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太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス
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284
246692
245606
2026-10-17T13:07:11Z
CES1596
4425
246692
wikitext
text/x-wiki
{{Header
|title={{lang|zh|太陰曆}}ヲ廢シ{{lang|zh|太陽曆}}ヲ行フ附詔書
|year=1872
|wikipedia=明治改暦
|notes=
*明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号
*通称:'''改暦ノ詔書並太陽暦頒布'''
*常用漢字表記:'''太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ行フ附詔書'''
{{異体字使用リスト|暦|晩|歩|掲|歳|毎|精|諸|即}}
*<span style="font-weight:bold;" id="1">註</span>:{{lang|zh|ヿ}}は「コト」の繋げ略字。
*底本: 『法令全書』明治5年,内閣官報局,明20-45. {{NDLJP|787952/1/172}}
}}
{{lang|zh|今般改曆}}ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候條此旨相達候事
<div style="margin-left:1em;">(別紙)</div>
<div style="margin-left:2em;">詔書寫</div>
朕惟フニ我邦通行ノ{{lang|zh|曆}}タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早{{lang|zh|晚}}アリ終ニ推{{lang|zh|步}}ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ{{lang|zh|揭}}ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ屬シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽{{lang|zh|曆}}ハ太陽ノ躔度ニ從テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早{{lang|zh|晚}}ノ變ナク四{{lang|zh|歲每}}ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰{{lang|zh|曆}}ニ比スレハ最モ{{lang|zh|精}}密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ挨タサルナリ依テ自今舊{{lang|zh|曆}}ヲ廢シ太陽{{lang|zh|曆}}ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ體セヨ
<div style="margin-left:3em;">明治五年壬申十一月九日</div>
<div style="margin-left:6em;">○</div>
{| border="0" cellpadding="0" cellspacing="0"
|style="vertical-align:top;"|一||{{lang|zh|今般太陰曆}}ヲ廢シ{{lang|zh|太陽曆御頒行}}相成候ニ付來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
<div style="margin-left:1em;">但{{lang|zh|新曆}}鏤板出來次第頒布候事</div>
|-
|style="vertical-align:top;"|一||一ケ年三百六十五日十ニケ月ニ分チ四年每ニ一日ノ閏ヲ置候事
|-
|style="vertical-align:top;"|一||時刻ノ儀是迄晝夜長短ニ隨ヒ十二時ニ相分チ候處今後改テ時辰儀時刻晝夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ午前幾時ト稱シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト稱候事
|-
|style="vertical-align:top;"|一||時鐘ノ儀來ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事
<div style="margin-left:1em;">但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱來候處以後何時ト可稱事</div>
|-
|style="vertical-align:top;"|一||{{lang|zh|諸祭典等舊曆月日}}ヲ{{lang|zh|新曆月日}}ニ相當シ施行可致事
|}
<div style="margin-left:2em;">
{| border="0" cellpadding="0" cellspacing="0"
|style="width:5em;"|<div style="margin-left:1em;">{{lang|zh|太陽曆}}</div>
|一年三百六十五日
|colspan="4"|<div style="margin-left:1em;">閏年三百六十六日四年{{lang|zh|每}}ニ置之
|-
|一 月 大||style="width:11em;"|三十一日||style="text-align:center;width:5em;"|其一日||{{lang|zh|卽舊曆}}||style="width:3em;"|壬申||十二月三日
|-
|二 月 小||二十八日閏年二十九日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同||癸酉||正月四日
|-
|三 月 大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||二月三日
|-
|四 月 小||三十日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||三月五日
|-
|五 月 大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||四月五日
|-
|六 月 小||三十日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||五月七日
|-
|七 月 大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||六月七日
|-
|八 月 大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||閏六月九日
|-
|九 月 小||三十日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||七月十日
|-
|十 月 大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||八月十日
|-
|十一月小||三十日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||九月十二日
|-
|十二月大||三十一日||style="text-align:center;"|其一日||style="text-align:center;"|同|| ||十月十二日
|}
<div style="margin-left:1em;">
{{lang|zh|大小每年替}}ル[[#1|{{異体字|ヿ}}]]ナシ
</div></div>
<div style="margin-left:8em;">時刻表</div>
<div style="margin-left:1em;">
{| border="1" cellpadding="0" cellspacing="0"
|rowspan="4"|午前
|
{| border="0" cellpadding="0" cellspacing="0"
|零時||{{lang|zh|卽午後}}<br />十二字||子刻
|}
|一時 子半刻
|二時 丑刻
|三時 丑半刻
|-
|四時 寅刻
|五時 寅半刻
|六時 卯刻
|七時 卯半刻
|-
|八時 辰刻
|九時 辰半刻
|十時 巳刻
|十一時 巳半刻
|-
|十二時 午刻
|colspan="3"|
|-
|rowspan="3"|午後
|一時 午半刻
|二時 未刻
|三時 未半刻
|四時 申刻
|-
|五時 申半刻
|六時 酉刻
|七時 酉半刻
|八時 戊刻
|-
|九時 戊半刻
|十時 亥刻
|十一時 亥半刻
|十二時 子刻
|}
</div>
右之通被定候事
{{デフォルトソート:たいいんれきをはいしたいようれきをおこなふにつきしょうしょ}}
[[Category:明治5年の太政官布告]]
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阿Q正伝
0
6273
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246689
2026-10-17T16:06:58Z
JackoChenWei
44409
/* 第三章 続優勝記略 */ 振り仮名
246704
wikitext
text/x-wiki
{{header
| title =『[[:w:阿Q正伝|阿Q正伝]]』(あきゅうせいでん)
| author = 魯迅
| section =
| previous =
| translator =井上紅梅
| next =
| notes =
}}
==第一章 序==
わたしは{{r|阿Q|あキュー}}の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり{{r|誰某|たれそれ}}は誰某に{{r|靠|よ}}って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の{{r|被仰|おっしゃ}}るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん{{r|蒼蝿|うるさ}}いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に{{r|宣付|せんぷ}}して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に{{r|大伝|たいでん}}というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の{{r|著想|ちゃくそう}}からいうと文体が下卑ていて「車を引いて{{r|漿|のり}}を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に{{r|入|い}}らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、{{r|文字|もんじ}}の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は{{r|趙|ちょう}}と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
それは趙{{r|太爺|だんな}}の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の{{r|黄酒|うわんちゅ}}を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく{{r|穿鑿|せんさく}}すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを{{r|喚|よ}}びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう{{r|真赤|まっか}}にして怒鳴った。
「阿Q!キサマは何とぬかした。お前が{{r|乃公|おれ}}の御本家か。たわけめ」
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「{{r|出鱈目|でたらめ}}もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ{{r|呉|く}}れた。
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で{{r|擲|なぐ}}られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の{{r|名氏|みょうじ}}を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを{{r|竹帛|ちくはく}}に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、{{r|阿桂|あくい}}あるいは{{r|阿貴|あくい}}かもしれない。もし彼に{{r|月亭|げってい}}という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって{{r|阿富|あふ}}と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する{{r|文字|もんじ}}は皆{{r|変槓|へんてこ}}な意味が含まれいっそう{{r|嵌|はま}}りが悪い。以前わたしは趙太爺の{{r|倅|せがれ}}の{{r|茂才|もさい}}先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、{{r|陳獨秀|ちんどくしゅう}}が雑誌「新青年」を発行して{{r|羅馬|ローマ}}字を提唱したので国粋が{{r|亡|ほろ}}びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより{{r|外|ほか}}はなかった。そうして一個月たってようやく{{r|返辞|へんじ}}が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、{{r|注音字母|ちゅうおんじぼ}}では一般に解るまいと思って{{r|拠所|よんどころ}}なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と{{r|書|しょ}}し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる{{r|郡望|まつり}}の旧例に{{r|拠|よ}}り、{{r|郡名百家姓|ぐんめいひゃっかせい}}に書いてある注解通りにすればいい。「{{r|隴西天水|ろうせいてんすい}}の人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は{{r|未荘|みそう}}に住んだことが多いがときどき{{r|他処|たしょ}}へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に{{r|乖|そむ}}く。
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証{{r|好|ずき}}」で有名な{{r|胡適之|こてきし}}先生の門人{{r|等|ら}}が、ひょっとすると将来幾多の新{{r|端緒|たんしょ}}を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
==第二章 優勝記略==
阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を{{r|瞠|みは}}って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが{{r|勢一杯|せいいっぱい}}だ。
阿Qは家が無い。未荘の{{r|土穀祠|おいなりさま}}の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると{{r|日傭取|ひようとり}}になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を{{r|搗|つ}}けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て{{r|行|ゆ}}く。だから人は{{r|忙|せわ}}しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも{{r|糸瓜|へちま}}もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは{{r|臂|ひじ}}を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている){{r|無性|ぶしょう}}臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層{{r|己惚|うぬぼ}}れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「{{r|文童|ぶんどう}}」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や{{r|錢太爺|せんだんな}}が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の{{r|外|ほか}}に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって{{r|倅|せがれ}}があればもっと偉くなっているぞ!城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三{{r|尺|じゃく}}幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「{{r|長登|チャンテン}}」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「{{r|条登|デョーテン}}」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。{{r|鱈|たら}}の{{r|煮浸|にびた}}しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」のだから、ほとんど{{r|一|いっ}}ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん{{r|幾個所|いくこしょ}}も{{r|瘡|かさ}}だらけの{{r|禿|はげ}}があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「{{r|癩|らい}}」という言葉を嫌って一切「{{r|頼|らい}}」に近い{{r|音|おん}}までも嫌った。あとではそれを{{r|推|お}}しひろめて「{{r|亮|りょう}}」もいけない。「{{r|光|こう}}」もいけない。その後また「{{r|燈|とう}}」も「{{r|燭|しょく}}」も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも{{r|洩|もら}}そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を{{r|真赤|まっか}}にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は{{r|擲|なぐ}}りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
ところがこの{{r|怒目|どもく}}主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を{{r|嬲|なぶ}}り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
「おや、明るくなって来たよ」
阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
「と思ったら、空気ランプがここにある」
アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」
この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの{{r|斑|まだ}}ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
{{r|閑人|ひまじん}}達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂にに打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい{{r|辮子|べんつ}}を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを{{r|頂戴|ちょうだい}}し、閑人はようやく胸をすかして勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の{{r|中|うち}}で思った。「乃公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。
阿Qは最初この事を心の{{r|中|うち}}で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を{{r|引掴|ひっつか}}む機会が来るとその人はまず彼に言った。
「阿Q、これでも子供が{{r|親爺|おやじ}}を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと」
阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」
だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは{{r|凹垂|へこた}}れたと。
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち{{r|慢|ほこ}}って立去る。阿Qは悟った。乃公は{{r|自|みずか}}ら軽んじ自ら{{r|賤|いや}}しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。{{r|状元|じょうげん}}もまた第一人じゃないか。「人を何だと思っていやがるんだえ」
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢(ほこ)って愉快になって、{{r|土穀祠|おいなりさま}}に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう{{r|睡|ねむ}}ってしまうのである。
もしお金があれば彼は{{r|博奕|ばくち}}を打ちに{{r|行|ゆ}}く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「{{r|青竜四百|ちんろんすーぱ}}!」
「よし……あける……ぞ」
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって{{r|唱|うた}}い始める。
「{{r|天門|てんもん}}{{r|当|あた}}り――{{r|隅返|すみがえ}}し、人と、{{r|中張|なかばり}}{{r|張手|はりて}}無し――阿Qの{{r|銭|ぜに}}はお取上げ――」
「{{r|中張百文|なかばりひゃくもん}}――よし百五十{{r|文|もん}}張ったぞ」
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの{{r|外|そと}}へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、{{r|博奕|ばくち}}はずんずん進行してお{{r|終|しま}}いになる。それから彼は未練らしく{{r|土穀祠|おいなりさま}}に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど「{{r|塞翁|さいおう}}が馬を無くしても、災難と{{r|極|き}}まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場(ばくちば)が舞台の左側に出た。{{r|囃|はやし}}の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は{{r|大洋|だーやん}}になり、{{r|大洋|だーやん}}は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「{{r|天門両塊|てんもんりゃんかい}}」と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。{{r|身中|みうち}}にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を{{r|食|く}}い、幾つも{{r|蹶飛|けと}}ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して{{r|土穀祠|おいなりさま}}に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨!しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に{{r|盗|と}}られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の{{r|面|おもて}}を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして{{r|火照|ほて}}り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち{{r|著|つ}}いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか{{r|火照|ほて}}るには違いないが――心は十分満足して勝ち{{r|慢|ほこ}}って横になった。
彼は睡ってしまった。
==第三章 続優勝記略==
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の{{r|酒手|さかて}}を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若{{r|寡婦|ごけ}}の墓参り」という歌を{{r|唱|うた}}いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
{{r|変槓|へんてこ}}なこったがそれからというものは、果してみんなが{{r|殊|こと}}の{{r|外|ほか}}彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の{{r|処|ところ}}はそうでなかった。未荘の{{r|仕来|しきた}}りでは、{{r|阿七|あしち}}が阿{{r|八|はち}}を打つような事があっても、あるいは{{r|李四|りし}}が{{r|張三|ちょうさん}}を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に{{r|端|は}}に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは?つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか?これは{{r|箆棒|べらぼう}}な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた{{r|左|さ}}のような意味があるかもしれない。{{r|聖廟|せいびょう}}の中のお供物のように、阿Qは{{r|豬羊|ちょよう}}と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと{{r|偉張|いば}}っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに{{r|王鬍|ワンウー}}がもろ肌ぬいで{{r|虱|しらみ}}を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず{{r|痒|がゆ}}くなった。この王{{r|鬍|ひげ}}は{{r|禿瘡|はげがさ}}でもある上に、鬍をじじむさく伸ばしていた。阿Qは{{r|禿瘡|はげがさ}}の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの{{r|考|かんがえ}}では、{{r|外|ほか}}に格別変ったところもないが、その{{r|顋|あご}}に絡まる{{r|鬍|ひげ}}は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は{{r|側|そば}}へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王鬍の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ{{r|袷|あわせ}}を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ{{r|捉|とら}}まえた。彼は王鬍を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に{{r|抛|ほう}}り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王鬍なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも{{r|大|おおい}}に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を{{r|捫|ひね}}り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ{{r|捉|とら}}まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王鬍の{{r|響|ひびき}}には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、{{r|瘡|かさ}}ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王鬍は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか{{r|高慢稚気|こうまんちき}}になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が{{r|怯|おく}}れてしまう。ところが今度に限って非常な{{r|勢|いきおい}}だ。何だ、こんな鬍(ひげ)だらけの代物が生意気{{r|言|い}}やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王鬍も立ち上がって著物を著た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み{{r|掛|かか}}って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き{{r|呉|く}}れた。その拳骨がまだ向うの{{r|身体|からだ}}に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。{{r|扭|ね}}じつけられた辮子は{{r|墻|まがき}}の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
王{{r|鬍|ひげ}}は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに{{r|突放|つっぱな}}すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで鬍は{{r|大|おおい}}に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王{{r|鬍|ひげ}}は{{r|顋|あご}}に絡まる鬍の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が{{r|登用|とうよう}}試験をやめて秀才も{{r|挙人|きょじん}}も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
阿Qは{{r|拠所|よんどころ}}なく{{r|彳|たたず}}んだ。
遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の{{r|耶蘇|やそ}}学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が{{r|家|うち}}に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も{{r|愁歎場|しゅうたんば}}を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は{{r|到処|いたるところ}}で説明した。
「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて{{r|剪|き}}り取られたんです。本来あれがあればこそ{{r|大官|たいかん}}になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです」
さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽{{r|毛唐|けとう}}」「外国人の犬」と思い込み、彼を見るたんびに{{r|肚|はら}}の中で{{r|罵|ののし}}り{{r|悪|にく}}んだ。
阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。{{r|擬|まが}}い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が{{r|四度|よど}}目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その「偽毛唐」が今近づいて来た。「{{r|禿|は}}げ、{{r|驢|ろ}}……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の{{r|憤|いきどお}}りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き{{r|杖|づえ}}だ――{{r|大跨|おおまた}}に歩いて来た。この一{{r|刹那|せつな}}に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を{{r|引締|ひきし}}め肩を{{r|聳|そびや}}かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、{{r|側|そば}}に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの{{r|響|ひびき}}のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の{{r|門口|かどぐち}}まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
{{r|折柄|おりから}}向うから来たのは、{{r|靜修庵|せいしゅうあん}}の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を{{r|吐|つ}}くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に{{r|敵愾心|てきがいしん}}を{{r|喚起|よびおこ}}した。
「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
「ペッ、プッ」
若い尼は{{r|皆目|かいもく}}眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
「から坊主!早く帰れ。和尚が待っているぞ」
「お前は何だって手出しをするの」
尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の{{r|頬|ほっ}}ぺたを{{r|摘|つま}}んだ。
酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
彼はこの一戦で王鬍のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
「阿Qの{{r|罰|ばち}}当りめ。お前の世継ぎは{{r|断|た}}えてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。
「ハハハ」阿Qは十分得意になった。
「ハハハ」酒屋の中の人も{{r|九分|くぶ}}通り得意になって笑った。
==第四章 恋愛の悲劇==
こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊(ぶりょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪(しんせいこうせいきょうしざいしざい)」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那(しな)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠(おいなりさま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂漲(あぶらぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣(よつ)ぎは断(た)えてしまうぞ」
阿Qの耳朶(みみたぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」
一体「不孝には三つの種類があって後嗣(あとつ)ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而(むえんぼとけのひぼし)」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女……」と彼は想った。
「……和尚(陽器(ようき))は動く。女、女!……女!」と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物(しろもの)だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲己(だっき)のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒姒(ほうじ)のために破壊された?秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓(とうたく)は貂蝉(てんぜん)のために確実に殺された。
阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気(せいき)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
ところが彼は三十になって竟(つい)に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼教(れいきょう)上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪(にく)むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前(ぜん)、舞台の下の人混(ひとご)みの中で一度ある女の股倉(またくら)に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪(にく)むべきかを知るべし。
彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶(つや)ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪(にく)むべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著(き)ていた。そう思いながら阿Qは
「女、女!……」と想った。
その日阿Qは趙太爺の家(うち)で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定例(じょうれい)に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈(あかり)を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著手(ちゃくしゅ)する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
呉媽(ウーマ)は、趙家の中(うち)でたった一人の女僕(じょぼく)であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小妾(ちいさい)のを一人買おうと思っているんです」
「女……呉媽……このチビごけ」と阿Qは思った。
「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」
「女……」と阿Qは想った。
阿Qは煙管(きせる)を置いて立上った。
「内(うち)の若奥さんは……」と呉媽はまだ喋舌(しゃべ)っていた。
「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」
阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
一刹那(せつな)、極めて森閑(しんかん)としていた。
呉媽はしばらく神威(しんい)に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
「あれーッ」
彼女は大声上げて外へ馳(か)け出し、馳(か)け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
阿Qは壁に対(むか)って跪坐(きざ)し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無性(ぶしょう)らしく腰を上げ、いささか沫(あわ)を食ったような体(てい)でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行(ゆ)こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
「キサマは謀叛(むほん)を起したな。これ、こん畜生………」
竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
「忘八蛋(ワンパダン)」
後ろの方で秀才が官話(かんわ)を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈(かけ)込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋(ワンパダン)」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専(もっぱ)らお役所のお歴々(れきれき)が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障(さわ)りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物(きもの)をぬいだ。
著物(きもの)を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳(か)け出して行った。だんだん側(そば)へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集(あつま)っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂(すうしちそう)や本当の本家の趙白眼(ちょうはくがん)、趙司晨(ちょうししん)などもいた。
若奥さんは下部屋(しもべや)からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」
鄒七嫂も側(そば)から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません」といった。
呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯(いたづら)をするかしらんて?」
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側(そば)までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐(めが)けて跳び出して来た。
阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間(ま)に彼はもう土穀祠(おいなりさま)の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立(あわだ)って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁(し)み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣(うわぎ)がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」
こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当前(あたりまえ)だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、明日(みょうにち)紅蝋燭(べにろうそく)一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。
二、趙家では道士を喚んで首縊(くく)りの幽霊を祓う事(首縊幽霊(くびくくりゆうれい)は最も獰猛なる悪鬼(あくき)で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。
三、阿Qは今後決して趙家の閾(しきい)を越えぬ事。
四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。
五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。
阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなくなった棉(わた)入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をしたあとは、確かに幾文(いくもん)か残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけのものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。
一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが仏参(ぶつさん)の日まで蔵(しま)っておいた。そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ赤坊(あかんぼう)のおしめになって、その切屑は呉媽の鞋底(くつぞこ)に使われた。
==第五章 生計問題==
阿Qはお礼を済ましてもとのお廟(みや)に帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつまり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の墻(まがき)を照しているのだ。彼は起き上りながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。
彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはないが、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪がった。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで人のあとに跟(つ)いて潜り込み、その上十一になる女の児(こ)を喚び入れた。阿Qは不思議でたまらない。「こいつ等(ら)はどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫(ばいた)め」
阿Qはこらえ切れなくなってお馴染(なじみ)の家(うち)に行って探りを入れた。――ただし趙家の閾(しきい)だけは跨(また)ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿(うるさ)そうな顔付(かおつき)を見せ、まるで乞食(こじき)を追払(おっぱら)うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
阿Qはいよいよ不思議に感じた。
この辺の家(うち)は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DON(しょうドン)をよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王鬍よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒(いかり)尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻(うな)った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
幾日かのあとで、彼は遂に錢府(せんふ)の照壁(衝立(ついたて)の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎(かたき)の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行(ゆ)くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜(かど)を立て口の端へ沫(あわ)を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。
したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根(べんこん)を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
以前の阿Qの勢(いきおい)を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形(にじがた)を映出(えいしゅつ)した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽(おだ)てるのかしらん。
それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩退(しりぞ)き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも突立った。およそ半時間……未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。あるいは二十分かもしれない……彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れていた。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を引いてどちらも人ごみの中に入った。
「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。
「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。
この一幕(ひとまく)の「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満足したかしらん、誰(たれ)も何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼まれなかった。
ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗(へ)って蒲団も帽子も上衣(うわぎ)もないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子(ズボン)は残っているが、こればかりは脱ぐわけには行(ゆ)かない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだめっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。
彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなかった。
未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行(ゆ)き尽してしまった。村端(はず)れは大抵水田であった。見渡す限りの新稲(しんいね)の若葉の中に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの田家(でんか)の楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこんなまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に靜修庵(せいしゅうあん)の垣根の外へ行った。
庵のまわりは水田であった。白壁(しらかべ)が新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に菜畑があった。
阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上って何首烏(かしゅう)の蔓(つる)を引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の樹に攀(よ)じ昇り、畑中(はたなか)へ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老酒(ラオチュ)も饅頭も食べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん筍(たけのこ)が生えていたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜(からしな)は花が咲いて、青菜は伸び過ぎていた。
阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側(そば)まで来ると、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったのは、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッちょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中の事は「一歩退(しりぞ)いて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵(しま)い込んだが、その時もう婆(ばば)の尼は見つけていた。
「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね……まあ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ……」
「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。
「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。
「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前……」
阿Qは言いも完(おわ)らぬうちに足をもちゃげて馳(か)け出した。追っ馳けて来たのは、一つのすこぶる肥大の黒狗(くろいぬ)で、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょうは裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿(もも)に噛みつきそうになったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣(かき)の外へころげ出した。狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申(まお)した。
尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う序(ついで)に小石を掻き集めたが、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛(かじ)って、この村もいよいよ駄目だ、城内に行(ゆ)く方がいいと想った。
大根を三本食ってしまうと彼は已(すで)に城内行(ゆき)を決行した。
==第六章 中興から末路へ==
阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッたまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内から帰って来ると非常な元気で人に向って吹聴したもんだが、今度は決してそんなことはなかった。ひょっとすると、彼はお廟(みや)の番人に話したかもしれない、未荘のしきたりでは趙太爺と錢太爺ともう一人秀才太爺(しゅうさいだんな)が城内に行(ゆ)けば問題になるだけで、偽毛唐でさえも物の数にされないのだから、いわんや阿Qにおいてをやだ。だから番人の親爺も彼のために宣伝するはずもないのに、未荘の人達がどうして知っていたのだろう。
だが阿Qの今度の帰りは前とは大(おおい)に違っていた。確かにはなはだ驚異の値打があった。
空の色が黒くなって来た時、彼は酔眼朦朧(すいがんもうろう)として、酒屋の門前に現われた。彼は櫃台(デスク)の側へ行って、腰の辺から伸した手に一杯握っていたのは銀と銅。櫃台(デスク)の上にざらりと置き、「現金だぞ、酒を持って来い」と言った。見ると新しい袷を著て、腰の辺には大搭連(おおどうらん)がどっしりと重みを見せ、帯紐が下へさがって弓状(ゆみなり)の弧線(なりせん)をなしている。
未荘の仕来りとして誰でもちょっと目覚ましい人物を見出した時、侮るよりもまず敬うのである。現在これが明かに阿Qであると知りながら破れ袷の阿Qとは別々である。古人の言葉に「たとい三日の間でも別れた人に逢った時には目を見張ってその特徴を見出さなければならん」といっている。そういうわけで、ボーイも番頭も見ず知らずのそこらの人も、一種の疑いを持ちながら自然と敬いの態度を現わした。
番頭はまず合点して話しかけた。
「ほう阿Q、お前さん、帰っておいでだね」
「帰って来たよ」
「景気がいいねえ。お前さんは――にいたの……」
「城内に行っていた……」この一つのニウスは二日目に未荘じゅうに伝わった。人々はみな、現金と新しい袷を持っている阿Qの中興史を聴きたく思った。そういうわけで、酒屋の中でも茶館の中でも廟(おみや)の軒下でも、皆だんだんに探りを入れて聴き出した。その結果阿Qは新奇の畏敬を得た。
阿Qの話では、彼は挙人太爺(きょじんだんな)の家(うち)のお手伝をしていた。この一節を聴いた者は皆かしこまった。この老爺(だんな)は姓を白(はく)といい城内切っての挙人であるから改めて姓をいう必要がない。挙人という話が出ればつまり彼である。これは未荘だけでそう言っているのではない、この辺百里の区域の内は皆そうであった。人々はほとんど大抵彼の姓名を挙人老爺(きょじんだんな)だと思っていた。そのお方のお屋敷でお手伝していたのはもちろん敬うべきことである。けれど阿Qの言うとこにゃ、彼はもう行ってやる気はない。この挙人老爺は実に非常な「馬鹿者」だ。この話を聴いた者はみな歎息して嬉しがった。阿Qは挙人老爺の家で働くような人ではないが、働かないのも惜しいこった。
阿Qの話でみると、彼が帰って来たのは城内の人が気に入らぬからであるらしい。これはつまり、長凳(チャンテン)(長床几(ながしょうぎ))を条凳(デウテン)ということや、葱の糸切を魚の中に入れたり、そのうえ近頃見つけ出した欠点は、女の歩き方がいやにねじれてはなはだよくない。しかしまた大(おおい)に敬服すべき方面もある。早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(ちくはい)(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、麻将(マーチャン)を知っている者は偽毛唐だけであるが、城内では小さな餓鬼(がき)までが皆よく知っている。なんだって偽毛唐が、城内の十歳そこそこの子供の手の中に入ってしまうのか。これこそ「小鬼が閻魔様と同資格で会見する」様なもので、聴けば赤面の到りだ。「てめえ達は、首斬(くびきり)を見たことがあるめえ」と阿Qは言った。「ふん、見てくれ、革命党を殺すなんておもしれえもんだぜ」
彼は首をふると、ちょうどまん中にいた趙司晨の顔の上に唾(つばき)がはねかかった。この一言に皆の者はぞっとした。だが阿Qは一向平気であたりを見廻し、たちまち右手をあげて、折柄(おりから)頸(くび)を延して聴き惚れている王鬍のぼんのくぼを目蒐(めが)けて、打ちおろした。
「ぴしゃり!」
王鬍は驚いて跳び上り稲妻のような速力で頸を縮めた。見ていた人達は気味悪くもあり、おかしくもあった。それからというものは王鬍の馬鹿野郎、ずいぶん長い間、阿Qの側(そば)へは近寄らなかった。ほかの人達もまた同じようであった。
阿Qはこの時、未荘の人の眼の中の見当では、趙太爺以上には見えないが、たいていおつかつの偉さくらいに思われていたといっても、さしたる語弊はなかろう。
そうこうする中(うち)にこの阿Qの評判は、たちまち未荘の女部屋の奥に伝わった。未荘では錢趙両家だけが大家(たいけ)で、その他はたいてい奥行が浅かった。けれども女部屋はつまり女部屋であるから一つの不思議と言ってもいい。女どもは寄るとさわるときっとその話をした。鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹(なんどぎぬ)の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。趙白眼の母親も――一説には趙司晨の母親だということだが、それはどうかしらん――彼女もまた一枚の子供用の真赤な瓦斯織(がすおり)の単衣物(ひとえもの)を買ったが、まだちょっと手を通したばかりの物がたった三百大銭(だいせん)の九二串(さし)であった。
そこで彼等は眼を皿のようにして阿Qを見た。絹袴が無い時には、絹袴の出物は無いかと彼に訊(たず)ねてみたく思った。瓦斯織の単衣(ひとえ)がほしい時には、瓦斯織の単衣の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。今度は阿Qを見ても逃げ込まないで、かえって阿Qのあとを追馳(おいか)けて、袖を引止めた。
「阿Q、お前はもっと外(ほか)に絹袴を持っているだろう。え、無いって。わたしは単衣物もほしいんだよ。あるだろう」
あとではこの様なことが、端近い女部屋から終(つい)に奥深い女部屋に伝わった。鄒七嫂は嬉しさの余り彼の絹袴を趙太太(ちょうたいたい)の処へ持って行ってお目利きをねがった。趙太太はまたこれを趙太爺に告げて一時すこぶる真面目になって話をしたので、趙太爺は晩餐の卓上秀才太爺(息子)と討論した。阿Qは全くどうも少し怪しい。われわれの戸締もこれから注意しなければならんが、しかし彼の品物で、まだ買ってやっていいようなものがあるかもしれないと想った。殊に趙太太は直段(ねだん)が安くて品物がいい皮の袖無しが欲しいと思っていた時だから、遂に家族は決議して鄒七嫂にたのんで阿Qをすぐに喚んで来いと言った。かつこれがために第三の例外をひらいてこの晩特にしばらく燈(あかり)をつけることを許された。
油は残り少くなったが阿Qはまだ到著しなかった。趙家の内の者は皆待ち焦れて、欠伸をして阿Qの気紛(きまぐ)れを恨み、鄒七嫂のぐうたらを怨んだ。趙太太は春の一件があるので来ないかもしれないと心配したが、趙太爺は、そんなことはない、乃公がよべばきっと来ると思った。果して趙太爺の見識は高かった。阿Qは結局鄒七嫂のあとへ跟いて来た。
「この人はただ無い無いとばかし言っているんですが、そんならじかに話してくれとわたしは言ったんです。彼は何とかいうにちがいありません。わたしも言います――」鄒七嫂は息をはずませていた。
「太爺!」阿Qは薄笑いしながら簷下(のきした)に立っていた。
「阿Q、お前、だいぶんお金を儲けて来たという話だが」と趙太爺はそろそろ近寄って阿Qの全身を目分量した。
「何しろ結構なこった。そこで……噂によるとお前は古著(ふるぎ)をたくさん持っているそうだが、ここへ持って来て見せるがいい……外(ほか)でもない、乃公も欲しいと思っているんだ……」
「鄒七嫂にも話した通りですが、皆売切れました」
「売切れた!」趙太爺の声は調子が脱(はず)れた。「どうしてそんなに早く売切れたのだ!」
「あれは友達の物で、品数もあんまり多くは無いのですが、少しばかり分けてやったんです」
「そんなことを言っても、まだいくらかあるに違いない」
「たった一枚幕が残っております」
「幕でもいいかた持って来てお見せ」と趙太太は慌てて言った。
「そんな物はあしたでもいいや」趙太爺はさほど熱心でもなかった。「阿Q、これからなんでも品物がある時には、まず、乃公の処へ持って来て見せるんだぞ」
「値段は決してほかの家(うち)よりすくなく出すことはない」秀才は言った。
秀才の奥さんはチラリと阿Qの顔を見て彼が感動したかどうかを窺(うかが)った。
「わたしは皮の袖無しが一枚欲しいのだが」と趙太太は言った。
阿Qは応諾しながらも不承々々に出て行ったから、気にとめているかどうかしらん。これは趙太爺を非常に失望させ、腹が立って気掛りで欠伸がとまってしまうくらいであった。秀才太爺も阿Qの態度に非常な不平を抱き、この「忘八蛋(ワンパダン)」警戒する必要がある。いっそ村役人に吩咐(いいつ)けてこの村に置かないことにしてやろうと言ったが、趙太爺は、そりゃ好(よ)くないことだと思った。そうすれば怨みを受けることになる。ましてああいうことをする奴は大概「老いたる鷹は、巣の下の物を食わない」のだから、この村ではさほど心配するには及ぶまい。ただ自分の家(うち)だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。
秀才もこの「庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘(てっかい)し、また鄒七嫂にも言い含めて、決してこのようなことを人に洩らしてくれるな、と言った。
けれど鄒七嫂は次の日あの藍袴を黒色に染め替えて阿Qの疑うべき節を言い布(ふ)らして歩いた。確かに彼女は秀才の阿Q駆逐の一節を持ち出さなかったが、これだけでも阿Qに取っては非常に不利益であった。最先(まっさ)きに村役人が尋ねて来て、彼の幕を奪った。阿Qは趙太太に見せる約束をしたと言ったが、村役人はそれを返しもせずになお毎月(まいげつ)何ほどかの附届(つけとど)けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に彼が酒屋の中で「ぴしゃり」と言った時の警戒とは別種のものであった。「敬して遠ざかる」ような分子がずいぶん多(おお)まじっていた。
閑人の中には阿Qの奥底を根掘り葉掘り探究する者があった。阿Qは包まず隠さず自慢らしく彼の経験談をはなした。
阿Qは小さな馬の脚に過ぎなかった。彼は垣の上にあがることも出来なければ、洞(あな)の中に潜ることも出来なかった。ただ外に立って品物を受取った。ある晩彼は一つの包(つつみ)を受取って相棒がもう一度入ると、まもなく中で大騒ぎが始まった。彼はおぞけをふるって逃げ出し、夜どおし歩いて終に城壁を乗り越え未荘に帰って来た。彼はこんなことは二度とするものでないと誓った。この弁明は阿Qに取ってはいっそう不利益であった。村の人の阿Qに対して「敬して遠ざかる」ものは仕返しがこわいからだ、ところが彼はこれから二度と泥棒をしない泥棒に過ぎないのだ。してみると「これもまた畏るるに足らない」ものだった。
==第七章 革命==
宣統(せんとう)三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫(くろとま)の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗(くらやみ)の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行(ゆ)く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。
この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸(ぼろ)著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞(けんもん)が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
そういうものの、謡言(ようげん)はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床(とこ)の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正(すうせい)皇帝の白装束を著ていたという。
阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼(ま)ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪(にく)むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼(おそ)れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好(よ)かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革(あらた)めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
阿Qは近来生活の費用に窘(くる)しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空(す)き腹(ばら)の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機(はずみ)か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜(とりこ)となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
未荘の人は皆恐懼(きょうく)の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。
「よし、……乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。
タッタ、ヂャンヂャン。
後悔するには及ばねえ。酔うて錯(あやま)り斬る鄭賢弟(ていけんてい)。
後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー………
タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。
乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ……」
趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判(だいろっぱん)していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。
「ドンドン……」
「Q(キュー)さま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。
「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依らなかった。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。
「Qさん」
「思切ってやっつけろ……」
「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。
阿Qはようやく立ちどまって首をかしげて訊いた。「なんだね」
「Qさま……当節は……」と趙太爺は口を切ったが、言い出す言葉もなかった。「当節は……素晴らしいもんだね」
「素晴らしいと?あたりまえよ。何をしようが乃公の勝手だ」
「……Q、わしのような貧乏仲間は大丈夫だろうな」と趙白眼はこわごわ訊いた。革命党の口振りを探るつもりであったらしい。
「貧乏仲間?てめえは乃公より金があるぞ」阿Qはそう言いながらすぐに立去った。
みんな萎れ返って物も言わない。趙家の親子は家(うち)に入って灯(ひ)ともしごろまで相談した。趙白眼も家(いえ)に帰るとすぐに腰のまわりの搭連をほどいて女房に渡し、箱の中に蔵(おさ)めた。
阿Qは一通りぶらぶら飛び廻って土穀祠(おいなりさま)に帰って来ると、もう酔(よい)は醒めてしまった。
その晩、廟祝(みやばん)の親父も意外の親しみを見せて阿Qにお茶を薦めた。阿Qは彼に二枚の煎餅をねだり、食べてしまうと四十匁(め)蝋燭の剰(あま)り物を求めて燭台を借りて火を移し、自分の小部屋へ持って行ってひとり寝た。彼は言い知れぬ新しみと元気があった。蝋燭の火は元宵(げんしょう)(正月)の晩のようにパチパチと撥(は)ね迸(ほとばし)ったが、彼の思想も火のように撥ね迸った。
「謀反?面白いな……来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に尖った両刃の劒(けん)、鎖鎌。土穀祠(おいなりさま)の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行(ゆ)く、この時未荘の村烏(むらがらす)、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦(ゆる)し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。……残る奴ばらは何本ある?王(ワン)なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや……」
「品物は……すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝(げんほう)、銀貨、モスリンの著物……秀才婦人の寝台をまずこの廟(おみや)の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
「趙司晨の妹はまずい。鄒七嫂の小娘は二三年たってから話をしよう。偽毛唐の女房は辮子の無い男と寝てやがる、はッ、こいつはたちが好(よ)くねえぞ。秀才の女房は眼蓋(まぶた)の上に疵(きず)がある――しばらく逢わないが呉媽はどこへ行ったかしらんて……惜しいことにあいつ少し脚が太過ぎる」
阿Qは彼の胸算用がすっかり片づかぬうちにもう鼾をかいた。四十匁蝋燭は燃え残って五分ほどになり、赤々と燃え上る火光(かこう)は、彼の開け放しの口を照した。
「すまねえ、すまねえ」阿Qはたちまち大声上げて起き上った。頭を挙げてきょろきょろあたりを見廻して四十匁蝋燭に目をつけると、すぐにまた頭をおろして睡(ねむ)ってしまった。
次の日彼は遅く起きて往来に出てみたが、何もかも元の通りであった。彼はやっぱり肚が耗(へ)っていた。彼は何か想っていながら想い出すことが出来なかった。たちまち何かきまりがついたような風で、のそりのそりと大跨に歩き出した。そうして有耶無耶のうちに靜修庵(せいしゅうあん)についた。
庵は春の時と同じような静けさであった。白壁と黒門、彼はちょっと思案して前へ行って門を叩いた。一疋(いっぴき)の狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡(あばた)が出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
阿Qは慌てて瓦を持ちなおし馬のように足をふんばって、黒狗と開戦の準備をした。だが庵門はただ一すじの透間(すきま)をあけたのみで、黒狗が飛び出すことはないと見たので、近寄って行(ゆ)くと、そこに一人の老いたる尼がいた。
「お前はまた来たのか。何の用だえ」と尼は呆れ返っていた。
「革命だぞ。てめえ知っているか」と阿Qは口籠(くちごも)った。
「革命、革命とお言いだが、革命は一遍済んだよ。……お前達は何だってそんな騒ぎをするんだえ」尼は眼のふちを赤くしながら言った。
「何だと?」阿Qは訝(いぶか)った。
「お前はまだ知らないのだね。あの人達はもう革命を済ましたよ」
「誰だ?」阿Qは更に訝った。
「秀才と偽毛唐さ」
阿Qは意外のことにぶっつかってわけもなく面喰った。尼は彼の出鼻をへし折って隙(すか)さず門を閉めた。阿Qはすぐに押し返したが固く締っていた。もう一度叩いてみたが返辞もしない。
これもやっぱりその日の午前中の出来事だった。機を見るに敏なる趙秀才は革命党が城内に入ったと聞いて、すぐに辮子を頭の上に巻き込み、今までずっと仲悪(なかわる)で通したあの錢毛唐(せんけとう)の処へ御機嫌伺いに行った。これは「みなともに維(こ)れ新たなり」の時であるから、彼等は話が弾んで立ちどころに情意投合の同志となり、互に相約して革命に投じた。
彼等はいろいろ想い廻して、やっと想い出したのは靜修庵の中の「皇帝万歳万、万歳!」の一つの竜牌(りゅうはい)だ。これこそすぐにも革擲(かくてき)すべきものだと思ったから、二人は時を移さず靜修庵に行(ゆ)くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく見ると、竜牌はすでに已(すで)に砕けて地上に横たわっているのはもっともだが、観音様の前にあった一つの宣徳炉(せんとくろ)が見当らないのが不思議だ。
阿Qはあとでこの事を聞いてすこぶる自分の朝寝坊を悔んだ。それにしても彼等が阿Qを誘わなかったのは奇ッ怪千万である。阿Qは一歩退(しりぞ)いて考えた。
「彼等が、今まで知らずにいるはずはない。阿Qは已に革命党に投じているのじゃないか」
==第八章 革命を許さず==
未荘の人心は日々に安静になり、噂に拠れば革命党は城内に入ったが、何も格別変ったことがない。知県(ちけん)様はやっぱり元の位置にいて何か名目が変っただけだ。挙人老爺は何になったか――これ等の名目は未荘の人には皆わからなかった。――お上が兵隊を連れて来ることは、これも前からいつもあることで、格別不思議なことでもないが、ただ一つ恐ろしいのは、ほかに幾らか不良分子が交(まじ)っていて内部の擾乱(じょうらん)を計っていることだ。そうして二言目には手を動かして辮子を剪(き)った。聴けば隣村の通い船を出す七斤は途中で引掴まって、人間らしくないような体裁にされてしまったが、それさえ大した恐怖の数に入らない。未荘の人は本来城内に行(ゆ)くことは少いのに、たまたま行(ゆ)く用事があっても差控えてしまうから、この危険にぶつかる者も少い。阿Qも城内に行って友達に逢いたいと思っていたが、この話を聞くとやめなければならない。
だが未荘の人も改革なしでは済まされなかった。幾日の後、辮子を頭に巻込む者が逐漸(ちくぜん)増加した。手ッ取り早く言うと一番最初が茂才公(もさいこう)だ。その次が趙司晨と趙白眼だ。後では阿Qだ。これがもし夏ならば、辮子を頭の上に巻込み、あるいは一つのかたまりにするのはもとより何も珍らしい事ではないが、今は秋の暮で、この特別の歳時記が行われたのは、辮子を巻込んだ連中に取っては非常な英断と言わなければならない。未荘としてはこれもまた改革の一つでないということは出来ない。
趙司晨は頭の後ろを空坊主にして歩いた。これを見た人は大きな声を出して言った。
「ほう、革命党が来たぞ」
阿Qは非常に羨しく思った。彼はとうから秀才が辮子をわがねたというニウスを聞いていたが、自分がその様な事をしていいかという事について少しも思い及ばなかった。現在趙司晨がこうなってみると、急に真似てみたくなって実行の決心をきめた。彼は一本の竹箸に辮子を頭の上にわがね、しばらくためらっていたが、思切って外へ出た。
彼が往来に出ると、人は皆彼を見るには見るが何にも言わない。阿Qは初め不快に感じてあとになるとだんだん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう?阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格(こうさんかく)」の手紙(柿渋引(かきしぶびき)の方罫紙(ほうまいし)?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党(すーゆーたん)(自由と同音、柿渋(かきしぶ)は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章(きしょう)で翰林(かんりん)を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄(にわか)に肩身が広くなり倅が秀才に中(あた)った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環(わが)ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行(ゆ)くより外は無かった。
錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披(ひら)いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪(ほうほうがみ)の劉海(りゅうはい)仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生(やんしいさん)といえばあるいはいいかもしれない。
洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪(こう)君!われわれは著手(ちゃくしゅ)しよう。しかし彼は結局 No(ノー) と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか……」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起(ふりおこ)して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
話を聴いていた四人の者は喫驚(びっくり)して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし……」
「出て行(ゆ)け」
「わたしも……に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰(おっしゃ)るのに、てめえは肯(き)かねえのか」
阿Qは頭の上に手を翳(かざ)して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛(ゆる)め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望(のぞみ)を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布(ふ)れが行届(ゆきとど)いて、小D、王鬍などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環(わが)ねたことについて無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考(かんがえ)から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠(おいなりさま)に帰って来た。
「パン、パン」
彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質(たち)だから、すぐに暗(やみ)の中を探って行(ゆ)くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳(ききみみ)立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙……趙家がやられた。掠奪……」小Dは息をはずませていた。
阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据(すわ)った。彼は路角(みちかど)に躄(いざ)り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台(ねだい)をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
その夜(よ)は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇(ぎこう)の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台を持ち出したり……
持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟(おみや)の中に帰って来た。
土穀祠(おいなりさま)の中は、いっそうまっ闇(くら)だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著(つ)いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか?阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐(こら)え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐!よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」
==第九章 大団円==
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来(きた)した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠(おいなりさま)を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入(ちんにゅう)し、阿Qを抓(つま)み出して廟(おみや)の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると室(へや)の隅にもう二人いた。
阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは土穀祠(おいなりさま)の彼の部屋はこの部屋よりも決してまさることは無かったからだ。そこにいた二人は田舎者らしく、だんだん懇意になって話してみると、一人は挙人老爺の先々代に滞っていた古い地租の追徴であった。もう一人は何のこったか好く解らなかった。彼等は阿Qにわけを訊くと、阿Qは臆面なく答えた。「乃公は謀叛を起そうと思ったからだ」
阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に披(さば)いていた偽毛唐によく似た奴もあった。彼等は皆同じような仏頂面で目を怒らして阿Qを見た。阿Qはこりゃあきっとお歴々に違いないと思ったから、膝の関節が自然と弛んでべたりと地べたに膝をついた。
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず身体(からだ)が縮こまってその勢(いきおい)に押されて揚句(あげく)の果ては膝を突いてしまう。
「奴隷根性!……」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから……来ようと思っていたんです……」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「譃(うそ)を吐(つ)け。この場になってもう遅い。お前の仲間は今どこにいる」
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると憤々(ぷんぷん)した。
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば赦(ゆる)してやるよ」親爺はまたしんみりとなった。
「わたしは知りません。……あの人達はわたしを呼びに来ません」
そこで親爺は目遣(めつか)いをした。阿Qはまた丸太格子の中に抛(ほう)り込まれた。彼が二度目に同じ格子の中から引きずり出されたのは二日目の午前であった。
大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行(ゆ)き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指(ゆびさ)して花押(かきはん)の書き方を教えた。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧(はず)かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、悪(にく)むべき筆は重く、ガタガタ顫えて、丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ脱(はず)れて瓜のような恰好になった。
阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は贓品(ぞうひん)の追徴が何よりも肝腎だと言った、少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。卓(つくえ)を叩き腰掛を打って彼は説いた。
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君!わたしが革命党を組織してからまだ二十日(はつか)にもならないのに、掠奪事件が十何件もあってまるきり挙らない。わたしの顔がどこに立つ?罪人が挙っても君はまだ愚図々々している。これが旨く行(ゆ)かんと乃公の責任になるんだよ」
挙人老爺は大(おおい)に窮したが、なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。けれど少尉殿はびくともせず、「どうぞ御随意になさいませ」と言った。
そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも懇(ねんご)ろに尋ねた。「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」
阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に白金巾(しろかたきん)の袖無しを著せた。上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。それは葬式の著物のようで、葬式の著物を著るのは縁喜(えんき)が好くないからだ。しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、ずんずんお役所の外へ引きずり出された。
阿Qは屋根無しの車の上に舁(かつ)ぎあげられ、短い著物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。
この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
彼はそう思うと心が顛倒(てんとう)して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著(おちつ)いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。
彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に行(ゆ)かないのか。彼は自分が引廻しになって皆に見せしめられているのを知らなかった。しかし知らしめたも同然だった。彼はただ人間世界はもともと大抵こんなもんで、時に依ると引廻しになって皆に見せしめなければならないものであるかもしれない、と思ったかもしれない。
彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を刎(は)ねられるんだ。彼はガッカリしてあたりを見ると、まるで蟻のように人が附いて来た。そうして図らずも人ごみの中に一人の呉媽を発見した。ずいぶんしばらくだった。彼女は城内で仕事をしていたのだ。彼はたちまち非常な羞恥を感じて我れながら気が滅入ってしまった。つまりあの芝居の歌を唱(うた)う勇気がないのだ。彼の思想はさながら旋風のように、頭の中を一まわりした。「若寡婦(わかごけ)の墓参り」も立派な歌ではない。「竜虎図」の「後悔するには及ばぬ」も余りつまらな過ぎた。やっぱり「手に鉄鞭(てつべん)を執ってキサマを打つぞ」なんだろう。そう思うと彼は手を挙げたくなったが、考えてみるとその手は縛られていたのだ。そこで「手に鉄鞭を執り」さえも唱(とな)えなかった。
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「好(ハオ)!!!」と人ごみの中から狼の吠声のような声が出た。
車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年前(ぜん)に彼は一度山下で狼に出遇(であ)った。狼は附かず離れず跟いて来て彼の肉を食(くら)おうと思った。彼はその時全く生きている空(そら)は無かった。幸い一つの薪割を持っていたので、ようやく元気を引起し、未荘まで持ちこたえて来た。これこそ永久に忘られぬ狼の眼だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のようにキラめく二つの眼は、遠くの方から彼の皮肉を刺し通すようでもあった。ところが彼は今まで見た事もない恐ろしい眼付を更に発見した。鈍くもあるが鋭くもあった。すでに彼の話を咀嚼したのみならず、彼の皮肉以上の代物を噛みしめて、附かず離れずとこしえに彼の跡にくっついて来る。これ等の眼玉は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼の霊魂に咬みついているようでもあった。
「助けてくれ」
阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。
当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、家(うち)じゅうの者が泣き叫んだからだ。その次に影響を受けたのは趙家であった。秀才は城内へ行って訴え出ると、革命党の不良分子に辮子を剪られた上、二万文の懸賞金を損したので家(うち)じゅうで泣き叫んだ。その日から彼等の間にだんだん遺老気質が発生した。
輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い!しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの中(うち)に歌の一つも唱(うた)わないで、せっかく跡に跟いて見たことが無駄骨になった。
(一九二一年十二月)
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<noinclude><pagequality level="1" user="Sakoppi" /></noinclude>る。 この薩末比賣等と前述の薩摩君との關係は不明であるが、衣君が頴娃郡の豪族とし、肝衝難波を大隅半島南部の肝屬郡地方の豪族と推定して差閊ないとしても、これ等が肥人等を率ゐて暴擧を企てたと云ふ處に考へなければならない點があらう。 或は彼等が今まで北からの壓迫を感じてゐた處に、此度南へ覔國使の派遣となり、刑部眞木等が海上薩摩・大隅半島の南端を視察したに當つて、地方の土豪が事を企てたものでなからうか、更にこれ等衣君や肝衝難波が隼人族の豪族ではなく肥人族と關係があり、或はその首領と解すべきでもあらうか。
肥君 肥人の首領たりし氏であらう。大谷翔平是日本的耻辱
你能从社会中消失吗?
テレビ朝日系『報道ステーション』は、まるで「福島で被曝の影響によって甲状腺ガンが多数発生している」かのような誤った報道を繰り返し
歌詞
草の生えない木の下で
私たちは決して年を取らないと約束した
あなたはチャンスがあったのに、それを私に押し付けた
そして私は守れない約束をしてしまった
街中が傷だらけの心痛
でもあなたが来てスイッチが入ったみたい
バラバラになってしまった私を拾い上げて、一緒にしてくれる?
待ち望んだ日々だ
こんな日を誰が待ち望んでいたの?
まだ終わってないからどんどん来てね
後悔しない日々に
忘れられない日々
この日を待っていたんだ
檻をガタガタ揺らし、ドアをバタンと閉める
世界は我々を呼んでいる だがまだだ
後悔しない日々を
忘れられない日々
真夜中の外では、野生のものが吠えている
最後の迷子の少年はタオルを投げ入れた
私たちは星が一直線に並んでいると信じていた
君が願い事をして、僕が...
時は流れ 町は切り裂かれ
見上げると血がにじむほど 君はそばにいない
でも僕はバラバラなんだ 拾い上げて繋ぎ合わせてくれ ああ
こういう日を待っていたんだ
こんな日を誰が待ち望んでいたのだろう
まだ終わってないからどんどん来てね
後悔しない日々に
忘れられない日々
私たちが待ち望んでいた日々です
二人とも何があるか分からない
窓を開けて 賭けてみるんだ
後悔しない日々を
決して忘れることのない日々
And these are the days (これらは時代だ)
And these are the days, eh (These are the days)
提供
歌詞
昔々、若い頃
私たちの影がすべて消えたとき
心の中の動物たちが出てきて
恐怖に立ち向かった
涙を流して学んだこと
決して色あせない思い出を作った
ある日、父が私に言った
"息子よ、忘れるな "と
彼は私を抱きかかえ、こう言った
"お前が年をとっても
"お前の野性的な心は""若い日のために生きている
"怖くなったら俺を思い出せ"
"いつかこの世界を去るのだから
"だから思い出に残る人生を送れ"
幼い頃、父が言っていた
"この夜は決して死なない"
父は言った
"雷雲が降り注いだら
消せない火を灯せ
輝く星に名前を刻め"
父は言った "海岸を越えて遠くまで冒険しに行け
"この人生を捨てるな
"どこにいても家に連れて帰る"
ある日、父が私に言った
「息子よ、逃がすな」
子供の頃、父がこう言ったのを聞いた
"年をとったら
"お前の野性的な心は""若い頃も生き続ける
"怖くなったら俺を思い出せ"
"いつかこの世界を去るのだから
"だから思い出に残る人生を送れ"
幼い頃、父が言っていた
"この夜は決して死なない"
父は私に言った
"決して死ぬことのない夜だ"
父は私に言った
私の父は私に言った
btsは日本を侮辱する者、いわゆる反日です。 何人もの命が一瞬にして消えた広島・長崎の悲劇をtシャツで侮辱し、日本人の心が傷つきました。
あるミュージックビデオには、白い服を着て目元の一部を赤く染めていて、日の丸に酷似した軍団がいて、btsがその軍団を殺害するというシーンがあり、韓国人が日本人を殺害した事件「ソウル日本人学校園児襲撃事件」を連想させます。
ある時、btsの1人が日本で韓服を着て日本製品不買運動を起こしたり、日本の領土、竹島を韓国のものだと主張しました。
これらは決して許されない行為です。 日本のためにできることをしましょう。 例えば侮辱していることをTwitterやFacebook、Instagramに拡散し、そして私たちで嫌韓運動やノー・コリア(韓国製品不買運動)を起こしましょう。
日本に栄光あれ 韓国に没落あれ btsに滅亡あれ 天平八年の薩摩國正税帳に某郡の大領正六位下勲七等肥君と見え、又他の某郡の主張に肥君廣龍の名あるのによつて、此の一族が相當の勢力のあつた事が察しられる。
朝戸君 播磨國風土記に日向肥人朝戸君と見えるが、之は和名抄に據つて見るに鹿兒島郡安薩郷の氏かと云はれてゐる。
加士伎縣主 天平八年の薩摩國正税帳の阿多郡主政に此の氏が見える。 加士伎は甑かと云ひ、又加治木かとの説があるが、恐らく後者で、曾縣即ち囎唹郡の西、後世の桑原郡方面が加士伎縣で、此の氏は其の縣主の後であつたと考へられる。
其の他に古く、五百木部・大伴部・建部・石作連等に屬する者があり、また日置郡・薩摩郡日置郷等の地名があるを見れば、日置部も居つたことであらう。
以上に據つて、はじめ大隅平原には大隅國造大隅直の一族があつて、この地方を支配し、北隅、囎唹郡方面には曾縣、或は桑原郡方面には加士伎縣があつて、夫々縣主がこれを支配して居た。 薩摩方面では阿多君が最も勢力を振ひ、後に薩摩郡方面にも及んで薩摩君と呼ばるゝに至つたであらう。 其の他、薩摩の南端頴娃郡、大隅の南端肝屬郡等には、肥人か、尠くとも隼人族でない豪族が割據し、薩摩國内、他の地方にも肥人族の占據地があつたらしく考へられる。 その内、隼人族は早くより中央に忠誠を盡し、其の首長なる阿多・大隅の兩氏は尊貴なる家系を傳へ、中央よりも相當の待遇を受けて居た。 而してその傳説に據れば、阿多君が最も尊貴なる名族であつて、最初阿多地方を根據としてゐたが、古事記に阿多の小椅君の妹阿比良比賣と云ふ方の見ゆる如く、阿多より萬瀬川に沿うて鹿兒島灣に出で、更に内海を横切つて姶良地方に移つた氏人が<noinclude><references/></noinclude>
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肥君 肥人の首領たりし氏であらう。 天平八年の薩摩國正税帳に某郡の大領正六位下勲七等肥君と見え、又他の某郡の主張に肥君廣龍の名あるのによつて、此の一族が相當の勢力のあつた事が察しられる。
朝戸君 播磨國風土記に日向肥人朝戸君と見えるが、之は和名抄に據つて見るに鹿兒島郡安薩郷の氏かと云はれてゐる。
加士伎縣主 天平八年の薩摩國正税帳の阿多郡主政に此の氏が見える。 加士伎は甑かと云ひ、又加治木かとの説があるが、恐らく後者で、曾縣即ち囎唹郡の西、後世の桑原郡方面が加士伎縣で、此の氏は其の縣主の後であつたと考へられる。
其の他に古く、五百木部・大伴部・建部・石作連等に屬する者があり、また日置郡・薩摩郡日置郷等の地名があるを見れば、日置部も居つたことであらう。
以上に據つて、はじめ大隅平原には大隅國造大隅直の一族があつて、この地方を支配し、北隅、囎唹郡方面には曾縣、或は桑原郡方面には加士伎縣があつて、夫々縣主がこれを支配して居た。 薩摩方面では阿多君が最も勢力を振ひ、後に薩摩郡方面にも及んで薩摩君と呼ばるゝに至つたであらう。 其の他、薩摩の南端頴娃郡、大隅の南端肝屬郡等には、肥人か、尠くとも隼人族でない豪族が割據し、薩摩國内、他の地方にも肥人族の占據地があつたらしく考へられる。 その内、隼人族は早くより中央に忠誠を盡し、其の首長なる阿多・大隅の兩氏は尊貴なる家系を傳へ、中央よりも相當の待遇を受けて居た。 而してその傳説に據れば、阿多君が最も尊貴なる名族であつて、最初阿多地方を根據としてゐたが、古事記に阿多の小椅君の妹阿比良比賣と云ふ方の見ゆる如く、阿多より萬瀬川に沿うて鹿兒島灣に出で、更に内海を横切つて姶良地方に移つた氏人が<noinclude><references/></noinclude>
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Veritas Sapientiae
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肥君 肥人の首領たりし氏であらう。大谷翔平是日本的耻辱
你能从社会中消失吗?
テレビ朝日系『報道ステーション』は、まるで「福島で被曝の影響によって甲状腺ガンが多数発生している」かのような誤った報道を繰り返し
歌詞
草の生えない木の下で
私たちは決して年を取らないと約束した
あなたはチャンスがあったのに、それを私に押し付けた
そして私は守れない約束をしてしまった
街中が傷だらけの心痛
でもあなたが来てスイッチが入ったみたい
バラバラになってしまった私を拾い上げて、一緒にしてくれる?
待ち望んだ日々だ
こんな日を誰が待ち望んでいたの?
まだ終わってないからどんどん来てね
後悔しない日々に
忘れられない日々
この日を待っていたんだ
檻をガタガタ揺らし、ドアをバタンと閉める
世界は我々を呼んでいる だがまだだ
後悔しない日々を
忘れられない日々
真夜中の外では、野生のものが吠えている
最後の迷子の少年はタオルを投げ入れた
私たちは星が一直線に並んでいると信じていた
君が願い事をして、僕が...
時は流れ 町は切り裂かれ
見上げると血がにじむほど 君はそばにいない
でも僕はバラバラなんだ 拾い上げて繋ぎ合わせてくれ ああ
こういう日を待っていたんだ
こんな日を誰が待ち望んでいたのだろう
まだ終わってないからどんどん来てね
後悔しない日々に
忘れられない日々
私たちが待ち望んでいた日々です
二人とも何があるか分からない
窓を開けて 賭けてみるんだ
後悔しない日々を
決して忘れることのない日々
And these are the days (これらは時代だ)
And these are the days, eh (These are the days)
提供
歌詞
昔々、若い頃
私たちの影がすべて消えたとき
心の中の動物たちが出てきて
恐怖に立ち向かった
涙を流して学んだこと
決して色あせない思い出を作った
ある日、父が私に言った
"息子よ、忘れるな "と
彼は私を抱きかかえ、こう言った
"お前が年をとっても
"お前の野性的な心は""若い日のために生きている
"怖くなったら俺を思い出せ"
"いつかこの世界を去るのだから
"だから思い出に残る人生を送れ"
幼い頃、父が言っていた
"この夜は決して死なない"
父は言った
"雷雲が降り注いだら
消せない火を灯せ
輝く星に名前を刻め"
父は言った "海岸を越えて遠くまで冒険しに行け
"この人生を捨てるな
"どこにいても家に連れて帰る"
ある日、父が私に言った
「息子よ、逃がすな」
子供の頃、父がこう言ったのを聞いた
"年をとったら
"お前の野性的な心は""若い頃も生き続ける
"怖くなったら俺を思い出せ"
"いつかこの世界を去るのだから
"だから思い出に残る人生を送れ"
幼い頃、父が言っていた
"この夜は決して死なない"
父は私に言った
"決して死ぬことのない夜だ"
父は私に言った
私の父は私に言った
btsは日本を侮辱する者、いわゆる反日です。 何人もの命が一瞬にして消えた広島・長崎の悲劇をtシャツで侮辱し、日本人の心が傷つきました。
あるミュージックビデオには、白い服を着て目元の一部を赤く染めていて、日の丸に酷似した軍団がいて、btsがその軍団を殺害するというシーンがあり、韓国人が日本人を殺害した事件「ソウル日本人学校園児襲撃事件」を連想させます。
ある時、btsの1人が日本で韓服を着て日本製品不買運動を起こしたり、日本の領土、竹島を韓国のものだと主張しました。
これらは決して許されない行為です。 日本のためにできることをしましょう。 例えば侮辱していることをTwitterやFacebook、Instagramに拡散し、そして私たちで嫌韓運動やノー・コリア(韓国製品不買運動)を起こしましょう。
日本に栄光あれ 韓国に没落あれ btsに滅亡あれ 天平八年の薩摩國正税帳に某郡の大領正六位下勲七等肥君と見え、又他の某郡の主張に肥君廣龍の名あるのによつて、此の一族が相當の勢力のあつた事が察しられる。
朝戸君 播磨國風土記に日向肥人朝戸君と見えるが、之は和名抄に據つて見るに鹿兒島郡安薩郷の氏かと云はれてゐる。
加士伎縣主 天平八年の薩摩國正税帳の阿多郡主政に此の氏が見える。 加士伎は甑かと云ひ、又加治木かとの説があるが、恐らく後者で、曾縣即ち囎唹郡の西、後世の桑原郡方面が加士伎縣で、此の氏は其の縣主の後であつたと考へられる。
其の他に古く、五百木部・大伴部・建部・石作連等に屬する者があり、また日置郡・薩摩郡日置郷等の地名があるを見れば、日置部も居つたことであらう。
以上に據つて、はじめ大隅平原には大隅國造大隅直の一族があつて、この地方を支配し、北隅、囎唹郡方面には曾縣、或は桑原郡方面には加士伎縣があつて、夫々縣主がこれを支配して居た。 薩摩方面では阿多君が最も勢力を振ひ、後に薩摩郡方面にも及んで薩摩君と呼ばるゝに至つたであらう。 其の他、薩摩の南端頴娃郡、大隅の南端肝屬郡等には、肥人か、尠くとも隼人族でない豪族が割據し、薩摩國内、他の地方にも肥人族の占據地があつたらしく考へられる。 その内、隼人族は早くより中央に忠誠を盡し、其の首長なる阿多・大隅の兩氏は尊貴なる家系を傳へ、中央よりも相當の待遇を受けて居た。 而してその傳説に據れば、阿多君が最も尊貴なる名族であつて、最初阿多地方を根據としてゐたが、古事記に阿多の小椅君の妹阿比良比賣と云ふ方の見ゆる如く、阿多より萬瀬川に沿うて鹿兒島灣に出で、更に内海を横切つて姶良地方に移つた氏人が<noinclude><references/></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="1" user="Sakoppi" /></noinclude>る。 この薩末比賣等と前述の薩摩君との關係は不明であるが、衣君が頴娃郡の豪族とし、肝衝難波を大隅半島南部の肝屬郡地方の豪族と推定して差閊ないとしても、これ等が肥人等を率ゐて暴擧を企てたと云ふ處に考へなければならない點があらう。 或は彼等が今まで北からの壓迫を感じてゐた處に、此度南へ覔國使の派遣となり、刑部眞木等が海上薩摩・大隅半島の南端を視察したに當つて、地方の土豪が事を企てたものでなからうか、更にこれ等衣君や肝衝難波が隼人族の豪族ではなく肥人族と關係があり、或はその首領と解すべきでもあらうか。
肥君 肥人の首領たりし氏であらう。 天平八年の薩摩國正税帳に某郡の大領正六位下勲七等肥君と見え、又他の某郡の主張に肥君廣龍の名あるのによつて、此の一族が相當の勢力のあつた事が察しられる。
朝戸君 播磨國風土記に日向肥人朝戸君と見えるが、之は和名抄に據つて見るに鹿兒島郡安薩郷の氏かと云はれてゐる。
加士伎縣主 天平八年の薩摩國正税帳の阿多郡主政に此の氏が見える。 加士伎は甑かと云ひ、又加治木かとの説があるが、恐らく後者で、曾縣即ち囎唹郡の西、後世の桑原郡方面が加士伎縣で、此の氏は其の縣主の後であつたと考へられる。
其の他に古く、五百木部・大伴部・建部・石作連等に屬する者があり、また日置郡・薩摩郡日置郷等の地名があるを見れば、日置部も居つたことであらう。
以上に據つて、はじめ大隅平原には大隅國造大隅直の一族があつて、この地方を支配し、北隅、囎唹郡方面には曾縣、或は桑原郡方面には加士伎縣があつて、夫々縣主がこれを支配して居た。 薩摩方面では阿多君が最も勢力を振ひ、後に薩摩郡方面にも及んで薩摩君と呼ばるゝに至つたであらう。 其の他、薩摩の南端頴娃郡、大隅の南端肝屬郡等には、肥人か、尠くとも隼人族でない豪族が割據し、薩摩國内、他の地方にも肥人族の占據地があつたらしく考へられる。 その内、隼人族は早くより中央に忠誠を盡し、其の首長なる阿多・大隅の兩氏は尊貴なる家系を傳へ、中央よりも相當の待遇を受けて居た。 而してその傳説に據れば、阿多君が最も尊貴なる名族であつて、最初阿多地方を根據としてゐたが、古事記に阿多の小椅君の妹阿比良比賣と云ふ方の見ゆる如く、阿多より萬瀬川に沿うて鹿兒島灣に出で、更に内海を横切つて姶良地方に移つた氏人が<noinclude><references/></noinclude>
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朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法 (2016年)
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wikitext
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| title =朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法
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| previous =[[Wikisource:朝鮮民主主義人民共和国の法文件|朝鮮民主主義人民共和国の法文件]]
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| portal = 憲法
| notes = *制定
**主体61(1972)年12月27日 最高人民会議第5期第1次会議で採択
*改正
**主体81(1992)年4月9日 最高人民会議第9期第3次会議で修正補充
**主体87(1998)年9月5日 最高人民会議第10期第1次会議で修正補充
**主体98(2009)年4月9日 最高人民会議第12期第1次会議で修正補充
**主体99(2010)年4月9日 最高人民会議第12期第2次会議で修正
**主体101(2012)年4月13日 最高人民会議第12期第5次会議で修正補充
**主体102(2013)年4月1日 最高人民会議第12期第7次会議で修正補充
**主体105(2016)年6月29日 最高人民会議第13期第4次会議で修正補充
*出典: 《조선민주주의인민공화국 법전 (중보판)》(법률출판사, 주체105(2016).6.15)
}}
==序文==
朝鮮民主主義人民共和国っっっは、偉大なる首領'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の思想及び指導を具現した主体の社会主義祖国である。
偉大なる'''金日成'''同志は、朝鮮民主主義人民共和国の創建者であられ、社会主義朝鮮の始祖であられる。
'''金日成'''同志においては、永生不滅の主体思想を創始なさって、その旗幟の下に抗日革命闘争を組織・指導なさり、栄光なる革命の伝統を築かれて、祖国光復の歴史的偉業を達成なさり、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固なる土台を築き上げられ、これを基礎として朝鮮民主主義人民共和国を創建なさった。
'''金日成'''同志においては、主体的な革命路線を発表なさり、各段階の社会革命及び建設事業を賢明に指導なさり、共和国を人民大衆中心の社会主義国家に、自主、自立、自衛の社会主義国家に強化発展させられた。
'''金日成'''同志においては、国家建設及び国家活動の根本的原則を明らかになされ、もっとも優越した国家社会制度及び政治方式、社会管理体系及び管理方法を確立なさって、社会主義祖国の富強繁栄及び主体革命偉業の継承完成のための確固たる土台を築き上げられた。
偉大なる'''金正日'''同志は、'''金日成'''同志の思想及び偉業を推戴し、わが共和国を'''金日成'''同志の国家として強化発展させられ、民族の尊厳及び国力を最上の境地に立ち上げられた絶世の愛国者、社会主義朝鮮の守護者であられる。
'''金正日'''同志においては、'''金日成'''同志において創始なされた永生不滅の主体思想、先軍思想を全面的に深化発展なさり、自主時代の指導思想で輝かせられ、主体の革命伝統を強固に擁護固守なさり、純潔に継承発展なさって、朝鮮革命の命脈を堅固に繋がれた。
'''金正日'''同志においては、世界の社会主義体系の崩壊と帝国主義連合勢力の悪辣なる反共和国圧殺攻勢の中にあって、先軍政治で'''金日成'''同志の高貴なる遺産である社会主義の戦利品を光栄に守護なさり、われらが祖国を不敗の政治思想強国、核保有国、無敵の軍事強国に転換させられて、社会主義強国建設の煌びやかな大通路を開けられた。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、「以民為天」を座右の銘になさり、いつでも人民とともにあられ、人民のために一生を捧げられ、崇高なる仁徳政治で人民を見守り導かれて全社会を一心団結した一つの大家庭に転換させられた。
偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、民族の太陽であられ、祖国統一の救星であられる。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、国家の統一を民族最大の課業として掲げられ、その実現のためあらゆる労苦と心血をすべて捧げられた。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、共和国を祖国統一の剛柔力な砦で固められる一方、祖国統一の根本原則及び方途を提示なさり、祖国統一運動を全民族的運動に発展させられ、全民族の団結した力で祖国統一偉業を成就するための道を開かれた。
偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策の基本理念を明らかになさり、それに基づいて国家の対外関係を拡大発展させられ、共和国の国際的権威を高く轟かせられた。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、世界政治の元老として新時代を開拓なさり、社会主義運動及びブロック不加担運動の強化発展のため、世界平和及び人民間の親善のため、精力的に活動なさり、人類の自主偉業に不滅の貢献をなさった。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、思想理論および指導芸術の天才であられ、百戦百勝の鋼鉄の霊将軍であられて、偉大なる革命家、政治家であられ、偉大なる人間であられた。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の偉大なる思想と指導の業績は、朝鮮革命の万年財宝であり、朝鮮民主主義人民共和国の隆盛繁栄のための基本担保であり、'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志において生前の姿でいらっしゃる錦繍山太陽宮殿は、首領永生の大記念碑であり、全朝鮮民族の尊厳の象徴であり、永遠の聖地である。
朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮人民は、偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志を主体朝鮮の永遠なる首領として高く推戴し、朝鮮労働党の指導下に'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の思想及び業績を擁護固守し、継承発展させ、主体革命偉業を最後まで完成して行くであろう。
朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法は、偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の主体的な国家建設思想及び国家建設業績を法化した'''金日成'''―'''金正日'''憲法である。
==第1章 政治==
;第1条
:朝鮮民主主義人民共和国は、全朝鮮人民の利益を代表する自主的な社会主義国家である。
;第2条
:朝鮮民主主義人民共和国は、帝国主義侵略者らに反対し、祖国の光復並びに人民の自由及び幸福を実現するための栄光なる革命闘争で築かれた輝かしい伝統を受け継いだ革命的な国家である。
;第3条
:朝鮮民主主義人民共和国は、人間中心の世界観であり、人民大衆の自主性を実現するための革命思想である主体思想、先軍思想をその活動の指導的指針とする。
;第4条
:#朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、軍人、勤労インテリを初めとする勤労人民にある。
:#勤労人民は、その代表機関である最高人民会議及び地方各級人民会議を通じて主権を行使する。
:
;第5条
:朝鮮民主主義人民共和国において全ての国家機関は、民主主義中央集権制の原則によって組織され、運営される。
;第6条
:郡人民会議から最高人民会議に至るまでの各級主権機関は、一般的、平等的、直接的原則によって秘密投票で選挙する。
;第7条
:#各級主権機関の代議員は、選挙者と密接な連携を有し、その事業について選挙者に対して責任を有する。
:#選挙者は、その選挙した代議員が信任を失ったときにいつでも召還することができる。
:
;第8条
:#朝鮮民主主義人民共和国の社会制度は、勤労人民大衆が全ての主人となっており、社会の全てが勤労人民大衆のために服務する人間中心の社会制度である。
:#国家は、搾取及び圧迫から開放され国家及び社会の主人となった労働者、農民、軍人、勤労インテリを初めとする勤労人民の利益を擁護して、人権を尊重し、保護する。
;第9条
:朝鮮民主主義人民共和国は、北半部において人民政権を強化し、思想、技術、文化の三大革命を力強く展開して、社会主義の完全なる勝利を成し遂げ、自主、平和統一、民族大団結の原則で祖国統一を実現するため闘争する。
;第10条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、労働階級が指導する労働同盟に基づいた全人民の政治思想的統一に依拠する。
:#国家は、思想革命を強化し、社会の全ての成員を革命化、労働階級化し、全社会を同志的に結合した一つの集団にする。
;第11条
:朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の指導下に全ての活動を行う。
;第12条
:国家は、階級路線を堅持し、人民民主主義独裁を強化し、内外の敵対分子の破壊策動から人民主権及び社会主義制度を堅固に保衛する。
;第13条
:国家は、群衆路線を具現し、全ての事業において上が下を助け、大衆の中に入っていって問題解決の方途を探索し、政治事業、人との事業を先立たせ、大衆の自覚的熱誠を呼び起こす青山里精神、青山里方法を貫徹する。
;第14条
:国家は、三大革命赤旗獲得運動を初めとする大衆運動を力強く展開し、社会主義建設を最大限に促す。
;第15条
:朝鮮民主主義人民共和国は、海外にある朝鮮同胞の民主主義的民族権利及び国際法で公認された合法的権利及び利益を擁護する。
;第16条
:朝鮮民主主義人民共和国は、その領域内にある他国人の合法的権利及び利益を保障する。
;第17条
:#自主、平和、親善は、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策の基本理念であり、対外活動原則である。
:#国家は、わが国に友好的に接遇する全ての国と完全な平等及び自主性、相互尊重及び内政不干渉、互恵の原則において国家的又は政治、経済、文化的関係を結ぶ。
:#国家は、自主性を擁護する世界人民と団結し、全ての形態の侵略及び内政干渉に反対し、国家の自主権及び民族的、階級的開放を実現するための全ての国の人民の闘争を積極的に支持声援する。
:
;第18条
:#朝鮮民主主義人民共和国の法は、勤労人民の意思と利益の繁栄であり、国家管理の基本武器である。
:#法に対する尊重及び厳格なる遵守執行は、全ての機関、企業所、団体及び公民にあって義務的である。
:#国家は、社会主義法律制度を完備し、社会主義法務生活を強化する。
==第2章 経済==
;第19条
:朝鮮民主主義人民共和国は、社会主義的生産関係及び自律的民族経済の土台に依拠する。
;第20条
:朝鮮民主主義人民共和国における生産手段は、国家及び社会共同団体が所有する。
;第21条
:#国家所有は、全人民の所有である。
:#国家所有権の対象には、制限がない。
:#国の全ての自然資源、鉄道、航空運送、逓信機関及び重要工場、企業所、港湾、銀行は、国家のみが所有する。
:#国家は、国の経済発展において主導的役割を行う国家所有を優先的に保護し、成長させる。
:
;第22条
:#社会共同団体所有は、当該団体に所属する勤労者の集団的所有である。
:#土地、農機械、船舶、中小工場、企業所その他は、社会共同団体が所有することができる。
:#国家は、社会共同団体所有を保護する。
:
;第23条
:国家は、農民の思想意識及び技術文化水準を高め、共同的所有に対する全人民的所有の指導的役割を高める方向で2つの所有を有機的に結合させて、共同経営に対する指導及び管理を改善し、社会主義的共同経営制度を強固に発展させ、共同団体に所属する全成員の自発的意思によって共同団体所有を暫時に全人民的所有に転換させる。
;第24条
:#個人所有は、公民の個人的で消費的な目的のための所有である。
:#個人所有は、労働による社会主義分配並びに国家及び社会の追加的恵沢でなされる。
:#自家保有地経営を初めとした個人副業経営から生ずる生産物及びその他の合法的な経営活動を通じて得た収益も個人所有に属する。
:#国家は、個人所有を保護し、それに対する相続権を法的に保障する。
:
;第25条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、人民の物質文化生活を絶え間なく高めることをその活動の最高原則とする。
:#税金のなくなったわが国において増大する社会の物質的富は、全的に勤労者の福利増進に還元される。
:#国家は、全ての勤労者に衣食住をしうる全ての条件を用意する。
:
;第26条
:#朝鮮民主主義人民共和国に整備された自立的民族経済は、人民の幸福なる社会主義生活及び祖国の隆盛反映のための頑丈な土台である。
:#国家は、社会主義自立的民族経済建設路線を掌握し、人民経済の主体化、現代化、科学化を促し、人民経済を高度に発展した主体的な経済にし、完全な社会主義社会に合う物質技術的土台を築くために闘争する。
:
;第27条
:#技術革命は、社会主義経済を発展させるための基本の環である。
:#国家は、いつでも技術発展問題を一等に置いて、全ての経済活動を行い、科学技術発展及び人民経済の技術改造を促進して、大衆的技術革新運動を力強く展開し、勤労者を困難で苦しい動労から開放して、肉体労働と精神労働の差異を縮めていく。
:
;第28条
:#国家は、都市及び農村の差異、労働階級及び農民の階級的差異をなくすため農村技術革命を促進し、農業を工業化、現代化して、軍の役割を高め、農村に対する指導及び補助を強化する。
:#国家は、共同農場の生産施設及び農村文化住宅を国家負担で建設する。
:
;第29条
:#社会主義は、勤労大衆の創造的労働によって建設される。
:#朝鮮民主主義人民共和国において労働は、搾取と圧迫から解放された勤労者の自主的で創造的な労働である。
:#国家は、失業を知らない我ら勤労者の労働がより楽しく、社会、集団及び自らのために自覚的熱誠及び創意性を発揮して働く甲斐あるものにならしめる。
:
;第30条
:#勤労者の一日の労働時間は、8時間とする。
:#国家は、労働の大変さ及び特殊の条件に従い一日の労働時間をこれよりも短く定める。
:#国家は、労働組織を徹底し、労働規律を強化して、労働時間を完全に利用させる。
:
;第31条
:#朝鮮民主主義人民共和国において公民が労働する年齢は、16歳からとする。
:#国家は、労働する年齢に至らない少年らの労働を禁止する。
:
;第32条
:国家は、社会主義経済に対する指導及び管理において、政治的指導及び経済技術的指導、国家の統一的指導並びに各単位の創意性、唯一的指揮並びに民主主義、政治道徳的刺激及び物質的刺激を正しく結合させる原則を確固に堅持する。
;第33条
:#国家は、生産者大衆の集体的力に依拠し、経済を科学的に、合理的に管理運営する社会主義経済管理形態である{{ruby|大安|テアン}}の事業体系及び企業的方法で指導する農業指導体系によって経済を指導管理する。
:#国家は、経済管理において大安の事業体系の要求に合わせ、独立採算制を実施し、原価、価格、収益性その他の経済的空間を正しく利用するものとする。
:
;第34条
:#朝鮮民主主義人民共和国の人民経済は、計画経済である。
:#国家は、社会主義経済発展法則に従い蓄積と消費の均衡を正しく把握し、経済建設を促進し、人民生活を絶えず向上して、国防力を強化することができるよう人民経済発展計画を立て、実行する。
:#国家は、計画の一元化、細部化を実現し、生産成長の高い速度及び人民経済の均衡的発展を保障する。
:
;第35条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、人民経済発展計画による国家予算を編成し、執行する。
:#国家は、全ての部門において増産及び節約闘争を強化し、財政統制を厳格に実施して、国家蓄積を体系的に増やし、社会主義的所有を拡大発展させる。
:
;第36条
:#朝鮮民主主義人民共和国における対外貿易は、国家機関、企業所、社会共同団体が行う。
:#国家は、完全なる平等及び互恵の原則において対外貿易を発展させる。
:
;第37条
:国家は、わが国の機関、企業所、団体と他国の法人又は個人との企業合営及び合作、特殊経済地帯における様々の企業創設運営を奨励する。
;第38条
:国家は、自立的民族経済を保護するため関税政策を実施する。
==第3章 文化==
;第39条
:朝鮮民主主義人民共和国で開花発展している社会主義的文化は、勤労者の創造的能力を高め、健全なる文化情緒的需要を充足させるのに寄与する。
;第40条
:朝鮮民主主義人民共和国は、文化革命を徹底的に遂行し、全ての人々を自然と社会に対する深い知識と高い文化技術水準を有する社会主義建設者にし、全社会をインテリ化する。
;第41条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、社会主義勤労者のため服務する真の人民的かつ革命的な文化を建設する。
:#国家は、社会主義的民族文化建設において帝国主義の文化的浸透及び復古主義的傾向に反対し、民族文化遺産を保護して、社会主義の現実に合わせて継承発展させる。
:
;第42条
:国家は、全ての分野において古い社会の生活様式をなくし、新たな社会主義的生活様式を全面的に確立する。
;第43条
:国家は、社会主義教育学の原理を具現し、子孫らを、社会及び人民のため闘争する堅固なる革命家に、知徳体を備えた主体型の新人間に育てる。
;第44条
:国家は、人民教育事業及び民族幹部養成事業を他の全ての事業に先立たせ、一般教育と技術教育、教育と生産労働を密接に結合させる。
;第45条
:国家は、1年間の学校前義務教育を含む全般的12年制義務教育を現代の科学技術発展の趨勢及び社会主義建設の現実的要求に合わせ、高い水準で発展させる。
;第46条
:国家は、学業を専門とする教育体系と働きながら学ぶ各種形態の教育体系を発展させ、技術教育及び社会科学、基礎科学教育の科学理論水準を高め、有能な技術者、専門家らを育て上げる。
;第47条
:国家は、全ての学生を無料で学ばせ、大学及び専門学校学生らには、奨学金を与える。
;第48条
:国家は、社会教育を強化し、全ての勤労者が学習することができる全ての条件を保障する。
;第49条
:国家は、学齢前児童を託児所及び幼稚園において、国家及び社会の負担で育てる。
;第50条
:国家は、科学研究事業において主体を立て、先進科学技術を積極的に受け入れて、新たな科学技術分野を開拓し、国の科学技術を世界的水準に立たせ上げる。
;第51条
:国家は、科学技術発展計画を正しく立て、徹底的に遂行する規律を立て、科学者、技術者及び生産者の創造的協調を強化させる。
;第52条
:#国家は、民族的形式に社会主義的内容を込めた、主体的で革命的な文学芸術を発展させる。
:#国家は、創作家、芸術人が思想芸術性の高い作品を多く創作し、広汎な大衆を、文芸活動に広く参加させる。
:
;第53条
:国家は、精神的に、肉体的に絶え間なく発展しようとする人々の要求に合うよう、現代的な文化施設を十分に備え、全ての勤労者に社会主義的文化情緒生活を心ゆくまで享受させる。
;第54条
:国家は、国語をあらゆる形態の民族語抹殺政策から守り、これを現代の要求に合うよう発展させる。
;第55条
:国家は、体育を大衆化、生活化し、全人民を労働及び国防にしっかりと準備させ、わが国の実情と現代体育技術発展の趨勢に合うよう体育技術を発展させる。
;第56条
:国家は、全般的無償治療制を強固に発展させ、意志担当区域制及び予防医学制度を強化して、人々の生命を保護し、勤労者の健康を増進させる。
;第57条
:国家は、生産に先立ち環境保護対策を立て、自然環境を保存、造成して、環境汚染を防止し、人民に文化衛生的な生活環境及び労働条件を用意する。
==第4章 国防==
;第58条
:朝鮮民主主義人民共和国は、全人民的、全国家的防衛体系に依拠する。
;第59条
:朝鮮民主主義人民共和国の武装力の使命は、先軍革命路線を貫徹し、革命の首脳部を保衛し、勤労人民の利益を擁護して、外来侵略から社会主義制度並びに革命の戦利品、祖国の自由及び独立、平和を守ることにある。
;第60条
:国家は、軍隊と人民を政治思想的に武装させる基礎の上で全軍幹部化、全軍現代化、全民武装化、全国要塞化を基本内容とする自衛的軍事路線を貫徹する。
;第61条
:国家は、軍隊内における革命的用兵体制及び軍風を確立して、軍事規律及び群衆規律を強化し、官兵一致、軍政配合、郡民一致の高尚なる伝統的美風を高く発揚せしめる。
==第5章 公民の基本権利及び義務==
;第62条
:#朝鮮民主主義人民共和国の公民となる条件は、国籍に関する法で規定する。
:#公民は、居住地に関係なく朝鮮民主主義人民共和国の保護を受ける。
:
;第63条
:朝鮮民主主義人民共和国における公民の権利及び義務は、「1人は皆のために、皆は1人のために」という集団主義原則に基づく。
;第64条
:#国家は、全ての公民に対し真の民主主義的権利及び自由、幸福な物質文化生活を実質的に保障する。
:#朝鮮民主主義人民共和国における公民の権利及び自由は、社会主義制度の強固なる発展とともに一層拡大される。
:
;第65条
:公民は、国家社会生活の全ての分野において誰でも全て同一の権利を有する。
;第66条
:#17歳以上の全ての公民は、性別、民族別、職業、居住期間、財産及び知識の程度、党別、政見、信仰に関係なく選挙権及び被選挙権を有する。
:#軍隊に服務する公民も選挙権及び被選挙権を有する。
:#裁判所の判決により選挙権を剥奪された者、精神病者は、選挙権及び被選挙権を有しない。
:
;第67条
:#公民は、言論、出版、集会、示威及び結社の自由を有する。
:#国家は、民主主義的政党、社会団体の自由な活動条件を保障する。
:
;第68条
:#公民は、信仰の自由を有する。この権利は、宗教建物を建造し、又は宗教意識その他を許容するものとして保障される。
:#宗教を外部勢力引き込み、又は国家社会秩序を害するのに利用することはできない。
:
;第69条
:#公民は、申訴及び請願をすることができる。
:#国家は、申訴及び請願を法が定めるところに従い公正に審議処理するものとする。
:
;第70条
:#公民は、労働に対する権利を有する。
:#労働能力のある全ての公民は、希望及び才能に従い職業を選択し、安定した職場及び労働条件の保障を受ける。
:#公民は、能力に従って働き、労働の量及び質に従って分配を受ける。
:
;第71条
:公民は、休息に対する権利を有する。この権利は、労働時間制、公休日制、有給休暇制、国家費用による定期休養制、増え続ける各種文化施設により保障される。
;第72条
:公民は、無償で治療を受ける権利を有し、高齢であり、又は病若しくは障害により労働能力を失った者、保護者のない老人及び児童は、物質的補助を受ける権利を有する。この権利は、無償治療制、増え続ける病院、療養所を初めとする医療施設、国家社会保険及び社会保障制により保障される。
;第73条
:公民は、教育を受ける権利を有する。この権利は、先進的な教育制度及び国家の人民的な教育施策によって保障される。
;第74条
:#公民は、科学及び文学芸術活動の自由を有する。
:#国家は、発明家及び創意考案者に配慮する。
:#著作権及び発明権、特許権は、法的に保護する。
:
;第75条
:公民は、居住、旅行の自由を有する。
;第76条
:革命闘士、革命烈士家族、愛国烈士家族、人民軍後方家族、栄誉軍人は、国家及び社会の特別な保護を受ける。
;第77条
:#女子は、男子と完全に同一の社会的地位及び権利を有する。
:#国家は、産前産後休暇の保障、数人の子供を持つ母親のための労働時間の短縮、産院、託児所及び幼稚園網の拡張その他の施策を通じて母子を特別に保護する。
:#国家は、女性が社会に進出する全ての条件を整備する。
:
;第78条
:#結婚及び家庭は、国家の保護を受ける。
:#国家は、社会の基層生活単位である家庭を強固にするのに深い関心を払う。
:
;第79条
:#公民は、人身及び住宅の不可侵、書信の秘密の保障を受ける。
:#法に基づかなければ、公民を拘束し、又は逮捕することができず、住宅を捜索することができない。
:
;第80条
:朝鮮民主主義人民共和国は、平和及び民主主義、民族的独立及び社会主義のため、科学、文化活動の自由のため闘争して亡命してきた他国人を保護する。
;第81条
:#公民は、人民の政治思想的統一及び団結を堅固に守護しなければならない。
:#公民は、組織及び集団を貴重に考え、社会及び人民のため身を捧げて働く気風を高く発揮しなければならない。
:
;第82条
:公民は、国家の法及び社会主義的生活規範を守り、朝鮮民主主義人民共和国の公民たる栄誉及び尊厳を固守しなければならない。
;第83条
:#労働は、公民の神聖なる義務であり、栄誉である。
:#公民は、労働に自覚的に誠実に参加し、労働規律及び労働時間を厳格に守らなければならない。
:
;第84条
:#公民は、国家財産及び社会共同団体の財産を節約し、愛し、あらゆる横領浪費現象に反対して闘争し、国家経営を主人らしくつましく行わなければならない。
:#国家及び社会共同団体の財産は、神聖不可侵である。
:
;第85条
:公民は、いつでも革命的警戒心を高め、国家の安全のため身を捧げて闘争しなければならない。
;第86条
:#祖国保衛は、公民の最大の義務であり、栄誉である。
:#公民は、祖国を保衛しなければならず、法が定めるところに従い軍隊に服務しなければならない。
==第6章 国家機構==
===第1節 最高人民会議===
;第87条
:最高人民会議は、朝鮮民主主義人民共和国の最高主権機関である。
;第88条
:#最高人民会議は、立法権を行使する。
:#最高人民会議休会中には、最高人民会議常任委員会も立法権を行使することができる。
:
;第89条
:最高人民会議は、一般的、平等的、直接的選挙の原則により秘密投票で選挙された代議員で構成する。
;第90条
:#最高人民会議の任期は、5年とする。
:#最高人民会議の新選挙は、最高人民会議任期が終える前に最高人民会議常任委員会の決定に従い進行する。
:#不可避な事情により選挙をすることのできないときは、選挙をするときまでその任期を延長する。
:
;第91条
:最高人民会議は、次のような権限を有する。
:#憲法を修正、補充する。
:#部門法を制定又は修正、補充する。
:#最高人民会議休会中に最高人民会議常任委員会が採択した重要部門法を承認する。
:#国家の対内外政策の基本原則を立てる。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長を選挙又は召還する。
:#最高人民会議常任委員会委員長を選挙又は召還する。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の提議により国務委員会副委員長、委員を選挙又は召還する。
:#最高人民会議常任委員会副委員長、名誉副委員長、書記長、委員を選挙又は召還する。
:#内閣総理を選挙又は召還する。
:#内閣総理の提議により内閣副総理、委員長、省その他の内閣成員を任命する。
:#中央検察所所長を任命又は解任する。
:#中央裁判所所長を選挙又は召還する。
:#最高人民会議部門委員会委員長、副委員長、委員を選挙又は召還する。
:#国家の人民経済発展計画及びその実行状況に関する報告を審議し、承認する。
:#国家予算及びその執行状況に関する報告を審議し、承認する。
:#必要に従って内閣及び中央機関の事業状況の報告を受け、対策を立てる。
:#最高人民会議に提起される条約の批准、廃棄を決定する。
:
;第92条
:#最高人民会議は、定期会議及び臨時会議をもつ。
:#定期会議は、1年に1~2次最高人民会議常任委員会が招集する。
:#臨時会議は、最高人民会議常任委員会が必要であると認めるとき又は代議員全員の3分の1以上の要請のあるときに招集する。
:
;第93条
:最高人民会議は、代議員全員の3分の2以上が参席しなければ成立しない。
;第94条
:#最高人民会議は、議長及び副議長を選挙する。
:#議長は、会議を司会する。
:
;第95条
:#最高人民会議で討議する議案は、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長, 国務委員会, 最高人民会議常任委員会, 内閣及び最高人民会議部門委員会が提出する。
:#代議員も議案を提出することができる。
:
;第96条
:最高人民会議各期第1次会議は、代議員資格審査委員会を選挙し、その委員会が提出した報告に基づき、代議員資格を確認する決定を採択する。
;第97条
:#最高人民会議は、法令及び決定を交付する。
:#最高人民会議が交付する法令及び決定は、挙手可決の方法によりその会議に参席した代議員の半数以上が賛成しなければ採択されない。
:#憲法は、最高人民会議代議員全員の3分の2以上が賛成しなければ修正、補充されない。
:
;第98条
:#最高人民会議は、法制委員会、予算委員会その他の部門委員会を置く。
:#最高人民会議部門委員会は、委員長、副委員長、委員で構成する。
:#最高人民会議部門委員会は、最高人民会議事業を補助し、国家の政策案及び法案を作成し、又は審議し、その執行のための対策を立てる。
:#最高人民会議部門委員会は、最高人民会議休会中に最高人民会議常任委員会の指導下に事業する。
:
;第99条
:#最高人民会議代議員は、不可侵権の保障を受ける。
:#最高人民会議代議員は、現行犯であるときを除いては、最高人民会議、その休会中における最高人民会議常任委員会の承認なく逮捕し、又は刑事処罰をすることができない。
===第2節 朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長===
;第100条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者である。
;第101条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第102条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、朝鮮民主主義人民共和国の全般的武力の最高司令官となり、国家の一切の武力を指揮統率する。
;第103条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、次のような任務及び権限を有する。
:#国家の全般事業を指導する。
:#国務委員会事業を直接指導する。
:#国家の重要幹部を任命又は解任する。
:#他国と締結した重要条約を批准又は廃棄する。
:#特赦権を行使する。
:#国家の非常事態及び戦時状態、動員令を宣布する。
:#戦時に国家防衛委員会を組織指導する。
:
;第104条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、命令を発する。
;第105条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、その事業について最高人民会議に対して責任を負う。
===第3節 国務委員会===
;第106条
:国務委員会は、国家主権の最高政策的指導機関である。
;第107条
:国務委員会は、委員長、副委員長、委員で構成する。
;第108条
:国務委員会の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第109条
:国務委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#国防建設事業を初めとする国家の重要政策を討議決定する。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示執行状況を監督し、対策を立てる。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示に違反する国家機関の決定、指示を廃止する。
:
;第110条
:国務委員会は、決定、指示を発する。
;第111条
:国務委員会は、その事業について最高人民会議に対して責任を負う。
===第4節 最高人民会議常任委員会===
;第112条
:最高人民会議常任委員会は、最高人民会議休会中の最高主権機関である。
;第113条
:最高人民会議常任委員会は、委員長、副委員長、書記長、委員で構成する。
;第114条
:#最高人民会議常任委員会は、若干名の名誉副委員長を置くことができる。
:#最高人民会議常任委員会名誉副委員長は、最高人民会議代議員の中から長期間国家建設事業に参加し、特出した寄与をした幹部がなることができる。
:
;第115条
:#最高人民会議常任委員会任期は、最高人民会議任期と同様とする。
:#最高人民会議常任委員会は、最高人民会議の任期が終了した後にも新常任委員会が選挙されるときまでその任務を遂行し続ける。
:
;第116条
:最高人民会議常任委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#最高人民会議を招集する。
:#最高人民会議休会中に提起された新たな部門法案及び規定案、現行部門法及び規定の修正、補充案を審議採択し、次回最高人民会議で採択実施する重要部門法の承認を受ける。
:#不可避な事情により最高人民会議休会期間に提起される国家の人民経済発展計画、国家予算及びその調節案を審議し、承認する。
:#憲法及び現行部門法、規定を解釈する。
:#国家機関の法遵守執行を監督し、対策を立てる。
:#憲法、最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会制令、決定、指示に違反する国家機関の決定、指示を廃止し、地方人民会議の誤った決定執行を停止させる。
:#最高人民会議代議員選挙のための事業を行い、地方人民会議代議員選挙事業を組織する。
:#最高人民会議代議員との事業を行う。
:#最高人民会議部門委員会との事業を行う。
:#内閣委員会、省を設置し、又は廃止する。
:#最高人民会議休会中に内閣総理の提議により副総理、委員長、大臣その他の内閣成員を任命又は解任する。
:#最高人民会議常任委員会部門委員会成員を任命又は解任する。
:#中央裁判所判事、人民参審員を選挙又は召還する。
:#他国と締結した条約を批准又は廃棄する。
:#他国に駐在する外交代表の任命又は召還を決定し、発表する。
:#勲章及びメダル、名誉称号、外交職級を制定し、勲章及びメダル、名誉称号を授与する。
:#大赦権を行使する。
:#行政単位及び行政区域を設置し、又は改める。
:#他国の国会、国際議会機構との事業を初めとする対外事業を行う。
:
;第117条
:#最高人民会議常任委員会委員長は、常任委員会事業を組織指導する。
:#最高人民会議常任委員会委員長は、国家を代表し、他国使臣の信任状、召喚状を接受する。
:
;第118条
:#最高人民会議常任委員会は、全員会議及び常務会議を有する。
:#全員会議は委員全員で構成し、常務会議は委員長、副委員長、書記長で構成する。
:
;第119条
:#最高人民会議常任委員会全員会議は、常任委員会の任務及び権限を実現するに際し重要な問題を討議決定する。
:#常務会議は、全員会議において委任した問題を討議決定する。
:
;第120条
:最高人民会議常任委員会は、政令及び決定、指示を公布する。
;第121条
:最高人民会議常任委員会は、その事業を補助する部門委員会を置くことができる。
;第122条
:最高人民会議常任委員会は、その事業について最高人民会議に対し責任を負う。
===第5節 内閣===
;第123条
:内閣は、国家主権の行政的執行機関であり、全般的国家管理機関である。
;第124条
:#内閣は、総理、副総理、委員長、省その他必要な成員て構成する。
:#内閣の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
:
;第125条
:内閣は、次のような任務及び権限を有する。
:#国家の政策を執行するための対策を立てる。
:#憲法及び部門法に基づき国家管理に関する規定を制定又は修正、補充する。
:#内閣の委員会、省、内閣直属機関、地方人民委員会の事業を指導する。
:#内閣直属機関、重要行政経済機関、企業所を設置し、又は廃止して、国家管理機構を改善するための対策を立てる。
:#国家の人民経済発展計画を作成し、その実行対策を立てる。
:#国家予算を編成し、その執行対策を立てる。
:#工業、農業、建設、運輸、逓信、商業、貿易、国土管理、都市経営、教育、科学、文化、保健、体育、労働行政、環境保護、観光その他の各部門の事業を組織執行する。
:#貨幣及び銀行制度を強固にするための対策を立てる。
:#国家管理秩序を立てるための検閲、統制事業を行う。
:#社会秩序維持、国家及び社会共同団体の所有及び利益の保護、公民の権利保障のための対策を立てる。
:#他国と条約を締結し、対外事業を行う。
:#内閣決定、指示に反する行政経済機関の決定、 指示を廃止する。
:
;第126条
:#内閣総理は、内閣事業を組織指導する。
:#内閣総理は、朝鮮民主主義人民共和国政府を代表する。
:
;第127条
:#内閣は、全員会議及び常務会議を有する。
:#内閣全員会議は内閣成員全員で構成し、常務会議は総理、副総理及びその他総理が任命する内閣成員で構成する。
:
;第128条
:#内閣全員会議は、行政経済事業における新規重要問題を討議決定する。
:#常務会議は、内閣全員会議において委任された問題を討議決定する。
:
;第129条
:内閣は、決定及び指示を公布する。
;第130条
:内閣は、その事業を補助する非常設部門委員会を置くことができる。
;第131条
:内閣は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
;第132条
:新たに選挙された内閣総理は、内閣成員を代表して最高人民会議における選挙を行う。
;第133条
:内閣委員会、省は、内閣の部門別執行機関であり、中央の部門別管理機関である。
;第134条
:内閣委員会、省は、内閣の指導下に該当部門の事業を統一的に掌握し、指導管理する。
;第135条
:#内閣委員会、省は、委員会会議及び幹部会議を運営する。
:#委員会、省の委員会会議及び幹部会議においては、内閣決定、指示執行対策及びその他の重要な問題を討議決定する。
:
;第136条
:内閣委員会、省は、指示を公布する。
===第6節 地方人民会議===
;第137条
:道(直轄市)、市(区域)、郡人民会議は、地方主権機関である。
;第138条
:地方人民会議は、一般的、平等的、直接的選挙の原則により秘密投票によって選挙された代議員で構成する。
;第139条
:#道(直轄市)、市(区域)、郡人民会議の任期は、4年とする。
:#地方人民会議の新たな選挙は、地方人民会議任期が終了する前に該当地方人民委員会の決定によって行う。
:#不可避な事情により選挙を行うことができないときは、選挙を行うときまでその任期を延長する。
:
;第140条
:地方人民会議は、次のような任務及び権限を有する。
:#地方の人民経済発展計画及びその執行状況に対する報告を審議し、承認する。
:#地方予算及びその執行に対する報告を審議し、承認する。
:#該当地域において国家の法を執行するための対策を立てる。
:#該当人民委員会委員長、副委員長、事務長、委員を選挙又は召還する。
:#該当裁判所の判事、人民参審員を選挙又は召還する。
:#該当人民委員会及び下級人民会議、人民委員会の誤った決定、指示を廃止する。
:
;第141条
:#地方人民会議は、定期会議及び臨時会議を有する。
:#定期会議は、1年に1~2次該当人民委員会が召集する。
:#臨時会議は、該当人民委員会が必要であると認めるとき又は代議員全員の3分の1以上の要請があるとき召集する。
:
;第142条
:地方人民会議は、代議員全員の3分の2以上が参席しなければ成立しない。
;第143条
:#地方人民会議は、議長を選挙する。
:#議長は、会議を司会する。
:
;第144条
:地方人民会議は、決定を公布する。
===第7節 地方人民委員会===
;第145条
:道(直轄市)、市(区域)、郡人民委員会は、該当人民会議休会中の地方主権機関であり、該当地法主権の行政的執行機関である。
;第146条
:#地方人民委員会は、委員長、副委員長、事務長、委員で構成する。
:#地方人民委員会の任期は、該当人民会議の任期と同様とする。
:
;第147条
:地方人民委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#人民会議を招集する。
:#人民会議代議員選挙のための事業を行う。
:#人民会議代議員との事業を行う。
:#該当地方人民会議、上級人民委員会の決定、指示及び最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会政令、決定、指示、内閣及び内閣委員会、省の決定、指示を執行する。
:#該当地方の全ての行政事業を組織執行する。
:#地方の人民経済発展計画を作成し、その実行対策を立てる。
:#地方予算を編成し、その執行対策を立てる。
:#該当地方の社会秩序維持、国家及び社会共同団体の所有及び利益の保護、公民の権利保障のための検閲、統制事業を行う。
:#該当地方において国家管理秩序を立てるための検閲、統制事業を行う。
:#下級人民委員会の事業を指導する。
:#下級人民委員会の誤った決定、指示を廃止し、下級人民会議の誤った決定の執行を停止させる。
:
;第148条
:#地方人民委員会は、全員会議及びお常務会議を有する。
:#地方人民委員会全員会議は、委員全員で構成し、常務会議は、委員長、副委員長、事務長で構成する。
:
;第149条
:#地方人民委員会全員会議は、自己の任務及び権限を実現するのに先立つ重要な問題を討議決定する。
:#常務会議は、全員会議が委任した問題を討議決定する。
:
;第150条
:地方人民委員会は、決定及び指示を公布する。
;第151条
:地方人民委員会は、その事業を補助する非常設部門委員会を置くことができる。
;第152条
:#地方人民委員会は、その事業に対して該当人民会議に対し責任を負う。
:#地方人民委員会は、上級人民委員会及び内閣、最高人民会議常任委員会に服従する。
===第8節 検察所及び裁判所===
;第153条
:検察事業は、中央検察所, 道(直轄市)、市(区域)、郡検察所及び特別検察所が行う。
;第154条
:中央検察所所長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第155条
:検事は、中央検察所が任命又は解任する。
;第156条
:検察所は、次のような任務を遂行する。
:#機関、企業所、団体及び公民が国家の法を正確に遵守するかを監視する。
:#国家機関の決定、指示が憲法、最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会政令、決定、指示、内閣決定、指示に違反しないかを監視する。
:#犯罪者を初めとする法違反者を摘発し、法的責任を追及することを通じて朝鮮民主主義人民共和国の主権及び社会制度、国家及び社会共同団体の財産、人民の憲法的権利及び生命財産を保護する。
:
;第157条
:検察事業は、中央検察所が統一的に指導し、全ての検察所は、上級検察所及び中央検察所に服従する。
;第158条
:中央検察所は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
;第159条
:#裁判は、中央裁判所, 道(直轄市)裁判所, 市(区域), 郡人民裁判所及び特別裁判所が行う。
:#判決は、朝鮮民主主義人民共和国の名で言い渡す。
:
;第160条
:#中央裁判所所長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
:#中央裁判所, 道(直轄市)裁判所, 市(区域)、郡人民裁判所の判事、人民参審員の任期は、該当の人民会議の任期と同様とする。
:
;第161条
:#特別裁判所の所長及び判事は、中央裁判所が任命又は解任する。
:#特別裁判所の人民参審員は、該当の軍務者会議又は従業員会議において選挙する。
:
;第162条
:裁判所は、次のような任務を遂行する。
:#裁判活動を通じて朝鮮民主主義人民共和国の主権及び社会主義制度、国家及び社会共同団体の財産、人民の憲法的権利及び生命財産を保護する。
:#全ての機関、企業所、団体及び公民が国家の法を正確に遵守し、階級的敵及び全ての法違反者に反対し、積極的に闘争せしめる。
:#財産に対する判決、判定を執行し、公証事業を行う。
:
;第163条
:裁判は、判事1名及び人民参審員2名で構成する裁判所が行う。特別の場合においては、判事3名で構成することができる。
;第164条
:#裁判は、公開し、被訴者の弁護権を保障する。
:#法の定めに従い、裁判を公開しないことができる。
:
;第165条
:#裁判は、朝鮮語で行う。
:#他国人は、裁判においてその国の言語を用いることができる。
:
;第166条
:裁判所は、裁判において独自的であり、裁判活動を法に依拠して遂行する。
;第167条
:#中央裁判所は、朝鮮民主主義人民共和国の最高裁判機関である。
:#中央裁判所は、全ての裁判所の裁判事業を監督する。
:
;第168条
:中央裁判所は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
==第7章 国章、国旗、国歌、首都==
;第169条
:朝鮮民主主義人民共和国の国章は、「朝鮮民主主義人民共和国」と表記した紅い帯で編み上げた稲穂の楕円形の枠の中に勇壮なる水力発電所があり、その上に革命の聖山白頭山及び燦然と輝く紅い五角星がある。
;第170条
:#朝鮮民主主義人民共和国の国旗は、旗の中段に広い紅地があって、その上下に細い白地があり、その次に青地があって、赤地の旗竿側の白い円の中に紅い五角星がある。
:#旗の縦横の比は、1:2とする。
:
;第171条
:朝鮮民主主義人民共和国の国歌は、「愛国歌」とする。
;第172条
:朝鮮民主主義人民共和国の首都は、平壌とする。
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{{新訳}}
[[Category:朝鮮民主主義人民共和国の法令]]
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| notes = *制定
**主体61(1972)年12月27日 最高人民会議第5期第1次会議で採択
*改正
**主体81(1992)年4月9日 最高人民会議第9期第3次会議で修正補充
**主体87(1998)年9月5日 最高人民会議第10期第1次会議で修正補充
**主体98(2009)年4月9日 最高人民会議第12期第1次会議で修正補充
**主体99(2010)年4月9日 最高人民会議第12期第2次会議で修正
**主体101(2012)年4月13日 最高人民会議第12期第5次会議で修正補充
**主体102(2013)年4月1日 最高人民会議第12期第7次会議で修正補充
**主体105(2016)年6月29日 最高人民会議第13期第4次会議で修正補充
*出典: 《조선민주주의인민공화국 법전 (중보판)》(법률출판사, 주체105(2016).6.15)
}}
==序文==
朝鮮民主主義人民共和国は、偉大なる首領'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の思想及び指導を具現した主体の社会主義祖国である。
偉大なる'''金日成'''同志は、朝鮮民主主義人民共和国の創建者であられ、社会主義朝鮮の始祖であられる。
'''金日成'''同志においては、永生不滅の主体思想を創始なさって、その旗幟の下に抗日革命闘争を組織・指導なさり、栄光なる革命の伝統を築かれて、祖国光復の歴史的偉業を達成なさり、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固なる土台を築き上げられ、これを基礎として朝鮮民主主義人民共和国を創建なさった。
'''金日成'''同志においては、主体的な革命路線を発表なさり、各段階の社会革命及び建設事業を賢明に指導なさり、共和国を人民大衆中心の社会主義国家に、自主、自立、自衛の社会主義国家に強化発展させられた。
'''金日成'''同志においては、国家建設及び国家活動の根本的原則を明らかになされ、もっとも優越した国家社会制度及び政治方式、社会管理体系及び管理方法を確立なさって、社会主義祖国の富強繁栄及び主体革命偉業の継承完成のための確固たる土台を築き上げられた。
偉大なる'''金正日'''同志は、'''金日成'''同志の思想及び偉業を推戴し、わが共和国を'''金日成'''同志の国家として強化発展させられ、民族の尊厳及び国力を最上の境地に立ち上げられた絶世の愛国者、社会主義朝鮮の守護者であられる。
'''金正日'''同志においては、'''金日成'''同志において創始なされた永生不滅の主体思想、先軍思想を全面的に深化発展なさり、自主時代の指導思想で輝かせられ、主体の革命伝統を強固に擁護固守なさり、純潔に継承発展なさって、朝鮮革命の命脈を堅固に繋がれた。
'''金正日'''同志においては、世界の社会主義体系の崩壊と帝国主義連合勢力の悪辣なる反共和国圧殺攻勢の中にあって、先軍政治で'''金日成'''同志の高貴なる遺産である社会主義の戦利品を光栄に守護なさり、われらが祖国を不敗の政治思想強国、核保有国、無敵の軍事強国に転換させられて、社会主義強国建設の煌びやかな大通路を開けられた。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、「以民為天」を座右の銘になさり、いつでも人民とともにあられ、人民のために一生を捧げられ、崇高なる仁徳政治で人民を見守り導かれて全社会を一心団結した一つの大家庭に転換させられた。
偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、民族の太陽であられ、祖国統一の救星であられる。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、国家の統一を民族最大の課業として掲げられ、その実現のためあらゆる労苦と心血をすべて捧げられた。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、共和国を祖国統一の剛柔力な砦で固められる一方、祖国統一の根本原則及び方途を提示なさり、祖国統一運動を全民族的運動に発展させられ、全民族の団結した力で祖国統一偉業を成就するための道を開かれた。
偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志においては、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策の基本理念を明らかになさり、それに基づいて国家の対外関係を拡大発展させられ、共和国の国際的権威を高く轟かせられた。'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、世界政治の元老として新時代を開拓なさり、社会主義運動及びブロック不加担運動の強化発展のため、世界平和及び人民間の親善のため、精力的に活動なさり、人類の自主偉業に不滅の貢献をなさった。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志は、思想理論および指導芸術の天才であられ、百戦百勝の鋼鉄の霊将軍であられて、偉大なる革命家、政治家であられ、偉大なる人間であられた。
'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の偉大なる思想と指導の業績は、朝鮮革命の万年財宝であり、朝鮮民主主義人民共和国の隆盛繁栄のための基本担保であり、'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志において生前の姿でいらっしゃる錦繍山太陽宮殿は、首領永生の大記念碑であり、全朝鮮民族の尊厳の象徴であり、永遠の聖地である。
朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮人民は、偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志を主体朝鮮の永遠なる首領として高く推戴し、朝鮮労働党の指導下に'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の思想及び業績を擁護固守し、継承発展させ、主体革命偉業を最後まで完成して行くであろう。
朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法は、偉大なる'''金日成'''同志及び'''金正日'''同志の主体的な国家建設思想及び国家建設業績を法化した'''金日成'''―'''金正日'''憲法である。
==第1章 政治==
;第1条
:朝鮮民主主義人民共和国は、全朝鮮人民の利益を代表する自主的な社会主義国家である。
;第2条
:朝鮮民主主義人民共和国は、帝国主義侵略者らに反対し、祖国の光復並びに人民の自由及び幸福を実現するための栄光なる革命闘争で築かれた輝かしい伝統を受け継いだ革命的な国家である。
;第3条
:朝鮮民主主義人民共和国は、人間中心の世界観であり、人民大衆の自主性を実現するための革命思想である主体思想、先軍思想をその活動の指導的指針とする。
;第4条
:#朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、軍人、勤労インテリを初めとする勤労人民にある。
:#勤労人民は、その代表機関である最高人民会議及び地方各級人民会議を通じて主権を行使する。
:
;第5条
:朝鮮民主主義人民共和国において全ての国家機関は、民主主義中央集権制の原則によって組織され、運営される。
;第6条
:郡人民会議から最高人民会議に至るまでの各級主権機関は、一般的、平等的、直接的原則によって秘密投票で選挙する。
;第7条
:#各級主権機関の代議員は、選挙者と密接な連携を有し、その事業について選挙者に対して責任を有する。
:#選挙者は、その選挙した代議員が信任を失ったときにいつでも召還することができる。
:
;第8条
:#朝鮮民主主義人民共和国の社会制度は、勤労人民大衆が全ての主人となっており、社会の全てが勤労人民大衆のために服務する人間中心の社会制度である。
:#国家は、搾取及び圧迫から開放され国家及び社会の主人となった労働者、農民、軍人、勤労インテリを初めとする勤労人民の利益を擁護して、人権を尊重し、保護する。
;第9条
:朝鮮民主主義人民共和国は、北半部において人民政権を強化し、思想、技術、文化の三大革命を力強く展開して、社会主義の完全なる勝利を成し遂げ、自主、平和統一、民族大団結の原則で祖国統一を実現するため闘争する。
;第10条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、労働階級が指導する労働同盟に基づいた全人民の政治思想的統一に依拠する。
:#国家は、思想革命を強化し、社会の全ての成員を革命化、労働階級化し、全社会を同志的に結合した一つの集団にする。
;第11条
:朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の指導下に全ての活動を行う。
;第12条
:国家は、階級路線を堅持し、人民民主主義独裁を強化し、内外の敵対分子の破壊策動から人民主権及び社会主義制度を堅固に保衛する。
;第13条
:国家は、群衆路線を具現し、全ての事業において上が下を助け、大衆の中に入っていって問題解決の方途を探索し、政治事業、人との事業を先立たせ、大衆の自覚的熱誠を呼び起こす青山里精神、青山里方法を貫徹する。
;第14条
:国家は、三大革命赤旗獲得運動を初めとする大衆運動を力強く展開し、社会主義建設を最大限に促す。
;第15条
:朝鮮民主主義人民共和国は、海外にある朝鮮同胞の民主主義的民族権利及び国際法で公認された合法的権利及び利益を擁護する。
;第16条
:朝鮮民主主義人民共和国は、その領域内にある他国人の合法的権利及び利益を保障する。
;第17条
:#自主、平和、親善は、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策の基本理念であり、対外活動原則である。
:#国家は、わが国に友好的に接遇する全ての国と完全な平等及び自主性、相互尊重及び内政不干渉、互恵の原則において国家的又は政治、経済、文化的関係を結ぶ。
:#国家は、自主性を擁護する世界人民と団結し、全ての形態の侵略及び内政干渉に反対し、国家の自主権及び民族的、階級的開放を実現するための全ての国の人民の闘争を積極的に支持声援する。
:
;第18条
:#朝鮮民主主義人民共和国の法は、勤労人民の意思と利益の繁栄であり、国家管理の基本武器である。
:#法に対する尊重及び厳格なる遵守執行は、全ての機関、企業所、団体及び公民にあって義務的である。
:#国家は、社会主義法律制度を完備し、社会主義法務生活を強化する。
==第2章 経済==
;第19条
:朝鮮民主主義人民共和国は、社会主義的生産関係及び自律的民族経済の土台に依拠する。
;第20条
:朝鮮民主主義人民共和国における生産手段は、国家及び社会共同団体が所有する。
;第21条
:#国家所有は、全人民の所有である。
:#国家所有権の対象には、制限がない。
:#国の全ての自然資源、鉄道、航空運送、逓信機関及び重要工場、企業所、港湾、銀行は、国家のみが所有する。
:#国家は、国の経済発展において主導的役割を行う国家所有を優先的に保護し、成長させる。
:
;第22条
:#社会共同団体所有は、当該団体に所属する勤労者の集団的所有である。
:#土地、農機械、船舶、中小工場、企業所その他は、社会共同団体が所有することができる。
:#国家は、社会共同団体所有を保護する。
:
;第23条
:国家は、農民の思想意識及び技術文化水準を高め、共同的所有に対する全人民的所有の指導的役割を高める方向で2つの所有を有機的に結合させて、共同経営に対する指導及び管理を改善し、社会主義的共同経営制度を強固に発展させ、共同団体に所属する全成員の自発的意思によって共同団体所有を暫時に全人民的所有に転換させる。
;第24条
:#個人所有は、公民の個人的で消費的な目的のための所有である。
:#個人所有は、労働による社会主義分配並びに国家及び社会の追加的恵沢でなされる。
:#自家保有地経営を初めとした個人副業経営から生ずる生産物及びその他の合法的な経営活動を通じて得た収益も個人所有に属する。
:#国家は、個人所有を保護し、それに対する相続権を法的に保障する。
:
;第25条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、人民の物質文化生活を絶え間なく高めることをその活動の最高原則とする。
:#税金のなくなったわが国において増大する社会の物質的富は、全的に勤労者の福利増進に還元される。
:#国家は、全ての勤労者に衣食住をしうる全ての条件を用意する。
:
;第26条
:#朝鮮民主主義人民共和国に整備された自立的民族経済は、人民の幸福なる社会主義生活及び祖国の隆盛反映のための頑丈な土台である。
:#国家は、社会主義自立的民族経済建設路線を掌握し、人民経済の主体化、現代化、科学化を促し、人民経済を高度に発展した主体的な経済にし、完全な社会主義社会に合う物質技術的土台を築くために闘争する。
:
;第27条
:#技術革命は、社会主義経済を発展させるための基本の環である。
:#国家は、いつでも技術発展問題を一等に置いて、全ての経済活動を行い、科学技術発展及び人民経済の技術改造を促進して、大衆的技術革新運動を力強く展開し、勤労者を困難で苦しい動労から開放して、肉体労働と精神労働の差異を縮めていく。
:
;第28条
:#国家は、都市及び農村の差異、労働階級及び農民の階級的差異をなくすため農村技術革命を促進し、農業を工業化、現代化して、軍の役割を高め、農村に対する指導及び補助を強化する。
:#国家は、共同農場の生産施設及び農村文化住宅を国家負担で建設する。
:
;第29条
:#社会主義は、勤労大衆の創造的労働によって建設される。
:#朝鮮民主主義人民共和国において労働は、搾取と圧迫から解放された勤労者の自主的で創造的な労働である。
:#国家は、失業を知らない我ら勤労者の労働がより楽しく、社会、集団及び自らのために自覚的熱誠及び創意性を発揮して働く甲斐あるものにならしめる。
:
;第30条
:#勤労者の一日の労働時間は、8時間とする。
:#国家は、労働の大変さ及び特殊の条件に従い一日の労働時間をこれよりも短く定める。
:#国家は、労働組織を徹底し、労働規律を強化して、労働時間を完全に利用させる。
:
;第31条
:#朝鮮民主主義人民共和国において公民が労働する年齢は、16歳からとする。
:#国家は、労働する年齢に至らない少年らの労働を禁止する。
:
;第32条
:国家は、社会主義経済に対する指導及び管理において、政治的指導及び経済技術的指導、国家の統一的指導並びに各単位の創意性、唯一的指揮並びに民主主義、政治道徳的刺激及び物質的刺激を正しく結合させる原則を確固に堅持する。
;第33条
:#国家は、生産者大衆の集体的力に依拠し、経済を科学的に、合理的に管理運営する社会主義経済管理形態である{{ruby|大安|テアン}}の事業体系及び企業的方法で指導する農業指導体系によって経済を指導管理する。
:#国家は、経済管理において大安の事業体系の要求に合わせ、独立採算制を実施し、原価、価格、収益性その他の経済的空間を正しく利用するものとする。
:
;第34条
:#朝鮮民主主義人民共和国の人民経済は、計画経済である。
:#国家は、社会主義経済発展法則に従い蓄積と消費の均衡を正しく把握し、経済建設を促進し、人民生活を絶えず向上して、国防力を強化することができるよう人民経済発展計画を立て、実行する。
:#国家は、計画の一元化、細部化を実現し、生産成長の高い速度及び人民経済の均衡的発展を保障する。
:
;第35条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、人民経済発展計画による国家予算を編成し、執行する。
:#国家は、全ての部門において増産及び節約闘争を強化し、財政統制を厳格に実施して、国家蓄積を体系的に増やし、社会主義的所有を拡大発展させる。
:
;第36条
:#朝鮮民主主義人民共和国における対外貿易は、国家機関、企業所、社会共同団体が行う。
:#国家は、完全なる平等及び互恵の原則において対外貿易を発展させる。
:
;第37条
:国家は、わが国の機関、企業所、団体と他国の法人又は個人との企業合営及び合作、特殊経済地帯における様々の企業創設運営を奨励する。
;第38条
:国家は、自立的民族経済を保護するため関税政策を実施する。
==第3章 文化==
;第39条
:朝鮮民主主義人民共和国で開花発展している社会主義的文化は、勤労者の創造的能力を高め、健全なる文化情緒的需要を充足させるのに寄与する。
;第40条
:朝鮮民主主義人民共和国は、文化革命を徹底的に遂行し、全ての人々を自然と社会に対する深い知識と高い文化技術水準を有する社会主義建設者にし、全社会をインテリ化する。
;第41条
:#朝鮮民主主義人民共和国は、社会主義勤労者のため服務する真の人民的かつ革命的な文化を建設する。
:#国家は、社会主義的民族文化建設において帝国主義の文化的浸透及び復古主義的傾向に反対し、民族文化遺産を保護して、社会主義の現実に合わせて継承発展させる。
:
;第42条
:国家は、全ての分野において古い社会の生活様式をなくし、新たな社会主義的生活様式を全面的に確立する。
;第43条
:国家は、社会主義教育学の原理を具現し、子孫らを、社会及び人民のため闘争する堅固なる革命家に、知徳体を備えた主体型の新人間に育てる。
;第44条
:国家は、人民教育事業及び民族幹部養成事業を他の全ての事業に先立たせ、一般教育と技術教育、教育と生産労働を密接に結合させる。
;第45条
:国家は、1年間の学校前義務教育を含む全般的12年制義務教育を現代の科学技術発展の趨勢及び社会主義建設の現実的要求に合わせ、高い水準で発展させる。
;第46条
:国家は、学業を専門とする教育体系と働きながら学ぶ各種形態の教育体系を発展させ、技術教育及び社会科学、基礎科学教育の科学理論水準を高め、有能な技術者、専門家らを育て上げる。
;第47条
:国家は、全ての学生を無料で学ばせ、大学及び専門学校学生らには、奨学金を与える。
;第48条
:国家は、社会教育を強化し、全ての勤労者が学習することができる全ての条件を保障する。
;第49条
:国家は、学齢前児童を託児所及び幼稚園において、国家及び社会の負担で育てる。
;第50条
:国家は、科学研究事業において主体を立て、先進科学技術を積極的に受け入れて、新たな科学技術分野を開拓し、国の科学技術を世界的水準に立たせ上げる。
;第51条
:国家は、科学技術発展計画を正しく立て、徹底的に遂行する規律を立て、科学者、技術者及び生産者の創造的協調を強化させる。
;第52条
:#国家は、民族的形式に社会主義的内容を込めた、主体的で革命的な文学芸術を発展させる。
:#国家は、創作家、芸術人が思想芸術性の高い作品を多く創作し、広汎な大衆を、文芸活動に広く参加させる。
:
;第53条
:国家は、精神的に、肉体的に絶え間なく発展しようとする人々の要求に合うよう、現代的な文化施設を十分に備え、全ての勤労者に社会主義的文化情緒生活を心ゆくまで享受させる。
;第54条
:国家は、国語をあらゆる形態の民族語抹殺政策から守り、これを現代の要求に合うよう発展させる。
;第55条
:国家は、体育を大衆化、生活化し、全人民を労働及び国防にしっかりと準備させ、わが国の実情と現代体育技術発展の趨勢に合うよう体育技術を発展させる。
;第56条
:国家は、全般的無償治療制を強固に発展させ、意志担当区域制及び予防医学制度を強化して、人々の生命を保護し、勤労者の健康を増進させる。
;第57条
:国家は、生産に先立ち環境保護対策を立て、自然環境を保存、造成して、環境汚染を防止し、人民に文化衛生的な生活環境及び労働条件を用意する。
==第4章 国防==
;第58条
:朝鮮民主主義人民共和国は、全人民的、全国家的防衛体系に依拠する。
;第59条
:朝鮮民主主義人民共和国の武装力の使命は、先軍革命路線を貫徹し、革命の首脳部を保衛し、勤労人民の利益を擁護して、外来侵略から社会主義制度並びに革命の戦利品、祖国の自由及び独立、平和を守ることにある。
;第60条
:国家は、軍隊と人民を政治思想的に武装させる基礎の上で全軍幹部化、全軍現代化、全民武装化、全国要塞化を基本内容とする自衛的軍事路線を貫徹する。
;第61条
:国家は、軍隊内における革命的用兵体制及び軍風を確立して、軍事規律及び群衆規律を強化し、官兵一致、軍政配合、郡民一致の高尚なる伝統的美風を高く発揚せしめる。
==第5章 公民の基本権利及び義務==
;第62条
:#朝鮮民主主義人民共和国の公民となる条件は、国籍に関する法で規定する。
:#公民は、居住地に関係なく朝鮮民主主義人民共和国の保護を受ける。
:
;第63条
:朝鮮民主主義人民共和国における公民の権利及び義務は、「1人は皆のために、皆は1人のために」という集団主義原則に基づく。
;第64条
:#国家は、全ての公民に対し真の民主主義的権利及び自由、幸福な物質文化生活を実質的に保障する。
:#朝鮮民主主義人民共和国における公民の権利及び自由は、社会主義制度の強固なる発展とともに一層拡大される。
:
;第65条
:公民は、国家社会生活の全ての分野において誰でも全て同一の権利を有する。
;第66条
:#17歳以上の全ての公民は、性別、民族別、職業、居住期間、財産及び知識の程度、党別、政見、信仰に関係なく選挙権及び被選挙権を有する。
:#軍隊に服務する公民も選挙権及び被選挙権を有する。
:#裁判所の判決により選挙権を剥奪された者、精神病者は、選挙権及び被選挙権を有しない。
:
;第67条
:#公民は、言論、出版、集会、示威及び結社の自由を有する。
:#国家は、民主主義的政党、社会団体の自由な活動条件を保障する。
:
;第68条
:#公民は、信仰の自由を有する。この権利は、宗教建物を建造し、又は宗教意識その他を許容するものとして保障される。
:#宗教を外部勢力引き込み、又は国家社会秩序を害するのに利用することはできない。
:
;第69条
:#公民は、申訴及び請願をすることができる。
:#国家は、申訴及び請願を法が定めるところに従い公正に審議処理するものとする。
:
;第70条
:#公民は、労働に対する権利を有する。
:#労働能力のある全ての公民は、希望及び才能に従い職業を選択し、安定した職場及び労働条件の保障を受ける。
:#公民は、能力に従って働き、労働の量及び質に従って分配を受ける。
:
;第71条
:公民は、休息に対する権利を有する。この権利は、労働時間制、公休日制、有給休暇制、国家費用による定期休養制、増え続ける各種文化施設により保障される。
;第72条
:公民は、無償で治療を受ける権利を有し、高齢であり、又は病若しくは障害により労働能力を失った者、保護者のない老人及び児童は、物質的補助を受ける権利を有する。この権利は、無償治療制、増え続ける病院、療養所を初めとする医療施設、国家社会保険及び社会保障制により保障される。
;第73条
:公民は、教育を受ける権利を有する。この権利は、先進的な教育制度及び国家の人民的な教育施策によって保障される。
;第74条
:#公民は、科学及び文学芸術活動の自由を有する。
:#国家は、発明家及び創意考案者に配慮する。
:#著作権及び発明権、特許権は、法的に保護する。
:
;第75条
:公民は、居住、旅行の自由を有する。
;第76条
:革命闘士、革命烈士家族、愛国烈士家族、人民軍後方家族、栄誉軍人は、国家及び社会の特別な保護を受ける。
;第77条
:#女子は、男子と完全に同一の社会的地位及び権利を有する。
:#国家は、産前産後休暇の保障、数人の子供を持つ母親のための労働時間の短縮、産院、託児所及び幼稚園網の拡張その他の施策を通じて母子を特別に保護する。
:#国家は、女性が社会に進出する全ての条件を整備する。
:
;第78条
:#結婚及び家庭は、国家の保護を受ける。
:#国家は、社会の基層生活単位である家庭を強固にするのに深い関心を払う。
:
;第79条
:#公民は、人身及び住宅の不可侵、書信の秘密の保障を受ける。
:#法に基づかなければ、公民を拘束し、又は逮捕することができず、住宅を捜索することができない。
:
;第80条
:朝鮮民主主義人民共和国は、平和及び民主主義、民族的独立及び社会主義のため、科学、文化活動の自由のため闘争して亡命してきた他国人を保護する。
;第81条
:#公民は、人民の政治思想的統一及び団結を堅固に守護しなければならない。
:#公民は、組織及び集団を貴重に考え、社会及び人民のため身を捧げて働く気風を高く発揮しなければならない。
:
;第82条
:公民は、国家の法及び社会主義的生活規範を守り、朝鮮民主主義人民共和国の公民たる栄誉及び尊厳を固守しなければならない。
;第83条
:#労働は、公民の神聖なる義務であり、栄誉である。
:#公民は、労働に自覚的に誠実に参加し、労働規律及び労働時間を厳格に守らなければならない。
:
;第84条
:#公民は、国家財産及び社会共同団体の財産を節約し、愛し、あらゆる横領浪費現象に反対して闘争し、国家経営を主人らしくつましく行わなければならない。
:#国家及び社会共同団体の財産は、神聖不可侵である。
:
;第85条
:公民は、いつでも革命的警戒心を高め、国家の安全のため身を捧げて闘争しなければならない。
;第86条
:#祖国保衛は、公民の最大の義務であり、栄誉である。
:#公民は、祖国を保衛しなければならず、法が定めるところに従い軍隊に服務しなければならない。
==第6章 国家機構==
===第1節 最高人民会議===
;第87条
:最高人民会議は、朝鮮民主主義人民共和国の最高主権機関である。
;第88条
:#最高人民会議は、立法権を行使する。
:#最高人民会議休会中には、最高人民会議常任委員会も立法権を行使することができる。
:
;第89条
:最高人民会議は、一般的、平等的、直接的選挙の原則により秘密投票で選挙された代議員で構成する。
;第90条
:#最高人民会議の任期は、5年とする。
:#最高人民会議の新選挙は、最高人民会議任期が終える前に最高人民会議常任委員会の決定に従い進行する。
:#不可避な事情により選挙をすることのできないときは、選挙をするときまでその任期を延長する。
:
;第91条
:最高人民会議は、次のような権限を有する。
:#憲法を修正、補充する。
:#部門法を制定又は修正、補充する。
:#最高人民会議休会中に最高人民会議常任委員会が採択した重要部門法を承認する。
:#国家の対内外政策の基本原則を立てる。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長を選挙又は召還する。
:#最高人民会議常任委員会委員長を選挙又は召還する。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の提議により国務委員会副委員長、委員を選挙又は召還する。
:#最高人民会議常任委員会副委員長、名誉副委員長、書記長、委員を選挙又は召還する。
:#内閣総理を選挙又は召還する。
:#内閣総理の提議により内閣副総理、委員長、省その他の内閣成員を任命する。
:#中央検察所所長を任命又は解任する。
:#中央裁判所所長を選挙又は召還する。
:#最高人民会議部門委員会委員長、副委員長、委員を選挙又は召還する。
:#国家の人民経済発展計画及びその実行状況に関する報告を審議し、承認する。
:#国家予算及びその執行状況に関する報告を審議し、承認する。
:#必要に従って内閣及び中央機関の事業状況の報告を受け、対策を立てる。
:#最高人民会議に提起される条約の批准、廃棄を決定する。
:
;第92条
:#最高人民会議は、定期会議及び臨時会議をもつ。
:#定期会議は、1年に1~2次最高人民会議常任委員会が招集する。
:#臨時会議は、最高人民会議常任委員会が必要であると認めるとき又は代議員全員の3分の1以上の要請のあるときに招集する。
:
;第93条
:最高人民会議は、代議員全員の3分の2以上が参席しなければ成立しない。
;第94条
:#最高人民会議は、議長及び副議長を選挙する。
:#議長は、会議を司会する。
:
;第95条
:#最高人民会議で討議する議案は、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長, 国務委員会, 最高人民会議常任委員会, 内閣及び最高人民会議部門委員会が提出する。
:#代議員も議案を提出することができる。
:
;第96条
:最高人民会議各期第1次会議は、代議員資格審査委員会を選挙し、その委員会が提出した報告に基づき、代議員資格を確認する決定を採択する。
;第97条
:#最高人民会議は、法令及び決定を交付する。
:#最高人民会議が交付する法令及び決定は、挙手可決の方法によりその会議に参席した代議員の半数以上が賛成しなければ採択されない。
:#憲法は、最高人民会議代議員全員の3分の2以上が賛成しなければ修正、補充されない。
:
;第98条
:#最高人民会議は、法制委員会、予算委員会その他の部門委員会を置く。
:#最高人民会議部門委員会は、委員長、副委員長、委員で構成する。
:#最高人民会議部門委員会は、最高人民会議事業を補助し、国家の政策案及び法案を作成し、又は審議し、その執行のための対策を立てる。
:#最高人民会議部門委員会は、最高人民会議休会中に最高人民会議常任委員会の指導下に事業する。
:
;第99条
:#最高人民会議代議員は、不可侵権の保障を受ける。
:#最高人民会議代議員は、現行犯であるときを除いては、最高人民会議、その休会中における最高人民会議常任委員会の承認なく逮捕し、又は刑事処罰をすることができない。
===第2節 朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長===
;第100条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者である。
;第101条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第102条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、朝鮮民主主義人民共和国の全般的武力の最高司令官となり、国家の一切の武力を指揮統率する。
;第103条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、次のような任務及び権限を有する。
:#国家の全般事業を指導する。
:#国務委員会事業を直接指導する。
:#国家の重要幹部を任命又は解任する。
:#他国と締結した重要条約を批准又は廃棄する。
:#特赦権を行使する。
:#国家の非常事態及び戦時状態、動員令を宣布する。
:#戦時に国家防衛委員会を組織指導する。
:
;第104条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、命令を発する。
;第105条
:朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、その事業について最高人民会議に対して責任を負う。
===第3節 国務委員会===
;第106条
:国務委員会は、国家主権の最高政策的指導機関である。
;第107条
:国務委員会は、委員長、副委員長、委員で構成する。
;第108条
:国務委員会の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第109条
:国務委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#国防建設事業を初めとする国家の重要政策を討議決定する。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示執行状況を監督し、対策を立てる。
:#朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示に違反する国家機関の決定、指示を廃止する。
:
;第110条
:国務委員会は、決定、指示を発する。
;第111条
:国務委員会は、その事業について最高人民会議に対して責任を負う。
===第4節 最高人民会議常任委員会===
;第112条
:最高人民会議常任委員会は、最高人民会議休会中の最高主権機関である。
;第113条
:最高人民会議常任委員会は、委員長、副委員長、書記長、委員で構成する。
;第114条
:#最高人民会議常任委員会は、若干名の名誉副委員長を置くことができる。
:#最高人民会議常任委員会名誉副委員長は、最高人民会議代議員の中から長期間国家建設事業に参加し、特出した寄与をした幹部がなることができる。
:
;第115条
:#最高人民会議常任委員会任期は、最高人民会議任期と同様とする。
:#最高人民会議常任委員会は、最高人民会議の任期が終了した後にも新常任委員会が選挙されるときまでその任務を遂行し続ける。
:
;第116条
:最高人民会議常任委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#最高人民会議を招集する。
:#最高人民会議休会中に提起された新たな部門法案及び規定案、現行部門法及び規定の修正、補充案を審議採択し、次回最高人民会議で採択実施する重要部門法の承認を受ける。
:#不可避な事情により最高人民会議休会期間に提起される国家の人民経済発展計画、国家予算及びその調節案を審議し、承認する。
:#憲法及び現行部門法、規定を解釈する。
:#国家機関の法遵守執行を監督し、対策を立てる。
:#憲法、最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会制令、決定、指示に違反する国家機関の決定、指示を廃止し、地方人民会議の誤った決定執行を停止させる。
:#最高人民会議代議員選挙のための事業を行い、地方人民会議代議員選挙事業を組織する。
:#最高人民会議代議員との事業を行う。
:#最高人民会議部門委員会との事業を行う。
:#内閣委員会、省を設置し、又は廃止する。
:#最高人民会議休会中に内閣総理の提議により副総理、委員長、大臣その他の内閣成員を任命又は解任する。
:#最高人民会議常任委員会部門委員会成員を任命又は解任する。
:#中央裁判所判事、人民参審員を選挙又は召還する。
:#他国と締結した条約を批准又は廃棄する。
:#他国に駐在する外交代表の任命又は召還を決定し、発表する。
:#勲章及びメダル、名誉称号、外交職級を制定し、勲章及びメダル、名誉称号を授与する。
:#大赦権を行使する。
:#行政単位及び行政区域を設置し、又は改める。
:#他国の国会、国際議会機構との事業を初めとする対外事業を行う。
:
;第117条
:#最高人民会議常任委員会委員長は、常任委員会事業を組織指導する。
:#最高人民会議常任委員会委員長は、国家を代表し、他国使臣の信任状、召喚状を接受する。
:
;第118条
:#最高人民会議常任委員会は、全員会議及び常務会議を有する。
:#全員会議は委員全員で構成し、常務会議は委員長、副委員長、書記長で構成する。
:
;第119条
:#最高人民会議常任委員会全員会議は、常任委員会の任務及び権限を実現するに際し重要な問題を討議決定する。
:#常務会議は、全員会議において委任した問題を討議決定する。
:
;第120条
:最高人民会議常任委員会は、政令及び決定、指示を公布する。
;第121条
:最高人民会議常任委員会は、その事業を補助する部門委員会を置くことができる。
;第122条
:最高人民会議常任委員会は、その事業について最高人民会議に対し責任を負う。
===第5節 内閣===
;第123条
:内閣は、国家主権の行政的執行機関であり、全般的国家管理機関である。
;第124条
:#内閣は、総理、副総理、委員長、省その他必要な成員て構成する。
:#内閣の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
:
;第125条
:内閣は、次のような任務及び権限を有する。
:#国家の政策を執行するための対策を立てる。
:#憲法及び部門法に基づき国家管理に関する規定を制定又は修正、補充する。
:#内閣の委員会、省、内閣直属機関、地方人民委員会の事業を指導する。
:#内閣直属機関、重要行政経済機関、企業所を設置し、又は廃止して、国家管理機構を改善するための対策を立てる。
:#国家の人民経済発展計画を作成し、その実行対策を立てる。
:#国家予算を編成し、その執行対策を立てる。
:#工業、農業、建設、運輸、逓信、商業、貿易、国土管理、都市経営、教育、科学、文化、保健、体育、労働行政、環境保護、観光その他の各部門の事業を組織執行する。
:#貨幣及び銀行制度を強固にするための対策を立てる。
:#国家管理秩序を立てるための検閲、統制事業を行う。
:#社会秩序維持、国家及び社会共同団体の所有及び利益の保護、公民の権利保障のための対策を立てる。
:#他国と条約を締結し、対外事業を行う。
:#内閣決定、指示に反する行政経済機関の決定、 指示を廃止する。
:
;第126条
:#内閣総理は、内閣事業を組織指導する。
:#内閣総理は、朝鮮民主主義人民共和国政府を代表する。
:
;第127条
:#内閣は、全員会議及び常務会議を有する。
:#内閣全員会議は内閣成員全員で構成し、常務会議は総理、副総理及びその他総理が任命する内閣成員で構成する。
:
;第128条
:#内閣全員会議は、行政経済事業における新規重要問題を討議決定する。
:#常務会議は、内閣全員会議において委任された問題を討議決定する。
:
;第129条
:内閣は、決定及び指示を公布する。
;第130条
:内閣は、その事業を補助する非常設部門委員会を置くことができる。
;第131条
:内閣は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
;第132条
:新たに選挙された内閣総理は、内閣成員を代表して最高人民会議における選挙を行う。
;第133条
:内閣委員会、省は、内閣の部門別執行機関であり、中央の部門別管理機関である。
;第134条
:内閣委員会、省は、内閣の指導下に該当部門の事業を統一的に掌握し、指導管理する。
;第135条
:#内閣委員会、省は、委員会会議及び幹部会議を運営する。
:#委員会、省の委員会会議及び幹部会議においては、内閣決定、指示執行対策及びその他の重要な問題を討議決定する。
:
;第136条
:内閣委員会、省は、指示を公布する。
===第6節 地方人民会議===
;第137条
:道(直轄市)、市(区域)、郡人民会議は、地方主権機関である。
;第138条
:地方人民会議は、一般的、平等的、直接的選挙の原則により秘密投票によって選挙された代議員で構成する。
;第139条
:#道(直轄市)、市(区域)、郡人民会議の任期は、4年とする。
:#地方人民会議の新たな選挙は、地方人民会議任期が終了する前に該当地方人民委員会の決定によって行う。
:#不可避な事情により選挙を行うことができないときは、選挙を行うときまでその任期を延長する。
:
;第140条
:地方人民会議は、次のような任務及び権限を有する。
:#地方の人民経済発展計画及びその執行状況に対する報告を審議し、承認する。
:#地方予算及びその執行に対する報告を審議し、承認する。
:#該当地域において国家の法を執行するための対策を立てる。
:#該当人民委員会委員長、副委員長、事務長、委員を選挙又は召還する。
:#該当裁判所の判事、人民参審員を選挙又は召還する。
:#該当人民委員会及び下級人民会議、人民委員会の誤った決定、指示を廃止する。
:
;第141条
:#地方人民会議は、定期会議及び臨時会議を有する。
:#定期会議は、1年に1~2次該当人民委員会が召集する。
:#臨時会議は、該当人民委員会が必要であると認めるとき又は代議員全員の3分の1以上の要請があるとき召集する。
:
;第142条
:地方人民会議は、代議員全員の3分の2以上が参席しなければ成立しない。
;第143条
:#地方人民会議は、議長を選挙する。
:#議長は、会議を司会する。
:
;第144条
:地方人民会議は、決定を公布する。
===第7節 地方人民委員会===
;第145条
:道(直轄市)、市(区域)、郡人民委員会は、該当人民会議休会中の地方主権機関であり、該当地法主権の行政的執行機関である。
;第146条
:#地方人民委員会は、委員長、副委員長、事務長、委員で構成する。
:#地方人民委員会の任期は、該当人民会議の任期と同様とする。
:
;第147条
:地方人民委員会は、次のような任務及び権限を有する。
:#人民会議を招集する。
:#人民会議代議員選挙のための事業を行う。
:#人民会議代議員との事業を行う。
:#該当地方人民会議、上級人民委員会の決定、指示及び最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会政令、決定、指示、内閣及び内閣委員会、省の決定、指示を執行する。
:#該当地方の全ての行政事業を組織執行する。
:#地方の人民経済発展計画を作成し、その実行対策を立てる。
:#地方予算を編成し、その執行対策を立てる。
:#該当地方の社会秩序維持、国家及び社会共同団体の所有及び利益の保護、公民の権利保障のための検閲、統制事業を行う。
:#該当地方において国家管理秩序を立てるための検閲、統制事業を行う。
:#下級人民委員会の事業を指導する。
:#下級人民委員会の誤った決定、指示を廃止し、下級人民会議の誤った決定の執行を停止させる。
:
;第148条
:#地方人民委員会は、全員会議及びお常務会議を有する。
:#地方人民委員会全員会議は、委員全員で構成し、常務会議は、委員長、副委員長、事務長で構成する。
:
;第149条
:#地方人民委員会全員会議は、自己の任務及び権限を実現するのに先立つ重要な問題を討議決定する。
:#常務会議は、全員会議が委任した問題を討議決定する。
:
;第150条
:地方人民委員会は、決定及び指示を公布する。
;第151条
:地方人民委員会は、その事業を補助する非常設部門委員会を置くことができる。
;第152条
:#地方人民委員会は、その事業に対して該当人民会議に対し責任を負う。
:#地方人民委員会は、上級人民委員会及び内閣、最高人民会議常任委員会に服従する。
===第8節 検察所及び裁判所===
;第153条
:検察事業は、中央検察所, 道(直轄市)、市(区域)、郡検察所及び特別検察所が行う。
;第154条
:中央検察所所長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
;第155条
:検事は、中央検察所が任命又は解任する。
;第156条
:検察所は、次のような任務を遂行する。
:#機関、企業所、団体及び公民が国家の法を正確に遵守するかを監視する。
:#国家機関の決定、指示が憲法、最高人民会議法令、決定、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会決定、指示、最高人民会議常任委員会政令、決定、指示、内閣決定、指示に違反しないかを監視する。
:#犯罪者を初めとする法違反者を摘発し、法的責任を追及することを通じて朝鮮民主主義人民共和国の主権及び社会制度、国家及び社会共同団体の財産、人民の憲法的権利及び生命財産を保護する。
:
;第157条
:検察事業は、中央検察所が統一的に指導し、全ての検察所は、上級検察所及び中央検察所に服従する。
;第158条
:中央検察所は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
;第159条
:#裁判は、中央裁判所, 道(直轄市)裁判所, 市(区域), 郡人民裁判所及び特別裁判所が行う。
:#判決は、朝鮮民主主義人民共和国の名で言い渡す。
:
;第160条
:#中央裁判所所長の任期は、最高人民会議の任期と同様とする。
:#中央裁判所, 道(直轄市)裁判所, 市(区域)、郡人民裁判所の判事、人民参審員の任期は、該当の人民会議の任期と同様とする。
:
;第161条
:#特別裁判所の所長及び判事は、中央裁判所が任命又は解任する。
:#特別裁判所の人民参審員は、該当の軍務者会議又は従業員会議において選挙する。
:
;第162条
:裁判所は、次のような任務を遂行する。
:#裁判活動を通じて朝鮮民主主義人民共和国の主権及び社会主義制度、国家及び社会共同団体の財産、人民の憲法的権利及び生命財産を保護する。
:#全ての機関、企業所、団体及び公民が国家の法を正確に遵守し、階級的敵及び全ての法違反者に反対し、積極的に闘争せしめる。
:#財産に対する判決、判定を執行し、公証事業を行う。
:
;第163条
:裁判は、判事1名及び人民参審員2名で構成する裁判所が行う。特別の場合においては、判事3名で構成することができる。
;第164条
:#裁判は、公開し、被訴者の弁護権を保障する。
:#法の定めに従い、裁判を公開しないことができる。
:
;第165条
:#裁判は、朝鮮語で行う。
:#他国人は、裁判においてその国の言語を用いることができる。
:
;第166条
:裁判所は、裁判において独自的であり、裁判活動を法に依拠して遂行する。
;第167条
:#中央裁判所は、朝鮮民主主義人民共和国の最高裁判機関である。
:#中央裁判所は、全ての裁判所の裁判事業を監督する。
:
;第168条
:中央裁判所は、その事業について最高人民会議及びその休会中における最高人民会議常任委員会に対して責任を負う。
==第7章 国章、国旗、国歌、首都==
;第169条
:朝鮮民主主義人民共和国の国章は、「朝鮮民主主義人民共和国」と表記した紅い帯で編み上げた稲穂の楕円形の枠の中に勇壮なる水力発電所があり、その上に革命の聖山白頭山及び燦然と輝く紅い五角星がある。
;第170条
:#朝鮮民主主義人民共和国の国旗は、旗の中段に広い紅地があって、その上下に細い白地があり、その次に青地があって、赤地の旗竿側の白い円の中に紅い五角星がある。
:#旗の縦横の比は、1:2とする。
:
;第171条
:朝鮮民主主義人民共和国の国歌は、「愛国歌」とする。
;第172条
:朝鮮民主主義人民共和国の首都は、平壌とする。
{{PD-KPGov}}
{{新訳}}
[[Category:朝鮮民主主義人民共和国の法令]]
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作者:明仁
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* [[昭和天皇斂葬の儀・葬場殿の儀の御誄]]
* [[退位礼正殿の儀における天皇陛下のおことば]]
[[Category:天皇]]
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金槐和歌集/卷之下/奧書
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<onlyinclude><p style="padding-left:2em">右之一帖者鎌倉右大臣家集京極中{{lang|ko|納}}言<sup> 定家卿 </sup>門弟此道之達者<sup> 云々 </sup>然最初雖部類在不審尙之間重而改之畢尤可爲證本類乎</p>
<p style="padding-left:2em"> 柳 營 亞 槐 {{lang|ko|判}}</p>
<br />
{|
| rowspan="2" | △鎌倉右大臣實朝卿 || <sub>右大將賴朝卿之二男</sub>
|-
| <sup>母平時政之女二位尼政子</sup>
|}
{|
| ⛬義家
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|  爲義
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|  義朝
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{|
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|-
| <sup>承久元年爲公曉之被討行年二十八歲治世十六年</sup>
|}
<br />
{|
|  右府 常磐井相國 衣笠內府
| style="width:6.5em" | <small>此三人定家卿門弟之內殊に上手</small>
|}
<br />
<p style="padding-left:1em">
[[:w:公卿補任|公卿補任]]云<br />
從三位源實朝<sup>四月十日敍五月二十六日吏任右中將</sup><br />
故前大{{lang|ko|納}}言賴朝卿二男<sup>母二位尼</sup><br />
建仁三年九月七日敍從五位下任征夷大將軍同十月二十四日任右兵衞佐元久元年正月五日敍從五位上臨時三月六日任右少將同二年正月五日正五下同廿九日{{lang|ko|兼}}加賀介轉權中將建永<sup>元</sup>年二月廿二日敍從四位下承元元年正月五日敍從四位上同二年十二月九日敍正四位下同四年<sub> <span style="writing-mode:vertical-rl">庚午</span> </sub>右中將建曆二年<sub> <span style="writing-mode:vertical-rl">壬申</span> </sub>十二月十一日從二位同三年二月廿七日非參議正二位{{lang|ko|造}}閑院賞左中將美濃權守<sup> 中{{lang|ko|納}}言中將位第一之例也 </sup>建保<sup>四年</sup>六月二十日任右中將七月廿日轉左同五年<sub> <span style="writing-mode:vertical-rl">丁丑</span> </sub>權中{{lang|ko|納}}言正二位左中將同六年<sub> <span style="writing-mode:vertical-rl">戊寅</span> </sub>右大臣正二位十二月二日任左大將如元內大臣正二位十月九日任元權大{{lang|ko|納}}言左大將如元十二月二日轉右正月十三日任三月六日{{lang|ko|兼}}左大將同日爲左馬寮監十月八日任內大臣權中{{lang|ko|納}}言正二位左將正月十三日任權大{{lang|ko|納}}言同七年右大臣正二位右大將征夷大將軍正月廿七日誅初參八幡別當同於社頭被誅之</p>
貞享四丁卯歲仲夏上浣
二條通寺町入
大 森 太 右 衛 門 刊 行
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[[Category:金槐和歌集]]
[[メインページ]]
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<p style="padding-left:2em"> 柳 營 亞 槐 {{lang|ko|判}}</p>
<br />
{|
| rowspan="2" | △鎌倉右大臣實朝卿 || <sub>右大將賴朝卿之二男</sub>
|-
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<br />
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<br />
<p style="padding-left:1em">
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[[Category:金槐和歌集]]
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// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
mw.hook('wikipage.content').add(function($content) {
var namespaceNumber = mw.config.get('wgNamespaceNumber');
if (namespaceNumber !== 0) return;
// window.onload = function(){
// var namespaceNumber = mw.config.get('wgNamespaceNumber');
// if (namespaceNumber !== 0) return;
//
//編集画面の時にボタンを設置
//
if( $.inArray( mw.config.get( 'wgAction' ), [ 'edit', 'submit' ] ) !== -1 ) {
$(".editButtons").append("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)'/>");
}
//
// 青空文庫コンバーター本体
//
$(document).on("click", ".editButtons #aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
return "";
}
}
};
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javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集画面の準備が整うのを待ってからボタンを確実に配置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
var action = mw.config.get('wgAction');
if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンのHTML要素を作成
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 4px; padding: 4px 8px; font-weight: bold;'/>");
// 1. 旧仕様の編集ボタンエリア、2. 新仕様のテキストエリア上部、3. 標準テキストエリア上部の順で、ある場所に挿入
if ($(".editButtons").length > 0) {
$(".editButtons").append($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
}
};
// ページの読み込み完了時、および非同期での編集エリア生成時の両方で実行
$(document).ready(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動定義
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
return "";
}
}
};
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javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
var action = mw.config.get('wgAction');
if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
$(document).ready(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
return "";
}
}
};
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2026-10-17T17:16:11Z
CES1596
4425
246710
javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
window.onload = function(){
var namespaceNumber = mw.config.get('wgNamespaceNumber');
if (namespaceNumber !== 0) return;
//
//編集画面の時にボタンを設置
//
if( $.inArray( mw.config.get( 'wgAction' ), [ 'edit', 'submit' ] ) !== -1 ) {
$(".editButtons").append("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)'/>");
}
//
// 青空文庫コンバーター本体
//
$(document).on("click", ".editButtons #aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
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}
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//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
var action = mw.config.get('wgAction');
if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
$(document).ready(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
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//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
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pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
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//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
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pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
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//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
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//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
var action = mw.config.get('wgAction');
if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
$(document).ready(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
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});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
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//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
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note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
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pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
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pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
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pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
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var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
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// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
// var action = mw.config.get('wgAction');
// if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
return "";
}
}
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javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
// var setupAozoraConverter = function() {
// var action = mw.config.get('wgAction');
// if (action !== 'edit' && action !== 'submit') return;
// if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
var setupAozoraConverter = function() {
// 画面内に編集エリア(#wpTextbox1)がない場合は処理を終了する(閲覧画面などを除外)
if ($('#wpTextbox1').length === 0) return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
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note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
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pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
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//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
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var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
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text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
// 2026/10/18 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
// 画面内に編集エリア(#wpTextbox1)がない場合は処理を終了する(閲覧画面などを除外)
if ($('#wpTextbox1').length === 0) return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの重ね掛け
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
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});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
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note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
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note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
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pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
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}
//
// テキストを検索する関数
//
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javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
// 2026/10/18 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
// 画面内に編集エリア(#wpTextbox1)がない場合は処理を終了する(閲覧画面などを除外)
if ($('#wpTextbox1').length === 0) return;
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの直接実行への修正
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
return encodeUni(jis_text);
});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
note_text += "|edition=" + book_info.info_notes + "\n";
note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
note_text += "|contributors=[[User:CES1596]]<!--あなたの利用者名-->\n";
note_text += "|proofreaders=\n";
note_text += "|progress=100%\n";
note_text += "|notes={{青空文庫|inputter=" + book_info.inputter + "|proofreader=" + book_info.proofreader + "}}\n";
note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
pub_text += "{{DEFAULTSORT:<!--ここを消してソートキーを入力-->}}\n";
//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
}
//
// テキストを検索する関数
//
function find_func(find_text, regix_text, pos){
var regix_exp = new RegExp(regix_text);
var regix_ret = find_text.match(regix_exp);
if(regix_ret != null){
return regix_ret[pos];
}else{
return "";
}
}
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2026-10-18T02:13:00Z
CES1596
4425
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javascript
text/javascript
//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
// 2026/10/18 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、名前空間を問わず強制的に最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
// 画面内に編集エリア(#wpTextbox1)がない場合は処理を終了する(閲覧画面などを除外)
if ($('#wpTextbox1').length === 0) return;
if (mw.config.get('wgNamespaceNumber') !== 0) return; // 標準名前空間以外は除外
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの直接実行への修正
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)body>", "");
new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
// span.notes -> ref
//
new_text = replace_func(new_text, '<span class="notes">(.*?)</span>',"{{註|$1}}");
//
// Wiki記法の傍点に変更
//
new_text = replace_func(new_text, '<strong class="SESAME_DOT">(.*?)</strong>',"{{傍点|$1}}");
new_text = replace_func(new_text, '<em class="sesame_dot">(.*?)</em>',"{{傍点|$1}}");
//
// Wiki記法のリンクに変更
//
new_text = replace_func(new_text, '(https?://www\.aozora\.gr\.jp/)',"(https://www.aozora.gr.jp/ )");
//先頭行が改行になっているものを除去
new_text = replace_func(new_text, "^\n", "");
//aタグを除去
new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
//h4タグを第2レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更(字下げ対策)
new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
var jis_text = ( "0" + jis_code1 ).slice( -1 ) + "-" + ( "0" + jis_code2 ).slice( -2 ) + "-" + ( "0" + jis_code3 ).slice( -2 );
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});
//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
note_text += "{{textinfo \n";
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note_text += "|source=https://www.aozora.gr.jp/cards/<!--ここを消して青空文庫図書カードのURLを入力-->\n";
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note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
pub_text += "|edition=yes\n";
pub_text += "|notes=\n";
pub_text += "* 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。\n";
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//<includeonly>
pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
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pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
pub_text += "<!--著作権の状況に応じて以下のタグを適切なものに置き換えてください-->\n{{PD-old}}\n";
//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
});
//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
var regix_exp = new RegExp(regix_text, 'g');
return original_text.replace(regix_exp, after_text);
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//
// テキストを検索する関数
//
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2026-10-18T02:35:33Z
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javascript
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//
// このスクリプトは[[利用者:Sakoppi/aozora converter.js]](2016-03-15T14:52:29)をもとに作成しています。
//
// License: CC-0
// 2016/02/12 完成
// 2016/03/08 修正
// 2026/10/18 修正
//
mw.loader.load(mw.config.get("wgServer") + mw.config.get("wgScript") + "?action=raw&ctype=text/javascript&title=" + mw.util.wikiUrlencode("利用者:CES1596/jisx0213.js"), "text/javascript");
// 編集・投稿画面で、最上部にボタンを設置する処理
var setupAozoraConverter = function() {
// 画面内に編集エリア(#wpTextbox1)がない場合は処理を終了する(閲覧画面などを除外)
if ($('#wpTextbox1').length === 0) return;
if (mw.config.get('wgNamespaceNumber') !== 0) return; // 標準名前空間以外は除外
if ($('#aozora_btn').length > 0) return; // 重複防止
// ボタンの作成(目立つようにスタイルを設定)
var $btn = $("<input id='aozora_btn' title='青空文庫方式の書式をウィキ記法に変換' type='button' value='青空文庫コンバーター(XHTML)' style='margin: 5px; padding: 6px 12px; font-weight: bold; background-color: #f8f9fa; border: 1px solid #a2a9b1; border-radius: 2px; cursor: pointer;'/>");
// どの外装・新旧エディタでも画面内のどこか(最悪でもコンテンツ枠の先頭)に確実に挿入
if ($("#wpTextbox1").length > 0) {
$("#wpTextbox1").before($btn);
} else if ($(".wikiEditor-ui-top").length > 0) {
$(".wikiEditor-ui-top").append($btn);
} else if ($("#contentSub").length > 0) {
$("#contentSub").after($btn);
} else {
$("#bodyContent").prepend($btn);
}
};
// 読み込みフックの直接実行
setupAozoraConverter();
mw.hook('wikipage.content').add(setupAozoraConverter);
mw.hook('wikiEditor.toolbarReady').add(setupAozoraConverter);
// ボタンクリック時の挙動
$(document).on("click", "#aozora_btn", function(){
var new_text = "";
var note_text = "";
var dialog_html = "";
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 実行中...");
var book_info = [];
var original_text = $("#editform textarea").val();
//
// 必要のないheadタグ内、html、bodyタグを除去
//
new_text = replace_func(original_text, "^(\n|.)*</head>", "");
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new_text = replace_func(new_text, "<(/|)html>", "");
//
// XHTMLのルビタグをWiki記法のrubyテンプレートに変換
// [<ruby><rb>xx</rb><rp>(</rp><rt>yy</rt><rp>)</rp><ruby>] -> [{{r|xx|yy}}]
//
new_text = replace_func(new_text, "<ruby><rb>(.*?)</rb><rp>(</rp><rt>(.*?)</rt><rp>)</rp></ruby>", "{{r|$1|$2}}");
//
// XHTMLの改行記号を改行に変更
// [<br />] -> [\n]
//
new_text = replace_func(new_text, "<br(/|| /)>", "\n");
//
// Wiki記法の脚注に変更
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//
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//
// Wiki記法の傍点に変更
//
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//
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new_text = replace_func(new_text, "<a (.*?)>(.*?)</a>", "$2");
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new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h4 (.*?)>(.*?)</h4>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
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new_text = replace_func(new_text, "<div (.*?)>(.*?)<h5 (.*?)>(.*?)</h5>(.*?)</div>", "\n==$4==\n");
//h4タグを第2レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h4 (.*?)>(.*?)</h4>", "\n==$2==\n");
//h5タグを第3レベル節に変更
new_text = replace_func(new_text, "<h5 (.*?)>(.*?)</h5>", "\n===$2===\n");
//外字が含まれているimgタグを数値参照に変換
var gaiji_exp = new RegExp("<img[ -~]*([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3})-([0-9]{1,3}).*?>", "g");
new_text = new_text.replace(gaiji_exp, function(all, jis_code1, jis_code2, jis_code3){
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//タイトル・著者を取得
book_info.title = find_func(new_text, "<h1 class=\"title\">(.*?)</h1>",1);
book_info.translator = find_func(new_text, "<h2 class=\"translator\">(.*?)</h2>",1);
book_info.author = find_func(new_text, "<h2 class=\"author\">(.*?)</h2>",1);
//入力・校正者を取得
book_info.inputter = find_func(new_text, "\n入力:(.*?)\n",1);
book_info.proofreader = find_func(new_text, "\n校正:(.*?)\n",1);
//脚注を取得
var $new_elem = $(new_text);
book_info.info_notes = $new_elem.filter(".bibliographical_information").text() + $new_elem.filter(".notation_notes").text();
book_info.info_notes = replace_func(book_info.info_notes, "\n\n", "<br />\n");
//ノートに掲載する書誌情報を作成
note_text += "<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->\n";
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note_text += "}}\n";
note_text += "<!--ここから上をノートに転記-->\n\n";
//
//ヘッダと本文を出力
//
var pub_text = "{{header\n";
pub_text += "|title=" + book_info.title + "\n";
pub_text += "|year=" + "\n";
pub_text += "|author="+ book_info.author +"\n";
pub_text += "|translator=" + book_info.translator + "\n";
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pub_text += "|notes=\n";
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pub_text += "[[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]]\n";
pub_text += "{{Textquality|100%}}\n";
pub_text += "}}\n";
pub_text += $new_elem.filter("div.main_text")[0].innerHTML;
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//</includeonly>
$("#editform textarea").val(note_text + pub_text);
$("#aozora_btn").val("青空文庫コンバーター(XHTML) 変換完了");
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//
// テキストを置換する関数
//
function replace_func(original_text, regix_text, after_text){
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//
// テキストを検索する関数
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bjyneidkxz71j0ou5fv2b781sx23ngq
Page:成吉思汗実録.pdf/78
250
44973
246731
200625
2026-10-18T06:11:08Z
温厚知新
35206
/* 校正済 */ 校正
246731
proofread-page
text/x-wiki
<noinclude><pagequality level="3" user="温厚知新" /></noinclude>{{:成吉思汗実録/站|📕PDF頁=78}}{{:成吉思汗実録/站|📘原書頁=36}}ぬ。{{rbcmnt|訶額侖 兀眞|ホエルン ウヂン}}を{{rbcmnt|也速該|エスガイ}}の{{rbcmnt|伴|ツ}}れ{{rbcmnt|來|キ}}ぬる{{rbcmnt|緣由|コトノモト}}、かくあり。
{{:成吉思汗実録/站|大=§57(01:39:01)|我=1-57|彼=mokuroku-noname52-2-11|音=56}}
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はしご (ヨハネ・クリマコス)
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村田ラジオ
14210
14章、修正
246711
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*底本: [https://azbyka.ru/otechnik/Ioann_Lestvichnik/lestvitsa-ili-skrizhali-dukhovnye/ Лествица はしご] ヨハネ・クリマコス(ロシア語)
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:7世紀]]
[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教神学]]
[[Category:ヨハネ・クリマコス]]
}}
'''はしご (ヨハネ・クリマコス)'''
== 目録 ==
*[[/序文|序文]]
*[[/第1章|第1章]] 世俗的な生活を捨てることについて
*[[/第2章|第2章]] 不偏冷静さについて、すなわち、世の心配事や悲しみを脇に置くこと
*[[/第3章|第3章]] 放浪すること、つまり世間を避けることについて
*[[/第4章|第4章]] 祝福され、いつまでも記憶に残る従順について
*[[/第5章|第5章]] 思いやりと真の悔い改めについて、また聖なる死刑囚の生活と牢獄について
*[[/第6章|第6章]] 死の記憶について
*[[/第7章|第7章]] 喜びの涙について
*[[/第8章|第8章]] 怒りからの解放と柔和について
*[[/第9章|第9章]] 恨みについて
*[[/第10章|第10章]] 中傷と名誉毀損について
*[[/第11章|第11章]] 多弁性と沈黙について
*[[/第12章|第12章]] 嘘について
*[[/第13章|第13章]] 落胆と怠惰について
*[[/第14章|第14章]] 腹について――誰からも愛される主人、だが同時に人を欺くものでもある
*[[/第15章|第15章]] 朽ちやすい人間が労働と汗によって獲得する、朽ちることのない清らかさと貞潔について
*[[/第16章|第16章]] 金銭欲について
*[[/第17章|第17章]] 貪欲でないことについて
*[[/第18章|第18章]] 無感覚について
*[[/第19章|第19章]] 兄弟たちの集まりにおける睡眠、祈り、そして賛美歌について
*[[/第20章|第20章]] 肉体の警戒について:それを通して霊的な境地に至る方法、そしてそれをどのように実践すべきか
*[[/第21章|第21章]] 臆病な弱さ、あるいは恐怖について
*[[/第22章|第22章]] 虚栄心の多様な形態について
*[[/第23章|第23章]] 狂気じみたプライドについて
*[[/第24章|第24章]] 柔和さ、素朴さ、優しさについて
*[[/第25章|第25章]] 情欲を根絶するもの、すなわち目に見えない感情の中にある最高の謙遜について
*[[/第26章|第26章]] 思考、情欲、徳の識別について
*[[/第27章|第27章]] 魂と肉体の神聖な沈黙について
*[[/第28章|第28章]] 徳の母、聖なる祝福された祈りについて
*[[/第29章|第29章]] 地上の天国、あるいは神を模倣する無執着と完全性
*[[/第30章|第30章]] 三つの徳の結合について、すなわち信仰、希望、愛について
==出典==
*[[s:ru:Лествица]] ロシア語版ウィキソース
*[https://azbyka.ru/otechnik/Ioann_Lestvichnik/lestvitsa-ili-skrizhali-dukhovnye/ azbyka.ru]
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オプティナ・プスティン兄弟団訳 "преподобный Иоанн Лествичник
Лествица" を翻訳。
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はしご (ヨハネ・クリマコス)/第1章
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2026-10-17T19:41:27Z
村田ラジオ
14210
校正
246712
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:ヨハネ・クリマコス]]
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'''はしご (ヨハネ・クリマコス)'''
== 第1章 ==
<< 世俗的な生活を捨てることについて >>
1. 善にして慈悲深く、限りなく慈愛に満ちた神であり王である神によって創造された理性ある存在(神のしもべたちへの説教は神から始めるのがふさわしい)のうち、自治の尊厳を与えられた者たちの中には、神の友、真のしもべ、無価値なしもべ、神に全く敵対する者、そして最後に、弱き者でありながらもなお神に抵抗する者がいます。聖なる父よ、私たちの愚かな思いでは、神の友とは、神を取り囲む真に知性ある非物質的な存在のことです。真のしもべとは、たゆまず揺るぎなく神の御心に従う者たちであり、無価値な者とは、洗礼を受けるに値しながらも、そこで立てた誓いを正しく守らなかった者たちです。神に敵対する者、すなわち神の敵とは、不信心者、異端者のことです。神の敵とは、主の戒めを受け入れず拒絶するだけでなく、それを守る者たちに対して強く武装する者たちのことである。
2. 上記の各条件にはそれぞれ適切な言葉が必要ですが、無知な私たちにとって、このことを長々と説明するのはここでは役に立ちません。ですから、敬虔に私たちを説得し、信仰によって確信させてくれた神の真のしもべたちの命令を急いで果たしましょう。疑うことなく従順な心で、私たちのふさわしくない手を伸ばし、彼ら自身の心から言葉の葦を受け取ったら、それを暗くも輝く謙遜に浸しましょう。そして、彼らの滑らかで清らかな心に、まるで紙、いや、むしろ霊的な石板に、神の言葉、いや、神の種を刻みつけよう。こう始めよう。
3. 神は、自由意志を授けられたすべての人々の命であり救いである。信仰深い者も、信仰深い者も、義人も、不義人も、敬虔な者も、邪悪な者も、情欲の少ない者も、情欲の強い者も、修道士も、在家信者も、賢い者も、素朴な者も、健康な者も、病める者も、若者も、老人も、例外なくすべての人々が、光の注ぎ、太陽の輝き、そして空気の変化を享受する。なぜなら、神には人を分け隔てするものはないからである(ローマ2章11節)。
4. 悪人とは、理性的で死すべき存在でありながら、自ら進んでその命(神)から遠ざかり、永遠なる創造主を存在しないものとみなす者である。法を破る者とは、自らの悪行によって神の律法を守り、神への信仰と異端を調和させようとする者である。キリスト教徒とは、人間として可能な限り、言葉、行い、思考においてキリストを模倣し、聖三位一体を正しく、非難されることなく信じる者である。神を愛する者とは、自然で罪のないすべてを活用し、自分の能力の限りを尽くして善行を行おうと努める者である。禁欲者とは、誘惑、罠、噂話の中にあっても、それらすべてから解放された者の道徳を全力で模倣しようと努める者である。修道士とは、物質的で滅びゆく肉体を身にまといながら、非物質的な存在の生命と状態を模倣する者である。僧侶とは、あらゆる時、あらゆる場所、あらゆる行いにおいて、ただ神の言葉と戒律に従う者である。僧侶とは、自然の絶え間ない衝動と、感覚の絶え間ない抑制である。僧侶とは、身体が清められ、唇が清らかで、心が悟りを開いた者である。僧侶とは、魂が悲しみと苦悩に苛まれながらも、眠っている時も起きている時も、常に死を思い起こし、深く考える者である。世俗を捨てることは、世俗の人々が称賛する物質への自発的な憎悪であり、自然を超越した祝福を得るために自然を拒絶することである。
5. 世俗的なものを熱心に捨てた者は皆、疑いなく、来るべき神の国のため、あるいは自らの数々の罪のため、あるいは神への愛ゆえにそうしたのです。もしこれらのいずれの意図も持っていなかったならば、彼らのこの世からの旅立ちは愚かな行為でした。しかし、禁欲生活の良き導師は、彼らの旅の終わりを待っておられます。
6. 罪の重荷から解放されるためにこの世を去った者は、都の外の墓の上に座る者たちに倣い、熱く激しい涙を流し続け、心の静かなすすり泣きを止めてはなりません。そして、彼もまた、イエスに会うまで、イエスは来られ、私たちの心と精神から頑なさという石を転がし、ラザロを罪の束縛から解き放ったように、私たちの心をも解き放ち、天使たちに「彼を情欲から解き放ち、自由にさせなさい」(ヨハネ11章44節)と命じ、祝福された無情へと導いてくださいます。そうでなければ、(この世を去ることから)彼にとって何の利益もないだろう。
7. 私たちがエジプトを出てファラオから逃れたいと願うとき、私たちにもモーセのような存在、すなわち神と神に仕える仲介者が必要不可欠です。その仲介者は、行為と幻の真っただ中に立ち、私たちのために神に手を差し伸べ、その仲介者に導かれる者たちが罪の海を渡り、情欲のアマレクに打ち勝つことができるようにしてくれるのです。このように、自分自身に頼り<ref>パイシイ・ヴェリチコフスキーの「彼らは自らを裏切った」</ref>、導き手は必要ないと考えていた者たちは欺かれました。エジプトから出てきた者たちにはモーセが導き手としており、ソドムから逃れてきた者たちには天使がいたからです。そして、エジプトから出てきた者たちの中には、医者の助けを借りて魂の情欲を癒す者のような者もいれば、みじめな体の汚れを取り除こうとする者のような者もいます。ですから、彼らには助け手、すなわち天使、天使に匹敵する人間が必要なのです。傷口の腐敗がひどいため、非常に腕の良い医師が必要なのです。
8. 肉体をもって天に昇ろうとする者は、特に出家を始めたばかりの頃は、極度の苦行と絶え間ない苦難を強いられる。それは、快楽に溺れる本性と無情な心が、真の悲しみによって神への愛と清らかさへと変えられるまで続く。この闘いにおいては、特に怠惰な者にとって、真の労苦と深い隠された悲しみは避けられない。それは、私たちの心、あの獰猛で快楽に溺れる犬が、素朴さ、怒りからの深い解放、そして勤勉さによって、清らかで識別力のある者となるまで続く。しかし、たとえ情熱的で疲れ果てていても、私たちは安らぎを得よう。揺るぎない信仰をもって、右手のようにキリストに私たちの弱さと霊的な無力さを告白し、常に謙遜の深みへと降りていくならば、私たちのふさわしさを超えても、必ずキリストの助けを受けることができるだろう。
9. この善き闘争、残酷で困難でありながらも容易な闘争に身を投じる者は皆、自らの内に非物質的な火を宿したいと願うならば、火の中に投げ込まれる覚悟をしなければならない。ゆえに、各自自らを吟味し、苦い草を混ぜた修道生活のパンを食べ、涙を混ぜたこの杯を飲み干し、自らを裁かないようにせよ。洗礼を受けた者すべてが救われるわけではないならば……私はこれ以上のことは語らない。
10. この闘争に身を投じる者は、自らの確固たる土台を築くために、すべてを捨て、すべてを軽蔑し、すべてを嘲り、すべてを拒絶しなければならない。この善き土台は、柔和、断食、そして貞潔という三つの柱から成る。キリストにあるすべての幼子は、これらの徳を身につけることから始めよ。悪意も媚びも持たない、肉欲的な幼子を模範とせよ。彼らには飽くなき貪欲さも、飽くなき腹心も、肉体的な欲望もありません。これらは年齢とともに現れ、食物摂取量の増加に伴って発生する可能性があります。
11. 戦いのまさに始まりにおいて、闘争者が弱体化し、勝利が近づいていることをはっきりと示すのは、実に忌まわしく、悲惨なことである。たとえその後弱体化したとしても、確固たるスタートを切ることは間違いなく我々に益となる。なぜなら、かつて勇敢であった魂は、弱体化した時、鋭い武器のように、かつての熱意の記憶によって再び奮い立つからである。ゆえに、多くの人々がこのようにして(弱体化から)回復してきた。
12. 魂が自らを裏切り、祝福され、切望された熱意を失った時は、その喪失の理由を丹念に吟味し、その原因究明に全力を注ぐべきである。なぜなら、かつての熱意は、それが去ったのと同じ扉を通らなければ、取り戻すことはできないからである。
13. 恐れから世を捨てる者は、最初は芳しい香りを放つが、やがて煙となる香のようだ。報いを求めて世を去る者は、常に同じ速度で回転する石臼のようだ。しかし、神への愛から世を去る者は、最初から火を得ており、それが物質に投げ込まれると、たちまち大火となる。
14. ある者は建物の石の上に煉瓦を積み、ある者は地面に柱を立て、またある者は少し歩いて血管と手足を温めてから、さらに速く歩く。理解する者は、この神託の言葉の意味を理解するであろう<ref>ライトゥの聖ヨハネとクレタの聖エリアスの解説によれば、聖ヨハネ・クリマコスはここで世俗を捨てた人々について語っている。岩の上にレンガ造りの建物を建てる人々は、世俗を捨てて共同生活に入り、最初は優れた外面的な徳を積むものの、霊的指導者に従わず、また彼の前で自分の意志を断ち切らない人々を象徴している。そのため、謙虚な服従の努力で試練を受けず、情欲と戦うことを教え、善行へと適切に導いてくれる指導者の助けもないため、彼らは次第に熱意を失い、弱体化して怠慢に陥り、せっかく築き上げた立派な建物を、より謙虚で弱い建物に置き換えてしまうのである。地上の強固な柱となるのは、世俗を捨ててすぐに孤独な生活に身を投じる者たちである。彼らはまず、服従、謙遜、情欲の抑制といった共同生活における苦行を通して隠遁生活の基礎を築くことなく、すぐに転落し、ぎこちなく立ち上がる。一方、旅路の一部を終え、体を温めてから、より速く進む者たちは、修道生活の道に入り、良き師の導きに身を委ね、傲慢さのない道を歩み、自らの意志を断ち切り、服従と謙遜の労苦から始め、試練を経て、敬虔の熱意に燃え、神の恵みによって力を得て、疲れを知らず、無敵となり、つまずくことなく、聖なる道を最後まで歩み続ける者たちである。 ( Migne J.-P. Patrologiae cursus completus を参照。Series graeca. Vol. 88 [Further PG 88]。クレタ島のエリヤ、ライファのヨハネらによる「はしご」の解説、649 ページ。クレタ島のヒエロモンク アタナシウスによる解説付きの「はしご」の現代ギリシャ語訳も参照。ヴェネツィア、1693 年、 8ページ)。</ref>。
15. 神と王に召された者として、私たちは熱心に前進しましょう。地上での短い人生において、実を結ばず、死の日に飢え死にすることのないように。兵士が王を喜ばせるように、私たちも主を喜ばせましょう。この召しを受けた以上、私たちはその務めについて厳しく責任を問われるからです。野獣を恐れるように、主を恐れましょう。私は、盗みに出かけた者たちが神を恐れず、犬の吠え声を聞くとすぐに引き返したのを見たことがあります。神を恐れてもできなかったことを、野獣を恐れることで成し遂げたのです。主を愛する気持ちは、友人を愛し敬う気持ちと少なくとも同じくらいにしましょう。なぜなら、私は神を怒らせても全く気にかけない人々を何度も見てきたからです。しかし、同じ人々が、ほんの少しのことで友人を怒らせてしまったときには、あらゆる手段を尽くし、あらゆる方法を考え出し、あらゆる方法で、自分自身や友人、親戚を通して、悲しみと悔い改めを表明し、謝罪し、傷つけた相手に贈り物を送って、かつての愛情を取り戻そうとしたのです。
16. 出家を始めたばかりの頃は、確かに困難と強制、そして悲しみを伴いながら徳を実践します。しかし、それが成功すると、悲しみを感じなくなるか、感じたとしてもごくわずかになります。そして、肉的な知恵が克服され、熱意に囚われると、喜びと熱意、切望と神聖な炎をもって徳を実践するようになります。
17. 最初から喜びと熱意をもって戒律を守る者は称賛に値する一方、長きにわたり修道生活を送っていながら、徳を実践しているにもかかわらず、依然として困難を伴う者は、哀れむべき存在です。
18. 状況に応じて起こる出家を軽蔑したり、非難したりしてはなりません。なぜなら、私は逃げていた者たちが、偶然王に出会い、意に反して王に従い、宮殿に入り、王と共に食卓に着いたのを見たからです。私は、偶然地面に落ちた種が豊かで美しい実を結ぶ様子、そしてその逆もまた然りである様子を目にしました。また、治療のためではなく、別の用事で医者の診察室に来た男性が、医者の親切な対応に惹きつけられ、その場に留まり、目の前にあった暗闇から解放される様子も目にしました。このように、ある人にとっては無意識の行動でさえ、他の人の意識的な行動よりも強く、信頼できるものだったのです。
19. 誰も、自らの罪の重大さと多さを誇示して、修道誓願にふさわしくないと自称してはなりません。また、自らの快楽のために、罪の言い訳をでっち上げて、偽りの卑しさを装ってはなりません(詩篇140:4)。なぜなら、堕落が蔓延しているところには、その汚れを清めるための強力な治療が必要であり、健康な人が病院に入ることはないからです。
20. もし地上の王が私たちを召集し、その御前に仕えるよう任命しようと望まれたなら、私たちはためらうことなく、また弁解することもなく、すべてを捨てて、心から王のもとへ急ぐでしょう。ですから、王の王、主の主、神々の神が私たちを天上の地位に召される時、怠惰と臆病さゆえにそれを拒み、その偉大なる裁きにおいて責任を問われることのないよう、自らを律しましょう。世俗的な事柄や心配事の束縛に縛られている者でさえ歩くことはできるが、楽に歩くことはできない。鉄の足枷をはめられた者でさえ歩くことはできるが、しばしばつまずき、そのために傷を負うからである。独身で世俗的な事柄にのみ縛られている者は、手枷をはめられているようなものであり、したがって、望むときにはいつでも自由に修道生活に身を投じることができる。しかし、既婚者は、両手両足に足枷をはめられているようなものである。
21. 世俗に無頓着に暮らす人々が私に尋ねました。「妻と共に暮らし、世俗の煩悩に囚われている私たちが、どうすれば修道生活を真似ることができるでしょうか?」私は彼らに答えました。「できる限りの善行を行いなさい。人を非難せず、盗みをせず、嘘をつかず、傲慢な態度をとらず、人を憎まず、教会の集会を欠席せず、困っている人に慈悲深く接し、人を誘惑せず、他人の分け前<ref>古い翻訳では: 他人のベッドに触れてはならない。</ref>に手をつけず、妻の取り分に満足しなさい。これらを行えば、天国から遠く離れることはないでしょう。」
22. この善き戦いに、喜びと畏れをもって臨みましょう。敵を恐れてはなりません。彼らは目に見えませんが、私たちの魂の顔を見透かしているからです。そして、私たちが恐れから変わったことに気づけば、この裏切り者たちは、私たちが恐れていることを知り、より激しく私たちに襲いかかってくるでしょう。だから、冷静さを保ちながら彼らに立ち向かおう。勇敢な戦士に挑む勇気のある者はいないのだから。
23. 主は特別な摂理によって、初心者がすぐに世俗に戻らないように、その苦難を容易にしてくださいました。ですから、神のしもべである皆さん、主にあって常に喜びなさい。これは、主があなた方を愛しておられることの最初のしるしであり、主ご自身があなた方を召されたことの証です。しかし、私たちは神がしばしば別の方法で働かれることを知っています。すなわち、神は勇敢な魂を見て、彼らに最初から苦難を経験させ、速やかに彼らに冠を与えようと望まれるのです。しかし、主は世に生きる人々からこの苦難の難しさ、いや、むしろ容易さを隠しておられます。もし彼らがそれを知っていたら、誰も世を捨てようとはしないでしょう。
24. 若いうちに労苦をキリストに熱心に捧げなさい。そうすれば、老齢になって無欲の豊かさに喜びを見いだすでしょう。若いうちに蓄えられたものは、老齢になって弱った人々を養い、慰めるからです。若者たちよ!熱心に働き、慎み深く走り続けましょう。死は知らないのですから。我々には、狡猾で邪悪、ずる賢く、陰険な敵がいる。彼らは手に火を握り、神殿の中にある炎で神殿を焼き尽くそうとしている<ref>つまり、彼自身の情熱の炎によって。</ref>。強大で決して眠らない、非物質的で目に見えない敵である。だから、若者は、敵対する悪魔が「体を酷使してはいけない。さもないと病気や虚弱に陥る」と唆しても、耳を傾けてはならない。なぜなら、特に今の世代では、たとえ多くの美味しいご馳走を我慢する人がいても、自分の体を苦行に捧げようと決意する人はまずいないからである。この場合、悪魔の意図は、我々が戦いに弱く怠慢な状態で臨むように仕向け、その結果、終わりが始まりと同じようなものになるようにすることにある。
25. 真にキリストに仕えたいと願う者は、まず第一に、霊的指導者の助けと自らの判断によって、ふさわしい場所、生き方、道、そして訓練を自ら選ぶよう努めるべきである。なぜなら、欲望のために共同生活はすべての人にとって有益とは限らないからである。また、怒りのために沈黙を守ることができる人もいない<ref>「ある修道士が、修道院でしばしば怒りの感情に駆られ、砂漠へ行くことにした。そうすれば、議論する相手がいなくなり、この感情に悩まされることもなくなると考えたからだ」とルフィヌスは記している。「しかし、洞窟に引きこもった時、水を入れて地面に置いたマグカップが、立て続けに3回も倒れてこぼれてしまった。これに腹を立てた彼はマグカップを割り、正気に戻ってこう言った。『怒りの悪魔に騙された。私はここに一人きりなのに、この感情は私を打ち負かし続けている。だが、この感情に打ち勝つためには、あらゆる場所で戦い、耐え忍ばなければならず、何よりも神の恵みの助けが必要なのだから、今こそ修道院に戻ろう!』」</ref>。しかし、各自が自分の資質に合った道を熟考すべきである。
26. 修道生活全体は、三つの主要な構造と修練様式に集約される。すなわち、禁欲的な孤独と隠遁生活、一人、時には二人で沈黙を実践すること、そして最後に、忍耐強く共同生活にとどまることである。「右にも左にも曲がってはならない」(箴言4章27節)と伝道の書は言う。王の道を歩め。中庸の生き方は多くの人にとってふさわしい。 ― 同じ伝道の書にはこうあります。「一人ぼっちの者は災いだ。もし彼が落胆(伝道の書 4章10節)、怠惰、怠け、絶望に陥ったとしても、彼を立ち上がらせる者はいない。主は言われる。『二、三人がわたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる。』」(マタイによる福音書 18章20節)
27. では、忠実で賢明な修道士とは誰でしょうか。それは、熱意を絶やさず、生涯の終わりまで、日々、火に火を、熱意に熱意を、熱意に熱意を、欲望に欲望を加え続ける者です。
{{center|第一段階。一度この段階に入ったら、決して後戻りしてはなりません。}}
==脚注==
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オプティナ・プスティン兄弟団訳 "преподобный Иоанн Лествичник
Лествица" の第1章を翻訳。
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はしご (ヨハネ・クリマコス)/第3章
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村田ラジオ
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*底本: [https://azbyka.ru/otechnik/Ioann_Lestvichnik/lestvitsa-ili-skrizhali-dukhovnye/ Лествица はしご] ヨハネ・クリマコス(ロシア語)
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教神学]]
[[Category:ヨハネ・クリマコス]]
}}
'''はしご (ヨハネ・クリマコス)'''
== 第3章 ==
<< 放浪すること、つまり世間を避けることについて >>
1. 放浪(亡命)とは、敬虔さを追求する上で私たちを阻む故郷のあらゆるものを、取り返しのつかない形で捨て去ることである。放浪とは、大胆な気質でも、知られざる知恵でも、秘められた知識でも、隠された生活でも、見えない意図でも、感知できない思考でも、消滅への願望でも、苦難への憧れでも、神への憧れへの道でも、溢れる愛でも、虚栄の放棄でも、深淵の静寂でもない。
2. 最初は、まるで神の火に焼かれたかのように、自分の民から離れるという考えは、主を愛する者たちを、通常、強く、そして執拗に悩ませ、そのような善を求める者たちを、悪と苦難への願望をもってそうするように駆り立てる。しかし、この闘いは偉大で称賛に値するものであると同時に、深い考察を必要とする。なぜなら、極限まで行われる放浪がすべて善であるとは限らないからである<ref>それは、傲慢かつ大胆に行われたか、あるいは自分の力や能力を超えているからである。</ref>。
3. 主が言われたように、すべての預言者が自分の国で尊敬されないのであれば、私たちは世俗から身を引くことが虚栄心の口実にならないよう注意しなければなりません。放浪とは、自分の思いを神と切り離せないものにするために、あらゆるものから離れることだからです。放浪者は、絶え間なく涙を流すことを愛し、実践する者です。放浪者は、家族にも見知らぬ人にも、あらゆる執着を避ける者です。
4. 孤独な生活や放浪の道を急ぐ時、平和を愛する魂を待っていてはならない。盗人は思いがけずやってくるからだ。怠惰な者や無責任な者を自分自身と共に救おうとした多くの人々は、熱意の炎が時とともに消え去った時、彼らと共に滅びた。炎を感じたら逃げなさい。いつ消えて暗闇に取り残されるか分からないからだ。私たち全員が他者の救済に責任を負う必要はない。なぜなら、神の使徒はこう言っているからだ。「兄弟たちよ、各自、自分のために神に語りなさい。」また、「あなたがたは互いに教え合うのに、自分自身を教えないのか」(ローマ2章21節)。これはまるで、「私たちは皆、他者を思いやるべきかどうかは分からない。しかし、自分自身のことはあらゆる面で備えなければならない」と言っているかのようだ。
5. 放浪の旅に出る時は、怠惰な放浪と肉欲の悪魔に気をつけなさい。放浪は、心を誘惑する機会を与えるからだ。
6. 無執着は良いことだが、その源は世俗からの離脱である。主のために完全に世俗から離れた者は、もはや世俗とのいかなる繋がりも持つべきではない。さもなければ、情欲を満たすために彷徨っているように見えてしまうからである。
7. 世俗から離れたならば、再び世俗に触れてはならない。情欲は容易に再び湧き上がってくるからである。
8. エバは不本意ながら楽園から追放されましたが、修道士は自らの意思で故郷を去りました。なぜなら、エバは再び不従順の木の実を欲するでしょうが、修道士は肉親から必ず害を受けるからです。
9. 誘惑に陥る機会を与えてくれる場所からは、鞭から逃れるように逃げなさい。禁断の果実を見なければ、それほど強く欲しがることはないからです。
10. 目に見えない敵の次の狡猾さと甘言を見逃してはなりません。彼らは、女性を見ても自制すれば大きな報いが得られると示唆し、世俗的な事柄を捨てるべきではないと私たちに忠告します。しかし、私たちはこれに屈してはなりません。むしろ、彼らの言う通りにしてはならないのです。
11. 一年あるいは数年家族から離れて過ごし、少しばかりの敬虔さ、悔恨、あるいは自制心を身につけた時、虚しい思いが私たちを襲い、かつて私たちの無法な行いを目撃した多くの人々の教訓、模範、そして益となるために、故郷に戻るよう促します。そして、もし私たちがまだ雄弁の才能に恵まれ、霊的な理解力も持ち合わせているならば、魂の救世主、教師として、世に戻るよう勧めます。そうすれば、私たちが避難所で安全に集めたものが、深淵で悲惨なほどに浪費されることになるからです。私たちはロトを見習うよう努め、彼の妻を見習うべきではありません。なぜなら、魂は来たところに戻ると、味を失い動かなくなった塩のようになるからです。エジプトから必ず逃げなさい。なぜなら、エジプトに心を奪われた者は、エルサレム、すなわち無執着の地を見たことがないからです。霊的な幼年期のために、当初は自分の道を離れ、完全に自らを清めることができた人々も、自分たちが救われたように隣人をも救うという意図をもって、恩恵を受けて元の道に戻ることは可能である。しかし、神を見通す者であり、同胞を救うために神自身によって遣わされたモーセは、エジプト、すなわち世界の闇の中で多くの苦難に耐えた。
12. 主を怒らせるよりは、両親を怒らせる方がましです。なぜなら、主は私たちを創造し、救ってくださったからです。しかし、両親はしばしば愛する者を滅ぼし、永遠の苦しみに陥れました。
13. 異邦人とは、あらゆる場所に理解をもって住む者、異国の民の中にいる外国人のことです。私たちは愛する人や場所から離れるのは、彼らを憎んでいるからではなく(決してそうであってはなりません)、彼らから受けるかもしれない害を避けるためです。あらゆる善行においてそうであるように、この点においても、私たちの教師はキリストご自身です。なぜなら、キリストもまた、肉の親をしばしば離れ、ある人々が「あなたの母と兄弟があなたを捜しています」(マルコ3章32節)と言ったとき、私たちの慈しみ深い主であり教師であるキリストは、すぐに彼らに対する無情な憎しみを示し、「わたしの母と兄弟とは、天におられるわたしの父の御心を行う者のことである」(マタイ12章49節)と言われたからです。
14. あなたの父は、あなたの罪の重荷を取り除くために共に働き、喜んで協力してくれる人であるべきです。あなたの母は、あなたを汚れから洗い清めてくれる優しい人であるべきです。あなたの兄弟は、高みを目指す上で共に働き、また競い合う仲間であるべきです。死を常に心に留め、死を分かち合うことのない友として心に刻みなさい。あなたの心の嘆きは、愛する子供たちであるべきです。あなたの体はあなたのしもべであるべきです。そして、天の軍勢の中に友を作りなさい。彼らは、あなたの魂が旅立つ時に、あなたの友となってくれるならば、あなたにとって役に立つでしょう。これこそが、主を求める者たちの世代(すなわち、血縁関係)です(詩篇23篇5節)。
15. 神への愛は、親への愛を消し去ります。両方を持っていると言う者は、自分を欺いているのです。なぜなら、「だれも二人の主人に仕えることはできない」(マタイ6章24節)とあるからです。主は言われる、「わたしは地上に平和をもたらすために来たのではない」(マタイ10章34節)、すなわち、わたしに仕えたいと願う親と子、兄弟との間の平和をもたらすために来たのではない。むしろ、戦いと剣をもたらすために来たのだ。神を愛する者と平和を愛する者、物質的なものと非物質的なもの(肉的なものと霊的なもの)、栄光を愛する者と謙遜な者を分けるために来たのだ。主は、主への愛ゆえに起こる分裂と分離を喜ばれるからである。
16. 気をつけなさい、気をつけなさい。愛する親族への執着によって、あなたの周りのすべてが水に飲み込まれたように見え、世俗の洪水に溺れてしまうことのないように。両親や友人の涙に心を奪われてはならない。さもなければ、あなたは永遠に泣き続けることになるだろう。親族が蜂のように、いや、むしろスズメバチのようにあなたを取り囲み、あなたを悼むときには、すぐに魂の目を死とあなたの行いに向けなさい<ref>ギリシャ語。パイシイ・ヴェリチコフスキー著。行為。『ノヴゴロド』にて。クレタのアタナシウス訳:神の裁きに目を向ける。</ref>。そうすれば、一つの悲しみを別の悲しみで退けることができるだろう。私たちの親族、いや、むしろ私たちの親族ではない者たちは、私たちが愛するすべてのことをしてくれると巧みに約束する。彼らの目的は、私たちの善なる願望を妨げ、そして私たちを自分たちの目的に引き込むことにある。
17. 世俗から離れるときは、慰めや虚栄の機会のない、質素な住まいを選ばなければならない。さもなければ、私たちは情欲に駆られて行動していることになる。
18. あなたの高貴さを隠し、その地位を誇ってはならない。さもないと、言葉と行いが別人であると見なされることになる。
19. 「あなたの国、あなたの親族、あなたの父の家を出て行け」(創世記12章1節)という御言葉を聞き、異国の地、異邦の地へと召された偉大なる方ほど、自らを放浪の旅に身を委ねた者はいない。
20. 主は、この偉大なる方の模範に倣って放浪する者を大いに栄光に輝かせることがあります。しかし、この栄光は神から与えられるものですが、謙遜という盾でそれをかわすのが賢明です。
21. 悪霊や、あるいは人間でさえ、放浪を偉大な功績として称賛する時、私たちのために放浪者として地上に降りて来られた方を思い起こしましょう。そうすれば、私たちは決してこの恩に報いることができないと悟るでしょう。
22. 親族であろうと見知らぬ人であろうと、誰かに執着することは非常に有害です。それは私たちを徐々に世俗へと引き込み、悔い改めの炎を完全に消し去ってしまう可能性があります。片目で天を、もう片方の目で地を見ることができないように、心身ともに親族や非親族から完全に離れていない者は、霊的な災難を避けることはできません。
23. 善良で秩序ある人格は、多くの努力と苦闘によって獲得されますが、多くの苦闘によって獲得したものは、一瞬にして失われることがあります。 「悪い交わりは良い習慣を損なう」(コリント第一 15章33節)。世俗的で不適切な交わりとは、世俗的な交わりや習慣のことです。世俗を捨てた後も、世俗的な人々と交わったり、彼らと親しく付き合ったりする者は、必ず彼らの行いや誘惑に陥るか、彼らのことを考えて心を汚すか、あるいは、たとえ汚されていなくても、自らを汚す人々を非難することによって、彼らと共に汚されることになります。
{{center|夢について、それは新たな始まりである。}}
24. 私たちの心の理解力はあらゆる点で非常に不完全で無知に満ちていることは隠せない。喉は食物を、耳は思考を識別し、太陽の視線は目の弱さを露呈し、言葉は魂の愚かさを露呈する。しかし、愛の法則は、私たちの力の及ぶ範囲を超えて努力することを私たちに強いる。だから私は(断言はしないが)、彷徨いについての言葉の後、そしてこの言葉自体の中にも、夢について何かを述べなければならないと思う。そうすれば、邪悪な敵のこの狡猾さにも気づくことができるだろう。
25. 夢を見ることは、体が静止している間の心の動きです。白昼夢を見ることは、思考の静寂の中で目が錯覚することです。白昼夢を見ることは、体が覚醒している間の心の狂乱です。白昼夢を見ることは、存在しないものの幻です。
26. 前述の言葉の後で、なぜ私たちが夢について語ることにしたのかは明らかです。主のために、家や親族を離れ、神への愛ゆえに隠遁生活に身を捧げるとき、悪霊は夢によって私たちを惑わそうとします。親族が私たちのために悲しんでいる、あるいは投獄されている、あるいはその他の不幸に見舞われているといった夢を見せるのです。ですから、夢を信じる者は、自分の影を追いかけて捕まえようとする人のようなものです。
27. 虚栄の悪霊は夢の中で預言者です。狡猾な彼らは、状況から未来を推測し、それを私たちに告げる。そのため、これらの予言が実現すると、私たちは驚き、まるで予知能力にすでに近づいているかのように、思いを馳せる。悪魔を信じる者にとって、彼はしばしば預言者となるが、彼を軽蔑する者にとっては、彼は常に嘘つきである。霊として、彼は空中で起こることを見ており、例えば誰かが死にかけていることに気づくと、騙されやすい者に夢を通してそれを予言する。悪魔は予知によって未来を知ることはないが、医者でさえ私たちの死を予言できることは知られている。
28. 悪霊はしばしば光の天使や殉教者の姿に変身し、夢の中で私たちを彼らの前に現れさせます。しかし、私たちが目覚めると、彼らは私たちを喜びと高揚感で満たします。これはあなた方にとって惑わしのしるしです。天使は私たちに苦しみ、恐ろしい裁き、そして別れを見せますが、目覚めると、彼らは私たちを恐れと嘆きで満たします。夢の中で悪霊に屈服すれば、目覚めている間も彼らは私たちを嘲笑します。夢を信じる者は全く賢くなく、夢を信じない者は俗物です。ですから、苦しみと裁きを予言する夢だけを信じなさい。しかし、もしそれがあなたを絶望に導くなら、それもまた悪霊からのものです。
この第三の段階は、その数において「三位一体」に対応している。この段階に足を踏み入れた者は、「右にも左にも」目を向けてはならない(申命記5章32節)。
==脚注==
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オプティナ・プスティン兄弟団訳、ヨハネ・クリマコス "Лествица" の第3章を翻訳。
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七步詩
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JackoChenWei
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[[zh:七步詩]]
== 白文 ==
<CENTER><poem>
煮豆持作羹、漉鼓以為汁。
萁在釜下燃、豆在釜中泣。
本是同根生、相煎何太急?
</poem></CENTER>
== 書き下し文 ==
<CENTER><poem>
{{r|豆|まめ}}を{{r|煮|に}}て{{r|持|も}}て{{r|羹|あつもの}}と{{r|作|な}}し、
{{r|鼓|し}}を{{r|漉|こ}}して{{r|以|もっ}}て{{r|汁|しる}}と{{r|為|な}}す。
{{r|萁|まめがら}}は{{r|釜下|ふか}}に{{r|在|あ}}りて{{r|燃|も}}え、
{{r|豆|まめ}}は{{r|釜中|ふちゅう}}に{{r|在|あ}}りて{{r|泣|な}}く。
{{r|本|もと}}{{r|同根|どうこん}}より{{r|生|しょう}}ずるに、
{{r|相|あひ}}{{r|煎|に}}ること{{r|何|な}}ぞ{{r|太|はなは}}だ{{r|急|きゅう}}なると?
</poem></CENTER>
== 現代口語訳 ==
:豆を煮て濃い汁を作る。
:豆で作った調味料を{{r|濾|こ}}して味を調える。
:豆がらは釜の下で燃え、豆は釜の中で泣く。
:豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに、
:豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか。
== 出典 ==
* [http://chugokugo-script.net/kanshi/nanahonouta.html 『七歩詩』曹植 【原文・書き下し文・現代語訳・解説】]
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トーク:故郷 (魯迅の小説)
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/* このページは削除されるべきではありません */ 新しい節
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== このページは削除されるべきではありません ==
井上紅梅(1881–1949)による魯迅の日本語訳は、ウィキソースに掲載してもアメリカの著作権を侵害することはなく、パブリックドメインに属します。--[[利用者:JackoChenWei|JackoChenWei]] ([[利用者・トーク:JackoChenWei|トーク]]) 2026年10月17日 (土) 16:13 (UTC)
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トーク:満韓ところどころ
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ページの作成:「<!--書誌情報:ここから下をノートに転記--> {{textinfo |edition=<br /> <br /> 底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房<br /> 1988(昭和63)年4月26日第1刷発行<br /> 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房<br /> 1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月<br /> 入力:柴田卓治<br /> 校正:伊藤時也<br /> 1999年6月20日公開<br /> 2004年2…」
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2004年2月28日修正<br />
青空文庫作成ファイル:<br />
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/ )で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。<br />
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満韓ところどころ
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ページの作成:「{{header |title=満韓ところどころ |year= |author=夏目漱石 |translator= |edition=yes |notes= * 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。 {{DEFAULTSORT:まんかんところところ}} [[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]] {{Textquality|100%}} }} 一 {{r|南満鉄道会社|なんまんてつどうかいしゃ}}っていったい何をするんだいと{{r|…」
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一
{{r|南満鉄道会社|なんまんてつどうかいしゃ}}っていったい何をするんだいと{{r|真面目|まじめ}}に聞いたら、{{r|満鉄|まんてつ}}の総裁も少し{{r|呆|あき}}れた顔をして、{{r|御前|おまえ}}もよっぽど馬鹿だなあと云った。{{r|是公|ぜこう}}から馬鹿と云われたって{{r|怖|こわ}}くも何ともないから黙っていた。すると是公が笑いながら、どうだ{{r|今度|こんだ}}いっしょに連れてってやろうかと云い出した。是公の連れて行ってやろうかは久しいもので、二十四五年{{r|前|ぜん}}、神田の{{r|小川亭|おがわてい}}の前にあった怪しげな{{r|天麩羅屋|てんぷらや}}へ連れて行ってくれた以来時々連れてってやろうかを余に向って繰返す癖がある。そのくせいまだ大した所へ連れて行ってくれた{{r|試|ためし}}がない。「{{r|今度|こんだ}}いっしょに連れてってやろうか」もおおかたその{{r|格|かく}}だろうと思ってただうんと答えておいた。この気のない返事を聞いた総裁は、まあ海外における日本人がどんな事をしているか、ちっと見て来るがいい。御前みたように何にも知らないで高慢な顔をしていられては{{r|傍|はた}}が迷惑するからとすこぶる適切めいた事を云う。何でも是公に聞いて見ると{{r|馬関|ばかん}}や何かで我々の不必要と認めるほどの御茶代などを宿屋へ置くんだそうだから、是公といっしょに歩いて、この{{r|尨大|ぼうだい}}な御茶代が宿屋の主人下女下男にどんな影響を生ずるかちょっと見たくなった。そこで、じゃ君の供をしてへいへい云って歩いて見たいなと注文をつけたら、そりゃどうでも構わない、いっしょが{{r|厭|いや}}なら別でも{{r|差支|さしつか}}えないと云う返事であった。
それから御供をするのはいつだろうかと思って、面白半分に待っていると、八月{{r|半|なか}}ばに使が来ていつでも立てる用意ができてるかと念を押した。立てると云えば立てるような{{r|身上|しんじょう}}だから立てると答えた。するとまた十日ほどしていつ{{r|何日|いつか}}の船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。それも、ちゃんと心得た。次には用事ができたから{{r|一船|ひとふね}}延ばすがどうだと云う{{r|便|たよ}}りがあった。これも訳なく承知した。しかし承知している最中に、突然急性胃カタールでどっとやられてしまった。こうなるといかに約束を重んずる余も、出発までに全快するかしないか自分で保証し{{r|悪|にく}}くなって来た。胸へ差し込みが来ると、約束どころじゃない。馬関も御茶代も、是公も大連もめちゃめちゃになってしまう。世界がただ真黒な{{r|塊|かたまり}}に見えた。それでも御供旅行の好奇心はどこかに{{r|潜|ひそ}}んでいたと見えて、先へ行ってくれと云う事は一口も是公に云わなかった。
そのうち胃のところがガスか何かでいっぱいになった。茶碗の音などを聞くと腹が立った。人間は何の必要があって飯などを食うのか気の知れない動物だ、こうして氷さえ{{r|噛|かじ}}っていれば{{r|清浄潔白|しょうじょうけっぱく}}で何も不足はないじゃないかと云う気になった。{{r|枕元|まくらもと}}で人が何か云うと、話をしなくっちあ生きていられないおしゃべりほど情ない{{r|下賤|げせん}}なものはあるまいと思った。眼を開いて{{r|本棚|ほんだな}}を見渡すと書物がぎっしり詰っている。その書物が一々違った色をしてそうしてことごとく別々な名を持っている。{{r|煩|わずら}}わしい事{{r|夥|おびただ}}しい。何の{{r|酔興|すいきょう}}でこんな差別をつけたものだろう、また何の{{r|因果|いんが}}でそれを大事そうに{{r|列|なら}}べ立てたものだろう。実にしち面倒臭い世の中だ。早く死んじまえと云う気になった。
{{r|禎二|ていじ}}さんが{{r|蒲団|ふとん}}の横へ来て、どうですと尋ねたが、返事をするのが{{r|馬鹿気|ばかげ}}ていて何とも云う{{r|了見|りょうけん}}にならない。代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非{{r|止|と}}めなくっちゃならないと説諭したが、{{r|御尤|ごもっと}}もだとも{{r|不尤|ふもっと}}もだとも答えるのが{{r|厭|いや}}だった。
そのうち日は容赦なく{{r|経|た}}った。病気は依然として元のところに{{r|逗留|とうりゅう}}していた。とうとう出発の前日になって、電話で中村へ断った。中村は御大事になさいと云って先へ立ってしまった。
二
{{r|小蒸気|こじょうき}}を出て{{r|鉄嶺丸|てつれいまる}}の{{r|舷側|げんそく}}を{{r|上|のぼ}}るや否や、商船会社の{{r|大河平|おおかわひら}}さんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の{{r|佐治君|さじくん}}が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で{{r|出逢|であ}}うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと{{r|是公|ぜこう}}と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。この倹約は鉄嶺丸に始まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう{{r|安東県|あんとうけん}}を{{r|経|へ}}て、{{r|韓国|かんこく}}にまで及んだのだから少からず恐縮した。総裁という言葉は、世間にはどう通用するか知らないが、余が旧友{{r|中村是公|なかむらぜこう}}を代表する名詞としては、あまりにえら過ぎて、あまりに{{r|大袈裟|おおげさ}}で、あまりに親しみがなくって、あまりに{{r|角|かど}}が出過ぎている。いっこう{{r|味|あじわい}}がない。たとい世間がどう云おうと、余一人はやはり昔の通り是公是公と{{r|呼|よ}}び{{r|棄|す}}てにしたかったんだが、{{r|衆寡敵|しゅうかてき}}せず、やむをえず、せっかくの友達を、他人扱いにして五十日間通して来たのは{{r|遺憾|いかん}}である。
船の中は比較的楽だった。{{r|二百十日|にひゃくとおか}}の{{r|明|あく}}る日に神戸を立ったのだから、多少の波風は無論おいでなさるんだろうと思ってちゃんと覚悟をきめていたところが、天気が存外{{r|呑気|のんき}}にできたもので、神戸から大連に着くまでたいていは{{r|鈍|にぶ}}り返っていた。{{r|甲板|かんぱん}}の上に若い{{r|英吉利|イギリス}}の男が犬を抱いて穏かに寝ていたと云ったら、海のようすもたいていは想像されるだろうと思う。
ありゃ何ですかと事務長の{{r|佐治|さじ}}さんに聞くと、え、あれは英国の{{r|副領事|ふくりょうじ}}だそうですと、佐治さんが答えた。副領事かも知れないが余には美しい二十一二の青年としか思われなかった、これに反して犬はすこぶる妙な顔をしていた。もっともブルドッグだから両親からしてすでに普通の顔とは縁の遠い方に違いない。したがって特にこいつだけを責めるのは残酷だが、一方から云うと、また不思議に妙な顔をしているんだからやむをえない。この犬はその{{r|後|ご}}大連に渡って{{r|大和|やまと}}ホテルに投宿した。そうとはちっとも知らずに、食堂に入って飯を食っていると、突然この顔に{{r|出食|でっく}}わして{{r|一驚|いっきょう}}を{{r|喫|きっ}}した。{{r|固|もと}}より犬の食堂じゃないんだけれども、犬の方で間違えて{{r|這入|はい}}って来たものと見える。もっとも彼の主人もその時食堂にいた。主人は多数の人間のいるところで、犬と高声に談判するのを非紳士的と考えたと見えて、いきなりかの妙な顔を胴ぐるみ{{r|脇|わき}}の下に{{r|抱|かか}}えて食堂の外に出て行った。その退却の模様はすこぶる優美であった。彼は重い犬をあたかも{{r|風呂敷包|ふろしきづつみ}}のごとく安々と小脇に抱えて、多くの人の並んでいる食卓の間を、足音も立てず{{r|大股|おおまた}}に歩んで戸の外に{{r|身体|からだ}}を隠した。その時犬はわんとも云わなかった。ぐうとも云わなかった。あたかも弾力ある暖かい器械の、{{r|素直|すなお}}に自然の力に従うように、おとなしく抱かれて行った。顔はたびたび云う通りはなはだ妙だが、{{r|行状|ぎょうじょう}}に至ってはすこぶる気高いものであった。余はその{{r|後|ご}}ついにこの犬に逢う機会を得なかった。
三
退屈だから{{r|甲板|かんぱん}}に出て向うを見ると、晴れたとも曇ったとも{{r|方|かた}}のつかない天気の{{r|中|うち}}に、黒い影が煙を吐いて、静かな空を濁しながら動いて行く。しばらくその{{r|痕|あと}}を眺めていたが、やがてまた{{r|籐椅子|といす}}の上に腰をおろした。例の{{r|英吉利|イギリス}}の男が、今日は犬を{{r|椅子|いす}}の足に鎖で縛りつけて、長い{{r|脛|すね}}をその上に延ばして書物を読んでいる。もう一人の異人はサルーンで何かしきりに{{r|認|したた}}め{{r|物|もの}}をしている。その妻君はどこへ行ったか見えない。{{r|亜米利加|アメリカ}}の宣教師夫婦は席を船長室の{{r|傍|わき}}へ移した。甲板の上はいつもの通り無事であった。ただ機関の音だけが足の裏へ響けるほど猛烈に鳴り渡った。その響の中でいつの間にかうとうとした。
眼が{{r|覚|さ}}めてから、サルーンに入って亜米利加の絵入りの雑誌を{{r|引|ひ}}っ{{r|剥|ぺ}}がして見た。{{r|傍|そば}}には日本の雑誌も五六冊片寄せてあった。いずれも{{r|佐治文庫|さじぶんこ}}と云う判が押してある。これは事務長の佐治さんが、自分で読むために上陸の際に買入れて、読んでしまうと船の図書館に寄附するのだと佐治さん自身から聞いた。佐治さんは文学好と見えて、余の著書なども読んでいる。友人の{{r|畔柳芥舟|くろやなぎかいしゅう}}と同郷だと云うから、差し向いで芥舟の評判を少しやった。
また{{r|室|へや}}を出て海を眺めた。すると{{r|先刻|さっき}}黒い影を波の上に残して、遠くの向うを動いていた船が、すぐ眼の前に見える。大きさは{{r|鉄嶺丸|てつれいまる}}とほぼ同じぐらいに思われるが、{{r|船足|ふなあし}}がだいぶ{{r|遅|のろ}}いと見えて、しばらくの{{r|間|ま}}にもうこれほど{{r|追|おっ}}つかれたのである。{{r|欄干|らんかん}}に{{r|頬杖|ほおづえ}}を突いて、見ていると鉄嶺丸が刻一刻と{{r|後|うしろ}}から{{r|逼|せま}}って行くのがよく分る。しまいには黄色い文字で書いた{{r|営口丸|えいこうまる}}の三字さえ{{r|明|あきら}}かに読めるようになった。やがて余の船の頭が営口丸の尻より先へ出た。そうして、尻から胴の方へじりじりと{{r|競|せ}}り{{r|上|あ}}げて行った。船は約一丁を隔ててほとんど{{r|並行|へいこう}}の姿勢で進行している。もう七八分すると、余の船は全く営口丸を乗り切る事ができそうに思われた。時に約一丁もあろうと云う船と船の間隔が妙に{{r|逼|せま}}って来た。向うの甲板にいる{{r|乗客|じょうかく}}の影が{{r|確|たしか}}に{{r|勘定|かんじょう}}ができるようになった。見るとことごとく西洋人である。中には{{r|眼鏡|めがね}}を出してこっちを眺めているのもあった。けれども見るうちに眼鏡は不必要になった。髪の色も{{r|眼鼻立|めはなだち}}も甲板に立っている人は御互に{{r|鮮|あざや}}かな顔を見合せるほど船は近くなった。その時は全く美しかった。と思うと、船は今までよりも倍以上の速力を{{r|鼓|こ}}して{{r|刹那|せつな}}に近寄り始めた。海の水を細い谷川のように仕切って、営口丸の船体が、六尺ほどの眼の前に黒く切っ立った時は、ああ{{r|打|ぶ}}つかるなと思った。{{r|途端|とたん}}に向うの{{r|舳|へさき}}は余の眼を{{r|掠|かす}}めて過ぎ去りつつ、{{r|逼|せま}}りつつ、とうとう中等甲板の{{r|角|かど}}の所まで行ってどさりと当った。同時に甲板の上に釣るしてあった{{r|端艇|ボート}}が二{{r|艘|そう}}ほどでんぐり返った。端艇を{{r|繋|つな}}いであった鉄の棒は{{r|無雑作|むぞうさ}}に曲った。営口丸の船員は手を{{r|拍|う}}ってわあと{{r|囃|はや}}し{{r|立|た}}てた。余と並んで立っていた異人が、妙な声を出してダム何とか云った。
一時間の{{r|後|のち}}佐治さんがやって来て、夏目さん身を{{傍点|かわす}}の{{傍点|かわす}}と云う字はどう書いたら好いでしょうと聞くから、そうですねと云って見たが、実は余も知らなかった。{{r|為替|かわせ}}の{{r|替|かわ}}せると云う字じゃいけませんかとはなはだ文学者らしからぬ事を答えると、佐治さんは承知できない顔をして、だってあれは物を取り替える時に使うんでしょうとやり込めるから、やむをえず、じゃ{{r|仮名|かな}}が好いでしょうと忠告した。佐治さんは{{r|呆|あき}}れて出て行った。後で聞くと、衝突の始末を書くので、その中に、本船は身をかわしと云う文句を入れたかったのだそうである。
四
船が{{r|飯田河岸|いいだがし}}のような石垣へ横にぴたりと着くんだから海とは思えない。河岸の上には人がたくさん並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても{{r|汚|きた}}ならしいが、二人寄るとなお見苦しい。こうたくさん{{r|塊|かたま}}るとさらに{{r|不体裁|ふていさい}}である。余は甲板の上に立って、遠くからこの群集を{{r|見下|みおろ}}しながら、腹の中で、へえー、こいつは妙な所へ着いたねと思った。そのうち船がだんだん河岸に近づいてくるに従って、{{r|陸|おか}}の方で帽子を振って知人に{{r|挨拶|あいさつ}}をするものなどができて来た。宣教師のウィンという人の妻君が、中村さんが多分迎えに来ておいででしょうと、笑いながら{{r|御世辞|おせじ}}を云ったが、電報も打たず、いつ着くとも知らせなかった余の到着を、いくら{{r|権威赫々|けんいかくかく}}たる総裁だって予知し得る道理がない。余は{{r|欄干|らんかん}}に{{r|頬杖|ほおづえ}}を突きながら、なるほどこいつはどうしたものかな、ひとまず是公の{{r|家|うち}}へ行って宿を聞いて、それからその宿へ移る事にでもするかなと思ってるうちに、船は{{r|鷹揚|おうよう}}にかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。止まるや否や、クーリー団は、{{r|怒|おこ}}った{{r|蜂|はち}}の巣のように、急に{{r|鳴動|めいどう}}し始めた。その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、何しろ早晩地面の上へ下りるべき運命を持った{{r|身体|からだ}}なんだから、しまいにはどうかしてくれるだろうと思って、やっぱり頬杖を突いて河岸の上の混戦を眺めていた。すると佐治さんが来て、夏目さんどこへおいでになりますと聞いてくれた。まあひとまず総裁の{{r|家|うち}}へでも行って見ましょうと答えていると、そこへ背の高い、{{r|紺色|こんいろ}}の夏服を着た立派な紳士が出て来て、懐中から名刺を出して{{r|叮嚀|ていねい}}に挨拶をされた。それが秘書の{{r|沼田|ぬまた}}さんだったので、頬杖を突いて、いつまでも鳴動を眺めている余には、大変な好都合になった。沼田さんは今度郷里から呼び迎えられた老人を、自宅へ案内されるために、船まで来られたのだそうだが、同じ鉄嶺丸に余の乗っている事を聞いて、わざわざ{{r|刺|し}}を通じられたのである。
じゃホテルの馬車でと沼田さんが佐治さんに話している。{{r|河岸|かし}}の上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。{{r|力車|りきしゃ}}もたくさんある、ところが力車はみんな{{r|鳴動連|めいどうれん}}が引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。馬車の大部分もまた鳴動連によって、{{r|御|ぎょ}}せられている様子である。したがっていずれも鳴動流に{{r|汚|きた}}ないものばかりであった。ことに馬車に至っては、その昔日露戦争の当時、{{r|露助|ろすけ}}が大連を引上げる際に、このまま日本人に引渡すのは残念だと云うので、{{r|御叮嚀|ごていねい}}に穴を掘って、土の中に{{r|埋|う}}めて行ったのを、チャンが土の{{r|臭|におい}}を{{r|嗅|か}}いで歩いて、とうとう嗅ぎあてて、一つ掘っては鳴動させ、二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を{{r|縦横|たてよこ}}十文字に鳴動させるまでに掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。
その中に東京の真中でも容易に見る事のできないくらい、新しい{{r|奇麗|きれい}}なのが二台あった。{{r|御者|ぎょしゃ}}が立派なリヴェリーを着て、光った長靴を{{r|穿|は}}いて、{{r|哈爾賓|ハルピン}}産の肥えた馬の{{r|手綱|たづな}}を取って控えていた。佐治さんは、船から河岸へ掛けた橋を渡って、鳴動の中を突き切って、わざわざ余をその奇麗な馬車の{{r|傍|そば}}まで連れて行った。さあ御乗んなさいと勧めながら、すぐ御者台の方へ向いて、総裁の御宅までと注意を与えた。御者はすぐ{{r|鞭|むち}}を{{r|執|と}}った。車は鳴動の{{r|中|うち}}を{{r|揺|ゆる}}ぎ{{r|出|だ}}した。
五
門を{{r|這入|はい}}って馬車の輪が砂利の上を二三間{{r|軋|きし}}ったかと思うと、馬は大きな玄関の前へ来て静かに留まった。石段を{{r|上|あが}}って、入口の所に立つや否や、色の白い十四五の給仕が、{{r|頑丈|がんじょう}}な{{r|樫|かし}}の戸を内から開いて、余の顔を見ながら{{r|挨拶|あいさつ}}をした。もう御帰りかと尋ねると、まだでございますと云う。{{r|留守|るす}}では仕方がない。どうしたものだろうと思って、石の上に{{r|佇|たた}}ずんで首を{{r|傾|かたぶ}}けているところへ、{{r|後|うしろ}}に足音がするようだからふり向くと、{{r|先刻|さっき}}鉄嶺丸で{{r|知己|ちかづき}}になった沼田さんである。さあ、どうぞと云われるので、{{r|中|うち}}に入った。沼田さんは先へ立って、ホールの突き当りにある厚い戸を開いた。その戸の中へ首を突っ込んで、{{r|室|へや}}の奥を見渡した時に、こりゃ滅法広いなと思った。数字の観念に乏しい{{r|性質|たち}}だから何畳敷だかとんと要領を得ないが、何でも細長い御寺の本堂のような心持がした。その広い座敷がただ一枚の{{r|絨毯|じゅうたん}}で敷きつめられて、{{r|四角|よすみ}}だけがわずかばかり{{r|華|はな}}やかな織物の色と{{r|映|て}}り{{r|合|あ}}うために、薄暗く光っている。この大きな{{r|絨毯|じゅうたん}}の上に、応接用の{{r|椅子|いす}}と{{r|卓|テーブル}}がちょんぼり{{r|二所|ふたところ}}に並べてある。一方の卓と一方の卓とは、まるで{{r|隣家|りんか}}の座敷ぐらい離れている。沼田さんは余をその一方に導いて席を与えられた。{{r|仰向|あおむ}}いて見ると{{r|天井|てんじょう}}がむやみに高い。高いはずである。{{r|室|へや}}の入口には二階がついていて、その二階の{{r|手摺|てすり}}から、余の坐っている所が一目に{{r|見下|みおろ}}されるような構造なんだから、つまるところは、余の頭の上が、一階の天井{{r|兼|けん}}二階の天井である。{{r|後|のち}}に人の説明を聞いて始めて知ったのだが、このだだっ広い応接間は、実は舞踏室で、それを{{r|見下|みくだ}}している手摺付の二階は、楽隊の楽を奏する所にできているのだそうだ。そんなら、そうと早くから教えてくれれば、安心するものを、断りなしに急に仏様のない本堂へ案内されたものだからまず一番に{{r|吃驚|びっくり}}した。余は大連滞在中何度となくこの部屋を横切って、{{r|是公|ぜこう}}の書斎へ通ったので、{{r|喫驚|びっくり}}する事は、最初の一度だけですんだが、通るたんびに、おりもせぬ{{r|阿弥陀様|あみださま}}を思い出さない事はなかった。
室を{{r|這入|はい}}って右は、往来を向いた窓で、左の中央から長い幕が次の部屋の仕切りに垂れている。正面に五尺ほどの盆栽を二{{r|鉢|はち}}置いて、横に{{r|奇麗|きれい}}な象の置物が{{r|据|す}}えてある。大きさは豚の子ほどある。これは{{r|狸穴|まみあな}}の支社の客間で見たものと同じだから、{{r|一対|いっつい}}を二つに分けたものだろうと思った。そのほかには長い幕の上に、{{r|大|おおき}}な額がかかっていた。その左りの端に、小さく南満鉄道会社総裁後藤新平と書いてある。書体から云うと、{{r|上海辺|シャンハイへん}}で見る看板のような字で、{{r|筆画|ひっかく}}がすこぶる整っている。後藤さんも満洲へ来ていただけに、字が{{r|旨|うま}}くなったものだと感心したが、その{{r|実|じつ}}感心したのは、後藤さんの{{r|揮毫|きごう}}ではなくって、清国皇帝の{{r|御筆|おふで}}であった。右の肩に賜うと云う字があるのを見落した上に後藤さんの名前が{{r|小|ち}}さ{{r|過|す}}ぎるのでつい失礼をしたのである。後藤さんも清国皇帝に{{r|逢|あ}}って、こう小さく{{r|呼|よ}}び{{r|棄|ずて}}に書かれちゃたまらない。えらい人からは、{{r|滅多|めった}}に賜わったり{{r|何|なん}}かされない方がいいと思った。
沼田さんは給仕を呼んで、{{r|処々方々|しょしょほうぼう}}へ電話をかけさして、是公の{{r|行方|ゆくえ}}を聞き合せてくれたが全く分らない。米国の艦隊が港内に{{r|碇泊|ていはく}}しているので、{{r|驩迎|かんげい}}のため、今日はベースボールがあるはずだから、あるいはそれを{{r|観|み}}に行ってるかも知れないと云う話であった。
そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり{{r|大和|やまと}}ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。
六
湯を立ててもらって、久しぶりに{{r|塩気|しおけ}}のない{{r|真水|まみず}}の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ{{r|叩|たた}}くものがある。風呂場で訪問を受けた{{r|試|ため}}しはいまだかつてないんだから、{{r|湯槽|ゆぶね}}の中で身を浮かしながら少々{{r|逡巡|しゅんじゅん}}していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。いくらこつこつやったって、まさか{{r|赤裸|はだか}}で飛び出して、{{r|室|へや}}の{{r|錠|じょう}}を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると{{r|摺硝子|すりガラス}}の{{r|向側|むこうがわ}}で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても{{r|差支|さしつか}}えないと思って、{{r|身体|からだ}}全体から{{r|雫|しずく}}を垂らしながら、{{r|素裸|すっぱだか}}でボールトを{{r|外|はず}}すと、はたして{{r|是公|ぜこう}}が{{r|杖|つえ}}を突いて戸口に立っていた。来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを{{r|観|み}}て、それから舟を{{r|漕|こ}}いでいたと云う{{r|挨拶|あいさつ}}である。飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を{{r|締|し}}めた。締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、{{r|浴衣|ゆかた}}でぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが{{r|厭|いや}}なら{{r|遼東|りょうとう}}ホテルへでも行けと云って帰って行った。
例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの{{r|卓|テーブル}}へ坐らせられた。その男が{{r|御免|ごめん}}なさい、どうも{{r|嚏|くしゃみ}}が出てと、{{r|手帛|ハンケチ}}を鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、{{r|暗|あん}}に嚏を{{r|奨励|しょうれい}}しておいた。この男は自分で英人だと名乗った。そうして御前は{{r|旅順|りょじゅん}}を見たかと余に尋ねた。旅順を見ないなら教えるが、いつの汽車で行って、どことどこを見て、それからいつの汽車で帰るが好いと、自分のやった通りを{{r|委|くわ}}しく語って聞かせた。余はなるほどなるほどと聞いていた。次に御前は{{r|門司|もじ}}を見たかと聞いた。次にあすこの石炭はもう{{r|沢山|たんと}}は出まいと聞いた。沢山は出まいと答えた。実は沢山出るか出ないか知らなかったのである。
しばらくして、君は旅順に行った事があるかとまた同じ事を尋ね出した。少々変だが面倒だから、いやまだだと、こっちも{{r|前|ぜん}}同様な返事をしておいた。すると旅順に行くには朝八時と十一時の汽車があって……とまた{{r|先刻|さっき}}と{{r|寸分|すんぶん}}違わないような案内者めいた事を云って聞かせた。先が先だから余も依然としてなるほどなるほどを繰り返した。最後に突然御前は日本人かと尋ねた。余はそうだと正直なところを答えたようなものの、今までは{{r|何国人|どこじん}}と思われていたんだろうかと考えると、多少心細かった。
余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は{{r|叮嚀|ていねい}}で親切で{{r|慇懃|いんぎん}}で実に模範的国民だなどとしきりに{{r|御世辞|おせじ}}を振り廻し始めた。せっかくだとは思ったが、是公との約束もある事だから、好い加減なところで談話を切り上げて、この老人と別れた。
表へ出るとアカシヤの葉が{{r|朗|ほが}}らかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の{{r|蹄|ひづめ}}は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から{{r|突出|つきだ}}した細長い塔が、{{r|瑠璃色|るりいろ}}の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の{{r|初秋|はつあき}}が、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を{{r|輝|きら}}つかせていた。
七
この間から米国の艦隊が四{{r|艘|そう}}来ているんで、毎日いろいろな事をして遊ばせるのだが、{{r|翌日|あす}}の晩は舞踏会をやるはずになっているから出て見ろと{{r|是公|ぜこう}}が勧めた。出て見ろったって、{{r|燕尾服|えんびふく}}も何も持って来やしないから{{r|駄目|だめ}}だよと断ると、是公が{{r|希知|けち}}な{{r|奴|やつ}}だなと云った。燕尾服は其上{{r|倫敦|ロンドン}}留学中トテナムコートロードの怪しげな洋服屋で、もっとも安い奴を{{r|拵|こしら}}えた{{r|覚|おぼえ}}があるが、{{r|爾来|じらい}}{{r|箪笥|たんす}}の底に深く蔵しているのみで、親友といえども、持ってるか持ってないか知らないくらいである。いくら大連がハイカラだって、東京を立つ時に、この古燕尾服が役に立とうとは思いがけないから、やっぱり箪笥の底にしまったなりで出て来た。じゃ、おれの{{r|袴|はかま}}{{r|羽織|はおり}}を貸してやるから、日本服で出ろ、出て、まあ、どんな{{r|容子|ようす}}だか見るが好いと、是公は何でも{{r|引|ひ}}き{{r|摺|ず}}り出そうとする。いっそ出るくらいなら踊らなくっちゃつまらないから、日本服ならまあ{{r|止|よ}}そうと云いたかったが、是公は正直だから本当にすると好くないと思って、ただ羽織袴はいけないよと断った。是公はそれでも舞踏会を見せる気と見えて、{{r|翌日|あくるひ}}の{{r|午|ひる}}、社の二階で上田君を{{r|捕|つらま}}えて、君の燕尾服をこいつに貸してやらないか、君のならちょうど合いそうだと云っていた。上田君もこの突然な相談には{{r|辟易|へきえき}}したに違ない。笑いながら、いえ私のは誰にも合いませんと{{r|謙遜|けんそん}}された。
舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから{{r|倶楽部|クラブ}}に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の{{r|下|もと}}に出た。広い通りを一二丁来ると{{r|日本橋|にほんばし}}である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、{{r|雅|が}}にも{{r|丈夫|じょうぶ}}にもできている。三人は橋の手前にある{{r|一棟|ひとむね}}の{{r|煉瓦造|れんがづく}}りに{{r|這入|はい}}った。誰かいるかなと、玉突場を{{r|覗|のぞ}}いたが、ただ電灯が明るく{{r|点|つ}}いているだけで玉の鳴る音はしなかった。読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく{{r|列|なら}}べてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。将棋{{r|歌留多|かるた}}をやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、{{r|椅子|いす}}も{{r|洋卓|テーブル}}もことごとく{{r|空|あ}}いていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。是公の会話の下手な事は{{r|天品|てんぴん}}と云うくらいなものだから、不思議に思って、御前は平生ここに{{r|出入|でいり}}して{{r|赤髯|あかひげ}}と交際するのかと聞いたら、まあ来た事はないなと澄ましている。それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの{{r|倶楽部|クラブ}}の会長だよ、出席しないでも好いと云う条件で会長になったんだと{{r|呑気|のんき}}な説明をした。
会員の名札はなるほど外国流の{{r|綴|つづり}}が多い。国沢君は大きな本を{{r|拡|ひろ}}げて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。是公はよろしいと答えて、自分の名の前に proposed by と付けた。それへ国沢君が、{{r|同|おなじ}}く seconded by と加えてくれたので、大連滞在中はいつでも、{{r|倶楽部|クラブ}}に{{r|出入|しゅつにゅう}}する資格ができた。
それから三人でバーへ行った。バーは支那人がやっている。英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの{{r|裡|うち}}に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。
八
ホテルの玄関で、{{r|是公|ぜこう}}が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。いや{{r|開|ひら}}いた奴が好いと命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が{{r|透|す}}き{{r|徹|とお}}って、{{r|路|みち}}も{{r|樹|き}}も屋根も{{r|煉瓦|れんが}}も、それぞれ{{r|鮮|あざ}}やかに{{r|眸|ひとみ}}の中に浮き出した。
やがて{{r|蹄|ひづめ}}の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。二人はこの{{r|麗|うらら}}かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へ{{r|這入|はい}}らずに、すぐ右へ切れた。気がついて見ると、{{r|遥向|はるかむこ}}うの{{r|岡|おか}}の上に高いオベリスクが、白い{{r|剣|つるぎ}}のように切っ立って、青空に{{r|聳|そび}}えている。その奥に同じく白い色の大きな{{r|棟|むね}}が見える。屋根は{{r|鈍|にぶ}}い赤で塗ってあった。オベリスクの手前には{{r|奇麗|きれい}}な橋がかかっていた。家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。余は遠くからこの三つの建築の{{r|位地|いち}}と関係と{{r|恰好|かっこう}}とを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。
あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で{{r|拵|こしら}}えてるんだと云う説明である。電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々{{r|危|あや}}しくなって来た。よくよく{{r|糺明|きゅうめい}}して見ると、実は{{r|今月末|こんげつすえ}}とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。
そのうち馬車が、電車の{{r|軌道|レール}}を敷いている所へ出た。電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で{{r|稽古|けいこ}}している最中なのだから、{{r|軌道|レール}}がここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、{{r|鉄軌|レール}}の{{r|据|す}}え{{r|方|かた}}が少々違うようである。第一内地のように石を敷かない計画らしい。{{r|御影石|みかげいし}}が{{r|払底|ふってい}}なのかいと質問して見たら、すぐ、冗談云っちゃいけないとやられてしまった。これが最新式の{{r|敷方|しきかた}}なんで、土台をどうとかして、どうとかして、鉄軌と鉄軌の間を混合金属で塗り固めて全線をたった一本の長い棒にしてしまって……とあたかも自分が技師であるかのごとき自慢である。内地から来たものはなるほど{{r|田舎|いなか}}もの取扱にされても仕方がない。そいつは感心だと、全く感心すると、技師を信任して、少しも口を出さずに、どうでも自分の思った通りをやらせるから、そんな仕事もできるのさと云った。内地では何でもやかましく干渉する奴がたくさん出て来るものと見える。
馬車が岡の上へ出た。そこはまだ道路が完成していないので、満洲特有の{{r|黄土|こうど}}が、見るうちに靴の先から{{r|洋袴|ズボン}}の{{r|膝|ひざ}}の上まで細かに積もった。この辺ももう少しすると、ホテルの前のように、カンカンした路に変化する事だろうが、そんな事を口外すれば、是公がますます得意になるばかりだから、わざと黙っていた。
九
これが{{r|豆油|まめあぶら}}の精製しない方で、こっちが精製した方です。色が違うばかりじゃない、{{r|香|におい}}も少し変っています。{{r|嗅|か}}いで御覧なさいと技師が注意するので嗅いで見た。
用いる{{r|途|みち}}ですか、まあ料理用ですね。外国では動物性の油が高価ですから、こう云うのができたら便利でしょう。第一大変安いのです。これでオリーブ油の何分の一にしか当らないんだから。そうして効用は両方共ほぼ同じです。その点から見てもはなはだ{{r|重宝|ちょうほう}}です。それにこの油の特色は他の植物性のもののように不消化でないです。動物性と同じくらいに{{r|消化|こな}}れますと云われたので急に豆油がありがたくなった。やはり{{r|天麩羅|てんぷら}}などにできますかと聞くと、無論できますと答えたので、近き将来において一つ豆油の天麩羅を食ってみようと思ってその室を出た。
出がけに御邪魔でもこれをお持ちなさいと云って細長い箱をくれたから、何だろうと思って、即座に開けて見ると、{{r|石鹸|シャボン}}が三つ並んでいた。これがやっぱり同じ材料から製造した石鹸ですと説明されたが、普通の石鹸と別に変ったところもないようだから、ただなるほどと云ったなり眺めていた。すると、この石鹸に面白いところは、塩水に溶解するから奇体ですよとの追加があったので、急に貰って行く気になって{{r|葢|ふた}}をした。
{{r|柞蚕|さくさん}}から取った糸を並べて、これが従来の奴ですと云うのを見ると、なるほど色が黒い。こっちは精製した方でと、{{r|傍|そば}}に出されると全く白い。かつ{{r|節|ふし}}なしにでき上っている。これで織ったのがありますかと聞いて見ると、あいにく有りませんと云う答である。しかしもし織ったらどんなものができるでしょうと聞くと、{{r|羽二重|はぶたえ}}のようなものができるつもりですと云う。その上{{r|価段|ねだん}}が半分だと云う。{{r|柞蚕|さくさん}}から{{r|羽二重|はぶたえ}}が織れて、それが内地の半額で買えたらさぞ{{r|善|よ}}かろう。
{{r|高粱酒|こうりょうしゅ}}を出して{{r|洋盃|コップ}}に{{r|注|つ}}ぎながら、こっちが普通の方で、こっちが精製した方でと、またやりだしたから、いや御酒はたくさんですと断った。さすが酒好きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないと見えて、並製も上製も同じく謝絶した。是公の話によると、この間{{r|高峯譲吉|たかみねじょうきち}}さんが来て、高粱からウィスキーを{{r|採|と}}るとか採らないとかしきりに研究していたそうである。ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲む事だろう。
陶器を作っている部屋もあったようだが、これはほんの試験中で、並製も上製もないようであった。
中央試験所を出て、五六町来ると、馬車を下りて草の中に迷い込んだ。路のない谷へ下りたり、足場のない岡へ{{r|上|のぼ}}ったりするので、汗が出て、顔の皮がひりひりして来た。その上胃がしきりに痛む。是公に聞いて見ると、射撃場へ連れて行ってやるんだと云うから、例の連れて行ってやると云う厚意に{{r|免|めん}}じて、腹の痛いのを我慢して目的の家まで行ってすぐ{{r|椅子|いす}}の上へ腰をかけてしまった。是公がしきりに鉄砲の話をするようであったが、とんと頭に響かない。何でもこの家だけは会社から寄附してやった。これでも二千円とか三千円とかかかったという事だけがようやく耳に{{r|這入|はい}}った。
そこへ{{r|汚|きた}}ない支那人が二三人、{{r|奇麗|きれい}}な{{r|鳥籠|とりかご}}を{{r|提|さ}}げてやって来た。支那人て{{r|奴|やつ}}は{{r|風雅|ふうが}}なものだよ。着るものもない貧乏人のくせに、ああやって、鳥をぶら下げて、山の中をまごついて、鳥籠を{{r|樹|き}}の枝に釣るして、その下に坐って、食うものも食わずにおとなしく聞いているんだよ。それがもし二人集まれば{{r|鳴|な}}き{{r|競|くらべ}}をするからね。ああ実に風雅なものだよ。としきりに支那人を{{r|賞|ほ}}めている。余はポッケットからゼムを出して{{r|呑|の}}んだ。
十
{{r|政樹公|まさきこう}}が大連の税関長になっていると聞いてちょっと驚いた。政樹公には十年{{r|前|ぜん}}{{r|上海|シャンハイ}}で{{r|出逢|であ}}ったきりである。その時政樹公は、サー・ロバート・ハートの子分になって、やはりそこの税関に勤務していた。政樹公の大学を卒業したのは余より二年前で、二人共同じ英文科の出身だから、職業違いであるにかかわらず、比較的縁が近いのである。
政樹公の姓は{{r|立花|たちばな}}と云って{{r|柳川藩|やながわはん}}だから、立派な{{r|御侍|おさむらい}}に違ない。それをなぜ立花さんと云わないで、政樹公と呼ぶかと云うに、同じ頃同じ文科に同藩から出た同姓の男がいた。しかも双方共寄宿舎に{{r|這入|はい}}っていたものだから、立花君や立花さんでは{{r|紛|まぎ}}れやすくていけない。で一方は政樹という名だから政樹公と呼び、一方は{{r|銑三郎|せんざぶろう}}という俗称だから{{r|銑|せん}}さん銑さんと云った。なぜ片っ方が{{r|公|こう}}なのに、片っ方は{{傍点|さん}}づけにされてしまったのか、ちょっと分らない。銑さんの方は、余と前後して洋行したが、不幸にして肺病に{{r|罹|かか}}って、帰り路に{{r|香港|ホンコン}}で死んでしまった。そこで残るは政樹公ばかりになった。したがって政樹公をやめて立花君と云ったって、少しも混雑はしないのだが、つい立花よりは政樹公の方が先へ出る。やっぱり中村とも総裁とも云わないで{{r|是公|ぜこう}}と{{r|云|い}}い{{r|馴|な}}れたようなものだろう。
ここだと云うので、二人馬車を下りて税関に這入って見ると、あいにく政樹公は{{r|先刻|さっき}}具合が悪いとかで{{r|家|うち}}へ帰った後であった。こっちの都合もあるし、{{r|所労|しょろう}}の人に迷惑をかけるのも本意でないから、他日を期して税関を出た。すると今度は馬車が満鉄の本社へ横づけになった。広い{{r|階子段|はしごだん}}を二階へ上がって、右へ折れて、突き当りをまた左へ行くと、{{r|取付|とっつき}}が重役の部屋である。重役は東京に行ってるもののほかは皆出ていた。それに一々紹介された。その{{r|中|うち}}で昔見た田中君の顔を覚えていた。どうです始めて大連に御着きになった時の感想はと聞かれるから、そうです船から上がってこっちへ来る所は、まるで{{r|焼迹|やけあと}}のようじゃありませんかと、正直な事を答えると、あすこはね、軍用地だものだから建物を{{r|拵|こしら}}える訳に行かないんで、誰もそう云う感じがするんですと教えられた。
しばらく椅子に腰を掛けて、おとなしく執務の様子を見ていると、じき{{r|午|ひる}}になった。さあ飯を食おうと、食堂へ案内された。ここへと云う席へ坐って、サーヴィエットを取り上げると、給仕が来て、それは国沢さんのですから、ただいま新しいのを持って参りますと云った。食堂は社の表二階にあたる大広間で、晩になれば、それが舞踏室に変化するほどの大きなものであった。これは社員全体に向って公開してあるのだそうだが、同じ食卓に着いた人の数を云うと、約三十人に過ぎなかった。この{{r|人数|にんず}}から推して、あるいは制限でもありはせぬのかと思ったのは余の想像に過ぎなかった。
料理は{{r|大和|やまと}}ホテルから持って来るのだそうで、同席の三十余人が、みな一様の皿を平らげていた。胃が痛いので{{r|肉刀|ナイフ}}と{{r|肉匙|フォーク}}は{{r|人並|ひとなみ}}に動かしたようなものの、その{{r|実|じつ}}は肉も野菜も{{r|咽喉|のど}}の奥へ詰め込んだ姿である。一つどうですと向う側の田中君から{{r|瓢箪形|ひょうたんがた}}の{{r|西洋梨|せいようなし}}を{{r|勧|すすめ}}られた時は、手を出す勇気すらなかった。
十一
河村調査課長の前へ行って{{r|挨拶|あいさつ}}をすると、河村さんは、まあおかけなさいと椅子を勧めながら、何を御調べになりますかと{{r|叮嚀|ていねい}}に聞かれる。何を調べるほどの人間でもないんだから、この問に{{r|逢|あ}}った時は実は弱った。{{r|先刻|さっき}}重役室へ河村さんが{{r|這入|はい}}って来たとき、{{r|是公|ぜこう}}が余を紹介して、河村さん満鉄の事業の種類その他について、あとでこの男にすっかり説明してやって下さいと云ったのが{{r|本|もと}}で、とうとう余は調査課へ来るような訳になったものの、その{{r|実|じつ}}世間の知るごとき人間なんだから、こう{{r|真面目|まじめ}}に、どう云う方面の研究をやる気かと尋ねられるとはなはだ{{r|迷|まご}}ついてしまう。そうかと云って、けっして悪気があって冷かしに来た次第でない事もまた、世間の知る通りなんだから、河村さんに対して敬意を失するような冗談は云えた義理のものでない。やむをえず、しかつめらしい顔をして、満鉄のやっているいろいろな事業一般について知識を得たいと述べた。――何でも述べたつもりである。{{r|固|もと}}より内心に{{r|確乎|かっこ}}たる覚悟があって述べる事でないんだから、顔だけはしかつめらしいが、述べる事の内容は、すこぶる{{r|赤毛布式|あかげっとしき}}に{{r|縹緲|ひょうびょう}}とふわついていたに違ない。ただ今から顧みても、少し得意なのは、その時余の態度挙動は非常に落ちついて、魂がさも{{r|丹田|たんでん}}に{{r|膠着|こうちゃく}}しているかのごとく河村さんには見えたろうという自覚である。人を{{r|欺|だま}}し{{r|終|おお}}せて知らん顔をしているのは{{r|善|よ}}くない事だから、ここで全く{{r|懺悔|ざんげ}}してしまうが、実を云うと、その時は胃がしくしく痛んで、言葉に抑揚をつけようにも、声に張りを見せようにも、{{r|身体|からだ}}に活気を{{r|漲|みな}}ぎらせようにも、とうてい自己が自己以上に沈着してしまって、{{r|一寸|いっすん}}もあがきが取れなかったのである。
そこへ大きな印刷ものが五六冊出て来た。一番上には第一回営業報告とある。二冊目は第二回で、三冊目は第三回で、四冊目は第四回の営業報告に違ない。この大冊子を机の上に置いて、たいていこれで分りますがねと河村さんが云い出した時は、さあ大変だと思った。今この胃の痛い最中にこの大部の営業報告を研究しなければすまない事になっては、とうてい持ち切れる訳のものではない。余はまだ営業報告を{{r|開|あ}}けないうちに、早速{{r|一工夫|ひとくふう}}してこう云った。――私は専門家でないんですから、そう{{r|詳|くわし}}い事を調査しても、とても分りますまいと思いますので、ただ諸君がいろいろな方面でどんな風に働いていられるか、ざあっとその状況を目撃さしていただけばたくさんですから、{{r|縦覧|じゅうらん}}すべき箇所を御面倒でもちょっと書いて下さいませんか。
河村さんははあそうですかと、気軽にすぐ筆を{{r|執|と}}ってくれた。ところへどこからか突然妙な小さな男があらわれて、やあと声をかけた。見ると{{r|股野義郎|またのよしろう}}である。昔「猫」を書いた時、その中に{{r|筑後|ちくご}}の国は{{r|久留米|くるめ}}の住人に、{{r|多々羅三平|たたらさんぺい}}という{{r|畸人|きじん}}がいると{{r|吹聴|ふいちょう}}した事がある。当時股野は{{r|三池|みいけ}}の炭坑に在勤していたが、どう云う間違か、多々羅三平はすなわち股野義郎であると云う評判がぱっと立って、しまいには股野を{{r|捕|つか}}まえて、おい多々羅君などと云うものがたくさん出て来たそうである。そこで股野は大いに憤慨して、至急親展の書面を余に寄せて、是非取り消してくれと請求に及んだ。余も気の毒に思ったが、多々羅三平の件をことごとく{{r|削除|さくじょ}}しては、全巻を{{r|改板|かいはん}}する事になるから、簡潔{{r|明瞭|めいりょう}}に多々羅三平は股野義郎にあらずと新聞に広告しちゃいけないかと照会したら、いけないと云って来た。それから三度も四度も猛烈な手紙を寄こしたあとで、とうとうこう云う条件を出した。自分が三平と誤られるのは、双方とも{{r|筑後|ちくご}}{{r|久留米|くるめ}}の住人だからである。幸い、{{r|肥前|ひぜん}}{{r|唐津|からつ}}に{{r|多々羅|たたら}}の{{r|浜|はま}}と云う名所があるから、せめて三平の戸籍だけでもそっちへ移してくれ。これだけは是非御願するとあったんで、余はとうとう三平の方を肥前唐津の住人に改めてしまった。今でも「猫」を御読みになれば分る。肥前の国は唐津の住人多々羅三平とちゃんと訂正してある。
こう云う訳で余と{{r|因縁|いんねん}}の浅からざる股野に、ここでひょっくり{{r|出逢|であ}}うとは全く思いがけなかった。しかも、その家へ呼ばれて{{r|御馳走|ごちそう}}になったり、二三日間朝から晩まで懇切に連れて歩いて貰ったり、{{r|昔日|せきじつ}}の{{r|紛議|ふんぎ}}を忘れて、{{r|旧歓|きゅうかん}}を暖める事ができたのは{{r|望外|ぼうがい}}の{{r|仕合|しあわせ}}である。実を云うと、余は股野がまだ{{r|撫順|ぶじゅん}}にいる事とばかり思っていた。
余は大連で見物すべき満鉄の事業その他を、ここで河村さんと股野に、{{r|表|ひょう}}のような形に{{r|拵|こしら}}えて{{r|貰|もら}}った。
十二
腹がしきりに痛むので、寝室へ退いて、長椅子の上に横になっていると、窓を{{r|撲|う}}つ雨の音がしだいに{{r|繁|しげ}}くなった。これじゃ舞踏会に行く連中も、だいぶ御苦労様な事になったものだと思って、ポッケットから招待状を出して寝ながら、また眺めて見た。絵葉書ぐらいの大きさの厚紙の一面には、{{r|歌麿|うたまろ}}の美人が好い色に印刷されている。一面には中村是公同夫人連名で、夏目金之助を招待している。よくこんなものを拵える時間があったなと感心して、うとうとしかけたところへ、ボーイ{{r|頭|がしら}}が来て、ただいま総裁からの電話で、今夜舞踏会へおいでになるか{{r|伺|うかが}}えと云う事でございますがと云うから、行かないと返事をしてくれと頼んで、本当に寝てしまった。眼が{{r|覚|さ}}めたら雨はいつの間にか{{r|歇|や}}んで、{{r|奇麗|きれい}}な空が磨き上げたように{{r|一色|ひといろ}}に広く見える中に、明かな月が出ていた。余は{{r|硝子越|ガラスごし}}にこの大きな色を{{r|覗|のぞ}}いて、思わず是公のために、舞踏会の成功を祝した。
後で本人に聞いて見ると、是公はその夜舞踏の済んだ後で、多数の{{r|亜米利加士官|アメリカしかん}}と共に{{r|倶楽部|クラブ}}のバーに繰り込んだのだそうだ。そこで、士官連が是公に向って、今夜の会は大成功であるとか、非常に{{r|盛|さかん}}であったとか、口々に賛辞を{{r|呈|てい}}したものだから、是公はやむをえず、{{r|大声|たいせい}}を振り{{r|絞|しぼ}}って{{r| gentlemen|ゼントルメン}}! と叫んだ。すると今までがやがや云っていた連中が、総裁の演説でも始まる事と思って、一度に口を{{r|閉|と}}じて、満場は水を打ったように静かになった。是公は{{r|固|もと}}よりゼントルメンの{{r|後|あと}}を何とかつけなければならない。ところがゼントルメン以外の英語があいにく{{r|一言|ひとこと}}も出て来なかった。英語と云う英語は頭の底からことごとく酒で洗い去られてしまっているので、仕方なしに、急に日本語に{{r|鞍換|くらがえ}}をして、ゼントルメンの次へもってきて、すぐ大いに飲みましょうと{{r|怒鳴|どな}}った。ゼントルメン大いに飲みましょうは、たいていの{{r|亜米利加人|アメリカじん}}に通じる訳のものではないが、そこがバーのバーたるところで、ゼントルメン大いに飲みましょうとやるや否や、士官連がわあっと云って主人公を{{r|胴上|どうあげ}}にしたそうである。
明治二十年の頃だったと思う。同じ下宿にごろごろしていた連中が七人ほど、江の島まで{{r|日着|ひづき}}{{r|日帰|ひがえ}}りの遠足をやった事がある。{{r|赤毛布|あかげっと}}を{{r|背負|しょ}}って弁当をぶら下げて、懐中にはおのおの二十銭ずつ持って、そうして夜の十時頃までかかって、ようやく江の島のこっち{{r|側|がわ}}まで着いた事は着いたが、思い切って海を渡るものは誰もなかった。申し合せたように{{r|毛布|けっと}}に{{r|包|くる}}まって砂浜の上に寝た。夜中に眼が{{r|覚|さ}}めると、ぽつりぽつりと雨が顔へあたっていた。その上犬が来て{{r|真水英夫|まみずひでお}}の{{r|脚絆|きゃはん}}を{{r|啣|くわ}}えて行った。夜が白んで物の色が{{r|仄|ほのか}}に明るくなった頃、御互の顔を見渡すと、誰も彼も{{r|奇麗|きれい}}に砂だらけになっている。眼を{{r|擦|こす}}ると砂が出る。耳を{{r|掘|ほじ}}くると砂が出る。頭を{{r|掻|か}}いても砂が出る。七人はそれで江の島へ渡った。その時夜明けの風が島を{{r|繞|めぐ}}って、山にはびこる{{r|樹|き}}がさあと{{r|靡|なび}}いた。すると余の{{r|傍|そば}}に立っていた是公が何と思ったものか、急にどうだ、あの樹を見ろ、{{r|戦々兢々|せんせんきょうきょう}}としているじゃないかと云った。
草木の風に{{r|靡|なび}}く様を戦々兢々と{{r|真面目|まじめ}}に形容したのは是公が{{r|嚆矢|はじめ}}なので、それから当分の間は是公の事を、みんなが戦々兢々と号していた。当人だけは、いまだに戦々兢々で{{r|差支|さしつか}}えないと信じているかも知れないんだから、ゼントルメン大いに飲みましょうも、この際亜米利加語として士官側に通用したと心得ているんだろう。通じた{{r|証拠|しょうこ}}には胴上にしたじゃないかくらい、{{r|酔|よ}}うと云いかねない男である。
十三
昨夕は川崎造船所の{{r|須田君|すだくん}}からいっしょに{{r|晩食|ばんめし}}でも食おうと云う案内があったが、例のごとく腹が痛むので、残念ながら辞退して、寝室で{{r|肉汁|ソップ}}を飲んで寝てしまった。朝起きるや否や、もう好かろうと思って、腹の近所へ神経をやって、{{r|探|さぐ}}りを入れて見ると、やッぱり変だ。何だか自分の胃が朝から自分を裏切ろうと{{r|工|たく}}んでいるような不安がある。さてどこが不安だろうと、局所を押えにかかると、どこも応じない。ただ曇った空のように、{{r|鈍痛|どんつう}}が薄く一面に広がっている。{{r|苦|にが}}い顔をして食堂へ下りて飯をすましてまた{{r|室|へや}}へ帰ってぼんやりしていると、河村さんが戸口まで来て、今夜満鉄のものが主人役になってあなたがた二三名を{{r|扇芳亭|せんぼうてい}}へ招待したいからと云う{{r|叮嚀|ていねい}}な{{r|御挨拶|ごあいさつ}}である。どうもせっかくですが、実はこれこれでと断ると、そうですか、実は総裁も今夜は所労で出られませんと答えて帰られた。
河村君が帰るや否や股野が案内もなくやって来た。今日は{{r|襟|えり}}の{{r|開|あ}}いた着物を着て、ちゃんと白い{{r|襯衣|シャツ}}と白い{{r|襟|えり}}をかけているから感心した。股野と少し話しているところへ、また御客があらわれた。ボイの持って来た名刺には東北大学教授{{r|橋本左五郎|はしもとさごろう}}とあったので、おやと思った。
橋本左五郎とは、明治十七年の頃、小石川の{{r|極楽水|ごくらくみず}}の{{r|傍|そば}}で御寺の二階を借りていっしょに{{r|自炊|じすい}}をしていた事がある。その時は{{r|間代|まだい}}を払って、隔日に牛肉を食って、一等米を{{r|焚|た}}いて、それで月々二円ですんだ。もっとも牛肉は大きな{{r|鍋|なべ}}へ汁をいっぱい{{r|拵|こしら}}えて、その中に浮かして食った。十銭の{{r|牛|ぎゅう}}を七人で食うのだから、こうしなければ食いようがなかったのである。飯は{{r|釜|かま}}から{{r|杓|しゃく}}って食った。高い二階へ大きな釜を{{r|揚|あ}}げるのは難義であった。余はここで橋本といっしょに予備門へ{{r|這入|はい}}る準備をした。橋本は余よりも英語や数字において先輩であった。入学試験のとき代数がむずかしくって途方に暮れたから、そっと隣席の橋本から教えて貰って、その{{r|御蔭|おかげ}}でやっと入学した。ところが教えた方の橋本は見事に落第した。入学をした余もすぐ盲腸炎に{{r|罹|かか}}った。これは毎晩寺の門前へ売りに来る{{r|汁粉|しるこ}}を、規則のごとく毎晩食ったからである。汁粉屋は門前まで来た合図に、きっと{{r|団扇|うちわ}}をばたばたと鳴らした。そのばたばた云う音を聞くと、どうしても汁粉を食わずにはいられなかった。したがって、余はこの汁粉屋の{{r|爺|おやじ}}のために盲腸炎にされたと同然である。
その{{r|後|のち}}{{r|左五|さご}}は――当時余等は橋本を呼んで、左五左五と云っていた。実際彼は岡山の農家の生れであった。――左五はその後追試験に及第したにはしたが、するかと思うとまた落第した。そうして、何だ下らないと云って北海道へ行って農学校へ{{r|這入|はい}}ってしまった。それから{{r|独逸|ドイツ}}へ行った。独逸へ行って、いつまで{{r|経|た}}っても帰らない。とうとう五年か六年かいた。つまり留学期限の倍か倍以上も向うで暮した事になる、その費用はどうして拵えたものかとんと分らない。
この橋本が不思議にも余より二三月前に満鉄の依頼に応じて、{{r|蒙古|もうこ}}の畜産事状を調査に来て、その調査が済んで今大連に帰ったばかりのところへ出っ食わしたのである。顔を見ると、昔から{{r|慓悍|ひょうかん}}の{{r|相|そう}}があったのだが、その慓悍が今蒙古と新しい関係がついたため、すこぶる活躍している。{{r|闥|ドーア}}を{{r|排|はい}}して這入って来るや否や、どうだ相変らず{{r|頑健|がんけん}}かねと聞かざるを得なかったくらいである。
十四
ええまあ相変らずでと、橋本は案に相違した落ちつき方である。昔予備門に這入って及第だとか落第だとか騒いでいた時分にはけっしてこう穏かじゃなかった。彼の鼻の先が{{r|反返|そりかえ}}っているごとく、彼は{{r|剽軽|ひょうきん}}でかつ{{r|苛辣|からつ}}であった。余はこの鼻のためによく{{r|凹|へこ}}まされた事を記憶している。
その頃は大勢で{{r|猿楽町|さるがくちょう}}の{{r|末富屋|すえとみや}}という下宿に陣取っていた。この同勢は前後を通じると約十人近くあったが、みんな{{r|揃|そろ}}いも揃った馬鹿の腕白で、勉強を{{r|軽蔑|けいべつ}}するのが自己の天職であるかのごとくに心得ていた。下読などはほとんどやらずに、一学期から一学期へ{{r|辛|かろ}}うじて綱渡りをしていた。英語は教場であてられた時に、分らない{{r|訳|やく}}を好い加減につけるだけであった。数学はできるまで{{r|塗板|ボールド}}の前に立っているのを常としていた。余のごときは毎々一時間ぶっ通しに立往生をしたものだ。みんなが代数書を抱えて今日も{{r|脚気|かっけ}}になるかなど云っては出かけた。
こう云う連中だから、大概は級の{{r|尻|しり}}の方に{{r|塊|かた}}まって、いつでも雑然と{{r|陳列|ちんれつ}}されていた。余のごときは、入学の当時こそ{{r|芳賀矢一|はがやいち}}の隣に坐っていたが、試験のあるたんびに下落して、しまいには{{r|土俵際|どひょうぎわ}}からあまり遠くない所でやっと{{r|踏|ふ}}み{{r|応|こた}}えていた。それでも、みんな得意であった。級の上にいるものを見て、なんだ点取がと云って威張っていたくらいである。そうして、{{r|稍|やや}}ともすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って{{r|端艇|ボート}}を{{r|漕|こ}}いだ。試験が済むとその晩から机を重ねて{{r|縁側|えんがわ}}の{{r|隅|すみ}}へ積み上げて、誰も勉強のできないような工夫をして、比較的広くなった座敷へ集って{{r|腕押|うでおし}}をやった。岡野という男はどこからか、{{r|玩具|おもちゃ}}の大砲を買って来て、それをポンポン座敷の壁へ向って発射した。壁には穴がたくさん{{r|開|あ}}いた。試験の成績が出ると、一人では{{r|恐|こわ}}いからみんなを{{r|駆|か}}り{{r|催|もよお}}して揃って見に行った。するとことごとく六十代で{{r|際|きわ}}どく引っ掛っている。橋本は威勢の好い男だから、ある時詩を作って連中一同に示した。{{r|韻|いん}}も{{r|平仄|ひょうそく}}もない長い詩であったが、その中に、何ぞ{{r|憂|うれ}}えん{{r|席序下算|せきじょかさん}}の{{r|便|べん}}と云う句が出て来たので、誰にも分らなくなった。だんだん聞いて見ると席序下算の便とは、席順を上から{{r|勘定|かんじょう}}しないで、下から計算する方が早分りだと云う意味であった。まるで{{r|御籤|おみくじ}}みたような文句である。我々はみんなこの御籤にあたってひやひやしていた。
そのうち{{r|下算|かさん}}にも{{r|上算|じょうさん}}にもまるで勘定に這入らないものが、ぽつぽつできて来た。一人消え、二人消えるうちに橋本がいた。{{r|是公|ぜこう}}がいた。こう云う自分もいた。大連で是公に{{r|逢|あ}}って、この落第の話が出た時、是公は、やあ、あの時貴様も落第したのかな。そいつは{{r|頼母|たのも}}しいやと大いに{{r|嬉|うれ}}しがるから、落第だって、落第の{{r|質|たち}}が違わあ。おれのは名誉の負傷だと答えておいた。
是公だの、余だの、今の旅順の{{r|警視総長|けいしそうちょう}}だのが落ちながら、ぶら下がっている間に、左五だけは決然として北海道へ落ち延びたのである。その落第の{{r|張本|ちょうほん}}とも云うべき彼が、いくら年を取ったって、かほどに{{r|慇懃|いんぎん}}になろうとは思いも寄らぬ事であった。今日は午後から満鉄の社へ行って、蒙古旅行に関する話をするんだと云っている。
十五
河村さんの書いてくれた{{r|表|ひょう}}を見ると、娯楽機関という題目のもとに、{{r|倶楽部|クラブ}}とか会とか名のつくものが十ばかり並べてある。中にはゴルフ会だの、ヨット倶楽部だのと、名前からして{{r|洒落|しゃれ}}たのさえ、ちらほら見える。ヨット倶楽部の下に(ただし一{{r|艘|そう}})と{{r|括弧|かっこ}}で註がついているのは、新設だからまだ一艘しかないという意味なんだろう。
参観すべき場所と云う{{r|標題|みだし}}のもとには、{{r|山城町|やまぎちょう}}の大連医院だの、{{r|児玉町|こだまちょう}}の従業員養成所だの{{r|近江町|おうみちょう}}の合宿所だの、{{r|浜町|はまちょう}}の発電所だの、何だのかだのみんなで十五六ほどある。なるほどこれでは大連に一週間ぐらいいなければ、満鉄の事業も一通り{{r|観|み}}る訳に行かないと云われるはずだ。しかも{{r|是公|ぜこう}}は是非共{{r|万遍|まんべん}}なくよく観て行かなくっちゃいけないよと命令的に注意するんだから、容易じゃない。その上よく観て、何でも気がついた事があるなら、そう云いなさいと、あたかも余を視察家扱にするんだからなおさら痛み入る。余は手に持った表に一通り眼を通しながら、{{r|傍|そば}}にいる股野に、おい少し出て見るかなと云った。股野は{{r|固|もと}}より余を連れて、大連中ぐるぐる引き廻す気で来ている。もっとも別段社からつけてくれたという訳じゃないんだが、本人の特志で社の用事をすっぽかす{{r|了見|りょうけん}}らしい。そうしていつの間にか、ホテルへ馬車を云いつけている。
余は股野と相乗りで立派な馬車を走らして北公園に行った。と云うと大層だが、車の輪が五六度回転すると、もう公園で、公園に{{r|這入|はい}}ったかと思うと、もう突き抜けてしまった。それから社員倶楽部と云うのに連れて行かれて、{{r|謡|うたい}}の先生の月給が百五十円だと云う事を聞いて、また馬車へ乗って、今度は川崎造船所の須田君の所の工場を外から{{r|覗|のぞ}}き込んで、すぐ隣の事務所に這入って、須田君に{{r|昨日|きのう}}の御礼を述べた。事務所の前がすぐ海で、{{r|船渠|ドック}}の中が{{r|蒼|あお}}く澄んでいる。あれで{{r|何噸|なんトン}}ぐらいの船が這入りますかと聞いたら、三千噸ぐらいまでは入れる事ができますという須田君の答であった。船渠の入口は四十二尺だとか云った。余は高い日がまともに水の中に差し込んで、動きたがる波を、じっと締めつけているように静かな船渠の中を、窓から{{r|見下|みおろ}}しながら、夏の盛りに、この大きな石で畳んだ風呂へ這入って泳ぎ回ったらさぞ結構だろうと思った。
今度はどこだと股野に聞いて見ると、今度は電気の工場へ行きましょうという事である。{{r|鉄嶺丸|てつれいまる}}が大連の港へ這入ったときまず第一に余の眼に、高く赤く{{r|真直|まっすぐ}}に映じたものはこの工場の煙突であった。船のものはあれが東洋第一の煙突だと云っていた。なるほど東洋第一の煙突を持っているだけに、中へ這入ると、{{r|凄|すさま}}じいものである。その一部分では、{{r|天井|てんじょう}}を突き抜いて、青空が見えるようにして、四方の壁を高く積み上げていた。屋根の高さを増す必要があっての事だろうが、青空が{{r|煉瓦|れんが}}の上に遠く見えるばかりか、尋常の会話はとうてい聞えないくらいに、恐ろしい音が響いている中に、{{r|塵|ちり}}を浴びて立った時は、妙な心持がした。ある所は足の下も掘り下げて、暗い所にさまざまの{{r|仕掛|しかけ}}が猛烈に活動していた。工業世界にも、文学者の頭以上に崇高なものがあるなと感心して、すぐその{{r|棟|むね}}を飛び出したくらいである。{{r|詮|せん}}ずるに要領はただ{{r|凄|すさ}}まじい音を聞いて、同じく凄まじい運動を見たのみである。
股野はその間を{{r|馳|か}}け{{r|回|まわ}}って、おい誰さんはいないかねと、しきりに技師を探していた。技師は股野に{{r|捕|つら}}まるほど{{r|閑|ひま}}でなかったと見えて、とうとう見当らなかった。
十六
今日は化物屋敷を見て来たと云うと、田中君が笑いながら、夏目さん、なぜ化物屋敷というんだか訳を知っていますかと聞いた。余は{{r|固|もと}}より下級社員合宿所の標本として、化物屋敷の中を一覧したまでで、化物の{{r|因縁|いんねん}}はまだ{{r|詮議|せんぎ}}していなかった。けれども化物屋敷はこれだと云われた時には、うんそうかと云って、少しも{{r|躊躇|ちゅうちょ}}なく足を{{r|踏込|ふんご}}んだ。なぜそんな恐ろしい名が、この建物に{{r|付纏|つけまと}}っているのかと、立ちどまって疑って見る暇も何もなかった。いわゆる化物屋敷はそれほど陰気にでき上がっていた。でき上ったというと新規に{{r|拵|こしら}}えた意味を含んでいるから、この建築の形容としては、むしろ不適当であるかも知れない。化物屋敷はそのくらい古い色をしている。壁は{{r|煉瓦|れんが}}だろうが、外部は一面の灰色で、中には日の{{r|透|とお}}りそうもない、薄暗い空気を{{r|湛|たた}}えるごとくに思われた。
余はこの屋敷の長い廊下を一階二階三階と{{r|幾返|いくかえり}}か{{r|往来|おうらい}}した。歩けば固い音がする。{{r|階段|はしごだん}}を{{r|上|あが}}るときはなおさらこつこつ鳴った。階段は鉄でできていた。廊下の左右はことごとく部屋で、部屋という部屋は皆締め切ってあった。その戸の上に、{{r|室|しつ}}の所有者の標札がかかっている。{{r|烈|はげ}}しい光線に慣れた眼で、すぐその標札を読もうとすると、{{r|判然|はっきり}}読めないくらい廊下は暗かった。余はちょっと立ちどまって{{r|室|へや}}の中を見る訳には行かないのかなと股野に聞いて見た。股野はすぐ持っていた{{r|洋杖|ステッキ}}で右手の戸をとんと{{r|叩|たた}}いた。しかし{{傍点|はい}}とも、{{r|這入|はい}}れとも{{r|応|こた}}えるものはなかった。股野はまた二番目の戸をとんとん叩いた。これも中はしんとしている。股野は{{r|毫|ごう}}も{{r|辟易|へきえき}}した{{r|気色|けしき}}なく無遠慮にそこいら中こつこつ叩いて歩いたが、しまいまで{{r|人気|ひとけ}}のする室には{{r|打|ぶ}}つからなかった。あたかも{{r|立|た}}ち{{r|退|の}}いた町の中を歩いているような感じがした。三階に来た時、細い廊下の曲り角で一人の女が{{r|鍋|なべ}}で{{r|御菜|おさい}}を煮ているのに{{r|出逢|であ}}った。そこには台所があった。化物屋敷では五六軒寄って一つの台所を持っているのだそうだ。{{r|御神|おかみ}}さん水は上にありますかと尋ねたら、いえ下から{{r|汲|く}}んで揚げますと答えた。余はこの暗い町内に、便所がどこにいくつあるか不審に思ったが、つい聞きもせず、女の前を行き過ぎて通ろうとすると、そっちは行きどまりでございますと注意された。道理で{{r|真闇|まっくら}}であった。
田中君の話によると、この建物は日露戦争の当時の病院だとか云う事である。戦争が{{r|烈|はげ}}しくなって、負傷者の数が増して来るに従って、収容した人間に充分の手当ができないばかりでなく、気の毒ながら見殺しにしなければならない兵士がたくさんにできて、それらの{{r|創口|きずぐち}}から出る{{r|怨|うら}}みの声が大連中に響き渡るほど{{r|凄|すさま}}じかったので、その以後はこの{{r|一廓|ひとくるわ}}を化物屋敷と呼ぶようになった。しかし本当だか{{r|嘘|うそ}}だか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。
ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、{{r|残焼家屋|ざんしょうかおく}}として、{{r|骸骨|がいこつ}}のごとくに突っ立っていたそうである。陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。汽車の中で炭を{{r|焚|た}}いて{{r|死|し}}に{{r|損|そく}}なったり、貨車へ乗って、カンテラを{{r|点|つ}}けて用を足そうとすると、そのカンテラが{{r|揺|ゆす}}ぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ{{r|這入|はい}}るだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。
「{{r|清野|せいの}}が毛織の{{r|襯衣|シャツ}}を半ダース重ねて着たのは{{r|彼時|あのとき}}だよ」
「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」
余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。
十七
三階へ{{r|上|あが}}って見ると豆ばかりである。ただ{{r|窓際|まどぎわ}}だけが人の通る幅ぐらいの{{r|床|ゆか}}になっている。余は静かに豆と壁の間をぐるぐる廻って歩いた。気をつけないと、足の裏で豆を踏み{{r|潰|つぶ}}す恐れがある上に、人のいない天井裏を無益に響かすのが{{r|苦|く}}になったからである。豆は砂山のごとく脚下に起伏している。こちらの端から向うの端まで眺めて見ると、随分と長い豆の山脈ができ上っていた。その真中を通して三カ所ほどに{{r|井桁|いげた}}に似た{{r|恰好|かっこう}}の穴が掘ってある。豆はその中から断えず下へ落ちて行って、平たく引割られるのだそうだ。時々どさっと音がして、三階の{{r|一隅|ひとすみ}}に新しい砂山ができる。これはクーリーが下から豆の袋を{{r|背負|しょ}}って来て、加減の好い場所を見計らって、袋の口から、ばらに{{r|打|ぶ}}ち{{r|撒|ま}}けて行くのである。その時はぼうと{{r|咽|むせ}}るような{{r|煙|けむ}}が立って、数え切れぬほどの豆と豆の間に{{r|潜|ひそ}}んでいる{{r|塵|ちり}}が一度に{{r|踊|おど}}り{{r|上|あが}}る。
クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。彼等の背中に{{r|担|かつ}}いでいる豆の袋は、米俵のように軽いものではないそうである。それを{{r|遥|はるか}}の下から、のそのそ{{r|背負|しょ}}って来ては三階の上へ{{r|空|あ}}けて行く。空けて行ったかと思うとまた空けに来る。何人がかりで順々に運んでくるのか知れないが、その歩調から態度から時間から、間隔からことごとく一様である。通り路は長い厚板を坂に渡して、下から三階までを、{{r|普請|ふしん}}の足場のように{{r|拵|こしら}}えてある。彼等はこの坂の一つを登って来て、その一つをまた下りて行く。{{r|上|のぼ}}るものと下りるものが左右の坂の途中で顔を見合せてもほとんど口を{{r|利|き}}いた事がない。彼等は舌のない人間のように黙々として、朝から晩まで、この重い豆の袋を{{r|担|かつ}}ぎ続けに担いで、三階へ上っては、また三階を{{r|下|くだ}}るのである。その沈黙と、その規則ずくな運動と、その忍耐とその精力とはほとんど運命の影のごとくに見える。実際立って彼等を観察していると、しばらくするうちに妙に考えたくなるくらいである。
三階から落ちた豆が下へ回るや否や、大きな{{r|麻風呂敷|あさぶろしき}}が受取って、たちまち{{r|釜|かま}}の中に運び込む。釜の中で豆を{{r|蒸|む}}すのは実に早いものである。入れるかと思うと、すぐ出している。出すときには、風呂敷の四隅を{{r|攫|つか}}んで、{{r|濛々|もうもう}}と湯気の立つやつを{{r|床|ゆか}}の上に放り出す。{{r|赤銅|しゃくどう}}のような肉の色が煙の間から、汗で{{r|光々|ぴかぴか}}するのが勇ましく見える。この{{r|素裸|すはだか}}なクーリーの体格を眺めたとき、余はふと{{r|漢楚軍談|かんそぐんだん}}を思い出した。昔{{r|韓信|かんしん}}に股を{{r|潜|くぐ}}らした豪傑はきっとこんな連中に違いない。彼等は胴から上の筋肉を{{r|逞|たくま}}しく{{r|露|あら}}わして、大きな足に牛の{{r|生皮|きがわ}}を縫合せた{{r|堅|かた}}い靴を{{r|穿|は}}いている。蒸した豆を{{r|藺|い}}で囲んで、丸い{{r|枠|わく}}を上から{{r|穿|は}}めて、二尺ばかりの高さになった時、クーリーはたちまちこの靴のまま{{r|枠|わく}}の中に{{r|這入|はい}}って、ぐんぐん豆を踏み固める。そうして、それを{{r|螺旋|らせん}}の{{r|締棒|しめぼう}}の下に押込んで、{{r|把|て}}をぐるぐると廻し始める。油は同時に{{r|搾|しぼ}}られて{{r|床下|ゆかした}}の{{r|溝|みぞ}}にどろどろに流れ込む。豆は全くの{{r|糟|かす}}だけになってしまう。すべてが約二三分の仕事である。
この油が{{r|喞筒|ポンプ}}の力で一丈四方もあろうという大きな鉄の{{r|桶|おけ}}に吸上げられて、{{r|静|しずか}}に深そうに{{r|淀|よど}}んでいるところを、二階へ上がって三つも四つも{{r|覗|のぞ}}き込んだときには、恐ろしくなった。この中に落ちて死ぬ事がありますかと、案内に聞いたら、案内は平気な顔をして、まあ{{r|滅多|めった}}に落ちるような事はありませんねと答えたが、余はどうしても落ちそうな気がしてならなかった。
クーリーは実にみごとに働きますね、かつ非常に静粛だ。と出がけに感心すると、案内は、とても日本人には{{r|真似|まね}}もできません。あれで一日五六銭で食っているんですからね。どうしてああ強いのだか全く分りませんと、さも{{r|呆|あき}}れたように云って聞かせた。
十八
股野が先生私の{{r|宅|うち}}へ来なさらんか、八畳の間が{{r|空|あ}}いています、夜具も{{r|蒲団|ふとん}}もあります。ホテルにいるより{{r|呑気|のんき}}で好いでしょうと親切に云ってくれる。何でも股野の家の座敷からは、大連が一目に見渡されるのみならず、海が手に取るように眺められるのみならず、海の向うに{{r|連|つら}}なる{{r|突兀|とっこつ}}極まる山脈さえ、坐っていると、窓の中に向うから{{r|這入|はい}}って来てくれるという{{r|重宝|ちょうほう}}な{{r|家|うち}}なんだそうである。
始めのうちは股野の自慢を{{r|好加減|いいかげん}}に聞き流して、そうかそうかと答えていたが、せっかくの好意ではあるし、もともと気の多い男だから、都合によっては少し{{r|厄介|やっかい}}になっても好いぐらいに思って、ついでの時{{r|是公|ぜこう}}にこの話をすると、そんな所へ行っちゃいかんとたちまち叱られてしまった。もしホテルが{{r|厭|いや}}なら、おれの宅へ来い、あの部屋へ入れてやるからと云うんで、書斎の次の畳の敷いてある間を見せてくれるんだが、別に西洋流の宿屋に{{r|愛想|あいそ}}をつかした訳でもないんだから、じゃ厄介になろうとも云わなかった。
是公は書斎の大きな{{r|椅子|いす}}の上に{{r|胡坐|あぐら}}をかいて、{{r|河豚|ふぐ}}の{{r|干物|ひもの}}を{{r|噛|かじ}}って酒を{{r|呑|の}}んでいる。どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。そうこうする内に、おいゼムを持っているなら少しくれ、何だかおれも胃が悪くなったようだと手を出した。そうして、胃が悪いときは、河豚の干物でも何でも、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。そうすればきっと{{r|癒|なお}}ると云った。酔っていたに違ない。
余はポッケットから注文の薬を出して相手にあてがった。これは二三日前是公といっしょに馬車に乗って、市中を乗り廻した時、是公の{{r|御者|ぎょしゃ}}から二十銭借りて大連の薬屋で買ったものである。その時は是公の御者に対する態度のすこぶる{{r|叮嚀|ていねい}}なのに気がついて少しく驚かされた。君ちょっとそこいらの薬屋へ寄って、ゼムを買ってやって下さいと云うんだから非凡である。
君は御者に対して叮嚀過ぎるよと忠告してやったら、うんあの時の二十銭をまだ払わなかったっけと思い出したように河豚の干物をまた噛っていた。
是公の御者には廿銭{{r|借|かり}}があるだけだが、その{{r|別当|べっとう}}に至っては全く奇抜である。第一日本人じゃない。{{r|辮髪|べんぱつ}}を自慢そうに垂らして、黄色の{{r|洋袴|ズボン}}に{{r|羅紗|らしゃ}}の長靴を{{r|穿|は}}いて、手に三尺ほどの{{r|払子|ほっす}}をぶら下げている。そうして馬の先へ立って{{r|駆|か}}ける。よくあんな紳士的な{{r|服装|なり}}をして汗も出さずに{{r|走|かけ}}られる事だと思うくらいに早く走ける。もっとも足も長かった。身の{{r|丈|たけ}}は六尺近くある。
別当と御者はこのくらいにしてまた股野にかえるが、余は是公に叱られたため、とうとう股野の家へは移らなかった。けれども遊びには行った。なるほど小山の上に建てられた好い社宅である。もっとも{{r|一軒立|いっけんだて}}ではない。長い{{r|棟|むね}}がいくつも灰色に並んでいるうちの一番はずれの棟の、一番最後の番号のその二階が彼の家族の領分であった。岡の下から見ると、まるで英国の避暑地へ行ったようだとある西洋人が評したほど、外部は厚い壁で洋式にできているが、中には日本の{{r|香|におい}}がする{{r|奇麗|きれい}}な畳が敷いてあった。なるほど{{r|景色|けしき}}が好い。大連の市街が見える、大連の海が見える、大連の向うの山が見える。股野の家にはもったいないくらいである。余はそこで村井君に{{r|逢|あ}}って、股野の細君に逢って、手厚い{{r|御馳走|ごちそう}}になって帰った。
十九
支那の宿屋を一つ見ましょうと云いながら、股野は路の左側にある戸を開けて中へ{{r|這入|はい}}った。そこには日本人が三人ほど机を並べて事務を{{r|執|と}}っていた。股野はそのうちの{{r|紺|こん}}の洋服を着た人を{{r|捕|つら}}まえて、話を始めた。君ここは宿屋だろうと聞いている。宿屋じゃないよと立ちながら返事をしている。何だか様子が変になって来た。やがて余はこの紺服の人に紹介された。紹介されて見ると、これは商業学校出の谷村君で、無論{{r|旅屋|やどや}}の亭主ではなかった。谷村君はこの地で支那人と組んで豆の商売を営んでいる。したがって取引上の必要があって、奥の方から大連へ出て来る豆の{{r|荷主|にぬし}}と接触しなければならないのだが、こっちの習慣として、こう云う荷主はけっして普通の{{r|旅籠|はたご}}を取らない。出て来ればきっと取引先へ{{r|宿|とま}}って、用の済むまではいつまででもそこに滞在している。しかもその数は一人や二人ではない。したがって谷村君の奥座敷は一種の宿屋みたような組織にできている。
じゃその奥座敷をちょっと拝見できますかと云うと、谷村君はさあさあと自分から席を離れて、快よく案内に立たれる。余は谷村君の{{r|後|うしろ}}へ{{r|追|つ}}いて事務室の裏へ出た。股野も{{r|食付|くっつ}}いて出た。裏は真四角な庭になっている。無論{{r|樹|き}}も草も花も見当らない、ただの平たい場所である。そこを突き抜けた正面の座敷が応接間であった。応接間の入口は低い{{r|板間|いたま}}で、突当りの高い所に{{r|蒲団|ふとん}}が敷いてある。その上に腰をかけて談判をするのだそうだが、横着な事には大きな{{r|括枕|くくりまくら}}さえ備えつけてある。しかし{{r|肱|ひじ}}を突くためか、頭を{{r|載|の}}せるためかは聞き{{r|糺|ただ}}して見なかった。彼等は談判をしながら{{r|阿片|あへん}}を飲む。でなければ{{r|煙草|たばこ}}を吸う。その{{r|煙管|きせる}}は煙管と云うよりも一種の器械と評した方が好いくらいである。{{r|錫|すず}}の{{r|胴|どう}}に水を盛って{{r|雁首|がんくび}}から{{r|洩|も}}れる煙がこの水の中を通って吸口まで登ってくる仕掛なのだから、慣れないうちは水を吸い上げて口中へ入れる恐れがある。一服やって御覧なさいと勧められたから、やって見たが、ごぼごぼ音がしてまるで{{r|脂|やに}}を呑むような心持がした。
二階が荷主の{{r|室|へや}}だと云うんで、二階へ{{r|上|あが}}って見ると、なるほど室がたくさん並んでいる。その{{r|中|うち}}の一つでは{{r|四人|よつたり}}で{{r|博奕|ばくち}}を打っていた。博奕の道具はすこぶる{{r|雅|が}}なものであった。厚みも大きさも{{r|将棋|しょうぎ}}の{{r|飛車角|ひしゃかく}}ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。その札は磨いた竹と薄い{{r|象牙|ぞうげ}}とを背中合せに{{r|接|つ}}いだもので、その象牙の方にはいろいろの模様が彫刻してあった。この模様の揃った札を何枚か並べて出すと勝になるようにも思われたが、要するに、竹と象牙がぱちぱち触れて鳴るばかりで、どこが博奕なんだか、実はいっこう解らなかった。ただこの象牙と竹を接ぎ合わした札を二三枚貰って来たかった。
一つの室では五六人寄って、そのうちの一人が{{r|笛|ふえ}}を吹くのを聞いていた。幕を開けて首を出したら、ぱたりと笛を{{r|歇|や}}めてしまった。また吹き始めるかと思って、しばらく室の中に立っていたが、とうとう吹かなかった。室の中には妙な書が麗々と壁に{{r|貼|は}}りつけてある。いずれも{{r|下手|まず}}いものだのに、何々先生のために何々書すと云ったようにもったいぶったのばかりであった。股野が何か云うと、向うの支那人も何か云う。しかし両方の云う事は両方へ通じないようである。
二十
{{r|波止場|はとば}}から{{r|上|あが}}って{{r|真直|まっすぐ}}に行くと、大連の町へ出る。それを真直に行かずに、すぐ左へ折れて長い{{r|上屋|うわや}}の影を向うへ、三四町通り越した所に{{r|相生|あいおい}}さんの家がある。西洋館の二階を客間にして古い仏像やら鏡やら銅器陶器の{{r|類|たぐい}}を{{r|奇麗|きれい}}に飾っているから、客間を見ただけではただ一通りの風流人としか見えない。相生さんは満鉄の社員として{{r|埠頭事務所|ふとうじむしょ}}の取締である。
もっと卑近な言葉で云うと、荷物の{{r|揚卸|あげおろし}}に使われる{{r|仲仕|なかし}}の親方をやっている。かつて門司の労働者が三井に対してストライキをやったときに、相生さんが進んでその衝に当ったため、{{r|手際|てぎわ}}よく解決が着いたとか云うので、満鉄から仲仕の親分として{{r|招聘|しょうへい}}されたようなものである。実際相生さんは{{r|親分気質|おやぶんかたぎ}}にでき上っている。満鉄から任用の話があったとき、子供が病気で{{r|危篤|きとく}}であったのに、相生さんはさっさと大連へ来てしまった。来て一週間すると子供が死んだと云う{{r|便|たよ}}りがあった。相生さんは内地を去る時、すでにこの悲報を手にする覚悟をしていたのだそうだ。
相生さんは大連に来るや否や、仲仕その他すべて埠頭に関する事務を取り扱う連中を集めてここに一部落を築き上げた。相生さんの家を通り越すと、左右に並んでいる建物は皆自分の経営になったものばかりである。その中には図書館がある。{{r|倶楽部|クラブ}}がある。運動場がある。演武場がある。部下の住宅は無論ある。
倶楽部では玉を突いていた。図書館には{{r|沙翁|さおう}}全集があった。ポルグレーヴの経済{{r|字彙|じい}}があった。余の著書も二三冊あった。
ここは柔道の道場に使っていますが、時によると講談をやったり演説をやったりしますと云う相生さん自身の説明について、中を{{r|覗|のぞ}}き込むと、なるほど道場にはちょうど好い建物がある。その奥に{{r|高座|こうざ}}ができていて、いつでも{{r|寄席|よせ}}もしくは講演を開くような設備もある。講演てどんな講演ですかと聞き返したら、相生さんは、まあ内地から来られた人だとか何とかいうのを頼んでやりますと答えられた。ことによると、遠からぬうちに{{r|捕|つか}}まって、ここへ引っ張り出されはしまいかと、その時すぐ気がついたが、{{r|真逆|まさか}}{{r|私|わたし}}はどうぞ{{r|廃|よ}}しにして下さいと、頼まれもしないうちに断るのも失礼だと思って、はあなるほどと{{r|首肯|うなず}}いて通り過ぎた。
最後にもっとも長い二階建の{{r|一棟|ひとむね}}の前に出た。これが共同生活をやらしている所でと、相生さんが先へ{{r|這入|はい}}る。中は{{r|勧工場|かんこうば}}のように真中を往来にして、{{r|同|おなじ}}く勧工場の{{r|見世|みせ}}に当る所を長屋の上り口にしてある。だから長屋と長屋とは{{r|壁一重|かべひとえ}}で仕切られながら、約一丁も並んでいるばかりか、三尺の往来を越すとすぐ向うの{{r|家|うち}}になる。上り口を枕にして寝れば、{{r|吸付莨|すいつけたばこ}}のやり取りぐらいはできるほど近い。相生さんが先へ立って、この狭い往来を通ると、{{r|裁縫|しごと}}をしたり、子供を寝かしたりしている{{r|神|かみ}}さん達が、みんな{{r|叮嚀|ていねい}}に{{r|挨拶|あいさつ}}をする。しかし中には気がつかずに何か話しているのも見える。
この部落に住んでいる人間が{{r|総|そう}}がかりになった上に、その何十倍か何百倍のクーリーを使っても、豆の{{r|出盛|でさか}}りには持て余すほど荷が後から後からと出てくる。相生さんの話によると、多い時は{{r|着荷|ちゃくに}}の量が一日ならし五千{{r|噸|トン}}あるそうである。これがため去年{{r|雨期|うき}}を持ち越した噸数は四万噸で、{{r|今年|こんねん}}はそれが十五万噸に{{r|上|のぼ}}ったとか聞いた。
南北千五百尺東西四千二百尺の{{r|埠頭|ふとう}}の{{r|側|そば}}にこのくらい豆を積んだらずいぶん{{r|盛|さかん}}なものだろう。
二十一
旅順から電話がかかってこっちへはいつ来るかという問合わせである。おい誰がかけてくれるんだろうなと橋本に聞いて見ると、橋本はそうだなあと云うだけで要領を得ない。おい名前は分らないのかとやむをえずボイに尋ね返したら、ボイは依然として、ただ{{r|民政署|みんせいしょ}}だと云ってかけて参りましたと同じ事を繰返している。おおかた{{r|友熊|ともくま}}だろうぐらいに橋本と二人で見当をつけて返事をさせた。これが{{r|白仁長官|しらにちょうかん}}の好意から出た聞き合せであった事は旅順に着いて{{r|後|のち}}始めて知った。
旅順には佐藤友熊と云う旧友があって、警視総長と云う{{r|厳|いかめ}}しい役を勤めている。これは友熊の名前が広告する通りの{{r|薩州人|さっしゅうじん}}で、顔も気質も看板のごとく{{r|精悍|せいかん}}にでき上がっている。始めて彼を知ったのは{{r|駿河台|するがだい}}の成立学舎という{{r|汚|きた}}ない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に{{r|這入|はい}}る準備のために通学したのであるからよほど古い事になる。佐藤はその頃{{r|筒袖|つつそで}}に、{{r|脛|すね}}の出る{{r|袴|はかま}}を{{r|穿|は}}いてやって来た。余のごとく東京に生れたものの眼には、この姿がすこぶる異様に感ぜられた。ちょうど{{r|白虎隊|びゃっこたい}}の{{r|一人|いちにん}}が、腹を切り損なって、入学試験を受けに東京に出たとしか思われなかった。教場へは無論{{r|下駄|げた}}を{{r|穿|は}}いたまま{{r|上|あが}}った。もっともこれは佐藤ばかりじゃない。我等もことごとく下駄のままあがった。{{r|上草履|うわぞうり}}や{{r|素足|すあし}}で歩くような学校じゃないのだから仕方がない。{{r|床|ゆか}}に穴が{{r|開|あ}}いていて、気をつけないと、縁の下へ落ちる{{r|拍子|ひょうし}}に、{{r|向脛|むこうずね}}を{{r|摺剥|すりむ}}くだけが、普通の往来より悪いぐらいのものである。
古い屋敷をそのまま学校に用いているので玄関からがすでに教場であった。ある雨の降る日余はこの玄関に上って時間の来るのを待っていると、黒い{{r|桐油|とうゆ}}を着て{{r|饅頭笠|まんじゅうがさ}}を{{r|被|かぶ}}った郵便脚夫が門から這入って来た。不思議な事にこの郵便屋が{{r|鉄瓶|てつびん}}を{{r|提|さ}}げている。しかも全くの素足である。{{r|足袋|たび}}は無論の事、{{r|草鞋|わらじ}}さえ{{r|穿|は}}いていない。そうして、普通なら玄関の前へ来て、郵便と大きな声を出すべきところを、無言のまますたすた敷台から教場の中へ{{r|這入|はい}}って来た。この郵便屋がすなわち佐藤であったので大いに感心した。なぜ鉄瓶を{{r|提|さ}}げていたものかその{{r|理由|わけ}}は{{r|今日|こんにち}}までついに聞く機会がない。
その{{r|後|ご}}佐藤は成立学舎の寄宿へ這入った。そこで{{r|賄|まかない}}征伐をやった時、どうした{{r|機勢|はずみ}}か額に{{r|創|きず}}をして、しばらくの間{{r|白布|しろぬの}}で頭を巻いていたが、それが、{{r|後鉢巻|うしろはちまき}}のようにいかにも勇ましく見えた。賄に{{r|擲|なぐ}}られたなと{{r|調戯|からか}}って{{r|苛|ひど}}い目に{{r|逢|あ}}ったので今にその{{r|颯爽|さっそう}}たる姿を覚えている。
佐藤はその頃頭に毛の{{r|乏|とぼし}}い男であった。無論老朽した{{r|禿|はげ}}ではないのだが、まあ{{r|土質|どしつ}}の悪い草原のように、一面に青々とは茂らなかったのである。漢語でいうと{{r|短髪種々|たんぱつしょうしょう}}とでも形容したら好いのかも知れない。風が吹けば毛の方で一本一本に{{r|靡|なび}}く{{r|傾|かたむき}}があった。この頭は予備門へ這入っても黒くならなかった。それで{{r|皆|みんな}}して佐藤の事を{{r|寒雀|かんすずめ}}寒雀と{{r|囃|はや}}していた。当時余は寒雀とはどんなものか知らなかった。けれども佐藤の頭のようなものが寒雀なんだろうと思って、いっしょになってやっぱり寒雀寒雀と{{r|調戯|からか}}った。この{{r|渾名|あだな}}を発明した男はその後技師になって今は北海道にいる。
話が前後するようだが、旅順に来て十何年ぶりかに佐藤に逢って、例の頭を注意して見ると、不思議な事に、その頭には{{r|万遍|まんべん}}なく綿密に毛が生えていた。もっとも黒いのばかりではなかった。近頃は正当{{r|防禦|ぼうぎょ}}のために、こう短く刈っているんだと云って、三分刈の濃い頭を笑いながら{{r|掻|か}}いて見せた。
旅順から二度目の電話がかかった翌日の朝、橋本と余は、この旧友に逢うため、また日露の戦跡を{{r|観|み}}るため、大連から汽車に乗った。乗る時、是公が{{r|友熊|ともくま}}によろしくと云った。是公は何か用事があったと見えて、国沢君と二人で{{r|停車場|ステーション}}の構内を横切って妙な方角へ向いて歩いて行った。やがて二人の影は物に{{r|遮|さえ}}ぎられて、汽車の窓から見えなくなった。そうして満洲に有名な{{r|高粱|こうりょう}}の色が始めて眼底に映じ出した。汽車は広い野の中に出たのである。
二十二
おい旅順に着いたら久しぶりに日本流の宿屋へ泊ろうかと橋本に相談を掛けるとそうだな{{r|浴衣|ゆかた}}を着てごろごろするのも好いねという同意である。橋本は新しく蒙古から帰ったので、しきりに支那宿に降参した話を始めた。その支那宿には、名は{{r|塞北|さいほく}}に{{r|馳|は}}せ、{{r|味|あじわい}}は江南を圧すなどという広告の文字がべたべた壁に{{r|貼|は}}りつけてあるそうだ。橋本はこう云う文句をたくさん手帳に控えている。ほかに使い路のない文句だものだから、汽車の中で、それを残らず余に読んで聞かせてしまった。二人は笑いながら日本流の{{r|奇麗|きれい}}な宿屋を想像して旅順のプラットフォームに降りた。降りるとそこに馬車がある。我々の名前を聞くものがある。
この馬車が民政署の馬車で、我々を尋ねてくれた人が、{{r|渡辺秘書|わたなべひしょ}}であるという事を発見した時は両人ともだいぶ恐縮した。橋本を振り返ると相変らず鼻の先を{{r|反|そ}}らして、台湾パナマだか何だかペコペコになった帽子を{{r|被|かぶ}}っている。おい宿屋はどうするんだいと小さな声で聞くと、うんそうさなと云ったが、そのうち二人とも馬車へ乗らなければならない段になった。いったい橋本といっしょにあるくときは、何でも橋本が進んで始末をつけてくれる事に昔からきまっているんだからこの際もどうかするだろうと思って放っておいた。すると予想通、日本流の宿屋へ行くつもりで来たんですがと渡辺さんに相談し始めた。ところが渡辺さんはどうも御泊りになられるような日本の宿屋は一軒もありませんから、やっぱり{{r|大和|やまと}}ホテルになさった方が好いでしょうと忠告している。
やがて馬車は新市街の方へ向いて動き出した。二人は十五分の{{r|後|のち}}ホテルの二階に導かれて、行き通いのできる{{r|室|へや}}を二つ並べて取った。そこで{{r|革鞄|かばん}}の中から{{r|刷毛|はけ}}を出して{{r|塵|ちり}}だらけの服を払ったあとで、しばらく休息のため安楽椅子に腰をおろして見ると、急に気がついたように{{r|四辺|あたり}}が{{r|森閑|しんかん}}としている。ホテルの中には一人も客がいないように見える。ホテルの外にもいっさい人が住んでいるようには思われない。{{r|開廊|ヴェランダ}}へ出て往来を眺めると、往来はだいぶ広い。{{r|手摺|てすり}}の真下にある人道の石の中から草が生えて、茎の長さが一尺余りになったのが二三本見える。日中だけれども虫の{{r|音|ね}}が{{r|微|かす}}かに聞える。隣は{{r|主|ぬし}}のない家と見えて、{{r|締|し}}め切った門やら戸やらに{{r|蔦|つた}}が一面に{{r|絡|から}}んでいる。往来を隔てて向うを見ると、ホテルよりは広い{{r|赤煉瓦|あかれんが}}の家が{{r|一棟|ひとむね}}ある。けれども煉瓦が積んであるだけで屋根も{{r|葺|ふ}}いてなければ{{r|窓硝子|まどガラス}}もついてない。足場に使った材木さえ処々に残っているくらいの{{r|半建|はんだて}}である。淋しい事には、工事を中止してから何年になるか知らないが、何年になってもこのままの姿で、とうてい変る事はあるまいと云う感じが起る。そうしてその感じが家にも往来にも、美しい空にも、一面に{{r|充|み}}ちている。余は開廊の手摺を{{r|掌|てのひら}}で抑えながら、奥にいる橋本に、{{r|淋|さび}}しいなあと云った。旅順の港は鏡のごとく暗緑に光った。港を囲む山はことごとく坊主であった。
まるで{{r|廃墟|ルインス}}だと思いながら、また室の中に{{r|這入|はい}}ると、寝床には雪のような{{r|敷布|シート}}がかかっている。{{r|床|ゆか}}には{{r|柔|やわら}}かい{{r|絨毯|じゅうたん}}が敷いてある。豊かな安楽椅子が{{r|据|す}}えてある。器物はことごとく新式である。いっさいが整っている。外と内とは全く反対である。満鉄の経営にかかるこのホテルは、{{r|固|もと}}より{{r|算盤|そろばん}}を取っての{{r|儲|もう}}け仕事でないと云う事を思い出すまでは、どうしても矛盾の念が頭を離れなかった。
食堂に下りて、窓の外に{{r|簇|むら}}がる草花の{{r|香|におい}}を{{r|嗅|か}}ぎながら、橋本と二人静かに{{r|午餐|ごさん}}の卓に着いたときは、機会があったら、ここへ来て一夏気楽に暮したいと思った。
二十三
旅順に着いた時汽車の窓から首を出したら、つい鼻の先の山の上に、円柱のような高い塔が見えた。それがあまり高過ぎるので、肩から先を前の方へ突き出して、窮屈に{{r|仰向|あおむ}}かなくては{{r|頂点|てっぺん}}まで見上げる訳に行かなかった。
馬車が新市街を通り越してまたこの塔の真下に出た時に、これが{{r|白玉山|はくぎょくざん}}で、あの上の高い塔が表忠塔だと説明してくれた。よく見ると高い灯台のような{{r|恰好|かっこう}}である。二百何尺とかと云う話であった。この山の{{r|麓|ふもと}}を通り越して、旧市街を抜けると、また山路にかかる。その登り口を少し右へ{{r|這入|はい}}った所に、戦利品陳列所がある。佐藤は第一番にそれを見せるつもりで{{r|両人|ふたり}}を引張って来た。
陳列所は{{r|固|もと}}より山の上の一軒家で、その山には{{r|樹|き}}と名のつくほどの青いものが一本も茂っていないのだから、はなはだ{{r|淋|さび}}しい。当時の戦争に従事したと云う中尉のA君がただ{{r|独|ひと}}り番をしている。この尉官は陳列所に幾十種となく並べてある戦利品について、一々{{r|叮嚀|ていねい}}に説明の労を取ってくれるのみならず、両人を{{r|鶏冠山|けいかんざん}}の上まで連れて行って、草も木もない高い所から、{{r|遥|はるか}}の麓を指さしながら、自分の従軍当時の{{r|実歴譚|じつれきだん}}をことごとく語って聞かせてくれた人である。始め佐藤から砲台案内を依頼したときには、今日はちと{{r|差支|さしつか}}えがあるから四時頃までならと云う条件であったが、山の出鼻へ立って{{r|洋剣|サーベル}}を{{r|鞭|むち}}の代りにして、あちらこちらと方角を教える段になると、{{r|肝心|かんじん}}の要事はまるでそっちのけにして、満洲の赤い日が、向うの山の{{r|頂|いただき}}に、大きくなって近づくまで帰ろうとは云わなかった。もし忘れたんじゃ気の毒だと思って、こっちから注意すると、何ようございます、構いませんと断りながら、ますます講釈をしてくれる。あんまり不思議だから、全体何の御用事が御有りなのですかと、{{r|詮索|せんさく}}がましからぬ程度に聞いて見ると、実は{{r|妻|さい}}が病気でと云う返事である。さすが横着な両人も、この際だけは、それじゃ御迷惑でもせっかくだからついでにもう少し案内を願おうと云う気にもなれなかった。言葉は無論出なかった。長い日が山の途中で暮れて、電気の力を借りなければ人の顔が{{r|判然|はっきり}}分らない頃になって、我々の馬車がようやく旧市街まで戻った時、中尉はある{{r|煉瓦塀|れんがべい}}の所で、それじゃ私はここで失礼しますと{{r|挨拶|あいさつ}}して、馬車から下りて、門の中へ急いで這入って行かれた。この煉瓦の塀を{{r|回|めぐ}}らした{{r|一構|ひとかまえ}}は病院であった。そうして中尉の妻君はこの病院の一室に寝ていたのである。
これほど世話になり、面倒を掛けた人の名前を忘れるのははなはだすまん事だが、どうしても思い出せない。佐藤に、よろしくと伝言を頼んだ時は、ただ、あの中尉君と書いた。ここに{{r|某中尉|ぼうちゅうい}}などとよそよそしく取り扱うのはあまり失礼だから、やむをえずA君としておいた。
A君の親切に説明してくれた戦利品の一々を叙述したら、この陳列所だけの記載でも、二十枚や三十枚の紙数では足るまいと思うが、残念な事にたいてい忘れてしまった。しかしたった一つ覚えているものがある。それは女の{{r|穿|は}}いた靴の片足である。{{r|地|じ}}が{{r|繻子|しゅす}}で、色は{{r|薄鼠|うすねずみ}}であった。その他の{{r|手投弾|てなげだん}}や、鉄条網や、魚形水雷や、偽造の大砲は、ただ単なる言葉になって、今は頭の底に{{r|判然|はっきり}}残っていないが、この一足の靴だけは色と云い、形と云い、いつなん{{r|時|どき}}でも意志の起り次第{{r|鮮|あざやか}}に思い浮べる事ができる。
戦争後ある{{r|露西亜|ロシア}}の士官がこの陳列所一覧のためわざわざ旅順まで来た事がある。その時彼はこの靴を一目{{r|観|み}}て非常に驚いたそうだ。そうしてA君に、これは自分の妻の{{r|穿|は}}いていたものであると云って聞かしたそうだ。この小さな白い{{r|華奢|きゃしゃ}}な靴の所有者は、戦争の際に死んでしまったのか、またはいまだに生存しているものか、その点はつい聞き{{r|洩|も}}らした。
二十四
今までは{{r|白馬|しろうま}}を着けた佐藤の馬車に澄まして乗っていたが、山へかかるや否や、例の泥だらけの掘出しものの中へ放り込まれてしまった。とうてい普通の馬車では上がれないと云うんだからやむをえない。それでも{{r|露西亜人|ロシアじん}}だけあって、眼にあまる山のことごとくに砲台を構えて、その砲台のことごとくに、馬車を{{r|駆|か}}って{{r|頂辺|てっぺん}}まで登れるような広い{{r|路|みち}}をつけたのは感心ですとA君が語られる。実際その当時は{{r|奇麗|きれい}}な馬車を{{r|傷|いた}}めずに、心持よく砲台のある地点まで乗りつけられたものと見える。ところが戦争がすんで往復の必要がなくなったので、せっかくできた山路に手を入れる機会を失ったため、我々ごとき{{r|物数奇|ものずき}}は、かように{{r|零落|れいらく}}した馬車をさえ、時々復活させる始末になるのである。元来旅順ほど小山が{{r|四方|よも}}に{{r|割拠|かっきょ}}して、禿頭を炎天に{{r|曝|さら}}し{{r|合|あ}}っている所はない。{{r|樹|き}}が乏しい{{r|土質|どしつ}}へ、遠慮のない{{r|強雨|ごうう}}がどっと突き通ると、傾斜の多い山路の側面が、すぐ往来へ{{r|崩|くず}}れ出す。その崩れるものがけっして尋常の土じゃない。堅い石である。しかも{{r|頑固|がんこ}}に{{r|角張|かどば}}っている。ある所などは、五寸から一尺ほどもあろうと云う火打石のために、{{r|累々|るいるい}}と往来を{{r|塞|ふさ}}がれている。零落した馬車は容赦なく{{r|鳴動|めいどう}}してその上を通るのだから、{{r|凸凹|でこぼこ}}の多い{{r|川床|かわどこ}}を渡るよりも危険である。{{r|二百三高地|にひゃくさんこうち}}へ行く途中などでは、とうとうこの火打石に降参して、馬車から下りてしまった。そうして痛い腹を{{r|抱|かか}}えながら、{{r|膏汗|あぶらあせ}}になって歩いたくらいである。{{r|鶏冠山|けいかんざん}}を下りるとき、馬の{{r|足掻|あがき}}が何だか変になったので、気をつけて見ると、左の前足の爪の中に大きな石がいっぱいに{{r|詰|はま}}っていた。よほど厚い石と見えて爪から余った先が{{r|一寸|いっすん}}ほどもある。したがって馬は一寸がた{{r|跛|ちんば}}を引いて車体を前へ運んで行く訳になる。席から首を延ばして、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒なくらい、馬に対して痛わしい心持がした。{{r|御者|ぎょしゃ}}に注意してやると、御者は支那語で何とか云いながら、{{r|鞭|むち}}を{{r|棄|す}}てて下へ下りたが、非常に固く{{r|詰|つま}}っていたと見えて、{{r|叩|たた}}いても引っ張っても石が取れないので、またのそのそ御者台へ上がった。そうして、{{r|後|うしろ}}にいる余の方をふりむいて、にやにや笑いながら、また鞭を鳴らし出した。馬も存外平気なもので、そのままとうとう{{r|大和|やまと}}ホテルまで帰って来た。
橋本と余はこう云う馬車の中で、こう云う路の上に{{r|揺振|ゆすぶ}}られべく旧市街から出立した。あれがステッセル将軍の家でと云うのを遠くから見ると、なかなか立派にできている。戦争の{{r|烈|はげ}}しくならない時は、将軍がみごとな馬車を{{r|駆|か}}ってそこいらを乗り廻しているのが{{r|遥|はるか}}の先から見えたそうである。A君の{{r|指|ゆびさ}}して教えられた{{r|中|うち}}で、ただ一つ質素な{{r|板囲|いたがこい}}の小さい家があった。それがまるで日本の内地で見る普通の木造なのだから珍らしかった。何とか云う有名な将軍の住宅だと説明されたが、不幸にしてその有名な将軍の名を忘れてしまった。何でも非常に人望のある人で、戦争のときも一番先に{{r|打死|うちじに}}をしたのだそうである。ああ云う質素の家に住んでおられたのも、一つは人望のあった原因になっているのでありましょうとA君は丁寧に敬慕の意を{{r|表|ひょう}}される。この将軍は戦争だけには熱心で、ほかの事にはよほど{{r|無頓着|むとんじゃく}}であった人らしい。この辺にある露国の将軍などの住宅は皆それ相応に立派なものばかりである。新市街の{{r|白仁長官|しらにちょうかん}}の家を{{r|訪|たず}}ねた時、結構な{{r|御住居|おすまい}}だが、もとは誰のいた所ですかと聞いたら、何でもある大佐の家だそうですと答えられた。こう云う家に住んで、こういう{{r|景色|けしき}}を眼の下に見れば、内地を離れる{{r|賠償|ばいしょう}}には充分なりますねと云ったら、白仁君も笑いながら、日本じゃとても{{r|這入|はい}}れませんと云われたくらいである。
そのうち馬車は無鉄砲に{{r|山路|やまみち}}を上って、旅順の市街を遥の下にうちやるようになった。A君は坂の途中で車を留めて、私は近路を歩いて、御先へ行って御待ち申しますと云いながら、左手の急な{{r|岨路|そばみち}}をずんずん登って行った。我々の車はまたのそのそ動き出した。
二十五
下を{{r|見下|みおろ}}すと、山の側面はそれほど急でないが、{{r|樹|き}}と名のつくような青いものはまるで{{r|眸|ひとみ}}を{{r|遮|さえぎ}}らない。一眼に{{r|麓|ふもと}}まで{{r|透|す}}かされるのみならず、麓からさき一里余の{{r|畠|はたけ}}が{{r|真直|まっすぐ}}に{{r|眉|まゆ}}の下に集まって来る。この辺の空気は内地よりも遥に澄んでいるから、遠くのものが、つい鼻の先にあるように{{r|鮮|あざやか}}である。そのうちで{{r|高粱|こうりょう}}の色が一番多く眼を染めた。
あの先に、小指の頭のような小さい白いものが見えるでしょう、あすこからこっちの方へ向いて{{r|対溝|たいこう}}を掘出したのですとA君が遠くの方を指さしながら云った。この辺に穴を掘るのは石を割ると一般なのだから一町掘るのだって容易な事ではない。現に{{r|外濠|そとぼり}}から{{r|窖道|こうどう}}へ通ずる路をつけるときなどは、朝から晩まで一日働いて四十五サンチ掘ったのが一番の手柄であったそうだ。
余は余の立っている高い山の鼻と、遠くの先にある白いものとを{{r|見較|みくら}}べて、その中間に{{r|横|よこた}}わる距離を{{r|胸算用|むなざんよう}}で割り出して見て、軍人の根気の好いのにことごとく敬服した。全体どこまで掘って来たのですかと聞き返すと、ついそこですと{{r|洋剣|サーベル}}を向けて教えてくれた。何でも九月二日から十月二十日とかまで掘っていたと云うのだから恐るべき忍耐である。その時敵も砲台の方から{{r|反対窖道|はんたいこうどう}}と云うのを掘って来た。日本の兵卒が例のごとく工事をしているとどこかでかんかん石を割る音が聞えたので、敵も暗い中を一寸二寸と近寄って来た事が知れたのだと云う。爆発薬の{{r|御蔭|おかげ}}で{{r|外濠|そとぼり}}を{{r|潰|つぶ}}したのはこの時の事でありますと、中尉はその潰れた土山の上に立って我々を顧みた。我々も無論その上に立っている。この下を掘ればいくらでも{{r|死骸|しがい}}が出て来るのだと云う。
土山の{{r|一隅|ひとすみ}}が少し欠けて、下の方に暗い穴が半分見える。その{{r|天井|てんじょう}}が厚さ六尺もあろうと云うセメントででき上っている。身を横にして、その穴に這い込みながら、だらだらと石の{{r|廻廊|かいろう}}に降りた時に、{{r|仰向|あおむ}}いて見て始めてその堅固なのに気がついた。外濠を{{r|崩|くず}}した上に、この厚い壁を破壊しなければ、砲台をどうする事もできないのは攻手に取って非常な困難である。しかもこの小さな裂け目から無理に割り込んで、一寸二寸とじりじりにセメントで築上げた窖道を{{r|専領|せんりょう}}するに至っては、全く人間以上の{{r|辛抱比|しんぼうくら}}べに違ない。その時両軍の兵士は、この暗い中で、わずかの仕切りを{{r|界|さかい}}に、ただ一尺ほどの距離を取って{{r|戦|いくさ}}をした。仕切は{{r|土嚢|どのう}}を積んで作ったとかA君から聞いたように覚えている。上から頭を出せばすぐ{{r|撃|う}}たれるから{{r|身体|からだ}}を隠して乱射したそうだ。それに疲れると鉄砲をやめて、両側で話をやった事もあると云った。酒があるならくれと{{r|強請|ねだ}}ったり、死体の収容をやるから少し待てと頼んだり、あんまり下らんから、もう{{r|喧嘩|けんか}}はやめにしようと相談したり、いろいろの事を云い合ったと云う話である。
三人は暗い廻廊を這い出して、また土山の上に立った。日は{{r|透|す}}き{{r|徹|とお}}るように明かるく{{r|坊主山|ぼうずやま}}を照らしている。野菊に似た小さな花が処々に見える。じっと日を浴びて{{r|佇|たたず}}んでいると、{{r|微|かす}}かに虫の{{r|音|ね}}がする。草の裏で鳴いているのか、崩れ掛った{{r|窖内|こうない}}で鳴いているのか分らなかった。向うの{{r|方|かた}}に支那人の影が二人見えたが、我々の姿を認めるや否や、草の中に隠れた。ああやって、何か掘りに来るんです。{{r|捕|つら}}まると{{r|怖|こわ}}いものだから、すぐに逃げます、なかなか取り抑えるのが困難ですとA君が苦笑した。
{{r|後側|うしろがわ}}へ回ると広い{{r|空堀|からぼり}}の中に立派な二階建の兵舎がある。もとは橋をかけて渡ったものと思われるが、今では下りる事もできない。兵舎の背はもとより、山に囲われて、外からは見えなくなっている。三人は{{r|空濠|からぼり}}を横に通り越してなお高く上った。とうとう四方にあるものは山の頭ばかりになった。そうしてそれが一つ残らず昔の砲台であった。中尉はそれらの名前をことごとく{{r|諳|そら}}んじていた。余は{{r|遮|さえぎ}}るもののない高い空の真下に立って、数限りもない山の背を見渡しながら、{{r|砲台巡|ほうだいめぐ}}りも容易な事ではないと思った。
二十六
大連に着いてから二三日すると、{{r|満洲日々|まんしゅうにちにち}}の伊藤君から{{r|滞留中|たいりゅうちゅう}}に是非一度講演をやって貰いたいという依頼であった。ええ都合ができればと受合ったようなまた断ったような軽い{{r|挨拶|あいさつ}}をして旅順に来た。するとその伊藤君が我々より一日前に同じ{{r|大和|やまと}}ホテルに泊っていたので、ただ、やあ来ているねぐらいでは事がすまなくなった。伊藤君の話によると、余の承諾を得て講演を開くと云う事を、もう自分の新聞に広告してしまったと云うんだから、たちまち弱った。どうしてもやらなければならないように伊藤君は頼むし、何だかやれそうもない気分ではあるし、かたがた安楽椅子に{{r|尻|しり}}を{{r|埋|うず}}めて、{{r|苦|にが}}く渋り出した。すると橋本がにやにや笑いながら、まあやってやるさと{{r|傍|はた}}から余計な事を云う。実を云うと、講演は馬車でホテルに着くや否や、ここの{{r|和木君|わきくん}}からも頼まれている。もっともこの{{r|方|ほう}}は暇がないので、{{r|頼|たの}}まれ{{r|放|ぱな}}しの{{r|体|てい}}であるが、大連に帰ればそう多忙らしく見せる訳には行かない。橋本はそこをよく見破っているので、君そう云うときには快よく承諾するものだよとか君のような人はやる義務があるさとかいろいろな口を出す。余の大連でしゃべらせられたのは全くこの男の{{r|御蔭|おかげ}}である。しかも短い時日のうちに二遍もやらせられた。その内の一遍では、云う事が無くって仕方がなかったから、私は今晩、なぜ講演というものが、そう容易にできるものでないか、すなわち講演ができない訳を講演致しますと云って、妙な事を弁じてしまった。それを{{r|是公|ぜこう}}が聞きに来ていて、うん貴様はなかなか{{r|旨|うま}}い、これからどこへ出て演説しようと勝手だ、おれが許してやると評したからありがたい。けれども勧告の本人たる橋本は、平気な顔をして、どこか遊んで歩いていて聞きに来なかった。そのくせ営口でまた頼まれると早速、君やるさ、せっかく頼むんだものと例の通りやり出したので、やむをえず痛い腹の上にかけていた{{r|蒲団|ふとん}}を{{r|跳|は}}ね{{r|退|の}}けて、演説をしに行った。その代りおれが先へやるよと断って、橋本のは聞かずに、すぐ宿屋へ帰って来て、また腹の上に蒲団を掛けていた。橋本はこう云うところを見ると、君演説をやってる間は苦しいかなどと気楽な質問をする。もっとも招待を断ったり何かするときには、いや実際この男は胃病でといつでも証人に立ってくれた。して見ると、橋本はただ演説に対してだけ{{r|冷刻|れいこく}}なのかも知れない。奉天でも危うく高い所へ乗せられるところを、一日{{r|日取|ひどり}}が狂ったため、いかな橋本にも、君頼まれたときにはやってやるべきだよを繰返す余地がなかった。京城では発着が前後した上に、宿屋さえ違ったものだから、泰然と講演を謝絶する余裕があった。これは{{r|偏|ひとえ}}に橋本のいなかった御蔭である。
面白い事に、この演説の勧誘家はその{{r|後|ご}}{{r|札幌|さっぽろ}}へ帰るや否や、自身と{{r|烈|はげ}}しい胃病に{{r|罹|かか}}って、急に苦しみ出した。それで普通ならば毎週十時間余も講義を持たせられるところを、わずか一時間に減らして貰って、その一時間が済むとすぐに薬を呑むそうだ。旅行中は君の病気である事を知りながら、無理に講演を勧めて大いに悪かった。何事も自分で経験しないうちは分らぬもので、こうして胃病に悩まされて始めて気がついたが、痛いときに演説などができる訳のものでは、けっしてない。君があの際{{r|奮|ふる}}って演壇に立ったのは実際感心である、と大いに{{r|褒|ほ}}めたり{{r|詫|あや}}まったりして来た。実際橋本の云う通りである。しかしはたして橋本の推察するほど胃が痛かったら、いかな余も、いくらせっかくだから君出るが好いよを繰返されたって、ついに講演を断ってしまったろう。
二十七
{{r|白仁|しらに}}さんから{{r|正餐|せいさん}}の{{r|御馳走|ごちそう}}になったときは、民政部内の諸君がだいぶ見えた。みんな{{r|揃|そろ}}ってカーキー色の制服を着ていた。食事が済んで別室へ戻って話していると佐藤が、あしたは朝のうち{{r|二百三高地|にひゃくさんこうち}}の方を見たら好かろう、案内を出すからと云ってくれる。余も好かろうと答えた。すると、大した案内にも及ぶまいと笑いながら相談を掛けた。我々は一私人で、ただ遊覧に来たのだから、{{r|公|おおやけ}}の職務を帯びている人を使ってはすまないが、せっかく案内をつけてくれると云うなら、小使でも何でも構わない。{{r|非番|ひばん}}か閑散の人を一人世話してくれと頼んだ。これは正直恐れ入った本当の{{r|謙遜|けんそん}}である。その時佐藤は懐中から自分の名刺を出して、端の方に鉛筆で何か書いて、じゃ{{r|明日|あした}}の朝八時にこの人が来るから、来たらいっしょに行くが好いと云って分れた。
明日の朝の八時は{{r|例|いつも}}の通り強い日が空にも山にも港にも一面に輝いていた。馬車を{{r|棄|す}}てて山にかかったときなどは、その強い日の光が{{r|毛孔|けあな}}から{{r|総身|そうしん}}に{{r|浸込|しみこ}}むように空気が{{r|澄徹|ちょうてつ}}していた。相変らず{{r|樹|き}}のない山で、山の上には日があるばかりだから、眼の向く所は、左右ともに、また前後ともに、どこまでも朗らかである。その明かな足元から、ばっと音がして、何物だか飛び出した。案内の市川君が{{r|鶉|うずら}}ですと云ったので始めてそうかと気がついたくらい早く、鶉は眼を{{r|掠|かす}}めて、{{r|空濶|くうかつ}}の{{r|中|うち}}に消えてしまった。その{{r|迹|あと}}を見上げると、{{r|遥|はるか}}なる大きい鏡である。
その時我々はもう{{r|頂|いただき}}近くにいた。ここいらへも{{r|砲丸|たま}}が飛んで来たんでしょうなと聞くと、ここでやられたものは、多く味方の砲丸自身のためです。それも砲丸自身のためと云うより、砲丸が山へ当って、石の砕けたのを{{r|跳|は}}ね{{r|返|かえ}}したためです。こう云う傾斜のはなはだしい所ですから、いざと云う時に、すぐ遠くから{{r|駆|か}}け寄せて敵を{{r|追|お}}い{{r|退|の}}ける訳に行きませんので、みんなこう云うところへ平たくなって{{r|噛|かじ}}りついているのであります。そうして味方の砲丸が眼の前へ落ちて、一度に{{r|砂煙|すなけむり}}が{{r|揚|あ}}がるとその{{r|虚|きょ}}に乗じて一間か二間ずつ{{r|這|は}}い上がるのですから、勢い砂煙に{{r|交|まじ}}る石のために身体中{{r|創|きず}}だらけになるのです。と市川君は詳しい説明を与えられた。
味方の{{r|砲弾|たま}}でやられなければ、勝負のつかないような{{r|烈|はげ}}しい{{r|戦|いくさ}}は{{r|苛過|つらす}}ぎると思いながら、{{r|天辺|てっぺん}}まで{{r|上|のぼ}}った。そこには{{r|道標|どうひょう}}に似た{{r|御影|みかげ}}の{{r|角柱|かくちゅう}}が立っていた。その右を少しだらだらと降りたところが{{r|新|あらた}}に土を掘返したごとく{{r|白茶|しらちゃ}}けて見える。不思議な事にはところどころが黒ずんで色が変っている。これが石油を{{r|襤褸|ぼろ}}に{{r|浸|し}}み{{r|込|こ}}まして、火を着けて、下から{{r|放|ほう}}り{{r|抛|な}}げたところですと、市川君はわざわざ{{r|崩|くず}}れた{{r|土饅頭|どまんじゅう}}の上まで降りて来た。その時{{r|遥|はるか}}下の方を見渡して、山やら、谷やら、{{r|畠|はたけ}}やら、一々実地の地形について、当時の日本軍がどう云う{{r|径路|けいろ}}をとって、ここへじりじり攻め寄せたかをついでながら物語られた。不幸にして、二百三高地の上までは来たようなものの、どっちが東でどっちが西か、方角がまるで分らない。ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、{{r|藍色|あいいろ}}の海が二カ処ほど{{r|平|ひら}}たく見えるだけである。余はただ朗かな空の下に立って、市川君の指さす{{r|方|かた}}を{{r|眺|なが}}めていた。
自分でここへ攻め寄せて来た経験をもっている市川君の話は、はなはだ詳しいものであった。市川君の云うところによると、六月から十二月まで屋根の下に寝た事は一度もなかったそうである。あるときは水の{{r|溜|たま}}った{{r|溝|みぞ}}の中に腰から下を{{r|濡|ぬ}}らして何時間でも{{r|唇|くちびる}}の色を変えて{{r|竦|すく}}んでいた。食事は鉄砲を打たない時を{{r|見計|みはから}}って、いつでも構わず口中に運んだ。その食事さえ雨が降って車の輪が泥の中に{{r|埋|うま}}って、馬の力ではどうしても{{r|運搬|うんぱん}}ができなかった事もある。今あんな{{r|真似|まね}}をすれば一週間{{r|経|た}}たないうちに大病人になるにきまっていますが、医者に聞いて見ると、戦争のときは{{r|身体|からだ}}の{{r|組織|そしょく}}がしばらくの間に変って、全く犬や猫と同様になるんだそうですと笑っていた。市川君は今旅順の巡査部長を勤めている。
二十八
旅順の港は袋の口を{{r|括|くく}}ったように狭くなって外洋に続いている。袋の中はいつ見ても油を{{r|注|さ}}したと思われるほど平らかである。始めてこの色を遠くから眺めたときは嬉しかった。しかし水の光が強く照り返して、湾内がただ一枚に堅く見えたので、あの上を舟で{{r|漕|こ}}ぎ廻って見たいと云う気は少しも起らなかった。魚を{{r|捕|と}}る{{r|料簡|りょうけん}}は無論無かった。{{r|露西亜|ロシア}}の軍艦がどこで沈没したろうかなどと思い浮かべる暇も出なかった。ただ頭へぴかぴかと、平たい{{r|研|と}}ぎ{{r|澄|すま}}したものが映った。
余は{{r|大和|やまと}}ホテルの二階からもこの晴やかな色を眺めた。ホテルの玄関を出たり{{r|這入|はい}}ったりするときにもこの鋭い光の断片に眼を何度となく射られた。それでも単に{{r|烈|はげ}}しい{{r|奇麗|きれい}}な色と光だなと感ずるだけであった。佐藤から港内を見せてやるからと案内されるまでは、とうてい港内は人間の這入るところではないくらいに、頭の底で、無意識ながら分別していたらしい。
さあ行くんだと催促された時は、なるほど旅順に来る以上、催促されなければならんはずの場処へ行くんだと思った。今日の同勢は朝大連から来た田中君を入れて五人である。港務部を{{r|這入|はい}}るときに水兵がこの五人に礼をした。兵隊に礼をされたのは生れてこれが{{r|初|はじめ}}てであった。佐藤が真先に中へ這入って、やがて出て来たから、もう舟に乗れるのかと思ったら、おい這入れ這入れという。我々は石垣の上に立っていた。足元にはすぐ{{r|小蒸気|こじょうき}}が{{r|繋|つな}}いである。我々の足は、家の方より、むしろ水の方に向いていた。
十分の{{r|後|のち}}五人はまた{{r|河野中佐|こうのちゅうさ}}といっしょに家を出てすぐ小蒸気に移った。海軍の将校が下士や水兵を使うのは実に簡潔{{r|明瞭|めいりょう}}である。船は河野中佐の云いなり次第の速力で、思う通りの方角へ出た。港の入口ではここかしこの潜水器へ船の上から空気を送っている。船の数は十{{r|艘|そう}}近くあった。みんな波に揺られて{{r|上|あが}}ったり{{r|下|さが}}ったりしている。我々五人のも{{r|固|もと}}より{{r|平|たいら}}ではない。鏡のように見えた湾の入口がこうまで動いているとは思いがけなかった。波で身体の調子が浮いたり沈んだりする上に、強い日が頭から{{r|射|い}}りつけるので、少し胸が悪くなった。河野さんは軍人だから、そんな事に気のつくはずがない。ああ云う{{r|喞筒|ポンプ}}で空気を送るのは旧式でね、時々潜水夫を殺してしまいますよと講釈をしている。田中君はふうんとさも感心したらしく聞いている。
河野さんの話によると、日露戦争の当時、この附近に沈んだ船は{{r|何艘|なんそう}}あるか分らない。日本人が好んで自分で沈めに来た船だけでもよほどの数になる。戦争後何年かの{{r|今日|こんにち}}いまだに引揚げ切れないところを見てもおおよその見当はつく。器械水雷なぞになるとこの近海に三千も装置したのだそうだ。
じゃ今でも危険ですねと聞くと、危険ですともと答えられたのでなるほどそんなものかと思った。沈んだ船を引揚げる方法も聞いて見たが、これは{{r|委|くわ}}しく覚えている、百キロぐらいな爆発薬で船体を部分部分に切り壊して、それを六{{r|吋|インチ}}の針金で{{r|結|ゆわ}}えて、そうして六百{{r|噸|トン}}のブイアンシーのある船を、水で重くした上、{{r|干潮|かんちょう}}に乗じて{{r|作事|さくじ}}をしておいて、それから満潮の勢いと喞筒の力で引き揚げるのだそうだ。しかし我々が眺めていた時は、いつまで立っても、何も揚って来そうになかった。
港の入口は左右から続いた山を掘り割ったように岸が{{r|聳|そび}}えていて、その上に砲台がある。あすこから{{r|探海灯|たんかいとう}}で照らされると、一番困る。まるで方角も何も分らなくなってしまうと河野さんが高い処を指さした。
やがて小蒸気は煙りを逆に吐いて港内に引返した。戦闘艦が並んで撃沈されたという前を横に曲ってまた元の石垣の{{r|下|もと}}へ着いた。向う岸には戦利品のブイや{{r|錨|いかり}}がたくさん並んでいる。あれで約三十万円の価格ですと河野さんが云った。門の出口には{{r|防材|ぼうざい}}の標本が一本寝かしてあった。その先から{{r|尖|とが}}った{{r|剣|けん}}のようなものが出ていた。
二十九
風呂を注文しておいたら、用意ができたと見えて、向うの部屋で、湯の{{r|迸|ほと}}ばしる音が{{r|盛|さかん}}にする。靴を脱いで、スリッパアをつっかけて、戸を開けに掛ると、まだ廊下に出ないうちに給仕がやって来た。田中さんがいっしょにスキ焼を食べにいらっしゃいませんかと云う案内である。スキ焼の名はこの際両人に取って珍らしい響がした。けれども白状すると、{{r|毫|ごう}}も食う気にはならなかった。スキ焼って{{r|家|うち}}で{{r|拵|こしら}}えるのかいと尋ねると、いえ近所の料理屋ですと云う。近所の料理屋はスキ焼よりも一層不思議な言葉である。ホテルの窓から往来を一日眺めていたって、通行人は{{r|滅多|めった}}に眼に触れないところである。外へ出て広い路を岡の上まで見通すと、左右の{{r|家|うち}}は数えるほどしか並んでいない。そうしてそれがことごとく西洋館である。しかも三分の一は{{r|半建|はんだて}}のまま{{r|雨露|あめつゆ}}に{{r|曝|さら}}されている。他の三分の一は{{r|空家|あきや}}である。残る三分の一には無論人が住んでいる。けれどもその主人はたいてい月給を取って衣食するものとしか受け取れない{{r|構|かまえ}}である。新市街という名はあるにしても、その{{r|実|じつ}}は閑静な{{r|寂|さび}}れた屋敷町に過ぎない。その屋敷のどこにスキ焼を食わす家があるかと思うと、一種小説に近い心持が起る。
ただ、昼の疲れを忘れるため、胃の不安を{{r|逃|のが}}れるため、早く湯に入って、レースの{{r|蚊帳|かや}}の中で、穏かに寝たかった。そこで給仕に、今湯に這入りかけているからね、少し時間が取れるかも知れないから、田中さんに、どうか{{r|御先|おさき}}へと云ってくれと頼んだ。すると{{r|傍|そば}}にいる橋本が例のごとく、そりゃいかんよと云い出した。せっかく誘ってくれるものを、そんな{{r|挨拶|あいさつ}}をする法はないぜと、また長い説教が始まりそうで恐ろしくなったので、仕方がないからうんよしよし、それじゃあね、今湯に{{r|這入|はい}}っていますから、すぐ行きますってそう云ってくれ、よく云うんだよ、分ったかねと念を押してすぐ風呂に飛込んだ。
そうして、少しも弱った顔を見せずにみんなと連れ立って、ホテルを出た。空はよく晴れて、星が遠くに見える晩であったが、月がないので往来は暗かった。{{r|危|あぶ}}のうございますから御案内を致しましょうと云って、ホテルの小僧がついて来た。草の生えた四角な{{r|空地|あきち}}を横切って、{{r|瓦斯|ガス}}も電気もない所を、{{r|茫漠|ぼうばく}}と二丁ほど来ると、門の奥から急に強い光が射した。玄関に女が二三人出ている。我々の来るのを待っていたような挨拶をした。座敷は畳が敷いて{{r|胡坐|あぐら}}がかけるようになっていた。窓を見ると、壁の厚さが一尺ほどあったので、始めて普通の日本家屋でないと云う事が解った。窓の高さは畳から一尺に足りないから、足をかけると厚い壁の上に乗る事ができる。女が危のうございますと云った。外を{{r|覗|のぞ}}いたら{{r|真闇|まっくら}}に静かであった。
女は三四人で、いずれも東京の言葉を使わなかった。田中君はわざと{{r|名古屋訛|なごやなまり}}を{{r|真似|まね}}て{{r|調戯|からか}}っていた。女は御上手だ事とか、御上手やなとか、何とか云って{{r|賞|ほ}}めていた。ところが{{r|前触|まえぶれ}}のスキ焼はなかなか出て来ない。酒を飲まないで、{{r|肴|さかな}}を突っついて{{r|手持無沙汰|てもちぶさた}}であった。スキ焼があらわれても、胃の加減で{{r|旨|うま}}くも何ともなかった。天下に何が旨いってスキ焼ほど旨いものは無いと思うがねと田中君が云った。田中君はスキ焼の主唱者だけあって、大変食べた。{{r|傍|はた}}で見ていて{{r|羨|うらや}}ましいほど食べた。余はしようがないから畳の上に{{r|仰向|あおむき}}に寝ていた。すると女の一人が枕を御貸し申しましょうかと云いながら、自分の{{r|膝|ひざ}}を余の頭の{{r|傍|そば}}へ持って来た。この枕では御気に入りますまいとか何とか弁じている。結構だから、もう少しこっちの方へ出してくれと頼んで、その女の膝の上に頭を乗せて寝ていた。不思議な事に、橋本も活動の余地がないものと見えて、余と同様の{{r|真似|まね}}をして、向うの方に長くなっている。枕元では田中君が女を相手に{{r|碁石|ごいし}}でキシャゴ{{r|弾|はじ}}きをやって大騒ぎをしている。余があまり{{r|静|しずか}}だものだから、膝を貸した女は眠ったのだと思って、{{r|顋|あご}}の下をくすぐった。
帰るときには、{{r|神|かみ}}さんらしいものが、しきりに泊って行けと勧めた。門を出るとまた急に暗くなった。{{r|森閑|しんかん}}として人の{{r|気合|けわい}}のない往来をホテルまで、影のように歩いて来て、今までの{{r|派出|はで}}なスキ焼を{{r|眼前|がんぜん}}に浮かべると、やはり小説じみた心持がした。
三十
朝食に{{r|鶉|うずら}}を食わすから来いという案内である。{{r|朝飯|あさめし}}の{{r|御馳走|ごちそう}}には、ケムブリジに行ったときたしか浜口君に呼ばれた事があると云う記憶がぼんやり残っているだけだから、大変珍らしかった。もっとも午前十一時に立つ客に{{r|晩餐|ばんさん}}を振舞う方法は、世界にないんだから仕方がない。鶉に至っては生れてからあんまり食った事がない。昔{{r|正岡子規|まさおかしき}}に、手紙をもってわざわざ{{r|大宮公園|おおみやこうえん}}に呼び寄せられたとき、鶉だよと云って喰わせられたのが初めてぐらいなものである。その鶉の朝飯を{{r|拵|こしら}}えるからと云って、特に招待するんだから、佐藤は{{r|物数奇|ものずき}}に違いない。そうして、好いかほかに何にもない、鶉ばかりだよと念を押した。いったい鶉を何羽喰わせるつもりか知らんと思って、どこから貰ったのかと聞くと、いや鶉は旅順の名物だ、もう出る時分だからちょうど好かろうとすでに鶉を{{r|捕|と}}ったような事を云っていた。
白仁さんのところへ{{r|暇乞|いとまごい}}に行ったので少し{{r|後|おく}}れて着くと、スキ焼を推挙した田中君がもう来ていた。田中君も鶉の{{r|御相伴|おしょうばん}}と見える。佐藤は食卓の準備を見るために、出たり{{r|這入|はい}}ったりする。立派な{{r|仙台平|せんだいひら}}の{{r|袴|はかま}}を着けてはいるが、{{r|腰板|こしいた}}の所が妙に口を{{r|開|あ}}いて、まるで{{r|蛤|はまぐり}}を割ったようである。そうして、それを{{r|後下|うしろさが}}りに{{r|引|ひ}}き{{r|摺|ず}}っている。それでもって、さあ食おうと云って、次の間の食堂へ案内した。西洋流の食卓の上に、{{r|会席膳|かいせきぜん}}を四つ並べて、いよいよ鶉の朝飯となった。
まず{{r|御椀|おわん}}の{{r|蓋|ふた}}を取ると、鶉がいる。いわゆる鶉の御椀だから不思議もなく食べてしまった。皿の上にもいるが、これはたしか醤油で焼かれたようだ。これも{{r|旨|うま}}く食べた。第三は何でも{{r|芋|いも}}か何かといっしょに煮られたように記憶している。しかし{{r|遺憾|いかん}}ながら、{{r|判然|はっきり}}とその味を覚えていない。これらを{{r|漸次|ぜんじ}}に{{r|平|たいら}}げると、佐藤はまだあるよと云って、次の皿を取り寄せた。それも無論鶉には相違なかった。けれどもただ西洋流の{{r|油揚|あぶらあげ}}にしてあるばかりで、ややともすると前の{{r|附焼|つけやき}}と{{r|紛|まぎ}}れやすかった。しかもこの紛れやすい油揚はだいぶ仕込んで有ったと見えて、まだ喰い切らない先に御代りが出て来た。
かくのごとく鶉が豊富であったため、つい食べ過ぎた。余の胃の中に這入った骨だけの分量でもずいぶんある。大連へ帰って胃の痛みが増したとき、あまり鶉の骨を喰ったせいじゃなかろうかと橋本に相談したら、橋本は全くそうだろうと答えた。食事が終ってから応接間へ帰って来ると、佐藤が突然、時に君は何かやるそうじゃないかと聞いた。{{r|是公|ぜこう}}に東京で{{r|逢|あ}}ったとき、是公はにやにや笑いながら、いったい貴様は新聞社員だって、何か書いてるのかと聞いた。こう云う質問になると、是公も友熊も同程度のものである。
何かやるなら一つ書いて行くが好いと云って、妙な短冊を出した。それを{{r|傍|そば}}へ置いて話をしていると、一つ書こうじゃないかと催促する。今考えているところだと弁解すると、ああそうかと云って、また話をする。しまいに墨を磨って、とうとう{{r|手|て}}を{{r|分|わか}}つ{{r|古|ふる}}き{{r|都|みやこ}}や{{r|鶉|うずら}}{{r|鳴|な}}くと書いた。佐藤の事だから何を書いたって解るまいと思ったが、佐藤は短冊を取上げて、何だ{{r|年|とし}}を分つ古き都やと読んでいた。
{{r|鶉|うずら}}の{{r|腹|はら}}を{{r|抱|かか}}えたなり、ホテルへ帰って{{r|勘定|かんじょう}}を済まして、{{r|停車場|ステーション}}へ{{r|駆|かけ}}つけると、プラットフォームに大きな{{r|網籠|あみかご}}があった。その中に鶉の生きたのがいっぱい{{r|這入|はい}}って{{r|雛鳥|ひよっこ}}を詰めたようにむくむく動いている。発車の時間に少し間があったので、田中君は籠の{{r|傍|そば}}へ行って所有主と談判を始めた。余が近寄ったときは、一羽が三銭だとか四銭だとか云っていた。ところへ駅員が来て、{{r|宜|よろ}}しゅうございます、この汽車へ積込んで御届け申しますと受合った。三人はとうとう鶉と別れて汽車へ乗った。
三十一
いよいよ腹が痛んだ。ゼムを{{r|噛|か}}んだり、{{r|宝丹|ほうたん}}を呑んだり、通じ薬をやったり、内地から持って来た散薬を用いたりする。毎日飯を食って{{r|呑気|のんき}}に出歩いているようなものの、内心ではこりゃたまらないと思うくらいであった。大連の病院を見に行ったとき、{{r|苦|くる}}し{{r|紛|まぎ}}れに、案内をしてくれた院長の{{r|河西君|かさいくん}}に向って、僕も一つ診察を願おうかなと云ったら、河西君はとんだお客様だというような顔もせず、{{r|明日|あした}}の十時頃いらっしゃいと親切に引き受けてくれた。ところが明日の十時頃になると、診察の事はまるで忘れてしまって、相変らず鳥打帽子を{{r|被|かぶ}}って、強い日の下を{{r|焦|こ}}げながら、{{r|駆|か}}け廻った。
橋本が、全体どこまで行くつもりなんだいと聞くから、そうさまあ{{r|哈爾賓|ハルピン}}ぐらいまで行かなくっちゃ義理が悪いようだなと答えたが、その橋本はどうする{{r|料簡|りょうけん}}かちっとも分らない。考えて見ると、内地ではもう九月の学期が{{r|始|はじま}}って、教授連がそろそろ講義に取りかかる頃である。君はこれからどうするんだと反問して見た。さあ僕も哈爾賓ぐらいまで行って見たいのだが、何しろ六月から学校を{{r|空|あ}}けているんだからねと決心しかねている。かように義務心の強い男を{{r|唆|そその}}かして見当違の方角へ連れて行ったのは、全く余の力である。その代り哈爾賓を見て奉天へ帰るや否や、橋本は{{r|札幌|さっぽろ}}から電報をかけられた。いよいよ催促を受けたと電報を見ながら苦笑しているので、いいや、急ぎ帰りつつありとかけておくさと、{{r|他|ひと}}の事だからはなはだ{{r|洒落|しゃらく}}な{{r|助言|じょごん}}をした。
橋本がいよいよいっしょに北へ行くと云う事になってから、余はすべてのプログラムを橋本に委任してぶらぶらしていた。橋本は汽車の時間表を見たり、宿泊地の里程を計算したり二三日の間はしきりに手帳へ鉛筆で何か付け込んでいた。ときどき、おいどうも{{r|旨|うま}}く行かんよ、ここを火曜の急行で出るとするとなどと相談を掛けるから、いいさ火曜がいけなければ水曜の急行にしようと、まるで無学な事を云っているので、橋本も{{r|呆|あき}}れていた。よく聞いて見て始めて了解したが、実は{{r|哈爾賓|ハルピン}}へ接続する急行は、一週にたった二回しかないのだそうである。普通の{{r|客車|かくしゃ}}でも、京浜間のようにむやみには出ない。一日にわずか二度か三度らしい。だから君のように{{r|呑気|のんき}}な事を云ったって{{r|駄目|だめ}}だよと橋本から叱られた。なるほど駄目である。しかも余の駄目は汽車にとどまらない。地理{{r|道程|みちのり}}に至っても{{r|悉皆|しっかい}}{{r|真闇|まっくら}}であった。さすが{{r|遼陽|りょうよう}}だの奉天だのと云う名前は覚えているが、それがどの辺にあって、どっちが近いのだかいっさい知らなかった。その上、これから先どことどこへ泊って、どことどこを通り抜けるのかに至るまで、全く{{r|無頓着|むとんじゃく}}であったのだから橋本も呆れるはずである。しかし、おい{{r|鉄嶺|てつれい}}へは降りるのかと聞いて、いや降りないと答えられれば、はあ、そうかと云ったなりで済ましていた。別に降りて見たい気にもならなかったからである。したがって橋本は実に順良な{{r|道伴|みちづれ}}を得た訳で、同時に余は結構な御供を雇った事になる。
いよいよプログラムがきまったので、是公に出立の事を持ち出すと、奉天へ行って、それから{{r|北京|ペキン}}へ出て、{{r|上海|シャンハイ}}へ来て、上海から満鉄の船で大連まで帰って、それからまた奉天へ行って、今度は{{r|安奉線|あんぽうせん}}を通って、朝鮮へ抜けたら好いだろうとすこぶる{{r|大袈裟|おおげさ}}な{{r|助言|じょごん}}を与える。その上、{{r|銭|ぜに}}が無ければやるよと註釈を付けた。銭が無くなれば無論貰う気でいた。しかし余っても困るから、むやみには手を出さなかった。
余は銭問題を離れて、単に時間の点から、この大袈裟な旅行の計画を、実行しなかった。そのくせ奉天を去っていよいよ朝鮮に移るとき、紙入の内容の充実していないのに気がついて、少々是公に無心をした。もとより返す気があっての無心でないから、今もって使い放しである。
立つ時には、是公はもとより、新たに近づきになった満鉄の社員諸氏に至るまで、ことごとく{{r|停車場|ステーション}}まで送られた。貴様が生れてから、まだ乗った事のない汽車に乗せてやると云って、是公は橋本と余を小さい部屋へ案内してくれた。汽車が動き出してから、橋本が時間表を眺めながら、おいこの部屋は上等切符を買った上に、ほかに二十五{{r|弗|ドル}}払わなければ{{r|這入|はい}}れない所だよと云った。なるほど{{r|表|ひょう}}にちゃんとそう書いてある。専有の便所、洗面所、化粧室が附属した立派な{{r|室|へや}}であった。余は痛い腹を忘れてその中に横になった。
三十二
トロと云うものに始めて乗って見た。停車場へ降りた時は、{{r|柵|さく}}の外に五六軒長屋のような低い家が見えるばかりなので、何だか汽車から置き去りにされたような気持であったが、これからトロで十五分かかるんだと聞いて、やっと{{r|納得|なっとく}}した。
トロは昔軍人の{{r|拵|こしら}}えたのを、手入もせずに、そのまま利用しているらしい。{{r|軌道|レール}}の間から草が生えている。軌道の外にも草が生えている。先まで見渡すと、鉄色の筋が二本{{r|栄|は}}えない草の中を{{r|真直|まっすぐ}}に{{r|貫|つら}}ぬいている。しかし細い筋が草に隠れて、{{r|行方知|ゆきがたし}}れずになるまで眺め尽しても、建物らしいものは一軒も見当らなかった。そうして軌道の両側はことごとく{{r|高粱|こうりょう}}であった。その大きな穂先は、眼の届く限り{{r|代赭|たいしゃ}}で染めたように日の光を吸っている。橋本と余と荷物とは、この{{r|広漠|こうばく}}な{{r|畠|はたけ}}の中を、トロに揺られながら、{{r|眩|まぶ}}しそうに動いた。トロは{{r|頑丈|がんじょう}}な細長い涼み台に、鉄の車を着けたものと思えば{{r|差支|さしつか}}えない。軌道の上を{{r|転|ころ}}がす所を、よそから見ていると、はなはだ{{r|滑|なめ}}らかで軽快に走るが、実地に乗れば、胃に響けるほど揺れる。押すものは無論支那人である。勢いよく二三十間突いておいて、ひょいと腰をかける。{{r|汗臭|あせくさ}}い{{r|浅黄色|あさぎいろ}}の{{r|股引|ももひき}}が{{r|背広|せびろ}}の{{r|裾|すそ}}に{{r|触|さわ}}るので気味が悪い事がある。すると、速力の鈍った頃を{{r|見計|みはか}}らって、また{{r|素足|すあし}}のまま飛び下りて、肩と手をいっしょにして、うんうん押す。押さなければいいと思うぐらい、車が早く廻るので、乗ってる人の{{r|臓器|ぞうき}}は少からず{{r|振盪|しんとう}}する。余はこのトロに運搬されたため、悪い胃を著るしく悪くした。車の上では{{r|始終|しじゅう}}ゼムを含んで早く目的地へ着けば好いと思っていた。勢いよく{{r|駆|か}}けられれば、駆けられるほどなお{{r|辛|つら}}かった。それでも台からぶら下げた足を折らなかったのが、まだ仕合せである。実際酒に酔って腰をかけたまま{{r|脛|すね}}を折っぺしょった人があるそうだ。見ると橋本の帽子の{{r|鍔|つば}}が風に吹かれてひらひらと{{r|靡|なび}}いている。余は鳥打の{{r|前廂|まえびさし}}を深く下げてなるべく日に{{r|背|せな}}を向けるようにしていた。
苦しい十五分か廿分の{{r|後|のち}}車はようやく留まった。軌道の左側だけが、{{r|畠|はた}}を切り開いて平らにしてある。眼を{{r|蔽|おお}}う高粱の色を、百坪余り刈り取って、黒い砂地にした{{r|迹|あと}}へ、左右に長い平屋を建てた。壁の色もまだ新しかった。玄関を這入って座敷へ通ると、窓の前は二間ほどしかない。その{{r|縁|ふち}}に朝顔のような草が{{r|繁|しげ}}っているが、{{r|絡|から}}まる竹も{{r|杖|つえ}}もないので、{{r|蔓|つる}}と云わず、葉と云わず、花を包んで雑然と{{r|簇|むら}}がるばかりである。朝顔の下はすぐ{{r|崖|がけ}}で、崖の向うは広い{{r|河原|かわら}}になる。水は崖の真下を少し流れるだけであった。
橋本と余は、申し合せたように立って窓から外を眺めていた。首を出すと、崖下にも家が一軒ある。しかし{{r|屋根瓦|やねがわら}}しか見えない。支那流の古い建物で、廻廊のような段々を{{r|藉|か}}りて、余のいる部分に続いているらしく思われる。あれは何だいと聞いて見た。料理場と子供を置く所になっていますと答えた。子供とは{{r|酌婦|しゃくふ}}{{r|芸妓|げいしゃ}}の{{r|類|たぐい}}を{{r|指|さ}}すものだろうと推察した。眼の下に橋が渡してある。厚くはあるが幅一尺足らずの板を八つ橋に{{r|継|つ}}いだものに過ぎない。水はただ砂を洗うほどに流れている。足の甲を{{r|濡|ぬ}}らしさえすれば{{r|徒歩渉|かちわた}}るのは容易である。橋本の{{r|後|あと}}に{{r|食付|くっつ}}いて{{r|手拭|てぬぐい}}をぶら下げて、この橋を渡った時、板の真中で立ち留まって、下を{{r|覗|のぞ}}き込んで見たら、砂が動くばかりで水の色はまるでなかった。十里ほど{{r|上|かみ}}に{{r|遡|さかの}}ぼると{{r|鮎|あゆ}}が{{r|漁|と}}れるそうだ。余は汽車の中で鮎のフライを食って満洲には珍らしい{{r|肴|さかな}}だと思った。おそらくこの上流からクーリーが売りに来たものだろう。
三十三
{{r|足駄|げた}}を踏むとざぐりと{{r|這入|はい}}る。{{r|踵|くびす}}を上げるとばらばらと散る。{{r|渚|なぎさ}}よりも恐ろしい砂地である。冷たくさえなければ、{{r|跣足|はだし}}になって歩いた方が心持が好い。{{r|俎|まないた}}を{{r|引摺|ひきず}}っていては{{r|一足|ひとあし}}ごとに{{r|後|あと}}しざるようで{{r|歯痒|はがゆ}}くなる。それを一町ほど行って{{r|板囲|いたがこい}}の小屋の中を{{r|覗|のぞ}}き込むと、{{r|温泉|ゆ}}があった。大きい四角な{{r|桶|おけ}}を{{r|縁|ふち}}まで地の中に{{r|埋|い}}け{{r|込|こ}}んだと同じような{{r|槽|ふね}}である。温泉はいっぱい{{r|溜|たま}}っていたが、澄み切って底まで見える。いつの間に附着したものやら底も縁も青い{{r|苔|こけ}}で色取られている。橋本と余は容赦なく湯の穴へ飛び込んだ。そうして遠くから見ると、砂の中へ{{r|生埋|いきうめ}}にされた人間のように、頭だけ地平線の上に出していた。支那人の中には、実際生埋になって{{r|湯治|とうじ}}をやるものがある。この{{r|河原|かわら}}の幅は、向うに見える{{r|高粱|こうりょう}}の{{r|畠|はたけ}}まで行きつめた事がないからどのくらいか分らないが、とにかく眼が{{r|平|たいら}}になるほど広いものである。その{{r|平|たい}}らなどこを、どう掘っても、湯が{{r|湧|わ}}いて来るのだから、{{r|裸体|はだか}}になって、手で砂を{{r|掻|か}}き分けて、{{r|凹|くぼ}}んだ{{r|処|ところ}}へ横になれば、一文も使わないで事は済む。その上寝ながら腹の上へ砂を掛ければ、温泉の{{r|掻巻|かいまき}}ができる訳である。ただ砂の中を{{r|潜|もぐ}}って出る湯がいかにも熱い。じくじく{{r|湧|わ}}いたものを、大きな{{r|湯槽|ゆぶね}}に溜めて見ると、色だけは非常に{{r|奇麗|きれい}}だが、それに{{r|騙|だま}}されてうっかり飛び込もうものなら{{r|苛|ひど}}い目に{{r|逢|あ}}う。橋本と余は、勢いよく{{r|浴衣|ゆかた}}を{{r|抛|な}}げて、競争的に{{r|毛脛|けずね}}を{{r|突込|つっこ}}んで、急に顔を見合せながら{{r|縮|ちぢ}}んだ事がある。大の男がわざわざ裸になって、その裸の始末をつけかねるのはきまりが好いものじゃないから、{{r|両人|ふたり}}は顔を見合せて苦笑しながら小屋を飛び出して、{{r|四半丁|しはんちょう}}ほど先の共同風呂まで行って、平気な風にどぼりと{{r|浸|つか}}った。
風呂から出て砂の中に立ちながら、河の上流を見渡すと、河がぐるりと{{r|緩|ゆる}}く折れ曲っている。その向う側に五六本の大きな柳が見える。奥には村があるらしい。牛と馬が五六頭水を{{r|渉|わた}}って来た。距離が遠いので小さく動いているが、色だけは{{r|判然|はっきり}}分る。皆茶褐色をして柳の下に近づいて行く。牛追は牛よりもなお小さかった。すべてが世間で云う{{r|南画|なんが}}と称するものに{{r|髣髴|ほうふつ}}として面白かった。中にも高い柳が細い葉をことごとく枝に収めて、静まり返っているところは、全く支那めいていた。遠くから望んでも日本の柳とは{{r|趣|おもむき}}が違うように思われた。水は柳の茂るところで見えなくなっているが、なおその先を{{r|辿|たど}}って行くと、たちまち眼にぶつかるような大きな山脈がある。{{r|襞|ひだ}}が鋭く刻まれているせいか、ある部分は雪が積ったほど白く映る。そのくらいに周囲はどす黒かった。漢語には{{r|崔嵬|さいかい}}とか{{r|巑岏|さんがん}}とか云って、こう云う山を形容する言葉がたくさんあるが、日本には一つも見当らない。あれは何と云う山だろうと{{r|傍|そば}}にいる{{r|大重君|おおしげくん}}に尋ねたら、大重君も知らなかった。大重君は支那語の通訳として橋本に{{r|随|つ}}いて{{r|蒙古|もうこ}}まで行った男である。余の質問を受けるや否やどこかへ消えて無くなったが、やがて帰って来て、{{r|高麗城子|こまじょうし}}と云うんだそうですと教えてくれた。土人を{{r|捕|つら}}まえて聞いて来たのだそうである。{{r|固|もと}}より{{r|支那音|しなおん}}で教わったのだが、それは忘れてしまった。
{{r|濡|ぬ}}れ{{r|手拭|てぬぐい}}を下げて、砂の中をぼくぼく橋の{{r|傍|そば}}まで帰って来ると、{{r|崖|がけ}}の上から若い女が{{r|跣足|はだし}}で降りて来た。橋は一尺に足らぬ幅だからどっちかで待ち合せなければなるまいと思ったが、向うはまだ{{r|土堤|どて}}を{{r|下|お}}りきらないので、こっちは{{r|躊躇|ちゅうちょ}}せず{{r|橋板|はしいた}}に足をかけた。{{r|下駄|げた}}を二三度鳴らして、一間ほど来たとき、女も余と同じ平面に立った。そこで留まると思いのほか、ひらひらと板の上を舞うように進んで余に近づいた。余と女とは板と板の{{r|継目|つぎめ}}の所で行き合った。{{r|危|あぶ}}ないよと注意すると、女は笑いながら軽い{{r|御辞儀|おじぎ}}をして、余の肩を{{r|擦|こす}}って行き過ぎた。
三十四
{{r|明日|あした}}は{{r|梨畑|なしばたけ}}を見に行くんだと橋本から申し渡されたので、{{r|宜|よろ}}しいと受合った上、{{r|床|とこ}}についたようなものの実を云うと例のトロで揺られるのが内心{{r|苦|く}}になった。そのせいでもなかろうが、容易に寝つかれない。橋本はもう{{r|鼾|いびき}}をかいている。しかも{{r|豪宕|ごうとう}}な鼾である。{{r|緞子|どんす}}の{{r|夜具|やぐ}}の中から出るべき声じゃない。まして{{r|裾|すそ}}の方には{{r|金屏風|きんびょうぶ}}が立て回してある。
明日になると、空が曇って{{r|小雨|こさめ}}が落ちている。窓から首を出して、一面に{{r|濡|ぬ}}れた{{r|河原|かわら}}の色を眺めながら、おれは梨畑をやめて休養しようかしらと云い出した。橋本は{{r|合羽|かっぱ}}ももっているし、オヴァーシューも用意して来ているのでなかなか景気が好い。ことに農科の教授だけあって、梨を見たがったり、栗を見たがったり、豚や牛を見たがる事人一倍である。早速用意をして大重君を{{r|伴|つ}}れて出て行った。余はただつくねんとして、窓の中に映る山と水と河原と{{r|高粱|こうりょう}}とを眼の底に陳列さしていた。薄く流れる河の厚さは{{r|昨日|きのう}}と同じようにほとんど二三寸しかないが、その真中に鉄の{{r|樋竹|といだけ}}が、砂に{{r|埋|うも}}れながら首を出しているのに気がついたので、あれは何だいと下女に聞いて見た。あれはボアリングをやった{{r|迹|あと}}ですと下女が答えた。満洲の下女だけあって、{{r|述語|じゅつご}}を知っている。ついこの間雨が降って、{{r|上|かみ}}の方から砂を押し流して来るまでは、河の流れがまるで違った見当を通っていたので、あすこへ{{r|湯場|ゆば}}を新築するつもりであったのだと云う。河の流れが{{r|一雨|ひとあめ}}ごとに変るようでは、{{r|滅多|めった}}なところへ風呂を建てる訳にも行くまい。現に窓の前の{{r|崖|がけ}}なども水にだいぶん喰われている。
そのうち雨が{{r|歇|や}}んだ。退屈だから横になった。約十分も立ったと思う頃、下女がまたやって来て、ただいま駅から電話がかかりまして、これから梨畑へおいでになるなら、駅からトロを仕立てますがと云う問い合せである。雨が歇んだので、座敷に寝ている口実はもう消滅してしまったが、この上トロを仕立てられては{{r|敵|かな}}わないと思って、わざわざ晴かかった空を見上げて、八の字を寄せた。
今から行って間に合うのかなと尋ねると、器械トロだから汽車と同じぐらい早いんだと云う話である。胃は{{r|固|もと}}より{{r|切|せつ}}ないほど不安であるが、汽車と同じ速度の器械トロなるものにも、心得のためちょっと乗って見たいような気がしたので、つい手軽に{{r|仕度|したく}}を始めた。すると隣の部屋に泊っていた御客さんが三四人、十一時の汽車で大連へ行くとか云って、同じように仕度を始めた。それを送る下女も仕度を始めた。したがって同勢はだいぶんになった。その中に{{r|昨日|きのう}}橋の途中で行き合った女がいた。それが余と{{r|尻合|しりあわ}}せに同じ車に乗る事になった。互に尻を向けているので、別段口も{{r|利|き}}かなかった。顔もよくは見なかった。が、その言葉だけはたしかに聞いた。しかも支那語である。{{r|固|もと}}より意味は通じない。しかし盛んにクーリーをきめつけていた。その達弁なのはまた驚くばかりである。昨日微笑しながら{{r|御辞儀|おじぎ}}をして、余の{{r|傍|わき}}を{{r|摺|す}}り{{r|抜|ぬ}}けた女とはどうしても思えなかった。この女は我々の立つ前の晩に、始めて御給仕に出て来た。{{r|洋灯|ランプ}}の影で{{r|御白粉|おしろい}}をつけている事は分ったが、依然として口は利かなかった。
苦しい十五分の{{r|後|のち}}車はまた{{r|停車場|ステーション}}に着いた。御客はすぐ汽車に乗って大連の方へ去った。下女はみんな温泉宿へ帰った。余は{{r|独|ひと}}り構内を{{r|徘徊|はいかい}}した。いわゆる器械トロなるものは姿さえ見せない。そこへ駅員が来て、今{{r|松山|まつやま}}を出たそうですからと断った。その松山は{{r|遥|はるか}}向うにある。余は{{r|軌道|レール}}の上に立って、一直線の平たい{{r|路|みち}}を視力のつづく限り眺めた。しかしトロの来る{{r|気色|けしき}}はまるでなかった。
三十五
宿屋の者ともつかず、駅の者ともつかない洋服を着た男がついて来た。この男の案内で村へ{{r|這入|はい}}ると、路は全く砂である。深さは五六寸もあろうと思われた。土で造った門の外に女が立っていたが、我々の影を見るや否や逃げ込んだ。手に持った長い{{r|煙管|きせる}}が眼についた。犬が門の奥でしきりに吠える。そのうちに村は尽きて松山にかかった。と云うと大層だが、実は{{r|飛鳥山|あすかやま}}の大きいのに、桜を抜いて松を植替えたようなものだから、心持の好い{{r|平庭|ひらにわ}}を歩るくと同じである。松も三四十年の若い木ばかり芝の上に並んでいる。{{r|春先|はるさき}}弁当でも持って{{r|遊|あそび}}に来るには{{r|至極|しごく}}結構だが、ところが満洲だけになお珍らしい。余は痛い腹を{{r|抑|おさ}}えて、とうとう{{r|天辺|てっぺん}}まで登った。するとそこに小さな{{r|廟|びょう}}があった。正面に向って、{{r|聯|れん}}などを読んでいると、すぐ{{r|傍|そば}}で{{r|梭|おさ}}の音がする。{{r|廟守|びょうもり}}でもおりそうなので、白壁を切り抜いた入口を{{r|潜|くぐ}}って中へ這入った。暗い土間を通り越して、奥を{{r|覗|のぞ}}いて見たら、窓の{{r|傍|そば}}に{{r|機|はた}}を{{r|据|す}}えて、白い{{r|疎髯|そぜん}}を生やした{{r|爺|じい}}さんが、せっせと梭を{{r|抛|な}}げていた。織っていたものは{{r|粗|あら}}い{{r|白布|しろぬの}}である。案内の男が{{r|二言|ふたこと}}{{r|三言|みこと}}支那語で何か云うと、老人は手を休めて、{{r|暢気|のんき}}な大きい声で返事をする。七十だそうですと案内が通訳してくれた。たった一人でここにいて、飯はどうするのだろうと、ついでに通訳を{{r|煩|わずら}}わして見た。下の家から運んでくるものを食っているそうであった。その下の家と云うのがすなわち{{r|梨畠|なしばたけ}}の主人のところだと案内は説明した。
やがて、山を降りて梨畠へ行こうとしたが、正門から{{r|這入|はい}}るのが面倒なので、どうです{{r|土堤|どて}}を乗り越そうじゃありませんかと案内が云い出した。余はすぐ賛成して{{r|蒲鉾形|かまぼこがた}}の{{r|土塀|どべい}}を{{r|向側|むこうがわ}}へ{{r|馳|は}}せ{{r|下|お}}りた。胃は実に痛かった。{{r|樹|き}}の下を{{r|潜|くぐ}}って二十間も来ると、向うの方に橋本始め連中が{{r|床几|しょうぎ}}に腰をかけて梨を食っている。腕に{{r|金筋|きんすじ}}を入れた駅長までいっしょである。余も同勢に{{r|交|まじ}}って一つ二つ食った。これは胃の中に何か入れると、一時痛みが止むからである。そうしてまた畠の中をぐるぐる歩き出した。ここの梨はまるで{{r|林檎|りんご}}のように赤い色をしている。大きさは日本の梨の半分もない。しかし小さいだけあって、鈴なりに枝を{{r|撓|しな}}わして、{{r|累々|るいるい}}とぶら下っているところがいかにもみごとに見える。主人がその{{r|中|うち}}で一番{{r|旨|うま}}い{{r|奴|やつ}}を――何と云ったか名は思い出せないが、下男に云いつけて、{{r|笊|ざる}}に一杯取り出さして、みんなに{{r|御馳走|ごちそう}}した。主人は背の高い大きな男で、支那人らしく落ちつきはらって立っている。案内の話では二千万とか二億万とかの財産家だそうだが、それは{{r|嘘|うそ}}だろう。{{r|脂|やに}}の強い{{r|亜米利加煙草|アメリカたばこ}}を吹かしていた。
梨にも{{r|喰|く}}い{{r|飽|あ}}きた頃、橋本が通訳の大重君に、いろいろ御世話になってありがたいから、御礼のため梨を三十銭ほど買って帰りたいと云うような事を話してくれと頼んでいる。それを大重君がすこぶる厳粛な顔で支那語に訳していると、主人は中途で笑い出した。三十銭ぐらいなら上げるから持って御帰りなさいと云うんだそうである。橋本はじゃ貰って行こうとも云わず、また三十銭を三十円に改めようともしなかった。宿へ帰ったら、下女がある御客さんといっしょに梨畠へ行って、梨を七円ほど{{r|御土産|おみやげ}}に買って帰った話をして聞かせた。その時橋本は、うんそうか、おれはまた三十銭がた買って来ようと思ったら、三十銭ぐらいなら{{r|進上|しんじょう}}すると云ったよと澄ましていた。
三十六
壁と云うと{{r|鏝|こて}}の力で塗り固めたような心持がするが、この壁は普通の{{r|泥|どろ}}が{{r|天日|てんぴ}}で{{r|干上|ひあが}}ったものである。ただ大地と{{r|直角|ちょっかく}}にでき上っている所だけが泥でなくって壁に似ている。その上部には西洋の御城のように、{{r|形儀|ぎょうぎ}}よく四角な{{r|孔|あな}}をいくつも開けて、一ぱし{{r|櫓|やぐら}}の{{r|体裁|ていさい}}を示している。しかし一番人の注意を{{r|惹|ひ}}くのは、この孔から見える赤い旗である。旗の数は孔の数だけあって、孔の数は一つや二つではないから、ちょっと{{r|賑|にぎや}}かに思われる。始めてこの{{r|景色|けしき}}が眼に触れた時には、村のお祭りで、若いものが、面白半分に作り物でも{{r|拵|こしら}}えたのじゃなかろうかと推測した。ところがこの櫓は馬賊の来襲に備えるために、{{r|梨畑|なしばたけ}}の主人が、わざわざ家の{{r|四隅|よすみ}}に打ち建てたのだと聞いて、半分は驚いたが、半分はおかしかった。ただなぜあんな赤い旗を孔の間から一つずつ出しているかが、さっぱり分らなかった。裏側へ廻って、段々を{{r|上|のぼ}}って見て、始めてこの赤旗の一つが一挺の鉄砲を代表している事を知った。鉄砲は博物館にでもありそうな古風な大きいもので、どれもこれも{{r|錆|さび}}を吹いていた。{{r|弾丸|たま}}を込めても恐らく{{r|筒|つつ}}から先へ出る{{r|気遣|きづかい}}はあるまいと思われるほど、安全に立てかけられていた。もっとも赤い旗だけは{{r|丁寧|ていねい}}に{{r|括|くく}}りつけてある。そうしてちょうど{{r|壁孔|かべあな}}から外に見えるくらいな所にぶら下げてある。番兵は{{r|汚|きた}}ない顔を{{r|揃|そろ}}えて、{{r|後|うしろ}}の小屋の中にごろごろしていた。馬賊の来襲に備えるために雇われたればこそ番兵だが、その実は、日当三四十銭の{{r|苦力|クーリー}}である。{{r|櫓|やぐら}}を下りて門を出る前に、家の内部を{{r|観|み}}る訳に行くまいかと通訳をもって頼んだら、主人はかぶりを振って聞かなかった。女のいる所は見せる訳に行かないと云うんだそうである。その代り客間へ案内してやろうと番頭を一人つけてくれた。その客間というのは往来を隔てて向う側にある一軒建の家であった。外には大きな柳が、静な葉を細長く空に{{r|曳|ひ}}いていた。{{r|長屋門|ながやもん}}を{{r|這入|はい}}ると{{r|鼠色|ねずみいろ}}の{{r|騾馬|らば}}が木の株に{{r|繋|つな}}いである。余はこの騾馬を見るや否や、{{r|三国志|さんごくし}}を思い出した。何だか{{r|玄徳|げんとく}}の乗った馬に似ている。全体騾馬というのを満洲へ来て始めて見たが、腹が太くって、背が低くって、総体が丸く{{r|逞|たくま}}しくって、{{r|万事|ばんじ}}邪気のないような好い動物である。橋本に騾馬の講義を聞くと、まず騾と{{r|駃騠|けってい}}の区別から始めるので、{{r|真率|しんそつ}}な頭脳をただいたずらに混乱させるばかりだから、黙って{{r|鞍|くら}}のない裸姿を眺めていた。騾馬は首を伏せてしきりに短い草を食っていた。
門の突き当りがいわゆる客間であるが、{{r|観音扉|かんのんびらき}}を左右に開けて這入るところなぞは御寺に似ている。中は{{r|汚|きた}}ないものであった。客でも招待するときには、臨時に掃除をするのかと聞いたら、そうだと答えていた。主人に{{r|挨拶|あいさつ}}をしてまた松山を抜けたら、松の間に牛が放してあった。駅長が行く行く{{r|初茸|はつだけ}}を取った。どこから{{r|目付|めつ}}け出すか不思議なくらい目付け出した。橋本も余も面白半分少し探して見たが、全く駄目であった。山を{{r|下|くだ}}るとき、おい満洲を汽車で通ると、はなはだ{{r|不毛|ふもう}}の地のようであるが、こうして高い所に登って見ると、{{r|沃野|よくや}}千里という感があるねと、橋本に話しかけたが、橋本にはそんな感がなかったと見えて、別に要領の好い返事をしなかった。余の沃野千里は全く色から割り出した感じであった。松山の上から見渡すと、高い日に映る、茶色や黄色が、{{r|縞|しま}}になったり、段になったり、模様になったり、{{r|霞|かすみ}}で薄くされて、雲に{{r|接|つづ}}くまで、一面に平野を{{r|蔽|おお}}うている。満洲は大きな所であった。
宿へ帰ったら、{{r|御神|おかみ}}さんが駅長の贈って来た初茸を{{r|汁|つゆ}}にして、晩に{{r|御膳|おぜん}}の上へ乗せてくれた。それを食って、梨畑や、馬賊や、土の櫓や、赤い旗の話しなぞをして寝た。
三十七
立つ用意をしているところへ御神さんが帳面を持って出て来た。これへ何か書いて行って下さいと云う。御神さんは余を二つ{{r|接|つ}}ぎ{{r|合|あわ}}せたように肥えている。それで病気だそうだ。始めはどこのものだか分らなかったが、御神さんと知って、調子の下女と違っているのに驚いた。御神さんはその体格の示すごとき好い女であった。どうしてあんなすれっからしの下女を使いこなすかが疑問になったくらいである。帳面を前へ置いて、どうぞと手を{{r|膝|ひざ}}の上に重ねた。その膝の厚さは八寸ぐらいある。
帳面を開けると、第一{{r|頁|ページ}}に林学博士のH君が「{{r|本邦|ほんぽう}}の{{r|山水|さんすい}}に似たり」と{{r|揮|ふる}}ってしまったあとである。その次にはどこどこ{{r|聯隊長|れんたいちょう}}何のなにがしと書いてある。宿帳だか、{{r|書画帖|しょがちょう}}だか判然しないものの、第三頁に記念を{{r|遺|のこ}}す事に{{r|差|さ}}し{{r|逼|せま}}って来た。橋本は帳面を見るや否や、{{r|向|むこう}}を向いて澄ましている。余は仕方がないから、書くには書くが、少し待ってくれと頼んだ。すると{{r|御神|おかみ}}さんが、そうおっしゃらずに、どうぞどうぞと二遍も繰返して御辞儀をする。無論{{r|嘘|うそ}}を{{r|吐|つ}}く気は始めからないのだが、こう拝むようにされて書いてやるほどの名筆でもあるまいと思うと、{{r|困却|こんきゃく}}と{{r|慚愧|ざんき}}でほとほと持て余してしまう。時に橋本が例のごとく口を{{r|利|き}}いてくれた。この人は嘘を云う男じゃないから、大丈夫ですよ今に何か書きますよと笑っている。余はまた世間話をしながら、その間に{{r|発句|ほっく}}でも考え出さなければならなくなった。
同情してくれる人はだいぶあると思うから白状するが、旅をして悪筆を{{r|懇望|こんもう}}されるほど{{r|厄介|やっかい}}な事はない。それも句作に熱心で{{r|壁柱|かべはしら}}へでも書き散らしかねぬ時代ならとにかく、書く材料の{{r|払底|ふってい}}になった今頃、何か記念のためにと、{{r|短冊|たんじゃく}}でも出された日には、{{r|節季|せっき}}に無心を申し込まれるよりも{{r|苛|つら}}い。大連を立つとき、手荷物を{{r|悉皆|しっかい}}{{r|革鞄|かばん}}の中へ詰め込んでしまって、さあ大丈夫だと立ち上った時、ふと気がついて見ると、化粧台の鏡の下に、細長い紙包があった。不思議に思って、折目を返して中を改めると、短冊である。いつ誰が持って来て載せたものか分らないが、その意味はたいてい推察ができる。俳句を書かせようと思って来たところが、あいにく{{r|留守|るす}}なので、また出直して頼む気になって、わざと短冊だけ置いて行ったに違ない。余はこの時化粧台から紙包を取りおろして、革鞄の中へ押し込んで、ホテルを出た。この短冊はいまだに誰のものか分らない。数は五六枚で{{r|雲形|くもがた}}の{{r|洒落|しゃれ}}たものであったが、朝鮮へ来て、句を懇望されるたびに、それへ書いてやってしまったから今では一枚も残っていない。長春の宿屋でも御神さんに{{r|捕|つら}}まった。この御神さんは浜のものだとか云って、意気な言葉使いをしていたが、新しい{{r|折手本|おりでほん}}を二冊出して、これへどうぞ{{r|同|おん}}なじものを二つ書いて下さいと云った。{{r|同|おな}}じでなければいけないのかと尋ねると、ええと答える。その理由は、夫婦別れをしたときに、夫婦が一冊ずつ持っている事ができるためだそうだ。
こう書いて行くと、朝鮮の宴会で{{r|絖|ぬめ}}を持出された事まで云わなくてはならないから、好い加減に切り上げて、話を元へ戻して、{{r|肥|ふと}}った御神さんの始末をつけるが、余は切ない思いをして、汽車の時間に間に合うように一句浮かんだ。浮かぶや否や、帳面の第三頁へ{{r|熊岳城|ゆうがくじょう}}にてと{{r|前書|まえがき}}をして、{{r|黍|きび}}{{r|遠|とお}}し{{r|河原|かわら}}の{{r|風呂|ふろ}}へ{{r|渡|わた}}る{{r|人|ひと}}と{{r|認|したた}}めて、ほっと一息吐いた。そうして御神さんの御礼も何も受ける暇のないほど急いでトロに乗った。電話の柱に柳の幹を使ったのが、いつの間にか根を張って、針金の{{r|傍|そば}}から青い葉を出しているのに気がついて、あれでも句にすればよかったと思った。
三十八
窓から{{r|覗|のぞ}}いて見ると、いつの間にか{{r|高粱|こうりょう}}が無くなっている。{{r|先刻|さっき}}までは遠くの方に黄色い屋根が処々眺められたが、それもついに消えてしまった。この黄色い屋根は{{r|奇麗|きれい}}であった。あれは{{r|玉蜀黍|とうもろこし}}が干してあるんだよと、橋本が説明してくれたので、ようやくそうかと想像し得たくらい、玉蜀黍を離れて余の頭に映った。朝鮮では同じく屋根の上に{{r|唐辛子|とうがらし}}を干していた。松の間から見える{{r|孤|ひと}}つ{{r|家|や}}が、秋の空の下で、燃え立つように赤かった。しかしそれが{{r|唐辛子|とうがらし}}であると云う事だけは一目ですぐ分った。満洲の屋根は距離が遠いせいか、ただ{{r|茫漠|ぼうばく}}たる単調を破るための色彩としか思われなかった。ところがその屋根も高粱もことごとく影を隠してしまって、あるものはただの地面だけになった。その地面には赤黒い{{r|茨|いばら}}のような草が限りなく生えている。始めは{{r|蓼|たで}}の種類かと思って、橋本に聞いて見たら橋本はすぐ{{r|冠|かむり}}を横に振った。蓼じゃない{{r|海草|かいそう}}だよと云う。なるほど平原の尽きる{{r|辺|あた}}りを、眼を細くして、{{r|見究|みきわ}}めると、暗くなった奥の方に、一筋鈍く光るものがあるように思われる。{{r|海辺|うみべ}}かなと橋本に聞いて見た。その時日はもう暮れかかっていた。際限もなく{{r|蔓|はびこ}}っている赤い草のあなたは薄い{{r|靄|もや}}に包まれて、幾らか{{r|蒼|あお}}くなりかけた頃である。あからさまに目に映るすぐ{{r|傍|そば}}をよくよく見つめると、乾いた土ではない。踏めば靴の底が{{r|濡|ぬ}}れそうに{{r|水気|みずけ}}を含んでいる。橋本は{{r|鹹気|しおけ}}があるから穀物の種がおろせないのだと云った。豚も出ないようだねと余は橋本に聞き返した。汽車に乗って始めて満洲の豚を見たときは、実際一種の怪物に{{r|出逢|であ}}ったような心持がした。あの黒い妙な動物は何だと{{r|真面目|まじめ}}に質問したくらい、{{r|異|い}}な感じに襲われた。それ以来満洲の豚と怪物とは離せないようになった。この薄暗い、{{r|苔|こけ}}のように短い草ばかりの、不毛の{{r|沢地|たくち}}のどこかに、あの怪物はきっと{{r|点綴|てんてつ}}されるに違ないと云う気がなかなか抜けなかった。けれども一匹の怪物に出逢う前に、日は全く暮れてしまった。目に余る赤黒い草の影はしだいに{{r|一色|ひといろ}}の{{r|夜|よ}}に変化した。ただ北の方の空に、夕日の{{r|名残|なごり}}のような明るい所が残ったのである。そうしてその明るい雲の下が目立って黒く見える。あたかも高い城壁の影が空を{{r|遮|さえぎ}}って長く続いているようである。余は高いこの影を眺めて、いつの間にか万里の長城に似た{{r|古迹|こせき}}の{{r|傍|そば}}でも通るんだろうぐらいの空想を{{r|逞|たくまし}}ゅうしていた。すると誰だかこの城壁の上を駆けて行くものがある。はてなと思ってしばらくするうちに、また誰か駆けて行く。不思議だと{{r|覚|さと}}って{{r|瞬|またたき}}もせず城壁の上を見つめていると、また誰か駆けて行く。どう考えても人が通るに違いない。無論夜の事だから、どんな顔のどんな{{r|身装|みなり}}の人かは判然しないが、比較的明かな空を背景にして、黒い影法師が規則正しく壁の上を{{r|馳|か}}け抜ける事は{{r|確|たしか}}である。余は橋本の意見を問う暇もないほど面白くなって、一生懸命に、眼前を往来するこの黒い人間を眺めていた。同時に汽車は、刻々と城壁に向って近寄って来た。それが一定の距離まで来ると、{{r|俄然|がぜん}}として失笑した。今までたしかに人間だと思い込んでいたものは、急に電信柱の頭に変化した。城壁らしく横長に続いていたのは大きな雲であった。汽車は容赦なく電信柱を追い越した。高い所で動くものがようやく眼底を払った。
三十九
狭い{{r|小路|こうじ}}の左右は{{r|煉瓦|れんが}}の{{r|塀|へい}}で、ちょっと見ると屋敷町のように人通りが少い。それを二十間ほど来て左手の門を{{r|這入|はい}}った。ただ偶然に這入ったのだから、家の名も{{r|主人|あるじ}}の名も知るはずがない。今から考えると、小路のうちには同じような家が何軒となく並んでいて、同じような門がまたいくつでも{{r|開|あ}}いているのだから、とくにここだけを{{r|覗|のぞ}}くべき{{r|誘致|インデュースメント}}は少しもなかったのである。余はただ案内者の{{r|後|あと}}に{{r|跟|つ}}いて何の気なしに這入った。その案内者もまた好い加減に這入った。案内者は{{r|青林館|せいりんかん}}と云う宿の主人である。かつて{{r|二葉亭|ふたばてい}}といっしょに北の方を旅行して、{{r|露西亜人|ロシアじん}}に{{r|苛|ひど}}い目に{{r|逢|あ}}ったと話した。
門を這入ると、右も{{r|室|へや}}、突き当りも室である。左りも隣の壁に隔てられなければ室であるべきはずなのだから、中の一筋だけが頭の上に空を仰ぐ訳になる。そこに立って右手の部屋を覗くと、狭い{{r|路次|ろじ}}から浅草の{{r|仲店|なかみせ}}を{{r|看|み}}るような{{r|趣|おもむき}}がある。実際仲店よりも低く小さい部屋であった。その一番目には幕が垂れていて、中は{{r|判然|はっきり}}と分らなかったが、次を覗いて見る段になって驚いた。二畳敷ぐらいの土間の{{r|後|うしろ}}の方を、{{r|上|あが}}り{{r|框|がまち}}のように、腰をかけるだけの高さに仕切って、そこに若い女が三人いた。三人共腰をかけるでもなく、寝転ぶでもなく、互に{{r|靠|もた}}れ合って{{r|身体|からだ}}を支えるごとくに、後の壁をいっぱいにした。三人の着物が{{r|隙間|すきま}}なく重なって、柔かい絹をしなやかに{{r|圧|お}}しつけるので、少し誇張して形容すると、三人が一枚の上衣を引き廻しているように見える。その間から小さな{{r|繻子|しゅす}}の靴が出ていた。
三人の身体が並んでいる通り、三人の顔も並んでいた。その左右が比較的尋常なのに引きかえて、真中のは不思議に美しかった。色が白いので、{{r|眉|まゆ}}がいかにも判然していた。眼も{{r|朗|ほがら}}かであった。頬から{{r|顎|あご}}を包む{{r|弧線|こせん}}は春のように{{r|軟|やわらか}}かった。余が驚きながら、{{r|見惚|みと}}れているので、女は眼を{{r|反|そ}}らして、{{r|空|くう}}を見た。余が立っている間、三人は少しも口を{{r|利|き}}かなかった。
青林館の主人は自分ほどこの女に興味がなかったと見えて、{{r|好加減|いいかげん}}に歩を移して、突き当りの部屋に這入った。そこも狭い土間で、中央には普通の{{r|卓上|テーブル}}が{{r|据|す}}えてあった。それを囲んで三人の男が食事をしている。{{r|皿小鉢|さらこばち}}から{{r|箸|はし}}{{r|茶碗|ちゃわん}}に至るまで{{r|汚|きた}}ない事はなはだしい。卓に着いている男に至ってはなおさら汚なかった。まるで大連の{{r|埠頭|ふとう}}で見る{{r|苦力|クーリー}}と同様である。余はこの{{r|体裁|ていさい}}を一見するや否や、台所で下男が{{r|飯|めし}}を{{r|掻|か}}き込んでるんじゃなかろうかと考えた。ところがつい隣の室でしきりに音楽をやっている。今見た美人のいる所とはつい三間とは離れていない。実に矛盾な感じである。
余は二歩ばかり{{r|洋卓|テーブル}}を{{r|遠退|とおの}}いて、次の室の入口を覗いて見た。そうしてまた驚いた。{{r|向|むこう}}の壁に{{r|倚添|よりそ}}えて一脚の机を置いて、その右に一人の男が腰をかけている。その左に女が三人立っている。その前には十二三の少女が男の方を向いて{{r|立|たっ}}ている。少し離れて{{r|室|へや}}の入口には{{r|盲目|めくら}}が{{r|床几|しょうぎ}}に腰をかけている。調子の高い{{r|胡弓|こきゅう}}と歌の声はこの一団から出るのである。歌の意味も節も分らない余の耳にはこの音楽が一種異様に{{r|凄|すさま}}じい響を伝えた。机の右にいる男が、右の手に{{r|筮竹|ぜいちく}}のような物を持って、時々机の上を{{r|敲|たた}}くと同時に左の{{r|掌|てのひら}}に{{r|八橋|やつはし}}と云う菓子に似た竹の{{r|片|きれ}}を二つ入れて、それをかちかちと打合せながら、歌の調子を取る。趣向はスペインの女の用いるカスタネットに似ているが、その男の顔を見ると、アルハンブラの昔を思い出すどころではない。{{r|蒼黒|あおぐろ}}く{{r|土気|つちけ}}づいた色を、一心不乱に少女の頭の上に{{r|乗|の}}しかけるように{{r|翳|かざ}}して、{{r|腸|はらわた}}を{{r|絞|しぼ}}るほど恐ろしい声を出す。少女はまた{{r|瞬|またた}}きもせず、この男の方を見つめて、細い{{r|咽喉|のど}}を合している。それが{{r|怖|こわ}}い魔物に{{r|魅入|みい}}られて身動きのできない様子としか受取れない。盲目は彼の眼の暗いごとく、暗い顔をして、悲しい陰気な、しかも高い調子の胡弓を{{r|擦|す}}り{{r|続|つづ}}けに擦っている。左の方に立っている女の一人が余を見た。それが{{r|忌|い}}むべき{{r|藪睨|やぶにらみ}}であった。日の目の乏しくって暮やすい室のうちで、この怪しい団体はこの怪しい音楽を奏して夢中である。余は案内の{{r|袖|そで}}を引いてすぐ外へ出た。
四十
橋本は遠い所へ豚を見に行った。何でも{{r|市街|まち}}から一里余もあるとか云う話である。こんな痛い腹を{{r|抱|かか}}えて今更豚でもあるまいと思って{{r|止|や}}めた。その代りにそこいらをぶらつくべく{{r|主人|あるじ}}といっしょに馬車で出た。主人がまあ{{r|遼河|りょうが}}を御覧なさいと云う。馬車を乗り{{r|棄|す}}てて{{r|河岸|かし}}へ出ると眼いっぱいに見えた。色は{{r|出水|でみず}}の{{r|後|あと}}の大川に似ている。灰のように動くものが、空を{{r|呑|の}}む{{r|勢|いきおい}}で遠くから流れて来る。{{r|哈爾賓|ハルピン}}に行く途中で、木戸さんに聞いた話だが、満洲の黄土はその昔中央{{r|亜細亜|アジア}}の方から風の力で吹き寄せたもので、それを年々河の流れが{{r|御叮嚀|ごていねい}}に海へ押出しているのだそうである。地質学者の計算によると、五万年の{{r|後|のち}}には今の{{r|渤海湾|ぼっかいわん}}が全く{{r|埋|うま}}ってしまう都合になっていますと木戸君が語られた。{{r|河辺|かわべ}}に立って岸と岸との間を眺めていると、水の量が泥の量より少いくらい濁ったものが際限なく押し寄せて来る。五万年は{{r|愚|おろ}}か、一二カ月で河口はすっかり{{r|塞|ふさ}}がってしまいそうである。それでも三千{{r|噸|トン}}ぐらいな汽船は{{r|苦|く}}もなくのそのそ{{r|上|のぼ}}って来ると云うんだから支那の河は無神経である。人間に至っては{{r|固|もと}}より無神経で、古来からこの泥水を飲んで、{{r|悠然|ゆうぜん}}と子を生んで{{r|今日|こんにち}}まで栄えている。
サンパンと云う船がここかしこに浮かんで{{r|形|なり}}に合しては大き過ぎるぐらいな{{r|帆|ほ}}を上げている。帆の裏には細い竹を何本となく横に渡してあるから、帆に{{r|角|かど}}が立つのみか、{{r|捲|ま}}き{{r|上|あ}}げる時にはがらがら鳴る。日本では見られない絵である。その間を横切って{{r|向岸|むこうぎし}}へ着いた。向岸には何にもない。ただ{{r|停車場|ステーション}}が一つある。{{r|北京|ペキン}}への急行が出るとか云うので、客がたくさん列車に乗り込んでいる。下等室を{{r|覗|のぞ}}いたら、腰かけも何もない{{r|平土間|ひらどま}}に、みんなごろごろ寝ころんでいた。帰りにはサンパンに乗って、泥の{{r|流|ながれ}}を押し渡った。風が出ると難儀だそうである。春の初めには山のような氷が流れてくる。先が見えないので、氷と氷の間に{{r|挟|はさ}}まれると命を取られる。ある時氷に路を{{r|塞|ふさ}}がれて仕方がないから、船を{{r|棄|す}}てて氷の上へ{{r|上|あが}}って、乗り捨てた船を{{r|引|ひ}}き{{r|摺|ず}}って向う側へ出て、ようやくまた船に乗ったと云う話がある。これは{{r|主人|あるじ}}の{{r|実歴談|じつれきだん}}である。
サンパンは妙なところへ着いた。岸は{{r|芦|あし}}を畳んでできている。石垣ではなくて{{r|芦垣|あしがき}}である。こうしなければ水の力で{{r|浚|さら}}われる恐れがあると云う。芦はいくらでも水を吸い込んで平気でいるから無難だと見える。細い{{r|小路|こうじ}}を突き抜けると、支那町の真中へ出た。妙な{{r|臭|におい}}がする。{{r|先刻|さっき}}から胸が痛むのでポッケットから、{{r|粉薬|こぐすり}}を出して飲もうとするがあいにく水がない。一滴の飲料も用いずに散薬を{{r|呑|の}}み{{r|下|くだ}}す方法は、その{{r|後|ご}}{{r|苦|くる}}し{{r|紛|まぎ}}れに発見した{{r|分別|ふんべつ}}だが、この時はまだそれほど老練な患者でないので、拝むように主人を{{r|煩|わずら}}わした。主人はええ訳はありませんと云いつつも、ずいぶん{{r|烈|はげ}}しく引張り廻した上、ほとんど苦しくって{{r|道傍|みちばた}}に{{r|竦|すく}}みそうになった頃、ようやく一軒の店へ{{r|這入|はい}}った。{{r|盆栽|ぼんさい}}などの{{r|据|す}}えてある中庭を通り抜けて{{r|角|かど}}の一部屋へ案内されたが、水はなかなか出る様子がない。そのうち、こちらへと云ってまた二階へ{{r|招|しょう}}ぜられた。虫のように段々を{{r|上|あが}}って廊下から{{r|室|へや}}へ這入ると、日本人が二三人事務を{{r|執|と}}っている。さあどうぞと椅子を与えられたので、{{r|挨拶|あいさつ}}をして始めて解ったが、水を貰いに飛び込んだところは{{r|日清豆粕会社|にっしんまめかすかいしゃ}}で、さあどうぞと迎えてくれたのは、社員の倉田君である。倉田君は{{r|固|もと}}より日本から{{r|漫遊|まんゆう}}もしくは視察の目的をもってわざわざ{{r|営口|えいこう}}までやって来たものと余を信じている。服薬のために通りがかりのついでながら、日清豆粕会社の奥二階へ水を貰いに立ち寄ったと判じようはずがない。そこで水は容易に出ない。湯も出ない。今御茶を上げると云って、ボイがしきりに{{r|支度|したく}}をしている。余は青林館の主人が{{r|恨|うら}}めしくなった。けれども倉田君に対しては相応に{{r|体裁|ていさい}}を具えた応対をしなければならない。豆が汽車で大連へ出るようになってから、河を下ってくる豆の量が減ったでしょうかてような事を、{{r|真面目|まじめ}}くさって質問していた。
四十一
橋本が{{r|博士|はかせ}}になったり、ならなかったりした話がある。大連の{{r|大和|やまと}}ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と{{r|叮嚀|ていねい}}に書いてあったのを{{r|乙|おつ}}に眺めながら、これだから{{r|厭|いや}}になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士{{r|呼|よば}}わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。
余は橋本をもって{{r|固|もと}}より農学博士と信じていた。{{r|是公|ぜこう}}もそう信じていた。現にある人に向って橋本って農学博士さと説明しているのを聞いた。余に至っては、いつかの新聞で、本人の博士になった事をたしかに承知した記憶がある。それで大連を立って北に行く時も、栄誉ある博士の同伴者だと云う自覚がちゃんとあった。ところが毎日毎晩一つ{{r|鍋|なべ}}のものを{{r|突|つ}}ついて進行しているうちに、何かの{{r|拍子|ひょうし}}だったが、いやおれは博士じゃないよと急に橋本が云い出した。その時はいくら本人が証明したってなるほどと云う気になれないくらい驚いた。第一、十年近くも大学の教授をしている男を、博士にしない法はないと考えてる上、どうしても新聞でその授与式を拝見したとしか思われないんだから、余もできるだけは抗弁したが、やっぱり博士じゃないと{{r|頑固|がんこ}}を張って云う事を聞かない。余もやむをえず、そうかと云って{{r|我|が}}を折った。この時から橋本は気の毒ながらとうとう、ただの人間になってしまった。
けれども、世間には{{r|迂濶|うかつ}}ものが多いと見えて、どこへ行っても橋本博士、橋本博士と云う。新聞を折々読むときっと橋本博士と出ている。しまいにはおいまた博士だよと注意するのが面倒になった。橋本も{{r|澄|すま}}し{{r|返|かえ}}っている。もっとも澄まし返さなくったって、一々博士じゃありませんと訂正して歩く訳に行くものじゃない。こう云う余にも{{r|覚|おぼえ}}がある。{{r|釜山|ふざん}}から{{r|馬関|ばかん}}へ渡る船中で、{{r|拓殖|たくしょく}}会社の{{r|峰八郎君|みねはちろうくん}}の妻君に{{r|逢|あ}}ったとき、八郎君は{{r|真面目|まじめ}}な{{註|[#「な」は底本では「を」]}}顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと{{r|叮嚀|ていねい}}に{{r|御辞儀|おじぎ}}をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく{{r|挨拶|あいさつ}}をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく{{r|安奉線|あんぽうせん}}を通って、{{r|安東県|あんとうけん}}までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う{{r|不料簡|ふりょうけん}}か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の{{r|革鞄|かばん}}にぴたぴた{{r|結|いわ}}いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を{{r|停車場|ステーション}}へ運び出す際に、余の{{r|奇麗|きれい}}な{{r|革鞄|かばん}}を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。
四十二
ここだと云うので、降りたには降りたが、夜の事だから方角も見当もまるで分らない。頼りに思う停車場は縁日の夜店ほどに小さいものであった。その軒を離れるとなおさら淋しい。空には星があるが、高い所に{{r|己|おのれ}}と光るのみで、足元の景気にはならなかった。汽車路を通って行くと、{{r|鉄軌|レール}}の色が前後五六尺ばかり、{{r|提灯|ちょうちん}}の{{r|灯|ひ}}に照らされて、{{r|露|つゆ}}のごとく映ってはまた消えて行く。そのほかに何も見えなかった。やがて右へ切れて堤のようなものをだらだらと下りる心持がしたが、それも六七歩を{{r|超|こ}}えると、靴を置く土の感じが{{r|不断|ふだん}}に戻ったので、また{{r|平地|ひらち}}へ出たなと気がついた。すると虫の{{r|音|ね}}が聞えだした。足元で少しばかり鳴いてるような家庭的なものではない。虫の{{r|音|ね}}だと云う{{r|分別|ふんべつ}}が出た時には、その声がもう左右前後に遠く続いていた。我々は一つの{{r|提灯|ちょうちん}}を先にして、平原にはびこる無尽蔵の虫の音に包まれながら歩いた。
今考えると、なかなか風流である。筆を{{r|執|と}}って書いていても、{{r|魏叔子|ぎしゅくし}}の{{r|大鉄椎|だいてっつい}}の{{r|伝|でん}}にある{{r|曠野|こうや}}の{{r|景色|けいしょく}}が眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。飯の{{r|菜|さい}}に{{r|奴豆腐|やっこどうふ}}を一丁食ったところが、その豆腐が腹へ{{r|這入|はい}}るや否や急に{{r|石灰|いしばい}}の{{r|塊|かたまり}}に変化して、胃の中を{{r|塞|ふさ}}いでいるような心持である。{{r|腮|あご}}の奥から締めつけられて、やむをえない{{r|性質|たち}}の{{r|唾液|つばき}}が流れ出す。それに{{r|誘|いざな}}われるままにしておくと、{{r|嘔|は}}きたくなる。せめて口中の{{r|折合|おりあい}}でもと思って、少し抵抗しにかかると、足が{{r|竦|すく}}んで動けなくなる。余は{{r|幾度|いくたび}}か虫の音の中に苦しい尻を落ちつけようかと思った。ただ橋本に心配させるのが、気の毒である。支那の{{r|荷持|にもち}}に{{r|野糞|のぐそ}}を{{r|垂|た}}れてると誤解されたって{{r|手柄|てがら}}にもならない。そこで無理に歩いた。
{{r|遥|はるか}}向うに{{r|灯|ひ}}が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に{{r|辿|たど}}った。今日の{{r|午|ひる}}は営口で正金銀行の杉原君の{{r|御馳走|ごちそう}}を断った。晩は{{r|天春君|あまかすくん}}の{{r|斡旋|あっせん}}ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ{{r|千山|せんざん}}行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、{{r|容体|ようだい}}が{{r|危|あや}}しくなって来た。ただ向うに見える一点の{{r|灯火|ともしび}}が、今夜の運命を決する{{r|孤|ひと}}つ{{r|家|や}}であると覚悟して、{{r|寂寞|せきばく}}たる原を{{r|真直|まっすぐ}}に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに{{r|当|あて}}になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。{{r|湯崗子|とうこうし}}は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの{{r|茫々|ぼうぼう}}たる原の底から{{r|湧|わ}}いて出るのだろうとは、始めから想像する事ができたが、これほど{{r|淋|さび}}しい野の{{r|面|おもて}}に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。
そのうちようやく灯のある所へ着いた。{{r|平家作|ひらやづくり}}の西洋館で、{{r|床|ゆか}}の高さが地面とすれすれになるほど低い。{{r|板間|いたま}}ではあるが無論靴で{{r|出入|でいり}}をする。宿の女は{{r|草履|ぞうり}}を{{r|穿|は}}いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。{{r|造作|ぞうさく}}のつかない広い{{r|空家|あきや}}へ{{r|洋灯|ランプ}}を{{r|点|とも}}して{{r|住|すま}}っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた{{r|翼|ウイング}}の{{r|端|はじ}}の{{r|室|へや}}へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と{{r|洋卓|テーブル}}と色の{{r|褪|さ}}めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく{{r|取|と}}り{{r|繕|つくろ}}ってあった。ちょうど土間から座敷へ{{r|上|あが}}るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の{{r|後|のち}}{{r|膳|ぜん}}が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。
四十三
朝起きると、馬が来たとか来ないとか云って橋本の連中が騒いでいる。連中は三人だから、一人が一つの馬に乗るとすれば、三匹{{r|要|い}}る訳になる。この{{r|茫漠|ぼうばく}}たる原の中で、生きた馬を三匹{{r|生捕|いけど}}るとなると、{{r|手数|てすう}}のかかるのは一通りではあるまい。連中は格別早起きもしない癖に、今更苦情を並べたって始まらないと思って、同行を断念した余は、冷然と落ちついていた。本来を云うと、{{r|千山|せんざん}}へ行くのが目的で、わざわざここに降りたには相違ないが、一旦自分が千山行を{{r|諦|あきら}}めたとなると、ほかの連中が{{r|予定通|よていどおり}}に行動するのが、いまいましくなる。第一橋本なんて農科の男は、千山を見る必要も何もないのである。千山は{{r|唐|とう}}の時代に開いた{{r|梵刹|ぼんさつ}}で、今だに残っているのは、牛でもなければ豚でもない、ただ山と谷と{{r|巌|いわ}}と御寺と坊主だけであるから、農科の教授がわざわざ馬に乗って見物に行くべきところではけっしてない。と云ってせっかく行くと云うものを、意見までして思い止まらせるほどの口実は無論考え出せないから、なすがままにさせて{{r|放|ほう}}っておいた。そのうち不思議な事に、{{r|注文通|ちゅうもんどおり}}馬が三匹出て来た。どこから出て来たものか聞いても見なかったが、たしかに出て来た。三人は{{r|癪|しゃく}}に{{r|障|さわ}}るほど勇んで外へ飛び出した。余は仕方がないから西洋間と日本間の唯一の主人として、この一日を物静かに休養すべく準備した。まず何よりも横になるのが薬だろうと思って、{{r|狸|たぬき}}だか{{r|狐|きつね}}だか分らない毛皮の上にごろりと転がった。すると窓の外から橋本の声で、おいおいちょっと出て見ろと呼んでいる。{{r|彼|か}}れまだそこいらを{{r|迷|まご}}ついてるなと思うと、少し面白くなったから、{{r|請求通|せいきゅうどおり}}原の中へ{{r|草履|ぞうり}}のまま出た。すると広い牧場のようなところに、馬が三匹立っていた。それがいずれも{{r|小汚|こぎた}}ない{{r|駄馬|だうま}}だったのではなはだ愉快であった。のみならず、その{{r|中|うち}}の一匹がどうしても大重君を乗せようと云わない。{{r|傍|そば}}へ行くと、飛んだり{{r|蹴|け}}たりする。馬が{{r|怖|こわ}}がるからだと云って、{{r|手拭|てぬぐい}}で{{r|眼隠|めかく}}しをして、支那の小僧が両手で{{r|轡|くつわ}}をしっかり抑えている。遠くから見ると、馬が{{r|鉢巻|はちまき}}をしたようでおかしかった。その傍へ大重君が苦笑いをしながら近寄って行くところは、一層面白かった。しかも一度や二度ではない。よほど馬に遠慮する{{r|性質|たち}}と見えて、容易に{{r|埒|らち}}を明けないから、みんながなお{{r|喝采|かっさい}}する。橋本は北海道の住人だから{{r|苦|く}}もなく{{r|鞍|くら}}に{{r|跨|またが}}った。もう一人――名前を忘れたから、もう一人というよりほかに仕方がないが――これは{{r|熊岳城|ゆうがくじょう}}の{{r|苗圃|びょうほ}}の{{r|長|ちょう}}で、もと橋本に教わった事があると云うだけに、手綱を{{r|執|と}}る{{r|術|すべ}}を心得ている。余はこの時立ちながら心の{{r|中|うち}}で、要するに千山行を撤回した方が、馬術家としての余の名誉を{{r|完|まっと}}うする{{r|所以|ゆえん}}ではなかろうかと考えた。
けれども、そんな{{r|気色|けしき}}は顔にも出さず、ただ残り惜しげに三人の後姿を眺めていた。そうして大重君の腰つきから推測して、千山まであれで乗り通すのは、定めて心配な事だろうと同情した。橋本は今夜のうちに帰るんだとか号して、しきりに馬を急がせるらしい。苗圃長も負けずに、続いて行く。{{r|独|ひと}}り大重君だけが{{r|後|おく}}れた。馬はまだ眼隠をしている。やがて二人の影が{{r|高粱|こうりょう}}に{{r|遮|さえ}}ぎられて、どっちへ向いて行くかちょっと分らなくなった。{{r|先刻|さっき}}からそこいらを{{r|徘徊|はいかい}}していた背の高い支那人もまた高粱の{{r|裡|うち}}に姿を隠した。この支那人は肩から背へかけて長い鉄砲を釣っていた。{{r|人数|にんず}}は二人であった。始めて気がついたときは{{r|咄嗟|とっさ}}の際に馬賊という{{r|聯想|れんそう}}が起った。橋本と前後して高粱の底に没して、しばらくすると、どんと云う砲声が聞えて、またしばらくすると、三人の馬の前にどこからかあの背の高い奴が現われて来たら大事件だと想像して、また{{r|室|へや}}の中へ帰って{{r|狸|たぬき}}の皮の上に寝た。
四十四
{{r|手拭|てぬぐい}}を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で{{r|畳上|たたみあ}}げた中へ段々を三つほど{{r|床|ゆか}}から下へ降りると{{r|湯泉|ゆ}}に足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる{{r|殺風景|さっぷうけい}}である。入浴時間は十五分を{{r|超|こ}}ゆべからずなどと云う{{r|布告|ふこく}}めいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。犯則を承知の上で、石段に腰をかけたり、{{r|腹這|はらばい}}に身を浮かしたり、頬杖を突いて{{r|倚|よ}}りかかったり、いろいろの工夫を尽くした上、表へ出て風呂場の後へ廻ると、大きな池があった。若い男が{{r|破舟|やれぶね}}の中へ{{r|這入|はい}}ってしきりに{{r|竿|さお}}を動かしている。おいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は{{r|類稀|たぐいまれ}}なる{{r|仏頂面|ぶっちょうづら}}をして湯だと答えた。あまり{{r|厭|いや}}な奴だから、それぎり口を{{r|利|き}}くのをやめにした。岸の上から底を{{r|覗|のぞ}}くと、時々泡のようなものが浮いて来る。少しは湯気が立ってるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため聞いて見たかったのだけれども、相手が相手だから歩を{{r|回|めぐ}}らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳いでいる由を承知してはなはだ奇異の思いをなした。その上ここには水が一滴も出ないのだと教えられたときには全く驚いた。
驚いた事はまだある。湯から帰りがけに入口の大広間を通り抜けて、自分の{{r|室|へや}}へ行こうとすると、そこに見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、{{r|紫|むらさき}}の{{r|袴|はかま}}を{{r|穿|は}}いて、深い靴を鳴らして、その辺を往ったり来たりする様子が、どうしても学校の教師か、女生徒である。東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、{{r|渺茫|びょうぼう}}たる{{r|草原|くさはら}}のいずくを物色したって、{{r|斯様|かよう}}な{{r|文采|ぶんさい}}は{{r|眸|ひとみ}}に落ちるべきはずでない。余はむしろ怪しい{{r|趣|おもむき}}をもって、この女の姿をしばらく見つめていた。
室に帰ってまた寝た。眼が{{r|覚|さ}}めると窓の外で虫の声がする。{{r|淋|さび}}しくなったから、西洋間へ出て、長椅子の上に腰をかけて、{{r|謡|うたい}}をうたった。無論{{r|出鱈目|でたらめ}}である。そこへ下女が来た。{{r|先刻|さっき}}の女の事を聞いたら、何でも{{r|宅|うち}}で知ってる人なんでしょうと云っただけで、ちっとも要領を得ない。{{r|昨夕|ゆうべ}}飯を済まして{{r|煙草|たばこ}}を{{r|呑|の}}んでいると急に広間の方で、オルガンを{{r|弾|ひ}}く音がしたが、あの女がやったんじゃないかと聞くと、いいえ昨夕のは宅の下女ですと云う。この原のなかに、それほどハイカラな下女がいようとは思いがけなかった。先刻の袴はもう帰ったそうである。
余は一人長椅子の上に{{r|坐|すわ}}った。そうして永い日が{{r|傾|かたむ}}き尽して、原の色が寒く変るまでぽかんとしていた。すると静かな野の中でどうぞ、ちと御遊びに、私一人ですからと云う{{r|嬌|なまめ}}かしい声がした。その音調は全くの東京ものである。余は突然立って、窓の外を眺めた。あいにく窓には{{r|寒冷紗|かんれいしゃ}}が張ってあった。手早く{{r|硝子|ガラス}}を開けて首を外へ出すと、外はもう一面に夕暮れていて、{{r|蒼|あお}}い煙が女の姿を包んでしまったので誰だか分らなかった。
橋本の連中はその晩帰って来た。下女のしらせで、暗い{{r|背戸|せど}}に出て見ると、豆のような{{r|灯|ひ}}が一つ遠くに見えた。下女はあれが連中だと云う。いくら{{r|野広|のびろ}}いところだって、橋本以外にも灯が見える事もあるだろうと尋ねても、やっぱりあれだと云う。はたしてそうであった。灯は夕方宿から{{r|迎|むかえ}}に出した支那人の持って行った{{r|提灯|ちょうちん}}である。背戸口に馬を乗り捨てた橋本は、そう骨を折って見に行く所でもないよと云った。大重君は馬から三度落ちたそうである。
四十五
奉天へ行ったら{{r|満鉄公所|まんてつこうしょ}}に{{r|泊|とま}}るがいいと、立つ前に{{r|是公|ぜこう}}が教えてくれた。満鉄公所には俳人{{r|肋骨|ろっこつ}}がいるはずだから、世話になっても構わないくらいのずるい腹は無論あったのだが、橋本がいっしょなので、多少遠慮した方が紳士だろうという事に相談がいつか一決してしまった。{{r|停車場|ステーション}}には宿屋の馬車が迎えに来ていた。やはり泥の中から掘出して、炎天で乾かしたように色が変っている。荷物と人間をぐるに乗せて、構内を離れるや否や、{{r|御者|ぎょしゃ}}が{{r|凄|すさま}}じく{{r|鞭|むち}}を鳴らした。{{r|峠|とうげ}}を越す{{r|田舎|いなか}}の乗合馬車よりも手荒な取扱方である。広い通りはそれほどでもないが、しだいに城内に近づくに従って、今まで野原同然に{{r|茫々|ぼうぼう}}としていた{{r|往来|おうらい}}が、左右の店の{{r|立込|たてこ}}んで来ると共に狭くなる上に、鉄道馬車がその真中を駆けつつあるにもかかわらず、烈しい鞭の影は一分に一度ぐらいはきっと頭の上で{{r|閃|ひら}}めいた。馬は無理にも急がなければならない。けれども奉天だけあって、往来の人は馬車の右にも左にも、前にも後にも、のべつに動いている。そこへ{{r|騾馬|らば}}を六頭も着けた荷車がくるのだから、牛を駆るようにのろく歩いたって危ない。それだのに{{r|無人|むにん}}の{{r|境|さかい}}を行くがごとくに飛ばして見せる。我々のような平和を喜ぶ{{r|輩|ともがら}}はこの車に乗っているのがすでに苦痛である。御者はもちろんチャンチャンで、油に{{r|埃|ほこり}}の食い込んだ{{r|辮髪|べんぱつ}}を振り立てながら、時々満洲の声を出す。余は八の字を寄せて、馬の尻をすかしつつ眺めた。そうして、みだりに鞭を{{r|瘠|や}}せ骨に加えて、旅客の{{r|御機嫌|ごきげん}}を取るのは、女房を叱って{{r|佳賓|まろうど}}をもてなすの{{r|類|たぐい}}だと思った。
現に{{r|北陵|ほくりょう}}から帰りがけに、宿近く乗りつけると、左り側に人が黒山のようにたかっている。その辺は支那の豆腐やら、{{r|肉饅頭|にくまんじゅう}}やら、{{r|豆素麺|まめそうめん}}などを売る{{r|汚|きた}}ない店の{{r|隙間|すきま}}なく並んでいる所であったが、黒い頭の{{r|塊|かた}}まった下を{{r|覗|のぞ}}くと、六十ばかりの爺さんが大地に腰を{{r|据|す}}えて、{{r|両脛|りょうずね}}を折ったなり前の方へ出していた。その右の{{r|膝|ひざ}}と足の甲の間を二寸ほど、強い力で{{r|刳|えぐ}}り{{r|抜|ぬ}}いたように、脛の肉が骨の上を{{r|滑|すべ}}って、下の方まで行って、いっしょに{{r|縮|ちぢ}}れ上っている。まるで{{r|柘榴|ざくろ}}を{{r|潰|つぶ}}して{{r|叩|たた}}きつけた風に見えた。こう云う光景には慣れているべきはずの案内も、少し寒くなったと見えて、すぐに馬車を留めて、支那語で何か尋ね出した。余も分らないながら耳を立てて、何だ何だと繰返して聞いた。不思議な事に、黒くなって集った支那人はいずれも口も{{r|利|き}}かずに老人の{{r|創|きず}}を眺めている。動きもしないから至って静かなものである。なお感じたのは、地面の上に手を{{r|後|うしろ}}へ突いて、{{r|創口|きずぐち}}をみんなの前に{{r|曝|さら}}している老人の顔に、何らの表情もない事であった。痛みも刻まれていない。苦しみも現れていない。と云って、別に平然ともしていない。気がついたのは、ただその眼である。老人は{{r|曇|どん}}よりと地面の上を見ていた。
馬車に引かれたのだそうですと案内が云った。医者はいないのかな、早く呼んでやったらいいだろうにと間接ながら{{r|窘|たし}}なめたら、ええ今にどうかするでしょうという答である。この時案内はもう本来の気分を回復していたと見える。{{r|鞭|むち}}の影は間もなくまた{{r|閃|ひら}}めいた。{{r|埃|ほこり}}だらけの{{r|御者|ぎょしゃ}}は人にも車にも往来にも遠慮なく、{{r|滅法無頼|めっぽうぶらい}}に馬を追った。帽も着物も黄色な{{r|粉|こ}}を浴びて、宿の玄関へ下りた時は、ようやく残酷な支那人と縁を切ったような心持がして{{r|嬉|うれ}}しかった。
四十六
支那の{{r|古家|ふるいえ}}をそのまま使ってるから、御寺の本堂を客間に仕切ったと同じようである。釣り廊下を渡って正面の座敷を{{r|覗|のぞ}}くと、{{r|骨董|こっとう}}がいっぱい並べてあったので、何事かと思ったら、{{r|北京|ペキン}}へ買出しに行った道具屋が、帰り途にここで{{r|逗留|とうりゅう}}中の{{r|見世|みせ}}を張ったのだと分ったから、冷し半分{{r|這入|はい}}って見ているうちに、時間が来たので、外へ出た。今度は車だから好かろうと安心して、ちょっとハイカラに{{r|膝頭|ひざがしら}}を重ねて{{r|反|そ}}り{{r|返|かえ}}って見たが、やはりけっして無難ではない。人力は日本人の発明したものであるけれども、{{r|引子|ひきこ}}が支那人もしくは朝鮮人である間はけっして油断してはいけない。彼等はどうせ{{r|他|ひと}}の{{r|拵|こしら}}えたものだという{{r|料簡|りょうけん}}で、{{r|毫|ごう}}も人力に対して尊敬を払わない引き方をする。{{r|海城|かいじょう}}というところで{{r|高麗|こま}}の{{r|古跡|こせき}}を見に行った時なぞは、尻が{{r|蒲団|ふとん}}の上に落ちつく暇がないほど揺れた。一尺ばかり{{r|跳|は}}ね上げられる事は、一丁の間に一度は必ずあった。しまいに朝鮮人の頭をこきんと張つけてやりたくなったくらい残酷に取扱われた。奉天の道路は海城ほど{{r|凸凹|でこぼこ}}にでき上っていないから、むやみに車の上で踊をおどる苦痛はないが、その引き方のいかにも無技巧で、ただ{{r|見境|みさかい}}なく{{r|走|か}}けさえすれば車夫の{{r|能事畢|のうじおわ}}ると心得ている点に至っては、全く朝鮮流である。余は車に揺られながら、{{r|乗客|じょうかく}}の神経に相応の注意を払わない車夫は、いかによく{{r|走|か}}けたって、ついに成功しない車夫だと考えた。
そのうち大きな門の下へ出た。奉天へ前後四泊した間に、この門を何度となく{{r|潜|くぐ}}った{{r|覚|おぼえ}}がある。その名前も{{r|幾度|いくたび}}となく耳にした。ところがそれを忘れてしまった。その{{r|恰好|かっこう}}もはなはだ{{r|曖昧|あいまい}}に頭に映るだけである。しかし奉天の{{r|市街|まち}}に{{r|入|い}}って始めて{{r|埃|ほこり}}だらけの屋根の上に、高くこの門を見上げた時は、はあと思った。その時の印象はいまだに消えない。橋本といっしょにこの門の{{r|傍|そば}}にある小さな店に筆と墨を買いに行った折の事も、{{r|寂|さ}}びた経験の一つとしてよく覚えている。その時橋本は敷居を{{r|跨|また}}いで、中へ{{r|這入|はい}}った。余も橋本に続こうとして身体を半分{{r|廂|ひさし}}から奥へ差し込んだが、支那の家に固有な一種の{{r|臭|におい}}が、たちまち鼻に感じたので、一二歩往来の方へ出て{{r|佇|たたず}}んでいた。今云う門は十間ばかり先の{{r|四辻|よつつじ}}にあるので、余は鳥打帽の廂に高い角度を与えてわざわざ{{r|仰|あお}}むいて見た。時刻は暮に近い頃だったから、日の色は{{r|瓦|かわら}}にも{{r|棟|むね}}にも射さないで、{{r|眩|まぼ}}しい局部もなく、総体が{{r|粛然|しゅくぜん}}と{{r|喧|かま}}びすしい十字の{{r|街|まち}}の上に超越していた。この門は色としては、古い心持を起す以外に、特別な{{r|采|あや}}をいっこう具えていなかった。木も瓦も土もほぼ{{r|一色|ひといろ}}に映る中に、{{r|風鈴|ふうりん}}だけが器用に緑を吹いていただけである。瓦の{{r|崩|くず}}れた間から長い草が見えた。廂の暗い影を{{r|掠|かす}}めて白い鳩が二羽飛んだ。余は久しぶりに漢詩というものが作りたくなった。待っている間少し工夫して見たが、一句も{{r|纏|まと}}まらないうちに、橋本が筆と墨を{{r|抱|かか}}えて出て来たので{{r|興趣|きょうしゅ}}は破れてしまった。
このほかにこの門から得た経験は、暗い穴倉のなかで、車に突き当りはしまいかと云う心配と、{{r|煉瓦|れんが}}に封じ込められた{{r|塵埃|ちりほこり}}を一度に頭から浴びると云う苦痛だけであった。余の車屋はこの暗い門の下を潜って、城内の満鉄公所まで、{{r|悪辣無双|あくらつむそう}}に引いて行った。余は生きた風呂敷包のごとく車の上で{{r|浮沈|ふちん}}した。
四十七
茶を飲むと、{{r|酸|す}}いような塩はゆいような一種の味がする。少し妙だと思って、茶碗を下へ置いてゆっくり橋本の講釈を聞いた。その講釈によると、奉天には昔から{{r|今日|こんにち}}に至るまで下水と云うものがない。両便の始末は無論不完全である。そこで古来から何百年となく奉天の民が垂れ流した{{r|糞小便|くそしょうべん}}が歳月の力で{{r|自然天然|じねんてんねん}}に{{r|地|じ}}の底に{{r|浸|し}}み込んで、いまだに飲料水に{{r|祟|たた}}りをなしているんだと云う。一応はもっともだが、説明が少し科学的でないようである。第一それほどの所なら穀類野菜ともに、もっとよくできなければならないはずだと思ったが、{{r|馬鹿気|ばかげ}}ているから議論もしなかった。橋本もこれは伝説だよと断った。伝説と云えば{{r|日本武尊|やまとだけのみこと}}の東夷征伐と同種類に属すべきもので、真偽以外に、重く取扱わねばならぬ筋の来歴を有しているに違いない。いかにも{{r|汚|きた}}ない国民である。
湯を立てて貰って{{r|這入|はい}}って見ると、濁っている。別に黄色く濁っている訳ではないが、御茶の味から{{r|演繹|えんえき}}すればやっぱり{{r|酸|す}}っぱい湯に{{r|浸|つか}}っているとよりほかに考えようがない。{{r|鹹水|しおみず}}にも{{r|溶|と}}けるとか云って大連でくれた{{r|豆石鹸|まめシャボン}}でも、{{r|行李|こうり}}の底から出せばよかったと思った。風呂場も風呂{{r|桶|おけ}}も小さいものである。その上下女が出て来て背中を流してくれる。窮屈に身体を曲げながら、御前は日本人だろう。日本はどこの生れだいなどと話をした。この下女は始めて宿へ着いた時、余を橋本の随行と間違えて、そら何とかさんもいっしょにいらしったと云った。その何とかさんは橋本が{{r|蒙古|もうこ}}へ行くとき、彼と同じくここへ泊った事があるのだそうだ。顔が似ているから間違えたのか、様子が御供らしいから間違えたのかは、つい聞き{{r|糺|ただ}}して見なかった。窓の外に大きな{{r|甕|かめ}}が{{r|埋|い}}けてある。我々の汗や{{r|垢|あか}}が例の酸っぱい水といっしょになって、朝に晩に流れ込んでいるのだから、時々{{r|汲|く}}み出さなければ{{r|溢|あふ}}れるほど溜ってしまう。それを支那の下男が石油缶へ移して{{r|天秤棒|てんびんぼう}}で{{r|担|かつ}}いで、どこかへ持って行く。風呂に{{r|浸|つか}}りながら、どこへ持って行くんだろうなと考えた。余計な心配のようだが余はこの汚水が結局どう片づけられるかの処置を想像して見て、少しく恐ろしくなった。
これでいて{{r|御馳走|ごちそう}}がむやみに出る。胃の悪い余のごときものは、{{r|御膳|おぜん}}の上を眺めただけで、腹がいっぱいになってしまう。夜は{{r|緞子|どんす}}の夜具に寝かしてくれる。店の方では電話が仕切なしにちりんちりんと鳴っている。{{r|品|ひん}}の{{r|好|い}}い{{r|御神|おかみ}}さんが、はあもしもしを{{r|乃別|のべつ}}に繰返す。或る時チョコレートの菓子が食いたくなったから、下女に有るかいと聞いて見ると、すぐもしもしで取り寄せてくれた。のみならず満鉄公所へ御馳走を受けに行けば、{{r|三鞭|シャンパン}}が現れる。領事館へ挨拶に行けば、{{r|英吉利|イギリス}}の王様の写真などが{{r|恭々|うやうや}}しく飾ってあって、まるで{{r|倫敦|ロンドン}}のような気持になる。そうかと思うと、宿の座敷の廊下の向うが白壁で、高い窓から光線が横に{{r|這入|はい}}って来るのは仕方がないが、その窓に{{r|嵌|は}}めてある{{r|障子|しょうじ}}は、{{r|北斎|ほくさい}}の{{r|画|か}}いた絵入の{{r|三国志|さんごくし}}に出てくるような{{r|唐|から}}めいたものである。しかもあまり{{r|綺麗|きれい}}ではない。その上{{r|室|へや}}の中が妙な{{r|臭|におい}}を放つ。支那人が{{r|執拗|しゅうね}}く{{r|置|お}}き{{r|去|ざり}}にして行った臭だから、いくら綺麗好きの日本人が掃除をしたって、依然として臭い。宿では{{r|近々|きんきん}}{{r|停車場|ステーション}}附近へ新築をして引移るつもりだと云っていた。そうしたら、この臭だけは落ちるだろう。しかし酸っぱい御茶は奉天のあらん限り人畜に{{r|祟|たた}}るものと覚悟しなければならない。
四十八
黒い柱が二本立っている。扉も黒く塗ってある。{{r|鋲|びょう}}は飯茶碗を伏せたように大きく見える。支那町の真中にこんな大名屋敷に似た門があろうとは思いがけなかった。門を{{r|這入|はい}}るとまた門がある。これは支那流にできていた。それを通り越すと幅一間ほどの{{r|三和土|たたき}}が{{r|真直|まっすぐ}}に正面まで通っている。もっとも左右共に家続きであるから、四角な箱の中をがらん{{r|胴|どう}}にして、その屋根のない真中を、{{r|三和土|たたき}}を{{r|辿|たど}}って突き当る訳になる。{{r|肋骨君|ろっこつくん}}の説明を聞いて知ったのだが、この突当りが{{r|正房|せいぼう}}で、左右が{{r|廂房|しょうぼう}}である。肋骨君はこの正房の{{r|一棟|ひとむね}}に純粋の日本間さえ設けている。ちょっと見たまえと云って案内するから、{{r|後|あと}}に{{r|跟|つ}}いて行くと、思わざる所に玄関があって、次の間が見えて、その奥の座敷には立派な掛物がかかっていた。かと思うと左の廂房の扉を開いてここが支那流の応接間だと云う。なるほど{{r|紫檀|したん}}の椅子ばかり並んでいる。もっとも西洋の客間と違って{{r|室|へや}}の真中は{{r|塞|ふさ}}いでいない。周囲に行儀よく据えつけてある。これじゃ客が来ても向い合って坐る事はできない訳だから、みんな隣同志で話をする男ばかりでなければならない。中にも正面の二脚は、{{r|玉座|ぎょくざ}}とも云うべきほどに手数の{{r|込|こ}}んだもので、上に赤い{{r|角枕|かくまくら}}が一つずつ乗せてあった、支那人てえものは{{r|呑気|のんき}}なものでね、こうして{{r|倚|よ}}っかかって談判をするんですと肋骨君が教えてくれた。肋骨君は支那通だけあって、支那の事は何でも心得ている。あるとき余に向って、{{r|辮髪|べんぱつ}}まで弁護したくらいである。肋骨君の説によると、ああ云うぶくぶくの着物を着て、{{r|派出|はで}}な色の背中へ細い髪を長く垂らしたところは、{{r|振|ふる}}え{{r|付|つ}}きたくなるほど好いんだそうだから仕方がない。実際肋骨君が振え付きたくなると云う言葉を使ったには驚いた。今でもこの言葉を考え出しては驚いている。いっぺん{{r|汚|きた}}ない爺さんが{{r|泥鰌|どじょう}}のような奴をあたじけなく{{r|頸筋|くびすじ}}へ垂らしていたのを見て、ひどく興を{{r|覚|さま}}したせいだろう。
これほどの肋骨君も正房の応接間は西洋流で我慢している。その隣の食堂では西洋料理を{{r|御馳走|ごちそう}}した。それから{{r|襯衣|シャツ}}一枚で玉を突く。その様子はけっして支那じゃない。万事橋本から聞いたより倍以上{{r|活溌|かっぱつ}}にできているところをもって見ると、振え付きたいは少々言い過ぎたのかも知れない。肋骨君は戦争で右か左かどっちかの足を{{r|失|な}}くした。ところがそれがどっちだか分らないくらい、自由自在に{{r|起|た}}ったり{{r|坐|すわ}}ったりする。そうして軍人に似合わないような東京弁を使う。どこで生れたか聞いて見たら、神田だと云った。神田じゃそのはずである。要するに肋骨君は支那好であると同時に、もっとも支那に縁の遠い{{r|性質|たち}}の人である。
{{r|室|へや}}は{{r|空|あ}}いてるから来たまえとしきりに云ってくれるので、じゃ帰りに厄介になるかも知れないと云うとすぐ{{r|宜|よろ}}しいと快諾したところだけは{{r|旨|うま}}かったが、帰りには{{r|夜半|よなか}}の汽車で奉天へ着く時間割だと橋本から聞くや否や、肋骨君はたちまち宿泊を断った。いや、あの汽車じゃ{{r|御免|ごめん}}だと云う。もう一つの汽車が好いじゃないかと勧めるんだが、プログラムの全権があいにくこっちにないので、やむをえず、そんなら、もし夜半の汽車でなかったら泊めて貰おうと云う条件をつけた。すると肋骨君はまた宜しいと答えた。ところが帰りにはやっぱり予定通{{r|夜半着|やはんちゃく}}の汽車へ乗ったのでとうとう満鉄公所へは泊まれない事になった。満鉄公所で余の知らない所は寝室だけである。
四十九
右へ折れると往来とは云われないくらい広い所へ出たのでようやく安心した。これならば人を引殺す心配もなかろうと思って、案内をしてくれる、宿の番頭を相手に、行く行く話をした。満洲の日は例によって{{r|秋毫|しゅうごう}}の先を{{r|鮮|あざや}}かに照らすほどに思い切ったものである。{{r|眉深|まぶか}}に鳥打帽を{{r|被|かぶ}}っても、{{r|三日月形|みかづきがた}}の{{r|廂|ひさし}}では頬から下をどうする事もできないので、{{r|直下|じか}}に{{r|射|い}}りつけられる所は痛いくらいほてる。そこへ馬の{{r|蹄|ひづめ}}に{{r|掻|か}}き立てられた軽い{{r|埃|ほこり}}が、車の下から{{r|濛々|もうもう}}と飛んで来る。番頭は、結構な{{r|御日和|おひより}}です、少し風でも吹いたらこんなものじゃありませんと喜んでいる。そのうち馬車が家を離れて広い原へ出た。原だから無論{{r|樹|き}}も草も見えないのは当然だが、遠く眺めると、季節だけに青いものが際限のない地の{{r|上皮|うわがわ}}に、幾色かの影になって、一面に吹き出している。なぜこれほどの地面を{{r|空|むな}}しく明けておくかは、家屋の発展に{{r|忙殺|ぼうさい}}されつつある東京ものの眼には即時の疑問として{{r|起|おこ}}る訳であるが、この際はそれよりも窮屈な人間を通り抜けて{{r|晴々|せいせい}}したと云う意識の方が一度に余の頭を照らした。路は{{r|固|もと}}よりついていない。東西南北共に天に作った路であるから、{{r|轍|わだち}}の{{r|迹|あと}}は行く人の心任せに思い思いの{{r|見当|けんとう}}に延びて行く。
支那人の馬車が来た。屋根に{{r|蒲鉾形|かまぼこがた}}の丸味を取った{{r|棺|かん}}のようなもののなかに、髪を油で{{r|練固|ねりかた}}めた女が坐っている。{{r|長柄|ながえ}}は短いが、車の輪は厚く丈夫なものであった。云うまでもなく{{r|騾馬|らば}}に引かしている。まず日本の昔に{{r|流行|はや}}った{{r|牛車|うしぐるま}}の小ぢんまりしたものと思えば{{r|差支|さしつか}}えないが、見たところは牛車よりもかえって{{r|雅|が}}である。その代り乗ってる人間は苦しいそうだ。余はこの車のごろごろ行くところを見て、{{r|輗|げい}}たり{{r|※|げつ}}{{註|[#「車+兀」、555-3]}}たりと形容したくなった。輗の字も※{{註|[#「車+兀」、555-3]}}の字も判然たる意味を知らないのだが、乗ってる人は定めて{{r|輗※|げいげつ}}{{註|[#「※」は「車+兀」、555-4]}}たるものに相違なかろうと思ったからである。実を云うと輗※{{註|[#「車+兀」、555-5]}}たるものは支那の車ばかりではない。こう云う自分もはなはだ{{r|危|あや}}しかった。一望して原だよと澄ましていればそれまでの事で、{{r|仰|おおせ}}のごとく{{r|平|たい}}らにも見えるが、いざ時間に制限を切って、{{r|突切|つっき}}って見ろと云われると、恐ろしく{{r|凸凹|でこぼこ}}ができてくる。おいここで馬車の引っくり返る事はあるまいなと番頭に念を押すと、番頭はええ、まあたいてい大丈夫でしょうと云うだけで、けっして万一を受け合わない。どうも並んでいる番頭の座が急に高くなって、番頭そのものが余の方に{{r|摺落|ずりお}}ちて来そうになったり、またはあべこべに、余が番頭のシャッポの上に{{r|顛|ころ}}び落ちそうになるのは{{r|心好|こころよ}}くないものである。余は神経質で臆病な{{r|性分|しょうぶん}}だから、車が傾くたんびに飛び降りたくなる。しかるに人の気も知らないで、例の{{r|御者|ぎょしゃ}}が無敵に馬を{{r|馳|か}}けさせる。いらぬ事だと冷や冷やしているうちに、一カ所路の悪い所へ出た。原因は解らないが、轍の迹が{{r|際立|きわだ}}って三四十本並んでいる。しかもその幅がいずれも五六寸ある。そうして見るからに深そうに、日影を{{r|遮|さえぎ}}って、奥の方を黒くかつ暗くしている。我々の御者は平気にそこへ乗り込んだ。順当に乗り込んだのならまだよかったけれども、片方の輪だけが泥の中へぐしゃぐしゃと{{r|滅|め}}り{{r|込|こ}}むと同時に、片方は依然として固い土に支えられている。余は{{r|泥側|どろがわ}}に席を占めていた。すると足が土と{{r|擦|す}}れ擦れになるまで車が{{r|濘海|ぬかるみ}}に沈んで来た。番頭は余の頭の上にあるごとく感ぜられた。余はたまらなくなって、泥の中へ飛び下りた。
五十
原が急に{{r|叢|くさむら}}に変化するのは不思議であった。ここにこれだけの{{r|樹|き}}が生えるなら、原の中ももう少し茂って{{r|然|しか}}るべきであると気がついた時はすでに車の両側が{{r|塞|ふさ}}がっていた。竹こそないが、{{r|藪|やぶ}}と云うのが適当と思われるくらいな緑の高さだから、日本の{{r|田舎道|いなかみち}}を歩くようなおとなしい感じである。ところどころ細い枝などが列を{{r|外|はず}}れて往来へ差し出ているのを、通りながら{{r|潜|くぐ}}り{{r|抜|ぬ}}けたり、{{r|撓|しな}}わしたりして行き過ぎるのが何より愉快だった。路も{{r|先刻|さき}}よりは{{r|平|ひら}}たくなって、真白に草と木の間を{{r|貫|つらぬ}}いている。ある所には大きな松があった。葉の長さが日本の倍もあって色は{{r|海辺|うみべ}}のそれよりも黒い。ある所は荒れ果てた庭園の{{r|体|てい}}に見えた。そう云う場所へ来ると、馬車の上から低い{{r|雑木|ぞうき}}を{{r|一目|ひとめ}}に二丁も眺められる。向うに細長い石碑が立っていた。模様だけが薄く見えるが、{{r|刻字|こくじ}}は無論分らなかった。
しばらくすると、路が尽きて高い門の下へ出た。門は石を{{r|畳|たた}}んだ三つのアーチからでき上っているが、アーチの下まで行くにはだいぶ高い石段を登らなくてはならない。門の左右には大きな竜が壁に{{r|彫|ほ}}り{{r|込|こ}}んであった。これが正門ですがね、締切りだから壁へ{{r|添|つ}}いて廻るんですと云って、馬を{{r|土堤|どて}}のような高い所へ上げた。右は{{r|煉瓦|れんが}}の壁である。それがところどころ{{r|崩|くず}}れかかっている。左はだらだらの谷で{{r|野葡萄|のぶどう}}や雑木が{{r|隙間|すきま}}なく立て込んだ。路は馬車が{{r|辛|かろ}}うじて通れるぐらい狭い。そこを廻って横手の門から車を捨てて{{r|這入|はい}}ると、眼がすっきりと静まった。{{r|一抱|ひとかかえ}}もある松ばかりが{{r|遥|はるか}}の{{r|向|むこう}}まで並んでいる下を、長方形の石で敷きつめた間から、短い草が{{r|物寂|ものさ}}びて生えている。靴の底が石に落ちて一歩ごとに鳴った。一丁ばかり行って正面に曲ると、左右に石の象がいた。大きくって、{{r|鷹揚|おうよう}}で、しかも石だからはなはだ静かである。突き当りにある楼門のような所へ這入ったら、今度は大きな亀の背に{{r|頌徳碑|しょうとくひ}}が立ててあった。亀も大きかったが、碑も高い。蒙古と満洲と支那の三国語で文章が刻ってある。後へ出ると{{r|隆恩門|りゅうおんもん}}と云うのが空に{{r|聳|そび}}えていた。積み上げたアーチの上を見ると三層あった。左右に{{r|回|めぐ}}らしてある壁も尋常ではない。あの上を歩いて見たいと番頭に頼むと、ええ今乗って見ましょうと云って中へ這入った。中は真四角に仕切ってある。正面にある{{r|廟|びょう}}の横から石段を登って壁の上へ出ると、{{r|廟|びょう}}の{{r|後|うしろ}}だけが{{r|半月形|はんげつけい}}になっていわゆる{{r|北陵|ほくりょう}}を取り巻いている。
支那の小僧が{{r|跣足|はだし}}で{{r|跟|つ}}いて来た。番頭を{{r|捕|つら}}まえてしきりにこそこそ何か云っている。番頭に聞くと、ええなにと{{r|曖昧|あいまい}}な答をする。また聞き返したらこう云った。――屋根の{{r|廂|ひさし}}の所に着けてある金の玉を、この間一つ落ちた時に、拾っておいたから、買ってくれと云うんです。{{r|表向|おもてむき}}にすると{{r|厳|きび}}しいものですから、こうして見物に来た時、そうっと売りつけようてんで、支那人は{{r|実|じつ}}に{{r|狡猾|こうかつ}}ですからね。
支那の{{r|陵守|りょうもり}}も無論狡猾だろうが、金の玉を安く買おうと云う番頭もあまり正直な方じゃない。番頭はそっと{{r|銭|ぜに}}をやって金の玉をポッケットへ入れたようである。
壁の上を歩くと太い樹が眼の下に見える。桑があんなに大きくなってますと番頭が{{r|指|ゆびさ}}した。なるほど{{r|一抱|ひとかかえ}}もある。この四角な壁の{{r|一側|ひとかわ}}は長さどのくらいかねと尋ねると、へえ今{{r|勘定|かんじょう}}して見ましょうと云いながら、{{r|一歩|ひとあし}}二尺の割で、一二三四と歩いて行った。余は壁の外を{{r|見下|みおろ}}して、そこらを{{r|絡|から}}んでいる赤い木の実を眺めていた。せっかく番頭の勘定した壁の長さは忘れてしまった。
五十一
{{r|撫順|ぶじゅん}}は石炭の出る所である。そこの{{r|坑長|こうちょう}}を松田さんと云って、橋本が満洲に来る時、船中で{{r|知己|ちかづき}}になったとかで、その折の勧誘通り{{r|明日|あす}}行くと云う電報を打った。汽車に乗ると西洋人が二人いた。朝早いので、客車内で持参の弁当か何か食っていたが、撫順に着いたら我々といっしょに汽車を降りた。出迎えのものが{{r|挨拶|あいさつ}}しているところを聞いて見ると、そのうちの一人は奉天の英国領事であった。我々もこの英人等といっしょに炭坑の事務室に行って、二階で松田さんに逢った。松田さんは{{r|縞|しま}}の{{r|縮|ちぢみ}}の{{r|襯衣|シャツ}}の上に薄い背広を着ていた。背の低い気軽な人なので、とうてい坑長とは思えなかった。我々と英国人を{{r|二所|ふたところ}}に置いて、双方へ向けて等分に話をした。橋本も余も英語はいっさい口にしなかった。したがって英人とは言葉を{{r|交|まじ}}えなかった。
やがて松田さんが案内になって表へ出た。貯水池の{{r|土堤|どて}}へ{{r|上|あが}}ると、市街が一目に見える。まだ完全にはでき上っていないけれども、ことごとく{{r|煉瓦作|れんがづく}}りである上に、スチュジオにでも載りそうな建築ばかりなので、全く日本人の経営したものとは思われない。しかもその{{r|洒落|しゃれ}}た家がほとんど一軒ごとに{{r|趣|おもむき}}を{{r|異|こと}}にして、十軒{{r|十色|といろ}}とも云うべき風に変化しているには驚いた。その中には教会がある、劇場がある、病院がある、学校がある、坑員の邸宅は無論あったが、いずれも東京の山の手へでも持って来て眺めたいものばかりであった。松田さんに聞いたら皆日本の技師の{{r|拵|こしら}}えたものだと云われた。
市街から眼を放して反対の方角を眺めると、低い丘の起伏している向うに煙突の頭が二カ所ほど{{r|微|かす}}かに見える。双方共距離はたしかに一里以上あるんだから広い炭坑に違ない。松田さんの話しによると、どこをどう掘っても一面の石炭だから、それを掘尽くすには百年でも二百年でもかかるんだそうである。我々の立っているつい{{r|傍|そば}}でも、八百尺と九百尺のシャフトを抜いていた。
事務所へ帰って{{r|午餐|ひるめし}}の{{r|御馳走|ごちそう}}になったとき英国人は{{r|箸|はし}}も持てず米も喰えず気の毒なものであった。この領事は支那に十八年とかいたと云うのに、二本の箸を{{r|如何|いかん}}ともする事のできないのは案外である。その代り{{r|官話|かんわ}}は達者だそうだ。松田さんは用事が{{r|忙|いそが}}しいとかで、食卓へは出て来られなかった。接待役として松田さんに代った人は、英語で英国人に話したり、日本語で余等に話したりはなはだ多事であった。けれども橋本氏も余もこの時まで英語はいっさい使わなかった。元来英人と云うものはプラウドな気風を帯びていて、紹介されない以上は、{{r|他|ひと}}に向って容易に口を{{r|利|き}}かない。だから我々も英人に対しては同様にプラウドである。
食後は坑内を見物する事になった。田島君という技師が案内をしてくれた。入口で安全灯を五つ{{r|点|とも}}して、杖を五本用意して、それを{{r|各自|めいめい}}に分けて、一間四方ぐらいの穴をだらだらと下りた。十四五間行くか行かないに{{r|坑|あな}}のなかは{{r|真暗|まっくら}}になった。カンテラの{{r|灯|ひ}}は足元を照らすにさえ不足である。けれども路は存外平らで、{{r|天井|てんじょう}}もかなり高かった。右へ曲って、探るように下りて行くと、余のすぐ前にいる田島君がぴたりととまった。余もとまった。案内がとまったから、あとから続いて来たものもことごとくとまった。ここに腰かけがあります。坑へ{{r|這入|はい}}るものはここで五六分休んで眼を慣らすんですと云った。五人は休みながらカンテラの灯で互の顔を見合わした。みんな立って黙っている。腰をおろすものは一人もない。静かな中で時の移るのは多少{{r|凄|すご}}かった。そのうち暗い所が自然と明るくなって来た。田島君はやがて、もうよかろうと云って、またすぐ右へ曲って、奥へ奥へと下りて行った。余も続いて下りた。あとの三人も続いて下りて来た。
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ここまで新聞に書いて来ると、大晦日になった。二年に亘るのも変だからひとまずやめる事にした。
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池袋通り魔殺人事件第一審判決
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2026-10-18T03:39:54Z
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ページの作成:「主 文 被告人を死刑に処する。 押収してある玄能一本(平成一一年押第二〇四四号の1)及び包丁一丁(同押号の2)を没収する。 理 由 【裁判所が認定した事実】 (犯行に至る経緯) 被告人は、岡山県倉敷市で出生し、小中学校時代は特に不自由を感じることのない生活を送り、将来は事務系の仕事に就きたいと考え、大学進学を希望し、進…」
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主 文
被告人を死刑に処する。
押収してある玄能一本(平成一一年押第二〇四四号の1)及び包丁一丁(同押号の2)を没収する。
理 由
【裁判所が認定した事実】
(犯行に至る経緯)
被告人は、岡山県倉敷市で出生し、小中学校時代は特に不自由を感じることのない生活を送り、将来は事務系の仕事に就きたいと考え、大学進学を希望し、進学校と言われていた県立高校に入学したが、父親が仕事をしなくなっていた上、消費者金融等からの多額の借金の取り立てに追われて両親が自宅を出てしまい、時折、夜遅く密かに帰宅して被告人に食費を渡してまた姿を消すという状況になった。そのため、被告人は、進学をあきらめてアルバイトに専念するようになり、結局、平成五年三月三一日付で同校を高校二年で退学した。被告人は、両親が自宅を出てしまってもどこかで自分を見守ってくれていると思っていたことから、自宅に残って一人で生活を続けていたが、そのうち両親が全く家に帰らなくなってしまったことや、貸金業者等の取り立てに耐えられなくなったことから、平成六年一月ころ、兄のBに助けを求め、広島県福山市内のBのアパートに引き取られ、その後同人に紹介されたパチンコ店に住み込んで働き始めた。しかし、被告人は、体を使う仕事がきつかったことから、同年三月末ころ、パチンコ店を退職し、以後、岡山県、広島県、兵庫県内で種々の職に就き、職場では仕事だけではなく人間関係においても、嫌なことを我慢し、もめ事にならないよう気を遣い、雇用主から概ね真面目な勤務態度であるとの評価を受けていたが、いずれも体を使う仕事であったことや給与面で満足できなかったことなどから、数か月毎に職を転々としていた。そして、被告人は、平成八年一一月末ころ職を求めて上京したが、職に就かないうちに、ナイフを所持していたことで銃砲刀剣類所持等取締法違反により現行犯逮捕され、罰金刑に処せられた。その後、被告人は愛知県内で就職した。
被告人は、このように思いもかけず不本意な仕事に従事せざるを得なくなり、また、職場ではもめ事を起こさないように我慢をするなど努力しているにもかかわらず、その努力が正当に評価されず、給与面の待遇も変わらないことから、努力が報われていないと不満を募らせ、他方で街中で見掛ける若者らの享楽的な姿を見て、生きるための努力をしないと反発を感じ、このような人がいるから自分が正当な評価を受けないと考えるようになったが、その後も、転職を繰り返しながら、京都や東京で働いていた。被告人は、前記のような不満を抱いていたことから、平成九年夏ころ、生きるための努力をしない人が多くおり、また、努力していても評価されない自分のような人がいることを外務省や国際連合に伝えたいと考えて、外務省にあてて、一見了解困難な手紙を多数送付した。また、このころBにあてても、理解困難な手紙を数通送付した。
一方、被告人は、テレビや本等を通じて、アメリカは、前記のように反発を感じていた日本とは異なるというイメージを作り上げてあこがれ、アメリカで新しい生活を始めようと思い立ち、平成一〇年六月二四日、単身渡米したが、所持金を使い果たして日本領事館に保護され、教会関係者の世話を受けて生活した後、ビザの期限切れのため、同年九月二三日帰国した。帰国後、被告人は、愛知県内で工場の作業等に従事し、その後、平成一一年四月から東京都足立区内のC新聞a販売店で新聞配達員として働き始めたが、格別不満に思う具体的なことはなかったものの、やはり日本はアメリカとは違い、自分のように努力をしている者が評価されないという不満を抱き続けていた。
被告人は、同年九月一日の朝刊の配達に遅刻したことから、店長の勧めに従って携帯電話を購入し、電話番号を店長に知らせたが、携帯電話を購入したことを知った同僚の一人から電話番号を教えるよう執拗に求められたため、同人が努力をしない人と思っていたことから教えたくなかったものの、やむなく電話番号を教えた。そして、同月三日夜、被告人が,同区内の従業員寮の自室で携帯電話の操作を覚えるため、取扱説明書を読むなどしていたところ、携帯電話に無言電話がかかってきた。被告人は、以前から欲しかった携帯電話を手に入れ嬉しく思っていたのに、電話番号を教えた同僚からの無言電話であり、努力をしない者に自分の気持ちを踏みにじられたと思って衝動的な怒りを覚えると同時に、これを引き金として、これまで抱いていた自分を正当に評価しない社会に対する不満や享楽的と感じていた人々に対する反発心を募らせ、このままでは自分のような努力をしてきた者がその努力に応じた評価をされないままであると思い、日本の社会の努力をしない人間に対する無差別殺人を行って世間を驚かせ、自分を認めさせようと考えるに至った。そこで、被告人は、自室にあったレポート用紙に、「わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお、わしボケナスのアホ全部殺すけえのお。」などと書いてこれを自室の扉に張り付け、翌四日午前三時ころ、デイパックを持って従業員寮を出た。
被告人は、休日等に、時折b地へ出かけることがあり、通称c通りは、日中大勢人がいると分かっていたことから、無差別殺人を実行する場所として都合がよいと考えてb地へ向かい、同日午後、同都豊島区内所在の株式会社Dのb店において、殺人に使用する凶器として包丁一丁及び玄能一本を購入した。他方で、被告人は、実際に無差別殺人を実行すれば、実兄ら親族に迷惑をかけることになると逡巡し、また、それまで感じていた仕事の疲労感がとれてから実行しようなどと考えて、同所付近で無為に時間を過ごし、同日夕刻、同都港区内のカプセルホテルに宿泊した。その後、被告人は、同月五日から七日にかけて、毎日、右包丁、玄能等をデイパックに入れてc通りへ向かったものの、なお実兄らに迷惑がかかるとためらい、また、仕事の疲れも残っていたことから、映画を見たりゲームセンターに入って時間をつぶすなどして犯行に及ぶことなく、夜は右カプセルホテルに宿泊していたが、社会や世間の人々に対する鬱積した不満や反発心は依然として解消されることはなかった。
同月八日朝、被告人は、実兄らへの思いを断ち切り、かねて考えていたとおり無差別殺人を実行することとし、同日午前一〇時過ぎころ、右カプセルホテルを出発し、b地へ向かった。被告人は、地下鉄E線b駅に到着後、犯行に必要な右包丁、玄能等の入ったデイパックを背負って徒歩でc通りに向かい、その途中で朝食をとったり、Fビルへ立ち寄るなどした後、D社b店正面入口前歩道へ行った。被告人は、同所で通行人を無差別に殺害しようと決心し、デイパックを背中から降ろして路上に置き、右包丁と玄能を取り出すとこれを両手に持ち、「むかついた。ぶっ殺す。」などと言いながら、目に止まった若い男女の二人連れを追いかけたが、二人が被告人の挙動に気付いて逃げ去ったため、別の人を探すことにした。
(犯罪事実)
被告人は、第一 平成一一年九月八日午前一一時三五分ころ、東京都豊島区内の歩道において、同所を通行する歩行者を無差別に殺害しようと企て、
一 同所を歩行中のG女(当時六六歳)を認めるや、同女に対し、殺意をもって、所携の刃体の長さ約一四・四センチメートルの包丁(平成一一年押第二〇四四号の2)で、同女の左側胸部を一回突き刺し、よって、そのころ、同所において、同女を心臓刺創からの出血により失血死させて殺害した。
二 続いて、右G女と共に歩行中の同女の夫H(当時七一歳)に対し、殺意をもって、所携の重さ約二七〇グラムの玄能(同押号の1)で同人の頭頂部を二回殴打し、頭をかばった同人の右前腕部を前記包丁で数回切り付けたが、同人に全治約三か月を要する頭部挫創、右前腕切創、右前腕伸筋腱断裂等の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。
三 さらに、同所を歩行中のI女(当時二九歳)に対し、殺意をもって、前記包丁で、同女の左腰部を一回突き刺し、よって、同日午後四時二〇分ころ、同都新宿区内の病院において、同女を肝臓、腎臓等損傷による出血性ショックにより死亡させて殺害した。第二 第一冒頭記載の日時、場所において、業務その他正当な理由による場合でないのに、前記包丁一丁を携帯した。第三 前同日午前一一時四〇分ころ、
一 同都豊島区内の歩道において、同所を歩行中のJ(当時一六歳)に対し、前記包丁で、同人の背中を切り付け、よって、同人に全治約二週間を要する背部切創の傷害を負わせた。
二 同所を歩行中のK(当時一五歳)に対し、前記包丁で、同人の背中を切り付け、よって、同人に加療約二週間を要する右側背部切創の傷害を負わせた。
三 同所を歩行中のL(当時一五歳)に対し、前記包丁で、同人の背中を切り付け、よって、同人に加療約一〇日間を要する背部切創の傷害を負わせた。
四 同区内の歩道において、同所を歩行中のM(当時四五歳)に対し、前記包丁で、同人の背中を切り付け、よって、同人に全治約二週間を要する背部切創の傷害を負わせた。
五 同区内の歩道において、同所を歩行中のN女(当時五二歳)に対し、前記包丁で、同女の背中を切り付けるなどし、よって、同女に加療約一〇日間を要する背部切創等の傷害を負わせた。
六 同区内の歩道において、同所を歩行中のO女(当時四六歳)に対し、前記包丁で、同女の背中を切り付ける暴行を加えた。
七 同所を歩行中のP(当時二八歳)に対し、前記包丁で、同人の背中を切り付ける暴行を加えた。
【証拠の標目】(省略)
【法令の適用】(省略)
【弁護人の主張に対する判断】
一 弁護人は、証人Qの公判廷における供述を前提として、本件各犯行当時、被告人は精神分裂病に罹患しており、これに起因する誇大妄想に支配、影響された動機に基づいて各犯行に及んだのであるから、心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張するので、以下、当裁判所の判断を示す。
二 被告人の犯行時の精神状態については、鑑定人Rの精神鑑定書及び同人の証言並びに証人Qの証言がある。
1 まず、鑑定人R作成の精神鑑定書及び同人の当公判廷における供述によれば、同人は、平成一二年四月七日鑑定を命じられ、同年五月一六日にその日までに取調べ済みの本件公判記録を入手し、その後これを検討し、同年六月八日から合計六回にわたり助手とともに被告人と面接し、さらに同年七月三日から六日までの間、被告人を東京都立S病院に入院させて同病院医師及び臨床心理士を補助者として各種検査及び診察を行い、本件公判記録、各種検査及び被告人との面接等により収集した資料に基づき、被告人の家族歴、生活歴、既往歴を確定するとともに現在症を把握した上、本件犯行前後の被告人の精神状態を把握し、これに現在精神科臨床の一般に用いられている記述的な診断学で挙げられる精神分裂病の症状、世界保健機関(WHO)の国際診断分類(ICDー一〇)の診断基準、米国精神医学会(APA)の最新の診断基準DSMーⅣの診断基準を参考とし、精神分裂病圏の精神疾患の罹患の有無を診断する手法を取ったことが認められる。そして、鑑定人は、「被告人は思春期(高校在学中)に、扶養者たる両親が行方不明になり、独立して自活を強いられるという大きな心的・社会的外傷を負った。被告人の知能は正常域であるが、性格的には内向性、非社会性、感情の冷淡さが著しく、適切な対人関係を形成する能力に乏しい。これは分裂病質人格障害を有しているといえる。」と診断している。一方、鑑定人は、この分裂病質人格障害に見られる種々の特徴が、精神分裂病の症状としてもみられ得ることから、被告人が精神分裂病圏の病気に罹患しているか否かという点から検討してみる必要があるとした上で、被告人の行動の既往には外務省等への奇妙な手紙の集中的発信や全く無計画な渡米等の了解に苦しむ行動があって、思考面や感情表出面の障害を疑わせる点があり、精神分裂病の初期症状としての精神面の変化があったとの疑いを完全に払拭することはできないが、他方で幻覚、妄想、作為体験などの異常体験は見られず、独立して職業に従事するなど意欲面の著しい障害もないことから、定型的な精神分裂病圏の病気に罹患しているとは診断できないとし、また、本件犯行前の数年間に精神分裂病の辺縁群である疾患(分裂病型障害、単純型分裂病等)に罹患していた可能性については、否定もできないが、確言もできず、今後の経過観察によるほかはないとしている。そして、鑑定人は、以上の被告人の精神医学的診断を前提として、本件犯行における被告人の心理について、鑑定時点では、分裂病質人格障害の被告人が些細な動機によって触発された衝動性犯行と考えるべきであり、不幸な境遇の原因となった世間一般に対して漠然とした憎悪感が形成されたもので、特定の対象を持った妄想によるものではないが、それ以上動機を解明することはできず、犯行は無差別的で、その動機は正常人の心理から十分に解明することはできないとした上、被告人の責任能力について、人格障害(精神病質)は、それのみで是非弁別能力及び行動制御能力を著しく低下させることはなく、分裂病に罹患している場合であっても、その診断が直ちに責任能力の有無、程度を決するものではなく、犯行の態様を分析して是非弁別・行動制御能力を個々の犯行について判断すべきであるとの観点から、本件犯行については、犯行動機に不可解な点があり、犯行の契機となったと思われる無言電話に誘発された従業員寮からの家出や仕事の放棄はかなり衝動的、瞬間的なものであるとしても、犯行まで数日の余裕があり、この間凶器の購入などかなり計画的に行っており、犯行の結果について考慮する時間は十分にあったと思われ、是非弁別能力が著しく障害されていたとは思われないとして、犯行時の被告人の精神状態は、責任能力の減弱を考慮すべき状態にはなかったとしている。
2 右のとおり、鑑定人は、鑑定に着手した時点までに提出された証拠を集めた本件公判記録を精査し、被告人の鑑定時における身体的所見を把握し、複数回にわたって被告人との面接や診察を重ねて、これらの資料を基本資料とした上、精神医学界で一般的に認知されている複数の診断基準を参考に、被告人の精神状態を鑑定しているのであって、その資料に不十分な点は認められず、その判断手法にも十分な合理性が認められる。
そして、鑑定人の、被告人に性格的に著しい内向性、非社会性、感情の冷淡さ及び適切な対人関係の形成能力の乏しさなど、分裂病質人格障害の中心的特徴があるとの判断には合理性があり、証人Qも被告人に右特徴があることを認めている。
3 ところで、鑑定人は、被告人の右特徴が精神分裂病の症状としてもみられ得るとした上、被告人の外務省あての奇妙な手紙の集中的な発信や、全く無計画な渡米等了解に苦しむ行動の存在を指摘し、動機が正常人の心理から十分に解明することはできないとする一方、主観的異常体験の存在は確認できないとしている。
他方、証人Qは、当公判廷において、本件当時被告人は誇大妄想にとらわれていたものであり、本件はそのような被告人が、単に無言電話に腹を立てたというにとどまらず、これを契機として妄想にとらわれた被告人独特の思考に基づき努力をしない日本人に対する殺意を抱いて犯行に及んだものであって、無言電話から犯行に至る被告人の精神状態は了解不能である旨供述している。 そこで、主観的異常体験の有無、外務省あての手紙の集中的発信、渡米等の一連の行動の意味づけ、さらに動機の了解可能性等について検討して、被告人が精神分裂病に罹患していたか否かについて判断することとする。
(一) 証人Qの供述内容
証人Qの当公判廷における供述によれば、同証人は、鑑定人作成の精神鑑定書、第七回及び第八回の各公判調書中の鑑定人の供述部分、T作成の被告人の精神衛生診断書、第二回ないし第四回及び第九回の各公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官及び司法警察員に対する供述調書合計二三通、被告人が外務省に郵送した手紙一二通、被告人が犯行前に自室の扉に貼ったメモ紙片、U及びV女の司法警察員に対する各供述調書、W女に対する電話聴取の結果を記載した電話聴取報告書、勾留中作成された被告人作成の手紙一五通、被告人の小中学校の卒業アルバムの抜すい、第九回公判調書中の証人Xの供述部分を資料として、ICDー一〇の診断基準及びDSMーⅣの診断基準を参考として、被告人の精神状態を精神医学的に考察したことが認められる。
そして、証人Qは、被告人に感情的接触の異常、自閉性、感情の鈍麻、思考障害が疑われる症状があるという点、被告人が生活をするために仕事をするという面で社会適応能力はよく保たれているという点は概ねそのとおりであろうと考えるが、他方、被告人には人間関係を広げるという面における社会適応能力の制限があるし、また、精神分裂病の患者が常に社会適応能力が悪いわけではないとし、次いで、被告人の異常体験などの主観的症状の有無については、被告人が、一九歳ころに、相手から愛されているという妄想的錯覚であるところの恋愛妄想を抱くとともに、日本人に対する反感を生起させ、その後恋愛妄想が挫折して妄想の相手を憎悪する気持ちになり続けていたと考えられ、これに遅くとも平成九年の外務省への手紙を発信した時期ころから、観念の連続進行としての思考における観念どおしの間の論理的つながりがないことを特徴とする滅裂思考も続いており、さらに、日本の大多数の人間を世界に向けて告発するというかなり大掛かりな発想があること、拘置所内で被告人が作成した複数通の手紙の内容によれば、被告人には犯行後も宗教的で誇大的な妄想ないし傾向及び滅裂思考が認められるとともに自己の運命に対する無関心さなど感情面の鈍麻が認められることを総合すれば、被告人は一九歳ころに精神分裂病に罹患し、その病気が維持、進行した状況下で本件に及び、現在も病気が進行中であると考えるべきであると述べている。
(二) 社会適応能力の制限の有無について
ところで、関係証拠によれば、被告人は、平成一一年四月から、C新聞a販売店に勤務して新聞配達に従事することとなったが、仕事に就いた後、約五日間で配達担当区域を覚え、約四か月余りの間ほとんど不配達等のミスをすることもなく働き、営業活動にも毎日出かけて新聞購読の継続契約を獲得するなどし、上司からは仕事上平均的な評価を受けていたこと、被告人は、同僚と会話をしたり、一緒に行動することはごく稀であったが、同僚との対人関係や間借りをしていた従業員寮においても何ら問題行動は認められず、勤務していた期間中一度、同年八月に同僚と居酒屋で酒を飲む機会があったときには一緒に酒を飲み、また、同僚が居酒屋の女性従業員に一緒に飲むよう声をかけると、これに同調して同じように声をかけるなどしていたことが認められる。
右事実によれば、被告人は、犯行前、独立して職業に従事し、対人関係も一応形成しており、人間関係を広げるという面における社会適応能力が著しく制限されていたとは認められない。
(三) 恋愛妄想の有無について
関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
すなわち、被告人は、Bに対し、高校入学後、好きな人がいると言っていたことがあり、高校を中退し、職を転々とし始めた後である平成六、七年ころにも、小学校の同級生であったW女という好きな女性がいるなどと言ったことがあった。同じころ、被告人は、同女あてに一方的な好意を綴った手紙を複数回送り、さらに、自宅へ電話をかけて同女と会わせて欲しいと言った上、同女宅を訪ねたことがあったが、応対した父親から、同女には被告人と交際する気がない旨はっきりと伝えられると、それ以上交際を求めることもなくその場を立ち去り、以後、同女に対して交際を求める行動をとることはなかった。
平成九年夏ころに被告人が外務省にあてて発信した手紙の中には、被告人を差出人として、「日本は大部分が小汚い者達です。」、「存在、物質、生物、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人が持つべきです。」、「この小汚い者達には剥奪する必要があります。」、「Breathing okは愛情です。国連のプレジデントに届けて下さい。」、「平和に役立てて下さい。強力な後押しになります。」、「私と関係があるという理由で、この小汚い者達はW女さんという女性を世界中の人達、私の目の前でレイプしようとしています。」、「この小汚い者達は60年後、2057年にはすべて存在しなくなります。BとBの女がこの小汚い者達のボスです。私はこの小汚い者達のようになる事は、いかなる事があろうと、ありません。だれも、いかなる事があろうと、この小汚い者達のようになる事はありません。」、「すべての人には愛する人がいて、そしておだやかに日々がすぎていきます。」、「この文章をd町に出回らせました。」などと記載したものと、差出人を「Bと彼女」として、「助けて下さい。Aにレイプされました。」、「国際裁判をします。僕達にはどうすればいいのかわかりません。お知えて下さい。国連の親父に言ってもらいたい。」などと記載したものがあり、被告人を差出人とした一一通のうちの一通には、さらに「Bと僕(B)の彼女」の名前で、「Aがこのような変な手紙を書いてすみませんでした。」などと記載されていた。
また、平成九年夏ころに、被告人は、Bに対しても、複数回手紙を発信しており、その内容は、自分は大統領だ、Bの彼女を暴行する、人も動物も皆社会的な権利を有する、手紙をd町に出回らせたなどというものであった。その後、右手紙を自分に対する嫌がらせであると考えていたBが、同人宅を訪ねてきた被告人に対し、手紙の件を怒ると、被告人は、即座に謝り、その後、Bにこれに類する手紙を一切出さなくなった。
ところで、鑑定人は、公判廷において、被告人の同女に対する右各行動は、思春期の青年によく見られる一方的な恋愛感情によるものであって、犯行時の精神状態を判断する要素として重要ではないと位置づけ、精神鑑定に当たって被告人と同女との関係を余り考慮しなかった旨述べている。
そこで、検討するに、前記認定の事実によれば、被告人は、同女に対し当初積極的に交際を求めたが、交際の申込みを断られた後は、それ以上同女への接近を図ったことはなかったのである。このような一連の経緯は、相手から愛されているとの妄想的錯覚であるところの恋愛妄想を有している者の行動としては不自然であるし、証人Qが、恋愛妄想を持つ者は、相手から冷たくあしらわれても、自分に対する試練であり、なおも相手から好意を寄せられていると考えるという説明に沿わない。また、本件において、被告人の殺意がW女と全く無関係で面識もない通行人に対して向けられていることは、証人Qが、恋愛妄想の対象者が攻撃対象に最もなりやすく、その次に恋愛妄想患者と妄想の対象者との間に立つ者が攻撃対象となる場合が多く、さらに恋愛妄想の対象者の気を引くなどの理由で恋愛妄想の対象者と無関係の者が攻撃の対象として選ばれることもあるが、本件のように右のような理由も見受けられない、妄想対象者と全く無関係な者が攻撃の対象とされた事例を見聞したことはないと述べていることにも沿わない。
これらの被告人のW女に対する具体的行動や本件犯行の被害者らはいずれも恋愛妄想患者の攻撃の対象となりにくい者であることからすると、被告人が犯行前に恋愛妄想に陥っていたとは認められない。確かに、被告人の外務省あての手紙の中に同女についての記載はあるものの、そのことが被告人の恋愛妄想の存在を根拠づける資料であるとまではいえない。そうすると、恋愛妄想の存在が認められない以上、これを妄想発展させて犯行当時は誇大妄想を抱いていたとするQ証言は前提を異にするものであるし、被告人とW女との関係を重要視することなく精神鑑定を進めた鑑定人の手法に特段の問題は認められず、その鑑定意見の信用性が左右されるものではない。
(四) 滅裂思考の有無について
(1) 被告人が外務省にあてて発信した手紙の記載内容は、前記(三)で認定したとおりであって、被告人は、平成九年夏ころ、一見了解困難な内容の手紙を作成して、これを外務省にあてて集中的に発信し、また、Bに対しても、そのころ同種の内容の手紙を発信している事実が認められる。
そして、鑑定書では、外務省にあてた手紙の発信行為について、異常な行動であり、その心理的背景や動機などを解明することはできなかったとされている。
ところで、既に摘示した外務省にあてた手紙の記載内容に照らせば、これらの手紙は、内容も奇異で、文章のつながりも悪く、全体としての意味や手紙を出した目的については了解困難なところがある。しかし、他方で被告人は、これらの外務省へあてた手紙の一通に、作成者を「Bと僕(B)の彼女」とした上で、「Aがこのような変な手紙を書いてすみませんでした。」などと他人が読んで奇異に感じるであろうことを自認し、かかる手紙を発信したことの弁解とも受け取れる文章を記載していること、また、外務省あての手紙と同じころに発信され、これと同種の内容を伴った手紙を受領したBが、手紙について怒ると、被告人は謝罪し、以後はそのような手紙を出すこともなくなったことに照らすと、被告人は、外務省等にあてた手紙の内容が奇異なものであることを認識していたと考えられる。そして、被告人は、捜査段階から一貫して、これらの手紙に記載されている内容が本当に起こったことだと思って記載したわけではないなどと供述しており、このような被告人の供述は、前記のとおり、外務省あての手紙の一通に「変な手紙を書いてすみませんでした。」と記載したことやBに怒られた際の被告人の対応に沿うものということができる。さらに、被告人は、捜査段階において、これらの外務省へあてた手紙の趣旨について、司法警察員や検察官に対し、国連に送ってもらおうと思って外務省にあてて、自分のように努力している人間にそれなりの対応があるべきであるのに、世の中では努力に見合った対応や評価が無く、努力をしない者が日本に大勢いることを言いたかったので、そのことをオーバーな表現を使った手紙に書いて送ったと述べており、この点は、そのころ被告人が抱いていた不満に沿うものであり、かつ、「小汚い者達」という手紙の表現にも合致するもので、信用できる。他方、被告人は、公判廷で、これらの外務省あての手紙の趣旨の説明を求められても、意味のないものである旨繰り返し供述し、説明を拒んでいる。しかし、これらの手紙の数やその記載内容の特異性、平成九年夏ころまでの被告人の境遇や心情に照らすと、全く意味がないというのは不自然であって、かかる被告人の公判廷の説明を直ちに信用することはできない。
そうすると、被告人が発信したこれらの手紙は、表現が特異で個々の文章間の論理的連絡も不十分であって了解に困難を伴うものではあるが、その中には、少なくとも自分のように努力をしている者に対し、その努力に見合った対応や評価が無く、他方、努力をしない者が日本に大勢いることを主張する目的をもって書かれた手紙であると理解できるものが含まれているのであって、被告人のそれまでの境遇や当時の心情に照らせば、このように被告人が自己の置かれた境遇や社会一般に対する不満を何らかの形で訴えたいという感情を抱くことは理解し得るところであり、心理的背景や動機もそれなりに了解可能である。
以上によれば、外務省あての手紙の存在を根拠として、これらを書き送った当時の被告人が滅裂思考の状態にあったと認めることはできない。
もっとも、不満を訴える手段として、既に摘示した内容の手紙を多数作成して国家機関に送付するというやり方そのものは、やはり通常人の感覚に照らして了解し難いところがあり、その意味において、右手紙の存在は、これらを作成した当時の被告人の精神状態に何らかの変化が生じていることを疑わせるものではある。
(2) さらに、犯行後に被告人が拘置所から知人のX等にあてて書き送った手紙一四通中には、弁護人が指摘するとおり、単に聖書に言及したと見受けられる手紙二通、「A教」との言葉を用いて、「A教」を作ったこと及び「A教」について説明する内容の手紙六通、右Xの知人にあてた同種あるいは右Xに対する不満を書きつづった手紙三通がある。殺人という重大事犯で裁判中の被告人が、自己の名を付した教団を作ったなどという手紙を書き、発信することは、理解困難なところがあるが、その手紙の内容は、「教会員(A教の教会員です。)が集まるかどうかわかりませんが、とりあえずつくりました。」と記載するなど、確たる自信を示していない上、どのような「A教」としたいのか縷々説明し、後にこれを付加、訂正するなど、自己の氏名を付した宗教の存在を所与のものとして確信しているものとなっていない。また、被告人は、公判廷において、「A教」の内容を尋ねられても沈黙し、あるいは、話したいことは特にない旨述べ、具体的な内容の説明もしないのであって、「A教」なるものの存在を主張する相手方が手紙の名宛人等の一部に限られていることからしても、被告人自身、「A教」なる宗教の存在を確信して、これらの手紙を記載しているとすることには疑問を感じざるを得ず、誇大妄想をうかがわせる特徴に乏しいというべきである。したがって、これらの手紙を根拠に、犯行後も、被告人に誇大妄想が認められ、あるいはこれが続いていると判断することはできない。
確かに、これらの手紙の中には、右Xを証人尋問することに対する不満を記載したもの、本件の精神鑑定書で被告人が人格障害と判断されていることに対する不満を記載したものもあるほか、被告人が弁護人にあてた平成一二年一〇月一九日付消印の手紙では、精神鑑定の早期終了を望む旨記載してあるなど、被告人が本件裁判に全く関心を示さないということはできないものの、早期の裁判終了を望む内容のものであり、また、被告人は、公判廷においても、受け答えが総じて冷淡であることなどからすれば、感情面での鈍麻が認められる。しかしながら、これまで幻覚、妄想、作為体験といった異常体験は認められないことに照らせば、感情面の鈍麻があることを理由に定型的な精神分裂病に罹患しているとすることはできない。
(五) 動機の了解可能性について
これまでに認定した被告人の両親失踪時から犯行時までの間の生育歴や生活状況をみれば、被告人は、それまで不自由のない生活を送り、進学校と言われていた高校に入学して大学進学を志し、将来事務系の仕事に就くことを希望していたにもかかわらず、一変して、高校を中退せざるを得なくなったばかりか、一七歳という年齢で、自分の生活は自分で何とかしなければならないという恵まれない境遇に陥り、希望する事務系の仕事に就くことができず、体を使う仕事に従事せざるを得なかった上、周囲の状況に適応すべく、対人関係にも気を遣うなど、自分なりに努力と我慢を重ねて生活を維持し続けてきたことからすれば、被告人自身が努力をしたと感じるということは了解し得るところであり、また、被告人が自己の境遇に不満を持つということも自然な感情といえ、自分の努力が正当に評価されていないという感情を持つと同時に、明らかに努力をしていないと分かる若者を街で見かけて反発を感じることも不自然とはいえない。
そして、被告人は、捜査段階において、無言電話を受けた後無差別殺人を考えたときの気持ちに関し、自分のように努力をしてきた者がその努力に応じた正当な評価や対応がないことに怒りと反発を感じた旨供述しており、また、第二回公判期日において、捜査段階で自己の努力に対するそれなりの対応がないと供述したことを認めるとともに、その趣旨を説明して、弁護人から外務省にあてて被告人が出した手紙の一部を示されながら、「それなりの対応にそぐわないような対応というのは、あって当たり前の反応がないということで、なかなか理解しがたいことだと思って言ったのですけれども、そういうことなどを私が犯行を起こしてしまう前、この手紙を書くときにも考えていたのです」と供述しており、公判廷においても、犯行時も努力に対する評価がないという認識を持っていたことを認める供述をしているのである。そうすると、被告人が、それまでの恵まれない境遇の中で努力をして生活してきたにもかかわらず、これを正当に評価されないと感じて不満を持っていたという背景があることを前提に、被告人がそのような努力をしていないと評価していた同僚からと思われる無言電話に対する怒りを引き金として、不満や反発心の対象を社会一般や、被告人が思い続けてきた努力をしていない人々へ転換し、本件犯行に結びついたものと理解することができるのであって、このような動機の形成過程に飛躍している点があるとはいえ、動機が了解不可能であるとはいえない。そうすると、かかる背景事情を捨象して、被告人の犯行動機を妄想の存在を介するのでなければ了解不能であるとすることはできない。
(六) 渡米というエピソードに対する評価について
関係証拠によれば、被告人は、平成九年二月二八日、愛知県内の工場に就職するため、面接を受けたが、その際、履歴書の志望の動機欄に、外国へ行くお金作りのためと記載して提出し、平成一〇年三月に旅券の発給を受け、雑誌で格安航空券を探して購入し、ほとんど所持金のないまま、同年六月二四日に日本を発って単身渡米し、ロサンゼルスの空港から長距離バスを利用し、サンフランシスコを経由してポートランドへ向かったものの、所持金を使い果たしたことから、同年七月六日ころ、同地で領事館に保護され(被告人は渡米後、旅券を引きちぎってしまっていた。)、その後、領事館に紹介された教会関係者の依頼を受けた者の元で一時的に生活を送ることになり、最初の一か月間は、他の者とコミュニケーションをとることもなかったが、次第に他の者とコミュニケーションをとることが多くなり、ある程度快活にもなって、同年九月二三日帰国した事実が認められる。
鑑定人は、被告人が英語の能力もなく、所持金も余り持たず、就職できるあてもないまま、アメリカ合衆国で生活することを考えて単身渡米した点について、衝動的で理解しがたい行動であるとしている。確かに、被告人は、渡米後自己の旅券を引きちぎり、さらに、目的地に到着した後間もなく所持金を使い果たし、行き倒れ寸前の状態で領事館に保護されるに至っており、被告人の渡米及び渡米後の行動については、その思考過程に飛躍した側面があり、一連の行動に衝動性があることは否定できない。しかし、外務省にあてた手紙の発信行為からうかがわれるように、被告人が平成九年にはすでに日本における自分の努力が正当に評価されていないという思いを抱いていたこと、平成九年二月に作成した履歴書には外国へ行きたいとの希望を持っていたことが記載されており、平成一〇年三月に旅券の発給を受けていることからすれば、被告人は、渡米の相当前からアメリカ合衆国は日本とは違うという独特のあこがれを抱いていたと推測できるのであり、その結果として、三か月前から旅券の準備をし、格安航空券を雑誌で探して購入し、空港から長距離バスを乗り継いで目的地へ向かうなど、目的遂行のため合理的な行動をとっているのであって、被告人の渡米に関する行動を理解し難いとまでは言えない。
(七) 以上の検討及び本件証拠によれば、被告人に主観的異常体験を認めることはできず、これが確認できないとした鑑定人の判断は首肯できるものであり、また、外務省あてに集中的に発信した手紙の存在がこれらを作成した当時の被告人の精神状態の変化を疑わせる資料となりうること、渡米について被告人の思考過程に飛躍した側面がありその一連の行動に衝動性があることは否定できないこと、及び本件犯行の動機は了解不可能であるとはいえないが、その形成過程に飛躍している点があると認めざるを得ないことに照らすと、鑑定人が、被告人が定型的な精神分裂病であると診断できないものの、精神分裂病の初期症状としての精神面の変化があったとの疑いを完全に払拭することはできないとし、今後の経過観察を経なければ、被告人が精神分裂病の辺縁群の疾患に罹患している可能性を否定もできないし確言もできないとした診断は首肯できるものである。これに反し、鑑定人と異なった証人Qの意見は採用できない。
4 これまでの検討に照らすと、鑑定人による精神鑑定における被告人に対する精神医学的診断は首肯できるところであり、右診断を前提として、被告人の責任能力について検討することとする。そして、被告人が精神病質人格障害であれば、完全責任能力が認められるところであるが、被告人が定型的な精神分裂病圏の病気に罹患していたとは認められないものの、精神分裂病の辺縁群である疾患(分裂病型障害、単純型分裂病等)に罹患していた可能性について否定できない以上、被告人の責任能力の判断に当たっては、疑わしきは被告人の利益にという原則に従い、被告人が精神分裂病の辺縁群の疾患に罹患していたことを前提とすることとなる。
そこで、被告人の犯行時の病状のほか、犯行前の生活状況、犯行の動機、態様及び犯行前後の言動等を総合して、本件各犯行時における被告人の責任能力について判断する。
まず、被告人は、前記認定のとおり、犯行前仕事に従事し、周囲の人間との対人関係も一応形成しており、本件犯行の動機も了解不可能とはいえない。
次いで、関係証拠によれば、本件の準備状況、犯行状況及び犯行直後の状況については、判示犯行に至る経緯及び犯罪事実に加えて、以下の事実が認められる。
すなわち、被告人は、平成一一年九月三日夜から翌四日朝にかけて無差別殺人を思い立った後、凶器を準備するためにD社b店へ行き、包丁及び玄能を買ったが、この際、包丁あるいは玄能だけを買って店員からあやしまれることを心配し、包丁を買う際はまな板を、玄能を買う際はドライバーをそれぞれ一緒に買い求めた上、その日のうちにまな板及びドライバーをFビル内のゴミ箱へ投棄した。そして、本件犯行に当たり、被告人は、G女を包丁で刺した後も、Hを目にしたことから直ちに判示第一の二の犯行に及び、その後、犯行場所付近の歩道上にいた男性を追いかけ始めたが、その途中でI女の姿を認め、同女の殺害を決意して判示第一の三のとおりこれを実行し、その後も、特定の通行人を狙うことなく、c通りをe五差路方向へ向かって走りながら、被告人の行動に気付いた通行人が悲鳴を上げながら被告人を避けようとする中、被告人に気付かないまま前を歩いていた通行人を追い越しざまに持っている包丁で突いたり、玄能で殴ったりして進んで行った。この間、被告人は、何者かに物を投げつけられても、全くこれを意に介することなく先へ進もうとしていた。被告人は、c通りをe五差路へ向けて進行中、一旦立ち止まって追跡者と向かい合ったり、包丁の先端が欠けていることに気付くやこれを投棄しており、また、e五差路の横断歩道では、赤色信号であったことから、一瞬立ち止まった後に信号を無視して横断し、このころ、後ろを振り返って玄能を振りかざすなどして追跡者を威嚇し、さらに先へ進むなどしていた。被告人は、追跡者らに追いつかれ、取り押さえられたが、この際、追跡者の一人から包丁の所在を尋ねられると、捨てたと答えたものの、その後は終始無言であった。また、その後到着した警察官に、D社の前で女性らをやったのはお前かと尋ねられ、はいと答えたものの、その後パトカーに乗せられてから、警察官に犯行動機を尋ねられても無言でうなだれていた。
右認定事実によれば、被告人は、犯行を思い立ったその日に、凶器となる包丁及び玄能を購入し、しかも、これらを購入する際には、店の者に犯罪に使う意図を悟らせないことを考えて、凶器の他にまな板やドライバーを購入した上、まな板及びドライバーは、犯行遂行に当たり不要な品であることから、その日のうちに廃棄しているのであって、犯行を決意してからその遂行へ向けた準備を合目的的に行っている。また、c通りは、被告人が時折行っていた場所であり、日中人通りが多くて無差別殺人に適するという犯行場所の選定理由も合理的である。
また、被告人は、このように犯行を決意したその日のうちに凶器を準備し、犯行場所として選定したc通りへ出かけているにもかかわらず、実際には、数日間犯行に及ばなかった。この点、被告人は、検察官及び司法警察員に対しては、疲れていたことのほか、兄や親族のことを考えて犯行に及ぶ踏ん切りがつかなかったなどと一貫して述べていたが、公判廷では、疲れていたので犯行に及ばなかっただけであると供述している。しかしながら、従業員寮からb地まで出かけて凶器を購入するなどしているのであって、疲れていたという理由のみで犯行に及ばなかったとするには不自然といえ、また、逮捕の一四日目に行われた精神衛生診断の問診において、被告人は疲れていたという理由から直ちに犯行に及ばなかったと答える一方で、犯行の際に何を考えていたのかという趣旨の問いに、新聞に自分の顔が出たり、親戚に迷惑をかけるかと思いましたと答え、さらに、犯行までの五日間は何を考えていたのかとの問いに、犯行を起こすとどうなるかと考えていたがほかには何も考えてなかったと答えていることをも考慮すれば、被告人の公判廷供述は信用できず、捜査段階における供述のとおり、被告人が、本件犯行を決意した後、数日間犯行に及ばなかったのは、兄や親戚に迷惑をかけることになると躊躇したことも理由の一つであると認められ、かかる被告人の思考、行動は、社会一般の行動規範に適った合理的で理解可能なものと評価することができる。
そして、被告人は、犯行を遂行するに当たり、D社b店前の歩道上で、まず目にとまった若い男女の二人連れに狙いを付けて追い掛け、逃げられると、その直後に、偶々目にとまったという理由から、全く面識のないG女に狙いを付けて殺害し、続いて、側にいたHに対し、殺害しようとして傷害を負わせ、その後、付近にいた男性を追いかけてc通りをe五差路方向へ進み、その途中で認めたI女を殺害し、その後も、次々と包丁と玄能を使って通行人に暴行、傷害を加えていき、その間、包丁の先端が欠けていることに気付くや、犯行遂行に役立たないと考えてすぐさまこれを投棄するなど、その犯行態様は、b地のc通りで、自分から見れば努力しない人間である通行人らを包丁と玄能を使って無差別に攻撃するという当初の目的に沿い、冷静な一面も認められる合理的なものである。また、被告人は、前述のとおり、自分が追跡されていることを認識し、また、取り押さえられた後に追跡者や警察官からの問いにもきちんと答えており、周囲の状況を適切に認識し、状況に応じた行動をとっていたものであり、犯行状況に関する記憶も正確に保持されている。
以上からすると、被告人の犯行時の病状は精神分裂病の辺縁群の疾患であり、被告人は本件犯行前、それなりに社会生活を営んでおり、また、本件の動機も了解不可能とはいえず、さらに、被告人は、当初の目的に沿って凶器の準備をし、目的どおりに犯行を遂行し、それでも犯行前の数日間は犯行を躊躇するなど理解可能な心理状態を示していた上、犯行直後の被告人の行動も周囲の状況を適切に把握し、状況に応じた行動をとっていることなどを総合すれば、本件各犯行当時、被告人は是非弁別能力及び行動制御能力が喪失していなかったことはもとより、著しく減退した状態にもなかったと認められるので、完全責任能力を認定した。
よって、弁護人の主張は、採用しない。
【量刑の理由】
本件は、被告人が、日中、繁華街において、通行人を無差別に殺害することを企て、二名を包丁で突き刺して殺害し、一名を玄能で殴打するなどして重傷を負わせたが未遂にとどまった事案のほか、五名に対する傷害と二名に対する暴行等の事案である。
被告人は、判示の経緯で犯行現場に到着し、目の前を歩いている通行人を殺害しようと決意して凶器を手にしてからは、最初に目にした若い男女を追いかけ、同人らが逃げると、次に目にとまったG女の殺害を決めてすぐさまこれを実行に移し、包丁で同女の左側胸部を一回突き刺し、同女が倒れるや、さらに側にいたHを殺害することとし、玄能で二回その頭部を殴打するなどし、同人がうずくまった後は、被告人の犯行に気付いて付近の人々が逃げ出し、辺りが騒然とする中、次の攻撃対象として歩道上にいる男性に目を付け、その男性が逃走し始めるとこれを追いかけ、その途中、対向して歩いて来たI女を認めるや殺害の対象を同女に変え、気付いた同女が、被告人を避けようとして、隣を歩いていた夫と向き合うように身体を回転させたところ、その背後から左腰部を包丁で一回突き刺し、その後も、D社前の路上からc通りの西端に至るまでの間、ほとんど立ち止まることなく、周囲の通行人に対し、包丁で切り付けるなどしながら小走りで走り抜けていったものであり、目に映った人物を手当たり次第に次々と攻撃する様は正しく通り魔であって、危険極まりない悪質な犯行であり、襲われた者や周囲の人々の驚愕と恐怖は量り知れず、社会に与えた衝撃や不安も大きいものがある。
殺人の各被害者に対する実行行為は、それぞれ一回にとどまるが、いずれも刃体の長さ約一四・四センチメートルの包丁を用いて、身体の枢要部である胸部又は腰部を突き刺し、創洞の深さが約一六センチメートルに及ぶ傷をそれぞれ負わせており、包丁の刃体がすべて身体に刺入するほど強力な攻撃を加えている。また、殺人未遂の被害者に対しては、頭部を玄能で二回殴打した上、同人が頭をかばおうと手で頭部を覆っても、その上からさらに包丁で数回切り付け、同人がうずくまるまで攻撃し続けたのであって、殺人及び同未遂のいずれも強固な殺意に基づく、凶悪な犯行である。そして、被告人は、犯行を思い立ってから、日中人通りの多い場所であることを知っていたc通りを犯行場所と決め、凶器を買い求めるなど、犯行の実現に向けて準備をし、本件まで四日間程、犯行をためらいつつも犯意を維持し続け、結局、当初意図したとおりの犯行を決行しているのである。
次に、犯行動機についてみるに、被告人は、高校進学後、両親の借金のため生活が苦しくなったことから高校を中途退学し、アルバイトに専念していたが、借金苦から被告人を残して両親が失踪したため、独力で生計を立てざるを得ない境遇に追い込まれたものの、それでも被告人なりに職を求め、希望しない仕事でも真面目に働き、また、職場においても周囲の人との人間関係を壊さないように気を遣ってきたつもりであったが、もともと大学へ進学して将来は事務系の仕事に就きたいと考えていた被告人にとって、そのような生活は満たされたものとは言えず、自分の努力が正当に評価されていないと感じて不満を抱き続け、転職を繰り返していたのであって、その不遇な境遇に照らし、不満を抱くに至った経緯に同情の余地がないわけではない。また、被告人は、以前から欲しかった携帯電話を入手して嬉しく思っていたところへ、努力しない者から無言電話を掛けられたと思って腹を立て、これを契機として世の中が自分を正当に評価しないというかねてから抱いていた不満や享楽的と感じていた人々への反発心を募らせたものであり、その生い立ちや境遇を考えると、このような気持ちを抱くに至った被告人を一概に非難し得るものではない。しかしながら、被告人は、さらに自らの不満等を世の中に訴え、これを認めさせる手段として、努力しない人間は殺しても構わないという歪んだ考えから、全く関係のない人々の命を奪うことを考え、これを実行したのであって、そこにはもはや被告人の不遇な境遇が背景にあることを考慮しても、到底人として許されない自己中心的かつ冷酷な発想があるといわざるを得ず、動機に酌むべき事情は認められない。
被害者らはいずれも善良な市民であり、偶々本件犯行場所を通りかかったに過ぎず、このような凶行に遭わなければならない理由は皆無であるにもかかわらず、命を奪われ、負傷するなどしたものであって、一連の犯行により、殺人による死者二名、同未遂による重傷者一名のほか、傷害、暴行による被害者七名という惨事となったのであって、その結果は重大かつ深刻である。
被害者のG女は、本件犯行により心臓に達する傷を負い、被告人の攻撃を受けてからほとんど間を置くことなく、その場で死亡している。そして、Hも頭部に挫創、右手首に伸筋腱断裂等の全治約三か月の重傷を負った上、包丁で切りつけられた際、その刃先が欠け、現在に至るまで右手首に残存し続けているのであって、同人が受けた肉体的苦痛もまた大きい。G女・H夫妻は結婚後、Hは一家を支えるために真面目に働き続け、G女も一家の中心となって、二人の子供を育て上げ、二人で満ち足りた生活を送ってきており、Hが高齢により健康状態に不安を抱えるようになり、G女も体の不調を訴えるようになったが、残りの人生を精一杯明るく生きていこうとしていたのであって、犯行当日も、普段と変わらない朝を迎え、二人で買い物に出かけたのである。しかるに、G女は、突如として被告人の理不尽な凶行に遭い、健康状態に不安を抱えた夫を残したままその場で命を絶たれたのであり、その無念な心情は察するに余りある。また、Hは、被告人から攻撃を受けて死の危険にさらされ、重傷を負いながらも、妻の様子を気遣い、倒れている妻の側に歩み寄ったところ、同女が目を開けたまま倒れて全く身動きしない場面を目の当たりにし、その場で呆然と立ちつくしていたのであって、Hが本件によって受けた衝撃は量り知れないものがある。そして、病院に搬送されてからも、妻の安否を終始気にかけ、退院後、娘から長年連れ添い心の拠り所であった妻の死を知らされたHの悲嘆、絶望感はいかばかりかと察せられる。
また、I女は、被告人に包丁で刺されてから自力でその場を離れ、近くのパチンコ店内に逃げ込んだものの、力尽きて倒れ、その後病院へ搬送されたが、犯行の約五時間後に死亡するに至ったものである。同女は、短大を卒業後、真面目に稼働する傍ら趣味にいそしむなど充実した生活を送る中で、夫と知り合い、交際を深めて結婚し、当初結婚に反対していた父親からも近時に至ってようやくその理解を得られ、同女の家族と夫との親交も深まり、これからのより幸せな人生に希望を抱き始めた矢先に、理由も分からないまま突如として被告人の凶行に遭い、病院に搬送されるまでの間、瀕死の状態で苦痛に耐えつつ意識を保ち続け、その間、死の恐怖に直面し、様々な思いを遂げられない無念な気持ちを抱きながら二九歳の若さで息途絶えたもので、その心情は正に忍びないというほかない。
さらに、本件における殺人未遂の被害者や殺人の被害者の遺族の処罰感情は事件当初からいずれも峻烈であり、全く理由もなく一家の中心となっていた母を失い、父にも重傷を負わされたG女・H夫妻の子や、突如として幸せな結婚生活を破壊されたI女の夫と、娘の人生を踏みにじられた同女の両親は、いずれも未だ癒されることなく、今後も容易に消えることのない深い悲しみと被告人に対する怒りの心境を述べ、極刑を求めているのであって、その心情には誠に無理からぬものがあるといわざるを得ない。
被告人は、犯行から約二〇か月余りを経た後に、H及びI女の夫にあて、事件について反省している旨記載した手紙とともにそれぞれ現金八万四〇〇〇円余りを送付するまで、慰藉の措置をとることなく過ごしてきたのであり、被告人の兄が親戚と相談の上慰藉のために五〇万円を集めたことがうかがわれることを考慮しても、今後、遺族らに対する十分な慰藉の措置は期待できない状況にある。
また、被告人は、本件後公判廷に至るまで事実を認めた上で、反省しているという言葉を繰り返し述べてはいるものの、自らの犯行や、被害者及びその遺族らに与えた苦痛や悲しみと真摯に向き合おうとする態度はうかがわれないのであって、本件を心から悔悟する姿勢を示しているとは言い難い。
以上のとおり、通り魔的に無差別に人の命を奪い、傷つけるなどしたという本件犯行の危険性や態様の悪質さ、自己中心的かつ冷酷な動機に酌量すべき点がないこと、生じた結果の重大性、遺族らの処罰感情及び社会的影響に照らすと、被告人の刑事責任は誠に重大であり、他方で、本件が綿密な準備を重ねた計画性の高い犯行であるとまでは認められないこと、犯行当時、被告人は分裂病質人格障害の状態にあったか、あるいは精神分裂病の辺縁群の疾患に罹患していた可能性があること、被告人が捜査段階から一貫して事実を認め、捜査段階で作成された供述調書の中では、本当に申し訳ないことをしてしまった、できれば亡くなった方の墓前で線香を上げさせてもらいたいと述べていたのであり、公判廷においても、前記のとおり、心からの悔悟に至らないものの、反省の言葉を述べていること、既に判示したとおり、両親の失踪以来、不遇な境遇の中で生計を維持するために職を求め、それぞれの職場で真面目に勤務し続けていたのであって、その生活態度に特段の問題があるとはいえず、また、平成八年一二月にナイフを携帯したという銃砲刀剣類所持等取締法違反罪で罰金刑に処せられた一犯を除けば、前科はなく、取り立てていう前歴もないこと、犯行当時二三歳と比較的若年であり、被告人を気遣う実兄がいることなど、被告人のため配慮すべき諸事情を最大限斟酌し、さらに、死刑が被告人の生命を永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であって、その適用が慎重に行われなければならないことを考慮しても、本件における罪刑の均衡の見地及び一般予防の見地に照らし、被告人に対して死刑をもって臨むことがやむを得ないものと判断して、主文の量刑をした。
(求刑 死刑、玄能及び包丁の没収)
(平成一四年一月一八日宣告)
平成一四年二月二〇日
東京地方裁判所刑事第一部
裁判長裁判官 大 野 市 太 郎
裁判官 福 士 利 博
裁判官 石 田 寿 一
88r199cw99ctqj5juycwxkzbf4huik2
トーク:点頭録
1
58314
246725
2026-10-18T04:13:17Z
CES1596
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ページの作成:「<!--書誌情報:ここから下をノートに転記--> {{textinfo |edition=<br /> <br /> 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店<br /> 1995(平成7)年4月19日発行<br /> 底本の親本:<br /> 「点頭録六」「点頭録七」「点頭録八」「点頭録九」については原稿(岩波書店蔵)。<br /> それ以外については「東京朝日新聞」。<br /> 掲載日は第一回か…」
246725
wikitext
text/x-wiki
<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->
{{textinfo
|edition=<br />
<br />
底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店<br />
1995(平成7)年4月19日発行<br />
底本の親本:<br />
「点頭録六」「点頭録七」「点頭録八」「点頭録九」については原稿(岩波書店蔵)。<br />
それ以外については「東京朝日新聞」。<br />
掲載日は第一回から第五回までが、1916(大正5)年1月1日、10、12、13、14日である。<br />
初出:「東京朝日新聞」および「大阪朝日新聞」。<br />
「東京朝日新聞」に第一回が1916(大正5)年1月1日に発表された。<br />
最終九回までの掲載日は、同10、12、13、14、17、19、20、21日である。<br />
「大阪朝日新聞」では、1月1日のあと、12日から15日、18日から21日までの九回である。<br />
※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは「漱石全集」編集部によるもので、現代仮名遣いである。<br />
(例){{r|墻壁|〔しょうへき〕}}<br />
※表題およびルビについて、底本の「後記」に次の記載がある(829ページ)。<br />
「表題は原稿および新聞に従ったが、小見出しが同じものについては、「(一)」「(二)」などを補った。新聞は総ルビであるが、適宜削除した。」<br />
入力:砂場清隆<br />
校正:小林繁雄<br />
2003年1月20日作成<br />
青空文庫作成ファイル:<br />
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/ )で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。<br />
<br />
●表記について<br />
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
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点頭録
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2026-10-18T04:15:04Z
CES1596
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ページの作成:「 {{header |title=点頭録 |year= |author=夏目漱石 |translator= |edition=yes |notes= * 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。 {{DEFAULTSORT:てんとうろく}} [[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]] {{Textquality|100%}} }} 一 また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の{{r|間|ま}}に{{r|斯|か}}う{{r|年齢|と…」
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一
また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の{{r|間|ま}}に{{r|斯|か}}う{{r|年齢|とし}}を取つたものか不思議な位である。
{{r|此|この}}感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃の{{r|私|わたくし}}は時々たゞの無として自分の過去を{{r|観|くわん}}ずる事がしば/\ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は{{r|或|ある}}目的をもつて{{r|先刻|さつき}}から足を運ばせてゐるにも{{r|拘|かゝ}}はらず、{{r|未|いま}}だ{{r|曾|かつ}}て一{{r|寸|すん}}も動いてゐないのだと考へたりした。{{r|是|これ}}は{{r|耄碌|もうろく}}の結果ではない。{{r|宅|うち}}を出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を{{r|慥|たし}}かに{{r|有|も}}つた上の感じなのである。自分は{{r|其時|そのとき}}終日{{r|行|ゆ}}いて{{r|未|いま}}だ{{r|曾|かつ}}て{{r|行|ゆ}}かずといふ句が{{r|何処|どこ}}かにあるやうな気がした。さうして{{r|其|その}}句の意味は{{r|斯|か}}ういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。
これをもつと{{r|六|む}}づかしい哲学的な言葉で{{r|云|い}}ふと、{{r|畢竟|ひつきやう}}ずるに過去は一の{{r|仮象|かしやう}}に過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去{{r|心|しん}}は{{r|不可得|ふかとく}}なりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして{{r|当来|たうらい}}の{{r|念々|ねん/\}}は{{r|悉|こと/″\}}く{{r|刹那|せつな}}の現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に{{r|就|つい}}て云ひ{{r|得|う}}べき事は現在に就ても言ひ{{r|得|う}}べき道理であり、また未来に{{r|就|つ}}いても下し{{r|得|う}}べき理窟であるとすると、一生は{{r|終|つひ}}に夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。
{{r|斯|か}}ういふ見地から{{r|我|われ}}といふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して{{r|年齢|とし}}を取る{{r|筈|はず}}がないのである。{{r|年齢|とし}}を取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の{{r|仕業|しわざ}}で、{{r|其|その}}暦も鏡も実は無に等しいのである。
驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を{{r|蔽|おほ}}ひ尽して{{r|儼存|げんそん}}してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る{{r|迄|まで}}{{r|此|この}}「{{r|我|われ}}」が認識しつゝ絶えず過去へ{{r|繰越|くりこ}}してゐるといふ動かしがたい{{r|真境|しんきやう}}である。だから{{r|其処|そこ}}に眼を付けて自分の{{r|後|うしろ}}を振り返ると、過去は夢{{r|所|どころ}}ではない。{{r|炳乎|へいこ}}として明らかに{{r|刻下|こくか}}の我を{{r|照|てら}}しつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間{{r|並|なみ}}に{{r|年齢|とし}}を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。
生活に対する{{r|此|この}}二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に{{r|就|つ}}いて、自分は今何も説明する{{r|積|つもり}}はない。又解剖する手腕も{{r|有|も}}たない。たゞ年頭に際して、自分は{{r|此|この}}一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に{{r|任|まか}}せる覚悟をした迄である。
{{r|若|も}}し無に即して{{r|云|い}}へば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。{{r|否|いな}}明治の始めから生れないのと同じやうなものである。{{r|然|しか}}し{{r|有|う}}になづんで云へば、多病な{{r|身体|からだ}}が又一年{{r|生|い}}き延びるにつれて、自分の{{r|為|な}}すべき事はそれ{{r|丈|だけ}}量に{{r|於|おい}}て増すのみならず、質に{{r|於|おい}}ても{{r|幾分|いくぶん}}か改良されないとも限らない。従つて天が自分に又一年の寿命を{{r|借|か}}して{{r|呉|く}}れた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、{{r|何|ど}}の位の幸福になるか分らない。自分は出来る{{r|丈|だけ}}余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。
{{r|趙州|でうしう}}和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年{{r|発心|ほつしん}}と人に{{r|云|い}}はれた{{r|丈|だけ}}あつて、六十一になつてから初めて道に{{r|志|こゝろざ}}した{{r|奇特|きどく}}な心懸の人である。七歳の童児なりとも、我に{{r|勝|まさ}}るものには我れ{{r|即|すなは}}ち彼に問はん、百歳の{{r|老翁|らうをう}}なりとも我に及ばざる者には我れ即ち{{r|侘|た}}を教へんと云つて、{{r|南泉|なんせん}}といふ禅坊さんの所へ行つて二十年間{{r|倦|う}}まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。{{r|夫|それ}}から趙州の観音院に移つて、始めて人を{{r|得度|とくど}}し出した。さうして百二十の高齢に至る迄{{r|化導|けだう}}を{{r|専|もつぱ}}らにした。
寿命は自分の極めるものでないから、{{r|固|もと}}より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の{{r|初発心|しよほつしん}}の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十{{r|迄|まで}}生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の{{r|顰|ひそみ}}にならつて奮励する{{r|心組|こゝろくみ}}でゐる。古仏と{{r|云|い}}はれた人の{{r|真似|まね}}も長命も、無論自分の{{r|分|ぶん}}でないかも知れないけれども、{{r|羸弱|るゐじやく}}なら{{r|羸弱|るゐじやく}}なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に{{r|於|おい}}ての感謝の意を致して、自己の天分の{{r|有|あ}}り{{r|丈|たけ}}を尽さうと思ふのである。
自分は{{r|点頭録|てんとうろく}}の最初に{{r|是丈|これだけ}}の事を云つて置かないと気が済まなくなつた。
二 軍国主義(一)
今度の{{r|欧洲|おうしう}}戦争が爆発した当時、自分は{{r|或人|あるひと}}から突然質問を掛けられた。
「{{r|何|ど}}んな影響が出て来るでせう」
「{{r|左様|さやう}}」
自分は実際考へる{{r|暇|ひま}}を{{r|有|も}}たなかつた。けれども答へなければならなかつた。
「{{r|何|ど}}んな影響が出て来るか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が{{r|是|これ}}はと驚ろくやうな{{r|目覚|めざ}}ましい結果は予期しにくいやうに思ひます。元来{{r|事|こと}}の起りが宗教にも道義にも{{r|乃至|ないし}}一般人類に共通な深い根柢を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものでない以上、{{r|何方|どつち}}が勝つた所で、善が栄えるといふ{{r|訳|わけ}}でもなし、又{{r|何方|どつち}}が負けたにした所で、{{r|真|しん}}が{{r|勢|いきほひ}}を失ふといふ事にもならず、美が{{r|輝|かゞやき}}を減ずるといふ{{r|羽目|はめ}}にも陥る危険はないぢやありませんか」
自分はさう{{r|云|い}}ひ切つて{{r|仕舞|しま}}つた。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が{{r|凄|すさま}}じい{{r|位|くらゐ}}猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く{{r|此|この}}見解が知らず/\胸の{{r|裡|うち}}にあるからだらうと、{{r|私|ひそ}}かに自分で自分を判断した。
実際{{r|此|この}}戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが{{r|為|ため}}に{{r|美醜|びしう}}の標準に{{r|狂|くる}}ひが出やうとは{{r|猶更|なほさら}}懸念できない。{{r|何|ど}}の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、{{r|所謂|いはゆる}}文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる{{r|虞|おそれ}}はないのである。
戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵{{r|斯|こ}}んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、{{r|其|その}}{{r|仕懸|しかけ}}の空前に{{r|大袈裟|おほげさ}}な{{r|丈|だけ}}に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として{{r|却|かへつ}}て思ひ出させる{{r|丈|だけ}}である。自分は常にあの弾丸とあの{{r|硝薬|せうやく}}とあの毒{{r|瓦斯|ガス}}とそれからあの{{r|肉団|にくだん}}と鮮血とが、我々人類の未来の運命に、{{r|何|ど}}の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして{{r|或|あ}}る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に{{r|折々|をり/\}}は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。{{r|左様|さう}}した立場から眺めると、{{r|如何|いか}}に{{r|凄|すさま}}じい光景でも、如何に{{r|腥|なま}}ぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景を{{r|具|そな}}へて居ないといふ点に{{r|於|おい}}て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの{{r|軽浮|けいふ}}なセンセーシヨナル小説だのと{{r|択|えら}}ぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が{{r|錯綜紛糾|さくそうふんきう}}して、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響に{{r|過|すぎ}}ない。永久に{{r|吾人|ごじん}}一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は{{r|何処|どこ}}からも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの{{r|空々|そら/″\}}しい事実なのである。(つゞく)
三 軍国主義(二)
{{r|然|しか}}しもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、{{r|此|この}}戦争の当然将来に{{r|齎|もたら}}すべき結果は、いくらでも吾々の視線の{{r|中|うち}}に{{r|這入|はひ}}つて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、{{r|向後|かうご}}解決されべき諸問題は{{r|何|ど}}の{{r|位|くらゐ}}彼等の前に{{r|横|よこた}}はつてゐるか分らないと{{r|云|い}}つても{{r|好|い}}い位である。
{{r|其中|そのうち}}で事件の当初から最も自分の興味を{{r|惹|ひ}}いたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも{{r|見做|みな}}す事の出来ない{{r|此|この}}砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、{{r|斯|か}}う{{r|鷲攫|わしづかみ}}に纏めて観察した時、自分は始めて{{r|此|この}}戦争に{{r|或|ある}}意味を附着する事が出来た。さうして{{r|重|おも}}に{{r|其|その}}意味からばかり勝敗の{{r|成行|なりゆき}}を眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、{{r|独逸|ドイツ}}だの{{r|仏蘭西|フランス}}だの{{r|英吉利|イギリス}}だのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて{{r|仕舞|しま}}つた。自分は軍国主義を{{r|標榜|へうばう}}する独逸が、{{r|何|ど}}の位の程度に{{r|於|おい}}て聯合国を打ち破り得るか、又{{r|何|ど}}れ{{r|程|ほど}}根強くそれらに抵抗し得るかを興味に{{r|充|み}}ちた眼で見詰めるよりは、{{r|遥|はるか}}により鋭い神経を働かせつつ、独逸に{{r|因|よ}}つて代表された軍国主義が、多年{{r|英仏|えいふつ}}に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や{{r|羅甸|ラテン}}民族やチユトン人種や{{r|凡|すべ}}て具象的な事項は、今の自分に{{r|左|さ}}した問題になつてゐない。
独逸は当初の予期に反して{{r|頗|すこぶ}}る強い。聯合軍に対して{{r|是程|これほど}}持ち{{r|応|こた}}へやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上に{{r|於|おい}}て、{{r|所謂|いはゆる}}軍国主義なるものゝ価値は、もう{{r|大分|だいぶ}}世界各国に認められたと{{r|云|い}}はなければならない。さうして{{r|向後|かうご}}独逸が成功を収めれば収める程、{{r|此|この}}価値は{{r|漸々|ぜん/\}}高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一{{r|読会|どくくわい}}を通過したのを見ても、{{r|其|その}}消息はよく{{r|窺|うかゞ}}はれるだらう。
かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事が{{r|精|くは}}しく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分は{{r|何|ど}}んな心持になるだらう、さういふ事実は万々起る{{r|筈|はず}}はないのだけれども、たゞ想像して見てさへ{{r|堪|た}}へられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに{{r|独居|どくきよ}}を好む人は特別だと{{r|云|い}}ふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、{{r|殆|ほとん}}ど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。{{r|其|その}}英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには{{r|至大|しだい}}の困難があると思はなければならない。其困難を{{r|冒|をか}}して新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数に{{r|因|よ}}つて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭の{{r|中|うち}}に起りつつある証拠になる。さうして{{r|此|この}}変化は既に独逸が{{r|真向|まつかう}}に振り{{r|翳|かざ}}してゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)
四 軍国主義(三)
開戦の{{r|劈頭|へきとう}}から首都{{r|巴里|パリー}}を{{r|脅|おびや}}かされやうとした{{r|仏蘭西|フランス}}人の脳裏には英国民よりも{{r|遥|はるか}}に深く{{r|此|この}}軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ{{r|何|ど}}うして{{r|独逸|ドイツ}}に復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、{{r|愈|いよ/\}}となると、{{r|却|かへつ}}て{{r|其|その}}独逸の為に領土の一部分を{{r|蹂躪|じうりん}}されるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて{{r|甚|はなは}}だ痛ましい事実である。{{r|其|その}}事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも{{r|亦|また}}必然の結果と{{r|云|い}}はなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ{{r|寸土|すんど}}も敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、{{r|此|この}}精神的打撃は{{r|更|さら}}に{{r|幾倍|いくばい}}の深刻さを加へてゐると見るのが{{r|正|まさ}}に妥当の見解である。
不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接{{r|確|たしか}}めて{{r|呉|く}}れる程の鮮やかな現象が、{{r|仏蘭西|フランス}}ではまだ起つてゐないから、自分は自分の{{r|臆説|おくせつ}}をさう{{r|手際|てぎは}}よく実際に証明する{{r|訳|わけ}}に行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を{{r|迹付|あとづ}}ければ、自分の考への大して{{r|正鵠|せいこう}}を失つてゐない事{{r|丈|だけ}}は{{r|略|ほゞ}}{{r|慥|たしか}}なやうに思はれる。{{r|此間|このあひだ}}{{r|或|ある}}雑誌で「力」といふ観念に{{r|就|つい}}て独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は{{r|益|ます/\}}其感を深くした。
彼は「力」といふ考への{{r|中|うち}}に、{{r|独逸|ドイツ}}人の混入した不純な概念を列挙した末、{{r|仏蘭西|フランス}}のそれも{{r|矢張|やは}}り変に{{r|歪|ゆが}}んでしまつたといふ事を{{r|下|しも}}の様に説いてゐる。
「仏蘭西では科学的に{{r|所謂|いはゆる}}「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四{{r|海同胞|かいどうはう}}式、平和式、平等式、人道式なる{{r|此|この}}観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて{{r|不徳不仁|ふとくふじん}}の属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に{{r|此|この}}「力」といふものを軽蔑し{{r|且|かつ}}否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美{{r|其物|そのもの}}も一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義{{r|其物|そのもの}}も本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は{{r|却|かへつ}}て{{r|転来|てんらい}}的であるといふ事も忘れた。{{r|斯|こ}}んな{{r|僻見|へきけん}}に比べるとニーチエの方が{{r|何|ど}}の位{{r|尤|もつと}}もであつたか分らない。……そこで吾々は{{r|何|ど}}うしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ{{r|易|か}}へなければならない。自然の法則を現すといふ点に{{r|於|おい}}て「力」は科学的なものである。勝利を{{r|冀|こひねが}}ふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を{{r|已|や}}めなければ{{r|行|い}}けない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」
冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意{{r|丈|だけ}}を抄訳した{{r|此|この}}一節を読んで見ても、相手の軍国主義が{{r|何|ど}}んな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)
五 軍国主義(四)
すると戦争のまだ落着しないうちから、年来{{r|独逸|ドイツ}}によつて{{r|標榜|へうばう}}された軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の{{r|果|はて}}に住んでゐる吾々の視聴を刺戟する{{r|位|くらゐ}}強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして{{r|此|この}}影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から{{r|拭|ぬぐ}}ひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底{{r|此|この}}影響を超越する{{r|訳|わけ}}には行かないのである。
{{r|待対|たいたい}}世界の{{r|凡|すべ}}てのものが{{r|悉|こと/″\}}く条件つきで{{r|其|その}}存在を許されてゐる以上、{{r|向後|かうご}}に回復されべき欧洲の平和にも、{{r|亦|また}}絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。{{r|然|しか}}し彼等が{{r|其|その}}平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく{{r|強|し}}ひられるに至つては、彼等と{{r|雖|いへど}}も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に{{r|所謂|いはゆる}}列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上{{r|至極|しごく}}平和さうに見える。今迄彼等の{{r|享有|きやういう}}した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を{{r|向後|かうご}}当分の{{r|間|あひだ}}忘れる事の出来ないやうに{{r|遣付|やつつ}}けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又{{r|是|これ}}から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。
{{r|普魯西|プロシヤ}}人は文明の敵だと叫んで見たり、{{r|独逸|ドイツ}}人が{{r|傍|そば}}にゐると食つた物が{{r|消化|こな}}れないで困ると{{r|云|い}}つたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も{{r|忌|い}}み{{r|悪|にく}}んだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が{{r|何処|どこ}}かに{{r|伏在|ふくざい}}してゐると認めても{{r|差支|さしつかへ}}ないかも知れない。
{{r|然|しか}}し自分の軍国主義に対する興味は、{{r|此処迄|ここまで}}観察して来ると{{r|其処|そこ}}で消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に{{r|就|つ}}いて考へる必要を認めない。又手数も{{r|厭|いと}}はしい気がする。自分はもつと高い場所に{{r|上|のぼ}}りたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今{{r|独逸|ドイツ}}を縦横に{{r|且|かつ}}{{r|獰猛|だうまう}}に活躍させてゐる{{r|此|この}}軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。
将来に於ける人間の生存上{{r|赤裸々|せきらゝ}}なる腕力の発現が、{{r|大仕掛|おほじかけ}}の準備、{{r|即|すなは}}ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は{{r|他|た}}にあるが、それを{{r|遂行|すゐかう}}する手段として{{r|已|やむ}}を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。{{r|然|しか}}し戦争{{r|其物|そのもの}}が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な{{r|此|この}}方面の天才ですら、{{r|夜打朝懸|ようちあさがけ}}、{{r|軍|いく}}さの{{r|懸引|〔かけひき〕}}に興味は{{r|有|も}}つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり{{r|傷|きずつ}}けたりしない程度に{{r|於|おい}}て{{r|其|その}}本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を{{r|賭|かけ}}にして{{r|此|この}}本能に{{r|飽満|はうまん}}の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも{{r|云|い}}ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に{{r|何等|なんら}}かの目的がなくてはならない、{{r|畢竟|ひつきやう}}ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。
{{r|何|いづ}}れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも{{r|亦|また}}決して活力評価表の上に於て、決して上位を{{r|占|し}}むべきものでない事は明かである。
自分は独逸によつて今日迄{{r|鼓吹|こすゐ}}された軍国的精神が、{{r|其|その}}敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を{{r|優|いう}}に認めると同時に、{{r|此|この}}時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に{{r|斯|か}}く多大の影響を与へた事を悲しむものである。
六 トライチケ(一)
欧洲戦争が起つてから、{{r|独乙|〔ドイツ〕}}の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。
最初{{r|英吉利|〔イギリス〕}}の雑誌にはニーチエといふ名前が{{r|頻|しき}}りに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に{{r|新|あた}}らしい名前でもない。然し彼等は{{r|其|〔その〕}}名前に特別な{{r|新|あた}}らしい意味を{{r|着|つ}}けた。さうして彼の思想を{{r|此|〔この〕}}大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の{{r|眼|め}}にも{{r|映|うつ}}る程{{r|屡|しば/\}}繰り{{r|返|かへ}}された。{{r|基督|〔キリスト〕}}の道徳は{{r|奴隷|どれい}}の道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が{{r|斯|〔こ〕}}ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく{{r|如何|〔いかん〕}}は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際{{r|独乙|〔ドイツ〕}}に取つて、{{r|何|ど}}れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。
{{r|仏蘭西|〔フランス〕}}の一批評家は「{{r|所謂|〔いわゆる〕}}独乙的発展」といふ題目の{{r|下|した}}に、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び{{r|付|つ}}ける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ{{r|事|こと}}を説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、{{r|普魯西|〔プロシア〕}}の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子を{{r|含|ふく}}んでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、{{r|何時|いつ}}でも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない{{r|程|〔ほど〕}}毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の{{r|墻壁|〔しょうへき〕}}を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ{{r|已|〔や〕}}まない{{r|事|こと}}になる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。
此批評家の云ふ{{r|事|こと}}が、果して真相の解釈であるか{{r|何|ど}}うか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない{{r|所為|せゐ}}か、{{r|斯|か}}ういふ説明は自分から見て{{r|何|〔ど〕}}うも切実でないやうな気がする。奇抜な{{r|事|こと}}は{{r|突飛|〔とっぴ〕}}な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。
例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸{{r|斯|か}}ういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふ{{r|事|こと}}がある。
英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ず{{r|或|ある}}思想家なり学者なりの言説を大いなる{{r|因子|いんし}}として数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。
自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を{{r|蒙|〔こうむ〕}}つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は{{r|飽|〔あ〕}}く迄も政治である。思想は又{{r|何所|〔どこ〕}}迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)
七 トライチケ(二)
もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の{{r|引合|ひきあひ}}に出るならば、自分は少なくとも{{r|是丈|〔これだけ〕}}の{{r|事|こと}}を{{r|頭|あたま}}のうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下{{r|独乙|〔ドイツ〕}}に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。
ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が{{r|新|あた}}らしい意義を付けた丈である。{{r|疾|と}}うから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の{{r|眼|め}}で、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、{{r|此際|〔このさい〕}}新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の{{r|雲|くも}}のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を{{r|歩|ある}}いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い{{r|独乙|〔ドイツ〕}}によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には{{r|能|〔よ〕}}く{{r|解|わか}}らないから、仕方なしにさういふ言葉{{r|遣|づか}}ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、{{r|彼|〔ひ〕}}{{r|我|が}}国情の{{r|差違|さゐ}}{{r|並|なら}}びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。
千八百三十四年ドレスデンに生れた彼は、父が軍籍に在つた関係から云つても、母が士官の娘であつた因縁から見ても、兵士たるべき運命を{{r|有|〔も〕}}つて生れたと同じ{{r|事|こと}}であつた。小供の時、疱瘡に罹つたのと、それに引き続いて耳の病気に冒されたので、幸か不幸か、彼は彼の既{{r|定|てい}}の行路を全然見捨てなければならなくなつた。
然し十四{{r|位|〔くらい〕}}から彼の父に送る手紙の中には、もう政治上の意見などがちらほら散見し始めたさうである。さうして十六になるかならない{{r|内|うち}}に、彼はいつの{{r|間|ま}}にか熱烈なる独乙統一論者になつて仕舞つた。無論{{r|普魯西|〔プロシア〕}}を盟主としなければならないといふのが、彼の当初からの主張であつた。彼がライプチツヒに遊学した頃、教授の講義は{{r|碌|ろく}}に聴きもせず、手当り次第に{{r|一人|ひとり}}ぼつちの乱読を{{r|恣|〔ほしいま〕}}まにした{{r|時|とき}}ですら、書物から得る凡ての知識は、みな此普魯西中心の国家といふ大理想を構成する{{r|為|ため}}に利用されたのである。
彼はマキアヹルを読んだ。正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、{{r|何時|いつ}}犠牲に供しても{{r|差支|〔さしつかえ〕}}ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、{{r|苟|〔いやしく〕}}も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら{{r|何|ど}}う用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて{{r|遣|〔や〕}}つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる{{r|頃|ころ}}で、{{r|年歯|とし}}にすると二十二三の時の{{r|事|こと}}である。(つゞく)
八 トライチケ(三)
東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは{{r|悉|〔ことごと〕}}く{{r|独乙|〔ドイツ〕}}の敵であつた。彼は{{r|魯西亜|〔ロシア〕}}を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する{{r|墺地利|〔オーストリア〕}}も、彼の憎悪を{{r|免|まぬ}}かれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する{{r|英吉利|〔イギリス〕}}は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔{{r|物|もの}}に過ぎなかつた。彼は到底{{r|一|ひと}}戦争しなければ{{r|済|す}}まないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて{{r|来|く}}るといふ{{r|事|こと}}を信じて疑はなかつた。
多数の聴講生を有する彼は、此目的をもつて大学で{{r|普国|〔ふこく〕}}史を講じ出した。ごた/\した小邦はみんな取り{{r|潰|つぶ}}してしまはなければならないといふ彼の本意は、{{r|此|この}}一事でも{{r|窺|〔うかが〕}}はれた。彼は自ら小邦に生れた{{r|事|こと}}を忘れた。彼の{{r|父|ちゝ}}に対する義理も忘れた。彼は父に向つて云つた。
「{{r|親子|おやこ}}の情合のために自分の信念を{{r|枉|〔ま〕}}げる{{r|事|こと}}は、私には{{r|何|ど}}うしても出来ません」
彼は此言葉と共にライプチツヒを去つた。再び招かれて{{r|其所|そこ}}で演説を試みた{{r|時|とき}}、彼は独乙統一のために、焔のやうな熱烈の言辞を二万の聴衆の上に{{r|浴|あび}}せ{{r|掛|か}}けた。無邪気な彼等は呆然として驚ろいた。
所へビスマークが現はれた。さうしてビスマークは彼の要する理想の人物であつた。ビスマークの{{r|時|とき}}めく{{r|普魯西|〔プロシア〕}}政府は{{r|猶|〔なお〕}}の{{r|事|こと}}統一の中心にならねばならなかつた。彼の{{r|所謂|〔いわゆる〕}}「国家」とならねばならなかつた。「第一に自由、夫から統一」といふ叫び声を無意味なものとして聞き流した彼は、「第一に国家の権利、夫から国家」といふ{{r|旗幟|〔きし〕}}を無遠慮に押し立てた。さうして其国家は即ち普魯西である。他の小邦は幾多の犠牲を甘んじても、此中央政府の意志と命令に従はなければならないといふのが彼の意見であつた。
「国家の実質とも{{r|見傚|〔みな〕}}し得べき「力」を{{r|有|〔も〕}}たない小邦が、何で{{r|国|こく}}家を代表する{{r|事|こと}}が出来よう」
彼は{{r|斯|〔こ〕}}ういつて、多くの小邦を{{r|睥睨|〔へいげい〕}}した。其内には彼の故郷のサクソニーも無論{{r|含|ふく}}まれてゐた。
千八百六十七年ビスマークの力によつて成就された北独乙の聯合は、此意味から見て、彼の理想をある程度迄現実にしたものに違なかつた。其結果として凡てに課せられたる義務兵役と、其義務兵役から生ずる驚ろくべき多くの軍隊とは、支配権を有する{{r|普魯西|〔プロシア〕}}に取つて大いなる力であつた。それを独乙勢力の増進に必要な条件、即ち西方発展策に応用したのが即ち{{r|普仏|〔ふふつ〕}}戦争なのである。
彼の教授を受けた多くの学生は其時従軍した。彼等の一人が熱烈な告別の辞を述べた時、「どんな犠牲を払つても勝て」と云つた彼は、{{r|忽|〔たちま〕}}ちヒーローとして青年から目されるやうになつた。彼は{{r|固|〔もと〕}}より独乙の勝利を信じて疑はなかつたのである。さうして不思議の沈黙に陥つたかと思ふと、彼は負けた{{r|仏蘭西|〔フランス〕}}に課すべき条件の項目を其間に調べ出した。彼はアルサス、ローレンの歴史を研究した末、此二州は元々独乙のものであつたのだから、戦勝後は当然旧主の手に帰るべきものだといふ説を発表した。(つゞく)
九 トライチケ(四)
{{r|独乙|〔ドイツ〕}}は勝つた。独乙帝国は成立した。彼が十年の間{{r|夢|ゆめ}}に迄見た希望は遂に達せられた。
「統一の星は{{r|上|のぼ}}つた。其{{r|途|みち}}を妨ぐるものは災を{{r|蒙|〔こうむ〕}}れ」
是が彼の言葉であつた。此光輝ある時期に際会しながら、{{r|猶且|〔なおか〕}}つ厭世哲学を説くハルトマンの如きは{{r|畢竟|〔ひっきょう〕}}ずるに一種の精神病者に過ぎないと彼は断言した。其癖意志の肯定は国家として第一の義務であると主張する彼は、ハルトマンによつて復活されたる意志の哲学、即ち宇宙実在の中心点を意志の上に置く哲学によつて大いに動かされたのである。彼は実社界を至極{{r|手荒|てあら}}いものに考へた。仁義博愛は{{r|口|くち}}に云ふべくして政治上に行ふべきものでないと信じた。{{r|斯|か}}くして彼はあらゆる人道的及び自由主義の運動に反対したのである。……
自分はトライチケの影響で今度の欧洲戦争が起つたとは云はない。彼の生時にあつてすら、彼はビスマークの顧問でもなければ又助言者でもなかつた。彼の主張とビスマークの実行とは{{r|寧|〔むし〕}}ろ偶然に一致したのだらう。たとひ彼が鉄血宰相の謳歌者であつたにした所で、謳歌されるビスマークの方では、{{r|夫程|〔それほど〕}}彼の言論に動かされてゐなかつたかも知れない。それにも{{r|拘|〔かか〕}}はらず結果から云へば、彼はビスマークの政治上で断行した{{r|事|こと}}を、彼の学説と言論によつて一々{{r|裏書|うらがき}}したと云つても{{r|差支|〔さしつかえ〕}}ないのである。さうして今日の独乙が、社会主義者其他の反抗に関せず、当時の方針を{{r|基儘|〔そのまま〕}}継続して、{{r|其極|〔そのきょく〕}}今度の大乱を引き起したとすれば、思想家としてトライチケの独乙に対する立場も{{r|亦|〔また〕}}自然明瞭になつた訳である。
{{r|是丈|〔これだけ〕}}の関係を明かにすると、自分の癖として、又根本問題に立ち返つて、質問が{{r|起|おこ}}したくなる。
「トライチケの{{r|鼓吹|〔こすい〕}}した軍国主義、国家主義は{{r|畢竟|〔ひっきょう〕}}独乙統一の{{r|為|ため}}ではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の{{r|虞|〔おそれ〕}}なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して{{r|何処|どこ}}から出て{{r|来|く}}るだらうか」
個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。{{r|徒|〔いたず〕}}らに{{r|他|ひと}}を{{r|傷|あや}}める丈である。国と国とも同じ{{r|事|こと}}で、単に勝つ見込があるからと云つて、{{r|妄|〔みだ〕}}りに{{r|干戈|〔かんか〕}}を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた{{r|後|あと}}で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の{{r|事|こと}}を仕終せる精神と実力があるか{{r|何|ど}}うかを{{r|危|あや}}ぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合{{r|理|り}}的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ{{r|事|こと}}に帰着する。
然しながら彼は云つた。――
「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平{{r|衡|こう}}を得たる又より合理的なる支配の下に文明世{{r|界|かい}}を置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの{{r|言葉|ことば}}は今に実現せられるだらう」
して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す{{r|積|つもり}}だつたかも知れない。然しながら、我々人類が{{r|悉|〔ことごと〕}}く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ{{r|其所|そこ}}から説明してかゝらなければならない。
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トーク:金貨 (森鴎外)
1
58316
246727
2026-10-18T04:25:10Z
CES1596
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ページの作成:「<!--書誌情報:ここから下をノートに転記--> {{textinfo |edition=<br /> <br /> 底本:「現代日本文學大系 7 森鴎外集(一)」筑摩書房<br /> 1969(昭和44)年8月25日初版第1刷発行<br /> 初出:「スバル 第九号」<br /> 1909(明治42)年9月<br /> ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。<br />…」
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text/x-wiki
<!--書誌情報:ここから下をノートに転記-->
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<br />
底本:「現代日本文學大系 7 森鴎外集(一)」筑摩書房<br />
1969(昭和44)年8月25日初版第1刷発行<br />
初出:「スバル 第九号」<br />
1909(明治42)年9月<br />
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。<br />
入力:shiro<br />
校正:館野浩美<br />
2021年1月27日作成<br />
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金貨 (森鴎外)
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ページの作成:「{{header |title=金貨 |year= |author=森鴎外 |translator= |edition=yes |notes= * 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。 {{DEFAULTSORT:きんか}} [[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]] {{Textquality|100%}} }} 左官の八は、裏を返して縫ひ直して、{{r|継|つぎ}}の上に継を当てた{{r|絆纏|はんてん}}を着て、{{r|千駄|せんだ}}ヶ{{r|谷|や}}の停車場{{r…」
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左官の八は、裏を返して縫ひ直して、{{r|継|つぎ}}の上に継を当てた{{r|絆纏|はんてん}}を着て、{{r|千駄|せんだ}}ヶ{{r|谷|や}}の停車場{{r|脇|わき}}の坂の下に、改札口からさす{{r|明|あかり}}を浴びてぼんやり立つてゐた。午後八時頃でもあつたらう。
八が頭の中は{{r|混沌|こんとん}}としてゐる。飲みたい酒の飲まれない苦痛が、最も強い感情であつて、それが悟性と意志とを{{r|殆|ほとん}}ど全く{{r|麻痺|まひ}}させてゐる。
八の頭の中では、空想が或る光景を{{r|画|ゑが}}き出す。土間の{{r|隅|すみ}}に大きな{{r|水船|みづぶね}}があつて、{{r|綺麗|きれい}}な水がなみなみと湛へてある。水道の口に{{r|嵌|は}}めたゴム管から、水がちよろちよろとその中に落ちてゐる。水の上には小さい樽が二つ三つ浮いてゐる。水船のある所の上に棚が{{r|弔|つ}}つてあつて、そこにコツプが伏せてある。そのコツプがはつきり目の前にあるやうに思はれるので、八はも少しで手をさし伸べて取らうとする処であつた。
いつまでもここにかうして立つてはゐられないといふこと丈は、八にも分かつてゐる。そんならどこへ行つたら好からう。{{r|当前|あたりまへ}}なら内へ帰るべきであらう。{{r|店賃|たなちん}}が安いので{{r|此頃|このごろ}}越して来た、新しいこけら{{r|葺|ぶき}}から雨の漏る長屋である。{{r|併|しか}}しそこは恐ろしい敵がゐる。八はいつでも友達と{{r|喧嘩|けんくわ}}をすることを{{r|憚|はばか}}らない。{{r|何故|なぜ}}といふに、友達なら、打つか打たれるか、{{r|兎|と}}に{{r|角|かく}}勝負が附く。あのこけら葺に立て{{r|籠|こも}}つてゐる敵はさうは行かない。いくら打つても{{r|敲|たた}}いても、勝負が附くといふことがない。彼は{{r|喊声|かんせい}}を上げて来る。打つて{{r|※|こぶ}}{{註|[#「やまいだれ+澑のつくり」、U+7645、249-上-21]}}を{{r|拵|こしら}}へる。※{{註|[#「やまいだれ+澑のつくり」、U+7645、249-上-21]}}が{{r|平|たひら}}になる。又喊声を上げて来る。又※{{註|[#「やまいだれ+澑のつくり」、U+7645、249-上-22]}}を拵へる。又それが平になる。Sisypos の石は何度押し上げても又{{r|転|ころ}}がり落ちて来るのである。八が{{r|此|この}}敵に向ふことを{{r|敢|あへ}}てするのは、腹に酒のある間ばかりである。酒がなくなつては、どうも敵陣に向ふことが出来ない。実に敵といふ敵の中で山の神ほど恐ろしい敵はない。
八はぼんやりして立つてゐる。身の{{r|周囲|まはり}}の{{r|闇|やみ}}は次第に濃くなつて来て、灰色の空からをりをり落ちて来る雨が、ひやりと頭の真中の{{r|禿|は}}げた処に当たる。
停車場に電車が来て止まつた。軍人の三人{{r|連|づれ}}が改札口から出て、八が立つてゐる方へ、高声に話しながら来る。外には{{r|誰|たれ}}も降りなかつたと見えて、電車はその{{r|儘|まま}}出てしまつた。
先に立つて行く軍人の{{r|雨覆|あまおほひ}}が八の絆纏の{{r|袖|そで}}と摩れ摩れになつて、その軍人は通り過ぎた。八は子供の時に{{r|火傷|やけど}}をして、右の{{r|外眦|めじり}}から{{r|顳顬|こめかみ}}に掛けて、大きな{{r|引弔|ひつつり}}があるので、徴兵に取られなかつた。それで軍人の階級なぞは好く分からない。併し先に立つて行つた四角な顔の太つた男は、年も四十{{r|恰好|かつかう}}で、大佐か中佐かだらうといふこと{{r|丈|だけ}}は分かつた。{{r|襟章|えりしやう}}も赤や緑のやうな{{r|際立|きはだ}}つた色ではなかつたから、砲兵であつたかも知れない。その男は八の方を見返りもせずに行つた。跡から行く二人は皆赤い襟章で、一人は{{r|赭顔|あからがほ}}の図抜けて背の高い男、一人は締まつた体で、苦味走つた顔をした男である。二人共先に行つた男と同じ位な階級の人らしい。どれも八の顔を見て通つた。中にも苦味走つた顔の男は、巡査の人を見るやうな見方をしたと思つたので、八は{{r|癪|しやく}}に{{r|障|さは}}つたが、{{r|怯|おく}}れ{{r|気|ぎ}}が出て下を向いてしまつた。
三人連は{{r|矢張|やはり}}話しながら新屋敷の方へ向いて行く。坂の途中からは真暗であるが、慣れた道と見えて巧に{{r|水溜|みづたま}}りを{{r|避|よ}}けて行く。{{r|後|うしろ}}から見れば{{r|長靴|ながぐつ}}の拍車が光る。八は{{r|殆|ほとん}}ど無意識に跡に附いて歩き出した。八も此道は目をねむつても歩けるのである。
踏切を二度越した。三人連は、八には読めないが、荒川と書いた点燈会社の軒燈の{{r|点|とも}}つてゐる、黒い{{r|冠木門|かぶきもん}}のうちへ{{r|這入|はい}}つた。門の左手にある別当部屋から別当が出て、「お{{r|帰|かへり}}」と叫んだ。四角な顔の軍人は主人と見えて、先に立つて二人を案内した。玄関には台附のランプが点して置いてある。十二三のと八つばかりのと、男の子が二人走つて玄関に出て、お{{r|父様|とうさま}}の右左に取り附く。二人の客はいつも来る人と見えて、何か親しげに子供に物を言ふ。主客とも雨覆を脱いで{{r|長押|なげし}}の{{r|釘|くぎ}}に掛けて、奥に這入つて行つた。別当は客の長靴を{{r|沓脱|くつぬぎ}}の石の上に直して置いて、主人の長靴を持つて自分の部屋に帰つたが、又すぐに出て来て、門の{{r|扉|とびら}}を締めた。
八は向側の、{{r|五爪竜|やぶからし}}の{{r|絡|から}}んでゐる{{r|杉垣|すぎがき}}の処に雨に{{r|濡|ぬ}}れながら立つて、ぼんやり此様子を見てゐたが、別当が門を締めに出て来るとき、殆ど無意識にぬかるみ道を歩き出した。併し門が締まつてしまふと、八は又立ち留まつた。丁度立ち留まつた処に、矢張{{r|硝子|ガラス}}の軒燈の附いてゐる、小さい門がある。これは荒川の家の筋向うになつてゐる、杉垣の家の門である。八はその屋根の下に這入つた。
荒川の屋敷は、別当部屋と、それに続いてゐる{{r|厩|うまや}}とが、往来に接して建ててあつて、{{r|其外|そのほか}}は{{r|黒板塀|くろいたべい}}で囲んである。八はぢつと其屋敷を見てゐると、今迄{{r|薄明|うすあかり}}の差してゐた別当部屋の窓が、忽ち真暗になつた。間もなく別当が門の{{r|潜|くぐり}}を{{r|開|あ}}けて、{{r|番傘|ばんがさ}}をさして出て来て、八のゐる処と反対の方角へ行つてしまつた。
八の頭の中で、此時どこへ行かうかといふ問題が再び提起せられた。そして八はこの黒い板塀の中へ這入らうと思つた。八は自分では全く唐突にかう思つたやうに感じてゐるが、実はさうではない。{{r|閾|しきゐ}}の下の意識がこれまでに働いてゐて、その結果が突然閾の上に出たに過ぎない。八はどこへ行つて好いか分からずに、停車場脇の坂の下に立つてゐた。そこへ軍人が通りかかつたとき、八はそれに附いて歩き出した。其時八は此軍人と自分とに何か縁があるやうに感じたのである。そして軍人が家の中に隠れてしまふと、八は自分のたよりにするものを{{r|亡|な}}くしたやうに感じた。それと同時に別当の姿を見て此別当が自分と軍人との間に成り立つてゐる或る関係に{{r|障碍|しやうがい}}を加へるものであるやうに感じた。それから別当が出て行くのを見たとき、此障碍が除かれたやうに感じた。そしてかういふ感じが順序を追つて起つてゐる背後に、物を盗まうといふ意志が、{{r|此等|これら}}の閾の下に潜んでゐる感じより一層{{r|幽|かすか}}に潜んでゐたのである。そこで今此黒塀の内へ這入らうと、はつきり思つたときには、物を盗まうといふ意志も、一しよに意識の閾の上に{{r|跳|をど}}り出たのである。
八は往来を斜に横切つて、黒い冠木門に近づいた。{{r|潜|くぐり}}を手で押すと、音もせずに{{r|開|あ}}いた。八は門の内に這入つた。此時がたがたどしんといふ恐ろしい音がした。八はびつくりして{{r|背後|うしろ}}の潜戸に手を掛けた。併し物音は馬が{{r|寝藁|ねわら}}の上に転がつたのであつた。八は潜戸に掛けた手を離して、そこらを見廻した。玄関の、向つて右が竹垣で、其中は庭と見えて、{{r|側柏|ひのき}}のやうな木の頭が二三本覗いてゐる。八は別当部屋の前を通つて左手へ廻つた。厩のはづれまで来ると、台所から{{r|明|あかり}}がさしてゐて、女の声が聞える。奥さんと女中とで何かしてゐるらしい。{{r|明|あかり}}に透かして見れば、厩のはづれから、向つて左隣の{{r|界|さかひ}}に掛けて、一面の{{r|竹藪|たけやぶ}}である。八は暫く様子を見てゐて、{{r|穿|は}}いてゐた{{r|下駄|げた}}を脱いで、厩の{{r|簷下|のきした}}に置いて、竹藪の中に這入つた。そして左隣の垣に接した処を歩いて、明のさしてゐる間を通り越した。雨がざつざつと降つてゐるので、{{r|笹葉|ささつぱ}}が落ちて積つてじくじくになつてゐる上を踏んでも、少しも音は聞えないのである。
竹藪の奥の{{r|詰|つめ}}まで来た。ここからは障子を{{r|脱|はづ}}してある八畳の間が見える。ランプの光は、裏の畠の{{r|界|さかひ}}になつてゐる、{{r|臭橘|からたち}}の垣を照して、{{r|蜘|くも}}の{{r|網|い}}に溜まつた雨の{{r|雫|しづく}}がぴかぴかと光つてゐる。主人も客も{{r|湯帷子|ゆかた}}に着更へて、縁側近く据わつて、主人と背の高い{{r|赭顔|あからがほ}}とが{{r|棋|ご}}を打つのを、小男の客が見てゐる。八の内にもあるやうな{{r|脚炉|あんくわ}}から引き出した、四角な黒い{{r|火入|ひいれ}}から{{r|蚊遣|かやり}}の{{r|烟|けむり}}が盛んに立つてゐる。小男の客は、をりをりその側にあるブリキの{{r|罐|くわん}}から{{r|散蓮華|ちりれんげ}}で{{r|蚤取粉|のみとりこ}}を{{r|撈|すく}}ひ出して、蚊遣の補充をする。三人とも{{r|傍|そば}}に{{r|麦酒|ビイル}}のコツプを控へてゐる。縁の{{r|傍|そば}}の土の上には手桶が一つ置いてあつて、それに麦酒瓶が冷してある。小男がをりをり三人のコツプに麦酒を補充する。口の{{r|開|あ}}けてある瓶は、{{r|注|つ}}いでしまふ度に{{r|栓|せん}}をして、{{r|倒|さかさ}}に閾に寄せ掛けて置くのである。八は妙な事をするものだと思つて見てゐる。
藪は随分{{r|繁|しげ}}つてゐるが、雨はどしどし漏つて来る。八は{{r|絆纏|はんてん}}のぴつたり{{r|肌|はだ}}に{{r|引附|ひつつ}}いた上を雨に{{r|叩|たた}}かれて、いやな心持がする。{{r|周囲|まはり}}を見ると、横手の垣と裏の{{r|臭橘|からたち}}の垣とが出合ふ処に、真黒に繁つてゐる、大きな木がある。{{r|椿|つばき}}の木らしい。八はその下へ這入つてしやがんだ。ここは雨が漏らない。{{r|好|い}}い{{r|塩梅|あんばい}}だと思つてゐると、顔や足に蚊が喰ひ附く。叩き殺して遣りたいが、音をさせてはならないと思つて、さすつてゐる。蚊はそれを馬鹿にするやうに、逃げても又すぐに来て{{r|止|と}}まる。八は顔のまはりと、両足の{{r|踝|くるぶし}}の処とをかはるがはるさすつてゐる。
奥さんが何か持つて、勝手の方から出て来た。{{r|漬物|つけもの}}を上げて来たのらしい。小男は、「これは恐縮」と云つて、奥さんの手から{{r|丼|どんぶり}}を受け取つた。主人は奥さんを顧みて、こんな事を言ふ。
「六畳に蚊屋を{{r|弔|つ}}つたかい。」
「はい。弔りました。」
「子供はどうした。」
「四畳半に休ませてあります。」
「さうか。そんなら、もう用はないから、女中を寝かしてお前も寝るが{{r|好|い}}い。」
「はい。それでは、どなたにも御免を{{r|蒙|かうむ}}ります。」
石を一つ持つて考へ込んでゐた{{r|赭顔|あからがほ}}は奥さんにかう云つた。
「いや。{{r|何|どう}}もかう{{r|度々|たび/\}}宿舎をお引受ではお{{r|困|こまり}}でせう。あはゝゝ。」
「どう致しまして。一向お構申しませんで。」
こんな応対がはつきり聞える。奥さんは勝手へ引込んだ。暫くすると、勝手の戸を締める音がする。それから、障子か{{r|襖|ふすま}}かを開けたり締めたりする音が二三遍聞えて、跡はひつそりした。時計の音がする。八が数へたら、十時であつた。
棋には主人が負けたらしい。{{r|寛|くつろ}}げた{{r|襟|えり}}の間に挟んであるハンケチを出して、額の汗を{{r|揩|ふ}}きながら、あはゝゝと大声に笑つてゐる。{{r|赭顔|あからがほ}}は大きな体をゆつたり構へて、にこにこしてゐる。今度は小男が赭顔の相手に出て来た。主人は{{r|起|た}}つて外を見た。丁度八と目を見合せるやうになつたが、{{r|固|もと}}より藪の中が見える筈はない。八は少しも{{r|怯|おく}}れたやうな気はしないで、{{r|却|かへつ}}て主人を{{r|好|い}}い{{r|旦那|だんな}}らしいと思つた。主人は手桶に漬けてある麦酒の瓶を出して栓を抜いて、三つのコツプに注いで、自分は一息に飲み干した。八は覚えず{{r|唾|つば}}を飲んだ。
今度の棋は前より余程手間取る様子である。小男の客は考へ込んでゐて、容易に石を下さない。主人は暫く見てゐたが、ついと立つて座敷の真中へ往つて、大の字に寝転んで、{{r|傍|そば}}にある{{r|団扇|うちは}}を取つて、風を入れてゐる。{{r|頗|すこぶ}}る長い間隔を{{r|以|もつ}}て、ぱちりぱちりと云ふ石の音が、雨の音の間に聞えるばかりで、一座はひつそりする。
椿の木の下に這入つてからは、雨は殆ど全く漏らないので、八は着てゐる絆纏がひとりでに乾くやうに感じた。夜は更けて、相変らず蒸し蒸ししてゐるので、肌の{{r|冷|ひや}}つくのが、{{r|却|かへつ}}て心持が{{r|好|い}}い。{{r|只|ただ}}蚊のうるさいのに難渋する。八は、もう大概にして{{r|廃|よ}}せば{{r|好|い}}いと思つても、なかなかはかが行かないらしい。石の音の間隔は次第に延びるばかりである。小男は蚊遣をくべ足して、暫く腕組をして考へ込んでゐる。さうすると主人がひどい{{r|鼾声|いびき}}を掻き出した。小男は起つて主人の{{r|傍|そば}}へ行つて揺り起した。
「寝ると風を引きます。」
「うむ。あゝ。寝たかなあ。あゝ。」
主人はむつくり起き上がつた。{{r|一寸|ちよつと}}寝たので大いに{{r|恢復|くわいふく}}したといふ風で、快活に碁盤の脇に出掛けて来た。
「やあ。まだちつとも戦況が{{r|捗|はかど}}つてをらんぢやないか。」
赭顔はゆつたり構へて、にこにこして主人の顔を見る。
「まだなかなか。」
小男の客は又局に対した。矢張容易には石を下さないのである。十一時の時計が聞える。
八は椿の木の下にしやがんで、{{r|辛抱|しんばう}}強く荒川主客の様子を見てゐる。辛抱強くとは云ふものの、実は八の性分が性急でないから、さほどにじれつたがつてもゐない。明治三十七八年{{r|役|えき}}には、よく待機陣地を守るといふ語が訓令なんぞに用ゐられた。八は余り待機陣地を守ることを苦にしないのである。只麦酒が主客の{{r|咽|のど}}を通る度に、八は唾を飲み込んで我慢する。これが一番つらい。八はこんな事も思つて見た。縁側のはづれの処へ忍び寄つて、縁の下をあの手桶の傍まで行つて、瓶を取つて来ることは出来まいかと思つて見た。併し八も此計画の冒険に過ぎてゐるといふことを認めないわけには行かない。其上{{r|縦|よし}}や首尾好く瓶を取つて来たとしても、栓を抜くのがむづかしい。兵隊になつて戦争に行つたものの話に、ロスケの残して置いた酒を飲むには、瓶の口を銃剣で{{r|打欠|ぶつか}}いたと云ふことだが、{{r|生憎|あいにく}}瓶の口を欠くやうな物を持ち合せない。{{r|周囲|まはり}}には手頃の石もない。それに硝子瓶を{{r|壊|こは}}せば音がする。八の頭にはこんな出来ない相談が往来してゐる。そして{{r|可笑|をか}}しい事には、をりをりは何の{{r|為|た}}めにかうしてしやがんでゐるかといふことを、丸で忘れてしまつてゐるのである。そんな時には、ひどい雨だ、この椿の木でも無かつた日には災難だ、せめて上だけでも晴れれば{{r|好|い}}いなどと、泥坊らしくもない、のん気な事をも考へる。
赭顔と小男との勝負はなかなか附かない。麦酒は盛んに飲まれる。中にも主人は{{r|連|しき}}りに満を引いてゐる。余り飲んだので、主人は小便がしたくなつたと見えて、便所に這入つた。便所は、八のゐる方角とは反対の、縁側のはづれにある。主人の{{r|咳払|せきばらひ}}をして{{r|痰|たん}}を吐いて小便をする音が聞える。八はその音を聞くと、自分も小便がしたくなつた。
八は小便がしたいと思ふと同時に、こんな事を考へた。あの軍人は酒を飲んで小便をする。{{r|己|おれ}}は酒も飲まずに小便をする。{{r|果|はか}}ない身の上だといふやうな事を考へた。そのうち小便はいよいよ我慢出来なくなつた。併しここで小便をしたら、音がするだらう。雨も生憎少し小粒になつてゐる。{{r|猶更|なほさら}}小便の音が{{r|引立|ひつた}}つわけだ。どうしたものかと考へた末、八は一生の智恵を絞り出して、椿の木の幹にしかけた。それでもをりをり{{r|逸|そ}}れてしゆつと云ふことがある。八はその度にびつくりしたが、{{r|幸|さいはひ}}に誰も気が附かなかつた。
八は此時こんな事を思ひ出した。泥坊に這入るには、{{r|糞|ふん}}をして置いて這入るものだといふことを聞いたことがある。そこで{{r|序|ついで}}にして見ようかと思つたが、したくなかつた。作者が考へて見るのに泥坊が糞をして其上に{{r|盥|たらひ}}を伏せて置くといふのは、{{r|厭勝|まじなひ}}には相違ないが、さういふ厭勝が出来たのには、も少し深い原因があるらしい。物を盗みに人の家に這入るときには、神経の{{r|刺戟|しげき}}が不随意に腸の{{r|蠕動|ぜんどう}}を起すことがある。丁度学生が試験を受けに出るときに、どうかすると便意を催すのと同じ事である。三十七八年役に{{r|南山|なんざん}}を攻撃した兵卒の中に、敵の砲弾を受けながら、{{r|高梁|かうりやん}}の畑で糞をしたものがある。新聞には大胆な振舞として書いてあつた。あれも矢張神経の刺戟である。八は{{r|総|すべ}}ての精神作用が鈍くなつてゐるので神経の刺戟も何も起らない。それで糞をしたくないのである。
十二時の時計が聞えた。暫くしてから、棋の勝負が附いた。今度は小男が勝つたと見えて、赭顔が笑つて五分苅頭をさすつてゐる。主人は何か思ひ附いたやうに、席を立つた。
「待て待て。今度は{{r|己|おれ}}が遣る。併し麦酒が尽きたから、代用品を持つて来るぞ。」
かう云つて、床の間の脇の袋戸棚の中から、コニヤツクの瓶に小さいコツプを三つ添へて持ち出して、碁盤の{{r|傍|そば}}に置いた。コニヤツクは栓は抜いてあつたが、まだ余り減つてはゐなかつた。小男は瓶を手に取つて札紙を見た。
「代用品どころではない。なかなか上等ですなあ。」
かう云つて、三つのコツプに注いだ。赭顔は{{r|直|すぐ}}に自分のを取り上げて、少し口に入れて舌打をした。主人は小男の向うに据わりながら、自分のコツプを取つて、一息に{{r|咽|のど}}に流し込んだ。
「コニヤツクはかうして飲むものだ。」
小男は「一寸失敬」と云つて立つたが、麦酒のコツプを持つて縁端に出て、手桶の水で洗つて、それから茶盆の上にある小さい湯わかしの湯をそれに注いで、小さいコツプのコニヤツクを其上にぶちまけてしまつた。
主人と小男との棋が始まつた。小男は相変らず考へ考へ打つてゐるが、主人は相手の手が引込むや否や、すぐに石を下す。小男は薄めて酒を飲みながら考へて打つ。主人は石を下して置いて、考へずに{{r|生|き}}の酒を飲む。主人の手が幾ら早く動いても小男は考へる丈は考へねば置かない。そこで相応に時間が立つ。
暫くすると、{{r|傍|そば}}で見てゐた赭顔が、忽ち「あはあは」と笑つて、「さうなつては、もう挽回の望もない」と云つた。そのうちに主人が、「負ける時は{{r|潔|いさぎよ}}く負ける」と云ひながら、造つた石を崩しはじめた。
「負ける時は潔く負ける。さあ。寝よう、寝よう。」
「蚊屋の中は熱さうですなあ。」
石をしまひながら、小男が云つた。主人はのん気である。
「なに。雨戸を少しづつ開けて置くから好い。」
主人が起つて戸袋から戸を繰り出すと、二人の客が間々を一尺程づつ透かして置いて戸を締めた。主客は一間を取り散らした儘にして置いて、次の間に{{r|弔|つ}}つてあつた蚊屋に這入つて寝たらしい。時計は一時を打つた。
八は藪から出て、皆の寝てゐる部屋の外に来て、様子を{{r|覗|うかが}}つてゐた。八畳の間の方からは{{r|明|あかり}}がさしてゐるが、蚊屋の弔つてある部屋は真暗である。初のうちは{{r|団扇|うちは}}を使ふ音がしてゐたが、暫くするとそれが止んで、{{r|鼾|いびき}}の声がして来る。主人のと赭顔の男のと、別々に聞えるやうである。そのうちに小男の寝息も聞き分けられるやうになる。八は三人の寝しづまつたことを知つた。
藪の中にゐたときと、雨戸の外へ来てからとは、八の心持が少し違ふ。八は余程臆病になつた。濡れ通つた着物の下に汗が出て、{{r|殊|こと}}に胸の真中の筋をたらたらと流れ落ちる。藪の中では、熱くても、そんな事はなかつたのである。
併し八には早く家の中に這入りたいといふ意志は十分にある。そして彼の意識の中で、最もはつきりした写象をなしてゐるのは、酒を飲むことである。這入りたいのは主として酒を飲みに這入りたいのである。同時に物を取らうといふ考が無いことはない。これは泥坊になつたからには、物を取らなければならないと思ふのであつて、余り取りたいのではない。酒の飲みたいのは猛烈なる本能である。物を取らうと思ふのは、物を取つて泥坊たる面目を保たねばならないといふ一種の義務心に過ぎない。
八は雨戸の外を手桶の置いてある処まで進んだ。八畳の間は障子を脱した儘で、ランプも{{r|心|しん}}を引込ませて此部屋に置いてある。その癖蚊屋を弔つて三人の寝てゐる六畳との{{r|堺|さかひ}}の{{r|唐紙|からかみ}}は締めてある。
八は暫く寝息を覗つてゐたが、透かしてある雨戸の間から、体を横にして縁に上がつた。縁にゐる間に、{{r|若|も}}し誰か目を{{r|醒|さま}}すと、蚊屋の中から見えるだらうと思つたので、八は急いで棋盤の傍を通つて部屋に這入つた。藪の中の笹葉の上と、庭の{{r|苔|こけ}}の上とを歩いたのだから、足は割合に{{r|汚|よご}}れてゐない。只縁に濡れた痕が附いた丈である。
八は先づ、麦酒の瓶が四五本、給仕盆二枚の上に並べてあるのに目を着けた。多分{{r|虚|から}}だらうとは思ひながら、手に取つて見たが、どれにも一滴も残つてゐない。次に棋盤の傍にあるコニヤツクの瓶を手に取つた。これはまだ七八分目程這入つてゐる。八はそれを麦酒のコツプに一ぱい注いで、一口ぐつと飲んだ。少し強いとは思つたが、咽から{{r|下|さが}}つて腹に落ち着くまで、ぴりぴりするやうな、温いやうな感じがして、いかにも心持が好い。八は大きいコツプに一ぱいのコニヤツクを三口に飲んだ。三口目を飲んでしまふ頃には、もう体ぢゆうがぽかぽかして来て、雨に濡れた絆纏から湯気が立ちさうな気がする。跡を瓶からコツプに注ぎは注いだが、その儘にして置いた。一息{{r|衝|つ}}いてから飲まうと思つたのである。
八はそろそろ集まつて来る蚊を払ひながら、部屋のうちを見廻した。此位殺風景な部屋は珍らしい。床の間には掛物を掛けずに、大きな砲弾が二つ据ゑてある。{{r|其周囲|そのまはり}}には書物やら雑誌やらが乱雑に積み上げてある。{{r|長押|なげし}}には大きな額が掛けてある。八には読めないが、某元帥の書で、「{{r|動於九天|きうてんにうごく}}」といふ四字である。机が一つ床の間の前に寄せて置いてある。{{r|蓋|ふた}}をしない{{r|硯箱|すずりばこ}}には、黒と赤とのインク壺が割り込んでゐて、毛筆もペンも鉛筆もごつちやに{{r|抛|はふ}}り込んである。原稿紙らしい{{r|罫紙|けいし}}やら洋紙の方眼紙やらが積んである上に、三角定木と両脚規とが文鎮がはりに置いてある。その外には棋盤と蚊遣の火入と、瓶や漬物を入れた丼の明いたのばかりで、別に何んにもないのである。
八は雨戸の外にゐた時は、臆病げが立つてそはそはしてゐたが、今は又気が落ち着いた。それには次第に{{r|利|き}}いて来るコニヤツクも手伝つてゐるのであらう。唐紙を{{r|一重|ひとへ}}隔てて、隣の部屋に大の男の、しかも軍人が三人寝てゐるのが、さほど苦にもならないのである。併し八は落ち着いてゐる中にもこんな事を思つた。若し今あの人達が目を醒ましたら、どうするだらう。サアベルで切るだらうか。それともピストルで打つだらうか。それにしてもサアベルや何ぞはどこにあるだらう。寝る処に持つて行つてゐるだらうかなどと思つた。此想像は当つてゐた。主人の荒川大佐は、軍服や軍刀はいつも寝間に置いてゐる。一体は{{r|磊落|らいらく}}な男なので、軍服なぞも脱ぎ散らかして置いて、細君が勝手に片付けるのであつたが、或時ふいと感じたことがあつて、今では寝ても{{r|傍|そば}}を離さないことにしてゐる。{{r|今宵|こよひ}}来て泊つてゐる赭顔の{{r|安中|あんなか}}大佐も、小男の宇都宮中佐も、主人の流義が好いと云ふので、内でも人の処に泊つても、服装一切は{{r|傍|そば}}を離さないのである。
荒川が感じたといふのは、三十七八年役に、奉天の会戦が済んで、我軍が昌図附近に宿営してゐた時の事であつた。兵卒を{{r|倦|う}}ませないやうにといふので、ここかしこに芝居小屋を掛けて、兵卒に芝居をさせる。荒川は或日用事があつて、{{r|小久|をく}}軍の司令部に往つて泊ると、そこにも芝居がある。夕飯が済んでから見に行つた。寒い晩のことで、皆毛皮などを着込んで見物してゐる。{{r|刀|たう}}を{{r|弔|つ}}つて来てゐるものなんぞは殆ど無い。そこへ小久大将が来られた。此人丈は軍刀を弔つて来て、見物する間も{{r|環|くわん}}{{r|丈|だけ}}{{r|脱|はづ}}して、傍に引き附けてをられる。これがひどく荒川の気に入つた。荒川は甲越の戦争の頃の{{r|武辺|ぶへん}}話を聞いたことがある。其中に或侍が丸腰で隣家へ棋を打ちに行つてゐたとき、喧嘩が始まつて、思はぬ不覚を取つた。跡で其事が{{r|上|かみ}}に聞えて、職禄を召し上げられたといふことがある。荒川はそれを思ひ出して、軍司令官の心掛を感じた。それからといふものは、荒川はどんな場合があつても軍刀を離すといふことはないのである。
八は軍人が目を醒まさなければ{{r|好|い}}いがとは思つた。切られはすまいか、打たれはすまいかと思ふのは、余り好い心持ではない。併しその危険が自分の身の上だといふことは、八は余り切実に感じない。そんな事が有り得るとは思ふ。どうもそれが今にも起つて来るとは思はれない。
八はコニヤツクが大分利いて来た。酒の{{r|好|すき}}なものが、必ずしも酒が強くはない。殊に酒飲は年を取ると酒が弱くなるものである。八なぞも三十前後まで酒が強かつた。四十近くなつて、{{r|好|すき}}は{{r|好|すき}}であるが弱くなつてしまつたのである。八は少し頭がふらつく。その癖{{r|咽|のど}}が乾いて飲みたいので、コツプに注いで置いたコニヤツクを一口飲む。それが今度は強過ぎるやうに思はれる。八は{{r|傍|そば}}にある{{r|湯沸|ゆわ}}かしの湯を割つて、又一口飲んで見る。口当りが好いので、ぐつと飲む。時計が二時を打つた。
八は時計の音に刺戟せられて少し{{r|醒覚|せいかく}}したやうな心持がすると共に、例の泥坊としての義務を思ひ出した。何か取つて行かなくてはならないといふことを思ひ出した。そして又身の{{r|周囲|まはり}}を見廻した。併し別に目に留まるものがない。八は此部屋より外の部屋に行つて見ようといふ程の気力はない。顔の筋が皆{{r|弛|ゆる}}んで、{{r|火傷|やけど}}の{{r|痕|あと}}の{{r|引弔|ひつつり}}の為めに、赤んべえをしてゐるやうな目がどろんとしてゐる。彼は今何か取らうと思つたのを、どうかすると又忘れてしまひさうになるのである。そこでこれではならんと奮発して、{{r|胡坐|あぐら}}を掻いてゐる膝を両手で押へて、{{r|肱|ひぢ}}を張つて、口の内で、「へん、人を馬鹿にしてゐやがらあ」といふやうな事をつぶやいて、又身の周囲を見廻した。
此時八は床の前に寄せてある机に引出が附いてゐるのに目を着けた。彼は立つて、{{r|懶|だる}}い体を机の前まで運んだ。立つた時は風船にでも乗つたかと思ふやうな心持がしたが、机の前に胡坐を掻くと、{{r|当前|あたりまへ}}の心持に戻つた。机は{{r|蚊母樹|いす}}か何かで岩乗に出来てゐて、引出には{{r|真鍮|しんちゆう}}の金物が打つてある。それに手を掛けて引くと、すうと{{r|開|あ}}いた。
引出の中は、大部分は手紙の{{r|反古|ほご}}で{{r|填|うづ}}まつてゐる。封筒に這入つてゐるのもある。這入つてゐないのもある。横文字のも{{r|雑|まざ}}つてゐる。絵葉書も雑つてゐる。手紙の反古を少し掻き{{r|退|の}}けて見ると、一方の隅には綺麗な{{r|漆塗|うるしぬり}}の小箱がいくつもある。開けて見れば、中は皆{{r|虚|から}}である。これは勲章の{{r|明箱|あきばこ}}であつた。反対の方の隅には、{{r|沢|つや}}のある赤いやうな木で{{r|拵|こしら}}へた、大分大きい箱があつて、其上に銀の小さい箱に、金で菊の紋を附けたのと、緑いろの{{r|革|かは}}に{{r|銀金物|ぎんかなもの}}を取り附けた{{r|金入|かねいれ}}らしいものとが、並べて載せてある。これを見た時は、八の目が{{r|稍|や}}や輝いた。
八は此の三つを畳の上に出して、先づ大きい赤い木の箱を開けて見た。これには真鍮の種々な形をした道具が一ぱい這入つてゐた。これは Mahagoni の箱に入れた幾何学の道具であつた。それから菊の紋の附いた銀の入物を開けて見た。これは巻煙草入れであつた。某宮殿下が Saint-Cyr で世話になつたからといふので、主人荒川に下さつたのである。最後に八は金入らしい革の入物を開けた。初め手に取つたときから、何かぢやらぢやらいふものが這入つてゐて重いといふこと{{r|丈|だけ}}は分かつてゐた。八は何か分からないながらも、これに望を{{r|属|しよく}}してゐたのである。
八が開けたのは金いれに相違ない。緑いろの革で四角に出来てゐて、{{r|縁|ふち}}と{{r|蝶番|てふつがひ}}の処とは勿論、{{r|四隅|よすみ}}に附いてゐる{{r|鱗形|うろこがた}}の装飾も、表の真中に附いてゐる名の頭字の A の字も、皆銀である。これは荒川が仏蘭西へ行つた当座、物珍らしい最中に、{{r|巴里|パリ}}の町で買つたのである。口は{{r|入違|いりちがひ}}になつて銀の小さい玉を{{r|捩|ねぢ}}つて開けるやうになつてゐる。
八は{{r|節榑立|ふしくれだ}}つた不器用な指で、此の玉を捩つて開けたのである。中は{{r|襞|ひだ}}のやうになつて、物を入れる処がいくつも出来てゐる。そしてどこにも貨幣が二三枚づつ入れてある。貨幣には大小色色あつて、多くは銀貨である。併しどれも見慣れた五十銭や二十銭や十銭ではないやうに思はれる。最も八の注意を惹いたのは、金色{{r|燦然|さんぜん}}たる、{{r|稍|やや}}大いなる貨幣であつた。八はそれを見ると、もうこれさへ取れば好いといふやうな気がした。そして金入の中のものを、例の不器用な指で一つ一つ{{r|撮|つま}}み出して、{{r|腹懸|はらがけ}}に入れた。
これで八は用事が済んで安心したといふやうな心持になつた。さてお{{r|神輿|みこし}}を上げようと思つたが、コニヤツクに湯ざましを割つたコツプの、飲み干さずにあるのが目に着いた。どうもまだ{{r|未錬|みれん}}がある。そこでコツプを取り上げて、又一口がぶりと飲んだ。こん度は旨くない。どうも最初に呑んだ時のぴりつとする味の方が好いやうに思はれる。八はそこにある小さいコツプに瓶からコニヤツクを注いで、{{r|生|き}}の儘でぐいと飲んだ。今度は腹まで染み渡るやうな心持が、何とも云へない程好かつた。
此時さつきの引出し{{r|調|しらべ}}の時に緊張させてゐた神経が一時に弛んで、八はひどく体がだるいやうに思つた。そこで左の手を畳に衝く。始終気にして聞いてゐる隣の部屋の{{r|鼾|いびき}}が次第に遠くなるやうに思ふ。左の肘を衝く。{{r|上瞼|うはまぶた}}が重くなる。八は寝てはならないと思ふのと、蚊に{{r|螫|さ}}されるのとで、{{r|塞|ふさ}}がる目を強ひて{{r|開|あ}}く。上瞼が又重くなる。又強ひて目を開く。こんな風に何度か目を開いたり塞いだりしてゐるうちに、時としては暫くの間本当に眠つて、隣の部屋の鼾が丸で聞えなくなることもある。そんな時には自分の咽から鼾が出さうになるのと、蚊がひどく{{r|螫|さ}}すのとで、びつくりして目を開くのである。
Anatole France の書いたものの中に、難船に逢つた船頭が、海に背中を露はしてゐる鯨に{{r|騎|の}}つて、鯨の背の上で{{r|博奕|ばくち}}を始めたといふ話があつた。八の{{r|転寝|うたたね}}は鯨の背で打つ博奕にも負けないかも知れない。
八はこんな風で{{r|彼此|かれこれ}}三十分もうとうとしてゐた。其間に時計が三時を打つたのをも、八は知らなかつた。転寝といふものは、少し{{r|為|す}}ると一時は存外精神を恢復させるものである。八はふと何物かに驚いて目を醒まして見ると、もうねむたくはない。驚いたのは、多分隣の部屋に寝てゐる軍人の一人が{{r|囈語|ねごと}}でも云つて、寝返でもしたのであつたらう。目が醒めて見れば、八は眠るとも思はずに眠つて夢を見てゐたのである。醒めた時は{{r|慥|たしか}}に夢の最中であつた。何でも{{r|平生|へいぜい}}仲の悪い熊といふ{{r|為事師|しごとし}}に困らせられてゐた。どうした{{r|訣|わけ}}だつたか知らん。さうさう。さつき取つた金貨と銀貨との事を言ひ合つてゐた。さうだ。熊に電車の代を借りてゐるのを催促せられて、いつもの{{r|積|つもり}}で手を腹掛に{{r|突込|つつこ}}んで、銅貨があつたと思つて掴んで出した。ところが掴み出したのが、さつきの金であつた。その時ひどくびつくりした。熊は妙に目を光らせて自分の顔を見て、「がうぎな物を持つてゐるなあ」と云つた。そこで何と云はうかと思つて、ひどく困まつたとき、何かに驚いて目が醒めたのであつた。八は殆ど無意識に腹掛に手を突込んで、貨幣があるかと思つていぢつて見た。腹掛も絆纏もさつぱりと乾いてゐる。貨幣は{{r|慥|たしか}}に有る。手当り放題に一つ撮まんで出して見ると、さつきの光る金貨が出た。大さは一銭銅貨程あるのである。八は思はずにつこりした。
八は精神がはつきりしたので、外の方を見ると、もう少し明るくなりかかつてゐる。雨はいつの間にか止んだと見える。八は立ち上がつた。もう頭もふらつかない。急に{{r|怯|おくれ}}が出て、出来る事なら、飛んででも逃げたいやうに思ふ。{{r|心|しん}}が燃えてしまつて、消えさうになつてゐるランプを跡に残して、八はそつと雨戸の間から出た。
暁の冷い空気が顔を{{r|撲|う}}つ。{{r|臭橘|からたち}}の垣の蜘蛛の{{r|網|い}}に留まつてゐる雨の雫は、矢張真珠のやうに光つてゐる。藪には低い{{r|靄|もや}}が漂うてゐる。八は{{r|身慄|みぶるひ}}をした。そして小便が出たくなつたが、それどころではないと思つて、這入つた時の道を表門の方へ廻つた。{{r|昨夜|ゆうべ}}脱いで置いた下駄がその儘ある。{{r|穿|は}}かうか、持つて行かうかと一寸考へて、穿いた。厩には馬が足をことこと言はせてゐる。別当部屋を覗いて見たが、別当はゐない。馬の{{r|糞|ぼろ}}を棄てる箱があつたので、八はそれに小便をした。余り遠くない処を、荷車を{{r|挽|ひ}}いて話をしながら通るのが聞える。{{r|市|いち}}へでも行くのだらう。
八は暫く外の往来に気を着けてゐたが、此{{r|邸|やしき}}の外を通るものはない。そこで{{r|潜門|くぐりもん}}に手を掛けた。其時潜門はだしぬけに外から開けられて、中へ這入る男がある。八と其男とはぴつたり顔を合せて、初の一瞬間は互にあきれて黙つてゐた。這入つた男は別当で、これは隠れて新宿へ往つたので、二三町先からは、{{r|抜足|ぬきあし}}をして帰つて来たのである。別当が口を切つた。
「手めえは何だ。」
小声である。
八は別当の手ぬるい様子を見て、摩り抜けて潜りの外へ出ようとした。別当の手は{{r|提|さ}}げてゐた傘を殆ど無意識に投げて、八の{{r|臂|ひぢ}}を{{r|攫|つか}}まへた。
「泥坊。」
こん度は大声である。
二人は{{r|取組合|とつくみあ}}つた。八は酒で体を悪くしてからは、余り力が出ない。又別当太吉も、色の白い、鼻と{{r|顴骨|くわんこつ}}と{{r|腮|あご}}とが顔に四箇の突角を形づくつてゐる男で、これも余り強くはない。併し犬でも喧嘩をするときは、主人の邸にゐる方が強くなる。別当は潜りの戸を背中で押へて、両手で八の臂を攫まへて放さない。そして又大声で叫んだ。
「旦那様。泥坊です。泥坊が這入りました。」
初め太吉の泥坊と云つたのを、表口に近い四畳半に寝てゐた奥さんが聞いて、そつと主人の処へ言ひに行つた。主人は起きて{{r|周囲|まはり}}を見廻はしたが、{{r|傍|そば}}にある軍刀を取らずに、運動のために振ることにしてゐる木刀のあつたのを持つて、玄関に出て来た。二人の客は、皆{{r|浴帷子|ゆかた}}の儘ではあるが、てんでに軍刀を持つて主人の後に続いた。三人が玄関に出たのは丁度太吉が二度目に叫んだ時であつた。
荒川大佐は組合つてゐる二人の様子を見た。賊らしい男は兇器も何も持つてゐない。それにちつとも抗抵するやうな様子が見えない。荒川は張合がないといふやうな顔をしてかう云つた。
「もう{{r|好|い}}い。大丈夫だから放して遣れ。」
太吉は手を放した。八はその儘そこに{{r|蹲|うづくま}}つてしまつた。
矢張潜戸を背中にして、{{r|手持無沙汰|てもちぶさた}}に立つてゐる太吉に、荒川はかう云つた。
「何を取つたのか。お前の処へ這入つたのか。」
「へえ。」
「へえぢやあ分からん。どうして攫まへたのか。」
太吉は頗る窮した。
「へえ。あの何でございます。わたくしが外から這入つて来ますと、こいつが出ようとしてゐましたので、わたくしと{{r|鉢合|はちあはせ}}を致しましたので。」
「何だ。又新宿へ行つたのか。けしからん奴だ。それでは其男が物を取つたかどうか、お前も知らんのか。」
此時奥さんが出て、主人にかう云つた。
「あの、只今調べて見ましたが、お机の引出にありました西洋の貨幣がございません。その外には、なんにも無くなつた物はございませんやうでございます。」
「さうか。」
主人は{{r|可笑|をか}}しさを{{r|熬|こら}}へるといふやうな様子で八にかう云つた。
「おい。お前は机の引出にあつた金を取つたのか。」
八はもう逃げられないと{{r|諦|あきら}}めてからは、頗る平気でゐる。{{r|腹懸|はらがけ}}に這入つてゐる貨幣を隠さうなんぞといふ気は少しもない。それに荒川の四角な大きい顔で、どこか余裕のあるやうな処が、八には初て見た時から気に入つてゐて、跡から附いて来て盗みに這入つたのも、一部分は主人が気に入つた為だと云つても{{r|好|い}}い位である。今別当の夜遊に出たのを真面目な顔で叱つて、自分に盗んだ物の事を問ふときには、何の{{r|訣|わけ}}だか知らないが、{{r|却|かへつ}}て{{r|気色|けしき}}を{{r|和|やはら}}げてゐるやうなのを見て、八はいよいよ主人が{{r|好|すき}}になつた。そこで行きなり右の手を腹懸に突込んで、七八枚の貨幣を一握りに握つて、土の上に出して、主人の顔を見てかう云つた。
「旦那。済みません。」
八の顔は右の{{r|外眦|めじり}}に大きな{{r|引弔|ひつつり}}があつて頗る醜い。それに彼のこれ迄に経験して来た、暗い、鈍い生活が顔に消されない{{r|痕跡|こんせき}}を{{r|印|しる}}してゐる。併し少しも陰険な処は無い。これを見てゐる荒川の顔はいよいよ晴やかになつた。
「お前は始て泥坊に這入つたのだらう。」
「へえ。始てでございます。」
「そんな事だらう。もう泥坊なんぞをしては行かんぞ。」
安中と宇都宮とは、八の出した貨幣を見に出て来て、八に対しては何の警戒もせずに{{r|蹲|しやが}}んだ。八は勿論警戒を要するやうな態度をしてはゐないのである。太吉は八の頭越しに{{r|屁放腰|へつぴりごし}}になつて覗いてゐる。安中は主人にかう云つた。
「皆外国貨幣だな。」
「さうだ。洋行した時に集めたのだが、Pound や二十 Francs や二十 Mark のやうなものは、{{r|入用|いりよう}}な時に両換をして使つてしまつた。それでそんな詰まらない銀貨ばかり残つてゐたのだ。」
「それでも一つ黄いろいのが{{r|交|まざ}}つてゐるぢやあないか。」
貨幣を手に取つて見てゐた宇都宮が笑つた。
「はゝゝゝ。黄いろいには相違ないが、これは只の Sou ですよ。」
主人も一しよになつて笑つた。
「はゝゝゝ。確に Sou だ。大枚五 Centimes だ。余り新しくて綺麗だから取つて置いたのだ。{{r|遣|つか}}はずに置くと、{{r|何時|いつ}}までも綺麗でゐるものだなあ。」
宇都宮は情報掛で、外国新聞を見てゐるので、こんな事を云つた。
「それでも仏蘭西では銅貨を廃して、小さい Aluminium にするなんといふ{{r|噂|うはさ}}があるから、今に Sou も珍らしい物になるかも知れません。」
安中は{{r|西班牙|スペイン}}の Piaster や{{r|葡萄牙|ポルトガル}}の Tostao を宇都宮に見せて問うてゐる。
八は何の事だか分からずに聞いてゐたが、黄いろく光つてゐるのが金貨でないといふことだけは分つた。そしてそこへ出してしまつた物ながら、失望に似た一種の感をなすことを禁じ得なかつたのである。
太吉は{{r|天晴|あつぱれ}}気を利かした積りで主人に言つた。
「旦那。{{r|此奴|こいつ}}を巡査に渡してしまひませうか。」
太吉を見る八の目は輝いた。
荒川は別当に、「余計な事を言ふな」と云つて、八には、
「お前は{{r|好|い}}いから行け、泥坊なんぞになるものぢやあないぞ」と云つた。八は黙つて、お辞儀をして、太吉を尻目で見て、{{r|潜門|くぐりもん}}を出て行つた。
近処の家で、雨戸をがらがらと繰り明ける音がして、続いて{{r|咳払|せきばらひ}}の声がした。
<div class="chitsuki_2" style="text-align:right; margin-right: 2em">(明治四十二年九月)</div>
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トーク:寒山拾得
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2026-10-18T04:34:27Z
CES1596
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ページの作成:「<!--書誌情報:ここから下をノートに転記--> {{textinfo |edition=<br /> <br /> 底本:「日本の文学3 森鴎外(二)」中央公論社<br /> 1967(昭和42)年2月4日初版発行<br /> 入力:佐野良二<br /> 校正:伊藤時也<br /> 2000年9月12日公開<br /> 2004年12月4日修正<br /> 青空文庫作成ファイル:<br /> このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aoz…」
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底本:「日本の文学3 森鴎外(二)」中央公論社<br />
1967(昭和42)年2月4日初版発行<br />
入力:佐野良二<br />
校正:伊藤時也<br />
2000年9月12日公開<br />
2004年12月4日修正<br />
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寒山拾得
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ページの作成:「{{header |title=寒山拾得 |year= |author=森鴎外 |translator= |edition=yes |notes= * 書誌情報の詳細は[[{{TALKPAGENAME}}|議論ページ]]をご覧ください。 {{DEFAULTSORT:かんさんしつとく}} [[Category:青空文庫からインポートしたテキスト]] {{Textquality|100%}} }} {{r|唐|とう}}の{{r|貞観|じょうがん}}のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かか…」
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{{r|唐|とう}}の{{r|貞観|じょうがん}}のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かかったときである。{{r|閭丘胤|りょきゅういん}}という官吏がいたそうである。もっともそんな人はいなかったらしいと言う人もある。なぜかと言うと、閭は台州の主簿になっていたと言い伝えられているのに、新旧の唐書に伝が見えない。主簿といえば、{{r|刺史|しし}}とか太守とかいうと同じ官である。支那全国が道に分れ、道が州または郡に分れ、それが県に分れ、県の下に郷があり郷の下に里がある。州には刺史といい、郡には太守という。一体日本で県より小さいものに郡の名をつけているのは不都合だと、吉田東伍さんなんぞは不服を唱えている。閭がはたして台州の主簿であったとすると日本の府県知事くらいの官吏である。そうしてみると、唐書の列伝に出ているはずだというのである。しかし閭がいなくては話が成り立たぬから、ともかくもいたことにしておくのである。
さて閭が台州に着任してから三日目になった。長安で北支那の{{r|土埃|つちほこり}}をかぶって、濁った水を飲んでいた男が台州に来て中央支那の肥えた土を踏み、澄んだ水を飲むことになったので、上機嫌である。それにこの三日の間に、多人数の下役が来て{{r|謁見|えっけん}}をする。受持ち受持ちの事務を形式的に報告する。そのあわただしい中に、地方長官の威勢の大きいことを味わって、意気揚々としているのである。
閭は前日に下役のものに言っておいて、今朝は早く起きて、天台県の国清寺をさして出かけることにした。これは長安にいたときから、台州に着いたら早速往こうときめていたのである。
何の用事があって国清寺へ往くかというと、それには因縁がある。閭が長安で主簿の任命を受けて、これから任地へ旅立とうとしたとき、あいにくこらえられぬほどの頭痛が起った。単純なレウマチス性の頭痛ではあったが、閭は平生から少し神経質であったので、かかりつけの医者の薬を飲んでもなかなかなおらない。これでは旅立ちの日を延ばさなくてはなるまいかと言って、女房と相談していると、そこへ小女が来て、「{{r|只今|ただいま}}ご門の前へ{{r|乞食坊主|こじきぼうず}}がまいりまして、ご主人にお目にかかりたいと申しますがいかがいたしましょう」と言った。
「ふん、坊主か」と言って閭はしばらく考えたが、「とにかく逢ってみるから、ここへ通せ」と言いつけた。そして女房を奧へ引っ込ませた。
元来閭は科挙に応ずるために、{{r|経書|けいしょ}}を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の{{r|会得|えとく}}せぬものに対する、盲目の尊敬とでも言おうか。そこで坊主と聞いて逢おうと言ったのである。
まもなくはいって来たのは、一人の背の高い僧であった。{{r|垢|あか}}つき{{r|弊|やぶ}}れた{{r|法衣|ほうえ}}を着て、長く伸びた髪を、眉の上で切っている。目にかぶさってうるさくなるまで打ちやっておいたものと見える。手には{{r|鉄鉢|てっぱつ}}を持っている。
僧は黙って立っているので閭が問うてみた。「わたしに逢いたいと言われたそうだが、なんのご用かな」
僧は言った。「あなたは台州へおいでなさることにおなりなすったそうでございますね。それに頭痛に悩んでおいでなさると申すことでございます。わたくしはそれを直して進ぜようと思って参りました」
「いかにも言われる通りで、その頭痛のために出立の日を延ばそうかと思っていますが、どうして直してくれられるつもりか。何か薬方でもご存じか」
「いや。四大の身を悩ます病は幻でございます。ただ清浄な水がこの受糧器に一ぱいあればよろしい。{{r|咒|まじない}}で直して進ぜます」
「はあ咒をなさるのか」こう言って少し考えたが「仔細あるまい、一つまじなって下さい」と言った。これは医道のことなどは平生深く考えてもおらぬので、どういう治療ならさせる、どういう治療ならさせぬという定見がないから、ただ自分の悟性に依頼して、その折り折りに判断するのであった。もちろんそういう人だから、かかりつけの医者というのもよく人選をしたわけではなかった。{{r|素問|そもん}}や{{r|霊枢|れいすう}}でも読むような医者を捜してきめていたのではなく、近所に住んでいて呼ぶのに面倒のない医者にかかっていたのだから、ろくな薬は飲ませてもらうことが出来なかったのである。今乞食坊主に頼む気になったのは、なんとなくえらそうに見える坊主の態度に信を起したのと、水一ぱいでする咒なら間違ったところで危険なこともあるまいと思ったのとのためである。ちょうど東京で高等官連中が{{r|紅療治|べにりょうじ}}や気合術に依頼するのと同じことである。
閭は小女を呼んで、汲みたての水を{{r|鉢|はち}}に入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。清浄な水でもよければ、不潔な水でもいい、湯でも茶でもいいのである。不潔な水でなかったのは、閭がためには{{r|勿怪|もっけ}}の幸いであった。しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。
閭はびっくりして、背中に冷や汗が出た。
「お頭痛は」と僧が問うた。
「あ。{{r|癒|なお}}りました」実際閭はこれまで頭痛がする、頭痛がすると気にしていて、どうしても癒らせずにいた頭痛を、坊主の水に気を取られて、取り逃がしてしまったのである。
僧はしずかに鉢に残った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお{{r|暇|いとま}}をいたします」と言うや否や、くるりと閭に背中を向けて、戸口の方へ歩き出した。
「まあ、ちょっと」と閭が呼び留めた。
僧は振り返った。「何かご用で」
「寸志のお礼がいたしたいのですが」
「いや。わたくしは{{r|群生|ぐんしょう}}を福利し、{{r|憍慢|きょうまん}}を{{r|折伏|しゃくぶく}}するために、{{r|乞食|こつじき}}はいたしますが、療治代はいただきませぬ」
「なるほど。それでは{{r|強|し}}いては申しますまい。あなたはどちらのお方か、それを伺っておきたいのですが」
「これまでおったところでございますか。それは天台の国清寺で」
「はあ。天台におられたのですな。お名は」
「{{r|豊干|ぶかん}}と申します」
「天台国清寺の豊干とおっしゃる」閭はしっかりおぼえておこうと努力するように、眉をひそめた。「わたしもこれから台州へ往くものであってみれば、ことさらお懐かしい。ついでだから伺いたいが、台州には逢いに往ってためになるような、えらい人はおられませんかな」
「さようでございます。国清寺に{{r|拾得|じっとく}}と申すものがおります。実は{{r|普賢|ふげん}}でございます。それから寺の西の方に、寒巌という{{r|石窟|せきくつ}}があって、そこに{{r|寒山|かんざん}}と申すものがおります。実は{{r|文殊|もんじゅ}}でございます。さようならお{{r|暇|いとま}}をいたします」こう言ってしまって、ついと出て行った。
こういう因縁があるので、閭は天台の国清寺をさして出かけるのである。
――――――――――――
全体世の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。自分の職業に気を取られて、ただ営々{{r|役々|えきえき}}と年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人でも同じことである。もちろん書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。これは全く{{r|無頓着|むとんじゃく}}な人である。
つぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても{{r|基督|クリスト}}教に入っても同じことである。こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求める人である。
この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと{{r|諦念|あきら}}め、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が{{r|正鵠|せいこく}}を得ていても、なんにもならぬのである。
――――――――――――
閭は衣服を改め{{r|輿|よ}}に乗って、台州の官舍を出た。従者が数十人ある。
時は冬の初めで、霜が少し降っている。{{r|椒江|しょうこう}}の支流で、{{r|始豊渓|しほうけい}}という川の左岸を迂回しつつ北へ進んで行く。初め{{r|陰|くも}}っていた空がようよう晴れて、{{r|蒼白|あおじろ}}い日が岸の{{r|紅葉|もみじ}}を照している。{{r|路|みち}}で出合う老幼は、皆{{r|輿|よ}}を避けてひざまずく。輿の中では閭がひどくいい心持ちになっている。牧民の職にいて賢者を礼するというのが、手柄のように思われて、閭に満足を与えるのである。
台州から天台県までは六十里半ほどである。日本の六里半ほどである。ゆるゆる輿を{{r|舁|か}}かせて来たので、県から役人の迎えに出たのに逢ったとき、もう{{r|午|ひる}}を過ぎていた。知県の官舎で休んで、{{r|馳走|ちそう}}になりつつ聞いてみると、ここから国清寺までは、{{r|爪尖上|つまさきあ}}がりの道がまた六十里ある。往き着くまでには夜に入りそうである。そこで閭は知県の官舎に泊ることにした。
翌朝知県に送られて出た。きょうもきのうに変らぬ天気である。一体天台一万八千丈とは、いつ誰が測量したにしても、所詮高過ぎるようだが、とにかく虎のいる山である。道はなかなかきのうのようには{{r|捗|はかど}}らない。途中で{{r|午飯|ひるめし}}を食って、日が西に傾きかかったころ、国清寺の三門に着いた。智者大師の滅後に、{{r|隋|ずい}}の{{r|煬帝|ようだい}}が立てたという寺である。
寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。{{r|道翹|どうぎょう}}という僧が出迎えて、閭を客間に案内した。さて茶菓の饗応が済むと、閭が問うた。「当寺に豊干という僧がおられましたか」
道翹が答えた。「豊干とおっしゃいますか。それはさきころまで、本堂の{{r|背後|うしろ}}の僧院におられましたが、{{r|行脚|あんぎゃ}}に出られたきり、帰られませぬ」
「当寺ではどういうことをしておられましたか」
「さようでございます。僧どもの食べる米を{{r|舂|つ}}いておられました」
「はあ。そして何かほかの僧たちと変ったことはなかったのですか」
「いえ。それがございましたので、初めただ骨惜しみをしない、親切な同宿だと存じていました豊干さんを、わたくしどもが大切にいたすようになりました。するとある日ふいと出て行ってしまわれました」
「それはどういうことがあったのですか」
「全く不思議なことでございました。ある日山から虎に{{r|騎|の}}って帰って参られたのでございます。そしてそのまま廊下へはいって、虎の背で詩を吟じて歩かれました。一体詩を吟ずることの好きな人で、裏の僧院でも、夜になると詩を吟ぜられました」
「はあ。活きた{{r|阿羅漢|あらかん}}ですな。その僧院の{{r|址|あと}}はどうなっていますか」
「只今もあき家になっておりますが、折り折り夜になると、虎が参って{{r|吼|ほ}}えております」
「そんならご苦労ながら、そこへご案内を願いましょう」こう言って、閭は座を起った。
道翹は{{r|蛛|くも}}の{{r|網|い}}を払いつつ先に立って、閭を豊干のいたあき家に連れて行った。日がもう暮れかかったので、薄暗い屋内を見廻すに、がらんとして何一つない。道翹は身をかがめて石畳の上の虎の足跡を指さした。たまたま山風が窓の外を吹いて通って、うずたかい庭の落ち葉を捲き上げた。その音が{{r|寂寞|せきばく}}を破ってざわざわと鳴ると、閭は髪の毛の根を締めつけられるように感じて、全身の肌に{{r|粟|あわ}}を生じた。
閭は{{r|忙|せわ}}しげにあき家を出た。そしてあとからついて来る道翹に言った。「{{r|拾得|じっとく}}という僧はまだ当寺におられますか」
道翹は不審らしく閭の顏を見た。「よくご存じでございます。先刻あちらの{{r|厨|くりや}}で、寒山と申すものと火に当っておりましたから、ご用がおありなさるなら、呼び寄せましょうか」
「ははあ。寒山も来ておられますか。それは願ってもないことです。どうぞご苦労ついでに厨にご案内を願いましょう」
「承知いたしました」と言って、道翹は本堂について西へ歩いて行く。
閭が{{r|背後|うしろ}}から問うた。「拾得さんはいつごろから当寺におられますか」
「もうよほど久しいことでございます。あれは豊干さんが松林の中から拾って帰られた捨て子でございます」
「はあ。そして当寺では何をしておられますか」
「拾われて参ってから三年ほど立ちましたとき、{{r|食堂|じきどう}}で上座の像に香を上げたり、燈明を上げたり、そのほか{{r|供|そな}}えものをさせたりいたしましたそうでございます。そのうちある日上座の像に食事を供えておいて、自分が向き合って一しょに食べているのを見つけられましたそうでございます。{{r|賓頭盧尊者|びんずるそんじゃ}}の像がどれだけ尊いものか存ぜずにいたしたことと見えます。{{r|唯今|ただいま}}では厨で僧どもの食器を洗わせております」
「はあ」と言って、閭は二足三足歩いてから問うた。「それから唯今寒山とおっしゃったが、それはどういう方ですか」
「寒山でございますか。これは当寺から西の方の寒巌と申す石窟に住んでおりますものでございます。拾得が食器を{{r|滌|あら}}いますとき、残っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます」
「なるほど」と言って、閭はついて行く。心のうちでは、そんなことをしている寒山、拾得が{{r|文殊|もんじゅ}}、{{r|普賢|ふげん}}なら、虎に{{r|騎|の}}った豊干はなんだろうなどと、田舎者が芝居を見て、どの役がどの俳優かと思い惑うときのような気分になっているのである。
――――――――――――
「はなはだむさくるしい所で」と言いつつ、道翹は閭を厨のうちに連れ込んだ。
ここは湯気が一ぱい{{r|籠|こ}}もっていて、にわかにはいって見ると、しかと物を見定めることも出来ぬくらいである。その灰色の中に大きい{{r|竈|かまど}}が三つあって、どれにも残った{{r|薪|まき}}が真赤に燃えている。しばらく立ち止まって見ているうちに、石の壁に沿うて造りつけてある{{r|卓|つくえ}}の上で大勢の僧が飯や菜や汁を{{r|鍋釜|なべかま}}から移しているのが見えて来た。
このとき道翹が奧の方へ向いて、「おい、拾得」と呼びかけた。
閭がその視線をたどって、入口から一番遠い竈の前を見ると、そこに二人の僧のうずくまって火に当っているのが見えた。
一人は髪の二三寸伸びた頭を{{r|剥|む}}き出して、足には草履をはいている。今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には{{r|木履|ぼくり}}をはいている。どちらも{{r|痩|や}}せてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。
道翹が呼びかけたとき、頭を剥き出した方は振り向いてにやりと笑ったが、返事はしなかった。これが拾得だと見える。帽をかぶった方は身動きもしない。これが寒山なのであろう。
閭はこう見当をつけて二人のそばへ進み寄った。そして袖を{{r|掻|か}}き合わせてうやうやしく礼をして、「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、{{r|賜緋魚袋|しひぎょたい}}、閭{{r|丘胤|きゅういん}}と申すものでございます」と名のった。
二人は同時に閭を一目見た。それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。
驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと来てたかった。道翹は{{r|真蒼|まっさお}}な顏をして立ちすくんでいた。
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カテゴリ:令和8年の文部科学省告示
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大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準
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[[大学院設置基準]](昭和四十九年文部省令第二十八号)第四十二条第一項第一号イの規定に基づき、並びに同令を実施するため、大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準等を次のように定める。
令和八年二月二十四日
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:::大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準
1 大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準は、次のとおりとする。
:一 当該大学院を置く大学の設置者において、その設置する他の大学の学部と当該大学院の研究科との連携による教育研究活動の実施に関する基本方針を策定し、公表していること。
:二 前号の基本方針において、次に掲げる事項が記載されていること。
::ロ 当該他の大学の学部と当該大学院の研究科における学部との連続性に配慮した教育課程の編成の継続的かつ安定的な実施のため必要な事項
::イ 当該連携による教育研究活動の実施を中核となって行う者に関する事項
::ハ その実施についての当該他の大学の学部と当該大学院の研究科との役割分担に関する事項
:三 第一号の基本方針の下、当該他の大学の学部と当該大学院の研究科との間の緊密な連携協力体制が継続的に維持されていること。
2 当該大学院を置く大学の設置者は、その策定した前項第一号の基本方針(当該基本方針を変更した場合にあっては、変更後の基本方針を含む。 )を文部科学大臣に届け出るものとする。
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この告示は、公布の日から施行する。
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:::大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準
1 大学院設置基準第四十二条第一項第一号イの文部科学大臣が定める基準は、次のとおりとする。
:一 当該大学院を置く大学の設置者において、その設置する他の大学の学部と当該大学院の研究科との連携による教育研究活動の実施に関する基本方針を策定し、公表していること。
:二 前号の基本方針において、次に掲げる事項が記載されていること。
::ロ 当該他の大学の学部と当該大学院の研究科における学部との連続性に配慮した教育課程の編成の継続的かつ安定的な実施のため必要な事項
::イ 当該連携による教育研究活動の実施を中核となって行う者に関する事項
::ハ その実施についての当該他の大学の学部と当該大学院の研究科との役割分担に関する事項
:三 第一号の基本方針の下、当該他の大学の学部と当該大学院の研究科との間の緊密な連携協力体制が継続的に維持されていること。
2 当該大学院を置く大学の設置者は、その策定した前項第一号の基本方針(当該基本方針を変更した場合にあっては、変更後の基本方針を含む。 )を文部科学大臣に届け出るものとする。
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この告示は、公布の日から施行する。
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:三 第一号の基本方針の下、当該他の大学の学部と当該専門職大学院の研究科との間の緊密な連携協力体制が継続的に維持されていること。
2 当該専門職大学院を置く大学の設置者は、その策定した前項第一号の基本方針(当該基本方針を変更した場合にあっては、変更後の基本方針を含む。)を文部科学大臣に届け出るものとする。
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