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阿Q正伝
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2026-10-17T04:08:31Z
JackoChenWei
44409
/* 第一章 序 */ 振り仮名
246688
wikitext
text/x-wiki
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| title =『[[:w:阿Q正伝|阿Q正伝]]』(あきゅうせいでん)
| author = 魯迅
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| translator =井上紅梅
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}}
==第一章 序==
わたしは{{r|阿Q|あキュー}}の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり{{r|誰某|たれそれ}}は誰某に{{r|靠|よ}}って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の{{r|被仰|おっしゃ}}るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん{{r|蒼蝿|うるさ}}いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に{{r|宣付|せんぷ}}して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に{{r|大伝|たいでん}}というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の{{r|著想|ちゃくそう}}からいうと文体が下卑ていて「車を引いて{{r|漿|のり}}を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に{{r|入|い}}らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、{{r|文字|もんじ}}の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は{{r|趙|ちょう}}と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
それは趙{{r|太爺|だんな}}の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の{{r|黄酒|うわんちゅ}}を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく{{r|穿鑿|せんさく}}すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを{{r|喚|よ}}びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう{{r|真赤|まっか}}にして怒鳴った。
「阿Q!キサマは何とぬかした。お前が{{r|乃公|おれ}}の御本家か。たわけめ」
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「{{r|出鱈目|でたらめ}}もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ{{r|呉|く}}れた。
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で{{r|擲|なぐ}}られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の{{r|名氏|みょうじ}}を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを{{r|竹帛|ちくはく}}に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、{{r|阿桂|あくい}}あるいは{{r|阿貴|あくい}}かもしれない。もし彼に{{r|月亭|げってい}}という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって{{r|阿富|あふ}}と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する{{r|文字|もんじ}}は皆{{r|変槓|へんてこ}}な意味が含まれいっそう{{r|嵌|はま}}りが悪い。以前わたしは趙太爺の{{r|倅|せがれ}}の{{r|茂才|もさい}}先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、{{r|陳獨秀|ちんどくしゅう}}が雑誌「新青年」を発行して{{r|羅馬|ローマ}}字を提唱したので国粋が{{r|亡|ほろ}}びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより{{r|外|ほか}}はなかった。そうして一個月たってようやく{{r|返辞|へんじ}}が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、{{r|注音字母|ちゅうおんじぼ}}では一般に解るまいと思って{{r|拠所|よんどころ}}なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と{{r|書|しょ}}し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる{{r|郡望|まつり}}の旧例に{{r|拠|よ}}り、{{r|郡名百家姓|ぐんめいひゃっかせい}}に書いてある注解通りにすればいい。「{{r|隴西天水|ろうせいてんすい}}の人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は{{r|未荘|みそう}}に住んだことが多いがときどき{{r|他処|たしょ}}へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に{{r|乖|そむ}}く。
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証{{r|好|ずき}}」で有名な{{r|胡適之|こてきし}}先生の門人{{r|等|ら}}が、ひょっとすると将来幾多の新{{r|端緒|たんしょ}}を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
==第二章 優勝記略==
阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠(みは)って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが勢一杯(せいいっぱい)だ。
阿Qは家が無い。未荘の土穀祠(おいなりさま)の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取(ひようとり)になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗(つ)けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て行(ゆ)く。だから人は忙(せわ)しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも糸瓜(へちま)もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは臂(ひじ)を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている)無性(ぶしょう)臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層己惚(うぬぼ)れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「文童(ぶんどう)」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢太爺(せんだんな)が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の外(ほか)に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって倅(せがれ)があればもっと偉くなっているぞ!城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三尺(じゃく)幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「長登(チャンテン)」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「条登(デョーテン)」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈(たら)の煮浸(にびた)しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」のだから、ほとんど一(いっ)ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん幾個所(いくこしょ)も瘡(かさ)だらけの禿(はげ)があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「癩(らい)」という言葉を嫌って一切「頼(らい)」に近い音(おん)までも嫌った。あとではそれを推(お)しひろめて「亮(りょう)」もいけない。「光(こう)」もいけない。その後また「燈(とう)」も「燭(しょく)」も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも洩(もら)そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を真赤(まっか)にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は擲(なぐ)りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
ところがこの怒目(どもく)主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を嬲(なぶ)り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
「おや、明るくなって来たよ」
阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
「と思ったら、空気ランプがここにある」
アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」
この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの斑(まだ)ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
閑人(ひまじん)達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂にに打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい辮子(べんつ)を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを頂戴(ちょうだい)し、閑人はようやく胸をすかして勝ち慢(ほこ)って立去る。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中(うち)で思った。「乃公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し勝ち慢(ほこ)って立去る。
阿Qは最初この事を心の中(うち)で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を引掴(ひっつか)む機会が来るとその人はまず彼に言った。
「阿Q、これでも子供が親爺(おやじ)を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと」
阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」
だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち慢(ほこ)って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは凹垂(へこた)れたと。
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち慢(ほこ)って立去る。阿Qは悟った。乃公は自(みずか)ら軽んじ自ら賤(いや)しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。状元(じょうげん)もまた第一人じゃないか。「人を何だと思っていやがるんだえ」
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢(ほこ)って愉快になって、土穀祠(おいなりさま)に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう睡(ねむ)ってしまうのである。
もしお金があれば彼は博奕(ばくち)を打ちに行(ゆ)く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「青竜四百(ちんろんすーぱ)!」
「よし……あける……ぞ」
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱(うた)い始める。
「天門(てんもん)当(あた)り――隅返(すみがえ)し、人と、中張(なかばり)張手(はりて)無し――阿Qの銭(ぜに)はお取上げ――」
「中張百文(なかばりひゃくもん)――よし百五十文(もん)張ったぞ」
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外(そと)へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、博奕(ばくち)はずんずん進行してお終(しま)いになる。それから彼は未練らしく土穀祠(おいなりさま)に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど「塞翁(さいおう)が馬を無くしても、災難と極(き)まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場(ばくちば)が舞台の左側に出た。囃(はやし)の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は大洋(だーやん)になり、大洋(だーやん)は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「天門両塊(てんもんりゃんかい)」と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。身中(みうち)にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食(く)い、幾つも蹶飛(けと)ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して土穀祠(おいなりさま)に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨!しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗(と)られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の面(おもて)を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして火照(ほて)り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著(つ)いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか火照(ほて)るには違いないが――心は十分満足して勝ち慢(ほこ)って横になった。
彼は睡ってしまった。
==第三章 続優勝記略==
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の酒手(さかて)を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若寡婦(ごけ)の墓参り」という歌を唱(うた)いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
変槓(へんてこ)なこったがそれからというものは、果してみんなが殊(こと)の外(ほか)彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処(ところ)はそうでなかった。未荘の仕来(しきた)りでは、阿七(あしち)が阿八(はち)を打つような事があっても、あるいは李四(りし)が張三(ちょうさん)を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端(は)に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは?つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか?これは箆棒(べらぼう)な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左(さ)のような意味があるかもしれない。聖廟(せいびょう)の中のお供物のように、阿Qは豬羊(ちょよう)と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張(いば)っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王鬍(ワンウー)がもろ肌ぬいで虱(しらみ)を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒(がゆ)くなった。この王鬍(ひげ)は禿瘡(はげがさ)でもある上に、鬍をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡(はげがさ)の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考(かんがえ)では、外(ほか)に格別変ったところもないが、その顋(あご)に絡まる鬍(ひげ)は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側(そば)へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王鬍の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷(あわせ)を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉(とら)まえた。彼は王鬍を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛(ほう)り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王鬍なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大(おおい)に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫(ひね)り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉(とら)まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王鬍の響(ひびき)には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、瘡(かさ)ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王鬍は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気(こうまんちき)になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯(おく)れてしまう。ところが今度に限って非常な勢(いきおい)だ。何だ、こんな鬍(ひげ)だらけの代物が生意気言(い)やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王鬍も立ち上がって著物を著た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛(かか)って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉(く)れた。その拳骨がまだ向うの身体(からだ)に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。扭(ね)じつけられた辮子は墻(まがき)の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
王鬍(ひげ)は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突放(つっぱな)すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで鬍は大(おおい)に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王鬍(ひげ)は顋(あご)に絡まる鬍の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登用(とうよう)試験をやめて秀才も挙人(きょじん)も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
阿Qは拠所(よんどころ)なく彳(たたず)んだ。
遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇(やそ)学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家(うち)に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も愁歎場(しゅうたんば)を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は到処(いたるところ)で説明した。
「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪(き)り取られたんです。本来あれがあればこそ大官(たいかん)になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです」
さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽毛唐(けとう)」「外国人の犬」と思い込み、彼を見るたんびに肚(はら)の中で罵(ののし)り悪(にく)んだ。
阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬(まが)い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が四度(よど)目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿(は)げ、驢(ろ)……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤(いきどお)りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖(づえ)だ――大跨(おおまた)に歩いて来た。この一刹那(せつな)に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引締(ひきし)め肩を聳(そびや)かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側(そば)に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響(ひびき)のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門口(かどぐち)まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
折柄(おりから)向うから来たのは、靜修庵(せいしゅうあん)の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を吐(つ)くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に敵愾心(てきがいしん)を喚起(よびおこ)した。
「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
「ペッ、プッ」
若い尼は皆目(かいもく)眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
「から坊主!早く帰れ。和尚が待っているぞ」
「お前は何だって手出しをするの」
尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の頬(ほっ)ぺたを摘(つま)んだ。
酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
彼はこの一戦で王鬍のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
「阿Qの罰(ばち)当りめ。お前の世継ぎは断(た)えてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。
「ハハハ」阿Qは十分得意になった。
「ハハハ」酒屋の中の人も九分(くぶ)通り得意になって笑った。
==第四章 恋愛の悲劇==
こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊(ぶりょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪(しんせいこうせいきょうしざいしざい)」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那(しな)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠(おいなりさま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂漲(あぶらぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣(よつ)ぎは断(た)えてしまうぞ」
阿Qの耳朶(みみたぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」
一体「不孝には三つの種類があって後嗣(あとつ)ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而(むえんぼとけのひぼし)」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女……」と彼は想った。
「……和尚(陽器(ようき))は動く。女、女!……女!」と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物(しろもの)だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲己(だっき)のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒姒(ほうじ)のために破壊された?秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓(とうたく)は貂蝉(てんぜん)のために確実に殺された。
阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気(せいき)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
ところが彼は三十になって竟(つい)に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼教(れいきょう)上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪(にく)むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前(ぜん)、舞台の下の人混(ひとご)みの中で一度ある女の股倉(またくら)に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪(にく)むべきかを知るべし。
彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶(つや)ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪(にく)むべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著(き)ていた。そう思いながら阿Qは
「女、女!……」と想った。
その日阿Qは趙太爺の家(うち)で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定例(じょうれい)に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈(あかり)を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著手(ちゃくしゅ)する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
呉媽(ウーマ)は、趙家の中(うち)でたった一人の女僕(じょぼく)であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小妾(ちいさい)のを一人買おうと思っているんです」
「女……呉媽……このチビごけ」と阿Qは思った。
「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」
「女……」と阿Qは想った。
阿Qは煙管(きせる)を置いて立上った。
「内(うち)の若奥さんは……」と呉媽はまだ喋舌(しゃべ)っていた。
「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」
阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
一刹那(せつな)、極めて森閑(しんかん)としていた。
呉媽はしばらく神威(しんい)に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
「あれーッ」
彼女は大声上げて外へ馳(か)け出し、馳(か)け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
阿Qは壁に対(むか)って跪坐(きざ)し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無性(ぶしょう)らしく腰を上げ、いささか沫(あわ)を食ったような体(てい)でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行(ゆ)こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
「キサマは謀叛(むほん)を起したな。これ、こん畜生………」
竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
「忘八蛋(ワンパダン)」
後ろの方で秀才が官話(かんわ)を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈(かけ)込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋(ワンパダン)」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専(もっぱ)らお役所のお歴々(れきれき)が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障(さわ)りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物(きもの)をぬいだ。
著物(きもの)を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳(か)け出して行った。だんだん側(そば)へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集(あつま)っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂(すうしちそう)や本当の本家の趙白眼(ちょうはくがん)、趙司晨(ちょうししん)などもいた。
若奥さんは下部屋(しもべや)からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」
鄒七嫂も側(そば)から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません」といった。
呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯(いたづら)をするかしらんて?」
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側(そば)までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐(めが)けて跳び出して来た。
阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間(ま)に彼はもう土穀祠(おいなりさま)の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立(あわだ)って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁(し)み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣(うわぎ)がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」
こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当前(あたりまえ)だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、明日(みょうにち)紅蝋燭(べにろうそく)一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。
二、趙家では道士を喚んで首縊(くく)りの幽霊を祓う事(首縊幽霊(くびくくりゆうれい)は最も獰猛なる悪鬼(あくき)で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。
三、阿Qは今後決して趙家の閾(しきい)を越えぬ事。
四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。
五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。
阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなくなった棉(わた)入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をしたあとは、確かに幾文(いくもん)か残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけのものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。
一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが仏参(ぶつさん)の日まで蔵(しま)っておいた。そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ赤坊(あかんぼう)のおしめになって、その切屑は呉媽の鞋底(くつぞこ)に使われた。
==第五章 生計問題==
阿Qはお礼を済ましてもとのお廟(みや)に帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつまり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の墻(まがき)を照しているのだ。彼は起き上りながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。
彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはないが、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪がった。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで人のあとに跟(つ)いて潜り込み、その上十一になる女の児(こ)を喚び入れた。阿Qは不思議でたまらない。「こいつ等(ら)はどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫(ばいた)め」
阿Qはこらえ切れなくなってお馴染(なじみ)の家(うち)に行って探りを入れた。――ただし趙家の閾(しきい)だけは跨(また)ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿(うるさ)そうな顔付(かおつき)を見せ、まるで乞食(こじき)を追払(おっぱら)うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
阿Qはいよいよ不思議に感じた。
この辺の家(うち)は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DON(しょうドン)をよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王鬍よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒(いかり)尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻(うな)った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
幾日かのあとで、彼は遂に錢府(せんふ)の照壁(衝立(ついたて)の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎(かたき)の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行(ゆ)くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜(かど)を立て口の端へ沫(あわ)を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。
したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根(べんこん)を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
以前の阿Qの勢(いきおい)を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形(にじがた)を映出(えいしゅつ)した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽(おだ)てるのかしらん。
それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩退(しりぞ)き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも突立った。およそ半時間……未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。あるいは二十分かもしれない……彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れていた。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を引いてどちらも人ごみの中に入った。
「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。
「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。
この一幕(ひとまく)の「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満足したかしらん、誰(たれ)も何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼まれなかった。
ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗(へ)って蒲団も帽子も上衣(うわぎ)もないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子(ズボン)は残っているが、こればかりは脱ぐわけには行(ゆ)かない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだめっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。
彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなかった。
未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行(ゆ)き尽してしまった。村端(はず)れは大抵水田であった。見渡す限りの新稲(しんいね)の若葉の中に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの田家(でんか)の楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこんなまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に靜修庵(せいしゅうあん)の垣根の外へ行った。
庵のまわりは水田であった。白壁(しらかべ)が新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に菜畑があった。
阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上って何首烏(かしゅう)の蔓(つる)を引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の樹に攀(よ)じ昇り、畑中(はたなか)へ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老酒(ラオチュ)も饅頭も食べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん筍(たけのこ)が生えていたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜(からしな)は花が咲いて、青菜は伸び過ぎていた。
阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側(そば)まで来ると、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったのは、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッちょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中の事は「一歩退(しりぞ)いて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵(しま)い込んだが、その時もう婆(ばば)の尼は見つけていた。
「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね……まあ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ……」
「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。
「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。
「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前……」
阿Qは言いも完(おわ)らぬうちに足をもちゃげて馳(か)け出した。追っ馳けて来たのは、一つのすこぶる肥大の黒狗(くろいぬ)で、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょうは裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿(もも)に噛みつきそうになったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣(かき)の外へころげ出した。狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申(まお)した。
尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う序(ついで)に小石を掻き集めたが、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛(かじ)って、この村もいよいよ駄目だ、城内に行(ゆ)く方がいいと想った。
大根を三本食ってしまうと彼は已(すで)に城内行(ゆき)を決行した。
==第六章 中興から末路へ==
阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッたまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内から帰って来ると非常な元気で人に向って吹聴したもんだが、今度は決してそんなことはなかった。ひょっとすると、彼はお廟(みや)の番人に話したかもしれない、未荘のしきたりでは趙太爺と錢太爺ともう一人秀才太爺(しゅうさいだんな)が城内に行(ゆ)けば問題になるだけで、偽毛唐でさえも物の数にされないのだから、いわんや阿Qにおいてをやだ。だから番人の親爺も彼のために宣伝するはずもないのに、未荘の人達がどうして知っていたのだろう。
だが阿Qの今度の帰りは前とは大(おおい)に違っていた。確かにはなはだ驚異の値打があった。
空の色が黒くなって来た時、彼は酔眼朦朧(すいがんもうろう)として、酒屋の門前に現われた。彼は櫃台(デスク)の側へ行って、腰の辺から伸した手に一杯握っていたのは銀と銅。櫃台(デスク)の上にざらりと置き、「現金だぞ、酒を持って来い」と言った。見ると新しい袷を著て、腰の辺には大搭連(おおどうらん)がどっしりと重みを見せ、帯紐が下へさがって弓状(ゆみなり)の弧線(なりせん)をなしている。
未荘の仕来りとして誰でもちょっと目覚ましい人物を見出した時、侮るよりもまず敬うのである。現在これが明かに阿Qであると知りながら破れ袷の阿Qとは別々である。古人の言葉に「たとい三日の間でも別れた人に逢った時には目を見張ってその特徴を見出さなければならん」といっている。そういうわけで、ボーイも番頭も見ず知らずのそこらの人も、一種の疑いを持ちながら自然と敬いの態度を現わした。
番頭はまず合点して話しかけた。
「ほう阿Q、お前さん、帰っておいでだね」
「帰って来たよ」
「景気がいいねえ。お前さんは――にいたの……」
「城内に行っていた……」この一つのニウスは二日目に未荘じゅうに伝わった。人々はみな、現金と新しい袷を持っている阿Qの中興史を聴きたく思った。そういうわけで、酒屋の中でも茶館の中でも廟(おみや)の軒下でも、皆だんだんに探りを入れて聴き出した。その結果阿Qは新奇の畏敬を得た。
阿Qの話では、彼は挙人太爺(きょじんだんな)の家(うち)のお手伝をしていた。この一節を聴いた者は皆かしこまった。この老爺(だんな)は姓を白(はく)といい城内切っての挙人であるから改めて姓をいう必要がない。挙人という話が出ればつまり彼である。これは未荘だけでそう言っているのではない、この辺百里の区域の内は皆そうであった。人々はほとんど大抵彼の姓名を挙人老爺(きょじんだんな)だと思っていた。そのお方のお屋敷でお手伝していたのはもちろん敬うべきことである。けれど阿Qの言うとこにゃ、彼はもう行ってやる気はない。この挙人老爺は実に非常な「馬鹿者」だ。この話を聴いた者はみな歎息して嬉しがった。阿Qは挙人老爺の家で働くような人ではないが、働かないのも惜しいこった。
阿Qの話でみると、彼が帰って来たのは城内の人が気に入らぬからであるらしい。これはつまり、長凳(チャンテン)(長床几(ながしょうぎ))を条凳(デウテン)ということや、葱の糸切を魚の中に入れたり、そのうえ近頃見つけ出した欠点は、女の歩き方がいやにねじれてはなはだよくない。しかしまた大(おおい)に敬服すべき方面もある。早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(ちくはい)(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、麻将(マーチャン)を知っている者は偽毛唐だけであるが、城内では小さな餓鬼(がき)までが皆よく知っている。なんだって偽毛唐が、城内の十歳そこそこの子供の手の中に入ってしまうのか。これこそ「小鬼が閻魔様と同資格で会見する」様なもので、聴けば赤面の到りだ。「てめえ達は、首斬(くびきり)を見たことがあるめえ」と阿Qは言った。「ふん、見てくれ、革命党を殺すなんておもしれえもんだぜ」
彼は首をふると、ちょうどまん中にいた趙司晨の顔の上に唾(つばき)がはねかかった。この一言に皆の者はぞっとした。だが阿Qは一向平気であたりを見廻し、たちまち右手をあげて、折柄(おりから)頸(くび)を延して聴き惚れている王鬍のぼんのくぼを目蒐(めが)けて、打ちおろした。
「ぴしゃり!」
王鬍は驚いて跳び上り稲妻のような速力で頸を縮めた。見ていた人達は気味悪くもあり、おかしくもあった。それからというものは王鬍の馬鹿野郎、ずいぶん長い間、阿Qの側(そば)へは近寄らなかった。ほかの人達もまた同じようであった。
阿Qはこの時、未荘の人の眼の中の見当では、趙太爺以上には見えないが、たいていおつかつの偉さくらいに思われていたといっても、さしたる語弊はなかろう。
そうこうする中(うち)にこの阿Qの評判は、たちまち未荘の女部屋の奥に伝わった。未荘では錢趙両家だけが大家(たいけ)で、その他はたいてい奥行が浅かった。けれども女部屋はつまり女部屋であるから一つの不思議と言ってもいい。女どもは寄るとさわるときっとその話をした。鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹(なんどぎぬ)の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。趙白眼の母親も――一説には趙司晨の母親だということだが、それはどうかしらん――彼女もまた一枚の子供用の真赤な瓦斯織(がすおり)の単衣物(ひとえもの)を買ったが、まだちょっと手を通したばかりの物がたった三百大銭(だいせん)の九二串(さし)であった。
そこで彼等は眼を皿のようにして阿Qを見た。絹袴が無い時には、絹袴の出物は無いかと彼に訊(たず)ねてみたく思った。瓦斯織の単衣(ひとえ)がほしい時には、瓦斯織の単衣の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。今度は阿Qを見ても逃げ込まないで、かえって阿Qのあとを追馳(おいか)けて、袖を引止めた。
「阿Q、お前はもっと外(ほか)に絹袴を持っているだろう。え、無いって。わたしは単衣物もほしいんだよ。あるだろう」
あとではこの様なことが、端近い女部屋から終(つい)に奥深い女部屋に伝わった。鄒七嫂は嬉しさの余り彼の絹袴を趙太太(ちょうたいたい)の処へ持って行ってお目利きをねがった。趙太太はまたこれを趙太爺に告げて一時すこぶる真面目になって話をしたので、趙太爺は晩餐の卓上秀才太爺(息子)と討論した。阿Qは全くどうも少し怪しい。われわれの戸締もこれから注意しなければならんが、しかし彼の品物で、まだ買ってやっていいようなものがあるかもしれないと想った。殊に趙太太は直段(ねだん)が安くて品物がいい皮の袖無しが欲しいと思っていた時だから、遂に家族は決議して鄒七嫂にたのんで阿Qをすぐに喚んで来いと言った。かつこれがために第三の例外をひらいてこの晩特にしばらく燈(あかり)をつけることを許された。
油は残り少くなったが阿Qはまだ到著しなかった。趙家の内の者は皆待ち焦れて、欠伸をして阿Qの気紛(きまぐ)れを恨み、鄒七嫂のぐうたらを怨んだ。趙太太は春の一件があるので来ないかもしれないと心配したが、趙太爺は、そんなことはない、乃公がよべばきっと来ると思った。果して趙太爺の見識は高かった。阿Qは結局鄒七嫂のあとへ跟いて来た。
「この人はただ無い無いとばかし言っているんですが、そんならじかに話してくれとわたしは言ったんです。彼は何とかいうにちがいありません。わたしも言います――」鄒七嫂は息をはずませていた。
「太爺!」阿Qは薄笑いしながら簷下(のきした)に立っていた。
「阿Q、お前、だいぶんお金を儲けて来たという話だが」と趙太爺はそろそろ近寄って阿Qの全身を目分量した。
「何しろ結構なこった。そこで……噂によるとお前は古著(ふるぎ)をたくさん持っているそうだが、ここへ持って来て見せるがいい……外(ほか)でもない、乃公も欲しいと思っているんだ……」
「鄒七嫂にも話した通りですが、皆売切れました」
「売切れた!」趙太爺の声は調子が脱(はず)れた。「どうしてそんなに早く売切れたのだ!」
「あれは友達の物で、品数もあんまり多くは無いのですが、少しばかり分けてやったんです」
「そんなことを言っても、まだいくらかあるに違いない」
「たった一枚幕が残っております」
「幕でもいいかた持って来てお見せ」と趙太太は慌てて言った。
「そんな物はあしたでもいいや」趙太爺はさほど熱心でもなかった。「阿Q、これからなんでも品物がある時には、まず、乃公の処へ持って来て見せるんだぞ」
「値段は決してほかの家(うち)よりすくなく出すことはない」秀才は言った。
秀才の奥さんはチラリと阿Qの顔を見て彼が感動したかどうかを窺(うかが)った。
「わたしは皮の袖無しが一枚欲しいのだが」と趙太太は言った。
阿Qは応諾しながらも不承々々に出て行ったから、気にとめているかどうかしらん。これは趙太爺を非常に失望させ、腹が立って気掛りで欠伸がとまってしまうくらいであった。秀才太爺も阿Qの態度に非常な不平を抱き、この「忘八蛋(ワンパダン)」警戒する必要がある。いっそ村役人に吩咐(いいつ)けてこの村に置かないことにしてやろうと言ったが、趙太爺は、そりゃ好(よ)くないことだと思った。そうすれば怨みを受けることになる。ましてああいうことをする奴は大概「老いたる鷹は、巣の下の物を食わない」のだから、この村ではさほど心配するには及ぶまい。ただ自分の家(うち)だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。
秀才もこの「庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘(てっかい)し、また鄒七嫂にも言い含めて、決してこのようなことを人に洩らしてくれるな、と言った。
けれど鄒七嫂は次の日あの藍袴を黒色に染め替えて阿Qの疑うべき節を言い布(ふ)らして歩いた。確かに彼女は秀才の阿Q駆逐の一節を持ち出さなかったが、これだけでも阿Qに取っては非常に不利益であった。最先(まっさ)きに村役人が尋ねて来て、彼の幕を奪った。阿Qは趙太太に見せる約束をしたと言ったが、村役人はそれを返しもせずになお毎月(まいげつ)何ほどかの附届(つけとど)けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に彼が酒屋の中で「ぴしゃり」と言った時の警戒とは別種のものであった。「敬して遠ざかる」ような分子がずいぶん多(おお)まじっていた。
閑人の中には阿Qの奥底を根掘り葉掘り探究する者があった。阿Qは包まず隠さず自慢らしく彼の経験談をはなした。
阿Qは小さな馬の脚に過ぎなかった。彼は垣の上にあがることも出来なければ、洞(あな)の中に潜ることも出来なかった。ただ外に立って品物を受取った。ある晩彼は一つの包(つつみ)を受取って相棒がもう一度入ると、まもなく中で大騒ぎが始まった。彼はおぞけをふるって逃げ出し、夜どおし歩いて終に城壁を乗り越え未荘に帰って来た。彼はこんなことは二度とするものでないと誓った。この弁明は阿Qに取ってはいっそう不利益であった。村の人の阿Qに対して「敬して遠ざかる」ものは仕返しがこわいからだ、ところが彼はこれから二度と泥棒をしない泥棒に過ぎないのだ。してみると「これもまた畏るるに足らない」ものだった。
==第七章 革命==
宣統(せんとう)三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫(くろとま)の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗(くらやみ)の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行(ゆ)く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。
この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸(ぼろ)著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞(けんもん)が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
そういうものの、謡言(ようげん)はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床(とこ)の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正(すうせい)皇帝の白装束を著ていたという。
阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼(ま)ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪(にく)むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼(おそ)れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好(よ)かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革(あらた)めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
阿Qは近来生活の費用に窘(くる)しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空(す)き腹(ばら)の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機(はずみ)か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜(とりこ)となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
未荘の人は皆恐懼(きょうく)の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。
「よし、……乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。
タッタ、ヂャンヂャン。
後悔するには及ばねえ。酔うて錯(あやま)り斬る鄭賢弟(ていけんてい)。
後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー………
タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。
乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ……」
趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判(だいろっぱん)していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。
「ドンドン……」
「Q(キュー)さま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。
「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依らなかった。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。
「Qさん」
「思切ってやっつけろ……」
「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。
阿Qはようやく立ちどまって首をかしげて訊いた。「なんだね」
「Qさま……当節は……」と趙太爺は口を切ったが、言い出す言葉もなかった。「当節は……素晴らしいもんだね」
「素晴らしいと?あたりまえよ。何をしようが乃公の勝手だ」
「……Q、わしのような貧乏仲間は大丈夫だろうな」と趙白眼はこわごわ訊いた。革命党の口振りを探るつもりであったらしい。
「貧乏仲間?てめえは乃公より金があるぞ」阿Qはそう言いながらすぐに立去った。
みんな萎れ返って物も言わない。趙家の親子は家(うち)に入って灯(ひ)ともしごろまで相談した。趙白眼も家(いえ)に帰るとすぐに腰のまわりの搭連をほどいて女房に渡し、箱の中に蔵(おさ)めた。
阿Qは一通りぶらぶら飛び廻って土穀祠(おいなりさま)に帰って来ると、もう酔(よい)は醒めてしまった。
その晩、廟祝(みやばん)の親父も意外の親しみを見せて阿Qにお茶を薦めた。阿Qは彼に二枚の煎餅をねだり、食べてしまうと四十匁(め)蝋燭の剰(あま)り物を求めて燭台を借りて火を移し、自分の小部屋へ持って行ってひとり寝た。彼は言い知れぬ新しみと元気があった。蝋燭の火は元宵(げんしょう)(正月)の晩のようにパチパチと撥(は)ね迸(ほとばし)ったが、彼の思想も火のように撥ね迸った。
「謀反?面白いな……来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に尖った両刃の劒(けん)、鎖鎌。土穀祠(おいなりさま)の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行(ゆ)く、この時未荘の村烏(むらがらす)、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦(ゆる)し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。……残る奴ばらは何本ある?王(ワン)なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや……」
「品物は……すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝(げんほう)、銀貨、モスリンの著物……秀才婦人の寝台をまずこの廟(おみや)の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
「趙司晨の妹はまずい。鄒七嫂の小娘は二三年たってから話をしよう。偽毛唐の女房は辮子の無い男と寝てやがる、はッ、こいつはたちが好(よ)くねえぞ。秀才の女房は眼蓋(まぶた)の上に疵(きず)がある――しばらく逢わないが呉媽はどこへ行ったかしらんて……惜しいことにあいつ少し脚が太過ぎる」
阿Qは彼の胸算用がすっかり片づかぬうちにもう鼾をかいた。四十匁蝋燭は燃え残って五分ほどになり、赤々と燃え上る火光(かこう)は、彼の開け放しの口を照した。
「すまねえ、すまねえ」阿Qはたちまち大声上げて起き上った。頭を挙げてきょろきょろあたりを見廻して四十匁蝋燭に目をつけると、すぐにまた頭をおろして睡(ねむ)ってしまった。
次の日彼は遅く起きて往来に出てみたが、何もかも元の通りであった。彼はやっぱり肚が耗(へ)っていた。彼は何か想っていながら想い出すことが出来なかった。たちまち何かきまりがついたような風で、のそりのそりと大跨に歩き出した。そうして有耶無耶のうちに靜修庵(せいしゅうあん)についた。
庵は春の時と同じような静けさであった。白壁と黒門、彼はちょっと思案して前へ行って門を叩いた。一疋(いっぴき)の狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡(あばた)が出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
阿Qは慌てて瓦を持ちなおし馬のように足をふんばって、黒狗と開戦の準備をした。だが庵門はただ一すじの透間(すきま)をあけたのみで、黒狗が飛び出すことはないと見たので、近寄って行(ゆ)くと、そこに一人の老いたる尼がいた。
「お前はまた来たのか。何の用だえ」と尼は呆れ返っていた。
「革命だぞ。てめえ知っているか」と阿Qは口籠(くちごも)った。
「革命、革命とお言いだが、革命は一遍済んだよ。……お前達は何だってそんな騒ぎをするんだえ」尼は眼のふちを赤くしながら言った。
「何だと?」阿Qは訝(いぶか)った。
「お前はまだ知らないのだね。あの人達はもう革命を済ましたよ」
「誰だ?」阿Qは更に訝った。
「秀才と偽毛唐さ」
阿Qは意外のことにぶっつかってわけもなく面喰った。尼は彼の出鼻をへし折って隙(すか)さず門を閉めた。阿Qはすぐに押し返したが固く締っていた。もう一度叩いてみたが返辞もしない。
これもやっぱりその日の午前中の出来事だった。機を見るに敏なる趙秀才は革命党が城内に入ったと聞いて、すぐに辮子を頭の上に巻き込み、今までずっと仲悪(なかわる)で通したあの錢毛唐(せんけとう)の処へ御機嫌伺いに行った。これは「みなともに維(こ)れ新たなり」の時であるから、彼等は話が弾んで立ちどころに情意投合の同志となり、互に相約して革命に投じた。
彼等はいろいろ想い廻して、やっと想い出したのは靜修庵の中の「皇帝万歳万、万歳!」の一つの竜牌(りゅうはい)だ。これこそすぐにも革擲(かくてき)すべきものだと思ったから、二人は時を移さず靜修庵に行(ゆ)くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく見ると、竜牌はすでに已(すで)に砕けて地上に横たわっているのはもっともだが、観音様の前にあった一つの宣徳炉(せんとくろ)が見当らないのが不思議だ。
阿Qはあとでこの事を聞いてすこぶる自分の朝寝坊を悔んだ。それにしても彼等が阿Qを誘わなかったのは奇ッ怪千万である。阿Qは一歩退(しりぞ)いて考えた。
「彼等が、今まで知らずにいるはずはない。阿Qは已に革命党に投じているのじゃないか」
==第八章 革命を許さず==
未荘の人心は日々に安静になり、噂に拠れば革命党は城内に入ったが、何も格別変ったことがない。知県(ちけん)様はやっぱり元の位置にいて何か名目が変っただけだ。挙人老爺は何になったか――これ等の名目は未荘の人には皆わからなかった。――お上が兵隊を連れて来ることは、これも前からいつもあることで、格別不思議なことでもないが、ただ一つ恐ろしいのは、ほかに幾らか不良分子が交(まじ)っていて内部の擾乱(じょうらん)を計っていることだ。そうして二言目には手を動かして辮子を剪(き)った。聴けば隣村の通い船を出す七斤は途中で引掴まって、人間らしくないような体裁にされてしまったが、それさえ大した恐怖の数に入らない。未荘の人は本来城内に行(ゆ)くことは少いのに、たまたま行(ゆ)く用事があっても差控えてしまうから、この危険にぶつかる者も少い。阿Qも城内に行って友達に逢いたいと思っていたが、この話を聞くとやめなければならない。
だが未荘の人も改革なしでは済まされなかった。幾日の後、辮子を頭に巻込む者が逐漸(ちくぜん)増加した。手ッ取り早く言うと一番最初が茂才公(もさいこう)だ。その次が趙司晨と趙白眼だ。後では阿Qだ。これがもし夏ならば、辮子を頭の上に巻込み、あるいは一つのかたまりにするのはもとより何も珍らしい事ではないが、今は秋の暮で、この特別の歳時記が行われたのは、辮子を巻込んだ連中に取っては非常な英断と言わなければならない。未荘としてはこれもまた改革の一つでないということは出来ない。
趙司晨は頭の後ろを空坊主にして歩いた。これを見た人は大きな声を出して言った。
「ほう、革命党が来たぞ」
阿Qは非常に羨しく思った。彼はとうから秀才が辮子をわがねたというニウスを聞いていたが、自分がその様な事をしていいかという事について少しも思い及ばなかった。現在趙司晨がこうなってみると、急に真似てみたくなって実行の決心をきめた。彼は一本の竹箸に辮子を頭の上にわがね、しばらくためらっていたが、思切って外へ出た。
彼が往来に出ると、人は皆彼を見るには見るが何にも言わない。阿Qは初め不快に感じてあとになるとだんだん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう?阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格(こうさんかく)」の手紙(柿渋引(かきしぶびき)の方罫紙(ほうまいし)?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党(すーゆーたん)(自由と同音、柿渋(かきしぶ)は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章(きしょう)で翰林(かんりん)を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄(にわか)に肩身が広くなり倅が秀才に中(あた)った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環(わが)ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行(ゆ)くより外は無かった。
錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披(ひら)いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪(ほうほうがみ)の劉海(りゅうはい)仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生(やんしいさん)といえばあるいはいいかもしれない。
洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪(こう)君!われわれは著手(ちゃくしゅ)しよう。しかし彼は結局 No(ノー) と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか……」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起(ふりおこ)して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
話を聴いていた四人の者は喫驚(びっくり)して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし……」
「出て行(ゆ)け」
「わたしも……に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰(おっしゃ)るのに、てめえは肯(き)かねえのか」
阿Qは頭の上に手を翳(かざ)して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛(ゆる)め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望(のぞみ)を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布(ふ)れが行届(ゆきとど)いて、小D、王鬍などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環(わが)ねたことについて無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考(かんがえ)から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠(おいなりさま)に帰って来た。
「パン、パン」
彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質(たち)だから、すぐに暗(やみ)の中を探って行(ゆ)くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳(ききみみ)立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙……趙家がやられた。掠奪……」小Dは息をはずませていた。
阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据(すわ)った。彼は路角(みちかど)に躄(いざ)り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台(ねだい)をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
その夜(よ)は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇(ぎこう)の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台を持ち出したり……
持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟(おみや)の中に帰って来た。
土穀祠(おいなりさま)の中は、いっそうまっ闇(くら)だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著(つ)いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか?阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐(こら)え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐!よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」
==第九章 大団円==
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来(きた)した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠(おいなりさま)を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入(ちんにゅう)し、阿Qを抓(つま)み出して廟(おみや)の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると室(へや)の隅にもう二人いた。
阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは土穀祠(おいなりさま)の彼の部屋はこの部屋よりも決してまさることは無かったからだ。そこにいた二人は田舎者らしく、だんだん懇意になって話してみると、一人は挙人老爺の先々代に滞っていた古い地租の追徴であった。もう一人は何のこったか好く解らなかった。彼等は阿Qにわけを訊くと、阿Qは臆面なく答えた。「乃公は謀叛を起そうと思ったからだ」
阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に披(さば)いていた偽毛唐によく似た奴もあった。彼等は皆同じような仏頂面で目を怒らして阿Qを見た。阿Qはこりゃあきっとお歴々に違いないと思ったから、膝の関節が自然と弛んでべたりと地べたに膝をついた。
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず身体(からだ)が縮こまってその勢(いきおい)に押されて揚句(あげく)の果ては膝を突いてしまう。
「奴隷根性!……」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから……来ようと思っていたんです……」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「譃(うそ)を吐(つ)け。この場になってもう遅い。お前の仲間は今どこにいる」
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると憤々(ぷんぷん)した。
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば赦(ゆる)してやるよ」親爺はまたしんみりとなった。
「わたしは知りません。……あの人達はわたしを呼びに来ません」
そこで親爺は目遣(めつか)いをした。阿Qはまた丸太格子の中に抛(ほう)り込まれた。彼が二度目に同じ格子の中から引きずり出されたのは二日目の午前であった。
大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行(ゆ)き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指(ゆびさ)して花押(かきはん)の書き方を教えた。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧(はず)かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、悪(にく)むべき筆は重く、ガタガタ顫えて、丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ脱(はず)れて瓜のような恰好になった。
阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は贓品(ぞうひん)の追徴が何よりも肝腎だと言った、少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。卓(つくえ)を叩き腰掛を打って彼は説いた。
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君!わたしが革命党を組織してからまだ二十日(はつか)にもならないのに、掠奪事件が十何件もあってまるきり挙らない。わたしの顔がどこに立つ?罪人が挙っても君はまだ愚図々々している。これが旨く行(ゆ)かんと乃公の責任になるんだよ」
挙人老爺は大(おおい)に窮したが、なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。けれど少尉殿はびくともせず、「どうぞ御随意になさいませ」と言った。
そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも懇(ねんご)ろに尋ねた。「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」
阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に白金巾(しろかたきん)の袖無しを著せた。上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。それは葬式の著物のようで、葬式の著物を著るのは縁喜(えんき)が好くないからだ。しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、ずんずんお役所の外へ引きずり出された。
阿Qは屋根無しの車の上に舁(かつ)ぎあげられ、短い著物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。
この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
彼はそう思うと心が顛倒(てんとう)して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著(おちつ)いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。
彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に行(ゆ)かないのか。彼は自分が引廻しになって皆に見せしめられているのを知らなかった。しかし知らしめたも同然だった。彼はただ人間世界はもともと大抵こんなもんで、時に依ると引廻しになって皆に見せしめなければならないものであるかもしれない、と思ったかもしれない。
彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を刎(は)ねられるんだ。彼はガッカリしてあたりを見ると、まるで蟻のように人が附いて来た。そうして図らずも人ごみの中に一人の呉媽を発見した。ずいぶんしばらくだった。彼女は城内で仕事をしていたのだ。彼はたちまち非常な羞恥を感じて我れながら気が滅入ってしまった。つまりあの芝居の歌を唱(うた)う勇気がないのだ。彼の思想はさながら旋風のように、頭の中を一まわりした。「若寡婦(わかごけ)の墓参り」も立派な歌ではない。「竜虎図」の「後悔するには及ばぬ」も余りつまらな過ぎた。やっぱり「手に鉄鞭(てつべん)を執ってキサマを打つぞ」なんだろう。そう思うと彼は手を挙げたくなったが、考えてみるとその手は縛られていたのだ。そこで「手に鉄鞭を執り」さえも唱(とな)えなかった。
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「好(ハオ)!!!」と人ごみの中から狼の吠声のような声が出た。
車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年前(ぜん)に彼は一度山下で狼に出遇(であ)った。狼は附かず離れず跟いて来て彼の肉を食(くら)おうと思った。彼はその時全く生きている空(そら)は無かった。幸い一つの薪割を持っていたので、ようやく元気を引起し、未荘まで持ちこたえて来た。これこそ永久に忘られぬ狼の眼だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のようにキラめく二つの眼は、遠くの方から彼の皮肉を刺し通すようでもあった。ところが彼は今まで見た事もない恐ろしい眼付を更に発見した。鈍くもあるが鋭くもあった。すでに彼の話を咀嚼したのみならず、彼の皮肉以上の代物を噛みしめて、附かず離れずとこしえに彼の跡にくっついて来る。これ等の眼玉は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼の霊魂に咬みついているようでもあった。
「助けてくれ」
阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。
当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、家(うち)じゅうの者が泣き叫んだからだ。その次に影響を受けたのは趙家であった。秀才は城内へ行って訴え出ると、革命党の不良分子に辮子を剪られた上、二万文の懸賞金を損したので家(うち)じゅうで泣き叫んだ。その日から彼等の間にだんだん遺老気質が発生した。
輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い!しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの中(うち)に歌の一つも唱(うた)わないで、せっかく跡に跟いて見たことが無駄骨になった。
(一九二一年十二月)
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==第一章 序==
わたしは{{r|阿Q|あキュー}}の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり{{r|誰某|たれそれ}}は誰某に{{r|靠|よ}}って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の{{r|被仰|おっしゃ}}るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん{{r|蒼蝿|うるさ}}いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に{{r|宣付|せんぷ}}して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に{{r|大伝|たいでん}}というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の{{r|著想|ちゃくそう}}からいうと文体が下卑ていて「車を引いて{{r|漿|のり}}を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に{{r|入|い}}らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、{{r|文字|もんじ}}の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は{{r|趙|ちょう}}と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
それは趙{{r|太爺|だんな}}の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の{{r|黄酒|うわんちゅ}}を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく{{r|穿鑿|せんさく}}すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを{{r|喚|よ}}びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう{{r|真赤|まっか}}にして怒鳴った。
「阿Q!キサマは何とぬかした。お前が{{r|乃公|おれ}}の御本家か。たわけめ」
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「{{r|出鱈目|でたらめ}}もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ{{r|呉|く}}れた。
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で{{r|擲|なぐ}}られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の{{r|名氏|みょうじ}}を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを{{r|竹帛|ちくはく}}に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、{{r|阿桂|あくい}}あるいは{{r|阿貴|あくい}}かもしれない。もし彼に{{r|月亭|げってい}}という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって{{r|阿富|あふ}}と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する{{r|文字|もんじ}}は皆{{r|変槓|へんてこ}}な意味が含まれいっそう{{r|嵌|はま}}りが悪い。以前わたしは趙太爺の{{r|倅|せがれ}}の{{r|茂才|もさい}}先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、{{r|陳獨秀|ちんどくしゅう}}が雑誌「新青年」を発行して{{r|羅馬|ローマ}}字を提唱したので国粋が{{r|亡|ほろ}}びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより{{r|外|ほか}}はなかった。そうして一個月たってようやく{{r|返辞|へんじ}}が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、{{r|注音字母|ちゅうおんじぼ}}では一般に解るまいと思って{{r|拠所|よんどころ}}なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と{{r|書|しょ}}し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる{{r|郡望|まつり}}の旧例に{{r|拠|よ}}り、{{r|郡名百家姓|ぐんめいひゃっかせい}}に書いてある注解通りにすればいい。「{{r|隴西天水|ろうせいてんすい}}の人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は{{r|未荘|みそう}}に住んだことが多いがときどき{{r|他処|たしょ}}へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に{{r|乖|そむ}}く。
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証{{r|好|ずき}}」で有名な{{r|胡適之|こてきし}}先生の門人{{r|等|ら}}が、ひょっとすると将来幾多の新{{r|端緒|たんしょ}}を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
==第二章 優勝記略==
阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を{{r|瞠|みは}}って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが{{r|勢一杯|せいいっぱい}}だ。
阿Qは家が無い。未荘の{{r|土穀祠|おいなりさま}}の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると{{r|日傭取|ひようとり}}になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を{{r|搗|つ}}けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て{{r|行|ゆ}}く。だから人は{{r|忙|せわ}}しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも{{r|糸瓜|へちま}}もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは{{r|臂|ひじ}}を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている){{r|無性|ぶしょう}}臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層{{r|己惚|うぬぼ}}れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「{{r|文童|ぶんどう}}」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や{{r|錢太爺|せんだんな}}が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の{{r|外|ほか}}に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって{{r|倅|せがれ}}があればもっと偉くなっているぞ!城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三{{r|尺|じゃく}}幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「{{r|長登|チャンテン}}」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「{{r|条登|デョーテン}}」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。{{r|鱈|たら}}の{{r|煮浸|にびた}}しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」のだから、ほとんど{{r|一|いっ}}ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん{{r|幾個所|いくこしょ}}も{{r|瘡|かさ}}だらけの{{r|禿|はげ}}があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「{{r|癩|らい}}」という言葉を嫌って一切「{{r|頼|らい}}」に近い{{r|音|おん}}までも嫌った。あとではそれを{{r|推|お}}しひろめて「{{r|亮|りょう}}」もいけない。「{{r|光|こう}}」もいけない。その後また「{{r|燈|とう}}」も「{{r|燭|しょく}}」も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも{{r|洩|もら}}そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を{{r|真赤|まっか}}にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は{{r|擲|なぐ}}りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
ところがこの{{r|怒目|どもく}}主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を{{r|嬲|なぶ}}り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
「おや、明るくなって来たよ」
阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
「と思ったら、空気ランプがここにある」
アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」
この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの{{r|斑|まだ}}ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
{{r|閑人|ひまじん}}達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂にに打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい{{r|辮子|べんつ}}を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを{{r|頂戴|ちょうだい}}し、閑人はようやく胸をすかして勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の{{r|中|うち}}で思った。「乃公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。
阿Qは最初この事を心の{{r|中|うち}}で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を{{r|引掴|ひっつか}}む機会が来るとその人はまず彼に言った。
「阿Q、これでも子供が{{r|親爺|おやじ}}を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと」
阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」
だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは{{r|凹垂|へこた}}れたと。
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。阿Qは悟った。乃公は{{r|自|みずか}}ら軽んじ自ら{{r|賤|いや}}しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。{{r|状元|じょうげん}}もまた第一人じゃないか。「人を何だと思っていやがるんだえ」
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢(ほこ)って愉快になって、{{r|土穀祠|おいなりさま}}に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう{{r|睡|ねむ}}ってしまうのである。
もしお金があれば彼は{{r|博奕|ばくち}}を打ちに{{r|行|ゆ}}く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「{{r|青竜四百|ちんろんすーぱ}}!」
「よし……あける……ぞ」
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって{{r|唱|うた}}い始める。
「{{r|天門|てんもん}}{{r|当|あた}}り――{{r|隅返|すみがえ}}し、人と、{{r|中張|なかばり}}{{r|張手|はりて}}無し――阿Qの{{r|銭|ぜに}}はお取上げ――」
「{{r|中張百文|なかばりひゃくもん}}――よし百五十{{r|文|もん}}張ったぞ」
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの{{r|外|そと}}へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、{{r|博奕|ばくち}}はずんずん進行してお{{r|終|しま}}いになる。それから彼は未練らしく{{r|土穀祠|おいなりさま}}に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど「{{r|塞翁|さいおう}}が馬を無くしても、災難と{{r|極|き}}まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場(ばくちば)が舞台の左側に出た。{{r|囃|はやし}}の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は{{r|大洋|だーやん}}になり、{{r|大洋|だーやん}}は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「{{r|天門両塊|てんもんりゃんかい}}」と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。{{r|身中|みうち}}にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を{{r|食|く}}い、幾つも{{r|蹶飛|けと}}ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して{{r|土穀祠|おいなりさま}}に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨!しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に{{r|盗|と}}られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の{{r|面|おもて}}を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして{{r|火照|ほて}}り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち{{r|著|つ}}いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか{{r|火照|ほて}}るには違いないが――心は十分満足して勝ち{{r|慢|ほこ}}って横になった。
彼は睡ってしまった。
==第三章 続優勝記略==
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の酒手(さかて)を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若寡婦(ごけ)の墓参り」という歌を唱(うた)いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
変槓(へんてこ)なこったがそれからというものは、果してみんなが殊(こと)の外(ほか)彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処(ところ)はそうでなかった。未荘の仕来(しきた)りでは、阿七(あしち)が阿八(はち)を打つような事があっても、あるいは李四(りし)が張三(ちょうさん)を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端(は)に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは?つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか?これは箆棒(べらぼう)な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左(さ)のような意味があるかもしれない。聖廟(せいびょう)の中のお供物のように、阿Qは豬羊(ちょよう)と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張(いば)っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王鬍(ワンウー)がもろ肌ぬいで虱(しらみ)を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒(がゆ)くなった。この王鬍(ひげ)は禿瘡(はげがさ)でもある上に、鬍をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡(はげがさ)の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考(かんがえ)では、外(ほか)に格別変ったところもないが、その顋(あご)に絡まる鬍(ひげ)は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側(そば)へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王鬍の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷(あわせ)を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉(とら)まえた。彼は王鬍を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛(ほう)り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王鬍なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大(おおい)に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫(ひね)り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉(とら)まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王鬍の響(ひびき)には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、瘡(かさ)ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王鬍は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気(こうまんちき)になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯(おく)れてしまう。ところが今度に限って非常な勢(いきおい)だ。何だ、こんな鬍(ひげ)だらけの代物が生意気言(い)やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王鬍も立ち上がって著物を著た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛(かか)って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉(く)れた。その拳骨がまだ向うの身体(からだ)に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。扭(ね)じつけられた辮子は墻(まがき)の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
王鬍(ひげ)は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突放(つっぱな)すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで鬍は大(おおい)に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王鬍(ひげ)は顋(あご)に絡まる鬍の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登用(とうよう)試験をやめて秀才も挙人(きょじん)も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
阿Qは拠所(よんどころ)なく彳(たたず)んだ。
遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇(やそ)学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家(うち)に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も愁歎場(しゅうたんば)を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は到処(いたるところ)で説明した。
「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪(き)り取られたんです。本来あれがあればこそ大官(たいかん)になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです」
さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽毛唐(けとう)」「外国人の犬」と思い込み、彼を見るたんびに肚(はら)の中で罵(ののし)り悪(にく)んだ。
阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬(まが)い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が四度(よど)目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿(は)げ、驢(ろ)……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤(いきどお)りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖(づえ)だ――大跨(おおまた)に歩いて来た。この一刹那(せつな)に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引締(ひきし)め肩を聳(そびや)かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側(そば)に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響(ひびき)のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門口(かどぐち)まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
折柄(おりから)向うから来たのは、靜修庵(せいしゅうあん)の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を吐(つ)くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に敵愾心(てきがいしん)を喚起(よびおこ)した。
「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
「ペッ、プッ」
若い尼は皆目(かいもく)眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
「から坊主!早く帰れ。和尚が待っているぞ」
「お前は何だって手出しをするの」
尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の頬(ほっ)ぺたを摘(つま)んだ。
酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
彼はこの一戦で王鬍のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
「阿Qの罰(ばち)当りめ。お前の世継ぎは断(た)えてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。
「ハハハ」阿Qは十分得意になった。
「ハハハ」酒屋の中の人も九分(くぶ)通り得意になって笑った。
==第四章 恋愛の悲劇==
こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊(ぶりょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪(しんせいこうせいきょうしざいしざい)」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那(しな)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠(おいなりさま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂漲(あぶらぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣(よつ)ぎは断(た)えてしまうぞ」
阿Qの耳朶(みみたぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」
一体「不孝には三つの種類があって後嗣(あとつ)ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而(むえんぼとけのひぼし)」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女……」と彼は想った。
「……和尚(陽器(ようき))は動く。女、女!……女!」と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物(しろもの)だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲己(だっき)のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒姒(ほうじ)のために破壊された?秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓(とうたく)は貂蝉(てんぜん)のために確実に殺された。
阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気(せいき)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
ところが彼は三十になって竟(つい)に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼教(れいきょう)上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪(にく)むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前(ぜん)、舞台の下の人混(ひとご)みの中で一度ある女の股倉(またくら)に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪(にく)むべきかを知るべし。
彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶(つや)ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪(にく)むべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著(き)ていた。そう思いながら阿Qは
「女、女!……」と想った。
その日阿Qは趙太爺の家(うち)で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定例(じょうれい)に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈(あかり)を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著手(ちゃくしゅ)する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
呉媽(ウーマ)は、趙家の中(うち)でたった一人の女僕(じょぼく)であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小妾(ちいさい)のを一人買おうと思っているんです」
「女……呉媽……このチビごけ」と阿Qは思った。
「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」
「女……」と阿Qは想った。
阿Qは煙管(きせる)を置いて立上った。
「内(うち)の若奥さんは……」と呉媽はまだ喋舌(しゃべ)っていた。
「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」
阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
一刹那(せつな)、極めて森閑(しんかん)としていた。
呉媽はしばらく神威(しんい)に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
「あれーッ」
彼女は大声上げて外へ馳(か)け出し、馳(か)け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
阿Qは壁に対(むか)って跪坐(きざ)し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無性(ぶしょう)らしく腰を上げ、いささか沫(あわ)を食ったような体(てい)でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行(ゆ)こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
「キサマは謀叛(むほん)を起したな。これ、こん畜生………」
竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
「忘八蛋(ワンパダン)」
後ろの方で秀才が官話(かんわ)を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈(かけ)込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋(ワンパダン)」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専(もっぱ)らお役所のお歴々(れきれき)が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障(さわ)りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物(きもの)をぬいだ。
著物(きもの)を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳(か)け出して行った。だんだん側(そば)へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集(あつま)っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂(すうしちそう)や本当の本家の趙白眼(ちょうはくがん)、趙司晨(ちょうししん)などもいた。
若奥さんは下部屋(しもべや)からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」
鄒七嫂も側(そば)から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません」といった。
呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯(いたづら)をするかしらんて?」
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側(そば)までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐(めが)けて跳び出して来た。
阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間(ま)に彼はもう土穀祠(おいなりさま)の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立(あわだ)って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁(し)み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣(うわぎ)がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」
こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当前(あたりまえ)だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、明日(みょうにち)紅蝋燭(べにろうそく)一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。
二、趙家では道士を喚んで首縊(くく)りの幽霊を祓う事(首縊幽霊(くびくくりゆうれい)は最も獰猛なる悪鬼(あくき)で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。
三、阿Qは今後決して趙家の閾(しきい)を越えぬ事。
四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。
五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。
阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなくなった棉(わた)入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をしたあとは、確かに幾文(いくもん)か残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけのものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。
一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが仏参(ぶつさん)の日まで蔵(しま)っておいた。そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ赤坊(あかんぼう)のおしめになって、その切屑は呉媽の鞋底(くつぞこ)に使われた。
==第五章 生計問題==
阿Qはお礼を済ましてもとのお廟(みや)に帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつまり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の墻(まがき)を照しているのだ。彼は起き上りながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。
彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはないが、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪がった。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで人のあとに跟(つ)いて潜り込み、その上十一になる女の児(こ)を喚び入れた。阿Qは不思議でたまらない。「こいつ等(ら)はどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫(ばいた)め」
阿Qはこらえ切れなくなってお馴染(なじみ)の家(うち)に行って探りを入れた。――ただし趙家の閾(しきい)だけは跨(また)ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿(うるさ)そうな顔付(かおつき)を見せ、まるで乞食(こじき)を追払(おっぱら)うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
阿Qはいよいよ不思議に感じた。
この辺の家(うち)は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DON(しょうドン)をよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王鬍よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒(いかり)尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻(うな)った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
幾日かのあとで、彼は遂に錢府(せんふ)の照壁(衝立(ついたて)の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎(かたき)の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行(ゆ)くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜(かど)を立て口の端へ沫(あわ)を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。
したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根(べんこん)を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
以前の阿Qの勢(いきおい)を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形(にじがた)を映出(えいしゅつ)した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽(おだ)てるのかしらん。
それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩退(しりぞ)き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも突立った。およそ半時間……未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。あるいは二十分かもしれない……彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れていた。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を引いてどちらも人ごみの中に入った。
「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。
「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。
この一幕(ひとまく)の「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満足したかしらん、誰(たれ)も何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼まれなかった。
ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗(へ)って蒲団も帽子も上衣(うわぎ)もないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子(ズボン)は残っているが、こればかりは脱ぐわけには行(ゆ)かない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだめっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。
彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなかった。
未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行(ゆ)き尽してしまった。村端(はず)れは大抵水田であった。見渡す限りの新稲(しんいね)の若葉の中に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの田家(でんか)の楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこんなまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に靜修庵(せいしゅうあん)の垣根の外へ行った。
庵のまわりは水田であった。白壁(しらかべ)が新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に菜畑があった。
阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上って何首烏(かしゅう)の蔓(つる)を引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の樹に攀(よ)じ昇り、畑中(はたなか)へ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老酒(ラオチュ)も饅頭も食べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん筍(たけのこ)が生えていたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜(からしな)は花が咲いて、青菜は伸び過ぎていた。
阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側(そば)まで来ると、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったのは、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッちょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中の事は「一歩退(しりぞ)いて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵(しま)い込んだが、その時もう婆(ばば)の尼は見つけていた。
「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね……まあ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ……」
「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。
「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。
「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前……」
阿Qは言いも完(おわ)らぬうちに足をもちゃげて馳(か)け出した。追っ馳けて来たのは、一つのすこぶる肥大の黒狗(くろいぬ)で、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょうは裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿(もも)に噛みつきそうになったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣(かき)の外へころげ出した。狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申(まお)した。
尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う序(ついで)に小石を掻き集めたが、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛(かじ)って、この村もいよいよ駄目だ、城内に行(ゆ)く方がいいと想った。
大根を三本食ってしまうと彼は已(すで)に城内行(ゆき)を決行した。
==第六章 中興から末路へ==
阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッたまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内から帰って来ると非常な元気で人に向って吹聴したもんだが、今度は決してそんなことはなかった。ひょっとすると、彼はお廟(みや)の番人に話したかもしれない、未荘のしきたりでは趙太爺と錢太爺ともう一人秀才太爺(しゅうさいだんな)が城内に行(ゆ)けば問題になるだけで、偽毛唐でさえも物の数にされないのだから、いわんや阿Qにおいてをやだ。だから番人の親爺も彼のために宣伝するはずもないのに、未荘の人達がどうして知っていたのだろう。
だが阿Qの今度の帰りは前とは大(おおい)に違っていた。確かにはなはだ驚異の値打があった。
空の色が黒くなって来た時、彼は酔眼朦朧(すいがんもうろう)として、酒屋の門前に現われた。彼は櫃台(デスク)の側へ行って、腰の辺から伸した手に一杯握っていたのは銀と銅。櫃台(デスク)の上にざらりと置き、「現金だぞ、酒を持って来い」と言った。見ると新しい袷を著て、腰の辺には大搭連(おおどうらん)がどっしりと重みを見せ、帯紐が下へさがって弓状(ゆみなり)の弧線(なりせん)をなしている。
未荘の仕来りとして誰でもちょっと目覚ましい人物を見出した時、侮るよりもまず敬うのである。現在これが明かに阿Qであると知りながら破れ袷の阿Qとは別々である。古人の言葉に「たとい三日の間でも別れた人に逢った時には目を見張ってその特徴を見出さなければならん」といっている。そういうわけで、ボーイも番頭も見ず知らずのそこらの人も、一種の疑いを持ちながら自然と敬いの態度を現わした。
番頭はまず合点して話しかけた。
「ほう阿Q、お前さん、帰っておいでだね」
「帰って来たよ」
「景気がいいねえ。お前さんは――にいたの……」
「城内に行っていた……」この一つのニウスは二日目に未荘じゅうに伝わった。人々はみな、現金と新しい袷を持っている阿Qの中興史を聴きたく思った。そういうわけで、酒屋の中でも茶館の中でも廟(おみや)の軒下でも、皆だんだんに探りを入れて聴き出した。その結果阿Qは新奇の畏敬を得た。
阿Qの話では、彼は挙人太爺(きょじんだんな)の家(うち)のお手伝をしていた。この一節を聴いた者は皆かしこまった。この老爺(だんな)は姓を白(はく)といい城内切っての挙人であるから改めて姓をいう必要がない。挙人という話が出ればつまり彼である。これは未荘だけでそう言っているのではない、この辺百里の区域の内は皆そうであった。人々はほとんど大抵彼の姓名を挙人老爺(きょじんだんな)だと思っていた。そのお方のお屋敷でお手伝していたのはもちろん敬うべきことである。けれど阿Qの言うとこにゃ、彼はもう行ってやる気はない。この挙人老爺は実に非常な「馬鹿者」だ。この話を聴いた者はみな歎息して嬉しがった。阿Qは挙人老爺の家で働くような人ではないが、働かないのも惜しいこった。
阿Qの話でみると、彼が帰って来たのは城内の人が気に入らぬからであるらしい。これはつまり、長凳(チャンテン)(長床几(ながしょうぎ))を条凳(デウテン)ということや、葱の糸切を魚の中に入れたり、そのうえ近頃見つけ出した欠点は、女の歩き方がいやにねじれてはなはだよくない。しかしまた大(おおい)に敬服すべき方面もある。早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(ちくはい)(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、麻将(マーチャン)を知っている者は偽毛唐だけであるが、城内では小さな餓鬼(がき)までが皆よく知っている。なんだって偽毛唐が、城内の十歳そこそこの子供の手の中に入ってしまうのか。これこそ「小鬼が閻魔様と同資格で会見する」様なもので、聴けば赤面の到りだ。「てめえ達は、首斬(くびきり)を見たことがあるめえ」と阿Qは言った。「ふん、見てくれ、革命党を殺すなんておもしれえもんだぜ」
彼は首をふると、ちょうどまん中にいた趙司晨の顔の上に唾(つばき)がはねかかった。この一言に皆の者はぞっとした。だが阿Qは一向平気であたりを見廻し、たちまち右手をあげて、折柄(おりから)頸(くび)を延して聴き惚れている王鬍のぼんのくぼを目蒐(めが)けて、打ちおろした。
「ぴしゃり!」
王鬍は驚いて跳び上り稲妻のような速力で頸を縮めた。見ていた人達は気味悪くもあり、おかしくもあった。それからというものは王鬍の馬鹿野郎、ずいぶん長い間、阿Qの側(そば)へは近寄らなかった。ほかの人達もまた同じようであった。
阿Qはこの時、未荘の人の眼の中の見当では、趙太爺以上には見えないが、たいていおつかつの偉さくらいに思われていたといっても、さしたる語弊はなかろう。
そうこうする中(うち)にこの阿Qの評判は、たちまち未荘の女部屋の奥に伝わった。未荘では錢趙両家だけが大家(たいけ)で、その他はたいてい奥行が浅かった。けれども女部屋はつまり女部屋であるから一つの不思議と言ってもいい。女どもは寄るとさわるときっとその話をした。鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹(なんどぎぬ)の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。趙白眼の母親も――一説には趙司晨の母親だということだが、それはどうかしらん――彼女もまた一枚の子供用の真赤な瓦斯織(がすおり)の単衣物(ひとえもの)を買ったが、まだちょっと手を通したばかりの物がたった三百大銭(だいせん)の九二串(さし)であった。
そこで彼等は眼を皿のようにして阿Qを見た。絹袴が無い時には、絹袴の出物は無いかと彼に訊(たず)ねてみたく思った。瓦斯織の単衣(ひとえ)がほしい時には、瓦斯織の単衣の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。今度は阿Qを見ても逃げ込まないで、かえって阿Qのあとを追馳(おいか)けて、袖を引止めた。
「阿Q、お前はもっと外(ほか)に絹袴を持っているだろう。え、無いって。わたしは単衣物もほしいんだよ。あるだろう」
あとではこの様なことが、端近い女部屋から終(つい)に奥深い女部屋に伝わった。鄒七嫂は嬉しさの余り彼の絹袴を趙太太(ちょうたいたい)の処へ持って行ってお目利きをねがった。趙太太はまたこれを趙太爺に告げて一時すこぶる真面目になって話をしたので、趙太爺は晩餐の卓上秀才太爺(息子)と討論した。阿Qは全くどうも少し怪しい。われわれの戸締もこれから注意しなければならんが、しかし彼の品物で、まだ買ってやっていいようなものがあるかもしれないと想った。殊に趙太太は直段(ねだん)が安くて品物がいい皮の袖無しが欲しいと思っていた時だから、遂に家族は決議して鄒七嫂にたのんで阿Qをすぐに喚んで来いと言った。かつこれがために第三の例外をひらいてこの晩特にしばらく燈(あかり)をつけることを許された。
油は残り少くなったが阿Qはまだ到著しなかった。趙家の内の者は皆待ち焦れて、欠伸をして阿Qの気紛(きまぐ)れを恨み、鄒七嫂のぐうたらを怨んだ。趙太太は春の一件があるので来ないかもしれないと心配したが、趙太爺は、そんなことはない、乃公がよべばきっと来ると思った。果して趙太爺の見識は高かった。阿Qは結局鄒七嫂のあとへ跟いて来た。
「この人はただ無い無いとばかし言っているんですが、そんならじかに話してくれとわたしは言ったんです。彼は何とかいうにちがいありません。わたしも言います――」鄒七嫂は息をはずませていた。
「太爺!」阿Qは薄笑いしながら簷下(のきした)に立っていた。
「阿Q、お前、だいぶんお金を儲けて来たという話だが」と趙太爺はそろそろ近寄って阿Qの全身を目分量した。
「何しろ結構なこった。そこで……噂によるとお前は古著(ふるぎ)をたくさん持っているそうだが、ここへ持って来て見せるがいい……外(ほか)でもない、乃公も欲しいと思っているんだ……」
「鄒七嫂にも話した通りですが、皆売切れました」
「売切れた!」趙太爺の声は調子が脱(はず)れた。「どうしてそんなに早く売切れたのだ!」
「あれは友達の物で、品数もあんまり多くは無いのですが、少しばかり分けてやったんです」
「そんなことを言っても、まだいくらかあるに違いない」
「たった一枚幕が残っております」
「幕でもいいかた持って来てお見せ」と趙太太は慌てて言った。
「そんな物はあしたでもいいや」趙太爺はさほど熱心でもなかった。「阿Q、これからなんでも品物がある時には、まず、乃公の処へ持って来て見せるんだぞ」
「値段は決してほかの家(うち)よりすくなく出すことはない」秀才は言った。
秀才の奥さんはチラリと阿Qの顔を見て彼が感動したかどうかを窺(うかが)った。
「わたしは皮の袖無しが一枚欲しいのだが」と趙太太は言った。
阿Qは応諾しながらも不承々々に出て行ったから、気にとめているかどうかしらん。これは趙太爺を非常に失望させ、腹が立って気掛りで欠伸がとまってしまうくらいであった。秀才太爺も阿Qの態度に非常な不平を抱き、この「忘八蛋(ワンパダン)」警戒する必要がある。いっそ村役人に吩咐(いいつ)けてこの村に置かないことにしてやろうと言ったが、趙太爺は、そりゃ好(よ)くないことだと思った。そうすれば怨みを受けることになる。ましてああいうことをする奴は大概「老いたる鷹は、巣の下の物を食わない」のだから、この村ではさほど心配するには及ぶまい。ただ自分の家(うち)だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。
秀才もこの「庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘(てっかい)し、また鄒七嫂にも言い含めて、決してこのようなことを人に洩らしてくれるな、と言った。
けれど鄒七嫂は次の日あの藍袴を黒色に染め替えて阿Qの疑うべき節を言い布(ふ)らして歩いた。確かに彼女は秀才の阿Q駆逐の一節を持ち出さなかったが、これだけでも阿Qに取っては非常に不利益であった。最先(まっさ)きに村役人が尋ねて来て、彼の幕を奪った。阿Qは趙太太に見せる約束をしたと言ったが、村役人はそれを返しもせずになお毎月(まいげつ)何ほどかの附届(つけとど)けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に彼が酒屋の中で「ぴしゃり」と言った時の警戒とは別種のものであった。「敬して遠ざかる」ような分子がずいぶん多(おお)まじっていた。
閑人の中には阿Qの奥底を根掘り葉掘り探究する者があった。阿Qは包まず隠さず自慢らしく彼の経験談をはなした。
阿Qは小さな馬の脚に過ぎなかった。彼は垣の上にあがることも出来なければ、洞(あな)の中に潜ることも出来なかった。ただ外に立って品物を受取った。ある晩彼は一つの包(つつみ)を受取って相棒がもう一度入ると、まもなく中で大騒ぎが始まった。彼はおぞけをふるって逃げ出し、夜どおし歩いて終に城壁を乗り越え未荘に帰って来た。彼はこんなことは二度とするものでないと誓った。この弁明は阿Qに取ってはいっそう不利益であった。村の人の阿Qに対して「敬して遠ざかる」ものは仕返しがこわいからだ、ところが彼はこれから二度と泥棒をしない泥棒に過ぎないのだ。してみると「これもまた畏るるに足らない」ものだった。
==第七章 革命==
宣統(せんとう)三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫(くろとま)の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗(くらやみ)の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行(ゆ)く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。
この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸(ぼろ)著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞(けんもん)が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
そういうものの、謡言(ようげん)はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床(とこ)の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正(すうせい)皇帝の白装束を著ていたという。
阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼(ま)ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪(にく)むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼(おそ)れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好(よ)かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革(あらた)めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
阿Qは近来生活の費用に窘(くる)しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空(す)き腹(ばら)の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機(はずみ)か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜(とりこ)となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
未荘の人は皆恐懼(きょうく)の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。
「よし、……乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。
タッタ、ヂャンヂャン。
後悔するには及ばねえ。酔うて錯(あやま)り斬る鄭賢弟(ていけんてい)。
後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー………
タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。
乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ……」
趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判(だいろっぱん)していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。
「ドンドン……」
「Q(キュー)さま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。
「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依らなかった。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。
「Qさん」
「思切ってやっつけろ……」
「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。
阿Qはようやく立ちどまって首をかしげて訊いた。「なんだね」
「Qさま……当節は……」と趙太爺は口を切ったが、言い出す言葉もなかった。「当節は……素晴らしいもんだね」
「素晴らしいと?あたりまえよ。何をしようが乃公の勝手だ」
「……Q、わしのような貧乏仲間は大丈夫だろうな」と趙白眼はこわごわ訊いた。革命党の口振りを探るつもりであったらしい。
「貧乏仲間?てめえは乃公より金があるぞ」阿Qはそう言いながらすぐに立去った。
みんな萎れ返って物も言わない。趙家の親子は家(うち)に入って灯(ひ)ともしごろまで相談した。趙白眼も家(いえ)に帰るとすぐに腰のまわりの搭連をほどいて女房に渡し、箱の中に蔵(おさ)めた。
阿Qは一通りぶらぶら飛び廻って土穀祠(おいなりさま)に帰って来ると、もう酔(よい)は醒めてしまった。
その晩、廟祝(みやばん)の親父も意外の親しみを見せて阿Qにお茶を薦めた。阿Qは彼に二枚の煎餅をねだり、食べてしまうと四十匁(め)蝋燭の剰(あま)り物を求めて燭台を借りて火を移し、自分の小部屋へ持って行ってひとり寝た。彼は言い知れぬ新しみと元気があった。蝋燭の火は元宵(げんしょう)(正月)の晩のようにパチパチと撥(は)ね迸(ほとばし)ったが、彼の思想も火のように撥ね迸った。
「謀反?面白いな……来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に尖った両刃の劒(けん)、鎖鎌。土穀祠(おいなりさま)の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行(ゆ)く、この時未荘の村烏(むらがらす)、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦(ゆる)し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。……残る奴ばらは何本ある?王(ワン)なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや……」
「品物は……すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝(げんほう)、銀貨、モスリンの著物……秀才婦人の寝台をまずこの廟(おみや)の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
「趙司晨の妹はまずい。鄒七嫂の小娘は二三年たってから話をしよう。偽毛唐の女房は辮子の無い男と寝てやがる、はッ、こいつはたちが好(よ)くねえぞ。秀才の女房は眼蓋(まぶた)の上に疵(きず)がある――しばらく逢わないが呉媽はどこへ行ったかしらんて……惜しいことにあいつ少し脚が太過ぎる」
阿Qは彼の胸算用がすっかり片づかぬうちにもう鼾をかいた。四十匁蝋燭は燃え残って五分ほどになり、赤々と燃え上る火光(かこう)は、彼の開け放しの口を照した。
「すまねえ、すまねえ」阿Qはたちまち大声上げて起き上った。頭を挙げてきょろきょろあたりを見廻して四十匁蝋燭に目をつけると、すぐにまた頭をおろして睡(ねむ)ってしまった。
次の日彼は遅く起きて往来に出てみたが、何もかも元の通りであった。彼はやっぱり肚が耗(へ)っていた。彼は何か想っていながら想い出すことが出来なかった。たちまち何かきまりがついたような風で、のそりのそりと大跨に歩き出した。そうして有耶無耶のうちに靜修庵(せいしゅうあん)についた。
庵は春の時と同じような静けさであった。白壁と黒門、彼はちょっと思案して前へ行って門を叩いた。一疋(いっぴき)の狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡(あばた)が出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
阿Qは慌てて瓦を持ちなおし馬のように足をふんばって、黒狗と開戦の準備をした。だが庵門はただ一すじの透間(すきま)をあけたのみで、黒狗が飛び出すことはないと見たので、近寄って行(ゆ)くと、そこに一人の老いたる尼がいた。
「お前はまた来たのか。何の用だえ」と尼は呆れ返っていた。
「革命だぞ。てめえ知っているか」と阿Qは口籠(くちごも)った。
「革命、革命とお言いだが、革命は一遍済んだよ。……お前達は何だってそんな騒ぎをするんだえ」尼は眼のふちを赤くしながら言った。
「何だと?」阿Qは訝(いぶか)った。
「お前はまだ知らないのだね。あの人達はもう革命を済ましたよ」
「誰だ?」阿Qは更に訝った。
「秀才と偽毛唐さ」
阿Qは意外のことにぶっつかってわけもなく面喰った。尼は彼の出鼻をへし折って隙(すか)さず門を閉めた。阿Qはすぐに押し返したが固く締っていた。もう一度叩いてみたが返辞もしない。
これもやっぱりその日の午前中の出来事だった。機を見るに敏なる趙秀才は革命党が城内に入ったと聞いて、すぐに辮子を頭の上に巻き込み、今までずっと仲悪(なかわる)で通したあの錢毛唐(せんけとう)の処へ御機嫌伺いに行った。これは「みなともに維(こ)れ新たなり」の時であるから、彼等は話が弾んで立ちどころに情意投合の同志となり、互に相約して革命に投じた。
彼等はいろいろ想い廻して、やっと想い出したのは靜修庵の中の「皇帝万歳万、万歳!」の一つの竜牌(りゅうはい)だ。これこそすぐにも革擲(かくてき)すべきものだと思ったから、二人は時を移さず靜修庵に行(ゆ)くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく見ると、竜牌はすでに已(すで)に砕けて地上に横たわっているのはもっともだが、観音様の前にあった一つの宣徳炉(せんとくろ)が見当らないのが不思議だ。
阿Qはあとでこの事を聞いてすこぶる自分の朝寝坊を悔んだ。それにしても彼等が阿Qを誘わなかったのは奇ッ怪千万である。阿Qは一歩退(しりぞ)いて考えた。
「彼等が、今まで知らずにいるはずはない。阿Qは已に革命党に投じているのじゃないか」
==第八章 革命を許さず==
未荘の人心は日々に安静になり、噂に拠れば革命党は城内に入ったが、何も格別変ったことがない。知県(ちけん)様はやっぱり元の位置にいて何か名目が変っただけだ。挙人老爺は何になったか――これ等の名目は未荘の人には皆わからなかった。――お上が兵隊を連れて来ることは、これも前からいつもあることで、格別不思議なことでもないが、ただ一つ恐ろしいのは、ほかに幾らか不良分子が交(まじ)っていて内部の擾乱(じょうらん)を計っていることだ。そうして二言目には手を動かして辮子を剪(き)った。聴けば隣村の通い船を出す七斤は途中で引掴まって、人間らしくないような体裁にされてしまったが、それさえ大した恐怖の数に入らない。未荘の人は本来城内に行(ゆ)くことは少いのに、たまたま行(ゆ)く用事があっても差控えてしまうから、この危険にぶつかる者も少い。阿Qも城内に行って友達に逢いたいと思っていたが、この話を聞くとやめなければならない。
だが未荘の人も改革なしでは済まされなかった。幾日の後、辮子を頭に巻込む者が逐漸(ちくぜん)増加した。手ッ取り早く言うと一番最初が茂才公(もさいこう)だ。その次が趙司晨と趙白眼だ。後では阿Qだ。これがもし夏ならば、辮子を頭の上に巻込み、あるいは一つのかたまりにするのはもとより何も珍らしい事ではないが、今は秋の暮で、この特別の歳時記が行われたのは、辮子を巻込んだ連中に取っては非常な英断と言わなければならない。未荘としてはこれもまた改革の一つでないということは出来ない。
趙司晨は頭の後ろを空坊主にして歩いた。これを見た人は大きな声を出して言った。
「ほう、革命党が来たぞ」
阿Qは非常に羨しく思った。彼はとうから秀才が辮子をわがねたというニウスを聞いていたが、自分がその様な事をしていいかという事について少しも思い及ばなかった。現在趙司晨がこうなってみると、急に真似てみたくなって実行の決心をきめた。彼は一本の竹箸に辮子を頭の上にわがね、しばらくためらっていたが、思切って外へ出た。
彼が往来に出ると、人は皆彼を見るには見るが何にも言わない。阿Qは初め不快に感じてあとになるとだんだん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう?阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格(こうさんかく)」の手紙(柿渋引(かきしぶびき)の方罫紙(ほうまいし)?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党(すーゆーたん)(自由と同音、柿渋(かきしぶ)は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章(きしょう)で翰林(かんりん)を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄(にわか)に肩身が広くなり倅が秀才に中(あた)った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環(わが)ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行(ゆ)くより外は無かった。
錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披(ひら)いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪(ほうほうがみ)の劉海(りゅうはい)仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生(やんしいさん)といえばあるいはいいかもしれない。
洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪(こう)君!われわれは著手(ちゃくしゅ)しよう。しかし彼は結局 No(ノー) と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか……」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起(ふりおこ)して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
話を聴いていた四人の者は喫驚(びっくり)して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし……」
「出て行(ゆ)け」
「わたしも……に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰(おっしゃ)るのに、てめえは肯(き)かねえのか」
阿Qは頭の上に手を翳(かざ)して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛(ゆる)め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望(のぞみ)を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布(ふ)れが行届(ゆきとど)いて、小D、王鬍などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環(わが)ねたことについて無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考(かんがえ)から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠(おいなりさま)に帰って来た。
「パン、パン」
彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質(たち)だから、すぐに暗(やみ)の中を探って行(ゆ)くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳(ききみみ)立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙……趙家がやられた。掠奪……」小Dは息をはずませていた。
阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据(すわ)った。彼は路角(みちかど)に躄(いざ)り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台(ねだい)をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
その夜(よ)は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇(ぎこう)の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台を持ち出したり……
持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟(おみや)の中に帰って来た。
土穀祠(おいなりさま)の中は、いっそうまっ闇(くら)だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著(つ)いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか?阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐(こら)え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐!よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」
==第九章 大団円==
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来(きた)した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠(おいなりさま)を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入(ちんにゅう)し、阿Qを抓(つま)み出して廟(おみや)の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると室(へや)の隅にもう二人いた。
阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは土穀祠(おいなりさま)の彼の部屋はこの部屋よりも決してまさることは無かったからだ。そこにいた二人は田舎者らしく、だんだん懇意になって話してみると、一人は挙人老爺の先々代に滞っていた古い地租の追徴であった。もう一人は何のこったか好く解らなかった。彼等は阿Qにわけを訊くと、阿Qは臆面なく答えた。「乃公は謀叛を起そうと思ったからだ」
阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に披(さば)いていた偽毛唐によく似た奴もあった。彼等は皆同じような仏頂面で目を怒らして阿Qを見た。阿Qはこりゃあきっとお歴々に違いないと思ったから、膝の関節が自然と弛んでべたりと地べたに膝をついた。
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず身体(からだ)が縮こまってその勢(いきおい)に押されて揚句(あげく)の果ては膝を突いてしまう。
「奴隷根性!……」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから……来ようと思っていたんです……」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「譃(うそ)を吐(つ)け。この場になってもう遅い。お前の仲間は今どこにいる」
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると憤々(ぷんぷん)した。
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば赦(ゆる)してやるよ」親爺はまたしんみりとなった。
「わたしは知りません。……あの人達はわたしを呼びに来ません」
そこで親爺は目遣(めつか)いをした。阿Qはまた丸太格子の中に抛(ほう)り込まれた。彼が二度目に同じ格子の中から引きずり出されたのは二日目の午前であった。
大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行(ゆ)き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指(ゆびさ)して花押(かきはん)の書き方を教えた。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧(はず)かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、悪(にく)むべき筆は重く、ガタガタ顫えて、丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ脱(はず)れて瓜のような恰好になった。
阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は贓品(ぞうひん)の追徴が何よりも肝腎だと言った、少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。卓(つくえ)を叩き腰掛を打って彼は説いた。
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君!わたしが革命党を組織してからまだ二十日(はつか)にもならないのに、掠奪事件が十何件もあってまるきり挙らない。わたしの顔がどこに立つ?罪人が挙っても君はまだ愚図々々している。これが旨く行(ゆ)かんと乃公の責任になるんだよ」
挙人老爺は大(おおい)に窮したが、なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。けれど少尉殿はびくともせず、「どうぞ御随意になさいませ」と言った。
そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも懇(ねんご)ろに尋ねた。「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」
阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に白金巾(しろかたきん)の袖無しを著せた。上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。それは葬式の著物のようで、葬式の著物を著るのは縁喜(えんき)が好くないからだ。しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、ずんずんお役所の外へ引きずり出された。
阿Qは屋根無しの車の上に舁(かつ)ぎあげられ、短い著物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。
この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
彼はそう思うと心が顛倒(てんとう)して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著(おちつ)いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。
彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に行(ゆ)かないのか。彼は自分が引廻しになって皆に見せしめられているのを知らなかった。しかし知らしめたも同然だった。彼はただ人間世界はもともと大抵こんなもんで、時に依ると引廻しになって皆に見せしめなければならないものであるかもしれない、と思ったかもしれない。
彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を刎(は)ねられるんだ。彼はガッカリしてあたりを見ると、まるで蟻のように人が附いて来た。そうして図らずも人ごみの中に一人の呉媽を発見した。ずいぶんしばらくだった。彼女は城内で仕事をしていたのだ。彼はたちまち非常な羞恥を感じて我れながら気が滅入ってしまった。つまりあの芝居の歌を唱(うた)う勇気がないのだ。彼の思想はさながら旋風のように、頭の中を一まわりした。「若寡婦(わかごけ)の墓参り」も立派な歌ではない。「竜虎図」の「後悔するには及ばぬ」も余りつまらな過ぎた。やっぱり「手に鉄鞭(てつべん)を執ってキサマを打つぞ」なんだろう。そう思うと彼は手を挙げたくなったが、考えてみるとその手は縛られていたのだ。そこで「手に鉄鞭を執り」さえも唱(とな)えなかった。
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「好(ハオ)!!!」と人ごみの中から狼の吠声のような声が出た。
車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年前(ぜん)に彼は一度山下で狼に出遇(であ)った。狼は附かず離れず跟いて来て彼の肉を食(くら)おうと思った。彼はその時全く生きている空(そら)は無かった。幸い一つの薪割を持っていたので、ようやく元気を引起し、未荘まで持ちこたえて来た。これこそ永久に忘られぬ狼の眼だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のようにキラめく二つの眼は、遠くの方から彼の皮肉を刺し通すようでもあった。ところが彼は今まで見た事もない恐ろしい眼付を更に発見した。鈍くもあるが鋭くもあった。すでに彼の話を咀嚼したのみならず、彼の皮肉以上の代物を噛みしめて、附かず離れずとこしえに彼の跡にくっついて来る。これ等の眼玉は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼の霊魂に咬みついているようでもあった。
「助けてくれ」
阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。
当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、家(うち)じゅうの者が泣き叫んだからだ。その次に影響を受けたのは趙家であった。秀才は城内へ行って訴え出ると、革命党の不良分子に辮子を剪られた上、二万文の懸賞金を損したので家(うち)じゅうで泣き叫んだ。その日から彼等の間にだんだん遺老気質が発生した。
輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い!しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの中(うち)に歌の一つも唱(うた)わないで、せっかく跡に跟いて見たことが無駄骨になった。
(一九二一年十二月)
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半七捕物帳 第四巻/熊の死骸
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| title = 『[[半七捕物帳]]』(はんしちとりものちょう)
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|author=岡本綺堂
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*底本:1999年10月10日春陽堂書店発行『半七捕物帳第四巻』
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[[Category:岡本綺堂]]
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== 熊の死骸 ==
=== 一 ===
:神信心という話の出たときに、半七老人は云った。
:「むかしの岡っ引などというものは、みんな神まいりや仏まいりをしたものです。上(かみ)の御用とは云いながら、大勢の人間に縄をかけては後生(ごしょう)が思われる。それで少しでも暇(ひま)があれば、神仏へ参詣する。勿論それに相違ないのですが、二つにはそれもやっぱり商売の種で、何かのことを聞き出すために、諸人の寄りあつまる所へ努めて顔出しをしていたのです。わたくしなどもそのお仲間で、年を取った今日(こんにち)よりも却(かえ)って若いときの方が信心参りをしたものです。いや、その信心に関係のあることではないのですが、弘化(こうか)二年正月の二十四日、きょうは亀戸(かめいど)の鷽替(うそかえ)だというので、午(ひる)少し前から神田三河町の家(うち)を出て、亀戸の天神様へおまいりに出かけました。そうすると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、青山(あおやま)の権太原(ごんだわら)――今はいつの間にか権田原という字に変っているようです――の武家屋敷から火事が始まったんです。この日は朝から強い北風で、江戸じゅうの砂や小砂利を一度に吹き飛ばすと云うような物騒な日に、あいにくとまた紅い風が吹き出したのだから堪まりません。忽(たちま)ちそれからそれへと燃えひろがる始末。しかし初めのうちは亀戸の方でもよくは判らず、どこか山の手の方角に火事があるそうだくらいの噂󠄀だったのですが、ともかくもこの大風に燃えだした火はなかなか容易に鎮まる気づかいはないと思ったので、亀戸からすぐに引っ返して来たのは夕七ツ半(午後五時)を過ぎた頃でしたが、もうその頃には青山から麻布(あざぶ)の空が真紅(まっか)になっていました。三田(みた)の魚籃(ぎょらん)の近所に知りびとがあるので、丁度そこに居あわせた松吉(まつきち)という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと、ここに一つの事件が出来(しゅったい)したんです」
:前にも云う通り、この火事は青山の権太原から始まって、その近所一円を焼き払った上に、更に麻布に飛んで一本松(いっぽんまつ)から鳥居坂(とりいざか)、六本木(ろっぽんぎ)、龍土(りゅうど)の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎(にほんえのき)、伊皿子(いさらぎ)、高輪まで燃えぬけて、夜の戌(いぬ)の刻(こく)(午後八時)を過ぎる頃にようよう鎮まった。今日(こんにち)の時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六カ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には、知りびとの家はもう疾(と)うに灰になっていて、その立退(たちの)き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気(あっけ)に取られた。
:「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」
:「伊豆屋(いずや)へ見舞に行くんですか」と、松吉は云った。
:「この分じゃあ見舞の挨拶(あいさつ)ぐらいじゃ済むめえ。火の粉をかぶって働かなけりゃあなるめえよ」
:高輪の伊豆屋弥平(やへい)はおなじ仲間であるから、半七はそこへ見舞にゆく積りで、更に高輪の方角へ抜けてゆくと、日はもうすっかり暮れ切って、暗やみの空の下に真っ紅な火の海が一面にごうごうと湧きあがっていた。ふたりは濡れ手拭に顔をつつんで、尻端折(しりばしょ)りの足袋はだしで、ともかくも高輪の大通りまで出て来たが、もうその先はひと足も進むことが出来なくなった。
:なにぶんにも風の勢いが強いので、飛火(とびひ)はそれからそれへと燃えひろがって、うしろが焼けていたかと思ううちに、二、三町先がもういつの間にか燃えているので、前後をつつまれて逃げ場をうしなった類焼者は、風と火に追いやられて海辺の方へよんどころなく逃げあつまると、その頭の上には火の粉が容赦なく振りかかって来るので、ここでも逃げ惑って海のなかへ転げ落ちたものが幾百人と伝えられている。
:こうした怖ろしい阿鼻叫喚(あびきょうかん)のまん中へ飛び込んだふたりは、いくら物馴れていてもさすがに面喰らって、先へも行かれなくなった。うっかりしていれば自分らの眉へも火が付きそうなので、ふたりは火の粉の雨をくぐりながら、互いの名を呼んだ。
:「松。気をつけろよ」
:「親分。とてもいけませんぜ。伊豆屋まで行き着くのは命懸けだ。第一、これから行ったって間に合いませんぜ」
:「そうかも知れねえ」と、半七も云った。「間に合っても合わねえでも、折角来たもんだから、ともかくもそこまで行き着きてえと思っているんだが、どうもむずかしそうだな」
:「怪我でもすると詰まらねえ。もういい加減にしましょうよ。伊豆屋の見舞なら、これから家(うち)へ引っ返して握り飯の支度でもさせた方がようござんす。どうせ消(し)めった後(あと)でなけえりゃあ行かれやしません」
:そう云ううちにも、'''なだれ'''を打って逃げ迷ってくる半狂乱の人びとに押されて揉まれて、二人も幾たびか突き顚(こか)されそうになった。火は大通りまで燃え出して、その熱い息が二人を蒸して来たので、半七ももう諦めるよりほかはなかった。
:「じゃあ、松。もう帰ろうよ」
:「帰りましょう」と、松吉もすぐに同意した。「ぐずぐずしていて烟(けむ)にまかれでもした日にゃあ助からねえ」
:ふたりは方向を換えようとして本芝(ほんしば)の方へ振り向く途端に、わっという叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽(くず)れて来た。
:「親分。あぶのうがすぜ」
:「てめえもしっかりしろ」
:群衆に揉まれて、ふたりは四、五間も押し戻されたかと思うとき、大きい獣(けもの)が自分たちのそばに来ていることを発見した。昼よりも紅い火に照らされて、混雑の中でその正体がすぐに判った。それは大きい熊であった。どこから飛び出して来たのか知らないが、かれもおそらくこの火に追われて、人間と一緒に逃げ場をさがしているのであろう。しかし人間に取っては怖ろしい道連れであるので、猛火に焼かれようとして逃げ惑っている人たちは、更にこの猛獣の出現におびやかされた。むかしの合戦に火牛(かぎゅう)の計略を用いたとか云うことを軍書や軍談で知っているが、いま眼(ま)のあたりに火の粉をあびた荒熊の哮(たけ)り狂っている姿を見せられた時には、どの人も異常の恐怖に襲われて、悲鳴をあげながら逃げ迷った。
:熊もいたずらに人を脅(おびや)かすために出て来たのではない。火を恐るるかれはほとんど死物狂(しにものぐる)いの勢いで、どこからか逃げ出して来たらしく、もちろん人に咬(か)みつく余裕はなかったが、それでも時どきに起(た)ちあがって、自分のゆく先の邪魔になる人びとをその強い手で殴(はた)き倒した。殴かれた者はもう起きることが出来ないで、あとから駈けて来る者にむごたらしく踏みにじられた。火事場の混雑はこの猛獣の出現のために、更に一層の恐怖と混雑とを加えた。
:「危(あぶ)ねえ、あぶねえ」と、半七は誰に注意するともなしに思わず叫んだ。
:「危ねえ、あぶねえ。熊だ、熊だ」と、松吉も一緒にわめいた。
:「熊だ、熊だ」と、大勢も逃げながら叫んだ。
:丁度そのときに十七八の若い娘が下女(げじょ)らしい女に手をひかれながら、混雑のなかをくぐりぬけて来て、どううろたえたか恰(ああたか)もかの熊のゆく先に迷って出たので、怒れる熊は人のように突っ立ちあがって、邪魔になる其の娘を引っ摑(つか)もうとした。その危うい一刹那に、ひとりの若い男が横合いから転(ころ)がるように飛び出して来て、いきなり熊の胴腹へ組み付いた。彼は幾らかの心得があるとみえて、自分の頭を熊の月輪(つきのわ)のあたりにしっかり押付けて、両手で熊の前足を摑んでひまった。しかも熊の強い力で振り飛ばされては堪まらない。彼は大地に手ひどく叩き付けられた。
:それは実に一瞬間の出来事であったが、彼が身を楯にして熊をさえぎっているひまに、娘も下女も危難を逃れた。そればかりでなく、熊は何物にか真向(まっこう)を斬られた。つづいてその急所という月輪を斬られた。それは二人の武士の仕業(しわざ)で、いずれも刀を抜きひらめかしていた。かれらは熊の斃(たお)れたのを見とどけて、そのまま何処へか立退いてしまった。
:「このふたりは西国の或る藩中の父子(おやこ)連れだそうです」と、半七はここで註を入れた。「後(のち)にそのことが聞えたので、殿様からご褒美が出たと云います。なんという人たちだか、その名は伝わっていませんが、永代橋(えいだいばし)の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じようなな手柄ですね」
=== 二 ===
:熊は殺されてしまったが、それを遮(さえぎ)ろうとした彼(か)の若い男はそこに倒れたままで、なかなか起きあがりそうにも見えなかった。打っちゃって置けば、大勢に踏み殺されてしまうかも知れないので、半七はすぐに駈け寄って彼を抱き起すと、松吉も寄って来て、ともかくも彼を混雑のなかから救い出した。
:「親分。どこへ担ぎ込みましょう」
:この騒ぎの中でどうすることも出来ないので、彼を松吉に負わせて、半七はそのゆく先を払いながら、どうにかこうにか混雑の火事場からだんだんに遠ざかって、本芝から金杉(かなすぎ)へ出ると、ここらは風上であるから世間もさのみ騒がしくなかった。ここまで来れば大丈夫だと思ったので、二人はそこの自身番に怪我人をかつぎ込んで、まずほっと息をついた。
:「どなたでございますか。どうも有難うございます」と、松吉の背中からおろされた男は礼を云った。
:挨拶が出来るほどなら大したことはあるまいと安心して、半七は自身番の男どもと一緒に彼を介抱すると、彼は熊に殴(はた)かれたために左の腕を傷(いた)めているらしかったが、そのほかにひどい怪我もなかった。自身番から近所の医者を迎えに行っている間に、彼は自分の身許(みもと)を明かした。彼は加賀(かが)生れの勘蔵(かんぞう)というもので、三年前から田町(たまち)の車湯(くるまゆ)という湯屋の三助(さんすけ)をしていると云った。
:「家は焼けたのかえ」と、半七は訊(き)いた。
:「さあ、確かには判りませんが、なにしろ火の粉が一面にかぶって来たので、あわてて逃げ出してまいりました」
:「熊に出っ喰わした娘は主人の娘かえ」
:「いいえ。一軒隔(お)いて隣りの備前屋(びぜんや)という生薬屋(きぐすりや)の娘さんでございます」と、勘蔵は答えた。
:「わたくしが人込みのなかを逃げて来る途中、丁度あすこで出会ったもんですから、前後の考えもなしに飛び出して、いやどうもあぶない目に逢いましてございます」
:「だが、いいことをした」と、半七は褒めるように云った。「お前だからまあそのくらいのことで済んだが、あんな孱細(かぼそ)い娘っ子が荒熊に取っ捉まって見ねえ。どんな大怪我をするか判ったもんじゃあねえ。備前屋も定めて有難がることだろうよ。あの娘(こ)はなんという子だえ」
:「お絹(きぬ)さんといって、備前屋のひとり娘でございます」
:「備前屋は古い暖簾(のれん)だ。そこのひとり娘が熊に傷(や)られるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩に被(き)てもいいわけだ」
:こんなことを云っているうちに、医者が来た。医者は勘蔵の痛みどころを診察して、左の肩の骨を痛めているらしいから、なかなか手軽には癒(なお)るまいと云った。しかし命に別状のないことは医者も請合(うけあ)ったので、半七はあとの始末を自身番にたのんで帰った。
:あくる朝、半七はふたたび松吉をつれて高輪へ見舞にゆくと、伊豆屋の家は果して焼け落ちていた。その立退き先をたずねて、それから見たの魚籃の知りびとの立退き先をも見舞って、帰り路に半七はゆうべの勘蔵のことを云い出した。あれからどうしたかと噂󠄀をしながら、ふたりは田町へ行ってみると、車湯も備前屋も本芝寄りであったので、どちも幸いに焼け残っていた。半七はまず車湯をたずねて、勘蔵のことを女房にきくと、彼は自身番で医者の手当てをうけて、左の腕をまいて帰って来たが、痛みはなかなか去らないので、ゆうべからそのまま寝ているとのことであった。
:「備前屋から見舞にでも来たかえ」と、半七はかさねて訊いた。
:「いいえ。一度もたずねて来ないんです」と、湯屋の女房は不平らしく訴えた。「ねえ、おまえさん。備前屋もあんまりじゃありませんか。あんな大きな屋台骨(やたいぼね)をしていながら、自分の家(うち)のひとり娘を助けて貰った、云わば命の親の勘蔵のところへ一度も見舞によこさないと云うのは、あんまり義理も人情も知らない仕方じゃありませんか」
:それは勘蔵に対する不義理不人情ばかりでなく、主人の自分に対しても礼儀を知らない仕方ではあるまいかと女房は憤(おこ)った。それも畢竟(ひっきょう)はこっちが女主人であると思って、備前屋ではおそらく馬鹿にしているのであろうと云う。女らしい偏執(ひがみ)まじりの愚痴も出た。その偏執や愚痴は別としても、備前屋が今まで素知らぬ顔をしているのは確かに不義理であると半七も思った。
:「しかし、備前屋じゃあ混雑(どさくさ)まぎれで、まだその事をよく知らねえんじゃねえか」
:「なに、知らないことがあるもんですか」と、女房は鉄漿(おはぐろ)の歯をむき出した。「備前屋の小僧もちゃんとそう云っているんですもの。家(うち)のお絹さんは熊に啖(く)われようとするところを、ここの勘蔵さんに助けられたと……。奉公人もみんな知っているくらいですから、主人が知らない筈はありません。だいいいち女中だって一緒にいたんじゃありませんか」
:「それもそうだな」と、半七は松吉と顔を見あわせた。「なにしろ勘蔵は気の毒だ。おれが行って備前屋に話してやろう。ちょっくら癒(なお)る怪我じゃあねえと云うから、なんとか掛合って治療代ぐらい貰ってやらなけりゃあ、当人も可哀そうだし、ここの家でも困るだろう」
:「何分よろしく願います。ですけれども、あの備前屋は町内でも名代(なだい)の因業屋(いんごうや)なんですから」
:「吝(けち)でも因業でも理窟は理窟だ」と、松吉も口を尖らした。「そんなのを打っちゃって置くと癖になる。ねえ、親分。これから押掛けて行って因縁をつけてやろうじゃありませんか」
:「無理に因縁をつけるにも及ばねえが、ひと通りの筋道を立てて掛合ってみよう」
:その足で備前屋へ行くと、家のなかはまだ一向に片付いていないらしく、ゆうべ持出したままの家財道具が店いっぱいに積み重ねられて、ほこりと薬の匂いが眼鼻にしみた。その混雑の最中にこんな掛合いをするのも拙(まず)いと思ったが、半七はそこらに立働いている店の者をよんで、主人は家にいるかと訊くと、主人夫婦と娘とは橋場(はしば)の親類の方へ立退いているとのことであった。そんなら番頭に逢わせてくれと云うと、四十ばかりの男が片襷(かただすき)の手拭をはずしながら出て来た。
:「てまえが番頭の四郎兵衛(しろべえ)でございます」
:こっちの身分をあかした上で、半七はゆうべの熊の一件を話した。ここの娘のあやういところを車湯の勘蔵が自分のからだを楯にして救ったのは事実で、自分とこの松吉が確かな証人である。命に別状はないが、勘蔵の傷は重い。多寡(たか)が湯屋の三助で、長い療治は随分難儀なことであろうと思いやられるから、主人とも相談してなんとか面倒を見てやるようにしてやってはどうであろう。勿論これは表向きの御用ごとではないが、自分もそれに係り合った関係上、まんざら知らない顔もしていられないから折入って頼みに来たのであると、半七はおとなしく云い出すと、四郎兵衛はすこし考えていた。
:「いえ、勘蔵が怪我をしたと云うことはわたくしも聞いて居ります。見舞にでも行ってやろうと思いながら、なにしろこちらもご覧の通りの始末だもんですから、まだ其の儘になっているようなわけでございます。そのことに就きまして、勘蔵がお前さんに何かお願い申したのでございますか」
:「別に頼まれたわけじゃあねえが、あんまり可哀そうだから何とかしてやって貰いたいと思うんだが、番頭さん、どうですね」
:「判りました」と、四郎兵衛もおとなしく答えた。「いずれ主人とも相談しまして、なんとか致しましょう。そう致しますと、勘蔵から別にお願い申した訳ではございませんのですね」
:いやに念を押すとは思ったが、半七はどこまでも頼まれたものではないと云い切って別れた。
:「変な奴ですね。いやに念を押すじゃありませんか。勘蔵が頼めばどうだと云うんでしょう」と、松吉は表へ出てからささやいた。
:「むむ、どうであんなところの番頭なんて云うものは、判らねえ獣者(けだもの)が多いもんだ」と、半七は笑っていた。「いや、獣者といえば、あの熊はどうなったろう。侍は叩っ切ったままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
:「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、'''どさくら'''まぎれに引っ担(かつ)いで行ったかも知れませんよ。いってえあの熊はどこから出て来たのでしょうね」
:「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲(す)んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師(やし)の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我したそうだ。こんな噂󠄀はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
:その日はそれで帰ったが、熊の噂󠄀はだんだんに高くなった。それは麻布の古川(ふるかわ)の近所に住んでいる熊の膏薬屋(こうやくや)が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋の親父とむすめの二人暮しで、自分の子のように可愛がっていたが、火事の騒ぎで逃したのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたと云うので、父娘(おやこ)は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。
=== 三 ===
:それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったと云うことを半七は聞いた。夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、それ以来はどうも気分が悪いと云って床(とこ)に就いている。そうして、時どきに熱の加減か囈言(うわごと)のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。
:その時代では大金(たいきん)という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快(よ)くなるという噂󠄀を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
:そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹(はつがつお)を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新しい袷(あわせ)を着て、干菓子の折(おり)を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
:「どうだね、もうすっかりいいかえ」と、半七は訊いた。
:「ありがとうございます。お庇(かげ)さまでもうすっかりと癒りました。その節はいろいろご心配をかけて恐れ入りました。おかみさんも、くれぐれ宜しく申してくれと云って居りました」
:「なにしろ、早く癒ってよかった」と、半七も嬉しそうに云った。「時に備前屋の娘はどうしたね。その後病み付いているとかいう噂󠄀だが……」
:「そうでございます。一時は何だがぶらぶらしていて、時どきに熊が出るとか云って騒ぐので、親たちも困っていたそうでございます。備前屋は店の大きい割合に奥が狭いので、もう一度、橋場の離れ座敷を借りて、そこでゆっくり養生させようかなどと云っていたそうですが、この頃は大分(だいぶ)いいとか云いますから、どうなりますか」
:「なるほど、そりゃあ困ったね」と、半七は眉をよせた。「折角お前に助けて貰っても、あとがそれじゃあ何にもならねえ。しかしそういう病気じゃあ無闇(むやみ)に薬を飲んでもいけねえ。どこか閑静なところへ行って、ゆっくりと気を落着けていたら、自然に癒るだろうよ」
:「そうかも知れません」
:勘蔵は繰返して礼を云って帰った。最初から深くも気に留めていなっかったので、備前屋の娘の噂󠄀もいつか半七の記憶から消え失せてしまった。その月末に、半七は三田の方角へ行ったついでに高輪の伊豆屋へ久し振りで訪ねると、焼けた家は新しく建て直ったが、主人の弥平は風邪(かぜ)がもとで寝込んでいた。彼は半七の顔を見てよろこんだ。
:「やあ、三河町。いいところへ来てくれた。実は少し御用ごとがあるんだが、なにしろこの始末で動きが取れねえ。といって、若けえ奴らにばかり任せて置くのも不安心だと思っていたところだが、どうだろう。おれの代りに采配(さいはい)を振(ふる)って、若けえ奴らを追いまわしてくれめえか」
:「そこで、その御用というのはどんな筋だね」
:「田町の備前屋という生薬屋の娘が殺されたのだ」
:「備前屋の娘が殺された……」と、半七もすこし驚かされた。「そこで、その相手は誰だか判らねえのか」
:弥平の説明によると、備前屋のお絹の死骸は高輪の海端に横たわっていたのであった。海へ投げ込むつもりで引摺ってゆくと、あたかもそこへ人でも通りあわせたので、あわてて其の儘に捨てて行ったらしい。彼女(かれ)は鋭い刃物で胸を抉(えぐ)られていた。この頃までぶらぶら病いのような有様で、毎日寝たり起きたりしていた彼女が、床を揚げてからまだ幾日にもならないのに、どうして夜なかに家をぬけ出したのか。そうして、何者に殺されたのか。もちろん誰にも想像が付かなかった。
:「ところが、お前に見せるものがある」と、弥平は蒲団(ふとん)の下から紙につつんだものを出した。「これを先ず鑑定してもれえてえ」
:「獣物(けだもの)らしいな」と、半七はその紙包みをあけて見て云った。「犬や猫じゃ無さそうだ。なんの毛だろう」
:このあいだの熊が半七の胸にふと泛(う)かんだ。その獣の毛が五、六本、死んだ娘の右の手につまかれていたと云うのを聞いて、彼はしばらく考えていた。
:「それは子分の彦(ひこ)の野郎が、何かの手がかりになるだろうと云うので、検視の来る前に死骸の手からそっと取って来たんだ。あいつはなかなか敏捷(すばし)っこい奴よ。どうだい、三河町。なにかのお役に立ちそうなもんじゃあねえか」
:「むむ、こりゃあ大手柄だ。これを手がかりに何とか工夫してみよう」
:彦八(ひこはち)という若い手先は親分の枕もとへ呼び付けられて、半七の前で、備前屋の娘の死状(しにざま)をもう一度くわしく話せと云われた。弥平の云う通り、彼はなかなか敏捷(はし)っこそうな男で、その報告はすこぶる要領を得ていたが、なにぶんにも自分が現場を見届けていないので、半七にはなんだか擽(くすぐ)ったく感じられた。しかし備前屋の娘の手に残っていた獣の毛が確かに熊の毛であるらしいことが少なからぬ興味をひいた。彼はここで午飯(ひるめし)の馳走になって、彦八をつれて居ず屋を出た。
:「親分、なにぶんお指図を願います」と、彦八は如才(じょさい)なく云った。
:「いや、ここらはおまえたちの縄張り内で、おれは一向(いっこう)の盆暗(ぼんくら)だ。まあ、よろしく頼むぜ」
:差当りどこへ行こうかと思ったが、半七はまず備前屋をたずねて、なにかの手がかりを探り出そうと、田町の方角へ急いでゆくと、途中で二十五六の男にすれ違った。男は彦八に挨拶して通りすぎた。
:「あの野郎はどこの奴だえ」と、半七は彦八に小声で訊いた。
:「六三郎といって、小博奕を打っている'''やくざ'''野郎ですよ」
:「六三郎……粋(いき)な名前だな。その六三郎にお園(その)が用があると云って牽引(しょび)いて来てくれ。いや、冗談じゃあねえ。御用だ」
:御用と聞いて、彦八はすぐに駈け戻って、六三郎を引っ張って来た。四月の末になってもまだ満足に移(うつ)り替(かえ)が出来ないらしく、彼は汚(よご)れた女物の袷(あわせ)を着ていた。
:けちな野郎だと多寡(たか)をくくって、半七はいきなり嚇(おど)し付けた。
:「やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。まっ直ぐに白状しろ」
:「へえ、なんでございます」
:「ええ、白(しら)ばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這(うわば)いじゃあるめえ。よく見ろ」
:六三郎の襟には何かの黒い毛が二本ほど引っかかっていた。彦八も初めて気がついてよく見ると、それは備前屋の娘の手に残っていたのと同じ物であった。それを発見すると、彦八は俄かに眼をひからせて彼の腕を引っ摑んだ。
:「なるほど、親分の眼は捷(はえ)え。さあ、野郎、神妙に申立てろ」
:「まあ、待て」と、半七は制した。「なんぼこんな野郎でも、往来で詮議もなるめえ。やっぱり自身番へ連れて行け」
:ふたりに引っ立てられて、六三郎は近所の自身番へゆくと、年の若い彦八はすぐに呶鳴った。
:「この親分は三河町の半七さんだ。うちの親分が寝ているんで、きょうは名代(みょうだい)に出て来てくんなすったんだが、うちの親分より些(ち)っと手荒いからそう思え。てめえの襟っ首にぶら下がっているものに、親分の不審がかかっているんだ。さあ、何もかも正直に云ってしまえ。辻番の老爺(おやじ)だって、もう'''むく'''犬を抱いて寝る時候じゃあねえのに、なんだって手前(てめえ)のからだに獣物(けもの)の毛がくっ着いているのか、わけを云え」
:「てめえの襟についているのは熊の毛に違げえねえ」と、半七も云った。「もう面倒だから長い台詞(せりふ)は云わねえ。てめえは備前屋のお絹という娘を殺したろう。物取りか、遺恨か、拐引(かどわかし)か、それを云え」
:調べる者と調べられる者と、はじめから役者の格が違うので、六三郎は意気地もなく恐れ入ってしまった。
:「こうなれば何もかもありていに申上げますが、備前屋の娘はわたくしが殺したんじゃございませんから、どうぞお慈悲を願います。いえ、嘘をつくと思召(おぼしめ)すかも知れませんが、まったく不思議な話なんです」
:ことしの正月、彼は博奕(ばくち)にすっかり負けてしまって、表へも出られないような始末になって、狭い裏店(うらだな)に猫火鉢をかかえてくすぶっていると、かの大火事が起った。着のみ着のままの彼はそれを待っていたように表へ飛び出して、混雑(どさくさ)まぎれの火事場泥棒を思い立ったが、あまりに風と火とが烈しいので、彼も思うような仕事が出来なかった。いたずらに火の粉に追われながら混雑のなかをうろ付いていると、どこからか荒熊が暴れ出して来たので、彼はいよいよ面喰らった。しかもその熊がふたりの侍に退治されたのを見届けてまず安心したところへ、かねて顔を識っている車力(しゃりき)の百助(ひゃくすけ)というのが来合せたので、二人はすぐに相談して、その熊の死骸を引っかついで逃げた。熊の胆(い)と熊の皮とは高い値であると云うことを、かれらはふだんから聞いていたからであった。
:ふたりはともかくも其の熊を六三郎の家(うち)へかつぎ込んだが、素人(しろうと)のかれらはそれをどう処分していいかを知らなかった。二日(ふつか)ばかりは縁の下に隠し置いて、百助はそれを自分の知っている皮屋に売込もうとしたが、相手は足もとを見て無法に廉(やす)く値切り倒したので、ふたりは怒って破談にしてしまった。さりとて生物(なまもの)をいつまでも打っちゃって置くわけにも行かないので、今度は品川から伝吉(でんきち)という男を呼んで来て、儲けは三人が三つ割にする約束で、夜ふけに熊の死骸を高輪の裏山へ運び出した。生皮をあつかうのはむずかしい仕事であるが、伝吉は少しくその心得があるので、焚火の前でどうにかこうにかその腹を割(さ)いてその皮を剝(は)いだ。しかし肝腎(かんじん)の熊の胆(い)がどれであるか判らないので、三人は当惑した。腹を截(た)ち割ったら知れるだろうぐらいに多寡をくくっていたかれらは、今更のように途方にくれた。
:そこで三人は相談を仕直して、更にもう一人の味方をこしらえることにした。それは彼(か)の備前屋の番頭の四郎兵衛で、彼は大きい薬種屋の番頭であるから熊の胆の鑑別か付くに相違ない。彼をこっちの味方に誘い込んで、彼の口からうまく売込んで貰おうと云うことになって、三人は穴を掘ってひとまず熊の死骸を埋めた。剝いだ生皮は自分の方で鞣(なめ)してやると云って、伝吉が持って帰った。二度目の相談はそれと決まったものの、馴染(なじみ)のうすい四郎兵衛を呼び出して、だしぬけにこんな相談を持ちかける訳にも行かないので、六三郎は車湯の勘蔵にその橋渡しを頼もうと思いついた。
:勘蔵は四郎兵衛と同国者で、彼は四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊(こと)に彼は備前屋の娘を救うために大怪我までしているのだから、熊の一件とは逃(のが)れられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、彼は痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売込む相談について、彼は一旦躊躇したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭へ話してみようと請合(うけあ)った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持込んでくれと掛合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺(まくらもと)ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引取ってもいいと四郎兵衛は云った。
:その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新しく掘った土は何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、彼は一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々(なまなま)しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いと云うことを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いて'''がっかり'''した。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人(ぬすっと)の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、かれらはなんにも知らないと云った。いくら、真紅(まっか)になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚にすぎないことになってしまった。
:六三郎が伝吉と百助を疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、かれらのあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣(なめ)してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているのものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物(えもの)をかれらふたりに着服(ちゃくふく)されるのは、あまりにも忌々(いまいま)しいと思ったので、彼は車力の百助のところへたびたび催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼(か)の百助は熊の皮を持って六三郎の家(うち)へたずねて来た。
:皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそちで引取って、自分たち二人には骨折り賃として三両n金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣も'''ほろろ'''に跳(は)ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながら、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追いついて、彼は百助を引戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で摑みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取戻してしまおうとあせって、六三郎は彼の手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
:こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、かれらもびっくりして見返ると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引起そうとすると、彼女(かれ)はあたかも彼(か)の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう。片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血(なまち)が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は御難を恐れてまず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引返してきて、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
:お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人(げしゅにん)は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申立てに詐(いつわ)りがありそうにも見えないので、六三郎は単に火事場かせぎとして大番屋(おおばんや)へ送られた。血に染(し)みた毛皮は六三郎の家の縁の下から発見された。
:「さて、どいつがお絹を殺したか」と、半七もかんがえた。
:ともかくも備前屋へ行って声をかけると、番頭の四郎兵衛は蒼(あお)ざめた顔をして出て来た。半七はまず娘の悔みを云ってから、彼女の家出や下手人に就いて何か心当りはないかと訊くと、四郎兵衛は一向に心あたりがないと答えた。しかし彼の何だかおどおどしているような、落ちつかない眼の色が半七の注意をひいた。
:「ここの店には内風呂(うちぶろ)があるんですか」と、半七はまた訊いた。
:「ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります」
:「この頃に風呂の傷(いた)んだことはありませんかえ」
:「よくご存じで……」と、四郎兵衛は相手の顔をみた。「風呂が古いもんですから、時どきに損じまして困ります。昨年の暮にも一度損じまして、それから四、五日前にもまた損じましたが、出入りの大工がまだ来てくれないので困って居ります」
:「風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯に行くんでしょうね」
:「はい。よんどころなく町内の銭湯(せんとう)へまいります」
:「これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、彼は小声で云った。
:「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるからそこまで一緒に来てくれ」
:「へえ。どちらへ……」
:「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞(いとまご)いでもして行け」
:勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、彼の足はほとんど地に付かなかった。彼は時どきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
:「このあいだお前に貰った干菓子も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
:勘蔵は黙っていた。
:「あの娘(こ)には情夫(いろ)でもあるかえ」
:「存じません」
:「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場の親類の家(うち)にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言(うわごと)を云って、娘はもう一度橋場へやってもらおうという算段だろ。火事が取持つ縁とは、とんだ八百屋(やおや)お七(しち)だ。自分の家へ火をつけねえのが見付物(めっけもの)よ。また、その味方になる振りをして誘い出す奴も誘い出す奴だ」
:勘蔵はやはり黙ってうつむいていた。
:「去年の暮に、備前屋の内風呂が傷んだので、娘はおまえの湯へ来たそうだな」と、半七はまた笑った。「そのときにお前が背中を流してやったか。容貌(きりょう)はよし、年ごろの箱入り娘の肌ざわりはまた格別だからな。とんでもねえ粂(くめ)の仙人(せんにん)が出来上がったものだ。なるほど命賭けで荒熊にむしり付くのも無理はねえ。折角助けた娘は橋場へ行っているあいだに、向うで男が出来てしまった。家へ帰ってもやっぱり橋場が恋しいので、仮病(けびょう)をつかって熊が出るなんて騒いでいる。しかし、その計略がうまく運ばないので、娘もひとりで焦(じ)れ込んでいるうちに、内風呂がまた傷んだ。ねえ、そうだろう。そこでまた、お前の湯へやってくると、粂の仙人が背中をこすりながら旨(うま)い相談を持ちかけた。わたくしが橋場へご案内しましょうかと何とか親切振って云ったもんだから、若けえ娘はあと先みずに騙(だま)されて、ゆうべそっと家をぬけ出すと、外に待っていた奴があって……。それから先はおれも知らねえ。おい、勘蔵。おればかりしゃべらせて、なぜ黙っているんだ。前座(ぜんざ)はこのくらいで引きさがるから、あとは真打(しんうち)に頼もうじゃあねえか」
:背中をぽんと叩かれて、勘蔵はあぶなく倒れかかった。
:「ここまで漕(こ)ぎ付ければ、この話も大抵おしまいです」と、半七老人はひと息ついた。「勘蔵の白状によると、前の年の暮に備前屋の娘の綺麗な肌をみたときには、まだどうしようと云うほどの煩悩(ぼんのう)も起らなかったのですが、火事の後片付けの済むまで娘は橋場の親類へ立退いているうちに、そこの店の若い者と出来合ってしまった。なんにも知らない親たちは娘の仮病を心配して、もう一度橋場へやろうかと云っていたが、やっぱり其の儘になっていると、店の者のうちに何処からどうして聞き出したのか橋場の一件を知っている者があって、それが男湯へ来た時に勘蔵にうっかりしゃべったので、勘蔵は急に気を悪くした。そこへちょうど風呂がまた毀(こわ)れたので、娘が車湯へはいりに来たので、勘蔵はもうたまらなくなって、その背中を流しながらうまく誘い出したんです」
:「娘はひとりで女湯へ来たんですか」と、わたしは訊いた。
:「いいえ、一人じゃありません。女中が一緒に付いて来たんですが、こいつが柘榴口(ざくろぐち)の中で町内の人と何かおしゃべりをしている間に、勘蔵がこっそりと娘の耳へ吹き込んでしまったんです。娘ももうちっと仮病をつかっていれば、なんにも間違いはなかったのかも知れませんが、陽気もだんだんに暑くなって来るので、もう我慢が出来なくなって、うっかり車湯へ出て行ったのが運の尽きです。
:橋場へ案内してやると噓をついて、夜ふけに娘を誘い出して、勘蔵は品川にいる自分の友達の家へ連れ込もうとしたんですが、橋場と品川ではまるで方角が違うので、なんぼ世間知らずの娘でも少し変に思ったらしく、途中でぐずぐず云い出したので、勘蔵もだんだん焦(じ)れ込んで、無理無体に娘を引摺って行こうとすると、娘はいよいよ怖くなって、声をあげて逃げ出すという始末。いや、こうなるとおそろしいもので、勘蔵はもう逆上(のぼ)せてしまったんです。もし云うことを聞かないときに嚇かして手籠(てごめ)にする積りで、隠して持っていた小刀をいきなり抜いて、いっそひと思いにと娘の胸をえぐってしまった。勿論、自分の一緒に死ぬ気であったが、そこへ六三郎と百助が駈けて来たので、急に怖くなって逃げ出したと云うわけです」
:「そこで、その熊の胆を盗み出したのは誰だか判らないのですか」と、わたしはまた訊いた。
:「この方のお話をすると長くなりますから、手っ取り早く申上げると、熊の死骸を堀出して熊の胆を盗んだ奴は、備前屋の番頭の四郎兵衛でした。昼間のうちに六三郎から死骸を埋めた場所を聞いて置いたので、日の暮れるのを待って忍んで行って、ひと足さきにその熊の胆を占(せし)めてしまったのです。いや、どうも悪い奴で……。それが露顕して、四郎兵衛もとうとう召捕られましたが、品川の伝吉という奴だけはどこへか姿をかくしてしまいました。吟味の上で、勘蔵は無論に獄門、六三郎と百助と四郎兵衛は三人同罪と云うことになりました。今と違って、火事場どろぼうは重い処刑になるんですが、盗んだ品が箪笥長持や夜具蒲団のたぐいでなく、なにしろ熊の死骸というのですから、罪も大変に軽くなって、たしか追放ぐらいで落着したように聞いています」
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| title = 『[[半七捕物帳]]』(はんしちとりものちょう)
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|author=岡本綺堂
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*底本:1999年10月10日春陽堂書店発行『半七捕物帳第四巻』
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[[Category:半七捕物帳|410]]
[[Category:岡本綺堂]]
}}
== 熊の死骸 ==
=== 一 ===
:神信心という話の出たときに、半七老人は云った。
:「むかしの岡っ引などというものは、みんな神まいりや仏まいりをしたものです。上(かみ)の御用とは云いながら、大勢の人間に縄をかけては後生(ごしょう)が思われる。それで少しでも暇(ひま)があれば、神仏へ参詣する。勿論それに相違ないのですが、二つにはそれもやっぱり商売の種で、何かのことを聞き出すために、諸人の寄りあつまる所へ努めて顔出しをしていたのです。わたくしなどもそのお仲間で、年を取った今日(こんにち)よりも却(かえ)って若いときの方が信心参りをしたものです。いや、その信心に関係のあることではないのですが、弘化(こうか)二年正月の二十四日、きょうは亀戸(かめいど)の鷽替(うそかえ)だというので、午(ひる)少し前から神田三河町の家(うち)を出て、亀戸の天神様へおまいりに出かけました。そうすると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、青山(あおやま)の権太原(ごんだわら)――今はいつの間にか権田原という字に変っているようです――の武家屋敷から火事が始まったんです。この日は朝から強い北風で、江戸じゅうの砂や小砂利を一度に吹き飛ばすと云うような物騒な日に、あいにくとまた紅い風が吹き出したのだから堪まりません。忽(たちま)ちそれからそれへと燃えひろがる始末。しかし初めのうちは亀戸の方でもよくは判らず、どこか山の手の方角に火事があるそうだくらいの噂󠄀だったのですが、ともかくもこの大風に燃えだした火はなかなか容易に鎮まる気づかいはないと思ったので、亀戸からすぐに引っ返して来たのは夕七ツ半(午後五時)を過ぎた頃でしたが、もうその頃には青山から麻布(あざぶ)の空が真紅(まっか)になっていました。三田(みた)の魚籃(ぎょらん)の近所に知りびとがあるので、丁度そこに居あわせた松吉(まつきち)という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと、ここに一つの事件が出来(しゅったい)したんです」
:前にも云う通り、この火事は青山の権太原から始まって、その近所一円を焼き払った上に、更に麻布に飛んで一本松(いっぽんまつ)から鳥居坂(とりいざか)、六本木(ろっぽんぎ)、龍土(りゅうど)の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎(にほんえのき)、伊皿子(いさらぎ)、高輪まで燃えぬけて、夜の戌(いぬ)の刻(こく)(午後八時)を過ぎる頃にようよう鎮まった。今日(こんにち)の時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六カ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には、知りびとの家はもう疾(と)うに灰になっていて、その立退(たちの)き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気(あっけ)に取られた。
:「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」
:「伊豆屋(いずや)へ見舞に行くんですか」と、松吉は云った。
:「この分じゃあ見舞の挨拶(あいさつ)ぐらいじゃ済むめえ。火の粉をかぶって働かなけりゃあなるめえよ」
:高輪の伊豆屋弥平(やへい)はおなじ仲間であるから、半七はそこへ見舞にゆく積りで、更に高輪の方角へ抜けてゆくと、日はもうすっかり暮れ切って、暗やみの空の下に真っ紅な火の海が一面にごうごうと湧きあがっていた。ふたりは濡れ手拭に顔をつつんで、尻端折(しりばしょ)りの足袋はだしで、ともかくも高輪の大通りまで出て来たが、もうその先はひと足も進むことが出来なくなった。
:なにぶんにも風の勢いが強いので、飛火(とびひ)はそれからそれへと燃えひろがって、うしろが焼けていたかと思ううちに、二、三町先がもういつの間にか燃えているので、前後をつつまれて逃げ場をうしなった類焼者は、風と火に追いやられて海辺の方へよんどころなく逃げあつまると、その頭の上には火の粉が容赦なく振りかかって来るので、ここでも逃げ惑って海のなかへ転げ落ちたものが幾百人と伝えられている。
:こうした怖ろしい阿鼻叫喚(あびきょうかん)のまん中へ飛び込んだふたりは、いくら物馴れていてもさすがに面喰らって、先へも行かれなくなった。うっかりしていれば自分らの眉へも火が付きそうなので、ふたりは火の粉の雨をくぐりながら、互いの名を呼んだ。
:「松。気をつけろよ」
:「親分。とてもいけませんぜ。伊豆屋まで行き着くのは命懸けだ。第一、これから行ったって間に合いませんぜ」
:「そうかも知れねえ」と、半七も云った。「間に合っても合わねえでも、折角来たもんだから、ともかくもそこまで行き着きてえと思っているんだが、どうもむずかしそうだな」
:「怪我でもすると詰まらねえ。もういい加減にしましょうよ。伊豆屋の見舞なら、これから家(うち)へ引っ返して握り飯の支度でもさせた方がようござんす。どうせ消(し)めった後(あと)でなけえりゃあ行かれやしません」
:そう云ううちにも、'''なだれ'''を打って逃げ迷ってくる半狂乱の人びとに押されて揉まれて、二人も幾たびか突き顚(こか)されそうになった。火は大通りまで燃え出して、その熱い息が二人を蒸して来たので、半七ももう諦めるよりほかはなかった。
:「じゃあ、松。もう帰ろうよ」
:「帰りましょう」と、松吉もすぐに同意した。「ぐずぐずしていて烟(けむ)にまかれでもした日にゃあ助からねえ」
:ふたりは方向を換えようとして本芝(ほんしば)の方へ振り向く途端に、わっという叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽(くず)れて来た。
:「親分。あぶのうがすぜ」
:「てめえもしっかりしろ」
:群衆に揉まれて、ふたりは四、五間も押し戻されたかと思うとき、大きい獣(けもの)が自分たちのそばに来ていることを発見した。昼よりも紅い火に照らされて、混雑の中でその正体がすぐに判った。それは大きい熊であった。どこから飛び出して来たのか知らないが、かれもおそらくこの火に追われて、人間と一緒に逃げ場をさがしているのであろう。しかし人間に取っては怖ろしい道連れであるので、猛火に焼かれようとして逃げ惑っている人たちは、更にこの猛獣の出現におびやかされた。むかしの合戦に火牛(かぎゅう)の計略を用いたとか云うことを軍書や軍談で知っているが、いま眼(ま)のあたりに火の粉をあびた荒熊の哮(たけ)り狂っている姿を見せられた時には、どの人も異常の恐怖に襲われて、悲鳴をあげながら逃げ迷った。
:熊もいたずらに人を脅(おびや)かすために出て来たのではない。火を恐るるかれはほとんど死物狂(しにものぐる)いの勢いで、どこからか逃げ出して来たらしく、もちろん人に咬(か)みつく余裕はなかったが、それでも時どきに起(た)ちあがって、自分のゆく先の邪魔になる人びとをその強い手で殴(はた)き倒した。殴かれた者はもう起きることが出来ないで、あとから駈けて来る者にむごたらしく踏みにじられた。火事場の混雑はこの猛獣の出現のために、更に一層の恐怖と混雑とを加えた。
:「危(あぶ)ねえ、あぶねえ」と、半七は誰に注意するともなしに思わず叫んだ。
:「危ねえ、あぶねえ。熊だ、熊だ」と、松吉も一緒にわめいた。
:「熊だ、熊だ」と、大勢も逃げながら叫んだ。
:丁度そのときに十七八の若い娘が下女(げじょ)らしい女に手をひかれながら、混雑のなかをくぐりぬけて来て、どううろたえたか恰(ああたか)もかの熊のゆく先に迷って出たので、怒れる熊は人のように突っ立ちあがって、邪魔になる其の娘を引っ摑(つか)もうとした。その危うい一刹那に、ひとりの若い男が横合いから転(ころ)がるように飛び出して来て、いきなり熊の胴腹へ組み付いた。彼は幾らかの心得があるとみえて、自分の頭を熊の月輪(つきのわ)のあたりにしっかり押付けて、両手で熊の前足を摑んでひまった。しかも熊の強い力で振り飛ばされては堪まらない。彼は大地に手ひどく叩き付けられた。
:それは実に一瞬間の出来事であったが、彼が身を楯にして熊をさえぎっているひまに、娘も下女も危難を逃れた。そればかりでなく、熊は何物にか真向(まっこう)を斬られた。つづいてその急所という月輪を斬られた。それは二人の武士の仕業(しわざ)で、いずれも刀を抜きひらめかしていた。かれらは熊の斃(たお)れたのを見とどけて、そのまま何処へか立退いてしまった。
:「このふたりは西国の或る藩中の父子(おやこ)連れだそうです」と、半七はここで註を入れた。「後(のち)にそのことが聞えたので、殿様からご褒美が出たと云います。なんという人たちだか、その名は伝わっていませんが、永代橋(えいだいばし)の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じようなな手柄ですね」
=== 二 ===
:熊は殺されてしまったが、それを遮(さえぎ)ろうとした彼(か)の若い男はそこに倒れたままで、なかなか起きあがりそうにも見えなかった。打っちゃって置けば、大勢に踏み殺されてしまうかも知れないので、半七はすぐに駈け寄って彼を抱き起すと、松吉も寄って来て、ともかくも彼を混雑のなかから救い出した。
:「親分。どこへ担ぎ込みましょう」
:この騒ぎの中でどうすることも出来ないので、彼を松吉に負わせて、半七はそのゆく先を払いながら、どうにかこうにか混雑の火事場からだんだんに遠ざかって、本芝から金杉(かなすぎ)へ出ると、ここらは風上であるから世間もさのみ騒がしくなかった。ここまで来れば大丈夫だと思ったので、二人はそこの自身番に怪我人をかつぎ込んで、まずほっと息をついた。
:「どなたでございますか。どうも有難うございます」と、松吉の背中からおろされた男は礼を云った。
:挨拶が出来るほどなら大したことはあるまいと安心して、半七は自身番の男どもと一緒に彼を介抱すると、彼は熊に殴(はた)かれたために左の腕を傷(いた)めているらしかったが、そのほかにひどい怪我もなかった。自身番から近所の医者を迎えに行っている間に、彼は自分の身許(みもと)を明かした。彼は加賀(かが)生れの勘蔵(かんぞう)というもので、三年前から田町(たまち)の車湯(くるまゆ)という湯屋の三助(さんすけ)をしていると云った。
:「家は焼けたのかえ」と、半七は訊(き)いた。
:「さあ、確かには判りませんが、なにしろ火の粉が一面にかぶって来たので、あわてて逃げ出してまいりました」
:「熊に出っ喰わした娘は主人の娘かえ」
:「いいえ。一軒隔(お)いて隣りの備前屋(びぜんや)という生薬屋(きぐすりや)の娘さんでございます」と、勘蔵は答えた。
:「わたくしが人込みのなかを逃げて来る途中、丁度あすこで出会ったもんですから、前後の考えもなしに飛び出して、いやどうもあぶない目に逢いましてございます」
:「だが、いいことをした」と、半七は褒めるように云った。「お前だからまあそのくらいのことで済んだが、あんな孱細(かぼそ)い娘っ子が荒熊に取っ捉まって見ねえ。どんな大怪我をするか判ったもんじゃあねえ。備前屋も定めて有難がることだろうよ。あの娘(こ)はなんという子だえ」
:「お絹(きぬ)さんといって、備前屋のひとり娘でございます」
:「備前屋は古い暖簾(のれん)だ。そこのひとり娘が熊に傷(や)られるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩に被(き)てもいいわけだ」
:こんなことを云っているうちに、医者が来た。医者は勘蔵の痛みどころを診察して、左の肩の骨を痛めているらしいから、なかなか手軽には癒(なお)るまいと云った。しかし命に別状のないことは医者も請合(うけあ)ったので、半七はあとの始末を自身番にたのんで帰った。
:あくる朝、半七はふたたび松吉をつれて高輪へ見舞にゆくと、伊豆屋の家は果して焼け落ちていた。その立退き先をたずねて、それから三田の魚籃の知りびとの立退き先をも見舞って、帰り路に半七はゆうべの勘蔵のことを云い出した。あれからどうしたかと噂󠄀をしながら、ふたりは田町へ行ってみると、車湯も備前屋も本芝寄りであったので、どちも幸いに焼け残っていた。半七はまず車湯をたずねて、勘蔵のことを女房にきくと、彼は自身番で医者の手当てをうけて、左の腕をまいて帰って来たが、痛みはなかなか去らないので、ゆうべからそのまま寝ているとのことであった。
:「備前屋から見舞にでも来たかえ」と、半七はかさねて訊いた。
:「いいえ。一度もたずねて来ないんです」と、湯屋の女房は不平らしく訴えた。「ねえ、おまえさん。備前屋もあんまりじゃありませんか。あんな大きな屋台骨(やたいぼね)をしていながら、自分の家(うち)のひとり娘を助けて貰った、云わば命の親の勘蔵のところへ一度も見舞によこさないと云うのは、あんまり義理も人情も知らない仕方じゃありませんか」
:それは勘蔵に対する不義理不人情ばかりでなく、主人の自分に対しても礼儀を知らない仕方ではあるまいかと女房は憤(おこ)った。それも畢竟(ひっきょう)はこっちが女主人であると思って、備前屋ではおそらく馬鹿にしているのであろうと云う。女らしい偏執(ひがみ)まじりの愚痴も出た。その偏執や愚痴は別としても、備前屋が今まで素知らぬ顔をしているのは確かに不義理であると半七も思った。
:「しかし、備前屋じゃあ混雑(どさくさ)まぎれで、まだその事をよく知らねえんじゃねえか」
:「なに、知らないことがあるもんですか」と、女房は鉄漿(おはぐろ)の歯をむき出した。「備前屋の小僧もちゃんとそう云っているんですもの。家(うち)のお絹さんは熊に啖(く)われようとするところを、ここの勘蔵さんに助けられたと……。奉公人もみんな知っているくらいですから、主人が知らない筈はありません。だいいち女中だって一緒にいたんじゃありませんか」
:「それもそうだな」と、半七は松吉と顔を見あわせた。「なにしろ勘蔵は気の毒だ。おれが行って備前屋に話してやろう。ちょっくら癒(なお)る怪我じゃあねえと云うから、なんとか掛合って治療代ぐらい貰ってやらなけりゃあ、当人も可哀そうだし、ここの家でも困るだろう」
:「何分よろしく願います。ですけれども、あの備前屋は町内でも名代(なだい)の因業屋(いんごうや)なんですから」
:「吝(けち)でも因業でも理窟は理窟だ」と、松吉も口を尖らした。「そんなのを打っちゃって置くと癖になる。ねえ、親分。これから押掛けて行って因縁をつけてやろうじゃありませんか」
:「無理に因縁をつけるにも及ばねえが、ひと通りの筋道を立てて掛合ってみよう」
:その足で備前屋へ行くと、家のなかはまだ一向に片付いていないらしく、ゆうべ持出したままの家財道具が店いっぱいに積み重ねられて、ほこりと薬の匂いが眼鼻にしみた。その混雑の最中にこんな掛合いをするのも拙(まず)いと思ったが、半七はそこらに立働いている店の者をよんで、主人は家にいるかと訊くと、主人夫婦と娘とは橋場(はしば)の親類の方へ立退いているとのことであった。そんなら番頭に逢わせてくれと云うと、四十ばかりの男が片襷(かただすき)の手拭をはずしながら出て来た。
:「てまえが番頭の四郎兵衛(しろべえ)でございます」
:こっちの身分をあかした上で、半七はゆうべの熊の一件を話した。ここの娘のあやういところを車湯の勘蔵が自分のからだを楯にして救ったのは事実で、自分とこの松吉が確かな証人である。命に別状はないが、勘蔵の傷は重い。多寡(たか)が湯屋の三助で、長い療治は随分難儀なことであろうと思いやられるから、主人とも相談してなんとか面倒を見てやるようにしてやってはどうであろう。勿論これは表向きの御用ごとではないが、自分もそれに係り合った関係上、まんざら知らない顔もしていられないから折入って頼みに来たのであると、半七はおとなしく云い出すと、四郎兵衛はすこし考えていた。
:「いえ、勘蔵が怪我をしたと云うことはわたくしも聞いて居ります。見舞にでも行ってやろうと思いながら、なにしろこちらもご覧の通りの始末だもんですから、まだ其の儘になっているようなわけでございます。そのことに就きまして、勘蔵がお前さんに何かお願い申したのでございますか」
:「別に頼まれたわけじゃあねえが、あんまり可哀そうだから何とかしてやって貰いたいと思うんだが、番頭さん、どうですね」
:「判りました」と、四郎兵衛もおとなしく答えた。「いずれ主人とも相談しまして、なんとか致しましょう。そう致しますと、勘蔵から別にお願い申した訳ではございませんのですね」
:いやに念を押すとは思ったが、半七はどこまでも頼まれたものではないと云い切って別れた。
:「変な奴ですね。いやに念を押すじゃありませんか。勘蔵が頼めばどうだと云うんでしょう」と、松吉は表へ出てからささやいた。
:「むむ、どうであんなところの番頭なんて云うものは、判らねえ獣者(けだもの)が多いもんだ」と、半七は笑っていた。「いや、獣者といえば、あの熊はどうなったろう。侍は叩っ切ったままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
:「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、'''どさくら'''まぎれに引っ担(かつ)いで行ったかも知れませんよ。いってえあの熊はどこから出て来たのでしょうね」
:「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲(す)んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師(やし)の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我したそうだ。こんな噂󠄀はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
:その日はそれで帰ったが、熊の噂󠄀はだんだんに高くなった。それは麻布の古川(ふるかわ)の近所に住んでいる熊の膏薬屋(こうやくや)が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋の親父とむすめの二人暮しで、自分の子のように可愛がっていたが、火事の騒ぎで逃したのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたと云うので、父娘(おやこ)は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。
=== 三 ===
:それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったと云うことを半七は聞いた。夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、それ以来はどうも気分が悪いと云って床(とこ)に就いている。そうして、時どきに熱の加減か囈言(うわごと)のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。
:その時代では大金(たいきん)という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快(よ)くなるという噂󠄀を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
:そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹(はつがつお)を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新しい袷(あわせ)を着て、干菓子の折(おり)を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
:「どうだね、もうすっかりいいかえ」と、半七は訊いた。
:「ありがとうございます。お庇(かげ)さまでもうすっかりと癒りました。その節はいろいろご心配をかけて恐れ入りました。おかみさんも、くれぐれ宜しく申してくれと云って居りました」
:「なにしろ、早く癒ってよかった」と、半七も嬉しそうに云った。「時に備前屋の娘はどうしたね。その後病み付いているとかいう噂󠄀だが……」
:「そうでございます。一時は何だがぶらぶらしていて、時どきに熊が出るとか云って騒ぐので、親たちも困っていたそうでございます。備前屋は店の大きい割合に奥が狭いので、もう一度、橋場の離れ座敷を借りて、そこでゆっくり養生させようかなどと云っていたそうですが、この頃は大分(だいぶ)いいとか云いますから、どうなりますか」
:「なるほど、そりゃあ困ったね」と、半七は眉をよせた。「折角お前に助けて貰っても、あとがそれじゃあ何にもならねえ。しかしそういう病気じゃあ無闇(むやみ)に薬を飲んでもいけねえ。どこか閑静なところへ行って、ゆっくりと気を落着けていたら、自然に癒るだろうよ」
:「そうかも知れません」
:勘蔵は繰返して礼を云って帰った。最初から深くも気に留めていなっかったので、備前屋の娘の噂󠄀もいつか半七の記憶から消え失せてしまった。その月末に、半七は三田の方角へ行ったついでに高輪の伊豆屋へ久し振りで訪ねると、焼けた家は新しく建て直ったが、主人の弥平は風邪(かぜ)がもとで寝込んでいた。彼は半七の顔を見てよろこんだ。
:「やあ、三河町。いいところへ来てくれた。実は少し御用ごとがあるんだが、なにしろこの始末で動きが取れねえ。といって、若けえ奴らにばかり任せて置くのも不安心だと思っていたところだが、どうだろう。おれの代りに采配(さいはい)を振(ふる)って、若けえ奴らを追いまわしてくれめえか」
:「そこで、その御用というのはどんな筋だね」
:「田町の備前屋という生薬屋の娘が殺されたのだ」
:「備前屋の娘が殺された……」と、半七もすこし驚かされた。「そこで、その相手は誰だか判らねえのか」
:弥平の説明によると、備前屋のお絹の死骸は高輪の海端に横たわっていたのであった。海へ投げ込むつもりで引摺ってゆくと、あたかもそこへ人でも通りあわせたので、あわてて其の儘に捨てて行ったらしい。彼女(かれ)は鋭い刃物で胸を抉(えぐ)られていた。この頃までぶらぶら病いのような有様で、毎日寝たり起きたりしていた彼女が、床を揚げてからまだ幾日にもならないのに、どうして夜なかに家をぬけ出したのか。そうして、何者に殺されたのか。もちろん誰にも想像が付かなかった。
:「ところが、お前に見せるものがある」と、弥平は蒲団(ふとん)の下から紙につつんだものを出した。「これを先ず鑑定してもれえてえ」
:「獣物(けだもの)らしいな」と、半七はその紙包みをあけて見て云った。「犬や猫じゃ無さそうだ。なんの毛だろう」
:このあいだの熊が半七の胸にふと泛(う)かんだ。その獣の毛が五、六本、死んだ娘の右の手につまかれていたと云うのを聞いて、彼はしばらく考えていた。
:「それは子分の彦(ひこ)の野郎が、何かの手がかりになるだろうと云うので、検視の来る前に死骸の手からそっと取って来たんだ。あいつはなかなか敏捷(すばし)っこい奴よ。どうだい、三河町。なにかのお役に立ちそうなもんじゃあねえか」
:「むむ、こりゃあ大手柄だ。これを手がかりに何とか工夫してみよう」
:彦八(ひこはち)という若い手先は親分の枕もとへ呼び付けられて、半七の前で、備前屋の娘の死状(しにざま)をもう一度くわしく話せと云われた。弥平の云う通り、彼はなかなか敏捷(はし)っこそうな男で、その報告はすこぶる要領を得ていたが、なにぶんにも自分が現場を見届けていないので、半七にはなんだか擽(くすぐ)ったく感じられた。しかし備前屋の娘の手に残っていた獣の毛が確かに熊の毛であるらしいことが少なからぬ興味をひいた。彼はここで午飯(ひるめし)の馳走になって、彦八をつれて居ず屋を出た。
:「親分、なにぶんお指図を願います」と、彦八は如才(じょさい)なく云った。
:「いや、ここらはおまえたちの縄張り内で、おれは一向(いっこう)の盆暗(ぼんくら)だ。まあ、よろしく頼むぜ」
:差当りどこへ行こうかと思ったが、半七はまず備前屋をたずねて、なにかの手がかりを探り出そうと、田町の方角へ急いでゆくと、途中で二十五六の男にすれ違った。男は彦八に挨拶して通りすぎた。
:「あの野郎はどこの奴だえ」と、半七は彦八に小声で訊いた。
:「六三郎といって、小博奕を打っている'''やくざ'''野郎ですよ」
:「六三郎……粋(いき)な名前だな。その六三郎にお園(その)が用があると云って牽引(しょび)いて来てくれ。いや、冗談じゃあねえ。御用だ」
:御用と聞いて、彦八はすぐに駈け戻って、六三郎を引っ張って来た。四月の末になってもまだ満足に移(うつ)り替(かえ)が出来ないらしく、彼は汚(よご)れた女物の袷(あわせ)を着ていた。
:けちな野郎だと多寡(たか)をくくって、半七はいきなり嚇(おど)し付けた。
:「やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。まっ直ぐに白状しろ」
:「へえ、なんでございます」
:「ええ、白(しら)ばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這(うわば)いじゃあるめえ。よく見ろ」
:六三郎の襟には何かの黒い毛が二本ほど引っかかっていた。彦八も初めて気がついてよく見ると、それは備前屋の娘の手に残っていたのと同じ物であった。それを発見すると、彦八は俄かに眼をひからせて彼の腕を引っ摑んだ。
:「なるほど、親分の眼は捷(はえ)え。さあ、野郎、神妙に申立てろ」
:「まあ、待て」と、半七は制した。「なんぼこんな野郎でも、往来で詮議もなるめえ。やっぱり自身番へ連れて行け」
:ふたりに引っ立てられて、六三郎は近所の自身番へゆくと、年の若い彦八はすぐに呶鳴った。
:「この親分は三河町の半七さんだ。うちの親分が寝ているんで、きょうは名代(みょうだい)に出て来てくんなすったんだが、うちの親分より些(ち)っと手荒いからそう思え。てめえの襟っ首にぶら下がっているものに、親分の不審がかかっているんだ。さあ、何もかも正直に云ってしまえ。辻番の老爺(おやじ)だって、もう'''むく'''犬を抱いて寝る時候じゃあねえのに、なんだって手前(てめえ)のからだに獣物(けもの)の毛がくっ着いているのか、わけを云え」
:「てめえの襟についているのは熊の毛に違げえねえ」と、半七も云った。「もう面倒だから長い台詞(せりふ)は云わねえ。てめえは備前屋のお絹という娘を殺したろう。物取りか、遺恨か、拐引(かどわかし)か、それを云え」
:調べる者と調べられる者と、はじめから役者の格が違うので、六三郎は意気地もなく恐れ入ってしまった。
:「こうなれば何もかもありていに申上げますが、備前屋の娘はわたくしが殺したんじゃございませんから、どうぞお慈悲を願います。いえ、嘘をつくと思召(おぼしめ)すかも知れませんが、まったく不思議な話なんです」
:ことしの正月、彼は博奕(ばくち)にすっかり負けてしまって、表へも出られないような始末になって、狭い裏店(うらだな)に猫火鉢をかかえてくすぶっていると、かの大火事が起った。着のみ着のままの彼はそれを待っていたように表へ飛び出して、混雑(どさくさ)まぎれの火事場泥棒を思い立ったが、あまりに風と火とが烈しいので、彼も思うような仕事が出来なかった。いたずらに火の粉に追われながら混雑のなかをうろ付いていると、どこからか荒熊が暴れ出して来たので、彼はいよいよ面喰らった。しかもその熊がふたりの侍に退治されたのを見届けてまず安心したところへ、かねて顔を識っている車力(しゃりき)の百助(ひゃくすけ)というのが来合せたので、二人はすぐに相談して、その熊の死骸を引っかついで逃げた。熊の胆(い)と熊の皮とは高い値であると云うことを、かれらはふだんから聞いていたからであった。
:ふたりはともかくも其の熊を六三郎の家(うち)へかつぎ込んだが、素人(しろうと)のかれらはそれをどう処分していいかを知らなかった。二日(ふつか)ばかりは縁の下に隠し置いて、百助はそれを自分の知っている皮屋に売込もうとしたが、相手は足もとを見て無法に廉(やす)く値切り倒したので、ふたりは怒って破談にしてしまった。さりとて生物(なまもの)をいつまでも打っちゃって置くわけにも行かないので、今度は品川から伝吉(でんきち)という男を呼んで来て、儲けは三人が三つ割にする約束で、夜ふけに熊の死骸を高輪の裏山へ運び出した。生皮をあつかうのはむずかしい仕事であるが、伝吉は少しくその心得があるので、焚火の前でどうにかこうにかその腹を割(さ)いてその皮を剝(は)いだ。しかし肝腎(かんじん)の熊の胆(い)がどれであるか判らないので、三人は当惑した。腹を截(た)ち割ったら知れるだろうぐらいに多寡をくくっていたかれらは、今更のように途方にくれた。
:そこで三人は相談を仕直して、更にもう一人の味方をこしらえることにした。それは彼(か)の備前屋の番頭の四郎兵衛で、彼は大きい薬種屋の番頭であるから熊の胆の鑑別か付くに相違ない。彼をこっちの味方に誘い込んで、彼の口からうまく売込んで貰おうと云うことになって、三人は穴を掘ってひとまず熊の死骸を埋めた。剝いだ生皮は自分の方で鞣(なめ)してやると云って、伝吉が持って帰った。二度目の相談はそれと決まったものの、馴染(なじみ)のうすい四郎兵衛を呼び出して、だしぬけにこんな相談を持ちかける訳にも行かないので、六三郎は車湯の勘蔵にその橋渡しを頼もうと思いついた。
:勘蔵は四郎兵衛と同国者で、彼は四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊(こと)に彼は備前屋の娘を救うために大怪我までしているのだから、熊の一件とは逃(のが)れられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、彼は痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売込む相談について、彼は一旦躊躇したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭へ話してみようと請合(うけあ)った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持込んでくれと掛合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺(まくらもと)ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引取ってもいいと四郎兵衛は云った。
:その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新しく掘った土は何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、彼は一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々(なまなま)しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いと云うことを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いて'''がっかり'''した。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人(ぬすっと)の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、かれらはなんにも知らないと云った。いくら、真紅(まっか)になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚にすぎないことになってしまった。
:六三郎が伝吉と百助を疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、かれらのあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣(なめ)してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているのものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物(えもの)をかれらふたりに着服(ちゃくふく)されるのは、あまりにも忌々(いまいま)しいと思ったので、彼は車力の百助のところへたびたび催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼(か)の百助は熊の皮を持って六三郎の家(うち)へたずねて来た。
:皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそちで引取って、自分たち二人には骨折り賃として三両n金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣も'''ほろろ'''に跳(は)ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながら、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追いついて、彼は百助を引戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で摑みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取戻してしまおうとあせって、六三郎は彼の手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
:こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、かれらもびっくりして見返ると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引起そうとすると、彼女(かれ)はあたかも彼(か)の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう。片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血(なまち)が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は御難を恐れてまず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引返してきて、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
:お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人(げしゅにん)は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申立てに詐(いつわ)りがありそうにも見えないので、六三郎は単に火事場かせぎとして大番屋(おおばんや)へ送られた。血に染(し)みた毛皮は六三郎の家の縁の下から発見された。
:「さて、どいつがお絹を殺したか」と、半七もかんがえた。
:ともかくも備前屋へ行って声をかけると、番頭の四郎兵衛は蒼(あお)ざめた顔をして出て来た。半七はまず娘の悔みを云ってから、彼女の家出や下手人に就いて何か心当りはないかと訊くと、四郎兵衛は一向に心あたりがないと答えた。しかし彼の何だかおどおどしているような、落ちつかない眼の色が半七の注意をひいた。
:「ここの店には内風呂(うちぶろ)があるんですか」と、半七はまた訊いた。
:「ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります」
:「この頃に風呂の傷(いた)んだことはありませんかえ」
:「よくご存じで……」と、四郎兵衛は相手の顔をみた。「風呂が古いもんですから、時どきに損じまして困ります。昨年の暮にも一度損じまして、それから四、五日前にもまた損じましたが、出入りの大工がまだ来てくれないので困って居ります」
:「風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯に行くんでしょうね」
:「はい。よんどころなく町内の銭湯(せんとう)へまいります」
:「これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、彼は小声で云った。
:「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるからそこまで一緒に来てくれ」
:「へえ。どちらへ……」
:「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞(いとまご)いでもして行け」
:勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、彼の足はほとんど地に付かなかった。彼は時どきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
:「このあいだお前に貰った干菓子も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
:勘蔵は黙っていた。
:「あの娘(こ)には情夫(いろ)でもあるかえ」
:「存じません」
:「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場の親類の家(うち)にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言(うわごと)を云って、娘はもう一度橋場へやってもらおうという算段だろ。火事が取持つ縁とは、とんだ八百屋(やおや)お七(しち)だ。自分の家へ火をつけねえのが見付物(めっけもの)よ。また、その味方になる振りをして誘い出す奴も誘い出す奴だ」
:勘蔵はやはり黙ってうつむいていた。
:「去年の暮に、備前屋の内風呂が傷んだので、娘はおまえの湯へ来たそうだな」と、半七はまた笑った。「そのときにお前が背中を流してやったか。容貌(きりょう)はよし、年ごろの箱入り娘の肌ざわりはまた格別だからな。とんでもねえ粂(くめ)の仙人(せんにん)が出来上がったものだ。なるほど命賭けで荒熊にむしり付くのも無理はねえ。折角助けた娘は橋場へ行っているあいだに、向うで男が出来てしまった。家へ帰ってもやっぱり橋場が恋しいので、仮病(けびょう)をつかって熊が出るなんて騒いでいる。しかし、その計略がうまく運ばないので、娘もひとりで焦(じ)れ込んでいるうちに、内風呂がまた傷んだ。ねえ、そうだろう。そこでまた、お前の湯へやってくると、粂の仙人が背中をこすりながら旨(うま)い相談を持ちかけた。わたくしが橋場へご案内しましょうかと何とか親切振って云ったもんだから、若けえ娘はあと先みずに騙(だま)されて、ゆうべそっと家をぬけ出すと、外に待っていた奴があって……。それから先はおれも知らねえ。おい、勘蔵。おればかりしゃべらせて、なぜ黙っているんだ。前座(ぜんざ)はこのくらいで引きさがるから、あとは真打(しんうち)に頼もうじゃあねえか」
:背中をぽんと叩かれて、勘蔵はあぶなく倒れかかった。
:「ここまで漕(こ)ぎ付ければ、この話も大抵おしまいです」と、半七老人はひと息ついた。「勘蔵の白状によると、前の年の暮に備前屋の娘の綺麗な肌をみたときには、まだどうしようと云うほどの煩悩(ぼんのう)も起らなかったのですが、火事の後片付けの済むまで娘は橋場の親類へ立退いているうちに、そこの店の若い者と出来合ってしまった。なんにも知らない親たちは娘の仮病を心配して、もう一度橋場へやろうかと云っていたが、やっぱり其の儘になっていると、店の者のうちに何処からどうして聞き出したのか橋場の一件を知っている者があって、それが男湯へ来た時に勘蔵にうっかりしゃべったので、勘蔵は急に気を悪くした。そこへちょうど風呂がまた毀(こわ)れたので、娘が車湯へはいりに来たので、勘蔵はもうたまらなくなって、その背中を流しながらうまく誘い出したんです」
:「娘はひとりで女湯へ来たんですか」と、わたしは訊いた。
:「いいえ、一人じゃありません。女中が一緒に付いて来たんですが、こいつが柘榴口(ざくろぐち)の中で町内の人と何かおしゃべりをしている間に、勘蔵がこっそりと娘の耳へ吹き込んでしまったんです。娘ももうちっと仮病をつかっていれば、なんにも間違いはなかったのかも知れませんが、陽気もだんだんに暑くなって来るので、もう我慢が出来なくなって、うっかり車湯へ出て行ったのが運の尽きです。
:橋場へ案内してやると噓をついて、夜ふけに娘を誘い出して、勘蔵は品川にいる自分の友達の家へ連れ込もうとしたんですが、橋場と品川ではまるで方角が違うので、なんぼ世間知らずの娘でも少し変に思ったらしく、途中でぐずぐず云い出したので、勘蔵もだんだん焦(じ)れ込んで、無理無体に娘を引摺って行こうとすると、娘はいよいよ怖くなって、声をあげて逃げ出すという始末。いや、こうなるとおそろしいもので、勘蔵はもう逆上(のぼ)せてしまったんです。もし云うことを聞かないときに嚇かして手籠(てごめ)にする積りで、隠して持っていた小刀をいきなり抜いて、いっそひと思いにと娘の胸をえぐってしまった。勿論、自分の一緒に死ぬ気であったが、そこへ六三郎と百助が駈けて来たので、急に怖くなって逃げ出したと云うわけです」
:「そこで、その熊の胆を盗み出したのは誰だか判らないのですか」と、わたしはまた訊いた。
:「この方のお話をすると長くなりますから、手っ取り早く申上げると、熊の死骸を堀出して熊の胆を盗んだ奴は、備前屋の番頭の四郎兵衛でした。昼間のうちに六三郎から死骸を埋めた場所を聞いて置いたので、日の暮れるのを待って忍んで行って、ひと足さきにその熊の胆を占(せし)めてしまったのです。いや、どうも悪い奴で……。それが露顕して、四郎兵衛もとうとう召捕られましたが、品川の伝吉という奴だけはどこへか姿をかくしてしまいました。吟味の上で、勘蔵は無論に獄門、六三郎と百助と四郎兵衛は三人同罪と云うことになりました。今と違って、火事場どろぼうは重い処刑になるんですが、盗んだ品が箪笥長持や夜具蒲団のたぐいでなく、なにしろ熊の死骸というのですから、罪も大変に軽くなって、たしか追放ぐらいで落着したように聞いています」
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