ウィキボヤージュ
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Wikivoyage:管理者伝言板
4
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2026-05-26T13:10:53Z
Shokupan
360
解決したため除去
57222
wikitext
text/x-wiki
{{Pagebanner|シモキタ伝言板 in 2008 (2817809290).jpg}}
ここは、管理者にしかできない操作を依頼する場所です。削除については[[Wikivoyage:削除依頼|削除依頼]]で、保護及び保護解除については[[Wikivoyage:保護依頼|保護依頼]]で依頼してください。
ローカルの管理者が不在の場合は[[Wikivoyage:管理者#管理者がいない場合]]を参照してください。
__NOTOC__
== 保護されているページの編集依頼 ==
<div style="border: 2px solid #dc143c; padding: 2px; border-radius: 1em; background: linear-gradient(to top right, #ffffff, #fffafa); box-shadow: 10px 10px rgba(80, 80, 80, 0.1); padding: 3px; margin-bottom: 20px;">
保護されているページの編集を依頼する場合は、なぜ編集が必要なのかを管理者が理解できるように説明してください。管理者が判断に迷う場合、対処は見送られます。
</div>
== 投稿ブロック依頼 ==
<div style="border: 2px solid #dc143c; padding: 2px; border-radius: 1em; background: linear-gradient(to top right, #ffffff, #fffafa); box-shadow: 10px 10px rgba(80, 80, 80, 0.1); padding: 3px; margin-bottom: 20px;">
* 明らかな荒らしや不適切な利用者名など、即時ブロックが必要な利用者についてはこちらで報告してください。
* 個人情報や法的問題を含む利用者名は名前を直接記載せず、アカウントが作成された日時を記載するか、ログIDを使ってアカウント作成記録に直接リンクしてください。
* 管理者が不在であり、なおかつ急を要する場合は {{Irc|wikimedia-stewards|libera=yes}} のIRCチャンネルで、冒頭に <kbd><code>@steward</code></kbd> を追加して、英語で依頼を行ってください。また、 {{Irc|wikimedia-gs|libera=yes}} で[[:m:Global_sysops/ja|グローバル管理者]]へ依頼することもできます。
*metaの[[m:GSR|グローバル管理者依頼]]でも英語でブロックや即時削除の依頼をすることができます。
</div>
== その他の依頼 ==
{{デフォルトソート:てんこんはん}}
[[Category:Wikivoyage]]
[[Category:ウィキボヤージュのメンテナンス]]
96dzr4okcxmpy35esqsw5i8967o8927
カルカソンヌ
0
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57226
54197
2026-05-26T22:52:13Z
InternetArchiveBot
1114
Rescuing 0 sources and tagging 1 as dead.) #IABot (v2.0.9.5
57226
wikitext
text/x-wiki
{{pagebanner|Carcasssonne_banner.jpg|caption=夜の要塞都市と古い橋を意味するヴィユー橋|unesco=yes}}
'''カルカソンヌ'''({{lang-fr|Carcassonne}} | 別表記 : カルカッソンヌ)は、南[[フランス]]の[[オクシタニー地方]]、[[オード県]]にあるコミューンで、要塞都市として非常に有名な観光地です。日帰りで気軽に訪れることができます。ボードゲームファンの方ならば、同名の[[ドイツ]]のゲームが思い浮かぶかもしれませんが、これはフランスのコミューンをモチーフに作られたものです。
{{mapframe|43.215833|2.351389|zoom=12}}
== 知る ==
カルカソンヌは大きく2つにわけることができます :
* カルカソンヌのシテ(都市)は、2500年以上の歴史を持っている絵のように美しい要塞都市です。ここには3km以上の城壁と52の塔があり、映画「ロビン・フッド」の一部はここで撮影されました。現在の要塞は19世紀に[[:w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ・ル・デュク]]によって再建されたものですが、要塞として機能していた当時とは異なる部分があります。現在UNESCOの世界遺産に「歴史的城塞都市カルカソンヌ」として登録されています。
* 町の中心に当たる市街地には「ville basse」(下町という意味)という名前が付けられており、こちらにも多くの観光スポットと宿泊地があります。
カルカソンヌはもともとカタリ派の中心拠点のひとつで、1200年代初頭のアルビジョア十字軍({{lang-fr|Croisade des Albigeois}}、{{LangWithName|oc|3=Crosada dels Albigeses}})では、カタリ派軍による攻防と奪還戦が繰り返されました。
== 着く ==
=== 飛行機で ===
* {{vCard | type=airport <!-- https://ja.wikivoyage.org/w/index.php?oldid=23102より -->
| name=カルカソンヌ空港 | alt={{IATA|CCF}} | url=http://www.aeroport-carcassonne.com/ | email=
| address= | lat=43.215833 | long=2.308611 | directions=カルカソンヌ市街地から約3km。カルカソンヌ駅との間にシャトルバス({{lang-fr|navette aéroport}})が走っており、1人5ユーロです。時刻表は[https://www.aeroport-carcassonne.com/ こちら]から。市街地までタクシーで行く場合、10~15ユーロ程度です。
| phone= | tollfree= | fax=
| hours= | price=
| wikipedia= | image=Carcassonne aeroport Salveza2.jpg | wikidata=Q667181 | lastedit=2025-08-13
| content=[http://www.ryanair.com/ ライアンエアー]が[[ビルン]]・[[シャルルロワ]]([[シャルルロワ空港]])・[[コーク (アイルランド)|コーク]]([[コーク空港]])・[[ダブリン]]([[ダブリン空港]])・[[アイントホーフェン]]([[アイントホーフェン空港]])・[[グラスゴー]]([[グラスゴー・プレストウィック国際空港]])・[[リヴァプール]]([[リバプール・ジョン・レノン空港]])・[[ロンドン]]([[ロンドン・スタンステッド空港]])・[[ノッティンガム]]([[イースト・ミッドランズ空港]])などと接続しています。
}}
=== 鉄道で ===
* {{vCard | type=station <!-- https://ja.wikivoyage.org/w/index.php?oldid=23102より -->
| name=カルカソンヌ駅 | alt={{lang-fr|Carcassonne railway station}} | url= | email=
| address= | lat=43.218056 | long=2.351944 | directions=
| phone= | tollfree=
| hours= | price=
| wikipedia= | image= | wikidata=Q2130184 | lastedit=2025-08-13
| content=SNCFの鉄道が通っており、[[ボルドー]]・[[セッテ]]間を結ぶ路線と[[カルカソンヌ]]・[[リヴザルト]]間を結ぶ路線が走っています。また、TGVが[[リヨン]]や[[バルセロナ]]、[[トゥールーズ]]などとカルカソンヌを結んでいます。SNCFのTER Languedoc-Roussillonも[[トゥールーズ]]・[[ナルボンヌ]]・[[マルセイユ]]・[[セルベール]]・[[ペルピニャン]]・[[リムー]]・[[キヤン]]などの主要都市を結ぶネットワークがあります。所要時間の一例として、[[トゥールーズ]]からは約1~1時間半かかります。
}}
=== 車で ===
カルカソンヌはA61とRN113が通っています。[https://www.toursud.com/ja/ Toursud]が[[トゥールーズ]]・[[カルカソンヌ]]間を車で運転してくれるサービスを提供しています(最大7人まで)。トゥールーズからの回遊旅行もこの会社がガイド付きで運行しています。
=== 自転車で ===
サイクリングが好きな人のためにミディ運河沿いのトゥールーズからのサイクリングルートがあります。トゥールーズからカルカソンヌまで自転車で移動すると丸一日かかります。
== 移動する ==
[[#カルカソンヌ駅|駅]]から都市までは歩いて約20分です。カルカソンヌの主要観光地は全て歩行可能圏内にあります。カルカソンヌの観光マップはコミューン内で全部で3つある観光案内所でもらうことができます。駅から最も近い観光所は駅を出てから橋を渡り、Boulevard Omer SarrautとAvenue Mal Joffreの間にある交差点の右手側にあります。また、市街地にもあります。詳細は[[#困ったときは|困ったときは]]を参照してください。
駅にはロッカーがありませんが、Hotel La Bastide Saint Louisに荷物を預けるといいでしょう :
* {{vCard|type=left_luggage|name=Hotel La Bastide Saint Louis|address=42 rue Barbes 11000 Carcassonne|price=半日 : 3€、1日 : 5ユーロ|lat=43.213406|long=2.3487997|lastedit=2025-08-13}}
=== タクシーで ===
鉄道駅の横からタクシーに乗ることができます。事前に予約したい場合、{{phone|+33468715050}}に電話してください。詳細は[http://www.taxi-carcassonne.fr/ カルカソンヌタクシー協会公式ホームページ]{{Dead link|date=10月 2023 |bot=InternetArchiveBot |fix-attempted=yes }}を参照してください。
=== 車で ===
*{{vCard | type=parking
| name= Square Gambetta | alt= | url=https://www.carcassonne.org/article-page/stationnement| email= | wikipedia=
| address= | lat=43.212452 | long=2.356269 | directions=
| image=
| phone= | fax=
| price=
| lastedit=2025-08-13
| content=Rue Verdunの近くの地下駐車場
}}
*{{vCard | type=parking
| name= Square André Chénier| alt= | url=https://www.carcassonne.org/article-page/stationnement| email= | wikipedia=
| address= | lat=43.216614 | long=2.350894 | directions=
| image=
| phone=| fax=
| price=
| lastedit=2025-08-13
| content=駅とミディ運河の船着き場に近い地下駐車場です
}}
*{{vCard | type=parking
| name= Parking des Jacobins| alt= | url=https://www.carcassonne.org/article-page/stationnement| email= | wikipedia=
| address= | lat=43.210100 | long=2.351935 | directions=
| image=
| phone=| fax=
| price=
| lastedit=2025-08-13
| content= Caserne Laperrine近くの駐車場
}}
*{{vCard | type=parking
| name= Parking de la Cité | alt= | url=| email= | wikipedia==
| address= | lat=43.206318 | long=2.367775 | directions=
| image =
| phone=| fax=
| price=
| lastedit=2025-08-13
| content=市街地付近の駐車場
}}
* {{vCard | type=parking
| name=Parking des Berges de l'Aude | alt= | url= | email= | wikipedia= | wikidata=
| address= Boulevard Paul Sabatier| lat= 43.214974| long=2.360567 | directions=
| image =
| phone= | fax=
| price= | hours=
| lastedit=2025-08-13
| content=
}}
* {{vCard | type=parking
| name= Parking Quai Bellevue | alt= | url= | email= | wikipedia= | wikidata=
| address= Quai Bellevue| lat= 43.209112| long= 2.356247| directions=
| image =
| phone= | fax=
| price= Gratuit| hours=
| lastedit=2025-08-13
| content=
}}
* {{vCard | type=parking
| name=Parking du Bastion St Martial | alt= | url= | email= | wikipedia= | wikidata=
| address= Boulevard de Varsovie| lat= 43.214594| long=2.347632 | directions=
| image =
| phone= | fax=
| price= | hours=
| lastedit=2025-08-13
| content=
}}
* {{vCard | type=parking
| name=Parking du Boulevard Marcou | alt= | url= | email= | wikipedia= | wikidata=
| address= Boulevard Marcou| lat= 43.211211 | long= 2.346922| directions=
| image =
| phone= | fax=
| price= | hours=
| lastedit=2025-08-13
| content=
}}
== 観る ==
<gallery>
ファイル:France cite de carcassonne chateau comtal2.jpg|thumbnail|シャトー・コムタル
ファイル:Carcassonne - Cathédrale St-Michel.jpg|thumb|カルカソンヌ大聖堂
ファイル:Carcassonne JPG01.jpg|thumb|城塞都市カルカソンヌの全貌
ファイル:Carcassonne - Le port de Carcassonne vu du pont Marengo.jpg|thumb|カルカソンヌ港
ファイル:Canal du Midi in Carcassonne 02.jpg|thumb|ミディ運河
</gallery>
* '''要塞''': 映画「ロビンフット」にも登場した美しい都市城塞。キリスト教が生まれる前に作られたものが改築され今に至っています。[[#カルカソンヌ駅|鉄道駅]]より徒歩20分。
* {{vCard | type=fort
| name=シャトー・コムタル | alt=Château Comtal | url= | email=
| address= | lat=43.207052 | long=2.363109 | directions=
| phone=+33468117070 | tollfree=
| hours= | price=
| wikidata=Q79501011| lastedit=2025-08-13
| content=
}}
* {{vCard | type=cathedral
| name=カルカソンヌ大聖堂 | alt={{lang-fr|Cathédrale Saint-Michel de Carcassonne}} | url= | email=
| address=52 Rue Voltaire | lat=43.210833 | long=2.351111 | directions=
| phone=+33468251448 | tollfree= | fax=
| hours= | price=
| wikipedia=Carcassonne Cathedral | lastedit=2025-08-13 | wikidata=Q1736175
| content=市内最大の綺麗な大聖堂。
}}
* {{vCard | type=museum
| name=拷問博物館 | alt={{lang-fr|Châteaux Cathares et Instruments de Tortures}} | url= | email=
| address=17 Rue du Grand Puits | lat=43.207205 | long=2.365271 | directions=
| phone=+33 468269522 | tollfree= | fax=
| hours= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=時間があればこの博物館も訪れるといい思い出になるでしょう。小さいですが、中世の拷問器具がたくさん展示されています。取り澄ました方にはお勧めできません。
}}
=== ツアー ===
フランスの中でも地域として観光分野から軽視されがちな当地方は、実は多くの魅力を持っています。[[ミネルヴ]]をはじめとした小さな村に行ってみてください。その際ミシュランの地図は便利でしょう。ただし、赤い道ではなく白で書いてある道をたどってください。ツアーバスでは訪れないような辺境の、そして素晴らしい場所を見つけることができるでしょう。
なお、カルカソンヌを含むこの地方のツアーは、[[トゥールーズ]]を起点とするのもいいかもしれません。
== する ==
2つの城壁の間では1日に2回、中世に行われていた馬上槍試合が行われています。これは典型的な観光客向けアクティビティに聞こえますが、内実は古くからの馬術と格闘技文化を学べる非常に面白い催しです。入場料は、大人11ユーロ・カルカパスで9ユーロ、5~10歳は7ユーロでそれ未満は無料です(2021年現在)。[https://www.tourism-carcassonne.co.uk/what-to-do/this-week/chivalry-tournament-358559 カルカソンヌ観光案内所公式ページ]{{Dead link|date=5月 2026 |bot=InternetArchiveBot |fix-attempted=yes }}も参照。
歴史的価値を持つミディ運河では、定期的に観光用の船が運行されており、リラックスすることができます。船は[[#カルカソンヌ駅|鉄道駅]]の近くの橋から出ており、運河沿いにチケットを売っている売店があります。解説が他言語で提供されています。
'''カルカソンヌ祭り'''({{lang-fr|Festival de Carcassonne}})が毎年7月と8月に開催されています。7月中旬には、フランス国内で2番目に規模の大きい花火大会もあります。
* {{vCard | type=horse_riding
| name=Domaine de Pommayrac | link= | alt= | url=http://www.pommayrac.com | email=
| address=Chemin de Pommayrac, ヴェルセイユ | lat=43.124818 | long=2.327191 | directions=[[ヴェルセイユ]]はカルカソンヌの南方に約12.5km行った場所に位置しています。村からは乗馬施設の標識を見てください。
| phone=+33 04 68 69 49 60 | tollfree=
| hours= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=乗馬のレッスン・コースから宿泊施設やレストランまで。.
}}
== 買う ==
== 食べる ==
[[ファイル:Cassoulet Carcassonne FRA 001.JPG|thumb|300px|カスレ]]
カルカソンヌに来て豆・ソーセージ・鴨の郷土料理・カスレを食べないで帰るなどということがあってはなりません。他にこの地方のフォアグラも特産品として多くのメニューに入っています。
鉄道の駅の周りにはお手頃なバーが、街の中心部とシテを結ぶトリヴァル通りにはいくつかのレストランがあります。
* {{vCard | type=restaurant
| name=Le Trivalou | alt= | url= | email=
| address=69 rue Trivalle, カルカソンヌ | lat= | long= | directions=
| phone= | tollfree= | fax=
| hours= | price=カスレ : 16ユーロ | lastedit=2025-08-13
| content=とてもいいサービスと美味しい地元料理を提供するトリヴァル通り沿いのレストラン。
}}
シテ内にもメイン広場にレストランがあり、La Barbacane・Chez Saskia・Restaurant Comte Roger・Brasserie le Donjonなど素晴らしいお店ばかりです。
夏には観光客が多いためにレストランが混雑し値段も少し高めになる可能性があります。その際にはシテから離れたレストランに行ってみるかカルカソンヌではなくその周りの村で食べるのもいいでしょう。
* {{vCard | type=restaurant
| name=Le Marcou | alt= | url=https://www.lemarcou.com/ | email=hello@macro.com
| address=12 place Marcou | lat=43.20669 | long=2.36493 | directions=
| phone=+33 4 68 473748 | fax= | price=通常メニューは14,9ユーロ・20,9ユーロ。お子様用メニューは8,9ユーロ。 | hours=月~日曜日 : 8:00~1:00
| lastedit=2025-08-13 | wikipedia= | image= | wikidata=
| content=気取っていないが質の高いブラッスリー。新鮮な旬の食材を使った料理はおいしく、サービスもいいです。テラス付きです。
}}
== 飲む ==
この地域ならではのワインが楽しめます。
* {{vCard | type=bar
| name=Eurl le Bar a Vins | alt= | url= | email=
| address=6 Rue du Plo | lat=43.205092 | long=2.364178 | directions=
| phone=+33 4 68 47 38 38 | tollfree= | fax=
| hours= | price= | lastedit=2025-08-13
| content=飲み物やアイスを買うのにいい、比較的静かな場所です。
}}
== 泊まる ==
主に夏の混雑する時期に泊まる予定の場合、事前予約は必須です。
=== 安宿 ===
*{{vCard | type=hostel
| name=Hosteling International Carcassonne | link= | alt= | url=http://www.hifrance.org/auberge-de-jeunesse/carcassonne.html?page=article | email=
| address=Rue du Vicomte Trencavel, Cite Médiévale | lat=43.2065 | long=2.36407 | directions=
| phone=+33 468252316 | tollfree=
| checkin= | checkout= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=中世の町中にあるホテルで、4月~10月までの営業です。予算内に収めたいという人にいい場所です。いいアクティビティを提供してくれますが、Hosteling Internationalのメンバーでないと料金が少し上がります。.
}}
=== 中級宿 ===
* {{vCard | type=hotel
| name=Notre Dame de l'Abbaye | link= | alt= | url=http://www.abbaye-carcassonne.com | email=
| address= | lat=43.20922 | long=2.36598 | directions=
| phone=+33468251665 | tollfree=
| checkin= | checkout= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=修道院を改築した建物にあるホテルで、シテからほど近く、手頃な値段です。無料無線LAN、英語にも対応しています。.
}}
*{{vCard | type=hotel
| name=Camping de la Cité | link= | alt= | url=http://www.campingcitecarcassonne.com/?lang=en | email=
| address=Route de St Hilaire | lat=43.2008 | long=2.3541 | directions=
| phone= | tollfree=
| checkin= | checkout= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=川沿いにあり、城を見下ろす位置にあるホテルです。町の中心部から標識があり、テニス場やプールなどがついています。夏には混雑するホテルで、4~10月営業です。.
}}
* {{vCard | type=hotel
| name=Carcassonne Porte de la Cite | alt=Mercure Hotel | url=https://all.accor.com/hotel/1622/index.en.shtml | email=H1622@accor.com
| address=18 rue Camille Saint-Saens | lat=43.206754 | long=2.369567 | directions=
| phone=+33 468119282 | tollfree=
| checkin= | checkout= | price=1泊97ユーロから
| lastedit=2025-08-13
| content=シテから歩いて5分ほどのところで、いいサービスです。
}}
=== 高級宿 ===
* {{vCard | type=hotel
| name=Hotel de la Cité | link= | alt= | url=http://www.hoteldelacite.com | email=
| address=Cite Medievale | lat=43.205739 | long=2.362608 | directions=
| phone=+33 468112300 | tollfree=
| checkin= | checkout= | price=
| lastedit=2025-08-13
| content=最も歴史的で、とても豪華なホテルです。Orient Express Hotelsによる運営。.
}}
== 出かける ==
* [[リムー]] - カルカソンヌから南に下ったところに位置する小規模な街で、スパークリングワインとリムのカーニバル(毎年冬に3か月開催されます)が有名です。
* [[ミネルヴ]] - この地方の典型的な美しい村で、人口111人には不釣り合いともいえる年間観光客30万人という数字をたたき出している村でもあります。
{{mapmask|wikidata=Q6582}}
{{IsPartOf|オード県}}
{{geo|43.215833|2.351389|zoom=11}}
{{mapsources|lat=43.215833|long=2.351389|zoom=12}}
{{status}}
{{フランスの世界遺産}}
{{デフォルトソート:かるかそんぬ}}
[[Category:フランス]]
[[Category:フランスの都市]]
[[カテゴリ:オクシタニー地方]]
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中国王朝
0
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2026-05-26T14:30:32Z
Tmv
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加筆
57223
wikitext
text/x-wiki
{{pagebanner}}
広義の東亜の一大大国'''[[中国]]'''は、20世紀以上に亘って中国の平野部を中心とした広大な地域に大国として存在し続けてきました。中国の帝国・王朝を指す言葉はいくつも存在しますが、ここでは特に現存が確認されている古代王朝(殷、周)や中華帝国—嬴政の秦にはじまり、大砲と西欧の靴音が鳴る清末期にかけての中国統一王朝について解説します。この長大な歴史の中で、国内では様々な思想や文化が盛衰し、今日まで積み上げられてきました。また、周辺の国家との間には朝貢体制が築かれ、中華文化圏を形成しています。中国の帝国史を学ぶことは東アジア地域をより楽しむために絶対に必要なことです。
== 知る ==
[[ファイル:Territories of Dynasties in China.gif|thumb|中国王朝の推移]]
中国の歴代国家を表す言葉は複数存在します:
* 中華帝国 — 漢民族居住地域のみならぬ広大な地域を支配した帝国的王朝を指します。秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清や、場合によってはより部分的な支配に留まった他の王朝も含まれます。
* 中国王朝 — 天の命を受けた天子が九州を収めるという天子思想に基づいた王朝です。これには規模が小さく一般に中華帝国には含まれない古代の殷なども含まれます。
* 中原王朝 — 黄河中下流域の中原に都を置いた王朝を指します。
* 征服王朝 — 中国王朝の中で、漢民族でない民族によって支配された王朝を指します。王朝支配の中で漢化したものは浸透王朝と呼ばれるため、征服王朝に当たる王朝は[[#遼|遼]]、[[#金|金]]、[[#元|元]]、[[#清|清]]の4つです。
{{clear}}
== 古代 ==
[[ファイル:Distant dialogue exhibition of Dadiwan site, 2017-03-04 05.jpg|thumb|仰韶文化の彩陶]]
王朝ではありませんが、はじめに古代中国をみてみましょう。中国では、混沌とした世界に生まれた盤古が天地を分かち、その死体の各部位がそれぞれ山や日月、海や川などになったとする天地開闢が創世神話として有名です。この神話は、中国の歴史書として知らぬものはいない『史記』にも掲載されておらず、初出は三国時代頃にまで下ります。最古代中国についての伝説は天地開闢以外にも豊富にあり、伝説上の生物や支配者がたくさん登場します。分厚い漢字辞典を眺めているとところどころに見つかる「伝説上の生物の名」と解説されている漢字の多くもまたこの伝説の産物です。こうした伝説は後に登場する道教などに取り入れられていきます。
一方で考古学上の中国は、世界四大文明の1つに数えられるほどの非常に古い文明であり、大きく'''黄河文明'''と'''長江文明'''の2つに分けられます。黄河文明の中でも最古のものは[[河南省]]で見つかった裴李崗文化で、紀元前7000~5000年の間に存在しました。黄河文明の中でも特に有名なのは、[[陝西省]]から河南省にかけての一帯にあった'''仰韶文化'''と[[山東省]]の'''龍山文化'''でしょう。仰韶文化は彩陶を作ることで著名で、河南省[[三門峡|三門峡市]]にある、仰韶の命名元にもなった遺跡に建てられた仰韶文化博物館には彩陶が専門的に展示されている他、[[甘粛省]][[蘭州|蘭州市]]の甘粛省博物館でも彩陶の歴史がよくわかります。龍山文化は逆に黒陶が有名で黒陶文化とも呼ばれます。山東省[[済南|済南市]]の城子崖遺跡は龍山文化の遺跡の1つで、現在は遺跡公園として整備され城子崖遺址博物館が建っています。また、山東博物館にも龍山文化の遺物が収蔵されており、蛋殻黒陶という非常に薄い黒陶も見られます。黄河文明はこの後社会の階層化が進み長い長い中国王朝の歴史へと移っていきます。
[[ファイル:Sanxingdui_Protruding_Pupils.jpg|thumb|三星堆遺跡の青銅縦目仮面]]
他方、長江文明の中でも有名なのは'''良渚文化'''や'''河姆渡文化'''です。前者は[[浙江省]][[杭州|杭州市]]で良渚遺跡という非常に大規模な遺跡が発見されており、「良渚古城遺跡」という名称で[[世界遺産]]に登録されています。河姆渡文化は世界最古の稲栽培で知られ、家畜も飼っていたことがわかっています。浙江省[[余姚|余姚市]]には河姆渡遺跡があって河姆渡遺址博物館という博物館が建てられており、「遺跡の概要」「稲作経済」「人々の生活」などに分けて展示がなされています。長江文明では他に[[四川省]][[徳陽|徳陽市]]の'''三星堆遺跡'''も独特な人頭像で知られています。
さて、中国史を語るうえで欠かせないのは『史記』です。これは前漢の時代に作られた本で(詳細は後述)、紀伝体で膨大な歴史を記述しています。その『史記』によれば、伝説の三皇五帝の時代の後黄河流域に初めての王朝として夏が生まれたとされています。しかしその信憑性は低くこの王朝は存在しないと考える研究者も数多くいます。存在が確定しているのは次の王朝、'''殷'''(商、紀元前16~11世紀)からです。河南省[[安陽|安陽市]]にあるその都・殷墟は殷朝後期の紀元前14世紀ごろから紀元前11世紀ごろに使われていたもので、世界遺産に登録されています。その発見には、金石学者の王懿栄が漢方薬として購入した骨の欠片に古文字を発見し、彼の食客だった劉鶚がその出所を追って見つけたというエピソードもついています。ともかくも、殷は黄河流域に興って神権政治を行い、ついには中原を支配するに至り、中国王朝の歴史が幕を開けたのです。
殷王朝は、紀元前11世紀ごろ(紀元前12世紀とする説もある)に殷周革命によって潰えます。殷に代わって中原の治者となった'''周'''(紀元前11世紀前後~紀元前771年~紀元前256年)はその時期によって西周と東周に分けられます。前半の西周は封建制によって初期には栄えましたが、すぐに諸侯が力をつけはじめて衰退していきました。そして紀元前771年に黄河文明上流の犬戎と侯が手を組んだことにより首都を占領され、貴族が洛邑(現在の洛陽)に遷都し東周の時代へと入ります。
{{clear}}
== 春秋戦国時代 ==
[[ファイル:春秋诸侯大国简图.png|thumb|春秋時代の勢力図]]
西周が東周に移ったことにより、周がその権力を完全に失い、諸侯が九州(天下)の統一を目指して争い始めました。この時代を'''春秋時代'''といいます。春秋時代には中原に様々な勢力が跋扈し、目まぐるしく興亡しました。この中でも有力な諸侯には「覇者」という称号で呼ばれ、特に有名な5人を春秋の五覇と呼びます。しかし、実際には春秋の五覇の定義にも様々な説があり、誰がその5人であるのか確定していません。その中でもほとんど確実に五覇に含まれるのが、斉の桓公と晋の文公です。彼ら2人に共通するのは、会盟を開いて諸侯をまとめあげたという点です。現在も斉の首都であった臨淄(山東省[[淄博]])には臨淄故城の跡が残っている他、管仲記念館という桓公の宰相だった管仲についての博物館があり、管仲のエピソードを再現して展示してあります。その後、紀元前403年に大国・晋が韓・魏・趙の三国に分裂して以降は戦国時代に突入します(時代の境目については諸説あり)。
[[ファイル:战国形势图(前280年)(简).png|thumb|戦国の七雄(紀元前280年)]]
中国の'''戦国時代'''は、日本の戦国時代の名付け元であり、これらの間には共通点があります。最大の共通点は下剋上が盛んにおこなわれたという点で、それまでの身分秩序が崩壊し、国政を握る氏族が大幅に変わりました。また、お互いの融和がある程度尊重されていた春秋時代に比べて、戦国時代は各国が富国強兵を推進して積極的に他国に侵攻したという違いがあります。戦国時代の中でも「戦国の七雄」と呼ばれる韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦の7国は特に有名で、互いに天下の統一を夢見て争いました。しかし、斉が凋落するとこれら7国の中でも最西にあった秦が次第に力を付け、紀元前221年に秦王である嬴政が中国統一を成し遂げて始皇帝と名乗りました。ここに中華帝国と中国統一王朝の歴史が始まったのです。戦国の七雄それぞれの中心都市は今でも保存されており、めぐることができます。
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[咸陽#咸陽城|咸陽城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q2360265 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=秦王朝天下統一の拠点です。現在は秦咸陽宮遺跡博物館が建てられています。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[鄭州#鄭韓故城|鄭韓故城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q17026198 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=韓の都です。大きな壁が現在も残っています。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[開封#大梁城|大梁城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q16510368 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=魏の都です。八朝古都の起源ともいえる遺跡で、大梁門などの遺跡を今もみることができます。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[邯鄲#邯鄲故城|邯鄲故城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q15927358 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=趙の都です。非常に保存状態が良いです。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[淄博#臨淄故城|臨淄故城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q865988 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=斉の都です。土壁などが残っている他、周辺には複数の歴史博物館があります。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site | name=[[保定市#燕下都|燕下都]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q5364678 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=燕の副都。宮殿跡が残っています。 | lastedit=2026-05-26 }}
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[荊州#紀南城|紀南城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q11119879 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=楚の郁です。国家重点文物保護単位に指定されています。 | lastedit=2026-05-26 }}
{{引用|子曰<sup>ク</sup>:「學<sup>ビテ</sup>而時<sup>二</sup>習<sup>フ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>之<sup>ヲ</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>説<sup>バシカラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?有<sup>リ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>朋自<sup>リ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>遠方<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>來<sup>タル</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>樂<sup>シカラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?人不<sup>シテ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>知<sup>ラ</sup>而不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>慍<sup>ミ</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>君子<sup>ナラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?」|[[:s:Special:Permalink/161089|『論語』(ウィキソース)「學而第一」]](2020年7月27日00時04分の第161089版)|right}}
春秋戦国時代は、様々な諸侯の興亡の中で様々なエピソードが生まれ、文化的にも非常に重要な時代でした。「春秋」と「戦国」という名はそれぞれ孔子の『春秋』と劉向の『戦国策』に由来しています。孔子をはじめとする諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場したのは、富国強兵によって生き残り拡大するために彼らが必要であった、まさに春秋戦国時代のことです。彼らの中でも特に有名なのは、儒家として周辺諸国にも多大な影響を与えた孔子や、墨家の墨子、法家の商鞅や韓非、そしてしばしば老荘思想として語られる老子と荘子らです。彼らの言葉は様々な形で中国文化、さらには周辺文化に強く受け継がれており、日本語にも諸子百家の引用に由来する言葉がいくつもあります。性善説や性悪説、無為自然などの概念が説かれたのもまたこの時代であり、今後展開される中国哲学の根幹といっても過言ではありません。山東省の[[曲阜]]には孔子にまつわる'''[[三孔]]'''(孔廟・孔林・孔府)と呼ばれる建造物があり、[[世界遺産]]に指定されています。また、老荘思想を基にして形成された道教には四大道教名山や五岳などの聖地があり、これらを巡る旅も面白いはずです。また、この時代には既に初期の漢詩が形成されており、北の『詩経』と南の『楚辞』は有名です。とはいえ、漢詩の形式が完成されるには、紀元後8世紀まであと1000年弱待たなくてはなりません。
この時代のもう1つの産物として忘れてはならないのが'''[[万里の長城]]'''です。万里の長城が現在みられるように巨大化したのは中国統一以後ですが、その基礎が築かれたのは春秋戦国時代、戦国の七雄が国境を警戒してのことでした。また、この時代には鉄製農具と牛耕によって農業生産性が向上し、これによって戦国の七雄それぞれが青銅貨幣するなど、貨幣経済が始まりました。
== 秦 ==
== 漢 ==
== もっとみる ==
* [[中国歴代首都巡り]]
{{PartOfTopic|文化の魅力}}<!-- ページが存在する場合歴史旅に変えてください -->
{{デフォルトソート:ちゆうこくおうちよう}}
[[カテゴリ:中国の話題]]
[[en:Imperial China]]
[[it:Cina imperiale]]
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/* 春秋戦国時代 */ 校正
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text/x-wiki
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広義の東亜の一大大国'''[[中国]]'''は、20世紀以上に亘って中国の平野部を中心とした広大な地域に大国として存在し続けてきました。中国の帝国・王朝を指す言葉はいくつも存在しますが、ここでは特に現存が確認されている古代王朝(殷、周)や中華帝国—嬴政の秦にはじまり、大砲と西欧の靴音が鳴る清末期にかけての中国統一王朝について解説します。この長大な歴史の中で、国内では様々な思想や文化が盛衰し、今日まで積み上げられてきました。また、周辺の国家との間には朝貢体制が築かれ、中華文化圏を形成しています。中国の帝国史を学ぶことは東アジア地域をより楽しむために絶対に必要なことです。
== 知る ==
[[ファイル:Territories of Dynasties in China.gif|thumb|中国王朝の推移]]
中国の歴代国家を表す言葉は複数存在します:
* 中華帝国 — 漢民族居住地域のみならぬ広大な地域を支配した帝国的王朝を指します。秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清や、場合によってはより部分的な支配に留まった他の王朝も含まれます。
* 中国王朝 — 天の命を受けた天子が九州を収めるという天子思想に基づいた王朝です。これには規模が小さく一般に中華帝国には含まれない古代の殷なども含まれます。
* 中原王朝 — 黄河中下流域の中原に都を置いた王朝を指します。
* 征服王朝 — 中国王朝の中で、漢民族でない民族によって支配された王朝を指します。王朝支配の中で漢化したものは浸透王朝と呼ばれるため、征服王朝に当たる王朝は[[#遼|遼]]、[[#金|金]]、[[#元|元]]、[[#清|清]]の4つです。
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== 古代 ==
[[ファイル:Distant dialogue exhibition of Dadiwan site, 2017-03-04 05.jpg|thumb|仰韶文化の彩陶]]
王朝ではありませんが、はじめに古代中国をみてみましょう。中国では、混沌とした世界に生まれた盤古が天地を分かち、その死体の各部位がそれぞれ山や日月、海や川などになったとする天地開闢が創世神話として有名です。この神話は、中国の歴史書として知らぬものはいない『史記』にも掲載されておらず、初出は三国時代頃にまで下ります。最古代中国についての伝説は天地開闢以外にも豊富にあり、伝説上の生物や支配者がたくさん登場します。分厚い漢字辞典を眺めているとところどころに見つかる「伝説上の生物の名」と解説されている漢字の多くもまたこの伝説の産物です。こうした伝説は後に登場する道教などに取り入れられていきます。
一方で考古学上の中国は、世界四大文明の1つに数えられるほどの非常に古い文明であり、大きく'''黄河文明'''と'''長江文明'''の2つに分けられます。黄河文明の中でも最古のものは[[河南省]]で見つかった裴李崗文化で、紀元前7000~5000年の間に存在しました。黄河文明の中でも特に有名なのは、[[陝西省]]から河南省にかけての一帯にあった'''仰韶文化'''と[[山東省]]の'''龍山文化'''でしょう。仰韶文化は彩陶を作ることで著名で、河南省[[三門峡|三門峡市]]にある、仰韶の命名元にもなった遺跡に建てられた仰韶文化博物館には彩陶が専門的に展示されている他、[[甘粛省]][[蘭州|蘭州市]]の甘粛省博物館でも彩陶の歴史がよくわかります。龍山文化は逆に黒陶が有名で黒陶文化とも呼ばれます。山東省[[済南|済南市]]の城子崖遺跡は龍山文化の遺跡の1つで、現在は遺跡公園として整備され城子崖遺址博物館が建っています。また、山東博物館にも龍山文化の遺物が収蔵されており、蛋殻黒陶という非常に薄い黒陶も見られます。黄河文明はこの後社会の階層化が進み長い長い中国王朝の歴史へと移っていきます。
[[ファイル:Sanxingdui_Protruding_Pupils.jpg|thumb|三星堆遺跡の青銅縦目仮面]]
他方、長江文明の中でも有名なのは'''良渚文化'''や'''河姆渡文化'''です。前者は[[浙江省]][[杭州|杭州市]]で良渚遺跡という非常に大規模な遺跡が発見されており、「良渚古城遺跡」という名称で[[世界遺産]]に登録されています。河姆渡文化は世界最古の稲栽培で知られ、家畜も飼っていたことがわかっています。浙江省[[余姚|余姚市]]には河姆渡遺跡があって河姆渡遺址博物館という博物館が建てられており、「遺跡の概要」「稲作経済」「人々の生活」などに分けて展示がなされています。長江文明では他に[[四川省]][[徳陽|徳陽市]]の'''三星堆遺跡'''も独特な人頭像で知られています。
さて、中国史を語るうえで欠かせないのは『史記』です。これは前漢の時代に作られた本で(詳細は後述)、紀伝体で膨大な歴史を記述しています。その『史記』によれば、伝説の三皇五帝の時代の後黄河流域に初めての王朝として夏が生まれたとされています。しかしその信憑性は低くこの王朝は存在しないと考える研究者も数多くいます。存在が確定しているのは次の王朝、'''殷'''(商、紀元前16~11世紀)からです。河南省[[安陽|安陽市]]にあるその都・殷墟は殷朝後期の紀元前14世紀ごろから紀元前11世紀ごろに使われていたもので、世界遺産に登録されています。その発見には、金石学者の王懿栄が漢方薬として購入した骨の欠片に古文字を発見し、彼の食客だった劉鶚がその出所を追って見つけたというエピソードもついています。ともかくも、殷は黄河流域に興って神権政治を行い、ついには中原を支配するに至り、中国王朝の歴史が幕を開けたのです。
殷王朝は、紀元前11世紀ごろ(紀元前12世紀とする説もある)に殷周革命によって潰えます。殷に代わって中原の治者となった'''周'''(紀元前11世紀前後~紀元前771年~紀元前256年)はその時期によって西周と東周に分けられます。前半の西周は封建制によって初期には栄えましたが、すぐに諸侯が力をつけはじめて衰退していきました。そして紀元前771年に黄河文明上流の犬戎と侯が手を組んだことにより首都を占領され、貴族が洛邑(現在の洛陽)に遷都し東周の時代へと入ります。
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== 春秋戦国時代 ==
[[ファイル:春秋诸侯大国简图.png|thumb|春秋時代の勢力図]]
西周が東周に移ったことにより、周がその権力を完全に失い、諸侯が九州(天下)の統一を目指して争い始めました。この時代を'''春秋時代'''といいます。春秋時代には中原に様々な勢力が跋扈し、目まぐるしく興亡しました。この中でも有力な諸侯には「覇者」という称号で呼ばれ、特に有名な5人を春秋の五覇と呼びます。しかし、実際には春秋の五覇の定義にも様々な説があり、誰がその5人であるのか確定していません。その中でもほとんど確実に五覇に含まれるのが、斉の桓公と晋の文公です。彼ら2人に共通するのは、会盟を開いて諸侯をまとめあげたという点です。現在も斉の首都であった臨淄(山東省[[淄博]])には臨淄故城の跡が残っている他、管仲記念館という桓公の宰相だった管仲についての博物館があり、管仲のエピソードを再現して展示してあります。その後、紀元前403年に大国・晋が韓・魏・趙の三国に分裂して以降は戦国時代に突入します(時代の境目については諸説あり)。
[[ファイル:战国形势图(前280年)(简).png|thumb|戦国の七雄(紀元前280年)]]
中国の'''戦国時代'''は、日本の戦国時代の名付け元であり、これらの間には共通点があります。最大の共通点は下剋上が盛んにおこなわれたという点で、それまでの身分秩序が崩壊し、国政を握る氏族が大幅に変わりました。また、お互いの融和がある程度尊重されていた春秋時代に比べて、戦国時代は各国が富国強兵を推進して積極的に他国に侵攻したという違いがあります。戦国時代の中でも「戦国の七雄」と呼ばれる韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦の7国は特に有名で、互いに天下の統一を夢見て争いました。しかし、斉が凋落するとこれら7国の中でも最西にあった秦が次第に力を付け、紀元前221年に秦王である嬴政が中国統一を成し遂げて始皇帝と名乗りました。ここに中華帝国と中国統一王朝の歴史が始まったのです。戦国の七雄それぞれの中心都市は今でも保存されており、めぐることができます。
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春秋戦国時代は、様々な諸侯の興亡の中で様々なエピソードが生まれ、文化的にも非常に重要な時代でした。「春秋」と「戦国」という名はそれぞれ孔子の『春秋』と劉向の『戦国策』に由来しています。孔子をはじめとする諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場したのは、富国強兵によって生き残り拡大するために彼らが必要であった、まさにこの時代のことです。彼らの中でも特に有名なのは、儒家として最も知られている孔子や、墨家の墨子、法家の商鞅や韓非、そしてしばしば老荘思想として語られる老子と荘子らです。彼らの言葉は様々な形で中国文化、さらには周辺文化に強く受け継がれており、日本語にも諸子百家の引用に由来する言葉がいくつもあります。性善説や性悪説、無為自然などの概念が説かれたのもまたこの時代であり、今後展開される中国哲学の根幹といっても過言ではありません。山東省の[[曲阜]]には孔子にまつわる'''[[三孔]]'''(孔廟・孔林・孔府)と呼ばれる建造物があり、[[世界遺産]]に指定されています。また、老荘思想を基にして形成された道教には四大道教名山や五岳などの聖地があり、これらを巡る旅も面白いはずです。さらに、この時代には既に初期の漢詩が形成されており、北の『詩経』と南の『楚辞』は有名です。とはいえ、漢詩の形式が完成されるには、紀元後8世紀まであと1000年弱待たなくてはなりません。
この時代のもう1つの産物として忘れてはならないのが'''[[万里の長城]]'''です。万里の長城が現在みられるように巨大化したのは中国統一以後ですが、その基礎が築かれたのは春秋戦国時代、戦国の七雄が国境を警戒してのことでした。また、この時代には鉄製農具と牛耕によって農業生産性が向上し、これによって戦国の七雄それぞれが青銅貨幣するなど、貨幣経済が始まりました。
== 秦 ==
== 漢 ==
== もっとみる ==
* [[中国歴代首都巡り]]
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[[カテゴリ:中国の話題]]
[[en:Imperial China]]
[[it:Cina imperiale]]
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/* 春秋戦国時代 */ 脱字;何度もすみません
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広義の東亜の一大大国'''[[中国]]'''は、20世紀以上に亘って中国の平野部を中心とした広大な地域に大国として存在し続けてきました。中国の帝国・王朝を指す言葉はいくつも存在しますが、ここでは特に現存が確認されている古代王朝(殷、周)や中華帝国—嬴政の秦にはじまり、大砲と西欧の靴音が鳴る清末期にかけての中国統一王朝について解説します。この長大な歴史の中で、国内では様々な思想や文化が盛衰し、今日まで積み上げられてきました。また、周辺の国家との間には朝貢体制が築かれ、中華文化圏を形成しています。中国の帝国史を学ぶことは東アジア地域をより楽しむために絶対に必要なことです。
== 知る ==
[[ファイル:Territories of Dynasties in China.gif|thumb|中国王朝の推移]]
中国の歴代国家を表す言葉は複数存在します:
* 中華帝国 — 漢民族居住地域のみならぬ広大な地域を支配した帝国的王朝を指します。秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清や、場合によってはより部分的な支配に留まった他の王朝も含まれます。
* 中国王朝 — 天の命を受けた天子が九州を収めるという天子思想に基づいた王朝です。これには規模が小さく一般に中華帝国には含まれない古代の殷なども含まれます。
* 中原王朝 — 黄河中下流域の中原に都を置いた王朝を指します。
* 征服王朝 — 中国王朝の中で、漢民族でない民族によって支配された王朝を指します。王朝支配の中で漢化したものは浸透王朝と呼ばれるため、征服王朝に当たる王朝は[[#遼|遼]]、[[#金|金]]、[[#元|元]]、[[#清|清]]の4つです。
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== 古代 ==
[[ファイル:Distant dialogue exhibition of Dadiwan site, 2017-03-04 05.jpg|thumb|仰韶文化の彩陶]]
王朝ではありませんが、はじめに古代中国をみてみましょう。中国では、混沌とした世界に生まれた盤古が天地を分かち、その死体の各部位がそれぞれ山や日月、海や川などになったとする天地開闢が創世神話として有名です。この神話は、中国の歴史書として知らぬものはいない『史記』にも掲載されておらず、初出は三国時代頃にまで下ります。最古代中国についての伝説は天地開闢以外にも豊富にあり、伝説上の生物や支配者がたくさん登場します。分厚い漢字辞典を眺めているとところどころに見つかる「伝説上の生物の名」と解説されている漢字の多くもまたこの伝説の産物です。こうした伝説は後に登場する道教などに取り入れられていきます。
一方で考古学上の中国は、世界四大文明の1つに数えられるほどの非常に古い文明であり、大きく'''黄河文明'''と'''長江文明'''の2つに分けられます。黄河文明の中でも最古のものは[[河南省]]で見つかった裴李崗文化で、紀元前7000~5000年の間に存在しました。黄河文明の中でも特に有名なのは、[[陝西省]]から河南省にかけての一帯にあった'''仰韶文化'''と[[山東省]]の'''龍山文化'''でしょう。仰韶文化は彩陶を作ることで著名で、河南省[[三門峡|三門峡市]]にある、仰韶の命名元にもなった遺跡に建てられた仰韶文化博物館には彩陶が専門的に展示されている他、[[甘粛省]][[蘭州|蘭州市]]の甘粛省博物館でも彩陶の歴史がよくわかります。龍山文化は逆に黒陶が有名で黒陶文化とも呼ばれます。山東省[[済南|済南市]]の城子崖遺跡は龍山文化の遺跡の1つで、現在は遺跡公園として整備され城子崖遺址博物館が建っています。また、山東博物館にも龍山文化の遺物が収蔵されており、蛋殻黒陶という非常に薄い黒陶も見られます。黄河文明はこの後社会の階層化が進み長い長い中国王朝の歴史へと移っていきます。
[[ファイル:Sanxingdui_Protruding_Pupils.jpg|thumb|三星堆遺跡の青銅縦目仮面]]
他方、長江文明の中でも有名なのは'''良渚文化'''や'''河姆渡文化'''です。前者は[[浙江省]][[杭州|杭州市]]で良渚遺跡という非常に大規模な遺跡が発見されており、「良渚古城遺跡」という名称で[[世界遺産]]に登録されています。河姆渡文化は世界最古の稲栽培で知られ、家畜も飼っていたことがわかっています。浙江省[[余姚|余姚市]]には河姆渡遺跡があって河姆渡遺址博物館という博物館が建てられており、「遺跡の概要」「稲作経済」「人々の生活」などに分けて展示がなされています。長江文明では他に[[四川省]][[徳陽|徳陽市]]の'''三星堆遺跡'''も独特な人頭像で知られています。
さて、中国史を語るうえで欠かせないのは『史記』です。これは前漢の時代に作られた本で(詳細は後述)、紀伝体で膨大な歴史を記述しています。その『史記』によれば、伝説の三皇五帝の時代の後黄河流域に初めての王朝として夏が生まれたとされています。しかしその信憑性は低くこの王朝は存在しないと考える研究者も数多くいます。存在が確定しているのは次の王朝、'''殷'''(商、紀元前16~11世紀)からです。河南省[[安陽|安陽市]]にあるその都・殷墟は殷朝後期の紀元前14世紀ごろから紀元前11世紀ごろに使われていたもので、世界遺産に登録されています。その発見には、金石学者の王懿栄が漢方薬として購入した骨の欠片に古文字を発見し、彼の食客だった劉鶚がその出所を追って見つけたというエピソードもついています。ともかくも、殷は黄河流域に興って神権政治を行い、ついには中原を支配するに至り、中国王朝の歴史が幕を開けたのです。
殷王朝は、紀元前11世紀ごろ(紀元前12世紀とする説もある)に殷周革命によって潰えます。殷に代わって中原の治者となった'''周'''(紀元前11世紀前後~紀元前771年~紀元前256年)はその時期によって西周と東周に分けられます。前半の西周は封建制によって初期には栄えましたが、すぐに諸侯が力をつけはじめて衰退していきました。そして紀元前771年に黄河文明上流の犬戎と侯が手を組んだことにより首都を占領され、貴族が洛邑(現在の洛陽)に遷都し東周の時代へと入ります。
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== 春秋戦国時代 ==
[[ファイル:春秋诸侯大国简图.png|thumb|春秋時代の勢力図]]
西周が東周に移ったことにより、周がその権力を完全に失い、諸侯が九州(天下)の統一を目指して争い始めました。この時代を'''春秋時代'''といいます。春秋時代には中原に様々な勢力が跋扈し、目まぐるしく興亡しました。この中でも有力な諸侯には「覇者」という称号で呼ばれ、特に有名な5人を春秋の五覇と呼びます。しかし、実際には春秋の五覇の定義にも様々な説があり、誰がその5人であるのか確定していません。その中でもほとんど確実に五覇に含まれるのが、斉の桓公と晋の文公です。彼ら2人に共通するのは、会盟を開いて諸侯をまとめあげたという点です。現在も斉の首都であった臨淄(山東省[[淄博]])には臨淄故城の跡が残っている他、管仲記念館という桓公の宰相だった管仲についての博物館があり、管仲のエピソードを再現して展示してあります。その後、紀元前403年に大国・晋が韓・魏・趙の三国に分裂して以降は戦国時代に突入します(時代の境目については諸説あり)。
[[ファイル:战国形势图(前280年)(简).png|thumb|戦国の七雄(紀元前280年)]]
中国の'''戦国時代'''は、日本の戦国時代の名付け元であり、これらの間には共通点があります。最大の共通点は下剋上が盛んにおこなわれたという点で、それまでの身分秩序が崩壊し、国政を握る氏族が大幅に変わりました。また、お互いの融和がある程度尊重されていた春秋時代に比べて、戦国時代は各国が富国強兵を推進して積極的に他国に侵攻したという違いがあります。戦国時代の中でも「戦国の七雄」と呼ばれる韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦の7国は特に有名で、互いに天下の統一を夢見て争いました。しかし、斉が凋落するとこれら7国の中でも最西にあった秦が次第に力を付け、紀元前221年に秦王である嬴政が中国統一を成し遂げて始皇帝と名乗りました。ここに中華帝国と中国統一王朝の歴史が始まったのです。戦国の七雄それぞれの中心都市は今でも保存されており、めぐることができます。
* {{vCard | type=archaeological site, castle | name=[[咸陽#咸陽城|咸陽城]] | name-local= | name-latin= | alt= | comment= | address= | address-local= | directions= | directions-local= | lat= | long= | wikidata=Q2360265 | url= | image= | phone= | tollfree= | mobile= | fax= | email= | hours= | checkin= | checkout= | payment= | price= | content=秦王朝天下統一の拠点です。現在は秦咸陽宮遺跡博物館が建てられています。 | lastedit=2026-05-26 }}
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{{引用|子曰<sup>ク</sup>:「學<sup>ビテ</sup>而時<sup>二</sup>習<sup>フ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>之<sup>ヲ</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>説<sup>バシカラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?有<sup>リ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>朋自<sup>リ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>遠方<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>來<sup>タル</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>樂<sup>シカラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?人不<sup>シテ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>知<sup>ラ</sup>而不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆑</sub>慍<sup>ミ</sup>、不<sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆓</sub>亦<sup>タ</sup>君子<sup>ナラ</sup><sub style{{=}}"font-size:66%; vertical-align:-0.15em; line-height:0px;">㆒</sub>乎?」|[[:s:Special:Permalink/161089|『論語』(ウィキソース)「學而第一」]](2020年7月27日00時04分の第161089版)|right}}
春秋戦国時代は、様々な諸侯の興亡の中で様々なエピソードが生まれ、文化的にも非常に重要な時代でした。「春秋」と「戦国」という名はそれぞれ孔子の『春秋』と劉向の『戦国策』に由来しています。孔子をはじめとする諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場したのは、富国強兵によって生き残り拡大するために彼らが必要であった、まさにこの時代のことです。彼らの中でも特に有名なのは、儒家として最も知られている孔子や、墨家の墨子、法家の商鞅や韓非、そしてしばしば老荘思想として語られる老子と荘子らです。彼らの言葉は様々な形で中国文化、さらには周辺文化に強く受け継がれており、日本語にも諸子百家の引用に由来する言葉がいくつもあります。性善説や性悪説、無為自然などの概念が説かれたのもまたこの時代であり、今後展開される中国哲学の根幹といっても過言ではありません。山東省の[[曲阜]]には孔子にまつわる'''[[三孔]]'''(孔廟・孔林・孔府)と呼ばれる建造物があり、[[世界遺産]]に指定されています。また、老荘思想を基にして形成された道教には四大道教名山や五岳などの聖地があり、これらを巡る旅も面白いはずです。さらに、この時代には既に初期の漢詩が形成されており、北の『詩経』と南の『楚辞』は有名です。とはいえ、漢詩の形式が完成されるには、紀元後8世紀まであと1000年弱待たなくてはなりません。
この時代のもう1つの産物として忘れてはならないのが'''[[万里の長城]]'''です。万里の長城が現在みられるように巨大化したのは中国統一以後ですが、その基礎が築かれたのは春秋戦国時代、戦国の七雄が国境を警戒してのことでした。また、この時代には鉄製農具と牛耕によって農業生産性が向上し、これによって戦国の七雄それぞれが青銅貨幣を製造するなど、貨幣経済が始まりました。
== 秦 ==
== 漢 ==
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* [[中国歴代首都巡り]]
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[[カテゴリ:中国の話題]]
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