告人の公判供述に沿う供述をしている(28回173項以下、332項以下、29回868項以下など)。しかし、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、被告人の亀頭包皮炎がいつごろからよくなったかについては全く覚えていない、平成4年2月当時の被告人の性器の状態も全く分からないなどと、右公判供述と実質的に相反する供述をしていたものである(甲555)。妻C子は、公判供述の記憶の方が正しいと言うが、4年以上も前の事柄について具体的な記憶が残っているのであれば、当然、捜査段階でも同じ供述ができたはずであって、納得のいく説明もしないで捜査段階の供述をことさらに否定する同女の公判供述の信用性は極めて低い。よって、妻C子の公判供述は被告人の公判供述を裏付けるものとはいえない。<br>  これらのことからすると、亀頭包皮炎の状態に関する被告人の捜査段階の供述は十分に信用できる。<br> 3 フルコートFについて<br>  被告人は、平成3年7月ころから12月ころにかけて、福岡県嘉穂郡穂波町にある薬局「ドラッグストアコウキ」で、フルコートFという薬を頻繁に購入していたが、この薬は、かゆみを伴う湿疹等の皮膚病に効く薬で、効き目は強いが、ステロイド剤が含まれているので、長期間使用すると皮膚の抵抗力がなくなり、副作用として黒皮や皮膚の過敏等の症状が出たり、使用をやめると以前の症状が悪化することもあるというものであった(甲553、554)。<br>  なお、被告人は、捜査公判を通じて一貫して「ドラッグストアコウキ」でフルコートFを購入した事実は全くないと供述し、妻C子も公判で同様の供述をしているが、同店の経営者は、「被告人は1か月に2、3回は店に来る得意客で、そのうち1回はフルコートFを買っていた、フルコートFは副作用が強いので、自分からは勧めず、客が名指しした場合にのみ販売していたので、これを名指しで買っていた被告人は強く印象に残っている。」と供述しており、また、同店の元店員も、「被告人は常連客であり、フルコートFを買っていたことを覚えている。」と供述しているのであって、同店経営者及び元店員の各供述の信用性には疑問の余地がない。したがって、フルコートFを購入した事実は全くないという被告人及び妻C子の各供述は、いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない。<br> 4 小括<br>  被告人は、本件当時、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっており、亀頭の粘膜に無数の裂傷ができている可能性があるため、膿や汁のほか、外部からの刺激により容易に出血することがあったと認められる(甲548、549 証人Y田)。<br>  ところで、前記7のとおり、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのである。これらの犯人に由来する血痕等からは、犯人が1人とも複数とも断定できないことについては、前記のとおりであるが、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型及びDNA型のMCT118型は被告人のそれらと一致しているのである。そして、犯人に由来する血痕等は、それらが採取された場所がいずれもA田とB山の膣及びその周辺であることからすると、犯人がA田とB山にいたずらをした際に何らかの理由により出血して付着したものであると認めるのが相当である。<br>  そうすると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の手指ないしは陰茎である可能性が高いということができる。そして、A田とB山の処女膜等の損傷の状況からして犯人の指と爪が挿入されていることが明らかであるから、犯人の手指からの出血の可能性を否定することはできない。しかしながら、A田とB山がいたずらをされたのは、犯人がA田とB山の死体を投棄する前であるから、犯人の手指から出血していたのであれば、その出血の時期は、いたずらの部位からしてもその最中ではなく、いたずらよりも前であると考えられるので、血痕等がいたずらをする前に脱がせたと考えられるA田及びB山の下着等にも付着しているはずであるところ、そのような痕跡は存在しないのである。してみると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の陰茎である可能性が高いということができる。そして、被告人の亀頭は外部からの刺激により容易に出血することがあったのであるから、被告人が犯人であった場合には、犯人に由来する血痕等の存在理由を合理的に説明することが可能である。<br> =====九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について===== 1 被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人31回等)。<br>  平成4年2月当時、福岡県飯塚市(中略)所在の自宅で、妻C子及び潤野小学校2年に在学していた長男C男との3人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して妻を職場まで送り届けていた。午前8時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、長男も一緒に被告人車に乗せて潤野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、外出したりしても、午後1時ころまでには必ず家にいるようにしていた。長男は、だいたい午後3時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方5時前になると、被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。<br> 2 ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を潤野小学校で降ろして妻を職場まで送るのに主に通っていた2通りのコースを平日に走行してみたところ、その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前8時18分過ぎに到着し、その帰路に被害児童が最後に目撃されたE村方三叉路付近を通過する時間を測定すると、午前8時28分ころとなった(甲566、567)。したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、E村方三叉路付近を通過する時間は、被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後3時ころまでの間は、1人で自由に行動することができるところ、潤野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても2時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。<br> 3 これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成4年2月20日の行動について、公判で、「この日は、午前7時55分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、午前8時10分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、午前10時05分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、午前10時20分ころから午後0時30分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、午後1時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。午後5時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、そのまま家族3人で外食をして、午後7時過ぎころ、被告人方に帰り着いた。」などと供述している(31回)。この供述のうち、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、その後パチンコをして、午後1時ころ自宅に戻ったという点については、本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。<br>  まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母久間C美は、期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(125項以下)、平成4年2月20日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(289項)、同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。<br>  次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻C子は、公判で、「本件当時、毎月19日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。自分も一緒に行きたいと話していた。平成4年2月20日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(28回421項以下、29回536項以下)。<br>  しかし、妻C子は、捜査段階では、警察官に対して、「19日ころ米を買ってすぐに被告人の実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが2月20日であると特定して供述していない。妻C子は、公判で、19日に米を買ってその翌日ということで20日と思い出したというのであるが(29回758項以下)、それが事実であれば、既に捜査段階でも19日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、捜査段階で20日と特定できたはずである。しかも、毎月19日に買っていたというのは被告人からそのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(29回882項以下)。これらのことからすると、妻C子が、捜査段階では思い出せなかった20日という日付を公判で特定できた理由は不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。<br>  さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。<br>  すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について詳細に供述している(31回96項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、妻を送った後、午前8時30分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「2月25日ころ、森永刑事が自宅に来た後で考えて思い出した。3月18日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。3月20日にポリグラフ検査を受けたところ、翌21日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言した。」などと供述している(33回108項以下、273項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、「3月18日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。3月20日にポリグラフ検査を受けた後、アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙122)ものであって、事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(33回292項以下)のに対して、捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の1つに、夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨異なる供述をしているのである(乙122項)。このように、被告人のアリバイに関する供述は、その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。<br>  よって、被告人にアリバイは成立しない。<br> =====一〇 被告人の性格鑑定について===== 1 弁護人は、猥褻目的で登校途中の2名の女子児童を車で拉致して、扼殺し陰部にいたずらしたうえ山中にその死体を遺棄したという本件犯行態様の残忍性冷酷性からみて、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるが、被告人は、妻子を有しこれまで性格異常を示すような前科もなく、通常の社会生活を営んできたという生活歴からみて、性格異常者とは認め難いから、被告人が本件犯行を犯すようなことはあり得ず、本件のような犯罪を犯すはずがないと主張し、被告人の性格鑑定を申請し、当裁判所は、右鑑定申請を採用して、福岡大学医学部精神医学教室助教授医学博士堤啓に鑑定を依頼した。<br> 2 堤鑑定人の鑑定書(弁73)及び同鑑定人の証人尋問によると、堤鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br> (一) 堤は、精神科医として約30年の経歴を有し、臨床心理士として同程度の経験を有する福岡大学病院精神神経科医療技術職員皿田洋子を助手として、どのような検査法を組み合せるか(テストバッテリーの決定)を検討した上、最初は本人の意図的な考えが反映しやすい質問形式を採用し、段々投影法を用いて最後には対人関係の中で非常に葛藤的な場面も想定されるようなTAT(絵画統覚テスト)を用いることとした。<br> (二)テストの実施は、平成10年4月10日、同月13日及び同年7月6日の3回に分けて行われ、その検査の結果は次のようになった。<br> (1)MMPI(ミネソタ多面人格テスト)の検査結果によると、質問項目383項のうち無解答が148項目あったため総合的評価はできなかったが、無解答の項目はいずれも本件事件に関する被告人の心理状態やその後の心理反応に関するものであり、不当に判断されては困るという警戒心が強く認められた。また、答え間違いをして後で言い直しをした質問項目に、「性的なことで問題を起こしたことはない」という項目に対し、「ないですね。」と言いながら「ちがう」の方に印を付け、検査者から指摘を受けて印を付け直したり、「後悔するようなことをよくやる」という項目に対し、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて「これ違いますね。」と言って「ちがう」の方に印を付けた。また、血に関する項目については、素直に答えられなかった。<br> (2) ロールシャッハ・テストに対して、被告人は警戒的であり、11カード中、6つのカードについて判断できないとしており、自由に想像力を働かせて連想しなかった。反応の仕方から被告人の性格を分析すると、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいると判断された。<br> (3)P-Fスタディ(絵画欲求不満テスト)によるとCGR(欲求不満に対する常識的、一般的な反応の程度)が異常に高かったことから何らかの意味で欲求不満場面における反応が異常であること、また、欲求不満に無関心であったり又は抑圧してしまって、欲求不満を感じてそれをどう能動的に処理していけばよいか解決していくことが出来にくい人であるとの判断がされた。<br> (4)バウム・テストの結果、被告人の自信のなさ、不安定さ、まわりと自分との関係への無関心さ、感情の冷却、警戒心の強さなどが推測され、人物画(自己像)からも、自信のなさ、警戒心の強さ、感情など衝動性のコントロールの弱さ、対人関係の保持の不安定さが推測された。<br> (5)TAT(絵画統覚テスト)によると、内容的には標準的なもので、特に奇妙な受け止め方をしていないが、被告人にとって非葛藤的内容(友人関係、恋愛関係)の時は、短いながらもまとまった話を作ることができるが、葛藤的な場面(攻撃性、性的、危機的)では「想像できない」と言って、非常に警戒的になったこと、夫婦関係の場面では、いずれも妻から小言を言われる場面を連想しており、不満が高まっていることが伺われること、自分さえよければよいといった自己中心的なところがみられたこと、空白カードでは、何か場面を描いて下さいという指示は無視して、自分の言いたいことをまくし立て、自分がいかに性的対人関係等にひどい仕打ちにあったか(前妻の浮気)を話していたことから、性的な場面への反応を意識的には拒否してきたが、無意識にその葛藤を示した結果となった。<br> (三)被告人の行動観察、問診、心理テストにより得られた所見を総合すると、被告人は意識は清明であり認知の障害は表立ってなく意識的範囲力で持論をあやつる判断力と感情表現の能力を有し思考の障害もみられないが、自己中心的で、自己に不利益をもたらす問いかけや刺激に警戒的で、それらに対する反応を拒否する場合が多かったこと、独断的で自己の欲求を満たすためなら相手と場を選ばないという心理特性を有していること、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しい人格傾向が認められた。<br> (四)被告人の情性について検討するに、「情性」とは、他人とともに喜びまた悲しみ、誠実に相手の立場と心情に気を配って交際し、信頼関係を結ぶ人格特性である。<br>  情性の基礎が作られる幼年期からそれが発達していく青年期にかけて、被告人は父親との死別、母親の行商の手伝いなど不利な生育環境で育ったためと考えられる情性の欠如がかなりの程度みられること、被告人は、56歳のときに警察官に樹木用の鋏で怪我をさせた傷害罪を起こしているところからも明らかなように、本件当時まで犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、被告人は、本件の発生から約6年経った現在でも、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、被告人は、MMPIの検査の際、「付き合いはいいです。」という質問に、しばらく考えて、「答えられません。」と反応したことに表われているように、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることからすると、被告人には情性の欠如が現在もみられるが、それを明らかにされまいとする自己中心的な意思が働いている。このことは、被告人の暦年齢にもかかわらず、情性の欠如は活動的で、何らかの欲求不満の発散を求めようとする意思と結びつけば、犯罪を犯す恐れを示唆するものと推測される。<br> (五)被告人の性的抑制について検討するに、被告人は、MMPIの検査の際、「性的なことで問題を起こしたことはない。」という質問に対し、険しい口調で「ないですね。」と言いながら、「ちがう」の方に丸印を付ける間違いをし、検査者の指摘で「そうですの方ですね。」と平静を装って、丸印を付け直したこと、TATの検査の際、空白カードに対して、自分がいかに性的対人関係でひどい仕打ちにあったかを話していることからして、それまで性的な場面への反応を意識的に拒否してきたが、無意識的にその葛藤を示していることからして、被告人は性への関心が高く、葛藤的に受け止められているが、それを見抜かれまいとする自己防衛を意識的に行っていることが明らかである。<br>  さらに、被告人は、平成3年10月ころから、糖尿病による亀頭包皮炎のため、妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高く、そのような状況で、情性の欠如した被告人が性倒錯的行動をとる可能性は十分考えられる。<br> (六)以上から、鑑定主文では、被告人は情性欠如型の性格異常者と判断され、その偏りの内容は、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいる、もっとも、葛藤がない平常時には、標準的な物事の受け止め方ができ、性格の偏りの程度は、中程度のものと認められるが、状況によっては重度のものに揺れ動くと考えられ、ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると判断された。<br>  3 弁護人は、堤鑑定の手法及びその判断は誤りであるとし、その理由として、①堤鑑定の採った手法は、心理テストが中心であり、問診や行動観察が十分でないこと、②検査者と被告人との間には性格鑑定で必要となる信頼関係がないこと、③被告人は、無罪であるにもかかわらず本件事件を犯したとされ、拘置所に長期間身柄を拘束されており、自己に不利益な判定が下されないようにことさら警戒的・防衛的な回答したため、そのような態度がテストに影響を与えていることなどからして、鑑定結果が被告人の本来の性格と異なるものと判断されたと主張する。<br>  しかしながら、①について、確かに本件性格鑑定が拘置所において限られた時間で行われたことから、問診や行動観察に十分な時間をかけて行われたものではないが、堤鑑定人は、その専門家としての立場から、各種心理テストを実施する前や実施中の被告人の受け答えや行動について観察をしており、これをもって、独自の問診や行動観察に代えているのであるから、問診や行動観察が不十分であるとは言い難い。②については、本件鑑定の申請は、弁護人側から行われたもので被告人が被験者として検査に応じたことから鑑定ができたのであるから、性格鑑定に必要となる基本的な信頼関係はあったということができる。③については、心理テストをすると、前記のように被告人が警戒的・防衛的な態度を示したかどうかが分かるのであり、それを理解した上でそのような態度を示したものが何かを分析して性格鑑定を行うものであることからすると、警戒的・防衛的な回答をしたこと自体から、性格鑑定の結論を異にすることにはならないと考えられ、弁護人の主張はいずれも採用できない。<br>  もっとも、MMPI検査では、質問項目に対し被検者が意図的作為的に答えると事実と異なる像を示すことが指摘されており、被告人が意図して防衛的、抑圧的にしか答えていないことからすると、右検査法の正確性が問題となるが、堤鑑定は、右検査内容による被告人の人格の総合的評価はしておらず、右検査の際の被告人の答え方や態度などをみて被告人の心理テストに対する態度を評価しているに過ぎないのである。<br>  なお、弁護人は、MMPI検査において、堤鑑定が、特定の質問項目に被告人が答え間違いをして後で言い直しをした事実を、「内心の気持ちを口をすべらせて、後で言い直しをした」とか「本心をぽろっと出した後、慌ててそれを取り消す失態を行った」と評価している点について、堤鑑定人が被告人を犯人視する片寄った見方をしているためであると主張する。<br>  なるほど、堤鑑定が、「性的なことで問題を起こしたことはない。」の項目に対し、すぐに「ないですね。」と強調しながら、「ちがう。」の方に丸印を付け、検査官から、言ったことと印を付けた箇所が異なることの指摘を受けて、被告人が「そうですの方ですね。」と平静を装って印を付け直したという点については、被告人が単に答え間違いをした可能性もあり、堤鑑定のような評価は一面的すぎるようにも思われる。しかし、「後悔するようなことをよくやる。」の項目には、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて後に「これ違いますね。」と言い、「ちがう。」の方に印を付け直したという点については、被告人の質問に対する答えと印を付けた箇所が異なっていたわけではなく、被告人が答えを訂正したときの態度からの判断であるから、堤鑑定の評価に誤りはないと考えられる。<br>  各種投影法については、被検者の置かれた環境によって多少の影響を受けることがあるとしても、被検者に根ざした本来の性格は環境にそれ程影響を受けないと考えられることからすると、被告人の性格鑑定にも採用でき、投影法は、被検者の深層にある心的傾向や葛藤の内容等を見い出すのに適しており、被検者が解答を意図的に調整することはできないから、被告人が警戒的、防衛的態度をとったとしても、この検査法に基づき判定された被告人の性格鑑定は基本的には信頼性のあるものと考えられる。<br>  4 堤鑑定は、被告人に情性が欠如していると判断した根拠として、①被告人が母子家庭で生育したこと、②被告人の傷害前科からして、被告人が犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、③被告人は、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、④MMPI検査の際、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることを挙げている。<br>  しかしながら、①については、被告人の生育環境のみから情性が欠如していると判断するのはあまりにも短絡的であるといわなければならない。そして、②については、犯罪者がすべて情性欠如者であるといえないのは自明の理であるから、被告人に犯罪的能動性があったとする理由とすることはできても、それをもって情性が欠如していることの根拠とすることはできない。また、④については、被告人が情性に関する質問に対して警戒的、拒否的であったからといって、そのことをもって直ちに被告人に情性が欠如していることの根拠とすることはできない。そうすると、残るところは③であるが、心理テストの結果からみられる被告人の自己中心的、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しいなどの人格傾向は、なるほど情性欠如者にもみられるところではあるが、クルト・シュナイダーが、情性を同情心とほぼ同義語に解し、同情心の少ない人から冷淡な人、冷淡な人から冷酷な人、すなわち情性欠如型の人への漸進的な移行を考えている、とされている(現代精神医学大系8、109頁参照)ところからすると、被告人の右人格傾向をもって、情性欠如型精神病質と評価できるほどの異常性を示しているかどうかについては疑問の余地がある。<br>  また、堤鑑定は、被告人が、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっていたため妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高い状況下において、情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられるとしているが、被告人が情性欠如型精神病質者であるとする堤鑑定に疑問を入れる余地のあることは前記のとおりであるから、この点の堤鑑定の結論は採用することができない。<br>  5 小括<br>  堤鑑定の心理テストの結果から見られる被告人の性格傾向からすると、弁護人の主張するように被告人が本件のような犯行を犯すはずのない人物であるとまではいうことができない。したがって、被告人の性格鑑定の結果は、被告人と本件犯行の犯人性との結びつきに疑いを入れるような証拠ではない。<br> =====一一 結論=====  以上要するに、本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができないのである。<br>  しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。そこで、この観点から検討すると、本件犯行に犯人が使用したのではないかと疑われる自動車は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイヤの車で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどといった特徴を有していたこと、犯人について、被害児童であるA田及びB山の失踪場所の状況や時間帯並びに右場所と被害児同の死体及び遺留品の発見場所との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、失踪場所等についての土地勘を有するものであると推測されること、しかるに、被告人は、右容疑車両と特徴を同じくする被告人車を所有し、かつ、土地勘を有することからすると、被告人が犯人ではないかという疑いが生じるのは当然である。これに加えて、被害児童の着衣から、被害児童が犯人車に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片が発見されているところ、これらの繊維片は被告人と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いのであるから、被告人が犯人ではないかという疑いはますます濃厚となる。このような状況下において、被告人車の後部座席シートから血痕と尿痕が検出され、血痕については、被害児童のうちのA田と血液型を同じくするO型であること、尿痕については人尿であることが判明した。これらの血痕や尿痕については、被告人が被告人車を入手して自己の管理下に置く前に付着した可能性はないと認められる上、被告人車は被告人のみが使用し、かなり頻繁に後部座席シートの水洗い等の手入れをしていたのであるから、少なくとも右のうち血痕については、それが付着していたことに被告人が気付かなかったはずがなく、車内で誰かが相当量の出血をしたという特異な出来事についても被告人が忘れてしまったとも考えられないし、尿痕についても同様であるというべきてある。しかるに、被告人は、右付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。他方、被害児同2名とも失禁と出血があり、これらは犯人が被害児童を殺害した際に生じたものであると認められるところ、被害児童の体は生前あるいは死亡後に犯人車と接触していることが明らかであるから、犯人車には被害児童の右尿や血痕が付着している可能性があるということができる。そうすると、右の血痕等が被告人がに付着していた原因については、被告人が犯人であるとすれば、被害児童であるA田らを被告人車内で殺害するか、あるいは、その後、A田らの死体を死体発見現場まで被告人車で運んだときに右の血痕等が付着したものとして、合理的に説明することができるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられないのである。また、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害児童以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのであり、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、DNA型はMCT118型が16-26型であって、被告人のそれと一致しているのである。さらに、右のように被害児童2名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していた理由として、被告人が犯人であるとするならば 被告人が本件当時糖尿病による亀頭包皮炎に罹患していたため、被告人の亀頭が被害児童の膣等に接触した際の刺激によって出したものであるとして、合理的に説明できるのである。また、被告人の捜査段階での供述によれば、被害児童の失踪現場は、被告人が妻を現場に送迎するために被告人車で通ることがあり、妻の職場から失踪現場を通って被告人方に戻る場合、丁度 被害児童が失踪した時間である午前8時30分ころに失踪現場を通過することになり、被害児童が失踪した時間帯及び失踪現場は、被告人が妻を勤務先に被告人車で送った後、被告人方に帰る途中の時間帯と通路にあたっていた可能性があるところ、被告人にはアリバイが成立しないのであるから、被告人に犯行の機会のあったことが明らかである。<br>  以上のような諸情況を総合すれば、本において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができるのであって、そこから翻って見ると、被害児道が最後に目撃された現場及び遺留品発見現場において目撃された紺色ボンゴは犯人車である被告人車であり、それを運転していたのは被告人であると認定することができる。<br> ====(法令の適用)====  別条<br>  第一 (被害児童2名につき) <br>  平成7年法律第91号附則第2条1項により同法による改正前(以下「改正前」という。)の刑法224条<br>  第二及び第三<br>  いずれも改正前の刑法199条<br>  第四の一、二<br>  いずれも改正前の刑法190条<br>  科刑上一罪の処理(第一) <br>  改正前の刑法54条1項前段、10条(犯情の重いA田に対する未成年者拐取罪の刑で処断) <br>  刑種の選択(第二及び第三) <br>  いずれも死刑<br>  併合罪の処理<br>  改正前の刑法45条前段、46条1項本文、10条(刑及び犯情の最も重い第二の罪につき死刑に処し、他の刑は科さない。) <br>  訴訟費用の不負担<br>  刑事訴訟法181条1項ただし書<br> (量刑の理由) <br>  本件は、被告人が車で妻を勤務先に送って自宅に帰る途中、登校時刻に遅れて登校中の小学1年生の被害児童2名を認め、車に乗せて拐取した上、同女らの頸部をそれぞれ手で締め付けて殺害し、その前後に、同女らの陰部に指先を挿入するなどして弄び、その後人通りの余りない国道沿いの山中にそれぞれの死体を投げ捨て遺棄した事案である。<br>  本件犯行態様は、帰宅途中に偶然居合わせた被害児童2名を拐取するや、年端のいかない抵抗する力の弱い同女らの頸部をあたかも鶏の首を絞めるがごとく手で締め付けて次々に窒息死させ、何らの落ち度もない2名ものかけがえのない無垢な命を奪ったものであり、人情のかけらすら認められない鬼畜同様の行為である。その結果が何にも増して重いのはもとより、車で拉致され殺害されるまでの間に被害児童がそれぞれ被った恐怖感や精神的・肉体的苦痛には想像を絶するものがある。その上、被告人は、犯行の発覚を防ぐため、被害児童の死体を下半身裸のまま、まるでごみと一緒に不要になった人形を捨てるかのごとく山中に投げ捨てて死体を冒涜したものであり、極めて冷酷残忍な犯行態様である。<br>  本件犯行の内、被害児童を略取または誘拐して殺害に及んだ直接の動機は、被告人が否認し犯行の具体的態様が明らかでないことから不明といわざるを得ないが、被告人が被害児童やその家族に対して恨みを持っていたような事情はうかがわれず、他方、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと、死体の陰部には手指を挿入した痕跡があることからすると、本件当時、被告人が、少なくとも自己の性欲を満たさんがために、汚れを知らない少女を陵辱し、自己の獣欲を満足させようとした事実は否定できないところであって、そこからは被告人の抑制力の欠如と性倒錯的傾向がうかがわれるのみならず、再犯の可能性も否定できない。<br>  さらに、本件犯行後、被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから明星寺団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の攪乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である。<br>  未だ幼くして愛情に満ちた家庭から隔離され、突如命を奪われ、無限の可能性を秘めたこれからの人生を無惨にも断ち切られた被害児童2名の無念さは計り知れない。また、遺族らの感情について、公判において、A田の母親は、「事件後、2、3年は夜眠れない状態が続いた。今でもA子が夢に出てくることがあり、夢の中のA子が泣いていると、起きてから涙が止まらなくなる。」と今でも深い悲しみの中におり、被告人に対し「Aちゃんを返して欲しい。苦しめて死刑にして欲しい。」と悲痛な思いを訴えている。また、B山の父親は、事件当時のことを振り返り、「寒い夜だったので、一刻も早く助けてやりたくて、少ない情報の中を一時も寝ずに夜通し走り回った。遺体に対面したとき、すべて周りの出来事が夢のように思われ、目の前の現実を受け止めるゆとりもなかった。」と本件の衝撃の強さを語り、被告人の行為に対し「罪のない幼い子供を2人も殺した行為は、到底人間の行為とは思えない。許せない。極刑を希望する。」と峻烈な処罰感情を露わにしている。B山の母親は、「小学校教諭という職業柄、生徒とB子の姿がダブり、何度か仕事を辞めようかと思った。」「6年以上経った今も、悲しみ、苦しみ、悔しさといったいろんな感情が織り混ざる。」と、やはり癒しがたい被害感情を有したままでおり、極刑を希望している。このような最愛の娘の命を理不尽な犯行によって奪われてしまった両遺族の悲嘆の深さ、被告人に対する遣り場のない憤りの激しさは、十分に理解でき、被告人に対し極刑を望むのも当然である。<br>  また、本件は、小学1年生の女児が2人連れで登校中に通学路で突如行方不明となり、山中で変わり果てた姿で発見されたという衝撃的な事件であり、被害児童が通学していた小学校はもとより、飯塚市内はおろかその近辺の小学生児童や教育現場にまで不安感、恐怖感を与えたものであって、その社会的影響には大きいものがある。被告人は、本件当時、自らも被害児童と同じ潤野小学校に通学していた1学年上の子供があり、年齢も54歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かるはずであるにもかかわらず、捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており、被害児童やその遺族らを意にも介せず、反省するどころか、自己やその家族がいかに警察から迫害を受けたかを訴えるばかりで、良心の呵責や改悛の情が全くみられない。<br>  以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処することとした。<br> (求刑 死刑)  <br> (裁判長裁判官・陶山博生 裁判官・重富朗 裁判官・柴田寿宏) <br> {{DEFAULTSORT:ふくおかちほうさいはんしよへいせい6ねん}} [[カテゴリ:日本の判例]] {{PD-JapanGov}} [[Category:判例時報]] 6n6bf4vcz3eiqd3ublrndit5cy0pxz1 246539 246534 2026-10-11T16:01:55Z ろづき 28406 246539 wikitext text/x-wiki {{header |title={{PAGENAME}} |notes= 掲載誌(判例タイムズ1059号254頁、判例時報1697号124頁)。原本は実名。控訴審以降の判決については、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件<br> 福岡地方裁判所刑事部平6(わ)1050号、1157号<br> 平成11年9月29日判決<br> === 主文 === 被告人を死刑に処する。 === 理由 === ====(犯罪事実)==== 第一 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分ころまでの間、福岡県飯塚市大字潤野(中略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳)及びB山B子(当時7歳)を認め、同女らが未成年であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト登録番号(中略))に乗車させ、右小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である同女らを略取又は誘拐した。<br> 第二 被告人は、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前9時ころまでの間、福岡県飯塚市内又はその近郊において、殺意をもって、A田A子の頚部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第三 被告人は、第二記載の日時、場所において、殺意をもって、B山B子の頸部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。<br> 第四 被告人は、平成4年2月20日午前11時ころ、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に<br> 一 A田A子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> 二 B山B子の死体を投げ捨てて遺棄した。<br> ====(証拠)==== (括弧内の甲、乙は、証拠等関係カード中の検察官請求の証拠番号を、弁は弁護人請求の証拠番号を、職は職権による証拠調べの証拠番号を表す。)<br> 全部の事実について<br> 一 証人久間C子、笠井賢太郎、野田茂樹、田中紘、石山昱夫、H田H子の各公判供述<br> 一 第4回公判調書中の証人I田I子の供述部分、第5、6、7、9回公判調書中の証人坂井活子の供述部分、第8回公判調書中の証人林葉康彦の供述部分、第11回公判調書中の証人福山晴夫の供述部分、第12回公判調書中の証人鈴木真一の供述部分、第13、14回公判調書中の証人N田N男、O田O男、P田P男の各供述部分、第15回公判調書中の証人Q田Q男、R田R男の各供述部分、第16回公判調書中の証人S田S男、S田S子の各供述部分、第18回公判調書中の証人T田T男の供述部分、第22回公判調書中の証人U田U子の供述部分、第23回公判調書中の証人V田V子、W田W男の各供述部分、第25回公判調書中の証人X田X男の供述部分、第26回公判調書中の証人石山昱夫の供述部分<br> 一 証人久間C男、久間C美、Y田Y男の各期日外尋問調書<br> 一 当裁判所の検証調書<br> 一 Z田Z子(甲38)、D山D子(甲39)、久間C子(甲493、ただし1、3、4、6項、555、563、564)、久間C男(甲494)、久間C美(甲496、ただし3、4、5項)、E山E郎(甲553)、F山F子(甲554)の各検察官調書<br> 一 G山G子(甲3)、H山H男(甲5)、I山I男(甲22)、A田A美(甲26、27)、J山J美(甲28)、B山B男(甲29)、B山B美(甲30ないし32)、K山K子(甲34)、L山L郎(甲36)、M山M郎(甲80)、N山N郎(甲81)、O山O郎(甲120)、P山P郎(甲509)、Q山Q郎(甲510)、R山R郎(甲526)、S山S郎(甲527)、T山T郎(甲528)、U山U男(529、530)、V山V男(甲531)、W山W郎(甲532)、X山X郎(甲533)、Y山Y郎(甲534)、Z山Z男(甲535)、Y田Y男(甲548、549)、石山昱夫(甲626)、D村D郎(甲627)、林葉康彦(甲628)の各警察官調書<br> 一 実況見分調書(甲6、7、20、21、23、24、105、108、483、487、502)、検証調書(甲476)<br> 一 誘拐並びに殺人及び死体遺棄被疑事件発生報告書(甲8、13、16、33、91)、死体遺棄現場の位置特定の関する報告書(甲9)、鑑定人(執刀医)に対する事情聴取結果報告書(甲19)、現場資料(血痕等)採取報告書(甲45)、遺体発見現場における法医理化学資料発見採取に関する報告書(甲46、49)、聞込み結果報告書(甲77)、捜索差押調書(甲78)、鑑定資料(車両のシート片、繊維等)採取報告書(甲83)、資料入手報告書(甲94)、車両座席シート・メーカーに対する捜査報告書(甲121)、捜査関係事項照会書飯刑第310号について(報告)(甲133)、着衣等の領地に関する報告書(甲457)、遺留品発見報告書(甲464)、法医理化学資料発見採取報告書(甲484、ただし不同意部分を除く)、法医理化学資料発見入手報告書(甲485、ただし不同意部分を除く)、死体遺棄事件捜査報告書(甲504)、ボンゴ車のダブルタイヤに関する捜査報告書(甲505)、捜査報告書(甲10、551、641、728不同意部分除く)、地図作成報告書(甲565)、送迎所要時間に関する報告書(甲566、567)、捜査関係事項等照会について(回答)(甲508)、捜査関係事項照会書謄本(甲666、692、697、700、703、706、708、710、712、714、716、718)、電話筆記用紙(甲694、695、696、699、704)、回答書(甲726、弁92、118)、鑑定書の誤記等の訂正に関する報告書(甲611)、被害者着衣等の発見・領置及び同着衣等に付着した微物・保管・鑑定依頼状況に関する報告書(甲727)、電話聴取書(職8、10、13)<br> 一 DNA鑑定に関する質疑について謄本(甲629)、DNA鑑定に関する質疑の回答について(甲630)<br> 一 鑑定嘱託書謄本(甲67、75、84ないし87、89、98、106、109、489、623)<br> 一 鑑定書(甲12、15、18、53、58、62、68、74、76、88、90、107、110、461、463、469、471、475、478、480、482、490、624、職15、28)、鑑定嘱託書飯刑第345鑑定報告(甲99)、結果報告書(甲100、101)、試験成績報告書(甲125の一部)、染色加工分量表(甲126の一部)追加分析報告書(甲625)、追加鑑定書(職16)<br> 一 文献「DNA型鑑定の運用に関する指針について」写(弁36)、「MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法」写(弁37)、「MCT118のインターアレルについて」写(弁39)、「岐阜県在住の日本人におけるMCT118(DIS80)のインターアレルについて」写(弁40)、「DNA型鑑定の現状」写(弁43)、「DNA型鑑定の実際」写(弁46)、「DNA型と個人識別」写(弁47)、「法科学とPCR」写(弁57)、「犯罪捜査におけるDNA型鑑定の活用状況上」写(弁66)<br> 一 甲68写真13のネガフィルム1枚(甲593)、甲76写真8のネガフィルム1枚(甲594)、プレパラート内の橙色繊維片1本(平成7年押第140号の2)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の3)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の4)、同内の焦茶色繊維片1本(同号の5)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の6)、同内の黄茶色繊維片1本(同号の7)<br> 一 被告人の各検察官調書(乙9、11ないし13 ただし、いずれも却下部分を除く)、各警察官調書(乙3、4(不同意部分を除く、5(不同意部分を除く)、6、8) ====(補足説明)====  被告人及び弁護人は、犯人性を争い無罪の主張をしているので、事実認定の理由について以下説明する。<br> =====一 事案の概要=====  証拠によると、以下の事実が認められる。<br> 1 被害者A田A子(以下「A田」という。)及び被害者B山B子(以下「B山」という。)は、平成4年2月当時2人とも7歳で、福岡県飯塚市(中略)所在の飯塚市立潤野小学校一年に在学していた(甲1)。<br> 2 A田は、上に黄色のジャンパーを着て赤色ランドセルを背負い、同月20日午前7時40分ころ、同級生のK山K子と一緒に、飯塚市(中略)所在のB山方までB山を呼びに行き、3人で潤野小学校に向かって歩いて登校し始めたが、ぐずぐずしていて午前8時過ぎころになってもB山方近くから離れず、そうするうちにK山が一人だけ先に行ってしまったので、B山と2人になった(証人U田U子 甲26、29、34)。なお、B山方から潤野小学校までの通学路はだいたい決まっており、別紙1の赤線のとおりであって、距離にして約1420メートル、所要時間は子供の足で20分から25分程度である(甲33)。<br> 3 A田とB山は、同日午前8時10分ころ、B山方近くの道端でしゃがみこんでいるところをA田の知人L山L郎に目撃されたほか(甲36)、午前8時22分ころ、B山方から道学路を約575メートル進んだ地点である平原バス停付近をいかにも学校に行きたくないといった表情でとぼとぼ歩いているところをA田の知人Z田Z子に目撃され(甲33、38)、さらに、後記のとおり、午前8時30分ころ、B山方から通学路を約937メートル進んだ地点であるE村E太方(飯塚市大字潤野(中略))前三叉路(以下「E村方三叉路」という。)付近において農協職員D山D子によって目撃されたが(甲33、39)、そのほんの数分後に同所を通った同職員V村V子(なお、同女はその後結婚してV田姓となった。)からは目撃されていない(証人V田V子)。<br>  A田の実母A美は、母親のA山A恵を二宮医院に送るため、同日午前8時45分ころ、同人方を車で出発し、平原バス停先のF村F郎方(イソップハウス)まではA田らの通学路と同じ道路を通行し、F村方から通学路とは分かれて南下して二宮医院にA恵を送った後、同じ道路を通って同日午前8時55分ころ同人方に戻ったが、この間A田らの姿を見ていない(甲26)。また、当時潤野小学校図書館司書補助員をしていたG山G子は、顔見知りのB山が登校しでいないことを聞き、B山らを探すため、同日午前8時50分ころ、車で潤野小学校を出発し、B山らの通学路を逆行してE村方三叉路を北上し、平原バス停の北方にある田中商店付近でUターンして別の経路で潤野小学校に同日午前8時56分ころ戻ったが、B山らを発見することができなかった(甲3)。<br> 4 翌21日午後0時10分ころ、福岡県甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠を自動車で通りかかったH山H男が、第5カーブ付近で小用を足すために車を停めて降りた際、道路南方の斜面に小さなマネキンのようなものが捨ててあるのを見つけて不審に思い、警察に通報した結果、それらがA田とB山の死体であることが確認された(甲5)。<br>  死体遺棄現場は、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3(旅館「秋月荘」の所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)の南方約9メートルの山中である(甲6、9)。<br>  死体は、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されており、A田は、黄色フード付ジャンパー、赤色上衣、長袖シャツ、半袖肌シャツを身につけ、B山は、白色フード付ジャンパー、茶色トレーナー、長袖シャツ、半袖肌シャツ、チェック模様入りベージュ色スカートを身につけていたが、2名共パンツを脱がされて下半身が露出し、少し離れた場所に赤色手袋が棄てられていた(甲6)。<br> 5 そして、死体解剖の結果、<br> (一) A田及びB山の死因は、頸部圧迫、それも扼頸(手による圧迫)による窒息であり、他殺であること<br> (二) A田の着ていたジャンパー表面には、両袖及び前面に血痕が多数付着していること(なお、後に鑑定した結果、ジャンパーに付着していた血痕はO型と判明した。)、A田の鼻孔からは血液が漏れ、その一部は右側を帯状に上方に伸び、右眼内裂部に達し、乾燥していること、頬、鼻、口周囲に血液が接着状に付着していること、A田の膣内から血液が漏出し、小陰唇のほぼ全域と、大陰唇下部及び肛門部にかけてほぼ対称的に付着し、乾いていること、処女膜の2か所に新しい裂創と膣前壁に出血があり、指の爪が挿入されたのであろうと推測されること、A田の血液型がO型であること<br> (三) B山の膣内から血液が漏れ、大陰唇から肛門部にかけて血液がほぼ対称的に付着し、一部は上方に帯状に伸び、乾燥していること、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していること、幼児の小陰唇部周囲には表皮剥離を与えず侵入し、内部のみ損傷できるものとして、恐らく指と爪が挿入されたと推測されること、B山の血液型がA型であること<br> (四) A田の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B山の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであったこと<br>  などが判明した(甲12、15、21)。<br> 6 更に翌22日になって、福岡県甘木市大字野鳥844番地(八丁苑キャンプ場所在地であった場所)から国道322号線を嘉穂町方向に約200メートル進行した地点の西方約5メートルの山中で、A田の赤色キュロットスカート、2人のランドセルなどの所持品及び下着、フリル付白色靴下、うさぎ柄白色靴下など着衣の一部が、死体と同じように、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されているのが発見された(甲22、23)。<br>  発見されたもののうち、A田が着用していた熊柄白色パンティー及びB山が着用していた羊柄白色パンティーの各股間部付近には、いずれも淡黄色の尿斑様のものが広く付着しており、鑑定の結果、それらは各被害者の血液型と合致する血液型を持つヒト尿斑であることが判明した(甲27、31、469、471)。<br> 7 潤野小学校から死体遺棄現場までは、経路によって違うが、距離にして28ないし36.1キロメートル、自動車で35ないし53分かかる(甲504)。また、遺留品発見現場は、潤野小学校から八丁峠を死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までは距離にして3キロメートル、自動車で8分程度かかる(甲105)。なお、死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、いずれも通称八丁峠と呼ばれている山道の国道沿いの山中であって、これらの現場に行くためには自動車を使用するしかないような場所である(当裁判所の検証調書)。<br> 8 被害児童の死亡推定時刻<br> (一) A田について<br> (1) A田は、平成4年2月19日午後5時30分ころから午後7時30分ころまでの間、飯塚市花瀬にあるカラオケボックス「楠」に家族と一緒に行き、焼きそば1人前の4分の1程度、のり巻きおにぎり1個、フライドポテトを食べて、カルピスを飲んだ。A田は、翌20日午前6時30分ころ起床し、午前7時ころ、大人の茶碗8分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ後、家を出た(甲26、28職8、10、13)。<br> (2) カラオケボックス「楠」では、当時焼きそばの具として、豚肉、たまねぎ、キャベツ、もやし、にんじんなどを使っていた(証人H田H子)。<br> (3) A田の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、永田武明教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長野田茂樹は、執刀医である永田がA田の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径1ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨を永田に報告したが、永田は頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人野田茂樹)。<br> (4) 永田鑑定書(甲12)には、A田の胃の所見として「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約160グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、腸の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」との記載がある。なお、永田は、右鑑定書作成直前、捜査官の質問に対して、「死後1日と1日半では、1日半がより近いと考えられる。」「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた(甲19)。<br> (5) 前記解剖時に採取されたA田の胃内容について、永田鑑定とは別に、福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)技術吏員棚田徳彦及び同林葉康彦も、鑑定を実施した。棚田・林葉鑑定書(甲18)には、A田の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できたとの記載がある。<br> (6) 当裁判所の鑑定人である帝京大学医学部法医学教室の石山昱夫教授が実験したところによれと、以下の結果が得られた(証人石山昱夫36回 職15、16)。<br> ア 成人用ご飯茶わん8分目の米飯の重量は約100グラムであり、これに生の皮をむいためんたいこを混ぜたものをビーカーに移し、人工胃液250グラムを加えてよく攪拌し、37度で2時間前後振盪した後、一昼夜にわたって室温に静置したところ、人工胃液のほとんどが米飯に吸収され、米飯の重量は250グラムとなった。また、めんたいこは、着色のものは容易に識別できるが、無着色のものは、水に濡れた状態で白い米飯の上に存在している場合には、識別困難であった。さらに、米飯の一部をシャーレに移し、蒸留水を加え、ガラス棒で攪拌すると、めんたいこは米飯粒から離れて周囲に散在するようになった。<br> イ 咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた。<br> (7) 以上の事実を前提にA田の死亡推定時刻を検討する。<br>  まず、A田の胃内容のうち、ほとんど末消化の米飯粒が約160グラムあったという点と、十二指腸にも淡黄色粥状物が少量あったという点について、石山鑑定人は、胃内容について死後も胃粘膜からの水分の吸収が持続するので水分が減ることをも考慮すると、A田の胃内容が2月20日の朝食(大人の茶碗8分目のご飯)であると考えても量的に矛盾しないとしている(職15)。次に、石山鑑定人は、A田の胃内容のうち、暗褐色調の微細物は、前記実験結果に照らし、A田が朝食後に服用した咳止めシロップが胃の中で米飯と反応した可能性があるとしている(職15)。そして、A田は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会った野田は、A田の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A田の胃内容を撮影した写真(甲13の28)にも粒状物らしい物体が写っている。<br>  もっとも、永田鑑定書及び棚田・林葉鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、石山鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、野田からの報告に頷いただけの永田がこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、棚田らがA田の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない。また、A田の胃内容のうち、少数の白い菜片(キャベツ片)は、2月20日の朝食時に摂取したものではないが、この点について、石山鑑定人は、前日の夕食の焼きそばの具が胃の中に残留した可能性もあると述べている(職15 証人石山36回)。<br>  弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、石山鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、石山鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない。<br>  仮に、A田の胃内容が2月20日の朝食ではないとすると、A田は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く、また、後にみるようにA田と同時に失踪したB山の胃内容からは同様の所見は認められないことからも、そのような可能性は極めて低い。<br>  以上からすると、A田の胃内容は2月20日の朝食であると認めるのが相当である。そして、石山鑑定人は、A田の胃内容からして、A田が食後1、2時間で死亡したものと判断しているところ(職15永田鑑定人の結論も同じである。)、この判断は合理的であって首肯することができる。そうすると、A田の死亡推定時刻は、同日午前7時に朝食を食べてから1時間ないし2時間後である午前8時から9時ころまでの間ということになるが、A田の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害されたと推定される。<br>  永田鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約1日から1日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない。また、死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA田の死体検案書(甲680)の作成者は永田武明教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。<br> (二) B山について<br> (1) B山は、平成4年2月19日午後7時30分ころ、寿司(納豆巻き、シーチキン巻き、カニサラダ巻き)を食べ、翌20日午前7時30分ころ起床し、その後朝食としていちごとミルク入りのカステラロール(直径約10センチメートル、幅約1センチメートルのもの)を約4分の1食べ、ヤクルトを半分飲んだ後、午前7時40分ころ家を出た(甲29、30)。<br> (2)B山の死体解剖は、A田と同じく九州大学医学部法医学教室において永田教授の執刀により行われた。<br>  永田鑑定書(甲15)には、B山の胃の所見として「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時30分)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。」との記載がある。なお、永田は、捜査機関の質問に対して、A田同様「死後1日と1日半では1日半により近いと考えられる。」「2月20日午前9時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)。<br>  また、このとき撮影された写真(甲16の写真30)によって、石山鑑定人は、B山の胃内容には、淡黄褐色の粘稠の表面に白色の膜状物が拡散しているように見えるほか、ゼリー状の黄白色の細長い物体が存在し、赤色の薄い皮膜様のものが数個認められる、というのである(職15証人石山36回)。しかしながら、石山鑑定人が指摘する白色の膜状物について、右写真の撮影者である田中紘は、写真撮影の際のリングストロボの反射であると述べているのであって(証人田中紘)、写真の専門家として長年の経験を有する同人の右供述は、これを信用することができる。そこで、田中の供述を念頭において右写真を詳細に検討すると、B山の胃内容は、永田鑑定書にあるように淡黄色の溶液のみであると判断するのが相当であって、石山鑑定人が主張する白色の膜状物及びゼリー状の黄白色の細長い物体はリングストロボの反射の影響によってそのように見えるだけであり、また、赤色の薄い皮膜様のものは、胃内容物を入れたビーカーの壁面が赤味を帯びて写っているところからして、写真撮影の際の背景による色調の変化であると認めるのが相当である。<br> (3)前記解剖時に採取されたB山の胃内容について、棚田・林葉鑑定書(甲18)には、前記A田の胃内容と同様の方法で鑑定を実施したが、固形物様のものは認められなかったとの記載がある。<br> (4)石山鑑定人の実験によると、アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、37度で2時間程度振盪した後、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた(職15)。<br> (5)そこで、B山の死亡推定時刻について検討する。<br>  B山の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間とした石山鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができないといわなければならない。<br>  しかしながら、A田とB山が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然であること、前記認定の事実によると、B山が2月20日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これが石山鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったものであり、その他B山の胃内容は、B山が摂取した朝食と矛盾しないことからすると、B山についても、朝食摂取後1時間ないし2時間で死亡したものと推定するのが相当である。<br>  また、永田鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB山の死体検案書(甲679)については、前記A田の場合と同様であり、右推定と矛盾するものではない。<br> 9 以上1ないし8の事実によると、本件の外形的事実として、何者かが、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分過ぎころまでの間、通学途中のA田とB山をE村方三叉路あるいは同所から北側の路上付近で略取又は誘拐し、間もなく自分の手でA田とB山の首を絞めて殺害した上、2人の死体及び所持品を八丁峠の前記各現場に投げ捨てたこと、その際、犯人は自動車を使用していること、犯人が八丁峠で死体及び所持品を投棄することができたのは、同日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られることが認められる。<br> =====二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について===== 1 証人T田T男の供述要旨(証人T田T男 甲502)<br>  平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督、写真撮影等の業務に従事していた。同年2月20 日午前11時ころ、甘木市大字野鳥字大休の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、40代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。<br> 2 T田供述の信用性について<br>  T田は、本件と無関係の第三者であるから、その意味でT田の供述の信用性を疑う理由は全くない。また、T田は、当時、仕事でどこの現場に行ったかということなどを日記帳に記載しており、この日記帳には平成4年2月20日午前に大休の現場に行った旨の記載があるのであって、この前後にT田が大休の現場に行ったのは、2月12日、3月4日であるところ、T田は、既に3月2日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、3月4日には警察官を現場に案内しているのであるから(証人T田 甲641)、目撃したのが平成4年2月20日であるというT田の公判供述は十分信用できる。<br>  次に、T田は、公判で供述するよりも前に、被告人が本件当時使用していた紺色ワンボックスタイプのマツダボンゴ(登録番号(省略)、以下「被告人車」という。)を捜査官から見せられていること(証人T田)、被告人車にはサイドモールが付いており、後輪がダブルタイヤであること(甲476)が認められるのであるから、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある。しかしながら、T田は、目撃後19日目である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。この時点では、T田が被告人車を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記公判供述のうち、右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。これに対して、T田の公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。<br>  さらに、T田は、目撃した人物の特徴についても、平成4年3月9日の時点で警察官に対し、「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。」(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。<br> 3 本件当時、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤの自動車を販売していたのは、国内の主要な自動車メーカーではマツダ株式会社、トヨタ自動車株式会社及びいすゞ自動車株式会社であるところ(甲692ないし718)、いすゞ車は白色が基本であって、紺色の設定がないこと(弁92)、トヨタ車の後輪ダブルタイヤの車両は、ライトエースバンとハイエースバンの2種類であり、ハイエースバンには紺色の設定車がなく、また、ライトエースバンにはサイドリアウインドーがないこと(甲726)に照らすと、全塗装して車体の色を紺色に変えていない限り、T田が目撃した紺色車両はマツダ車であると認められる。<br> 4 ところで、T田が目撃した紺色車両の停車位置は、遺留品発見現場の直近であって、犯人が遺留品を投棄するために自動車を停めた場所としてはこの場所以外に考えられない。また、前記のとおり、犯人が八丁峠で死体及び遺留品を投棄することができたのは、平成4年2月20日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られるところ、T田が右紺色車両を目撃したのは、右時間帯の中の同月20日午前11時ころのことである。<br>  そして、もともと冬場の八丁峠の交通量は少ない上(現にT田は、前記目撃時に紺色車両以外の車には出会わなかった旨供述している。)、右現場付近は何もない場所であるから、本件と無関係に通りかかった自動車が偶然この場所に一時停車する可能性は低く(ただし、同じ八丁峠の死体遺棄現場付近で小用を足すために運転していた自動車を停車させた男性が被害児童の死体を発見していることからも明らかなように、右可能性は皆無とはいえない。)、また、T田が目撃した男の様子も、その男が犯人であって、T田に気付き驚いて足を滑らせ、T田に見られないよう自動車の陰に身を隠したとすれば自然に説明できることを併せ考えると、T田が目撃した男が犯人であって、T田が目撃した紺色車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。<br> =====三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について===== 1 D山D子の検察官調書(甲39)の要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、通勤のため紺色軽四輪乗用自動車(スズキセルボモード)を運転してE村方三叉路を通過する際、北方向から歩いてきた2人組の小学校1、2年生の女の子を見かけた。女の子は2人ともランドセルを背負っていて、1人が黄色の雨がっぱかジャンパー様のものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。2人は、学校に遅刻しているはずなのに全く急ぐ様子がなく、妙にだらだらと歩いていた。2人の横を通過すると、I村I郎方前に3台の車が駐車していた。このうち、ボンゴ車と乗用車が1台ずつあったのは覚えているが、もう1台がどちらだったかははっきりしない。県道大日寺潤野線に出る手前(同調書中のD山作成の図面によると、甲33の写真25の左側ガードレール付近になる。)で、髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が運転するボンゴ車と離合し、午前8時30分過ぎころ、勤務先の駐車場に車を停め、助手席に置いてあった化粧品を片付けるなどしていたところ、約3分後、職場の同僚であるV村V子が白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、駐車場に入って来た。<br> 2 証人V田(旧姓V村)の供述要旨<br>  本件当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、平成4年2月20日は、白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥデイ)を運転して、E村方三叉路手前付近からD山の通勤路と同じ道を通って、午前8時33分ころ出勤した。E村方三叉路先には自動車が3台並んで停まっており、2台目のボンゴ車の運転席には男が乗っていた。E村方三叉路付近から県道大日寺潤野線に出るまでの間に、小学校1年生くらいの2人組の女児は見かけなかった。<br> 3 証人X田X男の供述要旨<br>  本件当時、従兄弟のX島X太が経営する建設業の手伝いをしており、平成4年2月20日午前8時30分ころ、X島と一緒にE村方三叉路付近までユニック車を借りに行った。X島が白色スカイラインを運転して先行し、自分は現場を知らないため灰色トヨタタウンエースを運転してX島のスカイラインに追従して行った。県道大日寺潤野線を右折してE村方三叉路の少し手前にあるガードレール付近で、若い女性が運転する軽四輪乗用自動車と離合した後、同三叉路付近に停車したX島のスカイラインの後ろに自分の車を停めたが、自分の車の後ろには既に三菱のワゴン車が停車していた。そのとき、別の若い女性が運転する白色軽四輪乗用自動車が右3台の車の横を通過して行った。<br>  自分が車を停めた場所は通行のじゃまになると思ったので、車から降りることなく、もう一度車を移動して、X島のスカイラインの少し前に停車した。車から降りて道路を横切り、E村方三叉路を南に歩きかけたとき、後方からワゴン車が自分の右横を追い抜いて、潤野小学校の方向に走って行った。ワゴン車は、道幅が狭いのにかなりの速度を出しており、でたらめな運転だと思った。このワゴン車がE村方三叉路北方の道路から来たのか、それとも東方の道路から来たのかは分からない。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車で、マツダ独特の青みがかった黒っぽい色だった。リアウインドー(バックドアのガラス)には黒っぽいフィルムが貼ってあった。<br> 4 証人W田W男の供述要旨<br>  本件当時、造園業を営んでおり、平成4年2月20日午前8時20分ころ、E村方三叉路南側のI村I郎方南端の路上に自分が乗ってきた三菱デリカワゴンを停めて付近の民家の造園工事をしていた。車を停めたころ、低学年の女の子が1人半べそをかきながら小走りに立ち去った。そのほか小学校低学年の女の子には会っていない。同日午前8時30分ころ、ユニック車を貸す約束をしていたX島建設のX島と、その従兄弟で、後で名前の分かったX田X男に会った。X島がスカイラインを駐車させる前には、I村I郎方前路上で自分の三菱デリカワゴン以外の駐車車両は見ていない。X島はスカイラインを自分の停めた場所より北側のI村I郎方前路上に停め、X男はその後方に乗ってきたワゴン車を停めようとしたが、前方からきた白のホンダトゥデイが通りにくそうにして走行して行ったことから、もっと前方に停車しに行った。ホンダトゥデイが通り過ぎた後、ホンダトゥデイとは反対方向に向けてダイハツミラが通り、ホンダトゥデイと同じ方向に向けてカリーナ紺色ワゴン、アウディが通った。X男から、E村方三叉路付近で車にひかれそうになったと言われたので見ると、ワゴン車が急いで走り去って行くのが見えた。<br>  右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ(ボンゴ)で、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤだった。また、サイドウインドーにはマツダ純正と思われるベージュの色あせたカーテンがついており、リアウインドー(バックドアのガラス)は黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った。<br> 5 検討<br>  前記各供述者は、いずれも本件と全く関係ない第三者である上、比較的早い時期に捜査官から事情を聞かれて記憶が残っていると考えられるから、各供述内容は基本的に信用することができる。もっとも、D山がI村I郎方前路上で3台の車両と離合したという点については、同人方前路上には、まずW田が午前8時20分ころ三菱デリカワゴンを駐車させ、次いでX田X島が午前8時30分ころその前方にスカイラインを駐車させ、最後にX田X男がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だったため、X男が自車を移動させてX島の少し前方に駐車させたことが認められる。そうすると、V田よりも先にI村I郎方前路上を通過したD山が右3台の車両と離合しているはずがなく、D山は、I村I郎方前路上では、X島X太のスカイライン及びW田の三菱デリカワゴンの2台と離合したのみで、車種不明の3台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はD山の記憶違いによるものと認められる。<br>  ところで、D山は、A田及びB山と面識がないが、D山が2人の女の子を目撃したE村方三叉路はA田らの通学路であること、この日A田は黄色ジャンパーを着て赤色ランドセルを背負っていたこと、この直前に同三叉路手前の通学路で目撃されたA田らの様子は前記のとおりであって、D山が目撃した女の子らの様子とよく似ていることからすると、D山が平成4年2月20日午前8時30分ころ同三叉路付近で目撃した2人の女の子はA田とB山であると認められる。<br>  A田とB山がこの後も通学路を学校に向かっていたのであれば、当然、V田やX田X男らにその姿を目撃されたはずであるが、D山が目撃してから後、A田らを見た者はいない。そして、D山がA田とB山を目撃してから約3分後にD山と同じ道を通ったV田がA田とB山の姿を見ていないこと、G山は、同日午前8時50分ころ潤野小学校を車で出発し、E村方三叉路を北上してB山らの通学路を逆行し、平原バス停の北側の田中商店前付近まで行っているが、B山らの姿を見ていないことからすると、犯人は、D山がE村方三叉路付近を通過した後、V田がE村方三叉路付近を通過する前からG山がE村方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、B山とA田を略取又は誘拐して車でB山とA田を連れ去ったものと認めるのが相当である。<br>  弁護人は、県道大日寺潤野線に出る手前で、D山が目撃したボンゴ車に乗っていた髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が犯人である可能性を指摘する。しかし、前記のとおり、D山はI村I郎方前路上ではX島X太のスカイラインと離合しているのであるから、その後方を追従してきたX田X男のトヨタタウンエースと離合していないはずがないところ、X田X男が県道大日寺潤野線を右折して同三叉路の少し手前にあるガードレール付近で離合した若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と、D山運転の軽四輪乗用自動車とが、その離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、D山が目撃した作業員風の男性は、X田X男と認められ、同人が犯人である可能性はない。<br>  また、弁護人は、V田車がE村方三叉路を通過する前に被害児童が略取または誘拐されたとすると、V田車の通過後に紺色ワゴン車がE村方三叉路を通過していることから、紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないと主張するが、D山に被害児童が最後に目撃されてから被害児童がどのような行動をとったかは不明であり、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もあるから、弁護人の主張するように紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないということはできない。<br>  そうすると、この日X田X男及びW田W男が目撃した紺色、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーに黒っぽいフィルムを貼ったマツダのワンボックスタイプの自動車は、被害児童が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において目撃されていることになる。<br>  他方、前記のとおり、本件犯行当日である平成4年2月20日午前11時ころ、本件遺留品発見現場の直近でT田が目撃した不審な行動を示した男の側に停められていた不審車両は、紺色、後輪ダブルタイヤ、リア及びサイドウインドーに色付きのフィルムが貼ってあるワンボックスタイプの車である。<br>  これら2つの目撃事実は、日時及び場所の点でいずれも明らかに本件犯行と深い関わりを有するといえるところ、ほぼ同じ特徴を持つ別の自動車がそれぞれの日時、場所においてたまたま目撃されたという可能性も皆無とはいえないが、むしろこれらの目撃事実に照らしてみると、それぞれの日時、場所で目撃された自動車は同じものであり、これが本件犯人の使用していた自動車であるという疑いが極めて濃厚である。<br> =====四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて=====  被告人は、本件当時、紺色、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダボンゴ(被告人車)を使用していたのであるが、被告人の供述(乙4、6)によると、右当時、被告人車のサイドウインドー及びサイドリアウインドーには薄青色のフィルムが貼られ、それらの内側には茶系統の色あせたカーテンと白色のレースカーテンが取り付けられており、また、リアウインドー(バックドアのガラス)には濃い青色のフィルムが貼られていたというのであって、そのことは、被告人車のサイドウインドーに水色のフィルムが残存し、その周囲にフィルムを剥がしたためにできたような擦過痕があったこと(甲476の写真⑥、⑦)によっても裏付けられている。そうすると、本件当時の被告人車の特徴は、本件犯人の使用車両である疑いが極めて濃厚な前記車両の特徴と一致していることになる(なお、T田は、目撃車両の運転席側の後輪車軸部分の周囲が黒かったと供述しているところ、被告人車の同部分は検証時には黒くなかったことが認められる(甲476の写真⑭)が、もともとダブルタイヤの場合、新車でも2、3年経てばリアアクスル内の潤滑オイルが車軸の回転による熱や振動等により漏れを起こし、ハブ内のグリスと混じったものに泥等が付着して黒くなること(甲510)、後記のとおり被告人が被告人車を手放す直前に丹念に掃除をしていることからすると、運転席側の後輪車軸部分の汚れもその際に取り除かれた可能性が十分にあるから、右の点をもってT田の目撃車両と被告人車の同一性が否定されるものではない。)。<br>  また、本件犯人が被害児童を略取又は誘拐した現場であると認められるE村方三叉路付近は、福岡県の中央部に位置する飯塚市郊外にあって、路線バスの経路である県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所である(甲33)。このように付近住民の生活道路ともいえるような場所で、午前8時30分ころという比較的早い時間帯に右犯行が行われていること(さらに、八丁峠でT田が目撃したのが犯人車であるとすると、犯人は被害児童を略取又は誘拐してから約2時間30分後には遺留品発見現場及び死体遺棄現場である八丁峠に到着していることになるが、潤野小学校から八丁峠の死体遺棄現場まで自動車で行くだけで前記のとおり35分ないし53分かかること)にかんがみると、犯人は右各現場付近に土地勘があり、しかも、これら現場の近隣に居住する人物であると認めるのが相当である。そして、被告人は、後記のとおり、潤野地区に居住し、右各現場付近に土地勘があることが明らかであるのに対して、捜査の結果(甲526ないし535、728)によると、本件当時、飯塚警察署管内に居住又は所在し、かつ、被害児童が失踪したE村方三叉路付近道路を自動車で通行する可能性があって、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダ車を使用していた被告人以外の者9名には、いずれも本件当時のアリバイが成立し、かつ、これらの者が使用していたマツダ車の窓ガラスにはいずれも色付きのフィルムが貼られていなかったというのである。<br>  弁護人は、T田が目撃した男は、年齢が30ないし40歳くらいで、茶色のチョッキと白の長袖カッターシャツを着ており、頭の前の方が禿げていたようであるが、被告人は、当時54歳であり、着ていた着衣が異なる上、頭髪が額の生え際まで密生しており、T田が目撃した男の風体と一致しないと主張する。<br>  確かに、T田が供述する男の年齢は、被告人の実際の年齢と開きがあるが、T田が男を目撃したのは自動車で通過する一瞬であるから、人物識別についてのT田の供述は特に印象に残った点を供述しているに過ぎず、人物の風体を具体的に断定する供述ではない。その上、人の年頃については、個人差があるため正確な年齢を言い当てることは困難であることからすると、男の年齢についてのT田の供述は正確性に乏しいといえる。<br>  また、証人久間C子(29回275項ないし279項)によると、被告人は冬でも遅い時期までカッターシャツ1枚で過ごすことが多く、ベージュ系のチョッキを持っていた事実が認められる。<br>  さらに、T田は、公判で、男が前のめりに倒れる瞬間頭の前の方が禿げていたように見えた、男の髪の長さは禿げを隠すことができる程度の長さであった(545項ないし557項)と供述しており、T田のいう頭の前の方の禿げというのは、額の生え際部分のことではなく前頭部を指しているものと認められる。かたや、被告人は、公判で、本件犯行当時円形脱毛症に罹患し頭頂部が脱毛していた(31回365項ないし376項)と供述しているのであるから、禿げの部位が前頭部か頭頂部かの違いに過ぎず、T田の目撃が男が前のめりに倒れる一瞬の動きであることからすると、T田が目撃した男の禿げの状態と被告人の円形脱毛症による脱毛とは矛盾するとまではいえない。<br>  以上からすると、T田の目撃した男の風体は、被告人と一致しないという弁護人の主張は採用できない。<br>  もちろん、T田らが目撃した車両が犯人のものであるとまでは断定できない上、仮にそうであるとしても、被告人車だけが犯人車と同じ特徴を有するわけではなく、また、被告人だけが本件各現場付近に土地勘を持つものでもないことは明らかである。しかし、ここで重要なことは、被告人を本件犯人と仮定するに足りる事実があるということであり、それを超えて被告人が本件犯人であると断定できるかどうかはひとえに以下の情況証拠の検討にかかっているのである。<br> =====五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について===== 1 平成4年2月21日、A田とB山の死体発見現場において検死と実況見分が行われた後の午後9時ころ、死体は、着衣を着けたままの状態で死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送され、同署において、A田とB山の父親がそれぞれ死体の身元確認をした(甲6、10、727)。その後、死体は、同日午後10時35分ころ、同様の状態で九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所でA田とB山の着衣(A田については、黄色ジャンパー、赤色上着シャツ、長袖白色シャツ、半袖漫画プリントシャツ各1枚。B山については、白色ジャンパー、茶色トレーナー、横線入りシャツ、絵柄の半袖シャツ、チェック模様入りスカート各1枚。)を福岡県甘木警察署の警察官が実況見分の後、個別にビニール袋に入れて福岡県警察本部刑事部鑑識課の警察官に引き継ぎ、同警察官が同鑑識課写真室に搬送し、翌21日午前7時30分から午前10時までの間、A田とB山の被害当時の着衣に付着していた微細物の採取がリタックシート(微物採取用粘着シート)により行われた(甲20、21、727)。<br>  また、死体と共に発見された赤色手袋1双は、個別にビニール袋に入れ、甘木警察署証拠品倉庫に保管し、翌22日遺留品発見現場で発見されたA田とB山の所持品や衣類と共に、同日甘木警察署において、その付着していた微細物の採取がリタックシートにより行われた(甲24、727)。<br> 2 福山鑑定(証人福山晴夫 甲83ないし88、611)<br>  捜査機関は、平成4年2月25日、前記1の各リタックシートに微物が付着しているかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。また、捜査機関は、平成4年10月7日、押収していた被告人車のうち、座席シートについては全て同一の材質と認められたことから助手席シートのみから繊維片を採取し、その他運転席フロアマット、間仕切り部フロアマット、後部フロアマット、運転席フロントマットの繊維片を切り取り採取した上、同月15日、これらの繊維と同じものが被害者の着衣等に付着していないかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。以上の鑑定嘱託に基づき、同月19日(ただし実際に鑑定を開始したのは平成5年11月)から平成6年1月27日の間、科捜研において技術吏員福山晴夫がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 被告人車の運転席、間仕切り部及び後部の各フロアマット、運転席フロントマットから採取した繊維は、いずれも太く、形態的にも特徴があり、これらと同種の繊維がリタックシートに付着していれば、顕微鏡を用いることによって肉眼でも発見可能であると考えられるが、顕微鏡検査の結果、各リタックシートによって採取された繊維の中に、これらと同種のものは認められなかった。<br>  (二) 被告人車の助手席シートから採取した繊維は、直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)であった。なお、被告人車の助手席シートは、だいだい色、焦げ茶色、薄黄茶色及び黄茶色の4色で構成されている。<br>  (三) 各リタックシートに付着している無数のごく短い繊維の中に、直径約0.015ミリメートルの化学繊維(ナイロン6)で、被告人車の助手席シートの焦げ茶色部分の繊維と色及び表面の形態が類似するものが少なくとも13本あることが確認された。それらは、B山のチェック模様入りスカート前面(2本)及び後面(1本)、B山の赤色手袋背部(1本)、B山のフリル付白色靴下(2本)、A田のうさぎ柄白色靴下(3本)、A田の赤色キュロットスカート前面(1本)及び後面(3本)に付着していた。<br>  (四) 各リタックシートを再度入念に検査し、被告人車の助手席シートの繊維と類似する繊維の発見に努めたところ、焦げ茶色繊維と類似するもの19本(前記13本を含む。)、だいだい色繊維と類似するもの12本、黄茶色繊維と類似するもの46本、薄黄茶色繊維と類似するもの7本、合計84本の繊維を発見することができたので(ただし、前記13本を除き、ナイロン6かどうかの確認はしていない。)、これだけ捜せば鑑定の結論が出るだろうということで検査を打ち切った。<br>  (五) 科捜研ではこれらの繊維の色を客観的に鑑定することができなかったので、十分な異同識別を行うため、前記84本の繊維のうち、できるだけまんべんなく、それぞれの色について鑑定できるように39本(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)を採取し、警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)に送付することにした。<br>  また、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、前記84本の繊維のうち6本を任意提出資料(1)、10本(黄茶色8本、焦げ茶色2本)を任意提出資料(2)として、採取して捜査官に提出した。<br> 3 鈴木らの鑑定(証人鈴木真一 甲89、90)  捜査機関は、平成6年1月24日、前記福山鑑定において、リタックシートから発見、採取し、科警研に送付することにした39本の繊維の中に、被告人車の助手席シートの繊維と同じものがあるかどうかなどについて、科警研に鑑定嘱託した。これに基づき、同月27日から同年4月11日までの間、科警研において技術吏員鈴木真一ほか1名がした鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 光学顕微鏡による検査  被告人車の助手席シートの繊維(黄茶色、焦げ茶色、薄黄茶色及びだいだい色のもの)は、いずれも円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、直径は15ないし20マイクロメートルであった。このうち、黄茶色繊維には減光剤である二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維にはそれがわずかに認められたが、薄黄茶色繊維及びだいだい色繊維にはそれが認められなかった。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維(焦げ茶色9本、だいだい色9本、黄茶色16本、薄黄茶色5本)のうち、動物毛であると認められた薄黄茶色繊維1本(資料2のウ)以外は、すべて円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、長さは2ないし10ミリメートル、直径は15ないし20マイクロメートルであった。これらのうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)に二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)に二酸化チタンの添加がわずかに認められ、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)及び薄黄茶色繊維4本中2本(資料10、18)には二酸化チタンの添加が認められなかった。<br>  (二) 顕微分光光度計による紫外部・可視部透過プロファイルの測定  次に、繊維を透過した光を波長に分光して、どの波長の光が吸収され、あるいはどの波長の光がどの程度透過しているかをグラフ化すること(グラフ化したものを「プロファイル」という。)によって、繊維の色調を客観的に評価した。<br>  その結果、被告人車の助手席シートの繊維のうち、薄黄茶色繊維からは特徴的なプロファイルが得られなかったが、そのほかの色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られた。<br>  他方、リタックシート付着の39本の繊維のうち、薄黄茶色のもの5本(動物毛1本を含む。)を除く34本についてもプロファイルを得た上、被告人車の助手席シートの繊維のプロファイルと比較したところ、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)、だいだい色繊維9本中6本(資料4、11ないし14、17)について、それぞれ被告人車の助手席シートの対応する色の繊維と類似していた。<br>  (三) 赤外吸収スペクトルの測定<br>  さらに、赤外吸収スペクトルを測定して各繊維の材質を調べたところ、被告人車の助手席シートの繊維はナイロン6であり、リタックシート付着の繊維のうち、黄茶色繊維16本中15本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維9本中8本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)及びだいだい色繊維9本(資料4、6、11ないし14、16ないし18)もすべてナイロン6であった。<br>  (四) これらの検査の結果、B山の白色ジャンパー前面(1本、資料2の黄茶色繊維)、B山のチェック模様入りスカート前面(2本、資料3の黄茶色及び焦げ茶色繊維)及び後面(3本、資料4の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の黄色ジャンパー前面(1本、資料5の黄茶色繊維)、B山の赤色手袋(2本、資料6の黄茶色及び資料7の焦茶色繊維)、B山のフリル付白色靴下(5本、資料8の黄茶色及び焦げ茶色繊維並びに資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A田の熊柄入り白色パンティー(2本、資料9及び10の黄茶色繊維)、A田のうさぎ柄白色靴下(7本、資料11、12、15及び16の黄茶色繊維、資料15の焦げ茶色繊維、資料11及び12のだいだい色繊維)、B山の羊柄パンティー(1本、資料11のだいだい色繊維)、A田の赤色キュロットスカート前面(3本、資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及び後面(2本、資料18の黄茶色及び焦げ茶色繊維)付着の繊維合計29本(黄茶色15本、焦げ茶色8本、だいだい色6本)について、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維と一致又は類似していることが判明した。このうち、B山のチェック模様入りスカート後面付着の3本(資料4の黄茶色、焦げ茶色、だいだい色繊維)、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)について、更に特性X線スペクトルを測定して含有元素分析を行った結果、特徴的な元素として、黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。他方、被告人車の助手席シートの繊維について同じ分析をしたところ、同様に黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。<br> 4 被告人車と同型車を使うなどした実験の結果(証人福山晴夫 甲105ないし110) <br>  捜査機関は、平成6年3月6日、被告人車と同型車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト)に8歳の女児を乗車させて飯塚警察署から八丁峠まで同車を走行させた場合、女児の着衣(ジャンパー、スカート、パンツ及び靴下)に同車の座席シートの繊維が付着することがあるかどうかを確認する実験をした。実験には新品の衣類を使用し、事前にリタックシートを使って衣類及び実験車の座席シートの表面に付着している可能性がある微物を除去した上で実験を行った。八丁峠到着直後、女児の着衣を脱がせてビニール袋に収納し、飯塚警察署に持ち帰って、再びリタックシートで表面の微物を採取した。そして、各リタックシートを顕微鏡で見ると、同車の座席シートの繊維(焦げ茶色、だいだい色及び黄茶色のもの)と似た化学繊維を多数発見することができた。その中の一部を検査した結果、いずれも直径約0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)で、黄茶色のものについては繊維内部に二酸化チタンの含有を示す斑点があり、座席シートの繊維の特徴と一致した。<br>  また、捜査機関は、同年9月12日、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの一部を使用して、その上に新品の衣類(パンツ及靴下)を落下させただけで座席シートの繊維が付着するかどうかを確認する実験をした。その結果、これらの衣類には座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維3本及び由来不明の繊維1本が付着していた。さらに、同日、座席シートを捜査用車両の後部座席に敷き、その上に新品の衣類(パンツ及び靴下)を落下させた後、同車を走行させて飯塚警察署と八丁峠を往復した場合、これらの衣類にはそれぞれ座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維8ないし9本及び由来不明の繊維2本(羊毛とレーヨン)が付着していた。<br> 5 被告人車の座席シートの布地及びそれを構成する繊維の特徴<br>  証拠によると以下の事実が認められる。<br>  (一) 被告人車は、マツダ株式会社(当時は東洋工業株式会社)が製造した「マツダステーションワゴンボンゴ」という車種の普通乗用自動車で、中でも最高グレードのウエストコーストである。被告人車の座席シート(助手席を含む全部の座席)に使用されている織布(S-TYR313X、以下「本件織布」という。)は、マツダが、ウエストコーストのマイナーチェンジに際して、ウエストコースト専用に開発したものであって、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたウエストコーストの座席シートにだけ使用されており、他のマツダ車には一切使用されていない(甲120)。<br>  (二) 本件織布は、住江織物株式会社(以下「住江織物」という。)製のモケット(地糸の上に立体的にパイル糸を織り込んだもの)で、住江織物は、パイル糸を東レ株式会社(以下「東レ」という。)から購入し、茶久染色株式会社(以下「茶久染色」という。)に染色させていた(証人Q田Q男)。<br>  (三) 本件織布のパイル糸の原糸は、東レが自社で製造したナイロンステープル(短繊維のナイロン糸)を紡績加工業者に紡績させたもの(スパンナイロン)で、原糸であるナイロンステープルには以下の特徴がある(甲133)。<br>  (1) 材質がナイロン6である。<br>  (2) 太さが2.2デニール直径約18マイクロメートル、すなわち0.018ミリメートル)である。<br>  (3) 繊維中の二酸化チタンの含有量が、0.02パーセント(ブライト)又は0.36ないし0.38パーセント(ゼミダル)である。なお、製造当初は銅化合物未添加であったが、途中から沃化銅が添加されるようになった。<br>  (四) ナイロン6ステーブルの国内製造メーカーは東レ及びユニチカ株式会社(以下「ユニチカ」という。)の2社であるが、ユニチカ製のものは繊維中の二酸化チタンの含有率が0.00パーセント(ブライト)又は0.25パーセント(ゼミダル)で、東レのものとは数値が異なっている。また、ナイロン6の製造メーカーは国外にもあるが、チタン含有量等の詳細は不明である。なお、欧米ではナイロン6ではなくナイロン66が製造されている(証人N田N男)。<br>  (五) 本件織布のパイル糸の原糸は、いずれもカーシート専用として生産されていたが(ただし、銅化合物未添加のものは、少量ながら一般資材用途(ゴム引き布帛用など)にも使用されていた。)、本件織布のパイル糸専用ではなく、カーシート大手メーカーである川島織物株式会社及び住江織物に大量に供給されていた(甲133)。<br>  (六) 茶久染色が本件織布のパイル糸染色加工に使用した染料及びその配合比は、以下のとおりである(単位はいずれもパーミル、すなわち繊維1キログラム当たりのグラム数である。)。<br>  (1) だいだい色部分(色目はオレンジ) <br>  イソランイエローK-RLS200 9.0(後に8.55) <br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.0<br>  (2) 焦げ茶色部分(色目はブラウン) <br>  イソランイエローK-RLS200 22.0(後に20.9) <br>  ラナシンブラックBRL200 6.0<br>  イルガランレッドブラウンRL200 1.5<br>  (3)薄黄茶色部分(色目はノウベージュ及びタンベージュ) <br>  ア ノウベージユ<br>  イソランイエローK-RLS200 1.4(後に1.33) <br>  イソランイエローK-GL 0.9<br>  ラナシンブラックBRL200 0.5<br>  イ タンベージュ<br>  イソランイエローK-RLS200 0.12(後に0.114)イソランイエローK-GL 0.1<br>  ラナシンブラックBRL200 0.05<br>  (4)黄茶色部分(色目はセピア) <br>  イソランイエローK-RLS200 4.2(後に3.99) <br>  ラナシンブラックBRL200 0.96<br>  イソランイエローK-GL 0.36<br>  なお、パイル糸はいずれも双糸(2本の糸をよって合わせたもの)であって、(1)、(2)及び(4)は双糸の状態で染色されているが、(3)は、2本の糸をそれぞれノウベージュとタンベージュの色目に染色した後でより合わせたものである(証人R田R男 甲126の取調部分)。<br>  (七) 前記染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されている。コバルト入りの染料は対光堅牢性に優れていることから、カーシート繊維は一般にコバルト入りの染料で染色されている。多数ある染料の種類の内どの染料を使うか、染料をどのように組み合わせるか、どのような配合比にするかは、各染料メーカーが独自に決定する。したがって、ある繊維の染色を分析して配合比についてまで他の染色メーカーのそれと一致することはまずあり得ない。茶久染色では、イソランイエローK-RLS200をカーシート繊維の染色専用に使っている。茶久染色は、種々の自動車メーカー用にカーシート繊維を染色しているが、その場合にもイソランイエローK-RLS200やラナシンブラックBRL200を使うことが多い。ただし、本件織布と同じような染料配合比をほかで使ったことはない。また、本件織布の染色に使った染料の製造メーカーはドイツバイエルン社(イソランイエローK-RLS200及びK-GL)、スイスチバガイギー社(イルガランレッドブラウンRL200)及びスイスサンド社(ラナシンブラックBRL200)の3社にわたっており、このように異なるメーカーの染料を配合して使うことは珍しい。カーシート用の原糸の太さは、電車やバスの座席シートの原糸と比べると明らかに細く、ソファーや衣類に用いられる糸とも異なっている。カーシート用の原糸としてナイロン6が用いられていたのは、昭和63年ないし平成元年ころまでのことで、以後急速にポリエステルに移行した(証人R田)。<br> 6 東レ鑑定(証人N田N男、O田O男、P田P男 甲88、90、91、98ないし101) <br>  捜査機関は、前記2(5)のとおり、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、被害児童の着衣に付着していた6本の繊維を任意提出資料(1)として保存していたところ、平成6年3月9日、その中に、被告人車の座席のシートの繊維(カーシートパイル)と同じものがあるかどうかなどについて、東レに対して鑑定嘱託した。任意提出資料(1)の6本の内訳は次のとおりである。<br>  資料3 B山のチェック模様入りスカートから採取した黄茶色繊維<br>  資料12 A田のうさぎ柄白色靴下から採取しただいだい色繊維<br>  資料13 B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料15 A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維<br>  資料17 A田の赤色キュロットスカート前面から採取した焦げ茶色繊維<br>  資料18 A田の赤色キュロットスカート後面から採取した焦げ茶色繊維<br>  右資料に基づき、東レのN田N男並びに株式会社東レリサーチセンターのO田O男及びP田P男が実施し、1994(平成6)年5月20日付け書面で報告した鑑定の結果は、次のとおりである。<br>  (一) 金属分析<br>  被告人車のカーシートパイル(資料A)から各色の繊維部をはさみで刈り取り、溶液化したものについて、ICP発光分光分析法によってチタン及び銅を定量した。その結果、二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、それぞれ、黄茶色部分が0.34、焦げ茶色部分が0.024、だいだい色部分が0.023、薄黄茶色部分が0.020であった。したがって、黄茶色部分がゼミダル、他の部分がブライトであることが判明した。そして、定量した銅化合物の添加量からみて、原糸は銅化合物添加後のものであると推定された。<br>  他方、任意提出資料(1)(資料B)の各繊維については、レーザーマイクロプローブ発光分光分析法により二酸化チタンを定量した(極微量のため銅を定量することはできなかった。)。その結果、各繊維の二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)がいずれも0.34であって、資料Aの黄茶色部分のそれと一致し、また、焦げ茶色繊維2本(資料17、18)がいずれも0.02であって、資料Aの焦げ茶色部分のそれとほぼ一致したが、だいだい色繊維1本(資料12)は0.34であって、資料Aのだいだい色部分のそれと一致しなかった。<br>  なお、光学顕微鏡で読み取った結果、資料Bの各繊維の長さは、資料3、13、15が約5ミリメートル、資料12が約6ミリメートル、資料17、18が約3ミリメートルで、直径は、いずれも約16マイクロメートルであった。  (二) 染料分析  レ-ザーラマン分光法(物質にレーザー光を照射したことによって発生する散乱先の強度及び照射光からのシフト(ラマンスペクトル)を測定して、化合物を同定する方法)により、染料分析を行うため、まず、本件織布の染色加工に使用された各染料について、マクロラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。次に、被告人車のカーシートパイル(資料A)の各色部分から単糸を抜き出し、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定して、染料のラマンスペクトルと比較した。その結果、ラマンスペクトルでは資料Aのいずれの色からも主としてイソランイエローK-RLS200が検出され、だいだい色以外の色からはラナシンブラックBRL200がわずかに検出されることが判明した。また、資料Aのいずれの色についても、ラマンスペクトルの1120カイザー(ラマンシフトの単位)付近に、染料と無関係で、染色時の添加剤などによるものと推定されるラマンバンドが認められた。<br>  さらに、任意提出資料(1)(資料B)についても、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。その結果、だいだい色繊維1本(資料12)のラマンスペクトルはどの染料とも一致せず、資料Aとは無関係であることが判明した。他方、黄茶色繊維3本(資料3、13、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)のラマンスペクトルからは、いずれもイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200が検出された。<br>  なお、弁護人は、証人P田が公判で、「ラナシンブラックが使用されているとは断定できない。ラナシンブラックが使用されているとしても矛盾しないと言えるだけ。」と供述(14回)したことをもって、染料分析(甲101)の内容を訂正していると主張する。<br>  しかしながら、弁護人が証人P田に対し、ラマンスペクトルでラナシンブラックBRL200を示す2本のピークのうち、1365カイザー付近に明確なピークが認められないとして追及したのは、Fig.6及び8についてであって、その点については証人P田も肯定する供述をしているが(14回10項、15項、106項、107項)、Fig.6は被告人車から採取したBRブラウン(焦げ茶色)の、また、Fig.8は、被告人車から採取したBSセピア(黄茶色)の各単糸であるから、それらにはP田が茶久染色から入手したカーシートパイルの染色レサイプからも明らかなように、確実にラナシンブラックBRL200が含有されているのであって、証人P田は、「染料レサイプとか、それから、染料のスペクトルを考えると、まさに、それが同一物だとして全く矛盾のない結果がえられている」と供述しているに過ぎないのである。他方、資料3、13、15、17、18のラマンスペクトルは、順にFig.9、11、12、13、14であって、いずれもラナシンブラックBRL200の含有を示す1310カイザーと1365カイザー付近に明確にピークが認められる(甲101)のであり、東レ鑑定の最終的な取りまとめを行った証人N田も「(ラナシンブラックについては)検出自体はしていると。鑑定書にも僅かに存在するという表現を使ってますが、検出されているということでございます。」(14回187項)と供述しているところである。<br>  さらに、これらの繊維が、資料Aのだいだい色以外のどの色の繊維と同種であるかを推定するため、各ラマンスペクトルからイソランイエローK-RLS200の最も強いバンドである1410カイザーにおけるラマンバンド(R)とバックグラウンド(B)の強度比(R/B)を求めたところ、次のとおりであった。<br>  資料A 焦げ茶色(5.93)、黄茶色(2.12)、薄黄茶色(0.65) <br>  資料B 資料3(0.70)、同13(0.34)、同15(1.96)、同17(8.4)、同18(6.7) <br>  なお、右の強度比を比較するに際しては、プラスマイナス50パーセントくらいの誤差があることが経験的に分かっているので、これを考慮に入れて同一性を判断する必要があり、他方、繊維の劣化や汚染などによりバックグラウンドが高くなる可能性もあるため、右結果の断定は困難である(証人P田)。これらを念頭に置いて判断すると、資料Bの資料3(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分か薄黄茶色部分、同13(黄茶色繊維)は資料Aの薄黄茶色部分、同15(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分、同17及び18(焦げ茶色繊維)は資料Aの焦げ茶色部分と同種の繊維であると推定された。<br>  (三) 結論<br>   (1) 資料Bは東レ製であるか<br>  資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであるならば、だいだい色繊維1本(資料12)を除き、二酸化チタンの含有量などから東レ製とほぼ断定できる。なお、東レでは資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであることの確認はしていない。ただし、フィラメント糸使い布帛の場合は、数十ミリメートル前後の長さのそろった繊維片として切断、脱落することはほとんどないから、これらがステープルであることはほぼ間違いない。<br>   (2) 資料Aの原糸と資料Bの原糸との異同<br>  資料Bについて、銅の定量分析ができなかったが、その原因が極微量のため検知限度以下であったことによる(証人O田)とすると、レーザーラマン分光分析から資料Aに使用されていた主要染料2種類が検出されたこと、酸化チタン分析の結果、資料Aと対応する同一量の二酸化チタンが検出されたことから、資料Bのうち黄茶色繊維2本(資料3、15)及び焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、それぞれ資料Aの黄茶色部分及び焦げ茶色部分と同一の繊維で、資料Aから脱落したものと考えられる。資料Bの黄茶色繊維1本(資料13)は、染料分析の結果では資料Aの薄黄茶色部分と同種の繊維であると推定されたが、染料含有量は染色のばらつき等により変動するが、二酸化チタンは変動しないことからすると、金属分析の結果(二酸化チタンの含有量)から資料80薄黄茶色部分と同種の繊維であることは考えられず、黄茶色部分と同種の繊維である可能性が高いが断定できない。だいだい色繊維(同12)は、資料Aから脱落した繊維ではない。<br> 7 ユニチカ鑑定(職28) <br>  当裁判所は、東レが分析を終え、捜査機関に返還していた任意提出資料(1)(資料B)の各繊維(それぞれプレパラートに固定されたもの、平成7年押第140号の2ないし7)を証拠物として取り調べ、これらがナイロン6であるかどうかについて、株式会社ユニチカリサーチラボの松尾隆明に対して鑑定を命じた結果、資料12のだいだい色繊維1本がアクリルであったが、それ以外の5本の繊維はいずれもナイロン6であった。<br> 8 検討<br>  本件被害当日B山が身に着けていたチェック模様入りスカートは、母親が犯行日の前日飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の朝包装を開いて初めて着用した(甲30 証人B山B美)ものであること、B山はチェック模様入りスカート等を身に着けたまま死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送された後、九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所で警察官が同スカートをビニール袋に入れていること、前記のとおり犯人が自動車を使用していること、リタックシートによる微物採取の結果によると、同スカートには少なくとも7本のスカート生地とは異なる繊維片が付着していることのほか、捜査機関が行った座席シート繊維の着衣に対する付着実験の結果からすると、同スカートに付着していた繊維片(科警研送付の資料3の①黄茶色、②薄黄茶色及び③焦げ茶色繊維並びに資料4の④黄茶色、⑤焦げ茶色及び⑥だいだい色繊維、東レ送付の任意提出資料(1)の資料3の⑦黄茶色繊維)は、B山が登校中に犯人から車両に乗せられて殺害され遺棄されるまでの間に、犯人車内の何らかの繊維あるいは犯人と関係のある何らかの物(例えば、犯人の着ていた衣服の繊維や犯行の用に供した物)の繊維が付着したものと認められ、その他の機会に付着した可能性はない。<br>  そこで、これら7本の繊維のうち、東レ及びユニチカ鑑定によって最も詳細な分析が行われている⑦の黄茶色繊維について検討するに、右繊維は、素材がナイロン6であること、光学顕微鏡によると、長さが約5ミリメートル、直径が約16マイクロメートルであること、減光剤としてチタン(二酸化チタン)が添加されており、その含有量が0.34重量パーセントであること、銅化合物の添加の有無については、資料が極微量であったために検知限度以下であり、定量分析ができなかったこと、ラマンスペクトルでの分析によると、塗料として、主としてイソランイエローK-RLS200が含まれ、ラナシンブラックBRL200がわずかに検出され、イソランイエローK-RLS200のラマンスペクトルで最も強いバンドのピークである1410カイザーにおけるバックグラウンドの強度比が0.70であること、ラマンスペクトルで1120カイザー付近に染色時の添加剤によるものと推定されるラマンバンドのピークが存在することが認められる。<br>  ところで、証拠(証人N田 甲133)によると、ナイロン6には端がない繊維であるフィラメント(長繊維)と長さ数十ミリメートル程度のステープル(短繊維)があること、ナイロン6の製造メーカーは国内に6社あり、二酸化チタンの含有量によって製造メーカーを特定できるところ、その含有量が0.34重量パーセントと0.02重量パーセントのものは、国内では東レのカーシート用ナイロンステープルであること、欧米で製造されるナイロンはナイロン66が主体であり、その他の国で製造されるナイロン6の二酸化チタンの含有量については不明であること、東レのカーシート用ナイロン6ステープルは、昭和57年に生産を開始したものについては、沃化銅を添加しており、カーシート専用として、それ以前に生産していたものについては、沃化銅を添加しておらず、主としてカーシート用であるが、その他にも少量ではあるが一般資材用として製造されていたこと、東レのカーシート用ナイロン6ステープルの太さは、20マイクロメートルであるが、繊維の太さは測定方法によってばらつきがあり、15から20マイクロメートルくらいの幅がある上、紡績糸の場合には捲縮といって変形があること、フィラメントのナイロン6は、使用中に擦り切れることはないので、カッターナイフ等で意図的に切断しない限り、数ミリメートル程度の長さで存在することはないが、ナイロン6ステープルの紡績糸は、撚った糸であるため数ミリメートル程度の長さで脱落しやすいことが認められる。<br>  ⑦の黄茶色繊維は、太さが16マイクロメートルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであるから、これが国内で製造されたものであれば、東レのナイロン6ステーブルであると認められる。もっとも、欧米以外の外国製のナイロン6の二酸化チタンの含有量が不明であるため、⑦の黄茶色繊維が東レのものであるとまでは断定することはできないが(東レ鑑定によっても、東レのナイロンステープルであるとまでは断定していない。)、後に述べるように被害児童の着衣からは、⑦の黄茶色繊維以外にも、被告人車、すなわち、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維と特徴を同じくする合計113本のナイロン6の繊維が、いずれも2ないし10ミリメートル程度の長さで発見されているのであって、このように多数の、しかも、長さの異なるナイロン6の短い繊維が存在するということからして、これらがカッター等で切り取られたものであるとは到底考えられず、自然に抜け落ちたものが被害児童の着衣に接触して付着したものと認められることからすると、⑦の黄茶色繊維がステープルであることは間違いのない事実であるということができる。<br>  そして、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維(セピア)は、素材が東レのナイロン6ステープルで、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントであること、科警研の光学顕微鏡によると、直径が約15マイクロメートルであることが認められ、これらは⑦の黄茶色繊維の特徴と合致している。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色部分には、染料として、ドイツバイエルン社のイソランイエローK-RLS200が3.99ないし4.2パーミル、スイスサンド社のラナシンブラックBRL200が0.96パーミル使用されているのであり、証人R田によると、このような染料の組み合わせや配合比がマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外の車両のそれと一致することは通常ありえないというのであり、現実にも、平成2年2月20日以前に製造されたマツダワンボックスカーの座席シートについて、本件織布と同じ色調のもので、かつ、その使用染料がイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせのものは、判明している限りでは存在しない(弁118)のである。また、証人P田の公判供述によると、ラマンスペクトルのラマンバンドのピークの位置と強度は特定の物質の存在とその量を示すというのであるところ(13回68項以下)、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1310カイザー及び1365カイザー(ラナシンブラックBRL200)、1410カイザー(イソランイエローK-RLS200)のラマンバンドのピークの形状(検甲冊添付のFig.18)は、⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルのそれの形状(検甲冊添付のFig.9)と極めて類似していることからすると、両者は、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の存在のみならず、その配合比についても極めて類似していると認められる。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの1120カイザー付近にも染色時の添加剤によるものと考えられるラマンバンドの特異なピークが認められるほか、他のピークについても⑦の黄茶色繊維のラマンスペクトルと同様の反応を示していることからして、同一物質が同量存在しているものと推認される。<br>  そうすると、⑦の黄茶色繊維は、ナイロン6ステープルであって、その特徴が、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維の特徴と合致しており、特に、個別識定の有力な指標となる使用染料(証人N田13回75項以下)のほか、ラマンスペクトルの1120カイザー付近における特異なピークの存在の点においても一致しているところからして、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維片に由来する可能性が極めて濃厚である。そして、Q田及びR田証言によると、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートは、東レの長さ51ミリメートルのナイロン6ステープルを撚り合わせたパイル糸を地糸で留めたモケット織りが使用されているため、あそび毛が出やすく、使用中に数ミリメートル程度の長さで脱落することがあるというのであるから、⑦の黄茶色繊維は、B山がマツダステーションワゴン・ウエストコーストに乗せられた機会に、その座席シートの繊維片が付着したものである可能性が高いということができる(なお、東レ鑑定は、異同識別の結論部分において、⑦の黄茶色繊維が被告人車の座席シートの繊維と同一であるとしているが、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのナイロン6ステープルが東レのものであるとまでは断定できない上、後記のどおリイソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせによって染色されたナイロン6ステープルがマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外に使用されていない事実が確定できない以上、右のように断定することはできないといわざるを得ない。)。<br>  以上の事実は、被害児童の着衣から⑦の黄茶色繊維以外にも次のような被告人車の助手席シートの繊維と特徴を同じくする繊維が採取されているくとによっても裏付けられている。<br>  すなわち、⑦の黄茶色繊維と採取場所を同じくするB山のチェック模様入りスカート付着繊維のうち、②の薄黄茶色繊維は、科警研の鈴木鑑定での光学顕微鏡による肉眼での検査によると、二酸化チタンの添加が認められるため、二酸化チタンの添加が認められない被告人車の助手席シートの薄黄茶色繊維の特徴と一致していない(もっとも、東レ鑑定によると、被告人車の座席シートの繊維のうち、黄茶色部分は、二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントのゼミダルであるが、その他の部分は、二酸化チタンの含有量が0.020ないし0.024重量パーセントのブライトであることが認められる上、鈴木鑑定によっても、ブライトであることが明らかな被告人車の座席シートの繊維の焦げ茶色部分については二酸化チタンが微細に添加されていることが認められるというのであるから、薄黄茶色部分のみならず、だいだい色部分についても、鈴木鑑定が肉眼での検査では二酸化チタンの含有を示す黒色の斑点が見えなかったというのは納得できないが、これが肉眼による検査であって、被告人車の座席シートの薄黄茶色、焦げ茶色、だいだい色部分の各繊維の顕微鏡写真である甲90添付の写真9ないし11からもうかがわれるように、二酸化チタンの含有を示すという黒い斑点の存在は微妙であって、その判定に主観が入っていることを考慮すると、鈴木鑑定のその他の部分の信用性に影響を及ぼすものではないということができる。)。しかし、その余の①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色繊維は、いずれも素材がナイロン6であって、繊維の直径が15マイクロメートルないし20マイクロメートルであること、そのうち、①④の黄茶色の繊維には二酸化チタンが添加されていること、③⑤の焦げ茶色の繊維にも二酸化チタンがわずかに添加されているほか、特性X線スペクトルの測定によると、⑤の焦げ茶色繊維にはチタンとコバルトが含まれている(マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの染料のうち、イソランイエローK-RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されており、焦げ茶色部分には、イソランイエローK-RLS200が13.0パーミルから20.9パーミルと他の色に比べて倍以上配合されている。なお、特性X線スペクトルの測定によると、④の黄茶色と⑥のだいだい色繊維からはチタンが検出されていないが、同じ測定を行った被告人車の座席シートの黄茶色及びだいだい色部分からも含有されているはずのチタンが検出されていないのであるから、検出精度の問題であると考えられる。)こと、①④の黄茶色、③⑤の焦げ茶色及び⑥のだいだい色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られていることが認められ、これらの特徴は、被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致又は類似しているのである。<br>  そして、B山の赤色手袋、フリル付白色靴下やA田のうさぎ柄靴下、赤色キュロットスカート等にも、B山のスカートに付着していた繊維と同様のだいだい色、焦げ茶色、黄茶色の繊維が付着していたのであるから、それらの繊維の中には、犯人車に乗せられた同一の機会に付着した繊維片があるものとみることができる。そうであるところ、科警研送付資料のうち、B山の白色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料2)、A田の黄色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維1本(資料5)、B山の赤色手袋から採取した黄茶色(資料6)及び焦げ茶色繊維(資料7)各1本、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維2本(資料8、13)、焦げ茶色繊維2本(資料8、13)及びだいだい色繊維1本(資料13)、A田の熊柄入り白色パンティーから採取した黄茶色繊維2本(資料9、10)、A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維4本(資料11、12、15、16)、焦げ茶色繊維1本(資料15)及びだいだい色繊維2本(資料具12)、B山の羊柄パンティーから採取しただいだい色繊維1本(資料14)、A田の赤色キュロットスカート前面から採取した黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維各1本(資料17)並びに後面から採取した黄茶色及び焦げ茶色繊維各1本(資料18)の合計24本については、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維のそれと一致又は類似している。このうち、B山のフリル付き白色靴下付着の3本(資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及びA田の赤色キュロットスカート前面付着の3本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)からは、特徴的な元素として、黄茶色繊維については二酸化チタンが、焦げ茶色繊維については二酸化チタン及びコバルトが検出されており、この点でも被告人車の助手席シートの繊維と一致しているのである。<br>  また、東レ送付の任意提出資料(1)のうち、B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維1本(資料15)及びA田の赤色キュロットスカートから採取した焦げ茶色繊維2本(資料17、18)は、いずれもナイロン6であって、二酸化チタンの含有量が東レのナイロン6と一致しており、さらに、染料分析の結果も被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致しているのである。<br>  もっとも、マツダワンボックスカーの座席シートを独占製造しているデルタ工業株式会社の調査(弁118)によると、平成4年2月20日までに製造された座席シートのうち、原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として使用されているのは、本件織布(布番号S-TYR313X)のほかにも、①布番号S-W001XとS-W002Xがあり、さらに、②原糸材質が東レのナイロンで染料の不明なものが4種類、③原糸材質も染料も不明なものが2種類あることが認められる。そして、①については、色調がダークグレーと異なっており、また、③については、そのうちの1種類は、色調が異なるグレーでアメリカ製のものであるところ、欧米のナイロンはナイロン66が主体であること(証人N田)、残りの1種類は、調査時から21年前に開発されたものであることからして、これらの繊維片が被害児童の着衣に付着した可能性はないということができる。しかし、②については、そのうちの2種類は色調がライトブラウン及びグレーで異なっているが、残りの2種類は色調が「タン」となっていて、しかも布番号S-TYR8182Xのものは、色を示すTYRの部分がマツダステーションワゴン・ウエストコーストの色調と同一である。これに加えて、マツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK-RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として、マツダステーションワゴン・ウエストコーストと同じような配合比で使用されている可能性は、証人R田の供述によって、ほとんどないということはできても、そのような現実的な可能性が全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、これらの点については、弁護人が指摘するとおりである。したがって、右の点からしても、被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできないといわざるを得ないのである。<br> =====六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について===== 1 被告人車内に血痕及び尿痕が存在することについて<br>  証拠によると、以下の事実が認められる。<br>  (一)被告人車は、いわゆるワンボックスタイプの車両であり、乗車定員は9名で、車内には、運転席及び2人掛けの助手席が横1列に設置されているほか、その後方に、3人掛けの座席シートが前後2列設置されており(以下、3人掛けの座席シートのうち、前方のものを「中央部座席」、後方のものを「後部座席」という。)、床面には薄い茶色の繊維製のフロアマットが敷かれている(甲476)。<br>  (二) 科警研技術吏員林葉康彦ほか1名は、福岡県飯塚警察署から、被告人車の座席等へのヒト血痕付着の有無等についての鑑定嘱託を受け、平成4年9月28日及び同月30日から10月5日までの間、鑑定を実施した。その結果、別紙2のとおり、後部座席及びその付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが(なお、別紙2記載のAないしCの部分はいずれも後部座席の一部であり、Dの部分はフロアマットの一部である。Cの部分のシートの色は、黄茶色である。)、被告人車のそれ以外の部分(運転席、助手席、中央部座席、シートベルト)からは尿反応も血液反応も認められなかった。<br>  林葉らは、右尿反応を示した各部分について血液型検査を行ったが、血液型を判定することはできず、また、右血液反応を示した各部分については、科警研に対して以後の鑑定(人血検査、血液型検査及びDNA型検査)を依頼した。(甲478、480、483) <br>  (三) 科警研技官坂井活子は、平成4年10月6日から平成5年3月17日までの間、前記血液反応を示した各部分について、その血液型及びDNA型等について鑑定した。その結果、別紙2記載のCの部分(後部座席)については、座席シートの生地だけでなくその下のスポンジにもA田の血液型と同じO型の人血痕が付着していること、別紙2記載のDの部分(フロアマット)にもO型の人血痕が付着していることが判明したが、これらのDNA型(MCT118型及びHLADQα型)は検出できなかった。また、Cの部分のシート生地の裏側及びその下のスポンジに付着している血痕がいずれも水で希釈浸透したような形状を示しているのに対して、同部分の座席シートの表面には肉眼では血痕が認められないことから、表面に付着した人血痕が水で拭き取られたのではないかと考えられた。そして、一般に、水で希釈された血痕ではDNAが分解されやすいので、これらの血痕についてDNA型が検出できなかった理由も右のような事情にあるものと考えられた。さらに、Dの部分の血痕も、繊維の比較的下層にやや多く散在していたことから、フロアマット表面に付着した人血痕が拭き取られたものと考えられた(甲482)。<br>  (四) ところで、捜査機関は、被害児童の着衣に付着していた繊維片と被告人車の座席シートに使われていた生地の原糸との異同識別について、東レに鑑定を嘱託するため、被告人車の後部座席のシート生地を約10センチメートル角の大きさに切り取っていた(切り取ったのは別紙2記載のEの部分である。)が、平成6年4月25日に至って、同部分においてむき出しになっていたスポンジ部分に血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田I子 甲484)。また、捜査機関は、翌26日、東レ応接室において、右鑑定を行った株式会社東レリサーチセンター無機分析化学第2研究室の室長であるO田O男立会いの下に、切り取ったシート生地の裏側にも血痕様のものが付着しているのを発見した(証人I田、O田 甲485)。さらに、捜査機関は、同月18日、被告人車の後部座席の一部について、実況見分を実施した結果、シート生地の裏側及びその下のスポンジ部分に血痕様の斑痕があるのを発見した(甲487)。そこで、捜査機関は、同年5月9日、科警研に対して、東レ応接室で発見したシート生地裏側の血痕様のもの及び同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについて、血液型及びDNA型等の鑑定を嘱託した(甲489)。<br>  (五) 坂井ほか1名は、平成6年5月23日から同年12月8日までの間、前記嘱託に基づいて鑑定をした(甲490)。その結果、東レ応接室で発見したシート生地裏側の2か所((ア)約1.5センチメートル角の茶褐色の斑痕、(イ)約2センチメートル掛ける2.5センチメートル大の淡褐色の斑痕)から大血痕が検出され、そのうち(ア)については、血液型がA田と同じO型、DNA型のうちGc型もA田と同じC型であることが判明した。また、(イ)については、血液型が恐らくO型であることが判明したが、DNA型を検出することはできなかった。他方、同年4月28日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについては、ヒト血痕であるかどうかを明らかにすることができなかった。<br> 2 被告人車内に血痕及び尿痕が付着した時期について<br>  (一) 証拠(証人S田S男、甲78、80、508、509乙4)によると、以下の事実が認められる。<br>  (1) 被告人車は、昭和58年7月、北九州マツダから新車として販売され、北九州市在住のS田S男が購入した。S田S男は、約6年間、被告人車を使用した後、平成元年7月ころ、買換えのため、北九州三菱自動車に下取りさせた。<br>  (2) 飯塚市内においてカースーパー「P山屋」の商号で中古車販売業を営んでいたP山P郎は、同月ころ、北九州三菱自動車から被告人車を中古車として購入した。このとき、被告人車のボディーには多少の傷があったので、P山は、被告人車を板金塗装修理に出した後、販売のため展示していた。<br>  (3) 被告人は、同年9月末ころ、「P山屋」を訪れ、展示してあった中古の被告人車を妻の所有名義で購入することにした。P山は、被告人車を洗車してワックスを掛け、車内に掃除機をかけてきれいに清掃した後、被告人に引き渡した。被告人は、約3年間、被告人車を自家用に使用した後、平成4年9月26日、新たに購入した自動車が自宅に納車された際、新車の購入先であるオートラマ大栄に対し、被告人車を下取りのため引き取らせた。<br>  (4) 捜査機関は、同日、被告人車を押収した。<br>  (二) 検討<br>  被告人車の最初の使用者であるS田S男は、公判で、次のような供述をしている。<br>  昭和58年7月に被告人車を新車で購入した。大工の仕事をしていたので被告人車を足代わりに使用し、休日には家族(妻及び子供3人)を乗せたりもしていた。被告人車を購入した直後ころ、中央部座席及び後部座席にシートカバーを取り付け、これらの座席の足下にはフロアマットの上に玄関マットのような足ふきマットを置いた。子供には土足で車内に上がらせないようにしていた。被告人車を使用している間に、家族などが車内で出血したり、尿をもらしたりしたことはない。被告人車内の血痕及び尿痕には全く心当たりはない。座席シートを水洗いしたことはない。家族には血液型がO型の者はいない。<br>  また、S田S男の妻S子も、公判で、夫と同様の供述をしているほか、被告人車を購入した当時、1番下の子供はまだ2歳になっていなかったが、既に昼間はおむつをはずしており、夜間念のためおむつをつけていたような状態だったので、子供たちが被告人車内で尿をもらしたということはない、他人に被告人車を貸したこともないなどと供述している。<br>  右各供述の信用性に疑いを差し挟むような事情は何ら存せず、これらの供述によると、被告人車内の血痕及び尿痕はS田S男が被告人車を使用している間に付着したものではないと認めることができる。<br>  次に、S田S男が被告人車を下取りに出してから被告人がこれを購入するまでの経路は前記認定のとおりであって、この間に被告人車に血痕及び尿痕が付着したことをうかがわせるような証拠はない(なお、P山は、被告人車を被告人に引き渡す前に車内をきれいにしているが、このとき怪我をした記憶はないと供述(甲509)している。)。さらに、捜査機関は、被告人が被告人車を下取りに出したその日にこれを押収している。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕は、被告人が被告人車を使用していたときに何らかの事情で付着したと認めるのが相当である。<br> 3 被告人車内の血痕及び尿痕について被告人がその原因を知り得たかどうかという点について<br>  (一) 被告人車の使用状況<br>  被告人は、捜査段階で検察官に対し、被告人車を購入してから下取りに出すまでずっと自分が運転していたと供述しており(乙9)、また、被告人の妻C子も、公判で、被告人車の使用状況について、運転していたのは被告人で、その用途は、平日の日課として妻を職場に送り迎えしたり、被告人の実母方を訪ねたりするなど、ほとんど家の用件だったと供述している(28回20項以下)。このほか、被告人ないし妻C子は、子供会の行事で被告人車を出したことがある(乙4)、被告人車で家族旅行に行った際、親類が同乗したこともある(C子29回191項以下)などと供述しているが、いずれにしても、被告人以外の者が被告人車を運転していた形跡はない。<br>  また、被告人は、公判で、週に2回程度、被告人車内に掃除機をかけるなどして車内を清掃していたと供述しているほか(32回162項以下)、取り外せる後部座席については取り外してホースで水をかけて洗ったことがある。取り外せない座席も水拭きしたことがあると供述しており(33回575項以下)、被告人は被告人車内を相当頻繁に清掃していたといえる。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車のほとんど唯一の運転者であり、被告人車は専ら被告人が管理していたと認めるのが相当である。<br> (2)検討<br>  前記のとおり、被告人車の後部座席及びフロアマットにおける血液反応部分は、別紙2記載のC及びDの各部分並びにEのシート生地の裏側の一部分であり、これらの部分からはいずれもO型の人血痕が検出されている。このうち、Cの部分の大きさは13センチメートル掛ける4センチメートル、Dの部分の大きさは22センチメートル掛ける8センチメートル、Eの部分の大きさは、1カ所が1.5センチメートル掛ける1.5センチメートル、もう1カ所が2センチメートル掛ける2.5センチメートルであるから、これらが同じ機会に付着した血痕であるかどうかは別として(Dの部分がCの部分の直下であることからすると、CとDの部分については、同一の機会に付着した血痕である可能性が高い。)、被告人車内において少なくとも1回はO型の人間が出血をしたことが明らかである。もっとも、Cの部分については、水で希釈された形跡があることから、出血の量については定かでないが、シート生地の裏側のみならず、その下のスポンジ部分にもO型の人血痕が浸透していることが明瞭に見て取れる(甲482)ところからすると、水で拭き取られていることを考慮しても、その血痕の量は、極微量ではなく、ある程度の量であったということができる。また、被告人車の後部座席における尿反応部分は別紙2記載のA及びBの各部分であって、それぞれ、15センチメートル掛ける8センチメートル、12センチメートル掛ける5センチメートルの大きさであるから、これらが同じ機会に付着した尿であるかどうかは別として、被告人車内において少なくとも1回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  走行中の車内でこのようなことが起きたのであれば、被告人車のほとんど唯一の運転者であった被告人としては、出血し、あるいは尿をもらした本人から直ちにその旨申告を受けるか、乳幼児が尿をもらしたときのように本人が申告できない場合であっても、傍らに付き添っていた者からその旨申告を受けることによって、血痕及び尿痕付着の原因について当然知り得たはずである。このことは、停車中の車内で子供が遊んでいて出血し、あるいは尿をもらしたときのように、その場に被告人が居合わせない場合であっても、被告人車の管理者が専ら被告人である以上、基本的には同様であるといえる。特に、出血をした本人が、自己の身体の変調に加えて被告人車の座席シートやフロアマットを血で汚してしまったことを被告人に黙ったままにしておくとは到底考えられない。<br>  そして、自分が使用、管理する自動車内で誰かが出血をしたということ自体、まれにしか経験しないような事柄である上、特に、血液が付着していた後部座席のうち、別紙2記載のCの部分は黄茶色の、また、Eの部分は黄茶色と薄黄茶色(甲490)のモケット織りであって、立体構造をなしている長さ3センチメートルのパイル糸(地糸で留められているので、起毛部分の長さは半分の1.5センチメートル、甲125)に赤色の血液が付着すると目立つと考えられるので、被告人がこれに気付かないはずがない。さらに、前記認定の鑑定結果によると、後部座席シート及びフロアマットに付着した血痕は何者かによって拭き取られたと認めるのが相当であり、このような作業をしたのは、日頃から被告人車内を相当頻繁に清掃していた被告人自身であるか、被告人の指示を受けた者であるとしか考えられないのであるから、右出血の事実及びその後始末をした事実について被告人の記憶に残らないはずはない。<br>  これに対して、尿痕については、血痕と比較するとその痕跡が目立たないと考えられる上、尿をもらした本人が恥ずかしさから内密にする可能性も皆無ではないので、血痕の場合のように断定的なことはいえないが、それにしても、そのような可能性は極めて低いうえ、少なくとも被告人の実母及び長男に関しては、後記のとおり、そのような事実があったとは認められないのである。<br>  これらのことからすると、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。<br> 4 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の捜査段階(平成6年10月ないし11月当時)における供述は概ね、以下のとおりである(乙4、9、11)。<br>  被告人車に乗った者の誰かがおしっこをもらしたという記憶は全くない。自分自身はもちろん、妻、長男、実母、長男の友達についても、そのほかの者についても、誰かが車内でおしっこをもらしたという記憶は残っていない。被告人車を買ったとき、長男は既に幼稚園の年長組で、おむつがとれて何年もたっていたので、おしっこをもらすような年齢ではなかった。また、自分以外の者が被告人車内にいたとき血が出たとか血が車内のどこかに付いたという記憶もない。妻、長男、実母その他の者が被告人車に乗っていた場面で出血したという記憶はない。長男が被告人車の中で鼻血を出したことはなかったと記憶している。義弟の家族と一緒に被告人車で旅行したことが3回あるが、その際、自分達家族や義弟の家族の中で誰かが車中でおしっこをもらしたり血を出したことはなかったと記憶している。被告人車を買う前か後か覚えていないが、実母が足にけがをしてなかなか血が止まらないことがあった。このときけがが治っていない実母を車に乗せたことがある。これは昭和63年4月ころに自宅を新築したころの話かもしれないが、時期は思い出せない。実母が最近けがをして出血したのはこのときだけである。妻に関しては、被告人車に乗っていたころを含めて、最近家の内外を問わず出血したのを見た記憶はない。長男については、足をすりむいて血が出たことはあるが、血が出ている状態で被告人車に乗ったとか、長男の血が車内のどこかについたという記憶まではない。<br>  (二) 次に、この点に関する被告人の公判供述は、次のとおりである(31回453項以下、33回511項以下)。<br>  被告人車内の血痕及び尿痕について心当たりは全くない。ただし、血痕について、妻の証言(平成2年2月ころに流産をしたが、その直前に被告人車から降りた後に下着を血で汚しているのに気付いたという後記①の供述を指す。)を聞いて、血痕が付着した原因はそれだったのかなと思った。しかし、このときには座席シートに血が付いていることには気が付かなかった。このほかに、1センチメートル程度の血痕であれば、長男が暴れて付けた可能性はあると思う。次に、尿痕付着の原因として、妻の証言(妻の実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って排尿の世話をしたことがあるという後記(2)の供述を指す。)を聞いて、その可能性もあると思ったが、中にはかわやを忘れたこともあったし、ほかにも長男や実母の可能性もある。また、平成4年9月ころ、実母を被告人車に乗せてナワタ医院に連れて行き、表で待っていると、(浣腸されたために大便をもらして)下着などを汚したと言って、汚れた下着を手に持って出てきたことがあり、その際、実母を被告人車に乗せて連れて帰ったが、このときに座席シートに汚物が付いたという記憶はない。なお、私は、平成2年ころ、被告人車に野犬捕獲器を積み込む際、かすり傷を負って、中央部座席にごくわずかに血を付けたことがある。また、平成4年ころ、後部座席を取り外して倉庫にしまおうとした際、小指を擦って、後部座席に少し血を付けたことがある。<br>  (三) 前記のとおり、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。ところが、被告人は、捜査段階では一貫して、被告人車内の血痕についても尿痕についても全く心当たりがない旨明確に供述し、公判では、いくつかの可能性について捜査段階では供述していなかったことを供述するに至ったものの、基本的には捜査段階同様、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について具体的に説明することができないのである。これは、極めて不自然なことといわざるを得ない。<br> 5 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の妻の供述について<br>  (一) この点に関する被告人の妻C子の公判供述は、以下のとおりである(28回120項以下、282項以下、310項以下、29回224項以下、420項以下、642項以下、815項以下)。<br>  被告人車内で血を流した人がいるかどうかはっきり覚えていない。私が被告人車内で意識して血を出したことはなかったと思うが、はっきり分からない。長男が被告人車内で血を流したことがあるかどうかはっきり覚えていない。長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは分からない。しかし、①私は、平成2年2月ころ、流産をする直前に、被告人車に乗って外出先(筑後川温泉)から自宅に帰った後で、出血して下着を汚しているのに気付いたことがある。このとき車中では助手席を倒して寝ていたか、中央部座席及び後部座席を倒してベッドのような状態にしてそこに寝ていたかは覚えていない。このときストッキングやスカートが汚れているかどうかについて確認した記憶はない。その後、自宅から病院(有松病院)に行くときも被告人車に乗っている。このときも病院で下着が汚れているのに気付いたが、スカートなどが汚れていたかどうかは分からない。また、このとき被告人車の座席に血が付いたので拭き取ったという記憶もない。②実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って同女の排尿の世話をしたことがある。このときは、中央部座席を反転させることなく、そのまま背もたれ部を倒し、後部座席の背もたれ部も倒してベッドのような状態にして、その上に実母を寝かせたまま、自分は中央部座席の前の空間に身を入れて排尿の世話をした。尿をこぼさないように気をつけていたが、少しはこぼれたかもしれない。尿を取ったときは、お尻の下付近のシートを軽く拭くようにしていた。お尻の位置は中央部座席付近だと思うが、はっきり分からない。③平成4年9月ころ、義母から、ナワ夕医院で浣腸をされて下着を汚した、大便と一緒に小便も出たかもしれない、家に帰ってから上に着ていた服も洗ったなどと聞いたことがある。なお、私、長男、実母及び義母(更に実弟の家族4人全員)の血液型はいずれもO型である。<br>  (二) 他方、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、この点について次のような供述(甲493、6項)をしていた。<br> 「私もC男(長男)も、車内で出血したことなどありません。私もC男も鼻血などを車内で出したことも記憶にありません。この車は、C男が5才とかなり大きくなってから買ったものであり、C男が車内でおしっこをもらしたりしたことはないと記憶しています。車内で出血したり、おしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」<br>  右供述内容は、自分と長男が被告人車内で出血したかどうか、長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうか、どちらもはっきりしないという公判供述と実質的に相反しているだけでなく、流産したときに被告人車内で出血したという趣旨の前記①の公判供述及び被告人車内で実母の排尿の後始末をしたという趣旨の前記②の公判供述とも実質的に相反するものである(被告人の妻C子は、前記①ないし③が被告人車内の血痕又は尿痕の原因であると明確に述べているわけではないが、その可能性があるという意味でなければこれらの供述は全く意味がない。)。<br>  (三) そこで、妻C子の公判供述と検察官の面前での供述とのどちらを信用すべきかが問題となるが、この点を考える上で最も重要なのは、前記のように実質的に相反する供述をするに至った理由について、妻C子が、公判で、(自分が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)よく覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったかと聞かれ)意味が分かりません。」「(検事に対して)嘘は言っていないと思いますけど。」、(長男が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったか)分かりません。」「(検事に対し嘘を言ったことがあるかと聞かれ)分かりません。」「(検事の取調べを受けたときの記憶と現在の記憶では)今の方が正しいと思います。」「もう、あのときの状態がどういう状態だったのか、お分かりいただけないと思いますから。」(28回179項以下)、(長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかについて)「(検事に話したことは)よく分かりません。」「(検事には理由もはっきり述べているのではないかと聞かれ)いや、そこのところはそういうふうには言ってないと思いますけど、分かりません。」(29回431項以下)、(前記①の事実を捜査段階で供述しなかった理由について)「そのことは思い出してないんです。」(29回863項以下)などと、極めてあいまいな、又は不自然かつ不合理な供述に終始していることである。特に、自分も長男も車内で出血したことはない、長男が車内でおしっこをもらしたことはないという捜査段階における断定的な供述が、2年以上経過した公判段階で、よく分からないというあいまいなものに変遷することは、通常十分に考えられるにもかかわらず、ことさらに捜査段階の供述が間違っているかのような供述をするのは極めて不自然である。このような供述に照らしてみると、妻C子が公判では事実をありのまま供述していないのではないかとの疑問を禁じ得ない。たしかに、妻C子が検察官から事情を聞かれたのは、被告人が本件で逮捕され、被疑者として勾留されていた時期であって、当時は頭の中が混乱していたという趣旨の同女の供述にも一理あるようにみえる。しかし、検察官に対し、「車内で出血したりおしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」とまで言いながら、実母の排尿の後始末をしたという前記②の点について供述した形跡がないというのは明らかに不自然である。また、同時期に作成された妻C子の警察官調書(甲720)によると、同女が、警察官に対し、「私は、以前の車の時、旅行中気分が悪くなり車外で吐いた事はありますが、この車(被告人車)を買ってから車内で吐いたり血を出したりした事はありません。」などと供述していることが認められるにもかかわらず、このころ、前記①の流産の件については忘れていたというのもやはり不自然といわざるを得ない。<br>  さらに、①の点については、妻C子の供述によっても、被告人車内では出血に気付いておらず、被告人車を降りてから下着を汚しているのに気付いたが、ストッキングやスカートまで汚れていたかどうかは分からないというのであるから、この程度の出血で同女が座るか寝るかしていた座席シート(それが後部座席なのかどうかすらはっきりしない。)にまで血が付くこと自体考え難く、被告人車内の血痕付着の原因とはなり得ないものである。<br>  これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因に関する妻C子の公判供述をたやすく信用することはできない。そして、この点に関する妻C子の検察官に対する供述によれば、同女が、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について、全く心当たりがないことが明らかである。<br> 6 被告人の実母及び長男の供述について<br>  被告人の実母久間C美及び長男C男は、検察官に対し、それぞれ被告人車内で血や鼻血を出したことや、おしっこをもらしたことはない旨供述し(甲494、496)、期日外尋問においても、それぞれ被告人車内で鼻血を出したことや、血を流したことはないと思う(C美88、89項)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは覚えていない(C美75、85項。ただし、もらしたことはないとする部分もある。108項参照)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかよく覚えていないし、被告人車内で鼻血を出したり、ほかに血を流したかどうかもよく覚えていない(C男50項以下)などと供述しており、いずれも被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について心当たりがないことが明らかである。なお、C美は、「便秘を解消するためにナワタ医院に行き、病院内で治療を受けた際、大便を漏らして下着を汚したことがあるが、このとき小便は漏らしていない。汚れたパンツは包んで捨てて、シミーズとか上着は帰って息子に洗ってもらった。車の中に寝た状態で連れて帰ってもらったような気がする。」旨(C美62項以下)部分的には被告人及び妻C子の供述に沿う供述をしているが、このときC美は小便を漏らしたわけではなく、大便と一緒に小便を漏らすことも考えられるものの、漏らした場所は病院内であって、一応の後始末をした上で被告人車に乗車しているのみならず、被告人自身、公判で、このときに被告人車の座席シートに汚物が付いたかどうかは覚えていないと供述(33回589項)しているのだから、これが被告人車内の尿痕付着の原因であるとは考えられない。<br> 7 小括<br>  客観的事実として、被告人が被告人車の使用を開始した後、警察が被告人車を押収するまでの間、被告人車内において、少なくとも1回はO型の人間が出血をしたこと、誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。<br>  これについて、被告人は公判で前記のような弁解を積極的にしているが、これは納得のいく合理的な説明とは到底いえない上、O型の血液型を有する被告人の妻ら家族も、その血液や尿を被告人車に付着させたという心当たりのないことが認められる。そうすると、残るところは、被告人が犯人である可能性と被告人以外の何者かが被告人の知らないうちにO型の血液と人尿を被告人車の後部座席シートに付着させた後、これらを水で拭き取ったという可能性のいずれかということになる。しかしながら、後者の可能性は、あくまでも抽象的な可能性に過ぎず、現実的な可能性をうかがわせる状況はないのである。他方、前者の可能性については、被害児童2名とも出血と失禁があり、特に、A田の血液型はO型である上、A田の死体の状況からみて、鼻血がかなりの量出たものと認められること、被害児童2名の着衣が犯人車の座席と生前あるいは死亡後に直接接触し、被害児童2名の血液や尿が犯人車に付着している可能性があることに徴すると、被告人が犯人であるとすれば、被告人車内で被害児童2名を殺害あるいは殺害後に死体を運搬するなどした過程において、A田の血液や被害児童の尿が被告人車に付着したものとして合理的に説明することができる。したがって、右の血痕と尿痕の存在は、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠といえる。<br>  弁護人は、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が一切検出されていないことから、被害児童2名を被告人車に乗せたことはありえないと主張する。<br>  しかしながら、被害児童の死体の状況からも明らかなように、A田は鼻孔からかなりの量の出血をしており、ジャンパーの両袖及び前面の表面全域にわたって多数の血痕が付着していたが、B山については、膣内からの血液が陰部に付着していた程度の出血であったことからすると、被告人車からB山の血液と同型のA型の血液反応が検出されなかったとしても、被告人車に被害児童2名を乗せたことと矛盾するものではない。<br> =====七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について===== 1 林葉鑑定(証人林葉康彦 甲45、53、58、62) <br>  捜査機関は、A田とB山の死体が発見された当日である平成4年2月21日から同月22日の間に、死体遺棄現場において、A田の死体の左胸腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、A田の死体の左腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の血痕様のもの1点、B山の口唇部直下の木の枝に付着の唾液様のもの1点、A田の死体の臀部付近の木の皮に付着の血痕様のもの1点及びA田の死体の左鼠径部付近の檜の葉に付着の血痕様のもの1点の合計6点を採取し、また、九州大学医学部法医学教室解剖室に運び込まれたA田とB山の死体からそれぞれ膣内容物等数点を採取し、これらが血痕であるかどうか、血痕であるとした場合の血液型などについて、科捜研に対して鑑定嘱託をした。この嘱託に基づき、科捜研技官林葉康彦が、同日から同年3月5日までの間に実施した鑑定の結果は以下のとおりである。<br>  (一) 死体遺棄現場付近で採取された木の枝等に付着の血痕及び唾液様のもの6点について(甲53) <br>  6点のうち4点(A田の死体の臀部及び左鼠径部付近から採取された血痕様のもの各1点以外のもの)はいずれもヒト血痕と認められ、その血液型はそれぞれO型に判定された。1点(木の枝に付着の唾液様のもの)はヒト血痕と唾液の混合と考えられ、その血液型はA型に判定された。1点(木の枝に付着の血痕様のもの)は、ヒト血痕と認められ、その血液型はAB型に判定された。最後のものについては、AB型の血痕又はA型の血痕及びB型血痕の混合の2通りが考えられる。<br>  (二) A田の膣内容物等について(甲58) <br>  A田の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。⑤A田の右手親指に付着の血痕様のものはヒト血痕と認められ、その血液型はO型に判定された。①ないし④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、H型抗原のほかに、微量なA型抗原と微量なB型抗原が検出されたためAB型と判定された。③及び④についてはO型に判定された。なお、①及び②については、A田がO型であることから、O型の血痕にAB型の血痕又はA型の血痕とB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  (三) B山の膣内容物等について(甲62) <br>  B山の①膣内容物、②膣周辺の付着物、③口腔内容物及び④肛門内容物に精液の付着は認められなかった。①、②及び④にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。③には血痕の付着が認められなかったが、当然のことながら唾液の付着が認められた。①ないし④の血液型は、①及び②については、A型抗原とB型抗原が検出されたことから、AB型と判定された。③及び④についてはA型に判定された。なお、①及び②については、B山がA型であることから、A型の血痕にAB型の血痕又はB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。<br>  そして、林葉は、右鑑定残量のうち、木の枝に付着の血痕様のもの1点、A田の膣内容物及び膣周辺付着物各1点並びにB山の膣内容物及び膣周辺付着物各1点の合計5点(科捜研のマイナス80度の低温槽に保管しておいたもの)を氷を入れた発砲スチロールの箱に収納した状態で科警研に送付した。<br> 2 坂井・笠井鑑定(証人坂井活子、同笠井賢太郎 甲67、68) <br>  捜査機関は、前記のとおり林葉が送付した5点の鑑定資料に、死体解剖を実施した永田武明医師から任意提出を受けて領置していたA田とB山の各心臓血を対照資料として加えた合計7点について、科警研に対して、それらのDNA型等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、科警研警察庁技官坂井活子及び笠井賢太郎が、平成4年3月23日から同年6月15日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br>  (一) 外観検査<br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は、幅約4.5センチメートル、長さ約5センチメートルの枯れた木の枝に付着している直径約2ミリメートル大の暗赤褐色の血痕様のものである。実体顕微鏡で観察すると、その周辺に粘液性物質が付着した跡と思われる光沢のある付着物がわずかに観察された。資料(2)(A田の膣内容物)及び資料(3)(A田の膣周辺付着物)は、いずれも、約1センチメートル掛ける約1.5センチメートル大の脱脂綿に採取された淡赤色の液体である。資料(4)(B山の膣内容物)は、約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された淡褐色の液体である。資料(5)(B山の膣周辺付着物)は、約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大の脱脂綿に採取された赤褐色の液体である。資料(6)(A田の心臓血)及び資料(7)(B山の心臓血)は、いずれも、マイクロチューブに入れられ凍結している血液である。<br>  (二) 資料(1)ないし(5)の血痕検査<br>  資料(1)は蒸留水で湿したろ紙で血痕様のものの一部を拭きとり、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、ロイコマラカイトグリーン試薬を滴下して血痕予備検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示したので、これらには血液が混在していることが示唆された。<br>  次に、資料(1)は血痕様のものの周囲の枝をできるだけ取り除きその全量を、また、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、PBS(リン酸緩衝食塩水)で浸出液を作製し、その遠心上清について抗ヒトヘモグロビン沈降素及び抗ヒト血清蛋白質沈降素を用いて、沈降電気泳動法により人血検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示し、これらが人血であることが証明された。<br>  (三) 資料(1)ないし(5)の体液検査<br>  資料(1)には血痕以外の物質の付着が考えられ、資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であるので、精液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取りSMテスト試薬を滴下して酸性ホスファターゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に精液の混在は否定された。<br>  資料(1)に付着の物質が唾液であるか、資料(2)ないし(5)に唾液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取リブルースターチアガロース平板を用いた唾液アミラーゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に唾液の混在は否定された。<br>  資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であり、資料(1)にも膣液の混入が考えられたので、血痕検査において作製したPBS浸出液と抗ヒト膣液沈降素を用いて沈降電気泳動法によりヒト膣液検査を行った結果、資料(1)は擬陽性の反応を示し、ヒト膣液がわずかに混在しているものと思われた。資料(2)ないし(5)は陽性の反応を示し、ヒト膣液が混在していた。<br>  (四) 資料(1)ないし(7)の血液型検査<br>  血液と膣液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)のうち、資料(1)はPBSで浸出し遠心する前に木綿糸に付着乾燥させ、資料(2)ないし(5)はその一部を切り取り、乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。また、資料(6)及び(7)の血液は凍結溶解していたので、これらの一部を木綿糸に付着乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)は、抗B抗体に強い反応、抗A及び抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はB型とA型の混合あるいはB型もAB型の混合したものと考えられた。資料(2)及び(3)はいずれも抗H抗体に強い反応、抗A及び抗B抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はO型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合したものと考えられた。資料(4)及び(5)はいずれも抗A及び抗B抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はAB型あるいはA型とB型の混合したものと考えられた。資料(6)は抗H抗体のみに強い反応を示したので、このABO式血液型はO型、資料(7)は抗A抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はA型であった。<br>  血液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)について、膣液部分ではなく血痕のみの血液型を調べるため、これらをクロロホルム-メタノール法により処理し、血痕に由来する血液型抗原を抽出した後、解離試験法によりABO式血液型検査を行った。<br>  資料(1)、(4)及び(5)は、いずれも抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はB型とA型の混合血痕又はB型とAB型の混合血痕と考えられた。資料(2)及び(3)は、いずれも抗B及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられた。<br>  (五) 資料(1)ないし(7)のDNA型検査<br>  資料(1)ないし(5)のPBS浸出液の遠心沈渣並びに資料(6)及び(7)の一部を、プロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。また、資料(1)については、PBS浸出液を作製した後の血痕がわずかに残存している枝の部分についても、念のため、蛋白質分解処理を行い、DNAを精製した。<br>  (1) MCT118型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った。<br>  資料(1)のPBS浸出液の遠心沈渣及び資料(5)のMCT118型は、16及び18型の濃いバンドと25及び26型の薄いバンドが、資料(1)の枝に残存していたもの及び資料(4)は18型の濃いバンドと、16、25及び26型の薄いバンドが観察された。資料(2)は23及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23、26及び27型の薄いバンドが観察された。資料(1)ないし(5)のDNAはMCT118型において3種類以上のバンドが検出されたので、これらはいずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。<br>  なお、資料(6)のMCT118型は23-27型、資料(7)のMOT118型は、18-25型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った。<br>  資料(1)(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたもの双方)、(4)、(5)及び(7)のHLADQα型は、いずれも1.3-3型であった。また、資料(2)、(3)及び(6)のHLADQα型は、いずれも1.1-3型であった。<br>  (六) 鑑定結果(ABO式血液型、MCT118型、HLADQα型は、それぞれ型名で区別可能であるから、以下ではいちいち断らないこともある。) <br>  資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は人血であり、この人血痕は恐らく、B型、16-26型、1.3-3型である血痕と、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血痕とが混合していると考えられる。資料(2)(A田の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型である血液と、B型で16型を持っている血液及び微量のA型又はAB型である血液とが混合していると考えられる。資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A田に由来するO型、23-27型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型である血液及び微量のA型又はAB型である血液が混合していると考えられる。資料(4)(B山の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型であり、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液と、B型、16-26型、1.3-3型である血液とが混合していると考えられる。資料(6)(A田の心臓血)はO型、23-27型、1.1-3型であり、資料(7)(B山の心臓血)はA型、18-25型、1.3-3型である。<br>  (七) 鑑定資料の措置<br>  資料(1)は全量消費した。資料(2)ないし(7)の鑑定残量は(捜査機関である福岡県警察に)返送した。なお、右鑑定の間、科警研では、DNA型鑑定の運用に関する指針に基づき、各資料を個別にマイナス80度の低温槽で冷凍保存し、また、検査の実施に際しては、二重扉で隔離された空調装置のある部屋で白衣、ゴム手袋を着用し、滅菌済みの検査器具を用いるなどして、資料が汚染されたり、劣化したりしないように注意を払っていた。<br> 3 坂井ほか2名による鑑定(証人坂井 75、76) <br>  他方、捜査機関は、被告人から平成4年3月20日に任意提出を受けて領置していた頭毛髪5本を科警研に送付し、被告人の血液型及びDNA型並びに前記資料(1)ないし(5)の血液型及びDNA型との異同識別に関する鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、坂井ほか2名が同年4月22日から同年6月19日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。なお、鑑定残量は捜査機関に返送された。<br>  (一) 資料の血液型検査<br>  資料のうち比較的長い3本の毛幹部を用いて、解離試験法にてABO式血液型検査を行ったところ、いずれもB型であった。<br>  (二) 資料のDNA型検査<br>  資料の5本の毛根部のうち、毛根細胞が多量に付着していた1本についてはその1本を、また、毛根細胞が少なかった4本についてはその4本をまとめて、DTTを加えたプロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。<br>  (1) MCT118型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った結果、どちらも16-26型であった。<br>  (2) HLADQα型検査<br>  各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った結果、どちらも1.3-3型であった。<br>  (3) 考察及び鑑定結果<br>  被告人は、ABO式血液型がB型、DNA型のうちMCT118型が16-26型、HLADQα型が1.3-3型である。<br>  前記資料(1)(B山の死体の腹部付近の木の枝に付着の人血痕)に混合するものの一方はB山に由来するA型、18-25型、1.3-3型であると思われるので、これを除いたもう一方の血痕は、B型、16-26型、1.3-3型の血痕ではないかと考えられた。したがって、資料(1)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型、MCT118型及びHLADQα型において同型である。前記資料(2)(A田の膣内容物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型で16型を持っている血液が混合していると考えられ、資料(2)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型において同型であり、MCT118型のうち16型を持つているという類似点が認められた。前記資料(3)(A田の膣周辺付着物)には、A田に由来するO型、23-27型、1.1-3型の血液及び膣液と、恐らくB山のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型、16-26型の血液が混合しているのではないかと考えられ、資料(3)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型である。前記資料(4)(B山の膣内容物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型で、1.3-1.3型、3-3型又は1.3-3型である血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(4)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型であり、HLADQα型において同型の可能性がある。前記資料(5)(B山の膣周辺付着物)には、B山に由来するA型、18-25型、1.3-3型である血液及び膣液以外に、B型、16-26型、1.3-3型の血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(5)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型及びHLADQα型において同型である。<br> 4 石山鑑定(証人石山昱夫26回 甲6213ないし630) <br>  捜査機関は、平成4年7月3日、帝京大学医学部法医学教室教授石山昱夫に対して、前記2の鑑定終了後に科警研から返送された鑑定資料(2)ないし(7)及び前記3の鑑定終了後に科警研から返送された被告人の頭毛髪のミトコンドリアDNA分析等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づく石山鑑定の結果は、次のとおりである。なお、石山鑑定では、B山の膣内容物を資料1、B山の膣周辺付着物を資料2、A田の膣内容物を資料3、A田の膣周辺付着物を資料4、B山の心臓血を資料5、A田の心臓血を資料6、被告人の頭毛髪を資料7としている。<br>  (一)ミトコンドリアDNA分析の概略<br>  資料5ないし7は対照資料であるため、各資料からミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)をPCR法で増幅し、常法に従いその塩基配列を分析して、得られた3名の塩基配列を比較し、この3名を識別し得る制限酵素を選択した。資料1ないし4からPCR増幅したmt333DNAをクローン分離し、各クローンについて制限酵素分解とSSCP分析を行い、被害者自身のものと判断されるクローンとそれ以外のものとを分別した。被害者のものとは思われない不審なクローンについては塩基配列を分析した。<br>  (二) 検査結果<br>  (1) 制限酵素分解パターン<br>  対照資料5ないし7のmt333DNAの塩基配列を分析した結果、B山、A田及び被告人のmt333DNAは、次のとおり制限酵素KPNI及びRSAIによる切断の有(+)無(-)で識別可能である。<br>  資料5(B山の心臓血)KpnI-/RsaI+<br>  資料6(A田の心臓血)KpnI+/RsaI-<br>  資料7(被告人の頭毛髪)KpnI+/RsaI+<br>  そこで、資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、42個がB山タイプのKpnI-であり、1個がKpnI+であった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、全クローンがB山タイプのKpnI-であり、KpnI+のものは認められなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、全クローンがA田タイプのKpnI+/RsaI-であった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、A田タイプのKpnI+/RsaI-が28個、B山タイプのKpnI-/RsaI+が19個、KpnI-/RsaI-のクローンが1個、KpnI(±判定不能)/RsaI-のクローンが1個認められたが、被告人タイプのKpnI+/RsaI+のクローンは認められなかった。<br>  (2) SSCP分析<br>  資料1(B山の膣内容)から得た43個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、28個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る15個のクローンは完全には一致しなかった。資料2(B山の膣周辺)から得た46個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、22個のクローンはB山のものと完全に一致したが、残る24個のクローンは完全には一致しなかった。資料3(A田の膣内容)から得た45個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、33個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る12個のクローンは完全には一致しなかった。資料4(A田の膣周辺)から得た49個のクローンのうち、第1回目に採取した25個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、8個のクローンはA田のものと完全に一致したが、残る17個のクローンは完全には一致しなかった。<br>  (3) 塩基配列分析<br>  SSCP分析で不審と判断した資料1(B山の膣内容)からの15個のクローンのうち、KpnI+のクローン1個を含む7個(6個はKpnI-でB山タイプ)について塩基配列分析を行ったところ、KpnI+のクローンはRsaI+で被告人タイプではあるが被告人と1塩基違いだった。B山タイプの6個のクローンの内訳は、B山と1塩基違いのものが2個(各独立)、2塩基違いのものが3個(同一配列のものが2個、他の1個は独立)、4塩基違いのものが1個だった。SSCP分析で不審と判断した資料2(B山の膣周辺)からの24個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてB山タイプ(KpnI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料3(A田の膣内容)からの12個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてA田タイプ(KpnI+/RsaI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料4(A田の膣周辺)からの17個のクローンは、制限酵素分解でみると4個がA田タイプ(KpnI+/RsaI-)、11個がB山タイプ(KpnI-/RsaI+)、1個がKpnI-/RsaI-、1個がKpnI(±判定不能)/RsaI-であった。そこで塩基配列分析は、A田タイプのクローンから1個、B山タイプのクローンについては11個すべて、そしてKpnI-/RsaI-のクローン1個を選び行った。その結果、A田タイプのクローンはA田と1塩基違いであり、B山タイプのクローン11個のうちB山と一致するものが3個、B山と1塩基違いのものが7個(同一配列のものが4個、他の3個は各独立)、B山と4塩基違いのものが1個であり、KpnI-/RsaI-のクローンはB山と3塩基違い、A田と4塩基違いであった。<br>  (三) 鑑定結果<br>  資料5(B山の心臓血)、資料6(A田の心臓血)及び資料7(被告人の頭毛髪)のミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)の塩基配列を分析した結果、この3名のmt333DNAは制限酵素による分解パターンに違いが生じることが判明した。資料1ないし4からそれぞれ43個ないし49個のクローン化mt333DNAを調製し、制限酵素分解パターンを調べ、また、SSCP分析、塩基配列分析を併用し、クローン全体(183個)の中に資料7(被告人)に一致するmt333DNAが検出されるかを検査した結果、該当するクローンは検出されなかった。資料1及び2からはB山に一致するmt333DNAが、資料3かろはA田に一致するmt333DNAが、資料4からはA田とB山に一致するmt333DNAが検出された。<br>  (四) 追加分析とその結果<br>  資料1ないし7から抽出したDNAについて前記のとおリミトコンドリアDNAの分析を行ったが、その分析に用いたDNA量は、資料1ないし4及び7については抽出DNA量の半分、資料5と6については200分の1であったため、残りのDNAを用いて、HLA-DQB遺伝子について追加分析を行った。その結果によると、資料1(B山の膣内容)及び資料2(B山の膣周辺)は、資料5(B山の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、B山由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料3(A田の膣内容)は、資料6(A田の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、A田由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料4(A田の膣周辺)から検出される対立遺伝子は、A田とB山の混合で矛盾なく説明されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。以上の結果は、ミトコンドリアDNA分析の鑑定結果とよく一致するものである。<br> 5 検討<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定によれば、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、A田にもB山にも由来しない血痕ないし血液が混在していたことが認められる。これは本件犯人のものであるとしか考えられない。前記のとおり、A田とB山の陰部には犯人がいたずらをした形跡があるから、その際、何らかの理由で犯人の血液が被害者の陰部周辺に付着したと認めるのが相当である。そこで、以下、犯人の血液型及びDNA型について検討する。<br>  (一) 犯人の血液型について<br>  林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定が採用している解離試験法による血液型検査とは、A型の血液が抗A抗体(血清)と反応して凝集し、B型の血液が抗B抗体と反応して凝集し、O型の血液が抗H抗体と反応して凝集し、AB型の血液が抗A抗体及び抗B抗体と反応して凝集するという性質を利用して、ABO式の血液型を判別する検査方法である。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物は、血液と膣液が混合したものであったことから、クロロホルム-メタノール法による処理をして膣液部分をできるだけ除去し、血液部分の検査をした結果、抗B抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。解離試験法による血液型検査は、基本的には反応の有無を調べる定性検査であるが、証人坂井は、生来的なAB型であれば一般にこのような反応の違いが出ることはないので、右検査結果の解釈として、この血液はB型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる旨供述(5回99項以下)している。坂井は科警研において長年血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者である上、このような考え方は解離試験法による血液型検査の原理に照らしても合理的であるといえる。そして、B山は陰部から出血しており、この血液の中にはB山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、その内2本のバンドはB山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料にはB山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液はB山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である。なお、同鑑定によると、木の枝に付着の血痕の検査結果も同様であって、B型の血痕とA型ないしAB型の血痕の混合であると考えられるところ(証人林葉も、B型の反応がA型と比べてかなり強かったと述べている(310項)。)、この血痕は、捜査機関がB山の死体の腹部付近の木の枝に付着していたものを死体発見当日に採取したものであるから、前同様に認めることができる。<br>  なお、弁護人は、林葉鑑定(甲53)によると、木の枝付着の血痕はAB型と判定されていることを理由に犯人の血液型はAB型と認定すべきであると主張する。しかしながら、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、木の枝付着の血痕からは、4本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が2人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。したがって、弁護人が主張するようにAB型単独の血痕ではあり得ない。<br>  次に、坂井・笠井鑑定によると、A田の膣内容物及び膣周辺付着物も血液と膣液が混合したものであったことから、B山の場合と同様、クロロホルム-メタノール法による処理をして血液部分の検査をした結果、抗B抗体及び抗H抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。A田も陰部から出血しており、この血液の中にはA田由来のO型の血液(抗H抗体に反応する。)が当然含まれていると考えられる。そして、A田に由来しない血液については、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B山の場合と同様、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。したがって、ここでも被害者に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない。そして、A田の膣周辺付着物からB山に一致するmt333DNA及びHLA-DQB遺伝子が検出されたという石山鑑定の結果を併せ考慮すると、残るA型ないしAB型の血液については、B山由来のA型の血液であると認めるのが相当である。これは、B山にいたずらをした犯人が、その後でA田にもいたずらをした結果、B山の血液をA田の陰部に付着させたことによるものと推認される。しかし、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (二) 犯人のMCT118型について(証人坂井 弁36、37、39、40、43、46、66)<br>  ヒトの第1染色体にあるMCT118部位には16塩基を基本単位とする繰り返し配列(ミニサテライト、VNTR)があり、その繰り返し回数によって29種類に分類することができる。1対の染色体の片方を父親から、もう片方を母親から受け継ぐことから、その組み合わせは理論上435通りとなる。MCT118型検査とは、この繰り返し回数の組み合わせを分析することによって個人を識別する分析方法である。ただし、本件鑑定当時は、同検査には123塩基ラダーマーカーという標準マーカーが使用されており、それによると、右繰り返し数は12回から37回までの26通りが経験的に知られており、その組み合わせは理論上351通りであった。同検査の手順は、まず、鑑定資料からDNAを抽出して精製し、PCR増幅後、電気泳動装置によりDNAバンドを検出し、DNA型解析装置に上り型判定するというものである。電気泳動装置は、DNAをポリアクリルアミドゲルという人工的に作られた寒天状の板の中で電気の力により移動させた場合、分子量の小さいDNAは早く、分子量の大きいDNAは遅く移動することを利用し、DNAをその分子量の繰り返し回数に応じて分離する装置である。その際、標準マーカーを同時に泳動させて型判定の指標とする。また、DNA型解析装置は、電気泳動装置により検出したDNAバンドを写真撮影したネガフィルムを画像として取り込み、各バンドの相対位置を自動的に計算し、標準マーカーを指標としてその繰り返し回数、すなわち型番号を数値として算出するものである。なお、この方法では、型番号の大きいDNAは型番号の小さいものと比較して、PCR増幅の効率が悪く、検出されるDNAバンドも薄くなる傾向がある。<br>  MCT118型検査は、科警研のスタッフによって開発された検査で、平成2年から科警研において異同識別鑑定に用いるようになったが、DNA資料が微量の場合でも、PCR増幅により比較的短時間で型の検出ができること、増幅するミニサテライトのDNA分子量が小さいため正確に増幅でき、異型率が高く、したがって異同識別能力が高いこと、DNA型分析結果の再現性が高いことなどの特徴があるため、犯罪捜査に有用な方法とされている。そして、MCT118型検査による型判定の検査試薬キットが市販されており、大学などの専門機関が右キットを購入し、一定の修学を受けた者がマニュアルにしたがって作業をすれば、同検査による型判定ができるようになっていることからすると、MCT118型検査によるDNA型鑑定は、一定の信頼性があるとして、専門家に受容された手法であると認められる。<br>  弁護人は、MCT118型で、同一の型と判定されても塩基配列まで調べると違うサブタイプに別れ、全く別人ということもあることを問題視しているが、笠井・坂井鑑定において、犯人及び被告人のMCT118型の塩基配列は調査されていない上、右鑑定でMCT118型が同一の型と判定されたということは、一定の型判定において犯人と被告人とが同じ型を有しているということを意味するに過ぎず、これによって犯人と識別できるというわけではないから、弁護人の右問題視は的を得ていない。<br>  そして、弁護人は、123塩基ラダーマーカーで測った場合の特定の型が、アレリックラダーマーカーで測った場合の複数の型に対応しているものがあることから、123塩基ラダーマーカーで測った場合犯人と同じ型を持つ人が、アレリックラダーマーカーで測った場合異なる型となることがあり、犯人でないことになるから、123塩基ラダーマーカーによる測定には意味がないと主張するが、これも前記同様、123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない。<br>  また、弁護人は、坂井・笠井鑑定の当時標準マーカーとして使われていた123塩基ラダーマーカーでは正確な繰り返し数を測定することができなかったから、このマーカーを使ったMCT118型検査には信用性がないと主張する。なるほど、坂井及び笠井が証言でも認めているとおり、123塩基ラダーマーカーが正確な繰り返し数を測定していなかった事実は否定できないところである。しかしながら、123塩基ラダーマーカー及び資料のDNAがゲルの中で泳動する速さについては、右マーカー及び資料のDNAの長さに応じて一定であることが確認されており(証人坂井6回299項以下、7回80項以下)、そうであれば資料のDNAをその長さ、すなわち繰り返し回数の違いに応じて分類することは可能であって、DNA型解析装置が算出した数値が同じであればそれらは同じ繰り返し回数のDNAであるといえるのである(算出した数値が実際の繰り返し回数と一致しないだけのことである)から、弁護人の右主張は採用できない。<br>  さらに、弁護人は、本件鑑定当時の科警研の技術的未熟さを指摘し、特に「鬼の面」(バンドパターンの上端が尾を引いている状態)が見られることは、誤判定につながると指摘している。しかしながら、もともと我が国においてMCT118型検査は科警研により開発されたものであり、坂井はそのスタッフである上、「鬼の面」が生じた原因については、ゲルに重しのために入れるシュークロース(ショ糖)濃度が50パーセントと濃すぎたためであるが、画像解析装置での測定では、両端の部分を除きバンドの中央の位置の移動度で測定する(証人笠井38項以下)ため、判定には影響しないことが認められるので、弁護人の右指摘も当を得ないものである。<br>  なお、弁護人は、本件鑑定がドーバート判決における科学的証拠の許容基準である「信頼性の基準」に合致しないと主張しているが、独自の見解であり採用できない。以上から本件MCT118型検査による鑑定は、その基本的原理が科学的に妥当なものであり、かつ、鑑定の方法及び分析の手段も定型的な妥当性を有するものと認められるので、証拠能力を肯定することができるというべきである。<br>  坂井・笠井鑑定によると、B山の膣内容物及び膣周辺付着物並びにB山の腹部付近の木の枝に付着の血痕からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、B山は18-25型であることが認められる。前記のとおり、これらの資料にはいずれもB山由来の血液(血痕)と犯人由来の血液(血痕)が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、同鑑定によると、A田の膣周辺付着物からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、A田は23-27型であることが認められる。前記のとおり、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、同鑑定によるとA田の膣内容物からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料にはA田、B山、犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、A田及びB山に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。<br>  これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である。なぜなら、2人分のDNAから4本のバンドが検出された場合、いわゆるホモタイプ(例えば16-16型のように父母から同じ型を受け継いだものをいう。)の可能性はなく、いずれもいわゆるへテロタイプ(ホモタイプではないものをいう。)であると認められるからである。なお、A田の膣内容物からは、16型、23型及び27型の3本のバンドしか検出されず、26型が検出されていないが、それは、もともと犯人のDNA量が少なかった上に、分子量の大きい26型が16型よりも分解され、あるいはPCR増幅の効率が悪かったために検出できなかったと考えれば、合理的に説明することができる(MCT118型検査において型番号の大きいDNAの方が型番号の小さいものよりも増幅効率が悪いことは、資料(6)(A田の心臓血)の検査結果で27型のバンドの方が23型のバンドよりも明らかに薄かったことによっても裏付けられている。)。<br>  しかし、犯人がホモタイプである可能性(例えば、犯人が2人いて、それぞれ16-16型及び26-26型である場合など)や、犯人のバンドが全部検出できていない可能性を考えると、右検査結果から犯人が1人であることまでは認められない。<br>  (三) 犯人のHLADQα型について(弁43、46、57、66) <br>  ヒトの第6染色体にあるHLADQα部位には6種類の配列がみられ、その組み合わせ(父母からそれぞれに由来する1つずつの染色体を受け継いでいる点はMCT118型の場合と同じである。)は理論上21通りとなる。HLADQα型検査とは、この部位の塩基配列の違い(配列多型)を型分類して個人を識別する分析方法である。坂井・笠井鑑定では、HLADQα型検査に市販の型判定キットを使用している。このキットによるHLADQα型の検出は、特殊な検出紙を用いて行う。検出紙にはHLADQαの各型に反応する試薬(プローブ)が点状に添付されていて、対応する型のDNAが存在すると特異的に結合し、後で加える発色剤により青い点として検出される。この方法は、検査キットによる色変化の確認により判定するものであるから、専門家以外にも分かりやすく、比較的容易な手法であるといえる。しかし、MCT118型検査と比べるとやや多くのDNA量を必要とすることから、場合によっては検査が行えないことがある。また、このキットは元来単独資料の型判定用に開発されたものである。したがって、混合したDNAでは積極的な型判定ができない場合がある。<br>  坂井・笠井鑑定は、混合血痕であることが明らかな資料についてもHLADQα型検査を実施し、犯人のDNA型を推定しているが、右に照らし、疑問である。すなわち、同鑑定は、B山の腹部付近の木の枝に付着の血痕(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたものの2つがある。)の検査結果がB山と犯人の2人分の型を検出しているという前提で、犯人は恐らくB山と同じ1.3-3型であるとしている。しかし、検査結果が2人分の型を検出しているということは証明されていない。同鑑定は、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定し、それを手掛りに犯人の型を考えているが、HLADQα型検査によってある型が検出できるかどうかは、その型の検出限界を超えるDNAがあるかどうかによるのであって、相対的にみてB山のDNAが多いとか、2人のDNAが同程度であるということでは、それぞれの型が検出されたかどうかを(ある程度推論することはできても)断定することはできないといわざるを得ない。次に、証人坂井(7回342項)は、検査結果から考えられる犯人の型の可能性を1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型の3通りに限定した上で、1.3型と3型とで検出紙の発色の程度が同じであったことなどを根拠に犯人の型はB山と同じ1.3-3型であると推定したと供述している。しかし、検査結果をみても1・2型の存否は不明であるから(証人笠井394項)、検査結果から直ちに犯人が1.3-1.3型、1.3-3型ないし3-3型のいずれかであるということはできない。さらに、HLADQα型の検査キットは元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者択一のものであるから、発色の程度を考慮するということ自体想定されていないのであって、このような市販の検査キットを使いながら、発色の程度を考慮することに十分な合理性があるとは認められない。例えば、証人笠井(443項以下)は、A田の膣周辺付着物から1.3型が検出されなかった理由について、1.3型は検出感度が悪いという説明をしているが、それが事実であれば、木の枝に付着の血痕について、1.3型と3型の発色が同程度であるということから、1.3型と3型のDNA量が同程度だという推測はできないはずである。このほか、証人坂井(5回3125項以下)は、犯人の型を1.3-3型と推定した理由について色々と説明しているが、それによっても、犯人の型が1.3-3型であると認めるに足りない。そして、木の枝に付着の血痕について述べたこれらのことは、同じくB山の血液と犯人の血液の混合であって1.3型及び3型が検出されたB山の膣内容物及び膣周辺付着物についても当てはまる。なお、同鑑定は、A田の膣内容物及び膣周辺付着物については、犯人の型を特定していない。<br>  以上のとおりであるから、坂井・笠井鑑定によって犯人のHLADQα型を特定することはできない。<br>  (四) 小括<br>  幼女の陰部にいたずらをして、殺害した死体を山中に投棄するという本件事案の陰湿さに照らしてみると、一般的な経験則からいって犯人は1人(それも男)である可能性が高い。その場合、犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であると認められる。しかし、右のような一般的な経験則だけで犯人が1人であると断定することには無理がある。また、血液型検査及びDNA型検査の結果によっても犯人が1人であると認められないことは既に述べたとおりである。そして、出血した犯人が複数いるとした場合、それらの者の血液型とMCT118型の組み合わせについては様々な可能性があるのであって、特定することが困難であるといわざるを得ない。したがって、犯人が1人であるならその犯人の血液型はB型で、MCT118型は16-26型であるという事実(これが証拠上認定できる事実である。)は、犯行と被告人との結び付きを推認させる積極的間接事実には違いないが、犯人が1人であるという前提事実が証明されていない以上、それが証明されている場合と比較すると、やや証明力が弱いといわざるを得ない。<br>  なお、検察官は、被告人の血液型B型の出現頻度が0.221、MCT118型の16-26型が0.0170、HLADQα型の1.3-3型が0.171であることからすると、その出現頻度は0.000642となって、1500人に1人の割合となると主張する。<br>  しかしながら、出現頻度は、そのデータ-ベースとなった資料からの統計学による確率に過ぎないのであって、データーベースが変動するにつれて出現頻度もある程度変わるのであるから、犯人絞り込みの程度の参考になるに過ぎない(証人坂井7回46項以下)。のみならず、本件においては、前記のとおり犯人のHLADQα型を特定することができないのであるから、犯人が1人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。<br>  さらに、検察官は、繊維鑑定の結果からすると、犯人車は昭和57年3月26日から同58年9月28日までに製造販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに限定されるところ、平成3年末における全国の該当車両は2854台であり、犯人の血液型及びDNA型の出現頻度からみると、該当人物は全国でみても約2人となる上、犯行当時、福岡県内で運行されていた127台の該当車両の使用者合計130名について、血液型を捜査したところ、血液型がB型で、MCT118型が16-26型に該当する者は被告人を除いて存在しないと主張する。<br>  しかしながら、繊維鑑定の結果をもってしてもなお、犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであると断定できないことは前記のとおりである。そして、仮に犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとしても、その使用者以外にも、使用者から車両を借り受けた者も犯人である可能性もあるのであるから、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの使用者のみが犯人であるとする検察官の仮定は相当ではないといわなければならない。<br> 6 被告人以外の者が犯人である可能性について<br>  (一) 犯人がHLADQα型の1.3型を持たない可能性について<br>  坂井・笠井鑑定のHLADQα型検査の結果がたやすく採用できないものであることは前記のとおりであるが、A田の膣内容物及び膣周辺付着物(坂井・笠井鑑定の時点でこれらに犯人の血液が存在していたことは、同鑑定のMCT118型検査結果等に照らし明らかである。)から1.3型が検出されなかったという同検査結果によれば、犯人は1.3型を持たない者である可能性があり、1.3型を持つ被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえる。<br>  しかし、MCT118型検査と比べるとHLADQα型検査はやや多くのDNA量を必要とするのであるから、前者が検出できたからといって常に後者も検出できるとは限らない。したがって、右各資料のHLADQα型検査ではA田の型だけが検出され、犯人の型は検出されなかった可能性も十分にある。また、MCT118型の検査結果から資料中のB山のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定するという坂井・笠井鑑定の考え方を援用すれば、A田の膣周辺付着物には犯人のDNAとA田のDNAとがほぼ同量存在していたことになって、右の可能性が十分にあるとまではいえなくなるが、その場合であっても、16型のバンドに対応する26型のバンドが薄いことからすると犯人のDNAが壊れている可能性があるし、1.1型と1.3型との検出感度の違いにより1.1型のA田のHLADQα型だけが検出されたことも考えられる(証人笠井442項)。したがって、前記事実は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえないから、それだけで直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br>  (二) 犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型が被告人の型と違う可能性について<br>  次に、(1)石山鑑定のmt333DNA型検査の結果、A田の膣周辺付着物からはB山と同じDNA型が検出されたが、被告人と同じ型は検出されず、これとは別のDNA型か検出されたこと、また、(2)同鑑定の追加分析の結果、B山及びA田の膣内容物及び膣周辺付着物からは被告人由来のDNA(HLA-DQB遺伝子)の混合を示唆する所見が認められなかったことからすると、犯人のmt333DNA型及びHLA-DQB型は被告人のそれらとは違っており、被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえ、弁護人もその点を指摘しているので、以下検討する。<br>  まず、(1)の点について、A田の膣周辺付着物にはA田の血液、犯人の血液及びB山の血液が混在していたと認められることは前記のとおりであり、しかも、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査の結果、この資料から(A田の型及び)犯人の型が検出されながらB山の型が検出されなかったことからすると、この資料にはB山の血液よりも犯人の血液の方が多く存在していた可能性がある。そうであるとすると、石山鑑定のmt333DNA検査においても、B山と同じDNA型(これはB山由来のものと考えるのが合理的である。)が検出されている以上、犯人のDNAも検出されるはずであるが、前記のとおり被告人と同じDNA型は検出されていない。しかも、塩基配列分析結果をみると、この資料からは同一塩基配列のクローン化mt333DNA(B山と1塩基違いのもの)が4個検出されている。犯人のDNA型が検出されているという仮定が正しいとすると、これが犯人のものである可能性について検討しなければならない。<br>  しかしながら、他方、石山鑑定によっても、B山の膣内容物からは右の4個のクローンと同じ塩基配列のものが全く検出されていない。前記のとおり、B山の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、右の4個のクローンが犯人由来のものであるとしたら、これと同じものがB山の膣内容物からも検出されるはずである。また、右の4個のクローンは、制限酵素分解パターンではB山タイプであるが、A田の膣内容物から得た45個のクローンはすべてA田タイプであって、B山タイプのものは全く検出されていない。前記のとおり、A田の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、犯人のmt333DNAがB山タイプであるとしたら、A田の膣内容物からB山タイプのクローン化mt333DNAが検出されるはずである。<br>  そもそも、石山鑑定のmt333DNA型検査の結果によると、B山及びA田の各膣内容物及び膣周辺付着物という4つの資料に共通するmt333DNA型は存在しない。本来、これらの資料にはいずれも犯人の血液が存在していたのであるから、共通するmt333DNA型が検出されるはずである。そして、石山鑑定がこのような結果になった原因について、証拠(証人石山26回、甲68、626ないし628)によると、これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、大きいもので約1.8センチメートル掛ける約2.4センチメートル大、小さいもので約0.6センチメートル掛ける約1.2センチメートル大の脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)、また、混合血痕の場合、血液型が違えば凝集が起こることなどから、必ずしも資料各部で均一に混合していないことも考えられる(甲630 2頁の石山見解)というのであるから、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる。さらに、細胞1個にmt333DNAゲノムが数千個もある(証人石山26回11項)ということからも分かるように、ミトコンドリアDNA分析法は非常に鋭敏で、少し触って手あかが付いただけでも手あかからDNAが検出される可能性がある。この点、科警研では資料が汚染されないよう細心の注意を払っており(証人坂井5回398項以下 弁36)、科警研の前にこれらの資料を扱った科捜研でも同様であると考えられるが、ミトコンドリア分析法のように極めて感度が高い鑑定をすることを念頭に置いているかどうかは疑問があるし、採取した物の製造過程で人のDNAが混入した可能性や資料採取時に採取者等のDNAが混入した可能性も否定できない。これらのことからすると、A田の膣周辺付着物から検出された同一配列の4個のクローンが犯人由来のものである可能性は必ずしも高いものではないと考えられ、また、そもそも石山鑑定のミトコンドリアDNA分析及び追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる。<br>  なお、石山鑑定のミトコンドリアDNA分析では、被害者のmt333DNAと完全には一致しないクローン化mt333DNA(異型クローン)が複数検出されているが、この分析法では、PCR増幅及び大腸菌による培養の過程でDNAのミスリーディング(完全に同一の複製を作らず、塩基配列の一部が違う複製を作ること)が発生する場合のあることが知られており、また、mt333DNAは突然変異を起こしやすい(7ないし8個に1個の割合で、あるいは1割程度の割合で変異を起こしている)ともいわれているのである(甲629、630)から、被害児童と完全に一致しないからといって、それらがすべて別人のものであるとはいえない。<br>  これらのことからすると、(1)の点は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえない。また、石山鑑定の追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる以上、(2)の点も被告人が犯人であることと矛盾するものではない。<br>  したがって、これらのことから直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。<br> =====八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて===== 1 被告人は、平成3年11月8日、飯塚市内にある泌尿器科のY田病院を受診し、「1か月前から包皮炎を繰り返す。体重が約6キログラム減った。のどが渇く。」と訴えた。そこで、Y田医師が被告人の陰茎を診察したところ、被告人は仮性包茎で、包皮内板(亀頭と接触している包皮内側の部分)及び亀頭が炎症を起こしており、亀頭包皮炎であると認められた。被告人の血糖値検査結果が502と異常に高く、重度の糖尿病であると考えたY田医師は、同月11日、2度目の診察を受けに来た被告人に対して、糖尿病を治療するように言って他の病院を紹介した(証人Y田Y男 甲548、549、667)。<br>  弁護人は、被告人は仮性包茎ではないとして、右Y田供述等の信用性を争い、平成10年7月3日付けの医師神崎仁徳作成にかかる真性ならびに仮性包茎は認めなかった旨の記載のある診断書(弁74)を提出しているが、ここでは被告人が亀頭包皮炎に罹患していたか否かが重要な事実であり、仮性包茎か否かはその一原因として考えられる事実に過ぎず、治癒の時期について争いがあるものの、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと自体は被告人も自認しているとおり客観的な事実であるから、何れであったにせよ結論に影響しない。<br> 2 亀頭包皮炎に関する被告人の供述について<br>  (一) 被告人は、捜査段階で警察官に対し、自分の病気のことに関して次のような供述をしている(乙3、8、乙13の3丁以下)。<br>  平成3年10月ころ、急に、①歯茎がはれる、②太股の裏側の筋肉が吊る、③光が目にはいると目が痛い、④陰茎の亀頭の粘膜が痛むという症状がはじまった。その前にはのどが渇いて仕方がなかった。①③については、それぞれ病院で治療を受けたが、④については病院に行くことに抵抗があったので、1か月ぐらいは辛抱していたが、ひどく痛むので、炎症を起こしている部分にオキシドールをかけてみたら、激痛が走り、赤くはれたので心配になり、11月8日にY田病院に行った。先生に、のどが渇く、陰茎が痛いと説明して診察を受けた。先生は、尿検査をした後、「糖尿病だろう。亀頭の症状は糖尿病から来ているので内科的治療をしないとよくならない。」と言って、血液採取をして塗り薬を出してくれた。同月11日、血液検査の結果を聞きに行くと、先生は、「血糖値が530あり、入院治療した方がいい。」と言って飯塚労災病院か嘉穂病院あての紹介状を書いてくれたが、自宅で食事療法をすることにした。このような病状について、平成4年3月21日に、福田係長と井上刑事に、「糖尿病で血糖値が530あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった。」と話しているし、同年8月に佐賀県鳥栖市のK村K郎方に従弟達が集まったときにも同じ趣旨の話をしている。このときは、毎日新聞の大坪記者も同席して話を聞いており、その内容はテープに録音して大坪記者に預けてある。<br>  (二) 被告人の右供述が信用できるものであるならば、被告人の亀頭包皮炎は、一時期出血を伴うものであった上、本件当時も、性交の際陰茎を女性器に挿入できない状態で、治癒していなかったことが明らかである。<br>  この点、被告人は、公判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は1枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書の証拠能力を争い(33回379項以下)、亀頭包皮炎については、自宅で絶食などの食事療法をした結果、平成3年11月末ころには完全によくなったと供述している(31回338項)。<br>  しかし、被告人の検察官調書の中には、被告人が署名、指印した紙に亀頭包皮炎に関する問答体の記載がなされているものがある(乙13)。また、亀頭包皮炎に関する記載がある警察官調書2通(乙3、8)をみると、いずれも、被告人が署名、指印した紙に「陰茎から血が出て」などという記載はされていない。しかも、納得できなければ署名しないという強い態度を取っていたと言いながら、他方で余白の後ろに署名したと言うのは明らかに矛盾している。そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強く主張しないはずはないのに、被告人は、このことを第33回公判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(460項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書の証拠能力を争う被告人の右公判供述は到底信用できない。なお、被告人は、取調べの際、警察官から激しい暴行を受けた旨供述しているが、そのために納得のいかない調書に署名をさせられたということではないのだから、この点も被告人の供述調書の証拠能力に影響を及ぼすものではない。<br>  そして、被告人の捜査段階の供述は、内容的にみても、前記①ないし③の点については公判でも被告人が認めていることであるし、Y田病院における診療の経過については客観的事実と合致しているのであるから、基本的に信用できるといえる。また、亀頭包皮炎の状態等について親族らに話してその内容をテープに録音したという部分は、極めて具体的であって、迫真性に富んでいる。<br>  これに対して、平成3年11月末ころには亀頭包皮炎が完全によくなったという被告人の公判供述は、捜査段階では供述していなかったことを突如として公判で述べるものであって、その信用性には疑問がある。この点、被告人の妻C子は、公判で、「被告人の亀頭包皮炎はY田病院に行ってから20日ないし1か月ほどで治ったと思う。そのころ、被告人がもう必要ないと言うのでY田病院からもらった紹介状を処分したのを記憶している。」旨、被告人の公判供述に沿う供述をしている(28回173項以下、332項以下、29回868項以下など)。しかし、妻C子は、捜査段階では、検察官に対し、被告人の亀頭包皮炎がいつごろからよくなったかについては全く覚えていない、平成4年2月当時の被告人の性器の状態も全く分からないなどと、右公判供述と実質的に相反する供述をしていたものである(甲555)。妻C子は、公判供述の記憶の方が正しいと言うが、4年以上も前の事柄について具体的な記憶が残っているのであれば、当然、捜査段階でも同じ供述ができたはずであって、納得のいく説明もしないで捜査段階の供述をことさらに否定する同女の公判供述の信用性は極めて低い。よって、妻C子の公判供述は被告人の公判供述を裏付けるものとはいえない。<br>  これらのことからすると、亀頭包皮炎の状態に関する被告人の捜査段階の供述は十分に信用できる。<br> 3 フルコートFについて<br>  被告人は、平成3年7月ころから12月ころにかけて、福岡県嘉穂郡穂波町にある薬局「ドラッグストアコウキ」で、フルコートFという薬を頻繁に購入していたが、この薬は、かゆみを伴う湿疹等の皮膚病に効く薬で、効き目は強いが、ステロイド剤が含まれているので、長期間使用すると皮膚の抵抗力がなくなり、副作用として黒皮や皮膚の過敏等の症状が出たり、使用をやめると以前の症状が悪化することもあるというものであった(甲553、554)。<br>  なお、被告人は、捜査公判を通じて一貫して「ドラッグストアコウキ」でフルコートFを購入した事実は全くないと供述し、妻C子も公判で同様の供述をしているが、同店の経営者は、「被告人は1か月に2、3回は店に来る得意客で、そのうち1回はフルコートFを買っていた、フルコートFは副作用が強いので、自分からは勧めず、客が名指しした場合にのみ販売していたので、これを名指しで買っていた被告人は強く印象に残っている。」と供述しており、また、同店の元店員も、「被告人は常連客であり、フルコートFを買っていたことを覚えている。」と供述しているのであって、同店経営者及び元店員の各供述の信用性には疑問の余地がない。したがって、フルコートFを購入した事実は全くないという被告人及び妻C子の各供述は、いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない。<br> 4 小括<br>  被告人は、本件当時、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっており、亀頭の粘膜に無数の裂傷ができている可能性があるため、膿や汁のほか、外部からの刺激により容易に出血することがあったと認められる(甲548、549 証人Y田)。<br>  ところで、前記7のとおり、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのである。これらの犯人に由来する血痕等からは、犯人が1人とも複数とも断定できないことについては、前記のとおりであるが、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型及びDNA型のMCT118型は被告人のそれらと一致しているのである。そして、犯人に由来する血痕等は、それらが採取された場所がいずれもA田とB山の膣及びその周辺であることからすると、犯人がA田とB山にいたずらをした際に何らかの理由により出血して付着したものであると認めるのが相当である。<br>  そうすると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の手指ないしは陰茎である可能性が高いということができる。そして、A田とB山の処女膜等の損傷の状況からして犯人の指と爪が挿入されていることが明らかであるから、犯人の手指からの出血の可能性を否定することはできない。しかしながら、A田とB山がいたずらをされたのは、犯人がA田とB山の死体を投棄する前であるから、犯人の手指から出血していたのであれば、その出血の時期は、いたずらの部位からしてもその最中ではなく、いたずらよりも前であると考えられるので、血痕等がいたずらをする前に脱がせたと考えられるA田及びB山の下着等にも付着しているはずであるところ、そのような痕跡は存在しないのである。してみると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の陰茎である可能性が高いということができる。そして、被告人の亀頭は外部からの刺激により容易に出血することがあったのであるから、被告人が犯人であった場合には、犯人に由来する血痕等の存在理由を合理的に説明することが可能である。<br> =====九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について===== 1 被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人31回等)。<br>  平成4年2月当時、福岡県飯塚市(中略)所在の自宅で、妻C子及び潤野小学校2年に在学していた長男C男との3人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して妻を職場まで送り届けていた。午前8時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、長男も一緒に被告人車に乗せて潤野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、外出したりしても、午後1時ころまでには必ず家にいるようにしていた。長男は、だいたい午後3時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方5時前になると、被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。<br> 2 ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を潤野小学校で降ろして妻を職場まで送るのに主に通っていた2通りのコースを平日に走行してみたところ、その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前8時18分過ぎに到着し、その帰路に被害児童が最後に目撃されたE村方三叉路付近を通過する時間を測定すると、午前8時28分ころとなった(甲566、567)。したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、E村方三叉路付近を通過する時間は、被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後3時ころまでの間は、1人で自由に行動することができるところ、潤野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても2時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。<br> 3 これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成4年2月20日の行動について、公判で、「この日は、午前7時55分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、午前8時10分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、午前10時05分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、午前10時20分ころから午後0時30分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、午後1時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。午後5時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、そのまま家族3人で外食をして、午後7時過ぎころ、被告人方に帰り着いた。」などと供述している(31回)。この供述のうち、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、その後パチンコをして、午後1時ころ自宅に戻ったという点については、本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。<br>  まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母久間C美は、期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(125項以下)、平成4年2月20日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(289項)、同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。<br>  次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻C子は、公判で、「本件当時、毎月19日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。自分も一緒に行きたいと話していた。平成4年2月20日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(28回421項以下、29回536項以下)。<br>  しかし、妻C子は、捜査段階では、警察官に対して、「19日ころ米を買ってすぐに被告人の実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが2月20日であると特定して供述していない。妻C子は、公判で、19日に米を買ってその翌日ということで20日と思い出したというのであるが(29回758項以下)、それが事実であれば、既に捜査段階でも19日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、捜査段階で20日と特定できたはずである。しかも、毎月19日に買っていたというのは被告人からそのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(29回882項以下)。これらのことからすると、妻C子が、捜査段階では思い出せなかった20日という日付を公判で特定できた理由は不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。<br>  さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。<br>  すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について詳細に供述している(31回96項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、妻を送った後、午前8時30分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「2月25日ころ、森永刑事が自宅に来た後で考えて思い出した。3月18日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。3月20日にポリグラフ検査を受けたところ、翌21日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言した。」などと供述している(33回108項以下、273項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、「3月18日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。3月20日にポリグラフ検査を受けた後、アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙122)ものであって、事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(33回292項以下)のに対して、捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の1つに、夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨異なる供述をしているのである(乙122項)。このように、被告人のアリバイに関する供述は、その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。<br>  よって、被告人にアリバイは成立しない。<br> =====一〇 被告人の性格鑑定について===== 1 弁護人は、猥褻目的で登校途中の2名の女子児童を車で拉致して、扼殺し陰部にいたずらしたうえ山中にその死体を遺棄したという本件犯行態様の残忍性冷酷性からみて、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるが、被告人は、妻子を有しこれまで性格異常を示すような前科もなく、通常の社会生活を営んできたという生活歴からみて、性格異常者とは認め難いから、被告人が本件犯行を犯すようなことはあり得ず、本件のような犯罪を犯すはずがないと主張し、被告人の性格鑑定を申請し、当裁判所は、右鑑定申請を採用して、福岡大学医学部精神医学教室助教授医学博士堤啓に鑑定を依頼した。<br> 2 堤鑑定人の鑑定書(弁73)及び同鑑定人の証人尋問によると、堤鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。<br> (一) 堤は、精神科医として約30年の経歴を有し、臨床心理士として同程度の経験を有する福岡大学病院精神神経科医療技術職員皿田洋子を助手として、どのような検査法を組み合せるか(テストバッテリーの決定)を検討した上、最初は本人の意図的な考えが反映しやすい質問形式を採用し、段々投影法を用いて最後には対人関係の中で非常に葛藤的な場面も想定されるようなTAT(絵画統覚テスト)を用いることとした。<br> (二)テストの実施は、平成10年4月10日、同月13日及び同年7月6日の3回に分けて行われ、その検査の結果は次のようになった。<br> (1)MMPI(ミネソタ多面人格テスト)の検査結果によると、質問項目383項のうち無解答が148項目あったため総合的評価はできなかったが、無解答の項目はいずれも本件事件に関する被告人の心理状態やその後の心理反応に関するものであり、不当に判断されては困るという警戒心が強く認められた。また、答え間違いをして後で言い直しをした質問項目に、「性的なことで問題を起こしたことはない」という項目に対し、「ないですね。」と言いながら「ちがう」の方に印を付け、検査者から指摘を受けて印を付け直したり、「後悔するようなことをよくやる」という項目に対し、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて「これ違いますね。」と言って「ちがう」の方に印を付けた。また、血に関する項目については、素直に答えられなかった。<br> (2) ロールシャッハ・テストに対して、被告人は警戒的であり、11カード中、6つのカードについて判断できないとしており、自由に想像力を働かせて連想しなかった。反応の仕方から被告人の性格を分析すると、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいると判断された。<br> (3)P-Fスタディ(絵画欲求不満テスト)によるとCGR(欲求不満に対する常識的、一般的な反応の程度)が異常に高かったことから何らかの意味で欲求不満場面における反応が異常であること、また、欲求不満に無関心であったり又は抑圧してしまって、欲求不満を感じてそれをどう能動的に処理していけばよいか解決していくことが出来にくい人であるとの判断がされた。<br> (4)バウム・テストの結果、被告人の自信のなさ、不安定さ、まわりと自分との関係への無関心さ、感情の冷却、警戒心の強さなどが推測され、人物画(自己像)からも、自信のなさ、警戒心の強さ、感情など衝動性のコントロールの弱さ、対人関係の保持の不安定さが推測された。<br> (5)TAT(絵画統覚テスト)によると、内容的には標準的なもので、特に奇妙な受け止め方をしていないが、被告人にとって非葛藤的内容(友人関係、恋愛関係)の時は、短いながらもまとまった話を作ることができるが、葛藤的な場面(攻撃性、性的、危機的)では「想像できない」と言って、非常に警戒的になったこと、夫婦関係の場面では、いずれも妻から小言を言われる場面を連想しており、不満が高まっていることが伺われること、自分さえよければよいといった自己中心的なところがみられたこと、空白カードでは、何か場面を描いて下さいという指示は無視して、自分の言いたいことをまくし立て、自分がいかに性的対人関係等にひどい仕打ちにあったか(前妻の浮気)を話していたことから、性的な場面への反応を意識的には拒否してきたが、無意識にその葛藤を示した結果となった。<br> (三)被告人の行動観察、問診、心理テストにより得られた所見を総合すると、被告人は意識は清明であり認知の障害は表立ってなく意識的範囲力で持論をあやつる判断力と感情表現の能力を有し思考の障害もみられないが、自己中心的で、自己に不利益をもたらす問いかけや刺激に警戒的で、それらに対する反応を拒否する場合が多かったこと、独断的で自己の欲求を満たすためなら相手と場を選ばないという心理特性を有していること、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しい人格傾向が認められた。<br> (四)被告人の情性について検討するに、「情性」とは、他人とともに喜びまた悲しみ、誠実に相手の立場と心情に気を配って交際し、信頼関係を結ぶ人格特性である。<br>  情性の基礎が作られる幼年期からそれが発達していく青年期にかけて、被告人は父親との死別、母親の行商の手伝いなど不利な生育環境で育ったためと考えられる情性の欠如がかなりの程度みられること、被告人は、56歳のときに警察官に樹木用の鋏で怪我をさせた傷害罪を起こしているところからも明らかなように、本件当時まで犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、被告人は、本件の発生から約6年経った現在でも、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、被告人は、MMPIの検査の際、「付き合いはいいです。」という質問に、しばらく考えて、「答えられません。」と反応したことに表われているように、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることからすると、被告人には情性の欠如が現在もみられるが、それを明らかにされまいとする自己中心的な意思が働いている。このことは、被告人の暦年齢にもかかわらず、情性の欠如は活動的で、何らかの欲求不満の発散を求めようとする意思と結びつけば、犯罪を犯す恐れを示唆するものと推測される。<br> (五)被告人の性的抑制について検討するに、被告人は、MMPIの検査の際、「性的なことで問題を起こしたことはない。」という質問に対し、険しい口調で「ないですね。」と言いながら、「ちがう」の方に丸印を付ける間違いをし、検査者の指摘で「そうですの方ですね。」と平静を装って、丸印を付け直したこと、TATの検査の際、空白カードに対して、自分がいかに性的対人関係でひどい仕打ちにあったかを話していることからして、それまで性的な場面への反応を意識的に拒否してきたが、無意識的にその葛藤を示していることからして、被告人は性への関心が高く、葛藤的に受け止められているが、それを見抜かれまいとする自己防衛を意識的に行っていることが明らかである。<br>  さらに、被告人は、平成3年10月ころから、糖尿病による亀頭包皮炎のため、妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高く、そのような状況で、情性の欠如した被告人が性倒錯的行動をとる可能性は十分考えられる。<br> (六)以上から、鑑定主文では、被告人は情性欠如型の性格異常者と判断され、その偏りの内容は、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいる、もっとも、葛藤がない平常時には、標準的な物事の受け止め方ができ、性格の偏りの程度は、中程度のものと認められるが、状況によっては重度のものに揺れ動くと考えられ、ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると判断された。<br>  3 弁護人は、堤鑑定の手法及びその判断は誤りであるとし、その理由として、①堤鑑定の採った手法は、心理テストが中心であり、問診や行動観察が十分でないこと、②検査者と被告人との間には性格鑑定で必要となる信頼関係がないこと、③被告人は、無罪であるにもかかわらず本件事件を犯したとされ、拘置所に長期間身柄を拘束されており、自己に不利益な判定が下されないようにことさら警戒的・防衛的な回答したため、そのような態度がテストに影響を与えていることなどからして、鑑定結果が被告人の本来の性格と異なるものと判断されたと主張する。<br>  しかしながら、①について、確かに本件性格鑑定が拘置所において限られた時間で行われたことから、問診や行動観察に十分な時間をかけて行われたものではないが、堤鑑定人は、その専門家としての立場から、各種心理テストを実施する前や実施中の被告人の受け答えや行動について観察をしており、これをもって、独自の問診や行動観察に代えているのであるから、問診や行動観察が不十分であるとは言い難い。②については、本件鑑定の申請は、弁護人側から行われたもので被告人が被験者として検査に応じたことから鑑定ができたのであるから、性格鑑定に必要となる基本的な信頼関係はあったということができる。③については、心理テストをすると、前記のように被告人が警戒的・防衛的な態度を示したかどうかが分かるのであり、それを理解した上でそのような態度を示したものが何かを分析して性格鑑定を行うものであることからすると、警戒的・防衛的な回答をしたこと自体から、性格鑑定の結論を異にすることにはならないと考えられ、弁護人の主張はいずれも採用できない。<br>  もっとも、MMPI検査では、質問項目に対し被検者が意図的作為的に答えると事実と異なる像を示すことが指摘されており、被告人が意図して防衛的、抑圧的にしか答えていないことからすると、右検査法の正確性が問題となるが、堤鑑定は、右検査内容による被告人の人格の総合的評価はしておらず、右検査の際の被告人の答え方や態度などをみて被告人の心理テストに対する態度を評価しているに過ぎないのである。<br>  なお、弁護人は、MMPI検査において、堤鑑定が、特定の質問項目に被告人が答え間違いをして後で言い直しをした事実を、「内心の気持ちを口をすべらせて、後で言い直しをした」とか「本心をぽろっと出した後、慌ててそれを取り消す失態を行った」と評価している点について、堤鑑定人が被告人を犯人視する片寄った見方をしているためであると主張する。<br>  なるほど、堤鑑定が、「性的なことで問題を起こしたことはない。」の項目に対し、すぐに「ないですね。」と強調しながら、「ちがう。」の方に丸印を付け、検査官から、言ったことと印を付けた箇所が異なることの指摘を受けて、被告人が「そうですの方ですね。」と平静を装って印を付け直したという点については、被告人が単に答え間違いをした可能性もあり、堤鑑定のような評価は一面的すぎるようにも思われる。しかし、「後悔するようなことをよくやる。」の項目には、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて後に「これ違いますね。」と言い、「ちがう。」の方に印を付け直したという点については、被告人の質問に対する答えと印を付けた箇所が異なっていたわけではなく、被告人が答えを訂正したときの態度からの判断であるから、堤鑑定の評価に誤りはないと考えられる。<br>  各種投影法については、被検者の置かれた環境によって多少の影響を受けることがあるとしても、被検者に根ざした本来の性格は環境にそれ程影響を受けないと考えられることからすると、被告人の性格鑑定にも採用でき、投影法は、被検者の深層にある心的傾向や葛藤の内容等を見い出すのに適しており、被検者が解答を意図的に調整することはできないから、被告人が警戒的、防衛的態度をとったとしても、この検査法に基づき判定された被告人の性格鑑定は基本的には信頼性のあるものと考えられる。<br>  4 堤鑑定は、被告人に情性が欠如していると判断した根拠として、①被告人が母子家庭で生育したこと、②被告人の傷害前科からして、被告人が犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、③被告人は、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、④MMPI検査の際、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることを挙げている。<br>  しかしながら、①については、被告人の生育環境のみから情性が欠如していると判断するのはあまりにも短絡的であるといわなければならない。そして、②については、犯罪者がすべて情性欠如者であるといえないのは自明の理であるから、被告人に犯罪的能動性があったとする理由とすることはできても、それをもって情性が欠如していることの根拠とすることはできない。また、④については、被告人が情性に関する質問に対して警戒的、拒否的であったからといって、そのことをもって直ちに被告人に情性が欠如していることの根拠とすることはできない。そうすると、残るところは③であるが、心理テストの結果からみられる被告人の自己中心的、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しいなどの人格傾向は、なるほど情性欠如者にもみられるところではあるが、クルト・シュナイダーが、情性を同情心とほぼ同義語に解し、同情心の少ない人から冷淡な人、冷淡な人から冷酷な人、すなわち情性欠如型の人への漸進的な移行を考えている、とされている(現代精神医学大系8、109頁参照)ところからすると、被告人の右人格傾向をもって、情性欠如型精神病質と評価できるほどの異常性を示しているかどうかについては疑問の余地がある。<br>  また、堤鑑定は、被告人が、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっていたため妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高い状況下において、情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられるとしているが、被告人が情性欠如型精神病質者であるとする堤鑑定に疑問を入れる余地のあることは前記のとおりであるから、この点の堤鑑定の結論は採用することができない。<br>  5 小括<br>  堤鑑定の心理テストの結果から見られる被告人の性格傾向からすると、弁護人の主張するように被告人が本件のような犯行を犯すはずのない人物であるとまではいうことができない。したがって、被告人の性格鑑定の結果は、被告人と本件犯行の犯人性との結びつきに疑いを入れるような証拠ではない。<br> =====一一 結論=====  以上要するに、本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができないのである。<br>  しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。そこで、この観点から検討すると、本件犯行に犯人が使用したのではないかと疑われる自動車は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイヤの車で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどといった特徴を有していたこと、犯人について、被害児童であるA田及びB山の失踪場所の状況や時間帯並びに右場所と被害児同の死体及び遺留品の発見場所との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、失踪場所等についての土地勘を有するものであると推測されること、しかるに、被告人は、右容疑車両と特徴を同じくする被告人車を所有し、かつ、土地勘を有することからすると、被告人が犯人ではないかという疑いが生じるのは当然である。これに加えて、被害児童の着衣から、被害児童が犯人車に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片が発見されているところ、これらの繊維片は被告人と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いのであるから、被告人が犯人ではないかという疑いはますます濃厚となる。このような状況下において、被告人車の後部座席シートから血痕と尿痕が検出され、血痕については、被害児童のうちのA田と血液型を同じくするO型であること、尿痕については人尿であることが判明した。これらの血痕や尿痕については、被告人が被告人車を入手して自己の管理下に置く前に付着した可能性はないと認められる上、被告人車は被告人のみが使用し、かなり頻繁に後部座席シートの水洗い等の手入れをしていたのであるから、少なくとも右のうち血痕については、それが付着していたことに被告人が気付かなかったはずがなく、車内で誰かが相当量の出血をしたという特異な出来事についても被告人が忘れてしまったとも考えられないし、尿痕についても同様であるというべきてある。しかるに、被告人は、右付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。他方、被害児同2名とも失禁と出血があり、これらは犯人が被害児童を殺害した際に生じたものであると認められるところ、被害児童の体は生前あるいは死亡後に犯人車と接触していることが明らかであるから、犯人車には被害児童の右尿や血痕が付着している可能性があるということができる。そうすると、右の血痕等が被告人がに付着していた原因については、被告人が犯人であるとすれば、被害児童であるA田らを被告人車内で殺害するか、あるいは、その後、A田らの死体を死体発見現場まで被告人車で運んだときに右の血痕等が付着したものとして、合理的に説明することができるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられないのである。また、B山の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA田及びB山の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害児童以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのであり、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、DNA型はMCT118型が16-26型であって、被告人のそれと一致しているのである。さらに、右のように被害児童2名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していた理由として、被告人が犯人であるとするならば 被告人が本件当時糖尿病による亀頭包皮炎に罹患していたため、被告人の亀頭が被害児童の膣等に接触した際の刺激によって出したものであるとして、合理的に説明できるのである。また、被告人の捜査段階での供述によれば、被害児童の失踪現場は、被告人が妻を現場に送迎するために被告人車で通ることがあり、妻の職場から失踪現場を通って被告人方に戻る場合、丁度 被害児童が失踪した時間である午前8時30分ころに失踪現場を通過することになり、被害児童が失踪した時間帯及び失踪現場は、被告人が妻を勤務先に被告人車で送った後、被告人方に帰る途中の時間帯と通路にあたっていた可能性があるところ、被告人にはアリバイが成立しないのであるから、被告人に犯行の機会のあったことが明らかである。<br>  以上のような諸情況を総合すれば、本において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができるのであって、そこから翻って見ると、被害児道が最後に目撃された現場及び遺留品発見現場において目撃された紺色ボンゴは犯人車である被告人車であり、それを運転していたのは被告人であると認定することができる。<br> ====(法令の適用)====  別条<br>  第一 (被害児童2名につき) <br>  平成7年法律第91号附則第2条1項により同法による改正前(以下「改正前」という。)の刑法224条<br>  第二及び第三<br>  いずれも改正前の刑法199条<br>  第四の一、二<br>  いずれも改正前の刑法190条<br>  科刑上一罪の処理(第一) <br>  改正前の刑法54条1項前段、10条(犯情の重いA田に対する未成年者拐取罪の刑で処断) <br>  刑種の選択(第二及び第三) <br>  いずれも死刑<br>  併合罪の処理<br>  改正前の刑法45条前段、46条1項本文、10条(刑及び犯情の最も重い第二の罪につき死刑に処し、他の刑は科さない。) <br>  訴訟費用の不負担<br>  刑事訴訟法181条1項ただし書<br> (量刑の理由) <br>  本件は、被告人が車で妻を勤務先に送って自宅に帰る途中、登校時刻に遅れて登校中の小学1年生の被害児童2名を認め、車に乗せて拐取した上、同女らの頸部をそれぞれ手で締め付けて殺害し、その前後に、同女らの陰部に指先を挿入するなどして弄び、その後人通りの余りない国道沿いの山中にそれぞれの死体を投げ捨て遺棄した事案である。<br>  本件犯行態様は、帰宅途中に偶然居合わせた被害児童2名を拐取するや、年端のいかない抵抗する力の弱い同女らの頸部をあたかも鶏の首を絞めるがごとく手で締め付けて次々に窒息死させ、何らの落ち度もない2名ものかけがえのない無垢な命を奪ったものであり、人情のかけらすら認められない鬼畜同様の行為である。その結果が何にも増して重いのはもとより、車で拉致され殺害されるまでの間に被害児童がそれぞれ被った恐怖感や精神的・肉体的苦痛には想像を絶するものがある。その上、被告人は、犯行の発覚を防ぐため、被害児童の死体を下半身裸のまま、まるでごみと一緒に不要になった人形を捨てるかのごとく山中に投げ捨てて死体を冒涜したものであり、極めて冷酷残忍な犯行態様である。<br>  本件犯行の内、被害児童を略取または誘拐して殺害に及んだ直接の動機は、被告人が否認し犯行の具体的態様が明らかでないことから不明といわざるを得ないが、被告人が被害児童やその家族に対して恨みを持っていたような事情はうかがわれず、他方、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと、死体の陰部には手指を挿入した痕跡があることからすると、本件当時、被告人が、少なくとも自己の性欲を満たさんがために、汚れを知らない少女を陵辱し、自己の獣欲を満足させようとした事実は否定できないところであって、そこからは被告人の抑制力の欠如と性倒錯的傾向がうかがわれるのみならず、再犯の可能性も否定できない。<br>  さらに、本件犯行後、被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから明星寺団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の攪乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である。<br>  未だ幼くして愛情に満ちた家庭から隔離され、突如命を奪われ、無限の可能性を秘めたこれからの人生を無惨にも断ち切られた被害児童2名の無念さは計り知れない。また、遺族らの感情について、公判において、A田の母親は、「事件後、2、3年は夜眠れない状態が続いた。今でもA子が夢に出てくることがあり、夢の中のA子が泣いていると、起きてから涙が止まらなくなる。」と今でも深い悲しみの中におり、被告人に対し「Aちゃんを返して欲しい。苦しめて死刑にして欲しい。」と悲痛な思いを訴えている。また、B山の父親は、事件当時のことを振り返り、「寒い夜だったので、一刻も早く助けてやりたくて、少ない情報の中を一時も寝ずに夜通し走り回った。遺体に対面したとき、すべて周りの出来事が夢のように思われ、目の前の現実を受け止めるゆとりもなかった。」と本件の衝撃の強さを語り、被告人の行為に対し「罪のない幼い子供を2人も殺した行為は、到底人間の行為とは思えない。許せない。極刑を希望する。」と峻烈な処罰感情を露わにしている。B山の母親は、「小学校教諭という職業柄、生徒とB子の姿がダブり、何度か仕事を辞めようかと思った。」「6年以上経った今も、悲しみ、苦しみ、悔しさといったいろんな感情が織り混ざる。」と、やはり癒しがたい被害感情を有したままでおり、極刑を希望している。このような最愛の娘の命を理不尽な犯行によって奪われてしまった両遺族の悲嘆の深さ、被告人に対する遣り場のない憤りの激しさは、十分に理解でき、被告人に対し極刑を望むのも当然である。<br>  また、本件は、小学1年生の女児が2人連れで登校中に通学路で突如行方不明となり、山中で変わり果てた姿で発見されたという衝撃的な事件であり、被害児童が通学していた小学校はもとより、飯塚市内はおろかその近辺の小学生児童や教育現場にまで不安感、恐怖感を与えたものであって、その社会的影響には大きいものがある。被告人は、本件当時、自らも被害児童と同じ潤野小学校に通学していた1学年上の子供があり、年齢も54歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かるはずであるにもかかわらず、捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており、被害児童やその遺族らを意にも介せず、反省するどころか、自己やその家族がいかに警察から迫害を受けたかを訴えるばかりで、良心の呵責や改悛の情が全くみられない。<br>  以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処することとした。<br> (求刑 死刑)  <br> (裁判長裁判官・陶山博生 裁判官・重富朗 裁判官・柴田寿宏) <br> {{DEFAULTSORT:ふくおかちほうさいはんしよへいせい6ねん}} [[カテゴリ:日本の判例]] {{PD-JapanGov}} [[Category:判例時報]] g9tkr16n0sehknpcqmsgna6dsnh76os 福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号 0 14603 246536 221856 2026-10-11T15:59:45Z ろづき 28406 246536 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所平成21年(た)第11号 |year=2009 |notes= * 掲載LLI/DB 判例秘書、判例時報2396号96頁。原本は実名。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。本決定の抗告審以降は、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 再審請求事件<br> 福岡地方裁判所平成21年(た)第11号<br> 平成26年3月31日第2刑事部決定<br> == 決定 == 請求人 久間C子<br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 == 主文 == 本件再審請求を棄却する。 == 理由 == ===第1 確定判決の存在等=== ====1 裁判等の経緯====  亡久間三千年(以下「事件本人」という)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件(福岡地方裁判所平成6年(わ)第1050号、同第1157号)について、死刑に処する旨の有罪判決の言渡しを受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所はこれを棄却し(福岡高等裁判所平成11年(う)第429号)、さらに、事件本人は上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所第二小法廷はこれを棄却し(最高裁判所平成13年(あ)第2010号)、平成18年10月8日、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。なお、事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。)。 ====2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨====  確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、次のとおりである。すなわち、事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市(以下略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳、以下「被害者A田」という)及びB山B子(当時7歳、以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト、登録番号「筑豊55つ6112」)に乗車させ、同小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、福岡県甘木市(以下略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した、というものである(なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。)。 ====3 確定判決の証拠構造等====  確定判決の有罪認定の証拠構造及び認定根拠の概要は、次のとおりである。<br>  すなわち、確定判決は、本件において、事件本人と犯行との結び付きについて、これを証明する直接証拠は存在せず、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるが、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、すべて照合して総合評価する必要があり、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br>  確定判決は、その根拠として多数の情況事実を列挙し検討しているが、判文全体及び証拠関係に照らすと、主として、以下のような情況事実ないし情況証拠群を有罪認定の根拠としているものと理解することができる。<br> '''(1)''' ①T田T男(以下「T田」という)らの目撃供述によれば、本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有しており、また、②被害者両名の失踪場所の状況や時間帯並びに同場所と被害者両名の遺体及び遺留品の発見現場との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、③事件本人は、上記①の車両と特徴を同じくする車両(以下「事件本人車」という)を所有し、かつ、上記失踪場所等に土地鑑を有すること(他方で、福岡県飯塚警察署管内に居住又は所在し、上記失踪場所等を通行する可能性があって、上記特徴をほぼ満たす車両を使用していた者のうち、事件本人以外の者には、いずれもアリバイが成立すること)<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに生じたと認められる失禁と出血があり、事件本人が犯人であるとすれば、上記の血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること(なお、事件本人が事件本人車を入手して自己の管理下に置く以前に、上記の血痕及び尿痕が付着した可能性はないこと)<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路にあたっていた可能性があること、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと(事件本人に犯行の機会があったこと)<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== ====1====  本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(平成21年10月28日付け)、再審理由補充書(平成22年11月10日付け)、反論書(同年12月28日付け)、再審理由補充書(平成23年8月2日付け)、意見書(平成24年10月25日付け)、再審理由補充書(同年11月16日付け)、再審理由補充書(同年12月27日付け)、意見書(平成25年1月15日付け)、意見書(同年2月6日付け)、意見書(その2)(同月7日付け)、意見書(同月28日付け)、再審理由総括書面(同年4月15日付け)、反論書(同年6月3日付け)、検察官の意見書9に対する反論書(同年7月10日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、別紙記載の証拠を提出し、これらによれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げる情況証拠のうち、柱となるものの証拠能力ないし信用性が否定され、その余のいかなる情況証拠を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当するので、速やかに再審を開始すべきである旨主張している。<br>  弁護人が提出した証拠は多数に上るが、その主要な証拠及び立証命題は、次の3点に集約することができる(平成25年4月15日付け再審理由総括書面4頁以下)。<br> '''(1)''' 筑波大学社会医学系法医学教室本田克也教授(以下「本田教授」という)作成の平成21年10月13日付け「最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)」(当審弁第1号証、以下「本田第1次鑑定書」という)、平成22年12月20日付け「菊池和史(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書」(当審弁第14号証、以下「本田反論書」という)及び平成24年10月15日付け「鑑定書」(当審弁第17号証、以下「本田第2次鑑定書」という)並びに当審における本田教授の証言(以上の鑑定書等及び証言を総称して「本田鑑定書等」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(4)の科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第68号証、同第76号証)の各証拠能力ないし信用性が否定されること、そのため、確定判決が認定した「被害者両名の遺体付近や膣内容及び膣周辺から採取した血痕や血液に混在していた、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液の血液型及びDNA型が、犯人が1人である場合には、B型、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致している」との事実が認められないことになること、そして、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることを立証しようとするものである。<br> '''(2)''' いわゆる足利事件の再審判決(宇都宮地方裁判所平成14年(た)第4号、同裁判所平成22年3月26日判決)並びに最高検察庁作成の「いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について」(当審弁第11号証、以下「最高検報告書」という)、東京歯科大学法歯学講座水口清教授作成の意見書(当審弁第12号証、以下「水口意見書」という)及び京都大学大学院医学研究科法医学講座玉木敬二教授作成の意見書(当審弁第13号証、以下「玉木意見書」という)は、いわゆる足利事件における科警研のDNA型鑑定と、確定判決がその有罪認定の根拠とした前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定が証拠として同質であること、よって、前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されることを立証しようとするものである。<br> '''(3)''' 日本大学文理学部心理学研究室嚴島行雄教授(以下「嚴島教授」という)作成の平成23年7月8日付け「いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書」[当審弁第15号証、以下「嚴島第2次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第2次実験」という]、司法警察員巡査部長K1(以下「K1」という)、同K2作成の「殺人事件報告書」(当審弁第23号証、以下「K1報告書」という)、司法警察員警部補K3作成の「遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書」(当審弁第24号証、以下「K3報告書」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(1)①のT田の目撃供述の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br> ====2====  これに対する検察官の主張は、意見書(平成22年8月31日付け)、意見書2(平成24年2月27日付け)、意見書3(同年3月30日付け)、意見書4(同年12月28日付け)、意見書5(平成25年1月21日付け)、意見書6(同年2月8日付け)、意見書7(同月12日付け)、意見書8(同年4月15日付け)、意見書9(同年7月5日付け)に記載されたとおりである。<br>  検察官は、要旨、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求の棄却を求める旨主張し、同主張を裏付ける資料を提出している。<br> ===第3 当裁判所の判断=== ====1 序言====  当裁判所は、弁護人及び検察官の主張並びに確定審及び当審における証拠を検討した結果、弁護人が提出した証拠を確定記録中の関係証拠と併せて検討しても、事件本人と各犯行との結び付きを認めた確定判決の事実認定は正当なものとしてこれを肯認することができ、再審の理由があるとは認められないとの結論に至ったものである。以下に、その理由を説明する。 ====2 証拠の新規性について====  まず、本件再審請求において弁護人が提出した各証拠が、刑事訴訟法435条6号にいう「あらたに」発見された証拠といえるか(証拠の新規性)が問題となる。<br>  証拠の新規性は、当該証拠が未だ裁判所によって実質的な証拠価値の判断を経ていない証拠であれば、これが認められると解され、鑑定についても、その基礎資料に従前の鑑定と同様のものが用いられたとしても、新たな鑑定人の知見に基づき検討が加えられたときには、新規性を認めてよいと解される。<br>  そこで検討すると、当審弁第7号証は、確定第1審甲第725号証と同一のものであり、また、当審弁第8号証ないし同第10号証は、確定判決、確定控訴審判決及び確定上告審判決の各写しであって、いずれも再審事由となる新規性のある証拠には当たらないが、これらのものを除くと、本件再審請求において弁護人が提出した証拠は、いずれも新規性は認められるといえる。<br> ====3 証拠の明白性について====  次に、弁護人が提出した証拠のうち、前記のとおり新規性が認められる証拠(以下「新証拠」という)が、刑事訴訟法435条6号にいう有罪の言渡しを受けた者に対して無罪を言い渡すべき「明らかな」証拠といえるか(証拠の明白性)について検討する。<br>  証拠の明白性については、当審に提出された新証拠と、その立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠であるか否かを判断すべきものであり、その総合的評価をするに当たっては、その判決の当否を審査する過程において確定記録中の全証拠をも検討の対象にすることができると解される。<br>  そこで、本件再審請求についても、新証拠の証拠価値を検討するに当たっては、確定第1審で取り調べられた証拠のみならず、確定控訴審で取り調べられた証拠も適宜検討対象に加えながら、弁護人が提出した新証拠が事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠といえるかについて検討することとなる。<br>  なお、弁護人は、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠以外にも、多数の文献類を新証拠として提出しているが、これらの証拠のうち、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等を補充するにすぎないものと位置づけられる(前記再審理由総括書面4頁)当審弁第6号証、同第16号証、同第18号証ないし同第22号証、同第25号証及び同第26号証については、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等と別個に検討を加えることはしない[PM法によるDNA型鑑定に関する証拠(当審弁第2号証ないし同第5号証)については、後記(4)イ(イ)cで検討する。]。<br> '''(1) T田の目撃供述について'''<br> '''ア T田の供述要旨と確定審の判断'''<br> '''(ア) T田の供述要旨'''<br>  T田は、平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督等の業務に従事していた者であるが、同年2月20日午前11時頃、甘木市(以下略)の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前[尋問時に提示された実況見分調書(確定第1審甲第502号証)によれば、約200メートル付近]の反対車線の道路上に停車しているのを目撃した車両について、確定第1審において、要旨、次のとおり供述している。<br>  目撃した車両は、紺色のワンボックスタイプのワゴン車で、後輪は、前輪よりも小さいので、ダブルタイヤだと覚えている。後輪の車軸の部分に黒い輪があった。車両の横から後ろの窓に色の付いたフィルムが貼ってあった。車体の横に黄色や赤色のラインはなかった。サイドモールはあったと思う。型式の古い車だと思った。ダブルタイヤであったから、マツダの車だと思っていた。一目見てマツダのボンゴだと分かった。<br> '''(イ) T田供述の信用性についての確定審の判断内容'''<br> '''a''' 確定判決は、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述について、公判で供述するよりも前に捜査機関から事件本人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があることを踏まえながらも、T田が、目撃後19日目で事件本人車を見せられていない時期である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、公判供述とほぼ同様の供述をしていること(T田の警察官調書、確定第1審甲第724号証)を指摘して、T田の公判供述のうち、上記警察官調書における供述(すなわち、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います」)と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができるが、他方で、T田の公判供述のうち、サイドモールがあったとする点及びダブルタイヤだったのでマツダの車だと思っていたとする点は、事件本人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできないと判断している(確定判決28頁ないし31頁)。<br> '''b''' なお、確定控訴審判決は、確定判決における目撃車両に関するT田供述の信用性についての判断部分につき、確定控訴審における事実取調べの結果も踏まえつつ、確定判決がT田の公判供述にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられず、確定判決は抑制的かつ慎重に判断を示しているものであって、その結論は大筋において是認することができると判示している(確定控訴審判決書8頁ないし11頁)。<br>  その上で、確定控訴審判決は、T田がマツダのボンゴ車であると供述するのも、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田が目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは、車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田が目撃した車両について他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できると判示している(確定控訴審判決書13頁)。<br> '''イ 嚴島第2次鑑定書等の内容の要旨'''<br> '''(ア) 嚴島第2次鑑定書の内容の要旨'''<br>  嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の信用性に関する心理学鑑定書」[確定控訴審弁第70号証、以下「嚴島第1次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第1次実験」という]について確定控訴審判決で指摘された問題点、すなわち、①嚴島第1次鑑定は、厳冬期と異なり、車の往来の激しい4月の桜開花期に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とは、そもそも全く条件が異なること、②目撃された車両が、後輪がダブルタイヤであり、前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車両の後輪にもう1個同じ大きさの車輪を重ね合わせたに過ぎなかったため、タイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていること、③特に、実験時には、対向してきてすれ違う通行車両が、平均して約30秒に1台の割合で存在していたことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似の記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることを考慮して、条件変更を行った上で、T田の目撃状況の再現実験を行ったものである。<br>  その実験結果について、嚴島第2次鑑定書は、被験者について、目撃した車両及び人物のいずれについても、T田のような詳細な記憶は喚起されなかったことに加え、被験者のうち15名には、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、そのような被験者ですら、T田のような詳細な車の説明ができなかったとしている。そして、同鑑定書は、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察されるとし、T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ない旨を結論としている(同鑑定書4頁)。<br> '''(イ) K1報告書及びK3報告書の各内容の要旨'''<br>  K1報告書は、K1らが、平成4年3月2日、福岡県甘木市森林組合に対して聞き込みを実施したところ、同組合職員のT田が、同年2月20日の午前9時から9時30分の間に、職務のため八丁峠を通行し、午前11時30分頃、頂上付近のカーブにて駐車していた紺色ワゴン車1台を目撃したとのことであった、ということなどを内容とするものである。<br>  K3報告書は、T田の目撃情報の入手状況並びに同人が供述した車両のタイヤのホイルキャップ及びボディラインに関して、事件本人車について捜査した結果等を記載したものである。同報告書には、事件本人車に関する捜査結果として、T田の平成4年3月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、同月7日に事件本人車を現認し、同車両にはボディラインはなかったことが記載されている。<br> '''ウ 検討'''<br> '''(ア) 嚴島第2次鑑定書について'''<br> '''a''' まず、嚴島第2次鑑定書についてみるに、たしかに、第2次実験は、第1次実験について確定控訴審から指摘された諸々の問題点を是正し、T田が不審車両を目撃した条件にできるだけ近付ける形で再現実験を実施しており、このような措置は、再現実験に基づく鑑定意見の証拠価値を高めるものとはいえる。<br>  しかし、第2次実験の条件においても、以下に述べるように、いまだ重要な点で、T田が実際に不審車両を目撃した条件とは異なっており、第2次実験の結果をもってT田供述の正確性に疑問が生じるということはできない。<br>  すなわち、T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり(確定控訴審第2回公判におけるT田供述203項)、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである(確定第1審第18回公判におけるT田供述277項)。また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり(確定第1審第18回公判におけるT田供述27項ないし30項)、T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。これらの事情は、T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを示す事情といえる。また、T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして注意を向け易いということにも結び付くものである。そして、T田は、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、T田が前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが[確定第1審第18回公判におけるT田供述215項ないし250項、同公判におけるG1(以下「G1」という)供述10項ないし78項、93項ないし123項、142項ないし173項、178項ないし179項]、このような会話等により、T田は、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる。さらに、T田は、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた(確定第1審第18回公判におけるT田供述303項、357項ないし358項、570項ないし571項、574項ないし575項)。人の記憶の程度は、各々の属性やその時々の諸条件によって異なるところ、上記のような重要な点で、第2次実験の被験者は、知覚し記憶する条件がT田よりも不利なものとなっていると考えられる。<br>  これに対し、嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いたとするが(同鑑定書58頁ないし59頁)、上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である。<br>  また、嚴島第2次鑑定書は、T田は目撃現場付近の道路を通行することがあったが、被験者はこの道路を通行した経験を有しないことに関して、「被験者はT氏の経験する干渉効果からは免れることになる。よって、本実験結果は実際の日常での経験によって得られる結果よりも優れることが予想される」(同鑑定書62頁)と説くが、十分に納得できる合理的根拠が提示されているとはいえない。<br>  そうすると、嚴島教授が、第2次実験の被験者が走行する距離をT田が不審車両を目撃した際に走行した距離よりも短いものとしたこと、被験者が運転する車両を操作の簡単なオートマティック車としたこと、被験者の半数の者に対し、「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」旨の教示を行うなど、被験者らが駐車車両を知覚し記憶し易くなると考えられる方向での措置を講じていることを十分考慮しても、第2次実験の実験条件は、重要な点においてなおT田の目撃条件と異なっており、T田と同等以上に知覚、記憶を促進するようなものになっていたとは認め難い。したがって、そのような第2次実験の実験条件のもとで被験者らがT田と同様の記憶を保有することができなかったとしても、このことから、T田がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとみることはできない。<br> '''b''' また、嚴島第2次鑑定書では、T田供述について、心理学の知見を踏まえた分析がなされているところ、その中で、嚴島教授は、T田の目撃供述は、記憶の符号化段階、貯蔵段階、検索段階のそれぞれに、記憶を形成するのに障害となる要因が多く関与していたにもかかわらず、その供述内容は、現実にはあり得ないような際立った詳細さを有したものであり、このことは、T田の記憶の起源がT田の体験以外からもたらされていることを示している旨の指摘をしている(同鑑定書120頁ないし141頁)。<br>  ところで、確定控訴審判決は、目撃車両に関するT田供述の信用性を肯定する事情として、T田は、森林組合に勤務し、目撃現場付近を季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であり、本件犯行時の冬期に、目撃現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しい上、目撃車両が通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していたため、不審の念を抱き、強い関心と注意をもって同車の状態を目撃したこと、T田は、日頃から、雑誌等を通じて自動車の仕様等について関心を抱き、大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについても、ある程度詳細に知覚し、これを記憶にとどめることができたこと、停車車両のそばに立っていた者の行動に不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、翌日の夕方に、遺体発見をラジオ報道で知り、同僚のG1らにその際の様子を話したり、その翌日にも再び話題にしたりしたことにより、当時の状況を思い返し、記憶を新たにしていること、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、T田が目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、T田の車に対する日頃からのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられることなどの指摘をしている(確定控訴審判決書10頁ないし11頁)。<br>  この点に関し、嚴島第2次鑑定書では、確定控訴審判決が指摘している上記各事項のうち、T田が仕事で大休の現場に行く機会が多く、たびたび目撃現場付近を通行していたことに関しては、類似する出来事を経験することによる忘却の可能性を指摘しているが(同鑑定書122頁ないし123頁)、その余の事情については、それらがT田の知覚や記憶に及ぼした影響の有無、程度について、心理学の知見を踏まえた十分な検討がなされていない。また、嚴島教授は、上記の忘却の可能性に関し、T田には、類似する出来事を経験することにより、目撃時に経験した出来事の忘却が起こりやすかったと強く推察されるのに対し、第2次実験の被験者らは、現場を何回も訪れるという類似した出来事を経験していないにもかかわらず、同人らからT田のような詳細な報告が得られなかったということは、T田には、目撃時に経験した出来事以外の情報がもたらされたと考えるほかない旨指摘するが(同鑑定書123頁)、後記のようなT田の供述経過に照らすと、そのような忘却が起きたとは考え難いし、上記被験者らが干渉による忘却以外の原因によってT田より詳細な記憶を喚起できなかったということも十分に考えられるのであるから、嚴島教授の上記指摘は採り得ないものといわざるを得ない。<br>  そうすると、嚴島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。<br>  さらに、嚴島教授は、T田供述は捜査機関の誘導によって形成された可能性がある旨を示唆している(嚴島第2次鑑定書147頁ないし149頁)。<br>  この点について、T田は、不審車両を目撃した場所について、「警察官と一緒に現場に赴いた際、不審車両が止まっていた地点は最初から大体分かっており、そのことは警察官にも多分言っているが、何日か経っているから、確認のために3回くらい往復して、最終的にそこだということを話した」旨の供述をし(確定第1審第18回公判におけるT田供述288項ないし289項、424項ないし427項)、また、T田に同行したK1も、「最初、この位置と案内してもらったが、同じような場所があるので、もう一度確認したいということで、その場所を3往復した。そして、最初の場所にやはり間違いないということで、場所を確認した」旨の供述をしている(確定第1審第16回公判におけるK1供述62項)。このように、T田に同行して現場に赴いていたK1の態度は、被害者両名の遺留品発見現場であることが警察官らに既に判明していた場所とT田が不審車両を目撃したと説明した場所とが符合することが判明した後でも、なおT田に現場付近の往復を繰り返させて、その場所を確認させるというものであった。<br>  以上のようなT田が不審車両を目撃した現場に警察官を案内した際の状況に加えて、T田の供述内容が、その目撃した人物について、年齢等の点で事件本人と一致するものではないこと(確定第1審第18回公判におけるT田供述429項ないし431項)、また、事件本人を面通しされた際に、目撃した者が事件本人であるかについて、同一性を識別できない旨供述していること(確定控訴審検第12号証)を踏まえると、T田に、警察官に迎合的な傾向があるとはいえず、T田の目撃供述のうち、少なくとも、確定判決が信用性を肯定している、紺色、ダブルタイヤのワンボックス車を目撃したという点については、警察官による誘導によって供述したとは考えられない。<br>  その他、嚴島第2次鑑定書が、T田供述の正確さについて疑問を抱かせる理由として種々指摘するところを検討しても、T田供述の信用性は揺るがない。<br> '''c''' 以上のとおりであって、嚴島第2次鑑定は、心理学の知見からの1つの見解としては傾聴に値するものがあるとはいい得ても、本件再審請求における証拠価値としては相当に限定的なものであって、嚴島第2次鑑定書において、嚴島教授が第2次実験の結果や心理学の知見を踏まえて述べている諸見解によって、目撃車両についてのT田供述の信用性が否定されるということはできず、したがって、同鑑定書に明白性は認められない。<br> '''(イ) K3報告書及びK1報告書について'''<br>  次に、K3報告書及びK1報告書についてみるに、弁護人は、これらの報告書に依拠して、平成4年3月2日の時点では、目撃車両の特徴を紺色ワゴン車としか述べていなかったT田が、同月9日付け警察官調書(確定第1審甲724号証)において、「トヨタやニッサンでない」、「車体にラインは入っていなかったと思う」、「フィルムを貼っていたのではないかと思う」等と供述するに至った理由は、同月7日に事件本人車を見分して車種や特徴を把握したK1がT田の供述を誘導したことにあることが明らかとなっており、これらの報告書により、嚴島第2次鑑定書における、T田供述は事後情報効果によりもたらされたものであるとする指摘が裏付けられていると主張する。<br>  たしかに、K1報告書には、同月2日の聞き込みの際に、T田が紺色ワゴン車を目撃した旨の記載が存在し、また、K3報告書には、同月7日にK1らが事件本人車を現認し、同車にボディラインはなかった旨の記載が存在するのであり、警察官が車両を確認する際、ボディラインの有無のみを確認し、車種等を確認しないことは考え難いから、T田の同月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。<br>  しかしながら、K3報告書には、T田が、同月4日の午前に、「車両は、普通車の紺色ワゴン車、後輪がダブルタイヤ、やや古い」旨述べたこと、同日の午後に、「駐車車両は、紺色、ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ、車内は見えなかったように思うので、ガラスに何か貼っていたと思う」旨述べたことがそれぞれ記載されており、そうであれば、T田は、K1が事件本人車を目撃する以前であり、K1からの誘導を受ける可能性のない時期から、その目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められる。また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことを同僚のG1らと話題にした際、G1に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが(確定第1審第18回公判におけるG1供述35項、48項ないし51項、70項ないし71項、94項、102項、104項ないし106項)、T田とG1がそのような会話をする以前に、T田がK1その他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない。<br>  そうすると、K1報告書及びK3報告書によって、K1がT田に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、したがって、これらの報告書にも明白性は認められない。<br> '''(ウ) 小括'''<br>  以上の理由から、嚴島第2次鑑定書、K3報告書及びK1報告書には、いずれも、明白性は認められない。<br> '''(2) 科警研が実施した鑑定について'''  (以下、本件で実施されている血液型鑑定はABO式のみであることからその旨の記載を省略し、また、MCT118型の型を記載する際には、単に「16-26型」などと記載することがある)<br> '''ア''' 科警研の鑑定結果と確定判決の判断<br> '''(ア)''' 科警研は、被害者両名の遺体やその付近から採取した血痕及び血液について、血液型鑑定及びDNA型鑑定[確定第1審甲第68号証、酒井活子技官(以下「酒井技官」という)及び笠井賢太郎技官(以下「笠井技官」という)担当、以下「酒井・笠井鑑定」という]を実施し、また、事件本人の毛髪についても、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第76号証、酒井技官、笠井技官及び佐藤元技官担当、以下「酒井・笠井・佐藤鑑定」といい、前記「酒井・笠井鑑定」と併せて「酒井・笠井鑑定等」という)を実施した。<br> '''(イ)''' 酒井・笠井鑑定の鑑定資料は、(1)木の枝に付着の血痕ようのもの(以下「資料(1)」といい、また、資料(1)のうちPBS抽出遠心沈渣を「資料(1)①」、枝に残存していたものを「資料(1)②」という)、(2)被害者A田の膣内容物(以下「資料(2)」という)、(3)被害者A田の膣周辺付着物(以下「資料(3)」という)、(4)被害者B山の膣内容物(以下「資料(4)」という)、(5)被害者B山の膣周辺付着物(以下「資料(5)」という)、(6)被害者A田の心臓血(以下「資料(6)」という)及び(7)被害者B山の心臓血(以下「資料(7)」という)である。<br>  確定判決が、その証拠能力を肯定した酒井・笠井鑑定の内容を踏まえて、上記資料(1)ないし資料(7)について示した判断は、以下のとおりである。<br> '''a''' 資料(1)ないし資料(5)の血痕由来部分について解離試験法により血液型検査をしたところ、資料(1)、資料(4)及び資料(5)はB型とA型の混合あるいはB型とAB型の混合、資料(2)及び資料(3)はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられ、また、資料(6)はO型、資料(7)はA型であった(確定判決120頁ないし122頁)。<br> '''b''' 資料(1)①及び資料(5)は16型及び18型の濃いバンドと25型及び26型の薄いバンドが、資料(1)②及び資料(4)は18型の濃いバンドと16型、25型及び26型の薄いバンドが、資料(2)は23型及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23型、26型及び27型の薄いバンドが観察された。これらは、いずれも3種類以上のバンドが検出されたので、いずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。資料(6)は23-27型、資料(7)は18-25型であった(確定判決122頁ないし123頁)。<br> '''c''' 被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、被害者両名に由来しない血痕ないし血液が混在していたと認められるが、これは犯人のものであるとしか考えられない。被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)の血液部分は抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したこと、被害者B山は陰部から出血しており、この血液の中には被害者B山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、前記bのMCT118型検査によると、被害者B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、そのうち2本のバンドは被害者B山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料には被害者B山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液は被害者B山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である(確定判決137頁ないし139頁)。<br> '''d''' 被害者A田に由来する資料(2)及び資料(3)の血液部分は抗B抗体及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められ、被害者A田も陰部から出血しており、この血液の中には被害者A田由来のO型の血液が当然含まれていると考えられることからすると、被害者A田に由来しない血液は、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。ここでも被害者両名に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない(確定判決140頁)。<br> '''e''' 被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)並びに被害者B山の腹部付近の木の枝に付着の資料(1)からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、被害者B山は18-25型であることが認められるところ、これらの資料には、いずれも被害者B山由来の血液と犯人由来の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、被害者B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、被害者A田に由来する資料(3)からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、被害者A田は23-27型であることが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、被害者両名に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、被害者A田に由来する資料(2)からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、被害者両名に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人の型は16-26型であると認められる(確定判決147頁ないし148頁)。<br> '''(ウ)''' 確定判決がその証拠能力を肯定した酒井・笠井・佐藤鑑定の内容は、鑑定資料(事件本人の毛髪)の血液型はB型であり、MCT118型は16-26型であるというものである(確定判決125頁ないし127頁)。<br> '''イ''' 血液型鑑定について<br> '''(ア)''' 本田鑑定書等の内容<br>  弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定について、種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、次のとおりである。<br> '''a''' 血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではないから、酒井・笠井鑑定が血液凝集反応の強弱を血液型判定に持ち込んだことは完全に誤っている。<br> '''b''' 酒井・笠井鑑定には、血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保証されていない。<br> '''c''' 資料(2)及び資料(3)には被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも増幅されていないから、被害者B山の血液が資料(2)及び資料(3)に混合していた可能性は完全に否定される。また、資料(1)ないし(5)が混合資料であるとしても、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかない。したがって、すべての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である(ただし、本田教授は、当審における証人尋問においては、後記eのように、資料(2)ないし(5)についての検査結果は採用できないとした上で、資料(1)からは、犯人の血液型はAB型だと思うと述べている。)。<br> '''d''' 被害者両名と犯人との血液の混合比については、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に大きな矛盾がある。すなわち、資料(1)について、抗B抗体に強い反応を示していたことが正しいとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型に関しては、被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されているという結果は得られておらず、また、資料(3)についても、同様に、血液型検査とDNA型検査の間に明らかな矛盾がある。<br>  なお、血液型検査に比べて、DNA型検査の方が資料を多く必要とするとか、検査の鋭敏さにおいて劣るなどということはあり得ず、むしろ、後者の方が資料は微量で済み、かつ鋭敏である。したがって、血液型が検出された混合資料についてDNA型が検出されないことはあり得ない。<br> '''e''' 資料(2)ないし資料(5)については、木綿糸ではなく、非特異的に抗体を吸収してしまう脱脂綿が使用されているが、コントロールが置かれていないから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型検査の結果は信頼できない。<br> '''(イ)''' 検討<br>  そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。<br> '''a''' 前記(ア)aの点、すなわち、血液凝集反応の強弱を考慮することには誤りがあるとする点については、本田教授の上記指摘は、酒井・笠井鑑定の基礎資料を再鑑定した結果に基づくものでないことはもとより、血液凝集反応の強弱を考慮する手法の問題点を明らかにした実験結果等に依拠するものでもなく、血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて酒井・笠井鑑定を論難するに過ぎないものである。<br>  酒井技官は、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であるところ、酒井技官によれば、酒井技官は、体液と血液の混合資料から、通常の検査法を用いて、血液及び体液の混合した血液型を検出し、さらに、クロロホルム・メタノール抽出法を用いて、体液と血液の混合資料から、赤血球の血液型物質の主成分である糖脂質を抽出して血液型を検出し、両者の比較を行い、反応の有無・強弱を5段階に分けて、それぞれ凝集反応を確認し、通常の生来的なAB型の凝集反応の現れ方との違いの観点から検討したというのであって(確定第1審第5回公判における酒井技官供述71項ないし101項)、現実に観察された血液凝集反応に、豊富な自らの経験を当てはめて判断したものといえるから、その判断結果は合理性を有するといえる[なお、被害者両名の血液型等を検査した福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という)の林葉康彦技術吏員(以下「林葉技術吏員」という)も、「木の枝付着の人血につき、A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している(確定第1審第8回公判における林葉技術吏員供述309項ないし312項、353項ないし366項)。]。<br>  また、資料(1)ないし(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。<br>  解離試験法は、血痕資料に抗A、抗Bなどの抗体を加えて血痕に吸着させ、吸着していない抗体を洗い流した後、血痕に付着させた抗体を解離させて、そこに型の分かっている赤血球を加えて型判定をするものであるから(確定第1審第5回公判における酒井技官供述72項)、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、酒井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないとするのは相当でない。<br> '''b''' 前記(ア)bの点、すなわち、血液凝集反応についての写真が添付されていないことを問題とする点については、たしかに、酒井・笠井鑑定等の鑑定書には血液凝集反応を撮影した写真が添付されていないことが認められ、爾後の検証の観点からすれば、写真が添付されていることが望ましいことは本田教授が指摘するとおりであるが、鑑定の信用性は、鑑定書の体裁のみならず、鑑定した者の供述等を含めて総合的に判断するべきものであるから、写真が添付されていないことの一事をもって、酒井・笠井鑑定の信用性を否定することは相当でない。<br> '''c''' 前記(ア)cの点は、要するに、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定及びこれに基づき犯人の血液型はB型であるとした確定判決の認定は誤っており、犯人の血液型はAB型であるとの趣旨の指摘であると解される。<br>  そこで、まず、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されておらず、これらの資料に含まれるA型物質が被害者B山由来のものとはいえないから、これらの資料に含まれる犯人の血液型について、犯人が1人であるとすれば、B型であると認めることはできず、AB型と考えられるとする点について検討する。<br>  この点について、酒井・笠井鑑定は、資料(2)及び資料(3)(被害者A田の膣内容物及び膣周辺物)について、血液凝集反応の強弱を考慮して、O型(被害者A田に由来する)とB型の混合に微量のA型又はAB型が混合しているものと鑑定し、確定判決は、これを踏まえて、これらの資料に含まれるB型は犯人由来のものとみるほかないと認定しているのであって、A型物質が被害者B山由来のものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはされていない。<br>  また、ABO式血液型鑑定の可否は血液に含まれている血液型物質の量で決まり、MCT118型鑑定の可否はそれに含まれているMCT118部位のDNAの量で決まるといえるが、確定第1審における酒井技官及び笠井技官の各供述によれば、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、他方で、MCT118型鑑定では白血球を使用しており、両鑑定では血液中の全く異なる部位を使用しているものと認められ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述58項、確定第1審第35回公判における笠井技官供述92項ないし96項、123項)、そうすると、ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のA型の血液型物質が混合しているとの鑑定結果が得られたが、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得るところ、資料(2)及び資料(3)が採取された状況等に照らせば、実際にそのような事態が生じることも十分に考えられるから、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されていないからといって、資料(2)及び資料(3)に被害者B山の血液が混合していないなどということはできない。むしろ、資料(3)については、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によってミトコンドリアDNA型鑑定が実施され、被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が検出されていること(確定第1審甲第625号証)も併せ考えると、本田教授の上記指摘は当たらないというべきである。<br>  次に、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかなく、犯人が1人であるとすれば、その血液型はAB型であるとする点についてみると、この指摘は、酒井・笠井鑑定の血液型検査の結果をもとに抽象的な推論をしたに過ぎないものであるから、酒井・笠井鑑定の信用性を低下させるということはできない。なお、本田教授は、当審における証人尋問において、資料(1)によれば犯人の血液型はAB型であるとも証言しているが(第2回36項)、その根拠は、通常は、血液型判定は単独資料を前提にして行うものであり、資料(1)については混合資料であるという前提もないので、AB型と読むのが一番合理的であるというに過ぎないものであって(第2回514項)、当該資料の採取状況などの客観的な事実を考慮に入れていない点で、説得的なものとはいい難く(資料(1)のMCT118型鑑定において4本のDNAバンドが検出されていることからすれば、資料(1)は混合資料であると認められる。)、上記証言も採用できない。<br> '''d''' 前記(ア)dの点、すなわち、被害者両名と犯人との血液の混合比について、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に矛盾があるとする点については、前記cで述べたとおり、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定とでは、血液中の別個の部位を使用することなどに照らせば、血液型鑑定における血液凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していなかったからといって、酒井・笠井鑑定の信用性が損なわれるということはできない。<br> '''e''' 前記(ア)eの点、すなわち、資料(2)ないし資料(5)には脱脂綿が使用されていることなどから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型鑑定は信頼できないとする点については、本田教授自身、当審における証人尋問の1回目の期日以前には言及しておらず、証人尋問の2回目の期日に至って初めて指摘した事項である上、脱脂綿の使用により問題が生じる可能性を抽象的に指摘するのみで、酒井・笠井鑑定の信頼性を疑わせる論拠となるような実験結果や文献資料等は何ら提出されていないのであって、本鑑定を担当した酒井技官が、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であることに照らしても、本田教授のかかる指摘を直ちに採用することはできない。<br> '''f''' 以上のとおりであって、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用することができない。<br> '''ウ MCT118型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等の内容'''<br>  弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定等で実施されたMCT118型鑑定について、種々の指摘をして、その信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、以下のとおりである。<br> '''a 本田第1次鑑定書の内容'''<br>  本田第1次鑑定書は、事件本人の遺留物件に付着した細胞等を資料として事件本人のDNA型(MCT118型等)を判定すること、並びに、酒井・笠井鑑定等の鑑定結果及びその解釈に対する意見を述べることを鑑定事項とするものであり、その主な内容は、次のとおりである。<br> '''①''' 事件本人の遺留物件に付着した細胞等についてDNA型検査をしたところ、事件本人のMCT118型は18-30型であると判定される。したがって、事件本人のMCT118型を16-26型とした酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定内容は、型判定において誤りがあるのが明白である。<br> '''②''' 酒井・笠井鑑定等は、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型と事件本人の型が同一であると判定しているが、資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動された写真がないから、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。<br>  また、酒井・笠井鑑定添付の電気泳動写真と酒井・笠井・佐藤鑑定添付の電気泳動写真を比較検討したところでは、泳動位置に違いがあり、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、事件本人の型は16-27型と判定され、明確に異なった型と判定される。<br> '''③''' 酒井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合が1人なのか、2人なのか、3人なのか、あるいはそれ以上なのかによって、被害者両名以外の型として解釈できる型は幾通りにも存在するから、犯人の型が16-26型であると解釈することができたとしても、決して確定することはできない。<br> '''④''' ポリアクリルアミドゲル電気泳動法では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。<br>  いわゆる足利事件において、科警研により、被告人とされていた菅家利和氏(以下「菅家氏」という)のMCT118型についても、酒井・笠井鑑定等と同じポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定がされているが、本田教授が菅家氏のMCT118型を再鑑定したところ、18-29型であることが判明した。<br>  そして、酒井・笠井鑑定の資料(1)等から検出された犯人と推定される型と、菅家氏の型はいずれも16-26型と判定されており、鑑定書添付の電気泳動写真上も両者のバンド位置はほぼ一致しているから、犯人の型も18-29型であるということになる。前記のとおり、事件本人の型は18-30型であることが判明したから、事件本人が犯人である可能性は否定される。<br>  なお、123塩基ラダーマーカーによる鑑定法では、本来の18-29型、18-30型、18-31型が16-26型と判定されるという反論がされるかもしれないが、このような方法は信頼性があるとは到底いえない。<br> '''b 本田第2次鑑定書の内容'''<br>  本田第2次鑑定書は、酒井・笠井鑑定等に添付された電気泳動写真のネガフィルムを可視光及び近赤外光で撮影したデジタル画像データについて精査した上、そこから読み取れる事実を明らかにすることを鑑定事項とするものであり、鑑定結果の主たる内容は、次のとおりである。<br> '''①''' 酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13のネガフィルム(確定第1審甲第593号証、以下「酒井・笠井鑑定のネガフィルム」という)のデジタル画像データ(本田第2次鑑定書添付写真3及び4)では、被害者両名の心臓血(資料(6)、資料(7))を含むすべての資料において、16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型とは無関係のバンドであるといえる。<br> '''②''' 前記デジタル画像データの資料(1)、資料(4)及び資料(5)には、41型、46型と見られるバンド(以下「X-Yバンド」という)が存在するところ、このX-Yバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高い。なお、この画像だけからはX-Yバンドがエキストラバンドであるとする根拠がない。<br> '''③''' 前記デジタル画像データの分析結果によれば、26型とされたものは、資料(1)ないし資料(5)のうち3つで辛うじて認められるが、これらですら、濃度が非常に薄いのみならず、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、意味のあるバンドであるか否かの認定が困難で、ゲルの固まりムラによる泳動中の増幅産物の解離によるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。<br> '''(イ) 検討'''<br>  そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。<br> '''a 本田第1次鑑定書について'''<br> '''①''' 前記(ア)a①の鑑定結果自体については、特に信頼性を疑わせるような事情はない(検察官も特に信頼性を争っていない。)。その意義については、後記④において更に検討を加えることとする。<br> '''②''' 前記(ア)a②では、酒井・笠井鑑定と酒井・笠井・佐藤鑑定の各電気泳動が別々の機会に実施されたものであることが問題にされているが、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされているから[確定第1審第5回公判における酒井技官供述212項ないし213項、笠井技官ら「MCT118座位PCR増幅産物のゲル電気泳動による分離とDNAマーカーによる型判定に関する技術的検討-123塩基ラダーとシータス・アレリックラダーとの比較-」(確定第1審弁第7号証21頁)]、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえない。<br>  また、MCT118型鑑定における型判定は、電気泳動写真をDNA解析装置に取り込み、デンシトメトリーを用いてデンシトグラムのピークの有無、高さ等を読むなどして行うものとされているところ、本件では、事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、その上位バンドの数値は563.7ないし564.9(確定第1審甲第605号証、同第606号証)などと、26型と判定するのが相当といえる数値であったのであるから、酒井・笠井・佐藤鑑定が行った型判定には、その当時の判断としては、疑問の余地はない。<br>  本田教授は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比する手法によって、酒井・笠井鑑定等の型判定に誤りがあるとするが、その判定手法は、一般的な手法とは異なり、デンシトメトリーを用いることなく電気泳動写真の目視によってバンドの位置を確定しようとするものであり、そのような手法が当を得ないものであることは明らかであって、このことのみからして、本田教授の上記見解は採用し難いものがある。<br>  また、本田教授の採った前記手法、すなわち、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比するという手法を前提としても、本田第1次鑑定書に添付された写真(「写真:123ラダーマーカーによる泳動写真の比較」)を子細に検討すると、事件本人の上位バンドは、本田教授が引いた27型を示すとされる黄色線と重なる位置ではなく、黄色線の右側の位置、すなわち、27型より下位の型と思料される位置に検出されており、同鑑定書に添付された写真によっても、事件本人の上位バンドが27型であるとは認められない。<br>  さらに、平成24年12月14日付け科警研法科学第一部生物第四研究室室長関口和正作成の意見書(以下「関口意見書」という)において指摘されているとおり、同鑑定書添付の写真においてなされているラダーマーカーの位置の比較は適切になされていない。すなわち、本田教授は、同鑑定書添付の写真において、複数の電気泳動写真における615塩基の位置を揃えるために左側の黒色線を引いたとしているが、同写真を子細に検討すると、酒井・笠井鑑定における615塩基のマーカーも、酒井・笠井・佐藤鑑定における615塩基のマーカーも、同黒色線と重なる位置には存在しておらず、しかも、同黒色線の右側の位置に酒井・笠井鑑定の615塩基のマーカーが、同黒色線の左側の位置に酒井・笠井・佐藤鑑定の615塩基のマーカーがそれぞれ検出されていることに照らせば、本田第1次鑑定書に添付された前記写真では、酒井・笠井・佐藤鑑定で検出されたバンドが高分子側に誤って判定される可能性が高い。<br>  以上のとおり、本田教授の行った写真の比較は、上記のような種々の問題点を含むものであり、本田教授の前記指摘は、それに基づいて述べられたものであるから、採用し難い。<br>  したがって、本田教授の前記(ア)a②の指摘は、採用できない。<br> '''③''' 前記(ア)a③について検討すると、酒井・笠井鑑定の結果から犯人の型として解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、酒井・笠井鑑定の結果のみからは、犯人の型を16-26型であると確定できないことは、本田教授が指摘するとおりである。<br>  しかしながら、酒井・笠井鑑定は、被害者両名以外の血液について、「おそらく、MCT118型は16-26型であると考えられる」と考察しているのであって(鑑定書14頁ないし15頁)、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決も、これを前提として、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているのである(確定判決148頁)。<br>  したがって、本田教授の上記指摘は、確定判決の事実認定を左右するものではない。<br> '''④''' 前記(ア)a④について検討すると、本田鑑定書等によれば、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーによりMCT118型の判定を行うと、得られた型が本来の塩基配列の繰り返し数を正しく反映せず、型判定を誤ってしまうこと、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーでMCT118型が16-26型と判定された資料について、正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーにより判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型のいずれかと判定される可能性があることが認められる(なお、この点に関し、本田教授は、いわゆる足利事件において、アレリックラダーマーカーを用いた型判定では18-29型と判定される菅家氏の型が、123塩基ラダーマーカーを用いた型判定では16-26型とされており、本件の資料(1)等について123塩基ラダーマーカーにより判定された型と同一であることを根拠に、本件の犯人の型も18-29型であるとも指摘しているが、上記のとおり、123塩基ラダーマーカーにより16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーで判定した場合に18-29型のみに結び付くものではないから、この点に関する本田教授の指摘は採用することができない。)。<br>  ところで、確定第1審及び確定控訴審においては、確定審弁護人の123塩基ラダーマーカーで判定された特定の型とアレリックラダーマーカーで判定された型は1対1では対応していない旨の主張に対して、確定判決は、「123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない」と判示した上で(144頁)、「犯人が1人であるとした場合には、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致していること」を有罪認定の根拠の1つとして挙げ、また、確定控訴審判決も、「被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型のいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し数を基準とするDNA型としては同一である」と判示した上で、最も出現頻度が高いと認められる18-30型について出現頻度を計算した結果に他の事実と併せると、事件本人が犯人である蓋然性が極めて高いと判示した(23頁ないし24頁)。<br>  このように、123塩基ラダーマーカーによる型判定では16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーによる正確な型判定では18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のいずれかに当たり得るところ、確定審もこれを前提に判断していたということができるが、前記(ア)a①のとおり、本田第1次鑑定書によれば、事件本人の正確なMCT118型は18-30型であることが明らかになっているから、酒井・笠井鑑定が現場遺留資料をもとにして123塩基ラダーマーカーにより判定した犯人の16-26型が、アレリックラダーマーカーによる型判定によって18-30型に当たる場合には、事件本人の型と一致しており、事件本人についての有罪認定の根拠とすることが可能であるが、上記16-26型が18-29型又は18-31型に当たる場合には、事件本人の型と矛盾することになるから、事件本人が犯人であることが否定されるか、少なくとも、事件本人についての有罪認定の根拠とすることができない。そして、本田教授が関与したいわゆる足利事件においては、捜査段階で科警研が実施した鑑定では、菅家氏に由来する資料(精液)及び被害者が着用していた下着に付着した精液のMCT118型はいずれも16-26型で同型であったとされていたが、再審段階において、上記下着に付着した精液及び菅家氏の血液のDNA型について再鑑定を実施したところ、両者は一致しなかったとされたのに対し、本件においては、被害者両名以外の者(犯人)由来の血液が付着した資料は残されておらず、その再鑑定を行うことはできないから(なお、再鑑定のための資料を残しておくことが望ましいことはいうまでもないが、資料が残されていないからといって、それにより直ちに証拠能力が否定されることにはならない。)、アレリックラダーマーカーによる犯人の正確な型が事件本人の正確な型(18-30型)と一致するか否かを確定することはできないといわざるを得ない[いわゆる足利事件の再審判決を受けて科警研が検証した結果では、123塩基ラダーマーカーで26型と分類された資料は、アレリックラダーマーカーでは29型又は30型と判定され、69例のうち、25例が29型、44例が30型に対応したとされているが(警察庁「足利事件における警察捜査の問題点等について」添付の科警研「水口清教授及び玉木敬二教授の意見書に対する補足説明」2頁、8頁)、この結果から、本件における犯人のアレリックラダーマーカーによる型は30型と断定することはできない。他方、本田教授は、いわゆる足利事件の再審における再鑑定の結果をもとに本件の犯人の型は18-29型であると述べるが、これが採用できないことは前記のとおりである。]。<br>  以上、要するに、確定判決後のいわゆる足利事件の再審にも関与した本田教授の前記指摘等を踏まえると、現段階においては、酒井・笠井鑑定等が、123塩基ラダーマーカーを指標として判定した事件本人のMCT118型及び資料(1)ないし資料(5)に含まれる被害者両名以外の者(犯人)に由来すると思われる血液のMCT118型が16-26型で一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  そこで、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力についてこのように理解した場合に、本田鑑定書等に明白性が認められるか、すなわち、新旧全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じるかについて、後記(4)において詳述することとする。<br> '''b 本田第2次鑑定書について'''<br> '''①''' 前記(ア)b①の点について検討すると、本田教授の指摘は、本田第2次鑑定書添付の写真(酒井・笠井鑑定のネガフィルムを撮影した画像データ)を精査すると、被害者両名のみに由来する資料である資料(6)及び資料(7)を含め、すべての増幅泳動レーンに16型が認められるから(資料(6)及び資料(7)の同位置のバンドの濃度は資料(1)②のそれと同程度又はそれより濃いことから、資料(6)及び資料(7)の同位置のものをバンドでないということはできない。)、すべての資料に認められる16型は、非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドであると考えられ、犯人とは全く無関係のバンドであるというものと解される。<br> '''Ⅰ''' たしかに、本田第2次鑑定書添付の写真1ないし7を見ると、資料(6)及び資料(7)の16型付近の位置に、鮮明ではないものの、バンド様のものを見て取ることができる。しかしながら、本田教授が、すべての資料に共通する16型は非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドと考えられるとする点については、にわかに首肯することができない。<br>  すなわち、関口意見書に記載されているとおり、MCT118型検査は、16型の非特異増幅を生じるような検査法であるとは認められないし、16型が各資料に含まれるDNAに由来せず、各資料のPCR増幅の過程における外来汚染によるものであるとすれば、各レーンに同程度の濃度で汚染由来のバンドが検出されるのが自然であるが、本田第2次鑑定書の画像解析によれば、16型のバンド濃度(相対値)が最も高いのは資料(5)(Lane3)で、184507であるのに対し、資料(7)(Lane1)のバンド濃度は6744と最も低いし、資料(1)ないし資料(5)のバンド濃度についてみると、資料(1)②(Lane7)こそ6854と低いものの、その他のバンド濃度は、いずれも、資料(6)及び資料(7)のバンド濃度をはるかに上回っている。また、16型が泳動時の汚染によるものであるとすれば、123塩基ラダーマーカーの3つのレーンにはいずれも16型が検出されていないことの説明が困難である。「その他の実験エラー」についても、酒井・笠井鑑定等の実施過程に即した具体的な根拠に基づく指摘ではなく、上記写真及びその解析結果をもとに、抽象的な可能性を述べる以上のものではない。<br>  そして、資料(6)及び資料(7)に16型のバンド様のものが見られることについて、確定第1審の証人尋問において、酒井技官は、デンシトグラムの波形及び酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見て、上記のバンド様のものは、いずれも、16型のDNAが混入したものではなく、よごれであると判断した旨述べ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述113項ないし129項)、笠井技官も、同様に、現像ムラか染色ムラと思われる旨述べているところ(確定第1審第35回公判における笠井技官供述71項ないし76項)、関口意見書(4頁)が述べるように、検査時に使用したエチジウムブロマイド溶液中に濃度ムラが存在している場合には、染色ムラによるバックグラウンドの発色が観察される可能性があることに加え、資料(6)及び資料(7)の16型付近のバンド様のものの形状等をも考えると、酒井技官及び笠井技官の上記判断にはそれなりに合理性があるということができる。<br> '''Ⅱ''' また、仮に、本田教授が述べるように、資料(6)及び資料(7)の16型のバンド様のものがエキストラバンドであると考えるとしても、そこから直ちに資料(1)ないし資料(5)の16型もすべてエキストラバンドであるとすることには、たやすく与することはできない。すなわち、酒井・笠井鑑定は、それぞれ別の資料である資料(1)ないし資料(7)を泳動させてその型を判定しているのであるから、資料(6)及び資料(7)から16型のエキストラバンドが検出されたからといって、その他の資料から検出された同型のバンドもすべてエキストラバンドであることが論理必然的に導かれるわけではない。また、本田第2次鑑定書によっても、資料(6)及び資料(7)から検出された16型がエキストラバンドであったとしても、その生成機序が具体的に特定されていない以上、資料(1)ないし資料(5)の検査過程に強く疑問を抱かせるということはできず、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的な可能性が存在するとは認め難い。<br> '''Ⅲ''' そうすると、酒井・笠井鑑定において、資料(1)ないし資料(5)から検出された16型はエキストラバンドであり、犯人の型が16型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''②''' 本田教授の前記(ア)b②の指摘は、X-Yバンドが被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高いというものである。<br> '''Ⅰ''' たしかに、本田教授が本田第2次鑑定書及び当審における証人尋問において指摘するとおり、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見ると、その資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)のレーン上に、X-Yバンドの位置にバンド様のものが存在することは認められる。<br> '''Ⅱ''' このバンド様のものが非特異増幅バンドではなく、犯人由来のアレルバンドである可能性を否定できない根拠として本田教授が挙げる点は、概ね、(Ⅰ)自験例において、MCT118型に37-47型が実在することを確認していること、(Ⅱ)このような高いバンドサイズ位置にMCT118型のエキストラバンドがあることは考えにくいこと、(Ⅲ)特定の意味のあるサンプルのみにしかX-Yバンドが認められていないこと、(Ⅳ)高塩基バンドにもかかわらず、同一部位に明瞭にバンドが見られることである。<br> '''Ⅲ''' まず、前記Ⅱ(Ⅰ)についてみると、高分子領域においてもMCT118型が実在することは、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定しない理由の1つにはなるが、このことのみからX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと積極的に認める根拠になるものではない。<br>  次に、前記Ⅱ(Ⅱ)の点について検討すると、関口意見書、渡辺剛太郎らによる「MCT118型にみられるエキストラバンドの成因」(以下「渡辺論文」という)及び三谷友亮らによる「MCT118型検査におけるエキストラバンドの形成機序及びエンドヌクレアーゼを用いた識別」(以下「三谷論文」という)によれば、MCT118型検査においては、エキストラバンドは、しばしば、本来のバンドより高分子領域に観察され、42以上の型においても出現することが認められる。実際、資料(2)及び資料(6)には、X-Yバンドよりもさらに高分子側である、理論上75型以上の位置にエキストラバンドと認められるバンドが存在している(本田教授も、これらのバンドについて、余りにも高すぎるので、本田第2次鑑定書作成時には、アレルバンドとは見ていなかったとの趣旨の証言をしている。)。本田教授の前記Ⅱ(Ⅱ)の指摘は、根拠となる実験結果等を示すことなく、X-Yバンドのバンドサイズ位置にエキストラバンドは生じるとは考えにくいとするものであって、採用することができない。<br>  また、本田教授が前記Ⅱ(Ⅲ)で指摘する「特定の意味のあるサンプル」とは、被害者両名の心臓血以外の資料を指すものと解されるが、被害者両名の心臓血以外の資料から検出されていることは、X-Yバンドがアレルバンドである可能性を示す理由の1つにはなるとしても、そのことから直ちにX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと認めることはできない。関口意見書、渡辺論文及び三谷論文によれば、MCT118型検査におけるエキストラバンドは、DNAのPCR増幅の際に、非相補的にヘテロデュプレックスが生成されることにより生じるものであり、2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいと認められるところ、X-Yバンドが見られる資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)については、16型と18型の双方が検出されているのに対し、X-Yバンドが見られない資料(2)及び資料(3)では、16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されていないなど、バンドの出現状況が異なっていることに照らすと、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があるといえる。なお、弁護人は、渡辺論文はアレリックラダーマーカーを用いて16型と18型と判定されたものに関しての考察結果であることを指摘するが、上記のようなエキストラバンドの生成機序に照らせば、マーカーの相違がその本質的な点に影響するとは考え難い。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅲ)の指摘は、抽象的な可能性を述べたものにとどまると評価せざるを得ない。<br>  さらに、前記Ⅱ(Ⅳ)についても、同一部位に出現が認められるからといって、直ちにそれがアレルバンドであることを示す事情とはいえないことは明らかである。渡辺論文には、16型及び18型を含む複数の資料を同一のゲルで電気泳動した場合、16型及び18型をもとに生じたエキストラバンドが同一の位置で生じるという実験結果が示されており、同じ生成機序により生じた場合には、エキストラバンドは同一部位に見られるものと考えられる。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅳ)の指摘についても、X-Yバンドがアレルバンドである根拠になるとは認め難い。<br>  したがって、本田教授が、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定できないとする根拠として示している前記Ⅱ(Ⅰ)ないし(Ⅳ)は、X-Yバンドがアレルバンドであると認める根拠とはならないか、あるいは、根拠として抽象的な可能性を示すにとどまるものであり、これらを総合しても、X-Yバンドがアレルバンドである可能性が高いと認めることはできない。<br> '''Ⅳ''' さらに、酒井技官及び笠井技官は、鑑定時に複数回電気泳動を行っていることを、確定第1審において一致して述べているところであり(確定第1審第6回公判における酒井技官供述231項、同第7回公判における酒井技官供述160項ないし161項、同第35回公判における笠井技官供述80項、304項)、かつ、笠井技官は、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したとしているところ(平成24年12月26日付け笠井技官作成の報告書)、渡辺論文及び三谷論文によれば、エキストラバンドは、ゲル組成の違いによってバンドの移動度が大きく変化する非相補的配列の高次構造をとるものであり、MCT118型検査では、異なる電気泳動条件によりエキストラバンドの移動度の差を確認する方法が採られており、ほとんどの場合、エキストラバンドとアレルバンドを容易に識別することが可能であるとされていることに照らしても、酒井技官らの上記説明は合理的なものということができる。<br>  以上によれば、X-Yバンドはエキストラバンドであると認めるのが相当である。<br>  なお、弁護人は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付の写真13は、X-Yバンドが出現している部分をカットすることによって、X-Yバンドの存在を隠ぺいしており、この隠ぺいは看過することが到底許されない重大な改ざんであるから、酒井・笠井鑑定の証拠能力は否定されなければならない旨主張する。しかしながら、上記写真のもととなった酒井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、酒井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないことに加え、上記のとおり、X-Yバンドはエキストラバンドとする酒井技官らの判断に合理性が認められることなどからすれば、酒井・笠井鑑定がX-Yバンドが写った写真を添付した上で上記内容の説明を付さなかったことの当否はともかくとして、そのことによって酒井・笠井鑑定の証拠能力が否定されることとはなり得ない。<br> '''Ⅴ''' 以上のとおり、X-Yバンドが犯人の型である可能性が高いとする本田教授の指摘は採用できない。<br> '''③''' 本田教授の(ア)b③の指摘は、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり、したがって、犯人の型が26型であると認めることはできないというものと解される。<br>  すなわち、本田教授は、本田第2次鑑定書において、資料(1)②及び資料(4)については、酒井・笠井鑑定では25型バンドと26型バンドの複合バンドとされているが、同鑑定書添付の画像データのデンシトグラム解析においては、両者は分離されていないことから、26型バンドを認めることはできず、また、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)についても、バンドの濃度が非常に薄いのみならず、25型バンドあるいは27型バンドと明確にピークが分離されておらず、デンシトグラム上もノッチ形成のレベルにとどまっていることから、もともと1つであったバンドが、ゲルの固まりムラにより、電気泳動中の増幅産物の解離によって生じたアーチファクトバンドである可能性が否定できないと指摘している。<br> '''Ⅰ''' まず、資料(1)②及び資料(4)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。<br>  確定第1審において、酒井技官及び笠井技官は、電気泳動の結果検出されたバンド様のものがアレルバンドであるか否かは、デンシトグラムのピークの有無、高さ等のみにとらわれることなく、ネガフィルムの現物を実際に観察し、当該バンド様のものの形状、濃さ、位置等を考慮して、総合的に判断する旨を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述107項ないし112項、128項ないし153項、291項ないし292項、同第35回公判における笠井技官供述79項ないし80項、124項ないし128項、298項、308項)。その上で、酒井技官は、資料(1)②から26型が検出されたと判定したことにつき、ネガフィルム上の25型のバンドが太めのものであり、その上にもバンドがあると判断されるものであったこと、デンシトグラム(確定第1審甲第598号証)の25型のピークの落ち方は普通のものとは異なっており、すそ野の中に隠れる形でもう1つバンドがあると判断されるものであったことなど、具体的な判定根拠を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述131項ないし145項)。酒井技官の述べる内容は合理的なものであり、上記デンシトグラムもそのような解釈が十分可能な形状といえる(なお、本田教授は、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを当審における証人尋問の2回目で示されるまで見たことがなかった。)。<br>  そうすると、資料(1)②及び資料(4)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。<br> '''Ⅱ''' 次に、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。<br>  この点について、関口意見書は、ゲルの固まりムラがあり、そこで増幅産物の解離が起こったのであれば、その位置を通過した増幅産物はすべて二重になるはずであるが、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の16型及び18型のバンドは二重になっていないことを指摘して、固まりムラによって特定のレーンの特定の場所だけが二重になりノッチが形成されるというのは、非常に不自然である旨述べているところ(5頁)、この意見は、電気泳動の科学的原理に合致する合理的な内容であるといえる。<br>  また、前記のとおり、酒井・笠井鑑定に従事した科警研の技官らは、確定審の公判において、いずれも、複数回の電気泳動を実施して、26型のバンドを確認した旨を述べており、ゲルの固まりムラによるアーチファクトバンドが同じ場所に複数回生じることは考え難いことなどに照らせば、本田教授が指摘する資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の26型がアーチファクトバンドである可能性はないというべきであり、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。<br> '''Ⅲ''' そうすると、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり犯人の型が26型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''エ 弁護人が提出したその他の証拠について'''<br>  弁護人は、いわゆる足利事件の再審判決が、同事件におけるDNA型鑑定について、中核をなす異同識別の判定の過程に相当程度の疑問を抱かせ、具体的な実施方法も、その技術を習得した者により科学的に信頼される方法で行われたと認めるには疑問が残るとして証拠能力を否定したことは、同事件とほぼ同時期に、同じ部位について同じ手法で実施された酒井・笠井鑑定等にもそのまま妥当する旨主張する。<br>  そして、弁護人は、本田鑑定書等に加え、酒井・笠井鑑定等が実施された当時におけるMCT118型の鑑定手法はいまだ未成熟なものであったことは玉木意見書でも指摘されており、ポリアクリルアミドゲル電気泳動と123塩基ラダーマーカーによる鑑定手法は型判定自体の正確性に疑問があることは水口意見書が指摘しているから、酒井・笠井鑑定等は、異同識別の判定過程に相当の疑問が生じており、証拠能力が認められない旨主張する。<br>  しかしながら、いわゆる足利事件の再審判決は、被害者が着用していた下着の付着物にかかるDNA型の再鑑定(検出された型は菅家氏の型と一致しなかった)等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえると、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性について一般的に判示したものでないことは明らかである。<br>  また、最高検報告書、玉木意見書及び水口意見書は、いずれも、いわゆる足利事件の科警研による鑑定書等について検討した結果を論じたものであって、本件における酒井・笠井鑑定等を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって酒井・笠井鑑定等の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''(3) 小括'''<br>  これまで検討してきたところによれば、弁護人が新証拠として提出した証拠によっても、確定判決の有罪認定の根拠となったT田供述及び酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定の信用性は揺らぐものではないが、他方で、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定については、本田鑑定書等によって、その証明力を確定判決の当時よりも慎重に検討すべき状況に至っているということができる。<br>  そこで、次項において、酒井・笠井鑑定等、当審における新証拠である本田鑑定書等及び確定審において取り調べられたその余の全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じるか否かを検討することとする。<br> '''(4) 新旧全証拠による総合評価について'''<br> '''ア 序論'''<br>  確定判決の証拠構造及び認定根拠の概要は、前記第1の3のとおりであり、確定判決は、主として、前記第1の3記載の6つの情況事実群を総合評価して事件本人に対して有罪認定をしたものと解されるが、これらの情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものである。他方、当審において弁護人が提出した新証拠は、上記の情況事実群のうち、第1の3(1)①のT田の目撃供述及び同3(4)の科警研による鑑定の信用性等が否定されることのみを立証命題とするものであり、その余の情況事実を証明する証拠の信用性等に関する新証拠は提出されていない(なお、PM法によるDNA型鑑定に関する当審弁第2号証ないし同第5号証については、後記イ(イ)cで検討する。)。そうすると、前記(3)のように、本田鑑定書等によって、科警研による鑑定のうち、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力については、より慎重な評価をすべき状況に至っているが、だからといって、それだけで直ちに、確定判決における有罪認定について合理的な疑いが生じるということはできない。<br>  この点について、弁護人は、確定判決が情況事実を証明する証拠として挙げるもののうち、柱となる証拠はT田の目撃供述及び科警研による鑑定であり、これらの信用性等が否定される結果、その余のいかなる情況証拠を総合したところで、事件本人を犯人と認めることはできない旨主張するが、これは、上記のような確定判決の有罪認定の証拠構造を正解したものとはいい難いし、弁護人が提出する新証拠によっても、T田の目撃供述及び上記MCT118型鑑定を除く科警研による鑑定の信用性等が否定されないことは前記のとおりであるから、弁護人の上記主張は採用することができない(なお、弁護人は、確定判決は事件本人以外の者が犯人である可能性に論及しているところ、本田鑑定書等によれば、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることが立証されるとも主張するが、そのような合理的な疑いは生じない。)。<br>  以上によれば、上記MCT118型鑑定以外の情況事実のみの総合評価によって、確定判決と同様に、事件本人が犯人であることが十分に認められる場合はもとより、上記MCT118型鑑定以外の情況事実に加えて、本田鑑定書等により証明力の評価に変化が生じた上記MCT118型鑑定を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じない場合にも、本田鑑定書等に明白性は認められないといえる。<br>  そこで、以下では、上記MCT118型鑑定以外の情況事実ないし情況証拠群を総合評価して認められる事実について検討した上で、上記のようにMCT118型鑑定の証明力の評価に変化が生じたことがその認定にどのような影響を与えるか等について検討を加えることとする。<br> '''イ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定以外の情況事実等'''<br> '''(ア) 犯人使用車両等'''<br> '''a''' 本件犯行は、福岡県飯塚市内の小学校に登校中の被害者両名を自動車に乗車させて略取又は誘拐し、殺害した上、その遺体を山中に遺棄したというものである。<br>  T田は、犯人が被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄することが可能であった時間帯に、遺留品発見現場の直近において、紺色、ワンボックスタイプ、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーにフィルムが貼付されている不審車両を目撃したことを供述している(弁護人が当審で提出した嚴島第2次鑑定書によってもT田の上記供述の信用性が揺らがないことは、前記(1)のとおりである。)。また、被害者両名が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において、複数の者が、T田が目撃したものとほぼ同じ特徴を有する不審車両を目撃したことを証言している(確定第1審第23回公判におけるW田W男供述、同第25回公判におけるX田X男供述等)。<br>  これらの事実に、関係証拠によれば、その当時、紺色、ワンボックスタイプで、後輪ダブルタイヤという特徴を満たす車両を製造していたのはマツダのみであること、被害者両名の着衣に繊維片が付着していたところ、その繊維片は、その原糸、染色に使用された染料及びその配合比等によれば、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までの間に製造、販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いことが認められること(確定第1審第90号証、同第99号証、同第120号証、同第133号証等)を併せ考えると、犯人が犯行に使用した車両(以下「犯人使用車」という)は、上記期間に製造、販売された紺色のマツダステーションワゴン・ウエストコーストであって、リアウインドーにフィルムが貼付されていたことが認められる。<br>  他方、関係証拠によれば、事件本人が事件当時使用していた車両(事件本人車)は、これと製造時期を同じくする同車種、同グレード、同車色のものであり、事件当時、リアウインドーにはフィルムが貼られていたことが認められる(確定第1審甲第476号証、同第506号証、同第720号証等)。<br> '''b''' また、関係証拠によれば、犯人が被害者両名を略取又は誘拐した現場は、飯塚市の郊外で、県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所であって、周囲の状況からしても、付近で居住ないし稼働する者以外の者が通行することは多くないと考えられる場所であり、同所において午前8時30分過ぎ頃という比較的早い生活時間帯に被害者両名の略取又は誘拐が行われていること、犯人は、その後、T田が不審車両を目撃するまでの約2時間30分の間に、被害者両名を殺害し、被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄したと認められるところ、これらの遺棄現場は、山道の国道沿いの山中にあって、被害者両名が通学していた小学校から遺体遺棄現場までの距離は、経路によって異なるが、28ないし36.1キロメートルであり、自動車で35分ないし53分を要することが認められ(確定第1審甲第504号証、確定第1審の検証調書等)、このような事情にかんがみると、犯人は、上記各現場付近に居住するなどして、土地鑑を有している人物である可能性が高いと考えられる。<br>  他方、関係証拠によれば、事件本人は、被害者両名が通学していた小学校の付近に居住しており、上記各現場に土地鑑を有している(確定第1審乙第12号証、確定第1審第19回公判におけるG7供述等)。<br> '''c''' そして、前記aの犯人使用車と同車種、同グレードの車両の保有状況に関する捜査結果によれば、この条件に該当する車両は、前記期間に全国で5198台が製造、販売されたこと、平成3年12月末時点では全国で2854台、福岡県内では149台が保有されていたこと、本件犯行当時運行可能な上記条件に合致する車両は福岡県内で127台存在し、その使用者は合計130名であったところ、そのうち血液型がB型の者は事件本人を含めて21名であったことが認められる(確定第1審甲第111号証ないし同第117号証、同第134号証ないし同第456号証)。<br>  また、紺色のワンボックスカー、後輪ダブルタイヤ仕様、使用者の住居地が福岡県内の条件に合致する車両は299台であり、そのうち飯塚警察署管内の使用者は28名(事件本人の妻である久間C子を除く)であり、そのうち被害者両名の通学路を通行し、あるいは、通学先の小学校近辺に車両を駐車する可能性がある者は13名であるところ、修理、解体等で運行していなかった4名を除いた9名については、事件当時に略取又は誘拐や遺体遺棄の現場にいなかったこと、これらの者が使用していた車両の窓ガラスには色付きのフィルムが貼られていなかったことが認められる[確定第1審甲第526号証ないし同第535号証、同第728号証(不同意部分を除く)]。<br>  犯人が使用したマツダステーションワゴン・ウエストコーストが、福岡県内において登録されたものであると認められ、かつ、後記(エ)のとおり、犯人の血液型がB型であれば、犯人は、事件本人を含む21名にほぼ限定されることとなる。また、犯人が使用した後輪ダブルタイヤ仕様の紺色ワンボックスカーが飯塚警察署管内で使用されているものと認められ、かつ、後記(オ)のとおり、事件本人にアリバイが成立しないのであれば、犯人は、事件本人にほぼ限定されることとなる。<br>  そうすると、犯人使用車に関する上記の情況事実が、事件本人が犯人であることを推認させる力は相当に強いといえる。<br> '''(イ) 事件本人車の車内から検出された血痕及び尿痕'''<br> '''a''' 次に、関係証拠によれば、事件本人車の後部座席シートから血痕及び尿痕が検出されたこと、血痕については、血液型はO型、DNA型のGc型はC型であって、いずれも被害者A田と同型であり、尿痕については人尿であることが認められ(確定第1審甲第478号証、同第482号証、同第490号証)、また、事件本人は、事件本人車に血痕及び尿痕が付着した原因について明確な説明ができていないことが認められる。<br>  他方、関係証拠によれば、被害者両名は、いずれも頸部を絞められて殺害されたもので、遺体発見当時、いずれにも尿失禁及び出血があり、とりわけ、被害者A田は鼻孔からかなりの量の出血をしていたことが認められる(確定第1審甲第6号証、同第469号証、同第471号証等)。<br> '''b''' 前記(ア)の事実から犯人であることが強く疑われる事件本人が使用していた事件本人車から、被害者A田らを事件本人車内で殺害した際か、あるいは、被害者A田らを殺害した後、その遺体を遺体発見現場まで事件本人車で運んだ際に付着したものとして、合理的に説明することができる血痕及び尿痕が検出されたことは、事件本人が犯人である可能性をより高める事情といえる。<br> '''c''' なお、弁護人は、科警研が実施したPM法によるDNA型鑑定(確定第1審甲第490号証)について、当審弁第2号証ないし同第5号証に依拠して、①PM法は、一時的かつ未整備な検査法である、②科警研のデータ解析手法は、検査キットの使用説明書に反している、③PM法は、多型に乏しいため、一座位のDNA型だけで個人を分類すると大雑把になるなどとして、その証拠能力及び信用性を争っている(再審請求書72頁ないし75頁等)。<br>  しかしながら、上記PM法によるDNA型鑑定が信頼できる方法により行われたことは、確定審で取り調べられた証拠により十分に認められる。すなわち、まず、当審弁第3号証、同第5号証を踏まえても、本件で用いられたPM法の検査キットの信頼性は確保されていたといえる。また、たしかに、当審弁第2号証、同第4号証には、PM法において、Sドットが発色していない場合には型判定をしないように勧める旨や、DNA量が少ない場合には検出されるべきアレルが検出されない可能性がある旨が記載されている。しかし、Sドットに発色が見られないとの事実が示しているのは、HLADQα部位のDNAが十分な質と量で存在していないということであり、酒井技官らは、それと比較すると塩基数が少ないGc部位のDNAの存在を電気泳動により確認した上で型判定を行っているのであって、DNAの分解は塩基数の多いものほど早く進むのであるから、上記PM法によるDNA型鑑定の鑑定書の記載当時の使用説明書の記載をも併せみれば、その鑑定手法は合理的な手法であると認められる。また、たしかに、当審弁第3号証によれば、PM法のGc型のアレルは3種類であることが認められるが、その程度の個人識別力しかもたない証拠であっても、他の証拠との総合考慮により要証事実を推認することができるかを検討する情況証拠の一つとして扱うことは何ら差し支えないといえる。<br>  したがって、上記PM法によるDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性は、弁護人が依拠する上記各証拠によっても否定されないというべきである。<br> '''(ウ) 事件本人による犯行の機会'''<br>  また、関係証拠によれば、事件本人は、事件当時、日常的に、午前8時前後に自宅を出て、事件本人車を運転して妻を職場まで送り届けており、被害者両名が略取又は誘拐された時刻頃にその現場付近を同車で通行していたこと、事件本人は、妻を職場に送り届けた後は、長男が帰宅する午後3時頃まで1人で自由に行動することが可能であったことなどが認められる[確定第1審第31回公判における事件本人供述、確定第1審乙第5号証(不同意部分を除く)]。これらの事実によれば、事件本人は、本件犯行を実行することが可能であり、かつ、その機会が十分にあったということができる。<br> '''(エ) 被害者両名の遺体等に付着していた血液の血液型等'''<br>  そして、本田鑑定書等によっても信用性が否定されない酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定によれば、被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害者両名以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、その出血した犯人の血液型がB型であって、事件本人と一致していることが認められ、かかる事情は、前記(ア)の事情と相まって事件本人が犯人である可能性を高める事情といえる。<br>  さらに、関係証拠によれば、事件本人の亀頭は、当時罹患していた亀頭包皮炎のため、外部からの刺激により容易に出血する状態にあったことが認められるから(確定第1審甲第549号証、確定第1審証人Y田Y男尋問調書等)、事件本人が犯人であった場合には、被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来する血液等が存在したという特異な事実の理由を合理的に説明することが可能となる。<br> '''(オ) アリバイの不存在'''<br>  事件本人は、確定審の公判廷において、事件当日は、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ福岡県山田市内の実母方まで米を届けに行き、その後ぱちんこをして、午後1時ころ自宅に戻ったことなどを述べており(確定第1審第31回公判における事件本人供述)、そのような行動をしていたとする事件本人の供述が排斥できないのであれば、事件本人にはアリバイが成立し、犯行の機会がなかったことになる。<br>  しかしながら、全証拠をみても、事件本人の上記供述を直接に裏付ける証拠はなく、これを間接的に裏付ける妻C子の公判供述[確定第1審第28回公判(平成9年5月23日)におけるC子供述420項以下]も、捜査段階において事情聴取された際には、はっきりとは分からないと述べていた[確定第1審甲第720号証(平成6年10月8日付警察官調書)]日付を特定するなどの変遷が存在し、その理由が明らかではないことなどに照らしても、たやすく信用することはできない。また、事件本人の供述には、実母方に米を届けに行った日時を特定した理由等の重要部分において、捜査段階と公判段階とで理由が明らかではない変遷が存在するほか、事件当日の行動を思い出した時期や契機に関する供述も、その内容自体不自然さを拭えない上、捜査段階から公判段階にかけて合理的に理解し難い変遷がみられることなどの事情に照らせば、アリバイに関する事件本人の供述は信用し難い。そして、当審において事件本人のアリバイに関する新証拠は提出されていないから、事件本人にはアリバイは成立しない旨の確定判決の判断は、そのとおりに是認することができる。<br> '''(カ) 検討'''<br>  上記の情況事実(ア)ないし(エ)は、各々、独立した証拠によって認められるものであり、かつ、犯人を一定の者に限定し得るものであって、それぞれが、事件本人が犯人であることを推認させるものといえるところ、これらの情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えた高度の蓋然性があるということができる。<br>  すなわち、本件犯行は、紺色、後輪ダブルタイヤ仕様のワンボックスタイプであるマツダステーションワゴン・ウエストコーストを使用して行われたものと認められ、この事実に、被害者両名の略取又は誘拐の現場の状況、遺体及び遺留品の遺棄の現場の状況、犯行の時間帯等を併せ考えると、犯人は、上記各現場の付近、福岡県飯塚市内又はその周辺において、上記と同車種、同グレードの車両を保有ないし使用する者であると考えられるところ、その当時、この条件を満たしていたのは、事件本人を含む極めて少数の者に限られることは、事件本人が犯人であることを強く推認させる。出血した犯人の血液型がB型であると認められることは、上記の犯人使用車に関する事実と相まって、犯人となり得る者を更に絞り込む事情ということができる。そして、これらの条件を満たすと考えられる車両の使用者のうち、事件本人以外の者にはアリバイが成立し、また、同人らの使用車両のリアウインドーにはフィルムが貼られていなかったのに対し、事件本人車のリアウインドーにはフィルムが貼られており、事件本人は、日常的に、犯行時間帯に被害者両名の略取又は誘拐の現場付近を事件本人車で走行していた上、上記の情況事実(オ)のとおり事件本人にアリバイは成立せず、犯行の機会があったと認められることからすれば、事件本人が犯人であることが極めて強く推認される。事件本人車から血痕及び尿痕が検出され、血痕については被害者A田と血液型及びDNA型のGc型を同じくすることも、この推認を補強するものということができる。<br>  もとより、これらの情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであり、その意味で、抽象的には、事件本人と犯人との結び付きに疑いを差し挟む余地が全くないわけではない。しかしながら、本件の犯人については、前記のように独立した多くの情況事実によって重層的に絞り込まれているのであり、事件本人以外に、こうした事実関係のすべてを説明できる者が存在する現実的な可能性は非常に乏しく、抽象的な可能性にとどまるものと考えられ、全証拠を精査しても、かかる人物が存在するのではないかという合理的な疑いを抱かせるような事情はうかがわれない(弁護人は、本田鑑定書等によれば、犯人の血液型はAB型、MCT118型は18-29型である、あるいは、犯人はX-Yバンドの型を有する者であり、事件本人とは全く別の人物である旨主張するが、これらが採用できないことは、前記(2)のとおりである。)。<br>  そうすると、確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえる。<br> '''ウ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力の変化による影響'''<br>  前記イで述べたとおり、確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえるところ、本件では、前記(3)で述べたとおり、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする酒井・笠井鑑定等の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるので、このことが、上記立証の程度に及ぼす影響について検討する。<br>  DNA型鑑定においては、現場資料から検出された型と対照資料から検出された型が矛盾する場合には、両資料が同一人に由来するものとはいえないことになるから、仮に、本田鑑定書等によって犯人由来の血液から検出されたMCT118型と事件本人のMCT118型が異なることが明らかになったといえるのであれば、事件本人は犯人でないこととなる。<br>  しかし、本件においては、本田鑑定書等のうち信用性を肯定できる内容は、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定を行うと、サイズどおりに泳動がなされない結果、型判定を誤ることとなること、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで16-26型と判定された資料を、サイズどおりに正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーで判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型の複数の型のいずれかと判定される可能性があること、酒井・笠井鑑定等により16-26型と判定されていた事件本人のMCT118型について、本田教授が事件本人に由来する資料を改めて鑑定したところ、18-30型であったことである。<br>  そうすると、本田鑑定書等の内容を前提としても、現場資料の再鑑定が実施されておらず、MCT118部位の繰り返し数を正しく判定する方法による犯人のMCT118型が判明していない本件においては、犯人のMCT118型と事件本人のMCT118型が一致しないことが明らかになったということはできない。換言すれば、本田鑑定書等の前記内容を考慮しても、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまるのである。<br>  したがって、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定は、18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のうち、18-30型で犯人と事件本人の型が一致する可能性があるという点においては、事件本人が犯人であることを推認させるにつき積極方向の情況事実となり得るようにもみえるが、犯人の型が18-29型又は18-31型であり、事件本人の型と一致しない可能性もあるのであるから、犯人の型を18-30型と断定できる場合と比較すれば、その推認力は相対的に相当程度弱いものとなる。他方で、本田鑑定書等によっても、犯人の型と事件本人の型が異なることが立証されたわけではなく、両者が一致する可能性も十分に残されている以上、本田鑑定書等が、事件本人が犯人であることを推認するにつき消極の情況事実になると評価することも合理的ではなく、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する前記イ(カ)の評価に影響を及ぼすこともないというべきである。<br> '''エ 小括'''<br>  確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないことは明らかである。<br>  また、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分を前提とすれば、確定判決が有罪認定の根拠とした酒井・笠井鑑定等のうち、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致したとの点は、そのまま有罪認定の根拠として供することはできないとしても、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致しないことが明らかになったものではなく、両者が一致する可能性も十分にあるのであるから、MCT118型の点以外の情況事実にこれを併せ考慮した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているといえる。<br>  したがって、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分によっても、確定判決の有罪認定について合理的な疑いは生じないことになるから、結局、本田鑑定書等に明白性を認めることはできない。<br> ====4 結論====  以上のとおり、弁護人が提出した証拠を確定記録中の全証拠と併せて総合評価した結果、事件本人が犯人であると認めた確定判決における事実認定について合理的な疑いは生じず、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑事訴訟法447条1項により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。<br>  平成26年3月31日<br>  福岡地方裁判所第2刑事部<br>  裁判長裁判官 平塚浩司<br>  裁判官 吉戒純一<br>  裁判官 岡本康博<br> <br> 別紙<br> 1 最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)(本田作成、平成21年10月13日)<br> 2 PM法検査試薬(PMDNA型キット)使用説明書(訳文含む)(パーキン・エルマー社作成、平成7年以降ころ)<br> 3 続犯罪と科学捜査-DNA型鑑定の歩み-(抜粋)(瀬田季茂作成、平成17年10月18日)<br> 4 DNA分析試験・科学者でない人のための図解入り説明(ドナルド・E・リリー作成、平成10年)<br> 5 DNA型鑑定の運用に関する指針の改正について~フラグメントアナライザーを用いた新短鎖DNA型検査法の導入~(抜粋)(木下外晴作成、平成15年9月10日)<br> 6 表・血液型及びDNA型による個人識別の精度(「日本の科学警察」)(科学警察研究所編、平成6年12月15日)<br> 7 T田の検察官調書(写し)(平成4年12月7日)<br> 8 判決書(写し)(陶山博生外2名作成、平成11年9月29日)<br> 9 判決書(写し)(小出錞一外2名作成、平成13年10月24日)<br> 10 判決書(写し)(滝井繁男外4名作成、平成18年9月8日)<br> 11 いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について(最高検察庁作成、平成22年4月)<br> 12 意見書作成依頼について(水口清作成、平成21年10月2日)<br> 13 意見書(玉木敬二作成、平成21年10月21日)<br> 14 菊池和史氏(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書(本田克也作成、平成22年12月20日)<br> 15 いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書(嚴島行雄作成、平成23年7月8日)<br> 16 MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法(笠井外3名作成、平成4年2月)<br> 17 鑑定書(本田克也作成、平成24年10月15日)<br> 18 D1S80にみられた42以上型の解析(小林了外3名作成、平成10年7月31日)<br> 19 D1S80にみられた42以上型バンドの増幅効率について(田村明敬外6名作成、平成12年6月30日)<br> 20 MCT118(D1S80)型にみられる42以上型の解析と型判定(大河原均外1名作成、平成12年6月30日)<br> 21 D1S80にみられる42以上型の型判定(渡邉剛太郎外1名作成、平成14年6月15日)<br> 22 MCT118型における42以上型の型判定法について(桐原俊二外4名作成、平成11年3月)<br> 23 殺人事件報告書(写し)(K1外1名、平成4年3月2日)<br> 24 遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書(写し)(K3作成、平成4年10月15日)<br> 25 捜査と鑑識のためのDNA型分析-解説編-(瀬田季茂監修、科学警察研究所発行、平成3年10月)<br> 26 バイオ研究者が知っておきたい化学の必須知識(抜粋)(齋藤勝裕作成、平成21年1月1日)<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} 6w9kfsq0gtqrbzp6k8u615mxjoia346 246541 246536 2026-10-11T16:02:47Z ろづき 28406 246541 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所平成21年(た)第11号 |year=2009 |notes= * 掲載LLI/DB 判例秘書、判例時報2396号96頁。原本は実名。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。本決定の抗告審以降は、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 再審請求事件<br> 福岡地方裁判所平成21年(た)第11号<br> 平成26年3月31日第2刑事部決定<br> == 決定 == 請求人 久間C子<br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 == 主文 == 本件再審請求を棄却する。 == 理由 == ===第1 確定判決の存在等=== ====1 裁判等の経緯====  亡久間三千年(以下「事件本人」という)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件(福岡地方裁判所平成6年(わ)第1050号、同第1157号)について、死刑に処する旨の有罪判決の言渡しを受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所はこれを棄却し(福岡高等裁判所平成11年(う)第429号)、さらに、事件本人は上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所第二小法廷はこれを棄却し(最高裁判所平成13年(あ)第2010号)、平成18年10月8日、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。なお、事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。)。 ====2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨====  確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、次のとおりである。すなわち、事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市(以下略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳、以下「被害者A田」という)及びB山B子(当時7歳、以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト、登録番号「筑豊55つ6112」)に乗車させ、同小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、福岡県甘木市(以下略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した、というものである(なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。)。 ====3 確定判決の証拠構造等====  確定判決の有罪認定の証拠構造及び認定根拠の概要は、次のとおりである。<br>  すなわち、確定判決は、本件において、事件本人と犯行との結び付きについて、これを証明する直接証拠は存在せず、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるが、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、すべて照合して総合評価する必要があり、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br>  確定判決は、その根拠として多数の情況事実を列挙し検討しているが、判文全体及び証拠関係に照らすと、主として、以下のような情況事実ないし情況証拠群を有罪認定の根拠としているものと理解することができる。<br> '''(1)''' ①T田T男(以下「T田」という)らの目撃供述によれば、本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有しており、また、②被害者両名の失踪場所の状況や時間帯並びに同場所と被害者両名の遺体及び遺留品の発見現場との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、③事件本人は、上記①の車両と特徴を同じくする車両(以下「事件本人車」という)を所有し、かつ、上記失踪場所等に土地鑑を有すること(他方で、福岡県飯塚警察署管内に居住又は所在し、上記失踪場所等を通行する可能性があって、上記特徴をほぼ満たす車両を使用していた者のうち、事件本人以外の者には、いずれもアリバイが成立すること)<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに生じたと認められる失禁と出血があり、事件本人が犯人であるとすれば、上記の血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること(なお、事件本人が事件本人車を入手して自己の管理下に置く以前に、上記の血痕及び尿痕が付着した可能性はないこと)<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路にあたっていた可能性があること、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと(事件本人に犯行の機会があったこと)<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== ====1====  本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(平成21年10月28日付け)、再審理由補充書(平成22年11月10日付け)、反論書(同年12月28日付け)、再審理由補充書(平成23年8月2日付け)、意見書(平成24年10月25日付け)、再審理由補充書(同年11月16日付け)、再審理由補充書(同年12月27日付け)、意見書(平成25年1月15日付け)、意見書(同年2月6日付け)、意見書(その2)(同月7日付け)、意見書(同月28日付け)、再審理由総括書面(同年4月15日付け)、反論書(同年6月3日付け)、検察官の意見書9に対する反論書(同年7月10日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、別紙記載の証拠を提出し、これらによれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げる情況証拠のうち、柱となるものの証拠能力ないし信用性が否定され、その余のいかなる情況証拠を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当するので、速やかに再審を開始すべきである旨主張している。<br>  弁護人が提出した証拠は多数に上るが、その主要な証拠及び立証命題は、次の3点に集約することができる(平成25年4月15日付け再審理由総括書面4頁以下)。<br> '''(1)''' 筑波大学社会医学系法医学教室本田克也教授(以下「本田教授」という)作成の平成21年10月13日付け「最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)」(当審弁第1号証、以下「本田第1次鑑定書」という)、平成22年12月20日付け「菊池和史(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書」(当審弁第14号証、以下「本田反論書」という)及び平成24年10月15日付け「鑑定書」(当審弁第17号証、以下「本田第2次鑑定書」という)並びに当審における本田教授の証言(以上の鑑定書等及び証言を総称して「本田鑑定書等」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(4)の科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第68号証、同第76号証)の各証拠能力ないし信用性が否定されること、そのため、確定判決が認定した「被害者両名の遺体付近や膣内容及び膣周辺から採取した血痕や血液に混在していた、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液の血液型及びDNA型が、犯人が1人である場合には、B型、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致している」との事実が認められないことになること、そして、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることを立証しようとするものである。<br> '''(2)''' いわゆる足利事件の再審判決(宇都宮地方裁判所平成14年(た)第4号、同裁判所平成22年3月26日判決)並びに最高検察庁作成の「いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について」(当審弁第11号証、以下「最高検報告書」という)、東京歯科大学法歯学講座水口清教授作成の意見書(当審弁第12号証、以下「水口意見書」という)及び京都大学大学院医学研究科法医学講座玉木敬二教授作成の意見書(当審弁第13号証、以下「玉木意見書」という)は、いわゆる足利事件における科警研のDNA型鑑定と、確定判決がその有罪認定の根拠とした前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定が証拠として同質であること、よって、前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されることを立証しようとするものである。<br> '''(3)''' 日本大学文理学部心理学研究室嚴島行雄教授(以下「嚴島教授」という)作成の平成23年7月8日付け「いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書」[当審弁第15号証、以下「嚴島第2次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第2次実験」という]、司法警察員巡査部長K1(以下「K1」という)、同K2作成の「殺人事件報告書」(当審弁第23号証、以下「K1報告書」という)、司法警察員警部補K3作成の「遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書」(当審弁第24号証、以下「K3報告書」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(1)①のT田の目撃供述の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br> ====2====  これに対する検察官の主張は、意見書(平成22年8月31日付け)、意見書2(平成24年2月27日付け)、意見書3(同年3月30日付け)、意見書4(同年12月28日付け)、意見書5(平成25年1月21日付け)、意見書6(同年2月8日付け)、意見書7(同月12日付け)、意見書8(同年4月15日付け)、意見書9(同年7月5日付け)に記載されたとおりである。<br>  検察官は、要旨、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求の棄却を求める旨主張し、同主張を裏付ける資料を提出している。<br> ===第3 当裁判所の判断=== ====1 序言====  当裁判所は、弁護人及び検察官の主張並びに確定審及び当審における証拠を検討した結果、弁護人が提出した証拠を確定記録中の関係証拠と併せて検討しても、事件本人と各犯行との結び付きを認めた確定判決の事実認定は正当なものとしてこれを肯認することができ、再審の理由があるとは認められないとの結論に至ったものである。以下に、その理由を説明する。 ====2 証拠の新規性について====  まず、本件再審請求において弁護人が提出した各証拠が、刑事訴訟法435条6号にいう「あらたに」発見された証拠といえるか(証拠の新規性)が問題となる。<br>  証拠の新規性は、当該証拠が未だ裁判所によって実質的な証拠価値の判断を経ていない証拠であれば、これが認められると解され、鑑定についても、その基礎資料に従前の鑑定と同様のものが用いられたとしても、新たな鑑定人の知見に基づき検討が加えられたときには、新規性を認めてよいと解される。<br>  そこで検討すると、当審弁第7号証は、確定第1審甲第725号証と同一のものであり、また、当審弁第8号証ないし同第10号証は、確定判決、確定控訴審判決及び確定上告審判決の各写しであって、いずれも再審事由となる新規性のある証拠には当たらないが、これらのものを除くと、本件再審請求において弁護人が提出した証拠は、いずれも新規性は認められるといえる。<br> ====3 証拠の明白性について====  次に、弁護人が提出した証拠のうち、前記のとおり新規性が認められる証拠(以下「新証拠」という)が、刑事訴訟法435条6号にいう有罪の言渡しを受けた者に対して無罪を言い渡すべき「明らかな」証拠といえるか(証拠の明白性)について検討する。<br>  証拠の明白性については、当審に提出された新証拠と、その立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠であるか否かを判断すべきものであり、その総合的評価をするに当たっては、その判決の当否を審査する過程において確定記録中の全証拠をも検討の対象にすることができると解される。<br>  そこで、本件再審請求についても、新証拠の証拠価値を検討するに当たっては、確定第1審で取り調べられた証拠のみならず、確定控訴審で取り調べられた証拠も適宜検討対象に加えながら、弁護人が提出した新証拠が事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠といえるかについて検討することとなる。<br>  なお、弁護人は、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠以外にも、多数の文献類を新証拠として提出しているが、これらの証拠のうち、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等を補充するにすぎないものと位置づけられる(前記再審理由総括書面4頁)当審弁第6号証、同第16号証、同第18号証ないし同第22号証、同第25号証及び同第26号証については、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等と別個に検討を加えることはしない[PM法によるDNA型鑑定に関する証拠(当審弁第2号証ないし同第5号証)については、後記(4)イ(イ)cで検討する。]。<br> '''(1) T田の目撃供述について'''<br> '''ア T田の供述要旨と確定審の判断'''<br> '''(ア) T田の供述要旨'''<br>  T田は、平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督等の業務に従事していた者であるが、同年2月20日午前11時頃、甘木市(以下略)の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前[尋問時に提示された実況見分調書(確定第1審甲第502号証)によれば、約200メートル付近]の反対車線の道路上に停車しているのを目撃した車両について、確定第1審において、要旨、次のとおり供述している。<br>  目撃した車両は、紺色のワンボックスタイプのワゴン車で、後輪は、前輪よりも小さいので、ダブルタイヤだと覚えている。後輪の車軸の部分に黒い輪があった。車両の横から後ろの窓に色の付いたフィルムが貼ってあった。車体の横に黄色や赤色のラインはなかった。サイドモールはあったと思う。型式の古い車だと思った。ダブルタイヤであったから、マツダの車だと思っていた。一目見てマツダのボンゴだと分かった。<br> '''(イ) T田供述の信用性についての確定審の判断内容'''<br> '''a''' 確定判決は、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述について、公判で供述するよりも前に捜査機関から事件本人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があることを踏まえながらも、T田が、目撃後19日目で事件本人車を見せられていない時期である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、公判供述とほぼ同様の供述をしていること(T田の警察官調書、確定第1審甲第724号証)を指摘して、T田の公判供述のうち、上記警察官調書における供述(すなわち、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います」)と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができるが、他方で、T田の公判供述のうち、サイドモールがあったとする点及びダブルタイヤだったのでマツダの車だと思っていたとする点は、事件本人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできないと判断している(確定判決28頁ないし31頁)。<br> '''b''' なお、確定控訴審判決は、確定判決における目撃車両に関するT田供述の信用性についての判断部分につき、確定控訴審における事実取調べの結果も踏まえつつ、確定判決がT田の公判供述にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられず、確定判決は抑制的かつ慎重に判断を示しているものであって、その結論は大筋において是認することができると判示している(確定控訴審判決書8頁ないし11頁)。<br>  その上で、確定控訴審判決は、T田がマツダのボンゴ車であると供述するのも、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田が目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは、車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田が目撃した車両について他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できると判示している(確定控訴審判決書13頁)。<br> '''イ 嚴島第2次鑑定書等の内容の要旨'''<br> '''(ア) 嚴島第2次鑑定書の内容の要旨'''<br>  嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の信用性に関する心理学鑑定書」[確定控訴審弁第70号証、以下「嚴島第1次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第1次実験」という]について確定控訴審判決で指摘された問題点、すなわち、①嚴島第1次鑑定は、厳冬期と異なり、車の往来の激しい4月の桜開花期に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とは、そもそも全く条件が異なること、②目撃された車両が、後輪がダブルタイヤであり、前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車両の後輪にもう1個同じ大きさの車輪を重ね合わせたに過ぎなかったため、タイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていること、③特に、実験時には、対向してきてすれ違う通行車両が、平均して約30秒に1台の割合で存在していたことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似の記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることを考慮して、条件変更を行った上で、T田の目撃状況の再現実験を行ったものである。<br>  その実験結果について、嚴島第2次鑑定書は、被験者について、目撃した車両及び人物のいずれについても、T田のような詳細な記憶は喚起されなかったことに加え、被験者のうち15名には、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、そのような被験者ですら、T田のような詳細な車の説明ができなかったとしている。そして、同鑑定書は、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察されるとし、T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ない旨を結論としている(同鑑定書4頁)。<br> '''(イ) K1報告書及びK3報告書の各内容の要旨'''<br>  K1報告書は、K1らが、平成4年3月2日、福岡県甘木市森林組合に対して聞き込みを実施したところ、同組合職員のT田が、同年2月20日の午前9時から9時30分の間に、職務のため八丁峠を通行し、午前11時30分頃、頂上付近のカーブにて駐車していた紺色ワゴン車1台を目撃したとのことであった、ということなどを内容とするものである。<br>  K3報告書は、T田の目撃情報の入手状況並びに同人が供述した車両のタイヤのホイルキャップ及びボディラインに関して、事件本人車について捜査した結果等を記載したものである。同報告書には、事件本人車に関する捜査結果として、T田の平成4年3月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、同月7日に事件本人車を現認し、同車両にはボディラインはなかったことが記載されている。<br> '''ウ 検討'''<br> '''(ア) 嚴島第2次鑑定書について'''<br> '''a''' まず、嚴島第2次鑑定書についてみるに、たしかに、第2次実験は、第1次実験について確定控訴審から指摘された諸々の問題点を是正し、T田が不審車両を目撃した条件にできるだけ近付ける形で再現実験を実施しており、このような措置は、再現実験に基づく鑑定意見の証拠価値を高めるものとはいえる。<br>  しかし、第2次実験の条件においても、以下に述べるように、いまだ重要な点で、T田が実際に不審車両を目撃した条件とは異なっており、第2次実験の結果をもってT田供述の正確性に疑問が生じるということはできない。<br>  すなわち、T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり(確定控訴審第2回公判におけるT田供述203項)、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである(確定第1審第18回公判におけるT田供述277項)。また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり(確定第1審第18回公判におけるT田供述27項ないし30項)、T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。これらの事情は、T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを示す事情といえる。また、T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして注意を向け易いということにも結び付くものである。そして、T田は、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、T田が前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが[確定第1審第18回公判におけるT田供述215項ないし250項、同公判におけるG1(以下「G1」という)供述10項ないし78項、93項ないし123項、142項ないし173項、178項ないし179項]、このような会話等により、T田は、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる。さらに、T田は、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた(確定第1審第18回公判におけるT田供述303項、357項ないし358項、570項ないし571項、574項ないし575項)。人の記憶の程度は、各々の属性やその時々の諸条件によって異なるところ、上記のような重要な点で、第2次実験の被験者は、知覚し記憶する条件がT田よりも不利なものとなっていると考えられる。<br>  これに対し、嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いたとするが(同鑑定書58頁ないし59頁)、上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である。<br>  また、嚴島第2次鑑定書は、T田は目撃現場付近の道路を通行することがあったが、被験者はこの道路を通行した経験を有しないことに関して、「被験者はT氏の経験する干渉効果からは免れることになる。よって、本実験結果は実際の日常での経験によって得られる結果よりも優れることが予想される」(同鑑定書62頁)と説くが、十分に納得できる合理的根拠が提示されているとはいえない。<br>  そうすると、嚴島教授が、第2次実験の被験者が走行する距離をT田が不審車両を目撃した際に走行した距離よりも短いものとしたこと、被験者が運転する車両を操作の簡単なオートマティック車としたこと、被験者の半数の者に対し、「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」旨の教示を行うなど、被験者らが駐車車両を知覚し記憶し易くなると考えられる方向での措置を講じていることを十分考慮しても、第2次実験の実験条件は、重要な点においてなおT田の目撃条件と異なっており、T田と同等以上に知覚、記憶を促進するようなものになっていたとは認め難い。したがって、そのような第2次実験の実験条件のもとで被験者らがT田と同様の記憶を保有することができなかったとしても、このことから、T田がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとみることはできない。<br> '''b''' また、嚴島第2次鑑定書では、T田供述について、心理学の知見を踏まえた分析がなされているところ、その中で、嚴島教授は、T田の目撃供述は、記憶の符号化段階、貯蔵段階、検索段階のそれぞれに、記憶を形成するのに障害となる要因が多く関与していたにもかかわらず、その供述内容は、現実にはあり得ないような際立った詳細さを有したものであり、このことは、T田の記憶の起源がT田の体験以外からもたらされていることを示している旨の指摘をしている(同鑑定書120頁ないし141頁)。<br>  ところで、確定控訴審判決は、目撃車両に関するT田供述の信用性を肯定する事情として、T田は、森林組合に勤務し、目撃現場付近を季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であり、本件犯行時の冬期に、目撃現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しい上、目撃車両が通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していたため、不審の念を抱き、強い関心と注意をもって同車の状態を目撃したこと、T田は、日頃から、雑誌等を通じて自動車の仕様等について関心を抱き、大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについても、ある程度詳細に知覚し、これを記憶にとどめることができたこと、停車車両のそばに立っていた者の行動に不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、翌日の夕方に、遺体発見をラジオ報道で知り、同僚のG1らにその際の様子を話したり、その翌日にも再び話題にしたりしたことにより、当時の状況を思い返し、記憶を新たにしていること、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、T田が目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、T田の車に対する日頃からのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられることなどの指摘をしている(確定控訴審判決書10頁ないし11頁)。<br>  この点に関し、嚴島第2次鑑定書では、確定控訴審判決が指摘している上記各事項のうち、T田が仕事で大休の現場に行く機会が多く、たびたび目撃現場付近を通行していたことに関しては、類似する出来事を経験することによる忘却の可能性を指摘しているが(同鑑定書122頁ないし123頁)、その余の事情については、それらがT田の知覚や記憶に及ぼした影響の有無、程度について、心理学の知見を踏まえた十分な検討がなされていない。また、嚴島教授は、上記の忘却の可能性に関し、T田には、類似する出来事を経験することにより、目撃時に経験した出来事の忘却が起こりやすかったと強く推察されるのに対し、第2次実験の被験者らは、現場を何回も訪れるという類似した出来事を経験していないにもかかわらず、同人らからT田のような詳細な報告が得られなかったということは、T田には、目撃時に経験した出来事以外の情報がもたらされたと考えるほかない旨指摘するが(同鑑定書123頁)、後記のようなT田の供述経過に照らすと、そのような忘却が起きたとは考え難いし、上記被験者らが干渉による忘却以外の原因によってT田より詳細な記憶を喚起できなかったということも十分に考えられるのであるから、嚴島教授の上記指摘は採り得ないものといわざるを得ない。<br>  そうすると、嚴島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。<br>  さらに、嚴島教授は、T田供述は捜査機関の誘導によって形成された可能性がある旨を示唆している(嚴島第2次鑑定書147頁ないし149頁)。<br>  この点について、T田は、不審車両を目撃した場所について、「警察官と一緒に現場に赴いた際、不審車両が止まっていた地点は最初から大体分かっており、そのことは警察官にも多分言っているが、何日か経っているから、確認のために3回くらい往復して、最終的にそこだということを話した」旨の供述をし(確定第1審第18回公判におけるT田供述288項ないし289項、424項ないし427項)、また、T田に同行したK1も、「最初、この位置と案内してもらったが、同じような場所があるので、もう一度確認したいということで、その場所を3往復した。そして、最初の場所にやはり間違いないということで、場所を確認した」旨の供述をしている(確定第1審第16回公判におけるK1供述62項)。このように、T田に同行して現場に赴いていたK1の態度は、被害者両名の遺留品発見現場であることが警察官らに既に判明していた場所とT田が不審車両を目撃したと説明した場所とが符合することが判明した後でも、なおT田に現場付近の往復を繰り返させて、その場所を確認させるというものであった。<br>  以上のようなT田が不審車両を目撃した現場に警察官を案内した際の状況に加えて、T田の供述内容が、その目撃した人物について、年齢等の点で事件本人と一致するものではないこと(確定第1審第18回公判におけるT田供述429項ないし431項)、また、事件本人を面通しされた際に、目撃した者が事件本人であるかについて、同一性を識別できない旨供述していること(確定控訴審検第12号証)を踏まえると、T田に、警察官に迎合的な傾向があるとはいえず、T田の目撃供述のうち、少なくとも、確定判決が信用性を肯定している、紺色、ダブルタイヤのワンボックス車を目撃したという点については、警察官による誘導によって供述したとは考えられない。<br>  その他、嚴島第2次鑑定書が、T田供述の正確さについて疑問を抱かせる理由として種々指摘するところを検討しても、T田供述の信用性は揺るがない。<br> '''c''' 以上のとおりであって、嚴島第2次鑑定は、心理学の知見からの1つの見解としては傾聴に値するものがあるとはいい得ても、本件再審請求における証拠価値としては相当に限定的なものであって、嚴島第2次鑑定書において、嚴島教授が第2次実験の結果や心理学の知見を踏まえて述べている諸見解によって、目撃車両についてのT田供述の信用性が否定されるということはできず、したがって、同鑑定書に明白性は認められない。<br> '''(イ) K3報告書及びK1報告書について'''<br>  次に、K3報告書及びK1報告書についてみるに、弁護人は、これらの報告書に依拠して、平成4年3月2日の時点では、目撃車両の特徴を紺色ワゴン車としか述べていなかったT田が、同月9日付け警察官調書(確定第1審甲724号証)において、「トヨタやニッサンでない」、「車体にラインは入っていなかったと思う」、「フィルムを貼っていたのではないかと思う」等と供述するに至った理由は、同月7日に事件本人車を見分して車種や特徴を把握したK1がT田の供述を誘導したことにあることが明らかとなっており、これらの報告書により、嚴島第2次鑑定書における、T田供述は事後情報効果によりもたらされたものであるとする指摘が裏付けられていると主張する。<br>  たしかに、K1報告書には、同月2日の聞き込みの際に、T田が紺色ワゴン車を目撃した旨の記載が存在し、また、K3報告書には、同月7日にK1らが事件本人車を現認し、同車にボディラインはなかった旨の記載が存在するのであり、警察官が車両を確認する際、ボディラインの有無のみを確認し、車種等を確認しないことは考え難いから、T田の同月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。<br>  しかしながら、K3報告書には、T田が、同月4日の午前に、「車両は、普通車の紺色ワゴン車、後輪がダブルタイヤ、やや古い」旨述べたこと、同日の午後に、「駐車車両は、紺色、ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ、車内は見えなかったように思うので、ガラスに何か貼っていたと思う」旨述べたことがそれぞれ記載されており、そうであれば、T田は、K1が事件本人車を目撃する以前であり、K1からの誘導を受ける可能性のない時期から、その目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められる。また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことを同僚のG1らと話題にした際、G1に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが(確定第1審第18回公判におけるG1供述35項、48項ないし51項、70項ないし71項、94項、102項、104項ないし106項)、T田とG1がそのような会話をする以前に、T田がK1その他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない。<br>  そうすると、K1報告書及びK3報告書によって、K1がT田に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、したがって、これらの報告書にも明白性は認められない。<br> '''(ウ) 小括'''<br>  以上の理由から、嚴島第2次鑑定書、K3報告書及びK1報告書には、いずれも、明白性は認められない。<br> '''(2) 科警研が実施した鑑定について'''  (以下、本件で実施されている血液型鑑定はABO式のみであることからその旨の記載を省略し、また、MCT118型の型を記載する際には、単に「16-26型」などと記載することがある)<br> '''ア''' 科警研の鑑定結果と確定判決の判断<br> '''(ア)''' 科警研は、被害者両名の遺体やその付近から採取した血痕及び血液について、血液型鑑定及びDNA型鑑定[確定第1審甲第68号証、酒井活子技官(以下「酒井技官」という)及び笠井賢太郎技官(以下「笠井技官」という)担当、以下「酒井・笠井鑑定」という]を実施し、また、事件本人の毛髪についても、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第76号証、酒井技官、笠井技官及び佐藤元技官担当、以下「酒井・笠井・佐藤鑑定」といい、前記「酒井・笠井鑑定」と併せて「酒井・笠井鑑定等」という)を実施した。<br> '''(イ)''' 酒井・笠井鑑定の鑑定資料は、(1)木の枝に付着の血痕ようのもの(以下「資料(1)」といい、また、資料(1)のうちPBS抽出遠心沈渣を「資料(1)①」、枝に残存していたものを「資料(1)②」という)、(2)被害者A田の膣内容物(以下「資料(2)」という)、(3)被害者A田の膣周辺付着物(以下「資料(3)」という)、(4)被害者B山の膣内容物(以下「資料(4)」という)、(5)被害者B山の膣周辺付着物(以下「資料(5)」という)、(6)被害者A田の心臓血(以下「資料(6)」という)及び(7)被害者B山の心臓血(以下「資料(7)」という)である。<br>  確定判決が、その証拠能力を肯定した酒井・笠井鑑定の内容を踏まえて、上記資料(1)ないし資料(7)について示した判断は、以下のとおりである。<br> '''a''' 資料(1)ないし資料(5)の血痕由来部分について解離試験法により血液型検査をしたところ、資料(1)、資料(4)及び資料(5)はB型とA型の混合あるいはB型とAB型の混合、資料(2)及び資料(3)はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられ、また、資料(6)はO型、資料(7)はA型であった(確定判決120頁ないし122頁)。<br> '''b''' 資料(1)①及び資料(5)は16型及び18型の濃いバンドと25型及び26型の薄いバンドが、資料(1)②及び資料(4)は18型の濃いバンドと16型、25型及び26型の薄いバンドが、資料(2)は23型及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23型、26型及び27型の薄いバンドが観察された。これらは、いずれも3種類以上のバンドが検出されたので、いずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。資料(6)は23-27型、資料(7)は18-25型であった(確定判決122頁ないし123頁)。<br> '''c''' 被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、被害者両名に由来しない血痕ないし血液が混在していたと認められるが、これは犯人のものであるとしか考えられない。被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)の血液部分は抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したこと、被害者B山は陰部から出血しており、この血液の中には被害者B山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、前記bのMCT118型検査によると、被害者B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、そのうち2本のバンドは被害者B山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料には被害者B山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液は被害者B山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である(確定判決137頁ないし139頁)。<br> '''d''' 被害者A田に由来する資料(2)及び資料(3)の血液部分は抗B抗体及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められ、被害者A田も陰部から出血しており、この血液の中には被害者A田由来のO型の血液が当然含まれていると考えられることからすると、被害者A田に由来しない血液は、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。ここでも被害者両名に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない(確定判決140頁)。<br> '''e''' 被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)並びに被害者B山の腹部付近の木の枝に付着の資料(1)からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、被害者B山は18-25型であることが認められるところ、これらの資料には、いずれも被害者B山由来の血液と犯人由来の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、被害者B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、被害者A田に由来する資料(3)からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、被害者A田は23-27型であることが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、被害者両名に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、被害者A田に由来する資料(2)からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、被害者両名に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人の型は16-26型であると認められる(確定判決147頁ないし148頁)。<br> '''(ウ)''' 確定判決がその証拠能力を肯定した酒井・笠井・佐藤鑑定の内容は、鑑定資料(事件本人の毛髪)の血液型はB型であり、MCT118型は16-26型であるというものである(確定判決125頁ないし127頁)。<br> '''イ''' 血液型鑑定について<br> '''(ア)''' 本田鑑定書等の内容<br>  弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定について、種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、次のとおりである。<br> '''a''' 血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではないから、酒井・笠井鑑定が血液凝集反応の強弱を血液型判定に持ち込んだことは完全に誤っている。<br> '''b''' 酒井・笠井鑑定には、血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保証されていない。<br> '''c''' 資料(2)及び資料(3)には被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも増幅されていないから、被害者B山の血液が資料(2)及び資料(3)に混合していた可能性は完全に否定される。また、資料(1)ないし(5)が混合資料であるとしても、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかない。したがって、すべての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である(ただし、本田教授は、当審における証人尋問においては、後記eのように、資料(2)ないし(5)についての検査結果は採用できないとした上で、資料(1)からは、犯人の血液型はAB型だと思うと述べている。)。<br> '''d''' 被害者両名と犯人との血液の混合比については、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に大きな矛盾がある。すなわち、資料(1)について、抗B抗体に強い反応を示していたことが正しいとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型に関しては、被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されているという結果は得られておらず、また、資料(3)についても、同様に、血液型検査とDNA型検査の間に明らかな矛盾がある。<br>  なお、血液型検査に比べて、DNA型検査の方が資料を多く必要とするとか、検査の鋭敏さにおいて劣るなどということはあり得ず、むしろ、後者の方が資料は微量で済み、かつ鋭敏である。したがって、血液型が検出された混合資料についてDNA型が検出されないことはあり得ない。<br> '''e''' 資料(2)ないし資料(5)については、木綿糸ではなく、非特異的に抗体を吸収してしまう脱脂綿が使用されているが、コントロールが置かれていないから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型検査の結果は信頼できない。<br> '''(イ)''' 検討<br>  そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。<br> '''a''' 前記(ア)aの点、すなわち、血液凝集反応の強弱を考慮することには誤りがあるとする点については、本田教授の上記指摘は、酒井・笠井鑑定の基礎資料を再鑑定した結果に基づくものでないことはもとより、血液凝集反応の強弱を考慮する手法の問題点を明らかにした実験結果等に依拠するものでもなく、血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて酒井・笠井鑑定を論難するに過ぎないものである。<br>  酒井技官は、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であるところ、酒井技官によれば、酒井技官は、体液と血液の混合資料から、通常の検査法を用いて、血液及び体液の混合した血液型を検出し、さらに、クロロホルム・メタノール抽出法を用いて、体液と血液の混合資料から、赤血球の血液型物質の主成分である糖脂質を抽出して血液型を検出し、両者の比較を行い、反応の有無・強弱を5段階に分けて、それぞれ凝集反応を確認し、通常の生来的なAB型の凝集反応の現れ方との違いの観点から検討したというのであって(確定第1審第5回公判における酒井技官供述71項ないし101項)、現実に観察された血液凝集反応に、豊富な自らの経験を当てはめて判断したものといえるから、その判断結果は合理性を有するといえる[なお、被害者両名の血液型等を検査した福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という)の林葉康彦技術吏員(以下「林葉技術吏員」という)も、「木の枝付着の人血につき、A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している(確定第1審第8回公判における林葉技術吏員供述309項ないし312項、353項ないし366項)。]。<br>  また、資料(1)ないし(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。<br>  解離試験法は、血痕資料に抗A、抗Bなどの抗体を加えて血痕に吸着させ、吸着していない抗体を洗い流した後、血痕に付着させた抗体を解離させて、そこに型の分かっている赤血球を加えて型判定をするものであるから(確定第1審第5回公判における酒井技官供述72項)、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、酒井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないとするのは相当でない。<br> '''b''' 前記(ア)bの点、すなわち、血液凝集反応についての写真が添付されていないことを問題とする点については、たしかに、酒井・笠井鑑定等の鑑定書には血液凝集反応を撮影した写真が添付されていないことが認められ、爾後の検証の観点からすれば、写真が添付されていることが望ましいことは本田教授が指摘するとおりであるが、鑑定の信用性は、鑑定書の体裁のみならず、鑑定した者の供述等を含めて総合的に判断するべきものであるから、写真が添付されていないことの一事をもって、酒井・笠井鑑定の信用性を否定することは相当でない。<br> '''c''' 前記(ア)cの点は、要するに、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定及びこれに基づき犯人の血液型はB型であるとした確定判決の認定は誤っており、犯人の血液型はAB型であるとの趣旨の指摘であると解される。<br>  そこで、まず、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されておらず、これらの資料に含まれるA型物質が被害者B山由来のものとはいえないから、これらの資料に含まれる犯人の血液型について、犯人が1人であるとすれば、B型であると認めることはできず、AB型と考えられるとする点について検討する。<br>  この点について、酒井・笠井鑑定は、資料(2)及び資料(3)(被害者A田の膣内容物及び膣周辺物)について、血液凝集反応の強弱を考慮して、O型(被害者A田に由来する)とB型の混合に微量のA型又はAB型が混合しているものと鑑定し、確定判決は、これを踏まえて、これらの資料に含まれるB型は犯人由来のものとみるほかないと認定しているのであって、A型物質が被害者B山由来のものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはされていない。<br>  また、ABO式血液型鑑定の可否は血液に含まれている血液型物質の量で決まり、MCT118型鑑定の可否はそれに含まれているMCT118部位のDNAの量で決まるといえるが、確定第1審における酒井技官及び笠井技官の各供述によれば、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、他方で、MCT118型鑑定では白血球を使用しており、両鑑定では血液中の全く異なる部位を使用しているものと認められ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述58項、確定第1審第35回公判における笠井技官供述92項ないし96項、123項)、そうすると、ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のA型の血液型物質が混合しているとの鑑定結果が得られたが、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得るところ、資料(2)及び資料(3)が採取された状況等に照らせば、実際にそのような事態が生じることも十分に考えられるから、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されていないからといって、資料(2)及び資料(3)に被害者B山の血液が混合していないなどということはできない。むしろ、資料(3)については、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によってミトコンドリアDNA型鑑定が実施され、被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が検出されていること(確定第1審甲第625号証)も併せ考えると、本田教授の上記指摘は当たらないというべきである。<br>  次に、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかなく、犯人が1人であるとすれば、その血液型はAB型であるとする点についてみると、この指摘は、酒井・笠井鑑定の血液型検査の結果をもとに抽象的な推論をしたに過ぎないものであるから、酒井・笠井鑑定の信用性を低下させるということはできない。なお、本田教授は、当審における証人尋問において、資料(1)によれば犯人の血液型はAB型であるとも証言しているが(第2回36項)、その根拠は、通常は、血液型判定は単独資料を前提にして行うものであり、資料(1)については混合資料であるという前提もないので、AB型と読むのが一番合理的であるというに過ぎないものであって(第2回514項)、当該資料の採取状況などの客観的な事実を考慮に入れていない点で、説得的なものとはいい難く(資料(1)のMCT118型鑑定において4本のDNAバンドが検出されていることからすれば、資料(1)は混合資料であると認められる。)、上記証言も採用できない。<br> '''d''' 前記(ア)dの点、すなわち、被害者両名と犯人との血液の混合比について、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に矛盾があるとする点については、前記cで述べたとおり、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定とでは、血液中の別個の部位を使用することなどに照らせば、血液型鑑定における血液凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していなかったからといって、酒井・笠井鑑定の信用性が損なわれるということはできない。<br> '''e''' 前記(ア)eの点、すなわち、資料(2)ないし資料(5)には脱脂綿が使用されていることなどから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型鑑定は信頼できないとする点については、本田教授自身、当審における証人尋問の1回目の期日以前には言及しておらず、証人尋問の2回目の期日に至って初めて指摘した事項である上、脱脂綿の使用により問題が生じる可能性を抽象的に指摘するのみで、酒井・笠井鑑定の信頼性を疑わせる論拠となるような実験結果や文献資料等は何ら提出されていないのであって、本鑑定を担当した酒井技官が、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であることに照らしても、本田教授のかかる指摘を直ちに採用することはできない。<br> '''f''' 以上のとおりであって、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用することができない。<br> '''ウ MCT118型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等の内容'''<br>  弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定等で実施されたMCT118型鑑定について、種々の指摘をして、その信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、以下のとおりである。<br> '''a 本田第1次鑑定書の内容'''<br>  本田第1次鑑定書は、事件本人の遺留物件に付着した細胞等を資料として事件本人のDNA型(MCT118型等)を判定すること、並びに、酒井・笠井鑑定等の鑑定結果及びその解釈に対する意見を述べることを鑑定事項とするものであり、その主な内容は、次のとおりである。<br> '''①''' 事件本人の遺留物件に付着した細胞等についてDNA型検査をしたところ、事件本人のMCT118型は18-30型であると判定される。したがって、事件本人のMCT118型を16-26型とした酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定内容は、型判定において誤りがあるのが明白である。<br> '''②''' 酒井・笠井鑑定等は、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型と事件本人の型が同一であると判定しているが、資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動された写真がないから、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。<br>  また、酒井・笠井鑑定添付の電気泳動写真と酒井・笠井・佐藤鑑定添付の電気泳動写真を比較検討したところでは、泳動位置に違いがあり、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、事件本人の型は16-27型と判定され、明確に異なった型と判定される。<br> '''③''' 酒井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合が1人なのか、2人なのか、3人なのか、あるいはそれ以上なのかによって、被害者両名以外の型として解釈できる型は幾通りにも存在するから、犯人の型が16-26型であると解釈することができたとしても、決して確定することはできない。<br> '''④''' ポリアクリルアミドゲル電気泳動法では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。<br>  いわゆる足利事件において、科警研により、被告人とされていた菅家利和氏(以下「菅家氏」という)のMCT118型についても、酒井・笠井鑑定等と同じポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定がされているが、本田教授が菅家氏のMCT118型を再鑑定したところ、18-29型であることが判明した。<br>  そして、酒井・笠井鑑定の資料(1)等から検出された犯人と推定される型と、菅家氏の型はいずれも16-26型と判定されており、鑑定書添付の電気泳動写真上も両者のバンド位置はほぼ一致しているから、犯人の型も18-29型であるということになる。前記のとおり、事件本人の型は18-30型であることが判明したから、事件本人が犯人である可能性は否定される。<br>  なお、123塩基ラダーマーカーによる鑑定法では、本来の18-29型、18-30型、18-31型が16-26型と判定されるという反論がされるかもしれないが、このような方法は信頼性があるとは到底いえない。<br> '''b 本田第2次鑑定書の内容'''<br>  本田第2次鑑定書は、酒井・笠井鑑定等に添付された電気泳動写真のネガフィルムを可視光及び近赤外光で撮影したデジタル画像データについて精査した上、そこから読み取れる事実を明らかにすることを鑑定事項とするものであり、鑑定結果の主たる内容は、次のとおりである。<br> '''①''' 酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13のネガフィルム(確定第1審甲第593号証、以下「酒井・笠井鑑定のネガフィルム」という)のデジタル画像データ(本田第2次鑑定書添付写真3及び4)では、被害者両名の心臓血(資料(6)、資料(7))を含むすべての資料において、16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型とは無関係のバンドであるといえる。<br> '''②''' 前記デジタル画像データの資料(1)、資料(4)及び資料(5)には、41型、46型と見られるバンド(以下「X-Yバンド」という)が存在するところ、このX-Yバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高い。なお、この画像だけからはX-Yバンドがエキストラバンドであるとする根拠がない。<br> '''③''' 前記デジタル画像データの分析結果によれば、26型とされたものは、資料(1)ないし資料(5)のうち3つで辛うじて認められるが、これらですら、濃度が非常に薄いのみならず、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、意味のあるバンドであるか否かの認定が困難で、ゲルの固まりムラによる泳動中の増幅産物の解離によるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。<br> '''(イ) 検討'''<br>  そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。<br> '''a 本田第1次鑑定書について'''<br> '''①''' 前記(ア)a①の鑑定結果自体については、特に信頼性を疑わせるような事情はない(検察官も特に信頼性を争っていない。)。その意義については、後記④において更に検討を加えることとする。<br> '''②''' 前記(ア)a②では、酒井・笠井鑑定と酒井・笠井・佐藤鑑定の各電気泳動が別々の機会に実施されたものであることが問題にされているが、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされているから[確定第1審第5回公判における酒井技官供述212項ないし213項、笠井技官ら「MCT118座位PCR増幅産物のゲル電気泳動による分離とDNAマーカーによる型判定に関する技術的検討-123塩基ラダーとシータス・アレリックラダーとの比較-」(確定第1審弁第7号証21頁)]、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえない。<br>  また、MCT118型鑑定における型判定は、電気泳動写真をDNA解析装置に取り込み、デンシトメトリーを用いてデンシトグラムのピークの有無、高さ等を読むなどして行うものとされているところ、本件では、事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、その上位バンドの数値は563.7ないし564.9(確定第1審甲第605号証、同第606号証)などと、26型と判定するのが相当といえる数値であったのであるから、酒井・笠井・佐藤鑑定が行った型判定には、その当時の判断としては、疑問の余地はない。<br>  本田教授は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比する手法によって、酒井・笠井鑑定等の型判定に誤りがあるとするが、その判定手法は、一般的な手法とは異なり、デンシトメトリーを用いることなく電気泳動写真の目視によってバンドの位置を確定しようとするものであり、そのような手法が当を得ないものであることは明らかであって、このことのみからして、本田教授の上記見解は採用し難いものがある。<br>  また、本田教授の採った前記手法、すなわち、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比するという手法を前提としても、本田第1次鑑定書に添付された写真(「写真:123ラダーマーカーによる泳動写真の比較」)を子細に検討すると、事件本人の上位バンドは、本田教授が引いた27型を示すとされる黄色線と重なる位置ではなく、黄色線の右側の位置、すなわち、27型より下位の型と思料される位置に検出されており、同鑑定書に添付された写真によっても、事件本人の上位バンドが27型であるとは認められない。<br>  さらに、平成24年12月14日付け科警研法科学第一部生物第四研究室室長関口和正作成の意見書(以下「関口意見書」という)において指摘されているとおり、同鑑定書添付の写真においてなされているラダーマーカーの位置の比較は適切になされていない。すなわち、本田教授は、同鑑定書添付の写真において、複数の電気泳動写真における615塩基の位置を揃えるために左側の黒色線を引いたとしているが、同写真を子細に検討すると、酒井・笠井鑑定における615塩基のマーカーも、酒井・笠井・佐藤鑑定における615塩基のマーカーも、同黒色線と重なる位置には存在しておらず、しかも、同黒色線の右側の位置に酒井・笠井鑑定の615塩基のマーカーが、同黒色線の左側の位置に酒井・笠井・佐藤鑑定の615塩基のマーカーがそれぞれ検出されていることに照らせば、本田第1次鑑定書に添付された前記写真では、酒井・笠井・佐藤鑑定で検出されたバンドが高分子側に誤って判定される可能性が高い。<br>  以上のとおり、本田教授の行った写真の比較は、上記のような種々の問題点を含むものであり、本田教授の前記指摘は、それに基づいて述べられたものであるから、採用し難い。<br>  したがって、本田教授の前記(ア)a②の指摘は、採用できない。<br> '''③''' 前記(ア)a③について検討すると、酒井・笠井鑑定の結果から犯人の型として解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、酒井・笠井鑑定の結果のみからは、犯人の型を16-26型であると確定できないことは、本田教授が指摘するとおりである。<br>  しかしながら、酒井・笠井鑑定は、被害者両名以外の血液について、「おそらく、MCT118型は16-26型であると考えられる」と考察しているのであって(鑑定書14頁ないし15頁)、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決も、これを前提として、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているのである(確定判決148頁)。<br>  したがって、本田教授の上記指摘は、確定判決の事実認定を左右するものではない。<br> '''④''' 前記(ア)a④について検討すると、本田鑑定書等によれば、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーによりMCT118型の判定を行うと、得られた型が本来の塩基配列の繰り返し数を正しく反映せず、型判定を誤ってしまうこと、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーでMCT118型が16-26型と判定された資料について、正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーにより判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型のいずれかと判定される可能性があることが認められる(なお、この点に関し、本田教授は、いわゆる足利事件において、アレリックラダーマーカーを用いた型判定では18-29型と判定される菅家氏の型が、123塩基ラダーマーカーを用いた型判定では16-26型とされており、本件の資料(1)等について123塩基ラダーマーカーにより判定された型と同一であることを根拠に、本件の犯人の型も18-29型であるとも指摘しているが、上記のとおり、123塩基ラダーマーカーにより16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーで判定した場合に18-29型のみに結び付くものではないから、この点に関する本田教授の指摘は採用することができない。)。<br>  ところで、確定第1審及び確定控訴審においては、確定審弁護人の123塩基ラダーマーカーで判定された特定の型とアレリックラダーマーカーで判定された型は1対1では対応していない旨の主張に対して、確定判決は、「123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない」と判示した上で(144頁)、「犯人が1人であるとした場合には、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致していること」を有罪認定の根拠の1つとして挙げ、また、確定控訴審判決も、「被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型のいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し数を基準とするDNA型としては同一である」と判示した上で、最も出現頻度が高いと認められる18-30型について出現頻度を計算した結果に他の事実と併せると、事件本人が犯人である蓋然性が極めて高いと判示した(23頁ないし24頁)。<br>  このように、123塩基ラダーマーカーによる型判定では16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーによる正確な型判定では18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のいずれかに当たり得るところ、確定審もこれを前提に判断していたということができるが、前記(ア)a①のとおり、本田第1次鑑定書によれば、事件本人の正確なMCT118型は18-30型であることが明らかになっているから、酒井・笠井鑑定が現場遺留資料をもとにして123塩基ラダーマーカーにより判定した犯人の16-26型が、アレリックラダーマーカーによる型判定によって18-30型に当たる場合には、事件本人の型と一致しており、事件本人についての有罪認定の根拠とすることが可能であるが、上記16-26型が18-29型又は18-31型に当たる場合には、事件本人の型と矛盾することになるから、事件本人が犯人であることが否定されるか、少なくとも、事件本人についての有罪認定の根拠とすることができない。そして、本田教授が関与したいわゆる足利事件においては、捜査段階で科警研が実施した鑑定では、菅家氏に由来する資料(精液)及び被害者が着用していた下着に付着した精液のMCT118型はいずれも16-26型で同型であったとされていたが、再審段階において、上記下着に付着した精液及び菅家氏の血液のDNA型について再鑑定を実施したところ、両者は一致しなかったとされたのに対し、本件においては、被害者両名以外の者(犯人)由来の血液が付着した資料は残されておらず、その再鑑定を行うことはできないから(なお、再鑑定のための資料を残しておくことが望ましいことはいうまでもないが、資料が残されていないからといって、それにより直ちに証拠能力が否定されることにはならない。)、アレリックラダーマーカーによる犯人の正確な型が事件本人の正確な型(18-30型)と一致するか否かを確定することはできないといわざるを得ない[いわゆる足利事件の再審判決を受けて科警研が検証した結果では、123塩基ラダーマーカーで26型と分類された資料は、アレリックラダーマーカーでは29型又は30型と判定され、69例のうち、25例が29型、44例が30型に対応したとされているが(警察庁「足利事件における警察捜査の問題点等について」添付の科警研「水口清教授及び玉木敬二教授の意見書に対する補足説明」2頁、8頁)、この結果から、本件における犯人のアレリックラダーマーカーによる型は30型と断定することはできない。他方、本田教授は、いわゆる足利事件の再審における再鑑定の結果をもとに本件の犯人の型は18-29型であると述べるが、これが採用できないことは前記のとおりである。]。<br>  以上、要するに、確定判決後のいわゆる足利事件の再審にも関与した本田教授の前記指摘等を踏まえると、現段階においては、酒井・笠井鑑定等が、123塩基ラダーマーカーを指標として判定した事件本人のMCT118型及び資料(1)ないし資料(5)に含まれる被害者両名以外の者(犯人)に由来すると思われる血液のMCT118型が16-26型で一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  そこで、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力についてこのように理解した場合に、本田鑑定書等に明白性が認められるか、すなわち、新旧全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じるかについて、後記(4)において詳述することとする。<br> '''b 本田第2次鑑定書について'''<br> '''①''' 前記(ア)b①の点について検討すると、本田教授の指摘は、本田第2次鑑定書添付の写真(酒井・笠井鑑定のネガフィルムを撮影した画像データ)を精査すると、被害者両名のみに由来する資料である資料(6)及び資料(7)を含め、すべての増幅泳動レーンに16型が認められるから(資料(6)及び資料(7)の同位置のバンドの濃度は資料(1)②のそれと同程度又はそれより濃いことから、資料(6)及び資料(7)の同位置のものをバンドでないということはできない。)、すべての資料に認められる16型は、非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドであると考えられ、犯人とは全く無関係のバンドであるというものと解される。<br> '''Ⅰ''' たしかに、本田第2次鑑定書添付の写真1ないし7を見ると、資料(6)及び資料(7)の16型付近の位置に、鮮明ではないものの、バンド様のものを見て取ることができる。しかしながら、本田教授が、すべての資料に共通する16型は非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドと考えられるとする点については、にわかに首肯することができない。<br>  すなわち、関口意見書に記載されているとおり、MCT118型検査は、16型の非特異増幅を生じるような検査法であるとは認められないし、16型が各資料に含まれるDNAに由来せず、各資料のPCR増幅の過程における外来汚染によるものであるとすれば、各レーンに同程度の濃度で汚染由来のバンドが検出されるのが自然であるが、本田第2次鑑定書の画像解析によれば、16型のバンド濃度(相対値)が最も高いのは資料(5)(Lane3)で、184507であるのに対し、資料(7)(Lane1)のバンド濃度は6744と最も低いし、資料(1)ないし資料(5)のバンド濃度についてみると、資料(1)②(Lane7)こそ6854と低いものの、その他のバンド濃度は、いずれも、資料(6)及び資料(7)のバンド濃度をはるかに上回っている。また、16型が泳動時の汚染によるものであるとすれば、123塩基ラダーマーカーの3つのレーンにはいずれも16型が検出されていないことの説明が困難である。「その他の実験エラー」についても、酒井・笠井鑑定等の実施過程に即した具体的な根拠に基づく指摘ではなく、上記写真及びその解析結果をもとに、抽象的な可能性を述べる以上のものではない。<br>  そして、資料(6)及び資料(7)に16型のバンド様のものが見られることについて、確定第1審の証人尋問において、酒井技官は、デンシトグラムの波形及び酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見て、上記のバンド様のものは、いずれも、16型のDNAが混入したものではなく、よごれであると判断した旨述べ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述113項ないし129項)、笠井技官も、同様に、現像ムラか染色ムラと思われる旨述べているところ(確定第1審第35回公判における笠井技官供述71項ないし76項)、関口意見書(4頁)が述べるように、検査時に使用したエチジウムブロマイド溶液中に濃度ムラが存在している場合には、染色ムラによるバックグラウンドの発色が観察される可能性があることに加え、資料(6)及び資料(7)の16型付近のバンド様のものの形状等をも考えると、酒井技官及び笠井技官の上記判断にはそれなりに合理性があるということができる。<br> '''Ⅱ''' また、仮に、本田教授が述べるように、資料(6)及び資料(7)の16型のバンド様のものがエキストラバンドであると考えるとしても、そこから直ちに資料(1)ないし資料(5)の16型もすべてエキストラバンドであるとすることには、たやすく与することはできない。すなわち、酒井・笠井鑑定は、それぞれ別の資料である資料(1)ないし資料(7)を泳動させてその型を判定しているのであるから、資料(6)及び資料(7)から16型のエキストラバンドが検出されたからといって、その他の資料から検出された同型のバンドもすべてエキストラバンドであることが論理必然的に導かれるわけではない。また、本田第2次鑑定書によっても、資料(6)及び資料(7)から検出された16型がエキストラバンドであったとしても、その生成機序が具体的に特定されていない以上、資料(1)ないし資料(5)の検査過程に強く疑問を抱かせるということはできず、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的な可能性が存在するとは認め難い。<br> '''Ⅲ''' そうすると、酒井・笠井鑑定において、資料(1)ないし資料(5)から検出された16型はエキストラバンドであり、犯人の型が16型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''②''' 本田教授の前記(ア)b②の指摘は、X-Yバンドが被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高いというものである。<br> '''Ⅰ''' たしかに、本田教授が本田第2次鑑定書及び当審における証人尋問において指摘するとおり、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見ると、その資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)のレーン上に、X-Yバンドの位置にバンド様のものが存在することは認められる。<br> '''Ⅱ''' このバンド様のものが非特異増幅バンドではなく、犯人由来のアレルバンドである可能性を否定できない根拠として本田教授が挙げる点は、概ね、(Ⅰ)自験例において、MCT118型に37-47型が実在することを確認していること、(Ⅱ)このような高いバンドサイズ位置にMCT118型のエキストラバンドがあることは考えにくいこと、(Ⅲ)特定の意味のあるサンプルのみにしかX-Yバンドが認められていないこと、(Ⅳ)高塩基バンドにもかかわらず、同一部位に明瞭にバンドが見られることである。<br> '''Ⅲ''' まず、前記Ⅱ(Ⅰ)についてみると、高分子領域においてもMCT118型が実在することは、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定しない理由の1つにはなるが、このことのみからX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと積極的に認める根拠になるものではない。<br>  次に、前記Ⅱ(Ⅱ)の点について検討すると、関口意見書、渡辺剛太郎らによる「MCT118型にみられるエキストラバンドの成因」(以下「渡辺論文」という)及び三谷友亮らによる「MCT118型検査におけるエキストラバンドの形成機序及びエンドヌクレアーゼを用いた識別」(以下「三谷論文」という)によれば、MCT118型検査においては、エキストラバンドは、しばしば、本来のバンドより高分子領域に観察され、42以上の型においても出現することが認められる。実際、資料(2)及び資料(6)には、X-Yバンドよりもさらに高分子側である、理論上75型以上の位置にエキストラバンドと認められるバンドが存在している(本田教授も、これらのバンドについて、余りにも高すぎるので、本田第2次鑑定書作成時には、アレルバンドとは見ていなかったとの趣旨の証言をしている。)。本田教授の前記Ⅱ(Ⅱ)の指摘は、根拠となる実験結果等を示すことなく、X-Yバンドのバンドサイズ位置にエキストラバンドは生じるとは考えにくいとするものであって、採用することができない。<br>  また、本田教授が前記Ⅱ(Ⅲ)で指摘する「特定の意味のあるサンプル」とは、被害者両名の心臓血以外の資料を指すものと解されるが、被害者両名の心臓血以外の資料から検出されていることは、X-Yバンドがアレルバンドである可能性を示す理由の1つにはなるとしても、そのことから直ちにX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと認めることはできない。関口意見書、渡辺論文及び三谷論文によれば、MCT118型検査におけるエキストラバンドは、DNAのPCR増幅の際に、非相補的にヘテロデュプレックスが生成されることにより生じるものであり、2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいと認められるところ、X-Yバンドが見られる資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)については、16型と18型の双方が検出されているのに対し、X-Yバンドが見られない資料(2)及び資料(3)では、16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されていないなど、バンドの出現状況が異なっていることに照らすと、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があるといえる。なお、弁護人は、渡辺論文はアレリックラダーマーカーを用いて16型と18型と判定されたものに関しての考察結果であることを指摘するが、上記のようなエキストラバンドの生成機序に照らせば、マーカーの相違がその本質的な点に影響するとは考え難い。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅲ)の指摘は、抽象的な可能性を述べたものにとどまると評価せざるを得ない。<br>  さらに、前記Ⅱ(Ⅳ)についても、同一部位に出現が認められるからといって、直ちにそれがアレルバンドであることを示す事情とはいえないことは明らかである。渡辺論文には、16型及び18型を含む複数の資料を同一のゲルで電気泳動した場合、16型及び18型をもとに生じたエキストラバンドが同一の位置で生じるという実験結果が示されており、同じ生成機序により生じた場合には、エキストラバンドは同一部位に見られるものと考えられる。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅳ)の指摘についても、X-Yバンドがアレルバンドである根拠になるとは認め難い。<br>  したがって、本田教授が、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定できないとする根拠として示している前記Ⅱ(Ⅰ)ないし(Ⅳ)は、X-Yバンドがアレルバンドであると認める根拠とはならないか、あるいは、根拠として抽象的な可能性を示すにとどまるものであり、これらを総合しても、X-Yバンドがアレルバンドである可能性が高いと認めることはできない。<br> '''Ⅳ''' さらに、酒井技官及び笠井技官は、鑑定時に複数回電気泳動を行っていることを、確定第1審において一致して述べているところであり(確定第1審第6回公判における酒井技官供述231項、同第7回公判における酒井技官供述160項ないし161項、同第35回公判における笠井技官供述80項、304項)、かつ、笠井技官は、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したとしているところ(平成24年12月26日付け笠井技官作成の報告書)、渡辺論文及び三谷論文によれば、エキストラバンドは、ゲル組成の違いによってバンドの移動度が大きく変化する非相補的配列の高次構造をとるものであり、MCT118型検査では、異なる電気泳動条件によりエキストラバンドの移動度の差を確認する方法が採られており、ほとんどの場合、エキストラバンドとアレルバンドを容易に識別することが可能であるとされていることに照らしても、酒井技官らの上記説明は合理的なものということができる。<br>  以上によれば、X-Yバンドはエキストラバンドであると認めるのが相当である。<br>  なお、弁護人は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付の写真13は、X-Yバンドが出現している部分をカットすることによって、X-Yバンドの存在を隠ぺいしており、この隠ぺいは看過することが到底許されない重大な改ざんであるから、酒井・笠井鑑定の証拠能力は否定されなければならない旨主張する。しかしながら、上記写真のもととなった酒井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、酒井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないことに加え、上記のとおり、X-Yバンドはエキストラバンドとする酒井技官らの判断に合理性が認められることなどからすれば、酒井・笠井鑑定がX-Yバンドが写った写真を添付した上で上記内容の説明を付さなかったことの当否はともかくとして、そのことによって酒井・笠井鑑定の証拠能力が否定されることとはなり得ない。<br> '''Ⅴ''' 以上のとおり、X-Yバンドが犯人の型である可能性が高いとする本田教授の指摘は採用できない。<br> '''③''' 本田教授の(ア)b③の指摘は、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり、したがって、犯人の型が26型であると認めることはできないというものと解される。<br>  すなわち、本田教授は、本田第2次鑑定書において、資料(1)②及び資料(4)については、酒井・笠井鑑定では25型バンドと26型バンドの複合バンドとされているが、同鑑定書添付の画像データのデンシトグラム解析においては、両者は分離されていないことから、26型バンドを認めることはできず、また、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)についても、バンドの濃度が非常に薄いのみならず、25型バンドあるいは27型バンドと明確にピークが分離されておらず、デンシトグラム上もノッチ形成のレベルにとどまっていることから、もともと1つであったバンドが、ゲルの固まりムラにより、電気泳動中の増幅産物の解離によって生じたアーチファクトバンドである可能性が否定できないと指摘している。<br> '''Ⅰ''' まず、資料(1)②及び資料(4)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。<br>  確定第1審において、酒井技官及び笠井技官は、電気泳動の結果検出されたバンド様のものがアレルバンドであるか否かは、デンシトグラムのピークの有無、高さ等のみにとらわれることなく、ネガフィルムの現物を実際に観察し、当該バンド様のものの形状、濃さ、位置等を考慮して、総合的に判断する旨を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述107項ないし112項、128項ないし153項、291項ないし292項、同第35回公判における笠井技官供述79項ないし80項、124項ないし128項、298項、308項)。その上で、酒井技官は、資料(1)②から26型が検出されたと判定したことにつき、ネガフィルム上の25型のバンドが太めのものであり、その上にもバンドがあると判断されるものであったこと、デンシトグラム(確定第1審甲第598号証)の25型のピークの落ち方は普通のものとは異なっており、すそ野の中に隠れる形でもう1つバンドがあると判断されるものであったことなど、具体的な判定根拠を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述131項ないし145項)。酒井技官の述べる内容は合理的なものであり、上記デンシトグラムもそのような解釈が十分可能な形状といえる(なお、本田教授は、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを当審における証人尋問の2回目で示されるまで見たことがなかった。)。<br>  そうすると、資料(1)②及び資料(4)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。<br> '''Ⅱ''' 次に、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。<br>  この点について、関口意見書は、ゲルの固まりムラがあり、そこで増幅産物の解離が起こったのであれば、その位置を通過した増幅産物はすべて二重になるはずであるが、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の16型及び18型のバンドは二重になっていないことを指摘して、固まりムラによって特定のレーンの特定の場所だけが二重になりノッチが形成されるというのは、非常に不自然である旨述べているところ(5頁)、この意見は、電気泳動の科学的原理に合致する合理的な内容であるといえる。<br>  また、前記のとおり、酒井・笠井鑑定に従事した科警研の技官らは、確定審の公判において、いずれも、複数回の電気泳動を実施して、26型のバンドを確認した旨を述べており、ゲルの固まりムラによるアーチファクトバンドが同じ場所に複数回生じることは考え難いことなどに照らせば、本田教授が指摘する資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の26型がアーチファクトバンドである可能性はないというべきであり、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。<br> '''Ⅲ''' そうすると、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり犯人の型が26型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''エ 弁護人が提出したその他の証拠について'''<br>  弁護人は、いわゆる足利事件の再審判決が、同事件におけるDNA型鑑定について、中核をなす異同識別の判定の過程に相当程度の疑問を抱かせ、具体的な実施方法も、その技術を習得した者により科学的に信頼される方法で行われたと認めるには疑問が残るとして証拠能力を否定したことは、同事件とほぼ同時期に、同じ部位について同じ手法で実施された酒井・笠井鑑定等にもそのまま妥当する旨主張する。<br>  そして、弁護人は、本田鑑定書等に加え、酒井・笠井鑑定等が実施された当時におけるMCT118型の鑑定手法はいまだ未成熟なものであったことは玉木意見書でも指摘されており、ポリアクリルアミドゲル電気泳動と123塩基ラダーマーカーによる鑑定手法は型判定自体の正確性に疑問があることは水口意見書が指摘しているから、酒井・笠井鑑定等は、異同識別の判定過程に相当の疑問が生じており、証拠能力が認められない旨主張する。<br>  しかしながら、いわゆる足利事件の再審判決は、被害者が着用していた下着の付着物にかかるDNA型の再鑑定(検出された型は菅家氏の型と一致しなかった)等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえると、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性について一般的に判示したものでないことは明らかである。<br>  また、最高検報告書、玉木意見書及び水口意見書は、いずれも、いわゆる足利事件の科警研による鑑定書等について検討した結果を論じたものであって、本件における酒井・笠井鑑定等を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって酒井・笠井鑑定等の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''(3) 小括'''<br>  これまで検討してきたところによれば、弁護人が新証拠として提出した証拠によっても、確定判決の有罪認定の根拠となったT田供述及び酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定の信用性は揺らぐものではないが、他方で、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定については、本田鑑定書等によって、その証明力を確定判決の当時よりも慎重に検討すべき状況に至っているということができる。<br>  そこで、次項において、酒井・笠井鑑定等、当審における新証拠である本田鑑定書等及び確定審において取り調べられたその余の全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じるか否かを検討することとする。<br> '''(4) 新旧全証拠による総合評価について'''<br> '''ア 序論'''<br>  確定判決の証拠構造及び認定根拠の概要は、前記第1の3のとおりであり、確定判決は、主として、前記第1の3記載の6つの情況事実群を総合評価して事件本人に対して有罪認定をしたものと解されるが、これらの情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものである。他方、当審において弁護人が提出した新証拠は、上記の情況事実群のうち、第1の3(1)①のT田の目撃供述及び同3(4)の科警研による鑑定の信用性等が否定されることのみを立証命題とするものであり、その余の情況事実を証明する証拠の信用性等に関する新証拠は提出されていない(なお、PM法によるDNA型鑑定に関する当審弁第2号証ないし同第5号証については、後記イ(イ)cで検討する。)。そうすると、前記(3)のように、本田鑑定書等によって、科警研による鑑定のうち、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力については、より慎重な評価をすべき状況に至っているが、だからといって、それだけで直ちに、確定判決における有罪認定について合理的な疑いが生じるということはできない。<br>  この点について、弁護人は、確定判決が情況事実を証明する証拠として挙げるもののうち、柱となる証拠はT田の目撃供述及び科警研による鑑定であり、これらの信用性等が否定される結果、その余のいかなる情況証拠を総合したところで、事件本人を犯人と認めることはできない旨主張するが、これは、上記のような確定判決の有罪認定の証拠構造を正解したものとはいい難いし、弁護人が提出する新証拠によっても、T田の目撃供述及び上記MCT118型鑑定を除く科警研による鑑定の信用性等が否定されないことは前記のとおりであるから、弁護人の上記主張は採用することができない(なお、弁護人は、確定判決は事件本人以外の者が犯人である可能性に論及しているところ、本田鑑定書等によれば、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることが立証されるとも主張するが、そのような合理的な疑いは生じない。)。<br>  以上によれば、上記MCT118型鑑定以外の情況事実のみの総合評価によって、確定判決と同様に、事件本人が犯人であることが十分に認められる場合はもとより、上記MCT118型鑑定以外の情況事実に加えて、本田鑑定書等により証明力の評価に変化が生じた上記MCT118型鑑定を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じない場合にも、本田鑑定書等に明白性は認められないといえる。<br>  そこで、以下では、上記MCT118型鑑定以外の情況事実ないし情況証拠群を総合評価して認められる事実について検討した上で、上記のようにMCT118型鑑定の証明力の評価に変化が生じたことがその認定にどのような影響を与えるか等について検討を加えることとする。<br> '''イ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定以外の情況事実等'''<br> '''(ア) 犯人使用車両等'''<br> '''a''' 本件犯行は、福岡県飯塚市内の小学校に登校中の被害者両名を自動車に乗車させて略取又は誘拐し、殺害した上、その遺体を山中に遺棄したというものである。<br>  T田は、犯人が被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄することが可能であった時間帯に、遺留品発見現場の直近において、紺色、ワンボックスタイプ、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーにフィルムが貼付されている不審車両を目撃したことを供述している(弁護人が当審で提出した嚴島第2次鑑定書によってもT田の上記供述の信用性が揺らがないことは、前記(1)のとおりである。)。また、被害者両名が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において、複数の者が、T田が目撃したものとほぼ同じ特徴を有する不審車両を目撃したことを証言している(確定第1審第23回公判におけるW田W男供述、同第25回公判におけるX田X男供述等)。<br>  これらの事実に、関係証拠によれば、その当時、紺色、ワンボックスタイプで、後輪ダブルタイヤという特徴を満たす車両を製造していたのはマツダのみであること、被害者両名の着衣に繊維片が付着していたところ、その繊維片は、その原糸、染色に使用された染料及びその配合比等によれば、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までの間に製造、販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いことが認められること(確定第1審第90号証、同第99号証、同第120号証、同第133号証等)を併せ考えると、犯人が犯行に使用した車両(以下「犯人使用車」という)は、上記期間に製造、販売された紺色のマツダステーションワゴン・ウエストコーストであって、リアウインドーにフィルムが貼付されていたことが認められる。<br>  他方、関係証拠によれば、事件本人が事件当時使用していた車両(事件本人車)は、これと製造時期を同じくする同車種、同グレード、同車色のものであり、事件当時、リアウインドーにはフィルムが貼られていたことが認められる(確定第1審甲第476号証、同第506号証、同第720号証等)。<br> '''b''' また、関係証拠によれば、犯人が被害者両名を略取又は誘拐した現場は、飯塚市の郊外で、県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所であって、周囲の状況からしても、付近で居住ないし稼働する者以外の者が通行することは多くないと考えられる場所であり、同所において午前8時30分過ぎ頃という比較的早い生活時間帯に被害者両名の略取又は誘拐が行われていること、犯人は、その後、T田が不審車両を目撃するまでの約2時間30分の間に、被害者両名を殺害し、被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄したと認められるところ、これらの遺棄現場は、山道の国道沿いの山中にあって、被害者両名が通学していた小学校から遺体遺棄現場までの距離は、経路によって異なるが、28ないし36.1キロメートルであり、自動車で35分ないし53分を要することが認められ(確定第1審甲第504号証、確定第1審の検証調書等)、このような事情にかんがみると、犯人は、上記各現場付近に居住するなどして、土地鑑を有している人物である可能性が高いと考えられる。<br>  他方、関係証拠によれば、事件本人は、被害者両名が通学していた小学校の付近に居住しており、上記各現場に土地鑑を有している(確定第1審乙第12号証、確定第1審第19回公判におけるG7供述等)。<br> '''c''' そして、前記aの犯人使用車と同車種、同グレードの車両の保有状況に関する捜査結果によれば、この条件に該当する車両は、前記期間に全国で5198台が製造、販売されたこと、平成3年12月末時点では全国で2854台、福岡県内では149台が保有されていたこと、本件犯行当時運行可能な上記条件に合致する車両は福岡県内で127台存在し、その使用者は合計130名であったところ、そのうち血液型がB型の者は事件本人を含めて21名であったことが認められる(確定第1審甲第111号証ないし同第117号証、同第134号証ないし同第456号証)。<br>  また、紺色のワンボックスカー、後輪ダブルタイヤ仕様、使用者の住居地が福岡県内の条件に合致する車両は299台であり、そのうち飯塚警察署管内の使用者は28名(事件本人の妻である久間C子を除く)であり、そのうち被害者両名の通学路を通行し、あるいは、通学先の小学校近辺に車両を駐車する可能性がある者は13名であるところ、修理、解体等で運行していなかった4名を除いた9名については、事件当時に略取又は誘拐や遺体遺棄の現場にいなかったこと、これらの者が使用していた車両の窓ガラスには色付きのフィルムが貼られていなかったことが認められる[確定第1審甲第526号証ないし同第535号証、同第728号証(不同意部分を除く)]。<br>  犯人が使用したマツダステーションワゴン・ウエストコーストが、福岡県内において登録されたものであると認められ、かつ、後記(エ)のとおり、犯人の血液型がB型であれば、犯人は、事件本人を含む21名にほぼ限定されることとなる。また、犯人が使用した後輪ダブルタイヤ仕様の紺色ワンボックスカーが飯塚警察署管内で使用されているものと認められ、かつ、後記(オ)のとおり、事件本人にアリバイが成立しないのであれば、犯人は、事件本人にほぼ限定されることとなる。<br>  そうすると、犯人使用車に関する上記の情況事実が、事件本人が犯人であることを推認させる力は相当に強いといえる。<br> '''(イ) 事件本人車の車内から検出された血痕及び尿痕'''<br> '''a''' 次に、関係証拠によれば、事件本人車の後部座席シートから血痕及び尿痕が検出されたこと、血痕については、血液型はO型、DNA型のGc型はC型であって、いずれも被害者A田と同型であり、尿痕については人尿であることが認められ(確定第1審甲第478号証、同第482号証、同第490号証)、また、事件本人は、事件本人車に血痕及び尿痕が付着した原因について明確な説明ができていないことが認められる。<br>  他方、関係証拠によれば、被害者両名は、いずれも頸部を絞められて殺害されたもので、遺体発見当時、いずれにも尿失禁及び出血があり、とりわけ、被害者A田は鼻孔からかなりの量の出血をしていたことが認められる(確定第1審甲第6号証、同第469号証、同第471号証等)。<br> '''b''' 前記(ア)の事実から犯人であることが強く疑われる事件本人が使用していた事件本人車から、被害者A田らを事件本人車内で殺害した際か、あるいは、被害者A田らを殺害した後、その遺体を遺体発見現場まで事件本人車で運んだ際に付着したものとして、合理的に説明することができる血痕及び尿痕が検出されたことは、事件本人が犯人である可能性をより高める事情といえる。<br> '''c''' なお、弁護人は、科警研が実施したPM法によるDNA型鑑定(確定第1審甲第490号証)について、当審弁第2号証ないし同第5号証に依拠して、①PM法は、一時的かつ未整備な検査法である、②科警研のデータ解析手法は、検査キットの使用説明書に反している、③PM法は、多型に乏しいため、一座位のDNA型だけで個人を分類すると大雑把になるなどとして、その証拠能力及び信用性を争っている(再審請求書72頁ないし75頁等)。<br>  しかしながら、上記PM法によるDNA型鑑定が信頼できる方法により行われたことは、確定審で取り調べられた証拠により十分に認められる。すなわち、まず、当審弁第3号証、同第5号証を踏まえても、本件で用いられたPM法の検査キットの信頼性は確保されていたといえる。また、たしかに、当審弁第2号証、同第4号証には、PM法において、Sドットが発色していない場合には型判定をしないように勧める旨や、DNA量が少ない場合には検出されるべきアレルが検出されない可能性がある旨が記載されている。しかし、Sドットに発色が見られないとの事実が示しているのは、HLADQα部位のDNAが十分な質と量で存在していないということであり、酒井技官らは、それと比較すると塩基数が少ないGc部位のDNAの存在を電気泳動により確認した上で型判定を行っているのであって、DNAの分解は塩基数の多いものほど早く進むのであるから、上記PM法によるDNA型鑑定の鑑定書の記載当時の使用説明書の記載をも併せみれば、その鑑定手法は合理的な手法であると認められる。また、たしかに、当審弁第3号証によれば、PM法のGc型のアレルは3種類であることが認められるが、その程度の個人識別力しかもたない証拠であっても、他の証拠との総合考慮により要証事実を推認することができるかを検討する情況証拠の一つとして扱うことは何ら差し支えないといえる。<br>  したがって、上記PM法によるDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性は、弁護人が依拠する上記各証拠によっても否定されないというべきである。<br> '''(ウ) 事件本人による犯行の機会'''<br>  また、関係証拠によれば、事件本人は、事件当時、日常的に、午前8時前後に自宅を出て、事件本人車を運転して妻を職場まで送り届けており、被害者両名が略取又は誘拐された時刻頃にその現場付近を同車で通行していたこと、事件本人は、妻を職場に送り届けた後は、長男が帰宅する午後3時頃まで1人で自由に行動することが可能であったことなどが認められる[確定第1審第31回公判における事件本人供述、確定第1審乙第5号証(不同意部分を除く)]。これらの事実によれば、事件本人は、本件犯行を実行することが可能であり、かつ、その機会が十分にあったということができる。<br> '''(エ) 被害者両名の遺体等に付着していた血液の血液型等'''<br>  そして、本田鑑定書等によっても信用性が否定されない酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定によれば、被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害者両名以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、その出血した犯人の血液型がB型であって、事件本人と一致していることが認められ、かかる事情は、前記(ア)の事情と相まって事件本人が犯人である可能性を高める事情といえる。<br>  さらに、関係証拠によれば、事件本人の亀頭は、当時罹患していた亀頭包皮炎のため、外部からの刺激により容易に出血する状態にあったことが認められるから(確定第1審甲第549号証、確定第1審証人Y田Y男尋問調書等)、事件本人が犯人であった場合には、被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来する血液等が存在したという特異な事実の理由を合理的に説明することが可能となる。<br> '''(オ) アリバイの不存在'''<br>  事件本人は、確定審の公判廷において、事件当日は、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ福岡県山田市内の実母方まで米を届けに行き、その後ぱちんこをして、午後1時ころ自宅に戻ったことなどを述べており(確定第1審第31回公判における事件本人供述)、そのような行動をしていたとする事件本人の供述が排斥できないのであれば、事件本人にはアリバイが成立し、犯行の機会がなかったことになる。<br>  しかしながら、全証拠をみても、事件本人の上記供述を直接に裏付ける証拠はなく、これを間接的に裏付ける妻C子の公判供述[確定第1審第28回公判(平成9年5月23日)におけるC子供述420項以下]も、捜査段階において事情聴取された際には、はっきりとは分からないと述べていた[確定第1審甲第720号証(平成6年10月8日付警察官調書)]日付を特定するなどの変遷が存在し、その理由が明らかではないことなどに照らしても、たやすく信用することはできない。また、事件本人の供述には、実母方に米を届けに行った日時を特定した理由等の重要部分において、捜査段階と公判段階とで理由が明らかではない変遷が存在するほか、事件当日の行動を思い出した時期や契機に関する供述も、その内容自体不自然さを拭えない上、捜査段階から公判段階にかけて合理的に理解し難い変遷がみられることなどの事情に照らせば、アリバイに関する事件本人の供述は信用し難い。そして、当審において事件本人のアリバイに関する新証拠は提出されていないから、事件本人にはアリバイは成立しない旨の確定判決の判断は、そのとおりに是認することができる。<br> '''(カ) 検討'''<br>  上記の情況事実(ア)ないし(エ)は、各々、独立した証拠によって認められるものであり、かつ、犯人を一定の者に限定し得るものであって、それぞれが、事件本人が犯人であることを推認させるものといえるところ、これらの情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えた高度の蓋然性があるということができる。<br>  すなわち、本件犯行は、紺色、後輪ダブルタイヤ仕様のワンボックスタイプであるマツダステーションワゴン・ウエストコーストを使用して行われたものと認められ、この事実に、被害者両名の略取又は誘拐の現場の状況、遺体及び遺留品の遺棄の現場の状況、犯行の時間帯等を併せ考えると、犯人は、上記各現場の付近、福岡県飯塚市内又はその周辺において、上記と同車種、同グレードの車両を保有ないし使用する者であると考えられるところ、その当時、この条件を満たしていたのは、事件本人を含む極めて少数の者に限られることは、事件本人が犯人であることを強く推認させる。出血した犯人の血液型がB型であると認められることは、上記の犯人使用車に関する事実と相まって、犯人となり得る者を更に絞り込む事情ということができる。そして、これらの条件を満たすと考えられる車両の使用者のうち、事件本人以外の者にはアリバイが成立し、また、同人らの使用車両のリアウインドーにはフィルムが貼られていなかったのに対し、事件本人車のリアウインドーにはフィルムが貼られており、事件本人は、日常的に、犯行時間帯に被害者両名の略取又は誘拐の現場付近を事件本人車で走行していた上、上記の情況事実(オ)のとおり事件本人にアリバイは成立せず、犯行の機会があったと認められることからすれば、事件本人が犯人であることが極めて強く推認される。事件本人車から血痕及び尿痕が検出され、血痕については被害者A田と血液型及びDNA型のGc型を同じくすることも、この推認を補強するものということができる。<br>  もとより、これらの情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであり、その意味で、抽象的には、事件本人と犯人との結び付きに疑いを差し挟む余地が全くないわけではない。しかしながら、本件の犯人については、前記のように独立した多くの情況事実によって重層的に絞り込まれているのであり、事件本人以外に、こうした事実関係のすべてを説明できる者が存在する現実的な可能性は非常に乏しく、抽象的な可能性にとどまるものと考えられ、全証拠を精査しても、かかる人物が存在するのではないかという合理的な疑いを抱かせるような事情はうかがわれない(弁護人は、本田鑑定書等によれば、犯人の血液型はAB型、MCT118型は18-29型である、あるいは、犯人はX-Yバンドの型を有する者であり、事件本人とは全く別の人物である旨主張するが、これらが採用できないことは、前記(2)のとおりである。)。<br>  そうすると、確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえる。<br> '''ウ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力の変化による影響'''<br>  前記イで述べたとおり、確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえるところ、本件では、前記(3)で述べたとおり、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする酒井・笠井鑑定等の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるので、このことが、上記立証の程度に及ぼす影響について検討する。<br>  DNA型鑑定においては、現場資料から検出された型と対照資料から検出された型が矛盾する場合には、両資料が同一人に由来するものとはいえないことになるから、仮に、本田鑑定書等によって犯人由来の血液から検出されたMCT118型と事件本人のMCT118型が異なることが明らかになったといえるのであれば、事件本人は犯人でないこととなる。<br>  しかし、本件においては、本田鑑定書等のうち信用性を肯定できる内容は、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定を行うと、サイズどおりに泳動がなされない結果、型判定を誤ることとなること、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで16-26型と判定された資料を、サイズどおりに正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーで判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型の複数の型のいずれかと判定される可能性があること、酒井・笠井鑑定等により16-26型と判定されていた事件本人のMCT118型について、本田教授が事件本人に由来する資料を改めて鑑定したところ、18-30型であったことである。<br>  そうすると、本田鑑定書等の内容を前提としても、現場資料の再鑑定が実施されておらず、MCT118部位の繰り返し数を正しく判定する方法による犯人のMCT118型が判明していない本件においては、犯人のMCT118型と事件本人のMCT118型が一致しないことが明らかになったということはできない。換言すれば、本田鑑定書等の前記内容を考慮しても、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまるのである。<br>  したがって、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定は、18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のうち、18-30型で犯人と事件本人の型が一致する可能性があるという点においては、事件本人が犯人であることを推認させるにつき積極方向の情況事実となり得るようにもみえるが、犯人の型が18-29型又は18-31型であり、事件本人の型と一致しない可能性もあるのであるから、犯人の型を18-30型と断定できる場合と比較すれば、その推認力は相対的に相当程度弱いものとなる。他方で、本田鑑定書等によっても、犯人の型と事件本人の型が異なることが立証されたわけではなく、両者が一致する可能性も十分に残されている以上、本田鑑定書等が、事件本人が犯人であることを推認するにつき消極の情況事実になると評価することも合理的ではなく、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する前記イ(カ)の評価に影響を及ぼすこともないというべきである。<br> '''エ 小括'''<br>  確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないことは明らかである。<br>  また、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分を前提とすれば、確定判決が有罪認定の根拠とした酒井・笠井鑑定等のうち、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致したとの点は、そのまま有罪認定の根拠として供することはできないとしても、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致しないことが明らかになったものではなく、両者が一致する可能性も十分にあるのであるから、MCT118型の点以外の情況事実にこれを併せ考慮した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているといえる。<br>  したがって、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分によっても、確定判決の有罪認定について合理的な疑いは生じないことになるから、結局、本田鑑定書等に明白性を認めることはできない。<br> ====4 結論====  以上のとおり、弁護人が提出した証拠を確定記録中の全証拠と併せて総合評価した結果、事件本人が犯人であると認めた確定判決における事実認定について合理的な疑いは生じず、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑事訴訟法447条1項により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。<br>  平成26年3月31日<br>  福岡地方裁判所第2刑事部<br>  裁判長裁判官 平塚浩司<br>  裁判官 吉戒純一<br>  裁判官 岡本康博<br> <br> 別紙<br> 1 最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)(本田作成、平成21年10月13日)<br> 2 PM法検査試薬(PMDNA型キット)使用説明書(訳文含む)(パーキン・エルマー社作成、平成7年以降ころ)<br> 3 続犯罪と科学捜査-DNA型鑑定の歩み-(抜粋)(瀬田季茂作成、平成17年10月18日)<br> 4 DNA分析試験・科学者でない人のための図解入り説明(ドナルド・E・リリー作成、平成10年)<br> 5 DNA型鑑定の運用に関する指針の改正について~フラグメントアナライザーを用いた新短鎖DNA型検査法の導入~(抜粋)(木下外晴作成、平成15年9月10日)<br> 6 表・血液型及びDNA型による個人識別の精度(「日本の科学警察」)(科学警察研究所編、平成6年12月15日)<br> 7 T田の検察官調書(写し)(平成4年12月7日)<br> 8 判決書(写し)(陶山博生外2名作成、平成11年9月29日)<br> 9 判決書(写し)(小出錞一外2名作成、平成13年10月24日)<br> 10 判決書(写し)(滝井繁男外4名作成、平成18年9月8日)<br> 11 いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について(最高検察庁作成、平成22年4月)<br> 12 意見書作成依頼について(水口清作成、平成21年10月2日)<br> 13 意見書(玉木敬二作成、平成21年10月21日)<br> 14 菊池和史氏(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書(本田克也作成、平成22年12月20日)<br> 15 いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書(嚴島行雄作成、平成23年7月8日)<br> 16 MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法(笠井外3名作成、平成4年2月)<br> 17 鑑定書(本田克也作成、平成24年10月15日)<br> 18 D1S80にみられた42以上型の解析(小林了外3名作成、平成10年7月31日)<br> 19 D1S80にみられた42以上型バンドの増幅効率について(田村明敬外6名作成、平成12年6月30日)<br> 20 MCT118(D1S80)型にみられる42以上型の解析と型判定(大河原均外1名作成、平成12年6月30日)<br> 21 D1S80にみられる42以上型の型判定(渡邉剛太郎外1名作成、平成14年6月15日)<br> 22 MCT118型における42以上型の型判定法について(桐原俊二外4名作成、平成11年3月)<br> 23 殺人事件報告書(写し)(K1外1名、平成4年3月2日)<br> 24 遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書(写し)(K3作成、平成4年10月15日)<br> 25 捜査と鑑識のためのDNA型分析-解説編-(瀬田季茂監修、科学警察研究所発行、平成3年10月)<br> 26 バイオ研究者が知っておきたい化学の必須知識(抜粋)(齋藤勝裕作成、平成21年1月1日)<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} lnod0x2qthsu1b2si0pvvq3o9suxq4c 福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号 0 35271 246537 221855 2026-10-11T16:00:23Z ろづき 28406 246537 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所平成26年(く)第56号 |year=2018 |notes= *LEX/DB文献番号25549362。原本は実名。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。本決定の原審・特別抗告審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 福岡高等裁判所平成26年(く)第56号<br> 平成30年2月6日第2刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成26年3月31日、福岡地方裁判所がした再審請求棄却決定に対し、申立人から即時抗告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。 ==主文== 本件即時抗告を棄却する。 ==理由==  本件即時抗告の趣意は、主任弁護人岩田務ほか36名共同作成の即時抗告申立書、同主任弁護人作成の即時抗告理由補充意見書(1)、即時抗告理由補充意見書(2)、即時抗告理由補充意見書(3)、即時抗告理由補充意見書(4)、即時抗告理由補充意見書(5)、笠井意見書及び科警研血液型鑑定に関する弁護人意見書、即時抗告理由補充意見書(6)、即時抗告審弁護人総括書面(なお、これらに関する訂正書等も含む。)に各記載のとおりであるから、これらを引用する。<br> ===第1 これまでの経過=== ====1 確定判決の存在====  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、要旨、以下のとおりの罪となるべき事実により、死刑に処する旨の有罪判決を受けた(以下、同判決を「確定判決」という。)。すなわち、<br>  事件本人は、平成4年2月20日、福岡県飯塚市大字潤野(省略)付近路上において、潤野小学校に登校中の被害者A田及び被害者B山を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転するマツダステーションワゴン・ウエストコースト(登録番号「筑豊○○つ○○○○」)に乗車させ、同小学校への通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  事件本人は、これを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、更に上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、確定判決が確定した。<br> ====2 原決定の概要等==== '''(1)''' 原決定は、まず、確定判決につき、主として、〔1〕T田T男(以下「T田」という。)らの目撃供述によれば、本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有するものであると推測されるところ、事件本人は前記車両と特徴を同じくする車両(以下「事件本人車」という。)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること、〔2〕被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと、〔3〕事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに生じたと認められる失禁と出血があり、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること、〔4〕警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること、〔5〕事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること、〔6〕被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を通勤先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路にあたっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと、といった情況事実を列挙し、これらを総合して、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとした、と説示した。<br> '''(2)''' その上で、弁護人が新証拠として提出した証拠のうち、その主要な証拠及び立証命題は、次の3点に集約できるとしている。すなわち、<br> '''ア''' 筑波大学社会医学系法医学教室本田克也教授(以下「本田教授」という。)作成の平成21年10月13日付け「最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)」(原審弁1、以下「本田第1次鑑定書」という。)、平成22年12月20日付け「菊池和史氏(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書」(原審弁14)及び平成24年10月15日付け「鑑定書」(原審弁17、以下「本田第2次鑑定書」という。)並びに原審における本田教授の証言(以上の鑑定書等及び証言を総称して「本田鑑定書等」という。)により、科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲68、76)の各証拠能力ないし信用性が否定され、前記〔4〕の事実が認められないことになること、そして、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることを立証しようとするものである。<br> '''イ''' 足利事件の再審判決並びに最高検察庁作成の「いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について」(原審弁11、以下「最高検報告書」という。)、水口清作成の意見書(原審弁12、以下「水口意見書」という。)及び玉木敬二作成の意見書(原審弁13、以下「玉木意見書」という。)は、前記〔4〕の科警研のDNA型鑑定が、足利事件における科警研のDNA型鑑定と証拠として同質であり、証拠能力が否定されることを立証しようとするものである。<br> '''ウ''' 嚴島行雄(以下「嚴島教授」という。)作成の「いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書」(原審弁15、以下「嚴島第2次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第2次実験」という。)、司法警察員K1(以下「K1警察官」という。)及び同K2作成の「殺人事件報告書」(原審弁23、以下「K1報告書」という。)、司法警察員K3作成の「遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書」(原審弁24、以下「K3報告書」という。)は、前記〔1〕のT田の目撃供述の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  そして、原決定は、新証拠の明白性に関して、概要、以下のとおり説示している。すなわち、<br> '''(3) T田の目撃供述について'''<br> '''ア 嚴島第2次鑑定書'''<br> '''(ア)''' 嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の信用性に関する心理学鑑定書」(確定控訴審弁70、以下「嚴島第1次鑑定書」という。)について、確定控訴審判決で指摘された問題点を考慮して、条件変更を行った上で、T田の目撃条件の再現実験を行ったものである。<br>  その実験結果は、被験者について、目撃した車両及び人物のいずれも、T田のような詳細な記憶は喚起されず、被験者のうち15名は、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、T田のような詳細な車の説明ができなかったとし、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察され、T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ないとしている。<br> '''(イ)''' しかし、嚴島教授が、第2次実験の被験者が走行する距離をT田のそれよりも短いものとしたこと、被験者が運転する車両を操作の簡単なオートマティック車としたこと、被験者の半数の者に対し、「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」旨の教示を行うなど、被験者らが駐車車両を知覚し記憶し易くなると考えられる方向での措置を講じていることを十分考慮しても、第2次実験の実験条件は、重要な点においてなおT田の目撃条件と異なっており、T田と同等以上に知覚、記憶を促進するようなものになっていたとは認め難く、そのような実験条件のもとで被験者らがT田と同様の記憶を保有することができなかったとしても、T田がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとみることはできない。<br>  また、嚴島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。<br>  したがって、嚴島第2次鑑定書に明白性は認められない。<br> '''イ K1報告書及びK3報告書'''<br> '''(ア)''' K1報告書は、K1警察官らが、平成4年3月2日、福岡県甘木市森林組合に対して聞き込みを実施したところ、同組合職員のT田が、同年2月20日午前9時から9時30分の間に、職務のため八丁峠を通行し、午前11時30分頃、頂上付近のカーブに駐車していた紺色ワゴン車1台を目撃した、などを内容とするものである。<br>  K3報告書は、T田の目撃情報の入手状況並びに同人が供述した車両のタイヤのホイルキャップ及びボディラインに関して、事件本人車について捜査した結果等を記載したもので、T田の平成4年3月9日付け警察官調書(確定第1審甲724)を作成したK1警察官が、同月7日に事件本人車を現認し、同車両にはボディラインがなかったことが記載されている。<br> '''(イ)''' K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田の平成4年3月9日付け警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、T田は、K1警察官が事件本人車を目撃する以前であり、K1警察官からの誘導を受ける可能性のない同月4日の時点で、目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことをG1(以下「G1」という。)らに話題にした際、G1に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが、T田とG1がそのような会話をする以前に、T田がK1その他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない。したがって、これらの報告書にも明白性は認められない。<br> '''(4) 科警研が実施した鑑定について'''<br> '''ア''' 科警研は、〔1〕木の枝に付着の血痕ようのもの(以下「資料(1)」といい、資料(1)のうちPBS抽出遠心沈渣を「資料(1)〔1〕」、枝に残存していたものを「資料(1)〔2〕」という。)、〔2〕被害者A田の膣内容物(以下「資料(2)」という。)、〔3〕被害者A田の膣周辺付着物(以下「資料(3)」という。)、〔4〕被害者B山の膣内容物(以下「資料(4)」という。)、〔5〕被害者B山の膣周辺付着物(以下「資料(5)」という。)、〔6〕被害者A田の心臓血(以下「資料(6)」という。)及び〔7〕被害者B山の心臓血(以下「資料(7)」という。)を鑑定資料として、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲68、坂井活子技官(以下「坂井技官」という。)及び笠井賢太郎技官(以下「笠井技官」という。)担当、以下「坂井・笠井鑑定」という。)を実施し、事件本人の毛髪についても、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲76、坂井技官、笠井技官及び佐藤元技官担当、以下「坂井・笠井・佐藤鑑定」といい、前記「坂井・笠井鑑定」と併せて「坂井・笠井鑑定等」という。)を実施した。<br> '''イ 血液型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等の内容'''<br> a 血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではないから、坂井・笠井鑑定が血液凝集反応の強弱を持ち込んだことは完全に誤っている。<br> b 坂井・笠井鑑定には、血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保たれていない。<br> c すべての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である。<br> d 被害者両名と犯人の血液の混合比について、資料(1)について、抗B抗体に強い反応を示したとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型に関しては、被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されておらず、これは資料(3)も同様であり、血液型鑑定とDNA型鑑定の間に明らかな矛盾がある。<br> e 資料(2)ないし資料(5)については、木綿糸でなく、非特異的に抗体を吸収してしまう脱脂綿が使用されているが、コントロールが置かれていないから、これらの血液型鑑定の結果は信頼できない。<br> '''(イ)''' 前記aについては、本田教授の指摘は血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて坂井・笠井鑑定を論難するものに過ぎず、資料(1)ないし資料(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。また、解離試験法の内容からは、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、坂井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないのは相当ではない。<br>  前記bについては、鑑定の信用性は、鑑定書の体裁のみならず、鑑定した者の供述等を含めて総合的に判断されるべきものであり、写真が添付されていないことの一事をもって、坂井・笠井鑑定の信用性を否定するのは相当ではない。<br>  前記cについては、本田鑑定書等は、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されておらず、これらに含まれるA型物質が被害者B山由来のものとはいえないから、これらに含まれる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、B型であると認めることはできないとするが、確定判決は、これらの資料に含まれるA型物質が被害者B山に由来するものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはしていないし、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定では血液中の全く異なる部位を使用するから、これらの資料から被害者B山のMCT118型が検出されていないからといって、資料(2)及び資料(3)に被害者B山の血液が混合していないということはできない。<br>  前記dについては、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定とでは、血液中の別個の部位を使用することなどに照らせば、血液型鑑定における血液凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致しなかったからといって、坂井・笠井鑑定の信用性が損なわれるということはできない。<br>  前記eについては、脱脂綿の使用により問題が生じる可能性を抽象的に指摘するのみで、坂井・笠井鑑定の信頼性を疑わせる論拠となるような実験結果や文献資料等は何ら提出されておらず、本田教授の指摘を直ちに採用することはできない。<br>  以上のとおり、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用できない。<br> '''ウ MCT118型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等について'''<br> a 本田第1次鑑定書の内容<br> (a)事件本人の遺留物件に付着した細胞等についてDNA型鑑定をしたところ、事件本人のMCT118型は18-30型であり、16-26型とした坂井・笠井鑑定は、型判定において誤りがあるのが明白である。<br> (b)坂井・笠井鑑定等には、資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動された写真がないから、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。坂井・笠井鑑定の鑑定書添付の電気泳動写真と坂井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付の電気泳動写真を比較検討すると、泳動位置に違いがあり、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、事件本人の型は16-27型と判定され、明確に異なった型と判定される。<br> (c)坂井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合の人数によって、被害者両名以外の型として解釈できる型は幾通りにも存在するから、犯人の型が16-26型であると解釈できても確定することはできない。<br> (d)ポリアクリルアミドゲル電気泳動法では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。いわゆる足利事件の菅家利和氏については、本田教授が再鑑定したところ、18-29型と判明したが、坂井・笠井鑑定で犯人と推定される型と足利事件の科警研による菅家利和氏の型はいずれも16-26型とされ、鑑定書添付の電気泳動写真上も両者のバンド位置はほぼ一致しているから、犯人の型は18-29型ということになり、事件本人が犯人である可能性は否定される。<br> b 本田第2次鑑定書の内容<br> (a) 坂井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13のネガフィルム(確定第1審甲593、以下「坂井・笠井鑑定のネガフィルム」という。)のデジタル画像では、被害者両名の心臓血を含むすべての資料で16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型と無関係のバンドである。<br> (b) 前記デジタル画像の資料(1)、資料(4)及び資料(5)には、41型、46型と見られるバンド(以下「X-Yバンド」という。)が存在する。X-Yバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないから、犯人はX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高い。<br> (c) 前記デジタル画像の分析結果によれば、26型は資料(1)ないし資料(5)のうち3つで辛うじて認められるが、濃度が非常に薄く、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、ゲルの固まりムラによるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。<br> '''(イ) 検討'''<br> a 本田第1次鑑定書について<br> (a) 前記(ア)a(b)については、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないから、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえないこと、事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、上位バンドの数値は26型と判定するのが相当といえる数値であったから、坂井・笠井・佐藤鑑定の型判定に、当時の判断としては疑問の余地はないこと、本田教授の判定手法は、デンシトメトリーを用いることなく電気泳動写真の目視によってバンドの位置を確定しようというもので当を得ないものであり、ラダーマーカーの位置の比較も適切になされていないことから、採用し難い。 <br> (b) 前記(ア)a(c)については、坂井・笠井鑑定は、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決もこれを前提に、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているから、確定判決の事実認定を左右するものではない。<br> (c) 前記(ア)a(a)及び(d)については、123塩基ラダーマーカーにより16-26型と判定された資料がアレリックラダーマーカーで判定した場合に18-29型のみに結びつくものではないから、この点に関する本田教授の指摘は採用できない。123塩基ラダーマーカーによる型判定では16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーによる正確な型判定では18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のいずれかに当たり得る。確定判決もこれを前提に判断しているが、前記(ア)a(a)のとおり事件本人の正確なMCT118型は18-30型であることが明らかになっているから、現段階において、坂井・笠井鑑定等が、123塩基ラダーマーカーを指標として判定した事件本人のMCT118型及び資料(1)ないし資料(5)に含まれる被害者両名以外の者(犯人)に由来すると思われる血液のMCT118型が16-26型で一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じている。<br> b 本田第2次鑑定書について<br> (a) 前記(ア)b(a)については、MCT118型検査は、16型の非特異増幅を生じるような検査法であるとは認められないこと、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンド濃度は、資料(1)〔2〕を除いて、資料(6)及び資料(7)のバンド濃度をはるかに上回っていること、16型が泳動時の汚染によるものとすれば、123塩基ラダーマーカーの3つのレーンにはいずれも16型が検出されていないことの説明が困難であること、資料(6)及び資料(7)の16型のバンド様のものについて、よごれであると判断したとの坂井技官の供述、現像ムラか染色ムラと思われる旨の笠井技官の供述には、それなりに合理性があること、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的可能性が存在するとは認め難いことからすると、本田教授の見解は採り得ない。<br> (b) 前記(ア)b(b)については、坂井・笠井鑑定のネガフィルムを見ると、資料(1)〔1〕、資料(1)〔2〕、資料(4)及び資料(5)のレーン上に、X-Yバンドの位置にバンド様のものが存在することが認められるが、エキストラバンドは42以上の型においても出現すること、エキストラバンドは2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいところ、X-Yバンドが見られる前記資料(1)〔1〕等では16型と18型の双方が検出されているのに対し、これが見られない資料(2)及び資料(3)では16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されておらず、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があること、笠井技官は、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したが再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したと説明しており、その説明は合理的であることなどからすれば、X-Yバンドが犯人の型である可能性が高いとする本田教授の指摘は採用できない。<br> (c) 前記(ア)b(c)については、資料(1)〔2〕及び資料(4)につき、坂井技官は、ネガフィルム上の25型のバンドが太めのもので、その上にもバンドがあると判断されるものであり、デンシトグラムの25型のピークの落ち方は普通のものとは異なっていて、すそ野の中に隠れる形でもう1つバンドがあると判断されるものであったと具体的な判定根拠を述べていること、ゲルの固まりムラがあり、そこで増幅産物の解離が起こったのであれば、その位置を通過した増幅産物はすべて二重になるはずであるが、資料(1)〔1〕、資料(3)及び資料(5)の16型及び18型のバンドは二重になっておらず、固まりムラによって特定のレーンの特定の場所だけが二重になりノッチが形成されるというのは、非常に不自然であることから、犯人の型が26型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''エ 弁護人が提出したその他の証拠について'''<br>  いわゆる足利事件の再審判決は、DNA型の再鑑定等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえ、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、最高検報告書、玉木意見書及び水口意見書は、いずれも本件の坂井・笠井鑑定等を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって坂井・笠井鑑定等の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''(5) 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする坂井・笠井鑑定等の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田鑑定書等の内容を考慮しても、坂井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> ===第2 当裁判所の判断===  原審で弁護人が提出した証拠の明白性を否定し、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえないとして、本件再審請求を棄却した原決定の判断に、論理則、経験則等に照らして不合理な点はなく、当裁判所も正当なものとして是認することができる。以下、所論に鑑み説明する。なお、弁護人が当審において提出した証拠は別紙のとおりである。<br> ====1 T田の目撃供述について==== '''(1) 嚴島第2次鑑定書について'''<br> '''ア''' 所論は、以下のとおり、嚴島第2次鑑定書の評価に関する原決定の説示は誤っている、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、安全運転のための注意力の程度につき、「不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあった」こと、「T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり、T田にとって乗り慣れていること」を挙げて、「T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを示す」とする。しかし、T田は、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあると供述するだけで、過去どのような頻度で目撃現場付近を通行したかについて詳細は述べていないし、平成4年2月は、不審車両を目撃したとされる20日以外には12日の1日だけしか通行しておらず、T田は目撃現場を頻繁に通行していたとはいえない。また、目撃現場付近はカーブが連続する下り坂であり、T田運転車両はマニュアル車で、変速装置の操作が頻繁に必要である一方、被験者の運転車両はオートマティック車であるから、その条件は被験者の方が有利であることは明らかである。<br> 〔2〕原決定は、目撃対象への注意の向け易さにつき、「T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして注意を向け易いということにも結び付く」とする。しかし、被験者の半数は「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」という注目教示が与えられ、より目撃車両に注意を注ぐことができる状況にあった一方、T田にはこのような事前の教示はなされていないから、その条件に有意な差は存在しないか、被験者の方が有利な条件であったことは明らかである。<br> 〔3〕原決定は、目撃対象への印象の強さにつき、「T田は、不審車両を目撃した翌日の夕方、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、T田が前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが、このような会話等により、T田は、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる」とする。しかし、目撃対象への印象の強さは、目撃当時の状況に左右され、目撃後の事情によって左右されるものではなく、記憶の範囲も目撃時の事情に制約されるのであるから、目撃後の事情という要素は、目撃条件の優劣を判断する上で重要とはいえない。<br> 〔4〕原決定は、目撃対象の記憶を容易にする条件の有無につき、「T田は、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた」とする。しかし、T田はダブルタイヤ仕様の車両の存在等について具体的にどのように知っていたか供述しておらず、雑誌を読んで知っていたとの抽象的な供述に終始しており、一般常識的なものにとどまり、目撃条件の優劣を判断する上で重要とはいえない。<br> 〔5〕原決定は、第2次実験の目撃条件の設定につき、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いた点について、「上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である」とする。しかし、原決定は、第2次実験の目撃条件の設定方法について疑問を生ぜしめる心理学的見地からの合理的根拠を全く示していないし、原決定の判断は、およそフィールド実験によって目撃証言を弾劾することは不可能であるといっていることと同じである、というのである。<br>  しかし、〔1〕及び〔2〕については、T田が運転していたのは八丁峠の下り坂であり、しかもその速度は速くても時速約30km程度というのであるから、マニュアル車であったとしても、複雑なギアチェンジを繰り返す必要はなく、基本的にはブレーキペダルやクラッチペダルの操作で足りるから、オートマティック車の運転操作と比べて不審車両に目を向けることが困難ということはできない。また、T田は、平成4年2月12日、20日以外にも同年1月20日、24日にも目撃現場付近を通行しており(原審甲724)、目撃現場付近を相応に走り慣れていたと認められる。しかも、T田は、目撃当時は通行車両も少ない状況の中で、通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車している不審車両に着目して目撃したというのであるから、原決定が説示するとおり、普段と異なるものとして不審車両に注意を向け易い状態であったといえ、このような条件を具備しない被験者に所論がいうような事前教示があったとしても、T田の目撃条件よりも有利であるとか有意な差はないなどとはいえない。<br>  〔3〕については、確かに、目撃時点における目撃状況そのものの印象は、事後の事情によって影響を受けるものではないが、原決定が説示するのは、T田が目撃した不審車両の記憶を喚起、定着させた根拠として、本件事件のニュースと関連して目撃した不審車両について同僚と話をしたということを指摘しているのであるから、所論は当を得たものではない。<br>  〔4〕については、原決定が説示するとおり、T田が、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴として後輪タイヤが小さく幅が広いといった具体的内容を知識として有していたことが明らかであり、このことが、目撃した不審車両がダブルタイヤであったことを知覚し記憶する上で有利に働いたというべきであるから、原決定の判断に誤りはない。<br>  〔5〕については、人の記憶の程度は、各々の属性やその時々の諸条件によって異なるといえるところ、原決定が説示するとおり、第2次実験の被験者は、知覚し記憶する条件がT田よりも重要な点で不利なものとなっていると考えられる。嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることができないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いることによって、このような重要な条件の相違を補うものであるというが、同鑑定書にはその正当性を基礎付ける合理的根拠は示されておらず、再現実験の困難性からみて、疑問が生じる。<br>  よって、嚴島第2次鑑定書の評価に関する原決定の判断は正当である。<br> '''イ''' 所論は、当審において嚴島第2次鑑定書を補完する趣旨のものとして提出されたと理解される(以下、当審で提出された証拠については、原審で弁護人が提出した新証拠を補完する趣旨のものとして取り扱う。)、嚴島教授作成の「飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書」(当審弁4の1)及び「飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺」(当審弁4の2、以下、当審弁4の1及び弁4の2を併せて「嚴島第3次鑑定書」という。)、嚴島教授及び北神慎司共同作成の「飯塚事件における目撃者T田の供述に関する第4次心理学鑑定書」(当審弁9の1)及び「飯塚事件における目撃者T田の供述に関する第4次心理学鑑定書補遺」(当審弁9の2、以下、当審弁9の1及び弁9の2を併せて「嚴島・北神鑑定書」という。)に基づき、以下のように主張する。すなわち、<br>  タンジェント・ポイント(以下「TP」という。)理論とは、運転者の視線はカーブの3秒前くらいからTP付近に集中し始め、TPはカーブに沿って前進していき、TPへの注視はカーブに沿って車が進行するにつれて徐々に強くなるというものである。嚴島・北神鑑定書における実験結果からは、本件左カーブでは誰しも左側のTP等に視線の多くを停留せざるを得ず、そのためTPとは反対側の道路右側の被目撃車両及び人物には多くの視線を注げないことが明らかとなり、仮にTPとは反対側の被目撃車両及び人物に対して視線を向けた場合であっても、視線停留時間は短く、その視線行動は同じ部位にずっと留まっているのではなく、同一対象の異なる部位を何回も場所を変え、その対象から離れて他の場所に行くということを繰り返す。しかも、視線が移動している間は外部情報を認知できず、視線移動後にその視線が停留しても、凝視に至らずチラ見にとどまるときは、粗い情報しか把握できない(チェンジ・ブラインドネス現象)のであるから、T田供述のような多項目かつ詳細な事項の知覚ないし記憶は不可能である、というのである。<br>  しかし、嚴島第3次鑑定書におけるタンジェント・ポイント理論等の視覚科学は、外国の研究論文を引用するものであるところ、その論文の中で行われた実験等は、本件におけるT田の目撃条件とは異なるものであるから、前記視覚科学がそのまま本件のT田の目撃条件に当てはまるものではなく、嚴島第3次鑑定書をもってしても、T田の目撃供述の信用性は揺るがないというべきである。また、嚴島・北神鑑定書における実験は、9名の一般成人を実験参加者とし、実験前に参加者に対してカーブでは時速25~30km程度で運転するほかは、通常通りの運転を行うように求めたにすぎず(当審弁9の1)、被験者が本件道路を走行した経験の有無、駐車車両に対する注意の度合い、運転に供した車両が被験者にとって普段から乗り慣れた車両であるか否か等の重要な点で、確定控訴審判決や原決定が嚴島第1次鑑定書及び同第2次鑑定書において指摘した問題点を克服したものとは評価できず、T田の目撃条件と同一条件で行われたといえるものではないから、やはりT田の目撃供述の信用性を揺るがすものではない。<br> '''(2) K1報告書及びK3報告書について'''<br> '''ア''' 所論は、〔1〕原決定は、T田の平成4年3月9日付け警察官調書は、K3報告書の存在により、同月7日に事件本人車を見分したK1警察官が、事件本人車の特徴を事後情報としてT田に与えつつ事情聴取を実施したことが明らかであるから、その信用性は弾劾されるとの弁護人の主張を無視している、〔2〕原決定は、K1報告書におけるT田の初期供述である、車から人が乗り降りしていたとの記載は、その後のT田供述とかけ離れた内容であって、その後のT田供述の信用性を著しく毀損するべきものであるとの弁護人の主張を無視している、〔3〕K3報告書には、同月4日のT田供述として、紺色ワゴン車で男が乗り降りしていたとの同月2日のK1報告書に比べ、ダブルタイヤと特定し、ガラスに何か貼っていたこと、人物の頭が禿げており、髪は長めで分けており、茶色ベストに白っぽいシャツを着ていたことなど多項目にわたり詳細に語ったように記載されており、警察官による誘導の効果が明らかにされているにもかかわらず、原決定が、同月4日のT田供述を根拠に警察官による誘導を否定したことは誤っている、〔4〕K1警察官作成の平成4年3月4日(午後)の捜査報告書(以下「3月4日午後報告書」という。)に、T田の「ボンゴ車」との供述に基づき、その型式として「ボンゴのWタイヤはマツダで、ボンゴのディーゼル車BA2S8H、BA2S9H、ガソリン車、2V8H、2V9Hとのことであった」と記載されているところ、これらはいずれも事件本人車と同じウエストコーストのものであり、他方でボンゴ車の型式は他にも多数存在していたから、同日時点で捜査機関は事件本人車を犯行使用車両として特定していたのであり、この情報に基づきK1警察官はT田を誘導した、〔5〕原決定は、G1供述をT田供述の信用性を肯定する根拠の一つとするが、K3報告書によれば、同月9日よりも前に警察がG1に接触した形跡はなく、他方、最も早いG1供述は、同年5月28日の警察官調書であることからすれば、G1の初期供述は、早くても同年3月9日より後で遅くとも同年5月28日となるところ、G1の事情聴取を担当したのもT田を担当したK1警察官であるから、G1にもT田同様に事後情報が提供されて誘導がなされたことが明らかである上、同年2月21日、22日にG1がT田の話を聞いた際にその場にいたG2は、同月25日の時点で警察官に何も供述していないことに照らすと、G1供述は信用できない、と主張する。<br> '''イ''' しかし、〔1〕については、原決定は、平成4年3月4日のT田の目撃した不審車両の特徴に関する供述内容はK1警察官による誘導等がなされ得る前の時期のものであり、その内容と確定判決が信用性を肯定したT田の目撃供述との間に齟齬がないことから、T田の目撃供述はK1警察官による誘導等によってなされたものとはいえないことを説示しているのであるから、原決定が弁護人の主張を無視したなどという所論の指摘は理由がない。<br> '''ウ''' 〔2〕及び〔3〕については、K1報告書における平成4年3月2日のT田からの事情聴取は、T田が職務多忙のため目撃場所の特定等詳細な事情聴取には至らなかったというものであって、T田の目撃内容に関する記憶を正確に喚起させて詳細に目撃状況を聴取したものとは窺えない。これに対し、K3報告書によれば、同月4日の事情聴取は、T田を八丁峠に同行させて目撃現場を特定させており、T田はその現場を確認した上で、目撃した不審車両や人物について申告しているのであるから、より記憶を正確に喚起して目撃した状況を語ることが可能な状況にあったといえ、所論の指摘するような事情が、直ちにT田の目撃供述の信用性を減殺させたり、K1警察官による誘導等を窺わせるとはいえない。<br> '''エ''' 〔4〕については、確かに、3月4日午後報告書(原審検察官の意見書8に添付)には、事件本人車と同じウエストコーストの型式のみが記載されている。<br>  しかし、この段階では、被害者両名から採取した膣内容物等の血液型鑑定やDNA型鑑定等の事件本人の犯人性に関する客観的な結果を捜査機関はいまだ収集できておらず(確定第1審甲53、58、62、68、76、確定控訴審第2回公判G6証人尋問調書118項ないし136項等)、その後、T田の供述する後輪ダブルタイヤの紺色ワンボックスカーの所有者等に対するつぶしの捜査が行われている(確定控訴審第2回公判G6証人尋問調書60項ないし76項)こと等からすると、捜査機関が平成4年3月4日までに事件本人車を犯行使用車両として特定していたとまでは考え難い。また、仮に捜査機関が同月4日に既に事件本人車を犯行使用車両と特定し、同日にT田を誘導等までしていたというのであれば、その後の同月9日のK1警察官による取調べの際にも、目撃した不審車両についてマツダのボンゴ車であると特定してしかるべきであるが、T田の同日付け警察官調書では、トヨタや日産ではない、後タイヤは確かダブルタイヤであった、というように3月4日午後報告書よりも後退した内容となっている。したがって、所論のいう3月4日午後報告書の記載のみから、平成4年3月4日までに捜査機関が事件本人を容疑者として特定し、事件本人車を犯行使用車両と特定していたということはできない(なお、所論は、事件本人が、同年2月25日頃、M村刑事が事件本人方を訪れた旨供述しており、その際にM村刑事が事件本人車を確認したともいうが、その頃M村刑事が事件本人車を確認したことを窺わせるような証拠はない。)。<br>  したがって、所論〔4〕は採用できない。<br> '''オ''' 〔5〕については、所論は、G1の確定第1審における公判供述と捜査段階における警察官調書との間に、T田から聞いた目撃車両等が事件とは関係ないと考えた理由やT田から目撃車両等の話を聞いた回数に変遷があり、この点を指摘して、G1は捜査官の誘導によって供述内容をT田供述に沿う方向に変遷させたものであり、G1の公判供述は信用できないと主張するが、G1は、T田から、紺色のダブルタイヤのボンゴ車かワゴン車を目撃した旨聞いたという核心部分については一貫して供述している(主任弁護人作成の平成29年9月12日付け上申書添付のG1の平成4年5月28日付け警察官調書)のであって、所論が指摘する点を検討しても、前記核心部分につき、K1警察官が、G1に対して、供述すべき内容を示唆、誘導したような事情は窺われない。<br>  そして、G1とともにT田から話を聞いたとされるG2(K3報告書には「福岡県甘木市森林組合職員G2」と記載されている。)に対し、同年2月25日に警察官が聞込みを行っているところ、K3報告書には、その結果として、「民間に依頼し、野鳥の山林の枝下ろし等の作業をしている。」「20日、21日とも作業を依頼しており、従業員はP1、P2、P3である」との聞込みを得たが特異情報の入手には至らなかった旨記載されている。しかし、K3報告書によれば、この聞込みは、同月24日、警察官が甘木市商工観光課係長に対して本件の死体遺棄現場及び所持品等の遺留品の投棄現場付近の作業状況等について聴取した結果、市役所による作業等はないが、農林事務所、森林組合が作業をしているようだとの情報を得たことから行われたものであって、このような経過に照らせば、自らは前記作業に従事していなかったG2が、同月21日にT田から聞いた不審車両に関する話をしていなかったとしても不自然とはいえない。また、T田及びG1の供述によれば、結局、T田がG1らに話をした目撃車両については、目撃した場所が被害者両名の遺体発見現場と異なることから、事件とは関係ないとの話になったというのであるから、G2が警察官に対してT田から聞いた不審車両の話をしていないことは、この点からも不自然とはいえない。G1供述が信用できないとの所論は採用できない。 <br> '''(3)''' その他所論は原決定が嚴島第2次鑑定書並びにK1報告書及びK3報告書に証拠の明白性を認めなかった点について縷々主張するが、これらを検討しても原決定の判断に誤りはない。<br> ====2 科警研が実施した鑑定について==== '''(1) HLADQα型'''<br> '''ア''' 所論は、本田第1次鑑定書の立証命題の1つである、真犯人のHLADQα型は3-3型であって、事件本人(1.3-3型)とは異なるから、事件本人は無実であるとの点につき、原決定が判断を欠いていると主張する。すなわち、HLADQα型鑑定の方が血液型鑑定よりも少量の資料から検出可能であり、血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずであるところ、被害者両名の膣内容等の資料から、いずれも真犯人の血液型が検出されているのであるから、どの資料にも真犯人のHLADQα型が含まれていると判断するのが合理的であり、資料(2)ないし資料(5)のすべてに含まれているのは3型のみであるため、真犯人のHLADQα型は3-3型しかあり得ず、事件本人とは型が異なる被害者A田の膣内容等から事件本人のHLADQα型が検出されていないのであるから、事件本人が犯人である可能性はない。ところが、原決定は、本田鑑定書等の新規性を認めながら、真犯人のHLADQα型は3-3型しかあり得ないとの弁護人の主張を摘示せず、「当裁判所の判断」においても何らの検討も加えていない、というのである。<br> '''イ''' しかしながら、確定判決が説示するとおり、HLADQα型の検査キットは、元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者択一のものであり、すべての型それぞれにのみ反応する試薬(プローブ)はない(確定第1審弁46)上、資料の混合があった場合には判定不能となる場合が多い(基本的には判定しない)とも指摘されていること(確定第1審弁43)を踏まえると、混合資料のHLADQα型の検査結果から直ちに2人分の型が検出された、若しくはその合理的な疑いがあるとは認め難いというべきである。また、血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずであるとの点については、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、MCT118型、HLADQα型等のDNA型鑑定では白血球中の核内に存在するDNA(なお、赤血球中に核はない。)を使用するという検査部位の違いや、赤血球の数は白血球の約1000倍であることからすれば、血液型の判定はできても、HLADQα型が検出できないということはあり得る。さらに、坂井・笠井鑑定では、MCT118型の検査を行った後にHLADQα型の検査を行っており、MCT118型に比べてHLADQα型の検査の際にはDNA量が減少していたことに加え、検査の感度について、坂井技官及び笠井技官は、いずれも本件当時のDNA型鑑定の経験から、新鮮血ではなく、血痕については、HLADQα型の検査の方がMCT118型の検査よりも多くのDNA量が必要である旨供述していること、被害者A田の膣内容物(資料(2))及び膣周辺付着物(資料(3))から1.3型が検出されなかったのも、犯人のDNAが壊れていた可能性があり、また、1.1型と1.3型の検出感度の違いにより1.1型の被害者A田のHLADQα型だけが検出されたとも考えられることも踏まえると、真犯人のHLADQα型は3-3型であるとの本田教授の見解は採用できない。なお、原決定は、HLADQα型に関する弁護人の主張については明示的に取り上げて判断を示していないが、血液型とMCT118型の整合性に関して、両者の検査部位の違い等といった前記判断と同様の判断を示しており、この点はHLADQα型にも共通するものであるから、原決定はHLADQα型に関する弁護人の主張については別途取上げて判断を示す必要があるとまではいえないと判断したものと理解できる。<br> '''(2) 血液型鑑定'''<br> '''ア 血液型鑑定に関する所論の概要'''<br>  所論は、原決定の坂井・笠井鑑定における血液型鑑定に関する判断の誤りについて、概要、以下のとおり主張する。<br> '''(ア) 解離試験において血液凝集反応の強弱の程度を考慮することの誤り'''<br> a 解離試験において凝集反応の強さに差異が生じることがあるのは、そもそも検体を3分割する際に、各検体中に含まれる血液成分量が均一ではなく、抗原抗体反応物の生成が各検体において同様に行われる確証もなく、また洗浄の際に、洗浄しきれなかった抗血清が残留し得るなどの誤差が生じ得るためであり、だからこそ、解離試験において、資料に含まれている抗原の量は全く意味を持たず、定性試験とされているのである。AB型の血液に解離試験を行った場合でも、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差が生じることは頻繁にあり、現に坂井・笠井鑑定の表2における資料(2)のB型物質の凝集の程度は「±」である一方、表3における資料(2)のB型物質の凝集の程度は「+」となっており、資料(2)に含まれるB型物質の量に差があったか、抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったと考えざるを得ない。<br> b 草加事件差戻控訴審判決(当審弁5)及び平成8年11月8日付け大阪市立大学医学部法医学教室前田均作成の回答書(当審弁6、以下「前田回答書」という。)に基づく主張<br>  草加事件差戻控訴審判決は、「A型とB型の反応を示した唾液斑が、単独のAB型由来のものか、被害者由来のA型物質と犯人由来のB型物質の混合したものかが争われた」事案において、B型活性の方が強かったにもかかわらず、これをAB型と認定していること、同判決で引用された前田回答書(当審弁6)によれば、解離試験では、1つの鑑定資料から一定量を切り取り、均等に3分割してA型活性、B型活性及びH抗原活性の検査を行うため、資料中の付着物の分布が一様でない場合は、その付着物がAB型であっても、分割された資料中の付着物の多寡によってA型活性とB型活性の強さが異なる結果となるとあることから、凝集の強弱の程度を考慮して犯人の血液型をB型と特定した坂井・笠井鑑定は誤っている。<br> '''(イ) 犯人の血液型はAB型という本田鑑定書等の指摘を原決定が排斥した誤り'''<br> a 混合資料であることを明らかにする方法としては、肉眼ないし顕微鏡で凝集反応の有無を確認する方法と、「裏試験」と呼ばれる血清を用いての抗A抗体及び抗B抗体の有無を調べる方法があるところ、原決定は、科捜研鑑定(確定第1審甲53)では、被害者B山の遺体付近の木の枝から採取された資料3(坂井・笠井鑑定では資料(1))について、抗A・抗B血清との反応が認められたことから、AB型との判定をし、その上で参考事項として、A型とB型の混合の可能性と、AB型の可能性があるとしているが、同鑑定書には凝集反応の有無についての報告はないこと、坂井・笠井鑑定では凝集反応の目視は実施していないとされているが、血液型判定に習熟しているはずの同人らが凝集反応の目視を省略したとは考えられず、A型とB型の混合による強い凝集反応が確認されなかったがゆえに、解離試験による結果から強引にA型とB型の混合と解釈したにすぎないことといった弁護人の主張について何らの判断も示しておらず、本田鑑定書等に明白性があることは明らかである。<br> b 原決定の「ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得る」との説示について、血液は何らかの病的状況等が生じない限り赤血球の量と白血球の量が保たれており、赤血球を含みつつ、白血球を含まない血液というのは通常考えられず、MCT118型鑑定がPCR増幅によって極めて微量の資料に対しても反応することを考慮すると、原決定は、極限的な可能性を振りかざして本田鑑定書等の見解を排斥するものというほかない。<br> '''(ウ) 被害者両名と犯人との血液の混合比について、血液型鑑定とDNA型鑑定の結果に矛盾があるとの点についての判断の誤り'''<br>  坂井・笠井鑑定における強い反応、弱い反応に意味があるとの見解が正しいとすれば、抗B抗体により強い反応を示した資料(1)には、犯人由来の血液の量がA型である被害者B山の血液を上回って存在することになるはずであるが、資料(1)のMCT118型は、犯人由来となるはずのバンドが被害者B山由来のバンドより濃いバンドとしては検出されておらず、資料(3)についても同じような矛盾があるとの本田鑑定書等の見解を、原決定は、両試験は赤血球と白血球という血液中の別個の部位を使用するのであるから、このような結果が生じることもあり得るとしてその信用性を排斥するが、原決定の判断は全く非科学的なものである。<br> '''(エ) 脱脂綿が使用されており、資料(2)ないし資料(5)についての血液型鑑定は信頼できないとの点に関する判断の誤り'''<br>  解離試験における血液型鑑定において脱脂綿を使用した場合には正確な型判定ができず、脱脂綿を使用して血液型鑑定を行った坂井・笠井鑑定は誤っている。<br> '''(オ) 本田教授作成の平成27年8月17日付け鑑定書(当審弁7、以下「本田第3次鑑定書」という。)に基づく主張'''<br>  〔1〕本田第3次鑑定書の実験1により、自然抗体による凝集が完了している混合血資料について、解離試験を実施して血液型を判定しようとしたこと自体が誤りであった、〔2〕実験2により、脱脂綿を使用して解離試験を行った場合にはその多くで誤った判定がなされ、脱脂綿を使用した解離試験の結果は全く信用できない、〔3〕実験3により、混合比率を変えながら作製したA型+B型、A型+AB型の混合血液について木綿糸を使用して解離試験を行っても、いずれもAB型と判定されるのであって、B型抗原の量が多いとB型の凝集反応が強くなるとの坂井・笠井鑑定の考え方は誤っている。<br> '''イ 血液型鑑定に関する所論に対する当裁判所の判断'''<br> '''(ア) 前記(ア)aの所論について'''<br>  確かに、解離試験を実施する前提として資料を3分割する際に、混合した血液成分が均等に分割されるとは限らないという点は、前田回答書にも、「1つの鑑定資料から一定量を切り取り、均等に3つに分割してA型活性、B型活性およびH抗原活性の検査を行わざるを得ない…そのため、資料中の付着物の分布(付着状態)が一様でない場合には、その付着物がAB型であっても、分割された資料中の付着物の多寡によって、同じ検査条件の元でも見かけ上A型活性とB型活性の強さが幾分異なる結果が得られることも考慮される必要がある」との記載があり、一般論としては否定することはできない。また、所論の指摘する資料(2)については、坂井・笠井鑑定の表2と表3でB型の凝集の程度に差があったと認められる。<br>  しかし、笠井技官の当審における証言によれば、解離試験では、凝集反応のわずかな強弱の差を判別することができるわけでなく、肉眼で見てはっきり分かる差があった場合に、3+、2+、1+、±、-という5段階で判定を行うものであり、これを前提に、坂井・笠井鑑定では、資料(1)ないし資料(5)のいずれについても、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから(確定第1審甲68の表2及び表3。坂井・笠井鑑定が行われる前に資料(1)ないし資料(5)等について血液型鑑定を行った福岡県警察科学捜査研究所の林葉康彦技官も、資料(1)について、「A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している(確定第1審第8回公判309項ないし312項、353項ないし366項)。)、そもそも各資料の検査ごとに偶然の偏りがあったとは考え難い。すなわち、このことからは、資料(1)ないし資料(5)をそれぞれ3分割するに当たって、これらに血液型鑑定に影響を及ぼすような血液成分の不均一が生じていたとは考えられないというべきである。笠井技官は、当審において、資料(2)ないし資料(5)は、濃い血液が直接混合したものではなく、被害者A田ないし被害者B山の血液と膣液が混じっている状況に他の人の血液が混ざっているという状況であり、血清成分は非常にごく僅かしか含まれていなかったと考えられ、血液の混合による凝集が起こっていても非常に少ない量であり、被害者両名から採取される前はこれらの血液等は不均一な状態であった可能性もあるが、生理的食塩水を浸した脱脂綿で拭き取って液体の状態(笠井技官は、資料(2)ないし資料(5)は脱脂綿が湿っているような状態ではなく、液体の状態に脱脂綿が泳いでいるような状況であり、非常に希釈されて拭き取った状態であった旨証言しているところ、確定審甲68の写真4ないし10によれば、資料(2)ないし資料(5)が液体中に浮いているわけではないが、各脱脂綿には相当量の液体が含まれた状態であると認められるのであって、笠井技官の前記証言もこのような趣旨であると理解できる。)であり、被害者両名から採取した段階である程度均一化しており、しかも、資料(2)ないし資料(5)の一部を切り取る際には、色調や粘度等を見て不均一となっていないかを確認した、と証言している。かかる笠井技官の証言は、前記の坂井・笠井鑑定における血液型鑑定の結果とも整合するものであって、信用できる。また、解離試験における洗浄は、試験管に入れた検体に抗血清を1滴(約50μl)加えて血液型抗原に抗体等を結合させた後、冷却した界面活性剤入り生理的食塩水等で検体を洗浄し、洗浄液をアスピレーターで吸い取る(余剰の抗体の除去)という処理を3回繰り返し、少なくとも数百万倍の希釈が行われるというものであること(平成28年1月28日付け笠井技官作成の意見書(以下「笠井意見書」という。)3頁、笠井技官の当審証言7頁)、それぞれの各試験管における抗原抗体反応物の生成も、坂井・笠井鑑定では凝集素価を同一(256倍)にして行っていて同様に行われたことを担保していることも踏まえると、3分割した資料の不均一性を論難する所論は採用できない。<br>  また、解離試験は定性試験である、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差異が生じることは頻繁にあるとの所論の指摘については、解離試験がいわゆる定性試験であったとしても、混合資料について、凝集反応の程度の違いに着目してそれぞれの血液型を判定することにつき、本田教授も、原審における証人尋問において、一般論としては否定はしておらず(原審本田証言(第1回)381項、同(第2回)142項、143項)、解離試験の原理に照らせば科学的な合理性を有すると認められるし、A、B各血球の凝集反応に2倍程度の差異が頻繁に生じることに関する実験結果や文献等は提出されておらず、所論は採用できない。<br>  なお、坂井・笠井鑑定の資料(2)につき、確定第1審甲68の表2と表3ではB型物質の凝集の程度に「±」と「+」というように差があり、資料(2)に含まれるB型物質の量に差があったか、抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったと考えざるを得ないとの点につき更に検討すると、被害者A田の膣内容物という同一の資料について、B型物質の凝集反応の程度に差があったことは事実であり、資料(2)から取り出した検体ごとにB型物質の量等に差があった可能性は否定できない。しかしながら、表2は通常の解離試験における結果を示したものであり、表3はクロロホルム-メタノール法による解離試験の結果を示したものであるところ、クロロホルム-メタノール法による解離試験では、アルコール可溶性である血液の血液型抗原が主に抽出され、相対的に水溶性の体液由来の血液型抗原は弱く検出されるため、通常の解離試験の結果と比較することで、血液由来の血液型を判断することができる。そして、資料(2)は、血液と膣液が混合した資料であるところ、クロロホルム-メタノール法による解離試験の結果は、通常の解離試験の結果と比較すると、O型が弱くなり、弱いAB型(あるいは弱いA型+弱いB型)のA型は弱いが、B型はO型及びA型よりも強くなっていることから、坂井・笠井鑑定は、通常の解離試験で検出された強いO型は主に膣液由来と考えられる一方、B型が相対的に強くなっていることから、各被害者に由来しないB型と、弱いA型又はAB型(おそらくは被害者B山のA型)と判定したものである。笠井技官は、当審において、通常の解離試験の結果とクロロホルム-メタノール法による解離試験の結果の考察は、単純に表2と表3のB型の凝集反応の違いを見比べるのではなく、前記のように各血液型全体を比較検討して行うものであると証言している(笠井技官の当審証言64頁)ことも踏まえると、資料(2)から取り出した検体ごとにB型物質の量等に差があった可能性は否定できないことを考慮しても、凝集反応の強弱を考慮して血液型鑑定を行った坂井・笠井鑑定が不合理であるとはいえない。<br>  所論は、クロロホルム-メタノール法は、血液・体液混合資料から血液部分をより特定して検出できるという仮説に基づいているのであって、解離試験として行うことが真に有効か否かが実証された一般的な方法ではなく、独創的仮説に基づく極めて特殊な方法にすぎない、と主張する。しかし、笠井意見書添付の「クロロホルム-メタノール混液処理による微量汚染血痕の血液型検査法」と題する論文において、実験に基づきその有効性が明らかとされているのであって、所論は採用できない。<br> '''(イ) 前記(ア)bの所論について'''<br>  所論が指摘する草加事件差戻控訴審判決では、被害者の両乳房から採取した付着物について、血液型鑑定に当たって、同採取物中に被害者の細胞片が混在していたことは何ら確認されていないというのであって、資料(1)ないし資料(5)につき混合資料であることが明らかな本件事件とはそもそもその前提が異なるから、草加事件差戻控訴審判決の結論が、解離試験において凝集反応の強弱の違いを考慮する坂井・笠井鑑定の信用性を左右するものではない。<br>  また、前田回答書の内容が坂井・笠井鑑定の結論を左右するものではないことは既に説示したとおりである。所論は採用できない。<br> '''(ウ) 前記(イ)aの所論について'''<br> a この点、笠井意見書によれば、裏試験の原理及び方法は以下のとおりである。すなわち、<br>  A型の血液では、血球膜上にA型抗原、血清中にB型抗体が存在し、B型の血液では、同様にB型抗原及びA型抗体が存在し、血液型検査は、血液中の抗原あるいは抗体を検出する方法で実施されるところ、血球側の検査として行われる資料中の血球に存在する血液型抗原に対する抗血清による凝集反応を表試験と称することに対応して、血清側の検査として行われる資料の血清中の血液型抗体に対する標準血球による凝集反応を裏試験という。<br>  試験管で実施する裏試験は、非働化(血清に含まれる非特異免疫反応に関わる補体成分を非活性化)した資料の血清を、2本の試験管に2滴ずつ入れ、A型及びB型標準血球の生理的食塩水浮遊液をそれぞれの試験管に1滴加えて混和し、1000回転1分間遠心して凝集の有無を観察するというものである。<br> b そして、笠井意見書によれば、裏試験を実施するためには、被検資料の血清を必要とし、通常、血痕化した現場資料からは血清成分を回収することは困難であり、新鮮な資料であれば若干の血清成分を回収することが可能な場合も考えられるが、坂井・笠井鑑定の現場資料のうち、資料(1)は乾燥した微量な斑痕資料であって血清の回収ができないから裏試験が可能な資料ではない。また、笠井意見書には、資料(2)ないし資料(5)は、生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであり、血清成分が含まれていたとしてもごく微量であり、しかも生理的食塩水で希釈されているため、裏試験が可能な資料とはいえない、とある。この点、笠井技官は、当審において、資料(2)ないし資料(5)に関して、通常、血液がたくさんあると、もっとどす黒い赤のような色調を示すが、これらは明るい赤であったので血液量はそんなに多くないと判断した、被害者両名の膣液と血液が混ざっているような状況に、その他の人の血液が混ざっているような状況であって、しかもそれを希釈した状況で採取したから、血清成分はごく僅かしか含まれていなかった旨証言している。かかる証言は、坂井・笠井鑑定の外観検査における資料(2)ないし資料(5)の「淡赤色」「淡褐色」「赤褐色」との色調と整合するものであるし、外観検査を行うに際し、実際に各資料を観察した経験を踏まえて証言されたものであって、信用できるというべきである。そうすると、資料(2)ないし資料(5)についても、裏試験が可能な資料ではなかったという笠井技官らの判断が不合理なものということはできない。以上によれば、坂井・笠井鑑定において資料(1)ないし資料(5)につき裏試験をしていないことを論難する所論は採用できない。<br> c また、当審弁8及び平成28年3月31日付け検察官作成の意見書5添付の笠井技官作成の回答書(以下「笠井回答書」という。)によれば、凝集反応は、ヒトの血液中の赤血球膜の表面にはABO式血液型の抗原が存在し、血清中には自己の抗原以外に結合する抗体が存在していて、赤血球などの浮遊細胞上の抗原に抗体が作用することによって、肉眼的に観察できる凝集塊を生じる現象であり、一般的に、血液型が異なる新鮮な血液が混合した場合、片方の血液の血清中の抗体が他方の血液の血球表面上の抗原と結合して凝集反応が生じ得るが、同時に血液自体の凝固反応が生じるため、肉眼ないし通常の顕微鏡により凝集反応の有無を判別することは困難である。<br>  そして、笠井回答書によれば、資料(1)は、枝に付着した血痕であり、血液自体の凝固反応が肉眼により観察され、顕微鏡による観察においても、血痕(凝固血液)以外には膣液由来と考えられる付着物がわずかに観察されるだけであったというのであり、凝集反応の有無を観察するには不適切な資料といえる。また、資料(2)ないし資料(5)は、生理的食塩水で湿らせた脱脂綿で被害者両名から採取した資料であり、浮遊細胞の状態ではなく、淡い赤色ないし褐色の液体であり、色調から血液が少量しか含まれていないと推測され(資料(2)ないし資料(5)に関し、血液量はそんなに多くないと判断した旨の笠井技官の当審における証言が信用できることは前述したとおりである。)、生理的食塩水で希釈されていたことから、血液自体の凝固反応の観察及び混合した血液による凝集反応の観察を行うには不適切な資料といえる。以上によれば、坂井・笠井鑑定についてA型とB型の凝集反応の有無の観察に関して論難する所論は理由がない。<br> '''(エ) 前記(イ)bの所論について'''<br>  所論は、血液は何らかの病的状況等が生じない限り赤血球の量と白血球の量が保たれており、赤血球を含みつつ、白血球を含まない血液というのは通常考えられないというが、被害者A田は、道路から投げ捨てられたような状態で、パンツを脱がされて下半身が露出された状態で遺棄されていたのであり(確定第1審甲6)、資料(2)及び資料(3)は、本件犯行翌日の平成4年2月21日、被害者A田の膣内容物及び膣周辺付着物を生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであって(確定第1審甲58)、そもそも新鮮な血液そのものではない。このような資料(2)及び資料(3)の採取過程や採取状況に加え、前述したABO式血液型鑑定とDNA型鑑定の検査部位の違い等も考慮すれば、資料(2)及び資料(3)のA型の血液が、前者の検査可能な程度の赤血球を含みつつ、後者の検査可能な程度の白血球は含まないものであったことも考えられるものと評価でき、原決定が、極限的な可能性を振りかざして本田鑑定書等の見解を排斥したとはいえない。 <br>  なお、所論は、原決定が、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によるミトコンドリアDNA型鑑定(以下「石山鑑定」という。)で、資料(3)につき、被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が検出されていることを、資料(3)に被害者B山の血液は混合していないとの本田鑑定書等を排斥する根拠の1つとして説示する点につき、石山鑑定において事件本人のものと一致するミトコンドリアDNA型が検出されていないことを全く無視した暴論である、と主張する。しかし、確定判決が説示するとおり、坂井・笠井鑑定と比べて石山鑑定における資料(2)ないし資料(5)は、微量であり、その状態も著しく劣悪なものであったと考えられること等からすれば、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も考えられるのであって、所論のいう原決定の説示に不当なところはない。<br> '''(オ) 前記(ウ)の所論について'''<br>  前述したABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定の検査部位の違い等に照らせば、原決定が説示するとおり、血液型鑑定における凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していないことが非科学的などとはいえず、所論のいう本田鑑定書等の見解は坂井・笠井鑑定の信用性を損なわせるものではなく、所論は採用できない。<br> '''(カ) 前記(エ)の所論について'''<br>  確かに、解離試験において脱脂綿をそのままの状態で使用した場合、そのままのほぐれた形状では、資料を担体に付着・保持することが困難であり、洗浄の際、担体が流出して、目的とする抗原抗体反応に支障が生じる可能性があること、ほぐれた担体中に抗体が捕捉され、適切な洗浄が実施できない可能性があること、解離液中に担体や資料の微細破片が混入し、凝集反応の観察が困難となる可能性があり(笠井意見書)、正確な血液型の判定ができないおそれがあることはそのとおりである。また、坂井・笠井鑑定の前に実施された前記林葉康彦技官による科捜研鑑定では、資料(2)ないし資料(5)について、血痕検査のために作成した浸出液を木綿糸片に転着し、これを検体として解離試験法により検査を行っている(確定第1審甲58、62)。<br>  しかし、笠井意見書には、その対処法として、脱脂綿に資料を付着させて乾燥・固定する時に、ピンセット等を用いて脱脂綿を綿糸様に固めることにより、検査中にほぐれないようにすることができ、脱脂綿を担体として使用した場合であっても、綿糸を使用した場合と同様に適切な検査を実施することができる、坂井・笠井鑑定でも、資料(2)ないし資料(5)について、脱脂綿の一部を取って乾燥・固定する時に、ピンセット等を用いて脱脂綿を綿糸様に固めることにより、検査中にほぐれないようにして綿糸と同等の取扱いを可能にした、別の綿糸に付着し直すという手法を採らなかったのは、資料(2)ないし資料(5)は生理的食塩水を含ませた脱脂綿で採取され、液状であり、色調から血液が少量しか含まれていないと推測されたため、資料の脱脂綿中の血液・膣液混合液を効率よく別の綿糸に付着し直すことが困難と考えたので、脱脂綿の一部をそのまま取り、乾燥・固定したものを資料として実施した、とある。この点、笠井技官は、当審における証人尋問において、脱脂綿を綿糸様に固める手法につき、下にアルミ製のヒーターがついたガラス板に資料(2)ないし資料(5)の脱脂綿の一部を取って載せ、80℃で15分程度熱をかけて乾燥させつつピンセットを用いてよっていくようにして綿糸と同じような形状になるまで固定した、解離試験の際にほぐれないようにきつく固める必要があり、これを確認した上、解離試験の洗浄操作の際にも、試験管の中の資料をガラスの細い管の先にプラスチックが付いたものでほぐれないように押さえるなどして行った旨証言している。また、科警研においては、脱脂綿で採取された資料が送付されてきた場合には、前記のような方法を通常の検査法の1つとして実施していたとも証言しており、坂井・笠井鑑定は、科警研における通常の検査方法として、前記のような脱脂綿をそのまま用いることによる弊害を相応に回避できる措置を講じて実施されたものと認められる。そして、笠井技官は、綿糸様に固めたものを目視により3分割したと証言するが、この点も、既に説示したとおり、凝集反応の強弱は、わずかな強弱の差を判別するものではなく、肉眼で見てはっきり差があった場合に5段階で判定を行うものであることに照らすと、不合理とはいえない。以上によれば、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定において正確な判定ができないような手法が用いられたなどとはいえず、所論は採用できない。<br> '''(キ) 前記(オ)の所論について'''<br>  〔1〕については、坂井・笠井鑑定における資料(1)ないし資料(5)は、本田第3次鑑定書の実験1のような人から採取した新鮮血を混合した資料ではなく、前述したとおり自然凝集が生じたとしてもその量はごく僅かであったと考えられるから、坂井・笠井鑑定の結論を左右するものとはいえない。<br>  〔2〕については、本田第3次鑑定書では、ほぐれた形状の脱脂綿をそのまま担体として使用したものであって、坂井・笠井鑑定の信用性を左右するものではない。<br>  〔3〕については、実験3は、「解離試験においては、血液を試験管内に分注後、混合が十分起きる前に木綿糸や脱脂綿に滴下させた」ものであり、そもそも血液が均一に混合されておらず、採取部位によって混合比率が異なるため、本来の混合比率に基づく検査結果を得ることができないのは当然であって、証拠価値に乏しいといわざるを得ない。したがって、所論は採用できない。<br> '''(ク)''' その他、所論が縷々主張する点を検討しても、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘はいずれも採用できないとした原決定に誤りはない。<br> '''(3) MCT118型鑑定'''<br> '''ア''' 所論は、原決定は、本田鑑定書等について、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であること、坂井・笠井鑑定の結果から解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、同鑑定の結果のみからは真犯人の型を16-26型であると確定できないことを除き、概ね「抽象的な指摘にすぎない」等として採用できないとする一方、坂井・笠井鑑定について、証拠能力を認めた上で、事件本人と真犯人とのMCT118型が一致する可能性があるとの限度において証明力を認めるが、かかる原決定の判断は誤っている、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、デンシトメトリーで読み取ると、事件本人の上位バンドは26型と判定するのが相当といえる数値であり、当時の判断としては同型判定に疑問の余地はないとする一方、目視によってバンドを確定しようとする本田教授の手法は当を得ないとするが、バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方がむしろ例外的であり、また、坂井・笠井鑑定は平成4年に実施されたものであるが、科警研のデンシトグラムの作成年月日は平成7年12月4日であり、鑑定後に事後的に作成されたものにすぎず、坂井・笠井鑑定のバンド位置の判定も、目視によって行われており、原決定は誤っている。<br> 〔2〕原決定は、坂井・笠井鑑定の資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動されていないため、その結果に客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある、との本田鑑定書等の指摘について、「123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされているから、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえない」とするが、警察庁が同時泳動を指針として定めていることや、足利事件における玉木意見書、水口意見書、最高検報告書の趣旨に反するものであり、誤っている。<br> 〔3〕原決定は、弁護人がした、坂井・笠井鑑定に改ざんがあるとの主張について、「坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えない」とするが、坂井技官らは坂井・笠井鑑定のネガフィルム上のX-Yバンドの存在を認識しており、X-Yバンドを隠ぺいすることで、そのバンドがアレルバンドか否かを第三者が検証する機会を失わせたこと、坂井・笠井鑑定のネガフィルムは笠井技官の尋問当日になって裁判所に提出され、弁護人において数分しかその内容を確認する時間がないまま、その日のうちに科警研によって持ち帰られて裁判所に保管されることはなく、X-Yバンドに対する説明も、笠井技官に対する反対尋問において弁護人に指摘されて初めて行っていることからすれば、坂井技官らに改ざんの意図があったことは明らかである、というのである。<br>  しかし、〔1〕のうち、バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方がむしろ例外的という点については、本田教授が、原審の証人尋問において、そのような証言をしているが、これについては、本田教授自身がMCT118型鑑定を行う場合の方法について述べているにすぎないし、他方で、本田教授は、厳しい読みを要求されるような古い資料で、肉眼的に判断できないけれども、わずかな違いまで検出したいという難しい資料に関してはデンシトグラムを使う旨証言しており(原審本田証言(第1回)228項)、デンシトグラムを用いた方がMCT118型鑑定をより正確に行うことができることを前提としている。電気泳動の結果を写真に撮影し、そのネガフィルムを肉眼で観察してバンドの有無を判定し、DNA型解析装置によりデンシトメトリーを用いてデンシトグラムを出力し、その数値でバンドの位置、移動度を正確に判定しようとした坂井・笠井鑑定の手法に疑念を抱かせるものではない。また、所論がいうように、確定第1審で証拠とされたデンシトグラム(甲596以下)が坂井・笠井鑑定が行われた後に出力されたものであったとしても、笠井技官は、MCT118型鑑定は、坂井・笠井鑑定が行われた平成4年当時、N社のDNA型解析装置を用いて行った旨証言しており(確定第1審第35回公判笠井技官55項)、坂井技官及び笠井技官の確定第1審における各証言内容を見ても、坂井・笠井鑑定においてデンシトグラムを使用していなかったことを窺わせるような事情は見当たらないから、原決定の認定に所論のいうような誤りはない。<br>  〔2〕については、所論が指摘する警察庁の指針には、「DNA型鑑定は、原則として、現場資料と対照するための資料がある場合に実施し」とあるだけで、同時泳動すること自体を指針として定めているわけではない(確定控訴審弁33、34)。また、原決定が説示するとおり、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされている(所論が指摘する水口意見書には、『「同一条件の電気泳動であれば型分類の再現性は確保される」ことは理論上は正しい』とされ、玉木意見書にも、「同一条件の電気泳動であれば、同一アリルの移動度は同じであり、再現性は保たれている(と)いう意見は一応の説得力を有する」とされている。)から、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないというわけではない。原決定の認定に誤りはなく、〔2〕の所論は採用できない。<br>  〔3〕については、X-Yバンドがエキストラバンドであることは後記のとおりであり、笠井技官も確定第1審において同旨の証言をしているから、坂井技官及び笠井技官がX-Yバンドを殊更に隠ぺいしようとしたなどとはいえない。原決定が説示するように、坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されていることも考慮すると、所論が指摘する事情を踏まえても、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないとする原決定の判断に誤りはない。所論は採用できない。<br> イ 所論は、本田第2次鑑定書におけるX-Yバンドに関する指摘について、〔1〕原決定は、「比較的塩基数が小さく、比較的近接するアレルバンドがある場合、エキストラバンドが高塩基数側に2本のバンドとして表れやすい」という渡辺剛太郎らによる「MCT118型にみられるエキストラバンドの成因」(以下「渡辺論文」という。)及びこれと同趣旨の三谷友亮らによる「MCT118型検査におけるエキストラバンドの形成機序及びエンドヌクレアーゼを用いた識別」(以下「三谷論文」という。)を根拠の一つとして、X-Yバンドがエキストラバンドであるとするが、渡辺論文は、アレリックラダーマーカーによる16-18型等の特定の組み合わせにおいてエキストラバンドが出たというものであり、坂井・笠井鑑定の16型や18型は123塩基ラダーマーカーによる型であり、実際に123塩基ラダーマーカーの16型や18型においてエキストラバンドが出るかは実験で確認するほかない、〔2〕原決定は、坂井技官及び笠井技官が鑑定時に複数回電気泳動を行ったと確定第1審で述べ、笠井技官が「MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断した」と述べたことをX-Yバンドがエキストラバンドであるとする根拠の一つとするが、エキストラバンドであるか否かを確認するためには、泳動条件を変えて電気泳動を行う必要があるのに、坂井技官及び笠井技官はそのような供述をしていないから、X-Yバンドがエキストラバンドであると認めた原決定は誤っている、と主張する。<br>  しかし、〔1〕については、原決定が説示するとおり、MCT118型検査におけるエキストラバンドは、DNAのPCR増幅の際に、非相補的にヘテロデュプレックスが生成されることにより生じるものであり、2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいと認められるところ、このようなエキストラバンドの生成機序に照らすと、所論の指摘するマーカーの相違がエキストラバンドの生成機序の本質的な点に影響するとは考え難いというべきであり、123塩基ラダーマーカーを用いて実験するほかないとして原決定を論難する所論は採用できない。<br>  〔2〕の泳動条件を変えて電気泳動を行う必要があるとの点についてみると、確かに、原決定は、三谷論文を引用して、「MCT118型検査では、異なる電気泳動条件によりエキストラバンドの移動度の差を確認する方法が採られており、ほとんどの場合、エキストラバンドとアレルバンドを容易に識別することが可能であるとされている」と説示している。しかし、平成24年12月14日付け科警研法科学第一部生物第四研究室室長関口和正作成の意見書(以下「関口意見書」という。)によれば、エキストラバンドについては、(坂井・笠井鑑定の)当時からMCT118型のDNA型鑑定を行う際に時々観察される現象であり、その識別方法については、複数回の電気泳動を行い移動度が異なることを確認する方法が報告されているとされており、その後、より確実な識別方法が報告されているとして三谷論文を挙示しているのである。そうすると、坂井技官や笠井技官が確定第1審における証人尋問において、複数回の電気泳動を異なる泳動条件で行った旨の証言をしていないからといって、笠井技官がいう、坂井・笠井鑑定において、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断した(平成24年12月26日付け笠井技官作成の報告書)とのエキストラバンドの識別方法の有効性が否定されるものではない。所論は採用できない。<br> '''ウ''' その他、本田第2次鑑定書等を根拠として、犯人のMCT118型を16-26型とする坂井・笠井鑑定は信用できないとする点や、いわゆる足利事件の再審判決等を根拠として、坂井・笠井鑑定の証拠能力・証明力を論難する点を含め、所論はMCT118型鑑定に関する原決定の判断を縷々論難するが、それらを逐一検討しても、原決定の判断に誤りはない。<br> ===3 新旧全証拠による総合評価=== '''(1)''' 所論は、原決定が、本田鑑定書等によって、坂井・笠井鑑定のMCT118型鑑定の証明力の評価に変化が生じたことを前提にしても、これ以外の情況事実ないし情況証拠群を総合評価すれば、同鑑定の証明力の変化によって確定判決の有罪認定に合理的な疑いは生じないとして、本田鑑定書等の新証拠としての明白性を否定したことについて、以下のとおり誤りがある、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、確定判決と異なり、事件本人車の車内からPM法のGc型の血痕が検出されたことを情況事実として認定するが、Gc型のアレルは3種類しかなく、その証明力は著しく低いものであって、これを情況事実として掲げるのは全く非科学的である。<br> 〔2〕新旧証拠の総合評価とは、新証拠によって、その立証命題に関連する旧証拠の証明力が減殺された場合に、そのことのみによって確定判決に合理的な疑いが生じない場合でも、新証拠の立証命題とは無関係に新証拠と旧証拠とを総合評価することによって、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じるか否かを判断することであり、その際には、旧証拠全体の証拠としての脆弱性が吟味されるべきであるのに、原決定は、弁護人が原審において主張した、T田供述の信用性、事件本人車から検出された血痕・尿痕に関する確定判決の評価、ミトコンドリアDNA型鑑定(石山鑑定)の評価といった確定審における旧証拠の証拠としての脆弱性に関する主張について、何一つ判断を示していない、というのである。<br> '''(2)''' しかし、〔1〕については、原決定は、PM法に関して、血痕の血液型が被害者A田と同じO型であることと並列する形で、Gc型も被害者A田と同じであることを情況事実として指摘しているのであるから、アレルが3種類しかなく、それ自体の証明力に限度はあるものの、両者相俟って推認力は強まっているといえる。所論は採用できない。<br>  〔2〕については、刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、「明らかな証拠」であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである(最高裁昭和50年5月20日決定刑集29巻5号177頁参照)。それは、旧証拠を洗いざらい評価し直して自ら心証を形成し、確定判決の動揺の有無を審査することまで認めたものではなく、新証拠の持つ重要性とその立証命題に着目して、それが有機的に関連する確定判決の証拠判断及びその結果の事実認定にどのような影響を及ぼすかを審査すべきである。所論のように新証拠の立証命題と無関係に旧証拠を評価すべきであるとの見解は採用できない。この点、原決定は、確定判決は、主として前記第1の2(1)の6つの情況事実群を総合評価して事件本人に対して有罪認定をしたものと解されるが、これらの情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものであるとした上で、原審において弁護人が提出した新証拠は、前記情況事実群のうち、T田の目撃供述及び科警研による鑑定の信用性が否定されることのみを立証命題とするものであり、その余の情況事実を証明する新証拠は提出されていないとして、新旧証拠の総合評価をしているのである。被害者両名の着衣に付着していた繊維片の鑑定の信用性が乏しいことなど当審において新たに追加された主張を含め、原決定が、新証拠の立証命題と関連しない旧証拠に関する弁護人の主張に対して明示的に判断を示していないことに誤りはなく、旧証拠の脆弱性の判断を原決定が遺脱しているとの所論は理由がない。<br> '''(3)''' その上で、原決定は、MCT118型鑑定を除く情況事実の検討を行い、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていると判断しているが、かかる原判決の認定は正当として是認することができる。すなわち、<br> '''ア''' T田の不審車両の目撃供述や被害者両名の着衣に付着していた繊維の鑑定を含む関係証拠によれば、事件当時、犯人使用車と思しき、紺色、ワンボックスタイプで、後輪ダブルタイヤという特徴を満たす車両を製造していたのはマツダのみであり、被害者両名の着衣に付着していた繊維片は、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までの間に製造、販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いと認められることからすると、犯人使用車は、前記期間に製造、販売された紺色のマツダステーションワゴン・ウエストコーストであって、リアウインドーにフィルムが貼付されていたと認められるところ、事件当時の事件本人車はこれらの特徴に符合している。<br>  また、犯人が被害者両名を略取又は誘拐した現場の状況、時間帯、被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄した現場と略取又は誘拐した現場との距離や自動車での所要時間からは、犯人は、前記各現場付近の土地鑑を有している人物である可能性が高いと考えられるところ、事件本人は土地鑑を有している。<br>  そして、事件当時、犯人使用車と同車種、同グレードで前記製造期間に製造された車両を保有していたのは、死体遺棄現場付近や福岡県飯塚市内及びその周辺において事件本人を含む極めて少数の者に限られていたことをも考慮すると、事件本人が犯人でないかという疑いが濃厚となる。<br> '''イ''' 加えて、関係証拠によれば、事件本人車の後部座席シートから血痕及び尿痕が検出され、血痕については、血液型及びDNA型のGc型はいずれも被害者A田と同じO型及びC型であり、尿痕は人尿であると認められるところ、被害者両名は遺体発見当時いずれにも尿失禁及び出血があり、これら(出血については被害者A田のもの)が本件各犯行の際に事件本人車の後部座席シートに付着したものとして合理的に説明できるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられない。確定判決(第1審)が説示するとおり、犯行と事件本人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠である(同判決113頁)。 <br> '''ウ''' さらに、関係証拠によれば、事件本人は、事件当時罹患していた亀頭包皮炎のため、外部からの刺激により容易に出血する状態にあり、亀頭からの出血が事件本人の手指を介するなどして被害者両名の膣等に混入するなど、事件本人が犯人であったならば、被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来する血液等が存在したという特異な事実の理由を合理的に説明できる。<br>  以上の情況事実に加え、坂井・笠井鑑定等の血液型鑑定を含む関係証拠によれば、仮に犯人が1人であるとすれば、犯人の血液型は事件本人と同じB型と認められ、事件本人にアリバイが成立せず、事件当日の行動に照らして事件本人に犯行の機会が十分にあったと認められることも併せ考慮すれば、事件本人が犯人であり、事件本人車が犯人使用車であると認定するのが相当である。<br>  付言するに、これらの情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができるものではないが、それぞれ独立した証拠によって認められ、事件本人が犯人であることが重層的に絞り込まれているのである。例えば、犯人使用車と事件本人車との同一性について、T田の不審車両の目撃供述による犯人使用車の車種等の特定が被害者両名の着衣に付着していた繊維の鑑定結果と符合し、両者相俟って事件本人車との車種等における同一性に結び付き、さらに、事件本人車から検出された血痕及び尿痕の特徴等が事件本人車と犯人使用車との同一性に結び付いている。そして、事件本人以外に、こうした事実関係のすべてを説明できる者が存在する可能性は抽象的なものにとどまると考えられ、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていると認められる。この結論は、原決定が説示するように、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする坂井・笠井鑑定の証明力が、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じていること、すなわち、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることも、一致しないと認めることもできないことを踏まえても、左右されない。<br> ==第3 結論==  よって、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえないとした原決定の判断に誤りはなく、本件即時抗告は理由がないので、刑訴法426条1項後段により、主文のとおり決定する。<br> 平成30年2月6日<br> 福岡高等裁判所第2刑事部<br> 裁判長裁判官 岡田信 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 高橋明宏<br> <br> (別紙)<br> 当審弁1 現代の法医学改定第3版(抜粋、金原出版株式会社)<br> 当審弁2 法医学現場の真相-今だから語れる「事件・事故」の裏側(抜粋、祥伝社)<br> 当審弁3 DNA鑑定とタイピング 遺伝学・データベース・計測技術・データ検証・品質管理(抜粋、共立出版)<br> 当審弁4の1 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書(嚴島行雄作成、平成27年4月30日)<br> 当審弁4の2 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺(嚴島行雄作成、平成27年5月8日)<br> 当審弁5 草加事件差戻控訴審判決(判例タイムズNo.1119 抜粋)<br> 当審弁6 平成8年11月8日付け大阪市立大学医学部法医学教室前田均作成の回答書<br> 当審弁7 鑑定書(本田克也作成、平成27年8月17日)<br> 当審弁8 法医血清学的検査法マニュアル(抜粋、金原出版株式会社)<br> 当審弁9の1 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書(嚴島行雄及び北神慎司共同作成、平成27年12月2日)<br> 当審弁9の2 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書補遺(嚴島行雄及び北神慎司共同作成、平成27年12月14日)<br> 当審弁10 主任弁護人岩田務作成の平成27年12月11日付け報告書<br> 当審弁11 T田の平成4年10月26日付け警察官調書写し<br> 当審弁12 「紡績とは」で始まるインターネット記事<br> 当審弁13 「1.脱脂綿について」で始まるインターネット記事<br> 当審弁14 解離試験による血痕からの血液型判定について(矢田昭一、科学警察研究所報告)<br> 当審弁15 主任弁護人岩田務作成の平成28年11月11日付け「甲68(表2) 通常の解離試験の結果」で始まる書面<br><br> {{PD-JapanGov}} {{DEFAULTSORT:ふくおかこうとうさいはんしよへいせい26ねん (く) たい56こう}} [[Category:日本の判例]] 5d6ytrln2cky7p4qt2xrsaezh4xmtbr 246542 246537 2026-10-11T16:03:08Z ろづき 28406 246542 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所平成26年(く)第56号 |year=2018 |notes= *LEX/DB文献番号25549362。原本は実名。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。本決定の原審・特別抗告審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90266.pdf 最高裁決定]。第2次再審請求審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 福岡高等裁判所平成26年(く)第56号<br> 平成30年2月6日第2刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成26年3月31日、福岡地方裁判所がした再審請求棄却決定に対し、申立人から即時抗告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。 ==主文== 本件即時抗告を棄却する。 ==理由==  本件即時抗告の趣意は、主任弁護人岩田務ほか36名共同作成の即時抗告申立書、同主任弁護人作成の即時抗告理由補充意見書(1)、即時抗告理由補充意見書(2)、即時抗告理由補充意見書(3)、即時抗告理由補充意見書(4)、即時抗告理由補充意見書(5)、笠井意見書及び科警研血液型鑑定に関する弁護人意見書、即時抗告理由補充意見書(6)、即時抗告審弁護人総括書面(なお、これらに関する訂正書等も含む。)に各記載のとおりであるから、これらを引用する。<br> ===第1 これまでの経過=== ====1 確定判決の存在====  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、要旨、以下のとおりの罪となるべき事実により、死刑に処する旨の有罪判決を受けた(以下、同判決を「確定判決」という。)。すなわち、<br>  事件本人は、平成4年2月20日、福岡県飯塚市大字潤野(省略)付近路上において、潤野小学校に登校中の被害者A田及び被害者B山を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転するマツダステーションワゴン・ウエストコースト(登録番号「筑豊○○つ○○○○」)に乗車させ、同小学校への通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、福岡県甘木市大字野鳥219番地の3から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  事件本人は、これを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、更に上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、確定判決が確定した。<br> ====2 原決定の概要等==== '''(1)''' 原決定は、まず、確定判決につき、主として、〔1〕T田T男(以下「T田」という。)らの目撃供述によれば、本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有するものであると推測されるところ、事件本人は前記車両と特徴を同じくする車両(以下「事件本人車」という。)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること、〔2〕被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと、〔3〕事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに生じたと認められる失禁と出血があり、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること、〔4〕警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること、〔5〕事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること、〔6〕被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を通勤先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路にあたっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと、といった情況事実を列挙し、これらを総合して、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとした、と説示した。<br> '''(2)''' その上で、弁護人が新証拠として提出した証拠のうち、その主要な証拠及び立証命題は、次の3点に集約できるとしている。すなわち、<br> '''ア''' 筑波大学社会医学系法医学教室本田克也教授(以下「本田教授」という。)作成の平成21年10月13日付け「最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)」(原審弁1、以下「本田第1次鑑定書」という。)、平成22年12月20日付け「菊池和史氏(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書」(原審弁14)及び平成24年10月15日付け「鑑定書」(原審弁17、以下「本田第2次鑑定書」という。)並びに原審における本田教授の証言(以上の鑑定書等及び証言を総称して「本田鑑定書等」という。)により、科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲68、76)の各証拠能力ないし信用性が否定され、前記〔4〕の事実が認められないことになること、そして、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることを立証しようとするものである。<br> '''イ''' 足利事件の再審判決並びに最高検察庁作成の「いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について」(原審弁11、以下「最高検報告書」という。)、水口清作成の意見書(原審弁12、以下「水口意見書」という。)及び玉木敬二作成の意見書(原審弁13、以下「玉木意見書」という。)は、前記〔4〕の科警研のDNA型鑑定が、足利事件における科警研のDNA型鑑定と証拠として同質であり、証拠能力が否定されることを立証しようとするものである。<br> '''ウ''' 嚴島行雄(以下「嚴島教授」という。)作成の「いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書」(原審弁15、以下「嚴島第2次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第2次実験」という。)、司法警察員K1(以下「K1警察官」という。)及び同K2作成の「殺人事件報告書」(原審弁23、以下「K1報告書」という。)、司法警察員K3作成の「遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書」(原審弁24、以下「K3報告書」という。)は、前記〔1〕のT田の目撃供述の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  そして、原決定は、新証拠の明白性に関して、概要、以下のとおり説示している。すなわち、<br> '''(3) T田の目撃供述について'''<br> '''ア 嚴島第2次鑑定書'''<br> '''(ア)''' 嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の信用性に関する心理学鑑定書」(確定控訴審弁70、以下「嚴島第1次鑑定書」という。)について、確定控訴審判決で指摘された問題点を考慮して、条件変更を行った上で、T田の目撃条件の再現実験を行ったものである。<br>  その実験結果は、被験者について、目撃した車両及び人物のいずれも、T田のような詳細な記憶は喚起されず、被験者のうち15名は、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、T田のような詳細な車の説明ができなかったとし、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察され、T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ないとしている。<br> '''(イ)''' しかし、嚴島教授が、第2次実験の被験者が走行する距離をT田のそれよりも短いものとしたこと、被験者が運転する車両を操作の簡単なオートマティック車としたこと、被験者の半数の者に対し、「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」旨の教示を行うなど、被験者らが駐車車両を知覚し記憶し易くなると考えられる方向での措置を講じていることを十分考慮しても、第2次実験の実験条件は、重要な点においてなおT田の目撃条件と異なっており、T田と同等以上に知覚、記憶を促進するようなものになっていたとは認め難く、そのような実験条件のもとで被験者らがT田と同様の記憶を保有することができなかったとしても、T田がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとみることはできない。<br>  また、嚴島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。<br>  したがって、嚴島第2次鑑定書に明白性は認められない。<br> '''イ K1報告書及びK3報告書'''<br> '''(ア)''' K1報告書は、K1警察官らが、平成4年3月2日、福岡県甘木市森林組合に対して聞き込みを実施したところ、同組合職員のT田が、同年2月20日午前9時から9時30分の間に、職務のため八丁峠を通行し、午前11時30分頃、頂上付近のカーブに駐車していた紺色ワゴン車1台を目撃した、などを内容とするものである。<br>  K3報告書は、T田の目撃情報の入手状況並びに同人が供述した車両のタイヤのホイルキャップ及びボディラインに関して、事件本人車について捜査した結果等を記載したもので、T田の平成4年3月9日付け警察官調書(確定第1審甲724)を作成したK1警察官が、同月7日に事件本人車を現認し、同車両にはボディラインがなかったことが記載されている。<br> '''(イ)''' K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田の平成4年3月9日付け警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、T田は、K1警察官が事件本人車を目撃する以前であり、K1警察官からの誘導を受ける可能性のない同月4日の時点で、目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことをG1(以下「G1」という。)らに話題にした際、G1に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが、T田とG1がそのような会話をする以前に、T田がK1その他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない。したがって、これらの報告書にも明白性は認められない。<br> '''(4) 科警研が実施した鑑定について'''<br> '''ア''' 科警研は、〔1〕木の枝に付着の血痕ようのもの(以下「資料(1)」といい、資料(1)のうちPBS抽出遠心沈渣を「資料(1)〔1〕」、枝に残存していたものを「資料(1)〔2〕」という。)、〔2〕被害者A田の膣内容物(以下「資料(2)」という。)、〔3〕被害者A田の膣周辺付着物(以下「資料(3)」という。)、〔4〕被害者B山の膣内容物(以下「資料(4)」という。)、〔5〕被害者B山の膣周辺付着物(以下「資料(5)」という。)、〔6〕被害者A田の心臓血(以下「資料(6)」という。)及び〔7〕被害者B山の心臓血(以下「資料(7)」という。)を鑑定資料として、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲68、坂井活子技官(以下「坂井技官」という。)及び笠井賢太郎技官(以下「笠井技官」という。)担当、以下「坂井・笠井鑑定」という。)を実施し、事件本人の毛髪についても、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲76、坂井技官、笠井技官及び佐藤元技官担当、以下「坂井・笠井・佐藤鑑定」といい、前記「坂井・笠井鑑定」と併せて「坂井・笠井鑑定等」という。)を実施した。<br> '''イ 血液型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等の内容'''<br> a 血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではないから、坂井・笠井鑑定が血液凝集反応の強弱を持ち込んだことは完全に誤っている。<br> b 坂井・笠井鑑定には、血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保たれていない。<br> c すべての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である。<br> d 被害者両名と犯人の血液の混合比について、資料(1)について、抗B抗体に強い反応を示したとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型に関しては、被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されておらず、これは資料(3)も同様であり、血液型鑑定とDNA型鑑定の間に明らかな矛盾がある。<br> e 資料(2)ないし資料(5)については、木綿糸でなく、非特異的に抗体を吸収してしまう脱脂綿が使用されているが、コントロールが置かれていないから、これらの血液型鑑定の結果は信頼できない。<br> '''(イ)''' 前記aについては、本田教授の指摘は血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて坂井・笠井鑑定を論難するものに過ぎず、資料(1)ないし資料(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。また、解離試験法の内容からは、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、坂井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないのは相当ではない。<br>  前記bについては、鑑定の信用性は、鑑定書の体裁のみならず、鑑定した者の供述等を含めて総合的に判断されるべきものであり、写真が添付されていないことの一事をもって、坂井・笠井鑑定の信用性を否定するのは相当ではない。<br>  前記cについては、本田鑑定書等は、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されておらず、これらに含まれるA型物質が被害者B山由来のものとはいえないから、これらに含まれる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、B型であると認めることはできないとするが、確定判決は、これらの資料に含まれるA型物質が被害者B山に由来するものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはしていないし、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定では血液中の全く異なる部位を使用するから、これらの資料から被害者B山のMCT118型が検出されていないからといって、資料(2)及び資料(3)に被害者B山の血液が混合していないということはできない。<br>  前記dについては、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定とでは、血液中の別個の部位を使用することなどに照らせば、血液型鑑定における血液凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致しなかったからといって、坂井・笠井鑑定の信用性が損なわれるということはできない。<br>  前記eについては、脱脂綿の使用により問題が生じる可能性を抽象的に指摘するのみで、坂井・笠井鑑定の信頼性を疑わせる論拠となるような実験結果や文献資料等は何ら提出されておらず、本田教授の指摘を直ちに採用することはできない。<br>  以上のとおり、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用できない。<br> '''ウ MCT118型鑑定について'''<br> '''(ア) 本田鑑定書等について'''<br> a 本田第1次鑑定書の内容<br> (a)事件本人の遺留物件に付着した細胞等についてDNA型鑑定をしたところ、事件本人のMCT118型は18-30型であり、16-26型とした坂井・笠井鑑定は、型判定において誤りがあるのが明白である。<br> (b)坂井・笠井鑑定等には、資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動された写真がないから、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。坂井・笠井鑑定の鑑定書添付の電気泳動写真と坂井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付の電気泳動写真を比較検討すると、泳動位置に違いがあり、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、事件本人の型は16-27型と判定され、明確に異なった型と判定される。<br> (c)坂井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合の人数によって、被害者両名以外の型として解釈できる型は幾通りにも存在するから、犯人の型が16-26型であると解釈できても確定することはできない。<br> (d)ポリアクリルアミドゲル電気泳動法では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。いわゆる足利事件の菅家利和氏については、本田教授が再鑑定したところ、18-29型と判明したが、坂井・笠井鑑定で犯人と推定される型と足利事件の科警研による菅家利和氏の型はいずれも16-26型とされ、鑑定書添付の電気泳動写真上も両者のバンド位置はほぼ一致しているから、犯人の型は18-29型ということになり、事件本人が犯人である可能性は否定される。<br> b 本田第2次鑑定書の内容<br> (a) 坂井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13のネガフィルム(確定第1審甲593、以下「坂井・笠井鑑定のネガフィルム」という。)のデジタル画像では、被害者両名の心臓血を含むすべての資料で16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型と無関係のバンドである。<br> (b) 前記デジタル画像の資料(1)、資料(4)及び資料(5)には、41型、46型と見られるバンド(以下「X-Yバンド」という。)が存在する。X-Yバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないから、犯人はX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高い。<br> (c) 前記デジタル画像の分析結果によれば、26型は資料(1)ないし資料(5)のうち3つで辛うじて認められるが、濃度が非常に薄く、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、ゲルの固まりムラによるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。<br> '''(イ) 検討'''<br> a 本田第1次鑑定書について<br> (a) 前記(ア)a(b)については、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないから、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえないこと、事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、上位バンドの数値は26型と判定するのが相当といえる数値であったから、坂井・笠井・佐藤鑑定の型判定に、当時の判断としては疑問の余地はないこと、本田教授の判定手法は、デンシトメトリーを用いることなく電気泳動写真の目視によってバンドの位置を確定しようというもので当を得ないものであり、ラダーマーカーの位置の比較も適切になされていないことから、採用し難い。 <br> (b) 前記(ア)a(c)については、坂井・笠井鑑定は、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決もこれを前提に、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているから、確定判決の事実認定を左右するものではない。<br> (c) 前記(ア)a(a)及び(d)については、123塩基ラダーマーカーにより16-26型と判定された資料がアレリックラダーマーカーで判定した場合に18-29型のみに結びつくものではないから、この点に関する本田教授の指摘は採用できない。123塩基ラダーマーカーによる型判定では16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーによる正確な型判定では18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のいずれかに当たり得る。確定判決もこれを前提に判断しているが、前記(ア)a(a)のとおり事件本人の正確なMCT118型は18-30型であることが明らかになっているから、現段階において、坂井・笠井鑑定等が、123塩基ラダーマーカーを指標として判定した事件本人のMCT118型及び資料(1)ないし資料(5)に含まれる被害者両名以外の者(犯人)に由来すると思われる血液のMCT118型が16-26型で一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じている。<br> b 本田第2次鑑定書について<br> (a) 前記(ア)b(a)については、MCT118型検査は、16型の非特異増幅を生じるような検査法であるとは認められないこと、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンド濃度は、資料(1)〔2〕を除いて、資料(6)及び資料(7)のバンド濃度をはるかに上回っていること、16型が泳動時の汚染によるものとすれば、123塩基ラダーマーカーの3つのレーンにはいずれも16型が検出されていないことの説明が困難であること、資料(6)及び資料(7)の16型のバンド様のものについて、よごれであると判断したとの坂井技官の供述、現像ムラか染色ムラと思われる旨の笠井技官の供述には、それなりに合理性があること、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的可能性が存在するとは認め難いことからすると、本田教授の見解は採り得ない。<br> (b) 前記(ア)b(b)については、坂井・笠井鑑定のネガフィルムを見ると、資料(1)〔1〕、資料(1)〔2〕、資料(4)及び資料(5)のレーン上に、X-Yバンドの位置にバンド様のものが存在することが認められるが、エキストラバンドは42以上の型においても出現すること、エキストラバンドは2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいところ、X-Yバンドが見られる前記資料(1)〔1〕等では16型と18型の双方が検出されているのに対し、これが見られない資料(2)及び資料(3)では16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されておらず、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があること、笠井技官は、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したが再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したと説明しており、その説明は合理的であることなどからすれば、X-Yバンドが犯人の型である可能性が高いとする本田教授の指摘は採用できない。<br> (c) 前記(ア)b(c)については、資料(1)〔2〕及び資料(4)につき、坂井技官は、ネガフィルム上の25型のバンドが太めのもので、その上にもバンドがあると判断されるものであり、デンシトグラムの25型のピークの落ち方は普通のものとは異なっていて、すそ野の中に隠れる形でもう1つバンドがあると判断されるものであったと具体的な判定根拠を述べていること、ゲルの固まりムラがあり、そこで増幅産物の解離が起こったのであれば、その位置を通過した増幅産物はすべて二重になるはずであるが、資料(1)〔1〕、資料(3)及び資料(5)の16型及び18型のバンドは二重になっておらず、固まりムラによって特定のレーンの特定の場所だけが二重になりノッチが形成されるというのは、非常に不自然であることから、犯人の型が26型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。<br> '''エ 弁護人が提出したその他の証拠について'''<br>  いわゆる足利事件の再審判決は、DNA型の再鑑定等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえ、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、最高検報告書、玉木意見書及び水口意見書は、いずれも本件の坂井・笠井鑑定等を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって坂井・笠井鑑定等の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''(5) 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする坂井・笠井鑑定等の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田鑑定書等の内容を考慮しても、坂井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> ===第2 当裁判所の判断===  原審で弁護人が提出した証拠の明白性を否定し、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえないとして、本件再審請求を棄却した原決定の判断に、論理則、経験則等に照らして不合理な点はなく、当裁判所も正当なものとして是認することができる。以下、所論に鑑み説明する。なお、弁護人が当審において提出した証拠は別紙のとおりである。<br> ====1 T田の目撃供述について==== '''(1) 嚴島第2次鑑定書について'''<br> '''ア''' 所論は、以下のとおり、嚴島第2次鑑定書の評価に関する原決定の説示は誤っている、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、安全運転のための注意力の程度につき、「不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあった」こと、「T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり、T田にとって乗り慣れていること」を挙げて、「T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを示す」とする。しかし、T田は、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあると供述するだけで、過去どのような頻度で目撃現場付近を通行したかについて詳細は述べていないし、平成4年2月は、不審車両を目撃したとされる20日以外には12日の1日だけしか通行しておらず、T田は目撃現場を頻繁に通行していたとはいえない。また、目撃現場付近はカーブが連続する下り坂であり、T田運転車両はマニュアル車で、変速装置の操作が頻繁に必要である一方、被験者の運転車両はオートマティック車であるから、その条件は被験者の方が有利であることは明らかである。<br> 〔2〕原決定は、目撃対象への注意の向け易さにつき、「T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして注意を向け易いということにも結び付く」とする。しかし、被験者の半数は「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」という注目教示が与えられ、より目撃車両に注意を注ぐことができる状況にあった一方、T田にはこのような事前の教示はなされていないから、その条件に有意な差は存在しないか、被験者の方が有利な条件であったことは明らかである。<br> 〔3〕原決定は、目撃対象への印象の強さにつき、「T田は、不審車両を目撃した翌日の夕方、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、T田が前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが、このような会話等により、T田は、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる」とする。しかし、目撃対象への印象の強さは、目撃当時の状況に左右され、目撃後の事情によって左右されるものではなく、記憶の範囲も目撃時の事情に制約されるのであるから、目撃後の事情という要素は、目撃条件の優劣を判断する上で重要とはいえない。<br> 〔4〕原決定は、目撃対象の記憶を容易にする条件の有無につき、「T田は、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた」とする。しかし、T田はダブルタイヤ仕様の車両の存在等について具体的にどのように知っていたか供述しておらず、雑誌を読んで知っていたとの抽象的な供述に終始しており、一般常識的なものにとどまり、目撃条件の優劣を判断する上で重要とはいえない。<br> 〔5〕原決定は、第2次実験の目撃条件の設定につき、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いた点について、「上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である」とする。しかし、原決定は、第2次実験の目撃条件の設定方法について疑問を生ぜしめる心理学的見地からの合理的根拠を全く示していないし、原決定の判断は、およそフィールド実験によって目撃証言を弾劾することは不可能であるといっていることと同じである、というのである。<br>  しかし、〔1〕及び〔2〕については、T田が運転していたのは八丁峠の下り坂であり、しかもその速度は速くても時速約30km程度というのであるから、マニュアル車であったとしても、複雑なギアチェンジを繰り返す必要はなく、基本的にはブレーキペダルやクラッチペダルの操作で足りるから、オートマティック車の運転操作と比べて不審車両に目を向けることが困難ということはできない。また、T田は、平成4年2月12日、20日以外にも同年1月20日、24日にも目撃現場付近を通行しており(原審甲724)、目撃現場付近を相応に走り慣れていたと認められる。しかも、T田は、目撃当時は通行車両も少ない状況の中で、通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車している不審車両に着目して目撃したというのであるから、原決定が説示するとおり、普段と異なるものとして不審車両に注意を向け易い状態であったといえ、このような条件を具備しない被験者に所論がいうような事前教示があったとしても、T田の目撃条件よりも有利であるとか有意な差はないなどとはいえない。<br>  〔3〕については、確かに、目撃時点における目撃状況そのものの印象は、事後の事情によって影響を受けるものではないが、原決定が説示するのは、T田が目撃した不審車両の記憶を喚起、定着させた根拠として、本件事件のニュースと関連して目撃した不審車両について同僚と話をしたということを指摘しているのであるから、所論は当を得たものではない。<br>  〔4〕については、原決定が説示するとおり、T田が、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴として後輪タイヤが小さく幅が広いといった具体的内容を知識として有していたことが明らかであり、このことが、目撃した不審車両がダブルタイヤであったことを知覚し記憶する上で有利に働いたというべきであるから、原決定の判断に誤りはない。<br>  〔5〕については、人の記憶の程度は、各々の属性やその時々の諸条件によって異なるといえるところ、原決定が説示するとおり、第2次実験の被験者は、知覚し記憶する条件がT田よりも重要な点で不利なものとなっていると考えられる。嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることができないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いることによって、このような重要な条件の相違を補うものであるというが、同鑑定書にはその正当性を基礎付ける合理的根拠は示されておらず、再現実験の困難性からみて、疑問が生じる。<br>  よって、嚴島第2次鑑定書の評価に関する原決定の判断は正当である。<br> '''イ''' 所論は、当審において嚴島第2次鑑定書を補完する趣旨のものとして提出されたと理解される(以下、当審で提出された証拠については、原審で弁護人が提出した新証拠を補完する趣旨のものとして取り扱う。)、嚴島教授作成の「飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書」(当審弁4の1)及び「飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺」(当審弁4の2、以下、当審弁4の1及び弁4の2を併せて「嚴島第3次鑑定書」という。)、嚴島教授及び北神慎司共同作成の「飯塚事件における目撃者T田の供述に関する第4次心理学鑑定書」(当審弁9の1)及び「飯塚事件における目撃者T田の供述に関する第4次心理学鑑定書補遺」(当審弁9の2、以下、当審弁9の1及び弁9の2を併せて「嚴島・北神鑑定書」という。)に基づき、以下のように主張する。すなわち、<br>  タンジェント・ポイント(以下「TP」という。)理論とは、運転者の視線はカーブの3秒前くらいからTP付近に集中し始め、TPはカーブに沿って前進していき、TPへの注視はカーブに沿って車が進行するにつれて徐々に強くなるというものである。嚴島・北神鑑定書における実験結果からは、本件左カーブでは誰しも左側のTP等に視線の多くを停留せざるを得ず、そのためTPとは反対側の道路右側の被目撃車両及び人物には多くの視線を注げないことが明らかとなり、仮にTPとは反対側の被目撃車両及び人物に対して視線を向けた場合であっても、視線停留時間は短く、その視線行動は同じ部位にずっと留まっているのではなく、同一対象の異なる部位を何回も場所を変え、その対象から離れて他の場所に行くということを繰り返す。しかも、視線が移動している間は外部情報を認知できず、視線移動後にその視線が停留しても、凝視に至らずチラ見にとどまるときは、粗い情報しか把握できない(チェンジ・ブラインドネス現象)のであるから、T田供述のような多項目かつ詳細な事項の知覚ないし記憶は不可能である、というのである。<br>  しかし、嚴島第3次鑑定書におけるタンジェント・ポイント理論等の視覚科学は、外国の研究論文を引用するものであるところ、その論文の中で行われた実験等は、本件におけるT田の目撃条件とは異なるものであるから、前記視覚科学がそのまま本件のT田の目撃条件に当てはまるものではなく、嚴島第3次鑑定書をもってしても、T田の目撃供述の信用性は揺るがないというべきである。また、嚴島・北神鑑定書における実験は、9名の一般成人を実験参加者とし、実験前に参加者に対してカーブでは時速25~30km程度で運転するほかは、通常通りの運転を行うように求めたにすぎず(当審弁9の1)、被験者が本件道路を走行した経験の有無、駐車車両に対する注意の度合い、運転に供した車両が被験者にとって普段から乗り慣れた車両であるか否か等の重要な点で、確定控訴審判決や原決定が嚴島第1次鑑定書及び同第2次鑑定書において指摘した問題点を克服したものとは評価できず、T田の目撃条件と同一条件で行われたといえるものではないから、やはりT田の目撃供述の信用性を揺るがすものではない。<br> '''(2) K1報告書及びK3報告書について'''<br> '''ア''' 所論は、〔1〕原決定は、T田の平成4年3月9日付け警察官調書は、K3報告書の存在により、同月7日に事件本人車を見分したK1警察官が、事件本人車の特徴を事後情報としてT田に与えつつ事情聴取を実施したことが明らかであるから、その信用性は弾劾されるとの弁護人の主張を無視している、〔2〕原決定は、K1報告書におけるT田の初期供述である、車から人が乗り降りしていたとの記載は、その後のT田供述とかけ離れた内容であって、その後のT田供述の信用性を著しく毀損するべきものであるとの弁護人の主張を無視している、〔3〕K3報告書には、同月4日のT田供述として、紺色ワゴン車で男が乗り降りしていたとの同月2日のK1報告書に比べ、ダブルタイヤと特定し、ガラスに何か貼っていたこと、人物の頭が禿げており、髪は長めで分けており、茶色ベストに白っぽいシャツを着ていたことなど多項目にわたり詳細に語ったように記載されており、警察官による誘導の効果が明らかにされているにもかかわらず、原決定が、同月4日のT田供述を根拠に警察官による誘導を否定したことは誤っている、〔4〕K1警察官作成の平成4年3月4日(午後)の捜査報告書(以下「3月4日午後報告書」という。)に、T田の「ボンゴ車」との供述に基づき、その型式として「ボンゴのWタイヤはマツダで、ボンゴのディーゼル車BA2S8H、BA2S9H、ガソリン車、2V8H、2V9Hとのことであった」と記載されているところ、これらはいずれも事件本人車と同じウエストコーストのものであり、他方でボンゴ車の型式は他にも多数存在していたから、同日時点で捜査機関は事件本人車を犯行使用車両として特定していたのであり、この情報に基づきK1警察官はT田を誘導した、〔5〕原決定は、G1供述をT田供述の信用性を肯定する根拠の一つとするが、K3報告書によれば、同月9日よりも前に警察がG1に接触した形跡はなく、他方、最も早いG1供述は、同年5月28日の警察官調書であることからすれば、G1の初期供述は、早くても同年3月9日より後で遅くとも同年5月28日となるところ、G1の事情聴取を担当したのもT田を担当したK1警察官であるから、G1にもT田同様に事後情報が提供されて誘導がなされたことが明らかである上、同年2月21日、22日にG1がT田の話を聞いた際にその場にいたG2は、同月25日の時点で警察官に何も供述していないことに照らすと、G1供述は信用できない、と主張する。<br> '''イ''' しかし、〔1〕については、原決定は、平成4年3月4日のT田の目撃した不審車両の特徴に関する供述内容はK1警察官による誘導等がなされ得る前の時期のものであり、その内容と確定判決が信用性を肯定したT田の目撃供述との間に齟齬がないことから、T田の目撃供述はK1警察官による誘導等によってなされたものとはいえないことを説示しているのであるから、原決定が弁護人の主張を無視したなどという所論の指摘は理由がない。<br> '''ウ''' 〔2〕及び〔3〕については、K1報告書における平成4年3月2日のT田からの事情聴取は、T田が職務多忙のため目撃場所の特定等詳細な事情聴取には至らなかったというものであって、T田の目撃内容に関する記憶を正確に喚起させて詳細に目撃状況を聴取したものとは窺えない。これに対し、K3報告書によれば、同月4日の事情聴取は、T田を八丁峠に同行させて目撃現場を特定させており、T田はその現場を確認した上で、目撃した不審車両や人物について申告しているのであるから、より記憶を正確に喚起して目撃した状況を語ることが可能な状況にあったといえ、所論の指摘するような事情が、直ちにT田の目撃供述の信用性を減殺させたり、K1警察官による誘導等を窺わせるとはいえない。<br> '''エ''' 〔4〕については、確かに、3月4日午後報告書(原審検察官の意見書8に添付)には、事件本人車と同じウエストコーストの型式のみが記載されている。<br>  しかし、この段階では、被害者両名から採取した膣内容物等の血液型鑑定やDNA型鑑定等の事件本人の犯人性に関する客観的な結果を捜査機関はいまだ収集できておらず(確定第1審甲53、58、62、68、76、確定控訴審第2回公判G6証人尋問調書118項ないし136項等)、その後、T田の供述する後輪ダブルタイヤの紺色ワンボックスカーの所有者等に対するつぶしの捜査が行われている(確定控訴審第2回公判G6証人尋問調書60項ないし76項)こと等からすると、捜査機関が平成4年3月4日までに事件本人車を犯行使用車両として特定していたとまでは考え難い。また、仮に捜査機関が同月4日に既に事件本人車を犯行使用車両と特定し、同日にT田を誘導等までしていたというのであれば、その後の同月9日のK1警察官による取調べの際にも、目撃した不審車両についてマツダのボンゴ車であると特定してしかるべきであるが、T田の同日付け警察官調書では、トヨタや日産ではない、後タイヤは確かダブルタイヤであった、というように3月4日午後報告書よりも後退した内容となっている。したがって、所論のいう3月4日午後報告書の記載のみから、平成4年3月4日までに捜査機関が事件本人を容疑者として特定し、事件本人車を犯行使用車両と特定していたということはできない(なお、所論は、事件本人が、同年2月25日頃、M村刑事が事件本人方を訪れた旨供述しており、その際にM村刑事が事件本人車を確認したともいうが、その頃M村刑事が事件本人車を確認したことを窺わせるような証拠はない。)。<br>  したがって、所論〔4〕は採用できない。<br> '''オ''' 〔5〕については、所論は、G1の確定第1審における公判供述と捜査段階における警察官調書との間に、T田から聞いた目撃車両等が事件とは関係ないと考えた理由やT田から目撃車両等の話を聞いた回数に変遷があり、この点を指摘して、G1は捜査官の誘導によって供述内容をT田供述に沿う方向に変遷させたものであり、G1の公判供述は信用できないと主張するが、G1は、T田から、紺色のダブルタイヤのボンゴ車かワゴン車を目撃した旨聞いたという核心部分については一貫して供述している(主任弁護人作成の平成29年9月12日付け上申書添付のG1の平成4年5月28日付け警察官調書)のであって、所論が指摘する点を検討しても、前記核心部分につき、K1警察官が、G1に対して、供述すべき内容を示唆、誘導したような事情は窺われない。<br>  そして、G1とともにT田から話を聞いたとされるG2(K3報告書には「福岡県甘木市森林組合職員G2」と記載されている。)に対し、同年2月25日に警察官が聞込みを行っているところ、K3報告書には、その結果として、「民間に依頼し、野鳥の山林の枝下ろし等の作業をしている。」「20日、21日とも作業を依頼しており、従業員はP1、P2、P3である」との聞込みを得たが特異情報の入手には至らなかった旨記載されている。しかし、K3報告書によれば、この聞込みは、同月24日、警察官が甘木市商工観光課係長に対して本件の死体遺棄現場及び所持品等の遺留品の投棄現場付近の作業状況等について聴取した結果、市役所による作業等はないが、農林事務所、森林組合が作業をしているようだとの情報を得たことから行われたものであって、このような経過に照らせば、自らは前記作業に従事していなかったG2が、同月21日にT田から聞いた不審車両に関する話をしていなかったとしても不自然とはいえない。また、T田及びG1の供述によれば、結局、T田がG1らに話をした目撃車両については、目撃した場所が被害者両名の遺体発見現場と異なることから、事件とは関係ないとの話になったというのであるから、G2が警察官に対してT田から聞いた不審車両の話をしていないことは、この点からも不自然とはいえない。G1供述が信用できないとの所論は採用できない。 <br> '''(3)''' その他所論は原決定が嚴島第2次鑑定書並びにK1報告書及びK3報告書に証拠の明白性を認めなかった点について縷々主張するが、これらを検討しても原決定の判断に誤りはない。<br> ====2 科警研が実施した鑑定について==== '''(1) HLADQα型'''<br> '''ア''' 所論は、本田第1次鑑定書の立証命題の1つである、真犯人のHLADQα型は3-3型であって、事件本人(1.3-3型)とは異なるから、事件本人は無実であるとの点につき、原決定が判断を欠いていると主張する。すなわち、HLADQα型鑑定の方が血液型鑑定よりも少量の資料から検出可能であり、血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずであるところ、被害者両名の膣内容等の資料から、いずれも真犯人の血液型が検出されているのであるから、どの資料にも真犯人のHLADQα型が含まれていると判断するのが合理的であり、資料(2)ないし資料(5)のすべてに含まれているのは3型のみであるため、真犯人のHLADQα型は3-3型しかあり得ず、事件本人とは型が異なる被害者A田の膣内容等から事件本人のHLADQα型が検出されていないのであるから、事件本人が犯人である可能性はない。ところが、原決定は、本田鑑定書等の新規性を認めながら、真犯人のHLADQα型は3-3型しかあり得ないとの弁護人の主張を摘示せず、「当裁判所の判断」においても何らの検討も加えていない、というのである。<br> '''イ''' しかしながら、確定判決が説示するとおり、HLADQα型の検査キットは、元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者択一のものであり、すべての型それぞれにのみ反応する試薬(プローブ)はない(確定第1審弁46)上、資料の混合があった場合には判定不能となる場合が多い(基本的には判定しない)とも指摘されていること(確定第1審弁43)を踏まえると、混合資料のHLADQα型の検査結果から直ちに2人分の型が検出された、若しくはその合理的な疑いがあるとは認め難いというべきである。また、血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずであるとの点については、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、MCT118型、HLADQα型等のDNA型鑑定では白血球中の核内に存在するDNA(なお、赤血球中に核はない。)を使用するという検査部位の違いや、赤血球の数は白血球の約1000倍であることからすれば、血液型の判定はできても、HLADQα型が検出できないということはあり得る。さらに、坂井・笠井鑑定では、MCT118型の検査を行った後にHLADQα型の検査を行っており、MCT118型に比べてHLADQα型の検査の際にはDNA量が減少していたことに加え、検査の感度について、坂井技官及び笠井技官は、いずれも本件当時のDNA型鑑定の経験から、新鮮血ではなく、血痕については、HLADQα型の検査の方がMCT118型の検査よりも多くのDNA量が必要である旨供述していること、被害者A田の膣内容物(資料(2))及び膣周辺付着物(資料(3))から1.3型が検出されなかったのも、犯人のDNAが壊れていた可能性があり、また、1.1型と1.3型の検出感度の違いにより1.1型の被害者A田のHLADQα型だけが検出されたとも考えられることも踏まえると、真犯人のHLADQα型は3-3型であるとの本田教授の見解は採用できない。なお、原決定は、HLADQα型に関する弁護人の主張については明示的に取り上げて判断を示していないが、血液型とMCT118型の整合性に関して、両者の検査部位の違い等といった前記判断と同様の判断を示しており、この点はHLADQα型にも共通するものであるから、原決定はHLADQα型に関する弁護人の主張については別途取上げて判断を示す必要があるとまではいえないと判断したものと理解できる。<br> '''(2) 血液型鑑定'''<br> '''ア 血液型鑑定に関する所論の概要'''<br>  所論は、原決定の坂井・笠井鑑定における血液型鑑定に関する判断の誤りについて、概要、以下のとおり主張する。<br> '''(ア) 解離試験において血液凝集反応の強弱の程度を考慮することの誤り'''<br> a 解離試験において凝集反応の強さに差異が生じることがあるのは、そもそも検体を3分割する際に、各検体中に含まれる血液成分量が均一ではなく、抗原抗体反応物の生成が各検体において同様に行われる確証もなく、また洗浄の際に、洗浄しきれなかった抗血清が残留し得るなどの誤差が生じ得るためであり、だからこそ、解離試験において、資料に含まれている抗原の量は全く意味を持たず、定性試験とされているのである。AB型の血液に解離試験を行った場合でも、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差が生じることは頻繁にあり、現に坂井・笠井鑑定の表2における資料(2)のB型物質の凝集の程度は「±」である一方、表3における資料(2)のB型物質の凝集の程度は「+」となっており、資料(2)に含まれるB型物質の量に差があったか、抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったと考えざるを得ない。<br> b 草加事件差戻控訴審判決(当審弁5)及び平成8年11月8日付け大阪市立大学医学部法医学教室前田均作成の回答書(当審弁6、以下「前田回答書」という。)に基づく主張<br>  草加事件差戻控訴審判決は、「A型とB型の反応を示した唾液斑が、単独のAB型由来のものか、被害者由来のA型物質と犯人由来のB型物質の混合したものかが争われた」事案において、B型活性の方が強かったにもかかわらず、これをAB型と認定していること、同判決で引用された前田回答書(当審弁6)によれば、解離試験では、1つの鑑定資料から一定量を切り取り、均等に3分割してA型活性、B型活性及びH抗原活性の検査を行うため、資料中の付着物の分布が一様でない場合は、その付着物がAB型であっても、分割された資料中の付着物の多寡によってA型活性とB型活性の強さが異なる結果となるとあることから、凝集の強弱の程度を考慮して犯人の血液型をB型と特定した坂井・笠井鑑定は誤っている。<br> '''(イ) 犯人の血液型はAB型という本田鑑定書等の指摘を原決定が排斥した誤り'''<br> a 混合資料であることを明らかにする方法としては、肉眼ないし顕微鏡で凝集反応の有無を確認する方法と、「裏試験」と呼ばれる血清を用いての抗A抗体及び抗B抗体の有無を調べる方法があるところ、原決定は、科捜研鑑定(確定第1審甲53)では、被害者B山の遺体付近の木の枝から採取された資料3(坂井・笠井鑑定では資料(1))について、抗A・抗B血清との反応が認められたことから、AB型との判定をし、その上で参考事項として、A型とB型の混合の可能性と、AB型の可能性があるとしているが、同鑑定書には凝集反応の有無についての報告はないこと、坂井・笠井鑑定では凝集反応の目視は実施していないとされているが、血液型判定に習熟しているはずの同人らが凝集反応の目視を省略したとは考えられず、A型とB型の混合による強い凝集反応が確認されなかったがゆえに、解離試験による結果から強引にA型とB型の混合と解釈したにすぎないことといった弁護人の主張について何らの判断も示しておらず、本田鑑定書等に明白性があることは明らかである。<br> b 原決定の「ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得る」との説示について、血液は何らかの病的状況等が生じない限り赤血球の量と白血球の量が保たれており、赤血球を含みつつ、白血球を含まない血液というのは通常考えられず、MCT118型鑑定がPCR増幅によって極めて微量の資料に対しても反応することを考慮すると、原決定は、極限的な可能性を振りかざして本田鑑定書等の見解を排斥するものというほかない。<br> '''(ウ) 被害者両名と犯人との血液の混合比について、血液型鑑定とDNA型鑑定の結果に矛盾があるとの点についての判断の誤り'''<br>  坂井・笠井鑑定における強い反応、弱い反応に意味があるとの見解が正しいとすれば、抗B抗体により強い反応を示した資料(1)には、犯人由来の血液の量がA型である被害者B山の血液を上回って存在することになるはずであるが、資料(1)のMCT118型は、犯人由来となるはずのバンドが被害者B山由来のバンドより濃いバンドとしては検出されておらず、資料(3)についても同じような矛盾があるとの本田鑑定書等の見解を、原決定は、両試験は赤血球と白血球という血液中の別個の部位を使用するのであるから、このような結果が生じることもあり得るとしてその信用性を排斥するが、原決定の判断は全く非科学的なものである。<br> '''(エ) 脱脂綿が使用されており、資料(2)ないし資料(5)についての血液型鑑定は信頼できないとの点に関する判断の誤り'''<br>  解離試験における血液型鑑定において脱脂綿を使用した場合には正確な型判定ができず、脱脂綿を使用して血液型鑑定を行った坂井・笠井鑑定は誤っている。<br> '''(オ) 本田教授作成の平成27年8月17日付け鑑定書(当審弁7、以下「本田第3次鑑定書」という。)に基づく主張'''<br>  〔1〕本田第3次鑑定書の実験1により、自然抗体による凝集が完了している混合血資料について、解離試験を実施して血液型を判定しようとしたこと自体が誤りであった、〔2〕実験2により、脱脂綿を使用して解離試験を行った場合にはその多くで誤った判定がなされ、脱脂綿を使用した解離試験の結果は全く信用できない、〔3〕実験3により、混合比率を変えながら作製したA型+B型、A型+AB型の混合血液について木綿糸を使用して解離試験を行っても、いずれもAB型と判定されるのであって、B型抗原の量が多いとB型の凝集反応が強くなるとの坂井・笠井鑑定の考え方は誤っている。<br> '''イ 血液型鑑定に関する所論に対する当裁判所の判断'''<br> '''(ア) 前記(ア)aの所論について'''<br>  確かに、解離試験を実施する前提として資料を3分割する際に、混合した血液成分が均等に分割されるとは限らないという点は、前田回答書にも、「1つの鑑定資料から一定量を切り取り、均等に3つに分割してA型活性、B型活性およびH抗原活性の検査を行わざるを得ない…そのため、資料中の付着物の分布(付着状態)が一様でない場合には、その付着物がAB型であっても、分割された資料中の付着物の多寡によって、同じ検査条件の元でも見かけ上A型活性とB型活性の強さが幾分異なる結果が得られることも考慮される必要がある」との記載があり、一般論としては否定することはできない。また、所論の指摘する資料(2)については、坂井・笠井鑑定の表2と表3でB型の凝集の程度に差があったと認められる。<br>  しかし、笠井技官の当審における証言によれば、解離試験では、凝集反応のわずかな強弱の差を判別することができるわけでなく、肉眼で見てはっきり分かる差があった場合に、3+、2+、1+、±、-という5段階で判定を行うものであり、これを前提に、坂井・笠井鑑定では、資料(1)ないし資料(5)のいずれについても、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから(確定第1審甲68の表2及び表3。坂井・笠井鑑定が行われる前に資料(1)ないし資料(5)等について血液型鑑定を行った福岡県警察科学捜査研究所の林葉康彦技官も、資料(1)について、「A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している(確定第1審第8回公判309項ないし312項、353項ないし366項)。)、そもそも各資料の検査ごとに偶然の偏りがあったとは考え難い。すなわち、このことからは、資料(1)ないし資料(5)をそれぞれ3分割するに当たって、これらに血液型鑑定に影響を及ぼすような血液成分の不均一が生じていたとは考えられないというべきである。笠井技官は、当審において、資料(2)ないし資料(5)は、濃い血液が直接混合したものではなく、被害者A田ないし被害者B山の血液と膣液が混じっている状況に他の人の血液が混ざっているという状況であり、血清成分は非常にごく僅かしか含まれていなかったと考えられ、血液の混合による凝集が起こっていても非常に少ない量であり、被害者両名から採取される前はこれらの血液等は不均一な状態であった可能性もあるが、生理的食塩水を浸した脱脂綿で拭き取って液体の状態(笠井技官は、資料(2)ないし資料(5)は脱脂綿が湿っているような状態ではなく、液体の状態に脱脂綿が泳いでいるような状況であり、非常に希釈されて拭き取った状態であった旨証言しているところ、確定審甲68の写真4ないし10によれば、資料(2)ないし資料(5)が液体中に浮いているわけではないが、各脱脂綿には相当量の液体が含まれた状態であると認められるのであって、笠井技官の前記証言もこのような趣旨であると理解できる。)であり、被害者両名から採取した段階である程度均一化しており、しかも、資料(2)ないし資料(5)の一部を切り取る際には、色調や粘度等を見て不均一となっていないかを確認した、と証言している。かかる笠井技官の証言は、前記の坂井・笠井鑑定における血液型鑑定の結果とも整合するものであって、信用できる。また、解離試験における洗浄は、試験管に入れた検体に抗血清を1滴(約50μl)加えて血液型抗原に抗体等を結合させた後、冷却した界面活性剤入り生理的食塩水等で検体を洗浄し、洗浄液をアスピレーターで吸い取る(余剰の抗体の除去)という処理を3回繰り返し、少なくとも数百万倍の希釈が行われるというものであること(平成28年1月28日付け笠井技官作成の意見書(以下「笠井意見書」という。)3頁、笠井技官の当審証言7頁)、それぞれの各試験管における抗原抗体反応物の生成も、坂井・笠井鑑定では凝集素価を同一(256倍)にして行っていて同様に行われたことを担保していることも踏まえると、3分割した資料の不均一性を論難する所論は採用できない。<br>  また、解離試験は定性試験である、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差異が生じることは頻繁にあるとの所論の指摘については、解離試験がいわゆる定性試験であったとしても、混合資料について、凝集反応の程度の違いに着目してそれぞれの血液型を判定することにつき、本田教授も、原審における証人尋問において、一般論としては否定はしておらず(原審本田証言(第1回)381項、同(第2回)142項、143項)、解離試験の原理に照らせば科学的な合理性を有すると認められるし、A、B各血球の凝集反応に2倍程度の差異が頻繁に生じることに関する実験結果や文献等は提出されておらず、所論は採用できない。<br>  なお、坂井・笠井鑑定の資料(2)につき、確定第1審甲68の表2と表3ではB型物質の凝集の程度に「±」と「+」というように差があり、資料(2)に含まれるB型物質の量に差があったか、抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったと考えざるを得ないとの点につき更に検討すると、被害者A田の膣内容物という同一の資料について、B型物質の凝集反応の程度に差があったことは事実であり、資料(2)から取り出した検体ごとにB型物質の量等に差があった可能性は否定できない。しかしながら、表2は通常の解離試験における結果を示したものであり、表3はクロロホルム-メタノール法による解離試験の結果を示したものであるところ、クロロホルム-メタノール法による解離試験では、アルコール可溶性である血液の血液型抗原が主に抽出され、相対的に水溶性の体液由来の血液型抗原は弱く検出されるため、通常の解離試験の結果と比較することで、血液由来の血液型を判断することができる。そして、資料(2)は、血液と膣液が混合した資料であるところ、クロロホルム-メタノール法による解離試験の結果は、通常の解離試験の結果と比較すると、O型が弱くなり、弱いAB型(あるいは弱いA型+弱いB型)のA型は弱いが、B型はO型及びA型よりも強くなっていることから、坂井・笠井鑑定は、通常の解離試験で検出された強いO型は主に膣液由来と考えられる一方、B型が相対的に強くなっていることから、各被害者に由来しないB型と、弱いA型又はAB型(おそらくは被害者B山のA型)と判定したものである。笠井技官は、当審において、通常の解離試験の結果とクロロホルム-メタノール法による解離試験の結果の考察は、単純に表2と表3のB型の凝集反応の違いを見比べるのではなく、前記のように各血液型全体を比較検討して行うものであると証言している(笠井技官の当審証言64頁)ことも踏まえると、資料(2)から取り出した検体ごとにB型物質の量等に差があった可能性は否定できないことを考慮しても、凝集反応の強弱を考慮して血液型鑑定を行った坂井・笠井鑑定が不合理であるとはいえない。<br>  所論は、クロロホルム-メタノール法は、血液・体液混合資料から血液部分をより特定して検出できるという仮説に基づいているのであって、解離試験として行うことが真に有効か否かが実証された一般的な方法ではなく、独創的仮説に基づく極めて特殊な方法にすぎない、と主張する。しかし、笠井意見書添付の「クロロホルム-メタノール混液処理による微量汚染血痕の血液型検査法」と題する論文において、実験に基づきその有効性が明らかとされているのであって、所論は採用できない。<br> '''(イ) 前記(ア)bの所論について'''<br>  所論が指摘する草加事件差戻控訴審判決では、被害者の両乳房から採取した付着物について、血液型鑑定に当たって、同採取物中に被害者の細胞片が混在していたことは何ら確認されていないというのであって、資料(1)ないし資料(5)につき混合資料であることが明らかな本件事件とはそもそもその前提が異なるから、草加事件差戻控訴審判決の結論が、解離試験において凝集反応の強弱の違いを考慮する坂井・笠井鑑定の信用性を左右するものではない。<br>  また、前田回答書の内容が坂井・笠井鑑定の結論を左右するものではないことは既に説示したとおりである。所論は採用できない。<br> '''(ウ) 前記(イ)aの所論について'''<br> a この点、笠井意見書によれば、裏試験の原理及び方法は以下のとおりである。すなわち、<br>  A型の血液では、血球膜上にA型抗原、血清中にB型抗体が存在し、B型の血液では、同様にB型抗原及びA型抗体が存在し、血液型検査は、血液中の抗原あるいは抗体を検出する方法で実施されるところ、血球側の検査として行われる資料中の血球に存在する血液型抗原に対する抗血清による凝集反応を表試験と称することに対応して、血清側の検査として行われる資料の血清中の血液型抗体に対する標準血球による凝集反応を裏試験という。<br>  試験管で実施する裏試験は、非働化(血清に含まれる非特異免疫反応に関わる補体成分を非活性化)した資料の血清を、2本の試験管に2滴ずつ入れ、A型及びB型標準血球の生理的食塩水浮遊液をそれぞれの試験管に1滴加えて混和し、1000回転1分間遠心して凝集の有無を観察するというものである。<br> b そして、笠井意見書によれば、裏試験を実施するためには、被検資料の血清を必要とし、通常、血痕化した現場資料からは血清成分を回収することは困難であり、新鮮な資料であれば若干の血清成分を回収することが可能な場合も考えられるが、坂井・笠井鑑定の現場資料のうち、資料(1)は乾燥した微量な斑痕資料であって血清の回収ができないから裏試験が可能な資料ではない。また、笠井意見書には、資料(2)ないし資料(5)は、生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであり、血清成分が含まれていたとしてもごく微量であり、しかも生理的食塩水で希釈されているため、裏試験が可能な資料とはいえない、とある。この点、笠井技官は、当審において、資料(2)ないし資料(5)に関して、通常、血液がたくさんあると、もっとどす黒い赤のような色調を示すが、これらは明るい赤であったので血液量はそんなに多くないと判断した、被害者両名の膣液と血液が混ざっているような状況に、その他の人の血液が混ざっているような状況であって、しかもそれを希釈した状況で採取したから、血清成分はごく僅かしか含まれていなかった旨証言している。かかる証言は、坂井・笠井鑑定の外観検査における資料(2)ないし資料(5)の「淡赤色」「淡褐色」「赤褐色」との色調と整合するものであるし、外観検査を行うに際し、実際に各資料を観察した経験を踏まえて証言されたものであって、信用できるというべきである。そうすると、資料(2)ないし資料(5)についても、裏試験が可能な資料ではなかったという笠井技官らの判断が不合理なものということはできない。以上によれば、坂井・笠井鑑定において資料(1)ないし資料(5)につき裏試験をしていないことを論難する所論は採用できない。<br> c また、当審弁8及び平成28年3月31日付け検察官作成の意見書5添付の笠井技官作成の回答書(以下「笠井回答書」という。)によれば、凝集反応は、ヒトの血液中の赤血球膜の表面にはABO式血液型の抗原が存在し、血清中には自己の抗原以外に結合する抗体が存在していて、赤血球などの浮遊細胞上の抗原に抗体が作用することによって、肉眼的に観察できる凝集塊を生じる現象であり、一般的に、血液型が異なる新鮮な血液が混合した場合、片方の血液の血清中の抗体が他方の血液の血球表面上の抗原と結合して凝集反応が生じ得るが、同時に血液自体の凝固反応が生じるため、肉眼ないし通常の顕微鏡により凝集反応の有無を判別することは困難である。<br>  そして、笠井回答書によれば、資料(1)は、枝に付着した血痕であり、血液自体の凝固反応が肉眼により観察され、顕微鏡による観察においても、血痕(凝固血液)以外には膣液由来と考えられる付着物がわずかに観察されるだけであったというのであり、凝集反応の有無を観察するには不適切な資料といえる。また、資料(2)ないし資料(5)は、生理的食塩水で湿らせた脱脂綿で被害者両名から採取した資料であり、浮遊細胞の状態ではなく、淡い赤色ないし褐色の液体であり、色調から血液が少量しか含まれていないと推測され(資料(2)ないし資料(5)に関し、血液量はそんなに多くないと判断した旨の笠井技官の当審における証言が信用できることは前述したとおりである。)、生理的食塩水で希釈されていたことから、血液自体の凝固反応の観察及び混合した血液による凝集反応の観察を行うには不適切な資料といえる。以上によれば、坂井・笠井鑑定についてA型とB型の凝集反応の有無の観察に関して論難する所論は理由がない。<br> '''(エ) 前記(イ)bの所論について'''<br>  所論は、血液は何らかの病的状況等が生じない限り赤血球の量と白血球の量が保たれており、赤血球を含みつつ、白血球を含まない血液というのは通常考えられないというが、被害者A田は、道路から投げ捨てられたような状態で、パンツを脱がされて下半身が露出された状態で遺棄されていたのであり(確定第1審甲6)、資料(2)及び資料(3)は、本件犯行翌日の平成4年2月21日、被害者A田の膣内容物及び膣周辺付着物を生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであって(確定第1審甲58)、そもそも新鮮な血液そのものではない。このような資料(2)及び資料(3)の採取過程や採取状況に加え、前述したABO式血液型鑑定とDNA型鑑定の検査部位の違い等も考慮すれば、資料(2)及び資料(3)のA型の血液が、前者の検査可能な程度の赤血球を含みつつ、後者の検査可能な程度の白血球は含まないものであったことも考えられるものと評価でき、原決定が、極限的な可能性を振りかざして本田鑑定書等の見解を排斥したとはいえない。 <br>  なお、所論は、原決定が、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によるミトコンドリアDNA型鑑定(以下「石山鑑定」という。)で、資料(3)につき、被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が検出されていることを、資料(3)に被害者B山の血液は混合していないとの本田鑑定書等を排斥する根拠の1つとして説示する点につき、石山鑑定において事件本人のものと一致するミトコンドリアDNA型が検出されていないことを全く無視した暴論である、と主張する。しかし、確定判決が説示するとおり、坂井・笠井鑑定と比べて石山鑑定における資料(2)ないし資料(5)は、微量であり、その状態も著しく劣悪なものであったと考えられること等からすれば、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も考えられるのであって、所論のいう原決定の説示に不当なところはない。<br> '''(オ) 前記(ウ)の所論について'''<br>  前述したABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定の検査部位の違い等に照らせば、原決定が説示するとおり、血液型鑑定における凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していないことが非科学的などとはいえず、所論のいう本田鑑定書等の見解は坂井・笠井鑑定の信用性を損なわせるものではなく、所論は採用できない。<br> '''(カ) 前記(エ)の所論について'''<br>  確かに、解離試験において脱脂綿をそのままの状態で使用した場合、そのままのほぐれた形状では、資料を担体に付着・保持することが困難であり、洗浄の際、担体が流出して、目的とする抗原抗体反応に支障が生じる可能性があること、ほぐれた担体中に抗体が捕捉され、適切な洗浄が実施できない可能性があること、解離液中に担体や資料の微細破片が混入し、凝集反応の観察が困難となる可能性があり(笠井意見書)、正確な血液型の判定ができないおそれがあることはそのとおりである。また、坂井・笠井鑑定の前に実施された前記林葉康彦技官による科捜研鑑定では、資料(2)ないし資料(5)について、血痕検査のために作成した浸出液を木綿糸片に転着し、これを検体として解離試験法により検査を行っている(確定第1審甲58、62)。<br>  しかし、笠井意見書には、その対処法として、脱脂綿に資料を付着させて乾燥・固定する時に、ピンセット等を用いて脱脂綿を綿糸様に固めることにより、検査中にほぐれないようにすることができ、脱脂綿を担体として使用した場合であっても、綿糸を使用した場合と同様に適切な検査を実施することができる、坂井・笠井鑑定でも、資料(2)ないし資料(5)について、脱脂綿の一部を取って乾燥・固定する時に、ピンセット等を用いて脱脂綿を綿糸様に固めることにより、検査中にほぐれないようにして綿糸と同等の取扱いを可能にした、別の綿糸に付着し直すという手法を採らなかったのは、資料(2)ないし資料(5)は生理的食塩水を含ませた脱脂綿で採取され、液状であり、色調から血液が少量しか含まれていないと推測されたため、資料の脱脂綿中の血液・膣液混合液を効率よく別の綿糸に付着し直すことが困難と考えたので、脱脂綿の一部をそのまま取り、乾燥・固定したものを資料として実施した、とある。この点、笠井技官は、当審における証人尋問において、脱脂綿を綿糸様に固める手法につき、下にアルミ製のヒーターがついたガラス板に資料(2)ないし資料(5)の脱脂綿の一部を取って載せ、80℃で15分程度熱をかけて乾燥させつつピンセットを用いてよっていくようにして綿糸と同じような形状になるまで固定した、解離試験の際にほぐれないようにきつく固める必要があり、これを確認した上、解離試験の洗浄操作の際にも、試験管の中の資料をガラスの細い管の先にプラスチックが付いたものでほぐれないように押さえるなどして行った旨証言している。また、科警研においては、脱脂綿で採取された資料が送付されてきた場合には、前記のような方法を通常の検査法の1つとして実施していたとも証言しており、坂井・笠井鑑定は、科警研における通常の検査方法として、前記のような脱脂綿をそのまま用いることによる弊害を相応に回避できる措置を講じて実施されたものと認められる。そして、笠井技官は、綿糸様に固めたものを目視により3分割したと証言するが、この点も、既に説示したとおり、凝集反応の強弱は、わずかな強弱の差を判別するものではなく、肉眼で見てはっきり差があった場合に5段階で判定を行うものであることに照らすと、不合理とはいえない。以上によれば、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定において正確な判定ができないような手法が用いられたなどとはいえず、所論は採用できない。<br> '''(キ) 前記(オ)の所論について'''<br>  〔1〕については、坂井・笠井鑑定における資料(1)ないし資料(5)は、本田第3次鑑定書の実験1のような人から採取した新鮮血を混合した資料ではなく、前述したとおり自然凝集が生じたとしてもその量はごく僅かであったと考えられるから、坂井・笠井鑑定の結論を左右するものとはいえない。<br>  〔2〕については、本田第3次鑑定書では、ほぐれた形状の脱脂綿をそのまま担体として使用したものであって、坂井・笠井鑑定の信用性を左右するものではない。<br>  〔3〕については、実験3は、「解離試験においては、血液を試験管内に分注後、混合が十分起きる前に木綿糸や脱脂綿に滴下させた」ものであり、そもそも血液が均一に混合されておらず、採取部位によって混合比率が異なるため、本来の混合比率に基づく検査結果を得ることができないのは当然であって、証拠価値に乏しいといわざるを得ない。したがって、所論は採用できない。<br> '''(ク)''' その他、所論が縷々主張する点を検討しても、坂井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘はいずれも採用できないとした原決定に誤りはない。<br> '''(3) MCT118型鑑定'''<br> '''ア''' 所論は、原決定は、本田鑑定書等について、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であること、坂井・笠井鑑定の結果から解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、同鑑定の結果のみからは真犯人の型を16-26型であると確定できないことを除き、概ね「抽象的な指摘にすぎない」等として採用できないとする一方、坂井・笠井鑑定について、証拠能力を認めた上で、事件本人と真犯人とのMCT118型が一致する可能性があるとの限度において証明力を認めるが、かかる原決定の判断は誤っている、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、デンシトメトリーで読み取ると、事件本人の上位バンドは26型と判定するのが相当といえる数値であり、当時の判断としては同型判定に疑問の余地はないとする一方、目視によってバンドを確定しようとする本田教授の手法は当を得ないとするが、バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方がむしろ例外的であり、また、坂井・笠井鑑定は平成4年に実施されたものであるが、科警研のデンシトグラムの作成年月日は平成7年12月4日であり、鑑定後に事後的に作成されたものにすぎず、坂井・笠井鑑定のバンド位置の判定も、目視によって行われており、原決定は誤っている。<br> 〔2〕原決定は、坂井・笠井鑑定の資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動されていないため、その結果に客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある、との本田鑑定書等の指摘について、「123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされているから、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえない」とするが、警察庁が同時泳動を指針として定めていることや、足利事件における玉木意見書、水口意見書、最高検報告書の趣旨に反するものであり、誤っている。<br> 〔3〕原決定は、弁護人がした、坂井・笠井鑑定に改ざんがあるとの主張について、「坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えない」とするが、坂井技官らは坂井・笠井鑑定のネガフィルム上のX-Yバンドの存在を認識しており、X-Yバンドを隠ぺいすることで、そのバンドがアレルバンドか否かを第三者が検証する機会を失わせたこと、坂井・笠井鑑定のネガフィルムは笠井技官の尋問当日になって裁判所に提出され、弁護人において数分しかその内容を確認する時間がないまま、その日のうちに科警研によって持ち帰られて裁判所に保管されることはなく、X-Yバンドに対する説明も、笠井技官に対する反対尋問において弁護人に指摘されて初めて行っていることからすれば、坂井技官らに改ざんの意図があったことは明らかである、というのである。<br>  しかし、〔1〕のうち、バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方がむしろ例外的という点については、本田教授が、原審の証人尋問において、そのような証言をしているが、これについては、本田教授自身がMCT118型鑑定を行う場合の方法について述べているにすぎないし、他方で、本田教授は、厳しい読みを要求されるような古い資料で、肉眼的に判断できないけれども、わずかな違いまで検出したいという難しい資料に関してはデンシトグラムを使う旨証言しており(原審本田証言(第1回)228項)、デンシトグラムを用いた方がMCT118型鑑定をより正確に行うことができることを前提としている。電気泳動の結果を写真に撮影し、そのネガフィルムを肉眼で観察してバンドの有無を判定し、DNA型解析装置によりデンシトメトリーを用いてデンシトグラムを出力し、その数値でバンドの位置、移動度を正確に判定しようとした坂井・笠井鑑定の手法に疑念を抱かせるものではない。また、所論がいうように、確定第1審で証拠とされたデンシトグラム(甲596以下)が坂井・笠井鑑定が行われた後に出力されたものであったとしても、笠井技官は、MCT118型鑑定は、坂井・笠井鑑定が行われた平成4年当時、N社のDNA型解析装置を用いて行った旨証言しており(確定第1審第35回公判笠井技官55項)、坂井技官及び笠井技官の確定第1審における各証言内容を見ても、坂井・笠井鑑定においてデンシトグラムを使用していなかったことを窺わせるような事情は見当たらないから、原決定の認定に所論のいうような誤りはない。<br>  〔2〕については、所論が指摘する警察庁の指針には、「DNA型鑑定は、原則として、現場資料と対照するための資料がある場合に実施し」とあるだけで、同時泳動すること自体を指針として定めているわけではない(確定控訴審弁33、34)。また、原決定が説示するとおり、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされている(所論が指摘する水口意見書には、『「同一条件の電気泳動であれば型分類の再現性は確保される」ことは理論上は正しい』とされ、玉木意見書にも、「同一条件の電気泳動であれば、同一アリルの移動度は同じであり、再現性は保たれている(と)いう意見は一応の説得力を有する」とされている。)から、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないというわけではない。原決定の認定に誤りはなく、〔2〕の所論は採用できない。<br>  〔3〕については、X-Yバンドがエキストラバンドであることは後記のとおりであり、笠井技官も確定第1審において同旨の証言をしているから、坂井技官及び笠井技官がX-Yバンドを殊更に隠ぺいしようとしたなどとはいえない。原決定が説示するように、坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されていることも考慮すると、所論が指摘する事情を踏まえても、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないとする原決定の判断に誤りはない。所論は採用できない。<br> イ 所論は、本田第2次鑑定書におけるX-Yバンドに関する指摘について、〔1〕原決定は、「比較的塩基数が小さく、比較的近接するアレルバンドがある場合、エキストラバンドが高塩基数側に2本のバンドとして表れやすい」という渡辺剛太郎らによる「MCT118型にみられるエキストラバンドの成因」(以下「渡辺論文」という。)及びこれと同趣旨の三谷友亮らによる「MCT118型検査におけるエキストラバンドの形成機序及びエンドヌクレアーゼを用いた識別」(以下「三谷論文」という。)を根拠の一つとして、X-Yバンドがエキストラバンドであるとするが、渡辺論文は、アレリックラダーマーカーによる16-18型等の特定の組み合わせにおいてエキストラバンドが出たというものであり、坂井・笠井鑑定の16型や18型は123塩基ラダーマーカーによる型であり、実際に123塩基ラダーマーカーの16型や18型においてエキストラバンドが出るかは実験で確認するほかない、〔2〕原決定は、坂井技官及び笠井技官が鑑定時に複数回電気泳動を行ったと確定第1審で述べ、笠井技官が「MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断した」と述べたことをX-Yバンドがエキストラバンドであるとする根拠の一つとするが、エキストラバンドであるか否かを確認するためには、泳動条件を変えて電気泳動を行う必要があるのに、坂井技官及び笠井技官はそのような供述をしていないから、X-Yバンドがエキストラバンドであると認めた原決定は誤っている、と主張する。<br>  しかし、〔1〕については、原決定が説示するとおり、MCT118型検査におけるエキストラバンドは、DNAのPCR増幅の際に、非相補的にヘテロデュプレックスが生成されることにより生じるものであり、2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいと認められるところ、このようなエキストラバンドの生成機序に照らすと、所論の指摘するマーカーの相違がエキストラバンドの生成機序の本質的な点に影響するとは考え難いというべきであり、123塩基ラダーマーカーを用いて実験するほかないとして原決定を論難する所論は採用できない。<br>  〔2〕の泳動条件を変えて電気泳動を行う必要があるとの点についてみると、確かに、原決定は、三谷論文を引用して、「MCT118型検査では、異なる電気泳動条件によりエキストラバンドの移動度の差を確認する方法が採られており、ほとんどの場合、エキストラバンドとアレルバンドを容易に識別することが可能であるとされている」と説示している。しかし、平成24年12月14日付け科警研法科学第一部生物第四研究室室長関口和正作成の意見書(以下「関口意見書」という。)によれば、エキストラバンドについては、(坂井・笠井鑑定の)当時からMCT118型のDNA型鑑定を行う際に時々観察される現象であり、その識別方法については、複数回の電気泳動を行い移動度が異なることを確認する方法が報告されているとされており、その後、より確実な識別方法が報告されているとして三谷論文を挙示しているのである。そうすると、坂井技官や笠井技官が確定第1審における証人尋問において、複数回の電気泳動を異なる泳動条件で行った旨の証言をしていないからといって、笠井技官がいう、坂井・笠井鑑定において、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断した(平成24年12月26日付け笠井技官作成の報告書)とのエキストラバンドの識別方法の有効性が否定されるものではない。所論は採用できない。<br> '''ウ''' その他、本田第2次鑑定書等を根拠として、犯人のMCT118型を16-26型とする坂井・笠井鑑定は信用できないとする点や、いわゆる足利事件の再審判決等を根拠として、坂井・笠井鑑定の証拠能力・証明力を論難する点を含め、所論はMCT118型鑑定に関する原決定の判断を縷々論難するが、それらを逐一検討しても、原決定の判断に誤りはない。<br> ===3 新旧全証拠による総合評価=== '''(1)''' 所論は、原決定が、本田鑑定書等によって、坂井・笠井鑑定のMCT118型鑑定の証明力の評価に変化が生じたことを前提にしても、これ以外の情況事実ないし情況証拠群を総合評価すれば、同鑑定の証明力の変化によって確定判決の有罪認定に合理的な疑いは生じないとして、本田鑑定書等の新証拠としての明白性を否定したことについて、以下のとおり誤りがある、と主張する。すなわち、<br> 〔1〕原決定は、確定判決と異なり、事件本人車の車内からPM法のGc型の血痕が検出されたことを情況事実として認定するが、Gc型のアレルは3種類しかなく、その証明力は著しく低いものであって、これを情況事実として掲げるのは全く非科学的である。<br> 〔2〕新旧証拠の総合評価とは、新証拠によって、その立証命題に関連する旧証拠の証明力が減殺された場合に、そのことのみによって確定判決に合理的な疑いが生じない場合でも、新証拠の立証命題とは無関係に新証拠と旧証拠とを総合評価することによって、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じるか否かを判断することであり、その際には、旧証拠全体の証拠としての脆弱性が吟味されるべきであるのに、原決定は、弁護人が原審において主張した、T田供述の信用性、事件本人車から検出された血痕・尿痕に関する確定判決の評価、ミトコンドリアDNA型鑑定(石山鑑定)の評価といった確定審における旧証拠の証拠としての脆弱性に関する主張について、何一つ判断を示していない、というのである。<br> '''(2)''' しかし、〔1〕については、原決定は、PM法に関して、血痕の血液型が被害者A田と同じO型であることと並列する形で、Gc型も被害者A田と同じであることを情況事実として指摘しているのであるから、アレルが3種類しかなく、それ自体の証明力に限度はあるものの、両者相俟って推認力は強まっているといえる。所論は採用できない。<br>  〔2〕については、刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、「明らかな証拠」であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである(最高裁昭和50年5月20日決定刑集29巻5号177頁参照)。それは、旧証拠を洗いざらい評価し直して自ら心証を形成し、確定判決の動揺の有無を審査することまで認めたものではなく、新証拠の持つ重要性とその立証命題に着目して、それが有機的に関連する確定判決の証拠判断及びその結果の事実認定にどのような影響を及ぼすかを審査すべきである。所論のように新証拠の立証命題と無関係に旧証拠を評価すべきであるとの見解は採用できない。この点、原決定は、確定判決は、主として前記第1の2(1)の6つの情況事実群を総合評価して事件本人に対して有罪認定をしたものと解されるが、これらの情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものであるとした上で、原審において弁護人が提出した新証拠は、前記情況事実群のうち、T田の目撃供述及び科警研による鑑定の信用性が否定されることのみを立証命題とするものであり、その余の情況事実を証明する新証拠は提出されていないとして、新旧証拠の総合評価をしているのである。被害者両名の着衣に付着していた繊維片の鑑定の信用性が乏しいことなど当審において新たに追加された主張を含め、原決定が、新証拠の立証命題と関連しない旧証拠に関する弁護人の主張に対して明示的に判断を示していないことに誤りはなく、旧証拠の脆弱性の判断を原決定が遺脱しているとの所論は理由がない。<br> '''(3)''' その上で、原決定は、MCT118型鑑定を除く情況事実の検討を行い、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていると判断しているが、かかる原判決の認定は正当として是認することができる。すなわち、<br> '''ア''' T田の不審車両の目撃供述や被害者両名の着衣に付着していた繊維の鑑定を含む関係証拠によれば、事件当時、犯人使用車と思しき、紺色、ワンボックスタイプで、後輪ダブルタイヤという特徴を満たす車両を製造していたのはマツダのみであり、被害者両名の着衣に付着していた繊維片は、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までの間に製造、販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いと認められることからすると、犯人使用車は、前記期間に製造、販売された紺色のマツダステーションワゴン・ウエストコーストであって、リアウインドーにフィルムが貼付されていたと認められるところ、事件当時の事件本人車はこれらの特徴に符合している。<br>  また、犯人が被害者両名を略取又は誘拐した現場の状況、時間帯、被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄した現場と略取又は誘拐した現場との距離や自動車での所要時間からは、犯人は、前記各現場付近の土地鑑を有している人物である可能性が高いと考えられるところ、事件本人は土地鑑を有している。<br>  そして、事件当時、犯人使用車と同車種、同グレードで前記製造期間に製造された車両を保有していたのは、死体遺棄現場付近や福岡県飯塚市内及びその周辺において事件本人を含む極めて少数の者に限られていたことをも考慮すると、事件本人が犯人でないかという疑いが濃厚となる。<br> '''イ''' 加えて、関係証拠によれば、事件本人車の後部座席シートから血痕及び尿痕が検出され、血痕については、血液型及びDNA型のGc型はいずれも被害者A田と同じO型及びC型であり、尿痕は人尿であると認められるところ、被害者両名は遺体発見当時いずれにも尿失禁及び出血があり、これら(出血については被害者A田のもの)が本件各犯行の際に事件本人車の後部座席シートに付着したものとして合理的に説明できるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられない。確定判決(第1審)が説示するとおり、犯行と事件本人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠である(同判決113頁)。 <br> '''ウ''' さらに、関係証拠によれば、事件本人は、事件当時罹患していた亀頭包皮炎のため、外部からの刺激により容易に出血する状態にあり、亀頭からの出血が事件本人の手指を介するなどして被害者両名の膣等に混入するなど、事件本人が犯人であったならば、被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来する血液等が存在したという特異な事実の理由を合理的に説明できる。<br>  以上の情況事実に加え、坂井・笠井鑑定等の血液型鑑定を含む関係証拠によれば、仮に犯人が1人であるとすれば、犯人の血液型は事件本人と同じB型と認められ、事件本人にアリバイが成立せず、事件当日の行動に照らして事件本人に犯行の機会が十分にあったと認められることも併せ考慮すれば、事件本人が犯人であり、事件本人車が犯人使用車であると認定するのが相当である。<br>  付言するに、これらの情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができるものではないが、それぞれ独立した証拠によって認められ、事件本人が犯人であることが重層的に絞り込まれているのである。例えば、犯人使用車と事件本人車との同一性について、T田の不審車両の目撃供述による犯人使用車の車種等の特定が被害者両名の着衣に付着していた繊維の鑑定結果と符合し、両者相俟って事件本人車との車種等における同一性に結び付き、さらに、事件本人車から検出された血痕及び尿痕の特徴等が事件本人車と犯人使用車との同一性に結び付いている。そして、事件本人以外に、こうした事実関係のすべてを説明できる者が存在する可能性は抽象的なものにとどまると考えられ、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていると認められる。この結論は、原決定が説示するように、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする坂井・笠井鑑定の証明力が、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じていること、すなわち、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることも、一致しないと認めることもできないことを踏まえても、左右されない。<br> ==第3 結論==  よって、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえないとした原決定の判断に誤りはなく、本件即時抗告は理由がないので、刑訴法426条1項後段により、主文のとおり決定する。<br> 平成30年2月6日<br> 福岡高等裁判所第2刑事部<br> 裁判長裁判官 岡田信 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 高橋明宏<br> <br> (別紙)<br> 当審弁1 現代の法医学改定第3版(抜粋、金原出版株式会社)<br> 当審弁2 法医学現場の真相-今だから語れる「事件・事故」の裏側(抜粋、祥伝社)<br> 当審弁3 DNA鑑定とタイピング 遺伝学・データベース・計測技術・データ検証・品質管理(抜粋、共立出版)<br> 当審弁4の1 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書(嚴島行雄作成、平成27年4月30日)<br> 当審弁4の2 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺(嚴島行雄作成、平成27年5月8日)<br> 当審弁5 草加事件差戻控訴審判決(判例タイムズNo.1119 抜粋)<br> 当審弁6 平成8年11月8日付け大阪市立大学医学部法医学教室前田均作成の回答書<br> 当審弁7 鑑定書(本田克也作成、平成27年8月17日)<br> 当審弁8 法医血清学的検査法マニュアル(抜粋、金原出版株式会社)<br> 当審弁9の1 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書(嚴島行雄及び北神慎司共同作成、平成27年12月2日)<br> 当審弁9の2 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書補遺(嚴島行雄及び北神慎司共同作成、平成27年12月14日)<br> 当審弁10 主任弁護人岩田務作成の平成27年12月11日付け報告書<br> 当審弁11 T田の平成4年10月26日付け警察官調書写し<br> 当審弁12 「紡績とは」で始まるインターネット記事<br> 当審弁13 「1.脱脂綿について」で始まるインターネット記事<br> 当審弁14 解離試験による血痕からの血液型判定について(矢田昭一、科学警察研究所報告)<br> 当審弁15 主任弁護人岩田務作成の平成28年11月11日付け「甲68(表2) 通常の解離試験の結果」で始まる書面<br><br> {{PD-JapanGov}} {{DEFAULTSORT:ふくおかこうとうさいはんしよへいせい26ねん (く) たい56こう}} [[Category:日本の判例]] 25iuh9hy6gsvi3yno1f2b96delkma48 福岡地方裁判所令和3年(た)第3号 0 48874 246530 221857 2026-10-11T14:10:30Z ろづき 28406 246530 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所令和3年(た)第3号 |year=2024 |notes= * 掲載TKC/DB25620263、Westlaw Japan2024WLJPCA06059003、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の抗告審は、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]] }} 福岡地方裁判所令和3年(た)第3号<br> 令和6年6月5日第4刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br> <br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、上記請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 ==主文== 本件再審請求を棄却する。<br> ==理由== ===第1 確定判決の概要及びその証拠構造等=== '''1 判決確定に至るまでの経緯等'''<br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、死刑に処する旨の有罪判決を受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。)。事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。<br> '''2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨'''<br>  事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字(中略)番地の(中略)付近路上において、小学校に登校中のA田A子(当時7歳。以下「被害者A田」という。)及びB山B子(当時7歳。以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という。)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という。)に乗車させ、通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は、同日午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後同日午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。<br> '''3 確定判決の証拠構造等'''<br>  確定判決は、本件において事件本人と犯行との結び付きを証明する直接証拠は存在せず、個々の情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるとした上で、主として以下のような情況事実を根拠とし、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることは、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br> '''(1)''' T田T男(以下「T田T男」という。)、X田X男(以下「X男」という。)及びW田(以下「W田」という。)らの供述によれば,本件犯行の犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色ワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが張ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、事件本人は、前記車両と特徴を同じくする車両(事件本人車)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに失禁と出血が生じたと認められ、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと<br> '''4 本件再審請求に至るまでの経緯'''<br> '''(1)''' 事件本人の妻である請求人は、平成21年10月28日、福岡地方裁判所に対し、確定判決について再審請求(以下「第1次再審請求」という。)をした。第1次再審請求において、弁護人は、主要な新証拠として、科警研が実施した前記血液型鑑定及びDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性を否定するため、〔1〕本田克也教授作成の鑑定書等、〔2〕いわゆる足利事件の再審判決並びにそれに関する最高検察庁作成の報告書、水口清教授作成の意見書及び玉木敬二教授作成の意見書を提出し、T田T男の目撃供述の信用性を否定するため、〔3〕嚴島行雄教授作成の鑑定書(以下「嚴島行雄第2次鑑定書」という。)、司法警察員K1、同K2作成の報告書(以下「K1報告書」という。)及び同K3作成の報告書(以下「K3報告書」という。)を提出した。<br> '''(2)''' これに対し、福岡地方裁判所は、平成26年3月31日、概要、以下のとおり説示し、第1次再審請求を棄却した。 <br> '''ア T田T男の目撃供述について'''<br>  T田T男は、確定審において、事件当日の午前11時頃、八丁峠の遺留品発見現場付近路上において、事件本人車と同様の特徴を有する不審車両が停車しているのを目撃したと証言している。嚴島行雄教授は、T田T男の目撃再現実験を実施したが、その実験条件は、重要な点においてなおT田T男の目撃条件とは異なっており、同実験に基づく嚴島行雄第2次鑑定書の内容を踏まえても、T田T男がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとはいえない。また、同鑑定書は、確定控訴審が指摘しているT田T男供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。したがって、嚴島行雄第2次鑑定書に明白性は認められない。<br>  また、K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田T男の警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立って事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、さらにその以前から、T田T男が、目撃車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田T男は、それ以前に、知人に対しても、目撃車両の特徴について、紺色ダブルタイヤのワゴン車である旨述べていた事実も認められる。これらを踏まえると、K1警察官がT田T男に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、K1報告書及びK3報告書にも明白性は認められない。<br> '''イ 科警研が実施した鑑定について'''<br>  まず、科警研が実施した血液型鑑定について、本田克也教授は種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、これらの指摘はいずれも採用できない。<br>  科警研が実施したMCT118型鑑定(DNA型鑑定)についても、本田克也教授による指摘の多くは採用できない。もっとも、本田克也教授の鑑定書等によれば、塩基配列の反復回数の測定方法が改善された結果、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であることが明らかになった一方、犯人由来と思われる血液の正確なMCT118型は18-29型、18-30型又は18-31型のいずれかに当たり得るとしかいえず、両者が一致するか否かを確定することはできない。そうすると、現段階において、科警研のMCT118型鑑定が、事件本人と犯人由来と思われる血液のMCT118型が一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  また、足利事件の再審判決は、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、同判決に関する最高検察庁作成の報告書や玉木敬二教授、水口清教授の各意見書も、本件の科警研の鑑定を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって、本件の科警研の鑑定の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''ウ 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする科警研の鑑定の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田克也教授の鑑定書等の内容を考慮しても、科警研のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> '''(3)''' これに対し、請求人は即時抗告したが、福岡高等裁判所は、平成30年2月6日、即時抗告を棄却し、最高裁判所は、令和3年4月21日、請求人の特別抗告を棄却した。<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== '''1''' 本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(令和3年7月9日付け)、再審請求理由補充書(令和5年2月17日付け)、再審請求理由補充書(同年7月4日付け)、再審請求事由補充書(同年12月8日付け)、再審理由総括書面(令和6年1月31日付け)、飯塚事件第2次再審請求における請求人の主張の総括(同年2月15日付け)、飯塚事件第二次再審請求における請求人の主張の総括(同年3月1日付け)、意見書(同年3月19日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、当初、K村K男(以下「K村」という。)の供述書(令和2年1月23日付け、当審弁1)及びD山D子(以下「D山」という。)の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)の2つを主要な新証拠として提出した。<br>  まず、K村の供述書(当審弁1)は、同人が、事件当日、被害者両名と似た女の子2名が乗っている不審車両を目撃しており、同車両運転手という、事件本人とは別の人物が犯人である可能性があることを立証しようとするものである。<br>  次に、D山の供述録取書(当審弁2)は、確定判決が有罪認定の根拠とした、自身の供述調書(確定第1審甲39)の内容を否定するものであり、同調書の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  その後、当審においてK村及びD山の証人尋問が実施されたことを受けて、弁護人は、K村及びD山の各証言を主要な新証拠に据え、弁護人が提出した新証拠によれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げた情況証拠のうち、繊維鑑定を除き、犯行使用車両に関する事実を立証する証拠の信用性は否定されることになり、これを踏まえて事件本人が犯人ではないことを示す旧証拠を再評価すれば、その余の情況事実を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠(刑訴法435条6号)に該当するので、再審を開始すべきである旨主張している。<br> '''2''' これに対する検察官の主張は、意見書(令和4年3月31日付け)、意見書(令和6年2月13日付け)にそれぞれ記載されたとおりであり、その要旨は、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求は棄却されるべきであるというものである。<br> ===第3 当裁判所の判断=== '''1 序言'''<br>  本件再審請求において、弁護人が新証拠として提出した当審弁1、2、18ないし32、K村及びD山の各証言は、いずれも裁判所による実質的な証拠価値の判断を経たものではないから、証拠の新規性は認められる。<br>  証拠の明白性に関して、弁護人は、上記のとおりD山及びK村の各証言を主要な新証拠に据えているため、以下、これらの信用性を中心に検討し、その結果、弁護人が提出した新証拠が、関連する他の証拠の証明力に影響を及ぼすのか、ひいては確定判決における事実認定について合理的な疑いが生じ得るのか否かを検討する。なお、D山及びK村の各証言以外にも、弁護人は多数の証拠を新証拠として提出しているが、その多くは、D山及びK村の各証言の信用性を支えるものとして、補助的に位置づけることができるから、D山及びK村の各証言を主軸とする検討の中で、必要に応じて言及する。<br> '''2 D山証言について'''<br> '''(1)確定審におけるD山の供述調書の概要'''<br> '''ア''' 確定審で取り調べられたD山の供述調書は2通あり、そのうち、確定判決の事実認定の基礎とされたのは、D山の平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という。)である。本件検察官調書は、確定第1審において、検察官から「被害児童両名の登校状況」を立証趣旨として請求され、弁護人の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている。確定判決は、本件検察官調書等に基づいて、事件当日、被害者両名を最後に目撃したのはD山であると認定し、犯行現場を特定している。<br>  これとは別に、確定控訴審では、検察官から、「供述経過」を立証趣旨として、D山の平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審甲9。以下「本件警察官調書」という。)が請求され、弁護人の異議なしの意見を受けて採用され、取り調べられている。なお、本件警察官調書については、弁護人から、「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求され、検察官の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている(確定控訴審弁13。以下、本件警察官調書と本件検察官調書を併せて「本件各調書」という。)。<br> '''イ 本件警察官調書の概要は以下のとおりである。'''<br>  事件当日の平成4年2月20日当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、午前8時10分頃、車で自宅を出た。普段の通勤経路のとおり、バス通りを南下し、Fの角を右折して、裏道を西に進んだ。その道路の先は、E村E太方前で概ね南北に枝分かれする三叉路となっているところ(以下「E村方三叉路」という。)、当時、その少し手前の地点で車を停めて車内で化粧をするのが日課になっていたので、その日も同じように車を停めた。それが午前8時20分頃のことだった。化粧を始めてから何分か経った頃に、同三叉路北方の坂道から小学校低学年の女の子がやってくるのを見かけ、学校が始まっている時間なのに、まだこの辺を歩いている、遅刻するのにと思った。その少し後、別の小学校低学年の女の子がE村方三叉路付近に立っているのを見かけ、2人が一緒に学校に行っているのだと思った。午前8時30分少し前に、化粧を終えて車を発進させると、先ほどの女の子2人組がまだE村方三叉路付近を並んで歩いていた。女の子は2人とも身長が120cmくらいで、うち1人は黄色のジャンパーを着ていて、ランドセルの色が赤だった。2人が左側によけてくれたのでその横を通過し、E村方三叉路を南方に進行すると、道路右側のI村I郎方前に3台の車が駐車されていた。それらの車は、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車、ボンゴ車だったと思うが、順番ははっきりしない。さらに、その先の東西に走る飯塚市農協潤野支店が面している通りに突き当たる手前で、グレーのボンゴ車と離合した。午前8時30分頃、勤務先駐車場に車を停め、3分から5分くらい助手席に置いていた化粧品を片付けるなどしていたところ、同僚のV村V子(以下「V村」という。)が駐車場に入ってきた。その日の午後4時頃、刑事が勤務先に来たため、以上の目撃内容を話した。<br> '''ウ''' 本件検察官調書も、本件警察官調書と概ね同内容の目撃状況を述べるものである。もっとも、各時刻の表現ぶりに若干の違いがあるほか、2人の女の子を最初に目撃した際に、それぞれ別の子だと認識した理由や女の子達がD山の車をよけた方向、E村方三叉路先ですれ違った計4台の車両の特徴等については、記憶がはっきりしないとした一方、最後に離合した車の運転手の特徴を付け加えるなど、本件警察官調書とは異なる内容を述べる部分もある。<br> '''(2)D山証言の要旨'''<br>  事件当日の昼前くらいに、警察官ではなく消防隊員が勤務先に来て、行方不明になっている小学校1年生の女の子2人を見かけなかったか聞かれた。隣の席のV村に女の子なら見たことがあるよねという話をし、消防隊員もそれを聞いていたと思うが、事件当日の朝に見たという話はしていない。事件当日とは別の日に、E村方三叉路よりもずっと東側手前(F寄りのG方前)で、E村方三叉路に向かって歩く女の子2人組を追越したことはあった。女の子は2人とも、黄色のレインコートを着ていて、赤いランドセルを背負っていた。女の子を追い越した先に車が駐車されているということはなく、対向車と離合するということもなかった。<br>  被害者の遺体が発見された翌日の夕方、警察官が職場を訪ねてきて、女の子2人を目撃した状況を聞かれ、同年3月2日にも別の警察官が職場を訪ねてきて、本件警察官調書が作成された。本件警察官調書には、女の子2人を目撃したのが事件当日であったこと、E村方三叉路において、女の子1人を先に見かけ、後からもう1人が追いつく場面を目撃した後、女の子2人を追い越したこと、その先に車3台が停まっていて、その先でもう1台の車と離合したことが記載されているが、いずれも記憶と異なる内容である。警察官にもその旨を伝えたが、自分が若かったこともあり、警察官に押し切られて署名してしまった。最初の事情聴取時、警察官から車のカタログを見せられて、紺色のワゴン車を見たことがないか聞かれ、女の子を目撃した日とは別の日に黒いボンゴの車を追い越したことがあると話した。警察官からは、その車にラインが入っていなかったかも聞かれ、分からないと答えたが、これらの話は供述調書には記載されなかった。<br>  その2年後、横浜に住んでいた時に警察から連絡を受け、一度断ったが、この機に自分の記憶とは異なる内容の本件警察官調書を使わないように求めるため、再度の事情聴取に応じることにし、福岡まで赴いた。田川市にある喫茶店で、検察官ではなく警察官から事情聴取を受けたが、すでに出来上がった本件検察官調書が用意されており、記憶と違う点があると指摘したが、聞き入れてもらえず、結局署名、押印をしてしまい、同調書添付図面の作成にも応じてしまった。<br> '''(3)D山証言の信用性'''<br> '''ア''' D山証言は、本件各調書の内容を正面から否定し、大きく分けて、〔1〕女の子2名の目撃日時、〔2〕目撃位置、内容、〔3〕目撃時における周辺の駐車車両の有無の3点につき、本件各調書の内容を正すことを主眼とするものである。D山は、このような供述の変遷が生じた理由について、当初から、捜査機関に対し、当審において証言した内容を記憶どおりに話し、本件各調書の内容が自身の記憶とは異なるものであることを伝えたものの、捜査官に押し切られ、本件各調書が作成されてしまった旨述べる。そこで、まずD山が述べるとおり、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性があるのかという観点から検討を進める。<br>  まず、本件警察官調書が作成されたのは、事件発生から約10日後の平成4年3月2日であり、捜査初期で、客観的証拠や他の目撃者の存否を含め未だ捜査が流動的な状況下において、警察官が、曖昧さの残る供述を断定的な表現に改めるだけならまだしも、目撃日時、場所から内容に至るまで、その供述全般についてD山の記憶とは異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって、必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としかいいようがない。そもそも、行方不明の女の子が捜索されているという状況において、D山が、別の日に登校途中の女の子を見かけたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、あまりにも不自然といわざるを得ず、警察官がこのような捏造を行うというのは考え難い。これに対し、弁護人は、折に触れて、本件では、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張する。しかし、D山の本件各調書の内容を見ても、事件本人が本件に関わっていることをうかがわせるものはない。関係証拠によれば、X男やW田らが、事件当日、E村方三叉路付近において、事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述しているが、同人らがそのような供述をし始めたのは、平成4年の夏頃になってからであると認められ、それ以前に、E村方三叉路と事件本人とを結び付ける証拠はなかったのであるから、捜査機関が、本件警察官調書作成時において、E村方三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書は、その内容としても、目撃時における女の子らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら、詳細に述べるものである。いつものように車を止めて化粧をしていると、1人の女の子を見かけ、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女の子が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、弁護人の指摘するとおり、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、被害者B山が、被害者A田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、すでに捜査機関において入手済みの情報であった可能性があり、警察官が、これらの情報に基づいてD山を誘導し、本件警察官調書を作成することが不可能であったとまではいい難い。しかし、本件警察官調書によれば、I村I郎方前路上に3台の駐車車両があり、その先にもさらにもう1台の車両が停車していたというのであるが、これは、駐車車両の台数の点で、V村やX男等の供述内容と明らかに整合しない(確定判決37、38頁参照。)。警察官が、E村方三叉路付近に駐車車両はなかった旨のD山の供述を稔じ曲げ、事前に入手した情報に基づいて、D山がI村I郎方前路上において複数の駐車車両と離合した旨の調書を強引に作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX男らの供述と整合するような内容にするのが自然である。そうすると、このような齟齬は、D山の記憶違いを示すものである反面、裏を返せば、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けるものでもあり、弁護人の指摘を踏まえても、やはり警察官の手で創作されたとは考えられない。<br>  さらに、本件検察官調書については、本件警察官調書と概ね同内容のものであるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な供述にとどまる部分が散見される。このように、本件検察官調書の記載内容からは、事件発生から2年以上の時間が経過したことに伴う記憶の減退が反映されたことが見受けられ、D山が証言するように、D山から改めて事情を聞くことなく、予め捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  以上のとおり、本件警察官調書作成時において、捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見出せないことに加え、本件各調書の内容としても、捜査機関がD山の供述内容を歪めて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''イ''' また、D山証言については、弁護人が当審の当初に新証拠として提出した弁護人作成のD山の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)と比較しても、女の子2名の目撃供述に関し、その重要部分に変遷が見受けられる。すなわち、同供述録取書においては、〔1〕目撃日時に関して、女の子らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたにもかかわらず、令和5年11月28日に実施された証人尋問においては、明確に事件当日ではないと否定している点、〔2〕目撃場所に関して、女の子らの横を通り過ぎたのが、本件警察官調書のとおりE村方三叉路であったと述べていたにもかかわらず、証言においては、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている点の2点について、変遷している。これらの変遷は、いつ、どこで女の子らを目撃したのかという、目撃供述の根幹を成す部分について生じているものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているというのであれば、同供述録取書を作成してから証言するまでの間にこのような変遷を辿るとは考え難い。<br>  この点、D山は、同供述録取書作成時に、弁護人に対して、当審における証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人もこれに沿う形で、D山証言と同供述録取書の内容に相違が生じた原因につき、〔1〕目撃日時については、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容とを弁護人が混同したためであり、〔2〕目撃場所については、D山が、本件再審請求に協力するにあたって、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかしながら、〔1〕目撃日時、〔2〕場所のいずれについても、目撃供述の根幹部分に関するものであり、D山の本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、目撃日時、場所に関する記憶や書面の内容を丁寧に確認するのが通常である。それにもかかわらず,上記供述録取書には、根幹部分に複数個所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的な説明とはいい難い。また、〔2〕目撃場所に関し、D山は、同供述録取書において、女の子らを目撃する直前に、自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女の子らを追越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしているのである。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女の子らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正を加えることができているのに、後者についてのみ適切に本件警察官調書を訂正することができなかったというのは、気が動転していたというだけでは、合理的な説明にならない。<br>  以上のとおり、D山は弁護人作成の供述録取書からも、合理的な理由を提示することなく、核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。付言すると、D山は、事件当日に女の子らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に対して目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっているのではないかと感じられる。その上で、上記のとおり弁護人作成の供述録取書からでさえ、供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっていると考えざるを得ない。 <br>  なお、D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、かかる供述は、当審弁2の供述録取書に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に弁護人が作成した供述録取書(令和5年10月13日付け、当審弁30)にも記載されていないものである。D山は、証人尋問の1週間程前、そのような質問をされたことなどを不意に思い出した旨述べるが、供述経過に不自然な感が否めず、この点も容易く信用することはできない。<br> '''ウ''' ここまで述べたような検討を踏まえると、D山が述べるように、捜査機関が、目撃状況に関する供述を歪曲させてまで、D山の記憶とは異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するにあたって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、当審におけるD山証言は信用できない。<br>  弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、自らの記憶と異なる供述調書を作成されたことが、事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山証言は十分に信用できるとも主張するが、そのことは前記判断に影響しない。弁護人は、D山証言を信用できる理由について、その他にも様々主張するが、これらを踏まえても、D山証言を信用することができないという前記結論は左右されない。<br> '''(4)現場再現実験報告書(当審弁26)について'''<br> '''ア''' 弁護人は、D山証言のほか、本件各調書の信用性を弾劾する新証拠として、弁護人作成の現場再現実験報告書(当審弁26。以下「本件報告書」という。)も提出しているから、その内容についてここで検討を加えておく。<br>  本件報告書は、弁護人が、確定判決の事実認定に従って、被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験(以下「本件再現実験」という。)すると、関係者の目撃状況等に矛盾が生じるなどと報告するものである。本件再現実験の具体的内容としては、以下の2つの場面を再現するものである。<br> 〔1〕D山がE村方三叉路において女の子2名をよけ、I村I郎方前路上に駐車された、X田X太(以下「X太」という。)及びW田の各使用車両2台(E村方三叉路に近い方からX太車、W田車の順)の横を通過し、その後方で停止していたX男車と離合した後、X男が車を発進させ、E村方三叉路が見え始める地点(本件報告書によれば、X男がW田車の脇を通過した地点)まで移動した場面<br> 〔2〕X男がW田車の横を通過した後、X太車の後ろに停車して、E村方三叉路から進行してきたV村車と離合した場面<br>  本件報告書は、〔1〕の場面につき、D山が女の子らをよけた時点(以下「基準時」という。)からX男がE村方三叉路が見える地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、X男は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とX男の供述は矛盾しているとする。また、〔2〕の場面については、基準時からV村がE村方三叉路及びその北方の道路を見通せる地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、V村は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とV村の供述は矛盾しているとした上、さらに基準時からV村がD山が女の子らをよけた地点を通過するまでの時間も測定し(本件報告書によれば21秒)、D山が女の子らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っていると指摘する。<br> '''イ''' しかしながら、以下の理由から、本件再現実験から本件報告書の結論を導くことはできないというべきである。<br>  本件再現実験は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証するものであるが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。<br>  まず、被害者両名については、2地点での目撃時刻から平均移動速度(秒速約0.75m)を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定している。このうち、平原バス停付近での目撃時刻は後日表示が正確であると確認された車の時計を見たというので正確であるといえるが、E村方三叉路付近におけるD山の目撃時刻はおおよそのものにすぎない。前述したように、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名が、それぞれの自宅からE村方三叉路に至るまで、普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、E村方三叉路付近でD山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。そうすると、被害者両名の平均移動速度を算出してそれをD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性があるとはいえない。<br>  また、本件再現実験においては、X男がX太車の後ろに停車すると同時に、V村車と離合した、すなわち、X男が停車した時点でV村車が直近に迫っていたものとされ、そこから逆算して、関係車両の移動状況や各経過時間が算定されている。しかし、その前提が正しいのかについても疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、右側に3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。また、X男、X太及びW田の証言等からすると、X男はいったん自車をH車の後ろに車間距離を詰めて道路左端に寄せて止めたものの、W田から通行の支障になる旨言われ、対向してきたV村車と離合した後、自車を前方に移動させているが、X男も、自車をH車の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。これらのことからすると、少なくともX男がX太車の後ろに自車を停車させた時点でV村車が本件再現実験で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  なお、確定判決は、「X男がトヨタタウンエースを、一旦X太車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だった」と説示している(確定判決37~38頁。なお、V田はV村が改姓したもの。)が、関係者の証言内容に加え、上記説示は、D山供述のうち、I村I郎方前路上において3台の駐車車両と離合したという点はD山の記憶違いであることを論証する部分であることからすると、上記説示での「直後」という文言は、X男が一旦X太車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に、離合した対向車はV村車の1台のみであり、D山車が同所においてX男車と離合するタイミングはなかったことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br>  さらに、自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定したものであるが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> ウ 以上のとおり、本件再現実験から本件報告書記載の結論を導くことはできないから、本件報告書をもって、本件各調書の内容が不合理であるということはできず、D山証言を信用できるということもできない。<br> '''(5)本件各調書の信用性への影響'''<br>  以上の検討を踏まえると、本件各調書の内容を否定するD山証言は信用できるものではなく、また、本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書も当を得ないものであるから、これらによって本件各調書の信用性が減殺されることはない。したがって、確定判決の事実認定の用に供された本件検察官調書について、その供述内容を基本的に信用できるとした確定判決の認定は揺らがない。<br> '''3 K村証言について'''<br> '''(1)K村証言の要旨'''<br>  事件当日の平成4年2月20日、δにある取引先に集金に行き、その帰り道、八木山バイパスを飯塚市方面から福岡市方面に通行中、穂波西インター先の片側2車線になった辺りで、時速40km未満でゆっくり走る白のライトバンを右方から追い越した。時刻ははっきり覚えていないが、午前9時40分過ぎか午前10時40分過ぎだと思う。追い越す際、後部座席で、赤いランドセルを背負い、おかっぱ頭をした小学校1年生の女の子が、真横を向いて自分のことを見ているのが目に入った。その女の子の表情は、見たこともないくらいこわばっていて、おびえているようであった。また、後部座席には、もう1人別の女の子が横たわっていて、その横にはランドセルが置かれていた。白のライトバンの運転手は、坊主頭で、色白の小柄な男であり、年齢は35歳前後に見えた。<br>  その日の夕方、本件の報道を知って、自分が目撃した女の子が誘拐された女の子なのではないかと思い、翌日、飯塚警察署に電話した。何日か経ってから警察官が訪ねてきて、目撃内容を全て説明したが、警察官は、目撃した車両が紺色のワンボックスカーではなかったかなどの質問をして帰っていった。<br>  後日、本件の公判を傍聴し、事件本人の外見を確認したが、自分が目撃した白のライトバンの運転手とは違う人だった。また、平成30年に、Lの記者から被害者両名の写真を見せてもらったことがあったが、被害者両名は、自分が目撃した女の子と似ていると感じた。<br> '''(2)K村証言の信用性'''<br> '''ア''' K村は、事件当日、女の子2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその女の子2人は間違いなく被害者両名と同じ小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。しかし、目撃した女の子2名の特徴については、2人とも髪型がおかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、目撃した女の子2名と被害者両名のどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、両者を似ていると判断した具体的根拠を全く示すことができていない。そもそも、K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女の子2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていた女の子でさえ、その顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1人の女の子にいたっては同車内で横たわっていたというのであり、その顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、その女の子の特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  なお、K村は、目撃した女の子2名の特徴として、小学校1年生であったことを挙げるものの、その根拠については、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきりわかる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。当然のことながら、同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によって区々であり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女の子らを短時間目撃しただけで、女の子らの全身を見たわけでもなく、直接会話などをしたわけでもないのであるから、そのような断定をする根拠は甚だ薄弱である。<br>  また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、被害者両名の相違についても相応の供述ができてしかるべきであるが、K村供述にはそのような内容はない。顔貌のみならず、髪形、服装等被害者両名には当然のことながら相違点があるが、その指摘はない。K村は、被害者両名のランドセルの色について、2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名の実際のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯しうる説明はない。<br>  さらに、K村証言は、ほかの目撃供述と対比しても不自然である。すなわち、被害者両名は、事件当日、D山を含む複数の者に目撃されているところ、面識がない被害者について、その顔の特徴を明確に記憶し、供述するものはなく、大まかな年齢や服装、所持品等の特徴に言及するものがあるにとどまる。このように、年齢や服装などといった概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われる。それにもかかわらず、K村は、逆に目撃した女の子らの服装などについてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目撃した女の子らの目につきやすい特徴については記憶がないのに、本件から26年以上が経った今でも、車で追い越しざまに目撃した面識のない女の子2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない。<br>  以上によれば、女の子2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に、顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は到底信用し難い。<br> '''イ''' 加えて、K村は、女の子らを目撃した時刻についても、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をするにとどまっている。しかも、目撃時刻については、令和2年1月23日付けの供述書(当審弁1)では、午前11時前後と述べていたのに、証人尋問(令和5年5月31日実施)の約3週間前の令和5年5月6日付けの供述録取書(当審弁28)では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では、前記のとおり午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うと述べ、目撃時刻が次第に早まっている。一度目の変遷については、δにある取引先に、自宅(古賀市)から会社(春日市)を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると、自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。以上によれば、K村の供述は、目撃時刻に関しても、容易く信用できない。<br> '''ウ''' これに対し、弁護人は、K村が取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視したことや、女の子の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いたこと、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復、継続していたことなどを指摘し、K村証言は信用できると主張する。しかし、仮に弁護人が指摘するような事情によって、K村が目撃した女の子らの顔貌を明確に記憶し、その後もその記憶を維持していたのであれば、少なからず女の子らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、上記のとおりK村は曖昧な供述に終始している上、前述したような変遷も生じているのであって、弁護人の指摘を踏まえても、K村証言の信用性判断に変わりはない。<br>  以上のとおり、K村証言は、目撃内容についても目撃時刻についても信用できない。<br> '''エ''' また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は被害者両名を略取又は誘拐した後、いったん八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことが想定されるが、犯人の行動として不自然な感を否めない。<br> '''(3)''' 以上のとおりであり、K村証言は信用できず、女の子2名を目撃したことを前提としたとしても、被害者両名であるという合理的な疑いは生じないというべきであって、事件本人が犯人であると認定した確定判決の認定判断に影響しない。<br> '''4 小括'''<br>  ここまで、D山及びK村の各証言を中心に、本件再審請求において提出された新証拠について検討してきたが、D山証言や本件報告書によって本件各調書の信用性が減殺されることはなく、K村証言を踏まえても、事件本人とは別の人物が犯人である合理的疑いは生じない。弁護人はその他縷々主張するが、これを踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠が、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、情況事実の総合評価の結論を左右することもない。したがって、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているという結論は揺らがず、本件再審請求において提出された新証拠は、いずれも明白性が認められない。<br> '''5 結論'''  以上のとおり、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑訴法447条1項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。<br> 令和6年6月5日<br> 福岡地方裁判所第4刑事部<br> 裁判長裁判官 鈴嶋晋一 <br> 裁判官 田野井蔵人 <br> 裁判官 中元隆太<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} ohb8b84dm288mx4w1odra2xdf998ttw 246532 246530 2026-10-11T14:56:22Z ろづき 28406 246532 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所令和3年(た)第3号 |year=2024 |notes= * 掲載TKC/DB25620263、Westlaw Japan2024WLJPCA06059003、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の抗告審は、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 福岡地方裁判所令和3年(た)第3号<br> 令和6年6月5日第4刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br> <br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、上記請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 ==主文== 本件再審請求を棄却する。<br> ==理由== ===第1 確定判決の概要及びその証拠構造等=== '''1 判決確定に至るまでの経緯等'''<br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、死刑に処する旨の有罪判決を受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。)。事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。<br> '''2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨'''<br>  事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字(中略)番地の(中略)付近路上において、小学校に登校中のA田A子(当時7歳。以下「被害者A田」という。)及びB山B子(当時7歳。以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という。)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という。)に乗車させ、通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は、同日午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後同日午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。<br> '''3 確定判決の証拠構造等'''<br>  確定判決は、本件において事件本人と犯行との結び付きを証明する直接証拠は存在せず、個々の情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるとした上で、主として以下のような情況事実を根拠とし、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることは、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br> '''(1)''' T田T男(以下「T田T男」という。)、X田X男(以下「X田」という。)及びW田W男(以下「W田」という。)らの供述によれば,本件犯行の犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色ワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが張ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、事件本人は、前記車両と特徴を同じくする車両(事件本人車)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに失禁と出血が生じたと認められ、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと<br> '''4 本件再審請求に至るまでの経緯'''<br> '''(1)''' 事件本人の妻である請求人は、平成21年10月28日、福岡地方裁判所に対し、確定判決について再審請求(以下「第1次再審請求」という。)をした。第1次再審請求において、弁護人は、主要な新証拠として、科警研が実施した前記血液型鑑定及びDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性を否定するため、〔1〕本田克也教授作成の鑑定書等、〔2〕いわゆる足利事件の再審判決並びにそれに関する最高検察庁作成の報告書、水口清教授作成の意見書及び玉木敬二教授作成の意見書を提出し、T田T男の目撃供述の信用性を否定するため、〔3〕嚴島行雄教授作成の鑑定書(以下「嚴島行雄第2次鑑定書」という。)、司法警察員K1、同K2作成の報告書(以下「K1報告書」という。)及び同K3作成の報告書(以下「K3報告書」という。)を提出した。<br> '''(2)''' これに対し、福岡地方裁判所は、平成26年3月31日、概要、以下のとおり説示し、第1次再審請求を棄却した。 <br> '''ア T田T男の目撃供述について'''<br>  T田T男は、確定審において、事件当日の午前11時頃、八丁峠の遺留品発見現場付近路上において、事件本人車と同様の特徴を有する不審車両が停車しているのを目撃したと証言している。嚴島行雄教授は、T田T男の目撃再現実験を実施したが、その実験条件は、重要な点においてなおT田T男の目撃条件とは異なっており、同実験に基づく嚴島行雄第2次鑑定書の内容を踏まえても、T田T男がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとはいえない。また、同鑑定書は、確定控訴審が指摘しているT田T男供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。したがって、嚴島行雄第2次鑑定書に明白性は認められない。<br>  また、K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田T男の警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立って事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、さらにその以前から、T田T男が、目撃車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田T男は、それ以前に、知人に対しても、目撃車両の特徴について、紺色ダブルタイヤのワゴン車である旨述べていた事実も認められる。これらを踏まえると、K1警察官がT田T男に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、K1報告書及びK3報告書にも明白性は認められない。<br> '''イ 科警研が実施した鑑定について'''<br>  まず、科警研が実施した血液型鑑定について、本田克也教授は種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、これらの指摘はいずれも採用できない。<br>  科警研が実施したMCT118型鑑定(DNA型鑑定)についても、本田克也教授による指摘の多くは採用できない。もっとも、本田克也教授の鑑定書等によれば、塩基配列の反復回数の測定方法が改善された結果、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であることが明らかになった一方、犯人由来と思われる血液の正確なMCT118型は18-29型、18-30型又は18-31型のいずれかに当たり得るとしかいえず、両者が一致するか否かを確定することはできない。そうすると、現段階において、科警研のMCT118型鑑定が、事件本人と犯人由来と思われる血液のMCT118型が一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  また、足利事件の再審判決は、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、同判決に関する最高検察庁作成の報告書や玉木敬二教授、水口清教授の各意見書も、本件の科警研の鑑定を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって、本件の科警研の鑑定の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''ウ 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする科警研の鑑定の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田克也教授の鑑定書等の内容を考慮しても、科警研のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> '''(3)''' これに対し、請求人は即時抗告したが、福岡高等裁判所は、平成30年2月6日、即時抗告を棄却し、最高裁判所は、令和3年4月21日、請求人の特別抗告を棄却した。<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== '''1''' 本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(令和3年7月9日付け)、再審請求理由補充書(令和5年2月17日付け)、再審請求理由補充書(同年7月4日付け)、再審請求事由補充書(同年12月8日付け)、再審理由総括書面(令和6年1月31日付け)、飯塚事件第2次再審請求における請求人の主張の総括(同年2月15日付け)、飯塚事件第二次再審請求における請求人の主張の総括(同年3月1日付け)、意見書(同年3月19日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、当初、K村K男(以下「K村」という。)の供述書(令和2年1月23日付け、当審弁1)及びD山D子(以下「D山」という。)の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)の2つを主要な新証拠として提出した。<br>  まず、K村の供述書(当審弁1)は、同人が、事件当日、被害者両名と似た女の子2名が乗っている不審車両を目撃しており、同車両運転手という、事件本人とは別の人物が犯人である可能性があることを立証しようとするものである。<br>  次に、D山の供述録取書(当審弁2)は、確定判決が有罪認定の根拠とした、自身の供述調書(確定第1審甲39)の内容を否定するものであり、同調書の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  その後、当審においてK村及びD山の証人尋問が実施されたことを受けて、弁護人は、K村及びD山の各証言を主要な新証拠に据え、弁護人が提出した新証拠によれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げた情況証拠のうち、繊維鑑定を除き、犯行使用車両に関する事実を立証する証拠の信用性は否定されることになり、これを踏まえて事件本人が犯人ではないことを示す旧証拠を再評価すれば、その余の情況事実を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠(刑訴法435条6号)に該当するので、再審を開始すべきである旨主張している。<br> '''2''' これに対する検察官の主張は、意見書(令和4年3月31日付け)、意見書(令和6年2月13日付け)にそれぞれ記載されたとおりであり、その要旨は、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求は棄却されるべきであるというものである。<br> ===第3 当裁判所の判断=== '''1 序言'''<br>  本件再審請求において、弁護人が新証拠として提出した当審弁1、2、18ないし32、K村及びD山の各証言は、いずれも裁判所による実質的な証拠価値の判断を経たものではないから、証拠の新規性は認められる。<br>  証拠の明白性に関して、弁護人は、上記のとおりD山及びK村の各証言を主要な新証拠に据えているため、以下、これらの信用性を中心に検討し、その結果、弁護人が提出した新証拠が、関連する他の証拠の証明力に影響を及ぼすのか、ひいては確定判決における事実認定について合理的な疑いが生じ得るのか否かを検討する。なお、D山及びK村の各証言以外にも、弁護人は多数の証拠を新証拠として提出しているが、その多くは、D山及びK村の各証言の信用性を支えるものとして、補助的に位置づけることができるから、D山及びK村の各証言を主軸とする検討の中で、必要に応じて言及する。<br> '''2 D山証言について'''<br> '''(1)確定審におけるD山の供述調書の概要'''<br> '''ア''' 確定審で取り調べられたD山の供述調書は2通あり、そのうち、確定判決の事実認定の基礎とされたのは、D山の平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という。)である。本件検察官調書は、確定第1審において、検察官から「被害児童両名の登校状況」を立証趣旨として請求され、弁護人の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている。確定判決は、本件検察官調書等に基づいて、事件当日、被害者両名を最後に目撃したのはD山であると認定し、犯行現場を特定している。<br>  これとは別に、確定控訴審では、検察官から、「供述経過」を立証趣旨として、D山の平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審甲9。以下「本件警察官調書」という。)が請求され、弁護人の異議なしの意見を受けて採用され、取り調べられている。なお、本件警察官調書については、弁護人から、「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求され、検察官の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている(確定控訴審弁13。以下、本件警察官調書と本件検察官調書を併せて「本件各調書」という。)。<br> '''イ 本件警察官調書の概要は以下のとおりである。'''<br>  事件当日の平成4年2月20日当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、午前8時10分頃、車で自宅を出た。普段の通勤経路のとおり、バス通りを南下し、Fの角を右折して、裏道を西に進んだ。その道路の先は、E村E太方前で概ね南北に枝分かれする三叉路となっているところ(以下「E村方三叉路」という。)、当時、その少し手前の地点で車を停めて車内で化粧をするのが日課になっていたので、その日も同じように車を停めた。それが午前8時20分頃のことだった。化粧を始めてから何分か経った頃に、同三叉路北方の坂道から小学校低学年の女の子がやってくるのを見かけ、学校が始まっている時間なのに、まだこの辺を歩いている、遅刻するのにと思った。その少し後、別の小学校低学年の女の子がE村方三叉路付近に立っているのを見かけ、2人が一緒に学校に行っているのだと思った。午前8時30分少し前に、化粧を終えて車を発進させると、先ほどの女の子2人組がまだE村方三叉路付近を並んで歩いていた。女の子は2人とも身長が120cmくらいで、うち1人は黄色のジャンパーを着ていて、ランドセルの色が赤だった。2人が左側によけてくれたのでその横を通過し、E村方三叉路を南方に進行すると、道路右側のI村I郎方前に3台の車が駐車されていた。それらの車は、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車、ボンゴ車だったと思うが、順番ははっきりしない。さらに、その先の東西に走る飯塚市農協潤野支店が面している通りに突き当たる手前で、グレーのボンゴ車と離合した。午前8時30分頃、勤務先駐車場に車を停め、3分から5分くらい助手席に置いていた化粧品を片付けるなどしていたところ、同僚のV村V子(以下「V村」という。)が駐車場に入ってきた。その日の午後4時頃、刑事が勤務先に来たため、以上の目撃内容を話した。<br> '''ウ''' 本件検察官調書も、本件警察官調書と概ね同内容の目撃状況を述べるものである。もっとも、各時刻の表現ぶりに若干の違いがあるほか、2人の女の子を最初に目撃した際に、それぞれ別の子だと認識した理由や女の子達がD山の車をよけた方向、E村方三叉路先ですれ違った計4台の車両の特徴等については、記憶がはっきりしないとした一方、最後に離合した車の運転手の特徴を付け加えるなど、本件警察官調書とは異なる内容を述べる部分もある。<br> '''(2)D山証言の要旨'''<br>  事件当日の昼前くらいに、警察官ではなく消防隊員が勤務先に来て、行方不明になっている小学校1年生の女の子2人を見かけなかったか聞かれた。隣の席のV村に女の子なら見たことがあるよねという話をし、消防隊員もそれを聞いていたと思うが、事件当日の朝に見たという話はしていない。事件当日とは別の日に、E村方三叉路よりもずっと東側手前(F寄りのG方前)で、E村方三叉路に向かって歩く女の子2人組を追越したことはあった。女の子は2人とも、黄色のレインコートを着ていて、赤いランドセルを背負っていた。女の子を追い越した先に車が駐車されているということはなく、対向車と離合するということもなかった。<br>  被害者の遺体が発見された翌日の夕方、警察官が職場を訪ねてきて、女の子2人を目撃した状況を聞かれ、同年3月2日にも別の警察官が職場を訪ねてきて、本件警察官調書が作成された。本件警察官調書には、女の子2人を目撃したのが事件当日であったこと、E村方三叉路において、女の子1人を先に見かけ、後からもう1人が追いつく場面を目撃した後、女の子2人を追い越したこと、その先に車3台が停まっていて、その先でもう1台の車と離合したことが記載されているが、いずれも記憶と異なる内容である。警察官にもその旨を伝えたが、自分が若かったこともあり、警察官に押し切られて署名してしまった。最初の事情聴取時、警察官から車のカタログを見せられて、紺色のワゴン車を見たことがないか聞かれ、女の子を目撃した日とは別の日に黒いボンゴの車を追い越したことがあると話した。警察官からは、その車にラインが入っていなかったかも聞かれ、分からないと答えたが、これらの話は供述調書には記載されなかった。<br>  その2年後、横浜に住んでいた時に警察から連絡を受け、一度断ったが、この機に自分の記憶とは異なる内容の本件警察官調書を使わないように求めるため、再度の事情聴取に応じることにし、福岡まで赴いた。田川市にある喫茶店で、検察官ではなく警察官から事情聴取を受けたが、すでに出来上がった本件検察官調書が用意されており、記憶と違う点があると指摘したが、聞き入れてもらえず、結局署名、押印をしてしまい、同調書添付図面の作成にも応じてしまった。<br> '''(3)D山証言の信用性'''<br> '''ア''' D山証言は、本件各調書の内容を正面から否定し、大きく分けて、〔1〕女の子2名の目撃日時、〔2〕目撃位置、内容、〔3〕目撃時における周辺の駐車車両の有無の3点につき、本件各調書の内容を正すことを主眼とするものである。D山は、このような供述の変遷が生じた理由について、当初から、捜査機関に対し、当審において証言した内容を記憶どおりに話し、本件各調書の内容が自身の記憶とは異なるものであることを伝えたものの、捜査官に押し切られ、本件各調書が作成されてしまった旨述べる。そこで、まずD山が述べるとおり、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性があるのかという観点から検討を進める。<br>  まず、本件警察官調書が作成されたのは、事件発生から約10日後の平成4年3月2日であり、捜査初期で、客観的証拠や他の目撃者の存否を含め未だ捜査が流動的な状況下において、警察官が、曖昧さの残る供述を断定的な表現に改めるだけならまだしも、目撃日時、場所から内容に至るまで、その供述全般についてD山の記憶とは異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって、必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としかいいようがない。そもそも、行方不明の女の子が捜索されているという状況において、D山が、別の日に登校途中の女の子を見かけたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、あまりにも不自然といわざるを得ず、警察官がこのような捏造を行うというのは考え難い。これに対し、弁護人は、折に触れて、本件では、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張する。しかし、D山の本件各調書の内容を見ても、事件本人が本件に関わっていることをうかがわせるものはない。関係証拠によれば、X田やW田らが、事件当日、E村方三叉路付近において、事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述しているが、同人らがそのような供述をし始めたのは、平成4年の夏頃になってからであると認められ、それ以前に、E村方三叉路と事件本人とを結び付ける証拠はなかったのであるから、捜査機関が、本件警察官調書作成時において、E村方三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書は、その内容としても、目撃時における女の子らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら、詳細に述べるものである。いつものように車を止めて化粧をしていると、1人の女の子を見かけ、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女の子が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、弁護人の指摘するとおり、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、被害者B山が、被害者A田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、すでに捜査機関において入手済みの情報であった可能性があり、警察官が、これらの情報に基づいてD山を誘導し、本件警察官調書を作成することが不可能であったとまではいい難い。しかし、本件警察官調書によれば、I村I郎方前路上に3台の駐車車両があり、その先にもさらにもう1台の車両が停車していたというのであるが、これは、駐車車両の台数の点で、V村やX田等の供述内容と明らかに整合しない(確定判決37、38頁参照。)。警察官が、E村方三叉路付近に駐車車両はなかった旨のD山の供述を稔じ曲げ、事前に入手した情報に基づいて、D山がI村I郎方前路上において複数の駐車車両と離合した旨の調書を強引に作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX田らの供述と整合するような内容にするのが自然である。そうすると、このような齟齬は、D山の記憶違いを示すものである反面、裏を返せば、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けるものでもあり、弁護人の指摘を踏まえても、やはり警察官の手で創作されたとは考えられない。<br>  さらに、本件検察官調書については、本件警察官調書と概ね同内容のものであるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な供述にとどまる部分が散見される。このように、本件検察官調書の記載内容からは、事件発生から2年以上の時間が経過したことに伴う記憶の減退が反映されたことが見受けられ、D山が証言するように、D山から改めて事情を聞くことなく、予め捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  以上のとおり、本件警察官調書作成時において、捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見出せないことに加え、本件各調書の内容としても、捜査機関がD山の供述内容を歪めて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''イ''' また、D山証言については、弁護人が当審の当初に新証拠として提出した弁護人作成のD山の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)と比較しても、女の子2名の目撃供述に関し、その重要部分に変遷が見受けられる。すなわち、同供述録取書においては、〔1〕目撃日時に関して、女の子らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたにもかかわらず、令和5年11月28日に実施された証人尋問においては、明確に事件当日ではないと否定している点、〔2〕目撃場所に関して、女の子らの横を通り過ぎたのが、本件警察官調書のとおりE村方三叉路であったと述べていたにもかかわらず、証言においては、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている点の2点について、変遷している。これらの変遷は、いつ、どこで女の子らを目撃したのかという、目撃供述の根幹を成す部分について生じているものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているというのであれば、同供述録取書を作成してから証言するまでの間にこのような変遷を辿るとは考え難い。<br>  この点、D山は、同供述録取書作成時に、弁護人に対して、当審における証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人もこれに沿う形で、D山証言と同供述録取書の内容に相違が生じた原因につき、〔1〕目撃日時については、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容とを弁護人が混同したためであり、〔2〕目撃場所については、D山が、本件再審請求に協力するにあたって、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかしながら、〔1〕目撃日時、〔2〕場所のいずれについても、目撃供述の根幹部分に関するものであり、D山の本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、目撃日時、場所に関する記憶や書面の内容を丁寧に確認するのが通常である。それにもかかわらず,上記供述録取書には、根幹部分に複数個所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的な説明とはいい難い。また、〔2〕目撃場所に関し、D山は、同供述録取書において、女の子らを目撃する直前に、自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女の子らを追越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしているのである。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女の子らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正を加えることができているのに、後者についてのみ適切に本件警察官調書を訂正することができなかったというのは、気が動転していたというだけでは、合理的な説明にならない。<br>  以上のとおり、D山は弁護人作成の供述録取書からも、合理的な理由を提示することなく、核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。付言すると、D山は、事件当日に女の子らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に対して目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっているのではないかと感じられる。その上で、上記のとおり弁護人作成の供述録取書からでさえ、供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっていると考えざるを得ない。 <br>  なお、D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、かかる供述は、当審弁2の供述録取書に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に弁護人が作成した供述録取書(令和5年10月13日付け、当審弁30)にも記載されていないものである。D山は、証人尋問の1週間程前、そのような質問をされたことなどを不意に思い出した旨述べるが、供述経過に不自然な感が否めず、この点も容易く信用することはできない。<br> '''ウ''' ここまで述べたような検討を踏まえると、D山が述べるように、捜査機関が、目撃状況に関する供述を歪曲させてまで、D山の記憶とは異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するにあたって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、当審におけるD山証言は信用できない。<br>  弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、自らの記憶と異なる供述調書を作成されたことが、事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山証言は十分に信用できるとも主張するが、そのことは前記判断に影響しない。弁護人は、D山証言を信用できる理由について、その他にも様々主張するが、これらを踏まえても、D山証言を信用することができないという前記結論は左右されない。<br> '''(4)現場再現実験報告書(当審弁26)について'''<br> '''ア''' 弁護人は、D山証言のほか、本件各調書の信用性を弾劾する新証拠として、弁護人作成の現場再現実験報告書(当審弁26。以下「本件報告書」という。)も提出しているから、その内容についてここで検討を加えておく。<br>  本件報告書は、弁護人が、確定判決の事実認定に従って、被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験(以下「本件再現実験」という。)すると、関係者の目撃状況等に矛盾が生じるなどと報告するものである。本件再現実験の具体的内容としては、以下の2つの場面を再現するものである。<br> 〔1〕D山がE村方三叉路において女の子2名をよけ、I村I郎方前路上に駐車された、X島X太(以下「X島」という。)及びW田の各使用車両2台(E村方三叉路に近い方からX島車、W田車の順)の横を通過し、その後方で停止していたX田車と離合した後、X田が車を発進させ、E村方三叉路が見え始める地点(本件報告書によれば、X田がW田車の脇を通過した地点)まで移動した場面<br> 〔2〕X田がW田車の横を通過した後、X島車の後ろに停車して、E村方三叉路から進行してきたV村車と離合した場面<br>  本件報告書は、〔1〕の場面につき、D山が女の子らをよけた時点(以下「基準時」という。)からX田がE村方三叉路が見える地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、X田は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とX田の供述は矛盾しているとする。また、〔2〕の場面については、基準時からV村がE村方三叉路及びその北方の道路を見通せる地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、V村は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とV村の供述は矛盾しているとした上、さらに基準時からV村がD山が女の子らをよけた地点を通過するまでの時間も測定し(本件報告書によれば21秒)、D山が女の子らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っていると指摘する。<br> '''イ''' しかしながら、以下の理由から、本件再現実験から本件報告書の結論を導くことはできないというべきである。<br>  本件再現実験は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証するものであるが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。<br>  まず、被害者両名については、2地点での目撃時刻から平均移動速度(秒速約0.75m)を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定している。このうち、平原バス停付近での目撃時刻は後日表示が正確であると確認された車の時計を見たというので正確であるといえるが、E村方三叉路付近におけるD山の目撃時刻はおおよそのものにすぎない。前述したように、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名が、それぞれの自宅からE村方三叉路に至るまで、普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、E村方三叉路付近でD山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。そうすると、被害者両名の平均移動速度を算出してそれをD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性があるとはいえない。<br>  また、本件再現実験においては、X田がX島車の後ろに停車すると同時に、V村車と離合した、すなわち、X田が停車した時点でV村車が直近に迫っていたものとされ、そこから逆算して、関係車両の移動状況や各経過時間が算定されている。しかし、その前提が正しいのかについても疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、右側に3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。また、X田、X島及びW田の証言等からすると、X田はいったん自車をH車の後ろに車間距離を詰めて道路左端に寄せて止めたものの、W田から通行の支障になる旨言われ、対向してきたV村車と離合した後、自車を前方に移動させているが、X田も、自車をH車の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。これらのことからすると、少なくともX田がX島車の後ろに自車を停車させた時点でV村車が本件再現実験で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  なお、確定判決は、「X田がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だった」と説示している(確定判決37~38頁。なお、V田はV村が改姓したもの。)が、関係者の証言内容に加え、上記説示は、D山供述のうち、I村I郎方前路上において3台の駐車車両と離合したという点はD山の記憶違いであることを論証する部分であることからすると、上記説示での「直後」という文言は、X田が一旦X島車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に、離合した対向車はV村車の1台のみであり、D山車が同所においてX田車と離合するタイミングはなかったことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br>  さらに、自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定したものであるが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> ウ 以上のとおり、本件再現実験から本件報告書記載の結論を導くことはできないから、本件報告書をもって、本件各調書の内容が不合理であるということはできず、D山証言を信用できるということもできない。<br> '''(5)本件各調書の信用性への影響'''<br>  以上の検討を踏まえると、本件各調書の内容を否定するD山証言は信用できるものではなく、また、本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書も当を得ないものであるから、これらによって本件各調書の信用性が減殺されることはない。したがって、確定判決の事実認定の用に供された本件検察官調書について、その供述内容を基本的に信用できるとした確定判決の認定は揺らがない。<br> '''3 K村証言について'''<br> '''(1)K村証言の要旨'''<br>  事件当日の平成4年2月20日、δにある取引先に集金に行き、その帰り道、八木山バイパスを飯塚市方面から福岡市方面に通行中、穂波西インター先の片側2車線になった辺りで、時速40km未満でゆっくり走る白のライトバンを右方から追い越した。時刻ははっきり覚えていないが、午前9時40分過ぎか午前10時40分過ぎだと思う。追い越す際、後部座席で、赤いランドセルを背負い、おかっぱ頭をした小学校1年生の女の子が、真横を向いて自分のことを見ているのが目に入った。その女の子の表情は、見たこともないくらいこわばっていて、おびえているようであった。また、後部座席には、もう1人別の女の子が横たわっていて、その横にはランドセルが置かれていた。白のライトバンの運転手は、坊主頭で、色白の小柄な男であり、年齢は35歳前後に見えた。<br>  その日の夕方、本件の報道を知って、自分が目撃した女の子が誘拐された女の子なのではないかと思い、翌日、飯塚警察署に電話した。何日か経ってから警察官が訪ねてきて、目撃内容を全て説明したが、警察官は、目撃した車両が紺色のワンボックスカーではなかったかなどの質問をして帰っていった。<br>  後日、本件の公判を傍聴し、事件本人の外見を確認したが、自分が目撃した白のライトバンの運転手とは違う人だった。また、平成30年に、Lの記者から被害者両名の写真を見せてもらったことがあったが、被害者両名は、自分が目撃した女の子と似ていると感じた。<br> '''(2)K村証言の信用性'''<br> '''ア''' K村は、事件当日、女の子2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその女の子2人は間違いなく被害者両名と同じ小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。しかし、目撃した女の子2名の特徴については、2人とも髪型がおかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、目撃した女の子2名と被害者両名のどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、両者を似ていると判断した具体的根拠を全く示すことができていない。そもそも、K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女の子2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていた女の子でさえ、その顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1人の女の子にいたっては同車内で横たわっていたというのであり、その顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、その女の子の特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  なお、K村は、目撃した女の子2名の特徴として、小学校1年生であったことを挙げるものの、その根拠については、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきりわかる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。当然のことながら、同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によって区々であり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女の子らを短時間目撃しただけで、女の子らの全身を見たわけでもなく、直接会話などをしたわけでもないのであるから、そのような断定をする根拠は甚だ薄弱である。<br>  また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、被害者両名の相違についても相応の供述ができてしかるべきであるが、K村供述にはそのような内容はない。顔貌のみならず、髪形、服装等被害者両名には当然のことながら相違点があるが、その指摘はない。K村は、被害者両名のランドセルの色について、2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名の実際のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯しうる説明はない。<br>  さらに、K村証言は、ほかの目撃供述と対比しても不自然である。すなわち、被害者両名は、事件当日、D山を含む複数の者に目撃されているところ、面識がない被害者について、その顔の特徴を明確に記憶し、供述するものはなく、大まかな年齢や服装、所持品等の特徴に言及するものがあるにとどまる。このように、年齢や服装などといった概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われる。それにもかかわらず、K村は、逆に目撃した女の子らの服装などについてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目撃した女の子らの目につきやすい特徴については記憶がないのに、本件から26年以上が経った今でも、車で追い越しざまに目撃した面識のない女の子2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない。<br>  以上によれば、女の子2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に、顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は到底信用し難い。<br> '''イ''' 加えて、K村は、女の子らを目撃した時刻についても、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をするにとどまっている。しかも、目撃時刻については、令和2年1月23日付けの供述書(当審弁1)では、午前11時前後と述べていたのに、証人尋問(令和5年5月31日実施)の約3週間前の令和5年5月6日付けの供述録取書(当審弁28)では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では、前記のとおり午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うと述べ、目撃時刻が次第に早まっている。一度目の変遷については、δにある取引先に、自宅(古賀市)から会社(春日市)を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると、自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。以上によれば、K村の供述は、目撃時刻に関しても、容易く信用できない。<br> '''ウ''' これに対し、弁護人は、K村が取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視したことや、女の子の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いたこと、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復、継続していたことなどを指摘し、K村証言は信用できると主張する。しかし、仮に弁護人が指摘するような事情によって、K村が目撃した女の子らの顔貌を明確に記憶し、その後もその記憶を維持していたのであれば、少なからず女の子らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、上記のとおりK村は曖昧な供述に終始している上、前述したような変遷も生じているのであって、弁護人の指摘を踏まえても、K村証言の信用性判断に変わりはない。<br>  以上のとおり、K村証言は、目撃内容についても目撃時刻についても信用できない。<br> '''エ''' また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は被害者両名を略取又は誘拐した後、いったん八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことが想定されるが、犯人の行動として不自然な感を否めない。<br> '''(3)''' 以上のとおりであり、K村証言は信用できず、女の子2名を目撃したことを前提としたとしても、被害者両名であるという合理的な疑いは生じないというべきであって、事件本人が犯人であると認定した確定判決の認定判断に影響しない。<br> '''4 小括'''<br>  ここまで、D山及びK村の各証言を中心に、本件再審請求において提出された新証拠について検討してきたが、D山証言や本件報告書によって本件各調書の信用性が減殺されることはなく、K村証言を踏まえても、事件本人とは別の人物が犯人である合理的疑いは生じない。弁護人はその他縷々主張するが、これを踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠が、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、情況事実の総合評価の結論を左右することもない。したがって、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているという結論は揺らがず、本件再審請求において提出された新証拠は、いずれも明白性が認められない。<br> '''5 結論'''  以上のとおり、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑訴法447条1項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。<br> 令和6年6月5日<br> 福岡地方裁判所第4刑事部<br> 裁判長裁判官 鈴嶋晋一 <br> 裁判官 田野井蔵人 <br> 裁判官 中元隆太<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} 46snclbcgupzr8fqj4wynetaxixm9wi 246538 246532 2026-10-11T16:01:30Z ろづき 28406 246538 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所令和3年(た)第3号 |year=2024 |notes= * 掲載TKC/DB25620263、Westlaw Japan2024WLJPCA06059003、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の抗告審は、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 福岡地方裁判所令和3年(た)第3号<br> 令和6年6月5日第4刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br> <br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、上記請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 ==主文== 本件再審請求を棄却する。<br> ==理由== ===第1 確定判決の概要及びその証拠構造等=== '''1 判決確定に至るまでの経緯等'''<br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、死刑に処する旨の有罪判決を受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。)。事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。<br> '''2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨'''<br>  事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字(中略)番地の(中略)付近路上において、小学校に登校中のA田A子(当時7歳。以下「被害者A田」という。)及びB山B子(当時7歳。以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という。)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という。)に乗車させ、通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は、同日午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後同日午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。<br> '''3 確定判決の証拠構造等'''<br>  確定判決は、本件において事件本人と犯行との結び付きを証明する直接証拠は存在せず、個々の情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるとした上で、主として以下のような情況事実を根拠とし、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることは、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br> '''(1)''' T田T男(以下「T田T男」という。)、X田X男(以下「X田」という。)及びW田W男(以下「W田」という。)らの供述によれば,本件犯行の犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色ワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが張ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、事件本人は、前記車両と特徴を同じくする車両(事件本人車)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに失禁と出血が生じたと認められ、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと<br> '''4 本件再審請求に至るまでの経緯'''<br> '''(1)''' 事件本人の妻である請求人は、平成21年10月28日、福岡地方裁判所に対し、確定判決について再審請求(以下「第1次再審請求」という。)をした。第1次再審請求において、弁護人は、主要な新証拠として、科警研が実施した前記血液型鑑定及びDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性を否定するため、〔1〕本田克也教授作成の鑑定書等、〔2〕いわゆる足利事件の再審判決並びにそれに関する最高検察庁作成の報告書、水口清教授作成の意見書及び玉木敬二教授作成の意見書を提出し、T田T男の目撃供述の信用性を否定するため、〔3〕嚴島行雄教授作成の鑑定書(以下「嚴島行雄第2次鑑定書」という。)、司法警察員K1、同K2作成の報告書(以下「K1報告書」という。)及び同K3作成の報告書(以下「K3報告書」という。)を提出した。<br> '''(2)''' これに対し、福岡地方裁判所は、平成26年3月31日、概要、以下のとおり説示し、第1次再審請求を棄却した。 <br> '''ア T田T男の目撃供述について'''<br>  T田T男は、確定審において、事件当日の午前11時頃、八丁峠の遺留品発見現場付近路上において、事件本人車と同様の特徴を有する不審車両が停車しているのを目撃したと証言している。嚴島行雄教授は、T田T男の目撃再現実験を実施したが、その実験条件は、重要な点においてなおT田T男の目撃条件とは異なっており、同実験に基づく嚴島行雄第2次鑑定書の内容を踏まえても、T田T男がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとはいえない。また、同鑑定書は、確定控訴審が指摘しているT田T男供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。したがって、嚴島行雄第2次鑑定書に明白性は認められない。<br>  また、K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田T男の警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立って事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、さらにその以前から、T田T男が、目撃車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田T男は、それ以前に、知人に対しても、目撃車両の特徴について、紺色ダブルタイヤのワゴン車である旨述べていた事実も認められる。これらを踏まえると、K1警察官がT田T男に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、K1報告書及びK3報告書にも明白性は認められない。<br> '''イ 科警研が実施した鑑定について'''<br>  まず、科警研が実施した血液型鑑定について、本田克也教授は種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、これらの指摘はいずれも採用できない。<br>  科警研が実施したMCT118型鑑定(DNA型鑑定)についても、本田克也教授による指摘の多くは採用できない。もっとも、本田克也教授の鑑定書等によれば、塩基配列の反復回数の測定方法が改善された結果、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であることが明らかになった一方、犯人由来と思われる血液の正確なMCT118型は18-29型、18-30型又は18-31型のいずれかに当たり得るとしかいえず、両者が一致するか否かを確定することはできない。そうすると、現段階において、科警研のMCT118型鑑定が、事件本人と犯人由来と思われる血液のMCT118型が一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  また、足利事件の再審判決は、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、同判決に関する最高検察庁作成の報告書や玉木敬二教授、水口清教授の各意見書も、本件の科警研の鑑定を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって、本件の科警研の鑑定の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''ウ 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする科警研の鑑定の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田克也教授の鑑定書等の内容を考慮しても、科警研のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> '''(3)''' これに対し、請求人は即時抗告したが、福岡高等裁判所は、平成30年2月6日、即時抗告を棄却し、最高裁判所は、令和3年4月21日、請求人の特別抗告を棄却した。<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== '''1''' 本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(令和3年7月9日付け)、再審請求理由補充書(令和5年2月17日付け)、再審請求理由補充書(同年7月4日付け)、再審請求事由補充書(同年12月8日付け)、再審理由総括書面(令和6年1月31日付け)、飯塚事件第2次再審請求における請求人の主張の総括(同年2月15日付け)、飯塚事件第二次再審請求における請求人の主張の総括(同年3月1日付け)、意見書(同年3月19日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、当初、K村K男(以下「K村」という。)の供述書(令和2年1月23日付け、当審弁1)及びD山D子(以下「D山」という。)の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)の2つを主要な新証拠として提出した。<br>  まず、K村の供述書(当審弁1)は、同人が、事件当日、被害者両名と似た女の子2名が乗っている不審車両を目撃しており、同車両運転手という、事件本人とは別の人物が犯人である可能性があることを立証しようとするものである。<br>  次に、D山の供述録取書(当審弁2)は、確定判決が有罪認定の根拠とした、自身の供述調書(確定第1審甲39)の内容を否定するものであり、同調書の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  その後、当審においてK村及びD山の証人尋問が実施されたことを受けて、弁護人は、K村及びD山の各証言を主要な新証拠に据え、弁護人が提出した新証拠によれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げた情況証拠のうち、繊維鑑定を除き、犯行使用車両に関する事実を立証する証拠の信用性は否定されることになり、これを踏まえて事件本人が犯人ではないことを示す旧証拠を再評価すれば、その余の情況事実を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠(刑訴法435条6号)に該当するので、再審を開始すべきである旨主張している。<br> '''2''' これに対する検察官の主張は、意見書(令和4年3月31日付け)、意見書(令和6年2月13日付け)にそれぞれ記載されたとおりであり、その要旨は、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求は棄却されるべきであるというものである。<br> ===第3 当裁判所の判断=== '''1 序言'''<br>  本件再審請求において、弁護人が新証拠として提出した当審弁1、2、18ないし32、K村及びD山の各証言は、いずれも裁判所による実質的な証拠価値の判断を経たものではないから、証拠の新規性は認められる。<br>  証拠の明白性に関して、弁護人は、上記のとおりD山及びK村の各証言を主要な新証拠に据えているため、以下、これらの信用性を中心に検討し、その結果、弁護人が提出した新証拠が、関連する他の証拠の証明力に影響を及ぼすのか、ひいては確定判決における事実認定について合理的な疑いが生じ得るのか否かを検討する。なお、D山及びK村の各証言以外にも、弁護人は多数の証拠を新証拠として提出しているが、その多くは、D山及びK村の各証言の信用性を支えるものとして、補助的に位置づけることができるから、D山及びK村の各証言を主軸とする検討の中で、必要に応じて言及する。<br> '''2 D山証言について'''<br> '''(1)確定審におけるD山の供述調書の概要'''<br> '''ア''' 確定審で取り調べられたD山の供述調書は2通あり、そのうち、確定判決の事実認定の基礎とされたのは、D山の平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という。)である。本件検察官調書は、確定第1審において、検察官から「被害児童両名の登校状況」を立証趣旨として請求され、弁護人の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている。確定判決は、本件検察官調書等に基づいて、事件当日、被害者両名を最後に目撃したのはD山であると認定し、犯行現場を特定している。<br>  これとは別に、確定控訴審では、検察官から、「供述経過」を立証趣旨として、D山の平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審甲9。以下「本件警察官調書」という。)が請求され、弁護人の異議なしの意見を受けて採用され、取り調べられている。なお、本件警察官調書については、弁護人から、「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求され、検察官の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている(確定控訴審弁13。以下、本件警察官調書と本件検察官調書を併せて「本件各調書」という。)。<br> '''イ 本件警察官調書の概要は以下のとおりである。'''<br>  事件当日の平成4年2月20日当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、午前8時10分頃、車で自宅を出た。普段の通勤経路のとおり、バス通りを南下し、Fの角を右折して、裏道を西に進んだ。その道路の先は、E村E太方前で概ね南北に枝分かれする三叉路となっているところ(以下「E村方三叉路」という。)、当時、その少し手前の地点で車を停めて車内で化粧をするのが日課になっていたので、その日も同じように車を停めた。それが午前8時20分頃のことだった。化粧を始めてから何分か経った頃に、同三叉路北方の坂道から小学校低学年の女の子がやってくるのを見かけ、学校が始まっている時間なのに、まだこの辺を歩いている、遅刻するのにと思った。その少し後、別の小学校低学年の女の子がE村方三叉路付近に立っているのを見かけ、2人が一緒に学校に行っているのだと思った。午前8時30分少し前に、化粧を終えて車を発進させると、先ほどの女の子2人組がまだE村方三叉路付近を並んで歩いていた。女の子は2人とも身長が120cmくらいで、うち1人は黄色のジャンパーを着ていて、ランドセルの色が赤だった。2人が左側によけてくれたのでその横を通過し、E村方三叉路を南方に進行すると、道路右側のI村I郎方前に3台の車が駐車されていた。それらの車は、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車、ボンゴ車だったと思うが、順番ははっきりしない。さらに、その先の東西に走る飯塚市農協潤野支店が面している通りに突き当たる手前で、グレーのボンゴ車と離合した。午前8時30分頃、勤務先駐車場に車を停め、3分から5分くらい助手席に置いていた化粧品を片付けるなどしていたところ、同僚のV村V子(以下「V村」という。)が駐車場に入ってきた。その日の午後4時頃、刑事が勤務先に来たため、以上の目撃内容を話した。<br> '''ウ''' 本件検察官調書も、本件警察官調書と概ね同内容の目撃状況を述べるものである。もっとも、各時刻の表現ぶりに若干の違いがあるほか、2人の女の子を最初に目撃した際に、それぞれ別の子だと認識した理由や女の子達がD山の車をよけた方向、E村方三叉路先ですれ違った計4台の車両の特徴等については、記憶がはっきりしないとした一方、最後に離合した車の運転手の特徴を付け加えるなど、本件警察官調書とは異なる内容を述べる部分もある。<br> '''(2)D山証言の要旨'''<br>  事件当日の昼前くらいに、警察官ではなく消防隊員が勤務先に来て、行方不明になっている小学校1年生の女の子2人を見かけなかったか聞かれた。隣の席のV村に女の子なら見たことがあるよねという話をし、消防隊員もそれを聞いていたと思うが、事件当日の朝に見たという話はしていない。事件当日とは別の日に、E村方三叉路よりもずっと東側手前(F寄りのG方前)で、E村方三叉路に向かって歩く女の子2人組を追越したことはあった。女の子は2人とも、黄色のレインコートを着ていて、赤いランドセルを背負っていた。女の子を追い越した先に車が駐車されているということはなく、対向車と離合するということもなかった。<br>  被害者の遺体が発見された翌日の夕方、警察官が職場を訪ねてきて、女の子2人を目撃した状況を聞かれ、同年3月2日にも別の警察官が職場を訪ねてきて、本件警察官調書が作成された。本件警察官調書には、女の子2人を目撃したのが事件当日であったこと、E村方三叉路において、女の子1人を先に見かけ、後からもう1人が追いつく場面を目撃した後、女の子2人を追い越したこと、その先に車3台が停まっていて、その先でもう1台の車と離合したことが記載されているが、いずれも記憶と異なる内容である。警察官にもその旨を伝えたが、自分が若かったこともあり、警察官に押し切られて署名してしまった。最初の事情聴取時、警察官から車のカタログを見せられて、紺色のワゴン車を見たことがないか聞かれ、女の子を目撃した日とは別の日に黒いボンゴの車を追い越したことがあると話した。警察官からは、その車にラインが入っていなかったかも聞かれ、分からないと答えたが、これらの話は供述調書には記載されなかった。<br>  その2年後、横浜に住んでいた時に警察から連絡を受け、一度断ったが、この機に自分の記憶とは異なる内容の本件警察官調書を使わないように求めるため、再度の事情聴取に応じることにし、福岡まで赴いた。田川市にある喫茶店で、検察官ではなく警察官から事情聴取を受けたが、すでに出来上がった本件検察官調書が用意されており、記憶と違う点があると指摘したが、聞き入れてもらえず、結局署名、押印をしてしまい、同調書添付図面の作成にも応じてしまった。<br> '''(3)D山証言の信用性'''<br> '''ア''' D山証言は、本件各調書の内容を正面から否定し、大きく分けて、〔1〕女の子2名の目撃日時、〔2〕目撃位置、内容、〔3〕目撃時における周辺の駐車車両の有無の3点につき、本件各調書の内容を正すことを主眼とするものである。D山は、このような供述の変遷が生じた理由について、当初から、捜査機関に対し、当審において証言した内容を記憶どおりに話し、本件各調書の内容が自身の記憶とは異なるものであることを伝えたものの、捜査官に押し切られ、本件各調書が作成されてしまった旨述べる。そこで、まずD山が述べるとおり、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性があるのかという観点から検討を進める。<br>  まず、本件警察官調書が作成されたのは、事件発生から約10日後の平成4年3月2日であり、捜査初期で、客観的証拠や他の目撃者の存否を含め未だ捜査が流動的な状況下において、警察官が、曖昧さの残る供述を断定的な表現に改めるだけならまだしも、目撃日時、場所から内容に至るまで、その供述全般についてD山の記憶とは異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって、必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としかいいようがない。そもそも、行方不明の女の子が捜索されているという状況において、D山が、別の日に登校途中の女の子を見かけたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、あまりにも不自然といわざるを得ず、警察官がこのような捏造を行うというのは考え難い。これに対し、弁護人は、折に触れて、本件では、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張する。しかし、D山の本件各調書の内容を見ても、事件本人が本件に関わっていることをうかがわせるものはない。関係証拠によれば、X田やW田らが、事件当日、E村方三叉路付近において、事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述しているが、同人らがそのような供述をし始めたのは、平成4年の夏頃になってからであると認められ、それ以前に、E村方三叉路と事件本人とを結び付ける証拠はなかったのであるから、捜査機関が、本件警察官調書作成時において、E村方三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書は、その内容としても、目撃時における女の子らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら、詳細に述べるものである。いつものように車を止めて化粧をしていると、1人の女の子を見かけ、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女の子が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、弁護人の指摘するとおり、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、被害者B山が、被害者A田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、すでに捜査機関において入手済みの情報であった可能性があり、警察官が、これらの情報に基づいてD山を誘導し、本件警察官調書を作成することが不可能であったとまではいい難い。しかし、本件警察官調書によれば、I村I郎方前路上に3台の駐車車両があり、その先にもさらにもう1台の車両が停車していたというのであるが、これは、駐車車両の台数の点で、V村やX田等の供述内容と明らかに整合しない(確定判決37、38頁参照。)。警察官が、E村方三叉路付近に駐車車両はなかった旨のD山の供述を稔じ曲げ、事前に入手した情報に基づいて、D山がI村I郎方前路上において複数の駐車車両と離合した旨の調書を強引に作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX田らの供述と整合するような内容にするのが自然である。そうすると、このような齟齬は、D山の記憶違いを示すものである反面、裏を返せば、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けるものでもあり、弁護人の指摘を踏まえても、やはり警察官の手で創作されたとは考えられない。<br>  さらに、本件検察官調書については、本件警察官調書と概ね同内容のものであるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な供述にとどまる部分が散見される。このように、本件検察官調書の記載内容からは、事件発生から2年以上の時間が経過したことに伴う記憶の減退が反映されたことが見受けられ、D山が証言するように、D山から改めて事情を聞くことなく、予め捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  以上のとおり、本件警察官調書作成時において、捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見出せないことに加え、本件各調書の内容としても、捜査機関がD山の供述内容を歪めて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''イ''' また、D山証言については、弁護人が当審の当初に新証拠として提出した弁護人作成のD山の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)と比較しても、女の子2名の目撃供述に関し、その重要部分に変遷が見受けられる。すなわち、同供述録取書においては、〔1〕目撃日時に関して、女の子らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたにもかかわらず、令和5年11月28日に実施された証人尋問においては、明確に事件当日ではないと否定している点、〔2〕目撃場所に関して、女の子らの横を通り過ぎたのが、本件警察官調書のとおりE村方三叉路であったと述べていたにもかかわらず、証言においては、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている点の2点について、変遷している。これらの変遷は、いつ、どこで女の子らを目撃したのかという、目撃供述の根幹を成す部分について生じているものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているというのであれば、同供述録取書を作成してから証言するまでの間にこのような変遷を辿るとは考え難い。<br>  この点、D山は、同供述録取書作成時に、弁護人に対して、当審における証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人もこれに沿う形で、D山証言と同供述録取書の内容に相違が生じた原因につき、〔1〕目撃日時については、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容とを弁護人が混同したためであり、〔2〕目撃場所については、D山が、本件再審請求に協力するにあたって、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかしながら、〔1〕目撃日時、〔2〕場所のいずれについても、目撃供述の根幹部分に関するものであり、D山の本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、目撃日時、場所に関する記憶や書面の内容を丁寧に確認するのが通常である。それにもかかわらず,上記供述録取書には、根幹部分に複数個所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的な説明とはいい難い。また、〔2〕目撃場所に関し、D山は、同供述録取書において、女の子らを目撃する直前に、自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女の子らを追越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしているのである。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女の子らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正を加えることができているのに、後者についてのみ適切に本件警察官調書を訂正することができなかったというのは、気が動転していたというだけでは、合理的な説明にならない。<br>  以上のとおり、D山は弁護人作成の供述録取書からも、合理的な理由を提示することなく、核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。付言すると、D山は、事件当日に女の子らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に対して目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっているのではないかと感じられる。その上で、上記のとおり弁護人作成の供述録取書からでさえ、供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっていると考えざるを得ない。 <br>  なお、D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、かかる供述は、当審弁2の供述録取書に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に弁護人が作成した供述録取書(令和5年10月13日付け、当審弁30)にも記載されていないものである。D山は、証人尋問の1週間程前、そのような質問をされたことなどを不意に思い出した旨述べるが、供述経過に不自然な感が否めず、この点も容易く信用することはできない。<br> '''ウ''' ここまで述べたような検討を踏まえると、D山が述べるように、捜査機関が、目撃状況に関する供述を歪曲させてまで、D山の記憶とは異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するにあたって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、当審におけるD山証言は信用できない。<br>  弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、自らの記憶と異なる供述調書を作成されたことが、事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山証言は十分に信用できるとも主張するが、そのことは前記判断に影響しない。弁護人は、D山証言を信用できる理由について、その他にも様々主張するが、これらを踏まえても、D山証言を信用することができないという前記結論は左右されない。<br> '''(4)現場再現実験報告書(当審弁26)について'''<br> '''ア''' 弁護人は、D山証言のほか、本件各調書の信用性を弾劾する新証拠として、弁護人作成の現場再現実験報告書(当審弁26。以下「本件報告書」という。)も提出しているから、その内容についてここで検討を加えておく。<br>  本件報告書は、弁護人が、確定判決の事実認定に従って、被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験(以下「本件再現実験」という。)すると、関係者の目撃状況等に矛盾が生じるなどと報告するものである。本件再現実験の具体的内容としては、以下の2つの場面を再現するものである。<br> 〔1〕D山がE村方三叉路において女の子2名をよけ、I村I郎方前路上に駐車された、X島X太(以下「X島」という。)及びW田の各使用車両2台(E村方三叉路に近い方からX島車、W田車の順)の横を通過し、その後方で停止していたX田車と離合した後、X田が車を発進させ、E村方三叉路が見え始める地点(本件報告書によれば、X田がW田車の脇を通過した地点)まで移動した場面<br> 〔2〕X田がW田車の横を通過した後、X島車の後ろに停車して、E村方三叉路から進行してきたV村車と離合した場面<br>  本件報告書は、〔1〕の場面につき、D山が女の子らをよけた時点(以下「基準時」という。)からX田がE村方三叉路が見える地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、X田は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とX田の供述は矛盾しているとする。また、〔2〕の場面については、基準時からV村がE村方三叉路及びその北方の道路を見通せる地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、V村は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とV村の供述は矛盾しているとした上、さらに基準時からV村がD山が女の子らをよけた地点を通過するまでの時間も測定し(本件報告書によれば21秒)、D山が女の子らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っていると指摘する。<br> '''イ''' しかしながら、以下の理由から、本件再現実験から本件報告書の結論を導くことはできないというべきである。<br>  本件再現実験は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証するものであるが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。<br>  まず、被害者両名については、2地点での目撃時刻から平均移動速度(秒速約0.75m)を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定している。このうち、平原バス停付近での目撃時刻は後日表示が正確であると確認された車の時計を見たというので正確であるといえるが、E村方三叉路付近におけるD山の目撃時刻はおおよそのものにすぎない。前述したように、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名が、それぞれの自宅からE村方三叉路に至るまで、普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、E村方三叉路付近でD山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。そうすると、被害者両名の平均移動速度を算出してそれをD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性があるとはいえない。<br>  また、本件再現実験においては、X田がX島車の後ろに停車すると同時に、V村車と離合した、すなわち、X田が停車した時点でV村車が直近に迫っていたものとされ、そこから逆算して、関係車両の移動状況や各経過時間が算定されている。しかし、その前提が正しいのかについても疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、右側に3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。また、X田、X島及びW田の証言等からすると、X田はいったん自車をH車の後ろに車間距離を詰めて道路左端に寄せて止めたものの、W田から通行の支障になる旨言われ、対向してきたV村車と離合した後、自車を前方に移動させているが、X田も、自車をH車の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。これらのことからすると、少なくともX田がX島車の後ろに自車を停車させた時点でV村車が本件再現実験で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  なお、確定判決は、「X田がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だった」と説示している(確定判決37~38頁。なお、V田はV村が改姓したもの。)が、関係者の証言内容に加え、上記説示は、D山供述のうち、I村I郎方前路上において3台の駐車車両と離合したという点はD山の記憶違いであることを論証する部分であることからすると、上記説示での「直後」という文言は、X田が一旦X島車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に、離合した対向車はV村車の1台のみであり、D山車が同所においてX田車と離合するタイミングはなかったことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br>  さらに、自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定したものであるが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> ウ 以上のとおり、本件再現実験から本件報告書記載の結論を導くことはできないから、本件報告書をもって、本件各調書の内容が不合理であるということはできず、D山証言を信用できるということもできない。<br> '''(5)本件各調書の信用性への影響'''<br>  以上の検討を踏まえると、本件各調書の内容を否定するD山証言は信用できるものではなく、また、本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書も当を得ないものであるから、これらによって本件各調書の信用性が減殺されることはない。したがって、確定判決の事実認定の用に供された本件検察官調書について、その供述内容を基本的に信用できるとした確定判決の認定は揺らがない。<br> '''3 K村証言について'''<br> '''(1)K村証言の要旨'''<br>  事件当日の平成4年2月20日、δにある取引先に集金に行き、その帰り道、八木山バイパスを飯塚市方面から福岡市方面に通行中、穂波西インター先の片側2車線になった辺りで、時速40km未満でゆっくり走る白のライトバンを右方から追い越した。時刻ははっきり覚えていないが、午前9時40分過ぎか午前10時40分過ぎだと思う。追い越す際、後部座席で、赤いランドセルを背負い、おかっぱ頭をした小学校1年生の女の子が、真横を向いて自分のことを見ているのが目に入った。その女の子の表情は、見たこともないくらいこわばっていて、おびえているようであった。また、後部座席には、もう1人別の女の子が横たわっていて、その横にはランドセルが置かれていた。白のライトバンの運転手は、坊主頭で、色白の小柄な男であり、年齢は35歳前後に見えた。<br>  その日の夕方、本件の報道を知って、自分が目撃した女の子が誘拐された女の子なのではないかと思い、翌日、飯塚警察署に電話した。何日か経ってから警察官が訪ねてきて、目撃内容を全て説明したが、警察官は、目撃した車両が紺色のワンボックスカーではなかったかなどの質問をして帰っていった。<br>  後日、本件の公判を傍聴し、事件本人の外見を確認したが、自分が目撃した白のライトバンの運転手とは違う人だった。また、平成30年に、Lの記者から被害者両名の写真を見せてもらったことがあったが、被害者両名は、自分が目撃した女の子と似ていると感じた。<br> '''(2)K村証言の信用性'''<br> '''ア''' K村は、事件当日、女の子2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその女の子2人は間違いなく被害者両名と同じ小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。しかし、目撃した女の子2名の特徴については、2人とも髪型がおかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、目撃した女の子2名と被害者両名のどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、両者を似ていると判断した具体的根拠を全く示すことができていない。そもそも、K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女の子2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていた女の子でさえ、その顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1人の女の子にいたっては同車内で横たわっていたというのであり、その顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、その女の子の特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  なお、K村は、目撃した女の子2名の特徴として、小学校1年生であったことを挙げるものの、その根拠については、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきりわかる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。当然のことながら、同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によって区々であり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女の子らを短時間目撃しただけで、女の子らの全身を見たわけでもなく、直接会話などをしたわけでもないのであるから、そのような断定をする根拠は甚だ薄弱である。<br>  また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、被害者両名の相違についても相応の供述ができてしかるべきであるが、K村供述にはそのような内容はない。顔貌のみならず、髪形、服装等被害者両名には当然のことながら相違点があるが、その指摘はない。K村は、被害者両名のランドセルの色について、2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名の実際のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯しうる説明はない。<br>  さらに、K村証言は、ほかの目撃供述と対比しても不自然である。すなわち、被害者両名は、事件当日、D山を含む複数の者に目撃されているところ、面識がない被害者について、その顔の特徴を明確に記憶し、供述するものはなく、大まかな年齢や服装、所持品等の特徴に言及するものがあるにとどまる。このように、年齢や服装などといった概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われる。それにもかかわらず、K村は、逆に目撃した女の子らの服装などについてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目撃した女の子らの目につきやすい特徴については記憶がないのに、本件から26年以上が経った今でも、車で追い越しざまに目撃した面識のない女の子2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない。<br>  以上によれば、女の子2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に、顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は到底信用し難い。<br> '''イ''' 加えて、K村は、女の子らを目撃した時刻についても、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をするにとどまっている。しかも、目撃時刻については、令和2年1月23日付けの供述書(当審弁1)では、午前11時前後と述べていたのに、証人尋問(令和5年5月31日実施)の約3週間前の令和5年5月6日付けの供述録取書(当審弁28)では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では、前記のとおり午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うと述べ、目撃時刻が次第に早まっている。一度目の変遷については、δにある取引先に、自宅(古賀市)から会社(春日市)を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると、自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。以上によれば、K村の供述は、目撃時刻に関しても、容易く信用できない。<br> '''ウ''' これに対し、弁護人は、K村が取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視したことや、女の子の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いたこと、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復、継続していたことなどを指摘し、K村証言は信用できると主張する。しかし、仮に弁護人が指摘するような事情によって、K村が目撃した女の子らの顔貌を明確に記憶し、その後もその記憶を維持していたのであれば、少なからず女の子らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、上記のとおりK村は曖昧な供述に終始している上、前述したような変遷も生じているのであって、弁護人の指摘を踏まえても、K村証言の信用性判断に変わりはない。<br>  以上のとおり、K村証言は、目撃内容についても目撃時刻についても信用できない。<br> '''エ''' また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は被害者両名を略取又は誘拐した後、いったん八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことが想定されるが、犯人の行動として不自然な感を否めない。<br> '''(3)''' 以上のとおりであり、K村証言は信用できず、女の子2名を目撃したことを前提としたとしても、被害者両名であるという合理的な疑いは生じないというべきであって、事件本人が犯人であると認定した確定判決の認定判断に影響しない。<br> '''4 小括'''<br>  ここまで、D山及びK村の各証言を中心に、本件再審請求において提出された新証拠について検討してきたが、D山証言や本件報告書によって本件各調書の信用性が減殺されることはなく、K村証言を踏まえても、事件本人とは別の人物が犯人である合理的疑いは生じない。弁護人はその他縷々主張するが、これを踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠が、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、情況事実の総合評価の結論を左右することもない。したがって、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているという結論は揺らがず、本件再審請求において提出された新証拠は、いずれも明白性が認められない。<br> '''5 結論'''  以上のとおり、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑訴法447条1項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。<br> 令和6年6月5日<br> 福岡地方裁判所第4刑事部<br> 裁判長裁判官 鈴嶋晋一 <br> 裁判官 田野井蔵人 <br> 裁判官 中元隆太<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} 73v8o0csmxb4t76tslzij7y3uzbuppz 246543 246538 2026-10-11T16:03:32Z ろづき 28406 246543 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡地方裁判所令和3年(た)第3号 |year=2024 |notes= * 掲載TKC/DB25620263、Westlaw Japan2024WLJPCA06059003。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80437.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の抗告審は、[[福岡高等裁判所令和6年(く)第97号|第2審決定]]。 }} 福岡地方裁判所令和3年(た)第3号<br> 令和6年6月5日第4刑事部決定 ==決定== 申立人(請求人) 久間C子<br> <br>  亡久間三千年に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、上記請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人、弁護人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 ==主文== 本件再審請求を棄却する。<br> ==理由== ===第1 確定判決の概要及びその証拠構造等=== '''1 判決確定に至るまでの経緯等'''<br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という。)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件について、死刑に処する旨の有罪判決を受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所において上告棄却の判決を受けて、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。)。事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。<br> '''2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨'''<br>  事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字(中略)番地の(中略)付近路上において、小学校に登校中のA田A子(当時7歳。以下「被害者A田」という。)及びB山B子(当時7歳。以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という。)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という。)に乗車させ、通学路外に連れ出して、被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は、同日午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後同日午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。<br> '''3 確定判決の証拠構造等'''<br>  確定判決は、本件において事件本人と犯行との結び付きを証明する直接証拠は存在せず、個々の情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるとした上で、主として以下のような情況事実を根拠とし、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることは、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。<br> '''(1)''' T田T男(以下「T田T男」という。)、X田X男(以下「X田」という。)及びW田W男(以下「W田」という。)らの供述によれば,本件犯行の犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色ワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが張ってあるなどの特徴を有しており、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、事件本人は、前記車両と特徴を同じくする車両(事件本人車)を所有し、かつ、前記失踪場所等に土地鑑を有すること<br> '''(2)''' 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと<br> '''(3)''' 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに失禁と出血が生じたと認められ、事件本人が犯人であるとすれば、前記血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること<br> '''(4)''' 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること<br> '''(5)''' 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること<br> '''(6)''' 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性があり、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと<br> '''4 本件再審請求に至るまでの経緯'''<br> '''(1)''' 事件本人の妻である請求人は、平成21年10月28日、福岡地方裁判所に対し、確定判決について再審請求(以下「第1次再審請求」という。)をした。第1次再審請求において、弁護人は、主要な新証拠として、科警研が実施した前記血液型鑑定及びDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性を否定するため、〔1〕本田克也教授作成の鑑定書等、〔2〕いわゆる足利事件の再審判決並びにそれに関する最高検察庁作成の報告書、水口清教授作成の意見書及び玉木敬二教授作成の意見書を提出し、T田T男の目撃供述の信用性を否定するため、〔3〕嚴島行雄教授作成の鑑定書(以下「嚴島行雄第2次鑑定書」という。)、司法警察員K1、同K2作成の報告書(以下「K1報告書」という。)及び同K3作成の報告書(以下「K3報告書」という。)を提出した。<br> '''(2)''' これに対し、福岡地方裁判所は、平成26年3月31日、概要、以下のとおり説示し、第1次再審請求を棄却した。 <br> '''ア T田T男の目撃供述について'''<br>  T田T男は、確定審において、事件当日の午前11時頃、八丁峠の遺留品発見現場付近路上において、事件本人車と同様の特徴を有する不審車両が停車しているのを目撃したと証言している。嚴島行雄教授は、T田T男の目撃再現実験を実施したが、その実験条件は、重要な点においてなおT田T男の目撃条件とは異なっており、同実験に基づく嚴島行雄第2次鑑定書の内容を踏まえても、T田T男がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとはいえない。また、同鑑定書は、確定控訴審が指摘しているT田T男供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。したがって、嚴島行雄第2次鑑定書に明白性は認められない。<br>  また、K1報告書及びK3報告書の各記載からは、T田T男の警察官調書を作成したK1警察官が、それに先立って事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。しかし、K3報告書によれば、さらにその以前から、T田T男が、目撃車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、T田T男は、それ以前に、知人に対しても、目撃車両の特徴について、紺色ダブルタイヤのワゴン車である旨述べていた事実も認められる。これらを踏まえると、K1警察官がT田T男に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、K1報告書及びK3報告書にも明白性は認められない。<br> '''イ 科警研が実施した鑑定について'''<br>  まず、科警研が実施した血液型鑑定について、本田克也教授は種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、これらの指摘はいずれも採用できない。<br>  科警研が実施したMCT118型鑑定(DNA型鑑定)についても、本田克也教授による指摘の多くは採用できない。もっとも、本田克也教授の鑑定書等によれば、塩基配列の反復回数の測定方法が改善された結果、事件本人の正確なMCT118型が18-30型であることが明らかになった一方、犯人由来と思われる血液の正確なMCT118型は18-29型、18-30型又は18-31型のいずれかに当たり得るとしかいえず、両者が一致するか否かを確定することはできない。そうすると、現段階において、科警研のMCT118型鑑定が、事件本人と犯人由来と思われる血液のMCT118型が一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。<br>  また、足利事件の再審判決は、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性を一般的に判示したものでないことは明らかであり、同判決に関する最高検察庁作成の報告書や玉木敬二教授、水口清教授の各意見書も、本件の科警研の鑑定を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって、本件の科警研の鑑定の証拠能力が否定されることにはならない。<br> '''ウ 新旧全証拠による総合評価について'''<br>  確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはない。本件では、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする科警研の鑑定の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるが、本田克也教授の鑑定書等の内容を考慮しても、科警研のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまり、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する評価に影響を及ぼすものではない。したがって、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められない。<br> '''(3)''' これに対し、請求人は即時抗告したが、福岡高等裁判所は、平成30年2月6日、即時抗告を棄却し、最高裁判所は、令和3年4月21日、請求人の特別抗告を棄却した。<br> ===第2 再審請求の趣旨及び理由等=== '''1''' 本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(令和3年7月9日付け)、再審請求理由補充書(令和5年2月17日付け)、再審請求理由補充書(同年7月4日付け)、再審請求事由補充書(同年12月8日付け)、再審理由総括書面(令和6年1月31日付け)、飯塚事件第2次再審請求における請求人の主張の総括(同年2月15日付け)、飯塚事件第二次再審請求における請求人の主張の総括(同年3月1日付け)、意見書(同年3月19日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。<br>  弁護人は、本件再審請求において、当初、K村K男(以下「K村」という。)の供述書(令和2年1月23日付け、当審弁1)及びD山D子(以下「D山」という。)の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)の2つを主要な新証拠として提出した。<br>  まず、K村の供述書(当審弁1)は、同人が、事件当日、被害者両名と似た女の子2名が乗っている不審車両を目撃しており、同車両運転手という、事件本人とは別の人物が犯人である可能性があることを立証しようとするものである。<br>  次に、D山の供述録取書(当審弁2)は、確定判決が有罪認定の根拠とした、自身の供述調書(確定第1審甲39)の内容を否定するものであり、同調書の信用性が否定されることを立証しようとするものである。<br>  その後、当審においてK村及びD山の証人尋問が実施されたことを受けて、弁護人は、K村及びD山の各証言を主要な新証拠に据え、弁護人が提出した新証拠によれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げた情況証拠のうち、繊維鑑定を除き、犯行使用車両に関する事実を立証する証拠の信用性は否定されることになり、これを踏まえて事件本人が犯人ではないことを示す旧証拠を再評価すれば、その余の情況事実を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠(刑訴法435条6号)に該当するので、再審を開始すべきである旨主張している。<br> '''2''' これに対する検察官の主張は、意見書(令和4年3月31日付け)、意見書(令和6年2月13日付け)にそれぞれ記載されたとおりであり、その要旨は、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求は棄却されるべきであるというものである。<br> ===第3 当裁判所の判断=== '''1 序言'''<br>  本件再審請求において、弁護人が新証拠として提出した当審弁1、2、18ないし32、K村及びD山の各証言は、いずれも裁判所による実質的な証拠価値の判断を経たものではないから、証拠の新規性は認められる。<br>  証拠の明白性に関して、弁護人は、上記のとおりD山及びK村の各証言を主要な新証拠に据えているため、以下、これらの信用性を中心に検討し、その結果、弁護人が提出した新証拠が、関連する他の証拠の証明力に影響を及ぼすのか、ひいては確定判決における事実認定について合理的な疑いが生じ得るのか否かを検討する。なお、D山及びK村の各証言以外にも、弁護人は多数の証拠を新証拠として提出しているが、その多くは、D山及びK村の各証言の信用性を支えるものとして、補助的に位置づけることができるから、D山及びK村の各証言を主軸とする検討の中で、必要に応じて言及する。<br> '''2 D山証言について'''<br> '''(1)確定審におけるD山の供述調書の概要'''<br> '''ア''' 確定審で取り調べられたD山の供述調書は2通あり、そのうち、確定判決の事実認定の基礎とされたのは、D山の平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という。)である。本件検察官調書は、確定第1審において、検察官から「被害児童両名の登校状況」を立証趣旨として請求され、弁護人の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている。確定判決は、本件検察官調書等に基づいて、事件当日、被害者両名を最後に目撃したのはD山であると認定し、犯行現場を特定している。<br>  これとは別に、確定控訴審では、検察官から、「供述経過」を立証趣旨として、D山の平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審甲9。以下「本件警察官調書」という。)が請求され、弁護人の異議なしの意見を受けて採用され、取り調べられている。なお、本件警察官調書については、弁護人から、「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求され、検察官の同意の意見を受けて採用され、取り調べられている(確定控訴審弁13。以下、本件警察官調書と本件検察官調書を併せて「本件各調書」という。)。<br> '''イ 本件警察官調書の概要は以下のとおりである。'''<br>  事件当日の平成4年2月20日当時、飯塚市農協潤野支店に勤務しており、午前8時10分頃、車で自宅を出た。普段の通勤経路のとおり、バス通りを南下し、Fの角を右折して、裏道を西に進んだ。その道路の先は、E村E太方前で概ね南北に枝分かれする三叉路となっているところ(以下「E村方三叉路」という。)、当時、その少し手前の地点で車を停めて車内で化粧をするのが日課になっていたので、その日も同じように車を停めた。それが午前8時20分頃のことだった。化粧を始めてから何分か経った頃に、同三叉路北方の坂道から小学校低学年の女の子がやってくるのを見かけ、学校が始まっている時間なのに、まだこの辺を歩いている、遅刻するのにと思った。その少し後、別の小学校低学年の女の子がE村方三叉路付近に立っているのを見かけ、2人が一緒に学校に行っているのだと思った。午前8時30分少し前に、化粧を終えて車を発進させると、先ほどの女の子2人組がまだE村方三叉路付近を並んで歩いていた。女の子は2人とも身長が120cmくらいで、うち1人は黄色のジャンパーを着ていて、ランドセルの色が赤だった。2人が左側によけてくれたのでその横を通過し、E村方三叉路を南方に進行すると、道路右側のI村I郎方前に3台の車が駐車されていた。それらの車は、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車、ボンゴ車だったと思うが、順番ははっきりしない。さらに、その先の東西に走る飯塚市農協潤野支店が面している通りに突き当たる手前で、グレーのボンゴ車と離合した。午前8時30分頃、勤務先駐車場に車を停め、3分から5分くらい助手席に置いていた化粧品を片付けるなどしていたところ、同僚のV村V子(以下「V村」という。)が駐車場に入ってきた。その日の午後4時頃、刑事が勤務先に来たため、以上の目撃内容を話した。<br> '''ウ''' 本件検察官調書も、本件警察官調書と概ね同内容の目撃状況を述べるものである。もっとも、各時刻の表現ぶりに若干の違いがあるほか、2人の女の子を最初に目撃した際に、それぞれ別の子だと認識した理由や女の子達がD山の車をよけた方向、E村方三叉路先ですれ違った計4台の車両の特徴等については、記憶がはっきりしないとした一方、最後に離合した車の運転手の特徴を付け加えるなど、本件警察官調書とは異なる内容を述べる部分もある。<br> '''(2)D山証言の要旨'''<br>  事件当日の昼前くらいに、警察官ではなく消防隊員が勤務先に来て、行方不明になっている小学校1年生の女の子2人を見かけなかったか聞かれた。隣の席のV村に女の子なら見たことがあるよねという話をし、消防隊員もそれを聞いていたと思うが、事件当日の朝に見たという話はしていない。事件当日とは別の日に、E村方三叉路よりもずっと東側手前(F寄りのG方前)で、E村方三叉路に向かって歩く女の子2人組を追越したことはあった。女の子は2人とも、黄色のレインコートを着ていて、赤いランドセルを背負っていた。女の子を追い越した先に車が駐車されているということはなく、対向車と離合するということもなかった。<br>  被害者の遺体が発見された翌日の夕方、警察官が職場を訪ねてきて、女の子2人を目撃した状況を聞かれ、同年3月2日にも別の警察官が職場を訪ねてきて、本件警察官調書が作成された。本件警察官調書には、女の子2人を目撃したのが事件当日であったこと、E村方三叉路において、女の子1人を先に見かけ、後からもう1人が追いつく場面を目撃した後、女の子2人を追い越したこと、その先に車3台が停まっていて、その先でもう1台の車と離合したことが記載されているが、いずれも記憶と異なる内容である。警察官にもその旨を伝えたが、自分が若かったこともあり、警察官に押し切られて署名してしまった。最初の事情聴取時、警察官から車のカタログを見せられて、紺色のワゴン車を見たことがないか聞かれ、女の子を目撃した日とは別の日に黒いボンゴの車を追い越したことがあると話した。警察官からは、その車にラインが入っていなかったかも聞かれ、分からないと答えたが、これらの話は供述調書には記載されなかった。<br>  その2年後、横浜に住んでいた時に警察から連絡を受け、一度断ったが、この機に自分の記憶とは異なる内容の本件警察官調書を使わないように求めるため、再度の事情聴取に応じることにし、福岡まで赴いた。田川市にある喫茶店で、検察官ではなく警察官から事情聴取を受けたが、すでに出来上がった本件検察官調書が用意されており、記憶と違う点があると指摘したが、聞き入れてもらえず、結局署名、押印をしてしまい、同調書添付図面の作成にも応じてしまった。<br> '''(3)D山証言の信用性'''<br> '''ア''' D山証言は、本件各調書の内容を正面から否定し、大きく分けて、〔1〕女の子2名の目撃日時、〔2〕目撃位置、内容、〔3〕目撃時における周辺の駐車車両の有無の3点につき、本件各調書の内容を正すことを主眼とするものである。D山は、このような供述の変遷が生じた理由について、当初から、捜査機関に対し、当審において証言した内容を記憶どおりに話し、本件各調書の内容が自身の記憶とは異なるものであることを伝えたものの、捜査官に押し切られ、本件各調書が作成されてしまった旨述べる。そこで、まずD山が述べるとおり、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性があるのかという観点から検討を進める。<br>  まず、本件警察官調書が作成されたのは、事件発生から約10日後の平成4年3月2日であり、捜査初期で、客観的証拠や他の目撃者の存否を含め未だ捜査が流動的な状況下において、警察官が、曖昧さの残る供述を断定的な表現に改めるだけならまだしも、目撃日時、場所から内容に至るまで、その供述全般についてD山の記憶とは異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって、必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としかいいようがない。そもそも、行方不明の女の子が捜索されているという状況において、D山が、別の日に登校途中の女の子を見かけたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、あまりにも不自然といわざるを得ず、警察官がこのような捏造を行うというのは考え難い。これに対し、弁護人は、折に触れて、本件では、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張する。しかし、D山の本件各調書の内容を見ても、事件本人が本件に関わっていることをうかがわせるものはない。関係証拠によれば、X田やW田らが、事件当日、E村方三叉路付近において、事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述しているが、同人らがそのような供述をし始めたのは、平成4年の夏頃になってからであると認められ、それ以前に、E村方三叉路と事件本人とを結び付ける証拠はなかったのであるから、捜査機関が、本件警察官調書作成時において、E村方三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書は、その内容としても、目撃時における女の子らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら、詳細に述べるものである。いつものように車を止めて化粧をしていると、1人の女の子を見かけ、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女の子が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、弁護人の指摘するとおり、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、被害者B山が、被害者A田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、すでに捜査機関において入手済みの情報であった可能性があり、警察官が、これらの情報に基づいてD山を誘導し、本件警察官調書を作成することが不可能であったとまではいい難い。しかし、本件警察官調書によれば、I村I郎方前路上に3台の駐車車両があり、その先にもさらにもう1台の車両が停車していたというのであるが、これは、駐車車両の台数の点で、V村やX田等の供述内容と明らかに整合しない(確定判決37、38頁参照。)。警察官が、E村方三叉路付近に駐車車両はなかった旨のD山の供述を稔じ曲げ、事前に入手した情報に基づいて、D山がI村I郎方前路上において複数の駐車車両と離合した旨の調書を強引に作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX田らの供述と整合するような内容にするのが自然である。そうすると、このような齟齬は、D山の記憶違いを示すものである反面、裏を返せば、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けるものでもあり、弁護人の指摘を踏まえても、やはり警察官の手で創作されたとは考えられない。<br>  さらに、本件検察官調書については、本件警察官調書と概ね同内容のものであるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な供述にとどまる部分が散見される。このように、本件検察官調書の記載内容からは、事件発生から2年以上の時間が経過したことに伴う記憶の減退が反映されたことが見受けられ、D山が証言するように、D山から改めて事情を聞くことなく、予め捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  以上のとおり、本件警察官調書作成時において、捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見出せないことに加え、本件各調書の内容としても、捜査機関がD山の供述内容を歪めて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''イ''' また、D山証言については、弁護人が当審の当初に新証拠として提出した弁護人作成のD山の供述録取書(平成30年5月16日付け、当審弁2)と比較しても、女の子2名の目撃供述に関し、その重要部分に変遷が見受けられる。すなわち、同供述録取書においては、〔1〕目撃日時に関して、女の子らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたにもかかわらず、令和5年11月28日に実施された証人尋問においては、明確に事件当日ではないと否定している点、〔2〕目撃場所に関して、女の子らの横を通り過ぎたのが、本件警察官調書のとおりE村方三叉路であったと述べていたにもかかわらず、証言においては、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている点の2点について、変遷している。これらの変遷は、いつ、どこで女の子らを目撃したのかという、目撃供述の根幹を成す部分について生じているものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているというのであれば、同供述録取書を作成してから証言するまでの間にこのような変遷を辿るとは考え難い。<br>  この点、D山は、同供述録取書作成時に、弁護人に対して、当審における証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人もこれに沿う形で、D山証言と同供述録取書の内容に相違が生じた原因につき、〔1〕目撃日時については、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容とを弁護人が混同したためであり、〔2〕目撃場所については、D山が、本件再審請求に協力するにあたって、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかしながら、〔1〕目撃日時、〔2〕場所のいずれについても、目撃供述の根幹部分に関するものであり、D山の本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、目撃日時、場所に関する記憶や書面の内容を丁寧に確認するのが通常である。それにもかかわらず,上記供述録取書には、根幹部分に複数個所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的な説明とはいい難い。また、〔2〕目撃場所に関し、D山は、同供述録取書において、女の子らを目撃する直前に、自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女の子らを追越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしているのである。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女の子らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正を加えることができているのに、後者についてのみ適切に本件警察官調書を訂正することができなかったというのは、気が動転していたというだけでは、合理的な説明にならない。<br>  以上のとおり、D山は弁護人作成の供述録取書からも、合理的な理由を提示することなく、核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。付言すると、D山は、事件当日に女の子らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に対して目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっているのではないかと感じられる。その上で、上記のとおり弁護人作成の供述録取書からでさえ、供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっていると考えざるを得ない。 <br>  なお、D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、かかる供述は、当審弁2の供述録取書に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に弁護人が作成した供述録取書(令和5年10月13日付け、当審弁30)にも記載されていないものである。D山は、証人尋問の1週間程前、そのような質問をされたことなどを不意に思い出した旨述べるが、供述経過に不自然な感が否めず、この点も容易く信用することはできない。<br> '''ウ''' ここまで述べたような検討を踏まえると、D山が述べるように、捜査機関が、目撃状況に関する供述を歪曲させてまで、D山の記憶とは異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するにあたって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、当審におけるD山証言は信用できない。<br>  弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、自らの記憶と異なる供述調書を作成されたことが、事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山証言は十分に信用できるとも主張するが、そのことは前記判断に影響しない。弁護人は、D山証言を信用できる理由について、その他にも様々主張するが、これらを踏まえても、D山証言を信用することができないという前記結論は左右されない。<br> '''(4)現場再現実験報告書(当審弁26)について'''<br> '''ア''' 弁護人は、D山証言のほか、本件各調書の信用性を弾劾する新証拠として、弁護人作成の現場再現実験報告書(当審弁26。以下「本件報告書」という。)も提出しているから、その内容についてここで検討を加えておく。<br>  本件報告書は、弁護人が、確定判決の事実認定に従って、被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験(以下「本件再現実験」という。)すると、関係者の目撃状況等に矛盾が生じるなどと報告するものである。本件再現実験の具体的内容としては、以下の2つの場面を再現するものである。<br> 〔1〕D山がE村方三叉路において女の子2名をよけ、I村I郎方前路上に駐車された、X島X太(以下「X島」という。)及びW田の各使用車両2台(E村方三叉路に近い方からX島車、W田車の順)の横を通過し、その後方で停止していたX田車と離合した後、X田が車を発進させ、E村方三叉路が見え始める地点(本件報告書によれば、X田がW田車の脇を通過した地点)まで移動した場面<br> 〔2〕X田がW田車の横を通過した後、X島車の後ろに停車して、E村方三叉路から進行してきたV村車と離合した場面<br>  本件報告書は、〔1〕の場面につき、D山が女の子らをよけた時点(以下「基準時」という。)からX田がE村方三叉路が見える地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、X田は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とX田の供述は矛盾しているとする。また、〔2〕の場面については、基準時からV村がE村方三叉路及びその北方の道路を見通せる地点に到達するまでの時間を測定し、被害者両名の平均移動速度を踏まえると、V村は同地点において女の子らを目撃可能であったから、D山とV村の供述は矛盾しているとした上、さらに基準時からV村がD山が女の子らをよけた地点を通過するまでの時間も測定し(本件報告書によれば21秒)、D山が女の子らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っていると指摘する。<br> '''イ''' しかしながら、以下の理由から、本件再現実験から本件報告書の結論を導くことはできないというべきである。<br>  本件再現実験は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証するものであるが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。<br>  まず、被害者両名については、2地点での目撃時刻から平均移動速度(秒速約0.75m)を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定している。このうち、平原バス停付近での目撃時刻は後日表示が正確であると確認された車の時計を見たというので正確であるといえるが、E村方三叉路付近におけるD山の目撃時刻はおおよそのものにすぎない。前述したように、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名が、それぞれの自宅からE村方三叉路に至るまで、普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、E村方三叉路付近でD山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。そうすると、被害者両名の平均移動速度を算出してそれをD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性があるとはいえない。<br>  また、本件再現実験においては、X田がX島車の後ろに停車すると同時に、V村車と離合した、すなわち、X田が停車した時点でV村車が直近に迫っていたものとされ、そこから逆算して、関係車両の移動状況や各経過時間が算定されている。しかし、その前提が正しいのかについても疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、右側に3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。また、X田、X島及びW田の証言等からすると、X田はいったん自車をH車の後ろに車間距離を詰めて道路左端に寄せて止めたものの、W田から通行の支障になる旨言われ、対向してきたV村車と離合した後、自車を前方に移動させているが、X田も、自車をH車の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。これらのことからすると、少なくともX田がX島車の後ろに自車を停車させた時点でV村車が本件再現実験で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  なお、確定判決は、「X田がトヨタタウンエースを、一旦X島車の直ぐ後ろに停車させた直後、V田がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だった」と説示している(確定判決37~38頁。なお、V田はV村が改姓したもの。)が、関係者の証言内容に加え、上記説示は、D山供述のうち、I村I郎方前路上において3台の駐車車両と離合したという点はD山の記憶違いであることを論証する部分であることからすると、上記説示での「直後」という文言は、X田が一旦X島車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に、離合した対向車はV村車の1台のみであり、D山車が同所においてX田車と離合するタイミングはなかったことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br>  さらに、自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定したものであるが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> ウ 以上のとおり、本件再現実験から本件報告書記載の結論を導くことはできないから、本件報告書をもって、本件各調書の内容が不合理であるということはできず、D山証言を信用できるということもできない。<br> '''(5)本件各調書の信用性への影響'''<br>  以上の検討を踏まえると、本件各調書の内容を否定するD山証言は信用できるものではなく、また、本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書も当を得ないものであるから、これらによって本件各調書の信用性が減殺されることはない。したがって、確定判決の事実認定の用に供された本件検察官調書について、その供述内容を基本的に信用できるとした確定判決の認定は揺らがない。<br> '''3 K村証言について'''<br> '''(1)K村証言の要旨'''<br>  事件当日の平成4年2月20日、δにある取引先に集金に行き、その帰り道、八木山バイパスを飯塚市方面から福岡市方面に通行中、穂波西インター先の片側2車線になった辺りで、時速40km未満でゆっくり走る白のライトバンを右方から追い越した。時刻ははっきり覚えていないが、午前9時40分過ぎか午前10時40分過ぎだと思う。追い越す際、後部座席で、赤いランドセルを背負い、おかっぱ頭をした小学校1年生の女の子が、真横を向いて自分のことを見ているのが目に入った。その女の子の表情は、見たこともないくらいこわばっていて、おびえているようであった。また、後部座席には、もう1人別の女の子が横たわっていて、その横にはランドセルが置かれていた。白のライトバンの運転手は、坊主頭で、色白の小柄な男であり、年齢は35歳前後に見えた。<br>  その日の夕方、本件の報道を知って、自分が目撃した女の子が誘拐された女の子なのではないかと思い、翌日、飯塚警察署に電話した。何日か経ってから警察官が訪ねてきて、目撃内容を全て説明したが、警察官は、目撃した車両が紺色のワンボックスカーではなかったかなどの質問をして帰っていった。<br>  後日、本件の公判を傍聴し、事件本人の外見を確認したが、自分が目撃した白のライトバンの運転手とは違う人だった。また、平成30年に、Lの記者から被害者両名の写真を見せてもらったことがあったが、被害者両名は、自分が目撃した女の子と似ていると感じた。<br> '''(2)K村証言の信用性'''<br> '''ア''' K村は、事件当日、女の子2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその女の子2人は間違いなく被害者両名と同じ小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。しかし、目撃した女の子2名の特徴については、2人とも髪型がおかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、目撃した女の子2名と被害者両名のどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、両者を似ていると判断した具体的根拠を全く示すことができていない。そもそも、K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女の子2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていた女の子でさえ、その顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1人の女の子にいたっては同車内で横たわっていたというのであり、その顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、その女の子の特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  なお、K村は、目撃した女の子2名の特徴として、小学校1年生であったことを挙げるものの、その根拠については、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきりわかる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。当然のことながら、同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によって区々であり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女の子らを短時間目撃しただけで、女の子らの全身を見たわけでもなく、直接会話などをしたわけでもないのであるから、そのような断定をする根拠は甚だ薄弱である。<br>  また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、被害者両名の相違についても相応の供述ができてしかるべきであるが、K村供述にはそのような内容はない。顔貌のみならず、髪形、服装等被害者両名には当然のことながら相違点があるが、その指摘はない。K村は、被害者両名のランドセルの色について、2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名の実際のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯しうる説明はない。<br>  さらに、K村証言は、ほかの目撃供述と対比しても不自然である。すなわち、被害者両名は、事件当日、D山を含む複数の者に目撃されているところ、面識がない被害者について、その顔の特徴を明確に記憶し、供述するものはなく、大まかな年齢や服装、所持品等の特徴に言及するものがあるにとどまる。このように、年齢や服装などといった概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われる。それにもかかわらず、K村は、逆に目撃した女の子らの服装などについてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目撃した女の子らの目につきやすい特徴については記憶がないのに、本件から26年以上が経った今でも、車で追い越しざまに目撃した面識のない女の子2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない。<br>  以上によれば、女の子2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に、顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は到底信用し難い。<br> '''イ''' 加えて、K村は、女の子らを目撃した時刻についても、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をするにとどまっている。しかも、目撃時刻については、令和2年1月23日付けの供述書(当審弁1)では、午前11時前後と述べていたのに、証人尋問(令和5年5月31日実施)の約3週間前の令和5年5月6日付けの供述録取書(当審弁28)では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では、前記のとおり午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うと述べ、目撃時刻が次第に早まっている。一度目の変遷については、δにある取引先に、自宅(古賀市)から会社(春日市)を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると、自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。以上によれば、K村の供述は、目撃時刻に関しても、容易く信用できない。<br> '''ウ''' これに対し、弁護人は、K村が取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視したことや、女の子の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いたこと、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復、継続していたことなどを指摘し、K村証言は信用できると主張する。しかし、仮に弁護人が指摘するような事情によって、K村が目撃した女の子らの顔貌を明確に記憶し、その後もその記憶を維持していたのであれば、少なからず女の子らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、上記のとおりK村は曖昧な供述に終始している上、前述したような変遷も生じているのであって、弁護人の指摘を踏まえても、K村証言の信用性判断に変わりはない。<br>  以上のとおり、K村証言は、目撃内容についても目撃時刻についても信用できない。<br> '''エ''' また、K村が目撃した女の子2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は被害者両名を略取又は誘拐した後、いったん八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことが想定されるが、犯人の行動として不自然な感を否めない。<br> '''(3)''' 以上のとおりであり、K村証言は信用できず、女の子2名を目撃したことを前提としたとしても、被害者両名であるという合理的な疑いは生じないというべきであって、事件本人が犯人であると認定した確定判決の認定判断に影響しない。<br> '''4 小括'''<br>  ここまで、D山及びK村の各証言を中心に、本件再審請求において提出された新証拠について検討してきたが、D山証言や本件報告書によって本件各調書の信用性が減殺されることはなく、K村証言を踏まえても、事件本人とは別の人物が犯人である合理的疑いは生じない。弁護人はその他縷々主張するが、これを踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠が、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、情況事実の総合評価の結論を左右することもない。したがって、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているという結論は揺らがず、本件再審請求において提出された新証拠は、いずれも明白性が認められない。<br> '''5 結論'''  以上のとおり、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑訴法435条6号の再審事由があるとはいえない。<br>  よって、本件再審請求は理由がないから、刑訴法447条1項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。<br> 令和6年6月5日<br> 福岡地方裁判所第4刑事部<br> 裁判長裁判官 鈴嶋晋一 <br> 裁判官 田野井蔵人 <br> 裁判官 中元隆太<br> [[カテゴリ:判例|ふくおかちほうさいはんしよへいせい21ねんたたい11こう]] {{PD-JapanGov}} ixmkmj4o6qv3f58pgcy349qkrdfuu9r Portal:宗教に関する廃止法令 0 52648 246559 233615 2026-10-12T05:05:37Z JOT news 10796 246559 wikitext text/x-wiki {{portal header |name = 宗教に関する廃止法令 |sortkey = しゆうきようにかんするはいしほうれい |shortcut = |wikibooks = |wikipedia = 宗教 |portal = |notes = [[:w:日本の廃止された法律|日本の廃止された法律]]、あるいは政府が既に実効性が欠けると認めた法令のうち、宗教・祭祀に関する法令。 __NOTOC__ __NOEDITSECTION__ __INDEX__ }} == 全般 == * [[宗教団体法]](昭和14年4月8日法律第77号)[https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318168.htm 抄] == キリスト教 == * [[切支丹宗門及ヒ邪宗門禁止ノ制札ヲ改ム]](慶應4年3月) - [[:w:浦上四番崩れ|浦上崩れ]]対策 == 仏教 == * [[神号々仏語ヲ用ヒ或ハ仏像ヲ神体ト為シ鰐口梵鐘等装置セシ神社改正処分]](明治元年3月18日太政官)[https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/M0000000000000835176 国立公文書館] - [[w:神仏分離|神仏分離]]策、 [[w:神仏習合|神仏習合]]・[[w:修験道|修験道]]対策 == 国家神道 == {{wikipedia|国家神道}} * [[神社ノ儀]](明治4年5月14日) [https://dl.ndl.go.jp/pid/898097/1/125 NDL] [https://dl.ndl.go.jp/pid/2938298/1/29 布告全書] * 菊御紋禁止ノ儀(明治4年6月17日) * 諸神社分社又ハ遙拝所建設出願ノ件(明治8年1月24日教部省第1号布達) * [[官国弊社ノ神官ヲ廃シ更ニ左ノ神職を置ク]](明治20年3月17日)[https://dl.ndl.go.jp/pid/898097/1/125 NDL] ** 廃止(明治35年2月10日勅令第28号官国幣社及神宮神部署神職任用令) * [[大日本帝国憲法]](明治22年) - 「皇宗ノ神靈」等 * [[小学校令_(明治23年勅令第215号)#a15n|小学校令]](明治23年勅令第215号全部改正) - 祝日大祭日ノ儀式等 ** [[小学校祝日大祭日儀式規程]](明治24年6月17日文部省令)[https://dl.ndl.go.jp/pid/854963/1/19 典式提要] * 官国幣社及神宮神部署神職任用令(明治35年2月10日勅令第28号) - 官国幣社職制 * [[神社財産ニ関スル法律]](明治41年法律第23号) * 官国幣社以下神社幣帛供進使及随員服制(明治44年4月29日勅令第130号) * 神宮祭祀令(大正2年1月24日勅令第9号)[https://dl.ndl.go.jp/pid/2952546/1/1 官報] * [[官国幣社以下神社祭祀令]](大正3年1月26日勅令第10号) ** 改正の件(大正4年11月5日勅令第199号)- 朝鮮総督府関係 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2953088/1/2 官報] ** 改正の件(昭和2年10月21日勅令第311号) - 明治節祭関係 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2956705/1/1官報] ** 改正の件(昭和14年3月15日勅令第58号) - 護国神社関係 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2960149/1/1官報] ** 改正(昭和19年9月1日勅令第539号関東神宮職員令) ** 廃止(昭和21年1月16日勅令第22号) * [[大祓詞_(内務省訓令中)|官國幣社以下神社遙拜及大祓次第 抄]](大正3年内務省訓令第4号) * 官国弊社以下神社の祭神、神社名、社格、明細帳、境内、創立、移転、廃合、参拝、拝観、寄付金、講社、神札等に関する件(大正3年4月21日内務省令第6号)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1341932/1/606 官報] * 神宮司庁、神宮神部署及官国幣社以下神社判任以上ノ待遇職員ノ休職ニ関スル件(大正4年2月22日勅令第13号) * 官国幣社職員待遇官等等級令(昭和18年3月26日勅令第185号) * [[関東神宮職員令]](昭和19年9月1日勅令第539号) * [[寇敵擊攘必勝祈願ノ爲官國幣社以下神社ニ於テ行フ祭祀ニ關スル件]](昭和20年勅令第284号) {{DEFAULTSORT:しゆうきようにかんするはいしほうれい}} [[カテゴリ:日本の宗教| ]] [[カテゴリ:国家神道に関する廃止法令| ]] i7uz1paj1k1xt38pyoqwgzx7lve03cp 勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程の一部を改正する訓令 (令和8年宮城県訓令甲第5号) 0 55045 246556 238866 2026-10-12T03:01:36Z HTDFPC 45275 246556 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[保健所等の職員の任命に関する規程の一部を改正する訓令 (令和8年宮城県訓令甲第4号)|保健所等の職員の任命に関する規程の一部を改正する訓令]] | next = | title = 勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程の一部を改正する訓令 | year = 2026 | month = 3 | day = 17 | notes = '''勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程の一部を改正する訓令'''(きんむじかんのとくれいをひつようとするしょくいんのきんむじかんにかんするきていのいちぶをかいせいするくんれい) * 令和8年宮城県訓令甲第5号 * 公布: 2026年(令和8年)&#x2007;3月17日 → [[令和8年宮城県公報第681号]] * 施行: 2026年(令和8年)&#x2007;4月&#x2007;1日 → [[#fusoku|附則]] * 被改正法令: [[勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程 (昭和53年宮城県訓令甲第5号)|勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程]]([[勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程 (昭和53年宮城県訓令甲第5号)/令和5年4月1日施行|改正前]] → [[勤務時間の特例を必要とする職員の勤務時間に関する規程 (昭和53年宮城県訓令甲第5号)/令和8年4月1日施行|改正後]]) * 底本: [https://www.pref.miyagi.jp/documents/64373/681.pdf 『令和8年宮城県公報』第681号], 宮城県. {{デフォルトソート:きんむしかんのとくれいをひつようとするしよくいんのきんむしかんにかんするきていのいちふをかいせいするくんれい}} [[カテゴリ:令和8年の宮城県訓令|甲05]] }} <pages index="令和8年宮城県公報第681号.pdf" include="17" /> {{footer | previous = [[保健所等の職員の任命に関する規程の一部を改正する訓令 (令和8年宮城県訓令甲第4号)|保健所等の職員の任命に関する規程の一部を改正する訓令]] | next = }} {{PD-JapanGov}} 5we5vhwxlo65cnj3mhpxzixo40c1h54 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀における自衛隊の礼式に関する省令 0 57047 246558 243994 2026-10-12T04:52:27Z HTDFPC 45275 246558 wikitext text/x-wiki {{Header |title={{PAGENAME}} |year=2020 |notes= * 令和2年防衛省令第9号 * 公布日:令和2年10月14日 * 施行日:令和2年10月14日 * 底本:[https://www.kanpo.go.jp/old/20201014/20201014h00352/20201014h003520005f.html 令和2年10月14日付官報第352号] {{実効性喪失法令掲載}} {{デフォルトソート:こなかそねやすひろないかくしゆうみんしゆとうこうとうそうきにおけるしえいたいのれいしきにかんするしようれい}} [[Category:令和2年の防衛省令]] [[Category:中曽根康弘]] }} ;〇防衛省令第九号  [[自衛隊法]](昭和二十九年法律第百六十五号)第六条の規定に基づき、「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀における自衛隊の礼式に関する省令を次のように定める。   令和二年十月十四日 {{Right|防衛大臣 [[:w:岸信夫|岸  信夫]]|2em}}    「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀における自衛隊の礼式に関する省令  (礼式)</br> '''第一条''' 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀に際し、自衛隊が儀礼を行う場合の礼式は、儀じょう及びと列とする。儀じょうに際しては、弔銃を行うものとする。  (礼式の目的)</br> '''第二条''' 儀じょうは、ひつぎを警衛し、及びこれに敬意を表するために行う。</br> 2 と列は、ひつぎを途上において送迎し、及びこれに敬意を表するために行う。  (委任規定)</br> '''第三条''' 第一条の礼式の実施に関し必要な事項は、防衛大臣が定める。 {{附則}} この省令は、公布の日から施行する。 {{PD-JapanGov}} qlotl0hhud5bfypdohnjclqhiik9cwh 防災庁設置法 0 57801 246554 246219 2026-10-12T02:13:51Z HTDFPC 45275 246554 wikitext text/x-wiki {{header | title = {{PAGENAME}} | year = 2026 | notes = < [[Wikisource:日本の法律]] {{現行法令掲載}} '''防災庁設置法'''(ぼうさいちょうせっちほう) * 令和8年法律第61号 * 公布日:令和8年7月17日 * 施行日:令和8年11月2日([[防災庁設置法の施行期日を定める政令]] (令和8年政令第303号)) * 底本: 令和8年7月17日付官報号外第160号 {{ルビ使用}} ---- }} __NOTOC__ :防災庁設置法をここに公布する。 {{御名御璽}}     令和八年七月十七日 {{Right|[[:w:内閣総理大臣|内閣総理大臣]]  [[w:高市早苗|高市 早苗]]|1em}} '''法律第六十一号''' <div style="margin-left:3em;"> 防災庁設置法 </div> 目次</br>  第一章 総則(第一条)</br>  第二章 防災庁の設置並びに任務及び所掌事務(第二条―第四条)</br>  第三章 組織</br>   第一節 通則(第五条)</br>   第二節 防災庁の長及び防災庁に置かれる特別な職(第六条―第十二条)</br>   第三節 防災庁に置かれる職(第十三条)</br>   第四節 中央防災会議(第十四条)</br>   第五節 施設等機関(第十五条)</br>   第六節 防災局(第十六条)</br>   第七節 雑則(第十七条)</br>  第四章 雑則(第十八条・第十九条)</br>  附則</br>    '''第一章''' 総則  <span id="a1">(目的)</span></br> '''第一条''' この法律は、防災庁の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織に関する事項を定めることを目的とする。    '''第二章''' 防災庁の設置並びに任務及び所掌事務  <span id="a2">(設置)</span></br> '''第二条''' 内閣に、防災庁を置く。  <span id="a3">(任務)</span></br> '''第三条''' 防災庁は、次に掲げることを任務とする。 :一 [[災害対策基本法]](昭和三十六年法律第二百二十三号)第二条の二の基本理念(次号において「基本理念」という。)にのっとり、防災(災害予防、災害応急対策、災害復旧及び災害からの復興をいう。以下同じ。)に関する内閣の事務を内閣官房と共に助けること。 :二 基本理念にのっとり、防災に関する行政事務の円滑かつ迅速な遂行を図ること。  <span id="a4">(所掌事務)</span></br> '''第四条''' 防災庁は、前条第一号の任務を達成するため、行政各部の施策の統一を図るために必要となる次に掲げる事務をつかさどる。 :一 防災のための施策に関する基本的な方針及び計画に関する企画及び立案並びに総合調整に関すること。 :二 前号に掲げるもののほか、大規模な災害が発生し、又は発生するおそれがある場合における当該災害への対処その他の防災のための施策に関する企画及び立案並びに総合調整に関すること。 :三 関係行政機関が講ずる防災のための施策の実施の推進に関すること。 :四 前三号に掲げるもののほか、防災のための施策に関する企画及び立案並びに総合調整に関すること。 2 防災庁は、前条第二号の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。 :一 災害対策基本法第二章に規定する防災に関する組織の設置及び運営並びに同法第二条第七号に規定する防災計画に関すること。 :二 被災者の応急救助及び避難住民等([[武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律]](平成十六年法律第百十二号)第七十五条第一項に規定する避難住民等をいう。)の救援に関すること。 :三 [[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律|激{{ruby|甚|じん}}災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律]](昭和三十七年法律第百五十号)第二条第一項の激甚災害及び当該激甚災害に対し適用すべき措置の指定に関すること。 :四 [[特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律]](平成八年法律第八十五号)第二条第一項の特定非常災害及び当該特定非常災害に対し適用すべき措置の指定に関すること。 :五 [[被災者生活再建支援法]](平成十年法律第六十六号)第三条第一項の被災者生活再建支援金の支給に関すること。 :六 [[台風常襲地帯における災害の防除に関する特別措置法]](昭和三十三年法律第七十二号)第三条第一項の台風常襲地帯及び同法第二条第一項に規定する災害防除事業の指定に関すること。 :七 [[活動火山対策特別措置法]](昭和四十八年法律第六十一号)第二条第一項に規定する活動火山対策の総合的な推進に関する基本的な指針の策定並びに同法第三条第一項の火山災害警戒地域、同法第十三条第一項の避難施設緊急整備地域及び同法第二十三条第一項の降灰防除地域の指定に関すること。 :八 [[大規模地震対策特別措置法]](昭和五十三年法律第七十三号)に基づく地震防災対策に関すること。 :九 [[南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法]](平成十四年法律第九十二号)に基づく地震防災対策に関すること。 :十 [[日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法]](平成十六年法律第二十七号)に基づく地震防災対策に関すること。 :十一 [[首都直下地震対策特別措置法]](平成二十五年法律第八十八号)に基づく地震防災対策に関すること。 :十二 [[東日本大震災復興特別区域法]](平成二十三年法律第百二十二号)第四条第一項に規定する復興推進計画の認定、同法第四十四条第一項に規定する指定金融機関の指定及び同項に規定する復興特区支援利子補給金の支給、同法第四十六条第一項に規定する復興整備計画の推進並びに同法第二条第三項に規定する復興推進事業及び同法第四十六条第二項第四号に規定する復興整備事業に関する関係行政機関の事務の調整に関すること。 :十三 防災に関する関係行政機関の事務の調整及びこれに伴い必要となる当該事務の実施の推進に関すること。 :十四 防災に関する技術の研究及び開発の推進並びにその成果の普及及び活用の促進に関すること。 :十五 所掌事務に係る国際協力に関すること。 :十六 政令で定める文教研修施設において所掌事務に関する研修及び研究を行うこと。 :十七 前各号に掲げるもののほか、防災に関する施策に関すること(他の府省の所掌に属するものを除く。)。 :十八 前各号に掲げるもののほか、法律(法律に基づく命令を含む。)に基づき防災庁に属させられた事務 3 前二項の規定にかかわらず、第一項各号並びに前項第十二号から第十四号まで及び第十七号に掲げる事務のうち[[内閣府設置法]](平成十一年法律第八十九号)第四条第一項第十八号に規定する原子力防災のみに係るものについては、防災庁の所掌事務としない。    '''第三章''' 業務等     '''第一節''' 通則  <span id="a5">(組織の構成)</span></br> '''第五条''' 防災庁の組織は、任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を有する行政機関により系統的に構成され、かつ、防災に関する内閣の課題に弾力的に対応できるものとしなければならない。</br> 2 防災庁は、内閣の統轄の下に、その政策について、自ら評価し、企画及び立案を行い、並びに内閣府、デジタル庁及び[[国家行政組織法]](昭和二十三年法律第百二十号)第一条の国の行政機関と相互の調整を図るとともに、その相互の連絡を図り、全て、一体として、行政機能を発揮しなければならない。     '''第二節''' 防災庁の長及び防災庁に置かれる特別な職  <span id="a6">(防災庁の長)</span></br> '''第六条''' 防災庁の長は、内閣総理大臣とする。</br> 2 内閣総理大臣は、防災庁に係る事項についての[[内閣法]](昭和二十二年法律第五号)にいう主任の大臣とし、第四条第二項に規定する事務を分担管理する。  <span id="a7">(内閣総理大臣の権限)</span></br> '''第七条''' 内閣総理大臣は、防災庁の事務を統括し、職員の服務について統督する。</br> 2 内閣総理大臣は、防災庁に係る主任の行政事務について、法律又は政令の制定、改正又は廃止を必要と認めるときは、案をそなえて、閣議を求めなければならない。</br> 3 内閣総理大臣は、防災庁に係る主任の行政事務について、法律若しくは政令を施行するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて、防災庁の命令として防災庁令を発することができる。</br> 4 防災庁令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し、若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。</br> 5 内閣総理大臣は、防災庁の所掌事務について、公示を必要とする場合においては、告示を発することができる。</br> 6 内閣総理大臣は、防災庁の所掌事務について、命令又は示達をするため、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発することができる。</br> 7 内閣総理大臣は、第三条第二号の任務を遂行するため政策について行政機関相互の調整を図る必要があると認めるときは、その必要性を明らかにした上で、関係行政機関の長に対し、必要な資料の提出及び説明を求め、並びに当該関係行政機関の政策に関し意見を述べることができる。  <span id="a8">(防災大臣)</span></br> '''第八条''' 防災庁に、防災大臣を置く。</br> 2 防災大臣は、国務大臣をもって充てる。</br> 3 防災大臣は、内閣総理大臣を助け、防災庁の事務を統括し、職員の服務について統督する。</br> 4 防災大臣は、第四条第一項に規定する事務の遂行のため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、必要な資料の提出及び説明を求めることができる。</br> 5 防災大臣は、第四条第一項に規定する事務の遂行のため特に必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、勧告することができる。この場合において、関係行政機関の長は、当該勧告を十分に尊重しなければならない。</br> 6 防災大臣は、前項の規定により関係行政機関の長に対し勧告したときは、当該関係行政機関の長に対し、その勧告に基づいてとった措置について報告を求めることができる。</br> 7 防災大臣は、第五項の規定により勧告した事項に関し特に必要があると認めるときは、内閣総理大臣に対し、当該事項について内閣法第六条の規定による措置がとられるよう意見を具申することができる。  <span id="a9">(副大臣)</span></br> '''第九条''' 防災庁に、副大臣一人を置く。</br> 2 防災庁に、前項の副大臣のほか、デジタル庁又は他省の副大臣の職を占める者をもって充てられる副大臣を置くことができる。</br> 3 副大臣は、防災大臣の命を受け、政策及び企画をつかさどり、政務を処理する。</br> 4 各副大臣の行う前項の職務の範囲については、防災大臣の定めるところによる。</br> 5 副大臣の任免は、内閣総理大臣の申出により内閣が行い、天皇がこれを認証する。</br> 6 副大臣は、内閣総辞職の場合においては、内閣総理大臣その他の国務大臣が全てその地位を失ったときに、これと同時にその地位を失う。  <span id="a10">(大臣政務官)</span></br> '''第十条''' 防災庁に、大臣政務官一人を置く。</br> 2 防災庁に、前項の大臣政務官のほか、デジタル庁又は他省の大臣政務官の職を占める者をもって充てられる大臣政務官を置くことができる。</br> 3 大臣政務官は、防災大臣を助け、特定の政策及び企画に参画し、政務を処理する。</br> 4 各大臣政務官の行う前項の職務の範囲については、防災大臣の定めるところによる。</br> 5 大臣政務官の任免は、内閣総理大臣の申出により、内閣が行う。</br> 6 前条第六項の規定は、大臣政務官について準用する。  <span id="a11">(大臣補佐官)</span></br> '''第十一条''' 防災庁に、特に必要がある場合においては、大臣補佐官一人を置くことができる。</br> 2 大臣補佐官は、防災大臣の命を受け、特定の政策に係る防災大臣の行う企画及び立案並びに政務に関し、防災大臣を補佐する。</br> 3 大臣補佐官の任免は、内閣総理大臣の申出により、内閣が行う。</br> 4 内閣総理大臣は、前項の申出をしようとするときは、防災大臣の意見を聴くものとする。</br> 5 大臣補佐官は、非常勤とすることができる。</br> 6 [[国家公務員法]](昭和二十二年法律第百二十号)第九十六条第一項、第九十八条第一項、第九十九条並びに第百条第一項及び第二項の規定は、大臣補佐官の服務について準用する。</br> 7 常勤の大臣補佐官は、在任中、内閣総理大臣の許可がある場合を除き、報酬を得て他の職務に従事し、又は営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行ってはならない。  <span id="a12">(事務次官)</span></br> '''第十二条''' 防災庁に、事務次官一人を置く。</br> 2 前項の事務次官は、防災大臣を助け、庁務を整理し、防災庁の各部局及び機関の事務を監督する。     '''第三節''' 防災庁に置かれる職 <span id="a13">'''第十三条'''</span> 防災庁には、その所掌事務の能率的な遂行のためその一部を所掌する職を置く。</br> 2 防災庁には、前項の職のつかさどる職務の全部又は一部を助ける職を置くことができる。</br> 3 前二項の職の設置、職務及び定数は、[[防災庁組織令|政令]]で定める。     '''第四節''' 中央防災会議 <span id="a14">'''第十四条'''</span> 防災庁に、防災に関して行政各部の施策の統一を図るために必要となる企画及び立案並びに総合調整に資するため、内閣総理大臣をその長とし、関係大臣及び学識経験を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさどらせるための機関として、災害対策基本法(これに基づく命令を含む。)の定めるところにより、中央防災会議を置く。     '''第五節''' 施設等機関 <span id="a15">'''第十五条'''</span> 防災庁には、第四条第二項に規定する所掌事務の範囲内で、政令の定めるところにより、文教研修施設(これに類する施設を含む。)を置くことができる。     '''第六節''' 防災局 <span id="a16">'''第十六条'''</span> 防災庁に、地方機関として、防災局を置く。</br> 2 防災局は、防災庁の所掌事務のうち、第四条第一項第二号から第四号まで及び第二項各号(第十六号を除く。)に掲げる事務の全部又は一部を分掌する。</br> 3 防災局の名称、位置、管轄区域、所掌事務及び組織は、政令で定める。     '''第七節''' 雑則  <span id="a17">(政令への委任)</span></br> '''第十七条''' 前各節に定めるもののほか、防災庁の組織に関し必要な事項は、政令で定める。    '''第四章''' 雑則  <span id="a18">(職員)</span></br> '''第十八条''' 防災庁に、防災事務官、防災技官その他所要の職員を置く。</br> 2 防災事務官は、命を受け、事務をつかさどる。</br> 3 防災技官は、命を受け、技術をつかさどる。  <span id="a19">(国会への報告等)</span></br> '''第十九条''' 政府は、第十三条第三項又は第十五条の規定により政令で設置される組織(同項の規定により設置される第十三条第二項の職を除く。)その他これらに準ずる主要な組織につき、その新設、改正及び廃止をしたときは、その状況を次の国会に報告しなければならない。</br> 2 政府は、少なくとも毎年一回防災庁の組織の一覧表を官報で公示するものとする。 {{附則}}  <span id="b1">(施行期日)</span></br> '''第一条''' この法律は、令和八年十二月三十一日までの間において政令で定める日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。 :一 附則第六条の規定 公布の日 :二 第十六条の規定 公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日  <span id="b2">(所掌事務の特例)</span></br> '''第二条''' 防災庁は、第三条第二号の任務を達成するため、第四条第二項に規定する事務のほか、政令で定める日までの間、株式会社東日本大震災事業者再生支援機構に関する次に掲げる事務をつかさどる。 :一 次に掲げる事項の認可に関すること。 ::イ 設立 ::ロ 会社法(平成十七年法律第八十六号)第三十八条第一項に規定する設立時取締役及び同条第三項第二号に規定する設立時監査役の選任及び解任 ::ハ 取締役及び監査役の選任及び解任の決議 ::ニ 定款の変更の決議 ::ホ 合併、分割及び解散の決議 :二 関係行政機関の事務の調整に関すること。 <span id="b3">'''第三条'''</span> 第四条第一項及び第二項の規定にかかわらず、復興庁が廃止されるまでの間は、同条第一項第二号及び第三号並びに第二項第十三号及び第十七号に掲げる事務のうち東日本大震災(平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震及びこれに伴う原子力発電所の事故による災害をいう。)からの復興に関するもの並びに同項第十二号に掲げる事務については、防災庁の所掌事務としない。 2 前条の規定にかかわらず、復興庁が廃止されるまでの間は、同条(第一号イ及びロ並びに第二号(第一号イ及びロに係る部分に限る。)を除く。)に掲げる事務については、防災庁の所掌事務としない。  <span id="b4">(同意等に関する経過措置)</span></br> '''第四条''' この法律の施行前に法令の規定により内閣府の長である内閣総理大臣がした同意その他の行為(当該行為に係る権限がこの法律の施行後も内閣府の長である内閣総理大臣の権限とされるものを除く。)は、法令に別段の定めがあるもののほか、この法律の施行後は、この法律の施行後の法令の相当規定により防災庁の長である内閣総理大臣がした同意その他の行為とみなす。</br> 2 この法律の施行の際現に法令の規定により内閣府の長である内閣総理大臣に対してされている協議(当該協議に係る権限がこの法律の施行後も内閣府の長である内閣総理大臣の権限とされるものを除く。)は、法令に別段の定めがあるもののほか、この法律の施行後は、この法律の施行後の法令の相当規定により防災庁の長である内閣総理大臣に対してされた協議とみなす。  <span id="b5">(命令の効力に関する経過措置)</span></br> '''第五条''' この法律の施行の際現に効力を有する内閣府設置法第七条第三項の内閣府令(この法律の施行後に防災庁が所掌する事務に係るものに限る。)は、法令に別段の定めがあるもののほか、この法律の施行後は、第七条第三項の防災庁令としての効力を有するものとする。  <span id="b6">(政令への委任)</span></br> '''第六条''' 前二条に定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。 <div style="text-align:right;"> 内閣総理大臣 高市 早苗</br> </div> {{PD-JapanGov}} {{DEFAULTSORT:ほうさいちようせつちほう}} [[カテゴリ:令和8年の法律]] [[カテゴリ:行政組織法]] [[カテゴリ:日本の災害]] 5m3yfjbemifs1u9go1fzuz7ayagfwge 昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1538号) 0 58243 246518 2026-10-11T12:01:00Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和三十三年宮城県告示第百四十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1537号)|昭和三十三年宮城県告示第百四十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1539号)|昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定…」 246518 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和三十三年宮城県告示第百四十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1537号)|昭和三十三年宮城県告示第百四十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1539号)|昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわさんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいひゃくごじゅうろくごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1538号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわさんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいひゃくごじゅうろくごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百三十八号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の路線認定 (昭和36年宮城県告示第156号)|昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表198の項中「大字大河原字南」を「(県道柴田大河原線交差)」に改める。 {{PD-JapanGov}} q0aovewu39lv6r550x4cnys495pkev0 昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1539号) 0 58244 246519 2026-10-11T12:04:24Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1538号)|昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1540号)|昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の…」 246519 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1538号)|昭和三十六年宮城県告示第百五十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1540号)|昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわさんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにひゃくななごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1539号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわさんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにひゃくななごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百三十九号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の路線認定 (昭和38年宮城県告示第207号)|昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「字出島一三二地先」及び「二八地先」を削る。 {{PD-JapanGov}} bwh4sc2r7vpfbfn15fe99nd5mjzj3cn 昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1540号) 0 58245 246520 2026-10-11T12:08:50Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1539号)|昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1541号)|昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線…」 246520 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1539号)|昭和三十八年宮城県告示第二百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1541号)|昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわさんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいななひゃくろくじゅうはちごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1540号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわさんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいななひゃくろくじゅうはちごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[道路の路線の認定 (昭和39年宮城県告示第768号)|昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表200の項中「五九地先から」及び「七五の三地先まで」を削る。 {{PD-JapanGov}} 6pllirsbt72j1mr846vwwr0mzc12c36 昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1541号) 0 58246 246521 2026-10-11T12:13:17Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1540号)|昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1542号)|昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県…」 246521 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1540号)|昭和三十九年宮城県告示第七百六十八号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1542号)|昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうにねんみやぎけんこくじだいごひゃくはちじゅうにごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1541号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうにねんみやぎけんこくじだいごひゃくはちじゅうにごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十一号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道路線の認定 (昭和42年宮城県告示第582号)|昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表二〇二の項中「宮城県」を削り、「一般国道四十五号交差(宮城町)」を「仙台市(国道四五号交差)」に改める。 {{PD-JapanGov}} 12vdcdgo41m2oeyhzhr9asu3t3zmczf 昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1542号) 0 58247 246522 2026-10-11T13:02:20Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1541号)|昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1543号)|昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県…」 246522 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1541号)|昭和四十二年宮城県告示第五百八十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1543号)|昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいろっぴゃくさんじゅうきゅうごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1542号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいろっぴゃくさんじゅうきゅうごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十二号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の認定 (昭和46年宮城県告示第639号)|昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「字清水五一の二(国道四五号分岐)から」を「(国道四五号交差)」に改め、「一一七まで」を削る。 {{PD-JapanGov}} b9xxa01vb0r4ceo0o8kboqkmdm7xnf0 昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1543号) 0 58248 246523 2026-10-11T13:05:17Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1542号)|昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の…」 246523 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1542号)|昭和四十六年宮城県告示第六百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくさんじゅうきゅうごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1543号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうろくねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくさんじゅうきゅうごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十三号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の認定 (昭和46年宮城県告示第839号)|昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「一二五の三から」及び「塩沢字戸の内脇八一の五まで」を削る。 {{PD-JapanGov}} 3eahji0hevtvz9nrlili8cmydi576s0 昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号) 0 58249 246524 2026-10-11T13:16:18Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1543号)|昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1545号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県…」 246524 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1543号)|昭和四十六年宮城県告示第八百三十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1545号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくじゅうよんごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1544号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくじゅうよんごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十四号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の認定 (昭和47年宮城県告示第214号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" /> 表一の項から五の項までを次のように改める。 <section begin="table" /> {| id="table" style="width:100%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="height:3em; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |一 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |亘理大河原川崎線 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |亘理郡亘理町<br> 柴田郡川崎町 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | 大河原町<br>村田町 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |二 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |古川登米線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |古川市<br> 登米郡登米町 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |田尻町<br>米山町 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |三 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |石巻鹿島台大衡線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |石巻市<br> 黒川郡大衡村 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | 鹿島台町<br>大郷町 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |四 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |河南米山線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |桃生郡河南町(国道一〇八号交差)<br> 登米郡米山町 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |桃生町<br>豊里町 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |五 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |鹿島台高清水線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |志田郡鹿島台町<br> 栗原郡高清水町 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |田尻町、小牛田町<br>松山町 |- |} 表七の項から一一の項までを次のように改める。 <section begin="table" /> {| id="table" style="width:100%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="height:3em; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |七 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |江刺千厩東和線 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |(岩手県江刺市)<br> 登米郡東和町 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |八 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |志津川登米線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |本吉郡志津川町<br> 登米郡登米町(国道三四二号交差) | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |九 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |新田米山線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |登米郡迫町新田<br> 同郡米山町 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | 南方町 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |一〇 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |前谷地停車場線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |前谷地停車場<br>桃生郡河南町(県道河南米山線交差) | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |一一 | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |古川松山線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |古川市<br> 志田郡松山町(県道鹿島台高清水線交差) | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- |} {{PD-JapanGov}} 5nsovwdqk9f43l4ih5ex6skxyq1egym 昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1545号) 0 58250 246525 2026-10-11T13:21:01Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号)|昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の…」 246525 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号)|昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくななじゅうさんごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1545号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくななじゅうさんごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十五号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の認定 (昭和47年宮城県告示第273号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「泉市福岡字岳山九番の六から」を「仙台市福岡」に、「(県道大和宮城線分岐)まで」を「(県道大和宮城県交差)」に改める。 {{PD-JapanGov}} pds98kc9um8pvq0v7p4ca4gzgd49xqx 246527 246525 2026-10-11T13:26:48Z 1112tohoku 39816 246527 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1544号)|昭和四十七年宮城県告示第二百十四号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号)|昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくななじゅうさんごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1545号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうななねんみやぎけんこくじだいにひゃくななじゅうさんごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十五号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の認定 (昭和47年宮城県告示第273号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「泉市福岡字岳山九番の六から」を「仙台市福岡」に、「(県道大和宮城線分岐)まで」を「(県道大和宮城線交差)」に改める。 {{PD-JapanGov}} gk7pjjnvnq2gueezu8twhy688oof4cy 昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号) 0 58251 246526 2026-10-11T13:26:26Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1545号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1547号)|昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県…」 246526 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1545号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1547号)|昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいよんひゃくろくじゅういちごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1546号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいよんひゃくろくじゅういちごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十六号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[路線の認定 (昭和48年宮城県告示第461号)|昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「玉造郡鳴子町鬼首単岳国有林(山形県界)」を「(山形県最上郡最上町)」に、「同郡同町鬼首宇原」を「玉造郡鳴子町鬼首」に改める。 {{PD-JapanGov}} 6mqryhbisynpcvg7bx4kckltjp95qe8 昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1547号) 0 58252 246528 2026-10-11T13:29:47Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1548号)|昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県…」 246528 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十八年宮城県告示第四百六十一号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1546号)|昭和四十七年宮城県告示第二百七十三号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1548号)|昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいななひゃくななじゅうろくごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1547号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうはちねんみやぎけんこくじだいよんひゃくろくじゅういちごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十七号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[路線の認定 (昭和48年宮城県告示第776号)|昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「字通丁」及び「谷地森」を削る。 {{PD-JapanGov}} 6b8hq71fcq0mi39g7cyebto5tbgablu 昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1548号) 0 58253 246529 2026-10-11T13:33:43Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1547号)|昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1549号)|昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線…」 246529 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1547号)|昭和四十八年宮城県告示第七百七十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1549号)|昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいさんびゃくにじゅうろくごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1548号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいさんびゃくにじゅうろくごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十八号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の路線認定 (昭和49年宮城県告示第326号)|昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「岩切」を削り、「亘理郡亘理町亘理」を「亘理郡亘理町」に改める。 {{PD-JapanGov}} led68fova8t2dljz9vzhj5dadk2n0xa 福岡高等裁判所令和6年(く)第97号 0 58254 246533 2026-10-11T15:56:17Z ろづき 28406 ページの作成:「{{Header |title=福岡高等裁判所令和6年(く)第97号 |year=2026 |notes= * 掲載TKC/DB25626373 [https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判…」 246533 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所令和6年(く)第97号 |year=2026 |notes= * 掲載TKC/DB25626373 [https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の原審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 福岡高等裁判所令和6年(く)第97号<br> 令和8年2月16日第1刑事部決定 ==決定== 申立人 久間C子<br> <br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という)に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件(福岡地方裁判所平成6年(わ)第1050号、第1157号)に関し、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対する再審請求事件について、令和6年6月5日福岡地方裁判所がした再審請求棄却決定に対し、請求人から即時抗告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。 ==主文== 本件即時抗告を棄却する。 ==理由==  本件即時抗告の趣意は、申立人が提出した証拠の新規性又は明白性を否定し、刑訴法435条6号の事由はないとして本件再審請求を棄却した原審の手続及び判断は誤っているというものである。 ===第1 事案の概要及び審理の経過等=== '''1''' 本件は、事件本人の妻である申立人による第2次再審請求を棄却した原決定に対する即時抗告である。<br> '''2 確定判決(第1審判決)が認定した罪となるべき事実の要旨(以下、地名等は、いずれも当時のまま用いることとする)'''<br>  事件本人は<br> '''(1)'''平成4年2月20日午前8時30分頃から同日午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字潤野(中略)番地の(中略)付近路上において、潤野小学校に登校中の当時7歳の女児2名(以下、第1審判決の挙示する順に「A田」「B山」といい、併せて「被害者両名」という)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という)に乗車させ、通学路外に連れ出して、未成年者である被害者両名を略取又は誘拐した。<br> '''(2)'''同日午前8時30分頃から同日午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害した。<br> '''(3)'''同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、当時、前記(1)の住所地にはE村方があり、別紙1の図面のとおり、同人方は三叉路に面していた(以下、この三叉路を「E村方三叉路」という)。<br> '''3 確定審の経過及び判断'''<br> '''(1)'''事件本人は犯人ではないと主張したが、平成11年9月29日、第1審判決は、以下のような情況証拠によって証明された情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えて認定することができると判断し、事件本人を死刑に処した。<br> '''〔1〕'''T田T男(以下「T田T男」という)、X田X男(以下「X男」という)及びW田W男(以下「W田」という)の目撃供述等によれば、犯人が犯行に使用したと疑われる車両は、マツダ製の紺色ワゴンで、後輪がダブルタイヤであり、リアウインドウにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有している。被害者両名が拐取された場所の状況や時間帯,拐取場所と被害者両名の死体及び遺留品の発見現場の位置関係、T田が不審車両を目撃した時間からして、犯人は拐取現場、死体遺棄現場及び遺留品発見現場付近に土地勘を有する者であると推測される。事件本人は前記車両と特徴を同じくする事件本人車を所有し、かつ、前記各現場付近に土地勘を有している(以下「情況事実〔1〕」という)。<br> '''〔2〕'''被害者両名の着衣から発見され、被害者両名が犯人使用車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高い。<br> '''〔3〕'''事件本人車の後部座席シートからA田と同じ血液型(ABO式。以下同じ)であるO型の血痕と人の尿痕が検出されており、これらは事件本人が事件本人車を使用していた間に付着したと認められるところ、事件本人は前記血痕等が付着した原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。被害者両名ともに殺害された時に生じたと認められる失禁と出血があり、特にA田は死体の状況からみて鼻血がかなりの量出たものと認められる。事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名を事件本人車内で殺害するか、被害者両名の死体を死体遺棄現場まで運んだときに付着したものとして前記血痕等の付着を合理的に説明でき、それ以外の現実的な可能性は考えられない(以下「情況事実〔3〕」という)。<br> '''〔4〕'''警察庁科学警察研究所が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、B山の遺体付近にあった木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容物及び膣周辺付着物の中に、犯人由来と認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が一人であるとした場合、犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致している(以下「情況事実〔4〕」という)。<br> '''〔5〕'''事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容物等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できる。<br> '''〔6〕'''被害者両名が拐取された時間帯及び場所は、事件本人が事件本人車で申立人を職場まで送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性がある一方、事件本人にはアリバイが成立せず、犯行の機会があった。<br>  なお、第1審判決(113頁)は、情況事実〔3〕について、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠と評価している。<br> '''(2)'''第1審判決は、罪となるべき事実のとおり犯行の日時及び場所を絞り込み、情況事実〔1〕のとおり犯行に使用された車両の特徴や犯人像を特定するに当たり、補足説明において、以下の事実関係を認定している。<br> '''ア''' 被害者両名は、B山方付近で合流して潤野小学校へ向かっており、B山方から潤野小学校までの通学路の距離は約1420m(子供の足で20~25分程度)である。通学路は、飯塚市郊外にあり、南北にのびるバス通りを南下し、平原バス停付近(B山方から通学路を約575m進んだ地点)を通過した後、右折して細い脇道に入り、折れ曲がりながら南西方向に進み、E村方三叉路(B山方から通学路を約937m進んだ地点)を経由して南下し、東西にのびる県道を右折し、更に南西に進むというものである。E村方三叉路は、東側、北側及び南側から入ってくる各道路が交わり、通学路は北側から同三叉路に入って南側に進む。E村方三叉路を南下して県道を左折すると、飯塚市農協潤野支店(以下「農協」という)がある。<br> '''イ''' 被害者両名は、平成4年2月20日午前8時22分頃に平原バス停付近を歩いているのをA田の知人Z田Z子(以下「Z田」という)に目撃されている。潤野小学校に勤務していたG山G子(以下「G山」という)が、被害者両名を探すため、同日午前8時50分頃、車で同小学校を出発して通学路を逆行し、E村方三叉路を北上して平原バス停先まで行ったが、被害者両名を発見することができなかった。<br> '''ウ''' 当時農協に勤務していたD山D子(以下「D山」という)の供述(同意書証として取り調べられた平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という))等によれば、D山は、出勤するため、平成4年2月20日午前8時30分頃、スズキセルボモード(以下「D山車」という)を運転して東側から南側へE村方三叉路を通過する際、服装等からして被害者両名と認められる女児2名が北方向から歩いてくるのを目撃している。<br>  D山の同僚のV村V子(改姓後の姓はV田。以下「V村」という)の供述によれば、V村は、ホンダトゥデイ(以下「V村車」という)を運転し、D山の数分後にE村方三叉路手前付近からD山の経路と同じ道を通り、同日午前8時33分頃に出勤しているが、被害者両名を目撃していない。<br> '''エ''' 同月21日午後0時10分頃、福岡県甘木市と同県嘉穂郡嘉穂町を結ぶ国道322号線を、同県甘木市大字(中略)から嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)の南方約9mの山中の斜面に、下半身を露出させられ、頸部を手で絞められて窒息死した被害者両名の死体が投棄されているのが発見された。<br>  同月22日、国道322号線を、同市大字(中略)から嘉穂町方向に約200m進行した地点の西方約5mの山中に、被害者両名のランドセル等の所持品及び着衣の一部(以下「遺留品」という)が投棄されているのが発見された(なお、確定記録によれば、ランドセルの色はA田が赤、B山がピンクである)。<br>  潤野小学校から死体遺棄現場までの経路の距離は28~36.1kmあり、自動車で35~53分かかる。遺留品発見現場は、潤野小学校から死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までの距離は約3kmで、自動車で約8分かかる。死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、通称八丁峠と呼ばれる国道沿いの山中であり、各現場に行くためには自動車を使用するしかない。<br> '''オ''' A田の胃内容からすると、その死亡推定時刻は朝食の一、二時間後であり、平成4年2月20日午前8時から同日午前9時頃までの間となるが、A田は同日午前8時30分頃の時点で生存が確認されているから、その後午前9時頃までの間に殺害されたと推定され、B山も同じ頃に殺害されたと推定される。<br> '''カ''' T田の供述によれば、同日午前11時頃、国道322号線の遺留品発見現場直近で、対向車線に不審車両が停車し、車外に出ていた運転手の男が、T田の車両が通り過ぎる際に不審な動きをしており、このT田が目撃した男が犯人であり、T田が目撃した車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。<br> '''キ''' D山、V村、X田及びW田の各供述等によれば、同日午前8時20分頃、W田が、三菱デリカワゴン(以下「W田車」という)を運転してE村方三叉路に向けて北上してきて同三叉路の南西側にあるI村I郎方(別紙1参照)付近路上にW田車を駐車させ、同日午前8時30分頃、X島X太(以下「X島」という)が、同様に北上してきてW田車の前方にスカイライン(以下「X島車」という)を駐車させ、トヨタタウンエース(以下「X田車」という)を運転してX島車を追従してきたX田は、同三叉路の手前でD山車と離合し、一旦X島車のすぐ後ろにX田車を停車させたが、その直後に同所を通りかかったV村車が離合しにくい様子だったため、X田車を移動させてX島車の少し前方に駐車させた。そして、X田が車から降りて道路を横切りE村方三叉路を南に歩きかけた際、後方からワゴン車がかなりの速度でX田の右横を追い抜き潤野小学校方向に走り去った。<br>  D山は、本件検察官調書で、「被害者両名の横を通過すると、I村I郎方前に3台の車が駐車しており、ボンゴ車と乗用車が1台ずつあったのは覚えているが、もう1台がどちらだったかはっきりしない」と供述しているが、前記経緯からして、D山は、I村I郎方前路上では、X島車及びW田車と離合したのみで、車種不明の3台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はD山の記憶違いによるものと認められる。そして、D山は「県道に出る手前で作業員風の男性が運転するボンゴ車と離合した」旨も供述しているが、同ボンゴ車に乗っていた男性は、「E村方三叉路の少し手前で若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と離合した」旨のX田供述と、離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、X田と認められる。<br>  被害者両名がD山に目撃された後も学校に向かっていたのであれば、V村やX田らに目撃されたはずであるが、D山が目撃してから後、被害者両名を見た者はいない。犯人は、D山がE村方三叉路付近を通過した後、約3分後にV村が同所を通過する前からG山がE村方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、被害者両名を拐取して車で連れ去ったと認められる。被害者両名は、D山に目撃された後、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もある。<br>  被害者両名が拐取された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所においてX田及びW田が目撃したワゴン車と、遺留品発見現場直近でT田が目撃した不審車両は、いずれも、紺色、後輪ダブルタイヤ、リアウインドウにフィルムが貼られたワンボックスタイプというほぼ同じ特徴を持つ車である。両車は同じものであり、これが犯人の使用していた自動車である疑いが極めて濃厚である。<br> '''(3)'''事件本人が申し立てた控訴は平成13年10月10日に、上告は平成18年9月8日に、いずれも棄却された。<br>  控訴審判決は、被害者両名の目撃状況に関する関係者らの供述の信用性に疑問はなく、D山供述の信用性については第1審判決説示のとおりであり、被害者両名は、平成4年2月20日午前8時30分かその直後頃、E村方三叉路付近でX田及びW田が目撃した車両により拐取された蓋然性が高く、拐取時刻は午前8時30分過ぎ頃と認定するのが相当であり、第1審判決も補足説明からするとそのように理解されるとした。また、殺害時刻については、食事終了時間や消化状況から厳密な時間を認定するのは相当でなく、拐取されてから午前9時30分前後頃までの間(朝食のおおむね一、二時間後)と認めるのが相当であるとした。<br>  また、第1審判決は、犯行に使用された車両がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとは断定できないとしていたが、控訴審判決は、繊維鑑定、T田、X田及びW田の供述等によればその旨特定できるとし、この判断は上告審判決でも是認されている。控訴審判決は、被告人が犯人だとすれば、被害者両名の膣内及び膣周辺部に犯人の血液が付着しているという特異な事実の説明が容易に可能になる、顔見知りの者による犯行と推認されるところ、被告人はこの条件も充たすと指摘している。<br>  控訴審では、D山供述に関し、当事者双方の請求により、平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審検甲9、弁13。以下「本件警察官調書」といい、本件検察官調書と併せて「本件各調書」という。本件各調書の記載内容を「旧供述」ともいう)が取り調べられている。<br>  平成18年10月8日、第1審判決が確定し、平成20年10月28日、死刑が執行された。<br> '''4 第1次再審の経過及び判断'''<br>  申立人は、平成21年10月28日、情況事実〔1〕及び情況事実〔4〕に関する新証拠を提出して再審請求をしたが、平成26年3月31日、棄却され、平成30年2月6日、即時抗告が棄却され、令和3年4月21日、特別抗告が棄却された。<br>  第1次再審請求棄却決定は、新証拠によって旧証拠のうちMCT118型鑑定の証明力は減殺されるが、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできない一方、両者が一致する可能性も十分にあり、確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合でも、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされていることに変わりはない旨判断し、この判断は即時抗告審及び特別抗告審で是認されている。<br> '''5 第2次(本件)再審請求'''<br> '''(1)'''申立人は、令和3年7月9日、刑訴法435条6号に基づく再審請求をした。原審において申立人が提出した書証は別紙2のとおりである(以下、弁と番号のみを記載した場合は別紙2の書証又はその原本を指す)。このうち、弁3~5は確定審に係る判決書の写しであり、弁6~17は、第1次再審請求に係る再審請求審又は即時抗告審において申立人又は検察官から提出された証拠と同一の内容である(弁10及び11は、同再審請求審における検察官の平成25年4月15日付け意見書8に添付されている)。<br>  その余の書証は、四つの証拠群に大別でき、〔1〕D山の供述(弁2、30。以下、D山の原審証言と併せて「D山の新供述」という)、〔2〕E村方三叉路付近における現場再現実験報告書(弁26。以下「本件報告書」という)、〔3〕K村K男(以下「K村」という)の供述(弁1、28)、〔4〕Z3(以下「Z3」という)の供述(弁18)及び〔1〕~〔4〕の各証拠に関する補助証拠(弁31の1~弁32は〔1〕関係、弁21の1~弁25の2、27、33は〔2〕関係、弁29は〔3〕関係、弁19、20は〔4〕関係)である(なお、弁21の1、21の2、23は、確定第1審又は控訴審で取り調べられた空中写真や地図と実質的に同一である)。さらに、原審では、令和5年5月31日にK村の、同年11月28日にD山の各証人尋問が実施されている。<br> '''(2)'''本件各調書及びD山の原審証言、本件報告書、K村の原審証言並びにZ3供述の概要は次のとおりである(D山及びK村の供述録取書等(弁1、2、28、30)については後記第2及び第3で言及する)。<br> '''ア D山供述の概要'''<br> '''(ア)本件警察官調書(供述場所は農協と記載され、D山作成図面が添付されている)'''<br>  当時、D山車で通勤しており、平成4年2月20日も、いつものように午前8時10分頃自宅を出て、バス通りを南下し、F(別紙1参照)の角を右折して数十メートル進んだ地点(E村方三叉路東端の東側)に午前8時20分頃に着いた。1か月程前からこの場所で停車して化粧をするのが日課になっていた。化粧を始めてから何分か過ぎた頃、七、八m前方の同三叉路北側から、小学校低学年の女児が小走りの感じで潤野小学校の方向(南側)に行くのが見えた。私は、「この子は学校も始まっている時間なのにまだこの辺を歩きよう」「遅刻するのに」と思い、バックミラーを見ながら化粧を続けた。それから何十秒も過ぎない頃、今度は同三叉路に先程の女児とは違う小学校低学年の女児が立っているのに気付いた。この女児は、同小学校とは反対方向に歩き始めるような動作をし、振り返って同小学校方向にゆっくり歩き始めた。私は、「二人で学校に行っているのだなあ」「早く学校に行けば良いのに」と思った。女児らが遅刻すると思ったのは、約1か月間この場所で化粧をしている間に小学生が通学する姿をほとんど見掛けたことがなく、それまでに男児1名と女児1名を各1回見掛けたことがあるだけだったからである。女児2名が視界から見えなくなって1分も過ぎない頃、時計を見たところ、午前8時30分近くになっていたので、遅刻すると思い、使用した化粧品を助手席に置いたままD山車を発進させた。時間ははっきり記憶していないが、化粧をしている場所から農協までは車で一、二分くらいなので、午前8時30分少し前といえる。20mくらい進行したE村方(別紙1参照)前を女児2名が手をつないで歩いている後ろ姿が見えたので、「やはり先程見た女の子たちは連れだった」と直感した。2名とも身長約120cm、うち1名は黄色のジャンパー、赤ランドセルで、どちらかが傘を持っており、髪が短かった。女児らは、D山車が接近したのに気付き、左側によけてくれたので、その横を通過した。右前方の道路右側(I村I郎方前付近)に3台くらいの車が対向して駐車していたという記憶で、順番ははっきりしないが、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車のほか、もう1台ボンゴ車があったと思う。さらに、その後方に対向してグレーのボンゴ車があり、始めから停車していたのか、D山車のために待っていてくれたのかはっきりしないが、道路右寄りに停車していたので、その横を通過した。農協の駐車場に着いた後、車内で化粧品等を片付けていたため3~5分くらい使っていると思う。その時にV村がV村車で出勤してきたので、降車して一緒に農協の店内に入った。<br>  その日の午後4時頃、刑事が来店し、朝から小学生が行方不明になっていると聞き、今供述した内容を話した。その時、V村が「私も同じ道を通ってきたけれど女の子たちの姿は見らんやった」「3台の車が駐車しているのは見た」と話していた。V村は、「私は、店に入ったら毎日すぐ店の時計を見るけど、今日は午前8時33分だった」と言っていたので、やはり私が女児2名を見た時間は午前8時30分少し前頃といえる。<br> '''(イ)本件検察官調書(供述場所は福岡地方検察庁飯塚支部と記載され、D山が記入した住宅地図とD山作成図面が添付されている。作成日は、事件本人が死体遺棄罪により起訴された後、略取誘拐、殺人罪により追起訴されるまでの間である)'''<br>  2年8か月も前の話なので、記憶がはっきりしなくなっている部分もあるが、被害者両名かもしれない小学生の女児2名を見たことについては、行方不明になった当日の捜索中から警察の人などに話しているし、今でも大体のことは覚えている。<br>  平成4年2月20日は、遅くとも午前8時20分までにはD山車で自宅を出て、バス通りを北から走ってきてFのところで右折し裏道に入り、途中のF2方前(別紙1参照)で停車した。以前から時々この辺りに停車して化粧をしており、この日も同じ場所であった。時刻は時計を見て午前8時30分少し前だった記憶がある。少しというのは二、三分くらいのことである。ルームミラーを化粧鏡代わりに化粧を始めた直後だったと思うが、E村方三叉路の右手(北側)の坂道から小学校一、二年生くらいの女児が走ってきた。時刻は午前8時30分近くになっており、他に通学途中の子供たちもいなかったので、私は「早く学校に行かんと遅刻するのに」と思った。それから何十秒も経たない頃、E村方前辺り(E村方三叉路南端付近)にもう一人小学校一、二年生くらいの女児が立っていた。なぜ先程の子と別の子と分かったかというと、今は詳しく覚えていないものの、その時は顔や服装も目に入っていたこと、先程の子はI村I郎方の方(潤野小学校のある方)に歩いて行ったと思っていたことが理由だと思う。その子もI村I郎方の方に歩いていった。二人とも妙に学校に行きたくない様子だったのをよく覚えている。このように感じたのは、二人ともどんどん進んでいくという感じではなく、立ち止まったり戻るような動作をしたりしながらだらだらと歩いていたように思うからである。私はきっとこの二人が一緒に通学しているのだろうと思った。化粧は二、三分で終わり、時刻は午前8時30分頃になっていたと思う。化粧道具を助手席に置いたままD山車を発進させると、E村方前辺り(同三叉路南側付近)の道のほぼ真ん中に先程の女児2名がくっつくように並んで歩いているのが見えた。とうに学校の方に行っていると思っていたので、私は「まだうろちょろしている」「学校に遅刻したのは間違いないな」などと思い、二人をひかないようにスピードを緩めた。二人とも歩くのが嫌というか、学校に行くのが嫌というのか、とにかくだらだらと歩いていて、遅れているはずなのに全く急ぐ様子がなかった。二人ともランドセルをしょって、一人が黄色のカッパかジャンパーのようなものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。片方か両方が傘を持っていたかもしれない。D山車が近づくと二人はこちらに気付いて振り返り、左右どちらかは記憶がはっきりしないが道端によけてくれた。立ち止まっている二人を横目で見ながら進んだが、私が二人を見たのはこの瞬間が最後であり、その後、二人が歩き出したところなどは見ていない。前方右手(I村I郎方前付近)には3台の車が駐車していた。ボンゴ車と乗用車が各1台あったのは覚えているが、もう1台は乗用車だったかボンゴ車だったかはっきりせず、3台の順番も覚えていない。更にその後方にはもう1台車があり、この車もボンゴ車だったと思うが、特徴等は今となってははっきりしない。ただ、この車には髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が一人運転席に座っていたような記憶がある。この車は私の車を待つようにして道路右側に対向して止まっていた。私はこの車の横を通り抜け、突き当たりを左折して農協の駐車場に入った。助手席足元に落ちてしまった化粧品等を拾っているうちにかなり時間が経ってしまい、おそらく3分くらいかかったと思う。するとちょうど同僚のV村がV村車に乗って駐車場に入ってきたので、ほぼ同時に店内に入った。時計を見ていないので、時刻はよく分からないが、午前8時35分前後になっていたと思う。<br> '''(ウ)原審証言'''<br>  被害者両名が行方不明になった当日(平成4年2月20日)は、昼前頃に消防隊(「消防団」とも証言している)員が農協に来て、小学1年生の女児2名がいなくなったと言って探していた。V村に「女の子たちなら見たことがあるよね」と聞き、V村は「いや、ない」と言っていたが、その話を消防隊員が聞いていたかもしれない。当日朝に見たとは言っておらず、その記憶もない。通勤途中に小学校1年生くらいの女児2名を目撃したことはある。それが1回だったか複数回だったか、どれくらい前の出来事だったかは分からない(「通学途中の小学生を見掛けたのはそのとき1回だけである」とも証言している)。化粧をしていた位置は毎回同じで、Fの隣のF3方(別紙1参照。弁護人の質問では「F4」とされている)前辺りであり、そこからは道路が曲がっているためE村方三叉路は見えない。女児らに気付いたのは、更にその西隣のF5方(別紙1参照)前辺りで、その地点で女児らを追い越した。午前8時15~20分頃だった。女児らは同三叉路に向いて歩いていたので、後ろのFの方から来たのだと思った。二人は横に並んで歩いており、D山車が追い越す際は縦になってよけてくれた。二人とも黄色い雨合羽を着ていて、ランドセルは赤だった。女児らを追い越してから農協までの間に駐車車両があったり、対向車と離合したりした記憶はない。<br>  被害者両名が行方不明になった当日に警察官は来ておらず、最初に事情聴取されたのは被害者両名の遺体発見の翌日(平成4年2月22日)であり、本件各調書の記載は事実と異なる。警察官2名が農協を訪ねてきて、支店長からV村に話していた内容を話すように言われ、女児を目撃したことかと思い、前記のような目撃内容を警察官に話した。警察官から、紺色ワゴン車のカタログを見せられ、こういう車を見たことがないか、車にラインは入っていなかったかと聞かれた。女児らを見掛けた日とは別の日に黒いボンゴ車を追い越したことはあったので、黒いボンゴ車なら見たことはあるがラインまでは見えなかったと話した。<br>  後日違う警察官が訪ねてきて、本件警察官調書を作成した。警察官に対し、女児らを見掛けたのは当日かどうか自信がないと話した(「私が見たのは事件当日ではないと言った」とも証言している)。本件警察官調書のうち、E村方三叉路を越えた先で女児2名を追い越したという部分、最初に一人が先に来て、後からもう一人が来て一緒になったのを見たという部分、各女児を目撃した際の気持ちに関する部分、農協に向かう途中に駐車車両や対向車があったという部分、これらの車両の特徴に関する部分は、いずれも当時の記憶に基づく内容ではなく、面前で警察官が勝手に作成した。駐車車両や対向車はなかったと言ったのに、警察官からこの位置に車があったので4台書いてくださいと言われ、住宅地図に基づき、言われたとおりに本件警察官調書に添付された図面を作成した。女児らの位置についても話した内容と違う位置に書くように言われた。出来上がった本件警察官調書を読み聞かされ、説明した内容と違う、黒いボンゴ車を追い越したことが書かれていないと思ったし,そのように言ったが、受入れてもらえず記憶と違う調書に署名押印し、若かったのでそれ以上何も言えない自分にショックを感じた。<br>  事件から2年程経ってからの本件検察官調書の作成に当たり、検察庁に行ったことはない。当時他県にいたが警察から来てほしいという電話があり、最初は断っていたが重ねて請われたので、私の供述調書を使わないよう求めるために行くことにした。指定された福岡県田川市にある喫茶店に行き、警察の者と名乗る50代の男性1名と会った。検察官だとは聞いていない。事前に事情を聴かれることなくいきなり出来上がった調書を示され、読んでくれと言われた。本件警察官調書には記載されていないボンゴ車の運転手の特徴についても、言ってもいないのに既に記載されていた。記憶と違う点があると言ったが聞いてくれず、とにかく署名押印してくれと言われて押し問答になった。調書を取ったときのことを書いてあるのでこれで間違いない、この書類がないとあげられない、当時初めて導入されたDNA鑑定で犯人は分かっているが、本件検察官調書も必要ですなどと言われた。本件警察官調書を使わないでほしいと言ったが、聞いてもらえず、私の曖昧な記憶で犯人が逮捕されるのは困りますと伝えると、私の話だけで犯人が逮捕されるわけではないと言われた。本件検察官調書添付の図面は、本件警察官調書添付の図面を見せられ、同様に書くよう言われて作成したもので、地図を示されて書いた記憶はない。 <br>  飯塚事件に関する記事、テレビ、YouTubeの動画を見て、事件本人が無実なのではないか、本件各調書が事件本人に対する判決に影響を与えたのではないかと思い、申し訳なく、情けなく悔しい気持ちになり、約5年前、弁護人の事務所に電話をかけ、弁護人と会うことになった。弁2を作成した際にも、女児らを目撃したのは行方不明になった当日ではない、E村方三叉路の手前で女児らを追い越したと伝えたつもりだったが、鬱気分で、いろいろ見せられて気が動転していたので、弁護人とどのようなやり取りをしたのか覚えていない。弁2や弁30を作成した際に、弁護人に警察官から紺色ワゴン車のカタログを見せられたという話はしていない。証人尋問の約1週間前に弁護人と打ち合わせている際に不意に思い出した。<br> '''イ 本件報告書'''<br>  本件報告書は、確定判決の認定やその認定の根拠となったD山、V村、X田、X島及びW田の各供述等に基づき、E村方三叉路付近に、平成4年2月20日午前8時30分頃同所に駐車していた車両に類似する車両を配置し、その頃同所を走行していた車両に類似する車両を走行させて走行時間を測定する実験を行い、被害者両名を目撃できたかを検証することなどにより、前記各供述の信用性等を検討した経過及び結果を報告したとされるものである。実験において、各地点の決定については、本件検察官調書、W田、X田及びV村(V田)の各証人尋問調書の添付図面を参考とし、車両の走行速度は原則時速20km、離合する場合等は時速10km程度に設定したとされている。被害者両名の移動速度については、確定判決によれば被害者両名が同日午前8時22分に平原バス停に、同日午前8時30分頃に同バス停から361.5m離れたE村方三叉路に現れているとして、秒速約0.75mであることを前提としている。報告の要点は以下のとおりである。<br> '''(ア)D山供述とX田供述の比較検討'''<br>  実験により、X田の運転席からE村方三叉路が見え始める〔22〕地点を決定した。X田車がD山車と離合した〔8〕地点に関しては、本件検察官調書添付図面では橋の手前とされ、X田証人尋問調書添付図面では橋の農協側のたもととされているが、確定判決40頁は「両地点は場所がほぼ一致している」として同一地点として扱っているので、D山が述べている場所とX田が述べている場所の中間とした。実験によれば、D山車が女児らの横を通過した地点からD山車がX田車の横に来た地点まで約12秒、X田車がD山車と離合するため停車した地点から〔22〕地点まで約6秒であったから、D山が女児らの横を通過した時から18秒後にX田はE村方三叉路内を目撃できるようになる。被害者両名は18秒間に最大13.5m北上しているが、D山が横を通過した時に女児らがいた地点からE村方三叉路の北端まで15.9mあり、まだ同三叉路内にいるため、X田から目撃可能であった。そうであるのに、X田は被害者両名を目撃しなかったと供述しており、D山供述とX田供述とは矛盾している。<br> '''(イ)D山供述とV村供述の比較検討'''<br>  E村方三叉路に東側の道路から進行してきたV村は、同三叉路南側の道路へ向かい左折する直前、同三叉路に北側の道路から進入する車両や人に注意を払う〔Y〕地点(同三叉路全体も見渡すことができる)を通過する一方、X田車はX島車のすぐ後ろの〔9〕地点に停車している。確定判決38頁の「X田車が〔9〕地点に停車した直後、V村が通りかかった」旨の表現から、X田車が〔9〕地点に到着した直後、V村車は〔Y〕地点と〔9〕地点の中間より〔9〕地点寄りの〔10〕地点にいたと判断した。実験によれば、X田車が〔22〕地点を通過してから〔9〕地点に停車するまで約6秒、V村車が〔Y〕地点を通過してから〔10〕地点に到達するまで約7秒であったから、これに前記(ア)の実験結果を併せると、X田車はD山車が女児らの横を通過した時から24秒後に〔9〕地点に到達し、その際、V村車は〔10〕地点にいたことになる。そうすると、V村車が〔Y〕地点を通過したのは、D山が女児らの横を通過した時から17秒後であったことが分かる。被害者両名は17秒間に最大12.75m移動しているが、まだE村方三叉路を抜け出していないことになるから、V村が被害者両名を目撃することは十分可能であった。そうであるのに、V村は被害者両名を目撃しなかったと供述しており、D山供述とV村供述とは矛盾している。<br> '''(ウ)D山とV村のE村方三叉路通過時間の差'''<br>  実験によれば、V村車が〔Y〕地点からD山車が女児らの横を通過した地点まで走行するのにかかった時間は約4秒であり、これに前記(イ)の実験結果を併せると、V村車はD山車が女児らの横を通過してから21秒後に同じ地点を通過したことになり、「V村はD山が被害者両名を目撃してから約3分後に同じ道を通った」旨の確定判決39頁の認定は完全に誤っている。<br> '''ウ K村の原審証言'''<br>  平成4年2月20日、集金のため、左ハンドルのランチア・テーマ(以下「K村車」という)で自宅のある福岡県古賀市から同県田川郡(中略)にある取引先に向かい、午前8時前頃に着いたが、支払ってもらえず、取引先を後にして同県春日市にある会社に向かった。その途中、片側1車線の八木山バイパスを福岡市方面に走行していた際、時速40km未満でゆっくりと走行する白色のワンボックスタイプの軽自動車を追い越せない状態が続き、登坂車線ができ2車線になった地点で前車が登坂車線に避けてくれたのでまっすぐ追い抜いた。時間については記憶が曖昧だが、午前9時40分過ぎ頃又は午前10時40分過ぎ頃になると思う。午前中だったのは間違いない。追い抜いた際、最初に同車運転席側後部座席で私の方を見ている小学校1年生の女児の顔が窓ガラス越しに目に入った。おかっぱ頭で赤色ランドセルを背負っていた。今まで見たことのないこわばったおびえた表情をしていた。目は合ったはずだが、助けを求める仕草はなかった。その横の助手席側後部座席には、より小柄なおかっぱ頭のもう一人の女児が身体の左側を下にして横たわっているのが見え、その奥にランドセルが置かれていた。同ランドセルの色は赤だと思っていたが、後でB山のランドセルの写真を見せてもらったらピンクで、記憶違いだった。女児2名の服装についてはよく覚えていない。次に運転手の横顔を見ると、色白、坊主頭、小柄で身長160~165cm、35歳前後の男性で、無表情で受刑者のようだった。目撃したのは追い越す間の一、二秒で、自分の目線と比べて、運転手の目線は若干高く、座っている女児はほぼ同じだった。地域で小学生と接していると小学1年生と2年生では格差があり、見ただけで分かる。幼い表情だったので、両名とも小学校1年生であることは間違いない。<br>  その日の夕方(「午後9時頃」とも証言している)、テレビのニュースで被害者両名が行方不明になっているのを知った。平日午前中にランドセルを背負った女児2名が乗車していたこと、女児や運転手の表情などから、自分が見たのが誘拐だったのではないかと思った。翌日、飯塚警察署に電話をかけ、八木山バイパスで誘拐犯と思われる者と擦れ違ったと伝えた。数日経ってから警察官1名が訪ねてきたので、目撃状況を説明し、料金所の監視カメラを調べるように言った。警察官からは、紺色の普通車ではなかったか、ボンゴタイプではなかったか、ラインがあったのではないかと確認された。その後、何の用事だったか記憶が曖昧だが、裁判所に行ったのが偶然飯塚事件の第1回公判の日であり、抽選に当たって傍聴した。事件本人の顔も容姿も八木山バイパスで見た運転手と全然違っていた。検察官の冒頭陳述でDNA型鑑定、事件本人車のシートの繊維や血痕等の話を聴き、自分が見たのは違っていたのだと思った。その後、主任弁護人の事務所を調べて電話をかけ、犯人は事件本人ではないのではないかと伝えたが、余りいい反応がなかったので、事務所を訪ねて名刺を置いて帰った。平成30年にN新聞の飯塚事件の特集記事を見て同新聞社に電話をかけ、記者と電話で話したり、二、三回会ったりした。記者から被害者両名が一緒に写っている写真1枚を見せられ、二人とも非常に似ていると思った。それまで被害者両名の写真を見たことはなかった。どんなところが似ていたのかは覚えていない。A田が私の方を見ていた女児に顔や髪形などの全体の雰囲気が似ていた。B山がもう1名の横たわっていた女児に雰囲気が似ていた。K村が新聞に載ったことで弁護人から電話があり、会うことになった。<br>  目撃時刻について、本件再審請求がされた際の記者会見では午前11時頃と話しており、弁1と弁28を比較すると、目撃時刻が約1時間早まり、原審証言では更に遡っているが、集金できずに取引先を後にした時間の記憶が曖昧で、食い違いが出たのだと思う。<br> '''エ Z3の供述'''<br>  平成11年頃、刑務所で服役中にC(以下「C」という)と同房になった。Cは飯塚市の小さな道に非常に詳しく、潤野地区についてもよく知っていた。Cについては、幼女を車で拉致して車内で性的いたずらをし、証拠隠滅のため殺したなどといううわさがあった。平成12年頃、Cは、同房者らから、「飯塚事件はお前がやったのではないか」とはやし立てられていた。Cは、最初は冗談として受け流していたようだったが、次第に無口になり深刻になっていった。私とCが飯塚事件を報じた新聞か雑誌を見ていたとき、Cは、「事件本人が犯人でないと分かったら、自分が逮捕されるのだろうか」と言い出し、その後二、三回同じことを言っていた。あるとき、隣に寝ていたCから、「飯塚事件は実は自分がやった」と打ち明けられた。Cは真剣な表情で、冗談には聞こえなかった。Cは、「逮捕されたら死刑になるのだろうか」「頭がおかしかったら、死刑にならずにすむのだろうか」と言ってきた。その後、Cは、精神的におかしなふりをするようになった。<br>  平成11年か12年頃、医療刑務所でCと会い、Cから、「事件本人の件で、逮捕されたら死刑になると思うと怖いので、馬鹿真似をして、誰とも意思疎通できないふりをしている」「いつ逮捕されるかが怖くてたまらない」と打ち明けられた。<br>  新聞で申立人が仏壇を拝んでいる後ろ姿の写真を見て、自分も冤罪で戦っているので、黙っていたらいけないと思うようになり、飯塚事件の弁護人に連絡した。<br> ===第2 原決定の要旨=== '''1''' 弁1、2、18~32、D山及びK村の各原審証言には新規性がある。明白性に関し、弁護人は前記各証言を主要な新証拠に据えているため、これらの信用性を中心に検討する。<br> '''2 D山の原審証言について'''<br> '''(1)'''D山証言は、女児2名の目撃の日時・位置・内容、その際の周辺の駐車車両の有無について本件各調書の内容を否定するものである。D山は、供述変遷の理由について、当初から捜査機関に対して原審で証言した内容を話し、本件各調書の内容が記憶と異なると伝えたものの、捜査官に押し切られてしまった旨述べるので、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性について検討する。<br>  本件警察官調書が作成されたのは、事件発生の約10日後という捜査初期であり、いまだ捜査が流動的な状況下において、警察官が、目撃の日時、場所から内容に至るまでの供述全般について、D山の記憶と異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害である。行方不明の女児が捜索されている状況において、D山が、別の日に登校途中の女児を見掛けたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、余りにも不自然であり、警察官がこのような捏造を行うとは考え難い。弁護人は、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張するが、本件各調書を見ても、事件本人が関わっていることをうかがわせるものはない。X田やW田らがE村方三叉路付近で事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述し始めたのは平成4年夏頃からであり、捜査機関が、本件警察官調書作成時に同三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書の内容は、目撃時の女児らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら詳細に述べるものであり、いつものように車を止めて化粧をしていると、女児1名を見掛け、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女児が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、B山がA田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、既に捜査機関において入手済みの情報であった可能性があるが、本件警察官調書は、駐車車両の台数の点でV村やX田らの供述と明らかに整合していないところ、警察官が、駐車車両はなかった旨のD山の供述をねじ曲げ、事前に入手した情報に基づいて強引に調書を作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX田らの供述と整合させるのが自然である。V村やX田らの供述との齟齬は、D山の記憶違いを示すとともに、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けている。<br>  さらに、本件検察官調書は、本件警察官調書とおおむね同内容であるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な内容にとどまる部分が散見され、事件発生から2年以上が経過したことに伴う記憶の減退が反映されており、D山から改めて事情を聴くことなくあらかじめ捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  本件警察官調書作成時に捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見いだせないことに加え、本件各調書の内容も捜査機関がD山の供述内容をゆがめて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''(2)'''D山の原審証言は、弁護人が当初新証拠として提出した弁2と比較しても、女児2名の目撃供述の重要部分が変遷している。すなわち、目撃日時に関し、弁2では、女児らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたのに、証言では、明確に事件当日ではないと否定している。また、目撃場所に関し、弁2では、女児らの横を通り過ぎたのはE村方三叉路であったと述べていたのに、証言では、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている。これらの変遷は、目撃供述の根幹部分についてのものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているのであれば、このような変遷をたどるとは考え難い。<br>  D山は、弁2作成時に、弁護人に対し、原審証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人も、相違が生じた原因につき、目撃日時の点は、弁護人が、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容を混同したためである、目撃場所の点は、D山が、本件再審請求に協力するに当たり、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかし、いずれの点も目撃供述の根幹部分であり、本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、記憶や書面の内容を丁寧に確認したはずであり、根幹部分に複数箇所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的説明とはいい難い。また、目撃場所に関し、D山は、弁2において、女児らを目撃する直前に自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女児らを追い越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしている。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女児らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正できているのに、後者についてのみ気が動転して適切に訂正できなかったというのは、合理的な説明にならない。<br>  D山は、弁2からも合理的理由を示すことなく核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。<br> '''(3)'''D山は、事件当日に女児らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっている。弁2からでさえ供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっている。<br> '''(4)'''D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、この点は、弁2に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に作成された弁30にも記載されていない。D山は、証人尋問の約1週間前、不意に思い出した旨述べるが、供述経過が不自然であり、信用できない。<br> '''(5)'''捜査機関が、目撃状況に関する供述をわい曲させてまで、D山の記憶と異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するに当たって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、D山の原審証言は信用できない。弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、記憶と異なる供述調書を作成されたことが事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山の原審証言は十分に信用できるなどと主張するが、前記判断に影響しない。<br> '''3 本件報告書について'''<br> '''(1)'''本件報告書は、確定判決の事実認定に従って被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験すると、D山とX田の各供述、D山とV村の各供述はいずれも矛盾しており、D山が女児らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っているとの結論が導かれるとするが、以下の理由から、同再現実験から前記結論を導くことはできない。<br> '''(2)'''本件報告書は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証しているが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定しているが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> '''(3)'''本件報告書は、被害者両名について、平原バス停付近とE村方三叉路付近で目撃された時刻から平均移動速度を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定しているが、E村方三叉路付近でD山に目撃された時刻はおおよそのものにすぎず、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名がE村方三叉路に至るまで普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、D山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。前記平均移動速度をD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性はない。<br> '''(4)'''本件報告書は、X田がX島車の後ろに停車すると同時にV村車と離合した、すなわち、X田が停車した時点でV村車が直近に迫っていたことを前提に、関係車両の移動状況や各経過時間を算定しているが、この前提にも疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。X田も、自車をX島車(原決定18頁に2か所「X島車」とあるのは誤記と認める)の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。X田がX島車の後ろに自車を止めた時点でV村車が本件報告書で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  確定判決37~38頁は、「X田が自車を一旦X島車のすぐ後ろに停車させた直後、V村車が通りかかり、離合しにくい様子だった」旨説示しているが、駐車車両の台数に関するD山の記憶違いを論証する部分であることからすると、「直後」という文言は、X田が一旦X島車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に離合した対向車はV村車のみである(D山車は同所でX田車と離合していない)ことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br> '''(5)'''本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書は当を得ないものであるから、本件各調書の信用性が減殺されることはない。<br> '''4 K村の原審証言について'''<br> '''(1)'''K村は、事件当日、女児2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその2名は間違いなく小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。<br>  しかし、目撃した2名の特徴については、おかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、被害者両名とどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、具体的根拠を全く示すことができていない。K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女児2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていたという女児でさえ、顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1名に至っては同車内で横たわっていたというのであり、顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  目撃した女児2名が小学校1年生であった根拠について、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきり分かる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によってまちまちであり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女児らを短時間目撃しただけで、全身を見たわけでも、直接会話をしたわけでもないのであるから、そのように断定する根拠は甚だ薄弱である。<br>  目撃した女児2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、2名の相違についても供述できてしかるべきであるが、顔貌のみならず、髪形、服装等の相違点の指摘はない。K村は,ランドセルの色は2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯し得る説明はない。<br>  年齢や服装等の概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われるが、K村は、目撃した女児らの服装等についてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目につきやすい特徴については記憶がないのに、事件から26年以上が経っても車で追越しざまに目撃した面識のない女児2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然である。 <br>  女児2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は信用し難い。<br> '''(2)'''女児らを目撃した時刻について、K村は、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をしている。しかも、弁1では午前11時前後と述べていたのに、証人尋問の約3週間前に作成された弁28では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では前記のとおり述べ、次第に早まっている。一度目の変遷については、取引先に自宅から会社を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認している。<br>  K村の供述は、目撃時刻に関しても信用できない。<br> '''(3)'''K村が目撃した女児2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は、被害者両名を拐取した後、一旦八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことになるが、犯人の行動として不自然である。<br> '''(4)'''弁護人は、K村は、取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視した、女児の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いた、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復継続していたなどと指摘するが、仮にK村が目撃した女児らの顔貌を明確に記憶し、その記憶を維持していたのであれば、女児らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、K村は曖昧な供述に終始している上、前記の変遷も生じている。<br>  K村の原審証言は信用できず、女児2名を目撃したのだとしても、それが被害者両名であるという合理的な疑いは生じない。<br> '''5''' 弁護人のその他の主張を踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠は、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、いずれも明白性が認められないから、刑訴法435条6号の再審事由はない。<br> ===第3 当裁判所の判断===  申立人が提出した証拠の新規性又は明白性を否定し、刑訴法435条6号の事由はないとして本件再審請求を棄却した原審の手続に違法はなく、その判断は不合理でないから、原決定は正当として是認できる。以下、弁護人の主張に鑑み補足する(なお、当審において、即時抗告申立ての趣意の理解のための参考資料として提出されたと解される資料は別紙3のとおりである)。<br> '''1 D山の新供述の明白性に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、原決定が、本件警察官調書について、警察官がD山の記憶と異なる調書を無理やり作成する必要性はなく、むしろ有害であり、駐車車両の台数の点でV村やX田らの供述と整合していないことは、D山の記憶に基づいて作成されたことを裏付けているとする点について、〔1〕本件警察官調書を作成した警察官は、被害者両名の足取りを一刻も早く把握したいと考えていた捜査本部に対し、犯行の場所や時間を特定するための有力な情報として報告する必要があった、〔2〕D山を誘導した警察官が駐車状況を誤解していたのであれば、本件警察官調書が誤った供述記載になることは当然であると主張する。<br>  しかし、目撃者かもしれない者の事情聴取にあたり、その供述と異なる不正確な供述調書を作成することは、被害者両名の正確な足取りを速やかに把握し、犯行の時間や場所を特定するという当時の捜査目的との関係では有害というほかない。初動捜査の段階から、D山の旧供述がなくても、Z田及びG山の供述等により、被害者両名が事件当日午前8時22分頃に通学路である平原バス停付近におり、その後、同日午前8時50分頃までの間に通学路外に拐取されていることは判明していたから(確定第1審甲3・25丁、甲38・345、357丁等)、犯行の時間や場所はその範囲には絞られていた。D山の旧供述は、犯人やその使用車両を目撃したといった内容ではないばかりか、既知の被害者両名を目撃したという内容ですらなく、目撃したという小学校低学年の女児2名の特徴についても、身長のほか1名の服装等を述べるにとどまっていた。他の証拠も併せ考慮してはじめて、D山が被害者両名の最後の目撃者であると認定されるに至ったものであって、最初に警察官から事情を聴かれた時点においては、事件との関連性の有無さえ確定できなかったのである。D山が原審において本件警察官調書の記載のうち記憶と異なっていたとする点は、弁護人が強調する女児らを目撃したのが事件当日か否かという点にとどまらず、原決定のいうように供述全般に及んでいるところ、D山の供述と大幅に異なる供述調書を作成したことを糾弾されるリスクや、後の捜査に混乱をもたらすリスクを冒してまで、警察官がその功績等のため本件警察官調書のような供述記載を創作した可能性は乏しい。警察官が駐車車両の台数等を誤解していた可能性は皆無ではないとしても、憶測の域を出ない上、駐車車両の台数に関する他の供述との齟齬は、本件警察官調書の曖昧な記載ぶりにも照らすと、警察官がD山の供述をありのままに録取したことの表れとみることは十分可能であり、そのような見方は不合理ではない(なお、確定審における検察官の立証構造及び確定判決の証拠構造からみて、D山の旧供述は、犯行の時間や場所の絞り込みに一定の役割は果たしたとはいえようが、それに尽きており、旧供述の有無が犯人性の推認に及ぼす影響力はかなり限定的である)。<br> '''(2)'''弁護人は、原決定が、本件警察官調書は、D山自身の心情を交えながら目撃時の女児らの動作や様子等を詳細に述べる具体性に富む内容であり、警察官が作り上げたものとは考え難いとする点について、D山の原審証言の立証命題は、D山の旧供述のうち女児らを目撃したのが事件当日であるとする部分を弾劾するものであるから、この部分に関する証言の信用性を判断すべきであって、D山の旧供述と新供述を全面的に対比して信用性を比較する原決定の手法は誤りであり、本件警察官調書が女児らを目撃した際の心情を交えた具体的なものであることは、女児らを目撃したのは事件当日ではないとするD山の新供述の信用性を否定する理由にはならないという。<br>  しかし、D山の新供述は、女児らを目撃したのが事件当日であったか否かという点だけでなく、目撃した位置やその際の女児らの動き、その直後に通過した道路の駐車車両の有無など、女児らを目撃した状況及びそれに密接に関連する部分全般について旧供述と大きく異なっており、これら一連の点について警察官がD山の記憶や供述とは異なる作文・誘導をしたという内容なのであるから、新供述の信用性を判断するに当たり、そのような作文・誘導があり得るのかという観点から、目撃したのが事件当日であったか否か以外の関連部分の内容に着目するのはむしろ自然であり、それが誤りとはいえない。<br>  付言すると、女児らを目撃したのが事件当日であったか否かという点を中心に検討してみても、D山の新供述を前提とすると、事件当日、消防隊(団)員が行方不明となった被害者両名の捜索のため農協に来ているのに、D山は捜索に役立たない話をし、これを聞きつけた警察官が後日わざわざD山から事情を聴くために農協を訪れ、そこでもD山が犯行の時間や場所の特定に役立たない話をしたにもかかわらず、事件当日に目撃したことにすべきであると判断し、更に警察官が来訪して事件当日に目撃した旨の調書を捏造したことになるが、原決定が指摘するとおり、このような経過は不自然である。また、「事件当日に警察官が農協に来たことはない。V村に女児を見かけることはある旨話したところ、『私は通勤の道順が違うから見たことはない』と言われた」旨のD山の新供述は、「事件当日午後、警察官が農協に来て、D山が警察官に女児を見たなどと話していた。自分はD山の後にE村方三叉路を通過して農協に出勤したが、女児2名は見なかった」旨のV村供述(確定第1審証人V村(V田)尋問調書1465、1469丁、確定控訴審甲40・弁60)と矛盾を来している。<br> '''(3)'''弁護人は、原決定が、本件検察官調書は、本件警察官調書と比較すると曖昧な内容にとどまる部分が散見され、時の経過に伴う記憶の減退が反映されており、D山から改めて事情を聴くことなくあらかじめ捜査官が調書を用意していたとは考えにくいとする点について、〔1〕本件検察官調書中の本件警察官調書と異なる点は、D山が訂正しなくても捜査官があらかじめ記載することが十分に可能である、〔2〕本件検察官調書の作成過程に関するD山の原審証言の核心は、検察庁に行っておらず、事情聴取をしたのは同調書に署名している検察官らではなかったという衝撃的な内容であり、記憶違いや記憶の風化では説明できず、D山がこのような点についてまで事実と異なる証言をする必要もないと主張する。<br>  しかし、本件検察官調書は、本件警察官調書とおおむね同内容ではあるが、詳細に比較すると、時間帯が若干後ろ倒し又は幅のある記載となっていたり、女児らの特徴、女児らが手をつないでいたか、女児らがD山車をよけた方向、離合した車両の特徴等について記憶がはっきりしなくなっていたり、各女児を目撃した際に別の子だと認識した理由、最後に離合した車両(確定判決によればX田車)の運転手の特徴等が付け加えられたりしている上、調書添付図面を比較しても、X田車と橋(ガードレール)と位置関係が異なるなど、複数箇所で違いが見られる。仮に、D山が原審で証言するように、改めて事情を聴かれることなくあらかじめ出来上がった調書を示され、本件警察官調書添付図面を見せられて模写するように言われて従ったのだとすると、ここまでの差異が生ずるとは考えにくい。D山が原審で証言する喫茶店で会った相手方の説得内容は、当時の捜査の進捗状況、検察官の立証構造におけるD山の旧供述の位置付け、既に本件警察官調書が存在していたこと等に照らして不自然であり、違和感を否めない。一方、本件検察官調書は、同じ検察官が福岡地方検察庁飯塚支部において同じ検察事務官立会いの下、手書きで作成したとされる検察官調書(確定第1審甲38、44、500、538、554、556、557、558、559、579)と比較して体裁に不自然な点はない上、D山の供述に対し、取調官がその意味や理由について更に問いを投げかけて答えを得て、検察官が口授した内容を検察事務官がその都度録取していったとの見方に沿う部分もある。<br>  本件検察官調書の作成過程に関するD山の新供述は、喫茶店の場所を特定している点などにおいてある程度具体性を伴っていることを踏まえても、後記のような供述の変遷やその程度、新供述に至るまでの経緯等も考慮すると、一貫して保持された記憶に基づくものとみるのは難しく、後述するとおり、本件各調書の作成をなかったことにしたいという願望や、記憶の混同、変容、欠落等に起因する信用性の乏しいものであるといわざるを得ない。<br> '''(4)'''弁護人は、原決定が、D山は、原審において、女児2名の目撃供述の根幹部分について、弁2からも合理的理由を示すことなく供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられず、警察官から紺色ワゴン車に関する質問をされたことは、弁2だけでなく弁30にも記載されておらず、供述経過が不自然であり、信用できないとする点について、〔1〕女児らを目撃した日についての新供述に実質的な変遷はない、〔2〕弁2は、本件警察官調書の作成から約26年が経過した時点で、初対面の弁護人に対して最初に事情を説明した際に作成されたものであるから、女児らを目撃した場所について記憶が戻らない状態だったにすぎず、その後の面談の中で思い出して訂正に至ったことは、何ら不合理ではない、〔3〕D山が記憶を維持してきたのは、女児らを目撃したのは事件当日ではないということであり、このような簡明な事実に関する記憶が歳月によって風化することはあり得ない一方、それ以外の事実については記憶が風化していたはずであるから、真実警察官から紺色ワゴン車に関する質問をされていたのであれば供述録取書作成時に弁護人に話すはずとはいえず、弁護人との面談の中で記憶が喚起されて説明するに至ったことは何ら不自然ではないと主張する。<br>  しかし、原決定が指摘する変遷部分、すなわち、女児らを目撃したのが事件当日ではないという明確な記憶があったのかという点、化粧を終えて発進した後に女児らの横を通り過ぎたのが、E村方三叉路左折時であったのか、それよりもずっと東側(確定判決が認定した被害者両名の通学路外)であったのかという点、事情聴取の際に事件本人車を示唆する質問があったのかという点は、核心部分そのもの又はこれと密接に関連する部分であり、変遷後の供述はD山が賛同している弁護人の主張に沿う内容でもある。そして、弁2は、平成30年4月4日及び同月16日の2回にわたる主任弁護人及びZ1弁護人とD山との面談を経て、両弁護人が作成して同年5月16日に主任弁護人の事務所においてD山の署名等を得たもので、再審請求の新証拠としての提出も念頭に、慎重に作成されたことがうかがわれる。D山としても、遅くとも弁護人に連絡を取った時点では、記憶を喚起して保持する必要性を意識していたはずである。そうであるのに、弁2には、取調官に対する説明の内容とは区別する形で、3か所にわたり、D山自身の記憶の内容として、「当初から私の記憶内容が曖昧で、女児2名を目撃したのが、当日だったのか、その数日前だったのかについては、全く自信がなかった」(1頁)、「女児2名を目撃したことはあるが、これが平成4年2月20日のことだったかどうかは全く分からない」(5頁)、「女児らを目撃したのが事件当日であるのか、その何日か前であるのかの記憶が不確かであるのに、調書にサインしてしまった」(6頁)などと記載され、それとは別の箇所で、取調官に対しても同趣旨の話を繰り返した旨が記載されていて(3、6頁)、要するに女児らを目撃したのは事件当日の可能性も事件当日ではない可能性もあるが、いずれとも断定できない旨述べていた。これに対し、原審証言では、弁護人の主尋問の当初こそ「当日じゃないと思います」という答えの後に「多分」という一言を付加しているものの(原審証人尋問調書11頁)、その後は女児らを目撃したのは事件当日ではないと記憶していたという趣旨の証言を繰り返しているから(同調書21~24頁)、これを変遷と評価した原決定に誤りはない。また、弁2では、D山車を停めて化粧をしていた地点については、旧供述よりもF寄りである旨本件各調書の記載を訂正している一方、女児2名を追い越したのはE村方三叉路を左折した後の地点とされており、当時の記憶が保持されていたのであれば、後者の点を訂正できなかったというのは不自然であるし、その後喚起されたという記憶の正確性にも疑念を抱かざるを得ない。さらに、弁2には「同月22日は、この程度の話をして終わったと思う」旨明記され(3頁)、警察官からカタログを見せられて紺色ワゴン車に関する質問をされたといった話は弁30にも一切出てこないが、真実カタログを見せられるなどしていたのであれば、弁護人との面談を経てもこれらの供述録取書作成時までに記憶が喚起されなかったということになり、そのような経緯は不自然であり、不意に思い出したとする記憶の正確性も疑わしい。そのほか、D山の供述には、弁2と原審証言とを比べると、複数の点につき食い違いが認められ、証言中でも変遷している点がある。女児らを目撃したのは事件当日ではないという点を含め、D山が当時の記憶を正確に保持しているのであれば、このような供述経過をたどるとは考え難い。<br> '''(5)'''弁護人は、D山は、自らの記憶と異なる供述調書が作成されたことが事件本人に対する死刑判決に影響を与えたのではないかという自責の念や、供述調書作成時に記憶と異なる点を是正しようとしたもののできなかったことへの後悔から、今度こそ自らの記憶どおりに証言すると決意し、事件当時のように生活の平穏が乱される事態になることを恐れながらも、弁護人に接触して良心に従って証言することを名乗り出たものであって、あえて記憶と異なる内容の供述をするはずがなく、弁護人に迎合し、思い込みによって記憶が変容することもあり得ず、また、旧供述が記憶と符合していた可能性もあるかもしれないという曖昧な記憶だったのであれば、これほど自責や悔悟の念にとらわれることにはならないし、弁護人に接触して供述を訂正しようという行動に出る必要はなかったのであり、原決定はD山が証言するに至った動機や心情を無視ないし軽視していると主張する。<br>  弁2、32等によれば、D山は、事件直後に警察の事情聴取に応ずると、供述内容がマスコミに漏れて連日のように取材攻勢に悩まされるようになり、断り切れずにテレビ取材に応じたところ更に嫌な思いをし、結局農協を辞めることになるという、二度としたくない経験をした上、その後程なくして転居し、次第に気にならなくなっていた矢先、繰り返し要請されて本件検察官調書の作成のためやむなく帰省したというのである。そして、D山は、再び同じ県内に住むようになって以降、マスコミ報道やYouTube等を見て、事件本人は無実かもしれず、自己の供述が事件本人を死刑にしてしまったかもしれないという強い後悔の念が湧いてくるようになった上、第1次再審請求に係る即時抗告棄却決定を受けた弁護団の記者会見の内容を知って不安が募り、夜も眠れない状態となり、弁護人の事務所に「YouTubeで講演を見た。先生たちと同じ考えで、犯人は他にいると思っている。講演会等があれば参加したい」などと電話をかけ、新供述に至ったというのである。原審でも、「本件各調書が判決に影響を与えたと思っており、それが精神的負担になっている」旨証言している。<br>  このような経緯やD山を取り巻く状況等に照らすと、D山が自責や悔悟の念、不安といった心境に至ったこと自体が不自然であるとはいえず、D山があえて現在の記憶と異なる内容の供述をしている可能性が高いなどとみているわけではない。しかし、D山の新供述の不自然性、他の証拠との齟齬、変遷の内容やその程度等に照らすと、D山が見聞きした報道や弁護人の見解等に無意識のうちに迎合し、あるいは思い込みによって、事件当日や本件各調書作成当時に関する現在の記憶自体が変容してしまっている可能性は否定できず、少なくともそのような見方が不合理とはいえない。すなわち、D山にとって本件各調書の作成は辛く嫌な出来事であり、これを思い出さないようにしていたこともあって、時の経過とともに記憶が曖昧になることは無理もないことであるが、それだけではなく、確定判決に疑問を投げかける情報に接したことを契機に、それを支持する情報ばかりが目に付くようになると、その結果、記憶が一層混乱するとともに、自身のみがE村方三叉路付近で女児2名を目撃した旨供述しているという現実を抱えきれなくなり精神的に不安定な状態が亢進しかねない。そうした場合、その苦境から脱し、自らの心身を守るため、自身が目撃した状況は事件と無関係であり、旧供述は自身がしたものではないことにしたいという心理が働くことや、それが言動に影響してしまうことは十分に考えられ、D山の新供述の不自然性等(例えば、D山が当初から原審証言の地点で女児らを目撃し追い越したと供述していれば、D山が被害者両名の最終目撃者とされなかった可能性が高まる)に照らすと、その疑いは濃厚である。D山が意図的に虚偽供述をしているのではなくても、前記のような新供述を信用するのは極めて困難であるといわざるを得ない。<br> '''(6)'''弁護人は、〔1〕平原バス停付近で被害者両名を目撃したZ田は、事件当日に学校にその旨報告したところ、学校に来ていた警察官がZ田方に来て目撃状況を報告した旨供述しており、D山が事件当日に警察官に対して同日女児らを目撃したと供述していたのであれば、Z田と同様に、直ちにその供述について詳細な事情聴取がされていたはずであるが、そのような対応は取られていない、〔2〕D山の旧供述が事件当日に女児らを目撃したとする時間帯、E村方三叉路付近ではW田とX島が立ち話をし、X田がX田車で同三叉路を北上し、V村がD山の後にV村車でD山車と同一方向に同三叉路を走行しているが、D山以外誰一人として被害者両名を目撃していないと指摘し、このような客観的状況ないし動かし難い事実は、旧供述と整合せず、D山の原審証言の信用性を補強しているのに、原決定はこの弁護人の指摘について判断することを意識的に回避していると主張する。<br>  しかし、いずれの点についても、確定審の段階で既に判断の前提とされていた事情であり、原決定は、そのような観点等から具体的に取上げる必要まではないと判断したものと解される。<br>  付言すると、〔1〕の点については、D山と異なりZ田は既知のA田らを目撃したと供述していたものである上、本件各調書によれば、D山は事件当日に農協を訪れた警察官に目撃状況を説明したとされており、目撃者がその場にいなかったため来訪することとなったZ田との間で、警察の対応に有意な差があるとはいえないから、旧供述の信用性は損なわれず、新供述の信用性が補強されることにもならない。〔2〕の点については、確かに、確定審の証拠関係からは、事件当日午前8時30分前後頃、E村方三叉路付近にいた4名(V村、W田、X島及びX田)の中に、被害者両名を目撃した者が存在しないというのは、一見すると不自然さを否めないようにも思われる。しかし、そもそも、関係者がE村方三叉路付近にいた時間や場所を客観的かつ正確に認定することはできない上、D山による目撃後の被害者両名の行動は、あらゆる可能性を排除できないのである。これは、確定第1審及び控訴審判決において「被害者両名はD山に目撃された後犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性があり、犯人が顔見知りであったため被害者両名は容易に乗車したと推認される」旨指摘されていることからも明らかである。弁護人の指摘は、それ自体では新旧両供述の信用性に影響するような事情とはいえない。<br> '''(7)'''弁護人は、D山の旧供述は、同意書面として取り調べられたものであり、信用性について反対尋問等による検討を経ていないものであるのに、原決定はこの点を考慮していないという。<br>  しかし、原決定(8頁)も指摘するとおり、本件各調書は、捜査段階から事件本人が犯人性を争っている中、確定審で検察官から弁護側に開示された証拠であって、〔1〕本件検察官調書は、確定第1審において検察官が立証趣旨を「被害児童両名の登校状況」として請求し、当時の弁護人が同意した上で取り調べられたもの、〔2〕本件警察官調書は、確定控訴審において、検察官が「供述経過」を立証趣旨として請求し、弁護側(主任弁護人その他の本件の弁護人4名を含む)が異議なしとの意見を述べただけでなく、弁護側も「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求して検察官が同意し,双方請求の書証として採用されて取り調べられたものである。弁護側からD山の証人尋問が請求されたこともなかった。利害関係のない第三者であるD山の旧供述については、その信用性を疑う理由が見当たらないのである。<br>  D山の新供述には既に述べた看過し得ない問題点があることも踏まえると、本件各調書が書証であることが信用性判断に影響することはない。 <br> '''(8)'''弁護人は、〔1〕原審において、弁護側が求めたD山の初期供述に関する証拠の開示について、検察官は、同証拠が残されていないはずがないのに、不存在と釈明し、検察官がその存在を認めた検察官送致記録添付の一覧表(送致記録中の書類目録及び関係書類追送書をいうものと解される。以下「書類目録」という)についての原裁判所の開示勧告を拒否したが、原決定は、D山の原審証言の信用性を評価するに当たり、この検察官の対応を捨象している、〔2〕検察官が、同勧告に従わなかったという事実から、D山の初期供述に関する未開示証拠の存在が推認されるともいう。<br>  確かに、本件各調書によれば、事件当日の被害者両名の捜索時に警察官がD山から事情を聴取したとされているが、いまだ被害者両名の生死が不明の時点での聴取であって、その約10日後には本件警察官調書が作成されているから、初動捜査の段階におけるD山供述の位置付け(前記第3の1(1))にも鑑みると、当初の事情聴取結果が捜査書類の形で確実に存在しているはずであるとはいえず、検察官の回答が明らかに虚偽であるとはいえない。検察官は、原審の書類目録の開示勧告に対し、〔1〕書類目録は内部の連絡文書又は手続文書であって証拠ではない、〔2〕書類目録を開示しても弁護人が開示を求める証拠の存否は明らかにならないことなどからすると、開示の必要性がない、〔3〕探索的に膨大な証拠開示勧告申立てが繰り返され、手続が紛糾し、参考人のプライバシーが侵害されるなどの弊害があるといった理由を述べて勧告に応じなかったものであり、その見解に全面的に賛同することはできないとはいえ、検察官の対応から、手持ち証拠中に存在するD山の初期供述に関する証拠を意図的に隠蔽しているとみるのは、合理的な根拠のない憶測というべきである。原決定が、D山の新供述の信用性を判断するに当たり、証拠開示に関する検察官の対応を考慮しなかったことに誤りはない。<br> '''(9)'''その他弁護人の主張に鑑み検討を加えても、D山の新供述の信用性に関する原判断に不合理な点はない。<br> '''2 本件報告書の明白性に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、本件報告書は、被害者両名の歩行速度を平均的な速度より早く設定しても、X田やV村の視界から消えることはあり得ないことを明らかにしていると主張する。<br>  しかし、本件報告書が前提とする被害者両名の歩行速度(秒速約0.75m)は、確定判決が依拠した子供の足の速さ(確定第1審甲33)よりも遅い上、原審で検察官が指摘していたように、小学校1年生の女児の平均的な平常歩行速度と比べてもやや遅い。原決定も指摘するとおり、本件各調書によれば、被害者両名がE村方三叉路に現れたのは午後8時30分ちょうどではなく、その少し前等とされており、本件報告書の想定より短時間で平原バス停付近とE村方三叉路の間を移動した可能性がある上、被害者両名はいずれの地点でも学校に行きたくない様子で「とぼとぼ」ないし「だらだら」と歩いており(確定第1審甲38、39等)、両地点間では普段よりも遅い速度で歩いていた可能性を否定できない。しかも、D山が目撃した後の被害者両名の行動は不明なのである。被害者両名が秒速約0.75mよりも早い速度で北上するなどしたため、X田やV村に目撃されなかった可能性は相応にある。<br> '''(2)'''弁護人は、確定判決38頁の「直後」の意味をV村車が離合するタイミングの趣旨であると読み替える原決定の解釈は、文理に反し作為的であると主張する。<br>  しかし、原決定も指摘するとおり、「X田車が一旦X島車のすぐ後ろに停車した直後、V村車が通りかかった」旨の確定判決の説示は、駐車車両が3台あった旨のD山の本件検察官調書における供述が、他の関係者の供述等に照らし記憶違いであることを論証する中での説示であるから、「直後」というのは、X田車が一旦停車した後V村車と離合する前に他車と離合していないことをいわんとしたものとみることも可能であり、V村、W田及びX田の供述内容(確定第1審証人V村(V田)尋問調書1459丁、同証人W田尋問調書1495丁、同証人X田尋問調書1598、1607丁。確定控訴審甲40・弁60も同様)に照らしても、本件報告書が想定するような、X田車が当初の停車位置に到達した時点でV村車が目前に迫っているような状況を想定した説示とは限らない(更に言えば、確定判決40頁の説示からD山車とX田車が離合した地点をD山とX田がそれぞれ供述する地点の中間と設定する本件報告書の想定にも疑問がある)。原決定の解釈は不合理でない。<br> '''(3)'''弁護人は、本件報告書に係る再現実験は、原決定のいうように関係者の移動に要した時間を秒単位で再現しようとしたものではなく、誤差を吸収できるだけのバッファを考慮したおおよその速度を前提としており、X田車がD山車と離合してから極めて短時間でX田が被害者両名を目撃可能な位置に達すること、V村車がE村方三叉路入口に到達していれば、被害者両名が通学路を後戻りしたとしてもV村は被害者両名を目撃できること、V村車が同三叉路入口からX島車付近まで移動するのに要する時間は数秒間であることが確認されているから、旧供述どおりD山が被害者両名を目撃したのだとすると、X田やV村が被害者両名を目撃しないことはあり得ないと主張する。<br>  しかし、本件報告書には、被害者両名の移動速度や確定判決の解釈に関して既に指摘したような問題点がある上、車両等の位置の決定の参考にしたとされる各調書添付図面は、道路状況を含めて手書きされたものか(本件検察官調書)、住宅地図に手書きで書き込みをしたもの(各証人尋問調書)で、いずれも視認可能性の検証をも想定した正確性を企図したものではない。各図面を比較すると、おおよその位置関係は合致していても、距離を問題とするのであればずれが生じているし、本件各調書の添付図面間の食い違いからすると、D山車とX田車が離合した位置についてのD山の記憶は曖昧なものであったこともうかがわれる。後述するとおり、確定判決の事実認定に従っていない部分もある。本件報告書に係る実験は、地点の特定を含め、確定判決が認定した事件当時の状況を正確に再現できているとはいい難く、X田やV村が被害者両名を目撃しないことはあり得ないなどという本件報告書の結論を採用することはできない。<br>  なお、本件報告書は、「V村はD山が被害者両名を目撃してから約3分後に同じ道を通った」旨の確定判決の認定は完全に誤っているとも指摘する。V村がD山のどの程度後にE村方三叉路を通過したかについて、確定判決は、「ほんの数分後」という表現(10頁)だけでなく、「約3分後」という表現も用いているが(39頁)、その根拠をみると、D山が、本件検察官調書において、「農協の駐車場で化粧品等を拾い集めたりしているうちにおそらく3分くらいかかったのではないかと思う。するとちょうど同僚のV村がV村車に乗って駐車場に入ってきた」旨供述している点を捉え、そこから遡ると同三叉路においてもその程度の間隔はあったと推認できるとの判断に基づくものと解される(確定判決33頁参照)。確定判決は、D山が午前8時30分過ぎ頃同駐車場に到着し、D山と共に農協に入店したV村が時計(大体合っているという限度のもの)を確認したところ午前8時33分頃であったことをも前提としており(確定判決33、34頁)、「約3分」といった説示は、相応の幅を持たせたものであることも明らかである。本件報告書は、確定判決の事実認定に従うとしながら、D山による被害者両名目撃の約3分後にV村がE村方三叉路を通過した旨の事実認定については前提としない一方、視認可能性に関する再現実験の算定根拠となるほどの客観性や正確性を指向していない確定判決や調書の記載についてはその意図しない方法で用いるなど、条件設定が恣意的との印象を与えかねず、そのような実験については公正さを疑われ、得られた結論の説得力が乏しいと評価されてしまってもやむを得ない。したがって、「V村はD山が女児らの横を通過してから21秒後に同じ地点を通過した」という結論もまた採用できず、確定判決の認定の誤りを示すものとはいえない。<br> '''(4)'''弁護人は、本件報告書に係る再現実験では、V村車が、E村方三叉路が見え始める地点に到達し、同三叉路入口を通過し、X島車付近へと進んでいき、同三叉路の内部を詳しく見ることができるようになったにもかかわらず、被害者両名を目撃しなかったことが明らかになっているのに、原決定はこのことを無視しているともいうが、確定判決も原決定も、V村がD山による被害者両名目撃の約3分後にE村方三叉路を通過したことを前提としているから、その点で弁護人とは異なっているが、弁護人指摘の点は前提としていると解される上、これを踏まえても、本件報告書に既に指摘したような問題がある以上、信用性を欠くとの結論は変わらない。<br> '''3 K村の供述の明白性に関する主張について'''<br> (1)弁護人は、K村の原審証言の信用性と、事件との関連性は別問題であり、前者は後者を判断する前提事項であるのに、原決定は両者を混同して信用性の問題として評価しており、論理性を欠いていると主張する。<br>  しかし、K村が事件当日に女児2名を目撃したのだとしても、それが被害者両名でないのであれば、K村供述が旧証拠の証明力を減殺する余地はないことになるし、被害者両名である可能性が乏しいということになれば、被害者両名を目撃したかのようにいうK村供述の信用性には疑念が生ずることになるから、女児2名を目撃した時刻、場所、被害者両名との類似性など、事件との関連性を示す部分の信用性を中心に吟味した原決定の手法に誤りがあるとはいえない。<br> (2)弁護人は、原決定が、目撃した女児2名に関するK村の原審証言について、被害者両名と顔貌が似ていたとする根拠が具体性を欠くこと、小学校1年生と断定する根拠が甚だ薄弱であること、前記2名の相違点についての指摘もないこと、年齢や服装等の概括的で目につきやすく記憶に残りやすい特徴の言及が乏しいことなどを理由に、女児2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は信用し難いとする点について、〔1〕「目撃した女児2名は記者から見せられた被害者両名の顔写真と雰囲気が似ていた」旨のK村の原審証言は、恨めしそうな顔で見つめられたという特異な体験をし、その表情を忘れられなかったことから可能になったものであり、短時間の目撃であったのであるから、それ以上に似ているとする具体的根拠を示せなかったことは、信用性を否定する理由にならない、〔2〕記憶の残りやすさについて、何ら不審を抱くことなく目撃した場合と、K村のように不審を抱いて目撃した場合とを同列に論ずることはできない、〔3〕女児1名のランドセルの色の記憶違いについても、短時間の目撃であることを考慮すれば、記憶が明確でなくなるのは当然であるなどと主張する。<br>  しかし、原決定も指摘するとおり、K村は、目撃した女児2名が被害者両名であると同定する具体的根拠に乏しく、学年を特定する根拠は甚だ薄弱で、特に後部座席に横たわっていた女児についての視認条件は良好とはいい難く、顔貌を確認し、記憶できたとは到底思えないにもかかわらず、断定的な供述を繰り返している。K村は、B山に似ている女児の奥に置かれたランドセルの色が赤だと思ったのは記憶違いだった旨証言するが、B山のランドセルの色と記憶しているランドセルの色が一致しないのであれば、別人である可能性を思い描いてしかるべきであるのに、なぜ当初の記憶が間違いであると即断できるのか不明である。これらは、K村の知覚及び記憶の正確性に疑問を抱かせ、目撃した女児2名が被害者両名であるとの思い込みに基づいて供述している可能性を示す事情である。<br>  付言すると、K村は、面識のない女児2名を目撃してから約26年の間、被害者両名との同一性を確認する機会がなく、かつ、確認時には被害者両名の写真だけを示されたというのである。目撃から原審証言まで30年以上の期間が経過し、実際に目撃した女児2名の印象が薄れてもおかしくない中、記者から示された被害者両名の写真の記憶との混同が生じているのではないかとの疑いも抱かざるを得ない。<br>  また、K村は、弁1、28では、ランドセルを見たという以上に女児2名の年齢を具体的に特定する供述はしていなかったのに、原審ではいずれも小学1年生であると断言している。弁28では、記者から見せられた被害者両名の写真のうち、A田がK村の方を向いていた女児に似ていたとしか述べていなかったのに、原審では被害者両名とも似ていたと証言している。最初に目に入ったのが誰かという点や、裁判所を訪れて事件本人の公判を傍聴した経緯等についても変遷している。不審車両の運転手の年齢については、同運転手がZ4である可能性をいう弁護人の主張に沿う形で次第に具体的になっており、検察官から被害者両名の死亡時刻は午前9時30分頃と判断されている旨指摘されると、そのことは知っているとした上で、女児のこわばった表情からして完全に消化不良を起こしているなどと、死亡時刻は確定判決の認定より遅かった可能性をいう弁護人の主張に沿う証言もしている。<br>  このように、K村の供述には、当初の知覚及び記憶が不正確で、当時の記憶がそのまま維持されていないことを疑わせる事情だけでなく、長い年月の中で確定判決に関する様々な情報に接したことなどから、自身は被害者両名を目撃しているという思い込みや、犯人は事件本人ではないという先入観に基づいて供述しているのではないかと疑わせる点もみられる。<br> '''(3)'''弁護人は、原決定が、目撃時刻に関するK村の供述は変転していることなどからして信用できないとする点について、K村の原審証言の核心部分は、「事件発生日の事件発生時刻と近接した時間に、事件発生場所と近接した場所である八木山バイパスで、35歳前後の男性が運転する、小学校1年生(弁護人は小学1年生「くらい」とするが、K村は小学1年生と断言している)の女児2名が乗った白色軽ワゴン車を目撃した」などという部分であり、目撃時刻は核心部分ではなく、目撃から30年余りが経過してこの点の記憶が曖昧になり、変遷が生じていたとしても、核心部分の信用性は否定されないと主張する。<br>  しかし、目撃時刻と確定審の認定する殺害及び死体遺棄の時刻との先後関係は、K村供述の重要部分であるから、目撃時刻が早まる方向に供述が変転し、曖昧となっていることをもって、信用性を否定する一事情とみた原決定は不合理でない。<br>  付言すると、K村は、弁28において、「弁1では会社から取引先に向かったと考えて計算していたが、自宅から取引先に直接向かったことを思い出した」旨供述して目撃時刻を約1時間遡らせているが、原審では「当初から弁護人に自宅から直接取引先に向かったと説明していた」とも述べており、弁1と弁28の間の変遷の理由すら曖昧となっている。<br> '''(4)'''弁護人は、原決定が、K村が目撃した女児2名が被害者両名であるとすると、犯人は被害者両名を拐取した後、一旦八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことになって不自然であるとする点について、突発的な事件であり、犯人は殺害等に及ぶ場所を物色して迷っていたと考えられるから、八木山バイパスを走行するはずがないとはいえないと主張するが、原決定の評価が不合理とはいえない。<br>  付言すると、K村は、平日に女児2名が乗車していたこと、女児や運転手の表情等から、目撃したのは被害者両名と犯人だったのではないかと思ったというが、表情等に関するK村供述を前提としても、男性が女児2名を乗せて同バイパスをゆっくりと走行する目的としては、様々な可能性が考えられるところである。女児2名の識別供述に証拠価値が認められない以上、目撃した時刻、場所及び進行方向等に照らし、K村が目撃した状況は事件とは関連がないと推認するのが合理的である。<br> '''(5)'''弁護人は、警察官から紺色ボンゴタイプ車でなかったかと質問されたとするK村の証言部分は、T田供述が誘導によるものであることを強く示唆するとともに、K村の供述調書が作成されなかった理由を明らかにするものであるのに、原決定はこの部分を無視していると主張する。<br>  しかし、弁護人指摘の部分を含め、K村の原審証言の信用性を否定したものと解される原決定は不合理でない。当時、捜査機関は犯人が白色の車両を使用していた可能性もあるとみて捜査を継続していたことがうかがわれ(確定第1審N尋問調書1376、1387、1398丁、確定控訴審弁7)、K村の証言内容は捜査の初期段階における警察官の質問として不自然さを否めない。また、弁1では、警察官から紺色の普通車でボンゴタイプではなかったかと聞かれたという話は一切出てこない。弁1は、令和2年1月9日、K村がZ1弁護人及びZ2弁護人に対して話した内容を、弁護人側で供述書の原稿としてまとめ、同月23日、K村が署名するなどしたものであるところ、K村は弁護人には弁1作成前にこの話を伝えていたかのように証言するが、仮にそうであったとすれば、弁護人がかねてより強く主張している事件本人を犯人視する見込捜査の可能性を示す一事情と捉えるのが自然であり、供述書の原稿に記載されないとは考え難い。K村は、事件に関する報道を通じ、長年紺色のボンゴタイプ車の目撃状況が争われてきたことを認識しており、その供述には既に指摘したような問題点があることにも鑑みると、警察官から紺色ワンボックス車ではないかと聞かれたとする点も信用し難いとする見方が不合理とはいえない。<br> '''(6)'''弁護人は、K村は、事件と利害関係がないのに、目撃した女児の恨めしそうな表情が忘れられず、何もできなかったことに対する自責の思いや、事件に関係していると確信していた目撃状況を明らかにしなければという責任感等から、事件の発生を知ってすぐに警察に連絡し、数日後に事情聴取に訪れた警察官に監視カメラを確認するよう助言しただけでなく、長年にわたり、公判を傍聴し、弁護人の事務所に電話し、同所を訪問するなどの行動をとり続けてきたのであり、虚偽の供述をしなければならない動機はないと主張し、原決定はこのようなK村が証言するに至った動機や心情を無視ないし軽視していると主張する。<br>  しかし、K村が、そのような責任感等を有していること自体を疑っているわけではなく、そうした心境があるからこそ、自らが事件の真相を知っているという思い込みを生み、それが記憶や供述をゆがめている可能性もうかがわれるのであるから、弁護人指摘の事情は、K村供述の信用性判断を左右しない。<br> '''(7)'''弁護人は、〔1〕原審において、弁護側が求めたK村の初期供述に関する証拠の開示について、検察官は、同証拠が残されていないはずがないのに、不存在と釈明し、原裁判所の書類目録の開示勧告を拒否したが、原決定は、K村の原審証言の信用性を評価するに当たり、この検察官の対応を捨象している、〔2〕検察官が、同勧告に従わなかったという事実から、目撃後の通報や事情聴取時の説明内容等についてK村の証言どおりの内容が記載された証拠の存在が推認できるともいう。<br>  しかし、K村の供述を前提としても、来訪した警察官がK村の話を手帳にメモしていたにとどまるのであって、その説明内容や、当時、同様の目撃情報は多数寄せられていたとうかがわれること(確定控訴審弁7)にも鑑みれば、事情聴取結果が捜査書類として確実に存在しているはずであるとはいえず、検察官の回答が明らかに虚偽であるとはいえない。また、前記第3の1(8)で述べたとおり、検察官の見解に全面的に賛同することはできないとはいえ、検察官の対応から、検察官が手持ち証拠中に存在するK村の初期供述に関する証拠を意図的に隠蔽しているとみるのも、合理的な根拠のない憶測というべきである。<br> '''(8)'''その他弁護人の主張に鑑み検討を加えても、K村供述の信用性に関する原判断に不合理な点はない。<br> '''4 証拠開示命令の申立てを職権不発動とした原審の判断に関する主張について'''<br>  弁護人は、D山の新供述やK村の供述の信用性を判断するためには、弁護人が申し立てたD山及びK村の初期供述に関する証拠の開示が必要不可欠であり、これらの証拠が存在しないはずはなく、検察官の不存在との回答はその裏付けなくしては到底信用し得ないのに、検察官に対して書類目録の開示を勧告したのみで、これに応じなかった検察官に対し、弁護人の申し立てた証拠開示命令ないし提出命令を出すなどの措置を講じなかった原審の手続には、審理不尽があるという。<br>  しかし、D山及びK村の初期供述に関する証拠が確実に存在しているはずであるといえないことは既に説明したとおりである上、原決定が評価するとおり、D山の新供述及びK村の供述の信用性はいずれも乏しく、書類目録が開示されることによりその評価が揺らぐ可能性もまた乏しかったといえるから、原審が弁護人指摘の勧告以上の措置を講じなかったことに裁量逸脱の違法はなく、審理不尽があるとはいえない。このことは、当審における審理を通じて一層明らかになったといえる。<br> '''5 公務所照会の申立てを職権不発動とした原審の判断に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、原審は、Z3がZ4と共に収容されていたとする医療刑務所に対し、〔1〕平成11年1月1日から平成12年12月31日までの間にZ3が収容されていた事実の有無、〔2〕同時期にZ4が収容されていた事実の有無、Z4が収容されていた場合には、その本籍、血液型及び顔写真に関する報告を求める公務所照会(以下、それぞれ「照会事項〔1〕」「照会事項〔2〕」といい、併せて「本件公務所照会」という)の申立てを職権不発動としたが、弁18において飯塚事件の犯人であることを告白したとされるZ4は、K村が目撃した不審車両の運転手と同一人物である可能性があり、本件公務所照会は、Z3供述及びK村供述の信用性を判断するために必要不可欠であったと主張する(なお、弁護人は、即時抗告申立期間経過後、原決定が、Z3供述の信用性及び同供述とK村供述との関連性についての判断を遺脱している旨の主張もしている)。<br> '''(2)'''弁18の概要は前記第1の5(2)エのとおりであるが,弁19及び20等によれば、弁護人が弁18を入手し、本件公務所照会を申し立てた経緯等は次のとおりである。 <br>  Z3は、平成29年11月、殺人(認定罪名傷害致死)等被告事件により第1審で懲役10年に処せられて控訴し(検察官も控訴)、控訴審係属中であったところ、平成30年4月頃、同事件の弁護人を通じ、飯塚事件の真犯人に関する情報を伝えたいとして、当時第1次再審に係る特別抗告を申し立てていた主任弁護人及びZ1弁護人に連絡を取った。両弁護人が接見したところ、Z3は、Z4(以下「Z4′」という)なる元同房者から飯塚事件の真犯人であると告白を受けた旨述べた。弁護人らは、新聞記事からZ4′はZ4であると特定したが、所在調査が奏功せずにいたところ、同年9月にZ3に対する控訴審判決があり、同年10月、Z3から、主任弁護人宛てに、「Z1弁護人が飯塚事件に関して調書を作成するので署名してほしいと言っていたがどうなったか。控訴審で第1審より重い刑に処せられてしまった。上告や憲法に強い弁護士を紹介してほしい。いつでも供述調書に署名するので面会してほしい」旨の手紙が届いた。Z1弁護人は、Z3から聴取した内容を供述録取書案にまとめ、聴取未了の日付等は空欄にした上で、同月10日、Z3に内容を確認してもらった上で差入れる一方、「上告審の弁護人になるか、弁護士を紹介してほしい」旨のZ3の依頼を断った。すると、Z3から、主任弁護人に宛てに、「供述録取書を宅下げする前に一度話がしたい」旨の手紙が届いたため、主任弁護人が2回にわたり接見し、Z3から指摘のあった箇所を訂正し、作成日付を更新した新たな供述録取書案を差し入れた。さらに、Z3から、2回にわたり、主任弁護人宛てに、「上告審を担当してくれる弁護士を早急に紹介してほしい」旨の手紙が届いた。同年12月20日、Z1弁護人がZ3と接見し、供述録取書を宅下げしない理由を尋ねたところ、Z3は、「拘置所の担当者から、両弁護人は『弁護人となろうとする者』ではなく、飯塚事件が目的ではないかと質問され、宅下げを止めざるを得なかった。弁護士を紹介してもらえば、その弁護士には宅下げができるのではないか」と提案してきた。以降、Z3との連絡は途絶えていたが、本件再審請求後の令和3年7月29日頃になり、突然、服役中のZ3から、Z1弁護人宛てに、当初差し入れた平成30年10月10日付け供述録取書案を補充訂正の上署名した弁18が郵送されてきた。その後、Z1弁護人は、Z4の刑事確定訴訟記録(判決)の閲覧申請をしたが、本籍及び住居については閲覧不許可となり、Z4の本籍、住居及び血液型についての情報を得ることができなかった。<br>  そこで、弁護人が、本件公務所照会を申し立てるとともに、検察官に対し、Z4の本籍の任意開示を求めたのに対し、検察官は、開示に応ずることはできないと回答し、本件公務所照会は不必要かつ不相当であるから職権発動すべきではない旨の意見を述べた。<br>  なお、弁護人は、弁18~20について、当初「本件公務所照会に係る照会事項、特にZ4の本籍について開示してもらえるのであれば、調査した上で新証拠として請求するかどうか検討したい」などと発言していたが、その後は「弁18の新証拠としての明白性を判断する上でZ4の特定が必要不可欠である」「本件公務所照会がされていれば、新証拠としてのZ3供述の明白性が明らかになり、K村供述の明白性も補強されたものと思料する」などと主張していた。<br> '''(3)'''原裁判所は、原決定中では、Z3供述に新規性を認めつつその信用性について具体的に取り上げて説示していないものの、本件公務所照会の申立てを職権不発動とした理由を述べる中でZ3供述の信用性にも言及しており、この判断を原決定当時まで維持しているものと解される。その理由の要旨は次のとおりである。<br>  照会事項は、犯行告白を受けたというZ3供述の信用性に直接関わるものではない。照会事項〔2〕はみだりに明らかにされないことが求められる事項であるという観点から、弁18をみると、単に犯行告白を受けたという内容で、なぜZ4がZ3に対して重大犯罪を告白したのか、処罰を恐れているにもかかわらずなぜZ3に犯行を認める供述をしたのかについて首肯し得る説明はない。作成経緯も不自然である。このように不可解な点が多々ある弁18を根拠にZ4に関する報告を求めることは相当でない。照会事項〔1〕は、それのみで照会をする必要性は認められない。<br> '''(4)'''Z3供述の信用性を否定した原判断は不合理でなく、本件公務所照会の申立てを職権不発動とした原審の手続に裁量逸脱の違法があるとはいえない。<br>  Z3が、両弁護人に対し、元同房者から飯塚事件の真犯人であると告白された旨の情報提供をし、供述録取書の作成に応ずるかのような素振りを見せたのは、前記経緯からすると、自己の刑事事件についての弁護を受任してもらい、弁護人となる者を紹介してもらうなどの有利な取り計らいを期待してのものであったとみられてもやむを得ないところである上、供述の内容も、原審が指摘するとおり唐突な感が否めない。Z3が弁18を郵送することとしたのが、本件再審請求がされたのを知ったことが一因であるとしても、最新版ではない供述録取書案に署名するなどして何の説明もなく一方的に郵送してくるなど、真摯性に疑問がある状況は続いており、この疑問を解消するに足る証拠は提出されていない。原決定が評価するとおり、Z3及びK村の供述の信用性はいずれも乏しいから、照会事項の性質も考慮し、本件公務所照会は不相当ないし不必要であるとした原審の判断が、その裁量を逸脱した不合理なものであるとはいえない。<br> '''6 原決定が第1次再審請求審で提出した証拠を改めて評価しなかったことに関する主張について'''<br>  弁護人は、原審において、第1次再審請求審の証拠評価の誤りを指摘し、第1次再審請求審における新証拠について改めて判断するよう求めたのに、原決定がこの点について何ら判断を示していないのは誤りであるというが、本件再審請求において新たに提出された証拠が旧証拠の証明力に影響することはないとの原判断が是認できる以上、第1次再審請求において明白性を否定された証拠の証明力を再評価しなかった原決定に誤りはない。<br> ===第4 結論===  以上のとおり、本件即時抗告には理由がない(なお、即時抗告申立期間経過後に新たに追加された主張を踏まえて検討してみても、この結論は変わらない)。<br>  よって、刑訴法426条1項により、主文のとおり決定する。<p> 令和8年2月16日<br> 福岡高等裁判所第1刑事部<br> 裁判長裁判官 溝國禎久 裁判官 内藤恵美子 裁判官 大友真紀子<br> <br> (別紙1)図面<br> (別紙2)<br> 括弧内は作成者ないし供述者と作成日付である。<br> 弁1  供述書写し(K村、令和2年1月23日)<br> 弁2  供述録取書写し(D山、平成30年5月16日)<br> 弁3  判決書写し(陶山博生ほか2名、平成11年9月29日)<br> 弁4  判決書写し(小出錞一ほか2名、平成13年10月24日)<br> 弁5  判決書写し(滝井繁男ほか4名作成、平成18年9月8日)<br> 弁6  最新の方法によるDNA鑑定結果報告書写し(本田克也、平成21年10月13日)<br> 弁7  鑑定書写し(本田克也、平成24年10月15日)<br> 弁8  鑑定書写し(本田克也、平成27年8月17日)<br> 弁9  殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月2日)<br> 弁10 殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月4日(午前))<br> 弁11 殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月4日(午後))<br> 弁12 遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書写し(K3、平成4年10月15日)<br> 弁13 いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書写し(嚴島行雄、平成23年7月8日)<br> 弁14 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書写し(嚴島行雄、平成27年4月30日)<br> 弁15 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺写し(嚴島行雄、平成27年5月8日)<br> 弁16 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書写し(嚴島行雄ほか1名、平成27年12月2日)<br> 弁17 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書補遺写し(嚴島行雄ほか1名、平成27年12月14日)<br> 弁18 供述録取書写し(Z3、平成30年10月10日)<br> 弁19 封筒写し<br> 弁20 Z3の供述録取書の入手経過とその後の調査結果について(Z1、令和4年5月3日)<br> 弁21の1ないし3 空中写真<br> 弁22 空中写真<br> 弁23 地図<br> 弁24 地図<br> 弁25の1及び2 飯塚市道路台帳平面図写し<br> 弁26 現場再現実験報告書(飯塚事件弁護団、令和5年2月17日)<br> 弁27 E村方三叉路の見通し状況の図と写真、三叉路方面の視界写真(Z6、令和5年2月14日)<br> 弁28 供述録取書(K村、令和5年5月6日)<br> 弁29 地図<br> 弁30 供述録取書写し(D山、令和5年10月13日)<br> 弁31の1 田川市内の「喫茶店」についての報告書(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の2 レストハウス「Z7」の写真(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の3 1992年3月発行のゼンリン地図から作成した書面(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の4 1995年3月発行のゼンリン地図から作成した書面(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁32 ノート写し<br> 弁33 地図<br> 以上<br> (別紙3)<br> 括弧内は供述者ないし作成者と供述ないし作成の日付である。<br> 1 面談反訳書(D山ほか2名、平成30年4月4日)<br> 2 面談反訳書(D山ほか3名、平成30年4月16日)<br> 3 面談反訳書(D山ほか3名、平成30年5月16日)<br> 4 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年6月27日)<br> 5 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年10月13日)<br> 6 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年11月7日)<br> 7 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年11月22日)<br> 8 前記1ないし7の面談に係る録音を記録した記録媒体<br> 9 前記1ないし7の抜粋等(主任弁護人、令和7年9月5日)<br> 10 報告書(Z1、令和7年8月18日)<br> 11 N新聞写し(平成30年6月23日、同月25日及び同月26日)<br> ※前記1及び7は2回にわたり提出されている。<br> 以上<br> 8ocbsc3w4sejynnntazlw3mm7jna2zo 246557 246533 2026-10-12T04:27:18Z ろづき 28406 246557 wikitext text/x-wiki {{Header |title=福岡高等裁判所令和6年(く)第97号 |year=2026 |notes= * 掲載TKC/DB25626373 [https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/093239_hanrei.pdf 裁判所ウェブサイト]。確定判決については、[[福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号|第1審判決]]、[[福岡高等裁判所平11 (う) 第429号|第2審判決]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/437/080437_hanrei.pdf 最高裁判決]。第1次再審請求審については、[[福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号|第1審決定]]、[[福岡高等裁判所平成26年 (く) 第56号|第2審決定]]、[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/090266_hanrei.pdf 最高裁決定]。本決定の原審については、[[福岡地方裁判所令和3年(た)第3号|第1審決定]]。 }} 福岡高等裁判所令和6年(く)第97号<br> 令和8年2月16日第1刑事部決定 ==決定== 申立人 久間C子<br> <br>  亡久間三千年(以下「事件本人」という)に対する死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件(福岡地方裁判所平成6年(わ)第1050号、第1157号)に関し、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対する再審請求事件について、令和6年6月5日福岡地方裁判所がした再審請求棄却決定に対し、請求人から即時抗告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。 ==主文== 本件即時抗告を棄却する。 ==理由==  本件即時抗告の趣意は、申立人が提出した証拠の新規性又は明白性を否定し、刑訴法435条6号の事由はないとして本件再審請求を棄却した原審の手続及び判断は誤っているというものである。 ===第1 事案の概要及び審理の経過等=== '''1''' 本件は、事件本人の妻である申立人による第2次再審請求を棄却した原決定に対する即時抗告である。<br> '''2 確定判決(第1審判決)が認定した罪となるべき事実の要旨(以下、地名等は、いずれも当時のまま用いることとする)'''<br>  事件本人は<br> '''(1)'''平成4年2月20日午前8時30分頃から同日午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市大字潤野(中略)番地の(中略)付近路上において、潤野小学校に登校中の当時7歳の女児2名(以下、第1審判決の挙示する順に「A田」「B山」といい、併せて「被害者両名」という)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト。以下「事件本人車」という)に乗車させ、通学路外に連れ出して、未成年者である被害者両名を略取又は誘拐した。<br> '''(2)'''同日午前8時30分頃から同日午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で締め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害した。<br> '''(3)'''同日午前11時頃、同県甘木市大字(中略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した。<br>  なお、当時、前記(1)の住所地にはE村方があり、別紙1の図面のとおり、同人方は三叉路に面していた(以下、この三叉路を「E村方三叉路」という)。<br> '''3 確定審の経過及び判断'''<br> '''(1)'''事件本人は犯人ではないと主張したが、平成11年9月29日、第1審判決は、以下のような情況証拠によって証明された情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えて認定することができると判断し、事件本人を死刑に処した。<br> '''〔1〕'''T田T男(以下「T田T男」という)、X田X男(以下「X男」という)及びW田W男(以下「W田」という)の目撃供述等によれば、犯人が犯行に使用したと疑われる車両は、マツダ製の紺色ワゴンで、後輪がダブルタイヤであり、リアウインドウにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有している。被害者両名が拐取された場所の状況や時間帯,拐取場所と被害者両名の死体及び遺留品の発見現場の位置関係、T田が不審車両を目撃した時間からして、犯人は拐取現場、死体遺棄現場及び遺留品発見現場付近に土地勘を有する者であると推測される。事件本人は前記車両と特徴を同じくする事件本人車を所有し、かつ、前記各現場付近に土地勘を有している(以下「情況事実〔1〕」という)。<br> '''〔2〕'''被害者両名の着衣から発見され、被害者両名が犯人使用車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高い。<br> '''〔3〕'''事件本人車の後部座席シートからA田と同じ血液型(ABO式。以下同じ)であるO型の血痕と人の尿痕が検出されており、これらは事件本人が事件本人車を使用していた間に付着したと認められるところ、事件本人は前記血痕等が付着した原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。被害者両名ともに殺害された時に生じたと認められる失禁と出血があり、特にA田は死体の状況からみて鼻血がかなりの量出たものと認められる。事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名を事件本人車内で殺害するか、被害者両名の死体を死体遺棄現場まで運んだときに付着したものとして前記血痕等の付着を合理的に説明でき、それ以外の現実的な可能性は考えられない(以下「情況事実〔3〕」という)。<br> '''〔4〕'''警察庁科学警察研究所が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、B山の遺体付近にあった木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容物及び膣周辺付着物の中に、犯人由来と認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が一人であるとした場合、犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致している(以下「情況事実〔4〕」という)。<br> '''〔5〕'''事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容物等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できる。<br> '''〔6〕'''被害者両名が拐取された時間帯及び場所は、事件本人が事件本人車で申立人を職場まで送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路に当たっていた可能性がある一方、事件本人にはアリバイが成立せず、犯行の機会があった。<br>  なお、第1審判決(113頁)は、情況事実〔3〕について、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠と評価している。<br> '''(2)'''第1審判決は、罪となるべき事実のとおり犯行の日時及び場所を絞り込み、情況事実〔1〕のとおり犯行に使用された車両の特徴や犯人像を特定するに当たり、補足説明において、以下の事実関係を認定している。<br> '''ア''' 被害者両名は、B山方付近で合流して潤野小学校へ向かっており、B山方から潤野小学校までの通学路の距離は約1420m(子供の足で20~25分程度)である。通学路は、飯塚市郊外にあり、南北にのびるバス通りを南下し、平原バス停付近(B山方から通学路を約575m進んだ地点)を通過した後、右折して細い脇道に入り、折れ曲がりながら南西方向に進み、E村方三叉路(B山方から通学路を約937m進んだ地点)を経由して南下し、東西にのびる県道を右折し、更に南西に進むというものである。E村方三叉路は、東側、北側及び南側から入ってくる各道路が交わり、通学路は北側から同三叉路に入って南側に進む。E村方三叉路を南下して県道を左折すると、飯塚市農協潤野支店(以下「農協」という)がある。<br> '''イ''' 被害者両名は、平成4年2月20日午前8時22分頃に平原バス停付近を歩いているのをA田の知人Z田Z子(以下「Z田」という)に目撃されている。潤野小学校に勤務していたG山G子(以下「G山」という)が、被害者両名を探すため、同日午前8時50分頃、車で同小学校を出発して通学路を逆行し、E村方三叉路を北上して平原バス停先まで行ったが、被害者両名を発見することができなかった。<br> '''ウ''' 当時農協に勤務していたD山D子(以下「D山」という)の供述(同意書証として取り調べられた平成6年10月22日付け検察官調書(確定第1審甲39。以下「本件検察官調書」という))等によれば、D山は、出勤するため、平成4年2月20日午前8時30分頃、スズキセルボモード(以下「D山車」という)を運転して東側から南側へE村方三叉路を通過する際、服装等からして被害者両名と認められる女児2名が北方向から歩いてくるのを目撃している。<br>  D山の同僚のV村V子(改姓後の姓はV田。以下「V村」という)の供述によれば、V村は、ホンダトゥデイ(以下「V村車」という)を運転し、D山の数分後にE村方三叉路手前付近からD山の経路と同じ道を通り、同日午前8時33分頃に出勤しているが、被害者両名を目撃していない。<br> '''エ''' 同月21日午後0時10分頃、福岡県甘木市と同県嘉穂郡嘉穂町を結ぶ国道322号線を、同県甘木市大字(中略)から嘉穂町方向に約1.4km進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)の南方約9mの山中の斜面に、下半身を露出させられ、頸部を手で絞められて窒息死した被害者両名の死体が投棄されているのが発見された。<br>  同月22日、国道322号線を、同市大字(中略)から嘉穂町方向に約200m進行した地点の西方約5mの山中に、被害者両名のランドセル等の所持品及び着衣の一部(以下「遺留品」という)が投棄されているのが発見された(なお、確定記録によれば、ランドセルの色はA田が赤、B山がピンクである)。<br>  潤野小学校から死体遺棄現場までの経路の距離は28~36.1kmあり、自動車で35~53分かかる。遺留品発見現場は、潤野小学校から死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までの距離は約3kmで、自動車で約8分かかる。死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、通称八丁峠と呼ばれる国道沿いの山中であり、各現場に行くためには自動車を使用するしかない。<br> '''オ''' A田の胃内容からすると、その死亡推定時刻は朝食の一、二時間後であり、平成4年2月20日午前8時から同日午前9時頃までの間となるが、A田は同日午前8時30分頃の時点で生存が確認されているから、その後午前9時頃までの間に殺害されたと推定され、B山も同じ頃に殺害されたと推定される。<br> '''カ''' T田の供述によれば、同日午前11時頃、国道322号線の遺留品発見現場直近で、対向車線に不審車両が停車し、車外に出ていた運転手の男が、T田の車両が通り過ぎる際に不審な動きをしており、このT田が目撃した男が犯人であり、T田が目撃した車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。<br> '''キ''' D山、V村、X田及びW田の各供述等によれば、同日午前8時20分頃、W田が、三菱デリカワゴン(以下「W田車」という)を運転してE村方三叉路に向けて北上してきて同三叉路の南西側にあるI村I郎方(別紙1参照)付近路上にW田車を駐車させ、同日午前8時30分頃、X島X太(以下「X島」という)が、同様に北上してきてW田車の前方にスカイライン(以下「X島車」という)を駐車させ、トヨタタウンエース(以下「X田車」という)を運転してX島車を追従してきたX田は、同三叉路の手前でD山車と離合し、一旦X島車のすぐ後ろにX田車を停車させたが、その直後に同所を通りかかったV村車が離合しにくい様子だったため、X田車を移動させてX島車の少し前方に駐車させた。そして、X田が車から降りて道路を横切りE村方三叉路を南に歩きかけた際、後方からワゴン車がかなりの速度でX田の右横を追い抜き潤野小学校方向に走り去った。<br>  D山は、本件検察官調書で、「被害者両名の横を通過すると、I村I郎方前に3台の車が駐車しており、ボンゴ車と乗用車が1台ずつあったのは覚えているが、もう1台がどちらだったかはっきりしない」と供述しているが、前記経緯からして、D山は、I村I郎方前路上では、X島車及びW田車と離合したのみで、車種不明の3台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はD山の記憶違いによるものと認められる。そして、D山は「県道に出る手前で作業員風の男性が運転するボンゴ車と離合した」旨も供述しているが、同ボンゴ車に乗っていた男性は、「E村方三叉路の少し手前で若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と離合した」旨のX田供述と、離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、X田と認められる。<br>  被害者両名がD山に目撃された後も学校に向かっていたのであれば、V村やX田らに目撃されたはずであるが、D山が目撃してから後、被害者両名を見た者はいない。犯人は、D山がE村方三叉路付近を通過した後、約3分後にV村が同所を通過する前からG山がE村方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、被害者両名を拐取して車で連れ去ったと認められる。被害者両名は、D山に目撃された後、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もある。<br>  被害者両名が拐取された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所においてX田及びW田が目撃したワゴン車と、遺留品発見現場直近でT田が目撃した不審車両は、いずれも、紺色、後輪ダブルタイヤ、リアウインドウにフィルムが貼られたワンボックスタイプというほぼ同じ特徴を持つ車である。両車は同じものであり、これが犯人の使用していた自動車である疑いが極めて濃厚である。<br> '''(3)'''事件本人が申し立てた控訴は平成13年10月10日に、上告は平成18年9月8日に、いずれも棄却された。<br>  控訴審判決は、被害者両名の目撃状況に関する関係者らの供述の信用性に疑問はなく、D山供述の信用性については第1審判決説示のとおりであり、被害者両名は、平成4年2月20日午前8時30分かその直後頃、E村方三叉路付近でX田及びW田が目撃した車両により拐取された蓋然性が高く、拐取時刻は午前8時30分過ぎ頃と認定するのが相当であり、第1審判決も補足説明からするとそのように理解されるとした。また、殺害時刻については、食事終了時間や消化状況から厳密な時間を認定するのは相当でなく、拐取されてから午前9時30分前後頃までの間(朝食のおおむね一、二時間後)と認めるのが相当であるとした。<br>  また、第1審判決は、犯行に使用された車両がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとは断定できないとしていたが、控訴審判決は、繊維鑑定、T田、X田及びW田の供述等によればその旨特定できるとし、この判断は上告審判決でも是認されている。控訴審判決は、被告人が犯人だとすれば、被害者両名の膣内及び膣周辺部に犯人の血液が付着しているという特異な事実の説明が容易に可能になる、顔見知りの者による犯行と推認されるところ、被告人はこの条件も充たすと指摘している。<br>  控訴審では、D山供述に関し、当事者双方の請求により、平成4年3月2日付け警察官調書(確定控訴審検甲9、弁13。以下「本件警察官調書」といい、本件検察官調書と併せて「本件各調書」という。本件各調書の記載内容を「旧供述」ともいう)が取り調べられている。<br>  平成18年10月8日、第1審判決が確定し、平成20年10月28日、死刑が執行された。<br> '''4 第1次再審の経過及び判断'''<br>  申立人は、平成21年10月28日、情況事実〔1〕及び情況事実〔4〕に関する新証拠を提出して再審請求をしたが、平成26年3月31日、棄却され、平成30年2月6日、即時抗告が棄却され、令和3年4月21日、特別抗告が棄却された。<br>  第1次再審請求棄却決定は、新証拠によって旧証拠のうちMCT118型鑑定の証明力は減殺されるが、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできない一方、両者が一致する可能性も十分にあり、確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合でも、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされていることに変わりはない旨判断し、この判断は即時抗告審及び特別抗告審で是認されている。<br> '''5 第2次(本件)再審請求'''<br> '''(1)'''申立人は、令和3年7月9日、刑訴法435条6号に基づく再審請求をした。原審において申立人が提出した書証は別紙2のとおりである(以下、弁と番号のみを記載した場合は別紙2の書証又はその原本を指す)。このうち、弁3~5は確定審に係る判決書の写しであり、弁6~17は、第1次再審請求に係る再審請求審又は即時抗告審において申立人又は検察官から提出された証拠と同一の内容である(弁10及び11は、同再審請求審における検察官の平成25年4月15日付け意見書8に添付されている)。<br>  その余の書証は、四つの証拠群に大別でき、〔1〕D山の供述(弁2、30。以下、D山の原審証言と併せて「D山の新供述」という)、〔2〕E村方三叉路付近における現場再現実験報告書(弁26。以下「本件報告書」という)、〔3〕K村K男(以下「K村」という)の供述(弁1、28)、〔4〕Z3(以下「Z3」という)の供述(弁18)及び〔1〕~〔4〕の各証拠に関する補助証拠(弁31の1~弁32は〔1〕関係、弁21の1~弁25の2、27、33は〔2〕関係、弁29は〔3〕関係、弁19、20は〔4〕関係)である(なお、弁21の1、21の2、23は、確定第1審又は控訴審で取り調べられた空中写真や地図と実質的に同一である)。さらに、原審では、令和5年5月31日にK村の、同年11月28日にD山の各証人尋問が実施されている。<br> '''(2)'''本件各調書及びD山の原審証言、本件報告書、K村の原審証言並びにZ3供述の概要は次のとおりである(D山及びK村の供述録取書等(弁1、2、28、30)については後記第2及び第3で言及する)。<br> '''ア D山供述の概要'''<br> '''(ア)本件警察官調書(供述場所は農協と記載され、D山作成図面が添付されている)'''<br>  当時、D山車で通勤しており、平成4年2月20日も、いつものように午前8時10分頃自宅を出て、バス通りを南下し、F(別紙1参照)の角を右折して数十メートル進んだ地点(E村方三叉路東端の東側)に午前8時20分頃に着いた。1か月程前からこの場所で停車して化粧をするのが日課になっていた。化粧を始めてから何分か過ぎた頃、七、八m前方の同三叉路北側から、小学校低学年の女児が小走りの感じで潤野小学校の方向(南側)に行くのが見えた。私は、「この子は学校も始まっている時間なのにまだこの辺を歩きよう」「遅刻するのに」と思い、バックミラーを見ながら化粧を続けた。それから何十秒も過ぎない頃、今度は同三叉路に先程の女児とは違う小学校低学年の女児が立っているのに気付いた。この女児は、同小学校とは反対方向に歩き始めるような動作をし、振り返って同小学校方向にゆっくり歩き始めた。私は、「二人で学校に行っているのだなあ」「早く学校に行けば良いのに」と思った。女児らが遅刻すると思ったのは、約1か月間この場所で化粧をしている間に小学生が通学する姿をほとんど見掛けたことがなく、それまでに男児1名と女児1名を各1回見掛けたことがあるだけだったからである。女児2名が視界から見えなくなって1分も過ぎない頃、時計を見たところ、午前8時30分近くになっていたので、遅刻すると思い、使用した化粧品を助手席に置いたままD山車を発進させた。時間ははっきり記憶していないが、化粧をしている場所から農協までは車で一、二分くらいなので、午前8時30分少し前といえる。20mくらい進行したE村方(別紙1参照)前を女児2名が手をつないで歩いている後ろ姿が見えたので、「やはり先程見た女の子たちは連れだった」と直感した。2名とも身長約120cm、うち1名は黄色のジャンパー、赤ランドセルで、どちらかが傘を持っており、髪が短かった。女児らは、D山車が接近したのに気付き、左側によけてくれたので、その横を通過した。右前方の道路右側(I村I郎方前付近)に3台くらいの車が対向して駐車していたという記憶で、順番ははっきりしないが、白っぽいボンゴ車、白っぽい普通乗用車のほか、もう1台ボンゴ車があったと思う。さらに、その後方に対向してグレーのボンゴ車があり、始めから停車していたのか、D山車のために待っていてくれたのかはっきりしないが、道路右寄りに停車していたので、その横を通過した。農協の駐車場に着いた後、車内で化粧品等を片付けていたため3~5分くらい使っていると思う。その時にV村がV村車で出勤してきたので、降車して一緒に農協の店内に入った。<br>  その日の午後4時頃、刑事が来店し、朝から小学生が行方不明になっていると聞き、今供述した内容を話した。その時、V村が「私も同じ道を通ってきたけれど女の子たちの姿は見らんやった」「3台の車が駐車しているのは見た」と話していた。V村は、「私は、店に入ったら毎日すぐ店の時計を見るけど、今日は午前8時33分だった」と言っていたので、やはり私が女児2名を見た時間は午前8時30分少し前頃といえる。<br> '''(イ)本件検察官調書(供述場所は福岡地方検察庁飯塚支部と記載され、D山が記入した住宅地図とD山作成図面が添付されている。作成日は、事件本人が死体遺棄罪により起訴された後、略取誘拐、殺人罪により追起訴されるまでの間である)'''<br>  2年8か月も前の話なので、記憶がはっきりしなくなっている部分もあるが、被害者両名かもしれない小学生の女児2名を見たことについては、行方不明になった当日の捜索中から警察の人などに話しているし、今でも大体のことは覚えている。<br>  平成4年2月20日は、遅くとも午前8時20分までにはD山車で自宅を出て、バス通りを北から走ってきてFのところで右折し裏道に入り、途中のF2方前(別紙1参照)で停車した。以前から時々この辺りに停車して化粧をしており、この日も同じ場所であった。時刻は時計を見て午前8時30分少し前だった記憶がある。少しというのは二、三分くらいのことである。ルームミラーを化粧鏡代わりに化粧を始めた直後だったと思うが、E村方三叉路の右手(北側)の坂道から小学校一、二年生くらいの女児が走ってきた。時刻は午前8時30分近くになっており、他に通学途中の子供たちもいなかったので、私は「早く学校に行かんと遅刻するのに」と思った。それから何十秒も経たない頃、E村方前辺り(E村方三叉路南端付近)にもう一人小学校一、二年生くらいの女児が立っていた。なぜ先程の子と別の子と分かったかというと、今は詳しく覚えていないものの、その時は顔や服装も目に入っていたこと、先程の子はI村I郎方の方(潤野小学校のある方)に歩いて行ったと思っていたことが理由だと思う。その子もI村I郎方の方に歩いていった。二人とも妙に学校に行きたくない様子だったのをよく覚えている。このように感じたのは、二人ともどんどん進んでいくという感じではなく、立ち止まったり戻るような動作をしたりしながらだらだらと歩いていたように思うからである。私はきっとこの二人が一緒に通学しているのだろうと思った。化粧は二、三分で終わり、時刻は午前8時30分頃になっていたと思う。化粧道具を助手席に置いたままD山車を発進させると、E村方前辺り(同三叉路南側付近)の道のほぼ真ん中に先程の女児2名がくっつくように並んで歩いているのが見えた。とうに学校の方に行っていると思っていたので、私は「まだうろちょろしている」「学校に遅刻したのは間違いないな」などと思い、二人をひかないようにスピードを緩めた。二人とも歩くのが嫌というか、学校に行くのが嫌というのか、とにかくだらだらと歩いていて、遅れているはずなのに全く急ぐ様子がなかった。二人ともランドセルをしょって、一人が黄色のカッパかジャンパーのようなものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。片方か両方が傘を持っていたかもしれない。D山車が近づくと二人はこちらに気付いて振り返り、左右どちらかは記憶がはっきりしないが道端によけてくれた。立ち止まっている二人を横目で見ながら進んだが、私が二人を見たのはこの瞬間が最後であり、その後、二人が歩き出したところなどは見ていない。前方右手(I村I郎方前付近)には3台の車が駐車していた。ボンゴ車と乗用車が各1台あったのは覚えているが、もう1台は乗用車だったかボンゴ車だったかはっきりせず、3台の順番も覚えていない。更にその後方にはもう1台車があり、この車もボンゴ車だったと思うが、特徴等は今となってははっきりしない。ただ、この車には髪がぼさぼさの作業員風に見える40歳くらいの男性が一人運転席に座っていたような記憶がある。この車は私の車を待つようにして道路右側に対向して止まっていた。私はこの車の横を通り抜け、突き当たりを左折して農協の駐車場に入った。助手席足元に落ちてしまった化粧品等を拾っているうちにかなり時間が経ってしまい、おそらく3分くらいかかったと思う。するとちょうど同僚のV村がV村車に乗って駐車場に入ってきたので、ほぼ同時に店内に入った。時計を見ていないので、時刻はよく分からないが、午前8時35分前後になっていたと思う。<br> '''(ウ)原審証言'''<br>  被害者両名が行方不明になった当日(平成4年2月20日)は、昼前頃に消防隊(「消防団」とも証言している)員が農協に来て、小学1年生の女児2名がいなくなったと言って探していた。V村に「女の子たちなら見たことがあるよね」と聞き、V村は「いや、ない」と言っていたが、その話を消防隊員が聞いていたかもしれない。当日朝に見たとは言っておらず、その記憶もない。通勤途中に小学校1年生くらいの女児2名を目撃したことはある。それが1回だったか複数回だったか、どれくらい前の出来事だったかは分からない(「通学途中の小学生を見掛けたのはそのとき1回だけである」とも証言している)。化粧をしていた位置は毎回同じで、Fの隣のF3方(別紙1参照。弁護人の質問では「F4」とされている)前辺りであり、そこからは道路が曲がっているためE村方三叉路は見えない。女児らに気付いたのは、更にその西隣のF5方(別紙1参照)前辺りで、その地点で女児らを追い越した。午前8時15~20分頃だった。女児らは同三叉路に向いて歩いていたので、後ろのFの方から来たのだと思った。二人は横に並んで歩いており、D山車が追い越す際は縦になってよけてくれた。二人とも黄色い雨合羽を着ていて、ランドセルは赤だった。女児らを追い越してから農協までの間に駐車車両があったり、対向車と離合したりした記憶はない。<br>  被害者両名が行方不明になった当日に警察官は来ておらず、最初に事情聴取されたのは被害者両名の遺体発見の翌日(平成4年2月22日)であり、本件各調書の記載は事実と異なる。警察官2名が農協を訪ねてきて、支店長からV村に話していた内容を話すように言われ、女児を目撃したことかと思い、前記のような目撃内容を警察官に話した。警察官から、紺色ワゴン車のカタログを見せられ、こういう車を見たことがないか、車にラインは入っていなかったかと聞かれた。女児らを見掛けた日とは別の日に黒いボンゴ車を追い越したことはあったので、黒いボンゴ車なら見たことはあるがラインまでは見えなかったと話した。<br>  後日違う警察官が訪ねてきて、本件警察官調書を作成した。警察官に対し、女児らを見掛けたのは当日かどうか自信がないと話した(「私が見たのは事件当日ではないと言った」とも証言している)。本件警察官調書のうち、E村方三叉路を越えた先で女児2名を追い越したという部分、最初に一人が先に来て、後からもう一人が来て一緒になったのを見たという部分、各女児を目撃した際の気持ちに関する部分、農協に向かう途中に駐車車両や対向車があったという部分、これらの車両の特徴に関する部分は、いずれも当時の記憶に基づく内容ではなく、面前で警察官が勝手に作成した。駐車車両や対向車はなかったと言ったのに、警察官からこの位置に車があったので4台書いてくださいと言われ、住宅地図に基づき、言われたとおりに本件警察官調書に添付された図面を作成した。女児らの位置についても話した内容と違う位置に書くように言われた。出来上がった本件警察官調書を読み聞かされ、説明した内容と違う、黒いボンゴ車を追い越したことが書かれていないと思ったし,そのように言ったが、受入れてもらえず記憶と違う調書に署名押印し、若かったのでそれ以上何も言えない自分にショックを感じた。<br>  事件から2年程経ってからの本件検察官調書の作成に当たり、検察庁に行ったことはない。当時他県にいたが警察から来てほしいという電話があり、最初は断っていたが重ねて請われたので、私の供述調書を使わないよう求めるために行くことにした。指定された福岡県田川市にある喫茶店に行き、警察の者と名乗る50代の男性1名と会った。検察官だとは聞いていない。事前に事情を聴かれることなくいきなり出来上がった調書を示され、読んでくれと言われた。本件警察官調書には記載されていないボンゴ車の運転手の特徴についても、言ってもいないのに既に記載されていた。記憶と違う点があると言ったが聞いてくれず、とにかく署名押印してくれと言われて押し問答になった。調書を取ったときのことを書いてあるのでこれで間違いない、この書類がないとあげられない、当時初めて導入されたDNA鑑定で犯人は分かっているが、本件検察官調書も必要ですなどと言われた。本件警察官調書を使わないでほしいと言ったが、聞いてもらえず、私の曖昧な記憶で犯人が逮捕されるのは困りますと伝えると、私の話だけで犯人が逮捕されるわけではないと言われた。本件検察官調書添付の図面は、本件警察官調書添付の図面を見せられ、同様に書くよう言われて作成したもので、地図を示されて書いた記憶はない。 <br>  飯塚事件に関する記事、テレビ、YouTubeの動画を見て、事件本人が無実なのではないか、本件各調書が事件本人に対する判決に影響を与えたのではないかと思い、申し訳なく、情けなく悔しい気持ちになり、約5年前、弁護人の事務所に電話をかけ、弁護人と会うことになった。弁2を作成した際にも、女児らを目撃したのは行方不明になった当日ではない、E村方三叉路の手前で女児らを追い越したと伝えたつもりだったが、鬱気分で、いろいろ見せられて気が動転していたので、弁護人とどのようなやり取りをしたのか覚えていない。弁2や弁30を作成した際に、弁護人に警察官から紺色ワゴン車のカタログを見せられたという話はしていない。証人尋問の約1週間前に弁護人と打ち合わせている際に不意に思い出した。<br> '''イ 本件報告書'''<br>  本件報告書は、確定判決の認定やその認定の根拠となったD山、V村、X田、X島及びW田の各供述等に基づき、E村方三叉路付近に、平成4年2月20日午前8時30分頃同所に駐車していた車両に類似する車両を配置し、その頃同所を走行していた車両に類似する車両を走行させて走行時間を測定する実験を行い、被害者両名を目撃できたかを検証することなどにより、前記各供述の信用性等を検討した経過及び結果を報告したとされるものである。実験において、各地点の決定については、本件検察官調書、W田、X田及びV村(V田)の各証人尋問調書の添付図面を参考とし、車両の走行速度は原則時速20km、離合する場合等は時速10km程度に設定したとされている。被害者両名の移動速度については、確定判決によれば被害者両名が同日午前8時22分に平原バス停に、同日午前8時30分頃に同バス停から361.5m離れたE村方三叉路に現れているとして、秒速約0.75mであることを前提としている。報告の要点は以下のとおりである。<br> '''(ア)D山供述とX田供述の比較検討'''<br>  実験により、X田の運転席からE村方三叉路が見え始める〔22〕地点を決定した。X田車がD山車と離合した〔8〕地点に関しては、本件検察官調書添付図面では橋の手前とされ、X田証人尋問調書添付図面では橋の農協側のたもととされているが、確定判決40頁は「両地点は場所がほぼ一致している」として同一地点として扱っているので、D山が述べている場所とX田が述べている場所の中間とした。実験によれば、D山車が女児らの横を通過した地点からD山車がX田車の横に来た地点まで約12秒、X田車がD山車と離合するため停車した地点から〔22〕地点まで約6秒であったから、D山が女児らの横を通過した時から18秒後にX田はE村方三叉路内を目撃できるようになる。被害者両名は18秒間に最大13.5m北上しているが、D山が横を通過した時に女児らがいた地点からE村方三叉路の北端まで15.9mあり、まだ同三叉路内にいるため、X田から目撃可能であった。そうであるのに、X田は被害者両名を目撃しなかったと供述しており、D山供述とX田供述とは矛盾している。<br> '''(イ)D山供述とV村供述の比較検討'''<br>  E村方三叉路に東側の道路から進行してきたV村は、同三叉路南側の道路へ向かい左折する直前、同三叉路に北側の道路から進入する車両や人に注意を払う〔Y〕地点(同三叉路全体も見渡すことができる)を通過する一方、X田車はX島車のすぐ後ろの〔9〕地点に停車している。確定判決38頁の「X田車が〔9〕地点に停車した直後、V村が通りかかった」旨の表現から、X田車が〔9〕地点に到着した直後、V村車は〔Y〕地点と〔9〕地点の中間より〔9〕地点寄りの〔10〕地点にいたと判断した。実験によれば、X田車が〔22〕地点を通過してから〔9〕地点に停車するまで約6秒、V村車が〔Y〕地点を通過してから〔10〕地点に到達するまで約7秒であったから、これに前記(ア)の実験結果を併せると、X田車はD山車が女児らの横を通過した時から24秒後に〔9〕地点に到達し、その際、V村車は〔10〕地点にいたことになる。そうすると、V村車が〔Y〕地点を通過したのは、D山が女児らの横を通過した時から17秒後であったことが分かる。被害者両名は17秒間に最大12.75m移動しているが、まだE村方三叉路を抜け出していないことになるから、V村が被害者両名を目撃することは十分可能であった。そうであるのに、V村は被害者両名を目撃しなかったと供述しており、D山供述とV村供述とは矛盾している。<br> '''(ウ)D山とV村のE村方三叉路通過時間の差'''<br>  実験によれば、V村車が〔Y〕地点からD山車が女児らの横を通過した地点まで走行するのにかかった時間は約4秒であり、これに前記(イ)の実験結果を併せると、V村車はD山車が女児らの横を通過してから21秒後に同じ地点を通過したことになり、「V村はD山が被害者両名を目撃してから約3分後に同じ道を通った」旨の確定判決39頁の認定は完全に誤っている。<br> '''ウ K村の原審証言'''<br>  平成4年2月20日、集金のため、左ハンドルのランチア・テーマ(以下「K村車」という)で自宅のある福岡県古賀市から同県田川郡(中略)にある取引先に向かい、午前8時前頃に着いたが、支払ってもらえず、取引先を後にして同県春日市にある会社に向かった。その途中、片側1車線の八木山バイパスを福岡市方面に走行していた際、時速40km未満でゆっくりと走行する白色のワンボックスタイプの軽自動車を追い越せない状態が続き、登坂車線ができ2車線になった地点で前車が登坂車線に避けてくれたのでまっすぐ追い抜いた。時間については記憶が曖昧だが、午前9時40分過ぎ頃又は午前10時40分過ぎ頃になると思う。午前中だったのは間違いない。追い抜いた際、最初に同車運転席側後部座席で私の方を見ている小学校1年生の女児の顔が窓ガラス越しに目に入った。おかっぱ頭で赤色ランドセルを背負っていた。今まで見たことのないこわばったおびえた表情をしていた。目は合ったはずだが、助けを求める仕草はなかった。その横の助手席側後部座席には、より小柄なおかっぱ頭のもう一人の女児が身体の左側を下にして横たわっているのが見え、その奥にランドセルが置かれていた。同ランドセルの色は赤だと思っていたが、後でB山のランドセルの写真を見せてもらったらピンクで、記憶違いだった。女児2名の服装についてはよく覚えていない。次に運転手の横顔を見ると、色白、坊主頭、小柄で身長160~165cm、35歳前後の男性で、無表情で受刑者のようだった。目撃したのは追い越す間の一、二秒で、自分の目線と比べて、運転手の目線は若干高く、座っている女児はほぼ同じだった。地域で小学生と接していると小学1年生と2年生では格差があり、見ただけで分かる。幼い表情だったので、両名とも小学校1年生であることは間違いない。<br>  その日の夕方(「午後9時頃」とも証言している)、テレビのニュースで被害者両名が行方不明になっているのを知った。平日午前中にランドセルを背負った女児2名が乗車していたこと、女児や運転手の表情などから、自分が見たのが誘拐だったのではないかと思った。翌日、飯塚警察署に電話をかけ、八木山バイパスで誘拐犯と思われる者と擦れ違ったと伝えた。数日経ってから警察官1名が訪ねてきたので、目撃状況を説明し、料金所の監視カメラを調べるように言った。警察官からは、紺色の普通車ではなかったか、ボンゴタイプではなかったか、ラインがあったのではないかと確認された。その後、何の用事だったか記憶が曖昧だが、裁判所に行ったのが偶然飯塚事件の第1回公判の日であり、抽選に当たって傍聴した。事件本人の顔も容姿も八木山バイパスで見た運転手と全然違っていた。検察官の冒頭陳述でDNA型鑑定、事件本人車のシートの繊維や血痕等の話を聴き、自分が見たのは違っていたのだと思った。その後、主任弁護人の事務所を調べて電話をかけ、犯人は事件本人ではないのではないかと伝えたが、余りいい反応がなかったので、事務所を訪ねて名刺を置いて帰った。平成30年にN新聞の飯塚事件の特集記事を見て同新聞社に電話をかけ、記者と電話で話したり、二、三回会ったりした。記者から被害者両名が一緒に写っている写真1枚を見せられ、二人とも非常に似ていると思った。それまで被害者両名の写真を見たことはなかった。どんなところが似ていたのかは覚えていない。A田が私の方を見ていた女児に顔や髪形などの全体の雰囲気が似ていた。B山がもう1名の横たわっていた女児に雰囲気が似ていた。K村が新聞に載ったことで弁護人から電話があり、会うことになった。<br>  目撃時刻について、本件再審請求がされた際の記者会見では午前11時頃と話しており、弁1と弁28を比較すると、目撃時刻が約1時間早まり、原審証言では更に遡っているが、集金できずに取引先を後にした時間の記憶が曖昧で、食い違いが出たのだと思う。<br> '''エ Z3の供述'''<br>  平成11年頃、刑務所で服役中にC(以下「C」という)と同房になった。Cは飯塚市の小さな道に非常に詳しく、潤野地区についてもよく知っていた。Cについては、幼女を車で拉致して車内で性的いたずらをし、証拠隠滅のため殺したなどといううわさがあった。平成12年頃、Cは、同房者らから、「飯塚事件はお前がやったのではないか」とはやし立てられていた。Cは、最初は冗談として受け流していたようだったが、次第に無口になり深刻になっていった。私とCが飯塚事件を報じた新聞か雑誌を見ていたとき、Cは、「事件本人が犯人でないと分かったら、自分が逮捕されるのだろうか」と言い出し、その後二、三回同じことを言っていた。あるとき、隣に寝ていたCから、「飯塚事件は実は自分がやった」と打ち明けられた。Cは真剣な表情で、冗談には聞こえなかった。Cは、「逮捕されたら死刑になるのだろうか」「頭がおかしかったら、死刑にならずにすむのだろうか」と言ってきた。その後、Cは、精神的におかしなふりをするようになった。<br>  平成11年か12年頃、医療刑務所でCと会い、Cから、「事件本人の件で、逮捕されたら死刑になると思うと怖いので、馬鹿真似をして、誰とも意思疎通できないふりをしている」「いつ逮捕されるかが怖くてたまらない」と打ち明けられた。<br>  新聞で申立人が仏壇を拝んでいる後ろ姿の写真を見て、自分も冤罪で戦っているので、黙っていたらいけないと思うようになり、飯塚事件の弁護人に連絡した。<br> ===第2 原決定の要旨=== '''1''' 弁1、2、18~32、D山及びK村の各原審証言には新規性がある。明白性に関し、弁護人は前記各証言を主要な新証拠に据えているため、これらの信用性を中心に検討する。<br> '''2 D山の原審証言について'''<br> '''(1)'''D山証言は、女児2名の目撃の日時・位置・内容、その際の周辺の駐車車両の有無について本件各調書の内容を否定するものである。D山は、供述変遷の理由について、当初から捜査機関に対して原審で証言した内容を話し、本件各調書の内容が記憶と異なると伝えたものの、捜査官に押し切られてしまった旨述べるので、捜査機関が無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成した可能性について検討する。<br>  本件警察官調書が作成されたのは、事件発生の約10日後という捜査初期であり、いまだ捜査が流動的な状況下において、警察官が、目撃の日時、場所から内容に至るまでの供述全般について、D山の記憶と異なる調書を無理やり作成するというのは、捜査機関にとって必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害である。行方不明の女児が捜索されている状況において、D山が、別の日に登校途中の女児を見掛けたことがあるという、事件とは無関係な話をし、それに警察官が関心を持って事情聴取をした上、無理やりD山の記憶と異なる調書作成にまで至るという事実経過自体、余りにも不自然であり、警察官がこのような捏造を行うとは考え難い。弁護人は、捜査初期から事件本人を犯人視した見込捜査が行われていた可能性を主張するが、本件各調書を見ても、事件本人が関わっていることをうかがわせるものはない。X田やW田らがE村方三叉路付近で事件本人車と同様の特徴を有する車両を目撃したと供述し始めたのは平成4年夏頃からであり、捜査機関が、本件警察官調書作成時に同三叉路を犯行現場に仕立て上げる動機を有していたとは考えられない。<br>  また、本件警察官調書の内容は、目撃時の女児らの動作や様子等について、D山自身の心情を交えながら詳細に述べるものであり、いつものように車を止めて化粧をしていると、女児1名を見掛け、化粧を続けてまた前方を見ると、別の女児が立っていたとするなど、具体性に富む内容となっており、D山の積極的な供述なしに、警察官が作り上げることのできるものとは考え難い。確かに、被害者両名が学校に行きたくない様子であり、B山がA田の後ろを付いて歩いていたこと、事件当日、E村方三叉路付近に複数の車両が駐車されていたことなどは、既に捜査機関において入手済みの情報であった可能性があるが、本件警察官調書は、駐車車両の台数の点でV村やX田らの供述と明らかに整合していないところ、警察官が、駐車車両はなかった旨のD山の供述をねじ曲げ、事前に入手した情報に基づいて強引に調書を作成したのであれば、駐車車両の台数も含めてV村やX田らの供述と整合させるのが自然である。V村やX田らの供述との齟齬は、D山の記憶違いを示すとともに、本件警察官調書がD山の記憶に基づいて作成されたものであることを裏付けている。<br>  さらに、本件検察官調書は、本件警察官調書とおおむね同内容であるが、記憶がはっきりしなくなっているとして、本件警察官調書と比較すると曖昧な内容にとどまる部分が散見され、事件発生から2年以上が経過したことに伴う記憶の減退が反映されており、D山から改めて事情を聴くことなくあらかじめ捜査官が調書を用意していたとは考えにくい。<br>  本件警察官調書作成時に捜査機関が無理にD山の記憶に反する調書を作成する動機、必要性が見いだせないことに加え、本件各調書の内容も捜査機関がD山の供述内容をゆがめて作成したとは考えにくいものであることも踏まえると、捜査機関が、無理やりD山の記憶とは異なる供述調書を作成したとは考えられない。<br> '''(2)'''D山の原審証言は、弁護人が当初新証拠として提出した弁2と比較しても、女児2名の目撃供述の重要部分が変遷している。すなわち、目撃日時に関し、弁2では、女児らを目撃したのが、事件当日であったか、その何日か前であったかがはっきりしないと述べるにとどまっていたのに、証言では、明確に事件当日ではないと否定している。また、目撃場所に関し、弁2では、女児らの横を通り過ぎたのはE村方三叉路であったと述べていたのに、証言では、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べている。これらの変遷は、目撃供述の根幹部分についてのものであり、D山が事件当時から一貫した記憶に基づいて供述しているのであれば、このような変遷をたどるとは考え難い。<br>  D山は、弁2作成時に、弁護人に対し、原審証言と同内容の説明をしたつもりであったと証言し、弁護人も、相違が生じた原因につき、目撃日時の点は、弁護人が、D山の記憶内容とD山の警察官に対する供述内容を混同したためである、目撃場所の点は、D山が、本件再審請求に協力するに当たり、強い不安を感じ、気が動転していたためであると主張する。しかし、いずれの点も目撃供述の根幹部分であり、本件各調書の内容を否定し、再審請求のための新証拠を作成しようという局面なのであるから、D山及び弁護人においては、記憶や書面の内容を丁寧に確認したはずであり、根幹部分に複数箇所誤りがあり、それが単純な混同や気の動転によるというのは合理的説明とはいい難い。また、目撃場所に関し、D山は、弁2において、女児らを目撃する直前に自身が化粧をしていた地点については、E村方三叉路よりもずっと東側手前であったと述べて本件警察官調書の内容を訂正しているにもかかわらず、肝心の女児らを追い越した地点については、本件警察官調書と同内容の供述をしている。車中で化粧を終えてから車を発進させ、女児らを追い越したという一連の事実経過につき、前者については訂正できているのに、後者についてのみ気が動転して適切に訂正できなかったというのは、合理的な説明にならない。<br>  D山は、弁2からも合理的理由を示すことなく核心部分について供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない。<br> '''(3)'''D山は、事件当日に女児らの目撃情報を話したのは消防隊員であり、警察官とは話していないと証言するが、本件警察官調書には、事件当日に刑事に目撃情報を話した旨記載されており、この点について警察官が捏造するとは考え難いことに加え、V村も事件当日D山と警察官が話しているのを聞いた旨証言していることも併せると、D山が事件当日に警察官と話していることは明らかであり、D山は、事件当日の聴取状況についても記憶が曖昧になっている。弁2からでさえ供述が変遷していることを考えると、事件発生から30年以上もの長い年月が流れ、事件当時の記憶が相当程度風化し、不確かなものとなってしまっている。<br> '''(4)'''D山は、警察官から紺色ワゴン車に関する質問もされた旨証言するが、この点は、弁2に記載されていないばかりか、証人尋問の約1か月半前に作成された弁30にも記載されていない。D山は、証人尋問の約1週間前、不意に思い出した旨述べるが、供述経過が不自然であり、信用できない。<br> '''(5)'''捜査機関が、目撃状況に関する供述をわい曲させてまで、D山の記憶と異なる供述調書を無理やり作成したとは考え難く、D山が本件各調書の内容を否定するに当たって前提としている事実関係には疑問が残る上、弁護人作成の供述録取書からの変遷は、D山の現在の記憶自体、一貫性のない不確かなものである可能性が高いことを示しているから、D山の原審証言は信用できない。弁護人は、D山が本件各調書の内容を否定するに至ったのは、記憶と異なる供述調書を作成されたことが事件本人に対する死刑判決に影響を与えてしまったのではないかという自責の念を動機とするものであり、このようなD山の真摯な姿勢からすれば、D山の原審証言は十分に信用できるなどと主張するが、前記判断に影響しない。<br> '''3 本件報告書について'''<br> '''(1)'''本件報告書は、確定判決の事実認定に従って被害者両名や関係車両の移動状況を再現実験すると、D山とX田の各供述、D山とV村の各供述はいずれも矛盾しており、D山が女児らを目撃してから約3分後にV村が同じ道を通ったとする確定判決の認定は誤っているとの結論が導かれるとするが、以下の理由から、同再現実験から前記結論を導くことはできない。<br> '''(2)'''本件報告書は、秒単位で関係者の供述内容を再現して視認可能かどうかを検証しているが、関係者の供述する時刻、時間、位置はそのような検証が可能なほど精度が高いものではない。自動車の動きについても、当時の道路状況を再現して実際に3回自動車を走行させてその時間を測定しているが、おおよその時間は把握できても、当時の実際の関係者の移動に要した時間と秒単位で同じということまではできない。<br> '''(3)'''本件報告書は、被害者両名について、平原バス停付近とE村方三叉路付近で目撃された時刻から平均移動速度を算出した上で、D山が目撃した後のE村方三叉路付近における被害者両名の移動速度がこの平均移動速度のとおりであったと仮定しているが、E村方三叉路付近でD山に目撃された時刻はおおよそのものにすぎず、本件各調書の記載にも微妙な違いがある。また、被害者両名がE村方三叉路に至るまで普段よりも時間を要していたことは明らかである一方、D山に目撃された後の被害者両名の行動は不明である。前記平均移動速度をD山が目撃した後の被害者両名の移動速度に当てはめることに合理性はない。<br> '''(4)'''本件報告書は、X田がX島車の後ろに停車すると同時にV村車と離合した、すなわち、X田が停車した時点でV村車が直近に迫っていたことを前提に、関係車両の移動状況や各経過時間を算定しているが、この前提にも疑問がある。V村は、E村方三叉路付近まで来た時、3台の自動車が縦に並んで駐車していた旨供述しており、車が動いていたとは供述していない。X田も、自車をX島車(原決定18頁に2か所「X島車」とあるのは誤記と認める)の後方に止める際に既にV村車が接近していたとは供述していない。X田がX島車の後ろに自車を止めた時点でV村車が本件報告書で想定している位置まで接近していたとは考えられない。<br>  確定判決37~38頁は、「X田が自車を一旦X島車のすぐ後ろに停車させた直後、V村車が通りかかり、離合しにくい様子だった」旨説示しているが、駐車車両の台数に関するD山の記憶違いを論証する部分であることからすると、「直後」という文言は、X田が一旦X島車の後ろに停車してから再度車を移動させるまでの間に離合した対向車はV村車のみである(D山車は同所でX田車と離合していない)ことを示す趣旨で用いられているにすぎないと解される。<br> '''(5)'''本件各調書の不合理性を指摘する本件報告書は当を得ないものであるから、本件各調書の信用性が減殺されることはない。<br> '''4 K村の原審証言について'''<br> '''(1)'''K村は、事件当日、女児2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその2名は間違いなく小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。<br>  しかし、目撃した2名の特徴については、おかっぱ頭で、赤いランドセルを所持していたという特異的でない内容を述べるにとどまり、被害者両名とどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、具体的根拠を全く示すことができていない。K村は、不審車両を追い越す1~2秒の間に、同車内の女児2名を目撃したというにすぎず、K村の方を向いていたという女児でさえ、顔貌を子細に観察し、記憶する余裕があったとは考え難い。もう1名に至っては同車内で横たわっていたというのであり、顔貌を目撃できたのか疑問が残るし、仮に目撃できたとしても、特徴を的確に把握することができたとは思えない。<br>  目撃した女児2名が小学校1年生であった根拠について、地域のコミュニティで小学生と接触しており、学年が1つ違えばはっきり分かる旨供述するにとどまり、説得力のある説明はできていない。同じ小学校1年生といっても、成長の程度は人によってまちまちであり、ましてや、K村は並走する車内から窓越しに女児らを短時間目撃しただけで、全身を見たわけでも、直接会話をしたわけでもないのであるから、そのように断定する根拠は甚だ薄弱である。<br>  目撃した女児2名が被害者両名にそれぞれ似ているというのであれば、2名の相違についても供述できてしかるべきであるが、顔貌のみならず、髪形、服装等の相違点の指摘はない。K村は,ランドセルの色は2人とも赤だと思ったが、後から被害者両名のランドセルの写真を見せてもらったら、1人はピンクで記憶違いだったとも供述しているが、なぜそのような記憶違いをしたのか、ランドセルの色という一見して明らかなものについて記憶違いをしていながら、なぜ顔貌については似ているといえるのかについて、首肯し得る説明はない。<br>  年齢や服装等の概括的で目につきやすい特徴は記憶に残りやすい一方、面識のない相手の顔貌の特徴を正確に把握して記憶することは比較的難しいと思われるが、K村は、目撃した女児らの服装等についてはほとんど言及せず、被害者両名と顔が似ていたと述べることに終始している。目につきやすい特徴については記憶がないのに、事件から26年以上が経っても車で追越しざまに目撃した面識のない女児2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然である。 <br>  女児2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は信用し難い。<br> '''(2)'''女児らを目撃した時刻について、K村は、事件当日の午前9時40分頃か午前10時40分頃であったと思うが、記憶がはっきりせず、午前中であったことは間違いないと述べ、曖昧な供述をしている。しかも、弁1では午前11時前後と述べていたのに、証人尋問の約3週間前に作成された弁28では、午前10時30分前後であった旨供述するに至り、証人尋問では前記のとおり述べ、次第に早まっている。一度目の変遷については、取引先に自宅から会社を経由して向かったと勘違いしていたが、後から考えると自宅から直接向かったことを思い出したという理由を一応述べるが、二度目の変遷については、特に理由を説明することもできず、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認している。<br>  K村の供述は、目撃時刻に関しても信用できない。<br> '''(3)'''K村が目撃した女児2名が被害者両名であるとすると、確定審が認定した被害者両名の死亡時刻と抵触する上、犯人は、被害者両名を拐取した後、一旦八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことになるが、犯人の行動として不自然である。<br> '''(4)'''弁護人は、K村は、取引先から集金できなかったため、ゆっくり走行していた軽自動車を追い越す際に、イライラしながら運転手を注視した、女児の表情が極めて印象的で、強い記銘力が働いた、目撃内容を明確にし、記憶を維持する機会が反復継続していたなどと指摘するが、仮にK村が目撃した女児らの顔貌を明確に記憶し、その記憶を維持していたのであれば、女児らの顔の特徴等を指摘できてしかるべきであるのに、K村は曖昧な供述に終始している上、前記の変遷も生じている。<br>  K村の原審証言は信用できず、女児2名を目撃したのだとしても、それが被害者両名であるという合理的な疑いは生じない。<br> '''5''' 弁護人のその他の主張を踏まえて検討しても、本件再審請求において提出された新証拠は、確定審及び第1次再審請求審において取り調べられた他の証拠の証明力に影響することはなく、いずれも明白性が認められないから、刑訴法435条6号の再審事由はない。<br> ===第3 当裁判所の判断===  申立人が提出した証拠の新規性又は明白性を否定し、刑訴法435条6号の事由はないとして本件再審請求を棄却した原審の手続に違法はなく、その判断は不合理でないから、原決定は正当として是認できる。以下、弁護人の主張に鑑み補足する(なお、当審において、即時抗告申立ての趣意の理解のための参考資料として提出されたと解される資料は別紙3のとおりである)。<br> '''1 D山の新供述の明白性に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、原決定が、本件警察官調書について、警察官がD山の記憶と異なる調書を無理やり作成する必要性はなく、むしろ有害であり、駐車車両の台数の点でV村やX田らの供述と整合していないことは、D山の記憶に基づいて作成されたことを裏付けているとする点について、〔1〕本件警察官調書を作成した警察官は、被害者両名の足取りを一刻も早く把握したいと考えていた捜査本部に対し、犯行の場所や時間を特定するための有力な情報として報告する必要があった、〔2〕D山を誘導した警察官が駐車状況を誤解していたのであれば、本件警察官調書が誤った供述記載になることは当然であると主張する。<br>  しかし、目撃者かもしれない者の事情聴取にあたり、その供述と異なる不正確な供述調書を作成することは、被害者両名の正確な足取りを速やかに把握し、犯行の時間や場所を特定するという当時の捜査目的との関係では有害というほかない。初動捜査の段階から、D山の旧供述がなくても、Z田及びG山の供述等により、被害者両名が事件当日午前8時22分頃に通学路である平原バス停付近におり、その後、同日午前8時50分頃までの間に通学路外に拐取されていることは判明していたから(確定第1審甲3・25丁、甲38・345、357丁等)、犯行の時間や場所はその範囲には絞られていた。D山の旧供述は、犯人やその使用車両を目撃したといった内容ではないばかりか、既知の被害者両名を目撃したという内容ですらなく、目撃したという小学校低学年の女児2名の特徴についても、身長のほか1名の服装等を述べるにとどまっていた。他の証拠も併せ考慮してはじめて、D山が被害者両名の最後の目撃者であると認定されるに至ったものであって、最初に警察官から事情を聴かれた時点においては、事件との関連性の有無さえ確定できなかったのである。D山が原審において本件警察官調書の記載のうち記憶と異なっていたとする点は、弁護人が強調する女児らを目撃したのが事件当日か否かという点にとどまらず、原決定のいうように供述全般に及んでいるところ、D山の供述と大幅に異なる供述調書を作成したことを糾弾されるリスクや、後の捜査に混乱をもたらすリスクを冒してまで、警察官がその功績等のため本件警察官調書のような供述記載を創作した可能性は乏しい。警察官が駐車車両の台数等を誤解していた可能性は皆無ではないとしても、憶測の域を出ない上、駐車車両の台数に関する他の供述との齟齬は、本件警察官調書の曖昧な記載ぶりにも照らすと、警察官がD山の供述をありのままに録取したことの表れとみることは十分可能であり、そのような見方は不合理ではない(なお、確定審における検察官の立証構造及び確定判決の証拠構造からみて、D山の旧供述は、犯行の時間や場所の絞り込みに一定の役割は果たしたとはいえようが、それに尽きており、旧供述の有無が犯人性の推認に及ぼす影響力はかなり限定的である)。<br> '''(2)'''弁護人は、原決定が、本件警察官調書は、D山自身の心情を交えながら目撃時の女児らの動作や様子等を詳細に述べる具体性に富む内容であり、警察官が作り上げたものとは考え難いとする点について、D山の原審証言の立証命題は、D山の旧供述のうち女児らを目撃したのが事件当日であるとする部分を弾劾するものであるから、この部分に関する証言の信用性を判断すべきであって、D山の旧供述と新供述を全面的に対比して信用性を比較する原決定の手法は誤りであり、本件警察官調書が女児らを目撃した際の心情を交えた具体的なものであることは、女児らを目撃したのは事件当日ではないとするD山の新供述の信用性を否定する理由にはならないという。<br>  しかし、D山の新供述は、女児らを目撃したのが事件当日であったか否かという点だけでなく、目撃した位置やその際の女児らの動き、その直後に通過した道路の駐車車両の有無など、女児らを目撃した状況及びそれに密接に関連する部分全般について旧供述と大きく異なっており、これら一連の点について警察官がD山の記憶や供述とは異なる作文・誘導をしたという内容なのであるから、新供述の信用性を判断するに当たり、そのような作文・誘導があり得るのかという観点から、目撃したのが事件当日であったか否か以外の関連部分の内容に着目するのはむしろ自然であり、それが誤りとはいえない。<br>  付言すると、女児らを目撃したのが事件当日であったか否かという点を中心に検討してみても、D山の新供述を前提とすると、事件当日、消防隊(団)員が行方不明となった被害者両名の捜索のため農協に来ているのに、D山は捜索に役立たない話をし、これを聞きつけた警察官が後日わざわざD山から事情を聴くために農協を訪れ、そこでもD山が犯行の時間や場所の特定に役立たない話をしたにもかかわらず、事件当日に目撃したことにすべきであると判断し、更に警察官が来訪して事件当日に目撃した旨の調書を捏造したことになるが、原決定が指摘するとおり、このような経過は不自然である。また、「事件当日に警察官が農協に来たことはない。V村に女児を見かけることはある旨話したところ、『私は通勤の道順が違うから見たことはない』と言われた」旨のD山の新供述は、「事件当日午後、警察官が農協に来て、D山が警察官に女児を見たなどと話していた。自分はD山の後にE村方三叉路を通過して農協に出勤したが、女児2名は見なかった」旨のV村供述(確定第1審証人V村(V田)尋問調書1465、1469丁、確定控訴審甲40・弁60)と矛盾を来している。<br> '''(3)'''弁護人は、原決定が、本件検察官調書は、本件警察官調書と比較すると曖昧な内容にとどまる部分が散見され、時の経過に伴う記憶の減退が反映されており、D山から改めて事情を聴くことなくあらかじめ捜査官が調書を用意していたとは考えにくいとする点について、〔1〕本件検察官調書中の本件警察官調書と異なる点は、D山が訂正しなくても捜査官があらかじめ記載することが十分に可能である、〔2〕本件検察官調書の作成過程に関するD山の原審証言の核心は、検察庁に行っておらず、事情聴取をしたのは同調書に署名している検察官らではなかったという衝撃的な内容であり、記憶違いや記憶の風化では説明できず、D山がこのような点についてまで事実と異なる証言をする必要もないと主張する。<br>  しかし、本件検察官調書は、本件警察官調書とおおむね同内容ではあるが、詳細に比較すると、時間帯が若干後ろ倒し又は幅のある記載となっていたり、女児らの特徴、女児らが手をつないでいたか、女児らがD山車をよけた方向、離合した車両の特徴等について記憶がはっきりしなくなっていたり、各女児を目撃した際に別の子だと認識した理由、最後に離合した車両(確定判決によればX田車)の運転手の特徴等が付け加えられたりしている上、調書添付図面を比較しても、X田車と橋(ガードレール)と位置関係が異なるなど、複数箇所で違いが見られる。仮に、D山が原審で証言するように、改めて事情を聴かれることなくあらかじめ出来上がった調書を示され、本件警察官調書添付図面を見せられて模写するように言われて従ったのだとすると、ここまでの差異が生ずるとは考えにくい。D山が原審で証言する喫茶店で会った相手方の説得内容は、当時の捜査の進捗状況、検察官の立証構造におけるD山の旧供述の位置付け、既に本件警察官調書が存在していたこと等に照らして不自然であり、違和感を否めない。一方、本件検察官調書は、同じ検察官が福岡地方検察庁飯塚支部において同じ検察事務官立会いの下、手書きで作成したとされる検察官調書(確定第1審甲38、44、500、538、554、556、557、558、559、579)と比較して体裁に不自然な点はない上、D山の供述に対し、取調官がその意味や理由について更に問いを投げかけて答えを得て、検察官が口授した内容を検察事務官がその都度録取していったとの見方に沿う部分もある。<br>  本件検察官調書の作成過程に関するD山の新供述は、喫茶店の場所を特定している点などにおいてある程度具体性を伴っていることを踏まえても、後記のような供述の変遷やその程度、新供述に至るまでの経緯等も考慮すると、一貫して保持された記憶に基づくものとみるのは難しく、後述するとおり、本件各調書の作成をなかったことにしたいという願望や、記憶の混同、変容、欠落等に起因する信用性の乏しいものであるといわざるを得ない。<br> '''(4)'''弁護人は、原決定が、D山は、原審において、女児2名の目撃供述の根幹部分について、弁2からも合理的理由を示すことなく供述を変遷させており、一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられず、警察官から紺色ワゴン車に関する質問をされたことは、弁2だけでなく弁30にも記載されておらず、供述経過が不自然であり、信用できないとする点について、〔1〕女児らを目撃した日についての新供述に実質的な変遷はない、〔2〕弁2は、本件警察官調書の作成から約26年が経過した時点で、初対面の弁護人に対して最初に事情を説明した際に作成されたものであるから、女児らを目撃した場所について記憶が戻らない状態だったにすぎず、その後の面談の中で思い出して訂正に至ったことは、何ら不合理ではない、〔3〕D山が記憶を維持してきたのは、女児らを目撃したのは事件当日ではないということであり、このような簡明な事実に関する記憶が歳月によって風化することはあり得ない一方、それ以外の事実については記憶が風化していたはずであるから、真実警察官から紺色ワゴン車に関する質問をされていたのであれば供述録取書作成時に弁護人に話すはずとはいえず、弁護人との面談の中で記憶が喚起されて説明するに至ったことは何ら不自然ではないと主張する。<br>  しかし、原決定が指摘する変遷部分、すなわち、女児らを目撃したのが事件当日ではないという明確な記憶があったのかという点、化粧を終えて発進した後に女児らの横を通り過ぎたのが、E村方三叉路左折時であったのか、それよりもずっと東側(確定判決が認定した被害者両名の通学路外)であったのかという点、事情聴取の際に事件本人車を示唆する質問があったのかという点は、核心部分そのもの又はこれと密接に関連する部分であり、変遷後の供述はD山が賛同している弁護人の主張に沿う内容でもある。そして、弁2は、平成30年4月4日及び同月16日の2回にわたる主任弁護人及びZ1弁護人とD山との面談を経て、両弁護人が作成して同年5月16日に主任弁護人の事務所においてD山の署名等を得たもので、再審請求の新証拠としての提出も念頭に、慎重に作成されたことがうかがわれる。D山としても、遅くとも弁護人に連絡を取った時点では、記憶を喚起して保持する必要性を意識していたはずである。そうであるのに、弁2には、取調官に対する説明の内容とは区別する形で、3か所にわたり、D山自身の記憶の内容として、「当初から私の記憶内容が曖昧で、女児2名を目撃したのが、当日だったのか、その数日前だったのかについては、全く自信がなかった」(1頁)、「女児2名を目撃したことはあるが、これが平成4年2月20日のことだったかどうかは全く分からない」(5頁)、「女児らを目撃したのが事件当日であるのか、その何日か前であるのかの記憶が不確かであるのに、調書にサインしてしまった」(6頁)などと記載され、それとは別の箇所で、取調官に対しても同趣旨の話を繰り返した旨が記載されていて(3、6頁)、要するに女児らを目撃したのは事件当日の可能性も事件当日ではない可能性もあるが、いずれとも断定できない旨述べていた。これに対し、原審証言では、弁護人の主尋問の当初こそ「当日じゃないと思います」という答えの後に「多分」という一言を付加しているものの(原審証人尋問調書11頁)、その後は女児らを目撃したのは事件当日ではないと記憶していたという趣旨の証言を繰り返しているから(同調書21~24頁)、これを変遷と評価した原決定に誤りはない。また、弁2では、D山車を停めて化粧をしていた地点については、旧供述よりもF寄りである旨本件各調書の記載を訂正している一方、女児2名を追い越したのはE村方三叉路を左折した後の地点とされており、当時の記憶が保持されていたのであれば、後者の点を訂正できなかったというのは不自然であるし、その後喚起されたという記憶の正確性にも疑念を抱かざるを得ない。さらに、弁2には「同月22日は、この程度の話をして終わったと思う」旨明記され(3頁)、警察官からカタログを見せられて紺色ワゴン車に関する質問をされたといった話は弁30にも一切出てこないが、真実カタログを見せられるなどしていたのであれば、弁護人との面談を経てもこれらの供述録取書作成時までに記憶が喚起されなかったということになり、そのような経緯は不自然であり、不意に思い出したとする記憶の正確性も疑わしい。そのほか、D山の供述には、弁2と原審証言とを比べると、複数の点につき食い違いが認められ、証言中でも変遷している点がある。女児らを目撃したのは事件当日ではないという点を含め、D山が当時の記憶を正確に保持しているのであれば、このような供述経過をたどるとは考え難い。<br> '''(5)'''弁護人は、D山は、自らの記憶と異なる供述調書が作成されたことが事件本人に対する死刑判決に影響を与えたのではないかという自責の念や、供述調書作成時に記憶と異なる点を是正しようとしたもののできなかったことへの後悔から、今度こそ自らの記憶どおりに証言すると決意し、事件当時のように生活の平穏が乱される事態になることを恐れながらも、弁護人に接触して良心に従って証言することを名乗り出たものであって、あえて記憶と異なる内容の供述をするはずがなく、弁護人に迎合し、思い込みによって記憶が変容することもあり得ず、また、旧供述が記憶と符合していた可能性もあるかもしれないという曖昧な記憶だったのであれば、これほど自責や悔悟の念にとらわれることにはならないし、弁護人に接触して供述を訂正しようという行動に出る必要はなかったのであり、原決定はD山が証言するに至った動機や心情を無視ないし軽視していると主張する。<br>  弁2、32等によれば、D山は、事件直後に警察の事情聴取に応ずると、供述内容がマスコミに漏れて連日のように取材攻勢に悩まされるようになり、断り切れずにテレビ取材に応じたところ更に嫌な思いをし、結局農協を辞めることになるという、二度としたくない経験をした上、その後程なくして転居し、次第に気にならなくなっていた矢先、繰り返し要請されて本件検察官調書の作成のためやむなく帰省したというのである。そして、D山は、再び同じ県内に住むようになって以降、マスコミ報道やYouTube等を見て、事件本人は無実かもしれず、自己の供述が事件本人を死刑にしてしまったかもしれないという強い後悔の念が湧いてくるようになった上、第1次再審請求に係る即時抗告棄却決定を受けた弁護団の記者会見の内容を知って不安が募り、夜も眠れない状態となり、弁護人の事務所に「YouTubeで講演を見た。先生たちと同じ考えで、犯人は他にいると思っている。講演会等があれば参加したい」などと電話をかけ、新供述に至ったというのである。原審でも、「本件各調書が判決に影響を与えたと思っており、それが精神的負担になっている」旨証言している。<br>  このような経緯やD山を取り巻く状況等に照らすと、D山が自責や悔悟の念、不安といった心境に至ったこと自体が不自然であるとはいえず、D山があえて現在の記憶と異なる内容の供述をしている可能性が高いなどとみているわけではない。しかし、D山の新供述の不自然性、他の証拠との齟齬、変遷の内容やその程度等に照らすと、D山が見聞きした報道や弁護人の見解等に無意識のうちに迎合し、あるいは思い込みによって、事件当日や本件各調書作成当時に関する現在の記憶自体が変容してしまっている可能性は否定できず、少なくともそのような見方が不合理とはいえない。すなわち、D山にとって本件各調書の作成は辛く嫌な出来事であり、これを思い出さないようにしていたこともあって、時の経過とともに記憶が曖昧になることは無理もないことであるが、それだけではなく、確定判決に疑問を投げかける情報に接したことを契機に、それを支持する情報ばかりが目に付くようになると、その結果、記憶が一層混乱するとともに、自身のみがE村方三叉路付近で女児2名を目撃した旨供述しているという現実を抱えきれなくなり精神的に不安定な状態が亢進しかねない。そうした場合、その苦境から脱し、自らの心身を守るため、自身が目撃した状況は事件と無関係であり、旧供述は自身がしたものではないことにしたいという心理が働くことや、それが言動に影響してしまうことは十分に考えられ、D山の新供述の不自然性等(例えば、D山が当初から原審証言の地点で女児らを目撃し追い越したと供述していれば、D山が被害者両名の最終目撃者とされなかった可能性が高まる)に照らすと、その疑いは濃厚である。D山が意図的に虚偽供述をしているのではなくても、前記のような新供述を信用するのは極めて困難であるといわざるを得ない。<br> '''(6)'''弁護人は、〔1〕平原バス停付近で被害者両名を目撃したZ田は、事件当日に学校にその旨報告したところ、学校に来ていた警察官がZ田方に来て目撃状況を報告した旨供述しており、D山が事件当日に警察官に対して同日女児らを目撃したと供述していたのであれば、Z田と同様に、直ちにその供述について詳細な事情聴取がされていたはずであるが、そのような対応は取られていない、〔2〕D山の旧供述が事件当日に女児らを目撃したとする時間帯、E村方三叉路付近ではW田とX島が立ち話をし、X田がX田車で同三叉路を北上し、V村がD山の後にV村車でD山車と同一方向に同三叉路を走行しているが、D山以外誰一人として被害者両名を目撃していないと指摘し、このような客観的状況ないし動かし難い事実は、旧供述と整合せず、D山の原審証言の信用性を補強しているのに、原決定はこの弁護人の指摘について判断することを意識的に回避していると主張する。<br>  しかし、いずれの点についても、確定審の段階で既に判断の前提とされていた事情であり、原決定は、そのような観点等から具体的に取上げる必要まではないと判断したものと解される。<br>  付言すると、〔1〕の点については、D山と異なりZ田は既知のA田らを目撃したと供述していたものである上、本件各調書によれば、D山は事件当日に農協を訪れた警察官に目撃状況を説明したとされており、目撃者がその場にいなかったため来訪することとなったZ田との間で、警察の対応に有意な差があるとはいえないから、旧供述の信用性は損なわれず、新供述の信用性が補強されることにもならない。〔2〕の点については、確かに、確定審の証拠関係からは、事件当日午前8時30分前後頃、E村方三叉路付近にいた4名(V村、W田、X島及びX田)の中に、被害者両名を目撃した者が存在しないというのは、一見すると不自然さを否めないようにも思われる。しかし、そもそも、関係者がE村方三叉路付近にいた時間や場所を客観的かつ正確に認定することはできない上、D山による目撃後の被害者両名の行動は、あらゆる可能性を排除できないのである。これは、確定第1審及び控訴審判決において「被害者両名はD山に目撃された後犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性があり、犯人が顔見知りであったため被害者両名は容易に乗車したと推認される」旨指摘されていることからも明らかである。弁護人の指摘は、それ自体では新旧両供述の信用性に影響するような事情とはいえない。<br> '''(7)'''弁護人は、D山の旧供述は、同意書面として取り調べられたものであり、信用性について反対尋問等による検討を経ていないものであるのに、原決定はこの点を考慮していないという。<br>  しかし、原決定(8頁)も指摘するとおり、本件各調書は、捜査段階から事件本人が犯人性を争っている中、確定審で検察官から弁護側に開示された証拠であって、〔1〕本件検察官調書は、確定第1審において検察官が立証趣旨を「被害児童両名の登校状況」として請求し、当時の弁護人が同意した上で取り調べられたもの、〔2〕本件警察官調書は、確定控訴審において、検察官が「供述経過」を立証趣旨として請求し、弁護側(主任弁護人その他の本件の弁護人4名を含む)が異議なしとの意見を述べただけでなく、弁護側も「D山が被害者らを目撃した場所に到着した時刻及び被害者らを目撃した時刻」を立証趣旨として請求して検察官が同意し,双方請求の書証として採用されて取り調べられたものである。弁護側からD山の証人尋問が請求されたこともなかった。利害関係のない第三者であるD山の旧供述については、その信用性を疑う理由が見当たらないのである。<br>  D山の新供述には既に述べた看過し得ない問題点があることも踏まえると、本件各調書が書証であることが信用性判断に影響することはない。 <br> '''(8)'''弁護人は、〔1〕原審において、弁護側が求めたD山の初期供述に関する証拠の開示について、検察官は、同証拠が残されていないはずがないのに、不存在と釈明し、検察官がその存在を認めた検察官送致記録添付の一覧表(送致記録中の書類目録及び関係書類追送書をいうものと解される。以下「書類目録」という)についての原裁判所の開示勧告を拒否したが、原決定は、D山の原審証言の信用性を評価するに当たり、この検察官の対応を捨象している、〔2〕検察官が、同勧告に従わなかったという事実から、D山の初期供述に関する未開示証拠の存在が推認されるともいう。<br>  確かに、本件各調書によれば、事件当日の被害者両名の捜索時に警察官がD山から事情を聴取したとされているが、いまだ被害者両名の生死が不明の時点での聴取であって、その約10日後には本件警察官調書が作成されているから、初動捜査の段階におけるD山供述の位置付け(前記第3の1(1))にも鑑みると、当初の事情聴取結果が捜査書類の形で確実に存在しているはずであるとはいえず、検察官の回答が明らかに虚偽であるとはいえない。検察官は、原審の書類目録の開示勧告に対し、〔1〕書類目録は内部の連絡文書又は手続文書であって証拠ではない、〔2〕書類目録を開示しても弁護人が開示を求める証拠の存否は明らかにならないことなどからすると、開示の必要性がない、〔3〕探索的に膨大な証拠開示勧告申立てが繰り返され、手続が紛糾し、参考人のプライバシーが侵害されるなどの弊害があるといった理由を述べて勧告に応じなかったものであり、その見解に全面的に賛同することはできないとはいえ、検察官の対応から、手持ち証拠中に存在するD山の初期供述に関する証拠を意図的に隠蔽しているとみるのは、合理的な根拠のない憶測というべきである。原決定が、D山の新供述の信用性を判断するに当たり、証拠開示に関する検察官の対応を考慮しなかったことに誤りはない。<br> '''(9)'''その他弁護人の主張に鑑み検討を加えても、D山の新供述の信用性に関する原判断に不合理な点はない。<br> '''2 本件報告書の明白性に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、本件報告書は、被害者両名の歩行速度を平均的な速度より早く設定しても、X田やV村の視界から消えることはあり得ないことを明らかにしていると主張する。<br>  しかし、本件報告書が前提とする被害者両名の歩行速度(秒速約0.75m)は、確定判決が依拠した子供の足の速さ(確定第1審甲33)よりも遅い上、原審で検察官が指摘していたように、小学校1年生の女児の平均的な平常歩行速度と比べてもやや遅い。原決定も指摘するとおり、本件各調書によれば、被害者両名がE村方三叉路に現れたのは午後8時30分ちょうどではなく、その少し前等とされており、本件報告書の想定より短時間で平原バス停付近とE村方三叉路の間を移動した可能性がある上、被害者両名はいずれの地点でも学校に行きたくない様子で「とぼとぼ」ないし「だらだら」と歩いており(確定第1審甲38、39等)、両地点間では普段よりも遅い速度で歩いていた可能性を否定できない。しかも、D山が目撃した後の被害者両名の行動は不明なのである。被害者両名が秒速約0.75mよりも早い速度で北上するなどしたため、X田やV村に目撃されなかった可能性は相応にある。<br> '''(2)'''弁護人は、確定判決38頁の「直後」の意味をV村車が離合するタイミングの趣旨であると読み替える原決定の解釈は、文理に反し作為的であると主張する。<br>  しかし、原決定も指摘するとおり、「X田車が一旦X島車のすぐ後ろに停車した直後、V村車が通りかかった」旨の確定判決の説示は、駐車車両が3台あった旨のD山の本件検察官調書における供述が、他の関係者の供述等に照らし記憶違いであることを論証する中での説示であるから、「直後」というのは、X田車が一旦停車した後V村車と離合する前に他車と離合していないことをいわんとしたものとみることも可能であり、V村、W田及びX田の供述内容(確定第1審証人V村(V田)尋問調書1459丁、同証人W田尋問調書1495丁、同証人X田尋問調書1598、1607丁。確定控訴審甲40・弁60も同様)に照らしても、本件報告書が想定するような、X田車が当初の停車位置に到達した時点でV村車が目前に迫っているような状況を想定した説示とは限らない(更に言えば、確定判決40頁の説示からD山車とX田車が離合した地点をD山とX田がそれぞれ供述する地点の中間と設定する本件報告書の想定にも疑問がある)。原決定の解釈は不合理でない。<br> '''(3)'''弁護人は、本件報告書に係る再現実験は、原決定のいうように関係者の移動に要した時間を秒単位で再現しようとしたものではなく、誤差を吸収できるだけのバッファを考慮したおおよその速度を前提としており、X田車がD山車と離合してから極めて短時間でX田が被害者両名を目撃可能な位置に達すること、V村車がE村方三叉路入口に到達していれば、被害者両名が通学路を後戻りしたとしてもV村は被害者両名を目撃できること、V村車が同三叉路入口からX島車付近まで移動するのに要する時間は数秒間であることが確認されているから、旧供述どおりD山が被害者両名を目撃したのだとすると、X田やV村が被害者両名を目撃しないことはあり得ないと主張する。<br>  しかし、本件報告書には、被害者両名の移動速度や確定判決の解釈に関して既に指摘したような問題点がある上、車両等の位置の決定の参考にしたとされる各調書添付図面は、道路状況を含めて手書きされたものか(本件検察官調書)、住宅地図に手書きで書き込みをしたもの(各証人尋問調書)で、いずれも視認可能性の検証をも想定した正確性を企図したものではない。各図面を比較すると、おおよその位置関係は合致していても、距離を問題とするのであればずれが生じているし、本件各調書の添付図面間の食い違いからすると、D山車とX田車が離合した位置についてのD山の記憶は曖昧なものであったこともうかがわれる。後述するとおり、確定判決の事実認定に従っていない部分もある。本件報告書に係る実験は、地点の特定を含め、確定判決が認定した事件当時の状況を正確に再現できているとはいい難く、X田やV村が被害者両名を目撃しないことはあり得ないなどという本件報告書の結論を採用することはできない。<br>  なお、本件報告書は、「V村はD山が被害者両名を目撃してから約3分後に同じ道を通った」旨の確定判決の認定は完全に誤っているとも指摘する。V村がD山のどの程度後にE村方三叉路を通過したかについて、確定判決は、「ほんの数分後」という表現(10頁)だけでなく、「約3分後」という表現も用いているが(39頁)、その根拠をみると、D山が、本件検察官調書において、「農協の駐車場で化粧品等を拾い集めたりしているうちにおそらく3分くらいかかったのではないかと思う。するとちょうど同僚のV村がV村車に乗って駐車場に入ってきた」旨供述している点を捉え、そこから遡ると同三叉路においてもその程度の間隔はあったと推認できるとの判断に基づくものと解される(確定判決33頁参照)。確定判決は、D山が午前8時30分過ぎ頃同駐車場に到着し、D山と共に農協に入店したV村が時計(大体合っているという限度のもの)を確認したところ午前8時33分頃であったことをも前提としており(確定判決33、34頁)、「約3分」といった説示は、相応の幅を持たせたものであることも明らかである。本件報告書は、確定判決の事実認定に従うとしながら、D山による被害者両名目撃の約3分後にV村がE村方三叉路を通過した旨の事実認定については前提としない一方、視認可能性に関する再現実験の算定根拠となるほどの客観性や正確性を指向していない確定判決や調書の記載についてはその意図しない方法で用いるなど、条件設定が恣意的との印象を与えかねず、そのような実験については公正さを疑われ、得られた結論の説得力が乏しいと評価されてしまってもやむを得ない。したがって、「V村はD山が女児らの横を通過してから21秒後に同じ地点を通過した」という結論もまた採用できず、確定判決の認定の誤りを示すものとはいえない。<br> '''(4)'''弁護人は、本件報告書に係る再現実験では、V村車が、E村方三叉路が見え始める地点に到達し、同三叉路入口を通過し、X島車付近へと進んでいき、同三叉路の内部を詳しく見ることができるようになったにもかかわらず、被害者両名を目撃しなかったことが明らかになっているのに、原決定はこのことを無視しているともいうが、確定判決も原決定も、V村がD山による被害者両名目撃の約3分後にE村方三叉路を通過したことを前提としているから、その点で弁護人とは異なっているが、弁護人指摘の点は前提としていると解される上、これを踏まえても、本件報告書に既に指摘したような問題がある以上、信用性を欠くとの結論は変わらない。<br> '''3 K村の供述の明白性に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、K村の原審証言の信用性と、事件との関連性は別問題であり、前者は後者を判断する前提事項であるのに、原決定は両者を混同して信用性の問題として評価しており、論理性を欠いていると主張する。<br>  しかし、K村が事件当日に女児2名を目撃したのだとしても、それが被害者両名でないのであれば、K村供述が旧証拠の証明力を減殺する余地はないことになるし、被害者両名である可能性が乏しいということになれば、被害者両名を目撃したかのようにいうK村供述の信用性には疑念が生ずることになるから、女児2名を目撃した時刻、場所、被害者両名との類似性など、事件との関連性を示す部分の信用性を中心に吟味した原決定の手法に誤りがあるとはいえない。<br> '''(2)'''弁護人は、原決定が、目撃した女児2名に関するK村の原審証言について、被害者両名と顔貌が似ていたとする根拠が具体性を欠くこと、小学校1年生と断定する根拠が甚だ薄弱であること、前記2名の相違点についての指摘もないこと、年齢や服装等の概括的で目につきやすく記憶に残りやすい特徴の言及が乏しいことなどを理由に、女児2名の目撃内容に関するK村の供述は信用性に乏しく、特に顔貌が被害者両名に似ているなどと述べる詳細部分は信用し難いとする点について、〔1〕「目撃した女児2名は記者から見せられた被害者両名の顔写真と雰囲気が似ていた」旨のK村の原審証言は、恨めしそうな顔で見つめられたという特異な体験をし、その表情を忘れられなかったことから可能になったものであり、短時間の目撃であったのであるから、それ以上に似ているとする具体的根拠を示せなかったことは、信用性を否定する理由にならない、〔2〕記憶の残りやすさについて、何ら不審を抱くことなく目撃した場合と、K村のように不審を抱いて目撃した場合とを同列に論ずることはできない、〔3〕女児1名のランドセルの色の記憶違いについても、短時間の目撃であることを考慮すれば、記憶が明確でなくなるのは当然であるなどと主張する。<br>  しかし、原決定も指摘するとおり、K村は、目撃した女児2名が被害者両名であると同定する具体的根拠に乏しく、学年を特定する根拠は甚だ薄弱で、特に後部座席に横たわっていた女児についての視認条件は良好とはいい難く、顔貌を確認し、記憶できたとは到底思えないにもかかわらず、断定的な供述を繰り返している。K村は、B山に似ている女児の奥に置かれたランドセルの色が赤だと思ったのは記憶違いだった旨証言するが、B山のランドセルの色と記憶しているランドセルの色が一致しないのであれば、別人である可能性を思い描いてしかるべきであるのに、なぜ当初の記憶が間違いであると即断できるのか不明である。これらは、K村の知覚及び記憶の正確性に疑問を抱かせ、目撃した女児2名が被害者両名であるとの思い込みに基づいて供述している可能性を示す事情である。<br>  付言すると、K村は、面識のない女児2名を目撃してから約26年の間、被害者両名との同一性を確認する機会がなく、かつ、確認時には被害者両名の写真だけを示されたというのである。目撃から原審証言まで30年以上の期間が経過し、実際に目撃した女児2名の印象が薄れてもおかしくない中、記者から示された被害者両名の写真の記憶との混同が生じているのではないかとの疑いも抱かざるを得ない。<br>  また、K村は、弁1、28では、ランドセルを見たという以上に女児2名の年齢を具体的に特定する供述はしていなかったのに、原審ではいずれも小学1年生であると断言している。弁28では、記者から見せられた被害者両名の写真のうち、A田がK村の方を向いていた女児に似ていたとしか述べていなかったのに、原審では被害者両名とも似ていたと証言している。最初に目に入ったのが誰かという点や、裁判所を訪れて事件本人の公判を傍聴した経緯等についても変遷している。不審車両の運転手の年齢については、同運転手がZ4である可能性をいう弁護人の主張に沿う形で次第に具体的になっており、検察官から被害者両名の死亡時刻は午前9時30分頃と判断されている旨指摘されると、そのことは知っているとした上で、女児のこわばった表情からして完全に消化不良を起こしているなどと、死亡時刻は確定判決の認定より遅かった可能性をいう弁護人の主張に沿う証言もしている。<br>  このように、K村の供述には、当初の知覚及び記憶が不正確で、当時の記憶がそのまま維持されていないことを疑わせる事情だけでなく、長い年月の中で確定判決に関する様々な情報に接したことなどから、自身は被害者両名を目撃しているという思い込みや、犯人は事件本人ではないという先入観に基づいて供述しているのではないかと疑わせる点もみられる。<br> '''(3)'''弁護人は、原決定が、目撃時刻に関するK村の供述は変転していることなどからして信用できないとする点について、K村の原審証言の核心部分は、「事件発生日の事件発生時刻と近接した時間に、事件発生場所と近接した場所である八木山バイパスで、35歳前後の男性が運転する、小学校1年生(弁護人は小学1年生「くらい」とするが、K村は小学1年生と断言している)の女児2名が乗った白色軽ワゴン車を目撃した」などという部分であり、目撃時刻は核心部分ではなく、目撃から30年余りが経過してこの点の記憶が曖昧になり、変遷が生じていたとしても、核心部分の信用性は否定されないと主張する。<br>  しかし、目撃時刻と確定審の認定する殺害及び死体遺棄の時刻との先後関係は、K村供述の重要部分であるから、目撃時刻が早まる方向に供述が変転し、曖昧となっていることをもって、信用性を否定する一事情とみた原決定は不合理でない。<br>  付言すると、K村は、弁28において、「弁1では会社から取引先に向かったと考えて計算していたが、自宅から取引先に直接向かったことを思い出した」旨供述して目撃時刻を約1時間遡らせているが、原審では「当初から弁護人に自宅から直接取引先に向かったと説明していた」とも述べており、弁1と弁28の間の変遷の理由すら曖昧となっている。<br> '''(4)'''弁護人は、原決定が、K村が目撃した女児2名が被害者両名であるとすると、犯人は被害者両名を拐取した後、一旦八木山バイパスを通って福岡市方面に向かいながら、その後進路を逆に変えて飯塚市方面に戻り八丁峠方面に向かったことになって不自然であるとする点について、突発的な事件であり、犯人は殺害等に及ぶ場所を物色して迷っていたと考えられるから、八木山バイパスを走行するはずがないとはいえないと主張するが、原決定の評価が不合理とはいえない。<br>  付言すると、K村は、平日に女児2名が乗車していたこと、女児や運転手の表情等から、目撃したのは被害者両名と犯人だったのではないかと思ったというが、表情等に関するK村供述を前提としても、男性が女児2名を乗せて同バイパスをゆっくりと走行する目的としては、様々な可能性が考えられるところである。女児2名の識別供述に証拠価値が認められない以上、目撃した時刻、場所及び進行方向等に照らし、K村が目撃した状況は事件とは関連がないと推認するのが合理的である。<br> '''(5)'''弁護人は、警察官から紺色ボンゴタイプ車でなかったかと質問されたとするK村の証言部分は、T田供述が誘導によるものであることを強く示唆するとともに、K村の供述調書が作成されなかった理由を明らかにするものであるのに、原決定はこの部分を無視していると主張する。<br>  しかし、弁護人指摘の部分を含め、K村の原審証言の信用性を否定したものと解される原決定は不合理でない。当時、捜査機関は犯人が白色の車両を使用していた可能性もあるとみて捜査を継続していたことがうかがわれ(確定第1審N尋問調書1376、1387、1398丁、確定控訴審弁7)、K村の証言内容は捜査の初期段階における警察官の質問として不自然さを否めない。また、弁1では、警察官から紺色の普通車でボンゴタイプではなかったかと聞かれたという話は一切出てこない。弁1は、令和2年1月9日、K村がZ1弁護人及びZ2弁護人に対して話した内容を、弁護人側で供述書の原稿としてまとめ、同月23日、K村が署名するなどしたものであるところ、K村は弁護人には弁1作成前にこの話を伝えていたかのように証言するが、仮にそうであったとすれば、弁護人がかねてより強く主張している事件本人を犯人視する見込捜査の可能性を示す一事情と捉えるのが自然であり、供述書の原稿に記載されないとは考え難い。K村は、事件に関する報道を通じ、長年紺色のボンゴタイプ車の目撃状況が争われてきたことを認識しており、その供述には既に指摘したような問題点があることにも鑑みると、警察官から紺色ワンボックス車ではないかと聞かれたとする点も信用し難いとする見方が不合理とはいえない。<br> '''(6)'''弁護人は、K村は、事件と利害関係がないのに、目撃した女児の恨めしそうな表情が忘れられず、何もできなかったことに対する自責の思いや、事件に関係していると確信していた目撃状況を明らかにしなければという責任感等から、事件の発生を知ってすぐに警察に連絡し、数日後に事情聴取に訪れた警察官に監視カメラを確認するよう助言しただけでなく、長年にわたり、公判を傍聴し、弁護人の事務所に電話し、同所を訪問するなどの行動をとり続けてきたのであり、虚偽の供述をしなければならない動機はないと主張し、原決定はこのようなK村が証言するに至った動機や心情を無視ないし軽視していると主張する。<br>  しかし、K村が、そのような責任感等を有していること自体を疑っているわけではなく、そうした心境があるからこそ、自らが事件の真相を知っているという思い込みを生み、それが記憶や供述をゆがめている可能性もうかがわれるのであるから、弁護人指摘の事情は、K村供述の信用性判断を左右しない。<br> '''(7)'''弁護人は、〔1〕原審において、弁護側が求めたK村の初期供述に関する証拠の開示について、検察官は、同証拠が残されていないはずがないのに、不存在と釈明し、原裁判所の書類目録の開示勧告を拒否したが、原決定は、K村の原審証言の信用性を評価するに当たり、この検察官の対応を捨象している、〔2〕検察官が、同勧告に従わなかったという事実から、目撃後の通報や事情聴取時の説明内容等についてK村の証言どおりの内容が記載された証拠の存在が推認できるともいう。<br>  しかし、K村の供述を前提としても、来訪した警察官がK村の話を手帳にメモしていたにとどまるのであって、その説明内容や、当時、同様の目撃情報は多数寄せられていたとうかがわれること(確定控訴審弁7)にも鑑みれば、事情聴取結果が捜査書類として確実に存在しているはずであるとはいえず、検察官の回答が明らかに虚偽であるとはいえない。また、前記第3の1(8)で述べたとおり、検察官の見解に全面的に賛同することはできないとはいえ、検察官の対応から、検察官が手持ち証拠中に存在するK村の初期供述に関する証拠を意図的に隠蔽しているとみるのも、合理的な根拠のない憶測というべきである。<br> '''(8)'''その他弁護人の主張に鑑み検討を加えても、K村供述の信用性に関する原判断に不合理な点はない。<br> '''4 証拠開示命令の申立てを職権不発動とした原審の判断に関する主張について'''<br>  弁護人は、D山の新供述やK村の供述の信用性を判断するためには、弁護人が申し立てたD山及びK村の初期供述に関する証拠の開示が必要不可欠であり、これらの証拠が存在しないはずはなく、検察官の不存在との回答はその裏付けなくしては到底信用し得ないのに、検察官に対して書類目録の開示を勧告したのみで、これに応じなかった検察官に対し、弁護人の申し立てた証拠開示命令ないし提出命令を出すなどの措置を講じなかった原審の手続には、審理不尽があるという。<br>  しかし、D山及びK村の初期供述に関する証拠が確実に存在しているはずであるといえないことは既に説明したとおりである上、原決定が評価するとおり、D山の新供述及びK村の供述の信用性はいずれも乏しく、書類目録が開示されることによりその評価が揺らぐ可能性もまた乏しかったといえるから、原審が弁護人指摘の勧告以上の措置を講じなかったことに裁量逸脱の違法はなく、審理不尽があるとはいえない。このことは、当審における審理を通じて一層明らかになったといえる。<br> '''5 公務所照会の申立てを職権不発動とした原審の判断に関する主張について'''<br> '''(1)'''弁護人は、原審は、Z3がZ4と共に収容されていたとする医療刑務所に対し、〔1〕平成11年1月1日から平成12年12月31日までの間にZ3が収容されていた事実の有無、〔2〕同時期にZ4が収容されていた事実の有無、Z4が収容されていた場合には、その本籍、血液型及び顔写真に関する報告を求める公務所照会(以下、それぞれ「照会事項〔1〕」「照会事項〔2〕」といい、併せて「本件公務所照会」という)の申立てを職権不発動としたが、弁18において飯塚事件の犯人であることを告白したとされるZ4は、K村が目撃した不審車両の運転手と同一人物である可能性があり、本件公務所照会は、Z3供述及びK村供述の信用性を判断するために必要不可欠であったと主張する(なお、弁護人は、即時抗告申立期間経過後、原決定が、Z3供述の信用性及び同供述とK村供述との関連性についての判断を遺脱している旨の主張もしている)。<br> '''(2)'''弁18の概要は前記第1の5(2)エのとおりであるが,弁19及び20等によれば、弁護人が弁18を入手し、本件公務所照会を申し立てた経緯等は次のとおりである。 <br>  Z3は、平成29年11月、殺人(認定罪名傷害致死)等被告事件により第1審で懲役10年に処せられて控訴し(検察官も控訴)、控訴審係属中であったところ、平成30年4月頃、同事件の弁護人を通じ、飯塚事件の真犯人に関する情報を伝えたいとして、当時第1次再審に係る特別抗告を申し立てていた主任弁護人及びZ1弁護人に連絡を取った。両弁護人が接見したところ、Z3は、Z4(以下「Z4′」という)なる元同房者から飯塚事件の真犯人であると告白を受けた旨述べた。弁護人らは、新聞記事からZ4′はZ4であると特定したが、所在調査が奏功せずにいたところ、同年9月にZ3に対する控訴審判決があり、同年10月、Z3から、主任弁護人宛てに、「Z1弁護人が飯塚事件に関して調書を作成するので署名してほしいと言っていたがどうなったか。控訴審で第1審より重い刑に処せられてしまった。上告や憲法に強い弁護士を紹介してほしい。いつでも供述調書に署名するので面会してほしい」旨の手紙が届いた。Z1弁護人は、Z3から聴取した内容を供述録取書案にまとめ、聴取未了の日付等は空欄にした上で、同月10日、Z3に内容を確認してもらった上で差入れる一方、「上告審の弁護人になるか、弁護士を紹介してほしい」旨のZ3の依頼を断った。すると、Z3から、主任弁護人に宛てに、「供述録取書を宅下げする前に一度話がしたい」旨の手紙が届いたため、主任弁護人が2回にわたり接見し、Z3から指摘のあった箇所を訂正し、作成日付を更新した新たな供述録取書案を差し入れた。さらに、Z3から、2回にわたり、主任弁護人宛てに、「上告審を担当してくれる弁護士を早急に紹介してほしい」旨の手紙が届いた。同年12月20日、Z1弁護人がZ3と接見し、供述録取書を宅下げしない理由を尋ねたところ、Z3は、「拘置所の担当者から、両弁護人は『弁護人となろうとする者』ではなく、飯塚事件が目的ではないかと質問され、宅下げを止めざるを得なかった。弁護士を紹介してもらえば、その弁護士には宅下げができるのではないか」と提案してきた。以降、Z3との連絡は途絶えていたが、本件再審請求後の令和3年7月29日頃になり、突然、服役中のZ3から、Z1弁護人宛てに、当初差し入れた平成30年10月10日付け供述録取書案を補充訂正の上署名した弁18が郵送されてきた。その後、Z1弁護人は、Z4の刑事確定訴訟記録(判決)の閲覧申請をしたが、本籍及び住居については閲覧不許可となり、Z4の本籍、住居及び血液型についての情報を得ることができなかった。<br>  そこで、弁護人が、本件公務所照会を申し立てるとともに、検察官に対し、Z4の本籍の任意開示を求めたのに対し、検察官は、開示に応ずることはできないと回答し、本件公務所照会は不必要かつ不相当であるから職権発動すべきではない旨の意見を述べた。<br>  なお、弁護人は、弁18~20について、当初「本件公務所照会に係る照会事項、特にZ4の本籍について開示してもらえるのであれば、調査した上で新証拠として請求するかどうか検討したい」などと発言していたが、その後は「弁18の新証拠としての明白性を判断する上でZ4の特定が必要不可欠である」「本件公務所照会がされていれば、新証拠としてのZ3供述の明白性が明らかになり、K村供述の明白性も補強されたものと思料する」などと主張していた。<br> '''(3)'''原裁判所は、原決定中では、Z3供述に新規性を認めつつその信用性について具体的に取り上げて説示していないものの、本件公務所照会の申立てを職権不発動とした理由を述べる中でZ3供述の信用性にも言及しており、この判断を原決定当時まで維持しているものと解される。その理由の要旨は次のとおりである。<br>  照会事項は、犯行告白を受けたというZ3供述の信用性に直接関わるものではない。照会事項〔2〕はみだりに明らかにされないことが求められる事項であるという観点から、弁18をみると、単に犯行告白を受けたという内容で、なぜZ4がZ3に対して重大犯罪を告白したのか、処罰を恐れているにもかかわらずなぜZ3に犯行を認める供述をしたのかについて首肯し得る説明はない。作成経緯も不自然である。このように不可解な点が多々ある弁18を根拠にZ4に関する報告を求めることは相当でない。照会事項〔1〕は、それのみで照会をする必要性は認められない。<br> '''(4)'''Z3供述の信用性を否定した原判断は不合理でなく、本件公務所照会の申立てを職権不発動とした原審の手続に裁量逸脱の違法があるとはいえない。<br>  Z3が、両弁護人に対し、元同房者から飯塚事件の真犯人であると告白された旨の情報提供をし、供述録取書の作成に応ずるかのような素振りを見せたのは、前記経緯からすると、自己の刑事事件についての弁護を受任してもらい、弁護人となる者を紹介してもらうなどの有利な取り計らいを期待してのものであったとみられてもやむを得ないところである上、供述の内容も、原審が指摘するとおり唐突な感が否めない。Z3が弁18を郵送することとしたのが、本件再審請求がされたのを知ったことが一因であるとしても、最新版ではない供述録取書案に署名するなどして何の説明もなく一方的に郵送してくるなど、真摯性に疑問がある状況は続いており、この疑問を解消するに足る証拠は提出されていない。原決定が評価するとおり、Z3及びK村の供述の信用性はいずれも乏しいから、照会事項の性質も考慮し、本件公務所照会は不相当ないし不必要であるとした原審の判断が、その裁量を逸脱した不合理なものであるとはいえない。<br> '''6 原決定が第1次再審請求審で提出した証拠を改めて評価しなかったことに関する主張について'''<br>  弁護人は、原審において、第1次再審請求審の証拠評価の誤りを指摘し、第1次再審請求審における新証拠について改めて判断するよう求めたのに、原決定がこの点について何ら判断を示していないのは誤りであるというが、本件再審請求において新たに提出された証拠が旧証拠の証明力に影響することはないとの原判断が是認できる以上、第1次再審請求において明白性を否定された証拠の証明力を再評価しなかった原決定に誤りはない。<br> ===第4 結論===  以上のとおり、本件即時抗告には理由がない(なお、即時抗告申立期間経過後に新たに追加された主張を踏まえて検討してみても、この結論は変わらない)。<br>  よって、刑訴法426条1項により、主文のとおり決定する。<p> 令和8年2月16日<br> 福岡高等裁判所第1刑事部<br> 裁判長裁判官 溝國禎久 裁判官 内藤恵美子 裁判官 大友真紀子<br> <br> (別紙1)図面<br> (別紙2)<br> 括弧内は作成者ないし供述者と作成日付である。<br> 弁1  供述書写し(K村、令和2年1月23日)<br> 弁2  供述録取書写し(D山、平成30年5月16日)<br> 弁3  判決書写し(陶山博生ほか2名、平成11年9月29日)<br> 弁4  判決書写し(小出錞一ほか2名、平成13年10月24日)<br> 弁5  判決書写し(滝井繁男ほか4名作成、平成18年9月8日)<br> 弁6  最新の方法によるDNA鑑定結果報告書写し(本田克也、平成21年10月13日)<br> 弁7  鑑定書写し(本田克也、平成24年10月15日)<br> 弁8  鑑定書写し(本田克也、平成27年8月17日)<br> 弁9  殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月2日)<br> 弁10 殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月4日(午前))<br> 弁11 殺人事件報告書写し(Z5ほか1名、平成4年3月4日(午後))<br> 弁12 遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書写し(K3、平成4年10月15日)<br> 弁13 いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書写し(嚴島行雄、平成23年7月8日)<br> 弁14 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書写し(嚴島行雄、平成27年4月30日)<br> 弁15 飯塚事件におけるT証人の供述に関する心理学的鑑定書補遺写し(嚴島行雄、平成27年5月8日)<br> 弁16 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書写し(嚴島行雄ほか1名、平成27年12月2日)<br> 弁17 飯塚事件における目撃者Tの供述に関する第4次心理学鑑定書補遺写し(嚴島行雄ほか1名、平成27年12月14日)<br> 弁18 供述録取書写し(Z3、平成30年10月10日)<br> 弁19 封筒写し<br> 弁20 Z3の供述録取書の入手経過とその後の調査結果について(Z1、令和4年5月3日)<br> 弁21の1ないし3 空中写真<br> 弁22 空中写真<br> 弁23 地図<br> 弁24 地図<br> 弁25の1及び2 飯塚市道路台帳平面図写し<br> 弁26 現場再現実験報告書(飯塚事件弁護団、令和5年2月17日)<br> 弁27 E村方三叉路の見通し状況の図と写真、三叉路方面の視界写真(Z6、令和5年2月14日)<br> 弁28 供述録取書(K村、令和5年5月6日)<br> 弁29 地図<br> 弁30 供述録取書写し(D山、令和5年10月13日)<br> 弁31の1 田川市内の「喫茶店」についての報告書(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の2 レストハウス「Z7」の写真(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の3 1992年3月発行のゼンリン地図から作成した書面(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁31の4 1995年3月発行のゼンリン地図から作成した書面(Z6、令和5年10月19日)<br> 弁32 ノート写し<br> 弁33 地図<br> 以上<br> (別紙3)<br> 括弧内は供述者ないし作成者と供述ないし作成の日付である。<br> 1 面談反訳書(D山ほか2名、平成30年4月4日)<br> 2 面談反訳書(D山ほか3名、平成30年4月16日)<br> 3 面談反訳書(D山ほか3名、平成30年5月16日)<br> 4 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年6月27日)<br> 5 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年10月13日)<br> 6 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年11月7日)<br> 7 面談反訳書(D山ほか2名、令和5年11月22日)<br> 8 前記1ないし7の面談に係る録音を記録した記録媒体<br> 9 前記1ないし7の抜粋等(主任弁護人、令和7年9月5日)<br> 10 報告書(Z1、令和7年8月18日)<br> 11 N新聞写し(平成30年6月23日、同月25日及び同月26日)<br> ※前記1及び7は2回にわたり提出されている。<br> 以上<br> 0ggqrhlhl4sg5vra04m5py34c03jo0m 昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1549号) 0 58255 246544 2026-10-12T00:19:41Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1548号)|昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1550号)|昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県…」 246544 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1548号)|昭和四十九年宮城県告示第三百二十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1550号)|昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいよんひゃくななごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1549号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいよんひゃくななごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百四十九号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道路線認定 (昭和49年宮城県告示第407号)|昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表を次のようにに改める。 <section begin="table" /> {| id="table" style="width:100%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="height:3em; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |整理番号 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |路 線 名 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |起    点<br> 終    点 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | 重要な経過地 | style="border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | 備 考 |- | style="height:3em; border:solid black; border-width:0px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |二二二 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |大内黒木線 | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |伊具郡丸森町大内<br> (福島県相馬市) | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | - | style="border:solid black; border-width:0px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- |} {{PD-JapanGov}} 5d5a0hz0uz5kk1z5vh75dao78bzw5ei 昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1550号) 0 58256 246545 2026-10-12T00:23:59Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1549号)|昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1551号)|昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定…」 246545 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1549号)|昭和四十九年宮城県告示第四百七号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1551号)|昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくごじゅうきゅうごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1550号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわよんじゅうきゅうねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくごじゅうきゅうごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道路線の認定 (昭和49年宮城県告示第859号)|昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表226の項中「(県道米谷若柳線分岐)」を「(県道米谷若柳線交差)」に、「同中田町石森(岩手県界)」を「(岩手県西磐井郡花泉町)」に改める。 {{PD-JapanGov}} 9yaejj1ojvl14yggr7l4ojpyh2dum9i 昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1551号) 0 58257 246546 2026-10-12T00:28:41Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1550号)|昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1552号)|昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県…」 246546 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1550号)|昭和四十九年宮城県告示第八百五十九号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1552号)|昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | title = 昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわごじゅうねんみやぎけんこくじだいよんひゃくななじゅうにごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1551号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅうねんみやぎけんこくじだいよんひゃくななじゅうにごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十一号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の路線認定 (昭和50年宮城県告示第472号)|昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「仙台市」を「仙台市(国道四八号交差)」に、「泉市」を「仙台市市名坂」に改める。 {{PD-JapanGov}} 8aupctb75thgua85i18bxmqpd3m5fg1 昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1552号) 0 58258 246547 2026-10-12T00:34:24Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1551号)|昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の…」 246547 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1551号)|昭和五十年宮城県告示第四百七十二号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正]] | title = 昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正'''(しょうわごじゅういちねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくごじゅうろくごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1552号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 * 註: 表中の「((52))」は、原文では丸囲い数字である。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅういちねんみやぎけんこくじだいはっぴゃくごじゅうろくごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十二号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の路線認定 (昭和51年宮城県告示第856号)|昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表((52))の項中「本吉郡本吉町(岩手県界)」を「(岩手県東磐井郡千厩町)」に改める。 {{PD-JapanGov}} 9rgdzn2tvftmrmrvpviizio9s21xz1h 昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号) 0 58259 246548 2026-10-12T00:39:09Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1552号)|昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = 昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線…」 246548 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1552号)|昭和五十一年宮城県告示第八百五十六号(県道の路線認定)の一部改正]] | next = [[昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正]] | title = 昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正'''(しょうわごじゅうにねんみやぎけんこくじだいはちじゅうごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1553号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅうにねんみやぎけんこくじだいはちじゅうごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十三号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[県道の名称等の変更 (昭和52年宮城県告示第80号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  第一号の表新の項中「栗原郡金成町(岩手県界)」を「(岩手県西磐井郡花泉町)」に改める。<br>  第二号の表新の項中「登米郡東和町(岩手県界)」を「(岩手県東磐井郡川崎村)」に改める。 {{PD-JapanGov}} 2xi8jw1e87xypbknvi0i14hw5rs5r9a 昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号) 0 58260 246549 2026-10-12T00:58:56Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正]] | next = 昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更…」 246549 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正]] | next = [[昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正]] | title = 昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正'''(しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうごごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1554号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうごごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十四号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[昭和三十三年宮城県告示第百四十四号の一部変更 (昭和58年宮城県告示第25号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「 {| id="table" style="width:30%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |泉市<br>塩釜市 |- |}」を「<section begin="table" /> {| id="table" style="width:30%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |仙台市<br>塩釜市 |- |}<section end="table" />」に、<br> 「 {| id="table" style="width:70%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |宮城郡宮城町<br>柴田郡川崎町 | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |名取郡秋保町<br>  |- |}」を「<section begin="table" /> {| id="table" style="width:70%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |仙台市<br>柴田郡川崎町 | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- |}<section end="table" />」に改める。 {{PD-JapanGov}} jbki0dndf7jv7fbxo5j4ztdv3p7wik3 246550 246549 2026-10-12T00:59:52Z 1112tohoku 39816 246550 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1553号)|昭和五十二年宮城県告示第八十号(県道の名称等の変更)の一部改正]] | next = [[昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1555号)|昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正]] | title = 昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正'''(しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうごごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1554号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうごごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十四号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[昭和三十三年宮城県告示第百四十四号の一部変更 (昭和58年宮城県告示第25号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表中「 {| id="table" style="width:30%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |泉市<br>塩釜市 |- |}」を「<section begin="table" /> {| id="table" style="width:30%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |仙台市<br>塩釜市 |- |}<section end="table" />」に、<br> 「 {| id="table" style="width:70%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |宮城郡宮城町<br>柴田郡川崎町 | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" |名取郡秋保町<br>  |- |}」を「<section begin="table" /> {| id="table" style="width:70%; padding:0.25em 1em 0em; border-spacing:0em; line-height:1em;" | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 1px; padding:0em 0.5em;" |仙台市<br>柴田郡川崎町 | style="width:7.5%; height:3em; text-align:left; border:solid black; border-width:1px 1px 1px 0px; padding:0em 0.5em;" | |- |}<section end="table" />」に改める。 {{PD-JapanGov}} eumd6lj56q6lb6x7n8254fl6463d1zb 昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1555号) 0 58261 246551 2026-10-12T01:02:50Z 1112tohoku 39816 ページの作成:「{{header | previous = [[昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正]] | title = 昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十八年宮城県告示第二…」 246551 wikitext text/x-wiki {{header | previous = [[昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正 (昭和63年宮城県告示第1554号)|昭和五十八年宮城県告示第二十五号(県道の路線変更)の一部改正]] | title = 昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正 | year = 1988 | month = 11 | day = 29 | notes = '''昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)の一部改正'''(しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうろくごうのいちぶかいせい) * 昭和63年宮城県告示第1555号 * 公布: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[昭和63年宮城県公報号外第71号]] * 告示: 1988年(昭和63年)11月29日 → [[#a0|本文]] * 底本: 昭和63年宮城県公報号外第71号 * 註: 底本にある原文は全て縦書きである。 | category = 昭和63年の宮城県告示 | category2 = 宮城県の県道 | defaultsort = しょうわごじゅうはちねんみやぎけんこくじだいにじゅうろくごうのいちぶかいせい }} <section begin="number" /> <div style="margin-left:1em; text-indent:-1em;">'''○宮城県告示第千五百五十五号'''</div> <section end="number" /><section begin="a0" /> <div id="a0"> <div style="text-indent:1em;">[[昭和五十四年宮城県告示第四百八十九号の一部変更 (昭和58年宮城県告示第26号)|昭和五十八年宮城県告示第二十六号(県道の路線認定の告示内容の変更)]]の一部を[[#table|次]]のように改正する。</div> <div style="margin-left:2em;">昭和六十三年十一月二十九日</div> <div style="text-align:right; margin-right:3em;">宮城県知事<span style="letter-spacing:1em;">&#x2003;</span>[[w:山本壮一郎|<span style="letter-spacing:1em;">山 本 壮一</span>郎]]</div> </div> <section end="a0" />  表新の項中「泉市」を「仙台市七北田」に、「仙台市」を「仙台市折立」に改める。 {{PD-JapanGov}} kt04swrq7eu0jhfx4kfq73fhaut64w4 防災庁組織令 0 58262 246552 2026-10-12T02:12:15Z HTDFPC 45275 ページの作成:「{{Header |title={{PAGENAME}} |year=2026 |notes= {{現行法令掲載}} * 令和8年政令第304号 * 公布日:令和8年9月30日 * 施行日:令和8年11月2日 * 底本:令和8年9月30日付官報号外第215号 {{デフォルトソート:ほうさいちようそしきれい}} [[Category:令和8年の政令]] [[Category:行政組織法]] }}  防災庁組織令をここに公布する。 {{御名御璽}}     令和八年九月三十日 {{Right|内…」 246552 wikitext text/x-wiki {{Header |title={{PAGENAME}} |year=2026 |notes= {{現行法令掲載}} * 令和8年政令第304号 * 公布日:令和8年9月30日 * 施行日:令和8年11月2日 * 底本:令和8年9月30日付官報号外第215号 {{デフォルトソート:ほうさいちようそしきれい}} [[Category:令和8年の政令]] [[Category:行政組織法]] }}  防災庁組織令をここに公布する。 {{御名御璽}}     令和八年九月三十日 {{Right|内閣総理大臣 [[:w:高市早苗|高市 早苗]]|1em}} ;政令第三百四号    防災庁組織令  内閣は、[[防災庁設置法]](令和八年法律第六十一号)第十三条第三項の規定に基づき、この政令を制定する。  (次長)</br> '''第一条''' 防災庁に、統括官四人を置く。</br> 2 統括官は、命を受けて、防災庁設置法第四条第一項及び第二項に規定する事務のほか、次に掲げる事務を分掌する。 :一 機密に関すること。 :二 防災庁の職員の任免、給与、懲戒、服務その他の人事並びに教養及び訓練に関すること。 :三 内閣総理大臣の官印及び庁印の保管に関すること。 :四 公文書類の接受、発送、編集及び保存に関すること。 :五 法令案その他の公文書類の審査に関すること。 :六 防災庁の保有する情報の公開に関すること。 :七 防災庁の保有する個人情報の保護に関すること。 :八 防災庁の所掌事務に関する総合調整に関すること。 :九 防災庁の行政の考査に関すること。 :十 国会との連絡に関すること。 :十一 広報に関すること。 :十二 防災庁の機構及び定員に関すること。 :十三 防災庁の所掌に係る経費及び収入の予算、決算及び会計並びに会計の監査に関すること。 :十四 防災庁所管の国有財産及び物品の管理に関すること。 :十五 東日本大震災復興特別会計の経理のうち防災庁の所掌に係るものに関すること。 :十六 東日本大震災復興特別会計に属する国有財産の管理及び処分並びに物品の管理のうち防災庁の所掌に係るものに関すること。 :十七 防災庁の職員の衛生、医療その他の福利厚生に関すること。 :十八 防災庁の所掌事務に関する政策の評価に関すること。 :十九 前各号に掲げるもののほか、防災庁の所掌事務に関すること。  (審議官)</br> '''第二条''' 防災庁に、審議官を置く。</br> 2 審議官は、命を受けて、統括官のつかさどる職務のうち重要事項に係るものを助ける。</br> 3 審議官の定数は、併任の者を除き、二人とする  (公文書監理官及び参事官)</br> '''第三条''' 防災庁に、公文書監理官(関係のある他の職を占める者をもって充てられるものとする。 ) 及び参事官を置く。</br> 2 公文書監理官は、命を受けて、防災庁の所掌事務のうち公文書類の管理並びにこれに関連する情報の公開及び個人情報の保護の適正な実施の確保に関する重要事項に係るものに参画し、関係事務に関し必要な調整を行う。</br> 3 参事官は、命を受けて、統括官のつかさどる職務を助ける。</br> 4 公文書監理官の定数は一人と、参事官の定数は併任の者を除き十五人とする。 {{附則}}  (施行期日)</br> 1 この政令は、防災庁設置法の施行の日(令和八年十一月二日)から施行する。  (統括官の職務の特例)</br> 2 統括官は、防災庁設置法第四条第一項及び第二項に規定する事務並びに第一条第二項各号に掲げる事務のほか、同法附則第二条に規定する日までの間、命を受けて、同条に規定する事務を分掌する。 <div style="text-align:right;"> 内閣総理大臣 高市 早苗</br> </div> {{PD-JapanGov}} gkgdno204nboo434w95riacgb9ibnio 246553 246552 2026-10-12T02:12:41Z HTDFPC 45275 246553 wikitext text/x-wiki {{Header |title={{PAGENAME}} |year=2026 |notes= {{現行法令掲載}} * 令和8年政令第304号 * 公布日:令和8年9月30日 * 施行日:令和8年11月2日 * 底本:令和8年9月30日付官報号外第215号 {{デフォルトソート:ほうさいちようそしきれい}} [[Category:令和8年の政令]] [[Category:日本の災害]] [[Category:行政組織法]] }}  防災庁組織令をここに公布する。 {{御名御璽}}     令和八年九月三十日 {{Right|内閣総理大臣 [[:w:高市早苗|高市 早苗]]|1em}} ;政令第三百四号    防災庁組織令  内閣は、[[防災庁設置法]](令和八年法律第六十一号)第十三条第三項の規定に基づき、この政令を制定する。  (次長)</br> '''第一条''' 防災庁に、統括官四人を置く。</br> 2 統括官は、命を受けて、防災庁設置法第四条第一項及び第二項に規定する事務のほか、次に掲げる事務を分掌する。 :一 機密に関すること。 :二 防災庁の職員の任免、給与、懲戒、服務その他の人事並びに教養及び訓練に関すること。 :三 内閣総理大臣の官印及び庁印の保管に関すること。 :四 公文書類の接受、発送、編集及び保存に関すること。 :五 法令案その他の公文書類の審査に関すること。 :六 防災庁の保有する情報の公開に関すること。 :七 防災庁の保有する個人情報の保護に関すること。 :八 防災庁の所掌事務に関する総合調整に関すること。 :九 防災庁の行政の考査に関すること。 :十 国会との連絡に関すること。 :十一 広報に関すること。 :十二 防災庁の機構及び定員に関すること。 :十三 防災庁の所掌に係る経費及び収入の予算、決算及び会計並びに会計の監査に関すること。 :十四 防災庁所管の国有財産及び物品の管理に関すること。 :十五 東日本大震災復興特別会計の経理のうち防災庁の所掌に係るものに関すること。 :十六 東日本大震災復興特別会計に属する国有財産の管理及び処分並びに物品の管理のうち防災庁の所掌に係るものに関すること。 :十七 防災庁の職員の衛生、医療その他の福利厚生に関すること。 :十八 防災庁の所掌事務に関する政策の評価に関すること。 :十九 前各号に掲げるもののほか、防災庁の所掌事務に関すること。  (審議官)</br> '''第二条''' 防災庁に、審議官を置く。</br> 2 審議官は、命を受けて、統括官のつかさどる職務のうち重要事項に係るものを助ける。</br> 3 審議官の定数は、併任の者を除き、二人とする  (公文書監理官及び参事官)</br> '''第三条''' 防災庁に、公文書監理官(関係のある他の職を占める者をもって充てられるものとする。 ) 及び参事官を置く。</br> 2 公文書監理官は、命を受けて、防災庁の所掌事務のうち公文書類の管理並びにこれに関連する情報の公開及び個人情報の保護の適正な実施の確保に関する重要事項に係るものに参画し、関係事務に関し必要な調整を行う。</br> 3 参事官は、命を受けて、統括官のつかさどる職務を助ける。</br> 4 公文書監理官の定数は一人と、参事官の定数は併任の者を除き十五人とする。 {{附則}}  (施行期日)</br> 1 この政令は、防災庁設置法の施行の日(令和八年十一月二日)から施行する。  (統括官の職務の特例)</br> 2 統括官は、防災庁設置法第四条第一項及び第二項に規定する事務並びに第一条第二項各号に掲げる事務のほか、同法附則第二条に規定する日までの間、命を受けて、同条に規定する事務を分掌する。 <div style="text-align:right;"> 内閣総理大臣 高市 早苗</br> </div> {{PD-JapanGov}} j4z25lbt9gl75zy1edtwreyvhq1382k 日本学術会議評価委員会令 0 58263 246555 2026-10-12T02:44:08Z HTDFPC 45275 ページの作成:「{{Header |title={{PAGENAME}} |year=2026 |notes= {{現行法令掲載}} * 令和8年政令第287号 * 公布日:令和8年9月16日 * 施行日:令和8年9月16日 * 底本:令和8年9月16日付官報号外第206号 {{デフォルトソート:にほんかくしゆつかいきひようかいいんかいれい}} [[Category:令和8年の政令]] [[Category:行政組織法]] }}  日本学術会議評価委員会令をここに公布する。 {{御名御璽}}  …」 246555 wikitext text/x-wiki {{Header |title={{PAGENAME}} |year=2026 |notes= {{現行法令掲載}} * 令和8年政令第287号 * 公布日:令和8年9月16日 * 施行日:令和8年9月16日 * 底本:令和8年9月16日付官報号外第206号 {{デフォルトソート:にほんかくしゆつかいきひようかいいんかいれい}} [[Category:令和8年の政令]] [[Category:行政組織法]] }}  日本学術会議評価委員会令をここに公布する。 {{御名御璽}}     令和八年九月十六日 {{Right|内閣総理大臣 [[:w:高市早苗|高市 早苗]]|1em}} ;政令第二百八十七号    日本学術会議評価委員会令  内閣は、[[日本学術会議法 (令和7年法律第70号)|日本学術会議法]](令和七年法律第七十号)第五十一条第七項の規定に基づき、この政令を制定する。  (専門委員)</br> '''第一条''' 日本学術会議評価委員会(以下「委員会」という。)に、専門の事項を調査させるため必要があるときは、専門委員を置くことができる。</br> 2 専門委員は、当該専門の事項に関し学識経験のある者のうちから、内閣総理大臣が任命する。</br> 3 専門委員は、その者の任命に係る当該専門の事項に関する調査が終了したときは、解任されるものとする。  (委員等の勤務)</br> '''第二条''' 日本学術会議評価委員(以下「委員」という。)及び専門委員は、非常勤とする。  (委員長)</br> '''第三条''' 委員会に、委員長を置き、委員の互選により選任する。</br> 2 委員長は、会務を総理し、委員会を代表する。</br> 3 委員長に事故があるときは、あらかじめその指名する委員が、その職務を代理する。</br>  (議事)</br> '''第四条''' 委員会は、委員の過半数が出席しなければ、会議を開き、議決することができない。</br> 2 委員会の議事は、出席した委員の過半数で決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる。</br>  (資料の提出等の要求)</br> '''第五条''' 委員会は、その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長又は日本学術会議の会長に対し、資料の提出、意見の表明、説明その他必要な協力を求めることができる。  (庶務)</br> '''第六条''' 委員会の庶務は、内閣府大臣官房企画調整課において処理する。  (雑則)</br> '''第七条''' この政令に定めるもののほか、議事の手続その他委員会の運営に関し必要な事項は、委員長が委員会に諮って定める。 {{附則}}  この政令は、令和八年十月一日から施行する。 {{Right|内閣総理大臣 高市 早苗|1em}} {{PD-JapanGov}} f53twbu4cmc1s3fryfw5zq5mopwy9p8